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[39716] 【WW2・時空犯罪・日本魔改造・蹂躙】名無しの火葬戦記【作者にネーミングセンスはない】
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:98863f1a
Date: 2021/06/14 12:11

     前書き


これは いわゆる火葬戦記ものです。
真面目な物語ではありません。

・某所で連載しているものの微修正版です。
・基本三人称、ですが地の文章はスポットが当たっている人物の主観に依ったものとなっております。
・たまに一人称のときやスポット人物無しのときもあります。
・蹂躙系火葬&妄想戦記
・二次大戦前からの時空犯罪(歴史改変)もの
・日本魔改造+枢軸もついでに微改造
・日本以外の陣営は扱いが良くありません。
・なので USA! USA! USA! とかの展開はありません。
・作中の用語などはなるべく舞台となる時代のものを使っています。
・具体例を挙げると看護婦とか書いてますけど、性差別を目的とした表現ではありません。
・作中に日本軍や日本人は殆ど出てきません。
・九七式重爆や二式極戦などの日本兵器が活躍するシーンもそれ程ありません。
・というか歴史改変の結果、姿形が変わっていたり存在しなくなっている可能性もあります。
・書いてる者がいうのもアレですが、誰が得するんでしょうね? この仕様。

上記のような要素が含まれておりますので、ご注意ください。




[39716] その一『ハル長官の憂鬱』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:98863f1a
Date: 2020/11/01 13:02





            その一『ハル長官の憂鬱』




 その日もアメリカ合衆国国務長官、コーデル・ハル氏は憂鬱だった。
 憂鬱の原因ははっきりしている。彼の上司である合衆国第32代大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルト閣下だ。

 「しかし大統領閣下、現場の証言だけではなく物的証拠からも彼我の技術差は明かです。ご再考をお願いします」
 「証拠と言っても墜落機の破片なのだろう? それで何が分かると言うのかね」

 今日も昨日や一昨日と同じ光景が繰り返されている。
 いったい何時からこんなことになってしまったのだろう。かつては、自分の記憶が確かなら何年か前まではこうではなかった。

 「お願いしますから報告書を読んでください。翼の構造から航空機設計の先進性が、構造桁の強度から冶金技術の水準が、ネジやビスの精度から大量生産システムの規模が分かります。どの技術を見ても我が国よりも二年から五年は進んでいます。正直な話、我が国と互角なのは塗装技術ぐらいしかありません」

 額に青筋を立ててまくし立てる補佐官の剣幕に押されて、車椅子に座る大統領は分厚い報告書をめくり始めた。
 書類をめくる音が半時間近く過ぎてから、顔を上げた大統領の発言は彼以外の全員を絶望させるのに足るものだった。

 「なるほど、ドイツの技術発展は恐るべきものだな」

 室内にいる、大統領以外の数人の視線が交差し、うち一人を除いた視線が除かれた一人に集中する。視線を集中されてしまったその男、アーネスト・デニガン補佐官は咳払いをして合衆国元首の発言を訂正した。

 「いえ閣下、それは日本軍機の報告書です」
 「だからドイツが開発した戦闘機を日本軍が使っているのだろう? そうとしか考えられまい。猿と混血した劣等人種が相手ならともかく、ドイツ軍がこの戦闘機を正式配備した場合はやっかいなことになる。航空機関係の予算を増やさねばならんな」
 「閣下、その報告書にもあるようにドイツ軍の方が日本製の戦闘機を使っているのです」

 ドイツ側協力者(有り体に言えばスパイ)の情報提供により、問題の戦闘機がタイプ98と呼ばれる日本軍の主力戦闘機である事が判明している。
 ドイツ空軍内では総合的に見て現在どのドイツ製戦闘機よりも優れていると評価され、空軍幹部の某大佐などは「今すぐこれをライセンス生産しろ」と主張しているらしい。

 現在小康状態にあるチャイナ戦線ではこの機体に対して損害比無限大、つまりこちらは落とされるのに向こうは一機も落とされない屈辱的な記録が残されている。
 日本軍の発表によればタイプ98は八十機が合計1307回出撃し、空中での撃墜破約300、地上での撃破500以上、その他の地上目標270以上を撃破している。損害は地上撃破7、行方不明2、基地及び輸送中の破損廃棄16。
 なお、壊滅的打撃を受けた現地の義勇兵部隊からはこの数字は実際の損害とほぼ等しいと報告されている。 
 日本軍がチャイナ方面の戦線を縮小し、汪兆銘率いる傀儡政権軍に前線を任せるようになった現在はタイプ98を装備した部隊がマンチュリア方面に移動したため、不名誉な記録は更新されていない。

 「馬鹿なことを言わないでくれたまえアーネスト、我が国から屑鉄を買わなければ製鉄もできぬ未開国がこんな高度な機械を作れる訳がないだろう」
 「閣下、本当の未開国は屑鉄があっても製鉄なんて出来ません。更に言うなら日本はもう屑鉄の輸入はしておりません。我が国からも、ソヴィエト以外のどの国からもです。少なくとも輸入した証拠は見つかっておりません」
 「ならソヴィエトから鉄屑を買っているのだろう」
 「ソヴィエトからの輸入は精々年間二万トン程度です。日本が現在生産している年間三千万トン以上に及ぶ粗鋼の0.1%にもなりません」
 「その三千万トンという推定が間違っているとしか思えないな。たかが二年や三年で粗鋼生産量が10倍以上に増えたなど、信じる方がどうかしている」
 「それは、その通りではありますが、しかし」

 補佐官の弁に勢いがなくなる。確かにおかしいのだ。
 日本の工業力では、少なくとも三年前の日本の工業力では二十四時間体制でフル稼働しても年あたり六百万トンが精々だろう。
 だが、航空機による偵察なども含めた情報から総合的に判断すれば、どう考えても日本は年間三千万トン以上の鉄を作っている筈なのだ。そうでないとしたなら、日本の船舶や鉄道や鉄筋は鉄以外の何かで出来ていることになってしまう。 

 「しかし ではないよ。文明人ともあろうものがくだらんトリックに引っかかってどうするのかね。田舎詐欺師の手口だよ、作りもしない物を作ったと言って誤魔化しているだけだ。奴らがいくら無いものを有ると言い張ったところで、日本の資源や物資が増える訳ではない。あの国への対策は変更しない。彼らへの資源輸出を止め商品を市場から閉め出せばそれだけで干上がってしまうさ」



 大統領執務室を辞した二人の男は年齢もこれまでの経歴もまるで違っていたが、共通点も少なくはなかった。彼らは栄光ある合衆国を導くべき者たちの一員であり、愛国者であり、そして憂鬱だった。 

 「すまなかったなデニガン君、無駄な時間を過ごさせてしまった」
 「いえ、私の労苦など長官に比べれば何ほどのものでもありません」

 ハル長官を始めとするホワイトハウスの閣僚達の憂鬱。それは大統領の様子が異常である事が原因だった。

 これが完全な異常であるのなら、いくらでも対処の仕様がある。合衆国の歴史は短いがその政治及び統治システムの洗練度は決して低くない。元首が乱心したぐらいでは合衆国はびくともしないのだ。

 だが、ホワイトハウスの主であるルーズベルト大統領は困ったことに日本に関係した事柄で知能障害を起こすことさえ除けば、相変わらず優れた政治家であり偉大な国家元首なのだった。
 孫ほども年齢の離れた愛人が何人もいたりとか、その日の気分で金相場を決めたりとか、初対面の者を含めて誰彼構わずファーストネームで呼ぶとか、妖しげな占星術師に政策を相談するといった悪癖があるとしても、彼が偉大である事に変わりはない。

 極端な話、政治家なんてものは九官鳥が喋る言葉をそのまま繰り返していたとしても、選挙に勝てて打ち出す政策が正しければそれで良いのである。

 ルーズベルト大統領がどれほどに偉大なのかは、彼が実行している世界戦略を見れば明らかだ。
 
 不況に喘ぐ合衆国で大規模な公共投資を行って生産力と雇用を確保し、公共投資で培った技術力と生産設備で軍拡を行い、軍拡によって造り上げた兵器と物資をイギリスに売りつけてドイツに対抗させヨーロッパ勢力の統一を妨害し、ナチスドイツの野望を挫くと同時にヨーロッパを戦火で焼き尽くしてイギリスを含めたヨーロッパ諸国を破産させ、破産したヨーロッパ諸国に返せる訳もない金を貸して返済を迫り、借金の片として列強の植民地を巻き上げ、美味しい利権をつまみ取った上で独立させる。
 敗戦または実質的に破産した列強や出汁殻状態の新興諸国は合衆国に依存せざるを得ない。かくして世界は自由と民主主義とアメリカン・ウェイに包まれるのだ。

 「まさに非の打ち所ない戦略です。成功すれば我が国の覇権は世紀単位で続くでしょう」
 「確かにな。だが、日本の存在が不気味だ」
 
 ハル長官としても、合衆国が日本に負けるなどとは考えていない。
 彼が持っている情報が全て正しいとして、たとえ日本が正体不明の新型高速戦艦四隻と世界最高の戦闘機部隊を持っているとしても、合衆国が一度本気を出せば必ず勝てる。
 だが、楽に勝てるとも思えない。決着が付くまでに一年半から二年はかかるだろうし、その間に何度かの大がかりな戦いと数え切れない小さな戦いが起こり、少なからぬアメリカ人青年が死ぬだろう。相手は無力な猿ではなく、武装した人間なのだから。

 もちろん大統領もいつかは己が過ちに気付くだろう。だがそれでは遅すぎる。
 
 「彼らは強敵だ。舐めてかかれば、本来なら死なずに済む兵たちが何万人も無意味に死ぬことになる。それだけは避けねば」
 「はい。悲劇を防ぐために、我々も微力ながらお手伝いします」

 
 こんな訳で コーデル・ハル国務長官は今日も憂鬱だった。明日も明後日も憂鬱だろうと覚悟していたし、実際その覚悟は無駄にならなかった。
 不幸なことに彼や彼の同僚や部下たちの憂鬱は、彼らのうち最悪の予想をしていた者の想像よりも長く続くことになる。



続く。




[39716] その二『ヒトラー総統の童心』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:98863f1a
Date: 2021/06/14 12:13






            その二『ヒトラー総統の童心』




 ハインツ・グデーリアン大将が「仕事で一番大事なことは何でしょう?」と問われたならば、迷わず彼は「他者を尊敬することだね」と答えるだろう。


 嫌いな者の話を聞ける人間は少ない。
 自分を嫌っている事が明白な相手の話を聞ける人間は更に少ない。嫌われている理由が理不尽なものであるなら尚更だ。
 いや、嫌悪ならまだ良い。
 これが軽蔑ともなると、とんでもなく厄介だ。

 考えてみて欲しい、貴方は貴方を人間の屑として軽蔑しきっている相手の話を黙って聞く気になれるだろうか?
 貴方の目の前で ただ単に運が良かっただけで高い地位についている、人間の屑としか言い様のない無能卑劣な愚者が世迷い言を延々と述べている状態で、貴方は正気を保てるだろうか。

 ドイツ第三帝国総統アドルフ・ヒトラーとドイツ軍総司令部(OKH)の関係は、大雑把に言えばそういうものだった。


 これが双方の誤解であるならまだ救いがあるのだが、事実なのだから困った事になる。
 ドイツ軍総司令部(OKH)を構成するプロイセン軍事貴族たちからすれば、総統が彼らに対して抱いている悪意はオーストリアから逃げてきた、木っ端役人の息子がルサンチマンを燃やしているに過ぎない。
 一方ドイツの救世主を自認するヒトラーから見ればドイツ軍総司令部(OKH)は、祖国を滅ぼしてでも特権を死守せんとする腐れ貴族の巣窟でしかない。

 私生児の息子であり、挫折した芸術家であり、名も無き一兵卒であり、泡沫政党の中途参加者であったヒトラーがルサンチマン(怨念)の塊であることは紛れもない事実だ。
 だが、一方のプロイセン軍事貴族が過去の栄光に囚われ硬直しきった組織を改善できない、腐敗と怠惰にまみれた無能集団であることもまた事実なのだ。

 総統が素人であることが確かなように、OKHをはじめとするドイツ軍上層部が無能であることも確かだ。
 まともな組織は最高幹部である参謀総長に一日当たり20時間以上の実働勤務を強いたりしないし、元帥位にある長老格の軍人に座席を温めるだけの任に就けることもない。

 先の世界大戦における敗北はユダヤ人の陰謀などではなく、ドイツ軍上層部の無能こそが原因なのだ。人事の硬直、限度を知らぬ派閥抗争、責任の所在が不明瞭な指揮系統、現場の士気を削るだけの広報、破綻した兵站‥‥どれか一つでも解決していたならば、あのような無様な敗北は有り得なかった。

 まあ、ユダヤ人の陰謀について言うなら、宣伝省が繰り返しているプロパガンダ(宣伝)の半分でも本当ならば今頃はナチス党本部どころかドイツ全土が廃墟と化している筈だ。総統は縛り首、グデーリアンは銃殺、国民は死かユダヤの奴隷かの二択を迫られているだろう。

 グデーリアン大将自身も、自分が所属している組織の頑迷さに悩まされ続けてきた。
 確かにアドルフ・ヒトラーは軍事の素人だったが、素人であったからこそ電撃戦構想を支持したとも言える。総統の無茶振りは既存の組織に混乱を与えることが少なくなかったが、その無茶振りの結果として風通しが良くなったことも多々あったのだ。


 
 独裁政治の長所は一度独裁者を知己としたならば、後は独裁者個人の好意を得さえすれば国家の意思決定に関われることだ。少なくとも話ぐらいは聞いて貰える。
 そしてグデーリアン将軍が選んだ独裁者の好意を得る方法は、ヒトラー総統個人を尊敬することだった。
 実行には少なからぬ努力を必要としたが、難事と言うほどの行為でもなかった。

 なんと言ってもヒトラー総統は祖国の指導者であり、しかも国威と領土を取り返した指導者だった。グデーリアンの電撃戦構想を採用して機甲部隊を造り上げた実績からも、凡庸な人物でないことは明らかだ。

 もちろん尊敬するだけで誰もが他者の好意を勝ち取れる訳ではない。ないのだが、グデーリアンに限れば総統からの個人的好意を得ることは容易かった。
 尊敬に値する人間から敬意を受けて喜ばない人間は、まずいない。
 そしてハインツ・グデーリアンは万人が敬意が抱くに値する人物だった。有能で、職務に誠実で、祖国に忠実であることは彼にとって呼吸も同然なのだ。
 
 賄賂やゴマスリの類と違って細かい気配りも元手も必要ない。グデーリアン将軍は彼らしく振る舞う、ただそれだけで総統個人の好意と信頼を得ているのだった。
 

 1939年3月6日の午後、ハインツ・グデーリアンはベルリンにいた。


 「忙しいところを呼び立ててすまんな、将軍」
 「電話で話せない用件ならば致し方ありません、総統閣下」
 「うむ。会議の度に人間が一々動く手間が無駄だな。電気式暗号装置の開発を急がせねばならん」


 十年後か二十年後には画期的な暗号装置が開発され、遠方の要人と盗聴の心配なしに話せるようになるかもしれないが、今現在は無理だ。
 現在ドイツ軍が使用している暗号装置『エニグマ』シリーズは優れた機械だが、換字式である以上解読される危険性がある。まあ、もともとエニグマは電報には使えても電話には使えないのだが。

 
 「さて、話の前に一つ聞きたいのだが」
 「はい」
 「どうだね、日本製の戦車は使い物になるかね?」

 グデーリアンは快速部隊総監として戦車などの研究を統括する立場にある。現在、彼と彼の部下たちは極東の同盟国から送られた戦車や装甲車やそれらから派生した兵器、日本製の車輌などについて研究を進めていた。

 「報告書は鋭意制作中です。数日中にはお届けできるかと」
 「余は今知りたいのだ。大雑把な印象で構わぬ、答えよ」
 「使えるか使えぬかで言うならば、使えます」

 ドイツきっての戦車通であるグデーリアンの目で見て、タイプ97戦車は良い戦車だった。
 自重17トンの車体に400馬力の高出力エンジンと長砲身の57ミリ対戦車砲を搭載し、良好な機動性を誇るが装甲も薄くなく、機械的信頼性も良好だ。
 全ての車輌に高性能かつ信頼性抜群の無線機が装備されている点もグデーリアン的に高得点だ。ただ小隊長用戦車の砲塔周囲に付いている手すりのようなアンテナは頂けない。
 設計者と会えたなら「誰が指揮官なのか敵に分かりやすくしてどうする」と、じっくり問い詰めたい所だ。もちろん国防軍に編入されている100輌あまりのタイプ97戦車は全ての車輌にアンテナを増設して、見分けを付けにくくしてある。

 その他にも車体前方機銃がないことや履帯(キャタピラ)の幅が狭く泥濘などに比較的弱いことなど、幾つかの短所があったが致命的とは言い難い。運用の工夫でどうにかなる程度のものだ。
 

 「戦略的な意味でも使えるかね。例えばタイプ97を四百輌ほども用意できたなら、一個機甲軍団を編制し運用できるだろうか」
 「戦車以外の、必要とする物資と人員を共に与えてくださるなら存分に」
 「そうか。では頼む」
 「は?」

 ヒトラーは椅子から立ち上がり、後ろ手に組んで部屋を歩き始めた。

 「日本から近日中に送られてくるのだよ。タイプ97三百輌とトラック三千輌が、三個機甲師団を編制できる物資と共にな。半分は予備と部品取り用に回すとしても、一個機甲軍団を編制するには充分だ」
 「三個師団分とは気張りましたな。彼らも車輌が余っている訳ではないでしょうに」
 「費用対効果の問題だ。地球の反対側へ師団規模の部隊を送り込み戦力として維持することに比べれば、物資のみを提供した方が結果的に安上がりになる。東洋の友人達はそれをスペインで思い知らされたのだ」

 反共を国策として掲げる極東の帝国は、ドイツやイタリアと同じくスペイン内戦において国粋派を支援し、義勇兵も送っている。極東から派遣された兵力は旅団規模の陸兵と数個大隊の航空部隊に過ぎなかったが、彼らが遠隔地に軍を送り戦わせ続ける困難を思い知るには充分な規模だった。

 故に日本帝国は独逸を始めとする、敵の敵である欧州諸国へ物質的な支援を送る訳だが今回の件については些細な誤解が存在した。
 総統や第三帝国の高官達は「三百両の戦車と三千両の自動貨車を含む三個機甲師団分の物資」と受け取ったが、大島大使は「三百両の戦車と三千両の自動貨車に加えて三個機甲師団分の物資」と伝えたかったのだ。
 つまり実際に届く97式戦車の総数は500を越える訳だが、双方がこの誤解に気付くのは二週間ほど後になる。


 「スターリンは失態を重ねすぎた。故に勝利を求めている。国境線を巡る小競り合いなどではなく、目に見える大きな勝利を」
 「ポーランドで ですな」
 「そうだ。東方で勝利を求めようにもその前にシベリア鉄道とウラジオストックを再建せねばならん。南方では英国と衝突する可能性がある。かといって北方では実入りが少なすぎる」

 ロシアから見ると北欧情勢も決して安心できないのだが、西方向と比べれば緊急性が低い。
 言い換えれば、赤軍がフィンランドを瞬殺してもポーランドが腰を抜かして白旗を上げる可能性は低いのだ。その逆はまだ有り得る。

 「そこそこ大きく、それでいて簡単に仕留められる獲物は他に見あたりませんからな」

 ポーランドは決して小国ではない。潜在的には大国に分類できるだけの国力を持っている。
 だが、対するソヴィエト・ロシアはあまりにも巨大過ぎた。そしてポーランド首脳部はロシアよりもむしろドイツを警戒している。飢えた熊にとって恰好の獲物である。
 ソヴィエト赤軍とスターリン政権は勝利に餓えていた。

 「ノモンハンで日本軍に大敗したが故にスターリンと赤軍は勝利を欲し、赤軍の醜態を知ったが故にポーランド首脳部は増長し、日本は現物支給でドイツへ報酬を払い赤軍の足止めを図る」
 「人を勝手に傭兵にしてしまうとは、困った友人ですな」
 「全くだ。だがドイツの友人は少ないのだよ。特に頼りがいのある友人はな」

 ポーランドがソヴィエト・ロシアに席巻されるのはまだ良い。
 いや、国防的に言えば全然良くないが自業自得だ。周囲全方向、特にドイツへ向けて陰に日向に嫌がらせを繰り返し、喧嘩を売り続けてきた報いを受けるときがついに来たのだ。
 しかし巻き込まれる側はたまったものではない。ついでで踏み潰されることが確定しているバルト三国が哀れだ。つくづく小国弱国には生まれたくないと思ってしまう。

 ドイツもまた当事者だ。バルト三国の隣りには東プロイセンがある。ポーランド国内が赤軍の軍靴に蹂躙される時、その領土に囲まれて存在する東プロイセンが無事で済む訳がない。共産主義者にはドイツの母胎とポーランドの区別などつかないのだから。区別する気は最初からないだろうが。

 「東プロイセンの復帰こそドイツの悲願、退く訳にはいかぬ。かの地を見捨てたならば、余はドイツの指導者たる資格を失ってしまうだろう」

 回廊で、陸路で繋がっていない飛び地など取り返していないのと同じだ。昼間街へ出て来れるとしても、夜は帰らねばならない女は所詮籠の鳥。孤立した東プロイセンを真の意味で取り返してこそ大ドイツ帝国の復活は成る。

 グデーリアンは直立不動の姿勢でヒトラーの言葉を待った。
 彼はユンカー(土着貴族)の出身ではないが、生まれも育ちも東プロイセンである。総統が覚悟し、祖国がこれから行う戦争は彼の故郷を守るための戦いなのだ。

 「グデーリアン、卿を新設する第19機甲軍団の指揮官に任命する。急げよ、熊どもは早ければ5月には動き始めるぞ」
 「ヤー、マインフューラー。ハイル・ドイッチェンラント」
 「ハイル・ドイッチェンラント」
 

 祖国を守れぬ軍人に意味がないように、国民を守ろうともせぬ指導者に意味などない。
 ごろつきに娘を差し出せと言われて素直に引き渡す男に、当主など務まらない。 

 ガキの理屈と呼ばば呼べ。

 アドルフ・ヒトラーは色々な意味で子供っぽい人物であり、その言動や政策には良くも悪くも人格の影響が出ている。
 だが、グデーリアンはそれで良いと考えていた。
 もしも総統が老成した常識的な人物であったなら、電撃戦構想どころか軍の再建すら成されていなかったかもしれない。
 オリンピックの成功もラインラントなどの領土復帰もあり得ず、祖国には貧困と混乱が満ちあふれていた筈だ。

 ある意味で、現在のドイツ三軍はヒトラー個人の童心の産物であった。そして子供じみた正義感が、東プロイセンを見捨てさせない。
 
 グデーリアンに不満はない。軍と軍人は戦うために存在する。
 祖国と国民を守るために戦い、勝利する。二十年前に果たせなかった願いを、今度こそ叶えてみせる好機だ。



 「ところで総統閣下、電話では話せない用件とは何でしょうか」
 「それも日本絡みだ。余の戦略に少なからぬ変更を加えるに値する情報が入ってな、卿の理解を得ておかねばならん」

 ヒトラーは執務机の後ろに置いてある小さな漆塗りの箪笥を開け、引き出しを一段引き抜いて机の上に置いた。

 「ヘル・オーシマからのプレゼントだよ、古代から現代までかの国で流通していた硬貨のコレクションだ。このケースに入っているものは16世紀のものだ」

 ドイツ第三帝国総統アドルフ・ヒトラーには幾つかの悪癖があった。その一つが、「重要な説明を行うときに前置きとして歴史を題材とした演説をしたがる」というものである。もちろん重要でない話題の時にも演説したがるのだが。

 「これが天正大判、世界最大の金貨だ。16世紀後期にかの国の内乱を平定した豊臣秀吉は自作農階級出身の一兵卒からカイザーに成り上がった英雄だが、それ故に権力基盤が弱く‥‥」

 悪癖ではあるのだが、我慢できない程ではない。それに最近は頻度や時間を控えるようになってきた。
 もっとも総統が長話を控えるようになった理由は、以前にグデーリアンが「総統、前置きが長すぎます」と諫言したが故なのだが、本人は気付いていない。
 


 そんなわけで、ハインツ・グデーリアン大将は彼なりにアドルフ・ヒトラー総統を尊敬していた。その敬意は総統が祖国の繁栄と国民の幸福のために働き続ける限り続くだろう。

 もちろん、総統が失策を犯し祖国と国民に害を与える存在になってしまえば、話は別だが。 




続く。




[39716] その三『アメリカの夢と悪夢』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:98863f1a
Date: 2021/06/14 12:17




           その三『アメリカの夢と悪夢』




 都市伝説。時に増え、時に変化しながら人々の口から口へと伝えられる妖しげな噂。
 ニュートンが論文に纏める遙か前から万有引力の法則が存在していたように、学問の世界で使用される定義付けされた言葉としてはまだ存在していないが、1930年代末の合衆国内にも確かにそれは存在していた。

 曰く、ミネソタ州全域で養豚所の豚が奇形児を出産する怪異が頻発している。 

 曰く、マンハッタン島で下水工事現場が巨大な白いワニに襲われ、十数人に及ぶ犠牲者が出た。

 曰く、シカゴの市街にドイツ軍風の軍服を纏いガスマスクを被った怪人が現れ毒物を噴霧した。
 
 曰く、ロッキー山脈の奥地で全長数百メートルに及ぶ空飛ぶ巨大なミミズが目撃された。

 

 それらの噂は大半が奇妙で奇怪なあるいは残酷な内容なのだが、心温まる話がない訳ではない。
 最近の合衆国南部地域で流行し始めた噂の一つが、ファットマン(でぶ)伝説である。


 貧しい黒人の少年は今日も楽器店のウィンドウに飾られているトランペットを眺めていた。ふと気が付くと彼の隣には外国人風の肥大漢が立っていて、何故そんなに熱心に見ているのか訊ねてきた。
 少年は夢を語る、いつかこの街一の演奏者になってこのトランペットを買い、楽器屋の親爺を見返してやるのだ と。
 太った外国人の大男は頷くと店に入り、少年が見つめていたトランペットを買った。男は更に服と靴を買ってトランペットと共に少年に与え、去っていった。
 その数ヶ月後、名実共に街一番のトランペット吹きと認められた少年は、今度は全米一のトランペット吹きを目指して日々励んでいる。

 他にも幾つかの話があるが、困っている人の所に奇妙な肥大漢が現れるという大筋は変わらない。

 ファットマンは真夏でもコートを羽織り大きな丸い帽子を被っている肥満した大男で、顔つきは外国人じみていて訛りのある英語を喋る。
 ファットマンに遇った者は幸福を得る。
 彼が左手に持つ鞄には決して減らない札束の山が入っていて、貧しい者に分け与えられる。彼が右手に持つ陶器の瓶には万能の霊薬が満ちており、病める者を癒す。彼の腰にくくりつけられたノートには福音の言葉が記されてあり、悩める者に渡される。
 ファットマンに会えるのは善良な者だけである。その証拠に、白人でファットマンに会った者は一人もいない。

 


 「これが、証拠だと?」
 「そうだ。「ファットマン(でぶ)」は実在する」


 FBI捜査官ジョージ・メルダーは数ヶ月前まではファットマン伝説を「盗んだ金で服や靴や楽器を買ったこそ泥が金の出所を誤魔化そうとした法螺話を無学な黒人が信じ込んただけ」のものと考えていた。
 だが、現在では実在を確信している。少なくとも、モデルになった人間がいるのだと。 
 

 ニューオリンズ市警の刑事、ヘンリー・モーガン警部補はメルダー捜査官が机に並べた数種類の紙幣のうち最も見慣れないものを手に取った。

 「これが日本の紙幣か。確か1ドルが2エンだったかな」
 「正しくは新紙幣だ。潜入工作員が瓶に詰めて流したものを合衆国の船が回収した」

 元々外見的および習慣的な問題で、アメリカ人が日本本土で諜報活動を行うことは難しかった。悪い意味で目立つのだ。
 それでもなんとかやってこれたのは、住民の防諜意識が低く公安組織が未熟だったからだ。しかし両国の関係が悪化してからは、日本マスメディアが反米意識を煽りまた日本政府が防諜に力を入れるようになって、直接的な意味で合衆国側の諜報活動はさっぱり進まなくなってしまった。この新紙幣を流した諜報員にしても以後は音信不通である。

 「特に不審な点は見当たらないが」
 「こちらが旧札だ。額面は同じだがね」

 それは分かる。モーガンは日本語の読み書きなど出来ないが、二枚の紙幣に書かれた文字が同じ物であることは間違えようがない。
 並べられた紙幣の違いは明らかだった。一言で言えば、旧札の方が貧乏くさく新札の方が立派なのだ。

 「紙の質、印刷技術、図案の細かさ、全てにおいて新札が上だな」
 「虫眼鏡で見てみたまえ、細かいどころの騒ぎじゃない」

 メルダーに言われて見てみれば、確かに新紙幣のあちこちには肉眼で見えないほど細かい文字や記号が書き込まれている。

 「ここまで凝った紙幣を造る理由は、何だと思うかね?」
 「偽札対策 かな」
 「そうだ。彼らは予防策を打ったんだ、自分たちがしていることをそのまま仕返しされないように」
 「つまり、日本は国家レベルで偽札を造っている と?」
 「他に考えようがあるかい? 高品質な偽札は相応の組織でないと作れない。この札束はケチなギャング団では無理な代物だよ」

 二人が挟んでいる机の上、二枚の日本紙幣の横には札束が積まれていた。合衆国の通貨、ドル紙幣だ。
 一束百枚の1ドル札、5ドル札、20ドル札がそれぞれ三十ずつ。計七万八千ドル。
 これらのドル紙幣は、ニューオリンズ市郊外の貸倉庫に積まれていた木箱から見つかったものだ。まだ集計が終わっていないが、総額は一千万ドルを確実に越えている。
 

 「しかし、どうせならもっと高額な紙幣を偽造した方が効率的じゃないのかな」
 「ああ、僕は最近悪夢を見るよ。マンハッタン島で一万ドル紙幣の紙吹雪が舞う夢をな。ただ単に今は目立ちすぎるから作ってないだけだろう」

 狂乱の禁酒法時代、1920年代の合衆国経済は爛熟を極めた。富は都市に溢れ、路上で靴を磨く少年までが株式に投機した。
 1万ドル札。一枚でちょっとした屋敷が自動車を含む家具付きで買えてしまう超高額紙幣は、現実の存在である。アメリカンドリームの残滓か飛沫か徒花か、まあそんな何かだ。
 滅多に見るものではなく、現物に触れた者よりもそうでない者の方が確実に多い代物だが都市伝説ではない。

 「成る程、これは試作品か。それにしても良くできている」
 「紙の素材、インク、原板どれをとっても本物と見分けが付かない。連邦造幣局がまだ印刷していない番号の札が見つかったから分かったが、そこに気付かなければ僕は今でもただの新札だと思っていただろうな」

 
 事は三日ほど前に遡る。
 その夜、ジョン・スミスなる若い黒人男が泥酔して路上で寝ている所を警邏中の警官に見つかり、収容された。これだけなら事件とも言えない日常茶飯事なのだが、翌朝になって酔いつぶれたままのスミスの懐から三千ドル近い新札の札束が見つかった。
 缶詰工場を解雇された直後の黒人青年が持つにはあまりにも高額な現金を怪しんだ警察はスミスを拘留し、彼が持っていた貸倉庫の鍵からたどって札束の山を発見したモーガン警部補の所へメルダー捜査官が訪れたのだった。

 メルダーは言う。ファットマン(でぶ)の正体は、黒人等の低所得階層へ偽造紙幣や貴金属類をばらまいている日本帝国の工作員なのだ と。
 工作員が何を目的としているのかは未だ不明だが、拘留される前夜にスミスが「近いうちに世界が変わる。悪に満ちあふれたゲンダイゼイは打ち倒され、俺は新世界で王様になるんだ」と酔って叫んでいたと目撃者の証言があったことから、後方の攪乱を目論んでいた可能性が高い。


 「警部補殿、ボスから電話です」
 「うん。ちょいと失礼」

 ノックの後、廊下から扉越しに部下に告げられたモーガンは部屋を出ていったが、三分もしないうちに戻ってきた。
 肩をすくめてメルダーに上からの指示を告げる。

 「スミスをあんたらに引き渡せとさ」



 1時間後、メルダー捜査官は紙幣偽造事件の容疑者とその資料を押収してニューオリンズ市警察署を去っていった。


 「お疲れさまでした。コーヒーでもどうぞ」

 マグカップを受け取り、ミルクと砂糖多めの内容物を啜るモーガン警部補に部下の若い巡査が話しかける。

 「スミスの奴、どうなるんでしょうね」
 「死にはしないさ。もうチャンスは巡ってこないだろうがな」
 「ですよねー。ピカピカのキャデラックにプール付きの豪邸ですか、そんなの俺だって欲しいですけど言いふらしちゃ駄目ですよね」
 「貧乏ってのは嫌なもんだ。染み付いちまうと簡単には取れやしない」

 
 元々スミスにはこれといった能がなかった。取り得と言えば若くて丈夫で、少しばかり幸運だったことぐらいだ。
 幸運の女神は平等だ。誰にでも微笑みかける。だが、幸運を掴むにも掴み続けるのにも能力が要る。スミスにはそれが決定的に足りなかった。
 場末の酒場で酔っぱらうなら30ドルもあれば充分だろうに、必要額の百倍もの現金を持ち歩いたせいで逮捕された上に貸倉庫に保管していた活動資金まで見つかってしまった。

 まだ持ち歩いていた現金だけなら、モーガン達はスミスと口裏を合わせて置き引きとかの適当な罪状を被せて軽い刑で済ませてやれた。刑務所送りは避けられないが、その後は刑務所内部で工作員として活動することも出来た。
 だが貸倉庫の鍵が見つかってしまったのが拙かった。モーガン直属の部下が鍵を見つけたならまだ何とかごまかせたのだが、スミスの幸運はあそこで尽きてしまったのだろう。

 モーガン警部補は年季の入った刑事であり、幾つもの難事件を解決してきた。それ故に上司や少なくない有力者たちから睨まれていた。正義を成せば悪党は勿論だがそれ以外の人々から嫌われることもある。強引な捜査妨害は難しい。
 だからモーガンたちにはスミスを見捨てるしかなかった。あくまでもモーガン達は。


 「ところで、プール一杯の美女とシャンパングラスの塔はいらないのか?」
 「女は女房一人で充分。シャンパンなんぞ酒じゃありません、男ならバーボンですよ」

 酔っぱらったスミスが口走っていたという「薔薇色の未来図」は、なんとも俗物的なものだった。唸るほどの現金、豪邸に高級車、美酒と美食に美女、名声と社会的地位。
 ただ、同じような立場にある黒人男が抱いている妄想の平均値よりは穏当だとも言える。少なくともスミスは好き好んで流血を求めていない。
 だからこそジョン・スミスの命は助かる。助ける価値がまだあると、彼らのボスは判断するだろう。


 「お前もつくづく欲のない奴だな」
 「警部補殿ほどじゃありません」

 実を言えば、モーガンと部下もスミスと同類だった。スミスが見習いの小僧なら、二人は手代なみと呼べる程に深入りしている。
 メルダー捜査官の見立ては限りなく事実に近い。ファットマン(でぶ)の正体は、日本帝国もしくはその支援者の走狗でありスミスやモーガンたちは現地協力者なのだ。


 ファットマン(でぶ)伝説そのものは只の噂話だが、元になった幾つかの事件は実在する。
 モーガンとその部下は一年ほど前に日本帝国の工作員と接触し、以後情報提供などの協力を行っていた。相応の見返りも得ているが、用心深い彼らは今まで隠し通せている。

 伝説は所詮伝説であり、事実ではない。ファットマン(でぶ)は白人の前にも、悪党の前にも現れる。むしろ善人の定義を「悪事を働かない程満たされた人間」と定義するならば、善人の前にこそ現れない。

 モーガンは一枚の紙切れを取り出して、そこに書かれた読めないが意味は知っている日本語の文字列を見つめる。それは福音の言葉、ファットマンのモデルから貰った仏教思想の一節だ。


 『善人なおもて往生す、まして悪人においておや』


 善人とは、突き詰めてしまえば恵まれているだけの存在でしかない。
 偶々裕福な家庭に産まれ、罪を犯さずに生きていけるだけの教育を受け、取り返しの付かない災難から逃れ続ける幸運を持っていた。ただそれだけの理由で善人と呼ばれるのだ。  

 人の心は弱い。倫理や道徳や誇りなどは生存本能の前で屁の突っ張りにもならない事を、モーガンはこの十年間で嫌と言うほど思い知らされていた。大恐慌の爪痕は、ニューディールとその後の軍拡をもってしても未だ合衆国に残っている。

 悪人とは弱者である。運なく能なく伝手もない、弱い人間だからこそ悪事に走る。
 善人は、強者は盗みなどしない。正面から堂々と、法と知恵と暴力で弱者を貪り喰らうのだ。

 神に祝福された自由と正義と平等の国、アメリカ合衆国。

 だがこの国の自由と正義と平等は、アングロサクソン系白人で新教徒の金持ちにのみ許された特権なのだ。
 モーガンのようなカトリックの貧乏人は、決して手が届かないチャンス(機会)を物欲しそうに眺めることしかできなかった。現在のモーガンはキリスト教徒ですらないから尚更だ。
 スミスのような有色人種には偽物のチャンス(アメリカンドリーム)すら与えられない。職も教育も公民権もない黒人にどうやって這い上がれと言うのだ。

 Q「(合衆国で)南部と南部以外の土地の違いとは?」
 A「投票所に黒人が入れないのが南部、入れるが投票できないのがそれ以外」

 というブラックジョークは事実とは異なる。南部諸州でも黒人は市民権を持つ善良な市民である限り投票できる。ただし「善良な市民」と見なされ選挙用紙を手に入れられる黒人は一握りでしかなく、投票する権利を行使した後の安全が保証されていないだけの話だ。この国では身の安全はまず自分で守るべきものなのだ。
 まあ、東部だろうと西部だろうと合衆国において白人と非白人の投票箱は分けられているし、非白人用の投票箱の中身は集計されることなくゴミ箱に直行するのだが。投票する権利と票が数えられる権利は別物、それが合衆国の伝統である。


 この南部では、黒人は生きること自体が難しい。投票所に行かなくとも。
 ニューオリンズ市だけでも年間数百人の黒人が「大通りを歩くなんて黒人のくせに生意気な」などといった理由で射殺されている。銃撃されたものの運良く弾が当たらなかった者や怪我だけですんだ者はその十倍以上いるだろう。

 『悪』。英語でEVILと訳されることが多いこの象形文字は、亜なる心という意味なのだとモーガンはファットマンに教えられた。
 
 亜なる心、世間の常識や規範に従えない心を持つ者が悪人ならモーガン警部補は紛れもなく悪人だ。
 もともと彼は正義の人だった。ジャスティス(決着)の意味ではなく、パブリック(公共)の義的な意味でだが。
 モーガンは人種や宗派や社会階層の違いで人が差別され虐げられることに我慢がならなかった。
 彼は正義を行おうとして挫折した、自分が善人であるには非力過ぎることを思い知らされた人だった。

 だから、ヘンリー・モーガンは悪人になった。
 腐った世界をどうにかするために悪魔に魂を売った。

 自己の正義感というちっぽけなものの為に、己が属してきた共同体を危機に陥れることをいささかも恥じない。その意味で言えば、モーガンはどうしようもない悪党だった。
 まだ我欲と怨念(ルサンチマン)のために動いていたスミスや、祖国を日系人である内縁の妻が暮らしやすい国にするために働いている部下の方が、人としてはまともかもしれない。


 アメリカ合衆国の運命は数年前に、ファットマン(でぶ)が跳梁を始める遙か前の時点で既に決まっていたのだからどのみち大した問題ではないが。
 一人の人間が起こした行動が世間に与える影響など、所詮その程度でしかない。




     ・・・・・




 スミス容疑者を引き取ったジョージ・メルダー捜査官はその夜、容疑者ごと失踪する。
 一ヶ月後、ニューメキシコ州某所で保護されたメルダーは「火星人の円盤に捕獲された」と証言した。なお、失踪中の内部調査で数年前からコカインを常習していたことが判明していたこともあり、メルダーはその時既に連邦捜査局を馘首されていた。

 彼が失踪直前に発見したと報告した偽札は全て紛失しており、彼以外に目撃したと主張する人間もいなかったため虚言・妄想として処理された。メルダーが証人として挙げたヒラリー・ブリッグス捜査官は実在せず、メルダーの妄想と日記の中にのみ存在する人物であると記録されている。
 事実として当時の‥‥創設からもこれから暫くの間も、連邦捜査局(FBI)に女性の捜査官は存在しない。

 連邦捜査局を罷免されてから半年後、政府施設への不法侵入を計り失敗し逮捕されたメルダーは精神鑑定の結果、責任能力なしと判断され精神病院に収容された。

 その後のメルダーは幸運にも戦中戦後の混乱を生き残り、戦後に「私は火星人に捕獲された」なる体験記を自費出版したが、全く売れなかった。





 ヘンリー・モーガン刑事はその後も警察官として職務に精励し、1943年7月のニューオリンズ大暴動鎮圧で手腕を発揮した。その後警察署長代理から護民官を経て1948年にニューオリンズ市長に当選。
 市の復興と発展に大きく貢献するが1955年2月11日の午後、暗殺者の凶弾に倒れる。彼の葬儀にはニューオリンズ市民の三分の一が参列した。

 彼の部下とその妻に関しては、公式記録で確認できず詳細は不明である。




 
 ジョン・スミス容疑者は長期間行方不明となっていたが、終戦後サイパン島で農民として生活しているところを発見された。発見時には既に日本へ帰化済みであり、拾得物横領容疑についても時効が成立していたため罪に問われなかった。
 その後一介の耕作人から身を起こし、事業に成功して大農園の経営者となり、更に投資家として成功を収めサイパン島屈指の富豪にまでなった彼は、事業を息子に任せた後は大勢の孫と曾孫に囲まれて暢気に暮らした。
 30近く年下の後妻を迎えた再婚の式当日、地元TV局の取材を受けた当人曰く「夢は諦めなければいつかかなうよ」とのこと。

 もちろん、彼と彼の家族が暮らす豪邸はプール付きだ。建築当初はテニスコートも付いていたが、サイパン島の日射しはテニスを楽しむには強すぎて家族の誰も使わなかったので、数年後には庭園に改装されている。




続く。




[39716] その四『ポーランド戦線~義勇兵と解放軍と、毎日、最大の敵』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:98863f1a
Date: 2020/11/01 13:02





            その四『ポーランド戦線~義勇兵と解放軍と、毎日、最大の敵』





 空を飛ぶと気分が良い。鳥のように好きな時に好きな所を好きなように飛べるのなら言うことはない。
 決められた道程を刻々と告げられる指示に従って飛ぶのも、まあ悪くはない。少なくとも飛ぶか飛ばぬかを決めているのは自分だからだ。
 どんな状況であったとしても、飛べないよりは飛べる方が良い。人類の進歩と発展は空を飛ぶためにこそあるのだから。


 たとえ矢玉飛び交う戦場の空でも、愛機の翼が弾痕だらけでも、燃料がタンクから漏れ続けていても、ついでに定員オーバー状態でも空を飛ぶ喜びに変わりはない。いや、そんな状態でもまだ飛び続けているからこそ喜びを感じられるのだが。

 満身創痍の機体を騙し騙し飛ばせている戦闘機乗り、メフメット・サハド軍曹は本日何十回目かになる感謝の祈りをアッラーに捧げていた。
 彼は敬虔な信奉者であり、アッラーへの祈りを欠かしたことなどない。戦場の空を飛ぶようになってからは特に。
 今日は普段よりもたくさん祈った。臨時に増設された後部座席に座っている同乗者が預言者イーサに祈るたびに、アッラーへ慈悲を乞うているので合計すれば既に百回を越えているだろう。

 サハド軍曹ともう一人が乗っている機体、三菱重工製98式戦闘機は本来なら一人乗りである。本来ならば。
 数十年後の主力航空兵器であるジェット戦闘機と異なり、この時代の主力であるレシプロ機は隙間だらけだ。単座の戦闘機でも無理をすれば人の一人や二人余分に積めないこともない。無理をすれば、だが。
 この戦闘機を設計した者も製造した工場も想定していない無理矢理な改造だが、無理を通せば道理は引っ込むのである。


 無理を通らせる価値は有る。非業の死を遂げた預言者を勝手に救世主に仕立て上げた異端邪宗の信徒ではあるが、仮設後部座席に座っている男はサハドの戦友だった。
 勇敢で義侠心に溢れた腕利きの飛行機乗りであり、異端者でなければ妹の婿にしたいぐらいの男だ。むざむざと地獄へ行かせたくない。
 いや、もしも義弟になるならパイロットは止めさせなくてはならないが。可愛い妹の夫は堅気でないといけないし、飛行機乗りはどう考えても堅気の商売ではない。自分が根っからの飛行機乗りであるからこそ良く分かる。



 その考えは正しい。飛行機乗りは、少なくとも戦場の飛行機乗りは真っ当な人間ではない。
 十数分後、ぼろぼろになった機体を騙し騙し操って基地へ帰ってきたばかりの戦闘機パイロットを、「人手が足りないから」という理由で爆撃機の後部座席に乗せて出撃させる輩も、「戦友を救うためなら」と嬉々として乗り込む輩も、どちらも真っ当な人間ではない。

 まあ、義勇兵が‥‥好き好んで他国の戦にやってくるような輩がまともな訳もないが。
 故にトルコ共和国出身の義勇飛行士も、彼を臨時の相棒として本日三回目の出撃に赴いた義勇兵ではないドイツ生まれの空軍飛行士も、まともな人間ではない。断じてない。
 戦場の飛行機乗りは真っ当な人間ではない。好きで戦場に居続けているような奴なら尚更だ。





 1939年6月22日未明、ソヴィエト・ロシア軍はポーランドとの国境を踏み越えて侵入、首都ワルシャワを目指した。
 対するポーランド側は根拠のない楽観論の蔓延や親ロシア勢力の活動などにより、国土の東側にまとまった戦闘力を持つ部隊が存在しない状態になっていた。国境付近に薄く配置された警戒部隊を蹴散らしたロシア軍は正に無人の野を進むが如く進撃‥‥できなかった。

 その第一の理由は、度重なる粛正の結果赤軍の人材が枯渇していたからだ。将校の六割が処刑または投獄または退役させられた軍隊がまともに機能する訳がない。

 第二の理由は、赤軍の兵士達が飢えていたからだ。本当に無人の不毛地帯を進むのであればもっと早かっただろうが、共産党による無理矢理な工業化や集団農場化によって長年窮乏生活を続けていたロシア人達にとってここ数年豊作が続いていたポーランドの農村や市街は宝の山だった。
 森で迷い飢えた子供たちが菓子パンの小屋に食いつくように、赤軍の兵は好き放題に進路にある財貨を奪いパンを喰らい家畜を屠し酒を飲み女を犯した。

 ただし運か要領の悪い兵達は、狼藉の最中に憲兵に逮捕され簡易裁判後に射殺された。
 文明国の軍隊としては最も野蛮と言われるソヴィエト赤軍だが、軍規が緩い訳ではない。むしろ厳しい。厳しい軍規に従わない者が多いだけだ。




     ・・・・・



 戦争と飢饉は双子の兄弟である。疫病と天災はその家族といったところか。姉妹だったり親子だったり夫婦だったりとその関係は時代と地域によって複雑に変化する。

 1938年はウクライナ産の小麦が疫病により記録的な不作となった。さらに同じ年の秋に始まり冬に終わった日本との戦争に大敗したソヴィエト政権は国威と国力に少なからぬ損害を受けた。
 去年ほどではないが今年も不作になると思われる。ならばどうするか。

 東は駄目だ。本格的な採掘が始まったマンチュリア北部大油田の利権を奪うために始めた戦争はロシア側の一方的敗北に終わり、逆にサハリン油田の権利を渡して領土の割譲だけは勘弁して貰うはめになったのだから。
 東方征服の根拠地であるウラジオストックは瓦礫の山と化し、シベリアの大動脈である鉄道は寸断され、精強を誇った極東軍は壊滅状態にある。回復には年単位の時間が必要だ。

 ならば西はと言えば、呑み込むのにちょうど良い獲物がいるのだがその後ろに厄介な相手がいる。
 脳味噌が中世で立ち腐れている狂人に率いられた戦争機械、陰険で恩知らずのゲルマンスキーどもだ。

赤軍の進撃が遅れた第三の理由、それはポーランドを搾取する資本家どもが祖国をドイツに売り渡したからだ。よりによって、世界で一番信用ならない相手に。
 再軍備のためにロシアを散々利用したくせに、ラッパロ条約を一方的に破って伊西日土などの各国と防共協定を結んだドイツ人のなんと悪辣なことか。

 「ナチと同盟など正気の沙汰ではない。少しばかり風向きが変わっただけで平然と裏切るのがゲルマンスキーなのだ、君たちも考え直したまえ」
 「‥‥カルロス・セルバ軍曹、第11義勇飛行隊所属、認識番号409-226-1028」

 何を言っても捕虜は同じ事しか喋らない。
 名前や言葉の訛りからするとスペイン人らしいが、スペイン国粋派が雇っていた傭兵なのだろうか。かの地では未だ赤軍の同志達との戦いが続いているのに、こんなところまで解放軍の邪魔をしに来るとは気の早い奴らだ と、イワン・ショリチェフ少尉は呆れてしまう。 


 ショリチェフ少尉は士官学校を出て間もない若い軍人で、熱心な共産党員であり、本人は気付いていないが類い希な幸運の持ち主だった。愚鈍ではない一本気な将校がスターリン政権下の赤軍内で生き残るには、持て余すほどの幸運が必要なのだ。
 
 この戦争が始まってからも幸運は続いている。
 銃弾は彼を避けて飛び交い、爆弾の信管は彼が近づけば黙り離れれば作動した。
 火も水も煙も、人も獣も、木石も病毒もショリチェフを傷つけなかった。

 今日もまた、ショリチェフは幸運だった。

 幸運であるが故に、彼が指揮する対空砲座は空中戦で無敵を誇る新型戦闘機を撃破し、墜落させることができた。
 幸運であるが故に、彼は二輌のトラック‥‥うち一輌はクレーン付きの大型だ‥‥を回収任務に使うことが出来た。
 幸運であるが故に、彼が率いる回収部隊は新型戦闘機の残骸を確保できた。胴体着陸した敵機の操縦席でパイロットが気絶していなければ、捕虜にならず逃走していただろうし不時着した機体は燃やされていただろう。
 この全てが偶然、都合の良い巡り合わせの結果であった。それ以外の解釈はもはや超自然的な加護を信じるしかない。


 「少尉殿! 未確認機が接近中です!」

 幸運であるが故に、彼の下には優秀な部下が集まっていた。何処の国でも兵隊は運の悪い将校より運の良い将校の方が好きだ。何と言っても生き残りやすい。そして生き残れるからこそ腹も据わるし腕も上がる。

 「森の中に隠れろ!」

 低空を接近中の航空機を一目見たショリチェフは躊躇なく待避を命じた。悔しいが赤軍はあんなに速く飛べる飛行機を持っていない。持っているかもしれないがショリチェフは見たことがない。
 ならば敵だ。もしも噂に聞く味方の新型機だったら? ポーランド人民の解放が近づくだけだ。赤軍万歳。

 木陰に隠れた回収部隊目掛けて赤い丸印の付いた機体が銃撃を浴びせてくる。やはり敵機だ。
 一瞬のうちに数十発の機銃弾と十数発の機関砲弾が、地面と松の木とその間にある物体に穴を開け打ち砕く。松葉と木っ端が吹雪のように舞い散り、火花がひらめいた。




 「畜生、魔女の婆さんに呪われろ!」

 空に鮮やかな弧を描き悠々と飛び去る敵機を罵る兵たちの前で、トラックが回収した機体ごと燃えている。戦場では宝石よりも貴重なクレーン付きの大型トラックが。
 銃撃を浴びて載せていた機体の燃料タンクに穴が空き、漏れたガソリンに引火したのだ。手持ちの消火器しか持ち合わせていない回収部隊にはどうしようもなかった。

 「少尉殿。燃料を、抜いておかないで正解でしたなあ」
 「ん。ああ、そうだな」

 古参兵のゆっくりとした言葉に、ショリチェフ少尉は頷いた。
 将校は常に正しく、間違えない。少なくとも兵からはそう見えなくてはならない。怯えたり慌てたりなど論外だ。

 不時着した敵機を回収する際に燃料タンクのガソリンを抜いておけば、大型トラックは炎上しなかったかもしれない。だがそれはあくまでも「かもしれない」だ。炎上しなければトラックは敵機の更なる攻撃を受けていただろうし、そうなれば回収部隊が全滅していた可能性もある。

 仮にガソリンを抜いていたとしても、そのガソリンを捨てることが出来たとはとても思えない。何もかもが不足している前線で、百リットル単位で鹵獲機体に残っていた高オクタン燃料は貴重品だ。
 支給品のガソリンで割って使えば、I-16戦闘機をエンジン出力一割増しで二回出撃させられる。
 捨てずに取っておいたガソリンを、大型トラックに積んでいたら抜いていないのと同じ事だ。どのみち火達磨になっている。ショリチェフ達の中型トラックの方に積んでいたなら、今頃は二台とも火達磨だ。

 ショリチェフは強運の持ち主だった。空襲を受け、トラックが積み荷ごと炎上したにも関わらず本人は全くの無傷。部下たちもかすり傷しか負っていない。
 そして数分後、遠方から響く爆音とたなびく煙から、彼らが出発してきた野戦飛行場が襲撃されたことを知った兵達はまたもや発揮されたショリチェフ少尉の幸運に驚くのだった。




 帰還したショリチェフたちだが、基地は予想通り壊滅状態にあった。滑走路には大穴が空き、航空機は援退壕に隠してあったものまで残らず破壊され、弾薬庫は未だに消火されておらず炎のなかで機銃弾がパリパリと爆ぜ続けている。そして滑走路の脇に並べて寝かされている戦死者達。
 

 「おお神様、なんてこった」

 思わず十字を切りそうになった兵の肩を、隣の兵が叩いて止めさせる。将校の誰もが彼らの小隊長のように物の分かった人物とは限らない。頭の固い政治将校などに見られたら面倒なことになる。

 「同志ショリチェフ、無事だったか」
 「同志リジスキー、コマンド部隊の襲撃ですか?」

 生き残りの将校がショリチェフたちに近寄る。航空参謀のリジスキー中尉だ。血の滲んだ包帯を頭に巻いているが怪我は軽いようだ。 
 ショリチェフが只の空襲ではないと判断した理由は簡単である。損害を受けた機体や施設のうち横方向からの銃撃で破壊されたものが異様に多いからだ。


 「あれをコマンドと呼んで良いのかどうか‥‥」

 この基地を急襲したのは、特殊部隊と言うよりは特殊な部隊であった。戦闘機が上空の制空権を取り、爆撃機が基地施設に爆弾の雨を降らせる。ここまでは何処の軍隊も同じだ。

 違うのはその後に、向こうから見れば敵の滑走路に爆撃機が侵入して滑走しながら機銃掃射していった事だ。しかも何機も連続で。
 日本製の新型爆撃機には機首に機銃が二丁、翼内に機関砲が二門、後部座席に回転式機銃が一丁装備されている。つまり火力だけなら軽装甲車一~二輌分に匹敵する。そんなものが続けざまに何機も降りてきて撃ちまくれば基地が壊滅するのも無理はない。
 降りてきた敵機のなかには後部座席の機銃を撃ち尽くした後に風防を開いて機内に持ち込んでいた短機関銃を乱射したり、手榴弾を投げつけたり、更には白兵戦闘を挑んでくる輩までいたという。
 操縦士までもがわざわざ機体から降りて、拳銃やサーベルを振り回して暴れた末に帰っていったのだ。余りにも特殊すぎる敵だった。


 「同志ショリチェフ、君の部下を貸してくれないか。人手が幾らあっても足りない」

 ショリチェフに異があるわけもない。古参兵に命じて復旧作業を手伝わせる。
 本来なら彼が直接指揮するべきなのだが、まずはリジスキー中尉の相談に乗ってからだ。この基地に残されたまともな将校は彼ら二人だけ。生存者はまだ何人かいるが指揮など不可能であった。


 「撃墜は、できなかったのですね」

 ショリチェフは横方向からの機関砲弾を浴びて破壊された整備倉庫と、その奥で鉄屑と化した米国製戦闘機を眺めて言った。こちらは稼働機がなくなるほどの損害を受けたのに、敵は一機も落とせていない。
 基地の人員も無抵抗でやられた訳ではない。精一杯の抵抗をして、結果が伴わなかっただけだ。

 「連中の新型は戦車並に頑丈だ。我が軍もあのような航空機が必要だな」

 リジスキーの要望は後日、赤軍航空機最高傑作の一つと呼ばれるイリューシン襲撃機の配備という形で叶えられることになる。並の機関銃どころか対戦車ライフルの直撃すらものともしないその重装甲は赤軍兵たちの心強い味方だった。

 「ところで同志リジスキー、その手に持っている弾倉は何ですか?」
 「本日唯一の戦果だよ」

 ショリチェフは弾倉を手に取った。薄い鋼鉄板をプレス加工して作られているが、弾倉の横に細長い穴が開けられていて弾倉にあと何発の弾が残っているか一目で分かるようになっている。特殊部隊仕様だ。
 弾倉の形も銃口側が極端に細くなった形になっており、素人が暗闇の中でも気楽に弾薬交換できるよう工夫が凝らされている。基地を襲撃したコマンド部隊擬きが放り捨てていったものだ。


 「UJI‥‥ 日本製ですね」
 「知っているのか、同志」
 「日本のナラ地方に本拠地がある、宇治某という設計者が作った銃砲工場の製品です。ヤポンスキーにしては銃のことが分かった奴だと聞いています」

 長らく欧州諸国の劣化コピー兵器を製造していた日本だが、ここ数年は独自に開発した製品の比率が増えてきている。性能も全般的に上がってきた。
 それら新兵器の数が揃うであろう近い将来、日本軍はより手強く侮れない敵となって赤軍の前に立ちはだかる筈だ。

 「同志中尉殿、見つけて参りました」
 「ご苦労」

 まだ頬の紅い少年兵が瓦礫の中から掘り出したと思しき、見慣れない形の銃器をリジスキーに手渡した。敬礼して走り去る。


 この時代の航空機は隙間だらけである。極端な話、発動機と燃料タンクと操縦席を除けば機体は空洞だと言っても良いぐらいなのだ。無理をすれば、その空洞に色々と詰め込んで飛べないこともない。

 戦闘意欲溢れるドイツ製の人型戦闘機械どもは、搭載した機銃や爆弾だけでは足りないのか無理矢理作った隙間に短機関銃や爆薬を満載して、飛行機乗りのくせに敵の飛行場に強行着陸してコマンド部隊顔負けの破壊工作を行った後に奪回した捕虜を含む人員を回収して逃げ去ったのだ。正気の沙汰ではない。
 つくづく世界は理不尽だ。何故ゆえにあんな戦争狂どもと国境を接していなくてはならないのか。ショリチェフが共産主義者でなければ創造主とやらを思い切り罵ってやる所だ。

 実を言うと、先程この飛行基地を襲撃した特殊すぎる部隊のなかにはイスラム教徒のトルコ人飛行機乗りも混じっていたのだが、神ならぬ身のショリチェフにそれが分かる訳もない。


 少年兵が持ってきた銃は宇治96式短機関銃、日本で製造され自称義勇兵部隊が欧州に持ち込んだ兵器の一つだ。ドイツ規格の9ミリ軍用弾使用、オープンボルト式、装弾数40発、発射速度580発/一分。
 小さく軽く堅牢で扱いやすく、そこそこ火力があり手入れが楽で値段も手頃な優秀兵器である。赤軍の兵達も鹵獲できた物は喜んで使っていた。‥‥まあ、たとえ使いにくい鹵獲兵器でも使わざるを得ないのが赤軍の懐事情なのだが。

 「同志ショリチェフ、すまないが弾を分けてくれ。こいつを試射してみたいのだが私の手持ちは先程の戦闘で使い切ってしまったのでね」

 リジスキー中尉も鹵獲品の愛用者だった。敵国のものであっても優れた文化や技術の産物には大いに敬意を払うのがロシアの伝統なのだ。
 ショリチェフは腰に吊している鹵獲品のルガー拳銃から弾倉を抜き、数発の9ミリ拳銃弾を取り出して手渡した。

 弾丸を受け取ったリジスキーはUJIの弾倉に込め弾倉を銃本体に装填して、銃口をショリチェフに向ける。

 「同志?」
 「ショリチェフ少尉。君の部下の面倒は見るから勘弁してくれ」


 気が付けばショリチェフはリジスキー中尉の部下に囲まれていた。どの顔も、冗談で済まされる目つきではない。

 「本当に済まない、だが誰か責任を取る者が要るんだ」
 「‥‥勝手な事を」

 ショリチェフはリジスキー中尉が自分に責任を押し付ける気であることを悟った。彼は決して愚鈍な男ではない。
 おそらく、実際には政治将校からの要請を受けて基地司令から命じられた敵機回収任務をショリチェフと戦死した将校らの独断専行であると偽り、ショリチェフ隊が居なかったからこそ基地は壊滅的打撃を受けたのだと上層部に報告するつもりなのだろう。
 
 ショリチェフ少尉には彼らの責任逃れ工作が上手く行くとは思えない。独断専行を見逃した罪を追求されたらどうする気なのだ。
 だがリジスキーらは本気だ。どんな馬鹿げた案であっても、何か策を弄し行動を起こさねば不安で潰れてしまうのだろう。これも戦場神経症(シェルショック)の一種かもしれない。

 コマンド部隊まがいの攻撃は、航空機や弾薬庫などよりも遙かに重要なものを破壊していた。彼らの容赦ない一撃はリジスキーら赤軍将校の士気(モラール)をへし折っていたのだ。
 


 彼ら赤軍将兵はいまだ敵襲の衝撃から立ち直れていなかった。心に虚が出来ていた。隙だらけだった。
 いや、たとえ仲間割れを起こしていなかったとしても、起こすほどの衝撃を受けていなかったとしても、彼らにとって死神にも等しい敵の接近を察知することは難しかっただろう。
 優秀かそうでないかはさて置いて、彼らは軍人だった。軍人は良くも悪くも頭が固い。彼らは常識の塊であり、常識の壁を気にもとめない存在の行動を予測することは苦手なのだ。

 何処の誰が、戦場のど真ん中でまだ燃えている敵の基地へ、遙か彼方で発動機を止めた急降下爆撃機が一機きりで滑空しながら無音で接近してくる‥‥などと予測し得ようか。
 そんなことをやるのは狂人だけであり、最悪なことに煙立ちこめる滑走路へ無動力滑空で接近し今まさに強行着陸を決めようとしている機体のパイロットは、ドイツ軍屈指の凶人だったのだ。

 滑空してきた爆撃機の車輪が滑走路に触れる直前に、巨人の咳払いのような轟音をあげて発動機が動き始める。敵新型機は発動機にセルモーターを搭載しており、発動機が止まっても空中で再起動できるのだ。
 20ミリと7.92ミリ、合計4門の火線が生き残りの赤軍将兵をなぎ倒し、燃え残っていた燃料を炎上させ、まだ壊れていなかった施設にとどめを刺す。
 爆撃機のパイロットは絶妙の操縦技術で機体を走らせる。蛇行しつつも機体の俯角仰角を巧みに操って弾幕を張り、浴びせられる基地側の砲火を避けて反撃で火点を一つずつ潰していく。もはや人間業ではない。

 「‥‥怪物め!」

 ショリチェフは至近距離を機関砲弾が通り抜けたことによる耳鳴りを堪えて転がり起き、腹這いになって武器を捜した。愛用のルガーは伏せた拍子に何処かへ行ってしまったのだ。
 偶然にも彼の盾になる形で背中に敵弾を受け即死したリジスキー中尉の近くに転がっているUJI短機関銃を手に取り、暴れ回る敵機に向けると丁度敵機は速度を緩めていた。しかも風防が開きかけている。
 
 好機! 距離は約20メートル強、9ミリ拳銃弾でも当たれば充分に殺傷できる。
 ショリチェフは膝立ちで狙いを定め引き金を引いた。

 

     ・・・・・


 『陣中日記 1939年7月30日

 今日は四回出撃。
 戦果は河川砲艦1、戦車1、車輌1、航空機7(地上撃破)、対空砲座2、捕虜1名奪還。
 後席のゲルトナーが二回目の出撃で負傷。明日には治る。
 代わりに今日の三回目と四回目はトルコ人を後席に乗せた。一々祈らないと死んでしまうらしい点を除けばマシな腕。
 慣れると粉牛乳も悪くない』



     
     ・・・・・



 イワン・ショリチェフ少尉は強運の男であった。
 彼がうっかり撃った短機関銃には僅か数発の弾薬しか装填されておらず、その射撃は敵機の胴体と風防に小さな傷をつけただけだった。あと十発の弾丸が有れば敵パイロットにも命中しただろうが、それで倒せる相手とも思えない。
 この時期の協定軍は防弾仕様の飛行服を採用しており、彼が狙った飛行士も当然ながら着用していたのである。

 敵を傷付けられなかったからこそ、降りてきた敵に銃を突きつけられて素直に捕虜を引き渡したからこそ、彼は生き残れた。

 ショリチェフの幸運は続いた。
 再襲撃の際に滑走路付近から遠ざけられていたが故に全員無事であった直属の部下達は勿論、面識のない兵達も部隊でただ一人生き残ったまともな将校を生き残らせようと努力したし、赤軍も余りの損害に将校の粛正を手控えたのだ。
 その結果として彼はポーランド戦役を生き残った。

 次の戦場でも、そのまた次の戦場でも幸運なことに生き残った。傷一つなく。

 第二次世界大戦と呼ばれる一連の戦いが終わり、退役前日に少佐になったイワン・ショリチェフは故郷に帰り幼馴染みと結婚した。
 その後のショリチェフの人生は、20世紀最後の年末に永眠するまでロシア基準で言えば充分以上に豊かで穏やかなものだった。

 やはり彼は幸運な男であった。
 
  


 
 カルロス・セルバ義勇飛行兵は、救出された直後から戦線に復帰しポーランド戦役を戦い抜いた。
 ポーランド戦役における彼の戦績は総出撃回数221回。不確実を含めない戦果として撃墜17機、共同撃墜8機、空中撃破11機、地上撃破24機、橋梁などの地上目標破壊19、重砲8門、戦車13輌、大型車輌22輌、装甲列車1、砲艦撃沈1、駆逐艦大破1、となる。なお墜落3回。
 凄腕揃いの第11義勇飛行隊でも、この戦績は上位に入る。

 三度目の墜落で左手を失ったセルバ曹長はポーランド戦役終了後に祖国へ帰り、以後は指導教官として後輩の育成に当たった。
 スペイン空軍のサッカーチーム顧問を務め、退役後は地元スポーツ倶楽部の監督となり、何人ものスター選手を育て上げた彼は撃墜王としてよりも「義手の名監督」として歴史に名を残している。





 一方メフメット・サハド義勇飛行兵は『強行着陸と肉薄攻撃により一日に二回連続で捕虜奪還を行った飛行機乗りの一人』として歴史に名を残した。もう一人の添え物扱いとして、だが。
 大戦終結後、病死した兄の後を継いで絨毯屋となった彼は先祖代々続く家業を大過なく営んだ。そして20年後に甥に継がせて引退し、貯金を元手に当時トルコで流行し始めていた日本料理店をイスタンブールで開業して、そこそこの成功を収めた。

 1983年2月6日夕刻、数年前から料理店経営を娘夫婦に継がせ悠々自適の生活を送っていたメフメットは飲酒運転者の起こした交通事故に巻き込まれ死亡する。享年65歳。
 彼の突然の死は親族や隣人たち、特に「やさしいおじいちゃん」と呼んでいた近所の子供らを涙させた。
 




 たった一機で敵飛行基地にトドメを刺し、カルロス・セルバ義勇兵を救い出した爆撃機のパイロットは、その後も毎日同じように出撃し毎日同じように爆弾を落とし毎日同じように銃撃を浴びせ毎日同じように体操して毎日同じように牛乳を飲み毎日同じように日記を書いて、寝た。

 勲章授与などの式典出席に後方へ呼び戻されるのが嫌で書類を偽造し、己の戦果を過少に偽ってまで戦場に居座り続けた彼一人により、師団規模の損害を受けた赤軍から「ソ連邦人民最大の敵」なる称号を与えられた魔人、ハンス・ウルリッヒ・ルーデルの戦果が何処まで伸びるかは、ドイツ第三帝国とソヴィエト・ロシアが停戦しポーランド戦役がひとまず終わった1939年10月7日の時点では、まだ誰にも分からなかった。





続く。 




[39716] その五『チャーチル首相の偏屈』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:98863f1a
Date: 2020/11/01 13:01






            その五『チャーチル首相の偏屈』





 大英帝国首相官邸の朝は遅い。ついでに煙たく酒臭い。
 現在の主、サー・ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチルの寝起きが悪く大酒のみでヘビースモーカーだからだ。

 葉巻とスコッチ・ウィスキーの香りを供にしつつも、チャーチル首相の職務は起きて顔を洗い着替えた直後から始まっていた。当代の大英帝国首相は色々と欠点の多い人物ではあったが、そのなかに怠惰は含まれていない。

 「で、今朝のニュースは何かね」
 「はい。今朝は少し悪いニュースと、かなり悪いニュースと、とてもとてもとても悪いニュースが届いております」
 「偶には一つぐらい良いニュースも聞きたいものだがね」
 「残念ながらそれは私の仕事ではありませんので」
 「うむ、まあその通りだが。では順番に頼む」

 朝食後の茶を味わいつつ、英国首相は報告に耳を傾ける。
 人間誰しも悪いニュースより良いニュースを欲しがるものだが、仮にも一国の指導者が吉報ばかり喜び凶報を嫌がるようになればお終いだ。
 そのあたりを良く理解している当代の英国首相は、情報部の中に悪いニュースだけを探し分析して報告させる部署を作り活動させていた。
 祖国の難局にあって、あえて朝一番に最悪な報告を聞くことがチャーチルなりの活力充填方法なのだった。吉報だけを聞いて危機に備えることはできないが、凶報だけを聞いて希望を見いだすことはできなくもない。


 「まず日本関係です。扶桑級と伊勢級の戦艦四隻が、室蘭・大津・呉・大神のドックでそれぞれ解体された事が分かりました」
 「解体中ではなく、既に解体済みかね?」
 「はい。交換用に用意されていた艦載砲は南樺太などの要塞強化用に運ばれた事が確認されました」
 「成る程、我々は日本の工業力を過小評価していたようだな。いつもの事だが」

 国際法解釈の都合で事変と呼ばれているが、満蒙の国境線付近で起きた小競り合いから拡大した日本帝国対ソヴィエト・ロシアの軍事衝突は実質上の戦争状態であった。その山場となったのが日本海軍によるウラジオストック攻撃とノモンハンでの戦車戦だ。前述の戦艦4隻は合計四十八門の36センチ砲が擦り切れるまで撃ちまくり、ウラジオストック破壊に貢献したのである。
 4隻の戦艦は和平成立後に揃ってドック入りしたが、整備補修の為ではなくそのまま解体されてしまったようだ。

 「しかし、旧式戦艦用の艦砲は満州北東部の国境線強化に使うのではなかったのかね?」
 「陸軍側が辞退したようです。元々艦砲は陸上基地で使うには不便ですから」
 「ふむ。理屈だな」

 艦載砲、特に戦艦の主砲などは短時間のうちに大量かつ正確に目標へ弾頭を叩き込む為に作られている。当然ながら持久力や耐久性は二の次だ。
 割り当てられた砲弾を撃ち尽くす前に艦砲射撃や爆撃で破壊されることが分かり切っている沿岸要塞ならばともかく、何ヶ月もあるいは何年も敵と対峙し戦力を保ち続けなくてはならない内陸部の要塞に使うには向いていない。
 海軍大臣を務めたこともあるチャーチルは、流石にその程度のことは分かっている。

 「なお、解体中に隔壁の隙間から工員のミイラが見つかったという怪談が室蘭造船所で流れていますが、これは日本側情報機関が噂の伝播経路を調べるために意図的に流したものと思われます。実際にはそのような事件は報告されていません」
 「潜伏している諜報員たちの耳は相変わらず長いようだね、結構なことだ」

 日本政府は以前に比べれば防諜に気を使うようになっているが、鎖国している訳ではないのでどうしても情報は漏れる。外国人観光客ですら、行けない場所よりは行ける場所の方が多いぐらいなのだ。

 危険を冒して潜入などせずとも、何気ない日々の暮らしを観察するだけでも価値のある情報を得ることができる。たとえばとある都市の映画館に毎日通うだけで、上映される映画の作風や客の入り具合から世論の動向や政府の見解、物価の動向や雇用の変動などが伺える。
 分析する者の能力次第だが、その国で発行されている新聞記事を集めるだけでも国家機密の大部分は推察できてしまうのだ。

 「日本陸軍ですが、ソヴィエトとの国境沿いだけでなくマンチュリア南方でも要塞線の建設が始めました」
 「マンチュリア南方で? 前線はもっと先ではなかったかな」
 「前線からも傀儡政権との勢力範囲からも離れています。いわゆる長城(グレートウォール)の北側から始まって内モンゴルとの国境線まで伸ばし、ソヴィエト国境と接触してから東進して日本海へと繋ぐ計画です」
 「要は満州全域を壁で囲む気か、大げさなことだ。かの国の壮挙に対する我が陸軍の見解はどんなものかね」
 「難民対策の可能性が高いかと」
 「難民相手に要塞が必要かね?」
 「極東アジアの難民は色々と物騒ですから」

 1930年代当時、極東地域に存在する最大の戦力は極東ロシア軍であった。総兵力百四十万人の大兵力を誇り、装備や戦術の水準も決して低くはなかった。
 だがロシア人とはいえ赤軍の将兵は人だ。人はパンがなくては生きていけないし、人間らしく生きるためにはパン以外のものも要る。例えば塩とかバターとか毛布とか石鹸とか。
 多くの人にとって不幸なことに、赤軍上層部は自軍の将兵が人であることを忘れがちだった。いや、むしろ「将兵が人であると時々思い出す」と表現すべきかもしれない。

 日用品を不足なく手に入れようとするなら共産党の管理下にない物資を当てにするしかないが、共産党の管理下にない物資を手に入れるためには闇市場を利用する他はなく、闇取引のためには現金か現金に変えられる物が要る。
 そして赤軍将兵が持っている換金効率の高い物と言えば兵器ぐらいしかない。これには弾薬や燃料など消耗品を含む。

 部隊ぐるみでの兵器類横流しは帝政時代から続くシベリアの伝統であった。そうしないと死んでしまうのだから仕方がない。
 少量であれば帳簿の改竄で誤魔化せる。誤魔化しが積もり積もって隠しきれない規模になってしまったならば、証拠を吹き飛ばす。
 50トンの爆発物が入っていた弾薬庫の爆発事故を、100トンの爆発物が入っていた弾薬庫の爆発事故に見せかけることは50トンの爆発物やその他の機材が消え失せたことを誤魔化すよりも容易い。
 そんなわけでシベリア地域に点在する赤軍拠点では原因不明の火災が多発している。
 もしロシア人に俳句を詠む文化があれば「弾薬庫火災」は季語となっているだろう、夏の風物詩であった。

 東シベリアには他にも換金性の高い物体があるといえばあるのだが、それは軍が気軽に横流しするのは難しい代物だった。
 弾薬庫の中身を誤魔化すだけなら政治将校を抱き込むだけで済むが、軍部の管轄下にない危険な物体を横流しするには更に大規模かつ慎重に動かねばならない。


 こうして、1930年代の極東地域にはロシア製の旧式兵器が溢れかえるようになった。横流し品だけでなく赤軍が教育した「革命戦士」たちもロシア製装備を好んで使っている。
 元から各国の中古兵器が溢れている極東で、野盗ごろつきの類が重武装し始めれば統治機構やそれに近い武装勢力は更なる武装の強化に励まなくてはならない。万一負ければ、いや不利と見なされただけでも立場は容易く逆転してしまう。
 こうして数年前‥‥1930年代中盤から日本やドイツは群雄割拠する大陸軍閥に見境なく兵器をばらまいていた。

 販売先の揉め事に巻き込まれ、一時は日独間で戦争沙汰になりかけたこともあったがドイツ軍部から主導権を奪ったヒトラー総統が日本に対し大幅な譲歩を行うことで、両国は手打ちに持ち込む。
 当然ながら見捨てられた形となった中国国民党(蒋介石派)を初めとする軍閥群は、ドイツとのバーター貿易を断絶または縮小して遺憾の意を示したが、ドイツとしては代わりに日本から地下資源や他の物資が手に入るようになったので極一部を除いて問題にならなかった。
 大概の場合において、懐が暖かくなりさえすれば政権は支持されるのである。


 「ふむ。欧州でも難民は厄介ではあるが、そこまでする必要があるのかね」
 「必要が無ければ創り出せば良いだけです。蒸気機関のように」

 『必要は発明の母』 なる言葉があるが、これを 『発明は必要がなければ産み出されない』 という意味でとらえることは間違いである。間違いとまで言わずとも歪んだ解釈であることは確かだ。
 日本人などには想像も出来ぬほど母性を軽んじているアングロサクソン的価値観から言うならむしろ 『必要は発明の父ではない』 と言う意味で解釈されるべきなのだ。
 ちなみに彼らの宗教=価値観の基盤では、絶対者である創造主は『父』と呼称されることはあっても『母』と呼ばれることはない。

 産業革命の象徴である蒸気機関にしても、発明当初は物好きが作った珍妙な玩具に過ぎず、その後の発展と活躍は新しい玩具を役立てるべく用途と需要を探し創り出したからとも言えるのだ。

 「需要と供給、か。今や日本こそケインズ理論の最も優れた実践者だからな」
 「次点がドイツと合衆国ですな。我々が真似したくてもできないあたりがなんとも」

 経済を失速させないためにはとにかく資金を回し人を働かせ物やサービスを売り買いさせ続けねばならない。それが出来なくなれば経済は死に体となる。
 不景気で民間企業が金を出せないならば政府が公共事業を行い経済を活性化する。要は生産力の捌け口だ。極端に言えば在庫の山を倉庫で眠らせておくよりは損を覚悟で売り買いした方が、経済のレベルで言えばまだマシなのだ。

 しかしこの方法は英国では使い辛い。日の沈むことなき大帝国の領土はあまりにも広く、植民地は手入れのし甲斐がないのだ。都合良く振り回せるからこそ植民地なのであり、手間暇かけて手入れすれば其処は本国と同じく粗略に扱えない場所になってしまう。

 爆発的という表現すら生ぬるい日本の工業的発展は、近い将来公共事業のやり場を本国内から消失させるであろう。その時に、マンチュリア全域を被う要塞線建設に有り余った工業力を吸収させるのだ。
 なにもマジノ線のような重厚な要塞地帯を造る必要はない。人や獣が通りにくくなる鉄条網や普通車輌が通れない塹壕や戦車が通るにはちょっとした工事が必要になる対戦車障害物、そしてそれら全てに有効な地雷原があれば合わせて防御線を構築できる。

 全てを防ぐ必要はないのだ。敵の侵入を難しくするだけで良い。侵入者が国境付近でもたついている隙に戦力を集中して野戦で叩けば勝てる。先年のノモンハンで証明したように日本陸軍はロシア赤軍に劣ってはいないのだ。少なくとも質では勝っている。

 「それにしても、日本がここまで強大だとはな」
 「手遅れになる前に気付けただけでも幸いでしょう。もっとも原因も経過も未だ不明ですが」

 

 地道な諜報活動を積み重ねた結果、英国上層部は日本に関してもかなり正確な情報を手に入れていた。
 具体的に言えば日本商船隊の輸送力は既に千三百万トン以上に達しており、今後も月当たり数十万トンの勢いで増えていくであろうことや、つい先日呉の新造ドックで建造が始まった新型戦艦が一年以内に完成する見込みであることなどが判明している。試算によれば今年の日本経済成長率は最低でも40パーセントを超える筈だった。

 「そうだな、まだ手遅れではなかろう。日米どちらになるにせよ、我が国は勝者に付けば良いだけだ」

 いかに日本が成長著しいとはいえ、合衆国の根幹である北米東海岸一帯そして五大湖周辺地域を制圧または破壊するだけの国力は無い。
 であるからには米国との戦争がどう推移しようと最終的には交渉の席に着かねばならない。そして大英帝国なら新興の大国と同じく新興の超大国の講和を取りまとめるに相応しい。
 と、言うか他の国にはできない。所詮ドイツは田舎くさい貧乏人の無法者でしかなく、フランスは戦う前から負け犬も同然、赤化したロシアに発言権など存在しない。イタリア? ああ、いたなそういうのも。

 近いうちに起きるであろう日米戦において英国はなるべく中立かそれに近い位置に立ち、勝者の側に付いて敗者をなだめる算段であった。


 「いささか不名誉ではありますが、単独での勝利が難しくなった以上やむをえません」

 古人曰く『勝利よりも惨めなものは敗北しかない』。この年の六月末に始まった二度目の欧州大戦は、四ヶ月めで既に結果が見え始めていた。無論のこと勝敗が決した訳ではない。英国から見て、世界帝国の維持が絶望的になった‥‥と言う意味での話だ。

 1939年6月28日、英仏両国はドイツ第三帝国へ宣戦布告した。これはその前日、ドイツ軍がポーランド政府首班スクワトコフスキ首相からの要請を受けて対ソヴィエト・ロシア戦に参加した軍事行動を英仏がポーランドへの侵略行為と見なしたためである。

 単純に言えば英仏はスクワトコフスキ首相らが属するポーランド政府ではなく、ソヴィエト・ロシア軍と行動を共にしている閣僚名簿に誰も名前を聞いたことがないような面々が並んでいるポーランド人民共和国政府の方を正統政府と認め、スクワトコフスキ首相らを不当な政権として扱うことに決めたのだった。
 
 つまり、英仏両国は保護条約を結んでいた相手国(ポーランド)が侵略されたのに、侵略者(ソヴィエト・ロシア)ではなく侵略者へ対抗するために援軍を送った国(ドイツ第三帝国)へ宣戦布告したのである。

 これが他の国々ならば国民から「なにそれ?」と盛大に突っ込みが入る状況だが、英国と仏国に限って言えばその心配はない。
 大方のフランス人にとってドイツは不倶戴天の敵であり、ドイツ人もドイツ政府も悪魔の化身に等しい存在だった。現在のドイツを統べるナチス政府は自他共に認める独裁政権であるから尚更だ。
 ドイツの為すことは全て悪である、フランスはドイツの敵である、故に正義は我にあり。

 イギリス人にとって事態は更に単純。祖国の国益を妨げる者が悪なのだ、ドイツの足を引っ張ることが(そして欧州の統一を防ぐことが)イギリスの国益になるのである。世界で唯一『麻薬を密輸していたら税関で没収された』などという理由で宣戦布告した歴史を持つ国はやはり違う。


 そんな成り行きで始まった二度目の大戦だが、ドイツ軍は強かった。呆れる程に強かった。その強さは前大戦のそれを上回っていたかもしれない。開戦から約三ヶ月で軍集団規模のロシア軍が壊滅し、六十万人以上の兵がポーランドの土となってしまったのだから。なお、捕虜となった者は更に多い。勿論ワルシャワは奪回されている。

 現在はドイツ軍の進撃は止まっており、戦線は開戦前の国境付近でなんとか持ちこたえているが、これはロシアで二番目に偉大な将帥『泥将軍』が間に合ったからであり、人間の力によるものではない。
 そして最も偉大な将帥『冬将軍』の参戦も遠くない。しかし赤軍にとってそれが幸いと言えるかどうか微妙なところである。

 何故なら冬将軍は幾度となくロシアを救った名将だが、その反面侵略者だけでなくロシアの軍民にも多大な犠牲を強いる迷将でもあるからだ。ポーランドの戦いで深手を負った赤軍が冬将軍の猛威に耐えきれる と断言することはできない。
 故にドイツ第三帝国とソヴィエト・ロシアは停戦に合意したのだ。背中に敵を持つ身としては、二正面作戦は避けたいのである。
 

 一方、国力や地政の問題で双方ともに積極攻勢を仕掛けられない西部戦線ではマジノ線沿いに布陣した独仏の陸軍部隊がにらみ合い、時折偵察機を飛ばしては追いかけられ追撃されたり迎撃したりする散発的な航空戦が行われている。
 とりあえず今のところ戦線は安定している。双方の被撃墜率差は冗談のような数値になっているものの、未だ仏独どちらの軍靴も国境線を跨いではいない。

 問題は海だ。海では陸以上に押されている。 

 「続いてかなり悪いニュースですが、ポルトガルとスペインの両国が我々に対して港湾施設の査察受け入れを申し入れてきました」
 「なんだと?」
 「ですから、イベリア半島の同盟国と中立国が揃って腹を突きだして来たのです。痛くないから気の済むまで触れと」

 戦艦から救命ボートに至るまで水上戦力比で圧倒的不利にあるドイツ海軍が選んだ英海軍への対抗手段は、前大戦と同じく通商破壊であった。勿論のこと前大戦そのままではなく、教訓を生かしてより周到で執念深く効果的なものになっている。
 航空機と硬式飛行船、そして潜水艦と仮設巡洋艦による空海一体の通商破壊は開戦以来猛威を振るい、その被害は増す一方であった。無論、英国側も前大戦を含む教訓を生かし対処に当たっているのだが後手後手に回っている。

 ドイツ海空軍は英国艦船の中でもスループやフリゲートなどの護衛船舶を親の仇のように狙っており、開戦以来英国の船と人員は怖ろしい勢いで消耗し続けている。
 Uボート部隊などは、たとえ漁船改造の哨戒艇であっても護衛能力を持つ船舶である限り撃沈トン数を10倍で計算しているぐらいだ。Uボート乗りにとっては哨戒艇を一隻沈めたなら優良貨物船一隻分の、旧式駆逐艦を一隻沈めたならば対潜能力を持たない重巡洋艦一隻分の功績となるのだ。

 牧羊犬から先に狼に狙われ食い殺され続けている状態では羊たちの士気が上がる訳もなく、英国の海運は危機的状況にある。もし米国からの物資や船舶や義勇兵の供給がなければ、今頃ブリテン島は飢餓境界線に達していただろう。
 極端な話、現在では無事に入港できる船団は米国など他国籍の船を含むものだけだと言って良い。英国船籍の船だけで構成された船団は平均四割近い損失を受けている。輸送船団の船が全て沈んでしまう、文字通りの全滅に遭うことも珍しくはない。
 

 さて、如何にドイツ海軍の潜水艦が優秀であるとしても物理的限界からは逃れられない。
 潜水艦という兵器は一ヶ月も乗り続ければ乗組員が疲労しきってしまう難儀な代物であり、働かせたのと同じ時間をかけて休養と再訓練を行わなければまともに使えはしないのだ。
 いかにドイツ兵といえど人間であるからには適度に休まなければ戦えない。

 一般的に、海軍が前線に出せる潜水艦は保有数の4分の1程度だと言われている。多くても精々三割程度だ。
 仮に百隻の潜水艦を戦力化している海軍があるとしたら、そのうち戦場で活動している潜水艦は三十隻もいないのだ。残りの七十隻と少しの潜水艦はその間ドックに入って検査したり修理したり改造したり、あるいは港か戦場を目指して移動していたりする。

 当然ながらどの海軍基地にも収容限界というものがあるので、その国の海軍力に応じた規模の潜水艦隊しか運用できない‥‥筈なのだが、今大戦におけるドイツ海軍の戦果から逆算するとどう考えても潜水艦が多すぎる。
 ドイツ海軍は開戦前に英国側が把握していた数の倍以上、200隻近い潜水艦を運用している筈であった。

 潜水艦はまだ分かる。同盟国や友好国から乗組員ごと借りてくればなんとかなるだろう。
 現にドイツ側は『共産主義勢力を誅すべく世界各地から集まった』義勇兵たちの奮戦を映画やラジオで盛んに宣伝している。しかし自力で移動できる船や人はともかく、設備はどうにもならない。


 チャーチルら英国首脳部はイベリア半島のどこかにドイツ海軍の根拠地があると見ていた。特にスペインが怪しい。
 フランコ将軍率いるスペイン国粋派は日伊独三国からの支援で内戦に勝利できたと言って良い。国粋派の勝利が確定した後も日西防共協定を口実に、日本からスペインへ膨大な量の資源と物資が送られている。その一部を流用すればブンカー(要塞化船渠)は無理としても秘密の補給基地と保養所ぐらいなら秘密裏に作れるだろう。
 行き帰りの手間が短縮できれば、保有する潜水艦のうち半分は無理としても四割程度ならば前線で動かすことも不可能ではない。もちろん「一時的に」という但し書きが付くのだが、だとしても有ると無いとでは大違いだ。

 だが、ドイツに対する軍事協力を疑われたスペインとポルトガルの両国はこれを否定。疑うなら気が済むまで調べろと英仏に通達してきたのである。
 列強ではないにしろ充分に先進地域と言える両国がここまで断言したからには、イベリア半島には秘密の潜水艦基地などないのだろう。
 正直者の主権国家など有り得ないが、イベリア半島にはお粗末すぎる嘘で誤魔化そうとする程の外交的失敗国家は存在しない。
 もちろん念のために(そして後々のために)調査はするが、何も出てきはすまい。

 イベリア半島に潜水艦基地がないとしたら、他に基地を置ける場所がない。もしドイツ軍がノルウェイやアイスランドに基地を造ったことに気付いてないのだとしたら、英国の海軍にも情報部にも存在価値などなくなってしまう。
 ドイツ海軍の整備能力が英国側の想像を遙かに超えている可能性は、秘密基地よりは高そうだ。そしてより可能性が高いものは‥‥

 「我々の潜水艦戦能力が圧倒的に劣っているということだな」

 平均的な敵国潜水艦が一ヶ月活動して二千トンの船舶を撃沈するとしよう。この場合、前線に出ている敵国潜水艦が五十隻なら月当たり十万トンの被害が出る。
 仮にドイツ海軍の潜水艦保有数が宣伝通りだとしたなら、Uボートは一回の出撃で一万トン近い戦果を上げていることになる。

 そんなことは不可能であった。不可能な筈なのだ、一隻の潜水艦に積める魚雷の量などたかが知れている。文字通りの百発百中でも魚雷が足りない ‥‥筈なのだ。

 上記の計算は普通の、英国海軍の想定する常識的な潜水艦が常識的な魚雷を使ったならの話である。
 もし英国製潜水艦の倍近い搭載能力を持ち三倍以上の速度で倍以上の距離を潜行できる静粛性抜群のUボートがあれば。
 六割り増しの速度と倍以上の射程と五倍近い破壊力を持つ無航跡魚雷があれば、決して不可能ではない。

 それらの超兵器が存在するという情報は、開戦前から様々な経路で手に入っていた。入っていたが先代の英国首相は開戦に踏み切った。
 よくある与太話、戦争を避けるためのハッタリと判断したのだが‥‥仮に事実でありそれを知っていても戦争になっていた事は間違いない。
 英国はドイツ主導による欧州統一など認める訳にはいかない。まして戦わずして負けを認めるなど論外だった。


 戦争を選んだ結果、大英帝国の国威と国力は削られに削られ続けている。

 幸いなことに、大西洋の向こうには欧州統一を決して認めない巨大勢力が存在する。無教養な田舎者だが国力だけは絶大な彼らをこの大戦に巻き込めば、敗北だけはない。
 遠からずして英国は世界帝国を投げ出すことになるだろうが、それでも列強倶楽部に残ることができる筈だった。先の大戦の後、みじめに没落してしまったオーストリアやトルコよりはずっと良い位置に居座れるだろう。

 来世紀あたりの歴史書に『大英帝国を崩壊させた首相』として記されるであろう男は、それでよいと考えていた。帝国は滅びても祖国が、ブリテン島が生き残るのであれば。


 無能か? と問われたならば九割の人間が否定するが、その九割の者たちも 有能か? と問われたなら首を傾げてしまう。そして 戦時向けか? と問われたならば全ての人が肯定する。第61代大英帝国首相はそんな人物であった。


 「さて、最後にとてもとてもとても悪いニュースとやらを聞こうか」
 「はい。かねてより進めておりました合衆国政府の内部調査ですが‥‥」





続く。




[39716] その六『太陽の国から来た惨いヤツ』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:98863f1a
Date: 2021/06/14 12:11






            その六『太陽の国から来た惨いヤツ』





  【1939年10月21日、トルコ共和国東部 首都アンカラ北北東40㎞付近】



 かつてフランスの皇帝は「勝利の女神は大砲が好きだ」と言った。
 そして戦争の天才であった彼を敗走させたロシアを、その百年あまり後に制した男は「砲兵は戦場の神である」と言っている。
 確かに、遙か遠方から雷鳴の如く声を轟かせ破壊の限りをつくす砲火力は神の怒りに喩えられる程に圧倒的だ。


 大砲が神の如き‥‥神の鉄槌にも喩えられる兵器ならば、航空機は天馬に跨る勇士の如き兵器だろう。
 天高くを飛び敵陣を物見し、誰よりも疾く先陣を切り、窮地の味方を助けるべく救援に現れる。
 兵達は頭上に味方がいるだけで士気を上げ、敵味方が入り乱れる空の戦いに声援を送るのだ。


 同じように喩えるならば、地雷は毒蛇か毒虫のような兵器だ。
 地雷は目立たず、地中や瓦礫の中に隠れ潜み、迂闊に近づいた者に耐え難い苦痛を与えるおぞましい存在だ。
 だが求めるに安価であり容易に隠すことができる地雷は、弱く貧しいものたちにとって暴君の寝所に投げ込まれる毒蛇毒虫と同じように、侵略者や圧政者に対する有効な武器になり得るのだ。


 では戦車はと言えば、怪物のような兵器だろう。
 巨躯を鋼鉄の鎧で被い、地響きを立てて塹壕を乗り越え鉄条網を踏みつぶして進む怪物。
 並の兵たちが数人がかり十数人がかりで扱う武器を自由自在に振り回して敵陣を蹂躙し突破する、敵から見れば恐ろしく味方から見れば頼もしい戦争用の怪物(モンスター)。
 それが戦車だ。


 しかし、そういった視点からするとトルコ共和国の陸軍中尉である、アリー・サハドの前にある戦車はいささか頼りなさ過ぎる怪物だった。
 素人が見ても解るほどに古くさく、貧弱である。

 無理もない、なにしろルノーFT17なのだ。単独大型の回転式砲塔など設計的には戦車開発史に残る画期的な兵器だが、何分にも小さすぎ古すぎる。重量僅か6.5トン、火力も装甲も機動性ももの足りない。

 この戦車、ルノーFT17が製造されたのは前大戦の末期から直後にかけての時期であり、もう20年以上の昔だ。
 平時はまだしも戦時には最新型が2~3年で旧式になり、更に2~3年で役立たずになるとまで言われるのが戦車の世界である。もはやご老体やミイラを通り越してマストドンの化石並に古くさい代物なのだ。まだ動くけど。

 戦車の後ろに並ぶ車輌も、みんな同じように古くてボロ臭い代物ばかりだ。型落ちの装甲車、荷台に鉄板や木材板を張った廃棄寸前のトラック、エンジン部分を抜き取った米国製大型二輪車などなど。
 それらの中や上に、あるいはその周囲やある程度離れた場所には人型のものが立て並べられている。

 木材と粘土と麻布で作った等身大の人形に軍服を着せ鉄兜を被らせた人型標的だ。大半の人形は服とヘルメットぐらいしか身に付けていないが、何割かの人形には小銃や銃剣・スコップなどこれまた廃棄品の兵器が縛り付けられていた。
 中には背嚢を背負い、行軍する兵士と全く同じ装備を身に付けた人形もある。もちろん服だけしか着ていない文字通りの素敵な状態の人形もある。全く武装していない素手素肌の敵、戦場では是非とも遭いたい存在ではないか。

 アリー中尉の前にあるこれらは、本日これから性能を試験する兵器用に用意された標的である。そう、ここは臨時に設えられた射爆場なのだ。

 「さて、見せて貰おうか。日本から来た新兵器の性能とやらを」



 トルコ共和国と大日本帝国は防共協定を結んでいる。
 これはその名の通り共産主義国家、つまりソヴィエト・ロシアへ対抗するための協定であり、協定国は共産主義国家と軍事同盟を結ばないこと(ただし不戦条約は可)や共産主義の蔓延を防ぐために協力すること、具体的には情報や軍事技術や物資を融通すること、防共協定国同士で共同研究を行うこと、そしてその成果を共産主義勢力に渡さないことなどが定められている。

 しかし防共協定は直接的な軍事同盟ではない。そして数年前の政変以来、日本帝国は良い意味でも悪い意味でも律儀に条約を守る国家であった。
 それ以前からも、有史以来一度も条約を守ったことがない某国や未だに条約の意味を理解していない国家と呼んで良いものか悩ましい某地域に比べれば日本帝国の条約遵守率は低くなかったのだが、それはさておく。

 話を戻すと、トルコがロシアから侵略を受けたとしても、防共協定は日本がロシアと直接戦争する理由にはならないのだ。
 正式な軍事同盟を結んでいるドイツに対してですら「日独軍事同盟は同盟国が他国から宣戦布告された場合のみ参戦義務がある」として、日本はロシア及びフランス及び連合王国との戦争を避けたほどだ。

 もっともドイツとしては日本に参戦されるとかえって困る。日本が戦争当事国となれば、日本からドイツに送り込まれている資源や物資が届きにくくなってしまうからだ。
 イタリア領リビアの油田は未だ試掘段階であり、その産出量はドイツ経済を潤すに足る水準ではない。イタリア本国経済にとってすら、唇を湿らすには充分だが咽の乾きを癒すにはまだまだ足りない。

 ドイツ国内では従来からの石炭を蒸留して作られる合成石油に加えて植物由来の合成石油を製造する設備が作られ、コストは下げながらも順調に生産量を上げているが、それでも足りない。
 特に日本産の高オクタンガソリンと高品質オイルが手に入らなくなれば、いかにドイツ空軍といえど無敵を誇っていられるかどうか怪しいものだ。パッキンなどの合成ゴム製品や点火プラグなどの電装品は言うまでもない。

 日本からの輸送船団はドイツの、そしてドイツだけでなく欧州全体に大きく影響を与えている。
 国家レベルでの飢餓状態が近づきつつある英国としても、直接あるいは中立国経由で送られてくる日本からの資源や物資が途絶えては困るのだ。
 故に英国政府は得意の外交手腕で日本を自国側に近づけようとしている。もっとも米国との両天秤にかけての話であるし、いざとなれば日本との縁を切ることも躊躇わないだろうが。


 そんな世界情勢の中でトルコ軍の戦力を向上させるため、そしてその結果としてより多くの赤軍戦力をソヴィエト領南部方面に拘束するために、日本政府は少なくない兵器と物資をトルコへ送り込んでいる。
 送り込まれた日本製兵器は信頼性を含めて概ね好評であった。特に98式戦闘機や97式戦車などポーランド戦線で獅子奮迅の闘いぶりを見せている最新鋭の花形兵器は大人気だった。
 まあ、トルコに送られてきた97式戦車は主砲にボフォース社製の37ミリ砲か鹵獲品の45ミリ砲を搭載した型であり火力的には劣っている。これは新型戦車砲の生産が間に合わないためだが、マンチュリアですら鹵獲品や代用品を載せた車輌の方が多い状況では文句も言い辛い。

 それらの花形兵器だけでなく、トルコには日本から大小新旧取り混ぜた火砲や各種の車輌、燃料・爆薬・建設資材等々の軍事物資が送られ続けている。
 実際に国土が戦場になり今もまだ痛手の消えぬスペインや自国を舞台に世界最大と最強の二大陸軍が本気の殴り合いをやらかしたポーランド、そしてこれから戦場になるかもしれないフィンランドに比べれば質も量も見劣りするが、それでもたいしたものではあった。

 下心のない‥‥少なくとも露骨すぎる下心は見えない援助を受けて機嫌が悪くなる人間は少数派であり、元々親日派が少なくなかったトルコ国内は親日ムードで染まりつつあった。

 アリー中尉はその遙か前、幼少時から親日寄りだった。彼の父サハドはイスタンブールで絨毯屋を営む商人であり、日本を含む海外の商家や商社とも個人的に貿易していたからだ。
 彼の家には時折日本人の旅行者が訪れており、明かな日本びいきであった父親の影響もあって日本に関する知識もそれなりにあった。
 アリーは公式な通訳は無理だが、観光客の案内が務まる程度になら日本語も話せるし読み書きもできる。彼が日本から送られてきた正体不明の兵器の実験に駆り出されるのも当然だった。


 父ほどではないが、アリー個人も日本に好感を抱いていた。彼が今まで個人的に出会った日本人達は皆、善良かあるいは誠実な人々だったからだ。善良で誠実な者も数多くいた。

 アリーが不思議に思うのは、観光客など一般の日本人には善良を通り越して間抜けな人々が少なくないことだ。
 頻繁に荷物を置き忘れ、財布や貴重品を落とし、現地の者なら子供にも通じない詐欺に引っかかり、見張っていないと危険地帯にまでふらふらと歩いていってしまう。
 まあ、流石に軍人や商社の古参社員などにはそこまで危なっかしい者はいないのだが、観光客などの間抜けさはここ数年で更に酷くなっている気がする。
 故郷に帰ればそれなり以上の立場にある者やその家族だろうに、あれでよく日本は狡っ辛い欧米列強と渡り合えるものだ。


 父親以上の日本びいきで十年以上日本で暮らし日本人の嫁までもらった二番目の兄によれば、勿論日本にも善良でもなく誠実でもない人々は存在するそうだ。
 確かに存在するが、そう目立つほどいる訳ではないという。日本人は天使のように善良ではないが、最も善良なイスラム教徒と同じぐらいには善良だ と。
 長く付き合っていくと色々嫌な点が見えてくるが、日本人も所詮は人間と割り切れば付き合うには充分なまでに善良なのだと、最近は回数が減りその代わりに一度あたりの文量が増えた兄の手紙にはあった。

 
 
     ・・・・・


 その兵器‥‥と言うか組み上がった物体を一言で言い表すなら「糸車の玩具のようなもの」だ。
 
 まず、本体は縦1メートル直径40センチほどの、短い円筒形の金属容器‥‥小型のドラム缶のようなものだ。これの内部には合計して約10キロの爆薬と信管そして廃棄品のボールベアリングが詰め込まれている。
 次に円筒を横に寝かせ、筒の両端に空いている穴に樹脂で塗装された太い木の棒通し、固定する。
 そしてその棒に車輪を通してねじ込む。車輪は大中小の三種類有るが、大きい順に内側から取り付けていく。
 車輪の大きさは一番大きい内側のもので約1メートル半、一番小さいもので1メートル強。

 棒は内側が太く外側がやや細くなっており、車輪の中央には車軸を通す穴が空けられている。そして外径の大きさに比例してそれぞれサイズが違う車軸穴の内側にはネジが切ってあるので、取り付けられた大中小の車輪はそれぞれの定位置までねじ込まれることで安定する。

 この時点で組み立て中のこの兵器は糸車の両端に小さな歯車を三重に取り付けたような姿となっている。
 なお本体の、木製車軸を差し込んだ穴には自転車のもののような空転機能があり車輪がいくら回転しても本体は回転しない。

 歯車というのは、鉄パイプを曲げて作られた車輪はなめらかな円ではなく、輪の部分に無数の‥‥いや40枚ほどの小さな鉄板が溶接されているからだ。
 その歯の一つ一つは、輪の外側はアルミ系合金が圧着され、内側には推進用のロット燃料が入った鉄製の筒が取り付けられている。
 
 最後に中央の円筒に長さ1メートル直径30センチほどのロケットモーター(推進器)を取り付ける。ロケットモーターは尾部に制御用のヒレがついており、ロケットモーターの先端にあるジャイロによって制御されこの車輪というか糸車もどきを直進させるのだ。


 「ロケット兵器なら、最初からこれの頭に爆弾付けて飛ばせば良いんじゃないのか?」
 「やってみましたが推力が低すぎて、まともな威力を持った弾頭を載せると自力では飛びません。火薬の質が悪いというか重たい物を飛ばすのに使う火薬じゃないんですよ」

 その代わり安価で加工がしやすく煙などが少ないのが取り得の火薬である。

 「だから車輪が必要なのか。何のためのに開発したロケットなのか気になるな。しかし、実戦で使い物になるのか? これは。一個組み上げるのに1時間はかかるぞ」 

 アリー達は知るべくもないが、元々この推進装置は空挺部隊が使用する滑空機(グライダー)の着陸時制動距離を縮めるための逆噴射ブースターとして開発されたものだ。
 展開した自軍の兵や他のグライダーなどに噴射炎が燃え移るといった問題があったため本来の用途としては不採用になったものを、戦闘機の使い捨て補助推進装置として再利用しようとしてまたもや失敗した曰く付きのロケットモーターである。


 「ノモンハンでは実戦に投入され、それなりに戦果を挙げたという話です。付属の手引き書によれば慣れると一台あたり15分で組み立て出来るとありますね」
 「‥‥これを慣れるまで組まされ続けたのか」

 日本兵は本当に精強だな、とアリー中尉は友好国の兵士達に感心し、同情もした。 

 トルコ語に翻訳された手引き書によるとこの珍妙な車輪は「制空権及び有力な砲火力の支援を持たない敵を地の利がある地点で迎え撃つ際に一定の効果を発揮する」とあるが、それは「役立たず」という意味ではないのだろうか?
 有利な地形で支援のない敵を迎撃してたいして役に立たない兵器を、他の何処に持っていけば役に立つと言うのだ。


 「そういえば日本軍の下士官から聞いた話ですが、日本の兵器で『特殊標的』と呼ばれる物は大抵ゲテモノだとか」
 「まあ、とにかく使ってみよう。どんな馬でも乗ってみないとな」

 アリー中尉は頭痛を堪えて言う。彼の役目は試験を行いその結果を報告することであって翻訳者の能力や誠実さを疑うことではない。


 予定時刻をかなり過ぎてしまったが準備は終わった。いよいよ実験開始だ。
 ロケット式推進装置付きの車輪は、標的が並ぶ開けた街道を挟むように両脇にある小高い丘の上に並べられている。
 ここからロケットに点火しつつ下へ向けて転がせば、敵に見立てたスクラップと案山子の列は車輪の挟み撃ちを受ける訳だ。



 「点火」
 「「「点火」」」

 無線で伝えられたアリーの命令により、一斉に車輪が転げだした。
 片方から5台ずつ計10台の車輪が地面に噛み込む歯車から火花を上げつつ転がり出す。

 手引き書では塹壕の中に隠しておいて、敵が来たら数人がかりで持ち上げ推進用ロケットを取り付け点火することになっていが、今回は待ち伏せを想定してあるので既に組んだ状態で待機しておいたのだ。

 最初は緩やかな加速だったが引力と奮進力の相乗効果でぐんぐんと速度が増していく。十秒足らずの間に車輪は時速にして百キロを越えた。
 
 「ちゃんと直進してるな」
 「‥‥ですね。使えないこともないのかな」

 ジャイロやロケット制御装置の性能が良いことと演習場の地形や地質が車輪の走行に向いていたこと、そして何よりも確率分布上の偏り‥‥つまりはただの偶然により殆どの車輪が順調に標的を目指し直進していた。

 目標との距離が三分の一程度になった所で本体に取り付けられた大型ロケットの推進剤が尽きた。
 代わりに車輪が立てていた火花が一際激しくなり、その火花が車輪に取り付けてあった小型ロケットに引火して燃焼を始める。

 歯車の歯に当たる部分にはマグネシュウムをアルミ系合金で挟んだ板材が圧着されている。
 車輪が回転して地面と激しく擦れ合うことでアルミが削れて粉になりその下のマグネシュウムが露出して、アルミとマグネシュウム自体に火花が引火して、激しく燃え始める。その火がロケットを引火させたのだ。

 数十個に及ぶ小型ロケットが生み出す回転力によって車輪は炎を吹きつつ猛烈に回転し加速するが、次の瞬間分解した。
 車輪がはめ込まれていた木材がロケットの推力に、より正確に言えば回転力のばらつきに耐えきれなかったのだ。
 分解した円筒と車輪は残った運動エネルギーによって標的に向かって転がって行き、接触信管か時限信管のどちらかが作用して円筒が爆発する。辺りに爆風とロケットの破片とボールベアリングが撒き散らされた。


 「威力がもう一つですね。やはり速度が落ちることを」

 覚悟して炸薬量を増やした方が良い‥‥と続けたかったであろう部下は沈黙する。
 その気持ちはよく解るが今のアリーには構ってやる暇もない。
 今は見ることに集中すべき時だ。
 双眼鏡を覗く彼らの目に映ったものは、彼らの常識を嘲笑う悪意の権化のような光景だった。


 火を噴く車輪が、大小合わせて60個に及ぶ車輪が地面を転がり回りあるいはその場で回転しあるいは宙を飛び回っている。
 炎と煙を噴く鉄の輪が高速で回転しつつ辺りを駆けめぐり、その場にある全ての柔な物を突き刺し叩き割り固い物に当たって弾かれ、その両方を炎で炙り火の粉を撒き散らしている。

 喩えるなら直径一メートル半の巨大な鉄製ネズミ花火に、何本もの草刈り鎌を刃を外に向けて固定した物に火を付けて群衆の中に放り込んだようなものだ。
 標的である人形達は焦がされ燃やされ斬りつけられて次々と倒れていく。

 そして、ネズミ花火がそうであるように、激しく回転を続けていた車輪は次々と爆発する。
 最後の一欠片まで燃え切った個体ロケット燃料の奥に仕込んであった爆薬が引火したのだ。
 もちろん個々のロケットによって燃焼の具合は異なり、各ロケットが爆発する時間はいくらかのズレがある。
 つまり、最初の爆発で割れて飛び散った車輪の破片はまだ燃え尽きていないロケット燃料の推力によって広範囲に撒き散らされてから次々と爆発するのだ。
 そして‥‥

 「いかん、見るな!」

 アリー達は慌てて双眼鏡から目を離した。
 砕け散った車輪の破片が激しい光を放ちつつ燃え始めたからだ。
 色からしてまず間違いなくマグネシュウムの酸化反応。あの車輪には歯車の歯だけではなく輪や軸部分にもマグネシュウム系の素材が仕込んであったのだ。加えて酸化鉄と酸化アルミも。
 砕けた車輪の破片が撒き散らされた一帯は、今や数百個の焼夷弾と照明弾が同時に打ち込まれたような有り様だった。 
 こんなものを双眼鏡で注視していれば目が潰れてしまう。


 正視に耐えぬ檄光とおびただしい硝煙が満ちるなかで、次々と車輌が燃えあるいは燻り始める。テルミット系焼夷弾によって溶けるほどに加熱された鉄の破片を浴びて、標的の燃料や潤滑油が引火したのだ。


     ・・・・・


 「なるほどな。道理で炸薬の量が少ないと思った」
 「まさか、車輪の方が本体だとは思いませんでした」

 焦熱地獄と化した演習場を眺めつつ、アリー中尉は彼なりに新兵器の特性を纏めようとしていた。

 あの燃え盛る車輪が破壊するのは陣地でも兵器でもない。敵兵の心だ。
 爆風と破片だけなら兵は耐えられるだろう。その二つは戦場では特に珍しい物ではない。
 だが、火花を撒き散らしながら唸りを上げて回転し戦友を切り刻む輪はどうだろう。初めて見る兵が恐怖に耐えられるだろうか。
 砕け散った輪から噴き出す溶けた鉄と文字通り目を潰す光は、たとえ即座の死に繋がらないとしても兵の士気を下げ恐慌状態に陥らせるだろう。

 もし兵たちが耐えられたとしても馬匹は無理だ。どんなに訓練された軍馬でも暴れ出すに決まっている。
 かといって機械化された部隊ならば燃料に引火して、あるいは引火を防ごうとして大混乱になるだろう。

 そしてその状態で迫撃砲の斉射や重機関銃の十字砲火を浴びれば、為すすべもなくうち崩されてしまう。
 待ち伏せて撃つ側は敵を見る必要も狙う必要もない。事前に調べてある方向と角度へ向けて弾を送り込めば良いだけだ。

 確かに、事前に情報が有ればともかく不意打ちでこれをくらえばひとたまりもあるまい。
 戦車なら運が良ければ車外アンテナや工具箱を溶かされる程度の被害で済むかもしれないが、随伴歩兵のいなくなった戦車など恐くもなんともない。

 戦車だけでは地雷原と対戦車バリケードを突破できないし、戦車から出た戦車兵ば味方狙撃兵の的でしかない。
 機銃で地面を掘り返し、障害物を戦車砲で吹き飛ばして接近したとしても、陣地に立て籠もった歩兵部隊を戦車だけで制圧しようとすること自体に無理がある。
 火砲や航空機の支援もなく更に随伴歩兵と無線機を失った状態で歩兵陣地に乗り込んできた戦車など、御者を失い目と耳が潰れされた戦象も同然、良く訓練された歩兵にとっては只のカモだ。集束手榴弾と火炎瓶で容易く始末できる。地雷と対戦車ライフルがあれば更に楽に。


 

 「彼らは、何故こんなものを送ってきたのでしょうか」

 もし自分がノモンハンでこれを受けたという赤軍の立場だったら、と想像して顔色を悪くしている部下にアリーは

 「もう要らないからじゃないかな」

 と言った。

 「要らない?」
 「改良型を手に入れたのだろう。こいつより安価で、扱いが簡単で、効率的に敵の心をへし折るものを」


 日本人の改良好きと熱心さは有名である。彼らがこれ程の兵器に注目しない理由も改良を施さない理由もアリーには思いつかなかった。
 
 例えば、現場で一々小型ロケットを取り付けるのではなく工場内で車輪に筒を溶接して、溶接した筒にあらかじめ推進剤と火薬を詰め込んでおけば組み立ての手間が減る。
 その回転用ロケットも、天候や地面の状態に発火精度が大きく左右される黄燐マッチの親玉のような今の物ではなく、まともな信管を付けるべきだ。無線などで好きなタイミングで発火させられる信管なら更にいい。
 いや、その場合は爆弾本体にこそ電波式信管を取り付けておくべきだ。電波による指令を受けて車輪が脱落し、次の瞬間に爆弾が破裂する。時限信管よりもこの方が確かだ。

 己がそれほど優秀な軍人ではないと自覚しているアリーでも、この程度の改良策をこの場で出せるのだ。より優秀な軍人がじっくりと考えたのであればもっと的確な改良案を出せるだろう。


 大砲は破壊をもたらす天使。
 航空機は天駆ける騎兵。
 戦車は恐ろしくも頼もしい怪物。
 地雷は忌まわしい毒蛇毒虫。

 ならば、悪魔の下僕が考案したとしか思えぬこの兵器の改良品は‥‥それはまさに悪魔の化身のような兵器だろう。




 私は日本について、日本人について何を知っていたのだ。
 今まで出会い、接してきた、誇り高く誠実で幼子のように無防備な日本人達。
 だが、それが彼らの真の姿だと言い切れるか? 仮にそうだとしても、全ての日本人が善良であるという証拠にはなるまい。



 彼ら日本人とは、日本とはいったい何なのだ?

 日出づる国、黄金の国、神秘の国!
 東洋の楽園(アルカディア)! フジヤマゲイシャ! ローニン! サムライ! ハラキリ!
 開国から60年余にして列強の座にのし上がり、今や世界の覇権に指をかけんとする新興国家!
 信義と友愛の国日本! 偉大なる太陽の帝国! 輝ける太陽の‥‥


 「名は体を表す か」

 イスラム教が起こった土地、いわゆる中東地域では、太陽の印象は決して良いものではない。
 アラビア半島での太陽は、天に燦然と輝いて地上の全てを溢れんばかりの悪意で照らしあげ炙りたてて死と苦痛を撒き散らす、悪魔の化身の如き存在なのだ。
 冬場に太陽が全く見えない極寒の日々が延々と続く欧州では「君は僕の太陽だ」という言葉は最上級の誉め言葉だが、それを直訳して中東の人間に言えば喧嘩を売っていると思われるだけである。

 アリーは思う。日本人とは本当に太陽の如き民族なのかもしれない、と。

 太陽は嫌になるほど明るく、誰に対しても平等で、立ち向かう者に容赦しない。


 軽く頭を振り、妄想を打ちきる。おそらく日本人なのであろう考案者や送ってきた日本軍の意図など二の次だ。
 今はこの忌まわしき兵器を有効利用する方法を考えなくては。祖国のために、故郷のために、守るべき者たちを守るために。
 それが軍人の義務だ。


 アリー中尉は、ふと気になったことを部下に訊ねてみた。

 「そう言えば、この兵器の正式な名前は何だったかな」

 「『95式特殊自転走行標的二型』、暗号名は『パンジャンドラム・マークⅡ』です」


 何年か後に判ることだが、アリーの推測は間違っていた。

 95式特殊自転走行標的二型は単なる在庫処分として送られてきただけであり、日本陸軍はこれより後この種の兵器を製造することはなく、発展型を開発することもなかった。
 所詮、特殊自転走行標的は条件の整った演習場でのみ効果を発揮する未熟な兵器であり、より洗練され実用に耐えうるものに成長する前に対抗馬であるロケット砲や無反動砲などの兵器が成熟したために倉庫の隅に追いやられた迷兵器であった。

 その最大の戦果は幾つかの同盟国や友好国の軍人に、日本の兵器開発者に凶悪な遊び心を持つ者がいるとを伝えたことである。
 間抜けのお人好しばかりが日本人ではない、やる奴はやる、と。



 未だ実戦を経験していないアリー中尉たちには、分からない。
 世界にはこの珍妙な車輪など比較にならぬ程の悪意に満ちたしろものが、正に悪魔の発明としか思えぬ兵器が幾らでも存在し、そのうちの半分は実際に戦場で使われる事が。

 そして更におぞましいことに、残り半分の悪魔の発明は将兵でない者に対して、戦場以外の場所で使われるのである。




続く。

 



[39716] その七『幻想の帝国』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:8bf7f0f1
Date: 2021/06/14 12:17






            その七『幻想の帝国』




 インド。現在の帝位を主張する者たちがそう呼ぶ広大な亜大陸。
 この土地は未だに一つではない。
 かつて統一されたことはあるが、それはヨーロッパやチャイナでも同じ事だ。一つになったことがあるだけであり、それが常態であった訳ではない。

 英国の侵略を許した最大の理由はそこにある、とサシャ・ジャマダハールは考えていた。
 この名は本名ではなく偽名だ。サシャとは彼が昔飼っていた鳥の名であり、ジャマダハールとはインド武術カラリパヤットで使われる武器のことだ。
 偽名を使う事情がある。彼はボンベイに近い小都市で生まれ育った、裕福な武家(クシャトリア)の子弟であるが、一年余り前に家を出て武術の師の知人である独立運動家の元に身を寄せていた。無論のこと親兄弟との連絡を絶ったまま。
 家出の理由は、英国へ留学させられそうになったからだ。

 勉学が嫌だった訳ではない。現に家出してからも語学や歴史を中心に、いや家にいた頃よりも熱心に学んでいる。
 嫌だったのは行き先だ。サシャはいささか潔癖というか狭量な部分があり、学府としていかに優れていようと故郷を足蹴にしている大英帝国の大学で学ぶことに抵抗があったのだ。是々非々という言葉は彼も知っているが、納得できるかどうかはまた別の問題だ。
 そして彼の親族で英国に留学していたものが、皆そろって「中身が英国人」になって帰ってきたことで抵抗感は耐え難い嫌悪となって爆発したのだった。

 「先生、新聞を貰ってきました」

 器が大きいのか緩いのか、押し掛けられた独立運動家はサシャに自分を「先生」と呼ばせて助手のような立場で居候させていた。
 「先生」は独立運動家であるが、どちらかといえば穏やかな方法で独立を求める派閥に属していた。チャンドラ・ボースよりはガンジーの方に近い方法論だ。だがどちらとも親交があり、どちらからも一目置かれていた。

 「日本の新聞かね?」
 「はい。ヤマダ中尉から先生に宜しくと」

 「先生」が一目置かれている理由の一つが、日本とのコネクションだった。留学時代から「先生」にはかの国との接点があり有形無形の支援を得ることができたのだ。
 ヤマダ中尉は日本陸軍などが作り上げた独立運動支援組織の一員であり、インド独立派との連絡役である。


 ごく普通の新聞記事でも、見るべき所を見れば充分な情報源になり得る。
 例えば先月の 「第三帝国の総統が専用列車を廃止した」 という記事から、

 専用列車が存在する = ドイツ国内で特権階級化したナチス幹部が資源や資材を浪費していること
 専用列車を廃止した = ヒトラー総統を始めとする主流派が党内の綱紀粛正に乗り出したこと
 そしてその動機として鉄道を中心とする、ドイツの運送事情がかなり危険な状態にあることが解る。

 勝者は決して進歩しない。自己の改革に励む者は皆、己が弱者(敗者)であることを自覚している。ドイツ国民がポーランド戦役の大勝利に浮かれているこの時期にも、総統を始めとする第三帝国指導部は危機感に身心を焦がしながら職務に励んでいた。
 一言でいえば機関車も貨車も客車も足りていない、幾ら造っても輸入しても第三帝国の拡大と発展そして消耗に追い付かない。列車の運行を管理できる熟練した鉄道屋はもっと足りない。


 これに昨日の 「ワルシャワの孤児院に日本から砂糖など菓子の材料が贈られた」 という記事から解る

 首都ですら砂糖が不足している = 赤軍を追い出したもののポーランド国内の被害は大きいこと
 ドイツは知らん振り = 第三帝国、特に国防軍はポーランドの被害や市民感情を考える気がないこと
 日本が贈ったことが記事になる = 日本政府がポーランドに配慮する姿勢を打ち出していること 

 という事柄を合わせてみれば、ドイツにはこの冬に積極攻勢を仕掛ける気がないことが推測できる。


 ロシア地域で戦争ができるのは夏か冬だけだ。気候や地盤などの問題からロシアの大地は、春と秋に泥の海と化す。
 ドイツ軍が冬場に積極攻勢をかけるとして、成功すれば戦線を押し進めることになり、占領地域が増える。
 となれば当然面積あたりのドイツ軍兵員密度は下がる。人の密度が下がれば、それまで上手くやれていたことも難しくなる。

 兵站線の維持ひとつとっても、攻勢に出ればドイツ兵一人あたりの負担が急増することは間違いない。となれば増えた分の負担を地元民にも持って貰うのが当然であり、ポーランド人達はより一層戦争に関わるようになる訳だ。

 つまり、第三帝国が冬季攻勢に出ればドイツ軍を動かす為にポーランド人の協力が欠かせない状況になる。
 現地民が非協力的な状況で大攻勢など危険すぎる。ドイツ軍の手が足りなくなったポーランド国内で、ドイツを憎む地元民によって結成されたゲリラ部隊が跳梁跋扈する‥‥などという事態になれば戦争そのものに支障をきたす。

 第三帝国の指導層がまともな戦略眼を持つとすれば、冬季攻勢を行うためにまず下準備として、反独感情を和らげるべくポーランド人向けの宣撫工作に邁進するであろう。具体的に言うと孤児院へ菓子の材料を贈ったりとかの。

 以上の理由から、ポーランド人達への宣撫工作よりも自軍の物資充足を優先している現状ではドイツ軍がこの冬に大規模攻勢を行う可能性は低いものと思われる。


 戦争はその殆どが準備に費やされる。歴史的に見ても、実際に砲火を交える前にそれまで積み上げた準備の質と量によって勝負が決まっていた事例が9割以上を占めているのだ。

 ポーランドの戦いで、ドイツ国防軍はソヴィエト赤軍へ死者・行方不明者・投降兵・脱走兵を合計して140万弱に及ぶ被害を与え打ちのめしたが、自らも被害を受けている。
 ドイツ側の死傷及び行方不明者は9万足らずと15倍以上の損害比率となっている。だが、人的損失はともかく兵器と後方の消耗が激しかった。

 いかにドイツ軍が精強であるとはいえ弾丸より多い敵兵を倒せる訳もない。戦史に残る大戦果は戦史に残る膨大な武器弾薬を費やして達せられたのである。
 効率の点でも戦史に残る戦いであったが、そうでなければドイツ軍が勝てたかどうかは怪しいものだ。数は力なのだ。

 ドイツ軍が再び赤軍に勝つためには物資の蓄積と効率の良い組織運営が必要であり、となれば敵地に踏み込んで戦う愚は避けねばならない。冬場なら尚更だ。
 故にこの冬は、ドイツ側からは攻め込まない。春は泥将軍が退散するまで敵味方共に動けなくなるから次に独ソの戦いがあるとすれば来年の5月以降となるだろう。
 ポーランドの地で起きるとすれば、の話だが。


 大地が凍り付いている冬のうちにソヴィエト・ロシアは北方で戦争を起こし、勝利しなければならない。
 冬の内にフィンランドを屈服させないことには国が滅びる。少なくとも共産党政府はお終いだ。
 現時点でも、スターリンの首が繋がっている事が不思議な程にソヴィエト首脳部は失敗を重ねてしまったのだから。

 このまま夏になって、ドイツ軍が西と北から攻めてきたら防ぎきれる保証は何処にもない。
 なにしろロシアの心臓とも言うべき都市、レニングラードはちょっと気の利いた野戦重砲なら国境線越しに砲弾が届く位置にあるのだ。

 ロシアにとっては災難だがドイツにも日本にも、フィンランドに数個艦隊と数個軍団を送り込んで半年持たせる程度の国力はある。楽ではないが実行できる。レニングラードの制圧もしくは機能停止は、ソヴィエト・ロシア経済の心不全となるだろう。

 世界で一二を争う程の反共政策を掲げる日独両国がその気になれば、ソヴィエト政権の命運はあと一年しか持たない。その気にならない理由もない。
 あるとすれば米国の本格的な介入ぐらいだが、選挙が近づきつつある米国が積極的に介入するかどうかはかなり怪しい。
 日独にとってレニングラードを抑えることは不可能ではなく、そうなればロシアの物流は止まる。物流が止まれば人民は飢える。冬のロシアで人民が餓えたら起きるのは革命か、もっと質の悪い無政府状態化かのどちらかだ。

 故に赤軍は近いうちに、早ければ数日中にもフィンランドへ侵攻する。
 でなければ祖国防衛の目処が立たない。
 攻め込まれる側は抵抗を決意したようだが‥‥


 「先生、フィンランドはどれだけ粘れるでしょうか」
 「難しいね。結局は協定諸国から引き出せる支援の質と量次第かな」

 今は戦争したくないドイツや戦火が飛び火しては困る北欧諸国はこっそりと、スペイン・イタリア・トルコ・日本などの飛び火しにくい国はおおっぴらにフィンランドを支援している。
 早い話が赤軍は舐められているのだ。日独に連続で惨敗したのだから無理もない。
 イタリアの政界などでは「今ここでロシアを怒らせても大したことはない、囲んでつつき回していればそのうち自壊する」という楽観的な意見も出ているようだ。

 「支援ですか? 参戦ではなく?」
 「ドイツはしばらく攻勢に移りたくない。スペインは内乱で消耗し過ぎた。内乱に深入りしすぎたイタリアも同様。嫌がらせに義勇兵でも送るのが関の山だね。トルコやルーマニアは軍の近代化で大忙しさ、ロシアを刺激したくもないだろう」

 「日本の参戦は有り得ないのですか」
 「望み薄だねえ、彼らには本命がいることだし」

 チャイナ戦線は安定している。蒋介石率いる中国国民党(重慶政権)は野戦戦力を消耗しており、米国からの支援がなければ何もできない状態にあるからだ。
 その支援ルートは南京の国民政府や英仏植民地の独立派ゲリラによる妨害を耐えず受けており、途絶えがちであった。

 もっとも、上から下まで完全に腐敗しきっている重慶国民党勢力にいくら送ったところで、日本軍や南京国民政府軍への直接的な脅威にはならない。
 一例を挙げれば、重慶の国民党軍に供与された米国製戦闘機のうち実戦部隊に届いたものは一割にも満たない。残りは各派閥が隠匿するか転売している。主な転売先はロシアと南米諸国だ。

 現在の蒋介石派は、ただひたすらに米国からの支援を周囲にばらまくことのみを理由として延命している。
 傘下の軍閥群は米国から支援を引き出せる外交能力を持たないので、その能力だけは維持している蒋介石を御輿に担いでいるのだ。蒋介石派が出資者達から見限られたならば重慶国民党は瞬時に自壊するだろう。

 重慶国民党が抗戦のポーズを取っているから、日本軍はあと何年かはチャイナ地域から足抜けできない。陸軍が遙々重慶まで歩兵戦力を送り込んだとしても、蒋介石とその取り巻きは更に奥地へと逃れるだろう。
 彼らの本体は北米本土にあるからだ。重慶に陣取るものは銀幕に映し出された虚像に過ぎない。


 ただの匪賊や野盗の略奪行為であっても、蒋介石派が対日戦争を続行中であると主張する限りは、それを軍事行動であると内外に言い張れる。
 もしも日本と講和すれば、それら強盗団や強盗団と大して変わらない軍閥を国民党軍が平定しなくてはならないが、重慶の国民党軍にはそんな能力はない。

 と、言うより意思が欠片もない。チャイナ地域に蠢く無数の軍閥のうち、蒋介石ら一部の者たち以外は何が問題なのか理解すらしていない。
 理解しているのは軍閥を脱して近代軍へ生まれ変わろうとしている者たち(汪兆銘派)と、生まれ変わりに失敗した者たち(蒋介石派残党)のみである。

 そして蒋介石ら理解している側は他の軍閥に理解させたくない。豚に食肉市場の仕組みを教える養豚業者がいないのと同じ理由だ。
 元より蒋介石派と重慶国民党は=で結ばれる存在ではなく、直接の手駒以外との信頼は欠片もない。軍閥とは連帯の可能性が皆無な武装集団が寄り集まっている、という摩訶不思議な存在なのだ。



 「先生」の分析によれば、長引いた場合この状態があと5年ほど続く可能性がある。逆に言えば長くとも5年で終わる。
 日本軍の全面的な支援を受け編制されている南京国民政府軍(汪兆銘派)は、これまでチャイナの地に存在しなかった本物の軍隊となりつつある。南京の国民政府軍が自力で自国を守れるようになったその時こそ、日本が日支事変の終結を宣言する時だ。

 つまるところ、チャイナ戦線は日本にとって終わりが見えた場所なのだ。本命ではない。
 シベリア鉄道とウラジオストックの再建が完了しない限り、対ロシア戦線も本命ではあるまい。
 となれば日本の標的は大英帝国かあるいは‥‥

 「日米は戦争になりますか」
 「なるよ。当事者双方が戦争を望んでいるんだ、ならない訳がない」

 読みかけの新聞を畳んで、「先生」は顔を上げた。サシャを向かいの椅子に座らせる。
 どうやら長い話になりそうだが、この生徒にとっては望むところだ。

 「合衆国が日本との戦争を望むのは解ります。もはやあの国は戦争でも起こさない限り崩れ落ちてしまうでしょうから。しかし、今の日本に合衆国と戦争する理由があるのですか?」

 本来、日本帝国が欲しているのは資源と市場、そして運転資金だ。
 数々の技術革新と組織改革を成し遂げた今の日本は一次生産物の輸出で食っていける程の資源大国である。原油一つ取ってもマンチュリアや南樺太の油田だけで有り余るほど産出している。
 台湾沖でも新たな油田とガス田が発見され、試掘が始まった。
 爆発的経済成長によって資金も潤沢だ。愛国心と将来への希望で胸を膨らませた国民や自国企業が、いくらでも国債を買ってくれる。

 残る市場も、欧州列強が力一杯の殴り合いを行っている今なら売り放題である。
 5年や10年では日本の優位は動かないだろうし、やりようによっては20年や30年は売り続けることもできるだろう。その日本が好き好んで戦争を始める理由があるだろうか。

 「改革に成功したからこそ、戦争を始めなくてはいけないのだよ」
 「は?」
 「彼らはね、色々と無茶をやって日本を造り替えたんだ。平時なら30年はかけて起きるべき変化をこの数年で起こさせてしまった」

 確かにその通りだ。数年前、1935年の夏に日本の軍部と政界で大変動が起きてから四年余りで日本はすっかり変わってしまった。遡れば更に数年前、1932年から続く動乱がその胎動であった‥‥というのは些か不適切な表現であろうが。

 半年前、十数年ぶりに東京を訪れた「先生」は変わり果てた街で迷子になり、荷物持ちとして同行したサシャに道案内される目にあった。なまじ以前の知識があったがために地図を読み間違えてしまったのである。
 傾いていた国家財政を建て直すどころか超高層建造物に変え、経済の神(の化身)とまで呼ばれ死後は神社が建つこと確実な高橋是清蔵相が進めている帝都改造はそれ程までに大がかりなのだ。

 「無茶をやり通したのは合衆国と戦える日本を造るためさ。日本をアメリカに勝てる国にする、を合い言葉に耐えがたきを耐え忍びがたきを忍んで彼らは改革を成し遂げたんだ」

 誰もが不可能と見る程の高い目標を掲げ、無理に無理を重ねて達成する。ここ数年の勢いと規模こそ異常だが、日本の方向性そのものは殆ど変わっていない。
 必要ではあったのだろうが、日本の改革は急すぎた。余りにも急ぎすぎたが故にその反動もまた大きい。

「それを今更やりませんなんて言い出しても納得できやしない。
 納得させようとしたら内乱が起きる。そして日本人は国家総出の内乱を起こすぐらいなら他国との総力戦を始めてしまう民族なんだ」

 サシャは呆れかえった。総力戦というものは気分で起こすものではあるまい。いや起こされては困る。

 「納得できない者を納得させるのが政治家の仕事でしょう」
 「無理だよ。日本にも冷静な政治家がいない訳ではないが、日本における政治家とは突き詰めてしまえば利益誘導者にすぎない。あの国では御輿の前で担ぎ手を煽る者が政治家なんだ。政治家は御輿の上にも後ろにもいられない」

 日本人にとって政治とは理論でも理念でも理想でもない。どこまでも現実であり即物的かつ現世利益的なものである ‥‥と「先生」は断言した。

 つまるところ日本では、代議士の仕事とは後援者達に利益をもたらすことである。それ以外求められていない。
 票田そのものあるいは一票一票に影響力を持つ選挙区の住人達や集団を代表し、それらに利益を与えてやれない者は政治家になれない。猿は樹から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちれば只の人だ。

 故に日本の政界は無定見極まりなき腐敗した金権政治屋、実現する価値のない綺麗事を喚き立てるキ印の活動家、敵国からの利益供与で生き長らえる真性の売国奴。この三種類の代議士により席巻されるさだめにある。
 好景気が続く限り最初の層が大衆に支持されることと合わせて当然の帰結であった。そして信念なき金権政治屋は大衆に迎合し、その怒りを更に煽り立てることもまた当然。


 「日本の民は、大麻で酔っぱらった群衆も同然だと?」
 「近いね。戦争とは一種の祭りだ。たとえ無茶だと解っていても国民が、御輿を担いで騒ぎたい者たちがどうしても祭りをやりたいと言うなら音頭取りは従うしかないのだよ」

 戦争は利益になる。少なくとも日本人の大多数は戦争が国民の利益になると考えている。彼らは先の欧州大戦において当事者ではなかったが故に。

 現にチャイナでの戦争を利用して日本は社会構造を改変したのだ。
 全ての事情は「戦時だから」という大義名分の元に処断された。因習も恩讐も、根刮ぎに始末された。
 過去に拘るものは非国民と罵られ、実際に反社会的あるいは売国そのものな行為を行っていた者たちは糾弾され検挙され処罰された。

 結果として都市は工業化され、失業者は政権交代前と比べ二十分の一にまで減り、餓死者や身売りする子供らの消えた農村は赤化から遠のき、学校と病院が次々と建てられ、婦人の社会進出が進んだ。
 国民所得は毎年三割以上増え、正価の国外流出が止まり、平均寿命が十年以上延びた。
 日支事変において、日本国内の日本人に限って言うならば、損をした者よりも得をした者の方が遙かに多い。

 故に日本国民は戦争を求める。更なる戦争と更なる勝利と、更なる正当な配当を求める。
 困ったことに、改革の成功は日本の国力を爆発的に押し上げてしまった。今や彼らにとって合衆国は「絶対に勝てない相手」ではない。主観的に、勝負が成立し得る程度にまで実力差が縮んでいる。
 

 「‥‥なんとも羨ましい限りですね。正に民主主義」
 「良くも悪くも日本は民意で動く国なのだよ。日露戦争のときもそうだった」

 そう老人は懐かしげに呟いた。何十年も前の、日本で過ごした日々を思い出しているのだろう。
 しかし、果たしてあの国に勝ち目はあるのだろうか。

 「始める理由は解りました。問題は終わり方です、彼らはどんな結末を望んで新たな戦争を始めようとしているのでしょうか」

 サシャは特に日本びいきではなかったが、他国人の不幸を望むほど歪んだ心根は持っていない。
 あの新旧東西の文物が入り交じった混沌としながらも清潔な都市が焼かれ、戦時でありながら明るく活力に溢れていた人々が傷つく姿など見たくない。

 まあ、日本帝国が続行している戦争の当事者である人々から見れば別の意見もあるだろうが。特に連合国側には。
 サシャにしても、もしバッキンガム宮殿がドイツ軍に爆撃されたなら肥満体の国家元帥やもっと太った空軍大将に声援ぐらいは送ってやるだろう。

 「さて、私は預言者ではないから結果については分からないが、もし日本が勝つとしたらその時には合衆国の幻想(ファンタジー)を破壊しているだろうね。いや、むしろ幻想(イメージ)を破壊することによって勝利するつもりなのかもしれない」
 「印象(イメージ)を破壊して、戦争に勝てるものでしょうか?」

 サシャの問いかけに「先生」はにやりと笑い、固めた拳を目の前に掲げてみせる。彼もカラリパヤットの心得がある。日本の武道でいえば帯が黒くならない程度の腕ではあるが、全くの素人ではない。

 「勝てるさ。戦争とはとどのつまり国家と国家の喧嘩だ。喧嘩で一番大事なのは」
 「気組み、つまりは継戦意思です」

 断言するサシャに「先生」は頷いた。

 「そう言うことだ。清帝国は『我こそは中原を制す覇者であり文明の中核、東夷の軍勢など鎧袖一触』という自らの幻想を破壊されて戦争を続けられなくなった。
 ロシア帝国は『ロシアは広大な領土と無数の民を統べる強大無比の大帝国』という幻想を日本が仕掛けた独立運動に破壊され交渉の席に着かざるを得なかった。
 日本はこれまで国運を賭けた戦いにおいて、勝った場合はことごとく相手の幻想を破壊しているが負けた場合は幻想の破壊に失敗しているからね」

 はて? と弟子は首を傾げ質問する。

 「明治新政府発足から今まで、日本は戦争で負けていない筈ですが」
 「シベリア出兵はどう見ても日本の負けだよ。戦略目標を達成できず、利益も出なかった。あれで日本の屋台骨はかなり傾いたよ」
 「‥‥確かに、共産主義という幻想は未だに破壊されていませんね」

 理想主義的な若人の例に漏れず、サシャも共産主義あるいは社会主義思想に心惹かれたこともあった。
 だが、その憧れは「先生」の 『悪辣な資本家の暴威から人民を守るため、国家が資本を管理するのが共産主義である。しかし国家が一元的に資本を管理すればそれは国家自身が最悪の資本家と化してしまう危険があり、しかも現在の社会制度にはそれを防ぐ仕組みがない』 という論理で粉砕されてしまった。
 この言葉を聞いてサシャは家出を決意した。腹黒似非紳士の巣窟に乗り込まなくても学問ができる確信を得たのだ。

 「成長著しいとはいえ、日本の国力は未だ合衆国に及ばない。力で勝てないなら心をへし折るしかないだろう。問題は何を折ろうとしているのか、だが」
 「合衆国を合衆国たらしめている幻想(イメージ)ですか。いっぱいありそうですね」
 「そうだね、数的にも質的にも量的にも日清日露の戦いとは比べものにならない相手だ。なにせ文字通り全世界を相手に回して勝てる古今東西に類を見ない国家だからね、合衆国は」

 僅か一週間ほどだが、サシャは「先生」と共に米国西海岸の諸都市を巡り歩いたことがある。数日間とはいえ、その経験だけでもアメリカ合衆国という国家が異質で巨大な存在である事を察するには充分だった。


 「しかしですよ、日本はこれまで敵の幻想(ファンタジー)を破壊して勝ってきたとすれば、負けたときには彼らの幻想(イメージ)が、日本を日本たらしめているものが破壊されてしまうのではありませんか。一度の敗北で受けるにはあまりに大きな損害ではないでしょうか」

 何を言っておるのかね と「先生」は呑み込みの悪い弟子をたしなめる。

 「彼らにとって真の敗北、本当の意味での幻想(ファンタジー)の破壊は内乱の発生なのだよ。食い詰めた旧軍閥関係者が自棄を起こして始めた地方反乱などではなく、正義の具現であるはずの帝国正規軍が相撃つ泥沼の大乱こそが真の敗北なのだ。
 それに比べれば対外的な戦争の勝ち負けなど些末な事さ」

 頑是無い幼子は蛇に怖じない。揺り籠に入り込んだ毒蛇を捻り殺したという古代英雄の逸話は、実際に起きた事であるのならば乳児が蛇を脅威ではなく玩具とみなした故であったのだろう。

 恐怖は実感できるからこそ効果を持つ。首相襲撃から連続したテロ行為に暗殺事件そして武力衝突。あわやの所で回避された内戦に日本人たちは恐怖した。
 恐れのあまりに外に敵を求めた。解りやすい外敵が必要だった。日本人が外圧なくして変化を受け入れるわけがない。
 幸か不幸か当時の日本帝国には、強大無比であるうえに不倶戴天の旧敵共と手を組みつつある仮想敵が実在した。


 「つまり、日本人にとっては合衆国との戦争がどう転ぼうとも敗北ではない‥‥と?」
 「そう。千代に八千代に細石の巌となりて苔のむすまで続く日本国。それこそが日本人達の究極の(ファイナル)幻想(ファンタジー)なのだよ」

 日本神話に天地開闢はあれど、世界の終末を語る部分はない。高天原にはギガントマキア(巨神大戦)もラグナロック(神々の黄昏)もない。「世も末」などの言葉も元はインド哲学の流れを汲む思想であり、日本神話とは無関係である。

 神話とは民族の記憶である。古代の人々が捉えていた世界観の伝承なのだ。即ち日本人の心理に終末論は本来存在せず現在あるように見えるそれは新参の概念である。鉢植え的なものであり土壌に根差した思想ではない。

 日本人の大多数は、世界に終わりなどないと信じている。否、明日も明後日も必ずやって来ることを疑っていない。10万年後も20万年後も、人の世が続くという幻想の中に生きている。
 この幻想が壊されない限り彼らは負けたことにならないのだ。

 「まあ、彼らの精神世界では、だがね」

 と、言って話を締めた老人は温くなった茶を美味そうに啜った。



 老人は賢者であったが、本人の言うとおり預言者ではなかった。
 彼の予想通り間もなく日米間に戦争が起きた。しかしその戦いが終わったときに、合衆国は幻想だけではなく実体をも破壊されていたのである。




続く。




[39716] その八『戦争の冬、ロシアの冬』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:98863f1a
Date: 2020/11/01 13:05






            その八『戦争の冬、ロシアの冬』





  【1939年12月23日 モスクワ クレムリン宮殿】



 昔から「クリスマスまでに終わる」と言って始められた戦争が、実際にクリスマス前で終わった例はない。
 この年の11月末に始まったソヴィエト・ロシアとフィンランドの戦いも例外とはならなかった。


 「第44狙撃師団は後退したのですね」
 「はい、同志スターリン。スオムッサルミ村陣地の早期解放は難しくなりました」

 クレムリン宮殿の主、ヨシフ・スターリンは前線からの報告を聞きつつ書類にサインを続けていた。

 「包囲された部隊はまだ戦えますか」
 「一週間程度しか持ちません」

 あまり知られていない事だが、ソヴィエト・ロシアの実質的最高指導者は穏やかな喋り方をする人物である。
 彼には声を荒くする理由も大きくする必要もないからだ。真の権力者にそのような演技(パフォーマンス)は要らない。そのあたりが所詮演説芸人に過ぎない元伍長との違いだ。

 「おや? 昨日尋ねたときには五日程度しか持たないと聞きましたが」
 「はい、同志スターリン。連日戦死者が出ている分、一人あたりの物資量は増えましたので」


 少なくない人物が予想していた通り、ソヴィエト・ロシアのフィンランド侵攻は順調に進まなかった。
 ノモンハンとポーランドで赤軍が受けた損害は小国の総人口に匹敵する。並の国家どころかロシア以外の列強ならばとうの昔に国家転覆していてもおかしくない。
 大粛正で弱り切っている赤軍には耐え難い損失だ。
 もっともその程度の被害、クレムリンの主に言わせれば「まだ二百万にも達していませんよ」で済まされてしまうのだが。

 クレムリンの主は赤軍の人的被害はさほど気にしていなかった。兵など放っておいても畑で採れる。
 しかし兵器や機材は別だ。
 フィンランド戦線には2099門に及ぶ火砲、1508輌の戦車と自走砲、843機の航空機を投入している。
 その二割から三割は貰い物だが、大部分はロシアの工業力を割いて作るか交易で手に入れるかした貴重品だ。文字通り人民の血と汗の結晶なのだ。

 貴重な戦争機材を無駄に消費して良いものではないが、戦況は思わしくない。地の利を生かして粘るフィンランド側を赤軍は攻めあぐねているのが現状だ。
 現地部隊の一部などは自軍より遙かに少ないはずの敵に包囲され、立ち往生している有り様だ。文字通り退くも進むもままならなくなっている。
 そして救援に駆けつけた精鋭師団は連隊規模の部隊に阻まれ引き下がる始末である。

 「同志ヴォローシロフは何と言っていますか」

 赤軍の古株であるクリメント・ヴォローシロフ元帥は「戦車のヴォローシロフが役に立たないなら本物が行くまで」と現地に向かい指導しているが、状況は好転していない。
 彼の名を冠した重戦車KVシリーズは日本の97式戦車を超える火力と装甲を持つ期待の新兵器だが、機動力の低さと全般的な扱いづらさが災いしてフィンランド戦線ではほとんど戦果をあげていなかった。

 「同志ヴォローシロフは、制空権が敵の手にある限りはどうにもできない、と」

 ここまで赤軍が手こずる理由の一つは、フィンランド側航空戦力の充実にある。
 防共協定を結んだ各国から送られてきた航空機は大半が中古の旧式機だったが、その分信頼性は高く極寒の戦場でもなんとか使用に耐えていた。
 現在の北欧の空は世界各国の新旧航空機と、同じく世界各国から集まった傭兵と義勇兵がひしめき合う乱戦状態となっている。
 そしてスペインやポーランドと同じように、北欧の空でも日本製の機材と人員は魔物のような強さを誇っていた。

 「航空隊戦力は増強している筈です。なぜここまで一方的な結果となるのでしょうか」
 「被害の大半は空戦の結果ではなく基地にいる時に受けています。こちらには悪天候でも飛べる戦闘機がありませんので迎撃は困難です」

 更に言うなら、フィンランド側の航空機には日本が送り込んだ工作船で改造を受け、燃料タンクの増設や落下増漕の普及により航続距離を伸ばした機体が少なくない。
 それよりも小規模な改修、例えば電装品の交換や使用する燃料・潤滑油の変更といった処置だけでも性能や信頼性を向上させている。

 改造・改修を受けて航続距離を始めとする性能が伸びたそれらの襲撃機や戦闘機は、元から航続距離の長い日本製航空機と組んで赤軍の飛行場を絶え間なく襲撃していた。
 ドイツ空軍と真正面からぶつかったポーランド戦役と異なり、赤軍は航空戦そのものは善戦している。
 少なくとも15倍だの20倍だのといったふざけた損害比にはなっていない。しかし天候や距離の関係で一方的に基地を叩かれ続けている赤軍の被害は大きい。

 赤軍も対空火器を増やしている。聴音機による警戒網を整備したり、こまめに飛行基地を移すなどの手段も使って対抗しているが、それでも防ぎきれないのが現状だ。
 結果として地上撃破も入れた総合的な損失比では、ポーランド戦役と大差ない数字になってしまっている。

 特に、現場の将兵から「ヤポンスキーの新型」と怖れられる99式襲撃機は戦闘機並の速度と運動性、軽戦車に迫る装甲と火力、ドイツ製襲撃機の倍近い航続距離を併せ持つ文字通りの怪物であった。
 元が艦載機なこともあって低速低空での安定性も高く、対地攻撃機としてケチの付けようがない。

 更にこの上に、夜間やある程度までの悪天候でも飛べて戦える能力まで持っているのだから手に負えない。
 兵器の差だけで被害が出ている訳ではないが、赤軍の将兵が「せめてあれが敵の手になければ」と思ってしまうのも無理はなかった。


 「開発局を急がせなさい。こちらにも新型が必要です」
 「はい、同志スターリン」
 「当面は数で対抗するしかありませんね。増援としてモスクワ周辺の航空部隊を北へ送りましょう。不足分は極東から引き抜きなさい」
 「はい、同志スターリン」

 クレムリンの主は、自分が米国に使い潰されつつあることを悟っていた。アメリカ合衆国が世界大戦へ参加できるようになるまでの時間稼ぎに、祖国と赤軍は使われているのだ。

 昨年の秋ソヴィエト・ロシアは極東の安定のためにマンチュリアへ攻め込み、かの国は自国の石油産業を守る思惑もあって赤軍に協力を約束した。
 しかし日本近海で演習という名の挑発行為を行う筈だった合衆国海軍の艦隊は出遅れて間に合わず、日本軍の総力を挙げた攻撃にウラジオストックは破壊された。
 合衆国は旗艦の座礁事故などを言い訳にしているが、その程度のことで演習日程が遅延するなど有り得ない。どう考えても故意の失敗だ。

 ウラジオストックとその防衛戦力が無力化したことにより、シベリア鉄道そのものも一時的に無力化した。
 あれで勝敗は決した。物流の動脈を切断された極東軍が態勢を整え直すことは不可能だった。たとえあの時点でジューコフ将軍が生きていても結果は変わらなかっただろう。

 協力を約束しておきながら手を抜く。それはまだ良い。騙される方が間抜けなのだ。
 腹に据えかねるのは、一度騙した相手を同じ手でまた騙そうとしている事だった。


 「同志モロトフ、アメリカからの物資はまだ届きませんか」
 「はい、同志スターリン。太平洋ルートは未だに回復しておりません‥‥黒海ルートでなら運べるのですが」

 復興が進められているウラジオストックだが、四隻の戦艦と十一隻の巡洋艦が砲身をすり減らしてドック入りになるまで撃たれ続けた被害はそう簡単には回復しない。更に言えば延べ二千機以上の航空機による爆撃も受けている。
 今も港湾の積み卸し能力は落ちたままであり、冬の港に長時間船を置いておきたくない合衆国の船主達は北太平洋での輸送を嫌がっていた。
 元々ロシアと合衆国の交易は下火だったが、ロシアとドイツの戦争が始ってからは大っぴらに交易が出来なくなっている。
 支援そのものはファシスト勢力に対抗する為の人道支援と理由をつけて細々と続けられているが、必要量にはまるで足りない。

 「では何故物資が届かないのです」
 「ボスフォラス海峡で起きましたテロ行為により、遅れています」
 「破壊工作は収まったではありませんか」
 「黒海向け船舶の保険金が値上がり致しまして」

 利益率が落ちたため船主達が輸送を嫌がっております。と続けたかったが、モロトフ外務人民委員は口を閉じた。
 言葉は穏やかだが、クレムリンの主の行動は政治的な意味だけでなく物理的にも他者の寿命に危険すぎる事が多い。


 赤軍がフィンランド解放のために進軍を始めたその日にイスタンブール近海で破壊工作が起きた。その後も毎日のように連続して起きた。
 爆薬を満載したボートがロシア行き貨物船に体当たりする破壊工作により、黒海方面の海上輸送は大きく混乱した。今も完全には収まっていない。いつ爆破されるか解らない船便を出したがる船主も乗りたがる乗組員も居はしないからだ。

 余談だがボスフォラス海峡事件の後、何故か世界各地で日本船舶への海賊行為が頻発している。ボスフォラス海峡での連続テロは一週間ほどで起きなくなったが、こちらの方は次第に下火になりながらも未だに続いている。

 「‥‥対策は、とっているのでしょうね」
 「もちろんです同志スターリン。合衆国国務省及び財務省内の同志たちに働きかけ、相場より高い代金を払って船主たちを納得させました。また英国から海峡の安全について言質を取り付けました」

 なんとか怒りを押さえ込んだらしい上司の態度に、モロトフは安堵する。

 「言葉だけでは足りません。英国軍には警戒部隊の派遣を要求しなさい」
 「はい、同志スターリン」

 まさかソヴィエト海軍がボスフォラス海峡の警備を行う訳にはいかない。かと言って現地のトルコ軍は信用できない。不幸な歴史の積み重ねにより、土ソ両国は親の仇同士のほうがまだ親密な関係にあるのだ。

 適当な動力付きボートはともかく、ボートに積み込まれていた百キロ単位の高性能爆薬は軍隊かそれに準ずる組織でないと用意できない代物である。
 つまり何処かの海軍がロシア向け船舶を狙って破壊工作を起こした訳だが、疑わしいのは地元のトルコ、反共的なイタリア、トロツキー派などロシア海軍内の反革命分子、敵対国であるドイツ、得体の知れない日本といったところだ。
 クレムリンの主的には後に挙げた者ほど容疑が濃い。

 「海軍にも我々の同志はいるでしょう。同じ事はできませんか? 合衆国の無知蒙昧な者たちも自国の船が沈めば目が覚める筈です」

 クレムリンの主が言う海軍とはロシアのものではなく、アメリカ合衆国の海軍だ。
 ソヴィエト・ロシアでも限られた人間しか知らないことではあるが、1939年初頭の時点でアメリカ合衆国の行政機構は共産主義者によって占拠されたも同然の状態にあった。
 長官や次官といった頂上部はともかく、実務を取り仕切る役人達の多くはモスクワの意向に忠実な共産主義の担い手だった。
 既にホワイトハウス内に居る人間の六割以上が熱心な共産主義者である。大統領やその家族を計算に入れても、である。

 普通はここまで内部に浸透を許せば、その国は乗っ取られたも同然だ。
 いや、既に半ば乗っ取っている。
 だがそれでもアメリカ合衆国は思い通りに動かない。クレムリンの主がルーズベルト氏を世紀の大戦略家と認める所以だ。

 この戦争に関しても合衆国議会ではソヴィエト側を侵略者と非難する声が大きく、一時はソヴィエト・ロシアへの非難決議とフィンランドへの三千万ドルに及ぶ無償借款が決定される寸前まで行った。
 どちらも寸前で阻止できたのは幸いだったが、そのためにクレムリンは何枚もの手札を使ってしまった。合衆国議会への浸透と関与は更に難航するだろう。

 大手新聞社などに潜伏している共産主義の理解者達は「フィンランド政府はファシスト勢力の傀儡」「虐げられているフィンランド国民を解放せよ」と大衆を啓蒙すべく宣伝に務めているが、頑迷な米国人は「先に手を出した方が悪いに決まってるだろ」と納得していない者が少なくない。
 馬鹿馬鹿しい限りだ。それを言うなら先に手出ししたのはフィンランドではないか。彼らが不当に占拠しているロシア領土を、カレリア地域を返還してさえいれば戦争になどならなかった。盗人猛々しいとはこのことだ。
 まあ、本来ならカレリアどころかフィンランド全土がロシア領土であるべきなのだが。
 
 「米海軍による破壊工作そのものは可能です。しかしそれをドイツまたは日本の仕業に見せかけることは難しいかと」
 「では英国がやれば宜しい。彼らならできるでしょう」
 「できますがやりません。英国は我々を信用しておりませんから」

 腐っても世界帝国である。英国海軍がその気になれば第二のルシタニア号事件やメイン号事件を起こすことは容易い。
 だが合衆国が参戦した後で、実は英国の陰謀だったと知れば合衆国人の怒りは頂点を超えてしまう。
 この世に漏れない秘密はない。旧植民地ほどではないが英国政府中枢にもクレムリンの同志はいるのだ。官庁にも軍隊にも市井にも、勿論いる。
 英国が陰謀を実行した場合、クレムリンの住人達は頃合いを見計らって真実を暴露する気だった。そうすれば労せずに英国を潰せる。

 今は手を組んでいるが、資本主義の総本山である英国と共産主義国家であるソヴィエト・ロシアは所詮相容れぬ存在だ。
 まずは米英ソの三国でナチス・ドイツを潰し、次に英国を潰し、次に合衆国を乗っ取り、最後に日本を焼き尽くす。
 それがソヴィエト・ロシアの世界戦略だった。
 だがクレムリンの戦略は、米国が動かないために瓦解の危機にある。ソヴィエト連邦が潰れてからドイツが滅んでも意味がない。

 当代の英国首相がもう少し無能な人物なら米国を参戦させる陰謀に噛んできたかもしれないが、あの英雄願望持ちのニコチン中毒患者は意外にしたたかだった。
 どうやらアメリカ合衆国の行政機構が共産主義者に占拠されている事実にも気付き始めているらしい。このあたりが腐っても世界帝国というところか。

 「これは、焦土作戦をやるしかないかもしれませんね」
 「ど、同志スターリン」

 クレムリンの主は書面から顔を上げ、彼の呟きに動揺を見せた者たちの顔を見渡した。

 「同志モロトフ」
 「はい、同志スターリン」

 最も動揺の色を見せた人物はクレムリンの主の眼光を正面から受け止めた。顔色は悪いが汗はかいていない。

 「人民を思いやる貴方の気持ちは解ります。ですが今、連邦は存亡の危機にあるのです」
 「はい、同志スターリン」
 「焦土作戦を行えば数千万の人民が死ぬでしょう。しかし連邦がファシスト勢力に征服されたなら一億以上が死にます」

 詰まるところ戦争とは強盗殺人に他ならない。規模が国家単位になっただけだ。
 世界新秩序だの民族の自治だのと大義名分を並べていても、ドイツ第三帝国の本質が強盗団であることは変わらない。
 現にポーランドの戦いでは、ドイツ国防軍が占領した地域の食糧事情は赤軍の占領地域より遙かに悪かった。
 ドイツ国防軍が戦場付近で容赦なく徴発を行ったために、赤軍占領地域では殆ど出ていない餓死者が千人以上出ている。
 もし義勇兵が、ドイツ人でない軍隊が独自判断で現地民へ物資を配らなければ被害は10倍以上にもなっていただろう。

 文明国の軍隊では最も野蛮と怖れられるソヴィエト赤軍だが、別に好きで蛮行を為している訳ではない。
 自国民もとい自民族以外の生存を認めぬ、脳味噌が中世で立ち腐れた狂人に率いられたゲルマンの蛮族とは違う。
 結果的に蛮行が起きてしまうことが多いだけだ。

 「いかなる犠牲を払ってでも、ファシスト勢力を打倒しなくてはなりません。でなければロシアの大地も人民もゲルマンの蛮族に支配されてしまいます」

 古代から現代に至るまで、軍隊は基本的に現地で食料を調達するものである。
 遠い本国から運んでくることもあるが、それは量的には従であり主ではない。本国からの食糧輸送を主にできるだけの兵站能力というか国力の余裕があれば、そもそも戦争などやる必要がない。
 それだけの国力差を盾に恫喝すれば、要求が理不尽でなければ相手国は素直に従うであろう。理不尽な場合は涙を呑んで従う。余程の理不尽なら条件闘争を試みる。理不尽とかの水準を超えると徹底抗戦となる。

 基本的に軍隊は現地で食料を調達する。故に他国の軍隊に居座られるとただそれだけで大迷惑である。
 特にドイツ第三帝国軍は占拠した地域で容赦ない徴発を行うので怖れられていた。
 戦闘機械(ウォーマシン)として健全に稼働している第三帝国軍は、食料が不足する事態になれば自軍兵士に腹一杯食わせて他国民にはその残りしか与えない。現場の裁量である程度は残していくことが多い赤軍や、逆に自分たちの食い扶持を削って与えてしまうことさえあるどこかの島国の軍隊とは違うのである。

 間違いなく第三帝国は列強中で、国民と兵隊が餓えることに最も恐怖感を持つ国家であった。そもそも第二帝政ドイツが崩壊した理由も第三帝国が誕生した理由も国民と兵士達の飢餓であるのだから当然だが。
 1919年生まれの新生児死亡率60%以上。ドイツ人達の恐怖感を説明するのにこれ以外のデータは必要あるまい。
 早い話が、その年ドイツで生まれた赤ん坊の三人に二人は歩き出す前に死んでしまったのだ。主に貧困と飢餓によって。


 「徹底抗戦しかありません、彼らはタタール人の半分も寛大ではないでしょうから。同志モロトフ、私は間違っていますか?」
 「いいえ、同志スターリン」

 かつてユーラシアの過半を制圧し敵対者に容赦ない破壊と殺戮をもたらしたモンゴル帝国。
 文字通りの根切りまで行った彼らでさえ、恭順する民や役に立つ捕虜は生かしておく度量があった。
 しかしゲルマンの蛮族にそんなものはない。むしろ有能であればあるほど危ない。
 妄想の中で生きている彼らは「有能な異民族」が存在するという現実に耐えられないのだから。


 一度地獄を見た者は、他者を地獄へ突き落とすことで再度同じ地獄に落ちずに済むのなら躊躇わず突き落とす。
 かねてからの仇敵なら大喜びで突き落とす。そしてドイツ第三帝国とソヴィエト・ロシアは不倶戴天の敵なのだ。
 一応の味方であるポーランド人を飢餓に追いやって恥じることのない蛮族の軍勢が、ロシアの民に配慮する訳がない。

 「工場の疎開を急ぎましょう。機械も資源も、運べるものはウラルの東に運んでおかねばなりません」

 悔しい限りだが正面きっての野戦では、ソヴィエト赤軍はドイツ国防軍に勝てない。少なくともポーランドの大地では。
 赤軍が勝てるとしたらポーランドではなくロシア、夏ではなく冬、運動戦ではなく陣地戦でだ。己の得意とする戦場に引きずり込むしかない。

 ならば国境線など放棄して奥へ奥へと引き上げ、阿呆の蛮族を誘引するべきだ。
 ゲルマン主義的不合理によって、ドイツの経済は行き詰まりを見せている。日本からの支援が途切れれば破綻は免れない程に。
 故にドイツ第三帝国は勝利と領土と利権を欲している。勝利し続けない限りドイツは連合国に袋叩きにされるか、日本ないし米国の傀儡となるしかないのだから。

 「同志ベリヤ、ファシストがフィンランド解放戦へ介入するように、ファシスト政権内部へ潜入している同志へ働きかけなさい」
 「はい、同志スターリン」

 勝てないのなら負ければ良い。フィンランド単独ならともかく日独が参戦したなら敗北の言い訳も立つ。
 わざと負けることで仮初めの勝者を地獄へ引きずり込むのだ。
 勝利に驕ったゲルマン人どもは、必ずや二正面作戦を行うだろう。前大戦の愚を繰り返すだろう。
 それが彼らの弱点であり限界なのだ。彼らは妄想の世界の住人なのだから。

 あの脳味噌が中世で立ち腐れた狂人が言うとおりに、いやその何倍もゲルマンの蛮族が優秀だとしてもロシアの大地には敵わない。
 冬将軍に正面から挑んで勝てる者などいないからだ。今まで勝てた者はいないしこれからも出ないだろう、どう考えてもあと百年ぐらいは。


 ロシアを統べる『鋼鉄の男(スターリン)』に最早迷いはなかった。
 革命も無政府状態化も、指導者が暗愚だから起きる。暴君だからではない。
 もしレニングラードがファシスト勢力に押さえられ、物流が滞ったなら人民の方を減らすまでだ。


 十人の人間が冬を越さねばならないのに、物資が五人分しかない。
 このとき五人殺して残り五人に物資を分配するのがロシアを統べる者の仕事だ。
 殺すべき者を殺すべき時に殺せない躊躇いこそが、支配者として最たる愚行なのだ。

 人民の半数を殺してでも秩序を保つ。そうしなければ全員共倒れになるのがロシアの冬なのだから。
 暴君どころか暗君愚君さえいなくなった地獄を、無政府状態化したロシアの冬を生き残った鋼鉄の男はそう確信している。
 どんな暴君であっても居ないよりマシ。
 それが元神学校生徒で強盗犯上がりな、現代のロシア皇帝である男の行動指針だった。




続く。




[39716] その九『雪と老嬢』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:98863f1a
Date: 2021/06/14 12:18






            その九『雪と老嬢』




 1940年1月13日、極東の有色人種国家、大日本帝国はアメリカ合衆国に対し宣戦を布告した。
 後に言う日米戦争の始まりである。

 何故この戦争が起きたのかについては戦争終結から百年以上後になっても論じ続けられている。
 しかしマクロ視点からではなくミクロの視点からみるならば、その前年末に起きた幾つかの武力衝突が直接の原因となるだろう。

 その最も有名かつ影響大であったものが「コバヤシマル事件」と「血の大晦日事件」である。
 前者はフィリピン近海で米海軍の臨検にあった日本船籍の貨客船「小林丸」船内から大量の重火器が発見され、臨検にあたっていた米海兵隊と銃撃戦、そして日米双方の軍艦による海戦にまで発展した事件。
 後者は瀬戸内海の呉軍港付近まで潜入した国籍不明の潜水艦により、大型タンカーを含む四隻の輸送船と東雲・狭霧の駆逐艦二隻が撃沈され、そして戦艦陸奥が小破した事件である。

 ちなみにコバヤシマル事件では米フィリピン艦隊の軽巡洋艦が大破、駆逐艦一隻が沈没。日本側は小林丸が沈没し駆逐艦二隻が中破した。一方陸奥に魚雷を命中させた潜水艦は逃亡を試みたが、佐田岬半島沖で哨戒艇の爆雷攻撃を受け沈没した。

 両国の国民は驚愕し、そして世論は沸騰した。潜水艦の沈没現場から米海軍将兵の遺体や装備品を多数引き上げた日本側はもちろんだが、フィリピンで現地人ゲリラによる小規模武装蜂起が頻発していた原因をついに突き止めた米国側も激しくいきり立った。


 だが、日本海軍の飛行艇で本国へ急遽帰還したフランス人映画監督が公開したフィルムが新たな衝撃をもたらした。米国以外にのみ。
 たまたま小林丸に乗り合わせた映画監督は大きな紙袋に隠したカメラで、米海軍の臨検を撮影していた。そしてカメラは船内の大ホールで起きた惨劇を撮影していたのである。

 武装した厳つい大男の海兵隊員が、乗客の幼い(日本人の中学生は欧州人達には数歳若く見えた)少女をからかい、スカートをめくりあげようとする映像だけでも充分に顰蹙を買う光景だった。これだけでも米軍の高官が記者会見を開き、陳謝しなくてはいけないだろう。
 だがしかしそれだけでは済まなかった。件の海兵隊員は少女の身内らしき青年からの抗議に殴打で応えたのである。
 しかも、その結果素手の、体重半分程度の青年に負けて投げ飛ばされただけでなく、起きあがった海兵隊員は激昴して拳銃を抜き青年を撃ち殺したのだ。

 カメラのフィルムにはパニックを起こして逃げ惑い、あるいは逆に海兵隊員に掴みかかろうとする乗客達と容赦ない銃撃を開始した米海軍側の様子が克明に写されていた。
  
 映像と合わせて、監督を含む生きのこったすべての乗客が「コバヤシマルに兵器などなかった」「海兵隊員は 構わないから皆殺しにしろ、猿の船に乗っている奴はみんな猿だ と言っていた」「彼ら(米海軍)は船倉に入ってすらいない」「欧州人の乗客にも犠牲者が出た、ここではとても言えないような目に遭わされたご婦人もいる」「俺はアメ公を三人殴り倒してやったが四人目に撃たれた。手当てしてくれた日本の軍医には感謝している」などと証言したこともあり、全世界の関心は米国側の申し開きに集中した。


 日本では緊迫する日米関係に体調を崩した近衛文麿首相が退陣を表明。陸軍大臣永田鉄山大将に組閣の大命が下り、第一次永田内閣が発足した。永田首相は米国政府に対し「72時間以内に何らかの返答を望む」と宣告したが、期限ぎりぎりになって出された米国からの返答は

 「一、日本は蒋介石政権を中華唯一の主権団体と認め、それ以外の中華軍閥との接触と支援をとり止めること。 
  一、日本は満州・朝鮮・海南島・台湾島・琉球諸島を含む中華地域から即時に軍事力及び警察力を引き上げること。
  一、日本は国際平和を乱す一方的な軍事同盟(防共協定のこと)を廃止すること。
  一、日本は世界各国へのダンピング輸出を即時とり止め、米国の指導する関税制度を受け入れること。
  一、日本は今回発覚した国際的陰謀の詳細を公表し、謝罪すること。
  一、日本は上記の謝罪と同時に米国へ賠償金五十七億八千万ドルを支払い、本州島以外の全領土を割譲すること。
  一、日本は全ての軍艦と航空機及び発動機付き車輌を廃棄し、以後の陰謀実行能力を取り去ること。
  一、日本は米国内で行われるこの事件の裁判に、現皇帝ヒロヒトを被告として出頭させること。
  一、日本は‥‥(以下略)‥‥。」

 という、主なものだけで8項目になる要求を纏めた外交文書、世に言う「ハル・ノート」であった。
 後にコーデル・ハル元国務長官は「私はこんなもの認めていない」と発言したが、彼の名で出されたからには公式にハル・ノートと呼ばれている。


 第三帝国総統は、この文書を七回読み直したという。
 イタリア王国首相は読んだ後、まだ酒が抜けてないようだとベッドに入ったが、愛人に引きずり出された。 
 クレムリンでは外交官が九人、タイピストが三人、事務官が五人、天気予報士が一人、そして諜報員が一個小隊分シベリアかあるいはもっと寒い場所へ転属した。
 大英帝国首相官邸では、朝一番の報告が平均より4分30秒ほど長くなった。

 同日、米国議会は日本への制裁決議を採決。国内における日本資産の即時凍結及びあらゆる資源と製品の輸出禁止、日系移民を含む日本人の強制的保護(一般的にいう逮捕拘留)を決定した。
 一週間後の1月13日、大日本帝国の議会は全会一致で米国との戦争を採択した。同日の宣戦布告に対し米国側も宣戦を布告。かくして戦争が始まった。




  【1940年1月16日 フランス パリ市 中心地近い市内のとある劇場】



 「で、我が祖国の反応は? 大統領は何と言ったのだ?」
 「さあ?」
 「いや、 さあ? はないだろう、話は聞こえてこないのか」

 不景気だけでなく時刻のせいもあって客の入りもまばらな劇場の貴賓室に、二人の男が座りグラスを傾けていた。
 片方は流行のスーツに身を包んだ、上流階級出と思われる中年男。もう一人はフランス陸軍の軍服に身を包んだ、見上げるほどの大男。それも、ごく普通に周囲から大男と呼ばれる者たちが、なお仰ぎ見なくてはならないほどの桁外れな巨漢である。歳は軍人の方が洒落男より数歳上だろう。

 「祖国(フランス)の政治情勢は複雑怪奇なり、さ。正直な話、もう誰がどの派閥で何を言っているのかさえ分からなくなってきたよ」
 「そんな馬鹿な!」
 「軍は違う ‥‥と言って欲しいところだが、無理だろうな」

 大男は沈黙で答えた。現在のフランス陸軍内で起きている混乱を拡大したものが政府内で起きているとすれば、大統領の近況が分からないというのも納得できる。できてしまう。

 「これは、拙いな」
 「拙いと言うか末期的だね」

 船で喩えるならネズミが逃げるどころか転覆しかけている状況だ。

 「何故、こうなってしまったんだ」
 「ドイツはまがりなりにも纏まったからね」

 対するフランス側は分解寸前だ。
 人口比などでも分かるように、元々フランスの国力はドイツに及ばない。チェコやオーストリアがドイツに併合された後となっては尚更だ。
 前大戦の爪痕も癒えていないフランスは、列強の一角ではあったが過去の力は既になかった。もう少し落ちればイタリアと最下位争いをする羽目になるだろう。下手をすると十年もしないうちにスペインと競争しなくてはならないかもしれない。

 フランスの国力を10とするなら、ドイツは27。英国は23、日本は19、ソヴィエトが17、イタリアが9、スペインが5‥‥とフランスの調査機関は計算していた。無論誤差はあるだろうが、現実的に問題ない範囲に収まる筈だ。

 ここまで大差がついた最大の理由は、国内政治の不安定であろう。
 内閣の面々が、月どころか下手をすれば週や日の単位で入れ替わる政治情勢が何年も続けばまともな行政が行われる訳がない。
 行政が滞れば、当然ながら国力は落ちる。

 「おのれアカどもめ やはり生かしておいたのが間違いだったか」
 「おいおい、民主主義国家の軍人が言っちゃいけないこと言いそうになってるぞ」

 国内世論の統一に成功した他の列強と異なり、フランスの政治状況はグダグダであった。現在も国会では、与党も野党も互いに責任をなすりつけあうばかりである。
 そしてその野次合戦と乱闘、その裏で繰り広げられる陰謀と駆け引きの結果で閣僚や各党の代表や酷いときには与野党の立場自体が入れ替わってしまう。
 これでもまだマシになった方なのだ。数年前では一年間に10回の政権交代が起きたのだから。

 挙国一致体制は無理としても、流石に戦争中ということで最近は政争も落ち着いてきている。ドイツ第三帝国との開戦から半年余り過ぎたが、まだ二回しか首相は交代していない。
 しかしそれは、次の首相を決めることさえできない程に混乱しているだけである可能性が高いのも事実だった。


 「まあ、どのみち選択肢はないがね」

 洒落男はボトルから最後の一杯を大男のグラスへ注ぎ込んだ。

 「飲んでくれ。君の方がよりきつい務めになるだろうからな」
 「物理的にはな。しかし魂への負担は逆な気もするぞ、向こうはアカの巣窟だ」

 もはや祖国に勝利の目はない。政軍ともにぐずぐすのフランスは、ドイツが一度本腰を入れればお終いだ。攻勢が始まれば三ヶ月以内にパリは落とされ、降伏する羽目になるだろう。いかに米国の支援があろうと今からでは間に合わない。
 英国の大陸派遣軍? 不利になったら一目散に逃げ出し、ブリテン島に引き籠もるに決まっている。連中はいつもそうなのだ。


 しかし国家が敗れようともフランス魂は不滅である。二人は敗戦したならば自由政府と軍を結成し、戦い続けるつもりだった。
 その場合どこを頼るかだが、普通なら一択である。米国以外にはない。

 「だが、あの要求はなあ」
 「うん。戦争がしたいのはよく分かるが、他にやりようは無かったのかな」

 強さには、国力は申し分ないが‥‥ここまでやらかす政府をどう信用しろというのだろう。陰謀を企てるのはまだ良いが、やり口が稚拙かつ粗雑に過ぎて不安になってくる。
 彼の国がロシアに接近する戦略的意義は分かるが、なにも外交方針までスターリン式を真似ずとも良かろうに。

 同じ白人だから、キリスト教徒だからホワイトハウスが日本へやったような仕打ちをフランスへはしてこないだろうという意見もあるが、二人はそれに賛同していない。
 イエローモンキーという差別用語は、黄色人種に使うからイエローなのである。白人に使う場合はモンキーかホワイトモンキーだ。人は同じ人種や宗教グループにだって差別を行うのだ。

 実際の話、欧州列強がアフリカを蚕食できた理由は単純だ。地元の黒人系諸部族の不仲と差別意識と、その結果としての抗争に付け込んだからに過ぎない。
 
 只でさえ、この二人はアメリカ政府へ良い印象を抱いていない。合衆国の外交が信用できないからだ。

 前大戦においては同盟国なのに物資を売りつけるだけでろくに血を流さず、ようやく参戦したかとおもえば新種のインフルエンザを蔓延させて人類を滅亡の三歩ほど手前にまで追い込み、その病を「スペイン風邪」などと喧伝して風評を他国へ擦り付けた。
 戦後は戦後でドイツに経済支援するわ、自らが提唱した国際連盟への加入をとり止めるわ、自国経済を野放しにして大恐慌を引き起こすわ、無理矢理な貸し剥がしで世界経済を道連れにするわ、ドイツと手切れしたと思いきや今度はアカと組むわ、とやることなすこと迷惑極まりない。

 そして今回の事件だ。フィリピンやチャイナの麻薬利権などたかがしれている、そんなものより優先する事は幾らでもあるだろう。正直言って、現在のホワイトハウスは常軌を逸している。

 数年間、香港や上海で暮らし現地の華人富裕層と社交を重ねた経歴だけでアジア通だの極東問題の専門家と認められてしまうのが米国社会の実状である。
 チャイナにおける阿片と人身売買の利権を日本帝国に潰された怨みを、デラノ家の人々や華人の女中たちから子守歌代わりに聴かされて育った大統領を筆頭として、合衆国民主党主流派の主張は反日方向へ振り切っていた。


 政府が暴走していても議会や一般国民が冷静ならまだ希望が持てるのだが、上院下院共に日本への制裁決議が圧倒的大差でもって採択されてしまった。
 加えて米国内の新聞など報道メディアは自国側に都合の良い情報を垂れ流すか、あるいは事実無根の記事を書き散らし扇情的に煽りたてるのみだった。どの紙面にも「全ては日本の陰謀で自作自演」という政府広報を疑う意見はない。全く無い。

 いやまあ、ストレス性の胃潰瘍で緊急入院してしまったハル長官あたりなら別の意見もあったのだろうが、面会謝絶中の重症患者に取材を試みる記者は流石にいなかった。もし仮にいたとしても記事にはできなかっただろう。

 外交官や米国内に居住するフランス市民などからも、米国内は狂騒状態にあることや日系はもちろん東洋人とみれば襲撃する暴徒が市街を練り歩き、警察は頻発する襲撃や強盗殺人事件を放置しているという情報が本国まで伝えられている。
 つまり、現在の米国は民主主義国家として有り得ないほどの強力な報道管制が敷かれており、市民レベルからの自浄作用も当分の間期待できない。


 彼の国は勝つだろう。勝てはする筈である。恐らく、常識に従うならば。
 奇跡が十回二十回重なったぐらいでは日米の絶対的国力差はひっくり返らない。
 だが、もしも千回万回の奇跡が積み重なって日本が力を残した状態で講和にこぎ着けてしまったとしたら?

 米国が行った所行に、欧州きってのならず者国家がたじろぐ程の非道に与したフランスへ、日本人達は温かい視線を向けるだろうか? 期待しない方が良さそうだ。

 日本人は良くも悪くも融和的というか自分からは喧嘩を吹っ掛けたがらない民族ではあるが、それはあくまでも相手が人間ならの話だ。
 相手が現世を彷徨う凡人だと知っているから多くを期待せず、小さな善意に感謝する。彼らにとって問題は相互の理解と譲歩によって解決されるべきものなのだ。

 そして相手側がどこまでも利を追求し共存の意思を見せない場合、日本人は限界点を越えた相手を「悪魔」として、対話不可能なモンスターとして扱いだす。
 一度悪魔や悪魔の仲間として断定された相手になら、日本人は情け無用だ。相手は悪魔なのだから。
 相手を悪魔と断じた日本人は極めて好戦的である。黄禍論者の妄想が具現化したような凶悪さを発揮する。

 怖ろしいことに多くの日本人達は自分たちの流儀と感覚を疑っていない。欠片もだ。教育勅語にもあるように、平均的な日本人は正義を世界の何処の人間とでも共有できると信仰しているのだ。
 立場の違いから掲げる御旗は違っていても、求めあるいは避ける利害の食い違いはあっても、人間であるならば正義を求める心は同じだと、彼らは信じている。

 日本人たちは無邪気なまでの純粋さで、人は正義を求めていると信じている。
 自らの正義を疑うことはある。正義を連呼する輩を怪しむ気持ちは諸国民より強いかもしれない。だが彼らは正義そのものの存在を疑っていないのだ。

 正義を求める心があるならば、人は必ず理解し合える。逆に言えば理解しようともしない輩は人間ではなく魔物の類となる。

 この物騒な信条を彼らは他の列強国民も遍く持っていると信仰している。人間であるならそれが普通であり当然だからだ。
 当然ながら日本人は上記の信条を誇示も通達もしない。自分たちがそのような行動原理を持っていると自覚すらしていない。あまりにも当然な、人間である限り必ず持っている感覚であると信仰しているが故に、考えることすらない。


 勝手に期待し勝手に失望し勝手に憎悪する。真に迷惑な存在だが迷惑でない国家など存在する訳もない。

 日本人が忘れっぽいのは、どうしても共存不可能な敵は徹底的に叩いて潰してしまう彼らの戦い方に所以する。どちらかが、あるいは双方が絶滅するか根負けするまで殴り合うからこそ、忘れっぽくなければ凄惨な記憶に押しつぶされてしまう。
 そう自分なりに理解する程度にまでは、大男は日本人たちと付き合いがあった。


 故に、袂を分かつ。二人は祖国が敗れたときは米国と日本のそれぞれを後ろ盾として再起を計るつもりだ。

 米国が勝てば、問題は山積するにしてもなんとかなる。相手とは入植期からの付き合いがあり気心も知れている。
 日本が勝ってしまったときに備えて、彼らが敵視しないフランス政府を作れる種を用意しておかねばならない。
 
 どちらかが成功すれば祖国は復活する。失敗した方には、成功した方が助け船を出せば良い。
 幸いにも二人は日米両国の主流派に強力な伝手を持っていた。それぞれの組織はそれぞれの国内では新興勢力であるが、双方ともに強い指導力を発揮しており余程のことがない限り主導権を失うことは無いだろう。
 

 「では、また会おう」
 「ああ、またな」

 最後の一杯を空にして、洒落男は劇場を出て行った。大男の方は残っている。
 別に舞台の出し物が気に入って最後まで見ていくことにした訳ではない。同じ場所で別の者と待ち合わせているのだ。


 「待たせたね」

 しわがれた女の、いや老婆の声。
 貴賓室の隅にいつの間にか詰め物がたっぷり入った椅子が置かれ、一人の老婆が座っていた。
 
 大男には遠く及ばないが背が高く、奇妙な迫力に満ちたご老体だ。老貴婦人が着るような喪服を纏い、黒いヴェールつきの帽子で顔を隠している。

 「おばばか」

 大男と、名も知らぬ老婆との付き合いはもう三十年近くになる。出会ったときから老婆だが、会う度に少しずつ年老いていくので生身の人間ではあるようだ。
 正確な歳は知らない。名も知らない。初めて会ったときも知人に誘われて入ったこの劇場のこの部屋で、一人になった時にいつの間にか現れた。
 以来、この部屋を利用したときに時折現れ幾らか話をする仲である。いや、話というか‥‥

 「また当たったな。戦争になった」
 「当然さね、あの国はもう限界なのさ。戦をしないと爆発しちまうよ」

 老婆は一月ほど前に、近く日米間の戦争が起きることを予言した。それも日本から宣戦布告が為される事までも。米国以外の諸国がその理由に納得することも。
 名も知らぬ老婆は予言者だった。これまでにも大恐慌の発生やフランス政府が関わった詐欺事件や英国王室の醜聞など様々な事件を予言して、必ず当てている。
 そのうちいくつかは大男にも関係があり、少なくない利益を得たりあるいは危機を逃れたりしていた。
 報酬は求められたことがないし、払ってもいない。彼に予言を告げることに何か理由はあるのだろうが、知る必要もない。

 知る必要はない。老婆の薦めに従って大男が若い頃に作ったコネクションを使い、最近もう一つ売れていない映画監督とその家族を日本へ送り込んだことの是非も、日米開戦に至るまでの事象のうちどこから何処までが誰の思惑で起きたのかなども、彼が知る必要はないのだ。

 
 「ドイツ軍は春に来るよ。四月の終わりか、五月の頭か」
 「ベルギーからか?」
 「他に通路があるのかい?」

 まあ、予想の範囲内ではある。東部で散発的に続いている航空戦は圧倒的に不利な状況だ。そしてポーランド戦役の結果から見て仏独陸軍の戦力差は空以上だろう。
 直接的な戦力なら、頭数や兵器の質でならフランス陸軍もそう悪くない。優ってはいないが、箸にも棒にも引っかからないというほどの差ではない。
 歴とした列強であるフランスの地力は低くないのだ。

 だが組織力が、戦闘機械としての効率が違いすぎる。兵器体系にしてもフランス軍のものは総花的かつ行き当たりばったりで、その奥にある筈の確たる戦略が見えてこない。個々の水準では優秀なものもあるのだが、どこかちぐはぐなのだ。
 ドイツの電撃戦思想や英国の外洋艦隊など、一国の軍隊には必ずある筈の戦略的大枠がフランス軍の装備や組織に反映されていない。もしかしたらそんなものは元からないのかもしれない。

 更に言うなら前大戦終結以降、殆ど実戦を行っていないフランス軍と、スペインやポーランドで修羅場を潜ったドイツ軍では勝負にもならない。まだ外人部隊の方が練度的にはフランス陸軍の一般部隊より上なぐらいだ。

 赤い熊が脅威とならないのなら、第三帝国がフランス侵攻を躊躇う理由はない。

 
 「ふん。俺はやれることをやるだけだ」
 「そうさね、やりたいようにやるといいよ。‥‥ああ、そうだ」

 言いかけて沈黙する老婆に大男は顎を動かして先を促した。

 「フランスは負けるよ」
 「知ってる」

 なんだかんだでドイツ陸軍には綺羅星のごとく名将良将が揃っているが、フランス陸軍上層部に居るのはゴミのような愚物かゴミ未満の老害だらけだ。最高司令官であるガムラン元帥に至っては老人性痴呆症が進みすぎて日常会話もままならなくなっている。
 どこの世界に、参謀本部に務める将官のうち割単位の人数が痴呆症かそれに準ずる状態な軍隊が存在するというのだ。そしてそれらと同等かより多い割合で、普通の医師なら入院が必要と診断するであろう無気力や無責任な症状を表している将官たちがいる。

 実際の話、大男が戦場で隣を任せて大丈夫だと言い切れる将官がほとんど居ない。それ程までに上層部の人材が不足している。前線だけではなく後方も似たようなものだ。前大戦での消耗とその後の政争はフランス陸軍を骨の髄まで腐らせてしまった。
 尉官佐官級の、現場の若い連中はまだマシだが彼らも身に付けた戦術は20年前と全くと言ってよいほど変化していない。
 勇敢かつ果断に突撃することはできるが、それだけだ。

 これで勝てる訳がない。軍隊も結局は役所なのだ、議会の混乱と行政の停滞が年単位で続けば朽ちゆくしかない。

 「あんたがどんなに頑張っても一月持たない。遅くとも六月までにパリが落ちて、ペタン元帥が担ぎ出される」
 「そうか」
 「待ちな、まだ話がある」

 早速部隊に戻って訓練計画の見直しをしよう‥‥と席を離れようとした大男は、腰を降ろして座り直した。
 話がある? こんなことは初めてだ。予言が残っているなら続きがあるとでも言いそうなものだが。

 「フランスは降伏して、その後何年かひどい目にあう。でも致命傷は避けられる」
 「それで?」
 「その後はまずまずだね。『1999年の7月、フランスを統べる大王は諸国の顰蹙を買う。その前と後の半世紀ずつは東方世界に大帝が君臨し、フランスは火星の加護によりなかなかの統治が行われる』 ‥‥あたしの師匠の予言さ」

 この予言の「なかなかの統治」とは古風な言い回しで、現代風に意訳すれば「かつて誰も見たことのない、地上で人が作れるもののうち最高に近い」という意味になる と老婆は言った。教会の権威が強かったその昔は、主と息子と精霊以外への誉め言葉を自制しないと拙かったのだ。

 「火星の加護とは何だ?」
 「軍隊。軍事力。あるいはそれを支える技術や財政」

 言われてみれば当然である。軍事力なくして国家に主権はない。つまり予言どおりならフランスは百年後も列強であるわけだ。それも今と違って名実共に。

 「祖国の未来は明るい、か」
 「違う。あんたが明るくするのさ。あんたや、あの坊やがね」

 老婆は洒落男が残した年代物のワインボトルを指し示した。

 「良い畑に生えた葡萄からじゃないと良いワインにならない。どんなに良い葡萄でも天気の機嫌しだいでクズ酒になっちまう。人も畑もお天気も、他の全てが完全でも酒作りの天使が怠ければ最高のワインにはならない。
 でもね、人は違う。何に産まれるかは選べなくても何になるかは選べることもある。あんたはあんたの成りたいものになると良いさ」

 確か、前にも同じ言葉を同じ声で聞いたことがある。もう何十年も前の、駆け出し士官だった頃に。
 そう、あのときは確か将来について予言を受けたのだった。そして軍での出世が遅れることを予言された。

 「どうした? 今日はえらく饒舌だな、おばば」
 「マリー」
 「ん?」

 あたしの名だよ と呟いて、老婆は席を立ち扉を開けて出ていった。
 いつの間にか現れいつの間にか消えていた今までと違い、椅子もそのまま残っている。

 「おばば?」

 後を追って廊下に出てみたが、居ない。老婆の姿は煙のように消え失せていた。

 「どうかなさいましたか、大佐」

 大男の様子を見て、廊下にいた顔見知りの給仕が寄ってきた。十代前半の、薔薇色の頬をした少年だ。

 「今ここに‥‥ いや、なんでもない」

 喪服の老婦人がいなかったかと少年へ尋ねようとして、止めた。

 探してどうする。好きなときに出てきて好きなように喋り、好きなときに消えて自分の都合次第で出てこない。
 あれはそういうものなのだ。
 おそらくは、もう会うことはあるまい。だから名を教えていったのだ。

 大男が次の戦争で死ぬのかもしれない。老婆の死期が近いのかもしれない。
 どちらかがこの部屋に来れなくなるのかもしれないし、近いうちにこの場所がなくなってしまうのかもしれない。
 人生とは何が起きるのか分からぬものなのだ。
  
 「確か、君はこの劇場に住んでいたな」
 「は、はい。屋根裏部屋の一つを借りています」

 大男は給仕の少年へ、ここを出てアパートで暮らすことを勧めた。もしもこの建物が不慮の事故で無くなるのだとしたら、被害は一人でも少ない方が良い。

 「‥‥でも、その、先立つものが」
 「心配するな、俺が話をつけてやる」

 奇矯な言動に溢れんばかりの行動力。伊達と酔狂と、幾らかの虚栄で支えられた義侠心。元々の評判に加え予言の影響もあって、大男はフランス陸軍の名物男であった。
 気嫌いする者が多いが味方も多い。特に軍民問わず若い者達に評判が良い。大男は彼らにとって英雄なのだ。
 この給仕にとっても例外ではない。何と言っても直接その目で、大男が利を度外視して人々を救う姿を見続けている。

 「ありがとうございます、大佐」
 「気になるなら出世払いで返してくれ」

 支配人に掛け合って費用こっち持ちで少年へ適当な住居を用意させた後、大男は劇場を出た。
真冬の市街には粉雪が舞っていた。ひどく寒い。


 「大佐!」

 外で運転手と何か話していた副官の中尉が、大男に駆け寄ってくる。

 「何事だ騒々しい」
 「それが‥‥例の機材の不具合について理由が判明しました。横流しです」

 大男が指揮する戦車連隊では、試験的に配備された新型重戦車の稼働率が低くまともに動かせないという問題が発生していた。その調査結果について声を潜め報告する副官に大男は

 「何処の何奴だ。整備中隊か?」

 と問うたが、答えは彼の想定よりも悪かった。

 「実行者はそいつらですが、示唆したのはもっと上です。下手をすると司令部が噛んでいるかもしれません」
 「はっ それはそれは、この危急存亡のおりに随分と余裕のあることだな、我が軍は」

 大男は思わず笑ってしまった。愉快さの欠片もない乾いた笑い声だ。
 陰謀の仕掛け人は砲兵派か歩兵派か、それとも当の戦車派からか。
 大男の主張する機動戦術に対する反発は根強い。それも上の方になればなる程。

 もちろん追求はする。再発防止策も立てる。だがある程度までで諦めるしかない。所詮彼は一介の大佐であり独立戦車連隊の連隊長に過ぎないのだ。
 事を起こすには実力も名声も足りなさ過ぎる。今は、まだ。

 「あの、大佐‥‥」
 「まだ早い。貴様らも軽挙は控えろ」
 「はっ」

 心配げな副官に大男は凄味のある笑顔を見せた。現時点での彼の声望は、クーデターを起こすには充分だが成功させるにはとても足りていない。
 やるからには成功しなければならない。どれ程に正当な義挙であっても、政権を確実に握り続けられなければ意味がない。
 祖国を救えない決起など只の自己満足であり無駄の塊である。失敗すると分かり切っている行動を、浪漫主義に任せて断ずるのはアカ被れどもだけで沢山だ。


 「成りたいもの、か」

 なってやるさ、救国の英雄に。解放者に。二十世紀のジャンヌ・ダルクに。
 あるいは運命に敗れジル・ド・レとなるかもしれないが、その時は友が介錯してくれるだろう。あいつもまた、英雄であるこの俺が認めた男の中の男なのだから。

 やってやる、やってやるぞ。そして俺が、俺達がやりとげたとき栄光の祖国は復活する。この雪道に倒れ伏した老嬢のような都市(パリ)も、永遠の都として再生するのだ。

 よし決めた。俺が大統領になった暁には犬の糞まみれの街路を変えてやる。セーヌ川で水泳が出来るようにしてやるんだ。
 いや、まずその前に全ての国民に職と食を、住居と自由を、そして病院と平等を与えるのが先だ。平和はその次で勘弁してもらおう。なにせ、俺達がつくる新しい祖国は火星(軍神)の力で繁栄するのだから。


 舞い散る雪の中を、力強く大男‥‥シャルル・ドゴール大佐は歩んでいく。
 劇場の玄関まで見送りに来ていた給仕の少年は、あんな人のことを英雄と呼ぶに違いない と、その後ろ姿に見惚れるのだった。

 この数日後、劇場は失火が元で焼け落ちる。職場を変える羽目になった彼が自分の英雄と再会するには、それから数年の歳月が必要だった。



続く。
 



[39716] その十『ムッソリーニ統帥の愉悦』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:98863f1a
Date: 2021/06/14 12:17






            その十『ムッソリーニ統帥の愉悦』






 日米開戦から二ヶ月、戦局は大方予想通りに進展していた。



 まず北欧。協定諸国の支援を得て善戦していたフィンランド軍だったが、赤軍のなりふり構わぬ攻勢に押されじりじりと後退中である。
 その凄まじさは超低空飛行した旧式輸送機から落下傘なしで歩兵を降下させるとか、スキーを履かせた兵に持てるだけの食料を持たせて多方面から徒歩侵入させるなどといった狂気の沙汰が赤軍では日常になってしまった程だ。
 「一キロ進むために一個師団が溶ける」とヴォローシロフ元帥は嘆いたが、費用対効果を無視した力圧しは確実にフィンランド軍の体力を削り取っていた。

 日米開戦を受け、日本軍の北進はないと確信したクレムリンは極東軍を更に削減し、浮いた戦力を西へ運んだのだ。
 更に合衆国からの物資が黒海方面から供給されるようになった影響も大きい。
 肝心の指揮系統は回復が遅れているが、これも刑務所から軍隊経験のある政治犯を条件付きで釈放したことにより見通しが明るくなってきた。赤軍は復活しつつあるのだ。

 対するフィンランドだが、協定諸国からの更なる支援を受けつつ奮戦を続け、そして講和を切り出す時期を伺っていた。
 元から勝てる相手ではない。しかし言われるままに領土を渡せば全てを奪われる。だから、守れるものだけでも守り通すために彼らは戦っているのだ。

 どのような形になるにせよ、講和は成るだろう。日米が開戦し独英の停戦交渉が暗礁に乗り上げた今となっては、クレムリンの主が怖れていた協定諸国軍によるレニングラード侵攻は有り得ない。
 夏までに北方を安定させたいソヴィエト・ロシアと国家としての致命傷だけは避けたいフィンランドには、講和すべき理由がある。



 続いて東欧。 こちらはにらみ合いが続いている。
 ロシア領西側と、ポーランド戦のどさくさに紛れて赤軍が制圧した旧バルト三国には延々と続く野戦陣地が築かれている。
 対するドイツ軍側は東プロイセン以外の防衛ライン構築を控えめにしていた。ポーランド及び占領したソヴィエト領土内で機動戦を行う気満々なのだ。敵地への侵攻はその後、という訳だ。
 赤軍の機動力を押さえるために要所要所に防衛拠点を建設し対戦車障害物などの敷設を行っているが、敵と比べれば陣地作りの熱意は低い。それよりもまずは装備の充足と物資の蓄積を急いでいた。

 ルーマニアなど東欧そしてバルカン半島の諸国は次々とドイツ第三帝国と同盟を結んだ。ソヴィエト・ロシアという人食い熊に対抗するには、ナチス・ドイツを後ろ盾にするしかない。フィンランドへの赤軍侵攻が事実上のお咎めなしとなってしまった以上、国際連盟は頼りにならない。
 それに、熊と違って狼ならば、飼い慣らせる可能性がある。当然ながら防共協定にも参加している。

 独伊日などからの援助が目当てではあるが、ソヴィエト・ロシアの下腹を脅かす点で援助を望まれている側にとって無駄な投資ではない。東欧諸国は戦争など望んでいないが、それを信じるかどうかはロシア人達が決めるのだ。
 日独との戦争で連敗し今また小国相手に手こずっている現実が、赤軍への侮りを産んでいる。主要な協定諸国はそれぞれの逼迫度と懐具合に応じて、クレムリンの主を刺激しすぎない程度の支援を新しい参加国へ送っていた。


 独仏国境付近は、デンマークが第三帝国により保障占領された。デンマークとしては中立でいたかったようだが、両陣営から見て放置しておくには地勢と勢力が良すぎたのだ。
 バルト海や北海で頻発した大小の海戦で英仏海軍が痛手を受けたこともあり、北欧とドイツを結ぶ交易路は安定している。ドイツがデンマークに配置した航空戦力の傘がある限り、北海の制海権は英仏のものとは言えない状態が続くだろう。

 既にベルギー・オランダ両国は軍の動員を開始しているが、元から軍が弱体な上相手が精強無比のドイツ軍とあって兵達の士気はなかなか上がらない。それはそうだ、開戦以降負けなしの軍隊と戦うのは誰だって嫌だろう。普通の人間ならば。
 ドイツ空軍対英仏空軍の航空戦は、もはやいかなるプロパガンダをもってしても隠しようがないほどの優劣が見えていた。
 英仏側も4機編制など敵の戦術を取り入れ対抗しようとしているが、あまりの損害に北フランスに展開した航空戦力は活動不能に陥りつつあった。英国自慢の新鋭戦闘機部隊も全滅判定が下され、本国へ帰還している。

 劣勢明かな英仏両国は航空機、特に戦闘機の増産と搭乗員の育成を急いでいるが間に合いそうもない。
 育てるのが間に合わないなら募集するしかないが、飛行免許持ちの傭兵や義勇兵はフィンランド戦線へ行った者が多く、「危険」で「給料や待遇が悪い」上に「開戦理由が碌でもない、大義が疑わしい」という三重苦そろった北フランスの空へ、自発的に来る者はそう多くなかった。



 チャイナ地域では各軍閥の小競り合いと、一強としての地位を固めた南京政権(汪兆銘派)の勢力拡大が続いている。そして米国から重慶を拠点とする国民党軍(蒋介石派)への援助も、インド洋から中立国タイや英領ビルマ経由で今も続いていた。

 ドブに金を流し込んでいるのと大差なかった日米開戦前と違い、最近はこの援助が戦略上大きな意味を持ちつつある。
 チャイナ地域の勢力図変化、そして重慶国民党軍の一部と南京政権が水面下で取り引きを成立させたことにより、重慶からドイツ勢力圏まで航路が繋がったからだ。
 ソヴィエト・ロシア以上に取り引きしやすい大手と販路が繋がった国民党軍は、前にも増して横流しを続けている。

 つまり極端に言えば、新大陸から延々と海を越え山を越えて運ばれた蒋介石派向け援助物資は、重慶で貨物船に積み替えられてまた延々と河を下り海を越え山を越えてベルリンまで運ばれるのだ。物資の代金は南京政府が、つまり日本が金塊や医薬品などで内通した重慶国民党の各軍閥へ支払った。

 代金を肩代わりしてもらったドイツは、バーター取り引きの交換比率を調節したり日本がライセンス生産しているドイツ製兵器のパテント料を値下げするなどして長期間で借りを返していくことになる。

 重慶国民党軍のこの行いは、どうしようもないくらいの裏切り行為だが現地担当者が挙げる再三再四の報告も無視して米国は相変わらず蒋介石派へ援助を続けていた。
 重慶国民党は組織として既に先が見えている。しかしその裏切りは米国にとって致命傷にならない。チャイナを操る傀儡が欲しければまた適当な軍閥を援助漬けにすれば良いのだ、所詮チャイナ戦線に投入した物資など端金に過ぎない。

 どういう訳か極東情勢に関してのみ知能障害を起こす大統領以外の、ホワイトハウスの住人達はそう考えあえて放置していた。日本を殴り倒せばチャイナ利権が丸ごと手に入るのだ、細かいことはその後で構わない、と。

 軍閥には違いないのだが、現在の南京政府は民主主義でも漢民族でもなく汪兆銘個人に忠誠を誓った、現代の清流派とでも呼ぶべき清廉潔白で、そして清流派と異なり本当に清廉で有為有能な青年将校団が集団運営する、極めて特殊な軍閥なのである。
 そのことの実態や意味に気付いている者は、ホワイトハウスにはまだ一人もいなかった。

 

 マンチュリアでは日本軍が赤軍の圧力減少を利用して軍の改変を急いでいる。これは日本軍だけではなく満州国軍や内モンゴル軍も同様に、だ。
 日本式の装備と戦術教本で再編されたこれらの軍隊は、以前とは比べものにならない精鋭部隊となりつつあった。一部の部隊は、こと満州やモンゴルでの戦闘に限れば日本軍の上を行くであろう。

 ソ満国境線付近の要塞線構築と地雷などの敷設埋設作業も24時間体制で進められていた。作業現場の労働者には現地の漢族や朝鮮族や白系ロシア人達以外にも、ポーランド人やユダヤ人など新参の移民達が多く含まれている。
 言葉だけでなく文化や信仰の違いから、数多い新顔を迎え入れた現場にも市街にも摩擦と軋轢が絶えなかったが満州政府の厳しくも公平な統治と、遅配無くたっぷり支払われる日給が不平不満の爆発をどうにかこうにか押さえ込んでいた。


 フィリピンでは、日本軍による軍と軍施設への砲爆撃と機雷封鎖が続いている。米側の戦力、在フィリピン艦隊と航空部隊は連日の戦闘で無力化した。
 フィリピン軍は要塞に立てこもり交戦を続けているが、敵の日本軍は上陸してこないので陸上部隊は活躍のしようがない。

 フィリピン諸島は西太平洋海上交通の要所である。海洋国家である日本はフィリピンの港湾群を利用しなくてはならず、合衆国との戦争となれば真っ先に攻略し占領しようとする筈。
 それが米軍の見通しであったのだが、台湾や海南島の港湾施設が拡大充実されたことや日本商船の性能が大幅に向上したこともあり、フィリピン諸島の戦略価値は日本側にとって激減していた。

 機雷で封鎖されているにも関わらずマニラ市などの都市部にも農村部にも密輸されたと思しき武器弾薬が溢れている。
 大地主の私兵と独立派ゲリラと騒ぎに便乗する強盗団などが跳梁跋扈して、ルソン島の治安は悪化する一方だ。
 なお、米国政府が日本軍によって供給されていると決めつけたこれらの火器類は、その殆どが米国製もしくは米国式規格に合わせて製造されたものである。
 マニラの闇市場では22口径ロングライフル弾を使う小動物狩猟用ライフルや、45口径ACP弾を使う先込め単発式の拳銃が弾薬と共に一山幾らで投げ売りされている。

 何の皮肉か、おまけで付いている45口径弾の実包10発の方が余程製造費ががかかっていそうなこの粗製拳銃‥‥なんと銃身は水道管のぶつ切りだ!‥‥は『リベレーター(解放者)』なる通称で呼ばれていた。


 グアム島やウェーキ島など小島の米軍は日本海軍の急襲を受け、早々と無力化している。ミッドウェイ島やハワイ諸島上空にも時折水上機が現れ、小型爆弾やビラを投下していったが爆撃で大した被害は出ていない。
 むしろ潜水艦による通商破壊戦の方が問題だった。Uボート部隊が英国に与えている被害と比べれば軽いが、それでも既に10万トン以上の商船がハワイ近海と西海岸で沈められている。
 対して米海軍による日本勢力圏内への通商破壊は、マニラ軍港への空襲で備蓄されていた200本以上の潜水艦用魚雷が残らず誘爆したこともあり、目立った成果はまだ上がっていない。


 小規模なものとはいえ自国の拠点が次々と無力化し、一方敵の損害は開戦のきっかけになった事件で与えたもののみ‥‥という状況に焦った米海軍は乾坤一擲の大作戦を計画した。
 米太平洋艦隊の主力である戦艦8隻、空母3隻を中核とした艦隊をフィリピンに送り込み、阻止に出てくるであろう日本海軍と決戦を行うのである。

 扶桑級と伊勢級が退役したとはいえ、新型を含め最大9隻の戦艦を使える日本側に対して旧式艦8隻では分が悪いという意見もあった。
 だが、フィリピン戦で艦砲射撃に当たっている金剛級二隻の砲身命数が、艦隊戦に参加するのは不可能としか考えられない数の対地砲撃が行われたこと。呉沖で被雷した陸奥の損傷が予想外に大きく当分の間出航できないこと。そして新型の高速戦艦である浅間級一番艦が機関部の故障によりこれまた出撃不能になったことが、米海軍に勝機を見させていた。


 これらの情報は、ドイツの反政府と言うよりは反総統な勢力から英国に漏らされ、米国に伝えられた。
 日本帝国は以前と比べて防諜に気を配るようになったが、どういう訳か味方や敵ではないと判断した相手には極端に防御が甘くなることが多かった。
 特に駐独大使である大島大将はその盛大な漏らしっぷりで、英国の諜報関係者から「ベルリンの大穴」と呼ばれるほどだった。

 金剛級は元巡洋戦艦な上に艦齢30年近い老朽艦で俊足以外に取り得のないブリキ装甲、16インチ級主砲を持つ長門級は一隻のみ、謎の新型戦艦常陸級は長門級にそっくりな外見からして大幅な性能向上はない筈。
 こちらにも16インチ砲を持つ戦艦が3隻ある、日本の艦船が英国の模倣品にすぎない点を考えれば最悪でも五分に持ち込める。

 であれば、こちらの残り5隻で金剛級2隻を瞬殺し、むこうの残る3隻を8隻がかりで袋叩きにすれば良い。
 時間が経てば日本海軍の戦艦が次々と修理や整備を終え、あるいは新造された戦艦が訓練を終えて戦線に加わる。
 少なくともあと一年は、時間は日本軍の味方なのだ。今のうちに叩けるだけ叩いておかねばならない。

 8対9では厳しいが、8対5なら勝ち目は充分にある。その判断に傲りは無かった。無い筈だった。





  【1940年3月14日 午後1時 ローマ郊外 とある日本風建築物】



 「そう思うんならそうなんやろな、そいつの頭んなかでは」
 「ですな」

 ローマ郊外に数年前建てられた日本風の建築物。あくまでも日本風であって、日本家屋ではない。ここは訪れた客に日本料理を振る舞う場所、つまり料亭だ。
 その中庭で、二人の男が池の鯉に餌をやっていた。初老の小男と、中年の男。

 二人は従業員でも経営者でもなく、地元の人間で客である。が、馴染みの上客である彼らのために料亭側は出来る限り便宜を図るつもりであった。加えて今日は貸し切りだ。
 二人が池の鯉に餌をやるくらいのことを咎める者はない。

 ちなみに餌へ群がる色とりどりの魚類どもは、出すべき所へ出せば大衆向け乗用車よりも高額で取り引きされる存在だ。同重量の黄金、とまではいかないが純銀より高価である。
 残念なことに食材としての価値は地味な模様の同種に劣っている。単純に、煮ても焼いても食べると不味い。


 「で、どないなった?」
 「戦艦はカリフォルニア、メリーランド、テネシー、アリゾナが。空母はレキシントンとレンジャーが。巡洋艦は重軽合計で7隻が沈みました。駆逐艦は21隻」

 1940年3月11日、南太平洋で日米の海軍による大決戦が行われた。 
 数名ではあるが、イタリア王国の海軍軍人が観戦武官としてこの海戦にも参加していた。もちろん友好国である日本の船に乗って。それ以外にも複数存在する経路を通って、この海戦の情報は欧州まで速やかに伝わった。

 「おうおう、金持ちは違うのう。うちの海軍なら全滅しとるやないか。って、日本海軍はどうなった? 被害は? 何隻沈んだんや」
 「沈んでません。巡洋艦羽黒と那智が被雷により大破、駆逐艦大月以下4隻が砲撃により中破、残りはどれも小破に留まりました」

 日本側呼称でトラック島沖海戦と呼ばれたこの戦いで、日本海軍は完全試合と言って良い勝利を手に入れた。
 不幸にも米太平洋艦隊は歴史上において帝政ロシア第三艦隊と同じ区分けの中に放り込まれることになった。黄色人種の艦隊に袋叩きにされた見かけ倒しの艦隊として。

 「気の毒やなあ、キンメルやったか? その提督」
 「はい。むしろ良くやった方かと」 


 二人は日本海軍の勝利に全く動じていなかった。現在の日本に行った者は大抵そうなる。一度でもあの熱気を肌で感じてしまえば、今の日本と正面からぶつかる気は起きまい。
 この意見に頷く者もいる。現在の日本を知らなくても冷静に両者の戦力を計算すれば、少なくとも米海軍の快勝が有り得ないことは明白だ。奇跡のような幸運が何重にも積み重なって戦術的辛勝、戦略的惜敗が良いところだ。

 元々米太平洋艦隊の戦艦は金剛級と大差ない高齢艦ばかり、いやむしろ長門や常陸級二隻を足して平均し比較すれば連合艦隊より旧式である。更に言えば金剛級なみに小型軽量の艦も少なくない。
 そもそも米海軍には一世紀近く実戦らしい実戦の経験がなく、ルーズベルト政権発足以来訓練費用が削られ続けた結果として練度も危険域にまで下がっている。士官の水準はともかく下士官兵の技量が日本海軍とは天と地ほども違うのだ。

 どのようなスポーツでも職業選手が練習を怠れば覿面に技量は落ちる。一日練習を怠った遅れを取り返すには数日かかるともいう。
 将兵の技量も、訓練の回数と時間が減れば確実に下がる。現政権の発足以来、十年近い時をかけて合衆国海軍の技量は下がり続けていた。
 野球でもなんでも良い、とある職業スポーツ団が数年間に渡り公式試合から内部練習まで、全ての活動を数分の一に減らしてしまった状態を想像してみて欲しい。それがこの時期の合衆国海軍だった。
 僅か8年、されど8年。歪な予算配分は本来強大であるはずの米海軍を骨抜きにしてしまった。外洋海軍を育てるには大国が世紀単位の時間を費やさねばならないが、台無しにするには数年で充分である。


 箱物優先で進められた軍拡により、合衆国の造船施設や火砲の製造設備は強化されている。しかし人員や武器弾薬は足りていない。
 設備投資に金銭や資材を使いすぎたのだ。弾薬庫は立派になったが中身を充足する前に戦争が始まった。
 戦争機材の生産も蓄積も全く足りていない。弾薬どころか水兵の服や見張り員の双眼鏡まで不足気味である。
 辛うじて比較になるのは兵達の士気ぐらいのものだ。現時点では色々な意味で米国海軍は日本海軍に及ばない。

 そして、これだけの戦力差がありながら正面から何の策もなしに突貫していったことから考えて、指揮官や参謀の能力にも高い評価は与えようがない。前線の将兵に負担を押し付けた司令部の面々は特に。
 政府のごり押しでまともな作戦立案は不可能だった? 馬鹿馬鹿しい。そこをなんとか政治家や官僚を宥めてより正気を保った作戦案を通させるのが高級幹部の仕事ではないか。

 英国の某新聞には 小柄な年寄りの素人選手ばかり集めたアメリカのフットボールチームが、大柄で若い精鋭が主力な日本のフットボールチームに惨敗して「はて? 俺(彼)は何で勝てると思ってたんだろう?」と両チームの監督が首を捻っている ‥‥という風刺画が載ったほどだ。


 しかし常に実体験者の数は媒体越しの情報しか持たない者より少ない。そして碌に情報を探さず集めず読みも分析もせず、脳内にあらかじめ用意してある結論をわめき立てる輩は、前者二つの合計よりも多いのだ。
 勝てると信じた戦いに敗れた軍と将を、米国市民は決して許さないだろう。陣頭指揮を取り戦死したキンメル提督はまだしも、その家族には辛い生活が続くことになる。

 「まったく、アカの戯言やマフィアの賄賂に引っかかるからや。バカやのう」
 「巨人は愚かなものと決まっとります。でないとこっちは何もできまへん」

 それはそうだ。もしも米国の統治機構がその国力に匹敵するほど賢明であり、建国以来一分の隙もなく国家を運営していたならば今頃は全世界どころか月の裏側まで星条旗が翻っているだろう。


 数日後の話となるが戦場からの離脱に成功した戦艦4隻も損傷が激しく、結局真珠湾のドックへ入れた戦艦はネバダのみ。
 彼女は同じく大破した空母サラトガと共に療養に専念することになる。オクラホマ以下3隻は帰還不可能と判断され味方駆逐艦により雷撃処分された。

 米国がこの一戦で失った大型艦は総計で戦艦7、艦隊空母2、巡洋艦9隻。これに駆逐艦、潜水艦、輸送艦や小艦艇も含めれば喪失は50万トン近くになる。
 死者・行方不明者は海軍だけで1万6千とんで5名。未曾有の大被害だ。
 後方に控えていた輸送艦隊は海戦の結果を見て引き返したので、陸兵達は無事ハワイへ帰還できたのがせめてもの慰めだろう。


 普通の国なら、いや列強であっても継戦が危ぶまれる数字である。日本海軍の中にも、これで手打ちとなると考えた者は少なからずいた。

 米国の世論はかつてない敗北に爆発した。宇宙の果てまで爆発した。
 連邦政府は「海軍は奮闘した、敵にも高速戦艦ヒラヌマとタカサゴ2隻を始め多大な損害を与えた」と発表したが、敗北に憤る人々を鎮めるには及ばなかった。

 米国の大学からは学生の姿が消えた。祖国の危機に若者達は挙って軍に志願したのである。
 高校以下の学校からも多数の生徒が消えたが、その殆どは担当の軍人や現地の保安官などに諭されて教室に帰ってきた。
 女学生達は軍に志願こそしなかったものの、少なくない人数が軍の応援団を結成して兵士達にエールを送り、そうでない多くの女学生は社会奉仕活動へ積極的に参加した。

 もちろん志願者は学生層だけではない。老若関係なく多数の市民が軍に集まり、そしてその多くが軍や軍需工場へに組み込まれていった。
 政府の財政窓口には個人団体を問わず寄付金が殺到し、各地で市民が自警団を結成して銃後の守りを固めた。固められるついでで踏み潰される者も出たが、他の時代や他の国家で潰されたものたちと同じく、そのうめき声が踏み潰した側の耳に届くことはなかった。

 米国は目覚めた。一発殴られたら二十発も三十発も殴り返すのが彼らの流儀なのだ。たとえ彼らの方から殴りつけたのだとしても、彼らの方からぶつかったのだとしても、彼らの方から相手に近寄ったのだとしても。


 「それにして平沼と高砂はないやろ、もそっと雅な偽名は思いつかんかったんかい」
 「せめて飛騨と高千穂にして欲しかったですな」

 米国人の諧謔はつまらないというのが民族ジョークの定番だが、今回ばかりはその意見に賛同できる二人だった。



 「詰まらんと言えば、あの言い訳もつまらんかったのう」
 「国務長官が入院してしまいよりましたからな。怪しいにも程があります」

 この言い訳とは、日米開戦の引き金となった、いわゆる「ハル・ノート」のことである。

 列強各国の首脳部を(一名を除いて)そろって絶句させた前代未聞の外交要求文書は、合衆国内では偽造文書ということになっていた。
 入院中のコーデル・ハル国務長官も、「私はこのような恥知らずな文章など関わった憶えはない」と断言している‥‥と合衆国の報道機関は言っている。
 これは事実である。戦後明らかになったように、コーデル・ハル氏は実際には「ハル・ノート」制作に関わっていないからだ。名前は勝手に使われて、しかもそれが歴史上で定着してしまったが。

 日本側は文書の写真まで公開しており、ドイツなど防共協定諸国は「これは確かに合衆国の文書でありハル氏の筆跡だ」と日本側を支持しているが、そういった情報は合衆国のマスメディアには無視されていた。


 「なあ、もしかしたらあれ、ホワイトハウスがあとで出したのが本物とちゃうんか? あの馬鹿どもが偽の外交文書書いて、本物とすり替えて野村はんに渡したんやないのか?」
 「否定しきれませんなあ。あの文書と排日論者の主張は、文脈やら思想やらがえろう似とりますさかい」

 この推測は間違っている。日米戦争終結後に解ったことだが、コーデル・ハル氏は二種類のハル・ノートのどちらにも関与していない。彼が野村大使に渡した筈の文書は、もっと穏当な内容だったのだ。

 もともとハル国務長官は、40年初頭の時期に日本と正面から戦うことには反対していた。あと2年、せめて1年半、いや一年だけでも準備に当てないと犠牲が大きすぎる。
 日本との開戦は急ぐ必要がない。というのがハル長官の持論だった。急ぐべきなのはドイツ対策だ。

 39年年末あたりに何かを仕掛けて、40年の初春あたりにドイツ第三帝国へ宣戦布告する。それだけでも合衆国経済は救われるし、欧州の統一も防げる。日本との戦いは海軍戦力に余裕ができてからでも遅くない。
 故に、ハル長官は日米の戦争を遅らせることに腐心していた。結局は失敗したがそれは彼の責任ではない。上司と、同僚の殆どと、部下のほぼ全員に結託されていてはいかに彼でもどうにもならない。


 短剣と外套の本場であるイタリア王国の諜報部は、幾つかの偶然に助けられつつも成果を出していた。合衆国の行政機関が共産主義勢力やその影響下にある他の組織に浸透され、半ば以上乗っ取られているという実状に迫りつつあるのだ。
 その下部組織の中には病的なほどに熱烈な排日論者集団も含まれる。というよりも過半数はそっち系だ。
  
 現在の合衆国行政への末期的な浸透具合からすれば、ハル国務長官の渡した文書をすり替えることも、ある一点さえ解決すれば不可能ではない。
 なにせ、当代の合衆国大統領は特定条件下で知能障害を起こしてしまうのだから。


 ちなみに、合衆国国務省が野村大使に手渡したと主張する真ハル・ノート(自称)は

 「一、日本は蒋介石政権を中華唯一の主権団体と認め、他の軍閥と外交を行わないこと。
  一、日本は占領した中華地域から撤退すること。
  一、日本は欧州の戦争に対し中立の立場に立つこと。
  一、日本は一連の武力衝突の真相を究明すべく、合衆国と合同の調査隊を編制すること。
  一、日米両国は、上記の調査により発見した犯罪人をそれぞれの祖国に引き渡すこと。
  一、(以下略)
  なお、これはあくまでも試案であり決定案ではない」

 という、これはこれで戦争になりかねないしろものだが、末尾に付いた「あくまでも試案」という一文が外交的ブラフだと言い張れる要素を残してある。

 「ただ、これだけ重要な文書を手渡すさいにコーデルはんが中身を確認せんちゅうのは有り得まへんわ」
 「そうか無理か」
 「いえ、国務長官や大使以外の両国外交員が結託しとれば充分できます」

 コーデル・ハル国務長官が彼らの知るコーデル氏である以上は、あのような文章を渡す訳がない。
 いかに戦争開始前の合衆国経済が危機にあったとしても、挑発するにしても無茶が過ぎる。コーデル・ハルの手腕ならもっと気の利いた、品のある実質的宣戦布告文書になる筈だった。


 だがしかし、両国の外交官が手を組んでいて、二種類作った外交文書の片方をそれぞれが廃棄してしまえば証拠隠滅完了だ。
 双方の政府は相手を「嘘つきの卑劣漢」として糾弾できる。
 ただ、これは互いの政府間にあった薄い信頼を完全に破壊する行為である。
 戦争になれば出番が増える軍部なら、予算や出世のために戦争を望む馬鹿がいないとも限らないが外交官がそこまでするだろうか? 
 開戦は即ち外交の失敗なのだ。普通ならば。 

 「何処ぞの推理小説でもあるまいし、その方がよっぽど無理やないか。第一、それをやって誰が得をするんや?」
 「大勢が。現にアメリカは戦争景気で大忙しやないですか」

 戦争とは盛大な消費行動である。合衆国の造船所では既に艦船の大量生産が始まっており、今回の損失を埋めるためにその勢いは更に加速している。
 手早く作れる駆逐艦や護衛空母には既に進水したものもある。大型艦だけでも戦艦18隻、艦隊空母30隻が発注され建造が急がれていた。商船に至っては数えるのも面倒くさい程だ。
 もちろん船だけでは戦争はできない。重爆撃機から便所紙にいたるまで北米地域では工場という工場が生産に明け暮れ、工場だけではなく映画などの娯楽産業も景気の向上を受けて活気づいてきた。

 確かに、戦争が起きて大勢が得をした。景気は急激に回復し、国民の意思は統一された。
 もしこの戦争が陰謀によって引き起こされたのだとしても、合衆国国民のうち純粋に被害者だと言えるのは戦死した将兵とその身内ぐらいだろう。今の所は。

 合衆国は解る。景気回復のために起こす戦争の口実が要るからだ。
 では日本は何の為に戦争を欲した? なぜ他国の外交官や官僚と結託してまで戦争の口実を作る必要があった?


 真相はどうあれ、真実と関わりなく戦争は起こった。そして今も続いている。
 もはや合衆国の国民は、この戦争が早急に終わるとは考えていない。少なくとも今年のクリスマスまでには終わらないだろう。

 日本国民には少なくない数で早期決着を望む者がいるだろうが、やがて理解するだろう。
 彼らの海軍が打ちのめしたリバイアサン(海魔)たちは、ただの露払いであることを。

 「しかし、デラノの爺の尻に火が付きよったのはええが、問題はうちの方へのとばっちりや」
 「米国の工場が本気で動き始めれば、我が国の輸出に翳りが出かねません」

 現在、イタリアは未曾有の好景気だ。農作物も工業製品も戦争景気で売れ行き好調である。投資された資金が順調に回りだして好況が次の好況を呼んでいる。
 イタリア政府の大規模公共投資や産業育成、そして汚職の追放や役所の合理化運動、民間の犯罪組織追放と治安強化が上手く噛み合わさった結果である。

 列車が時刻表どうりに来る、賄賂を払わなくとも町役場で待たされない、生ごみが決められた日の朝に残さず回収される。そういった諸事諸々が人々の生活を快適にした。
 より安全に、より幸せに、より豊かに。日々の糧と娯楽があれば市民は暴れたりなどしないし、未来に希望があれば喜んで働くのだ。

 当代の首相は近年稀にみる、いや今世紀きっての名政治家として称えられ、その人気はとどまるところを知らなかった。

 リビアで有望な油田が見つかり外貨で石油を買う必要がなくなったこともあり、イタリア軍は機械化が進んだ上に訓練が行き届いた結果かなり強力になった。
 なので内政や外交だけでなく軍事面の評価も悪くない。まあ、娘婿の忠告を聞いてアルバニア問題を穏便に解決したことも大きいが。

 新生イタリア軍は決して弱くない。しかしスペイン内戦での消耗は決して軽くない。
 祖国の防衛や地中海での海戦ならそれなり以上に戦えるが、ドイツや日本の真似事をするにはまだまだ実力不足だ。

 内政は絶賛もの、対外戦争でもまずまず無難にこなしたこともあって現政権‥‥というかその首班の人気は高い。
 冗談抜きで、首相が街を歩けば女学生の黄色い悲鳴が上がり書店では写真集が飛ぶように売れている程だ。
 どこぞの国と違い、宣伝のための省庁まで作って国民に個人崇拝や神格化などを押し付けてはいないのに、である。


 しかしここで本気を出した米国製品が欧州に流れ込めば、イタリアの儲け口が削られてしまう。ドイツとその傘下だけが顧客では厳しすぎる。まだまだイタリアの工業化は遅れていて、遅れを取り戻すにはまだまだ時間が必要なのだ。

 「やっと石油が回り始めた所なんや、イタリアが潤うには時間がかかるでぇ」
 「電力事業が順調なんは助かりますな。ドイツや東欧がアルミを幾らでも買うてくれますわ」

 飛行機から電線まで用途の広いアルミ材は、電力が足りない国や幾ら発電所を増設しても需要に追い付かない国へ良く売れていた。このなかには英国も含まれている。
 無論レートは他の国々より悪いが、英国としては背に腹は変えられない。いくら米国の支援があっても、ブリテン島に備蓄された資源資材は減る一方なのだから。  

 「ウィンストンが日本と繋ぎを付けたがっとるさかいな、紹介料代わりに食料品の買い入れでも増やさせよか」
 「あそこも内情火の車やし、支払い大丈夫ですかいな?」
 「払えんのなら金鉱でもなんでも担保にさせたるわ」 

 米国の、あまりの負けっぷりに一抹の不安を感じた英国は日本と米国の停戦仲介も視野に入れている。彼らの主敵はドイツなのだ、米国が日本にかまけるあまり欧州への派兵が遅れて、英国が致命傷を負ったあとでナチを打倒されたのでは意味がない。

 「さあ、これで状況が動くで。わしらの値をつり上げるなら今や」
 「ほどほど、ほどほどが肝心です。欲かきすぎても恨まれますさかい」
 「わしを誰やと思うとる。カエル喰い共とは違うわい」

 日和見をいつまでもはできない。ならば最高の時期に最高の間合いで勝者にすり寄る。それがイタリア王国の隆盛に繋がるはずだ。


 防共の志は同じでも、イタリア王国にドイツや日本と心中する義理はない。もちろん英米とも。仏と露? 彼らが首を吊るときに、楽に逝かせるため足を引っ張るぐらいならしてやっても良いだろう。
 全ての他国は自国の礎。スラブやゲルマンやサクソンの蛮族が洞窟で生肉囓っていた頃から謀略と外交の中で生きてきた地中海人の末裔達は、全てを祖国のために利用する気満々であった。

 もちろんそこには自分自身も含まれている。必要とあれば自らも犠牲にする者が、他人を犠牲にすることを躊躇う訳がない。

 「友達は大事にせんとあきまへん」
 「おう、いずれ裏切るためにな」

 数年前の訪日で強化した人脈を使えば、偏屈で知られる当代の英国首相が納得する程度の成果は上げられるはずだった。
 幸いにも現在のイタリアは経済でも文化でも日本と深い繋がりがある。その親密さは第三帝国総統も羨む程だ。

 「アドルフの奴、わしがミカドから刀貰うたの本気で羨ましがっとるさかいな」
 「あまり見せびらかすと可哀想ですよ」
 「どこがや、あいつ権力乱用してドイツ中から集めた値打ちもんの刀、死蔵しとるんやで。わしなんか涙飲んで秘蔵の兼光手放したんやぞ。日本に帰すんが無理ならせめて博物館にでも入れんかい」

 切っ掛けがチャイナ贔屓が多いドイツ国防軍への嫌がらせだったとはいえ、対日政策の大転換からの外交の戦果で今の経済や戦況がある以上、ナチス党としてもその教義には一時目を瞑って日本との軋轢を避け友好を深めなければならない。
 著者個人にとって、もはや黒歴史と化した『我が闘争』初期版の回収や、幕末から明治初期にかけて日本から流出した美術品骨董品の帰郷運動など第三帝国政府も色々と手を打っていた。
 ケルン市で夏に開かれる日本式の花火大会やベルリン・フィルの定期遠征など遅まきながら文化交流も進められている。

 が、例外というか当初の目的とずれてしまった事もある。
 数年前のことだが、日本通のハウスホーファー博士から「日本精神を理解するには日本の武術を学ぶとよろしいでしょう」と勧められた総統閣下は剣術を選んだ。
 選んだ理由は「五十を過ぎた身でも使うことができ、健康や体調の維持に役立ち、万一の時に護身できる」と同じく日本通のカナーリス提督に勧められたからだ。そしてどういう訳か彼には剣術の適正と才能があった。

 後はまあ、なまじ権力がある剣術数寄がたどる定番コースである。刀剣収集マニアと成り果てた総統閣下はレコード鑑賞の回数が減り、その分刀の手入れが日課に加わった。
 日本皇室贔屓な刀剣マニアが、皇室御用鍛冶師が打ち上げた刀を自慢されればそれは羨むだろう。


 「まさかアッティラの末裔に納豆勧められる日がくるとはのう。世も末や」
 「我が軍の将兵にも好評ですよ、納豆カプセル剤は」

 第三帝国総統の日本趣味は美術品骨董品から文芸や食文化にまで連鎖した。そして日本製携帯食料の便利性や機能性食品の効能、なかでも納豆の栄養価に注目して周囲や軍や友好国首脳陣にまで勧めまくったが、日本人でも苦手な者が少なくない食材が欧州で広まる訳もない。
 結局は栄養剤の主原料とすることで双方が妥協した。燻煙や真空乾燥で乾燥処理した納豆粉末をその他有効成分・ビタミン剤などと共にカプセルへ詰め込んだ栄養剤は、軍や病院での臨床結果も良好で支給された前線の兵達からも「元気が出る」と好評だった。
 更なる増産と協定諸国への輸出も進められているのだが、味覚的な賛同者が得られなかった第三帝国の最高権力者は今日も不満げに、一人地下室で手作りの納豆を食べている。


 ナチス勢力が宣伝放送で繰り返す「アーリア人の純血性」など、典型的イタリア男たちにとっては寝言以下の妄言であった。時折「お前らはフン族の子孫やろが」と突っ込みたくなるが、それは流石に可哀想なのでしない。

 そもそも社会ダーウィニズムなど根本が矛盾しているではないか。この世の基本法則が弱肉強食で適者生存ならば、劣等民族などとうの昔に滅び去っている筈だ。
 今まで生きのこっていること自体が強者の証拠である。弱く愚かに見えるとしたらそれは見方がおかしいのだ。
 所詮この世に民族の優劣など有り得ない。優れた個人と劣った個人が、知者と愚者が、勇者と腰抜けが、良い女とそうでもない女がいるだけだ。



 「お客様、支度が整いました」
 「おう。今いくで」

 中庭に現れた女将‥‥伊日混血の元女優が二人を呼んだ。本人の調理技術はともかく両国の味と文化への理解が深く、人の使い方に長けているという点で選ばれた女主人だ。店主として有能なことはこの料亭の繁盛具合で解っている。 


 「麺料理の王様はスパゲッティ・マルゲリータやけど、ここの蕎麦はそれに次ぐで」
 「悪いけど僕はそれ、賛成できません。一番はオリーブオイルと塩だけで食う『絶望のパスタ』です」
 「何言うとんねん自分、『絶望のパスタ』名乗ってええのは塩だけのパスタや、油は入れたらいかんやろ」



 第40代イタリア王国首相にして初代統帥、ベニート・アミルカレ・アンドレア・ムッソリーニ。
 その娘婿ガレアッツォ・チャーノ伯爵。

 彼らはあらゆる意味でイタリア人だった。その身体の何処を切ってもイタリア的要素しか出てこないだろう。
 彼らは人生を、旨い食い物と美味い酒を、歌と踊りと芸術を、良い女と恋を、何よりも家族と故郷を愛していた。 
 彼らが祖国より優先するのは家族であり身内であり故郷だ。祖国はそれらを内包しているから、そう簡単には切り離せないからこそ尊い。


 彼らは真にイタリア的な愛国者たちだった。祖国が彼らとその家族と故郷を裏切らない限りにおいて。 



続く。




[39716] その十一『カップ一杯の温もりを』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:8bf7f0f1
Date: 2021/06/14 12:16






               その十一『カップ一杯の温もりを』




  【1940年6月4日、フィンランド ヘルシンキ市郊外】



 陽光降り注ぐ田園の農道脇で、一台のトラックが停まっていた。
 日本製の統制型2トン積みトラック。外見は貧相で馬力は貧弱だが、量産性と整備性と故障知らずの頑丈さが取り得な機械だ。
 見た目はともかく戦場では頼りになる良い機械である。車体がとことん軽いので屈強な若者が5人もいれば溝にタイヤを落とした程度なら直ぐに復帰できるのも取り得の一つだ。
 軽量化のために本来は骸骨のようながらんどうの姿をしているのだが、現地で改修されたこの車輌はブリキ板や幌で車体と荷台を被われていて、多少はマシな外見になっていた。

 前線からの帰還者だろうか兵隊らしき若い男女が数人、トラックの周りにたむろしている。うち三人ほどはジャッキで車体を持ち上げ、タイヤの交換作業を行っていた。
 彼らの乗ったトラックは何か尖った物を踏んだらしくパンクしてしまったのだ。強化繊維入りの日本製タイヤは比較的パンクしにくいのだが、やはり限界はある。


 トラックのまわりにいる若者達の一人は、修理に参加せず見物もしていなかった。私物らしきライフル銃を担いだその若い男は停車したトラックの横で携帯コンロに火を入れ湯を沸かしている。
 コンロは墜落した敵軍飛行機の外板を男が加工して作った物で、燃料のパラフィン塊は支給品の余りだ。

 蓮華草の季節はとうに終わっている。
 道ばたや空き地で咲き乱れる見慣れた草花の中に、見慣れぬ花も幾つか混じっていた。あれもトラックや、彼が担いでいる有坂ライフルと同じく極東の島国から来たものに違いあるまい。

 あの花々もトラックや愛銃と同じく好ましいものだと良いのだがと思いつつ、男は傍らの背嚢から樹脂を染み込ませた紙コップのような容器を取りだした。同じく紙製の蓋を外し、紙と金属箔を樹脂で挟んだ中蓋を取り、湧いたお湯を中身に注ぐ。
 あとは蓋をして3分待てば熱々スープ料理のできあがり。

 この携帯食品は、支援物資の一つとして義勇兵と共に北極圏を挟んだお隣から送られてきたものだ。手軽でそこそこ腹に溜まりまずまず食える味の軍用糧食として北欧一帯に広まりつつある。その気になれば湯が無くても食える点もありがたい。
 同時に提供された食料の中には、妙に脂気が抜けた肉缶詰・やたら水分の少ない軍用ビスケット・種抜きの塩漬け杏・豆と海草ゼリーを砂糖で煮詰めた甘味棒・木材チップより硬い燻製魚肉など北欧の食習慣から見ると首を傾げたくなる物も多かったが、何分にもユーラシア大陸の反対側から送られてきた代物である。変なのはお互い様だ。
 臆面もなく「我らこそ世界の中心であり標準。お前らは黙って従え!」などと主張できる夜郎自大さなど持たないフィンランド人たちは大して気にしていなかった。


 飯時とは微妙にずれているのだが、小腹を空かしているのか男の傍に寄ってくる者もいる。

 「鶏ガラソイソース味しかないぞ」

 しかし、男が同じ味の即席ヌードルが詰まった背嚢の口を開けて見せると、寄ってきた連中は苦笑して離れていく。この味はこの国の民の大部分にとって馴染みがなく、辛口カレー味に次いで人気がないのだ。
 故に軍の補給所でも余り気味であり、故郷に帰る兵達は望めば持てるだけ持っていくことができた。
 ちなみに一番人気は海鮮塩コーン味である。人気が高い味のものから順番に消えていくので、運かコネがないとお土産にはできない。
 男は「これはこれで美味いと思うんだがな」と呟きつつ、木製のフォークを取りだしてヌードルを軽くかき混ぜすくい上げる。

 冬場はバターや粉チーズなどの追加熱量食品を入れて食べていた即席麺も、夏の今は湯だけ入れて食べた方が美味い。
 味覚や必要カロリーの面だけでなく温度を保つという意味でも、冬場に即席食品へバターを入れることは正解だ。
 極地近くの冬は漫画のような現象が起きる程に寒い。冗談抜きで、魔法瓶からカップに注いだばかりの紅茶がみるみるうちに凍り付いていくことすらある。しかしたっぷりと油脂をいれておけば保温性が良くなり、即席糧食が冷える前に食べきることができる。
 

 男が軽食後のココアを飲み終わる頃に修理は終わり、トラックは男女を乗せてまた走り始めた。


 北国の夏は短いが暑くて熱い。一日当たりの昼間が長いのだ。
 短い月日に降り注ぐ陽光は海と大地を温め、草木は精一杯の勢いで生え繁り、森ではヤブ蚊が大発生する。
 祖国防衛のためにばらまいた地雷の撤去が進んでいないこともあり、夏の森へ入ろうとするものは少ない。もう何ヶ月かすれば地雷の自壊装置が働き、信管が腐って無害化する筈なのだが所詮は工業製品。必ず外れのロットが存在する。信管が生きたままの不良品が千に一つでも万に一つでも危険なことに変わりはない。

 彼らが愛する祖国の森は、戦場となったカレリアなど南部地域ではことごとく地雷や罠で埋め尽くされている。
 もっとも、それらの大半は模擬爆弾や偽物とすら呼びがたい虚仮威しのガラクタだ。彼らが森や野原にばらまいた地雷のような物体の多くは、空き缶詰や燃料缶にそれらしく細工しただけのしろものなのだ。
 ただし、全てが偽物ではない。中には本物が混じっていることもある。偽物の下に本物を埋めたり、偽物を掘り出すと鋼線が引っぱられて隣の本物に付いた信管が作動するよう仕掛けられたものもある。

 そして何処に何が埋められたか、仕掛けられたのかはもう誰にも解らない。
 罠の多くは戦争直前や最中に突貫で仕掛けたものなので設置状況の記録は、一応はしてあるが完璧には程遠い。
 記録があっても戦闘中になくしたり取り違えられている可能性が高い。
 人間の記憶ほど頼りにならないものはなく、また仕掛けた本人が戦死してしまっている場合もある。
 赤軍側も遊んでいる訳ではなく、掘り出した地雷を再設置したりもしている。

 結局、危険物が無いと分かり切っている場所だけを通るのが一番安全ということになる。無いと確認するためには地面や森を遠くから棒で突っついたり機関銃弾を撃ち込んだり特殊な耕耘機で耕したりする必要があった。
 現に地雷の信管が腐るまで待っていられない箇所ではそうやって安全区域を切り開いている。


 地雷(本物の方)の提供者である日本軍もとい義勇部隊は、改造戦車などの地雷処理用の車輌や機器を置いていってくれたが数が足りない。
 現地やスウェーデンの工場で危険作業用へ改造するはずだった日本製軽戦車の殆どは、フィンランド政府の決定で防共協定諸国へ引き渡されてしまった。
 惜しい気はするがやむを得ない。協定諸国軍‥‥特に主力であるドイツ国防軍が敗れ東欧中欧が赤く染ったとき、北欧地域だけが無事に済む訳がない。

 タイプ95もタイプ98も良い戦車だった。特にタイプ98は火力と装甲で赤軍軽戦車と比べ優位であり、機動力もBT系以外なら優っていた。
 何よりもどの戦車も信頼性が高く、扱いやすく手入れが簡単で雪の中でもよく動いた。
 良い戦車だからこそアカとの戦争が終わったところに留まるよりは、これから戦争になりそうなところへ送られるべきなのだ。この世に前線での実戦よりも危険な作業など殆ど存在しないのだから。


 森と湖沼の大地に延々と続いていた砲声は、今はない。
 何万もの死者が出た。負傷者はそれ以上だ。物資でも資金面でも損耗が激しく、設備や建築物にも大きな被害が出た。
 恥知らずなアカの外相が嘯いた「パン籠」により都市という都市に火の手が上がり、一時は首都ヘルシンキの手前まで共産主義者の軍隊が迫った。
 だが、人々の顔は明るい。彼らの故郷は守られたからだ。


 先月末、5月30日をもって「冬戦争」は、開始から約半年でソヴィエト・ロシアとフィンランドの戦争は終結した。
 蘇フィン両国の国境線は数キロメートル北上し、非武装地帯が設定され双方の軍は新たな国境線から5キロメートル以内には近づかないことが講和条約に明記された。
 確かに僅かとはいえ領土は削られ、雀の涙の賠償金も支払わされた。だが実質的にはフィンランド側の勝利と言って良い。彼らは祖国の防衛に成功したのだから。

 一方ソヴィエト・ロシアはと言えば、致命傷だけは避けられたといったところか。瓦礫の山となったがレニングラードの占領は防げたし、外交上最低限の体裁を守って戦争を終えることが出来たからだ。北欧では。

 東欧では睨み合いが続いただけだった。ドイツ第三帝国軍が隙を見せれば、クレムリンはその背中を蹴り付ける気満々だったが結局好機は訪れなかった。むしろ予想以上に粘るフィンランド軍に手を焼いた赤軍の方が、隙を見せないように苦労する羽目になった。

 極東では小競り合いから武力衝突に、武力衝突から紛争になり、再度ウラジオストックが日本軍の爆撃と艦砲射撃を受け、こちらの戦いは痛み分けで終わった。
 ソヴィエト極東軍の被害は大きい。しかし日本軍も戦艦陸奥が浮遊機雷に接触し中破、空母雲竜が同じく浮遊機雷により大破。巡洋艦鈴谷と駆逐艦三隻が赤軍潜水艦部隊との戦闘で沈没するなど無傷では済まなかった。
 実際の話、開戦以来日本海軍が受けた艦艇の被害は合衆国陸海軍によるものよりもソヴィエト赤軍によるものの方が多い。今大戦で菊の紋章が付いた軍艦が沈んだのは日本海のみであって、太平洋ではまだ一隻も沈んでいない。

 赤軍太平洋艦隊の戦法は、「大量の時限自爆装置付きの浮遊機雷を戦闘海域にばらまく」とか「保有する全潜水艦を一度に出撃させる」といった、海軍の常識を作戦室の窓から投げ捨てたような代物だった。
 それだけに効果はあった。奇襲とは、行う側から見ても意表を突いているからこそ奇襲なのだ。
 赤軍側の戦法は自軍の海軍戦力が敵と比べて大きく劣ってるからこそできる策だった。早い話、ソヴィエト太平洋艦隊には連合艦隊とまともに殴り合える水上戦力がなく、長時間維持できる潜水艦根拠地もないが故にそうせざるを得なかったのだ。

 そして、赤軍の気迫と運と日本軍の油断によって奇襲は成功した。引き替えに赤軍太平洋艦隊は壊滅したが、一矢報いた。
 偶然の要素があったとしても、図に当たれば、そして一度成功したからといって考えなしに繰り返したりしなければ奇襲作戦は有効なのだ。運が悪かったり二匹目三匹目の泥鰌を狙い続けたりすると目も当てられないことになるが。

 停止命令が届かず進軍を続けていた満州国軍の某連隊が関東軍の航空隊により誤爆され連隊長以下百名を超える死者を出し、指揮系統が崩壊した状態で赤軍の逆襲を受け壊滅。その場を逃げ延びた少数の者達も程なく包囲され降伏するなど、完全試合に近かったノモンハンと違い陸でも日本側の失態が目立った戦いだった。

 結局極東の戦いでは国境線は一ミリも動かず、賠償金もなく、日蘇双方が「遺憾の意」を示して終わりである。
 ウラジオストックの復旧が更に遅れ、シベリア経由でのアメリカ合衆国からの援助が当分の間不可能になった事を考えれば、ソヴィエト・ロシアが損してドイツが得した事になるだろう。
 


 西欧では、誰にとっても想定外の早さで連合国軍は敗退した。
 仕掛けたドイツ側を含め、誰もが驚愕しあるいは懐疑する速度で事態は進展し、終局した。

 5月2日、第三帝国は『黄』作戦を発動、西部方面で全面攻勢を仕掛けた。
 対する連合国側はひとまず防戦に務め、攻勢のどこが本命なのかを見極めようとした。

 オランダ・ベルギー両国軍とそこに配置された英仏の部隊は、ドイツ軍が短時間のうちに大兵力を集結してオランダ・ベルギーの低地地帯を貫通する「シュリーフェン計画」を狙っていると主張し英仏本軍の後詰めを求めた。
 諜報活動の結果、ドイツ軍の狙いは要塞線が途切れるアルデンヌの森を突破して連合軍の側背を狙う「マンシュタイン計画」であると確信した英国軍とフランス陸軍の一部はフランス北東部での機動防御戦を主張。
 対立する両者をバリの総司令部は抑えきれず、フランス陸軍の主力はカレー付近に留まり様子見に移った。


 結論から言えば、ドイツ軍の本命は文字通りの全面であった。

 低地地帯ではエバンエマール要塞が攻撃開始から一時間余りで無力化し、装備・錬度・士気・戦術全てで圧倒的に優るドイツ陸軍は圧倒的に進撃を続けた。兵員の総数では優っていた連合軍は空と海からの攻撃で分断され、数の面でも劣勢のまま各個に戦わなくてはならなかった。
 連日の空中戦により連合国側の航空戦力は壊滅状態。4月半ばの海戦で戦艦5隻が沈み、加えて5月1日に空母フューリアスとイーグルがUボートの雷撃で沈められ開戦以来の主力艦喪失が二桁に達した英国海軍の動きは消極的で、勢いに乗るドイツ海軍の動きを止めることはできなかった。

 なお、ドイツ軍全面攻勢に応じて出撃したフランス海軍の戦艦ダンケルクとブルゴーニュはドイツ空軍の誇る急降下爆撃隊に袋叩きにされ、北海に沈んだ。この二隻は「航行中に航空機の攻撃だけで沈んだ初めての戦艦」として記録に残った。


 アルデンヌの森を突破したドイツ軍機甲部隊はフランス北東部に侵入、待ち構えていた英仏軍と機動戦に入る。
 しかし制空権が無く、なによりも指揮系統の効率と錬度と耐久性で決定的な劣位にある英仏軍は次々と各個撃破されていった。戦争機械としての組織力が違いすぎるのだ。
 偵察機や側車つき自動二輪までが無線機を搭載し、後方の司令部がリアルタイムで全軍の戦況を把握し的確に指示できるドイツ軍と、総司令官が伝書鳩で指令を(文字通り)飛ばしていたフランス軍では、勝負になる訳もなかった。
 後世の感覚では信じがたい事実だが、40年5月時点でフランス陸軍は無線機を正式採用していない。その通信手段は電信と伝令が主であった。

 英国の大陸派遣軍は情報収集と分析と意思決定能力でフランス陸軍よりは優っている。しかしドイツ軍の機動力に付いていけない点ではかわりなく勝負に負け続けた。
 元より大英帝国は海軍国であり、英国陸軍は決して弱くないが最強には程遠い。世界ランカーではあっても、史上最強を謳われるチャンピオンから王座を奪える実力はないのだ。

 ドゴール少将率いる精鋭部隊が二度に渡りドイツ側機甲師団を撃破するなど一部の部隊は奮戦していたが大勢は変わらず、負け戦に付き合いきれなくなった英国軍のある部隊が勝手に後退し始めたことを切っ掛けに、連合軍側は総崩れとなった。


 それよりも少し前、連合国軍の注意が北に集まったのを確認したドイツ南方軍はアルザス・ロレーヌ地域に猛攻をかけた。
 この日のために充足した鉄量を、爆撃機・爆撃飛行船の爆撃と野戦重砲・列車砲・自走臼砲の砲撃をこれでもかとばかりに両地域のマジノ線へぶつけ、こじ開けた隙間を機甲部隊が強行突破したのだ。
 難攻不落の筈だったマジノ線要塞群はこうして突破され、しかもその穴は塞がれなかった。ドイツ陸軍は東部方面の備蓄を遅らせてまで火力の維持に努め、フランスに送り込んだ部隊への補給を絶やさなかった。

 その努力は報われた。ドイツ南方軍は5月11日未明の攻撃開始から一週間で国境からロンシャン、メヌ、ナンシー、そしてショーモンを抜いたのである。
 敵地の整備された陸路がドイツ軍を助けた。フランスの街々を繋ぐ舗装路を、フランスに点在するガソリンスタンドから強制的に買い上げた燃料で腹を満たした戦車とトラックの群れが駆けぬけた。

 マジノ線は所詮、前大戦の教訓から造られた存在でしかなかった。フランス陸軍に充分な予備兵力と、敵のものと比べてそう見劣りしない司令部がある前提で造られていたのだ。
 その前提が崩れた以上、期待されていた程の効果を発揮することはできなかった。
 フランス側に纏まった航空戦力があれば、敵軍の侵攻を阻止または遅延できただろう。しかしそんなものは何処にも存在しなかった。
 開戦以来、英仏軍の航空戦力は削られ続けており、5月2日未明に始まった西方への大攻勢により組織的抵抗はもはや不可能だった。

 カレーに追いつめられた40万の連合軍将兵が降伏した5月23日には、トロワを突破したホート将軍直率の機甲師団がパリ近郊に迫っていた。かき集めた予備兵力による最後の防衛線を蹴散らされ、包囲されたパリが降伏するのはその三日後となる。

 かくしてフランスは敗れた。
 未だ降伏を認めない一部の部隊は逃亡や抵抗を続けているが、ドイツ軍に一つ一つ丁寧に潰されている。全土の制圧も遠くないだろう。


 「これで戦争が終わる、と良いんだがなあ」

 男はトラックの荷台で揺られながら、誰にともなく呟く。
 フランス政府は降伏、英国も大陸派遣軍の殆どを失った。兵器や物資は工場でまた作ればよいが人間はそうもいかない。特に高度な教育と訓練を受けた人間は。

 まあ、高度な教育と訓練を受けているのに勝手に部隊を引き上げ始めて戦線崩壊の引き金を引き、しかも撤収自体に失敗して指揮下の師団を壊滅させておいて、自分だけはちゃっかり逃げ延びた某将軍閣下のような人物も居たりするが。
 どこぞの旧植民地と違い、誇り高き大英帝国民の殆どは本人がやらかしたことの責任を妻子や親兄弟に押し付けたりはしなかったが、モンゴメリー家の人々の心労が途方もないものになったことは確かであった。

 そういった細々としたことも、義勇軍が置いていったラジオで聴くことができた。日独伊仏英蘭蘇といった国々の宣伝放送を聞き比べていけば、それぞれのニュースの何処までが本当で何処からが誇張や嘘っぱちなのか朧気ながら理解できる。

 普通に考えれば戦争はここらでお終いなのだが‥‥もしもあの話が本当ならば続くかもしれない。顔見知りの義勇兵、今はもう極東の祖国へ帰り着いたであろう戦友の話が本当なら。


 そのときは、男は義勇兵として援助してくれた国々に行っても良いと思っている。祖国が安全である限りだが。
 彼らもそれぞれの思惑があって義勇兵や援助物資を送ってきたのだろう。しかし、借りは借りだ。返さないと気分が悪い。
 それに、協定諸国の全ての国がそうではないが、その中核となる国々は羽振りがよい。この国で戦った傭兵や義勇兵たちと同じ扱いをしてもらえるなら、留守にする間も家族が生活に困らない程度の仕送りができる筈だった。


 「どうなるのかしら、これから」

 同じ荷台で揺られている女が、空を見上げて呟く。

 「どうなるもこうなるも、俺達は出来ることをするだけさ」
 「それはそうだけど、そうじゃなくて」

 女と、その恋人らしき男の話し声を聞きながら、男は海を眺める。その方向にあるのは、ヘルシンキ市の近海に浮かぶ組み立て式浮きドックと、そこで解体作業中の旧式戦艦だ。
 旧日本海軍海防艦、富士。老艦ながら日本からの義勇艦隊で二番目に大きい戦闘艦であり、レニングラードへの艦砲射撃に成功した殊勲艦でもある。残念ながら老朽化と損傷が激しく、日本への回航や欧州で今後の戦いに参加することは無意味と判断され、解体されることになった。
 もちろん解体するにしても、艦砲などそのまま使える機材は再利用するのだ。



 女の不安も解る。完全にではなくある程度察することができるだけだが。
 祖国は、彼らがスオミと呼ぶ森林と湖沼の国は、元通りには戻らない。軍隊だけに限っても、火砲や車輌や航空機は言うまでもなく鼻紙や毛布までが見覚えのない外国製品で溢れかえっている。
 例外は有坂のライフルと6.5ミリ小銃弾ぐらいだ。これは彼らが物心つく前からあった。一次大戦当時のフィンランドはロシア帝国の一部であり、そしてロシア帝国は日本と共闘関係だったのだ。

 ドイツと戦っていた前大戦中もだが、その後の内乱中にも日本から銃と弾薬が大量に送られている。日本帝国は大のアカ嫌いだったし、ロシアの内戦が長引くことは日本へ利する事だったからだ。
 男にとって第一の戦友であるこの銃も、その時期に送られてきたものの一丁という訳だ。

 近年に防共協定が結ばれてからも、北欧へ大量の38式小銃とその弾薬が運ばれている。日本陸軍は装備の更新を進めており、有坂小銃は後継品に取って代わられつつあるのだ。
 各種の統制型トラックや二輪車だけでも何千何万。この国だけでなく北欧各国にこのトラックや同じ規格で作られた車輌が溢れているし、各地の都市に整備工場や組み立て工場が造られていた。隣国スウェーデンには一から全てを作れる製造工場まで建設中だ。

 ドイツ国防軍の勝利は、1割か2割程度はこのトラックやその親類の功績だろう。故障知らずで使いやすく燃費の良い輸送車輌がふんだんに使えなければ電撃作戦はもっと不完全な効果しか発揮しなかった筈だ。無論、燃料の供給も。
 日本の協力により欧州の各地に造られたガソリン精製施設がなければ、電撃戦に必要な量の燃料は得られなかった。

 彼らが昨日まで聴いていたラジオ放送も日本製やドイツや米国のものも含めて、大量の放送設備がこの土地に流れ込んできたから流れていたし聴けたのだ。受信機だけが幾らあっても電波が流されなければ意味はない。
 ちなみにこの統制型トラックに受信機は付いておらず、故郷へ帰る兵達は手作りの鉱石ラジオを使っていた。無電源の鉱石ラジオなので音量の増幅はできず、なのでこのときの彼らは昼間の走行中に放送を聴くことはできない。


 物資と共に、技術や文化も流れ込んできた。それとは逆に一部とはいえ、この国から極東へ流れていった物や者もある。日本生まれの看護婦と結婚して帰化移住してしまった若者も、男が直接知ってるだけで二人いる。
 彼ら彼女ら、いや極々一部を除いたフィンランド人たちは知らぬ事だがヘルシンキ市沖の旧式戦艦がユーラシア大陸の反対側まで運ばれ、戦い、そして解体されること自体が日本人とその海軍にとって大きな意味を持っていた。

 旧体制との、それまでの世界観との決別と未知への前進である。
 日本帝国の軍民に取り日露戦争は既に伝説であった。ロシアとの戦いに備えて国民から寄付を募り、それでも足りず明治帝が宮廷歳費を切りつめてまで捻出した費用で作られた戦艦「富士」を異国で切り捌くということは、それだけの決意がなくてはできない。
 連合艦隊の新しい旗艦や、その次に旗艦を継ぐであろう更なる新鋭戦艦の名前が何処の地名であり、維新前に誰がそこを治めていたのかを知れば、歴史上の意味を知ったならばより理解が進む筈だ。
 日々刻々と変わっていくのだ、何もかもが。

 
 「なるようになるさ」

 口の中で呟いて、男は目を閉じた。
 これからもこの国は変わる。もう二度と元には戻らない。世界は常に流動しているのだから。
 大昔はライフル銃などなかった。更に大昔は鉄すらなかった。常に世界は動いていて、先祖達は悩んだり迷ったりしながらこの地で生きてきた。
 ならば子孫もそうなるだろう。この地で産まれ、生きて、そして死ぬ。

 戦うこともある。必要があれば。
  



     ・・・・・



  【同日 ドイツ第三帝国 グロス・ベルリン 総統親衛隊本部】


 
 合成樹脂で加工した紙コップ容器に熱い湯が注がれ、蓋が閉じられる。後は三分待てば肉と野菜の煮込み(シチュー)のできあがりだ。
 具はキャベツやジャガイモやタマネギなどのフリーズドライ野菜に加え、同じくフリーズドライ処理したクジラベーコンや大豆タンパクの塊がたっぷりと入っている。


 「毎度ながら待ち遠しいな、この三分間は」
 「はい、中尉」
 「三分間。実に微妙な時間じゃないか。弾雨降りしきる戦場では永遠にも等しく、平穏な場所で詩作に耽るには短すぎる!」
 「彼の民族は17文字で詩を作りますので、これで充分なのではないかと」

 薄明るい食堂にいるのは二人の人物。食卓の席に着いた、まだ若い小太りの親衛隊員の前には銀のトレーが置かれ、その上にドイツ製紙コップに入ったドイツ産の保存食が乗っている。
 親衛隊員の斜め後ろに立つ白衣を着た初老の男はこの保存食の開発者であり今回の給仕だ。

 「しかし、シチューだけというのは寂しいな」
 「そう仰られると思いまして、パンと菓子を用意しております」

 白衣の男はそう言って背後からトレーを差し出した。その上には緑がかったバターの塊と小ぶりなドイツパン、そして真緑のゼリー状菓子が二つの皿に乗っていた。間違いなく、食後のコーヒーも用意してあるだろう。

 「流石だな博士(ドク)、良く解っている。しかし良いのか?」 
 「夕食のカロリーからこの分を減らしますのでご安心下さい」

 昨今の進歩著しい栄養学は第三帝国内にも浸透しつつある。健啖家である上に運動不足気味なこの中尉は毎日の食事にカロリー計算が求められる身だった。
 本人は「世界に美味しいものが溢れているのがいけない、私は無罪だ」と常々主張している。

 「いや、その、それはせめて夕食の時まで黙っていて欲しかったな。待つ楽しみが損なわれるじゃないか」
 「子供のようなことを仰らないでください」

 ふん と鼻を鳴らし、親衛隊中尉は固めのドイツパンに薄緑のバターを塗りつけ、食いついた。欧州式の、パンは手で千切ってから小さい方を口に運ぶというテーブルマナーから見れば反則行為である。

 「お行儀が悪いですよ」
 「余所ではやらん。偶には許せ」

 口の中にものが残っているのに喋るという更なるマナー違反を犯しながら、肥満体の中尉は固めのパンをかみ砕き呑み込む。

 「美味いな。山葵はやはり日本産に限る。養殖か?」
 「はっ、長野の三年ものです」

 決して主流派ではないが、欧州でも山葵のような揮発系の辛みは口にされ料理にも使われている。いわゆるホースラディッシュなどだ。そして日本産の天然及び養殖山葵は、カスピ海産のキャビアや北イタリア産の天然キノコなどと同じく今や航空便で運ばれる貴重品だ。
 勝ち戦が続く国の首都が不景気な訳はなく、ベルリンでは官民問わず連日連夜の祝宴が開かれていた。その中には日本人が招かれていたり主催しているものもあり、大ベルリン市の住人が日本料理や日本の食材に接する機会は西方戦役開始以前よりも格段に増えている。

 日本料理は素晴らしい。少なくともその一部は称賛に値する。
 しかし良い仕事をしているモノを見ると、それを越えたくなるのがドイツ魂である。アリタの焼き物を見て錬金術師達をかき集めたとある王のように。

 そんな訳で、この少々皮下脂肪の厚すぎる中尉は被支援者であり一番の理解者でもある博士に「日本のカップ麺に負けないものを作れ」と命じたのだった。
 食は文化の指標である。少なくとも中尉はそう信じている。気取った貴族やその真似をしたがるブルジョワどものお遊戯である高級料理ならともかく、実用の極みである軍用食で世界に冠たるドイツが負ける訳にはいかない。
 中尉の前に置かれている紙コップの中身は何回目かの試験にかけられている試作品だ。

 日本人達は信義に厚く、第三帝国に対して友好的だ。少し前までと違って、今の政権は誠実ですらある。
 しかし所詮は他国である。自国以外は全て敵、それが国家というものだ。顕在化しているか潜在化したままか、違いはそれだけだ。

 大日本帝国は得難い盟友だ。彼らの助力で数多くのドイツ人が救われた。この親衛隊中尉にしても彼らのちょっとした助言がなければ何年も前に死んでいた筈だし、そうなれば博士は理解者を得ることなく今も大学の隅で燻っているだろう。
 しかし、だからといって第三帝国が彼らの意のままに動かされる訳にはいかない。
 最低でも、「意のままに動かされている」と他国に思われてはならない。そう思われては舐められる。ヤクザ者と主権国家は舐められたらお終いなのだ。


 湯を注いでから十分ほどが過ぎた。千切って浸したパンと共に即席シチューを最後の一滴まで飲み干してから、白いナプキンを首にかけた中尉はデザートに取りかかる。
 果実の搾り滓などから作った食物繊維粉末を練り込んだゼリー状の菓子である。これもまた軍用を目指して開発されたものだ。
 ゼリー菓子をつつきながら、肥満気味の中尉は即席シチューを論評した。

 「味はまあ、及第点だ。軍用糧食としては悪くない、努力の跡が伺える。その他の問題は解決できるか?」
 「はっ。保存料にアスコルビン酸を使いましたので、一年間は常温で保存できます。輸送用容器のコストも圧縮紙を採用して低減致しました。あとは材料が安定供給できるか否かです」
 「材料か。他はともかく、肉類は厳しいな」

 戦時だけに人手不足が深刻だが、それでもドイツ国内の農業生産は数年前から拡大し続けている。合成肥料や新式農薬の潤沢な供給、画期的な新品種の種苗やこれまでにない作物の導入、自治体から各農家へ安価な価格で貸し出されるトラクターなどの農業機械、そしてそれらを使いこなす進んだ農法。
 現場指導に当たる総統直属の農業指導員、通称「緑の大隊」は現場に多少の混乱をもたらしながらもその混乱による損失の数十倍もの成果を上げ続けていた。

 結果として投入当初あった不満や不安の声は三ヶ月で半減し、その後も三ヶ月ごとに半減していった。第三帝国の、1938年度における食糧自給率は九割を越えている。
 緑の大隊の広告塔的存在であるシュロスインゼル大尉は、現在の第三帝国で最も「婿に欲しい」と賞される青年の一人であった。

 しかしそれでも、戦争中の第三帝国は全国津々浦々に肉とバターを行き渡らせることができていない。品目によるが平均三割ほどの食物が魚肉の練り物やマーガリンなどの代用品で占められている。


 「クジラ肉はノルウェーを突っつけば漁獲量を上げられる筈だ。代わりに燃料か何かを供給してやらねばならんが、祖国の石油備蓄に余裕があった例はない」

 実際の話、今現在でも第三帝国は燃料不足に悩んでいた。技術の進歩により一昔前とは比べものにならないほど収支的に改善されたが、それでも各種の合成石油や木メタノールなどの代用燃料は天然石油と比べて調達量や費用に問題が残っている。
 ルーマニアやリビアの油田から手に入る原油は、将来はともかく現時点では需要に対し少なすぎる。

 燃料事情を改善すべくドイツ国内では可燃ゴミを燃やして発電する火力発電所など新事業も行っているが、第三帝国の発展と拡大にそんなもので追い付く訳もない。
 火力発電所の余熱を利用した都市暖房や、その更に各家庭での暖房余熱を利用した熱電対式の発電器で街路の照明を灯すなど様々な努力を行っているが、足りないものは足りないのだ。

 「ならば他のもので便宜を図られますか?」
 「ああ。やらずぶったくりという手もあるが、ヴァイキングどもに我々が金欠だと思われるのも癪だ」
 
 一介の中尉風情が天下国家を語る図は、第三帝国の内情を知らない人間から見れば失笑ものだろう。
 だが総統官邸に出入りする人々、政府の要人や軍の高官たちにはこの中尉は良く知られているし、その大言壮語を嗤う者はいない。

 「ところでこの菓子には、馴染みのない甘味料が使ってあるようだが」
 「はい。キシリトールという、樹木から取れる天然甘味料です」
 「ふむ。味は悪くないが、どうせこれも問題があるのだろう?」

 戦争になると市井から砂糖が消える。医療的にも産業的にも軍事行為は砂糖を大量に消費するからだ。キシリトールとやらが特に問題がない甘味料であれば、今頃はサッカリンなどのように量産され市場に出回っている筈だ。

 「はっ。キシリトールは少量ならば問題有りませんが、摂取量が限界を超えますと下剤として働きます。また人間には無毒ですが犬など数種類の家畜に対して投与した場合、昏倒したり場合によって死亡する例もあります」
 「軍用としては使い物にならんな」

 戦場では色々な事が起きる。時と場合によっては、何日もこのゼリー状菓子だけを食べて戦わなくてはいけない事もあるかもしれない。
 食べなければ戦えないし、1個や2個では必要とするカロリーは得られない。しかし下痢腹を抱えて戦闘など御免被る。

 「実験の結果から、前線に送るには不適切と判定されました。残念ですが砂糖に代わる甘味料は未だ手に入りません」
 「人間がブドウ糖を燃やして動いている以上は難しいな、それは」 

 人体が糖分を必要とする以上、砂糖の効果を代行する物質は糖分の一種であることになり、当然ながら砂糖と似たような性質を持つ。甘味のみを追求すれば、その代用品にはカロリー源としての効果や薬効は期待できない。
 砂糖には薬効がある。砂糖は糖分の塊であり素早く人体に吸収され栄養になるため、カロリー摂取に消化酵素の助けを必要とせず消化器にも負担を掛けない。
 結果、体力の消耗が抑えられ余裕ができ、人体が怪我や病気から快復する助けになる。疲れたときに甘いものが良いとされるのはそのためだ。 
 もちろん全ての薬は毒であり、毒は時として薬になる。多すぎる砂糖は毒でしかない。

 「おお、何かと思えばこの前見た映画に似たような命題があったな」
 「機械を人間に近づければ近づくほど人間的な過ちを犯すようになり、人間を機械に近づければ近づくほど融通が利かなくなる。ですか」
 「それだ。あれは良い映画だったなあ、脳天気でそのくせ哲学的で」

 二人が話題にしている映画は、つい先日封切られた日本産の娯楽映画である。中世日本を舞台に、大盗賊と侍と鉄砲撃ちが忍者や妖術使いたちが守る埋蔵金を奪い、持ち運ぼうとする活劇モノだ。何故かロボットも出てくるが。


 戦時中の社会は娯楽を欲しがる。実社会が戦争色に満ちているからこそ虚構の世界に脳天気で痛快な、あるいは暢気でおめでたい物語が必要なのだ。
 日本から送られて来た映画などの娯楽作品は、開戦以来英米仏露の作品が品薄となって生じた需要の隙間を埋めて足る量と質を持っている。

 ナチス党が自発的に行った旧版『我が闘争』回収騒ぎから、まださほどの時間は経っていない。
 ドイツではまだまだ人種的文化的な偏見が多かったが、カナーリス提督ら知日派の運動もあって宣伝省の審査に合格した作品のみ、日本製映画などが第三帝国内で上映されていた。
 なお、公序良俗に云々などといった理由で合格しなかった作品の一部も、政府高官やその身内の間でひっそりと鑑賞されていたりする。


 菓子の次はコーヒーの試飲だ。戦争中であるため輸入量自体は減っているが、南米や東南アジア産のコーヒー豆は今も日本経由でドイツまで届いていた。


 「ふむ、フリーズドライではないようだな」
 「いいえ。フリーズドライ方式で濃縮した抽出液を、乾燥しきらない状態で缶詰にいたしました」

 ほう、と呟いた中尉はゆっくりとコーヒーを味わう。挽きたての豆からいれたものには到底及ばないが、泥水のような還元粉末コーヒーや泥水の方がまだマシな代用コーヒーよりは飲みやすい。
 泥水は「これは泥水だ」と飲んで納得できる。しかし代用コーヒーは「これはコーヒーの代わりだ」と思うことを強制されて飲まねばならない。それでは嗜好品の意味がない。故に泥水の方がまだ救いがある。

 「速やかに量産体制に移れ、兵達が喜ぶ。冬までには帝国の全将兵がこれを飲めるようにしてやりたい」

 親衛隊は「全ての人に好かれようと思うな」を標語として掲げる組織であるが、進んで全てのドイツ人に嫌われたい訳ではない。
 ときには自分たちの価値判断に従って、善意と正義感で行動することもある。第三帝国の食糧事情改善について親衛隊は少なくない成果を上げており、その方面においても発言力は拡大し続けていた。

 前線の将兵からは、他の事はさておいて「軍用パンが美味くなった」ことなどを評価する声も多い。ただし評価と好意の高低は必ずしも一致しないのだが。
 オガクズや腐った馬鈴薯などを練りこんだ黒パンに石油や石炭から合成したマーガリンを塗る、かつての食生活に戻りたいと思うドイツ人は皆無である。だが同時に親衛隊のいない、かつてのドイツに戻りたいと望む人々は大勢いる。
 自らはドイツの全軍に美味いパンを供給する体制を作れなかったにも関わらず、成果のみを親衛隊から奪うことができると、そしてその後も維持できると夢想する者たちも少なくない。 


 「戦争は続きますか」
 「続くとも。双方ともに出資者はやる気だ」

 偶にはラジオのニュースぐらい聴きたまえ、などというような無駄なことを中尉は言わない。モグラは空を飛ばぬのだ。

 今日の昼に流れた臨時ニュースだけでも聞いていれば、軍の休日が遠のいたことは子供でも解る。フランスはともかく、英国はまだやる気だ。
 全知能を興味の対象方向へ向けているからこそ、この被支援者は常人の到底及ばぬ勢いで働けるし、実績を積み上げ続けていられる。程度の差こそあれ、学者とは皆そういう生き物である。

 オランダとベルギーは踏み潰され、フランスは倒れ、英国は疲労しきっている。だが連合国+ソヴィエト・ロシアのスポンサーであるアメリカ合衆国は元気一杯だ。
 そしてドイツ及び防共協定諸国のスポンサーである大日本帝国もやる気充分。

 そもそも、ドイツ経済は破綻が見えている。
 奇跡の経済成長は軍需に頼った不自然なものであり、導火線に火の付いた爆弾のようなものだ。いつかは必ず爆発する。現金(かね)が社会を回らなくなったらそこでおしまい。
 だからいずれは戦争を仕掛けるしかない。金銭を借りた相手に喧嘩を売り、勝って借金を踏み倒す。負かした相手から現金をふんだくる。それしかない。そうすれば爆弾の導火線を伸ばすことが出来る。

 もしもアカの軍勢が去年の夏にポーランドへ攻め込まなければ、今頃は第三帝国の方がポーランド攻めを準備し始めていたかもしれない。
 前大戦直後や大恐慌期に比べればまだマシだが、第三帝国の経済状況は楽ではないのだ。
 軍備を抑えれば四方八方から襲われて食い殺され、かといって祖国防衛に必要な軍備を整えれば維持費に耐えられず破産するのがこの国の置かれた地勢状況である。

 餓死も餌食も嫌だから押し込み強盗でも強請り集りでも何でもする。それが悪しきこの世界の伝統だ。
 古来独逸の、いや欧州地域の「善き統治者」とは即ち「有能な強盗団の頭目」であった。それは未来においてもかなり長い時期まで変わらないであろう。
 実も蓋もないことを言ってしまえば戦争とは国家規模の殺人強盗である。国家とは基より体裁の良い野盗団に過ぎぬのだ。

 戦争が外交の一種である以上、国家の外交とは直接的でない大規模強盗殺人に他ならぬ。その手で直接殺すか、餓死に追い込むかの差にすぎない。
 フランスを始めとする連合国は約二十年間外交による殺人強盗を繰り返してドイツを苦しめてきたが、今次大戦で第三帝国は直接的な殺人強盗をやり返した訳だ。そして幸いにも今回の大規模押し込み強盗は成功し、パリは落ちた。

 「結局、この戦争は出資者達が目論んだとおりに起き、展開しているのだよ」
 「陰謀論ですか? 全てはユダヤと黄色人種の計画だと」
 「ああそうとも、日本人は我々に欧州統一を押し付けるつもりだ。ついでにロシアの世話もな」

 どう言い繕おうと、現在の第三帝国は株式会社日本の下請けである。
 ある程度以上の経済眼を持つドイツ人はみな知っている。そしてそのほぼ全員が見ない振りをしていて、ヒムラー親衛隊長官などの一部が更に押し進めようとしている。
 日本から資金・資源・技術を出して貰い、兵器を作って防共協定諸国に売り捌くことで第三帝国の経済は回っているのだ。

 もしもそれらの一部が、たとえば日本から送られてくる月当たり数十トンの金塊と数百トンの銀塊が途絶えれば経済への大打撃になる。
 それぞれ毎月数千トンから数万トン単位で送りつけられている良質鋼材やアルミ材、鉛・亜鉛・銅・錫・ニッケル・アンチモン・マンガン・クロム・タングステン・モリブデンなどなどのインゴットや精錬鉱石が止まれば致命傷だ。

 古傷の痛みに耐えかねてモルヒネに手を出した者がずるずると使用を続け中毒者に成り果てるように、極東の「友好国」から送り込まれて来る資源は第三帝国の体質を変えてしまった。
 もう止めたくても止められない、元の身体には戻れない。酢漬けのキュウリを畑に埋めても芽は出てこないのだ。

 金属資源ほど切実ではないが生ゴム・キニーネ・麻・砂糖・大豆・コーヒー豆・カカオなどの植物由来資源も止められては困る。
 幸いにも合成ゴムやイオン交換膜の技術を提供された事により工業用水などの心配はなくなった。各種化学工場の効率も飛躍的に上がっている。

 もちろん只ではない。日本人はケチではないが強欲であり、特に今の政権は儲け口を逃さない事で有名だ。
 支払うべき外貨の蓄積が足りない第三帝国は、技術や情報そして物体と人材を提供して帳尻を合わせるしかなかった。
 日本でライセンス生産される兵器や機械類のパテント料を値引きし、欧州戦線での戦訓と各種鹵獲兵器やドイツ勢力圏中からかき集められた日本の美術品骨董品など様々なものが引き渡され、また技術指導や提携という形で人材の派遣も行っている。

 しかしそれでも足りない。なので現在ドイツから日本への最重要輸出品は人間であった。
 ナチス党がユダヤ人やロマ人(ジプシー)と認定した者たちだけではなく、ドイツ人であっても孤児や障害者や宗教業者など「生産的でない」ものたちや、反政府活動などで捕らえられた政治犯を含む物理的凶悪犯ではない犯罪者などが欧州から極東へと送られているのだ。

 マンチュリアの油田や海南島の鉄鉱山など、現在の日本勢力圏にはいくらでも働き場所があった。人手不足に悩むそれらの地域は、欧州出身者に限らず「善良な労働者とその家族」を手広く積極的に受け入れている。
 もちろん労働者以外も受け入れているが、移住者達の中での比率が低いので目立っていない。

 極東へ送り込まれる棄民たちは、その財産持ち出しに制限がかけられており欧州から持ち出せない分は税として徴収される。
 反社会的分子と無駄飯食いが減って財産を没収でき、しかも送った棄民一人につき兵器何トン物資何トン資源何トンという形で代価すら手に入る。これぞ正に最終的解決、やはり総統閣下は天才だ。
 人種や民族の平等を理想として掲げている日本政府は遠回しにこの所業を非難しているが、所詮掲げられているものなどお題目に過ぎない。どんなに輝しくとも飾りは飾りなのだ。
 そもそも最初に人身売買を持ち掛けてきたのは日本側であり、第三帝国はそれを徹底して行っているにすぎない。今更善人面しようとは笑わせてくれる。嫌なら買わなければ良いだろうに。


 そんな訳で、数年前はいざしらず現在のドイツ経済は日本がなくては持たなくなっている。合衆国による支えを失えば瓦解が確実なソヴィエト・ロシアと比べてどちらがマシなのか判断に困る程だ。

 「だからといって止める訳にはいきません」
 「その通りだ。いずれ爆発するとしても今爆発させるのは拙い」

 世界に冠たる第三帝国が、その構成員の殆どから猿同然の未開人と見なされている島国の実質植民地状態に陥りつつあると‥‥もう半分以上崖っぷちから身が出てしまった状態なのだと、今国民に知られる訳にはいかない。
 もしそうなれば確実に反日暴動が起きる。下手をすればクーデターも。

 だから親衛隊がカップシチューや濃縮コーヒーを開発する羽目になる。いやもちろん、他のものも開発しているが。

 世界に冠たる文明国の誇りを守り、国威高揚を計らねばならない。世界一の科学力を持つ(ということになっている)第三帝国が、たとえ軍用携帯食であっても他国の後塵を拝する訳にはいかないのだ。
 食は文明水準の指標だからだ。少なくとも中尉はそう信じている。



 不意に、食堂のドアが連打された。入室許可を求めるノックとしては些か慌て気味にすぎる叩き方だ。

 「ラウバル中尉殿、宜しいでしょうか!?」
 「入りたまえ。‥‥何事だ騒々しい」

 食堂の扉を開け、長い金髪をたなびかせた新任の親衛隊少尉が入ってきた。「総統閣下万歳!」と、踵を打ち慣らし右手を斜め前に突き出すローマ式敬礼を行う。
 敬礼の勢いが余って、本人が気にしている豊かな胸の膨らみが大揺れしてしまったが気付いてないようだ。つまりそんな些事など気にならない程の事件が起きたのだろう。

 「総統閣下万歳」

 席から立ったアンゲラ・ラウバル親衛隊中尉は右手の平を顔の横に挙げる、叔父そっくりの動作で答礼した。

 「本日未明、北西大西洋ニューファンドランド島沖で合衆国の客船ヴァージニア号が避雷し、爆沈。合衆国政府はこれを我が国の潜水艦による攻撃と発表し、合衆国全軍へ反撃を命じました」
 「そうか。明日か明後日には宣戦布告がくるな」

 そう言って、まだ若い肥満体の女性将校は首のナプキンを外す。

 「車を出せ。総統官邸へ向かう」
 「はっ」

 ラウバル中尉はただの親衛隊士官である。若輩の、吹けば飛ぶような木っ端将校だ。
 ドイツでは珍しい女性の士官ではあるが、特に優秀という訳でもないし目立った功績もない。公的な記録において特筆すべきものが一切なく、これからも重要な任務を託されることはない。

 ただし、このふくよかと言うには体脂肪率が10%ほど高すぎる中尉を侮る者は、少なくとも総統官邸に出入りする人々の中にはいない。
 叔父と姪という血縁のコネゆえであれ、第三帝国を統べる独裁者を意のままに動かせる人間を侮る者はいない。

 たとえ総統本人を侮っている者であったとしても。




続く。




[39716] その十二『変わる大地』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:98863f1a
Date: 2021/06/14 12:14






            その十二『変わる大地』




 1940年6月18日、ドイツ第三帝国総統アドルフ・ヒトラーとフランス暫定政府首班フィリップ・ペタン元帥は講和条約に調印。一部の亡命者や海外領土はともかく、独仏本国同士の戦争はこれで完全に終結した。
 いずれ復仇戦もあるだろうが、それは何年か十何年かあるいは何十年か後のことになるだろう。何時のことになるかはともかく、必ずフランスは復活しドイツに挑戦するに違いない。
 千年王国? 言った本人だって本気で第三帝国の欧州統治が千年続くなどと考えてはいない。口にした瞬間はそうでもないが。

 講和の条件としてフランス本国領土のうちブルターニュ、ベイ・ド・ラ・ロワール、サントル、ブルゴーニュ、フランシュ・コンテ、そしてそれより北の7地方合わせて12の区域がドイツ領土として割譲された。
 もちろんその中には大パリ市などのフランス中核部も含まれている。実質上の亡国と言って良い。

 無論のこと、この事態を受け入れず抵抗を試みる者もいた。しかし数が少なすぎた。
 カレーなどからブリテン島へ脱出できたフランス軍将兵は僅か一万人足らず。これでは傷病兵が回復しても一個師団すら編制できない。そのなかにはルクレール大尉など未来の英雄達が含まれていたものの、現時点では敗残兵である彼らには建設的な事はもちろん、ろくでもない事をやらかす力すら残っていなかった。

 陸地を通って逃れようとした者たちがどうなったかと言えば、海を渡った者たちよりも悲惨だった。
 なにしろ陸続きのイタリア王国とスペイン王国は一応中立国だが、防共協定の主要国である。両国はフランスの窮地に付け込んで火事場泥棒的に参戦したりはしなかったが、ソヴィエト・ロシアと組んで世界征服戦争を仕掛けてきたフランスに対して甘い顔もしなかった。

 イタリア方面に逃げ込もうとしたフランス軍は国境を越えた瞬間にイタリア空軍の機銃掃射と急降下爆撃で歓迎され、更に進もうとした者は地雷原と機関銃陣地と野戦砲部隊に出迎えられた。進みようが無くなった所に背後からドイツ国防軍第7機甲師団の急襲を受けたフランス軍残存部隊は降伏するしかなかった。

 一方スペイン方面に向かったフランス兵たちは砲火を交えることこそなかったが、スペイン国粋派は亡命を求めるフランス人達を武装解除の上で拘留している。武装解除を拒んだ部隊はスペイン軍に追い返され、そこに追い付いてきた第9機甲師団らに捕捉され投降した。
 そして「今大戦における厳正なる中立」を謳うスイスは当然ながら国境を固め、軍服を着た者や小銃一丁でも持った者を通そうとしなかった。

 フランス軍に逃げ場はなく、故に国内に留まったあるいは逃げ遅れたフランス軍残存部隊は降伏か負けの決まった抵抗かの二者択一を迫られることになった。
 彼らの名誉のために、抵抗を選んだ者たちを排除するのにドイツ軍は大いに苦労する羽目になったことだけは明記しておく。
 実際の話、フランス戦でのドイツ側の死傷者や撃破された航空機や車輌などの被害は「パリが陥落するまでよりも、それから後の方が多い」という統計結果が残った程だ。
 確かにフランス軍は弱かった。しかし個々のフランス兵は決して弱くなかったのである。


 時系列をやや遡って、パリが陥落した翌日の5月27日。ドイツ第三帝国は英国政府に対し再度講和を呼びかけた。
 だが英国民はこれを拒否。徹底抗戦を断言する。
 英国政府が、ではない。首相や国王が何かを言う暇もなく、英国の世論が戦争継続を望んだのだ。

 大英帝国の臣民は更なる戦争を望んだ。ここで講和などしては近い将来に祖国が全てを失うことを殆どの者が理解していたからだ。故に彼らの士気は高かった。
 BBCのとある声真似の得意なアナウンサーが、当代の首相を真似て語った演説が何故か首相本人が語ったものとして扱われてしまい、ウィンストン・チャーチル氏の人気と支持率が爆発的に高まった程である。


 その演説の内容自体は

 「我々は確かに敗れ、手痛い打撃を受けた。だが降伏しない。断じてしない。戦いはまだこれからだ。
 我々は戦う。空で戦い、海で戦う。断崖で、砂浜で、波打ち際で戦う。
 荒野で、森林で、丘陵で戦う。山岳で、草原で、沼沢で戦う。
 街道で、牧場で、果樹園で、花畑で戦う。大通りで、広場で、公園で、路地裏で、花壇の植え込みで戦う。
 たとえブリテン島の端まで追いつめられ目の前に彼らが来たとしても、独裁者の軍隊に降伏などしない」

 という、トラック島沖で太平洋艦隊が壊滅したおりに合衆国のルーズベルト大統領がラジオで語ったものの焼き直しにすぎなかったが、演説など内容ではない。聴衆に受けるか受けないかのみが大事なのだ。
 どうせ元ネタになった方も、何処かの何かのパクリなのだ。英語圏の人間がこよなく愛するシェイクスピアの戯曲にしてもパクリとパロディの塊である。類似品の中で最も優れていたから残ったに過ぎない。
 あるいは残ったからこそ評価されているのかもしれないが、どちらにしても同じ事だ。


 この事態に焦ったのは英国首脳部である。事実はどうあれ、こうなってしまえば最早講和など不可能だ。世論を無視して講和を強行しようものなら最悪の場合革命沙汰になる。現政権どころか王室すら吹っ飛びかねない。
 通商破壊によって断末魔の苦しみにある本土を救うため、彼らは非情の選択を行わざるを得なかった。

 1940年6月3日の、ブレスト港襲撃事件である。

 パリ降伏後にブレスト軍港へ集合していたフランス海軍残存部隊は、英国海軍の奇襲を受けその主力艦全てを失った。生き残った駆逐艦などの僅かな小艦艇は一部がモロッコや南米などにまで逃れ、一部は英海軍に拿捕され、一部はポルトガルやスペインの港に逃げ込んで降伏した。

 宣戦布告を含めた一切の通告なしに、同盟国の艦隊へ行われた この「卑劣な騙し討ち」に仏海軍はもちろん全てのフランス人が激怒した。
 激怒しないフランス人は激怒した者たちによって以後フランス人扱いされなくなったので間違いない。
 ヴィシーフランスやドイツに併合された北部の統治が以後速やかに纏まったのは、この事件への怒りそしてブリテン島の住人への恨みによってであると言ってよい。

 早い話が、偉大にして英邁なる連合王国は昨日までの同盟者を切り捨てたのだ。もはや無用、と。
 フランス海軍はそうあまり強い海軍ではない。スペインやイタリアの海軍相手ならともかく復活したドイツ高海艦隊には見劣りするし、英国のグランド・フリートや日本の連合艦隊とは規模の面からして違いすぎる。比べる事自体が無茶だ。

 しかし無力には程遠い。組織としての活力はともかく所有する戦艦や巡洋艦の能力は決して舐めてかかれるものではない。
 航行中を航空機によって沈められるという世界初の記録を作ってしまった二隻の戦艦にしても、同じようにして沈められた戦艦マラヤよりも戦果的には善戦している。
 ダンケルクとブルゴーニュが沈んだのは数に勝てなかったからであって、艦の性能や乗組員の能力に問題があった訳ではない。

 だが英国から見れば、フランス海軍は味方にしてもそれ程には役に立たない。
 所詮は陸軍国の海軍であるし、フランス人が何を苦手としているといっても他者と歩調を合わせることほど苦手としている事はないのだ。特にイギリス人とは。
 それでいて敵に回すとうざったい。味方としては頼りにならないが敵に回せば面倒くさいのがフランス海軍である。ネルソン提督だってフランス海軍との海戦には勝ったが戦死したのだから。

 何よりも、もう英国にとってフランスそのものに大した利用価値がない。パリが制圧されてしまった以上、ドイツへの盾にも使えなくなった。
 ならば、どうせ負けると分かり切っているドイツに押し付けてしまえば良い。英国の役に立たないフランス海軍など沈めてしまえ。ドイツに付こうが付くまいが、味方にならぬのなら敵だ。
 勝てば全ては正当化できる。フランス海軍残存部隊は傀儡政府に寝返る危険があった、あれは緊急避難だったと言い張れる。

 ブレスト奇襲事件によってフランスは実質的に連合国から離脱した。傀儡政権であるヴィシー・フランス政府はもちろん、仏国民の殆どが英国を見限ったからだ。


 そして見限られた英国政府にとっては全て計算どおりである。これでフランスの凋落は決定したからだ。無論ドイツも。


 1940年6月5日、ニューファンドランド島沖の沈没事故を切っ掛けにアメリカ合衆国はドイツ第三帝国及びヴィシー・フランス共和国及びイタリア王国に宣戦を布告した。
 同日同時刻、大英帝国そして自由オランダ・自由ベルギー両政府を加えた連合国はヴィシー・フランス共和国及びイタリア王国及び大日本帝国に宣戦布告。地中海の英国海軍は日本船籍とイタリア船籍とフランス船籍の船を片端から拿捕あるいは撃沈し、イタリア海軍とフランス海軍の水上部隊と根拠地を次々と襲撃した。

 寝耳に水の宣戦布告に慌てふためいたイタリア政府とムッソリーニ統帥だったが、上記の攻撃にくわえてリビアの油田と精油所及び港湾施設が英国海空軍によって被害を受けたことに激怒し、英米両国ついでにおまけに対して宣戦を布告。地中海は戦いの海となった。

 同じくフランス軍投降兵らをまとめ上げたヴィシー・フランス政府とペタン元帥も連合国に宣戦布告した。
 ペタン元帥は国内のとりまとめと対独降伏交渉をしながら連合国と戦争をするという政治的軽業を行わなければならなかったが、なんとかやりとげた。
 その手腕は魔術というか奇術のようであったが、とにかくやり遂げたのである。故にペタン元帥は後世の一部歴史家から「そんな政治力があるならせめて5年前から発揮してくれれば」となじられたり呆れられたりするのだが、それは的外れな意見だろう。
 彼はあくまでも共和制国家の軍人であって、担ぎ出されでもしないかぎり国家首脳になどなる訳がなかったのだから。


 英国政府の狙いは明らかだ。   
 独・仏・伊の三国をファシズム国家とその傀儡とみなし、叩き潰す。それが出来さえすれば欧州は大打撃を受ける。今後数十年、ことによっては数世紀の間、かつての力を取り戻すことはないだろう。
 その間世界の覇権を握るのは誰か? 言うまでもなく合衆国だ。そして英国はその傘下に入り、二番手として世界の覇権を一部だけ担うことになる。
 つまり英国政府は、ドイツの手下になって合衆国に潰されるのもフランスと付き合い続けて諸共に落ちぶれるのも御免だから、元植民地の飼い犬になることにした訳だ。

 ブレスト奇襲はその宣言、フランスとは今後馴れ合わないという合衆国へ向けたサインなのだ。同時に、ここまでしたのだから戦勝後は欧州方面代官の役割ぐらい寄越せという図々しい要求も含まれている。
 正に厚顔無恥。えげつないにも程がある。
 しかし英国首脳部には他に手の打ちようが無かった。長らく英国の力の具現であった海軍が壊滅しつつあるからだ。

 英国海軍は強かった。植民地維持用の海軍としては。
 通商航路を守る海軍としても弱くはなかった。とりたてて強くもなかったが。
 そして海上決戦は、やる度に負けた。ドイツ海軍にもイタリア海軍にも日本海軍にも負け続けた。

 一例を挙げれば、英国の誇るグランドフリートは4月半ばの北海海戦でドイツ海軍の戦艦4隻(シャルンホルスト、グナイゼナウ、ビスマルク、ティルピッツ)と戦い、戦艦ネルソン、ロドネー、キングジョージV世、巡洋戦艦フッド、レナウンの5隻を喪失した。
 離脱に成功したR級戦艦2隻のうちロイヤル・ソブリンは帰還中に操作を誤り座礁した後、ドイツ海軍航空部隊による対艦爆弾の雨霰を浴びて爆沈。ロイヤル・オークだけは満身創痍ながらも沈没を免れ、現在ドックで修理中である。
 なお、ドイツ艦隊の被害は戦艦4隻のうち中破1小破1。その他にも重巡プリンツ・オイゲンが大破し戦場を離脱した後ダメージコントロールに失敗し沈没、駆逐艦が3隻中小破している。

 6月上旬、まだイタリア王国が宣戦布告もしていない状況でなし崩しに起きた第二次サラミス海戦では空母イラストリアス、アーガス、戦艦クイーンエリザベス、ウォースパイトを失った。
 もっともこちらはイタリア海軍の空母アクィラを自沈に追い込み戦艦ローマを始め海戦に参加したイタリア戦艦群全てを中小破させているだけ、殆ど一方的にやられている本国艦隊よりはマシだった。
 なお、この海戦の後に増援として地中海へ送り込まれたR級戦艦リヴェンジと空母グローリアスは、カイロ港でイタリア海軍の特殊部隊により船底に爆弾を取り付けられ大破着底した。

 英国の宣戦布告と同時刻に行われたタラント港への奇襲航空攻撃は、イタリア陸軍が運用実験中だった新型電波警戒機(レーダー)により発見され、通報を受けて飛び立った水上戦闘機部隊の迎撃が間に合ったため失敗に終わっている。
 防共協定諸国の軍部は全般的に交流が盛んであり、少しずつではあるが相互に長所美点を見習っての組織改革が進められていた。予算や組織としての文化などの問題もあってその歩みは順調ではなかったが、それでも幾つかの改善は成されている。

 たとえば、ドイツやイタリアでは陸海空の三軍態勢となっているが、これは空軍が航空戦力を独占していることになり陸海軍は航空支援が欲しいときに得られなくなるという問題があった。
 平たく言うと、旧来の態勢では独伊の空母は一隻の船の中に海軍と空軍が別々の指揮系統のまま同居しなくてはならない。これではまともに戦えない。

 なので独伊両国は日本陸海軍の航空隊を参考にして、空軍以外の航空戦力を整備している。たとえば前述の水上戦闘機部隊はイタリア海軍所属だ。機体と教官と操縦士の一部は日本製だが、所属も命令系統も指揮官も全てイタリア海軍である。
 陸軍からの警報が即座に海軍に届いたことからも分かるように、イタリア軍の組織柔軟性は決して低くない。スペイン内戦で鍛え上げられ実戦向けの組織となったのはドイツ軍だけではないのだ。

 改革はドイツでも日本でも行われている。改革につきものの軋轢や醜聞は多々起きていたが、それでも行われていて、成果も出た。
 おかげでドイツの某空軍大将が拳銃自殺したり日本の某海軍大佐が割腹自殺したりと色々あったが、なんだかんだで協定諸国軍は健闘しているのだからそれらの犠牲も無駄ではなかったのだろう。

 一例を挙げるなら、日独伊三国の海軍部隊が共同で採用した新型魚雷は外殻と推進器が日本製で、爆薬がドイツ製で、信管はイタリア製である。
 某国では、それまで配備されていた魚雷の開発者が利敵行為の容疑で公安組織に拘束されるという事件が起きた程に、この魚雷はあらゆる面で既存品より優れていた。
 三国の協力なしでは、ここまでの代物は到底造られなかっただろう。カール・デーニッツ提督は、戦後出版した回想録で魚雷開発の成功が協定軍勝利の一因である、と評している。
 


 その他大小の海戦でも英海軍は叩かれ続けていた。ノルヴィク海戦は戦果的に英海軍優位で終わった戦いだったが、それでも作戦目的の達成には失敗した。
 中破してキール軍港のドックで入院生活を送っているシャルンホルスト以外のドイツ戦艦三隻はその後も北大西洋上で猛威を振るい、軍属民間問わず連合国の船を沈めまくっていた。
 そこに新戦艦フリードリヒ・デア・グロッセとバルバロッサが加わったことで大西洋の英米海軍はお通夜状態である。

 7月10日、通り魔的通商破壊を行いつつアメリカ大陸東海岸へ接近していたドイツ海軍戦艦部隊に対し米大西洋艦隊は5隻の戦艦と空母ワスプを主力とした艦隊を迎撃に出す。航空機の傘がないドイツ艦隊なら充分通用するかと思われたが結果は惨敗だった。

 フレッチャー少将率いる航空隊は三度にわたる攻撃を行ったものの、ワスプの搭載機が半減するほどの被害を出したにも関わらず戦果はごく僅かなものだった。雷撃機部隊は壊滅、命中魚雷なし。急降下爆撃機隊は6割近い損失と引き替えに直撃弾3発、至近弾2。
 実質日本設計のシャルンホルスト級戦艦と、その影響が大きいビスマルク級の対空防御は設計者の強迫観念すら感じさせる水準にあった。その徹底ぶりは本物のハリネズミですら喩えに使われたならば己の至らなさを恥じらって逃げだしかねない。

 なにしろシャルンホルスト級は基準排水量35700トンの船体に45口径105㎜連装両用砲12基24門、40㎜4連装機関砲8基32門、40㎜連装機関砲12基24門、20㎜4連装機関砲10基40門、20㎜連装機関砲16基32門、9連装150㎜対空噴進弾4基、対空照準装置11基という既知外じみた重武装である。
 もっとも、お陰でシャルンホルスト級の主砲は360㎜砲を三連装3基の合計9門に抑えられているし、搭載兵器に浮力を振り分けている関係上装甲も決してぶ厚くはない。
 新型であり強力な戦艦であることは疑いないが、無敵でも不沈でもないのだ。もっともそんな戦艦は世界の何処にも存在しないが。
 500ポンド爆弾の直撃を受けたティルビッツの被害が小さかったのは当たり所が良かったのと、合衆国製対艦爆弾の貫通力が低かった所為である。魚雷ほど極端ではないものの、合衆国製の対艦爆弾もまた欠陥品の誹りを免れられぬ代物だった。


 日本海軍の空母攻撃隊相手でもある程度持ちこたえられることを目標に造られた戦艦は、ワスプの攻撃隊から直接的には大した被害を受けなかった。だがその執拗さには辟易していた。
 なのでドイツ艦隊は右に左にと舵を切って攻撃隊をやり過ごそうとしたのだが、この際の動きを「敵が退避を開始した」と誤認した米大西洋艦隊主力は追撃を断念して帰路についた。

 もちろんこの判断は誤りだった。速度で決定的に劣るアメリカ艦隊がドイツ艦隊に追い付けないのは確かだし、逃げ足の早い敵を無理に追撃しないという選択もそれ自体は間違いではない。
 だが、ドイツ艦隊が逃げたと判断するには早過ぎた。
 そう、鬱陶しい敵空母が一隻しかいないことを、その搭載機が激減したしたことを覚ったドイツ戦艦部隊は遙か上空成層圏近くまで上がった気球から放射される電波を頼りに、闇夜の中を疾走していたのだ。敵を求めて一直線に。

 そして翌日夜明けの直後、戦闘はないと艦全体で弛緩しきっていた戦艦ニューメキシコは戦艦ビスマルクによる遠距離砲撃の直撃弾を受け大破。迎撃艦隊指揮官キング中将は艦橋ごと爆砕され戦死した。もちろん指揮権委譲などする間もなく。
 短く激しいが一方的な戦闘が続き、個艦性能・乗組員の練度と士気で劣りしかも初撃で指揮系統を破壊された米戦艦残り4隻は不意打ちされた混乱の中、各個に戦うしかなくその結果として惨敗した。

 前日からの戦闘行動の連続により、燃費の良さに定評のあるディーゼル機関搭載のドイツ戦艦も流石に燃料切れが怖くなって本当に撤退した為に全滅だけは避けられたが、それでもノーフォーク軍港へ帰ってきたのは戦艦テキサス及びアイダホと駆逐艦3隻のみ。その5隻もワスプの残存航空隊が支援しなければ離脱できたかどうか。
 ニューメキシコ・ミシシッピ・ニューヨークの戦艦3隻、そして随伴していた重巡3隻と残りの駆逐艦6隻は大西洋に沈んだ。

 奇襲さえ受けなければここまで一方的にやられはしなかっただろう。だが指揮官が油断していなくとも奇襲そのものを防ぐのは難しかった。
 協定諸国軍と異なり、英国のレーダー技術はようやく地上配備が始まった所である。合衆国では海軍技官ですら存在を知らない人間の方が多いぐらいだ。合衆国に、船に搭載して実戦で使える水準の電波式警戒装置がある訳がない。
 実際の話、キング中将もその参謀達もレーダーやその類似品に対する確かな知識も見識も持ってはいなかった。精々「日本海軍の電波式測距儀は性能良いらしいぞ」という噂話を聞いた程度である。

 これはトラック島沖海戦の敗因をキンメル大将一人に押し付けてしまった弊害でもあるが、日本海軍が彼らの切り札、その一つである電波兵器の情報を秘匿し続けていたからでもある。
 防諜が緩いと評判の日本人とその組織だが、彼らが情報漏れ対策において全くの無能な訳ではない。どこに鍵を掛けるか、何を金庫に仕舞うか、誰を泥棒として警戒すべきかの感覚が欧米諸国の人々と盛大にズレているだけの話だ。

 しかし人の口に戸が立てられる訳はなく、日本陸海軍で電波兵器が開発されていることは噂として人々の間に流れていた。
 肝心の内容が「放射版から放たれた怪電波光線が数百メートル先の戦車をドロドロに溶かしてしまう」という荒唐無稽なものだったが、これが陸軍中野学校などによる情報操作の結果だと判明したのは戦後半世紀ほど経ってからのことである。

 アインシュタイン博士ら一部の科学者たちは「電波兵器の充実なくして現代戦の遂行は不可能」と主張し、実戦配備に向けた研究も始まっているのだが合衆国の電波兵器技術は協定諸国のものと比べると年単位の遅れがある。これはそう簡単に取り返せるものではない。



 このように正面切っての砲撃戦では協定諸国の戦艦に敵わず殴られ続け、「倍でも瞬殺、三倍でも必敗、五倍いればあるいは」とまで言われているのが連合国の戦艦部隊だ。
 現状でも劣勢なのに、ドイツ海軍に推定排水量5万トン以上の新鋭戦艦が二隻も加わっては士気が下がるのも当然である。


 BBC放送などが言うとおり、ラングレー二世を始めとする訓練用改造空母群が五大湖あたりで操縦士を量産しているので、協定諸国海軍の優位は長く続かないかもしれない。

 問題は彼我の優劣がひっくり返る前にブリテン島が干上がりそうだという点だ。
 自前の商船隊は壊滅状態、旧植民地からの輸送船も無事辿り着けるのは半分以下、対日宣戦布告をしてからは中立国経由で手に入っていた物資も止まってしまった。
 資源や物資をブリテン島へ運び込むには商船の通る航路を守らねばならず、航路を守るためには海軍が必要だが、海軍の船や飛行機を動かすには大量の資源や物資が必要なのだ。
 
 
 度重なる損失と破損により、現在の英国海軍には稼働する正規空母が一隻もない。合衆国から貸与された商船改造護衛空母以外の保有空母は全てドックか海底に泊まっている。その改造空母も次々と停泊地を海底に変更しているが。
 停泊地を海底へと変えてしまった空母は英海軍所属のものだけではない。米海軍所属の艦隊空母も既に半分は沈んだし、残り半分のうち半分もドックに入っている。
 レキシントン・レンジャー・ホーネットは沈んだしサラトガとワスプはドック入り、現在稼働している艦隊空母はヨークタウンとエンタープライズだけだ。
 
 連合国海軍は艦艇の修理と建造を急いでいるが、米国はともかく物資も人手も足りていない英国の造船所では作業も思うように進まなかった。
 開戦から延々と続く負け戦に製造現場の士気は低迷している。敗因の一つが、自らが造りあるいは整備している艦船の不具合にあると、薄々感じ取っている者たちは特に強い焦燥と絶望のなかにあった。

 無論のこと機械に全ての敗因がある訳ではない。しかし英国製軍艦の多くに問題があったのも事実である。蒸気式カタパルトなどの例外を除けば、軍事的に評価可能な全ての要素で英国製の軍艦は日本製の同種に劣っていた。
 純軍事的でない要素、士官室の内装などは別だが同程度の排水量を持つ艦どうしを比較すれば、日本海軍の方が平均的な居住性においても優れている。
 一例を挙げると日本海軍の艦船にも害虫はいるが、英海軍と違い厨房の灯りを消せば床が見えなくなるほどに蔓延ってはいない。
 
 かつて英国の報道は日本軍艦を「餓えた狼」と評したが、二次大戦期の英国軍艦は「野良犬の干物」とでも評されるのが相応しい代物だった。
 閉鎖された倉庫の隅などで時折発見される、迷い込んで其処で死に干涸らびた哺乳類の死骸の如き惨状。英国海軍がここまで落ちぶれた理由は色々ある。それを事細かく語れば書籍が何冊あっても足りはしない。
 
 何もかもが上手くいかない中で、やっとの思いで完成させたのが最新鋭空母インドミタブルだった。この空母は英国海軍の意地が結実した優秀な艦であり、航空機搭載数など性能的にも日米の主力空母に比肩しうる存在だった。

 装甲航空母艦インドミタブルは就役の二週間後、訓練航海に出た途端Uボートによって沈められた。
 新鋭空母の喪失を大英帝国の落日、その象徴ではないかと考える人々は決して少なくなかった。敵も味方も、つい最近までの身内も。
 






  【1940年9月15日 オーストラリア アデレード郊外 とある安食堂】



 もともとの敷地が狭いこともあって、今日も食堂は混んでいた。敷地面積が有り余っている土地柄なので駐車場は広いが、店内は狭い。歩き回って仕事している店主や給仕の体力は有り余っていない というのが店側の主張である。
 だが店は混んでいる。安くて美味くて料理が出るのも早いからだ。しかもこの店はチップが要らない。最初から店員の給料にチップ分が含まれている。
 その店側から出すチップの査定は店長がやっていて、店長の給料に含まれてるチップが一番多い。店長が一番働いているからだ。

 しかしそれでも以前までの給料よりずっと従業員への支払いが良い。そして高給料であるからこそこの店には質の高い店員が揃っている。
 店長が能なしでなく、働き者である限り実に有効な制度なのだ。
 客側に給与支給の面倒を押し付けている従来のチップ制度の煩わしさなど、もう思い出したくもないという客層がこの店に付いていた。だから今日も店は混んでいる。

 「例のインなんとかとかいう空母を沈めたUボート艦長だけど、ダイヤモンド付きの勲章を貰ったそうよ」
 「やれやれ、だね。グランドフリートとやらもとんだ見かけ倒しだよ」

 同僚達の噂話を聞いて、見かけ倒しだったのではなく過適応だったのではないかと、ジャクリーン・ソームズは思った。いわゆるサーベルタイガー現象だ。
 有史以前に生態系の頂点に立っていた大型獣専門のハンターは氷河期の終わりと共に、絶滅した獲物たちを追いかけるように滅びていった。氷河期が終わってから栄えた小さくすばしこい獲物を狩るには、彼らの巨大な牙は役に立たなかったのだ。
 それとは逆に、外敵のいない離れ小島で長く過ごしすぎた結果、突如として現れた外敵から逃げることも戦うこともできずに絶滅したドードー鳥のような例もある。
 英国海軍は進化の中であまりにも特化し過ぎたのだ、弱い者虐めに。

 英国海軍は植民地や大陸国家の海軍など相対的に弱い相手を虐め抜く技術は進歩したものの、代わりに同格以上の敵と渡り合う能力をなくしてしまったのだ、と個人的にジャクリーンは考えている。

 ろくに中学校にも通ってないジャクリーンだが、現在は夜間学校で学ぶ女学生だ。昼間というか朝の9時前から昼の15時までトラックの運転手として働き、15時過ぎから20時前まで学校で学び、その後はラジオを聴きながら家事や自習をしたり、家族や同じアパートの住人達とお喋りなどをしたりして過ごしている。普段の日は、だが。


 知識を増やす事は、言ってしまえば積み木を増やすことに似ている。
 たとえば、積み木を三個しか持っていない子供でもその三個だけを使って遊ぶことができる。だが、持っている積み木だけで様々な物を作ったり表現できたりするだろうか。
 まず無理だ。三個でも五個でも七個でも、それだけの積み木では家屋は作れない。小屋だって難しいだろう。
 しかし積み木の数と種類が増えたなら、増えた積み木を組み合わせることで表現力が高まる。百個二百個三百個と増やしていけば塔と城壁付きのお城だって組み上げられる。

 知識も同じだ。蓄えた知識が多いほど組み上げられる思考が高度になる可能性が上がる。いわゆる愚民政策などで大衆に知識を与えぬよう、教育の機会を奪うのはそのためだ。
 重税に不満を持ち生活の愚痴をこぼすことは誰にでもできる。しかし税制の不合理性を指摘し、より公平で効率的な是正案を提唱するには算術や社科学や財産運用や法律学さらにはその背景となる思想やら理念やらを理解する必要がある。無学なままで出来る事ではない。


 知識を増やすことは、そのまま能力と可能性を上げていくことである。故に学問は大事なのだ。
 全ての人が生まれながらにして平等に作られていない以上、その差を少しでも縮められるものがあるとしたら学問しかない。

 ジャクリーンは子供の頃から「頭がよい」と言われたことがなかった。実際に小学校での成績は下から数えた方が早い。
 しかし夜学に通いはじめてから僅か二ヶ月余りの時間で、彼女は相当な段階まで教養を積み上げている。そしてなおも貪欲に知識を吸収し続けていた。
 彼女が短時間で身に付けたものはいささか偏っていたが、例えば数学知識などは先進国の平均的な大学生と比べても見劣りしない水準にある。
 環境の差、教本の違い、それら以外の要素もあって、今のジャクリーンは学習が楽しくて堪らなかった。

 彼女に夜学へ通うことを勧めた恋人は、まさかここまでとはと呆れたが「勉強できるのは良いことだ」と応援してくれている。
 社会からの「女が学校に通ってどうする」というような圧力は、完全に無くなったわけではないが急速に減ってきている。今のオーストラリアには人手が絶対的に足りてない。
 なにしろ世界大戦の真っ最中である、需要はいくらでもあるのだ。国家経済の破綻を防ぐために、足りない人手を増やす為に猫でも柄杓でも使わなくてはならない。
 だから低所得層の若い女にも学べる機会が今のオーストラリアにはある。質の良い労働力は教育なくして得られないのだから。
 

 昼食のローストチキン・サンドイッチ、そして付け合わせの煮野菜(高菜)と豆腐ソースのパテ、をホットチョコで流し込み、食堂のカウンター席を立ったジャクリーンは細っこい体つきの、若いオーストラリア娘である。職業は学生兼トラック運転手。
 人手不足な今の南部オーストラリアでは、女の運転手は珍しくもない。
 なにせ働き盛りの男どもが元宗主国に万単位で捕まったまま帰国できないでいるのに、景気は上向く一方なのだ。なのでジャクリーンのように昨日今日運転を憶えたような新米ドライバーが増え続けている。

 無論のこと個々の事故や事件や社会問題が続出しているが、当局の手によって迅速かつ大雑把に対処されていた。全ては経済を回すためである。
 幸運にもジャクリーン個人に限って言えば、これまで運転席の裏に置いてある散弾銃の出番が来たことはない。
 彼女の乗るトラックは緑化センターの所属であり、センターから供給されるガソリンで動いている。今のアデレート周辺には、ガソリンスタンドに寄る必要がない運転手の財布より襲い甲斐のある獲物が他にいくらでもあるのだ。

 いつの世にも現金目当てでない強盗が存在するがそれらの大部分は数ヶ月前に、ジャクリーンが運転免許を取る前にアデレート周辺からは駆逐されている。
 地元の男どもから見て身体が細すぎのうえ薄味な容貌の彼女だが、だからこそ狙われる要素となりうる。野性の肉食獣が真っ先に狙うのは良く肥えた大柄な羊でなく、病気や怪我で弱ったあるいは老いたり幼かったりで元から弱い羊なのだ。
 ケチな盗人ほど貧乏人の懐を狙うものである。相手が金持ちだと報復が怖い。


 ジャクリーンは壁のコート掛けから、野暮ったい茶色のコートを取って羽織った。温かい食堂から出るのは辛いが、このお気に入りの防寒具があれば幾らかはマシだ。恋人から白金懐炉と一緒に贈られたこのコートはマンチュリアの冬に備えて作られただけあって温かく、しかも軽くて動きやすい。
 それにトラックには暖房装置もある。エンジンの廃熱を利用するものなので運転席が温まるまで時間がかかるが、その間ぐらいは我慢できるのだった。若さとは実に素晴らしいものである。

 なによりも一番辛い時期は過ぎている。南半球のこの国はまだ冬だが、これから少しずつ温かくなっていくのだ。
 戦争から一抜けできたオーストラリアは、平年よりいくらかは温かい冬だったこともあって今年は殆ど凍死者も出ていない。

 まあ、気象よりも久方ぶり(有史以来?)の好景気で誰もが懐を温かくできたからではあるのだが。もしもオーストラリア政府が大戦からの足抜けに失敗していたら、ジャクリーンは家族もろとも凍死していた可能性がある。
 オーストラリアにとっての戦争が終わらなければ当然ながら日本との貿易強化や資本注入もなく、彼女が恋人と出会うこともなかっただろう。



 学校から学費と生活費そしてそれらの返済義務の免除に加えそれなりの報奨金まで貰ってるジャクリーンは、校内屈指の秀才である。昼間の学校に移って勉学に専念したとしても誰も咎めないだろう。
 だが彼女は今日もトラックのハンドルを握り、ペダルを踏む。自動車の運転が好きだからだ。

 人間の意思どおりに動く頼もしい相棒。製造者と使用者と整備員が間違えないかぎり何の悪さもしない、機械の荷馬車。
 それは彼女にとって初めて思いのままに動かすことができた文明の利器であり、科学の勝利そのものだった。

 日本からオーストラリアへ持ち込まれた統制型トラックは、これまで主流だったフォード製トラックを一瞬で駆逐してしまった。なので、元日本兵の恋人に運転を教えて貰った彼女が初めて運転席に乗ったトラックが統制型であるし、他のトラックには乗ったことがない。 

 いや、正確には一度だけ、試しにフォードの6トン車を運転してみようとした事があるのだが一日走らせることすらできなかった。
 バッテリー液がどうの暖機運転がどうのとエンジンを掛けること自体が一苦労で、操縦性は最悪、騒音と振動だけは一人前で走行性能は劣悪そのもの、クラッチどころかハンドルを切ることすら苦労する代物だ。
 というか運転席まわりにしてもボンネットの下にしても設計が不合理過ぎて見ていると頭痛が起きる。知り合いの整備士に聞いた話では、素人が簡単に運転できて整備できると修理工場の仕事がなくなるので、アメリカ車はわざと使いにくい設計にして事故が起きるように設計してあるそうだが、本当かもしれない。

 しかも実際に走れば直ぐにエンジンが止まるわ部品が脱落するわパンクするわ排気が臭いわ燃料タンクに穴が開いているとしか思えない程に燃費が悪いわで、合衆国軍が負け続けている理由に納得したものだ。トラックならまだしも飛行機では「エンジンが止まりそうだから路肩に停めてちょっと修理」とはいくまい。


 荒れ地の中を突っ切る舗装された道を、統制型トラックは快調に走っていく。
 彼女が操るトラックの積み荷は土砂である。ただの土と砂ではなく、植物の栽培に適した成分を含んだ土砂だ。
 オーストラリアの地盤は世界有数の古さであり、土壌に含まれる栄養分は低い。他の大陸でなら苗を植えてから2~3年で花が咲き実を付ける果樹が、この土地では5年以上かかることもある。スープを取った後の牛骨なみに滋養が抜けているからだ。

 このトラックに積まれた土砂は、その栄養不足を補う培養土の基になるのだ。
 「L-レゴリス」なる商品名が書かれた袋入りの土砂を、ジャクリーンのトラックは港の倉庫から40㎞近く離れた農業試験場まで毎日4往復している。
 荷物の積み卸しは、クレーンでアルミ合金製のコンテナを降ろして積み替えるだけだから数分で済む。積み替え作業の時間に小休止をとって、また同じ道を引き返す。はっきり言って、車の運転自体を楽しめる人間でなければやってられない仕事だ。

 この「L-レゴリス」に粘土や堆肥や鹿沼土、それに「NA-ワックス」なる正体不明の粉末など何種類もの材料を混ぜて作られる培養土は、栄養分と保水能力に富み半分砂漠と化した地域でも植林を可能にする。
 半世紀後には、今は砂漠である部分の方が多いこの大陸が一面の緑に染まるのだと、ジャクリーンの恋人は言った。
 マンチュリアでは無理だったが、この大地ならそれができる と。

 それが彼にとっての「男の浪漫」であるらしい。日本人全般について詳しく知っている訳ではないジャクリーンだが、彼女の恋人が典型的な日本風ロマンティストであることは確かだった。

 彼の夢が、この大陸に来た日本人達が掲げた目標が達成されるとしても、それは遠い未来のことになるだろう。
 大陸南端のポートオーガスタあたりから運河やパイプラインを通して、中央の大盆地まで海水を引き込み巨大塩湖を作り大陸全体を緑化する‥‥などという既知外としか思えない計画まであるが、彼らは本当にやる気なのだろうか。

 その途方もない計画は、実は既に始まっている。まだ情報がジャクリーンの耳まで届いていないだけだ。
 砂漠地帯にまでパイプラインを引き、汲み上げた海水を露天で蒸発させて塩を作る施設と、蒸発した水蒸気を捕らえて雨を降らせるための人工山地が建造中だ。
 平地から頂上までの高さが200メートル程であっても、盛り土の山や大型の構造物があれば地形と風向き次第で狭い範囲に雨を降らせるには充分な上昇気流が発生する。あとは同じ事を各地でやれば良い。
 雨が降れば草木が生えて緑地ができる。緑地ができればそれ自体が水源となり、次の雨を呼ぶのだ。

 理屈は正しい。だが実現性は疑問だ。
 まだ、ちょび髭の某総統が先月ぶち上げた「パリからベルリン、そしてベルリンからワルシャワを経由してモスクワへ繋ぎ、シベリア鉄道から樺太を通して東京まで大陸横断鉄道を繋げる」という誇大妄想の方が実現性高そうなのだが。
 あれならドイツ第三帝国かソヴィエト・ロシアのどちらかがどちらかを打倒して日本と組めばできるだろう。

 
 不可能だ とは言わない。オーストラリア全土の緑化は無茶だと今でも思っているが。
 何が起きるのか解らないのが人生である。ひょっとしたら半世紀後には、孫や曾孫に一面の樹海と化した大地で今の体験を昔話として語っているかもしれない。

 一年前。たった一年前の自分に、今の様子を語って聞かせたとして信じるわけがない。
 英米の大艦隊が日本海軍と戦い一方的に負けた。今も負け続けている。
 オーストラリアが連合国も英連邦も抜けて真の意味で独立した。

 そして日本と組んで太平洋の覇者となり、豪日両国はインド洋まで掌握しつつあるとか。
 個人史に限ってみても、自動車の免許を取り、一日のうち他の椅子全てを会わせたよりも長い時間運手席に座る生活を送るようになったりとか。
 自分に日本人の恋人ができて、彼の薦めで夜間学校に通うようになったこととか。
 極端な日本人嫌い‥‥いや人種差別主義者だった母が、今では彼のためにセーターや靴下を編んでいる事など、信じられる訳がない。
 信じる信じない以前に、「日本って何?」と尋ね返すのがオチだろう。おそらく、いやきっと。


 一年にも満たない時間で、ジャクリーンの人生は変わった。彼女の世界は広く大きく明るくなった。
 明日はきっと、今日よりも良い日だと。明後日は絶対に、明日よりも良い日だと彼女は信じている。
 明後日は恋人の休日であり、二人は朝から翌日の午後まで一緒にいられるからだ。


 現在のオーストラリアでは珍しくない境遇の苦学生、ジャクリーン・ソームズは幸せだった。少なくとも主観的には。
 彼女には帰るべき家庭があった。家族の理解もあった。
 面白い玩具も、誇りを持てる仕事も、学んでも学んでも限りがない学問もあった。
 自由とやりがいに満ちた生活があり、そのきっかけを与えてくれた誠実な恋人がいた。彼は婚約者も兼任している。 
 この生活が、幸せがいつまでもいつまでも続きますようにとジャクリーンは願った。



 願いは叶わなかった。
 それから半月もしないうちに、ジャクリーンがトラックを運転するには問題のある身体になっていることが判明したからだ。
 本人はそれでも運転手生活に未練があったが、子供を産んでからでも車には乗れると周り中から説得されて、折れた。


 願いは叶わなかった。
 その年の初夏、日本では冬が近づきつつある頃。結婚の許しを得るためにジャクリーンたちが乗った日本へ向かう船、第3浪速丸は台南沖約120㎞の海域で米海軍所属のタンバー級潜水艦トートグによる雷撃を受け沈没したからだ。

 日本海軍および海上保安庁の対潜水艦能力は高かった。だが、米海軍潜水艦部隊の技量と闘志そして潜水艦の性能は決して舐められたものではなかった。米軍にまともな魚雷が出回りはじめてからは特に。
 そしてトートグは大戦中最も日本の船を沈めた潜水艦であり、終戦間際に撃沈されるまで排水量にして約32万8千トン、人命にして一万一千人以上の被害を与え海の魔物として怖れられた存在だった。
 もっともこれはトートグ単艦によるものではなく、僚艦の戦果が混同された結果であるという説もある。

 潜水艦トートグは日本から中立国へ向かう赤十字の捕虜返還船まで撃沈して「鬼畜米英」の代名詞となり、日本海軍から多額の懸賞金をかけられることになるのだが、それは後の話だ。


 船は沈んだが、妊婦であるため最優先で救命ボートに乗れたジャクリーンは助かった。
 彼女以外の、第3浪速丸に乗っていた妊婦は全員が無事救助された。だが、その夫や婚約者を含む、ボートに乗れなかった者たちのうち半分近くはそうもいかなかった。魚雷は一発きりだったが、第3浪速丸の急所に近い場所へ当たっていたのである。

 願いは叶わなかった。彼女が結婚式で着るはずだった手縫いのドレスは台湾沖に沈んだ。
 傍らに立つはずだった唯一の男も沈んだので、ジャクリーンはその後白いドレスを一度も着なかった。



 ただし夢は叶った。
 婚約者の死後、法的な婚姻成立が認められた彼女は夫の夢を受け継いだ。
 第3浪速丸遺族会、特に当時母の胎内にいた者たちは同じ夢を共有し、代表者を支え続けた。

 月日は流れ、21世紀までまだ一年残した年の春、豪州大陸の緑化事業はひとまずの成功を見せ、オーストラリア共和国政府は第一次計画の完遂を宣言した。
 世紀末に、南の大地はその過半が森林と草原へと変わったのである。


 ジャクリーンがいなくとも、緑化事業そのものは成功しただろう。
 だがその名は奨学生を支援するジャクリーン基金などに残り、永く功績を讃えられている。

 



続く。




[39716] その十三『天国に涙はない』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:8bf7f0f1
Date: 2020/11/01 13:09






            その十三『天国に涙はない』





  【1940年9月3日午前06時10分 ハワイ諸島オワフ島近海】

 


 太平洋の空を、朝日を浴びつつ幾つもの飛行物体が飛んでいく。
 それに翼はあるが羽ばたかない。それは呼吸し鳴き声もあげるが鳥ではない。

 それに命はなく、意思もない。
 だが頭脳はある。単純極まりないその頭脳はたった三つのことにしか使われない。
 真っ直ぐに飛ぶこと。飛んだ距離を測ること。あらかじめ決めた距離を飛んだら動力を止め墜落すること。その三つだけだ。

 全体の印象は飛行機のように見える。いや実際の話、あえて分類するとしたら飛行機に分類するしかない存在だ。
 全長8メートル程の葉巻型胴体の横に翼を生やし、後部上面に筒型のパルスジェットエンジンを取り付けた玩具のようなこの飛行物体は、製造者たちから「V1号兵器」と呼ばれていた。あるいは「空技廠98式特殊飛行標的乙型」とも「98式無人攻撃奮進機梅花」とも。
 Vは勝利(VICTORY)のVである。 


 遙か上空から俯瞰すればこの無人兵器が、爆薬と燃料の塊を軟鉄板と合板で被い、同じぐらい安っぽい翼と発動機と制御装置を付けただけの代物がオワフ島北北東300キロ前後の海域からオワフ島南部の真珠湾を目指し列を作って飛んでいる様子を確認できただろう。
 アリの巣から餌場に伸びる行列のような連なりは、蟻のものと違って巣と巣が仲良く隣接していた。当然ながらその列も副列になる。
 横風などの影響もあってその列は崩れ気味だが、お行儀よく飛ぶことが彼らの役割ではないのでこれで充分だ。

 V1号兵器の役目、それは第一にF2AやF4FやP40といった合衆国陸海軍の主力戦闘機では容易に追い付けない時速600キロ以上の速度で飛ぶことである。
 この無人兵器が飛んで来るからには、オワフ島に配備された少数の高速戦闘機はその対処に当たらなければならない。
 並の戦闘機では迎撃は難しいが、P38などの高速機なら簡単に始末できる。なにしろ無人機なのだ、敵機が真後ろから接近しても逃げも反撃もしない。簡単に撃ち落とされてしまうだろう。

 ただ、あまりに炸薬量が多いので近くで撃つと爆発に巻き込まれることもある。なので遠方から撃たねばならない。遠距離から撃てば命中率は落ちる。つまりその分迎撃側の銃弾が消耗する。
 これは防衛側の新鋭戦闘機を引き付けることで、侵攻側戦力の被害を低減するために用意された兵器なのだ。特に大型の爆撃機や飛行船など人が大勢乗っている兵器の被害を。


 陸戦と違い航空戦では、手持ちの弾が切れたからといって近くの味方や敵から「ちょっと借りとくぜ」と調達する訳にはいかない。基地に戻って補充するしかないのだ。
 弾を撃ち尽くして補充に戻っている最中の戦闘機は戦力にならないし、戦闘機が失われる原因の一番は敵機との空中戦ではなく離着陸時の事故であり二番目は空襲による地上撃破だ。
 迎撃機が基地に帰る回数と留まる時間が増えれば増えるほど侵攻側にとって有利になる。それにくわえ作業量が増えれば増えるほど整備部隊も消耗する。

 かといって、放置していては一発あたり数百キロの炸薬が真珠湾かホノルル市か、とにかくオワフ島のどこかで炸裂するので無視もできない。無視されたらされたで、適当な位置で墜落して敵に被害を与えることが無人飛行爆弾の第二の役割だ。
 V1号兵器こと梅花のコストパフォーマンスはどんな爆撃機よりも圧倒的に安上がりなのだ。なんといっても人が乗っていない分戦死者が出にくい。

 戦記物などで「熟練操縦士は同じ重さの黄金よりも貴重だ」と言われるが、これは全くの事実であり誇張ではない。
 操縦士と競馬の騎手は1グラムでも軽い方が良いが、操縦士の体重が日本人の平均よりやや重たい60キログラムだとして計算してみよう。
 仮に黄金1グラム1円の相場だとしたら、60キロの金塊は6万円相当の価値となる。たかが6万円なのだ。1グラム2円だとしても12万円である。
 今時の航空機、1940年下半期に第一線部隊に配備される新鋭機は機体の調達費用だけでも2万円はする。発動機の値段は機体と同等かさらに高い。実際にはこれに維持費も加わる。
 そして操縦士の値段は機体より高い。操縦士を一人前に育てるには機体の調達費用よりも金銭が要るからだ。

 短期間の促成栽培で腕が上がるのは才能に恵まれた者だけだ。普通の人間は一日あたり1時間からせいぜい2時間程度の飛行訓練を繰り返し、累積した飛行時間が何百時間にも達するまで飛び続けることである程度の技量を手に入れる。
 どの程度で一人前と見なすかは所属する組織によって異なるが、一般的には500時間程度の飛行経験がなければ実戦投入は難しいとされている。
 100時間では飛び立つだけで命がけ、200時間では飛んで帰ってくるのがやっと、戦闘の真似事が出来るようになるには300時間以上の経験が要る。熟練と呼べるようになるには800から1000の飛行時間が必要だ。

 当然ながら燃料を使わないと練習機は飛ばないし飛行機は飛ばし続けていれば何処かが必ず壊れる。大事に倉庫にしまっておいても壊れることは壊れる。
 そもそも現用航空機の主材料であるアルミ合金は、時間とともに強度が落ちていく性質を持つ。
 陶磁器と同じく地面に落とせばまず間違いなく壊れるし、陶磁器と違って落とさなくても使わなくてもいずれ壊れるのが航空機なのだ。
 
 燃料や部品代だけではない。どんなに圧縮しても半年やそこらはかかる実地の訓練期間中ずっと、操縦士候補生も教官も練習機の整備員も基地の警備兵も事務員もそれらをまとめ上げる管理職も、飯を食うし風呂にも入る。給料だって支払わなければならない。
 これが意外と馬鹿にできない、近年の日本社会は景気の上昇もあって高賃金高物価の傾向があるからだ。その他様々な費用も計算に入れれば、どう遣り繰りしても操縦士一人を育てるのに数万円の費用が掛かる。

 一人前の操縦士が少なくとも万円単位の価値があるなら、一人で並の操縦士数人分から十数人分の働きをしてくれる熟練操縦士が黄金よりも貴重だというのは誇張でない。むしろ過小評価である。


 迎撃に飛び上がった側から見れば、無人爆弾を放置はしたくないが手持ちの弾は惜しいし近距離射撃の結果爆発に巻き込まれるのも嫌だ。
 となれば勇敢で腕に自信のある戦闘機乗りは、無人飛行爆弾に接近し自機の翼で軽く接触して平衡を狂わせ墜落させる‥‥という手段を思いつき実行に移すかもしれない。
 もしそうなった場合、飛行爆弾は失速して墜落を開始した途端に爆発する。

 V1号の機首部分には小型ラジオの親戚である特殊な信管が取り付けられていて、発射後数分でその信管は目覚める。そして一度目覚めたならばその信管は電波を発信して、己の放った電波の反射がある一定量を超えてから減退し始めると起爆する。
 つまり、V1号は飛行中に航空機など大型の金属塊が数十メートルの距離まで接近した後に離れようとすると、その瞬間に数百キロの炸薬が爆発するのだ。
 これは後に電波式近接信管として知られるようになる技術である。言うまでもなく、勇敢で機転の効く飛行機乗りをその場で仕留めるために考え出された兵器だ。

 合衆国でも一人前の飛行機乗りを育てるには万ドル単位の資金が要る。それを一発あたり二百円しない飛行爆弾で仕留められるのなら万々歳である。
 もっとも開発費や周辺機材の費用も入れれば梅花一発あたりの費用は何割か高くなる。故に日本海軍はとにかく大量に飛行爆弾を射出して元を取るつもりだった。量産効果を実感するにはとにかく数をこなさないといけない。

 無論のこと、無人飛行爆弾にも弱点はある。兵器であるからには当然だ。
 一例をあげれば、この信管はアルミニュウムや錫などの薄い金属皮膜を空中に散布する妨害電纜(チャフ)や阻塞気球に弱い。それらの空中に浮かぶ電波反射物と接触しても信管が作動してしまうからだ。

 しかし、初陣ならば問題ない。
 合衆国の工業力は世界に冠たるものであるし、国民の工業的素養も高い。軍を含め行政機関の対応も速い。
 だが、いかに合衆国といえどハワイ攻略艦隊がこの日世界で初めて実戦で大規模使用する無人飛行爆弾の群への対抗手段は用意できない。
 ハワイ攻略戦において、のべ五千発以上打ち込まれることになる新兵器への対抗手段を、一日や二日で考えつき造り上げ充分な数を揃え、実戦部隊に配備することは不可能なのだ。

 
 飛行爆弾を送りだした、そして今もせっせと後続を送り込み続けている日本軍ハワイ攻略部隊は、無人兵器の群を先頭に押し立ててオワフ島に攻め込む。
 そして遅くとも三日以内に、できることなら攻撃開始したその日のうちにオワフ島の航空戦力を無力化する予定だった。

 一人でも多く敵兵を、それも高度な教育と訓練を受けた本職の軍人を殺傷し敵の継戦能力を奪う。
 それが開戦以来日本軍が実行し続けている対合衆国用の戦法だった。無人飛行爆弾はこの戦法に適した兵器である。なにしろ無人だから味方の死者がそれだけ減る。

 この日のために開発され製造され量産され配備され運搬された無人兵器の疎らな行列は、三々五々と雲の下をくぐって敵根拠地を目指す。
 それは戦争の有り様がまた一つ変わったことの証明だった。





     ・・・・・




 日米の開戦から約8ヶ月、そしてイギリスとついでのオランダとベルギーが参戦してから約3ヶ月が経過した。
 この3ヶ月大英帝国+おまけ2国はやられっぱなしだった。1ヶ月で香港が包囲され、シンガポールを失い、そしてジャワ島やスマトラ島など東南アジアの殆どの地域が日本軍により占領され、現地には雨後のタケノコなみに新政権が発足した。

 ちなみに仏領インドシナは現地政府の判断で日本軍の進駐を受け入れ、後にヴィシー・フランス共和国に合流した。

 2ヶ月目の終わりが近づいた7月の下旬、在比米軍もろともフィリピン政府が降伏する。マッカーサー在比米軍司令官兼フィリピン軍元帥は「私は部下達と運命を共にする」と、日本政府によるフィリピン臨時政権首班への指名を断り捕虜となった。


 2ヶ月が過ぎ、オーストラリアとニュージーランドは英連邦からの離脱と同時に日本との同盟樹立を宣言する。以後この二国は日本帝国の仲立ちによって協定諸国との講和交渉を続けることになる。
 英国から見れば裏切り行為だが、離脱した両国から見れば普段からさんざん搾取した上に戦争に巻き込んでおいて援軍も寄越さない宗主国に立てる義理はない。
 誰かを裏切った者が誰かに裏切られるのは当然ではないか。本人が落ち目なら尚更だ。

 落ち目どころか大英帝国は破滅の坂を転がり落ち続けていた。3ヶ月目に入りオーストラリアの支援を受けた日本軍はインド洋の制海権を瞬く間に奪取しセイロン島を制圧、現地に潜水艦根拠地などの拠点を構築しつつ中東及びアフリカ東岸への通商破壊を開始したのである。
 この動きに呼応して決起した反政府軍の早期鎮圧に成功したから南アフリカは落ちずに済んだが、インドはそうもいかなかった。

 インドでは穏健派から急進派まで無数の独立運動勢力がデモ行進や決起集会や独立軍蜂起を開始しており、補給の途絶えたインド駐留英国軍では最早統治を保証することは不可能となりつつある。
 放置しておいても半年以内に、日本軍が進駐を開始すれば瞬時に大英帝国は崩壊する。かの国が名乗る帝位はインド皇帝なのだから、インドを失えば帝位は名乗れない。


 地中海の戦いは決着がつきつつあった。3ヶ月待たずして地中海方面の英国軍空海戦力は崩壊したのである。陸軍はまだカイロとスエズ運河付近で粘っているが、補給が途絶えた以上降伏は時間の問題だ。
 この3ヶ月ちかくの間に地中海の英国籍の軍艦は残らず沈没し、今は僅か数隻の駆逐艦と補助艦艇がカイロ港にあるだけだ。その残された数隻もおそらくは3ヶ月目が終わる前にイタリア空海軍の攻撃で沈められるだろう。


 援軍はこない。補給もこない。
 マダガスカル島はドゴール将軍が率いる愛国フランス戦線に制圧されている。愛国戦線そのものはフランス植民地やその他の国々から寄せ集められた志願兵たちによる弱兵部隊に過ぎない。この場合戦闘能力そのものは期待されていないからそれで構わないのだが。

 志願兵たちの士気は高いが、ろくな統一訓練もしていない部隊に戦闘力を期待する方が無理だ。なので後援者である日本帝国は陸海軍がそれぞれ飛行師団と航空艦隊をマダガスカルへ送り込んでいる。航空戦力を守る陸戦部隊も。
 日本軍と比べると量では見劣りするが、愛国戦線にも航空戦力はある。
 主にドイツ軍の捕虜収容所から一人あたり物資いくらで引き取った操縦士や基地要員たちで構成されるこの飛行隊は、未だにまともな分列行進(パレード)ができるかどうかすら怪しい愛国戦線陸兵部隊に比べれば遙かにマシな戦力だった。

 それらの航空戦力による遮断だけでも厄介なのに、つい先日マダガスカル島に建造された海軍根拠地には日本海軍の潜水艦部隊が進出してきた。インド洋でも連合国海軍の立場は弱くなる一方だった。


 瀕死の英国海軍はもちろん、主力艦の殆どがドックか海底に留まったままの合衆国海軍にも南アフリカを救う力はない。半年後や1年後はともかく、現在の大西洋艦隊は東海岸とブリテン島の連絡線を維持するにも四苦八苦の有様だ。
 ケープタウン沖が日本軍の撒いていった繋留機雷で充満していても、申し訳程度の掃海艇を送るので精いっぱいだ。インド洋を押し渡って上陸作戦中の日本軍を叩きのめしてソコトラ島を救援することなどとてもできない。
 ましてスエズやカイロに至っては、辿り着くことですら奇跡が必要だった。

 ジブラルタル要塞は協定諸国軍に制圧された。スペインを牛耳る国粋派政府は8月10日をもって連合国に宣戦布告し、奇襲攻撃をかけてイベリア半島南端を奪回したのだ。当然ながらジブラルタル海峡も協定軍が確保した。
 宣戦布告と同時の攻撃は国際法違反だが、英国がイタリアにやったことと同じ事である。「英国を放置しておけばいずれ我が国も同じ目に遇う、ならばこちらから仕掛けるべし」というフランコ将軍の言葉にスペイン国民の大半は賛同した。もしくは積極的に反対しなかった。

 伊仏西の地中海主要国陸海空軍そしてドイツから送られてきた航空隊や空挺部隊などの猛攻により、地中海の英国拠点は次々と陥落した。マルタ島も落ちた。ギリシャやトルコなど地中海に面した国々は協定諸国につくか、中立を保った。


 通商路を守る海軍として、英国海軍も合衆国海軍もその能力は決して低くなかった。むしろ両国ともに世界屈指、全世界で三本の指に入る優秀な海軍だった。
 だがしかし、いくら潜水艦や商船改造の特設巡洋艦や少数の航空機への対処能力が高くともそれだけでは無意味だ。
 海上護衛能力だけが高くても、それだけでは艦隊空母や高速戦艦による通商破壊を防げない。高速戦艦は空母を除いた水上戦力に対して最強であり、艦隊空母は高速艦隊による奇襲以外の水上戦力に対して無敵だからだ。

 もちろん自分と同質同等の敵なら話は別だが英国海軍にも合衆国海軍にも、戦艦や艦隊空母を船団護衛に貼り付けるような戦力の余裕は残っていなかった。
 実を言うと元から合衆国には日本海軍基準で言えば高速戦艦なるものは存在しない。30ノット出ない戦艦は日本海軍から見れば高速戦艦ではないのだ。


 協定諸国軍の潜水艦や特設巡洋艦や飛行艇による通商破壊に苦戦していた連合国海軍は、それに加えて勢いに乗る協定諸国特にドイツ戦艦部隊と正面から戦わねばならなかった。

 それは余りにも無理があった。
 よく訓練された最新鋭の高速戦艦と五分に渡り合えるのは、同じ程度によく訓練された最新鋭の高速戦艦だけだ。そしてよく訓練された空母部隊なら高速戦艦に対しても優位に立てる。
 巡洋艦や駆逐艦では、余程の数の差がなければ戦艦には勝てない。というか5倍や10倍の差で巡洋艦や駆逐艦に負ける戦艦は戦艦ではない。よく言って「戦艦のようなもの」だろう。

 この時期の連合国海軍には、そんなもどきの紛い物を含めてすら僅かな戦艦しか残っていなかった。空母はそれ以上に希少である。
 もしもこの数隻を戦闘で失えば取り返しがつかない。艦は旧式の役立たずであっても、乗っている者たちは違う。
 彼らは再建される海軍部隊の中核となる貴重な人的資源だ。失えば海軍主力部隊の再建が更に遅れることになる。合衆国にも、高度な教育と訓練を受け経験を積んだ船乗りを量産できる工場はないのだ。
 なので高速戦艦と空母を使い通商破壊や根拠地攻撃を繰り返す協定諸国海軍に対して、連合国海軍は巡洋艦と駆逐艦の群をぶつけて対抗させるしかなかった。

 当然ながら、連合国艦隊は協定諸国海軍の高速戦艦群に蹴散らされた。
 それはそうだ。巡洋艦や駆逐艦で戦艦に勝てるのなら、戦艦を造る海軍など存在しない。

 現場の連合国海軍将兵は勇敢だった。むしろ勇敢に過ぎた。羊の群を守ろうとして牧羊犬たちは皆、羊たちと共に死んだ。
 彼らにまともな武器が、せめて普通に爆発する魚雷があれば違ったかもしれない。
 だがしかしこの3ヶ月はもちろん、開戦以来合衆国海軍が使っていた‥‥もとい使わされていた魚雷は、特に水上艦艇や潜水艦が使わされていた魚雷は戦史に残るゴミ兵器だった。



 
  【1940年10月11日 アメリカ合衆国西海岸 サンフランシスコ郊外】 


 
 「実際、バルバロッサは普通に沈みましたからね」
 「まあな。いくら旧式機とはいえ一度に40機以上の雷撃機に集られたら、俺でも逃れられんぞ」

 古びたケーブルカーが名物の街は、名物の存在で解るとおり坂の街である。当然ながら郊外には幾つも丘がある。
 その丘の一つには小さな墓地があり、丁度二人の男が墓参りを終えたところだった。

 一人は年の頃60前後の、初老の男。合衆国海軍の軍服姿だ。階級章は中将。
 小柄だが活力に満ちた、誰が見ても解りやすい闘志を感じさせる顔つきである。いかにも歴戦の強者と思わせる船乗りの顔だ。

 もう一人は長身痩躯で理知的な顔立ちをした、30代後半の男。こちらも海軍軍人である。階級章は中佐。
 痩躯というのは合衆国の水準で言えばの話であり、たとえば彼らと戦争中の島国の基準でいえば充分以上に逞しい体つきだ。
 この国にも「青白きインテリ」と呼ばれるべき層はいなくもないが、この男はそうではない。彼の肉体はその知性と同じく骨太である。


 二人が話題にしたバルバロッサとは、ドイツ海軍のフリードリヒ大王級戦艦の二番艦である。先月上旬に実戦配備された新鋭戦艦であったが、その軍暦は一月も持たなかった。
 兄弟艦のフリードリヒ・デア・グロッセと共に北大西洋で通商破壊を行っていたバルバロッサは、必要以上に陸地(ブリテン島北部)に接近してしまいソードフィッシュ雷撃機の一斉攻撃を受け沈没したのだ。
 次兄のあっけない死を教訓として、三番艦のモルトケは充分な完熟訓練を行ってから戦線に参加することになる。いかに強力な対空火器を搭載していても、使いこなせなくては意味がない。

 数波合計百機余りで押し寄せた英国軍の旧式複葉機が放った航空魚雷は特筆すべき長所を持たない平凡な代物だったが、同時に特筆すべき短所も存在しない堅実な兵器だった。
 合衆国海軍が使っていたような、まぐれが起きない限り直進せず命中しても信管が破損していない限り爆発しないなどという屑魚雷ではない。

 他の兵器はともかく、英国軍は合衆国製魚雷の供与だけは拒んでいた。頑なに拒んでいた。合衆国の魚雷を使うぐらいなら不足しがちな自国製魚雷の配備を待つ方がマシだと断り続けていた。
 実際の話合衆国の魚雷は、日本との戦争前から造られ備蓄されていた魚雷は、開戦から9ヶ月間に渡って造られ続けた魚雷は欠陥品だった。
 なかでも水上艦と潜水艦で共有装備となっていたMk14魚雷はどうしようもない欠陥兵器だった。

 戦間期から二次大戦勃発前に開発された合衆国製魚雷には共通した欠陥が存在した。水流の変化に弱くすぐに進路がずれてしまう上に、信管が欠陥品で命中しても作動しないのだ。
 航空魚雷にも共通部品として使われていた接触式信管は「故障していれば命中したら爆発するかもしれない」というとんでもない代物だった。
 Mk14魚雷に搭載された磁気感知式の信管は更に質の悪いしろものである。爆発するのだ。命中しなくとも、発射しなくとも。

 問題のこの磁気信管は調節が非常に難しく、調節しても時間と共に狂い出し、狂い出し方によっては再度の調節を試みた瞬間に信管が起動する。事実、ガトー級潜水艦アルバコアなど磁気信管の異常で失われたと思われる艦艇は少なく見積もっても10隻以上に及んでいる。
 そして完璧に調節しても信頼性が低すぎた。敵艦によるもの以外の磁気変動を拾って何もない水中で自爆することもあれば、敵艦の船体にめり込んでも爆発しないことさえある。
 日本帝国の資料には総計7本にも及ぶ魚雷でメッタ刺しにされた貨物船がそれでも味方の港湾まで逃げ込んだという例が、写真付きで残った程だ。


 当然ながら「こんなもの使えるか」「まともな魚雷をよこせ」と現場から怒りの声が挙がったが、海軍兵器局は頑として魚雷が欠陥品であることを認めなかった。

 戦死したハズバンド・キンメル提督の後を継ぎ、太平洋艦隊司令長官となったチェスター・ニミッツ提督は元々潜水艦が専門だった。
 魚雷の信頼性云々と聞いて関心を持つのは当然であり、極めて有能な司令長官である彼が直々に編制した調査チームは調査開始から一月足らずの間に合衆国製の魚雷が欠陥品であることを突き止めた。
 だが、魚雷の製造元も設計者も「現場の言い逃れである」「海軍が自らの無能と臆病を魚雷のせいにしている」と主張して譲らなかった。

 開戦前は腐れ魚雷を秘密兵器と称しろくに訓練もさせず、実戦で証明された欠陥を頑として認めない開発・製造側に対するニミッツ提督の怒りは激怒とかそんな生易しい言葉で表現しきれるものではなかった。
 一時期の太平洋艦隊司令部では「トンプソンマシンガン片手に兵器局へ殴り込みかけようとする司令長官をスブルーアンス提督が羽交い締めにして止めているのを見た」という噂話が、知り合いがその知り合いから聞いた話としてまことしやかに語られた程だ。
 無論のことそれは無責任な噂話であり事実ではない。実際に抱きついて止めていたのは情報参謀のロシュフォート中佐である。


 ニミッツ提督の趣味の一つは射撃であり、集中力維持とストレス発散のために司令長官となってからも毎日射撃を行っていた。一々射撃場まで行く時間が惜しいので司令室の隣りに射撃場を造らせた程だ。
 なのでニミッツ提督は執務用の机から立って歩いてドアを二枚くぐれば銃が撃てる環境にある。
 ちなみに射撃場の標的(ターゲット)に貼りつけられている写真は永田首相や豊田連合艦隊司令長官のものではなく、ノックス海軍長官やスターク大将など米海軍高官たちのものである。キング中将の写真は本人が戦死してからは貼られていない。


 結局この問題は今ある魚雷の問題を解決するのではなく、兵器局の息がかかっていない設計者に新型魚雷を作らせてその魚雷を正式兵器として採用させるという手段で解決された。
 新型魚雷の開発を依頼されたアインシュタイン博士たち研究チームは依頼から3ヶ月余りで新型魚雷の開発を完了し、増加試作された新型魚雷は、何よりもその信頼性と量産性でニミッツ提督たち海軍将兵を狂喜させたのだった。
 今度はきちんと作動する磁気信管付きである。事実としてこの魚雷が出回り始めてから日本海軍をはじめ協定諸国の船舶損失グラフは大きく跳ね上がるのだ。
 兵器局としても内心はどうあれ、性能緒元(スペック)で全般的に優るうえに調達費用が半額近くまで下がった新兵器を不採用に追い込む事はできなかった。なにしろ敵は大統領直属の研究チームである、成果を握りつぶせる相手ではない。


 「光が曲がるの棒が縮むの、訳の解らんことばかり言う奴かと思ったがちゃんと仕事できるんだな」
 「アインシュタイン博士は物理と数学の大家ですからね」

 物理も数学も実学の極みである。新兵器開発だけでなく、戦争の様相とその因果を究明するオペレーションズリサーチなどの研究は直接的に合衆国の戦力を高めていた。ノーベル賞科学者は伊達ではない。
 実際には彼一人の功績ではなく彼の名の下に集まった者たち全員の功績なのだろうが、こういうことの注目が中心人物に集まることは珍しくもない。

 
 魚雷がまともになった。それ自体は喜ばしいが、それだけでは戦局はひっくり返らない。


 1940年9月3日、日本軍は遂にハワイ攻略作戦を開始する。日本側の思惑としては6月までには実施したかったようだが、英国の参戦やらなにやらで遅れていたのだ。
 上陸を図る攻略部隊は牛島満中将を司令官とする第21軍(軍団)。それに海軍特別陸戦隊第1連隊と第2連隊。
 合計四個師団分、7万人強の大兵力ではあるが攻略対象のオワフ島には合衆国の陸海軍及び海兵隊の精鋭が10万人近く立て籠もっている事を考えればいささか少なすぎる人数だ。

 攻者三倍の法則によれば30万人、そこまでいかずともせめて防衛側の倍はなければ攻略は難しい。少なくともより苦労する。
 しかし同時に幾つもの戦線を抱えている日本帝国に戦力の余裕は少なく、ハワイ攻略は上記の陸上戦力で試みられることとなった。
 もちろん海の上を歩いて行く訳にはいかないので、船に乗り空海の護衛を付けて運ばれることになる。


 ハワイは合衆国陸海軍の重要拠点である。なかでもオワフ島の真珠湾は本土のノーフォークやサンディエゴと比べ海軍根拠地としての格は一歩劣るものの、金城湯池の大要塞であった。
 日英開戦から二週間足らずで陥落してしまったシンガポールなどとは規模も防御力も桁違いだ。

 現在の太平洋艦隊に稼働する大型空母はない。だがオアフ島各地に散らばる飛行基地は艦隊空母数隻分の戦力として換算できる。
 海上戦力に対する陸上要塞と砲台の優位は言うまでもない。艦は沈むが砲台は沈まないのだ。
 戦闘区域の測量が完璧であることや照準装置の数と精度が艦船に積んであるものとは比較にならないこと、艦船と違い波風による動揺がない事などを考えれば、攻撃力でも陸上砲台は圧倒的優位にある。
 オワフ島砲台群の戦力は最新鋭戦艦10隻分以上に換算できた。 

 攻める側の日本海軍も無策ではない。開戦前から溜め込み続けていた飛行爆弾を総計五千発、間断なく撃ち込み続けて防衛側戦力を消耗させつつ有人機は攻略艦隊付近に留まり防御に徹した。
 合衆国陸海軍は日本側空母を無力化すべく攻撃隊を送り込むが、連合艦隊は機動部隊と攻略部隊の手前に6段12列に及ぶ防御陣を展開しこれを防ぎきる。
 米軍の攻撃隊は日本空母部隊の本陣というべき第一機動戦隊旗艦、空母紅鶴へ急降下爆撃機が辿り着くなど奮戦はしたものの大きな戦果はあげられなかった。至近弾で正規空母は沈まない。


 オワフ島からの攻撃隊を跳ね返した日本艦隊は攻撃に転じた。
 3個機動戦隊分の航空戦力、正規空母6隻(翔鶴・瑞鶴、蒼龍・飛龍、紅鶴・大鶴)と大小合計16隻(飛鷹・隼鷹・沖鷹・雲鷹・大鷹・祥鷹、大鳳・白鳳・天鳳・瑞鳳・祥鳳・龍鳳、千歳・千代田、瑞穂・日進)の補用空母、合計22隻1100機以上の航空戦力でハワイ諸島周辺の制空権を確保し、全ての障害を一つ一つ潰していく。

 艦艇や大型飛行艇から妨害電波を流して無線や電波探信儀を封じ、焼夷弾や煙幕で観測所の目を封じ、対要塞用の特殊弾を艦砲射撃と爆撃で浴びせまくる。
 それはドイツ軍がマジノ線相手に使った戦術の焼き直しであったが、効果は確かだった。
 焼き直しであるからには当然、マジノ線に使われた兵器のうちハワイまで持ってこれるものは極力持ってきている。
 超大型硬式飛行船に搭載され、上空一万メートル以上から投下され、電波誘導で高い命中率を誇る必殺の兵器。対要塞用12トン貫通爆弾もその一つだ。

 ドイツ第三帝国と日本帝国の共同開発品であるそれは、地上のいかなる人工物であっても耐えられない威力を誇る。
 音速の倍以上で飛来する、トン単位の高性能炸薬が詰まったタングステン合金の塊を防げる装甲など存在しない。将来はともかく現在のハワイにはない。

 あまりにも重すぎて、この爆弾を運べる飛行物体は大型飛行船ぐらいしかない。あとは開発中の六発巨人爆撃機ぐらいだが、各国で設計や試作が行われている段階の機体が1940年後半の戦いに間に合う訳もない。
 なのでドイツも日本も、今あるもので間に合わせている。

 いかに改修されたとはいえ飛行船は飛行船、前線に持ち込むには鈍重に過ぎる。なので独仏国境でもハワイでも、この兵器が使われるのは制空権を確保して尚かつ地上に上空一万メートル付近にまで届く対空火器がないことを確認してからである。
 結果として、連合国軍は飛行船を撃墜できなかった。独仏国境につづいてハワイ諸島でも。 

 日本神話に登場する雷神たちの名を与えられた八発の超大型爆弾はオワフ島の要塞群へ落ち、目標を瞬時に無力化したのだ。



 オワフ島の航空戦力は消耗を続け、要塞群は無力化した。だがまだ地上部隊が残っている。

 正式な開戦から9ヶ月。日米関係がいよいよ危ないと言われ始めてから一年余り、両国が実質的な戦争を始めてから2年以上が過ぎている。太平洋の要所であるオワフ島の防備は着々と‥‥予定より遅れ気味ながらも進められていた。
 飛行場はほぼ全て潰されたが、小型の砲台やトーチカといった防衛設備はまだまだ生き残っている。石油タンクなどの備蓄施設も地下などのより堅牢安全な場所に小分けされ隠されている。

 それらの正面切った設備だけでなく、日本軍に消耗を強いるための偽造設備も数多く作られていた。
 海軍がもう飛べないスクラップの旧式機をつなぎ合わせて、上空からなら稼働機に見える偽装標的を造れば陸軍も廃車に木材やブリキ板を貼り付けて戦車に見せかけた偽装標的を作り、それを見た市民も丸太を組んだり削ったりで人気のない場所に偽装砲台を建設する、といった具合に現場は創意工夫を凝らしている。

 ついには小屋や中身のない殻だけ倉庫を建て、平地を均して鉄板を敷いただけの滑走路に偽装戦闘機を並べ、周囲に十重二十重の偽装防空陣地を配した全部偽物の飛行基地まで出現した。
 実用主義で鳴る合衆国人であり、このニセモノ基地は緊急着陸などになら充分使える能力を持っており更に言うと機材と人員をトラックで運び込めば、短期間なら小規模戦闘機基地として使えないこともなかった。
 日本軍来襲後は実際に臨時基地として、数日間の激戦の末飛べる機体がなくなるまで使われ続けた。


 現地に残っている者も少なくないが、戦場となることが避けられなくなった頃からハワイ諸島から主に女子供老人達が本土へ避難を開始している。
 ハワイ近海にも西海岸にも日本の潜水艦がうろついていたが、それらはハワイから出る船よりも入る船を優先して襲撃しており、避難民に被害は少なかった。
 当然ながらそれら避難民は米国からの移住者やその子孫たちであり、現地民や日本などから来た移民は避難者として乗っていない。

 日系移民が船に乗っていない訳ではないが、彼らが本土に上陸することはない。
 この時期のハワイでは「日系移民が乗せられている輸送船は日本軍潜水艦の襲撃を受けない」という流言飛語(デマ)が流れており、ハワイ諸島の日系移民たちは祖国への戦争協力として「勇気溢れる志願者」がアメリカ本土とハワイとを結ぶ船団に乗り込んでいた。
 もちろん流言飛語に根拠や効果がある訳もなく、日系人が乗っていようといまいと沈む船は沈んだ。
 この勇敢な自主的志願者たちのなかには兵役を望む者たちもいたが、結局のところ合衆国はこの戦争で日系移民を徴兵することは最後までなかった。


 ハワイという、日系人が人口の三割を占めている特殊な土地だからこそ日系移民の戦争協力が可能だったのである。合衆国本土で吹く政治的な嵐は、日系人の徴兵などとてもできない程に激しくなっていた。

 後にイエロー・パージという実態よりもかなりまろやかな風味で呼ばれることになる、民主党の大物議員ヒューイ・ロングらが提唱した親日勢力追放運動は僅か数週間で全米に広がった。そしてもはや誰にも制御できなくなっている。
 市民権を持った合衆国の国民も単なる旅行者も区別無く、日本人いや大和民族の血を引く者であれば無条件で逮捕され財産没収の末収容所送りとなっている。
 正真正銘の日系人は無論のこと、日本系であるとの容疑を否定できなかった者たちも同様に。

 無論これは近代国家にあるまじき暴挙であり反対する者も少なくなかった。サンディエゴ市でも、日系人の妻を渡すまいとした公務員が警官隊と銃撃戦に及ぶ事件が起きた程だ。
 しかし、国際世論や人道の面から自制を呼びかけた政治家や大学教授などが相次いでスパイとして逮捕され、それら逮捕者の身辺を捜索した結果殆どの容疑者から実際に日本政府から買収された証拠が出た。

 その中には日米の開戦前後にルーズベルト大統領の外交方針を非難していた下院外務委員会の幹部、ハミルトン・フィッシュ議員などの大物も含まれており、今や知日派はもちろん日本人と黄色人種に少しでも同情したり配慮を呼びかける者は売国奴と決めつけられるようになってしまった。

 無関係どころか大別してしまえば日本とは敵対関係にある筈の中華系移民までもが暴徒に襲撃され、争乱を鎮めるために各地の州軍が出動する羽目になっている。
 特に暴動が激しかったサンフランシスコなどでは中華街が焼き討ちに遇い、その火は次々と引火して市街の2割近くが焼け落ちた。

 二人の視界に広がる町なみも人通りが少なく、焼け跡の整理も進んでいない。どうせこの街は日本軍によって踏み荒らされるのだからと、先月あたりから復興作業は中止されてるのだ。実際の話、今造り直しても無駄になる可能性が高い。
 今でも時々日本軍の爆撃機や無人飛行爆弾が飛んでくるし、僅かながらであるが被害も出ている。戦場となればもっと酷いことになるだろう。


 元々日系移民が多く商取引も盛んな西海岸では特にこのような事例が多く、既にカルフォルニア州だけで一万人以上に及ぶ内通容疑者が逮捕され取り調べを受けている。
 逮捕されなかった容疑者も千名以上に及ぶがそちらの捜査は進んでいない。死人は口をきかないからだ。

 内通の容疑をかけられた者の大部分は誤認逮捕であり濡れ衣を着せられただけだったが、二割弱の逮捕者は日系勢力からなんらかの不当な利益を‥‥不当かどうかは立証できなくとも帳簿には載っていない、偽札と思われる真新しいドル紙幣の札束や保証書付きの日本産真珠や保証書のない宝石類、日本帝国の刻印が入った金塊などの財産を持っていた。
 無論のこと逮捕された当人達は潔白を訴えたが、証拠品が出た以上は拘束して取り調べない訳にはいかない。現在の合衆国は黄金(ゴールド)の個人所有を禁止しているので、金塊を所有していること自体が犯罪だ。


 「売国奴を許すな」「薄汚い日本人を追い出せ」。合衆国市民の嫌日感情は高まる一方だった。その憎悪は日本と名の付くもの全てに向けられていた。
 西海岸では米国人が経営する日本料理店が開戦以来閉店中であるにも関わらず暴徒によって取り壊され、シカゴ図書館では図書館職員有志が翻訳された文学作品を始めとする日本関連の書籍をかき集め焚書を行った。

 類似の運動は合衆国全土で起きている。
 各地の日本式庭園などの施設は重機で破壊され、ポトマック川沿いを始め各地の桜並木が伐採された。書物や美術品はもちろん工業製品や民芸品なども日本関連のものは片っ端から壊されている。
 それは物質だけではなく文化面にも進もうとしており、各地の学校で学生や教師らが日本関連の資料廃棄運動を押し進められていく。

 これはつまり日本にかかわる全ての資料を廃棄し、それこそ全家庭の辞書から日本という文字を、最終的には概念そのものを抹消しようという運動である。

 実際の話、現在の合衆国都市部では中流以上の市民達が各々の家庭にある百科事典などを持ち寄り、日本関係の箇所を切り取ったり塗りつぶしたりするという「愛国運動」が毎週の日曜午後に行われており、参加を渋る者がいれば最悪焼き討ちに遇いかねない状況になっている。
 その過激さは悪名高きKKK団の所業すら穏健に見えるほどだった。


 この当時、世界地図を見せて「どこが日本か?」と尋ねて、正確に指差して示せる合衆国人は百人に一人もいない。
 元より合衆国人の九割はインドとエジプトの区別が付かないし、六割はテキサスとフロリダの区別も付かない。流石にワシントン州が東海岸にあると思いこんでいる者は、半分程度に留まる。

 実を言えば日本に関しては、知識として知っていて他の国‥‥例えば日本列島とフィリピン群島の区別ができる人数は指差せる人数よりも多い。知識だけでなく知恵も持ち、示した後で自由を保てる力を持っていないと自覚できる者は知らないふりをしているだけだ。
 桁外れの権力暴力またはその庇護を持たずして実際に地図を指差して正解を答えてしまった者の末路は、まあ、言うまでもない。


 他の文明圏から見れば異様に感じるかもしれないが、合衆国人の心理からすれば当然の仕儀であった。

 現在の、そして過去にも合衆国の教育制度には性教育がない。性行為は即ち悪徳であり罪源であるという観念からだ。
 合衆国の普遍的感覚では、学舎で学童に対し性について教育することは悪事を学校で教える事なのだ。その罪は、日本社会で言えば理科の時間に生徒へ鳥兜や夾竹桃を使った具体的な毒殺技術を教えるよりも深く重たい。

 教育現場だけでなく市井でも性的な情報は厳重に規制されている。
 数年前、欧州で戦争が始まる直前に米国で制作され公開されたとある映画の中で端役女優が、一瞬胸元の素肌を見せたことが問題となった程だ。
 派手に世論が延焼した結果、映画館や監督の親族宅などが焼き討ちされる事態となり、問題となった映画は上映中止となった。

 火事を怖れて子供の手からマッチを取りあげる事は他国でも珍しくない。だがランプや暖炉も取りあげ、焚き火や煮炊きまでも禁じるのが合衆国の流儀だった。可能であれば「火」の概念すら取り去るだろう。

 合衆国の国教はキリスト教である。建前上は「信仰の自由(ただしキリスト教である限り)」が謳われているが、主流派はプロテスタントであり他宗派の形見は狭い。
 即ち、平均的合衆国人の思想は聖書を基幹としている。
 キリスト教、いやアブラハムの流れを汲む教義(DOCTRINE)は 痴愚=善 であり 知識=悪 である。原初の人が負った罪が知識なのだから。
 
 日本帝国と日本人を概念まで含めて抹消すべく躍起になっているアメリカ原理主義者たちにしてみれば、日本本土の場所を地図で指差せる程に知っているという事だけで有罪なのだ。


 参加者全員が、この「愛国」行為に心から賛同していた訳ではない。しかし反対や拒否はできなかった。かつてない脅威と国難のなかで、主流勢力に反するものは即座に裏切り者とみなされ弾圧された。
 合衆国市民達は、少なくとも市民の行動を仕切っている者たちは自主的に互いを見張り密告し、ときには通報する前に「裏切り者」と見なした者たちを私刑(リンチ)に処した。


 新聞の記事もラジオ番組も、主流派である排日論者・主戦論者・現政府支持者達の声で埋め尽くされた。 
 この時期の合衆国は、大手はもちろん中小規模までマス・コミニケーションの全てが共産主義者に汚染されていた。それも、何処の国にもいる資本論かぶれなどではなく、ロシアであるいはロシアから来た教官らに厳しく教育され統制された本物のコミュニストにである。
 後の調査で判明するが、日米戦初期の段階で実にその浸透率は二割以上。新聞社などの社員のうち五人に一人はクレムリンまで繋がっていたのだ。しかも時間を経るごとにその比率は上がっていた。

 無論、全ての業界人が屈した訳ではない。ごく少数の反骨精神溢れる報道人たちは改造品の無線機を使い、海賊放送という形で真実の‥‥彼らが正しいと信ずる報道を行っていた。報道する自由を為すために。
 そして彼らの殆どは短時間のうちに檻の中か地面の下に引っ越した。自由の報道を聞いた合衆国市民の大部分は、政府や大手メディアの発表と違う報道を信用しない自由と、愛国的でない地下放送を受信したことを当局に通報する自由を行使したからだ。

 報道媒体でも公共の場でも言いたいことが言えなくなった者たちや、元から言うことができなかった者たちは口をつぐみ災難が自分の身に降りかからぬことを祈った。
 どうしても我慢がならなくなった少数の者たちは行動に移った。たとえば「日本人にもある名前だから怪しい、内通者かもしれない、いや内通者だろうきっとそうだ、そうに違いない」などという理由で暴徒に焼き討ちを受けた一家の主などは夜な夜な猟銃を片手に町はずれにおもむき、焚書の焚き火を目当てに発砲するなどの報復行動に出たりしている。

 現在の合衆国内は事実上の内戦状態、その二歩ほど手前にあると言って良かった。



 合衆国政府、少なくともホワイトハウスの住人達はこの狂騒を是認しており、むしろ煽っていた。
 大統領たちに諫言した者もいるが、それらの人物は速やかにホワイトハウスの人員名簿から消えた。真っ先に消えたのは胃潰瘍で入院中のコーデル・ハル国務長官だったが。
 
 明らかにルーズベルト大統領ら政府首脳は、この戦争を最後まで日本帝国と日本民族への敵意と憎悪を燃料として牽引させるつもりだった。文字通り、地球上から日本と名のつくもの全てを消し去るその日まで。
 無論、その過程には日本帝国の国家解体と民族の抹消も含まれる。意識的な意味でも物理的な意味でも。


 日本人だと、またはそのシンパであると判断された者にとっては最も軽い処分が砂漠の収容所送りなのだ。これでは日系人の戦力化など不可能であった。
 ハワイの日系移民は幸運だった。少なくともハワイでなら、多少の不自由さえ我慢すれば無事に生きていける。たとえくじ引きの結果輸送船に魚雷除けのお守りとして乗る羽目になっても、運悪く魚雷が当たるまでは生きていられる。
 魚雷が当たればまず生きていられない。彼らは船体に鎖などで縛り付けられているし、船が沈みかけているときに役立たずの「お守り」を回収したがる者はとても少ないからだ。


 攻略戦前でこの有り様なのだから、攻略部隊がやってきた戦場では余計酷くなるのは当然だった。
 ハワイ方面では、軍事基地や施設に数名から数十名単位の「勇敢な志願者」たちが人間の盾として入っている。
 この期に及んでも「日系人がいる場所には爆弾や砲弾が来ない」というデマが残っているからだ。志願者達がいようがいまいが、軍事的に価値のある場所にはこれでもかとばかりに集中攻撃をくらってしまうのだが。
 確かに日系人の居住区や集落には攻撃がこないが、それは軍事的に価値がないからである。試しに日系人集落のど真ん中に対空砲陣地を移動してみたら即座に攻撃されたので間違いない。



 攻略開始から1月余りが過ぎて、ハワイ戦線は日本軍の勝利が決定しつつある。
 防衛側の合衆国陸海軍および海兵隊は善戦していたが、制空権と制海権を握られ増援も補給もこない状況では勝ち目がない。
 どうにかしようにも、オワフ島近海に日本陸海軍の船がひしめいている状態では輸送船団を送ることはできない。一年後ならともかく今の合衆国海軍にはハワイ周辺の制海権を取り返す戦力がないのだ。

 現在稼働している艦隊空母はヨークタウンとエンタープライズのみ、しかも両方とも現在地は大西洋だ。太平洋にあるのは僅か数隻の商船改造護衛空母だけであり、しかもその護衛空母ですら補充する端から沈められている。
 これでは西海岸の哨戒行動ですら手に余る任務であり、事実として「出れば沈む」状態だった。現在残っている各種護衛空母のうち、四回以上の出撃経験を持つ船はボーグ1隻のみだ。

 小型機では航続距離が足りず、ハワイへは届かない。かといって大型機を護衛も付けずに出しても撃墜されにいくようなものでしかない。
 太平洋に連合国の戦艦は少ない。元から少ないのに8月末に脱出を計ったユタはサンディエゴ沖で被雷して沈み、修理中だったネバダは空襲を受け真珠湾のドックでへし折れている。

 潜水艦部隊は劣勢の中で奮戦を続けており、少なくない戦果をあげているものの戦局をひっくり返すには到底足りず、巡洋艦デトロイト率いる水雷戦隊がハワイ沖の日本艦隊へ夜襲を仕掛けたが、こちらは戦果らしい戦果を出せぬまま半壊して帰ってきた。 

 それでも合衆国の市民達は、特に海軍の将兵達は希望を失っていなかった。劣勢の中で闘志を失っていなかった。
 合衆国軍は不敗ではなく、合衆国は無敵ではなく、アングロサクソン系コーカソイド人種新教徒は不死身の半神などではない。
 だがそれが何だというのだろう。これは戦争なのだ。
 絶対に勝てる相手と、何をしようと負けようのない相手との戦いが戦いと呼べるだろうか。
 戦争であるからには勝ち負けがあるのは当然であり、今の戦況が思わしくなくとも最後に勝てばそれで良いのである。


 その掲げた正義の輝きがくすまない限り、合衆国人の闘志は尽きることなどない。

 敗走の混乱の中で、最も早くこの事実に気付き兵を叱咤して秩序を回復させ、被害拡大を抑えたのがウィリアム・F・ハルゼー中将であった。彼は狼狽する水兵達を怒鳴りつけ、言い放った。

 「聴け野郎ども! 俺達は確かに負けた。だが俺は諦めん。今日の屈辱は百倍にして奴らに返してやる!
 俺は貴様らに難しいことやれとは言わん。三つだ、たった三つのことだけをやり遂げろ。
 キル・ジャップス!(日本兵を殺せ!) 
 キル・ジャップス!(日本兵を殺せ!)  
 キル・モア・ジャップス!(とにかく日本兵を殺せ!) 
 これだけだ」

 この演説は彼の部下達だけでなく、海戦の敗北に衝撃を受け動揺していた合衆国市民の士気を大いに盛り上げた。
 以来ハルゼー提督は合衆国海軍一の有名人となり、不屈の闘将としてもてはやされている。
 本人としては件の演説は、有名になってしまったシメの部分よりも前半部分の方がより重要だったのだが。

 「奴らをモンキーと呼ぶのは止めろ。奴らが猿なら奴らにやられた俺達はなんなんだ、虫けらか?
 いいか、敵を侮るな、尊敬しろ。
 奴らは、ジャップの雷撃機は水平線の彼方から水面を舐める高度で突っ込んできて、対空砲火の中を艦の1000ヤード手前まで接近して魚雷を放っていきやがったぞ。
 貴様にそれができるのか? 
 俺はできん。だから奴らを認める、尊敬する。そして叩き潰す!」

 カルフォルニアだけでなく、今や合衆国48州で「キル・ジャップス!(日本人を殺せ!)」が合衆国市民の合い言葉になり、夜な夜などころか真っ昼間から堂々と行われる焚書や文物の破壊といった文化破壊活動の標語と化してしまっている現状はハルゼーにとってさぞや心外だろう。

 ハルゼー自身は知日派でも親日派でもない。合衆国海軍軍人の平均と比べてもなお日本人は嫌いな方だった。敵国の、異人種で異教徒で皇帝の下僕である連中に好意を抱く訳がない。
 そもそもハルゼーという男は全ての外国人を嫌っているし、合衆国人であってもその大半を嫌っている。
 味方でない者は全て敵であり、敵は幾らでも嫌いになれるという戦闘要員として得難い資質を持っているのだ。
 戦争が始まってからは更に日本人が嫌いになったハルゼーだが、それでも敵を知るために日本の軍事情報や文化なども遅まきながら学んでいる。敵を知らずに戦える訳がない。

 ただ、完全にいなくなった訳ではないが無意味に日本軍を侮る者は少なくなった。たとえば合衆国の新聞に載る風刺画の一枚には、丸眼鏡をかけた出っ歯の巨大ゴリラと戦うアメリカ軍の姿が描かれている。
 相変わらず一般的な合衆国人は日本軍を猿呼ばわりしているが、舐めてかかる者はかなり減った。


 「お前が書いた作戦書は読んだ」
 「どれですか?」
 「ギムレット作戦とかいうやつだ」
 「ああ、はい。どうでしょう? ただ一点を除けば悪くない案だと思いますが」

 墓参りに来ていた二人の男、その年輩の方であるハルゼー中将は一点こそが問題なのだと、こめかみを痙攣させながら言った。

 「突入した部隊の生還は不確実。こんな作戦が作戦と呼べるか」

 この場合の「不確実」とは軍隊風の言い回しであり、一般社会で使われる言葉に訳すと「奇跡が起きない限り生還者は出ない」という意味になる。

 「ですが、現状では唯一日本軍に痛手を与えられる作戦です。ブッシュマスター作戦もさほどの効果はあがっていませんし」
 「効果なんぞ最初から期待しとらんだろうが、お前は」
 「はい。それが何か?」

 日本陸軍の体質を揶揄または自嘲する言葉に「用意周到、動脈硬化」とか「規律遵守、頑迷固陋」とかいうものがある。陸ばかりでなく海の方にも、更に言えば軍隊だけでなく日本人の造る組織には多かれ少なかれ似たような傾向があった。
 隅々の細かいところまで計算された彼らの行動は、予想通りいけば絶大な効果を発揮する。しかし想定外の事への対処能力は高くない。
 つまり効果が薄いということは、その策は日本軍にとって想定済みだということだ。その事実が確認できただけでもブッシュマスター作戦は無意味ではない。


 ハルゼーの前に立つ中年男は怜悧な頭脳と穏和な物腰を持つ、有能な参謀将校だった。つい2年前までは。
 いや2年前の秋からも有能な参謀であることは間違いない。
 現に彼は世界各地での日本軍の作戦や戦闘情報を分析して、圧倒的優位にある敵に一撃を与える作戦を立てていた。

 彼が先日作り上げた作戦案「ギムレット」は、その名のとおり錐の一刺しにも似た必傷の策だった。ただし成功すれば、の話であり失敗すれば貴重な戦力が無駄になる。
 運と偶然に頼った、敵失に期待せねばならぬ投機的な作戦でありその上最大限に成功しても、投入した戦力の帰還は絶望的という、ろくでもないしろものである。
 だがしかし、現在の太平洋艦隊水上部隊にもっと有効な策が取れるのかというと、微妙なところだ。




 ハワイ戦線を消化試合気味に安定させた日本軍はその勢いのままアメリカ西海岸まで押し寄せてきた。それは明らかに急ぎすぎの軍事行動であり、日本軍にも余裕がないことを伺わせるに充分だった。
 日本軍の本土攻略部隊を迎え撃つために、合衆国陸海軍‥‥正確に言うとこの中佐は連動する幾つかの作戦案戦術案を立て、準備に勤しんできた。

 その作戦の骨子は極めて単純である。カルフォルニア州に点在する航空基地に航続距離の長い機体を出来るだけ用意して、日本艦隊を発見したらそこへ一斉に向かわせる。それだけだ。
 一斉に、といっても全ての基地から全機同時発進などできる訳もないし、できたとしても基地の位置や機体性能、気流の状態や搭乗員の技量などで大幅にズレが発生する。
 つまり敵から見れば数機から十数機の攻撃隊が多方向から絶え間なく押し寄せる展開になる。

 確かに日本軍は精強だろう。だが所詮人は人であり機械は機械に過ぎない。どんなヘボ相手でも出撃しないことには敵機は迎撃できず、燃料を消費しなくては飛ぶことはできず、弾を撃たないことには撃墜できない。
 そしてどんな名機も飛べばその度に補給と整備が必要で、ベテランの搭乗員でも作業を続ければ疲労が溜まる。いつか限界がくるのだ。

 兵器と兵員の質で大きく劣る迎撃側が、日本軍の本土侵攻を食い止めるにはこの一斉飽和攻撃に賭けるしかない。
 日本側の制空権、上陸支援能力、陸上部隊、補給物資、兵站能力、そして士気。これらのどれか一つでも破綻させることができれば状況はぐっと楽になる。
 たとえ撤退に追い込めなくとも橋頭堡の確保を遅らせることができれば上出来だ。上陸と占領の速度を遅らせることができれば、補給線の短い合衆国側が有利となるだろう。

 後がない合衆国陸海軍はこの作戦案を採用。西海岸地域からの工場や住民の疎開と合わせて大車輪で準備した。
 飛行基地を拡張あるいは新設して運用できる機体を増やすだけでなく、促成栽培で最低限必要な能力を持った搭乗員を量産して用意したのだ。

 促成栽培だからまともな腕の飛行機乗りではないが、妥協するしかなかった。
 とにかく無事に飛んで、帰って、着陸する技量があれば良し。急降下や空中戦の技術など必要なし。
 彼らは半ば囮であり、弾避けなのだ。敵艦の撃沈など期待していない。しかしたとえ機銃掃射でも簡易焼夷弾でも、輸送船を火達磨にしたり駆逐艦に魚雷や爆雷を捨てさせるぐらいの戦果は望める。
 それらの戦果が積み上がれば、日本軍に音を上げさせることもできるだろう。

 洋上航法ができるに越したことはないが、駄目なら駄目で良い。後方の司令所からでも大雑把な方向指示はできるし、最悪の場合、探しても敵が見つからなければ爆弾を捨てて帰ってくれば良いのだ。無事帰ってきてくれればまた出撃できる。
 故に、用意されている機体には必ず電波式の方位計が取り付けられ、搭乗員たちにはたとえなにがあろうと燃料が厳しくなれば西海岸からの電波をたどって帰還するように厳命されていた。
 もちろん軍直営の放送局は24時間体制で電波を流し続けている。その電波を頼りに新米飛行機乗りたちは日本艦隊を目指した。


 酷い作戦もあったものだが、戦艦も空母も足りず潜水艦も数が減る一方の合衆国が手早く拡充できる戦力は、もはや航空機しかなかった。
 水上艦艇は消耗しすぎている。船はともかく、これ以上船乗りが沈んでは海軍の教育態勢が崩壊しかねない。それに巡洋艦も駆逐艦もまずは大西洋での損失を穴埋めする必要があった。
 陸軍にしても火砲など重装備の量産には時間が必要だ。日本軍の97式中戦車と互角以上に戦える筈の新型戦車は未だに完成していない。

 もし、もしも合衆国の魚雷が開戦前からまともな代物だったなら、何隻もの潜水艦が生き延びられた。それに乗っていた優秀な潜水艦乗りたちも。彼らの無念を思うと中佐も腸が煮えくりかえる。
 彼も激昴したニミッツ長官の殴り込みを止めたものたちの一人だが、それは軍人の矜持ゆえにであった。計画殺人ならまだしも衝動に任せた突発的殺人など軍人のやることではない。  


 計画的に効率よく、どうしても避けられない必要最小限の味方を、最大限の戦果と引き替えに殺す。その方法を考えるのが参謀の役割だ。
 故に彼が立てた作戦は航空機による飽和攻撃だけではない。
 そのうちの一つ、ブッシュマスター作戦とは魚雷艇を潅木などに潜む毒蛇に見立てた命名だ。

 一斉飽和攻撃は一度だけでは終わらない。日本軍が西海岸にいるかぎり行われる。たとえその上陸を防げなくても。
 小型漁船改造の魚雷艇や爆薬を搭載した動力ボートの群を、上陸態勢に入った日本艦隊に向け一斉に突入させる。もちろん数しか取り得のない突入部隊はろくな成果をあげられないだろう。およそ戦力と呼べるような存在ではないのだ。
 しかし日本軍をたじろがせ、煩わせることはできる。

 彼らが怯んだところへ、今度は大陸奥側の遠隔地から飽和攻撃部隊が飛来する。カルフォルニア州の奥地やユタ州オレゴン州などに待機させてある攻撃部隊を移動させるのだ。そして同時に残存潜水艦部隊が出撃する。
 潜水艦、陸上砲台、水上自爆ボート、航空機。それらの一斉攻撃は確実に日本軍を消耗させる筈だった。少なくとも今度の魚雷は当たれば必ず爆発する。

 このなかでは急造魚雷艇や自爆ボートは囮の役割が大きく、戦果は特に期待されていない。発案した者にすらも。
 爆薬を搭載したボートを操る操縦員たちは敵艦へ突入する直前に海へ飛び込むことになっているし救命胴衣も与えられているが、戦闘中の海に飛び込むこと自体が危険行為だ。もちろん救助活動もするが、西海岸一帯は鮫の生息域でもある。
 というか、まず敵艦に接近すること自体が難しく、生還率は怖ろしく低い。だが発案者はそれを許容できる水準の損失と捉えていた。

 合衆国人の機械への素養は高い。元気な若者なら自動車を操れない方が少数派だろう。つまり誰でも最低限の訓練でトラックなどの運転手が務まる。
 同じく操作が簡単な、小型で安価な動力ボートならそこらへんの若者を集めて何日か訓練すれば使えるようになるのだ。囮としてならば。
 ボートは適当に調達できる。丈夫な船体にトラックの発動機を積みスクリューをつけ燃料タンクその他と爆薬を載せれば良いのだ。ボートも人間も、合衆国の国力ならいくらでも用意できる。

 これまでの全ての自爆ボート部隊の損失を合計しても、たかが三百か四百名が死ぬか行方不明となっただけではないか。もし全て無駄弾で終わっても合衆国全体から見れば取り返しのつく被害でしかない。
 いや、その犠牲は無駄ではない。猟師がうっとうしい蝿や虻に気を取られれば灰色熊の接近に気づかなくなるのだから。
 ブッシュマスター作戦の意義はそこにある。敵に、足下にいるかもしれない毒蛇に気を取らせ続けることが大事なのだ。


 「外道にも程があるな、おい」
 「提督は依然変わりなく、特殊攻撃部隊に反対し続けてください。同意などされては声望に傷が付きますから」
 「心配いらん。俺は今でも反対だ」

 未来ある若者を死地に追いやる。それは戦争では当然のことではあるが、それでも守られるべき一線はある筈だ。
 古風な男であるハルゼーはそう思っている。思っているし人命を使い捨てにする作戦には反対している。だが軍人なので命令には従う。従わなければ軍人でない。

 「まったく、どこからこんな作戦思いついたんだ」
 「ミニットマンの像ですよ。『人々よ鍬を捨て銃を取れ』」

 市民が各個に武装し、己の力と判断で生命・財産・尊厳を守る。それは合衆国の国是である。一説によれば、合衆国人が世界人口に占める割合は5%弱であるが合衆国内に存在する銃器は世界の半分以上だとまで言われている。
 都市部はともかく、ちょっと田舎に行けば誰でも銃を持っているのがこの国だ。田舎ならどこの家庭でも、寝室や納屋や車庫には古びた猟銃や拳銃の2丁や3丁は置いてあるものなのだ。
 都市部にだって銃砲店はある。用心のための散弾銃をカウンターの裏へ置いていない小売店の方が少数派だ。


 合衆国にはミニットマン(民兵)の伝統がある。市民は農奴ではなく、武装して自らを守る権利がある。
 この中佐は怜悧な頭脳の持ち主であり、西海岸へ用意された戦力では日本軍の上陸と侵攻を水際で防ぐことが難しいことを悟っていた。海空はまだしも陸上の戦力が少なすぎ、上陸を試みる敵軍の足止めができないのだ。
 入り口で防げないのならば奥に誘い込んで罠にかける。その結論に達するのは当然である。

 「合衆国は自由の国、そして世界一の工業国です。つまり至るところに銃と工具と燃料と爆発物があり、それらを扱える人間がいるのですよ。誇り高く自立心に富み武装した人々が至るところにいる、侵略するにこれほど適していない土地も珍しいでしょう」
 「市民に犠牲を強いるのか、志願兵だけでは足りずに」
 「強制はしません。できる訳がありません。合衆国は自由の国ですから。それに日本軍はその伝統的文化的に、無辜の民へ過度の仕打ちはしませんよ。彼らほど民衆の怒りを、その怖さを知っている軍隊はありませんから。
 その分無辜ではない者に対する仕打ちは冷酷になるのですが、それは致し方ないでしょう」

 人を撃つ自由は人に撃たれる自由でもある。侵略者とはいえ軍隊に発砲しておいて反撃されたら虐殺だと言い張るのは‥‥まあ、この国では日常茶飯事だった。
 合衆国では事の正邪は裁判所で決めるものだし、合衆国の裁判はごく僅かな例外を除いてより高額の報酬を弁護士に支払った方が勝つのだ。
 この国の倫理は石器時代から変わっていない。正しいか否かは、どちらの発言がより現実に即しているかでは決まらない。昔はどちらがより立派な棍棒を持っているかで決まった。今は積み上げた札束の厚みで決まる。

 勝てば官軍。最終的に戦争に勝ちさえすれば良い。あと一年間戦争を続けることさえできれば合衆国の勝利は確実だ。勝てばあとはなんとでもなる。人類の歴史上、国際法廷で裁かれた戦勝国は存在しない。



 中佐は、戦争を終わらせるものは国民の納得であると考えていた。少なくとも日本人相手の戦争ではそうなると、二度の日本滞在で考えるようになった。
 もしもこの戦争が、両国の中枢が望んで始めた戦争ならば終わらせることができるのは国民だけだろう。日本人ならそう考える。

 と、言うか日本が合衆国に勝てるとしたらそれしかない。
 日清日露と同じく、国力で優る敵に対し戦術的作戦的な勝利を積み重ねたうえで後方を攪乱し、継戦意欲を損なわせる。そこからが勝負所だ。

 では合衆国はどう戦うべきか。ひたすら守りを固めて反撃できる戦力が揃うまで待つべきだろうか?
 そうできるならそうしたいが、おそらくは無理だ。こちらからも殴り返さなくては士気が持たない。士気が崩れたらもう戦争は続けられない。合衆国の市民達が「この戦争は負けだ」と納得してしまう。
 
 故に、納得などさせてはならない。今更止める訳にはいかないと思い詰める所まで追い込まねばならない。両国の国民を。
 そのために、なるべく短時間で派手に容赦なく血を流させる。そして流した血に見合うだけの成果を、国益をもぎ取れと国民に唱えさせるのだ。
 合衆国の勝機はそこにしかない。戦いを長引かせることが勝利への道なのだ。
 短期決戦では勝てないが長期戦に持ち込めば勝てる。そして勝てば全てが手に入る。

 ここで負ける訳にはいかない。戦闘はともかく戦争で負けてはいけないのだ。
 戦争で負ければ、合衆国の市民は正義を信じることができなくなる。
 合衆国はドイツとは違う。象でも恐竜でも、巨体の生き物は巨大であればあるほど転んだときに負う傷が大きいのだ。一度倒れた合衆国が再び立ち上がることは不可能ではないが、大変な労力を必要とすることは間違いない。
 ドイツ人達は20年でやったが、合衆国人たちに同じ事ができるかどうか。やはり無理をしてでも勝つ方が選択肢として無難だ。

 勝ちさえすればなんとでもなる。
 勝てば西欧を英国が、東欧をロシアが、極東をチャイナが、そしてその他の全てを合衆国が手に入れる。


 「なあ、この戦争の根本的原因はチャイナ問題だったよな?」
 「大元をたどるとそうなりますね。マンチュリアを直接的に、そしてチャイナをそれと比較すれば間接的に勢力圏に入れようとした日本と、二つとも影響下に置こうとした合衆国との利害対立が原因です」


 結局の所、戦争の原因は99.9%経済だ。食えないから、あるいはもっと儲けたいから戦争に走るのだ。
 極東の国際問題とは詰まるところ、日本帝国というチャイナ地域警備員の職務範囲と権限と俸給を何処まで認めるか認めないかの諍いに過ぎない。
 
 「チャイナの資源や市場って、そこまで魅力的か? 何万何十万何百万の兵隊や市民を死なせてまで手に入れないといかんのか?」

 建国以来、アメリカ合衆国の対中貿易額が対日貿易額を上回った時期はない。チャイナ市場は広大であるが肥沃とは言い難く、得られる利益の上限もさほど高くない。
 当然の帰結である。合衆国の現政権とその後援者たちが夢想するほどにチャイナが魅力的な場所ならば、清朝末の時点で列強諸国によってチャイナは完全分割されていただろう。鶏の肋骨は食うに食えない部位だから生ごみ寸前の扱いを受けるのだ。

 合衆国側が対中貿易が上手く行かない理由を、現実を無視して日本帝国へ押し付けた事がこの戦争の主因である。
 対する日本側も国内の不都合を、事実を意図的に曲解して合衆国へ責任を擦り付けたのだからお互い様だが。


 「発端や経過や最終的な形はどうあれ、手に入れるべきです。さもなくばまた大恐慌が起こるでしょう」

 1929年10月24日に起きた株式暴落から始まった大恐慌は、結局は需要が供給に追い付かなくなった事が原因だ。それまでの世界構造では供給が需要を追い続けるものだったが、今世紀になって合衆国の生産力は人類文明の需要を満たしきってしまった。
 需要を満たしてしまったために供給過多に陥り、物の価格が維持できなくって経済が破綻した。大恐慌の本質とはそんなものだ。かつてなく巨大に、世界の国々を跨ぐほど膨らんだ経済の残骸は人々をかつてない重量で押しつぶした。

 そして、今は戦争特需により経済は持ち直した。戦後も復興が続くうちは大丈夫だ。
 だが、放置しておけば必ず次の大恐慌が起きる。
 合衆国には豊かな市場が必要なのだ。合衆国の生産力を吸収するために。

 「チャイナとインドと東南アジアを我々の市場とすれば、半世紀やそこらは持つでしょう。適切な範囲内で戦争を起こし続け新たな需要を作り続ければ、100年でも200年でも大丈夫な筈です」
 「適切な範囲、か」
 「はい。まあ、10年程度の時間をおいてそこそこの規模で戦争を行えばなんとかなるでしょう」
 「その度に若い者が死んでいくのか。やりきれんな」
 「アレクサンドロス大王は言ったそうですよ、 「こんな強力な兵器を使って戦争を続けたならば世界が滅んでしまうだろう」 と。彼が見た物は革紐の束を捻って飛ばす方式の投石機械(カタパルト)だった訳ですが」


 中佐は語る。誰が嘆こうが喚こうが、戦争は起きる。いつか誰かが本当に世界を滅ぼしてしまう兵器を開発するまでは、と。
 使えば世界丸ごと滅ぼしてしまう究極兵器。
 それが開発され実用化されたならしばらくの間、大きな戦争は起きなくなるだろう。たった一回分だけ、その究極兵器を使った全面戦争を計算に入れなければの話だが。

 「なあ、エド」
 「何ですか提督?」
 「お前は憎んでるのか、この国を」
 「まさか。私は愛国者ですよ」

 太平洋艦隊情報主任参謀エドウィン・T・レイトン中佐は心外そうな顔をした。納得していなさそうな顔つきの上官を納得させるべく彼は言葉を続ける。

 「確かに妻と息子は天に召されました。あの愚かしい騒ぎで」
 「憎くはないか、宇宙人が襲撃してきたと放送した馬鹿も、それを信じ込んだ馬鹿も、馬鹿の起こした騒ぎに便乗した下衆も」

 1938年10月30日、あるアナウンサーがラジオ番組に斬新な演出を加えて放送した。そして彼にとっても予想外の反応が起きた。
 そのドラマの臨場感があまりにも優れていたが故に、ラジオ聴者たちがパニックを起こしたのだ。
 サンフランシスコ市でも暴動が起き、結果的に数百人の死傷者が出た。その中には当時大尉だったレイトンの妻と息子も含まれていた。
 二人は野球場からの帰り道で暴動に遭遇し、騒ぎに便乗した強盗に襲われ10ドルにも満たない現金を奪うために殺された。


 「ウェルズ氏は法の裁きを受けました、直接の犯人は警官に射殺されています。私が憎むべきは無知と貧困とそれが生み出した犯罪であって合衆国ではありません」
 「だが、この国以外でならまず起きなかった事件だ」
 「まあ、たとえば日本などでは起きなかったでしょう。単身赴任などするものではありませんね、あのとき無理にでも日本へ同行させていればと思ったこともあります。無意味な思考だと分かってはいるのですが」

 全米で2万人近い死者を出した大事件であるだけに、前述のラジオドラマを放送した放送局と制作者は処罰された。
 脚本を書いた、原作者と同じ名を持つ男は禁固8年の刑に処されている。

 事件のあった時期、レイトン大尉は駐日大使館海軍武官補として日本にいた。
 彼が東京や横須賀で見聞したものを分析してまとめた「レイトン・レポート」は日本の急激すぎる発展と軍備拡大について警鐘をならすものだったが、当時の合衆国海軍上層部の脳内にあった日本像と違いすぎたため一部の人間以外には無視された。


 「あれを大統領が読んでいりゃあな」
 「読んでますよ? 我らがFDRは」

 何だと? と眉をつり上げる上官にレイトン中佐は涼やかな声で尋ねた。

 「提督はアーネスト・デニガンという男をご存じですか?」
 「いや、聞いたことがない名前だが何者だ?」
 「私のハイスクールの後輩です。なかなかに弁の立つ男でした」
 「‥‥で、そのデニガンとやらがどうしたんだ?」
 「つい先日知ったのですが、彼は現在大統領補佐官をしておりまして、二年前に私のレポートを手に入れてFDRやその側近達に見せたそうです」

 
 墓地の外れに沈黙が降りる。つまりは、レイトン中佐はこう言っているのだ。自分の報告書を読んだからこそ、理解したからこそルーズベルト大統領は対日姿勢を強硬なものとしたのだと。
 実を言うとこれはデニガン補佐官個人の見解とは異なる。アーネスト・デニガンはルーズベルト大統領の「限定された奇行」を一種の知能障害だと受け取っているからだ。



 二人の頭上に影がさした。上空を何機もの大型機が列を成して飛んでいる。

 「見慣れない機体ですね」
 「あれはコンソリデーテッドの新型だ」

 二人の頭上を飛んでいく四発大型機B24は、陸軍航空隊の主力大型爆撃機となるべくして開発された新鋭機である。まだ完成度の低い初期量産型ではあるが、その高性能を見込んで実戦配備と改良型の開発が進められている。

 「あいつらが頼りだからな」

 現在西海岸へ上陸中の日本軍へ攻撃を続けている航空戦力の主力は陸軍機である。海軍航空隊も参加しているが彼らは消耗し過ぎた。
 B17やB24のような大型四発機はもちろん、B25やA20のような足の長い双発機、なかにはB10のような明らかに旧式の爆撃機までもが燃料タンクを増設されて任務に就いていた。


 「提督、燃えてます」
 「またか!」

 二人の頭上で一機のB24が突如として火を噴いた。火達磨となって、煙の尾を曳き墜落していく。搭乗員たちが脱出する暇もない。

 「ええい、だからもっと厳しく取り締まれと言ったんだ! 陸軍の泥亀野郎が!」

 何らかの不具合が、おそらくは樹脂で固めていた燃料缶の蓋が外れるか何かして中身が爆弾槽に漏れ、機体内の火花が引火したのだ。あるいは触媒を包む保護材が破れて漏れた燃料が染み込んだのかもしれない。


 現在の西海岸には砲弾も爆弾も不足してる。いくら作っても必要量には足りていない。
 で、創意工夫の精神に満ちた合衆国の若者達は、投下すべき爆弾の代用品を作り始めた。そのなかでも特に問題があるのが粗製焼夷弾である。

 これはいわゆるジュリー缶、24リットルほど入るブリキの四角い燃料缶にガソリン・灯油・重油・廃糖蜜・粉石鹸・屑アルミの粉末などを混ぜて入れ、缶の表面にガソリンに反応して発火する物質入りの袋を貼り付けておくだけの代物である。
 敵艦などを見つけたら、上空からこれをばらまくのだ。当然ながら、ばらまかれた燃料缶は落下して海面や敵艦に激突し、破損引火、炎上する。
 こんなものでも燃料や爆発物を満載している空母や、魚雷や爆雷が甲板もしくは甲板近くにある駆逐艦にとっては脅威となる。脆くて動きの遅い輸送船、特に燃料を積んでいるオイルタンカーはいうまでもない。

 水平爆撃の命中率は低いと分かっていても、爆撃されれば回避したくなるのが人情だ。下手な爆撃も数が多ければ当たることもある。
 それが攻撃側の狙いである。一々回避行動や敵機の排除を行えばその分輸送船の船員も戦闘機搭乗員も、確実に疲労する。日本人は人間なのだから。
 人間である限り、物理面精神面での疲労はその戦闘力をそぎ取っていく。戦闘力が落ちれば誰かの攻撃が当たる。爆弾や魚雷が当たれば日本兵は死ぬ。彼らは所詮人間なのだ。


 元はと言えば、爆弾の不足から只の鉄屑を爆弾に混ぜて投下し始めたのが始まりである。
 大型爆撃機が遙か上空から撒き散らす小型爆弾が、その半分が信管も付いていないガラクタであったとしても狙われる方は全て避けなくてはならない。どれが本物かは、落とされる側からみれば命中してはじめて分かるからだ。

 つまり投下する爆弾の半分を混ぜものにしておけば同じ量の爆弾で二倍攻撃できることになる。潜水艦と戦う護衛艦艇が、潜水艦への牽制や脅しに爆雷ではなく適当なガラクタを水中に投下する事があるのと同じ理屈だ。
 本物の爆雷も只のガラクタも、投下した瞬間は潜水艦にはどちらか分からない。分からないからどれも本物の爆雷だと考えて対応するしかない。故に爆雷を使い切ってしまった駆逐艦や節約したい哨戒艇が、海へガラクタを投下することも立派に戦術だ。

 一度爆弾の水増しが常態となれば、「只のガラクタだけではなく、もっと威力のある物を投下してみよう」という流れになるのは当然である。簡単で安上がりに作れる大型火炎瓶を爆弾の代わりにしてみようとするのは、ある意味ごく普通の発想だった。
 トラックの車体表面に河原の砂利を貼り付けただけの「装甲車」や、実験室の硝子製フラスコにニトログリセリンを詰めてトリモチで被っただけの「粘着式手榴弾」を開発して実際に配備してしまった某大英帝国のアレコレよりはまだ、正気を保った兵器だと言える。


 だが粗製濫造の手作り兵器である故に、先程のような事故は頻繁に起きていた。起きてはいるがそれでも使われ続けている。
 陸海軍の当局は航空隊に不正規品爆弾の使用を禁止させていたが、それでも使おうとする者は後を絶たなかった。
 祖国を、故郷を、家族を守りたい。迫り来る専制君主の軍勢に一矢報いたい。その想いが勇敢な合衆国青年達に軍規と多少の危険性から目を背けさせているのだ。
 ハルゼーあたりに言わせると、敵弾が一発当たっただけで火達磨になりかねないものを爆撃機に積む時点で間違っている訳だが、人間の取る行動が理屈の正しさで決まるのなら負け戦など起きる訳もない。


 「ここまでして戦争をやらなきゃいかんのか」
 「正義の実現のためには致し方ないでしょう」

 燃えながら目の前の海に落ちていく爆撃機も、中佐の眉を動かすことはなかった。大型爆撃機1機と10人の飛行機乗りが惜しくない訳ではないが、その程度の損害で彼の心は揺さぶられない。

 「正義、正義か。いつか起きるかもしれない大恐慌を防ぐことが、か」
 「そうです。合衆国市民はすべからく週末は野球場に行き、ガールフレンドや妻や息子にピーナッツとクラッカージャックを買ってやり、問題なく家に帰れるよう自家用車を持てる生活の余裕が与えられるべきです。
 それが永遠に続くためには常に広く、常に新たである市場が必要です。我々の市場を荒らす者は誰であろうと叩き潰さなくてはなりません。
 それが合衆国の正義というものです」


 誰だってそうだ。週に一度は休日が欲しいし休日にはゆっくりしたい。ラジオで野球中継を聴くよりも、野球場へ行って直に観戦したい。ガールフレンドや息子には、ソーダ水とピーナッツと駄菓子を買ってやりたい。
 買ってやっても帰りの足を気にする必要のない暮らしを、自家用車を購入し維持できる暮らしがしたい。

 誰もがそう思った。
 きっと日本人たちもそうなのだろう。彼らも週末には野球場に行って、煎餅やキャラメル片手に野球見物がしたいのだ。
 彼らは人間なのだから。


 そして大恐慌が起きた。あまりにも豊かになりすぎた社会を、豊かではなかった社会をまとめていた理念で動かそうとしたが故に。
 過ちは修正されねばならない。あの惨劇を二度と繰り返してはならないのだ。

 そのためには広い市場と新たな投資先が必要で、この地球は合衆国と日本帝国が住み分けられるほどには広くない。
 故に戦わなくてはならない。どちらかがどちらかを決定的に打ちのめすまで。
 
 武器を使わない戦いは日本側が優位に立っていた。日本経済は30年代前期から中期にかけて回復期に入っており、しかも加速度をつけてなおも成長し続けていたのである。
 自由経済を政府の積極介入により発展させるという奇妙な経済政策は、一年間あたりの推定成長率で前年比4割増しの成長という、前大戦期とその後の合衆国ですら及ばない速度で日本を繁栄の上昇気流に乗せていた。
 故に現在と同じ手段ではその優位を覆すことは難しい、と2年前のレイトン中佐は報告書をまとめた。

 そしてその直後にFDRことフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領は蒋介石率いる国民党への支援を大幅強化し、英雄的名声を持つ退役軍人を指揮官とした義勇兵部隊を編制し、チャイナ戦線へと送り込んだ。


 歴史とは一人の軍人が動かせるようなものではない。だから彼の行動が戦争を引き起こした訳ではない。
 全くの無関係だとも言い難いが。

 「それがお前にとっての正義か、女房子供に野球場でピーナッツを買ってやることが」
 「ええ。正確には合衆国の全市民がそうできる状態であることが、です」

 もう自分にはできませんがね、とレイトン中佐は寂しげな顔をした。
 野球好きだった妻と息子を、球場へ連れて行くことすらもう彼にはできない。二人が今いる場所には、天国にはピーナッツとクラッカージャックがあるだろうし野球試合も見放題だろうからその点の心配はしていないが。

 ある筈なのだ、天国には。聖書にも「天国に涙はない、主が全てぬぐい取ってくださる」と書いてある。
 だから天国には駄菓子を買ってくれと泣く子供はいない訳であり、ということは天国では何時でも駄菓子が手に入るのだ。
 祖国を、妻と息子が愛していたこの国を天国に少しでも近づける。それがレイトン中佐の望みだった。

 だから合衆国は永久に栄えなくてはならない。
 故に日本帝国は滅びなくてはならない。最低でも合衆国の覇権と繁栄を脅かす力を、未来永劫に持たせてはならない。
 チャイナの市場や資源や利権の所属が問題なのではない。日本帝国に合衆国と張り合える力があること自体が問題なのだ。



 合衆国の勝機が揺らぎ始めている、揺らぐのではないかと恐れられている今こそ、今だけ必要とされている統率の外道。それに中佐は「ギムレット(錐)」という名を付けた。
 錐は所詮工具である。武器として使ったところで、銃剣にすら及ばない。どんなに上手くいっても錐では敵軍を壊滅させられない。祖国から追い出すこともできない。
 だが当たり所によっては、しばらく足止めするぐらいならできるだろう。


 「エド。これが最後になるだろうから正直に言うぞ」
 「なんでしょうか、提督」
 「時々な、お前と話していると悪魔が実在するんじゃないかって思えてくる」
 「是非とも実在していて欲しいものですね、そうしたら私は悪魔から魂を買い叩いてやれるのですが」

 だって魂一つを売るだけで悪魔は望みを叶えてくれるのでしょう? ならば魂を山のように買い占めて悪魔をこき使えば、どれほどの望みが叶うのでしょうね。
 そう言って、エドウィン・トーマス・レイトン中佐はにこやかに笑った。




     ・・・・・



 ネリー・ケリーは野球好き
 選手の名前もみんな憶えてて
 試合のある日は「フレー!」と叫んでる

 彼氏のジョーと遊園地
 だけどすぐにご機嫌斜め
 彼に向ってこう叫ぶのさ

 私を野球に連れてって 観客席へ連れてって
 ピーナッツとクラッカージャックも買って頂戴
 家に帰れなくったってかまわない




     ・・・・・



 悪魔の話をすると悪魔がやってくる、という言葉もある。
 悪魔に魅入られた訳ではないだろうが、その日のエドウィン・T・レイトン中佐は普段の注意力を欠いていた。
 普段の彼なら絶対にしないことを立て続けにしでかしてしまったのだ。

 彼の過ちは、上官と別れて墓地から出ようとしたとき、誰かが墓石の陰に隠れていることに直前まで気づかなかったこと。
 そしてそのことを不審に思わず、警戒しなかったこと。
 その人物、墓標の前で跪いていたが祈りを捧げていた訳ではなかった小柄な老婦人が立ち上がり、彼女の横を通り去ろうとした彼に「失礼、レイトン中佐ですね?」と訊ねたとき、反射的に「はい、そうです」と答えてしまったことだった。





 合衆国の永続と繁栄の希望を抱いたまま、レイトン中佐はこの日死んだ。享年37歳。
 銃声を聞きつけ駆けつけたハルゼー提督が抱き起こしたときには、既に事切れていた。

 彼を隠し持っていた散弾銃で撃ち殺した老婆はハルゼー提督の誰何の呼びかけを聞いた瞬間にその場から離脱、レイトン中佐の運転手を務めていた下士官と銃撃戦の末乗用車を奪い逃走する。
 彼女は半日後に国道沿いのドラッグストアに立て籠もっているところを包囲した警官隊に狙撃され死亡するが、それまでに警察官2名を含む11人もの人間を射殺していた。

 後の調査で、知人の証言や自宅から発見された遺書などから、この老婆がレイトン中佐の発案した特殊攻撃作戦に参加した若者の遺族であることが判明する。
 彼女は直接孫を殺した日本軍よりも、非道極まりない作戦の立案者であるレイトン中佐の方を仇として憎み、亡夫の愛用していた散弾銃の銃身を切りつめてスカートの下に忍ばせ、その日墓地に向かったのだ。
 合衆国では大概の家庭に銃が存在する。荒野のただ中に建つ丸太小屋でも、大都会の集合住宅でも何処でも倉庫に猟銃の2丁や3丁は置いてあるものだ。戸外を闊歩し時に屋内へ押し入ってくる危険な害獣対策に、銃は必要不可欠の器材である。

 なぜ彼女が軍機である筈のレイトン中佐の職務内容を知っていたのか、なぜその日の行動予定を知っていたのか、どのような交通手段を使って墓地まで移動したのか、現在に至るも不明であり、何者かの情報提供と示唆による暗殺ではないかと疑われている。
 




 ウィリアム・フレデリック・ハルゼー元帥(当時中将)は、1940年10月27日のサンフランシスコ沖海戦にて戦艦ワシントンに乗り込み陣頭指揮をとった。
 太平洋艦隊司令部は「ギムレット作戦」を、貨物船にハリボテを貼り付けた偽装空母を囮にして敵の注意を北方へと引き寄せた上で、なけなしの戦艦部隊を敵陣へ突撃させる作戦を採用し敢行したのだ。
 後に「ブルズ・チャージ」と呼ばれたこの突撃は日本軍の油断と混乱に付け込んで幾重もの警戒線を突破した。
 その結果、ノースカロライナ級戦艦ワシントンはこの日の海戦で空母赤城、加賀、翠龍、戦艦比叡、榛名、剣を撃沈。空母翔鶴、戦艦陸奥を大破、その他大小の艦艇を撃沈または撃破した。
 

 3時間余りの海戦で日本陸海軍は前述の艦艇とあわせ特殊機母艦大井・北上、巡洋艦高雄、特設母艦日光丸など25隻合計で31万7千トンに及ぶ沈没艦を出した。その大半はワシントンただ一隻によるものである。
 軍艦や軍所有の船舶以外にも撃沈・大破後処分されたものは数多く、喪失を免れたものの中小破した艦艇や、恐慌状態に陥った上陸船団の無秩序な退避行動を原因とする事故・同士討ちなどにより何らかの損害を受けた船舶は合計で100万トン近くに及ぶ。

 そしてニュージャージー生まれの典型的アメリカ漢が乗った、国父の名を冠した戦艦はその名に恥じぬ大暴れの末に爆沈した。
 なお、これは長らく戦艦長門の放った主砲弾がワシントンの舷側装甲帯を貫通した結果だと言われていたが、再調査の結果それより前のおそらくは比叡の砲撃によって発生していた内部火災が弾薬庫へ引火した故の爆沈である可能性が高いことが解っている。

 海戦終了後に救助されたワシントンの生存者は6名。

 無論のこと、「ハルゼーの量産に成功していれば米国は勝っていた」という歴史ジョークの元となった男は、その中に含まれていない。




続く。




[39716] その十四『とある老教師の午後』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:98863f1a
Date: 2021/06/14 12:15






            その十四『とある老教師の午後』





 やあやあ、みんな久しぶり。あけましておめでとう。
 うん、今年もよろしく頼むよ。

 お土産? 茶菓子かね。丁度良い、お茶にしようじゃないか。
 たしかそっちに先月買った紅茶の缶が‥‥。
 あ、僕のは砂糖を入れないでくれたまえ。
 うん、この饅頭は猛烈に甘いからね、甘くない飲み物の方が合うと思うよ。

 ははっ 確かに気の利いた名前じゃないが、分かり易くて良いじゃないか「ソコトラ饅頭」ってのも。
 ああ、もう四十年近く前になるが行ったことがあるよ。インド洋のガラパゴスとはよく言ったものだね。機会が有ればまた行きたいぐらいだよ。
 駐在研究所のギースラー教授は‥‥うん、元気なのは解っているよ。うん。今でもクリスマスカードと年賀状のやりとりはしているからね。彼とももう20年は会っていないなあ。

 いや、饅頭ができたのは精々十年ほど前だよ、日本人観光客に売れるものが欲しいと手紙で相談されてね。
 あのときは「昭和の御代でもあるまいし饅頭なんて」と娘にまでくさされたが、今ではあの島を訪れた日本人の殆どがお土産に買って帰っているそうじゃないか。ありふれているというのは、それだけでも充分価値があるものだよ。


 ‥‥饅頭の味は変わらないな。あの島の自然にも変わらないで欲しいがそうもいかんだろうね。
 良し悪しの問題ではなく、変わらない筈がないのだよ。ロストワールドはそう簡単に成立しないからね。

 いや、特定の条件下でなら太古の生物層がそっくりそのまま残された地域が実在することも有り得るよ? 現実世界でもね。
 身近な場所で言えば南西諸島や、この日本列島だってある意味ロストワールドと言えるからね。
 恐竜がいるような大掛かりなロストワールドは現存していないが‥‥大型両生類や単弓類や偽鰐類が闊歩する、恐竜にとってのロストワールドなら白亜紀に実在したという説があったね、そう言えば。
 詳しいことは今後の発掘調査待ちだが、なんとも浪漫のある話じゃないか。


 で、饅頭だけが土産じゃあるまい? 
 旅の土産と来たら思い出話に決まっているだろう。さあさあ話してくれたまえ。君はソコトラ島で何を見て、何が印象に残ったかね?

 ほほう、霹氷海岸の戦車。マチルダ重戦車に98式軽戦車が追突したやつかね、うんうん。
 ん? あの戦車は二輌とも本物だよ。砂浜に置いてある97式戦車は撮影用に作られたハリボテだがね。
 ハリボテを組んだのもトラクターで引っ張ったのも僕だし、英国軍の元戦車兵に聞き取り調査をしたのも僕だ。間違えようがない。

 初耳? そういや映画撮影の手伝いをしたことを、君達には話してなかったかな?
 ドイツ語版の人員一覧に僕の名が入っているよ。機会があったら確認してみてくれ。


 ああ、うん、ソコトラ島攻略戦で空母赤城と加賀が舷側砲で支援砲撃したのは本当だよ。映画の中のように戦車隊と撃ち合ったりはしなかっただろうがね。
 いや、それは前提に無理があるよ。わさわざ敵戦車の砲弾が届く距離まで空母を接近させる必要が海軍側にはないじゃないか。
 20センチ砲なら、戦車砲の反撃が届かない遠距離からでも大概の戦車を潰せるんじゃないかね?
 現場の航空優勢は確実に取れていたのだから、砲艦の真似事をするにしてもあえて海岸近くまで接近することもあるまい。

 死過重だと言われていた両空母の両舷砲だが、あの瞬間には有用だったよ。
 それがサンフランシスコ沖の悲劇を招く一因となってしまったのは歴史の皮肉だがね。ソコトラでの「空母による艦砲射撃」という前例が小沢提督の判断に影響を与えたことは間違いない。
 成功体験という甘い罠に克つのは本当に難しいのだよ。



 もしも、蒲生大尉の突撃が間に合わなかった場合、かね?
 歴史にIFはない‥‥が、もしそうなっていたら、たとえば蒲生車のエンジンが本来の歴史より一分早く止まってしまったら、大惨事になっていたかもしれないね。
 あのとき霹氷海岸から目と鼻の先の浜辺には、燃料の入ったドラム缶と武器弾薬の箱が山と積み上げられていた。もし橋頭堡にまで英軍戦車が迫り機関銃弾で爆発物の山を掃射されていたら、上陸したばかりの第9軍司令部までまとめて吹き飛んでいただろう。

 もしもそうなったら、ソコトラ島の連合軍部隊は一月や二月は持ちこたえていたかもしれない。
 補給や援軍がないから霹氷作戦が失敗したとしても、連合軍が協定軍を海に追い落とすことは無理だろうが、それでも皇軍の進撃に多少の狂いが生じていただろう。

 大規模な影響は出ないよ。
 40年9月の状況ではたとえ第9軍とソコトラ島攻略艦隊が全滅したところでインド洋の覇権は覆りようがない。
 その時点で既にアンザック同盟は元宗主国に三行半突き付けて協定諸国に鞍替えしているし、セイロン島もマダガスカル島も協定国かその同調勢力により制圧済みだ。


 南アフリカのボーア人達による蜂起は失敗したが、あれは時期が悪すぎた。せめてあと二ヶ月遅らせていれば‥‥そういう展開にした架空戦記があった? 日本の作家かね? 南アフリカ戦線ものとは珍しい。

 ‥‥いつの間にか戦記じゃなくって冒険ものになったから読むのを止めた?

 まあ、人気商売だからねえああいうものも。
 誰得というのかねえ、昔の剣豪もの時代小説にもあったよ、お家騒動の話がいつのまにか陰謀劇の方に主軸が移っちゃって主人公が交代したのが、あれは何というタイトルだったかな? 忘れてしまった。


 そういう訳でソコトラ島の連合軍が史実より何ヶ月か長く粘ったところで、インド洋における皇国‥‥協定軍の優位は変わらない。
 しかしソコトラ島攻略で躓けば、第三機動部隊がカルフォルニアの戦いに間に合わなくなっていただろう。

 米本土上陸作戦における赤城、加賀の活躍は世に知られている通りだからねえ。攻略部隊はより苦戦しただろう。
 もしかしたら第三機動部隊が間に合わなければ、上陸作戦自体が延期されていたかもしれない。
 そうなれば君がお気に入りな無尾翼戦闘機の出番もあったかもしれないね。
 何? その時期では数が揃わないから戦局に影響は与えられない? 解ってるじゃないか。



 もしも連合艦隊が第三機動部隊の到着を待たずにサンフランシスコ上陸を進めていたら、か。
 よく言われている事だが、それは決して不可能ではなかった。
 やや練度不十分とはいえ正規空母の慶鶴と剛龍がハワイで訓練していたし、補用空母の海鷹と神鷹も実戦投入可能だったからね。事実として、サンフランシスコ海戦で撃沈または大破した空母の穴はこれらの空母と陸軍航空隊の増援で埋められた訳だし。

 案外、そうなっていたらあっさりワシントンは沈んだかもしれないね。

 もしも赤城と加賀が間に合わなければ、その分の航空戦力が充当される筈だろう?
 その場合、練度的に考えて補用空母群がサンフランシスコ沖に浮いていた可能性が高い。
 で、だ。あの日に戦艦ワシントンが搭載していた特殊合金製徹甲弾は堅牢な装甲を持たない補用空母相手だと大した効果を発揮できないんだ。特にタングステン弾の方は目標が柔らかすぎて信管が作動しないからね。

 実際の話、駆逐艦雷はそれで助かったようなものだからねえ。合衆国兵器局がウラニュウム合金弾をより重視したのは当然だと思うよ。
 ウラニュウム合金製徹甲弾はあの時点では数が少なすぎたからあれ以上はワシントンに搭載しようがなかったが、もし余剰があれば大変なことになっていた可能性がある。


 そして更に言うと、サンフランシスコ攻略戦に赤城と加賀が参戦しなければ当然ながら比叡と榛名もいなかっただろう。その代役として、機動部隊を護衛する戦艦部隊は浅間級か常陸級が2隻となる筈だ。
 徹甲弾がない剣があれだけ粘れたんだ、徹甲弾さえ充分あればワシントンは良くて相撃ちに終わっていただろう。
 第三機動部隊の護衛に常陸級が一隻でもあれば戦闘の経緯は全く違っていた筈だよ。


 陸奥と長門は日本の誇り。確かに長門級は良い艦だが、当時艦歳20年級の旧式艦だったことを忘れちゃいかんよ。金剛級に至っては30年ものだ、近代化改修にも限度はある。

 逆に言うとノースカロライナ級戦艦は良い艦だが、過大評価されているね。サンフランシスコ沖海戦の戦果は凄まじい、確かに凄まじいがあれは偶然の産物だ。少なくとも実力どおりじゃない。

 いや、ハルゼー提督の能力、その決断力は怖ろしいものだよ。容赦のなさというか思い切り具合もね。
 だってそうだろう? 自軍の希望を一身に背負うはずの新鋭戦艦を敵海軍の戦艦そっくりに塗り上げるなんて、誰が想像するんだい? 国父と同じ名前を持っている戦艦に、だよ?

 君らも知っているかね。有名な話だからねえ。
 うん、あの海戦でワシントンは日本海軍風のダークブルーに塗られていただけじゃない。ご丁寧にも、その舳先には菊の御紋まで取り付けられていたんだ。シアトルのドックでね。もちろん偽物だが。

 ハルゼー提督はドックの作業員に「サムライは勝つためなら嘘をついても構わないんだ、俺らだけが馬鹿正直に戦う必要はない」と言っていたという証言もある。
 多分明智光秀のアレだと思うが、本気でやってしまうのがアメリカ人の怖い所だねえ。
 アングロサクソンは怖ろしい生き物だよ、本当に。地球上に彼らほど生物を殺すことに長けた種は存在しない。


 要は、彼も米軍も必死だったのさ。
 必死の者と油断している者とが戦えば、時にはあることだよ。信じられないほどの大戦果とかね。
 ほら、チャイナ内戦でも百倍近い戦力差をひっくり返して共産系匪賊が勝ったこともあるじゃないか。戦争屋以外の要素はともかくとして、毛沢東の作戦家としての手腕は評価すべきだと思うよ。戦略や戦術には異論もあるだろうが。

 あれは蒋介石が無能すぎたからだろう って?
 確かに軍事的には無能だが、それでも数の差を跳ね返すのは凡人にはきつい仕事だよ。

 それだと蒋介石にも取り得があったように聞こえる って?
 そりゃあるさ。仮にも一軍閥の統領だった人物だよ、全くの無能に務まる訳がないだろう。
 蒋介石が毛沢東や汪兆銘らに比べて圧倒的に優れていた点は、アメリカ合衆国から支援を引き出せる能力さ。
 具体的に言うと治世力の欠如と祖国への不誠実さだね。君達の言い方なら愚劣で腐敗しているという事だ。

 朝鮮の李承晩(イ・スンマン)などがその典型だが、アメリカ政府が後援するのはことごとく発展意識や実行能力や調整能力に欠け、祖国に不誠実な者ばかりだ。

 それはそうだ。熱烈な愛国者を支援して政権を取らせたあげく、その当人に「貴国の支援には感謝しているが、貴国の現政策は我が国の利益に反しているので協力できかねる。善処を望む」などと言われても困るだろう?
 合衆国から支援を受け続けなければ政権を維持できない能無し、言いなりに操れる傀儡のみを彼らは欲していたのさ。というより、それ以外の関係を想定していなかったのじゃないかな? 蟹は己の甲羅に合わせて穴を掘るというし、ね。

 誠実で有能な地元出身指導者に政権を取らせ、影響力を保とうという日本式戦略はアメリカ人には想像も出来なかったのだろう。伝統的に、彼らの戦略は「自分の傀儡でない = 敵」だし、敵に出来る限りの損害を与えて盤面を御そうとするものだ。


 なに? 利害が一致しないのなら妥協点を探るのが政治家の仕事だろう って?
 それは弱者の選択肢だよ。
 少なくともアメリカ人の思考形態ではそうなる。
 君が養豚業者だとして、「仲間を殺すな、さもないと実力行使に出るぞ」と言い出した豚の言いなりになるかね?
 彼らが自らを「支配者としてさだめられた者」と定義していたことを忘れてはいかんよ。


 ある意味で、当時のアメリカ合衆国人にとっては「他国」というものは存在しなかったのかもしれないね。
 心理学者によれば産まれる前の人間の赤子にとって、他人とは存在しないのだそうだよ。
 文字通り母親と一体なのだからね。
 自分と違うから他者であり、自分の思うとおりにならないから自分以外の人格なのだよ。
 いつでもどこでも、好きなようにできる相手に配慮など必要ないだろう? 

 自分が好きなように操れる存在は自分と対等ではない、つまり弱者は道具であり奴隷なのだよ。合衆国というかアングロサクソン的価値観では。

 まあ、欧州系文明は皆そうだがね。むしろ日本やオセアニアの文明の方が少数派だと言える。
 一例として挙げるなら欧州社会において「人類種の幼生体への愛着」という概念が発見されたのは19世紀も終盤へ差し掛かってからなんだし。
 そうだよ? 君らだって毎日使い捨てている便所紙に愛着なんてないだろう?





 ふう。‥‥お茶おかわり。
 ありがとう。

 ん? 何かね?
 二次大戦における合衆国勝利の可能性? そういうことは軍事研究会にでも訊きたまえ。所詮僕は門外漢だ。
 いや、茶菓子が足りないといっているんじゃない。だからその煎餅はしまっておきなさい、明日食おう明日。


 しょうがないな。では個人的な、茶飲み話として聞いてくれたまえ。
 結論から言えば、当時の合衆国に戦略的大勝利の可能性はない。
 ははっ 慌てない慌てない 茶飲み話だと言ったじゃないか。
 質問も反論も大いに結構だが、もう少し話を聞いてからにしてくれたまえ。

 つまりだ、戦争とは外交の一種だろう? そして外交は政治の一種であり、政治とは経済の一種だ。
 経済とは人間の生活そのものであり、生活を効率よく動かすのが政治だよ。
 うん、原則的にそうなるのなら、それを全般に当てはめたって良いじゃないか。
 そして当時の、米民主党政権下のアメリカ合衆国は経済と政治が間違っていたんだ。これを外交の一部でしかない戦争でひっくり返すのは不可能だよ。国家大戦略よりも更に上の段階で間違えているんだからね。


 ああ、軍事ケインズ理論で成功したのは日本帝国だけだし、その日本にしても軍事予算の占める割合は決して高くない。正確に言えば30年代の積極財政は土木ケインズなんだ。弾丸列車然り、海底トンネル然り、運河掘削然り、人工島然り、成層圏射出塔然り。
 高橋是清こそケインズ理論の体現者‥‥というよりケインズが是清の政策を理論化したと言うべきなのかな?

 ナチスドイツ? 彼らは戦勝後に手痛い代償を払ったじゃないか。軍事経済なんて導火線に火の付いたダイナマイトをバトンにしてリレー競争しているようなものさ。いつか必ず爆発するんだ。
 二次大戦に参加した欧州諸国のうち、一番得をしたのが早々と手を挙げたデンマーク・オランダ・ベルギーそしてフランスだというのが何とも皮肉だね。自由貿易さえ可能であれば、植民地など重荷に過ぎないのさ。

 スイス? あの山奥の僻地に巣くっている山賊共は交戦はおろか何処にも宣戦布告していないじゃないか。
 何故か終戦後に連合国から賠償金をふんだくるのには成功したようだが、皇国政府は戦勝国と認めていないよ。僕個人もだが。


 話を戻そう。軍事ケインズ自体に無理がある、軍拡による経済発展は必ず自壊することは解っているね? 
 そう、再生産に向かないからだ。戦車で畑は耕せないし大砲は国境線の引き直し作業が終われば無用の長物。供給過多を解消するためならともかく、それ以上の軍備拡張も戦費拡大も国家財政にとって自爆行為だ。
 軍拡と軍事行動により需要を作り出そうとするのは正しい、ただし国力の範囲内でならね。当時の米民主党指導部、いやFDRは合衆国の生産力を一桁間違えていたとしか思えないよ。
 それとも勝ち目が見えない戦いをあえて選んだのか‥‥?


 もしもFDRことフランクリン・デラノ・ルーズベルトが大統領でなかったら、かい?
 どうだろう? イエロー・パージにしても日本人絶滅計画にしても、FDR個人のものではなく米民主党指導部の大半が賛同していた訳だからねえ。
 もしFDRが二期目の途中あたりで事故死していたとしても、政策は大して変わらなかったんじゃないかなあ。
 無定見の権化であるヒューイ・ロングあたりが大統領になっていたら別の意味で凄いことになっていたかもしれないが、彼は米民主党の主流派に嫌われていたからねえ。

 では、米共和党が政権を取り返していたとしたら‥‥って、それはかなり無理がある前提だよ。
 バブル経済を放置して大恐慌を起こしてしまったのは米共和党なんだ。FDRと米民主党がそれ以上の失態をやらかさない限り政権の維持や奪取は難しいだろう。
 ならフーヴァー政権が1929年秋からの恐慌と不景気を起こさせない、または小恐慌に押さえられる可能性はないのか って?

 ないよ。米共和党は保守の原理主義だ。
 自由主義の原理原則に従わないことはできない。
 君達は日本人としての観念で物事を見すぎている。原理主義者とは原理原則からはみ出ることができないから原理主義者なのだよ。

 自由主義の原理原則に従う限り、経済は放置されねばならない。政治権力による介入は最小限に押さえられねばならず、バブル経済を発生させない事や発生させてから破裂しないように制御することは、その原則に反するのだよ。

 それこそアレだ、政府が市場経済を統御するなど、自由主義者からすれば人間をゾンビにしてしまうようなものさ。
 君らだって、「何百年でも生きられるゾンビにしてやる、だからこのゾンビ薬を飲んで死にたまえ」と言われても嬉しくないだろう? たとえ本当にゾンビとして復活できるとしても、目の前でそれを実践されたとしてもだ。

 言い換えてしまえば君達は反ゾンビ原理主義者だ。いや、僕だってゾンビは御免だけど。
 自由経済原理主義者にとっては、経済上の自由がなければ死んだ方がマシなのだよ。

 そうだよ? 当時の、そして建国以来の合衆国人がいう自由とは銃を手に取る自由であり、手に取った銃で誰かを撃ち殺す自由だ。
 経済的に言えば野放図な経済活動に邁進して恐慌を引き起こす自由だ。
 彼らの言う自由、彼らが求める自由には「自制する自由」や「協調する自由」は含まれていないんだよ。
 それは彼らからすれば隷属と屈服の言い換えに過ぎない。


 愚かに見えるだろうが、それは君達がフンコロガシを見て不潔な生き物だと思うのと同じ事だ。
 フンコロガシから見れば牛馬の糞は安全で清潔な食べ物なんだ。同じように向こうから見れば、日本人は自ら奴隷になり虐げられることを選ぶ愚か者なのだよ。

 うん、彼らの歴史や世界には、およそ真っ当な君主や政府は存在しなかったし、これからも存在しない。
 彼ら自身が求めていないからね。だから彼らの作る政府は常に大企業とその持ち主達の言いなりなんだ。「民主主義はその市民の民度に応じた指導者しか選べない」というのは動かしようのない事実だ。まあ、他の政治制度でも同じなのだがね。

 合衆国人が国益という言葉の意味を真に理解しているのなら、大陸鉄道を骨抜きにしてしまうような愚行は起きなかっただろう。
 いや、ヘンリー・フォード氏個人に全てを帰すのは公正ではないな。功罪が極めて大であることは確かだが。


 当時の合衆国人には、立憲君主制というものがどうしても理解できなかったんだ。
 君達は生まれながらにして陛下の赤子であり、皇国の民としての自由を持っている。だから、彼ら合衆国人達の「自由を脅かされる」恐怖を理解できないだろう。僕だって完全に理解している訳じゃないがね。

 そうだね。日米両国の相互無理解こそが戦争の原因なのだろう。
 日本だって合衆国を理解していなかったからこそ戦争に訴えた訳だからね。


 どこまで話したかな?

 そうそう、ニューディールも軍備ケインズも破綻したからこそ、合衆国は戦争をしなくてはならなかったんだ。
 戦争の主敵が日独だったのは、経済的に当然だったのだよ。
 だって君、考えてもみたまえ。合衆国なら二~三ヶ月もあれば大英帝国を干上がらせてしまえるじゃないか。
 そんな短期間の戦争では合衆国の生産力に見合った消費ができないよ。

 合衆国が欲しかったのは殴り甲斐のある丈夫なサンドバッグなんだ、つついただけで壊れてしまうガラクタじゃない。
 軍事的にもだが、当時の世界情勢では合衆国が「英国は見捨てる」と表明しただけでお終いだよ。
 戦費が足りないんだ。合衆国の後ろ盾がなくなれば英国は瞬時に破産してしまう。

 ナチスドイツのポーランド進駐が始まるまで英国が戦争を避け続けた理由は、結局は予算だからねえ。
 余所はともかく、米国からの借金を踏み倒しなんかしたら一発で経済が止まってしまうよ、ギャング団が支払いをしないのと銀行がしないのでは意味が違う。
 外交と違って経済で二枚舌は通じないんだ。無理矢理通じさせるならば暴力が要るが、当時の米英関係でそんなことができる力の差はない。


 だからそれなりに手強くて、合衆国製の船舶を適量に沈めてくれる敵が必要だった。だからこそ世界有数の海軍を持っていた皇国と、通商破壊能力に定評のあるドイツを敵に回したのだよ。

 たとえば赤軍相手では、自沈でもしないと損害がでないからね。沿岸ならまだしも、北大西洋ではそうさ。
 ソヴィエト・ロシアの海軍は沿岸防衛用海軍だったんだ、たとえ彼らがドイツ第三帝国に代わって欧州半島を制したとしてもブリテン島の裏側で戦うことはできなかっただろう。
 あるいはその為にこそ、合衆国の財界はナチス党を育てたのかもしれないが。

 ん? 泡沫野党だった国家社会主義ドイツ労働者党に資金援助を続けたのはデュポンやマリガンといった合衆国の大財閥だよ?
 理由? そりゃ、獲物は太らせてから仕留めた方が良いじゃないか。
 ユダヤ陰謀論じゃないよ、公式記録にも残っている。そう、無論ユダヤ系財閥も一枚噛んではいるが、それ以外の財閥こそが多く噛んでいるんだ。

 まあ、ユダヤ系組織にとってナチス党への投資は完全な無駄ではなかったからね。もしなかったとしたらドイツはあそこまで強大にはならなかっただろうし、そうなれば東欧のユダヤ人達がマンチュリアへ脱出することもできなかっただろう。
 ソヴィエト・ロシア及び共産勢力圏内で推定2000万人もの非スラブ系住民が排除され、その半数がユダヤ系だったとされるからね。
 ああ、飢餓輸出政策による死亡者は数にいれてないよ、入れれば更にその三倍はいくが。推定一千万人のユダヤ人を殺したのは飢餓や疫病ではなく銃と刃物と棍棒と縄、あとは火かな? 要は人が人の手で殺されたのさ。

 バルト三国など協定諸国により解放されたときには人口が元の4割程度にまで落ち込んでいたからねえ。共産主義そのものもだが、僕にはソヴィエト政権を持ち上げる人間がさっぱり理解できないよ。同類だと思われたいのかなあ?


 先祖にユダヤ教徒がいないことを証明できなかった自国民をゲットーに押し込めていたナチスも大概だが、それでも欧州史のなかではまだマシなんだよこれが。
 フランス革命期やその後のグダグダ具合なんかもう見てられないよ?

 ドイツや東欧から来たユダヤ系マンチュリア移民は色々と問題があったが、少なくとも日独ユの三者にとっては得があった。
 人手が欲しい皇国と、人あまりをなんとかしたいドイツと、安住の地が欲しかったユダヤ人とユダヤ人だということにされてしまった欧州人たちにはね。
 うん、損をした人々は勿論いるよ、大勢。それがどうかしたのかね?


 話を戻そうか。

 FDRを含め、民主党指導部やその支持者が戦争を舐めていたのは確かだね。
 それまでアメリカ合衆国が戦った対外戦争は楽勝ばかりだったから無理もないが。

 例外は独立戦争やカナダとの戦争ぐらいじゃないかな。あと内戦だが南北戦争。
 メキシコともスペインとも、一部部隊の苦戦はあっても戦争全体で言えば遠足のようなものだった。
 まともな、というのも変だが国家や民族の命運が掛かった総力戦など、やったことがなかったからね彼らは。

 そう、アメリカ合衆国は敵とも呼べない格下か、なれ合いができる身内相手としか戦ったことがないのだよ、二次大戦前まではね。
 一次大戦? 合衆国は疲労しきっていたドイツ第二帝国を殴りつけただけじゃないか。あれを戦争と言い張るのなら隅田川は毎年夏に戦場になっている事になるよ。


 合衆国将兵にとって、初めて総力戦を行う敵が協定諸国軍だったことは不幸としか言い様がないね。
 カモ撃ちしかしたことのない者が空気銃持ってヒグマを狩りに行くようなものさ。

 あくまでも個人的な意見だが、合衆国が戦場で負けた理由はこれだと思うんだ。
 彼らは遠足気分でヒグマを撃ちに行って返り討ちにあう素人でしかなかった。

 人がヒグマを狩るには、強力な武器とヒグマの習性などに対する深い理解、そして何よりも数が必要だ。
 ケダモノを仕留めるのにだってそれだけの事をしなくてはいけないのに、人間を相手に舐めてかかれば負けて当然だよ。
 日本軍もサンフランシスコやフロリダ沖で酷い目に遇わされたがね。

 ただ戦略・政略・経済において皇国の指導部がホワイトハウスの面々より優れていたかというと、どうだろう? 
 違っていたのは真剣味というか追いつめられ具合だった気もするね。むしろ冷静でなく、広い視野を持たず、被害妄想に捕らわれていたからこそ皇国政府は思い切った戦争指導ができた訳でもあるし。
 当時の皇国政府が抱いていた切迫感や危機感は、君らには解らないだろうなあ。僕だって本当に解っているとは言い難いが。
 歴史上の存在になってしまった今と違い、日本にとってアメリカ合衆国とはそこまで強大な敵だったのだよ。理解不能な、ね。


 まあ、戦術面で優っていたのは確かだね。特に緒戦で勢いに乗れたのは大きいな。
 武器の性能や数については、開戦当初では明らかに合衆国側が劣っていたからね。
 互角に近いのは潜水艦ぐらいかな? ただ、潜水艦も魚雷の信頼性不足には泣かされたようだが。
 うん、もしも開戦前からメイド・イン・USAの魚雷がまともな性能だったら、協定諸国の損害は史実の二倍や三倍ではきかなかっただろう。
 合衆国でまともな魚雷が量産される頃には、合衆国にはまともな腕の船乗りが少なくなっていたから助かった。そうでなければ皇軍の勝利はなかったかもしれないよ。

 一次大戦で英国を滅亡寸前にまで追い込んだのは潜水艦だったし、二次大戦では滅亡させてしまったからね。
 いやまあ、潜水艦だけでブリテン島を干上がらせてしまった訳ではないが、潜水艦がなければ不可能だったことは間違いない。潜水艦が、と言うよりはディーゼルエンジンとリビア油田が干上がらせたのかな?

 うん? 第三帝国の指導者がウィルヘルム二世級の大馬鹿者で、二次大戦版ジュットランド海戦を強行したあげく海上封鎖に失敗する?
 そんな架空戦記もあるのか、思い切った設定だねえ。ヒトラー贔屓の読者が怒ったりしないかね?
 作中ではドイツ指導者は別人? それはそれで抗議が来そうだなあ。 


 史実でそうならなかったのは、やはり負けたが故にドイツ海軍に戦訓が実ったのだろうね。
 彼らは合衆国の弱点に気付いていたのだよ。人間を工場で量産できないという弱点に。
 だからこそ彼らは、そして彼らから潜水艦戦術を取り込んだ日本海軍は「船乗りを殺す」ことを主軸にした戦い方を選んだんだ。
 合衆国が対潜水艦戦術を身に付ける前に一隻でも多くの船を沈めることで、輸送中の兵員を海に沈めることで、陸に上がってる船乗りを砲爆撃で仕留めることでね。

 当時の合衆国の生産力は、名目上の数字だけなら皇国より上だったことを忘れてはいかんよ。
 生産効率と生産物の質において劣っていたとしても、圧倒的な数はそれを圧倒できるのだから。竹槍だって10対1なら名刀にだって勝てるじゃないか。
 余程の腕の差がないならそうなるよ? なんなら剣道場で実験してみるかね?


 いや、歴史上の出来事になってしまったからこう言っているのであって、当時の僕はなんとかなるんじゃないかと思っていたよ。かなり不安だったが、勝ってるうちは気が大きくなるものさ。
 戦争と野球を一緒にする気はないが、強ければ絶対に勝てるというものでもないからね。



 話を戻そうか。
 確かに当時合衆国の国力は絶大だった。統計上の数値だけで言えばただ一国で全世界の4割近い生産力を誇っていた。
 だがしかし、そんなものではチャイナや東南アジアやアフリカを制圧しきることはできない。北アメリカの原住民相手でもそれなりに手こずったのだよ、いくら合衆国でも全世界の制覇は不可能だ。

 故に二次大戦において彼らの戦略的大勝利は有り得ない。

 完全制覇以外は勝利と呼べないよ。合衆国の戦略目標から言ってね。
 部分的な勝利では各地に傀儡政権をうち立てるのが精一杯だ。で、合衆国の傀儡にまともな国家運営ができるかな? 蒋介石や李承晩や呉廷琰(ゴ・ディン・ジエム)に?

 できるわけがない。
 彼らは合衆国に尻尾を振るしか能がないし、そんな指導者しか傀儡にできないのが合衆国だ。
 これは善悪の問題ではないよ。国情の問題なんだ。人はそれぞれの立場で最善を尽くそうとしているだけなんだ。
 人間も牛糞にたかるフンコロガシも大差はない。違いは他者を転がす糞の種類で詰り嘲る愚かさと、それを窘める知恵の両方が人間にはあるだけさ。


 合衆国が音頭をとっている限り、世界市場の健全な発展はありえない。全世界の国々が、そのほとんどが元首や首相に蒋介石や李承晩や呉廷琰と同程度の人材を頂いている図を想像してみたまえ。
 したくない? 僕もだよ。

 役立たずの傀儡しか選べない以上、合衆国が覇権を握れば全世界がフィリピンやパナマと化すだけさ。合衆国の影響下にあった時期の、ね。

 故に合衆国の、FDRの戦略的大勝利はありえない。
 たとえ日本列島を全て焼け野原に変えたとしても、たとえ彼が意味不明に嫌っていた日本人を皆殺しにしたとしても、結局のところ合衆国は瓦礫とゴミための支配者にしかなれないのさ。そんなものはとても勝利とは呼べないね。

 だから言っているだろう? 原理主義者に妥協はできないのだよ。
 白人至上主義者にとっては、日本人と組むぐらいなら死んだ方がマシなんだ。下僕として扱うならまだしも、対等の相棒にはとてもできはしないよ。
 イエロー・パージに反対した合衆国内の有識者たちが、誤認や濡れ衣以外の全員が対日協力者であったという事実を忘れてはいかんよ。皇国の理想に共鳴した、合衆国を見限った者あるいは金銭その他の報酬に目が眩んだ裏切り者以外の誰一人として、日系人の拘束や強制収容に異を唱えなかったのだからね。

 当時の、いや、建国以来一貫して合衆国では日本人にも日系人にも人権は認められていなかった。滅亡するまでね。少なくとも合衆国内で、対日協力者でない社会的立場のある知識人は誰も認めていなかった。
 19世紀後半に至るまで奴隷制度が横行し、20世紀の半ばになっても実質的な奴隷制度社会だった合衆国の異常さを忘れてはいかん。日本人の常識に捕らわれたまま世界の歴史を理解しようとしても無理だ。

 合衆国の常識からいえば日本の方が異常な国家なのだろうね。
 案外と、FDRが戦争に踏み切った理由は理解不能な日本への恐怖なんじゃないかな。
 彼は彼なりに愛国者だったろうからね、愛する祖国が黄色人種国家と手を結ぶ姿を見るぐらいなら滅んだ方がマシだと思い詰めていたのかもしれない。

 ん? 脳内で妄想を煮詰めたあげく無理心中を図るストーカーだって、対象を愛していることには違いないじゃないか。
 
 うん、ルメイ将軍やテスラ氏も合衆国を愛していたと思うよ。どういう種類の愛情だったかは想像もしたくないが。
 歴史から学ぶのは大いに結構。だが闇を見つめるときは、闇の方も君達を見つめていることを忘れないでくれたまえ。忘れると闇に呑まれるよ。


 お茶のお代わりもう一杯、貰えるかな?



続く。




[39716] その十五『兵は詭道なり』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:98863f1a
Date: 2021/01/02 12:56






            その十五『兵は詭道なり』




 1940年10月24日未明、日本軍はサンフランシスコ攻略戦を開始した。

 参加する主な艦艇は戦艦が常陸・土佐・陸奥・長門・剣・比叡・榛名の7隻、正規空母が紅鶴・大鶴・翔鶴・翠龍・赤城・加賀の6隻と大規模なものだった。これに加え補用空母11隻が航空戦力を投入している。
 また直接的支援ではないがサンディエゴ方面に上陸した陸軍の第1及び第2飛行師団、海軍の第13航空艦隊からも北方に航空戦力が投射され合衆国側へ負担を強いていた。
 上陸する攻略部隊は百武晴吉中将率いる第17軍(軍団)である。山下将軍率いる第25軍(軍団)が抑えたサンディエゴとロサンゼルスに続いてサンフランシスコを制すれば、日本軍はカルフォルニア州の中枢を制したといってよいだろう。

 この戦いも日本軍の圧勝に終わる筈だった。当事者の片方は確信さえしていたし、もう片方もそうなる可能性が高いことを認めていた。
 太平洋艦隊の水上部隊は僅かな残存戦力しかなく、潜水艦や航空機などの戦力も減り続けている。魚雷がまともになってからは割とマシになったが、それでも潜水艦の損害比率はまだ日本側が確実に優位にある。
 先日遂に日本海軍が懸けた懸賞金が100万円を突破したトートグなど、一部潜水艦は奮戦しているが一部の活躍で全体はひっくり返らない。

 特に航空機の損害は酷かった。即製栽培操縦員による飽和攻撃は確かに戦果をあげ、空母翔鶴が中破し軽空母千歳が沈み軽空母2隻(迅鳳、嶺鳳)が航空機運用能力を一時的に失った。他にも3隻の駆逐艦が沈み、その倍数がサンディエゴのドック送りになった。
 輸送船にも万トン単位で損害が出た。揚陸したあるいはその途中だった陸上部隊の被害もこの時点で死傷者が千名を越えている。
 そして、その代償として合衆国が西海岸に集めた航空戦力は壊滅的打撃を受けた。

 西海岸本土決戦における、20倍以上という欧州戦線よりも悲惨な損失比率はある意味当然である。
 合衆国の飛行機は決して悪い兵器ではなかった。英仏露のものとくらべれば技術水準も高く設計思想も健全というか合理的であり、機械的信頼性も高かった。協定諸国軍のものに比べれば一枚か二枚劣っていたが、歯が立たないという程の差ではない。
 逆に操縦士たちの練度は、部隊的な意味でならともかく個人的な意味では英仏のそれに比べても更に劣っていた。協定諸国軍の精鋭部隊とは比較にもならない。

 最低限の練度しか求めない促成栽培式訓練では、最低限の技量しか持たない飛行機乗りしか育たなかった。
 まだ戦況が合衆国に優位であれば、そして本土決戦ではなく自軍の都合で進退できる戦場でなら苗木未満の新人達もその大半が生き残り成長し続けられただろう。しかし現実はそうではない。
 平凡な者も非凡な者も、次々と空中から墜され地上で撃たれあるいは悪天候で墜落し、離着陸の失敗で機体や命やその他のものを失っていった。
 操縦士の技量は事故発生率に直結している。そして西海岸の戦いでも、合衆国航空機の損失原因第一位は離着陸時の事故だった。

 一方、損失理由の順位では変わらないものの日本軍の事故率は合衆国よりもあきらかに低かった。元々個人や部隊の技量が違い、支援態勢の完成度でも違う上に日本の操縦士達は操縦性や視界や安定性の悪い、いわゆる未亡人製造機(ウィドウメーカー)を嫌うこと甚だしく、その上司達も同意見だった。
 「空戦は数と連携が勝負を決めるのだから安全性を投げ出してまで性能を尖らせる必要はない。普通で使いやすい機体が一番」とは日本陸軍屈指の撃墜王、篠原弘道中尉の弁である。

 まあ、操縦士の技量や現場指揮官の経験だけでなく、数と個々の性能そして後方支援能力で優位に立っているからこそ言える言葉である。
 後に日本軍の戦闘機乗りたちが「連合軍最良の制空戦闘機」と絶賛することになるF6Fにしても、実際にその機体を使って彼ら自身と戦う立場に立ってみれば同じ事を言えたかどうか怪しいものだ。

 実際に使っていた合衆国の戦闘機乗りには、速度重視のF4Uや重装甲大火力のP47をより高く評価する者の方が多い。これは欧州で対戦したドイツ軍の戦闘機乗りでも同様である。
 太平洋や西海岸では「紛れもない駄作」として米軍操縦士たちに疎まれたF2Aが、フィンランド戦線では赤軍操縦士たちから「空飛ぶ真珠」と讃えられ頼りにされたという事例もある。兵器の評価は戦場の環境と用途で違ってくるものなのだ。


 この時期の協定諸国軍、特に日独の主力航空部隊はあまりにも精鋭すぎた。両国の一線級飛行隊は化け物のような技量の持ち主で埋め尽くされていた。
 たとえば日本海軍の第一及び第二機動戦隊では、全ての操縦士が米英の飛行隊なら教官が務まる腕の持ち主で構成されていた。イタリアの航空隊も決して弱兵ではないが、規模と練度と機材で日独に比べるといささか見劣りする。


 超人兵士構想。開戦前は素人向けの宣伝(プロパガンダ)とされていたドイツ空軍の機密計画は、40年後期の現在では連合国軍上層部にも真剣に討議されていた。「人に優る兵器なし」という宣伝文句がいかに荒唐無稽であろうとも、協定諸国軍の飛行機乗り達の技量と練度が異常なことは事実なのだ。

 異常な練度を誇っているのは航空隊だけではなかったが、航空戦でそれが顕著に表れていた。
 事実として、捕虜となった日本軍のとある戦闘機操縦士は常人の数倍から十数倍に及ぶ視力や聴力、空間把握能力や低酸素耐性を持っていたことが実験により確認されている。


 全員がそうではないにしろ、日本軍の戦闘機乗りの中核はこの捕虜のように人間離れした存在なのだ。連合国上層部はこの超人的戦闘員の製造法を本腰入れて探りはじめた。
 この調査はしばらく後に成果を上げ日本軍に関しては製法をある程度まで解明した。連合国、特に大英帝国の人的諜報能力は依然として高い水準にあったのだ。
 製法のあらましというか、一端は解明したもののそれ故に合衆国は直接的な模倣を諦めた。技法的にはともかく、思想的そして社会事情的に合衆国では真似できない製法だったからだ。

 結局合衆国は別の方向から超人兵士製造に取り組み、薬物的または生化学的方向性で超人兵士の研究を推進する。その試みは幾多の犠牲と悲劇の上に成果を上げることになるのだが、それはしばらく後の話だ。サンフランシスコとその周辺での攻防には関係ない。

 合衆国西岸から送り込まれた航空戦力の波状攻撃は、送り込んだ側が期待していた程には戦果も効果も上げられなかった。
 他の列強に先駆けて航空戦力の拡充に邁進していた日本軍は、同時に航空攻撃への対抗手段も研究し備えていたのだ。
 促成栽培の操縦士と指揮官が多い合衆国側の航空隊には、電波探信儀(レーダー)や近接信管や敵味方識別装置など攻防一体の電波兵器で厳重に守りを固めた攻略部隊の外輪を突破することすら容易でなかった。

 無論のこと実戦には齟齬と錯誤がつきものであり、入念に考え抜かれた防御態勢もときに乱れ攻撃機の侵入を許すこともあった。
 しかしその攻撃はときに日本軍へ痛手を与えることはあっても、深手にはならなかった。合衆国側が期待していた水準の被害を与えるには投入した戦力が少なすぎたのだ。
 逆から見れば、日本軍の戦力計数が作戦立案者であるレイトン中佐の推定を更に越えていたとも言える。

 空しく跳ね返され続けた波状攻撃だが、ある面では攻撃側が期待していた以上の効果を上げていた。
 敵の慢心である。

 サンフランシスコ攻略戦時の日本軍には油断と思い上がりがあり、それまでの慎重さと果断さがなくなっていた。
 特に連合艦隊には「米軍恐るに足らず」という空気が充満しており、士気はだれていた。執拗な攻撃機や自爆ボートには辟易していたが、10月末の時点ではそれらのへの対策も整えられ実戦で見つかった防空および防海体制の穴や欠点も現場で埋められた。故に現場ですら徐々に危機感が薄まっていった。

 無理もない。いかに合衆国とはいえその物量が無限である訳はなく、10月末の時点で波状攻撃部隊の密度と練度は急速に落ち始めていた。連合艦隊にとっては既に飽和攻撃ではなく、決まり切った作業を行えば凌げる面倒事にすぎなかったのだ。



 そして戦いは次の局面を迎える。


 攻略作戦開始直前に、米太平洋艦隊最後の大規模根拠地であるシアトル軍港から出撃した戦艦2隻、改装空母8隻(実際には空母に偽装した貨物船)を主力とする太平洋艦隊残存部隊がこの戦闘に介入するか大西洋目掛けて離脱を図るのか、日本海軍北米攻略部隊の意見は分かれた。
 別れてはいたが、どちらにしても先手を打って捕捉撃滅すべしという結論になり、攻略部隊は戦艦常陸と土佐そして空母紅鶴と大鶴を中心とした部隊を分離投入したのである。

 連合国側に残った大型艦は僅かであり、戦艦撃沈という解りやすい戦果をめぐって功名争いじみたやりとりが攻略部隊の会議室で起こった程に、日本海軍は傲っていた。

 トラック沖の海戦は端から見れば米太平洋艦隊を一方的に屠った完全試合、東郷提督らが成し遂げた日本海海戦の再現であった。だが連合艦隊の高級士官たちからみれば不満の残る内容だった。
 彼らは自分たちの人生が、その労苦と汗血の帰結が米海軍戦艦の撃沈にあることを疑わなかった。

 連合艦隊では相当数の海軍士官たちが、トラック沖でそれを成し遂げた当事者たちすらも「もっと鮮やかに格好良く、たくさんの敵戦艦を沈めることができた筈だったのに」と悔やんでいたのである。
 そして「次に機会があれば上手くやろう」とも考えていた。


 斯様に、日本軍いや連合艦隊は米海軍を舐めきっていた。彼らにとって、もはや米戦艦は対等の敵手ではなく獲物にすぎなかったのだ。
 それは間違いだった。
 確かに日本海軍は、彼らは勝っていた。勝ち続けていた。連合艦隊にとって米太平洋艦隊は勝てる相手だった。だが舐めてかかって良い相手では断じてなかった。それを彼らは直ぐに思い知らされることになる。



 1940年10月27日の午後、丸二日以上かけて事前砲撃と爆撃で耕した上陸地点に攻略部隊が上陸をはじめ、しぶとく生き残っていた砲台や機銃陣地と戦っていた頃、攻略艦隊司令部に「敵らしき艦隊南下中」という不明瞭な報告が入った。
 サンタ・ローザ市から見て北西方向の海域で圧縮信号による緊急無線を打った哨戒機は撃墜されたのかそれ以来通信不能であり、該当する海域のすぐ南にいた巡洋艦高雄と駆逐艦望月と十六夜の二隻からなる小艦隊も「敵艦隊発見」という平文の通信を最後に連絡を絶つ。

 この事態にサンフランシスコ海域の北側に位置していた攻略支援艦隊の司令官小沢中将は即座に偵察機を北方に飛ばし、赤城と加賀に残っていた攻撃機に対艦兵装を施して艦から飛び立たせた後、艦隊上空で待機させた。
 両空母が行っていた対地支援は準鷹など沖合にいる改装空母部隊が代行し、支援艦隊の直援は空母翆龍の航空隊が担当することになる。

 程なく偵察機は当該海域の南を突き進む旧式戦艦(アーカンソー)を発見した。待機中の航空隊は戦艦アーカンソーへ殺到し、二隻合わせて40機以上の攻撃隊は旧式戦艦を短時間のうちに撃沈する。
 最精鋭の地位からはおりたが、それでも赤城と加賀の航空隊は強力だった。操縦士達には日米戦が始まってから操縦桿を握ったような新人や、逆に日中戦争開始前から操縦桿を握っているようなやや老練すぎる者も含まれていたが、それでも平均すればその実力は空母搭載機の操縦士や航法士や機長として最高級のものだった。

 アーカンソーは善戦したと言える。元々が旧式戦艦であり、いくら対空火器と照準装置を増設したとしてもその防御能力には限界があった。
 この数日後に北大西洋で戦艦ティルビッツが大破漂流の末に沈没したように、最初から航空戦を想定して造られた最新鋭の高速戦艦ですら、空母部隊の航空支援がある状態でも一手間違えれば傷を負うのが現代の海戦だ。二手三手しくじれば沈められる。
 慢心していれば尚更である。ドイツ海軍は合衆国海軍を、2隻のヨークタウン級空母を舐めすぎたのだ。
 まして味方航空機の傘なしで単独行動中の旧式戦艦が、99式艦上攻撃機の群に襲われて逃げ延びられる訳もなかった。

 逃げてなどいなかった。アーカンソーは囮であり、その任務を達成したのだ。
 沈み往くアーカンソーから脱出しやがて現場に駆けつけたガトー級潜水艦ハダックやブルーギルなどに救助された六百人あまりの生存者達は幸運にもその全員がシアトルに帰還し、ニミッツ提督を喜ばせた。


 一人でも多く敵に人的被害を与えるという日本軍の基本戦術からいえば、この救助を妨害すべきだった。米英の軍隊ではないので流石に救命ボートや救命胴着で波間に浮いている将兵を爆雷や機銃で攻撃する訳にはいかないが、救助して帰還中の艦船を攻撃するなら遠慮はいらない。
 このあたりが文化の違いであり、互いの行動を「野蛮」とか「偽善」とか罵り合う原因である。確かにボートだろうと潜水艦だろうと沈めば死ぬのだから攻撃される側にとっては大差ない。

 すべきだったことができなかった理由は単純である。そんな暇はなかったからだ。



 軍人は頭が固い。固くなくてはならない。
 たまには軟らかい頭の軍人がいても良いが、それが主流になったりしてはいけない。
 軍事行動の83%ほどは決まり切った事例で決まり切った展開になるものだ。決まり切っているからこそ定理となり教本が作られる。

 日本陸軍のあまりにも頭が柔らかすぎたとある将校がノモンハンで「必勝の信念があれば勝てる」「物資は有限だが精神力は無限だ」などと言いだし、その果てに自分の頭を自分の拳銃で撃ち抜いたこともある。彼は精神力で銃弾を止める証明実験に失敗したのだ。

 この例はいささか極端だとしても、軍人とは基本的に頭が固く固定観念(常識)に従うべきものである。非常識すぎる軍人は「今なら勝てるから」とか「勝てば国益になる、根拠はないが」とか言って勝手に戦争を始めたりするのでお呼びでない。

 この時期の日本軍からはこの手の「頭が軟らかすぎる」軍人が排除されていた。まあ、悪い意味で固すぎる軍人たちも同じく排除されているが。

 常識的な人物や組織は想定外の事態に弱い。
 まだこれが、ただ単に「敵新鋭戦艦が航空機の護衛も随伴艦も付けず一隻で、足の遅い味方の戦艦を囮として置き去りにして突っ込んでくる」というだけなら、誰かが素早く反応できただろう。

 だがしかし、その戦艦が日本海軍のものと同じ濃いめの暗青色に塗られ舳先に菊の御紋まで付けていればどうだろうか。
 しかも平文の発光信号で「ワレ、ムサシ。ワレ、ムサシ」と日本語モールスを発していたら。
 混乱する者もいるだろう、上官や司令部に指示を仰ぐ者もいるだろう、即座に攻撃を始める者もいるだろう。
 受け取る側は現場から報告を聞いて再度確認させる者もいたし、寝ぼけるなと怒鳴りつけた者もいたし、報告文を手続きどおりに更に上へ報告した者もいた。

 結果として、攻略艦隊司令部は情報が過多となり錯綜した。波状攻撃への防御に絶大な効果を発揮した艦隊戦闘情報制御システムは正体不明艦の接近でいとも簡単に麻痺してしまったのだ。
 新しいと同時に不慣れなソフトウェアを盲信し過大評価してしまった彼らが混乱から立ち直るのに二時間以上かかり、その二時間と更にその後の一時間は日本軍にとって悪夢の時となった。

 日本軍にとって間の悪いことに、接近する敵戦艦を赤城の攻撃隊が沈めたという情報が既に攻略部隊全体に流れており、高雄応答無しで一気に高まった将兵の緊張はこれまた一気に緩んでいた。特に航空隊や空母乗組員達が。
 油断である。慢心である。熱しやすく冷めやすい日本人気質の問題かもしれない。彼らにはアメリカ人たちの三分の一程度で良いから執拗さが必要だった。哨戒機も高雄も「敵艦隊」と打電している事の意味をもっと考えるべきだった。

 彼らの大部分、は言い過ぎにしても三割程度は接近する戦艦に気づいていた。いたがそれを敵と確信している者は極めて少なかった。
 合衆国旧式戦艦の分かり易すぎる特徴だった籠型艦橋を廃し塔型の艦橋を備えた戦艦ワシントンの姿は、日本戦艦に見えなくもなかった。いや、見えてしまった者もいたという方が正しいか。

 なによりも艦の色が連合艦隊と同じであったし、掲げているのは旭日旗だった。近寄れば舳先に真鍮板製の菊花紋が付いているのが見えただろう。
 念には念ということでワシントンの甲板要員や司令塔の将兵など、外から見える場所にいる乗組員には日本海軍と同じ服装をさせ、髪を黒く染め、顔などにやや濃い茶色の化粧品を塗って日焼けした日本人風に装っていたことが、海戦終了後に救助され捕虜となった米軍水兵の証言で明らかになっている。

 2隻の戦艦がサンタ・ローザ北西という至近距離まで忍び寄れたのは半分以上が偶然だった。合衆国海軍太平洋艦隊は数日前からなけなしの航空戦力を西海岸南半分の海域に投入し続けることで、日本軍の哨戒態勢にムラがあることを確認しており、ハルゼーの指揮するたった2隻の艦隊は哨戒機の隙間を運に任せてかいくぐった。


 運の要素もある。現場の油断や戦闘態勢の不備もある。しかしこの奇襲が成立した最大の理由は「ギムレット作戦」発案者であるレイトン中佐が彼我の文化差を、日米の国情の違いを彼なりに理解していたのに対して連合艦隊はそうではない点にあった。
 日本海軍だけでなく、日本政府と国民も全般的に合衆国を理解していなかった。情報を集めたは良いが、集めたこと自体に満足してしまい本質を見極めようとする意欲が薄れていたのだ。

 日本とアメリカは違う。連合艦隊の参謀たちはそれを言葉の上では解っていても、本当の意味で理解していなかった。理解していた者はいても意思決定に関われなかった。

 アメリカ合衆国(UNITED STATES AMERICA)とはその名の通り各州の連合体であり、個々の州は分離も独立もできる存在なのだ。国家の存在意識が自然国家とは根本的に違うのだが、それを理解してない日本軍人達は合衆国軍人達の危機意識を理解していなかった。
 日本は小さく、アメリカは大きい。その理解に間違いはないが正しくもない。合衆国は日本人達が、日本海軍の主流を占める反米派閥の者が考えている程には強靱でないのだ。主に政治的な意味で。


 一般の日本市民はともかく、日本海軍主流派は北米西海岸の諸都市を制圧した程度で合衆国を倒すことはできないと考えていた。
 この戦争を終わらせるためには西海岸だけでなくパナマとカリブ海を抑え、東海岸の主だった港と工場を破壊し、五大湖とミシシッピ川を機雷で埋め尽くす必要があるとまで思い詰めていた。
 逆の立場で考えてみればそうなる。もし日米の戦況が逆転して日本本土に侵攻されたとして、千島列島や北海道を占領された程度で、あるいは台湾や沖縄を占領された程度で日本軍が抵抗を諦めるだろうか。

 既に戦力を使い切り、物資も資源もなく農地は荒れ果て工場も動かず国民に餓死者が出始めた状況ならいざしらず、戦う力が残っているのなら易々と降伏する訳がない。日本的に考えるのならそうなる。
 しかしアメリカ的に考えるのならば、どうか?
 たとえばワシントン州政府がこの時期に合衆国から離脱すると宣言して大戦における局外中立を言い出すことは、有り得なくもない。少なくとも違法ではない。

 開戦前まで、北米西海岸地域の経済は日本帝国との貿易により潤っていた。
 特にシアトル港が対日貿易に果たす役割は大きく、ロサンゼルスなどのカルフォルニア諸都市と比べて華僑勢力が弱いこともあってワシントン州の対日感情は比較的良好だった。
 全米48州のなかでワシントン州は最も反日意識が弱い地域なのだ。単独講和も、有り得ないとは言い切れない。

 故に合衆国は、日本帝国軍人達の意識外のところで重大な危機にあった。特にこの時点で、各州分離からなし崩しに講和など結ばれては堪らない米海軍軍人にとって。
 何かの間違いで40年秋に講和が成立してしまえば彼らの経歴はお終いだ。敗戦の責任が現場に押し付けられる事は明かであり、合衆国がいずれ遠くないうちに海軍を再建するとしても、確実に無能の烙印を押されてしまう彼らの居場所はない。

 社会風土的に、敵としている日本よりも先祖達が後にした欧州諸地域よりも、合衆国は縁故(CONNECTION)を重視する社会なのだ。他の国々と比べて地域や宗派による締め付けが弱い分、個々の人間同士で繋がりが重視される。
 合衆国において救いがたい無能、度し難い愚昧、拾い上げる価値のない敗北者とみなされた人間の末路は悲惨そのものである。大恐慌の時期には博士号持ちの浮浪者すら珍しくなかった。

 かくして救国の志と、最悪の未来からの逃避行動は合わさった。
 軍法会議やら国際裁判やら不名誉除隊は勿論、アナポリス出のエリート士官たちにとって「駐車場の管理人にもなれぬ」人生の終わりなど、到底受け入れられはしない。


 決死の片道特攻へ出発する前、「死にたい奴だけ付いてこい」というハルゼーの言葉に様々な事情から頷いた2000人余り(諸説あって正確な人数は不明)の乗組員は、上記のような理由でワシントンと共にサンフランシスコ沖までたどりついた。


 対する日本軍、いや連合艦隊サンフランシスコ攻略部隊司令部はこの期に及んでも事態を理解していなかった。
 彼らの世界観には、戦艦や練達の乗組員をこのような投機的すぎる作戦行動に投入する海軍など存在しない。存在しないものが目に入るわけもない。


 14時43分、空母加賀被弾。爆沈。
 14時46分、空母赤城被弾。大破炎上。
 14時50分、空母翠龍被弾。大破漂流。

 ワシントンとハルゼーにとって、周りは全て敵であり標的だった。だとしてもその索敵能力と命中率は異常だった。個艦命中率を日本海軍ほどには重視していない筈の米戦艦がここまで高い命中精度を発揮した、その理由はよく解っていない。
 確かにノースカロライナ級戦艦には米戦艦で初めて搭載された電子計算機があり、従来の米戦艦よりもその命中精度は高かった。だがそれを計算に入れても有り得ない程に、この日ワシントンの砲撃は必中にして必殺だった。

 解っているのはハルゼーがなるべく命中率を上げようと努力していた事ぐらいだ。そう、彼は遠距離砲戦の命中率で大きく劣る自軍の戦艦が連合艦隊に一矢報いるには肉薄攻撃しかないと確信していた。
 使い慣れどころか試射もろくにしていない特殊徹甲弾を活用するには、できる限り近くで、直接照準に近い形で撃ち込むしかなかった。偏差修正などの能力では未だに敵に及ばないからには仕方がない。

 海空の飽和攻撃も、囮にした偽空母群も、置き去りにしたアーカンソーも、恥や外聞を投げ捨てたワシントンの偽装も全てこの肉薄攻撃のためだった。当たらないのなら当てられるまで近寄って撃つ。それがハルゼーがトラック島沖での大敗北から得た戦訓である。
 日本戦艦と併走しながら撃ち合いなどしたら一方的に打ちのめされる。遠距離および中距離では彼我の命中率にそれだけの差があることをレイトン中佐ら太平洋艦隊の参謀達は解き明かしていた。
 これは電波式光学式の測距儀の性能や、射撃装置の演算能力などのハードウェア的な格差があったからだが、それだけでなく様々なソフトウェアそして何よりも積み上げた訓練時間に差があったからだ。

 あの大敗から半年余り、ハルゼーたち太平洋艦隊残存戦力は訓練に励んでいた。その決死の努力は実り、ワシントンの乗組員は世界水準以上の技量を手に入れていた。
 元々合衆国の船乗りは数が多く水準も高い。伊達に世界最大の商船隊と世界二位の海軍を所有してはいないのだ。近年の予算不足でろくに訓練ができず腕が落ちていたが、元々の基礎がある分勘を取り戻すだけで済んだ。一から積み上げていくより遙かに早い。

 負け戦とはいえ本格的な海戦の経験もトラック島沖で積んだ。このときワシントンの戦闘力は連合国海軍の戦艦では頂点に達しており、協定諸国海軍の戦艦と比べても平均よりかなり高い位置にあった。その個艦戦闘力は世界屈指の、極めて強大なものだった。


 いかに戦艦が強力とはいえ兵器は兵器である。所詮は戦場の一要素に過ぎない。一個の兵器が戦場を支配するなどありえない。
 有り得る筈のない事が目の前で起きたとき、人はそれを奇跡と呼ぶ。

 奇跡は起きた。三隻の空母はまたたくまに爆発炎上し戦力価値を失った。


 ワシントンは三隻の空母を無力化する傍らで、砲戦を挑んできた戦艦比叡と榛名を返り討ちにしていた。
 僅か数斉射で戦艦二隻を炎上させ無力化した後に、ワシントンは接近を図る軽巡神通を一撃で大破炎上させ、その場を離脱する。

 この日の海戦でワシントンに搭載されていた一門当たり僅か18発の特殊徹甲弾は、命中しさえすれば最新鋭の大型戦艦のどの部位でも一撃で破損させられる威力を持っていた。たとえそれが常陸級やフリードリヒ大王級の砲塔正面防盾であろうと。
 元巡洋戦艦としては頑丈な部類に入るとはいえ、旧式で装甲の薄い金剛級が複数の特殊弾をくらえばひとたまりもない。それでも比叡と榛名は炎上する前にワシントンへ数発の主砲弾を命中させたが、目に見える損害を与えることはできなかった。

 黒潮、親潮、早潮などの支援艦隊に所属していた駆逐艦は敵戦艦を追い、追われる側は第三砲塔や後部両用砲で後方の敵を牽制しつつ攻略艦隊本体めがけて突進した。

 追っ手の駆逐艦たちはそれぞれの判断で追撃戦を続け、程なくその全てが撃沈ないし撃破され脱落する。
 彼らの責とするのは酷だが、この追撃は日本軍に更なる混乱を招いた。
 駆逐艦の艦長たちはそれぞれの判断で「敵戦艦が赤城を撃沈した」「所属不明の戦艦が暴れている」「武蔵を名乗る戦艦が出現」といった雑多な警報を発信して、しかもその直後に訂正する間もなく全ての駆逐艦が沈むか破損して続報が出せない状態となったのだ。


 根っからの空母屋であるハルゼーにとって空母とそれに乗っている人員こそが主力兵器であり、第一の攻撃目標だった。
 しかし偽空母に釣られた紅鶴などは狙いようがない。いかに新鋭戦艦でも近寄ろうとしただけで攻撃機に集られて沈められる。
 ならば上陸支援にかまけている空母群へ奇襲をかけ、相打ちになってでも仕留める。それしか狙える空母はいなかった。沖合の補用空母群はワシントンが狙うには位置が遠すぎたのだ。
 日本海軍の補用空母は遅いものでも25ノットは出る。27ノットしか出せないノースカロナイナ級で追い回すのに向いた獲物ではない。

 という訳で、情報混乱のあまり機能不全に陥っていた攻略艦隊中核部隊のうち、大井と北上が真っ先に狙われたのはその外見が一見して空母に見えないこともなかったからだった。
 重雷装巡洋艦から梅花母艦に改装され、全通甲板を備えた姿となっていた二隻は直撃弾と至近弾の衝撃で搭載していた梅花が誘爆して爆沈した。

 この戦訓を受けて梅花に内蔵される炸薬がより誘爆しにくいもの(安藤&穂純火薬など)に改められるのだが、それは翌年2月の製造ロットからであり、戦場に投入され始めるのは更にその後となる。


 大井と北上が爆発した瞬間に、攻略艦隊の混乱は恐慌(パニック)へと変化した。

 日本海軍の水雷戦隊が恐慌を起こすとどうなるか。答えは「近くにいる敵へ猛攻を加える」である。米海軍の戦艦と差し違える為に造られ鍛え上げられた彼女達は、水雷戦隊の本能に目覚め近場にいるただ一隻の敵戦艦へ殺到した。
 もはや正体などどうでも良い、味方を狙うからには敵。ただそれだけだ。

 結果、肉薄攻撃を挑んだ軽巡阿武隈は搭載していた魚雷にワシントンの両用砲弾が命中して誘爆轟沈し、駆逐艦電、響も同様に轟沈または爆発炎上、間一髪で敵弾が当たる前に魚雷を発射できた暁は大破するも沈没を免れた。
 同じく発射が間に合った雷は16インチ主砲弾が2発も命中したが、装甲が薄いため信管が発動せず船体に大穴が開いただけで済んだ。

 阿武隈らの突撃は無駄ではなかった。水雷戦隊への対処に手間取ったワシントンは至近距離まで間合いを詰めたにも関わらず、離脱を図る空母翔鶴への主砲弾を外したのだ。
 それでもすれ違いざまに数十発の両用砲弾を浴びた翔鶴は沈没こそ免れたものの派手に炎上し、只でさえ修理中だったこの空母は数日という短時間ながら戦力価値を完全に喪失した。

 ハルゼー始めワシントン艦橋の面々は大物を逃がしたことを悔しがったが、煙幕の向こうに逃げた空母を追いかける余裕はなかった。彼らの周りは敵だらけであり、しかも秩序はなくしていたが牙と闘志は失っていなかったのだ。
 攻略艦隊の水雷戦隊そして航空支援艦隊の残存戦力は勇敢だった。僅かばかりの時間さえ稼げば強力な味方が駆けつけてくれることを知っている彼らは決して怯まなかった。

 ワシントンは次々と現れ豆鉄砲を撃ちかけ、時に体当たりまで狙ってくる水雷戦隊や単独行動の駆逐艦を蹴散らしつつ、逃げ惑う敵のなかから空母らしき艦を優先して攻撃を続けた。実はその中に空母は含まれておらず撃沈破されたのは輸送艦や揚陸艦または輸送船だったのだが、人的被害という点では大差ない。

 日本海軍の水雷戦隊は勇敢だったが、いくらなんでも分が悪すぎた。よく訓練された新鋭戦艦相手に魚雷も積んでいない巡洋艦や駆逐艦では歯が立たない。立つのなら戦艦など造る必要がない。
 戦艦と他の艦種では砲戦能力にそれだけの差がある。老朽でも失敗作でも訓練未了でもないまともな戦艦は、まさに恐るべき兵器なのだ。
 水雷戦隊から見た戦力差は、石斧や石槍で住処に乱入してきた人食い虎に抗わなければならない穴居人よりも絶望的なものだった。北大西洋で同種の敵達が死んでいったように、日本製の牧羊犬たちも勇敢に戦った末に傷付き死んでいった。


 日本海軍側は万全に程遠い状態にあった。合衆国の陸海航空隊その他の戦力による波状攻撃の効果は、このとき確実に現れていたのである。
 艦隊司令部の油断や怠慢だけでなく、疲労と消耗は確実に攻略艦隊の気力を削っていた。いかに意気軒昂であったとしても、それは疲労がなくなったのではなく忘れているだけなのだ。

 レイトン中佐の策は実った。あまりに執拗な航空攻撃に辟易した攻略艦隊は魚雷を、一部の艦艇を除いて配備していなかったのだ。ある艦では魚雷が輸送艦に戻され、ある艦では甲板下の船倉にしまい込まれた。
 剥き出しの魚雷は散布される小型爆弾の破片や機銃弾の掃射などで誘爆しかねない。空襲に対して当然の処置ではあったが、敵戦艦の殴り込みという突破事態に対しては完全に裏目に出た判断だった。

 爆沈した阿武隈ほかの第六駆逐隊だけでなく、魚雷を搭載した水雷戦隊があと二つもあればワシントンの足はここで止まっていたかもしれない。しかし敵艦隊との水上戦闘が起きる確率を低く見積もりすぎた攻略艦隊司令部は一部の艦艇にしか魚雷を搭載させていなかった。

 ノースカロライナ級戦艦は優れた兵器である。優れてはいるが無敵でも完全でもない。日本海軍の誇る酸素魚雷を至近距離から連打されれば無事では済まないだろう。
 しかし阿武隈と第六駆逐隊から放たれた魚雷の網は不完全であり、僅かに隙間があった。ワシントンは雷と暁の酸素魚雷を、悪魔でも取り憑いているかのような幸運で避けきった。
 その様子を目撃した駆逐艦響の副長は炎上する甲板で「何故あれが当たらんのだ」と絶叫した、と伝えられている。
 

 このときワシントンはたった一隻でサンフランシスコ攻略戦の戦況を覆しつつあった。もしこの艦が進撃を続けていたならば揚陸中の船団と陸に上がったばかりの第17軍(軍団)までもが恐慌状態に陥り兼ねなかった。
 そうなればサンフランシスコがいずれ陥落すること自体は変わらなくとも、日本軍がその後の行動に大きく支障をきたしたことは間違いない。

 そうはならなかった。
 日本軍にとっての救いの神が現れたのである。浅間級高速戦艦2番艦である剣(つるぎ)が。

 ただし剣には戦力的に問題があった。上陸部隊の直接的支援に当たっていたこの艦は敵重陣地破壊のために手持ちの徹甲弾をほぼ撃ち尽くしていたのだ。残る徹甲弾は数斉射分のみであり、少ない手数で戦闘行動中の敵戦艦へ命中させるには幸運の女神の加護が必須である。
 サンフランシスコ攻略戦において敵戦艦との交戦の可能性は無いと見積もってしまったが故の、失態であった。

 後続の長門と陸奥は弾薬庫の中に充分な量の徹甲弾を残していたが、両戦艦の砲塔や揚弾機に載せられていた弾薬は剣とは逆に榴弾と散式弾であり、換装に要する時間はあと10分程。

 後続する二隻が砲弾を入れ替える僅かな時間を稼ぐために剣は単独で先行したのだ。元々の速力で高速戦艦である剣の方が長門級よりも優っていたという、もっともな事情もある。
 剣の行動が無謀だったとは言い切れない。戦艦は強靱だが無敵ではないのだ。
 船体の全面が分厚い装甲で被われている訳ではないし、榴弾や散式弾でも装甲部分に当たって炸裂すれば機銃や両用砲は潰せる。運が良ければ見張り員や測距儀を傷つけて砲戦能力を奪えるかもしれない。
 最悪でも時間稼ぎができる。欠陥品や余程の旧式でない限り、戦艦はそう簡単に沈まないのだ。


 砲弾に問題があったのは剣だけではない。ワシントンもまた切り札の特殊徹甲弾を2種類とも撃ち尽くしていた。第一及び第二砲塔に搭載していたウラニュウム合金弾も第三砲塔に搭載していたタングステン合金弾も既にない。
 現状はワシントンの全乗員にとって夢のようなものであり、そもそも特殊徹甲弾を撃ち尽くせるまで自艦が浮いていられるとは出撃前には誰も考えていなかった。
 夢にも見なかった展開に、彼らの士気は限界を突き抜けて高まっていた。もはや誰が何を言おうとワシントンの突撃は止められない。

 16インチ砲を搭載しながらも14インチ級砲弾に対応した装甲しか持たないワシントンと、14インチ級砲を搭載しながらも装甲防御はそれ以上を目指した剣との撃ち合いは壮絶なものになった。

 僅か数分、十斉射足らずで決着は付いた‥‥かに思われた。剣は大破し、ワシントンの損傷は小破に留まった。通常のものとはいえ徹甲弾を使えるワシントンの方が、対空用砲弾や軟目標砲弾しか当てることが出来なかった剣より有利だったのだ。
 運もまた実力である。剣は、紙一重の勝利を掴みきる力量を持たなかった。

 しかし満身創痍ながらも剣はまだ動いていた。舷側の高角砲がまとめて消え、第二砲塔が吹き飛び、左舷バルジに大穴が開き、昼戦艦橋が炎上しているにも関わらず残った火器で砲撃を続けていた。

 ここにきて、ハルゼーとワシントンはこの日初めての戦術的誤断を犯した。剣に止めを刺すべく更なる砲撃を加えたのだ。
 後知恵で言えば、ワシントンは剣を無視すべきだった。敵艦に実質的な戦力はもう残っていなかったのだ。ワシントンが狙うべきは速力を大きく落とし見当外れの方向へ砲撃を続けている剣などではなく、その後方から近づきつつある長門と陸奥だった。

 あるいはその2隻も無視して、彼方に見える揚陸作業中の輸送艦たちへ砲撃すべきだったのかもしれない。そうすれば少なめに見積もっても数万トンの敵船舶が沈み数千人の人的被害を与えられただろう。
 剣が完全に動きを止めるまでに放たれた36発もの16インチ徹甲弾には、それだけの威力があった。

 判断に誤りはあっても、この日ハルゼーに取り憑いていた幸運(悪運?)は未だ健在だった。ワシントンの戦艦陸奥に対する第一斉射はうち2発が直撃し目標の戦闘力を激減させたのだ。
 対してほぼ同時に放たれた長門級2隻の砲弾は大きく外れた。初弾命中など完全に運の領域だが、長門たちの砲弾はあまりにも目標から外れすぎていた。連合艦隊旗艦を常陸に譲ったとはいえ熟練の極みにある筈の戦艦長門砲術科にしてはお粗末すぎる照準だった。

 原因は長門の射撃盤が故障しているせいだった。この20分ほど前に長門は混乱に付け込んで接近した米陸軍大型爆撃機から爆撃され一発の命中弾を受けていた。
 大した被害ではないと思われていたこの千ポンド爆弾一発の衝撃が、進化の途上にありまだ耐久性に不安があった電子式計算装置を狂わせていたのである。
 それが判ったのは長門の第4斉射後のことであり、統制射撃を個艦射撃に切り替えたとき既に陸奥は大破し戦闘能力を失っていた。当然だがこちらは正常に稼働していた陸奥の射撃装置はワシントンの第一斉射によって破壊されている。

 もしも長門級が近代化改装時に統制射撃装置を積まなければ、もしこの瞬間に照準装置が故障していなければ、もしハルゼーが長門の方を狙っていれば、もし射撃を統制していたのが陸奥だったならば。既にワシントンは撃沈されていただろう。
 だがもしもはもしもでしかなく、追いつめられているのは長門だった。後に無防備な友軍がいるからには一歩も退く気はないが不利は否めない。自慢の命中精度が損なわれた長門は、普通の、いや良くできた旧式戦艦に過ぎない。

 かくなる上は船体そのものをぶつけてでも止めるしかあるまい、と艦長から水兵までが悲壮な覚悟を決めた長門の前で、突如ワシントンは爆沈した。
 おそらく長門をあと5分以内に無力化して、沖合の補用空母部隊が独断で送り込んだ攻撃隊がやってくるまでの30分程度の時間、揚陸作業中の日本軍を一方的に蹂躙していただろう海魔(リバイアサン)は、大爆発の中で真っ二つに折れ、あっけなく沈んだ。


 いかに優れていても兵器は兵器。運が尽き果てれば戦場の一要素に戻るしかない。
 沈められた巡洋艦高雄、神通、阿武隈、仁淀。戦艦比叡、榛名、剣。そして駆逐艦11隻の犠牲は無駄ではなかった。それらの艦からワシントンに叩き込まれた砲弾は内部で火災を発生させていた。
 一旦は鎮火したと思われたが剣そして陸奥と長門との砲戦で再発火し、弾薬庫にまで引火してワシントンを沈めたのだ。

 ただそういった事情が明らかになるのは数十年後の再調査によってであり、日米戦当時においてワシントンはまぐれ当たりした戦艦長門の主砲弾により撃沈された扱いとなった。


 こうしてサンフランシスコ沖海戦は終わり、戦艦ワシントンは伝説となった。万骨枯れて一将の功は成った。
 正規空母3隻、戦艦3隻の完全喪失は日本海軍にとっても大損害であり、大破した戦艦陸奥も戦線復帰に丸1年は掛かるだろう事を考えると戦力的に見て撃沈されたのと大差ない。
 これに加え巡洋艦4隻、揚陸艇母艦1隻、特殊機母艦3隻、駆逐艦11隻が完全喪失。生き残った艦船のうち三割はドックに入れて修理する必要がある。
 軍艦以外でも高速油槽船3隻が炎上し、大型9隻中型10隻小型8隻の商船が沈没ないし廃棄処分となった。中破小破した船は更に多い。

 人的被害は陸海軍と民間人そして海外からの観戦武官も含めて、死傷者・行方不明者の合計が12月15日の段階で1万5千742人に達した。なお、この数字には1ヶ月以内に退院できると判定された怪我人は含まれていない。
 小沢中将を始め将官の戦死者だけで7名、海軍大佐だけで29名が戦死または再起不能の重傷を負った。ハルゼーの刺した錐は日本軍の致命傷にこそならなかったが、内臓まで届いたのである。


 この海戦は日米両国の戦略、いや世界大戦全体へ影響を与えることになる。
 しかしその影響は、トラック島沖海戦の比ではなく小さい。
 彼我の損害比こそ凄まじいが、一隻の戦艦にできることには限度がある。故に、この後日本軍は敵新鋭戦艦への対策を容赦なく、取りうるあらゆる手段と方向性で推し進めるのだった。ワシントンの同型や改良型が海を埋め尽くす悪夢に彼らは震え上がった。

 卑怯卑劣と言うなかれ。軍事行動とは元から正々堂々とは対極にあるものなのだから。

 古人曰く「兵は詭道なり」。

 また別の古人曰く「勝てば良いんだよ勝てば」。

 それは今も昔も変わらぬ、戦場の真理なのだった。
 




続く。




[39716] その十六『経度0度の激闘』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:a179561b
Date: 2021/06/14 12:13






            その十六『経度0度の激闘』





 軍事に限らず、組織だった行動には理論の裏付けが必須である。近代以降は特に。
 近代以降人間の活動は複雑大規模化する傾向にあり、組織化しなければまともに組織を動かせない。
 組織化するには組織を動かす人々が理解できる仕組みが必要で、仕組みを他者に理解させるためには物事の理論化が必要なのだ。


 事象は解析され、事実から法則性が導き出され、理論化される。理論は実践され成功または破綻し、有効性を認められたものが次に作られる教本に残る。
 しかし、ある時点やある場面で正しかった理論がその後も常に支持されるとは限らない。軍事的なものおいても後々まで永く使われ続けるものは少ない。技術や理論は地勢や政治状況などの環境によって使われる前提が変化するからだ。
 孫武の戦略論のように、原文そのままでも数千年の長きに渡って価値を認められ使われ続けるものはいたって少数派である。

 中世欧州の「重装騎兵最強論」などは、土地が貧しく人口が少なく、製鋼や木工や皮革膠骨の加工技術で遅れ、立案面でも実行面でも作戦能力が著しく低い小規模な軍隊しか存在しなかった中世欧州という特殊な環境であるからこそ、一世を風靡した。

 偏った環境で育まれた理論はより進んだ発想・技術を持つ個人や集団と遭遇して粉砕される。歴史上では珍しくもない事例だ。

 もしも中世欧州に当時の知将名将たちの采配を解析し理論化し実行できる勢力が現れていれば欧州史は違っていたかもしれないが、そんなことができる余裕など何処にもないのが中世欧州という時空間である。
 スキピオがハンニバルを追い付き追い越せたのは、彼がローマ人でありローマの国力を活用できたが故だ。
 ナポレオンは中世フランスでも余裕で傭兵隊長として名を馳せたであろう。武勲を積み上げて立身出世し、高位貴族の一員となることも夢ではない。
 だが参謀本部は中世プロイセンには存在できない。社会そのものに資本と意識の蓄積が足りなさすぎる。



 二度目の世界大戦で証明されつつある軍事理論のなかには、戦略爆撃理論と戦略爆撃絶対主義との相克というものも存在する。
 戦略爆撃そのものは前回の欧州大戦で既に行われており、その効果と限界も既に証明されている。
 が、しかしその限界は量的な問題によるものであり、技術の発展により解消されると主張する者達が存在した。有名人を挙げるとジュリオ・ドゥーエやヒュー・トレンチャードなどだ。

 彼らは要約すると

 「戦略爆撃の効果が限られるのは運搬される爆弾の量が足りないからであり、膨大な物量を敵国内の都市部に送り込み市街を破壊し敵国民を大量に殺傷しさえすれば戦争に勝てる。
 今後の戦争は大量の爆弾を搭載し高々度を高速で長距離飛べる大型戦略爆撃機が主体となり、いかにして自軍の戦略爆撃機を敵国本土に送り込み自国本土に敵軍の戦略爆撃機を入らせないかが焦点となるだろう。
 いずれ近いうちに完成される「ぼくのかんがえたすごいせんりゃくばくげきき」は偵察もできるし、戦闘機ごときでは撃墜されない。
 だから戦闘機はいらない、偵察機もいらない。軍艦もいらないから廃棄して、その分の予算を戦略爆撃部隊に回そう。
 戦略爆撃は完璧で万能なんだよ、それが解らない奴は頭が悪いんだ。
 敵が行動する前に戦略爆撃すれば敵の反撃手段と継戦能力を奪えるから、これからの戦争は戦略爆撃機さえあれば事足りる。
 だから我々戦略爆撃派閥に予算と出世の道をよこしなさい無能と老害ども」

 というようなことを主張したが、彼ら以外の軍人や官僚や政治家達は小学生風にいうならば

 「んな訳ゃないだろ、ばーかばーか」

 と、省略できる返答をして戦略爆撃教徒たちの主張を却下した。却下された教徒達はしつこく自説を唱え軍内外で布教に励んだため弾圧された。
 例えば米陸軍では戦闘機無用論を掲げ続けていたウィリアム・ランドラム・ミッチェル准将が1926年に退役に追い込まれ、彼の弟子筋にあたる熱心な信奉者達もその多くが左遷されたり出世が遅れたりと冷遇された。

 しかし弾圧すればするほど強靱になるのが宗派(カルト)というものであり、戦略爆撃教原理主義過激派は各国の軍でしぶとく生き延びていた。地政の都合で「我が軍には高性能な大型爆撃機が必要」と言い張りやすいアメリカ合衆国には特に多くの生き残りがいた。

 やがて列強各国で同時多発的に、爆撃機絶対論を掲げる戦略爆撃教徒たちは限られた予算を取り合う近縁者を攻撃すべく「戦闘機無用論」を提唱した。もちろん彼ら教徒達は殆どが各々の祖国に忠誠を誓っており他国の教徒と連携などしていなかったが、同じような立場にいれば人間の考えることなど何処の国でも変わらない。
 戦闘機無用論とは単純化すれば「大型爆撃機は単発小型の戦闘機より強い」と主張するものだが、確かに最新鋭の傑作重爆撃機は旧式や欠陥品の戦闘機ならば振り切る事ができた。無論「作戦次第で」、という枕詞は付くが。

 戦闘機無用論は航空関係技術が長足の進歩を遂げた30年代半ばの時期に各国で隆盛を極め、急激に失墜した。
 日本やドイツの演習空域で粉砕され、チャイナやスペインなどの戦場で爆撃機の残骸と共に撒き散らされた。
 現在では護衛なしの大型爆撃機が戦場を飛ぶことは自殺行為だと、戦略爆撃教徒以外の軍人達全てが認めている。現実を認められない者は軍人ではない。

 確かに爆撃機が戦闘機を振り切れることもある。しかしそれは「白いカラス」と同じく例外的な事例である。縞馬が獅子を蹴り殺すことも偶にあるが、檻の中で戦わせたら大概の縞馬は獅子に食われるのだ。


 戦闘機無用論は排斥されたが、戦略爆撃そのものの価値は今次大戦でも認められているし実行されている。
 しかし絶対的に戦略爆撃を信仰する原理主義者たちにとっては量的にも質的にも、つまり予算と権限の面で物足りないものでしかない。故に合衆国陸軍航空隊の一部は協定諸国に対し彼らの流儀に則った戦略爆撃を試みて、失敗を続けていた。

 無理に無理を重ねてフィリピンに配備した初期型のB17爆撃機は、初期故障と整備不良と悪天候と性能不足と無謀すぎる作戦により戦果らしい戦果をあげる前に壊滅している。

 海軍の空母に陸軍の長距離爆撃機を積み東京を奇襲せんとする奇策は日本海軍の哨戒網を突破できず失敗に終わり、米海軍は貴重な艦隊空母を含む一個任務部隊を失い、作戦参加者の殆どが未帰還となった。

 米本土に配備された大型爆撃機群は沿岸と航路の防衛に手一杯であり、敵に占領された西海岸への大規模攻撃に使う余裕がない。

 ブリテン島に居る連合軍航空隊は何度か欧州西海岸へ大規模攻撃を試したが、その度に攻撃側の未帰還率が5割以上を占めるという散々な結果に終わっている。しかもハンブルク市やキール軍港などの攻撃目標へ被害らしい被害を与えられなかった。
 大半の爆撃機は洋上で迎撃され墜落するか、迎撃機と接触する前に爆弾を捨てて退避したからだ。

 防空体制の穴を突く事に成功した11月2日のブリュッセル空襲は投弾成功率の面で及第点だったが、沿岸部と都市周辺に林立した高射砲塔群と遅れてやって来た迎撃機によって未帰還率七割以上という大損害を受けた。
 参加した72機の重爆撃機のうちブリテン島へ帰り着けたのは僅か18機に過ぎない。

 第三帝国宣伝省のいう欧州要塞、その具現である高射砲塔(フラックタワー)A型は、ドイツ海軍のリュッツオー級装甲艦そして日本海軍の伊吹級大巡と同じ三連装28センチ砲を二基、Z級駆逐艦および冬月型駆逐艦と同じ三連装12.7センチ砲を二基備え、しかも各砲塔の照準能力と連射性能は艦艇に搭載されたものを上回っていた。

 更にメートル単位の鉄筋コンクリートにより戦艦以上の装甲防御力を持ち、弾薬搭載量も艦艇以上だ。
 三連装15センチ砲や単装88ミリ砲で武装したB型や無数の40ミリ機銃を生やしたC型など、各種高射砲塔そして電探設備の建造は出資者の意向もあって積極的に進められている。
 高射砲塔は付近の電波探信儀(レーダー)施設から送られてくる射撃緒元が正確であれば、無敵の対空兵器なのだ。


 ドイツやスペインなど、協定諸国領土の守りは日々高められている。迂闊に手を出せば手痛い損害を受けることは明白だった。

 余談気味ではあるが、ドイツ占領下の国々で高射砲塔などの軍事施設や軍需工場が建てられ活動したため、現地の景気は一時的にだが回復した。現在建設中の合成ガソリン工場郡が稼働すればベルネクス諸国の燃料事情も一気に改善するだろう。
 占領軍が思いの外秩序正しく紳士的だったこともあり、住民感情は良好ではないが決定的に悪くもない。
 ドイツ国防軍は相変わらず冷酷非情の戦争機械だったが、故に合理的でもあり占領下の地域にそれなりに配慮していた。「文明国の軍隊は好き好んで非道を働かないものである」というのが協定諸国軍上層部の一致した見解だった。

 なんといってもポーランド戦当時と比べれば現在の対英本土戦は物資にも戦力にも余裕がある。誰だって、たとえポーランド政府や国民へ悪感情を持っていない希有なドイツ人であっても、懐に余裕がなければ配慮のしようがない。



 戦略爆撃とは攻撃する側へ多大な犠牲と消耗を強いる戦法であり、防御を固めた敵に対して強行すれば出血戦となる。遠距離になればなるほどその辛さは増していく。
 ろくな対空兵器を持たない弱小国に対してならば戦略爆撃で一方的に叩けるだろうが、弱い相手には何をしても勝てるのだ。結局のところ戦略爆撃も数ある戦法の一つに過ぎず、「~さえやっていれば勝てる」といった便利なものではない。


 「ブリテン島の戦い」は日本軍がチャイナ戦線で行った航空戦などと比べものにならない激戦であり、その負担は合衆国にとってしても楽ではない。
 では、合衆国陸軍航空隊による一連の欧州攻撃は無意味で無益な行為だったか、といえばそうでもない。
 たとえ爆弾一発であっても敵国銃後に投弾できるならば戦略的に意味がある。


 国土や国民を守れない、守ろうとしない軍や政府を支持する国民などいる訳もない。なので嫌がらせ攻撃と解っていても敵が来れば迎撃しない訳にはいかず、電波警戒網や高射砲や待避壕などの設備や施設を整え人員と物資を配備する必要がある。
 市民生活上も、敵機が来る度に避難や燈火管制をしていては不便でしかたがないし生産効率も落ちる。

 実際に協定諸国はブリテン島からの戦略爆撃に備えて一定以上の迎撃戦力を待機させ続けているし、高射砲塔などの軍事施設を欧州西海岸一帯に作り続けている。
 この対空要塞地帯、世に言う大西洋要塞は投下した資金・資源と効果の比率においてマジノ線と比べられるほどに非効率な代物であった。当然ながら協定諸国が国力を防御に回した分、ブリテン島と連合国軍への圧力は減ることになる。

 本格的な戦略爆撃ほどではないが、限定的な戦略爆撃でも効果はあるのだ。






  【1940年12月20日 午前6時45分 フランス北部 カレー市付近 上空一万二千メートル】



 雲海の遙か上、朝日が昇る前の空に銀色の大きなものが浮いている。銀色の太い葉巻に小さなゴンドラのような箱を貼り付けたような飛行物体だ。
 軽量素材の骨格に軽量素材の皮を張り、内臓の殆どが空気より軽い気体の詰まった袋で占められているこの被造物は、一般的にツェッペリン式飛行船と呼ばれている。
 呼び名は同じでも、派手に爆発炎上したヒンデンブルグ号などと異なりこの時期の飛行船には入念な安全対策が施されている。構造材や塗料は燃えないもしくは燃えにくいものが使われているし、浮力材にも水素やアンモニアなど危険性の高いものは使っていない。

 悪天候に弱く収納場所に困るという欠点はあるが、安定性と快適さで飛行船に優る飛行物体はない。しかし戦時の空を飛ぶには飛行性能が中途半端に過ぎた。特に速度が。
 飛行船の巡航速度は航空機の数分の一であると同時に高速船舶の数倍であり、飛行船でない移動物体を護衛をつけて移動することが難しいのだ。かといって鈍重な飛行船の護衛に、武装の重みで更に鈍重になる武装飛行船をつけても意味がない。

 当然ながら今次大戦が文字通り全ての列強と殆どの先進国が参加する世界大戦となると、大型飛行船の活動範囲は狭くなった。
 ベルリン交響楽団の日本遠征も合衆国参戦により中断されたが、それも致し方ない。赤十字の捕虜返還船すら撃沈する軍隊が敵国の楽団や疎開児童を乗せた飛行船を見逃す訳がない。

 故に、短期留学や国際親善訪問の名目で北欧や東欧そして独伊から来日していた児童たちは、帰郷のときまでに航路が回復しなかった場合は滞在期間を伸ばすか潜水艦で帰還するかを選ぶことになった。
 いや、もちろん選ぶのは児童たち本人ではなく保護者だが。

 40年春から秋までの時点では日本と欧州の連絡線は途絶えており、鈍重な飛行船が制空権も取れていない空を突破して日本と欧州を行き来することはできなかった。
 無理をしてでも行き来するとしたら潜水艦に頼るしかない。

 だが潜水艦でも日本と欧州の行き来が危険であることに変わりはなく、連合軍戦力のひしめく中を突っ切る危険をあえて冒すまでもないと考える保護者が多数派だった。
 この判断には日本政府が滞在延長による費用の全額負担を請け合ったことも影響を与えている。

 まあ、もしも潜水艦での移動を希望したとしても実際に乗れたかどうかは疑問だが。優先して日本から欧州に運ぶべきものが他にあったからだ。
 日本海軍は20日間で東京湾からバルト海まで辿り着ける超高速輸送潜水艦を複数所有していたが、希少な物資やもっと貴重な人材を運ぶだけで手一杯だった。いかに大型で高速でも潜水艦で運べる量には限度がある。


 日本政府の申し出は自信の(慢心の)証拠として内外に受け止められた。
 一般の日本人達は連合艦隊こそ史上最強の海軍であり、友好国から来た児童達の滞在費負担が重荷になるほど待たされはしないと信じていた。
 実際の話、日本海軍は一般的な納税者も外国の児童達もその保護者も長く待たせずに済んだ。


 40年1月末に在フィリピン米軍の海空戦力が無力化し3月上旬には米太平洋艦隊が壊走していたが、6月始めの日英開戦から一月余りで東南アジア一帯が制圧され、7月始めにはオーストラリア・ニュージーランド両国と実質休戦状態が成立した。
 9月始めにはセイロン島が陥落し、10月上旬にソコトラ島が制圧され、11月上旬にカイロが陥落し、ほぼ同時期にインドの英国軍がデリー周辺を除いて降伏した。
 そして11月半ばで、シアトル軍港が日本海軍により完膚無きまで破壊された。鎮火したばかりの空母翔鶴をサンディエゴのドックに突っ込み一週間の突貫修理の後に戦線復帰させるなどといった無茶を押し通しての猛攻から、連戦で疲弊した米軍がシアトルを守りきれる訳もなかった。

 まさに疾風怒濤の勢いで、日本海軍は海上通商路を切り開き繋ぎ直していった。日英の開戦から半年もかけずに欧州との連絡線は復活したのである。

 復活させねばならなかった。
 日本政府と大本営は、欧州戦線が干上がること自体は心配していなかった。日英開戦前から日本は地中海に面した防共協定諸国に、具体的には伊・西・土などに各種資源を蓄える貯蔵施設を作っていたし、輸送手段としても使える使い捨てのコンクリート船を多数停泊させてもいたのである。

 実際の話、日本から地中海までの航路が途切れても協定諸国の生産力は殆ど落ちなかった。35年春から40年6月までに日本から送り込まれた資源と物資はドイツ以外の協定諸国に、日本との取り引きが途絶えても一年や一年半は充分戦えるだけの余裕を持たせていた。
 残念ながら協定諸国の盟主格であり兵器廠であるドイツにそこまでの備蓄はない。消費に追い付かないのだ。だからドイツは日英開戦以降数ヶ月の間、日本から潜水艦で送られてくる金塊で他国から余剰資源を買い入れて凌ぐ羽目になった。

 干上がりかけたというか窮地に立ったのはむしろ日本帝国である。

 日本海軍は祖国の財界や政界から通商路の再開をせっつかれていた。北米の市場を完全に失った日本経済には東南アジアとインドと太平洋、そして中東と欧州の市場が必要だった。
 日本勢力圏だけでは拡大した円経済にとって狭すぎる。市場だけでなく、投資先として欧州がなければやっていけない。
 マンチュリアとチャイナでは満州国と南京国民党の政治力が急速に高まってきている。民族資本強化が進められている両地域は、以前とは別の意味で日本企業にとって旨味の少ない場所であった。

 更に言えば、人手不足が限界に近づいていた。戦線と勢力圏が拡大する一方であったのだから無理もない。
 もしもアンザック同盟とくにオーストラリア政府が外交方針を急変換しなければ、その結果であるオーストラリアの人的資源供給がなければ日本政府は本土内で学徒動員を強制化していただろう。もちろん強制化しても焼け石に水だが。
 何が何でも、一日でも早く日本帝国は欧州との輸送線を復活させなくてはならなかった。オーストラリアの協力は更なる戦線と勢力圏の拡大を意味していたし、代価も決して安くなかったのである。

 それほどまでに日本の経済界は即戦力となる人材を欲していた。使えるのならユダヤ人だろうが元赤軍兵だろうが同性愛者だろうが出自や経歴は問われなかった。最低限の意思疎通ができて最低限の倫理が通じさえすれば良いのである。
 故にカイロ制圧の翌日から日欧の通商は復活し、日本経済は良質の労働力と消費者の輸入を再開した。


 12月に入ってパナマ攻略戦が始まりパナマ付近の軍事施設が軒並み破壊され、南アフリカに上陸した協定諸国軍が順調に制圧範囲を広げている以上、潜水艦を含めた連合国軍残存戦力が太平洋とインド洋から消滅するのは時間の問題だった。
 あとしばらくの時が経てば戦って沈むか、逃げ出すか、干からびるかの選択肢でさえ自分では決められなくなるだろう。

 通常船舶になりすました補給用仮設巡洋艦が何隻か生き残った程度では、潜水艦は維持できない。魚雷や燃料食料の補給はできても整備が出来ないからだ。
 現代兵器とは整備が滞れば長くても数ヶ月で屑鉄同然の役立たずに成り果てる代物であり、潜水艦も例外ではない。

 絶海の孤島に設えられた秘密の補給基地が活躍できるのは冒険小説の中だけであり、補給基地への補給線が途絶えてしまえば諸共に干からびるだけだ。
 仮設巡洋艦が協定諸国の海軍や沿岸警備隊による警戒網をかいくぐり続けること自体も楽でなく、太平洋における連合国軍潜水艦の動きは急速に鈍っていくのだった。


 そんな訳で以前と比べるとかなり遠回りになるが、日本から欧州への空路は40年12月の時点で開けていた。船旅では遅すぎて不都合がある旅行者達は大型飛行艇を乗り継いで動いていたし、数は減ったが飛行船の定期便も復活した。
 政府代表としてイスタンブールへ向かった前田利為侯爵など重要人物も利用しているように、航路の制空権が保証されていれば、飛行船は船より速く飛行機より安全な乗り物であり移動手段として需要があった。


 定期便が減った理由の一つは旅客用飛行船の数自体が減っているからでもある。大型飛行船のうち何割かは改造され軍務に就いているのだ。
 マジノ線やオワフ島へ大型爆弾を投下した同類と異なり、客船から改造した飛行船の任務は直接攻撃ではなかったが前線付近に出ることもあった。
 カレー市南方の空に浮かぶこの飛行船も、専用発電機付きの発信器で謀略放送を含む各種の電波を流している。
 普通ならば陸地の電波塔から流せばよい電波をわざわざ飛行船で流しているからには、それなりの理由がある。この飛行船もまた、協定諸国軍が誇る電波兵器の一部であった。





  【同時刻 ブリテン島南部 サウザンプトン付近上空】


 
 比較的低高度を、陸から海に向かって2機の戦闘機が飛んでいく。
 液冷の発動機を搭載した、優美な流線型をした単座の機体だ。素人が見ても高性能と一目で分かる、一線級機体である。
 その翼と胴体には蛇の目文様が描かれていた。言わずと知れた英国空軍の所属機だ。一部の同盟国航空部隊と異なり、英空軍の機体は基本的に自軍の識別用塗装規定を遵守していた。

 もっとも、国籍偽装を行わない最大の理由は紳士の気概とか空の騎士道ではなく同士討ちを恐れているためなのだが。
 飛行中は勿論だが特に飛行場以外の場所へ不時着したときが怖い。先月にはロンドン郊外に不時着した機体から這い出した亡命オランダ人操縦士が、機体に擬態用の鉄十字を書いていたがためにドイツ兵と決めつけられ自警団に撲殺されるという痛ましい事件も起きている。
 不幸にもそのオランダ人操縦士は英語よりもドイツ語の方が得意であり、英語を喋るとドイツ訛りが強く出てしまう癖があったのだ。ドイツ軍機に見えるものからドイツ訛りで喋る者が出てくればドイツ兵扱いされても仕方ない。土壇場では飛行服に縫いつけられている程度の記章は目に入らないのだ。

 偽装塗装の常習者である米軍の操縦士はというと、自警団に撲殺されるような事は殆どなかった。
 彼らは操縦席に拳銃や短機関銃を常備しており、敵地に不時着したとしても全くの無力ではない。猟銃すらろくにない自警団にとっては手強すぎる相手である。


 「狐穴からフォックス・ワン、応答願います」
 「こちらフォックス・ワン。どうぞ」
 「東から敵の新手です。高度九千フィート、速度300ノット、約20機、接敵まで約240秒。繰り返します、東新手、九千、300、20、240」
 「了解。迎撃に向かう」

 雑音が入るがきちんと聞こえる通信に応えて操縦士は操縦桿を引いた。彼の機体に僚機も続き、2機の戦闘機が上昇を開始する。たった2機で10倍以上の敵に向かうことになるが、相手はどうせ無人の飛行爆弾だ。運さえ悪くなければなんとかなる。
 例外なく飛行機には適切な巡航速度というものがある。300ノットもの速度で巡航できる飛行物体は限られるのだ。

 戦闘機ではないだろう。新型のメッサーシュミット戦闘機、Me109Fはかなり速いらしいがそれはあくまでも最高速度である。最初から全速で飛ばしていては燃料が持たない。
 戦闘機の護衛がついていないのならば、100式重爆でも98式陸攻でもない。日本人達は護衛無しの爆撃機がいかに脆いか知り尽くしている。もちろんドイツ空軍も。
 四発重爆撃機も戦闘機の護衛が要ることは同じだし、そもそも速度限界的にありえない。
 偵察機ならば群ではこないだろう。だから飛行爆弾だ。

 もしかしたら征空戦闘目的の高速戦闘機群かもしれないが、そのときは逃げれば良い。初期型と比べれば何割か航続距離が伸びたが、構造上Me109系の機体は搭載燃料に限界がある。
 Me109以外の協定軍戦闘機なら急降下で逃げ切れる可能性が充分にある。早い段階から逃げに徹すればそうそう落とされない筈だった。


 V1号兵器こと、パルスジェット推進機「梅花」。
 40年秋に登場したBAIKA-BOMBは、僅か数ヶ月のうちに英米市民にとって恐怖の象徴となっていた。
 元々はドイツ空軍向けにフィーゼラー社が開発したが不採用に終わり、生産免許と改良する権利を買った日本で実用兵器に育って欧州へ帰ってきた無人兵器は、今や日独だけでなく占領下のベルギーやオランダやデンマークでも生産が始まっている。もちろんヴィシー・フランスやスペインなどの協定諸国でも。

 とにかく安上がりなこの戦略爆撃兵器は連日連夜独特の飛翔音と共にブリテン島に向けて放たれ、大英帝国の脊髄に痛手を与え続けていた。
 梅花一機あたりの炸薬量は中型爆撃機の爆弾搭載量と同等かやや落ちる。
 つまり一日当たり千発の梅花がブリテン島に飛来するならば、500機のJu88や98式陸攻が来るよりも厄介かもしれない。
 日本軍がハワイやアメリカ本土で使っている物よりも炸薬量を上げ、代わりに飛行距離を縮めた欧州仕様の梅花もといFi103は40年の年末までだけで合計4万発以上が発射されることになる。

 英国空軍に所属するこの2機の任務は、厄介な無人兵器の始末だった。高射砲や阻塞気球もあるがやはり海上で落とせるなら落とした方が良い。何と言っても被害と後始末の手間が減る。



 この場には2機しかいない英軍戦闘機の遙か上、高度二万七千フィート(約九千メートル)あたりを飛んでいく数機のドイツ機を見て、一番機に乗るケイン・ブルック少尉は唸り声をあげた。
 空戦と猫の喧嘩は高い位置を取った方が勝つ。高度は視界を保証し速度に変換できる。上空にいる飛行機の方が機銃弾の威力も上がるし爆弾は上からしか投下できない。上を取って勝てないとしたら腕や性能にとんでもない差があることになる。

 そしてドイツ空軍が誇るMe109は、設計から運用まで高空からの一撃離脱に徹しきった戦闘機だった。
 悔しいが、この機体では勝てない。勝負を挑みに這い上がっていくことさえできない。奴らが平気で動ける高度で、こちらはまともに飛べもしないのだ。

 あいつらは自分の乗っている戦闘機が世界最高だと信じているのだろうな。と、ブルック少尉は思った。
 自分はそうではない。悪くはないが、最高だとは思えない。乗り換えられるのなら今すぐにでもMe109に乗り換えたい。

 戦場で油断や放心は命取りだ。ブルック少尉は一瞬で雑念を振り切り、上下左右その他の全方向を見張り警戒する。
 電子戦能力において英米軍はドイツ軍に何歩か遅れている。当然ながら電波による管制も精度と信頼性で劣っており味方管制の情報を盲信することは危険だった。どんな情報も、最後は自分自身が確認しなければ信用すべきではない。

 程なく東の空に現れた敵編隊を見て、ブルック少尉は目を剥いた。
 飛行爆弾ではない。偵察機でもない。やってきたのは十機余りの双発戦闘爆撃機と、ほぼ同数の単発戦闘機だった。

 「畜生! 新型だ!」

 双発機はMe110後期型だが、単発機は噂に聞いたフォッケかミツビシの新型だろう。この目で見るのは初めてだ。

 ブルック少尉の推測は正しかった。双発機はカレー付近の飛行場から飛び立った部隊だが、単発機は北海に遊弋する空母の艦載機なのだ。フォッケウルフ社のFw190系戦闘機は空母への着艦は無理だったが、カタパルトを使えば空母からの発艦は問題なくできた。
 高速かつ長大な航続距離を持つ2種類の新型空冷戦闘機は、連合軍にとり98式より更に手強い相手だった。
 長時間の全力飛行が可能な征空戦闘機は、高速移動できるが故に脅威度が高い。その気になれば最高速度で拠点と戦場を行き来できるのだ。Me109やスピットファイアで同じ事をすれば戦場にたどり着く前に燃料切れで墜落してしまう。

 北海や英仏海峡付近の稼働空母数は、今や完全に協定諸国側が優位に立っていた。
 協定諸国軍が保有する空母の大半が日本製だったが、連合軍にしても保有空母の大半はアメリカ製だ。ライセンスまたはノックダウン生産とはいえ欧州で艦載機を作れるだけ協定諸国の方がまだマシだろう。
 通商破壊と連日の戦略爆撃で英国本土の航空機工場は殆ど動いておらず、現在ではブリテン島よりカナダの方が航空機生産数が多いぐらいである。そして一線級艦載機の製造ラインはカナダの飛行機工場にも存在しなかった。流石の合衆国でも戦闘機生産施設を国外に動かす余裕はない。


 「フォックス・ワンから狐穴、フォックス・ワンから狐穴へ、敵と接触した。新型戦爆連合それぞれ1ダースだ!」

 通信機を受信に切り替えて追いかける。
 敵は速いが追い付ける。双発の戦闘爆撃機Me110Eは高速機だが、いかに機体密着型の爆弾用風防を付けて空気抵抗を減らしても爆弾を吊せばその分遅くなる。
 ブルックたちが乗っているP51なら追いすがるには充分だ。同じ低空用機でも鈍足のP40ではこうはいかない。

 問題は新型の単発戦闘機だ。現在位置ではこちらが高度でやや有利だが、素の速度では互角‥‥いや、向こうの方が速いようだ。
 運動性は、微妙なところだ。P51の空力特性は素晴らしいが失速し易いという致命的な欠点がある。P51の独特な形状をした翼は空気の層が剥がれやすく、低速飛行時に無理な機動をすると揚力を瞬時に失ってしまうことがあった。
 低空での良好な運動性から調子に乗って巴戦を行い墜落した僚機は少なくない。天敵であるナカジマ97式に撃墜された奴もいる。

 まあ、実を言えばブルックには細かい性能などどうでも良い。箸にも棒にもかからぬようでは無理だが、それなりに通用する水準であれば空戦はできる。
 空中戦の要諦は単純極まりない。高い位置をとって、こちらに気づいていない敵を見つけたら急降下で不意打ちして、弾が当たっても外れても大急ぎで逃げる。それだけだ。
 他の流儀があるのかもしれないがブルックは知らない。この一手だけで彼は今まで戦ってきた。


 優位に立った側としての油断か、眼下を飛ぶ協定軍機はブルックたちを警戒していない。いや、気の緩みもあるがそれ以上に機体形状の効果だろう。英国軍塗装でも味方にMe109と間違えられて攻撃される事件が後を絶たないP51だが、こういうときだけは液冷機同士の紛らわしさが役に立つ。

 「最後尾を狙うぞ、同じ奴を撃て」

 ブルックは後続のP51に無線で指示し、敵戦闘機編隊の後列に降下しつつ銃撃を浴びせる。爆撃機は駄目だ、狙えるし撃ち落とせなくもないがその後で必ず囲まれる。あの数に囲まれれば逃げ切れない。
 銃撃は間一髪で気づかれた。コンマ数秒の差で、敵機が飛んでいた筈の空間を3列の曳光弾が通り過ぎていく。
 3つだけだ。ブルック機の翼に合計4丁されている12.7ミリ機銃のうち、右端の一丁が作動不良を起こしている。

 ボロ機銃がっ と罵りたいがそんな余裕はない。
 不意打ちが失敗した以上はとっとと逃げなくてはならない。ナカジマの97式に迫る水平戦闘能力を持つとされる新型日本機‥‥かもしれない相手へ、ドッグファイトを挑む気などブルック達にはなかった。

 ブルックは操縦桿を更に押して乗機を急降下させた。彼らは 三十六計逃げるに如かず という言葉など知らないが逃げることの大事さは知っている。知らねば今まで生きのこれていない。


 「良っし! かかったぞ!」

 操縦席風防の枠に取り付けてあるバックミラーに敵機の姿が映った。数機の新型がブルックたちを追いかけてきている。
 これで最低限の任務は果たせた。護衛機が減れば味方が敵戦闘爆撃機編隊を阻止できる確率はその分上がる。たった2機で4機の新型を一時的な任務不可能状態にしたと考えれば上出来だ。
 あとは自分たちが生き残るだけ。一度に多くを望まないのが戦場で長生きする秘訣だ。

 2機のP51は海面近くまで降下してから機首を上げ、水平飛行へ移った。膨大な荷重に耐えてなんとか水面への激突を防ぐ。
 未熟な操縦士なら自爆しかねない動きだが、激戦区を今まで生き残ってきたブルックたちは冷や汗混じりながらもやり遂げる。

 およそ操縦士という生き物は二種類に分類できる。自信家とそうでもないやつとに。
 戦闘が激しくなると自信家が生き残る。実際の腕はともかく、自信にあふれ頼りになりそうな操縦士へ優先して補給や機材が与えられるからだ。
 誰もが叡智と慧眼を持っているわけではない。世間には凡人の方が多く、不安なときは無根拠であっても態度の大きな者が頼もしく見えてしまう。内容に関係なく声の大きい意見が通りやすくなるのは当然である。

 故に歴戦の飛行機乗り、特に戦闘機乗りは傲岸不遜な俺様野郎ぞろいになっていく。そういう者の方が謙虚な良識家よりも生き残りやすいからだ。
 戦闘が更に激しくなれば自信家のなかでも腕と運の悪い者から順に消えていく。激戦地でこれまで生きのこれたブルック達は撃墜王でこそなかったが、決して腕の悪い操縦士ではなかった。ヘボにP51は回ってこない。

 もちろん追う側もそれは同じであり、4機の敵新型も海面をかすめるようにして水平飛行に移る。

 陸地を目指して逃げる2機のP51に、敵新型はなかなか追い付けない。低高度での水平飛行速度でいうならばP51は紛れもなく傑作機だった。
 焦ったのだろうか、追っ手のうち一機が遠すぎる間合いから銃撃を放ったが当たらない。有効射程から離れすぎている。

 「相変わらず良く伸びる弾道だな、おい」

 右横方向を通り過ぎていく曳光弾の連なりに、思わず羨望混じりの悪態が漏れる。
 製造元がラインメタルかマウザーかスミダなのかは分からないが、協定軍共通規格の20ミリ機銃はどこの製品も調達費用以外の点で文句の付けようがない傑作兵器だった。しょっちゅう弾詰まりを起こすブローニング機銃とは比べものにならない。

 しかし搭載機銃の開発に失敗した英国空軍はブローニングM2機銃を使うしかなかった。他に適当な機銃が存在しないのだ。あえていえばエリコン社の20ミリ機銃があるが、こちらも航空機向けの性能ではない。信頼性はM2よりまだマシだが搭載弾数が最大60発では使いようがない。
 鹵獲品では数が足りないし、新型国産機銃は間に合いそうにない。開発が終わる前に戦争の方が終わってしまうだろう。
 小口径の航空機銃には信頼性の高いものがあるがいかんせん威力不足だ。撃たれ強い現代機に7.7ミリ機銃では束にしても通用しない。スピットファイアやハリケーンにしても開戦以前の主流だった小口径機銃を多数搭載した翼を廃止している。
 ロシア製の航空機銃は意外と実用的だと聞くが、露英双方ともに輸出入できる余裕などなかった。航路が繋がっていないのだから仕方がない。


 俺達が負けてるのはボロ機銃のせいだよなあ、とブルックは内心で嘆く。

 何故に連合国軍の負けがこんでいるかといえば、制空権が取れないからだ。
 何故に制空権が取れないかといえば航空戦に勝てないからで、何故に空で勝てないかと言うと彼我の機銃性能が違いすぎるからだ。
 個々の機体性能や空母の数やお偉方の頭で負けていることも否定しないが、それが第一の原因ではない。

 同じ12.7ミリの重機関銃でも、連合国軍が使っているブローニング社のものは協定諸国軍で標準的なベレッタ社製のものに比べて性能が劣っていた。
 射程や威力や弾道特性などはまだ我慢できない程の差ではないが、信頼性が違いすぎる。いや、ブローニングM2重機関銃の信頼性は陸地で使う分には充分だ。しかし戦闘機に搭載すべき代物ではない。
 何故かと言えばM2はG(加重)が加わると即座に弾詰まりを起こすからだ。地上でなら簡単に修理できる故障でも空中ではそうはいかない。これが重爆撃機の防御銃座なら機銃手が手動でどうにかできるかもしれないが、単座の戦闘機ではどうしようもない。

 現にブルック機の機銃はいつのまにか二割五分が使えない状態になっていた。つい先刻、基地から飛び立った直後に試射したときには4丁とも弾が出たのに、だ。
 先程の急降下で更に1丁か2丁おかしくなっているかもしれないし、ことによっては3丁とも使えなくなっているかもしれなかった。
 それでも機銃の不具合を嘆いていられるだけ、ブルックたちブリテン島の操縦士は幸運だった。空中で突然発動機(エンジン)が止まることも珍しくない赤軍の操縦士よりは、まだ。 


 何故かは解らないが、合衆国の兵器産業は機関銃の設計が得意ではなかった。有名なトンブソン銃など短機関銃では優れたものも作っていたが、機構的には短機関銃と普通の機関銃はかなり違う。
 設計だけでなく改修や複製においてもこの傾向は存在し、他国ではコピー生産できているチェコ製軽機関銃やスウェーデン製機関砲がアメリカ合衆国の兵器企業では生産できないか、できても性能が激しく劣る事例が多かった。
 これで合衆国製の兵器がガラクタ揃いならば話は単純なのだが、カノン砲やライフル銃などでは世界水準ないしそれ以上の兵器が作られている。なぜ機関銃が苦手なのかは謎だ。

 M2は合衆国製機関銃として数少ない例外であり傑作だったが、航空機に載せるには向いていなかった。
 とりあえず合衆国海軍などではF4F戦闘機の搭載機銃を6丁に増やすなどして対応しているが、根本的な解決にはなっていない。

 根本的な解決はまず無理だった。この時期のブローニング社は複数の重役が対日協力者の疑いを受け逮捕され、関係者は軒並み捜査と尋問の対象となっていたからだ。
 当然ながらブローニング社の営業も開発も機能停止状態である。工場は合衆国政府とFBIの監視の元で稼働していたが、現場の者だけではちょっとした改良すら無理だった。余計な真似をすれば自分も対日協力者の容疑者にされかねない。
 最悪の場合、当局に逮捕される前に暴徒の手にかかって私刑(リンチ)もありえる。ブローニング社は数年前に日本企業と業務提携を結ぼうとしていた前歴があり、只でさえ疑われやすい立場だった。

 余談だが、困ったときのアインシュタインとまで言われ様々な兵器の開発改良を手がけてきた科学者チームですら40年末の時期には多数の人員が対日協力者の容疑をかけられ拘束され、一時的にではあるが麻痺状態に陥っていた。
 最早魔女狩りの様相を呈してきた合衆国内の親日派排斥運動から科学者たちが解放されるには、更に数ヶ月の時間が必要だった。



 不意に、後方からの圧力が消えた。振り向けば敵が4機とも機首を上げ急上昇に移っている。
 今更ながら深追いに気づいたのだろうか。にしては上昇角度に余裕がないが。
 周りに味方機はいないし、対空陣地は遠すぎる。何を慌てる必要があるのだろう。

 四方八方を見渡すブルックは、頭上に無数の白い花が咲くところを目撃した。
 小型の落下傘が、直径1メートルほどの白い傘状布きれが上空で開いたのだ。落下傘には大きめの缶詰のようなものがぶら下がっている。

 良い飛行機乗りは例外なく視力が良い。ブルック少尉の目は自分たちへ降り注ぐ缶詰の底から被いが外れるところと、缶詰の底に穴があいていることと、その穴が勢い良く火を噴いて缶詰がはじける瞬間を確かに見た。



 横風によって本来の目標から外れ、ブルック達の上に流されてきて開傘したものは自己鍛造弾と呼ばれる新兵器だった。
 より正確には落下傘式散布小型爆弾の弾頭にミズネ・シャルダン効果利用の運動エネルギー兵器を搭載したものだ。
 これは語弊を承知の上でいえば、ある一定の特殊な角度を持つ皿状金属板に爆薬を貼り付けた代物だ。信管が作動すれば爆発の圧力が集中し、金属板を空中で瞬時に砲弾へと鍛造しつつ発射することになる。

 黒海戦線で、とあるトルコ人将校が『悪魔の缶詰』と呼んだ、直径10センチほど金属塊。
 見た目はあだ名の通り大きめの缶詰にしか見えない。

 それは爆縮レンズの効果により砲身を用いずに、対戦車砲弾以上の速度でもって自己鍛造した砲弾を打ち出す驚異の発明品だ。
 有効射程は自己鍛造弾の直径に比例するため100メートル程度しかないが、有効範囲内であれば数十㎜の圧延鋼版を打ち抜ける。実際に陸戦でも使われているが、重戦車の正面装甲以外のあらゆる地上兵器を破壊できるのだ。
 有効範囲を超えると空気抵抗で急激に減速して威力を失うが、それでも非装甲兵器に傷を付ける程度は残る。150メートル先の戦車装甲ならはね返せても、トラックなどに当たれば無傷とはいかない。

 これが大量に撒き散らされるだけでも脅威だが、悪魔の化身と恐れられる理由は落下傘と電波にある。
 西部戦線でこの日初めて実戦使用された自己鍛造弾には落下傘が付いている。当然ながら風に乗って動きつつ比較的ゆっくりと落下していくことになる。
 投下してある程度の高度に達すると缶詰の底についている被いが外れ、缶の底がむき出しになるが外れた被いは薄い鉄板が入っている。
 つまりその被いが外れてからは、缶詰の底方向から来る電波は金属板によって遮蔽されず素通しになる。

 あとは缶詰に仕掛けられた電波式近接信管が下方向からの反射電波をとらえて作動すれば、下手な戦車砲並の威力を持つ砲弾が空中から発射される。
 近接信管が作動するからには缶詰の下には電波を反射する物体がある。逆に言えば反射する物体がないと砲弾は発射されないまま漂いつつ降下を続けるのだ。
 もちろん反射電波を感知する、ラジオの親戚に当たる部品は適度に調節されている。全てではないが大方の自己鍛造弾は目標との距離が有効範囲内となったときに信管が作動していた。

 海上の船舶などから見れば、落下傘が頭上まで来ると次々爆発して砲弾が浴びせられることになる。
 ただ単に小型爆弾を多数ばらまく収束爆弾などと違い、落下傘付き自己鍛造弾は知性を持つかのように車輌や兵器などの機械類を狙って破壊する。
 ドラム缶などの電波をよく反射する囮を設置すれば多少は被害が減るが、あくまでも多少だ。更にいうと砕け散った囮の破片でも被害は出る。正に悪魔の発明だった。

 なお、普通に接触信管も付いているので自己鍛造弾は人間など電波を反射しにくいものにも効く。直接当たれば零距離から戦車砲なみの威力が炸裂するのだ。更に一部は時限信管も付いているので、迂闊に不発弾を触ると危険だった。


 有効範囲内であれば、自己鍛造弾は赤軍の「空飛ぶ戦車」ことイリューシン襲撃機ですら一撃で撃墜する。戦闘機として華奢な部類に入るP51の装甲がはね返せる訳もない。





     ・・・・・



 戦略爆撃の効果は今次大戦でも認められ、実行されている。

 港湾施設などへの梅花(Fi103)大量投入も戦略爆撃の一種だ。ハワイ戦線に投入された最初期型と異なり、40年末にブリテン島南部へ撃ち込まれていた飛行爆弾には無駄弾を減らす仕組みが追加されていた。
 一言で言えば電波式の距離測定器だ。この部品を搭載された飛行爆弾は自分が発射地点からどれだけ離れているのかより正確に把握できる。旧型よりも正確に目標を狙えるのだ。
 正確かつ柔軟に目標をねらうために、ドイツ軍は海上の船舶や空中の大型機そして大型飛行船などからも電波を放っていた。
 電波受信機には受信できる範囲限界がある。故に電波発信源の位置と強度を柔軟に変えれば飛行爆弾でもかなり正確に墜落地点を指定できるのだ。
 例えば飛行爆弾に、ある波長の電波が一定の強度以下になったときに降下するよう設定すればあとは発信源の位置を動かせば望ましい距離で降下させられる訳だ。

 縦方向はこの方法で良いが水平方向での照準変更はできない。舵取り機能の追加や無線誘導化など飛行爆弾の機能拡大も研究されているが進捗が遅れている。安さが取り得の飛行爆弾に凝った仕組みを載せては長所を殺してしまいかねない。
 簡単で安価で効果が大きい仕組みを簡単に作れるのならば世の発明家達は苦労しない。
 仕方がないので飛行爆弾を運用する現場では、飛行爆弾母艦を使って発進位置や方向を変える方法と、横風など天候を利用して進路を故意に曲げる方法を併用していた。
 当然ながら天気予報の精度が命中率を大きく変えることになり、各地から敏腕気象予報士が引き抜かれ報奨金制度もできている。

 同盟国の影響もあってか、今大戦でドイツ軍は以前よりも更に命中精度に気を配るようになった。
 実際の話、戦略爆撃の拡大だけでなく効率化も目指すドイツ空軍には余計なものに当てて良い爆弾など存在しない。
 サウザンプトンの港湾地区だけでも大小の船舶にドックに船台、倉庫やクレーンや運河扉など狙うべき物が幾らでもある。市街地に流れ弾など落としている余裕はない。
 敵国の市民をわざわざ狙って殺す必要などない。補給線を圧迫すれば勝手に餓える。餓えた自国民がどれだけ厄介な存在か、ドイツ軍は嫌というほど知っていた。



 今大戦で計画された戦略爆撃行動の一つ、連合国軍によるルール工業地帯への戦略爆撃計画はドイツ海軍によるブリストル空襲によって間接的に頓挫した。


 1940年12月21日早朝、イギリスの港町ブリストルをドイツ海軍機動部隊所属の空母オットー・リリエンタールから放たれた攻撃隊が空襲した。空襲の規模が小さかったこともあり直接的な被害は微々たるものだったが、アメリカから到着したばかりの貨物船ジョン・ハーヴェイ号が被弾して船倉にあったマスタードガスが漏れ出したのだ。
 この流出により少なくとも一万人以上の軍人と民間人が被害を受け、そのうち一割以上が即死もしくは即死に近い短時間で死亡したと見られている。詳細な記録はロンドン市街ごと燃えてしまったので、後の歴史書には推定数しか載っていない。

 積み荷のマスタードガスは「ドイツ軍が毒ガスを使用した際に報復する」ために、極秘で持ち込まれた物であった。輸送船ジョン・ハーヴェイ号の乗組員はもちろん輸送船団の責任者にすらこの危険物の存在が伏せられていたため初動が遅れに遅れ、被害は甚大なものとなった。

 マスタードガス秘密搬入には合衆国陸軍航空隊の戦略爆撃絶対主義派が大きく関わっており、その首謀者はカーティス・ルメイ陸軍少将であった。
 かねてからルール工業地帯への無差別爆撃を主張していたルメイ少将はこのマスタードガスを使用する爆撃計画を立て、私的な伝手を使ってホワイトハウスへ働きかけたのだ。

 万が一の事態への保険という名目で送られたマスタードガスではあるが、立案者はもちろん実戦使用するつもりだった。それも大量かつ可及的速やかに。
 最初の一撃でルール地方の工事用群を壊滅させてしまえばドイツは崩壊する訳であり、ルメイ少将の計算ではB17かそれに匹敵する大型爆撃機を400機とそれに満載する毒ガスさえ用意できれば欧州戦線は一月も掛けずに終息する筈なのだ。
 心臓が止まって生き延びられる国家はない。ルール地域が動かなくなればドイツ軍全体が動かなくなる。そうなればドイツ軍は崩壊するしかなく、それを見ればイタリアもスペインも両手を上げるしかない。

 一流工業国であるドイツには化学兵器を大量生産する技術も運用する手腕も存在する。当然ながら同様の手段で反撃される訳だが、心臓が止まった敵の反撃は一度か二度が精一杯だろう。
 化学兵器の一撃でブリテン島の内臓が全て腐りはてたところで痛くも痒くもない。ルメイ少将は彼個人が巻き添えを避けることにおいて、連合軍随一の才覚を誇る人材だった。
 ブリテン島にいる合衆国陸軍航空隊は報復で消耗するかもしれないが、後方組織さえ無事ならいくらでも立て直せるのが戦略爆撃部隊の長所であるとルメイ少将は見ていた。彼的には、大型爆撃機は勇敢で忠実で標準的に有能な士官がいれば充分飛べる存在なのだ。


 40年6月上旬に行われ、無惨に失敗したドゥーリットル攻撃隊の壊滅に続いてまたもや起きたこの不祥事‥‥と呼ぶにも大きすぎる事件だったが、連合国側の公式記録には残らなかった。
 戦時であることもあり、英米両国の首脳部は面倒くさい裁判などやる気がなかったのだ。臭い物には蓋をするに限る。

 毒ガス自体をドイツ軍のものと言い張る案もあったが、首相はじめ英国政府上層部が全力で却下した。禁止兵器を使用されたと公式に宣言すれば報復しない訳にはいかず、通常兵器で押されている現状では化学兵器ぐらいしか報復手段がない。
 一度化学兵器を実戦使用すれば報復合戦となり、ブリテン島は滅びる。少なくとも全ての大都市が人間駆除剤で消滅する。

 上手くいけば相打ちでドイツ経済に致命傷を与えられるかもしれないが、それで得をするのは英国ではない。
 濡れ衣を着せて良い相手は弱者だけだ。ドイツに戦略爆撃能力と大量殺傷兵器の備蓄がある限り、停止も引き返しもできなくなる段階へ戦争を進める気など英国首脳部の誰にもなかった。
 戦争は国家の生存と利益確保のためにする行為だ。亡国の危険を冒してまでするものではない。 


 12月13日、ドイツ軍の空襲によりブリストル港と入港したての輸送船団QB14は壊滅した。それ以外の何ごとでもない。 それが英米両国の公式見解となった。
 ドゥーリットル作戦と同じく、ブリストル事件でもルメイ少将は政治的生存に成功したのである。

 しかしこの事件によって彼の悪名は更に高まり、軍の統制を乱す一部将校の暴走を許した大統領への非難が軍部内で高まったため類似の作戦は難しくなる。以後の合衆国陸海軍は米国製化学兵器の管理態勢を強化し、陸海軍司令長官の署名がない書類で大量の化学兵器動かすことはできなくなった。
 故にルメイ少将を始めとする戦略爆撃教徒たちは、大規模破壊兵器を調達するために暗躍を続けることになる。信仰は障害があればあるほど強固なものとなるのだ。



 一方とばっちりをくらった英国民の方はたまったものではなく、ただでさえ良くなかった合衆国軍への感情はこれから更に悪化し続けていくのだが、それはまた別の話である。
 なにぶんにも今は戦時中であり、協定諸国軍の本土攻撃と通商破壊による死傷者数は鰻登りだった。ジョン・ハーヴェイ号事件の英国人犠牲者やその遺族達に泣き寝入りする気はなかったが、充分な賠償金と物資が得られるという条件付きで戦争終結まで訴訟を待つことに合意し、一時的に口を閉じた。

 事実上、輸送船団QB14とブリストルの港湾機能はこのマスタードガス漏出事件により壊滅したと言って良い。
 船や施設への被害は比較的少なかったがただでさえ人手不足なブリテン島で、管制官からクレーンを操作する作業員まで全滅した人員の穴を埋めるには少なくない手間と時間を投入しなくてはならなかった。


 ブリストルの惨劇に関して唯一救いがあるとしたら、被害と混乱にドイツ軍が便乗しなかったことだ。
 第三帝国政府は便乗し、ヒトラー総統の演説も含めた宣伝放送で「非人道兵器の戦場使用を目論んだ合衆国陸軍航空隊とその暴挙を認めたルーズベルト大統領」を激しく非難したが、同時に毒ガスによる犠牲者達への哀悼の意を表明しクリスマスが終わる25日の日没までの期間、ブリストル周辺半径30㎞以内での戦闘行動を停止すると宣言した。

 これは英国との講和を熱望していた副総統ルドルフ・ヘスの献策だと言われているが、和平交渉に向けた動きを後押しする効果があったかどうかは歴史家の間でも意見が分かれている。


 ブリテン島、イングランド、ロンドン。世界の中心を、経度0を名乗る地をめぐる激闘はそれからも延々と続いた。




     ・・・・・



 ケイン・ブルック少尉は奇跡的に生還を遂げた。
 彼の乗るP51は3発の自己鍛造弾を受けたが、全て急所を外れていたのである。もしこれが全身鋼鉄の塊じみたP47やF6Fであれば助からなかっただろう。彼は乗機の華奢な造りに命を救われたのだ。

 彼ほど幸運に恵まれなかった僚機は重要部分を撃ち抜かれて落ちたが、ブルックが命を拾ったのは運だけではなく家族のお陰でもあった。
 重傷を負って帰還した彼は不時着と同時に意識を失い、入院中に敗血症を起こして死にかけていたのだが「うちのケインに最優先で使うこと」を条件にブルック家の人々が、担当軍医へ裏から渡した抗生物質によって救われたのだ。

 その抗生物質が、ロンドン在住の家族が拾って隠匿したドイツ軍の投下物資だったと後に知ったケイン・ブルックはやや複雑な気分となったのだが、既に英独は停戦し大戦は事実上終わっていたので家族とイエス・キリストに改めて感謝して終わりにした。
 当然であった。彼の家族は、英本土が停戦したなかで揃って泊まり込みで彼の見舞いに軍病院付属の療養施設へ訪れたという偶然により、ロンドンを襲った惨禍から逃れられたのだから。
 


 1940年12月24日深夜、ロンドン市内に144個の医薬品入り救急箱が落下傘で投下された。

 この行為が偽善であり、同時にドイツの医学ひいては技術的優位を誇示するプロパガンダであったことは間違いない。しかし幾らかの人々が敵からの贈り物によって救われたことも事実だった。
 事の是非は、当事者にとって問うにも値しないであろう。





続く。




[39716] その十七『英雄の名』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:59e4fefc
Date: 2021/06/14 12:15






            その十七『英雄の名』





  【1941年2月13日午前11時00分 トルコ共和国 トレビゾンド近郊の簡易造船所】




 島国と違い大陸の冬は寒い。三方を海に囲まれていても、大陸と陸続きである半島の冬もやはり寒い。
 だがアナトリア半島の冬は海が凍り付くほどではない。なので進水作業は滞りなく進められていた。

 一応、法律上は船舶に分類されるのだが今まさに専用船台から斜面を滑って海に入ろうとしている物体は、船と素直には呼びにくい代物だった。
 四角い。薄青色に塗られた船体は定規で測ったかのように角張っている。艤装を済ませた完成品は波よけ板が付いているので幾らか船っぽい外見となるが、進水時点では本当に四角い塊としか表現できない。
 しかも材質はコンクリートである。鉄骨や鉄板や合成繊維も入っているが、この四角い物体は大部分がセメントと砂と砂利でできているのだ。

 コンクリート船。それが日本帝国が現代総力戦における輸送力確保において出した結論の一つだった。
 早い話、適当な沿岸の土地を地盤工事で固め、その上で風呂桶じみた船倉と機関室と燃料タンクその他を組み上げ、その周りに鉄骨を立体格子で溶接してから合板で被い、隙間にコンクリートを流し込んで乾したのち合板を取り外した代物である。
 一口にコンクリート船と言ってもその形態は様々であり、普通の船舶と同じく流線型の姿を持つものも多い。本日この船台から進水するこの船がたまたま四角い姿形をしているだけの話だ。


 安く、早く、簡単に作れる。その点では各国各地域で造られている戦時急造船と同じだが、コンクリート船は急造船以上に造る場所を選ばず、製造時だけを見れば価格が安い。鋼材も節約できる。
 なによりも優れている点は沈みにくいことである。船体を分厚く被う鉄筋コンクリートは戦艦の装甲よりも対弾性に優れ、外壁に穴が開いたとしても二重構造の内壁が破られない限り人や貨物が入っている箇所には水も染み込まない。
 反面、重量が嵩むため船足は遅く燃費も悪い。耐久性も悪いし改装が難しいので長期運用性は最悪だ。しかし使い捨ての、長くても2~3年浮いていれば事足りる輸送手段としてならこれで良いのだ。

 戦争はいつか終わる。具体的な時期は解らないが5年とか10年とかは続かない。実際に戦火を交えぬまやかし戦争ならともかく、大国が存亡を賭けて殴り合う総力戦がそういつまでも続く訳がない。
 ならば半端な性能故に戦後でも使えてしまう、安物の輸送船を造りすぎて持て余すよりは、用が済んだら沈めて魚礁にしてしまえるコンクリート船を量産する。
 構造が単純なコンクリート船は処分も容易い。ドックで上板を外し、エンジンなど使える部品を取り外してから隙間を合板や発泡樹脂で固めてしまえばあとは適切にして妥当な場所に沈めるだけだ。

 自国産業においては長持ちする高品質製品と使い捨て前提の低品質製品のそれぞれどちらかに偏らせた物品生産を目指し、中途半端な品質の製品は他国産業界に任せる。それが日本帝国の方針であり、実際に終戦まで日本製の通常型船舶は一定水準以上の品質を保つことになる。

 実際の話、カイザー造船所のリバティ船などは日本人の好みに合わなかった。日本帝国は占領した米西海岸地域の工業力を極力活用する方針だったが、当時の日本人的感性からは一重船底で隔壁なしなどという簡易すぎる構造は受け入れられない。
 米国製戦時急造船に乗り込み実地見分した日本海軍の某大佐などは「こんなものがLIBERTY(自由)なら、俺は自由(リバティ)なぞいらん」と広言して一部から問題視されたが、それはまた別の話である。


 コンクリート船は輸送用としてだけでなく、直接戦闘にも使われる。機銃や爆雷投射機を搭載して通商破壊戦で自衛するだけでなく、強力な火砲や電波探信儀を搭載して移動要塞として、また沿岸や河川で砲艦として活動したり複葉機や回転翼機の母艦として支援任務に就いたりしている。

 地雷や統制型トラックと共に「日本を勝利させた三つの兵器」の一つに挙げられることもあるコンクリート船は、日本勢力圏だけでなく地中海やバルト海付近でも量産され、各地に投入されている。協定諸国の海軍が勢揃いしている1941年初頭の黒海もまた、例外ではない。


 本日たったいま進水したこのコンクリート船は、午後に行われた検査で船底の一部に崩落が発見された。後になって解ったことだが破損した理由は簡易造船所の作業員に赤化思想かぶれの者がいて、コンクリートに砂糖を混ぜ込んだためだった。
 練り上げられるときに砂糖が混入すると、コンクリートの結合力が弱まり脆くなる。混ざった量次第では、子供が指でつついて壊れる程だ。

 幸いにも混ぜられた砂糖の量は少なく、崩落した体積も小さかったので欠落したコンクリート部分を発泡樹脂で埋め水中用接着剤で強化繊維入りの樹脂板を貼り付ける応急処置を施せば問題なく航行できると判断された。
 そしてクリミア半島沖でイタリア空軍の海上飛行基地に付属する対空要塞に改装され43年初夏に廃棄処分されるまで、この船は実際に運用されることになる。





     ・・・・・



 世界大戦が始まってから約一年半、日米戦が始まってから一年あまりが過ぎた。今年のクリスマスも戦争中に始まり戦争中に終った。
 再来年あたりはともかくとして次のクリスマスもまた戦争の中でやらなくてはなるまい、と多くの戦争当事国市民たちは覚悟したり諦めたりしている。実際の話、戦火は年が明けても鎮火する兆しが見えない。



 まずは北米戦線。
 ハワイやアラスカに続いて、合衆国西海岸一帯は日本軍により制圧された。主な港湾・空港・鉄道そして資源地帯や工場群が占領されただけでなく、ロサンゼルス市など幾つかの大都市が占領され日本軍による軍政が敷かれている。
 小都市や比較的重要でない社会基盤施設に対しては降伏もしくは今次大戦への不参加表明が要求された。
 日本帝国の「我々とホワイトハウスの戦争に巻き込まれたくなければ引っ込んでいろ」という要求に対し、西海岸の各自治体や大企業はそれぞれの返答を送った。

 様々な返答に対して、日本軍はひとつひとつ几帳面に対応した。
 サクラメント市など、敗走する合衆国陸海軍を受け入れ市民が銃を手に取り都市を要塞化して日本軍を待ち構えた都市に対しては航空偵察で確認された戦車や重火器や航空機などの主力兵器そして軍事施設へ集中爆撃を行い、その後再度の降伏勧告を行った。
 それでも日本軍にとって色好い返答が来ない場合は、当該地域周辺に機雷や地雷を撒き交通を遮断して以後放置した。もちろんこの兵糧攻めじみた包囲戦は包まれた側が手を上げれば、受け入れることを前提として降伏交渉が始まる。

 ソノマ市など、中立あるいは無防備都市を宣言し日米どちらとも軍事組織の侵入を拒んだ都市は日本軍からは放置されている。

 サンタ・バーバラやモントレーなど早々と日本軍に降伏した都市では地元自治体による統治が認められ、日本政府や企業により膨大な資金と物資が注入され復興が進められていた。

 占領統治の方針は、基本的にチャイナ地域で行われていたものと同様であり日本軍が駐屯する地域では、慰撫工作も兼ねて便衣兵や工作員ではない善良な市民であれば当該地域の住人でなくとも食事や住居や働き口に困ることはない。
 更には無償で治療や教育も受けられる。
 便衣兵や工作員でも治療などは受けられる。ただし捕虜となって危険性がないと確認されてからだが。

 降伏した諸都市のうち戦禍を浴びたが戦略的価値の低さから日本軍が占領しなかった地域に対しては、復旧した鉄道や港湾などから物資が送られ自治と自活を推奨された。ロッキー以東の合衆国諸州と切り離されてしまった各都市は色々な意味で日本帝国に依存せざるをえなくなっていく。


 あからさまに各都市の分断を狙う日本軍に対し、正面切っての陸戦を諦めた合衆国軍は戦力をロッキー山中まで引き上げた。引き上げに失敗してロッキー山中や抗戦派諸都市に入れなかった米軍部隊は殆どが捕虜収容所か地下に入り、幾らかは僻地の村落や山野に隠れ潜んだ。
 流石の日本帝国も、半年足らずの突貫工事とはいえ要塞化された冬のロッキー山脈を越えられる陸軍はもっておらず、その侵攻はワシントン・オレゴン・カルフォルニアそしてアリゾナ州の一部を虫食い状態に占拠したに留まった。

 なお、日本軍は陸での占領地域拡大こそ控えているが航空戦では相変わらず積極的であり、ソルトレイク市に配置されたユタ軍集団は41年初頭の時点で行動不能に陥っていた。
 所属する将兵は殆どが生き残っているのだが、飛行場や鉄道を破壊され河川と道路には機雷・地雷そして不発弾がばらまかれ足の踏み場もない状態だ。
 動くに動けなくなった米陸軍は、まず自らが冬のロッキー山中で生き残る必要があった。日本軍への対応はその次だ。

 この後も日本本土やマンチュリアで再編成された航空部隊が続々と北米戦線へ投入された。特にその容赦ない航空戦指揮で知られる北米派遣軍航空艦隊司令官塚原大将は、合衆国市民から「サタンの化身」と呼ばれることになる。


 つづいてメキシコ戦線。
 ここではロッキー山中以上の密度で航空戦が行われ、地上ではじりじりと戦線が南下しつつある。
 モハーベ戦車戦における37対1という圧倒的損害比から解るように、アメリカ及びメキシコの両合衆国陸軍は日本陸上戦力に対し不利だった。
 個々の兵器や部隊の練度で劣っていることもあるが、なによりも軍事組織としての戦争経験のなさが致命的である。
 伝統による利点、専門知識や秘訣の伝承よりも欠点である組織停滞と硬直化の回避を重視した合衆国の政体は、長期的(大戦略的)にはともかく、短期的には戦争を不利へと導くものだった。

 具体的に言うと日米開戦直前のアメリカ陸軍には実戦的な戦術教義(ドクトリン)が存在しなかった。
 教義が不効率だとか時代遅れだとかではない。どのように兵を動かして戦うかという戦術面そしてどのように部隊を動かして戦うかという作戦面において、教本どころか統一された見解すら存在しなかったのだ。
 開戦直前どころか日本軍が西海岸に上陸し始めるに及んでなお、米陸軍内では歩兵・騎兵・砲兵・戦車・輜重などの各派閥が、そしてその派閥内でも小派閥や個人がそれぞれの好みな理論を主張し、主導権を握ろうと暗躍したりあからさまに動いたりしていた。
 
 結局はスティムソン陸軍長官が強権を振るって編制させたチームが前大戦で欧州に派遣された将兵へ聞き取り調査を行い、作り上げた戦術教義(ドクトリン)を同盟国軍や米国人義勇兵から得られた最新情報で修正したものが採用された。
 だが、作成中に政策委員会から対日協力容疑で逮捕者が続出したことなどにより検討する時間や人手が足りず、その完成度は至って低かった。

 低い完成度は実戦において錬磨するしかなく、アメリカ合衆国陸軍は将兵をすり潰しながら遅滞戦闘を続けている。
 一方メキシコ合衆国は、日本側について新政権樹立を宣言した自称メキシコ共和国なる勢力への対処を含めた国内の統制に懸命であり、日米の地上戦への関わりはさほど深くなかった。

 機材や物資はまだしも、その運用能力で決定的に米陸軍は敵に及ばない。故に機動戦や正面切っての決戦は放棄されている。
 合衆国軍人は馬鹿ではなく、西海岸における一連の攻防から自国陸軍が日本軍と対等に戦えないことを理解していた。来年以降はともかく、今は勝ち目がない。
 ならばと徹底した遅滞戦闘と焦土戦がメキシコ北部で行われている。ハワイの戦い直前あたりから造られていた重陣地や地雷原で稼いだ僅かな時間を活かして、その後方では更なる地雷散布や水源の汚染、そして食料燃料の撤収と廃棄が進められているのだ。

 言うまでもないが橋や鉄道など生活基盤の破壊も熱心に行われており、小規模な米陸軍部隊と頻繁に戦闘を行っていることもあって日本軍の侵攻速度は著しく低下していた。


 パナマ戦線。
 ここでは大規模な軍事衝突は終わりつつある。運河周辺はほぼ日本軍が制圧し、破壊された運河と施設の修復も始まった。米海軍による妨害も艦隊空母ヨークタウンが撃沈されエンタープライズが中破して機動部隊が後退すると下火となった。
 ヨークタウン級空母は優れた兵器だったが、合衆国艦隊空母に共通した弱点である直接的防御力の低さはいかんともし難かった。
 この時期の空母は火薬と燃料の塊が浮いているような代物であり、当たり具合によっては250㎏対艦爆弾一発で火達磨になりかねない。事実ヨークタウンは燃えて沈んだ。

 姉妹艦のエンタープライズと共に、正規空母飛龍を撃沈し蒼龍を小破させる大戦果を上げたヨークタウンだったが損害比だけを見ても勝者は日本海軍である。海戦の結果として米海軍には稼働する艦隊空母がなくなったのだから。
 日本側には戦線復帰した空母翔鶴など後詰めの戦力があったが、アメリカ側にはない。


 制空権がなくては艦砲射撃も長距離爆撃も自殺行為である。中米の地峡部に造られた連合国側の飛行場群は地峡の狭さ故に太平洋に浮かぶ日本側機動部隊から執拗な反復攻撃を受けて壊滅していた。
 合衆国海軍の空母部隊は自由に移動できる利点を活かして善戦していたのだが、延々と続く戦いのなかで消耗していき、撤退するしかなくなった。
 自軍側の機動部隊がいなくなれば、合衆国の戦力はパナマへの接近すら難しい。
 これは潜水艦も例外ではない。透明度の高い南の海では潜行中でも発見される可能性が高い上に、日本軍の哨戒機は電波式や音波式や赤外線式の探知装置を搭載しているのだ。

 パナマをめぐる攻防は、カリブ海とメキシコ湾での殴り合いに移ろうとしていた。この二つの海域における戦いこそが日米戦の焦点、天王山とでも言うべきものであると人々が知るのはもう少し後のことになる。


 大西洋。
 北米とブリテン島そして南北の米大陸、二つの補給線を維持せんとする連合国と遮断を狙う協定諸国の戦いは出血戦の様相を呈してきた。
 輸送船団の大規模化や試作品電波式警戒装置の投入などにより、猛威をふるっていた協定軍の潜水艦部隊は効果と効率が着実に下がり続けている。

 近世の魔女狩りが生ぬるく思える程にえげつなくなっている市井はともかくとして、大統領命令で対日協力容疑者リストから外されたアインシュタインら米国所属の科学者たちは、拘束される前以上の熱心さで職務と趣味と生き甲斐に没頭していた。
 彼らの努力は用兵側の要求を常に満たしていた訳ではないが、多くの場合敵国の上層部が無視できない成果をあげている。

 水上戦力はといえば装甲艦リュッツオーと戦艦ティルピッツが沈没し、その他ドイツ海軍艦艇も小破程度とはいえ破損や乗員の疲労などから稼働率が下がっていた。一時的にではあるが彼我の戦力差は縮まっていたのである。
 この事態を潜水艦の高性能化と新兵器の導入そして援軍派遣により解決しようとする協定諸国と、更なる護衛空母の投入を図る連合国の激突は次第に航空戦が主となっていった。
 双方の損害比率は依然として偏っていたが、ゆっくりとその差が縮まっている。質と量の戦いは大概において量が、数が優る側が有利となる。金持ちは戦争も強いのだ。


 黒海戦線。
 地中海を制した協定諸国海軍だが、その主力であるイタリアとスペインそしてヴィシー・フランスは対ソヴィエト作戦に消極的であった。
 ルーマニアやトルコなどのように直接国境を接していたり、ドイツや日本などのように理由は異なれど政治的にソヴィエト政権の存続を許せない国々と異なり、地中海で纏まった海軍を動かせるこの三国にはあえて黒海に踏み込み、赤軍と戦うほどの理由がなかった。
 実質的に港を塞がれ孤立したソヴィエト・ロシアなど洞穴の熊も同然、出口をふさいで放置しておけばそのうち干涸らびる。そんなところに注ぐ戦力があるならブリテン島を締め上げるのに協力しろ‥‥というのが三国の主張である。

 日独からすれば、大陸国家で大国であるソヴィエト・ロシアへ海上封鎖と戦略爆撃を続けても効果が限定的なものとなる以上その手は使えなかった。
 両国の首脳部は赤軍、いやスターリンに時間を与えれば国民の半数を餓死させてでも数百万の大軍が動員されると断定しており、実際に赤軍は強化されていた。兵士が畑でとれる国に収穫の時間を与えれば、日独の将兵が赤い人津波と戦わねばならない。
 そんなことは真っ平御免と思い切った両国は秘密裏の談合の末、バクー油田を占領した暁にはその利権を優先して渡すことを伊西仏の三国に約束する。

 イタリアの好景気と急成長、更に地中海での勝利もリビアの油田がもたらしたものである。少なくとも全体のうち二割か三割の比率で。
 石油こそ20世紀の重要戦略物質、ならばソヴィエト・ロシアの燃料庫を押さえて防共協定諸国の勝利を確定すべし。
 かくして1941年1月15日払暁、日独伊西仏土希の七カ国は黒海方面へ軍を進めクリミア半島とグルジア地域へ同時上陸を開始した。後世まで語り草となる戦略的奇襲、アレクサンドロス作戦の始まりである。


 黒海地域に置ける協定諸国軍の軍事行動は、おおむね順調であった。クリミアは攻略開始から11日で完全制圧され、グルジアに上陸した協定軍は20日でバクー油田一帯を確保した。
 が、しかし準備期間が日欧の連絡線再結合から僅か二ヶ月半では全てが上手くいく訳もなく、緒戦の上陸とその後の進撃そして制圧は満点に近かったが、作戦開始から一月が経とうとする頃には問題が明らかになっていた。

 急ぎすぎた計画の無理が祟り、後詰めとなる戦力の移動が遅れ黒海戦線の各地で戦力不足が起きていたのだ。




     ・・・・・



  【1941年2月14日午前0時05分 カスピ海西岸 バクー防衛陣地線 第795堡塁】



 士気が高ければ戦争に勝てるというものではないが、低すぎると勝てない。
 人間のできることには自ずから上限があり、どんなに勇敢で明敏な者であっても物理的な限界は超えられない。だが、突き抜けて怯懦な馬鹿は常人が想像すらできないような愚行をやらかしてしまうのだ。咥え煙草でガソリン車の給油を行う輩などまだ可愛らしい部類に入る。

 その点では第795堡塁の堡塁長、マルコ・ガルボニ軍曹は恵まれている。自分も相方も士気に不足がない。
 まあ、彼自身について言えば昨日休暇から帰ってきたばかりなのに気力が萎えていたり戦争の意義を見失ったりしていたらえらい事である。明日あたりには戦線崩壊確実だ。

 明日の昼から一日半の休暇に入ることになっている彼の相方、アレクサンドロ・イアチノ伍長は上機嫌で仮眠用長椅子に座り手紙を読んでいた。
 イアチノ伍長は二十代半ばのナポリ男である。その顔と樹脂製の防弾ヘルメットを脱いだ丸刈り頭には幾つかの傷跡があるが、戦場で付いたものではない。この戦争の前に、町中でごろつきと喧嘩したときの傷だ。
 ガルボニ軍曹は一度会ったことしかないが、手紙は従軍看護婦である思い人からであろう。何度も読み返している筈だが、恋の最中では飽きなど来まい。出会って一月も経っていないなら尚更だ。

 しかし暇だ。
 明日の再会を待ちかねている相方は良いが、自分は退屈でたまらない。兵隊が最も時間を使う仕事は「待つこと」であり、数年前に兵役を済ませている軍曹は軍隊での暇つぶし方法を幾つも知っている。
 だが目の前、と現代戦の感覚でなら言ってよい僅か数㎞先に臨戦態勢の敵軍がいる状態で密造酒を飲んだり賭け事をする訳にはいかない。
 二人きりしかいないこの堡塁では仮眠でも危険だ、起きている方までうっかり寝てしまったら無人化したのと変わらない。彼らの士気は充分以上に高く、兵隊の義務を放棄する気はなかった。なので寝ているところに不意打ちされるのは困る。

 念のために敵陣方向を堡塁長席のペリスコープ越しに見張ってから、ガルボニ軍曹は防寒長靴の爪先で堡塁主砲の砲架を小突いた。蹴飛ばしはしない、それはもっと丈夫な相手にするべきことである。
 75㎜対戦車砲40年型。ドイツ陸軍が誇る最新型の火砲だが、現場の評判はあまり宜しくない。

 弾道がぶれやすく命中率がもう一つだとか、気分屋で故障しやすいとか、砲身の寿命が短いとかの短所もあるが、今のガルボニにとっては半自動装填式である点が最悪だ。
 おかげで装填手が余所へ引き抜かれてしまい、二人きりになってしまった。対戦車砲40年型はいざとなれば二人で運用できるがそれは「できる」だけなのだ。
 なるべくなら「できる」の前に「円滑に」とか「順調に」といった言葉を付けたいのが現場の本音であり、黒海戦線の将兵達は一刻でも早い増援を待ちわびていた。


 「何かあったか?」
 「いや」

 手紙を防弾服の懐に入れ、ヘルメットを被り直したイアチノ伍長は砲手席に座り主砲付属の照準装置を覗き込んだ。暗視装置の電源を入れて、20秒ほど雪の降る荒野を眺める。

 「異常なし」

 電源を切る。堡塁内には暗視装置用の小型発電機があるし予備の蓄電池(バッテリー)もあるが、節約するにこしたことはない。
 暗闇の向こうで火が灯った。数発の火の玉がこちらへ向かい飛んできて、すぐに視界から外れる。
 やや遅れて独特の飛翔音が天井のスピーカーから流れてきた。人の不安感をかきたてる独特の音は、間違いなく赤軍の130㎜ロケット砲だ。おそらくトラック1台分の弾頭が発射されたのだろう。

 遠くで数発の爆発音が上がる。
 毎日毎夜繰り返されるこれは定期砲撃である。たかが数発ではたいした物理的効果はないが新兵の安眠妨害にはなる。しばらくすると自軍方向、つまり堡塁の後側から甲高い発射音が発生した。こちらは十数秒置きに10発程度連続する。
 察するに100式砲戦車搭載の150㎜カノン砲だろう。こちらも嫌がらせなので撃っているのは一輌だけだ。



 「元気な頃の親父に言われたことがあるよ。戦場は娑婆で想像してるのとは大違いだってな」
 「確かにな。何日もトラックの荷台で揺られて、その次は豪華な棺桶に雪隠詰めときた」

 高級旅館なみとまではいわないが、この堡塁は戦場で寝泊まりする場所としては上等なものだった。
 雪も風も凌げるし凍えるほど寒くもない。懐炉や石灰式の湯たんぽもあるし携帯コンロで湯も沸かせる。豆はもうないがカフェインだけなら還元コーヒーでも摂れる。
 簡易なものだが寝台や便所だってある。あとはシャワーが付けば金銭が取れる宿泊施設だ。
 湿気の高い塹壕で凍傷や感染症の恐怖と戦っている赤軍兵士が堡塁内部を見れば、退屈を嘆くイタリア兵たちへの殺意を押さえられないだろう。

 なんといっても防御力が違う。
 ドイツ軍の5号戦車パンターは一昔前の重戦車なみに装甲が厚い。厚みだけでなく被弾経始を取り入れた設計と材質強度の優越性も換算すれば英軍のマチルダ2などより数段上の打たれ強さを誇る。
 只でさえ頑丈なパンター戦車の砲塔に空の弾薬箱を貼り付けて空間装甲とし、その上に300㎜以上の厚みを持つ鉄筋コンクリートで屋根を作り被ってある。
 この堡塁の砲塔部分は、攻城砲級の重砲弾や大型爆弾が直撃でもしなければ一撃では破壊されない。

 上と同じく速乾性コンクリートと廃棄装甲板と特殊樹脂で囲まれた堡塁の下半分は地面に埋め込まれている。この795堡塁は重防御の火力点(トーチカ)に、車体部分が修理不能となった戦車から外された砲塔を乗せて各種増加装甲を施した代物なのだ。
 戦車砲もそのまま一緒に付けてくれたら最高だったのだが、そちらは砲身が折れた一式中戦車に乗せ変えられてしまった。やむなく使っているこの砲は壊滅して後方に下げられた対戦車砲部隊の予備品である。
 
 堡塁は地面にめり込んだ構造であり、戦車を壕に入れて半ば埋まった形にするいわゆるダック・イン戦術状態に近い効果がある。
 機動力はないが防御力は高い。壕に入った戦車と違って何が起きても動けないが、その代わり内部容積や動力に余裕があるので長期戦向けだ。

 これらの堡塁は戦線の膠着から数日ででっちあげられた急造品ではあるが、それなりに役立っていた。
 戦果の大半はT26やT28などのブリキ缶であるため対戦車エースを名乗るにはやや実績不足だが、ガルボニとイアチノの二人だけでも既に両手の指に余る数の装甲兵器を仕留めている。



 1941年2月中旬、赤軍は黒海戦線全域で攻勢に出ていた。ソヴィエト・ロシアの全食料生産のうち7割以上を占めるウクライナと石油総生産量の8割以上を占めるバクー油田を奪回しないことには戦争が続けられない。
 もう新大陸からの支援は届かないのだ。レンドリース再開には最低限で米海軍の再建と日本海軍の打倒が必要であり、待っていれば2年や3年はかかる。

 このままではロシアと共産党に明日は来ない。いや、ちっとも明るくない明日で良ければ来るが。
 故に赤軍は攻勢に出るしかなかった。


 「晩飯、何食ったっけ?」
 「ツナと野菜のスープ、リングイネ入りの何かだか良く解らねえ煮物、フルーツバー、サラミソーセージ、栄養剤入りの飴に還元コーヒー」
 「そうだった。あと昨日のドーナッツの残りとカップ麺か」

 冬場の戦場は腹が減る。二人は堡塁内をごそごそと捜し回って菓子や常備薬や文房具の入った布袋を見つけた。
 元々は日本軍宛に送られてきた慰問袋である。銃後の女子供が前線の「兵隊さん」を慰めたり励ましたりするために手紙や手製のお守りなどを添えて送るものなのだが、資本主義的な需要と供給の都合により日本本土の百貨店などでは出来合いの、まるで惣菜を詰め込んだ弁当箱のような慰問袋が売られていたりする。

 愛国心や国防意識があるには有るが日常生活のあれこれに追われていて、それでいて財布の中身には余裕のある層がそんな慰問袋を買いいれ、手紙などを同封して本国から各戦線へ送られるのだ。
 甚だしきは同封する便り自体が商品として売買されている場合すらあり、それら一目で既製品と解るような慰問袋はかえって現場の士気を削ぐとして兵站部でさし止められている‥‥という話をイアチノ伍長は顔なじみの看護婦から聞いていた。


 二人が隠匿していた袋は元からの中身に加えて配給品から市販の物まで、多種多様の菓子や保存食が詰め込まれている。手紙が入っていなかったのは内容に問題があったから抜かれたのか、それとも最初から入っていなかったのか。
 入っていたとしても日本語で書かれている以上、イタリア兵たちには読めないが。

 前線兵員の不足と反比例して黒海戦線の兵站線は安定しており、兵達の気力補充と現地民への慰撫用として嗜好品を含め食料供給は潤沢だった。日本軍などは和菓子や酒、味噌や醤油などを造る専用艦まで用意した程だ。
 それらの日本文化に根ざした伝統的食品は別として、協定諸国の将兵達にも日本から送られてくる食品の評価は概ね高かった。特にチョコレートは安くて美味いと好評であり、イタリアの菓子職人や工場経営者の一部を悩ませている。

 余談ながら日本本土におけるチョコレートの普及はユダヤならぬ「カシヤの陰謀」と、宣伝映画の連携技で女学生などが贈呈用として買い求める風潮が定着した結果である。
 現在では、国民的英雄と目される一部軍人達に日本全国の婦女子から山のように洋菓子が贈られる年中行事ができてしまったのだが、それは黒海戦線の将兵にはあまり関係ない。
 西竹一少佐や加藤建夫中佐などのスタア軍人達を擁する陸軍に比べ知名度で劣る日本海軍が、巻き返しを図り国内向け宣伝に励んでいることは更に関係ない。

 なお、陸海とわず日本軍将兵には大本営から「顔見知りから直接渡されたもの以外、手作りの菓子を受け取ってはならない」と布告されている。
 これは菓子屋の陰謀に乗せられた女学生の中に、熱病の特効薬であるキニーネと害獣駆除用の猛毒であるストリキニーネを混同するという、当事者にとって笑えない錯誤をしでかした者が存在したからだ。
 


 「この駄菓子だがよ、チョコレートの卵からドードーの模型が出てくるのは解る。よっく解る。ドードーは鳥類だからな‥‥卵から産まれて当然だ。だがな、マンモス(毛長象)が出てくるのはいったいどういう事だぁ?」

 マンモスは哺乳類であり卵から産まれる訳がない。それとも日本の象は卵から産まれるのかといきりたち、これ食べた小学生が象が卵生だと誤解したらどうしてくれる、と駄菓子片手に地球の反対側へ喚くガルボニ軍曹をその相方は両手で扇ぐようにして宥める。

 「解った解った。とりあえずほら、この葉書に苦情書いとけ。切手張らなくても製造元へ届くから」
 「イタリア語で通じるのか?」
 「日本軍は将校どころか看護婦みんながイタリア語できるんだぜ? 菓子屋にだってできる奴ぐらいいるだろ」

 玩具入りのチョコレート菓子を貪り食いながら兵隊達は葉書を書くが、結局この夜に書かかれた葉書が製造元へ届けられることはなかった。





 「この戦争、勝てるよな」

 眠気覚ましには歌うのが一番良く、話すのはその次の次ぐらいには良い。なのでイタリア兵達は無理矢理にでも話題を捜す。何度も繰り返した話でも構いはしない。

 「現に勝ってるじゃねえか。バクーとウクライナを押さえてる限りアカは日干しだし、じきにジョン・ブルどもも干上がるさ。そうなりゃヤンキーも講和するしかねえよ」
 「そうだよな。この冬を乗り切りさえすりゃ、アカどもに逆転の目はなくなるか」

 二人の会話は戦況の分析などではなく、日本軍が流している謀略放送の受け売りにすぎない。しかし一定以上の説得力があった。
 問題は、謀略放送はソヴィエト・ロシア側でも受信できるし赤軍指導部はそんなことを聴くまでもなく現状を理解している事である。
 愚かでなくては共産主義など信奉しないし狂っていなければ赤軍将校などやってられないが、それでも赤軍指導部の中核は怖ろしく優秀なのだ。全員が無能なら赤軍は革命成就前に自壊している。ロシアの冬は無能を許さない。


 「拙いな」
 「ああ」

 どのくらい拙いかといえば黒服のマフィアが満面の笑顔で贈り物を届けに来たぐらい拙い。
 玩具入りチョコレートを食い尽くす頃には二人とも理解していた。今夜は赤軍の陣地が静かすぎる。よくない兆候だ。
 定期砲撃こそいつもと同じく30分おきに撃ち込んでくるが、それ以外の雑多な音が少なすぎる。

 一月程度の実戦経験でも、鉦や太鼓を鳴らしながら盗みに入る空き巣がいないのと同様に赤軍は攻勢前に静かになることを知るには充分だった。欺瞞のためにロシア民謡や古典音楽を大音量で流すことはあるが、慣れれば不自然さを察知できる。
 前回の攻勢から明日で四日め。無理をすれば連隊規模の強襲をかけられる。将校どころか下士官としての教育すらろくに受けていない二人はそこまで理解していないが、兵隊的というか動物じみた感覚で危機が迫っていることに気付いていた。

 「問題はいつ、来やがるかだが」
 「遅くても夜明け前には来るだろうなあ」

 人間の集中力はその時間に最も弱くなる。古くから劣勢である側が夜襲を選ぶ理由の一つだ。
 ガルボニは戦車内の雰囲気を残す堡塁長席に座り、有線電話の受話器を手に取った。報告・連絡・相談は兵隊の義務だ。言われなくても解っていることであっても、言わないよりは言った方が良い。

 「それにしても、なんで俺が堡塁長なんだろうな」
 「上がいなくなったからに決まってるだろ。俺だって一月で二階級も上がるとは思わなかったぜ」

 現地昇進したのはイアチノだけでなく、ガルボニが車輌運搬船からトラックごとグルジア港に降りたときは上等兵だった。今は下士官で古参扱いである。開戦前の兵役で伍長勤務経験があるとはいえ無茶な人事だが、人がいないのだから仕方ない。
 今では二人とも「戦争が終わるころには中隊長ぐらいには出世しているかもな」という冗談(ジョーク)さえ言わなくなった。現実味がありすぎて笑えない。




 兵隊の勘は良く当たる、ただし悪い方だけだが。
 二時間後に始まった赤軍の夜間強襲を、第795堡塁を含む防衛陣地は三度に渡ってはね返した。優秀な装備と、潤沢な物資と、信頼できる指揮官と、命を懸けるに足る理由を得たイタリア兵は世界最強なのだ。
 球技の試合と違いチームが定員割れしていても戦争はできる。この堡塁だって定数の三分の二しか人手がない。


 「なあ相棒」
 「なんだ相棒」
 「もしここを抜かれたら、アカどもはバクーまで一直線だよな」

 答えの分かり切った問いである。ここが最終防衛線であり、彼ら以外に敵を止められる戦力はない。あるのならもっと楽ができている。

 「俺らの知らないうちに何処かから援軍が来てない限り、そうなるな」

 このときバクー防衛陣地へは、第三帝国武装親衛隊のダス・ライヒ独立機甲連隊を始めとする援軍が接近しつつあった。防衛戦将兵の士気が高い理由の一つでもあるが、間に合うかどうかは微妙なところだ。


 大概の戦いと同じくポーランド戦役は負けた側により多くの戦訓を与えていた。赤軍が得たものの一つが、ドイツ軍に砲戦を挑めば手持ちの砲兵部隊は瞬く間に削られてしまうという事実だ。制空権がない状態で自分の数倍目敏くて素早い敵と殴り合えば嫌でもそうなる。
 砲兵の射程や一発当たりの威力はまだしも、命中精度と砲撃頻度において赤軍は協定軍に対し圧倒的不利にあった。展開能力と隠蔽性そして堅牢さにおいても大きく劣っている。弾薬備蓄量と供給能力でも劣勢だ。

 赤軍は野砲の自走化や釈放された政治犯の前線勤務などで砲兵隊の復旧と強化に励んでいるが、軍の運動性や意思疎通能力が一朝一夕で上がる訳もない。
 赤軍全体で見れば砲兵隊の練度はポーランド戦当時の水準より落ちている。火砲は工場労働者を擂り潰せば造れるが、学生を擂り潰しても砲兵将校は造れない。

 そこで赤軍の選んだ手はロケット砲の拡充だった。牽引砲とくらべれば素早く自由に動かせるロケット砲部隊を集中して、短時間のうちに敵陣へ大火力を注ぎ込む。
 そうして稼いだ僅かな時間を使い接近させた部隊で平押しをかけるのが今の黒海戦線で赤軍が選んだ戦術だ。

 地雷原は歩兵に踏ませて啓開する。塹壕は歩兵がときに自らを土嚢代わりにしてでも埋める。鉄条網も歩兵がなんとかする。
 瞬発力はあるが持久力のないロケット砲部隊では、勇猛果敢であることを強制されている赤軍歩兵たちでも敵陣へ接近するまで支援するのが精一杯だ。ロケット弾を撃ち尽くしたあとは通常の火砲と突入部隊の頑張り次第となる。
 

 もちろんこれは「防衛陣地に取り付けたら良いな」ぐらいの熱意で行われている攻撃であり、半分以上の意図が威力偵察である。あとの半分足らずは口減らしだ。
 その証拠に夜明けの光がさし始めた荒野に転がる死体は殆どが東洋人のものだ。モンゴルかシベリアかはたまた沿海州かは判らないが、とにかくウラル山脈の遙か東から強制的に集められた即席兵だろう。死体に比べて明らかに銃の数が少ない。

 本命はこの後の第四波だ。今度こそはブリキ缶ではない、まともな戦車や装甲車とまともな訓練を受けた歩兵が主力だろう。
 既に夜は明け、少しずつだが雲も薄くなってきている。赤軍が防衛線を抜けるとしてもあと3時間程度しか余裕はない。晴れてしまえば抜いても意味がなくなる。
 黒海戦線の航空勢力は依然として協定軍側が優位を保っている。航空隊が動けるようになれば、赤軍がバクーへ到着する前に空から集中攻撃されてお終いだ。

 赤軍が2月14日の攻勢を成功させるには、あと3時間以内に防衛線を突破して次の3時間以内にバクー地域に雪崩れ込むしかない。でなければ雪雲が消えてしまい間に合わない。
 時間切れまでに油田へたどり着けたなら、関連の施設を盾にできたなら赤軍は航空機を恐れる必要がなくなる。悪辣な資本主義者であるからこそ協定軍は油田ごと爆撃など出来ない。と、共産主義者なら考える。


 おそらく、ではあるが五度目の襲撃はない。四回目で抜かねばならぬ以上次は本気で来る。本気の攻撃で駄目なら五回やろうと六回やろうと無駄だ。
 時間をかけてねっちりと攻めたところでガルボニたちが疲れ切るより空が晴れる方が早い。大概の場合と同じく、ここでも拙速は巧遅に優るのだ。


 「こちら795堡塁、ゲルリッヒ砲破損。現状では対戦車戦闘不可能。違う、弾薬切れじゃねえ、尾栓が閉まらねえんだよ」
 「弾はあるんだけどなあ。やっぱ新しいだけの兵器は駄目だな」
 「まったくだ。100発も持たねえたあ根性のねえ機械だぜ」

 75㎜対戦車砲40年型は、性能諸元表でなら砲身交換から350発の徹甲弾を問題なく発射できることになっている。
 だがそれは熟練整備兵の手で完璧に整備され、精鋭砲兵によって理想的に運用された場合の話であり、残念ながらこの戦場ではどちらも望みようがない。

 特に即席砲兵たちの技量が足りていない。車輌も火砲も初心者ほど事故を起こすものである。そして余裕とか冗長性といった言葉から縁遠い仕組みのゲルリッヒ砲は、ごく普通の火砲ならばなんともない些細な不手際でも不具合を起こしてしまう。
 2㎞離れたKV1重戦車のどの場所にどんな角度で当てても装甲を貫ける、凄まじい威力を誇るこの砲が前線でいま一つ人気が出ないのも当然ではあった。

 「で、修理班と補充部品は来るのか?」
 「金輪際無理だ。さっきの砲撃で中隊弾列が吹き飛んだんだと。もちろんゲルリッヒ砲の交換部品も一緒だ」

 いま一つな存在であるがそれでもM1897野砲の改造品よりはマシである。同じドイツ軍の払い下げ品でもあちらが配備されていたなら二人とも今頃あの世行きだ。

 「なんてこった。今日の神様は朝寝のしすぎだぜ」
 「もうかれこれ20年は寝っぱなしだろ。起きてりゃアカの革命なんぞ潰れてるさ」

 かなり罰当たりな相棒の悪態を聞き流して、イアチノ伍長は残った武器弾薬を数え直す。
 MG39機関銃が1丁、未使用の交換用銃身が5本、使用済みが7本、残弾約2100発。UJI短機関銃2丁、残弾360発。97式指向性対人地雷が6個。99式手榴弾が12個。
 あとは自爆処理用のダイナマイトを含む工具類と食器兼用の銃剣ぐらいだ。

 対戦車砲の砲弾は各種合計で200発以上あるが使い道がない。砲が撃てない以上容積の無駄でしかない。無駄であるからには処分する必要がある。
 砲弾の処分のため堡塁の外へ出た兵隊達だが、つい先程までの戦闘により作業には一手間かかりそうな事が解った。


 「トラクターか戦車を持ってこないと駄目だな、こりゃ」
 「通れるような隙間はなし、か」

 3度目の攻勢で、その優れた機動性と機械的信頼性にものを言わせて煙幕の中を突っ切り795堡塁の右斜め前20メートル付近まで接近してのけたM3中戦車は、至近距離からの砲撃で爆発炎上した際に自重と爆発の衝撃で地下式の塹壕通路を押しつぶしていた。
 所詮は一週間足らずででっち上げた陣地である、どこもかしこも頑丈とはいかない。場所によっては耐久力に問題があって当然だ。

 そんな訳で塹壕通路は潰れている。掘りなおすことはできるが今はその余裕がない。
 隣の堡塁までは遠くないので、地上を歩けば直ぐに辿り着けるのだが、できることならやりたくない。不発弾を踏んで死ぬのは御免だ。

 
 「‥‥ゴリアテは使えるか?」
 「いける。地面が柔らか過ぎる気もするがなんとかなるだろ」

 程なく795堡塁の裏手から出された玩具のような機械が隣の対戦車堡塁へと走り出した。
 大きさは手押し台車ほど、足回りは戦車のような履帯、速度は大人の早歩きかやや早い程度、四角く平たい車体の上には対戦車砲砲弾が弾薬箱ごと乗せられている。
 

 防諜目的なのか巨人(ゴリアテ)という正反対の名が付けられているこの無線操縦機械は、黒海戦線では手頃な運搬機材として重宝されていた。
 塹壕から塹壕へ、あるいは堡塁から堡塁へ、弾薬や医薬品だけでなく、時には命令文書や負傷兵が積まれて運ばれることすらある。
 なんといっても無線操縦なだけに人的被害が出にくい。地雷や不発弾が埋まっているかもしれない場所を走らせるのにもってこいだ。

 防衛陣地の兵達のなかにはゴリアテに改造を加え、数十㎏の爆薬を乗せて敵中へ突っ込ませた者もいた。しかし操縦者の視界から外れて操縦不能になったり、砲撃跡の穴に填って動けなくなったりでまともな戦果はあがっていない。
 まあ、この両方とも回収しようとした赤軍兵が寄ってくるのを待ってから爆破したので、まるきりの無駄でもなかったが。

 いよいよとなったら795堡塁の運搬機材にも爆薬を詰めて突っ込ませるしかあるまい。角度が良ければ小銃の流れ弾ぐらいは跳ね返せる装甲で被われているために、ゴリアテは爆薬を詰めて自爆すると爆発の威力が増すのだ。

 しばらくして帰ってきた無線操縦兵器の荷台には、お返しのつもりなのか7.92㎜機銃の弾帯が二つと炭酸水やビールの瓶が数本ずつ入っていた。

 「火炎瓶、作っとくか」
 「だな。ないよりはマシだ」


 ちょうど咽も渇いているし中身を捨てるのは惜しい。なので飲む。
 配給品の軍用ビールはアルコール度数が1%強しかないので酔っぱらう心配もない。
 ソーダ水のスクリュー式栓をねじ切り開けながらイアチノ伍長はぼやいた。

 「解っちゃいたが、大王と同じにはいかねえなあ」
 「なんだそりゃ」
 「知らねえのか。アレクサンドロス大王は大遠征から帰ってきた宴会でしこたま酒飲んで酔っぱらってから河に飛び込んだせいで、風邪ひいて死んだんだぜ」

 伍長と同じ名の彼の人は地中海文明圏で「何処の誰と注釈を付けずただ大王と呼べば彼を指す」とまで言われる程の大英雄。しかし偉人であると知っていても具体的な行状功績についてはさっぱり‥‥という層はイタリア人にも存在する。
 その一人であるガルボニは、アルコールの風味は感じるのに幾ら飲んでも酔わない奇妙な液体を呑み込んで呟いた。 

 「悪くねえ死に方だな」
 「おうよ、風邪ひく前に逝けるならもっと悪くねえ」


 ビールと炭酸水で乾杯しているところに、ゴリアテの通った跡を用心深くたどってやってきた第794堡塁の戦友達へ残った対戦車砲弾を引き渡してから、二人は火炎瓶を作った。そして3時間後には全て使い尽くした。



     ・・・・・


 アレクサンドロス3世は紀元前4世紀の頃を生きた人物である。アルゲアデス朝のマケドニア王であり、コリント同盟の盟主であり、エジプトのファラオでもあった。
 戦争の天才、英雄の中の英雄として知られる彼の名は「人民を守るもの」という意味を持つ。



 1941年2月14日午前10時25分、崩壊寸前のバクー防衛陣地は曇天の下を突いて出撃したイタリア空軍による航空支援とドイツ陸軍機動降下兵部隊の到着により紙一重で突破を免れた。
 到着時の現地上空に偶々雲の切れ目が出来ているという、好都合な偶然あるいは奇跡が起きる可能性に賭けた協定諸国側援軍に勝利の女神は微笑んだのだ。

 同防衛陣地の主力であったイタリア陸軍131機械化師団の残存部隊は生存者84名、死傷率9割以上という甚大な損害と引き替えに、そのときまで防衛線を持ちこたえさせた。


 当時バクーにいた従軍看護婦の一人である高梨恭子は、彼女達のいる野戦病院を守って戦死したアレクサンドロ・イアチノ伍長(当時、後に曹長に死後昇進)の遺品を彼の遺族へ届けたが、ただ一つ、彼が最後に書いた葉書だけは遺族の承諾を得て貰い受けた。 

 84名の一人、全治3ヶ月の重傷を負って生還したマルコ・ガルボニ曹長(入院中に昇進)は退院後に再度最前線行きを希望したが、上官から士官学校への入学を勧められ、少しだけ悩んでから同意した。
 その方がより効率的にアカと英米の将兵を殺せるからだ。40年6月5日の英海軍による奇襲攻撃で母親と弟たちを失った彼の心の傷は、戦友達の死によって更に深まっていた。
 1年間の促成栽培教育を受けて少尉となったガルボニは米本土上陸作戦へ参加し、1942年10月のフロリダ沖へ向かうことになる。


 戦争行為から煌めきと魔術的な美が最後の一欠片まで失われた20世紀。戦場には英雄も勇者もいない。
 だが勇者のように倒れた者は、幾らでもいた。


 大戦勃発から1年半あまりが過ぎた。戦火が鎮まる兆しは、未だ見えない。




続く。




[39716] その十八『千の千の千倍の‥‥』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:59e4fefc
Date: 2021/06/14 12:14






            その十八『千の千の千倍の‥‥』





  【1941年5月22日 21時00分 チャイナ南部 長江下流地域 上海市 とある飯店兼賭博場の一室】



 この夜、鉄筋コンクリートビルディング5階の、軋み音のひどい昇降機(エレベーター)から一番離れた位置にある小部屋は貸し切られていた。
 軽合金製の窓枠に填め込まれた鎧戸と網戸付きの窓は固く閉められ、満州産の毛布よりも分厚い暗幕布が二重に張られている。しかし室内はシャツ姿だと肌寒く感じるほどに空調が効いていた。
 部屋の中央には円卓が置かれ、上物の酒肴や甘味、ミネラルウォーターやソフトドリンクの瓶に氷の入った水差し、チップとカードなどが並べられている。

 円卓に差し向かいで座るのは、二人の男。
 中年、いや初老に差し掛かった年齢の白人男と、この時代でいえば老人と呼んで良い年頃の東洋人。
 見る者によっては二人は同年代か、下手をすると東洋人の方が若く見られるかもしれない。一般的に、西洋人からは東洋人は若く見え東洋人からは西洋人は老けて見える傾向がある。
 体型や姿勢からみて、どちらとも現役か元か、とにかく軍人であることは間違いない。


 部屋の壁際には中華風の吊り棚があり、その上にはテレヴィジョン受信機が置かれている。
 そのブラウン管は縦横60センチ幅の大画面であり、今も電源が入れられ歌番組が流されていた。
 上海沖の電波灯台は民間の通信や放送も中継しているので、日本本土から送られてくる番組の映像音声ともに明瞭であった。
 白黒の画像だが、つい数年前まで総天然色であるという理由だけで映画館が満員となった時代である。それで当然なのだ。

 ちなみに受信機は棚に剥き出しのまま置かれていて、棚に固定しているのは機械の下面に敷かれた滑り止めのゴム板と枠のみだ。この店は高級店であり、店内の備品に檻や鎖や硝子箱を必要とするような人物を客としていない。



 カードを繰りながら、坊主頭の東洋人は流暢な、英国海軍的な訛りのある英語で喋っている。対する白人男は言葉の訛りから察するに米国人であるらしい。

 「カードゲームには無数の遊び方(ルール)があるが、日本の子供たちの間ではこんなものがあるのだよ」
 「ほう?」

 試しにやってみようか と、東洋人はカードを配りルールの説明を始めた。彼の語るものはいわゆるワン・ポーカーの変種である。
 参加者全員に均等にカードを配り、各プレイヤーは己の山札から一枚ずつカードを場に伏せて出す。
 それぞれが賭けるか否か、上乗せ(レイズ)するか否かを宣言し、チップを張ってから場に出した札をめくる。
 出したカードの数字が高い者が勝ち、場に出た全てのカードを手に入れる。このときジャックは11、クイーンは12、キングは13、エースは14として扱われ数字が同じならスペイド、ハート、クラブ、ダイヤの順にスートの種類で優劣が決まる。
 ただし例外があり場にエースが出ているときだけは2が最強の15扱いになる。ジョーカーは使わない。

 通常のワン・ポーカーと違うのは、配られた札を使い切るとそれぞれのプレイヤーはそれまでの勝負で奪った札をシャッフルして新しい山札とし、そこから一枚ずつ札を引いて勝負を続行する点にある。
 無論、続けていくうちに展開はぐだぐだになる。勝つたびに勝者へ弱い札が入ってくるのだから当然だ。


 東洋人が言うには、これはおままごとに興じる年頃の子供たちが遊ぶルールである。大人や「もう子供じゃない」と主張し始める年頃の子供がするものではない。

 「つまり子供が子供であることを受け入れられる幸せな時期にだけ楽しめる遊戯さ。ちなみにこの遊戯の名は『戦争(ウォー)』というのだよ」
 「それはまた。確かに配られたもので戦うしかない点は似てないこともありませんが」


 日本の子供達が勝った負けたと札比べの結果に一喜一憂するこの遊戯だが、終わらせる方法はたった一つしかない。参加しているプレイヤーたちが「もうあきたからほかのことをしようよ」と言い出すまで続くのだ。
 勝敗は参加者が決める。東洋人の知る子供たちの間では、賭けで分捕った駄菓子に満足している者が勝者扱いだったそうだ。


 「勝ったと言い張れる者が勝者、ですか」
 「そんなものじゃないかな? 何事も」




 遙か昔から現代に至るまで変わることなく情報の価値は高い。戦時なら尚更だ。
 国家間の戦争もまた情報の戦いであり、その一端である諜報活動は今次大戦において複雑極まりない応酬が続いていた。

 上海市は全世界と繋がる情報の交錯点であり、当然ながら各国情報部局が鎬を削る情報の戦場となっている。この二人の男も諜報戦の当事者だ。その道の本職ではないが、ときにはその方がかえって上手く行くこともある。
 工作員が敵国の陣地や施設に潜入し機密書類を盗んでいくような行為だけが情報戦ではない。敵に事実の一部をありのままに伝えることで判断を誘導し戦略的あるいは政略的な大戦果をあげることすら、時と場合と人物によっては可能なのだ。

 大概の場合において情報とは 何を 言ったかよりも だれが 言ったかの方が影響が大きい。
 これは戦争ではないが、とある国である大臣が議事堂で渡されたメモを読み間違い「某銀行が倒産した」と言ってしまったため、実際に当該の銀行が潰れた事例がある。更にそれを切っ掛けに小規模な恐慌まで起きた。
 極端な例ではあるが、一国の閣僚ともなれば発言の価値が重たくなるのは当然だ。同じ発言を陣笠議員や木っ端役人がしたのであれば梯子一つすら倒れなかったであろう。


 今は軍組織から離れた身ではあるが、二人の男はそれそれが属していた組織に少なくない影響力を持っている。組織のマイクとしてもスピーカーとしても、世界大戦に影響を与えられるであろう影響力を。
 それだけでも二人が接触するには充分だが、宵の口から夜中までポーカーやブリッジの合間に塩饅頭や林檎パイを食いつつ腹のさぐり合いをするのは他の理由もある。

 東洋人の男は英国の情報部が『GOLD(黄金)』と呼ぶ謎の組織と繋がりがあり、その組織から流される情報とその組織そのものについての情報を白人男は欲していた。
 この数年、いや十年以上前から暗躍が囁かれている謎の組織こそが日本帝国の政党や軍部や財閥などなどを纏め上げ、動かしている意思決定機関であることは列強諸国の指導層では常識となっている。

 存在を確信しているが詳細は解らない。永田首相や豊田大将など陸海軍高官の一部が組織の幹部であろうことは推測できるが、資金源などの組織概要すら掴めていない。
 英国情報部所属のある数学者などは、日本総人口の一割以上がGOLDの構成員または支援者である可能性があるとの見解を述べた程だ。 

 もちろん東洋人‥‥日本海軍中枢に近い位置へ居たことがある男にも利益があるからこの場で手札をめくっている。繰り返すが、諜報戦においては事実を適切な時期に適切な相手へ告げただけで、戦艦を沈めた以上の成果を上げることも有り得るのだ。


 
 「彼らは実在するよ、間違いなく。君が聞いている噂話の半分ぐらいにはえげつない連中さ。なにせ僕の『陛下への忠節』を疑って予備役に追い込んでおきながら、それでも海軍と祖国のために博打をやれと言ってくる輩だ」

 繋がりがあるからといって、友好関係にあるとは限らない。祖国が世界大戦という危機に瀕していなければ坊主頭の東洋人はGOLDと呼ばれる組織に協力などしなかっただろう。

 「忠節? 5.15事件でも赤坂事件でも貴方はヒロヒト帝の意向に従った筈では」
 「もっと前だよ。連中、海軍条約会議のことを脅迫行為だと蒸し返してね」

 もう10年以上も前のことになるが、坊主頭の東洋人は海軍の一員としてロンドンで開催された国際会議に参加していて、その際に自国の高官たちに「対米戦力7割案が呑まれなかった場合、不祥事を惹起しかねない」と警告した。
 列強諸国への過剰な譲歩が日本海軍内の不満を爆発させる決定打となった事は間違いない。その事実を警告することは海軍高官ならば当然だった。

 しかしその発言は聞かされた側に「我々(海軍)の言うことを聞かないのならテロ行為に訴えるぞ」という意味で受け取られたのである。
 当然ながら遺恨が残った。海軍、なかでもこの男が属していた派閥は軍拡によって随分と美味しい思いをしていたので、自分たち以外からの敵意と憎悪を盛大に集めた。
 そして遺恨はGOLDと呼ばれる秘密結社に受け継がれ、後に芽吹いた。1930年代に頻発した海軍の不祥事とその後始末で、海軍の政治的地位は大いに損なわれたのだった。



 何かについて詳しい者の全てがその何かを好んでいる訳ではない。
 知米派であることと親米派であることも必ずしも一致しない。現在の日本国内においては羆撃ちの猟師が熊好きである割合よりも少ないだろう。

 元より外交とは右手に棍棒を持ち左手で握手しつつ笑顔で相手の足を踏みつける行為なのだ。
 坊主頭の東洋人は日本海軍きっての英米協調派として知られていたが、日米が開戦してからは一貫して強硬論を唱えていた。知っているかいないかと親しんでいるかいないかと容赦するかしないかは、それぞれ全く関係がない。

 「血の大晦日」事件などの影響もあり、日本海軍関係者の大半は米国を信用していない。いや、決して信用できない事を信用していると言うべきか。
 サンフランシスコ沖海戦における米海軍の計画的国籍偽装と、その後米軍が陸海空全てにおいて同様の戦法を徹底したことにより、不信感は高まる一方だった。

 この坊主頭の男などは「もしも前大戦時に日本が金剛級戦艦を欧州に派遣していれば、千代田のお城に星条旗が突き立てられていただろう」と広言している。


 東京よりも沖縄や台湾を狙う方が容易い。戦略上の意義も充分にある。しかしそれらの地域では奪っても合衆国の市民達は喜ばなかっただろう。当時の合衆国市民にとって日本帝国は極東の人擬きによる国家擬きに過ぎない。

 準州であるハワイですら合衆国人にとっては僻地なのだ。フィリピンともなれば僻地のなかの僻地、それよりも更に数百年分文明の光が当たっていないのが日本列島だ。
 合衆国人的にはローマの残光が当たらぬ地域は蛮地である。彼らの価値観では日本はメキシコあたりと比べても文明的に三枚は格の落ちる地域なのだ。蛮地の最僻地である小島を得て、それが一体何になる?

 フィリピンですら経済的には持て余し気味だった当時の合衆国、少なくとも市民層の大部分にとり沖縄や台湾は火中の栗よりも魅力がない区域だった。
 大衆に地政学的な、戦略上の価値を論じるのは悪手である。理解できない言葉を使われた市民達は「海軍や政府が自分たちを騙そうとしている」と確信するからだ。


 客観的に見て、その十年後ならいざしらず1910年代後半のアメリカ合衆国が東京を制圧することは不可能である。
 しかし不可能であることは、実際にやる者がいない事を意味しない。何せこの世には、夜中に動物園へ忍び込み檻の中の雌獅子を手込めにしようと猛獣の寝床に押し入って、雌獅子に噛み殺された慮外者が実在するのだから。


 制圧する必要もない。やろうと思えば米海軍は、一次大戦中の東京湾一帯を火の海に変え日本帝国の国威を粉砕できた。
 もしも、その当時の日本から金剛級戦艦が全て居なくなっていたならば、できた。1隻の自国軍艦と千人ほどの乗組員を犠牲にする覚悟さえあれば十分に可能だった。

 先の大戦時に限った話ではない。日本が隙を見せれば、たちまちのうちにアメリカは蠢動する。それは日本海軍の構成員殆どにとって明白な事実であった。
 この見解に異論を挟む者もいるが極少数派でしかない。世の中には大地が平面だと信じる者もいるし、ソヴィエト・ロシアに他国侵略の意図など無いと信じる者もいるのである。


 「合衆国をなんだと思っているのですか貴方は」
 「都合の良いときには文明人の振りができる蛮族、かな」

 合衆国の諺に「フェアに振る舞うのは相手がフェアだと判ってからで良い」というものがある。これは逆に言えば、相手がフェアだとしても自分がフェアである必要はない、という意味でもある。

 幼き日のジョージ・ワシントンが正直を理由に許されたとき、その手に斧を持っていなかったとしたらはたしてどうなったのだろうか。
 日本的な感性から言えば「蛮族には何をしても構わぬ」「弱者に生きる資格なし」「子供は野獣、家畜以下」といったアメリカ的価値観こそ蛮性の表れとしか受け取れない。


 FairとかJusticsとかDemocracyといった英単語は、米国語においては一つの意味に変換できる。
 合衆国にとって都合が良いという意味に。
 米政府や米報道機関がそれらの単語を使うときには、その意味に変換すると良く解る。

 米国では重慶国民党もポリシェビキ・ロシアも民主政権なのは当然なのだ。その方が都合がよいのだから。
 逆にいうと米国語では都合が悪いことは自動的に非民主的と変換される。故に日本帝国は悪逆非道の独裁国家なのだ。合衆国的価値観では、そうなる。
 日本語では国民が主権を持つ国家が民主国家と呼ばれるが、米国語では米国支配層にとって都合の良い国家が民主国家と呼ばれる。彼ら米国支配層が合衆国こそ真の民主主義と主張するのも当然ではある。
 
 端的に言うと合衆国にとって、日本帝国は地政学的に都合が悪い。日本列島に存在する主権国家は、本質的にアメリカ合衆国の国益と衝突するさだめにある。
 日本から見た朝鮮半島がそうであるように、合衆国から見た日本列島は敵に渡すと果てしなく面倒な位置と構造にある。そして列島に独自の信仰を持つ異人種の異民族が帝権を掲げている限り、日本は合衆国の敵なのだ。


 両国の対立する要因について話を遡っていくと日米の文明論的差違へと進んでしまうので、この辺で止めておこう。
 とにかく、日本的視点からすれば米国の一部市民はまだしも大衆と政府は信用ならない。加えて現政権の実績と印象は歴代の中でも最悪中の最悪だ。

 
 米西戦争を見よ。適当な理由を付けて同盟国の同盟国へ攻め込むなど合衆国人にとって造作もあるまい、と坊主頭の男は嘯く。
 彼にとってUSA政府の信用度などチャイナの軍閥群と大差ないのだ。中華とローマ、古代帝国の継承者を騙る蛮族に過ぎない。

 腐れ学者を埋めるのはまだしも、書物を焼くのは頂けない。それは野蛮人の所業である。秦王朝や始皇帝にとって儒教と儒学者が日本帝国にとってのマルクス・レーニン教と共産主義者に等しい存在であったとしても、だ。

 内容が誤っているからこそ、害毒であるからこそ、その思想を記した書物は悪い見本として保存されねばならない。それが坊主頭の男を含め、現時点の日本帝国知識層で主流となっている空気だった。
 故に日本帝国では高校生以上に限ってではあるが資本論の購入や所持が認められている。ただし読書会など布教行為と受け取られかねない行為を無断で行えば、まず間違いなく監視下に置かれるが。

 そういった観点からすれば、付き合いで出席させられた立食パーティの席で「前に日本料理屋で食べた牡蠣の方が美味かった」と零しただけの若人を対日協力者の容疑で拘束し尋問するような陣営を野蛮人扱いしたくなるのも当然だった。

 不穏分子をあぶり出すための方便(因縁つけ)であるならまだ解るが、多くの功績を上げてきた俊英科学者であるファインマン博士だけでなくその同僚達まで大した根拠もなく、次々と連座させられたのだから救いがない。
 その薄い根拠というのが「交戦中の敵国であっても特許料を払う(ために積み立てておく)べき」という意見に賛成したから、という辺りが更に救われない。 
 

 ホイーラー教授ら連座を免れた科学者達の嘆願により、先日遂に最後の一人が無事釈放されたものの一時は博士号持ちの半数以上が逮捕拘束された科学者チームの活動は大きく滞った。多くの研究と技術開発が数ヶ月から年単位で遅延し、パイクリートなど中止に追い込まれた研究もある。

 最先端研究開発組織の柔軟性と裾野の広さという点で、当時の米国は日本に対して確実に優っていた。
 日本の研究開発態勢は歪なのだ。理化学研究所の中核研究員に権威(指導力)が集中しすぎている。
 古くはオリザニン騒動、新しくは疫病肉流出事件など多くの不祥事を積み重ねた結果、「スイス海軍、ロシア文化省、東大理学部」などという揶揄が定着してしまったのは東京大学の自業自得だが、歪みの弊害は軽視できない域に達していた。

 理化学研究所の一挙一動に日本中の理学系研究者が注目し、その研究を後追いする。あるいは自分の研究について後押しや推薦を得るために汲々としている現状はまともでない。
 一昔前までの欧米追従、先進諸国で評価されないモノに価値を認めなかった時期と、追従先以外なにも変わっていない。人はそう簡単に変われないのだ。

 
 話を戻すと、自陣営の長所を自分から潰してしまったこの事件は、米国らしさの証拠として歴史に残った。もちろん悪い意味で。
 戦史研究家のなかには、ファインマン事件は連合国勝利の最後の可能性を摘み取ったと主張する者もいる。



 「しかし 戦争に勝った と言い張るには少し早過ぎはしませんかねえ。合衆国の生産力は世界一です。隔月で戦艦と艦隊空母を、隔週で護衛空母を、隔日で駆逐艦を作れる国家が他にありますか?」
 「加えて毎日、航空機と装甲車輌をそれぞれ100以上作っているね。性能はアレだが」


 開戦から一年半近くが過ぎたこの時期、戦時体制に移行した米国西海岸そして五大湖周辺の工業地帯は出せる全力をもって稼働しており、戦争物資を生産していた。
 日本軍の爆撃機や飛行爆弾が届くテキサスや、カンザスやオクラホマの西側などでは工場が閉鎖され住民の一部と共に疎開が行われている。また実質的内戦状態にあるアーカンソーやルイジアナなどの南部地域では工場の操業もままならなくなった。

 それでもなお、国内総生産(GDP)でならアメリカ合衆国は世界最大であった。

 数は力である。選挙でもスポーツでも戦争でも普通は大勢の方が勝つ。頭数で優るソヴィエト赤軍を打倒したドイツ国防軍にしても、結局は戦場に持ち込めた鉄量で上回っていたから勝てたのだ。
 ウクライナ戦線でも航空機や火砲や装甲兵器の頭数でいえば赤軍のほうがやや多いぐらいだったが、一度に投射できる量と命中率と充足速度、そしてなによりも弾列に蓄えられた物量の総計で協定軍が大幅に優っていたが故の結果である。

 協定諸国軍で進められていた規格統一は、他はともかく火砲とその弾薬だけを見れば実用上問題ないと言える水準にあった。黒海とウクライナの両線戦はイタリアと日本勢力圏から送りつけられた物資により今も支えられている。

 こと効率において海運に優る運搬手段はない。敵航空機や地元民兵部隊の襲撃に悩まされながら河川や鉄道を使って運ばれる物量と、地球の反対側から大型船舶で海を渡って運ばれる物量とでは運送効率が十倍は違う。



 「ユーラシア方面での帰趨は決したかもしれません」

 白人男はソヴィエト・ロシアの敗北を認めた。
 ハリコフ方面での戦車戦もクリミア付近での機動戦にも敗れ、冬季攻勢に完全失敗した赤軍は当分の間大規模作戦を行えないまでに消耗していた。このまま戦局が進めば夏になっても冬になっても防戦すらままならないであろう。
 バクー油田を取り返せない限りそうなる。現在のソヴィエト・ロシアに、バクーの代わりとなる資源地帯を開発する余裕は残っていない。
 赤軍もポリシェビキ政権も、雨に打たれる粘土の巨像と化している。あとは崩れるのみだ。


 「しかしメキシコ戦線は停滞しているではありませんか。補給線が短くなったからには合衆国はまだまだ粘れますよ」

 海洋国家にとって海は天然の交通路であるが、逆に言えば海運力の効果は海辺とあとは大きな河川でしか発揮されない。制海権を取っていても水上戦力の優位でごり押しできるのは海岸からそう遠くない距離までだけだ。
 故に艦砲の届く範囲内に港湾や飛行場を置き拠点として確保した上で、そこから航空機や機械化部隊を動かして拠点周辺を守るのが基本となる。

 メキシコ地域の背骨である山岳部を避け、日本軍はカルフォルニアからの陸路と海路を使って太平洋岸の諸都市を押さえつつ南下していった。
 米軍の焦土作戦によりメキシコシティなど内陸部の拠点は完全に破壊されており、日本軍占領地域での再建工事は処理能力を超える難民の流入により大きく遅れている。

 メキシコにおける現在の最前線はベラクレス市付近だが、日米の正規軍に加え軍閥化したメキシコ軍各派と地元民兵や野盗匪賊が入り乱れての市街戦となっており、日本軍の侵攻速度は大きく落ち込んでいる。
 メキシコ産でない者には日本軍以外の区別が付かなかったのが主な原因だ。米軍の国籍詐称は常態化しているし、各所メキシコ勢力の大半は日本軍から見て意味不明に過ぎる集団だった。
 なお、現在ユカタン半島での前線はカンペチェ付近まで達している。

 米軍と親米派メキシコ軍と反米派メキシコ軍と地元民兵と地元野盗匪賊の類が行った破壊と略奪の結果、現地の治安は完全に破綻していた。そのなかを日本軍は野盗化した民兵を懐柔したり制圧したりしながら進んでいった。
 本物の野盗団や素人野盗の民兵組織はまだマシな部類であり、懐柔どころか接触もままならない自称自警団などは絶え間も見境もなく襲撃してくる。

 餓えた民衆は軍隊ですら襲う。そして可能である限り何度でも繰り返すのだ。
 奪わねば生きていけない。奪って満ち足りたとしてもそこで奪うことを止めれば生きていけない。奪って奪って奪い尽くしても生きていられるとは限らない。この時期のメキシコは地獄に最も近い場所の一つだった。

 大多数のメキシコ人にとって外国の軍隊とは米軍のことである。
 判断基準が米軍なのだから日本軍との初期接触における対応もまた米軍への対応と同様のものであった。なのでカルフォルニアでは一定以上の効果を発揮した宣伝ビラや食料・医薬品の投下も治安向上に有為な効果を発揮しなかった。


 もうしばらく後の話となるが、相次ぐ襲撃に耐えかねた日本軍は融和優先策を引っ込め強硬手段中心に切り替る。事ここに及んでようやくだが、日本陸軍は軍閥と民兵と野盗匪賊の区別を付ける必要がない事に気付いたのだ。
 同じ北米でもカルフォルニアとメキシコは違うのである。

 方針変更以降の日本陸軍は投降の呼びかけを無視した勢力または攻撃してきた勢力には容赦なく、民家を含む建造物の一軒一軒を砲爆撃で破壊し、穴という穴、物陰という物陰を火炎放射器で炙り催涙ガスで燻しつつ前進する事となる。
 当然ながらその進軍速度は被害軽減と引き替えに更に低下する。一時は間に合わないと判断されていたテキサス州の対日戦準備が必要最低限水準ではあるが完了する程に。


 メキシコでの遅滞作戦により時間が稼げた。だがこれで合衆国が戦局を逆転できる目処が立ったかといえば、そうではない。
 GDPでいえば未だアメリカ合衆国は日本帝国に優っているが、生産効率などを含めた実質的な数値でいえば既に追い抜かれている。

 日米両海軍の征空用艦上戦闘機で言うと三菱98式艦戦とグラマンF6Fがほぼ同格(Hardwareとして完全に五分な訳ではない)だが、調達価格はF6Fの方が高い。同量の資金と資源と時間を注ぎ込んだとしたら、98式はF6Fの3倍近い数を揃えられる。これは極端な例ではあるが、この時期の日米両国における産業的効率の差を表していた。

 親が毎日自動車を運転して幼稚園へ子供を送り迎えしないといけない社会と、幼児が自分たちだけで歩いて通園できる社会では同じ生活を営むために必要な資源が違う。単純に考えても乗用車とガソリンと拳銃が余分に必要となる。
 一言でいえばアメリカ合衆国の生活様式は非効率なのだ。ホットドッグ屋を開店するためにだけに、辞書よりも分厚い書類の束を処理してなお準備が足りない訴訟社会。それが米国の現状であった。 

 名目上の数値ですら伸び率を比較すれば近いうちに逆転されることは確実であり、米軍がそれまでに戦線を押し戻せるかどうか非常に怪しい。
 古代から現代まで続く戦史において、制海権で一度劣勢に追い込まれた側が逆転できた例は極めて少ないのだ。


 戦艦ではサウスダコダ級2隻、アイオワ級6隻、モンタナ級6隻、ユナイテッド・ステイツ級2隻の計16隻が建造中であるが、日本帝国は常陸級4隻、浅間級5隻(喪失した1隻を除いた数字)が既に稼働中である。
 加えて改浅間級6隻と武蔵級8隻のうち半数が進水済みだ。それぞれの1~2番艦は実戦も経験している。対する米戦艦で現在稼働しているのはノースカロナイナ級1とサウスダコタ級2の合計3隻のみ。
 従来艦のテキサスは訓練中に避雷しドックへ再入渠、アイダホは回航中に空母雲竜の航空隊により攻撃され撃沈、損傷激しいコロラドの戦線復帰は42年夏以降と予想されている。

 米海軍の新鋭戦艦は現役から建造中まで合わせて17隻、日本海軍が23隻。
 大型空母で比較すると、現在の米海軍に稼働する艦隊空母はない。量産型艦隊空母28隻と巡洋艦船体を流用した軽空母9隻が建造中だが、どちらも一番艦の進水は数ヶ月後である。
 日本海軍の正規空母は稼働中のものだけで15隻。建造中と修理中の中型・大型・超大型空母計14隻と同盟国へ売却済み及び予定の6隻を加えればこちらも数で優る。

 質の面では更に差が付いている。500㎏級対艦爆弾の直撃に耐え得る装甲甲板と150機に及ぶ搭載能力を持ち、満載排水量10万トン以上を誇る怪物(リヴァイアサン)4隻の存在感は圧倒的であった。
 装甲のない日本の補用空母ですら、米国産の護衛空母と比べれば生存率が20倍を越えている。
 同排水量あたりの搭載能力など幾つかの点で米国製大型空母は日本製正規空母に優っている。しかし船としての運動性と耐久性では明らかに劣っていた。対空火器や電子設備の性能でも数段落ちる。

 開戦当初は互角かむしろ米国側が優位にあった高級将校の質と数すらも逆転した。戦闘よりも軍内部の権力闘争と粛正人事、そして泥沼の密告合戦による収容所送りによって、米海軍の高級将校は枯渇状態に陥っている。
 
 
 連合国にはもうろくな主力艦がなく、建造中のものはあるが完成するかどうかすら分からない。たとえば相次ぐ爆撃によりニューヨーク造船所の稼働率は開戦前の三割を切る状態が続いている。そして完成したとしても乗せる将校が足りない。素人を乗せても船は動かないのだ。

 駆逐艦や哨戒艇などの小艦艇はまだ比較的人員に余裕があり、奮闘を続けているが彼我の損害比は圧倒的である。しかも改善の目処が立たない。
 連合国側海軍の平均練度は人員増加に反比例して下がり続けていた。流石の合衆国も人間を量産する工場は持っていない。人材育成能力において世界最大の規模を誇っていても、消耗に追い付けない。

 練度と技量の低下は海軍に限ったものではなく、熟練した船乗りが激減した一般船舶も被害が増しその結果として船乗りの平均技量が下がり更に民間の人材が失われる悪循環に陥いっている。
 いや、敵襲よりもむしろ後方での事故や事件や政治闘争で合衆国の船と船乗りは減り続けている。親日派を狩り出す愛国者たちの追求は、相手が船乗りだろうが将校だろうが緩むことはない。
 伊達に魔女狩りと称されている訳ではなく、一度親日派の容疑を掛けられた者が無事で済む可能性は甚だ低かった。


 日米開戦から一年半近くが過ぎたこの時期、大西洋の制海権は日本優位に傾いている。チャイナ、シベリア、太平洋、インド洋、地中海の各方面で戦線が安定したため主戦場以外へ戦力を送りつけたり貼り付けておく必要が薄れたからだ。黒海方面にしても前線は内陸に動いており海軍主力の出番は既にない。
 大西洋の制海権は協定諸国のものとなりつつある。4月19日のニューヨーク空襲以来、北米東海岸の諸都市が爆撃機や飛行爆弾の脅威に晒されない日はなかった。
 


 故に、坊主頭の東洋人は余裕たっぷりの態度だった。元から「あの人のハッタリだけはたいしたもんだよ」などと後輩たちから言われていた男だが、今現在の態度は演技ではないだろう。

 「 粘れる のと 勝てる のは月と金星ぐらいは離れている気がするがね。
 そもそも合衆国の経済は長期持久戦に耐えられるかな? ゴムが足りまい。備蓄はもう尽きかけている筈だ。合衆国の回収業者がいくら優秀でも限界があるだろう」
 「資源の備蓄状況については私の立場では確認のしようがありませんが、合成ゴムが開発間近です。原料の石油は東部や五大湖周辺の油田地帯だけで充分賄えますよ」


 二人とも正直者ではないが、あからさまな嘘はついていない。合衆国には資源も技術もある。時間だけが足りないのだ。


 「大量に安定して作る技術が開発されたとして、果たして戦争に間に合うかな。合成ゴムを作る工場を建てるにも動かすにもゴムは必要だよ、もちろん守るのにもだ。兵器を含む近代的な機械類のうち、ゴムの必要ないものがあったかな?」
 「カリブ海の制海権がある限り、南米から天然ゴムを輸入できます」


 合衆国が必要とする資源の殆どは本土とカナダで手に入る。不足しがちなものも備蓄や代用となるものがある。
 ただ一つ、決定的に不足している必須資源がゴムだった。天然品も合成品も、国内産では需要に全く届いていない。
 米国資本による南米の天然ゴム事業が順調であったが故に、北米では合成ゴムの需要が低かった。
 南米から幾らでも安価に買える資源の代用品を開発する意欲が薄いのは当然であり、戦局の悪化によって需要が高まったものの開発研究の遅れを取り戻すには時間がかかる。

 もっとも、いまこの瞬間にデトロイトあたりに合成ゴム製造工場施設が熟練作業員付きで生えてきて完璧に稼働したとしても、それでゴム不足が完全解決する訳ではない。
 石油などから合成できるゴムの性質は天然ゴムとは一致していないからだ。天然物と合成物にはそれぞれに向き不向きがあり、合衆国の工業には天然と合成のゴム素材両方が必要とされている。

 日本本土の科学工場群は天然物の代用が務まる合成ゴムの量産に成功している。その製法に関しての情報も幾通りかの経路で敵国まで漏れ伝わっているが、合衆国が追い付くには数年ないしそれ以上の時間がかかるだろう。
 合衆国本土内でも天然ゴムの原料となる植物は栽培できる。できるが、今次大戦に間に合う訳もない。合衆国は農業においても世界最大だが無から有は造れない。

 故に南北米大陸の分断を狙う『B作戦(メキシコ打通作戦)』は発案者側だけでなく日本海軍などからもそれなりに支持されていた。
 まあ、比較されるA作戦(黒海上陸作戦)があまりに投機的過ぎたせいではあるが。
 もしB作戦の計画書が対米戦案の候補として10年前に出されていたならば、日本海軍の士官たちの大半は冗句として受け取っただろうし、5年前なら立案者の入院を本気で勧めていただろう。



 「自分は土木には疎いので断言できないが」

 坊主頭の男は、そう前置きして語り始めた。
 おそらくパナマ運河はあと一年か一年半か、あるいはもっと短い時間で修理と拡張が終わるだろう と。そしてテワンテペク地峡を東西に貫く鉄道は更に早い時期、年内にも完成すると見込まれている。
 更に言えば中米ニカラグアにおいても運河工事が始まっていて、日本政府は開始から4年以内の開通を目指すと宣言した。
 パナマ運河の工事状況やクラ運河の進捗から考えればこちらも予定どおりの完成が可能だと受け取られている。


 「さて、合衆国はその後もカリブ地域の制海権を維持できるかね?」
 「ブリテン島を捨てれば、なんとでも」

 そう遠くないうちに、合衆国は大西洋戦線を縮小せざるを得ない。本国が危ないのだ、ブリテン島を失うことはこの戦争と欧州を失うことだと解っていてもそうするしかない。
 北米本土と英国本土を結ぶ線、大西洋航路を維持しようとする努力が米海軍の資材と人員を削り続けている。この赤字路線を切り捨てないことには海軍再建も合衆国の反攻も不可能だ。

 合衆国が撤退すれば英国、いやイングランド政府は協定諸国側へ鞍替えするだろう。でなければ餓死が待っている。

 そうなれば西欧での戦闘行為は終了する。するが、戦闘は止められても戦争はいきなり止められない。
 肉体が頑健な人物であれば全力疾走後に急停止しても健康に悪い程度で済むが、欧州各国の経済は人体に喩えるなら何処も彼処も病人や半病人だらけな状態なのだ。
 既に死んだも同然の、あるいは死体を柱にくくりつけて無理矢理立たせているような地域すら存在する。
 それらの国家では戦争行為の急停止が致命傷または死体損壊行為になりかねない。

 戦時経済からの軟着陸のために、そしてまさかの逆転劇を許さぬために欧州の各国は英本土が陥落したとしてもその後も暫くの間は戦争状態を続ける必要があった。
 防共協定諸国は、連合して北米を攻めるしかないのだ。少なくとも攻める準備や準備する振りぐらいはしないといけない。嫌だと言おうものなら平沼外相は容赦なく当該国への支援や交易を絞ってくるだろう。

 だが合衆国が真に恐れるべきはただ二つ、日本帝国と大英帝国だけである。他は大陸国家の沿岸海軍と地中海特化海軍でしかなく、大洋を押し渡って戦力を投射し続ける能力を持っていない。
 消耗著しい英国海軍だが、今すぐ戦闘を止め協定諸国側に鞍替えして日本からの援助を受け入れればどうにかこうにか再建できる芽がある。伊達に世界の海を制していた訳ではないのだ。


 「列強国を含んでいても、いえ含んでいるからこそ欧州諸国など恐るに足りません。所詮は烏合の衆です」
 「慧眼だね。烏合の衆に属していただけのことはある」

 白人男の顔から血の気が引いた。日焼けして赤黒くなっている肌が白蝋のように青ざめる。


 「止めろ。俺のことはどう言われても良い、だがあいつらを侮辱することだけは許さん」

 東洋人は余裕を浮かべた表情を消して真顔になった。掌に血が滲むほどに拳を握りしめ怒りを押さえ込もうとしている対戦相手と目を合わせてから、深々と頭を下げる。 

 「君の部下たちを嗤ったわけじゃない。だが謝ろう、誤解を招くような言い方をして済まなかった。どうか許してほしい」

 白人男は深呼吸して息を整える。
 相手の感情を揺さぶるのは交渉の基本であるが、先程のは流石に効いた。
 義勇飛行部隊。僅かな報酬と密やかな栄誉と、血の沸き立つ冒険を求めて集まった若者たち。
 彼らは何も手に入れられなかった。機材や物資を横流しされまともに戦うことすらできずに死んだ。冒険の末路にしても惨め過ぎる最後だった。送り込んだ祖国は彼らを見捨て、嘲笑い、そして忘れ去った。
 遺族が受け取るはずだった給金すら何処かに消え失せ、その責任は現場指揮官に押し付けられた。
 赦さない、赦せない、絶対に、何もかも。


 「こちらこそ、短慮を許して頂きたい」

 僅か数十秒で完全に精神の平衡を取り戻した白人男は、東洋人の謝罪を受け入れたしるしに頭を下げる。
 無論のこと本心から赦したわけではない。忘れることもないだろう。だが今回の情報交換をここで打ちきるわけにはいかないのだ。

 目の前の東洋人は日本海軍の元高官である。つまり合衆国の同類なみに根性の腐れ切った、選良(エリート)気取りの悪党。だがそれだけに体面やなにやらに気を使う立場だ。
 野球に喩えるなら、先程の発言は死球(デッドボール)である。ここは乱闘沙汰に持ち込むよりも一塁へ進んだ方がより高い得点に繋がるだろう。


 「付け加えるならば国民党軍をカラスに喩えることも、できれば止めてください。彼らに何の罪があるというのですか」
 「そうだね、カラスだからといって不当過ぎる侮辱だった」

 何よりも、目の前にいるのは敵だった。仲間を、部下たちを空で殺した戦力を育てた者たちの一人だった。その教育と編制の方針をめぐる対立により古巣を追い出された敵軍の元幹部。
 政敵を科学的でないと誹謗する一方で人相学などの神秘主義に傾倒し、海軍は政治に関わらずを座右の銘としながら誰よりも政治的に活動した矛盾の塊にして、戦闘機無用論を唱えたその口で日本軍海軍エースパイロット達の奮戦を宣伝した変節漢。
 所詮は敵なのだ。過去形であれ現在形であれ、敵でしかない。許す気も容赦する気もないが、認めることはできる。


 「もうご存じかもしれませんが‥‥」

 と前置きして白人男はとある情報を坊主頭の東洋人に渡した。上海は魔都などと呼ばれるだけあって、手に入れようと思えば大概のものが手に入った。逃亡した重慶国民党首領が現在クイヴィシュフにいるという情報の入手難易度はさほど高くない。
 坊主頭の男の方も、中共軍残党に捕らえられた蒋介石が赤軍に引き渡されたという情報を別の経路で手に入れていたが、初めて聞いたというような表情で受け取り、謝意を述べる。



 「おっと失礼、見逃したくない番組があるんでね」

 多少でなく気まずくなった空気を変えるために、坊主頭の東洋人は席を立ってテレヴィジョン受信機を操作した。電波の周波数帯を切り替えて、有線式の操作端末を棚の上に戻す。

 歌番組から切り替えられた短めのニュース番組に続いて流れ始めたのは、日本本土でも人気の娯楽番組である。一般参加者が持ち込む骨董品や美術品などを専門家が鑑定し、値段を付け公表するという内容だ。
 なお、出品者が承諾した場合は、鑑定済み品を番組の制作関係者や一般視聴者が実際に買い取ることもある。


 「貴方は骨董品が嫌いなのかと思っていましたよ」
 「実用品の方を先に揃えたいだけで、好きか嫌いかで言えば好きだよ。先週に一休と蓮如の馬が出たときは驚いたね」
 「私は曜変天目茶碗の本物が出てきたときの方が驚きでしたが」 
 「まさか10万円越え評価が二週続けて出るとはねえ。流石に今回はないと思うが」

 思考の根本が軍人であるため二人とも理解どころか疑問すら抱いていないが、この鑑定番組も日本政府が行っている経済政策の一環である。

 骨董品の価格は有って無いようなものである。需要と供給によって、実用的性能評価とは大きく違う市場価格が付いてしまうことも多い。
 時の権力者が珍重したために、それまでは三流または四流の評価しか与えられていなかった田舎刀匠の駄作凡作が幻の名品扱いされてしまった例すらある。

 逆に言えば美術品は元が粘土や砂鉄や顔料といったそれ自体は安価な物品でありながら、出来映えと宣伝と景気次第でどこまでも高値が付く。
 故に、日本国内で美術品や骨董品に投資する流れを作ることは景気対策として有効だった。納屋や土蔵から掘り出してきた品々を政府やその支援者が銀行振り込みを前提として買い取れば市場を通貨が循環し、博物館に文物が蓄積されるのだ。

 
 「ときに、お国の海軍は骨董品の調達を打ちきったそうですね?」
 「ああ。といっても8つも買い入れた後になってだがね。飾りに使うならその半分もあれば充分だろうに」

 そうすれば超大型空母が8隻揃っていたのに、と坊主頭の東洋人は愚痴る。
 かつて日本海軍が妄想していた八八艦隊、その焼き直し的に計画された対米戦用艦隊建造計画はやはり頓挫した。軍備において妄想は現実に勝てない。もし妄想が現実に勝てば亡国が待っている。
 20世紀半ばに達しても未だ台風に勝てる軍艦は存在しない。海が現実の脅威で満ちあふれているからには、海で現実を認めない者は藻屑と化すしかないのだ。

 故に武蔵型戦艦の建造は8隻で終わり、残る枠の4隻は空母として建造されることになった。それらの巨大空母が戦力化される前に戦争は実質的に終わっている可能性が高いが、軍艦の価値は戦時よりむしろ平時にこそ発揮されるので問題ない。



 「無理もありません、戦艦は解りやすいですからね」
 「確かに。海軍の顔だからなあ」

 サンフランシスコ沖での大惨事とそれを切っ掛けに起きた大小様々な騒動により、40年の晩秋から初冬にかけての時期は日本本土でも少なからぬ動揺があった。クーデターの前兆と判断された集会へ憲兵隊が乗り込んだ結果、銃撃戦に発展した事件すら起きている。
 本土内が身震いすれば新領土や占領地域で大地震となるのは必然であり、この上海でも戦闘と呼べる規模の擾乱が発生した。

 日本本土の動揺は早々に落ち着いたが、その理由の一つに巨大戦艦の勇姿があった。日本海軍が公開し宣伝した、次々と竣工する新鋭戦艦群の存在は素人にも解る海軍力の優位を示していた。
 新鋭戦艦の中でも武蔵級一番艦は本土以外の地域でも沈静化に貢献すること大であった。「史上最も多く自国民を殺した艦」という汚名と引き替えに。
 

 
 「元はといえば、お国の報道姿勢に問題があったのではありませんか」
 「僕は妥当だと思うよ。戦争中に国民へ隠し事をすればそのツケは酷いことになる」

 釜山港が燃えたり太田市中心部の数区画が消し飛んだり上海市の内と外で武力衝突が起きたりした理由の一つは、日本帝国政府がサンフランシスコ沖海戦の被害をほぼ全て公表した事であろう。
 たった一度の海戦で複数の戦艦や空母を含む数十隻が沈められしかも敵は実質一隻のみだったと、大本営は馬鹿正直に発表してしまったのだ。

 現在の首相が陸軍出身であることがこの発表に影響したのか否かはさておいて、元より日本帝国は戦果と被害の発表を正確に行う傾向があった。
 後世の感覚からすると「当時の列強諸国と比較すれば」といったところだが、少なくともこの戦争において日本帝国が存在しない敵艦を沈めたことにしたり、沈んだ船を沈んでないことにした事は、意図的にはしていない。
 潜水艦トートグの撃沈発表が何度も何度も大本営から為され、その度に敵軍から「沈んでない」と訂正される寸劇が繰り返されるという事例も存在するが、故意ではない。

 これも日本的合理主義の表れである。大本営は歴史に学んだのだ。元より日本軍は、長期的に見れば同じ失敗を繰り返さない傾向がある。
 日清戦争の教訓から日露戦争での感染症病死者は激減し、日露戦争の教訓から前大戦の要塞攻略はほぼ無血で成された。戦訓を消化して血肉とする速度が、米国などと比べると遅いだけだ。

 下手に損害を誤魔化そうとすれば、宮城にほど近い公園がまた燃える羽目になる。正直に言ったところでやはり炎上するのだが、どうせ燃えるのなら誤魔化そうとしない方が気が楽だ。
 個人の生活と違い、国家の運営は正直が幸福に繋がるとは限らない。だが逆に嘘が良いと決まったものでもない。嘘を根本にした組織に統治された結果、この世の地獄と化したウクライナやバルト三国などの例もある。
 

 「嘘、ねえ。エンペラーをGOD(神)と教育することは嘘に含まれないのですか?」
 「誤訳と宗教観の違いから来る誤解だよ、それは。日本の宗教観からすれば陛下だけでなく君も僕も神(Spirit)さ。立場や状況により格付けの違いがあるだけで、ね」

 西洋人であっても知識のある者なら、英語のGODと日本語のKAMIが似て非なる概念であることを理解している。
 東洋での生活が長いこの白人男もその程度のことは知っている。先程の会話は軽い嫌味に過ぎない。


 「嘘つきが嫌なら汪兆銘に肩入れなどしなければ良いでしょうに。所詮は奴も蒋介石の同類、同じ穴の狢と狸ですよ」
 「狐でも蛇でも一向に構わんよ。対処不可能のバケモノでさえなければな」
 「裏切られても良い、と?」
 「最初から敵だ。利用価値があるから今は刃向かってこないだけだよ」


 新大陸で生まれ育った者でも現地生活がそれなりに長いと上海の空気も読めるようになってくる。無論個人差があり、読めない者は何年過ごしても読めない。音痴と同じく駄目な者は一生駄目なのだ。
 読める側の新大陸人たちは確たる証拠こそないが察しつつあった。汪兆銘率いる南京国民党は、徐々にであるが反日的傾向を匂わせるようになっている。中華思想を抱く組織である限り、それは不可避の現実だ。

 だが、今は兆しが窺えるに留まっていた。有象無象の諸軍閥と違って他者の惨状から学習できる能力を持つ彼らは、張作霖や蒋介石の末路から迂闊な行動が滅亡に直結すると理解している。
 15万のドイツ式国民党軍を粉砕し、40万の列強植民地軍を蹴散らし、100万の極東赤軍を打倒した日本陸軍と事を構えるのは自殺行為だ。
 事を起こすのは、日本軍が最大動員兵力3000万と目される北米の泥沼に填ってからでも遅くない。それが南京政府の判断であった。


 根本的なところで、中華思想は日本帝国と相容れない。絶対的に相容れない。もし少しでも相容れられるのならば今頃ヒロヒト帝は紫禁城の主であり、北京の住人たちは天安門前広場に集まって皇帝陛下万歳を熱唱しているだろう。

 いずれ遠くないうちに南京国民党は日本に銃口を向ける。だがそれは今日ではない。まず間違いなく来月でも再来月でもない。重要なのはそこだ。来年や再来年はそうでもないかもしれないが戦況次第だ。



 「つまり、この戦争は再来年あたりに終わる、と?」
 「僕はそう見ている。戦を長時間続けると国民が飽きるからね」

 止まない雨はなく、明けない夜もない。
 永遠の平和がこの世にないからには、ファティマで天使が告げるまでもなく永遠に続く戦争もまた有り得ない。
 戦争はいつか終わる。問題はどのように終わるかだ。
 専制国家なら皇帝や僭主が勝利を諦めるまで続くが、民主国家では国民が敗北を受け入れるまで続くのが戦争だ。


 「残念ですが敗北を受け入れるには、双方ともに信用が足りませんね」
 「異人種、異文化、異宗教、異文明。不信要素の九連宝塔だな」


 善良な列強国など存在する訳もない。地獄すら生ぬるいこの現世で今まで生き残ってきた国家は例外なく邪悪の権化なのだ。 
 建国の第一歩からして友好的な原住民への騙し討ちであったアメリカ合衆国は勿論だが日本帝国もまた、前世界大戦での火事場泥棒や上海争乱から満州事変そして日中戦争へ繋がる動きは、清廉潔白などと言えたものではない。
 合衆国人の主流層から見ればヒロヒト帝はチンギス汗の尻尾であり、日本人の主流層からみればルーズベルト大統領はソヴィエト・ロシアさえ手玉に取った悪魔(共産主義)の化身だった。


 「まあ、僕個人としての見解は異なるがね」
 「ほう? どのように?」
 「いや、彼が共産主義者じゃないと言ったのではないよ。私見だがルーズベルト氏は神(GOD)になろうとしている」


 白人男は思わず吹きだした。それを理由の一つとして軍から追い出されてなお、目の前の男はオカルト話に溺れているらしい。
 彼が重用した占い師により飛行士への道を閉ざされた者だけを集め、訓練され編制された航空部隊の奮戦は映画にまでなったというのに、人はそうそう変わるものではないということか。

 「人が主(GOD)に? なれる訳がないでしょう」
 「なれるさ。現にチンギス・ハーンを神と崇める者がいるじゃないか。孔丘を神と祀る者はもっといる。カール・マルクスを奉じている者より多いかもしれん」

 聴き手の表情がやや改まった。続ける価値のある話題かもしれない。
 古来、教祖や君主の神格化はありふれた出来事である。その人物の意思や所業に関係なく。
 ナザレの大工の息子が主(GOD)と同一視されるのは彼が幾多の奇跡を起こしたからではない。彼の思想が世界を、少なく見積もっても西欧・東欧・南米三つの文明圏を今もなお動かしているからだ。


 俗に「十人殺せば極悪人、一万人殺せば英雄、一千万人殺せば神」という。
 古代においては天災などの物理現象そのものが神意として受け取られた。所属する文明圏の人口を割単位で殺戮されたならば、人々がその原因を神か悪魔の化身と考えても無理はない。
 いや、現代社会においてもその傾向はある。もしツングースカの隕石が1908年夏のシベリアでなくその8年後の北フランスにでも落ちていたら、多くの人々がそれを神の怒りと受け取っただろう。

 只の空想ではなく考古学的な根拠がある。天から落ちてきた炎と硫黄に焼き尽くされたというソドムとゴモラの伝説も、それなりの信憑性があるのだ。
 紀元前3100年頃に東地中海付近へ落ちた隕石の余波で死海近くにあった都市群が滅亡した事件が語り継がれ、旧約聖書における記述の元の元となった可能性がかなり高い。各地の発掘調査や古文書などからもそう推察できる。

 人間の認識する数は、普段の生活で触れるものが基準になる。一例を挙げるならば日本神話に登場する冥府の軍勢は千五百名であり、北欧神話において神々の宮殿は八十八の大広間を持つと語られている。
 それらの神話が出来上がった当時、人々が実感を持って把握できるのがその数だったからだ。

 歴史の中では百人規模の殺人者など珍しくもない。白起やハンニバルは数十万を殺している。ならば現代で千の千の千倍以上‥‥十億単位で殺した者の名は後世に神として残るだろう。
 後世があれば、の話であるが。仮に二十億死んだとしたら人類が絶滅しかねない。半分の十億であっても、文明水準は数世紀から十世紀以上後退すること請けあいだ。


 「と、いうか何をどうやればそんなことをやり遂げられると? 大統領が黙示録の喇叭でも吹くのですか?」
 「もし持っているなら躊躇いなく吹く。彼はそういう男だ」

 いかなる意味でもフランクリン・デラノ・ルーズベルトは常人ではない。揺るぎなき正義と信念の人なのだ。‥‥と坊主頭の東洋人は言う。

 「私にはできない。それで祖国が救われるとしても」

 日本にも信念の人と呼ばれた政治家がいた。いたがあの男と比べれば、いや、比較の対象にすること自体が烏滸がましい。
 浜口雄幸による祖国と国民への仕打ちは悪魔が土下座して弟子入りを志願するであろう域に達しているが、ルーズベルト大統領とは蝋燭と太陽ほども格が違う。

 「君にもだ。君は敵も味方も皆殺しにするカラクリなど使わぬ男だ。その点で私は君を信じている」
 「それは、そうですが」

 これを持っていきたまえ、と坊主頭の男は分厚い書類の束を取りだして渡した。それは北米から送られてきたマイクロフィルムの中身を書き写した報告書であり、マイクロフィルムそのものの複製も添付されている。
 内容は生存している中では世界で一番有名な科学者が書いた警告文だ。表向きは彼らの属している陣営の敵、つまり日本側が試みた場合を想定したことになっている。



 「正気の沙汰とは思えませんな、これは」
 「いかにもその通り。だが、合衆国ならやろうと思えば実行できるだろう」

 ざっと書類を読み終えた白人男は、溜息と共に肩を落とした。
 内容は理解できる。出来てしまった。上海では数日から十数日遅れとなることも多いが東京や大阪で出版された書籍の殆ど全てを購入できる。彼も日本の新聞や科学雑誌を読み込んでおり、その中には核分裂兵器に関する考察を載せたものもあったのだ。

 大量のウラニュウム鉱石と遠心分離器、そしてそれらを使う労力と資金があれば、まとまった量の高純度ウランを精製できる。
 合衆国海軍がウラニュウム合金弾を使って大戦果を挙げたことは確かであり、ウラニュウム合金の主原料は放射性ウランを搾り取ったあとの残り滓だ。

 アメリカ本土には既に高純度ウラニュウムが、核反応爆発兵器を試作できる規模で存在していてもおかしくない。
 ウラニュウム爆弾一発当たりの破壊力は推定でTNT爆薬数千トンから数万トン程度。この威力では10発や20発を使用されたとしても人類を死滅させるには到底足りない。
 だが、もしもこの書類に記された方法が実行されたならば‥‥。


 「我々、日本側は使うまでもない手だがルーズベルト氏にとってはどうかな」
 「これを私の伝手から流すことはできます。ですが効果があるかどうか」

 確かにこれを行えば全人類、いや地球上の生命体の殆どが死滅しかねない。だがあまりにも荒唐無稽すぎる。
 日本帝国がシリウス星系から来た地底人と組んでいるという内容で流した方がまだ、信用する人数は多いだろう。
 殆どの人間にとって、核分裂爆弾の存在自体が幻想(Fantasy)に過ぎない。20年以上前の大戦で大暴れした航空機ですら、主力兵器になったことを人々が認めたのは今次大戦が激化してからだ。
 人は実感できない威力に脅えることはない。殆どの合衆国人にとって、地震ですら絵空事の危険に過ぎないのだ。

 
 「確か君は 日本軍の航空機は木と紙でできている と報告したことにされていたな、そういえば」
 「そう改竄されて、肝心の部分は握りつぶされましたよ」

 まだ合衆国陸軍に属していた頃、白人男が本国へ送った報告書に「日本軍の一部機体が、驚異的な性能を持つ植物由来の新素材を採用している」と書いたのは事実である。
 世界初の航空機は木材の骨組みと布張りの翼を持っていた。現在でも一線級軍用航空機に木材など植物由来の素材を採用している軍隊は少なくない。赤軍の新鋭戦闘機や英国空軍の新鋭爆撃機は殆どの構造材が木製だし、日本軍の飛行爆弾梅花の主翼は合板だ。

 三菱98式艦上戦闘機に使用されている新素材は木材よりもむしろ紙に近い。特殊な処理をした木材パルプを高圧圧縮したものであり、鋼鉄以上の強度と粘度を持ちながらアルミニュウムより軽い。

 件の新素材は水や紫外線に弱く劣化しやすいなどの欠点はあるが画期的なものである事は間違いなく、報告書を送った側は本国で研究されることを期待していた。
 だが輸送中に新素材の現物が紛失した事と義勇兵部隊大敗の原因を指揮官個人の無能と不正と結論付けた欠席裁判の結果などにより、新素材の存在は責任を誤魔化すための妄言と扱われてしまった。

 更に悪いことに一部の新聞社などが複数の人物が行った発言を特定の人物一人が行ったかのように読めてしまう飛ばし記事を掲載して売りまくった。
 結果「義勇飛行隊は司令官の横領により戦闘能力を発揮できず、日本軍の木と紙でできた旧式機部隊に敗北し、司令官は横領した活動資金を持って逃亡した」という流言飛語(デマゴーグ)が流れた。
 ルーズベルト大統領は重慶政府への支援を続けるためにこのデマゴーグを認めるという高度な政治的判断を行い、義勇飛行隊の名誉は地に落ちた。司令官個人のは地獄までめり込んだ。故にそれ以降地獄の住人となった。
 

 「突拍子もない話だとは思うよ。空想科学映画だってもう少し現実味がある」
 「いえ、充分に有り得るでしょう。貴方がルーズベルト氏を知っている以上に、私は彼を知っているので」
 「では、やってくれるかね」
 「ええ。自称友人や自称親族ですら増えれば増えるほど厄介になりますからね、まして主となれば唯お一人で充分過ぎます」


 この書類を複写して北米地域へばらまいても大した効果はないかもしれない。渡した方もさほど期待してないだろう。だがやる。
 知人から迂回すれば陸軍の方になら回せる。彼の評判は、偽情報が蔓延している市井では最悪を更に下回っているが、そのぶん事の真相を知っている陸軍航空系の将校たちから同情や義憤を集めていた。現大統領へ反発する者たちは特に激しく。

 組織の根幹までアカに汚染されてしまった現在の米陸軍ではクーデターなど起こせないだろうが、将兵のなかに一人でも二人でも怠戦する者や脱柵する者が出るなら無意味ではない。
 戦局には何の影響がなくともその個人には無限大に意味がある。最悪でも大統領の妄想のためではなく、自分自身のために死ぬことができる。それは救いである筈だ。


 「では宜しく頼む。クレア・リー・シェンノート大佐」
 「了解しました、山本五十六予備役少将殿」





続く。




[39716] その十九『上海の夜』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:59e4fefc
Date: 2021/06/14 12:16






            その十九『上海の夜』





  【1941年5月22日 21時00分 チャイナ南部 長江下流地域 上海市】




 文明は天から降ってこない。火山の火口から湧いてくるものでもない。
 平地に生えるものである。

 より正確に言うなら適度に温暖で必要水準以上に肥えた土壌を持つ、河のほとりである平地に生える。
 乾燥した土地では駄目だ。寒冷な土地では駄目だ。万年単位で氷河の底だった痩せこけた土地も駄目だ。平地が狭すぎても駄目だ。平たすぎて水が流れず溜まってしまう広いだけの土地も駄目だ。
 更にいうなら土地に適した栽培作物も要る。育てやすく大量に収穫でき栄養豊富で保存性の良い作物が。
 大量にそして安定して供給でき、長期間保存できる食料がなければ文明は育たない。
 
 文明とは即ち余裕である。金銭に喩えるなら可処分資産だ。
 それは人間社会の活力が積み上げられ結晶化した精華なのだ。早い話が余剰食料、特に栽培効率と保存性に優れている稲科穀物の備蓄である。お薦めは米か麦かトウモロコシか、穀物ではないが甘藷と馬鈴薯だ。粟や稗や黍などその他の作物でもまあ、文明を作れなくもない。

 繰り返そう。文明の本質とは食料の余剰備蓄である。食料の余裕が商品と市場を生み出し、経済の根本となり技術を育てるのだ。
 食料が豊富にあるからこそ人口が増える。備蓄があるからこそ社会の分業化が進み専門職が誕生する。
 大勢の専門職が競い合うから技術が高度化し、より高い作業効率をもたらすために知識基盤の大規模共有化がなされ、学問が体系化される。
 そして集落が大規模化し都市となる頃には、生活効率の維持と向上のために倫理を規定し徹底させるべく宗教組織が結成され教義が定められる。

 文明の本質が余裕である以上、極地などで高度な文明が育たないのは当然なのだ。
 アラスカやグリーンランドの原住民が摩天楼を作らないのは、彼らが無能だとか怠惰だとかそんな理由ではない。むしろ充分以上に有能で真面目である。そうでなければ餓死か凍死が待っている。

 極地の自然条件は厳しすぎる。間抜けが生き延びることは不可能だ。
 逆に言えば大量の間抜けが生き延びられる土地であるからこそ文明が育つ。文明は生存に直接寄与しない間抜けたち、直接的には生産性へ寄与しない異能者たちが駆り立て加速させるものなのだ。そう何処までも。
 食うや食わずの生活をしているものが歌舞音曲にうつつをぬかせる訳もない。より良い生活、より高い生存確率を得るための資産蓄積や技術開発ですら、厳しすぎる環境では成果を出す前に潰えてしまう。

 現在、いや過去も未来も含めてその痕跡を残すであろう文明というものは、開けた土地と充分な水量と優秀な農作物そして過酷すぎない生態系という、恵まれすぎた条件の下に育ち華開いた存在なのだ。
 少なくない人々が、特に文明国とか列強とか呼ばれる地域の恵まれている人々は忘れがちだが、人が生きていけるという事はただそれだけで奇跡に等しい。気楽に生きていける環境となれば奇跡の自乗である。
 もしもサハラ以南のアフリカ大陸にマラリア蚊とツエツエ蝿が生息していなければ、人類史が激変していたことは間違いない。ひょっとしてら現世人類(ホモ・サピエンス)の紡ぐものではなくなっていたかもしれない。


 そういった視点に立てば豊かな土壌に雄大な河川が流れるこの土地は、文明の保育所としてなかなかの優良物件だった。
 実際に古代から大勢の人々が集まり、文明と呼ぶに充分なものを作り上げ保っている。





 ある土地において有力な商品が、地域や国家に名産品や特産品というものが存在するからにはその逆に産出しない、あるいは産出はするものの高価すぎて競争力のない商品が存在するのも理の当然である。
 ある地域では露天の鉱床から只同然の経費で掘り出せる資源が、海を隔てた隣の地域では必需にして希少な高額物資であることすら有り得る。
 価値の差が存在するからこそ貿易が成り立つが、完全に自由な貿易が行われれば競争力のない国内産業が崩壊してしまうだろう。

 たとえば国内の製鉄所で転炉を回すよりも外国から屑鉄を買ってきて溶かした方が安上がりで高品質‥‥となる国では鉄屑を買う製鉄業者の方が多くなる。経済原則から見れば高くて低品質な商品に拘る業者は淘汰されてしまうし、されるべきだ。
 しかし国防の面から考えれば国内産業は保護されねばならない。カルタゴの例を見るまでもなく、存続に関わる事業を切り捨ててしまった国家は滅びるしかない。

 故に関税というものが出来る。自国産の商品が100ドル、外国産の同じ商品が50ドルならば後者に100%ないしそれ以上の輸入税を掛けて自国商品が価格負けしないようにする訳だ。
 結果として租界が生まれた。そこはチャイナであってチャイナではなく、列強が支配するが列強そのものではない。
 そこには関税がなく、全ての商品が素の競争力で晒される。だから世界中から商人が集まり、金銭次第で何でも手に入る。ただし、手に入れたものを無事持ち帰るには金銭以外のものが必要になることもある。


 此処は上海。魔都と呼ばれるチャイナ最大の租界。
 港には世界の全てから船が集まり、市場にはあらゆるものが商品として並ぶ。

 屋台に山積みされた色とりどりの飾り帯と色紙は、先月あたりまで残っていた菓子折包みの類を包んでいたものだろうか。
 市場に並んでる商品は春物から夏物へと替わりつつあり、服屋では薄手で鮮やかな色彩の綿シャツなどが増えている。
 日本軍放出品の軍手や軍足を扱う露店の向かい側で売られているのは生活機材だ。目玉商品は大村電機の掃除機と宇佐工業の洗濯機だが、おそらくどちらも盗品だろう。同じく電気動力式の扇風機や炊飯釜なども置いてある。

 同じ天幕の下に並べられている古めかしい火のし器具(アイロン)は電源コードこそ付いているものの、その熱源は内蔵される炭火などであり電力は使わない。なのに何故飾りでしかない電源コードが付いているかと言えば、付けたものを電機製品の横に並べておくとこれも電熱式だと勘違いした客が買っていくことがあるからだ。
 骨董品を改造し断線している電源コードをとり付ける労力と在庫が捌ける利益が、釣り合うかどうかは怪しいものだが商売とはそんなものかもしれない。


 泥の付いた野菜が並べられた露店の横には、生きた鶏や猫が入った竹籠を並べた食肉店がある。その更に横の露店で並ばされているのは襤褸を纏い首輪を付けられた少年苦力たちだ。中には明らかに幼児、いわゆる文明国でなら幼稚園に通っているであろう年頃の子供もいる。
 苦力(クーリー)とはチャイナ地域における人夫や労務者のことだが、ここで取り引きされているのは名目上そう呼ばれているだけで実質的には労働奴隷だ。
 僅かな金額で売られ、貧しい食事を報酬として労役に就き、特に理由もなく鞭で打たれる存在である。
 
 百年前の米国南部における黒人奴隷の生活環境は彼らに比べれば楽園に近く、その値段は隣の竹籠の中身よりも平均して安い。
 何もこの都市に限ったことではない。商品価格は需要と供給で決まるものなのだ。悪辣極まりない某帝国主義国家が安値かつ高品質な各種商品を売り捌いた結果、現在のチャイナ地域における人間の価値は漢方薬素材としても急落していた。


 外地から租界に来たばかりと思しき風体の男ども、特に若者を狙ってすり寄る初老の東洋人は数枚の総天然色写真を見本と称してちらつかせ同様のものが入っているという大判の封筒を買い取らせようとしている。
 数十枚入りの封筒は精々菓子パン一つ程度の値段なので迂闊にも買ってしまう者もいる。買い取った解放捕虜らしき白人の若者が内心危惧していたのと違い、中身の写真も見本と同じく半裸や全裸の美女や美少女や、そうではなくとも見る側の好みによっては魅力的な肢体が映し出されていた。
 被写体の人種年齢性別等の要素と傾向は見本の数枚とほぼ一致しており、いわゆる表紙詐欺の類ではない。

 では何処が迂闊かといえば、それらの写真は租界内の書店や購買所で普通に買える新聞や雑誌から切り抜いたものであり、件の売人はゴミ捨て場で拾い集めた古雑誌などから切り抜いた写真を同じく紙塵の中から集めた大判封筒に詰めて売っているからだ。

 この街の住人なら只で手に入る代物に小銭を使わされたことになるが、値段と手間を考えれば詐欺とも言い切れないだろう。
 場末の映画館では更に過激なものが上映されているし、写真なども裏通りで買える。実物が欲しければ娼婦も安値で買える。
 特殊な嗜好あるいは品質や安全性や耐久性を求めだすと値段が加速をつけて上がっていくが、それはどこでも同じ事だ。明日の命を惜しむ者は安娼婦など買いはしない。


 上海事情に疎い新参者を見つけては切り抜きを売りつけようとする男のところにその仲間の東洋人、同郷出身であり元同級生であった同年輩の男がやってきた。
 そして懐から取りだした、日本租界内の屋台から盗んで来たという饅頭を自慢し見せびらかしていたのだがその身振り手振りが大袈裟に過ぎたために、横を通り過ぎようとした中年男にぶつかってしまう。

 はずみで日本人商人の屋台から盗み出された饅頭は路上に落ち、近くにいた機を見るに敏な野良犬が飛びつき咥えて走り去ってしまった。
 その様を仲間にまで笑われた男はぶつかった相手、その場から立ち去りつつあった男に「どこに目をつけてやがる」と掴みかかる。
 だが上下共にジーンズ布の作業服らしきものを着込んだ中年男は振り返りもせずに背後へ手を伸ばし、首根を掴まれた饅頭泥棒は鶏を絞めるかのように頸骨をへし折られて絶命した。
 蝿を払うよりも気軽く人一人を始末した、地味な風体の男は死体を放り捨てるとそのまま歩み去っていく。

 中年男が着込んだ、ジーンズの上着に隠れた両脇下に吊られている大口径回転式拳銃に気付いた群衆は慌てつつも速やかに道を譲った。この通り、いや上海で生き続けたいのなら当然の分別だ。
 捻り殺された死骸は仲間たちが襟首を掴んで路地裏に引きずっていく。
 彼らに仇を討つとかそういった考えは浮かばないし誰もそれを咎めない。牛舎で這いずる油虫が同種を踏み潰した牛に抱くであろう感情しか抱きようがない。絶対的な強者と弱者とはそういうものである。

 一瞬静まりかえった通りは直ぐに元通りの喧騒に包まれた。突然の死などここでは珍しくもない。 



 オーストラリア産の天日塩と書いた幟を立てた塩屋の店先で何事か喚きながら日本軍の軍票を、正確には軍票だと思いこんでいたものを撒き散らしている老人がいる。彼が数ヶ月かけて素人商売に励み溜め込んでいた代用紙幣は日本軍が印刷発行したものではなく、粗悪な偽札だったのだ。当然ながら金銭としての価値は皆無である。
 粗悪品であるから本物と見比べれば紙の質感や印刷技術に一目瞭然の違いがあるのだが、知識がなく感心が薄い者は現物を見比べることすらしない。紙幣に慣れていないのでどれも同じと考えてしまうのだ。
 20世紀半ばになってもネズミ講や寸借詐欺など「なぜそんなのに引っかかるのか?」と端から見ていて不思議に感じる詐欺の被害者は後を絶たない。

 日本軍の軍票は日本本土を除く、日本軍が活動している地域で流通している。チャイナ地域の大都市圏でも当然ながら流通しているが、その価値は平均して額面の8割程で扱われる。偽造しやすい分、本物の円紙幣よりも信用性が低いのだ。
 上海などの日本租界では本物である限り額面どおりの価格で取り引きされる‥‥少なくとも租界内の日本人商店ではそうしないと罰されるので、たとえば租界外で80円相当の商品と交換した100円の軍票を租界内に持ち込み100円相当の商品と交換する、といった方法で儲けようとする者も出てくる。
 そういった手段で端金を稼ぐ者がいれば、欲を出して濡れ手に粟を目論み籾殻だけを掴まされる者も出る。
 
 この老人を嗤う者は厳しく自戒すべきである。別口の馬鹿げた詐欺に引っかかるだろうから。
 いや、おそらくは既に引っかかっているだろう。幸か不幸か騙されていることにまだ気付いていないだけだ。
 付近の店舗から出てきた数人の店員に「店を汚すな糞爺」と袋叩きにされる老人の横で、撒き散らかされた偽軍票を浮浪児たちが拾い集めている。上海には全世界から人が集まるので、偽軍票を受け取ってしまう者は比較的少数派であっても常にいるのだ。もし間抜けが見つからなくても焚き付けぐらいにはなる。



 各露店に並べられた商品は総じて安物であり、やや高額な商品を扱う店舗は天幕の下にある。一例をあげれば安物の瓶や徳利に詰められた白酒や黄酒は天幕の下にあり、露店に並んでいるのは更に安い訳あり品や水増し品だ。
 高級品になると丈夫な壁と屋根に囲われている。同じ割れ物でも銘入りの欧州産葡萄酒や一流銘柄の香水などはこういった店舗でないと手に入らない。
 最高級品となれば要塞じみた建物と軍隊じみた集団に護られる。

 そんな最高級品を取り扱う場所の一つでは、今宵も競り市が行われている。競りに掛けられる商品は実に様々だ。
 客の方も様々であり地元の者もいれば異郷の者もいるし、一目で分かる裏稼業の者もいれば象牙の塔の住人らしき者もいた。

 曰く、最新鋭の米軍戦闘機であるという分解梱包された飛行機のものらしき部品。
 曰く、杜甫の直筆であるという詩の記された水墨画。
 曰く、理化学研究所の実験室から横流しされた新種の抗生物質であるという冷凍された試験管。
 曰く、某藩王(マハラジャ)の秘蔵品であったという大粒のスターダイヤモンド。
 曰く、仏領印度支那から密輸されてきた元は密猟組織からの押収品であるという象牙の小山。
 曰く、沈没した英国艦から引き上げたという電波探信儀の中核部品。
 曰く、物故してから高名となった大画家が青年期に描いた作品であるという子猫の素描画。
 曰く、赤軍の兵器開発局が試作したという新型軍用小銃の実物と部品を数揃い。
 曰く、ダイムラーベンツが製造したものの不採用となったという要人専用高級乗用車。
 曰く、14世紀フランスで活躍した数学者の未公開論文であるという羊皮紙の束。
 曰く、公式には一年ほど前に夭折したことになっている某伯爵家の令嬢(16歳、調教済み)。
 曰く、11世紀初期のウィーンにいた練金術師が精錬鋳造したというアルミニュウム製の杯。
 曰く、東北地方の旧家の藏から出てきたという北海道と樺太と東シベリアの詳細な地形が記された古地図。 
 曰く、変死した大統領補佐官が事故死した某陸軍大将に送ろうとしていた機密文書だという書類の束。
 曰く、大英博物館の倉庫で忘れ去られていた収集品の一つであるという羽毛の生えた生物の化石。
 
 
 どれもこれも現物から出所由来まで怪しげなものばかりだが、本物が混じっていることもある。
 故に、この競り市は今宵日本軍憲兵隊の襲撃を受けるのだが参加者の殆どはまだ何も気付いていない。一部は最後まで気付かないだろう。





     ・・・・・



  【同時刻 上海市 再開発予定地区 元安ホテル 廃墟の一室】



 「検屍の結果は出たのか」
 「ああ。師父の肝臓から異常な量の金属反応が出た、砒素ではないが何か鉱物系の薬物を盛られたことは間違いない」  


 薄暗い部屋の中にいるのは四人。
 一人目は黒い夜会服を着て、夜中だというのにサングラスをかけた中年‥‥いや若い男。まだ三十にはなっていないだろう。
 全身黒ずくめで、手に持っている硝子杯の中身まで真っ黒だ。

 一人目と差し向かいに、小さくて汚れた見るからに安物の円卓へついている男はもっと若く、二十歳かそこらだ。服装は伝統的な胡服姿だが坊主頭であり弁髪は結っていない。

 顔立ちはまったく似ていないが、二人の体型は双子のようにそっくりだった。同じ競技で、同じ階級で、位置や戦法を同じくするスポーツ選手の体型が似てくるのと同じ理由である。同じ理論と方式と器具を使って鍛え上げられているのだ。

 残る二人は男と女だが両方とも扉の両側に立っている。こちらは黒服男の護衛である。

 護衛の内、男の方は一目でそれと解る。2メートル近い大男であり良く鍛えられた筋肉質の体型をしている上に、顔や黒髪を短く刈り込んだ頭には幾つも裂傷を縫い合わせた跡や火傷跡がついている。
 大男は下士官が着る軍服のようなものを着込んでいるが所属や階級を現すものはない。左右の脇の下や腰に付けたホルスターには拳銃やナイフや懐中電灯や予備弾倉が突っ込まれており、更に短機関銃を革紐で吊して肩から掛けていた。

 女の方は一見して護衛には見えにくい。いわゆるチャイナドレス、満州族など北方騎馬民族系の伝統的衣装を淑女用夜会服風に仕立てたものを着込んでいる。当然、裾の切れ込みは深く、細身ながら減り張りの効いた体型が良く解る扇情的な姿である。
 更に言うと容貌も充分に美しく三つ編みにした髪は長く艶やかで眼鏡までかけている。最近流行の、レンズの大きな縁なし丸眼鏡だ。
 武器らしき物体を携帯しているわけでもない彼女は、素人ならば護衛ではなく情人の類と見なすだろう。


 「臨終を見取った医者は誰だったかな」
 「張先生だが半年前に火事で死んでいる。口封じされたのだろう。師父が倒れる前に、張先生の息子が事業で失敗しているが、先生の蓄えを使って借金を返したからな」

 黒ずくめの男、上海裏社会の幹部は硝子杯の中身を飲み干して言った。

 「当ててやろうか。仁医と名高いが金銭には縁がなかった筈の張医師に払えるとは到底思えない金額を、だろう?」
 「そうだ。日本鬼子の差し金であることは間違いない」

 一年と少し前、日本海軍連合艦隊と米海軍太平洋艦隊の水上決戦が行われるよりも数日前の頃、上海で一人の老武術家が急死した。
 死因は脳梗塞と診断され高齢であったことから特に疑問も持たれなかったのだが、最近になって弟子の一人であるこの若い男が帰国して、師匠が毒殺された疑いがあると言い始めた。
 そして周囲の制止を無視して墓を暴いた男は一人で解剖と検屍を行い、重金属系毒物による中毒死と死因を断定した。


 「で、破門した俺に関係あるのか? その話が」
 「師兄、いや今は違うとしても貴方の功夫(くんふー)だけは信頼している。俺についても同じ筈だ」
 「まあな。技量だけでいうならお前が道場を継ぐべきだった」

 事実として、黒ずくめの男が道場にいた頃からこの男は抜きんでた実力を持っていた。留学に出た時点で既に、人間的なものを排除した力のみで言えば道場最強の門弟だったのだ。
 
 「この腕を貸す。十年でも二十年でも貴方のために使おう。だから奴の居場所を、師父を殺した男のねぐらを教えてくれ。貴方なら知っている筈だ」
 「『凶手公』の居場所なら知っているぜ、ウサギが虎のねぐらを知っているようにな」

 二人に武術を仕込んだ老人が最後に試合をした男は、上海いや長江とそれに繋がる地域で「凶手公」や「DUKE OF DESTROY」あるいは「金剛蝙掌」といった二つ名で知られる拳士だった。そして老人が寸止めで負けている。
 物騒な二つ名を持つこの謎めいた男は、出自不詳の流れ者である。
 2年かそれより少し前から上海とその周辺で活動し、見た目は目立たない只の中年男であった。用心棒から刺客まで裏社会の荒事を、気に入った仕事だけ只のような安値で引き受けている。

 ときには本当に無料で動くこともあり、金銭に拘らないらしいが一度引き受けた仕事に関しては完璧主義かつ冷酷非情である。必要とあれば巻き込まれた者の皆殺しさえ厭わない。標的一人を始末するために走行中の列車を編制丸ごと脱線転覆させたことすらある。
 その怪物じみた強さは僅かな時間で伝説と化していて、しかも日々更新中だった。素手でも得物を持っても、負け無しどころか掠り傷を負うことすら稀である。

 特に拳銃の腕は凄まじく二丁拳銃で15人の兵隊崩れを撃ち殺したとか、飛んでくる銃弾を拳銃の弾で撃ち落としたといった噂まで流れていた。
 それらは所詮噂だとしても既に数百人が屠られその大半がヤクザ者や軍閥構成員である。実際の話だれが何を使っても、爆弾まで使っても未だに仕留められていない。

 まさに怪物。一説によればその正体は悪魔に魂を売って不老不死となった魔人であり、高徳の僧に捕らえられ嵩山少林寺の地下へ封じ込められていたが、封印から二百年以上の時を経て清朝政府へ寝返った破戒僧により解き放たれ、少林寺を滅亡させたという。


 「誇大広告極まれり。奴の名は高森直人、大陸では高直と名乗っているが日本鬼子だ。美国(アメリカ)では『東洋の恐怖、マスター・カオ』というリングネームで闇格闘興業の悪役を務めていた」
 「聞いたことがあるな。食い詰めた腕自慢が一攫千金目当てで出ては死んでいる賭け死合だろ。それで負け無しならたいしたもんだが」

 禁酒法が廃止された後のアメリカ合衆国ではマフィアなど闇社会の資金源が酒からそれ以外の娯楽に、麻薬や女や銃や賭博に切り替わった。賭博は格闘技興業でも行われ、地下の闇試合ではどちらかが死ぬまで続けられる文字通りのデス・マッチすら行われた。
 件のマスター・カオなる男はルイジアナ州ニューオリンズの地下闘技場で27戦連勝を成し遂げたものの、鉄板死合となって賭けが盛り上がらなくなったことを嫌った興行主の意向で本物の灰色熊と素手で闘わされる羽目になった。

 その夜のメインイベントは闘いではなく只の食事風景となる筈だった。しかし両者が檻に閉じこめられた途端に会場の地下室が停電し、暗黒の中で電気の流れなくなった柵が破られ灰色熊が脱走。翌朝に熊が射殺されるまで死者35名を出す大騒動となる。
 なお、その大多数は闇の中で恐慌を起こした観客同士による圧死である。数少ない例外となった興行主とその護衛を撲殺したマスター・カオなる男はこの騒動の後姿を消し、以後の消息は不明‥‥と、調査を担当したニューオリンズ市警の報告書は纏めている。
 それが1938年5月のことだった。
 
 「汚い手で半端者を嵌めて功夫(くんふー)が成ったと勘違いしている愚か者だ。正面からやりあえば、師父はもちろんだが俺の敵ではない」
 「ここだ。二階の一番奥の部屋に泊まっている」

 黒ずくめの男は、懐から出した紙切れにとある廃屋の住所を書いて「明日はどうだか解らねえがな」と口にしながら渡した。若い武術家はその内容を憶えると紙切れを返す。

 「恩に着る」
 「待ちな。持って行け」

 上司の合図に従い、護衛の大男は小さな革鞄を円卓の上に置き蓋を開けた。中にはオガクズを詰めた麻袋と、その麻袋を凹ませた空間へ埋め込むように手榴弾が三発入っていた。真新しい手榴弾は野球の硬球のように丸く、鋳鉄製の表面に縫い目のような縄状文様が付けられている。

 「九九式、日本軍の使っている手榴弾で一番闇市に出回っているやつだ。使い方は解るな?」
 「ああ」
 「一発一年。帰ってこれたら使った分だけ腕を貸せ。踏み倒しても良いがその場合は二度と上海に入るんじゃねえぞ」
 「解った。朝までには終わる」

 元同門の男が去った後で、新しく開けた瓶から中身を注ぎつつ黒ずくめの男は護衛たちに尋ねた。

 「で、どうなんだ」
 「彼に勝ち目はありません。そこらの畑で捕まえてきた青虫を猫に嗾けたほうが勝機は高いでしょう」
 「馬鹿かお前? アレが素手や銃や爆弾で死ぬタマなら誰かがとっくの昔にぶっ殺してらあ」

 知識と知性は別物であり、経験が必ず見識となるとは限らない。群盲は象の全体を把握できないが、目開きならば必ず象を理解できる訳でもない。その証拠に、象へ要らぬ手出しをして踏み潰される輩に盲人はまず居ない。
 何も見ても聞いても自分の都合の良い方にしか受け取らない者は、何処にでもいる。


 老人の死が凶手公と呼ばれる男の仕業ではないことを三人とも理解していた。虎や羆がそうであるように、圧倒的強者に毒など必要ないのだ。普通に殴ればそれだけで獲物は死ぬ。

 「あの糞爺の死因が毒殺なら、下手人は誰かってことを聞いているんだ」

 傷顔(スカーフェイス)の大男はアメリカ人のように肩をすくめて、彼なりに会得している捜査の基本を述べた。

 「一に金銭、二に痴情、三四がなくて五に怨恨。殺人事件の動機はそんなものです。毒殺のうえ被害者がまがりなりにも達人と呼べる腕であるのなら、行きずりの犯行である可能性は排除して構わないでしょう」
 「糞爺と銭関係で揉めてて、嫁を寝取られてた奴がいたな、そういえば」

 大道廃れて仁義あり、という言葉もある。道理が通じない時勢だからこそ人徳がもてはやされる。古来この地で徳治が称揚されるのはつまるところ、道理というものが通用しない社会しか存在しなかったからだ。
 世に正義も仁徳もなければ人は金銭と伝手に頼る。
 件の老武術家の門下生で、腕っ節に自信のある者たちが暗黒街の顔役にまで登り詰めた元兄弟弟子と接触を絶やさないことは当然であり、黒服の男の耳にはかつての師匠とその周辺の事情が様々な形で伝わっていた。

 「第一発見者、被害者の身内、被害者が死んで最も得をした者の順で疑うべきかと」
 「全部当て嵌まるじゃねえか。幸せな頭した弟弟子で命拾いしたな、跡継ぎは」

 
 自分から飛び出した道場だ。その主と息子の、骨肉の争いなどどうでも良い。今夜の大捕物から不確定要素が一つ減ったことが大事なのだ。
 「凶手公」の周りには名前を売りたい無謀な連中が有りも掴めもしない隙を狙っている。そこにもっと無謀な者が殴り込みをかければ、人食い鮫の群に機関銃弾を撃ち込んだような狂騒と食らいつき合いが始まる筈だった。

 そうなれば、上海の闇に君臨する無冠の王者が今夜の捕り物とそれに連動して起きる抗争に介入する確率が下がる。最悪でも事前に情報を掴んでいる分だけ被害を他の組織になすりつけ易くなる。だから徒労でも失敗でもない。
 黒ずくめの男はそう納得して、独特の薬臭さを漂わせる黒い炭酸飲料の瓶を空にした。

 「ねえボス。それ、美味しいの?」
 「不味いぞ」

 癖になるがな、と呟いて席を立ち明かりを消して、硝子杯と二本の空き瓶だけを残し三人は闇に消えていった。
 おかげで翌日の朝、この一室に偶然通りかかった浮浪児は真新しいガラス製品を拾い、屑屋に売って得た小銭で温かい飯にありつけた。
  

 


     ・・・・・




  【同時刻 上海市市街 日本租界の外れ】


 既に米国の一部と日本本土のほぼ全域でテレヴィジョン放送が始まっていたが、その両国でも娯楽の王様は未だ映画だった。
 当然ながら上海にも無数の映画館が存在しており、傑作から駄作まで数限りなく上映されている。それらの中でも映画を見るだけなら一番安上がりな施設として野外映画館がある。
 野外に建てられた巨大な白無地の看板、あるいは建物の壁などを銀幕に見立てて映写しているのだ。

 日本租界の端、高い塀と電流の流れる鉄条網でスラム街と隔たれた位置にあるこの野外映画館は観客から直接の料金を取らない。看板の近くに軒を並べた出店や屋台の売り上げで上映者は利益を出している。
 今も看板には日本製の娯楽映画が数カ国語の字幕付きで上映されている。幕末期、19世紀半ばの日本を舞台にした剣劇ものだが何故か場末の一膳飯屋のお品書きにカレーライスがあり、主人公の浪人はカレーを食べると普段の三倍は強くなるという無茶苦茶な内容である。

 しかし考証面以外では至って真面目に作られた良質の娯楽作品であり、普通に人気が出ていた。今も観客たちの多くは主人公が悪党どもを次々と叩きのめしあるいは切り捨てる姿に拍手喝采を送っている。
 人気の理由は出演者の魅力もある。主人公を演じる三船某なる新人男優は活劇場面以外では演技がもう一つで、いわゆる大根役者だったがヒロインを演じる山口淑子なる女優は、日本人でありながら上海でも香港でも最も支持者の多い俳優の一人だった。


 上映中の映画本編には特に感心なく飲み食いと会話に集中している者たちもいる。屋台の列から少し離れた位置に座る四人の若者は、それぞれが持ち寄り買い求めあるいは注文したものを円卓に並べ酒宴を楽しんでいた。

 「では、田と遼の前途を祝して乾杯!」

 音頭と共に打ち合わせた日本製黒ビール入りのジョッキを乾かした四人は同年代、二十歳かそこらであろう。
 みな上海育ちの中華民国人もとい漢族だ。そこそこ身なりが良く、顔つきなどからも中流以上の家庭で育ったことが一目で分かる。
 会話から察するに送別会のような集まりらしい。四人のうち二人、一番体重の軽そうな眼鏡をかけた若者と間違いなく一番体重の重たい赤ら顔の若者が、明日には遠く離れた異郷へと旅立つのだ。

 「しかし大丈夫なのか、田が乗ったら重くて落ちるんじゃないか」
 「なに、僕と教授が軽いから人数で割れば平均的だよ」

 旅立つ二人は上海で育ったし実家も上海にあるが、今住んでいるのは台北である。上海には所属する研究室の教授に連れられて里帰りしているのだ。教授本人としては上海での所用に地元出身者がいると便利だから同行させたまでであるが、人としての常識を一応持っている系統の学者であるので初日と最終日ぐらいは学生たちを自由にさせている。
 二人の恩師、その容姿と気性と、空を飛んでいる時間が長いことから「行者」と渾名されている孫磨覚教授は変人かもしれないが決して不人情な人物ではなかった。

 「それより、本当にこれはいらないんだな」
 「空港で引っかかるからな。なあにアメリカといってもカルフォルニアだ、気楽なもんさ」
 
 友人が円卓の下で手渡そうとした紙袋を、太った若者は押し戻した。ただでさえ漢族に対しては空港などでの検査が厳しい昨今なのに、空港でモーゼル拳銃と実包など預けようとしたら手続きが面倒くさいものになる。
 ついた渾名から分かるとおり彼らの恩師は気が短い。その教え子たちも時間を惜しむが故の空の旅に、余計な手間はかけたくなかった。

 心遣いは有り難いが、正直に言って無用の餞別でもある。
 孫教授ら台北大学第三寄生虫研究室が向かうカルフォルニア州南部は日本軍による軍政が続いていたが、治安は良好であり至って穏やかな場所だった。「ロスは極楽パナマは飯場メキシコ地獄の三丁目」とは当時の新大陸に派遣されていた日本兵たちが謡った都々逸である。
 そもそもカルフォルニアは拳銃の本場なのだ。どうしても必要になったのなら現地で手に入れれば良い。正規の手段でも闇市ででも簡単なものだ。

 無論のこと占領地にありがちな軋轢や問題はいくらでも存在したが、特に問題ないと日本軍や現地住民は捉えていた。チャイナ地域や東南アジア諸国諸地域で磨き上げられた日本軍の統治機構と教本は、北米西海岸でも充分に機能した。
 統治においては攻められる全ての方面からあらゆる方法で攻めたてるのが日本流であり、法と正義の建前に加え札束と物資の実利で叩かれ続けた西海岸は二度目の白旗をあげるしかなかった。
 後世の歴史書ではロサンゼルス駐留軍司令官を評価するものが多いが、今村中将の手腕を考慮に入れても不可解なまでに日本軍の西海岸統治は順調だった。

 米国西海岸諸州、特にロサンゼルスあたりでは己のささやかな誇りのために今日のパンを投げ捨てる者よりも、赤ん坊のミルクのためにとりあえず車庫やクローゼットへ誇りをしまっておく者の方が多かったのだ。
 具体的に言うとカルフォルニア南部の善良な市民たちは、その多くが日本軍や日本帝国へ協力的な地元民への襲撃行為や妨害工作を行うあるいは見逃すよりも通報することを選んだ。
 有効な情報には一報につき100ドルから200ドル、ときには数千ドル以上の高額報酬が支払われたうえに誤報であっても処罰無しという方針であったため日本軍憲兵隊は情報提供者に不足しなかった。
 個人情報は秘匿されているが、現地人通報者のなかには賞金で屋敷を建てた者さえいる。

 日本軍の指導下で組織改革が行われた現地警察の業務効率が以前とは比較にならない水準に上がったこともあり、破壊工作は大掛かりなものであればあるほど難しくなっていた。秘密はそれを知る者が多ければ多いほど保ちにくくなる。
 もちろん破壊工作を知っても通報しない自由を行使した市民もいたし、協力や実行する自由を選んだ市民もいたが後者は速やかに元市民や死人となった。日本流統治は敵と判断したものには容赦がなく、それは場所や相手が変わろうと同じだった。
 

 「まあ、身体を壊さない程度に頑張れよ」
 「解っているよ。いずれは虫害に苦しむ5億の民を救うこの僕が、いま倒れるわけにはいかないからね」

 多くの上海人たちと同じく若者たちも現状を受け入れていた。重慶国民党が分裂解散し、蒋介石が行方不明になり、北西軍閥や山西軍閥など各地の勢力が南京国民党に恭順する姿勢を見せている以上、中華地域の再統一は近い。
 そして再統一が成れば東夷の口出しを聞く必要もなくなる。部外者が中華を引きずり回せるのは内部分裂が続いていればこその話である。これまで繰り返された歴史と同じく、中華統一の暁には自然に華夷の秩序が回復するだろう。
 現に日系の商社が大陸における商取引に占める割合は、ゆっくりとだが確実に下がってきている。上海などの租界でも租界でないチャイナ各地の都市でも、日本人の行商人や個人商店の数は減る一方だった。

 中華帝国の復活は遠くないのだ、何を焦る必要があろう。今はひたすらに力を蓄えるべき時だ。若者が情熱をぶつけるべきことは学問と労働でありテロ行為ではない。そう考える漢族は、上海市内に限れば少数派と呼べなくなってきている。
 とりあえず、彼らの実家は既得権益を保障されているのだからこちらから喧嘩を売る必要はない。もちろん若者達の実家が属する派閥は日本軍と喧嘩にならないよう気を配って立ち回っているし、喧嘩になったときに備えて準備もしているが。


  
 若者たちの卓上から料理が減っていき追加の買い出しに出た頃に、隣の席へ二人の男がやってきた。大柄な、まだ若い白人達である。

 「カツカレーにゴーダチーズを削って乗せてください。付け合わせは福神漬けでお願いします」
 「牛スジ煮込みカレー、刻み茹でオクラ乗せ。あと青梗菜のお浸しを味付けなしで。ピクルスは抜き」

 看板の映像よりも実物の香りに惹かれてであるが、看板がよく見える卓を選んだ二人は隣の売店に声を掛けで席に着き注文した。英語で声をかけられた、まだ中学生になるかならないかであろう金髪の少女は注文を復唱して伝票に書き付け、複写された控えを置いて厨房へ滑り去っていく。
 彼女の店は料金後払いである。この意味を本当に理解しているなら上海生活初心者卒業だ。

 「静かだな。幽霊かと思ったよ」

 随分とテキサス訛りが強かった女給の後ろ姿を見つめているのは、栗色の髪を七三分けにした男である。彼の視線は周りの客よりも数十センチ下、半ズボンやそのすぐ上下ではなく少女の足元に集中している。
 店主の娘である看板娘が履いている靴はいわゆるローラースケートの類であるが、彼が注目したのはその静粛性だ。すぐ傍を通っていったのに、少女の靴に取り付けられた小さな車輪は映画の音声にかき消される程度の音しか立てなかった。

 「冶金技術の差か? いや樹脂系素材かな。想像を絶する強度と精度だとは解るが」
 「本物はある種の地位象徴(ステイタス・シンボル)ですが、市場で売っている代物ですよ。新品を確実に手に入れるなら日本商社か日本軍のコネが必要ですがね。だから交渉してあの娘から買おうとしないでください」

 あの娘へうかつに声をかけると店主が散弾銃出して来ますよ、と相方に釘を差したのは同じく二十代前半から半ば過ぎ程の白人男である。寝不足気味なのか目の回りに隈が出来ており、何ヶ月もハサミを入れていないだろう黒い長髪を首の後で輪ゴムか何かを使い纏めている。
 米国人なら言葉の訛りから解るであろうがこの二人は米国東部の出身だった。ともに大学出の元陸軍少尉である。
 元、がつくのは釈放された捕虜だからだ。流石に今次大戦への不参加を誓って収容所から出た身で現役を名乗るほど彼らの面の皮は厚くない。


 「ところでお前の注文、野菜が足りなくないか?」
 「あなたは私の母親ですか」
 「お前の健康に気を使いたい点ではお前のお袋以上だぜ。お前が倒れでもしたらその分俺の負担が増えるんだからな」
 「わかりましたよ、葉っぱも食べれば良いんですね」

 言うことが日本人とおなじなんだから、と長髪の男はぼやきながら再度女給を呼んで温野菜の和え物と刻みキャベツを追加注文した。幸い懐には余裕がある。


 程なくやってきたカレーとその他を食べながら、二人の男は情報交換を始めた。小声で聞き取りにくい上にアレだのソレだのと固有名詞を極力省いた、他人にはさっぱり解らないやり取りが続く。

 上海は人と物資の一大集結地点であり、当然ながら情報も集まる。世界各国の新聞や雑誌、あからさまな宣伝放送と一聴して普通の放送、ニュース映画に口伝えの噂話。変動する通貨と株や証券類の相場。それらを組み合わせれば十人ほどの集団でもある程度の情報収集はできた。
 戦線への復帰はしないと誓ったが、祖国に利する行為をしないとまでは誓っていない。故に長髪の元少尉は上海の日本租界に住み着いて、商社の現地通訳や上海映画の端役などを行いながら諜報活動に当たっていた。
 七三分けの元少尉は同じようにしてグアムの捕虜収容所から出て、友人の伝手を頼ってつい数日前に上海へやってきたところである。

 「鉄道屋(のヘイワード上等兵)は元気でしたか、それは何より」
 「前より(時給は)低いが、マシな職場だと言っていたよ」

 元々の比率からいって捕虜は士官より兵隊の方が多いのが当然であり、同じようにして収容所から出た米軍兵士たちは思い思いの場所に移って暮らしていた。中には自由の身になった後も収容所の近くで収容所にいたころと同じく砂浜でナマコを拾い集めたり畑でパイナップルを収穫したりしている者もいるがそれは少数派だ。
 件の上等兵は長髪少尉の元部下だった。そして七三分け少尉の知人でもある。彼は鉄道員不足のあまり給与水準が上がりに上がったオーストラリアへ渡っていたが「どこに行ってもジャップがでかい面をしている」ために辞めて上海へ流れてきたのだ。

 「上海だと日本人の顔が縮むわけもないでしょうに」
 「本当の理由はこっちらしいぞ」

 七三分けの元少尉は捕虜生活中に日本兵から教わったというか伝染したボディランゲージ‥‥小指を立てる動作で事情を説明した。つまるところヘイワード元上等兵の退職理由は、職場周辺の若い娘達に連続で振られたためだ。
 これを彼は元米兵が元日本兵に比べてオーストラリア娘から需要がないからだと捉え、そのことに耐えられなかったのである。

 「有り得ない、訳じゃないよな」
 「人気が出るような行動は宣伝されてませんからねえ、我が軍は」

 上海が実質的に日本勢力圏内にあることを計算に入れても、米軍の評判は芳しくなかった。豪州の鉱山町では更に酷いであろう。北米大陸における焦土作戦の凄惨さは太平洋の反対側まで様々な形で届いている。
 報道写真やニュース映画で描かれる米軍の姿が半分でも本当ならば、元米軍兵の前から婦女子が消え去るのも当然である。
 目の前の自称元米兵が同類だとしたら貞操どころか命が危うい。


 戦時動員態勢が続く日本本土では青年男子の不足から見合い斡旋所に閑古鳥が鳴いている。巷では「足りぬ足りぬは、工夫が足りぬ」という戦意高揚標語から一字を抜いた「足りぬ足りぬは、 夫が足りぬ」という戦時冗句が流行っている程だ。
 日豪同盟樹立前後でその理由はともかくとして計数十万人に及ぶ男達が出ていった豪州でもまた、婿不足というか男日照りというか、男女の人口比率が偏っていた時期があったことも確かである。

 しかし生物学的理由からも元々人類種の雄は大概の場合余り気味であり、件の上等兵が訪れたときには既に需要が満たされていた。彼と同じ事を考えた者は彼が思っていたよりも多かったのだ。

 豪州政府の統計で見ると1940年に結婚した豪州人のうち約三割が外国人又は移住者を伴侶としており、そのうち半数近くが日本人だった。
 数で言えば元ないし現役の日本兵が日豪間での国際結婚当事者として一番多いのは当然だが、日本人の看護婦や通訳やタイピストなどと結婚したオーストラリア男も少なからず存在している。

 もはや伝統的と呼べるまで染みついた人種差別意識が消え去った訳ではないが、日本帝国国民との婚姻が表だって非難される風潮は現在の豪州にはない。
 それは文明の進歩とか人類の調和といった夢想家の寝言が実現したからではなく、表だって襲撃や迫害を行った者たちは砂漠の砂に変えられ、非難に留めた者たちの多くは手切れ金と共に国外へ出ていったからなのだが、とにかく表立っての非難はない。ないことになっている。


 この時期に描かれた風刺画に、『日豪同盟』という題名のものがある。

 風刺画の中央では、白い花嫁衣装を着た田舎っぽい白人娘とちびで眼鏡で出っ歯の日本兵が教会の前で式を挙げている。
 画面右側には羊を連れた農夫(ニュージーランド?)が暢気な顔つきで立っており、そのさらに右にはアオザイなどの民族衣装を着た数人の東洋人女たち(タイ、ベトナムなど?)がハンカチを食いちぎりそうになりながら挙式中の二人を見つめている。
 画面左側には肩に猟銃をかつぎ片手に札束の入った鞄を持った白人の荒くれ者が新郎新婦から離れるように歩き、更に左側には鞭を持った農園主風の白人男(南アフリカ?)が荒くれ者を歓迎している様子が描かれている。
 画面中央やや左側で式を仕切る神父の顔は、オーストラリア共和国初代大統領とそっくりだ。
 そして神父の足元には痩せこけた黒人少女(アポリジニ)がうずくまっていて、左端では黒人の農夫とその妻らしき黒人女が不安そうに農園主と荒くれ者の様子を窺っている‥‥というものだ。

 作者不詳のこの一枚には「日本のいう人種平等とは所詮こんなもの」という風刺が込められていた。なお、微妙に違う版も幾つか存在していて、それらは新郎が日本兵ではなく軍帽を被った猿だったり犬だったりする。

 日本人であっても、よほど無邪気な者でなければ完全にはこの風刺画を否定できない。日本帝国は慈善事業で戦争しているわけではないし、そもそも慈善事業とは金銭以外の利益のために行う行為である。国家の行動が打算まみれなのは当然だ。
 新郎が新婦の実家の庭に埋まっているものを気にしていたり、義父である神父の伝手に期待していたとしても不思議はない。


 それらの事情はさて置いて、上記の通り米軍の評判は豪州でも上海の租界でも悪かった。日本本土は言うまでもない。後々の時代まで日本語圏ではヤンキー(Yankee)という呼び名が「ちんぴら、ゴロツキ、与太者、人間の屑予備軍」の代名詞として残った程である。
 この二人も元同僚たちの言動から度重なる風評被害を受けていて、大いに閉口していた。

 流石に米軍機がメキシコ戦線において小規模の村落まで虱潰しに爆撃し二千ポンド徹甲爆弾で破壊しているといった日本側の報道はでっち上げであろう、軍事基地ならいざしらず只の村落に貫通力優先の徹甲爆弾を使う必要などない。焼夷弾で充分だ。
 しかしメキシコ市が都市機能を失うまで破壊されたことや、その後のメキシコ市で撮影されたおびただしい焼死体の山や、女子供の遺体が車体前面にくくりつけられた米軍戦車の残骸は虚構ではない。
 野戦病院に収容された片腕あるいは両腕を切り落とされているメキシコ人少年たちも、少なくとも数千人が実在している。

 「えげつないなあ、連中は」
 「ええ、容赦がありません」

 文字通り地獄の如き蛮行がメキシコの地で吹き荒れている。そしてアメリカ合衆国の勢力圏内以外ではその大部分がアメリカ合衆国軍の仕業として扱われていた。
 第三帝国の宣伝相ゲッベルス博士などは「合衆国は文明国かもしれないが、合衆国軍は文明国の軍隊ではない」と非難を繰り返している。

 しかし二人は動揺していない。日本軍と日本政府の謀略であることは明らかだからだ。
 直接の証拠はないが前例が山ほどある。フィリピンへの武器密輸もその一つだ。1939年当時のフィリピン内陸部に大量の武器弾薬を送り込めるのは日米の軍部かその息がかかった組織だけであり、それを行って得をするのは日本だけである。
 出鱈目極まる偽外交文書を渡されたと言い張り宣戦布告に繋げ、自ら捕虜返還船を撃沈しておきながら米軍潜水艦に罪をなすりつける日本人の悪辣さは大したものである。日本海軍の師匠が英国で日本陸軍の師匠がドイツなのは伊達ではない。

 殺戮者が正義の仮面を被る事は戦場の常である。自らが害した女子供の死骸を敵軍の戦車に縛り付け、「民を盾とする卑劣な敵」という下劣な宣伝を行う協定諸国軍の厚顔さに、アメリカ人青年達は怖気を禁じ得ない。
 日本軍の恐ろしさは野蛮さや小賢しさではない。チャイナやメキシコという本国から離れた地で蛮行を繰り返しておきながら、問題なく大軍を動かし続けられる運営能力にあるのだ。
 まさに現代の黄禍。アッチラよりもチンギス汗よりも、その軍勢は異質であり手強い。


 「この戦争、負ける訳にはいきませんよ」
 「ああ、こんなもので済む訳がないからな」

 二人が見ているのは英字新聞の紙面端に載せられている、米国本土で街頭に張られているという風刺画である。
 『負けたらこうなるぞ!』という題名がついたその風刺画は米国の長閑な田園風景を描いたものだが、込められた意味は過激なものだった。

 散歩道らしき場所でドレスを着て日傘を差した妙齢の白人女性三人が談笑している画である。ご婦人達の一人は臨月間近らしい大きな腹をしており、もう一人は乳母車を押し、最後の一人は就学前ぐらいの幼児の手を引いている。
 ただし母に手を引かれている幼児は浅黒い肌に縮れた黒髪で顔立ちも黒人(ネグロイド)の特徴が強く出ており、乳母車に乗せられ玩具を振り回している乳児も同じく黒い肌をしている。三人中ふたりがそうなら残る妊婦の腹にいる子もおそらくは‥‥。

 これは「人種平等を掲げる日本帝国に敗れたら、米国の中流・上流階級でも色つき(カラード)との結婚が当然になるぞ」と主張する風刺画であった。
 英語の記事を書いた日本人記者によれば米国南部からの亡命者が出国の際に持ってきたものであり、米国南部諸州では同様のあるいはより過激な風刺画が「白獅子団」なる民間武装組織の手で印刷配布されているという。

 これは眉唾ものの噂だが、南部諸州では白獅子団や類似する自警団的な武装組織と「黒豹党」なる黒人過激派組織が抗争を繰り広げる内戦状態にあるという。実際には其処までいかずとも合衆国内で人種的な軋轢が広がっていることは確かだろう。

 紙面の中央には人種間の軋轢を更に煽る風刺画も載せられている。
 『アメリカの現状』なる題名がついたそれは、北米大陸の形をした差し渡し10メートル程の小島で争う人々を描いたものだ。

 西海岸にあたるところにボートが着けられ、鉄砲を担いだちびで眼鏡で出っ歯の日本兵が上陸しようとしている。
 その下側、メキシコ北部にあたる場所で別の日本兵とアメリカ人らしき牧童たちが撃ち合い、その更に下のメキシコ南部ではポンチョを羽織りソンブレロを被った西部劇の山賊風な二人の男が取っ組み合いの喧嘩をしている。
 南部のルイジアナあたりの場所では中流家庭の若妻らしき婦人が困惑した表情でずり落ちそうなスカートを押さえて立ちつくし、その肩に馴れ馴れしく手を回してにやつく黒人男がいる。
 ニューヨークあたりには札束の山と札束を夢中で数える上流階級風の男。そして五大湖のあたりに商品と書いた札の付いた首吊り用の輪になった縄の山。縄の山の奥に立ち、輪の出来具合を確かめている凶悪な人相の男は鎌と鎚を組み合わせた印のあるシャツを着込んでいた。

 祖国が外敵に攻められ、若人が戦死し、女子供がニグロに狙われているのに東部のエリートどもは売国に励み、アカがそれを見て嗤っている。市民たちよ立ち上がれ、故郷と家族を護れるのは諸君らの銃だけだ! と、まあ、おそらくはそのような意図が込められているのであろう代物だ。

 他国の新聞に載る程度に良くできた風刺画の多くがそうであるように、この絵もまるきりの出鱈目ではない。

 ホワイトハウスの住人たちを始め、現米国政府が容共的かつ親露的で政策が真っ赤っかにアカである上に行政手段がどんどんクレムリン寄りになって行きつつあることは事実である。
 米国の大企業が戦争景気で大儲けしている事も事実である。
 米本土で各家庭のゴム紐までもが市民たちの自主性に基づいて強制的に回収されていることも、市街や農村の人種別人口比率で黒人男性の割合が増えていることも事実である。

 白人男性の多くが徴兵または徴用され東洋人やインディアンやメキシコ人の殆どが収容されたり保護されたりしたが故に、米国本土では社会における黒人男性の比率が増えている。ということは人手不足からの配置替えも増えるわけであり、黒人男性と白人女性が接触する機会も自然と増えることになる。
 接触が増えれば一線を越えてしまう事例も当然増える。犯罪や、当事者たちにとって犯罪ではないがこの当時の米国社会では不適切とされる事件が発生し、刃傷沙汰や駆け落ちといった事態に発展することもまた増えていた。
 偏りすぎているが、嘘ではないのだ。



 新大陸に限らず歴史には実例が山ほど存在しているが、異なる文明に打ち負かされた国家や民族の運命は悲惨そのものだ。
 大祖国戦争、クレムリンがそう呼んだソヴィエト・ロシアの戦争は即ちスラブ文明対西欧文明+日本文明の戦いだった。
 太平洋戦争とホワイトハウスが呼ぶ戦争はアメリカと日本の文明が激突する戦いではあるが、こちらはより凄惨なものになっている。なにしろ双方ともに指導部が敵対者を文明国と認めていない。
 事実、日米両国は和平交渉を口実に中立国などで外交的接触を持ってはいたが、真剣味の薄いやりとりしかしていない。双方ともに講和への意欲が薄いのだ。

 文明国相手でない以上その決着が理性的なものに終わるはずもなく、戦争がまだ続くからには地獄の如き有様がメキシコから広がっていく事は確実だった。
 もしかしたら、いやかなり高い確率で日米どちらか片方あるいは両方とも文明の滅亡を迎えるかもしれない。


 10年前なら、この予想は狂人の妄想として一笑に付されたであろう。だがしかし、科学の進歩はそれを笑い事で済まさない領域にまで達していた。
 20世紀も半ばを迎えている現在、日本帝国もアメリカ合衆国も一文明どころかやり方次第で世界を滅ぼせる力を持ってしまったのだ。地球上の全ての文明国から文明を維持させる力を奪うには足る程度のものを。
 最悪なことに現在の日米両国はそれが可能な状態にある。もし研究中のものが戦争中に完成したならば、あとは首脳部の理性を信じるしかない。


 「で、どうなんだ?」
 「難しいところですね。(人形峠はじめウラニュウム鉱山の採掘が)進んでいないことは確かなのですが」

 上海で溜まっている彼ら元捕虜にとっては本国との連絡を繋ぐだけでも難業であるが、それでも彼らの情報収集と分析は続けられていく。ほんの僅かな情報、たとえば日本帝国によるタングステン鉱山開発状況などが分かるか分からぬかでも戦略に影響するのだから、無意味ではない。

 佐渡金山の採掘再開が象徴するように、鉱工業の発展と採掘・精錬技術進歩は1930年代に入ってからの日本大躍進の要因として、真っ先に挙げられるものの一つだった。
 数年前にマンチュリアや樺太で新たに発見されたタングステン鉱山群は日本帝国にとって「金銭が湧く壷」のような存在であり、世界全体に影響を与えている。

 日本帝国は以前からタングステンの工業利用に注目していた。一例を挙げると有坂38式小銃の銃身はタングステン鋼製である。安価で、その割には優れた性能を持つ日本製工具と工作機械は日本帝国の工業力を支える支柱であった。

 北部マンチュリアの油田のように、これまで産出しないとされた資源が産出しないとされていた地域で見つかることは、稀によくある。それが世界の経済や政治に影響することも極々稀にだが存在する。

 一部希少金属資源の不足からウラニュウム合金を徹甲弾どころか試作重戦車の装甲板にまで使っていた合衆国と比較すればの話であるが、この時期の日本帝国はウラニュウムの軍事転用に消極的だった。自らの勢力圏内だけでタングステンの採掘量は足りていたのだ。

 研究用を含めても日本帝国のウラニュウム採掘量はそう多くないとされるが、ホワイトハウスにはそれが事実なのか欺瞞情報なのか確信が持てなかった。
 ライシャワー博士逮捕事件など、知日派の粛正をやり過ぎてしまった米国本土では各諜報機関の調査能力が日本関係に限っては消滅したと言って良い状態にある。
 情報の量はともかく精度において、上海のカレー屋で盗聴器や望遠鏡を使った遠距離からの監視に気付かぬまま座っている素人間諜たちと大差ない水準まで落ち込んでいるのだ。日本語の平文通信を自力では解読できないことすらある。

 この上海で料金後払いでありながら潰れない飲食店とは無銭飲食をさせない店である。した者は一生後悔することになる種類の店なのだ。日本租界でそれができる店が日本軍の庇護と監視を受けていない訳がない。
 つまりこの二人は間諜として論外である。事実、彼らは自分たちが24時間体制で監視され盗聴されていることに気付いていない。

 故にホワイトハウスの住人たちのうち一部は、情報が錯綜する日本帝国のウラニュウム採掘量を気にかけるあまり睡眠不足の日々が終戦直前まで続くことになる。



 英国が帝位を投げ出し、チャイナ帝国の後釜を狙った勢力がまた一つ潰れ、ロシア帝国が致命傷を負ったが世界大戦は終わらない。
 戦いは続く。
 たとえそれが明日迎える死を明後日に引き延ばすものでしかないとしても、たとえそれが明々後日に全てを巻き込む破滅を引き起こしかねないとしても。




続く。




[39716] その二十『マンハッタン島の取り引き』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:59e4fefc
Date: 2021/01/02 12:55






            その二十『マンハッタン島の取り引き』





  【1941年6月10日午前9時45分 アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ニューヨーク市】
 


 ニューヨークには観光名所が多いが、そのなかで最も有名なものは自由の女神像であろう。独立百周年を記念して造られたこの巨大な銅像は、アメリカ合衆国の自由と民主主義の象徴として扱われている。
 女神像が象徴しているのはあくまでもアメリカ式の自由と民主主義であり、それが他国人の共感を呼ぶとはかぎらない。
 日本海軍の、辛辣な発言が多いことで知られる某大佐のように「合衆国にあるのは自由と民主主義ではなく放埒と衆愚だ」とまで言う者もいる。


 彼だけでなく、この当時の日本人はアメリカ式民主主義について「融通無碍に過ぎて受け入れ難い」と感じている者が多数派だ。
 日本的に観ると平均的合衆国国民の主張する民主主義は大雑把に過ぎるというか、真面目に考えていないとしか思えない。
 成立以来一度も国民選挙を行ったことのないソヴィエト共産党政権や重慶国民党勢力を「民主的」と称揚する一方で、合法的選挙によって選ばれた議員達で運行されている日本帝国を「独裁下にある」と罵るのがアメリカ合衆国の政府見解であり世論である。非難とか批判というのは、もっと柔らかい表現で成されるものだ。

 日米両国の感覚が一致しないのは民主主義の定義だけではない。例えばアメリカ的感覚では中華民族は自由と平和を愛する文明人であるが、日本人は残虐で道理を弁えない蛮族である。
 その理由について、何が蛮族的で何が文明的なのかを巡って日米の人間が議論や意見交換をすると、これがさっぱり纏まらない。平均的な日米国民が真剣に語り合えば語り合う程、双方が「相手には真面目に話す気がない」と確信してしまう。

 日本的価値観からすれば「文明とは信仰であり真の信仰とはキリスト教である。他の自称宗教は良くて淫祠邪教に過ぎない」とか「真の信仰を持たない日本人は蛮族である、なぜならキリスト教徒ではないからだ」といった平均的アメリカ人の主張は狂人の譫言にしか聞こえない。トートロジーを論拠にする輩を正気と見なす文化は、日本では極少数派だ。

 合衆国的価値観からすれば「政府の主張は論理的整合性を保つべき」とか「政府は国民を等しく保護すべき」という日本的な観念自体が有り得ない。
 合衆国の選良(ELITE)たちには、敵国の指導者層のうち少なくない割合の人数が合衆国で言えば初恋前の女子小学生よりも政治的に幼稚(NAIVE)な感覚の持ち主であるなどと、想像することすら難しい。つまり日本人が真剣に語れば語るほど、合衆国人は愚弄されているとしか感じないのだ。

  
 つまるところ両国は文明の在り方が違うのだ。日本が麻薬密売組織を追放しアメリカが禁酒法を施行したように、社会的な善悪正邪においてすら感覚が異なる。誕生日を迎えた7歳児への贈り物を 現金50セント と 実包付き猟銃 のどちらにすべきかを日米の国民に問うて答えの統計を取れば、正反対の結果が出るだろう。



 リバティ島にある女神像は、日本との正式な戦争が始まって一年半ほどが過ぎたこの時期にも多くの人を集めていた。
 ただし観光地の名物としてではない。女神像は以前にも増して人々の視線を集めているが、観光客が直接的な現金を落としていない現在ではリバティ島は観光地として機能していない。
 日本軍によるニューヨーク空襲から七週間ほど過ぎたが、女神像は海に落ちて砕けたままである。

 4月19日夜の空襲で、土台部分に飛行爆弾を受けた自由の女神像は倒壊した。現在は砕けた残骸の上に、辛うじて原型を保った女神像の頭部が乗っかって波の飛沫を浴びている状態だ。修復、いや再建の目処は未だ立っていない。

 軍事的に無価値なリバティ島は日本軍の攻撃目標ではなく偶然にも流れ弾が直撃してしまったのだが、攻撃を受けた側には関係ない。
 国家理念の象徴を無惨に破壊された合衆国人の怒りはまたも限界を突破した。東京で喩えるなら靖国神社と明治神宮とついでに浅草寺が同時にクレーター痕へ変えられたようなものであり、当然の結果だった。


 
 女神像の残骸を見るまでもなく、日米間の戦局は日本帝国が優位にある。


 英本土の消耗戦は一日ごとに協定諸国側が有利になっている。その理由は多々あるが最大のものは他方面の戦況が傾いたことにより協定軍側の航空戦力が厚みを増した事だろう。
 ドイツ本国では関与を疑われたフリッチェ上級大将ら数名の軍高官が服毒自殺を遂げるなど、4月始めに起きた総統暗殺未遂事件が予想外の大事になり紛糾していたが、後方の混乱は西部方面に配された航空戦力にはさほどの影響を及ぼさなかった。
 元よりドイツの空軍は陸軍と比べればまだナチス政権へ協力的であり、総統の戦争指導にも大きな不満はない。勝ち戦は大概の不満を隠してくれる。

 独日伊仏を主力とする協定諸国軍の航空戦力に対し、連合軍側も北米で量産した航空戦力を投入し続けている。だがブリテン島に向けた航空機の過半数は送る端から大西洋に沈められ、あるいは港湾や空港で破壊されていた。
 大型爆撃機などは北米から直接、小型機は洋上の改装空母から飛ばして英本土の飛行基地へ移すことができる。しかし精密機械である航空機は絶えず整備を行い部品を交換し続けなくては戦力を維持できない。一種類の部品が、たとえば燃料点火プラグが港で船ごと沈めば動かなくなる。

 ブリストルのような本土の西側にある港まで空襲されていたように、以前から連合軍側はブリテン島の制空権を得ていなかった。
 そして遂にこの時期、41年の春から夏にかけての時期にブリテン島周辺の制海権と制空権は、航空戦力の差が如実に出て協定軍の優位が確定した。数の力は大きいのだ。

 特に新鋭の日本海軍正規空母部隊が、日本本土からの増援と黒海方面から転進した戦力が欧州の西端に集結し活動を始めてからは、連合軍が船団を大型化し護衛を強化しても護りきれなかった。

 商船改造の護衛空母は機動性も耐久性も皆無である。特に航空戦力に対して脆弱であり、正規空母を中心とした機動部隊に狙われれば一溜まりもなかった。
 艦載機はスズメバチのようなものであり、巣である航空母艦が潰されると後は死滅するのみだ。航空戦力がなくなった輸送船団の運命など語るまでもない。

 そもそも護衛空母を矢面に出すこと自体が間違っている。護衛空母やフリゲート艦は少数の潜水艦や航空機の襲撃を防ぐことはできても、機動部隊の正面攻撃に抗う力はない。
 日本海軍の補用空母と米海軍の護衛空母は、字面は似ているが全くの別物である。戦闘力において、騎兵部隊と驢馬に乗った子供の群れほども違う。
 もっとも、日本海軍の補用空母と正規空母の間にも拳銃騎兵(カラコール)と有翼騎兵(フサリア)ほどの戦力差があるのだが。

 開戦から一年半足らずで既に150隻を戦力化し更に一年以内に300隻以上を建造できる生産性は素晴らしい。
 しかし逆に言えば造る端から、一週につき3隻ずつ沈めば米国製護衛空母は開戦から2年半、つまり後1年以内に絶滅するのだ。それ以降は造ったとしても乗る人間がいなくなる。


 何度も繰り返して言うが、戦争は数である。

 仮に命中率100%の火砲があるとして、命中率1%の火砲と撃ち合うと確率で言えば99%勝利する。のこる1%は相打ちだ。
 命中率100%の火砲1門が命中率1%の火砲100門と撃ち合えば、確率論的に最初の一発で確実に相打ちになる。その後でも敵にはまだ99門の火砲が残っているので、新たな命中率100%の火砲を5門や6門持ってきても撃ちまくられて壊滅するだけだ。
 命中率100%の火砲が命中率1%の火砲百門と撃ち合って勝つには、11門以上の数が必要となる。

 斯様に数の力は大きい。個々の質で圧倒的に優っていてもある程度以上の数の差があれば敵わない。そして英本土方面の連合国軍は質でも数でも押されているのだ。



 重慶政権の降伏と合流以来、チャイナの軍閥諸勢力は南京政権(汪兆銘派)により統一されつつある。
 軍事的な安定でいえば、現地基準では既に統一している。後は残存する弱小軍閥及び匪賊の討伐を為すだけだ。
 日本軍が一線級の航空戦力をチャイナ地域に貼り付けておく必要性はなくなった。


 東シベリアが日本勢力圏に加わり、極東におけるソヴィエト・ロシアの継戦能力は事実上失われている。
 弾薬はまだしも液体燃料が決定的に足りていないのだ。石炭や薪だけでは広大すぎる勢力圏を動かしきれない。
 ウォッカを始め現地で不足する液体燃料やその他の物資が、シベリア鉄道の西側からでなくウラジオストック港やマンチュリア方面から送られてくる限り、東シベリアの情勢は変わらないだろう。
 更にいうならばソヴィエト政権はロシア帝国の後継であり、その政治機構は皇帝役がいないことには動かない。空座となった帝位を巡って内紛の続くクレムリンは、極東どころかモスクワ市内すら支配し切れていなかった。


 ウクライナとベラルーシでは協定諸国の支援を受けて、地元出身者を中核とした結合自治政府が発足した。
 ウラーソフ元帥を首班とするこの政権は、主に元赤軍将兵で構成された反共解放軍を主体とした組織である。故郷をアカから取り返さんとする彼らの士気は高く、戦線はモスクワ目指して順調に北上している。
 河川を主軸とする彼らの兵站は健全と言える水準を保っており、水路が凍結する季節までに鉄道の支配領域を何処まで広げられるかがロシア戦線の焦点となった。


 東南アジア、オーストラリアとニュージーランドを含む太平洋地域、インド及びインド洋の三地域は日本側に与した勢力が押さえており、旧宗主国特に連合国側の影響力は薄まる一方である。
 自国内の内紛や新興国同士の諍いが絶えないが、その殆どは日本帝国の指導部(大本営)が許容できる範囲に収まっている。当該地域の指導者達は色々な意味で傑物揃いであり、超えてはならない一線を理解していたし己の率いる組織を問題なく掌握できていた。 


 中東とアフリカの諸勢力は大部分が日本帝国に友好的または中立寄りの立場をとっていた。
 それらの土着勢力は反共協定諸国に刃向かって何か利益が出るという訳でもなく、当然の態度だった。
 英国が仕切っていた通商網は日本と伊仏西の協定諸国により乗っ取られつつある。中東やアフリカでも今次大戦で損が出たが致命的ではなく、土着諸勢力の中でも先見の明を持つ指導者は積極的に次の覇者達と誼を通じて新たな得を求めた。


 戦闘と混乱の続くメキシコも、自称正統政府はともかくとして日本軍の優勢は確実となった。
 中南米諸国のうちチリなど太平洋側の国家は日本側に付き協定諸国に入っただけでなく、正式な軍事同盟を結んでいる。
 ブラジルなどの大西洋側南米諸国は現在でも連合国寄りだが、大西洋の制海権がもう二割ほども協定諸国側に傾けば雪崩を打って鞍替えするだろう。より強い勢力、より儲けの出る側に付こうとするのは当然である。

 現政権が自治権の一部を投げ捨てる勢いで対米協力をしていた弱みを持つ幾つかの国家では、寝返りの際に粛清の嵐が吹き荒れるであろう。だがそれで他の全てが救われるのなら安いものだ、と各国の粛清される可能性が低い者たちは受け入れていた。

 40年12月のパナマ運河破壊は実行した米国側にとって国防上やむを得ぬ選択であったが、その緊急避難的破壊行動により政治経済治安等々あらゆる面で大打撃を受けた中南米諸国の反感は大きかった。
 覇者の覇者たるは他者と隔絶した暴力があればこそ。海軍という暴力装置を失ったことを中南米諸国に悟られかけている合衆国の覇権が揺らぐのは当然である。ヤクザ者と主権国家は暴力を失えば全てを失うのだ。

 既に合衆国海軍は再起の可能性を失っている。
 人が死にすぎたのだ。いくら船や火砲弾薬があっても船乗りがいなくては海軍に意味はない。開戦以来積み上がった損害は合衆国の補充能力を超えてしまった。増える人間より減る人間が多いという、単純な現実が其処にある。
 カリブ海・メキシコ湾と北大西洋で、そして本土内で現在も消耗が続いている。損害は拡大する一方だった。


 普通の戦争ならば、文明国間の外交延長線上にある戦争なら、とうの昔にホワイトハウスを群衆が取り囲み講和を求めていただろう。普通の戦争で、相手が普通の国ならば。

 
 実際のところ、日米戦争では普通なら行われている筈の講和へ向けた動きが鈍かった。鈍いと言うより存在が疑われる水準だ。
 常識的に考えれば水面下であっても講和交渉が進められている筈なのだが、日米間では一向に話が進んでいない。
 交渉が暗礁に乗り上げた訳ではなく、船出すらできていないのだ。交渉の「こ」の字を書こうとして止まっている状態である。

 それも無理はない。この時期の日米外交は混沌の渦に呑まれていた。
 具体例を挙げれば、赤十字を掲げ日本本土から中立国へ捕虜送還に赴いた客船が米海軍の潜水艦に襲撃され沈没し、しかも救助作業中に再攻撃されるといった事件や、ポルトガルの日本大使館へ向かった米国の特使が大使館前で反米派暴徒に殺害されるといった事件が頻発していた。

 もはや大戦継続による世界経済そのものの破壊を狙うしかないコミンテルン。
 資本主義の帝国と異教の神政帝国を噛み合わせ続けたい、モスクワと敵対する共産主義者。
 独伊仏など、あとしばらくは日米に戦争を続けて欲しい欧州諸国。
 宗主国とその出資者の破滅を望んで止まない、各植民地の独立運動家たち。
 植民地を切り捨てる為に始めた戦争を断行したい、門閥貴族化した某国の外務官僚閥。
 戦争の夏を謳歌する一部の高級軍人達と、軍隊にしか居場所のない一部の将校や下士官兵達。
 本人だけが理解できる妄想を抱き衝動の命じるままに行動する、極まった思想家達。
 未だ軍拡の投資を取り返していない、出遅れた資本家や大企業。
 目の前の売り上げしか見ていない、大手新聞などの大規模情報伝達業者。
 この機に乗じて自勢力の拡大と競合他社の衰退を狙う、宗教業者の共同体。
 憎悪と恐怖に取り憑かれ、復讐に駆られる一般市民。

 その他様々な勢力が戦争の継続を望み、様々な形で和平工作を妨害していた。上記の例は氷山の一角ですらない。 


 米国人の自覚的な傲慢さだけでなく、日本人の無自覚な尊大さが交渉難航の一因でもあった。例えば彼らは今次大戦においてオランダと戦ったという自覚が薄かった。
 一般的日本人の意識では極東オランダ勢力は、勝ったことを自慢したらかえって恥になる域の弱者であった。
 戦争を喧嘩に喩えて言うなら「敵(米英)を殴りにいくとき、足元でうろちょろしていた子犬(蘭)を軽く蹴って退かしたら死んでしまった」程度の存在でしかなかったのだ。子犬を蹴り殺して自慢する侍などいるわけもない。

 人は侮辱に敏感だがそれ以上に無視に敏感であり、無視よりも意識外の扱いに敏感である。無視もまた反応であり、反意や敵意の表れなのだ。
 世界の支配者の一員であるという優越人種主義を拗らせた欧州人にとって日本帝国やオーストラリアの抱く列強思想は、存在すら許せぬ悪魔の教義であった。


 相次いだテロ行為や軍事攻撃により、幣原喜重郎元外相を始めとする多くの死亡者を出した日本外務省は機能不全に陥った。
 統計上、この時期の外務省中米方面勤務者はメキシコ戦線の陸軍将校よりも殉職率が高い。軍隊と違って死傷者が続出する状況で組織を回す技能を持たない日本外務省の戦列は短時間のうちに崩壊した。
 外交官の敵前逃亡者や戦場神経症患者が続出し、踏み止まった者たちが次々と倒れていく姿は悲惨としか言い様がない。勿論のこと、外務省の役人にではなく日本国民にとって。

 この戦争の、日本内部から見た根本的要因は四半世紀ほど前から連続した外交的失敗にある。というよりも、前大戦勃発から5.15事件あたりまでの日本外交は殆ど失策しかしていない。外交による勝利が途絶えていたのだ。

 前大戦における不義理と国際社会の実状を無視した外交交渉は日英同盟の破棄に至り、自国民保護と国際協調を忘れ去った自殺的対応が中華軍閥の増長を促し、現実を無視した軍備軽視と非戦嗜好が赤色勢力の封殺を失敗させ、目先の国益すらも顧みない支離滅裂な独断専行が国際連盟における孤立を招き、限度も節度も弁えぬ自国軍部への攻撃が社会不安を呼び、溜まりに溜まった社会不安はテロ事件やクーデター騒ぎを引き起こし、相次ぐ内紛と不祥事は日本帝国の国際的信用を墜落大破の上に炎上爆発させた。

 この全てにおいて外務省の責任は極めて大きい。外務省だけに問題があった訳ではないが、一つの課の外交官が全滅した程度で償える程軽い罪ではない。それが現在の日本国内を覆う空気である。
 幣原派閥を始めとする親米勢力が壊滅状態に陥ったことから、以後の日本外務省は「現政権下の米国とは交渉不可能」「英米を分断すべし」と主張する宇垣外相らが完全に主導権を握ることになる。

 皮肉にも、以後の外務省は見違えるほど健全な省庁へ生まれ変わる。短期間のうちに、根本的に、そして不可逆的に。
 宇垣外相は第三帝国の人種政策に対する舌禍事件で職を辞した前外相と同じく外部出身者であった。その過程と成果に賛否両論と毀誉褒貶あるものの、容赦ない改革で陸軍を生まれ変わらせた実績があった。
 古巣である陸軍のほぼ全てから恨まれることになっても改革をやり遂げた男が、赤の他人である外務省の官僚達に配慮する訳がない。旧外務省を構成していた者たちからも大いに憎まれたが、宇垣一成がそれを気に留める事は一切なかった。
 

 
 対する米国側は、外交戦の場での死傷こそ少なかったが後方での内紛が以前にも増して激化していた。
 一度「対日協力者」の疑いを掛けられたが最後破滅するしかないのでは、内部闘争が収まる筈もない。
 手強い政敵を一撃で、事実か否かは関係なく倒せるのだ。この状況で自重できる者は少ない。自重すれば売国奴の汚名を着せられて、投獄か私刑かあるいはその前に死ぬことになる。運が悪ければ死んだ方がまだマシな目に遭う。
 

 銃は剣よりも強し。
 刃物は余程上手く使わないと数人しか殺せないが、銃は素人がぞんざいに使っても数十人を容易く殺せる。
 殺人愛好者に近代兵器の使用権を渡せば大虐殺が起きる。ならば権力の亡者が必殺の政治的武器を持てばどうなるか。
 答えは壮絶な内部抗争の連鎖である。近代フランス史を見れば解るとおり、共和制の民主主義を標榜する政体とはもともと狂暴極まりないものなのだ。
 彼らはあまりにも自由であり、紛うことなき正義なのだから。正義は決して妥協しない。容赦もしない。

 
 アメリカ合衆国は現在、実質上の内戦状態にあった。
 まず内部の敵と戦い、その余力で外部と戦っていた。
 事実として、合衆国の人的資源は外部との戦争よりもむしろ内部闘争により失われている。
 古くからある警句は正しかった。書物を焼く街では、遠からずして人も焼くようになるのだ。

 合衆国の陸・海・海兵隊三軍の諍いは他列強国であればそれだけで継戦不可能になるであろう酷さである。何処の国でも各軍は仲違いしているものだが、現場の部隊が友軍を積極的に見捨てる軍勢を持つ文明国は北米地域にしか存在しない。

 地域間、人種間、民族間、宗派間の対立も市街や野山で実弾が飛び交うようになって久しい。
 だが物的にも人的にも最も被害が大きいのが、貧困層と中産層と富裕層の闘争だ。

 名家の出に非ずば人に非ず。合衆国において貧乏人に人権はないし、富裕層出身者以外が金持ちになることはほぼ不可能だ。
 ただそれでも百万に一つの例外が存在し、成り上がれた実例がある限りアメリカンドリームは実在する。たとえ特定の人種と民族と宗派に属する者に限られていても。

 一握りの富裕層が富と特権を独占し世襲する、実質的な貴族支配体制にある米国内における下級層の造反劇。言いがかり一つで誰でも‥‥とまではいかないが大概の場合は気にくわない誰かを火刑台に送れるお祭り騒ぎ。
 それが親日派狩り、イエローパージ運動の一面だった。


 状況は合衆国にとって宜しくない。特に内側との戦いにおいて事態は深刻だった。
 合衆国は強大だが、その強大さに見合うほど強靱ではない。特に政治的な意味で。

 あらゆる大国がそうであるように、アメリカ合衆国の政治はお粗末である。
 いや、お粗末になった。その昔は、今と比較すれば大きな問題がなかったがモンロー主義を通せなくなった時点で、他の列強と勢力圏がぶつかるようになった時点で合衆国の内政は破綻が約束されたのだ。

 広大な領土を持ち、長い長い国境線を多数の国々と接している国家の内政が巧みであった例はない。
 広すぎる自国も多すぎる隣国も面倒事の塊だからだ。
 面倒事は次の面倒事を呼び、政治家も役人もその対処に手一杯になる。内紛の制圧や諸国との外交に時間と人材と資金を注ぎ込まなければならない以上、他の所で人手と予算を抜かねばならなくなる。
 痒いところに手が届くような、きめ細かく行き届いた統治など望むべくもない。

 内政の破綻は経済の破綻を呼び、その結果として外交が破綻し戦争が起きる。
 歴史における大概の事例と同じく、今次大戦も内政に失敗した大国が外部に敵を求めたが故に起きた。それは日米のみならず蘇独伊仏英全ての列強で、程度の差こそあれ共通している。

 
 無論、最低限以上の見識と愛国心を持つ合衆国人たちはこの状況を打開すべく行動している。そのうちの最も有力な勢力の一つは、この日の朝からニューヨークの某所へ集まり会合を開いていた。




     ・・・・・



  【同時刻 ニューヨーク市 マンハッタン区5番街350 エンパイアステートビル】



 ニューヨーク州の別名である EMPIRE STATE を意訳すれば「帝権の地」とでもなるだろうか。現代におけるローマ、文明の代名詞である世界帝国の中心地を自負するが故の呼び名だ。 

 地上102階建て、地上高443.2m。20世紀の帝権を象徴するべく建てられたこの建造物は、一等地の優良物件である割には空き部屋が多い。建造当初から市場の要求というか需要を無視して建造された、箱物行政の産物であるからだろう。
 ただし人口密度が低いのは秘密裏の会合を開くには都合が良かった。人が少なければその分警備にも防諜にも手間が掛からない。スラム街の雑踏を歩くのと広大な牧場で乗馬に興じるのとでは、どちらが要人を警護し易いかは本職に訊くまでもない。
 このマンハッタン島で一番高い建造物は交通の便がよいこともあり、ニューヨーク市で合衆国の中心的な人々が集まるにはまずまずの場所である。

 会合はこのビルの高い階層にある会議室で行われている。
 広く天井が高い部屋の一方の壁には壁面全体を使って世界地図が貼りつけられ、その上には色分けされた小札付きの虫ピンが無数に突き刺されている。小札に描かれた絵と記号は簡略化された各国軍の戦力を表しているのだ。
 地図の上に表された戦況は完全に正確ではないが、軍事の素人にも分かり易いという点で用途を充分に満たしていた。


 「この戦争は負けだ。これ以上続けても儲けが出ない」

 戦争の決着はどちらかが継戦能力を亡くした時点で決まり、勝敗は国家大戦略上の目的を達成できたかどうかで決まる。
 今次大戦におけるアメリカ合衆国の国家目的は経済の建て直しであり、目標は欧州経済の掌握であり、手段は世界大戦であった。
 アメリカ合衆国は前大戦期とその後の栄耀栄華をもう一度繰り返そうとしたのだ。より大規模かつ徹底的に、全世界を跪かせるために。早い話、欧州が焼けたら北米は肥えるのだ。

 そのために時間を掛けソヴィエト・ロシア、ナチスドイツ、大英帝国等々の欧州諸勢力に投資した。規模の意味でも意義の面でも、合衆国経済界にとり主目標は欧州でありアジアは副目標だった。
 地勢から言って合衆国が第二次欧州戦争で勝たせるべき、勝ち残らせてその後の同盟国とするべき勢力は英国である。言うまでもなく 大 と 帝 の字がもう付けられない状態の、だ。

 故に1930年代になる直前、大恐慌と共に合衆国からドイツへの支援と投資は打ち切られた。餌を与え育てる段階ではなくなったからだ。
 アメリカ政財界にとっては最初からドイツは屠殺予定だった。時期が来ればベーコンや腸詰めや缶詰にされる、森に放された豚なのだ。

 豚は生きているのではなく、生かされている。
 かつて「狼は生きよ、豚は死ね」と語った男、しばしばヴォルフ氏なる偽名を使い、己の肝いりで整備した機甲戦力の主力兵器に「ヴォルフ(狼)」という愛称を付けた第三帝国総統は、彼なりに祖国の運命を察していたのだろう。
 事実としてルーズベルト大統領始め米民主党指導部は、ドイツ勢力の排除を早い段階で決めていた。屠殺すべき時期の来た家畜というよりは駆除すべき害獣として、であるが。

 ロシアには東欧とそれより東側を統治できるであろう能力と実績があり、英国には西欧を制御してきた能力と実績がある。
 ドイツにはない。ビスマルクとヴィルヘルム一世ならまだしも、アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツに欧州を統治できる能力と意識などない。
 本質的に田舎山賊に過ぎないナチス党には、ドイツ本土にオーストリアやチェコを加えた中欧地域だけで精一杯だろう‥‥と合衆国の政治中枢、大統領を始めとする有力な政治家とその後援者は断定していた。

 故に1930年代半ばになって、日本帝国はドイツと組んだ。英米と組めなくなった以上、他に組む相手がいないという事情もあったが、日本にとって欧州を纏めるものなど不要であるという本音もあった。
 日本帝国は欧州諸国が滅びない程度に衰退してくれることを望んでいた。日英同盟は欧州勢力が健在である事が前提だったが、日独同盟は欧州が衰退する事を前提として組まれている。

 明治政府の発足以来、いや遡ればミカドの祖先が飛鳥盆地の片隅に居を構えていた頃から、日本の国是は「攘夷」なのだ。
 平たく言えば「俺の縄張りで余所者がでかい面をするな出て行け」である。学術的根拠に乏しいことを承知の上でいえば、縄文期からまったく変わっていないであろう。

 結果として合衆国は国家大戦略上の勝利を失った。再び欧州は焼けたが焼け跡を占拠したのは独伊を中核とする勢力であり、欧州市場に合衆国の産物が入り込む余地は当分の間ない。

 これから数年間戦争を続けて協定諸国を打ち倒したとしても、そのときには合衆国の経済は破綻している。
 総力戦は金銭がかかるのだ。合衆国の国力は膨大だが無限ではない。既に戦費は1000億ドルを超えた。おそらく、いや確実に年内に1500億ドルを突破し、2000億ドルの大台に迫るだろう。

 ユーラシア大陸の帰趨は既に決した。ソヴィエト赤軍は野戦で粉砕され再起不能、英国海軍は死に体である。英蘇両国以外の勢力、仏国自由政府などの連合国側勢力には戦局を動かせる実行力がない。
 合衆国が勝つためには独力で劣勢をはね返さなくてはならないのだ。

 それは不可能である。現実を直視できる、最低限の知性と見識を持つならばそう結論するしかない。
 現在の規模で戦争を続ければ遅くともあと4年以内に経済が破局する。合衆国が負担できる戦費は、総計で6000億ドル程度なのだ。何をどうやってもそれ以上は出せない。
 その全てを費してもドイツ第三帝国と日本帝国を焦土と化すことは難しく、実際にできたとしても合衆国は経済面で破滅する。市場経済への信仰が失われドル紙幣は紙切れとなり、10年前すら比較にならぬ混乱と荒廃と貧困が北米地域を覆い尽くす事になる。

 通貨とは信用の具現であり、社会関係の産物なのだ。
 社会が破綻すれば金銀も宝石も塵屑に等しい。黄金そのものは食えないし、着ることも住むことも出来ないのだから。



 「損切りを決めるには早かろう。需要はまだ残っているぞ?」
 「国内だけなら、な。だがあと2年も戦争を続ければ我々の製品は完全に欧州市場から閉め出される」

 会合の場にいる総計13人の男達は身なりが良かった。合衆国市民の99.99%から見て莫大と言える金銭が掛かっているし、金銭を掛けただけでは手に入らないものを身に付けている。それは物質的なものに限らない。

 ただそうでない者たち、会合の面子ではなく参考人として呼ばれた例外がこの場には2名いる。
 一人は動力付き車椅子に座る白衣の老人。体躯は痩せ細っているが若い頃はかなりの美男子だったのではないかと思わせる容姿の持ち主であり、その物腰から高い知性が感じとれる。

 もう一人は白い軍服を着て立っている軍人らしき中年男。らしきというのはその男が着ている軍服は合衆国陸軍のものに似ているが、他に誰も着ていない特別仕立ての衣装であるからだ。
 階級章は少将である。服に被われた中身は階級に比べて異様に若い。おそらく三十代後半といったところだろう。
 顔つき体つきは一般的な軍人らしくない。はっきり言えば肥満体だ。
 ただ太いだけではなく、軟体動物じみた奇怪な柔らかみを感じさせる。疲労からだろうか、その目の周りには濃い隈が出来ていた。

 この場には身なりの良い男達と異分子2名以外にも秘書やら技師やらが相当な人数でいる。しかし彼らは演台の上の黒子と同じく居るが居ない扱いとなるので数に数えない。求められない限り発言することもないし、発言したとしてもそこに人格は求められない。磁気式録音テープの再生機と同じ扱いだ。
 異分子たちも黙っている。彼らは出自も人生の軌跡も異なるが、言葉の使いどころをある程度以上に心得ている点で一致していた。


 というわけでこの場で喋っているのは身なりの良い男達のうち数名である。より正確には一人が喋り、他の数名が代わる代わるその相手をしている。
 先程から自説を唱え続けて譲らない男の額には太い青筋が浮かんでいた。もしこの場が食事会であり男の座る席の前に食器類が並べられていたら、彼はナイフを掴んで投げつけていたであろう。それも機関銃並の勢いで次々と。 

 「ダンピングなど長続きできん、戦争が終わればエンペラーからの資金投入も終わるだろう。そうなれば‥‥」
 「ヒロヒト帝の介入がなくなれば日本企業同士が価格競争を始めるよ。その場合も敗者は君だ。ついでに性能の競争でもな。違うとは言わせないよ、君は日本軍が北米に持ち込んだ車輌のほぼ全種類を手に入れている筈だ」

 反論はない。ぐうの音も出ない。
 言われた側も理性では分かっているのだ。合衆国、いや彼の誇る大量生産機構が日本帝国のものに劣っていることを。採算度外視の投げ売り(ダンピング)云々は建前である。

 現実を理解しておくことと発言を現実に沿わせることは違う。「己は正しく他者は邪」「俺の物は俺の物、貴様の物も俺の物」それがアメリカ魂‥‥の暗黒面のうち一つである。
 都合の悪いことを一々気にしていたら大貴族もとい巨大企業の経営者などやっていられないのは何処でも同じだ。

 建前は大事だ。本質ではないからと軽視すれば酷い目に遭う。世間には自分が掲げる建前を軽んじられたと感じただけで、軽んじていると感じさせた者の命を狙ってくる輩が幾らでもいる。



 地元(ホームグラウンド)で戦っているからには当然だが、合衆国の軍部や大企業は日本産の兵器や物資を多数手に入れていた。
 その大半はメキシコに割拠あるいは跋扈する各勢力からの横流し品であり、前線では小規模ながら鹵獲装備だけで編制された部隊すら存在し活動している。
 研究材料としても充分な数が入手してあり、かつては部品の一部ぐらいしか手に入らなかった三菱98式艦上戦闘機も現在では複数の完動品が各地で試験されていた。

 日本製品といえば安物の繊維とブリキの玩具だったのも今は昔。41年夏の現在では合衆国の知識層において MADE IN JAPAN は畏れを込めて囁かれている。高性能、低価格、手入れ簡単で故障知らずであり生産性も高いことが知られているのだ。
 特に戦場で日本産の兵器や消耗機材と出くわした将兵達の驚きは大きく、テキサスの前線では横流し品を実地検分した現地司令官により「雷雲と日本軍戦闘機からは退避せよ」とか「日本軍戦車に対しては五倍以上の戦車を投入すべし」といった通達が出された程だった。


 比較すると合衆国産工業製品の評価は宜しくない。欧州諸国やロシアのものと比較すれば全般的に優位にあるのだが、日本製品と比べると見劣りする。
 MADE IN USA の印が刻まれた工業製品の品質が落ちた訳ではない。日本の九州島にある、宇佐地方を根拠地とする宇佐財閥系企業の製品にも MADE IN USA が刻印されているという事と、これまでアメリカ製品だと思いこんでいた製品のうち何割かが実は宇佐工業や宇佐文具のものだった事に気付いた人々が増えただけだ。

 一度染みついた印象(イメージ)はそう簡単には離れない。前大戦期やその前後にやらかした自業自得の積み重ねとして、安かろう悪かろうの代名詞となった日本製品はその後どれ程に性能や品質を向上させても評価が低いままだった。
 法螺話としか思えぬ勢いで技術力を身に付け品質を向上させた1930年代に入ってなお、当の日本人にすら日本製品は人気がなかった。一般的な日本人が自国製品に自信を持つようになったのは僅か数年前、チャイナやマンチュリアの戦場で国産品が他列強諸国の兵器を圧倒するようになってからだ。

 タイガー計算機のように、中身は全く同じでありながら商品名を西洋風に変えただけで売れるようになってしまった事例も多い。
 なので近年の日本国内では紛らわしい企業名や商品名を使う輩が以前にも増した。というか続出した。宇佐をUSAと書き変えただけの企業はまだ良心的な部類に入る。


 日米以外に比較対象となる有力な商品が存在しない東シベリアからマンチュリア、チャイナ、東南アジア、オーストラリアにかけての地域では米国製車輌は三級品扱いされている。これらの地域にある車輌は日本製とアメリカ製の他は屑鉄しか存在しないのだ。
 ニュージーランドやマダガスカル、南アフリカ、インド、北米西海岸諸州ではまだ二級品扱いだがこちらも日本製車輌の普及と共に評価が下がり続けていた。
 欧州では地域によって違い、北欧や南欧では三級品扱いだが中欧や東欧では二級品扱いされている。


 車輌だけを見ても欧州市場は日本製品に制圧されつつあった。第三帝国自慢の機甲部隊にしても平均すれば師団あたりの所有戦車は三割以上が、トラックに至っては半分以上が日本産もしくはその系譜である。
 1940年度の日本国内における車輌生産数は1000万輌を超えた。満州国や欧州各国でのノックダウン生産を含めたならば更に100万輌ほど増える。
 燃料と交換部品付きで車輌が送りつけられてくるのだ、ドイツ人でなくても後のことはひとまず忘れて受け取るのは当然だった。それに只で貰っている訳ではなく、協定諸国は血で支援の代償を支払っている。

 なお日本で製造されるものの設計が、日本ではないことも依然として多い。
 例えば日本軍の標準装備のうち口径12.7㎜の重機関銃はイタリア、7.92㎜の多目的機関銃はドイツ、6.5㎜の軽機関銃はチェコで設計されたものだ。
 更に言えば日本陸軍で最も一般的な野戦砲や迫撃砲の原型はフランス産であり、ロシアの影響を受けた兵器も珍しくない。日本軍の航空機に使われる大型発動機は、先祖をたどっていくと半数以上が米国を開祖とする系譜だ。



 無論のこと戦争を止めればそれで即座に合衆国製品が売れる訳ではない。だが取り引きはできるようになる。

 「日本人に出来たことなら我々にもできる。日本から製造技術を導入し我々の製品に競争力を取り戻すのだ」

 戦争を止めれば商取引も技術提携もできる。品質管理などの、日本や協定諸国の生産現場で使われている様々な技術や理念を手に入れることも出来る。分析と模倣と改良と拡大再生産が合衆国産業界の得意技であり、国家間の技術交流が健全な状態になれば現在の遅れも10年かそこらで取り返せる筈だ。
 現に日本帝国は十年足らずの期間で爆発的な成長を遂げている。詳しい理論や具体的な手法の要諦までは漏れてきていないが、日本国内に新設された大規模工場の生産現場で革命的な変化が起きていることは、この会合の面々の耳にまで届いていた。

 「あれは東洋の特殊な条件があってこその事例ではないか? 参考になるとは思えん」
 「今世紀の初頭にも聞いた言葉だな。思い出したのはそれから10年ほど後のフランスでだが」

 日露戦争において明らかになった永久陣地の防御力、特に歩兵突撃に対する機関銃の突破阻止力は各国の観戦武官らによって本国へ伝えられたが、受け取った側は全く考慮しなかった。ロシアと日本の間だからこそ起きた事例であり、文明国の戦争には関係ない、と。
 その結果、欧州の戦場で屍が地を埋め尽くすことになった。

 確かに日本帝国の経済成長は狂気の大規模公共投資あってこそであり、皇室財産を担保にして内貨の裏付けとするという日本独自の成功要素があってこそではあるが、合衆国には合衆国にしかない長所がある。
 戦争を止め現政権が退陣すれば合衆国政府がケインズ教授を再雇用することも可能であり、そうなれば戦争なしで充分に経済発展できる筈だった。

 ニューディール政策にしても途中までは上手くいった。成功の一歩か二歩手前、永続的な景気回復の寸前まで到達できたのだ。
 景気回復の目が出た時点で緊縮方面へ政策を切り替えるという誤断さえなければ内需拡大と共に経済成長が起き、戦争などやるまでもなくなったであろう‥‥という意見は未だ根深く存在する。
 なお、浅い地層の根は大物を残して引き抜かれ、意見を述べた者はそれを直接の理由としていないが大概が墓か檻かあるいは取調室の中へ入っている。この場にいる、身なりの良い男達は太すぎてホワイトハウスの住人達にも引き抜けなかった部類だ。


 「それがジャッ‥‥日本人の利益になるとは思えないが。何を取り引き材料にするつもりだ?」
 「合衆国の労働人口は4000万人を超える。これは日本帝国のそれを超える数だ」

 数は力であるが質の問題も忘れてはならない。野球のルールを知らない連中を幾ら集めたところで試合を始めることさえできない。何かを為すには最低限の保証が必要だ。
 この点、合衆国の労働者は非常に優秀である。文明国であるからには当然であるが、物理的な意味で労働に適していない子供と老人を除く人口層のうち7割以上が労働や契約や法規の概念を理解しているし、更にその内の7割以上がそれらの概念を遵守できる能力を持っている。

 喩えるならば野球の練習場へやってきた連中へ「バットで人を殴ってはいけない」ことから教え込まねばならないのが、文明国とか一等国とか呼ばれる国家以外の国民である。教えようとすると持たせたバットで殴りかかってくるなら二等国、バットを持たせた瞬間に殴りかかってくるのが三等国だ。
 下には下があり、四等国ぐらいとなるとそもそも練習場にやって来ることすらない。四等国以下の国民には時刻とか約束とか所有とか対等とか親交とか遊技とかの概念のうち幾つかが、甚だしきはその全てが存在しないのだ。

 そんな連中までも使っているというか、使わねばならないのが日本帝国の現状であった。属領を含め一億以上の勢力圏人口を誇る日本帝国の労働力は実を言えばかなり危険な、いわば爆弾を抱えている状態なのだ。
 だからこそ日本帝国は欧州やロシアなどから人身売買じみた手段を使い移民を集め続けている。
 その日の飯にも困る難民でも一等国の文明人であれば、いや二等国や三等国の流民であってさえも四等以下よりは望ましい。文字通り話が通じるだけ、まだマシだ。


 日本の資本家にとって合衆国の労働人口は脅威であるし魅力的でもある。合衆国の生産力と消費力は充分に取り引き材料となるだろう‥‥と身なりの良い男達は結論付けた。

 合衆国の一般的な労働者は労働と法治の概念を理解できるし遵守もできる。少なくとも遵守する範囲を間違えない者の方が間違える者よりも多数派だ。小学生であっても、合衆国では渡されたバットで即座に殴りかかる者はそういない。
 文明人であるならば、手にしたバットで殴りかかる前に相手の実力や人数を調べておくのは当然だ。特に銃器携帯の有無を。


 「諸君、戦争を止める意味と意義についてはこれで全員の了解を得られたと思う」
 「次はその具体的な手段となるが、選挙では拙かろう。時間が掛かりすぎる」

 この会合に集まった男達は合衆国の真の所有者であり、ホワイトハウスの住人にとって大家に当たる。選挙によってもそれ以外の手を使っても、家主に利益をもたらさない住人を貸家から追い出すことは容易かった。
 しかし合法的かつ公明正大な手段を使うには時期が悪い。次の選挙まで待っていては手遅れになる。

 「ならば、暗殺か?」
 「その手もありだな。難しくもない」

 世紀の大戦略家であり人類史上最大最強の独裁者であるフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領も、所詮は政治家に過ぎぬ。
 全盛期オスマン帝国の皇帝が足元にも及ばぬ専制者ではあるが、政治家である以上は宮殿の奥深くに籠もっておくことはできない。必ず外に、納税者達に選ばれたという建前を守るため市民の前に出なくてはならない。
 故に政治家は暗殺されやすい。それが嫌なら名実ともに独裁者として選挙を停止させ常時身辺に親衛隊を貼り付けておく必要がある。

 「選択肢の一つとして残す事には賛成だが、私は別の手を推したい。博士、説明を」

 これまで発言の少なかった身なりの良い男の一人に促され、白衣の老人は車椅子を一歩分ほど前に進めた。
 短い自己紹介に続いて放たれた言葉は爆弾なみの効力を発揮した。

 「端的に申し上げましょう。現在ホワイトハウスにいる大統領は偽者です。少なくともあなた方が知っているルーズベルト氏とは別人です」

 白衣の老人が提示した資料の一つである、当代大統領の診察記録簿(カルテ)の複製には年齢の割には健康な男性の医療的情報が記されている。

 「これは本物なのか!?」

 身なりの良い男達の一人、高速インクジェット複写機で印刷された書類をめくっていた人物が資料に添付された写真の一枚をを見て、血相を変え立ち上がった。

 「何か気になる事でもあるのかね? 素人目にはとりたてて問題ないように見えるが」
 「デラノのご老体は下半身不随なんだ。本物ならな」

 同じ資料を眺めつつ疑問を口にする隣の男に、立ち上がった男は抑えた声で応えた。
 事実である。殆どの人物、米民主党の幹部ですらその大半は知らない、知らされていないことだがルーズベルト大統領は1921年に小児麻痺を患い、以来下半身が動かなくなっていた。
 その状態で、しかもその情報を世間の殆どに秘匿したまま大統領をやっていられる事だけでもルーズベルト氏の手腕が凄まじいものだと理解できる。
 合衆国の市井で大統領が不具者だなどと言ったところで誰も信じないだろう。この場にいる会合参加者にすら、半信半疑の者がいる程だ。


 本職の医者が書いている以上、診察記録には正確な情報が記されるはずである。車椅子を常用している人間と普通に立って歩ける人間とでは身体つき一つ取っても大きく異なるはずなのだ。
 筋肉は使わなければ弱まっていくものであり、長年車椅子を使っている大統領の腿や脹ら脛が写真のような太さを保てる訳がない。

 「そういえば大統領夫人(アナ・エレノア・ルーズベルト)から、ここ暫く夫君と会ってないと聞いたな」
 「前からだろう、それは」

 当代の大統領夫妻がそれぞれ配偶者公認の愛人を抱えていることは、大統領が車椅子を使っていることよりは広く米国の上流社会に知れ渡っている。貴族の当主夫妻なら珍しくもない生活様式だ。

 「いや、子供達とも顔を会わせたがらないそうだ。電話も直ぐにきりあげられるとか」
 「ふむ。病気か何かで影武者(DOUBLE)を使っているとしても、家族にまで隠すのは変だな」

 当代の大統領夫人もまた史上稀にみる水準の政治的傑物である。特に福祉や人権運動においてその功績は絶大であり、もしも彼女がいなければ合衆国の工場や事務所で働いている女性は現状の半分以下になっていただろう。
 大統領夫妻の仲が家庭人としてだけでなく政治的な意味でも冷え込んでいるという話は前々からあった。エレノア夫人は日系人の強制収容に反対していた、いや現在でも反対し続けているからだ。

 人権思想的な信念だけでなく、外交や内政面の損得を計算した上で大統領夫人は強制収容政策の中止を主張していたのだがこの問題について両者に妥協は成立しなかった。
 以後も大統領夫妻は政治的盟友であったが、その距離は次第に離れつつある。エレノア夫人は講和論に傾きつつあるのだ。

 もしも、政治的な意味からではなく大統領、いや大統領に扮した何者かがエレノア夫人を遠ざける為に関係修復を避けているのだとしたら?


 「なるほど、興味深い情報だ。確認する必要があるな」
 「うむ。私はホプキンス補佐官と連絡をとってみよう」

 大統領が重篤状態もしくは死亡済みであるなら事実を公表するだけで事態は急変する。合衆国行政府の人員総入れ替えも容易だ。そうなれば停戦に近づける。
 そこまでいかずとも健康不安をつついて退陣させることを狙えるかもしれない。

 現大統領が就任して8年以上が過ぎた。そろそろ上から退いて欲しいという欲求が溜まっているし、初代から続く「大統領は二期まで」の政治的禁忌を気に掛ける者も少なくない。
 万人に支持される政治家などいる訳もなく、現大統領はその偉大さに比例して敵意と憎悪も集めている。雑草を毟るとかえって増えてしまう事があるように、弾圧を繰り返せば叛意の根が残るのだ。

 統計上、殺人事件において被害者が人妻であった場合、加害者はその夫であることが一番多い。
 被害者が誰かの夫であった場合、加害者がその妻であることも一番多い。
 被害者が未婚である場合、加害者はその親であることが一番多い。被害者が幼ければ幼いほど、特に。
 カインとアベルの昔から人は身内で争っている。20世紀の近代戦においてすら、戦死者の3割程度は味方の弾で死んでいるのだ。いや、身内だからこそ、か。 

 現大統領の側近の中にも大統領の失脚や破滅を望んで獅子身中の虫となっている者が少数ながら存在する。紀元前後のローマであれ20世紀のアメリカであれ、皇帝(独裁者)とはそんな存在だ。
 そんな誰かの一人が持ち出した情報を、この頃大統領に冷遇されていると評判の某将軍が手に入れた。機を見ることに敏であるその将軍は伝手をたどって車椅子の老科学者を動かし、この会合に情報を売り込んだのだ。


 「それで、君の望みは何かね? 将軍」
 「私は出世したいのです。地位と権限がもっともっと欲しいのですよ」

 白い軍服の男は穏やかに言葉を放った。大の男の咽から出ていることが信じがたい、少女のように細く高い声だ。
 これで必要とあれば爆撃機に乗り込んでの陣頭指揮どころか、先頭に立っての敵陣突入も辞さない猛将なのだから人間とは解らぬものである。
 ただし後世でこの男を名将と讃える者は少ない。指揮官としても作戦家としても兵站屋としても並はずれて優秀な人物だが、軍人としてどれ程の美点があろうと戦略爆撃教の原理主義者であるという一点で台無しだ。

 「では合衆国空軍総司令官でどうかね。空軍の設立は戦争終結後になるだろうが」
 「悪くありませんね」

 男達の視線が頷いた軍服から白衣の方に切り替わる。

 「博士、貴方の研究には引き続き投資させて貰おう」
 「ありがとう。大事に使うよ」

 老人が現在行っている研究は基礎的なものであり、発展させたとしても合衆国の勝利には直接的に貢献しないであろう。
 現時点ではこの場にいる殆どの者の利益にもならないが、科学の発展には貢献できる。そんな段階の研究である。
 もう少し詳しく言えば、地殻の構造をより詳しく速やかに調べ解析するための理論と手段そしてその実践証明だ。今はともかく研究が進みさえすれば莫大な利益に繋がると期待されている。油田の類がより見つけやすくなることは確実だ。 





     ・・・・・
 「







 エンパイアステートビル炎上事件。
 1941年6月10日午後2時20分ごろ、同ビルディングの96階付近に空中給油の訓練中であった陸軍爆撃機B17が墜落激突した事件である。

 爆撃機は爆弾こそ搭載していなかったが、給油する側の機体であったため通常の機体が満載した状態より更に3トン以上の余剰燃料を乗せていた。
 この過剰搭載が事故の直接的原因であるが、墜落機の機長が家庭での事案に苦しんでおりLSDなどの薬物を常用していた事などから、身心の健康問題を抱えた飛行士官を機長にしなければならなかった人材不足こそが事故の本質的原因であろう。







 ‥‥というあたりで、どうかな? 後世に残す記録としては」

 そう言って、白い軍服の男ことカーティス・エマーソン・ルメイ少将は振り返った。
 彼が直前まで見ていた超高層ビルは最頂階から数階下あたりの壁面に大穴が開き、屋上まで火が達し燃え盛っていた。消火活動が行われているが殆ど効果がないようだ。
 航空燃料を過積載した状態の大型爆撃機がビル内部へ突入し炎上したのだ、ちゃちな放水装置などで消せる火力ではない。


 「なにを暢気なことを。あと数分遅れていれば我々も一緒に焼けていたのに」
 「それはない。引き際を間違えたりしないさ、私ならね」

 爆撃機が激突する15分ほど前に、部外者両名は会合の場から離れて難を逃れた。現在は広場に停めたリムジンの車内で火事の様子を検分している。
 念入りな事前工作の甲斐あって、火事の勢いは非常に強い。会合メンバーの生存は絶望的であろう。

 会合の場から離脱する際のさりげなさ、そして途中でエレベーターを乗り換える位置と時期の妙によりこの二人だけは炎と爆発から逃げのびることができた。普通に、いや誰がどう考えても九死に一生を得た奇跡的離脱であり、ルメイ少将がこのテロ攻撃の立案者だとは思わないだろう。あまりにも危険すぎる。

 ルメイ将軍は必要なら何でもする部類の将校だが、己の命を無駄に的とする嗜好はない。つまりこの作戦、先程開かれていた終戦工作派の抹殺は彼にとってどうしても必要だったのだ。
 終戦あるいは停戦を目論む者たちのなかでも、最も有力な集団の一つが先程の会合参加者たちだった。放置しておけば本当に現政権を転覆させ、戦争を停めようとしてしまったかもしれない。

 「私は私好みの戦争をしたい。その為に権限が欲しい。貴方が自分のしたい研究をしたいようにね」

 野球で喩えるならば、州大会を苦闘の末に勝ち残り「いざ全国大会へ! 優勝するのは俺達だ!」と意気込む球児達にその後援者が「全国大会は辞退しろ、代わりに来年度の予算を一割上げてやるから」と言い出せばどうなるか、ということだ。
 そんな後援者はいらねえ! と公言はしないが密かに後援者の排除を目論んで、実行して、成功してしまうのがルメイ少将であった。

 合衆国陸軍の航空隊は大所帯であり、人が大勢居れば変わり者も多くなる。なかには同性と裸でベッドに入りしかもそれを写真に撮る趣味を持ちながらその写真を隠し通せなかった者や、妻子の素行不良が世間に露呈すれば本人が社会的に終わってしまう事態になるまで家庭を顧みなかった者もいる。
 それらの変わり者たちを特定の爆撃機に集めることも、アレコレの証拠を隠蔽し噂にもならぬよう揉み消すことも、身内である陸軍航空隊の高官ならばできる。そしてやった。ルメイ少将は滅多に見ないほどに有能な軍人なのだ。


 白衣の老人は国家予算を使い放題に使って研究をすることを望んでいて、その為なら現在の後援者を売ることも躊躇わなかった。あまり共通点のない二人だが、やりたいことをやるために生きている種類の人間である点では一致している。
 一致しない点の一つは、ルメイ少将は必要とあれば、彼が彼好みの戦争をするために必要ならば何でもやれてしまう存在だが老人の方はそこまで器用な生き方は出来ない、という点だ。

 だから二人は手を組む必要があった。
 合衆国の真の支配者たち、そう名乗るに充分な実力者達を特定の場所と時間に集めるために。


 ニューヨークで一番高いビルはまだ燃えている。
 土地を開墾して農地に変えることは重労働である。なかでも面倒くさいのが木の根の処理だが、労力を節約するには燃やすのが一番だ。
 太すぎて抜けない根も切り株ごと焼き払えば土を耕しやすくなるし、燃やしたあとの炭と灰は肥料になる。今日焼けたものの燃えかすもまた、新たな土壌を豊かにしてくれるだろう。

 「馬鹿は死んでも治らないとはこのことだ。今更止められる訳がなかろうに」

 ルメイ少将は再び火事の様子を眺め、肩をすくめた。
 戦争は始めるより止める方が億倍は難しい。この数字は誇張ではない。前大戦は極論すれば「一人の馬鹿がサンドイッチを食っていた」から始まり、一度起きてからは何億もの人間が奔走しても止まらなかった。誰も彼もが疲れ果て動くのも嫌になってようやく止まった。

 強制収容とその後の処置により、既に30万人に及ぶ日本人と日系人が駆除されている。処理は現在も粛々と進められているので、残る数十万人も遠くないうちに死に絶えるだろう。
 あくまでも政治的方便として提唱された筈の収容と弾圧は、今や完全に手段と目的が入れ替わっていた。合衆国内の意思統一のために行われていた日本人狩りは、弾圧のために弾圧を行う状態となっている。

 日米の戦争が絶滅戦に移行したからには、大統領の退陣程度では収まらない。日本人だけでなく、収容政策の巻き添えになった日本人ではない東洋人やインディアンも相当数死んでいるのだが、それは日本人の怒りを増すことはあっても減らす要素ではない。

 戦場で将兵が死ぬことと、収容所で女子供が死ぬことは同じ事である。
 どちらも国家が計画的に行った殺人行為だ。
 しかし何故か多くの人々が、同じ死であるのに後者をより問題視する。日本人もそれは変わらないようだ。

 戦争を国家ではなく人種単位文明単位での闘争と捉えるならば、積極的に女子供を戦場でない場所で殺すべきである。その方が簡単だし効果も大きい。
 毒蛇を根絶したいのなら、籔という籔を手当たり次第に叩いて親蛇を見つけだして殺すよりも巣を見つけて卵のうちから焼き払うべきだ。バプテスマのヨハネことウィリアム・ランドラム・ミッチェル准将はそう言っていた。
 毒蛇と違って日本人の巣穴が何処にあるかはもう解っているのだから、あとは焼くだけである。


 いま摩天楼の最上階付近で物理的に燃えている人々が出そうとしていた懐柔策は逆効果にしかならない。確かに大概のものが金銭で買える、しかし逆に言えば端金では何も買えないのだ。
 経済的利益を講和の材料とするのは定石だが、それは相場を遙かに上回る高額を出せばの話である。半端な金額で示談を試みれば相手を怒らせるだけだ。

 どの程度が大金でどの程度が端金かについては人によって違うが、合衆国の貴族階級が東洋の蛮族しかも本国から見捨てられた棄民一人あたりに対して付ける値段がどちら寄りかは、言うまでもない。合衆国基準でさえも。
 彼らを擁護するとしたら、棄民云々についての認識は間違っていなかったのだ。日本帝国が列強とは名ばかりの貧乏国で、移民達を切り捨てていた十年前ならば。

 金銭でどうにか出来る段階はとうの昔に過ぎてしまっている。人は恩恵を容易く忘れるが怨みはしつこく残るのだ。初接触以来一世紀近くかけて積もり積もった怨念を、鉄火以外で晴らせる訳がない。
 その怨みの一つ一つならば、例えば日本の理化学研究所が発見し大量生産を可能にした新型抗生物質が、合衆国内では論文を丸ごと複写して国内の学会で発表した化学者の発明とされてしまった事件だけなら金銭と当事者への社会的制裁だけで済んだかもしれないが。

 塵も積もれば山となる。

 自分の論文が名前だけ入れ替えられて他人の功績にされてしまった学者の怨み。
 自分の発明品の特許料を剽窃した側に支払わねばならなかった発明家の怨み。
 自社製品の商標を勝手に貼り替えられたものがアメリカ製品として販売され、しかもそれを詐欺行為として訴えられ、なぜか裁判に敗れ、貼り替えた側に賠償金を支払わされた企業の怨み。
 排日移民法により、苦労の末に開墾した土地を奪われた農場主の怨み。
 為替相場の差違を突いた詐術により金を吸い取られ続け、不平等条約のために法改正すら封じられていた政府の怨み。
 東京湾を白色艦隊に占拠され、皇居へ主砲を向けられるという挑発を受けた海軍の怨み。
 洋上で難破し、通りがかった米国船へ救助を求めたが無視どころか指を差して嘲笑われ放置された結果乗組員の殆どが乾き死にした船乗りの怨み。
 チャイナの都市で近親者をなぶり殺しにされた上にその遺体を「日本軍によるチャイナ市民の虐殺」の証拠と喧伝され晒し者にされた遺族の怨み。

 一つ一つを書き記せば本棚を埋め尽くしてなお余る量になる、様々な怨念が凝り固まって『G』と呼ばれる組織が産まれたのだ。そして新たな怨みを食って育ち続けている。
 たとえば忠誠を誓った新たな祖国に裏切られた日系人が、屠所の豚のように殺され全てを奪われた怨みなどが。
 平均的な合衆国人にしてみれば不条理そのものな、逆恨みというしかない感情であるが理非が通じないから蛮族なのである。

 負けることも奪われることも騙されることも罪だ。その罪は勝てるのに戦わないこと、奪えるのに毟り取らないこと、騙せるのに欺かないことよりも更に重い。
 弱く愚かであることより重い罪はない。侵略される罪は侵略しない罪より重い。負けた方が悪く、悪いから負けるのだ。

 成果を横取りされる無能者、論文の剽窃を止めることもできない弱者が学会に出ること自体が間違っている。自分すら守れない者が生きていようとすること自体が間違っている。
 救助を拒否されたなら殺してでも船を奪えば良いではないか、生きようとする意思を持たぬ者には見捨てられたことを恨む資格すらない。

 しかし、この単純な理屈がエンペラーの下僕として飼い慣らされた日本人達には通用しない。だから逆恨みするのだ。
 塵は風で消し飛ぶが怨みは生きている限り、怨みを語り継ぐ者がいる限り永遠に残る。合衆国がインディアンへそうしたように、怨みを消したければ相手を物理的に消し去るしかない。


 「戦争には相手がいるんだ。敵には敵の都合がある」

 人種間戦争を始めたのは日本帝国側であり、向こうにはその意識がなかったとしても日米の戦争は人種問題と切り離せなくなった。
 敵の問題が解決あるいは決着しない限り、戦争は終わらない。故に戦略爆撃は正しい。
 政治思想的に共産主義とは相容れないルメイ将軍だが、クレムリンの主だった人物の言葉には頷かされる部分があった。
 人類社会の問題は、詰まるところ人間が存在するからこそ発生する訳であり、人間が死滅してしまえば問題は存在しなくなる。

 七族共和だろうが八族共和だろうが、日本帝国の政策は合衆国から見れば人種汚染であり文化侵略である。
 日本人の魔の手は世界各地に伸びている。共産主義とコミンテルンの活動を恐れ、憎む彼らだがやっていること自体はさほど変わらない。

 流石にクレムリンと違って、ゲリラ部隊を編制して仮想敵国内で戦闘や破壊工作をさせたりまではしていない。
 しかし留学と称して各国各地域の不穏分子を日本国内に招き、テロと軍事の教育を施すことはやっている。これはと見込んだ逸材には帰国後も資金投入などの支援を絶やしていない。
 今次大戦では日本で訓練された工作員がインドや東南アジアで大暴れした。それら元留学生で、各地の傀儡政権で重要な地位に就いている者は非常に多い。

 合衆国内においても、日本帝国の「啓蒙活動」や「人道支援」に感化された勢力が蠢動している。特に南部地域では「でぶ(FAT MAN)」だの「小僧(LITTLE BOY)」だのといった符丁を付けられた工作員が何年も前から暗躍していた。
 無法は無法を呼ぶ。反乱の扇動も偽札の大規模製造も宣戦布告の理由に充分な、無法の極みだ。米民主党内の過激派が絶滅戦争止むなしと思いつめてしまうのも無理はない。

 彼ら継戦派は、負ければ絶滅させられるのはこちら側だということに気付いているだけマシだ。
 停戦派は、本日焼いた人々はそこが解っていなかった。絶滅戦争を行う意味を。
 合衆国が中南米諸国へ日系人や在住・滞在日本人の引き渡しを要求し、従った半数ほどの国々から送られてきた人々を強制収容所に入れ、合衆国内の日系人達と同様に処分してしまった以上、穏便な講和など不可能だ。

 今は未だその事実が敵国へ詳しく伝わっていない。日本帝国内で、強制収容所に関する情報を手に入れた者たちの半数は与太話と笑い飛ばし、残り半数は信じた者もそうでない者も念のために裏を取ろうとしている。
 もし停戦が成れば、日本帝国は人質にされている筈の日系人や日本市民の釈放と安否確認を求めてくるだろう。講和交渉を進める限り、その要求を惚けきることはできない。

 何故、絶滅戦争をしていた相手が素直に交渉の席に着き、合衆国側の都合しか考えてない要求を唯々諾々と聞き入れると考えられるのか、白衣の老人には理解できない。
 猫とネズミが追い駆けっこをするアニメーション映画でもあるまいし、追い込まれた側が両手を上げれば追い込んだ側が条件反射で止まってくれるとは限るまい。
 チャイナや太平洋そして北米本土で、合衆国人が軍民の区別なく両手を上げた者達へ為した事を、向こうにやり返されないと何故思い込めるのだろう。

 一般的な女子高生が「日系人のなめし革をシェードに張ったランプの灯りで前線の恋人へ手紙を書く」ことと「恋人の兵士が返信と共に日本兵の骨を軸に使ったペンを送る」ことが愛国美談として新聞に挿し絵入りで掲載され、しかもそれが大した話題にならない国で生まれ育った人々とは、そのあたりの感覚が違うのだろうか。



 この戦争は止められない。何らかの決着が着くまでは停めようがない。
 負ければアメリカ合衆国は滅びる。負けないだけでも滅びる。勝たない限り滅亡あるのみ。
 今の情勢で講和したならば日本帝国は最低でも合衆国へ、彼らが想定する完全な平等を要求するだろう。そうでなければ彼ら自身も戦争を止められない。

 そうなれば合衆国は分解する。
 合衆国の国家理念は自由と民主主義だ。自由と平等は相容れない。他はともかくアメリカ人の自由と日本人の平等は絶対に相容れない。
 合衆国の国情に平等は合わない。日本国内でならば問題ないのかもしれないが、北米大陸で名実ともに揃った人種平等を行政レベルで達成すれば社会が崩壊する。

 たとえば人種間の平等が強制されるようになった社会で、白人と黒人が同じ乗り合いバスに隣り合って座るようになったとき、どうなるか。
 発砲事件だけでも今の百倍は起きるだろう。法の信用が亡くなるからだ。

 確実にそうなる。人種平等の建前どおりに、司法の場にも黒人や東洋人が入り込めばアメリカの正義は死ぬ。
 能力的に実行可能かどうかはさておく。
 可能だと仮定して、黒人の検事や裁判官や弁護士がまともに裁判を行う訳がない。容疑者が白人であれば「白人である」というただそれだけの理由で有罪とされるであろう。
 結果、社会から法と秩序は失われ北米地域は無法と理不尽に支配される。行き着く先は良くて内戦、悪ければ文明崩壊だ。

 無論のこと日本帝国は北米がそうなることを、最低でも合衆国が二度と覇権を目指せない程度には弱体化してくれることを望んでいるのだ。
 彼らの国是は有史以前から攘夷である。攘夷を一言でいうなら「自国勢力圏内における他国勢力の駆逐」であり、それは自国以外の全ての国家が衰亡することでのみ達成されるのだから。
   

 車椅子の上で、白衣の老人は肩をすくめ頭を振った。

 「ところで将軍、本当に新しい出資者へ口利きしてくれるんだろうね?」
 「約束は守るよ。予算が降りるかどうかは貴方の研究内容と説明手腕次第だが」

 それは問題ない、と老人は胸を反らした。大統領派でも副大統領派でも、これが日本帝国の勝利を阻む唯一の策だと判断するであろうことを彼‥‥ニコラ・テスラは確信している。

 戦争は個々の損害や戦果ではなく、目的を達せられたかどうかで勝敗が決まる。何をもって勝利の条件とするかを変えてしまえば、勝ち目が見えない状況を変えられる。
 合衆国の覇権成立と永続ではなく日本帝国の覇権阻止を狙う者なら、テスラ博士の研究に飛びつくだろう。

 後の歴史に残る通り、博士の予想は当たった。ホワイトハウスの間借り人達は彼の提案に飛びついた。




続く。
 



[39716] その二十一『終わりの夏、夏の終わり』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:59e4fefc
Date: 2021/06/14 12:12







            その二十一『終わりの夏、夏の終わり』




  【1941年8月29日午前5時40分 北アメリカ テキサス州 サンアントニオ市付近】



 太陽が地平線から姿を見せるにはまだ早いが、東の空が明るくなってくる頃。
 薄暗がりの中地響きを立て、鋼獣の群が大地を踏みしめていた。

 土煙をあげ突き進むのは総重量35トンを越える近代兵器、戦車である。
 全部で6両。
 その砲塔横には所属を現す印と番号が白ペンキで記されている。

 重厚な装甲、大型の旋回砲塔、長大な大口径砲身、唸りを上げる発動機。その姿はまさしく暴力の化身だった。
 見てくれだけでなく乗っている者の練度も高い。6輌の戦車は半分の3輌の戦車が進み、もう半分の戦車が停まって撃つ。撃った戦車がまた進み、もう半分が停まって撃つ、という動作を繰り返している。戦車戦術の基本である交互前進射撃だ。
 走りながら撃って当てるよりも、足を止めてから撃つ方が当てやすいのは理の当然である。

 6輌の戦車は敵と相見え、砲火を交えていた。敵もまた戦車。双方に随伴部隊なし。装甲騎兵同士の激突である。
 砲撃精度も悪くない。6両の戦車のうち左端の車輌、334号車から距離1000メートルで放たれた砲弾は敵戦車砲塔前面に命中した。
 薄暗い中、動く相手にこの距離で当ててみせたのだ。並の技量で出来る芸当ではない。

 だが運が悪かった。丁度その敵戦車はなだらかな斜面を這い上がろうとしていて、車体は尻が下がる向きに傾いでいた。只でさえ傾斜していた敵戦車砲塔前面の装甲は更に角度が浅くなり、命中した砲弾は斜め上方向に弾かれたのである。

 正確には運ではない。射撃が早過ぎたのだ。発砲がほんの僅か遅ければ砲弾は斜面を上がりきって通常の角度に戻った敵戦車の砲塔正面に命中し、弾かれることなく運動エネルギーを発揮していただろう。
 そうなれば現地改修により60㎜を越える厚みとなっている敵戦車の装甲板をも打ち破り破壊することが、弾頭の硬度と運動エネルギー量から言えば充分有り得た。

 334号車は次弾を装填し狙いを付けるが、停まったままの戦車は恰好の的だった。教本どうり撃った直後に移動すべきだった。

 一発喰らった敵戦車、その砲塔横には所属を現す国旗と車輌識別用の象形文字が描かれている‥‥の主砲がお返しとばかりに火を吹いた。
 走りながら放たれた高速徹甲榴弾は目標を捉え、車体前面装甲を貫通し内部で信管を作動させる。
 爆音と共に334号車は爆ぜた。車内の砲弾が誘爆したのだ。何トンもある砲塔が垂直に吹き飛んで、宙を舞う。

 1秒に満たない時間を待てるか否かが勝負を分けた。この差は技量そのものより経験の有無が大きい。
 致し方ない話ではある。334号車に乗っていた戦車兵達はこれが初めての戦車戦だったのだから。
 対等の敵、弾が当たれば死に当てたら殺せる相手との戦いを済ませているか否かの差は、戦闘において如実に現れる。

 残る5輌の戦車、334号車の同僚たちも上官も経験では似たようなものだった。仲間が仕留められた動揺から連携は乱れ、浮き足立つ。こうなれば訓練を重ねて積み上げた筈の技も矜持も意味を為さない。次々と被弾し炎上爆発する。

 彼らの乗る装甲兵器は戦車に分類されるが、性能的に見て駆逐戦車に近い兵器であった。火力に比べて装甲が薄く、受けに回れば脆い。戦いの主導権を逃せば一気に劣勢となるのは当然だった。
 片方の戦車隊、車体に白い星印の記された側は停まらないと敵に弾が当てられない。もう一方、象形文字が記された戦車隊は走りながらでも当ててくる。彼我の差は明らかだった。

 米軍の兵は全般的に逆境に弱い。簡単に崩れるのだ。
 独断で後退を決めたのか、332号車は左右の履帯を前後逆方向に動かし砲塔を敵に向けたまま車体のみを半旋回させた。しかし旋回が終わり、走り出したところへ敵弾が集中する。
 うち一発が砲塔正面を撃ち抜く。炸薬入りの弾ではなかったのか誘爆は免れたものの被弾に動揺した戦車は操縦を誤り、地面の起伏に乗り上げて転倒した。車高と重心の高さもまた、この戦車の弱点である。


 転倒した332車から這い出した乗員は、剥き出しになった腹底に追撃の砲弾を受けた戦車の爆発に巻き込まれ四散する。
 崩れやすい反面、流れが変われば即座に立ち直り後を引かないのが米兵の長所。しかし死者に再び立ち上がる力はない。

 協定軍の兵士達はメキシコ進軍の半ばから、敵の掲げる白旗を信用しなくなっていた。道中で見た諸々の事象、戦争の現実と敵の常用する虚偽が彼らの心を荒ませたのだ。
 軍服や階級章を着用せず民衆に紛れて攻撃してくる、いわゆる便衣兵(GUERRILLA)だけでない。偽装投降や人間爆弾や国籍詐称は、メキシコ戦線のありふれた光景に過ぎなかった。

 此処は既にテキサスである。手を上げてもいない敵に容赦する理由はない。

 最後に残った321号車も砲塔側面に被弾し、砲塔は爆散した。数瞬遅れて車体内部でも爆発が起きる。
 砲塔内に砲弾庫を置く米軍戦車共通の設計は、流石にこの時期になると米陸軍上層部でも問題視されている。しかし改修案が形となって前線へ行き渡るにはまだ時間が必要だった。


 こうして数と砲弾の威力で勝っていたM4戦車改良型の部隊は、それ以外の要素で全てに勝る97式戦車部隊に惨敗した。北米では見慣れた戦場風景である。
 終戦までの統計で北米戦線において連合軍と協定軍の戦車損耗率は7倍以上。41年夏、日本製戦車はかつてのような無敵の存在ではなくなっていたが、合衆国製装甲車輌への優位は保たれていた。




 元は放牧地であったらしい平地を3輌の97式中戦車が北上する。その砲塔側面にはオーストラリア国旗が描かれていた。
 国旗の横に書かれている象形文字は味方同士の識別用であるらしく、個々の車輌ごとに異なる。

 燃え盛る6輌の敵戦車、英本土ではファイアフライ、直訳すると日本語で火の羽虫となる‥‥と呼ばれたものを避けて走る先頭の戦車。砲塔横に 勝(WIN) の字が描かれている砲塔ハッチが開いた。
 外気に顔を晒し、戦車長マイケル・ミラーズ中尉は薄笑いを浮かべる。
 白皙の美男子である彼の横顔が炎に照り返されている様は、写真に残せば今大戦どちらの陣営でも悪役が務まるだろう。

 「他愛もない。まるでブリキ缶だな」

 彼の呟きは勝者の余裕ではなく増長と呼ぶべきものであった。ファイアフライの主砲は大型薬室と長砲身が特徴であり、その装甲貫通力は90㎜級の対戦車砲に匹敵する。
 高張力圧延特殊鋼の装甲板により重戦車なみの抗担性を誇る97式の正面装甲でも、1000メートルの距離で当たれば痛いでは済まない。

 「新型じゃ、なかったみたいですね」

 車長の呟きに砲手のウィルディ上等兵が反応する。敵は弱くて間抜けな方が望ましい、と理性では分かっているが強敵と巡り会う可能性に興奮してしまうのは本能である。
 この時期には北米産重戦車は噂だけでなく、実体のある脅威として協定軍将兵の口端に上がっていた。当然ながら、先程の相手はM4中戦車の火力増強型であって噂の新型ではない。

 「新型、ってもどうせ重戦車だろ? 側背に回り込めばイチコロよ」

 今度は操縦士のギブスン伍長が口を開く。協定軍がメキシコ戦線に投入した中戦車のなかでは旧式な97式、しかも彼らの乗っているのは日本軍のお古だが、整備状態は良好であり車内通話も明瞭だった。
 スピード狂の気がある伍長にとって97式は最高の戦車だった。小型軽量ゆえに自由自在に動ける。しかも故障知らずだ。
 この機動力があれば鈍重な重戦車など敵ではない、という彼の考えはある程度正しかった。少なくとも前回遭遇した英国製新型重戦車は容易く撃破できている。


 遠くから微かに聞こえてくる爆音に、砲塔から顔を出したままの中尉は空を見上げる。

 「2時方向から航空機1、味方だな」

 慣れれば鯉でも鶏でも顔を見て個々の区別が付けられる。音で発動機の種類を言い当てることはより容易い。ミラーズ中尉の言うとおり、飛んできたのは友軍機だった。
 98式偵察機である。日本軍の偵察機には夜間ですら活動できるものが存在する。電波兵器の優秀さだけでなく、全軍から選び抜いた特異体質者に特殊な訓練を積ませ特別な栄養剤を与え、夜間活動する機に乗せているらしい。
 執念というしかない 特(SPECIAL) の積み重ねは豪州人の理解を超えるものであった。彼らはなぜ、あそこまで夜戦に拘るのだろうか?


 上空から無線で送られる最新情報に合わせて、戦車隊はやや西寄りへ進路を変えた。

 ミラーズ車を含めた戦車小隊が味方の救援要請に応えて出動したのが1時間と少し前。
 先程遭遇した敵戦車は救援を求める味方を追うのではなく、救援に駆けつけたミラーズ達を迎え撃ちに現れたのだった。無線網を駆使した迅速な作戦指揮が、協定軍の専売特許でなくなってから半年以上経つ。

 此処はテキサスなのだ。協定軍の前線基地周辺にはいくらでも諜報員が潜んでいる。電気工学に詳しいものならばラジオ受信機を改造して無線式電信装置を組み上げることは容易かった。特に日本製のラジオと蓄電池と真空管が手に入るのであれば。


 「敵勢力は戦車2ないし3、ハーフトラックないし装甲トラック3。後者に兵員を搭載している。全車速度そのまま。会敵まで約6分」
 「戦車はともかく歩兵は厄介だ。航空支援は無しですか?」

 砲塔横に 菊(CHRYSANTHEMUM) の象形文字が記されている隊長車からの指示に、ミラーズ中尉は質問したが返答は

 「既にした」

 であった。空の戦いはテキサスでも協定軍が優位にある。しかし優位は絶対でも永続的でもなく、航空機の傘が途切れることもそれなりの頻度で起きていた。
 上空を通り過ぎた味方偵察機はつい先程まで対地支援に当たっていたが、搭載している弾を使い切っている。敵戦闘機が出てきたら逃げるしかない上に燃料も乏しい。ミラーズ達は支援の礼を言って無事の帰還を祈るしかなかった。
 現場には味方基地から出た新手の支援機が急行しているが、次の交戦には間に合わないだろう。


 隊長の言葉が続く。

 「歩兵が展開した場合は退く。我々の任務は友軍‥‥と難民の援護だ」

 歩兵は戦車にとって意外な強敵である。ただしそれは充分な火器を持ち陣地や市街地などに立て籠もっている歩兵を強襲せねばならない場合には、だ。
 平地に展開し薮やタコツボに隠れた歩兵がいかに強力な対戦車兵器を携えていても、戦車が近寄らなければ意味がない。
 強敵を迂回してやり過ごすこともまた戦車の定石。逃げるは上策というとおり、逃げてはいけない状況以外ならいくら逃げて良いのだ。

 トラックに乗ったままの歩兵は戦車から見ればカモであり、降車して展開した歩兵部隊は厄介だが今回のような任務なら放置すればよい。
 車輌から降りた敵歩兵部隊が退避する味方に追い付けなくなるなら問題無しだ。後で暇な爆撃機にでも狙わせれば始末できる。

 捜索破壊ドクトリン、日本陸軍がソヴィエト赤軍を倒すために編み出した戦術思想は北米でも通用した。常に戦場上空へ航空戦力を滞在させ、空陸が連携して必要な場所へ必要な破壊力を必要なときに発揮する。
 それは前提条件の厳しすぎる戦場技芸(ART)。人的資源の質で先発の列強諸国軍に渡りあわんとする日本陸軍以外には実現する意味のない、戦場の徒花であった。
 一兵卒から将軍までが意思疎通し、一つの目的のため一致団結して動かなくては意味を為さない戦術形態なのだ。

 しかし成立した際の威力は絶大であった。戦術の冴えが戦略の曇りを覆すことはない。しかし戦略の輝きが戦術の功を霞ませることも、ない。大軍にも戦術は必要である。


 3輌の戦車は枯草まじりの土煙をあげつつ前進する。敵を倒すためではなく、味方を助けるために。

 彼らには、そして彼らを送り出した豪州軍第一機甲師団そのものにも幾らかの焦りがあった。
 同胞達がメキシコ戦線でしでかした不祥事により傷付いた、豪州軍の名誉を回復したい‥‥との意識が軍事的な最適解を取らせなかった。

 10分か15分ほど到着時刻を遅らせて回り込み難民襲撃にかまけている敵軍を後ろから撃つ方が、この戦車小隊の生還率だけを考えれば良手である。
 しかしそれは政治が許さない。日本軍も許さないだろう。ミラーズら戦車兵が軽侮の対象になるだけでなく、豪州軍全体にその目は向けられる。

 自らの正義と善意を無邪気に信ずる、というより構成員の大半が疑うことを知らぬ日本帝国とその軍隊は、正邪に敏感であり恩讐に拘る傾向があった。
 実例を日々の戦いの中で、メキシコにいるオーストラリア人達は見ている。

 日本陸軍の将校達が身内の席でどれほど自国に与したメキシコ軍閥を罵りこき下ろそうとも、見放さないのはそれらの勢力が米国の要求をはね除け、日系移民らの引き渡しに応じなかったからだ。
 ブラジルなど中南米各国の約半数が米国政府の要求に応じ、各国の日系国民や滞在する日本人を差し出し収容所行き便で送りつけた際に、メキシコ人達は米国外交官へ「地獄に落ちろ(GO TO HELL)」と罵声を浴びせた。更なる恫喝に対しては鉛弾で応じた。

 純粋に反米意識から始まり内政干渉へ反発したが故にであったとしても、銃火を交えてまで異国の民を護り通したメキシコ人たちの侠気に帝国軍人たちの心は強く揺すぶられた。その余震は未だに続いている。

 恩には恩、怨みには怨み。
 組織改革を続け合理主義を推し進める日本陸軍ではあるが、組織の構成員がほぼ全て日本人であることは変わらない。当然ながら浪花節的しがらみから逃れられない。
 日本人は民族レベルで損切りが下手である。情に脆く入れ込みやすいのだ。

 祖国の置かれた状況は鞍替えなど試みる気にもなれぬものであり、今の付き合いを続けるしかなかった。
 ならば精々気合いを入れ、日本人好みの仮面を被りなおして戦争を続ける以外にオーストラリア軍人達に道はない。




     ・・・・・



 二度目の大戦は三度目の夏を迎え、そして夏の終わりが始まろうとしている。


 親愛なる指導者、ソヴィエトの父、輝ける人民の太陽。あるいは協定軍勝利最大の立役者。
 ヨシフ・ヴィサリオヴィチ・シェガシビリ。通称スターリン。

 この特異な人物の死が確認されたのは夏の直前、1941年5月22日未明であった。とされる。
 死因は心不全と発表されたが、後の検屍でアルカロイド系毒物による中毒死であることが判明している。日常的に服用していた睡眠薬の錠剤をすり替えられた事による暗殺であった。

 誰が仕組んだ? という問いに対しては「全ての人民が」との答えが返ってくるだろう。
 彼、スターリンはかなり前から、世界で最も多くの人々に死を望まれている人物だった。


 ロシアの5月末とくれば泥濘が収まる時期ではあるが、赤軍にかつての力はない。ソヴィエト勢力圏の人口を割単位で擂り潰して造り上げた工場群は著しく稼働率を落としており、全土で耐久資材も消耗品も枯渇していた。
 石油よりも電気よりも、ゴムよりも工作機械よりも足りないのは士気だった。これまで戦場で幾度敗れてもその度に立ち上がったロシア人達は、ウクライナとベラルーシにおける経済の復活に今までのどの敗北よりも打ちのめされていた。

 小麦大麦トウモロコシ綿花ジャガイモ‥‥その他ありとあらゆる作物がウクライナに満ち溢れている。人の口を塞ぐことは銃口を持ってしても出来ない。出る入る両方の意味で。

 ウクライナ方面からロシアに流れる闇物資は、質と量の両面で共産体制の敗北を雄弁に語っていた。この年のウクライナにおける農業生産は前年度の100倍を越えた。
 10倍の誤字ではない。信じ難いだろうが100倍以上である。元々の数字が闇経済に沈んでいたことを考えても異常極まる結果であった。

 後に緑の革命と呼ばれた農業技術革新がいかに偉大であっても、それで得られる収穫増は従来の数倍程度。どうしようもなくロシア的な経済の赤い闇に埋もれていた収穫が表高の数倍あったとして、前記の農業改革と掛け合わせても精々20倍前後。
 では残る5倍以上の収穫伸び幅は何故か? それはソヴィエト式農業体制、いわゆるルイセンコ農法に理由があった。

 元の数値が酷すぎるからこその驚異的収穫増である。100点満点のテストで成績が100倍上がるとすれば、その生徒が零点を常態とする桁外れの劣等生であった証拠に他ならない。

 ルイセンコ農法とは、例を挙げると「革命的精神さえあれば、冬に雪上へ小麦を撒いても無事発芽する」とか「これまでと同じ面積の畑に、倍の密度で倍の深さに種を植え倍の肥料を与えれば収穫量は8倍となる」といった机上の空論というのも憚られる‥‥ 
 いや、まあ、その、もとはといえば共産思想自体が労働や経営の経験も意欲も一切ない穀潰し(高等遊民)の妄想をそれっぽい言葉で飾り立てただけの代物なのだが、とにかく素人の戯言を国家政策として実行してしまった上に失敗を直視せず繰り返した結果が御覧の有り様である。

 過ちを改めないことこそ真の過ち。
 人が遙か昔に見出し書き記した理は、20世紀のロシアでも省みられなかった。


 何はともあれ、ウクライナとベラルーシは豊作に湧いた。余剰となった作物を協定軍が、つまり日本政府が買い上げたため極端な値崩れによる豊作貧乏は起こらず、腹と倉庫と金庫を満たした農民は狂喜乱舞した。
 協定軍の保護下に入った地域ではジャガイモ収穫の人手が足りないとか倉庫に入りきらないとかの嬉しい悲鳴が上がり、共産党の宣伝放送と違い実体として存在する余剰収穫物の一部はロシア方面にも流入する。
 スターリン亡き後の共産党にもNKVDにも、流れを止める力はない。食料や雑貨類と共に流入するラジオ受信機と宣伝ビラ、新聞に雑誌、何よりも風の噂を止めることなど不可能だった。

 食料に酒、燃料に衣服、様々な消耗品。河川の闇運送網を通じて怒濤の如く流れ込む物資がロシア兵達の心をへし折った。如何なる言葉も一切れのパン、一杯のウォッカに及ばない。
 百万個のパンに埋もれれば人は死ぬが百万語のスローガンを聞いても人は死なない。そして百万個のパンがあれば百万人の腹を一時だけでも満たせる。

 不治の病すら治せる抗生物質、手入れしなくても問題なく動く車輌、本物よりも丈夫で温かい合成毛皮、山のように積み上げられたクジラ肉の缶詰。
 農作物の代価として極東から運び込まれた物資は、質と量の双方で資本主義体制の勝利を歌い上げていた。
 ロシアでは作れない、出回らないものが極東では幾らでも作れて、地球の反対側まで送り届けられるのだから。


 負け続きの中、これまで赤軍兵達が戦い続けて来られた事の方が不思議だったのだ。
 赤軍将兵だけでなく政治将校までもが敵に通じ物資や情報を協定軍に売りつけ、あるいは投降しウラーソフ将軍指揮下の解放軍へ加わった。
 赤い皇帝(ツァーリ)不在からの内輪もめをなんとか収め、事態を把握できるようになったソヴィエト指導部は防戦の無理を悟った。軍事面でならば全くもって現実的な彼らは速やかにモスクワからの離脱を決意し、エカテリンブルグへの移動を開始する。

 彼の地には大戦勃発の遙か前から首都機能を持ち得る地下大要塞の建築工事が進められており、モスクワを放棄する際の仮首都第二候補が内定していた。
 ちなみに第一候補はアストラハンである。しかし既にカスピ海は協定軍の風呂桶と化している。敵の哨戒艇や駆逐艦が彷徨くカスピ海北岸に位置する都市へ赤軍総司令部が引っ越しする意味はなく、より安全な地が新居に選ばれた。


 1941年の夏は1812年の冬と異なり、モスクワは焼かれなかった。必要以上の物資持ち出しも起きなかった。

 共産主義体制は量ることもできないほどに欠陥に満ち、数え切れぬ失敗を繰り返し、人民に無用の死と恐怖と苦痛を強いてきた。善か悪かで言えば紛れもなく後者に分類されるはずの存在だった。
 しかしソヴィエト構成員の大多数が、進んで邪悪であろうとした訳ではない。彼らの殆どは幸せになりたかっただけなのだ。

 赤軍将兵にも彼らなりに郷土愛が存在した。祖国と共産主義の勝利が遠のいた以上、せめて条件付きの降伏ができる態勢に持ち込まねばならない。

 モスクワを破壊して後の再建の難度を上げることに赤軍の将帥たちは意味を見いだせなかった。
 赤軍の主敵がナチス・ドイツや大日本帝国からウクライナ・ベラルーシ連合へと交代したからには、焦土作戦の必要性は薄い。
 スターリン抜きのソヴィエト政権を根切りにするためにユーラシアの大地を追い回す程の熱意を協定諸国首脳部は持たなかったし、赤軍首脳部へ接触してモスクワを明け渡すならば追撃しないという密約を結ぶ程度には勤勉だった。



 スターリンの死とその後の赤軍が主導する政治態勢により妥協が成立した。
 歴史的に見ても、ウクライナ人やベラルーシ人がロシアを支配し続けることは不可能である。一時的に占拠することはできても長くは保てない。何れは投げ出すことになる。
 人も物も根刮ぎに始末する気でいけば出来るかもしれないが、日本人達が許すまい。無論のこと人道ではなく、ロシア人勢力が極東を脅かさない程度に力を残すことは彼らの利益となるからだ。

 敵を倒せば新たな敵が現れるのが世の道理である。日本帝国が第三帝国と組んだのは米露の二大勢力へ対抗するためなのだ、その両方が脅威を減ずれば当然、日独の付き合いも変化する。
 国家に永遠の友も敵もない。今日の友が敵となる明日には、今日の敵が友となることもありえる。


 こうして41年夏に赤軍と共産党はモスクワから粛々と立ち去った。
 クレムリンの旧支配者たちは撤退の際に必要なものだけを持ち去り、不要なものを置いていった。

 不要品の一つ、元NKVD長官ラブレンチロ・ベリヤは両手両足の腱を切られた状態で、一本のラジオペンチを添えてモスクワ市民たちへ引き渡された。
 ベリヤ氏は赤軍のモスクワ退去から丸四日間生きていたという説もあるが、半日余りで息絶えたという証言もあり詳細は不明である。

 死の時期はともかくとして、生前と比べ半分以下の重量になった彼の遺骸が数日間赤の広場に晒された事は確かだ。
 その後は湧いた蛆が羽化する前に荼毘に付され、遺骨と灰はどの墓地からも埋葬を拒否されたため埋め立てゴミとしてモスクワ郊外の何処かに廃棄された。




     ・・・・・



 夏が終わろうとしている。


 フランス共和国、ソヴィエト・ロシア、そして大英帝国。連合国側のメイン・プレイヤーである三国が盤面から離れ、ユーラシアの戦火は鎮まりつつあった。

 残る連合国側主戦力はアメリカ合衆国とカナダのみ。そしてその両国共に海軍力の消耗が激しく、大西洋の制海権奪還は事実上不可能。
 欧州の協定諸国側から見れば、今次大戦は決着が着いたも同然、と思われた。


 誰もがそう判断した。
 前線の兵卒たちも列強国政府の閣僚たちも、これで戦争は消化試合に入った、と思った。後始末に取りかかるべき時期に入ったと。

 中世の戦争ならこのあたりで双方の陣営で内ゲバが始まり、「はないちもんめ」の遊戯の如く敵味方の入れ替えが起きて戦局はぐだぐだになるのだが、二十世紀半ばの国際情勢でその心配はない。
 協定国側のメイン・プレイヤーであるドイツ第三帝国にもイタリア王国にも、今更陣営を乗り換える旨味などない。彼らに負け馬に乗る趣味はなかった。


 大英帝国は遂に力尽きた。北米からの輸血と外付けの人工心肺で無理矢理動いていた老朽国家はもう限界だった。
 その輸血と外部電源が途絶えようとしていたのだから当然である。
 戦局の悪化により、米軍の英本土放棄は確定事項だった。6月末にイングランドで起きた英陸軍一部勢力によるクーデターは失敗に終わり、英王室は米軍と共に北米へ脱出することとなった。

 複数の伝手を使い欧州の協定軍指導部と英本土の米軍司令部は接触し、7月半ばを目処に連合国側戦力はブリテン島から撤収することが定められた。
 7月3日をもって英本土周辺の両軍は停戦し、日英独伊仏の間で交渉が英国の降伏を前提として始まった。

 英本土の戦争はこれで終わった。筈だった。



 英国民だけでなくブリテン島にいる人々は安堵した。久々の静かな夜に、穏やかな朝(GENTLE MORNING)に感謝した。
 長く続いた、昼夜の区別なく爆弾の降る生活に彼らは倦んでいたのだ。


 一日当たり20発や30発の無人兵器が飛んできた時期なら、イングランドの住民は「V兵器など所詮虚仮威し」とせせら笑らえた。
 200発300発の梅花やその類似品が飛んでくるようになっても痩せ我慢を続けられた。
 しかし一日当たりの飛来数が四桁を越えたあたりになると笑みは引きつり、3000を越えた頃には白目を剥き、5000に達して泡を吹いた。

 日本勢力圏で、ドイツ本土で、北イタリアで、それ以外の地域でV号兵器は量産されている。
 41年春には独逸占領下の北フランス地域そしてヴィシー政権の南フランスも戦時体制に移っていた。列強諸国のなかではやや工業力に難のあるフランスでも、構造の単純なパルスジェット・エンジンは量産できた。

 二次大戦において協定軍が英本土に打ち込んだV1号兵器は、総計81万6285発。最盛期には一日当たり1万発を越えた。
 西部戦線、フランス及びブリテン島とその他周辺地域で協定軍により使われた火薬量の約27%が、梅花はじめとする無人飛行爆弾であった。
 軟鉄板とベニヤ板で組み上げられ、肥料へ油脂を混ぜた炸薬を積み、軽油を燃やして飛ぶ無人兵器の群れは、ただただその数で連合王国本土の空を席巻したのである。

 実際の被害では飛行爆弾よりも通常の爆撃や艦砲射撃の方が、そしてそれらの合計よりも通商破壊の方が大英帝国に痛手を与えている。しかし一般市民にとっては目の前に落ちてくる無人兵器こそが具体的な戦争だった。



 戦争は終わった! 少なくともイングランドでは。

 大戦に負けた事はこれから英国に影を落とすだろう。苦難が別の形を取って行く手に立ち塞がるだろう。
 それでも、一時の安らぎを英国人達は喜んだ。

 新大陸の軍勢は唐突に訪れた平穏の中で慌ただしく、しかし手際よくブリテン島を離れ帰途についた。
 旧植民地人達は何もかも置いて、身一つで船や飛行機に乗りこみ英国人達へ別れを告げた。英国人は内心はともかく笑顔で、あるいは涙と共に新大陸へ帰る人々に手を振り見送った。


 そして惨劇の夜が来る。

 1941年7月14日、午前1時。ロンドンの北側に点在する大規模飛行場で一斉に爆発が起きた。
 内部からの爆発は鉄板入りの鉄筋コンクリートで装甲化された燃料タンク群を破壊し、更に数分後移動給油所としてテムズ川に停泊していた小型油槽船の群が次々と爆沈する。
 隣接する地域の燃料タンクや備蓄施設が連鎖的に破壊されたのだった。総計数十万トンに達する様々な液体燃料が溢れ出し、引火炎上した。

 滑走路に並べられた航空機も、基地の警備兵も技師達も焼いて炎は下流へ、ロンドン区域へと流れ込む。
 テムズ川の川面を、大小の運河を、排水溝を伝わって燃料と炎が広がる。水面に浮いた重油の上で軽油が燃え盛り、下流の可燃物に火を付けた。

 英国中枢の各地に集積されていた発電用の、機関車用の、家庭用の石炭が事態を更に悪化させる。
 余程の安普請でない限り英国の家屋には地下室がある。竈や暖炉で使う燃料、薪や石炭やコークスは各家庭や庁舎の地下室に貯蔵される。
 イングランドは湿度の高い土地であるため夏でも暖炉に火が必要であった。更にいうと次の冬だけでなく来年再来年の冬に備えて燃料を備蓄することは、中産階級以上の英国人にとり当然の事。

 燈火管制も避難準備態勢も解かれガソリンスタンドの営業が再開したロンドン市街は薪の山も同然だった。ロンドンは大都市であるが、例えば東京などと比べれば人口規模のわりに面積は広くない。良くも悪くも凝縮した、密度の濃い都市なのだ。
 密集地帯に蓄積された燃料から燃料へ、家屋から家屋へ、木々から木々へ火は燃え移り何処までも広がっていく。
 炎の流れはテムズ川河口付近まで届き、逃げ遅れた船舶は荷物や乗員ごと燃えて沈んだ。


 まさに地獄の光景であった。闇夜を突いて、ロンドン市街と周辺に何本もの炎の柱が立ちのぼる。
 世の終わりに現れるという巨人の如く、太さ数十メートル高さ千数百メートルに達する螺旋の炎が、火災から逃れんとする人々を見下ろした。

 それは科学的には火災旋風と呼ばれる存在である。関東大震災において東京に現れた怪物はこの夜ロンドンへ再臨した。
 夜空に輝き、うねり、のたくる炎の柱はどんな生き物より速く疾走した。逃げ惑う人々を追いたて焼き尽す。
 火災旋風の移動速度はときに航空機すら凌ぐ。一度追われれば人の足で逃げ切れる存在ではない。

 灼かれる前に一酸化炭素を含んだ熱風に晒された生き物は全て速やかに、恐怖に満ちた死を迎えた。風の具合などにより窒息を免れた人々も、膨大な熱量の前では生死の区別なく燃料と化す。
 条件さえ揃えば、6割以上が水分である人体でもそれ自身が燃えるのだ。たとえ生きたままであろうとも。

 炎に追い立てられたロンドン市民達の多くは、本能的に水辺へ向かった。言うまでもなくそこは既に燃料と炎で満ちた灼熱地獄か、あるいは直ぐに炎が押し寄せてくる死地であった。
 少数の住民達は脱出を諦め地下室へ隠れた。通常の空襲なら生き延びられる者もいたであろう選択は、熱と酸欠による遠くない死が答えとなる。市街を構成する素材、石材や煉瓦そのものが砕けるまで熱される火災の前には何処に籠もろうが結果は変わらない。


 炎は七日七晩にわたって燃え盛り、大雨の降った8日目以降に勢いを減じ鎮火へと向かう。
 北はウェリンガーデンシティ、西はブラックネル、南はクローリーまで、ロンドン市を中心に直径70㎞円内は一面の焼け野原と化した。市街も田園も森林も等しく炎に呑まれ、テムズ川流域一帯は灰燼に帰した。

 死者及び行方不明者は推定28万5千人、被災者はその10倍以上に及んだ。火災の規模と激しさからすれば死傷者は信じがたいほど少ない数であったが、大英帝国の栄華は既に避難を済ませていた一部の文物を除いて燃え尽きた。

 英国だけでなく、カレー市など北部フランスにも黒い雨が降った。インクのような雨はインクと同じく、煤と油煙が溶けこんでいた。灰と化した生き物と様々な毒物を含んだ不吉な雨だった。


 ロンドンとその周辺を焼き尽くした大火は、テムズ川からよりもロンドン市内で作動した発火装置によるものの方が火種としての深刻度が大きい。
 今次大戦において、政治的な理由によりロンドン市は偶に降ってくる流れ弾以外に協定軍の攻撃を受けていない。
 ロンドンはブリテン島の諸都市と比べて可燃物の管理がぞんざいであり、内部にドラム缶を詰め込んだ倉庫と爆破装置といった単純な絡繰りで容易く炎上させることが出来た。

 余りにも日常的に、身近に存在するため近代文明の恩恵に浸かっている人々は忘れがちであるが、化石燃料は恐るべき熱量を内在する危険物である。
 上質の石炭は洗面器半杯程度の量で風呂釜を湧かせる。石油の危険度は更に上を行く。コップに半分のガソリンで人は簡単に焼け死ぬのだ。

 ビール瓶にガソリンを満たし布きれで栓をした火炎瓶一本で、民家一軒が全焼することは普通に有り得る。一軒の家を焼く炎が街の区画ごと焼き尽くす大火事に発展することも、稀にはある。
 近代的な消火設備と消防隊員らの献身があってすら、燃えるときは燃える。

 最悪なことにイングランド全域で13日の夕方から風が強く、空気は乾燥していた。只の失火でも大事に成りかねない気象条件下で、膨大な量の備蓄燃料が撒かれ火を付けられたのである。
 故に被害は空前のものとなった。
 焼夷弾が住民の避難と防火及び消火対策を済ませた市街に落とされる戦略爆撃とは、桁の違う大規模破壊が英国を襲った。

 4発の大型爆撃機が大挙して攻め寄せてもその搭載する爆弾は数百トンにしかならない。
 たかが数百トン、しかも上空から撒き散らされるだけの爆弾では都市を破壊し尽くすことなど出来はしない。機関銃の掃射が絶大な効果を発揮するのは、密集した兵が棒立ちになっているような特殊状況である。
 戦場の弾も都市への爆撃も、備えている相手にはさほどの効果はない。有史以来人が最も溺死した場所が風呂桶であるように、人を最も殺しやすいのは油断しているところへ不意打ちをくらわせた場合なのだ。


 惨劇の夜に作動した発火または爆破装置は、その多くが単純な代物である。
 ガソリンを入れて積み上げられたドラム缶の山、奥側にそれは配置される。見た目はただのドラム缶だが、蓋の所に仕掛けがしてあり、直径数センチの金属環がついている。
 その金属の環を強く引っ張ると、内部に繋がっているワイヤーが動き、ドラム缶に入っている鉛の小箱の中で硫酸入りのガラス瓶が割れる。硫酸は鉛を溶かす。
 箱の厚みで決まる時間を掛けて硫酸は鉛箱から漏れだし、箱の周りに詰められた薬品と反応して発火する。更にその周りに引火して爆発する薬品や燃料を入れてある代物が、この夜使われた時限式発火装置の主流だった。

 単純で信頼性の高い仕組みであるが、人間の作った物であるからには不発弾が出る。製造、設置、作動、それらの際に重大な不手際があった発火装置は火を吹くことなく残った。
 大火が治まってから行われた調査により、これらの発火装置は延焼を免れた幾つかのドラム缶集積地の奥で発見され、解体されて正体が判明する。



 言うまでもなく火災は米軍の仕業であった。

 彼らの置き土産、時限式爆弾と発火装置はロンドン付近だけでなく各地の燃料や弾薬、肥料の集積所などに設置されていた。
 後に発見された資料によれば、仕掛けられた各種装置は合計で7000個近くに及ぶ。彼らの心がこもった置き土産は英国各所で作動し、ロンドン以外の場所でも悲惨さにおいては大差ない損害をもたらした。

 一例を挙げるとカンタベリーにほど近いとある農村は肥料倉庫がキノコ雲を上げて爆発し、文字通り消滅した。爆発の破片は4㎞離れた隣村まで届き、近隣の窓ガラスは全て割れ、村のあった場所にはクレーターしか残っていない。
 肥料としてだけでなく爆薬材料としても工業資源としても使える硝酸カリウムを数千トン備蓄した場所が、破壊工作の対象とならない筈もなかった。

 直接的人的被害だけで上記のものとは別に約11万9千人。
 施設や設備の破壊などによる二次被害、民心の動揺と治安の崩壊が三次被害四次被害を呼び寄せる。事態は全くもって深刻であり、英本土の社会基盤は完全に麻痺した。

 炎と共に流言飛語が巻き起こり、情報が錯綜し混乱が激化した。「協定軍が攻めてきた」とか「インド兵が反乱を起こした」といった噂に人々は恐慌状態に陥る。
 交通事故や失火など故意でない災いが続発し、そして人の悪意と我欲と先見性のない狂暴さがどんな疫病よりも素早く広範囲に蔓延した。暴動、略奪、襲撃といった騒擾事件だけでなく、窃盗、強盗、強姦、殺人、詐欺、横領‥‥あらゆる種類の犯罪が英国全土で続発した。


 イングランド、いやブリテン島を欧州大陸の住人が呪いの地と呼ぶのは、それなりに故あってのことである。
 お伽話には歴史上にその原型が存在する事が多い。地元民の手に負えなかった人食いの猛獣を流浪の猟師が討ち取った伝記が、遠い異国で怪物退治の騎士道物語として語られるように。

 物語の多くには原型がある。
 かつて英国の森には義賊がいた。お伽話の元となった義賊は餓えた民衆に、強欲な貴族や悪辣な商人から奪った金品を分け与えた。
 義賊の死後、民衆は義賊の妻子を捕らえ義賊が蓄えているはずの財宝を奪おうとした。
 だが義賊は民衆を救うために奪った物も含めて全財産を使い切っていた。彼は本物の義賊だったのだ。
 民衆は激怒した。無駄骨を折らされたことに憤慨し、義賊の家を焼き払い妻子を奴隷商に売って幾らかの金銭に変えた。

 この島の流儀は中世の頃から変わっていない。七つの海を征し、世界の不幸の七割をただ一国で造り出していた世界帝国は、他に生きる術を持たなかったのである。
 どのような権力も結局は暴力に過ぎず、権力は必ず腐り果てる。だが、権力と無縁の弱者もまた腐敗しているのだ。惨めに、不様に、みみっちく。
 如何に口から高邁な理想を吐こうとも、人は所詮裸の猿に過ぎない。その生態は環境によって決定され、ブリテン島の環境は利己主義者のみが生き残れるものなのだ。


 英国各地の大都市、直接の大火や砲爆撃を免れた地域では華僑やインド系などの植民地人と地元民の自警団同士が、三つ巴四つ巴の武力衝突を繰り広げた。衝突は短時間のうちに、血で血を洗う暇もない市街戦に発展する。
 分断し統治せよ。英国の統治は植民地も本土も基本は同じである。人種、信仰、社会階層、地域。数百年続いた社会制度はブリテン島の住人達から連帯の可能性を奪い尽くしていた。平時の、そしてこれまでは公権力が締め付けていたから秩序が保たれていたに過ぎない。タガが緩んだ樽は弾けて壊れるのみ。

 今次大戦期の英本土、特にイングランドには米軍が置いていった武器と弾薬が以前とは比較にならない量で、しかも至るところに蓄積されていた。
 重火器や大型兵器は英政府と英国軍により纏めて保管または管理されていたため、テロ攻撃を受けてその多くを破壊され炎上した。だが小銃や拳銃や手榴弾などは大半が無事であった。
 各地の弾薬庫、市役所や警察署や郵便局の倉庫に蓄えられたそれらの小火器にブリテン島の人々は群がり、少なくない数が即座に引き金を引いた。より多くは悩み恐れ躊躇いつつも使用した。


 相争う武装集団を取り押さえ、あるいは駆逐せねばならぬ筈の警察と軍隊はまず自らが生き残るために全力を尽くさねばならなかった。
 米軍によるテロ攻撃の最優先目標は彼ら英国内の治安組織だった。爆破と発火の時限装置だけでなく、火砲までもが彼らを狙った。攻撃により直接的に死傷した人員は決して多くなかったが、混乱の中で指揮系統の修復すらままならぬ状態ではいかんともし難い。

 リヴァプールやカーディフ、プリマス、ボーンマス、ポーツマスなどの海に近い都市は去り際の駄賃とばかりに米軍艦艇から砲爆撃を受けている。米艦隊からは無人飛行爆弾の模倣品まで発射されたがこちらは数が少なかったため、内陸部の混乱を拡大する以外の効果は上がっていない。

 エセクターやサウサンプトンなどの海からやや離れた都市も狙われた。合衆国海軍は砲弾内に噴射機構を組み込んだ長距離砲弾を実用化していたのである。
 日本海軍のものと比べれば数段劣る代物であったが、それでも艦砲の最大射程が倍近くに伸びており、標的となった諸都市を恐慌状態に陥れるには充分な威力を発揮した。



 直接的殺害だけで50万近く。二次災害三次災害を数えれば、200万以上に達するであろう。
 英本土において史上最大規模のテロ行為をしでかした合衆国人達は、まんまと逃げおおせた。


 彼らは自分たちが英国の地面を離れた瞬間に、悪辣なファシスト勢力は事前の取り決めを無視して攻撃してくると確信していた。
 的外れな想定ではない。
 協定軍は実際に追い打ちの準備を整えていた。ブリテン島の港湾や人員になるべく巻き添え被害を出さない範囲で、撤収する米軍に対し適当な理由を付けて追撃する予定だった。

 敵を囲むと死に物狂いになって暴れるので、あえて包囲網に穴を開け逃れさせてからその後尾を叩け。古代から変わらぬ兵法の基本である。


 なので商家の金庫を破った押し込み強盗が家屋に火を付けてから逃げ出すのと同じ感覚で、米軍は置き土産を炸裂させた。
 追いつめられた人間はどのような蛮行も辞さない。合衆国人達は現在間違いなく追いつめられていたし、伝統的に「敵に最も損害を与える」戦法を選ぶ生き物なのである。

 実行者達は合衆国的合理主義、あるいはアングロサクソン的無節操さを発揮して容赦なく放火装置を作動させた。彼らは己の都合次第で良心を出したり引っ込めたり出来るという意味で、典型的なアメリカ人だった。


 恐るべきは、英本土爆殺計画は実行の一年近く前から組み上げられ秘密裏に準備されていたことだ。通常ならば何処かで起きるはずの情報漏洩は企画者の巧妙な手腕と実行者達の宗教的結束力により食い止められている。

 合衆国の物資がなければ飢え死にするしかない英国政府が不穏な噂のもみ消しに尽力した事もあり、春頃から市井に流れていた「ヤンキーが英本土からの撤退に備えて英国のあちこちに爆弾を埋めている」という風聞は戦時にありがちな噂話として扱われた。
 戦時には妖しげな噂が流れるものであり「日本人の背後には爬虫類から進化した地底人がいる」とか「宇宙人の飛行艇が南ドイツの片田舎に墜落して回収しようとしたドイツ軍と宇宙人との間で戦闘になった」といった噂話を、本気に取る者は立場がある層ほど少なかった。

 ルメイ少将は猛将としての一面が知られているが、本質的には知将であったと見るべきだろう。
 作戦以下の次元では世界最高に近い策略家である彼が第三帝国打倒計画(神経ガス大量散布によるルール工業地域殲滅)と平行して練り上げた、英本土撤退時における遺棄戦力の処分計画は完璧であった。
 それはメキシコシティでは不完全に終わった都市破壊作戦の完成形だった。


 米軍は撤収に成功した。突発的な機関不調により速度が出せず殿となった戦艦サウスダコダを始めとする一部の艦船は、Uボート部隊とアイルランド空軍攻撃隊による集中攻撃で沈んだが、兵員の9割以上は北米本土へ帰還した。
 協定軍が想定外の事態に混乱していた為でもあるし、イングランドでの消火や避難誘導、負傷者の救護などに手を尽くさなければならなかった為でもある。

 自軍の追撃に当たる協定軍戦力を減らし撤退時の損害を押さえ、英国が対米戦へ加わる余裕を奪い、遺棄した重装備や燃料弾薬を敵に渡すことなく処分し、本土決戦の準備に必要な時間を稼ぐ。軍事的には見事な成果であった。

 英本土が受けた損害の影響により、42年春に予定されていた協定軍のノヴァスコシア方面上陸作戦は無期限の延期となる。
 協定軍が北米へ向かう攻め口を一つ潰した訳であり、くどいようだが軍事的に見れば意義のある行動であった。


 因果応報かもしれない。
 7月14日の惨劇は昨日までの同盟者に対する仕打ちという点で、英国軍がブレスト港のフランス軍に対して行った奇襲と同様の行為であった。カエルの子はカエルであり、アメリカ合衆国の親は大英帝国である。


 なお、英国首相ウィンストン・チャーチル氏はこの事件の後、姿を消す。
 戦艦サウスダコタに座乗していて諸共に沈んだともロンドンの惨劇を知って服毒自殺したとも言われるが、何にせよ彼は未だ遺体すら見つかっていない。

 彼だけでなく元首相ネヴィル・チェンバレン氏、労働党党首アトリー氏、オーキンレック大将ら軍の幹部たち、マウントバッテン卿を含めた王族と貴族達。それら多くの有力者や著名人が惨劇とその後の騒動の中で倒れ、あるいは消息を絶つ。
 英国王ジョージ6世と王妃エリザベスは後日、無事北米へたどり着いたと発表されたが、それ以降公式の場に姿を見せることはなかった。


 最終的には北米へ亡命した者も含めて、英国議会の代議士は過半数が消えた。
 官僚機構にも民間にも産業にも甚大な被害を受けた英国はこのテロ攻撃により統治能力を失う。
 ロンドン市とその周辺に蓄積された書類や書物、地図にフィルム、紙幣に証券。それら記録という記録のほぼ全てが灰となったからでもある。
 僅かながら持ち出せた書類もあるし、燃えていない場所に保管された写しも存在しているので全滅ではない。全滅ではないのだが、何処に何の書類があるのかすら分からない現状ではどうにもならない。
 証券取引所は燃え尽き、金融や保険関係を含めた有力企業が次々と倒産あるいは消滅した。


 惨劇の夜とそれからの二週間で、英本土はそれまでの二年余りの期間よりも痛手を受けた。
 1941年8月1日、英国に進駐した協定軍欧州司令部はイングランド地域に軍政を敷く。大英帝国は滅亡した。




     ・・・・・



  【1941年8月29日 午前6時16分 北アメリカ テキサス州 最前線付近上空】



 夏が終わろうとしていた。



 特徴的な紡錘形の胴体を持つ戦闘機が2機、北を目指し飛んでいる。
 塗装と識別表は日本軍のものだが、乗っているのは日本人ではない。

 戦闘機隊の分隊長、ラクチャート・スィークンシチャイ少尉は操縦桿を握りつつ、対地支援の出番が来ないことを願っていた。
 ラクチャートは誇り高き戦闘機乗りである。征空戦闘も敵機迎撃も望むところだ。しかし対地攻撃はやりたくない、命が幾つあっても足りない。

 彼の乗る戦闘機、P39改は素晴らしい兵器である。力強い発動機に頑丈な機体構造、絶大な火力、分厚い防弾版、素直な操縦性、信頼できる電子機器。前線の操縦士が求める性能が満たされている。
 原型の機体は異常振動やオイル漏れに悩まされたという話だが、現在はパナマ沖にいるはずの特設工作船ぱれるも丸船内工廠で生まれ変わったこの機体は不具合と無縁である。

 日本帝国の工業力も無限ではなく、彼らも積極的に鹵獲品や現地生産兵器を戦力として自軍へ組み込んでいた。
 改造改修を加えて採用された合衆国製戦闘機の中でも特にP39改は高く評価されていて、その姿形から日本兵達にカツブシなる愛称を付けられている。実際の話、P39改は前線の兵達にとり鰹節以上に毎日欠かさず欲しい代物だった。

 だが、P39改は対地攻撃には向いていない。速度が速すぎるのだ。歩兵の支援や戦車の始末はもっと遅くて安定した飛行特性の機種にやらせるべきである。
 耕耘機に人より速く走れる能力の需要がないのと同じ理屈だ。対地攻撃なら96式軽爆撃機でよい。

 P39改に搭載された37㎜機関砲1門、20㎜機関砲4門、12.7㎜機銃2門。素人なら、この火力を対地支援に使いたいと考えてしまうのも無理はない。だが素人に空のことを口出しされては困る。
 厄介なことに玄人である日本陸軍の操縦士達までもがP39改を対地支援に使っていた。強く反対する声をラクチャートは日本人達から聞いたことがない。彼らにとって迎撃機による地上攻撃は許容範囲の危険であるらしい。

 サムライの末裔達はそれで良いのかもしれないが、バンコクの富裕層出身者には付き合いきれない。故郷では親兄弟と婚約者が待っているのだ。
 何が何でも生きて帰る。尉官の義勇兵という、二重の意味で好き好んで戦場へ来た身であったがそれはタイ出身青年将校の偽らざる本音だった。


 彼に幾らかの余裕があれば自己の置かれた状況に可笑しみを感じただろう。合衆国の工場で作られ日本軍の工作船で改造された機体に、タイで生まれロシア式に訓練されたラクチャートが乗って、豪州人と共に戦っている。実に奇妙な話だ。

 二次大戦は航空機の戦いでもある。日独伊の協定軍主力、ロシア赤軍、そして合衆国軍。大戦の中で特に大規模な航空戦力を動かしたこの三勢力は、実を言うと基を同じくする教練形態によって飛行士達を育てていた。
 かつて党大会で「我々は西欧列強に対し半世紀は遅れている。追い付けなければ滅びるのみ」と主張した指導者により赤軍の航空戦力は急速に整備された。
 民族レベルでの合理性発揮と後発者の強みの合わせ技で、赤軍の操縦士育成機構は諸国空軍とは隔絶した大量教育が可能となる。

 30年代半ば、シベリア経由で亡命した赤軍将校により日本陸軍へもたらされた大量育成理論は、その当時陸軍内部で爆発的に拡大していた永田派ら改革勢力に受け入れられ、Gと呼ばれる秘密結社の戦略に取り込まれた。そして防共協定諸国の軍事交流で欧州に伝播する。
 合衆国もまた後発の強みを逝かす組織作りに成功し、ロシア式教本に手を加え自分好みにした大規模操縦士育成機構を手に入れる。新大陸で激突する航空兵力は兄弟弟子のようなものであった。


 開きっぱなしの無線から肉声が途切れ途切れに続いている。どうやら地上の味方が劣勢にあるらしい。
 ラクチャートは視覚と聴覚から得られる情報を組み合わせ、瞬時に作戦を決定する。肉眼でもPPI表示板でも味方管制局からの情報でも、周辺上空に敵機の影はない。敵は下側だけにいる。

 「これより降下し低空域の敵機排除に移る。付いてこい」

 僚機を引き連れてラクチャートは急降下した。眼下には数輌の味方車輌、いや一輌の戦車が数珠繋ぎに牽引する数台の荷車が列を成しており、その上と周りに難民達が群れ、動き、逃げ惑っている。

 彼らを襲っているのは数機の航空機、姿形から見てP40であるようだ。
 旧式よ鈍足よと協定軍の航空兵達に嘲笑われつつも、安価で使いやすく頑丈なこの敵機は未だに北米の戦場を飛んでいる。征空戦には不向きでも対地支援に使うなら充分な性能を持っているのだ。

 難民達から1㎞ほど離れた街道傍で燃えている複数の戦車は、敵か味方か解らない。どうでも良い。今は無視して構わない。戦場では生きている者にしか構う価値がない。


 程なく、3対2の戦闘機同士で空戦が始まった。上空に位置したことと機体性能の優位により、数の差は問題とならずP39改側が順当に勝利し、3機のP40は全て撃墜された。
 ただし完勝とはいかなかった。P39改一番機は最後の敵機を撃墜した直後に敵機の千切れ飛んだ翼と接触し、制御不能となって墜落したのである。



 翌日の正午近く、操縦席で半ば潰れていたスィークンシチャイ少尉の遺体を回収した日本軍偵察部隊は、回収不可能と判断したP39改の残骸を爆破処分する作業中に付近で行き倒れていた友軍負傷兵を発見し、救助した。

 その負傷兵、豪州軍第一機甲師団所属の戦車操縦士チャールズ・ギブスン伍長は戦車小隊の一員として前日朝の戦闘に参加していた。
 彼らは敵遊撃戦車6輌を撃破した後、難民達を追跡する敵戦車と随伴歩兵部隊を迎え撃ち撃退したが、その直後に現れた米戦闘機の襲撃を受けた。短くも激しい対空戦の結果、敵機撃墜1を引き替えにギブスンらの戦車小隊は壊滅する。
 液冷発動機搭載のP40は冷却装置が弱点であり、弱点に命中しさえすれば戦車の天蓋に搭載された12.7㎜機銃でも撃墜可能であった。態度に見合う域に達していたミラーズ中尉の技量は、戦車による戦闘機撃墜という稀な戦果を上げたのだ。

 ギブスン伍長は対地ロケット弾により破壊され燃え盛る戦車から只一人脱出できたものの、足を負傷しため満足に動けず丸一日かけて10キロほど離れた友軍戦闘機残骸近くまで這い進んで、そこで気絶したのである。
 前線基地への帰還後、ギブスンは治療のため難民達の生き残りと共に航空便でベラクレス市に輸送された。彼はこの空路で知り合った難民の幼女を12年後、妻とする事となるのだが現時点では知る由もない。



 戦局の悪化と国内の昏冥、そしてFBI長官暗殺疑惑から続く機密漏洩の連続により大義を見失い絶望した合衆国人達の一部は連邦外への脱出を試みた。
 テキサス南部の最前線でも難民は途切れることなく現れた。難民が連合軍勢力に見つかって捕らえられあるいはその場で殺される事件や、協定軍が前線で保護した亡命者を巡って戦闘が発生する事例も頻発した。
 協定軍は宣伝放送などで合衆国民に向け亡命の困難と危険を訴えたが、テキサスから南に向かう難民は増えはしても減ることはなかった。

 米国側とメキシコ側、最前線を挟んで対峙する両軍は近く訪れるであろう決戦の季節に備えるため守りに徹していたかった。8月末に最前線で起きた衝突も、軍上層部にとっては些事に過ぎない。

 機密文書が難民に紛れて運ばれている、という不確かな情報に浮き足立った米軍が前線へ戦力を逐次投入することも。
 敵の動きに過剰反応した協定軍が戦力を投射し、戦闘に発展することも。
 戦闘により難民の半分以上が死んだことも。
 今回に限れば実在した機密が、既に複数の経路で日本帝国に売り渡されていたものと同じであったことも。
 その機密書類、大統領命令文書の写しの内容には、今となっては政治的にも戦略的にも何ら価値が無かったことも。
 テキサス戦線ではありふれた日常であった。

 当時ベラクレス市に滞在していた北米総軍司令官、林銑十郎元帥は8月29日の日記にこう記している。「本日平穏。嵐の前の静けさか」、と。


 二度目の大戦の、三度目の夏が終わり始めた。
 未だ実感していない人々は多かったが、戦争も終わりが始めまろうとしていた。




続く。




[39716] その二十二『また会う日まで』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:59e4fefc
Date: 2021/06/14 12:12





            その二十二『また会う日まで』




 はじめまして、で良いのかな。
 私が此処の責任者だ。院長とでも呼んでくれたまえ。
 Dr.でも構わないよ。医師免状と博士号は持っているから。



 待遇に不満があるそうだね、ウィンリガル君。

 結構なご身分じゃないか、冷暖房完備の個室に毎日取り替えられるシーツ。三度の食事は不味くないし栄養学的に完璧に配慮されていて、菓子やビールも出る。週に一度は庭を散歩できるし、差し入れもあるんだろう?
 本棚には漫画雑誌まで置いてあるじゃないか。

 どれどれ‥‥ 覆面でマントにタイツ姿のヒーローが連合艦隊を沈めまくる話が載ってる号か。
 同じ人物が大統領殴って説教している号は職員に持って行かれた? 

 ああ、あっちは絶版になったからね。そのうち希少品扱いで高値が付くかもしれないと考えたのだろう。
 漫画雑誌であれ備品には違いない。隠匿した職員には返還させるよ。

 ふむ、やはり娯楽作品は検閲だの愛国運動だのと無縁な方が良いな。早く戦争が終わって欲しいよ。



 解っている。君の不満は尤もだ。
 この四ヶ月間、君は外部の情報からほぼ遮断されていたからね。我々の手落ちだ。今後は当日の新聞なども差し入れ品に入れておこう。

 ラジオ番組の鑑賞も昼間限定で許可する。夜は音が響くから駄目だ。知っての通り、ここの住人には不眠症を患っている者が多くてね。君も不眠症を患う前に朝起きて夜眠る生活を習慣づけることをお薦めするよ。


 自由は与えられない。君には過去27年間と同じく将来的にも、少なくとも今次大戦が終わるまで自由は存在しない。

 違う。君には此処に来る前から自由は存在しなかった。我々は与えないだけであって、君から自由を奪ったわけではない。


 過去の人生で君が行使していたのは自由ではなく、無責任だよ。
 自由とは己が己の行動に責任を持つことだ。責任と切り離された自由は存在しない。自由は貴く重たい宝物なんだ。責任を負おうともしない者に自由は渡せない。


 君は犯罪者なのだよ、それも悪質な。一部の人権が制限されるのも当然だ。
 君よりも更に悪質な犯罪者は世間に掃いて捨てる程もいるが、それら凶悪犯より幾らか増しな程度では野放しにする理由に成らない。


 良いかね、まず無許可で広域無線放送を行うことは違法だ。公に使われる受信帯を私的に占拠する事は爆弾テロと同じく市民と社会にとって危険で有害な行為だ。
 君が私的に流した電波により公的機関の活動に支障が出たらどうする気だったのかね? 急病人が助けを求めている電波を妨害してしまったらとか、考えていなかったのだろう? だから君は無責任に過ぎると言ったんだ。


 知らせる権利の追求? 情報発信の大義? 

 それらを求める前に、なぜ既存の報道機関を利用しなかったのかね。
 ロサンゼルス自由放送はずいぶん前から対外向け宣伝放送の原稿を募集しているよ。

 君の主張したかったことはそこで表現できたのではないかな?
 ニューヨークの三文新聞屋が垂れ流している「ロサンゼルス市街で街灯一つ一つに反日行為の咎で市民が吊されている」などという荒唐無稽な宣伝放送を否定する声を、公共の場で挙げられた筈だ。

 他の放送局でも、なんなら日本軍の宣伝放送でも同様の原稿を募集し続けているじゃないか。初手から海賊放送を選ぶ必要があったのかい?


 実名を出さない報道では説得力に欠ける? 危険を冒してこそ効果が出る? なるほど、なるほど。

 そのとおりだ。
 今行われている宣伝放送の匿名性は、戦果よりも安全性を重視しているからに他ならない。
 君の主張していることなど百も承知で政府や放送局は電波を扱っているのだよ。



 読みたまえ、君が拘束された翌日に合衆国東部で発行された新聞の切り抜きだよ。
 ニューヨーク市グリーンポイント地域に店舗を構えていた仕立屋が「自由と正義の闘士達」によって誅された義挙だそうだ。つまりは暴徒による私刑(LYNCH)で、罪状は侵略主義的黄色人種帝国への内通だ。

 解らないか、当然だ。君とは何の関係もないよ、ウィンリガル君。この不幸な仕立屋、パトリック・ジョンソン氏は君と全く関わり合いがない人物だからね。
 ただね、困ったことに仕立屋のジョンソン氏にはジョナサン・ウィンリガルという甥っ子がいたのだよ。メキシコ戦線で任務中行方不明になった22歳の陸軍上等兵が。

 良いかね。仕立屋のジョンソン氏にコロラド州の農園主ウィンリガル氏と結婚した姉がいる事や、その息子であるジョナサンという甥が居る事は近所の人々も知っていた。君と同姓同名の青年は筆まめでね、叔父の所へも時候の挨拶を欠かさなかったし仕立屋一家の冠婚葬祭には少ないながら為替や小物を贈っていたのだよ。

 不幸なことだ。
 君の違法放送を聞いた人々に、西海岸で海賊放送を行った者と同姓同名であった、只だけの理由でジョンソン上等兵は裏切り者にされてしまった。仕立屋とその娘は巻き添えだ。


 解るかね? 君が流した電波の影響で、君と同姓同名であること以外無関係な甥っ子のジョナサンが日本軍の走狗になったとの言いがかりを付けられたから、仕立屋のジョンソン氏は店の軒先に吊されたのだよ。内通の容疑でね。
 現在の合衆国では、日本産の観賞魚を飼っていたとかの理由でも対日協力者容疑の対象になるんだ。敵の宣伝工作要員になった甥っ子とこまめに通信していたとなれば、暴徒に狙われるに充分だった。

 紙面には載っていないが仕立屋の一人娘は中学校へ上がったばかりでね。父親が吊された後に、彼女は地元民有志が自宅地下室に造った私設矯正施設に送り込まれたのだよ。つまりは暴徒による拉致監禁だ。
 そして、数ヶ月に渡り性的なものを含む虐待‥‥より正確に言うなら拷問を受けた。

 正気の人間が私刑など行う訳がないだろう。寝ぼけているのかね、君は。


 与論は常に私刑であり私刑は常に娯楽である、と言ったのは誰だったかな?

 多くの人はだね、自分に正義があると確信すれば躊躇いなく行動に移るし、数が多ければ論理や倫理に関係なく自らを正義であると誤認するのだよ。数は力であり力は正義だからね。
 少数どころか只一人になっても己の正義を疑わない者もいるが、それは少数派だ。

 正義を確信した人間のやることは何時も同じだ。後先なんか考えない。


 幸運だった、と言えるのかな? 
 良心的な地元住民による情報提供のお陰で、彼女と他数名は日本軍の特殊部隊に救出された。つい先月の事だ。

 心配無用だ。隠蔽が上手くいったから現地では他派閥の暴徒に私設矯正所が襲撃されたことになっていて、囚人達は籠城した監禁側暴徒諸共焼け死んだことになっている。
 現地協力者の元で被救助者たちは保護されている。遠くないうちに西海岸なり欧州なり、より安全な場所へ移されるだろう。

 できるのさ。当局の目をかいくぐって人を運ぶことが。
 合衆国内の人身売買組織が逃がし屋、つまり「秘密裏の国外脱出を請け負う闇業者」に化けて亡命を望む市民達を騙して奴隷市場に売り飛ばしている‥‥と、いう話は知っているかな?


 偽逃がし屋による被害者の一部は保護されているし、更にその一部は西海岸の療養施設で治療されている。

 なぜ逃がし屋の偽物なんて商売が成り立つか、答えは一つだ。
 本物の逃がし屋、合衆国から脱出させてくれる団体が実在するからだよ。

 考えてもみたまえ、存在しないブランドの偽物は存在しようがないだろう? 本物がいなくてはそっくりさんに意味はない。


 自然界には猛毒の蛇そっくりに擬態する無毒の蛇がいるが、本物が絶滅してしまえば成りすましは廃業するしかない。
 16世紀末に日本の戦乱が鎮められ、和冦と呼ばれた日本人海賊の活動が治まると偽物の和冦、チャイナ人やコリア人が成り済ましていた偽日本人海賊達も消えてしまったようにね。

 どんな業界でも偽物が蔓延るのは本物が残っているからだ。本物が撤退した市場からは偽物も消え失せる。日本の話を続けるならば、19世紀半ばに欧州向け醤油の需要が粗悪品の氾濫で潰されてしまい、それから100年かけて復活しつつあるように。

 醤油は、あれだ、君が昨晩に食べた牛肉串焼きのソースだよ。正確には醤油に蜂蜜と香辛料を混ぜたものだ。


 実在するのだよ、彼ら逃がし屋は。
 ファットマン、リトルボーイ、グラマーガール‥‥君も噂には聞いているんじゃないかな?
 妖しい外国人風の工作員、だけで長期の潜入活動が出来る訳がない。現地に密着した協力者、それも社会的地位のある白人男性が必要だ。教養と資産と名声が高いと更に良い。

 合衆国に限らず、社会的な信用がないと何も出来ないからね。「身なりの良い、温厚な紳士然とした、初老の白人男性」である人物と「薄汚れた作業服姿で、血走った目つきをした、黒人青年」の二人のうち、君はどちらを危険視するかな?

 大概の人が前者を信用する。現にアルバート・ハワード・フイッシュは保護者を騙して幼子を自分に預けさせた訳だし。
 後者に預けても、ろくな事にならなかったであろう可能性は高いけどね。
 ん? フイッシュを知らないのかね? では次の差し入れに彼を研究した書籍を入れておこう。


 革命も売国も富裕層、インテリが企てるのだよ。もちろん国を傾けるのも連中だ。フランス革命だって学のある小金持ちどもが原因を作って、始めて、暴走して、自滅したのだから。

 勿論ルイ16世の罪は重い。
 人として弱すぎたのだよ。彼が曾祖父の1割でも横暴さと冷酷さを持っていれば、連合王国ではなくフランス王国が日の沈まぬ大帝国となっていただろう。



 そんなわけでね、地元出身者の工作員で構成された諜報部隊がロッキー山脈の向こう側で活動しているのさ。
 日本軍が優位に立っている理由の一つだ。情報は戦いの基礎だよ。
 綺麗事なら只ででもやりたがる者はいる、汚れ仕事に就く者こそ優遇しろ‥‥と孫子も言っている。

 インテリのブルジョアは簡単に国を売る。国家の世話にならずとも生きていける、と本人達は考えているからね。
 宿主の体調に気を使う寄生虫は、宿主が死ぬと自分が困る種類のものだけだ。


 かつては日本帝国内にも、合衆国の指令を受けて動く日本人で構成された反日工作員集団が存在していた。
 赤坂事件などはこの連中が焚きつけていたのだが、40年12月23日のエンペラー暗殺未遂事件を最後に動きを見せないところを見ると組織としては壊滅したのかもしれん。


 軍関係に色々と伝手(CONNECTION)があってね。公的でない情報も入ってくるのだよ、私のような立場だと。
 この施設の入居者たちも、実に多種多彩な経歴と事情の持ち主ばかりでね。

 君に話しても何ら問題ないよ。君が外部に情報を漏らすことは当分の間、出来ない。
 もし出来たとして誰が信用するのかな? 君の言葉を。



 ここが嫌なのかい? ウィンリガル君。精神病患者用の隔離施設が。

 この病棟は大人しい患者達を集めているのだがね。隣部屋のサイモン氏はピンクの象がいつのまにか背後に立っていて微笑んでいる幻覚、を見る事以外は問題ないぐらいだし。
 まあ、彼は後ろで笑ってる象に向かって発砲してしまったからこの施設に入っているんだが、武器さえ持たせなければ安全だよ。うん。

 三部屋向こうのラッセル氏は困った症状でね。朝昼晩に自分の血を採って、赤熱するまで炙った針金で焦がすという検査をしないと気が済まないんだ。
 彼は人間そっくりに化けた怪物が社会に紛れ込んでいる、という妄想に取り憑かれていてね。なんでも、怪物の血に灼いた針を漬けると血が悲鳴を上げるのだそうだよ。

 彼は自分を含めた人間が、いつの間にか怪物にすり替わっているんじゃないかと脅えているんだ。彼と話す前には血液検査をしてみせなくてはならんのが面倒でね。ほら、私の左親指には絆創膏が貼ってあるだろ?

 ダイナマイトの束とライターを使って脅しあげ、血液検査させようとした職場の同僚達に取り押さえられて、ラッセル氏は此処に送られてきた訳だ。
 読書家の職員によると、何年か前に出版されたSF雑誌にそっくりな内容の短編が載っていたという話だから、ラッセル氏はそれを出張先で読んでいたのだろう。アラスカの冬は長いからねえ、どうしてもおかしくなる人は出る。

 ラ・マンチャの男じゃないが、物語と現実の区別が付かなくなるという症状はありふれているんだ。
 頭のおかしな人は‥‥たとえば悪役を演じた俳優や芸人の家に石を投げる輩とかは、世間に溢れるほどいる。キホーテ卿は現実から物語の中に填り込んだが、彼らは物語が現実に入ってきている。

 もっとも、物語よりも現実味がないのが昨今のご時世だがね。
 本当に、血を灼いて怪物か否かの判定が出来るならどんなに良いことか。


 先日、隣の病棟に入ってたサイモン・ワイリー君は血液を灼いても悲鳴が出ない系の怪物でね。ロサンゼルスの繁華街へ、防毒服にガスマスク姿で乗り込んで原液のままの農薬を撒き散らしたのだよ。
 その農薬というのがまた凶悪な代物でね。原液を呑み込もうものなら地獄の苦しみを味合う上に、治療を受けて一旦は回復しても後遺症に苦しみながらじわじわ弱って死んでいくのだよ。

 動機? 人間が害虫のように慌てふためいて逃げ惑う姿を見たかったのだそうだ。精神鑑定で責任能力なしとみなされて此処へ送られてきたのだよ。
 貴重な研究対象であることは確かだね。ワイリー君を研究すれば、類似する精神的怪物が誕生する仕組みやその見分け方などが解るかもしれない。彼はまだ12歳だから、観察と研究をする時間は充分にある。




 君は狂人だよ、ウィンリガル君。精神科医として断言してあげよう。


 肉体的に完全な健康体はまずいない。みな、何処かに問題を抱えている。近視や歯肉炎や痔瘻や腰痛、腋臭や水虫だって立派な病気だ。
 入院して医者の世話になっていないから、人は己や他人を健康体だと錯覚しているだけだ。

 同じように正気の人間も存在しない。どうにかこうにか社会生活を送っている人間が多いから、人々は正気という虚構を信じていられる。

 私も狂人だ。8歳の時、私は既に狂っていた。18歳の時も狂っていた。28になってようやく、己の狂気を自覚した。きっと今も狂っているだろう。

 狂人が狂人を閉じこめる場所なのだよ、ここは。より多数の、より人間社会に貢献する狂人のためにね。



 ああ、言い忘れていた。
 医学的にはまだ堕胎が可能な状態なのだが、ジョンソン氏の娘は出産を望んでいる。子供に罪はない、とね。感染していた性病も投薬で治せるものなので治療中だ。
 だが整形手術を受けても身体に傷が残るだろう。残りの一生、杖を手放せない可能性が高い。




 まあ、氷入り冷やし珈琲でも飲んで落ち着きたまえ。そしてこれらの記事と記録の数々を読むんだ。

 これらの被害、いまここに関連する記事がある数十件の事柄はジョナサン・ウィンリガルなる人物が四ヶ月前に海賊放送を行った事を切っ掛けに起きている。
 たった四日間、総計12時間余りの無許可海賊放送でこの有様だ。君は加減や適度という言葉も知っておくべきだった。

 殆どは濡れ衣と巻き添えだが、君と実際に関わりのある事件もあるよ。
 ほら、サウスカロライナの君の母校が暴徒に焼かれて半壊したあとの写真だ。売国奴を輩出した学舎への懲罰だそうだ。生徒や教職員に被害が出なかったのは奇跡だな。

 言うまでもないがこれらは氷山の一角だ。記事として残らなかった事件は10倍では効かないだろう。


 確かに、君が何もしなかったとしても仕立屋のジョンソン氏はリンチに遭っていたのかもしれん。「家の郵便受けを赤く塗っていた」とかの理不尽な言いがかりを付けられて、ね。
 極東の民主活動家を自称する輩によれば、郵便受けが赤いのは親日派の印だそうだよ。
 連中の言葉を一々気にしなさんな、どうせ大したことは言っていないんだから。


 君の母校も焼けていたのかもしれん。日本軍の飛行爆弾は的を選んでない事だし。

 だがそれを、彼女の前で言えるかね? 父親を目の前で殺されて凄惨な拷問と陵辱を受け、この先の人生を望んで負ったわけでもない重荷を抱えて歩まねばならない12歳の少女に。
 ロッキー山脈の向こう側で死んだ人々と今この瞬間に死んだ方がマシな目に遭っている、数百の人々に向かって言えるのかね?

 自分は悪くない。悪いのは理性も徳性もない暴徒と、暴徒の存在を許してきたお前ら自身だ、と。


 それとも日本軍に責任転嫁するかね? 彼らが、戦いもせず降伏して彼らの元首にして信仰的代表を処刑台へ送らなかったのが悪い、と。同胞の半数以上が餓死するであろう制裁を甘んじて受けなかったのが悪い、と。


 そう主張する人々はそれなりにいるよ。家畜が人間様に逆らうからだ、と。

 日本人はね、家畜なのだよ。古代チャイナ人の労働力兼食肉用の家畜として飼われていた亜人類が、紀元前2~3世紀あたりに逃げ出して東の列島に住み着いたのが日本人の起源だ。
 長い年月の末に野生化した家畜が知恵を付け、武器を手に入れ、元飼い主へ復讐する機会を執念深く窺い続けてきたのが日本人の歴史なのだ。


 妄想だよ、勿論。
 中華思想ってやつだ。幼少期をチャイナで過ごし、現地人の従僕や家政婦に囲まれて育った合衆国人には似たような観念を抱いている者は多いよ。

 真実はみな妄想だ。
 忘れたのかな? 生娘が子供を宿し産む与太話を、毎週日曜日の朝っぱらから集まった大人達が大真面目で読んだり読ませたりしている社会風土なのだよ、ここは。


 誰にだって自分好みの真実がある。ボストン市の大通りを「政府は直ちに日本帝国への兵器輸出を停めよ」と主張してデモ行進している人々のようにね。

 ん? ああ、結構いるんだよ。今次大戦はルーズベルト大統領の陰謀で続けられていると信じる層が。
 彼らによると日本軍の艦も飛行機も車輌も合衆国の工場で作られた代物で、大統領が彼らに売りつけて合衆国軍と戦わせているそうだ。
 だから大統領一派が日本向け兵器類の密輸出を止めれば、戦争はすぐ終わると主張しているのだよ。

 さて? 猿に近代兵器を造れる訳がないから、じゃないかな? 
 私としては人の作った武器を使う猿に負けるだけでも、人間辞めたくなる屈辱だと思うんだけどねえ。





 まあ、なんだ。
 君と違ってカルフォルニア政府もロサンゼルスの役所も、もちろん殆どの市民もそれぞれが考えて行動しているのだよ。その結果が社会秩序となる。
 不効率で不合理だ、と君が考えている法や規則にはそれなりに根拠と正当性が存在するんだ。


 さて、困ったことに君のやったことを裁ける法は「電波法違反」と「公務執行妨害」ぐらいしかない。機密漏洩罪や利敵行為の対象とするには無理がある。
 かといって法に頼らず闇で私的制裁するのは、拙い。

 費用対効果だけで言うとね、君にはヘロイン中毒にでもなって貰って薬物治療院に放り込むのが一番安上がりなのだよ。
 ただ、君は注目を集めすぎている。日本軍の目があるからには、君を迂闊に殺したり廃人にしたりするのは危険だ。

 カルフォルニア州は文明国だ。そして今、文明国であると保証している後ろ盾は日本軍、いやイマムラ大将だ。
 イマムラ将軍は文明的であらんとしている人物でね。タスキーギ実験の顛末を知って大いに憤慨しているぐらいだ。

 君一人を始末するのは簡単だが、完全に隠蔽しきることは難しい。秘密は必ず漏れるものだ。
 我々は日本軍の逆鱗に触れたくないんだ。もっとも、彼らの逆鱗が何処に何枚あるのかは良く解ってないが。


 逆にいうと君が殺されたら、殺した者の罪を問わぬ訳にはいかないのだよ。文明国ではね。
 日本軍から文明国でない、悪鬼畜生の類だとみなされる恐れのある行動は取れない。
 だから君が殺されると、知らん振りできないから我々にとっては拙い。

 いるさ、何人も、病院の外に。君に小さな鉛製品のプレゼントをあげたい者が。
 君の迂闊な行動で大勢が被害を受けた。被害者の身内はロス市内にもいる。

 私の同業にも君の所為で約束していた息子の誕生パーティに出れらなくなった男がいるよ。お陰で奴さん離婚の危機だ。
 酒場で君と出会ったら、銃弾とまではいかずともビールの空き瓶ぐらいは飛んでくるんじゃないかな?




 釈放されない理由は理解できたかね、ウィンリガル君。

 君を解き放てば、加害者になるにしても被害者になるにしても人生を棒に振る市民がまた増える。
 だからほとぼりが冷めるまでこのまま檻の中にいて貰う。
 君の自由や人権よりロス市内や他地域の誰かの未来の方が大切なのだよ。遙かにね。

 市長はそう判断した。個人的にだが私もその判断を支持する。


 如何にも。市長も私も地獄に堕ちるだろう。権力を私的運用する者に相応しい末路だ。


 さようならウィンリガル君。主のお導きがあればまた会おう。




続く。




[39716] その二十三『未知の昨日、既知の明日』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:59e4fefc
Date: 2021/06/17 11:02






            その二十三『未知の昨日、既知の明日』




 勝者は決して進歩しない。

 新天地を目指す者は常に負け組である。人類の歴史もチンパンジーの祖先となった同胞に縄張り争いで敗れ、森から追い出されたときから始まっている。
 日本とアメリカ。二十世紀の半ばに激突した二つの帝国も敗者からの巻き返し組であった。

 アメリカ合衆国の源流は英本土から追い出された狂信的宗教集団である。開拓の第一陣として北米大陸へ踏み込んだ者たちは、邪宗として討伐されるよりは、と故郷を捨て新天地に乗り出した敗残者だったのだ。
 彼らに続いた者たちは欧州から、そして世界各地から流れ着いた食い詰め者だった。植民地は人間の捨て場所であり、元居た場所で問題なく暮らしていける甲斐性や協調性を持つ層が行く場所ではない。

 合衆国人の歴史は敗者として始まり弱者として続いた。だからこそ彼らは先祖が世界一の大国へ我を通した独立戦争とその勝利を誇る。



 文明論的にいうと日本の敗北はこれまで三回、元寇も含めるのならば四回あった。
 唐との戦いで巨大文明の、元寇で世界帝国の、黒船の来寇で産業革命の力を見せつけられた。何れも国家や民族の形態に致命傷を及ぼすことこそなかったものの、敗北には違いない。

 四度目は前大戦である。一次大戦は日本文明にとっての敗北であった。

 軍事的には勝っている。日本陸軍はドイツ製永久要塞をほぼ無血で陥落させ、祖国を列強諸国へ名実ともに一等国と認めさせたのだから。
 しかし文明としては欧米諸国に惨敗した。大戦の戦禍は日本人たちの想像を絶する凄まじさであり、死と破壊を欧州の大地に撒き散らした。

 一日あたり数個師団の将兵が消し飛ぶ地獄の如き消耗に、西部戦線へ赴いた観戦武官たちは戦慄する。北フランスの前線ではどこもかしこも、かつての203高地を越える殺戮が繰り広げられていたのだ。

 勝てない。
 現状において欧米列強群との総力戦は必敗である。一国や二国となら距離と地勢を活かせば守りきれるかもしれないが、列強が数カ国束になってかかってくれば手の打ちようもない。
 その目で欧州大戦を見た極少数と彼らがもたらす情報を理解した少数の日本人たちは、二十世紀版の維新を決意した。

 変わらなければ負けてしまう。技術の進歩により世界は狭くなる一方であり、五度目の文明的敗北を迎えたならば日出ずる国は滅亡あるのみだ。
 概念的な亡国ではなく、物理的、遺伝子的な意味で生き残れない。地図の上にも史書の中にも残れないだろう。
 地球と同重量の奇跡があれば、フィリピンより幾らか待遇が悪い植民地となれる。

 日本帝国は欧米諸国から、特にアメリカ合衆国からの敵意を集めすぎていた。

 合衆国的世界観からすれば、異教徒の有色人種国でありながら列強の末席と認めざるを得ない力を持つ専制国家など存在を許せる訳がない。彼らにとって日本は悪の化身であり、自由と信仰と秩序と道徳と文化と平和と人権の敵なのだ。
 日本人達はミカドをツァーリやキングと一緒にするなと言うだろうが合衆国人には馬耳東風。聞き入れるわけがない。

 アシダカグモやゲジゲジをスリッパで叩く主婦と同じく、嫌いだから合衆国人は君主制を憎むのである。そこに理屈はない。
 いくら害はない、むしろ益虫であると訴えても虫嫌いの人は虫である以上絶対に不快害虫を許せないように、君主という名の生け贄であるとしても合衆国人は許さない。
 先祖が英国貴族の一員となれなかった僻みを八つ当たりされる側はたまったものではないが、無理が通れば道理は引っ込むし、隔絶した暴力があればどんな無理も通せる。そして合衆国の持つ暴力は20世紀に入った時点で全世界の半分に達していた。

 黄色人種は精々が洗濯屋か庭師として、合衆国市民のお零れに預かって媚びへつらうならば生存を許す。そうでないのなら駆除あるのみ。
 極東の小島に住まう蛮族(INDAN)、滅亡させた後でなら演劇や小説の悪役として出番が許される存在。それが日本人に対する合衆国人主流派の認識だった。


 故に合衆国主流派は1世紀近くの時を掛け、丹念にそして執拗に準備を進めた。ペリー来航以前から休むことなく策を練り謀を巡らせ続けた。

 彼らの思惑どおり、日本帝国は大陸に深入りし海洋に広がった。日本人の望んだ国威の高まりと共に列強諸国の警戒心も高まった。
 彼らの思惑どおり、日本の軍備、特に海軍が国力と不釣り合いなまでに肥大し何もかもを圧迫した。

 社会の歪みは国家大戦略すらも捻れさせ、日本帝国は傾きはじめた。島国の猿は遠からずして戴く君主ごと破滅の坂道を転がり落ちるはずだった。



 合衆国の目算が狂った事が誤魔化し切れぬ域で表に出たのは1932年5月半ばの事だった。世に言う5・15事件である。


 日本海軍の不穏分子による首相暗殺を発端とするこのクーデター未遂事件は、海軍将校団と陸軍憲兵隊による市街戦にまで発展した。
 相次ぐ要人の殺害、皇軍の相撃による陸海双方の死傷者続出だけでなく戦闘の巻き添えとなって民に多数の犠牲(犬養邸襲撃事件によるものを含まず)が出る事態にヒロヒト帝は激怒した。
 その怒りは彼自身が近衛師団を率いて事態の収拾に当たった程に激しかった。彼が率いた部隊が一発の弾も撃たずに済んだことは、日本の民衆にとってせめてもの幸いであろう。


 皇軍が双撃し帝都市街に銃弾が飛び交う。これだけで大不祥事である。

 不祥事なのだが、発端となった犬養邸襲撃事件を‥‥海軍の現役将校が予算配分への不満を元にする憤激から現職の首相を始めとする政府高官たちを射殺した蛮行の、真相を追及していくと更に救われない話となる。

 犬養邸へ押し掛けた海軍青年将校たちを「話せば解る」と説得しようとして撃たれた犬養首相や床次通信大臣は、いわゆる軍拡派であり海軍の予算増を容認していたからだ。
 軍事の専門家でない両大臣をして「無理だ」と判断せざるを得ない空想的軍縮予算案は、前政権の政策であった。
 同年初春の選挙とその結果である政権交代は、国家財政と産業基盤だけでなく外交と国防体制に致命的損害を与えつつある憲政会政治を打倒するという意味も持っていた。

 では何故に首相たちは撃たれたのか?

 当時の陸軍軍人たちの殆どが呆れかえったことに、その日官邸へ押し掛けた海軍将校たちは何も知らなかった。
 問題の予算案を誰が言い出したのかとか。
 そもそも現政権は何処の政党で、どのような政策を掲げているのかとか。
 現時点での予算配分はどうなっているのか。
 そういった事を全く気に留めていなかったのである。

 犬養政権に変わった結果、海軍予算案が修正された事。いわゆる浜口軍縮の前よりも更に増えた事実を首相の元に押し掛けた海軍青年将校達は知ろうともしなかった。


 これは別段、珍しい心理状態ではない。
 スズメバチに刺されて痛い目を見た人間が大の虫嫌いとなり、ミツバチやクマバチまでも見付け次第駆除しようとするようなものだ。そういった人物は周りからどれほど「その蜂は刺さない」と言われても聞き入れない。
 原因を求めるならば、政治と軍事を切り離そうとした大日本帝国の構造的失敗であったのだろう。尤も、切り離さなければ19世紀中に明治政府は軍により打倒されていただろうから、元勲たちを責めるのも間違いであろうが。


 日本帝国の軍人は選挙に行かない。投票する権利も立候補する資格もないからだ。
 選挙に関わらないということは政治に参加できないということであり、参加できないことに興味を抱く者は極少数派である。

 実質的創設者の影響か「触れるな、だが注視せよ」という姿勢で政治に興味を持つ将校の多い陸軍と異なり、海軍は「政治に関わらず」という座右の銘を掲げる組織文化であり、政治へ真摯に向き合う士官は少数派であった。
 昭和初期、殆どの海軍将校は政治に何も抱いていなかった。興味も関心もないのだから、政治を知ろうとする意識すら湧いてこない。無関心は無責任と直結している。

 人間の心理として、地球の反対側で見ず知らずの孤児が餓死寸前である事よりも、隣家の飼い犬が今日の夕食を貰いそこねているらしい事の方が気になるのは当然だ。関われないことにまで責任を持てというのは理不尽に過ぎる。


 というわけで、大多数の海軍将校にとり政治家と政党はどれも全て一緒くたの害悪に過ぎなかった。
 若槻礼次郎も犬養毅も、彼らにとっては同じ穴に巣くう害獣であり「問答無用」で駆除すべき対象でしかない。



 5.15。かつて干犯と乾パンの区別も付かない大衆を煽って国政を揺るがせた男にとり自業自得であったかもしれないこの事件は、岡田海軍大臣ら海軍高官の辞職と予備役編入そして現役将校への大規模粛清人事をもってしても収まらなかった。

 僅かな時をおいて更なる不祥事が巻き起こったのである。
 当時の日本人というか、無責任な大衆には「腐敗した金権政治屋」たちを血祭りに上げた5月の事件に喝采を送った者が少なくなかったが、半年後の11月11日に起きた赤坂事件に対しては態度を一変させた。


 その日の朝、海軍の不穏分子、現役及び予備役の将校と下士官計39名が決起し、政治結社の構成員200名余りを引き連れ赤坂離宮を襲撃した。当日離宮に滞在していたはずの、皇族である海軍某大将を人質に取ろうとしたのだ。

 しかしこの企ては些細な偶然により失敗する。
 前夜離宮で秘密裏に行われていた会合へ参加していた、件の皇族提督はとある事情により宿泊をとり止め日付が変わった頃に離宮を離れていたのだが、唐突かつ秘められたその行動を襲撃者たちは掴み損ねたのだった。

 襲撃そのものは実行された。
 離宮を制圧し、熟睡していたため逃げ遅れた会合参加者の一人である海軍某中将を人質にとって籠城していた決起部隊に対し、鎮圧に関する全権を委任された海軍は開発されたばかりの陸戦用大口径奮進砲弾数十発を打ち込むという暴挙に及ぶ。
 結果、赤坂離宮とその庭園には爆薬の代わりに砂を詰めた30㎝奮進弾の弾頭23発が突き刺さった。
 砲弾の示す圧力と上空から飛行機で撒かれた大量のビラに、決起部隊の士気は砕かれる。

 曰く、 
  「まだ間に合う。降伏せよ。
   投降するものは罪一等を減ずる。
   刃向かうものはすべて射殺する。
   汝らの名は逆賊として残されるであろう。
   24時間だけ待つ」


 翌朝、離宮に白旗が上がった。
 首謀者7名は自決。残りの者たちの多くが投降し、一部の者は逃亡を図り捕縛された。



 半年前の事件には「君側の奸を討つ!」という動機そのものは理解できると共感を覚えた大衆も、赤坂事件‥‥此度の御寝禁をお騒がせるどころではない不義不忠へは激しく反発した。

 宮殿を襲撃し皇族を害そうとした不穏分子たちの言い分が「俺たちにいい目を見させろ」でしかなかった為に、彼らへの視線は更に冷たいものとなる。
 常日頃から、海軍へは既に充分すぎる程の予算と名誉が与えられている、と日本の大衆は確信していたのだから。


 前年夏の浜口蔵相暗殺事件も含めれば三度続いた不祥事の結果、海軍の威信は傷つけられ政治的発言力は低下した。以後四半世紀に渡り、日本の首相に海軍出身者が就くことはなかった。


 合衆国の戦略に齟齬が発生した事が、一連の事件とその後始末の中で明らかになった。
 後に合衆国海軍の駐在武官が報告書へ纏めたように、日本人達の主流勢力は何年もあるいは更に前から、勢い任せの暴発ではなく長期的視野に立った国家改造を選んでいたのである。

 日本人達は超人でも優良人種でもない。だが世紀単位で計画を立て実行する希有な能力を持っている。
 もちろん実行できることと成功することは違う。成功したからといって幸福になれるとは限らない。だがそれでも彼らは止まらなかった。
 過去に何度か、近い例では19世紀半ばや17世紀初頭にあったように日本人達は世紀単位の時間を見越して国家運営の計画を立てた。20世紀前半から半ば過ぎにかけて計画を実行した者たちはGと呼ばれた。



 ロシアのコミンテルン。スペインのファランヘ。イタリアのファシスト。ドイツのナチス。チャイナの青幇。
 それら覇者以外にも負けて滅び、潜伏を余儀なくされ、あるいは舞台に上がったものの人々の記憶に残ることなく退場していった弱小諸勢力も数えれば幾つになることやら。

 二十世紀は秘密結社の跳梁跋扈する時代であり、世界大戦は秘密結社の闘争でもある。
 メイン・プレイヤーとして最後にまで残った二つの帝国も、その内部に巣くう結社によって動かされていた。

 移民国家ゆえに合衆国は他の列強国と比べ土地的な繋がりが緩い。その反動として強烈な縁故社会なのだ。何をするにしても対人的な繋がりが必要となる。
 合衆国の大学生は、極論すれば全てが秘密結社の構成員だ。その大半が日本でいえば俳句同好会などに当たる緩い集まりなのだが、一割ないし二割程度は活動内容を知った者が真顔にならざるを得ない集まりである。


 多くの人々にとって不幸なことに、日米に巣くう各種秘密結社の主流は妥協する気がなかった。双方ともに事態は既に限界点を越えており、穏当な交渉による決着が成立する段階ではないと認識していた。
 ホワイトハウス始め合衆国主流派の掲げる大義は「全市民の死滅」すら許容するものであり、Gと呼ばれる者たちの意思は「合衆国の殲滅」なくして日本人の生存は有り得ないと統一されている。


 日本に巣くう秘密結社群が代表として担ぎ上げたのが永田鉄山陸軍大将であり、米国に潜む秘密結社のうち最有力組織が現代版カエサルとして戴いたのがフランクリン・デラノ・ルーズベルト議員であった。

 各派閥が担ぐことに耐えられる御輿としての面が強い前者と異なり、後者は合衆国の地上と地下の両面を実質上も支配した。
 金銭と権力、暴力と陰謀。FBIを始めとする公的諜報機関とマフィアなどの地下組織そして大手情報産業は大統領の手足となり耳目となり口舌となって、合衆国を牛耳った。合衆国を牛耳ることは合衆国の対外政策を牛耳る事である。
 第32代大統領は積極的に外交を行った。熱心すぎる外交姿勢は国内と同じく、国外でも金銭と暴力と陰謀にまみれていた。


 漏出したFBI機密、いわゆるBOX文書と呼ばれた資料。
 それは元FBI長官エドガー・フーヴァーにより収集された大統領命令書の写しであった。BOX文書は5.15事件、赤坂事件そして40年末のクーデター未遂事件にまでルーズベルト大統領の関与があった事を示している。
 日本海軍に関連する事件だけでなく、数千件に渡る機密文書は全世界の悲劇惨劇の多くに米国政府の関与があったと記していた。

 なかでも合衆国人達の興味を惹いたのは客船ヴァージニア号の沈没が、大統領の極秘指令により同船舶の貨物室へ仕掛けられた時限爆弾によるものでありUボートは全くの無関係であるという文書である。

 前々から、ヴァージニア号から救助された乗員乗客の間にも「あの事件はおかしい」と囁かれ続けていた。
 舷側に魚雷が当たった筈なのに当直の乗員の中に被雷時に上がる筈の水柱を見た者がいなかったり、乗客の中にやたらと「魚雷が当たった」と爆発時に船内にいて見たわけでもないのに騒ぎ立てる者がいたり、船底の中央部分から浸水が始まったり、と不審な点が見受けられたからだ。




     ・・・・・




  【1941年9月14日 グロス・ベルリン 総統親衛隊本部 長官執務室】



 第三帝国の政治的中心は誰か、といえばそれは間違いなく総統ことアドルフ・ヒトラー大統領兼首相である。
 では総統に次ぐ人物はといえば、現在ではこの部屋の主であった。

 閣僚の序列や内外の知名度、大衆からの支持でいえばゲーリング国家元帥やヘス副総統やゲッベルス宣伝相らの方が上だが、実際に行使できる権勢としては親衛隊長官が優る。
 ドイツ第三帝国の権力は、現在ではその三割以上をこの部屋の主に握られている。
 第三帝国を統べる人物が見聞きする情報の大半を親衛隊(SS)が握っているからだ。


 この部屋の主である貧弱な文官然とした男は以前よりも多忙であった。黒縁の眼鏡を掛けた、如何にも神経質そうな顔立ちは連日の激務により青白さを増している。

 「やれやれ、消しゴムと人材はなくなると価値が解ると言うが」

 黒檀製の重厚な執務卓には書類が山と積み上げられている。現代の権力者の常としてSS長官も日夜区別なく書類の山と闘う存在であった。有能な秘書や事務官を多数動員してもなお、その仕事量は膨大である。
 春の人事改変から半年近く過ぎたが、混乱の余波はまだ残っている。英本土という、管理するには広すぎる焼け跡を采配しなければならぬ事もあって何時まで経っても親衛隊長官の仕事量は減らなかった。

 あれもこれも全て陸軍が悪い。
 連中に少しでも能があればイングランドの管理を手伝わせられた。しかし現実は非情であり、ドイツ陸軍は依然として無能である。英本土の行政に関わらせたが最後、どれ程の不祥事が巻き起こるか想像はつくが易々と跳び越えられるだろう。

 兵に飯を食わせることもできない輩が、将軍でござい元帥でございと威張ってられる無恥さには一周回って感心すらしてしまう。奴らの面の皮を剥ぎ取って、戦車の正面に貼り付ければ増加装甲に使えるかもしれない。
 親衛隊が総統閣下の勅命をもって食料流通を仕切るまで、兵達へは黒パンすら満足に供給されなかったのだ。

 更に言うと前RSHA(国家公安本部)長官が死んだのも陸軍の所為だ。
 奴らが愚劣にも総統閣下の暗殺など企てるから、こんなに忙しくなったのだ。奴が生きていれば書類の山も少しは減っているだろう。

 ん? 何だこの書類は。「緑の大隊所属、ベルクムント中尉の飲酒運転事故を揉み消すや否や」だと? 誰だこんな決済を長官執務室まで上げた阿呆は、そんなもの法令に従って順当に処分しろ! 一々上に伺いを立てるな!


 思わず溜息が出る。

 死んだときは清々したが、居なくなって欲しくはなかったな。

 というのが、現時点での親衛隊長官の感慨である。流石に口には出さない。
 前RSHA長官は人格や素行に多大な問題がある部下だったが、その能力だけは惜しんでいる。

 もっとも、それが出来るとしても彼は前のRSHA長官を蘇らせたりはしない。死人には死人の役目がある。



 この人物、ハインリッヒ・ヒムラーSS長官を「蓮の池に舞い降りた白鳥のような男」と評した者がドイツ第三帝国の高官にいる。

 冗談ではなく、素面で。

 政治的な態度を指した比喩であるとの注釈を聞いたならば、思わず吹きだしてしまった者たちも頷くかもしれない。いくらなんでも詩的に過ぎる、と呆れるだろうが。

 あくまでも比喩的にだが、親衛隊長官と白鳥との間に共通点を見いだせるといえば見いだせる。
 ヒムラー氏は第三帝国閣僚のなかでも権力欲の強い方に分類される人物でありながら、親衛隊の権限拡大に必死で動いている姿を水面下だけに留めておこうとする分別があるからだ。
 言うまでもないがヒムラー長官にとっての水面上とは、総統閣下の視界内という意味である。


 なお、SS長官への人物評に吹き出した者たちも、同じ評者が続けた「馬鈴薯畑に放された豚のような男」という、マルティン・ボルマン元総統秘書についての発言に対しては反応が異なった。
 少なくない人数が怒りを露わにし、結束して抗議活動に訴えたのだ。件の素人評論家は衆の圧力に屈し、公式文書で「豚さんごめんなさい」と要約できるものを総統官邸に提出して決着がついた。

 たとえ政府高官といえど御婦人方、とくに職場が近い官公庁各部署の秘書やらタイピストやら掃除人といった働く女達を怒らせては業務に差し支える。
 頻繁に総統官邸へ出入りする身で、官邸やその周辺の女たちを敵に回せばろくな未来は待っていない。
 かつては党本部の影にて権力を誇りながらも現在は全ての公職から離れ、ザクセン州の片田舎で晴耕雨読の日々を送るボルマン氏のようになりたくないのであれば、話が大きくなる前に白旗を上げるしかなかった。


 戦争の変化は往々にして社会的弱者の価値を引き上げる。

 マスケット銃の普及が騎士の時代を終わらせたように。
 応仁の乱の泥沼ぶりが、足軽衆を室町時代後期の基幹戦力としたように。
 前大戦がなければ合衆国の婦人たちは依然として家庭に閉じこめられたまま、工場で働くことすらできなかったように。

 近代における民主化は国民皆兵が呼び寄せた。
 誰もが銃を使えるようになったからこそ、銃を使えるもの皆の声が政治に届くようになった。正確には、大衆の声に耳を貸さない為政者は大衆の銃で蜂の巣にされた。


 総力戦は社会へ変革を求める。それまで裏方を任されていた者たちが主戦場へ出て、裏方になれなかった者たちが裏方を任されるからだ。
 裏方の力なくして戦はできない。ゆえに、裏方を任された社会的弱者達の発言力は増す。近代欧州における女性の権利獲得にはフローレンス・ナイチンゲールと看護婦達が大きな役割を果たしている。

 信賞必罰を怠る組織に明るい未来はなく、功績には報奨で応えねばならない。故に戦争がその渦中に巻き込めば巻き込むほど、女たちの社会的立場は向上する。
 二次大戦期のベルリンはドイツ史上稀な水準で女達が強かった。総統の姪御を旗印にしての事とはいえ、女の敵の代名詞となった高官を公職から追放できた程に。


 斯くの如く第三帝国中枢部の女性層に嫌われていたボルマン氏であるが、今年の4月1日の朝だけはその不在を一部に惜しまれた。
 もし彼がそのとき官邸前にいれば、突如暴走した総統専用車に轢かれたのはラインハルト・オイゲン・トリスタン・ハイドリヒではなかったかもしれない、と。
 落命の報せに、涙で頬を濡らした者よりも祝杯で咽を潤した者の方が多かった先代RSHA長官だが、その死を惜しむ者はそれなりにいた。獅子や虎は動物園の人気者。離れたところから野獣を眺める事に楽しみを見出す者は少なくない。

 それを行うことは簡単であるが、SS長官が集団農場からボルマン氏を呼び出して職務を与えることはない。死者より更に使いどころのない人材もこの世には存在する。



 「長官、そろそろ休憩なされては如何です?」

 部屋の主とは対照的な、男性的魅力に溢れた声を発したのは親衛隊の軍服を着込んだ好男子である。
 すらりとした長身に引き締まった体躯、顔立ちも充分に男前だ。30代に入ったばかりの年齢で少将の階級章を付け、親衛隊の要職に就く出世頭。
 加えて趣味は乗馬と弦楽器演奏。素行は常識の範囲内とくれば、親衛隊本部内に勤務するご婦人たちの評価が高いのも当然であろう。

 見れば時計の針は茶の時間にしても良い頃合いに達している。SS長官は無表情で秘書達に休憩を命じた。退出する秘書達と入れ替わりに現れた従卒に言いつけて、自分用のコーヒーと茶菓子を持ってこさせる。
 何かとマメで気配りの人である宣伝相と違い、彼は秘書達と共に和気藹々とお茶の時間を過ごせる気質ではない。

 「私の分は?」 
 「貴様の職場で好きなだけ飲み食いしろ」

 結局、ヒムラー長官は再度従卒に言いつけて茶と茶菓子を持ってこさせる羽目になった。
 親衛隊少将はそれまでと同じように足を組んで椅子へ座り、膝の上に乗せた弦楽器を弄っている。

 自分の仕事が暇だと言って上官の部屋に入り浸り、あげくに菓子や飯や酒を集ってくる。図々しいカラスのような部下の態度に、ある意味では真面目人間であるヒムラー長官の神経は逆撫でされるが、まだ我慢できる。
 勝手に動いて畑の作物を食い荒らす豚や、勝手に動いて家畜や郵便配達員を食い殺す猛獣より余程マシだ。職務を滞らせたことがないし、無能ではあるまい。カナーリス提督の評価も高いことであるし。

 いや、確か東洋の古い兵学書には「敵陣営に無能がいたら誉めそやして功績を立てさせてやれ。そいつが出世すればこっちは楽になる」というのがあった気がする。まさか、な。能力だけはあった前任者は大層カナーリス提督に嫌われていたが。


 招いてない客の分を従卒が持ってきた。一礼して引き下がる。

 コーヒー豆は中米産の上物、菓子はバームクーヘンである。
 何故か極東の同盟国で人気の高いこの焼き菓子は、最近のベルリンでも姿を見ることが多くなっていた。
 日本から輸入された自動バームクーヘン調理器を邪道と誹る菓子職人はドイツにも多いが、大衆の口と財布は正直だ。
 国際問題になりかねない風説の流布が宣伝相直々の采配により押し流された結果、一部の菓子屋は廃業の危機に瀕している。
 自動菓子焼き機が作れるのはバームクーヘンに限らない。

 「まあ、嘘は言ってませんよね」
 「勝負は付いたのだ。菓子職人たちも潔く転職するなり奮起して腕を磨くなりすれば良かろう」

 ゲッベルス博士はこの件について全て事実を語っている。注意深く聞かないと、件の自動菓子焼き機がドイツ製であるように誤解される表現をしただけだ。
 宣伝省主催のドイツ菓子博覧会。その会場で行われた「どの菓子が一番美味いか」を決める催しに参加したベルリン市民達は自らの選んだ菓子が機械の焼いたものと知って驚愕し、その機械がドイツ製であると認識して、納得したり満足したりした。
 それ以後のドイツ圏では機械が焼いた菓子にそれなりの需要が存在している。

 事情を知る者たち、特に敗者達は口を噤んだ。第三帝国は紛う事なき独裁国家なのだ。事ここに至った上で機械の出所を云々すれば恥の上塗りになるだけでなく、身の危険すら有り得る。


 「戦争も自動でやる時代だ。ケーキが機械だけで焼かれても不思議はないな」
 「V2号兵器ですか。あれは酷いですよね」

 V1号ことフィーゼラーの無人飛行爆弾に続いて、日本帝国が繰り出した「勝利の兵器」第二弾。
 それはドイツ第三帝国の幹部層を顔面蒼白とさせるに充分な代物であった。
 図上および実際に部隊を動かした演習の両方で、現時点の国防軍では阻止不可能と立証されている。対抗手段を研究していない軍隊では止めようがないのだ。止められる軍隊は当然ながら、現時点では日本軍のみ。

 試験場で示されたその威力たるや、見学していた英海軍からの転向者たちが躍り上がって喜んだ程だ。比喩表現ではなく、実際に佐官や将官までが歓喜のあまり立ち上がり手と手を繋ぎその場で踊り始めたのである。
 40秒ほどで紳士の体面を思い出したのか踊りを止め、何事もなかったかのように席へ戻ったがあれはよい見物であった。

 親衛隊の高官達にも、英国人の振る舞いを見て見ぬ振りする情けがあった。同時に、合衆国の若人達への同情も。
 敵国の少年少女達は当然ながら選挙に参加していない。彼ら彼女らは自らの意思と選択が全く関与しない事柄の責をこれから負わされるのだ。V2号のもたらす破壊と災禍は先輩兵器の比ではない。

 この予言が外れたならば、少将は今の職場から退き故郷へ帰って教師にでもなる。授業では生徒達に歴史を教え、放課後は部活動で音楽を指導する生活も悪くなかろう。



 「しかし、あれを今出してきたということは『G』は此処まで読んでいたのか?」
 「案外、急場の間に合わせかもしれませんよ。V兵器は元々そういった部類のものですし」

 かつてスペイン内戦に第三帝国が介入したのは、新兵器や新戦術の戦訓を得るためでもあったが政治的には反独勢力の首魁であるフランスを牽制する為であった。イタリアにしても、地中海で目障りな勢力を押さえアフリカの権益を保つ意義があった。
 両国ともアカは大嫌いだが、それだけで参戦したわけではない。では日本は? なんの得があってスペインに派兵した?

 親衛隊長官はそれを、イベリア半島をV号兵器の発源地とする布石であったと見ている。ドイツはロシアへ嗾けて噛み合いさせるには最適だが、英本土や北米を狙うには地理的に向いていない。
 V2号兵器で北米を狙うには英本土が最適であり、英本土を狙うにはスペインに中立以上の関係でいて貰わねば困る。
 そして英本土は北米侵攻の橋頭堡に使うには傷付きすぎてしまったが、スペインは健在だ。

 対して親衛隊少将は、V2号兵器自体が戦局の変化によって登場した存在であり、その足場としてスペインが選ばれたのは偶々条件が整っていたからであろうと見ている。


 どちらにせよ合衆国の破滅は避けられない。それは運命である。
 早期の講和は不可能だ。
 元から仲介できる勢力、日米の間に立てる立場の国がなく両国の講和は絶望的だった。国家は最大規模のヤクザ組織である。列強国同士の諍いを手打ちに持ち込むには、名ばかりの中立国や弱小国では貫目が足りない。

 今はどの国も合衆国との講和を望んでいない。

 合衆国が英本土から撤退する際に放った最後っ屁はスカンクのそれよりも強烈であり、欧州勢力が北米勢力と単独講和するどころか大戦から離脱する可能性すら消し飛ばした。
 現在の国際情勢で尻尾を巻き戦場から離れれば米国へ組みする者として袋叩きにされる。袋叩きにしなければ、日本とイングランド残党はしない勢力を米国の共犯者とみなし「絶対殺す」名簿欄の末尾へ書き加えるに違いない。

 欧州各国の指導部も引く気はない。合衆国がブリテン島退去時に行った史上最大の破壊工作を彼らは「文明への挑戦」と受け取ったのである。



 親衛隊が保管している、一本の記録映画がある。


 干涸らびかけた赤ん坊の死骸を大事そうに布で包み、何事か話しかけあやそうとしている被災者の老婆。

 熱に炙られた地下室の扉をこじ開けて、その中で発見した人型の炭と化して抱き合ったままの親子らしき遺体。

 腐敗し膨れあがった死骸が、水桶に入れられた馬鈴薯の如く沈み浮かび漂うテムズ川。
 その水面をゴムボートに乗り、櫂で遺骸を掻き分けて渡る武装親衛隊の若者たち。
 迂闊にも膨れあがった腐乱死体を櫂で突いて、破裂させてしまう新兵と不運にも巻き添えに遭い爆発の飛沫とガスを浴びる戦友。両者は堪らず嘔吐してしまう。

 火炎放射器で得体の知れぬ物体を次々と焼き払う日本兵。炎に呑まれるカビまみれの汚物に、所々人体の特徴が残っているのは錯覚ではあるまい。

 火傷を始めあらゆる状態の、戦場より悲惨な傷を負った者たちが詰め込まれた野戦病院で、患者の手足を切り、皮を剥ぎ、膿を搾り、点滴を打ち、一人でも多くを救おうと奮闘する医療従事者たち。

 絶望すら消え去った表情で炊き出しの列に並ぶ老若男女の被災者達。彼ら彼女らの列に沿って歩みつつ消毒液を散布する、純白の防護服を着込み防毒面で顔を隠した衛生兵たち。

 廃墟に点在する生焼け半焼けの遺骸と生ごみそして生き残ってしまった者たちが垂れ流した諸々を喰らい、際限なく増えて遂に地上へ溢れ出した蝿の幼虫。
 おぞましき灰白色の流れとなって、無数のウジ虫は餌を求め洪水の如く廃墟の隙間を這い進む。



 休戦状態にある敵軍現場指揮官からの救援要請に応え、協定軍の救護部隊とその護衛達はロンドンの地へ降り立った。
 同行した従軍撮影班により撮られ、直後に現像され後方へ送りつけられたロンドンの映像が上記の地獄絵図である。

 無編集の現場映像を見せられた、第三帝国の閣僚達は言葉を失った。
 ある者は眉を顰め、ある者は吐き気を堪え、なかには失神する者さえいた。
 最後の者も含めて、それらの人々を「軟弱」と誹る者はいなかった。その場でも、その後でも、誹ることを第三帝国の総統は許さなかった。
 人が地獄を恐れるのは当然であり、恐れぬ者を讃えるのは良いが恐れた者を責めてならない ‥‥と。 


 今更な話であった。戦争とは地上に地獄を造る行為に他ならない。
 欧州の歴史は血塗られた道などというような甘っちょろい代物ではなく、大国の閣僚ともなればその身は首まで血と汚物に浸かっている。「長いナイフの夜」で屠った同胞、かつての同志たちを始めとする幾多の血肉を喰らって第三帝国幹部層は生き長らえてきたのだ。

 だがそれでも、戦争には線引きが必要である。地獄にだって果てはあるのだ。
 合衆国民主党政権の行いは最低限の区切りをなくし地獄を際限なく拡大するものであると、戦争を戦争に留め置く作法を踏みにじるものであると欧州の指導者達は受け取った。


 そもそも、敵国の政府と国民を同一視するどころか、自国に帰化した者までも対象にした日系人強制収容の時点で国家の存在意義を否定する蛮行であり、常軌を逸している。
 民族あるいは人種そのものを敵視している点で、米民主党の政策はドイツナチス党のものより遙かに悪質であった。

 第三帝国内ではユダヤ人の嫌疑を掛けられた人物でも、当局が「違う」と判断すれば釈放された。明らかにユダヤ人であっても共産主義や無政府主義などの過激行動集団と関わりがなければ、最悪でも強制移住で済んだ。

 一方、米国内で日系人と判定された人物が解放された例はない。思想信条に関係なく日本人の血を引くこと、日本人の血を引いていないと証明できない事自体が罪となった。
 合衆国に忠誠を誓い、志願兵を始め対日戦争に協力を申しでた日系人は少なからず存在したが、米民主党政権は省みなかった。

 米民主党員の一部には日系人部隊の編制や、日本語通訳への採用など「日系人の戦争利用」を唱えた者たちも存在した。
 だが41年4月19日のニューヨーク大空襲により自由の女神像が破壊され、同時に日系人活用論の主導者ヒューイ・ロング上院議員が行方不明となるとそれらの声は急速に小さくなっていった。今となっては公の場で響くことはない。

 誰だって命は惜しい。「恩人である筈のロング氏を日本軍の空襲にかこつけて始末した」との現大統領への風評は、合衆国内でも密やかに言い伝えられ続けている。
 なお、BOX文書においてロング上院議員行方不明事件に関与するものは未だ確認されていない。



 所詮は他人事、と米国での日系人や東洋人達への仕打ちへ興味を示さなかった欧州人達も、英本土の惨劇には恐怖した。

 彼らの殆どは合衆国人の「自由と民主主義を護る為にどんな事でもする」という言葉を口先だけのものと判断していたのだ。7月半ばまでは、そう決めつけていた。

 合衆国人達は何処までも本気だった。英本土破壊作戦に化学兵器や生物兵器が使われなかったのは、単に実行者達の手元にそれが無かったからに過ぎない。
 FBI長官フーヴァー氏の不審死の後に漏れた文書の一つ、初期の英本土破壊工作計画書によれば郵便網や落下傘やゴム風船を使った英国内及び北フランス地域での病原体散布まで準備されていたのである。

 合衆国内部の派閥抗争により欧州派遣軍へ手配されていた炭疽菌やペスト菌などの生物兵器が回収され、細菌戦が未実行に終わったことは幸いであった。
 もし実行されていたら欧州の人口は割の単位で減っていただろう。日本帝国の防疫態勢を打ち破るために用意された数々の生物兵器は、楽天家揃いの合衆国人ですら「本土と地続きの場所では使えない」と判断する水準で危険な代物なのだ。



 欧州諸国、特に協定勢力の枢軸である独伊指導者達は天を仰いだ。せっかくの勝ち戦が台無しであった。
 戦後を見据えて国家体制を平時向けへ移行する準備が無駄となった事もあるが、彼らはとうの昔に戦争に飽いていたのである。

 飽きたならとっと止めれば良い、と言われても戦争はおいそれとは止められない。人にも国家にも事情がある。
 独伊の指導者たちは後世に名を残す独裁者であった。独裁者に過ぎなかった。
 大衆と軍部の機嫌を損ねる訳にはいかなかった。彼らの権力基盤は堅いようで脆い。ある意味究極の人気商売である。

 弱い独裁者など窓拭きにも使えぬ塵屑であり、自分から「戦争やめたい」と言い出す独裁者ほど大衆から「弱くなった」と見られる存在はない。
 民が全権を委任するからには独裁者は正義の権化であらねばならず、独裁者の行う戦争は聖戦でなくてはならない。聖戦を自らとり止めようとする輩の正義を誰が信じようか。

 つまりヒトラー総統とムッソリーニ統帥が独裁者である限り、自分から戦争を止めることはできない。大衆が許さない。
 独裁者を辞める事もできない。独伊両国の国情は厳しく、いま指導者を失えば亡国あるのみだ。


 国際情勢の荒波からイタリアを救うにはムッソリーニ統帥の手腕が必要であった事は確かだ。代打が務まる人材は彼の国に存在しない。

 残念ながらドイツは異なる。
 ドイツを救う為にヒトラー総統が必要という観測は間違いである。ナチス党員などの支持者が抱いている儚くも空しい妄想に過ぎない。

 実際にはアドルフ・ヒトラーの手腕を持ってしてもドイツを救うことは不可能である。
 ドイツは滅びるさだめにある。歴史から見ても地勢から見ても避ける術はなく、遠からずして滅びる。
 第三帝国は最初から短命が約束されていた。同時期のドイツに出現し得たなかでは最良最長の統治を可能とした存在だが、運命を覆す力はない。

 なぜドイツが滅びるかについて、ここでは語らない。理由が多すぎて語り尽くせないからだ。



 第三帝国総統親衛隊の長官と幹部。いまこの部屋にいる二人にも、祖国の滅びが避けられないことは解っている。
 解った上で行動している。人は何れ死ぬし、国家は何れ滅びるのだから。

 暗殺などの事態が起きない限り自分が初代にして最後の親衛隊長官となるだろう。
 そんな思いにヒムラー長官の胸中へ秋風が吹くが、同時に誇らしくもあった。総統あっての親衛隊だ。共に在り共に栄え共に滅ぶ、そこに矛盾はない。
 誰であろうと運命に抗う術はない。オーディンの化身たる総統閣下ですら持ち合わせていない。神々の黄昏は、遅らせることはできても避けることはできないのだ。

 
 遠くないうちに滅びるにしても、大英帝国よりは穏やかにであって欲しい。合衆国よりは遅くであって欲しい。そう望むのは当然である。

 合衆国は早急に、数年以内に、英本土の惨状すら上回る程に徹底して破壊される。この予言も外れようがない。
 外れたとしても親衛隊長官が職を辞して故郷へ帰り養鶏業者に戻ることはないが。


 「あの仕事は私に合わない。二度とする気はないよ」

 一部の反ナチス派が喧伝するデマと異なり、ハインリッヒ・ヒムラー元社長が養鶏事業から撤退したのは経営する養鶏所が倒産したからではない。彼は倒産させて事業を畳んだのである。

 誰かに養鶏所を引き継いで貰うことは出来なかった。生来気の優しい所のあるヒムラー氏は養鶏所の存在に耐えられなかったのだ。
 世のため人のために必要な仕事であることは解る。科学的に見て、養鶏が動物性蛋白質を人類が安価かつ安全に安定して得られる現時点において最良の手段であることも知っている。誰かがやるのであれば、止める気も誹る気もない。

 それでも、彼は養鶏所という残酷な施設に関わることが嫌になった。自分の手を離れた施設が順調に運営され続けることすら我慢ならなかった。
 日本訪問時に知り合ったとある仏僧は「高野山で過ごした10年の日々よりも、養鶏所で働いた7日間の方が悟りに近づけた」と語ったが、親衛隊長官は全面的に賛同する。
 あそこは命の尊厳だの生類への憐れみだのといった言葉を、寝言ですら言えなくさせてしまう場所だ。

 親衛隊本部に掲げられた標語である「寛容は弱さの証」とは、彼の自戒でもあるのだ。人は己の弱さを常に自覚していなければならない。

 彼の姿勢は、本人的には全く矛盾していない。
 ハインリッヒ・ヒムラーにとって「ユダヤ人」や「共産主義者」は社会に害をなす獣であり、人々のために命を捧げる家禽とは全くの別物である。羊飼いは羊のために命を懸けるが、狼に施す慈悲はない。

 汝の敵を愛せ。
 この言葉をヒムラー長官はユダヤ(ヘブライ)的迷妄の最たるものとして憎み、恐れる。
 もしそれが受け入れられると言うのなら、ユダヤ思想の奴隷どもは敵である我々を愛せば良い。我々は貴様らを憎む。ドイツを地獄に変え、欧州を腐らせ、世界の過半を汚染した虚妄を憎む。

 愚能なる四文字神に呪いあれ!  
 ユダヤ的迷妄の奴隷として生かされるぐらいなら、ゲルマン的迷妄を抱えて死んだ方がマシだ。

 ハインリッヒ・ヒムラーSS長官は精神的弱者であり、それを自覚していた。弱者ほど攻撃的になるものであり、しかも己の攻撃性を正当化し疑わない。
 弱者は強者を赦さない。善人が悪人を、健常者が狂人を赦す事は有り得ても、その反対はない。

 彼にとって今次大戦は精神世界の戦いでもあるのだ。敵は邪教を奉じる狂信集団であり、容赦などして敵う相手ではない。
 合衆国の父祖は宗教難民であり、彼の国は宗教国家である。杖をヘビに変える奇術を得意とした詐欺師に率いられ、内ゲバと粛清を繰り返しつつ放浪し、辿り着いたカナンの地を荒らし回った逃亡奴隷流民の末裔だ。

 合衆国と資本主義体制こそゲルマン民族真の敵と喝破した総統閣下は正しかった。これに比べれば赤色ロシアなど前座に過ぎない。

 勝利の日は近い。ユダヤ的妄執の傀儡は倒れる。親衛隊も第三帝国も総統と共に滅びるが、次のドイツ人国家が立つとき地上に忌まわしき人工国家は残っていない。
 不死鳥と違って灰の中から蘇りもしない。ユダヤ人資本家達が己の火葬場に積み上げているのは香木の枝ではなく放射性物質なのだから。

 伝説に謳われる不死鳥は、500年に渡る生涯をただひたすら香木を集め巣に貯め込むことに汲々とする生き物である。
 500年目に積み上げた香木の薪で己を火葬するとき、一本でも香木でない枝が混じっていれば不死鳥は只の灰になってしまい、香木の薪が足りなければ只の丸焼き鳥になってしまう。大層な名を持っていても所詮は畜生なのだ。

 畜生であっても人々の浪漫を刺激できるだけ、まだ増しな存在ではある。
 ユダヤ勢力が香しさの欠片もない冥王の物質(PLUTONIUM)を幾ら積み上げたところで、灰の他には廃墟と怨嗟が後世へ残るだけだ。
 全く持ってユダヤ思想は度し難い。無学で無力な逃亡奴隷の怨念(RESSENTIMENT)が産みだしたからだろう。
 思い通りにならぬ世界の滅びを妄想するのは勝手だが、せめてその後を考えろ。



 戦争は遠くないうちに終わる。合衆国の迎撃戦力は削り殺される。
 有能な歯科医が虫歯菌に冒された歯を処理するが如く慎重かつ速やかに、痛みを伴って。

 日米の航空戦は先が見えている。
 時間制限があるという点に置いて、戦争は野球よりむしろフットボールに近いだろう。
 ロスタイムに入ってから二桁の得点差をひっくり返せる蹴球チームなど何処にも存在せぬように、逆転の可能性は既にない。

 これだけの戦力差が付いた理由は生産能力、工業力や技術力もある。だがそれが決定打ではなかった。
 決め手となったのは飛行機乗りを始めとする人材の数と質である。

 「教育制度の差、か」
 「おそらくは」

 合衆国は航空要員の調達能力で日本帝国に劣っている。兵員の訓練制度で負けているわけではない。例えば飛行士の教育能力で言うと日米に差違はあってもあからさまな優劣はない。
 格差は教育をする側ではなく受ける側にある。即ち基礎教育の差だ。

 「愚民社会の縮図ですな」
 「そうだな。我々も他山の石とせねば」

 まったくもって他人事ではない。第三帝国の少年達を育成するヒトラー・ユーゲントにしても、学力の低下や思想の偏りを懸念する声が絶えない。体育や実習に時間を割り振りすぎだという批判も根強くある。
 難しいところである。
 SS長官も授業方針を偏らせたいわけではない。だが隙あらば教育現場へ忍び込み児童を誑かさんとする共産主義者や無政府主義者やヴァチカンの手先や合衆国崇拝者らを排除していくと、学舎の在り方はどうしても歪む。
 この世にまともな教師ほど、必要とされながら払拭している人材はない。


 話を戻すと、合衆国において飛行士は大学卒業者ないし在学生へ訓練を施して養成される。米軍では航空機は兵卒ではなく士官が操る物なのだ。
 反対に日本では、大学生だけでなく他の階層からも満遍なく採用され育成される。人種も民族も関係ない。たとえ爵位持ちであろうとヘボは操縦桿を握らせて貰えず、帰化転向した元赤軍兵でも腕次第でエースになれる。
 分母が多いのだから、分子を更に割って選び出された上澄み層の日本軍操縦士達が精鋭集団となるのは当然である。

 日本帝国における「超人兵士構想」の実体は、単に才能ある若人を全国民及び国民以外からも集め合理的に訓練させ大量の操縦士を育てた後に上澄みを選りすぐった、ただそれだけなのだ。
 単純明快であるが故に、合衆国では真似が出来ない。絶対に不可能だ。陸、海、海兵、州兵の合衆国4軍は未だに黒人兵へ銃すら持たせられないのだから。


 力には責任が伴う。強大な暴力にはそれに釣り合う責務が課せられる。
 それはアメリカ合衆国の基本思想である。彼の国は選良(ELITE)の動かす国なのだ。

 現代戦における航空機、たとえば合衆国が最も生産した航空機の一つP40戦闘機は12.7機銃を4ないし6丁搭載している。これは地上部隊で言えば、少なく見積もっても装甲車付き歩兵分隊に匹敵する火力だ。
 航空機は一機で歩兵小隊に匹敵或いは上回る戦力価値を持つ。数で言えば精々100機程度の航空機しか運用できない正規空母であっても、換算される戦力価値は1個師団かそれ以上。
 歩兵小隊の指揮官は少尉以上の士官であるからには、航空機を操る者が士官=少尉以上の将校となるのは合衆国的に理の当然である。

 逆に言えば、合衆国では士官(将校)でなければ航空機を扱う責任を負わせられない。

 合衆国における教育格差は大きく、実質的な貴族階級である富裕層以外の知識教養は著しく低い。
 富裕層出身でない軍の構成員、下士官兵の水準は合衆国では教育格差に比例して順当に低い。
 冗談でも誇張でもなく、自国語の新聞が読めず四則計算が怪しい軍曹は米軍では珍しくない。兵卒には給料明細に明かな虚偽があっても気付かない者さえ存在する。

 繰り返すが冗談ではなく事実である。

 入隊したばかりの訓練兵が地図を読めて当然な一般日本人はこれを聞いて「アメリカ人を馬鹿にし過ぎだ。もっと現実味のある嘘(PROPAGANDA)を言え」と失笑するが、事実なのだ。

 最低でも大学在籍者でなければ航空士の資格を持たせられない国と、小学校卒業者を訓練すれば航空士にできる国。
 両者の違いは明らかだ。これが黒船の来航から一世紀近くをかけた成果である。泉下の吉田寅次郎は己の教育方針を胸を張って誇るべきであろう。



 SS長官は焼き菓子の最後の一切れを呑み込んでいる部下に尋ねる。 

 「貴様の意見を聞きたいな。赤坂事件に関して、BOX文書が事実である可能性は高いのか?」

 問われたその男、総統親衛隊少将にして現RSHA長官は突き放すように答えた。

 「事実など幾らでも書き変えられます。残したのはあの妖怪ですよ? 全部仕込みでも不思議はありませんて」


 ぐうの音も出ない正論である。問題なのは親衛隊少将の言うとおり、ルーズベルト大統領が何を命じたかやフーヴァー元長官の意図ではなく日本、いや『G』が何を事実としたいのか、だ。

 それを間違えれば拙いことになる。
 親衛隊は『G』に信用されていない。勿論ナチス党も、だ。ドイツの軍部と大衆は論外。日本帝国に潜む秘密結社が幾らかでも信じているドイツの構成要素は、総統閣下という類い希な個性だけだ。



 合衆国海軍の大拡張はルーズベルト政権の諸政策のなかでも比重が大きかった。

 日米海軍第一の仮想敵が相互であったこと。
 一度は終息に向かっていた日支事変が、日本海軍の策謀により泥沼に填り込み講和の道筋が見えぬ状況になったこと。
 日本海軍内部の憤懣を煽り焚き付け暴走させて蒋介石派との講和交渉を破綻に至らせたのが、海軍左派と呼ばれる知米派および親米派勢力であったこと。
 日本海軍左派の幹部層は長年、外国人と接触し続けており特に米露の軍人や政治家と密接な関係があったこと。
 39年末に佐田岬沖で沈没した、謎の米国製潜水艦が入り組んだ地形で複雑な水流の流れる瀬戸内海に侵入し呉付近で破壊活動を行えたこと。
 日米が開戦に至った際の、いわゆる「ハルノート受け渡し」において日本側代表が元海軍高官だったこと。
 在米する日本人が留学生や観光客まで捕らえられ強制収容所へ送られたにも関わらず、野村提督を始めとする日本側外交官達は全員が無事に帰国できたこと。
 永らくコミンテルンとの関係を噂されていた、海軍左派の首魁とされる元高官が40年末のクーデター未遂事件直後に不審死を遂げていること。
 チャイナやロシアといった仇敵達には矛を収め、終戦工作に乗り出した日本帝国が合衆国へは益々態度を硬化させていること。

 状況証拠は充分だ。陰謀論を好まない層以外は、合衆国から流出し続けている数々の怪文書に興味を持たざるを得ない。



 SS長官は頭痛を覚えた。考えすぎたのかもしれない、と温くなったコーヒーを飲み干す。
 幸いまだ時間がある、結論を急ぐ必要はない。夜にでもラウバル中尉に相談してみよう。彼女の素人臭い見解を聞けば、逆になにか発想の手がかりを掴めるだろう。


 休憩時間が終わり、秘書達が新たな書類の山を携えて入ってきた。
 SS少将は調律の終わった弦楽器を手に取り、上司とその秘書達へ挨拶して執務室を立ち去る。

 「そういえば」

 出ようとしたところを呼び止められ、振り返る。

 「貴様は私にチェロを聴かせたことがないな」

 RSHA長官、親衛隊少将ヴァルター・シェレンベルクは小首を傾げて、いつものように答えた。

 「だって、貴方の耳じゃ聴いても解らないでしょう? 時間の無駄です」




続く。




[39716] その二十四『いまなお棚引くや、故郷の旗よ』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:59e4fefc
Date: 2021/06/17 11:02






            その二十四『いまなお棚引くや、故郷の旗よ』




  【1941年9月16日 午前9時 ケンタッキー州レキシントン市近郊】



 夏が終わり秋が始まりだす季節だが、日射しはまだまだ熱い。
 ごく普通のアメリカ人少年アルバート・ブラウン、通称アルは畑で野菜の世話をしていた。水をバケツで汲み上げ、荷車の水槽へ入れ、荷車を曳いて運び、またバケツで汲んだ水を馬鈴薯を植えた畝と畝の間に掘った溝に流し込む。
 溝を含む馬鈴薯の根元周りには麦藁で縛った枯れ草が敷き詰められていて、溝に流した水は枯草に染み込みつつ行き渡る。
 枯草が蓋の役割を果たすので、土が乾きにくく雑草も生えにくい。水汲みの労力を節約する小さな工夫だ。地面が直種日光で炙られず、灼けていないのである程度日が昇ってからでも水がまけるという利点もある。

 畑といってもタンポポの生えていた空き地を掘り返し、耕して造った家庭菜園である。アルが今朝担当している馬鈴薯畑の面積は半エーカーほど。
 この程度の畑でも、大いに家計の助けになる量の馬鈴薯が収穫できていた。

 できていたのだ、数年前までは。

 アルは合衆国でなら何処にでもいる類の男子小学生だ。今年で11歳になる。
 田舎暮らしの男の子が、麦わら帽子を被って家庭菜園の世話をすることは今のご時世ではごく当然のこと。
 一部の大人達が「勝利の農園」と呼ぶ食糧自給運動は、愛国心の発露であるとしてケンタッキー州でも開戦以来広く推奨されていた。各家庭で食い物が自給できるなら合衆国が前線へ送れる余剰食料も増え、戦争はそれだけ有利になる。

 各家庭や学校の裏庭に馬鈴薯の畝を一つ作るか作らないかで、誰かの父親や兄弟が無事帰ってこれるかどうか決まるかもしれないのだ。鍬を振るう価値はある。
 無意味では、ない。かなり目減りはしたものの、現在でも一応作物は収穫できる。


 水を一通り撒き終わり、ブラウン少年は一息ついた。元々馬鈴薯は乾きに強い作物だ。これで次の雨まで持つだろう。
 汗を拭い、温くなった小瓶コーラの栓を捻って開ける。
 嫌に甲高い、雑音まじりの声が少年の耳を突いた。杏の樹に吊したラジオが鳴っているのだ。
 先程までは殆ど聞き取れなかった唸り声が急に聞きやすくなった。電波状態が変わったらしい。


「‥‥こちらが苦しいときは敵もまた苦しいのであります。
 長期に渡る総力戦の負担だけでなく、合衆国の巨大市場を失った日本帝国の経済は限界に達しつつあります。
 彼らは侵略戦争により欧州諸国が開発した資源地帯を押さえましたが、それらの地域を持て余しています。
 資源はあっても市場が足りません。 
 植民地原住民は無知蒙昧にして無学であり、低俗で即物的な欲望を満たしてしまえばそれ以上の製品やサーヴィスを望みません。未開人の社会は工業製品の需要が低いのです。日本の町工場が作り出す低品質の軽工業製品を、日本帝国は購買意欲を見せない原住民に押し付けて処理していますが、それでは富は得られません。
 彼らの国債発行額は際限なく高まっていっております。

 元より日本帝国の産業は合衆国なしでは成り立たないのです。現在の戦争は彼らにとって切り裂いた手首から血を流しながら続ける徒競走であります。
 エンペラーの秘密警察が如何に強権を振るおうとも、餓えた民衆の不満は隠し切れません。彼らが我々以上の苦しみに耐えて戦い続けていられるのは、勝利を夢想しているからなのです。
 日本人達はもう一歩で合衆国を屈伏させられると考え‥‥」


 菜園横の樹へ吊した古めかしい箱形鉱石ラジオから流れるのは、地元放送局が流している戦意高揚放送だ。
 今の時刻はこれと日本側の謀略放送しか受信できない。夜になれば、もっと聴き甲斐のある番組も受信できる。
 鉱石ラジオは電源がいらないのが長所で、音量の調節ができないのが短所。この放送は些か喧しい。余程強力な電波を飛ばしているのだろう。


 「‥‥我々の勝利は遠のきました。おそらく今年のクリスマスも平和を祝うことはできないでしょう。しかし、専制国家群の勝利は更に遠くにあります。
 彼らの進撃はメキシコで止まりました。無能な政府と無法な犯罪組織しか存在しない遅れた地域であるメキシコは制圧できても、合衆国へ攻め入ることは出来なかったのです。
 合衆国の文明が、自由と正義と民主社会が専制国家の軍勢を押し止めたのです。
 そして反撃の時が近づいています。一年前とは比較にならないほど強大になった陸上戦力が我々の手にあります。これからが本当の戦いです。

 市民達よ、戦いましょう。
 いま此処で我々が膝を屈すれば、民主主義はお終いです。合衆国は滅びます。人類文明は崩壊します。

 日本政府は合衆国全市民へ無条件降伏を求めています。
 繰り返します、無条件の、一切の保証がない降伏です。それ以外の決着を、日本人は求めていません。

 貴方は彼らに慈悲を期待しますか? 自分の運命を、家族と愛する人達の命と尊厳を他者に委ねますか?

 断言します。
 無条件降伏を受け入れたならば、戦って死んだ方が良かったと後悔することになるでしょう。
 英国の惨劇を忘れてはなりません。専制君主と独裁者たちの軍勢が合衆国の庇護から離れた彼の地で、どれ程の破壊と殺戮を繰り広げたのかを。

 偉大なる古都ロンドンは燃え尽きました。協定諸国を名乗る無法者どもへ無防備都市を宣言したが故に、です。
 これが血に飢えた獣に市民の生殺与奪の権を委ねた末路です。

 日本軍は特に信用なりません。彼らが通州市や南京市で行った蛮行を思い出してください。
 彼ら自身が東アジアの同胞と呼ぶチャイニーズに対してすら、都市の人口が三分の一に減る程の大虐殺を行ったのです。
 日本人はアメリカ人を「鬼畜」と呼んでいます。悪魔が獣に生ませた異形という意味です。我々は、彼らにとって人間として扱われません。

 具体的に言えばラシュモア山の彫刻、偉大なる大統領達の像は爆破されます。
 自由の女神は既に破壊されました。合衆国の象徴は残らず瓦礫と変えられるでしょう。アーリントン墓地は暴かれ、遺骸が棺から引きずり出され鞭で打たれるでしょう。

 生者にはもっと悲惨な運命が待っています。
 母親の腕から赤ん坊が奪われ、生きたまま犬に食わされます。
 子供と老人は射的の的として撃ち殺されます。
 健康な男は鉱山などに送られ、死ぬまで働かされます。
 見目麗しい若い女性であれば、日本兵が飽きるまでは生き長らえるかもしれません。
 死者の遺骸は骨も残らず焼き尽くされ、野山に肥料として撒き散らされるでしょう。

 これらは全て、西海岸の諸都市で今現在、実際に起こっている事です。
 ロサンゼルス市の人口は、日本軍侵攻前の半分以下に減‥‥」



 どうでも良いが、これを聞いて戦意が漲る奴がいるのだろうか? アルは訝しんだ。
 せめてラジオぐらい、もっとこう景気の良い事を聞きたいものだが。

 げんなりとした気分でアルバート・ブラウンはラジオを止めた。農具を積んだ荷車にラジオを乗せ、徒歩で荷車を曳いて家に帰る。


 彼は普通の小学生であるため、国際情勢など解らない。戦争がどういうものか把握もしていない。学校が閉鎖され毎日の食卓が貧しくなった事が戦争であるのなら、早く終わると良いなあという感慨はある。
 世の殆どの小学生達と同じく、アルにも学校がなくなれば良いと思ったことがあった。宿題が出来ていない朝は特に。
 いざなくなってみると思いは別だ。今のアルなら一番退屈な授業でも居眠りせず聞いていられるだろう。


 アルが知っているのは合衆国の銃後、その一部だけだ。
 彼の感覚では日本側が流している謀略放送も、合衆国の銃後について語っている部分だけなら半分程度は正しい。
 レキシントンなどの都市部では街灯に、農村では道端の樹木に、諸々の罪を犯して私刑に遭った日雇い黒人が何人も吊されたままだし、各地で道化師の扮装をした強盗団が暴れまくっている。
 この前はブラウン一家行きつけの雑貨店フォダウィング商会が道化師強盗団に襲われ、店主のロジャー小父さんが撃ち殺されている。店主と番犬の葬儀にはアルの父も参列した。


 半分は出鱈目だ。
 ラシュモア山の岸壁に既にある大統領たちの像よりも巨大な、自分の彫像をルーズベルト大統領が造らせている、などというのは口から出任せにも程がある。
 幾ら大統領でも議会の承認も得ず勝手にそんなことが出来る訳がない。やろうとしても現場の人間が馬鹿馬鹿しくて働かないだろうし、市民からも非難轟々となるだけだ。連中は民主国家の政治家と前近代社会の暴君との区別がつかないらしい。


 敵の謀略放送が合衆国について語っている部分の、半分程度が正しいのなら合衆国の広報が伝える日本の有様も半分ぐらいは正しいのだろうか?

 全部は正しくないだろう。いくら日本人でも人糞の中に漬け込んだ蕪など食べれば腹を壊すに決まっている。
 広報番組では日本の後進性を現す特性として「飲食物を糞尿の中に漬け込む食習慣」を取りざたしているのだが、アルは眉唾ものだと感じていた。
 出兵したタムリン教諭は、極東では人糞から作った堆肥で作物を育てる事は珍しくないと言っていたので、その辺が勘違いの元かもしれない。
 仮に全部正しいとしたら、日本軍はタクアンだか何だか知らないが自分らが作った蕪の糞漬けを食って腹を下しながら攻めて来たことになる。そんな奴らに西海岸を取られた合衆国の軍勢はとんでもない間抜けだ。



 耳の奥に響く独特の音が上空から届いた。麦藁帽を傾けて見上げれば遙か上空、雲の更に上で6本の白い筋雲が伸びている。
 夏の前から時折現れるようになった高空を飛ぶ超大型の機体は、奮進式エンジンなるものを積んだ新型であるらしい。
 所属は解らない。日本の謀略放送もドイツの謀略放送も合衆国の広報も、自国が開発した超兵器だと言い張っている。

 敵機が内陸部まで悠々飛んでくるとは思えないし、敵なら爆弾の一つも落としていきそうなものだ。
 ということは味方なのだろうが、それなら写真の一枚ぐらい新聞に載せるとか前線へ飛ばして兵隊達を助けるとかしても良いだろうに。そんなに秘密にしたいのだろうか。
 回収業者の爺さんから聞いた「ボーイングが開発している新型重爆撃機はエンジンに問題があり、飛ぶたびにエンジンを総取り替えしないといけない」という噂は本当で、飛んでいるだけで精一杯なのかもしれない。


 帰りに庭の外れに並ぶ果樹へ寄った少年は、罠のガラス瓶内に蠢く甲虫の群を見て溜息をついた。いつもの見慣れた、丸っこくて緑と茶色の硬皮に包まれた昆虫が多数、瓶の中で蠢いている。
 この害虫が家庭菜園の収穫を下げた第一の要因であった。昔は居なかった種類の虫なのだが、数年前から異常な勢いで増え続けている。

 仕掛けた罠は雑貨屋で買ったものである。
 その辺を飛んでいる甲虫がブリキ板の傘下に仕掛けられた紙箱へ引き寄せられ、紙箱に当たって落ち、ガラスと耐水紙の漏斗を伝って、下へ取り付けた瓶内に虫が落ちて溜まる方式だ。
 安くはないが長持ちする。紙箱に入った薬剤の成分が切れる2~3ヶ月後まで、何度でも繰り返し使えるのが取り得だ。

 畑へ出る前に瓶を交換したのだが、3リットル近く入るコーラの大瓶が半分近く埋まっている。
 なんだか、日に日に虫が増えている気がする。アルは虫取り罠の瓶を予備の空き瓶と交換して、小さくて丸っこい昆虫の入った瓶に蓋をした。

 幾つかの罠を調べて、捕まっている虫(マメコガネ)を回収する。回収した虫は魚か、鳥か、豚の餌になる。ブラウン家では豚を飼っていないので主に罠で捕まえた親虫を庭の養殖池で飼っている魚に、土を掘ると出てくる幼虫を家の周りに放し飼いしている家鴨たちに食べさせていた。


 捕っても捕っても減らないが捕らないと増えるのが害虫である。
 匂いで虫を呼び寄せるという紙箱の罠を仕掛けるようになってからは、忌々しい甲虫の被害も幾らかは減った。ブラウン家の馬鈴薯畑は、仕掛けていない余所の菜園と違いまだ芋の方が虫の幼虫より多く取れる。

 家に帰ったアルは母親が用意していた昼食を摂った。
 時刻はいつもより早めだが献立は同じだ。朝の残りの塩味オーツ麦粥と茹で馬鈴薯に加え、豆とホウレンソウの水煮に魚の燻製を腹へ流し込む。
 今日は昼から勤労奉仕に出なくてはならないのだ、しっかり食べておく必要がある。
 ケンタッキー全域で小学校は閉まっているが、本来なら登校しているはずの児童達は一週間に12時間の勤労奉仕参加が義務づけられていた。


 少年は自転車に乗って家を出る。
 ペダルは重たかった。路面状態が悪い所為もあるが、タイヤの方により重大な問題がある。車輪にボルト留めされた木製タイヤへ滑り止めの樹脂を塗った代物なのだから当然だが。
 自転車用ゴムタイヤが北米の市井から消えて久しい。アルが今穿いているパンツだって紐にゴムは入ってない。

 勤労奉仕の現場までは30㎞近い道程だ、今の路面とタイヤでは2時間は掛かるだろう。尻を痛めないよう立ち漕ぎでペダルを踏み踏み進む少年の前方で、白い塊が天から降りてくる姿が目に入った。


 懸命にペダルを漕ぎ、白い落下物へ向けて急ぐ。
 収穫を終えたばかりでトウモロコシの砕かれた茎や枯れた葉しかない畑へ落ちてきたものは、家ほどもある大きさの白い袋と袋から吊り下げられた金網のゴンドラ、そして金網の中の金属箱だ。
 箱はブリキ板で、塗装は灰色一色。危険を表す赤や黄色のペンキやDの文字はない。

 「ビラじゃない、大当たりだ!」

 アルはポケットに忍ばせていた鉄の鏝を使い、金属箱の蓋をこじ開けた。樹脂と紙の内袋を破って中の機械をさらけ出す。
 この白い袋は日本軍が西海岸から飛ばしている観測気球であり、金属箱は電波発信装置だ。日本軍が飛ばしている気球は毎日ケンタッキーの空を飛んでいて、時折落ちてくる。
 当たりだと謀略目的の新聞や漫画冊子を満載していたり謀略電波の中継器だったりするのだが、外れだとビー玉ほどの大きさの乾いた粘土玉しか詰まってなかったりする。爆弾を積んだものもあると聞くが、アルはまだ見たことがない。

 素早く機械から真空管を抜き取る。上物の真空管は1個で工員の給料数時間分の価格となる。日本製の軍用真空管ならば叩き売っても闇市でそれなりの物が買える。
 まともな品質の真空管も、北米の市井から消え去って久しい。ブラウン家も好きで鉱石ラジオを使っている訳ではないのだ。


 目的の物を手に入れた少年は素早くその場を離れた。気球を支える絹紐は売れるし母親への土産にもなるのだが、場所が悪い。
 他の回収者に見つかったら面倒なことになる。横取りで済めば良い方だ。


 しばらく走って、誰にも見られていないことを確認する。

 アルは道端に穴を掘り、自転車の荷台から積んであった小さなクッキー缶を取りだした。気球から抜き出した3個の真空管を揉んで柔らかくした古新聞で包み、クッキー缶に入れて埋める。憶え易い地形の場所を選んだので間違える心配はない。
 値打ち物を持って勤労奉仕に行くのは馬鹿のやることである。
 帰りに暗くなってから掘り出せばよい。持ち物検査で見つかれば良くて没収、悪ければ矯正所送りだ。


 またしばらく走ってから休憩を取り、水筒に詰めた代用コーヒーを飲む。温くて不味いが咽が渇くよりは良い。


 目的地へ曲がる十字路に差し掛かった頃、反対側から顔見知りが自転車に乗ってやって来た。
 勤労奉仕に参加する同級生のマガークだ。友と言うほど親しくはないが知らぬ仲でもない。
 マガークはぼさぼさの赤毛で顔はソバカスだらけ、記憶力が良く学校の成績を鼻に掛けている節があるが、話は通じる。至って普通の男子小学生だ。

 「どうだい調子は」
 「最悪だよ。胡瓜も南瓜も、人が受粉してない花はみんな駄目だ」

 マガークもまた家庭菜園の世話をしているのだが、彼が手ずから花粉を付けて回ったもの以外、菜園の実野菜は殆ど成らなかった。これは他の畑、他の作物も同様である。ブラウン家の庭に植えたエンドウ豆にしても付いた実は数えるほどしかない。

 ケンタッキー州全域、いや南は合衆国中央部、西はロッキー山脈、東はアパラチア山脈、北は五大湖周辺にかけての地域では豆やトマトなどが実を付けなくなる現象に悩まされていた。

 数年前から合衆国産の蜂蜜が高騰するなど、兆候はあった。あったが今年に入ってからは特に酷い。
 風で受粉する穀物や種芋で増える馬鈴薯などはこの件に限れば関係ないが、実野菜や果実は被害甚大。蓮華草やシロツメグサなどの牧草も種が取れなくなるので見通しが暗い。
 ドングリなども受粉率が下がっているため生態系への影響も深刻だ。今年は冬眠し損ねる熊が多いだろう。

 事実、この年のケンタッキー州は豆類の生産量が例年の半分以下となった。

 原因は単純である。虫がいなくなったからだ。羽虫、特にミツバチやハナアブの類が来ないと受粉が出来ず実は付かない。
 奇妙なことにこの現象、いつの間にかミツバチの巣が空っぽになっていたり蝶々が野原を飛ばなくなってしまう事態は、農業地帯にしか起きていなかった。
 人里離れた森林や、逆に都市部の花壇などは問題なく虫がやってきて受粉している。

 事の真相が明かとなるのは半世紀以上後となるが、羽虫の類が激減した原因は30年代初頭にデュポン系列の薬品会社が開発した「画期的殺虫剤」にあった。

 害虫のみを殺しミツバチなどの益虫は殺さない、と評判になり合衆国の各地で盛大に使われていたこの殺虫剤は、実のところ「蜂類にはゆっくり効く」毒物だったのである。
 ミツバチなどがこの薬物を浴びても、最初はなんともない。しかし長時間晒されているうちに次第に効果は現れ、使用開始から10年以内に散布された地域の蜂類は消え去る事となる。
 全ての節足動物に効くわけではないのだが、特に蜂類には効果が強く残留性も高かった。
 南部の諸州では比較的被害が少ないが、これはデュポン社以外の製薬会社による圧力で「新型殺虫剤の安全性が確認されていない」という判決が出た州が南部に多かった為だ。

 30年代から40年代初頭に使われたこの薬剤が、北米の農業を壊滅させ生態系を乱した一因であることは間違いない。



 合流から程なくしてアルとマガークは勤労奉仕現場へたどり着いた。
 此処は廃業した牧場だ。母屋は2年前に失火で消失していて、納屋と厩舎と井戸だけが残っている。
 不在の地主が貸し出している納屋が作業現場で、厩舎は材料倉庫、作業員は全員小学生、現場監督は傷病者だ。


 「バルク監督がいないって?」

 作業現場唯一の大人、監督役であるメキシコ戦線返りの退役兵、フリッツ・バルク兵長は旧牧場にいなかった。
 なんでも、昨日市内の病院へ定期検診に行った際に交通事故に遭いそのまま入院したのだそうだ。交代要員はまだ決まっていない。
 災難だったがまあ、死なず済んでに良かったとアルは思った。陰気で口数が少なくて耳が遠い男だがバルク監督は頼りになった。両足が義足で杖を使っても歩くのにも苦労していたが、彼の一睨みでどんな悪童も静かになった。

 早く帰ってきて欲しいと、アルは切実に思った。監督者のいない男子小学生の群がどうなるのか知らない人間だけが、この懸念を笑えるだろう。 


 監督はいなくても作業日程はある。
 作りかけの物を今日中に仕上げなくてはならない。夕方には受け取りのトレーラーが来るのだ。

 木材を切り、削り、防腐剤を兼ねた塗料を塗る。小学生にやらせるのだから、複雑な工程はない。
 朝からいる者も昼から来た者も分け隔てなく、少年達は手引き書に従って黙々と作業を続けた。
 この場には鋸を使って切断作業中の者の尻を蹴飛ばすとか、塗料缶の中身を金柄杓で掬って近くを通りがかった者に浴びせるとかの下らない悪戯をする糞餓鬼はいない。
 そういった手合いはとっくの昔に淘汰された。只でさえ納期が押しているのだ、遊んでいる暇はない。


 悪ふざけしていなくとも問題は発生する。

 「おい、この木材は穴がないぞ」

 と、言って作業を止めさせたのはマガークだった。彼は砲身塗装の担当である。

 少年達が勤労奉仕(ただ働き)して作っている物は、陣地擬装用偽兵器の部品だった。木材を組んで作る、牽引式野戦砲の実物大模型、その砲身部分である。
 擬装用偽兵器は、敵の空襲などが予想される場所に設置して、敵の弾を吸収することがその役割だ。
 つまり瓜二つである必要はないが程々に実物と似ている必要はある。やたらに凝っても労力の無駄であるが、出来が悪すぎると作る意味がない。


 マガークは偽大砲の砲身、組み立てたときにその砲口となる箇所を指差した。平たい丸太の断面が剥き出しになっている。
 設計図に寄れば、ここは遠目から砲口に見えるよう丸く窪みを彫っておかねばならない。

 丸太から砲身部分を削り出す担当のまとめ役はノウマンである。
 金髪を坊主頭に刈り込み、野球服を着た彼は小学生とは思えない背丈と肥満した体躯の持ち主だ。
 ノウマンは顔を顰めて答えた。
 実を言うと砲口の窪みを付けることをうっかり忘れていたのだが、素直にそう言い謝って解決するなら勤労奉仕現場に監督は要らない。
 だから返答は素っ気ないものとなる。

 「どうでも良いだろ、そんなこと」

 小学生の中でも短気な方に分類されるマガークは、3倍は体重のありそうな同級生にくってかかった。

 「良い訳あるか、馬鹿」

 大小の少年達は剣呑な目つきで睨みあう。
 この二人は元から仲が悪い。ノウマンはマガークを「ガリ勉のもやし」と嘲笑っていて、マガークはノウマンを「常敗無勝チームの病巣」と切り捨てている。

 アルとしては、ノウマンが主将を務めている限り草野球チームは最下位から抜け出られないというマガークの意見に賛成だ。
 一選手としてのノウマンは決して悪くない。しかしチームを率いる才能は皆無だ。まあ、悪くないだけで、他のチームならエース投手にも4番打者にも成れない程度の腕だが。


 「そんな細かい事誰も気にしねぇよ!」
 「お前が勝手に仕様を変えて、責任取れるのか?!」

 いつしか二人の啀み合いは怒鳴り声の応酬となっていた。


 周りの視線から「いいから早く作業続けろよ」という圧力を感じた肥満少年は、口では決着を付けられそうにないと感じて、打開策を考えて、頭を巡らしているうちに素晴らしい案を思いついた。
 拳を握りしめ、振りかぶり、赤毛少年の顔面へ叩き付ける。元から運動神経がさほど良くないマガークが不意打ちを避けられる筈もなく、一撃で殴り倒された。鼻血を撒き散らしながら納屋の床に転がる。

 突然の暴力に周囲が呆気にとられるなか、ノウマンは倒れたマガークに駆け寄り蹴りを入れた。

 「この媚日派め!」

 掛け声と共に、ボールを蹴飛ばすような勢いで腹を蹴られた赤毛少年の身体はくの字に曲がりった。大鋸屑が辺りに飛び散る。

 「媚日派!?」
 「媚日派だと!」

 半ば条件反射で、付近の少年達も倒れた赤毛の少年を蹴飛ばし殴った。なかには素手ではなく木槌や棒きれを振り回す者までいる。瞬く間に倒れたマガークは半殺しにされた。

 「売国奴め! 思い知ったか!」

 ノウマンは手足を痙攣させて呻く、同級生だったものへ唾を吐き捨てた。
 彼の主張する、赤毛の少年は「無駄な議論を吹っ掛けて、勤労奉仕作業を妨害した日本軍の手先」であるという言葉に周りの少年達は一々吟味することなく賛同し、血の付いた拳を突き上げて売国奴を討った事を誇り、歓声をあげた。

 「アメリカ万歳!」
 「民主主義よ永遠なれ!」
 「専制者を打倒せよ! キル・モア・ジャップス!!」

 これも環境適応の一つである。揉め事は裁判と評決をもって解決すべきと唱える腰抜けや、とりあえず逆の意見を言ってみるひねくれ者などはとっくの昔に淘汰されている。 
 つまり今、淘汰の対象となるのは反応が遅く、出遅れた者たちだ。

 ノウマンの指示で取り巻きの一人が旧牧場を出て、自転車で走り去った。対日協力者を捕らえたと自警団へ注進するためだ。
 納屋の隅の柱へ元同級生を縛り付け、納屋に残った十名ほどの私刑実行者たちは鼻息荒く辺りを見回し、次の獲物を探した。一人では血の滾りが治まらないのだ。


 「ブラウン。お前、来たときにマガークと話してたよな。随分と、親しそうだったが」

 目を付けられたのはアルだった。
 嫌な予感はしていた。彼は私刑に加わっておらず、「日本人を殺せ!」の唱和も大きな声ではなかった。
 なによりノウマンとは前から仲が悪い。いや、他者への攻撃性だけは体格に見合っているこの肥満体を好いている者はその家族以外皆無だろうけど。


 言い返そうとした所で、遠方からの地響きが届いた。何か、無限軌道を履いた重たい車輌がこちらへ近づいて来ているのだ。

 「受け取りか?」
 「まさか、来るのは夕方の筈だぜ!?」

 少年達は慌てふためいた。引き渡す予定の偽装部品はまだ数が揃っていない。
 割り当てられた数を今引き渡すとなると未完成どころか丸太のままのものまで出さないといけないが、出来上がるまで待って貰えるとか数が足りなくても勘弁して貰うるとか考える楽天家はこの場にいなかった。


 納屋から出て見てみれば、受け取りの作業員が来たのではないらしい。来たのはハーフトラックや大型トレーラーではなく四駆乗用車と装甲車輌の2輌だけだ。

 「戦車だ!」

 安堵まじりの歓声が上がる。何処の国でも男の子は強い物が好きだ。金属質の走行音を立てつつ迫る合衆国製戦闘車両は、少年達の目には頼もしげに映っていた。
 どうやらこの牧場を目指しているらしい。

 「M3スチュアートだぜ」

 陸軍通の小学生がそう呼んだ戦車は大砲を装備し、車体前面の下側にブルドーザーのような排土板が取り付けてあった。砲塔の上には剥き出しの、大きな機関銃が載せてある。

 旧牧場の前で戦車は停まったが、無蓋の四輪駆動車は敷地内に入ってきた。
 少年達の前で車を止め、助手席から一人の陸軍将校が降り立つ。
 少年達は戸惑いながら迎えた。道を尋ねに来たのではなさそうだが、何用だろうか。


 「アルバート・ブラウン君はいるかね?」

 降りてきた割腹の良い大尉はそう言った。

 歳は30代半ばから40手前ほどと思われる。軍服にはうっすらと土埃が付いているが、栗色の髪と口髭は床屋から出てきたばかりのように整えられていた。どことなく東欧か中欧の血を感じさせる、良く言えば質朴な顔つきである。
 背はさして高くない。
 肩幅が広く全身に分厚い筋肉が付いており、それでいて動きはしなやかで隙がない。バルク監督に似た、険しさのようなものが柔和な表情の奥に窺える。

 無知で未熟な小学生達だからこそ、目の前の将校が自警団の腕自慢たちとは格の違う強者であることが一目で解った。赤ん坊が猿に似ている事から解るように、子供は大人よりも一歩分野性に近い存在である。人の子は本能で怖い生き物を察知するのだ。


 「アルバート・ブラウン君に会いたいのだが、此処にはいないのかね?」

 穏やかな声で再度訊ねられて、少年達の視線がアルへ集まった。つい先程まで槍玉に上げようとしていたことも忘れたかのように、左右に分かれて道を譲る。


 「僕、です」

 おずおずと前に出たブラウン家の長男を見て、大尉は目を細めた。染み一つない白手袋に包まれた右手を少年へさしだし握手を求める。

 「おお、君か。お母さんから此処に居るはずだと聞いてね」
 

 将校はジャック・ベーコン大尉と名乗った。次の任地に向かう途中であり、通り道にあったブラウン家へ寄ったがアル少年が留守であった為、同じく通り道に近い旧牧場へ寄ったのだと言う。

 「タムリン少尉‥‥教諭から君にお手紙だ」
 「先生から!?」

 大尉は出兵した教師から頼まれたという、アルへの便りを手渡した。糊付けされた白い封筒を開け、アルは中身を読み耽る。
 タムリン教諭の便りによれば、彼は今シカゴに近い何処かで、何かの研究をしているらしい。毎日忙しくて、昼休みにドーナツとアイスクリームを買いに出るのが唯一の気晴らしだそうだ。

 相変わらずな恩師の様子に、アルは顔をほころばせる。

 「ブラウン君。良ければ先生に返事を書かないかね?」

 少年は読みかけの文面から目を離し顔を上げた。将校は男臭い顔つきで語りかける。
 10分程度なら待てるので今この場で手紙を書けば、切手なしで送り届けよう、と。

 大尉が言うには、軍務中は忙しいからこそ知己からの便りが嬉しいのだそうだ。
 2行か3行の文章でよい。内容も、猫が仔猫3匹を産んだとか縄跳びが百回跳べたとかで構わない。生徒が元気でやっていると分かれば、少尉の励みになるだろう、と言われて、アルは大尉から万年筆と便せんを借り、その場で便りを認めた。
 内容はぐだぐだで当たり障りのないものとなったが、込められた心情だけは伝わる筈だ。


 アルの書いた手紙を預かって、大尉と部下達は戦車と四輪駆動車に乗り去っていった。大尉が次の任地へ着く前に、手紙はタムリン教諭の所へ転送されるのだろう。


 大尉達と戦車は去ったが、もはやアルを糾弾する雰囲気ではなかった。実際の話、私刑を続ける時間的余裕はない。
 それから小学生達は大車輪で作業を行い、夕方までに課せられていた偽砲身を仕上げた。これまでに制作したものと合わせて36本の丸太加工品が、ウィンチを使って引き取りに来たトレーラーの荷台へ積み込まれる。

 偽砲身の何本かは砲口部分に窪みがなかったが、引き取りに来た作業員達は気怠げに一瞥しただけで咎めなかった。今日の引き取り担当は小学生のただ働きに品質など期待していない部類の作業員だったのだ。
 なによりも、彼らは早く帰ってビールを飲みたかった。



 アルバート・ブラウンは夕方にその日の勤労奉仕を終え、重たいペダルを漕いで家へ帰った。途中で埋めたクッキー缶を回収することも忘れなかった。
 夕食後、少年は両親と共にタムリン教諭の手紙を読んだ。ランプの明かりでは細かい字が読めないと嘆く祖父には、難しい語句の綴りを教えて貰いながら手紙を読み聞かせた。

 迂闊なことを書くと機密に触れる可能性があるのだろうか、タムリン教諭の書いた文章は奥歯に物が挟まっている感が強かったが何か凄い物を開発しているらしい事は察せられた。
 
 明けない夜はなく、止まない雨もない。私は少しでも早い夜明けのために頑張ることにする。
 今開発しているものが完成すれば戦争は終わるだろう。君の卒業までに教壇へ戻れたら良いのだが。

 手紙はそう締めくくられていた。


 子供好きと評判だが優しいだけではない甘党の元教師、いや今も心は小学教諭なままであるらしいタムリン研究員は、戦争があと1年か2年で終わると見ているようだ。
 本当に、終わってくれれば良いとアルは思う。宿題に悩みながら学校へ通う日々に帰って来て欲しい。そしてノウマン一派がいない学校なら言うことはない。最高だ。


 その夜、寝床の中でアルは奇妙なことに気付いた。

 タムリン先生からの手紙を届けに来ただけなら、ベーコン大尉は母にそう伝えて返信用の封筒などを渡せばそれで済んだ筈だ。わざわざ旧牧場まで来る必要などない。
 通り道だから寄ったと言っていたが、もしアルと行き違いになったらどうする気だったのだろう?
 その場合、タムリン先生の手紙はどうなったのだろう? 後で切手を貼ってポストに入れられたのだろうか。

 単に大尉がうっかり者だっただけかもしれないが、何か引っかかる。
 彼らのお陰で窮地から逃れられた事については感謝しているが。

 などと考えているうちに、アルは意識を失い眠りに就いた。



 翌々日は朝から勤労奉仕に出る予定だったが、中止になった。
 その前日に作業現場である納屋が火事を起こし、全焼したからである。幸い、死傷者は出ていない。
 その後は偽装兵器作りの作業がアルたちに割り振られることはなく、少年達は古いゴム製品の回収や農道の窪みへ砂利を詰める作業などへ駆り出されることとなる。


 マガークの家はそれよりも前、ブラウン一家が揃って手紙を読んでいる頃に自警団によって焼かれた。マガークを含め一家4人が焼け死に、焼け残った納屋の床下から日本帝国の刻印が入った金の延べ棒とサムライのサーベルが見つかった。
 焼き討ちの首謀者である自警団長、ノウマンの父親はマガークたちが帝国主義者の走狗であった証拠だとして金塊とサーベルを付近の住民達へ見せびらかした後、治安当局へそれらを提出した。

 もしその場にタムリン教諭が居合わせれば、随分と幅広で切っ先が二つに分かれている上に柄の頭が環になっていて朱色布の房飾りが付いている「サムライのサーベル」について何か言及したかもしれない。



 なお、ノウマンの父は旧牧場納屋の炎上から8日後に自警団長でなくなった。
 火事の責任を押し付けられたノウマンの取り巻きがノウマンによる勤労奉仕現場での資材横流しを告発し、そこから芋蔓式にノウマンの父による、予算の私的流用など自警団長の立場を利用した数々の不正が発覚した為である。

 ノウマンの家は自警団の反団長派により襲撃された。家捜しの結果、元自警団長宅の地下室から日本政府の刻印が入った金の延べ棒と、日本で出版されているいかがわしい書籍が大量に見つかった。
 ノウマンの父はでっちあげだと叫んだが、金塊の入っていた木箱は埃まみれで上にも下にもクモの巣が張られており、かなりの長時間地下室に入っていたと思われた。昨日今日、あるいはここ一月や二月ではこうはなるまい、と自警団員の誰もが確信した。

 長時間、地下室に家主の知らない木箱が入っていた事に気付かなかった、という元自警団長の言い逃れは通じず、彼は逃亡を図ったため射殺された。

 元自警団長宅で発見されたいかがわしい書籍の山はその場で焚書に処され、金塊は駆けつけた警察へ証拠品として引き渡された。
 ノウマンの父が本当に媚日派で売国していたのか、媚日派狩りの中で見付けた諸々を着服していただけなのか、今となっては判らない。調べる者も気にする者もいないのでどうでも良い事だが。


 元自警団長の家族は一人を除き矯正施設送りとなった。

 唯一の例外となったノウマンは、既に横領などの咎で逮捕されていた。そのときには彼の実年齢が13歳である事が、彼の出生届はわざと遅れた日付を記入されたものである事と併せて発覚していたので、ノウマンは「責任能力有り」とみなされたのだ。

 未成年運動競技などの世界では1~2歳の年齢を誤魔化して選手登録し、他の選手に対し優位を取ろうとする詐術は珍しくない。
 素質や環境が同等なら「15歳の拳闘選手」に対し「15歳と詐称した17歳の拳闘選手」が有利になるのは当然である。成長と鍛錬で2年間の時間的優位があるのだから。
 玄人の世界で使われる手段を、素人が見よう見まねで模倣することもよくある事だ。

 なお、本人は「10歳児として暮らしてきたのだから自分は知能精神共に10歳である、肉体ではなく精神の罪を問うべきではないのか」と訴えたが、耳を貸す者はいなかった。




 それにしても、とアルは訝しむ。

 何処かの家が燃えたり襲われたりすると、必ずその家から日本の金塊が出てくるのは何故だろう?
 日本軍の間諜がばらまいているのだとしたら、日本には黄金が有り余っているのだろうか?
 ケンタッキーではいったい何軒の家、幾つの家族が敵に買収されているのだろうか?
 ひょっとしたら、我が家の納屋も探したら金塊が出てくるのだろうか?



 無論のこと、それは無知な小学生の抱いた妄想でしかない。

 ブラウン家の納屋や地下室は一家の者たちにより鍵掛け、仕掛け罠、番鳥、銃を持った見張りなどの防犯対策を徹底されている。
 家鴨はある意味犬より頼りになる警報装置である。犬は顔なじみの来客には騒がないが、家鴨は違う。知っている、安心できる来客であるほど歓迎し近寄って「何かくれ」と騒ぐ生き物なのだ。

 そのような事情により、ブラウン家の誰も気付かないうちに、何者かに忍び込まれて目立たぬ所へ金塊入りの木箱を置かれ、さも長時間経ったかのように偽装されることはない。

 クモの巣はクモさえいれば一昼夜で何重にも張り巡らされる。埃は余所から持ち込んで、上手く撒けば素人目には判別できない。推理小説の常套手段である。
 つまり玄人や、玄人裸足な素人の手に掛かれば迂闊な者は容易く自宅敷地内に侵入され、したい放題にされてしまう。

 やられたらやり返す。やりそうな奴に対してはやられる前に先手を打つ。なにかと物騒な開拓地で暮らしていくのなら、そのくらいで丁度良い。アルの産まれたブラウン家は、現家長で4代目となる生え抜きのケンタッキー住民であった。


 襲撃などにより建物が無理矢理壊されたりしない限り、ブラウン家の中で金塊が発見される事はない。
 焼かれた場合は、焼け跡から何故か熱に晒された形跡のない金塊が見つかるかもしれないが。




     ・・・・・



 時は幾らか遡る。


 1941年9月16日の午後、旧牧場を離れたベーコン大尉はその傍らでハンドルを握る部下へ訊ねた。

 「どうだ、ゼイガン?」

 四輪駆動車の運転席に座る痩せ形の男、ゼイガン上等兵は元プロボクサーである。6回戦まで進んでから目を悪くして引退したが、数年前まで試合場で拳闘を行い、報酬を得ていた。

 「別人でしょう。3インチ(約7.6㎝)ほど身長が低い。それに‥‥」
 「それに?」

 今でも体調維持のため拳闘の訓練を欠かさないゼイガンにはちょっとした特技があった。一目見ただけでその人物の背丈や手足の長さをピタリと言い当てられるのだ。誤差は精々3㎜以内におさまる。
 目を悪くしたと言ってもそれは職業拳闘の世界では通じなくなっただけであって、今なお素人とは一線を画する能力がある。

 「声も良く似ていますが声帯が細い。2~3歳下の弟だと言われれば信じてしまいそうです」
 「なるほど」


 知り合いに頼まれた手紙を届けに来た、というのは口実でありベーコン大尉の来訪は上等兵にブラウン少年を見せるためであった。この元ボクサーは「リトルボーイ」なる暗号名で呼ばれる存在を目撃した、数少ない生存者なのだ。


 市井に蔓延る奇怪な噂、都市伝説の一つに「年端もいかぬ少年に率いられたギャング団」という区分がある。
 リトルボーイと呼ばれるそれは、全米の諸地域に各地に出没し各地の不穏分子、刹那的な犯罪者や愚連隊を煽り操る凶悪な怪人であった。
 現在の北米中西部などの各地で暴れている、道化師の仮装をした強盗団を組織し動かしている人物は伝説ではなく実在している。暇を持て余したろくでなし共へ武器や衣装を与え組織化し、犯行を示唆や教唆している何者かが。
 合衆国の後方を攪乱する潜入工作員がその正体と目されていた。間違いなく、日本側の走狗であろう。


 そして、ゼイガン上等兵やその他の生存者が目撃した仮称リトルボーイの顔は、余りにもブラウン家長男である10歳児に似ていたのだ。
 ブラウン家の知人である犠牲者の一人などは「アルじゃないか、どうしてこんな所に?」と話しかけて撃ち殺された程に似ていた。目撃者の証言だけでなく、撮影に成功した写真にも、やや不鮮明ながらアルバート・ブラウンそっくりの人物が写されている。


 無論のこと、大尉はブラウン少年が「謎の工作員ではないか?」と疑っていた訳ではない。
 リトルボーイは何年も前から、休むことなく合衆国内のあちこちで活動していたのだ。只の子供に過ぎないアルバート・ブラウンがその正体である訳がない。
 直接会って確信に変わった。あれは合衆国に幾らでもいる男子小学生に過ぎない。

 「だが、似すぎている」


 15分後、トラックに乗ってきて合流した部下の一人にベーコン大尉は少年の書いた手紙を渡した。
 渡された部下はペーパーナイフを使い手紙の封を切り、取りだした中身を別紙に書き写してから新しい封筒へ入れ糊付けした。続いて封筒表の宛先を、アルのものと見分けが付かない文字で書き入れる。この部下は筆跡を真似る技能を持っているのだ。

 少年の手紙そのものはもう用済みだ。なので大尉の伝手で近日中に五大湖方面へ送られ、そこで憲兵による検閲を受けた後に某所の某研究施設にいるタムリン少尉の元へ届けられる。
 ブラウン少年は勿論だが、タムリン教諭も諜報員としての訓練を受けていない。筆跡から偽造がばれることはないだろう。


 本命は便りではない。
 大尉が欲しかったのはブラウン少年が宛先を書いた封筒、もっと正確に言えば彼が素手で触れた紙だ。

 筆跡を偽造した部下は、少年が触れた封筒へ黒く細かい粉を塗してから振り落とした。すると、封筒には少年の指紋が浮き出ていた。紙封筒に付いた手指の皮脂に、黒炭粉末が付着して指紋を露わにしたのだ。
 大尉の目の前で採取された指紋である。握手して素手であることを確かめたし、ゴム手袋の表面へ陰陽裏返しの指紋を印刷するといった、推理小説じみた偽装工作は有り得ない。この指紋は間違いなく本人のものだ。

 目撃現場から採取されたリトルボーイの指紋と比較すると、やはり別人のものだった。渦の向きなど指紋の形は似ているが、細部は異なる。
 大きさでは1割以上違う。言うまでもなくブラウン少年の方が小さい。

 この封筒は、何処にでもいる田舎小僧と凶悪犯罪者を操る怪人が別物であることの証拠として、リトルボーイに関連する資料の中に保存される。



 「似ている、な」

 顔も声も指紋も、別人だが似すぎるほどに似ている。親子や兄弟でもこれだけ似ている組み合わせは珍しい。それが三つも重なれば念のため、実際に面通ししたくもなる。


 「アルバート君に兄弟はいない。そして彼は明らかに母親似。やはり伯父甥、か?」

 推理小説と言うか伝奇ものじみた思考だが、大尉の中で一つの推論が組み上がっていた。


 アルの母、エリカ・モーデルにはフレデリック(フリードリヒ)なる双子の兄がいた。幼児の頃は見分けが付かない程に良く似た兄妹だったという。
 モーデル家の兄妹は幼くして両親を失い孤児院に入り、そこで成長していった。だがフレデリックは15歳の誕生日を迎えてもティーン未満にしか見えなかった。何故か彼の肉体は12歳前後で成長が止まっていたのである。

 ある種の病気や負傷の影響により、極々稀にそういった症例が出る事がある。いつまでも子供の外見なままの兄は周囲から浮き上がり孤立した。
 そしてとある富豪からの養子縁組を‥‥特殊な性的嗜好を持つと悪い意味で名高い人物の申し出を断って卒院間際の孤児院からフレデリックは飛びだした。
 以後の行方は杳として知れない。それが13年前の事である。

 エリカがレキシントン市の茶店で働いているところを、後に夫となるブラウン家のチャールズに見染められ交際を始めるのがその1年後。
 リトルボーイの出没開始は更に数年後。
 合衆国の社会に怨みを抱く青少年が、仮想敵国により思想改造と工作員としての訓練を受けて帰って来るには充分すぎる時間だ。
 人の心は平穏に暮らす者の多くが考えるよりも脆い。いわゆる洗脳技術、本職の手による現代科学の粋を凝らした拷問を受けたならば丸二日ないしそれ以下の時間で、全くの別人に作りかえられてしまう事すらある。


 大尉は結論を急がなかった。後で孤児院の関係者にブラウン少年の写真を見せてみることにする。
 なお、後日写真を見せられた孤児院の元職員から、どちらも15年前のフレデリック本人と間違えられる程に、アルとリトルボーイの姿は似ていた。




 さて、本日のベーコン隊が戦車を持ち出したのには理由がある。手紙の配達に見せかけた面通しと指紋採取は、実際の所通り道が近かったからやってみただけだ。
 リトルボーイも大尉達の追い求める獲物であるが、本日の主な任務は別にある。戦車はそちらで使うために調達したのだ。


 いくら昨今の合衆国が治安悪化しているとはいえ、前線から遠く離れたケンタッキーで警邏任務に戦車は必要ない。
 巷を騒がせている道化師強盗団にしてもシカゴのギャング共と大差ない火力しか持ち合わせておらず、流石に戦車を出すのは大袈裟だ。天井裏のネズミ退治に機関砲を撃ち込むようなものだろう。

 黒人の権利拡大を唱える武力行使集団「黒豹党」などの気合いの入った反政府組織も存在するが、ベーコン大尉の任務はそれら反政府組織の拠点襲撃ではない。
 尤も、黒豹党の大規模拠点を発見したとしても中隊規模の戦力を揃えてからでないと大尉は攻め込む気になれないが。
 戦車1、乗用車1、自動貨車2。合計17名の少人数ではテロ集団との本気の殴り合いは難しい。


 つまり、本日の任務は比較的穏便というか、上手く行けば血を流さずに済むと思われるものだった。戦車は見せ札、脅しの為に持ってきた。メキシコからテキサスにかけての主戦場では急速に価値を失いつつある軽戦車でも、列強の軍勢以外にならまだまだ通用する。




 「帰れ! 民主党の手先なんぞにゃ此処は通させんぞ!」

 ケンタッキー河の支流に沿って伸びる片方一車線、計二車線の田舎道。痛みかけたコンクリートが所々でひび割れている路面へ障害物が作られている。
 崖際の道へ木箱や砂を入れたドラム缶や丸太を積み上げ、鉄条網をまばらに張り巡らせた阻止線が出来上がっているのだ。

 その上に立つのは初老の白人男。酒焼けした顔中に髭を生やし、継ぎ接ぎだらけの作業服を着込み、右手に持った散弾銃を振り回して喚いている。
 どう見ても典型的アメリカン田舎親爺。あとは左手に安酒の瓶でも握っていれば完璧だ。
 西ケンタッキーのアパラチア地方しかも山間という、文句なしの田舎に生息するに相応しい生き物である。


 「ここは政府の管理する土地で、あんたが立っているのは公道上に不法設置された障害物だ。悪いこと言わないから、爺さん、退け。さもないと痛い目を見るぞ」

 生憎と地形の都合で迂回は出来ない。この地点、バリケードの置かれた道を通らなければ目的地へはたどり着けない。だからこそ怒れる地元住人が封鎖している。今の政治か何かに怒っているのだろうが、大尉が斟酌する問題ではない。

 「帰れ! 儂ゃルーズベルトにもその手下どもにも投票しとらん! 奴らは儂の政府じゃない!」
 「そういう主張はあんたの土地で好きなだけやれ! ここは政府の土地だって言ってんだろが!」

 おそらく「政府の手先」の邪魔をしたいだけで、封鎖した先に何があるのかは知らないのだろう。反骨と意固地だけで親爺は踏ん張っている。理詰めの説得も情に訴えての懇願も無駄だろう。


 とっとと進まないと本当に日が暮れてしまう。

 「カズン、もういい。さがれ。エイコース、発砲を許可する」

 親爺と部下の平行線を辿る怒鳴り合いに辟易した大尉は実力行使に切り替えた。暴力は大概のことを片づけられる。
 トラック荷台に取り付けたスピーカーを使って親爺とやり合っていた伍長が後ろに下がり、戦車が代わって前へ出る。戦車の砲塔から顔を出して上官を見遣る戦車長に、大尉は再度命じた。

 「撃て。命令だ」

 技量だけでいえばベーコン隊でも最上位にあり、日本軍の精鋭に引けを取らないエイコース軍曹だがいささか積極性に欠ける嫌いがあった。
 悪い意味で謙虚なのだ。しかし上官に指示されれば戦車に乗っていても自前の足で歩いていても頼もしい能力を発揮する。

 「了解!」

 エイコース戦車長は戦車砲塔上に取り付けられた重機関銃を操り、目の前の障害物に向けた。
 流石にいきなり人は狙わない。障害物の端の方へ銃口を向け、引き金を絞り12.7㎜重機関銃を発射する。

 轟音と共に弾頭が砂を詰めたドラム缶を撃ち砕き、砂が爆発した。元は電信柱であったらしい、コールタールを塗った丸太がへし折れ跳ね飛び木っ端が飛び散る。土嚢も樽も木箱も次々と中身ごと貫かれ撃ち砕かれる。
 掠っただけで人が防弾服ごと挽肉となり、直撃すれば旧式の軽戦車なら正面装甲を撃ち抜かれてしまうのが12.7㎜弾である。急ごしらえにしては丈夫そうな障害物も連打を喰らえば耐えられるわけはなく、バリケードはずたずたに粉砕された。

 発砲直後、転げるように障害物の上から逃げ出して着地し損ね、倒れて地面へ突っ伏している親爺を捕獲拘束して退かしてから、戦車はバリケードの残骸へ体当たりを繰り返した。
 スチュアート軽戦車は良好な機動性を誇る。つまりエンジン出力が高く足回りが丈夫なのだ。様々な障害物を排土板付きの車体で押しのけ、千切れた錆びまみれの鎖や有刺鉄線を履帯で踏みしだいて突破した。

 離れて様子を窺っていた群衆、親爺以外の付近住民は戦車の突破を見届けると散り散りに去っていく。


 見捨てられた形となった親爺を尋問してみると、彼らは熱心な共和党支持者以外は只の反骨か退屈しのぎが目的で、障害物を作り軍がこの先の施設を占拠するのを邪魔しようとしたのだという。
 前回、軍の者が調査を試みてここへ来たときには大挙して取り囲み追い返した付近住民どもだが、流石に本日の来訪者に対しては一名を除いて腰が引けていた。
 普通は戦車で脅せば撃つ前に逃げる。しかしこの親爺のように普通でない者も世の中には居る。


 「やはり戦車があると良いですね。余裕の音だ、馬力が違いますよ」

 自棄なのか脳天気なのか、部下の一人スティッチ兵長は朗らかに笑って路上に散らばる細かな残骸を片づけだした。鋭い破片を片づけておかないと事故の原因になりかねない。
 
 スティッチ兵長以下数名の部下たちは、乗ってきたトラックごと此処へ残る。
 大尉は戦車を先頭に、次に四輪駆動車、最期にトラックの順番で進ませた。戦場でなら軽快に動ける車輌や徒歩の斥候を出す所だが、民兵未満の地元民に軽戦車をどうこうできる火力はあるまい。

 兵長達とトラックを残すのはバリケードの残骸を撤去するためではない。大尉達の退路を確保する為だ。
 まず有り得ないと思うが、先程逃げた群衆が舞い戻ってきて再度阻止線を張られると拙い。
 戦車は無敵の兵器ではない。強いが脆いのだ。
 横流し品の対戦車地雷を道に埋められたり、可燃物を入れたドラム缶を巨大な火炎瓶として使われたり、コンクリート舗装の坂道へ潤滑油をぶちまけてからその上へ砂を塗されたり、それなりの量をまとめたダイナマイトで道の狭くなった所を発破して崩されなどされては厄介なことになる。


 戦車と2台の車に分乗した大尉と部下達が向かう先は、バリケードで封鎖されていた道の終点。高い塀で囲まれた何棟もの大型倉庫だ。 
 ニューディール政策の一環として公共工事で造られた肥料集積所であり、本来なら8千トン以上の合成肥料が備蓄される筈だったが、色々あって結局中身が空っぽのまま放置されている。‥‥と、いうことに書類上ではなっている。


 「気にくわん匂いがするな」

 倉庫の扉に掛けられた錠前を合い鍵で開けレール式の大扉を左右に引き、開いてみれば大尉の懸念は当たっていた。
 倉庫の中は空などではなく、無数の木箱やドラム缶が積み上げられている。


 カズン伍長らは手分けして倉庫内部を調べ始めた。有毒なガスなどが溜まっていないか、罠や仕掛けが設置されていないか、中に誰か潜んでいないか、慎重に探っていく。

 調査の結果は特に問題なし。
 容器から漏れだしていたガソリンが気化し充満していて、兵達の服から静電気を拾って引火し大爆発! などという事態は起きないということだ。時折だが、そうやって吹き飛ぶ納屋や倉庫は存在する。



 第10622備蓄倉庫。
 綺麗な字体のペンキで、大きくくっきりと、一番手前の倉庫内部壁面にそう記されていた。


 倉庫に積まれているのは肥料だけではない。金属、ガラス、ゴム、燃料‥‥備蓄されている物は多岐に渡るが、明確な共通点があった。

 例えば、刻み目の入れられた水道管のぶつ切り。
 これは上下の所、管の断面部分が万力か何かで挟んだように潰れている。いや、順序からすると逆で、水道管へ一定の長さごとに圧力を加えて潰し、潰した所を切り離して上下を潰した中空の鉄パイプを作り、それへ切れ目を入れたのだろう。
 このパイプに、小型の金属ドリルで穴を開けて爆薬を詰め込み導火線を差し込めば爆弾になる。

 硝酸カリウムと硫黄の包み。
 これは木炭粉と混ぜて練り上げれば黒色火薬となる。湿気に弱く火力も低いが、黒色火薬は時間経過で成分が変化しない唯一の火薬である。つまり、保存状態さえ良ければ黒色火薬は100年後でも200年後でも爆発物として使えるのだ。

 その他にも22口径ロングライフル弾の山と、それを扱える安物の回転式小型拳銃の詰まった箱。
 同じ弾丸を使う、狐狩り用の小型猟銃。これも子供でも使える。
 M87手榴弾、通称パイナップルの入った箱の山。ダイナマイトの入った箱の山。
 水道管とプレス鉄板を使った、単発式の拳銃とその弾丸。
 小学生でも手順どおりに作れば放火できる単純な発火装置の設計図とその材料。

 正規軍の正面戦闘に使うものは少なく、日々の生活で、あるいはゲリラやテロリストの使うようなものが多い。



 ここまで大規模な集積所を訪れたのは初めてだが、この手の事例は幾つも報告されている。

 曰く。
 使われていないはずの倉庫に物資が充満している。
 誰もしらないうちに倉庫が建っていて、中に何かがいっぱい入っている。
 鍾乳洞の奥に入ってみたら、山のような中身入りドラム缶を見付けた。

 そのような事例が、近年の合衆国では頻発していた。
 発見される物資は武器弾薬や燃料となる物以外にも食料だったり医薬品だったりと様々であるが、戦争に使えるものである点は変わらない。

 「これで4っつ。あと幾つあるんでしょかね?」

 カズン伍長はうんざりとした表情と口調でぼやき、肩をすくめた。
 彼の言うとおり、ベーコン隊が実際に訪れ確認した、この手の備蓄施設は此処で4箇所目だ。
 陸軍諜報部が現在までに確認した事例を数えれば数十箇所に及ぶ。まだ見つかっていない場所もあるだろうし、発見者が誰にも知らせず隠匿してしまった場所も有るだろう。
 現在の北米地域で跳梁跋扈する民兵や暴徒、犯罪組織や過激派達の持つ武器のうち果たして何割が、この手の秘密集積所から盗み出された代物なのだろうか。

 まさか、番号どおり一万箇所以上あるんじゃあるまいな?
 嫌すぎる想像に大尉の胃は痛んだ。


 これらの不審な備蓄物資の情報は世間へ公開されていない。新聞やラジオで報道される事もない。
 ベーコン大尉のような諜報や公安任務の関係者には箝口令が敷かれている。
 関係者でも話題にすることを避ける。存在を知り、事情を察してしまった者たちは口を噤んでしまう。


 誰の仕業かは明白だ。合衆国内でこんな真似を、今の連邦政府以外の誰にできる。
 光の当たる場所と当たらぬ暗闇の両方で、空前絶後の権力を握ったあの男にしかできない。

 公共投資。ケインズ理論では、全く実用性のないものでも造る方が造らないよりはずっと良い。
 橋や道路やダムを造る場所がないなら、それこそピラミッドでも造ればそれだけで有効需要を喚起できる。
 不況対策で造った、造っただけで使われなかった空っぽの備蓄施設。同じく不況対策で拡充した軍事工場。
 そして開戦以来、合衆国の自動車会社は乗用車の生産を止めて生産能力を軍事方面へ向けている。どこもかしこも、企業も一般家庭も戦争のために尽力している。 

 かつて造った空容器へ、いま町工場で造らせている安物の武器を詰め込んでいるのだ、連邦政府は。
 近いうちに地域住民に使わせるために。


 大統領、貴方は何がしたいのだ? 最初からこうするつもりだったのか?
 何年も前から、戦争が始まる遙か前からこうなると分かっていたのか?
 本土の奥深くまで敵を引き込んでゲリラ戦をするために、貴方は大統領になったのか?


 子供に偽物の大砲を作らせた次は、ゴミみたいな武器を配って全市民の民兵化か。
 できそうなのが悪質である。世界に冠たる生産力を持つ国家が全力でゲリラ戦向け装備を作れば全土に遍く行き渡るだろう。只でさえこの国は巷に銃が溢れかえっているのだ。


 戦略的な意味がある事は理解できる。合衆国にはもう、敵を北米から叩き出す力が残っていない。

 現在米陸軍が押し進めているテキサス方面の反攻作戦は、作戦以下の次元であれば勝算がある。
 どれほど悪くとも、日本軍をメキシコまで押し返すことは出来るだろう。出来なくとも、敵に耐えられない程の出血を強いればもうそれ以上攻めて来れまい。


 で、その後は?

 遅くとも来年春にはパナマ運河が再開通する。
 パナマが再稼働すれば太平洋から敵機動部隊が押し寄せて来て、瀕死の状態にある米海軍と海上交通網に止めが刺される。
 そうなれば米陸軍がメキシコ国内まで戦線を押し戻しても、メキシコ湾内から叩きに叩かれて壊滅するだけだ。
 かといって、パナマまで押し返せる訳もない。
 それを行うには制空権と制海権と兵站能力と国内の安定性が足りなさ過ぎる。

 本土内で行うテキサス反攻作戦に200万の兵力を用意するだけで、合衆国は青色吐息だ。パナマ侵攻にもう200万など出せない。正確には、出せば合衆国内部で反乱が起きる。
 合衆国政府が政治的に信用できる兵力、武器を持たせても寝首をかきに来ないと断言できる軍勢はあと400万人分。それだけなのだ。

 そのうち3割、60個師団120万人分は手元に置いておかねば反逆した州兵や蜂起した民兵がホワイトハウスを焼きに来る。
 逆に言うと政府の手元にそれだけの戦力があれば、寄せ集めの動員兵などあっという間に駆逐されるのが分かり切っているから、大っぴらな反逆は起きない。

 権力は暴力の裏付けなくしては成り立たない。人は女の股から産まれるが、権力は銃口から産まれるのだ。陸軍の加護を失えば連邦政府も大統領もみな、怒り狂う民衆に吊される。
 何処ぞの君主制国家は違うのかもしれないが、合衆国では暴力装置を失った政府など一日だって存在出来はしない。
 もし大統領が十重二十重の護衛を外し独りで市街を歩けば、1ブロック進む前に撃たれるか刺されるか殴られるか轢かれるかするだろう。死ぬまで何度も何度も、あるいは死んだ後も。


 だから、取るべき戦略は持久戦。
 全土に安物の銃と爆弾をばらまいて、女子供一人一人に手榴弾や火炎瓶を持たせて敵に攻め込まさせない。攻め込めば日本軍は民兵の泥沼に沈む。


 理解は出来るが、納得はいかない。
 こうなる前に他の手はなかったのか? 戦争を避ける方法はなかったのか?

 それとも、まさか、益体もないオカルト雑誌記事が‥‥
 西海岸の諸都市でプラカードを掲げ練り歩く反戦団体の呻く寝言が正しいのか?
 全てはフランクリン・デラノ・ルーズベルトの掌上であり、戦争すら出来レースに過ぎないのか?


 妄想が蛇のように心の中を這い回り、とぐろを巻く。
 そんな馬鹿なことは有り得ない。日本帝国の隆盛は合衆国現政権の仕込みでありルーズベルト大統領が妄想する全人類永劫支配計画のための布石だ、など。

 理性では分かっている。しかし、辻褄が合わないのだ。
 土もない岩場へ生え大木に育つ樹木は存在しない。日本が斯くも強大になるには原資とか元手とかそういった栄養源が必要で、この地上に一国の命運を変えられる富をひねり出せる国家は合衆国だけだ。 
 自由と正義を守るため、と称して現政権がロシアやチャイナへ送った莫大な物資。あれのうち一部が日本へ流れていた可能性は否定できない。
 日本へ合衆国を脅かす力を付けさせるために、誰かが仕組んだのだとしたら‥‥?



 合衆国の置かれた状況は拙い。末期的だ。
 外交的に完全に詰んでいる。協定軍との講和は不可能だ。英本土の大破壊について惚けるどころか名指しで罵詈雑言を浴びせられた日には、独裁政権でなくとも妥協の余地はない。
 軍がクーデターを起こし、大統領始め政権上位者を捕らえて突きだし「全部コイツらの仕業です。市民は騙されていただけです」と五体倒地してようやく話になる段階だ。

 内政の状況も拙い。悪魔ですら団結すると聖書には書かれているが、合衆国は実質的に内戦状態にある。


 一例を挙げれば、陸、海、海兵隊、そして州兵。合衆国の正規軍では未だに黒人兵の直接戦力化すらできていない。
 黒人に銃を持たせることが出来ないのだ。


 黒人の兵達に銃を持たせ、歩兵小隊を編制する。
 すると訓練過程が終わらぬうちに、指揮官である白人の少尉が何者かに撃たれ死亡する。
 その後は魔女裁判もかくやの不毛な犯人探しが始まり、黒人小隊の人員はその殆どが死人か服役囚か脱走兵のどれかとなる。

 黒人の下士官兵を昇進させ、少尉にして黒人兵小隊を率いさせる。
 すると訓練過程が終わらぬうちに、同じ訓練所に勤める同僚白人少尉が「くろんぼが反乱を企ている!」と騒ぎだし、自分の小隊を動かし阻止行動と称して黒人兵達を襲撃する。
 その後は制圧された黒人将兵たちの調査と尋問が行われ、何処からともなく黒人少尉とその部下たちが反乱を起こそうとしていた証拠が出て来て、黒人小隊の人員はその殆どが死人か服役囚か脱走兵のどれかとなる。

 独立した訓練所に黒人兵だけを集め、黒人の少尉達を集め、黒人の大尉を任命し指揮官に据えて黒人兵中隊を編制する。
 すると訓練過程が終わらぬうちに、夜中突然に中隊宿舎が謎の爆発事故を起こし、銃撃音が木霊し、宿舎は炎上する。
 その後は焼け跡とその付近から多数の黒人兵達が死傷者となって見つかり、調査を進めるとやはり何処からともなく、中隊長を始めとする黒人将兵達が日本帝国に買収された証拠が出てきて、黒人中隊の人員はその殆どが死人か服役囚か脱走兵のどれかとなる。


 全て、ベーコン大尉がその目で見てきた実例だ。
 これでは黒人兵の戦力化など夢のまた夢、ナザレの人が天から降臨しても出来るかどうか。
 いや、彼の人が降りてきたとしても、現代のローマたるこの国の戦争に協力する訳もないか。
 団結も融和も協調もなく、自儘と暴動と迫害の溢れかえるこの地へ鉄槌を下すことは有り得ても。



 当然ながら、米国各地の黒人街では「志願兵募集は罠だ」「黒人兵は弾除けの盾にされるぞ」「アンクル・サムに騙されるな」との声が挙がった。
 黒人達は脱走兵を隠し匿いあるいは逃れさせ、軍や警察と対立したり妥協したり、あるいは率先して「反社会的な黒人」を弾圧したりした。
 これも当然ながら、黒人社会では白人との融和や黒人側の自制を呼びかける者よりも、黒人による自衛や黒人達の団結を訴える者が支持を集めた。家や町を飛びだし黒豹党などの過激派へ身を投じる若人も少なくない。
 人種間での争い、同人種での諍いは日を追うごとに激化している。組織的な暴力の応酬が各地の日常と化して久しい。


 黒人に限った話ではなく、内通者が発覚したとき買収の物的証拠として必ずと言って良い程出てくるのが「日本政府の刻印が入った金塊」だ。
 真珠や珊瑚は日本の名産品である。実際に日本側工作員が合衆国人へ賄賂や懐柔に渡す定番贈呈品でもある。しかし各地の自警団や軍の憲兵達が、何処からともなく持ち出してくる証拠品に真珠などが入っていることは殆どない。

 軍の調査担当者やお偉方の奥方達が、夜会へ出席する際に身に付ける首飾りなどの装飾品に真珠や珊瑚を使ったものが持てはやされているのは、只の偶然だろう。
 現在の合衆国では黄金の個人所有が禁じられていて、何処の金塊だろうと個人が資産とすることは出来ない。
 真珠などの宝石類は個人資産に出来る事と、陸軍憲兵隊などにより証拠として押収された宝飾品類が頻繁に保管庫から紛失している事とは関係ないのだろう。
 関係があったとしても、ベーコン大尉にそれを追求する力はない。


 まさに末期状態。文明国の軍隊か、これが?


 前線では、実際に黒人兵が弾除けとして使われている。
 常に必ずではないものの、例えば戦場で戦死者の亡骸を回収している兵が黒人と白人の何れかであった場合、日本兵は前者への狙撃を躊躇う傾向があった。少なくとも、大尉が遅滞戦闘を行っていたメキシコではそうだった。

 規律の緩んだ部隊は、実際に黒人兵や兵でない黒人や、甚だしきは白人の女子供までも盾として使った。
 ベーコン大尉の知る限り、戦車などの車輌正面へ生きた人間を縛り付けて進軍し「撃てるものなら撃ってみろ」と敵を煽った正規軍は二カ国しか持っていない。合衆国とカナダだけだ。


 これが文明国の姿か? だとしたら、文明に護る価値などあるのか?



 大尉は悔しかった。己の無力が、愚かさが恨めしかった。
 あのときはそれが最良の選択に思えたのだ。1932年の秋に投票所へ向かったときは。
 9年前は歴代で最も偉大な大統領に見えたあの男は、今は己が歴代で最も偉大であることを示すために歴代で最も巨大な石像を造らせている。嘆かわしいことに、もう誰にもそれを止められない。


 遅すぎる。何もかもが手遅れだ。5年前ならいざしらず、今日や明日に大統領を撃ち殺した所で事態は悪化しかしないだろう。政治は大統領1人で動いてはいないのだ。
 弾劾裁判や報道機関による告発といった真っ当な手段は意味がない。実行前に潰されてしまう。
 これまでにもロング上院議員やフォード社長やフーヴァーFBI長官といった大物達が、大統領との対立を匂わせた直後に、いとも容易く排除されている。強制入院と退職で済んだハル元国務長官は幸運な部類だ。


 

 大尉は踵を返し、倉庫を出た。

 この場所、戦略物資の詰まった倉庫群を封じてはならない。
 厳重に鍵を掛け、箝口令を敷いたとしても何れ情報は漏れる。秘密を嗅ぎ当てた犯罪者共が押し寄せてきて、物資を盗み出し隠匿してしまうだろう。
 悪用を防ぐには軍が管理下に置くしかあるまい。幸い電波状態は良く、上層部との連絡は円滑だ。

 ベーコン隊はあらかじめ定められていた符丁に従って無線機で通信し、問題の倉庫に危険な物資が充満している事を指揮系統の上に報告した。
 明朝、遅くとも飯の後ぐらいには増援が来る。それまで此処を守り通して、交代の人員へ引き継げば任務完了だ。
 その後はまた別の任務が待っている。



 護らねばならない。この国を。
 どれ程酷い状態にあろうと合衆国は大尉の祖国だった。父母の国だった。
 麻薬中毒患者だろうと不治の業病持ちだろうと親は親だ。危機が迫っているときに見捨てて逃げる訳にはいかない。
 世の中には要介護者の親を人食い熊の前に転がして逃げ出す男もいるが、ジャック・ベーコンはそうではない。



 知らず知らずのうちに、大尉は歌を口ずさんでいた。

 「おお、見えるか。夜明けの曙光の中に。
  我らの歓呼を浴びて、宵闇に沈んだあの旗が‥‥」

 周りの部下達もそれを聞き、夕日を浴びつつ続いて歌い出し、やがて合唱となった。


 「‥‥勇壮なる星と縞の旗よ。いまなお棚引くや、故郷の旗よ。
  然り、いまなお旗は棚引けり。自由人の住処、勇者の故郷に」


 それは彼らの国の歌。そして彼らと戦う国が、開戦を告げる速報に続いて流した歌だった。

 


続く。




[39716] その二十五『テキサス大攻勢』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:59e4fefc
Date: 2021/06/17 11:03






            その二十五『テキサス大攻勢』




 中世、初歩的な火器が出回り始めた頃。
 戦場では数十グラムの火薬を消費することで敵兵一人を殺傷できた。

 近代になり技術が進歩し社会の生産力が上がると、歩兵のほぼ全てが銃を持つようになる。
 誰もが銃を持つ戦場では、敵兵一人を撃ち倒すために消費する火薬量は中世に比べ数十倍ないしそれ以上に増えた。
 野原で棒立ちに並んだ一個中隊2百人の銃兵たちが、五十メートルほど離れて同じように戦列を組んで突っ立っている敵へ一斉射撃を浴びせても、殆ど死傷者が出ない事例さえ発生した。

 時が更に進み無煙火薬の時代が訪れ、それまでのように立ちこめる硝煙に互いの姿が隠される事はなくなった。
 戦場へ投入される火薬量に対しての戦果は更に下がった。

 現代はというと、戦場で人一人分の火薬を消費してなお敵兵一人を無力化しきれなくなってから久しい。


 例えば、堅牢な陣地に立て籠もる一個大隊の歩兵部隊がいるとして、約800名の敵兵のうち4割を殺傷させる‥‥つまり320名の敵兵を殺すあるいは戦闘不能にするのにどれだけの火薬が必要だろうか。
 250㎏爆弾を使うとしても10発や20発では、一個大隊が籠もる陣地は無力化しない。100発200発使っても難しい。
 爆撃とは、やれば必ず当たるというものではないし当たれば必ず効くというものでもないからだ。
 某国海軍の正規空母部隊のような、航行中の敵艦へ九割近い確率で命中させられる輩は極少数派である。

 鉄筋コンクリートなどを使い入念に構築された重陣地は戦艦の砲撃にすら耐えられる。
 土砂や石積みの簡易陣地であってさえ、良く訓練された歩兵部隊に立て籠もられると容易には落ちない。文字通り地形が変わるほどの砲爆撃を受けた陣地がなお、人員の七割近くを保ったという実例もある。

 当然ながら生身の兵隊よりも戦車や重砲などの、より戦力評価の高い目標に対してはより多くの火薬が必要とされる。
 一般住宅にある陶磁器を思い起こして欲しい。下駄箱の上に置かれている物より床の間へ飾られている方が、そして倉の中に仕舞われている物の方がより高価な筈である。
 戦場でも高い戦力単位ほど厳重に守られていて、敵の攻撃で壊されにくい。司令部や弾薬庫などは特に厳重になる。

 航空機とかになると援退壕に引っ込んでいるよりも、空へ逃げた方が生き残りやすい事も多い。鳥がそうであるように、翼あるものは飛んでいる限りそう簡単には死なないのだ。
 1935年初頭に日本海軍が出した試算では、艦船が爆撃機一機を撃墜するためには4000発の対空火力が必要とされた。しかも後の実戦でこの数値は過少に見積もり過ぎていたことが証明された。
 平たく言うとたった一機へ一万発以上撃って墜とせない、という事例が一度ならず発生したのである。


 二次大戦終結から四半世紀を経た60年代末にドイツで出版された「二次大戦における統計と逸話」なる書物で、著者のルドルフ・ヘス氏(ナチス党副総統とは同姓同名の別人)は、大戦において協定軍が使用した火薬量についてある試算を引用してる。
 敵国の内紛などによるものを除いた、協定軍がもたらした死者。戦死者や巻き添えだけでなく戦略爆撃などによる物資欠乏などの間接的な犠牲者も含めた推定される犠牲者総数で、協定軍の使用した火薬量を割ると約896㎏となる、と。
 前線銃後あわせ、老若男女平均して協定国は敵国民を1人殺すために0.9トンの火薬を消費したのだ。


 逆に言うと二次大戦水準の戦争では敵一人あたり1トンの火薬を用意できれば、殺せる計算となる。
 1930年代前半の日本列島に先知恵でそう考えた者たちがいた。考えたことを行うべく動いた。動いた結果は十年近く後になって現れた。


 日本帝国の主敵はアメリカ合衆国である。腰の低い傲岸さを自然体で持ち合わせている日本人にとって、カナダは最初から数に入っていない。大衆どころか知識層でさえ「合衆国とカナダは別の国」と言われて「あれ? まだ併合されてなかったっけ?」と素で返す輩は少なくない。

 敵はアメリカ。
 一般的に、近代国家は構成員の2割を失うと継戦能力を失うとされる。
 合衆国の人口は約一億五千万。人種間や階層間の分裂を狙った各種の工作により、合衆国いや北米大陸において日本帝国との戦争を望む勢力は、多めに見積もって一億人ほどにまで減っている‥‥と仮定しよう。

 1トンの火薬で人一人を殺せるのであれば、一億の二割、二千万人を殺すために二千万トンの火薬を使えばよい。
 合衆国本土へ二千万トンの火力を、適切かつ順当に投射できれば今次大戦は終わる。


 米本土決戦の基本路線はそれで良いとして、問題は投射手段である。
 如何にして2000万トンもの爆発物を運ぶべきか。



 大型爆撃機による超遠距離からの戦略爆撃。
 これはあまり宜しくない。

 大型爆撃機、例えば日本軍の呑竜や零式陸攻などを1000機使い潰したとしても、それで運べる爆弾は30万トンか40万トンか、そんなものである。どうやっても100万トンは無理だ。50万トンでも目標として厳しいだろう。

 航空機、それも最新鋭の大型機体ともなれば稼働率と耐久性はお察しの通り。飛ばして投下して帰ってくるだけで何%かは途中墜落もしくは帰還後に修復不可能と判定され廃棄処分となる。徹底的に悪天候を避けて運用しても、だ。
 修理できると判定された機体も、壊れた所を直し部品を取り替えなくてはならない。特に壊れた箇所がないように見えるものも入念に整備して部品交換しないと次の出撃でまず確実に墜ちる。
 新鋭の大型爆撃機とは程度の差はあれど皆そういうものである。飛ばすたびに機体と人命と、燃料その他が消えていく。

 敵が一切迎撃しないサンドバッグ状態でこれなのだ。実際に向かう先は敵の本土、世界に冠たる巨大帝国の心臓部。決死の覚悟で迎撃に上がってくる米軍機の群と数々の対空兵器を相手にすれば、どれだけの犠牲が出ることやら。

 機械はまだ良い。だが人命の浪費は拙い。
 飛行機の搭乗員は飛行機より高価値だ。調達費用もだが、それ以上に利益性が違う。
 爆撃機は倉庫に仕舞っておくだけで予算を喰いまくる。用済みになったものを解体するだけでも費用が要る。だが、搭乗員達を娑婆へ放せば勝手に経済を活性化してくれて、税収増という形で予算面へ貢献するのだ。

 戦争であるからこそ、兵の命は惜しまねばならない。自国民の将兵、熱意と愛国心に溢れた若人達を一世紀半に渡って浪費し続けた結果、斜陽の坂道をずり落ちているフランスのようになりたくなければ、兵の消耗を軽視してはならない。


 延べ数千機の爆撃機を投入し。膨大な予算と人命を消費して100万トンや200万トンの爆弾を落としてもアメリカは折れない。合衆国市民の心が折れる前に日本の大衆が噴火する。
 流石に陸軍省庁舎へ暴徒の群が押し入るようなことはないだろうが、あまりの費用対効果の悪さに腹を立てた民衆の投じる浮動票によって戦略爆撃を支持した政治家達がばたばたと落選する事はありえる。そうなれば永田首相は退陣する羽目になるだろう。



 航空母艦に乗せた艦載機による爆撃。
 これは更に宜しくない。

 正規空母は勿論だが、高速貨物船などを改造した空母であってもやはり高い。
 船そのものよりも乗っている人間達が高価であり、脆い。この時期の航空母艦は燃料と火薬の塊が浮いているようなものであり、只一発の敵弾で火達磨になりかねない代物である。
 大型爆撃機よりは幾分かマシだが、艦載機だって飛ばすたびに壊れていく。船の上で壊れるならまだしも、戦場で壊れれば搭乗員の生還は難しい。

 空母の単独航行は自殺行為だ。つまり、戦場へ投入するなら充分な護衛を付ける必要がある。
 使うたびに莫大な物資を消耗し、使えば必ず戦力を失う。日本海軍の着艦機構はハードウェア的にもソフトウェア的にも世界最高の安全性を誇るが、何度も着艦を繰り返せば必ず事故が起きる。
 飛び立ち、降りる。只それだけでも命がけなのが艦載機乗りだ。まして敵本拠地へ乗り込んで戦うとなれば、数回の出撃で空母に積んだ部隊は戦力価値を失いかねない。

 そもそも火力が足りない。
 仮に、補給艦を引き連れて出航した空母が10回の連続対地爆撃任務に耐えられるとしよう。爆弾を500㎏積める機体を使い、一隻につき50機の爆撃機を載せ、放った爆弾は全て命中し、幸運にも故障や事故や戦闘による損失が一切なかったと仮定する。
 その場合でも一隻の正規空母が一度の出航で投射できる爆弾は250トンにしかならない。火薬量で言えば更に下がる。

 空母艦載機による攻撃とは高く付くものなのだ。敵輸送船団への直接攻撃すら「不効率」と批判されるときもある程に。
 元々が軍艦を、つまり建造予算だけで小国の国家予算が消し飛ぶような代物を狙うために造り出された存在であり、費用対効果が良いとはお世辞にも言えない。

 空母機動部隊は敵の空母を始めとする軍艦を沈め制空権及び制海権を得るための兵器であり、商船虐めは潜水艦や仮装巡洋艦に任せればよい‥‥という空母閥の主張にも一理や二理はあるのだ。
 流石にトラック沖開戦の直後、味方からの対地支援要請に対して第1航空艦隊所属の某参謀が放った「優勝した力士へ大根買ってこいと八百屋に行かせる気か!」なる発言は問題視されたし、されねばその方が問題だが。



 戦艦による艦砲射撃。
 少しは増しな選択だ。

 戦場の主役を航空機に譲ったものの、戦艦の火力は依然として強大である。現在の有利な戦況にありながらも、協定諸国軍指導部は恐怖の味を忘れていない。
 超弩級以上の戦艦が、掣肘されることなく火力を発揮した場合総投射量は軽く一千トンを越える。一個機動部隊、正規空母数隻が搭載戦力全てを擂り潰す覚悟で送り込む反復攻撃に匹敵する火力を、たった一隻の艦が持っている。
 制空権の保持や特殊砲弾の実戦配備など有利な諸条件が揃えば、の話であるが戦艦は一兵も損なうことなしにその火力を振るうことすら可能である。イングランド南岸でサウスダコダが証明したように、戦艦は無敵でも最強でもないが恐るべき兵器なのだ。

 ただ、まあ、何ごとにも例外は存在する。
 今次大戦において英国戦艦の働きは悪かった。
 老朽艦は勿論だが、新造艦もおよそろくな物ではなかった。生まれの不幸を呪うしかないが、彼女たちはみな揃って欠陥品だったのである。

 初期不良による体調不良を押して出陣したジョージ五世は鉄血宰相に討ち取られ、歩み出したばかりの王太子は凶弾に倒れた。戦艦プリンス・オブ・ウェールズは戦艦武蔵の超遠距離砲撃によって沈められたのだ。
 それでも戦場で倒れた上の姉妹は幸せだったのだろう。母胎から這い出る前に建造施設ごと抹殺されたヨーク大公と比べれば、まだ。

 艦砲射撃の問題は、やはり費用対効果の比率が悪いことだ。
 戦艦が1000トン分の砲弾を撃つと、砲身の内側がすり減ってしまう。日本製の戦艦は新技術の採用により砲身の耐久性を上げ、過度の長砲身化を避けて砲内圧力を押さえ、対地用砲弾の表面を軟鋼材で被うなどの処置で砲身への負担を下げているのだが、それでも1門につき200発も撃てば消耗して撃てなくなってしまう。
 すり減った砲身を取り替えるにはそれなりに設備が整った施設を使わねばならず、作業には予算と時間が必要だ。

 言うまでもなく砲弾は高価だ。戦艦のものとなれば尚更高い。
 上手く取り扱えば味方が死なないという点で艦砲射撃は航空攻撃に優る。しかし狙う獲物が高価な目標であればまだしも、只の市街地などへ放つには適さない爆発物運搬手段だ。

 更に言うと破損した際の影響も大きい。
 戦艦は注目度が高い。軍事知識のない者にもその価値が解りやすいのだ。国の誇りだの床の間のお宝だのと言われることもある。壊されて「なんだそんなもの」と笑い飛ばせる代物ではない。
 ウラジオストックを砲撃した戦艦陸奥が被雷しただけで日本国民の一部は動揺した。サンフランシスコ沖の大惨事には国内どころか勢力圏全体で大騒動となった。
 艦砲射撃を行う艦艇は厳重に守られねばならず、守りが堅ければ堅いほど費用対効果は落ちる。



 無人飛行爆弾の大量投入。
 これは費用より実現性において問題があった。

 V一号。梅花。あるいはフィーゼラー103。そう呼ばれる兵器の有効射程は長めの派生型でも500㎞。
 イングランドに対して撃ち込まれたV1兵器の殆どはその半分以下の距離しか飛べなかったし、それで事足りた。
 その程度の射程でも北フランス沿岸地域から放てばロンドンは勿論、ノリッチやケンブリッジ、サウザンブトンなどの都市へ届いた。海上の無人機母艦から撃ち込めば、イングランド地域の殆どへ届いた。

 英本土の連合軍側航空戦力が防戦一方、を通り越して己の生存に全力を注がねばならなくなった頃には高速商船改造の特殊機母艦が北海を気ままに泳ぎ回り、隙を見てはイングランド沿岸へ近寄って飛行爆弾を射出した。

 V1兵器をイングランド地域へ大量投入できたのは、距離が近かったからである。
 現在でも一部の潜水艦から、あるいは空母機動部隊に付随した特殊機母艦からV1兵器が北米東海岸の諸都市へ放たれている。
 だがその量自体は大したものではない。嫌がらせにしかならない程度の火力だ。
 ドーバー海峡を挟んだ敵に対してやっていたことを、そのまま大西洋の向こう側にいる敵に対してやることはできない。普通に艦隊を航行させるだけでも難事業なのに、戦わねばならないのだから当然だ。

 それでも、事前の計画ではなんとかなる筈だった。大英帝国の遺産、海上交通網とその管理機構が使えるのなら。

 現実はそうならなかった。
 英本土は焼け、火事現場跡地では未だに煙が燻っている。英国海運は人体で喩えるなら集中治療室から出て来れず、入院できるかすら解らぬ危機にある。北米を攻める足場には使えない。

 協定諸国の海運力が英本土の救命医療に注がれている以上、大西洋から北米への攻撃はV1兵器ですら減ることはあっても増えることはない。当分の間、半年から一年の間はそうなる。



 では、如何にして合衆国を倒せるだけの火薬を運ぶのか。
 答えの一つとして用意されたのがV2兵器である。


 A作戦は、黒海からカスピ海に繋がる地域を制圧し、ソヴィエト・ロシア勢力圏南半分の流通を止めることがその骨子であった。

 B作戦は、メキシコ湾の制空権を確保し合衆国南部地域の水運を麻痺させることが目的であった。

 C作戦。北米攻略の決定打となる作戦の根本は上二つと同じく、敵から海(水運)を取りあげることが主眼にある。


 日本陸軍はマンチュリアまたはシベリアでロシア軍を迎え撃ち、削り殺すことに特化した軍隊なのだ。敵の本土へ殴り込むことも出来るが、それは本領ではない。
 慣れぬ事をすれば失敗と不手際が連続するは必然である。日々火力と装甲を積み上げている北米へ正面から攻めかかれば、戦いはかつてなく厳しいものとなるだろう。

 故に対米戦不可避の気運が高まった30年代末の時期に陸軍参謀本部の虜囚達、己の軍服に付いた金モールを呪うようになったエリート将校たちはABCの三作戦を立案した。
 彼らも人間なのだ。せめて月の三割程度の夜は家に帰りたかった。幼い我が子に顔を忘れられるのも、他人のように扱われるのも嫌だった。

 白木の箱に入って凱旋する将兵を一人でも減らすために、少しでも残業時間を減らすために。
 より少ない犠牲で勝てる作戦を。後方の処理が少なくなる作戦を。
 なるべく楽な作戦を。

 そんな思考の行き着く先がC作戦であった。
 西欧地域でV2兵器を量産し、効率よく順序だてて北米へ向けて送り出す。ただそれだけの単純な戦争計画。


 A及びBと同じく、Cという呼称も他との区別のために付けられたに過ぎない。少なくとも立案者は特に意味を込めていない。
 だが、作戦に関わる者たちの間ではCはCOLONIALのCであると囁かれている。即ち、北米本土を植民地へと還す作戦なのだ、と。


 1941年9月26日。この日に実戦初となるV2兵器が北米で炸裂した。それは以後1年以上に渡って続くコロニアル作戦の初撃であった。

 


     ・・・・・
  


 二次大戦において、協定軍の勝利がいつ決したのかについては史家の間でも意見が分かれる。
 ある者は41夏の米軍が英本土離脱したときであると主張し、ある者は40年初冬のスエズ攻略により地中海とインド洋の海運が繋がった瞬間であると言う。40年春のトラック沖で米太平洋艦隊が壊滅した日であるという意見も有力だ。

 対して、アメリカ合衆国の敗北が決まったのはいつ何処でか? という質問への答は比較的異論が少ない。
 1941年9月末から10月上旬、テキサスからメキシコにかけての地域でという意見が多数派である。


 戦争終結時に独立国家として存続できることを勝利条件としたならば、この時期の合衆国にも希望が残されていた。
 合衆国の海軍と海運は既に致命傷を負っていたが、それでも後一年から一年半は大西洋側からの上陸を阻める程度の力が残っている。

 未だ合衆国には五大湖付近が安全地帯として残されており、そこには世界の二割近い工業生産力が保たれていた。
 昼夜の区別も曜日の概念もなく稼働する工場と訓練施設は、日産数百機の航空機と百輌近い戦車に加え、それに見合うだけの物資と人員を生産し続けている。
 防衛側に航空戦力の傘が保たれるうちは、海からの侵攻は難しい。中継基地としての英本土の価値が激減した後では尚更だ。

 英本土の港湾能力が壊滅している以上、協定諸国軍が北大西洋に展開できる海上戦力は限られる。
 限られた戦力では制空権が取り切れず、制空権が取れなければ兵站線の維持は難しい。兵站が途切れた軍隊など水を換え忘れた花瓶の花よりも惨めに朽ち果てるのみだ。


 故に、米陸軍には一縷の希望があった。
 協定諸国水上部隊が北米東海岸へ楽には近寄れず、カリブ海にもメキシコ湾にも入れないこの時期なら、パナマ運河が修復されていない時期なら合衆国軍はテキサスからメキシコにかけての方面で勝てる、筈である。

 北米東海岸や南海岸へ協定軍の水上部隊が気軽く接近し無事に離れられる状態となれば、つまり本土近くの制海権が敵に握られてしまえば米国の勝ち目はなくなる。

 日本海軍の戦艦はロケット推進式の特殊砲弾を使えば海岸から200㎞以上離れた陸地へ砲撃できるのだ。ウクライナで赤軍の冬季攻勢を頓挫させ、英本土で撤退する連合軍に痛打を浴びせた実績もある。
 日本製空母から飛び立つ航空隊の戦闘半径は1000㎞近くにも達する。もしメキシコ湾内に日本艦隊が遊弋することになれば、テキサス州都ダラスあたりまでは余裕で攻撃範囲に入ってしまう。
 欧州方面での出番がなくなり余り気味だという無人飛行爆弾の到達距離は火砲と艦載機の中間、海岸線から200~500㎞程度である。
 もっともブリテン島と違い広大な合衆国では人も施設も疎らに配置されているので、無誘導弾を撃ち込まれても被害は比較的軽いだろうが。


 メキシコ湾の制海権を日本海軍が握っていない41年の秋ならば、アメリカ側に勝ち目があった。制海権がないということは船舶による輸送がおぼつかない訳であり、陸運だけで動かせる兵力は限られてくる。

 合衆国は国内の鉄道網と運河網そしてミシシッピ川が使える。まして日本側、メキシコ方面軍の兵站線は万全から程遠い状態にある。
 日本軍向けの物資が運ばれている輸送路は荒廃と混乱が常態のメキシコを、念入りな焦土作戦で仕上げた無法地帯の真っ直中を貫いているのだ。


 新大陸に展開している日本軍の陸上戦力は決して多くない。国力的な問題もあって、総動員しても日本帝国の陸上兵力は350個師団、人数にして700万人が精一杯である。
 今次大戦において日本軍がチャイナ・マンチュリア・シベリアを除く本土外へ送りだした兵力は最大の時期で91個師団とその他、約180万人。41年秋時点の北米本土には44個師団相当の協定軍が展開しており、メキシコ戦線にはその過半を占める27個師団(約55万人)が参加していた。

 対する連合軍、いやアメリカ陸軍の総兵力は2000個師団3000万人。その大半が郷土防衛にしか使えない民兵であるが、それでも41年秋の段階で機甲師団120個、機械化および機械化可能師団170個の合計400万に達する実働兵力を持っていた。
 師団数の割に兵員が少ないのは、この時期の米陸軍は編制単位の小型化を行っていたからである。

 
 ただし前線で直接攻勢に出せる戦力はその2割程度であった。

 軍事的な理由ではなく、政治的な理由で全力出撃は出来ない。400万の実働兵力全てをテキサス方面に送り込めば、米陸軍がメキシコ国境を越える前にワシントンDCは陥落する。合衆国市民に蹂躙される。

 がら空きになった首都を黙って見ていられるほど、合衆国人の政治意識は低くない。軍隊がいなくなれば必ずや民兵組織が決起してクーデターを起こす。絶対に起こす。たとえ本土決戦の最中でも。

 本土内で各州の正規兵や民兵、テロリスト集団などの犯罪組織に睨みを利かし社会秩序を保つには200万は要る。それ以上合衆国内を締め上げる樽のタガを減らすことは危険だ。
 実際にはさらに半分、二割五分の100万人いれば反乱を防げると米陸軍は保証したが、ホワイトハウスの住人達は自らが乗っている国家体制の耐久試験をやるつもりはなかった。

 人間は一日あたり1リットルの水で生存でき、2リットルあれば活動できるとされる。文化的な最低限の生活を送るには4リットルは必要だが。
 しかし砂漠を踏破するときに必要量ぴったりの水しか用意しない旅人は何れ渇き死ぬ。不測の事態は前もって測れないから不測なのであり、万一に備え手元に余裕が欲しいのは人間心理として当然であった。


 反攻作戦に使える戦力は最大200万人。正規兵だけだ。装備や練度や指揮系統に問題のある州兵などを投入したところで足手まといにしかならない。物資が無駄になるだけならまだしも、本当の意味で足を引っ張られかねない。
 本職の現場、例えばマグロの遠洋漁船へ日曜にフナ釣りしかしたことがない素人集団を乗せたがる漁師などいる訳がない。
 まして州兵や民兵が手に携えているのは釣り竿ではなく、実弾の入った銃である。無能な味方は有能な敵よりも恐ろしいのだ。


 合衆国はロシアとは違う。ろくな武器も持たせず訓練もさせていない即席兵を督戦隊の機関銃で脅しあげて敵へ突貫させることはできない。
 建前だけでも自由と正義を守らねばならない。合衆国人の愛国心は理念の向こうにあるもので、大地に根差したものではないのだ。国是の幻想さえも消え去ってしまえば、政府如きに誰が従おうか。

 赤軍と同じ事をやれば百万単位の、下手をすれば一千万を越える暴徒とテロリストが連邦政府を敵と認定して暴れ始める。そうなれば確実にホワイトハウスは黒こげだ。
 合衆国の秩序は崩壊し、敵軍の手に寄らずして敗北するだろう。


 テキサス地域に200万の軍勢を集めても、矢面に出せるのはその三分の一程度である。近代の軍隊は正面戦力より、後方で支える頭数の方が多くなる。

 武器弾薬に燃料食料などを動かし配分するにも人手は必要だ。中世の軍勢なら手弁当と現地からの徴収で戦えたが、近代軍はそうも行かない。
 機甲部隊を動かすには燃料などの消耗品が大量に必要で、大量の消耗品を運ぶには相応の人手が要り、補給部隊を動かす為に大量の消耗品を用意せねばならず、それらを保管するにも配分するにも人手が要るのだ。
 信用できる見張りがいなければ、見張りに任務を全うする実力がなければ、集積した物資は瞬く間に友軍兵が横領または隠匿または私物化して消え失せる。あるいは敵の工作員によって燃やされる。それが合衆国の現状である。


 主に政治的な理由で、合衆国がテキサス方面に集められる戦力は約200万人。うち攻勢に当てられるものは50個師団、70万足らず。
 主に兵站上の理由で、日本軍が同方面に集められる実働戦力は11個師団約19万人。加えてオーストラリア軍やモンゴル軍など協定国軍が5個師団約9万人。
 双方の戦力差は約2.5倍となる。

 一年前の時期ならば、組織制度でも戦闘教義でも圧倒的に優る日本側が数の差をものともせず圧勝しただろう。
 しかし41年秋の合衆国陸軍は、日本軍がカルフォルニアへ足を踏み入れた頃と比べて見違えるほどに強化されていた。
 この時期の合衆国陸軍は火力密度においてソヴィエト赤軍に並び、機動性においてドイツ第三帝国軍を越え、装甲戦力の充足率で日本軍を上回っていた。組織構築の学習速度においては地球上の全ての軍隊に優っている。

 台湾平定戦役と日露大戦の、あるいは旅順要塞攻略戦と青島要塞攻略戦の対比から解るように、日本陸軍は長期的には堅実な学習能力を発揮する組織である。が、しかし短期間に戦訓を吸収消化して組織全体へ適応させる能力ならば、米陸軍に軍配が上がる。

 純軍事的な意味に限れば、アメリカ陸軍は後世一般で言われるほどの馬鹿ではない。
 彼らは海軍に頼らず勝利を掴むため、祖国を滅亡から救う戦果を得るために全力を傾けていた。その甲斐あって、一局面に限っての話であれど勝利の目前にまで達した、と確信できる成果を積み上げていた。
 41年秋のテキサスから北部メキシコに掛けてなら、協定軍に作戦的勝利を得られると。


 客観的に見て、両軍が米墨国境付近へ集めた戦力を比較すれば米陸軍にも勝ち目は充分あった。
 41年秋現在の条件下であれば、50万人のアメリカ人青少年をすりつぶす覚悟で戦えば、メキシコ北部に展開する協定軍を叩きのめすことは充分に可能だった。
 過度の精鋭主義に陥っている日本陸軍が十万を越える死傷者を出せばその衝撃は大きく、メキシコ戦線の崩壊も狙える。

 合衆国側がメキシコ方面の制空権を一時的にでも得られたならば、パナマへ戦略爆撃ができる。パナマとニカラグアの運河を破壊できれば一年やそこらは時間が稼げる。協定軍の北米東海岸上陸を、43年秋以降にまで遅らせる事ができる。

 その後は根比べだ。
 日本人が諦めない限り何れは運河が修復され、カリブ海とメキシコ湾の制海権は奪われるだろう。しかし稼いだ時間を使い本土決戦の準備を進めておけば相当に粘れる。粘って粘って粘り抜けば、やがて日本政府も講和の席に着く筈だ。
 総力戦などそう何時までも続けられるものではない。必ず戦争の狂熱は冷め、妥協のときが来る。大概の要素を呑み込んで妥協してしまうのが政治なのだ。

 故に米陸軍は41年9月19日に、南テキサスに終結させた戦力を使って一大攻勢に移った。俗に言うテキサス大決戦の始まりである。




 結論から言えば、米陸軍によるテキサス攻勢は失敗に終わった。
 メキシコに展開する日本軍へ甚大な被害を与えその行動力を奪うことはかなわず、中米地域の制空権を一時的に奪ってパナマ運河を再度破壊する目論見も潰えた。

 
 何故失敗したのか。その理由は単純である。米陸軍が幾つかの要素を見落としていたからだ。



 一つは、日本の陸海軍は合衆国の軍人達が考えているよりは協調性があった事である。

 確かに「陸海軍相争い、余力を持って他国軍と戦う」と揶揄されるほど、日本の陸海軍は仲が悪い。しかしそれは急場に身内で争うことを忌避する日本文化の中での話であり、西欧諸国などとは事情が違う。
 事実として、二次大戦において日本帝国では陸海どちらかの軍がもう一方を露骨に見捨てたりとか、あからさまに盾としたという事例はない。むしろ現場の部隊同士でいえば日本軍は上手く連携していたと言えるだろう。

 これは思想的な、あるいは歴史的な背景あっての事かもしれない。

 中世の話ではあるが、北九州に押し寄せたモンゴル軍は地元武士団が一切降伏せず文字通り全滅するまで戦い続けることに戦慄したと伝えられている。
 大陸では、圧倒的大軍に攻め寄せられたならば必ず寝返る地元民が現れるからだ。有力者にも無力者にも、裏切る者は幾らでも出る。侵略者へ糧食や財貨、家畜や妻や娘を差し出しあるいは侵攻の先導を申し出て今日の命を繋ごうとする者が必ず出る。

 だが日本は違う。敵に焼かれる前に自ら都市を焼き、捕虜を盾とされれば敵ごとまとめて射抜くのが武士である。
 武士とは元々が軍事貴族崩れに指導された武装農民の群である。近代日本軍は百姓の倅をかき集めて軍事教育を施した、精神的にも物理的にも武士団の後継なのだ。

 武士は相身互い。戦場で助け合うのは当然である。

 というより助けなくては非難では済まない。陸だから海だからといった理由で味方を見捨てようものなら確実に身内から報復される。
 日本陸軍でも背中に弾を受けた戦死者は割単位で存在するし、一人きりのときに迂闊にも艦艇から転落死する将校は日本海軍でも絶えることはない。

 日本海軍は郷土別編制をしていない。戦艦長門の乗員が山口県民に限られていたりとか、巡洋艦最上には東北人しか乗っていないとかいった事例は有り得ないのだ。
 つまり、駆逐艦朝霧の乗組員○○水雷長の甥っ子が広島の師団にいたり、巡洋艦賀古の乗組員××水兵の従兄が名古屋の師団にいたりする事は普通に有り得る。当然、友人知己が何処かの部隊にいる可能性は更に高い。
 陸軍将兵の誰かは、海軍将兵の誰かから見て身内なのだ。普段は没交渉でも窮地にあれば見捨てることは出来ない。無論のこと、陸軍から見てもこの認識は成立する。

 そんなわけで、日本海軍は窮地のメキシコ方面軍へ救いの手を差し伸べた。
 海軍の所有する超大型潜水艦16隻全てを投入し、カリブ海とメキシコ湾を秘密裏に押し通ってベラクレス市の港湾へ臨時補給を行ったのだ。


 この補給は一度きりしかできなかった。

 この時期の合衆国海軍がどれ程にいためつけられていて、哨戒態勢に穴が開いていようとキューバとユカタン半島の隙間を排水量1万トンを越える怪物潜水艦が通るなど、正気の沙汰ではない。しかも一隻きりではなく計16隻も。

 只でさえ南洋の海水は澄んでいて、普通の潜水艦でさえ潜むには適していないのだ。
 ベラクレス沖へ到着したときには某潜水艦の聴音担当が発狂していたとかしていないとか言われる程の難事であり、しかも16隻がそれぞれ潜水式の輸送コンテナまで曳いて運んだのだ。
 一隻も欠けることなく辿り着いたことはまさに奇跡である。この輸送作戦だけで後の世に何本かの戦争映画が撮られるであろう。

 輸送潜水艦隊は元々が不正規戦の支援や秘密輸送の任に着いていた艦であり、戦局が有利になってからはめっきり出番が減っていた。普通の船で世界中何処でもいけるのであれば、わざわざ効率の悪い輸送潜水艦を運用する意味などない。
 だからこそ今此処で出番が回ってきた。合衆国の近海と裏庭に当たるカリブ海及びメキシコ湾を通って物資を運べる艦船は潜水艦しかいなかった。

 来たは良いが、同じ道を通って帰ることは不可能である。奇跡は滅多に起きないから奇跡なのだ。
 輸送潜水艦16隻は荷物の積み卸しが終わった後はベラクレス市沖の浮き桟橋近くに隠れ潜み、交代で乗員を陸に上げて休ませつつパナマ運河の再開通を待つことになる。

 パナマ運河修復に備え、ベラクレス市の沖に建造された港湾施設が輸送潜水艦隊の受け皿となった。現地で造られたコンクリート船を繋ぎ合わせて急造されたドックや艀にクレーンやベルトコンベアが据えられ、潜水艦と曳航された運貨筒から物資を引き上げた。
 揚陸された物資は無数の統制型トラックに積み込まれ、鉄道や道路ときには水路を伝わって前線へ送られる。

 いかに巨大とは言え潜水艦の搭載力には限界がある。潜水艦隊の持ち込んだ物資は総計8万トン強であり、輸送船団一つ分にも満たない。
 たかが8万トン、されど8万トン。砂漠で渇いている者にとり一口分の水の有無が生死を分かつように、この臨時補給の意味は大きかった。



 一つは、日本陸軍が退くことのできる軍隊だと見抜けなかったことだ。

 確かに日本軍が陸戦で後退することは珍しい。チャイナやマンチュリアでも、シベリアや東南アジアでも窮地に陥った陸軍部隊が後退を選ぶことは殆どなく、陣地に籠もり頑なに防戦を続ける事が多々あった。
 故に米陸軍は「ジャップは後退できない軍隊しか持っていない」と判断した。日本軍は専制国家故の硬直した指揮系統に囚われており、臨機応変に動くことは出来ない、と。
 無論のことそれは錯覚である。もっと正しく言えば偏見による曲解である。想定外の事態に弱い日本軍であるが、想定内でありさえすれば判断も行動も素早く的確なのだ。退くべきときには退くことが出来る。

 日本陸軍士官学校の教育内容はなにかと問題視されているが、こと戦術能力に関してならば質と量の両面で世界最高水準にあった。

 ワイマール時代の軍縮で痛めつけられたドイツ陸軍や、一次大戦以降の政治的混乱に振り回されたフランス陸軍、資金と人材を海軍へ吸い取られた英国陸軍、大粛清に晒されたロシア陸軍、そもそも大戦勃発まで実体として存在していたかどうかさえ怪しいアメリカ陸軍と違い、日本陸軍には優秀な尉官佐官たちが大量に備蓄されている。

 その反面で、士官たちの優秀さは戦術ないし作戦の領域までしか発揮されないという致命的欠陥を日本陸軍は持っているのだが、それはさておく。
 国家大戦略に至っては陸軍全体でも「理解している」と断言できる者を数えれば片手の指で事足りてしまうのだが、それもさておく。


 日本軍は前線から一歩も退かず頑強に抵抗する、との予測に基づいてテキサス大攻勢は行われたのだが、協定軍は整然と後方へ下がり、あるいは前線近くに作られた臨時の要塞へ逃げ込んだ。
 大陸の戦場で、日本軍が滅多に退却しないのはその方が被害が少なく兵の生還率も高いからである。戦場で最も人が死ぬのは武器を捨て秩序を失って逃げ惑うところへ追撃を受けた場合であり、陣地に踏み止まって戦っているうちはそう簡単には死なないのだ。

 ちょっと不利になったぐらいで後退するよりは、援軍が来ると信じて粘った方が被害は減るのである。日清日露から日支事変まで日本陸軍が蓄えた戦訓を分析すれば、そう結論が出る。
 捜索破壊ドクトリンの完成以降は、誰の目にも明らかになった。援軍の当てがある限り、下手に後退せず持ち場を死守する方が死傷者が少なくて済む。

 元々捜索破壊ドクトリンは、防戦時には堅陣と機動戦力を組み合わせて敵に出血を強いる戦闘教義である。
 常に主導権を握り続け、積極的に防戦する方法論なのだ。

 戦いの中で実績は積み上げられ信仰と化し、遂には常識となった。日本軍においては、死守命令は将兵を救うために出されるのである。

 捜索破壊ドクトリン。それは常に部隊同士が連絡を取り合い、上空の航空機や後方の砲兵や機甲部隊が窮地の友軍を支援する事により成り立つ。
 兵卒に将校並の、将校に将帥なみの能力と見識を要求するという無理難題を突破した軍隊にのみ成し得る異様な指揮機構はメキシコでも滞り無く機能した。

 戦力の消耗を避け陣地に籠もる日本兵を包囲して、米陸軍は後退を続ける協定軍を追った。米墨の国境線かその更に奥に協定軍の主要抵抗線がある筈であり、そこを貫けば一気にメキシコ方面の協定軍を崩せるものと思われた。



 一つは、メキシコ人を軽んじていた点にある。

 往々にして、気軽く暴力を振るう者ほどその弊害に無頓着である。
 世の中には己の身体を診察させる医者を特に意味もなく鞭打つ王侯貴族や、己の乗る航空機を扱う整備員を何の理由もなしに殴る将校や、己の食う飯を作る妻を目つきが気に入らないという理由で怒鳴りつける夫、などというものが存在する。

 彼ら(彼女ら)は殴られる側の感情など気にも留めない。報復を怖れる知性があれば、そんな真似はできはしない。
 そして積もり積もった憎悪を被害者が爆発させると、暴力に染まった者たちは「理不尽な!」と驚き戸惑い、そして憤る。

 一般のアメリカ人にとって、メキシコ人は驢馬のような存在だった。
 安賃金で働かせ、鞭で殴っていうことを聞かせ、暴れるようであれば射殺する。

 合衆国的世界観では弱者に生きる資格はない。あるとすればそれは強者に隷属しての生のみだ。故に米国社会では家庭内に性暴力が蔓延している。少なくない比率の親が子供を性的な搾取対象とするのだ。
 合衆国人が虚構の中で性的要素を排するのは、現実世界が性的な脅威つまり暴力と悲嘆にまみれているからである。火の怖さを良く知っているから火事を恐れるのだ。
 合衆国では病的なまでに肥満した小児が頻繁に見受けられるが、そのうち3割以上は親または親族からの性対象となることを防ぐための防衛行動として肥満することを児童が選んだ結果である。極端に肥満した者を性的に好む者は北米でも少数派だ。


 国力で比較すればアメリカ合衆国に対しメキシコは弱体であった。社会構造的にも弱かった。
 突き詰めてしまえば社会が発展するか否かは、支配機構の精度と利益還元度合いによって決まる。きめ細かく行き届いた統治がなされ、なおかつその統治が人々を幸せにしていなければ、社会は何れ腐って朽ち果てる。
 空間や時間やそれ以外にも色々と問題があって、メキシコの社会構造は米国のものより統治効率と幸福の分配能率において劣っていた。

 故にメキシコは相対的弱者であり、今次大戦においてもろくな目にあっていない。
 外国軍とそれに組みした軍閥により焦土作戦が行われ、100万を越える死傷者とその数倍の難民が発生し、経済は破綻した。
 内戦状態に陥ったメキシコから米陸軍は悠々と立ち去り、後は混沌の坩堝と化した大地とその中に取り残された日本軍だけが残った。

 メキシコは、米国に比べれば弱い。これは覆しようのない事実である。
 ただしそれはメキシコ人が低能であることを意味しない。

 纏まりとか計画性といった要素に欠ける嫌いはあるが、メキシコ人は愚物ではない。
 緑服の米兵(グリンゴ)どもにしたい放題された怨みを忘れてはいないし、報復のためには協定軍へ協力する事が早道であると判断する知性も持ち合わせている。
 メキシコの敵は合衆国であり、敵の敵を一時の友とする決断は一般的メキシコ人達にとって難しいものではなかった。

 言い変えれば、日本軍は米陸軍の参謀達が想定するよりも遙かに早くそして深く、メキシコ地域の民心を得ていた。異国の異人種の異教徒達をメキシコ人達は歓迎こそしなかったが、無意味に抗うこともなかった。
 最初期の狂乱状態が日本軍のばらまいた弾薬と援助物資によって鎮まると、生き残った地元軍閥の仲立ちにより日本軍が制圧した地域の治安は急速に回復していく。

 後々の話であるが、復興事業が軌道に乗ったメキシコから日本軍が撤収する際に「日本軍帰らないでくれ」と主張するデモ行進が地元民により行われた地域もあった。それ程に、当該地域での日墨関係は良好だった。


 メキシコ人と日本人は「仁義」とか「浪花節」とかで表現される感情的同調を見せていた。米陸軍の中枢部が想定していたよりも遙かにその関係は良好であった。 
 関係を良好に保つため、メキシコ湾側へ送られるはずの物資はメキシコ国内の復興へ使われ消えていく。

 その点は米陸軍の望んだとおりだったのだが。
 誤算は、現地メキシコ人の協定軍に対する戦争協力により、メキシコ内部の至るところに中小規模の航空基地が造られていた事である。
 ただ造られただけでなく、その維持にも現地人が一役買っていた。地元民の自警団が基地の周辺を巡回し、基地への物資輸送や基地内の雑用を手伝った。基地に隣接する飲み屋街の酌婦までが協定軍に協力し、連合国側の間諜らしき者を見かければ密告した。
 

 協定軍が米墨国境付近へ大兵力を集められないのは、主に兵站の問題である。
 最前線へ人や兵器を集めても、輸送能力が限られていては全員に物資が行き渡らなくなってしまう。修理器材や部品は勿論、各種の消耗品がなければ戦えない。
 銃があっても弾が無い、トラックがあっても燃料が無いのでは戦えない。食料や医薬品がなく、頭数だけ居る集団は軍隊ではなく流民だ。

 ならば無理に最前線へ送らねば良い。補給線が最前線と繋がっていなくとも、距離が遠すぎなければ飛行機は飛んでいける。

 そんな理由でメキシコの内部、復興中のメキシコシティ近郊から前線に近いモンテレー市に掛けての地域に無数の航空基地が造られた。その多くは野外飛行場に毛の生えた存在に過ぎなかったが、傷付いた協定軍の飛行機が緊急着陸を試みるには充分役に立つ。
 テキサス方面で米軍の大規模侵攻が始まると、それらの航空基地から協定軍の飛行部隊が次々と飛び立ち、戦場へ航空戦力を送り込み続けた。

 テワンテペク地峡を東西に貫く陸路の運送力には限界がある。メキシコの太平洋岸へどれほどの物資があろうと、地峡部の道が瓶の首と化して仕舞えば必要量が届かない。

 故に協定軍は瓶の首を通りきれず溢れてしまうであろう物資を、メキシコ高地に点在する航空基地へ送りそこから航空隊を出撃させたのである。
 大攻勢が始まる直前の主戦場であったテキサス中部にはぎりぎり届かない、航続距離の短い航空機でも米墨国境を越え南下してくる米陸軍には届くのだ。
 ハワイ方面で訓練を受けていた日本海軍や各国義勇軍の航空部隊も順次メキシコ高地地帯へ送り込まれた。日本の陸軍と海軍は仲良しではないが、現場で協力することは出来た。


 この航空基地群の存在を米軍側は見落としていた。これまでの戦闘では一切使われていなかったからだ。
 米軍の諜報網はメキシコ内陸部に多数の航空基地が協定軍によって造られている事を察知していたが、テキサス大攻勢司令部の判断には影響しなかった。
 基地群の存在とそこに終結しつつある航空戦力を換算すれば、攻勢時に一時的にだけでも制空権を奪取できる目算が立たなくなる。故に、あえて米陸軍は可能性を無視した。

 楽観論だけで押しきろうとするのは全ての軍隊の悪しき習性だ。戦争に負けているときは特に酷くなる。米陸軍に限った話ではない。戦局が不利になればなるほど、意思決定機関の認識は現実から遠のいていく。
 と、言うかアメリカ合衆国だけでなく地球上の国家あるいは民族集団の多くにおいて「現実」なるものに大した価値は認められていない。「あの人は現実を見ていない」という評価が最大限の罵倒となる社会は、世界規模で見れば少数派なのだ。


 メキシコ領内に入り込んだ米陸軍は協定軍の造った阻止線に阻まれ、迎え撃たれた。そして動きの止まった彼らに西と南から協定軍の航空戦力が殺到する。制空権の天秤は一気に傾いた。
 この時点で、テキサス大攻勢は事実上頓挫していた。現代戦で制空権なしに長時間戦える軍勢など存在しない。



 だめ押しに、もう一つ。

 米陸軍の軍人達は忘れていた。彼らの敵、日本人達が怒り狂っていることを。
 日本人は地球上に生きる他の民族と同じく、極端から極端へと走る生き物であることを。
 そして、日本人達は戦略爆撃の価値を十分に理解していたことを。




     ・・・・・



  【1941年10月1日午前3時00分 メキシコ西海岸 マサトラン市郊外】



 海辺の都市、マサトラン市の南方には飛行場がある。カルフォルニアで造られたコンクリー船を組み合わせた急ごしらえの港湾施設と同じく急ごしらえな倉庫群に隣接する、南北に伸びる長い長い滑走路を持つ飛行場だ。

 マサトラン飛行場には煌々と明かりが灯され、夜中であるのに大勢の人間が動き回り各種の車輌が行き交っていた。
 いや、車だけではない。
 車輪付きではあるものの、空を飛ぶために造られた機械達がゆったりと滑走路上を動いている。


 巨大。

 第一の印象はそれに尽きる。
 全長約50メートル、全幅は60メートルを超える。全高は12メートル余り。
 自重88トン、満載時重量209トン。最大搭載量32トン。
 航続距離9100㎞。最高時速835㎞。満載時でも720㎞以上。

 最低限の塗装しか施されていないため、巨人機(GIGANT)は灰銀色の金属地肌を剥き出しにしていた。
 重量あたりの強度に優れた日本製ジュラルミンは腐蝕にも強い。
 新時代の推進装置、ターボファン型ジェットエンジン。連装6基12発の、新型エンジンを搭載。
 いま此処にあるのは試作器や実験機を除く、実戦仕様ロット最初期型の機体である。


 日本陸海軍共用超大型爆撃機、富士。それが怪物の呼び名。
 これこそがB作戦を構成する最期の一枚。
 B作戦の主眼は合衆国本土南岸とミシシッピ川下流域の水運を遮断するところにある。

 この怪物、富士をメキシコ太平洋岸へ配置し、制空権を確保したメキシコ及びメキシコ湾上空を通って合衆国本土へ爆撃を加える。
 テキサス方面から米陸軍が攻勢を仕掛けてきたならば、現地の部隊で拘束した後に富士を始めとする航続距離の長い航空機で袋叩きにする。
 
 A作戦とB作戦の発案者は同じである。この二つの作戦は本質的に似通った、悪く言えば同工異曲な代物なのだ。
 その骨子は、敵を野戦に引きずり出した上で伏兵による超遠距離攻撃を行い殲滅するものである。

 A作戦では、アゾフ海へ乗り込んだ5隻の戦艦が放った奮進装置付き砲弾が勝負を決めた。200㎞を越えて飛来した艦砲射撃は曇天の下を進む赤軍機甲部隊にとり完全な奇襲となったのだ。

 B作戦では延べ数百回に渡って出撃する富士の搭載する積み荷、総計1万トン以上に達する爆発物が200万の敵軍を止める。
 富士にはそれが可能である。100機の富士が一機あたり4回以上出撃して任務を果たし帰還すれば、それだけの鉄量を投射できるのだ。

 富士とは即ち、不次を意味する。
 唯一無二。次ぐもの無き超越の存在たることを期待して創り上げられた、日本航空産業の頂点なのだ。


 富士は高価である。たった一機でフリゲート艦なみの調達費用となる。しかも耐用年数はフリゲート艦の数分の一、維持費は十倍以上である。一個飛行隊16機揃えたならば一個駆逐隊(軽巡または教導駆逐艦1、艦隊駆逐艦4)を越える値段となる。

 だがそれでも、100機の富士を使い潰してでもB作戦を行う意味はある。それが戦争終結に必要なのだと参謀本部の囚人達は判断した。
 富士はV兵器のように平押しで押しまくる系統の代物ではない。適宜的確に使わねば費用対効果の悪さに、作戦部が政治的に自爆してしまう系統の兵器なのだ。

 
 マサトランだけではない。太平洋沿いの都市部、アカプルコやクリアカンなどにはコンクリ船を組んで造られた即席の港湾施設と同じく即席の倉庫があり、日本から送られてきた戦争機材が山となっている。
 それらの集積所に隣接して造られた飛行場から、戦場である米墨国境付近までの距離は約1500から2000㎞。富士の航続距離なら満載しても問題なく届く。

 
 準備を整えたジュラルミン製の怪物共は順番に助走を始め、飛び立った。マサトラン基地飛行隊の第一陣である16機の富士は上空で編隊を組み、西北の戦場を目指す。戦局次第だが、彼らも二度目以降の任務では前線を越えた奥へ向かうかもしれない。

 彼らのもたらす破壊と災厄こそが、合衆国の終焉を決定付ける一打となる。
 海軍に続いて陸軍まで倒れれば、アメリカの希望はもはや怪しげな新兵器にしか託せない。


 当然の話であるが、これまでの歴史に登場した殆どの新兵器と同じく、いま合衆国が造り出そうとしているものにも戦局をひっくり返す力はない。画期的新兵器が登場して戦局が大逆転するのは、考証の甘い虚構作品の中だけだ。
 新兵器の有無に関係なく、勝つ側は順当に勝つ。負ける側は順当に負ける。

 合衆国の希望はつい先程、富士が飛び立った瞬間に潰えた。人は再び禁忌の箱を開けてしまったが、胡乱な新兵器は希望すら残せない。

 だが日本軍は合衆国が開発中の新兵器を恐れていた。
 独伊を始めとする協定諸国の指導部も五大湖周辺地域で造られている存在を恐れていた。それは敵味方問わず万人に、否、千の千の千倍の人々に死を与え、残る人々へ絶望をもたらす代物であるのだから。


 戦争は、まだ終わらない。





続く。




[39716] 『番外、資料編』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:59e4fefc
Date: 2021/06/14 12:19




           『番外、資料編』




・日本戦車

 1929年(昭和4年)に採用された89式中戦車が、近い将来起きるであろう世界大戦において力不足であることは明らかだった。日本陸軍は新時代に対応した兵器体系を編制すべく、1934年に戦車区分も再設定した。
 それまでとは異なり、新制度では戦車の区分は重量でなく使用目的で為されることとなった。
 機動性を優先した軽戦車、防御力を優先した重戦車、汎用性を優先した中戦車、火力を優先した駆逐戦車、直接戦闘以外に使用される工作戦車や回収戦車などである。
 なお、砲戦車という分類も存在するがこれは機械的には自走砲と同じものであり、編制上の都合による名称分けに過ぎない。全く同一の車体が、戦車隊に属せば砲戦車となり砲兵隊に属せば自走砲となる。


 予算や技術の都合から、最も開発しやすい軽戦車の設計が優先されるのは当然であり1935年夏には95式軽戦車の試作が完了し、採用された。これは自重12トンの車体に最大厚35ミリの装甲を備え、舗装道路上を時速55㎞で走行可能という超優良兵器であった。
 ただし試作車に搭載された主砲は威力不足であると判定され、後にボフォース社製の37ミリ砲に換装させられている。これは日本国内でライセンス生産され続けた優秀な火器である。

 特筆すべきは高出力かつ高信頼性の水冷ディーゼルエンジンを搭載していた点である。水冷式発動機は砂漠や寒冷地の使用に適さないという従来の意見が封殺されるほどに、このエンジンは優秀であった。
 全車両に搭載された高性能無線機は陸軍のみならず海軍のものと通信できた。僚機や近隣の友軍、後方司令部はもちろん砲兵や航空隊との連携が可能な通信機器と制度は日本軍の電錘(浸透)戦術に必須であり、以後の戦車にも無線機が必ず搭載された。

 平地なら10㎞先まで双方向会話通信可能な無線機、800メートル先の停止目標への100%命中を可能とする照準器、貨物を満載した輸送車両を追い抜ける路上速度、標準的な塹壕や鉄条網を乗り越えられる機動性、狭軌鉄道でも輸送可能な車体寸法、10時間連続走行後の稼働率95%以上という高い信頼性、10日間連続使用中の必要整備時間平均1時間以下という耐久性。

 後世の軍事マニアからオーパーツ呼ばわりされる傑作戦車である95式だが、軽戦車とは思えない調達価格(初期ロットで約11万円)と軽戦車ゆえの戦闘力の限界が問題となる。
 またその二人用砲塔は車長が無線手を兼ねているだけでなく、砲手が装填手と同軸機銃の射手を兼ねているため操作性に難があり、実戦において性能諸元表どおりの火力を発揮することは熟練兵でも難しかった。



 これらの点を改良したものが98式軽戦車である。再設計された98式の車体構造は95式より更に洗練され作業工程数で二割以上、調達価格で三割半減少した。
 ただしこの改修は当初の予想を越える予算と時間を消費するものとなり、一説によれば95式から98式への改修箇所は15000以上に達したという。

 ドイツ戦車の影響を受け三人用に大型化した砲塔には装填手用の座席と旋回ハンドルが用意されており、装填手は余裕があれば砲塔の旋回を早めることが出来る。また車長用ペリスコープだけでなく視界確保と歩兵対策にピストル穴も設置された。ただし車高の問題で砲塔バスケットは採用されていない。

 最大厚こそ40ミリに留まったものの全体的な平均装甲厚は95式より格段に増しており、避弾経始を大胆に設計へ取り入れたことと装甲材の進歩の結果、98式は軽戦車としては相当に高い防御力を持っている。事実、本車は欧州戦線でも「並の中戦車より固い」と現地戦車兵から好評であった。
 設計変更と装甲厚の増加により車内の容積が減少した結果、95式よりも乗り心地が悪化したが、日本陸軍では小柄な兵が多いこともあって他国ほど深刻な問題にならなかった。



 97式中戦車の普及以前は日本陸軍において上記二種の軽戦車が主力であり、普及後も偵察や哨戒などはもちろん治安維持や訓練などに使用された。生産数が多かったこともあり、自走砲や架橋戦車など工作車輌に改造されたものも多い。
 生産台数は95式98式合計で2万5千輌ほどと推定されるが、日本国外でのノックダウン生産や改造改修が多いため完全な把握は困難である。



 2式軽戦車は98式を新素材と新機材の導入による性能向上と費用低減を狙い再設計された。
 念願の砲塔パスケットを採用し、生産性や整備性も含めて評価の高い2式戦車であるが、配備の始まった1942年夏には既に戦争の帰趨は決していた。
 当時は既に軽戦車の存在価値に疑問が投げかけられている時期でもあり、前線からも「高性能な軽戦車よりも凡庸な中戦車を」との要望が強く、2式軽戦車の生産数は上記二種に比べ小規模である(諸説有るが各種合計で1900輌程度)。




  98式軽戦車(欧州仕様) 
 車体長:5.45m 全幅:2.2m 全高:2.43m 全備重量:14.7t
 懸架方式:独立懸架およびシーソー式連動懸架
 エンジン:<寿MS4型>簡易水冷星形ガソリンエンジン340馬力
 最高速度:時速47km 航続距離:260km 乗員数:4名
 装甲厚:砲塔前面40mm、車体前面35mm、砲塔側面:25mm、車体側面:25mm、車体背面15mm
 武装:42口径37mm砲1(弾薬搭載量105発)、12.7mm機銃1(砲塔上、弾薬搭載量800発)
    7.92mm機銃1(砲塔同軸、弾薬搭載量1670発)、煙幕弾発射装置8



  2式軽戦車(本土仕様) 
 車体長:5.55m 全幅:2.2m 全高:2.62m 全備重量:17t
 懸架方式:独立懸架およびシーソー式連動懸架
 エンジン:<寿MS7型>簡易水冷星形ガソリンエンジン403馬力
 最高速度:時速45km(路上) 航続距離:240km 乗員数:4名
 装甲厚:砲塔前面50mm、車体前面37mm、砲塔側面:30mm、車体側面:25mm、車体背面20mm
 武装:42口径37mm砲1(弾薬搭載量86発)、12.7mm機銃1(砲塔上、弾薬搭載量800発)
    7.92mm機銃1(砲塔同軸、弾薬搭載量1200発)、煙幕弾発射装置8






 77計画と呼ばれる符丁のもとに開発されたのが96式重戦車である。これは「次期大戦においては主砲直径70ミリ以上、正面装甲厚70ミリ以上の重戦車が必須となる」という重戦車派閥の主張を取り入れたものであったが、開発中の中戦車二種の開発が失敗または遅延した場合に備え、早急に開発されることになった。
 いわば保険である。ほぼ同時期に(当時としては)大口径火砲を搭載した支援戦車がドイツで開発されたことは興味深い。重戦車ではないもののドイツの4号戦車レオパルドもまた、本命中戦車の予備として開発されたからだ。

 96式は短時間で確実に戦力化することを狙って設計されたため、技術的には平凡な構造となっている。
 それでも日本戦車としては初めて砲塔バスケットとペリスコープを採用しており、咽頭マイクとヘッドフォンを使った車内通信が可能だった。

 97式中戦車の性能が良好であり、後続の戦車開発も順調であったためその生産台数は少なく、各種合わせて580輌である。ノモンハン事件で約70輌が実戦参加したことが初陣であり、その後もチャイナ戦線での歩兵直協やマンチュリアでの防衛任務などに使われた。
 スペイン内戦やトルコ軍への軍事支援などで少数ながら欧州にも送られている。使用した現地兵からは「戦車のなかでは居住性が良く、重戦車のなかでは扱いやすい」と評価された。事実として、当時の重戦車としては比較的信頼性が高い機材である。

 1941年当時には一線級と言い難くなっていた本車であるが、航空・砲兵の支援や形成炸薬弾・粘着榴弾の使用そして搭乗者の技量などの要素から、実戦で使用したトルコ軍におけるロシア製戦車との撃破比率は優位にあった。



  96式重戦車(欧州仕様) 
 車体長:7.05m 全幅:3.48m 全高:3.53m 全備重量:39.4t
 懸架方式:リーフサスペンション方式
 エンジン:<L42>統制型水冷ディーゼルエンジン400馬力
 最高速度:時速25km(路上) 13km(不整地) 航続距離:200km 乗員数:5名
 装甲厚:砲塔前面70mm、車体前面60mm、砲塔側面:40mm、車体側面:40mm、車体背面20mm
 武装:30口径75mm砲1(弾薬搭載量72発)、12.7mm機銃1(砲塔上、弾薬搭載量800発)
    7.92mm機銃2(車体前面+砲塔同軸、弾薬搭載量4180発)、煙幕弾発射装置8





 軽戦車は戦力的に限界があり、重戦車は必要とされる戦場に辿り着けない場合が多すぎる。故に日本陸軍が主力と頼むのは中戦車となっていくが、97式戦車はそんな期待に応えるために設計された。
 設計面では三人用大型砲塔や砲塔バスケットの採用などドイツ戦車の影響が強い。しかし避弾経始の大胆な採用や駆動系の一体化などドイツ戦車に与えた影響も大きい。
 品質管理とカイゼン運動による価格及び工数の低減、機械的信頼性の飛躍的向上、設計の合理化、人間工学の徹底などの要素は「97式の衝撃」と呼ばれ、日独で後に共同開発が行われる主因となった。

 97式中戦車の設計思想は万能を目指しておらず、その実態は「軽戦車屠殺者」である。マンチュリアで機動戦や陣地での籠城を行い、数に優るロシア製軽戦車・装甲車・各種車輌を駆逐することを目的としていた。
 当時の中戦車としては分厚い装甲と長砲身の57ミリ主砲は、遠距離からの砲戦で一方的かつ確実に仮想敵の機甲部隊を削っていくための武装である。
 そのため現場からは対歩兵戦闘での火力不足を訴える声が強く、主砲を96式重戦車のものと同じ75ミリ歩兵砲に換装した歩兵直協用や専用砲塔に30ミリ機関砲を連装配置した対空用などの派生型が生産され、通常型と組んで運用された。

 97式中戦車は日本が最も多く製造した戦車であり、最も多くの戦果を上げた戦車でもある。生産総数は各国合計で約4万8千輌。これは二次大戦において米国のM4系戦車に次ぐ生産数である。



  97式中戦車後期型(欧州仕様) 
 車体長:5.66m 全幅:2.51m 全高:2.67m 全備重量:19.32t
 懸架方式:独立懸架およびシーソー式連動懸架
 エンジン:<JMS2型>水冷ガソリンエンジン400馬力
 最高速度:時速49km(路上) 26km(不整地) 航続距離:200km 乗員数:4名(車長、砲手、装填手、操縦士)
 装甲厚:砲塔前面60mm、車体前面60mm、砲塔側面:35mm、車体側面:30mm、車体背面25mm
 武装:50口径57mm砲1(弾薬搭載量126発)、12.7mm機銃1(砲塔上、弾薬搭載量800発)
    7.92mm機銃1(砲塔同軸、弾薬搭載量2200発)、煙幕弾発射装置8




 97式中戦車(三菱案)に破れた25トン級中戦車(小松案)を一部改修して採用したものが98式中戦車である。
 98式の原設計案は狭軌列車で貨物輸送できない車体寸法と全般的な完成度の低さから不採用となったが、逆に言えば97式に比べ拡張性を残した構造になっていた。
 将来的な戦車技術の向上を図るため、また三菱系以外の軍需産業を育てるためにごく限られた数で生産されることになった98式中戦車だが、大戦勃発による戦車需要の高まりに応えて増産された。

 98式中戦車の構造はドイツの三号戦車に強い影響を受けており、三号戦車の拡大改良型と言える。
 装填手用の後方機銃など、原型となった三号戦車に比べ対歩兵戦闘と味方歩兵への火力支援能力を重視してあり、どちらかといえば歩兵戦車寄りの設計思想であった。
 車体や砲塔に複数設えられた覗き穴には防弾処理された魚眼レンズが使用されており、乗員の視界が非常に広かった。車内と外部に取り付いた歩兵が直接会話できる有線通信機と拡声器を最初から備えていた点からも歩兵直協を重視した設計であったことが伺える。

 火力だけでなく装甲と機動性においても水準以上の能力を持ち、居住性及び操縦性に優れた本車は充分に良作と呼べる戦車である。97式中戦車と比べて製造に必要とされる設備が簡易で費用が安上がりである点も、戦争の道具として評価が高い。
 生産数は各国合計で約9200輌とされる。



  98式中戦車(初期型) 
 車体長:5.903m 全幅:2.91m 全高:2.85m 全備重量:26.71t
 懸架方式:トーションバー方式
 エンジン:<統制型12気筒HM>水冷ディーゼルエンジン500馬力
 最高速度:時速42km(路上) 20km(不整地) 航続距離:320km 乗員数:5名(車長、砲手、装填手、操縦士、機銃手)
 装甲厚:砲塔前面40mm、車体前面40mm、砲塔側面:25mm、車体側面:20mm、車体背面25mm
 武装:38口径75mm砲1(弾薬搭載量70発)、12.7mm機銃1(砲塔上、弾薬搭載量400発)
    7.92mm機銃3(砲塔同軸+車体前面+砲塔後面、弾薬搭載量3200発)、煙幕弾発射装置8






 その存在が噂されていた赤軍重戦車(KV、ISシリーズなど)への対抗手段として開発されたのが、100式重戦車である。
 それまでの日本戦車と違い、100式重戦車は必要とされる性能からではなく45トン級という限界枠がまず決定され、そのなかで到達できる性能を要求する形で設計案が纏められた。

 これは日本陸軍機甲戦力の主力である97式中戦車の車体が小さすぎ、将来の改良でも早々と限界に達することが確実となったためである。二次大戦は97式とその後継戦車(1式中戦車)で凌げると日本陸軍は考えていたが、次の戦争そして次の次の戦争でも使える息の長い兵器を開発することも考えていた。
 当座は重戦車として使い、技術の進歩後には近代化改修を行って中戦車として再設計するという計画は一応の成功を見せ、100式重戦車の後継機種が二次大戦以降、日本陸軍における戦車体系で中核となっていく。

 100式重戦車は二次大戦期の重戦車のなかで最高傑作との呼び名も高く、長砲身の88ミリ戦車砲は2000メートル先からあらゆる地上兵器を破壊可能であった。
 反面、防御力に不満を抱く戦車兵が少なからず存在しており、現地改修で砲塔や車体の前面に追加装甲板を施された車体も多い。
 重戦車のわりには重量出力比が良く、幅広の履帯とトーションバー方式の懸架装置を採用していたことから良好な機動性を有していた。しかし巨体ゆえに整備は重労働であり、砲塔内に座席を増設して整備兵を乗せ5人乗りとした車輌もある。
 またその巨大な砲塔は専用の発動機を付けているにも関わらず旋回が遅く、後期生産車輌には砲塔内に乗員定数よりも多い旋回ハンドルを設置したものまで存在する。


 生産総数は各種合計で約8700輌。ドイツに送られたものは現地でティーガーと愛称が付けられ、後にライセンス生産された。
 また本車も各種自走砲や特殊車輌に改造または流用された。欧州戦線ではドイツ軍将兵から100式自走砲(砲戦車)の車体に固定式の戦闘室を設け、105ミリ高射砲を搭載したものをエレファント。同じ車体に150ミリ野戦榴弾砲を搭載したものがナスホルンという愛称で呼ばれている。
 なお、97式中戦車にはシャカール、98式中戦車にはヤーグアール、95・98・2式軽戦車にはフックス1・2・3の愛称が付けられた。



  100式重戦車(欧州仕様) 
 車体長:6.85m 全幅:3.50m 全高:3.315m 全備重量:47.1t
 懸架方式:トーションバー方式
 エンジン:<JMS5型>水冷ガソリンエンジン630馬力
 最高速度:時速42km(路上) 航続距離:190km 乗員数:4名(車長、砲手、装填手、操縦士)
 装甲厚:砲塔前面100mm、前面90mm、砲塔側面:65mm、車体側面:65mm、車体背面35mm
 武装:71口径88mm砲1(弾薬搭載量72発)、12.7mm機銃1(砲塔上、弾薬搭載量800発)
    7.92mm機銃1(砲塔同軸、弾薬搭載量2700発)、煙幕弾発射装置8





 3号・4号戦車そして97式中戦車の後継機種として日独共同開発されたものが1式中戦車(5号戦車パンター)である。
 97式中戦車がドイツ軍に与えた衝撃は大きく、短時間で対抗できる戦車を開発するために日本軍との共同作業すら辞さなかった。

 対ソヴィエト戦に間に合うことが要求されたため開発速度が優先され、各種設計案のうち最も堅実であると評価されたダイムラー・ベンツ&三菱案が採用された。これにはトート博士らドイツ軍需省の強い推薦が影響したとされている。

 開発速度と確実性の問題から技術的冒険を避け、できる限り既存の部品や技術を使用しており悪く言えば無難な設計となっている。
 とは言うものの避弾経始を重視した傾斜装甲板は新開発の高張力特殊鋼鋼板を組木細工のように組み合わせたものであり、ボルトやリベットを極力廃して溶接と特殊樹脂の接着剤を多用した構造となっている。また駆動系を一体化して整備の簡略化を図ってある。
 足回りもダブルトーションバー、千鳥足式大型転輪、幅広履帯の採用と当時の最新技術が使われており、日独以外の基準で言えば充分に冒険的な設計であった。

 当初案では装甲貫通力と搭載弾数の多さを見込んで75ミリゲルリッヒ砲を搭載した砲塔が用意されていた。
 しかし演習や実戦での戦訓から、整備の負担が重たいことだけでな故障の多さ、遠距離射撃に向かないことや命中率などの問題でが指摘され、ゲルリッヒ砲搭載型は小数採用に終わった。
 量産決定からは従来型の75ミリ戦車砲を搭載した新砲塔に切り替えられている。
 また、防御力低下を恐れてか車体機銃を疎んできた日本陸軍上層部であったが、本車では前方機銃が採用された。


 生産総数は各国合わせて約2万4千輌(二次大戦期のみ)。
 欠点としては戦争機材として不必要に複雑化した機構を持ち、車体が重戦車並に大型化したこともあって隠蔽性の低下や燃費の悪化、故障率と整備時間の増大などの様々な問題を招いている。
 ただし上記の評価は直接の先祖である97式中戦車と比べての話であり、同時期の他国製戦車とならば信頼性においても優っていた。事実として整備を絶やさない限り1式中戦車の稼働率は高く、交換部品の備蓄があれば前線での修理も可能であった。

 戦闘力の評価は高く、重戦車並の火力と装甲を持つ中戦車(あるいは中戦車並に動ける重戦車)として各地の戦場で頼りにされた。二次大戦の実戦において1式中戦車の正面装甲が破られた事例は数件を数えるのみである。
 工程数削減と部品共有化の徹底により調達価格そのものは割安であり、97式中戦車の2割増し程度で済んでいる。



  1式中戦車(中期型) 
 車体長:6.8m 全幅:3.24m 全高:2.85m 全備重量:38.62t
 懸架方式:ダブルトーションバー方式
 エンジン:<L44>統制型水冷ディーゼルエンジン750馬力
 最高速度:時速57km(路上) 航続距離:240km 乗員数:5名(車長、砲手、装填手、操縦士、機銃手)
 装甲厚:砲塔前面70mm、前面60mm、砲塔側面:40mm、車体側面:40mm、車体背面30mm
 武装:70口径75mm砲1(弾薬搭載量84発)、12.7mm機銃1(砲塔上、弾薬搭載量800発)
    7.92mm機銃2(砲塔同軸+車体前面、弾薬搭載量4800発)、煙幕弾発射装置8






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