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[3946] 魔法保母さんシャマル(シャア丸さんの冒険)
Name: 田中白◆d6b13d0c ID:d0504f35
Date: 2009/01/31 18:18
※作品内にガンダムは出てきません。タイトルはノリです。

気になることがあったので、タイトルと前書きを変えてみました。次の更新のときに前の文に戻します。



オリキャラの入ったシャマルさんが主人公です。


本編再構成に分類されます。


オリジナルの魔法とデバイス、キャラクターが登場します。オリキャラはものすっごい多いです。別作品で登場するオリキャラまでいます。


性格とか戦法が原型を留めていないキャラもいます。


文章中に誤字誤用があったら、どしどし教えて下さい。



……続きを見たくないと少しでも思った時点で見るのを中止しないと、精神的にかなり酷いことになります。



更新履歴

2008年8月23日  一回目投稿  プロローグ~長編2話+短編1話。合計5話を投稿。

2008年9月8日   二回目投稿  長編3話~5話+短編2話~3話。合計5話を投稿。

2008年10月26日 三回目投稿  長編6話+短編4話~5話。合計3話を投稿。

2008年11月30日 四回目投稿  長編1話~4話+短編1話~2話を諧調。外伝1話と長編7話~9話+短編6話~7話。合計6話を投稿

2008年12月31日 五回目投稿  短編7話の誤字直し。長編10話~11話。合計2話を投稿。

2009年1月31日  六回目投稿  長編12話。合計1話を投稿。前書きを差し替え。履歴設置。




それでは最後に。



[3946] シャア丸さんの冒険 プロローグ
Name: 田中白◆d6b13d0c ID:d0504f35
Date: 2008/11/30 20:41
――主人公は『男』です。





 私には夢がありました。子供の頃に抱いた、おおきくて大切な夢。

 それは、『保父』になること。

 大切なものを胸に秘めて日々研鑚を積み、ある日その夢を家族に話したら速攻で無理だと言われて撃沈しました。

 両親は何の配慮か、私を普通の大学に入れてくれました。

 個人的には保父母専門学校とかに行きたかったのですが、両親の決死の説得に頷かざるを得ませんでした。

 しかし私は、自分の夢を叶えるためにこっそりとピアノの練習をしたりしています。

 流れ星に願いを言うために早口言葉もかかしません。

 子供の頃からの夢だった『誰かを育てる人になりたい』。

 私は遥か先にある夢を視線の先に見据えて、今も頑張っています。絶対に、夢は叶えてみせます。





 今日も大学へと急ぎます。

 通うのは、どこにでもある普通の大学。

 生徒数2000人前後。それほど確固とした目標のない、大学で夢を見つけるかと考えている人たちの集まっている学校。

 ノンビリしていて、髪を染めている人が多め。

 教師陣は、有名な本を書いている人もいれば、全く知られていない人もいます。



 一人暮らしをしている借家から出ると、住宅街をのんびりと歩き始めます。今日もいい天気。お洗濯物日和です。

 この辺りにはいい性格の人が多くて、お隣さん同士の結びつきも強固な都会には珍しい良いところです。

 私が借りている家は、両親が妙なコネを使ったらしく一軒屋。

 一人暮らしのためか、しょっちゅう友達が遊びに来ます。

 起きるのは早いんですけど、家事を一人でしなくてはいけないので一限目を取っている日は困ります。今日は三限目だけなのでゆっくりできますけど。

 朝ごはんは毎日しっかり食べています。朝のごはんは一日の元気の源です。食べずに一日は始まりません。食事は全て私の自炊です。早寝早起きとバランスの良い食事は健康で丈夫な体を作ります。

 でも身長189cmの贅肉のない引き締まった体は、大学の友達たちこそ羨んでいるものの、私が持っている切実な悩みの種です。

 毎日毎日家事をしているから、余計な贅肉なんて全然ありません。

 家事に特化した筋肉が私の体をびっしりと覆っています。この表現だと、まるでダンゴムシとかゾウリムシみたいですね。

 私は子供が好きなのですが、この逞しい筋肉を見ると子供が脅えます。これが、私が保父になれないと言われた理由の一つです。

 何でこんな筋肉があるのでしょうか? 炊事洗濯掃除。毎日やるだけでこんなになってしまうなんて……。筋肉が付き易い体なんでしょうか?




 私は現在通っている大学へ向かうため、最寄りの駅への道のり歩いていきます。視界に入るのは、すっかり慣れ親しんだ近所の住宅街。雲ひとつない青空は目に痛いくらいサワヤカです。

 今日はどんな日になるんでしょうか? そんなことを考えながら歩いていると、転んでしまったのか泣いている女の子が目に入ってきました。

 膝を抱えながら泣いている子供を方っておくことなんて、私にはとてもできません!

 私はその子の近くに座り込むと、服の右ポケットからハンカチを取り出すと渡してあげました。

 私の手から受け取ったハンカチで目元を拭った女の子に、どうして泣いているのか聞こうとすると……。

 子供が私の目を見ました。バッチリ目が合います。少し躊躇した後、ニッコリと微笑んであげました。


「ママぁー!」


 もっと泣かれてしまいました。そんなに見た目が怖いですか?

 何時もながらショックです。なぜ怖がるのです。でも、時には私の姿を見て子
供が泣き止む時もあります。……怖さでですが。

 ……うぅ。この前泣く子も黙る緑さんって近所の人たちに呼ばれてしまいました。

 何もかも、この189センチの巨体と彫りの深い顔が悪いんです! こういう顔は、普通だったら愛嬌があるとか言われるんじゃないですか!?


「ね、どうして泣いてるのかな?」
「うわぁーん!!」


 私の言葉遣いは、標準では敬語か子供をあやすための丁寧語です。

 マッチョな敬語さん、不気味だそうです。それが子供の奥底に芽生える私への恐怖心をさらに煽るのだそうです。

 当然ですけど、私は他人に話し掛けるときの自分の顔を見れません。

 そのため、どうしてそんなに怖がられるのか理解できません。私が鏡の前で練習している時の顔とは形が違うのでしょうか? カワイク見られるように毎日努力してるのに……。この前必殺の笑顔も作り出したのに……。

 やっぱり、もっと贅肉をつけた方が良かったのでしょうか? そのことを大学の友人に聞いたところ、「どっちもどっちだ」とのこと。どういう意味でしょうか? お腹ポヨポヨの子供好き。見ていると和むと思うんですけど……。

 友人が言うにはそれでメガネをかけて汗を掻いていれば通報される、だそうですけど……。子供が好きな人に悪い人はいないと思うのですが……?

 さて、それは置いておいて、このまま待っているだけではどうしてこの子が泣いているのかわかりません。

 目の前で泣く子供に何もしてあげられないのは、とても罪悪感を感じてしまいます。泣いた理由が間接的にですが、私にもあるなら尚更です。

 ぐすぐす鼻を啜っている女の子を前にして、私はほとほと途方に暮れてしまいました。


「あら、天金さん。どうしたんですか?」


 後ろから落ち着いた声をかけられて、咄嗟に振り向きます。

 ピンチヒッターが現れました。天の助けです。彼女は燃えないゴミ捨てに来た、近所の奥さん二丁目の後藤さんです。

 夫のお仕事の都合で何年か前にここに引っ越してきた転勤族の方で、買い物について一緒に語り合う井戸端会議仲間でもあります。

 奥さん方の話はとても興味深いんですよ。

 なになにが安い、とか。どこどこのだれだれがまるまるさんに告白した、だとか。個人が知ってはいけないゴシップを、私はたくさん知ってしまっています。

 有効活用される日が来ないものが多いですけど。有効活用された時、一人の人間が社会的に抹殺されてしまいます。


「あ、井上さん家のしょう子ちゃんじゃない。あらあら泣いちゃって。大丈夫?」


 後藤さんが女の子の名前を呼びます。泣いている子供を見て、すぐに行動できるその後ろ姿の頼もしいこと。

 さ、さすがは本場の主婦です。子供の扱いなんてお手の物。子持ちは強いんです。後藤さんは七歳の息子さんを持っていて、私も何度も挨拶したことがあります。残念なことに畏れられていますけど。

 子供を持てば私も後藤さんのように強くなれるのでしょうか? ……私の子供? とても想像がつきません。

 でも、できれば可愛いお嫁さんが欲しいですね。私と一緒に色んな子供の面倒を見てくれるような人がいいです。

 そんな自分のことは放っておいて、この子が井上さん家の末っ子のしょう子ちゃんですか。確かに自分の娘の良さを語る井上さんの言うとおり、可愛い子です。

 しょう子ちゃんのほっぺに手を当ててあげながら、後藤さんは根気強く泣き止むのを待ってあげています。

 私の場合、子供のほっぺに触ると手を弾かれます。あの時はいつも心が傷つきます。

 本当に何がいけないのでしょう……? 笑顔が恐がられるのってマズくないですか。

 それと、弾かれない時は子供マジ泣き10秒前です。うぅ。


「しょうちゃんね、ころんじゃった……」
「そっか。痛かったねぇ」


 とうとう女の子から情報を引き出した後藤さん。

 視線を落として見てみると、しょう子ちゃんの膝小僧から血が垂れてしまっています。アスファルトの上で転ぶと、思ったよりも怪我し易いんですよね。

 生々しい傷跡がとても痛そうです。私は鞄の中から消毒液とバンソウコウを取り出すと、しょう子ちゃんのケガの上に貼ってあげました。

 さっき私の顔を見て脅えていたしょう子ちゃんも、後藤さんが安心しているおかげか私への警戒を解いてくれました。


「もう痛くないからね~」
「さっすが天金さん。準備いい!」


 猫なで声を出しながら、テキパキと治療を終えます。応急手当の講習を受けていた私は、簡単な治療ならできるんです。

 後藤さんに褒められて、私も嬉しいです。やっぱり奥様は、私を差別したりなんてしません。みんなこんな人たちだといいのだけれど。

 しょう子ちゃんは泣き止むと、処置のされた右足を見てから、私の顔を見ると満面の笑みを浮かべてくれました。


「ありがとう、お兄ちゃん」


 晴れ晴れとした太陽のような笑顔を見れて、私はとっても嬉しいです。

 ですが大学の知り合いの中には、私のこんな姿を見るとロリコンだとか言ってくる人もいます。

 どうして他人を自分の尺度でしか見る事ができないのでしょうか? 清々しい子供の笑顔を見れば、少しは素直になれるハズなのに。


「天金さん、これから大学でしょ? 行かなくていいの?」
「あ! 忘れていました。急がなくては」
「バイバイ、お兄ちゃん」
「うん、バイバイ」

 慌てて走り出す私。後ろで手を振ってくれているしょう子ちゃんに、手を振り返してあげます。

 しょう子ちゃんの隣で、後藤さんも手を振ってきてくれています。

 もう、しょう子ちゃんは私を怖がりません。仲良くなれて良かったです。

 しょう子ちゃんの笑顔に心を洗われた私は、元気一杯になって気分よく大学に向かいました。




 電車に揺られながら大学へ向かいます。朝から人助けも出来ましたし、今日は良い日になりそうです。

 終始笑顔の私から、小さく距離を取る人々。……うぅ、悲しくなんかないですよ。

途中、ホームから杖をついたお爺さんが乗り込んで来ました。私は迷わずに席を立って、お爺さんに席を譲ります。

 お爺さんは驚いたような顔で私を見てきますが、私はたまたま次の駅が目的地ですみたいな顔をして、気をつかわせないようにしてあげます。

 誰も席を譲ってあげないなんて、世知辛い世の中です。かわいそうです。

 私が目的地で降りようとすると、お爺さんが小さく「ありがとよ」と言ってくれました。

 ちょっとだけ格好いい。礼を言うお爺さんの頭が陽光を反射してキラリと光ります。長生きして欲しいですね。




 そんなこんなで、大学の敷地内に入りました。

 ここは自然が綺麗ないいところです。

 実は私は二年生。大学生としてはもっとも微妙な時期。

 今日の授業は一コマのみ。ちょっとだけ移動時間がもったいないです。

 でも、友達といれば大丈夫。さてさて、彼はいるかなぁ。とキョロキョロと辺りを見回します。


「よ、『シャア丸』」


 すると、常に敬語で気味悪がられている私の、親友と言っていい人が声をかけてくれました。

 他にも幾人か友達がいますが、彼はこの大学始めての友達なので、感慨も一塩なのです。


「ねぎマン。おひさ」


 早速私も挨拶を返します。ねぎマン。他の人に自分はネギまというマンガを愛してやまないと叫んでいる、変人です。

 私も常に敬語を使う変人なので気が合って、たまに一緒にダベっているのです。

 二回目話したあたりから、この名で呼べと言ってきました。

 この呼び名で、恥ずかしくてカミングアウトが出来ない同士を集めているとのことです。色々な仲間はそうやって集めたとか。


「少し遅れたな。また人助けでもしてたか、シャア丸?」
「はい」
「好きだねえ。だからお前ロリコンって、噂が立ってるんだぜ。後、オカマって噂も」
「……うぅ」


 ねぎマンの辛辣な言葉に泣きそうになります。ですが、本当のロリコンはねぎマンの方だったりします。

 マンガの中の、双子の姉妹が好きだとよく私に言っているからです。ちなみに、他の人にはスナイパーが好きだと宣言しているそうです。

 これは気を許してもらっていると取っていいのでしょうか? とっても微妙な気分だったりします。


「ま、俺はお前がお姉さん好きだって知ってるからな。とりあえず味方してやるよ」
「……お姉さんが好きなんじゃなくて、成熟した女性の体が好きなんです」


 私にとって成熟した身体女性のは、好きを通り越して憧れていると言ってもいい物です。

 もしも私の体がゴツゴツした男の体じゃなかったのなら、両親にだって保父になることを認めて貰えたかもしれない。

 でも、そのことはねぎマンには言っていません。


――私は、女性の体に憧れているのです。


 みんなに、笑顔でいてもらうために。

 保父さんになりたいのだって、笑顔が見たいからです。私が今まで健やかに、健やか過ぎるほどに成長できたのは両親の笑顔があったから。

 おかえしをしたい。家族のみんなに笑顔をプレゼントしてあげたい。だからいつも笑っていました。

 でも、小学生の頃も、中学生の頃も、高校生の頃も、いつも敬語で笑顔を振るい向いていた私は、外れた者として苛めの対象でした。

 そうして苛められる内に、笑顔を振り撒きたいという思いは抑圧されて、反比例するようにどんどん大きくなっていきました。

 苛めをする人は、子供の頃に嬉しいこと、感謝したことがないのでしょう。

 だから、子供たちに人の優しさを教えてあげたい。

 そうすれば、みんな笑顔でいられる筈だ。世界に優しさがあることを知っているのだから。

 ネグレクト(育児放棄)や年四万人を超える虐待された児童。

 それを助けられるのは、保父や保母!!

 今はそんな優しさを世界中に伝えて、笑顔をまわりに振り向きたいと思っているのです。


――そんな無限の夢の一歩が、『保父』なのです!


 話が大きくなったのですが、つまり保父になりたい。

 というより、大法螺吹きすぎました。ただ子供が好きなだけです。

 子供万歳っ!


「……シャア丸。またなんか妄想してるのか?」
「は、はい。つい……」
「……やっぱさ、敬語止めねえ?」


 ねぎマンが呆れた顔で私の顔を見てきます。私のようなマッチョさんが敬語を使うと、ゲイバーにでも来ている気分になるのだそうです。

 だというのに友達を止めないでいてくれるところが、とても親切です。

 ところで、どうしてねぎマンはゲイバーの雰囲気を知っているのでしょうか?


「シャ~まる~。マジ敬語止めてくれよ」
「小学生の頃からの癖なので……」


 敬語が癖とかマジありえねえよ。何時ものように戦慄するねぎマン。

 シャア丸を伸ばすと、まるでリリカルなのはのシャマルさんみたいです。

 実は彼女は憧れの人物トップの一人です。あの保母さんが超絶に似合いそうなあの人。まさに至宝です。

 でも、一番憧れているのは『シャア』です。

 赤い彗星です。

 当時の子供たちに夢を与え続け、そして不屈の精神で連邦の白い人に挑み続けたあの人。

 幾度も負けながらも、お母さんと呼ぶ人を殺されても、機体を変えながら闘い続けた不屈の精神。

 アニメながら私にとってのナンバー1です。

 ……それにあの人なら、いい保父さんになれそうです。カリスマありますし。

 ちなみに、最大の敵は『ナナイ・ミゲル』。

 憧れそうになるのが悔しいです。

 今私がシャア丸と呼ばれているのも、私の胸の置く深くにある『赤』への情熱をねぎマンが嗅ぎ取ったから。

 あの人と同じ名前で呼ばれるのは、嬉しいけれど恐れ多くもあります。

 嘘。純粋に嬉しいです。


「……またトリップしちまって」
「はっ」
「まぁいいけどさ。お前が変なのは、今に始まった訳じゃないし。どっちかって言うと変じゃないのがおかしい」
「うぅ……」
「やっぱキメェ。殴っていい?」
「うぅ……断固断ります」
「こいつは……」


 馬鹿なことを言い合っている内に時間が来たので、私はねぎマンと別れて講義を聞きに行きます。取っている授業は調理系。食事は重要なのです。私のレパートリーは軽く70を超えています。

 ふっふっふ。大学仲間に食のデパートと呼ばれる私をなめないで下さい。

 何時ものように、お前は本当に男か? と若干差別の入った言葉を聞き流しながら実習を終えて帰宅します。

 今日は親しい(モテない)友達を呼んで私のお家で憂さ晴らし。

 料理担当は私なので、腕がなります。




 今日の大学の授業が終わりました。幾人かに声をかけて、家に誘います。

 みんな楽しげに行くといってくれました。それでも、今日来ていない友人や来ないという友達もいます。

 さて、今日のメニューは何にしましょう? やっぱり、凝った料理なら私のレパ
ートリーの都合で洋食が一番ですね。帰りにスーパーに寄っていきましょう

 鼻歌を歌いながら帰ります。所々で不気味そうに私を見る小学生は、いつものこと。でもやっぱり泣けます。


「天金さん。お買い物ですか?」
「後藤さん」


 スーパーマーケットの中で後藤さんに出会いました。今日朝の出来事。あの後どうなったのかを聞くことにします。


「しょう子ちゃんね、天金さんのこと気にいっちゃったみたい。友達に格好いいお兄さんがいるって紹介するんだって。井上さん、怒ってたけど……」
「それは嬉しいです。……後で、井上さんに謝っておいてください」


 身長が高くて筋肉質な私は、黙っていれば格好いいそうです。そして喋ってゲンナリするそうです。井上さんが怒っているのは私の女々しさが原因でしょう。普通に話す分にはいい人なんですが。

 そうやって色々な人のゴシップについて談笑する私たち。

 話していると、近くに居た主婦のみなさんが寄ってきます。そこで展開される井戸端会議INスーパー。スーパーの一角でみんなで大笑いです。

 本日の安い食材と最近流行しているおいしい料理の話を聞いて、私は新しいメニューを試すべく、腕一杯に材料を抱えて家に急ぎました。




 自宅に帰ってから三時間後。モテない友達がみんな一緒になって居間で騒いでいます。

 ここに彼女持ちが潜り込むと、比喩でなく殺されるそうです。

 何故かここにいる人のほとんどは武道経験者なんです。なにがあって今の地位に落ち着いたのでしょうか? 私は武道なんて欠片もやったことがありません。

 騒いでいる人々。今の自分たちの境遇を嘆き、友達同士で慰めあっているのです。妙に後ろ向きな方々ですよね。

 ああ、テーブル引っくり返さないで。後片付けは私の役なのですから。

 それと、お酒を持ち寄るのはあんまり感心しなかったり。酔って吐いたりされると困ります。掃除はすぐにするけれど。

 とりあえず炊事、掃除、洗濯。何でも来いです。

 ……やっぱり私って、主夫になるのが一番ですねぇ。


 全くと思いながら酔っ払うみんなの狂態を遠くから眺めます。……ちょっとだけ羨ましい。

 ここにいる人たちは、みんな『友達』なんですから。

 こういう時は、ふと思ってしまいます。……私は、ここにいていいのでしょうか?

 確かに、私には保父になるという夢があります。しかし、今日の一件を見てもわかるように、子供は私を見ると脅えます。敬語を使うという理由だけで気持ち悪がられます。

 体が大きいというだけで、保父になるというのは却下されてしまいます。


「……いけません。ファイト、です。がんばりましょう、シャア丸。保父になるんです、私は」


両手を握り締めながら、首を振って邪念を追い払う私。


「……やっぱ、シャア丸、オカマだよな」
「動作のひとつひとつがファンシーでキモイよな」
「男が好きなんだろうなぁ。ここで寝たら尻が危ないかも」
「いや、ロリコンだって噂だぜ」


 そこに襲い来る人の視線。白い瞳。

 くじけてもいいでしょうか?

 何で誰も本質を見てくれないの? 本質よりも見た目なんですか?

 ……確かにわかっています。喋ることなく自分を知ってもらおうなんて、ただのヒステリーの言う戯言です。同年代の人と喋るのを絶って来た私に、本当の意味での理解者なんている筈がありません。

 それでも、ねぎマンだけは……。よく話しているねぎマンだけは……。


「まあキモイけどさ、アイツ。でも、そこまで言うことはねぇだろ」


 ああ! 貴方は親友です! ……でも喜んでいいの?


「なんだよ、シャア丸とできてんの? お前」
「イエア! そりゃ、わぁいだぜコンチクショウ! 開園しますか!!」
「開園である!」
「開園だよ!」
「「「わぁい」」」
「――――っ!! キモイよな、シャア丸。むしろ死んで欲しいよな」


 一瞬で寝返るねぎマン。所詮数の前に降るのですか……。別にいいですけど。数は辛いよね、数は。

 そこで反論することが出来るような知り合いは、私には一人くらいしかいないのですよ。よく料理を教えていた、覚えがいい生徒でした。彼は練習時間をチートしているような気がします。


 そうして私の扱き下ろしで盛り上がる皆さん。

 やっぱり、私はここにいていいのでしょうか?

 膝を抱えながら、私は部屋の片隅に座り込みます。

 そんな中いい加減暇になってきたのか、一人のモテない君であるところのラッキが台所に入って家の冷蔵庫を漁り始めました。大学内で彼は偽善者で有名です。

 ここにいる人たちはみんなあだ名がついています。きっと後から振り返ると、黒歴史になるのは確実だと思います。

 それにしても、冷蔵庫の中を見られるのはあんまりいい気分じゃありません。

 ラッキは次に戸棚を漁り始めます。どうやら冷蔵庫にはお気に召す物がなかったようです。


「うお、業務用小麦粉って……本格的だな、おい」

 ……はいそこ、戸棚も漁らない。料理人のお膝元で好き放題するのは流石の私も許しませんよ。

 腰に手を当てると、ラッキに近づきます。この姿を見ると、子供が指を指して怖がります。うぅ。

 酔った勢いでか、小麦粉の袋を破り始めるラッキ。格闘技をやっていて握力が高いのが彼の自慢です。

 力自慢はいいですけど、まだ使っていないものを弄るのは止めて欲しいです。食材で遊ぶのは、もっと止めて欲しいです。あなたは子供ですか。

 ……って、袋を破る!?

 止めようとしたけど遅かった。中にギッシリつまった粉を見て、ラッキは面白い事を考えてしまったようです。

 ラッキは袋を掴んで走り出すと、居間で騒いでいるみんなにその白い粉を振り下ろしました。

 居間中に広がる小麦粉。突然のサプライズに、みんな半狂乱になって喜んでいます。ホント子供です。一人、滅茶苦茶笑いながら飛び跳ねて小麦粉を全身に浴びています。

 ……油につけて揚げちゃいますよ?

 ちょっと微笑ましい気分になりながらも、私は背筋に流れる悪寒を拭いきれませんでした。今、脳裏に思い浮かんでいるのは、最悪の事態。

 慌てて私はみんなに叫びます。


「皆さん、すぐにここから出てください!!」


 しかし、酔っている皆さんは私の言葉を、家を真っ白に汚した非難だと取ってしまったようです。


「別にいいって。後で掃除するからさー」
「うんうん。そんな目くじら立てんでもいいだろシャーマルー」


 みんな、知っている筈なのに……。アニメ、マンガが好きなら、誰しも『アレ』は知っている筈なのに……。

 空気中に小麦粉があったら、アレなのに……。


「そうじゃなくて……」


 誰も動かないのを見て、私の堪忍袋がプツンと切れてしまいました。

 とりあえず、みんなを窓の外へ蹴り飛ばします。こんな時は大きな身体に感謝です。

 投げ飛ばした数を大雑把に数え、外を確認して、ねぎマンがいないと知って戦慄します。


「ね、ねぎマン! 何処ですか!?」
「おー。ここだ、ここ」


 すると、二階の私の部屋から声が聞こえます。

 一階の居間から階段を駆け上がり、慌てて私の部屋に滑り込む。そこには、私の部屋に備え付けてあるDVDプレイヤーの前に座り込んで中身を覗きこんでいるねぎマンがいました。


「エロいの見てるんじゃないかと思ったら……リリなののStSかよ。しかも最終巻。無印から全部見てたのか?」
「そ、そうですけど……。じゃなくて、今、居間が大変な事に!」
「確かに騒がしかったが……。誰か吐いたか? それとそのシャレはつまらん」


 酒飲んでたからな~。落ち着いた様子のねぎマンに、身ぶり手振りで叫ぶ私。
大変なことになってるのに! 凄く大変なことになっているのにっ!


「ラッキが、こ、小麦粉を……」
「小麦粉……喰ったのか? そりゃヤバイ。救急車を呼べ。黄色いの」
「部屋にバラまきました……。部屋の中で小麦粉がたくさん舞ってます」
「……は?」


 ねぎマンの顔が一瞬で青ざめる。

 やはり、すぐに最悪のアレに思い至ったらしいです。


「すぐに逃げる。ご近所さんに連絡は?」
「し、してません」
「家から出て、すぐに叫ぶぞ。あとは時間が経てば大丈夫……の筈だ」


 ねぎマンが、普段からは予想できない格好よさで私に命令します。

 ちょっとだけ、ねぎマンが素敵に見えました。

 今、私の目はキラキラ輝いているでしょう。練習しました。一日二十分を三ヶ月。


「その目はやめい!」


 うう、殴られてしまいました。こんな状況でもこの人は……。

 さっさと走っていくねぎマンの後を、私も慌てて追いかけます。

 階段を降り、廊下を駆け抜け、居間を抜ける。

 途中、台所の流しが目に入ってしまいました。見なければ良かったです。

 
 ――コンセントの紐が、水につけてあったから。


 ……へ? ど、どうしてこんなクリティカルな悪戯を……。

 あの中でこんな真似をしそうなのは……モンスクインですか。

 怪物王女が好きだからって、サドっぽい所は真似しなくてもいいのに。

 なんでこんな命の危機の時、悪い方向にチームワークを発揮するの……。

 何時、『放電』してもおかしくない。


「ねぎマン!」


 思考は一秒。一声叫ぶと後ろからねぎマンに抱きつく。そのまま、窓の方に走り出す。


「俺にそんな趣味はないと……」


 振り向いて私に叫ぶねぎマン。同時に顔が引き攣ります。台所を見てしまったようです。

 そこで、水につかっている、刺しっぱなしのコンセントを。


「モンスクインか!」


やはり同じくアイツを思い浮かべたらしいです。本人は後で私が困る悪戯、だと思ったのでしょう。でも、この状況では殺人罪で起訴されたって、おかしくありません!



二人で窓に走り出す。外から声が聞こえる。外では、酔いから覚めたらしい仲間達が、周囲に危ないと叫んで走りまわっているらしいです。

良かった。これで、ひとまずあんし……。


――その時、耳がキィンという高い音を聞いた気がした。


 咄嗟に、ねぎマンを背負い投げの要領で窓の外に投げ飛ばしました。窓の外には仲間の一人が半端に耕しかけた畑もどきがあるのです。あそこなら、頭から落ちたってきっと大丈夫。

 同じく鼓膜に響く音を聞いたらしいねぎマンが、空中で上下反対の格好になりながら驚愕の瞳を持って私を見詰めて来ました。

 そっと、微笑みかけます。きっと、私は最高に輝いて、最高の笑顔が出来ている筈です。この笑顔の完成には四年かけました。とっておきの傑作です。


 ……目を逸らされました。


 正直、イラっときます。どうして命の恩人の目をまともに見ようとしないんですか。

 そういった諸々の感情を込めて、人生で初めてこの言葉を口に出して言おうと思います。


「――畜生」


 パチッと音が聞こえた。流しで、コンセントが放電した。

 そこで発生した小さな火種。火種は酸素を求めて空気中を駆け巡る。

 開いた窓から入り込む酸素。その大量の酸素に複数の火種が着火。

 辺りには小さな小麦の粉が……。



――ド。



 『粉塵爆発』。


 鼓膜を突き破る音の衝撃。気味が悪いくらいに途中で途切れた音。
 そこで〝私〟の記録は途切れた。




シャア丸さんの冒険
プロローグ「シャマル」




「―――、――――――――――――――――っ!!」
「――――――――?」
「―――――――――!?」
「……――、――――――。――――、――――――――――――――?」
「―――! ―――――――――――――!」
「……―、――――――――。―――――、――?」
「――――――――。―――――。―――……――?」
「――」
「―――――、―――――――――――――――――――」
「……―――? ……―――。―――――――」
「――――――――」
「―――」
「―――――、―――――――」
「――――――――――。――――――」




――シャア丸さんの冒険、始まります。




 すぐに意識は回復しました。最初に目に映ったのは、真っ白な天井でした。

 変な風にズキズキと痛む頭を抑えて、私は現状を認識します。


――真っ白な天井で連想する事柄といえば……病院?


 まさか、助かったのでしょうか? あの小麦粉の量で起きた爆発で……?

 うーん。買いだめは時によって危険ですね。次からは人の手の届かない所に置いておきましょう。

 でも、まぁ、助かったのならとりあえず言っておきましょう。

 目の上に広がるのは見慣れない天井。だったら言う言葉は一つです。


「はうぅ、死ぬかと思いました……」


 腹筋の力で上半身を起こします。少し全身の筋肉の調子がおかしいですが、きっと爆発のせいでしょう。

 ふと、お尻のあたりがゴツゴツしているのに気がつきました。

 足元には、綺麗に敷き詰められたタイルのような床が広がっています。

 ベッドで寝かされていないなんて……? もしかすると、ここは病院じゃないのでしょうか?

 白天井なのに? いえいえ、白天井は関係ありません。やっぱり恐怖で混乱していたようです。

 すうはあ、すうはあ。深呼吸を何回か行います。……なんとか落ち着いてきました。


「そうか。だが、ここから先も地獄だぞ」


 いきなり右隣から声が聞こえました。鋭く冷たい声。

 ギョッとして声の方向を見ます。視線の先にはピンク色の髪がありました。

 声の主は、大きく肩を出したセクシーな黒いドレスを着ている女性でした。……切れ長い瞳の美人です。憧れます。

 手には剣を持っていて、まさに臨戦態勢です。まさか、私を狙っ……んな訳ないでしょう。


「そうだぜ、シャマル。……多分、管理局はあたしたちを逃がさない」


 ピンクさんの隣で座りこんでいる赤い髪の三つ編みちゃん。その目に大きな感情はありませんでした。あるのは、事実を言うだけの口と小さな苛立ち。やっぱり黒いドレスを着ています。

 この人たちは一体……?

 と、とりあえず何を言っているのでしょう。気に障らない程度に、今ある疑問を彼女たちに聞かなければ……。


「え、えっと……」
「……はぁ。イレギュラー蘇生で混乱しているのか? 確かに一度消滅した後、主の力を借りずに復活など、今までに例がないが……。そんなに取り乱して。ベルカの騎士の誇りはどうした、シャマル?」
「……えぇと?」


 いきなり私に押し付けられた数々の情報。それの考察は後で行うとして、貴女はどちら様でしょうか? そして、何故この女性は私のあだ名『シャア丸』をご存じなのでしょうか?

 ……ははぁん。彼女の言葉の中に何かヒントがあるに違いありません。

 その中で、物騒かつ不自然な単語でも探してみましょうか。

 『イレギュラー蘇生』。

 ……それが犯人ですね。犯人はこの中にいます!

 それは私!

 じゃなくて、じゃなくて! こ、混乱の極みです。


 頭を抱えてその場でしゃがみ込む私。あ、私も黒いドレスを着ていますね……って、おぉ!?
そばにいる女性と子供と男は、奇声をあげる私を不安げに見詰めていました。


 一体、私の身に何が……?







あとがき
Q 以降、ここに読者が全く疑問に思わない質問が出されます。
A そして、ここに全く意味の分からない回答が出されます。
ここからやっと意味があるようでない製作日記の一部が書かれます。

書いていると、どうしても主人公が男だったことを忘れてしまいます。
なので、これからも一番上にしっかりと、男であったと書いておこうと思います。

シャアは……何故か名前をつける時に混ざった設定です。
後、主人公の本名が出ていないのは仕様です。でも、一応この話の中で名前のヒントは全部出ています。



[3946] シャア丸さんの冒険 一話
Name: 田中白◆d6b13d0c ID:d0504f35
Date: 2008/11/30 20:42
――主人公は一応『男』だと思います。





 そこはなんだか良くわからない場所。あまり広くない真っ白な部屋。電灯のような小さな光源が、薄暗いその部屋を仄かに照らしています。

 大きな窓から見える景色は、紫っぽいのと緑色っぽいの、それに黒っぽいのを混ぜたようなゲームによくある異世界色。

 窓に何かの映像を流しているのでしょうか? それとも今は夜なんでしょうか?

 無理やり忘れ去っていても気になってしまうのは、私を見詰めている三対、計六個の疑惑の視線のこと。

 目の前の人たちが放っている絶対零度の視線を浴びるうちにようやく混乱が収まってきた私は、自分の足で立ち上がると隣のお姉さんと目を合わせてみました。

 女性を安心させるために、目を併せて微笑んでみます。ビクッと反応するピンクの髪のお姉さん。

 何故か露骨に目を逸らされます。心なし、お姉さんは焦っているように見えます。

 まぁ、何時もみんなに気持ち悪いって言われますし。初対面にはキツかったでしょうか、私の笑顔? ……はうぅ、それは悲しすぎますよ。

 シュンとなってしまいますが、それは置いておくことにして、今は目の前に居る三人の人たちに私の状況について聞いた方が良さそうです。


「……私は、どうなったのでしょうか?」


 声を口に出すと、少し不思議な気持ちになりました。気のせいでしょうが、自分の声が高くなったような気がします。……風邪じゃあありませんよね? 普通は低くなりますから。

 私の質問を受けて、やっぱり黒い服を着た色黒さんが口を開きます。

 真っ白い髪に浅黒い肌で、頭に楕円の模様があります。どこかの民族の方でしょうか?

 インドの地方にいる女性はあんな模様を頭にチョンとつけていましたが、何か関係しているのですかね?

 他にも、頭の耳の辺りに『狼』の耳のような不思議な物体がくっついています。

 ……あれはアクセサリーでしょうか? もしかすると、この人も子供が好きなのかもしれません。あの耳はきっと子供に大人気です。それとも民族衣装ですかね? それだと少し寂しいです。


「お前は『闇の書』から出現後、すぐに管理局の手によって消滅させられたのだ。再生にはもう少しかかると思ったが、どうやら怪我は浅かったようだな」
「はうぅ? ……よく覚えていません」


 自信たっぷりに謎なことを言う狼耳さん。けれどもそんなファンタジーな記憶、脳の何処を探してもありません。

 ですが、淡々と結果を告げるように言った狼耳さんを見ていると、どうしても嘘だとは思えません。

 もしかして、私は記憶喪失になってしまったのでしょうか? 私は粉塵爆発の後、何らかの事象で何らかの事件に巻き込まれて何らかの人の手伝いをして、何らかの原因で記憶を失った……とか?

 ややこし過ぎます。何らかばっかりじゃないですか。

 はうぅ。私の友達たちならもっと普通の対応出来るのでしょうか……。

 思ってから愕然。あの人たちが、普通に対応? 蘇る奇功の数々。コミケ突撃とか道の往来での大声漫才とか。

 や、ありえねーっぺ。こんだこと考えんなんて、頭どうかしてんべな~。

 はっ。混乱のあまり、昔お爺ちゃんたちに教えてもらったエセ方言がつい出てしまいました……。

 このままグルグルと思考の中で回転していては駄目です。関係のないことは置いておいて、今私の身に何が起こっているのかを調べなくては。


「……えっと、私の名前は『シャア丸』。『やみのしょ』から出現した再生体ですね」
「合っているとは思うが、何かが違う」
「つーか、シャマル混乱しすぎだろ。なんかあったか?」


 現在の私的把握は、結構真実を掠めているようです。でも再生体とか眉唾ですよ。テレビアニメの見すぎですか。

 ピンクさんは訝しげな顔してますけど、三つ編みちゃんは純粋に私を心配してくれているようです。

 こんな小さな子に心配されるなんて。もっとしっかりしなきゃ。

 落ち着くためにはどうすれば良いんでしたっけ……。素数を数えるのは却下です。


「シャマル?」


 私がまたしても思考の海に潜ってしまっていると、三つ編みちゃんが私の顔を覗き込んで来ました。バッチリと目が合います。

 真っ赤な髪の毛、青いおめめ。白い肌がとってもキュート。

 ……か、可愛いです。悪いですけど、容姿は先日のしょう子ちゃん以上です。まさにお人形さん!

 飾りっ気のない、黒い服を着ているのが勿体ない素材です! マイナスです! 人生の七割を損してます! コーディネートを! 誰かコーディネートをお願いします!!


「……シャマル?」


 頭の中でテンションアップした私を見て、半眼になった三つ編みちゃん。

 はうぅ……。私何か変なことでも言ったでしょうか?

 それと、そんなにアダ名で呼ばないで。


「ま、いいか。シャマルが変でも、マスターに迷惑がかかるわけじゃねーし」


 疑惑の瞳を引っ込めると、三つ編みちゃんの目は空虚な色に戻ります。

 な、なんて目をするの、この子……。

 それにしても……マスター。な、なんという淫靡な単語を!

 こんな小さな子に自分をマスターとか呼ばせるって、どんな人ですか! 警察を呼ばれてもおかしくはありません!

 真っ赤な髪の毛の幼子をそんな風に……。

 真っ赤な髪の毛の……。真っ赤な? って、何でこの子の髪の毛赤いんでしょうか?

 えっと……この髪の毛、本物ですか? もうマスター云々はどうでも良くなりました。

 染めてるんだとしたら、髪の毛に優しくないです。最近の毛染めはすごくマシになりましたけど、子供は地毛が一番です。

 素の色の方が可愛いと思うんだけどなあ。ちっちゃな頃はもっと自分の体を大切にして欲しいです。髪を染めるのは二十歳以上って法律を日本で作って欲しいものです。

 この子の髪の赤色は素敵ですけど。すごく自然です。逆に黒髪だと、あんまり似合わないかもしれません。

 そんなに綺麗な髪なのだから、手が伸びてしまっても不思議じゃありませんよね……。

 ちょっとだけ目が輝いてしまうのを自覚します。

 そろそろ……。ゆっくりと伸びる私の右手。あ、気付かれました。今度は神速で伸びる私のゴッドフィンガー。


「ん? 何すんだよ、シャマル……。撫でんなっ!!」


 三つ編みちゃんに叩かれる私の手。何時もながら弾かれる右手。悲しいですけど、最早馴れました。

 ですが、それを上回る事柄に私は戦慄を隠しきれませんでした。

 ふ、ふわふわです!

 カルチャーショック。こんなありえないふわふわ毛髪を持つ人間が、この世にはいるのですか……?

 今まで色んな子の頭を撫でてきた私が到達できなかった至高の境地に、この子は平然と存在しています……。

 少なくとも髪を染めている人間の頭じゃありません。つまりこの子の髪の色は、『地毛』。

 もしかすると、あっちのピンクさんも……?

 期待の目でピンクさんを見ます。私を不気味そうに見返すピンクさん。

 あ、初対面(?)でコレはやりすぎましたかね。


「……シャマル。本当にどうした? お前がヴィータを撫でるなど……」


 目を細めるピンクさん。口調の節々に、彼女が感じているらしい違和感が感じ取れます。

 それにしてもシャマル、ですか。

 いい加減気になってきていたんですが……。もしかして私、シャア丸って呼ばれてないんじゃないでしょうか?

 気のせいか、しゃーまるって伸ばされてないんですよねぇ。しゃまるって呼ばれているような……。

 それと、聞いている限りだとあの女の子は『ヴィータ』っていう名前で呼ばれています……。

 あ、この子の名前はヴィータちゃんっていうんですね。

 ……いうんですね? 三つ編み赤髪青目黒服で『ヴィータ』?

 もともと混乱気味でテンションマックスなのに、そこからさらにリミットブレイク! とうとう確変開始です!

 気がついてみれば、今の私、手が細いですし! 背が小さいですし! 足、細いですし! 黒いドレス着てますし。 腰、くびれてますし……。胸、ありますし……。 

 大・混・乱ですっ!! 

 そっと、頭の髪の毛を2、3本抜いて見ます。綺麗な金髪でした。

 左手の指を見てみると、二つ指輪がついてます。紐を通して首にかけているわけではありません。

 ゆびわ……物語ではなくて指輪……。つまり今の私は……外人! 既婚者! 結婚済み! 

 ……じゃなくて、じゃなくて! あわあわと混乱する私。


「……シャマルがおかしいぞ。ザフィーラ?」
「私に聞くな。この場合、将に判断を仰ぐとしよう。シグナム?」
「ただの混乱だろう、放っておけば治る。それに、今の奴には何故だか近づきたくない」


 外野さんの声が嫌でも私の耳に飛び込んできます。その中には抽出するべき単語が幾つもあります。

 シャマル、ヴィータ、ザフィーラ、シグナム。総じてその名はヴォルケンリッター! つまりこの場はリリカルなのはっ!!

 なんじょしてこんなことに!? 誰か教えてくれろー。


「また頭抱えてんぞ」
「……強制再生の弊害だ。見ないでやれ」


 ヴィータちゃんの辛辣な言葉を、シグナムがたしなめてくれています。

 でも、六つの瞳から出る見えない光線は、変わらず可哀相なモノを見る目で私に突き刺さっています。

 見ないで! そんな目で私を見ないでっ! 感情の暴走が私の中で始まります。


「……とうとう転がり始めたぞ、アイツ」
「……どうせ、汚れて困るような装備でもない。そろそろウザくなってきたが」
「……そんなものか?」


 つまり、つまりこういうことですかっ!

 ありのまま起こったことを説明します。私は死んだと思ったら、何時の間にかリリカルなのはの世界に来てしまっていたっ! しかも幻覚とか白昼夢とか明晰夢とか名倉とかそんなチャチな物じゃないということですっ!

 さらに、今の状況を一言で説明すると、憧れのシャマルさん憑依! これは大変……。


 ですけど。


 ……特に悪くはないですね。むしろ良いですね。

 大学の友達や家族と永遠に別れることになるのは寂しいですが、どのみち爆発で死んでしまった命です。ここで生活してみましょう。

 それにこの身体なら、いい『保父』……もとい『保母』になれると思います……。

 本の体の持ち主のシャマルさんには悪いですけど、私の野望の礎になってもらいます。外道だと笑わば笑え。目的の為なら何であろうとも踏みにじってやります……。


――ウフフフフフフフフフフフフ。


「うわ、変な魔力噴出し始めたぞ!」
「……やっと目が覚めたか? 湖の騎士はああでなくてはいけない」
「そもそも、こんな話をしている暇はないのだがな」


 これからの目的が決まったところで、今の状況を確認しましょう。この三人の話を聞いていた限り、今はかなり大変な状況のようですが……?

 そもそも今は何時ですかー?


「よく覚えてないけど、さっき捕まっただろ? 今は管理局の戦艦中にいんだ。今は無理矢理バインド藪って出てきたところ」


 何があったんだろ? 本当に不思議そうにしているヴィータちゃん。他の二人もどうして捕まったのか覚えていないように見えます。……闇の書が暴走したからですかね。

 それにしても、管理局の戦艦の中って……それってどんな状況ですか……?




シャア丸さんの冒険

一話「11年を越える傷跡」




「……うわぁ。気持ち悪いです」


 今まで4人で待機していた小部屋を出ると、視界に入る金属質の白い床と壁は植物のツタみたいな物で覆われていました。

 私の視界の中、グロテスクに蠢くツタ、ツタ、ツタ。辺り一面茶色のツタだらけ。

 さっきまでいた小部屋の中にも開いた扉から侵入していって、一瞬で辺り一面がツタだらけになりました。


「闇の書が暴走しているのか? どうやら主も隔離されているようだ。救出を急がねば」


 シグナムの体が輝き、その体に騎士甲冑が装着され…………たんですか?

 甲冑は、アニメのものとは全然違っていました。西洋風ではありますが、白くない。むしろ黒い。

 さらに、所々に棘が生えていて、ちょっとどころかかなり禍々しい。髪の毛は下ろされて、ロングになっています。ガイコツっぽさのにじみ出る無気味な鎧です。

 持っている古代ベルカ式アームドデバイス『レヴァンティン』こそアニメそのままですが、そのせいで鎧の禍々しさと不一致です。

 どんなマスターがこの甲冑を作ったんでしょう……。

 視覚的に見れば破滅的に悪役です。こんなのを着た正義の味方がいるはずがありません。

 ザフィーラをちらり。なんだか不思議な黄色いスケールアーマー。やっぱり趣味悪い……。組み合わされた鉄板の一枚一枚が、黄色く塗られています。非常にコメントしづらいです。とりあえず不遇としか言えません。


「アイゼン!」


 ヴィータちゃんも叫びます。体を覆う、青い棘つき軽鎧。

 アニメみたいに帽子なんて被っていません。かわりに髪の毛がバンダナに纏められて結い上げに。

 ……えーと。なんだか趣味が悪いです。とんがったトゲばっかり。美的センス皆無です。

 よーし、パパ、可愛い娘にお洒落な服を買ってきたぞ! って変なセンスの服を買ってきて勘違いして喜んでいるお父さんですか。

 ……力を求める闇の書の魔導師なんて、得てして美的センスはないってことですかね。

 彼女たちの騎士甲冑を目の当たりにしてつい達観してしまった私を見て、シグナムが首を傾げました。


「シャマル? 武装はどうした」
「え゛」


 驚きです。私も武装するんですか?

 指を見ます。そこでキラリと輝くのは、指に嵌ったクラールヴィント。……お頼みしますよ、クラールヴィント。最初からリンゲフォルムでの登場なんですから、魔法ぐらい使えますよね……。確証はないですけど。

 デバイスは魔法使いの命です。私の言うこと、聞いてくれるでしょうか?


「せ、セットアップ」


 詠唱(?)を唱えてから手を掲げます。目を瞑って、暫らく待ちます。

 シーン。デバイスは沈黙を保ったままで、何も起こりません。

 こ、このまま待っていれば何かが起こると思いません?

 少しだけ目を開きます。そこにいたのは、白い目のシグナム、ヴィータちゃん、ザフィーラ。

 だから、そんな目で見ないでください!? 私は一般人です! 変身の仕方なんてわかりません!わからなくても仕方がありません!


「何をしているんだ……」


 こめかみを引くつかせるシグナム。あうあうする私。

 シグナムは、一秒でも早く今のマスターと闇の書を助けに行きたいのでしょう。
でも、でも。いえ、いえ、私が悪いんじゃないです! 犯人は別にいます! それは運命。人が相対する最強の敵です!!

 だからきっと……。

 私が何を思おうと、シグナムの糾弾するような目つきは全く変わりません。


「クラールヴィントぉ……」


 涙目でクラールヴィントを見詰めます。指の中にある指輪があまりにも綺麗で、今の私にはとても不釣合いです。

 そんな私の様子に、困ったように輝くクラールヴィント。ヤバイです。本当に泣きそうです。


『Ich verstehe nicht. was Sie meinen?』(貴女は何を言っているんですか?)
「……え? 騎士甲冑、着れるんですか?」
『Kein Problem』(問題ありません)


 クラールヴィントの声にビクッと身体が反応しました。

 う、うわ。ドイツ語がわかります!? ……いえ、なにかドイツ語とは違うような?

 私の反応を見てか、困ったように明滅しています。……えと、とりあえず、クラールヴィントは問題なしって言ってます。

 騎士甲冑の装着は私にもできるってことでしょうか?

 心を無にします。お掃除が大変な時に、自分の体の反復と経験に任せて精神の休息を測るときと同じように。

 目を瞑ります。心は無のまま。体の感覚を消し去ります。案外あっさりと行うことができました。

 そうして暫らくジッとしていると、目蓋の裏側に何か光が見えてきました。

 その先に見える、鈍く輝くまあるい物。

 それは、緑色の小さな塊。薄い緑色の光を放っています。

 何時の間にかそこにあった精神の手で、ちょっとだけ触ってみました。

 触った拍子に、それはとくんとくんと鼓動をたてて動き始めます。

 周囲にある何かを吸収して、まあるい物が輝き始めました。

 私の拙い知識を参照するなら、周囲の何かは魔力素。魔力を作るのに必要な力。まあるい物はリンカーコア。

 理解するとわかります。魔力素が唸りをあげてリンカーコアに吸収されています。

 力強く輝くリンカーコア。魔力が、私の中で生まれました。

 目を開きます。今きっと、魔法の使い方を理解しました。

 騎士甲冑、装着です。


「クラールヴィント!」
『Ja』


 手を掲げると、真っ黒なドレスが光になって消え去りました。晒される、今の私の体。


 体を緑色の光の渦が取り巻いて、下着を形成します。


 一度回転、足に平らなブーツが作られ、ガッチリと固定されます。


 両手を広げます。赤い棘つき肩鎧が装着され、胸とお腹を真っ赤なプレートメイルが覆います。


 短いスカートが腰まわりにあしらわれ、装甲をつけられたズボンが足を覆います。


 何もついていなかった両手に爪のついた白いガントレットが装着されました。


 爪の先にクラールヴィントがはまります。


 頭に赤い棘つきの帽子がチョコンとのっかりました。


 後は全身の装甲がない部分が赤や黒で染まって、騎士甲冑の完全装着が終わりました。


 ……かなりの重装甲です。フルバックである援護役のシャマルは、機動力は必要ないので狙撃などを警戒して大鎧が良いとマスターが思ったのでしょう。

 手の爪は、本当に危ないときの最終自衛手段なのだろうと思います。

 参謀は身軽な方が良いと思うのですが……。

 ちょっと全身を眺めてみます。


 頭に手を触れて、帽子についている長い角に戦慄します。


 肩に手を触れて、肩についている棘に戦慄します。


 手に触れて、ガントレットの先に爪がついているのに戦慄します。


 腰に手を触れて、腰を覆うスカートに戦慄します。


 最後に全身見回して、真っ赤なのに戦慄します。


 赤い鎧、棘つきの肩、爪、角、スカート。欲張りすぎです!

 何ですかこの素敵装備はっ! テンション上がりまくりですっ!

 ガントレットって、普通は敵から斬撃とかを受け流す為の防具ですがどうやらこの鎧の場合は鈍器としての側面が強いみたいです。右手の手甲には花の模様が描かれています。

 目に触れてアイマスクがないのにショックを受けながら、全身を見てホレボレします。

 つまることころ。

 シャアです。シャア専用です。ザク、ズゴック、ドム、ゲルググ、ジオングのパーツのバーゲンセールです。

 少佐はドムには乗ってないと言うかもしれませんけど、小説版で地味に使ってます。


「武装、終わりました」
「遅い」


 満面の笑みで報告する私に、足をイライラと動かして返すシグナム。怒っちゃヤですよ。

 ヴィータちゃんが胡散臭げに私を見ています。ザフィーラは何も言うことは無いと静観しているようです。

 ……なんでしょうか、みなさんのそのポーズは?


「貴様、本当にシャマルなのか……としか言いようがないが、シャマルだな」
「ああ。こいつシャマルだぜ。信じられないけど」
「性能の低下、ということだろう。どこかでバグが入ったのかもしれん」


 辛口の三人。はうぅ。なんかボロクソ言われてます。

 また涙目になった私を見て、一斉に溜息を付く三人とも。悪かったですね、私がシャマルで。


「まあいい。とりあえず、準備完了だ。乗り込んでいる局員の誰なりとでも脅して、主の場所を聞き出すとしよう。……レヴァンティン!」


 シグナムの剣から、紅く装飾された弾丸型の物体が一つ飛び出します。地面に落ちる前に光になって消滅。

 それは、一般的にカートリッジと呼ばれる物でした。

 儀式によって、圧縮された魔力を封じ込められた弾丸。

 小難しく儀式などと言われていますが、どうやら誰でも作る事はできるみたいです。

 リリカルなのはの世界の主流である遠距離砲撃が中心のミッドチルダ式のデバイスと違った、近・中距離を得意とするベルカ式デバイスの固有能力。

 これを使う事で、術者の魔力を一瞬だけ爆発的に高める事ができるとか。

 炎を纏うレヴァンティン。

 飛び上がるシグナム。


「紫電一閃!」


 シグナムの魔力変換資質で炎を纏い威力を増した紫電一閃のスキルが、戦艦の内壁をぶち破ります。

 ぶち破った隔壁から出たヴォルケンリッターの仲間が、周囲を見渡しています。

 しかし、何処を見ても人っ子一人いません。


「ちっ! 乗組員の避難が始まっている! このままでは……」
「なら、纏めてぶち壊してでも探してやらぁ! アイゼン!」


 今度はヴィータちゃんの攻撃です。

 壊すことが一番の得意技であるヴィータちゃんの最強攻撃です。デバイスから飛び出す二つのカートリッジ。

 巨大化するヴィータちゃんのゲートボールハンマー。ギガントフォルムです。

 小さな体のヴィータちゃんがあんなに大きな武器を持つと、なんだかある意味微笑ましさすら感じてしまいます。ただ感情が麻痺しているだけだと思いますけど。


「轟天爆砕!」


 ヴィータちゃんの口から吐き出される咆哮。今度こそ一直線にぶち抜かれる戦艦の内壁。

 巨大なハンマーの一撃で飛び散る戦艦の破片。それを防ぐために、ザフィーラが私たちの前に立って障壁を張ってくれます。

 弾かれて消滅していく壁。……何時の間にか閉じていた目をムリヤリ開くと、内壁どころか外壁までなくなっています。

 ……外壁にまで穴を開けないでください。なんだか危険そうです。

 武器を振るって道を切り開いていくヴォルケンリッターの攻撃役二人。

 ……さて、今破壊工作受けているこの戦艦の名前、なんていいましたっけ。

 もしも私の予想が正しいなら、ここはA’s10話で語られた昔の話です。11年前にあった、闇の書が戦艦を乗っ取った事件だったはず。

 ツタありますし、戦艦ですし。そんな状況から見ているだけなので、特に証拠はないんですけどね。

 たしか……名前は何度か出ていたはず……。最近アニメ見たばかりなんだから、思い出せてもいいはず。そこで天啓が舞い降りてきました。

 エスティア。……あぁ、エスティアです。確かそんな感じの名前でした。

 思考を逸らしている私には関係なく武器の構えを解くヴィータちゃん。グラーフアイゼンが元の大きさにまで戻ります。

 あれ? この事件の時、ヴォルケンリッターって実体化していたのでしょうか? よくわかりません。

 どうやら、今は実体化しているみたいですけど……。

 私が潜り込んでしまったことで何か変化でもあったのでしょう。そう思って自分を納得させます。


「行くぞ!」


 シグナムの声。ハッとすると、三人はすでに米粒に。かなり遠くへ向かって走り出しています。

 私も遅れて走り出すと、ヴィータちゃんたちが作ってくれた道を一気に進みます。

 みんなで一つを目指して行動するというのは、なんだかちょっとだけ楽しいです。

 急いでいる三人の背中。なんとなくヴォルケンリッターのみんなに話し掛けようとしたその時、船がグラリと揺れました。

 まるで、これから大変なことが起こるような。そんな衝撃。


「闇の書が何かをしている……? 急ぐぞ、嫌な予感がする」


 隣に並んでいるザフィーラが私に進言してきました。目指すのはエスティアの司令室。

 ……ところで、なんで私はすでにみなさんに順応しているのでしょうか? それに、マスターを助けるために行動していますし。

 別にマスターは私になんら関わりなんてない人なのに、どうしてでしょう?

 疑問に首を傾げながらも私は走ります。……少し、走り難いです。この体には、まだあまり慣れてないからかな?

 どうして飛ばないの~。飛び方わかりませんからー。




 確保した闇の書の護送任務を受けた船団、その中の艦の一つである『巡航L級2番艦エスティア』。

 決して楽な任務ではないと思っていたが、まさか戦艦のコントロールを奪われるとまでは思っていなかった。

 戦艦のコンソールの前で、額から血を流しているのは艦の提督であるクライド・ハラウオン。一応艦の航海日誌と映像記録にそう打ち込んでおいた。多分、画も音も回収はされないだろう。

 今、この船団の艦隊指揮官に、艦を闇の書に乗っ取られたことを報告する通信を終えた。

 後は、目の前にある艦の主砲『アルカンシェル』を喰らうだけだ。それで、此度の闇の書事件は終わる。

 一番の心残りは、自分の妻と三歳になる幼い息子。ブリッジの片隅に置いてある家族と一緒に撮った写真を眺める。

 微笑む妻と腕の仲で無邪気に笑う息子。もう一度、この腕に抱いてやりたかった。

 その時、後ろから叫び声が聞こえた。

 すでに全員の避難は終了しているはず。まだ、誰か残っていたのか。

 爆発音。

 振り向くと、ボロボロになった艦戦クルーの数人がそこにいた。

 頭に血が上る。何故、残っていた。何故、点呼をごまかした。


「バカ野郎! 何をしている、お前達!! 避難したのではなかったのか!」
「提督だけを一人で逝かせるような真似はしたくなかったんですが……奴ら、強すぎます」


 倒れ伏すクルー。こいつらは何を言っている? 少し目を細める。

 そこに、追撃が来た。爆発音。倒れていたクルーたちが飛び散った。

 壊れたことで意味をなさなくなった扉から入ってくる、一つの影。小さく息を呑んだ。


「マスターは何処にいる?」


 青い鎧を来た、赤髪の魔導師だった。ハンマー型の、珍しいベルカ式アームドデバイスを持っている。

 後ろから、もう三人現れた。あまり趣味が良いと言えない装備をつけている。

 考えるまでもない。奴らは、闇の書の守護プログラムだ。

 暴走した闇の書をなんとか確保した時、同時に拘束していたが逃げ出したらしい。

 目の前にある脅威。それは、少し前ならば不味い状況だっただろう。けれどもう遅い。味方の……司令のいる艦のアルカンシェルはすでに発射されるのを待つだけだ。

 いくら守護プログラムでも、戦艦の主砲は防ぎきれまい。

 近くで、コンソールが爆ぜた。血が足りないせいか、ふらついてバランスを崩してしまった。


「もう遅い。この艦は撃沈する。君たちも終わりだ。『次』に行くが良い」
「あなたはそれで良いんですか!?」


 赤い鎧を着た金髪の女性が叫んだ。つい、叫んでしまった。そんな様子だった。

 慌てて口を抑えていた。仲間の視線に晒されて、縮こまった。

 そんな四人のリラックスした態度を見て、自分で言っておきながら彼女たちはここで死んでも次があることに思い至った。

 だとすればここで死に行く自分のことを、覚えていてくれるのではないか? 心の何処かにでも覚えていてくれるのではないか?

 もしかすると。本当にもしかすると、最悪の予感だったが、次の事件の時に自分の妻や息子と敵対する時が来るかもしれない。

 管理局にあまり関係のない家族二人と、敵対するかもしれない。

 彼女たちが騎士ならば。万が一の確立でも、伝言さえ伝えておけば、気まぐれにでも自分のことを妻や息子に伝えてくれるのではないか?

 自分勝手だが、遺言が残せない今の状況では、彼女たちに賭けるしかなかった。

 自らの閉ざされた口を開いた。自分のエゴを吐き出すことにした。


「……。そうだな。一つ、伝えて欲しいことがある」
「何を言っている。世迷言はいい。早く主の場所を吐け」


 黒い鎧を来たピンク色の髪の女性が、手の内のアームドデバイスを胸の前で構える。

 気にはしない。どうせこれから失われる命。脅しは無視した。


「妻に、息子に会えたら伝えてくれ。忘れてくれと。幸せを見つけて生きてくれ、と」
「手前勝手な言葉を聞く耳はもたん。答えろ、主の場所を」
「もう、遅い」


 女性の直剣デバイスが一線された。燃え上がるような痛みの後、一瞬の思考の空白で自らの命が絶たれたのに気が付いた。

 言う事を言い終えることが出来た口元は、満足気に笑っていた。




「仕方がない。主は手分けして探す」


 倒れた死体には目をくれず、シグナムが言います。目の前で散った一つの命。

 それが、悲しかった。

 アニメで見たシグナムは、こんな冷酷な人じゃなかった。これが、はやてちゃんに会う前のヴォルケンリッターなんですね……。

 ドラマCDとやらにはこんなシーンあったのでしょうか? ……ドットかラッキ辺りに借りとけばよかったかもしれません。

 何時の日かリンディさんに、クロノくんに胸を張って会える日が来たら伝えます。あなたたちのお父さんは、とても勇敢だったと。

 ……さて、どうして私はこんなに感情的になっているのでしょうか?


「さあ主を探すぞ……っ!」


 シグナムの言葉に、全員でマスターを探そうと身構えます。ホント、リーダーシップのある人です。伊達にリーダーをやっていませんね。

 しかし、シグナムの号令の直後、何気なくエスティアのモニターを見た私は絶句しました。

 私の反応に何が起こったのか気になったのか、他のヴォルケンズも画面を見て、同じく絶句します。

 そこには、主砲を溜めている戦艦の姿がありました。戦艦の先端に集まる、白とも透明ともつかない力の本流。次元の海の中で燦然と輝く力強いエネルギー。

 あれが放たれれば助からない。それが起きたばかりの私にもハッキリとわかりました。それは、他のみんなも同じでしょう。

 隣から、声にならない嗚咽が響きました。ヴォルケンリッターのみんなが叫んでいるのです。


「くそ! こんなところで、こうやって終わるのか! 管理居め!」
「今度こそ。今度こそ完成すると思ったのに。ここで、こんなところで消えてたまるか……!」


 ヴィータちゃんが目に涙を溜めて呟きます。青い鎧に涙が落ちます。シグナムが叫びます。ザフィーラも肩を震わせました。

 長く続く記憶の末に感情も消えたはずの彼女たちにも、苛立ちはあるようです。長い年月を経て、彼女たちは休みたいと思っているのでしょう。

 その気持ちが、私には痛いほどわかりました。私の中のどこかに存在しているシャマルとしての自分が、心の底で心の傍で叫んでいます。悔しいと、やるせない、と。

 沈んだままの私たち。着々と攻撃準備を終えた目の前の戦艦。展開される真っ白なバレルリング。集まるエネルギー。決して聞こえはしないけれど、リンカーコアに響いてくる魔力の集束音。


 悲嘆にくれる私たちを尻目に、無慈悲にもアルカンシェルは放たれました。目の前に広がる、色のない閃光。

 それは、私の目にとても美しいモノとして映りました。


「防げ!」
『Panzers child』


 轟音。

 しかし、それよりも先にシグナムの叫び声が私の耳を打ちました。

 気が付くと、私たちは全力でシールドを張っていました。

 しかし、私たち(私はちょっと違いますけど)古代ベルカの四騎士であっても、戦艦の主砲までは防げません。

 一瞬の後に砕け始めるシールド。削られていく魔力。頬を冷や汗が伝って行きます。

 まだ、今がどんな状況なのかハッキリとは分かっていません。

 ですが、何かを為したいと考えました。もう少し、世界を知りたいと願いました。

 何も知らず、何も考えられず、どうしてこんなことになったのかもわからない。
そんな終わりは。……こんな終わりは嫌です!

 私の声は力の本流に遮られ、海には全く広がらない。

 目の前数センチの場所にある死の恐怖。現実感のない白い閃光。

 当たれば終わるのはわかっている。でも、それを恐ろしいとは思いません。

 防ぎ続ければいい。防ぎ続ければ、マスターは死なない。まだ生きられる!

 それでも、シールドの出力は上がりません。そもそもシールドを張れたことそれ自体が一つの奇蹟。

 まず、体格の小さなヴィータちゃんが膝をつきました。

 ついで紫電一閃などで魔力を消耗していたシグナムが。

 そして、私。

 最後に盾の騎士、ザフィーラ。

 青い狼が崩れ落ちたところで、拮抗する力はなくなりました。

 目の前に広がる、白く透明な力の閃光。


 炸裂。


 みんなが吹き飛びます。エスティアに根を張る闇の書が吹き飛びます。

 砕け、散っていく私の赤い騎士甲冑。魔力のきらめきだけを残して海に吸い込まれて行きます。

 せっかく、フルシャアでお気に入りだったのに……。

 艦の中にいる複数人の命を吸って、私が乗る戦艦エスティアは墜ちました……。

 もう一度、大きな閃光。光が目を妬いた。

 目が機能を失った一瞬の後、爆発音を耳が拾いました。




 ……アレ? また爆発オチですか?







――あとがき

Q 色々間違ってるよ。
A オリジナル設定です(きっぱり)。

視点変更の時にSIDE○○とか書きません。存分にこいつが誰なのか悩んでください。また、予定は突然変更される怖れがあります。

なおこのssは、作者の技量不足のせいで起承転結に粗があるので少しだけ読みにくいことが予想されます。



[3946] シャア丸さんの冒険 二話
Name: 田中白◆d6b13d0c ID:d0504f35
Date: 2008/11/30 20:43
――主人公は『男』だったような気がします。







「……死ぬかと思いました」


 意識の覚醒は、またしてもすぐにやってきました。どうやら、私はまだ生きているようです。

 態勢を見ると、今は寝転がっているみたいです。今度はどこに転がっているのでしょうか?

 また床の上にですかね? 背中に先程のようにゴツゴツとした感触は……ありませんね。

 それでは今度の天井の色は……。閉じられている目を、なんとか開きます。

 視線の先に広がるのは黒、緑、紫。目がシバシバ。空は異世界色のままでした。

 むしろ、そこら中が異世界色でした。もしかしなくても、まだ次元の海の中です。


「……爆発と同時に戦域から弾き飛ばされたうえ、機能停止状態で反応もないから戦艦の群れは私の存在を見逃した、ってところでしょうか? だとしたら運が良かったです」


 その場で上体だけ起き上がるとホッと一息。

 騎士甲冑がボロボロになってしまっているので、元の黒服に戻ります。……変身がヤケにスムーズです。

 外に弾きだれたのは、あの時ヴィータちゃんが艦の外壁に穴を開けてくれていたおかげですね。どうやらあの時感じたのは、嫌な予感ではなかったみたいです。

 さてみんなは何処にいるのでしょうか。って、いないみたいですね。まあそれは当然のこと…………っ!?

 ついで、致命的なことに気がついてしまいます。

 闇の書が破壊されると守護騎士プログラムは転生する闇の書について行って、次の目覚めの時を待つ筈では?

 闇の書はすでに次のマスターであるはやてちゃん(多分)の所に行っているはずなのに、何故私はここで生存しているのでしょうか? 闇の書が目覚めるまでの二年のブランクのせい? はたまたそれ以外の何か?

 一体、どんな事故が起こったのでしょう……。

 ……ああ、憑依なんて大事故が起こってますね。これに比べれば並大抵の事故は事故扱いされなくなってしまいます。

 ……憑依かぁ。憑依主人公は、最後に自分は本人じゃないって明かされるのが多いですけど、私はどうなんでしょう。前友人が見せてくれたなのはssは、主人公がコピーされた偽者でした。

 それはさておき、私がここに居続けているということには何か意味があるということです。

 どうして私がここに存在しているのか。少し、調べて見ることにしましょう。

 移動、開始!

 ……てやー。

 バタ足。うんともすんとも。1ナノメートルも進みません。

 ここは宇宙ですかっ! くぅ。重力が恋しいです。

 はうぅ……。この場でションボリと肩が落ちそうになりますが、なんとか自分を奮い立たせます。

 落ち込んでいても始まりません! こうなったら。

 私は自分の指にはまった相棒を見ます。

 今のクラールヴィントは、左手の人差し指と薬指についた二つだけです。……どうやったら増えるんでしょうか?

 ……一度コホンと咳をすると、呼びかけます。


「クラールヴィント!」
『Was dart es sein?』(何か?)
「別の世界に移動します。移動術式を」
『Ja』(はい)


 補助されているため、魔法の行使はスムーズに行われました。足元に展開される緑色三角形の魔法陣。その上で少し悩みます。

 念じて……さて、何処に行けばいいのか?

 ただ、アニメ三期、オープニングでよく見るのあの街が脳裏を過ぎります。

 同時に、転移が発動。体が白い光を放った後、私は次元の海から消え去りました。




 『そこ』から見える空は、今日も快晴でした。チチチと鳴きながら、鳥が私の隣を飛んで行きます。

 発展途上に見える、建築の群れ。どんどん新しいビルが建てられ、また別のビルが崩されていく。成長期の日本を思わせるその光景。

 街をたくさんの人が笑いながら歩いてゆく。

 遠くには大きな会社のような建物があります。厳重な警備に守られた、魔法の砦。

 時空管理局地上本部です。

 ここは、ミッドチルダの中心部。

 魔法技術の発展した、数々の世界を守る正義執行の最前線。


 ……ありゃ? もしかして、何かミスっちゃいました?


 今、私はミッドのはるか上空、中心部を見れるめっちゃ目立つ場所にいました。

 こんな所に転移する気はなかったのですが……。

 高所恐怖症ではないけれど、この高さでは正直目が眩みます。

 何気に空を飛べていますが、火事場の馬鹿力とかいう類のものでしょう。

 さて、現実逃避をしたくなるくらい、とても気になることがあります。それは……今の私は、空の上にポツンと現れた黒い点だということです。

 多分ですが、すごく目立ってます。きっと姿は地上から丸見えです。……変なことを考えていると、かなりマズい気がします。

 あ、時空管理局地上本部から局員らしき人が数人で飛び出してきました。

 こっちに向かって飛んで来てます。航空魔導師さんとやらです。

 正直、管理局の人と今この時点では会いたくないです。よって、撤退。悪く言えば『逃げ』です。この場合は、戦略的撤退ではなく、逃げです。

 着ている黒いドレスをはためかせ、私は恥も外見もなく飛んで逃げ出しました。

 それよりも、人間必死になればなんだって出来ることが分かってしまいました。普通に真っ直ぐ飛べました。

 さて、これからどうしましょうか……?




シャア丸さんの冒険

二話「とりあえず、生き延びてます」




「お姉ちゃーん。あそぼー!」


 ミッドチルダ偏狭。まだ開発は進んでいない、自然が豊かな森の村。そこにある孤児院に、嬉しそうな子供の声が響いた。

 山の中にある森に包まれた、静かな村。高い場所にあるためではないだろうが、少しだけ気候の暖かな平和な場所。小さく纏まった神聖な世界。

 声の数は、5を超える人数。子供たちが向かった先にあるのは、木製のしっかりしているとはお世辞にも言えない大き目のあばら屋。

 それが、この村『シャン』唯一の孤児院だった。孤児院というよりは宿に近かったりすると作り手は言う。

 ここの主は、親のいない捨て子や村の子供を集め、遊んであげたり、教育をしたりしているのだ。

 この村はミッド偏狭の村。世を炙れた人々が寄り添い、集まって生まれた小さな集落。

 名前の由来は不明。この村を作った男の恋人の名前だとか違うとかどうとか。つまり定かではない。


「リリちゃん? はいはい。良いですよ~」


 走り出す元気一杯の子供たちに、笑顔で応じる金髪の女性。

 三ヶ月ほど前、この寄せ集め村にふらりと現れた女性『シャア』である。

 木安張(きやすばる)シャアと適当に村人に名乗った、常に黒い服を着る胡散臭いこの女性。さすがにきやすばるは偽名だろうと、村の者は皆彼女をシャアと呼ぶ。

 今でこそ子供に好かれている彼女だが、よそ者に厳しいここの村人たちに当初は疎まれていた。

 しかし、村人の冷たい視線をその身に受けながらも、世捨て人たちの連れている子供を集めて遊んであげたり、村の近くに捨てられている子供を拾ったりして、子供を教育して暮らしていた。

 資金など必要のない村なので、身の回りの物は全て自給自足。

 なんとも物好きな女もいる者だと、村人たちは遠くからシャアを監視していた。

 そうして三ヶ月もここに住んでいるうちに、村人たちは何時の間にか彼女を住民の一人と認めていた。

 柔らかい物腰とその美貌で、村中の子供は皆、彼女に懐いている。

 時々精神がどこかに旅立ってしまうが、子供たちはみんなそんな彼女が大好きだ。


「はうぅ……」


 子供たちに囲まれて、幸せそうなシャア。

 シャアという男性の響きの名を名乗っているが、かなり美人な女性だと周りは評価している。

 彼女は子供が大好きなようで、子供たちに懐かれるとすぐにトリップする。

 装飾された黒いドレスは彼女のトレードマークのような物で、いつもコレを着ている。

 もっと華やかな格好をすればいいのにと子供たちは言うが、彼女は着飾る気はないそうだ。村の男集はいつも残念がっている。そして妻に尻をつねられる。

 この女性……? 『シャア丸』はとりあえず、元気に暮らしているようであった。実にいいことだ。これからも元気でいて欲しい。




 この村に潜伏してから三ヶ月ちょっと経ちましたけど、そろそろ指名手配は解除されたでしょうか……?

 子供たちと手を取り合って輪になって踊りながら、少しだけ思考をずらします。お遊戯って大事ですよね?

 何時の間にか可能になった魔導師としての基本技能、マルチタスク。これはかなり便利な能力です。特に料理の時とか。

 三ヶ月前、ミッドの上空に現れた私は、管理局に見つかってしまっていました。

 かなり遠くだったために、顔こそ視認されませんでしたが能力を測定されてしまい、私からはAAランク以上の魔力が感知されてしまったそうです。

 意味もなくあんな場所に高ランク魔導師が来るハズがないという理由で、私は全く関係のないテロリストの手駒と関連付けられて指名手配されてしまいました。

 表だって街の中を歩けなくなってしまった私。

 しょうがないのでミッドチルダ偏狭の森の中を歩き回り、そこいらで発見したキノコとかの植物を食べて生きていました。

 管理局に見つかると危険なので別の場所に移動したかったのですが、何処かに頼る場所もなし、結局原作として一番知っているこの世界に留まるしかありませんでした。

 クラールヴィントの探索魔法で、地球がある『97管理外世界』を探しているのですが、今のところ反応なし。発見にはまだまだ時間がかかりそうです。

 なので、あんまり指名手配とかが広まっていなさそうな偏狭の村にお邪魔させて貰っています。

 それだけでは村に迷惑だと思うので、子供たちに私の知る範囲での知識を与えてあげたりしています。

 それにしても、いいですよねぇ。子供が怖がらないって。手を伸ばすと絶対に振り払われていた私に、子供の方が手を差し出してくれるんですよ!

 最高です! 天国です! 楽園です!

 この村に永住したくなる程の幸福感が、日々私に襲い掛かってきます。

 闇の書のマスターであるはやてちゃんが覚醒したら、この子たちと別れなければいけなくなる……それを思うと涙が出そうです……。


「シャアさん。だいじょうぶ?」
「お姉ちゃん、泣いちゃだめ」
「お母さん、どうしたの?」


 踊っていた輪を崩して、みんなが慰めてくれます。

 さらに泣きそうです。むしろ泣いてしまいました。ポタポタ頬からこぼれ落ちる、水の滴。

 村にいるみんなは優しくて、嬉しすぎます。

 ところで一人、私のことお母さんって呼びませんでした?

 その子を見ます。父親譲りの水色の髪をした男の子です。本名はロニ・エクストレイル。


「……ロニくん、お母さんってなんですか?」
「お父さんがね、先生をお嫁さんにしたいんだって。先生がお母さんになってくれたら、僕うれしいな」
「ええー。だったら、お姉ちゃんは私のお姉ちゃん!」
「独り占めはだめだよ! みんなのお母さんだよ!」


 場が混乱してしまいました。それにしても、お母さんにしたいほど懐かれているなんて……さらに別れが辛いです。

 ロニくんのお母さんは、彼が4歳の時に事故で死んでしまって、それから三年の間ずっと父親のゴーラさんが育ててくれたそうです。

 ゴーラさんは昔、管理局の地上本部勤めのCランクの陸戦魔導師だったそうです。仲間内での評判は良く『会社に不可欠タフな部品』というあだ名を付けられていたとか。多分、悪口ですよねこれ。

 しかし管理局の支持ミスで、自分の妻を失って怒りをそのままに退局。

 一人息子を連れてミッドチルダを旅していたところ、ここに辿り着いたんだそうです。

 管理局時代から使っているデバイスのチェックは、今でも怠らないとか。

 ……それにしても、そのゴーラさんが私を妻に? 頭の中に浮かび上がる想像。というより妄想。


「どうだべ、畑の様子は?」
「ええ感じにうなうんでるだ」
「ほうかほうか、んだ、メシできてっから食べっせ」
「おーおー。シャアのメシはうめぇからなぁ。じゃー食べっとすっぺ」


 ありえません! 私が男の人に嫁ぐなんてありえません! できれば可愛いお嫁さんが欲しいです!

 そして、どうして方言なんです!? それに偽名のままのお付き合いってアホ過ぎますっ!


「お母さん、ダメ? 僕のお母さんはイヤ?」
「……はうぅ」


 潤んだ瞳で見詰めて来るロニくんの言葉に、つい悩んでしまう私。

 でも、でも。男の人っていうのは……。

 ……自らの精神を保つ為に歪んだ見方をさせてもらいますけど、もしかしてこの台詞ゴーラさんが言わせてませんか? 私を懐柔するなら子供を使うのが楽だというのはみんな知っていますし。

 ゴーラさん、いい人なんですけど。全身ムキムキなんですよね……気持ち悪いです。

 ん? もしかして私も昔の姿の時はあんな風に……?

 いつも豪放磊落、みんなに慕われるゴーラさん。あの人がいつも丁寧語でニコニコ……?

 少し、想像してみましょ……検閲、削除。

 私の根幹が破壊されそうです。よって、想像は却下。

 ――うん。いいんじゃないですか、それ。

 そう思い込む私。きっといいです。いいんですよ! 良いって言っていれば何時か良いと感じられるようになるハズです!!

 子供たちは私の答えを真摯な表情で待っています。……そう何時までもトリップでは逃げられません。

 いい加減、子供たちが痺れを切らして来た頃。後ろのほうから、誰かが走ってくる気配がしました。


「シャアさん、大変だ!」


 息を切らしながら走ってきた村人さんに話し掛けられ、ドキリとする私。

 他のグループに分かれて踊っていた子供たちも、何事かといった様子で踊りを止めていきます。

 でも、今の泥沼状態を破ってくれて嬉しいです。これでお母さん云々の話を有耶無耶にできました。

 ああ、私はなんてズルい女なんでしょう……。なんて自分に酔ってみます。

 それにしても、私の城に村人さんが入ってくるなんて珍しいです。何かあったのでしょうか?


「この村に犯罪者が!」


 男性の言葉にさらにドッキーン。もしかして、私のコトを言っているのでしょうか……?

 はうぅ……やっぱり指名手配は解かれてなかったんですね……。

 さようなら、みんな……。これから私は捕まって連行されてしまいます……よくて村から追放です。

 寂しくなったので、丁度良く近くにいた子の頭を撫でます。ヴィータちゃんに劣るとはいえ、さらさらした髪の毛をした子供たち。

 この髪を撫でられるのは、今日が最後になるのでしょうか……。撫でる力にも、つい力が篭ってしまいます。

 撫でられた子供が安心したように私に体を預けてくれます。やっぱり、嬉しい。

 犯罪者と聞いて心配になったところを撫でられて嬉しい、って様子です。


「近くに、盗賊が来ているんだ!!」


 いきなり大声を出した村人さんの言葉に悲鳴をあげて私の元に駆け寄ってくる子供たち。

 私は自分の想像と違う彼の言葉に、小さく首を傾げました。




 シャンの村、唯一の会議場。というよりは、むしろレクリエーションの場。それ以外の用途ではあまり使われない、日光を遮る程度の屋根だけのボロボロの建物。

 この村に来た頃に私が頑張って立て直した、村の片隅にあるあばら屋よりもボロボロ。

 その場所に、シャンの村の大人たちほぼ全員が集められました。あまり広くはない会議場は村の人たちで一杯です。

 その中、神棚(多分)に座る村長が重々しく口を開きました。村人たちに信頼され続けてきた高い精神力が発揮されています。


「すでに知っておると思うが、村の近くに盗賊集団が近づいて来ている。この村の存在には気が付いておらぬようだが、もしかすると賊に発見されてしまうかもしれぬ」


 長老が、朗々と語り始めます。初めてその話を聞いた人達が、顔をつきあわせながら難しい顔で話し始めています。

 この村には奪われる物は命くらいしかありません。お金なんてまったくないのです。

 あ、女性は盗まれるかもしれませんね。私は大丈夫だから、女性を守ってあげなければなりません。もちろん、子供も全員です。だって私は男だから……アレ?


「盗賊に村を発見されないのが、もちろん一番望ましい。じゃが、万が一発見された時、そなたらにこの村を守って欲しい」


 指差されたのは、旅路の果てこの村に流れ着いた、あまり歴戦とはいえない落ち零れ魔導師たち。

 誰もがデバイスを持っている、三流ないし二流の魔導師たち。一応修練を積んでいるらしく、ランクはD~C。流石に武装隊には入れませんけど、管理局の一般主力でやっていける人々。

 みんなこの村が大好きで、村の防衛という最大の勤労に意欲を燃やしています。

 その中でCランクを持つ、この村最強の魔導師であるゴーラさんは、大きく頷きました。


「村は必ず、守ります。その暁には……」


 ちらり、と。何故か熱っぽい瞳で私を見てくるゴーラさん。

 耳に蘇るのは、朝方に聞いたロニくんの言葉。


『お父さんが、先生をお嫁さんにしたいんだって』


 それとゴーラさんの瞳を結びつけると……。……えぇ。それってもしかして、プロポーズのつもりでしょうか……?

 掌の中でまあるい物を転がさないでください。死亡フラグを立てないでください。

 準備おっけーと言われても、私の準備はまだまだです。むしろ永遠にそんな日は来ません。


「うむ。いいじゃろう」


 好色な笑みで頷く村長さん。他の男集と女集も好奇心満々で頷きます。貴方たちには聞いてませんよ? それは彼と私の問題です!! そんなに村の毎日が暇ですかっ!!

 それに、ゴーラさんが私のことを好きなのって、村中の噂だったんですか?

 井戸端会議の中で、一向にそんな話が上がったことはないですよ……。……って、それは奥様方に嵌められたってことですか!? ……それと、私の意見は取り入れてくれないのでしょうか?

 そもそも、私の精神は男ですよー。女を感じないでくださいー。遊ぶのはやめてくださいー。


「いいの、『新婦』。新郎はバッチリじゃ」
「やー。止めてくださいなー。心の準備ができてません」


 青筋浮かべながら笑顔で反論する私。きっと目は笑っていません。でも、みんな聞いていないご様子。

 ウエディングドレスとか、ケーキとかの話をしています。村に牧師はいたっけなあ、いないなら別の村か呼ばないとなぁ、と楽しそうに談笑中。

 止めてー。好奇心だけで私を束縛するの止めてー。キリスト教みたいな結婚式はもっと止めてー。

 みんな、すでに盗賊を乗り切ったつもりでいます。……私が諦めるだけでみんなのマイナス思考を吹き飛ばせるなら協力しますけど、なんだか釈然としません。

 はうぅ。このままでは私の貞操が……。頭の中で砕け散る百合の花。あ、薔薇じゃない。それなら、まだ大丈夫です。

 ……って大丈夫じゃないです!?

 またしても混乱がやってきました!! ……もう、逃げちゃおうかな。色々と諦めたくなってきます。

 ですけど、結婚の前に見るものがあるじゃないですか。私の指には指輪がはまってますよ。よく見てください、蒼い宝石と翠の宝石のはまっている二つの綺麗な指輪がありますよ?

 私はきっと人妻ですよ。人妻の誨淫は死罪だって、昔の日本で決まってますよ。

 みんながワイワイと話す中、村長が、盗賊が村の近くを通るのはこれから二日後であろうと告げて会議は終了しました。

 ……会議場から出るみんなは、私を拝まないでください。




 無駄に好意的な視線を浴びながら会議場を出ると、空は真っ暗になっていました。頭上にある大きな二つの月がとても幻想的です。でも、胸に去来するこの空虚な思いはなんなのでしょう?

 寂しそうにしていた子供たちが、会議というか説明会が終わって会議場から出てきた私に近寄ってきます。

 擦り寄って来る子供たちを、ギュっと抱きしめてあげます。

 みんな、盗賊が怖いのです。特に、私と同じ蜂蜜色の髪の女の子、リリちゃんは盗賊に親を殺されているのです。

 どうやったら、みんなを安心させることができるでしょうか……。そればかりはどうしてもわかりません。


「シャア」


 悩んでいた私を呼ぶ声。

 振り向くと、そこには腕を組んだゴーラさんが立っていました。

 私に近寄ってきます。歩くたびに足元の石が砕けます。全身から魔力を放って、戦闘体制を保持する練習をしているようです。


「君は子供たちを連れてここから逃げていてくれ。それとロニを、頼む」


 優しい表情で私の肩に手を置くゴーラさん。今年で28。まだまだ結婚適齢期。たしかに、いろいろ寂しいのでしょう。片親のいない息子も、収まるべき所のないムスコも。

 でも、だからって、私を求めないでください。母親はきっとロニくんの心の中で生きていますし、ムスコは自分でどうにかしてください。


「そしてオレが無事帰ってきたら、結婚……」


 言葉を無言で遮って、左手を見せる私。そこにあるのは、仲良く並ぶ二つの指輪。リンゲフォルムのクラールヴィント。

 ミッドチルダで結婚の証が指輪だとは聞いたことはありませんが、目に見えて絶句するゴーラさん。

 ……婚約の証はどうやら指輪で正しいみたいですね。今まで私の指を見ていなかっただけのようです。

 今はクラールヴィントの魔力反応を消しているので、よほどの熟練者でなければこれがデバイスだとは見破れないでしょう。

 愕然とした顔をしたままのゴーラさん。ニコリ。とりあえず笑って見ます。

 顔面中から血を噴出して倒れるゴーラさん。なんて表現するんですか。顔の血液が沸騰するほど悔しいですか。

 それと、子供の情操教育に悪いんで顔面の血は拭いてください。


「だ、誰だ! 誰がそんな幸せな……」


 頭の中に未来のマスターである、はやてちゃんを思い浮かべます。あの子は世話しがいがありそうです。

 ふふふ。本来ならば世話属性であるあの娘が世話されるその苦しみ……うふふ。いつか悦楽に変えてやります。


「ひ・み・つです」


 右手の人差し指を立てて腰に左手をあて、ウインクしながら上目遣いでゴーラさんを見ます。ドレスの隙間から胸元を見せるのも忘れません。

 ……最高クラスのデキの技です。こんな技をどうして男の時に練習していたのでしょうか。あの時ねぎマンが気絶した理由がやっとわかりました。

 人の振り見て我が振り直せ。ちょっと意味がわかってきました。

 あ、ゴーラさん、鼻を抑えました。それから顔を大きくあげます。私と目をあわせて肩を掴んできます。……かなり恐いです。鬼気迫ってます。


「……でも、今その人はいない」
「それはそうですけど……」


 鬼気を放ちながら、そんな鬼の首を取ったとでも言わんばかりに笑わなくてもいいでしょうに。

 目を見る限りは本気ですね、この人。もしかすると盗賊が来たら命を使ってでも戦いそうです。

 そんなに私を嫁にしたいですか? 能力は今の私より上な前の私が来たら、この人速攻で逃げ出しそうなんですけど。ゴーラさんは私の中身ではなくて外見に惚れています。


「それだけ言いたかった。……明後日までに鈍った体をほぐす必要がある。また会おう」


 目を白黒させたままの私を置いて、ゴーラさんは背を向けて歩いていきました。

 後ろで待機していた他の魔導師さんたちに声をかけて、ゴーラさんは去っていきました。

 肩叩かれています。おい、このやろう。あんな嫁さんをー。口がそう動いています。

……ですから、私は了承してません。




 二日後の夜、私たち女性陣(え?)は子供たちを連れて村から離れていました。

 私も村に残りたいと主張したのですが、むりやり村から追い出されてしまいました。

 時間を見計らって戦場に向かうのが一番ですね。戻った村で戦闘が起こっていないのが最良の結果なのですが。

 子供たちを置いていくことになってしまいますが、ここには人がたくさんいます。きっと大丈夫のハズ。


「おに……お姉ちゃんは、村が心配だから戻るね。みんな、いい子にしててね」


 子供たちの頭に手を当てて、一人一人に声をかけながら立ち上がる。……盗賊が村を無視してくれていたらいいんですけど。

 はるか遠くにある私たちの村を、見据えます。私は村を守りたいですから。




 その日の夜、シャンの村を盗賊の群れが通りかかった。皆、手に松明を持っている何とも時代錯誤な光景だった。超科学の世界なのだから、電灯なりなんなり使えばいいものを。

 そうやって月夜にボンヤリと照らされた盗賊たちは、みな休息を求めているようだった。

 近くに拠点がないため何処かを分捕ってでも休みたいと思っていた盗賊たちは、この村を占領することを思いついた。

 どうせミッドチルダには非公式な、無登録の村だろう。住民を脅して自分たちに従わせるのもいい。女がいれば奪う。

 厭らしい笑みを浮かべながら村に入る盗賊たち。全員の頭には、濃い紫のバンダナが巻いてある。仲間の証明であるようだ。

 村の中は、ガランとしていた。誰ともなく舌打ちする。どうやら自分達の来訪はバレていたらしい。一気に表情が暗くなった。士気が下がったのが見ていて分かる。

 自分たちもここに村があることなど知らなかったのに、村民の用心深いことだ。

 だが甘い。だったら村人が帰ってくるまで村に陣取るまでだ。

 色違いのバンダナをした指揮官らしき男が、アイコンタクトで部下に偵察を命じる。下っ端の一人が足を動かした時、その場を茶色の魔力弾が通り過ぎた。

 直撃した殺傷設定魔法の物理エネルギーが、下っ端の体を吹き飛ばし殺害する。

 一撃で仲間を殺された盗賊たちに、衝撃が走った。

 血が飛び散った。仲間の鮮血を浴びた下っ端たちが、一瞬恐慌状態に陥った。


「ち。辺鄙な村の癖に、魔導師がいやがる」


 嫌そうな顔をして頭領らしき頭のハゲた男が部下を見渡す。

 全員が及び腰になっているのを見て顔を歪める。鼓舞するべく、大声を出した。
 
 一つの組織の頭ともなれば、どうしても統率力かカリスマが必要になるものだ。

 それでも不安そうな顔をしている盗賊たち。


「馬鹿野郎。こっちには先生がいるんだぜ、大丈夫だお前ら!」


 頭が親指で一人の男を指す。後ろにいる赤いローブを着た男がニヤリと笑った。

 頭の自信たっぷりな声に、部隊はなんとか統率を取り戻した。寄せ集めのゴロツキゆえ、やはり練度は高くない。

 全員の信頼を浴びる男の手の中で、直剣型の武器が不気味に輝いた。それはアームドデバイスと呼ばれる〝兵器〟だった。




 場所を変えて、シャンの村内部に視界を移す。村の中央に陣取って、長杖を構えるゴーラとやら。

 ターゲットをロックオン、ショット。デバイスから飛び出す閃光。また一人殺害。

 自分は、弱いから。殺さずに戦闘力を奪うなんて高度な真似はできない。

 ゴーラが思い出すのは数年前の事故。妻が死んだ事件。

 今思い出しても胸糞の悪い事件だった。本来ならば簡単に解決する筈の事件だった。

 しかし、指揮官が悪かった。武官ではなく、文官が指揮を取るという状況だった。

 場を判断することのできなかった指揮官の、命令ミス。

 それが攻撃のタイミングをずらし、人質にされていた自分の妻の命を奪ったのだ。

 地上部体には、いい人材がいない。自分がいたころの管理局を思い出すと、強くそれを感じる。

 きっと、海に人材を取られているからだ。海が良ければ陸は良いというのか?

 最近は、AAランク以上の魔導師を自らの守るべき街に侵入させてしまったらしい。いい気味だった。彼は村の仲間たちによくそう愚痴っている。

 ゴーラはミッドチルダの平和など、もう知ったことではなかった。ただ、自分たちが平和ならそれでいい。

 指名手配された者の映像は荒くて見れたものではないが、どうやら人型ではあるようだ。ふと、黒い服を着ていたことを思い出した。

 頭を振って管理局などという不愉快な言葉を頭の隅から叩き出し、別の楽しいことを考える。

 シャア。多分偽名。彼女は素晴らしい女性だった。自分以外には懐く様子を見せなかった息子、ロニの警戒を一瞬で解き、村中の子供たちに信頼され、若くスタイルも良く、料理、洗濯、掃除も上手く、人を立てることも知っている聡明な美貌の女性。時たまミスをするのが玉に瑕だが、それが完璧ではなくてかわいいと思う。そして、たまに見せる男への無防備さ。

 これから、自分の妻となるであろう女性。

 一生をかけて、誰かを守ってあげたいという自分の思い。迷惑だと言われても構わない。ただ、あの弱そうなか細い女性を守ってあげたいと、ゴーラは心の底から考えている。

 自分の強さを、彼女に見せる。これは、そのために運命が用意してくれたフィールドなのだ。酷い人だと言われても、今この時が最大のアピールチャンス。

 心の内を小さく小さく呟いている。自ら一歩を踏み出すため、これからの大きな一歩を踏み出すために。


「行くぞ」


 長年使い続けた自らのデバイスを信じて、彼は暫定的な部下たちに命令を下した。
 ゴーラのバリアジャケットは、管理局の物そのまま。ただし、襟の色が茶色になっている。部下も、幾人かは管理局のジャケットだった。彼らの一部も管理局からの脱走者である。

 正面から、盗賊たちがこの村を蹂躙せんと迫ってきていた。




 それは殲滅戦だった。

 村の魔導師たち七名は、各々のデバイスを持って盗賊たちを迎え撃つ。

 盗賊たちは、決死の突撃の末、数を三分の二ほどに減らしながらも村の中心に辿り着く事に成功していた。


「奴らは、デバイスを持っているッ! 奪い取って売り捌けーッ!」


 頭領の命令を聞き、デバイスを奪い取らんと飛び掛る盗賊の下っ端たち。

 デバイスがあれば魔法が使える。それはミッドチルダの誰もが知っていること。

 あのデバイスがあれば魔法を使えるかもしれない! 盗賊たちが必死なのは、当然であった。彼らの頭の中に、売るとかいう考えはない。奪って、魔法を使いたい。その思いが強かった。もちろん、一般人でもデバイスは買えるのだが、盗賊をやっているような男たちが危険物扱いの物品を買えるわけがない。よって、奪うのが一番である。殺せば後腐れもない。

 目を血走らせ走り続ける下っ端を見ながら、赤いローブの男は口元を抑えた。


「ふぅ。意地汚い者どもだ。吐き気がする。貴様らの護衛、止めてもいいだろうか?」
「じょ、冗談は止めてくださいよ、旦那。お礼はたっぷり払いますから」


 頭の上に手を併せてご機嫌を取るようなポーズを取る頭領。

 その様子を見てさらに嫌悪を顕にする赤ローブ。

 赤ローブの目を見て心の中であらん限りの罵倒を叫ぶ頭領。奴が強くなければ、とっくの昔に殴ってやっているというのに。あのデバイスだ。あのデバイスがあれば自分も強くなれる!


 みんなそろって魔導師適正という大切なモノを棚にあげる盗賊たち。デバイスについてまともな知識を持っている者がいないという証明でもある。




 何時の間にか、戦いは終わっていた。頭領と指揮官数名、それに赤ローブを残して味方は全滅していた。

 ゴーラほか六名が残りの盗賊たちを囲む。円陣を組んで全方位から杖を向ける。


「貴様らが最後だ」


 ゴーラが代表して魔力のチャージを始める。茶色の魔力光が暗闇を照らす。後は、集った力を放つだけ。


「だ、旦那!!」
「仕方がないですね」


 デバイスから放たれた光。呆然とする指揮官数名を貫いて進む、頭を射殺す為に伸びる断罪の刃。

 狼狽した頭領の声を聞き、赤ローブの男がローブを脱ぎ捨てた。中身は30代前半の年齢。全身に筋肉を纏った紫色の髪の男。

 掲げたのは、刀剣。片手剣だった。あまり大きくはない。小回りがきくようにか、特に長くはなかった。

 頭に届く寸前、剣の一線がゴーラの放った魔力弾を掻き消した。


「……剣、だと?」


 訝しげな顔のゴーラ。

 ミッドチルダで一般的に普及されている魔法はミッド式と呼ばれる形式で、遠距離砲撃が基本である。よって、剣型のデバイスなどゴーラは今までの人生の中で見た事がなかったのだ。

 ――ならば、あれはデバイスではない……?

 ゴーラは愛杖を胸の高さに掲げ、即座に攻撃に対応できるよう、シールドを張っておく。

 精神を落ち着かせるように呼吸していた剣使いが、閉じていた目を見開いた。

 同時に、剣を水平に構えられた。剣使いの持つデバイスの中から、音をたてて何かが弾き出された。

 それは、拳銃などの質量兵器が100年以上も前から使われていないミッドチルダでは馴染みがない物だったが、ミッド管理世界外の者が見ればこう呟いたであろう。

――カートリッジ、と。

 瞬間、剣使いから感じる魔力が爆発的に増大した。

 足元にあらわれる、薄く青い色の三角形。頂点には三つの円。それが小さく回転している。


「なっ!?」


 ゴーラの驚きの声。三角形の魔法陣!?

 ここは、リリカルなのはの無印、A’sから10年も離れた時代。この頃は、カートリッジ使用する武器。ベルカのアームドデバイスなど、よっぽどの物好きにしか知られていない武装だった。


「斬空烈波!」


 剣から飛び出した衝撃が、ゴーラのデバイスを捕らえる。衝撃そのものが魔法。

 今この瞬間で暫定的に見るのならば、ベルカ式のCランク魔法である。

 攻撃の直撃を受け、ゴーラの持っているストレージデバイスのフレームに一筋のヒビが入った。

 たった一撃でデバイスにかなりの負担。バリアを張っていなければ、危なかった。

 まだ安全性の保障されていない武器を軽々と使う男。

 この剣使い、ランクにしてB。さらにカートリッジシステムをも使いこなすこの男は、今いるシャンの村の魔導師たちでは、束になっても勝てない男だった。




「はっはっは。……。あんまり、この身体は走るのには向いてませんね……」


 息を切らしながら走る女性。ベルカのヴォルケンリッターの一人、シャマルに〝憑依〟しているらしい彼。

 村にまで飛んで行ったら、運良くというか当然、戦闘をしていなかった時に村の人に自らが魔導師だとバレてしまうので、今は自分の足で走っている真っ最中である。

 しかし、この体は体力がない。息を切らして立ち止まる。何度か深呼吸。

 大きく息を吸い込んだ。同時に、村の方から大きな爆発音と閃光。少しむせた。ちょっとだけ咳き込む。


「……最悪の予想、当たってしまったみたいです……」


 シャア丸がクラールヴィントを高く掲げる。

 緑色の優しい光が彼女を包み込む。

 光が消えたとき、そこにいたのは真っ赤な騎士甲冑を着込み、頭に赤い角の生えた帽子を被った一人の騎士だった。


「……間にあってください」


 シャア丸は、自ら出せる最大の速度でシャンの村に向けて飛び始めた。




「……はい。全滅させましたよ、雇い主さん」


 何事もなかったかのように言い放つ剣使い。排出したカートリッジをポケットにつっこむ。カートリッジは無駄にはできない。あまり世に出回っていない代物だからだ。

 中々骨のある男たちだった。まさか、この自分に10発もロードさせるとは。

 とある事情でこのデバイスはあまりカートリッジを使えない。長時間の戦いには向いていないのだ。

 それでも敵は所詮、ミッド式の雑魚。ベルカ式カートリッジシステムを使う自分に勝てる筈がない。

 弱い奴らを一方的になぶる事ができる。これだから護衛は止められないと、剣使いは笑った。


「あ、ああ」


 呆然とした顔で結果を眺めていた頭領。しかし、すぐに頭に血が上った。


「何故、我が同胞を助けなかった!!」
「契約は、『貴方を守る』の一言だけだったはずです。部下まで守れとは言われた覚えはありません。そもそも、何故わたしが薄汚い盗賊を守らねばならないのです? 金がなければ、とっくに貴方は用済みですよ」
「き、貴様ぁ……」


 剣使いに掴みかからんと手を伸ばす頭領。

 頭領の曰く薄汚い手をかわすと、剣使いは体を低い体勢に持っていった。


「おっと。もう一人来たようです。死にたくなければお下がりを」
「ぬ、ぬぅ」


 剣使いが見守る中、破壊された村の中に、木々の隙間から赤色の影が降り立った。

 その影を見て、剣使いは目を見開いた。


「……女?」
「悪いですか?」


 そこにいたのは、特に戦闘もできそうにない、真っ赤な鎧に身を包んだ一人の女だった。




 みんな、村の中で倒れています。小さなお祭りとかをしたことがある大切な広場で、大怪我をして痙攣したりして辛そうにしています。

 人の命が散る様は、この前戦艦の中で見ました。けれど、こうやって少しずつ命を散らして行く人を見るのは、イヤです。

 倒れている人の中には当然、ゴーラさんもいます。バリアジャケットが切り裂かれ、水色の髪の毛が血の赤に染まっているのが見えます。

 魔法の行使に躊躇いはありません。これから、人を助ける為に力を行使します。


「クラールヴィント!」
『Ich habe verstanden!』(わかりました)
「静かなる風よ、癒しの恵みを運んで」


 AAランク魔法、『静かなる癒し』。

 範囲内の味方の癒す回復魔法。私の足元に広がる緑色の正三角形。

 私の周囲にいる味方七人全員の傷、体力、バリアジャケットが修復していきます。

 その光景に、目の前の近代ベルカ式使いの男の人が目を見開いています。

 ……少し長いので、剣使いとでも呼びましょう。


「わたしと同じベルカ式だと……? なるほど。ただの女ではないようですね。……ですが、その癒しの能力。貴女は完璧な援護役の筈。前衛はどうしました?」
「いません。みんなお休み中です」
「……では、なんのためにココに?」
「みなさんを、助けるためです」


 倒れている人たちを見て微笑みます。この村を守るために、みなさん頑張ってくれました。

 後は、私がこの剣使いさんを倒すだけで終わりです。それで村に平和が帰ってきます。

 戦闘は苦手ですけど、決してできないわけではありません。何故だか知りませんけど、シャマルの想いが戦いが出来ると叫んでいるんです。


「『湖の騎士シャマル』と『風のリング・クラールヴィント』行きます」


 力強く名乗り上げます。

 足を前に出し、強く踏み出します。これが、私の戦いの第一歩。

 手を胸の前で交差して、クラールヴィントに呼びかける。


「行きますよ、クラールヴィント」
『los Schlief』(強制催眠)


 クラールヴィントを指につけたまま、掌を剣使いの男にぶつけます。

 デバイスから発生する緑の閃光。それが、剣使いの男に吸い込まれました。

 ロス・シュリーフ。私とクラールヴィントで作り上げた強制催眠魔法。魔法としてのランクは多分Bくらい。

 本来の使い道は、寝つきの悪い子供を眠らせるためにあります。

 対魔力の低い人とか安心している人にしか効きませんけど。


「……くっ」


 眠りの魔法によって倒れかける男。

 ……この人、魔法防御力はあまり高くないみたいです。

 補助魔法だけでも、倒せるかもしれません。

 少し、勝機が見えました。最初の一撃で弱点がわかったのはありがたいです。

 眠気に朦朧とする男。ここで倒れたら、負ける。それを判断した剣使いは、自らの足に剣を突き刺して正気を保ちました。

 ……。でも、眠気を払う為とはいえ、足を刺すのって痛そうです。後で治してあげましょう。


「……死ねえ! ベルカ使い!」
「嫌です。生きて可愛いお嫁さんを見つけるんです!」
「えぇっ!?」


 非人間の戦闘を前に傍観者だった頭領絶句。まさか、あんな顔、けしからん胸と腰と足で男! ……んな訳ねーだろ!


 ブンと振られる剣のデバイス。小さくクラールヴィントの名を呼びます。先の宝石が浮かび上がり、ペンダルフォルムに変形するクラールヴィント。

 デバイスの刃を、振り子型になったクラールヴィントのヒモで受け止めます。小さな金属音。……自分のデバイスながら、このヒモはなんなのでしょうか。

 一瞬だけの小さな硬直時間。今一度、戦力を確認します。

 剣使いは、デバイスも強くなく、騎士甲冑は堅くなく、使い手の魔力も高くなく、判断力もそこまでは高くない。

 私は、デバイスはとても強く、騎士甲冑はとても堅く、使い手の魔力は最高で、判断力はそこそこです。

 ……これなら、勝てます。私だけで戦っても、きっと勝てます!


「リロードォ!」


 剣使いデバイスから弾き出されるカートリッジ。

 何故か、飛ばされたカートリッジの形が変形しかけています。

 まさかあのデバイス、魔力を放出する機能ついてないのでは……。

 アニメなどでデバイスから白い煙が噴き出る演出がありますが、あれはデバイス内に取り入れられた魔力なんです。噴出する事で、デバイスの調子を保っているんです。

 それが、ついていない。

 長時間使い続ければ、内に溜まりすぎた魔力でデバイスに不具合が……もしかすると壊れてしまうかもしれません。

 愕然とする私。なんて欠陥デバイスを使ってるの……。


「斬空烈波っ!」
『Panzers child!』


 男の剣から飛び出した衝撃波を、掌に出現した三角形のラウンドシールドで弾く。

 本当はラウンドシールド(完全な円形状の盾)ではなくカイトシールド(三角形を伸ばした形の盾)に近いんですが、とりあえずラウンドシールドと呼んでいます。

 弾かれた衝撃波が爆発しました。生まれた煙に咳き込みかけましたが、なんとか男に近づきます。

 二度、三度。私のデバイスと、剣使いのデバイスがぶつかり合ってかん高い音を上げます。

 持っている能力の差を考えれば、勝てます! このままぶつかるだけで、あの男を倒せます!!

 直接打撃に使われているクラールヴィントには悪いですが、みんなを守るために苦労してもらいましょう!

 このまま長期戦を続ければ……!


「うおおおおおおおっ!!!」


 男が叫びました。デバイスから、四つカートリッジが連続して弾き飛ばされます。

 短期決戦を狙うつもりですか!?

 同時に男の持つ剣型デバイスから、大きな金属音が響きました。それはまるでデバイスの泣き声のように私の耳には聞こえました。


「デバイスが!?」


 魔力放出なしで使い続けたら、デバイスは壊れるに決まってるのに……。

 そんな風に使ったら……デバイスが、かわいそう。


「超・斬空烈波ぁっ!!」


 デバイスに込められた魔力に、目を見開く。

 あれは、防ぎきれない、避けれない……! 手を、真正面に構える。


『Panzer hindernis』


 魔力でできた緑色のバリアを、掌に集中。

 本当は全身を囲うクリスタル状のフィールドですが、一点集中することで防御力を高める事ができる……! 結構な高等技術ですが、私になら使えるはず……。

 ヴィータちゃんが使うイメージがありますが、ベルカの魔法はみんなで共有すべきです。

 防壁を張った私の目の前に広がる、先程までの衝撃波とは比べ物にならない大きさの魔力。

 そして、爆発と衝撃。殺傷設定のエネルギーが、容赦なく私に襲い掛かってくる。

 私の身を守るパンツァーヒンダネスが、まず砕け散りました。ついで、騎士甲冑が衝撃に包まれる。強い痛みが私を襲います。それを、甲冑の防御力に任せて防ぎきる。


「いやあああああぁぁぁ!!」


 腹の底から叫びました。気合を入れて叫び続ける。

 魔力を放って、攻撃を防ぎ続ける。そして、唐突に衝撃が止みます。

 魔力量だけなら私は彼の数倍はあります。あちらの魔力切れの方が、どう考えても早い! これで私の勝ち……。


「まだ、わたしの攻撃は終わっていませんよ!」


 叫び声にハッとして顔を上げる。

 ボロボロのデバイスを持って私に向かってくる剣使い。

 やるしかありません。バインドをかけて、殴り飛ばす! そうするしかありません!


「遅い!」
「やぁ!」


 ぶつかりあう、敵のボロボロデバイスと、私の身を守ったボロボロガントレット。

 剣使いの方が筋力は高いみたいで、ふんばりがきかずに私の方が吹き飛ばされます。

 受身を取って、なんとか立ち上がります……。


『Kann ich Ihnen helfen?』(大丈夫ですか?)
「大丈夫、です」


 クラールヴィントに笑いかけて、手を掲げる。


「アレを使います!」
『Ja. ――Fangen kühlschrank!』(はい、『拘束冷蔵庫』)


 吹き荒れる氷の嵐。私の魔力を使って、氷の粒が辺りを舞い始めます。

 私が作った、冷蔵庫魔法。分類的には捕獲系魔法のケージタイプみたいです。あまり練習していないのにどうして凍結が使えるかは不明ですが、とりあえず篭められた魔力に応じて温度が変わります。

 たくさんの魔力が篭められたこれを当てれば、どんなモノでも一瞬で氷の塊です。

 解凍の時はまた別の魔法を使いますが、今は関係ありません。

 私の魔法を見て、剣使いさんが喚きました。どうやら、今使っている魔法の種類がどういう物かわかったみたいです。


「睡眠魔法、冷却魔法……いったい、あなたはなんなのですか! そんなの補助としても使い難い! どんな目的を持ってそんな魔法を……?」
「私は、『保母』です! 眠れない子供には睡眠を! 食材の保全のために冷蔵と冷凍を! そんな私に必要な力は、これだけです!」
「く、う、うわぁぁぁ!」


 男の周囲を回り始める氷の粒。デバイスを振り回すものの、魔力を放出できず熱が篭りっ放しのデバイスは、余りの寒さにヒビが全体に広がっていて使い物になりません。


「ぐわあぁあ!」


 男の身体中が凍りに包まれました。とりあえず、顔面の氷は割ってあげます。
 全身を氷に包まれた男は、その場に倒れました。


「……やるじゃ、ありませんか。しかし、その力。まさか貴女は伝説の古代ベルカ……」


 そして、全魔力を放出しつくした男は気絶しました。一緒に、足元に落ちた近代ベルカ式アームドデバイスが砕け散りました。

 AIの積んでいないデバイスにだって、意思はあるはずなのに……。破砕されたデバイスを、私は悲しいまま見詰めました。

 それにしても、『超・斬空烈波』。変な名前の技の癖に凄い魔力でした。あんな高い魔力は心臓に悪いです。それと、そんな熱血少年漫画みたいな倒れ方はしないでください。


「はぁ……疲れました」


 騎士甲冑がボロボロです。戦闘ごとに壊れるのは止めて欲しいのですが。

 せっかくの赤服が……。角が……。


「う、うぅ」


 あ、顔を顰めながらですが、ゴーラさんが起き上がりました。

 残っている痛みでまだ辛そうですが、それでも元気そうです。

 心配をかけさせないで欲しいです。近寄ってゴーラさんの体を支えます。

 ……うわぁ、流れ出した血でべとべとです。これが殺傷設定の戦いですか。


「大丈夫ですか? 怪我は治しましたけど、ダメージは残っていますから無茶はしないでください」
「……オレは。……奴は! 奴はどうした!!」
「あそこで寝ています」


 私は、氷付けで気絶している男の方を見ました。それを確認した後、ゴーラさんが私の姿を見ます。

 ボロボロになっているとはいえ、私が着ている服は見まごう事無く騎士甲冑。つまるところバリアジャケット。

 きっと私が魔導師だとバレてしまったでしょう。


「そうか。君を守るつもりが、守られてしまったのか……」
「いえ、敵が強かっただけです」
「……そして、そいつよりも君の方が強かったわけか」
「は、はい。……黙っていて、すみません」


 ゴーラさんになんと言われるかを想像して、戦々恐々してしまう私。見た目だけなら、主人に怒られて怖がっている犬みたいだと思います。前はこのポーズを取ると、いろんな人にファンシーな怖がり方するなと殴られました。

 そんな私の姿を見てか、ゴーラさんはふっと表情を和らげました。

 ……? どうしたんでしょうか。


「まさか、子供たちといつも遊んでくれている君が、シャンの村の中で一番強かったとは、な」
「いえ、そういうわけでは」
「わかった、よ」
「はい?」
「オレが、君を守る必要はなかったみたいだ。結婚の話は、取り下げさせて貰う」
「はあ……」


 慈愛の笑みを浮かべるゴーラさん。そんな風に自分だけで納得されても困るのですが……。

 ですけど、結婚の話取り下げはありがたいです。

 そもそも『君を守る』って何ですか? ヒロイズムに浸らないで欲しいです。

 貴方の思考の中で何があったのか、説明を要求します!

 笑顔に黙殺されました。……何かを聞ける雰囲気じゃありませんね。なんだかモヤモヤしますが、仕方ありません。


「それじゃあ後は、盗賊の頭領を官憲に突き出せば……って、いません! 逃げられました!」
「……今はみんな無事で良かったと喜ぶ事にしよう。さあ、みんなを呼びに行こう」
「は、はい!」


 村を襲ったたくさんの盗賊たちはほとんど死んでいます。後で埋葬してあげなくてはいけません。

 ……村が血なまぐさい。子供たちにはとても見せられない光景なので、さっさと掃除しましょう。

 逃がしてしまった盗賊。彼はいったい何をするのか……? 後悔の数々はあれ、事件は終息に向かいます。




「……殺傷設定は、怖いですね」


 死んでしまった盗賊達を埋葬した後、私はポツリと呟きました。温度の少なくなっていく死体は、とても恐かった。前の私の体もあんな風になってしまったのでしょうか。


「でも、オレは弱いからな。殺さずには、守れない」
「……そうですか」


 ゴーラさんが倒れている剣使いを目に入れました。

 結局、あの剣士の人の名前聞いてませんね。エテルナ・シグマとか落ちてるマントに書かれてますけど、これが名前なのでしょうか?


「残るは盗賊弾の用心棒らしきあの男のみ。アレを管理局に引き渡そう。それで、終わりだ」
「ですね。転移魔法で地上本部前に行って、あの人は縛って放置して来ます」
「過激だな」
「村を襲うような人にはいい薬です」


 私の言葉に苦笑いするゴーラさん。

 その笑顔の意味深さに、私は首を捻らずにはいられませんでした。

 どうしてそんな顔をするのかを聞いても笑うばかり。

 最後の一言である、『女は怖い』という言葉だけはヤケに耳に残りました。




 こうして、突然シャンの村に沸いて出た盗賊の事件は終わりました。

 みんな盗賊に脅える日々が終わって喜んでます。

 ですが次の日、私はゴーラさんに呼び出されました。

 ゴーラさんの顔は悲しそうに歪んでいます。目が、怖いです。彼の口から出た言葉。それは驚愕の内容でした。


「君は、この村から出た方が良い」
「へ?」


 村から出ろってことですか?

 それじゃあ、預かっている村の子供たちが……。


「君の戦いの魔力反応が、地上本部に観測されてしまったと首都に出た者が伝えてきた。AAランク以上力を持った管理外魔導師が野放しになっていると聞き、管理局は一層取り締まりを厳しくしている。きっと、この村にも奴らはやって来るだろう。君は、そうそうに身を隠してくれ」
「……はい」


 私は、魔導師として管理局に縛られるのはゴメンです。それ以外なら別に良いような気もするんですが。
 このまま身を隠すのが、きっと一番。だから薦めてくれるのでしょう。


「すまないが、君を隠しきれるほどの力はこの村にはないんだ」


 本当にすまなさそうなゴーラさん。

 どうしても、失礼だとしても、思ってしまうことがあります。

 私が来なければ、村は平和だったのではないか、と。心で思ったことは、気が付けば口から漏れてしまっていました。


「この村に来てしまって、ごめんなさい」
「怒るぞ。君は、この村を救ってくれた英雄だ」
「それでも、ごめんなさい」
「…………はぁ」


 管理局の調査が広まるであろう日を予測して、限界の時間まで子供たちと一緒にいたいと主張する私の出発は、七日後に決まりました。

 それまでは子供たちに村を出る事を話さず、こっそりこっそりと、村を出る準備を進めています。

 一度村を出てしまえば、指名手配が途切れるまでこの村に来る事はできません。

 これが子供たちと過ごす最後の週になってもおかしくないです。

 そんな辛いような素振りは見せず、みんなで遊んで、授業をして、そうやって最後の日を終えました。



「子供に、別れは言わんでいいのか?」


 長老が私の瞳を覗きこんできます。髭に隠れた口が、寂しげに動きました。

 一週間は、あっという間でした。


「別れを言えば、辛くなるだけですから。私は、ここに来てまだ三ヶ月。あの子たちも、きっと私を忘れてくれます」
「……無理だと思うがのう」


 早朝、朝4時。まだ子供たちは眠っている時間です。

 見送りと言って、この村の大人の人たちがみんなで私を見送ってくれるそうです。

 眺めるのは、頑張って修理したあばら屋や村の形。思い出すのは、みんなで過ごした三ヶ月間。余所者の私に本当に良くしてくれて、本当に幸せに暮らせました。

 本当に、いろいろありました。


「それじゃあ、今までありがとうございました。そして、お邪魔しました」
「うむ。ほとぼりが冷めたら何時でも来てくれ」
「……はい。その時はお世話になります……。でも、次にあったら、きっとビックリすると思います」


 悪戯っぽい顔をしてみます。ですが、本当にこの村にまた来ることが出来るのでしょうか? それはまだわかりません。それまでに管理局に捕まってしまう危険性もあります。


「ふうむ?」
「いえ、何でもありません。それと、孤児院の子たちをよろしくお願いします」
「わかっておる。村の英雄の頼みごと、無碍にはせん」
「ありがとう、ございます」


 もう一度深々と礼をしました。黒いドレスをたなびかせ、私は歩き出します。

 ……やっぱり、服は変えた方がいいですかね?

 同じ形の服を何着も作っているのは、何時ヴォルケンリッターとして呼ばれてもいいように。標準装備である黒い服で、ベルカの騎士のみんなと合流したいからです。

 山を降りて行きます。多分、もう一度この山を登るのはもっと後のこと。

 もしかすると10年以上後の事になるかもしれません。

 その時、みんなはどんな風に成長しているのかなぁ。今から楽しみです。

 ……身の振り方やこれからの予定は、はやてちゃんと会ってから決めましょう。それまでは普通の存在として一個の生物としてこの世界で生きてみましょう。小さくて大きな決意を決めました。


 さて、と。いちおう荷物を確認しなくては。ここで忘れ物とかしてたら格好悪いですから……。

 ガサゴソとカバンを漁ります……が、一つ足りない物が……。


……あれ? あれ? お財布がありません。寝る前にあんなにチェックしたのに!
村の人たちがくれた大切なお金が入っているのにぃ!?

 わたわたと慌ててしまう私。どこに! どこに落としました!?



「忘れ物は、コレ?」



 手渡される私のお財布。

 あー、助かりました。こんな山の中にも親切な人はいるものですね。


「ありがとうございます」


 笑顔で受け取る私。同時に笑顔が固まる私。

 財布を渡してくれたのは、ゴーラさんの一人息子のロニくんでした。

 顔がブスッとしています。なんだか不機嫌さん。どうしてこんなに機嫌が悪いのでしょう?

 それに、まだ眠っているはずでは……?


「ロニくん? なんでここに……」
「母さんは……先生は水臭いんだよ。だから、みんなでお見送り」


 私の呼び名を昔のものに戻してから、片手を挙げるロニくん。

 すると、木々の隙間から、孤児院のみんなが、村のみんながわらわら出てきました。村の子供がみんないるみたいです。


「え、え?」


 混乱です。あんなに必死になって隠していたのに、なんでみんな知ってるのでしょう?

 ど、どこから情報が漏れたの?


「先生はわかりやすすぎなの。たまに涙目になるし、抱きしめてくるし、急にキス迫るし……。気づかないわけないよ」
「え、えぇ。……えへへ」


 そうですか。私の言動でバレてしまったんですね。まさか、私が分かり易い性格だったなんて、知りもしませんでした。

 コツン、と頭を叩きます。それを見て頬を染める男の子たち。

 えと、何ですかその反応?


「……で、でも。お見送りって……みんな、わんわん泣いちゃいますよ? 悲しくなりますよ?」
「違うでしょ、一番泣くのは先生」
「は、はうぅ」


 バレちゃってます……。みんなと別れるのが名残惜しいと一番思っているのは、私本人だって……。

 もう、今みんなの顔を見た時点で、目から涙が出ちゃいそうです。

 狼狽する私を見て、笑顔になるみんな。

 ロニくんの指揮もの下、いっせいに口を開く。


「「「「先生! 僕たちにいろんなことを教えてくれて、美味しい物を食べさせてくれて、本当にありがとう」」」」


 大きな声で叫び始めるみんな。こんな時だけ息がピッタリですっ!

 いつもケンカばっかりしてるのにっ! それで私を困らせてるのにっ!


「や、止めてください止めてください。泣きます、私泣いちゃいます」


 懇願してしまいました。それでもだれも叫ぶのを止めてくれません。

 それから続くは続く、私への褒め殺し。頬から火が出そうで、目からは水が出て、口からはうぅと情けない声が漏れます。

 子供達は、みんな清々しい顔をしています。


「「「「「「僕たちは、先生のことが大好きです!」」」」」」
「意地悪です! すっごく意地悪です! みんなの悪魔ぁ!」


 最後に大きな声で締めくくるみんな。もう、涙がぼろぼろ。

 目から零れ落ちる涙がぜんぜん止まりません。

 みんなと別れるのが寂しいです。もっと一緒にいたいです。

 せっかくみんなが笑ってくれているのに、私だけが一人で泣いちゃってます。

 だから、私も笑わなくちゃ……。笑わなくちゃいけないのに……。


「ヒクッ。グスッ。お姉ちゃん」


 泣き声が聞こて少し涙が止まりました。リリちゃんが、泣いてます。


「ば、バカ。泣くなって、心配ないって、笑って見送るって言っただろ!」
「でも、でもぉ。もおお姉ちゃんと会えないって思うと……」


 泣きじゃくるリリちゃんの姿を見てハッとしました。決してこれが最後じゃないって。きっと、また会えるんだって。

 そのことを、教えてあげなくてはいけません。

 目元の涙を拭きます。拭います。泣いたまま、真っ赤な目のままで微笑みます。

 ゆっくりと近づいて、リリちゃんをそっと抱きしめてあげます。

 リリちゃんは、気持ち良さそうに私の胸に顔をうずめました。


「リリ。これが、最後じゃないよ。……また会える。何年先かわからないけど、また会えます。だから、泣かないでください」
「お姉ちゃんこそ泣かないでよ!」
「お姉ちゃんはいいんです!」


 二人で、そっと笑います。

 気が付くと、リリちゃんに先導されて、みんな泣いちゃっています。

 だから、一人一人抱きしめて、名前を呼んであげて、また会おうって言ってあげました。

 最後にロニくんを抱きしめようと近づいて、抱きしめてあげると……。

 ロニくんは、私の目を見て言い放ちました。


「お父さんは先生をお嫁さんにできなかったけど……。僕が……オレが先生をお嫁さんにする! すっごいいい男になって、先生を向かえに行く! オトナになったらまた会おう、先生!」


 ロニくんの爆弾発言にみんなが騒ぎ出す中、私はこっそりとその場を抜けて歩き出します。

 どうしても、顔から笑顔が抜けません。

 お別れじゃない。これが最後じゃない。きっと会える。何年経っても、あなたたちは、私の大事な大切な子供です。みんな大事な私の天使たちです。


――だから、また会いましょう?


 私がいなくなったのに気が付いたのか、後ろから子供たちのお見送りの声が聞こえてきました。

 さようなら、さようなら。ありがとう、ありがとう。

 私も大きな声で、ありがとうって、また会いましょうって叫びました。

 さらに大きくなる声。声援を背中に浴びながら、私は山を抜けました。



 すっかり明るくなってしまったミッドチルダの平原へ、私は一歩足を踏み出しました。






――あとがき
Q 主人公、男ですよね?
A NO。
そんな感じ。

アームドデバイスがいつから流行っているのか分からないので、この作品では新暦54年にはたいして広まっていないということにしています。




[3946] シャア丸さんの冒険 三話
Name: 田中白◆d6b13d0c ID:d0504f35
Date: 2008/11/30 20:45
――ザブングルは男の子~。
――主人公は?
――え、ええっと……。







 ミッドチルダの平原の中心にデンと置かれた謎のログハウスの中で、複数の人に囲まれます。耳に入ってくるのは感謝の声。各々が手に持っているカオスアイテムにちょっと頬が引き攣ります。

 一人の男の人が私に近寄り、礼をしてきました。この人にこうして会うのは久しぶりです。


「娘(マイドーター)を助けてくれたのは今でも感謝している。だが、礼は本当にこれでいいのか?」
「はい。今までいろんな所を点々と逃げ回っていましたが、結果的にこれが一番安全だろうと判断したんです」
「そうかい。後、あんたと会ったことはみんなの秘密にしておく。……幸運を祈っている」
「ありがとうございます」


 納得いかなさそうな顔をしながら、彼はある物を渡してくれました。両手でしっかりと掴んで胸元によせます。

 私は胸の中にある『就職届』と『偽装戸籍』をしっかりと抱き締めました。

 ……それでは、敵地に乗り込むとしましょう。

 大事な物を手に、私を褒めてくれる人々を見ながら決心しました。




 新暦56年秋。

めっきり涼しくなった気候の中、時空管理局地上本部は今日も今日とて忙しかった。

 近年、ミッドチルダの犯罪率が上昇一辺倒だったからだ。物騒な事件を止めるために管理局は存在している。

 しかし、今の様子を見る限りではお世辞にも抑止力になっているとは言いがたかった。

 今この時にも被害を受けている者もいるので、表立っていい気味だとは言えない。

 だが、それでも少しだけ気分がスッとする。このままロストロギアなんて放っておいてくれればいいのに。

 現場を指揮するための部屋の中で轟く怒号。それは新たなる事件の当来を示している。オペレーターの青年の悲鳴に近い声が広い部屋に響き渡った。


「ミッド首都南部にて事件発生! 現在場所に特定をかけています!」
「うわぁ、多発事件です! 同じ一味と思われる事件が北地区にて発生!」
「えぇい! 二つのポイントに増援を出せ!」
「無理です! 待機局員が足りません!」
「くそ! 本部に優秀な魔導師を取られてさえいなければ……」


 ドン、と苛立たしげに机を叩くこの男。ミッド地上本部のレジアス・ゲイズである。

 指揮官としても政治家としても有能なこの男。一つの支部のリーダーとして、目の前の事柄にまず対処するという即行動のスタンスを取って行動している。

 それが人々に強硬派と見られる原因だった。顔が厳ついのも同じく原因の一つだと思われる。

 ミッドチルダの平和を愛する心を持つが、どこか危ない一面も持っている。何時その志が闇の方向に向いてもおかしくはない。そして、いずれ彼は闇を見ることになるだろう。

 レジアスの叫び声が響く中、今日も今日とて時空管理局地上本部は人手不足だった。

 もう一度、先程よりも強く机が叩かれた。


「キャッ!」


 そんな怒声が飛び交う部屋の中、叩かれた机の音に驚いてか、全身青尽くめの清掃員が声を上げた。青い帽子に青いエプロン、青いジャージと白い軍手。箒こそ持っていないが、完璧な清掃員スタイルである。広い地上本部には清掃員もたくさんいるのだ。

 顔を隠すようにして被っている彼女の帽子の隙間から、綺麗な金色の髪が零れている。突然上がった声に集まる視線。大量の視線を浴びて、恥ずかしそうに身を縮める清掃員。

 普通に考えれば、事件に対処中であるこの場所に清掃員がいていい筈がない。対応の邪魔になる可能性もあるし、そもそも今はこの部屋の清掃時間ではない。


「何故、清掃員がここにいる!?」
「はうぅ……。え、ええと……歩いていたところ、なぜかお茶汲みを秘書の方に頼まれまして……」


 レジアスの怒りの声への清掃員の弁明。次に視線を向けられることになった秘書が肩を竦めた。なんとも完璧な肩竦めだった。

 どのような言い訳が出るのか。気疲れしそうな職場で少しの緩みを得る為に皆、興味津々だった。それでも現場への指示は忘れないのが、彼らがプロである所以だろう。

 秘書は言葉を紡ぐ。あくまで冷静に、だがそれでいて的外れに。


「わたしは書類を取りに走る必要があって、他の局員にも暇がない。だから、暇そうに歩いていた清掃員にお茶汲みを頼んだのです。確かに司令部に一般人を入れたのは悪いですが、喉を潤すお茶は絶対必要です」


 少しズレた秘書の言葉に毒気を抜かれた局員の一人が、仕方なく何処の馬の骨とも知れぬ清掃員の入れたお茶に口をつけた。

 別に不味くたっていい。先程まで必死になって叫び続け酷使していた喉を、今は潤したかったのだ。すっと持ち上げられた湯飲み。喉に滑り込んでいく緑の液体。


「っ!!」


 茶を飲んだ局員がグラリと揺れた。目を見開いて、自らが飲んだ茶を凝視している。その様子は尋常ではなかった。

 突然奇行に走った同僚。局員全員の間に衝撃が走った。今、彼の瞳孔は大きく見開かれ、さらに肌から脂汗もにじみ出ている。

 ……あの症状。まさか、毒!? 彼女は暗殺者なのか!?

 集まる驚愕の視線の中、湯飲みに残った茶を一気に飲み干した局員。空になったそれを天高く掲げ、叫ぶ。


「おかわり!」


 叫んだ奴以外が全員コケた。ドンガラガッシャンと、マヌケな音がした。下の階では上の階で何が起こったのか議論されることになるだろう。

 人々のそんな痴態を見て、清掃員がビクリと体を揺らす。彼女は人がマジゴケするところなんて始めて見たのだ。

 勿論、全員始めてやった。そこに他意はない。

 しかし、あまりの気の合ったコケ方に、日々練習しているのではないかという疑念が湧くのは無理もなかった。


「……貴様、何を」


 長い人生で生まれて始めてズッコケを行ったレジアスが、うまい! と叫んでいる局員の喉を掴み上げる。レジアスの顔は真剣そのもの。流石に掴まれた局員も竦みあがった。


「何をふざけている! こうしている間にも、犯罪者によって幾人もの人が死んでいるのだぞ! 不謹慎だ!」
「す、すいません! ですが、あまりにも美味だったものでつい……」
「ふん。たかだか茶など、煎れ方一つで何が変わる……。……美味い!!」


 文句を言いながらも、口に茶を含んだレジアスが絶叫した。少し、この場の混迷度が上がった。

 レジアスの叫びと同時に局員たちも手元にカップに口をつける。美味い! 断続して聞こえる叫び声。さらに混迷度上昇。

 なんだこのカオス。管理局の指揮官にはこんな奴らもいるのか……。なんだか情けない。

 そんな中、脱出するなら今のうちです……。を実践して、こそこそと音をたてないようにしながら清掃員は部屋から抜け出した。




シャア丸さんの冒険
三話「〝家事関連〟ならなんでもござれ」




「肝が冷えるって、あんな状況を言うんですね……」

 まさか一介の清掃員である私がお茶汲みを頼まれるなんて……普通だったらありえません。

 緊張感に溢れている指揮部屋から出ると、廊下を少し進んだ所にある休憩所で一息吐きます。

 乾いた喉を潤すためにジュースを飲もうかと思いましたが、一応仕事時間なので素行の悪いことはできません。悔しいですが諦めることにします。

 それにしても、あの秘書さんはいったい何を考えて私にお茶汲みなんて頼んだのでしょう。後で不審人物として取り調べを受けたりしないでしょうか……ちょっとだけ不安です。

 壁に立て掛けておいた箒を手にしながら溜息を付きました。


 ……さて、何故私が時空管理局の地上本部なんかにいるのか。それは最近のミッドチルダの外側への取り締まりの強さにあります。

 ミッドチルダは今、大変不安定な状況に置かれています。

 横行する犯罪行為、悪人の起こす事件の数々。そうした状況から、周囲にあるもの全てが敵だという恐慌状態を引き起こしているのです。

 すでに私が所属していたと決め付けられていたテロ組織が潰れたのにも関わらず、何故か私への指名手配は解かれずに、顔写真もないまま望遠映像だけを便りに捜査が続けられています。

 高ランク魔導師への恐怖。それがミッドチルダに襲い掛かっているのです。何年かすれば、この状況は収まりそうに見えますが。

 このままミッドチルダの辺境にいると危険。そう判断した私は、逆にミッドチルダの地王本部に潜りこむことを決めたのです。

 きっと、懐の中ならば少しは安全な筈。袋のネズミになってしまいますが、ただ逃げ続けるよりもマシだと思ったのです。

 半年ほど前、たまたまとある事件を解決した私は、その時恩を売ってしまった方々に偽装の戸籍と地上本部への清掃員試験受講の操作を頼んだのです。

 そして、ミッドチルダ地上本部清掃員『シャア・アズナブル』がここに誕生したのです!

 偽名がちょっとだけ強化されました!

 今は宿舎も与えられて、泊り込みでの清掃を行っています。

 面接などの顔の照合の時に問題がなかったところから、どうやら闇の書の防衛プログラムの一人『湖の騎士』の顔は時空管理局には知られていなかったようです。

 闇の書などという高々一つのロストロギアをそこまで詳しく知っている人は少ないようですね。もしも面接官が知っていたら、記憶を消してから覚悟を決めて別の世界に逃亡する気でいました。

 そんな中で微妙に気を引くのが、清掃員が泊り込みで掃除するほど地上本部が広いって所ですが、私は特に気にしていません。

 この前は清掃班長にならないかと誘いを受けるほど、清掃員仲間たちの間では信頼されています。

 そこまで信頼されると、みんなに嘘をついているみたいでちょっとだけ心苦しいです。いえ、確かについてるんですけどね、嘘。

 名乗っている名前は偽名で戸籍の偽装もしているから過去までもが偽りの記録。私はどう見ても悪役ですね。

 ……それにしても……久しぶりの『原作キャラ』とやらとの遭遇です。かなり驚きました。

 えっと……レジアス……何でしたっけ。清掃員仲間では、評価が真っ二つの人です。

 あれくらいの根性がなければ平和は守れないと主張するおばちゃん方と、あんな強硬で厳つい顔の人は嫌と主張するお姉さん方。

 忙しい人みたいですし、私の顔が覚えられるということはないでしょう。あの程度の出会いなら安心していいと思います。

 清掃員になってから半年。いざ管理局内部に潜り込んでみると、かなり若い人が多いんですよね。

 十六歳で局員とかザラなんです。そして、事件の対処であっけなく命を落とすんです。幾人もの若い命が現場で散らされて、それでも事件は抑えられない。

 レジアスさんの叫んでいた『地上本部には人材が足りない』とはそういう意味なんですね。

 局員として働いている私も少し寂しいです。

 例えば、今まで掃除をしていると声をかけてくれていた男の子が、この前忽然と姿を消しました。清掃員ネットワークを駆使して調べると、先日殉死したそうです。そんなことが結構あるので、落ち込んでしまいます。

 やっぱり、今管理局はエースを求めているみたいです。

 でも、この状況が解決するのは、もっと後の話なんですよね……。それこそ、十年単位ではなく、百年単位の時間が必要になるかもしれないです。

 少しだけ憂鬱な気分になりますが、元気に働いている局員さんたちのために、箒を持って広大な敷地の一部を掃除します。

 できるだけ顔を覚えられないように帽子で髪の色と目元を隠し、下を向いて一心不乱に掃除を続けます。とは言っても、清掃員仲間と写真とか一緒に撮ったりしていますし、焼け石に水なんですが……。

 うーん。こうやって毎日毎日掃除をしている日々は楽しいのですが、たまには炊事と洗濯もしたくなります。

 掃除スキルが上がるのはやっぱり嬉しいですけど、いい加減料理の練度も取り戻したいです。

 就職するのは局員食堂の方が良かったかもしれません。部署の転属を願おうかなあ……。

 たまに厨房を使わせて貰う程度では勘も鈍るというもの。料理レシピの記憶を保つのは結構大変なのに。

 廊下を歩いてゴミを探しているうちに見つけた、汚れの目立つ窓ガラスを拭き掃除します。憩いの場である中庭がよく見えるように、丹精込めてピカピカにします。

 最後に水分をふき取って、綺麗になった窓ガラスを満足げに眺めていると、ガラスに反射して一つの部屋のプレートが映りました。

 『保健室』。

 ……。音の速度で振り向きます。そこで颯爽と浮かび上がる『保健室』の三文字。いえ、ミッドチルダ語で書かれているので三文字ではありませんが。さらに保健室ではなく医務室なのですが、細かいことは気にしません。

 それを見ていると、色々な感情が思考の中を駆け巡ります。いいなぁ、保健室。私も自分の城が欲しいです。結構怪しい身分の私では、保健室の先生にはなれないんです。

 近くにある施設の中で働く清掃員、食堂、保健室の先生。……ああ。ここもまたヘブンです。本物の保母さんとかもいるんですよ~。

 その中でも最も憧れている保健室を見詰める私。今、私の目はトランペットを見詰める少年のようにキラキラと輝いているでしょう。

 置かれた複数のベッド。空調の効いた、時に涼しく時に暖かい部屋。

 そこにいるのは、先生と生徒との二人っきり。そこで起こる、感応的な治療……。

 年若い子供が、年上の女先生にイケない講義を受けるんです……。

 ああ、保健室万歳。私も生徒にイロイロ教え込みたいです。

 はうぅ……。私も自分の城が欲しいです……。


「……シャアさん? 何をやっているんですか?」
「はっ」


 そうやってボーっとしていましたが、同僚のフルカちゃんに声をかけられて正気に戻りました。顔をずらした先には、赤い髪と清掃員ルックが特徴のフルカちゃんがいます。

 ま、またトリップしてました……。フルフルと顔を振って雑念を追い払います。

 そんな私に呆れ顔のフルカちゃん。まだ14歳のピチピチさんです。頬にそばかすの残った顔が可愛いです。

 局員の方はみんながみんな可愛いかったり美しかったりします。みなさんをそうな風に褒めたら、あなたもたいして変わらないと言われました。むしろ清掃員の中で一番可愛いのではないか、とまで言われました。

 お世辞でしょうけど、そこまで言ってもらえてとても嬉しいです。

 私は……マッチョでしたから。格好良いと言われはしても、可愛いとはお世辞にも言われませんね。むしろマッチョで可愛いと言われる人は恐いです。それはオカマさんですよ。

 でも……私の設定年齢、22歳なんですが。可愛いと言われる年齢でもないような……。

 そんなこともあってか、年を変えた方がいいかもしれないって最近思ってきました。年くらいであっても、見た目を変えれば私が私だってバレなくなるかもしれませんし。

 あ、ランクの高い魔導師さんに、魔法が使えるってバレそうですからやっぱり却下です。阻害魔法をずっと使い続けるのも嫌ですしね。

 もしも顔を変えるとしたら、戦闘中くらいかな?

 会話中であっても考え事を止めない私。そんな私は、ハタから見ているとかなり危なっかしく見えるそうです。ポワポワした空気が全身から滲み出ていて、年下であっても保護欲をそそられるとか。

 ……それってどういう意味です? 保護欲は子供に向けられる言葉ですよね。もしかして悪口なんでしょうか……。


「またトリップしていたんですか? ……そんなに無防備でいると、また男の方に襲われますよ」
「はうぅ。嫌なことを思い出させないでください」


 話の最中でも妄想の羽を羽ばたかせている私に呆れっぱなしのフルカちゃん。私のことを心配しての言葉だと分かっていますが、つい顔を顰めてしまいます。

 襲われたとか言われてますけど、まあ、いろいろ事件があったんです。ここには歳が若い人も多いですから、感情が暴走することもあるってこと。

 そんな時、近くにトリップして顔を恍惚とさせている私がいたからつい襲ってしまった。ってことらしいです。フルカちゃんと同じ年齢だったらしいその方の意識は、一撃で刈り取らせていただきましたけど。


「さて、掃除のシフトが終わりましたから、わたしは先にあがらせて貰います」
「はい。お疲れ様でした」


 今は丁寧な言葉を使っているフルカちゃんですが、昔は結構粗暴な言葉使いをしていました。どうしてか最近は敬語しか喋ってくれませんけど。もしかして私は信頼されていないのでしょうか……。

 それと、この子は私の部下だったりもします。私の方が後から就職したのに、です。実力主義の清掃員の世界は奥が深いってことですね。

 先に帰るとのことなのでフルカちゃんに手を振りますが、彼女は一向に部屋に帰ろうとしません。……お話したいんですかね。口を開くのを待ちます。


「それにしても……」
「どうしました?」


 少しして、やっと話し出したフルカちゃん。先を促す私を驚いたように見ると、エプロンを小さく握ってしみじみと呟きました。


「いえ。シャアさんはいい人だな、と」
「あら? 褒めても何もでませんよ?」


 キャピリンと笑顔で返します。そんな私の顔を見て、小さく噴出すフルカちゃん。

 しみじみとしていた顔は、今度は笑顔になっています。


「料理も上手くて掃除もできて……たまに失敗しますけど……シャアさんをお嫁さんに出来る人は果報者だと思ってしまって」
「じゃあ、フルカちゃんが私のお嫁さんになりますか? 今ならお買い得ですよ? 三食昼寝もついてます」
「だから答えは出せないと……」
「この前あげたぬいぐるみ、お気に召しませんでしたか……?」
「い、いえ! そういう訳では……」


 私のウインクに、赤くなった顔を本気で横に振るフルカちゃん。ブンブンと風を切る音がします。……何で本気にするんですか。

 お茶目なジョークなのに。……ジョークなのに。

 この人なら何時の日か自分を嫁にしかねないと、いつも畏怖の目で私を見ているフルカちゃん。

 気のせいか、彼女の体は半歩ほど後退しています。

 やっぱり嫌いですか? 私のこと。


「あーあー。……あ、あそこにいる緑色の髪の女の人!」


 悪戯のつもりで詰問するような視線を向けると、精神的に負けてしまって露骨に話を逸らすフルカちゃん。

 人の顔が写るほどピカピカに磨き上げた窓から見える、中庭にいるひとつの人影を指差しています。

 まあ、私が振った話ですし逸らされてあげましょう。なんかかわいそうですし。

 はてさて緑髪ですか。……ん? あの女性は……。私が名前を思い出せないでいると、フルカちゃんが大声をあげました。


「リンディ・ハラウオンだ。二年前、不慮の事故で夫を失ったそうです。今は女手一つで子供を育てているとか……。どうして彼女が地上本部にいるんでしょうね?」
「……さ、さぁ?」


 話を逸らす為の手段として利用したものの、どうやら本当に気になってしまったようです。

 どうしてフルカちゃんがそんなに詳しいのかと言えば、若妻美人後家なんて存在は女性の間で噂にならない訳がないってことです。おばちゃん揃いの清掃員たちの間では特に。

 女の方が情報の取り扱いが上手いというのは昔から知識としては知っていましたが、やっぱり怖いです……。

 話を逸らせる&本気で気になっている。そんな理由ではしゃいでいるフルカちゃん。それに適当に相槌を打ちながら、リンディさんの横顔を盗み見ます。

 ……夫の死に目を看取ったりしてますから、いろいろと気まずい人なんですよね……あの人。

 噂の話は終わったらしく、フルカちゃんが今度こそ私に帰宅を告げてきました。その前に、私の顔を不思議そうに見ています。


「どうしました、シャアさん? なんか汗かいてますよ?」
「い、いえー。なんでもありませんよー」
「……では、わたしはこれで。お疲れ様でした」


 どうやら気付かないうちに汗をかいていたみたいです。

 怪訝そうな顔をしながら、今度こそ去っていくフルカちゃんにもう一度だけ手を振ります。

 ここに務めるようになって半年。クライドさんが死んで……二年、ですか。

 確かに私は、心の中で最後の言葉を伝えると誓いました。ですが、今リンディさんに遺言を伝える訳にはいきません。

 戦艦に乗っていた筈のクライドさんの遺言を知っているというのは、どう考えてもおかしいからです。時間から考えて、ベルカの守護騎士だとバレる危険性まで生まれます。

 けれど、リンディさんの悲しそうな顔を見ていると、どうにかして慰めてあげたくなってしまいます。

 ふと、さっきフルカちゃんに使った告白ネタを思いつきました。ジョークでも言って笑わせてあげましょう。

 夫を失っている人に使うのには最悪のブラック・ジョークですが、多分大丈夫です。

 頑張りましょう、私。中庭へ抜ける階段を駆け下りました。




 未だ失われた悲しみは抜けないが、それでも前を向けるほどにはマシになっていた。

 リンディ・ハラウオンは、地上本部の中庭から空を見上げた。空は綺麗だった。

 出世の道を進むため、今日はここに根回しに来ていた。自分も、夫と同じ提督になる。その思いは強かった。

 先日、クロノが魔導師の訓練を始めた。まだ五歳だというのに。

 夫の上官である、ギル・グレアムの使い魔リーゼ姉妹が、クロノを鍛えてくれているという。

 何がクロノを魔導師の道に走らせたのかは不明だが、母親として応援したいと思っている。

 本当に、今日は空が綺麗だ。リンディの目から、涙が出そうになった。

 そっと袖で目を拭おうとして……。


「リンディさ~ん」


 名前を呼ばれた。声の主を見る。青い帽子、青いエプロン。

 清掃員だった。清掃員が何故、自分に声をかける? リンディの中に疑問が芽生える。

 走ってきて、彼女の前で止まって息を切らす。息を整えて、リンディの目を覗き込む。その頬が朱に染まった。意味不明だった。


「リンディさん。……私の、お嫁さんになってください」


 唐突に告白されてしまった。さらに意味が不明である。女の子同士の恋愛なんて、非生産的。だが、何故お嫁さんなのか。普通お姉さまになってくださいとか、段階を踏むものでは?

 その場合、告白する相手が婿であるはず。何故に嫁。

 いえ、ケルト十字の交換とか血を吸ってとか百合の花とか、そんなのよりはマシなのかしら?

 リンディ混乱。女性に告白されるなんて、かなり久しぶりであった。

 まだ若かった頃はよく告白されたものだわ。思考の一部が口から零れる。その後、ちょっとだけ昔を懐かしむ。若い頃は擬似百合に走る女性が多い。後にそれが黒歴史となるか全く別の何かになるかは人によって異なる。


「お嫁さんに……なってください」


 言葉は繰り返された。何故に繰り返す? こういう少数派は、対応を間違えるとストーカーと化す。リンディは、目の前の清掃員の女性を真摯に説得することに決めた。

 彼女の目は潤んでいた。どうやら、かなり本気っぽい。ノリで言ったらなんかその気になってしまった。みたいなオーラが浮かんでいる。普通に考えれば気のせいだろう。


「女同士の恋愛は、ちょっと」
「性別なんて関係ありません。どうか、私とベーゼを……」


 清掃員は、とうとうベーゼとまで言い出す始末。これはヤバイ。マジやばい。顔を近づける目の前の女性。唇はばっちりキスがOKです。文法までカオス。

 そんな二人を『見守る』観衆。清掃員、保険医。噂大好きおばさんたち。楽しそうなイベントあれば、おばさん軍団即参上。管理局戦隊バックアッパーである。

 見詰め合う女性二人を中心に盛り上がる声。キ~ス、キ~ス。とうとうキスキスコールまで始まった。


「アズナブルさん、私への告白は嘘だったの……?」
「そんなに沢山の方に告白を……シャアさんったら、魔性の女……」


 そんな風に色々と告白しあう清掃員たちの一角もある。なんかもー、凄いカオスだった。素敵に無敵に大人気。

 自らの処理能力を超える惨状に、リンディは混乱していた。大根Ranだった。

 走り出す大根、追いかける山菜、逃げ切れるか春菊。おーっと、大蒜が追い上げる! 最後に勝つのは、ピーマンだぁー!

 大根を持った天使が中庭をよぎっていく。別に誰の目にも見えていない。つまり気のせいだ。それぐらいの混乱だった。


「あ、あのね。私には、もう子供がいるの……。だから、女同士なんて教育に悪いマネ……」


 それは苦肉の策だった。この言葉で諦めてくれなければ、リンディの頭の上に咲いている真っ白な花がほろりと落ちるだろう。レイプは犯罪です、ストーカーは愛です。女性の顔がリンディに迫る。

 ダメ、私には最愛の人が……。つい、腰を引きつつリンディは目をつぶってしまった。

 しかし、唇に柔らかい感触はこなかった。

 薄目を開ける。自分の唇1センチまで近づいていた顔が、ピタリと止まっていた。

 一度瞳を閉じて、今度はガバッと目を開く。そこにはすでに顔を離して、かなり離れた所に立っている女性清掃員の姿があった。

 失敗しましたとばかりに、頭をコツンと叩いている。かなり可愛かった。大人の女性の癖に、かなり可愛かった。

 一瞬勿体なかったかもという思考が流れた後、リンディはその場に崩れ落ちた。翠の髪がヘタリと垂れた。




 目の前で、助かったと言わんばかりに崩れ落ちるリンディさん。実際危なかったです。つい、未亡人の女性が持つ大人な魅力に迷ってしまいました。

 色気は隠していても浮き出る物。もう、リンディさんの魔性の女! 色々と棚に上げる私。

 でも、まあ、リンディさんの可愛い顔が見れたのは役得ってことで。

 荒い息を吐いて立ち上がるリンディさん。目が血走っていました。


「侮辱罪で貴女を訴え……」
「止めてください。寂しそうな顔をしているリンディさんを励ましたかったんです。つい調子にノっちゃいましたけど……」
「ノるな!」




 この頃のリンディ・ハラウオン、天然を抑えられるほどの話術は持っていなかった。

 なーんだ。つまんなーい。わらわらと去っていく野次馬ども。みんな面白そうなことへの嗅覚は人一倍である。消え去れば彼女らはすぐに帰還する。その行動はあまりにもフリーダム。

 一瞬でガランとする中庭。一人、ニシシと笑っている猫耳がいた。きっと、キスするかしないかでトトカルチョをしていたのだろう。かなりの売上が出たようだ。

 それは、みんながキスするに賭けていたという証明ッ。リンディは、この人は勝ったんだ。


「何を騒いで……。誰もいないな」


 そこに、みんなのキスキスコールを聞きつけてか、一人武装局員がやってきた。ざわざわしていた人はみんな帰った後だが。

 彼は茶色いスーツをバッチリ決めた、跳ねた髪がトレードマークのダンディだった。

 しかしどうにも肩が赤かった。到着が遅れたのである。彼が見たのは、局員一人と清掃員一人の姿だけであった。


「そこのご婦人方。ここらへんで誰かが叫んで……」
「「いませんでした」」
「……そうか」


 必死な形相の二人に、彼は軽く呆然とする。リンディは、先程の事件をなかったことにするために。風の癒し手は……何故だろう。

 武装局員らしき男の指で輝く一つの指輪。シャマルはすわ既婚者と思ったが、しかしどう贔屓目に見ても、甲斐性はなさそうであった。

 四方八方に跳ねたボサボサの髪が、それを証明している。妻に迷惑をかけそうな見た目の男である。

 敵と向き合って、仲間を庇った後に人知れず死にそうな人だった。

 それにしても、ノリとは恐い。まさかここまで壊れてしまうとは。自分を制御できるようにしなくては。

 ――世界の何処かで何かが揺れた。少女がそれを不思議そうに見た。




「それでは」


 ……何だか人が増えてきました。局に正式採用されている人にあんまり顔を見られたくないので、お暇しましょう。こそこそ逃げ出す準備です。

 ここまで遊んでおいて顔を見られたくないとか言うのは正直変だと思いますけど。でも、人生は楽しむ為にあると思っていますので。リスクを犯してでも楽しみたいことって、人生にはたくさんあるんですよ?

 そもそもリンディさんに顔を見られた時点で、かなり不味いかもしれないんです。無理して話し掛けないほうが良かったかもしれません。でも、私たちのせいで幸せを奪われてしまった人に声をかけないのも人としてどうかと思いますし……。

 この場から去る前に、ちらりとボサボサさんの顔を見ます。男前です。女性にこっそり大人気です。きっと、どこかにファンクラブがあるに違いありません。後で清掃員ネットワークを使って調べることにしましょう。

 胸にある隊員表に目を通します。せめて名前くらい知って……。

 『ゼスト・グランガイツ』。

 見なければ良かったです。今日はなんというエンカウント日和なんですか。

 朝、レジアス・なんたら。昼、リンディ・ハラウオン。今、ゼスト・グランガイツ。

 今日一日で三人の原作キャラにフルエンカウント!

 コレが半年の魔力ですか……。恐怖してきました。厄日の恐ろしさ、身を持って学ばせていただきました。

 ……まあ、顔を見られたところでどうにもならないんだと諦めますけど。会ったなら会ってしまった時。その日はその日の風が吹きます。

 ペコリと深く礼をしてこの場を去ります。二人とも、ペコリと目礼。

 歩き出す私。さっさと、ゴミを掃くことも忘れません。ちりとりを上手く使って、一瞬でゴミを集め、常に持ち歩いているゴミ袋に突っ込みます。

 我ながら芸術的な動作で掃除を行います。実は先日、地上本部清掃班のリーダーなんて小さい場所でなく、時空管理局本局清掃班の班長として本局に勤めませんか? とまで誘われました。ちょっと心が躍ります。

 というより、本局には私よりマシな清掃員がいないんですか。どうして私みたいな若輩者が清掃班長になれるんです。まさか、清掃員まで人材不足だとは……。管理局、恐るべしです。

 でも私は清掃班ではなくて、今は厨房に行きたいんです。ミッドチルダの食文化をもう少し学んでみたいです。時間って経つのが早いですね。

 もうそろそろ私の動きをこの身体に再現するのも慣れてきましたし、調味料を間違えなくなる日も近いです。




 それから半月の間。私は、それはそれは平和に暮らしていました。




「ねえ、貴女。またお茶を入れてくださらない?」
「へ?」


 今日も今日とて地上本部の廊下を歩いていると突然、この前出会った秘書さんに話し掛けられました。またお茶汲みですか。

 一介の清掃員に頼む仕事じゃありません。いえ、先日とうとう班長になりましたけど。今度こそ一国一城の主です。


「あの……。私、秘書の資格は持っていないんですが……」
「資格はなくてもお茶くらい汲めるでしょ?」


 ふふっと笑う秘書さん。……あー、まだ名前聞いてませんね。ま、いいでしょう。

 ……ですけどお茶汲みですか。お茶を煎れるのは楽しいですけど一体何があったんですかね?


「それはそうですが、いきなりどうして?」
「それがね……。わたし、恥ずかしいけど、お茶の入れ方なんて知らなかったの。だからあんまり美味しくないお茶を入れてたんだけど、この前貴女のお茶に味を占めた局員が、貴女の茶しか飲まないって言い張って……」
「なんですかその我侭」
「けど、貴女のお茶の人気、凄かったのよ? 貴女が出ていった次の瞬間には急須が空っぽになってたし」
「どんなに茶の味に餓えてるんですか」
「だから、お願い」


 美人の秘書さんが、手を併せてまでお願いしてきました。

 キャラに似合わないマネをしてまで私を引き留める秘書さんの根気に負けて、私はお茶を入れることを承諾しました。

 どの道、泊り込んでまで掃除する必要ってあんまりありませんし、魔法の調整するだけの毎日だったんで暇だったんです。

 丁度いい暇つぶしが見つかった。別にそうとしか考えていませんでした。

 時給みたいな物が出るそうなのでお給料も上がって、趣味でしているシャンの村への仕送りも増やせますし、メリットの方が大きかったんです。

 それからまた半月の間、呼ばれる度にお茶を入れるようになりました。そんなある日、気が向いたのでお茶菓子を持っていってみました。

 手作りです。レジアスさんに関係ない物を持ってくるなと怒られましたが、他の局員の方には概ね好評でした。むしろ、また持って来てくれと言われました。

 女性局員には、どこで買ったのか聞かれました。手作りだと答えると、その場を絶叫が支配しました。

 ……そこが本当に指揮官さんたちの集まりなのかと疑ってしまうくらいの大騒ぎになりました。

 ここは学生の集まりですか。

 もしも食べ物に毒を仕込めば、普通にみんな殺せそうなくらい信用されてしまっています。しませんけど。




「お茶を入れに来ましたー」


 それからまた幾日か経って、今日もお茶を入れにやってきた私。中では、茶菓子を食べて皆さんが待っていました。


「あれ? 今日はみんなお茶菓子持参ですか?」


 笑顔で言います。いつもだったら、手をあげて返してくれるハズの局員さんたちなのに、なぜか今日は会議室の空気が凍りました。

 絶対零度の空気を部屋の中に感じ取って、その温度差に冷や汗が出ます。


「……これ、シャアさんの差し入れじゃないの?」
「お茶菓子はここにありますけど? そもそも、私が人に食べて欲しいのは出来たてです。わざわざ宅配する必要なんてありません」


 パンパンと手に持っているバスケットを叩く私。

 それを聞いて一気に青ざめる皆さん。みな、机の中心に置いてあるお菓子を食べています。

 和気藹々としたムードが、一瞬で霧散しました。なんでお菓子一つでそんなに表情を……? ふと、最悪の言葉が頭を過ぎりました。


「もしかして……差出人不明の代物を……今?」
「い、イエス」


 頷く一人の局員。

 私も青ざめます。碌に調べもせず、どうして出所不明の物を食べちゃうんですか!?

 中に毒とか入ってたらどうするんですっ!?

 ……ああ、私のせいですか。そうですか。


「うぅっ!」


 いきなり、部屋の一番奥にいたレジアスさんが呻き声をあげました! 同時にドタンと音をたてて椅子から転げ落ちます。

 どうやら本当に毒入りだったようです!

 どうして出所不明の物を、私が持ってきたお菓子にすら嫌悪感を表していた貴方が食べるんです!? というか、真っ先に食べたんですかレジアスさん。

 私に毒されたんですか!? 私のせいですか!? きっと原作だったら捨てていたであろうお菓子を、私の差し入れだと思ったせいで食べちゃったんですか!?

 他でも苦しそうに胸を抑えて次々と蹲る隊員たち。

 ち、治療班を呼ばなくては……! 保健室に連絡します。


『ただいま、事件により皆留守にしています。真に申し訳ありませんが、本局にまで連絡を……』


 ガチャン。内線を切る私。やはり人手不足はここにまで魔の手を伸ばして来ましたか。内部に人手不足という敵を持つとは管理局恐るべし。

 皆倒れている中、一人だけ平気そうにしている甘い者があまり好きではない局員に話し掛けます。


「こういう場合、どうすれば!?」


 実は、私は対処法を一つ思い浮かべています。ですが、それは最後の手段。軽々と使うことはできません。

 彼はもう立ち上がっていました。名前は知りませんが……。とりあえず指示を仰がなくては。ですが、参謀たちがみなお菓子を食べてダウンしてます! どうすれば良いんですか!?


「い、いや。まず毒の種類がわからなくてはどうにもできん。えぇと、本部への連絡番号は……いや、それとも局員を……」


 優柔不断すぎです! ああもう、面倒くさい!


「この毒は、ありがちな暗殺用神経毒です! 潜伏期間は短いですが、発祥まで時間があるので、食べ物などに仕込んで複数の対象を狙う時に使われます。症状から判断すると、まず内臓器官の停止から始まり、ついで心臓に毒が浸透、血管を通って全身に行き渡ります。20分から30分で脳にまで到達して、全身の器官の運動停止で死亡する陰湿な毒です。本部への連絡は、ツテがあるので私がしておきます。ですから、貴方は他の局員に連絡を! 時間が勝負です。私がお菓子を持って来ているせいで皆さんが死んでしまったら、悔やむに悔やみきれません!」


 自分で言っておきながらですが、トリカブトみたいな毒ですね。潜伏期間がちょっと短めですけど。

 泡を食っている局員に指示して、私は内線で本局の番号を呼び出します。

 私の姿を驚愕の視線でレジアスさんたちが見詰めてきますが、この際無視です。

 本局付きの清掃員にならないかと言われた時に本局清掃班への連絡番号を受け取っていました。それをリレーして、本局の医療班を呼び出します。

 症状を伝え、局員の貸し出しを求めましたが、残念なことに私には呼び出す顕現がありません。

 レジアスさんに声を求めましたが、彼は麻痺のせいで喋る事ができません。

 連絡を受けて武装局員たちが来ますが、顕現持ちの人の大半はここで麻痺しています。

 他のエライ人は、別の事件に出ずっぱりになっていて、ここにいる武装局員さんたちは大した権限を持っていません。




 そうして局員さんたちと一緒に混乱している間に、十分は経ってしまいました。

 レジアスさんたちの顔は土気色になっていて、息も絶え絶えです。

 こんな所で死ぬとかアホです。今の私、原作キラーとかそんなレベルじゃありません。

 ここでこの人が死んだら、揺り返しがどうなるか分かったものじゃない。原作なんてもう欠片くらいしか覚えていませんが、予測不能とか人名の損失は最大の敵!


「ああもう、馬鹿すぎます! クラールヴィント!」
『Ja』


 私の呼びかけに答えて、クラールヴィントが輝きました。

 ついであらわれるベルカ式の三角魔法陣。私の姿が赤い騎士甲冑に変わります。いきなりの魔法行使に驚きの声をあげる局員たち。

 普通こんな所で最後の手段を使わせますか!? 心の奥で叫んでも、もう遅い。今は最善を尽くすだけです。


『Ruhen raun』(安らぎの間)


 クラールヴィントの音声と同時に、会議室を光が包み込みます。そのまま、光は固定しました。

 病気、怪我などの進行を抑えるエリアタイプの結界魔法。

 毒を取り除く魔法は軽量化していないので、一人一人にかける必要があるんです。時間を引き延ばす必要がありました。

 私が使う魔法のほとんどは、質より量を重視しているので全ての魔法が総じて習熟度が低いのです。今はそれが仇になっています。

 結界に包まれた部屋を見て、安堵の溜息をつく局員たち。この中が、守護系の魔法の影響下になったのに気がついたのでしょう。この魔法だけは結構重要なことに使うのでしっかり練習しているんです。


「次です」
『Gift helfen』(解毒)


 毒抜き魔法。クラールヴィントを、レジアスさんに押し当てます。緑色の光がレジアスさんに吸い込まれて行きます。二分も当てていると、レジアスさんの顔色は急激に良くなってきました。そっと汗を拭います。


「……後、10人」


 それから二十分もした頃には、局員たちはみな完治しました。




「さて、何故魔法のことを隠していた」
「私は清掃員として就職しましたので」
「高ランクの魔導師は、みな管理局に管理されねばならん。特に貴様のランクは推定で総合AAA-。これほどの魔導師、管理局にはざらにおらんのだ」


 取調室の中、レジアスさんが机を叩きました。私は身を竦めました。魔法でみなさんを助けたかと思ったら勝手に呼び出されてこの仕打ちです。やっぱり管理局は嫌いです。

 それにしても、総合AAA-? 首を傾げる私。記録では、シャマルは確かAA+だった筈では?

 今までずっとAA以上って言われていましたし。

 まさか、シャマルとシャア丸、二人分の力でパワーアップってことですか。

 私が一人だけで動けて実体具現化ができているのもこれのおかげかもしれませんね。

 ……まあ、たいして魔力は上がってませんけど。不憫な私。AA+がAAA-。大きいけど、あまりにも小さい。


「それにより、貴様は清掃班長の資格を剥奪」
「はうぅ!!??」


 城が、私の城がぁ!! お給料がぁ!! シャンの村のみんな、ゴメン! お姉ちゃん職なしになっちゃいました!

 レジアスさんの鬼、悪魔、殺人鬼!! 涙目であわあわしてしまいます。私の目はグルグル渦巻きになっているでしょう。


「が、だ」
「はうぅ?」


 ニヤリと笑うレジアスさん。

 ちょっとだけ不気味に思ったのは秘密です。口に出したら実刑になってしまいそうです。


「シャア。これよりお前を、地上本部管理局AAA-の嘱託魔導師として雇ってやる。力のある人材を放っておく訳にいかんし、俺の権力で試験は免除だ」
「……はぁ」
「嫌そうだな? なら、給料を上げてやる。さらに、民間協力者あつかいだから、暇な時は平清掃員として活動しても良いぞ?」
「誠心誠意務めさせて頂きます」


 それなら、メリット尽くめです。わざわざ清掃班長の資格を剥奪した理由はわかりませんが、メリット尽くめです。

 管理局に所属するのは正直嫌ですが、断れる雰囲気じゃないですし。

 とりあえず、清掃員を続けられて嬉しそうな私。対して驚愕するレジアス。まさか清掃員の仕事にそんなに拘っていたとは……。

 世の中には奇特な者もいるものだ。レジアスさんはしきりに頷いています。

 ……ああ、でも私の顔がいろんな人に見られてしまいますね。もしかすると、私の、湖の騎士の顔を知っている人もいるかもしれません。

 どうしましょうか? よし。少しだけ、今の騎士甲冑の形を変更しましょう。新しくつけるのは、アレです。


 私の明日からの職業は、時空管理局地上本部所属AAA-ランク嘱託魔導師『シャア・アズナブル』です。

 ……長っ!?






――あとがき
Q もう、主人公は女で良くね?
A YES.
それにしてもこの話、ノリノリである。

普通の局員は闇の書の守護騎士の顔なんぞ知らんだろ調べんだろ、をモットーに。
リンディさんが夫の仇である守護騎士の顔を知らんのは……今は夫の死が辛くて調べる気にならないとか。
……そこまで恨んでないのかもしれないな。Asのサウンドステージ3でも特に気にせず仲良くしているように見えるし。

グレアムさんは守護騎士の顔を知ってるんかね? このssでは知ってることにしてるけど。



[3946] シャア丸さんの冒険 四話
Name: 田中白◆d6b13d0c ID:d0504f35
Date: 2008/11/30 20:47
――主人公は『男』でしたよね?






新暦57年春。


「やー。やっぱり掃除はいいですねぇ……。心が洗われます……」
「……なんで、AAA-の高ランク魔導師が清掃なんて雑用をわたしの隣でやっているのでしょうか……?」
「水臭いですよ、フルカちゃん。私と貴女の仲じゃないですか?」
「どんな間柄ですか!?」
「元部下と、元上司です」
「……」
「お嫁さんとお婿さんでも『可』ですよ」
「ご免被ります!! そんなの不可です!」


 地上本部の中庭。すでに私にとって定位置と化したところ。春の日差しがサンサンと降り注ぐ、爽やかな風が通り抜ける気持ちのよい場所。

 しみじみとした顔で勤労の汗を流す中、フルカちゃんが私の隣でグチグチと何かを言っています。最早、彼女は私の相棒と言っても過言ではありません。

 管理局に勤めて約一年。管理局の魔導師になってからほぼ半年。この世界に来てからは、もう三年が経ちました。

 すでに『リリカルなのは』の内容なんて頭の中にはほとんど残っていません!

 でも、きっとその方が幸せだと思うんです。だって、先が解っていたって、人生はあんまり面白くないと思いますから。

 それに、本当に情報が必要な時は、きっと思い出すことが出来ると信じていますし。

 けど、はやてちゃんの誕生日だけは、いつでも覚えています。今の私は、はやてちゃんを守るために生まれた『守護プログラム』なんですからね。

 ポンとフルカちゃんの肩に手を置くと、ゴミ袋を手渡します。テキパキと行動したので、掃除もすぐに終わりました。私の背はそんなに高くないので、頭の上に手を置くのは不可能です。


「はい、終わりました。ゴミは収集所に出しておいてくださいね。私は次の任務についてのブリーフィングがあるそうなので、そっちに行ってきます」
「はいはい行ってらっしゃい、と。……魔法も使わないでそんな動きが出来るなんて卑怯ですよね?」
「清掃に必要なのは運動神経じゃありません。人がどんな所にゴミを捨ててしまうのか、ゴミがどんな風に溜まるのかを考えて、ゴミや汚れがあるであろう場所を先読みするんです。これだけは、慣れるしかありません。日々精進あるのみですよ?」
「化け物ですか……」
「保母です」
「子供の世話、してないじゃない」
「子供がいないだけですっ!! だったらあなたが作って私に預けますか!」
「そんなこと大声で叫ばないでください!?」


 失礼しちゃいます。ですが、何時もの掛け合いが出来たことに満足しながらブリーフィングルームへ歩き出しました。





「海が、本局がお前を貸し出せと言ってきた」
「え゛。何故私みたいな一清掃員を……」


 ブリーフィングルームで切り出されたレジアスさんの言葉に絶句する私。レジアスさん、結構エライ役職らしいですけど、私はこの人をいつもただのさん付けで読んでいます。

 ついでにゼストさんもさん付けです。

 ゼストさんとレジアスさんはとても仲良しで、よく管理局のこれからについて話し合っているそうです。ゼストさんが原作キャラなのは覚えていますが、だから何だったのかは覚えていないんですよね。

 そう言えば、『リリカルなのは』、略して『リリなの』だと、リリちゃんなの、みたいですね。久しぶりに、シャンの村に帰郷したいです。でもまだ無理ですねー。


「お前の能力が、地上ではなく管理世界向きだと判断したのだそうだ。確かに、集団回復やカウンセラー能力、さらに生活能力の高さからすれば、災害救助に役に立つ」
「はうぅ……。どんどん私の場所が……」
「出向期間は一年で決まった。準備してくれ」
「……了解です」


 そこまで上手ではない、むしろ下手な敬礼をしてレジアスさんの前から去る私。

 せっかくここに慣れてきたのに……。シャンの村と同じように、また仲良くなった人たちとおさらばです。

 今回は一年だと決まっているそうですが、それでも寂しい事に変わりはありません。

 ブリーフィングルームの前で、私は溜息を付きました。




 ジュースでも飲んで準備して、今日は早く寝ましょう。そんなことを考えながら廊下を歩いていると、フルカちゃんを見つけました。仲間内で話しているみたいです。

 15歳になったフルカちゃん。私の真似をして早寝早起きをしているうちに、そばかすはすっかり消えてしまったそうです。

 そばかすも可愛いですけど、やっぱり肌は綺麗な方がいいです。

 声をかけようと思って近づきます。


「アズナブルさん、凄いよねー」
「うんうん。美人だし、掃除も上手いし、礼儀正しいし」
「フルカは良いなぁ。アズナブルさんと一緒にいられて。あの人、ちまたで『赤い彗星のシャア』って呼ばれてるらしいよ?」
「え? 何それ?」
「知らないの、フルカ? あの人のバリアジャケット赤くて目立つでしょ? 凄い速度で彗星みたいに飛んで現場に到着、怪我人に迅速な処置を施す姿から、そんな二つ名がついたんだって。でも一番大きいのは、目を隠してるところだと思うわ。正体不明って感じで話しの広まりも早いんだって」
「へえ。シャアさんって、そんなに凄いんだ……。わたしにとってあの人は、ただの掃除の上手なお母……お姉ちゃん、なんだけど……」
「近くにいる人ほど真の姿はわからないってことでしょ。ね、シャアさんってどんな日常送ってるの? 教えてよ?」
「そうそう! 独り占めはよくないぞ~」
「キ、キヅケ……。そんなに近寄らないでよ……。え、えっとね、あの人とわたしが初めて会ったのは……」


 ……入りにくっ! なんて姦しい会話を!? 入っていいのか分からないじゃないですか!? 自販機の前で騒がれると近づいて良いのか悪いのか分かりません!

 ついでに『赤い彗星のシャア』なんて話、始めて聞きました!

 とうとう私は子供に夢を与える存在になっていたのですね……。それにしても、〝あの人〟と同じ二つ名ですか……。


「わたしね、だからそんなシャアさんが大好きなんだ……」


 姦しい会話の最中、フルカちゃんが幸せそうに呟きます。ビクリ、と身を震わせる私。

 何故だか、フルカちゃんのスーパー自慢タイムの予感がします。ここから先は、関係者以外立ち聞き禁止です。

 見つかったら、即打ち首です! ここでジュースを買うのは諦めて別の場所に行きましょう!

 音をたてないように気を配りながら、私は速攻で逃げ出しました。




――ガコン。


 自販機から飛び出したオレンジジュースを持って、プルトップを開けて飲み始めます。

 長椅子に座って、リラックス。甘露、甘露です。

 私だった時なら一リットルを一気に余裕で飲めましたが、この身体なら250mlで十分です。経済的って喜ぶでしょうか。はたまた今は関係ないとボヤくべきでしょうか。


「シャア」


 ふと声をかけられたので、振り向きます。頭爆発の、彫りの深い顔立ち。目は優しい光を放っています。

 その男らしい声だけでわかります。ゼストさんです。

 彼もジュースを一本買うと、私の隣に座りました。

 どんなジュース飲んでるんでしょう。銘柄を見て見ます。……うわぁ、炭酸です。顔に似合わないファンキーな物を。

 口の中でしゅわしゅわを味わった後、ゼストさんが呟きました。なんか飲み慣れていますね。


「出向か」
「……はい。色々と残念です」


 しみじみとした様子のゼストさん。

 実はあまり話したことがない人ですが、仲間内では尊敬されてるように見えます。

 接近戦に強い人で、近距離が苦手な私のフォローに回ってくれたことも何度かありました。

 一緒に任務を受けたのは、片手で数えられる程度でしたけど、接近戦で鬼みたいな強さを発揮していたのでよく覚えています。覚えている理由の中には、彼が原作キャラだというのもありますが。でも、どんな人でしたっけ? ちょっと思い出してみます。


「シャアは良いフルバックだ。俺たちは何度も、君に助けられた」
「いえいえ。ゼストさん一人でも切り抜けられる状況だけでしたよ?」
「味方が、だ。君がいなければ、この半年での地上の被害はもっと大きかった。そう部下が言っていた」


 伝達口調で言ってくるゼストさん。まあ、話した回数も少ないですし。

 それに、被害とかそういうのは別にって感じです。

 人を助けるのは当然のこと。ただ、管理局に勤める意味はないとは思いますけど。

 裏の方では、管理局ってあんまり人気がなかったりするんですよね。

 確かに、烏合の衆として活動するよりは、しっかり纏まって統率された方が強いのは分かってはいるんですけど。どうにも好きになれません。

 それよりも、言っておきたいことがあります。


「戦果を誇張しすぎです。別に私がいなくても、管理局だけでこれぐらいできました」
「俺は、君が謙遜しすぎだと思っている。少なくとも、部下からは慕われていた」
「……一年すれば帰ってきます。そんな一生涯の別れみたいなこと言わないでください」
「君は、何時管理局を去ってもおかしくないのでな。今言っておいた」


 やっぱり伝達口調。なんとも気まずい沈黙。お互いに、ジュースを飲む音だけが響きます。コクコク、シュワシュワシュワ。

 そういえば、フルカちゃんもう眠ってしまっているでしょうか? 明日は早いですから、フルカちゃんに別れの挨拶が言えないかもしれません。ま、いいですよね。すぐに会えるでしょうし。

 なんなら本局に向かう船の中から電話してもいいです。顔を見合わせるとまた泣いてしまう怖れがあるからではないですよ?

 ゼストさんと隣りあわせで座っていると、ふとアニメの1シーンを思い出しました。ゼストさんが死ぬ、その1シーンを。


「管理局の上層部には、気をつけてくださいね」
「ん? 何か言ったか?」
「何でもありません。もし私がいなくなったとしても、お元気で」


 立ち上がる私。ジュースはとっくに空になっています。

 空き缶を捨てようとして、ゴミ箱がグチャグチャなのが目に入りました。

 私は清掃員です。いつでも綺麗に隊員に施設を使ってもらえるように管理しておく義務があります。

 ゴチャゴチャしているゴミ箱を整理しながら、これからのことを考えます。


「シャア? さっきの言葉の意味は……」
「シャマル」
「?」
「私の本名です。ゼストさんの言葉だと、何時私が抜けてもおかしくないそうなので。本名を教えておきます」
「……」


 疑問を封じられたようで、ゼストさんは黙り尽くしました。

 私がゴミ箱を整理する音だけが、人気の薄れた廊下に響きます。

 良い感じに整理完了。これでみんな気持ちよく使えます。


「お休みなさい」

 小さく振り向いて、微笑みながら言います。今度こそ、私はゼストさんの前から去ります。

 私は私の寮に向かいます。地上本部とはしばらくおさらばです。そう考えると、なんだか感慨深い物があります。

 お休み。遠くでゼストさんが小さく呟いたのが聞こえました。




シャア丸さんの冒険
四話「管理局の彗星」



『増援を! ロストロギアの違法所持者を発見! 本部、至急増援を!』


 魔導師たちが送ってくる通信。前線本部に送られてきた要請は、中にいるAAA-保持者にそのまま伝えられた。


「行ってくれるな?」
「断ることは無理なんですよね? でもでも、私って援護要員なんですが? その前に雑用指示全般を取り仕切っています。これ以上はオーバーワークだと思いません? おー。このままだと私は過労死してしまいます」
「五月蝿い! とにかく行ってこい!」
「前線隊長のイケず~。後で絶対に呪ってやります!」


 怨嗟の声をあげながらも飛び出す、赤色の彗星。

 体に纏った赤い騎士甲冑。目元は、鈍く輝く銀色のマスクが覆っている。一枚板にガラスをつけたそのマスクは、一般的にはシャアマスクと呼ばれる物だった。

 しかし、ガンダムがないこの世界ではたいしたボケにはならない。むしろマジに目が弱いと取られる。

 ちなみに顔を隠す理由をシャアと云う女性は「おでこに酷いオデキがあるので」としている。ちなみに、小説版のネタである。

 深い森林が続く、とある管理世界。あまり観光業などで有名ではない、物静かな避暑地として扱かわれている場所だった。

 人が少ない為〝ロストロギア〟。『世界を滅ぼすほどの力を持つオーバーテクノロジー』を隠すのにはもってこいだと思ったのだろうが、残念なことに時空管理局は無能ではない。即座に特定し、場所を絞り込むことに成功したのだった。

 そこに送り込まれて来たのが、超・内政要員である『赤い彗星のシャア』だったのだ。

 ロストロギアを任せる事ができる高ランク魔導師が、今は彼女しかいなかったのだ。という名目。実際は現在の部隊長に従順な魔導師が彼女しかいなかっただけだった。


「……はうぅ。このままだと私、使い潰されます……」


 頼まれれば嫌だと言えないその性格は、出世を望む者たちに存分に利用されてしまい『気軽に使えるAAAクラス』としてそこそこ有名になっていた。しかも、かなり有能。それが昇進のために使われないわけがない。よって、彼女は色々な任務に投入されてボロボロであった。


「そろそろ休暇を取るか、それとも辞めるか……」


 何時の間にか、シャアにかけられていた指名手配は解除されていた。

 管理局の誰かが、映像に映っているのがシャアだと気付いて止めたのかもしれない。

 これなら、何時辞めても問題はない。

 そのまま闇の書が目覚めるまでシャンの村に留まっていてもいい。

 最近、シャアはそんなことを考えていた。


「とりあえず、出向終了まで後四ヶ月! 頑張って生き延びましょう!」


 自分で自分を鼓舞しつつ、ロストロギアの回収に向かう。

 ロストロギアを回収するという結果だけは、悪いものではないのだから。そんな思考はちょっと困り者だ。




「へ、へへ。さすがロストロギア」


 森の奥にある遺跡の中。目の前で倒れ伏す局員たちを前に、危険物所持容疑の犯罪者は笑っていた。

 ロストロギア『雷光○』。とある科学者が作成した、軽くイってしまったしょうもない武器である。ちなみに真打と影打の二本があって、真打は管理局が保管している。お粗末。

 ドルァエモンという名の科学者が作り上げたこの狂気の武器は、振り回すだけで近距離の敵を全滅させられるという、グングニルも真っ青な兵器である。

 武器の中にコンピューターが入っていて、体を適切に動かすのだという。ある意味ではユニゾンデバイスと同じ物。

 しかし、どう考えても遠距離攻撃武器には敵わない微妙な武器でもある。

 実際、ドルァエモンが管理局に寄付して来た時に、その科学力だけが評価されているのみであった。だから怒って、今回の事件を起こした男に影打を渡したとか囁かれている。

 ところが、この男がいる場所には、ジェイル・スカリエッティという狂気の科学者からドルァエモンが譲り受け、ついでとばかりに男に渡したAMF(アンチ・マギリング・フィールド)発生装置という物のプロトタイプが仕掛けてあった。

 大型のせいで動かすことは出来ないが、このような防衛戦ではアホらしい能力を発揮していた。

 実際この男はこのまま放っておけば追われているという精神疲労で倒れそうであるが、今のところ誰も気付いていない。

 たいした経験を積んでいない局員たちは、魔法を無効化するこのフィールドのせいで近接戦を挑まざるを得ず、男の前にただ積みかねられるのみである。

 このフィールドは、ランクが高い局員たちにとって地獄だった。




「大丈夫ですか!?」


 遺跡の正面に、シャアが降りてきた。

 先任指揮官にあまり上手ではない敬礼すると、シャアは情報の公開を求めた。


「いえ、あまり大丈夫とは言えません……。この中には、魔力素の結合を阻害する何かが仕掛けてありまして……自分たちではどうすることもできません」
「AMF……。かなり高度な防御魔法ですね。わかりました、私が侵入します。一時間経っても出てこなかったら、本部に連絡を」
「了解しました」


 先任のキッチリした敬礼を見て薄く笑うと、シャアは遺跡の中に入っていった。

 中では、犯人が結構いっぱいいっぱいであることを誰も知らなかった。

 ついでに、選任指揮官は、噂の赤い彗星のシャアに会えて胸が一杯だった。物語にはあまり関係がなかった。




 ……AMF発生装置。たまに変な兵器を作り出して、世界を騒がせる迷惑な人、じぇ、じぇい、じぇい? ……すか、すかり、すかりえ……。

 ……スカさんが作り出した、『魔力の結合を阻害するフィールド』を発生させる装置。まんまです。

 まさか、この時期にはもうプロトタイプが完成していたなんて……。

 そもそも、AMFって誰が作り出した理論なんですかね?

 まあそれはそれとして、戦いに集中しましょう。

 ……魔法が使えないのはとても心細いです。けれど、この先には戦闘不能になった隊員さんたちがいるんです。早く助けてあげないと。

 おっかなびっくり、私は歩き続けます。反響する靴音と自分の息遣い。

 暗い遺跡を抜けて、少し開けた場所に出ます。空からは、日の光が差し込んでいました。




 広場の真ん中には、管理局の量産デバイスを持った魔導師たちが倒れています。

 その中で、狂ったように笑う一人の男。視線の先で笑う男を、キッと睨みつけます。


「私は、シャア。シャア・アズナブル。アジ・ギ・エロ! 貴方を、ロストロギアの違法所持により逮捕します!」


 バーンと効果音を背負って指を刺します。少し怯んだように仰け反るアジ・ギ・エロ。

 自分で言っておいて難ですけど、シャア・アズナブルって名乗る時はいつも新鮮な気分になれます……。

 それにしても、アジ・ギ・エロ。あの名前、半端じゃないです。こいつはグレートな名前です。


「管理局の犬に、オレが倒せるか! 喰らえ、我が血だるま剣法」


 茶色の髪を振り乱し、逝っちゃった目をそのままに雷光○を手にして襲い掛かってくるアジ・ギ・エロ。

 ドルァエモンから直々に雷光○を受け取ったそうなので、こいつを捕まえればその変態科学者の情報まで得ることができます。


「ズゴック・クロー!」


 ガントレットの爪を立て、足を大きく踏み込みながらカウンター気味に手を伸ばします。

 ――ザクゥ。

 いい音を出してアジ・ギ・エロのお腹に突き刺さるズゴック・クロー。

 それは、ジムVSシャア専用ズゴックの再現でした。

 腹から噴出した血が、私の顔にかかりました。

 ……ってグロいです! 騎士甲冑にこんな武器をつけないで下さい!?

 一気に引き抜いてから……。は、早く回復魔法を……って、この中じゃ魔法が使えません!


「引っ掛かったな、犬」


 狼狽してしまう私。この手に付いている爪は、今まで誰にも当たったことがないから威力なんて知らなかったんです。

 多少の痛みを無視してアジ・ギ・エロが振り回さした雷光○を、咄嗟にガントレットで受け止めます。

 ズバァっ。

 いい音がして、右のガントレットの爪が切り裂かれました。

 み、右手が! 右爪のズゴッククローが!! アッガイクローでも可。伸びませんけど。


「それでも左があります!」
「その攻撃は覚えた!」


 彼が覚えたのではなく、雷光○に搭載された『超高性能コンピューター』が覚えたのです。念のため。それにしても、『超高性能コンピューター』って、なんか安っぽい響きですよね。

 私の左手による攻撃にあわせて振られた雷光○。

 キンと澄んだ音を経て、左手の爪が切り飛ばされました。からん、からん。甲高い音をたてながら、爪が地面に落下します。

 私の胸中を、冷たい風が通り抜けます。

 武器が、なくなりました。私が知る限りの魔方禁止下にある時使用可能な武器が、全部なくなりました。けど、そんな武器元々二つしかついてません。

 肩のスパイクは、ただの体当たりです! どちらかと言えば盾! 武器じゃありません。

 な、何か他の武器はないんですか!? 帽子のトゲは……指揮官じゃなくなるから却下です!

 胸にある顔の牙が投げナイフになるとか、鎧が成長して犬になるとか。手甲から剣が飛び出すとか、兜の飾りが剣になるとか。蝶・防御コートが発動するとか、甲羅にカメの精霊がくっついて盾になるとか。無敵な手甲でごーふばくとか! そんなビックリ装備は!?


「はぁ!」
「きゃあ!?」


 振られる剣、避ける私。

 耳に空気が切断された音が聞こえました。切れ味が凄いです! 腐ってもロストロギア。当たれば、騎士甲冑ごと切り裂かれます。ドラ○もんのパクリアイテムの癖に半端じゃありません!

 斬、斬、斬。避、避、避。

 振り上げられ、落とされた唐竹割り。

 いくつかをかわし、いくつかは鎧で受け、避けきれないと思った最後の斬撃に魔法を合わせます。


『Panzers child!』


 左掌に生み出された、本当に小さな掌を覆う程度の三角形。

 まさか、AAA-のランクを持つ私の魔力でこの程度の大きさなんて……。

 一撃で切り裂かれるラウンドシールド。そのままガントレットを切り裂いて、私の掌を切り裂きます。

 咄嗟に、血の付いたままの手で遺跡の石を拾い、右手のガントレットで叩いて砕く。

 小粒になった石と砂を血に混ぜて形を固めてから、投げる。


「うっ!?」


 アジ・ギ・エロが呻き声を上げて目を抑えました。

 目潰しみたいな小癪な手段を選ばなくてはいけないのが騎士としては心残りですが、生き残る為には仕方がありません。

 そのまま背中を向けて走り出します。

 ここは遺跡。隠れる場所には事欠きません。




「どこだ! どこにいる!?」


 おっかない声で私を呼ぶアジ・ギ・エロ。周辺の石壁に反響してわんわん響きます。変な名前とか言ってバカにして悪かったです。

 この中にいる限り、あの人は無敵です。さて、どのように対処しましょう。掌に包帯を巻きつけながら戦法を考えます。

 ……外に引っ張り出せばいいのでは? かなり簡単な答えです。

 ですが、それじゃあダメです。騎士として、逃げたままで終わるわけにはいきません。

 とりあえず、ここが遺跡ならば何か武器があるはず。真正面から堂々と接近戦でぶっ飛ばしてあげます。

 私はクスリと含み笑いを浮かべると、どのようにあの男を撲殺しようかと攻撃パターンの組み立てを脳内で始めました。


「……ん? これは……!?」


 私は遺跡の一部に立てかかっていた〝とある物〟を見詰めて、さらに笑みを深いものにしました。




「……1,2,3、GO!」


 いきなり、アジ・ギ・エロの耳にあの赤女の声が聞こえた。赤女と口の中で呟いたのを聞いていた。中々素晴らしいセンスだ。

 黄色い石の建物の隙間から飛び出してきた赤女。

 赤女の指から伸びる緑色のペンジュラムが、アジ・ギ・エロの雷光○を持つ左手に絡まった。


「ふざけるな!」


 アジ・ギ・エロは激昂すると、雷光○を振り回す。

 ペンジュラムの紐にアジ・ギ・エロの持つ雷光○が突き刺さるが、クラールヴィントを切り裂くには至らない。

 一度、二度、三度。振り回される雷光○。

 高レベルベルカ式デバイスの強度はなかなかで、不安定な体勢ではほとんど傷がつかない。

 アジ・ギ・エロの体に、ふと影が落ちた。奴は攻撃手段を持っていなかった筈? では、何故自分の前に姿を現した?

 不思議に思って赤女を見るアジ・ギ・エロ。

 そこには、目を輝かせながら、かなりいい笑顔で〝モーニングスター〟を振りかぶっている赤女の姿があった。

 モーニングスターは、地球ではドイツが発祥だと言われている。

 一本の棒の先に、丸いトゲのついた球がついているのが特徴だ。

 今赤女の持っているモーニングスターは、全長74センチ、重さ2.3キロの大型で、リアルな痛さを持っている。当たればきっと、〝かなり痛い〟。


「――――!」
「Kopfen schlag!! ザラキ、です」


 声にならない叫びをあげるアジ・ギ・エロ。

 同時に、彼の頭に棘付き棍棒が振り下ろされた。


――ゴスゥ。


 頭蓋骨が陥没したかのような、かなり鈍い音が遺跡に響き渡った。




「目標クリアしました。局員の回収をお願いします」


 何時シャアが帰ってくるのか。そわそわしながら彼女の帰還を待っていた先任指揮官の耳に、待ちわびた声が聞こえて来た。


「ご苦労様で……ひぃっ!?」


 そこにいたのは、ニコニコと笑っているシャア。目が仮面に隠れて、口元だけしか笑っているようにしか見えないのが怖い。

 それだけならば良かった。

 しかし、右手で頭部から血を流して気絶している目標を引き摺って、左手で対象のモノであろう血の付いたモーニングスターを持って微笑んでいるシャアの姿は、先任指揮官のトラウマにしかならなかった。

 頬に目標の返り血を浴びているのもあって、なまじ美人な分さらに恐ろしかった。

 目は見えないが、口と鼻筋で美人なのはわかる。


「どうしました? 目標をクリアしたので、遺跡内部で気絶している局員たちの回収をお願いします。私はこれから重要参考人を本部まで更迭しますので、後のことはお願いします」
「は、はひっ! ありがとうございました!」
「……? では」


 堂々と容疑者を引き摺ったまま敬礼するシャア。脅える先任指揮官。対照的な二人の邂逅はそこで終わった。

 後に、先任指揮官は「あの事件か……あの人、いつかやらかすと思っていたぜ」と語ったと言う。

 何をやったのか、今は不明。後にも不明。




 最近色々と噂の赤い彗星が何かと怪しいと思った。

 近頃シャアが解決した事件についての報告を聞いていたギル・グレアムは、その報告に首を捻った。

 彼は第97管理外世界『地球』出身のイギリス人。高い魔力資質をもっており、メキメキと時空管理局内で力を伸ばしていった。

 最近は前線から引いたが、今でも顧問官として高い発言力を残している。

 さて、彼が疑問に思う存在『管理局の赤い彗星』。かなり珍しい古代ベルカ式魔法の使い手で、癒しや補助の方面に特化している。

 残念なことに容姿は正式な記録に残っていないが、確か闇の書守護プログラムの一人がそのような能力者だった。

 しかし、守護プログラム〝湖の騎士〟は残虐非道な策士のはず。

 ところが、噂に聞くシャア・アズナブルは前線に出るのを何時も嫌がっており、戦うの嫌です! 後方で子供の世話か掃除か料理か洗濯をさせてくださいと、何時も駄々をこねているらしい。

 どう考えても湖の騎士ではない。そもそもなんだその家事万能型は。報告が凄いことになっている。管理局の超・内政要員の名は伊達ではない。

 それに湖の騎士は、自分が見つけた次の闇の書の主『八神はやて』が持つ闇の書の中で次の蘇生を待っているはずだ。

 つまり、他人の空似であろう。ギル・グレアムはそう結論付けた。

 ただ、一応背後は調べておいた方がいいかもしれない。

 ――シャア・アズナブル。奴は、何者なのだ。

 残念なことに、彼はジャパニーズアニメーション(略してジャパニメーション)を知らなかった。

 知っていたら、何かが分かったかもしれない。……何も知らない方が良さそうだが。逆に困りそうだ。




「はいはい。仲良く並んでくださいね~。補給物資はたくさんありますから」


 とある世界の紛争地帯。戦時後方支援本部に気の抜けた声が響いた。


「あ、シャアだ!」
「赤い彗星のシャアだ!」
「仮面かっけぇ!」


 時空管理局の赤い彗星の名は、ここでも有名だった。

 角、爪、スカート、スパイク。そして、赤。最近、モーニングスターで武装した。本人は、使うべき武器は斧(トマホーク)が良いと思っている。

 何故か子供の心の琴線に触れるその要素。日本のとある会社の登録商品は、世界を超えてなお子供の夢を拡げていた。


「「握手握手!」」
「……なぜこんなことになっているんでしょうか?」


 シャアは困惑していた。彼女の赤鎧、知らない所で凄まじく有名になってしまっているらしい。

 ミッドチルダの誰かが、目の前に降り立った〝赤い彗星〟を、面白おかしくカッコよく発信してしまい、それのせいで噂が爆発的に広まったというがそれも定かではない。

 別にそれだけならば良かったのだが、災害救助などに狩り出された時の縦横無尽な活躍。

 索敵魔法で被害者の場所の探索。場所を知った上での的確な指示。複数の怪我人を範囲内回復魔法で全快。心に傷を負った子供への念入りなカウンセリング。

 それで顔が明らかだったら、美人の天女とかの噂一つが駆け巡るだけで一年も経たず一つの世界の中だけで忘れられただろう。

 しかし、顔が隠れていたのだ。目だけ隠れていたため、白い肌と可憐な唇。綺麗な鼻筋。

 美女であることは明らかなのだが、誰なのかわからない。

 それが民衆心理をかなり引き込んだと思われる。

 最近までは、点数稼ぎに利用されているのもあって、ロストロギアの確保や重要犯罪者の検挙も大量に行っている。

 素顔を隠した超優秀な美女。民衆を惹きつけるには絶好の要素を持っている。これで噂にならないはずがなかったのだ。

 他にも、管理局上層部がコイツは利用できると考えて、大々的に彼女を宣伝に利用し始めている。ある意味芸能人あつかいであった。

 今シャアが災害地に補給が出来ているのも、管理局の策略である。

 『大きな事件の解決だけでなく、彼女は貧困にあえぐ貴方たちの下にも訪れます。さあ、彼女と一緒に働きませんか?』

 かなり悪質な人員集めである。

 そんなことは露ほども考えず、邪気のない笑顔を子供たちに振り撒くシャア・アズナブル。

 子供心に、こんな人になりたいと刷り込まれた少年少女が一体どれくらいいるのだろうか?

 管理局の将来戦略、上手くいきまくりである。

 自分が管理世界の人々にどれくらい影響を与えているのか分かっていないのは、中心人物であるシャア一人だけであった。


「あくしゅ~」
「わかりましたわかりました! 並んでください!」


 子供たちの心の支えになれるなら、それでもいっか。

 シャアはちょっとだけ諦めた。諦めて子供たちの偶像になることにした。


「じゃあ、私がやっつけた、悪い人のことを教えてあげるね」
「「やったー!」」


 管理局の将来戦略、上手くいきまくりである。




『ええ。明日でやっと出向期間が終わりです。久しぶりにフルカちゃんに会えますよー』
「……あの、今まで秘密にしていたんですが。シャアさんの週刊誌での評判が凄いことに……」
『はうぅ?』
「シャア・アズナブル大解剖! とか、シャア・アズナブルの秘密、とか。貴方関連の雑誌がミッドチルダで大量に……」
『私はなのはさんですか!? ……あー。お休みなさい』
「お休みなさい」


 訳のわからない言葉を叫んでいるシャアさんの言葉に少し苦笑して、わたしは電話を切った。

 あの人が地上本部から去って、もう一年。電話を終えて自分の部屋を見る。

 シャアさんと一緒に取った写真は、いつも部屋の片隅に大事に飾っている。本棚には、シャア関連の週刊誌が並んでいる。

 自分の隣でいつも笑っていた人が、ここまで有名になった。

 魔法のことを話さず、強いことを鼻にかけず、自慢するのは自分の家事の技量だけ。

 そんな弱いものの味方であったあの人が、ここまで有名になった。

 シャアさんの下に入れて、わたしは幸せ者だとずっと思っている。今、この時も。

 あの人が自分の上司だったその時から、ずっと妬んでいた。そして、憧れていた。

 シャアさんは、どんなに有名なってもわたしへの電話はいつも忘れていない。

 二日に一回とか義務のように連絡を入れてくるのではなく、思い出したから電話した。そんな風に電話してくる。

 こんなことがあったんだと。ケガをしてしまいましたとか、色んな人を治しましたとか、子供に大人気ですとか、そんな他愛もない話をしてくるのだ。

 そして、合いたいですねー。とポツリと呟いてくる。

 あの人が、男だったら良かった。

 男だったらこんなに悩まずに、わたしはあの人のお嫁さんになれただろう。

「明日、か」

 あの人は、明日帰ってくる。わたしたちのいる、時空管理局ミッドチルダ地上本部へ。

 今日は興奮で眠れないかもしれない。でも、あの人に充血した目は見られたくなかった。

 だから、頑張って寝よう。

 シャアさんがプレゼントしてくれた、変な形の赤いロボットぬいぐるみを抱きしめる。

 角があって、肩にスパイクがついてて、一つ目。シャアさん曰く三倍ザクだそう。よく見ると、彼女のバリアジャケットとそっくりだ。

 よく弄っていたからボロボロになって、その度にシャアさんが補修してくれた。シャアさんが自らの手で縫ってくれた、わたしのお気に入り。

 ぬいぐるみを抱きしめたまま布団に横になる。

 目を瞑って早く眠ろうと、早く眠ろうと。幸せな気分でそう思った。


「大変! 大変!!」


 一時間もしないうち、部屋の扉を叩く声がした。隣の部屋のキヅケが、大きくわたしの扉を強く叩いてきたのだ。

 どうしたんだろう?

 眠い目を擦りながら、三倍ザクを抱きしめたまま扉を開ける。そこには、とても慌てた様子のキヅケがいた。彼女はまだ13歳。今は厨房の手伝いをしている子。


「どうしたの?」
「シャアさんが、シャアさんが!!」

 慌てた様子のキヅケ。どうしてそんなに慌てているんだろう。彼女は明日帰ってくるんだから。まだ慌てるような時間じゃないのに。

「管理局を! 管理局を脱走しちゃった!」

 わたしの手の中から三倍ザクが零れ落ちた。




「どうもー、ギルさん。こんな夜遅く、私に何の御用ですかー?」


 電話を終えたばかりの私の前に、怖い顔で立つギル・グレアムさん。

 用事があるとか言って私の部屋にいますけど、こんな時間にお偉いさんが一人で嘱託魔導師の所に来ますかね?

 とっくに私はおねむの時間です。これからゆっくり寝ようと思っていたのに、何のご用でしょうか?


「シャア・アズナブル。戸籍偽装容疑と違法な就職を行った容疑で、君を逮捕する」


 厳格な顔で言ってのけるギルさん。でも、顔の節々にある疑問が私の目には見えました。

 それよりも、表情が必死すぎるのに目につきます。熱くなっちゃダメですよ? 元々眠かったことで崩れている顔を、さらに崩します。


「……ありゃ、犯罪者ってバレちゃいましたか。でも、逮捕の理由はそれだけじゃありませんねー」
「……わかっているなら話が早い。〝湖の騎士〟。何故お前が今なお実体化している?」
「〝湖の騎士〟ってなんですかー?」
「っ!?」
「冗談です。性格が違って結局正体を断言できなかったから、私の反応で色々と見極めようとしたんですね」
「……その通りだ」


 少し、熟考。闇の書のプログラムだと一人にバレれば、どこからか噂は広まってしまいます。

 特に、この人の使い魔は〝リーゼ姉妹〟。感情をすぐ出すように見える直情型ですが、猫のように計算高いところもあります。もしかすると、運悪くあの子たちから私がロストロギアの一部であると広まる危険性も出てきました。

 ……丁度いいです。このまま犯罪者の影に隠れて、管理局から逃げちゃいましょう。

 そろそろ、管理局の宣伝ピエロを続けるのは嫌になってきました。

 フルカちゃんとは、どうせ後何年かすれば会えると思いますし。

 ただ一つに気になるのは、私のお嫁さんになってください宣言の時、たまにフルカちゃんがマジ顔になるということです。私のお嫁さん宣言、本気で取っていないといいんですが。ああいう子は思いつめると怖いんですよね。最近、学習しました。

 表情を真面目に固定します。正体を明かせば、グレアムさんは私に対処できなくなるはずです。

 これから封印する予定の相手が目の前にいる。そんな訳で判断に困るって奴です。そうして粟くって迷っている間に別の世界に逃げます。

 さて、今からジャミングを張っておかなくては……。


「はじめまして、ギルさん。私は湖の騎士シャマル。夜天の魔道書付きの参謀です」
「夜天の……?」


 今この時点では、まだ闇の書の参謀ですけどね。湖の騎士として挨拶します。

 相手の思考の上を行って、驚いてくれればくれるほど、逃げるチャンスが見出し易い。今のギルさんは混乱状態。きっと私でも困惑させられるはず。困惑させられるけど……。


「伏線です。あんまり気にしちゃいけません」
「……お前は、一体……?」
「ひ・み・つ」


 うん。良い感じに狼狽してますね。

 口元に人差し指を立てて、右左右。ちっちっち。ついでにウインクです。

「お前とわたしの間に温度差があるのは気のせいか?」
「ありまくりです」


 熱くなっているの人を冷ますのは、相手との温度差です。

 この人はエライ人ですから、これだけで熱くなっているのを自覚するでしょう。

 ちらり。目を併せると、今までギルさんにあった激情は消えています。


「次の主が目覚めるまでの暇つぶしです。私の存在はエキストラってことで。本編はもっと後のこと。白い悪魔と黒い嫁が目覚める時こそ全ての終わりが始まります」


 この偽りなき真実にて、確実にして極めて真正なり。

 くすり、ギルさんに笑いかけます。呆けた顔のギルさん。

 私が何を言っているかわからないのでしょう。私もわからないのですから。


「見逃してください」
「それが言いたかったのか?」


 このまま一方的に言いたいことを言って煙に巻くのもいいですが、それだと私の美学に反します。美学なんて、これっぽっちもありませんけど。

 だから、直球一発勝負。懐からとある物を取り出して、机の上に投げ出します。


――『辞職届』。


 筆を使ってミッドチルダ語で書いた、なんとも味のある一品。


「……」
「私、私物はたいして持っていません。いつでも現金化できるようになっています。私が、『シャア・アズナブル』消えた後は、この資金をどこへなりとでも寄付してください。あ、できれば災害援助でお願いします」


 同時に通帳を渡します。開いて、目を見張るギルさん。

 危険手当や特別報酬、さらに局員として、清掃員として稼いだお金の大半がそこにあります。

 いくらかはシャンの村に送金していますが、それでもたいした金額だと自負しています。


「君、は」
「さようなら、管理局です。辞職の理由は……さっきの通り、戸籍の偽造と違法滞在ってことで。犯罪者として、私を送り出してください」
「何故だ」
「人気になりすぎましたから。本当はそういう柄じゃないんですよ、私」
「それなら何故、管理局にいた。どうして管理局から離れる必要が……!」
「闇の書には常に破壊が付き纏います。管理局と馴れ合ったって、良いことないですから。管理局にいたのは……管理局から逃げる為、ですかね。内側の警戒が甘いのはダメだと思いますよ?」


 部屋の中を歩き出す私。この一年間ずっと使っていた本局の部屋を見渡します。

 気付けば、ガランとしていました。ずっと仕事に出ずっぱりで、買い物なんかもしないで色んな人を助けていましたから。逃げ出したら、銀行のお金は凍結されるだけなので、もったいないから寄付するよう頼みましたけど。

 ……そろそろ私も遊びましょうかねえ。あんまり出歩いた事がない世界ですから、観光とかしたいです。


「待て!! 脱走その他もろもろの現行犯で、シャア・アズナブル、貴様を逮捕……」
「嫌です」


 ギルさんの声を無視して歩き始める私。

 現行犯は警察ではなくても逮捕できるのは、日本と変わりませんね。

 あ、レジアスさんとゼストさんに手紙くらい送っておきましょうか……?

 いや、やっぱり良いですね。レジアスさんには、私を通してかなりの利益が行っている筈。犯罪者を隊員にしたという責任問題はそれでカバーできると思います。

 ゼストさんは……。まあ、あの人なら大丈夫ですね。

 私の足元に現れる、古代ベルカの魔法陣。

 転移開始です。場所はランダムで……今まで管理局の仕事で行った場所のどこか。

 さあ、久しぶりに訪れた自由ですし、旅行でも謳歌しましょうか! 清掃員仲間と呼んだ観光世界のマップを頭に思い浮かべます。

 ……ああ、他の清掃員の方にローテーションの変更伝えていませんでした。……ま、ギルさんが何とかしてくれると信じましょう。

 ジャミングはとっくに完成。体が光に包まれます。


 ギル・グレアムの叫び声が響く中、シャア・アズナブルの反応が管理局からロストした。







――あとがき
Q 何で何時も、部署の途中から始まるの?
A プロットの都合です。気にしないでください。
……張り巡らされた伏線、多すぎて訳が分からない。

一章はただの閑話なので、流し読みするだけで結構です。今回の話がほとんど箇条書きなのはそれが理由。



[3946] シャア丸さんの冒険 五話
Name: 田中白◆d6b13d0c ID:d0504f35
Date: 2008/09/08 11:20
――主人公は男なんだよな! 男だって言ってくれよ!! 







新暦60年冬。

 周辺検索、開始。該当者一名。情報把握。後は語るだけ。……主に妄想で。そんなことを考える余裕があることを少しだけ嬉しく思う。




 あまり名の知れていない大きな森にひっそりと佇む日の当たらない小さな遺跡。位置的に夕日だけがこの古から続く歴史の封じられた世界を照らすことができる。

 そういった閉じられた世界と歴史を暴くことを専門とする一族が、次元世界の中には居る。

 ビアンテは、自らの名字であるスクライアの名に恥じず遺跡の発掘を行っていた。何処にも許可は取らずに遺跡に侵入した。ぶっちゃけてしまえば犯罪だ。

 そこは、石造りのピラミッドのような遺跡だった。

 まだ手付かずの遺跡を発見するのは、スクライア一族にとって最上の喜び。

 今年で12歳になるビアンテ。灰色の髪と茶色い瞳。一族に伝わる、スクライアの衣装にその小さな身を包んでいる。

 結界魔導師としての実力はそこそこだが、知識にかけては他の追随を許さないと本人は思っている。ただし、自信過剰な部分が多い。

 また、本来組んでいるチームからは抜けて、一人だけで行動している。つまるところ、彼はスクライアの異端と言える人物であるようだ。

 そんな犯罪スレスレな日々の努力が身を結んだのか、本日手付かずらしい遺跡を発見した。

 実際は巧妙に隠されているだけで結構人が出入りした跡があるのだが、彼は気が付かなかった。


「ふっふっふ。これでおれもみんなに馬鹿にされないはずだ」


 いつも、ハズレの遺跡ばかりを発見しているとボヤくビアンテ。

 つい、強気になって大股に歩いてしまうのも仕方がないことだろう。だが子供としては正しくても、遺跡探索者としては失格であった。

 カチリ。音を立てて沈み込むブロック。

 ガチャリ。周囲に装填される矢の数々。

 対侵入者迎撃用のありがちなトラップだが、その威力の程はこれからビアンテが身をもって知ることになるだろう。


「う、うわぁ!!」


 一斉に木製の矢が放たれる。

 悲鳴ともつかぬ叫び声をあげるビアンテの周囲に、丸いオレンジ色の障壁が表れる。

 結界魔導師であるビアンテは、防御だけなら他の魔導師を超えるものがある。

 カンカンカンカンカン。弾かれる矢と縮むビアンテの寿命。掃射時間は短く、十秒も経たずに矢は止まった。


「へ、へへ。罠がそのまま残ってるなんて、やっぱりここは未捜索の遺跡だ。流石おれ」


 皆、歩かずに飛んで進んだり、そんなチンケな罠に嵌るようなマヌケはいないという発想はない。良くも悪くも経験が足りない。時には経験のなさが生きることになるのが遺跡という物だが、今回は悪い方面にしか発揮されていない。

 背筋を伸ばして、颯爽と歩き出すビアンテ。

 罠が近くにあったのだから、もうしばらく罠はないだろう。そう決め付けているせいで、かなり隙だらけだった。天の配慮か、運良く他の罠には引っ掛からなかった。

 本人は、それを自分の洞察力の高さだと判断した。そういう迂闊なところのせいで、何時の日か足をすくわれるのではないか心配だ。




 地下へと進んでいるようで、遺跡探索専門であるスクライアの感覚が進路が下へと続くことを伝えてきた。暫らくすると、少し開けた場所に出た。

 ――こういうところには宝物があるに違いない。

 何故だか知らないが、自らの直感を信じるビアンテ。直感は、遺跡探索の中で一番必要なものだ。

 ふふふ。凄いぜおれ。

 自然と顔がにやけてしまっている。まず直感を信じるにも最低限の知識が必要なのだが、彼はそれを無視していた。


「――――――!」


 その時、何処からか音が聞こえた。いきなり訪れた出来事にビビるビアンテ。

 しかし、すぐに冷静な顔になる。ビビらない。スクライアの一族はビビらない!

 最初にびびったのは棚にあげた。自分の記憶から削除。都合の悪い所は忘れて次に生かす。よく分からない精神だ。

 音の主を探すべく、ビアンテは辺りを見回す。別に、怪しげなものはなさそうだった。


「……ど、どこからだ」

 おっかなびっくり先を目指すビアンテ。進めば進むほど明瞭になっていく声。

 おばけという単語が浮かんだが、ビアンテは別に怖くなかった。だって、幽霊なんているはずがないと信じているから。それが遺跡の発掘に生きる者の思考だった。


「――――さい!」


 開けた場所から少し歩くと、ハッキリと声が聞こえるようになった。まさか、先客がいるとは。自分もまだまだ甘いな。それでも、そいつがここに一番乗りの筈だ!

 おれは二番! おれは二番! 口から漏れる彼の叫び。ネガティブなのかポジティブなのか判断はつかないが、ちょっとだけマイナス思考に偏っているのは確かだった。そこのところに彼の苦悩が見え隠れしている。




「助けてください! そこの人!」


 ホコリっぽい遺跡の中でビアンテが見たのは、真っ赤な女性だった。

 赤い角のついた帽子を被っている。肩には棘のついたスパイクが配置されている。手には爪のあるガントレット。

 彼女の姿は上半身しか見えなかった。下半身はスッポリと穴の中に埋まっているからだ。

 狭い横穴を這っていて、見つけた出口から外に出ようとしたらつっかえた。そんな様子だった。

その姿は、見ていてかなり情けなかった。


「助けて下さい! 胸がつかえていて苦しいんです!」


 言われて、女性の胸を見る。誰が見ても小さいとは言えない、自己主張の激しい我侭なおっぱいだった。

 ビアンテは少年として、ちょっとだけ頬が赤くなるのを感じた。頭をよぎった邪な感覚を首を振って追い出す。

 スクライアの恋人は遺跡、スクライアの恋人は遺跡! またしても漏れる自己暗示。

 なんかいい感じにスクライアしている少年だった。

 頭を振るビアンテの様子を、ただただ涙目で見ている女性。そんな姿に変な感情が沸き上がったのを感じてしまって、もうこのまま無視することは出来なくなったようだ。


「……わかりました」


 目の前で必死な様子の女性の手を掴む。手に装着されている固いガントレットを見て、彼女は戦士なのだろうかと思った。

 ガントレットなのに、指先には指輪がついている。ビアンテはちょっとだけ驚いた。

 何故わざわざ指輪を出しているのか。

 凄いマジックアイテムなのか?

 そこまで考えて気づく。魔導師だ。きっと、彼女は魔導師だ。

 この指輪がデバイスなのだろう。じゃあ、赤い服はバリアジャケット? 格好良いけど、趣味悪ぅ。

 あまりに情けない顔をしている女性。とうとう根負けして、身体を引き抜いてあげることに決めた。


「せーのっ!」


 力いっぱい引っ張る。ズルリ。女性が出てきた。引っ張った衝撃で、今度はビアンテが転んでしまっていた。なんとか頭を打つことは避けた。

 はぁはぁ。荒い息をついて女性は立ち上がった。倒れたビアンテに、そっと手を差し伸べてきた。


「あはは。大丈夫ですか? 私はクワトロっていいます。貴方は?」


 クワトロと名乗った女性は、天使のように微笑んだ。

 ドキン。ビアンテは、自分の胸が高鳴ったのを感じた。慌てて首を振った。女性は、そんなビアンテを見てさらに可笑しそうに微笑んだ。

 その笑みを見て、ビアンテの顔が真っ赤になった。見ていて実に初々しい。




 改めて見てみれば、彼女は真っ赤だった。

 着ているバリアジャケットの真っ赤なこと真っ赤なこと。

 ふと、何年か前まで世間を騒がせていた、シャア・アズナブルという女性の名を思い出した。

 ――まさか、な。

 ビアンテは首を振ってその想像を否定した。彼女のバリアジャケットは、何故か仮面が標準装備だったというではないか。目の前にいる彼女のバリアジャケットにはそんな物はついていない。


「……そろそろ、赤は止めて金に代えようかしら」


 あごに親指を当てながら、全く関係ないことを呟いているクワトロ。

 その洗練された動作に、ビアンテはちょっとだけ惹かれてしまっていた。

 女性的な体つきを覆う、無骨なバリアジャケット。男心に、彼は何かエロスを感じた。


「く、クワトロさんはどうしてここに?」
「観光です。あんまり有名ではないけど動いている遺跡なので、ちょっとだけ興味があって」
「有名では、ない?」
「ええ。少しは知られている場所ですよ、ここ」


 愕然としてしまったビアンテ。

 ま、まただ。また自分は一歩遅かった。――いつもそうだ。おれは、遅すぎる。

 全身を使って絶句を表現しながら、一二歩だけ後退するビアンテ。


「なんかゼストさんみたいで似合わないんで、やめません、ソレ」


 白い目のクワトロ。

 なんか、幼児退行したくなったビアンテ。

 衝動のまま、叫ぶ。


「でも、でもぉ。スクライアの一族なのに、今まで新しい遺跡とか見つけたことがなくて、おれ……!」
「す、スクライアの一族なの!? あの、遺跡のフェレット!」
「その表現はどうかと……」


 そもそも自分はイタチだと思ってるっす。とは言えなかった。

 真剣な目のクワトロ。だが、ふっと表情を和らげた。


「良かった。ここの遺跡って、まだ未発見の部分があるそうなのよ。探索を手伝ってくれると嬉しいな」


 純粋な知的好奇心の目で頼み込んでくるクワトロ。

 どこか自分と共通した部分があるその目に、ビアンテはつい頷いてしまった。

 まだ、未発見の部分がある。ならば、まだチャンスはあるはずだ。

 ビアンテはこの遺跡に何かを見出した気がした。




 最近、観光ばっかりしています。

 いろんな世界を渡り歩いて、何か面白そうな場所を見つけてはもぐりこむ。そんなことをしている内に、管理局を出てから三年もの月日が流れてしまいました。

 星の数ほどある管理外世界。いまだに第97管理外世界は発見できていません。人に聞くことも出来ないし……。

 この世界に出て来てもう六年。結局シャンの村にも帰っていません。……長老も中々のお年だったので、別の方に代わってしまっていて私のことを忘れていそうで帰るのが怖いんですよね。給料がなくなったから仕送りも止めてしまいましたし。

 どうしてか、指名手配の再指定はされていません。管理局のお偉いさん、何か思うことでもあるのでしょうか?

 いろいろ死にそうなこともありましたけど、一応元気です。

 目の前を歩いている茶髪の子は、ビアンテ・スクライアというんだそうです。

 遺跡のフェレット、スクライア。

 スクライアの一族といえば、有名な結界術者であり、遺跡の探索者。

 もともと奥まで発見されていないこの遺跡に興味があって来たものの、遺跡発掘技能を持たない私は、トラップに引っ掛かってしまいました。

 決して、ただ単に自分の胸が小さな穴に引っかかっただけというわけじゃないです! そんなにドジじゃありませんっ!

 そこに颯爽と表れて助けてくれたこの子。

 つまり運命は、この子と協力して宝物を発見しろって言っているんですね。

 強引ですが、それがシャア丸くおりてぃです。


「れっつらごーです」
「ご、ごー?」


 私はビアンテ君を連れて、遺跡の奥を目指します。




シャア丸さんの冒険
五話『不屈の心に水をさせ』




「見てください、あんな所に岩があります! インディ・ジョーンズみたいです!」
「どうしてトラップの位置がそんな簡単に発見できるんだ……」


 私の隣で沈み込むビアンテ君。そんなの簡単ですよ?

 トラップが発動していないという事は、すなわちトラップが仕掛けてある所を誰も踏んでいないということです。つまりホコリが多いところを探せばいいんです。

 だから、誰かが一度は踏んでいると思われるホコリが少ない所を通れば、トラップは発動しません。またはすでに発動した後です。

 魔法が使われていない原始的トラップが多いと、判断が楽です。


「……この遺跡には、何があるんだろう?」
「さあ。それを探しに来たんです」
「それもそっか」


 頷くビアンテ君。何か遺跡への情熱が間違っていませんか?

 スクライアだから遺跡を探しているみたいで、決して自分が好きで遺跡を探しているって様子じゃないんです。

 ついでですから、途中でカウンセリングとかやってあげようかな。


「お宝、ありますかねー?」
「ないと思います」
「現実主義者は嫌いです。頭撫でてあげませんよ?」
「もうそんな年じゃないやい! ……って、な、撫でないで下さい!」


 嫌そうなのに、弾かない。本当に嫌なら弾くんですよ。昔の私みたいに。はうぅ……。

 うーむ。ちょっと屈折してますね。スクライアの一族は、単独で行動しているうちに愛に餓える子がいるみたいです。

 短い期間で治せるとは思えませんから、会話の中で里帰りを薦めた方がいいかもしれません。

 真っ直ぐに進むしかない石室を通り抜け、ホコリを気にしながら歩き続けます。

 少し暇になって来たので、ちょっとだけ雑談でもしますか。


「パパとママはいますか?」
「……父は生粋のスクライアだから、今も遺跡探索中。おれとはチームが別。物心ついた後に会ったことは数えるぐらいしか……。母とは里帰りした時に一緒にご飯食べたりとかしてる」
「あらあら。典型的ね」
「へ?」
「何でもありません」


 この子は親の愛に餓えるパターンとしては普通すぎですね。

 こういうのの最大の対処は里帰り。親との長期間の接触と交流と生活です。自分が安心できる場所を探した方がいいです。

「ここで宝物を探せたら、友達に自慢しに行くの?」
「う、うん。そうすれば、みんなに自慢できるし、おれより小さい奴にだって馬鹿にされなくなるから」
「じゃ、頑張って探しましょう」


 それで暫らく村に在住していましょうね。お宝見つけて安心して里に帰れば解決です。

 歩くこと三十分。やはり宝物庫とかの部屋は空っぽ。ほとんど調査されています。

 それでも諦めずに歩き続ける私たち。ですが、一番奥まで行っても、成果はなし。


「や、やっぱりおれは、遅すぎ……」
「えいや」


 腰に吊り下げていたモーニングスター――モルゲンステルンでも良し――で小突いてやります。

 マイナス思考ばっかりしていると、自殺する日本人みたいになっちゃいますよ?


「言ったでしょう? まだ見つかっていない場所があるって。そこを探しましょう」
「で、でも。どこにも道なんてなかったし……」
「確かに、他に道なんてありませんでしたけど」


 えーと。考えてみます。でも、道なんて全く目に入りませんでした。

 秘密の抜け道でもあるんですかね?

 全体に根をはるような、大規模な抜け道が?


「……あっ」


 急に声をあげるビアンテ君。何かあったのでしょうか?


「最初にクワトロさんを見つけた、あの小さな道!」


 見つけたって、そんな失礼な言い方を。まるで私が怪物みたいな言い方です。……まあ、人間じゃないみたいですけど。

 それに、私じゃあの穴には入れません。途中でつっかえます。いえ、トラップに嵌ってしまいます。


「あそこは狭すぎて中が探索できないんですが」
「大丈夫、おれはスクライアだから! 狭い場所の探索なんてお手の物だ!」
「あ。そういえばフェレットでしたっけ」
「おれはイタチだと思ってるんだけど!?」
「いえ。フェレットですよ」
「イタチ!」
「フェレットです」
「……イタチ!」
「……判りました。フェレットで良いです」
「よっしゃ! ……ってイタチだよ!?」
「ちっ」


 来た道を戻って、私が捕まったトラップに近づきます。

 コツコツコツ。人の気配のない遺跡の中に私たちの足音が反響します。

 少し戻った所にある横穴からは、おどろおどろしい気が溢れているのが私の目には見えます。


「クワトロさんはここに引っ掛かってたんだよね」
「いえ。これはかなりの暗示をかけられたトラップです。私みたいな人が入ると捕まってしまうんです」
「なんでそんな意味のない結論を……」
「私は引っ掛かってしまうようなドジキャラじゃないんです! 知的な策士なんです!」
「……はいはい」


 そんな投げやりに失礼な。ご婦人の扱い方について教え込まれたいですか!? 主に房中術で。

 オレンジ色の光を放って、ビアンテ君が白いフェレットの姿になります。アルビノって奴ですかね。

 なるほど。自分の白いからイタチだと名乗っているんですね。

 尻尾と耳の先だけが茶色い、可愛いイタチです。


「よっしゃ、行くぜ。これは試練だ!」


 急に熱血な声で叫ぶビアンテ君。ここがダンジョンだけに、まるで語りイタチ。

 このまま入るだけで1000回死ねます。


「行ってらっしゃい。コッパくん」
「おう! ……って誰だよそれっ!?」


 小さな道を走っていくコッパ。……もとい、ビアンテ君。

 しばらく様子を見ていると、ビンゴ! と聞こえてくると同時に魔法らしき光が発せられ、同時に穴が広がりました。

 奥に何かスイッチでもあったのでしょうか。

 何となく興が乗って、その場でモーニングスターを一度だけ素振りしてから入ります。

 部屋に入る前には、一度三の印がついた剣を振るのが通例です。近くに水場がある時は、一歩ごとに武器を振る気概まで必要です。注意一歩で探索失敗。

 壺がない時は、ぬすっトドとか墓あらしに気をつけながら階段の近くに食料を置いておくと腐る心配がないですよ。


「……何やってるの、クワトロさん?」
「い、いえ。ちょっと注意を」


 こんぼうを振っているのを見られていましたか。ちょっと恥ずかしいです。

 意味もなく頬を染める私。何故か一緒に頬を染めるビアンテ君。

 ……なんでしょうか、この空気。甘酸っぱいようなただ甘いだけのような。


「で、この先には何か……」


 通路に一歩足を踏み出すと、いきなり目の前に大きな蜘蛛の巣がありました。本当にインディ・ジョーンズみたいですね……。

 蜘蛛の巣に触れないようにしながら歩いていると、日本では確実にありえない30センチはあろうとかという大型の蜘蛛とを見つけました。あ、目が合いました。


「……」


 声が出せない私。わきわきと毛むくじゃらの足を動かす真っ黒な大蜘蛛。

 わきわき動く大蜘蛛を、ビアンテ君が気味悪そうに見ています。

 ふらふらっと勝手に私の足が動きます。蜘蛛と目と目が交差します。

 か。

 か!

 か!!

 可愛いです! こんな大きな蜘蛛、憧れていました。

 ふらふらと手を伸ばす私。蜘蛛がつんつんと私の手を突付いてきます。

 蜘蛛の巣から蜘蛛を引き剥がし、スリスリと頬擦りをします。ちょっと私の手が蜘蛛の巣に絡まりましたが、今はこの蜘蛛との出会いに感動します。

 姿から見れば、この子は毒蜘蛛ではありません。昆虫とかを食べるだけのとても良心的な蜘蛛です!

 蜘蛛は部屋の中の害虫を捕まえてくれる、主婦の影の味方です!

 こんな大きな蜘蛛なら、かなり沢山の害虫を食べてくれる筈です!

 蜂とかの危険な生物だって一口です。

 インテリアとしては使いにくいので屋根裏要員ですけど。

 はうぅ……。お家に持って帰りたいです……。


「く、クワトロさん……?」
「はっ。可愛くって、つい」
「か、可愛いですか、それ……」


 恐る恐る私の手の中を見るビアンテ君。声にハッとすると、大蜘蛛を巣から引き抜きます。わきわきと揺れる大蜘蛛。お、活きが良いです。

 私の手の中で、イヤイヤするように暴れる大蜘蛛。……嫌なら仕方ありません。元の場所に戻してあげました。


「……」


 何度も何度も大蜘蛛を振り返りながら、歩く私。

 そんな私を、何故かビアンテ君が気味悪げに見ています。……一体どうしたのでしょうか?




 折角の隠し通路だというのに、道すがらにある部屋はほとんどガラガラです。中に何も入っていない、寂しい部屋が続きます。……やっぱり、ここにも既に侵入されているのでしょうか。

 ちなみに私が遺跡の中で一番欲しいのは、あの蜘蛛だったりします。やっぱり持ち帰りたいです……。

 でも、ここが気に入っているらしいあの蜘蛛を自分の都合で勝手に持ち帰るわけにはいきませんし……。

 そうやって注意を散漫にしながら歩くうち、気が付くと一番奥らしき場所に到達していました。ここが、最後の部屋です。

 覗きこむと、そこはかなり開けていました。五十メートル四方ほどの、とても広い部屋。

 怪しさ抜群ですが、一応安全そうなので部屋の中に入ります。広いせいで音が結構響きます。

 辺りを見渡していると、一番奥に祭壇がありました。

 近づいて中を覗いて見ると、そこにはボロボロになった一つの丸いデバイスらしき物体がポツンと置いてあります。

 特に何も考えず、ヒョイと手にとります。

 多分ストレージデバイスですが、手に取って眺めた限り壊れて使い物になりそうにありません。

 一瞬、トルネコに出てくる鉄の金庫イベントの如く、手に取ったら何かが起こるのではないかと思いましたが、何も起こりま……。


「う、うわぁ!?」


 後ろからビアンテ君の叫び声がしました。

 同時に大きな音がしました。振り向くと、私たちが入って来たただ一つの出入り口が閉まっていました。石扉が上から落ちてきたみたいです。

 慌てて近寄りますが、ピッチリと扉と床が合わさっていてとても持ち上げられそうにありません。

 さっき例にあげたトルネコのイベントを思い出して、デバイスを祭壇に入れなおしても出入り口が元に戻る気配はなし。

 とりあえずデバイスは懐にしまっておきます。後々何かの役にたつかもしれません。

 注意しながら辺りを見回してみれば、死体や骸骨となったたくさんの人々の姿がちらほらとありました。暗くて気が付きませんでした。

 気付けたのは暗闇の中に目が慣れてきて、ヒカリゴケらしき植物から発せられる光がたくさん取り入れるようになったおかげです。

 この秘密部屋が知られていないのは、ここの存在を知った人たちが皆死んでしまったからでしょうか……。少しだけ背筋が寒くなります。

 呆然と石扉を眺めていると、古代の言葉で何かが書かれているのを発見しました。


『欲深き物に、死を』


 ……一番奥まで入るような者は死んじまえってことですか?

 腰からモーニングスターを引き抜きました。扉が開けられないんだったら、壊すまでです! その場で一、二度回転させると、遠心力のままに叩きつけます。

 ギン。渇いた音と供に弾かれるトゲ棍棒。

 もう一度叩きつけます。


 ――ギン、ギン、ギン、ギン。


 何度も棍棒を叩きつけます。

 ……それから五分後。


――ボキン。


「「あ」」


 私とビアンテ君の声が重なりました。

 根元から圧し折れるモーニングスター。何年も私の元で戦い続けてきたモーニングスターが、今砕け散りました。

 ……このまま廃棄っていうのもどうかと思いますし……。とりあえず破片を集めます。後で機械化してでも蘇らせましょう。この部屋から出られるかは不明ですが。


「はぁ。仕方ありませんね。クラールヴィント!」


 手を掲げて、相棒の名を呼びます。転移とか他の魔法とか、脱出するだけなら何でもありです。

 シーン。

 返す言葉なく、ただ私の言葉が響き渡っただけでした。

 ……あれ? 無反応です。

 もう一度呼んでみます。やっぱり無反応。


『……!!』


 どうした物かと悩んでいると、扉の向こう側から何か声のようなものが聞こえてきました。

 何度も何度も聞こえる声。そっと耳を済まします。


『……!!』


 物理的には聞き取れませんでしたが、心で理解しました。

 どうやらさっき蜘蛛に頬擦りした時に、クラールヴィントが蜘蛛の巣に絡まって指から抜けてしまっていたみたいです。

 つまり私の相棒は今、扉の向こう側にいます。

 ……これでは転移魔法が使えません。

 デバイスの補助がないと旅の鏡が使えないので、扉をぶち抜くのも不可能です。

 ……はっきり言ってしまえば、ピンチです。

 ビアンテ君を振り向きます。何を聞こうとしているのかに心当たりがあるのか、首を振り返してきました。


「脱出手段の案は何かありますか?」
「ありません」


 口で聞いてもダメでした。ハッキリと口に出して否定してくるビアンテ君。

 どうしようかと、途方に暮れる私たち。


――ガコン。


 そんな時、部屋の何処かから変な音が聞こえてきました。重い扉が開いたような音。先程落ちた石扉を見ましたが、別に持ち上がっていません。

 恐る恐る音の方向を見ると、全く別の石壁が開いていて、そこから機械仕掛けの機械人形(オートマータ)らしき物体がわらわらと出てきていました。それぞれ手に物騒に黒光りする金属製の武器を持っています。

 鋼色の一糸乱れぬ大量の軍団。

 ……友好的な存在じゃありませんね。さらに、ピンチです。

 雄叫びすらあげずに、金属の間接をガチャガチャ言わせながら走り寄ってくる機械人形。話し合いが出来る相手ではなさそうです。すなわち、敵。


「はぁっ!」


 近寄ってくる手近な敵に、ガントレットで先制攻撃。

 尖った爪がオートマータに突き刺さり。……突き刺さり、それだけで終わりました。

 反応なしです。普通に動き続けています。蹴飛ばしても、非力な私の脚力ではダメージなんて微々たる物。

 突き出された槍をガントレットで弾いて、もう一度回し蹴りをかまします。こういう時は重装備の鎧が頼もしいです。

 さて、デバイスがないとはいえ、私が苦戦するような敵です。ビアンテ君は大丈夫でしょうか……?

 彼の無事を祈りながら振り向きます。そこには一体、どんな光景が……。


「うわぁ! 近づくな! 来るな! 来るな!!」


 大声出して手を振り回しながら暴れまわっているビアンテ君。オレンジ色の障壁が彼を包んでいます。

 大変そうですが、周囲に結界を張っているので結構大丈夫そうです。

 ですが、このまま助けずに放っておく事もできません。

 何か逆転の手段は……。少し考え込みます。機械人形の攻撃は片っ端からかわしたり反撃したりします。

 ……胸にしまっておいたデバイス。これが使えないでしょうか?

 懐から取り出して触っても応答なし。修理なしには使えそうにないです。これを使うのは諦めることにしました。

 一発逆転の手段を求めて機械集団の中を飛び回っていると、仲良く並んで死んでいる死体の群れが目に入りました。

 ……もしかして、何か使える物を持っていないのでしょうか?

 それは火事場泥棒と呼ばれる行為ですが、この際は仕方がありません。

 必死に騒いでいるビアンテ君に叫びます。


「何か! 死体から何か武器を探して!! 使える物があるならそれを使います!!」
「え? は、はい!」


 私が言わんとすることに気付いたのか、早速行動を開始するビアンテ君。

 目を付けた、少しだけ裕福そうな格好をしている一人目の死体を、顔を背けながら漁っています。

 ある程度死体を探ってから、私を見て首を振ります。どうやらその人は何も持ってなかったようです。

 ビアンテ君に近づく機械人形に体当たり。肩についているスパイクが、人形に大穴を開けます。でもそれだけで、普通に動き続けています。

 二人目、三人目。死体を調べているビアンテ君の顔に大粒の汗が浮かんでいます。どうやら誰も武器とかマジックアイテムを持っていないようです。

 このままでは、マズい。

 斧を振り上げている機械人形に、逆にガントレットの爪をぶち当てます。ビアンテ君が安心して道具を探せるように、今は一体でも多く破壊しておかなくては。

 貫くズゴック・クロー。

――ボキィ。

 折れるズゴッククロー。毎度ながら短い生命を終えました。

 機械人形の身体から手を引き抜こうとして……抜けません。

 動けない私に殺到する機械人形の群れ。いっせいに振り下ろされる武器の数々。

 ……切り札を、一枚切ります!

 肩のスパイクと手のガントレットを魔力に戻して分解。周囲にバラまきます。

 さらにバラまいた魔力に攻撃呪文を点火。騎士甲冑の欠片が一斉に爆発しました。吹き飛ばされバランスを崩す機械人形たち。

 騎士甲冑をわざと破壊することで身を守る、私にとっての最終防衛手段。

 ついでに頭の角に手をかけて、帽子を脱ぎ捨て投げつけます。

 かなり堅い角が回りながら敵を切り裂いて行きます。

 しかし、十体目の機械人形に当たった時点で強度が尽きて、トゲ帽子は砕け散りました。砕け散った帽子も魔力に変換して、爆破。さらに吹き飛ぶ機械人形。


「ビ、ビアンテ君! 私には後がありません! 何か武器は……!?」
「こ、この人が最後です! この人が持ってなければ……あ、あった!」


 焦る私を前にして、とうとうビアンテ君が何かを掲げました。どうやら武器になりそうなアイテムを発見してようです。た、助かりました……。

 一体どんなアイテムなのか、人形たちをなんとかあしらいながら、その物体を目に入れます。

 それは、赤いビー球でした。

 ガクッとなってしまう私。ビー球で何が出来るんですか!?


「ふざけている場合じゃないのよ!」
「いえ、これはきっとデバイスです! これを使えば!!」


 手を掲げたまま、何もしないビアンテ君。光り輝きもしないデバイスとやら。

 掲げたまま表情が固まっているビアンテ君。ちょっとキレる私。

 私は死んでも闇の書から復活できますけど、ビアンテ君は死んだらそこで終わりなんですよ!


「だから何をやって……!」
「いえ、こいつが言うことを……」
『You are not my master』(あなたは私のマスターではありません)
「危ないんだよ! 力を貸せ!」
『No』(拒否します)
「くっそー!」


 争う二人を尻目に呆然としてしまう私。あの赤いビー球、どこかで声を聞いたことが……そして姿を見た事があるような……。

 つい、ビアンテ君に走り寄ります。

 ガシャガシャガシャ。軽快な音を経てながら、機械人形が私を追ってきます。


「それ、貸して!!」
「え? は、はい」


 近寄って来る機械人形に青ざめているビアンテ君の手から、引っ手繰るようにして赤いビー玉を奪います。

 これは……きっと、間違いありません。

 どうしてここに有るのかは知りませんけど、確か求められている起動のキーを知ってるはずです。

 赤いビー球を胸元に寄せます。そっと両手で握り締めて……。

 詠唱は……。……えーと、えーと。

 ……ド忘れです! そもそもそんな物憶えていません! リリなのを見たのが何年前だと思っているんですか。


『Are you for anything?』(なにか用でしょうか?)
「お手伝いをお願いします」
『Please call contract spell』(では、契約の呪文をお願いします)
「そんな物知りません」
『Sorry』(では無理です)
「イケず!」
『Feel it with provocation』(挑発行為として受け取ります)


 期せずして掛け合いをしてしまいました。

 それにしても、契約呪紋ですか……一応、喉元までは出掛かっているんですが。

 機械人形の持っている槍が私の下に来たので、飛び上がって回避します。

 槍は後ろにいたビアンテ君の結界に直撃。スパークして、逆に弾かれ石造りの地面に転がる機械人形。そのまま壊れてくれないでしょうか?

 それにしても、中々の防御力。ビアンテ君、しばらくは大丈夫そうですね。

 とりあえず、機械人形の群れにショルダータックルでもかまして態勢を……? あ、肩鎧はパージしてしまっています。チャージ攻撃は使えません。

 ……では、そろそろアレを使う時が来たのでしょうか。

 履いている靴を見ます。先っちょが尖っているので、実はアレが使えるんです。アトランティス・ストライクではありませんが、私的にはそれ以上の威力です。

 飛び上がって、足を敵に向けてライダーキック。背中からの魔力放出を受けて、結構な速度で空中を疾走します。


「シャア・キック!!」


 気合を入れるための、大きな叫び声。なるほど、今ならわざわざ技名を叫んで攻撃する人の気持ちが分かります。

 グシャア! 私の足が機械人形を貫きます。さて、それでは足を……あ、また抜けません。

 何度同じマネをするんです! 私バカですか!?

 今度はブレストプレートをパージすることで緊急脱出します。一斉に起こる爆発。

 胸を覆う赤いブラが外気に晒されます。頬を赤めて顔を背けるビアンテ君。初々しいことこの上ありません。

 受身を取って機械人形を睨み付ける。ジリジリと方位の輪を狭めてくる無機物たち。

 反響する金属音。ガチャガチャガチャガチャ。子供が見たらトラウマになりそうな光景です。


「……えぇと……。『我、使命を受けし者なり……』」


 鎧の大半を失ってしまったため、もう後がないです。記憶の片隅にある、おぼろげな詠唱を無茶苦茶に試すしかありません。下手な鉄砲数撃ちゃ当たります。

 神に祈るような気分で、言葉を紡ぎます。……神なんて信じていませんけど。


「『契約のもと……』なんとかを……。なんとかを……。『その力を解き放て』?」
『OK』
「……『風は』天に」
『NO』
「『風は空に、星は天に』不屈の」
『You through one sentence』(一文飛ばしました)
「スミマセ……わわっ!」


 一応レイジングハートも今の私の状況に危機感を覚えてくれているのか、呪文を思い出す手伝いをしてくれています。

 ビアンテ君の位置を確認しながら、複数の敵の挙動に注目して、契約呪文を思い出しがてら、攻撃を回避する。

 私の使用できるマルチタスクを最大酷使です。

 目に映る、武器……、武器……、武器……っ。終わらない武器の宴……まさに刀源郷っ!築くんだ、王国を……っ。

 うわあっ。雑念が入りました。


「『輝く光はこの腕に、不屈の心はこの胸に』!」
「One more please!」(最初からもう一度お願いします!)


 せ、折角言い終ったと思ったのにぃ! 注文の多いデバイスです! 宮沢賢治も木陰で泣いてます!!

 ああ、もう破れかぶれです!

 全方位から襲い掛かって来る機械人形を見据えながら、攻撃を喰らってもいいやと思いながら大声で叫びます!


「『我、使命を受けし者なり』」


 思えば、この世界に出て来て早六年。


「『契約のもと、その力を解き放て』」


 私はここを次元世界だとは認めていましたが、アニメ『リリカルなのは』の世界だとはどうも思い切れていませんでした。


「『風は空に、星は天に』」


 ですが、とうとう私の目の前、掌の中に、アニメの世界の産物が、とくんとくんと鼓動を鳴らしています。


「『輝く光はこの腕に、不屈の心はこの胸に!』」


 そう、このビー玉は。

 いえ、宝石は……。

 リリカルなのはの始まり。それからずっと、主人公を守っていく、伝説の愛機。

 高らかに謳いあげます。その名前を、不屈の心を!!


「『〝レイジングハート〟セットアップ!!』」
『Stand by ready. set up!』


 力強いレイジングハートの声。

 同時に狭い石室に、私の魔力光である緑色の光が溢れました。

 私の足元に丸い緑色の、ミッドチルダ式魔法陣が出現しました。

 体を申し訳程度に覆うくらいに残っていた下着と靴の騎士甲冑が、光になってはじけ飛びます。

 デバイスが形を変えるのと平行して、バリアジャケットが姿を作り出していきます。


 胸と腰に青い下着が作られ、固定。


 足に赤と白の二重構造の靴が履かされ、固定。


 腰周りを白い鎧が覆って、固定。


 肩に四角いショルダーがついて、固定。


 頭にカッチリした白い兜が乗っかり、固定。


 手に黒い手袋が嵌って、固定。


 胸からお腹にかけて一本の金属鎧が出現し、固定。


 肘と膝に白い装甲が装着、固定。


 最後に、兜にV型の矢避けが浮き出て……。


 って待ってください!? これ、まんまアレじゃないですか!?

 しかも装甲が地味に薄いですし!? 何ですかこのMSっ娘アーマーは!?

 恐る恐る手を見ます。そこには、手に変形したレイジングハートが……?

 白い棒にあしらわれた羽。

 先にリングが付いていて、その中にレイジングハートが浮かんでいる。

 ただし浮かんでいるのは普通の丸い宝石レイジングハートではなく、形が変形してハート型になったレイジングハート。

 簡潔に言ってしまえば、〝原作〟のレイジングハートでした。

 リリカルマジカルテクニカル、です。みんな幸せになるんですか!?


「……ど、どうしてこの形に?」
『Your intention』(貴方の意思です)


 ……私の深層意識のレイジングハートはこの形だったんでしょうか。

 てっきり、重火器2丁に発煙筒。スタンガンと写真機能にメール機能のついた多機能デバイスの方だと思っていたのですが。自爆装置もついていますし。


「それはいいですが、何故バリアジャケットが……」
『……!!!』


 どうしてガンダムジャケットなのか。

 応えようとするレイジングハートの言葉を遮って、扉の向こうからクラールヴィントの叫び声が聞こえてきました。

 相変わらず物理的には聞こえませんが、心で理解しました。

 浮気は許さない! そのデバイスは誰よ! って叫んでいます。

 ……ゴメンね。あとでいい子いい子してあげるからね……。

 クラールヴィントの嫉妬に、ちょっとだけホロリと来てしまいました。……ところで、クラールヴィントは、男の子? 女の子?

 ですが、手の中にデバイスがあればこっちの物です。

 私とレイジングハートの力を見せてあげます。


『Lets go my master!』(突っ切りますよ、マスター)
「はい。行きましょう!」


 ノリノリで言って、ふと気が付いた私。

 ……このままじゃ、なのはちゃんのデバイスがなくなってしまいます。

 それはヤバいです。それに、私には大事な相棒のクラールヴィントがいますし。レイジングハートは、後でスクライア一族であるビアンテ君にあげましょう。

 スクライアである彼に預けておけば、どこからかユーノ君に届く筈です。

 ……まぁ、なのはなる人物が本当にいるとも信じきれてないんですけど。でも、はやてちゃんはいて欲しいです。


「レイジングハート。今、私との共闘は成り行きです。私には大事なデバイスがいますから、貴方を連れて行く事はできません。別のマスターを探して下さい。きっと、素敵なマスターが見つかります」
『……disappointment』(残念です)
「いい子です」
『Thank you.〝The present〟master』(ありがとうございます。〝今の〟マスター)


 会話はおしまい。飛び掛ってきている機械人形は、すでに全員目視済み。

 後は、レイジングハートの必殺魔法で……。


『Not registered magic』(魔法が登録されていません)


 って、レイジングハートって言ったら大威力の魔法ってイメージがありましたが、そんな魔法まだ作られていません!?

 この子の前の持ち主が、自分が死んだら登録した魔法を初期化するように設定してしまっていたのでしょうか。

 そして、武装したとか関係なくワラワラと押し寄せて単調な攻撃を繰り返す機械人形たち。


『Protection』


 レイジングハートが組み上げて発動してくれた防御魔法の傘の中で、何か使いやすそうな技を考えます。

 敵は近距離武器装備型のみ。遠距離からの攻撃が一番ですが、この狭い場所ではそんなに遠くに離れられません。

 つまり、私も近距離武器で武装しなくては……。

 今私が持っているレイジングハートの長所を考えます。

 レイジングハートは、今は短いステッキの形をしています。

 これで、技が思い浮かばないかな……。この形を見ていると、何かが思い浮かぶような……。

 頭の片隅に思い浮かんだ想像を保つ為に自己暗示します。今の私はガンダム。今の私はガンダム……あ。

 ふと、その結論に辿り着きました。

 長さ的にも今のレイジングハートはピッタリです。

 ちょっと敵役(ガンダム)の技で印象良くないですが……背に腹は替えられません。


「レイジングハート……」


 ゴニョゴニョと耳打ち。

 OKと言ってくれるレイジングハート。

 扉の向こうから聞こえるクラールヴィントの怨嗟の声。……ホロリ。

 私はプロテクションを解除するようにレイジングハートに支持すると、ステッキの持ち方を変えました。

 防御膜がなくなり、機械人形の鉄の武器が私に今度こそ降り注ぎます。

 想像力はOK。レイジングハートの魔力伝達は最高。

 これなら、できます。

 飛び掛る機械人形に向けて、ステッキを一線。バラバラになる機械人形たち。高温で焼ききられたように、体をバラバラにして順次落ちてきます。

 一度、手を振り抜きます。噴き散る緑色の燐光。まるでホタルです。

 レイジングハートの先に、緑色の半透明な剣が形作られていました。

 すなわち、レイジングハートを剣の柄に見立てた、〝ビームサーベル〟です。

 ザクを一撃で切り裂くイメージがあるので、ジオン側の私にとっては印象が良くない武器ですが、仕方ありません。

 どの道、レイジングハートとは今回だけの関係。二度と使うことはない技でしょう。


『Beam sword』


 私の作った術式を、魔法として登録するレイジングハート。

 いえ。ビームソードではなくて、ビームサーベルです。

 結構この差は大きいんですよ。亡霊と頑駄無くらい。

 ……れ? 分かってはくれないみたいですね。しょうがないですけど。

 でもクラールヴィントなら、クラールヴィントならどうにか分かってくれる……。とは思えませんね。

 ちょっと構えを変えて、今度は銃みたいに構えます。

 先端から、魔力を発射。緑色の閃光を喰らった機械人形の腕が地面に落ちます。


『Beam shot』


 いえ、ビームショットじゃなくてビームライフルです。

 ビームショットだと、憧れのサザビーを彷彿としてしまいます。あればビームショットライフルですが。

 ナイチンゲールだと、私的にはさらに素晴らしいです。

 ランプを持ったレディの名を冠するモビルスーツが少佐の乗機って、なんだか運命を感じずにはいられません。

 やはり、運命は私が保母になるように願っているんです。

 とりあえず、魔法は二つ登録完了。これだけあれば充分です。

 ……モルゲンステルンが壊れているのが悔やまれます。アレさえあれば、フル装備だったのに……。

 ……ついでですから、背中から羽を生やして、シャア丸よ、天に登れー。とかやってみましょうか?

 ……魔力が勿体ないので、やっぱり止めます。そろそろ魔力が80%を切ります。

 帰りもあるんですから、魔力を無駄には出来ません。

 デバイスを手に持ったことで、どうにか平常心になれました。

 何度戦いを繰り返したって、戦闘による本能的な恐怖からは逃れられません。

 デバイスを持って恐怖心を乗り越えることで、やっと私は自分の実力を引き出せるんです。

 武器がない私は、ただの弱虫さんですから。

 レイジングハートをバトンみたいに振り回します。

 目を細めて敵を眺めてビームサーベルを展開。踏み込んで切りつけます。

 ――ビュン。

 体が凄い速さで風を切って進みます。速さを扱え切れず、つんのめってしまいました。

 それでも一応、剣が当たった機械人形は真っ二つです。上半身の動きは停止しましたが、下半身は足だけで元気に動いています。

 ……足が本体なんですか? 意見の相違が見られます。足は飾りじゃないですが、そこまで重要でもないんです。

 や、シャアキックは足がないと使えませんけど。

 とりあえず凄い速さについて質問です、先生!


「……速いんですが?」
『I am for battles device』(私は戦闘用デバイスですから)


 ああ。そういえばクラールヴィントは援護用のデバイスですから、戦闘力の強化はあまりないんでしたっけ。瞬間的な身体能力強化ができないのでいつも苦労していました……。

 AAA-の私がレイジングハートを持てば、これくらいのスピードは走るだけでも出せるんですね。ベルカのように身体強化は使えずとも、ミッドの魔法の汎用性はハンパではありません。

 ううむ。実は、高速戦闘ってちょっぴり憧れていたんですよね……。

 クラールヴィントだと、無骨な戦闘しか出来ないんです。モルゲンステルン使ったりデバイスの先っぽで刺したりとか。

 ああ、泣かなくてもいいからね、クラールヴィント!

 動いている足に向かってビームライフルを発射。元気な足が一撃で砕け散ります。

 ……結構な威力がありますね、コレ。

 魔力、集束。1,2,3、発射。迸る緑色の閃光。


――ちゅどーん。


 マンガみたいな音を経てて、機械人形の一角が吹き飛びます。ついでに遺跡も削っていますが、ちょっとした被害は許容範囲内です。

 あれ? それにしても、遠距離攻撃も普通に当たりますね。

 落ち着いてみれば、一体一体がそこまで連携も取らず、たいして動きも速くなく。

 ここの機械人形たち、私のミッド式デバイス経験値稼ぎのいいカモかもしれません。

 握り締めたレイジングハートを手に、ビーム、ビーム、ビーム。

 弾け飛ぶ青春、飛び散る機械人形。迸るオイル。宙を舞う部品。ある意味、幻想的です。

 ……ですがこの攻撃、一つだけ納得いかないことがあります。

 そう、ビームライフルの色が緑色のことです。

 これじゃあSEEDです。やっぱりここは、ピンク色が良かったです。無理矢理Xのライフルだと考えてもいいですけど。

 とりあえず、ショック! いえ、ジョークですが。

 このまま攻撃を続けることにします。特に考えないで戦闘しても勝てそうなのが哀れさを誘います。

 斬って、撃って、防いで。何機破壊してもわらわらと沸いて出る機械人形の群れ。

 狭い石室は、人形の残骸で一杯です。こいつら、ジムとでも呼んであげます。

 ですが、いい加減メンドくさくなってきました。

 チョビチョビ魔力を消費して戦っていると、途中で尽きてしまう危険性があります。

 大技を使って片付けようと思いたちました。何度も発射している内に考え付いた、必殺技の出番です。

 魔法を使って大暴れしている私に驚いている様子のビアンテ君の後ろに回りこむと、魔力のチャージを開始します。

 足元に広がる、緑色の四角形二つと丸い魔法陣。優しい光が広い部屋の中を包み込みます。……緑は目に良いって幻想は何処に行ったんでしょうね?

 それとこの場合のチャージは、突撃ではなく溜めのことです。勘違いしないでねー。


「……あのっ」


 攻撃準備中の私に、勇気を振り絞るようにして話し掛けてきたビアンテ君。

 ……盾に使っているのは謝りますけど、状況は切迫しています。聞く耳はもちません。


「後でサインくださいっ!!」
「………?」


 予想していた批判の言葉とは違います。耳掃除が必要でしょうか。それとも、度重なる爆発で私の耳が……?

 振り返ると、そこには目を輝かせて私を見ているビアンテ君。何かいいことあったのでしょうか?


「さっき、さっき!」
「なんでしょうか? 何か言いましたっけ?」
「〝シャア〟・キックって!! クワトロさんは、シャアなんでしょう!!」


 何分前の話を持ち出すんです。まさか、今までずっと感動していたんですか?

 そこまでシャアが好きですか。

 キャスバル・レム・ダイクンことジオンの赤い彗星シャア・アズナブルではなく、湖の騎士シャマルこと時空管理局の赤い彗星シャア・アズナブルが。

 私は前者のシャアが好きです。

 私の名乗りはパクリですので、シャアを私だと思わないでください。

 97管理外世界の人に怒られますよ?

 たしかに、こんな偽名を名乗った私が悪かったのは認めますけど。


「なんでクワトロなんて名前を……!? どうして教えてくれなかったんです!!」
「四番目ですから」


 シャア丸、シャマル、シャア。

 ストライカーズに出てくるクワットロちゃんと名前が被るんですが、何時の日かはやてちゃんと合流すれば、もうこの名前は名乗らないでしょう。行きずりの偽名。すぐに忘れ去られると思います。

 ……もうしばらくは名乗らせていただきますけど。

 気が付くと、チャージは終了しています。

 バトンモードのままでの大威力射撃なんで、ちょっとだけ心配ですが、変形しないのならきっと大丈夫なのでしょう。

 それでは、使わせていただきます。『ザクⅢ』の必殺技。

 バトンの先っぽで輝いている緑色の魔力球。足元に広がる円形魔法陣。

 ミッドチルダ式魔法陣が広がって、バトンを包み込みます。


「唸れ、心のザクⅢ! 創造主の力をそのままに、今量産機の一撃を! ジークジオン!! 『メガ粒子砲』……行けえぇっ!!!」
『Mega particle canon!!』


 朗々と響く呪文。溢れ続ける光の本流。吸いとられていく私の魔力。

 私が保持する全魔力の20%以上を使って放たれる緑の破壊者。

 轟音と同時に翠の光がそこまで広くない部屋を照らします。魔法の先端にあたるだけで蒸発していく機械人形たち。殺傷設定ならばこれくらい余裕です。

 そうしてバトンから直線状に伸びる光を、左右に動かします。掃射。当たれば一撃で破壊される魔力の渦が、機械人形の陣形を引っ掻き回していきます。

 高い対魔力を持っているのか、石扉は砕けなかったものの機械人形は全滅。

 あとはゆっくりこの部屋から出るだけです。

 レイジングハートが戦闘の終了を確認して宝石の姿に戻ります。

 私は後ろで腰を抜かしているビアンテ君にニッコリと微笑みました。




 ……どうしてガンダムバリアジャケットのままなのでしょうか。露出が多くてちょっと恥ずかしいんですけど。早くシャア専用騎士甲冑に早く戻りたいですよ。

 どうしてガンダムなのかを改めて聞いたら、レイジングハートには貴方の心のライバルの形とかなんとか言われました。なるほど、私はガンダムを心の底から敵だと思っているんですね。

 石壁を手で触ってみます。ゴツゴツしています。一番奥だからか、風化は少ないようです。

 ゴンゴン。今度は手で壁を叩きます。やっぱり石扉は開きません。

 さっき砲撃で分かりましたが、石室全体の対魔力は並じゃありません。

 それこそ、破壊するには私の全魔力の半分に匹敵するくらいの魔力放出が必要かもしれません。

 今の魔力は半分ちょい。今日の戦闘行為は不可能になりますが、この際目を瞑りましょう……。

 もう一度レイジングハートをセットアップ。

 バトンの姿になったレイジングハートを腰だめに構えます。


「……え! 今のアレ、もう一回使えるんですか!?」


 後ろでビアンテ君が驚きの声をあげました。……まがりなりにもAAA-ですよ、私。あれくらいでゼロになる程ヤワな魔力は所持していません。

 それと、いい加減抜けている腰を治して下さい。なんのため待っていると思っているのですか?

 さっき機械人形たちが出てきた空間の扉は未だに閉じていませんから、時間が経ちすぎるともう一戦するハメにならないかと結構ヒヤヒヤしてるんです。


「さっきの、憶えたわよね?」
『Yes! my master』(登録しました)


 レイジングハートに問い掛けます。さっき使ったメガ粒子砲は登録したようです。ならばOKです。

 標的、前方の扉。残った魔力のほとんどを消費して、今度こそこの部屋をぶち抜きます!


「このまま外まで一直線!」


 テンションを上げるため、有名なセリフを口に出します。またしても、大きく吸われていく魔力。

 実はここまで魔力を使ったのが始めての経験なので少しふらつきますが、きっと問題ありません! ……後衛の私は、あんまり魔力を使わないですよね。

 足元を覆う翠の魔法陣。バトンの先に集まる光の渦。たくさんの人を飲み込んだ呪われたこの場所を、砕く!


「メガ粒子砲、発射!!」
『Mega particle canon! Fire!!』


 大きな破砕音を響かせながら直進するメガ粒子砲。

 緑色の円形のビームが扉に直撃。

 ギャリギャリギャリと、石扉から嫌な音色を出しています。

 ミシリ。とうとう全体にヒビが入りました。

 ビキビキビキ。粉々になっていく扉。

 そして、最後に吹き飛んで蒸発しました。

 ……さすが殺傷モード。物理破壊が半端じゃありません。


「ふぅ。……それじゃあ、脱出です」
「あ、はい」


 惚けるビアンテ君の手を取って、気絶しそうな精神を保ちながら今度こそ私は外へ向けて歩き出しました。

 部屋から出た先にある蜘蛛を今度こそ取ろうとしましたが、また嫌そうに揺れるので諦めました。

 引っ掛かっていたクラールヴィントはどうにか回収しました。一時契約したレイジングハートに敵意を放っています。

 ……二機とも仲良くしてね?




「おれたち、今まで雑誌に出てたシャアさんがいなくなって、心配してたんですよ……」
「あはは。もともと、私は目立つのは好きじゃないんですけど……」


 何故かビアンテ君が持ち歩いていた色紙に『シャア・アズナブル』とサイン書いてあげながら、私は苦笑いをします。

 シャア・アズナブルという偶像は、本当に子供に大人気ですね。

 解凍……怪盗レトルトはこんな気分だったのでしょうか?

 それにしても、スクライア一族の子供たちにまで大人気とは。一体何がそうさせたのでしょうか?

 多分、ピエロというかアイドル的扱いのせいでしょうけど。

 日本でも、たいして人気がなかった人が別口に出た途端、急に人気が増したりしますし。物珍しさ、って奴でしょうか?


「最後に、ビアンテ君へ、って書いてっ」
「……お約束ですねぇ」


 ニコニコと平静を装ってビアンテ君と会話していますが、私の指に嵌ったクラールヴィントはかなりご機嫌斜めで嫌なオーラを全開にしています。ピリピリしてます。ちょっと恐いです。

 ピンチの時に自分を持たず、さらには知らないデバイスを使って危険を打破するなど。

 そこのレイジングハート、羨ましいじゃないか!?

 まあ、そんな情けなさとか役立ちたいとか色々なものが混じった叫びです。とりあえず、いい子いい子と指輪をなでてあげます。

 はうぅ。全然機嫌を直してくれません……。後でジックリ話し合いましょう。

 ちょっぴり涙目の私ですが、ビアンテ君はさらに情けない顔をしていました。

 せっかく珍しい体験が出来たのに、宝物は一つも手に入れることが出来なかったんですから。子供には当然のことかも知れませんね。

「……ビアンテ君、結局、宝物手に入らなかったね」
「え? あ、あぁ……う、うん」
「だからね、私がご褒美を上げようと思うんだ? だから、目を瞑ってね」


 クラールヴィントとの折り合いは後でつけるとして、今はビアンテ君を慰めてあげましょう。

 レイジングハートの進呈会です。

 ご褒美と言った時のビアンテ君の目をチラリと見ます。ハッと頬を染めてから目を瞑るビアンテ君。

……何を考えているんでしょうか? なんか不純です。




 サイン、嬉しいなあ。

 ビアンテは、貰ったシャアさんサインを腕に抱えながらも少し憂鬱だった。シャアのサイン。それは嬉しい。けれど、冒険の末に得た物ではない。それが少しだけ悲しかった。

 そんなビアンテに、クワトロもとい、シャアが寂しそうに笑いかけてきた。

「……ビアンテ君、結局、宝物手に入らなかったね」
「え? あ、あぁ……う、うん」

 実際、ビアンテはサインがもらえて良かったと思っていた。

 スクライアの里の子供にだって、シャアのファンはいる。

 シャア直筆のサインなんて見せたら、きっと大人気だ。なんかこの人と冒険して、彼はちょっとだけ変われる気がしていた。

 シャアのおかげだとビアンテは思っていたが、実際は命の危機を体験し乗り越えたからだったりする。


「だからね、私がご褒美を上げようと思うんだ? だから、目を瞑ってね」


 その言葉に、ちょっとだけドキンと来たビアンテ。速攻で目を瞑る。

 お、大人のお姉さんがご褒美って……。

 女性と話した経験の少ないビアンテ君。ちょっとだけ幻想を持ってしまっていてもおかしくありません。

 だけど、そんなご褒美宣言は、大半肩透かしに終わることを彼は知らない。

 けれど彼の頭の中には、なんだかいろいろピンクになりきれない白っぽくて赤い妄想が膨らんでいた。


「手、出してください」


 手、手ってなんでありますか。さっと手を出すビアンテ君。


「はい、ご褒美」


 ポンと手の上に置かれる何か。

 さあ、次はなんでありますか?

 ドキドキワクワクするビアンテ君。

 しかし、いくら待てども次はない。


「……目、開けないのかしら?」


 不審気なシャアの声。へ? と思って目を開けるビアンテ。

 手の上には、レイジングハート。

 もう一度言うが、レイジングハート。ピンチの時、自分の言うことを聞かなかった薄情者。


「それを持って変えれば、バカにはされないと思うな?」
「……キスは?」


 やっぱり想像はそれだった。つい、口に出してしまったビアンテ。

 でも、まだ子供だから。口に出してもしょうがないよね? まだセクハラと言われる年齢じゃないよ! がんばれビアンテ! ビアンテの行動を見てきたせいか、彼に感情移入気味だ。


「あんまり活躍してない君には無理かなぁ?」
「え! レイジングハートを見つけたのは、おれなのに!?」


 ニマニマ顔のシャア。

 あせり顔のビアンテ。

 小さな沈黙。

 少し考え込むシャア。

 小さな希望を見つけるビアンテ。


「うーん。君じゃまだダメかな」


 ビアンテ、絶句。ひどいやひどいや。

 そうしている間にも、彼らは遺跡の出入り口に到着してしまっていた。

 何時の間にか時間は夕方になって、外を赤い光が照らしていた。

 シャアが外を見た。そろそろ行こうと思っているのかもしれない。


「じゃあね。また会えるかな?」
「え、ええっと……」


 夕陽に照らされた、あまりにも綺麗なシャアの笑顔に、ビアンテは面食らってしまった。

 もしもここで約束もせずに分かれれば、二度と会えなくなるような。そんな予感と躊躇。

 夕焼けが、まるで最後の別れみたいに感じられた。

 でも、口から言葉は何も出てこない。

 顔を俯けて悩み続けるビアンテ。

 ふと、顔を照らし続けていた光源が、何かに遮られた。

 一緒に、頬にふんわりとした何かが押し当てられた。

 ビアンテの鼻腔に、とてもいい匂いが広がった。

 ハッとして光源を遮った何かを見る。

 シャアが、笑顔で自分の頬に唇をつけていた。


「……前借りってとこよ。返しに来てね」
「あ、……は、はい!?」


 なんて言えばいいのか分からないビアンテをリードして、シャアがキッカケを作ってあげた。

 大人になったらリードできなかったことを悔やむだろうけど、今はこの純情な少年にチャンスをあげたかった。

 シャアは微笑む。ビアンテの顔は真っ赤だ。

 呆然としているビアンテ。

 掲げていた腰を真っ直ぐにして、ゆっくりと立ち上がるシャア。ビアンテに手を三回ほど振ってきた。

 反応はできない。

 そうして、初めてビアンテの前に現れたのと同様に、あまりに唐突にシャアは夕焼けの輝きの中に消えていった。

 手の中にあるレイジングハートに声をかけられるまで、ビアンテはずっとキスされた頬をさすっていた。




 しばらくの月日がたった、スクライアの里。


「って訳だユーノ! さあ、一緒に叫ぼう、シャアは凄い!」
「「シャアは凄い!」」
「なんでみんなそんなノリノリなんだ!!」
「お前は全盛期のシャアを知らないからそう言える。あの不法滞在とかの事件は間違いだったと、おれは強く信じている!!」
「あれは事実だって、母さんが……」
「五月蝿い!! シャアは凄い!!」
「「シャアは凄い!!」」
「なんなんだよ一体!!」


 こうしてスクライアの一族の子供たちに、シャアの人気はまた広がったとさ。

とりあえず、ユーノくん御年五歳にしてツッコミに目覚める。

 そんな騒がしいスクライアの一族の中で、レイジングハートはいつか本当の自分にマスターとなる人が現れるのをずっと待ち続けていた……。






――あとがき
Q 主人公って……?
A きっと勘違いです。

レイジングハートをどうしてユーノが持っていたのかの語られていないので、とあるスクライアが持ち帰ってきて、一族の間で自由に貸し出しされているってことにしました。

内容は矛盾ばっかり。だがそれがいい。



[3946] シャア丸さんの冒険 短編一話
Name: 田中白◆d6b13d0c ID:d0504f35
Date: 2008/11/30 20:49
――主人公は『男』だったんだよ!





 シャンの村の夜。村の中はひっそりと静まり返り、夜の帳はすでに落ちた。虫の鳴く声だけが、この小さな集落に響いている。

 村のはずれ。粗末な小屋の中から、水の音がした。サーと流れるシャワーのような音。誰かが小屋の中で風呂に入っているようだ。


「~♪」


 女性特有の綺麗な声だった。今、シャンの村の独身男性を騒がせている一人の女性の歌声だ。

 シャアという偽名を名乗っているが、本名はシャマルという。しかし、それもまた表側。実は別の世界での名前もある。自分ながら、なんとも不自然な人柄であると〝彼〟自身は思っている。

 歌っているのは、少なくともミッドチルダでは聞かない、独特の音程の曲。

 97管理外世界「地球」の「日本」で歌われる、演歌である。少々年寄り臭いが、誰も知らない曲なので特に気にしない。

 タオルをもって肌を擦る。たっぷり染みこませたボディソープで、ゆっくりと体を洗っていく。真っ白な、日焼けなんて知らないと言いそうな赤子のようなスベスベの肌だった。


「赤ちゃんを洗うように、ですか。小さな女の子の体を洗う事はたまにありましたけど、まさか女性の体を洗うことになるとは思いませんでしたねぇ……」


 誰にもわからないことを呟いて、サッとシャワーで体を流す。泡がゆっくりと流れ落ちていく。水は排水溝に吸い込まれていった。


 ガタン。


 シャアが髪にシャンプーを染みこませたところで、脱衣所から音がした。

 泥棒!? 彼女は指にはめられたクラールヴィントを構えようとして、すぐに音の主を発見して構えを解いた。


「何をやってるんですか?」


 男の子たちが数人で、脱衣所から彼女を覗いていた。全員が、バツの悪そうな顔で互いの顔を見合っている。

 男の子してますねぇ。シャアは和んだ。おどおどする子供たち。


「お風呂、入りたいんですか?」
「え、ええっと……」
「洗ってあげますよ。入ってきなさい」


 すわお仕置きか。戦慄した子供たちを、ちょいちょいと悪戯顔で手招きするシャア。

 男の子たちは顔を見合わせた後、服を脱いでお風呂に入ってくる。あまり広くはない浴室の中で、みんなが並ぶ。

 ここにいる男のたちはみんな、この村の子たちである。

 誰かが、「先生のお風呂覗いてやろう!」とか言い出してみんなが賛成したのだろう。


「すけべ」


 にやにや笑って呟くシャア。なんとも意地悪。

 男の子たちは顔を真っ赤にして俯いてしまった。

 十歳前後の子供たち。もうお父さんお母さんに体を洗ってもらうことはないであろう年齢。

 男女七歳にして同衾せず。そんな言葉を思い出してシャアは含み笑い。

 手にシャンプーを出すと、目に付いた一人の頭をゴシゴシと洗ってやる。


「わ、わわ。先生!? 痛っ! シャンプーが目に……」
「目、つぶってないと染みるからね~」
「ああ! ずっけえ!」


 子供同士で先生に洗ってもらうのは僕、オレだ! みんなで洗ってもらう権利を奪い合っている。

 (可愛いですねえ)

 幸せそうな顔のシャア。

 それは、彼女が村に来て一ヶ月半のある日の話。




シャア丸さんの冒険

短編1話「シャンの村のある一日」




「ああ、シャアさん。村の近くにクマの子供が出るらしいですから、気をつけてくださいね」
「ご忠告、ありがとうございます」


 家を出てすぐに村人に声をかけられました。

 ペコリと腰を折ってお礼を言ってから、早朝の村の中を歩き出します。

 村の人たちともだいぶ仲良くなってきました。人と打ち解けられるのはやっぱり嬉しいですね。

 でも、どうして村の女性たちは、私を敵の姿でも見るような目で見てくるのでしょうか?

 複雑怪奇な乙女心は、女性になってもわかったものじゃないです。

 今、私の手の中には、私が住み付いている小屋で預かっている子供たちの洗濯物があります。

 男の方たちが出稼ぎに行ったりするときには、私にまだ幼い子供を預けていいですよ、って言ってあるんです。

 今までは頼み込んで預かってもらっていたようですが、預かり専門の私が現れたおかげで出稼ぎが楽になったと村の人は言っています。

 都会の子供とは違ってスレていないので、村の子供は純真そのもの。やっぱり、子供は素直で可愛いです。はうぅ……。

 さて、そんなことは置いておいてお洗濯です。洗濯機なんて存在しないこの寄せ集めの村では、洗濯物は全部手洗いです。

 たまに洗濯機が欲しい時もありますが、手洗いも手洗いでなかなか味があってすぐに好きになりました。

 ジャブジャブと洗濯物を水につけながら、別のことを考えます。

 今日の朝の献立は何にしましょうか……。今日、私の家にいる子供は五人だから……。あ、いえ。後、もう一人いましたね……。


「さて、それじゃあ今日もあの子の説得に行きますか……」


 私はこれから先の憂鬱を考えて、深々と溜息を付きました。




 その子を拾ったのは、ほんの三日ほど前。四歳から六歳くらいであろう女の子が、シャンの村近くの森に倒れていたのです。

 多分、近くにある集落の人が、ここまで育てた我が子を捨てたのだと思って、私はその子を自分の小屋に連れ帰りました。

 目を覚ましたその子が言うには、ここら辺を根城にしている盗賊が両親を殺し、自分をさらったのだそうです。

 何とか隙を見つけて逃げ出したその子は、歩く途中で力尽きてあそこに倒れていたのだそうです。

 どうにかして聞き出した彼女の名前は、リリと言いました。御年六歳の女の子なのだそうです。

 拾ったままの服はボロボロですが、綺麗な蜂蜜色の髪の毛と黒い瞳をしている可愛い女の子でした。

 リリちゃんは盗賊に復讐に行くんだと、良くわからないことを叫び続け、暴れるだけ暴れた後そのまま寝てしまいました。

 次の日、リリちゃんの姿は小屋の中になく、慌てて森の中へ探しに行くと、そこで迷って泣いていました。

 復讐なんて言わないで平和に暮らそう? といくら説いても話を聞かず、また飛び出して迷子に。

 仕方がないので、昨日は強制的に眠らせてしまいました。魔法って便利です。

 何故だか、魔法はスムーズに使えます。私自信に魔導師適正があったってことでしょうか? それとも何か別の理由が……?

 今日もリリちゃんの説得に行きます。復讐なんて忘れて、静かに平和に暮らそう、って。


「やだ! 絶対にお母さんとお父さんを帰してもらうの!」
「一人じゃぜったい無理だよ。殺されちゃうよ? そんなの、貴女のパパとママだって望んでないと思う」
「やだやだ」


 小屋の中で眠らせていたリリの束縛を解いて起こしたものの、すぐに飛び出そうとするリリちゃん。

 手を掴んで引きとめたものの、勢いよく暴れます。

 うーん。心理学の授業でも、敵討ちの心理については教えてくれませんでした……。


「ね、リリちゃん。お姉さんの言うことを聞いて……。ね?」
「いーやー」
「……困ったわ」


 特に考えず呟いて、リリちゃんを見詰めます。

 暴れっぱなしでお風呂にも入ってくれないため、リリちゃんの全身ボロボロ。女の子なんだから、もう少し身だしなみに気を使って欲しいです。

 食べ物は少しは食べてくれるものの、一回失敗料理をあげてからちょっとだけ警戒するし……。この身体のドジっ娘属性は嫌いです。

 腕の長さとか身長とかが前と違うから、調味料置き場に置いてある調味料を取り間違えて別の物を入れてしまうんです。

 この前、とうとう塩と砂糖を間違えてしまいました。

 自分で味見してビックリしました。気付いて本当に良かったです。


「リリちゃ……」


 私の手は何も握っていません。さっきまでしっかりと繋いでいた手は何時の間にか開いていました。

 別のことを考えている内に、逃げられました。マルチタスクを使うのは難しいです。まだまだ習熟度が足りませんね。

 ……はぁ。また探しに行かなければいけないんですか……。

 溜息を付くと、私は指輪型のクラールヴィントをペンデュラムの形に変形させました。

 指輪から浮かび上がるペンデュラム。魔力の糸が通って変形終了です。


「クラールヴィント。リリちゃんを探して」
『Ja』(了解です)


 村の近くにクマが出没するって話なのに……リリちゃん、大丈夫でしょうか?




 発見。

 幸い、村の外には出ていませんでした。

 はぁ。心臓に悪いから、すぐに逃げ出さないでください……。今回は手を離した私が悪いですけど。

 村の外れにある少し高い木の太い枝の上。そこでリリちゃんは泣いていました。その小さな体でよく登れましたね。それと、どうして登ったのか。

 魔法を使って飛び上がると、リリちゃんの隣にこっそりと座ります。太い枝なので人二人なら簡単に座れます。

 リリちゃんは泣いたままで、私が隣に座ったのにも気がつきません。

 気付く様子はないまま。仕方が無いので声をかけることにしました。


「リリちゃん? 大丈夫?」
「え、わ、わぁ!!」


 『突然隣に現れた私』に驚いて、落っこちそうになるリリちゃん。

 慌てて手を掴んで、リリちゃんの細い体を支えてあげます。


「ゴ、ゴメンね。驚かせちゃったかな?」
「び、ビックリした……」


 掴むのが遅れてたら危なかったです。

 驚かせるのも時と場所を選ぶ必要があるってことですね……。

 とりあえず、笑顔。子供を安心させるのは笑顔です。それと、母親の心臓の鼓動。

 私の笑顔に毒気を抜かれたのか、ポフンと私に体重を預けてくれるリリちゃん。笑顔って偉大ですね。前の私グッジョブ。

 預けられた身体を黙って抱きしめてあげます。私と同じ金色の髪の毛をそっと撫でました。

 そのまま一時間ほど、私たちはずっと寄り添っていました。


 帰ったら、おなかを空かせた子供たちに怒られてしまいました……。




 その日の夕方。私はリリちゃんを誘ってお散歩に行きました。

 村のまわりの森。

 森林浴はいいです。ここは、私がいた世界とは違って、とても広くて自然も綺麗です。


「自然が綺麗です」
「……?」


 口を開いた私の顔を見て、リリちゃんは首を傾げました。

 こんな自然、普通のものだと。

 いくらミッドチルダが発展した国でも、偏狭まで行けば森はあります。

 多分、地球よりもあるでしょう。この国では、火力発電とかは使っていないでしょうから。

 自然はとても綺麗に守られています。エネルギーを得るために森を燃やす必要がありません。

 何時の日かミッドチルダ中がただの自然再現区域になったとしても、それまでは自然が大切だなんて思うことはきっとないでしょう。

 思考を戻します。自然が綺麗なのは、今のこの子にはあまり関係ありません。最近まで食べていたキノコは中々に美味しかったですけど。


「敵討ちはね、私の住んでいた場所だと違法なんだ」
「……」


 日本の、昔の話だけど。武士が父の仇を打つという習慣は、何時の間にか庶民の間にも広まっていた。

 しかし、庶民の間に広まる間に敵討ちは時代遅れの行動になっていた。

 そうこうしている内に、何時の間にか規制されていました。

 やっぱり、殺されるのも殺すのも嫌だからだと思います。


「両親が殺されたって悲しみは私にはわからない。でも、自分の子供に仇を討って欲しいなんて、普通は頼まないと思う。敵は盗賊。者と物を盗む賊。子供に、そんなのに立ち向かえなんて、お父さんたちは考えないよ」
「……うん」


 小難しい話をして、無理やり納得させます。不承不承みたいですが、わかってくれたみたいです。本当はこの子の目線で話したいですけど、盗賊に復讐とか、命に関わるならば話しは別です。

 やるせなくて、目の前でお父さんとお母さんを奪われて、自分の身まで奪われて、だから殺したいなんて言ったのでしょう。


「もしリリちゃんが死んでしまったら、お父さんたちも悲しむだろうし、私も悲しい。だから、敵討ちなんて寂しいことは言わないで」


 盗まれたモノは帰ってこない。それが普通なんです。

 仇を討っても奪われたモノ、失ったモノは帰って来ません。

 もしも残されたモノまで奪われたら、みんな悲しい、みんな悲しむ。


「きっと、警察が……管理局の地上部隊が、盗賊を捕まえてくれます。だから、待とうよ」


 それに、この子をずっと私の手元に置いておくわけにもいきません。

 リリちゃんにだって、きっと親戚はいます。

 絶対心配されてます。他の家族達は心配しているでしょう。

 盗賊の危険がなくなったその時、リリちゃんの親族を見つけましょう。

 この子を本当の居場所に返してあげましょう。


「うん」


 頷くリリちゃん。いい子です。物分りのいい子は好きですよ。

 ちょっと生意気な子も好きですけど。


「安全になったら、リリちゃんを親戚の所に送ってあげるね」


 きっと、誰も知り合いがいないこの村を警戒している筈です。

 馴れ馴れしく話し掛けてくる私を嫌っている筈です。

 この村から出て、おじいちゃんとかおばあちゃんの所に帰りたい筈です。

 ですが、リリちゃんは逆に顔を曇らせました。何か悪いことを言ってしまったのでしょうか?


「……リリ、親戚いないの。お父さんとお母さん、かんどーされたんだって」


 ……え? 何ですか、そのハードな設定の両親は? そ、それは困ります。ずっとこの村に置いておいていいはずないのに!?


「……でもね、あなたとなら一緒にいてもいいよ?」


 私にしがみついて来るリリちゃん。込められた力は、子供とは思えないほど強いです。込められた心は、強靭な子供故の強さを持っています。

 けれど名前を呼んでくれません。いえ、シャアって名前は偽名なんですが……。そういえばリリちゃんには名乗ってなかったような……。

 どうしてこんな偽名を名乗ったんでしたっけ……。

 ああ、そうです。シャマルって名乗ろうとして、すぐに本名はマズイと思ってシャアで止めたんでした。木安張は、キャスバルに漢字を当てただけです。

 我ながら安直ですね。

 今まで名乗ったのは、親につけられた本当の名前とシャマルにシャア。次はクワトロとでも名乗りましょうか?


 さて、現実逃避は終わりです。


「私となら、一緒に?」
「うん。お姉さんとなら一緒」


 懐かれるのは嬉しいですけど、頷くことは出来ません。

 私はこの村の人間じゃありませんから。

 勝手に人さまの子を預かるなんて真似はできません。

 私を見詰める無垢な視線。けど、受け入れる事はできないんです。


「……ダメ、です。私はあの村の人じゃありませんから」
「あたしだって、あの村の人じゃない」
「……それでも、私はリリちゃんと長い間一緒にいるのは無理です」
「でもぉ」
「ダメです。わかって、リリちゃん!」


 口から零れ落ちた自分の言葉に絶句しました。

 自分の都合を押し付ける言葉である『わかって』なんて子供に言ってはいけないはずなのにどうして……。

 リリちゃんの目に、大きな水の塊が溜まっていきます。堤防の結界はすぐそこ。


「リリちゃん、ごめ……」
「うわあぁぁぁん!」


 弁解の余地もなく、リリちゃんは泣いて、凄い速さで走っていってしまいました。

 さ、さすが子供。元気一杯です。

 次いで、朝村の人に聞いた言葉が、頭の片隅を泳いで行きます。

 『子供のクマが森に出る』。

 別段ミッドチルダに生息するクマが強い、別にそんなわけではありません。大人でも全長4メートル程度の、地球にだっている程度の大きさのクマです。さらに、それの子供。知能も高い。

 私一人なら、全く問題ありません。怪我一つ負わないで逃げることができるでしょう。

 でも、もしもリリちゃんが会ってしまったら……。

 最悪の予想を捨てきれないまま、私はリリちゃんの後を追いかけました。





 ばか、お姉さんのばか。

 お姉さんはとっても不思議な人。あたしを拾って、あたしに良くしてくれた。

 あたしはお姉さんとなら一緒にいてもいいのに。嘘でもいいから、一緒にいようって言って欲しかった。

 ばかばかばかばか。お姉さんのばかたれ!

 体の小ささを利用して森の中を駆け回る。

 後ろから、追いかけてくるお姉さんの声が聞こえるけど、そんなの知ったことか!

 走って走って、また走って、視界の隅を木々がどんどん通り過ぎていく。ふと、お姉さんの言った自然が綺麗という言葉を思い出した。

 別のことを考えたせいで、足を滑らせて転んでしまった。

 痛かった。体がとても痛かった。膝をすりむいてしまっていた。


「お姉さんの、バカ」


 零れ落ちる涙を拭う。目が痛かった。転んだせいで服の袖に泥がついていたのだ。

 もっと悲しくなって、声をあげて泣いた。


――グルルル。


「え?」


 呻き声がした。まるで、獣みたいな怖い声。

 ふと、昼頃に村の人たちが話していたの会話を思い出した。


『近くにクマが出るってよ? 怖いよなぁ』
『大丈夫大丈夫。この村には魔導師さんたちがたくさんいらぁ。クマなんてちょちょいのちょいよ』


 ま、まさか……。

 恐る恐る振り向く。そこには、暗闇が広がるのみ。

 良かった。そうだよね、クマなんていないよね……。

 でも、暗闇……? まだ、夕方のはず。森の中でもあんな暗い場所が……。


――グオオオオオ!!!


 暗闇が吼えた。あたしが暗闇だと思っていた場所は、クマが座っていた場所だったんだ。

 クマが臆病な生き者だってお母さんが話してくれたのに……このクマは殺意を持ってあたしに近寄ってくる。

 どうして? あたしが何かした?

 本能的な恐怖が、あたしの体を縛る。

 声を出せない。歯が震える。

 目だ、目を併せれば獣は襲ってこないっ。

 どこで聞いたかも忘れた言葉を信じて、クマの目を見る。

 そこにあったのは、殺意だった。すぐに目を逸らしてしまう。あたしでは、あの目には耐えられない。

 こうして獣が反射的に生物を襲うキッカケは整った。自らより小さく、自らに脅え、自らから目を逸らすモノ。これが揃えば、野性の獣は人を襲う。

 振り上げられたクマの手。その丸太のような腕に、目を瞑ってしまう。

 誰か、助けて。助けて、お姉さん!


「リリちゃん!!」


 大きな声。名前は聞いていない、お姉さんの声だった。

 その顔は、緊張で強張っていた。心配させてしまったという事実に、不思議と胸が痛んだ。

 声に驚いた獣は、腕を振り上げたまま声の主の方を向く。


「良かった! 無事ね!」


 ホッとした顔で、緊張に強張った顔を崩して笑顔になるお姉さん。

 人二人に囲まれて興奮したクマは、獲物をお姉さんに定めたみたいだった。

 四メートルを超えるクマの前に、お姉さんは腰に両手を当て、足を大股で開き、仁王立ちで立ちふさがった。

 その顔は自信に満ちていた。


「小熊がいるとは聞いていましたけど……。親熊までいるとは知らなかったです」


 すでに完全リラックス状態。口調も今までの物に戻っていた。

 獣を前にあんなに冷静なんて……。お姉さん、すごい。


――ぐ、グルル。


 正体不明の自信の前に、ジリジリと後ずさるクマ。

 後ずさるクマの先にいるのは、勿論あたし。


「ひっ!」


 喉から声が漏れた。今度はあたしの声に、クマが振り向く。目が血走っていた。

 今、このクマは混乱状態にあった。

 綺麗な顔をまた強張らせて走り出すお姉さん。


「あ、あああ……」


 クマが振り上げ続けていた手は、とうとうあたしに……。


「リリちゃん!」
「え?」


 凄まじい速さだった。お姉さんは凄まじい速さで、あたしの前に手を広げて立っていた。

 振り下ろされるクマの太い手。


「お姉さん……お姉ちゃん!!」


 その先にはお姉さんが……。このままじゃ、お姉さんが……。あたしの手に力が入った。運の良いことに、今のクマは隙だらけ。手の中にある力を解き放とうとして……。


「クラールヴィント!」
『Ja. Panzers child!』
「ええ!?」


 もう一つの声が響き渡り、お姉さんの掌に、緑色の三角形が出現した。

 ま、魔法!? お姉ちゃん、魔法使いだったの!?

 ガキィッ。音を経てて吹き飛ぶクマ。その衝撃ではためく、下品でない程度に改造された綺麗な黒いドレス。

 お姉ちゃんは私に背中を向けたまま、キッとクマをにらみつけていた。

 か、格好いい……。女の人の理想がそこにあった気がした。


「大丈夫!? リリちゃん」


 クマが動かない事を確認して私を振り向くお姉ちゃん。

 また、綺麗な笑顔をあたしに向ける。いつ見ても安心できる、とても洗練された厭らしさの欠片もない自然な笑み。

 きっと、あの笑顔は血の滲むような努力で作られたのだろう。誰もかも安心できるように。慢心などせずにずっとずっと頑張って作られた、とても素敵な笑顔。

 元気付けられたあたしは、大きな声で無事をつげる。


「だ、だいじょ……」
「泥々です! 全然大丈夫じゃないです! 後でお風呂に入りなさい! 服と纏めて洗ってあげます!」


 あたしの言葉は遮られてしまった。

 必死な表情であたしに近づくお姉ちゃん。ポケットからハンカチを取り出すと、泥の付いたあたしの目元を拭ってくれる。

 繊細な手つきで、あたしの顔を拭いてくれた。

 お姉ちゃんの後ろで、倒れたクマが起き上がった。

 魔法使いだとわかったからか、クマはお姉ちゃんに近づくのを恐れているようだった。


「どうしてこのクマが暴れているのか、大体検討が付きました」
「へ?」


 自信満々に頷くお姉ちゃん。

 腕を天に掲げた。指の先で、指輪が光った。いつも付けていたあの指輪……あれが、お姉ちゃんのデバイスなんだ……。


「とりあえず、落ち着いてください!」
『Ruhig licht』(安らぎの光)


 そのデバイスから発せられる、優しい緑色の光。その光を浴びたクマの目が、徐々に理性を取り戻していく。

 夕闇に染まった森の中で緑に染まるクマ。とても幻想的な光景だった。


「今日の朝聞いた、小熊の話。そして、暴れている親熊。少し考えてからこじつけると、この二匹が親子だとしか考えられません! 子を見失ったのが原因で暴れてるってとこですね!」


 強引なこじつけをお姉ちゃんが叫んだ。自信満々な姿を見た後だったので、ちょっとだけガッカリした。

 そうしている間にも、お姉ちゃんの指輪から出る光を浴びているクマの目が、ドンドン優しくなっていく。

 そして、最後にはとても澄んだ視線が、あたしたちを見詰めていた。


「この付近にいるミッドグマは、親子の絆がとても深いクマです。子が大人になるまで、ずっと一緒にいて愛を注ぎ続ける。親の声はよく響き、しっかりとした理性ある遠吠えなら、小熊が十キロ離れていたとしてもその声は届くのだそうです」


 まるで、ピクシーと針です。クスリとお姉ちゃんが笑った。

 ピクシーってなんだろう? 妖精と針?よくわからない例えだった。


――うおおおおおー!!


 クマが、吠えた。今までの怒りに掠れた声ではなく、綺麗な、美しい遠吠えだった。

 その声にある悲しさに、あたしは息を呑んだ。


――うおおおおん!


 叫び後の後に聞こえて来た、それよりか一回りほど小さな声。美しいのではなく、可愛い声だった。


――うおおおおん!!


 声は少しずつ近づいて来て、ガサガサと木陰が揺れたと思ったら、1メートルくらいの大きさの小熊が飛び出してきた。

 嬉しそうな声をあげ、小熊が親熊に体をこすりつける。

 互いに体をこすり付けあい、あたし達の姿を見ると小さく頭を下げた。


「……頭を下げた?」
「ミッドグマは知性が高いですからね。人の子供くらいの知能はありますよ。……高い知性も、混乱している時はなりを潜めますけど……。ミッドグマは臆病な種族で、その高い知性と戦闘力もあって、なかなか人前に姿を現しません。姿を見ることのできた私たちは、もしかしたらとてもラッキーかもしれませんね」


 素敵な笑みでクスクス笑うお姉ちゃん。その顔を見ながら、思う。

 あたしも、あんな綺麗な笑みが浮かべられるようになるだろうか……。

 茂みをかき分けて、ミッドグマという生物は、あたし達の前から去っていった。


「さて、と」
「?」


 茂みの奥に去っていったクマの姿を見通しながら、お姉ちゃんがあたしをギュッと抱きしめた。


「痛いのとんでけ」

 お姉ちゃんが呟くと、あたしの膝が緑の光に包まれて、滲み出ていた血が止まった。

 これが、この人の使う魔法。大きな驚きの後、お姉ちゃんがとても凄い人に見えた。


「じっとしててね」


 お姉ちゃんが耳元で囁いた次の瞬間、体が宙に浮いた。

 小さくなっていく木、森、そして村。


「わ、きゃあ!?」
「大丈夫だから。喋らないでね。舌を噛みますよ?」


 浮かんでいく体。

 落ち着くと、お姉ちゃんがあたしを抱えたまま飛んでいるのだということが、よくわかった。

 山を越えてまだ高く。雲を越えてまだ高く。

 お姉ちゃんに抱えられて、私はとても高い所にいた。

 太陽が、とても近かった。

 人の身だけでは辿り着けないその場所に、あたしはいた。

 眼科に広がる山と森。目がクラクラしたけど、あたしを抱きしめるしっかりとした腕の締め付けの心地よさに、恐怖は感じなかった。


「なんで?」
「理由はないけど、こうしてみたかったんです」


 お姉ちゃんは頬を染めて恥ずかしそうに笑った。その笑顔が可愛くて、ついあたしまで赤面してしまった。

 顔を逸らす為に下を見ていると、さっき分かれたミッドグマの小さな姿が目に映った。

 仲良く寄り添うあの二頭。

 自分も、ほんの数日前まではあんな日常を送っていたのだ。

 だからだろうか。意識せずに、ポツリと呟いてしまった。


「いいなぁ。家族って……お母さんって」


 私の言葉を聞いて、ポカンと口を開いたお姉ちゃん。そこにあるのは、両親を失ったあたしへの同情なのだろうか。

 開かれた口が閉じられ、その口元が小さく笑った。あたしを抱きしめた腕にさらに力が篭った。


「なら、私がママになってあげてもいいよ?」


 母をお母さんと呼ぶあたしに、ママになってあげると言うお姉ちゃん。

 それは、呼び名を尊重しているのだろうと思う。

 貴女のお母さんはお母さんだけ。私はママだと。


「ううん。お姉ちゃんは、お姉ちゃんだから」
「そっか」


 はるか上空の雲の上で、あたしたちは笑いあった。

 お姉ちゃんの腕が優しくて、背中に感じる体温が暖かくて。とても嬉しかった。

 ミッドグマは寄り添って歩いていく。はるかに続く森の中を。

 まるで、今のあたしたちみたいだ。

 今度こそ、はぐれるんじゃないよ。子供とずっと一緒にいてあげて。

 愛をたっぷり注いで上げて。

 あたしたちは、空の上から見えなくなるまでクマの親子を見守り続けた……。




 帰ってからあたしは、久しぶりにお風呂に入った。

 お姉ちゃん――どうやら『シャア』というらしい。どうも嘘臭い――に体を洗ってもらった。

 終始嬉しそうにあたしの体を洗うお姉ちゃん。

 その身体はスタイル抜群で、お母さんを超えていた。やっぱりお姉ちゃんは凄かった。

 孤児院? のみんなと一緒にご飯を食べて笑いあう。とても美味しかった。

 嬉しすぎて涙が零れた。お姉ちゃんが慌てた。みんなが囃したてた。それでも、あたしは何時までも泣いて、何時までも笑っていたのだった……。


 これが、孤児だったリリがこの村の一員となった物語。

 いろいろ問題もあるだろう。

 けれど、あたしは何時までもお姉ちゃんと一緒にいたいと、心の底から願ったのだった。



 それは、シャンの村の楽しい日々の一ページ。





――あとがき
Q 主人公の中身が男だと思うとキモイのですが……。
A だから、最初に女だと思えと書いておいたでしょう。

思え! されば救われる。主に精神が。作者は困る。
存分に間違おう。そうすれば後が楽しくなる気がする。感情移入は大事ですよ。



[3946] シャア丸さんの冒険 短編二話
Name: 田中白◆d6b13d0c ID:d0504f35
Date: 2008/11/30 20:51
――主人公、男……うん?







 あやふやな時間の感覚。ボンヤリと浮かぶ不思議な世界。

 色のない、不思議な風景が網膜に映し出されている。

 そんな何もない世界から、大きな声が聞こえた。


「どうしてこんなことをするんですか!」


 それは私の声で、私の記憶だった。

 私がまだ小学生だった頃の話。

 その頃の記憶。ついで、それが夢なんだとわかった。ゆらゆらと揺れる現実感のない世界が視界の中に広がっていく。

 そこは学校だった。灰色の校庭と校舎がある、私の通っていた小学校。


「いっつも笑顔でさぁ。んで、敬語。ナニがカッコいいと思ってやってんのさ?」
「イイコちゃんなんだよな、天金。体デカいクセにケンカしないし」


 突然、幼い少年たちの声が意識を通り過ぎる。子供の時、幾度となく繰り返された苛めの光景。暴力を良しとせず、ただただ幸せに微笑み続けていた少年の普段の一日。

 それが好きな子や気になる子の気を引きたくてやっているのだったら、見ていて微笑ましい光景だっただろう。

 けれど少年たちがやっているのは、自分たちと同じような存在として信じがたいクラスメイトの放逐だった。

 自分たちと異なった者への攻撃。幼いが故の残酷さがそこにあった。


「返して! 私の人形返してください!」
「女々しいんだよっ。喋り方気持ち悪いし」


 人形を眺めている少年の一人が、私から奪った青い色のネコ人形を弄っているうちに、何かに気付いたようで声を出した。

 所々にある仮縫いの跡。中から小さくはみ出る綿。無骨な造型。そこから見て取れることがある。


「……ん? これ、手縫いじゃん。キメェなぁ」
「料理とかもできるみたいだぜ、アイツ。この前言った冗談本気に取ったみたいだし」
「ああ。あの学校中掃除しろってヤツ? ホントにやったの!? うっわコイツ、マゾってヤツじゃないの?」
「マゾって何だ? おいしいの?」
「兄ちゃんが言ってた。苛められるのが好きな人」
「あ、それコイツじゃん。じゃあ、今日からこいつはマゾ丸だ」


 あの時の私は、悲しくて、悔しくて。私は泣きたかった。

 その人形は、私の妹へ誕生日のプレゼントとするために作った物だった。

 同部屋の私の妹に気付かれないように、夜な夜な徹夜して作ったプレゼント。それが、ちょっとした悪戯程度の理由で取られてしまった。

 全員に囃し立てられて私はただ立ちすくんでいた。反響する少年たちの囃し声。

 半透明に見える校舎。輪郭だけの少年たち。空は灰色で、その時の私の心を映し出していたに違いない。

 その中でハッキリとした色を持っているのは人形だけ。私の妹の好きな動物であるネコをイメージした人形だった。青は私の妹の名前の一文字。彼女の好きな色。

 私は走り出すと、人形を取った男の子の一人に飛び掛っていった。

 男の子が取られる前に、別に仲間に人形を投げる。宙を舞う人形。別の子供がキャッチする。

 人形を受け取った男の子を睨み付けると、私は人形の下へ走り出す。

 決して子供は狙わない。私は生き物を傷つけるのが嫌いだったから。


「返して、妹の誕生日プレゼント!」
「妹だってよ!」
「やーい、やーい」


また投げ出され、空を駆ける人形。放物線を描いて、どこまでもどこまでも伸びていく。

 私の目はその人形の軌跡をじっと見つめていた。


「あ」


あることに気付いて立ち止まった一人の子供が、落下してくる人形を受け取るのを失敗した。

 軽い小さな音をたてて落ちる人形。その先には、校長が趣味で作っていた溜池があった。これを避けるために子供は止まったのだ。

 ――ポチャン。

 当然、人形は校庭の池の中に落ちた。落下点を中心にして、水の上を波紋が広がっていく。

 静寂がその場に満ちた。

 受け取り損ねた少年は辺りをキョロキョロ見渡すと、周囲の沈黙に耐えかねてそのまま走って逃げ去っていった。

 全員が顔を見合わせる。彼らは、ただ〝遊んで〟いるだけだった。

 目の前の少年にとって大切な物が、水に落ちてしまうなんて誰も考えていなかった。

 沈んでいく人形を見て、崩れ落ちた私。その口から嗚咽が漏れた。

 少年達の一人が、ポツリと呟いた。顔は青かったが、目は真剣だった。


「お、おれは関係ないからな」


 自己保身。子供にとって当然の行動。その一言がきっかけだった。一人、また一人。その場から走って逃げていく。

 少年たちの口から漏れる自己弁護。あいつが悪い。お前のせいだ。口々に言いあって、自分が悪くないと言い訳してから逃げさる少年たち。

 最後まで残っていた一人が逃げ去った仲間たちを見送り、私を済まなさそうな顔で見るとやはり逃げ去っていった。

 その子供の背中を、私は彼が校門から走り去るまで見続けていた。

 溜息をついて、水の中に沈んだ人形を眺める。別に、乾かしてしまえばそれでいい。誕生日まではまだ時間がある。ただ、それよりも気がかりなことが私にはあった。

 ……それは、最後に逃げ去った彼のこと。彼はきっと優しい人。優しいけど、とても弱い人。

だから苛めを行っている少年たちに何も言えなかった。

 けれど、それは悪いこと。

自分だけは良い人であるというアピールをしたって、誰も貴方を良い人だとは言ってくれない。

 結局最後に逃げ出してしまった時点で、貴方は彼らと同じ穴の狢。

 むしろ自分がいい人だとアピールした分、貴方は良い人ぶってしまったという自責の念に苛まれる。

 苛められた人は、憐れまれたという悲しさに包まれてしまう。

 中途半端な優しさは、苛められた他人と苛めをした自分を苦しめる。

 だからもう、そんな優しさは捨てなさい。

 弱いままでい続けるのを良しとするのなら、優しさを捨てなさい。それはあっても苦しいだけ。

 強くなりたいのなら、人を止める勇気を持ちなさい。きっとその方が貴方の心にずっといい。

 この平和な日本で強い勇気を持つ最初の手段は、きっと他人の苛めを止めること。

 まずは、いじめを見過ごさないことから始めてください。

 人を、止められる勇気を持ってください。

 私は悲しかった。私の弱さと、いじめっ子たちの強さが。

 誰かを助けてあげよう。

誰かを苛めないでも、排斥しないでも自分の我を通せるようになろう?

 ずっと苛められているうち、私はそんな思いを抱くようになっていた。

 それは弱者の遠吠えでしかなかったのかもしれない。

 けれど、その時の私が抱いた、変えるべき何かだった。

 多分、これが始まり。

私が子供たちに幸せをあげたいと考えるようになった、原初の記憶。

他人を貶さなくても、自分の力で強く幸せになれる子供になって欲しいと願った。

 私は涙を拭うと、躊躇いなく溜池の中に入った。あの時の季節が何だったかは覚えていないが、夕闇に照らされた水の中はとても冷たかったのは知っている。

 ジャブジャブ。水を掻き分けながら進む。溜池のちょうど真ん中に立つと、水の中に沈んだ人形を掴んで持ち上げた。

 水を吸って重くなった人形。ポタポタと、滴が垂れた。人形と、目から。

 理性で納得しても、感情が納得しない時があると、私はその時知ったのかもしれない。

思い出とか楽しみとか。そんな人形を作るのにかけた時間を返して。私の思いを返して、返してよ……。

 私は水に濡れながら、小さな学校の小さな校庭の小さな溜池の中で、自らのちっぽけさを身につまされながらただ泣き続けていた。




シャア丸さんの冒険
短編2話「かえしてと叫ぶ人」




「――えして。――してくれ!」


 何時からか耳に入っていた大きな声。ハッとして私は起き上がりました。ガサリと近くにあった葉っぱが音をたててしまい、少しだけビクリとします。近くでフクロウのような鳥の鳴き声が聞こえました。

 気付くと、シャンの村から出てから幾月もの時間が経っていました。

 私が指名手配されていると知っている人や組織から身を隠す為の旅路。

 薄暗い森の中。昨日、人の少なさそうな森を選んで私は野宿していたのでした。冷たい石畳に比べれば、こんなモノどうということはありません。

 そこで聞こえた人の話し声。どうやら、離れた所にある、少し開けた場所に人がいるみたいです。

 ……それにしても、私の夢を見るのは久しぶりです。

 どうして保父になろうとしたのか。

確かにそんな日々を経て、私は誰かを育てる職業に就きたいと考えたんでした。

 争いは、嫌いです。長い年月の中で嫌いになりました。

 ……今は、近くの争いの様子を見に行きましょうか。

 森の影に身を隠しながら、そっと声の聞こえる場所に近づきます。

 そこにいたのは、三人の男。何かを叫び続ける一人の男と迷惑そうな顔でいる二人の男。

 二人組みの方は、なんだか個性の無い白装束……ローブですかね? まるで何処かの組織の下っ端みたいです。

 一人の方は、サングラスをかけて青い帽子を被っています。他に、あまり記憶に残りそうにない真っ黒なシャツと白いズボンを着込んでいます。

どちらの組にしろ、怪しさは抜群です。特に一人の方は、目立たない格好すぎです。


「返してくれ! 娘を返してくれ!!」
「何度も言っているだろ。娘は人質だ。大人しく言う事を聞け」
「返してくれ! 返してくれ!!」


 返してくれと叫び続ける男の人。……夢を見た理由はそれですか。

この人たちが何時から話しているかは知りませんが、あの人の叫び声で夢を見たようですね。

 なんだか嫌な光景です。さっきの夢の中でもあんなことありましたから。

 返してくれ、人質、言うことを聞け。この単語を聞く限り、悪いのは二人組みの方ですね。


「まぁいい。どうせ、お前は言うことを聞くしかない。子供を返すのはやることをやった後だ」
「伝えた『情報』を早く調べておけよ」
「ま、待て!」


 去っていく二人組み。うな垂れる男の人。寸劇のように綺麗な会話を、見届けて、私は決心しました。

 ……娘を人質とか、見逃せる話ではないです。

 指名手配されている私が動くのは危険ですが、子供を助ける為なら一肌脱ぎましょう。

 私は出来るだけ音をたてるようにしながら、うな垂れる男の人の前に出て行きました。防音を解いた赤鎧は、森の中でも甲高い金属音を出します。


「……!」


 大きめにたてた音に気が付いたらしく、ハッとして私のいる方向を見る男の人。サングラスをかけているので、彼の瞳は見えません。

 私の姿を確認すると、バツが悪そうにしきりに頭をかいています。

 サングラスを透かして見える目は、弱者の目でした。

 ますます苛められていた私を思い出します。


「誘拐、ですか?」
「……聞いていたのか?」


 驚いた顔の男の人。

話が終わってすぐに出てきたのだから、聞いていたに決まっています。

 それとも、最初から聞いていたら出るに出れないような話をしていたのでしょうか?


「警察機関とか、管理局には訴えないのでしょうか?」
「……どうやら、最初から聞いていたようじゃあなさそうだな」
「……?」
「公立機関を利用できるような立場の人間じゃなくてね。……自分のことは自分でやる。何処から聞いていたのかは知らんが、お節介焼きのお嬢さんには関係のない話だ」


 冷たく言い放たれて、さすがにムッとします。人の力を借りるのは、別に恥ずかしいことじゃないというのに。

 でも、まぁ、お嬢さんって言葉はちょっとだけ嬉しかったりしますが……。

 やっぱり、男の記憶があると色々大変なんですよ。色々と勝手が違くなりますから。


「……ただのお節介焼きではないですよ、私」
「……嬢ちゃん。なにやら腕に憶えがあるようだが、争いごとにことあるごとに関わってたら、命が幾つあっても足りねえぜ。俺のことは放っておいて行っちまいな」


 迷惑そうにしっしと手を振る男。さらにムッときました。

 何がなんでも話を聞こうと思って手を上げます。指の先で煌く二つの指輪。翠の宝石と蒼の宝石。

 一瞬の発光。指輪から分離した鋭利な宝石が宙に浮かび上がりました。


「……変な格好してると思ったら、魔導師さんかい」
「普通、見れば分かると思います。こんな赤鎧を着ている女はみんな魔導師です」
「……普通、女魔導師のバリアジャケットって言やぁ、色っぽい薄着じゃね?」
「魔導師に夢を見すぎです。みんな暖かい厚手の服を着ますよ」
「そうか。……男って、悲しいよな」
「……そうですね」


 しみじみと同意した私に疑惑の目を向けながら、男はクラールヴィントを見詰めています。

 浮かんでいる宝石が何なのか分かっていないようです。特に警戒する様子もなし。魔導師を前にその隙は致命的です。

 何を話していたのかを教えてくれないなら、力付くでも聞き出します。

 ……でわ、必殺。

 プカプカと宙に浮かんでいた宝石が、神速で動きだしました。


「……それがなんだ……って痛っ!?」


 嘲りに近い顔で浮かんでいるクラールヴィントを見ている男の人に、少しばかり痛い目を見てもらいます。

 サクッと音をたてて男の人の腕に突き刺さりました。……あ、ちょっと強すぎましたかね。

 今度は威力を弱めて……。

 両手に顕現させたクラールヴィントの宝石四つで交互に男の人の肌を刺します。

 ちくちくちくちくちくちくちくちくちくちく。

 先の尖った鋭利な宝石は、そのまま刺すだけでも結構痛い。

 これに魔力でも通して使えば、人の腕くらいなら楽に貫通できそうです。

 魔力を通していないので、微妙な威力ですが、まあビックリはしているみたいです。


「痛い、痛いから! 止めい! あ、ごめ、止めてください。このちくちくデバイスを止めてください」
「止めて欲しかったら、いったい何があったのか教えてくださいね~」
「OK。分かった譲歩しよう。さあ、だから止めるんだフロイライン。痛っ」


 最後の一刺しをして、攻撃を止めてあげます。

 これで素直に答えてくれたらいいんですが。でないと止めた意味がないです。

 決してフロイラインって言われたのが嬉しいから止めたのではないので、そこらへんヨロシクお願いします。


「普通はデバイスって直接攻撃に使うもんじゃないよな……。俺、おかしくないよな?」
「えいっ」
「では、何があったかお教えします」


 愚痴る男、振り上げられるクラールヴィント、速攻で謝る男。

 素直な人はいい人です。たとえ、それが身を守るための行動であったとしても。

 私を胡乱気な目で見て後、観念したように何があったのかをポツポツと語り始めます。


「……俺の名はノザーノ。偽名だ。それと、内容を聞いても引くなよ」
「……はぁ」


 いきなり名乗りは偽名ですか。私も同じく偽名を名乗るつもりなので構いませんけど。

サングラスの奥で細められた目。その目は品定めでもするように、私に食いついています。

私が本当に信用置ける人物なのか見定めているようです。

とうとう、口が開かれました。私は信じられたのか、信じられていないのか。


「実は闇ブローカーなんだ、俺」


 どうやら信じられたみたいですけど……。

彼の名乗ったあんまりな職業に、私の時間が停止しました。

 思考が停止している私を見て、あっちゃぁと首を掻くノザーノさん。

 そうは見えないですけど、この人は闇のブローカー。つまり、違法商品の取り扱い人ですか。


「俺が扱う商品は、『情報』。奴らは俺にヤバい情報を仕入れる事を求めているんだ」
「……どこかの組織との取引なんて、闇ブローカーにとっては基本的なことでは?」
「いや、強要されているんだ。もしもあの情報を得たら、俺は消されるだろう……」
「じゃあ断ればいいじゃないですか?」
「それも駄目だ! 俺の命が亡くなってしまう」
「……どっちにしろ死ぬんですか?」


 情報を扱っているブローカーなのに、どうやら私の顔は知らないようです。……裏にいる人っぽい人がご存じないとは。……湖の騎士も地に落ちたものです。

もしかすると、望遠映像の解析はまだ誰にも出来ていないのかもしれませんね。だとしたら、運が良いと喜ぶべきか。知名度が低すぎると嘆くべきか。

 現在聞いた話を纏めますと、この人は情報を扱う闇ブローカー『ノザーノ』。

 とある組織に強要されて無茶な情報を集めさせられている。

 今回取ってくるように頼まれた情報は、仕入れれば死んでしまうほどヤバいヤマ。

 けれど仕入れなくても死んでしまう、と。


「……ああ、死ぬんだ。人質が」


 情けなく呟くノザーノさん。どうしてそんな最大の弱点を闇ブローカーが持っているのでしょうか。

 後腐れなく、大切な物もない。それが闇に生きる物の定めでは?

 弱点を抱え込むような人が、何故闇に生きているのです。


「こんな仕事はな、どこかに救いがなきゃやってられねぇんだよ。娘は……俺の命なんだ」
「しかも娘なんですか」


 なんともまぁ……。だから娘とか言っていたんですか。話が繋がりました。

顔に傷とかがあるようなコワモテではないですが。普通にサラリーマンやってそうな顔で、どうして闇ブローカーなんて始めたんでしょう。

 さらに娘持ち。子供のことを考えて足を洗おうとか考えなかったんでしょうか?


「闇にはな、一度浸かってしまうとそう容易にゃ抜け出せねぇんだ。生きる為には金がいる。だから、俺は情報屋を続けているんだ」


 ……なんだか喋り方まで変わってきているような。

仕事について話す時はべらんめぇ。娘と話す時は優しいお父さん。

そうやって自分を別けているのかな。

 人を売って日々の糧を得る情報屋なんて、自分を別けなくてはやっていけないのかもしれません。


「娘が人質に取られた俺は、何度も何度も危ない橋を渡らされた。だが、娘が奴らの手にある以上逃げる訳にはいかん。利用されるだけの俺は、かれこれ四ヶ月近くタダ働きなんだ」


 苦々しい口調の中に微妙に生活的な物が混じっていましたが、これは見逃せる話ではありません。

 子供を助けて、ついでにこの人も助けてあげましょう。

 AAランクの魔導師の力を見せてあげます。……さらに指名手配が強くなりそうですが、人助けの方が重要です。


「組織の名前は、いったい?」
「何を考えているのかは想像つくが、止めておけ。死んじまうぞ」
「子供を助けたいんです」
「子供を、か。……ふむ。嬢ちゃんなら、もしかすると……。おし、ついて来な! 会わせてぇ連中がいる!」


 子供の一言に何か感じ入る物があったのか、全面的に信頼した目で私を手招きしてきます。……それにしても、喋り方がもはや別人です。

 顔に傷すらない、どちらかと言えば優しげな顔をしている人があんな喋り方をするのは不思議な気分ですが、何故だか似合っています。

 この人もまた、数々の修羅場を駆け抜けた一人の戦士だということでしょう。

 気合を入れながら歩いていくノザーノさんの後を、私は必死に追いかけました。

 やっぱり、走るのは苦手です。ヴォルケンリッターの一員として恥ずかしいですが、運動は前衛三人に任せます。




 森から抜けて、闇夜の平原を歩き続けます。所々にある、伸びきった草に足をとられたりしましたが、何とか後に続きます。

 途中で、謎の組織に仕入れろと言われた情報が、管理局の弱みであることを聞きました。なるほど、それは確かに危険です。調べたら消されそうです。

 道なき道から街道やら森やらを歩くこと約一時間。

 月に照らされる平原の中に、ポツンと小さな一軒のログハウスがありました。

 あまりの場違いさにまたしても思考が停止しましたが、ノザーノさんは真っ直ぐ家の中に入っていきました。

 慌てて私も後を追います。表札には『急転直下ログハウス』と書いてあります。訳が分かりません。

 ログハウスの中は活気に溢れていました。たくさんの人が、中でジュースとかを飲んでいます。酒場とかに行くとこんな光景が広がっていたりするのかもしれません。

 ……もしかして、何かの罠だったのでしょうか?

 いえいえ。そんな様子はありませんでしたし、子供を助けたいという彼の目は真剣でした。嘘つきにあんな目はできません。

 私が困惑する中、ノザーノさんが手をあげました。

 部屋が一斉に静かになりました。

 エヘンと咳をすると、ノザーノさんが叫びました。


「よく集まってくれた! ブローカー諸君!!」


 ……ここにいる人たち、全員ブローカーなんですか。

 この人たちはどうしてこんな集まりを?

何となく見回したログハウスの中にポツンと置いてある看板には、『ようこそ闇ブローカーの溜まり場〝急転直下〟へ!』と書いてあります。……闇ブローカーに溜まり場があってどうするんです。だから狙われるんですよ。


「人質を取られ、度々の無茶な命令に脅える諸君! とうとう我々は、あの『黒い爆弾』へ反抗作戦を決起する事を決めた!!」


 その演説は何が起こっているのかを知らない人にはよく分かりません。

なんですか、黒い爆弾って。爆弾は黒いに決まってます。ボンバーマンの受け入りですが。

 それに人質を取られたブローカーたちって。みんな弱み持ちなんですか。

 反抗作戦っていうのもちょっと分かりかねます……。

 私はただただ混乱することしかできないです。

 それにしても、ノザーノさんは一体幾つ喋り方を持っているのでしょうか


「今日はその話し合いの為、皆に集まってもらった。我々の情報網を駆使し、かの『黒い爆弾』のアジトを突き止め、人質を解放しよう!!」


 皆が何故か一斉にブーイングを始めました。

 ようするに、労働基準法に違反している組織へのストライキみたいなモノですよね?

 どうしてブーイングするんでしょうか。


「『ブラックボンバー』に逆らうだと!? そんなことをしてたまるか! それで私の大事なペギーが傷ついたらどうする!!」
「正式名を言うな! だが、こいつの言う事には賛成だ。おれの大事なムッチが壊れたりしたら目も当たられない。今は、奴らの言う事を聞こう」


 ぞろぞろと出て行く人が数人。

 それにしても『ブラックボンバー』ですか。嫌な名前です。

 ブラックボンバー。私が指名手配される切欠となったテロ組織です。なぜか私がその組織に関係していると勘違いされてしまっているのです。

 時空管理局へ日々致命的なダメージを与えている非公式組織だと聞いています。

 あまり管理局への心象が良くない私は、どちらかといえばテロリスト寄りです。

 ですが、普通に生きているブローカーさん達を食い物にするような組織だったとは知りませんでした。

 闇ブローカーは確かに違法ですが、必要な悪でもあるんです。

 ……でも、どうしてこの人たちは黒い爆弾と呼んでいるのでしょう。

噂だと、ブラックボンバーは……。


「畜生!!」


 ノザーノさんが机を叩く音を聞いてハッとしました。

 ……ちょっとだけ驚きました。警戒が薄かったら、尻餅をついていたかもしれません。


「どうしてみんな分かってくれない! もしかすると、愛しのマイドーター(今年で六歳)がイヤンな目にあっているかも知れないのに!!」


 いや、そんなことをする人いませんよ、普通。

 六歳でイヤンな目にあうのってかなりヤバくないですか。

 それからわざわざかっこで括らないでください。


「こうなったら、俺一人だけでも……!」


 そこで、何故かチラリと私を見るノザーノさん。

 周囲の人々は、ノザーノさんを無視しています。


「こうなったら、俺一人だけでも行ってやる!」


 また、チラリと私を見ます。

 周囲の人々が、呆れ顔で帰り仕度をしています。


「止めるな、みんな! 俺は愛しのドーター(今月で六歳七ヶ月)を助けたいんだ!!」


 別に誰も止めていません。三度私の顔をチラリと見ました。

 ……ノザーノさんが何を言いたいのかが分かってきました。他の人が呆れている訳も。

 寸劇にノるのはちょっと嫌ですが、どの道助けにいくつもりでしたし丁度良いです。


「待ってくださいノザーノさん! 貴方が言っては危険です。私が行きます!」


 瞳を潤ませ、頬を上気させながら言ってみました。

 私の言葉に、身を仰け反らせるノザーノさん。

 ……続けるんですか、寸劇。

うわぁ、嫌だぁ。そんな気配を出すと、ノザーノさんは咳払い。


「だが、本当に危険だぞ。それに、アジトの場所は分かっていない」
「急に真面目になられても困るんですが……。大丈夫です。それに、場所ならすぐに分かります。クラールヴィント!」
『Ein Suchanfang』(探索を開始します)


 待つことほんの数分。クラールヴィントがアジトの場所を発見しました。

 ……指名手配の恨みとかのおかげかな?

 その旨を報告します。


「見つかりました」
「速っ!!」


 ノザーノさんの驚愕の声。

 クラールヴィントは、補助特化のアームドデバイスですからこれくらいの探索ならお手の物なんですけど……。

 準備の前に、カチャカチャと手甲を弄ります。

 爪の様子は大体OK。爪の先に嵌ったクラールヴィントをチェック。

 いい感じに固定されています。爪が割れたりすると、手甲の下に避難する構造になっています。

 こういうチェック、忘れるとマズいんですよね。何時の日かポカして凄い失敗をしてしまうような気がして恐いです。


「場所が分かったからって……。危険だぞ!!」
「……俺の代わりに行って欲しいと、さっきまで言っていたじゃないですか」
「口には出してない!!」
「顔に出していました」


 何故だかにらみ合う私とノザーノさん。

 別に恩を売るつもりとかはないです。きっと、指名手配の原因を作ったブラックボンバーを私が潰したいだけなんだと思います。

 こういうところはキッチリ復讐する必要があるんです。

 ……実は建前ですけど。子供を助けるのは、私の義務です。

 保母たるもの、子供の為には一肌脱ぐのが普通です。

 自分が出来る範囲までなら子供の為に闘う。それが保母の心得です。

 でもAAランクとはいえ、補助要員の魔導師が一つの組織を潰すのって自分が出来る範囲なのかしら?

 ちょっと気になりましたが、ここはノリでカバーです。

 人質は、助けます。人質を傷つける結果に終わってしまったら悲しいですけど、何もしないで人質が傷ついたらもっと悲しいです。


「……行ってきます。私が帰ってこなかったら、貴方たちが頑張ってください」


 平原のど真ん中の家の中にいる人たちに目を向けます。

 皆、一癖二癖ありそうな人々ばかり。

 ここに残っている人たちは、みな戦う意思を持っている人。

 私はこの人たちの手伝いをするだけです。

 不肖ですが、湖の騎士シャマル、先陣を切らせていただきます。

 決意を決めた私に、色眼鏡の筋肉さんが近づいてきました。

 全身から、只者ではないオーラが満ち溢れています。


「頑張ってくれよ。そして、俺様の可愛い子猫ちゃん(生後三ヶ月の雑種)を助けてくれよ」


 この人の人質はネコですか。既に人じゃありません。

 キャラに似合わなさすぎて、逆にマッチしてしまっているのはある意味凄いです。


「おれのムッチを頼む。大事な大事な豚さん蚊取り線香なんだ」


 ……何故に蚊取り線香。渋いとかそんな問題じゃありません。

 わざわざ別世界の焼き物に名前つけて何やってるんですか。


「私の豚さん貯金箱……」


 とっくに割られてます。何故にまた豚さん。


「金色の超レア品なんです」


 聞いてません。


「わたしの馬刺しも……」


 とっくに腐ってます。


「じゃあ、朕のヘルメット代わりのカツラ……」


何で変なモノばかり人質に取られているんですか……。

 色々言いたげな人々を置いて、私はクラールヴィントの指し示すポイントに向かいました。




 途中で疲れてしまったので、歩くのは止めて飛んで進みます。辿り着いた場所。そこは渓谷でした。幾つものクレパスの開いた岩場。

 なにか用がない限り絶対に人は来そうにない死の大地。

 ここら辺は度重なる開発の結果、自然が壊れて砂漠化してしまった場所だそうです。

 クレパスの下を覗いてみると、なにやら入り口があります。

 飛び降りて様子を窺います。目に見えるのは、結構広めの入り口。中から光が漏れているのを確認しました。

 ……ビンゴって奴でしょうか。

 ちょっと危険そうですが、そっと中を見てみました。

 そこには、ピカピカと輝く一つの看板。


『テロ組織LOVE☆BOMBER』


 無駄に豪奢に装飾された電灯の数々。

 ……ここはブラックボンバーじゃないです。

 『ラブボンバー』です。

 ふと気がつくと、看板の下に立て札があるのを見つけました。


『13時~14時まで、ラブボンバー』


 ……時間を確認。13時55分。

 ……ちょっと離れて様子を見ます。

 14時丁度。人が現れて、看板の前で何かをしています。

 ふぅと汗を拭ったその人は、すぐに奥に引っ込みました。

 入り口にまた近づきます。


『テロ組織BLACK BOMBER』


 意味不明です。

 ネオンとかが取り外されて、普通の看板になっています。

 どうして秘密組織の前に看板を置くんですか。

 そしてブラックとラブに何の差があるんですか。それで何を表現しているんです。

 愛と黒ってなんですか。黒愛。黒人を愛せよ。

 さらに意味不明です。自分の思考ながら辟易します。

 ボンバーに何か意味が……?

 なんだか訳が分からなくなったので、突入する事にします。

 とりあえず、制圧ならば補助キャラの本領発揮です(多分)。ふふふ。片っ端から眠らせてあげます。

 そっと看板の横を通り過ぎました。抜き足差し足忍び足。こそこそと足を進め……。

 同時に鳴り響くブザー。とてもうるさい。

 ……トラップです。ああ、そういえば私って、潜入任務なんてやったことないんでしたっけ。

 変装なんてサングラスをかけてコートを着ればそれで良いと思っているくらいですよ?

 えーと、えーと。


「賊だ! 出会え出会え!」


 奥から人の声が聞こえます。……貴方たちが国賊です。つまり貴方が賊です。

 とちらかといえば、私は正義の味方です。この場合の正義は人質の解放ですのであしからず。


『los Schlief』(強制催眠)


 飛び出してきた真っ白ローブに、強制催眠魔法を纏わせた左手でチョップします。

 ふらりと揺れた後、しばし粘ってから白ローブは倒れこみました。

 強制睡眠の効き目は十時間くらい。しかし、高ランクの魔導師には通用しない。

 ……なんだかカートリッジが欲しくなってきました。

 それがないなら、せめて武器が欲しいです。できれば鈍器。どこかで調達できるといいんですが……。

 さっきのブザーで私の侵入はバレてしまいました。速攻で駆け抜けて人質を連れて逃げ出しましょう。

 管理局を貶めてくれるこのテロ組織自体は別に嫌いじゃないんです。むしろ好きなほうです。

 さて、と。目の前に倒れている白ローブを目に入れます。

 先に進む前にちょっとだけ、気になる事があるんです。それを確かめてからでも遅くありません。むしろ、それが気になって潜入に失敗してしまうかもしれません。

 ――ローブだから、裾がスカートみたいになっているんですよね。

 …………チラ。


「―――――っ!」


 そ、それでは先を急ぎましょう。

 私は何も見ませんでした。

 私は何も見ませんでした。

 うふふふふ。

 ――ドゴ。

 ぐはっ。

 何かを踏んだような気がしましたが気のせいでしょう。

 ま、全くぅ。私もお茶目さんです。このおっちょこちょい!?

 私はわき目も振らずにアジトの中に駆け込みました。




「……魔導師が一人だけで侵入?」
「はい、バク様。結構な高ランク魔導師が、ここに」

 漆黒のローブを纏った男の前に、一人のリバディが現れた。リバディが本名だが、別に今は関係ない。

 リバディが手を振り、空中に映像を作り出す。遠距離投影の魔法だ。

 基地の所々に設置された魔力カメラの映像が映し出される。

 そこには、倒れ伏す組織の戦闘員たちが映っていた。


「な、バカなっ!? 侵入から今までたいして経っていないというのに、すでに皆殺しだとぉ!?」
「落ち着け。映像を良く見ろ」


 バクの言葉に落ち着くと、息を吸って吐いて、リバディはそれに気がついた。

 皆、胸が上下に揺れている。眠っているのだ。

 一瞬、睡眠魔法なんぞにかかりおって、たるんどる。別に老人ではないのだが、そんな言葉を口から出そうとした。

 そう思ったリバディだったが、それを口に出す前にあることに気付いて戦慄した。

 あれだけ大量の人数を同時に眠らせるほどの実力者。なのに、何故拘束魔法ではなく睡眠魔法を選んだのかが気になった。だが、すぐに考えるのを止めた。

 眠らされているのだから、眠らされているのだ。相手の性格を考えるのは後でいい。今は少しでも情報を得るのが先決だった。

 数秒後、設置された魔力カメラに一人の女性が映った。

 趣味の悪い紅い鎧を着込んだ女だった。腰についた短いスカートをはためかせながら先を急いでいる。中々の飛行速度だった。

 残念な事にズボンも穿いているため中身は見えない。


「……魔法使いが鎧とは珍しい」
「馬鹿者」


 リバディの言葉はまたしても打ち落とされた。


「あれは、ミッド式の魔法ではない」
「……? では、何があると……?」


 しっ。バクが口に人差し指を当てた。

 その動作にハッとして、リバディは映像を見た。

 そこには、組織の構成員たちに囲まれている女性の姿が映っていた。


『えーい。面倒くさいです! 特に活動していない時間帯なのに、どれだけいるんですか!? 暇人は眠りなさい!』
『Nebel schlafen』(大量睡眠魔法)


 みんなもう寝なさーい。デバイスの放った魔法。それは、ミッドチルダの呪文ではなかった。

 ネーベルシェラーフェン。デバイスの発言とともに魔法が発動した。

 女性の周囲に浮かび上がった緑色の魔法陣。そこから大量の煙が噴き出した。

 一瞬で部屋を覆った煙は、また一瞬で消えた。

 煙が晴れた部屋の中には、眠りこけた構成員の姿があった。


「……三角形の魔法陣!? そんな物、聞いたことが……」
「三角形の魔法陣、特異な騎士甲冑。そして指に嵌ったアームドデバイス。……奴は、ベルカ式の術者だろうな」


 本来ミッドチルダの魔法陣は、四角形二つを組みあわせた八角形を丸い魔法陣が覆った形をしている。

 ところが、あの女の周囲にあらわれたのは三角形の魔法陣。その頂点に丸い魔法陣が浮かび上がるという、リバディの見たことない形だった。

 それを、バクはベルカ式だと断言した。

 ――やはり、ボスは凄い。

 リバディは眠らされている仲間たちの映像を見ながら、自らのボスの凄さに感激していた。

 しかし、彼女はどこに向かっているのだろうか。その女はあっちにフラフラ、こっちにフラフラ。目的意識を見出せない。

 急に立ち止まり、辺りを見回す。急に手に持ったデバイスを振り上げた後、目的意識を持ったように何処かに向かい始めた。

 それから数分もしないうち……。


「たぁー!」


 ドゴン。大きな音をたてて部屋の扉が蹴破られた。

 扉のその先、侵入者である女性が悠然とそこに立っていた。

 肩で息をしている女性を見て、バクは面白そうに顔をゆがめた。


「ようこそ、お嬢さん。よくぞここがボスの部屋だと見抜いた」


 リバディは女性を見た。かなりの上玉だった。しかし、趣味の悪い赤鎧が全てを台なしにしている。

 いや、結構格好いいかもしれない。

 格好よさを感じてしまうという未知の感覚に、リバディは戸惑った。


「……ボス部屋なんですか、ここ? 重要な部屋を探していたんですけど……。」
「おうともさ」
「さようなら」
「待てぃ!?」


 普通テロ組織に入り込んだのならば、ボスとの一騎打ちだろ!?

 常識の通用しない女性に、リバディは理不尽を感じるしかなかった。

 けれどテロ組織に入り込むだけで、どうしてボスなんかと戦わなくてはいけないのか?というのが女性の言い分だった。理不尽なのではないか、と。

 確かに理不尽ではあるかもしれない。だが、ボス部屋に入ったら逃げずに戦闘これ基本。

 二人の魔導師の会話は平行線だった。


「漫才してるんじゃない」


 そこに、バクが割り込んだ。その姿を見て、女性は息を呑んだ。

 彼の頭はボンバーだったのだ。つまり、アフロだった。さらに黒人。アフロ黒人。

 やはり。女性の口が動いた。やはり、アフロだからボンバーなんですね。

 爆発とは、アフロのことを指していたんだよ!

 ブローカーの皆さんはブラック・ボンバーの組織名を爆弾だと勘違いしていたようだが、実際はここのリーダーであるところのバク・ボニォがアフロだからボンバーなのだとこの女性――いい加減名前出したい――は確信していたのだ。

 そして、それが正しかった。正面に飾ってあった『ラブ・ボンバー』だって、ボンバーをアフロに変えれば納得がいく。

 つまり、みんなでリーダーのアフロを信奉していたのだ。

 どうして13時~14時なのかは不明だが。アフロタイム?


「――その時間は大事なアフロタイムなのさ」
「当たってしまいました!?」


 女性が絶叫した。まるで当たって欲しくなかったみたいだった。

 きっと当たって欲しくなかったのだろう。自分の想像の範疇にあって欲しくない。それは切実な願いだった。


「冗談さ」
「ほっ」
「冗談さ」
「えぇ!?」
「今度こそ冗談さ」
「ふぅ」
「それもじょうだ……」
「いい加減にして下さい! このままだと帰りますよ、私」
「いいぜ」
「わーい」
「待てぃっ!!」


 白熱した上司と侵入者のボケあいに、とうとうリバディは突っこんだ。

 突っこまずにはいられなかった。


「ツッコミの幅が狭いぞ、馬鹿野郎。それにこういうのはな、本当に出入り口から出られるまでが勝負なんだよ」
「それじゃ逃げられるだけですよ!?」


 なんとも緊迫感のない会話だった。

 ケンカしている今のうちとばかりに、こそこそと女性は扉から出ようとしている。

 バタン。女性の前の扉が閉まった。

 目の前にあるのは鋼鉄製の扉だった。ドンドン。扉を叩く女性。


「あ~け~て~」
「ダ~メ~よ~」


 女性の声に律儀に返すバク・ボニォ。

 野太い声の色黒アフロが言っても気味が悪いだけだったが。

 女性は必死な形相でバクを睨む。


「逃がしてくれるって言ってませんでしたっけ!?」
「逃がすわけないだろ」


 さっきまでボケあっていたとは思えない変わり身の早さだった。

 羽織っていたローブを脱いで投げ捨てるバク。鍛え抜かれた黒い肉体。腰には手袋のような道具が提げられている。

 バク・ボニォは、左手にその手袋を嵌め始めた。堅そうな材質で出来た不思議な手袋だった。

 まさか、ポポロくん専用の爪ではあるまい。


「こいつが俺のデバイスだ。ブーストデバイスと言ってな。まだまだ開拓されていない珍しい道具なんだ。俺が陸戦AAランクの魔導師なのも、こいつのおかげさ」


 AAランクと聞いて女性の顔色が変わった。

 リバディは自重するように薄く笑った。まさか、たかがテロ組織のリーダーがAAランク保持者だとは思っていなかったに違いない。

 女性も、実際そう思っていた。冗談だと言って欲しかった。


「冗談、ですよね?」
「本当だ」


 バクが身をかがめた。口から朗々とした詠唱が響き渡る。

 彼の使っているブーストデバイスというアイテムは、誰かに効果をかけることに特化している。

 ブーストデバイス最大の特徴はエンチャント。つまるところ能力付与である。

 時に対象の攻撃力や防御力や素早さのパラメータを上昇させ、時に結界貫通の能力を持たせたりする。

 本来は援護役である後衛。つまりフルバック向きの能力なのだが、バクは自らの身体能力の高さとブーストを組み合わせることで、超近接魔導師へと己が姿を変えた。


「美しきわが身に、力を与えるパワフリャの光を」


 それにしても独特な詠唱だった。というかナルシストが入っている。

 というか、パワフリャとは何だ。

 振られる拳の力強いこと力強いこと。これで速さとかも加わるとシャレにならない。

 緊迫感があるのかないのか分からない掛け合いに、何故か始まってしまった戦闘。いい加減女性も疲れてきた。


「……『湖の騎士シャマル』。その相棒が『クラールヴィント』。行きます!」


 シャマルも覚悟を決めた。とりあえず、眠らせる。

 肉弾戦の体つきだし、魔力は高いといえど抵抗力は低いだろう。

 その程度の辺りをつけてゼロ距離睡眠魔法を当てようとして、バクが振り抜いた拳に驚いて身を縮めた。頭を掠った拳の速度に驚愕し、ついで絶句する。つまり……。

 ――攻撃が、当たりません!?

 強制睡眠魔法は手を当てなければ効果がなく、全体睡眠魔法は発動に時間がかかりすぎる上に強制催眠と比べて効果が薄い。

 ……眠らせるのは無理っぽいですね。シャマルは簡単な無力化を諦めた。

 どうしてボスなんかと戦っているのかと考えて、シャマルはちょっぴり遠い目をした。

 だって、人質の方々が見つからなかったんだもん。探したら、何故かこの部屋についちゃったんだもん。心の中で涙を流すシャマル。


「我が肉体にマッスルの祝福を。完璧ぼでぃに走り抜ける勇気を!」


 またしても唱えられたヘンテコ詠唱。

 ハッキリ言って不気味だった。

 にしても、目を輝かせながら呪文を唱えるバクの姿は、小さな子が見るとトラウマになると思う。

 それから、わざわざぼでぃを平仮名で言わんでも。

 色々とツッコミたかったが、話し掛けると負ける気がするシャマルでした。

 目に見えて動きが俊敏になったバク・ボニォ。躍動する筋肉をこれ見よがしに見せ付けるのは止めて欲しい。ゆっさゆっさとアフロが揺れた。


「……行って、クラールヴィント!」
『Pendel stoßen』(振り子突撃)


 魔力を纏わせたペンジュラムを発射する。

 つい先程ノザーノに使った技の実戦版だ。

 近距離でしか使えない技だが、当たれば人間の体でも軽く貫くハズ……。


「効くかァ!」


 対応してバクの正面に発生した半透明フィールドが、シャマルの攻撃を防いだ。

 半透明フィールドにぶつかって大きく火花を散らすクラールヴィント。

 シャマルはクラールヴィントを放ったポーズのままでバクの正面に立つ。


「これが、私の切り札です!!」


 シャマルの左手の爪付きガントレットが音の速さで突き出された。

 半透明フィールドに爪がぶち当たる。

 ポキーン。折れた。

 右手。ポキーン。

 シャマルが影を落として座り込んだ。

 先ほどまでシャマルの頭があった位置を、バクの蹴りが通り過ぎた。


「……何だこの戦いは」


 戦闘をじっと見ていたリバディは、なんだか虚しくなった。

 お互い素晴らしい戦闘力と判断力を持っているのは、魔力の練りや体捌きを見れば分かる。

 だが、ちょっと変な戦いだ。二人とも少しふざけていないだろうか? ボスも遊ぶように動き回ってるし、あの女も爪折れて落ち込んでるし……。

 しかしリバディの思考とは裏腹に、二人とも一応本気だった。

 バクがなかなか攻撃に移らないのは隙が見つからないからだし、シャマルが影を落として座り込んだのも攻撃を回避するためだった。

 戦いの中で二人とも一応真剣だった。

 ただ、それでも悲しいことに変わりはない結果があった。シャマルはガントレットの爪を見る。

 ボロボロだ。綺麗にぽきんと折れた。簡単に砕け散った。どうしてフィールドに当たった程度で折れるのでしょうか?

 かなり情けなかったが、それでも口を動かし始める。

 魔力を練り始める。魔力素を吸収し始める。

 クラールヴィントで拘束魔法をばら撒いた。


『Fangen kühlschrank』(捕縛冷蔵庫)


 凍結系の呪文を発生させ……。

 バクに回避された。


 シャマルはフープバインドやリングバインドを幾つか投げつけながら、空を飛んでかく乱を続ける。

 空を跳ねるように飛び続けながら、バインドを回避しつつ近づいてくるバクをにらみつける。

 何度も輝き続けるクラールヴィント。

 その度に放たれるバインド。凄まじい勢いでシャマルの魔力が減っていく。

 放たれている魔法の連射速度に一瞬ヤケになったかと思ったバクだが、シャマルの目は輝きを失っていなかった。

 シャマルの口はまだ動き続けていた。

 彼女の目にある強い輝きを見て薄っすらと笑ったバク。

 さらに強化の詠唱を上乗せ。圧倒的な速度で駆け出す。


「むぅん! まっするぱんちぃ!!」
『Panzers child』


 バクの打撃とシャマルの盾がぶつかり合う。

 シャマルはなんとか三角形のシールドで拳を受け流そうとするが……。

 衝撃に耐え切れず、キンと澄んだ音をたててラウンドシールドは砕け散った。

 魔力の残り香をだけを残して消え去るパンツァーシールド。

 拳は威力を残したまま、ガントレットを直撃。ピシリと模様の入ったガントレット全体にヒビが入った。

 勢いをそのままに弾き飛ばされるシャマル。五メートルほど吹き飛ばされて、壁にぶつかって停止した。

 ――にしても、まっするぱんちは無いでしょう。

 たかが拳の威力に負けて砕けた自分の盾とか、バクの拳技の命名方法とか。色んな意味で冷や汗を垂らすシャマル。


「良くぞ防いだ! 次だ、ムキムキック!!」


 バクが今度振り上げたのは、足。

 バクの脹脛の筋肉が脈動した。滴る汗が部屋の中の灯りを反射してキラキラ輝いた。

 揺れるアフロ、輝く汗、淫靡に響く呼吸音、そして筋肉の塊。

 最悪だった。だが、どうしてもシャマルはその最悪には勝てない。

 何故なら、彼女は援護要員だからだ。直接的な戦闘は最も苦手としている。

 むしろ、何故彼女が率先して武力を用いてまで人を助けようとするのか不思議なほどだ。

 シャマルの持つ技や魔力諸々のステータスでは、バクに勝つ事は出来ない。

 それでも、シャマルの瞳に揺らぎはない。ただ勝利を一点に見詰めて闘い続けている。

 口は、まだ動き続けていた。


「来たれ戒めの大縄よ、掴め大罪の反逆者を、目前の罪人を捕らえたまえ!」
『Strang verhaften!』(捕縛の縄)


 シャマルの詠唱が響き渡り、空間に緑色の縄が出現する。

 やはり、またバインドだった。

 バインドによくある鎖の形ではなく、編まれた縄に近い形状だった。

 バクを目指して一直線で進むロープバインド。

 しかし、バクの拳の一振りで粉砕された。

 魔力の構成が、甘かった。一撃で壊されるバインドなど、あってはならない筈だった。

 ――魔力切れか?

 バクの脳裏に面白くない単語が浮かぶ。敵はかなりの使い手だ。そんな楽しくない結果はありえない。全力で否定した。

 最後の理由としてあげられるものがある。彼女の目に、全く動揺がない。

 何をするか分からない敵は、心が踊る。が、厄介なことこの上ない。楽しい戦いは別の奴と行うことにして、今は確実に仕留める。

 バクは覚悟を決めると、最終詠唱に移った。バクの身体から大量の魔力が立ち昇る。


「パワフリャ! パワフリャ! パワフリャ! パワフリャ! パワフリャ! パワフリャ!」


 バクの詠唱が狭いボス部屋に響いた。幾度も反響し、パワフリャは小さな世界の中に広がっていった。

 彼の筋肉が震え始める。それどころか心も震え始める。

 バクは目の前の騎士の冥福を祈る。今こそ、スーパーパワフリャタイムの始まりだった。


「むぅん! パワフルラリアット!」


 確実に叫ぶべきではない趣味の悪い技名であるが、彼の精神の安定と技の安定を図るためには絶対に必要な行動だった。

 技の名を叫ぶ事で、次に放つ技の確固としたイメージを固める。

 精神には、スーパーなロボットのヒーローみたいな感じでプラスの何かがあるらしい。

 バクのラリアットがシャマルの首に直撃。

 またしても吹き飛ばされるシャマル。追撃のために飛び上がるバク。

 空中で一回転。フライングチョップに移った。

 シャマルの体に半透明防御幕が形成。チョップとの間で拮抗する。

 またしてもバリアは砕け散った。

 組まれたチョップがブレストプレートに直撃。ヒビどころの騒ぎではなく、砕け散った。

 容赦のない攻撃でグッタリとしているシャマル

 バクは詰まらなさ気に鼻を鳴らした。

 前半こそ正面切って戦えていたが、所詮はこんなものか。

 補助魔導師が一人だけでここに来るのもおかしな話だった。

 戦いが終わって、バクには一つ気になる事があった。

 そもそも、この女はどうして我が組織に潜りこんで来たのか、だ。

 尋問でもして聞き出すとしよう。

 バクはそう思うと、シャマルに近づいた。


『……Hindern wind』(妨げの風)


 女の持つデバイスから聞こえた管制人格の声。一瞬バクはドキッとして身構えた。

 だが、何も起こらなかった。特に周囲に変化はない。

 自らのブーストデバイスを見る。

 インテリジェントデバイスのようにAIを積んでいるだったのなら何か教えてくれたのかもしれないが、残念なことに速度を重視する彼のデバイスにはそんな小利口そうな機能はついていない。

 助言のためなどに喋らない代わりに、魔法発動の処理が早い。

 それに、何も起こらなかったのなら魔力が尽きているだけに違いない。

 さっきのバインドは、かなり練りが甘かった。つまらないが、それが事実。

 バクはそう結論付けて、グッタリしたままのシャマルに手を触れようと……。

 突然、体の動きが止まった。バクの顔色が変わった。

 周辺の空気が鉄のように固くなり、バクの動きを封じていた。

 先程シャマルが使った魔法は、何かが触れたときに発動し、周辺の空気を固定し束縛する設置型のバインドだったのだ。周囲にはバインドの気配がありすぎて、気付くことが出来なかった。

 動けないバクの気配を感じて、ボロボロな姿になっていたシャマルの目が開いた。

 戦闘中ずっと唱え続けていた魔法の、最後のワードを口に出す。


「……旅の、鏡」


 目の前に展開された不思議な空間の中に、シャマルは迷うことなく自らの手を突き入れた。

 同時に、バクの胸からシャマルの腕が突き出した。

 シャマルの掌の上に、バクの物と思われる黒色のリンカーコアが浮かんでいる。


「……な、何を……?」
「貴方の、リンカーコアです。攻撃を止めないと、握り潰します」


 バクが息を呑んだ。

 戦闘の成り行きを見守っていたリバディは、その技に形相を変えた。

 リンカーコアの、強制破壊! それはないだろ、常識的に考えて!!


「卑怯だ! お前に誇りは無いのか!!」
「子供の為なら誇りなんてドブに捨てます!!」


 シャマルがキッパリと胸を張って返してきた言葉に鼻白んでしまうリバディ。

 バクは自らの胸から突き出るリンカーコアを見詰めた。

 目の前でキッと自分を睨んでいる女性の姿を、バクは目に焼き付けた。


「子供と言ったな?」
「はい。子供と言いました」
「まさか、ブローカー達の人質のことか?」
「はい」


 バクの言葉に力強く頷いたシャマル。
 少し、バクの顔が歪んだ。


「……ブローカーも、正義のために使われて嬉しかろうに。何故、人質の解放を行う?」
「子供に罪はないですから。子供の為なら、私は命を捨てられます。だから、私も子供のためになら命をかけます」


 力強く言い放たれた言葉。

 その言葉に、バクとリバディは一種の凄みを感じた。


「子供の為にか? 俺は世界のために管理局に敵対しているんだ。あの正義面をしている組織に、苦渋を舐めさせたい。そのために俺は動いている」
「貴方の過去に何があったのかなんて知りませんし、知りたくありません。私も管理局が嫌いです。それでも、人質を使うのは後味が悪すぎます」


 今の状況だと人質を助けるよりもこの人を説得した方が早いと判断したシャマルは、標的をバクに切り替えた。

 険しい目をしたシャマルの前で、フッとバクが微笑んだ。


「子供の為に、か」
「……?」
「そんな綺麗な目で、よくそうも吠えられる」
「吠えるって……」


 何だか嫌な響きにシャマルは顔をしかめた。

 だが、シャマルの手の中で揺れているリンカーコアを眺めるバクの顔はただ静かだった。


「俺にも、そう言ってくれる人がいればな……」
「過去は聞きたくありません。同情しちゃいますから」
「冷たい嬢ちゃんだな。大人になれば即ポイする訳か」
「大人になったと言うなら、自分の面倒くらい自分で見てください」
「違いない」


 薄く笑いあうバクとシャマル。

 リンカーコアが潰れるか否か。

 そんな危険な状況なのに笑い合っている二人を見て、リバディは気が気ではなかった。

 自分のリーダーが、リーダーの器ではなくなる。そんなの見ていられなかった。


「よし、人質は帰そう」
「ありがとうございます」


 何だか分からない交渉の末、人質の返却が約束された。

 リバディは絶句してしまった。

 人質を帰す。そんなことをすれば……。


「ちなみにな。目立ちまくっているこの組織が潰れないのは、人質を取って言うことを聞かせている闇ブローカーたちのおかげだったりする」
「はうぅ!?」
「人質を返還すると、間違いなくこの組織は潰れてしまうわけだ」
「……」


 迷ってしまうシャマル。別にこの組織は嫌いではないからだ。

 顔色を変えまくるシャマルを見て、バクは大笑いした。

 戦いの中でかいていた汗は、殆んど消えていた。


「でもなぁ。確かに、人質はいかんよな、人質は。人質を取ってテロをする組織なんて、潰れた方がいい。それを、忘れていた」


 シャマルは、バクの過去に何があったのかは知らない。知りたくもない。

 だけど、人には何か過去がある。過去があるから人はいる。

 そんな言葉を思い出した。


「人質を取って誰かを働かせるなんて、嫌だった。大切な信念だったのになぁ。どうして、それを忘れていたんだろう……」


 バクの表情が変わった。昔を思い出すような、優しい表情。

 シャマルは旅の鏡から手を引き抜いた。

 話が纏まった今、〝人質〟は必要ありません。

 目の前の人が人質を否定したのに、私だけが人質を持つのはルール違反。

 手が引き抜かれたのを見て、リバディはシャマルに駆け出した。

 確かに彼女は強かった。だが、あれだけボロボロならば自分でも倒せる……。

 二人の間に入ろうとして、リバディの動きが止まった。

 バクがとても寂しそうな顔をしていたからだ。何もかもをなくしてしまった子供のような、寂しそうな顔を。

 道しるべがなくてうろたえている子供のようなバクを見て、シャマルは口を開いた。

 ――大人になれば即ポイする訳か。
 ――大人になったと言うなら、自分の面倒くらい自分で見てください。


「では、そんな貴方を拾ってあげます」


 シャマルが、バクに向かってそっと手を差し出していた。

 何かを受け入れるように、大きく、大きく手を開いていた。

 それを見て、バクの目が見開かれた。だが、何かに納得したように目を閉じた。

 ――ボサ。

バクの大きな体が、小さなシャマルの手の中に収まった。

 彼は、母親に甘える少年のような顔でシャマルに抱きしめられた。

 目の前で行われている何かに、リバディの思考は停止した。

 ふと、目の前の女性はブレストプレートが破壊されている事を思い出した。

 つまり、リーダーは、目の前の、美人な女性の、生胸の中に、顔を、埋めて……。

 リバディの中に、なんだか色々な感情が駆け巡った。

 それは嫉妬だったり、困惑だったり、恐怖だったりした。

 どんな思考の通じ合いがあったのかは知らないが、そんなことをされても見ている分には分からない。

 リバディは、二人の様子をじっと見詰めていた。

 思うことはただ一つ。


 ――自分は、もう動いて良いんだろうか……?

 ……もうしばらく待とう。




 何があったのかは知りませんし聞きません。

 そっと、胸の中にいるバクさんを抱きしめます。

 何か恨みがあったのでしょう。何か悲しみがあったのでしょう。

 辛い何か。逃げ出したい何か。

 負の感情に追われて、彼は強くなってテロ組織を興したんだと思います。

 伝えたい何かが、彼の中で燻っていたんだと思います。

 誰にも言えないテロの理由。

 ブラックボンバー、ラブボンバー。

 どちらもアフロですけど、アフロにはきっとその髪型のように拡がる未来への想いが篭められていたんでしょう。

 ブラックには、自らが今立っている場所、テロ組織のリーダー。

 ラブには、誰かに伝えたい自らの心の奥底、餓えている愛や絆。

 ある意味爆弾でも正しかったんだと思います。

 溢れ出す、爆発しそうな感情を示す単語『ボンバー』。

 13時~14時は、自らの愛が表に出る時間だったのでしょう。昔、家族との語らいの時間だったとか。

 この人なりに、組織の名前は色々考えたんでしょう。最後はインスピレーションで決まったんだと思います。

 爆発させたいと、未来を拡げたいと。そう願っていたんでしょう。

 この人は今、そんな昔の気持ちを思い出しているんだと思います。

 昔の気持ちを思い出している人は、みんな子供です。

 だから、胸を貸すくらいなら簡単です。

 泣いてくれても構いません。ただ、ゆっくりとお話を聞いてあげます。

 頷くだけでも、聞いてくれるだけでも、ただ泣かせてくれるだけでも、きっと救われるんだと思います。

 彼は、人質を取って働かせるのは嫌だった。と言いました。きっと、そんな人生を送っていたのでしょう。

 今、昔のことを思い出して休んでいるんだと思います。

 バクさんが顔をあげました。

 そっと、頭を解放してあげます。


「嬢ちゃん」
「何ですか?」
「負けたことは、何度ある?」


 目を瞑りました。思い出すのは昔の話。

 脳裏を過ぎるのは、頑張って駆け抜けてきた日々。


「何度も」
「そして、今日もまた一つか」
「そう、ですね。また負けてしまいました」


 結果は私の勝ちで終わりましたけど、戦いの過程では私の負けでした。

 バクさんが立ち上がりました。

 もう元気みたいです。

 ……流石に、旅の鏡を利用したリンカーコア破壊コンボは卑怯ですよね。

 絶対に負けるはずの勝負も引っくり返せます。


「人質は解放して、組織を解散する」
「「えぇ!!」」


 私と名前も知らぬ魔導師くんが同時に叫びます。

 つい、顔を見合わせてしまいました。あ、私から露骨に目を逸らしてます。

 ブラックボンバー……解散するんですか?

 管理局にケンカを売ってくれる良い組織だったのに……。


「ブローカーを脅さなくては存続できない組織なんて脆弱すぎる。今度こそ、最高のテロ組織……いや、管理局の敵対組織を作る。それまで、解散だ」


 バクさんが胸を張って宣言します。

 確かに、組織をそのままにしていると捕まるみたいなことを言っていましたけど……。

 構成員のみなさんへの説明は大丈夫なんでしょうか? なんだか怒り狂いそうな人もいそうですけど。


「なぁに、初心を思い出させてくれた嬢ちゃんへの礼だよ。……ところで、恋人はいるのか? いないなら俺が立候補するぜ」
「遠慮しときます。可愛いお嫁さんが欲しいので」
「「――っ!!」」


 体に付いたままになっているブレストプレートの欠片を払います。そのため、視線は下に向いています。

 顔を上げると、そこにいるのは私を指さして絶句しているお二人とも。

 私、何か致命的に変なことでも言ってしまったんでしょうか? どうしてそんな表情をされるのか、サッパリわかりません。

 暫らくして気を取り直したように、バクさんは私を何処かに案内してくれました。




「わぁ。なんだか変なのが一杯です」


 バクさんに案内されたのは、人質の保管庫でした。ごちゃごちゃとした雑多な荷物がそこの大半を覆っています。

 牢屋ではなくて保管庫なあたり、ブローカーさんたちの不気味さが滲み出ています。

 ここにあるのは、人質ではなくて担保です。檻の中に居る人間なんて数人しかいません。


 一度檻を叩くと、憔悴した顔をしている人たちが私に近寄ってきました。


「助けに来ました」


 檻の中にいる一人の女の子。あの子がノザーノさんの娘さん、アイシスちゃんでしょうか。

 やっぱり疲れきった顔をしています。……子供ですし、先に連れて帰りましょう。

 出来るだけ安心できるように笑顔を見せます。私と目を合わせると、口を開くアイシスちゃん。


「お姉さん、誰?」
「正義の味方です。助けに来ました」


 笑顔で助けに来たと言った私を信頼してくれたのか、アイシスちゃんが寄ってきます。この精神状態で助けに来たと言われれば、誰でも信用しますよね……。バクさんから貰った鍵で扉を開きます。

 ご飯はいい物を貰っているのか、具合はそこまで悪そうではありません。小さな体をそっと抱きかかえます。


「お名前は?」
「アイシスです」


 小さく喋って、すぐに俯いてしまいました。どうやら眠ってしまった様子。……やっぱり、狭い所に置かれて疲れていたみたいですね。

 他の方たちは、後で迎えが来るでしょう。とりあえず放っておきます。白い目で見られますが、子供が第一です。


「我々はどうすれば?」
「ブローカーの方に連絡しておきますので、後で迎えが来ると思います」
「……はぁ」


 なんともやる気のなさそうな人たち。ずっと幽閉されているのですから、当然と言えば当然です。一度、全員に回復魔法をかけると檻の前から離れます。

 眠ったアイシスちゃんを抱えたまま、人質という名前の担保を見学します。

 ……あ、金色の豚さん貯金箱発見です。

 一度割られた後に、セロハンテープで補強されたみたいです。

 あー。なんだか、こんなのが出てくるアニメでありましたねぇ……。

 そっと貯金箱の中を覗いてみました。バッテン模様のついた貨幣を見つけた時点で、見るのを止めました。

 もしかしてコレ、ロストロギアだったりしませんよね……?

 中から何でも願いを叶えることができる魔神は出てきませんよね。

 もし出てくるのならば、あの人が大事にしていた理由もちょっとだけわかりますけど。

 ドラゴンボールよりも条件が厳しそうなんですよね、アレ。

 ……久しぶりにジャガイモこねてみましょうか。

 そうやって担保を見ていると、バクさんが声をかけてきました。


「さて、こんな大量のゴミをどうやって運ぶつもりなんだ?」
「運ぶのは無理です。組織を潰したってブローカーのみなさんに連絡しますので、後で勝手に取りに来るでしょう。助けたこの子が証明です」
「そうかい。それじゃあ、俺は眠りこけている奴らを起こして解散の旨を伝えてやるか。解散、解散、解散ってな。次お前と会えるのは何時だか知らんが、楽しみにしてるぜぇ」
「どうもです。それでは縁が合ったら会いましょう」
「おう。俺に恋人にされるまで、誰かのモノになるなよ」
「先に誰かをモノにします。その時は紹介しますね」


 最後まで緊迫した空気を保ったまま、私とバクさんは別れました。

 次に出会うとき。……その時の私は、もしかすると管理局員かもしれませんが。

 そもそも今管理局から逃げているのだって、私が闇の書の守護プログラムだからですし。

 事件が終わればはやてちゃんに付いて行って、万が一の確立で管理局員になりますから。

 管理局の仕事よりも、保母の方が魅力的ですけど。




 アジトの外に出ると、何時の間にか夜は明けていました。結局徹夜です。

 では、後はブラックボンバーの解散をブローカーの皆さんに伝えるだけです。

 私は眠気を押し殺すと、アイシスちゃんを抱えたまま、朝焼けの太陽に向かって飛び出していきました。









――あとがき
Q なんだか展開が変じゃないか?
A 最初はもっとグダグダだった。戦闘シーンを中心に色々直すの疲れた……。
敵だとか嫌いだとか作品の中では言っていますが、作者は管理局が好きな人ですので、そこんとこよろしく。

ところで、アフロが未来を現すって辺りから佐藤黒が馬鹿だ馬鹿だと五月蝿いんだが、いったい何が気にいらんのだろう。



ここで参考程度に、ssフォルダの中にあった『起動戦士ガンダム~伝説のアフロ~』のワンシーンを挿入してみる。絶対に誰かがやっているネタだと思うが、ガンダムssに詳しくない作者は知らない。
テスト版の時より増えているが、別に続きは書いていない。アホらしい作品が、ssフォルダの中には大量に存在する。



アフロの目覚め

アムロはジャンク広場で自分の父、テム・レイを発見した。
しかし、彼はあまりにも変わっていた。その豹変は彼の頭の上に強く現れている。
テム・レイの頭には直径一メートルを超えるアフロが乗っかっていた。
テム・レイは頭のマリモに手をかけるとそれをアムロに手渡した。
「これをつければ、ガンダムの力は百億万倍になる。さあ、早く付けるのだ!」
「父さん、酸素欠乏症で頭が……」
「いや、はっきりしている。だからこそ、これが創れたのだ」
「でもさ、父さん。これ、『アフロ』じゃないか」
「素晴らしいだろう。素晴らしい魅力を放っているだろう?ふらふらと頭に装着したくなるだろう?」
「………バカだよ、アンタ」


アフロ、初めての戦闘

「アムロはどこにいっている!」
「分かりません」
「それじゃあ駄目だろ。探してきなさい!」
「ブライト艦長。ただいま戻りました!」
「おお、来たか。アム………ロ?」
ブライトはアムロを見て絶句した。正式には頭の物体を見て、だが。
そこには直径一メートルを超えるマリモ。いや、真っ赤なアフロが乗っていた。
「誰がコスモの真似をしろと言った!」
「いえ、違いますよ艦長。僕は生まれ変わったんです。テム・レイの一人息子であるアムロ・レイから、アフロの申し子のアフロ・ヘアに!!」
「アムロ。後で独房に来たまえ。事情はそこで聞こう」
白い目をするブライトの横でハヤトが震えた。その目は歓喜に輝いていた。
「な、なんて素晴らしい頭なんだアムロ……いや、アフロ」
「何を言っている!?ハヤト!」
「ブライトさん!貴方バカですか?あのアフロの良さが分からないなんて!」
「分かりたくもない!」
「残念だなあ。あんなにいいアフロなのに。うふふ(ウットリ)」
「おい、誰か医者呼んで来い!」



Zガンダム

ブライト~最初の登場時

「なあ、エマ中尉」
「なんですか?ブライト艦長」
「この雑誌の中でどのアフロがいいと思う?」
「全部嫌です」
「いや、そんなこと言わずに。一度見れば君もハマる。絶対に損はさせない」
「………なんでこんな人が上司なの。死ねばいいのに」


カミーユ~最初の出撃

「どうした。来ないのか?」
「いえ、行きます。ティターンズは嫌いですから」
「そうか。私はアフロが嫌いだ」
「聞いてませんよそんなこと」
「スキンヘッドは最高だぞ」
「………ハゲとアフロ。極端ですね」
「ハゲではない!!スキンヘッドだ!!」
「………変わりませんよ。ぼくにとっては」
「君には失望した。置いていくぞ」
「………なんだこの人?」


クワトロ~百式を眺めながら

「この機体は実にいいな」
「はい。そうでしょう。百年は使えるMSとして名付けました」
「しかし、アンテナが邪魔だ」
「は?」
「こんなにもピッカピカの機体にはアンテナなどいらん。頭もピッカピカ(スキンヘッド)にしてくれ」
「……じゃあ、アンテナはどこに?」
「知らん。どこにでも好きに付けてくれ」
「は?……じゃあ、股間に付けても文句は言いませんね?」
「股間だと……。それは素晴らしい!是非とも付けてくれ!」
「嫌ですよ!?」
「さあ、頭はピッカピカ!まるでスモーのように!そして股間にはさりげなく自己主張するアンテナを!今すぐに、さあ早く!」
「アンタ変態か!?つうか、スモーってなんですか!?……そういえば、大尉」
「む?なんだね。技術長。……君を見ていると昔出合った整備兵を思い出すな」
「早く二階級特進してくれませんか?」
「応援ありがたいが、それはよっぽどの勝利をしないと無理だな」
「皮肉と気付や。……なんでエウーゴの人はみんな変な人ばっかりなんだろ?アフロとか言ったり、ハゲとか言ったり」
「うむ。アフロはおかしいな。スキンヘッドこそが最高だ」
「ハゲ『も』おかしいんだよ。………じゃあ、アンテナは肩にでも付けるか」
「股間に付けたまえ!!」
「死ね」


フォウとカミーユ~ホンコンシティの出会い

「ねえ、カミーユ?あなた、アフロ好き?」
「……は?」
「アフロよ。知らない?」
「……何で最近はアフロって単語をよく聞くんだ?」
「ふふ。私は好き。……最高よ。アレ」
「ぼくは嫌いだ」
「そう」


VSサイコガンダム~ホンコンシティ

「君は戦っちゃいけない!君は病気なんだ(アフロへのこだわりが)!」
ちなみに、アーガマにいる人の過半数は病気です。
「あそこに行けば私のアフロを返してくれる!」
「行くなよ!アフロなんてまた集めればいい!」
「今までのアフロがないのに、今からのアフロなんて集めれるか!」


キリマンジャロ基地~VSサイコガンダム

「ねえ、カミーユ?アフロ、好き?」
「好きだよ。自分の頭だもの」


VSジ・O~アフロ発動

「貴様には分かるまい!おれの体から溢れ出るアフロが!」
「何でアフロが生えるのだ!?私の知らない育毛剤でも使われているのか!?」
「まだ、(アフロを受け入れるのを)抵抗するのなら。ここからいなくなれー!」
「アフロがこの機体に絡み付いていく!?ジ・O何故動かん!?つうか動けよ。アフロが引きちぎれんでどうする!?」
「髪の強度を甘くみるなよ!!」
「うおおお!!」
――ガシャーン
「かはっ!う、ぐ。ただでは死なん。カミーユ!貴様も連れて行く!」
「アフロが、広がっていく……」
数分後、同宙域にメタスがやってきた。
そこで、ファはすごい物を見たんだ。
ある日メタスで飛んでると、とても凄いものを見たんだ!
クルーはみんな笑いながら、アフロの見すぎというけど。
私は絶対に、絶対に嘘なんて言ってない。
それぐらい混乱する物だった。
それは、アフロまみれのZガンダムだった。実にもっさもさだ。
「艦長!?Zが!カミーユが!?」
――うむ。私にも見えるぞ。
「何で!?」
――アフロの視覚共有能力だ。
「(この人たち、どんどん人間離れしてくなぁ)
――しかし、素晴らしい。こんな逸材はアフロガンダム以来だ。……うむ。Zアフロガンダムと名付けよう。
「そのまんまじゃないですか!?」
――だが、それがいい。
『あはは~、アフロアフロ』
「カミーユがなんか言ってますよ!?」
――アフロの力を浴びすぎたのだろう。しばらくすれば治る。………いいなあ、あのアフロ。
「艦長!?何がいいんですか!?」
――オホン。すぐにZアフロを連れて帰ってきてくれ。カミーユがもしかすると危険かもしれん。それにコックピットに紫外線などが入っているかもしれない……そして触りたくてたまらない。
「最後になんか欲望が見え隠れしてましたよ!?」
――ははは。私はオープンだからな。素晴らしい美徳だろう。
「自慢じゃねええ!」
『アフロアフロー』
――さあ、早く連れ帰って来い。
「バカばっかりだー!」
『あれはアフロ星人?いや、高木ブーか。アフロ星人は、もっともっさりと輝くからな』
――おお、カミーユがアフロ星人のもっさり感を知っているとは!
「ツッコミ役は私だけなの!?助けてエマさん、ねえ助けてよ!」
――アフロは、素晴らしいわよ。
「エマさん!何で覚醒してるの!?」




何これ。そんなにアフロが好きだったんだろうか。ZとCCAのもあるし……。Zはシュール過ぎるし、CCAはハサウェイが可哀想だし……。最後は夢オチに見せかけた、ハサウェイ終了フラグだし……。

プロットを見てみると、アムロが酸素欠乏症の父親からアフロを受け取る。アフロにはまる。
ララァが殺されるところで、シャアは紫外線を浴び脱毛してしまってハゲになる。吹っ切れて、ハゲ最高と宣言し始める。
ア・バオア・クーの中でハゲのシャアとアフロのアムロが一騎打ち。
最後まで意識を保ち続けていたブライトが堕ちて、ホワイトベース隊はアフロ部隊と呼ばれることになる。
みたいなニュータイプをアフロに置き換えた物語になっている。ただ、全体を読み直してみた結果、髪の毛に何かがあるのではないだろうかと疑問に思ってしまう。
……オールドタイプが普通の髪の毛。本物ニュータイプがアフロ。古いニュータイプ(シャア)がハゲ。かな。
これで短編なら良かったのだが、Z、ZZ、CCAと長編の物語がマジで続いている。
アフロの力で隕石を動かすという展開が怖い。それにしても、高木ブーが活躍しすぎだった。
Zに出てくるシロッコはアフロ反対派で、第三の髪型『シロッコヘア』を創造しているみたい。これが女性主義を表しているのだろうか。
進行する物語の中で、シャアの髪がどんどん薄くなっているのがさらに怖い。
そして、来るCCAのラストで、シャアは全ての罪を許される……。



[3946] シャア丸さんの冒険 短編三話
Name: 田中白◆d6b13d0c ID:d0504f35
Date: 2008/09/08 11:35
――男だとか、女だとか。そんなの二次的要素に過ぎないさ。 そうだよね? ハハ。






「はい、次の人。……えーと、今日から新しい仲間になったシャア・アズナブルさんだよ!」


 時空管理局ミッドチルダ地上本部の中庭から、大きな声がした。

 大声を出した清掃長である、日焼けで色黒になっている大柄な女性が、脇に立つ線の細い女性の肩をドンと叩いた。

 その大音声に、局員たちは何事かと中庭を眺めた。

 そこには、数十人のエプロン装備の女性たちがいた。地上本部の誇る、屈強な清掃員たちである。彼女たちに勝てる人物は、武装隊にすら少ないとまで言われている。

 理由として、おばちゃんの固有技能である噂伝達網があげられる。少しでも悪い噂が立てられれば、次の日から管理局の女性とは話ができなくなる。または白い目で見られる。

 なお清掃員とか清掃班とか、なんだかよくわからないどうにも固定されない呼び方をされているのは、彼女たちが結局自分たちの持ち場の意味をよくわかっていないからだ。

 管理局が実施した、仕事がなくてはその日を暮らせないような過去を持っている人々を集めるための奉仕活動の結果である。

 そこに今年も新しい仲間が加わった。その中の一人が、件のシャアであった。

 彼女は、透き通ったきめ細かな白い肌をしていた。髪の色は少し薄い金色の輝きを放っていて、顔もとても綺麗で可愛い形をしている。

 清掃員たちの何人かは、ほおっと溜息をついた。

 つまり、美人さんなのだ。どうして清掃員なんて仕事を選んだのか変な風に疑ってしまうくらいに。

 スタイルもいいし、モデルでもやっていけるのではないかとさえ思ってしまう。

 その綺麗な顔と結構なスタイルを見て、清掃員の少女フルカは溜息をついた。

 美人だ。

 美人である。

 美人としかいいようがない。

 そろそろ13も過ぎるのにそばかすだらけの顔の自分では、逆立ちしても敵わないその容姿。

 女性として、彼女に負けてしまっていることを実感してしまった。

 でも、ああいう女はきっと我侭に違いない。うわぁ、憂鬱~。

 フルカは暗い顔になって溜息をついた。

 もしも美貌を威張り散らしたりするような嫌な人だったらどうしよう……。

 みんなの目の前で微笑む美人さん。つまるところ、シャアの顔を凝視する。


「――でいいわね?」


 念を押すような顔と口調で清掃長に話し掛けられて、フルカはハッとした。

 しまった。新人さんとやらの様子見のせいで、清掃長の話を全然聞いていなかった。一瞬だけ硬直した身体をなんとか立て直すと、反射的に言葉を返す。


「は、はい。構いません!」


 どうせ新しい掃除当番の割り振りか何かだ。後で近くの知り合いにでも聞けばいい。仲が良い人はいないが、別にハブられてはいない。親切に教えてもらえるハズ。

 背筋をピンと伸ばして構わないと答えたフルカの様子を見て、何故かシャアが一礼をしてきた。


「それではお願いします」


 ……ま、まさか。この人と清掃チームになることへの承諾だったの……!?

 話を聞き返さずに頷いた事を後悔してしまう。了承した私のバカヤロー。

 頭の中で何度か自分を責めてから、フルカもシャアに一礼をした。


「じゃ、しばらく〝同室〟になるから、シャアさんと仲良くねぇ」
「へ?」
「シャアさんの部屋の準備がまだ寮でできてないのよねー。ホント困ったもんだわ。けど、アンタが了承してくれて良かった。お互い新人同士だし、ヨロシクしてあげてね?」


 人懐っこいおばちゃん顔を綻ばせて、ニコニコ顔の清掃長。な、なんで……? 何が起こったら、こんな美人と同じ部屋になるなんてファンタスティックな出来事が……?

 い、嫌だ! 毎朝起きるたびにこの美人の顔を見るなんて!?

 それならまだ、一緒の班の方が耐えられる。むしろ天と地ほどマシ!

 フルカは恨めしそうに清掃長の顔を見た。その様子に険しい表情を作る清掃長。


「今更文句言っても遅い。話聞いてなかったアンタが悪いんじゃないのさ。それを利用したって構わないでだろう? それに、アンタ友達いないだろ。キッカケだよ、キッカケ」


 それに一人部屋だし。二人部屋の他の人と同じだろ? そう言って纏めた清掃長。

 は、ハメやがったのか……。

 さすが清掃長。話を聞いていない奴を探すのは大得意か。伊達に掃除が上手いだけある。人の顔をよく見ているものだ。


「色々理由があって、寮の準備には一ヶ月くらいかかるから、それまでよろしくしてねー」


 去り際に大きく手を振ると、大股で歩いていく清掃長。関係のない話だが、あの人はいつも自分は他人の上に立つ人じゃない。誰か変わってくれとボヤいている。だったら、給料のためにわたしと代わって欲しい。……責任が大きそうだから嫌だけど。

 溜息をつくと、隣で悠然と微笑んでいる女性を眺める。

 やはり、美人だ。苛つくぐらい。


「あの……もし迷惑だったら、別に部屋はなくても……」


 シャアの笑顔はとても綺麗で、なんだか逆にムカついた。

 完璧すぎる。顔も綺麗なのに、笑顔も素敵なのだ。笑顔からは性格も表れるというから、性格も綺麗? んなわけねーだろ。

 女は笑顔を練習して習得する物だが、コイツはどれほどの修練を重ねたのか。

 笑顔をここまで完成させるには、日々自分が至らないことを知って、毎日血を吐くほど鏡の前に向かい合う必要がある。

 彼女は一応、努力家ではあるらしい。なんとも嫌な方面の努力だが。

 だが、あなたに迷惑になるのだったら私は部屋はいらない? 舐めているのか。一度は了承したのだから、どんなに嫌でも聞いてやる。

 そもそも、来ないで、と頷いたらアンタからの逃げたのと同じではないか。それに、この美人さんがどんな性格なのかも気になっていた。この一ヶ月で、あの笑顔の下に何があるのか調べてやろう。


「わたしの部屋はこっち。荷物を持って付いてきて」
「はい。しばらくお願いします」


 深々と礼をしてくるシャア。……。絶対に化けの皮を剥いでやる。

 わたしは拳を握り締めると覚悟を決めた。

 寮の部屋が準備されるまで、後一ヶ月とのこと。それまでの間、こいつのことを調べてやる。

 ベッドとかの寝床をどうするか悩んだが、シャアはフトンを持っていた。寮に入れると思っていただろうに、何故フトンを持参している? あと、ホッカイロも持っていた。……旅でもしていたのだろうか、この人は。

 フルカの中でシャアの地位は、〝いけ好かない新人(年上)〟から〝突然の同居人〟に変化した。




シャア丸さんの冒険
短編3話「どうして彼女と仲が良い?」




 次の日。フルカは体を揺すられて目が覚めた。とても久しぶりな起こされ方だった。昔は、何時もこうやって起きていた。

 自分を揺さぶっている人物を確かめもせずに、習慣で顔を上げると時計を見た。設定していた、目覚し時計の鳴る時刻の丁度三十秒前。

 フルカが上体を起こすと同時に、けたたましい金属音が鳴り響いた。シャアが目覚し時計にチョップを入れる。

 カンと小気味いい音を経てて、目覚まし時計は沈黙した。

 寝起きが悪いわけではないが、良いわけでもない自分をこんな簡単に起こす?

 びっくりしたフルカは、ふと自分が少し汗をかいていることに気付いた。

 シャアの手の中に、何故かホッカイロがあった。ホッカイロを持ったままフルカの体を揺すっていたらしい。

 何故、そんなマネを。


「暑くて寝苦しい時ってすぐに目が覚めますよね? 温度があがると、人間ってすぐに目が覚めるんです」


 そのためにホッカイロを用意していたのか。低温火傷をしたらどうしてくれる。

 ちょっと恨めしかったが、目が覚めたから別に良いかとフルカは思い直した。

 とりあえず、確実な目覚ましにはなるっと。フルカの中で、シャアが〝突然の同居人〟から〝目覚まし〟にランクアップした。

 同居人の地位の中で〝目覚まし〟は悪いものではない。




 二人揃って食堂へ歩く。同じ部屋に居るのに、わざわざ別々に行く必要なんざないからだ。

 地上本部は広い。他に、清掃員はたくさんいる。少なくとも、正社員に泊り込み専用の寮が用意されているくらいには広い。

 よって、ここでの生活一日目のシャアは食堂の位置が分からない。この一緒に行くという行為は、同時に道案内も兼ねていた。


「……そこは左」
「はうぅ。すいません」


 恥ずかしそうな顔のシャア。口癖は、はうぅ。二十代でその口癖はないだろう。

 フルカの中で、シャアの称号が〝目覚まし〟から〝子供っぽい大人〟にランクダウンした。

 なんとも評価の変動が激しい人だ。フルカはそんなシャアを少しだけ面白く思った。

 数分程度で食堂に到着。何を食べようか悩んでいると、シャアはある程度食べたい物に優先順位をつけていたようで、フレッシュなサラダとパンを頼んでいる。

 ……わたしもあれを食べようかな。特に考えず、フルカも同じ物を選んだ。




 美味しそうにサラダを食べているシャア。箸を使って何でもないようにサラダを口に運ぶ。……慣れないと使いにくいあの食器を普通に使いこなすとは。もしかすると、箸が生活の中で普通に使われている世界の出身なのかもしれない。

 行儀作法は中々の物で、フルカの中からシャアへのモノグサだという昨日のイメージはフルカの中から完璧に消え去った。

 性格は良さ目、モノグサではない。

 つまり、それを総合してみてみると彼女はいい人らしい。

 ……ってありえねぇ。

 美人でいい人って半端じゃないだろ。それだけで男にモテる要因になるぞ。

 それでも恋人がいるとかいた様子を見せないということは、つまりモテない理由があるということだ。

 頭の中でシャアを扱き下ろすことで、なんとか精神の充足を測るフルカ。

 目の前の生物が、同じ人間に見えなかった。それはある意味で正解だったりするのだが、意味が違う。

 ど、どんな。どんな弱点がある!? 祈るような気持ちで必死に粗を探そうとするフルカ。

 ふと時計を見る。そろそろ清掃の時間だ。聞いた話だと、彼女と自分はやはり同じ班に配属されたらしい。……これは何か利用できないだろうか。思考の結果、一つの事柄に思い至る。

 ……まさか、掃除の下手さか!? つまり、彼女は家事が出来ないに違いない! だからモテないんだ!

 フルカの中で、シャアはもてない人に決まっていた。

 掃除がヘタなら、何で職業に清掃員を選んだんだ。とは考えていなかった。




 そんなこんなで始まったフルカのシャア観察。シャアが中庭で行っている〝掃除〟を、フルカは驚愕の視線で見ていた。

 近くを通りすがった清掃員たちも、シャアの姿を凝視している。

 それは、掃除ではなかった。もはや一種の芸ですらある。


「~♪」


 鼻歌を歌いながら、箒を一度掃く。普通ならばありえないくらいのゴミが一瞬で集まる。ちりとりを動かし、集まったゴミを中に入れる。

 熟練者でもチリを取りきるためには何回か箒を動かす必要があるのに、集められたゴミは一回だけでちりとりの中に収まった。

 箒を持ったまま一回転。目に収まったらしい生垣に近づき、箒を掃く。

 中からいくらかゴミが出てきた。誰かが生垣にゴミを捨てていたらしい。

 何故、それを発見できる。目に見えない物を見るとかどんなズルだ。

 何度か辺りを見回し、箒をしまった。彼女はそれ以上ゴミを取る必要がないと悟ったようだ。

 鼻歌を続けながら雑巾を持つ。近くの窓ガラスに近づいて、雑巾に何か液体をかけて拭く。

 一回拭くだけで窓ガラスはピカピカになった。

 うりぃ。これが専用クリーナーです。嬉しそうに呟きながらシャアは窓ガラスを拭き続ける。

 ――掃除人の理想系が、そこにあった。

 局内で魔法を使うなとか言って魔導師が飛んでこないことから、彼女は一度も魔法を使っていない。……まあ、魔導師が清掃員なんてやるハズないが。

 とにかく、彼女は純粋な技術だけでアレを行っている。

 カタリ。フルカの後ろから何かが落ちる音がした。

 そっちを見ると、持っていた箒を手から取り落とした清掃長がいた。

 全身はワナワナと震えている。その顔は、一種憧れすら見せていた。

 ……なに、それ? フルカは清掃長の顔に安らかな物を見て、何故だか困惑した。


「……あの若さで、良くもあそこまで……。完璧、だわ」


 清掃長が羨望の声で呟いた。その顔は、母親を見る子供のような目だった。懐古とか憧憬とか。そんな懐かしさとか羨ましさすら滲ませた顔でシャアを見ている。

 他の清掃員たちが、そんな清掃長の声にザワザワと声を上げ始める。

それにしても……清掃長、姐さん言葉以外話せたんだ。

 フルカは、ちょっとだけ変な方向に驚いた。


「彼女になら、任せられる」


 何をだ。そうは思わなかった。清掃長は、何時だって自分の後任を探していた。

 つまり、シャアは清掃長の後任候補に選ばれたんだ。

 フルカは驚きの瞳でシャアの後姿を見ていた。あれだけの技量を得るまでに、どれだけの情熱を掃除にかけたのだろうか……。

 あ、背中さすった。わたしに見られていると気づいたらしい。視線には敏感なんだ。

 ――掃除が得意だとしたら……。じゃあ、何が苦手なんだろう?

 フルカの、シャアへの粗探しはまだ続く。




 次の日も、フルカは寝苦しくて目を覚ました。

 目覚し時計が甲高い音を……チン。鳴らずに止まった。


「朝でっすよー!」


 ノリノリのシャア。掃除が楽しみで仕方がないらしい。よくもまぁここまで掃除に思い入れが出来るものだ。

 フルカは表情を暗くした。自分は、掃除があまり好きじゃない。

 ただ、生活のために仕方なく務めているだけだ。

 フルカは母親を二年前に亡くした。

 育ち盛りの子供が多い自分の家族は、どうしても一人が仕事につく必要があった。

 そのために、一番年上で几帳面な性格をしていたフルカが管理局の清掃員になるよう父親に説得された。

 父親のコネで清掃員になって以来、学校にはいけていない。

 自分の稼いだ金で家族が生活できているのは嬉しいが、このまま清掃員を続けられるとは思っていない。

 もし清掃員を辞めさせられでもしたら、学のない自分はどうやって生活すればいいのか。

 父親に面と向かって問う勇気はなかった。

 フルカの勤労意欲はどんどん磨り減っていたのだ。

 そんな彼女の前に今年現れたのがシャアだった。

 同居人との二日目は、そんな回想から始まった。




「フルカちゃん、元気がありませんね?」
「……そりゃあ、新人がいきなり清掃長候補になったのを見たら……って、ちゃん付けすなっ!」
「敬語よりもそういうタメ口の方が可愛いと思いますよ?」
「な! ……じゃあ敬語にします」
「可愛くない性格ですねぇ。お顔は可愛いのに」


 無視、無視。フルカの中で、シャアが〝軽いお姉さん〟にグレードダウンした。

 シャアは、フルカと話しながらも箒の動きを止めない。何百何千と同じことをし続けてきたかのように、箒の動きは一定だった。たまにブレるが、それはちょっと取りにくいゴミを取る時だけ。スタミナを消費せず、ただただ効率的に。

 何度見ても綺麗な清掃。一体、その境地に辿り着くまでに、どれほどの修練を積んでいるのだろう。フルカはそれがちょっとだけ気になった。


「どうやってそんな技術を?」
「……苛められた時、学校の掃除を全部しろと言われて。冗談だったんでしょうけど、それを本気にしてしまったことがあって……。夏休みかけて先生から隠れながら、毎年掃除してました……。後は老人ホームの掃除を手伝ったり清掃活動に参加したり……。はうぅ。かれこれ16年ですか……。……凄いわね、私」
「……老人ほーむ?」
「あ、いえ、なんでもありません」


 ポケッとした様子のシャアに訊ねると、彼女は意外と普通に教えてくれた。

 所々によくわからない単語があったが、二十歳前半であろう年齢にして掃除歴16年。それはどんな人生だろうか。苛めとかの単語があったし、どこかのメードだったのかもしれない。

 やはり、別の世界の出身者だったりするのだろう。

 それよりも気になるのが『凄いわね、私』という一言。

 わたしに聞かれるまで、シャアは自分の過去を振り返ることすらしていなかったのだ。

 まさに掃除の鉄人。

 どうして恋人の一人もいないのか……。ああ、掃除に命をかけている姿を見せると、彼氏とか恋人にひかれるのか。

 真面目すぎるのも困りものって奴。

 またしても聞いたことのない独特な音程の鼻歌を歌っているシャア。

 ……畜生。楽しそうだなこの人。どうしてこんなに掃除に専念できるのか。


「掃除、好きなんですか? 趣味が掃除ってどうですかね?」
「料理も好きですよ?」


 意地悪く尋ねたフルカに、笑顔を向けるシャア。……何この超人。掃除ができて料理も好きって……。

 そんなフルカを見て、ニヤッと笑うシャア。


「試して(食べて)みますか?」
「……上等っ!」

 シャアはフルカをお食事に誘った。私の料理を食べてみますか? 程度の意味だったのが、何故か気合十分で反応してくる彼女。その反応を不思議に思うシャア。だが、別にどうでもいいかと思考を放棄した。

 別にシャアはケンカを売ったわけではないのだが、フルカにはそう取られてしまったらしい。

 何にしろ、まずは掃除を終わらせる必要がある。

 フルカは、久しぶりに全力で掃除をした。




「……わぁ!」


 鍋の上で作られている料理を見て、フルカは感嘆の声をあげた。

 食堂の調理場を借りて、シャアは料理を作っていた。

 中華なべの上で炒められていく材料。とても良い香りがする。なべを操る手つきはとても手慣れていた。

 ここの料理長も、その手つきに感嘆の声をあげていた。中々の腕だと呟いている。

 調理歴二十年の料理長にすら驚かれるって……。


「ええっと……料理歴は?」
「……多分、12年くらいかな」

 シャアは質問に答えながら手を伸ばすと、調味料を手に取った。

 それを食材に振りかけようとして……。


「待て」


 料理長に止められた。

 不思議そうな顔をして、自らが持っている調味料を見るシャア。

 ……シャアの手の中にあったのは、砂糖だった。

 驚くフルカ。砂糖と塩を間違えるのって、マンガとかだけじゃないのか。……なるほど、ドジなのか。ふふん勝った。


「譲ちゃん。オメエ、何者だ」
「スイマセン。言えないんです」
「そうか。まあいい。だが、料理にミスは……いや、まずは体に慣れるんだな」
「……了解です」


 料理長の目は責めるような物ではない。そこにあったのは疑問のみ。首を振って聞くなと言うシャア。それだけで何故か分かりあってしまった二人。

 プロ同士にのみに通じる何かが先程の会話の中にあったらしい。

 シャアが小さく溜息をついた。そんな彼女を見て、料理長が厳粛な顔をしてシャアの肩に手を置いた。


「これから、時間あるか?」
「ええ、ありますが何か?」
「ミッドチルダ料理の真髄を教えてやる。ついてこれるか?」
「……!? ……私にだって、私の世界の料理があります。そちらこそ、付いて来て下さい」
「面白い。我らが料理研究会の始まりだ」
「いいえ、お料理研究会です」


 何故か手をぶつけ合って熱血している二人の料理人。

 そこに流れる不思議と緊迫した空気。他のコックたちがその熱気に脅えている。

 フルカは、意気投合して料理について話す二人を冷めた目で見て思った。

 ――何だろ、この茶番。

 とりあえず、普通に塩を入れることに成功したシャアの作ったお料理はおいしかった。ちょっと小奇麗すぎる味だったが、特に気にならない。

 味覚が発達しきっていない、子供とかに食べさせるなら十分な味付けだろうと思う。

 しかし、今この時点でフルカは知らなかった。

 この先、この二人の作りだしたこの組織が、異世界料理交流会として管理局に巣食っていくことになるなど……。

 多分冗談だが。未来は余りに不確定である。




 そうやってあまりにも普通な毎日を過ごしていれば、一ヶ月はあっという間だった。

 寮の部屋の準備は出来たらしく、明後日シャアはこの部屋から出て行くらしい。

 その日は、自分の誕生日だったのをフルカは思い出した。

 面倒くさかった相部屋の人が去っていくのがプレゼントかと、自虐的なことを考えた。

 きっと、シャアは自分のことを時々暗くなるウザイ人だと思っているだろう。

 だけど明後日からは、ただの他人だ。

 人当たりの良い彼女だから、すぐに別の友達ができるだろう。

 自分と一緒にいなければ、彼女には、すぐに、友達が、できる。

 そんなことを考えると無性に悲しくなった。他人を認めらず信じられない自分はもっと悲しかった。




 次の日、目覚ましと同時に起きた。

 どうやら、シャアは自分を起こしてくれなかったらしい。

 どうせ、そんなものだ。部屋を去るならば義理もないってこと。

 だったら別に……いや、彼女は別に友達なんかじゃ……。マイナス思考に陥るフルカ。

 甲高い金属音を発し続けている目覚ましに手刀をくれてやる。

 つい、それでもと思ってベッドの下に敷かれた同居人のフトンを見る。どうして起こしてくれなかったのかという詰問を視線に込めて。

 ……フトンは片付いていなかった。

 というより、シャアは寝っぱなしだった。むにゃむにゃと、可愛く寝言を言っている。

 ……。寝坊? この人が寝坊とは珍しい。というか、同部屋になってから始めて見た。

 彼女の頭の上には、ポツンと置かれた一つのホッカイロ。

 今日も使うために準備していたらしい。それがちょっとだけ、嬉しかった。


「シャア、起きてください」


 呼び捨てなのに敬語。

 ぶっきらぼうな喋り方のわたしを可愛いと言ったこの人への、ささやかな抵抗。


「う、うぅん……はっ」


 ビクッとして飛び起きるシャア。その面白い反応に、フルカの頬は少しだけ緩んでしまった。

 頭を上げてキョロキョロと辺りを見回すと、今度はフルカの顔を見ると顔を近づけた。


「み、見ました!?」
「……ね、寝顔ですか? それともホッカイロ?」
「あ、なら良いんです」


 近い、近いわよ。心の中で叫ぶフルカ。慌てながら心当たりを上げると、ホッとした顔で引き下がるシャア。

 彼女が寝ている間に、自分が一体何を見れたというのか。かなり気になる。

 そんな見られたら不味い物をこの人は持っているのか。

 ……気になる。それは気になる。一体、どんな弱みなのだろう。

 午前の掃除が終わり次第、探してやろう。そんな子供の悪戯みたいな考えが過ぎった。


「食堂、行かないんですか?」
「い、行くよ」
「ふふ」


 わたしの返事を聞いて微笑むシャア。

 ……敬語じゃなかった。まさか笑われてしまうとは、フルカ一生の不覚。

 せかせかと先を急ぐシャアの後姿を、つい目で追ってしまった。




「麦茶だっけか? 煎れてみたぜ」
「ありがとうございます。……はうぅ。この甘さ、いいですねぇ」
「……なぜかオバさん臭いぞ、シャア」
「そうですか?」


 厨房で料理長と談笑しているシャア。この一ヶ月で、ここまで人と仲良くなれるとは。

 やっぱり、この人には人望がある。シャアを見ながら思いを馳せる。

 一度わたしの部屋から出れば、二度と話し掛けては来ないと思う。きっと、わたしのことも忘れてしまう。

 いつもニコニコ顔のシャアを見ていると、どうしてもネガティブに考えてしまう。朝に作った自分の微笑みはすぐに薄れてしまった。

 わたしにはあんな明るさがない。だから、思いはより顕著だった。

 そっとフルカは顔に触れた。顔に巣食っているそばかすの感触。

 対するシャア。そばかすなど一欠けらもない、綺麗な肌。透き通った、白い肌。

 ……やってられるか。絶対に馬鹿にしてやる。怒りはすぐに再燃した。

 フルカはシャアを待たずに、清掃の仕事に移った。




「相方、行っちまったぜ」


 料理長さんに言われて、私はハッとしました。

 つい、お茶談議に夢中になってしまいました。

 この料理長さんは、料理に慣れていないのに、調理技術が高いという私の矛盾を見破った凄い人です。

 やはり、料理人には分かる何かが今の私にはあるんでしょうねぇ。

 振り向くと、食堂から去っていくフルカちゃんの姿が目に映りました。

 ……無駄話の長さに呆れてしまったんでしょうか。なんだか悪いことをしてしまいました。


「そんな思考がデフォルトなんだろうが……甘いぜ、お前さんは」
「そうかしら?」


 ……っと。口を抑える。あんまり、女言葉は話すつもりはないのに。最低限のケジメとして。


「話し込んでしまった私が悪いんだと思いますけど?」
「分かっている癖にな。酷い奴だ」
「……?」


 ――この人は、一体何を言っているんでしょうか?

 ……お食事会話は名残惜しいですけど、早く厨房から去りましょう。

 早く掃除を終わらせて、アレを仕上げなくては……。フルカちゃんの後を追うように、小走りで厨房から抜け出しました。




「遅い。もう始めてる」
「すみません」


 箒を持っているフルカにペコリと一礼するシャア。礼儀正しいその姿が彼女のシャクにさわる。

 一ヶ月も一緒に暮らして、この人がいい人だとわかったせいだ。

 どうして、こんないい人がいるんだ。

 いつも嫌なことばかり考えている自分がバカみたいではないか。そして、バカなんだとも思う。


「……わたし、ちょっと用があるから」


 さっき言っていた、見られたら不味い物を探してやる。早くあがって、部屋中を探してやる。

 どうしても苛立ちが抑えられない。八つ当たりだと分かっているのに、自分ではどうしようもない怨嗟の言葉が浮かび上がってくる。


「……大丈夫ですか。気分、悪そうですよ?」


 心配そうなシャアの声。それで、キレた。

 フルカはその場から逃げ出した。

 あの人と、シャアと同じ場所から今は逃げ出したかった。

 自分の心の醜さと、あの人の輝きを比べてしまう。

 だから逃げた。

 明日だ。明日まで待てば、あの人はわたしの前から去ってくれる。

 その日が待ち遠しい。

 母が死んでからずっと周りを呪っていたわたしが、あの人と一緒にいると安心してしまう。

 母を思い出してしまう。死んで、自分の人生を狂わした大罪人を思い出してしまう。

 温もりを、思い出してしまう。

 いやだ、いやだ。

 母親への怒りがあるから、見返してやりたいと思っているから、わたしはまだ働けているのに。

 それがなくなったら、わたしは働けなくなる……。

 働けなくなったら、家族にも迷惑をかけてしまう……。それじゃあ、わたしが何のために生きているのか分からなくなる。

 部屋に鍵をかけて、自室に閉じこもる。ずっと、そのままでいた。

 夜になって、暗くなってもそのままで。




 暫らくして、トントンという控えめな音が聞こえた。扉を叩かれたのだ。小さな二度のノック。一ヶ月で馴れた音。それはシャアのノックの手つきだった。

 フルカはノックを無視した。

 一分もせずに、扉の前から気配が消えた。


 時計が十二時を指した。日にちが変わった。気づくと、今日は誕生日だった。

 これで、終わりだ。あの人は寮に行ってくれる。

 鍵を開けた。荷物を早く取りに来てくれないだろうか。

 一時間たった。それでも、彼女は帰ってこない。

 少しだけ、待つのが暇になった。寝るのも良いが、とても眠れるような精神状況じゃない。

 天啓が舞い降りた。あまりにも必死で忘れていたことだ。……そうだ。彼女の弱み。それくらい、探しておこうか。

 弱みを見せて言うのだ。もう話し掛けないで。顔を見せないでって。

 シャアの私物を漁る。私物と言っても、鞄が一個だけ。

 この中に、あの完璧超人の弱みが何かあるのか。少しドキドキした。
開くと、カバンの中身は本当に少なかった。

 小さな白い箱が二つ。いきなり目に飛び込んで来たそれを、怪しいと思って開く。中には4×4で並んだ赤い装飾がついた細長い物体が入っていた。それが二つだから計32個。何だか分からない物だけど、どう見てもこれは弱みじゃなさそうだ。

 次に、手紙が何通か入っているのが見えた。他に怪しそうなのはこれだけだった。

 手紙まで開くのは悪いとは思ったが、好奇心に負けて封を開いた。


『シャンの村のみんなへ。給料が入りましたので、初めての仕送り兼連絡です』


 続きは読まずに閉じた。読めなかったと言い換えても良い。

 あの人も、誰かを養っているのだろうか。

 自分と同じように、家族を養っているのだろうか。

 彼女は、背負った過去まで完璧なのか。自分はいやいや仕送りし、彼女は喜んで仕送りをする。

 なんだ、この差は。

 何が違った。どうして、自分は幸せになれない……? シャアみたいに、幸せになれない……?

 暗闇の中、頭を振り出すフルカ。

 ――ガチャ、キィ。扉が軋みながら開いた。部屋に電気がついていないのを見て、シャアは顔を顰めた。

 フルカも顔をあげた。一瞬、暗闇の中で視線が交錯する。

 目を併せたまま、シャアは電気をつけた。小さな駆動音をたてて明るくなる部屋。いきなり飛び込んできた光源から、フルカは目を背けた。まるで、眩しすぎるシャアから目を背けたみたいだった。

 シャアが部屋を見渡す。荒らされた自らの鞄を見て、シャアは驚いた顔をした。

 ほら、わたしは勝手に人の持ち物を見るような女なんだ。だから、はやくわたしの前から消えて……。


「見ました?」
「うん。手紙の……仕送りの、こと? ごめん、見た」
「あ、なら良いんです」


 ……?

 花が咲くような笑顔になったシャア。フルカに近づくと、鞄の前にしゃがみ込む。

 鞄の中から、もう一つの手紙を取り出した。

 綺麗に装飾された封筒。そっとフルカに手渡した。

 つい、受け取ってしまう。


「開けて」
「……っ」


 シャアの優しい言葉に後押され、そっと封筒を開いた。中を見て息を呑んだ。シャアの顔を凝視してしまう。

 そこに入っていた一枚のカード。

『お誕生日おめでとう』

 それは、簡潔に一言だけ書かれたバースデーカード。


「同僚の子たちに聞いたの。フルカちゃんって、今日誕生日なんですよね? だから、カード送ろうと思って。みんな、いつも一人のフルカちゃんを心配してるよ。みんなと話してあげればいいのに」
「……え」


 シャアに伝えられた真実。篭められた真心。

 カードを凝視する。変わらず、手の中にあった。

 それは、久しぶりのプレゼントだった。一年前の誕生日は、誰も祝ってくれなかった。忙しく家にすら帰れなかった。

 ふと、何ヶ月か前に同僚たちに誕生日を聞かれたことを思い出した。

 みんな、覚えてくれていた。ずっと誰にも話をしなかったわたしの誕生日を、覚えてくれていた。

 彼女が隠していたのは、秘密の誕生日会のこと……?


「なんだか寂しそうだったから、みんなに内緒でフライング。準備してたプレゼント、今あげるわね」


 シャアのエプロンについた腰ポケットから取り出された一つの人形。

 まだ仮縫いまでしか終わっていない、一つ目の赤いロボットだった。デフォルメされていて、とても可愛く見える。


「みんなには内緒だからね。今日の夜に開かれる誕生日会には、何も知らないって顔で呼び出されて」


 シャアは唇に人差し指を当てると、悪戯っ子のように微笑んだ。

 何処からか取り出した針と糸でチクチクとロボットを縫っていく。

 それからものの二分も経たずにロボットは縫い終った。熟練の仕立てだった。

 その二分、わたしは息を止めてシャアを見守っていた。

 最後に糸を引き抜くと、ロボットは綺麗に仕上がっていた。


「はい。受け取って?」
「……」


 プレゼントは受け取れる物じゃなかった。

 自分のお祝い事を勝手に弱みだと勘違いして、勝手に他人の荷物を漁った。このプレゼントは、そんな自分が受け取れるものじゃない。

 一行にプレゼントの人形を手に取らないフルカを見て、シャアは寂しそうに笑った。


「説教はガラじゃないけど、しょうがないわね」


 シャアが頭を掻く。

 その一瞬、彼女がシャアじゃなくなった気がした。これが、この人の裏なのだろうか?


「拗ねちゃダメ」


 シャアの言葉にフルカは震えた。この人は、これからわたしに酷いことをしようとしている。それが分かったからだ。

 逃げ出したかった。けれど、体は動かなかった。

 いや、自分の中の何かが体を押し留めているのだ。


「拗ねて心の中で文句を言うだけじゃ、誰も貴女を助けてくれない」


 文句は口に出す必要がある。

 批判されるにしろ同情されるにしろ、そうやって誰かと繋がってこそ人は本当の意味で生きることができる。

 今のフルカのようにただ心の虚に篭って自分の中で文句を反響させているだけでは、人と繋がることはできない。

 人と繋がらず、ずっと心の中にいるだけでは人と心は成長できない。

 膝を抱えていたって、自分を正当化していたって、誰も貴女を見てくれない。

 まずは自分を否定しよう。それが出来ないなら誰かに否定してもらう。

 価値観を一度壊されることで、人は成長することができる。

 シャアの口から出る言葉は心配しているが故に辛辣で、フルカの心を抉っていく。

 それでも、身体は動かなかった。

 成長しよう。誰かが何かをしたせいでこうなったとか、誰かが何もしなかったせいでこうなったとか。そんな後ろ向きで意味のない言い訳を止めて、一緒に成長しよう。

 自分が悪いせいだって、自分が行動しないせいだとか言って拗ねないで。

 そうやって都合が悪いときだけ逃げ込むことができる逃げ道を作らないで。

 自分で創った逃げ道に逃げ込んで、そこに閉じこもらないで。

 私もまだ未熟だから、一緒に成長しよう。

 まずは、私と繋がろう?

 私と一緒に過ごしてみよう?

 私と、友達になろう?

 今日は私が貴方を否定してあげるよ……。


 気が付くと、フルカの手は赤いロボットの人形を握っていた。

 強く、強く、握っていた。

 ハッとして顔をあげる。シャアは微笑んでいた。

 何時もの朝のように、毎朝見せてくれていた笑みで微笑んでいた。

 その笑顔を見ていると、何故か目から涙の滴が零れた。

 いや、もっと前から涙は零れていた。それに気が付かなかっただけ。

 母が死んだその日から、わたしは見えない涙をこぼし続けていた。

 わたしは、誰かに叱って欲しかったのかもしれない。

 母が死んでから、父はフルカを慰めるばかりで、何時まで泣いていると叱ってはくれなかった。

 だから、母の死を責めてばかりで悲しまなかった。

 悪いのは母なのだと、そう思い続けることで自分を守っていた。

 今、初めてシャアが叱ってくれた。

 自分のキャラじゃないと愚痴りながら、わたしを叱ってくれた。

 涙はさらに零れた。ずっと、母を恨み続けていた。

 学校をやめさせられ、慣れない職場で働かされる事になったその原因として、いつもいつも責めていた。

 全て母のせいだと思うことで、逃げ続けて成長を止めていた。

 だけど、シャアに叱られた。拗ねるなと、恨むなと。

 本当に母は悪かったのか?

 それは事故だった。たくさんの家族を養っていて、連日働き詰めだった母が職場でバランスを崩して作業機械に巻き込まれた。

 死体はグチャグチャで、死に顔すら見れなかった。

 本当に母は悪かったのか?

 わたしたちを、ずっと見守って笑顔でいてくれた母が悪かったのか。

 違う、そうじゃない。母は何時わたしたちをだって見てくれていた。幸せであってくれと願い続けていた。いつも、寿命を削って養ってくれていた……。

 どうして、学校に行くわたしを起こしてくれた時の、あの笑顔を忘れていたんだろう。

 わたしは、母が。おかあさんが大好きだった……。

 心が体に帰った時、わたしは泣きじゃくっていた。

 赤い人形を握り締めて、シャアに縋り付いていた。

 シャアは、そんなわたしを優しく抱きしめてくれていた。


「……お母さん、お母さん」


 口から漏れる大きな嗚咽。


「はいはい。ここにいますからね」


 わたしの肩を軽く叩き続けているシャア……さん。

 優しい声と腕と体にしがみ付きながら、わたしは何時までも泣き続けていた。




 少し、落ち着いた。

 同じように目を潤ませながら、わたしを抱きしめているシャアさん。

 お母さん。その言葉に、彼女も何かを思い出したらしい。そういえば、この人もここの清掃員。もしかすると、わたしと同じような過去があったのかもしれない。


「落ち着きました?」
「はい。お見苦しい所を……」


 あんなに泣いてしまって、お母さんとまで呼んでしまって。

 とても気まずくてシャアさんを直視できなかった。

 わたしの涙を吸って、赤いロボットはびちゃびちゃだった。

 ……どうしよう、折角のプレゼントなのに。


「人形……」
「乾かせばいいと思います。……その子も濡れて冷たいと思いますから、ベッドの中で温めてあげてください」
「……冷たいって」
「丹精こめて作ったんです。意識ぐらい産まれてくれなければ寂しいじゃないですか」
「……」


 もう、何時ものシャアさんだった。さっきまでわたしを叱っていたあの人とは、全然違っていた。


「……誕生会、出席できますか?」
「……はい!」


 いいお返事です。シャアさんは少し笑った後、大きく欠伸をした。

 なんだか眠そうだった。目が潤んでいたのはそれが原因か。ちょっとガッカリした。


「人形の作成に時間をとられて……。昨日なんか徹夜だったんです」
「あ、どうりで今日……」
「もしも人形見られてたら終わりだったんで。緊張しました」
「……」


 それを聞いて、思う。この人はわたしの誕生日を聞いてから、夜な夜な人形を塗っていたのだろう。

 そんな様子微塵も見せず、朝起こしてくれた。わたしは本当にバカだと思う。

 ……この人こそ、本当の〝母親〟という人物なのではないだろうか。

 フルカは半ば本気でそう思った。


「じゃ、寝ますのだ。おやすみなさい」
「お、おやすみなさい」


 そう言うと、シャアはフルカの部屋に敷かれたフトンに横になった。

 ガクリとフルカが崩れ落ちた。


「……寮、使えるのでは?」
「眠いんです。それに、今日なら構わないでしょう。あ、それと、フルカちゃんが泣いている姿はレアだったんで、こっそりと写真を取らせて頂きました。ご馳走様です」
「え、え、え!?」
「私も写ってるんで、別にいいですよね?」


 シャアさんが眠そうに言った。

 ……なんか悔しいし、なんだか寂しい。


「どうしました、フルカちゃん?」
「あ、いや、なんでも……」


 煮え切らない返事をしてしまうフルカ。そんな姿を見て、シャアの目が三日月形になった。どうやら笑ったらしい。

 フルカの体がビクッと揺れた。

 この人がこんな目をするのは、あまりよくないことを考えた時だ。

 シャアが立ち上がった。清掃着を脱いで、パジャマに着替え始めた。

 寝巻きの色は赤の一言。あまりシャアに似合わない派手な色だ。この人に似合う色は、緑のような気がする。

 フードには角がついている。可愛い角で、それだけシャアにあっている。

 今の彼女の目とあわせて、子悪魔的なところがかなりマッチしている。


「フトンって、少しゴツゴツすると思いません?」


 フルカは悟った。が、惚けた。な、何をする気だ!?

 シャアは、そっとフルカのベッドに横になった。

 ……結構大きなサイズのベッドなので、もう一人ならば余裕で寝られる。


「今日ぐらい、一緒に寝ません?」


 い、言うと思った。フルカは横に首を振ろうとして……止めた。

 今日は、誰かに甘えたい日だったからだ。


「……そうですね。今日ぐらい、一緒に寝ましょう」


 敬語を止める気はなかった。これは、一種のケジメだ。

 シャアさんに。みんなに迷惑をかけてしまったという、ケジメ。

 この人に敬語を使うたびに思い出そう。この日のことを。みんなと話す切欠を作ってくれた、この日の事を。

 多分、今日始めて、わたしはこの人と向き合えた。この人と、出会う事ができた。

 きっと、今日がシャアさんとわたしの初対面なんだ。

 フルカも寝巻きに着替えた。シャアさんの隣に滑り込む。

 温かかった。いつも、冷たいベッドで眠っていた。

 だけど、今日は人が先に入っていた。人の体温は、とても温かかった。

 また、涙が出た。ベッドの上の方に赤いロボット人形が乗っている。


「この人形は、私の産まれた世界の空想ロボットなんです。格好いいですよね」
「……」


 格好良いというよりは可愛いと思った。

 少しだけ渇いてきたロボットを、胸に抱きしめる。


「それは、シャア専用……。いえ、三倍ザクっていいます。普通のザクは緑色なんですが、そのザクは通常より出力が30%上がっていて、速さが三倍に見えるんです」
「……はぁ?」


 よく分からない説明に、フルカは首をかしげた。

 けれど、このロボットが三倍ザクだと云うのは伝わった。

 少し饒舌だったのは、このロボットが好きだからだろう。

 大切な思い出をわたしにくれた。この三倍ザクは大切にしよう。

 そう思った。

 三倍ザクを見ていると、肩をポンポンと叩かれた。

 小さく、聞き取り易い歌をシャアさんが歌い始めた。

 それは子守唄だった。小さな子供を寝かしつける時に使われるアレだ。


「わ、わたしはそんな年じゃ……」
「お母さん、いないんですよね?」
「……そ、それは……」
「今だけは、私をお母さんでいさせてください」
「……」


 シャアが歌うその歌は、聞いたことのない子守唄だった。

 ――坊やは良い子だ、ねんねしな。

 それは、優しい愛に溢れた歌だった。

 気が付くと、わたしは眠ってしまっていた……。


 フルカの反応がなくなったことに気づいたシャアは、歌を止めた。

 むずがるようにフルカが動いた。

 寝入るフルカをそっと抱きしめると、シャアも眠りに付いた……。


 ちなみに清掃は数時間後。二人は仲良く揃って掃除の時間に寝坊した。


 その日の誕生会は、清掃員の仲間内で盛大に行われた。ケーキとかのご飯の殆んどはシャアが作った。

 食堂の一部を借りて、みんなで騒いだ。

 拗ねた目をしたフルカはそこにおらず、目を輝かせたフルカがそこにいた。

 その日、シャアは名残惜しがるフルカの部屋から出て行った。

 甘やかしすぎは良くないですから。働いている大人でしょう? でも、寂しくなったら何時でも呼んでくださいね?

 シャアはそう言って笑った。

 友達が、次の日から増えた。

 みんなで写真を撮ったり、ミッドチルダの街に繰り出したり。いろいろ遊んだ。

 シャアは街に出るのを嫌がったが、街ならきっと捜索の根はありませんよね、と呟いて渋々ついてきた。

 そうやって遊んで、仕事をして。少しずつ、フルカは明るさを取り戻していった。

 もう、いじけた目はしない。仕事の楽しさは、シャアに教えてもらった。友達のいる嬉しさは、他の友達に教えてももらった。

 フルカは、幸せになれことを実感した。




「何でも言ってください! 願いを叶えますから!」


 ある日、勇気をくれたシャアにお願いした。なんでもしてあげよう。その気概で叫んだ言葉だった。

 シャアは困ったように笑った。視線を彷徨わせた後、ふと呟いた。


「じゃあ、わたしのお嫁さんになってください」
「え゛……それは……」


 シャアが、困り顔のフルカの頭をコツンと叩く。


「女の子が何でも言う事を聞くなんて言わないの」
「でも……」
「善意は黙って享受しなさい。私の善意は他の人にしてあげて。それが一番私にとって嬉しいんだから」


 それから何度もの言う事を聞く宣言。

 シャアは一回一回、お嫁さんになってと言って誤魔化した。

 結果、女の子にはそれが一番効くと味を占め、他の女性にも言うようになった。

 『お嫁さんになって下さい』は、相手をからかう上等文句としてシャアの中で固定された。

 それが色々と誤解を産むのは、もっと先のこと。

 それは、今はまだ意味をなさない獅子身中の虫。




 それから幾日も過ぎたある日。

 シャアは何時ものように廊下を歩いていた。

 近くにある司令部。中から響き渡る怒声。大きな声を聞いて、シャアは顔を顰めた。

 一介の清掃員である自分がここに用がある筈がない。この中の人に見つかったら五月蝿そうだ。

 身を翻し、元来た道を戻り始める。


「待ちなさい、そこの人」


 後ろから冷徹な声が聞こえた。つい、振り向いてしまう。

 そこにいたのは、ここの秘書の人。手には大量の書類を持っている。

 目にはメガネをかけていて、キッチリしたスーツ姿が決まっている。とても保母になれそうにはない人だ。どちらかといえば教育ママ。保母に我侭を言う人側。天敵だ。


「どうしました? ここの清掃は終わりましたが?」
「あ、清掃はいいのよ。掃除が終わったなら、貴女は暇でしょう?」
「ええ、まぁ。一応」


 暇だと言われるのは心外だが、仕方がないので暇だと言った。

 秘書は胸に抱えた書類を持って安心したように息をついた。

 どうやら、大変らしい。だったら手伝ってあげてもいいかとシャマルは思った。

 秘書が口を開く。それは、ある意味大変な仕事だった。下手は出来なさそうだ。


「だから、貴女に頼みたいの。どうか、わたしの代わりにお茶汲みを――」


 気安くシャマルは頷いた。だが、彼女は知らない。この事件こそ、自分を管理局の根幹に近づかせてしまう発端になるのだということを。

 今はそれに気づかずお茶を入れる。精一杯、文句を言われないようにお茶を煎れる。

 ついでに持って言ってと秘書に言われて、シャマルは会議室に入る。お茶を並べる。

 レジアスが腕を振り下ろすまで、これから一分もない。

 彼女は気を抜いて立っていた。さて、さっさとこの部屋から出ようと思った。

 出口へと歩き出す。

 丁度、レジアスの手が振り下ろされた。

 気を抜いていたシャマルは、その音に驚いた。


「キャッ!」
「何故、清掃員がここにいる!?」


 管理局の赤い彗星の物語は、ここから始まる。








――あとがき
Q このQ&Aって意味なくね?
A 作者はやっと気が付きました。

しゅじんこうはこんなにやさしくてすごいんだぞ。
そう思わせる構成だと佐藤に言われた。……この話で塩がわりに使われそうになるキャラの癖に。そんな本当のことを言われると、何も言えねえじゃねーか。



[3946] シャア丸さんの冒険 短編四話
Name: 田中白◆d6b13d0c ID:d0504f35
Date: 2008/10/26 11:20
――主人公、男だったんだけどさ……みんなそれでいいのかよ!?






 一昨日、別世界でロストロギアの暴発によって、世界規模の大地震が発生した。

 起こった衝撃はミッドチルダの都市の一部にも及び、首都防衛隊のとある災害救助部隊が被害に見舞われた地域にやってきていた。

 そこにあったのは、大量の土砂やビルを構成していた素材の破片が所々に落ちている、たくさんの死人や怪我人で溢れる街。

 崩れたビルやガラスの破片で危険地帯と化した災害地の捜索は、事件発生から二日経っても困難を極めていた。


「前線への貸し出しか」
「……まぁ、そんな感じです。私はただの一清掃員なんで、そこのところの配慮もお願いしますねっ」
「ただの清掃員がAAA-なんてありえねぇな。バリバリ使わせてもらうぞ」
「はうぅ……」


 そんな中、実働部隊員が不足していたチームが、補助・回復専門の魔導師の貸し出しを地上本部に求めた。

 要望はすぐに聞き遂げられた。できれば普通の局員が良かったのだが、部隊に派遣されてきたのは、どうも偽名臭い名前のシャア・アズナブルという嘱託魔導師の女性だった。

 前線へやって来た彼女は、最初から趣味の悪いバリアジャケット(本人は騎士甲冑と言った)を着こんでいた。

 その甲冑の色は赤というよりはピンクに近かったが、本人は赤だと言い張っている。

『ピンク色に見えますが、真紅はジョニーになるのでこれでいいんです』とのこと。

 目元には変な形状の銀色マスクをしていて、顔は全体像しか掴むことができない。

 厄介なことに、身分証明に貼られている顔写真もマスク込みであった。高ランク魔導師だからといって、地上本部は甘やかしすぎだと思う。

 顔の大部分を隠す理由を、本人はおでこに酷いオデキがあるためだと言う。それが本当だったとしたら、なまじ鼻筋や唇が美しいだけに勿体ないとしか言いようがない。


「補助専門のベルカ魔導師だそうだな。部下にベルカ式を使う奴はいるんだが……俺はあんまベルカ式について知らないでな、かいつまんで教えてくれ」
「……ベルカ式については、予め報告書を送っておいたと思うんですけど」
「……マジ?」


 ベルカ式は、範囲とか距離とかをあまり考えない対人戦闘と高出力に重点をおいた魔法だ。

 ベルカ式最大の特徴である『カートリッジシステム』は高出力を求めて造られた機能である。

 そんなベルカ魔法の特徴のとして、肉体・デバイスの強化、個人戦闘力の高さがあげられる。

 ある程度を超える強さを持ったベルカ魔導師は騎士と呼ばれることになる。判断基準はよくわからない。圧倒的な強さ、または騎士としての貫禄だろうか?

 シャア本人は、私はシャア専用なので、騎士ではありませんとほざいている。だがAAA-の魔導師ランクを持っているので、騎士と呼ばれてもおかしくはない魔力の強さだ。

 それにしても、自分が自分専用とはこれ如何に。幾人か首を傾げた。自分に命令できるのは自分だけ?

 最近は少しばかり有名になっていて、古代ベルカ式を使う魔導師の恐れがあるという理由で聖王教会がシャアとの面会を求めているが、地上本部は要求を無視している。


「……なるほど」


 今は彼女が戦力として本当に使い物になるのか、前線のテントの中で部隊の部隊長と面接の最中だった。

 秘書に取ってこさせたベルカ式についての報告書を一通り読んで、部隊長は一つ頷く。とりあえず、人格面に問題はないような気がする。少なくとも、悪い評価はない。

 顔をあわせてみても、少しユルすぎだと感じる以外に問題はない。……唯一にして最大の問題だが。

 数分後、他にも問題があることが判明。報告書を読んでいると簡単に気付ける意味不明なことがある。シャア・アズナブル本人についての情報があまりにも少ないのだ。

 書類には、名前しか書かれていないと言ってもいい。出身地、年齢、保有資格。その他諸々ほとんど空白。

 公務員がこれでは色々と問題だろう。だが、地上本部はこれを黙認しているらしい。本当に甘やかしすぎ。もちろん、説明を求めることにする。


「お前の説明が空白だらけなわけなんだが……」
「女には秘密が付き物だと思いません?」


 唇に人差し指を当て仮面の下でクスクスと笑っているシャアを見て、部隊長は頭を押さえた。

 ――なんともマイペースな女だな。やはり高いランクを持つと色々おかしくなるに違いない。

 後、美人だからチヤホヤされているんだとも思う。

 管理局では男女平等を謳っている(そもそも、男女に優劣を付けていない)が、それでも美人というのはそれだけで甘やかされるものだ。

 ……いったい、嘱託魔導師がなんだと言うのだ。管理局に媚びへつらい、生きるため権力の下に降った野良魔導師の癖に。本当に役に立ちたいのなら、局員になれ局員に。

 そんな風に差別的に考えてしまって、部隊長は首を横に振った。数年前に起こったとある事件以降、癖になってしまった情報の悪い捉え方だった。

 あくまで公平に、情を持って接しろ。部隊長は思考を入れ替えることにした。

 もう一度、気持ちの切り換えのために自己紹介をする。


「……さて、俺はこの災害救助部隊隊長のローグ・キャッシュカイだ。しばらくは部隊の仲間になるな」
「最初入ったばかりの部隊はキツいんですけど、隊員の冷めた目に負けないように頑張らせていただきます」
「……まぁ、適当にやれや」


 嘱託魔導師が貸し出しで来たのだから、既に他の部隊にも行ったことがあるに違いないとローグは推測する。

……局にとっては恥ずかしいことだが、地上部隊同士の中はそこまで良くない。貸し出しなどされている嘱託魔導師には、どんな部隊にも冷たく当てられるのは簡単に想像がつく。

 仲間の結束が強すぎる地上の部隊は、案外余所者に厳しいものだ。

 これから暫らくは冷めた目と戦う覚悟を決めているシャアを、ローグは寂しそうに見ていた。

 きっと、実力があれば認められるさ。ローグは小さく呟いた。少なくとも彼は、実力があったから部隊長の職に就けたのだ。




シャア丸さんの冒険
短編4話「赤い彗星の名付け親」




 レジアスさんによってほぼ強制で管理局に雇われた私は、自由に貸し出し可能な嘱託魔導師として名を馳せつつあります。

 今までは楽な仕事が多かったのですが、誰かに目を付けられているのか、最近は激務が多くなりつつあります。

 そして、今回はとうとう災害救助部隊にまで貸し出されることになってしまったのです。

 面接を受けた感じだと、ここの部隊長さんの印象は……少し面倒くさがりなところがあるけど、真面目な良い人ですね。

 人物把握の一環らしい会話を終えてテントから出ると、四方八方から視線が集まってきます。はうぅ……やっぱり視線が痛いです。

 災害救助という力と繊細さの両方が求められる職場には、性別からして体力の高い男の人が多いですから。たまには女性もいるらしいですが、この部隊には少ないですね。

 そんな場所に女性、しかも嘱託魔導師が来たのだから、好奇と侮蔑の視線が飛んでくるのは推して知るべし。……ようこそ、男の世界へ。

 今私がいる所は、災害現場である前線から離れた休憩キャンプの中。昨日からずっと働き詰めだった救助部隊の方々が休んでいる姿が目に付きます。

 他にも、怪我の少ない被害者が迎えを待っています。このキャンプは、救助した人を収容する目的もあるんですね。

 そうして部隊の一時先輩たちの白い目と戦っていた私は、とある一人の男の子を発見しました。

 その人は、私のちょっとしたトラウマみたいな事件の加害者さんです。

 あちらも私に気付いたのか、露骨に嫌そうな顔をしました。……はいはい、自分の罪は速やかに認めましょうね。

 軽く片手を挙げながら、男の子に近づくことにします。声が届く位置にまで近づいたので、話し掛けることにしました。


「確か、あの時のセクハラさんですよね?」
「……悪かったから言わないでくれよ」


 その男の子は、かつて私が職業清掃員をやっていた時に、突然セクハラ行為をかましてきたお方でした。

 トリップ状態の私へダイブをかまして来たのです。……防衛本能で殴り飛ばしましたけどね。

 つい先日、フルカちゃんにそのネタでからかわれてしまったので、顔を簡単に思い出せました。

 真紅の癖ッ毛、悪戯っ子のような表情。10代半ば程に見える体と顔。手には飲みかけらしき、水が入ったペットボトルを持っています。

 何ヶ月か前に出会った時は、出会い頭の一撃をお見舞いしてしまいました。気絶した彼を保健室に運んでから、意識を取り戻した彼と謝りあった時に名前を聞いていたはずです。

 頭を捻って名前を思い出そうとします。ですが、たった一度だけ話した程度の関係ですので、どうにも印象が薄いのは当然のこと。

 しかし、子供の名前を思い出せないというのは、私にとって死活問題です。

 悩んでいるのがバレないようにこっそりと頭を唸っていると、天啓のように答えが舞い降りてきました。

 記憶に蘇った名前を口に出そうとして、一旦停止してしまいます。

 ……これで良いんでしたっけ?

 その名前は、私にとってはあまりにも不思議な名前です。カタカナ名なのですからおかしくはないんですけど、『私』の世代ではどうにも人の名前と認めにくい。

 しかし、初めて聞いた時も同じように驚いたのだと記憶が言っています。仕方がないので思い出した名前を口に出します。


「お久しぶりです〝ジンガー〟くん」
「……こんにちは、シャアさん」


 ……あれま、私の名前を覚えていたんですか。一回の出会いで記憶に残れるとは、中々うれしいですね。

 ちなみに、彼の名前を呼んだ後、私の脳裏を過ぎったのは、ゴリラやチンパンジーに容赦のない攻撃を加えるとある巨大な蜂の姿でした。

 そいつの色は、黄、赤、茶色、それどころか水色まであって多種多様。極寒の地でも活動できる素敵な蜂です。どうやって生きているのかは不明ですけど。……狂った蜂(ふぁにーびー)とか私の友人が言っていましたね。奴の下であがけ?

 ちなみに、真紅のジンガーは無敵です。

 ……なるほど、私の体を触るのに必死だったあの表情。あんな顔になった男の子は、目的を達するまで人でダメージを負うことありません。何故だか納得してしまいました。


「おう、チャレンジャーの知り合いか?」
「へ、チャレンジャーの知り合いっつうからには、きっとセクハラ対象に違いないぜ」


 私がジンガーくんと挨拶をしていると、そこへ冷やかし声が飛んで来ました。

 私から視線を外すと、ペットボトルに残った水を飲み干し、嫌そうに声の元を振り向くジンガーくん。

 そこにいたのは、この部隊所属と思われる二人の局員さんでした。

 取り立てて特徴がない、普通な顔の男性たちです。救助隊の制服を着ているので、ここの隊員さんなのがはっきりしました。

 リラックスした表情で、ジンガーくんを煽っています。今はこれから始まるであろう激務に備えての休憩時間中なので、隊員弄りで息抜きでもしたいんですかね?

 両者とも締まりのない顔をしていますが、それは今が待機状態だからでしょう。

 どこかに救助を求めている人がいるのなら、彼らは真剣になって被害者を助けるんだと思います。

 彼らが軽い感じの話し方をしているのは、普段の仕事で緊張の連続を繰り返しているからでしょう。

 キツイ仕事の中に、一瞬の清涼剤を得る。仕事の効率化や雑務にやられてしまわないため、局員さんたちもがんばっているんですね。

 ジンガーくんは、空になったペットボトルをゴミ箱に投げ棄てると、先輩方を半眼で見つめます。


「……なんすか、セクハラって」
「チャレンジャーが女に声をかけて、それがセクハラじゃなかった試しがあるか?」
「……ないっスけど、普通は女性の前で人の恥ずかしい歴史を晒しますか」
「その美人な嬢ちゃんのためを思ってだよ。チャレンジャーの名は伊達じゃねえだろうが。……童貞の癖に」
「なっ!?」


 人生経験豊富な大人のセリフで直ぐに丸め込まれてしまっているジンガーくん。男の子は女の子と比べると、脳の成長の違いで口が回りにくいですしね……。大人と子供の口の差は天と地ほど開いています。勝てるはずがありません。

 先輩隊員たちは、後輩に若い身空で大人たちと渡り合うための精神の寛容さを教えるのが目的……だと考えて良いんですかね? これはただ苛めているだけのような……?

 ウブな反応のジンガーくんを見て、ハッハッハと楽しそうに笑う隊員の方々。うん、これは苛めているだけですね。

 ジンガーくんが最後の言葉で一気に顔を真っ赤にしたのを見ると、どうやら彼にとって童貞であるということは恥ずかしい話に分類されるらしいです。

 ……それは恥ずかしがることじゃないと思うんですが……。性の低年齢化は、社会基盤の崩壊の一員になってしまいますよ?

 ミッドチルダはそこらへんどうなっているんでしょうかね? 思考が関係のない方向に飛んでいってしまいそうになったので、なんとか進路を修正します。

 今のところ必要なのは、ここの部隊の人たちとコミュニケーションを取ることです。何か共通の話題を探さなくては。

 ……けれども、救助部隊の人間と話すのは始めての私。簡単に話が合うはずがありません。

 ここは、知り合いであるジンガーくんを経由して話題を見つけることにしましょう。

 ……それにしても、さっきからジンガーくんが呼ばれている『チャレンジャー』とはどういう意味ですかね。名字なのかあだ名なのか、それすら分かりかねる単語です。

 子供チャレンジの購入者ということでしょうか?


「チャレンジャーってどういう意味ですか?」


 だから、ジンガーくんと目をあわせます。分からなかったら人に聞く。知り合いが言っていた一つの真理です。

 知らないことをそのままにしておく方が、後々もっと恥ずかしいんですから。知らないことを後回し後回しにして公開した知り合いが、私にはたくさんいます。特に、私の大学時代の友達が良い例ですね。

 チャレンジャーの意味を聞いた瞬間、顔が赤くなったり、表情が暗くなったりし始めるジンガーくん。

 そういう初々しい反応が、この人たちにからかわれる要因なんだと思うんですが……。

 何も言えないでいるジンガーくんは放っておいて、隊員のお二人さんを見ます。

 彼らは一斉に唇に人差し指を当てて、黙っていろというジェスチャーをしました。

 なるほど、これからもからかい続けるために、改善方は与えるなと言っているんですね。

 ですが、断ってしまいます。


「そうやってすぐに黙り込んじゃうから、からかわれるんだと思うな?」


 的確のように聞こえる私のアドバイスに目を輝かせるジンガーくん。

 もちろん、落とすことも忘れません。


「……ところで、チャレンジャーって何ですか?」


 カクンと首が落ちるジンガーくん。どうしてチャレンジャーなんてあだ名がつくのか凄く気になるのですが。

 隊員さんたちが言っていた『美人のお姉さん』とかの言葉から大体想像はつくのですが、それでも聞いておきます。

 これくらいの年齢の子は、溢れ出る情欲を抑えられない、とか考えるとすぐにわかります。

 綺麗なお姉さんを片っ端からナンパ。色々しようとするところで、いつも失敗。何度失敗したとしても、何度でもやり直す。多分、そんな姿勢から付けられたあだ名なんだと予想しておきます。


「そいつはな、まあナンパ師なんだわ。お姉さん専門の」


 答えてくれる隊員さんの一人。……どうして言ってしまうんです。この子に言わせてこそ価値があるというのに。

 そんな顔をしてみせると、ヒクリと頬を揺らしてから、……容赦ねえ。と呟いた隊員さん。

 ……なんですか、その反応は。自分が恥ずかしいから、言いたくないからと、誰かが先に言ってくれるのを待っていてどうするんです。

 怖いことから逃げているだけではダメだというのに。それに……子供が素直であることは良いことですよね?

 青い顔をしているジンガーくんにずずいと詰め寄ります。どうやったらチャレンジャーとまで呼ばれるようになるのか、今この場で聞き出してあげましょう……。


「騒がしいですよ、全く」


 そうやってジンガーくんをからかって(ほとんど本気)遊んでいると、また声をかけられました。

 ……一目見てから自己紹介されれば、三十人くらいの名前ならすぐに覚えられます。ですが、多くの人に話し掛けられると覚える必要がある人の数が増えて、少しばかり厄介なんですが……。

 振り向いて、声の主の顔を見ます。まだここの人と満足に自己紹介すら行っていないというのに、どうしてこんなに人が話し掛けてくるんです。

 振り向いた先にいたその人は、パッと見三十代くらいの年齢。全身に筋肉のついた、紫色の髪を生やした男の方でした。……んー。どこかで見たことがあるような?

 しばし見つめ合う私と男の方。私と一緒に首を傾げる男の方。どうやら、あちら様も私のことを知っているご様子。……デジャブ?


「って、貴女は伝説のベルカ使い……!」


 そして、いきなり大仰に驚く筋肉男性。

……この人、誰でしたっけ? でも、何年か前に、私をそんな変な名前で呼んだ人がいたような……。

 私を殺気を込めた目で睨んで来る男性。……そういえば、こんな殺気を発する人と戦ったことが……って、この人は!?

 あの時ちらりと見た、マントに書いてあった名前が正しいのなら、確か……エテルナですっ! エテルナ・シグマっ! シャンの村を襲い、村を守ろうとした魔導師のみんなを半殺しにした大罪人です。私が村から出る原因になった男です!

 なのに、どうして何食わぬ顔で普通に働いているんですか!? しかも、救助部隊で!? 冷たい牢屋の中で、一つの村を襲った罪を噛みしめてるんじゃないんですか!?


「……わたしのランクはそれなりに高いですからね。それに、ただ局の前にポツンと置かれただけのわたしが逮捕されるわけないじゃありませんか。まあ、未登録用心棒の最中に人を殺していたことがバレて、今は管理局に管理されていますけどね。……安月給で」


 ……失敗しました。特に罪状もないで魔導師を管理局の前に置いておいても、捕まえてくれるはずないじゃありませんか。

 それでも一応、発見できる罪はあったようで、管理局に奉仕活動を要求されているみたいですけど。まあ、この際はいい気味だと笑っておきます。

 それにしても、何故に私の周囲の格好良さ気な人は、微妙な生活臭を発しているのでしょうか。

 憎々しげな目つきは変わりませんが、前に会った時と比べて何だか丸くなっているような気がします。


「……どうして貴女がここにいるのかは聞きません。今は同じ部隊である。それだけ覚えておいてくれれば結構です」
「……そうですか。シャア・アズナブルです。よろしくお願いします」
「……エテルナ=シグマです。以後、お見知りおきを」


 ……ん? 名前の発音方が少し違ったような? ……ま、いいです。

 エテルナさんとの間に微妙な緊迫感を漂わせながら挨拶します。……命を取り合った仲ですからね。どうしたって緊張してしまうのは仕方がないでしょう。

 そんな私たちを遠巻きに不思議そうな顔で見ている隊員さんたち。


「シグマと知り合いなのか? 今そいつ、『命の大切さを知りましょう』なんて、子供みたいな刑に架せられてここで救助活動やってるんだぜ」


 ……夏休み中、学校の金魚のエサ当番を忘れ、餓死させてしまってハブられている小学生ですか。

 にしても、半分ボランティアで救助活動とは中々ハードですね。

 私は、とても謝りたい気分にかられてしまいます。だから、謝ることにします。


「……それはすみませんでした。てっきり、牢屋の中でゆっくり休憩しているものかと」
「……殺しますよ?」


 何故か額に青筋を浮かべるエテルナさん。はうぅ、どうして怒るんですか!? 私、何か悪いこと言いましたか!?

 ゆっくりと、胸に手を当て深呼吸。自分の言葉を反芻します。

 『……それはすみませんでした。てっきり、牢屋の中でゆっくり休憩しているものかと』

 牢屋の中で休憩=逮捕されてれば良かったのに。

 なるほど、こういうことですか。……それは誤解です!? 私はそんな意地悪な気持ちで言った訳ではないのにぃ!!

 腰からベルカ式の剣型デバイスを引き抜くエテルナさん。顔がマジです。……どうしてベルカ式のデバイスを持っているんですか!? 管理局では、まだカートリッジシステムは危険視されているというのに!?


「私がベルカ式の使い手だと聞いて、管理局が実験がわりにくれたんですよ……。結構高性能ですよ」


 ……面接の時にローグさんが言っていた部下のベルカ式の使い手ってこの人ことだったんですか……。

 うふふと危険な笑みを浮かべるエテルナさん。怖いです、本当に怖いです。止めてください。とあるシューティングゲームをプレイしていた人が、一時期そんな風に笑っていて怖かった月があるんです。

 剣を手に持っているエテルナさんを前にして、私もクラールヴィントを振り子スタイルに変形させます。互いにデバイスを手に取って、ジリジリと距離を取る私たち。

 ハラハラと私たちの間合い取りを見守っているジンガーくんと隊員さんたち。……止めてくださいよ!?

 私は誰かが仲裁でもしてくれないのかと、辺りをキョロキョロします。けれども、みんな止める気はなさそうです。

 一度ケンカすれば、すぐに分かり合えるさ。目があった一人の方が頷いてくれました。

『意見が違えることもある。そんな時は、一度殴り合え。すぐに仲良くなる。少なくとも、おれたちはそうだった』

 ……いえ、本当に殺し合いに発展しそうなんですが……! それに、一度殺し会った仲です!?

 緊迫感はほぼ最高。何か衝撃があれば、即攻撃に移りそうです。頭の中に攻撃パターンが何通りも作られています。弾く、そのまま攻撃、防御、バインド。

 張り詰めた危険な空気を察して、一人の隊員さんがコインを取り出しました。マジで止めてください!?

 その時、ゴーンと休憩時間終了のチャイムが鳴りました。ピンと張られた糸が千切れた感触。

 ああ、もう! 私はヤケクソになってクラールヴィントを振り上げます。……攻撃は開始されませんでした。

 瞬間、エテルナさんの体の動きが変わっていました。チャイムが鳴ると同時にビクッと体が揺れたと思うと、すぐにたくさんの道具を集めて仕事の準備をして、一直線に外へと向かって飛び出して行きました。

 走り去っていく後姿をポカンと見つめます。周囲の人たちが、さすがおれたちの教育だ! と嬉しそうに話し合ってます。

 ……どうやら、仕事には遅れるなと、いい感じにここの人たちから洗脳されているようです。……でも、ケンカにならなくて良かったです。悪ノリは本当に危険ですね……。

 飛び出していったエテルナさんを見て、局員の一人がやれやれと肩を鳴らしました。


「冷めた奴だと思っていたが、あんな裏面があったとはな。……うーむ、おれもまだまだだな」


 仲間の性格の把握が出来ていなかったのが悔しい様子の隊員さん。やっぱり、ジンガーくんを苛めていたのも正確把握の一端なんですね。……気晴らしも兼ねているようですけど。

 わいわいと雑談をしていた皆さんが、休憩時間終了の音声を聞くと同時に道具を揃えて立ち上がり出しました。局員さんたちの目つきが変わり、真剣味が増します。

一気に緊迫感が漂い始めたテント。その様子を呆けた様子で見ているジンガーくん。


「どうしたんですか?」
「いつもこの様子を見る時は壮観だなぁ、と。……この部隊に入ってから一年を超えるのに理由が分かんねえ。どうしておっさんたちは普段マジメじゃないんだろ……?」


 休める時に休み、騒げる時は騒ぐ。根気を絶やさない休憩テクニック。それに気付けないとは。

 ……ジンガーくん、軽いような性格に見えて結構マジメな性格をしてるんですね。彼らのギャップに未だに馴れることができていないようです。

 そして、常に気を張っていると何時か倒れてしまうことにも気付いていないようです。ジンガーくんは、まだストレスにやられたことがないんですね。

 命が失われるのを最も見ることの多い災害救助で、どうしてそんな純粋さを保っていられるのでしょうか……?

 そんなことをつらつらと考えていると、さっきジンガーくんをからかっていた隊員さんと目が合いました。合わせた彼の目が、私に語りかけてきます。

――子供は、できるだけ長く純粋でいて欲しいだろ?

 声に出されぬ問いかけに、つい頷いてしまいます。まだ名も知らぬ彼は、満足げに笑うと走っていきました。

 ……まだ幼い彼が、汚いものを見てしまわないように、部隊のみんなが彼を庇っているんですか……。

 どうやら〝ここも〟いい部隊ですね。私が今まで行った部隊は、だいたいこんな感じのアットホームな場所だけです。どうして地上部隊は仲が悪いのでしょうか。話し合えば、きっと理解し合えるはずなのに。

 点呼をしてから、仕事を開始した彼らの様子を見ながらそんなことを考えました。




 同じころ、部隊のテントの中。

 前線での情報を纏めているローグの前に、秘書がやってきた。あまり乗り気ではない様子で口を開いた。


「ローグ部隊長。……隊長のお子さんが来ているのですが……どうします?」
「デュアリスが!? ……なんでだ?」
「彼が言うには、学校で『お父さんの仕事を聞く』という宿題が出たとか……」
「ああー。そういや、最近は事件現場に付きっ切りで家に帰ってなかったな……。呼んできてくれ、子供とのコミュニケーションも重要だろ。……最近、家族との仲が冷えてきててな……。仲を取り戻すきっかけに出来れば、それが一番いい」
「……お察しします」


 救助現場に子供を入れるのは規定違反だが、奥に行かせなければ別にいいだろう。

 もし咎められたとしても、仕事にかかりっきりのせいで一つの家族が離婚したら、管理局は責任を取れるのかと問いたいとローグは言った。

 ……本当に感情論だな。仕事をするお父さんは大変だということか。

 一度迎えに行った秘書だが、誰も連れてこずに帰ってきた。不思議そうな顔をするローグ。


「……で、デュアリスは?」
「……さっきまでそこで待っていたんですが……。……あ。……部隊長、一つ質問しますね」


 何かに思い至ったらしく、急にマジメな顔になった秘書。つられて顔を引き締めるローグ。

 あくまで可能性の話だと断って、秘書は言葉を続ける。


「子供が災害現場を近くに見て、探険したいと考える確率はどれくらいでしょうか……?」
「……ほぼ、100%……だと思う」


 二人の顔から血の気がさっと引く。頭を過ぎるのは最悪の結末。

 今、この災害現場のビル群はかなり脆くなっている。今でも数分に一回くらいの割合でビルが崩れているのだから、そんなところに子供が入ってしまうと……。


「い、今すぐ部隊の奴らに捜索を……って、休憩時間終わってるじゃないか!? ……くそ、俺が探しに……」
「部隊長が席から離れてどうするんです!? ……別の部隊の手を借り……ダメだ! 子供一人のために呼ぶなと言われそうだ!」


 子供のことを考えて混乱しているローグと秘書。私が目を離さなければーと悔やむ秘書に、いや仕方がないことだ。と優しい声をかけるローグ。

 何故かテントの一室に、人生の縮図みたいな光景が広がっていた。

 というより、悔やむのは父親の方だと思う。どうして秘書の方が憤っているのだろう。





 テントの中で何が起こっているのか。そんなことはお構いなしに、災害現場を探険する一人の子供の姿があった。

 父親を呼んでくると秘書の人は言っていたが、それよりも先に彼の目は災害現場に向けられていたのだ。

 まだまだ遊びたい盛りの11歳男児。災害現場などという非日常に、入り込みたくないはずがない。


「……父さんも嫌な奴だよな。なんでもかんでも仕事のせいにして、全然家に帰ってこない」


 もしも何かがあって父親の仕事の邪魔になるのなら、それはそれで良し。子供の理論で先を目指す。

 目の前に広がる、崩れたビルや割れたガラス。土砂や建物の破片など、普通に過ごしていれば見ることのできない物が目白押しだった。

 そうやって歩いていたデュアリスの耳に、大きな音が聞こえて来た。それはビルの崩落音だったのだが、デュアリスにはわからなかった。

 けれどもその音は、子供の心に恐怖心ではなく好奇心を呼び覚まさせた。大きな音の正体を見極める。自分の中に任務を作り、何があの音を出したのかを確かめるのを目標としてデュアリスは歩く速度を速めた。

 テレビで見たスパイドラマの主人公のように辺りを警戒しながら、先へ先へと進んでいくデュアリス。

 もう一度大きな崩落音。デュアリスはハッとして、音がする遠くを見た。そして、その光景を目に納めるのに成功したのだ。

 ビルが、崩れていた。砂煙と巨大な音を出しながら、一つのビルが砕け散っていく。煙が晴れた時、そこにはビルの姿はなかった。


「すっげぇっ!」


 デュアリスが興奮の声をあげる。先程目の前で起きたその出来事!

 まるで、テレビの中で起こる事件を見ているみたいだった。これは、学校のみんなに自慢できる! デュアリスの興奮の度合いは鰻上りだった。

 気の弱い少年だったら怖くなって帰るところだが、デュアリスは中々肝の据わった少年だった。

 もっと近くで、もっとハッキリ見たい。脆そうな、崩落しかけのビルを探すことにした。

 キョロキョロしながら、右へ左へ飛び跳ねるデュアリス。さっきの興奮と感動をもう一度。

 歓声の声をあげながら走り回るデュアリス。その時、デュアリスの横にあったボロボロのビルが、彼に目掛けて倒れてきた……!





「誰かいませんかー!?」

 私がこの地区の救助に参加してから、既に六時間が経過しました。事件が発生したのが二日前。体が弱い人なら、そろそろ不味い時間です。

 今私がいるのは、崩壊したのデパートの中。探索魔法を使ったところ、ここにたくさんの人がいるとわかったのです。私のほかに、何組かのチームも来ています。

 探索魔法を使ったと聞いても眉唾なのか、本当にここにいるのか掴みかねているのか、救助チームにイライラした様子の人も居ます。


「こ、ここです……!」
「助けて……」


 そのとき、弱々しい声が何処からか聞こえました。クラールヴィントを掲げると、探索魔法を使用します。

 暗闇の中でもハッキリと見える緑色の魔力光。先程弱々しい声を出した人の、安心した様子の声が聞こえてきました。魔導師が近くにいるなら自分は助かる。そう思ってくれたのでしょう。魔力光を出したのは、それが狙いですしね。

 複数の声を聞きつけて、救助チームが迅速に動き出しました。


「右にある柱の中の開けた場所にみなさん閉じ込められているようです。他に反応がありませんから、そこに全員が集まっていると考えて結構です」
「了解した。ただ、引っ掛からなかった人がいるかもしれないからな。一応、建物中を調べるぞ」
「それが一番です。では、私は次の場所へ」
「助かった。助力を感謝する」
「どういたしまして」


 ここはこの人たちに任せても大丈夫そう。というより、コンビネーションの訓練を受けていない私では返って邪魔になってしまいます。

 私は一度外に出て、次の災害に巻き込まれた人を探すことにしました。

 崩れたデパートから外に出ると、空は茜色に染まっていました。薄暗い場所だったので気付きませんでしたが、まさかすでに夕方になっているとは。

 けれど……まだまだ、助けを求めている人はたくさんいます。




 クラールヴィントの反応を頼りに崩壊した町を歩いていると、一つのビルの前に辿り着きました。窓ガラスは全て割れていて、ビルとしては二度と使えそうにありません。

 なんとなく、腰に手を当てます。そこには、攻撃手段を持たないでいる私のために発注された手斧があります。

 ……なんだか、シャア率が高まってきましたよっと。

 歩いて崩落したビルに近づくと、そのビルの前でエテルナさんが座っていました。サボっているようです。……誰よりも先に出て、誰よりも先に休む。何やってるんですか、この人は。

 文句を言いたくなって、エテルナさんに近づきます。

 寄ってくる私に気付いたのか、エテルナさんが嫌そうな顔をしました。……だったら、始めからサボらないでくださいよ。

 瓦礫に腰掛けているエテルナさんを見下ろすと、文句を言おうとして口を開きます。


「いいじゃないですか、コレくらい」
「……今この時も人が死んでいるのに、何を言ってるんですか」


 先に言い訳されました。それでも私の返答を聞いて、本当に嫌そうな顔をするエテルナさん。自分の腰に刺さっている刀を指で示して言いました。

 私も、彼が示したベルカ式デバイスを見ました。重さ3キロ、全長90センチはありそうなロングソード。それは、見るからに『攻撃』に特化した破壊の化身です。


「あのですね、わたしは貴女がいた村を襲いました。勿論、あの盗賊団に入る前からも、用心棒という触れ込みで人を殺していました。そんなわたしが今更、事をかいて『人を救う』ですか。嫌ですよ、そんなマネ」


 本当に嫌そうな口調で言うエテルナさん。……今考えてみると、この人とゆっくり話をする機会があるなんて想像もしませんでしたね。

 でも……。この人、いい人のような気がするんですけど。だって……。


「敬語、使ってますよね?」
「は?」


 だって、本当の悪人が敬語なんて使いますか? ドラゴンボールに出てきたフリーザさんは悪役なのに敬語を使っていますが、あれは皮肉的な言い方をするための口調ですよね?

ですが、エテルナさんの口調には皮肉気な音程はないんですよ。それは、常に敬語を使うような家、または職場にいたということですよね。

 もしも前者の場合、それなりに資産家な家の生まれですし、後者の場合は、社交性が高いということですよね。

 そんな人が、ただ人を殺すマシーンのハズがないと思うのですが……。

 自分の中で作り出した推理を伝えると、エテルナさんはそれを鼻で笑い飛ばしました。


「……なんですか、その妄想は。私が資産家の生まれで、さらに社交性が高い職場にいたと? ははっ、お笑いですね。そんな訳ないじゃありませんか!」


 ……『さらに』って。……二つ同時には言っていないんですが。……もしかすると、ニアピンだったのではないでしょうか。

 うーん。何か聞き出す手段は……って、わざわざ聞く必要もありませんか。この人にまで同情したら、何だかグダグダになってしまいそうですし。

 エテルナさん、目に見えてうろたえていますし。……ここは無視してあげるのが私の務め。何か話を逸らせる話題はないでしょうか。


「で、貴女は何のためにここまで来たんですか?」


 先にエテルナさんに声をかけられました。ああ、そうでした。ここに被害にあった人がいると探索で出たので来たんでしたっけ……。

 ……中に被害にあってる人がいるなら助けなくては!? 私は何をノンキに雑談してるんですっ。


「エテルナさん! 手伝ってくださいっ。手は多いなら多いほど助かります!」
「……ああ、そういえば補助の術者でしたっけ。……この建物に被害者がいるんですか。面倒くさい。一人で……」


 何でわたしは補助魔導師なんかに敗れたんだろ。黄昏ているエテルナさん。ヤル気のないその表情にイラっときます。

 彼の首根っこをはっしと掴むと、私は走り出しました。首を締められたくないのか、エテルナさんも一緒に走り出しました。

 ……体格の良かった私が生みだした、動きたくない人への最終手段です。





「おかあさん。だいじょうぶ?」
「大丈夫だよ、リズモ。すぐに、助けが来るからね」


 シャマルがビルに突入した時、中には一組の母と娘がいた。裕福な家系、幸せな家系。娘は資産家の家系である『マセラティ』の生まれだった。

 何百年も前は貴族だったらしい一族も、時間と供に名は薄れていき、今はただの金持ちにまで成り下がっている。

 娘さん。リズモとその母親は、崩落したビルに巻き込まれてしまっていた。ビルの二階にいた彼女たちは、避難したグループから取り残され、二日もの間、閉じ込められ続けているのだった。

 母親が、苦痛の声をあげた。彼女の下半身はリズモを庇った時に崩れたビルの破片に押しつぶされ、足から下はほとんど原型を留めていない。

 それでも、娘を励まし続けるその姿。それは、まさしく母親という存在だった。


「おかあさん!?」


 舌っ足らずな声で叫ぶリズモ。娘に、グチャグチャになった下半身は見られてはいけない。そして、悟らせてはいけない。母親は、痛みを堪えて笑顔を作る。

 憔悴したリズモの顔を見て、母親は元気付けるために会話を続ける。


「おなか減ったねえ?」
「ううん。まだお腹いっぱいだよ?」


 リズモは幸せそうに笑った。母親に、弱いところを見せてはいけない。そう本能が訴えたのだ。

 母親の方から流れてくる、濃厚な血の匂いに彼女は気付いている。けれど、気付いていると悟らせてはいけない。それでは、母の気持ちに反することになる。

 互いが互いのことを考える、完成された一つの図形がそこにあった。

 その時、遠くから人の話し声が聞こえて来た。


「あっちです! あっちの方です! ……うわぁ、瓦礫だらけ! ……エテルナさん、一気に吹き飛ばしてください!」
「貴女も斧を持っているでしょう。なら、それを使って切り開けばいいでしょう!」
「こんなのすぐに刃こぼれします! それに、この部隊の備品ですから壊したら料金請求されるんですよ!」
「生活臭を出すなと貴女が言ったじゃないですか!」
「それとこれとは話が別です!」


 喧しい声が聞こえてきて……紫の魔力光が周囲に広がった。同時に、リズモたちの目の前にあった瓦礫の檻が吹き飛んだ。魔法で作られた衝撃波が、この階を通り抜けて行ったのだ。

 顔を見合わせる二人。どちらからともなく、呟く。


「救助、来たね?」


 入ってきた明かりに照らされたリズモの母親の顔は、精気のなくなった土気色だった。リズモは心の中で叫ぶ。このままじゃ、ダメ。お母さんが死んじゃう。

 リズモは泣きそうになってお母さんに手を伸ばした。しっかりと握られたその手。手は、とても冷たかった。でも、とても温かかった。

 靴の反響音が近づいてくる。人が、救助隊が近づいてくる。


「ここだよ! おかあさんをたすけて!」


 リズモは叫んだ。心の底から叫んだ。

 声は届いた。すぐに人がやってきた。


「ここです! ここから声がしました! ……血の匂いが濃いですね。危篤の方がいます。エテルナさん、すぐにここらへんを吹き飛ばしてください!」
「……注文が多い。わたしにそんな微調整を要求しますか? これ以上は手を貸しません面倒ですので」
「……はうぅ。仕方がないですね……。後で報告しときます」
「……好きにしなさい」


 やれやれ。女性の声が聞こえ、風が辺りを通り抜けたとリズモの肌が感じ取った。瞬間、目の前にあった最後の瓦礫が粉砕された。

 パキン、とガラスが砕けたような音がして、今度こそリズモの視界が開けた。

 彼女の目の前に、一人の女性がいた。赤い鎧を身につけた一人の騎士。霞んだ目でリズモが見たものは、それが最後だった。





「……酷いですね」
「娘が無事ならそれが幸いです。……さ、早く娘を連れて行って」


 むりやりかけた魔力ブーストで斧砕いた私が助けたのは、一組の親子でした。娘さん……と呼べるほどの年齢ではないですが……の方は安心して気絶したようですが、お母さんの怪我は最悪です。

 下半身、特に太股から下が瓦礫の下敷きになってグチャグチャに潰れてしまっています。これほどの怪我で、よくも意識が保てるものです。……これも、母の愛の力ですか。

 ……うーむ。これは……。瓦礫に潰されてしまっている、切り離された両足を見ますが、とても魔法で直せる状態ではありません。

 でも……直さないよりはマシなはず。足の辺りに、毒抜きの魔法を近づけます。緑色の光が削げ落ちた断面に吸い込まれていき、黒ずんだ断面に精気が戻りました。

 また細菌が入らないうちに、回復魔法を使用。薄皮を復活させます。

 ……ま、これで大丈夫ですね。ミッドチルダの義足は性能が良いですから、普通に暮らすことならできるはずです。


「……足が? ……貴女は、凄い魔導師なのですね」


 やんわりと微笑んだお母さま。……うーん、この人も敬語を使うんですか。今この場で意識を保っている人たち全員、敬語使用者じゃないですか。

 エテルナさんには女の子の方を運んで貰うとして、私はお母さまの方に手を差し出しました。

 少し呆けたような顔をした後、お母さまは私の手を取りました。

 お母さまを背負ったまま、キャンプにまで戻ります。あそこなら、病院まで一直線で運んでくれる救急車とかがあるでしょう。

 事故現場はキャンプに近かったので、少し飛ぶだけで辿り着きます。テントに入ると、何処で怪我人の送迎を行っているのかを聞こうとして歩き始めます。


「何を言っているんです、ローグ隊長!」


 その時、隊員さんの怒鳴り声を聞きつけました。少しだけ気になりましたが、今はお母さまと娘さんを治療できる所に送るのが最優先。無視することにしました。

 どこに届ければ良いのかを聞いて歩いていると、私が怪我人を背負っていることに気付いた隊員さんが来ました。

 教えられた場所に行くと、そこにいた隊員さんたちにお母さまを手渡します。

 さて……。何が原因で喧嘩が起こっているのかを、私は見に行くことにしました。
 ここはただの巨大なテントの中なので、隙間から別の部屋をのぞくのも簡単です。中の人に気をつけながら、私は部屋の中を覗き込んでみました。

 そこにいたのは、ここの部隊長のローグさんと分隊長の……あ、結局名前聞いてませんでした。

……ローグさんと分隊長さんでした。

 分隊長さんの顔は真っ赤に染まり、ローグさんは恥ずかしげに俯いています。


「息子が行方不明になったから、その子を探してくれ!? ……確かに、一つの命は大切です。ですが、今は息子さんの捜索に時間をかけていられる状況ではないのです! 災害が発生してから、そろそろ三日になります。人が飲まず食わずで生きていけるのも三日です。……今日が助けられる最後のチャンスなんです! ……残酷ですが、息子さんは後回しということで……」
「だ、だが……」
「『俺たちは命を救う部隊だ。だが、絶対に助けられない命も存在する。ならば、せめて一人でも多く助けろ。そして、見殺しにしてしまった命を胸に刻み込め。それが救助部隊の心得だ』。これは貴方が私たちに与えた、最初の教訓です。助けられない命があるが、そんな人を助けるために全力を尽くせ。自分で言った言葉を、貴方が守れなくてどうするんですか……」


 ……分隊長さんは、それだけ言って部屋を後にしました。……どうして、部隊長の息子さんがこの災害現場にいるのかは不明ですが、ほっとくことは……。

 んー。でも、息子さん以上に困っている人が多いのもまた事実なんですよね。

 頭の中で捜索時間を割り振ってみます。息子さんを捜索すると、その分人が取られて怪我人の発見が遅れてしまいます。

 見知らぬ10人の命を取るか、部隊長の息子さん1人の命を取るか。聞いた限り、息子さんはまだ元気なんですよね? ……私だったら……息子さんを後回しにします。


「そんなの嫌だ! オレは助けるぞ!」


 部屋を覗いていた目を離すと、誰かが分隊長に食って掛かっているのが見えました。

 後姿しか見えませんが……。ここの人たちと比べると明らかに低い身長、それと真紅の髪。どう見てもジンガーくんです。

 先ほどローグさんと分隊長の会話を聞いていて、文句を言いたくなったのでしょう。……子供ゆえの純粋さ、ですか。……なんだか、彼がとても眩しく見えます。

 息子さんを後回しとか、私は何を考えていたのでしょうか。全ての人間は同じ位置にいます。

 あっちの人の方が多いから、こっちの少ない方の人を捨てるなんて考え方は本来いけないはずだというのに。

 それでは、人が多いということで差別しているじゃないですか。まったくもって公平じゃないです。……人数すら捨ててしまったら、判断基準がなくなって動けなくなりますけど。

 一か十切り捨てるのは、出会わなかった方です。出会ったのならば助けられますが、出会わなかったのなら助けることすらできません。


「……その気持ちはわかる。だがな……一人で探すことが出来るか?」
「……それは、一人だけでなら探しに行ってもいいということッスよね?」
「……それを屁理屈というんだ。……お前は、探索技術も救助技術も低いんだ。取り柄と言えば、戦闘技術くらい。それもまだ完全じゃない。一人で出来ることには限度がある。だからおれたちは徒党を組んでいる。一人では出来ないことを成すためにな」
「……だから、一人を見捨てるんですか!?」
「彼は行方不明になってからまだ一日も経っていない。後からでも十分間にあう!」


 互いに真剣な顔で意見をぶつけあっているジンガーくんと分隊長さん。……でも、分隊長さんが前提にしている条件って、一つ抜け道というか穴があるんですが……。

 それについて聞きたくなったので、サッと手をあげます。


「あの……」
「何だ、シャア・アズナブル?」


 あげた私の手に目ざとく気付いて、分隊長さんが私の名前を呼びます。私が何を言い出すのかに興味を持っているご様子。

 ゴホン。一度咳払いをすると、ずっと気になっていたことを言ってみます。


「みなさん、息子さんが怪我をしていないことを前提にして語っていますけど……怪我を負っている可能性もあるのですが……」


 む、と唸る隊員が何人か。が、すぐに黙殺。いえ、マジメに聞いてもらえるとは思っていませんし、マジメに聞かせるつもりもないただの戯言ですが。

 救助隊の話を聞いていると、息子さんは事故には巻き込まれておらず、ただ迷っているだけ。そんな風に取れるのですが。

 だから、後三日は助けなくて良い。そう言っているんです。でも、怪我をしているのなら、三日ももたない可能性があります。怪我の度合いや精神状況によっては、かなり不味い可能性があります。

 事故当時に巻き込まれた人は大抵建物のなかにいたから、ガラスで怪我をした人は少ないです。

 技術の発達したミッドチルダは、地震などでの災害の時にガラスが飛び散って割れないように作る時に加工してあります。あまり外とか内に飛ばないようになっているんですね。

 ですが、今あの町を歩いていると、崩れたビルからガラスは普通に飛び散るんですよね。もしも崩れるビルの真下にいたのなら、普通の人よりもダメージは大きいです。


「……それは、事故に巻き込まれていたと仮定した時の話じゃないか……」
「分隊長が言っているのも、事故に巻き込まれていないと仮定した時の話です」


 ジンガーくんを置いてけぼりにして、今度は私と分隊長が意見を戦わせます。

 しかし、分隊長はすぐに私から視線を逸らしました。このまま互いの意見を言い合った所で平行線のまま。ならば、早急にどちらかを認めて行動に移る方がいい。そう考えたようです。私も同じ考えなので、一つ確認しておきます。


「一人ならば、欠けても大丈夫なんですよね?」
「ああ。ジンガーにもそう言ったが……しかし、一人で出来るとは……」
「私なら、一人でも大丈夫です。探索魔法と治療魔法は得意分野ですので」
「……ふむ」


 顎に手を当てて私の言葉を吟味している分隊長。

 貴方の息子は助けない。そういう風に断言したことを引きずって、部隊長との関係に羽風をたててしまう。それよりは、今日補充されたばかりの私を助けに向かわせて一応やってみましょうと言う方が良い。

 大方そんなことを考えているのでしょう。彼もまた、効率よく人を助ける為の機械となった人間ですね。私の友人たちが言っていた、壊れた正義の味方って奴でしょうか?

とりあえず、結論を待ちます。……反論したジンガーくんの顔を立てるためにも、さっさと救助に向かいたいのですが。

 私と分隊長の間で交わされる、密約みたいな思考会話。その様子を、ジンガーくんを筆頭に色々な人が見ています。

 顔を突合せ、腕を組んだ分隊長。そこからさらに悩んで……。


「いいだろう。お前一人で、部隊長の子の救助に向かえ」
「了解しました」


 最後には了承しました。

 では許しも貰ったことですし、さっさと行きましょうか。出来るだけスピーディーに、手早く終わらせるのがみんなにとって一番です。

 私は素早く動くと、空を飛んで……。何処に行けばいいのかわからないので、クラールヴィントを掲げました。

 空中に浮かび上がる、緑色の三角形魔法陣。全方向にゆらゆらと揺れたクラールヴィントが、ある一方向を指し示します。

 ……あそこ、ですかね? 信じる物はクラールヴィント一つ。そして、私はクラールヴィントをずっと信用してきた。だったら、後は飛んで行くだけですね。

 飛行態勢を整えて、いざ発進……。


「待ってくれ!」


 止められてしまい、空中でコケました。一回転してしまいました。……誰です、気分が乗っていた私を呼ぶ人は。

 少しだけ不機嫌になりながら地面を見ると、そこにいたのはこの部隊の部隊長ことローグさんです。

 ……部隊長さんが何用です。働き盛りの三十歳、何やら必死な顔をしています。


「俺も付いて行く!」


 何だか泣きそうな顔と声でローグさんが言いました。……うん、まあ、何です。ズバズバ文句を言いたくなる表情ですね。

 ……最初の頃はあんなに自信満々なお人だったのに、こんな情けない顔になってしまうとは。

 それより本当に怖いのは息子を失うことなのか、はたまた嫁さんにぶん殴られて泣かれることなのか、家庭崩壊の危機なのか。とても気になります。

 ……というか、部隊長が部隊から離れて平気なのでしょうか。


「行ってください! 部隊長」


 かなり不安げな様子のローグさんに、後ろから励ましの声を送る人がいました。この部隊の秘書です。

 有能な部隊長(今はヘボい)と責任感の強い秘書。普段のこの二人は、高名で有能なパートナー同士だそうです。

 今見た限りでは、ただの馴れ合いにしか見えませんが。いえ、部下と上司の仲が良いのはいいことですけどね。


「貴方は現場の査察に行ったということにしておきます。後は私に任せて、デュアリス君を!」


 親指を高く掲げて、準備オッケーのサインを出す秘書さん。……いえいえ、私の準備はオッケーじゃないです。そんな良い笑顔になられても無駄ですよ。

 私を見上げて、同じように親指を掲げるローグさん。だから、私が貴方を連れて行く準備が出来ていないんですよ。何時までたってもOKなんて出ませんよ。

 だいたいそんな感じに見えるオーラを発すると、とたんに泣きそうな目になるローグさん。……あのぉ、自分が部隊長だという自覚ありますか?

 噂で聞く限り、ローグという部隊長は仕事のために家族を顧みない雑用の鬼だと聞いたことがあります。

 でも……今の泣きそうな顔を見ていると、とても家族のことを思っている様子が伝わってきます。

家族の生活のために家族を棄てる。……よくある矛盾なんですよね。人生って大変。

 うーん。家族のことを純粋に心配しているお父さんを放っておく訳にはいきませんし……連れて行きますか。

 覚悟を決めて溜息を付いた私を、ローグさんが輝いた目で見ました。さすが部隊長。人の表情を読むのはお手の物ですか。管理局に勤めている方々の人生経験、バカにはできませんね。

 輝かせた目をそのままに、ローグさんは嬉しそうな顔で秘書さんへと振り向きます。その後、同じく嬉しそうな顔をした秘書さんと大きくハイタッチしました。……遊ばないでください。置いて行きますよ?

 ランランしている部隊長を見て、分隊長さんが頭を抑えました。確かに、こんな状況下ではしゃいでいる大人って何だか苛付きますよね……。

 という訳で、無視して進むことにしました。それに気付き、焦った顔になって後ろから追いかけてくるローグさん。

 ……本当に息子さんを助ける気があるのでしょうか?

 ふと、最近の部隊長は運動不足気味だと隊員たちが言っていたのを思い出しました。
 気になって後ろを見ると、500メートルほど走ったところで息を切らしているローグさんがいました。

 ……コーヒーとタバコ、襲い来るストレス。体力なんて、ものの数年でゼロになるんですね。





 辿り着いたのは、テントからそこまで離れていない比較的安全な場所。

 周囲にバラバラになって飛び散っているコンクリートらしき物体群。

 しかし、これは地球では全く使われていない、次元世界の技術で造られた未知の物質。

 建物を建てるためだけに作られた、耐震、耐火、耐水もろもろにトップクラスの防御力を持った素晴らしい素材だそうです。

 とはいえ直接的な衝撃には弱いそうで、大威力の爆発を喰らったりすれば、燃えて吹き飛ぶ程度の耐久力しか持っていないとのこと。

 今回の事件は衝撃波が事故の原因だったため、防御性能は役にたたなかったと最初の説明で聞きました。

 そんなことを考えながら部隊長の息子さんのいる場所をクラールヴィントで探したところ、とあるビル街の一角に反応を見つけました。

 後ろには既にへばってしまって動けないでいる部隊長。その口が、絶対ジムに通うぞ。と動きました。……鍛錬って大切ですよね。

 さて、と。……部隊長が辿り着くまでに、被害者がいる場所の検討くらいつけておきますか。




 ローグさんの息子さん……デュアリスくんの姿を探す途中、遠くで何かが崩れる音を聞きつけました。

 巨大な滝から水が滑り落ちているような轟音に驚いて目を凝らすと、視界に入るか入らないかのところでビルが崩れているのが見えました。

 ……ここらへんも危険地帯だったんですか。これは、早急にデュアリスくんを探さないと、本当に事故に会ってしまうかもしれません。

 ビルの破片の落下と土砂の濁流に飲み込まれてしまえば、大人だってお陀仏です。

 ……そういえば、かつて私も爆発に巻き込まれて死んでしまったわけですが、私の家族はどうしているんでしょうか。

 すでに私のお葬式も終わっていると思いますし……。でも、確認できる世界ではなさそうですし……。

 そもそも今いる世界が別の世界でマンガになっているというのは、普通に考えておかしくないですか? 何かもっと別の繋がりがあっちの世界とこっちの世界にはあったんじゃないですかね?

 つらつらとどうでもいいことを考えながら飛び続けます。地面に飛び散っているビルの破片。裸足で歩いたらエラいことになりそうです。

 ……それにしても、ローグさんは今どこにいるんでしょうか? 何となく気になって後ろを振り向きます。すでに、姿を見ることは出来ません。

 その時、クラールヴィントの先端にある宝石が動き始めました。

 ……どうやら、目標に近づいて来たみたいですね。

 ゆらゆらと揺れて、クラールヴィントがとある場所を指し示します。今の私は空を飛んでいるので、足の方を指しています。

 緊張しながらそこに広がっている光景を目に入れます。

 あるのは、崩れたビルと舞い散る砂塵。無機物があるだけで、人の姿などは見当たりません。

 ……これは……さっきの親子さんの再来でしょうか? ……一応、地面に降りてみます。同時に持ち上がっていくクラールヴィント。

 クラールヴィントの先っぽは、崩れた廃ビルを寸分違わず指し続けています。


「ビルの、下ですか?」
『Das ist richtig』(そうです)


 恐る恐る訊ねると、すぐに返答してくれるクラールヴィント。ビルの真下に救助対象ですか。これは……嘘だと思いたいですね。


『Ich bin in Ordunug』(問題ありません)
「え?」
『Ich sterbe nicht』(死んではいませんから)


 ……ジョークと取るべきか、慰めと取るべきか迷う言葉を。

 確かに、私が探しているのはデュアリスくんであって、酷い言い方ですがタンパク質の固まりではありません。

 探索で発見することが出来たからには、この中にいる人物は生きています。

 前にある瓦礫を見つめながら、大きく魔力を迸らせます。全身から出でて空へと広がっていく緑色の魔力の帯。多分、ベーステントにいる人たちにも見えたでしょう。もちろん、ローグさんにも。

 ……魔力障害が激しくて、繊細な技術である念話がし難いんですよここ。エテルナさんが堂々とサボれていたのは、この念話妨害の空気のお陰ですね。

 とりあえず、救助が必要な人を発見したという連絡は一応しておきました。

 とはいえ、救助隊の方々は別の場所にかかりきりなので、人が来るのはかなり後になると考えた方がいいですけど。

 後は、この瓦礫をどうするかが問題です。最初に支給された手斧は無茶な使い方をして壊してしまいましたから……。

 テントは近いですが、取りに帰るのにも時間がかかります。もしかすると、取りに行く一分一秒の時間が命取りになるかもしれませんしね。

 どこにいるのかもっと判りやすければ、旅の鏡を使えるんですけど(助けが来ると書いたメモを渡してあげるとか)。……私は目の前にある大きな破片群を見つめると、手を使って一つずつ取り除き始めました。

 見上げた先にあるのは、数十数百を超える瓦礫の数々。これを手作業で取り除こうと考える自分の頭に少しだけ疑問を覚え、同時に愛おしさを感じました。




 立ち上った緑色の魔力を目指して、ローグは息を切らしながら走っていた。

 力強く、それでいて優しい力を感じさせる太い魔力光。……と、感じるはずはない。そもそも、魔力から感情を感じることなんてありえない。

 魔力に感情を感じる人がいるとすれば、それは詩人、命の恩人、はたまた精霊信仰者くらいのものだろう。

 普段からそう考えているローグ。あくまで彼の目に映ったのは、ただの緑色の魔力の帯である。

 それでも部隊長が命を削りかねない気迫で光目掛けて走っているのは、家族のつまり息子のためでしかない。

 さっきまで取っていたふざけた行動は、全て自分を落ち着かせるため。バカらしい行動を取り、自分を冷静に見つめることが新の目的だ。

 アホな行動を取る自分を、後ろの方で冷静に見ている自分がいるのと同じようなものである。

 自分はわざと変なことをしている。些細な精神安定こそが、不安に押しつぶされそうなローグの心を支えている。

 家族を失う痛み。昔から管理局に勤め、養うべき妻と子を持ち、親孝行するべき両親を持っている彼はそんなもの知らない。

 ただし、予想することは出来る。彼の知り合いだったとある男は、かつて妻を失った。自らを社会の部品と割り切り、あくまで迅速に物静かに家族のためだけに働いていた。

 しかし、男は仕事を放り出して逃げ出した。妻を失ったのが原因だった。

 あそこまで自分を捨て去ることが出来る男が、全てを放り出して息子だけを伴って逃げ去ってしまうほどの痛み。

 家族を失う痛みとはそれほどのもの。だからこそ、ローグは息子の死を恐れている。

 家族の死は、そのまま家庭の崩壊へと繋がる。

 自分が創り、守り続けていく『家族』を壊させはしない。そんな強い意思が、疲れきった体力ゼロのローグを走らせている。

 そして、彼は辿り着いた。緑色の光の柱が立ち上った所、自分の息子がいる場所に。

 霞んだ目をムリヤリ開いて、ローグはそこにある光景を目に入れる。

 いるのは、一人黙々と瓦礫の撤去を行っているシャマル一人だけ。


「……他の隊員は?」
「まだ来てません。……クラールヴィント、あれ持ち上げてください」


 テコの原理やらなんやらそんな物理法則を利用して、目に付く瓦礫を片っ端から取り除いているシャマル。

 自らのデバイスの材質不明の紐を使って大きな破片を持ち上げ、すぐに落として周囲にある小さな破片を砕く。

 粉々になった瓦礫を一つ一つ放りすてる。

 目標は子供一人だけ。片付けを行うのは別の班。というわけで、瓦礫の回収は考えていないのが丸判りの行動だった。


「……どれ、俺も」


 部下。それも女に救出を丸投げというのもどうかと思い、ローグは手伝いを申し立てた。

 その言葉を聞いて振り向いたシャマルは、ローグの目を見ると小さく横方向に首を振った。

 助けはいらない。私だけでやる。シャマルの目はそう言っていた。


「……親が息子を助けるのは当然だ」


 そもそも、助けるのにすら加わらないのであれば、なんのためにここに来たのかわからない。

 しかし、シャマルはもう一度首を左右に振った。次いでシャマルの指が、ローグの手を指した。

 不思議に思い、ローグは自分の手を見る。……軍手を、嵌めていなかった。

 ついでに、ヘルメットを着けていなかった。シャマルの両手には、模様つきガントレットが嵌っているし、ヘルメット代わりに帽子もかぶっている。

 両方とも騎士甲冑の一部なだけあって、防御性能は折り紙つきだ。

 それに比べ、部隊長の方といえば最近は戦闘訓練もあまり行っていない、デスクワーク中心の不健康業務。

さらに、さっきまでずっと走っていたせいで体力はからっぽ。未だに息が切れている。

 見ていて危なっかしいし、とても役にたちそうにない。シャマルは暗にそんなことを言っていた。

 ローグも流石に部隊長。有能さが売りの部隊を纏めているだけあって、そこまで言われれば黙って見ているしかない。

 けれど……それでは、彼は何のために息を切らしてここまで来たのかという話になってしまう。


「見ていてくれればそれでいいですよ。デュアリス君だって、暗い中から助けられた時、一番最初に対面したいのは家族のハズですから」


 笑顔でそんな風に言われてしまえば、彼が手伝うことはなくなってしまう。

 最早、彼に言うことはない。ローグは、シャマルの働いている後姿を指をくわえて見るだけだった。

 ちゅぱちゅぱ。本当にくわえるな。目がトロンとしてきている部隊長。疲れが溜まっているらしく、かなり思考が鈍っているらしい。

 この部隊長、事件が発生した一昨日から全く寝ていない。また、つい先週一つの災害救助の指揮を執ったばかりである。つまり、不眠不休。

 連日、暇がなかった彼にポツンと訪れた短い休憩時間を取る機会。それが、今だった。

 ただ片付けを行ってるだけのシャマルの単調作業の後姿を見ているうちに、彼は眠ってしまった。





 その時のことを、ローグは今でも覚えていた。

 三年前にミッドの街で発生した、『管理外魔導師』による傷害事件。

 犯人は無事逮捕されたが、人質にされていた隊員の家内が一人死亡した。

 事件発生中の事故。妻の死を書類だけで済まされた男は、無気力なまま管理局から逃げ出した。

 男の名はゴーラ・エクストレイル。彼、ローグ・キャッシュカイの親友だった。

 茶色い地味な魔力光と、仕事に堅実な寡黙な姿勢。『会社に不可欠タフな部品』とまで揶揄された、己を殺すことのエキスパート。

 ゴーラは管理局に勤めるようなガラではなく、どちらかといえばサラリーマンでも似合いそうな男だった。

 一人息子と妻のため、毎日を堅実に生きていたゴーラを襲った悲劇。それが、あの事件だった。社会情勢に興味のある者たちのほとんどが感じた、管理局の人手不足。それは、見ていて悲しくなるほど簡単に浮き彫りになった。

 未だに管理局を攻撃するテロリストが多いのは、それがあまりにも判り安すぎるからだろう。

 そして今でも、ゴーラの足取りは掴めていない。連絡が取れなくなった友のことを、ローグはたまに思い出す。

 お前も、管理局の人手不足が身に染みているだろう。だから、戻って来い。ミッドチルダの平和を守るため、また手を貸してくれ。

 しかし、きっとゴーラは戻ってこないだろうという確信がローグにはあった。

 あまりにも組織という物の一部になり過ぎた、ゴーラ・エクストレイル。たくさんの貢献をし、きっと自分たちを助けてくれるだろうと信じた組織の非常な返答。

 それは、あの真面目すぎた男にとって、どれほどキツい現実だったのか。

 けれど、ローグは組織なんてそんな物だと割り切っている。だからこそ、息子が行方不明と聞いて居ても立ってもいられずに彼は走り出したのだ。

 息子を組織は助けてくれない、息子を助けられるのは自分だけ。組織を信じすぎたゴーラの二の舞にならないよう、彼は自分一人で最善を尽くす。

 ……まあ、結局彼は安全面が理由で息子の救出を手伝うことはできなかったが。

 夢の現で、女性の声が聞こえた気がしてローグは目を開けた。




 ……寝てますね。凄く幸せそうに寝てますね、部隊長。あ、唸り声をあげました。……悪夢でも見ているんですかねあの人? 何をするためにここに来たのでしょうか……。

 子を助けるようとするのは親の常。子を思い慌てるのもまた親の常。何も出来なくたっていいから、子供のためにまず走る。

 それが親です。親の義務です。……ですが、救助部隊の部隊長が、ヘルメットどころか軍手すらせずに救助の手伝いをしようと考えるでしょうか?

 うーん。『子供のために慌てる』は、最高のうっかりカバー文句ですけど、それにも限度があるんですが。

 後ろですやすやと寝息を立てているローグさんを見ながらそんなことを考えます。

 確かに、ここ最近はずっと現場に出ずっぱり。そして、今は何もすることがないから休息を取る。……部隊の人間として働くには必要な技能ですけど、なんだか理不尽ですね。

 ……持ち上げて、粉砕して、取り除く。単純な作業ですが、取り除いた所にデュアリスくんがいるかもしれない。そんな訳で常に気を張っておく必要がある、とても難しい仕事。

 砲撃魔法とかが使えれば、もう少し楽なんですけど。非殺傷設定でも衝撃はありますから、安全に瓦礫とかを弾き飛ばせますし。

 なんかもう色々と面倒くさくなって、大規模破壊でも行おうと思って大きめな瓦礫を持ち上げたその時、その下にいた一人の少年と目が合いました。

 全身ボロボロになっている、緑色の髪の毛の男の子です。後ろで船を漕いでいる部隊長と同じ髪の色。

 ……発見しました。かなりあっさりと。


「デュアリス!」


 発見と同時に走り寄ってくるローグさん。意識が朦朧としている様子のデュアリスくんを抱き上げます。

 最後の良いところだけを持っていくとは、中々ヒドイ人ですね。

 ボケっとした様子の息子をしっかりと抱きしめるローグさん。同時に、気が緩んだのか気絶しました。

 ……さて、今ここにいるのは疲れきった大人二人と気絶した子供一人。どうやって帰りましょうかね。

 そんなことを考えている私を尻目に、デュアリスくんを背負って、しっかりとした足取りでローグさんは歩き出していました。

 さきほどまでバテバテだったのがまるで嘘だったかのように、背筋をシャンと伸ばして先へと進んでいます。おお、親が真の力を発揮しました。

 帰る方法……それは当然、徒歩に決まっていますよね。労働の後の休息もなしですか……。

 私は空に浮かび上がると、一歩一歩着実に歩いているローグさんの後を追い始めました。

 子を背負い、遥か先にある安全なところまで歩いていく父親の背中。見ていて、なにやらこみ上げてくる物がありますね……。

 あ、ローグさんが倒れました。背負っているデュアリスくんが重かったようです。

 辛そうな表情のまま、大きくなったなデュアリスと呟いています。映画のワンシーンじゃないんですから、わざわざ決めゼリフを言う必要なんてないと思うのですが。

 デュアリスくんを背にして、動けなくなって立ち往生しているローグさん。……私が連れて帰ってあげますか。

 一度地上に降りて、ローグさんに手を差し出します。すぐに意味を理解して、デュアリスくんが私の手に差し出されます。

 部隊長から息子さんを受け取った私は、一気に速度をあげてテントに向かって飛んで行きました。





 ザワザワと、うるさい騒ぎ声を聞いてデュアリスは目を醒ました。少し身体を動かすと、身体の節々が強く痛んだ。

 目の前に広がる、布製の白い天井。それで、ここがテントなのだとわかった。


「デュアリス」


 耳に父の声が聞こえてハッとした。確か自分は父のいるテントから黙って出て行って、ビルの崩落に巻き込まれたハズでは……?

 次いで、全身に巻かれた包帯を見てそれが真実であると気付いた。


「心配かけやがって」


 泣きそうな父の顔を見て、自分がどんな無謀な真似をしたのかをデュアリスは思い知った。ここは危ない事故現場なのだ。ホイホイと外に出るのは危ない。それが中心地ならば尚更のこと。

 父に心配をかけてしまった自分は、なんと悪い子なんだろう。

 ――なんてデュアリスは特に考えていなかった。だって、さっき言っていたじゃないか。邪魔になったらそれはそれで良しだと。

 だから、ツンとそっぽを向いた。表情が凍るローグ。

 決して、賛辞や賞賛。そして謝辞が貰えると考えていたわけではない。だが、普通は涙して助かったことを喜ぶのが筋ではないのか。

 未だ業務をサボり続けながら息子の看病をしているローグ。部隊員からの評価を下げ続けている部隊長に、息子は厳しかった。

 そんなローグの後姿を見ながら、シャマルはただ涙を流す。他の家系へ口出しするなんておこがましいことは、彼女にはとても出来ない。

 自分が預かった子供には厳しさを発揮するシャマルだが、家には家のルールがあるということを念頭に置いて行動している。

 子供にとっての一番は、生みの親ではなくてはならない。一応その辺のことを彼女は理解している。

 子供が親を嫌っていると聞くとする。そこに颯爽としゃしゃり出て、子供は親を尊敬しなくてはいけません! なんて教え込むような恥知らずな真似をする気は全くない。

 個人の正義感の押し付けは、誰にとっても迷惑でしかない。本当に間違っている家族には介入するとしても、ただの子供と親の仲違いの仲裁をしようとは思わないのだ。


「デ、デュアリス……」
「父さんが目を離すからいけないのさ」


 ただし、見ていて胸が痛くなるのはどうしようもない。子供に嫌われるとしたら、まず悪いのは親の方。

 子供が良い子と言われたら、親の教育が良かったから。

 子供が悪い子と言われたら、子供のせいと関係を否定。

 そうやって、良いところだけ総取りで悪いところを見なかったことにする親のなんと多いことか。

 今いる子供は、親の押し付けの結果である。それを忘れないで欲しい。

 つまり、デュアリスがローグを嫌っているのはローグ自身のせい。家族のためと言い訳をして、家族サービスも行わず家から離れ続けている。

 それで子供に信頼されるはずがない。父親は子供の目標でなくてはならないのにとシャマルは思っていた。


「怒るぞ、デュアリス」
「べっつに~。悪いの父さんだもん」


 ……もどかしすぎる。シャマルの中で溜まっていくフラストレーション。けれど、口を出すことは叶わない。

 お互いが相手のことを悪いと信じている。これほどイライラする状況は中々あったものではない。

 どちらかが謝れば一応の解決は図れるというのに、二人して意地を張り合っている。

 にらみ合う二人。とうとう振り上げられるローグの右手。咄嗟に目を瞑るデュアリス。

 これから行われるであろう体罰を前にして、シャマルが動いた。ローグを止める必要があったのだ。

 シャマルはクラールヴィントを指から放つと、ワイヤーを巻きつけてローグの腕を停止させる。

 戒めの鎖と呼ばれる束縛魔法の簡易発動だが、ただ停止の効果があったから使っただけでもっと効果的な魔法があったらそちらを使用していた。


「……シャア。これは、家族の問題だ。正義感での邪魔は止して貰おうか?」
「いえ、違います。家族の問題は家族の問題。私に邪魔をする権利はありません」
「ならば、なぜ止めた?」
「……ここは救助隊のベースです。そこの責任者が子供を殴る光景は、とても怪我人たちに見せていいものじゃないですから……」


 グッとローグが唸った。実際、ここは怪我人たちのための仮眠テントである。そこで教育のためとはいえ暴行を加える姿を見せるのは、救助された人たちに不安感や嫌悪感を与えることになる。

 ローグが振り上げた手を下ろした。同時に束縛が解除される。


「……子供は、希望だからな。それが勝手に行動して、勝手に死んでしまうと考えると、とても怖くてな」
「家に帰ってこない父さんが悪い」
「うっ」
「デュアリスくんは黙っていてください」
「は、はい」


 独白を開始するローグに文句を言うデュアリス。すぐにたしなめるシャマル。何故か黙るデュアリス。

 少年にとって、年上のお姉さんとはかくありきである。

 このテントにいるということは、看護士か何かだろうとかと考えてデュアリスは従っておくことにした。

 お姉さんを前に聞き分けのいい思春期の息子を悲しい目で見ながら、ローグは言葉を続ける。


「確かに、俺はいい父親ではないかもしれない。ただ、家族の幸せは願っている」
「じゃあ、帰ってきてよ。母さん何時も笑顔だけど、寂しがってるよ」


 黙ってと言われて黙りはするが、それでも看過できないことがあるなら言いたいことははっきり言う。

 子供は正直で、とてもまぶしい存在である。

 シャマルは、子供のそんな率直さや純粋さをとても好んでいる。

 自分の境遇に不満があるなら口に出す。思考の柔軟さを用いて、悪い状況を打開する術をすぐに考え出せる。

 それが、シャマルには羨ましく綺麗に見えるのだろう。


「家族を失うのは、とても痛い」
「……都合が悪くなると、すぐに無視するし」


 ……親を非難する時の子供って怖い。自分に一番近い人間である故に、普段の生活態度などを交えた否定をしてくる。

 冷や汗を押し隠しながら、ローグは話を進める。


「俺は、家族を失うのが怖いんだ。……かつて『会社に不可欠タフな部品』とまで呼ばれた仕事の鬼がいた」


 それを聞いて噴きだすシャマル。そんな風に呼ばれていた知り合いが、彼女にはいた。

いきなりの奇行にローグが、どうした? と目で聞くが、何でもありませんとシャマルは首を横に振るだけだった。

 話を区切られてしまったため、一度咳払いをしてローグは続きを話す。


「だが、彼はとある事件を切欠に変わってしまった。……妻が、死んだんだ」


 む。と唸るデュアリス。話が何やら重くなってきたのを感じ取ったのだ。

……これは面倒くさい話になって来たぞと心中で呟く。表情のせいで丸わかりだったが。

 それから語られる、当時の男の荒れよう。亡くなった妻を思い、嘆き続ける彼の姿はとても見れたものではなかったという。


「そして、デュアリスと二つ違いの子供を連れて彼は疾走した。その男はゴーラ・エクストレイルという。父さんの……親友だった」
「……」


 黙りこんでしまうデュアリス。

 家族を失う恐怖。人の命が失われる救助の最前線で、ローグはたくさんの人の死を見て来たのだろう。

 それゆえに怖くなるのだ。子を失った悲しみで発狂する母親。親を失い、途方に暮れた目をする子供。

 そんな母親を精神病院にいれ、子供たちに里親や保護施設を紹介する。

 だから怖くなる。自分も子供を失えば、ああなってしまうのではないか。デュアリスも、両親を失えばああなってしまうのか。

 そうならないように、彼は『お金』を稼ぐ。幸せを得るための対価。物があれば幸せなんてほざくつもりはない。

 お金があれば、少しでも安全な家を作れる。病気にかかったりしても、治療費が払える。

 そして自分が仕事をがんばれば頑張れるほど、不幸な家族を減らすことができる。

 これでがんばらず、何を頑張る? 自分の家族を幸せにできて、他の家族の不幸を減らせる。

 これほど充実感のある仕事が、他にあるか?

 そう言って、ローグは独白を止めた。デュアリスは、何も言えなかった。

 子供にとって親とは目標であり、そして最初の壁である。生まれた時から養われ、常にその背中を見続けることになる。

 父親の人生は、子供にとって最大の到達点であるのだ。その男の独白は、子にとって最も考えさせられる話となる。

 どちらも声を発しない。痛いほどの沈黙が降りた。


「部隊長! 帰ってきたなら仕事の引継ぎお願いします! 貴方の指示とわたしの指示では質が違いすぎます!」
「後で報告書提出してくださいよ!」


 まるで耳を済ましていたかのように、会話が終わった瞬間に人がなだれ込んでくる。

 しんみりとした空気が一瞬で霧散する。疾風怒濤の展開チェンジに、デュアリスの思考は停止寸前。

 あまりにもお節介。そんな騒がしい部隊の仲間たちを見て、ローグはポカンとした後……。


「……迷惑かけた。これからも、住民の不幸を減らすためにバリバリ働くぞ!」
「「「はい!!」」」


 ニヤリと笑って、隊員の皆に一斉に指示を出した。

 急に活気付いたテントの中で指示を出す父の背中を見て、デュアリスは思う。

 あんな話を聞いたすぐ後に、こんな仕事熱心な父さんが帰ってこないのが悪いなんて言えるものか。

 少なくとも、これから数日くらいは父の言うことを聞いていいし、帰ってこないことも許そうかなとデュアリスは呟いた。

 それと……父に仕事を聞くという宿題は、結構マジメにやれそうだ。

 ……でも、これからも帰ってこないようなら……また反抗してやろうっと。

 小さな事件に関わって表情が変わったデュアリスの背中を見て、シャマルはほっと安堵の息を吐いた。

 一つの親子の仲が保たれた。これほど嬉しいことはない。関節的にとはいえ関わってしまったのは少し痛いが、まだまだ許容範囲。

 彼女は、父と子が話をする切欠を作ってあげただけなのだから。

 親子の問題は親子の問題。そこに他人が関わっていいはずがない。少なくとも、今回の話し合いで、この親子は『ケンカ』をする意味を知っただろう。

 誰かが一から十まで取り成した仲は、そんなに長く続かない。自分たちで考え、自分たちで譲歩しあう。そうやって、親子の絆は深くなっていくのだから。

 命には別状がないとシャマルから聞いて、テントから出て父の後を追うデュアリス。

 それだけを見送って、シャマルは外に飛び出した。助けを待っている人たちは、まだまだいるのだから。

 現場とその場を行ったり来たりしているうちに、少しずつ近くなっていく親子の姿。肩が触れ合うほど近い親子をシャマルは嬉しそうに見つめていた。





「……久しぶりに地上に来たけど、なんか変なやつがいるじゃない。……使えるかもしれないし、お父様に教えてみようか?」
「そうだね」


 そのころ。二つの影が、シャア・アズナブルに目をつけた。

 その尻尾と耳がある二人は、行ったり来たりしているシャマルの後姿を見つめ続ける。

 そのうち、何事かに気付いたのか二人揃って耳を掻き始める。気になることが出来たようだ。

 その疑問はもちろん当然のことなのだが、まさかという先入観を持ってしまっている二人は全く気付かない。


「……ねえ、アリア? あいつって何処かで……?」
「……確かに」


 このもやもや感をなくすために、話でもしてくるか? 互いに顔を見合わせると、頷き合う。働いている赤い鎧の持ち主に接触しようとして宙に浮く。


「あの、そこのお姉さん方、手伝ってくれるなら手伝ってくれないでしょうか?」
「え! ああ、うん」


 しかし、動き出す前に近くを通りかかった赤毛の少年に話し掛けられてしまい、その疑問を忘れてしまった。

 疑問の答えに気付くのは、これからもっと後のこと。しかし、今は気付くことはない。





 次の日、とある学校の一教室で一人の少年が作文を読んでいた。全身に包帯を巻いているというのに、作文を発表するためだけに学校に来たのだという。

 自分の父がどんな立派な人なのか、友達に自慢したかったらしい。心変わりの激しい少年特有の揺れる心から話される話は、とても色づいて聞こえる。

 一度欠伸をした。どうやら、あまり寝ていないようだ。


 タイトルは『僕のお父さん』。

 救助部隊の隊長を持つ少年の話に、教室のみんなは聞き入っていた。

 その中で、教室中の子どもたちを沸かせる話が出てきた。

 その人は、事故にあった少年をいの一番で見つけてくれた人らしい。赤い鎧を着た、綺麗な女性。

 ランクはなんとAAA(!)。昨日一日で、ありえないくらいたくさんの人の居場所を突き止め助けることに成功したのだという。


 ――同じ頃、嘱託魔道士がいない時間を見計らって、テントの中で部隊長が部隊の皆に息子が言っていた女性の話を始めた。

 この部隊に来てからたかだか一日の魔導師。他の隊員たちは、別にそんな奴の話を聞く気はなかった。

 それでも、部隊長は話を続けた。たった一日で、息子にあんなに好かれる女性は見たことがないと、部隊長は興奮気味だった。

 仕方がないので適当に相槌を打つ隊員たち。部隊長の話の中心は、息子が言い始めたあの嘱託魔導師の呼び名。


「「まるで、赤い色の彗星みたいな人だった」」


 別に何でもないかのように、部隊の皆に話は流された。小学校の中でも一つのクラスの中ですぐに忘れられた。

 けれど、ここから少しずつミッドチルダ中にこの名は漂っていくことになるのだ。

 ほんの一年という短い期間で有名になったとある女性。

 『赤い彗星』の二つ名は、名前すら不明の救助部隊と、別に有名ではない小学校から、誰かに気付かれるわけでもなくゆっくりと広がりはじめたのだった……。





――あとがき
Q …………うわぁ、スゲェ下手。
A 文章が粗くても気にしない。一ヶ月くらいかけてしまったせいで繋ぎがボロボロだが気にしない。展開がムチャクチャでも気にしない。

作品の中でローグ(部隊長)の呼び名が安定していませんが、特に理由はないです。
部隊長=ローグであることを印象付けるための意味合いでしかありません。特にガ行と伸ばし棒とラ行で構成されたゴーラとローグは、名前が似ているせいで混乱しかねないので。

呼び方が安定していないキャラは、役職と名前の二つを説明するのが目的だということで。



[3946] シャア丸さんの冒険 短編五話
Name: 田中白◆d6b13d0c ID:d0504f35
Date: 2008/10/26 11:30
――主人公、男だったんだぜ……。どうして、みんな中身じゃなくて外見を……。








 新暦51年。ミッドチルダ西部。

 とある人に指定された酒場に入りました。ミッドチルダ中心からかなり離れた集落の、村人しか訪れなさそうな小さな飲み屋です。

 敷居を潜ると、そこには地元の方がたくさんいます。ですが余所者にはあまり興味がないようで、一瞬視線を投げかけただけですぐに意識は外れました。

 一番奥の椅子に彼は座っていました。一番奥って情報屋にとってはいい場所なのでしょうか? なんだか逃げる時とかのことを考えると一番危険そうな場所のような……。

 私が話し掛けようとする前に、彼が手をあげてきます。心なし彼の体が震えているような気がします。目を離して戻すとそんな様子は微塵もなくなっていました。気のせいだったのでしょうか?

 ……すでに要件は話してあるので、用意されているであろう彼の答えを聞くだけです。

 正面に立ちます。顔を会わせるのは本当に久しぶり。

 相変わらずのサングラス。新調して遮光性を高めたのか、瞳の色は読み取れません。座っていたノザーノさんが口を開きました。


「ミッドチルダに帰って来ていいのか?」
「……いえ、危ないです。ですが、貴方たちしか頼る相手もいないので……」


 時空管理局から罪状持ちで脱走に成功するなど、よっぽどの実力者ではないと出来ないこと。

 今の私はミッドチルダに来るだけで捕まる危険があります。滞在するなんてもってのほか。頼んでいた用件を聞くだけ聞いたら、すぐに逃亡生活に戻ります。

 何度か頷いてから、ドンと胸を叩くノザーノさん。


「……ふむ。よっしゃ、良いだろう。このノザーノ、受けた恩は(多分)忘れねえ。教えてやるぜ、最高の鍛冶師をな。管理外世界の一つ『祝福の樹』を目指しな。そこにある国、ワイスタァンの鍛聖……」
「却下です」


 何故に魂の還る地を訪ねねばならんのですか。

 指に嵌めているクラールヴィントを弄りながら考えます。……でも、ドリルとかナックルは捨てがたいかもしれません。機会があれば本当に行ってみてもいいかも。

 でも鍛聖に会うのは、正直無理だと思います。


「だがなぁ……不浄なる魂の牢獄と呼ばれるあの世界には、強力な武器がゴロゴロしてるんだぜ。武器は鋼の硬さにあらず、武器は剣の腕にあらず、武器は友の助けにあらず。全てを揃えた曇りのない心を持った最高の鍛冶師が……」
「却下です」


 私の鞄の中にあるのは、バキバキに折れて壊れたモーニングスター。私の不注意で壊れた道具を、なんとか直してあげたいんです。

 一年ほどかけて元の形に直してくれそうな鍛冶師を探していましたが、どうしてもこの人だと思える方がいなかったんですよね。

 独自での鍛冶師探索には限界がある。そう感じた私は、危険を承知でミッドチルダに戻ってきたのでした。

 ここには情報を取り扱っている知り合いがたくさんいますしね。

 長年連れ添った相棒であるモーニングスターを、そのまま破棄するような気はさらさらありません。


「例えば、あの世界にある無色のはば……」
「聞きたくないです」
「絶対勇者剣なんて、普通武器には付けない名前だろ?」
「……確かに、勇者ドリルはちょっとだけ欲しいですけど」
「はっ?」
「いえ、何でも」


 差し詰めあんたの鎧の爪はイーグルクローか。そう言って笑ったノザーノさんは、一転して真面目な表情になります。

 サングラスから覗くその目から、私のことをとても気にしているのが分かって、つい姿勢を正してしまいました。


「選ばれた高潔な魂の集う楽園。あそこはいいところだ」
「……行ったことが?」
「ある。妻との新婚旅行でな」
「……そう、ですか」


 妻との新婚旅行というのは中々感動的な話ですけ……。娘を溺愛しすぎているところを見ると、故人みたいですけど。

 しかしまあ、四作目が意味なくなりそうな世界とリンクしてますね。国交が盛んになったら、はぐれ召喚獣とかいなくなるんじゃありません? みんな幻獣界に帰れますよ?

 けれど、今は祝福の樹に行く気はないので、ここは断っておくべきでしょう。


「でも、行きません。今行くと、変な事件に巻き込まれそうなので」
「そうかい。ま、勘は大事だな。少しばかり前に、SSSランクはあろうかという魔導師が暴れていたと聞く。だが、何時の日か行ってみてくれ。あそこは素晴らしい世界だからな」


 そう言って祝福の樹の観光パンフレットを渡してくるノザーノさん。信頼している人物に渡すためだけに作られているのか、場所と見所くらいしか書いていません。

 ありがたく受け取っておくとして、他の鍛冶師について聞かなくては。

 パンフレットを流し読みしてから顔を上げると、何処からともなく鍛冶師についての資料を取り出してページを捲っているノザーノさんの姿がありました。あの一瞬でよくもまあ……。


「直す予定のトゲ棍棒(モーニングスター)とやらは、デバイスにするのか?」
「しません」
「……そうか。なら、候補だけなら結構いるな」


 野良のデバイスマイスターは少ねえ。苛立たしげなノザーノさん。

 ですけど、たくさん野良マイスターがいるとすればタダゴトではないでしょう。不景気とかいうレベルじゃないです。

 ピッと一枚のレポート用紙を何気なく机に払い、私に渡してきます。勢いが強くて机から飛びそうになっていたので咄嗟に受け取ると、そこに記してあるのは一人の老人についての資料。

 白衣を着て髪を逆立てた、ファンキーな爺さんでした。……誰ですか。こんな知り合い私にはいませんよ?


「その人が俺の知る限り、鍛冶師の中では最高峰だ。特に、変態的な武器を作る事にかけてはな」
「……変、態?」
「ああ。フックショットとかいう伸び縮みする槍を作ったりしてる。魔力もないのに、その技術力だけでロストロギア指定された変態武器『雷光○』を作った科学者ドルアェモンも、その爺さんの弟子だという話だ」


 雷光○。どこかで聞いたことがある名前です。えーと、確か……。

 …………忘れました。忘れたってことはたいした関係じゃなかったんですね。強いていえば、名前が青ダヌキの道具に似ているくらいです。あれは電光ですけど。


「噂では、技術についてジェイル・スカリエッティから教えを請われた程の人物らしい。変な機械を作ることに関しちゃ化け物だな」
「……じぇいるすかりえってぃ?」


 誰でしたっけ……。あ、スカさんですか。フルネームを忘れていました。私の中であの人はスカさんでしたよ。

 聞く所によると、数年前に管理局に捕まった雷光○の使い手『アジ・ギ・エロ』はこの爺さんから色んな方面を通じて、最終的にスカリエッティからAMFを受け取ったそうです。途中の経過が抜けているので、どんな取引がそこにあったのかは不明だそうですけど。

 ……それにしても、アジ・ギ・エロ? なんだかグレートな名前の人ですね。やっぱりどこかで聞いたことが……って、私が捕まえた人ですよ。自分が捕まえた人物を忘れていたんですか。捕まえたその女も薄情な人です……。私ですけど。


「付いて来い。あの爺さんに渡りをつけてやる。昔取った杵柄があるんでな」
「よろしくお願いします」
「ただし、妻には内緒だぜ」
「話せる範囲にいる方なんですか?」
「……ああ。何年か前までな」


 自分から話を振ってきたのに一気に暗くなるノザーノさん。そういう顔は精神的にキツいんで、暗くなるのは一人の時だけにしてくれませんか?

 先に店を出て行くノザーノさん。咄嗟に私も後を追います。

奇妙な活気に溢れていた酒場を出ると一気に寒くなりました。熱気が急に恋しくなりました。さすがに寒い季節ですから……。自らの趣旨を曲げてまで着ている黒いコートを羽織ってこれですか。ガッツが足りませんね、私も。

……ダイノガッツは足りていたみたいですけど。





「写真の爺さんは、ニッさんの通称で呼ばれる機会弄りの達人だ。『来る者は拒まず。ただし厄介事は勘弁な』が基本スタンス。アマチュアでも結構簡単に接触できるが、どうしてかプロになればなるほど近づかなくなる」


 資料を見ながら迷いのない足取りで歩き出すノザーノさん。その口ぶりだと、どうやらニッさんさんはミッドチルダにいるようです。

 案内してくれるとの言葉に従って、私もノザーノさんの後についていきます。

 ……ところで、アマチュアは近づいてプロは近づかないって。ノザーノさんって、プロじゃないのでしょうか? あ、睨まれました。……アンタのために接触してやんだよ。と目が言っています。


「何年か前まではアルトセイム地方にいたらしいが、住んでいた土地の一部がどこかに飛んでいったらしくてな。定住地を失って以来、ずっと流浪しているそうだ」
「物騒なこともあるもんですねえ……」


 違いねえ。そう言って豪快に笑うノザーノさん。

 ……またこの人の性格がわからなくなりました。豪快なのかお父さんなのか繊細なのか……。どれかに統一して欲しいものです。


「しかし、だ」
「何です?」
「見た目、変わんないなアンタは」


 何気なくノザーノさんが発したその言葉に、私の身が固くなりました。この人と最後に会ったのは新暦の55年。時空管理局に勤める数ヶ月も前。

 連絡は提起的にしていましたが、顔を会わせたのは六年ぶり。

 そんなに時間が経っているのに、容姿が変わっていない私。そして、それほど長い間、顔すら併せていない私の依頼を優先してくれたのに内心では驚いています。

 発せられた疑問に焦ったせいか、冷や汗が頬をつたいます。でも、そんな質問をされることは、何時でも予想しています。大丈夫、何でもないように切り返せるはず。


「……大人の見た目が六年程度で変わったら、それこそ驚きですよ」
「それもそうだな」


 フッと笑うノザーノさん。微妙な気まずさのせいで会話が途切れてしまったまま歩いていると、彼の視線の先に何かの乗り物があるのが見えました。

 ……車、みたいですね。四角っぽい車を改造した、無茶苦茶オフロード使用ですけど。全く整備されていないミッドチルダの偏狭を、車で進む気なんですか?


「愛車だ」
「愛車って……。『愛がつくのは娘だけ』ってこの前言ってませんでしたっけ?」
「魔力があれば浮くように作られた、デバイス的な代物だ」


 私の質問は無視ですか。娘の話が出たノザーノさんは、何故か妙に暗い足取りで車に乗り込むとプルプル震えた手でハンドルを握ります。

 ……もしかして、地雷でも踏んでしまったのでしょうか? それは悪いことをしてしまいました。


「……娘さんとの仲が?」
「いや、すこぶる良い……!」


 ただし、俺の機嫌はすこぶる悪い……。

 私の全身を眺めて怒りを表現するノザーノさん。私が何かしたのでしょうか……。


「娘が、一人のアイドル(偶像)にハマってしまっていてな……」
「……アイドル、ですか?」


 ご丁寧にかっこぐうぞうと言ってくれる情報屋さん。娘さんが熱を揚げている相手は、どうやら何年か前の古いアイドルだそうです。

 当時は彼女についての雑誌がいくつも発売された、大人気女性だったそうです。強くて優しい少女の憧れだったそうです。

 ……オチが読めました。そこまで振られて気が付かなかったらただのバカです。


「アンタだよ、アンタ。管理局の赤い彗星」
「……ご、ごめんなさい」
「娘からの伝言だ。『サイン貰ってきて』。この悲しみが分かるか!?」
「女性に嫉妬しないでくださいっ!」


 娘が味方しなくなったら、容赦なくアンタを管理局に突き出すぜぇ……。目を爛々と光らせるノザーノさん。

 ああ、私に合ったのは、娘さんのためですか。……何処かにある私の男性的な部分に気付いているのでしょうか。

 ……何にせよ、嫉妬は恐いということですね。

 手招きして、私に車に乗るよう誘うノザーノさん。

 別に罠を張るような間柄ではないので、特に警戒せずにドアを開けて乗り込みます。

 車は5ドアのミニバンですね。重量は1.4トンくらい。ありがちな四人乗りです。

 なんとなく車の中身を見回します。あんまり車に乗る機会がなかったので、何だか物珍しさを覚えます。

 視線の先に、たまたま運転免許証を見つけました。真面目な顔をしたノザーノさんの顔写真が張ってあります。

 いつも名前を偽名だと言い張っていたノザーノさん。気になっていたので、失礼ですが、ちょっと本名を拝見させていただきます。

『ディオン・ディンゴ』。

 ……語呂がいいですね。

 で、どこからノザーノが生まれたのでしょうか?


「何、勝手に人の本名を見ているんだ。……まあ、見ても良いが、他の奴には言うなよ。名前はそれだけで一つの情報になる」
「……気になっていたのもので」
「それにしても、よく俺の名乗りが偽名だってのを覚えてたな……」
「最初の自己紹介の時に貰った言葉ですよ。嫌でも覚えます。……で、ノザーノは何処から」
「ディウォヌソヨって言葉があってな……そこから――」


 よくわからない説明をされそうになったので丁重に断りました。





 道なき道を走るディオンの白いボディ。……いえ、ノザーノさんが走っているのではないのですが。どうしてか、この車をディオンと呼んでいいような気がしてしまって……。

 汚れが目立つのに、どうして白なんですかと聞いたところ、俺が清廉潔白なのを車で表現しているんだと言われました。さっぱりです。

 時速六十キロ程度の速度で車は走り続けます。過ぎ去っていく外の光景。自然の多い地帯を抜けて荒野に入りました。

 一応会話はポツリポツリと続きます。私が去った後の管理局の状況など、知ろうとしても知ることが出来なかった情報が結構入ってきます。

 どうやら私は、一般人の間ではただ管理局から脱走しただけということになっているようです。

 雑誌では不法滞在疑惑だとか騒がれていたようですが、犯罪検挙率とか高すぎる地域安定の功労者なので、どうにも勢いが弱かったとか。

 持っていた財産を最後にバラまいたのが、民衆の受けをさらに良くしたとのこと。……所々で、管理局に再びシャアを受け入れるように望む声が高まっているそうです。

 ……つまり、今の私は英雄扱いです。なのに、どうして私はシャンの村に帰る気がおきないのでしょうか……? 今の私は、気まずいとか忘れられてるとかを、本当に怖がっているんですね。……あの小さな村の中で、今の私はどんな場所に立っているのでしょう。

 子供を世話していた村の黒服お姉さん教師か。それとも管理局の英雄と呼ばれる赤い彗星か。

 私の悩みを乗せたまま、走り続けて三時間。辺りはすっかり真夜中になってしまっています。揺れは全くないハズなのに、少し疲れてきました。


「……疲れてきたんですけど、どうしてですかね?」
「そりゃ、この車はアンタの魔力使って浮いてるからな」


 あっけからかんと言い放つノザーノさん。不思議と殺意が沸きました。文句を言おうと口を開きかけて……突然車が急停止しました。

 助手席でつんのめってしまいます。鼻がドアにぶつかりました。痛いです。

 車から先に降りて、ノザーノさんが周囲を見回しています。あるのは岩と砂だけだと思うのですが……。


「到着だ」


 涙目になって鼻をさする私に、ノザーノさんが笑顔で声をかけてきます。……素敵な笑顔です。私が痛がっているのがとても嬉しいようです。いい気味だと気配が言っています。

 ……すでに娘の恩人の話は終わっているようですね。本当に続いていたら逆に困りますけど。

 私も車から降りて、外の空気を満喫します。視界に入るのは、どこを見ても岩、砂、山。そしてテントだけです。こんなところに老人が住んでいるのでしょうか?

 ……って、テント? もう一度じっくりと荒野を見渡します。目の中に入るのは、荒野のど真ん中に張ってあるテント。何年か前に見た急転直下ログハウスではなくて、テント。

 黄色い、家一軒くらいの大きさはある巨大なテント。


「あの中にニッさんさんとかいうご老体が?」
「ああ、そうだ」


 あまり私の話を聞かず、自信満々に頷くノザーノさん。どう見ても、ここは人が住む場所ではないというのに。人の生命力は偉大ですね。ちょっとだけ憧れてしまいそうです。

 荒野の中を、馴れない足取りで進むノザーノさん。テントに向かって一直線に進んでいます。私も後を追います。





 テントの中に入ると、そこは見た目よりも広かったです。どうやら地面を削って床の面積を増やしているよう。

 棚には色々な物が置いてあって、白い毛みたいな物とか、モンスターボールみたいな赤い玉とか、マスターソードのレプリカ、はてはパックンフラワーみたいな物まで置いてあります。……キツネ(キータン)のお面もありますね。……ニンテンドーだからニッさんさん?

 ちょっとだけ警戒しながらテントの中を見渡すと、中央にタバコをくゆらせる一人の老人がいました。


「んん。客人か」


 掛けられた言葉は疑問ではなく断定です。青いエプロンとズボン。頭にはタオルを巻いています。身長は私の頭をひとつ分くらい超えているみたいです。

 たっぷりと蓄えたヒゲを見ていると、身長の高いドワーフという感想が浮かびました。

 肌が赤いです。火を良く使う職。つまりは鍛冶師。この人が、生のニッさんさん。写真とは違って、お年はかなり召しているようです。


「用件は?」
「コレを直してください」


 話が早いのはいいことです。ノザーノさんが何かを言う前に、私は旅行カバンの中から包装された布を取り出すと、中身を丁寧に取り出しました。

 袋の中から出てきたのは、前回の遺跡めぐりの時に砕け散ったモーニングスター。

 さっき取り出した破片を、机の上に並べて行きます。


「物騒な物を持っている」


 並べられたそれらを見て、口の端を歪めるニッさんさん。職人気質な性格らしいからか、気風の良い江戸っ子みたいな印象を受けます。

 江戸っ子がどんな性格かなんて、テレビとかの情報とかでしか知りませんけど。一度、実際の江戸っ子さんと会ってみたいものです。

 それにしても、物騒な物とは。鍛冶師が言う台詞ではないですよね?


「ニッさんさんが言えた言葉じゃないと思いますが?」


 言葉尻を捕らえるようにしてフッと微笑みます。ふふふ。なんか格好いい台詞です。

 ですが、ニッさんさんは怪訝そうな顔をしています。ノザーノさんはポカンと口を開けています。

 ……何です、その反応は。


「……情報屋らしき兄ちゃん? ワシの名前伝えとらんの?」
「……いや、伝えた筈。……誰だよ、ニッさんさんって」


 ノザーノさんとニッさんさんが顔を見合わせています。はうぅ? 私何か変なこと言いましたか?

 ゴホンと一度咳払いすると、ノザーノさんが口を開きました。


「『ニッさん』は本名じゃないからな。本名は……なんだろう? まあいい、ニッさんにさんを付けるな」


 さんを付けるなこのボケ野郎、と暗に言われています。……そうですか。ニッさんで良いのですか。ニッさんで一つの名前だと思っていました。初めて会った人を愛称で呼ぶのは何故だか不安になります。

 そんな私たちを見て大笑いするニッさん。本当に楽しそうで、つい呆気に取られてしまいました。


「……まあいい。何でも直してやろうじゃないか。他に面白そうなアイテムはあるか? 合成とかしてやるぞ」


 ……ゲームとかに出てくる鍛冶屋ですかこの人は。合成とか本気で言っているようです。地球発売のロール・プレイング・ゲームでもやったことあるんですかね?

 ……ん? そういえば、変な武器の中にはフックショットという名前ついた物があるとかノザーノさんが言っていたような……。それに、作った武器の中にある雷光○……。まさか、ね。


「えーと、この辺に……」


 合成とかの言葉は無視して、鞄の中を漁ります。一年くらい前に遺跡で見つけた一つのデバイス。機械の専門家に詳しく聞いてみることにしましょう。

 私が鞄から取り出したのは、白くて丸い掌サイズのデバイスらしき物体。

 ただのピンポン球(ピンキュー)だと言われれば、普通に納得してしまいそうな見た目をしています。

 あんまりデバイスっぽくないので、もしかするとニッさんも知っているかもしれません。


「これの鑑定を……」


 お願いしますと言おうとしましたが、ニッさんの返事がありません。

 どうしました? と口を開きましたが、ニッさんの余りに必死な形相に何だか二の句が出せませんでした。


「あ、あの?」
「どどどどどどどどどこでそのデバイシュをっ!??!!?」


 …………。めっさ慌てまくりのニッさん。発音とかかなり怪しいです。

 私の手から、引っ手繰るようにしてピンキューを奪い取ります。触って眺めて振って嗅いで……やれるだけやった後、ガクンと肩を落としました。


「これは、壊れている……」
「見ればわかります」


 背中から怨念とか魂とか高潔さとか色々なものが抜け出して行きます。あ、怨念はまた入り直しました。

 狂気すら孕んだ目でデバイスを見つめているニッさん。鍛冶場にある温度の高そうな炎とデバイスを見比べています。


「……直せん」


 もう一度ガクリと肩を落としました。何だか、すっごい残念そうです。このデバイスは一体なんなのでしょうか。かなり気になります。


「あの~。そのデバイスって……?」
「もう、ワシには必要ない物だ。返す」


 口を結んで私にデバイスを返したニッさん。答えるつもりはないようです。

 ……いいでしょう、詳しくは聞きません。人には聞かれたくない秘密の十や二十普通にありますから。……でも、それってとても寂しいことだと思うんですけど。


「ふむ。そのデバイスは何なんだい、ニッさん」


 って、ノザーノさんが聞いてしまいました!?

 情報屋さん何ですから、聞かれたくないオーラ全開のニッさんから聞きだそうとしないでください!


「情報屋は、人が言いたくない情報をムリヤリ仕入れるのが大好きなんだ」


 最悪な職業ですっ!?

 戦慄する私と、メチャクチャ表情が暗くなったニッさん。そして、二人の極寒の視線を浴びながら平然としているノザーノさん。……どのくらい面の皮が厚いんですか。


「……処理能力だ」
「へ?」


 脈絡なく、いきなりポツリと呟いたニッさん。ついマヌケな声を出してしまう私。

 ノザーノさんは胸ポケットから取り出した小さなノートに、丸いデバイスの形状とニッさんから聞き出した情報をメモしています。


「そのデバイスは、次元世界の歴史の中で最強最大最高の処理能力を持っている。それしか持っていないとも言う」


 それだけ言ってまたダンマリになったニッさん。私は手元にあるデバイスを眺めてみました。

 風化してしまっていて、強い衝撃を受ければすぐに砂になってしまいそうなこのデバイスが、次元世界で一番凄い処理能力を持ったデバイス? ……何だか嘘みたいです。


「ふーん。眉唾物だな。……名前は?」
「秘密」
「……」


 こめかみに青筋の浮かんだノザーノさん。……あのぅ、元々は私がモーニングスターを修理して貰うためにここに来たんですけど。

 極寒を超えて絶対零度の視線に近づきつつある私とニッさんの視線。いい加減効いてきたのか、ノザーノさんの笑みが引き攣ってきています。

 微妙な沈黙が一分ほど続いた後、ノザーノさんは両手をあげました。


「分かった分かった。聞かねーよ」


 ノザーノさんがギブアップを宣言。これで話の続きが出来ます。

 机の上にあるモーニングスターの破片を握ると、材質を確かめ始めるニッさん。

 その顔は真剣で、つい私も真面目な顔になってしまいました。


「ところで、嬢ちゃんに質問だ」
「何ですか?」
「この木片、どんな風に加工……というより、新調する?」
「……えーと」


 興味を失ったようにモーニングスターの破片を机の上に投げると、私に向かい合ってくるニッさん。

 ノザーノさんも興味深そうにしています。

 ……新調ですか。バキバキなんだから、破片から再生は無理だと思っていましたが……。実はプランなんて考えていなかったんですよね。……そうですねぇ。


「遠くの対象を攻撃できるようにしたいです」
「ほう?」
「ニッさんが作った武器の中に、フックショットという伸びる槍があるそうですが、そんな風に先っぽに付いてるトゲ球を飛ばせるようにしたいです」


 スイッチを押したら、先っぽの大きなトゲ球が発射されるというの、面白そうですよね。

 ……あれ? それだとモーニングスターの欠片をずっと持ち歩いていた意味がなくなってしまうような。

 ……まあ、どうにかなるでしょう。


「それは面白そうだな。いいだろう、その通りに改造してやろう。まずは、このモーニングスターを燃やして火を作らねばならんな。こいつは、まだお前の下で戦いたいと言っている。武器に宿った魂に好かれるなど、ハンパな人柄ではないからな……。久しぶりに血沸き肉踊るわっ!!」


 武器の声が聞こえるとはどんなウィゼルさん。凄まじく熱血している老人を、ちょっと冷めた目で見ます。

 ところで、何で私はこのモーニングスターにそこまで好かれているのでしょうか。

 変な使い方をして壊してしまったのに、好かれてしまうのはおかしいと思います。

 大量の鉄とかを棚から取り出して、腕まくりをしているニッさん。うーむ。ここで声を掛けるのはなんだか憚れます。ノザーノさんと、お話でもしていますか。

 火の中にモーニングスターの破片を投げ込むと、ニッさんが私に叫んできました。


「一週間ほど待っていろよ! 最高の武器を作ってやる!!」


 ……一週間ですか。さて、どこで時間を潰しましょうか。あんまり動き回ると管理局に見つかってしまいそうですし、シャンの村には気まずくて行けませんし……。

 一週間もどうやって待とうかを考える私の真横で、ノザーノさんが暇そうに立っています。

 その横顔を見つめるうちに、ふと暇つぶしを思いつきました。


「貴方が娘さんとさらに仲良くなる方法を思いついたのですが」
「なにぃ!!??」


 凄まじい勢いで私に詰め寄ってくるノザーノさん。……口に出すのは少し勇気がいりますが、とりあえず言ってみましょう。


「サインだけじゃなくて、本人を連れて行けばさらに娘さんの好感度が上がると思いません?」


 ……殴られてしまいました。代わりに、娘さんの可愛さを徒然と丸一日かけて聞かされるハメになりました。

 ……はうぅ。12歳の娘の生活をそんなに把握しているのって、犯罪じゃありませんか?

 小さい頃のアイシスちゃんの顔を思い出します。二言くらいしか話したことはありませんが、きっと美人さんになっているでしょう。

 ちょっとだけだけ会ってみたかったんですが、ご両親にダメだと言われてしまったのならば諦めます。

 一応、遠距離通信で会話はさせてもらいましたけど。

 結局残りの時間は、互いの近況を報告しあって潰すことになりました。





「憔悴しているようだが……何かあったのか?」
「いえ、何でもありません」


 近くの民家に無理を言って泊めてもらったりして、一週間を過ごしました。それは、私の素顔がどれだけ知られていないかの再確認でもありました。

 雑誌で紹介されているほどの人気だったのに、赤鎧を外すだけで、人は私がシャア・アズナブルであると全く気付きません。……仮面を付けておいて良かったと心の底から思いました。あと、赤鎧をつけていてもまずかったかも。

 滞在は、ノザーノさんに私が恨まれていないと聞いたからできた愚行ですね。

 シャアマスクという分かりやすい目印が、どれだけ人の関心を集めていたのでしょうか。

 マスク効果に礼を捧げつつ、ノザーノさんと一緒に武器を取りに来たのでした。……私が娘さんと話した後から、ノザーノさんが凄く不機嫌なんですよ。

 自らの内に怒りを溜め込んでいる人と会話するのは、とても疲れます……。


「さて、これが真・モーニングスターだ」
「……真、ですか?」
「シンプルで良いだろう」


 えっへんと言ったニッさん。擬音表現を口に出してどうするんですかとも感じましたが、とりあえず武器を受け取ります。

 大きさは、約二メートル。先っぽについた鉄球が、凄く無骨です。手に持つと、ズンと来ました。……重いです。

 一回振ると、ブオンと大きな風切り音がしました。

 やっぱり、重い。こんなのを短い間ならともかく、長い時間持つことなんてできません。


「……重くてとても持ち運べた物でないんですけど」
「最後に仕上げがある。嬢ちゃんの持っているデバイスを見せてみろ」


 言われるがまま、クラールヴィントを外して手渡します。クラールヴィントを見てニッさんが、古代ベルカのデバイス? と呟きましたが、特に気にしなくてもいいでしょう。

 モーニングスターとクラールヴィントを併せてなにやら変な装置を付けた瞬間、モーニングスターが発光して消えました。

 ニッさんが言うには、クラールヴィントに無機物を一つだけ収納することができる機能を付けたんだそうです。

 この機能により、重さ十キロを超えるモーニングスターを楽に持ち運べるようになるとか。

 ついでに、モーニングスターのマニュアルも貰いました。手書きの、中々時代を感じさせる文字です。

 マニュアルの中に、不思議な機能の説明があったので、一応確認を取っておきます。


「魔力の保管ができるんですか?」
「使い勝手は悪いがな。容量が余って他に入れる機能がなかったから、空いた場所に嵌めこんでおいた」


 後衛のそこまで魔力を使わない私が、自分の魔力を保管しても意味なんてないですし……。純粋な魔力素を保管しておいても、何かに使える訳でもなし。役立てる方法がないか考えておきますか。

 クラールヴィントを見ます。指輪に付いている宝石の中に、先程光になって消えたモーニングスターが入っています。まるで琥珀みたいですね。

 ……ふむ。つまりこれは、二メートルくらいの大きさの道具までならクラールヴィントの中にしまえるようになったということですよね。

 もしかすると、モーニングスターよりもこっちの機能の方が嬉しいかもしれません。


「ありがとうございました。では、報酬の件ですけど。どんな対価が良いですか?」
「いや、無料でいい」
「……え?」


 お金か物か。一応どっちも準備していたのですけど……。もしかして、いい仕事をさせて貰った礼って奴ですか!?

 そんなの始めて見ました。始めてのサービスです。……さすが鍛冶師ですっ!


「この鍛冶屋を利用したのは、あんたが丁度1000人目だ」


 そうですか、キリ番キャンペーンですか。喜んで損しました。

 不満そうなのが顔に出ていたのか、ニッさんが私を見てまた楽しそうに笑いました。


「いやなに。興味深い物を見させてもらったのは確かだ。……『終焉』それが壊れていると分かっただけでも儲けもんだよ」
「しゅうえ……?」
「何でもない。さ、今日は店じまいだ、出た出た」


 疑問を発しようとしたノザーノさんは押しのけられて、私たちはテントの外に放り出されました。

 外に出されて最初に目に入ったのは、荒野に広がる茶色い風景。ところで、ニッさんはどうしてこんな辺鄙な場所で鍛冶師業を営んでいるのでしょうか……?

 他にも色々と聞きたいことはまだあったのですが、もうテントの中には入れません。何時の間にか、透明なバリアーがテントの周りに張られているからです。

手で触ると、変な衝撃に弾かれました。……元ネタはマジンガーZの光使力バリアーですか。ますます怪しいです。


「……ふぅむ。まだ聞きたいことはあったんだがな。ニッさんの裏に見え隠れする組織、あれがあるから誰も近づきたくないというのに」


 残念そうに呟くノザーノさん。私も、どうしてフックショットという名前の武器があるのか気になっていたのですが……。

 ま、仕方ありません。次会う機会があったら、そこで聞くことにしましょう。

 それでも少し未練がましいですね。

 そんな思いでしばらくテントを見ていると、中から人が泣いているような声が聞こえてきました。どうやら、テントの中でニッさんが泣いているようです。

 ゴメンとかありがとうとか。誰かと話している訳ではないようです。ひとり言ですかね?

 ノザーノさんを見ましたが、彼は肩を竦めるだけ。何故泣いているのかは分からないようです。

 狐に包まれたかのような気分に陥りながら、私たちはテントの前から離れました。

 ノザーノさんの車に乗って、少し進みます。さっき言っていたように、相変わらず魔力は私から搾取しているようで変な気だるさがあります。


「……これで、アンタはまた冒険の旅を続ける訳だ」
「そうですね。どうやら管理局に見つかっても捕まる心配はなさそうですけど、しばらくは離れるつもりです」


 唐突に声をかけてきたノザーノさん。

 このまま転移しても構わないのですが、どうしてかノザーノさんは私と話しをしたいようです。

 だから、今は付き合っています。


「身を固める気はないのか?」
「ないですね。別の男の人と一緒になるという感覚がどうにも理解できなくて」
「……ほらな」


 諦めたように顔を綻ばせるノザーノさん。嬉しそうな、勝ち誇った顔をしています。

 ……誰かと何かの賭けでもしていたのでしょうか。

 それで話は終わったのか、ノザーノさんがファイルを弄り始めました。その様子を横目で見ながら、そろそろ転移しようかと考え始めます。

 すると、ノザーノさんがまた声をかけてきました。


「ここから少し離れた世界に、岩山の世界がある。今はそこにいる竜の大半が繁殖期を終えたそうで、子竜が溢れているらしい。あまりに危険すぎる場所でな、情報屋とか旅行会社しか知らない穴場だ。観光には面白いそうだぜ」


 ……オススメの観光地を教えてくれました。……竜ですか。それは面白そうです。子竜というのも見てみたいですね。

 大量の竜が生息する世界なので、ある程度の実力者にしか観光を勧めることが出来ない世界だそうです。観光業者が客を送り込むのを躊躇ってしまう世界って凄いですね……。

 五年に一回くらいの割合でツアーを組んだ場合、ガイドが怖くて参加しない。参加者は、命を失っても文句を言わないと誓約書を書く必要があるとか。

 つまり参加者だけの観光になります。しかも、一回のツアーで参加者の頭数は半分になって、残りの半分は精神に大きな傷を負うそうです。……死亡率50%の竜の住処探険ですか。

 密猟者すらも尻ごみしてしまう程たくさんの竜がいるとのこと。

 安全を確保できるのならば、客にとっては素晴らしいアトラクションになりそうですね。


「新しい武器を手に入れて自衛能力が上がったんだから、行ってみても面白いかも知れないな」
「……ふむふむ。面白そうですね」


 普通だったら環境保護世界に指定されるような珍種が揃っているのに、奴ら自身での世界防衛力が高すぎるため、そんな指定はされていないそうです。つまり、勝手に入っても怒られないということ。

 どこにある世界なのかを聞き出すと、私はすぐに転移魔法を発動させました。

 足元に広がる緑色の三角形魔法陣。それから十秒もしないうち、私は別の世界に飛び立ちました。





 シャアが転移した様子を見た後、ノザーノは溜息を付いた。手には電話の会話ログ。自分の娘がシャアに言えと伝えてきた言葉を思い出す。


「……アイシス。俺が妻と別れたからって、赤い彗星に求婚しろとかありえねえだろ。あの人は、結婚とか考えてねえんだとよ」


 誰にともなく言い訳をして、ノザーノはもう一度溜息をついたのだった。

 ここ数年の『ミッドチルダの子供たちに聞く、お母さんにしたい女性ランキング』の一位は、シャア・アズナブルで埋まっているという話は余談である。





シャア丸さんの冒険
短編五話「燃えよモルゲンステルン」





 この世界に来てから数日の間、岩肌ばかりの光景を見て回りました。水場は、本当に少ししかありあません。

 確かに聞いたとおり、住んでいる竜の多いこと多いこと。人間の姿は何処にもなく、生物の頂点である竜が大量に生活しています。

 種類は多彩。プテラノドンとかトリケラトプスのような恐竜から、ファンタジーに出てくる西洋竜など色々な竜の姿を見ることができました。

 これは観光業に生かせれば最高です。子供連れで賑わいそうです。本当に危険ですけど。

 勿論、生態系の担い手である下層、中層の生物も大量にいます。見た目は岩だけしかない荒廃した世界なのに、驚くほどたくさんの生き物が生息しています。

 空を飛びながら岩山を這うようにして進んでいる内に分かったことがあります。岩の表面にコケのようなのに栄養価が高い植物が大量に生えていて、それを食べて中層の生物は暮らしているようです。

 そうやって過酷な環境の中で生きている大量の生物を食べて、この世界の頂点である竜が存在しているのです。

 頂点に君臨しているため、死ぬ可能性が圧倒的に低い竜たち。子供は二年に一匹程度しか産まないようで、我が子を大切に育てています。

 もしも竜の子を盗んだりすれば、我が子を取り返すために修羅となって親竜は襲い掛かってくるでしょう。

 そんな実感を得ながら、竜をあしらったりしながら観光していたのですが……。さて、ここで困ったことがあります。

 目の前で、竜の子が死んでいます。今日中に死んだのかその体はまだ温かく、まるで生きているようです。

 まだ息があるのならば治してあげたかったのですが、死んでいるのでもう無理です。

 その体はボロボロで、どうやら高い所から足を滑らせて落ちたかのよう。山が遠い所を見ると、落ちた後も高い生命力を生かして頑張って生き抜こうと歩いていたようです。

 私のすぐ後ろには、その子の母竜らしき竜がいます。ティラノサウルスのような恐竜です。ちなみに、子供を最初に発見したのは私です。

 ここに住んでいる竜の判断能力は結構高く、物事を順序だてて整理することもできます。

 今さっき死んだばかりの我が子(?)の近くにいる人間。順序だてて整理した竜は、一体なにを考えるでしょうか。

 とても振り向けたものではないです。……空気が震えています。竜の体がプルプルと痙攣しています。見なくても怖いです。

 怖くなったので振り向きました。竜は私の姿を目に入れました。匂いを嗅ぎはじめました。舌を伸ばして来ました。舐められました。

 ……視覚、嗅覚、味覚の三つの情報を一瞬で取られてしまいました。

 しばらく私を見つめた後、竜が天を向いて叫び声をあげました。

 あまりの大音量に、声を出すことが出来ません。


「……あ、あのぅ。私はお子さんを殺してはいないのですが……」


 聞く耳をもたず叫び声を上げ続けている竜。……これは聴覚情報を取られただけと考えた方がいいのでしょうか。

 急に雄叫びを止めて私を見つめて来る竜。……目を併せたまま後ろに下がります。

 そろりそろりと間合いを外します。……背中が、何かにぶつかりました。近くに岩はなかったような気がするんですけど……。

 恐る恐る振り向きます。そこには、雄叫びに釣られて近づいて来たらしい頭に毛のような物が生えた緑の西洋竜がいました。

……いえ、鳴き声を聞いて来たというのにはタイムラグが少なすぎますし、最初から近くにいたのでしょうか……?

 ……というか、ここはジェラシックパークですか!?

 クラールヴィントを掲げると、ネーベルシェラーフェン(大量睡眠魔法)の詠唱を始めます。

 発動に十秒ちょいかかるので戦闘中には使えませんが、威嚇の段階だったら使用可能だと信じたいです。

 睨みあってから五秒ほど。……毛髪のある西洋竜が動き始めました。私の顔を覗き込んでいます。何故か西洋竜の顔が笑ったような気がしました

 正直、かなり怖いです。

 近くから、また雄叫びが聞こえました。恐竜の声に誘き寄せられて、竜がたくさんやってきます。

 何だかトモザウルスらしき茶色と緑の恐竜まで居ます。……キングレックスとかも居るのでしょうか。

 竜と言えば、青い体が特徴的なシーガンとかに会ってみたいですね。まさか、数ある次元世界の中にはグレートノームもいるんじゃないでしょうか。

 遠くから、鳴き声に釣られてたくさんの竜がやって来ます。

 普通に生きているだけでは絶対に見ることのできない、竜種大集合の姿を確認すると同時にチャージが完了しました。


『Nebel schlafen』(睡眠の霧)


 クラールヴィントに睡眠魔法を発動させて、飛び上がります。周囲に立ち込める大量の霧。睡眠効果を付与した魔力を大量に散布する魔法です。

 ……まあ、これで何とか逃げられるでしょう。

 別の世界に転移しようとして、不思議な違和感に気付きました。ここで転移を使うと危ない。直感が告げてきたので、咄嗟に下方向に移動します。

 ガチン。近くで金属と金属がぶつかったような音がしました。上を見ると、羽の生えた恐竜、飛竜がさきほど私のいた場所で口を併せていました。

……あ、危なかったです。もう少しで喰われるところでした。

 空中だと喰われる危険があるみたいですね。……つまり、地上で転移を使うしかありませんか。

 地上に降りて、安全を確認しようとして……。

 近くで叫び声が聞こえます。さっきの恐竜の声です。……なるほど。大型の生物には、大量睡眠魔法は通用しないんですね。

 さっき逃げられたのは、彼らが眠ったからではなく、煙幕で目を塞がれたからですか。

 ……ここでは、睡眠の霧は煙幕程度の役にしかたたない。一つ学習しました。

 この地域からは逃げ出した方が良さそうですね。転移魔法を使えるほどの集中は出来そうにないです。

 私は低空飛行をしながら、足跡が残らないように逃げ出しました。





 一ヵ月後。

 ……本当に驚きました。まさか、一ヶ月経ってもこの世界から逃げることができないとは。

 最近は、草食獣や食べることの出来そうなコケを料理して食べながら生きています。

 お食事をしながら、最近の反省会を行っている真っ最中です。

 空中に行くと飛竜に喰われかけ、地上で転移魔法を行使すると準備中に近くの恐竜に気付かれる。どうやら、今の私は恐竜間指名手配にかけられているようです。

 ……どうして濡れ衣でここまで追われなければならないですか。

 ……そう考えると、なんだか苛付いて来ました。どうして私がこそこそと逃げなければならないんです。本当にこそこそと逃げるべきは、あの子竜を殺した真犯人です。

 こうなったら、もう自棄です。誤解を解くまで、ここの竜と全面戦争してやります。あの子供を殺された竜に、犯人が私ではないことを直々に教えてやります。

 恐竜は殺さず、私は平和的であると宣言しながら戦い抜いて見せます。

 私は、捕まえた草食獣の肉を食べながら決心しました。

 ……ところで、ここに住んでいる獣の肉はとても美味しいんですけど。栄養もたくさんありますし。竜が大量に住んでいる世界だけありますね。

 栄養を考えていた時に気が付いたんですが、自分の体ながら色々と分からないことも多いんですよね。

 栄養って、私にはどれくらい必要なんでしょうか? 肉体の構成は魔力でカバーできますから、魔力素だけあれば水とか食物がなくても二ヶ月程度なら生存できる気もしますし……。

 この体は、人間の構造をどこまで真似てあるんでしょうかね? ……怖いから、実験する気は起きませんが。

 いつもの癖で羽ばたいている想像の翼を納めると、先程まで隠れていた洞窟から抜け出す準備をします。

 クラールヴィントからモーニングスターを取り出すと、臨戦態勢のまま歩き始めました。

 外に出ると、いきなり小型の竜と目が合いました。二本の足で歩いています。……鎧は着ていませんが、非常に似ているモンスターを私は知っています。

 アーミー・ドラゴンだったら笑います。一匹倒すと二匹になりそうなモンスターです。……なるほど、遊戯王は実在するんですね。勉強になりました。

 ……唸り声を上げて襲い掛かってくるアーミー・ドラゴン。

 武器も何も持っていないので、特に怖くありません。今もっている武器の使い方の練習相手にでもしますか。

 そう考えると、持っている武器を振り上げます。かつて使った掛け声、もう一度使いますか。


「『Kopfen schlag』!」


 ケッフェンシュラークと叫んで、手に持った二メートルの鉄棒を振り回します。大きな風切り音をたてたモーニングスターが、アーミー・ドラゴンの延髄に炸裂。対象の意識を刈り取ります。

 Kopfenは『首狩り』や『断頭』。Schlagは『叩く』とか『一撃』という意味です。つまり、技命は『首刈りの一撃』。合わせてザラキと呼んでいるのです。

 打撃で気絶させたドラゴンアーミーを前にして、ちょっとだけ考え込みます。

 この竜を放っておけば、すぐに動き出してしまうでしょう。だったら、何か動けなくするような手段を探してしまえば……。


「あっ」


 一つ、ほとんど誰にでも通用する必殺の行動封じ技があるのを思い出しました。

 バインドのように相手の動きを完膚なきまでに封じてしまう訳ではない、とても便利な必殺技です。

 バインドだと捕らえた竜の生活の邪魔になってしまいますが、あの技だったら短期間だけ、体が不自由になるだけです。

 特に考えるわけでもなく、自らの心の置く底に刻み込まれた詠唱を唱え始めます。

 数分の後に詠唱が完成。目の前に開かれたワームホールに右腕を入れます。

 アーミー・ドラゴンの胸の中から私の手とリンカーコアが突き出しました。綺麗な輝きを放っているリンカーコア。一般魔導師と比べても遜色のない魔力量です。

……流石はドラゴン、小さいと言っても結構良質なリンカーコアを持っていますね。

 クラールヴィントの先端を動かすと、リンカーコアを宝石の中に放り込みます。

 闇の書が近くになくても大丈夫なように、ヴォルケンリッターのデバイスにはリンカーコアの保管機能がついているんです。

 生命の元を吸われる痛みに、唸り声をあげるアーミー・ドラゴン。苦痛の声に耳を塞ぎたくなりますが、私の行っている業ですから自分への怨嗟として受け入れます。

 数秒もしない内に、先程とは比べられないほど小さくなってしまったアーミー・ドラゴンのリンカーコア。

 その姿を決して満足ではない、色々な感情の入り混じった目で見ました

 ……でも、これでこの竜とはしばらく戦わなくても良くなります。

 何となくチャカしたくなって、油性黒マジックを使って額の鱗に『済』の一文字を書き入れます。

 こうしておけば、竜を倒した後に逃げるかリンカーコアを抜き取るかが選び易くなります。

 ……取り出したリンカーコアは後で破棄するべきか、はたまた闇の書に入れるべきか……。それは闇の書事件とかいう、ふざけた事件が発生してから考えることにしますか。

 私は色んなしがらみを忘れ去ると、体力の配分なんて考えずに道なき道を走り始めました。





 六ヶ月目。

 ……一体、あの母竜は何者だったんでしょうか。未だに竜が私を見る度に攻撃を仕掛けて来るのですが。

 倒すたびにクラールヴィントにリンカーコアを入れていましたが、そろそろ行動時の保管容量も一杯なんですけれど。

 今まで集めたリンカーコアを闇の書に入れれば、軽く60ページは行きそうです。

 それ、どんなチートですか。闇の書が出現すると同時にページが60も埋まるなんて、ヴォルケンリッターの歴史ではありえないです。

 ……まあ、それは関係ないとして。今は竜をギャフンと言わすに全力を尽くしましょう。竜たちの必死さを見ると、あの子竜は結構重要な子供さんだったのではないでしょうか。

 いい加減、私の竜への怒りも収まってくる頃。早めに決着をつけないと、私自身のやる気がなくなってしまいます。

 そんなことを考えながら歩いていると、何時ものようにアーミー・ドラゴンと出くわします。私の匂いを覚えている様子なので、額を見ます。『済』の一文字がありました。

 一度戦った相手。面倒くさいのでこちらから突撃して、鉄棒で延髄払いを使います。

 私の攻撃を見切り、大きく身を退いてから爪を使って一瞬で反撃してくるアーミー・ドラゴン。

 モーニングスターを振り切っている私は、攻撃をかわすことが出来ません。そこで慌てず手元のスイッチオン。ニッさん特注の鉄球フックショットが発射されます。

 大型の鉄球の一撃がアーミー・ドラゴンの顎に直撃。またしても意識を刈り取ります。

 一度倒した相手に興味はないので、もう一度スイッチを押して鉄球を戻すと、さっさとその場から逃げ出しました。

 空を飛んでいると、今度は飛竜を発見。当然、額には『済』の一文字。……私の前に現れる竜のほとんどは、全て吸収済みばかりです。

 私が高度を下げると、あちらも一緒に高度を下げます。そこでスイッチ。鉄球フックショットが吐き出され、竜の頭部に直撃。そのまま気絶して地面に落ちて行きます。

 私は飛竜の下に入ると、ラウンドシールドを展開。飛竜の大きな体を受け止めると、ゆっくりと地面に置いてあげます。

 また空を飛んで、半年も前に姿を見たあの大きなティラノサウルスを探します。あの竜とどうにか話し合って、誤解を解いて貰わなければなりません。

 それにしても、この世界ではあれから一度もティラノサウルスを見たことがないような……。

 一目見てティラノサウルスだと分かる竜がいないんです。同じような姿をした亜種っぽい、ギラザウルスなら何度か見たのですが……。

 突然出てきて、すぐに動きが停止するあの竜は見ていて訳がわかりません。こっちが特殊召喚をするのを待っているんでしょうか?

 もしかすると、あのティラノサウルスはとても珍しい竜だったのではないでしょうか?

 あの子竜が十年に一、二匹しか産まれないようなドラゴンだったのなら、あの怒りようも頷けます。


『キュイッ! キュイッ!』


 そうやってこの事件について考えながら低空飛行を続けていると、近くの竜たちが警戒信号を出し合っているのを聞きつけました。

 あの信号は……聞いたことがありませんね。ケンカがあるぞ、スイマセン、アリガトウ、自分はこれからお前を食う。などなど、聞いているうちに覚えた鳴き声のいずれとも違います。

 私は何度か咳払いをすると『どこでそれは起こっている』の鳴き声を発しました。『東(太陽の方)』との答えが何処からともなく聞こえました。なるほど、東ですか。

 ふふふ。私の声真似もいらない方面で強力になってきましたね。

 幾度となく聞いているうちに、私の人間としての学習能力が竜の鳴き声を覚えたのです。

 ……といっても、この世界でしか使用できないんですけどね。

 ……これは、ただ真人間から遠ざかっただけのような……。何処からともなく正論の声が聞こえてきましたが、あえて無視しました。





 出来るだけ岩肌に身を隠すようにしながら、他のドラゴンたちが集まっている場所を目指します。

 東の方には、大量の竜たちが集まっていました。

 この世界で一番大きな山の前で整然と並んでいる姿は、自ら忠義を誓う王の前で並んでいる兵士のようです。

 はてさて。この竜たちは一体何をしているのでしょうか。こっそりと様子を窺います。……うー。そんなに目は良くないので、あんまり見えません……。

 ちょっとだけ竜の群れに近づいた後、目を細くして何が起こるのかを眺めます。

 その時、突然山の上から一体の竜がいきなり飛び降りてきました。ズシンと地震のような大きな揺れが起こります。

 竜たちの前に、半年前に見つけたあのティラノサウルスらしき恐竜が現れました。

 全長20~30メートルはあろうかという巨体。立てた尻尾を加えれば、40メートルを軽く超えそうです。

 同時に大声で吠え始める竜たち。重く低い腹の底に響く声。それは、あの恐竜を称える賛歌の音楽にすら聞こえました。つい聞き入ってしまいます。

 凄く有名な竜みたいですね。本当に権力者だったりするんでしょうか。それにしても、一匹竜が現れただけでここまで熱狂的な叫び声が響くとは。

 ……なるほど、もしやこれはライオンキングですか。竜たちの王ですから……ダイナソーキング?

 ……一昔前に、そんなムシキングにとてもよく似たゲームがあったような。あの筐体の名前は何だったかしら……?

 思い出さなければならないこともあるので、そろそろ逃げ出そうかと考えます。

 あの竜がとても有名であるとわかっただけでもめっけものです。

 今からあのティラノサウルスのような王さま竜に文句を言いに行っても良いのですが、それだと問答無用で攻撃されそうです。

 その時、後ろから大きな風が吹きました。飛んでいかないように帽子を抑えます。
 
 まあ、風もありますし大丈夫でしょう。さっさと空を飛ぼうとして……。ふと、ネットリとした視線を感じました。

 後ろにいるであろう竜の群れの方を振り向きます。……なぜか、竜の体が全て私の方を向いています。

 ……あら?

 どうしてこんなことになっているのか、考えてみます。

 千里眼みたいな便利な技能を持っていない私は竜の姿が見えないので、近くに寄った。これは問題ないですね。見つからないように努力していたのですから。

 他に見つかる要素なんてないような……。私の方を見つめている竜たちと視線が交錯します。……あ、目が合ってしまいました。

 その時、もう一度、後ろから大きな風が吹いてきて、私は自分の失敗を自覚しました。

……ここ、風上じゃないですか。

 私の匂い覚えている恐竜たちの風上に立ってどうするんですっ! 鼻の良い恐竜の前で警戒を怠るとは……。ふぅむ、私もまだまだですね。

 現実逃避したくなりますが、時間は待ってくれません。恐竜の群れが、一気に私に向かって押し寄せてきます。

 ……転移魔法を使いたくなってきました。一体一体ならたいした脅威にならないのですが、数がいるとキツイです。

 とりあえず、ネーベルシェラーフェンを簡易発動。辺りに睡眠効果のない煙幕が立ち込めます。これは睡眠の霧ではなく、ただの霧ですね。

 ここで取る行動は……。逃げるか、攻めるか。

 どちらか決めないまま、目が使えなくなった竜たちの間を走り抜けます。

 竜は空気の流れと私の匂いから私に闇雲に攻撃を仕掛けてきますが、密集した陣形のせいで仲間に攻撃が当たってしまっています。

 ……このまま仲間割れでもして時間を稼いでくれると良いんですけど。

 飛び上がって空中を翔け、最大速度に移行。一気に王さま竜の真正面に降り立ちます。

 なぜか睨みあう形になってしまった私と王さま竜。今ならば、私が恐竜たちに追われている理由が分かります。あの竜は、この世界の王の後継ぎだったんです。そりゃあ、王子様を殺されれば国民は怒って襲い掛かって来ますよね。

 王さま竜……王竜が大きく口を開いて真正面に立っている私を威嚇し始めます。

 パックリと開いた大きな口。真っ赤な口内が私の前に広がっています。

 ……私は何をやっているのでしょうか。ここで取るべき選択は、逃げるが正解だった気がします。

 ですが、正面切って向かい合ってしまったのなら仕方がありません。全ての後悔は後回しにして、私も威圧感を発生させながら向かい合います。

 今まで聞いた竜同士の鳴き声を頭の中に片っ端から並べると、会話を行うことを決心しました。

 ……えーと、否定の鳴き声はなんでしたっけ。


『誤解』
『誤解、申したか』

 あー。大体こんな感じの鳴き声ですね。私が誤解と言うと同時に、目つきが鋭くなる王さま竜。

 迫力が凄すぎて、心臓が痛いです。

『食べていない(殺していない)』
『食べた(殺した)』
『食べていない(殺していない)』


 音域を間違えば即パクリであろう、緊迫感のある会話(コミュニケーション)が続きます。

 私が正面に立ったので、固唾を飲んで見守っているらしい竜たち。誰一人鳴き声を発しません。

 ……芸人ってこんな気分なんでしょうか。不思議な馬鹿らしさを感じてしまいます。

 それにしても、殺す=食べると展開されているのが野生らしくて良いですね。

 殺してしまったから食べるのではなく、食べるために殺す。食べる過程で殺すんです。

 彼らの死には、不要なオプションは一切ありません。誰かの糧になり、種の存続のために生きる。それが野生です。

 そこには虚栄も名誉も道徳もなく、ただ生き延びるためという理由と結果がある。別に人にそう生きろと言う気はありません。結局、人と動物は違う種族なのですから。

 マルチタスクを利用して、竜が使っていた幾つもの鳴き声のパターンを思い出します。

 半年もの間、この世界の竜と切った張ったの戦いを繰り広げて来たのです。あまり単語のパターンも多くありませんし、彼らと交流はできるはず。


「……我が子を殺しておらぬと言い張る貴様。それは真か?」
『その通り――って人の言葉を話せるんですか?』


 突然、喋り言葉を発した王さま竜……王竜。驚きました。頭の良い竜って、本当にいるんですね。しかし、王竜さんは首を振りました。どうやら違うようです。


「厳密には、我が発した聞きたいこと、伝えたいことがそなたの思考と言語を使って頭の中に再現されているだけだ」
「……は?」


 難解だと悩むべきか、ただ分かりにくいだけと言うべきか。王竜さんの発した鳴き声が、私の頭の中で自動翻訳されていると考えると楽ですかね?

 声が自動で翻訳される? ……ああ、つまり翻訳魔法を使ったんですか。

 ここの竜の殆んどはリンカーコアがあるのだから、魔法が使えてもおかしくないですよね。最初からそう言ってくれれば簡単なのに。

 ……あれ? それだと、王竜さんが人間並みの知能を持っていることになってしまうような。

 人と同じくらいの知能があるから、私と会話できているんですよね?

 あ、そこで「思考と言語を使って」ですか。鳴き声の中に含まれている感情を私の思考に転写。

 感情から読み取れる情報を、私の使用している言語で思考中枢に再生。

 大体こんなプロセスでも踏んでいるのでしょうか。私に脳とかの思考中枢があるのかは未だに不明ですけど。

 我とかそなたとか使っているのは、王たる竜は偉大なる喋り方をする。そんな考えが私の根底にあるから、偉そうに喋っているように聞こえるんですかね。

 ……解説って面倒ですね。まあ、理解は出来ました。王竜さんはただ鳴いているだけです。

 納得したところで、どうして私を恨むのかと、納得が行かない表情で王竜さんを見ます。茶色い鱗肌が、ゆらりと揺れました。


「そなたが殺したのだと思った。他に理由はない」
「それは濡れ衣です。私は竜を殺したことなんて、一度もありません」
「だから考え直した。最近そなたを襲っていたのは、適当にあしらわれた者だけだったろう」


 ……うー。何だか理解を私に任せて、情報だけ言っているみたいに感じます。私の言葉の意味を掴みきれていないというのもありそうですが。

 ……これが翻訳同士の不便さですか。会話が不十分すぎです。もう少し人の言葉に近づけてくれてもいいのに。

 私が竜の言葉に近づいてもいいのですが、王竜さんの好意を無碍にする訳にもいきませんし……。

 あーと……。私なりの解釈を入れて考えてみます。竜といっても、知能は人間の十歳児以下でしょうから、多分トレースできるはず。

 まず、最初の三、四ヶ月目で私が竜を一匹も殺していないことに気付く。

 次に、竜全員にあいつを狙うのを止めろと宣言する。

 最後、ここ一、二ヶ月で私を襲ってきたのは、額に『済』と書いた竜だけでした。それは私にあしらわれて、個人的に恨みを持っている竜だけが私に勝負を挑んでいたということ。

 最後の三番目で一気に理論が飛躍しましたが、特に間違えていないはずです。道理で最近は『済』の竜しか見ないわけです。

 大体こんなものかと伝えますと、王竜さんはだいたい合ってると頷いてきました。

 うん、まあ、何だかよく分かりませんが、私は何ヶ月か前に一般竜の間では許されているようです。……うーん。振り上げた拳をどこに降ろせばいいんでしょうか。

 少し考えた後、まだ恨むべき対象がいることに気が付きました。

 そうです、真犯人を捕まえるんです。王竜さんは、後100年もすれば次の子が現れる機会があるから良いと言っていますが、またそこで殺されたらどうするんです。

 子供殺しの罪状は、ほぼ極刑です。誰にだって子供の時はあったのに、どうして殺すことが出来るんですか。

 もう少しだけこの世界に留まって、私の恨みを晴らしましょう。子供は全ての種族の宝。未来の象徴です。子供=未来だと、お偉いさんも言っています。

 王竜さんに、しばらくこの世界で観光の名目で真犯人探しをすることを告げました。





 とか言ってみたんですけど、私は別に探偵じゃないんですが。竜さんたち相手に聞き込みもできませんし……。

 宙を飛んでいると、私の匂いを覚えているらしい竜さんたちが近づいてきます。

 攻撃するなと命令を受けているから攻撃してこないだけのようで、不満そうな目で私を見ています。

 未だに私が王竜さんの子供を殺したと疑っているようで、少しでも怪しい行動を取ればすぐに噛み付いてくるでしょう。

 ヒヤヒヤしながら犯人らしき人影がないかと見回りをしていると、急に視界が暗くなりました。

 何かに、光源を遮られたようです。後ろを振り向くと、そこには一匹の頭に毛が生えた西洋竜がいました。低い位置を飛んでいる私に攻撃を仕掛けてきます。

 慌てて爪の一撃をかわします。次に振られた尻尾はバリアで防ぐと、額を見ます。

 そこに『済』の字はなし。私が狙われる理由ははっきりしています。きっと、王の子を殺したことになっている私を狙っているんですね。

 クラールヴィントの宝石部分に指を触れてモーニングスターを引き抜くと、タイミングを計って脳髄に一撃喰らわせてやります。

 体格の差もあって気絶はしなかったので、混乱している間に速度をあげて逃げ出しました。

 ……ところで、さっきの竜って何ヶ月か前に私がぶつかったことがある方ですよね? 頭に生えてる毛髪が前に見た竜とそっくりでしたし。

 はてさて、もしかすると、アレが何らかの伏線だったんじゃないでしょうか?

 『犯人は一度、現場に帰る』とかいう名言もありますしねえ。

……いえいえ、竜を疑っちゃいけませんね。第一、自分が住んでいる王国の王子を殺しても、得なんてないじゃないですか。

 後頭部を抑えて悶絶している西洋竜さんを一度だけ振り返ります。……ちょっと、あの竜について情報を仕入れますか。

 近くに竜がいないか、クラールヴィントを使って探します。

 一匹発見。あまり私に敵対意識を持っていそうにない、おっとりとした眠そうな洞窟竜さんに近づきます。


『奴、知ってる?』
『子、亡くした、静かで熱い』


 ……そうですか。あの西洋竜さんは子供を失っているんですか。だから私が王の子供を殺したと聞いて、子を殺された時の悲しみを思い出して私を狙ってきた……? いえ、それは思考の展開がおかしいような?

 あの西洋竜さんについてもっと詳しく聞こうと思って洞窟竜さんを見ますが、すでに彼は眠っています。

 竜さんたちはそれぞれ独特の時間を生きているので、あまり長時間の会話はできないんですよね。

 しょうがないので、他の温厚そうな竜の姿を探し始めます。飛竜は肉食で危険ですし……草食の鎧竜でも探しますか。

 竜を探して飛んでいると、頭の上に『済』の字が書かれたアーミー・ドラゴンを見つけました。

 ケンカを売られそうなので進路を変えましたが、すでに見つかっていたようで私に近寄ってきます。

 何となく警戒します。すぐに襲ってくるこの竜が普通に近寄ってくるなんて、何かの前兆に違いありません。


『アレ、よこせ』


 ……攻撃ではなく、言葉をかけられました。竜の方から話し掛けてくるなんて、とても珍しいです。

 でも、アレって何でしょうか?


『よこせ』


 自分のお腹に手を当てると、そこから何かが飛び出るような仕草をしました。その後、ギャオーと叫びます。

 ……なんのジェスチャーです。

 そもそも意思の疎通には向いていない鳴き声会話を駆使しながら、なんとか話を続けます。

 ビリビリしたみたいな表現があった所から、何かの魔法効果を喰らいたいと云うのは分かるのですが……。

 アーミー・ドラゴンが何を伝えたいのかさっぱりです。それよりも、今気になっているのはあの西洋竜のこと。そっちについて聞きます。

 実際そこまで言いたいことではなかったのか、頭に毛の生えた西洋竜について、知っていることを聞くことが出来ました。

 あの西洋竜の種は発情期が十年に一度くらいと短いらしく、子供が成獣になるのも時間がかかる。まだ幼い子供を彼女は何年か前に失った。さらにあの西洋竜は病気のようで、残された時間はあまり長くない。

 残りの寿命が短くて、さらに遺伝子も残せなくてかなり苛立っているんだそうです。

 どうして詳しいのかと聞くと、前々から荒れていて、誰彼構わず威嚇しているから嫌でも覚えるんだそうです。

 ……こんな情報を聞いても、事件の解決には役立ちそうにありませんね。

 さっさとこの世界から抜け出して、別の世界の観光に移っても構わないような……。

 もう本当にこの世界に未練がなくなりつつあります。さっきまで近くにいた毛の生えた西洋竜もいなくなっていました。


『キーキーキー』


 その時、周囲の様子が急変しました。危険の警戒音が遠くの方で出されたのです。どうやら、竜と竜の喧嘩が発生したようです。

 高い魔力と力を持っているらしい王竜さんの前では温厚な彼らですが、もちろん竜という攻撃的な種族ですので凶暴な一面も内に秘めています。

 だから喧嘩は日常茶飯事なんですが、この気配は何時もの喧嘩とは全く別物のようです。

 本来、竜同士の喧嘩は、互いのストレス発散や、縄張りの取り合い、自らの遺伝子を残すために配偶者を奪う時くらいにしか起こりません。

 ところが、今出されている警戒音は『子供が危険』の最大音量です。

 ここに住んでいる草食の獣たちは、滅多なことで自分から子竜を狙いません。それに、エサが豊富にある肉食の竜は他種族の竜の子供を狙うことなんて全くありません。

 ですから、『子供が危険』の警戒音が最大なんてありえないんですが……。子供を失う可能性がほとんどないから、ここの竜たちの子供は数が少ないんですよ。

 不思議な空気を感じ取ってか、周囲にいる竜たちも困惑しているようです。

 何はともあれ、近くにいる『子供』が危険なことには変わりがありません。私も警戒音を発生している竜の元へ向かうことにしました。





 岩肌だけの場所から離れた、石の平原が広がっています。人間とかの皮膚が柔らかい生物が転んだりしたら、肌が凄いことになってしまいそうな場所です。

 とはいえ、ここに住んでいるのは全身を鱗で覆い隠した竜さんたち。特に問題はないでしょう。

 石の平原の中心には、件の毛髪の生えた西洋竜が一匹の鎧竜を狙っている光景が拡がっていました。

 鎧竜の後ろには、数匹の子供がいます。それぞれが『怖がる』系統の鳴き声を発しているようです。

 周囲に集まっている竜たちと見比べると、毛髪が生えているのはあの西洋竜だけです。お洒落さんという訳ではなさそうなんですが……。んー。一体どういうことなんですかね?

 理由もなく子供に襲い掛かっている西洋竜に困惑しながらも、我が子を守るために体を張っている鎧竜のお母さん。

 全身のトゲを使って、西洋竜の進撃を防いでいます。メス同士の喧嘩も珍しいものじゃないですが、今回の争いには何か鬼気迫るものを感じますね。

 竜同士の喧嘩の仲裁なんて、攻撃用のデバイスを持っていない私には出来たものじゃありません。モーニングスターを使用して叩いても、火に油を注ぐの程度の成果しかあげられないでしょう。

 精神安定の効果がある『安らぎの光』は近づかないと届きませんし、相手に睡眠効果を植え付ける『眠りの霧』が効かないのは前回学習しましたし……。

 そんな訳で途方に暮れてしまいます。他の竜さんたちも、毛髪西洋竜を止めるのを手伝ってあげればいいのに……。

 そんな竜たちの目の中には、困惑と一緒に興味の感情が浮かんでいます。本来の自分たちは起こさない行動。理屈ではありえない行動に、それぞれ何やら魅力を感じているようです。

 そろそろ私が行った方がいいんじゃないでしょうか。投げやりな気分になって来た時、荒野の端の方から凄い勢いで王竜さんがやってきました。

 竜なので分かりにくいですが、非常に怖い顔をしています。……警告の鳴き声を聞いて来たのでしょうけど、やけに登場が早いですね。さすがはここの主です。

 国民の争いを止めるためにやって来たその姿勢に、つい憧れてしまいました。


『喧嘩、止め!!』


 王竜さんは原則的に理由なき争いを認めていないらしいです。石の平原に一際大きな怒声が響き渡りました。声が反響し難い筈の平原で、耳を劈く大音量が轟きます。

 まるで爆発です。耳がキーンとなってしまいました……鼓膜が破れるかと思ったです。

 精神攻撃とかの対策のため、防音効果や解毒効果を付与した騎士甲冑を標準装備にしていて良かったぁ……。

 暴風を巻き起こすほどの音量が通り抜けた後、竜たちの群れが波打つように揺れて、すぐに静止します。

 これなら誰でも止まる筈です。ところが、毛髪西洋竜は鳴き声に屈しずに、子竜を狙い続けていました。


『喧嘩、止め!!!』


 もう一回爆音が響きました。キーンとか来るレベルではなく、音の暴力です。私は声の衝撃だけで五メートルほど吹き飛ばされました。

 ……王竜さんとガチンコ勝負をするなら、SSSを超えないと倒せないかもしれませんね……。それくらいの迫力と強さを感じ取りました。

 なんかもう無茶苦茶です。これが、一つの世界の頂点に立つ最強主ですか。

 それらしい出自は聞いていませんが、100年に一度しか子供を産まない、とか言っていましたし、この世界の守護者だったりするんじゃないですか?

 力一杯ガオーと吠えている王竜さんを見ていると、そんな気がしてなりません。

 それでも喧嘩を止めない毛髪西洋竜に切れたのか、王竜さんの体が発光します。

 リンカーコアを通して立ち昇る強大な魔力。金色の蜃気楼が大きく揺らめき、今一度王竜さんが吠えました。

 口から圧縮加工された魔力が放たれました。口からレーザー、んが砲、んちゃー、滅びの爆裂疾風弾。色んな呼び方ができますね。

 とても視認できたものではない速度で発射されたレーザーは、同じく見えない速度で毛髪西洋竜に着弾。そのショックで、呻き声をあげる前に毛髪西洋竜は気絶しました。

 ……相手が声を出すよりも早く意識を刈り取るんですか……?

 うん、私一人では絶対に勝てませんね。管理局が武装隊を十部隊くらい出さないと倒せないんじゃないでしょうか? こんな世界的バランスブレイカーの登場は勘弁して欲しいですね。

 きっと、ヴォルケンリッターが束になっても勝てません……。闇の書の力を完全に解放したマスターとヴォルケンズなら……それでも駄目ですね。

 体格と保有魔力量に差がありすぎます。一人でも潰されればバランスが崩れる私たちと、一匹だけの王竜さん。そこには、一人だけが故の強さがあります。一人だけと言えば、王竜さんはオス、メスどっちなんですかね?

 畏怖の顔で王竜さんを見上げます。全身から強烈な波動を発しながら、王竜さんが気絶した毛髪西洋竜に近づいていきます。

 ノッシノッシと茶色い巨体を揺らす王竜さん。もはや神性さすら感じさせる神々しさですね。これだけの輝きを放てる生物には、もう出会えないような気がします。

 毛髪西洋竜さんが、なぜ暴れたのか。理由がとても気になります。私も王竜さんの後を追うことにしました。





 地面に倒れて気絶しているらしい西洋竜さんの頭から生えている髪の毛を触ってみます。ふさふさとした、気持ちの良い毛です。

……本当に頭から生えているようで、そこのところが他の竜とは全く異なっています。

 頭に毛が生えた竜はどうやらこの世界にはいないようなので、頭髪はこの毛髪西洋竜さんだけが持っているようです。もしかすると、これが彼女の暴れた原因なのかもしれませんね。

 ……倒れている毛髪西洋竜さんの頭髪をつんつんと触ってみます。

 ……本当に良い毛皮ですね。天然ではありえない、作り物のような触感です。真っ白いサラサラとした頭髪を、飽きることなく触り続けます。

 王竜さんが呆れたような視線を向けてきますが、今は無視です。最近は、サラサラ髪を触っていなかったから欲求不満なんです。

 そうやって弄られる感覚に気付いたのか、唸り声をあげて毛髪西洋竜さんが起き上がりました。

 体を起こした毛髪西洋竜さんと目が合います。あまりに急すぎる目醒めに、二、三秒くらい思考が停止しました。彼女の目が血走っていて、凄く怖いです。

 なんとなく王竜さんが守ってくれると信じてみます。それでも恐怖を感じるには感じるので、咄嗟に身構えます。


『ガヲヲヲヲヲーー!!!』


 毛髪西洋竜さんの叫び声。また耳にキーンと来ました。狂気すら感じる絶叫です。なのに不思議と悲しくなって、涙が出てしまいました。

 皆の見守る中、空を向いて精一杯の咆哮を続ける毛髪西洋竜さん。彼女の口から出る鳴き声は、今まで一度も聞いたことがない信号でした。

 警戒でも、空腹でも、威嚇でも、困惑でも、心配でも、勇気付けでも、愛しさでも、恐怖でも、喜びでも、怒りでも、悲しみでも、楽しさでもない。

 彼女から浮かび上がっているその感情は、『嫉妬』でした。

 野生が決して行うことのない、他を羨むという感情を毛髪西洋竜さんが叫んでいるのです。

 その羨まれている他の竜たちから感じた感情は、『困惑』でした。

 竜が、野生の動物が、他の生物と自らを比べて絶望するなどありえる筈がありえません。

 動物の根底にあるのは、自分の種の保存。自分の個の保存を考える動物が、いて良い筈がありません。

 他に嫉妬し、自分と比べて周囲に当り散らす。それは動物ではありません。『人間』ではないですか。だから他の竜さんたちも困惑しているのでしょう。

 固まった周囲の空気など関係なく、またしても子竜に向けて走り出す毛髪西洋竜さん。狙いは、自分と同じ種族である一匹の西洋竜の子供でした。

 とうとう自分の種の子供まで狙い始める毛髪西洋竜さん。充血していた目は何時の間にか消え去り、そこには理性すら持った奴を殺すという狂気があります。

 やはり、その姿に何故か涙が出てしまいます。……どうして、ですかね。目元にある涙を拭うと、王竜さんの姿を見ました。あの子供を、護ってください。

 しかしそこにお目当ての姿はありません。辺りを見回すと、すでに走り出して、毛髪西洋竜に体当たりを喰らわしている王竜さんの姿がありました。

 ……仕事が速い。制止が利かないと分かれば即実力行使ですか。

 何というか王竜さん、実はあんまり頭は良くないみたいなんですよね。後、自分勝手なオーラも感じます。

 竜ですしね。細かいことを考える性質じゃないのはわかりますけど。

 王竜さんの体当りが直撃し、またしても呻き声をあげる前に崩れ落ちる毛髪西洋竜さん。なんだか可哀想になってきました。

 起き上がっても、また暴れるだけでしょうしねぇ。……動きを止めてあげますか。バインド魔法、『Strang verhaften』を発動して全身を絡め取ります。

 毛髪西洋竜さんの青い体に幾重にも巻かれるバインドの縄。これなら暴れても大丈夫でしょう。

 今回の魔力の練りは、自分でも納得のデキでした。うんうんと頷いていると、またしても毛髪西洋竜さんが起き上がります。ついでとばかりに、一撃で引き千切られる捕縛の縄。額に青筋が浮かびました。

 ……この世界に来てから、常に詠唱したままにしている旅の鏡を発動。丸まったクラールヴィントの中にある異空間に、躊躇することなく腕を突き入れます。

 この世界で幾度となく行った瞬間的な蒐集行為。慣れた手つきで、手の上に浮かんでいるリンカーコアをクラールヴィントに投げ込みます。

 生命力の発生源が弱まって動けなくなる毛髪西洋竜さん。

 勝負は一瞬で付きました。私が勝者で貴女が敗者。わかりましたか? 私の渾身のバインドを、体格という理不尽要素で破るとは……。何故だか許せません。

 動けなくなった毛髪西洋竜さんに、王竜さんが声をかけます。


『どうして、食べる?』
『――――――っ!!』


 王竜さんの鳴き声に毛髪西洋竜さんが返したのは、一度も聞いたことがない鳴き声でした。

 その感情を単語で示すとするなら、やはり『嫉妬』。

 それは嫉妬の一言でした。毛髪西洋竜さんが何度も何度も繰り返している、妬ましいという言葉。

 何が、そんなに妬ましいのでしょうか。


『私、子供、死んだ!』


 毛髪西洋竜さんの叫びが石だけの平原の中に響きました。……子供が死んだのは、誰でも悲しい。ですが、それを何年も覚えている獣がいるのでしょうか?

 王竜さんに視線を向けます。彼(?)は不可解そうな顔をしていました。

 竜にとって子供とは、確かに愛すべき子ではある。だが、子供が死んだことを何時までも悲しんでいる竜はいない。

 王竜さんはそう言って毛髪西洋竜さんを説得しています。

 しかし、イヤイヤと首を振り続ける毛髪西洋竜さん。


『子供、死んだ、憎い!』


 生物にとって、子供は自分の血を継ぐ大切な存在。ですが、別に子供はその子だけではない。いずれ次の子供が生まれる。

 誰も憎まない。憎むことはない。それが野生。それが動物。

 一匹の子供に何時までも拘る母親は異端。霊長類の中には、そんな母親がいたと私はテレビメディアで聞いたことがあります。でも、強者の種族である竜にそこまで子供を愛する親はいるのでしょうか……?


『みんな、嫌い。だから、殺した』


 毛髪西洋竜さんの残りの命はとても短い。その話は既に聞きました。

 けど……。生き物の使命は、『自分の種を存続させる』こと。自分が死ぬと分かったのなら、自分を諦め他の同族へ全てを託す。それが野生です。

 ところが、毛髪西洋竜さんは同族を狙って何かの清算をしようとしていました。じゃあ、彼女は野生ではないのでしょうか?


『子供、たくさん、殺した!』


 そんな叫び声に、数々の竜が反応します。それぞれがメスの竜です。走り出して、毛髪西洋竜さんの周りに並びました。

 背中に大砲を背負った水に住んでいる青い竜が、小さく鳴き声を発しました。……シーガンですね。本当にいたんですか。

 翼竜の一体が、何事か鳴いています。星4、攻撃力1700、守備力1600と言った風貌の、砦を守ってそうな翼の生えた竜です。1400じゃないのは……なんだか細いから?

 そういえば、カードダス専用だった頃のカース・オブ・ドラゴンは、レベル4だったんですよ? ホーリーエルフの守備力が2500だった時代もあります。

 数々の竜に囲まれ、もみくちゃにされている毛髪西洋竜さん。

 私が殺した。そう何度も何度も叫んでいる毛髪西洋竜さん。

 頭を振り回すたび、白色の頭髪が揺れます。結構長いので、振り回されて揺れた髪の毛の威力も中々のもの。

 ……なんですか、コレは。近づいて何事かを言っている竜たちが、毛髪の一撃を受けて吹き飛ばされています。武器ですか、凶器ですか、アレは。

 一見コミカルに見える光景を眺めながら考えます。『子供を殺す』。食べる訳でもなく、『殺す』。それは……生き物として許されるのでしょうか?

 彼女もまた、一人の母親として子供を大切に思っているのは見ていてわかります。

 何度も言いますが、野生は子孫を残すために子を産みます。人間のように、子供に幻想は持ちません。何かを望むことはありません。それが普通です。

 では、何故あの母竜は、子を諦めず、自分の生も諦めないのでしょうか。知能があったとしても、その思考展開はあまりにもおかしいです。

 何か、何か原因があるはず。暴れ続け、周囲に誰も近寄らせない毛髪西洋竜さん。

 またしても、攻撃する王竜さん。

 大きな衝撃を受け、横たわる毛髪西洋竜さん。気付けば、彼女の全身は傷だらけでした。色々な竜に威嚇をしている。ほんの少し前に言われた言葉を思い出します。

 彼女は我が子が死んでからずっと、子供がいる竜に威嚇を繰り返していたのでしょうか……。それは、逆に攻撃を受けてもおかしくない行動だったのでしょう。身体中にある傷がそれを証明しています。

 自分の子供が死んだのに、どうしてアンタたちには子供がいるの! それは理不尽じゃないの! と。

 それは、どう見てもヒステリーでしかなかったのかもしれません。……けれど、その姿勢は間違っていないんじゃないでしょうか。

 我が子が死んだのを悔やんで悲しんで何が悪い。野生とかの言葉で区切らないで欲しい。

 私は、悲しい時には悲しいと言える。

 毛髪西洋竜さんは、声に出せないまま、心の中でそんなことを叫んでいるんじゃないでしょうか……?


『ガァァァァア!!』


 また立ち上がりました。リンカーコアを抜かれ、意識を吹き飛ばす攻撃を一日に二度も三度も喰らって、それでもまだ立ち上がれる精神力。

 あれが、『母の愛』の一つの完成形であり最終形であり到達形。

 子を愛する修羅となった一匹の竜。最強の〝母親〟が私の目の前にいます。その姿を見て、何故か体が震えました。


『私、王の子、殺した』


 王竜さんの子供を高いところから落として殺したのは、毛髪西洋竜さんだったんですか。

 確かに、それはただの八つ当たり。子供を殺される痛みを知っていながら、他の子供を殺すという矛盾。

 でも……それが到達した者の強さです。絶対の矛盾を抱えてなお先に進めるその頑強さ。

 子供を理由として自分の我侭を叫び続ける、最大の愛を振り撒いている子不幸者。

 彼女を非難することはどうしてもできません。彼女は、あそこまで狂っているのに子供を愛しているのですから。

 自分が暴れているのは子供のせいと責任転嫁しているのに、それでも子供を愛しているのですから。


『……我の、子、殺した?』


 ……突然、空気が揺らめきました。王竜さんの身体から、王のオーラを噴出したのです。

 王竜さんの放つ金色の魔力が、石だけしかない荒野を走り抜けます。


『『殺した、殺した、殺した!』』


 肯定と断定を叫んだ二匹の竜の体がぶつかりあいました。弾かれ、宙をかける毛髪西洋竜さん。

 地面に背中を擦りながら彼女は進んでいき、大岩にぶつかって停止しました。

 クタリと、頭の毛が落ちました。どうやら、今度こそ本当に気絶したようです。

 血が付いていないところのない、緑の体を真っ赤に染めた毛髪西洋竜さんに近づきます。

 真っ白な髪の毛の所々にも赤い血が付着しています。……竜の血って紫じゃないんですね。

 なんとなく興味があって、髪の付け根を覗き込みます。

 どうしてこの竜に髪の毛があるのか。もしかすると、これが暴れた原因じゃないのか。何かを確かめたい気持ちが私の中にあったんです。

 髪の付け根は、意外なことに一本に集中していました。その中心に、一本だけ針が突き刺さっていました。そこからぼうぼうと髪の毛が伸びているのです。

 ……これは? 針にはミッドチルダの言語で文字が刻んでありました。書いてある文字は『カーズ』とただ一単語だけ。

 ……カーズ? なんなんでしょうか?


「彼女は我らの子供を殺した。生かしておくわけにはいかない。……どいてくれ」


 倒れた毛髪西洋竜さんの頭辺りで立ち尽くしていると、後ろから王竜さんに声をかけられました。

 どいたら、きっと彼女は殺されます。それは……承諾しかねます。


「まだ、この人がどうして子供たちを殺したのかがハッキリしていません。もう少し待って……」


 何も言わず首を伸ばしてきた王竜さんに、私の体は退かされてしまいます。

 王竜さんの口の中に溜まる金色の魔力光。放つ対象は、もちろん毛髪西洋竜さん。……私は、私は。

 私は毛髪西洋竜さんの前に仁王立ちで立ちはだかりました。


「まだ、殺さないであげてください。知りたいことが、聞きたいことがあるんです」
「……彼女が殺して、お前が疑われた。これが一番なのでは?」


 お前は奴のせいでこの世界の竜から恨みを買ったのだぞ。彼女に恨みはないのか? 多分、そう聞いているんだと思います。

 私の顔を凝視している王竜さん。しばらく睨みあった後、体を背けました。


「待つ」


 それだけ言うと、王竜さんは観客のような立ち位置の、たくさんの竜の中に紛れ込みました。

 ……ありがとう、ございます。王竜さんに目礼しました。

 毛髪西洋竜さんに近づくと、精神安定魔法と回復魔法を続けてかけます。

 三分もしない内に、毛髪西洋竜さんが目を醒ましました。


『子供、我が子』


 キョロキョロと辺りを見回すと、そう言いました。顔の付き物は落ちていました。

 ……精神安定をかけたら、理性を取り戻した……?

 となると、やっぱりこの毛が怪しいですね。絶対に脳にまで針が進行しています。そっと、髪の毛に手をかけます。

 何度か触っても痛そうな表情を見せません。つまり、かなり強い衝撃を受けても大丈夫そう。とりあえず、色々と問題がないことを確認すると……一気に引き抜きました。


『ギャッ』


 嫌そうな声をあげて、目を瞑った毛髪西洋竜さん。

 私の手の中に、先程まで毛髪西洋竜さんの髪の毛があります。すごく大きいですね。針の先っぽに脳の破片とかはついていません。……これは……取っても大丈夫だったということですよね?

 今更本当に取っても良かったのかという疑念が浮かび上がってきました。

 針の先っぽを見て、王竜さんが何故か不満気な声をあげました。


「それを離せ!」


 慌てて手から髪の毛を離すと、いきなり王竜さんの口からレーザーが発射されました。寸分違わずに金色の閃光は髪の毛を貫きました。


「引き抜いた時、毛から魔力が漏れた。あれは危ない物だ。よって壊した」


 目の前を光が貫いていったので、心臓がバクバク言っています。……王竜さんが何かを感じ取るような物だったとは。一体、アレに何があったんでしょうか。


「あれは生物の心に侵入する道具。……全く気付かなかった。女、よくぞ気付いた」


 ふぅむと頭を掻いている王竜さん。……他の生物に興味がないんですかね? 見ていると、王竜さんは自分の子供が死んだことすらどうでも良かったような気がします。

 毛髪西洋竜さん……いえ、西洋竜さんの髪の毛の部分にあった穴が、少しずつ埋まっていくのが見えます。

 それから数分もしない内に消え去った、針が刺さっていた部分。

 ……少し、西洋竜さんと話をすることにしました。





 髪の毛を引っこ抜いてから、途端に落ち着いた西洋竜さん。

 彼女から話を聞いてみると、髪の毛は何十年も前に気が付くとくっついていたそうです。

 ……それから、ずっと付けていたのだそうです。あの毛があると、気分が楽だったのを良く覚えているそうです。

 それから十数年して、子供も産まれて順風満帆。しかし、ある時子供が死んでしまいます。それから、意識が度々飛ぶようになったのだとか。

 ……あの髪の毛にどんな能力があったのかはもうわかりませんが、何やら物騒な香りがします。

 それから自分が病気だと気付く。そして、ここ数年は自分がどんな状態にあったのかすら覚えていないとか。

あ、ちなみに年という言葉を使っていますが、あくまで彼らの主観に時間を付けたですので。もしかすると百年前かもしれませんし、十年前なのかもしれません。竜の時間は曖昧すぎです。

 それは置いておいて、これで彼女は矛盾に満ちた行動から解放されたのでしょうか?

 彼女の目を見て見ますと、そこには狂気はありません。生き物として正しい目の色がそこにあります。

 王竜さんがゆっくりと歩いてきました。

 この世界の主である彼がどんな答えを出すのか。少しばかり気になります。

 西洋竜さんの前に立つ王竜さん。緊張した風に体を揺らす西洋竜さん。


『……許す』


 それだけ言って、凄い速度で走り去ってしまう王竜さん。後姿を、西洋竜さんと一緒にポカンと見送ります。

 ……国民が自分の管理不届きのために変な装置をくっつけられ、さらには民を虐殺したのを見ぬけなかった。そんな恥ずかしさの中に彼はあるのだと思います。

 ……西洋竜さんに近づくと、魔法の詠唱を開始します。毒抜きの魔法を発動。彼女の体の中にある毒を抜き出します。


『?』


 不思議そうな顔をする西洋竜さん。私は空を飛ぶと、彼女の頭を撫でました。


『病気、殺した』


 途端に竜としての笑顔を見せる西洋竜さん。私も笑顔になって、彼女の周りを飛び回ります。

 他の竜たちも一応私たちの会話の意味は分かっているのか、ぞろぞろと近づいてきました。

 先程西洋竜さんにボコボコにされた母親たちに、西洋竜さんが謝ります。


『迷惑、かけた』
『大丈夫』


 竜たちはそれぞれ話を続けています。……えーと、これから先も大変そうですが、とりあえず一件落着なんですかね? ……うーん。展開が急すぎて結局よくわかっていないんですが。

 まあ、纏めるのは何時の日かにしましょう。今日は疲れました……。

 最近はあまりしていなかったため息を吐くと、そろそろ転移魔法を発動しようとして……。

 アーミー・ドラゴンがやって来ました。……またですか。結局、何用なんですか?

 すると、他にも数匹の竜がやってきました。額には、それぞれ『済』のマークが刻んであります。

 それぞれが独特なジェスチャーを始めます。……うん、言葉が通じていないのは彼らもわかっているんですよね。そこでジェスチャーを使う辺り、知能が高すぎだと思うのですが。

 腹から何かを出す真似、グァァアーと叫ぶ、そして全員が『済』

 何が伝えた……。ああ、もしかすると旅の鏡のことを言っているのかもしれませんね。

 ……文句があるんでしょうか。しかし、数匹で文句を言われても何と言っていいのか?

 そこに王竜さんが帰ってきました。どうやら気晴らしは終わったようです。

 ジェスチャーを行っている竜たちを見ると、私に話し掛けてきました。


「彼らはみな、もう一度ビリビリを喰らいたいと言っている。どうやら癖になる痛みらしい」


 思考が停止しました。……癖になる、痛さ? 自分の生命の塊が引き抜かれるのが、癖になる? ……何ですかそれは。彼らが固いのは鱗だけじゃないんですか。

 じゃあ、あの絶叫は気持ちが良いという表現だったんですか?

 さすが竜です。生物として桁が違います。

 ああー。もしかして、私に近づいて来た『済』印の竜は、もう一度リンカーコアの引き抜きを喰らいたかったんでしょうか。

 ……そんな話をしていると、まわりの竜がそわそわし始めました。

 どうやら、他の竜も喰らいたくなってしまったみたいです。ですが、そろそろクラールヴィントも満腹です。諦めてもらいましょう。


『しばらく、無理』


 それを聞いて一斉に残念そうな顔をする竜たち。……はうぅ、なんだか悪いことをしてしまった気分です。


『また、来る』


 何故か一斉に歓声を上げる竜たち。……これは、来ないと恨まれそうですね。

 竜たちと変な雑談をしていると、王竜さんが私の前に立ちました。何故か前足を伸ばしてきます。


「この半年はなかなか面白かった。他の竜たちも楽しかったそうだ。我々が人間と遊んだのはこれが初めてだった」


 そう言って楽しげに笑う王竜さん。私も手を伸ばして、王竜さんの前足に触りました。

 それは、人と竜の握手という珍しい光景だったでしょう。また王竜さんが笑いました。私が、そろそろこの世界から出ようとしているのに気付いているのでしょうか。


「また遊びに来い」


 王竜さんが言いました。他の竜たちも、口々に楽しかったと鳴いてきます。その声に、不思議と暖かな気持ちになって、涙が出てきました。

 私の流した涙を、王竜さんが顔を近づけ舌で拭いてくれます。舌はざらざらしていましたが、とても気持ちよかったです。……顔は唾液だらけになりましたが。

 西洋竜さんが近寄ってきます。


『困らせた、スマン』


 宙に浮かぶと、西洋竜さんの頭をまた撫でます。王竜さんの頭もついでに撫でます。

 二匹は楽しげに笑いました。私も笑いました。


「我々の時間はとても遅くてとても早い。ただ、匂いを忘れることはない。また、遊びに来い。快く迎えてやろう」


 また泣きそうになりましたが、ぐっと堪えました。また唾液だらけになりたくないので。

 私は転移魔法を発動しました。目の前に並ぶ、たくさんの竜たち。

 こんなたくさんに見送られるのは初めてです。また来て、と言われたのも初めてです。

 涙を堪え続け、私は転移しました。転移が終わった瞬間、まだ何処かも知らない地で、私は心から泣きました。





――後書き
Q 序盤のネタ……。
A ええ。好きですよ、遊戯王とかMOZとか。

毛髪西洋竜は『ヘアードラゴン』と読むと幸せです。
あと、この程度の文章を書くのに10日近くかかった俺は正直アホだと思う。
内容は読者そっちのけだしね……。でも、このわけ判らなさが個人的に最高なんだ。うん、感性が人間として間違っているような気がしてきたよ。

そこで、私こと田中白が持っている遊戯王の40枚デッキ×12のデッキレシピを公開……!! ダメ? そうですか。……って480枚あんの!?



[3946] シャア丸さんの冒険 外伝一話
Name: 田中白◆d6b13d0c ID:d0504f35
Date: 2008/11/30 20:52
――シャア丸は男の方ですか?





 ミッドチルダにだって、勿論繁華街はあります。お酒を飲んだり軽食を食べたりするところもあります。

 今私たちは、清掃員軍団いきつけのとある居酒屋さんにいます。

 といっても、今日はみんなでバカ騒ぎするのが目的ではないので、フルカちゃんともう一人、そして私しかませんけど。

 ちょっとした息抜きという奴です。他にも、その二人の交流会も兼ねていたりしますが。

 店内の、明るく優しい黄色の照明に照らされた、一つのテーブル席。

 私の正面に座ってチビリチビリとジュースを飲んでいたフルカちゃんが、沈黙に耐え切れなくなったようで同じテーブルに座っている男の子を目に入れました。

 男の子も、隣にいるフルカちゃんを見て沈黙しています。何かを言いたそうな顔をしてから、目が合ってしまったようで、すぐに顔を背けました。

 全くもって目を合わせようとしない二人の子供。その姿が、何だか意地を張っているように見えて、口に小さな微笑みが浮かんでしまいました。

 私が笑っていることへの避難も込めてか、フルカちゃんが左腕を突き上げます。


「……シャアさん、一つ質問」
「はい、何でしょうかフルカちゃん?」
「……そこの人、誰?」


 フルカちゃんの隣に座っている、彼女と同じような髪の色をしているその少年。名前をジンガーと言います。地上の救助部隊に所属している素人さんです。

 最近、高めの魔力を持っていることが明らかになったらしく、武装隊に入るのもありではないかという話もされているそうです。ジンガーくんとは、嘱託魔導師として派遣された前の部隊で知り合いました。

 フルカちゃんと同い年だから友達になれると思って連れてきたのですが……ダメですかね?

 そんな感じの簡単な説明をして、互いに自己紹介させます。二人とも15歳、そして髪の色も同じ。それに、管理局に勤めている時間もほとんど同じくらい。こんなに同じ部分があるのだから、仲良くなれると思うのですが……。

 ニコニコと笑いながら、友達になれると考えた根拠を伝えます。


「……こんな、シャアさんを押し倒そうとした変態と!?」
「たかが清掃員なんかと!?」


 ところが二人は批難轟々。

 一斉に叫んだ後、顔をあわせて睨み合ってしまう二人。……うん、少なくとも息は合っていますね。ベクトルは正反対のようですが。

 二人の目の間で形成される火花。ばちばちと激しい音をたてて睨みあっています。

 互いへの罵り言葉を放ちあい、今にも取っ組み合いになりそうな二人。……子供は誰とでも仲良くなれるというのは私の幻想なのでしょうか。

 十五という年齢は、やっぱり微妙なお年頃なんですかね? 実は、これくらいの子の面倒をみたことないんですよ。

 このテーブル席で二人がぎゃあぎゃあと大きな声で騒いでいるので、周囲のお客さんたちも迷惑そう。

 居酒屋、つまり酔っ払いさんが多くて、いくら喚き声に慣れているといっても気分を害してしまう人もいるでしょう。

 そもそも管理局員は公務員なんですから、一般の方に迷惑をかけないのが礼儀でしょうに。


「……ストップです。それ以上ケンカすると、嫌いになりますよ?」


 これで止まればめっけもの。その程度の軽い気持ちで言ってみます。

 懐いてくれている小さな子供には、結構効きます。使うと、心が痛くなる結果を招いてしまう時もありますが。

 私の言葉が耳に入るや否や、何故か凄い勢いでケンカストップする二人。……嫌いになりますで動きを止めるって、あなたたちは小学生ですか。

 互いにその事実に気付いたのか、自分だけが気付いたと考え、勝ったと思い込みニヤリと相手を見て笑い、相手が笑っているのに気付いてまた取っ組み合いに。

 宙に舞うジュースの入ったグラスやナプキンやお皿。片っ端からキャッチしていますが、お客さんにはかなり迷惑でしょう。私は微笑ましいから構わないのですが。

 それでも、私にだって堪忍袋という物があるんですよ……。

 変わらない攻撃の連続。二人して手を伸ばしあい、綺麗なクロスカウンターになりそうなところで。

 ――……あのですね……。

 声に出さずに凄んでみます。私の咎めるような視線にやっぱり二人同時に気付いて、二人揃って指を伸ばすと。


「「だって、こいつが」」


 ハモってしまったのが腹立たしいのか、また取っ組み合いを始める二人。……犬猿の仲? 桃太郎では仲が良かったので、仲裁に必要なのはキジと桃太郎ですね。

 僭越ながら、キジは私が立候補させていただくとして、桃太郎は……誰でしょう?

 当て嵌めてみたところで止め方が思いつかないので、店という空間を利用させてもらうことにします。

 二人の声がうるさいのか、迷惑そうな顔で私たちのテーブルを覗き込んでくるお客さんがたくさんいるんです。

 えーと……この場合一番聞きそうな言葉は……。ふと、お客さんの顔の中に、笑い顔の人がいるのを見つけます。どうやら、若い男女の喧嘩が楽しい様子。

 頭の上で輝く一つの電球。……では、これで行きますか。

 一番動きが止まりそうな単語を検索。耳に聞き取りやすい声で口から言葉として出します。


「二人の仲がいいの、店中の人が見てますよ?」


 上から押さえつけて止めさせるのもいいですが、この場合は自分たちから止まるように仕向けましょう。

 今の二人にとっては、絶対に言われたくないその一言。私の言葉を聞くと、ケンカを中止して店の中を見渡す二人。

 お客さんたちが、しかめっ面もしくはニヤニヤ顔で自分たちを見ていることに気付いたでしょう。

 赤くなってもじもじし始める二人。お客さんたちが、良いものを見たとでも言いたげに、満足そうにそれぞれの席の方に向きなおりました。

 こ、こいつと仲が良いだと!? 声に出さずに絶叫する二人。また取っ組み合いを始めようとして、痴話げんかだと思われたくないのか動きが停止します。

 ……というか、どんなに激しく喧嘩していても、私の声は聞こえているんですね。

 フルカちゃんとの付き合いは長いから良いとしても、ジンガーくんと話した時間は本当に短いんですが。

 もしかすると、年上の言うことは聞くという精神が体に染み付いているのでしょうか? さすがは公務員、クレーム対処は得意ですか。

 私が勝手に赤毛二人の心理を想像している頃、ヤケになったのか、二人が店員さんにお冷を頼んで水をがぶのみしています。酒が飲めないからって、お水に逃げなくても……。

 ふと、二人の真っ赤になった頬に気付きました。……ああ、逃げてるんじゃなくて、熱を持った頬を冷やしたいんですか。

 ……可愛いですねぇ……。

 初々しい二人の行動に、なんだかほのぼのとしてしまいました。


「……なに笑ってるんですか」
「酷いな、シャアさんは……」


 恥ずかしい体験を二人で共有したためか、微妙に仲が良くなっている感じの二人。白い目で見られてしまってタジタジな私。

 ……ふふっ。私を悪者にした二人仲良し作戦成功。嘘ですけどね。

 何となく、見るともなしに店の中を見渡します。今も気になるのか、たまにお客さんがこの席をチラ見してきます。

 ですが、チラ見されて良い気分になるわけがありません。一人のお客さんに私が目を合わせて微笑みます。意味は、こっち見ないでください。何故か目を逸らされました。

 はうぅ、もしかして、怖いんでしょうか。……むむむ、確かに理由も分からず微笑まれても怖いだけかもしれません。微笑みは安心させるためだけに使うことにしましょう。

 それとなく目を合わせた男の人を見てみると、彼の頬が赤くなっています。……とりあえず視線を追い払えましたが、不思議な反応をされてしまっています。風邪ではないでしょうし、頬が染まっている理由は何なのでしょうか?

 フルカちゃんとジンガーくん、すでにお客さんに見られていないにしても、周囲が気になってたまらないのか、たまに顔を合わせて身悶えしています。

 そんな姿がお客さんたちの心をくすぐったのか、逆に注目されてしまっています。それでさらに身悶える、彼らにとって負のスパイラルが発生しました。


「「店員さん、お酒下さい!」」


 恥ずかしさのあまり、そんなことを言い出します。……そうですか、空気打破のためにお酒を選びますか。

 あらあらと笑った店員のお姉さんが、ジョッキになみなみと注がれたお酒を嬉しそうに持ってきます。……って、それは未成年には多すぎでしょう!?

 心の中でツッコミを入れていた私が止める間もなく、二人は一気にお酒をあおって中身を飲み干すと、空になったジョッキを掲げて叫びます。


「「おかわり!」」


 ……急性アルコール中毒で倒れるつもりですか。水でも飲むように二杯目のお酒を飲みつづけている二人を呆然と見守ります。飲む速度や傾けるジョッキの角度もほとんど同じ。ゴクゴクと嚥下されていくアルコール。

 そうして二杯目を飲み終えた二人が、揃って机の上に突っ伏します。……仲、いいじゃないですか。同時に倒れた二人を見て思います。

 何だか理不尽な気分になってきました。放っておいても、勝手に仲が良くなっていたような気さえします。

 ……机の上にバタンキュー。ピクリとも動かない二人。……どうしたんでしょうか? 何だか心配になってきました。

 フルカちゃんの背中を摩ってあげると、顔をあげた彼女が死にそうな声で呟きます。ジンガーくんも、隣で青い顔をしています。


「……気持ち悪い」
「そういや、酒飲んだの初めてだっけ……」


 顔色がかなり悪くなっているフルカちゃんとジンガーくん。本当にやばいようなら、法律を無視して回復魔法で毒抜きを行うことすら考慮しておくことにします。

 清掃員の皆さんは、フルカちゃんにお酒を勧めることはありません。どうやら、過保護なあの救助部隊もジンガーくんにお酒を飲ませるようなことはしていなかった様子。

 ……お酒は脳細胞を破壊する。それは、どうしようが防ぎようのないダメージです。

 前途有望な少年少女の未来を潰すような真似を、管理局の人々がするはずありません。……まあ、たまになら辛い現実を忘れるためにお酒を飲んでもいいと思っていますけど。

 今みたいに、好奇の視線に晒されまくっている時とか。

 背中をさすってあげていると、気分が楽になったのか起き上がって水を飲み始める二人。たまに、気持ち悪いと呟いています。


「……んで、フルカはどんな理由でシャアさんと知り合ったんだ?」
「えーと、最初は私の後輩でねぇ、今はAAA-の嘱託魔導師……」


 酒が入ったおかげか、良い感じに打ち解けている二人。最初嫌い会っていたのは、同族嫌悪という感情だったのかもしれません。

 互いに同じような気配を感じ取ったのか、何だか楽しそうに話しています。

 ……でも、自分紹介ではなく、私との出会い方で盛り上がらなくても。


「へえ。シャアさんって、そんな一面が……」
「うん。着てるパジャマ、小悪魔みたいなんだ」


 私がどんな物が好きなのかとか、フルカちゃんに聞いているジンガーくん。

 ……女の子に別の女性のことを聞くのは失礼だと思うのですが……。なのに、どうしてフルカちゃんは喜々として私のことを教えているのでしょうか。

 聞くこと話すことシャアさんシャアさん。フルカちゃんは、私のことを姉のように思ってくれているから楽しそうなのは分かるんですが、何故ジンガーくんも私のことを知って楽しんでいるんですか。


「フルカも、結構おもしろい奴だな」
「あんたもね。……メール教えてよ」
「ん、いいぜ」
「あ、これシャアさんのアドレス」
「サンキュ!」


 楽しそうに話をしている彼らを見ていると、何だか私が恥ずかしくなってきました。どうして話の中にナチュラルに私が入るんですか。

 そもそも、一年程度の付き合いであるフルカちゃんが、どうしてこんなに私に懐いてくれているのかが気になっているくらいです。

 信頼関係とは、出会ってからの時間と思い出が重要だと私は思っているんですが……。思い出作りみたいなことしましたっけ?

 ジンガーくんの方は、お姉さんへの憧れだということが理解できるんですが、フルカちゃんの方は全くもって不明です。何かこの子にとって嬉しいことでもしてあげたこと、あったでしょうか?

 ……ま、まあ懐いてくれるのは嬉しいことですし、考えないようにしましょう。……からかったり上から目線だったり、あんまり良い印象を与えていないような気がするんですけどね……。

 見るともなしに見ていると、何時の間にか二人の話は互いの出身地の話になっています。それぞれがどんな家庭で育ったのか話しあっているようです。

 どちらもミッドチルダ出身ですし、実家の位置も近かったらしく周辺の店の話で盛り上がっています。他にも、祖先が同じベルカ出身だとかどうとか。

 男の子と女の子ということでゲームセンターや洋服屋さんなど、話が合わないところもあるようですが、流れる空気は終始おだやかです。

 ……仲良し作戦、これにて完遂。

 これで、年上や年下の同性の友達しかいないフルカちゃんに、異性、それも同年代の友人が出来ました。

 それはジンガーくんにも言えること。異性の友達は、子供にとって、とても大事な存在になります。

 少しお節介だったかもしれませんが、友達はいいものです。いればいるほど、たくさんの価値観に触れることが出来ますし、力を借りたり力を貸したりすることが出来るのです。

 ……二人の話はズレにズレ、むかし神様を信じていたかどうかという話になっていました。

 もっとずっと幼かった頃、子供心にそんな人がいれば良かったと思っていたのだとフルカちゃんは言います。

 もしも神様がいるのなら、お母さんに伝えて欲しいことがあるのだそうです。心配しないで、私は元気でいるから、と。

 ジンガーくんは、神様がいるならオレのナンパくらい成功させてくれよとぼやきました。

 それを聞いて、白い目になるフルカちゃん。願いごとを叶えるのが神様の存在理由じゃないんだから、あんたの願いごとなんて聞いてくれるわけないじゃないと辛い意見を出しました。


「……ほほぉ、ただの清掃員が武装隊へ推薦されているこのオレと戦りあう気か……?」
「推薦なんて貰ってないでしょ。勝手に自分の価値をあげないでよ、変態」
「へ、変態だと……?」
「シャアさんにセクハラしたあんたなんて、変態で充分よ」


 さっきまでの和やかムードはどこへやら。一瞬で臨戦態勢に移る二人。二人の頬に赤みが差しています。どうやら、酔いがまわってきたご様子。

 ……このままだと、店の中で大乱闘に発展しかねません。私は二人の手を取ると、お会計を済ませてから店の外に飛び出しました。




シャア丸さんの冒険
外伝一話「管理局員、特に何事もなく」




 夜風に当たれば、少しの酔いなら醒める。古来の考えに従いそんなことを考えたシャマルが向かったのは、近くにあった狭めの公園だった。

 時期はすでに冬の半ば。コートなしでは肌寒い季節だが、良い感じに酔いのまわったフルカとジンガーにはちょうど良い寒さらしい。

 今は涼しくて気持ちいいーと、二人で楽しそうにくるくると回っている。吐かないで下さいねー。その様子を、シャマルは楽しそうに見ていた。

 そして、糸が切れたようにパタンと倒れるフルカ。酔っている状態で回りまくっていたんだから当然のこと。

 フルカが先に倒れた理由を考察するに、戦闘訓練を受けているジンガーと武道なんてからっきしのフルカでは、高速機動(?)の耐性に大きな差異があったようだった。

 それにしても、酔った後に取る行動まで同じだとは相性が抜群だと言うしかない。それから数秒後、回転を続けていたジンガーも崩れ落ちた。


「目が回るー」
「……はぁ」


 頭をクラクラさせているフルカ。溜息をついたシャマル。
 あんなに酔った上でそんなにたくさん回っていたんだから、そうなるのは当然のことでしょう。そんなことを考えた薄情なシャマル。

 だが、酔っ払いの奇行を良く知っているだけにさっさと対処に移る。店から出る前に買っておいたりんごのような果物を、倒れているフルカとジンガーに手渡した。

 あらかじめ皮が剥かれているのを買ったので、すぐに食べることができる。


「……ありがとうございまーす」


 前後不覚の状態でも、憧れのシャアさんから貰った食べ物は食べる。彼女の献身に惜しみのない賞賛を送りたい。

 シャクシャクとりんご(仮)を租借し、嚥下する。アルコールの分解には水分、糖分、ビタミンを消費するので、果物は酔い醒ましにちょうど良い。

 とはいえ遅効性の薬みたいな物だから、効果が出るのはもっと後のことになるだろうが。


「……甘くておいしー」


 グルグル回った目のまま、果物の味を楽しんでいるフルカ。……さすがに、こんな状態の人に食べ物は危険だったかしら? 胸の前に腕を組むシャマル。

 まあ、吐きはしないでしょう。やってしまったことはしょうがないと諦めたようだ。

 公園の地面に寝転がっているフルカとジンガー。彼らの目に、冬の空で一際輝く二つの月が映った。

 バックで輝く大きな月を背にして、近くにあった噴水の縁に腰をかけ、髪を弄びながら寝転がった二人を小さく笑いながら見つめている目の前にいる彼女のその姿。

 金に輝く髪と月。優しげな目と星。黒い服と空。背後で噴き出ている噴水が月と電灯の光を反射して、サラサラと波打つようにシャマルの体を照らしている。

 まるで作られた絵画のような光景に、つい、動きを止めて魅入ってしまう二人。

 彫像のように固まった二人を見て、小首を傾げるシャマル。作られていた幻想領域が、可愛い動作で霧散した。


「……シャアさんって、女神みたいだよね」
「……は?」


 何とか再起動に成功したフルカが、見惚れていた恥ずかしさを吹き飛ばすため、意味のわからないことを言った。

 全くもって繋がっていない会話に、もう一度首を傾げようとするシャマル。だが、先程の二人の会話。すなわち、神を信じるかどうかという話を思い出して、なんとか踏み止まった。

 しかし、自分が女神と呼ばれるようなものではない。そのことを自ら嫌というほど知っている彼女は、無邪気なその言葉を否定する。


「私は、女神様なんて呼ばれるほど綺麗な生き物じゃありませんよ……」
「いえ、別にそんな暗くなること言ったわけじゃないですが……」


 シャアさんが暗くなると、私も暗くなってしまう。骨の髄までシャアさんに染まっているフルカは、自分の言葉でシャアを落ち込ませたという事実に暗くなってしまった。

 もちろん、シャマルはシャマルであるからに、自分の言動のせいで保護対象が落ち込んでしまうというのに耐えることができない。


「あ、あの、フルカちゃんが暗くなる必要はないんですよっ」
「シャアさんが落ち込む必要もないじゃないですかっ」


 結果、自分のことを放っておいて相手の身を心配するという本末転倒な会話が発生する。

 未だ酔いにグラグラしているジンガーの目にも、その会話はおかしなものに見えた。けれどまだ酔いの醒めぬ身なので、思考は一人歩きして別の結果を呼び寄せる。

 何故か、人が女神になるにはどうすれば良いのかという答えの出ない疑問が頭の中に浮かび上がった。


「……人が女神になるにはどうすればいいんだろう」


 もちろん、酔っているジンガーはすぐに口に出す。そんな脈絡のない言葉にシャマルとフルカはポカンとなり、そのまま笑ってしまった。

 ボケッとした顔のまま地面に座り込みうぁーと唸っているジンガー。シャマルは、もう一度笑うと、暗くなるのはやめましょうと言った。


「……それにしても、人が神さまになる方法か。そんなの、わかりっこないですよね」


 ジンガーの言葉をただの戯言として受け流すフルカ。しかし、シャマルは違った。彼女は知っているからだ。人の身のまま神になった人間たちの伝説を。

 それは有名所で言えばイエス・キリストとかブッダ。一般の人が全く知らぬ例をあげれば両手両足の指で足りぬほどもいる。

 故に、シャマルは人が神になる方法を知っている。すなわち、人の『心の拠り所』になればいい。それだけで人は信仰され、数十数百年後には後の歴史家たちに神さま扱いされる。

 神さまは、超常の存在でなくたっていい。ただ誰かのためにあれば、人々は人を神と呼んでくれるのだ。

 人々の心を安心・満足させることさえできるのならば、人は簡単に神になる。

 それが、今のシャマルの持論である。神さまは常に誰かの心の中にいるし、誰にでもなることができる。


「……誰でも神さまになることができる、ですか」
「凄いこと言うんですね……」


 うわぁと唸って、シャマルから一歩だけ退く赤髪コンビ。

 ミッドチルダは神さまという存在が日本より身近ではない。なので、人と神が同じ次元にあるのだという想像をしたことがなかったという。だから、人が神になれるとはっきりと言い切ったシャマルが痛い人に見えたらしい。

 はうぅ……疑問に答えてあげたのにこの仕打ち、酷いです。

 信頼する二人の子供たちに裏切られ、涙目のシャマル。

 ……でも、いきなり神になれるとか妄言吐く人には普通の対応ですよね。確かに人は神になれますよね、とか同意されたら私が困ります。

 そうやって自分を納得させるシャマル。ただし、心の奥底で泣いているのが良く分かる。


「……どうして、そんな大言を?」


 それでも、彼女の自信の源が気になるのか、恐る恐るといった表情でジンガーがシャマルに聞いてみた。

 どうやら、ジンガーの酔いはすっかり醒めてしまっているらしい。そんなにショックだったんだろうか。だとしたらシャマルが悪いことをした。後で謝らせなくては。

 シャマルは考える。……大言を吐ける理由、ですか。これは、地球の神さま物語を語った方が良さそうです。

 幸い時間はたっぷりあります。少しばかり、地球のお話でもするとしましょう。

 シャマルは公園に備え付けられている自販機まで走ると、あったかいコーヒーを三本購入した。

 三人で熱いコーヒーを分け合うと、人でありながら神となった人『釈迦』の話を開始した。





「昔々、とある国の王子として生まれた子供がいました」
「……むかし、ですか?」
「次元世界の中のとある一つの国では、物語の始まりはすべからくこれから始まるという暗黙のルールがあるんです」
「はぁ……」


 納得いかない様子のジンガー。そもそも、どうしてこんな話になったんだっけと、ジンガーは人知れず嘆息した。

 でも、シャアさんの故郷の話みたいだし、一応聞いておくか。彼なりに自分を納得させ、シャマルの言葉に耳を傾ける。

 紀元前五世紀ごろ、釈迦はネパールのルンビニにて誕生した。その時代国家を形成した釈迦族の出身であった。


「父はその国の王さま。彼は、日々を裕福に暮らしていました」
「……王さまだから信仰されたんですか?」
「いえいえ、全然ちがいます」


 話の途中で質問しないで下さい。シャマルの目だけの非難を浴びて、ジンガーは肩を竦める。やーい、怒られたー。フルカがにやりと笑った。

 ジンガーが袖をまくってフルカに飛び掛ろうとして、シャマルに頭を小突かれた。涙目でシャマルを見るジンガーだが、自業自得だとシャマルは取り合わない。


「しかし、彼はそれを良しとしませんでした」


 裕福ならば、それに溺れてしまっても構わないのに。国を守るという最大の義務を果たす王だからこそ許される『浪費』。

 彼はこれから国を守る人として進み、それ相応の対価を貰えるはずだった。ところが、彼はそれを全て捨て去ったのだ。


「『人はなぜ死ぬのか』『どうして人に違いがあるのか』王子さまは、何時もそのことを考え続けていたんです」
「……」


 かつて、母親を失ったフルカ。何故母親が死んだのか、シャマルと出会う前の彼女は常に考えていた。

 ある程度思うことがあるのか、赤毛二人はシンとなった。


「そうして過ごしていた彼は、息子が生まれたのをきっかけに、かねてより望んでいた僧になることを決心しました」
「「え゛」」


 そりゃ無責任だろと呟く二人。けれども、王であることを放棄してまで僧になりたかった釈迦。

 それには、ある理由があった。そもそも、彼の生まれた部族である釈迦族は、稲作に生き畑で息する農耕民族。

 目の前で這っているイモムシが、次の瞬間には鳥に攫われる光景を毎日見て育っていた。それは、年若い少年にとって、どれほど無常さを感じさせる風景だったのだろうか。

 そのような無常さが決定的になったのは、彼が城の東門から出る老人に出会い、南門より出る病人に出会い、西門を出る死者にあった時だった。

 生があるからこそ人は死ぬ。生・老・病・死の四苦。もしも、自らが死ぬことを諦め、正しく受け止めることが出来るのならば、死という無常は自らの中からなくなる。

 だが、自分を愛することを止めるのはとてつもなく辛いことである。それに、彼は最初、四苦を思いつくことができなかった。

 彼は、自分の虚しい心をなくすため、『悟り』を開くことを決心する。


「……あの、悟りって何ですか?」
「それを知っているのなら、私はここにいないような気がします。この話の肝は、人が神になれるかどうかですので、悟りは全く関係ありません」
「……そうですか」


 シャマルに悟り云々のくだりを聞けずにがっかりするフルカ。しかし、シャマルも悟りを知っていないそうなので、高望みは禁物と悟って話に耳を傾ける。

 幾人もの修行をする人々に出会い、彼は悟りを得ようと修行する。ところが、他の人々の言う修行では、ただ身を傷つけるだけで悟りを得ることはできない。

 数々の修行を経た彼は、独自の道を進むことを決める。


「ピッパラ樹……後に菩薩樹と呼ばれる木の下で何日もの瞑想を行った末、釈迦は『悟り』を得ることに成功します」
「やけにあっさりしてますね……」
「悟りは関係ないんだってば」
「うわ、シャアさんの女っぽい言葉使い初めて聞いたかも!?」


 変なことで驚くフルカの言葉に、頭を抑えるシャマル。それでも、話を続ける。……何日で悟りを得られるのだったら、途中で行った断食などの修行は何だったのだろうか。

 彼は悟りを得た喜びを胸に、そのまま死のうと考えた。しかし、そんな彼の耳に、彼が信じる神さまの一人『梵天』が声をかける。

 あなたが悟った事柄を、人々に伝えなさい。拒否する釈迦。けれど、三度の勧請の後、自らの悟りへの確信を求めるために、同じく苦行を行っていた五人の仲間に自らの悟りを説いた。


「彼は自分が悟った事柄を人に伝えるべく旅を始めます。人々は彼の神のような姿に神性を見出し、ついていきます」
「……神のような、姿?」
「悩みなど何もないという晴れ晴れとした表情で、自分たちの悩みを解決してくれる人。当時の人々が憧れてもおかしくはないと思います」


 なるほど、そうかもしれないと頷く赤毛ちゃんくん。それぞれ悩みを持った者。だからこそ、何でも知ってそうなシャマルに付いてきているのだから。

 最後にゴホンと一度咳をすると、シャマルは最後の部分を言った。


「釈迦は生ける神となり、崇められる信仰の対象となりました。その信仰は、彼が死んでから二千年たった今でも忘れられることなく続いているんです」
「「二千年!?」」
「まあ、これから暫らく話はあるんですが、一人の人間が神になるまでの物語は……。って、二千年に驚きすぎだと思います……」


 確かに、今の時代は新暦56年。それと二千年なんて比べ物になりません。でも、ミッドチルダの方が紀元前の歴史は長そうに感じるんですよね……。


「釈迦、信仰……」


 ぶつぶつと呟いているフルカ。シャアさんの故郷の物語を聞いて、何やら思うものがあったらしい。

 ジンガーもジンガーで、二千年ってどれくらいだろうと呟いている。管理局の歴史のうん十倍もある世界というのに驚きを隠せないらしい。

 とはいえ、やはりベルカの方が歴史の質が厚いように感じられるのは、贔屓だったりするのだろうか。


「……シャアさんは、神さまになってみたいですか?」
「私ですか? ……いえ、なりたくはありません」


 フルカの問いに、首をふるシャマル。確かに、誰かのためになりたいという思いはある。けれど、神さまと呼ばれる存在になりたいとまでは思っていない。

 神さまにはなりたくないというシャマルを寂しげに見ると、フルカは気まずい空気を打破するために話をそらす。


「そうですか……。ところで、シャアとシャカって似てると思いませんか?」
「あー。……似てる、かもしれませんね」


 フルカを救ってくれた、あまり悩むことのない爽やかな笑みを浮かべるシャア。フルカにとって、シャマルとは神にも匹敵する存在である。

 それは多感な少女の勘違い、夢、恋に恋するという現象なのだが、少なくともシャアを信じている間、フルカは心の底から安心なのである。この人は、いつでも私を助けてくれる。私を守ってくれる。

 妄質にも似た信頼が、そこにはある。それを受け入れられるシャマルの懐も中々のものだが。


「まさか、シャアさんって、シャカみたいとか言うつもりですか?」
「なっ、そ、そんなことないですよ。……多分」


 シャマルの言葉にあわあわと慌てるフルカ。かなり自惚れのつもりで言ったのに慌てられて、ガクンとこけるシャマル。

 ……私、そんなに信頼されるようなことしましたっけ……? 頭を捻ってしまうのも当然のこと。


「私を持ち上げてばかりいないで、他の男の子に声をかけたらどうですか? シャカって名前、私に付けるよりもあなたの子供に付けてあげたらいいじゃないですか」
「子供って……。わたし、そんな気分さらさらないんですけど」


 あらあらと、鈴のような声で笑うシャマル。そうです、私はこんな軽いお姉さんでいてあげなくては。

 信頼されるのは嬉しいが、信頼されすぎても困る。人との距離感がどうにも掴みづらい。

 ……いずれ、彼女は管理局を去る。その時、誰かに泣かれるのはごめん被りたい。あくまで自分本位に物事を考えるシャマル。

 携帯式の電話をポケットから取り出すと、タクシー会社に電話する。それから数分もした頃、音を響かせてタクシーがやって来た。

 フルカとジンガーをタクシーに押し込むと、お金を渡して管理局地上本部に行くようお願いする。


「あれ? シャアさんはどうするんですか?」
「私は用事があるので」


 嘘だ。ただ、自分と今の人々の距離を考える時間が欲しいだけだった。別に、人ではない身であるシャマルは寝る理由が薄い。

 しばらくこの公園で、信頼という言葉の意味を考えてみたかった。

 タクシーに乗り込んだ二人に手を振る。シャマルの視界の片隅を、さきほど呼んだタクシーが通り過ぎていった。





「最近、なかなか評価が高いぞシャア・アズナブル」
「……人の助けになっていると喜ぶべきか、管理局の手伝いになっていると悲しむべきか、悩みます」
「人の助けになっていると喜ぶべきだろう」
「そうさせていただきます」


 そこまで広くはない、大量の本棚に囲まれた部屋。机の上に手を組む男、レジアス・ゲイズ。

 季節は冬から春になり、シャア・アズナブルの評判も中々のものになっていた。そもそも、管理局にはAAAランクの魔導師は全体の5%と数が少ない。その中でも、補助専門はさらに少ない。

 ゆえに、シャアは重宝されていた。今のところ本局は何も言ってこないが、いずれ戦力として貸し出しを求められる日が来るだろうとレジアス予想している。

 今は、ちょっとしたブリーフィング程度の目的でシャマルを呼び出していた。彼女は、書類上レジアスに保護を受けていることになっている。

 身元保証はありがたいが、本当のところ、ありがた迷惑だったりする。なんというか、自分の動きを束縛されているかのような気分になるのだ。

 用件を言い終え、下がっていいぞとレジアスが言う。だが、シャマルはその場から動かず、レジアスの後ろを見続けている。


「……何だ?」
「背中、窓ですよね? 暗殺とかの危険ないんですか?」
「椅子の後ろには鉄板を貼ってある。余程の武器でなくてはこの椅子は貫通できん」


 ……あれま、と呟くシャマル。思い出しているのは、椅子ごと心臓貫かれて死亡したレジアスのこと。たまたま思い出したから、メモしてまで伝えに来たというのにそんなオチ。

 まさか、防御対策をしてあったのに背中を刺されたとは。それ以上硬い材質で椅子の後ろを覆っておけとか言えませんし、ここは何も言わなくていいでしょう。

 それに、そんなシーンが本当に起こるとは限らない。場合によっては、ヴォルケンリッターが管理局に所属しないという未来すらありえかねないのだから。

 それにしても、まず椅子に目が行くとは面白い。普通は窓に目が行くだろうに。これが孔明という奴なのかもしれない。


「んー。じゃあいいです」
「他に用がないなら、もう帰れ。俺は忙しいんだ」
「そっちから呼んでおいてつれない方ですねぇ。一緒にお茶を飲んだ仲なのに」
「どんな仲だっ!」


 最近、上層部との話し合いのせいで余裕がなくなってきているレジアス。義務感に翻弄され、ストレスの解消などはしていない。

 シャマルを呼んだのだって、労いという作業をこなすのが目的だった。このまま放っておけば、目つきの鋭い冗談嫌いなレジアス中将が爆誕するであろう。

 彼女にとって、それは如何ともしがたい。肩を組んで笑い合うような仲になりたいとは思わないが、彼は国の平和を求める男。最低限のお付き合いはできるようにしたい。


「お菓子、食べます?」
「…………」


 というわけで、掲げられるバスケット。中には、クッキーとかがどっさり入っている。

 首を横に振るレジアス。コーヒーブレイクを差し込む時間は彼にはない。


「まあまあ、そんなこと言わずに」


 もう一度掲げられるバスケット。中には、煎れてから二時間も経たない紅茶が入っている。

 首を横に振るレジアス。ティータイムと洒落込む時間は彼にはない。


「まあまあ、そんなこと言わずに」


 二度掲げられるバスケット。中にはおしぼりも入っているので、いつでも休憩OKです。

 黙ってシャマルを見ているレジアス。気分転換を挟めば効率も良くなるかもしれないと考えた。


「クッキーと紅茶、いりません?」
「貰おう」


 掲げられたバスケット。仕方がないと受け取った。





「……よく説得できましたね」


 書類を持ってきた秘書が見たのは、再三の休憩要求を受け付けなかったレジアスが仏頂面でクッキーをかじっている光景だった。

 根を詰めすぎていたレジアスをどう説得するべきか迷っていたのだが、シャマルは簡単に説得をやってのけていた。

 その姿に、やっぱりこの人ハンパないと思ってしまう秘書。この女性、レジアスの妻のような気がする。娘も後に秘書になったようだし、親子揃ってレジアスの秘書。なんだかロマンを感じないでもない。

 自分の言うことを聞かないレジアスを言いくるめたその手腕、尊敬に値すると秘書は考えた。


「言い方が悪かったんじゃないですか? 素直に聞いてくれましたけど」
「……あの無限ループを素直と言うか」


 まさかクッキーに釣られたと言うわけにもいかず、シャマルがしつこかったと言うレジアス。

 その言葉に、にやりと笑うだけで済ますシャマル。それは、暗に貸し一だと言っているようなもの。レジアスの頬がひくつくが、シャマルの顔は涼やかだった。

 テーブルの上に広げられたハンカチーフに乗せられている色取り取りのクッキー。これくらいのお菓子作りが出来た方がいいのだろうかと秘書は思った。


「そういえば、シャアさん」
「何ですか?」


 秘書の言葉に振り向くシャマル。口の端にくっついているクッキーの欠片がバカっぽさと無防備さを感じさせ、男どもの気を惹くことに彼女は気付いていない。

 むしろ、気付いていたら人間として最悪と呼ばれる部類に分類されると思われる。それほどの色気を彼女は放っていた。

 しかし、同性を魅了してどうしようというのだろうか。はっきり言って、意味がないと言うしかない。

 そこで秘書は噂の真実に気付く。すなわち、清掃員はみんな百合だという噂である。

 まさか、こやつが発生源か。戦慄する秘書。けれどもそんなことを聞くのが目的ではないので無視することにした。

 自分に関わらない所で、噂には長生きして欲しいものである。堅物秘書もまた女性、噂話は大好きです。


「聞いた話だと格闘技の訓練を受けているそうですが、補助魔導師の貴女に必要なのでしょうか?」
「補助魔導師だからです。近寄られた時点で終わるような魔導師が、戦場の真っ只中で補助専門なんて名乗れませんよ。あとは……体力作りが理由ですかね」


 はぁと呟く秘書さん。戦闘家のことなんてこれっぽっちも知らないので、補助は後ろで見ているだけという印象があるらしい。

 まあ、間違ってはいないのだが、シャマルはヴォルケンリッターという少数精鋭グループの一員なので、格闘が行えるに越したことがない。

 実際、武器を使わない戦闘ならば、シャマルはザフィーラ、シグナム、ヴィータともやりあえないでもない。

 ただ、運動神経が微妙なので、戦っている最中にバランスが崩れてやられることが多い。だからこそ後ろにいるのだ。

 だが、別の人間の運動神経を取り込んだ今のシャマルならば、格闘が行えるかもしれない。というわけで、久しぶりに格闘訓練をしているのである。


「ほかにも、鈍器の扱い方とかの訓練も受けてますよ。前いた部隊では、手斧とか支給されましたし。使える武装は多いに超したことありませんから」
「……武器がたくさん使えても、習熟しにくくなるだけなのでは?」
「補助魔導師ですから、自分から出張る必要はないんです。近づいて来た相手を追い払い、救助が到着するまでの時間を稼げればそれでいいんです」
「他人に頼ると?」
「それがチームワークです。……支援がない状況っていうのは想像したくないですよね」


 シャマルの言葉にふむふむと頷いている秘書。あまり戦いには興味のなさそうなくせに、気になる情報はすぐに仕入れなければ気がすまない性格らしい。

 ちょうど、レジアスが満足したように唸った。お菓子や紅茶もかなり減っている。さきほどまでなかった余裕が、復活しているように感じられる。


「……よし、仕事を始めよう」
「では、この書類を」


 何事もなかったかのように交わされる秘書とレジアスの会話。もうそろそろ私もお邪魔虫みたいですし、退室しますか。

 引き締まった場違いな空気から逃げ出すため、シャマルは部屋から抜け出した。





 その頃、時空管理局本部にて、ギル・グレアムがリーゼ姉妹から補助魔導師『赤い彗星』の話を聞いた。

 何処かで聞いたことのある能力を持った女性らしいと猫は言う。彼女の身元保証人はレジアス・ゲイツ。

 シャアの登録ランクはAAA-。はっきり言って、海に欲しい人材だ。だがそれよりも気になるのは、どこかで見たことがあるその能力だった。

 けれども、グレアムには人事権はない。しかし、存在が気になる。人材として欲しいというわけではなく、この嫌な予感が何なのかを確かめるために手元に置いておきたい。

 グレアムは、同期に連絡すると、地上本部所属の嘱託魔導師シャア・アズナブルを本局に引き抜くように頼んだ。

 数日後の連絡で、レジアスからの抵抗が思いのほか強く、一年しか借りることが出来ないということを聞いた。別に、それでも良い。

 シャア・アズナブルが本局にいる間に、何者なのかを確かめる。

 それから少ししてシャマルはレジアスに呼ばれ、本局への出向を命じられた。これによりたった数人の人間が広めた『管理局の赤い彗星』の名前は、ほんの一年程度の間だけだが、管理世界中に轟くことになる。






――後書き
Q シャマルを美人に、良い人に書きすぎだと思いま~す。
A 美女美少女ならば何でも許されるのがssですから、そっちの方が都合よし。
つーか、俺のナンバーワンをバカにするな!
……おかしいな? 俺は生粋のロリキャラ好きだったはず……。ヴィータとかなのはとかはやてとか。

釈迦の話は、内容に関わる意味はありません。だから深く調べてもいません。
ただし、シャカとカタカナにすると全く意味のない警告が見えてきます。ヒントはこの作品の中で出てきた『シャ』が付く単語三つ、あいうえお順、そして縦読みと関西弁。開かないわけではありません。




[3946] シャア丸さんの冒険 六話
Name: 田中白◆d6b13d0c ID:d0504f35
Date: 2008/10/26 11:37
――お、とこ、のこ? つうかシャア丸だろ!
――じゃあ誰だと思ったんですか!
――いや、ありえんだろ。
――知らぬわ下郎ども。







新暦64年夏。

 保母だ、保母になるんだ。と叫び続けてすでにこの世界に出てから10年経ちました。最近は、めっきり子供の面倒を見なくなってしまいました。

 まあ、それは当然のこと。私自身が子供のいる場所に出ていないのですから。

 ……そろそろ、行きましょうか。マスターの所に。

 そう。私が夢に見続けている、優しいマスター、八神はやての所に……。……本当にいるのか、未だに半信半疑だったりしますけどね。

 いるといいですよね。凄くいいです。早く地球に向かいましょう。


「って簡単に言えたらラクチンなんですが……」


 空に輝く綺麗な真円の月。辺りに生える巨大な木々、ゴツゴツとして荒れた地面。暗闇の森中を、私は大きな卵を抱えながら走っています。

 抱えるというより、持ち上げると言ったほうが正しいかもしれません。

 卵を持っている私を後ろから追いかけてくる、五メートル以上の大きさはありそうな巨大鳥。その顔は獣だということを抜きにして、とても必死です。

 これから生まれる自分の血筋を奪い去る。やっぱり人さま……鳥さまの卵は勝手に盗るもんじゃないですね。

 でも、一メートルを超える卵を見ると、無性に調理したくなってしまって……。料理人ですからね、しょうがありません。ポジティブに行くのが人生です。

 追われながら、左手に嵌められているクラールヴィントの中に入っているモーニングスターをちらりと見ます。

 改造された結果、全長二メートルを超えてしまった巨大なモーニングスター。もちろん重さもかなりの物。スイッチ一つで鉄球を発射することだってできます。

 新しい機能を付与されたクラールヴィントに収納できる、持ち運び易い強力な武器です。

 見た目だけで言うなら、全体に鉄板を貼り付けた狼牙棒です。蒺藜骨朶でもよし。この武器の破壊力は凄まじく、たかが巨大鳥程度ならば簡単に一蹴できます。

 私も生きるためには食べなくてはいけない。卵だけでなく、あなたも私の食料と化しますか?

 前回学んだ弱肉強食の理念、実行させていただきます。

 雄叫びをあげる巨大鳥。私目掛けて大きく口を広げています。

 クラールヴィントからモーニングスターを取り出すと、巨大鳥に先端を向けます。響く唸り声を聞きながら、手元にあるボタンをスイッチ。

 ドルルルル。ゼルダの伝説に出てくる道具である、フックショットを放ったような音がして、モーニングスターの先端の鉄球が飛び出します。鉄球と棒を繋いでいるのは、鈍く輝く一筋の鎖。

 ズゴ。かなり痛そうな音がしました。顔面に鉄球の直撃を受けた鳥が、空から落ちてきます。頭から地面にぶつかって動かなくなる鳥さん。……南無。

 伸びきった鉄球を戻すために、もう一度スイッチを押します。鉄球に繋がっている鎖が巻き取られ、ガシャンと金属音をたて鉄球が元の位置に戻りました。

 使い始めて六年になるモーニングスター。最初はただの棍棒。次は不思議な金属棒。でも、いくら使って愛着が湧いても、どうしても思ってしまうことがあります。

――トマホークが使いたい。

 いえ、冗談ですけどね。……でも、たまには斧を使いたくなる日があると思いませんか?

 斧といえばトマホーク。トマホークといえばザク。ザクといえばシャア。シャアといえば赤。

 そこまで考えたところで、自分の姿を見ます。目に栄える赤、赤、赤。このシャアスタイルも、もう私の中では普段着と同じになっています。

 はやてちゃんの指揮下に入ったとしても、騎士甲冑はこれがいいです。ノーと言える保母になりたい。自分の趣味を貫き通したいです。

 自分の意思を再確認すると、これから食べる鳥を前に一度黙祷。祈りを捧げます。

 命を奪ったから食べるのではなく、食べるために命を奪ったのです。それなりに感謝を捧げなくては。

 全身の骨にヒビが入っているらしく、痛そうにもがき始めた鳥を前にしてクラールヴィントを突き出します。

 作っている最中の即死呪文を試しても良いですが、ついでですから闇の書のページをストックです。

 闇の書は、旅する魔道書。

 全666のページを埋めることで完成する、魔法を記録する本。

 というのは表向きの姿で、実際は夜天の魔道書という複数の魔導師の魔法と技術を記録する資料だったそうです。

 だけど、今は壊れています。シャマルの中にシャア丸が入ってきたのは、そんなイレギュラーが理由だと検討をつけています。……なんだか違う気もしますが。

 闇の書の完成は手伝った方が原作どおりの展開になるんです。ならば、自分の意思でページを集めておくほうがマシです。

 弱い私は、物語の力を借りて御都合主義を再現するしかないんです。

 最近は、本当に原作どおりに物事が進むのか疑問になってきましたけど。……ま、きっとなのはちゃんとかフェイトちゃんとかが力を貸してくれますよね? 本当に御都合主義な考えですけど。いるかどうかすら不明なのに。

 より良い結果を出せる方法があるのならば、そっちに乗り換えますけど。

 そんなことを考えながら、限界まで、命がなくなるまで鳥からリンカーコアを抜き取り続けます。

 ページはクラールヴィントにストック。そろそろページは80にまで届きそう。クラールヴィントに溜めておけるのはコレが限界です。

 無理して長時間留めているので、そんなにたくさんはストックできません。クラールヴィントは最大なら150ページ分くらいは入るのに。

 しばらくして、鳥の生命活動が静かに停止しました。名前も知らない鳥さん。おいしく頂かせていただきます。

 カバンの中からナイフを取り出して、鳥の血を抜きながら考えます。どうにかして、リンカーコアをもっとたくさん保存できる方法はないでしょうか?

 なんとなく、モーニングスターが目に入りました。頭の中で電球に明かりが灯りました。

 ……それは置いておいて、とりあえず大量の保存食ゲットチャンスの当来です。

 火を絶やさないようにして、この世界で何日かかけて燻製を作りながら野営しましょう。

 戦利品である卵に穴を開けて中から大量の黄身と白味を確認すると、私はカバンに入れているフライパンを火で温めながら、まだ味わったことのない卵の味に思いを馳せるのでした……。




シャア丸さんの冒険
第六話「帰還の時」




 こんな長い時間をかけて、どうして私が未だ地球に行っていないのか。それにはとても深い訳があります。

 なんと。地球が、第97管理外世界がある場所がわからないのです。

 クラールヴィントの探知でも未だ場所を絞り込めず、仕方なくそれっぽい反応がある場所をウロウロと動き回っています。

 途中で出会って倒したり怪我させたりしてしまって、動けなくなった生物からは迷わずリンカーコアを抜き取ってから治しています。

 そんな風に自分が生き残るために必死な私ですが、そろそろ人肌も恋しくなってくる頃。

 どこかに人型の生物はいないのでしょうか……。

 97管理外世界にいければそれが一番なのに……。

 そうやって迷いながら、私は時間を潰しながら世界をまわっているのでした。




新暦65初春。

 うん。全然発見できません。……いまさらシャンの村に顔は出せませんし、だからってそれ以外に行くべき所があるわけでもなし。

 うーん、これは大変です。人生は失敗の連続と理不尽な出来事で成り立っていますが、いつも流されていた私では到底抜け出すことはできません。

 クラールヴィントに、もう一度地球の場所の特定を頼みます。

 ですが、またしても失敗。全く持って反応しないクラールヴィント。

 精神集中が失敗しているとかいうわけではなくて、想像力の欠如が正しいようです。

 どうやら、あまり深く地球の光景が思い出せないみたいなんです。

 ある程度近くにいるのならともかく、結構な距離が開いていると探索が失敗するとか。

 どうして地球の光景が想像できないんでしょう? やっぱり十一年は長かった? 探索できない理由に心当たりはありますので、使えないなら仕方ないと諦めます。

 やっぱり『転移』を繰り返して場所を探すしかありません。


「さて、今日のノルマは十回です」
『Sitz in dort』(頑張ってください)


 管理外世界を狙って空間転移を行います。

 ヘタな鉄砲数うちゃ当たるを実践してのこと。索敵で探せないのならば、直接自らの足で立てばいいと考えた結果です。

 ノルマが十回なのは、それ以上使うと戦闘にまわせる魔力が少なくなるから。何度も転移して魔力が尽きた所を魔導師や危険な生物に襲われでもしたら、すぐにお陀仏です。

 この意味のない転移行動……日課に、クラールヴィントは何も言ってきません。アームドデバイスは、生活への助言は行わない戦闘のためのデバイスです。ただ私の命令を聞き遂げるだけです。

 それでも最近はずっと一緒にいるんですから、何をしているのかくらい聞いてくれてもいいのに……。や、聞かれても微妙に返答に困りますが。

 転移後の安全を図るため、防壁と瞬間転移の魔法を組み上げてから、転移開始。

 一回、酸素が薄い。
 二回、温度が高い。
 三回、虹色の光景。
 四回、人が小さい。
 五回、星が小さい。
 六回、砂漠、人の気配なし。
 七回、魔力素が豊富すぎる。
 八回、全域荒野……。

 連続で行った八回の転移。一回一回一応世界の質を調査していますが、地球のような気候の世界はなかなかありません。

 地球ではありえない形の生物がいるので、地球とそれ以外の世界の見分け方は簡単です。


「はぁ。今日もダメですかね……」


 九回目。

 次に出たのは森の中。さっきまで何度も転移していた他の世界と違って気候も穏やかで、地球じゃないと断定できる要素がありません。

 このランダム転移をするようになってから早一ヶ月。移動した世界は300を越えます。……もうそろそろ引っ掛かってくれてもいいじゃないですか。

 転移して出てきた森の中を抜けると、そこには十メートルを超える大きさの一つ目巨大生物が……。はい、ここは地球じゃないです。

 私の姿を見つけたらしく、涎を撒き散らしながら走ってくる巨大生物。

 ……準備しておいた転移魔法を発動、瞬間転移。

 最後に見た光景はたくさんの緑で、不思議と未だ見ぬ地球と被って見えました。



 そして、十回目。

 辿り着いたのは、またしても森の中。こうやって期待を煽るのは本当に止めて欲しいです。

 地球は森があるイメージが強いんですよね。それは、私が住んでいたのが日本だったからでしょうけれども。

 クラールヴィントの機能を使ってこの世界の気質を調べてみると、ここの気温は十度未満であることが判明。少し寒いですが、人間生物が充分生息できる世界です。

 使える魔力はマージンを取ってこれが最後。魔力を取っておく必要があるので、今日はこの世界で野宿です。

 一歩踏み出すと、足元に広がっている茶色の土はしっとりと濡れていました。雨か雪かが降った後のようです。

 別に濡れている地面でも眠れるのでかまわないんですが、女の人が濡れながら眠るのってシュールですよね。

 それに、この世界の住民に見つかったときに言い訳もしにくい。つまり、あまり怪しまれない場所で休息を取る必要があるのです。

 洞窟や木の上。いくつか候補を考えます。しかし、やはり欲しいのが人の温もり。自分の女々しさに辟易しながら、クラールヴィントに問い掛けます。


「ここらへん、人里とかないでしょうか?」
『Es gibt eine Person』(近くに人の気配があります)
「本当ですか? だったらちょっと、話をつけて泊めてもらいましょうか?」


 ……クラールヴィントがいるだけで、旅はとてもしやすくなります。デバイスというのは、得てしてそういう物。話し相手がいるというだけで、心が楽になるんです。

 近くにいる人とやらに、早速あいさつでもしてきましょうか? 危険人物なのかもしれないので、警戒は必須ですけど。

 歩き出そうとして、鎧がカチャリと音をたてました。……んー。この世界の人は、一体どんな文化の人なんでしょうか。

 戦闘者が多いのか、それとも文化人が多いのか。

 住んでいる人によっては、赤鎧は不味いかもしれません。騎士甲冑を解除します。ふっと体が軽くなり、着ている衣服が黒いドレスに変わりました。

 前着ていた時の黒ドレスは、肩が出過ぎているのは私の目から見ると不自然だったので、新たに袖をつけておいて良かったです。

 そうして最低限の警戒しながら、木の葉を掻き分けながら山道歩いていると、遠くに人口の明かりが見えました。足を止めて、明かりの質を確認します。

 ボンヤリと淡く輝く少しばかり白めっぽい黄色の光。

 あれは火ではなく電灯の明かりですね。……科学技術が発達した世界みたいです。地球かもしれません。

 ……なんて、夢を見る必要もないですか。地球かもしれないと勘違いしたこと、結構ありますから。

 それでも、もう少し近づかなくてはここがどんな世界なのか分からない。私はまた歩みを再開しました。

 ガサゴソ。その時、近くの水に濡れた茂みが揺れました。生物の気配を察してとっさに身構えます。

 ……武装解除は失敗だったかもしれませんね。もしも危険な生物なら、少し不味いです。


「おんやぁ? こんなとこに、なして外人さんの女子がおるんべな?」


 しかし、出てきたのはただのおばあちゃんでした。腰が少し曲っていて、できるだけ歩き易いように曲った所に手を押し当てています。

 最初に目が行くのは、灰色がかった白髪です。皺だらけです。日本人が想像する、田舎のおばあちゃんそのものです。頭には、白い布を巻いていました。

 ですが私が一番驚いたのは、私の耳に聞こえたその人の話す言語でした。

 私が今までミッドチルダで聞いていた言葉は、わざわざ魔法を使い、翻訳して当て嵌めていた日本語です。

 ところがこの人は、私が翻訳せずとも日本語を話しています。つまり、混じりっ気なしの日本語です。

 金髪の女性を見て外人さんと言ったので、ここが海外である可能性はほとんどゼロ。……そして、この人は日本人……ですね。

 それは、十一年ぶりに聞いた日本語でした。何やら哀愁が込み上げてきます。

 一応、確認します。もしかすると、日本語のような言葉を使っている世界の人かもしれませんから。


「……ここは、何処ですか?」
「日本だよ。……や、冗談だやな。東北地方のとある県ってとこじゃ」
「そう、ですか」


 ……どうやら本当に日本のようです。それも、田舎。そう言われると、なんとも古めかしい空気を辺りから感じます。

 田舎の方に住んでいる私のおじいちゃんおばあちゃんは、確かこんな人でした。

 方言が滅茶苦茶ですが、あんまり気にしません。きっと家族にいろんな方言を使う人がいて混ざっていのでしょう。


「どうしてあんたみてーな別嬪さんがここな村に?」
「か、観光です。あてを付けないで、ちょっと旅をしているんです」
「ほーほー。旅とは、このご時世に珍しい……」
「いえ、ちょっとした興味ですから」


 ……べっぴんさんときましたか。そんな言葉は久方ぶりに聞きました。それに、方言という単語その物が懐かしく思えます。本当に、懐かしい。

 おばあさんは目を細めると、私の全身を見ています。怪しいか怪しくないか、いろいろと確認しているのでしょうか?


「にしても、日本語うめーなー? 日本生まれだべか?」
「あ、私は……」
「オラはキクだや」


 すぐさま自己紹介に移るおばあさん。……名乗られたのなら、こちらも名前を名乗らなければなりません。

 シャア・アズナブルと名乗りそうになって、どうにか推し留めます。シャアでもなく、クワトロでもない、この私の名前を……。本当の名前を、名乗らなければなりません。

 しかし、名字を名乗らないというのも礼儀に反します。なら、私の未来の家族になるであろう人の名字を……。


「キクさん、ですか。……私は、シャマルです。……『八神シャマル』」
「八神さんか。あてないんじゃろ? 泊まってかんか?」
「あ、ありがとうございます」


 屈託のない笑みに誘われて、私はキクさんの後に付いて行きました。それにしても、キクという名前の人が未だに生きているんですか。そんな古風な名前の人には初めて会いました。

 案内されたのは、人口100人にも満たない小さな集落程度の村。

 そこで、キクさんの夫であるおじいさんと知り合いました。

 それらしい荷物を持っていない私を家出した女性と見たのか、二人はしばらく家で老い先短い老人たちの手伝いとかしてくれんかね。と誘ってくれました。

 人のいい二人の熟年夫婦の提案を、快く承諾します。

 どうせ、六月のはやてちゃんの誕生日まで暇ですし。あまり早く行くと、『無印なのは』とかち合ってしまいますから。

 別にかち合っても構わないんですが、そこで誰かと会ってしまうと色々予測がつかなくなります。

 出会ったところから、何がどういう風に変質していくか。そんなもの分かったものではないです。

 ヘタすると、海鳴市に大量の武装局員が入り込む可能性すら出てきます。

 ……それに、久しぶりに方言地域を堪能したいのもありますしね。



 次の日、老人のお二人より早く起きてご飯の準備をします。

 食べ易いように細かく切った材料で、和食料理を作ります。

 ここ数年はミッドチルダの料理ばっかり作っていたので、和食の腕が心配だったのですが、どうやらまだ大丈夫そうです。

 それから一時間。

 お二人はかなり早めに起き出してきました。しかし、それよりも早く起きていた私に驚き、さらに私が作った料理に驚いています。

 どうやら、初対面の私にご馳走したかったようです。うふふ。その役目は私が頂きました。

 料理を口にして私の努力の影を見抜いたのか、キクさんがここの地方で伝わる食材の調理法をいくつか教えてくれました。

 キクさんが、後で自分の料理を作ってくれましたが、どうにも経験の差は埋め難い。キクさんの料理に私の料理は敵いませんでした。……不覚。

 ほかにもお掃除とかお洗濯とか手伝っていると、お前さんはいいお嫁さんになるだ、と言われました。

 ちょっとだけ嬉しかったのですが、同時に微妙な気分です。

 私は保母。つまり、お嫁さんのお子さんを預かる仕事につきたいのですが。

 というより私という種族は、人間との間に子供を作ることが出来るのでしょうか?

 そこがちょっとだけ疑問です。曖昧に笑う私の反応を不思議に思ったのか、キクさんが首を傾げます。私は何でもないと首を振りました。




 それから何日か経ちました。そもそも、あんまり人は多くないこの集落。噂が広まるのはとても早い。

 キクさんの家に孫らしき若い女性が来たと知って、近くのお爺さん方が集まってきました。

 戦争の時とかの昔話を話しながら、隙をついてお尻とかを触るセクハラ爺さんがいましたが、保母を目指す私にはそのような攻撃は通用しません。

 綺麗な笑顔を返してあげると、罪悪感に駆られたのか止めてくれました。

 そうしてここで暮らしているうちに、早くも一ヶ月が経ちました。

 効率よく畑を耕す方法を聞かされたりとか、近くの子供とかの面倒を見たりしていると、ある日お爺さんにこんなことを聞かれました。


「家の孫の嫁にならんかね? 今ならワシらもついてくるぞ?」
「却下します」


 おじいさんはションボリとしました。キクさんがあっはっはと笑いました。

 次の日、私は同じ村の子供たちに連れられて、秘密の場所とやらに向かいました。

 子供たちの行動範囲は案外広く、いける範囲にある神社やらダムやらの場所を説明されました。

 起き出した時刻はとても早く、少しだけ眠気を感じます。元気いっぱいで走っていく子供たちの後を追いかけ、私はその場所を知りました。

 朝日。案内されたのは、一つの湖。その大きな水面から、朝日が昇っていました。

 キラキラと光る太陽を、子供たちと一緒に眺めます。完全に昇りきるまでの数分を、私はしっかりと堪能しました。

 それから私の行動の中に、湖から見える朝日を見る。というものが追加されました。




 月はそろそろ三月を迎え、雪も少なくなってきました。
 それでも、ときおり思い出したかのように、チラホラと雪が舞っています。


「おみゃーさんなら、畑も任せられるし、子供も安全だし、なにより別嬪だし。これで孫の嫁になってくれれば言うことないんじゃがね」
「行ってきます」

 この人の方言、やっぱりおかしいです。私といて、変な標準語が移っていませんか?

 済ませて貰っている家から出て、固まっている村から出て、山を降りて、少し道路沿いに進みます。たくさんの車が通る県道を抜けると、いつもの湖に付きました。

 あの村の子供たちに紹介されてからというもの、何度も通っているこの湖。昔遊んだこともあるので、ここから見える景色はとても気にいっています。

昇る朝日を眺めながら、ちょっとだけ溜息をつきます。

 そろそろ、この世界が本当にリリカルなのはなら、リリカルなのは『無印』が始まるころ。

 本当に、これで良かったのでしょうか。介入しないで良かったのでしょうか。無印を無視して、本当に良かったのでしょうか。

 そこに散る命がある。確実に失われる一つの命がある。

 それを助けようと考えない私はいけないのでしょうか?

 介入した所で、助けられないのがわかっています。実力が足りないのは、わかっています。

 そもそも後方要員である私は、誰かを手伝うことはできても、助けることはできません。

 ……ダメです。先を分かっているからとはいえ、干渉してはいけないんです。私が介入すると、きっと話が混乱してしまう。この先に何か決定的な障害が起こってしまう。そんな予感がするんです。

 それでも、私が強かったら。または強い仲間がいれば。

 シグナムやヴィータちゃんやザフィーラの顔が脳裏を過ぎっていきます。

 ベルカの騎士の力、借りられないんでしょうか?

 ……無理です。遅すぎます。ベルカの騎士が現れるのは、はやてちゃんの身体が出来上がってくる誕生日なんですから。それでは、もう終わった後の出来事なんです。

 そして、はやてちゃんに迷惑はかけられない。これが思考の根底にあります。

 無視するのが、きっと一番なんです。

 遠くに浮かぶ朝焼けを見ながら、心の中で涙を流しつつ私は『見捨てる』という悲しい決意を固めました。




 それから、数週間もの間、私はずっとこの村の中にいました。

 都会の方にあるとある町。海鳴市の近くで大規模な嵐が起こったと、風の噂で聞きました。

 きっと、ジュエルシード事件は終わりへと向かい始めたのでしょう。

 だけど、悲しかった。五月が終わった時、私は泣きました。

 本当に、何もできなかった。何かをしようと考えることができなかった。未来の記憶があると言っても根性がないのなら、全く意味がないじゃないですか……。

 死人は、プレシア・テスタロッサただ一人。でも……助けられなかった。あの人、母親なんですよ、お母さんなんですよ? まだ先があるのに……私は。

 胸の内にある変なもやもや。その不思議なもやもや感は数日の後に消え、やる気が出てきました。




 六月という月が始まりました。指折り数えていた日めくりカレンダーを一枚千切ります。はやてちゃんの誕生日まで、後二日です。

 今日、この家をでましょう。家を出て、行きましょう。海鳴市中丘町へ。

 私はおじいさんとおばあさんに、今まで泊めてくれたお礼を言いました。


「今まで、ありがとうございした。本当にお世話になりました」
「ほうか。行くんかい」
「またごさってええよ。んで、ええ返事聞かへてくれや」
「はい。今度は家族を連れて、また来ます。いい返事は聞かせません」
「……」
「今度は家族を連れて来るんか。楽しみにしてるよ」


 寂しそうに笑うおじいさん。

 嬉しそうに笑うおばあさん。

 その二人に手を振って歩き出します。

 どうしてこの二人に出会ったのか。結局私は分かりませんでした。

 もしかすると何か意味があったのかもしれませんが、私はその意味を知れませんでした。

 最後に、もう一度あのいなわ……湖に行きます。ちょうど上り始める真っ赤な太陽。

 朝焼けを眺めながら、今度こそ心に決めます。

 無印には私の気合が足りなくて潜り込めませんでした。……私の介入があったとはいえ、きっと本筋とほとんど変わらずに終わったことでしょう。

 けれど、A’sは。A’sこそ、幸せに終わりたい。むしろ原作よりも、もっと幸せに。

 何が出来るのか。何を知ることになるのかもわからないまま、私は海鳴市へ歩き出しました。

 例え道を間違えても、絶対に先へ進んで見せる。どこかに辿り着いてみせる。何度も何度も決心を固めます。

 この先、私のような、道違えた者の叫びはどこに届くのでしょうか?




――あとがき
Q なぁ?
A 聞くな。言うな。

とりあえず、これで一章が終わりました。ワードで総計文字数を調べると、約23万7000文字。ライトノベル一冊ちょいですね。俺のバーカ、バーカ。

一章最後の話が短いし、全く変化がないのは……実はプロットの構成ミスだったりしますが、気にしないで下さい。今回投稿した話は、すべてそんな微妙さを誇ってます。
なんと、このミスが後で生きるのです。……あまり意味のない生き方ですが。



[3946] シャア丸さんの冒険 七話
Name: 田中白◆d6b13d0c ID:d0504f35
Date: 2008/11/30 20:58
――ここの意義は消えた。ここにこれがあるのはおかしい。……では、最後に聞こう。……彼女は男?





 匂いを嗅げるわけではないが、見た限りでは潮の香りが濃かった。小さな防波堤が続く、大きめな海辺の街。

 そこはたくさんの人が普通の生活を送る平凡な街。

 先日、ここで大きな戦いがあった。

 一つ二つでは済まない数の世界が滅んでもおかしくはなく、数千数万数億の人が死んでもおかしくない大きな大きな戦いだった。

 それでも戦いは終わりを迎えた。さしたる被害もなく、ただ一人を除いて死人もなく。

 それは一つの奇跡。誰一人として考えなかった、平和な最後。

 だけど、たった一つの取りこぼしがあった。一つだけの取りこぼしに涙を流す者は確かにいた。

 同じく母を志す者として、純粋に娘を愛し続けた『母親』の死に、彼は涙を流さずにはいられなかった。

 つい先日、この街で終わったばかりの一つの事件。通称PT事件。死人は、犯人であるプレシア・テスタロッサ一人だけ。

 かつてアニメを見終った後、彼は泣き続けていた。死んだ娘の面影を追い続け、ただただ自分の娘を愛し続けた至高の人。

 PT事件は、彼女が自分の娘を取り戻すためだけの物語だった。

 クローンを作ったり、ロストロギアを集めて世界を揺らしたり。

 確かに、自分が生み出した命を蔑ろにするのは悪かったかもしれない。

 けれど、娘に傾倒するその愛を彼女は認めていた。見習いたいと信仰していた。

 生まれた子供に前の子供の細かい癖を押しつける親なんて、世界を探せばいくらでもいる。

 むしろ世界は一層残酷で、プレシアを超える惨忍さを持つ人はいくらでもいる。

 彼女は別に悪い人ではない。ただの行き過ぎた教育ママだったのだ。DVとも言う。

 クローンを作ったのが悪い? 非人道? それがなんだ。作った人がいるのなら、その人が親だ。誰がなんと言おうが親に過ぎない。一つの親子に過ぎない。

 非人道という言葉を振りかざすな。人は人だ。全てを受け入れろ。

 ……一番初めに生まれた子供は、二番目三番目の子供の育て方にも大きな影響を及ぼす。それが普通だ。

 子供が死んだのならば、あの人のように何時までも子を愛し続けようと考えるほどに彼はプレシアに憧れていた。

 ……とはいえ、見捨てたのは確かなのだが。


「……考えれば考えるほど不憫な人です」


 グス、グス。鼻をすすりながら海を眺めている一人の女性がいた。まだまだ夏と呼ぶには早い気候。なのに、半袖。少しだけ季節外れのような気がしないでもない。

 白い肌や金色の髪と相まって、真っ黒な服がよく栄えた。一度空を仰ぎ、太陽に目の中の雫を反射させる。

 『西暦2005年6月3日』海鳴市藤見町。

 先日までは湖を見ていた彼女だが、今日は海を眺めていた。

 ここまで来るまでに、電車の中でご老人に席を譲ること数度。彼女は、とうとう目的の場所に辿り着いたのだ。


「何時までも泣いてなんていられません。……行きましょう」


 防波堤の上からゆっくりと立ち上がると、一端道路に飛び降りてから彼女は歩き始めた。目指すは今回のマスターであるところの八神はやての家。

 海鳴があることを知った時点で、彼女の中でこの世界になのはやマスターがいる確率はグンと跳ね上がった。

 まずは、八神家を見つける。その後、他のヴォルケンリッターと一緒に出現したように見せかける。そこに理由や計画性はあるのかないのか。

 始めの交差点まで辿り着いて、ハタと足を止める。冷や汗のようなものも出ている。格好付けておいて難だが、まだ知らないことがあった。


「あー……。はやてちゃんの家って何処でしょうか?」


 なんとも締まらなかった。

 彼女はポケットをちゃりちゃりと漁った。探索して見つけ出した日本の硬貨が残り何枚か。釣り銭を自販機に残しっぱなしにするのは非常に勿体ないと思う。塵も積もれば山となる。その実践だった。

 入手した金の大半はここに来るまでに使ってしまったので、残りはもう少ない。それでも、交通機関を数回利用できる程度の金はある。

 彼女は周囲を見渡してから人目に付かない所に隠れると、起動したクラールヴィントを使って幾つかの場所を捜索し始めた。

 何故隠れるかと問われれば、指輪から伸びるペンダントを持ち上げてダウジングしている人なんて、ここの常識から見たらただの痛い人にしか見えないからと答えてくれるだろう。

 それから数分もしないうちに、表情を暗くして出てきた。目的の場所は見つからなかったらしい。

 だが、彼女の歩みは止まらない。どうやら、優先度は低いものの指針となる場所を見つけたようだった。

 さて、私は一足先に意識を戻して彼女の到着を待っていよう。




 喫茶『翠屋』。

 後に私たちの宿敵になるであろう、なのはちゃんの本拠地というか自宅です。

 高町なのはは、魔法少女リリカルなのはの主人公。魔王だとか冥王だとか、色々な呼ばれ方をして大人気な女の子です。

 説明になっていませんけど、それだけでわかりますよね? ……少し流行ったからって、どうして寄ってたかって女の子をネタキャラにするんでしょうね……。

 カランコロン。店の扉を開けると、響きの良い綺麗な鈴の音が聞こえました。


「いらっしゃいませー」


 気持ちの良い挨拶で迎えてくれたのは、なかなか人当たりの良さそうな男の人でした。

 多分、高町士郎さん? 記憶が曖昧なので名前を間違えているかも……。リリカルなのはの原作の原作であるという、とらいあんぐるハート(ドキドキ三角関係)。その作品では既に故人だったらしいですが、こっちでは生きているようです。

 ……つまり、これは本当にリリカルなのはであると考えていいということでしょうか?

 私が店に入った時間帯はちょうどお菓子タイムだったみたいで、店の中は女の子でいっぱいでした。

 みんな綺麗なお洋服や近所の学校の物であろう真っ白な制服を着ているので、私の地味な黒い服は少しだけ浮いてしまっています。

 おかしく見えない程度に服の見た目を修正しているので白い目で見られたりはしませんが、なんだか目立っているようです。

 女の子たちの噂話のような話が聞こえてきますが、深いところまでは聞き取れません。

 さて。目的の前に、少しだけ腹ごしらえでもしましょうかね。


「このケーキを一つお願いします。それとコーヒーをブラックで」


 代金を支払ってから品物を受け取ると、カウンター席に座ります。ちょうど席が一つ空いていて良かった。誰かと相席しても、相手が気まずいだけだと思いますから。

 パクリ。ケーキを口に含みます。……久しぶりの甘いものなので、ちょっと嬉しいです。小さく笑みが零れました。

 口の中に広がる程よい甘みを堪能しながら、目立たないように店の中を見渡してみました。丁寧に配置された装飾品が目に付きます。

 店の中を見ていると、もちろん女の子たちに目が行くのは当然のこと。

 それにしても、ここにいる女の子たちの髪の毛は見事なほど色取り取りです。

 赤、青、緑。それどころか紫やらオレンジやら。やっぱり、この世界は髪の色がフリーダムです。髪を染める理由が全く見出せません。

 綺麗な髪の毛を持つ人たち。うぅん。なんだかここもヘブンかもしれませんね。至る所にヘブンがある私は幸せ者です。

 お花畑のように綺麗な光景を見ながら、ケーキをパクリ。もう一口。……おいしいです。やっぱり、本と独学ではどうしても限界がありますね。

 肥えた舌を持つお客様のクレームを長い間聞き続けたお店に勝つには、生半可の努力では足りません。

 ちょっとここのケーキの作り方でも聞きましょうか……? ……教えてくれないと思いますけど。

 そんなことを考えながらケーキを見ていると、ふとあることに思い当たります。

 もしかすると、あの歳で料理が上手らしいはやてちゃんは、誰かに料理を習っていたのかもしれません。えーと、ほら、あの主治医さんとか。

 習ったというなら、下手すると私に匹敵する料理の腕を持つ可能性が……。それは由々しき自体です。

 とかライバルフラグを立ててみたいところですが、所詮彼女は9歳児。私の料理歴は彼女の年齢以上です。それで負けていたら長年の修行の意味がありません。

 あっちの私とこっちの私。総合すると、料理歴は二十年を超えてます。そこらの若手シェフなら真っ青です。

 これで腕が劣っていたら……チートってやつです。責任者を訴えます。

 ちょっとダークなオーラを噴出してしまう私。周囲でこそこそと私を見ていた女の子たちが、私から少しだけ距離を離しました。

 ……まあいいですけどね。私にとって、そんな光景は日常茶飯事でしたから

 身長180センチ後半の筋肉質な男の人が、一人でケーキショップに来てケーキ食べてたら絶対に引きますよね。

 前の私がそれでした。でもあれは甘いものが好きだったからではなく、ただの研究と視察が目的だったのですが。なのに、どうしてか高校の中で甘いものが好きという方程式が立ちましたね。

 私はあの頃から乙女っぽいと呼ばれ始めたんですよ。胆力のある女子生徒にお菓子作り手伝わされたりするようになりましたし。

 そのおかげで甘いもの作りの腕は上がりましたが……関係ありませんでしたね。

 考えごとをしている間に見事に完食。手をあわせて一礼します。ごちそうさまでした。甘露甘露。

 席から立ち上がると、一二度はたいてスカートの乱れを正します。

 視線を前に向けると、カウンターにいる士郎さんに声をかけます。


「海鳴大学病院って何処にありますか?」
「え? ……ああ、それはですね。少し遠いですが――」


 道を聞かれることは日常茶飯事なのか、快く病院へのルートを教えてくれる士郎さん。行きかたを頭の中に刻み込みます。

 きっと病院にまで近づけば、クラールヴィントの操作網にはやてちゃんの家も引っ掛かる筈です。

 希望を込めた八神家探索はさっき失敗。次は病院を探したんですけど発見できず。最後に調べたのが翠屋だったんです。それはどうにか成功しました。駅に近かったおかげか、翠屋は探知できました。

 地図を見れば良かったのだと、士郎さんに道を聞いた時点で気が付きました。今気付いたって、もう遅いです。

 ……とりあえず、道のりは覚えました。士郎さんにお礼を言ってからもう一度店の中をグルリ。……別にこの時点でならなのはちゃんと会っても問題はなさそうでしたが、どうやら今日はいないみたいですね。

 あまり意味はないですけど、ほんの少しだけ安心しました。


「ありがとうございましたー」


 士郎さん(記憶が正しければ)の声。ペコリと一礼。

 黒いドレスを翻して店を出ると、病院に向かって歩き出しました。お金はたいして残っていないので歩きなのです。

 ……私がこの世界に来ようとしていたことを知っているハズなので、そろそろグレアムさん家のネコさん二人も動き出すかもしれませんね。

 どうにか彼女たちへの対策でも考えたいところ。でも、良い案はそう簡単に浮かぶわけもなく。

 えーと……次の交差点を右ですね……。けっきょく私はクラールヴィントにコピーした海鳴市地図を見て歩いています。……何をしに行ったんでしょうか私は。

 道路を走っている大量の車に、不思議な懐かしさを感じました。





「……海鳴大学病院、ですか」


 病院の上には『海鳴大学病院』と大きく書かれた文字が置いてありました。

 私のように、始めて来る人にはとてもわかりやすい親切設計です。

 駐車場でダウンジングを行うわけにも行かないので、入り口の扉を開くと病院の中に入ります。

 そろそろ暑く感じてくる人も現れる六月の暖かさ。院内で冷房が使われ始めるのも近そうです。

 空調でも効いているのか病院の中は過ごし易い程度に調整されていて、歩いている内にできた小さな汗はすぐに消えました。

 少し進むと受付がありました。その前にある椅子に、病人や付き添いの人が座っています。ですが受付には特に用がありません。

 途中ですれ違う看護士さんたちに挨拶をしながら先を急ぎます。白衣の看護士さんの中では黒衣が目立つ事目立つ事。

 チリのない廊下を小走りで歩きながら屋上に向かいます。

 屋上ならば人目が少ないから目立たないだろうし、位置も高いから探知もしやすいでしょう。

 目に付いた上行きの階段を一段飛ばしで駆け上がります。ロングスカートでよかった。シグナムみたいな黒服だと絶対下着が見えます。色んな人の目の保養にされてしまいます。

 ……あ。病院内で目立つ格好をして特に用もなく歩いていると職質されるかも。

 まぁ、逃げればいいですし大丈夫でしょう。

 階段の天辺についたので、そこにあった扉を開いて屋上に立ちます。どうやら、屋上は解放されているようです。

 開いた直後に太陽の光が目に入ってきたので、つい目を細めました。

 サンサンと輝くお日様に照らされて、足元に広がるタイルが反射光を放ちました。ポカポカした陽気の中でシーツなどの洗濯物が揺れています。

 逆光の中、柵の前に一人の女性看護士さんがいるのを見つけました。

 これから探査をしますが……多分、一人なら見られても大丈夫でしょう。

 こそこそとその人に見つからないだろう位置にある遮蔽物の影に移動して、探知スキルを発動します。足元に浮かぶベルカの魔法陣。見られたら絶対警察に電話されてイエローピーポーが駆けつけます。それとも、今ここで入院ですか?

 探査を始めて結果が出るまで待つこと三分ちょっと。ゆらゆら揺れていたクラールヴィントが、一つの方角を刺します。

 目を凝らしてクラールヴィントの指し示す方角を調べ、目的地にある程度の検討をつけました。

 後は魔力の反応があったらその家に飛び込むだけです。または近所にある八神の表札を探してもいいですね。

 さて。それまでは数時間くらい待機ですね。地球の日本時間に設定したクラールヴィントの時計は今14時を指しています。後、十時間。

 それは、眠って待っていてもいいかもしれないほど長い時間ですね。

 耳についている丸いイヤリングをカチャカチャと弄ります。……うー。なんだか今から待ちきれません。

 逸る思いを抑えながら遮蔽物から出ると、休憩中だったらしい先程の看護士さんとばっちり目が合いました。

 ……とりあえず微笑みます。

 何故か、女性看護士さんが近づいてきました。

 ちょっとだけ不機嫌そう。さすがに病院の中で黒服は駄目でしたかね。不吉だったかもしれません。

 私の前に立った看護士さんが、私の目を見てきます。計らずして見つめあいになってしまいました。

 このままでは埒があかないと思ったのか、女性看護士さんの方から私に声をかけてきます。


「お見舞いですか?」
「いえ……」


 そこまで言ってから、少し考えます。まさかこんな目立つ服を着てただ来ただけというのは意味がわかりません。

 場合によっては通報ものの怪しさです。官憲のお世話になるつもりはさらさらないので、何か良い言い訳を考えなくては。

 マルチタスクを使用して、良さげな言葉を考えます。そして思い出したのが、突然あらわれた私たちを見て気絶するというはやてちゃんのことです。


「……下見、ですかね」
「……?」
「明日が誕生日の親戚の子をみんなで脅かそうと思っているんですけど、もしかするとその子が驚いた拍子に気絶してしまうかも……」
「何をするつもりですか、何を」


 咄嗟に私が言った言葉を聞いて、看護士さんが小さく笑いました。どうやらイライラしていたみたいです。

 周囲を一瞥してみます。私とこの看護士さん以外、誰もいません。

 海鳴大学病院にはしばらくお世話になるんですから、この病院に所属している人と話をして時間を潰してもいいかもしれませんね。

 どちらからともなく挨拶をします。


「私はシャマルです」
「石田です」


 石田さんが顔の向きを変えました。そこで、やっとその人の髪の色が目に入りました。少し色が薄い黒。この世界で黒髪とは珍しい。ほとんどの人にもっとたくさんの色がついているのに。

 名前は聞いたことがないような気がします。きっと原作キャラではないでしょう。

 彼女にはもう少し休憩時間があるようなので、少しだけ話しこむことにします。


「医者って、大変そうですよね」
「……ええ。毎日が大変です」


 聞いたところ、彼女は神経内科所属とのこと。

 私も生物の治療が得意なので、不思議とそっち方面に話が進んで行きます。

 治療魔法は人の身体の把握から始まるのです。それなくして超科学の産物である魔法は生まれません。

 人の身体の内側やトラウマの難しさについて、石田さんと話します。

 石田さんはもう三十の代に入っているそうなので、なかなか興味深いことを言ってくれます。つい、彼女の言葉に聞き入ってしまいました。

 そろそろ石田さんの休憩時間も終わりという頃、石田さんの顔がまた暗くなりました。彼女から小さな苛立ちを感じます。何かに憤っているようです。


「……外の人にこんなことを話して良いのかわからないのだけど。一人、とても難しい病気の子がいるの」


 どうやら私のことを信頼してしまったのか、ちょっと危ない話をする石田さん。

 病院内で起こっている悲しい話は遠慮したいのですが。個人のプライバシーの問題とか色々と触れますよ?

 そんな感じのお節介な気配を出しても、石田さんの話は止まりません。

 子供を愁い、病気を気にする。私から同じような空気を感じ取ったのでしょうか。私も同じ匂いを感じ取ったからこそ、話を続けていたんですし。


「その子は、足が悪いの。いつも笑っているけど、毎日をとても不安に過ごしている」
「……大変ですね。私の親戚もそんな子です。だから心配で様子を見に来ました」


 とりあえず相槌を打っておきます。あんまり露骨な表現があったらすぐに中止させましょう。

 私が話を聞いてくれると分かったからか、石田さんの口数が少しだけ増えました。

 ところで、人にさらっと嘘をつける私は一体なんなんでしょうか。やっぱり悪ですか?


「両親は死んで一人暮らし。お父様の友人と名乗る人が財産は管理してくれているようだけれど、まだ九歳。人肌が恋しいでしょうに……。とても、大人びているの」
「はぁ。そんな子もいるにはいるってことですね」


 ……まさか、はやてちゃんみたいな境遇の子がもう一人いたとは知りませんでした。

 世の中は不幸な子で満ち溢れています。やはり保母こそ世界の救世主です。

 私も早く保母にならなくては。せっかく私の夢の成就まで後一歩というところまで近づいているのですから。何時もの様に小さな決意を固めます。

 それからも続く、やけにはやてちゃんに似た女の子の境遇。どうやら石田さんはその女の子が初の担当だそうです。

 ヤバいところを除いて自分の悩みを語り終え、少しだけスッキリした様子の石田さん。

 ちらっと腕時計を見た後、心なし焦った顔になりました。時間が大変なことになっているようです。


「大変! もう休憩時間が……!?」
「早く行った方がいいですよ」
「そ、そうさせてもらいます」


 さようなら~。小さく声を響かせながら、石田さんは小走りで屋上から去っていきました。

 ……彼女には彼女の戦いがあります。私も私の戦いを始めなくてはいけません。

 太陽の日差しをずっと浴びていたせいか、少しだけめまいがしました。

 石田さんの後を追うように扉を開き、階段を降りて行きます。

 また彼女と話せるでしょうか? 次会う時のことを思って、口に小さな微笑みの形を作りました。




 時刻は17時。午後五時を向かえ、場所は海鳴市中丘町の住宅街の中心に移ります。

 カラスが帰ろうと鳴く中を、近所の小学生や中学生の子供たちが自分の家へと走っています。

 そんな夕闇の中を少し歩きまわって、目的の一戸建てを見つけました。

 家の正面でちょっと失礼。塀に書かれている文字を確認します。

 『八神』の表札を確認しました。家はそこまで大きいとは言えませんが、一人暮らしには広いですね。

 家の前で少し考え込みます。さて、どうしましょうか。まさか「これからお世話になります」とか挨拶する訳にもいきません。人が良いと噂のはやてちゃんも、さすがに呆れるでしょう。

 人が良くたって、見知らぬ他人を家に入れるわけありません。それくらい優しい女の子だと嬉しいですけどね。ちょっとしたイベントがあれば信用してくれるくらいの性格がちょうどいいです。

 ……ここで呼び鈴を押すのも芸がないので、時間を潰させていただきます。

 ここらへんの主婦の方に挨拶ですよ。この時刻は主婦の皆さんの行動時間です。健康に気を使う主婦の方々が準備をしてお散歩に向かう準備をします。本当は暗くなった深夜に行動する人の方が多いですけど。

 奥さまたちを相手取るには第一印象が重要です。黒服は不味いですけど、信頼を得るためには一分でも一秒でも早く会う方がいいのです。

 ……時間を取った方が良いか、見た目を取った方が良いか。世の中は常に二択を迫られています。

 すぐに主婦の方と仲良くなれれば嬉しいんですが……。はてさて。この住宅街にはいい人がいるでしょうか?

 どうして私がご近所付き合いを重視するのか。それは、主婦の皆さんと関われば色々な秘密がすぐに手に入るからです。

 この世にある危険情報は、全て主婦の口から漏れるのだと私は信仰しているのです。

 どうでもいいことを考えながらあまり見慣れない、初めての住宅街を歩きます。

 とある家のベランダで、強めの風を受けてパタパタと洗濯物が揺れています。……早く取り込みましょうよ。

 あの家は、ある程度年の高い子供はなく、お母さんはぐうたら。だいたいそんな予測を立てます。はたまた、とても忙しいのか。干し方である程度検討がつきます。

 家々のベランダや庭の様子から、ここらへんの家族の力関係を想像しながら歩いているのです。

 周辺味方勢力の把握は主婦の大事な仕事です。強盗が来た時に、どの家が助けを求めるのに都合がいいのか簡単にわかります。

 ……まあ、泥棒程度なら私でも追い出せますけど。むしろ、どんな家が強盗に襲われやすそうなのか調べているといった方が正しいかもしれません。


「こんにちは」


 いろいろと家を見ていると、後ろから声をかけられました。キョロキョロと辺りを見回している私に興味を持って話しかけたのでしょう。

 振り向くと、そこにいたのは一人の若々しい主婦……? でした。 手にはお買い物袋を提げています。夕ごはんの買い物の後みたいです。

 歳は二十代前半ぐらいに見えます。黒髪黒目のようですが、何かが違う。……また黒髪に近い色の方です。連続で黒髪に会うとは珍しい。

 この女性の髪の色は、黒というより群青色に近くて、目は濃い青です。

 エプロンをつけているので、きっと主婦で当たっているでしょう。見た目の年齢からすると、多分新婚さんですかね。

 ……って、外で買い物をするのにエプロン!? なんとも物好きな。別に人の趣向には文句は言いませんけど。


「こんにちは……こんばんはですね」


 挨拶は交流の基本にして始まりです。この人がここで出会った主婦第一号。早速コンタクトを取ることにします。

 それにしても……。この人、どこかで会ったことがあるような……?

 不思議な違和感を抱えながらも、ご近所づきあいのために会話をすることにしました。


「引っ越してきた方ですか?」
「あ、はい。シャマルと申します。どうぞよろしくお願いします」
「どうもご丁寧に。私は後藤と言います」


 やんわりと微笑む後藤さん。付けているエプロンと相まって、若奥さんとでも呼びたくなるような雰囲気が全身から発せられています。

 きっと、この人は近所の人全員から若奥さんの称号で呼ばれているでしょう。少しばかり戦慄します。

 ……ん? 奥さんで、後藤? どこかで……?


「後藤さんですか……。どこかで……って後藤!?」
「どうしました?」


 私のいきなりの叫び声に首を傾げる後藤さん。確かに別に珍しい名字ではないんですけど、絶句してしまいました。

 ……きっとこの人、私が前の世界にいた時の知り合いだった奥さんです。

 第97管理外世界人風にアレンジされて美形になっていますが、比べてみればなるほどと思ってしまうほど似ています。

 ……さすが転勤族。どこに出没するか分かりません。

 ちょっとだけ若々しく見えるのは、美形になったのと私がいた時間から何年か前だからでしょう。

 まさか、ここでこの人に出会うことになるとは。

 もしかすると、ここにいる人とあちらにいる人は構成がほとんど同じなのでは……?

 さらにもしかすると、後藤さんがいるのなら、こっちの世界にも〝私〟がいるのかも……?

 何だか混乱してきました。これ以上考えると、頭がパンクしてしまいそうになります。

 こちらの世界には、向こうの世界と同じ人がいるかもしれない。今はそれだけ覚えておけばいいでしょう……。


「……で、ではこれからご近所さんとしてよろしく」
「はい。よろしく願います」


 別れの挨拶をしてささっと去ります。混乱を引き摺らないよう、逃げるようにして後藤さんと別れました。

 手を振ってきてくれているのが気配で伝わってきたので、振りかえしておきます。

 ただ挨拶するだけだったのに、かなり疲れてしまいました。これは、精神的にかなりキます。

 もう挨拶は諦めることにして、歩きまわって中丘町住宅街近辺の地理を把握することにしましょう。

 道行く人に挨拶しながら色々と見て回っているうちに、時間は夜の十時をまわりました。

 もうそろそろ八神家に行かないとヴォルケンリッターの出現に出遅れてしまいます。時間がズレると、変な目で見られてしまうかもしれません。

 コンビニのガラスで自らの黒い服を見て、何処かおかしい所がないか調べます。

 うん、変なところはないです。

 ……これから、はやてちゃんに会うんですか。……なんだか、胸がドキドキしてきました。

 期待に胸を躍らせながら八神邸に向かって歩いている私の耳に、大きなブレーキの音が聞こえました。




シャア丸さんの冒険
七話「シャア丸さん、八神家に行く」




 時計が夜の十二時を示す。6月4日が始まった。

 シャマルがずっと監視をしようとしていた家。八神邸にある寝室の一つ。いまだシャマルは来ていない。一体何をしているのだか。

 ベッドに寝転がりながら本を読んでいた少女が、時計を見て小さく驚きの声をあげた。

 もう、こんな時間。本を読むのに夢中で気が付かなかった。

 アクセントで黄色いリボンをつけた茶色い髪の毛。優しげな光を湛える蒼い瞳。外出時感が短いが故の透けるような白い肌。

 誰が見ても言うだろう。『可愛い』と。

 時計は十二時を指しているが、彼女は読書を止めなかった。もう少しキリのいい所まで読んでから眠ろう。そう考えたのだと思われる。

 ベッドの隣には車椅子が置いてある。彼女は足が不自由だった。

 顔を背けていたため彼女の目には見えていなかったが、十二時を迎えた時から少女のいる部屋を紫色の淡い光が覆っていた。

 小さく顔を動かした時、少女は部屋を覆う紫の光に気付いた。

 もう少し、顔を動かした。まず目に映るのは、光の発生源。そこには、幼い頃から彼女の家に置いてあった茶色い本があった。

 その本が光を放っていた。不気味に、紫色に輝いていた。

 少女は息を呑んだ。けれども目の前の異常に変わりはない。

 瞬間、家が揺れた。少女はバランスを崩した。ふわりと本が浮き上がる。

 鎖で閉じられ開くに開けなかった不思議な本が、自らの意思で拘束を解くかのように脈打っていた。

 本に筋が浮かぶというグロテスクな光景。少女はただその異様を見守ることしかできなかった。

 何を合図にしてか鎖が千切れ飛んだ。開かれるページ。ぱらぱらぱらぱら。本を良く読む少女の耳に聞きなれた音。

 次いで少女の脳裏に響く、封印解除との言葉。彼女の目に映るのは、奇怪な本のみ。

 震える身体で本から身を離す。限界があるベッドの上でできるだけ後ずさる。

 少女の目の前に浮かぶ闇の書。彼女の脳裏に『起動』の言葉を響かせる。

 主の身体から浮かび上がる白い光。それがリンカーコアの輝きだとは彼女は知らない。

 もう一度強烈な光。最後に見たのは目の前に跪く〝三人〟の男女。

 実際、幼い彼女の精神は限界だったのだろう。その光景を最後に、八神はやては気絶した。




 畏まった体制のままで、彼女たちは次なる主君の言葉を待っていた。

 皆で目を瞑り、同じ体制のまま主の命を聞くまで恭しく頭を垂れ続ける。どのような主なのか、ここはどのような時代なのか。今は煩わしいことを忘れ、ただそこにある。


「闇の書の起動を確認しました」


 まずは一言。シグナムが言った。最早手順の一部になりつつある、恒例の儀式。口頭での契約文。

 何十何百と繰り返された繋がりの認識。

 次はシャマルの番だった。シグナム他ヴォルケンリッターの皆が薄っすらと覚えているのは、前回のちょっとおかしくなったシャマル。

 再起動の際に直っているとありがたいと薄情にも願っているのだろうが、残念なことにその希望は届かない。


 …………。


 誰も次の言葉を言わない。これではヴィータも次の言葉を言えない。別に飛ばしても構わないのだが、なんだか困る。

 契約に命をかけているわけではないが、ずっと続けてきた習慣を止めるのは結構苦痛だったりする。


『……シャマル』


 思念通話で、一緒に跪いているはずのシャマルに声をかけるシグナム。返答はない。

 主は御前にいる。なのに、契約を述べない。思念通話で呼び出しを続けるシグナムの額に青筋が浮かぶ。

 ……そうか、まだ壊れたままなのか。心の中に苛立ちが募る。

 薄く目を開けると、シャマルのいると思われる右隣を見て文句を言おうとして口を開き……。


 そこには誰もいなかった。


 顔を左右に動かす。ヴィータとザフィーラはいる。けれど、シャマルはいなかった。

 自分たちの頭上にいる闇の書を仰ぎ見る。変わらずページを開いてそこにいる。

 だが、シャマルはいない。

 ……何故?


「……ん?」


 不思議そうな声をヴィータが出した。立ち上がり、主の前にテクテクと歩いていく。

 今度はヴィータまで勝手に行動を取り始めた。

 主の前で何をしている!! シグナムの怒りがさらに倍増する。沸騰せんばかりの頭で念話を叩きつける。


『ヴィータ、何をしている。主の前で無礼だぞ!』
「……無礼っていうかさ。こいつ、気絶してるぞ」


 ヴィータの回答に絶句して顔を上げるシグナムとザフィーラ。

 なるほど。寝床の上で倒れている主と思われる少女は、目をグルグル回して気絶している。

 すでに目を開けてしまったらなら仕方がない。シグナムは開き直ると、部屋の中にいるであろうシャマルを探すことにした。

 しかし、いくら探せどシャマルはいない。もしかして、この前の戦いで消えたか?

 そんな、なんとも薄ら寒い想像をしてしまった。


「……壁の中にでも出て挟まってんじゃねーか?」


 薄情にも言ってのけるヴィータ。シグナムはその危ない発想にちょっとだけ引いた。

 でも、否定できない。この前のアイツならそんなこと朝飯前でやってのける。そんな気がしたのだ。

 シャマルを相手に混乱すればいいのか、主を相手に混乱すればいいのか。中々、決断に困る問題を突きつけられた。

 主を何処か治療のできる安全な場所に運ぶか、それともシャマルを探して様子を診せるか。

 それよりも、治療魔導師がどうして席を外しているのか。というより、闇の書の転生システムから席を外せたのか。

 我らではできなかったことを、シャマルは平然とやってのけた。特に痺れず憧れない。

 全員が諦めてこの新しい主を、あまり慣れていないが医療施設みたいな場所にでも運ぶかと考えたその時。


「ち、遅刻です!!」
『Schlüssel abnefmen』(錠前外し)


 ガチャ、ギー、ドタバタ。ゴツン。痛っ!

 騒がしい音と声がして、取り付けられているガラス窓から何かが突っこんできた。ご丁寧に魔法で鍵を外して窓を開いてからである。

 そして、ここは二階であった。魔法を使う乱入者。つまり、声の主は非好意的である確立が高い。

 すなわち……敵か!? 一瞬で迎撃準備を整えるヴォルケンリッター(-1)。新しい主を戦域に入れないように、ザフィーラは彼女を防御フィールドで覆った。

 主を守りながらの戦闘など、彼女らの中では日常茶飯事。膨大な戦闘経験が、現状で最も重要な対処法を弾き出す。

 主を守れればそれで良し。できるだけ主の屋敷は壊さずに対象を無力化する。

 攻撃を開始しようとしたところで、開かれたカーテンから月明かりが差し込んできた。侵入者の顔が明らかになる。


 果たして侵入者、声の主は……シャマルだった。


 頭をぶつけたのか、目元には涙が滲んでいる。

 額を押さえて彼女はそこにいた。意味なく袖を増量し、少しだけオシャレになった黒服を着て彼女はそこにいた。何故か口に菓子パンをくわえてそこにいた。ご愛嬌だった。

 てへ。ちょっと笑った。シグナムの堪忍袋が音をたてて切れた。


「何をしていた!」
「あ、いえ、道路を歩いていたら車が走っていて、横断歩道を歩いていたおばあさんが轢かれそうで、だったら助けるじゃないですかっ。助けてあげたらお礼にパンあげるよって言われて、つい小腹が空いていたから食べて、そしたらとっくに予定の時間が過ぎていて……」
「どこの学生の言い訳だ! 闇の書からの出現の際におばあさんはいない!!」


 シグナムの怒声。恐怖に全身を震わせるシャマル。八神はやては目を回したまま。ヴィータは気絶したはやての頬を指でつつき、ザフィーラは手持ち無沙汰に闇の書を手に取っている。

 場が荒れた。とりあえずシャマルが誠心誠意土下座することで、その場は四角く収まった。未だシグナム激昂寸前。

 今一番に重要なのは、主の安全を確認すること。決して、シャマルが窓から入ってきたことへの詰問ではない。

 という訳で、シャマルが主の体調を調べる事になった。


「……うん。これは……気絶してますね」
「殴るぞ。アイゼンで」


 倒置法!? ガビンとするシャマル。さすが日本語圏に呼ばれただけはあって、日本語が達者になっている。

 あまり自分の感情をひけらかさない寡黙な少女。そんなヴィータが、どうして怒気を顕にしながら殴るなどと言うのか。

 きっと、ヴィータは目の前にいる、自分と見た目年齢が殆んど同じな少女を少しだけ気に入ってしまったのだろう。

 そこで変なボケをかましたシャマルを殴るぞと言ったのだ。

 話さずしてヴォルケンの一人を骨抜きにしてしまった少女、八神はやて。シャマルは、この大事件のことを一生忘れることはないだろう。……そして、いつかからかってやろうと心に決めた。

 理不尽な悪態に晒されながらも、シャマルは診療を続ける。


「この子は……足が悪いですね」
「関係ないだろう」


 ザフィーラの容赦ない切捨て。ぎゃふんとなったシャマル。

 誰もそのボケの古さに気がつかない。特に関係ないので。

 しょうがないので、シャマルはまともに確認することにした。やはり、彼女も新しい主が心配なのだ。

 決して後ろで凄んでいるシグナムが恐いからではない。


「ただショックで気絶しただけです。近くにある病院にでも運べばいいと思います」


 病院? シャマルの言葉を聞き、一斉に首を傾げるヴォルケンリッター。確かに、そんな名前の施設があることは知識として知っているし、活用したこともある。

 しかし、長い戦いの中でもあまり利用したこともなく、特に知りもしない施設に行くことを薦めるシャマルを全員で気味悪げに見つめる。

 ……何か、悪い物でも食べたか?


「えーと、上着は何処にありましたっけ?」


 そんな絶対零度の視線も何処吹く風。

 見た目からしてこの前よりさらに丸くなり、それどころかスルー技術まで習得しているシャマル。遥かにバグが酷くなっているように見受けられる。

 闇の書はこいつの調整をしてくれなかったのかと、ちょっぴり嘆いたシグナム。

 風邪をひいたら大変です。そう呟いて、シャマルは主の部屋を漁って上着を探し始めていた。

 何気なく、開かれた窓の外を見るヴィータ。少しばかり風が吹く夜の闇が広がっている。確かに、どう見たって温かいとは言い難い気候だ。

 体の弱そうな主を前に変なリーダーシップを発揮しているシャマルを見て、三人も背中を押されるようにして主の上着を探し始めた。




 上着を被せると、はやてちゃんを背中におぶいます。背中にすっぽりと収まる、弱々しく細い体。

 リリカルなのはの主人公の一人。そして、大切な私のマスター。……やっと、会えました。何故だか胸が一杯です。

 初めて顔を見たとき、実は泣きそうになってしまいました。涙が滲んでいましたけど、誰も気付いていませんでしたよね?

 鍵を開けて玄関から出ると、病院までの距離を目算します。多分、誰にも見つからないはず。

 久しぶりに揃ったヴォルケンリッターの皆さんを引き連れて、病院に向かって飛び立ちます。

 背中にいるはやてちゃんに負担をかけないよう、かなり速度は抑え目の上、周辺に寒気遮断のフィールドをはります。

 四人で飛行しているうちに、(多分)誰にも見つかることなく海鳴大学病院の前に辿り着きました。

 一人、ポカンと空を見上げていた青年がいましたが、きっと気のせいでしょう。すぐに錯覚だったと忘れ去ってしまうはず。

 病院内に入ろうとして、その場でストップ。後ろにいる私以外の三人は、闇の書から出て来た時の服のままなので、まるでコスプレみたいです。

 特にザフィーラなんて……マッチョ犬耳。わぉ。全身の筋肉との相乗効果で、何やら怪しい雰囲気すら醸しだしています。

 ……筋肉好きには気に入られそうですけど。

 これからはずっと狼の姿だと思うので、今は人間の格好を思う存分堪能してください。あ、なぜか涙が。

 ヨヨヨと泣き崩れるフリをしながら、カバンの中に手を突っ込みます。


「目立つとマズいので、ちょっと服を変えてくださいね~」


 取り出したるは針と糸。予め準備していた黒い布を縫い付けて、三人の服の見た目を整えます。

 最後にザフィーラには帽子を被せて……。完成。

 手際よく処置を行った私の姿に、三人とも絶句していました。確かに変な特技を覚えたのは認めますけど、なにもそこまで驚かなくても……。

 でも、これで、まあ、そこまでおかしくはなくなりました。

 ……あくまで単体で見たらの話ですけど。四人で揃うと結局変な儀式みたいなままです。ただのコスプレ集団だと思われるのが一番いい格好ってシュールすぎます。

 最低限の対処が終わったので病院に入ると、一人の看護士さんと目が合います。たまたま夜勤だったらしい石田さん。

 私がいることに気付いてか、近づいて来ました。そこで背中に誰か背負っているのを見つけたようで、小さく苦笑しました。


「……何やってるんですか」
「いえ。本当に気絶してしまいました」
「馬鹿ですか」


 石田さんのにべもない一言にはうっと唸ると、冗談ですよと石田さんが笑いました。少々和んだので、さっさとはやてちゃんの保険証を手渡します。

 家捜しした時、一緒に見つけることができてよかったです。石田さん、はやてちゃんの主治医さんを知っているとありがたいんですけど。

 私が渡した保険証と、背負っている人物を見て……石田さんの表情が変わりました。


「貴女の言っていた親戚って……はやてちゃんだったのね」
「……へ? はやてちゃんの知り合いですか?」


 あれま。驚きました。……でも、はやてちゃんも病院通いが長いですし、確かに知り合いでもおかしくない。

 この関係に気付かなかったとは、私もまだまだですね。

 しかし、その後に続く石田さんの言葉に、私はさらに仰天しました。


「私は、この子の主治医よ」
「えぇっ!!」


 驚きました。この人がはやてちゃんの主治医さんだったことと、原作での主治医さんが石田さんだというのを忘れていたことの二つ。二つで一つみたいな驚きですが。

 黒服の変な一団の一人が叫んだせいか、受付前の椅子に座っている何人かの患者さんたちが胡散臭げな目で私たちを見てきます。

 おっと。目立ってしまいました。しかし、こんな非日常はすぐに日常に融けてしまいます。すぐにみんな忘れ去ってしまうと思います。

 そんな能天気な私の目の前で、石田さんは困惑の表情を作っています。


「でも、この子に親戚なんていたのかし……」
「外国にいましたから」
「の割には日本語が……」
「練習しました」
「……」
「私の外見が日本人に見えますか?」
「無理をすれば見えなくも……」
「フリーダム毛髪とストレンジ眼球のバカヤローです」


 実に、実に奇妙だった。瞳も、その髪の毛も。日本人の髪の毛は黒。外国人は金やら赤やら。そんなことを考えていたのが前の私ですが、この世界はそんなの関係ないから困ります。

 とかまぁ、見た目の重要さを色々と感じさせてくれる会話でした。この世界って国内とか国外にそこまで差がありません。人種差別のない世界って素晴らしいです。

 ところで私、はやてちゃんを背負いっぱなしなんですけど。いい加減、ベッドに寝かせるなりなんなりして欲しいです。

 後ろの人たち、いつ爆発してもおかしくないんですよ? あの人たちの思考は、まだ戦いの世界の中にあるんですから。私みたいに平和な世界にいないんですよ?


「主を……」


 主の治療をせずに私と世間話に興じている石田さんに、シグナムが何かを言いたそうに動いたのでヒンデルンウインデ発動です。

 周辺の空気が固まって、シグナムの動きを止めました。……世間話を待つぐらいの余裕を持ちましょうね。理不尽な魔法の発動に、またしても青筋が浮かぶシグナム。

 ああ、みんなの怒りのボルテージがどんどん上がっていきます……。


「と、とりあえずはやてちゃんを任せます。後ろの人たちは気絶するなんて予想してなかった方々なんで、色々と話を……。あ、病院の談話室で話してるんで、はやてちゃんが目を醒ましたら私を呼んで下さい!」


 一方的に言い放つとはやてちゃんを石田さんに預けて、ヴォルケンリッターのみんなを連れて談話室に引っ込みます。

 石田さんは呆然と私たちを見送っていました。




「では、質問タイムです」


 談話室は和室だった。そこに多国籍な美形黒服集団がいるのは、なんともアンバランスな光景だった。

 何が何だか分からないまま連れてこられたヴォルケンリッターの面々は、シャマルに疑惑を抱いていた。なのに、彼女はニコニコ笑っている。

 あまりにも、違いすぎる。湖の騎士はここまで自由奔放な性格をしていなかった。では彼女は何者だ。

 けれど闇の書と繋がった部分が言っている。彼女はシャマルだと。シャマル以外の何者でもないと。


「シャマル。お前は、一体……」
「なぜか、前の出現からずっと存在が継続していて……」


 疑問を封じるようにシャマルがぽつりぽつりと話し始めた。

 防音魔法を張っているために病棟に声は響かず、あくまで会話は結界の中で処理される。

 シャマルはヴォルケンリッターの仲間に、自らの長い日々を語った。クリティカルな部分は避けた。特に管理局での努力の日々を。実は結構、自分の武勇伝とかは忘れているのは秘密だったりする。

 後、管理局の赤い彗星とかの話はしない。さすがに恥ずかしいからだ。今でも裏でこっそり大人気だからこそ恥ずかしい。管理局にもう一度行くことになったとしても、きっと彼女は赤い彗星の名前なんて知らないフリをする。


「……十年間、か」
「ええ、そうよ」


 超・ダイジェストで語られたシャマルの日々。何だか大変そうな話を、ヴォルケンリッターの各々は厳格な顔で受け止めた。


「つーか、シャマルって掃除できたんだな」


 ヴィータが白い目をした。策士の癖に何かと不器用だったシャマル。そんなのが管理局に潜入して掃除をしていたと言われても眉唾だ。きっと、他人に色々と迷惑をかけたに違いない。別に器用さと策士は関係ないような気もしないでもないが。

 ヴィータの心のない言葉に、シャマルの額に青筋が浮かんだ。

 新たな知識を得たとはいえ、彼女からシャマルとしての特性が消えたわけではない。その気になったら最悪の創作料理はいくらでも作れる。

 むしろ、数々の料理、材料を知っている分、より完璧により最凶に。食物の知識のせいで一撃必殺こそなくなったが、洗練された味覚破壊の連続攻撃が可能になっている。

 ――喰わせますよ。

 シャマルの内から湧き出る極悪なオーラ。ヴィータはビクッとなってそれ以上の会話を避けた。

 喰われるのはどちらになるのかが非常に興味深い。もしかすると、逆に料理に喰われることになるかもしれない。

 シュールストレミングやらドリアンやらの臭い食べ物。

 他にも辛かったり酸っぱかったり苦かったり。子供にはキツイ三つの刺激。

 そこからさらにサッカリンなどの化学調味料を加えた極悪料理の構想は、彼女の中ですでに完成している。

 味覚の限界は実はすぐそこにある。そう、君の隣にも。

 突然振ってかかった背筋の悪寒に震えるヴィータを無視しながら、シグナムがシャマルに問い掛ける。


「管理局にいたそうだが、何かあったか?」
「……ノーコメント。次に管理局と闘うとしたら、もしかすると知り合いとバトることになるかもしれないわね」
「そうか。……では、最後に聞いておく」
「何ですか?」


 シグナムは、色々な意味を込めてそのことを聞いた。


「十年は、長かったか?」


 一瞬、シャマルの呼吸が止まった。しかし、すぐに言葉は続けられた。


「……長くもあり、あっという間でもありました」


 そうか。シグナムは面を上げて天井にある少々暗くなった蛍光灯を見つめた。

 一度の生の中で、自由なまま世界に長時間存在したことのない、ヴォルケンリッターの面々。

 十年間、誰にも縛られないままの存続。そこに、小さな憧れも入っていることは否定できないだろう。

 ただし、それは無理だとわかっている。我々は主の命を聞く為だけに生きる存在。道理は弁えている。

 それでも、シャマルの十年間の休暇は少しだけ羨ましかった。感情に出さないままでも、ちくりと胸を刺す痛みにヴォルケンリッターの皆は襲われた。

 それから、少しだけ雑談になった。いつもそこまで雑談をしたことのない四人で、とても短い話をした。

 感情は表に出ないにしろ、彼女達には小さな小さな意思がある。

 だから、主が医療施設で治療を受けている間くらいはぬるま湯に……。


「って、マスターを預けていいのかよ!!」


 ヴィータ絶叫。どうやら、ここを安心できる場所だと思っていないらしい。シャマルが先行するからここに入っただけだという空気を撒き散らす。

 本当に安全なんだろうな!! さらに大きな声で叫ぶ。

 大声が通り抜けないように、ザフィーラが防音の結界の効果を強めた。そのままヴィータを諭す。


「主は前々からこの施設で治療を受けているのだろう。ならば、ここには主に危害を加える者はいない筈だ」
「何で言い切れるんだよっ、ザフィーラ」
「先程の看護士が主を知っているような口ぶりだった。特にそれ以外の確証はない」


 唸るヴィータ。とはいえ、シャマルがわざわざマスターを危険に晒すわけがない。ならば、きっと安全なのだろう。一応あれでも助言屋なのだ。諦めると、談話室に置いてある椅子に座りなおした。

 それを最後に会話が終わってしまった。

 戻ってしまった空気を感じ取ってシャマルは少し溜息を吐いた。まあ、話す機会はこれからもあるでしょう。

 そんなことを考えていると、医師たちがドヤドヤと押し寄せてきた。何やら理由を付けて、ヴォルケンリッターの四人を連行した。

 まあ、当然のこと。この黒服集団は、あまりにも白い病院の中では怪しすぎる。はやてとの関係を直接聞き出すために、彼女本人に合わせるために連れて行かれたのだった。




 はやてが目を醒ますと、目の前には主治医である石田先生の姿があった。

 そうや。確か、私は変な夢を見てそのまま気絶してしまったんや……。まわらない頭で現在の状況を把握する。

 って、気絶してしもたんなら、病院にはおらへんやろ。じゃあ、なんでここにおるん?

 はやては色々と不思議だったが、次の先生の言葉でビックリした。


「ね、あの人たち誰なの?」


 石田先生が指さした方を見れば、そこにいるのは自分が夢の中で見たような気がする三人の男女(+1)。

 ……夢じゃなかったんやね。ちょう驚いたけど……。四人の顔をまじまじ見つめて心の中で呟く。……恐くはあらへん。

 まずは恐い恐くないで判断してしまった自分を、少しだけ恥じた。

 けれでも、はやて自身は突然舞い降りたこの現象に困惑してしまっていた。咄嗟に言葉が出て来ない。

 誰ですか? その言葉が喉から出て来ない。


『お困りですか主?』


 その時、はやての頭の中に誰かの声が聞こえた。いきなりの出来事に、つい声の主を探してしまう。目が合ったのは、ピンク色の髪をした長身の女性。

 ミニスカートで跪いているため、魅惑のデルタゾーンがちらちら。……コスプレ?

 怪しげな女性の服装か、はたまた存在か。どちらに混乱すればいいのだろうか。嗚呼、世界は二択に満ちている。


『思念通話です。なんなりと命じてください』


 もう一度聞こえた。もう勘違いではない。目の前にいるピンク色の髪の女性が自分に話しかけている。はやてはそうして自分を納得させると、頭の中で目の前にいる女性たちに指示を出した。

 ――私と、話を合わせて。


 はやてが場の取り成しを図ろうとしたその時、シャマルはすでに石田先生との世間話を楽しんでいた。






――あとがき
Q 何がやりたいんですか?
A ssにそれを聞かないでください。
そういえば、最初と比べると主人公の性格というか喋り方がかなり変わっている気がする。


.hackとムシウタのssの案があるんですが、未だに書くことを諦めていなかったりします。
ムシウタは秘種10号指定だった特殊型虫憑きが秘種3号になって行き、原作に関わって行くまでの過程を描くサクセスストーリーです。
.hackは……ノーコメント。書き直し中です。超・駄作としてどこかのサイトにぽつねんと存在しています。



[3946] シャア丸さんの冒険 八話
Name: 田中白◆d6b13d0c ID:d0504f35
Date: 2008/11/30 20:58
 『2005年』6月4日。


「つまり、ただの親戚で良いわけね? 変なことされてるんだったら相談してね」
「ですから、ホントに親戚ですって。大丈夫やから、ね」
「もう……。えーっと、一緒に住むというのなら、この子のこと、お願いしますね」


 あれから、病院の中で特に騒ぎが起こることもなく。はやてちゃんが私たち全員を親戚と紹介して病院からの疑いを解き、どうにか私たちは八神家に帰宅しました。

 けれども、あの目はまだ私たちを完全に怪しんでいました。

 はやてちゃんを家に連れて帰るために必要な車椅子も病院で借りることができたので、彼女を乗せて人通りの少ない住宅街を進みます。

 黒服四人が、一人の女の子の車椅子を押して歩いている様は、かなりシュールな光景だったのではないかと少しだけ反省。


「……さっきの声、なんなん?」
「後にしてくださいねー」


 道を行く途中、さっきの思念通話がなんだったのかと私たちに疑問をぶつけてくるはやてちゃん。降って沸いて出た私たちにそういう疑問をぶつけてくるのは当然ですよね。

 そんなワクワク感というより義務感MAXの彼女をなんとかなだめすかして、八神邸に到着。車椅子を押してリビングに入ります。

 いざ、彼女の疑問に答えようとするヴォルケンリッター。しかし、ここではなくて、私の部屋で話そうとはやてちゃんに言われたので彼女の部屋に移動します。

 今度こそとばかりに彼女が矢継ぎ早に質問をしてきます。一体、私たちが何なのか。どうして自分の前に現れたのか。

 私たちは答えます。我らが闇の書から生みだされた生物であること。闇の書は、魔法で作り出されたこと。そして、あなたが私たちヴォルケンリッターのマスターであること。最後に、私たちの名前を。

 そんな、触り程度の簡単な説明に、はやてちゃんは目を輝かせていました。これは魔法に興味があるということなのか、はたまたそれ以外か。

 ……夜天の書云々は、この場で話した方がいいのでしょうか? いえ、まだ他のヴォルケンの方々との擦り合わせもすんでいませんし、今は言わないほうがいいでしょう。

 他のみんなに釣られて、畏まった体勢のままで考え込む私。

 そうして、私たちから聞けることを聞いた後、はやてちゃんは柔らかく微笑んで言いました。


「ほんなら私はみんなのマスターなんやから、衣食住はキッチリ面倒見てあげなアカンな」


 料理は得意、服とかも買ってあげる。一緒に住むから家もある。手元にある闇の書を抱きしめて、彼女は言います。

 怪しさ満点どころの騒ぎではない黒服四人組を相手に微笑むことが出来る、彼女の思考。彼女のような体験をしていない私には想像することしか出来ませんが、検討はつきます。

 ずっと自分の傍に居てくれる人たち。つまり『家族』の誕生。それは、一人で暮らし続けていた少女にとって、どれほど素晴らしい出来事だったのでしょうか。

 自分を慕い、何時までも一緒に居る。そう言ってくれた人たちへの恩返し。

 それが、衣食住の世話。とういか、自分にはそれしか出来ない。はやてちゃんはそう思っているのでしょう。

 けれど、好意に甘えて九歳の女の子にパラサイト。それはどう考えても絵的に駄目人間っぽかったので、数日中にお金を稼ぐ手段を探すことを私は決心しました。

 ……昔私が色々な人を誘ってやっていた幼稚園や保育園の手伝いは、アルバイトじゃありませんでしたし……。さて、どんなバイトをしましょうか?

 幼稚園や保育園で、世話の手伝いをさせていたドットやマンキーの怒りの顔や寂しげな顔が思い浮かんできて、つい苦笑してしまいます。

 彼らは善良な人たちでしたから、安心して子供たちを任せることが出来ました。ドットはメガネ太りさんでしたけど、別に変な人じゃなかったですよ。

 昔のことを思い出してほんわかしている私。ヴォルケンリッターのみんなもそれぞれ別のことを考えていて、何かを探しているご様子のはやてちゃんには気付きませんでした。

 目的の物がある場所に心当たりはあるのか、はやてちゃんは車椅子を押して自分の机に向かって行きます。

 ……? 何となくシグナムと顔を見合わせて、はやてちゃんが何を探しているのかを考えます。

 それから数秒もせずに目的のものを見つけて戻ってきた彼女が嬉しそうに取り出したの
は、ぐにゃぐにゃしたものさし。もっと簡潔に言えば『メジャー』でした。


「身のまわりの品、必要やろ? だから、体のサイズ測らんと……」
「は、はぁ……」


 自分以外の人のために買い物が出来るという嬉しさのあまり、不気味なオーラを発生させているはやてちゃんにタジタジのシグナム。

 これから服を買いに行く時の参考にするからという理由で、みんなの体のサイズを測ろうとしているはやてちゃん。

 セクハラを超えたパワハラに近いことをしようとしているはやてちゃんをどうにか押し留めると、自分の身体のサイズを告げます。

 むっと唸るはやてちゃん。私の体を触って調べたかったのでしょうが、却下です。自分で服を縫っているのですから、自分のスリーサイズは完璧に把握しています。

 それに、小さな女の子に体のサイズを測られるのは何だか屈辱です。私は測られるよりも測る派。災害地の子供の服を繕ってあげたことは十や二十じゃすみませんよ。

 サイズを測る? それはどういうことですか、主。そんな風に微妙な顔をしているヴォルケンリッターのみんなの顔も目に入ったので、シグナムたちの全身のサイズもはやてちゃんに漏らさず伝えます。

 ……古くから伝わる色々な作品の主人公の必須技能、『目測スリーサイズ測り』。マンガの中でしか見ることがなさそうな技術は、私の二十年もの長い鍛錬によって実現しました。


「……シャマル?」
「これが、一人で動いていた時に得た技能か……?」
「変な特技作ってんじゃねーよ」


 驚くというか、呆れる全員。それは当然。体のサイズを測ったことなんて、ヴォルケンリッターの方々はないんですから。そんなこと知らないはやてちゃんは、ただ首を傾げるだけです。

 これで、メジャーで全身見られるなんて恥ずかしいイベントは……。


「シャマルが自身満々なのは分かるけど、本当に正しいかどうか分からんし、証明せなあかん」
「……そうですか」


 十数分におよぶ、全身をメジャーで測られるという私にとって微妙に屈辱的なイベントを終え、今日中に私たちの服を買いに行くことになりました。

 確かに、普段着が黒服のままなんて怪しすぎますからね。

 衣服の購入というのは、それ即ち身の回りのものの入手という訳でもあります。そんなわけで、いらない物を処分する気になりました。

 一度はやてちゃんに断ってから、今まで持ち歩いていた鞄を開けます。たまたま、今までに入手した衣服が目に付きました。

 ……えーと、今私が持っている服は、現在着ているこの黒服と、洗濯するときに着る予備の黒服に黒い上着。そして、昔使っていた清掃員の青い作業着だけです。

 今まで、この三着の服だけで旅をしていました。手持ちのカバンに入る物しか持ち歩いていませんでしたからね。

 少しだけ懐かしく思って、何時も着ていた黒い服を見ます。ヴォルケンリッターの身を包む、ただ黒いだけのドレス。それは、縛られている証。お前らは、自らを飾る必要すらないのだと無言で告げるただ黒いだけの服。


「その黒い服、まだ使う?」


 私が今の黒服に愛着を持っていることに気付いたからか、はやてちゃんが笑顔でそう言ってくれます。

 ……長年着続けていたこの黒い服。何年も何年も私の身体を包んでいた、ヴォルケンリッターの初期装備。……そろそろ、休ませてあげてもいい頃かもしれません。


「……いえ、捨てます。もうボロボロですから」
「ほうか」


 私の口調から何かを感じ取ったのか、はやてちゃんは小さく笑います。そして、先立つものが必要やねー。と呟いて家を引っくり返し、自分の母親の服を取り出すと私とシグナムに手渡してきます。

 同じく、ヴィータちゃんには自分のお古を。

 先立つものというか、買い物に行くための服という奴でしょうか?


「これは?」


 身体のサイズを測られるとか、温かそうな服を手渡されるとか、ヴォルケンリッターにとっては殆んど初体験のイベントが目白押しで目を白黒させているシグナムにヴィータちゃん。

 私はと言えば、さっさと黒服を脱ぎ捨てて手渡された服を着ています。……う、ちょっと胸がきつい。そうですか、はやてちゃんのお母さんより私の方がスタイル良いんですか。

 ……と、いうことは……。

 かつての私の友人たち曰く、リリカルなのはに登場する、烈火の将シグナムの胸はヴォルケンリッターの中で一番大きい。

 さっきサイズも測って裏付けも取れています。

 シグナムを見れば、胸はきっとセクハラの如く突き出して……アレ? 彼女が着ているのはちょっとだけ伸びた感じのセーターなので、そこまではキツくなさそうです。

 セーターを着て、その保温効果や伸縮性を見て、シグナムがほうと感心した声をあげています。

 はやてちゃんが、私に親指を上げてきました。「まだ少しだけ寒い季節やし、胸がぱつんぱつんになるのも防げるナイスな服や……」そう言っているように見えます。……やりますね。さすがは私のマスターです。

 とりあえず、私も親指を上げておきます。何だか通じ合えた気がしました。

 変な意思疎通を行った後、はやてちゃんがみんなに声をかけます。


「じゃ、服買いに行くから、みんな付いて来たってな」


 はやてちゃんのお下がりを着ているヴィータちゃんに、黒い服のままのザフィーラ、そして伸びたセーターを着たシグナム……あれ?

 もう一度、全員の衣服を見ます。ザフィーラが、やっぱり黒い服のまま。……お父さんの服でも着せてあげればいいのに。

 ちょっとだけザフィーラが不憫になったので、少し批難するような目をはやてちゃんに向けます。バツが悪そうな顔をしたはやてちゃんは、言い訳するように手を振ります。


「……お父さんの服、ザフィーラの体にはとても合わんから……」
「ああ、なるほど……」


 納得したように、私も手のひらを叩きます。マッチョで背の高いザフィーラの体は、一般的な成人男性よりもだいぶ大きいです。

 お父さんのお洋服は、ザフィーラの体に全くフィットしないみたいです。というか、逆にフィットしすぎるようです。そんな物を着せると、体に自身のないお兄さん方に大ダメージです。

 ムキムキマッチョとは、それだけで貧相な男の精神力を削る存在らしいのです。


「ゴメンな、ザフィーラ。お留守番してくれるか?」
「いや、私に服は必要ない」


 本当にすまなさそうな主の顔を見たザフィーラ。黒服がどうしていけないのかまでは分かっていないようです。ただ、この世界の普段着には相応しくないということだけには気付いた様子。

 外の出ることができないのが自分の衣服と体のせいだというのならば、怪しまれない姿になればいい。そのように判断したのか、彼が変身魔法を発動します。

 わっと驚きの声をあげるはやてちゃん。

 小さな光がザフィーラの体を包んだ次の瞬間、そこに人はおらず一匹の大きな青色の狼がいました。

 青い毛皮と、首まわりの白い毛。その姿はまるで青空と雲、蒼天の如し。それにしても、狼の姿は本当に久しぶりに見ましたよ。


「これならば、問題ないはず」


 ただ結果だけがある。相変わらずの特に何も考えていないような顔で、狼の姿になったザフィーラが呟きます。

 いきなり目の前に表れた狼を見て、はやてちゃんの体がブルブルと震え始めました。顔からダラダラと冷や汗を垂らしています。

 主の変化を見て困惑するザフィーラ及び他のヴォルケンリッターの面々。もちろん、私も困惑します。

 ……アニメにおいて、はやてちゃんは普通に狼の姿のザフィーラと暮らしていたはず。まさか、変身した時に何かひと悶着あったのでしょうか?

 ああ、一体何が起こるのですか!?


「い、犬!」
「狼だ、主」


 目に見えて混乱している様子のはやてちゃん。元の姿に戻ろうと動くザフィーラ。まさか、はやてちゃんは犬恐怖症!?

 それならば、アニメ版開始までの間に一体何があったんですか……。


「あ、ま、待ってザフィーラ」
「はぁ……?」


 変身を途中で停止するザフィーラ。ほうと溜息を付くはやてちゃん。その意味不明な行動に、みんな揃って首を傾げます。

 信じられないと呟き、あまりに真剣すぎる顔で数回ほど息を整えてから、いきなりザフィーラに抱きついたはやてちゃん。そのまま叫び出します。


「私、昔から犬飼いたかったんや!」
「犬ではなく、狼です主」


 あくまで落ち着いているように見せているザフィーラ。けれども、犬扱いと抱きしめられるという彼にとっての非日常に、混乱しているのが手に取るように分かります。

 私の背後で、何だか面白くなさそうに頭の後ろで手を組んでいるヴィータちゃん。どうやら抱きつかれたザフィーラが羨ましいらしい。同じように、はやてちゃんに構って欲しい様子です。

 そんな私たちの表情の変化にも気付かず、興奮しっぱなしのはやてちゃん。


「犬や! 犬や!!」
「だから、狼です」
「犬ぅ。犬ぅ」
「…………」


 犬犬騒いでいるはやてちゃん。ザフィーラも観念したようで、もう何も言わなくなりました。

 それから数分の間ザフィーラをハグし続けて、どうにか落ち着いたらしいはやてちゃん。けれど、未だにザフィーラのふかふかした毛皮の感触を味わっています。

 狼の姿に変身しているザフィーラが犬扱い。大型犬が怖くないのでしょうか。


「なな、それからずっとその姿でいてくれへん?」
「主がそれを望むのならば」
「ありがとなー!」


 はやてちゃんがペットが飼いたかった、という理由で狼の姿を取ったままになることになったザフィーラ。そこに小さな同情を禁じえません。これからはずっとペットポジションでしょうけど、頑張ってザフィーラ。心の中でそっと涙を拭います。

 そして、ザフィーラに首輪を取り付けて、勇気リンリンやる気マンマンの土属性召喚師みたいに元気な様子で車椅子を走らせ、家を飛び出たはやてちゃんの後を追いかけました。




シャア丸さんの冒険
八話「早めに周囲を整えましょう」




 海鳴の繁華街に到着し、近くにある服屋を目指すはやてちゃん。さすがに、私もここら辺までは来ていないので、どこに何があるのか知りません。

 先を行くはやてちゃんと、安全であると信じていないのか周囲の警戒をしているシグナム。そんな全身を硬くしているシグナムに、はやてちゃんが笑いかけます。


「まずは衣服やね。シグナムも、私のお母さんのお下がりは嫌やろ?」
「いえ、そんなことありませんが……」
「それに、何かおばさんっぽくて似合わんし……」
「……はぁ」


 私の目の前でそんな会話をしているはやてちゃんとシグナム。主が必要だと言い、参謀が文句を言わずに付いてきているからここにいるだけで、何が目的なのかははっきり分かっていないようです。

 ヴィータちゃんは、近くにたくさん人がいるせいで機嫌が悪そうです。……みんなピリピリしてますね……。

 はやてちゃんの持っているリードにつながれたザフィーラ。これがないと目立ってしまうからと懇願され、屈辱に燃えながら首輪を付けられています。

 けれど、主の命では仕方がないと諦めてもいるようです。ところで、ペットを飼っていないのに、どうして首輪があったんでしょうか?

 そんなことを考えていると、はやてちゃんが一軒の服屋さんに入って行きます。ザフィーラは店の前で待っているよう。

 シグナムとヴィータちゃんはもう店の中に入っているので、慌てて私も駆け込みます。

 ……ところで、さっきの服の話ですが、シグナムは似合っていなくても、私は似合っているというのでしょうか。これは、ザフィーラと一緒に屈辱に燃えるべきなんですかね?




 店の中に入ると、中ではすでにヴィータちゃんのファッションショーの真っ最中。はやてちゃんがノリノリでヴィータちゃんの服をプロジュースしています。


「……もうちょっと、ヒラヒラした方がええかな?」
「動きにくい……」
「別にええやん」
「んー」


 はやてちゃんに頭を撫でられているヴィータちゃん。……よし、混ざりましょう。


「混ぜてください」
「OK、了承や!」


 というわけで、二人でヴォルケンリッター女性陣のお洋服選びを開始しました。


「ヴィータ、ほんま可愛いで!」
「ホントです! ……はうぅ、十一年前のやっと夢が叶いました……。えいっ、えいっ」
「頬つつくな!!」


 うん。


「シグナム、改めておっぱい大きいなぁ……」
「巨乳という奴ですよね」
「……主はやて……シャマル……」


 とても。


「まだ終わらないのか?」
「ザフィーラ、喋ったらアカンで!」
「あら、何時の間にかもう五時をまわってますね」


 楽しかったです。





「あちゃー。まだ食器とか買っとらへんのに……。これは、みんなの素材がええのがいけないんよー」
「……すみません、主はやて」
「じょ、冗談やって、シグナム! だからそんな落ち込まんで!」


 真っ暗になった空を仰いで、はやてちゃんが手の中にある『最低限』の服を抱えながら呟きます。

 シグナムに冗談を本気に取られて慌てていますが、それでも楽しそうです。

 ついついシグナムやヴィータちゃんの着せ替えに夢中になってしまって、服の調達に時間がかかってしまいました。

 ほとんど始めて〝女性の買い物〟を目の当たりにしてグッタリした様子のお二人とも。

 ……保父を目指していた私は、精神的に長時間の買い物に慣れていました。そんな長所があって本当に良かったです……。

 それがなかったら、今の私も……ああ、普通に順応できていたような気がします。

 それにしても、食器ですか。確かにあまり数はありませんでしたが、五人程度なら大丈夫な量があるような……。一日二日で回らなくなりそうですけど。

 しかし、はやてちゃんには、食器以上に大変な問題があるようです。つまり、食器以前の問題。


「……五人食べられる食料、家の冷蔵庫の中にあったかな……」


 うーむと悩んでいるはやてちゃん。それです。どんなに料理が上手くたって、食材がなければ食べ物は作れません。

 なんたって、私たちは朝、昼。何も食べていないのです。

 ヴォルケンリッターの面々は、今までの主の影響で食を抜くのに慣れていますが。

 でも、問題ははやてちゃんです。今は楽しいという興奮状態のおかげかお腹の感覚は麻痺しているようですが、そんなの長くは続きません。

 育ち盛りの九歳(今日が誕生日)が一日食べないでいられるわけがないのです。早急にご飯を用意する必要があります。


「別に、食べられればそれでいいって」


 ヴィータちゃんは腹に入れば何でもいいと言っていますが、料理人となった私の前でそんなことは言わせません。


「「……」」


 それは、はやてちゃんも同じだったようです。近くにあるスーパーで食材を買ってくる。私とはやてちゃんの間でアイコンタクトが成立します。

 はやてちゃんが服を家に持って帰り、調理器具を準備しておく係り。私がスーパーで食材を買ってくる係り。

 互いの役目を瞬時に決めると、はやてちゃんからお財布を受け取って、昨日のうちに場所を確かめておいたスーパーにダッシュします。

 今日の朝方、隙を見つけて冷蔵庫の中を確かめておいたので、簡単に作れる料理の案はいくつかあります。

 ものの十分もしないうちに必要な食材を買い込み八神宅に帰ります。

 家の中には、すでに器具の準備を終えて私の到着を待っているはやてちゃんがいました。


「……食材、見せて」


 はやてちゃんが私の手の中にある袋を覗き込みます。はやてちゃんが作りたかった料理と同じなのか、彼女がにやりと笑います。

 中から材料を取り出し、これならいけると呟きます。


「シャマルは料理作れるか?」
「はい、問題ないです」
「おっしゃ。三十分で作るで」
「はやてちゃん、休んでいても構いませんよ?」
「冗談。調味料とか食器の位置、完璧には把握しとらんやろ」
「……ですね」
「腹に入れば何でもいいと言う様な悪い子に、目にもの見せてやらんとあかんよね」
「正式には舌とお腹ですけどね」
「言葉の綾やって」


 くすりと笑い合うと、一度リビングを振り向きます。

 そこには、私たち二人の戦意を感じ取ってぶるぶると震えているヴィータちゃん。それを見て溜息を付いているシグナムとザフィーラ。

 全員食べるつもりがあるということを確かめると、どちらともなく呟きます。


「では」
「はじめますか」


 そもそも炒飯を作ることは確定していたので、私が朝の内にこっそりと炊いていたご飯と混ぜて作り始めます。

 私が材料を切り、はやてちゃんが味の整えを行う。私と比べて絶対的な修行時間が足りていないはやてちゃんの材料切りを、私がフォローする形で料理を行います。

 熱を通し易い材料の切り方は、ただ教科書で学ぶだけではできません。料理をする間に零した汗と執念が、調理という技術を完璧な物にするのです。


「……凄い」


 驚きの声をあげるはやてちゃん。自分の、たかが数年では辿り着けない料理の極地。

 十年、二十年、そして三十年。私の腕から伝わってくる料理の歴史。そして、そこに見える幾人もの師匠、弟子。料理をしない者には決して見ることが出来ない、私の修練が見えているのでしょう。

 実は、私自身ここまで料理に身を捧げられるとは思っていなかったんですけどね。はやてちゃんも、私の弟子になってみますか?

 空気的に言ってみたかったので言ってみました。何故かふふんと鼻で笑われました。とても悲しい目をした後、私の背中に見える料理人としての歴史を見てはやてちゃんが呟きます。



「……二十年って……おばさんやん」



 ぽつねんと漏れた彼女の言葉を聞いて、私の額にぶっとい血管が浮かび上がりました。ふふふ、もしかして、私から越えることが出来ない力量を感じて嫉妬しましたか。

 小娘の分際で、設定年齢22歳、若くて美しいと清掃員の方々に言われていたこの私を、おばさんと呼びますか?

 和やかムードだった台所が、一転して魔境に変わります。互いに顔だけは和やかで、それ以外のところで張り合います。

 ……私に逆らいますか? 子供という保護されるべき女の子が、保母を目指す私に逆らうんですか?

 とても苛付きました。どうしてか分かりませんが、なんだか苛付きました。

 小娘、おばさん。小さく呼び合います。衝動のまま、はやてちゃんの頭を左手で掴みます。変わらずピアノの練習はしているので、握力は高いのです。


「止めてくれません? お・ば・さ・ん」
「ああ、すいません。ちょうどいい位置にありましたので、たまねぎと間違えてしまいました。……小さかったもので」
「子供は小さいものやで。……なんや、小娘に嫉妬か? やれやれ、年取ると物覚えと認識力が低くなるんか? 年は取りたくないものやなぁ……」
「あまりにも全身が貧相な小娘なんで、つい」
「…………おばさん」


 この少女も、自らの言葉を取り下げる気はないらしい。……なら。

 ギリギリギリ。左手に込める力を強めます。暴力に頼ってはいけないと頭では分かっているのに、感情が言うことを聞きません。

 なぜか、この子にマイナスの感情が浮かび上がってくるのが止められません。

 それでも、調理の作業を止めないのは、料理人としての最低限の矜侍です。ものの数分もしないうちに最後の行程を終え、炒飯は無事に完成。

 ……さて、これで気兼ねなく、殺りあえます。

 互いにニコニコと笑ったまま、楽しい喧嘩、もとい意見交換を続けます。


「湖の騎士、闇の書の参謀。……まさか、暴力に訴えんとなんもできんのかな?」
「……髪の毛はサラサラして綺麗ですよね。でも、頭の中はゴツゴツしてそうです。子供の分際で、大人に逆らいますか?」
「家事が出来る、一人で暮らしてる。大人と子供の差ってなんや?」


 ゴゴゴゴゴゴゴゴ。私と小娘の間で広がるフィールド。……本来、被保護対象である分際で何をほざき……。


「何やってんだ、シャマル!」
『Panzers child!!』


 ヴィータちゃんにハンマーでぶん殴られました。別に本気の攻撃ではなかったようなので、簡単にシールドで受け止めることができました。

 味方に文句は言いこそすれ、直接的な攻撃をすることがなかったヴィータちゃんからの攻撃。ありえない事態に、頭が急激に冷めていきます。

 私のシールドの強度を見て、小さく息を呑むヴィータちゃん。シールドに弾かれ、そのまま空中で一回転して着地します。

 冷静になったので、シールドを消してから振り向きます。そこには、頭を抑えてふらふらしているはやてちゃんがいました。

 目尻に浮かべている涙は、私が加えたダメージのせいでしょう。……私は一体何を……。

 あぁー。何だか自己嫌悪です。どうして、おばさんと言われただけでこんなになってしまったんでしょう。

 ヴォルケンリッターとしての責を忘れ、マスターに向かって攻撃を行ってしまうとは。早く謝らなくては。

 思うや否や、半分以上腰を落として頭を下げます。地面にぶつかりそうになるほど、頭を下げます。


「ご、ごめんなさい、はやてちゃん!!」
「……ええってええって。私も大人気なかった……。おばさんとか言ってゴメンな、シャマル」
「こちらこそ、本当にごめんなさい!」


 浮かび上がってくる感情をどうにか押しとどめ、謝り続けます。

 後ろにいるのは、ハンマーを構えて私を見ているヴィータちゃん。シグナムも私に怒りの目を浴びせてきます。ザフィーラは何も言いませんが、呆れている様子。

 頭を抑えながら、ご飯食べよ。笑顔で言ってくれるはやてちゃん。

 まだ、作った料理は冷めていません。早く食べないと、冷えてしまいます。

 皿に炒飯を分けて、テーブルの上に並べます。ザフィーラも人の姿になって、椅子に腰かけます。

 ……沈黙の中で、黙々とご飯を食べる私たち。……この空気を打破するいい方法は?

 自分が何であんなに怒ったのかが分からりません。あの感情は、一体なんだったのでしょうか?

 何か、何か話題を作らなくては。話せる話題、楽しそうな話。纏まらない頭のままで、私は言葉を紡ぎます。


「はやてちゃんは、今日が誕生日だったんですよね?」
「そ、そうやけど!」


 どうにかしようと動いている私のことを気遣って、はやてちゃんが大声を張り上げます。……私が作ってしまった空気なんですから、どうにかこれで……。

 ここからどんな風に話を繋げるか。それで、私の力量が問われます。


「だったら、一日遅れですけど、誕生日のパーティーでも開きませんか?」


 どうにか作り上げた笑顔のまま、そう宣言してみます。

 何故かしーんとなる食卓。はやてちゃんが黙りこくりました。

 私の頬をダラーと垂れる冷や汗。……スベッた? スベりました? 誰か何か言ってくれませんか? とても気まずいのですが。


「パーティーって何だ?」


 誰も何も言わない空気の中で、ヴィータちゃんが私に聞いてきました。……ああ、単語の意味を知らなかったんですか。

 はぁー。助かりました。意味を知らないんだったら、みんな黙っていて当然ですよね。……って、助かってないです!? 

 さきほどの私の強引な会話の振りに乗ってくれたはやてちゃんが誕生会に乗ってくれなかったということは、つまり無言での拒否。

 あんたとは誕生会なんてやりたくないと言っているようなものです。全く持ってそんなことをする気分ではないということです。……では、ではどうすれば。

 変わらずシンとした食卓の空気の中、そっとはやてちゃんの顔を窺います。この子はきっと、とても不機嫌な顔を……。

 恐る恐るはやてちゃんの顔を覗き見て、私は首を傾げました。はやてちゃんの顔が、目を見開いたまま固まっていたからです。

 茫然自失。そんな表現が良く似合う顔。……そんなに嫌だったんでしょうか。これは、死でもって償うしか……。

 私が後悔に後悔を重ねていると、とつぜんはやてちゃんの目が動き出しました。はやてちゃんの顔を覗き込んでいたので、当然、私の目とはやてちゃんの目がピタリと合わさいます。


「ええね、誕生会!! やろう!!」


 いきなり叫び出しました。パーティーの意味を聞こうとしていたヴィータちゃんが、はやてちゃんの声の大きさにビクッとなります。

 ザフィーラやシグナムまで驚いています。パーティー……。聞いたことはあるが、関わったことはなかったなと二人で話しています。


「うん、どのみちお皿とかも買ってこなきゃいけなかったんやし、ついでにケーキとかも買って来よう!」


 私の提案にハイテンションになっているらしいはやてちゃん。……気を使っているわけではなさそうですね。とても楽しそうですし。

 ……うーん。何がなんだか分かりませんが、はやてちゃんが元気になってよかったです。

 みんなで、みんなでパーティー!? 無茶苦茶ハイテンションなはやてちゃんを寝かしつけ、私たちの部屋割りをすると、それぞれが睡眠に移りました。

 同部屋になり、私に何か言いたい様子のシグナムに、今日は疲れましたと会話を断って私は眠りにつきました。




2005年 6月5日。

 次の日、またしても買い物に出かけました。ザフィーラは昨日と同じく狼の姿。大きな『犬』に、道行く人々がビビッています

 今日はやてちゃんの車椅子を押すのはヴィータちゃん。隣を歩くのは私です。

 顔をあげたはやてちゃんと小さく目が合ってしまい迷っていると、はやてちゃんから逸らしてきました。……どうやら、彼女も気まずい様子。

 リードを握っていない方の手を、そっと握ります。驚いた顔をしたはやてちゃんですが、同じくそっと握り返してきました。そのまま、ずっと歩きました。

 ……と言っても、これはお互いがお互いのしたことを気にしないようにしているだけで、打ち解けたとは言い難いのですが。

 どちらも仲直りしたいと思っているのに、そのことを切り出せない。……これから、どうにか挽回していきたいです。




 それから家具屋やペットショップに寄って、食器を買い揃えました。

 ザフィーラのためのお皿は『ZAFIRA』と書かれた平面皿。つまり、犬用のお皿。完璧にペットの立ち位置になってしまったザフィーラ。

 私は、この事件を止めることが出来ませんでした。……だって、あんな楽しそうなはやてちゃんを見てしまったんだもん……。

 昨日ケンカした手前、何も言えませんよ。

 沸きあがる後悔と、楽しそうなはやてちゃんの笑顔を見れた喜び。相殺しあう二つの感情。結果、ま、いいかと諦めました。

 今日は服屋じゃなかったのかと、ホッと溜息を付くシグナムとヴィータちゃん。そりゃそうか、あんなに買い込んだんだもんな。二人で顔をあわせて笑っています。

 ……甘いですよ、二人とも。女の子は服が大好き。月に一回くらいの割合で、ファッションショーは開催されるに決まっています。

 次にはやてちゃん行きつけのスーパーに行って、食材を買い求めます。私とシグナムが分担して持って、家に帰ります。


「買い物とは、普段からこれくらいしているのですか?」
「そんなわけあらへん。昨日、今日は……特別や」
「……そうですか」


 シグナムが買った食材の多さに少しだけ驚いているのが窺えます。

 時間帯はすでに夕方。この時刻は、主婦が最も動く時間帯でもあります。

 歩いていた私たちは、たまたま世間話をしている主婦の方々を目撃しました。その中には、昨日会った件の後藤さんもいます。

 夕日の袂で話す主婦。……絵になると言えば、絵になりますね。住宅街の風物詩という奴です。


「ちょっと、ご近所の方に挨拶して来ますね」
「ほうか? じゃ、私も行くか」


 はやてちゃんに笑顔を向けると、他のヴォルケンリッターに一礼して主婦の群れに突っこみます。……ここからどう行動して住宅街での地位を決めますかね。それが『主婦(仮)』シャマル初めての勝負です。

 私にどこまでできるのか。覚悟を決めると、努めて明るく振舞いながら主婦の皆さんに声をかけました。

 けっして、これから家に帰ってはやてちゃんと正面から向き合うのが怖くて、先延ばしにしているわけじゃないんですからね。




「……あそこの大学生さんがね、近頃、空も見ないのに望遠鏡を……」


 噂話をしている奥さま方に話し掛けるのは、至難の技。もしも、皆が固唾を飲んでいる話に割って入ったりすると、そこの地区での評価は地に落ちます。

 つまらない話に最適な話題を引っ提げて割って入れば、評価は天に上がるほど。ただし、邪魔された人の評価は地に落ちます。

 そして、話が終わった所に割って入るのは絶対に不可能。目の前で話している人の話が終わり、自分が話し始められるタイミングを、みんなして今か今かと待ち望んでいるのですから。


「ツチノコが……」


 あまり目立たない容姿をした奥さんが喋り始めました。

 この人です。この人の会話が心底どうでも良く、さらにこの人の評価が下がってもこの住宅街で行動しにくくなることはありません。面白くない話をしている人は、総じて住宅街の中での評価も高くないですから。

 主婦の会話は弱肉強食。面白ければ生き、つまらなければ死にます。


「あのぅ」
「はい、何でしょうか!」
「あら、貴女は……」


 いきなり大声で割って入って、会話の中心になるも良し。声小さく入って控えめな方という評価を貰うも良し。

 この場合、私は後者を選びました。

 その奥さんの単調でつまらない話に飽き飽きしていた奥さま方は、私の乱入に目を輝かせて振り返ります。


「昨日から、この住宅街に居着かせてもらっています、シャマルと申します。以後、よろしくお願いします」


 ペコリとお辞儀。どの道、仲が良くなれば砕けた話し方になりますが、第一印象は良ければいいほど後に生きる。どうでも良さそうにあいさつされたのと、誠心誠意あいさつされたのでは、記憶への残り方が違います。

 途中で、どうやら私のことを覚えていたらしい後藤さんが、私のことを知っているような声をだしています。

 これは都合がいいです。始めから自分たちのグループの人と仲がいい人を、奥さまは邪険に扱うことはありません。これは、年が上に行けば行くほど顕著になります。


「あらそう。わたし、今井というの」
「今井さんですね」


 今井さんですか。行動の節々から感じられますが、中々フランクな方ですね。あと、この人からはリーダー格の匂いを感じ取れます。

 この人は、この地区の奥さまズの中心人物ですね。

 私に会話に割り込まれ、現在ハブられている奥さんが絶対零度の視線で私を睨んできます。でも、無視します。奥さまは、一日のことをそうそう深く恨んだりしません。

 初日に、こいつのことを絶対に恨み続けてやると思っても、次の日は水に流しているものです。

 そんなカラッとした奥さまの気性を私は気にいっているんです。

 率先して誰かを恨んだりせず、話もつまらない。この奥さんは、この住宅街初心者の私にとって救世主ですね。

 私の場馴れした空気を感じ取った今井さんと後藤さん、その他数名の表情が変わります。私を脅威と判断したのか、どんなネタで攻撃してやろうかと考えているようです。


「……楽しいか?」


 奥さまとの距離詰めに全力になっている私に、後ろから追いかけてきたらしいヴィータちゃんが話し掛けてきました。……これは危険ですね。

 とりあえずジョークを言わなくては気がすまない奥さんがいる場合、小さい子が近くにいる若い女性は変な狙われ方をされてしまいます。

 主婦のお一人……というか、さっきの今井さんが、ヴィータちゃんと私を見比べた後、首を傾げて言いました。その目に大きな感情は見つけられず、相手の神経を逆なでする意図が見て取れます。


「娘さん?」
「なっ!」
「えっ!」


 嫌そうなヴィータちゃん。嬉しそうな私。否定すると悪乗りされるので、ここはあえて嬉しそうにするのが味噌です。

 ……中々悪質な攻撃を。他人を利用して攻撃するとは、何て人です。でも、これは私の力量を測る試しみたいなものでしょう。対応によって、下に見られるか上に見られるかが変わります。

 私の対応を見て、骨のある奴だとでも判断したのか、すっと今井さんが引きます。……何ですか、全員と戦えというのですか?

 さすがにそれはキツいんですけど……。


「あはは。楽しそうやな、シャマル」


 ヴィータちゃんに続いて、今度ははやてちゃんが参上しました。さて、これは会話のネタとなるか、弄りのネタとなるか……。

 どんな言葉を言われても対処できるように、マルチタスクを使用。これならば、何て言われても問題なし。

 分割された思考能力が、最適な言葉を弾き出してくれるでしょう。

 さあ、今井さん、あなたはどんな顔をしますか? 笑い、弄り、嘲笑、何でも来なさい。私の中で大防御と刃の防御が発動します。


「八神ちゃんね……」


 はやてちゃんを見て、何故かマジ顔になる今井さん。他の奥さんたちも何故かマジ顔になっています。

 主婦さんたちの間に広がる、マジメ特殊空間。奥さんたちがこれを発動するのは、かなりレア。

 連帯感と責任感と生真面目さと現実感がある住宅街で、近くにいる奥さんのご主人が亡くなった時くらいにしか発動しない、最強のフィールドです。結界魔法に匹敵する能力を秘めていると言っても過言ではないでしょう。

 ……この反応は想定の範囲外なんですが。何がどうなっているのか、混乱する私。


「シャマルさん」
「は、はい!」


 かなりマジメな顔をしている今井さんそのほかの主婦を見て、つい背中を伸ばします。

 今井さんは私の肩に手をかけて、目を覗き込みながら聞いてきました。


「あなたが住む家って、八神ちゃんの家なのね」
「そ、そうです……」


 私の言葉を聞いて、一斉に胸を撫で下ろす主婦たち。その行動に、はやてちゃんまで驚いています。

 誰からともなく泣きそうな顔になって、良かった、本当に良かったと言い出しました。

 ビビりまくる私たち。主婦といえば、軽い、温厚、お喋り好き。そんな三拍子が揃った無責任軍団と思われがちです。

 そんな彼女たちが、女泣きに暮れているのです。はっきり言ってしまえば、不気味です。


「えーと、何の話をしているのでしょうか……?」
「……そうよね、シャマルさんはわからないわよね」


 困惑する私の正面に後藤さんが一歩足を出して、自分の胸の腕を組んで私の耳に囁きます。

 それは、私によく聞かせるためというより、はやてちゃんに聞かせないためというように感じられます。

 後藤さんが言いました。八神家が長女、八神はやては一人暮らしである。

 ……そんなの、すでに分かりきっていることです。どうして、今更そんなことを言われなければならないのでしょうか。


「……知ってますけど?」
「……それだけじゃないのよ」


 私の白い目に、後藤さんは首を横に振ります。その目の節々にある真剣さには、一片の曇りもありません。


 後藤さんは数年程度前に引越してきたばかりなので当時の事件には関わっていないが、これは、ここ近辺の主婦の間では暗黙の了解となっているほど有名な話らしい。

 ちなみに、男衆でこの話を知っている者は一人もいないそうだ。

 それは、この狭い住宅街にとっても、とてもとても小さな出来事だった。

 その出来事の中心は、関西のほうから新たにこの町にやってきた新婚夫婦。彼らが手に抱くのは、足の不自由な当時二歳だった少女。

 その家。八神家は、決して稼ぎが多い夫婦ではなかった。

 けれども、娘が楽に暮らせるように、暖かい気候の町に移住することにした。娘が安全に過ごせるように、バリアフリーの家を購入した。

 十年にも家の及ぶローン。娘のためだけに、この住宅街に引越してきた。娘の幸せだけを考えて、彼らはここにやって来た。

 その家の新妻はやはり新婚夫婦で、まわりとの関係を大事にする術はない。最初の頃は、よく話しのダシにされていた。

 でも、それから数週間もする頃には、八神はやての母親もこの住宅街の奥さまの一員となっていた。

 そんなある日、奥さま同士で自慢の息子娘を持ち寄って、我が子自慢に花を咲かせたことがあった。その時、今の奥さんたちと幼かったはやては出会った。

 足が不自由なこの子ですけど、みなさん良くしてくださいね。最愛の娘を抱いて、はやての母は笑った。

 主婦たちはもちろん了承した。うちの子の恋人になるかもね、と冗談を言い合った。それからしばらくして、はやての母と父が死んだ。

 事故だった。誰か、あの子を守ってあげてください。それが臨終の言葉となった。奥様たちは、約束を守ろうとした。

 まずは、遺産の整理とかをするための弁護士とかに説明を行おう。誰かが言い出した。

 ところが、誰も何も言わない。というか、言えない。誰の口からも、八神はやての様子を見に行こう、手伝おうという話が出てこなかった。

 どうにか全員で話し合い、はやての家に一人暮らしで大丈夫なのかと聞きに行こうとした。それでも何故か近づけない。

 無理やりにでも近づくとどうしてか、大丈夫なのか聞きに来たことを忘れてしまう。それが無理なのだったら、市や県に連絡をしようと誰かが言い出した。

 ところが、県庁に電話をかけようとしても、かける前に何で電話をしようとしたのかを忘れてしまう。メモを取っても、文字が見えない。

 まるで、彼女が何か悪い霊にでも取りつかれているかのように。はやてがずっと一人暮らしでいろと命令しているかのように。

 少しして、彼女の父親の友を名乗る男が、彼女の遺産を管理し始めた。主婦たちは、気味が悪いと思った。

 なぜなら、そんな頼もしい友人がいるのなら、自分たちのようなただの主婦の集まりにあの子の世話を頼むはずがない。

 それでも、誰も何も出来なかった。自分たちは、何も出来ないのだから任せるしかない。

 彼女たち近所の主婦に出来たのは、自分が何をしたいのか忘れない距離で、そっとはやてを見守ることだけ。

 挨拶されたら挨拶を返す。料理のコツを教えてくれと言ったから、料理を教える。

 何か悪い人に絡まれたりしないように、困ったことにならないように。自分たちからは何も出来ないが、彼女から頼まれたことは実行することができる。

 いつも心配で、一人で暮らしているのはやてのことを見守っていたのだと言う。

 だから、はやての家に一緒に住んでくれる人が現れて本当に良かったのだと涙したのだった。

 どんなに怪しくたってもいい。ただ、あの不幸な女の子のそばにいてくれればそれでいい。

 私たちは、あんたに何も聞かない。あの子の傍に来てくれたあんたたちに、感謝をする。

 主婦の方々の言葉を聞いて、私は泣きそうになりました。天涯孤独の少女であっても、こうして見守ってくれている人たちがいた。この子をずっと見守ってくれている人々がいた。そのことを、初めて知りました。


「何時から、あの子を見守ってくれているんですか?」


 口から出た私の疑問に、今井さんが答えてくれました。そうすることが、さも当然であるかのように。


「最初から。あの時わたしたちに八神ちゃんが紹介されて、あの子の両親が死んだその時から、ずっと」
「……ありがとう、ございます」


 気が付くと、私の目から涙が出ていました。ただの住宅街の仲間。たかが仲間の言葉と無視することもできたはずなのに、あの子のことを見守ってくれた人たちが、確かにいた。

 私に襲い掛かってくる、数々の後悔。一人暮らしの女の子。誰も関わることの出来ない結界の中にいた、一人の少女。

 それは、きっとギル・グレアムの魔法的な措置だったのでしょう。

 一人で暮らしている少女を見て、誰かが騒ぐことのないように。誰かと深い関係になったりして、一人の少女の失踪に気付かせたりしないように。

 閉じられた世界の中で、医師などの必要最低限な人物しか彼女と関わらないようにして。彼女のことで悲しむ人が出ないように、とても優しくとても寂しい処置をされていたのでしょう。

 ……何が、地球の位置が分からない、ですか。何が、無印に関わったらヤバイ、ですか。

 ……一人で、たった一人で、小さな女の子が暮らしていたのに……私は何を言い訳をして、はやてちゃんの前に現れないでいたんですか。

 十一年も前から自由だった私は、この子が生まれたときからずっと一緒にいれたはずなのに……。この子のお父さんお母さんだって助けられたはずなのに。私は、どうして……。

 気付かないうちに私の瞳から零れ始めた涙。ポトンポトンとアスファルトの上に流れ落ちて、そこで砕けます。


「あーあー。シャマルさん、泣きなさんな。近所のわたしたちですら気付けないのに、別の国にいたっぽいあなたがあの子の状況を知れるわけがない。……それに、今、あなたはここに来たじゃない。それだけで、あの子は幸せだと思うよ?」


 今井さんが、私を慰めようと色々言ってきます。たくさんの感謝と感情が篭められたその言葉に、何度も何度もありがとうと返します。

 そんな私を、不思議そうな目で見ているヴィータちゃん。溜息をついているシグナム。ヤレヤレと首を振るザフィーラ。

 今はまだ、信頼関係が築けていなくて変わらない彼らの反応。それでも、きっとまた一緒に戦えるはず。


「……シャマル? 何で泣いて……?」


 そして、私の顔を下から覗き込むはやてちゃん。その姿に感極まって、はやてちゃんを車椅子から抱き上げると、ぎゅっと抱きしめます。

 私の行動の意味がわからずに首を捻るはやてちゃん。

 もっと一緒にいれたはずなのに。この子と一緒に過ごすことができたはずなのに……。私は、何を怖がって……。別に、あの人への義理なんか果たさなくたって……。


「……シャマル、どしたん?」
「ゴメンね。一人にしてゴメンね。……もっと一緒にいれたはずなのに、一人にしてゴメンね……」
「……?」


 主婦の皆さんと私の会話を聞いていないはやてちゃんは、私が何を言っているかわかっていないのでしょう。むしろ、分からなくていい。知らなくていい。

 主婦の方々も、知っては欲しくないでしょう。自分たちが好きでやっていたのだから、礼を言われる必要はない。それどころか、誰にもあなたが一人でいることについて深く聞くことが出来なくて、助けることが出来なくてごめん。そう言うでしょう。

 主婦の方々にも矜侍がある。礼を言われるために助けるのではない。助けを請われたから助けたのではない。

 自分たちは、目の前に人がいれば自主的に助けるのだ。主婦の皆さんは、口に出さずに背中で語ります。

 住宅街の横っちょ。道路の中心で、私ははやてちゃんを抱えながら泣き続けます。


「みんなー。お邪魔みたいだから帰るよー」


 主婦みんなを見渡して、今井さんがやる気なさげに叫びます。呼応して、さっさと去っていく主婦の方々。その後ろ姿はまるで軍隊のよう。ザッザッザと靴の音をたてながら、彼女たちはそれぞれの家に帰っていきました。

 残っているのは、まだ泣いている私と、私の背中をさすっているはやてちゃん。それにヴォルケンリッターだけ。


「……もう、だいじょうぶ、です」
「落ち着いた?」
「はい」


 最後に小さな滴が頬を垂れていって、私は泣き止みました。もう一度はやてちゃんを抱き上げると、車椅子に座らせます。


「……それじゃ、帰りましょうか。……もう、すっかり暗くなってしまいましたしね」
「え、ああ……シャマルがええんやったらええけど……」


 私の突然の言葉にビックリしたというか、訳の分からない物を見るような目をするはやてちゃん。

 赤くなった目を見られないように、私は先へ先へと歩いていきました。





 台所の前、エプロンを付けたはやてとシャマルが二人で向かい合っていた。台所には、山と詰まれた食材の数々。

 早く調理してくれと、まるで材料が懇願しているようだった。

 決して昨日のように一緒に作ることはない。彼女たちの根底にある教示が、一緒に作ることを許さない。

 昨日、そのことが判明していた。というわけで。


「材料をどっちが料理するかという話になるんですが」
「うん、そうやね。……台所は私の居場所。シャマルには渡さんよ……」
「つまり、勝負はこれで付けるんですね……」


 シャマルが右手でグーを作る。同じようにはやても左手でグーを作った。互いに手を振りかぶり、相手に向かって突き出した。

 かなりの速さで進む、右手と左手。そして、拳同士が後一歩で直撃というところまで近づき。


「「最初はグー!! じゃんけんぽい(ん)!!」」


 三本勝負の結果、シャマルが勝った。

 すごすごと台所を後にするはやて。ニヤリと笑いながら、シャマルははやてを見送った。

 リビングに戻り机の上にガバっと身を投げ出すと、はやては近くにいたシグナムに声をかけた。


「負けたー」
「……ご愁傷様です」
「……シャマル、明るくてええ子やな」
「そう……ですね。アレにあんな部分があったなんて、始めて知りましたが」


 出会ってからまだ二日。それでも、もう二日も経っている。終始戸惑っていたシグナムも、何とかはやてと打ち解けて、今日で何度目かの会話を行っている。

 ヴィータは、完璧にはやてのことを気にいったらしく、たまに笑みを見せている。それでも、まだまだ体は固かった。

 あまり話さずに着せ替えショーをしたのが結構効いているらしい。どうせ、何時の日か笑い話に変わりそうだが。

 あははとはやては笑うと、今度はシグナムに抱きつく。いきなりの主の行動に驚くが、それでも何となく抱きしめ返してみた。


「なんていうかな、シャマル、お母さんみたいなんよ」
「は?」
「せやから、イジワルしたくなった」
「……そうですか」


 昨日のシャマルとはやての争い。蓋を開けてみれば、そんな簡単なことか。シグナムは、とりあえず納得しておいた。

 納得してしまった。主の精神状況は、一番気にしておかなくてはならない事柄だというのに。

 だから、はやての表情の変化には気付かなかった。一瞬で表情は元に戻り、シグナムから離れると、笑顔でシャマルの後ろ姿を見守り始めた。

 後ろ姿を見ていて何がそんなに楽しいのだろうかと、ヴィータがはやてに声をかけようとして……。


「シャマル! それお酒やなくてみりんや!!」
「はうぅ! また間違えました!?」


 溜息を付いた。同時にヴィータのお腹がグゥと鳴った。

 それから一時間後、お腹を空かせたヴィータの前に、ごちそうという物が並んだ。机の上に所狭しと並べられたケーキやら肉やらのご飯。

 ヴィータは、大量のご飯を見て目を輝かせた。

 結局パーティーというものが何なのか分かっていないヴィータは、パーティーとは美味しい物を食べる会だということを知った。

 別に間違ってはいないので、誰も訂正はしなかった。


「主はやて。これは……?」
「……うーむ。やはりシャマルの腕は私以上……。ホントは私が作りたかったのに、ここまで作られては文句も言えん……」
「主?」
「あ、何でもあらへんよ。……ではヴォルケンリッターの皆さん、グラスを持って」
「こう?」
「ん。そうやで、ヴィータ」


 その後、ゴホンとわざとらしく咳払いをする。不思議そうな顔のヴィータ。演出と言うものですよ、とシャマルがヴィータにウインクした。

 人型になってコップを持っているザフィーラも見て、そんなもんかと納得するヴィータ。グラスを大きく掲げると、はやては言う。


「では、一日遅れやけど、私の誕生日と新しい家族の誕生に……」


 シャマルが、みんなの真似をしろとヴィータに教える。ザフィーラもシグナムも、何をするべきかは知っている。

 ヴィータだけが一歩遅れたが、それでも八神邸に声が響き渡る。


「「「「「乾杯!!!」」」」」


 乾杯。





――後書き
Q 喋り方……。
A 実はキャラの喋り方を完璧に把握していません。よって、キャラとキャラの会話には期待をしないように。
ところで、はやてちゃんと打とうとした時、はやてたんになってしまって少し焦りました。


しまった! あの黒い服がヴォルケンズの初期装備だなんて、誰も一言も言っていない!

初期のこの話は、アニメを見ずに想像だけで書いたので、作中と矛盾している所があります。
アニメの場合、服ははやてだけで買ってきたみたいなんですよね。でも、買い物のシーンが欲しかったのでイベントを追加しました。

さて、はやてと主人公のケンカの理由ですが……。二人のあり方を考えると、こうなるのが必然ですよね。



[3946] シャア丸さんの冒険 九話
Name: 田中白◆d6b13d0c ID:d0504f35
Date: 2008/11/30 20:59
2005年6月13日 八神家



「騎士甲冑?」
「ええ。我らは武器は持っています。ですが、甲冑は主から賜らねばなりません」
「あ。イメージだけしていただければ、後は私たちでどうにかしますので」


 聞きなれない言葉を聞いたはやてちゃんが首を傾げました。

 私はシグナムの説明を引き継ぐと、魔法の用語ではあるけども難しいことは考えなくても良いということを幼いマスターに伝えます。

 みんなで集まる憩いの場であるリビング。……といっても、私は微妙に警戒されているようなんですけど。

 それは当然のことだと思います。十一年も前からずっと実体化し続けているなんて、長いヴォルケンリッターの歴史でもありえない事件なんですから。

 むしろ警戒されなかったら、ヴォルケンズの質が落ちたのかと嘆いてしまいます。私の質はかなり落ちているようですけど。

 今はみんなでソファーに座ってテレビを見ている最中です。はやてちゃんは車椅子に座っています。もしかすると、出かける用事があるのかもしれません。

 テレビを見ている最中に、どうしたら前回のケンカ騒ぎの埋め合わせが出来るのかを私は考えていました。そんな交流のための会話の中で、ふと騎士甲冑の話が出たのです。

 ……はやてちゃんはとてもいい子です。この前の会話を全く気にしていないその気前の良い性格は、私にとってとてもありがたい。

 ですがケンカをしたという事実がなくなったという訳ではなく、時たまギクシャクしてしまうこともあるのです。それが嫌だからどうにか彼女の近づこうと努力している私です。

 騎士甲冑はイメージだけすればいいという私の言葉を聞いて、ふぅむと唸るはやてちゃん。

 米神に指を当てて、何やら考えごとをしているようです。

 私の言葉を聞いていなかったのかと不安になりましたが、すぐに彼女は口を開きます。眉尻が下がっているところを見ると、どうやら困っているようです。


「……私は、戦いなんてする気あらへん。だから鎧なんて……。……そや、服でええか?」
「構いません」


 ああ。私たちに鎧を着せるということの意味について考えていたんですか。

 はやてちゃんの質問を、シグナムは笑顔で肯定。戦わせたくないとは、この人らしいなと嬉しげに呟いています。うん、別に私もそれで良いで……。

 ……って、このまま話を進めていくと、私の鎧が緑の法衣(ザクアーマー)になってしまいます。どうにかしなくては。

 どうにか……。どうにか……。ここは、勢いで! いざ、その場しのぎの会話ラッシュ!


「は、はやてちゃん!」
「なんや、シャマル。藪から棒に」


 いきなり大声を出した私に、ビックリするはやてちゃん。声が大きかったからか、テレビに噛り付いていたヴィータちゃんまで私の方を振り向きます。

 ……大丈夫、大丈夫です。別に深い意味なんてない、ただ自分の騎士甲冑を紹介するだけなんですから。

 どうにか自分を落ち着かせると、魔法を発動。全身を緑色の光が包んだ後、私の体を赤色の騎士甲冑が覆います。

 全身これ赤、即ち赤い彗星のシャアの象徴。これがあるないで、テンションに三割から四割の差が生まれます。

 赤角、手甲、爪、スカート。シャアのフル装備、完成です。


「見てください。これが私の騎士甲冑!」
「……それ持ち越してんだな、シャマル」


 私の格好を見て、白い目をするヴィータちゃん。何とでも言いなさい。この鎧は、ミッドの男の子たちに大人気だったんですから!

 自信満々で騎士甲冑を着込んだ私。さあ、格好良くて何も言えないでしょう。

 得意げな私の顔を見て嫌そうな顔をするはやてちゃん。私の甲冑を一通り眺めると、目を細めて言ってのけます。


「却下や」


 何故に!?


「何がいけないんですか!!」
「なんや、そのエセフランス古風スタイルは!!」
「ふ、フランス? これは由緒あるシャアの……」
「シャーやろうが何やろうが関係あらへん。シャマルの鎧は格好悪すぎや!」


 私の全身を指差して、ビシィと効果音が付きそうな形相で否定の言葉を紡ぐはやてちゃん。指先には集中線が見えそうです。ドーンとか。

 それにしても、伝説のアニメガンダムの登場人物であるシャアの乗機の鎧を模した甲冑を一蹴しますか。この子、案外鬼ですね。

 清々しいほど簡単に否定してのけたはやてちゃんは、もう一度だけ私の着ている鎧を眺めると、なにやら唸り始めました。

 この甲冑の元ネタに心当たりがあるようです。だから、シャアですって、シャア。


「……あーっと。何やったけな……その姿。フランスの……」


 顎に手を当てて、何かを思い出そうとしているはやてちゃん。それでも思い出せないのか、自分の頭を何度か叩いています。

 どれくらい昔かなぁ……。確か読んだことあるんやけど……。うーうー唸りながら記憶の中を漁っています。

 アームレストの上で腕を何度か往復。少ししてから納得したのか、ピシッと胸を張りました。

 顔からにじみ出る笑顔は見ていて清々しいほど綺麗です。


「うん、忘れてもうた」
「…………」


 引っ張るだけ引っ張ってそれですか。一体何が言いたかったのか気になってしまうじゃないですか。

 忘れてしまったことはしゃあないやん。そんな風に開き直ってしまっています。

 もんもんとしている私のことを放っておいて、カレンダーを見たはやてちゃん。

 彼女が見るカレンダーには、今日が診察の日であるという目印の赤丸が記してあります。

 すでに、私の赤い鎧のことは頭からすっぱり消え去っているようです。今は私たちの騎士甲冑の草案でも考えているのかもしれませんね。

 シグナムは私の鎧を見て顔を顰めています。前回の主に何かあったのでしょうか。実は、前回の主の顔、覚えていないんですよね。嫌なことでもあったかもしれません。

 ヴィータちゃんも特に思い入れはないようで、普通にスルー。悲しさ満点です。ザフィーラは眠っています。

 誰にも何も言われなくて寂しいので、騎士甲冑の構成を解いて普通の服に戻りました。他のみんなはすでに見たことがある装備なので、ツッコミなしなのです。

 ……赤鎧の運命は、このままどうなってしまうんでしょうか。


「よし、病院からの帰りに図書館とかに寄って、資料集めなな」
「……そうですか」


 石田さんと仲が良いので、病院への送迎は必然的に私の当番です。シグナムとヴィータ、ザフィーラはまだこの世界に慣れていないのでお留守番。

 気合十分のはやてちゃんの後ろ姿を、私は心の内で涙しながら眺めていました。




シャア丸さんの冒険
九話「騎士甲冑の意味」




「……何か、普通に生活してるね」
「そうだねぇ……」


 まだまだ暑いとは言えず、されとて涼しいとはとてもいえない。そんな微妙な気温の中で、直射日光に打たれて少々だれ気味になっている二匹のネコがいた。

 リーゼロッテ、リーゼアリア。管理局の顧問官であるギル・グレアムの使い魔、教導も情報収集も行う万能さんたち。通称リーゼ姉妹である。

 現在ロッテは熱を持ったアスファルトを避け、人様のお家の屋根の上でグッタリしていた。アリアの方はまだ大丈夫そうだが、それでも辛そうに見える。

 今日は少しだけ暑い日だったのだ。

 今は猫の姿を取り、周囲の人々の視線を騙している。

 ちょうど、家の中から監視対象である八神はやてがシャマルに車椅子を押されて出てきた。

 車椅子はチタン製、自走式の肘掛両開き、フットレスト取り外し式だと思われる。


「……隠れよう。あいつ変に鋭いから、ヘタすると見つかるかも」
「……だね……あ」


 たまたま。本当にたまたま、日差しを浴びながらノビをしたシャマルと目が合った。

 彼女は驚いた様な目をした後、すぐに目を逸らした。見なかったことにされたらしい。

 なんだかむかついた。

 でも、甘えることにした。見つかっちゃったテヘ。とでもグレアムに伝えようとリーゼ姉妹は考えた。

 暑いからってダレすぎだったね。リーゼ姉妹は少しだけというか、かなり反省すると、ミッドチルダに転移することにした。





 ……見なかったことにしましょう。病院の入り口で私は何度か深呼吸をしました。普通に考えて、戦闘のエキスパートである彼女たちと目が合うことなんてありえないでしょう。

 私は最後にもう一度だけ深呼吸をしてから、病院のドアを開きました。

 微妙な時間のズレを不思議に思ってか、はやてちゃんが私を見て聞いてきます。


「……病院苦手なん?」
「いえ。途中で可愛いネコを見かけたので」
「はぁ?」


 なんやねん。と、可愛い顔をしながら呟くはやてちゃん。

 小さく笑うはやてちゃんの車椅子を押しながら病院の中に入りました。

 ここに来るのはこれで三度目。勝手知ったるとは言いがたいですが、病院の中身なんてほとんど同じようなもの。

 最初に見かけた女性看護士さんが、ペコリと礼をしてくれます。もちろん、私も礼を返します。はやてちゃんも、こんにちはーと看護士さんに嬉しそうに笑っています。

 はやてちゃんはこの病院の通院歴が長いので、知り合いがたくさんいるのでしょう。

 ハンデをものともしないように振舞うその姿は、この病院に通う人の力になっているのではないかと邪推してしまうほどです。

 受付に保険証を提示すると、私ははやてちゃんの車椅子を押しながら石田先生が待っている部屋を目指しました。





「うん、特に変わりはないみたいね」


 はやてちゃんのちょっとした検査を行ってから、石田さんがうんと頷きながら言いました。

 けれども、この場合の変わりがないということは、回復の見込みもないということ。石田さんの笑顔は、少しだけ硬い。

 手元に置いてある用紙に調査結果みたいな文字を書きながら、部屋の奥にある機械を見ている石田さん。


「……それじゃあ、少し大掛かりな検査もしようかしらね」
「ええ! あれ、かなり暇なんですけど……」


 石田さんの提案に、嫌そうな顔をするはやてちゃん。ですが、治療方法は彼女に任せているのでどうにも強く言えない様子。

 結局、いやぁー。暇なのいやぁーと言いながら、大型調査機械に入れられました。

 それから十分も経たないうちに聞こえてきた、はやてちゃんの寝息。すぅすぅという可愛い声を聞いて、つい頬が綻びます。

 ……こんな子とケンカしてしまったんですよね、私は。ガラス窓から見えるはやてちゃんの顔を見ているうちに、知らず溜息が零れてしまいました。


「どうしたんですか、シャマルさん。何だか辛そうですよ?」
「いえ……私は問題ないんですけど」
「では、この子に?」


 はやてちゃんに問題があるのかと問われ、首を縦に振ります。私とケンカしてしまって、きっとガラス越しにいる彼女の方が辛いでしょう。

 悪いのは私です。たかがおばさんと言われた程度でキレてしまった私が悪いんです。

 ケンカしているということを、主治医に黙っている必要はないですよね。

 あまり気が進まないのですが、私は些細なことからはやてちゃんとケンカになってしまったことを石田さんに告げました。

 私の言葉に相槌を打ちながら、難しい顔をする石田さん。

 きっと、高々数日もしないうちにはやてちゃんとケンカなんてしてしまっている私に呆れているのでしょう。

 確かに、そう言われても仕方がないことを私はしてしまったんです。

 なんと言われるのかが怖くて、私はそっと石田さんの表情を窺います。そこにあったのは、笑顔でした。

 フリーズしてしまう私。怒られこそすれ、微笑まれるようなことを私はしたのでしょうか。


「はやてちゃんと、ケンカしたんですか」
「え、ええ、そうですけど……」


 私の反応を見て、ふふふと笑う石田さん。その表情はとても晴れ晴れとしていて、驚いてしまいます。

 大きな機械の中で寝そべって、検査を受けているはやてちゃん。その姿を見ながら、石田さんは言葉を続けます。


「前にもいいましたよね。この子は大人びている、と」
「はい、言われました」


 石田さんは遠くを見るような目をすると、静かに語り始めます。

 八神はやては、大人びている。それは、そうならなければならないような生活をしていたから。

 幼い頃に両親が死に、それからずっと一人だけで暮らしていた彼女。

 子供の一人暮らしなんておかしなことに、誰も何も言わない。

 近所の人から最低限の教えを受けたり手伝ってもらったり、一人で食べるために料理の勉強をしたりした。けれど、基本的に八神はやては一人だった。

 小さな頃の彼女は、生きるために必死だった。がむしゃらに、ひたすらがむしゃらに生き続けてきた。

 全ての要素が、彼女を大人であるように仕向けていた。

 その結果、彼女には一つの余裕が生まれた。

 誰にでも柔らかく接し、よっぽどのことがあっても気丈に振舞うことができる。

 どんなに仲がいい人にだって弱味を見せることはないうえに、弱さを見せないまま生きる強さを持ってしまっている。

 自立した小学生。これがどれほどアンバランスな存在であるのかは、想像に難くない。

 ところがだ。シャマルは、八神はやてとケンカした。

 ケンカとは気にいらないから、認めたくないから。そんな幼い理論で巻き起こる戦いである。

 常に大人であろうとしているはやてとケンカしたということは、はやてが相手を認めたくなかったということだ。

 それは八神はやてから子供を引き出したということ。だから石田は笑った。嬉しかった。

 たった数日程度の時間で、大人な少女から子供の感情を引き出したシャマルの行動が嬉しかったのだ。


「あの子は、ずっと一人でした。確かに、近所の奥さんたちもはやてちゃんを気にしていましたし、私も出来る限りはやてちゃんの近くにいようとしました。でも……私ははやてちゃんの家族にはなれませんでした」
「…………」
「一番最初に受け持った子とか関係なくて、こんな小さいのにこんな大人びている子供がいたら助けてあげたくなるじゃないですか」
「そう、ですね……」
「だから感謝しています。あなたたちと出会ってから、この子、毎日がとても楽しそうなんです」


 石田さんは、私を見て微笑みます。とても綺麗に微笑みます。その姿は、白衣の天使と呼んでもなんら差し支えないものでした。

 はやての張り切りようを見ていると、そこに養ってあげる対象ができたという大人の感情があることは否定できない。だけど、無邪気に笑ったはやてを見て、石田は嬉しいのだと言う。

 普段は何歳も年上に見えるこの子が、子供のように笑っている姿を見ることができて、とても嬉しい。


「もしかすると。誰かとケンカすることができて、この子も嬉しいんじゃないでしょうか。ケンカは一人だけじゃできません。誰かと一緒にいて、誰かと仲良くなる。その結果、ケンカは起きます」
「たった一日で、私ははやてちゃんと仲良くなれたということですか?」
「それは分かりません。だけど、仲が良くない人とケンカなんてしませんよ。本当に嫌いなら、無視すればいいんですから。そんな様子、はやてちゃんにありますか?」
「ありません」
「だったら、もっとケンカしてください。はやてちゃんの本音を引き出してあげてください。引き出した本音を、受け止めてあげてください。そうすれば、あなたたちはもっともっと仲良くなれるはずですから」


 白衣の胸元を抱きしめて、石田さんは言います。その後に悪戯っぽくウインクすると、ちょっとだけ寂しいですけどね。と笑いました。

 はやてちゃんが起きないことを確認。そして私の顔をじろじろと眺めます。

 目には不満がありありと見て取れます。愚痴るように私に向けて呟きます。


「どうして長年連れ添った私に本音を見せないで、シャマルさんに見せるのかしらね。少しだけ寂しいわよ、はやてちゃん」


 幸せそうな顔で眠りこけるはやてちゃんをチラ見して、はぁと溜息を吐いた石田さん。

 私もはやてちゃんの顔を見ます。過去に何かがあるようには見えない、さっぱりした寝顔。

 この子はとても強い。子供にしてはありえないくらい、強い。それでも私ははやてちゃんを護りたいです。

 闇の書の守護騎士・湖の騎士としてではなく、シャマル一個人としてあなたを護りたい。

 今、私は自分でもわかるくらい優しい顔をしているはずです。鏡の前で練習していたあの頃にはできなかった笑みが、確実にできていると思います。


「……こんな目で見てくれる人がいて幸せね、はやてちゃん」
「え? 何か言いました?」
「何でもないわ」


 後ろで声が聞こえた気がしたんですが、検査機械が一際大きく揺れたのでよく聞き取れませんでした。

 石田さん、何て言ったんでしょうか?

 どうやらその大きな揺れと音が終了の合図だったようで、検査機械の動きが止まりました。

 同時に、はやてちゃんが起き出します。小さく唸りながら目を開け、私と目が合います。

 ガバッと体を起こすと、キョロキョロと辺りを見渡し、あっちゃぁとボヤきました。


「あらぁ、寝てもうた……」
「グッスリおやすみでしたね。寝顔、可愛かったですよ。ご馳走様でした」


 ペコリと一礼。実は私、まだはやてちゃんの寝顔を見たことなかったんですよ。

 私の言葉を聞いて、機械の上でゴロゴロ転がり始めるはやてちゃん。その顔は真っ赤で、私に寝顔を見せたくなかったということが簡単に窺えます。


「あぁーー! シャマルに寝顔見られてもうたー!」


 頭を抱えていやぁーと叫んでいるはやてちゃん。腕の隙間から覗き見える頬は本当に赤くて、まるでリンゴみたいです。

 うあーうわーううー。ゴロゴロゴロゴロゴローー。

 ……なんですか、この生き物は。子供とかそういうのを抜きにして、マジに可愛いです。

 実は信じていなかった母性とやらが、ふつふつと沸き始めてくる気分です。

 そんな私たちの寸劇を見て、くすくすと笑う石田さん。その声を聞いて、さらに真っ赤になるはやてちゃん。

 背中を見せているはやてちゃんを後ろから抱きしめて、持ち上げます。いやいやと暴れるはやてちゃん。

 それでも手しか使えないので、私程度でも簡単に持ち続けることができます。隙だらけになっている耳元に口を近づけると、そっと囁きました。


「大好きですよ、はやてちゃん」


 ボン、とまるで爆発したかのような顔になったはやてちゃん。行動がマジ暴れに移行して、私の腕の中でもがきます。


「嫌いや! シャマル、大嫌いや!!」


 うわぁあああと唸ると、私の手から抜け出して車椅子に飛び乗り、逃げ出そうとするはやてちゃん。石田さんが今の状況が面白いのか出入り口をブロック。

 石田さんの前で手を振り回して発狂寸前のはやてちゃん。

 私はといえば、大嫌いと言われたショックで魂が抜ける寸前。

 そんな私たちの大騒ぎがツボにはまったのか、お腹に手を当てて笑っている石田さん。これが、数十分単位の時間も続きました。





「お騒がせました、石田先生。すいません。後でシャマルにはよく言っときますんで」
「何ですか、それ。最初に逃げようとしたのは、はやてちゃんじゃないですか」
「シャマルがいきなりあんなこと言うのが悪い。ああ、今思い出しても鳥肌が立つ……」
「……仲がいいのはわかるけど、そこらへんにしてね」


 石田さんの言葉にフリーズするはやてちゃん。私と仲が良いと言われたのが、かなり堪えたようです。

 ……そんなに嫌いですか、私のこと。

 騒いでいるのに文句を言わなかったほかの先生たちに謝ると、私たちは病院から出ました。

 小さな段差を越えると、次に目指す場所は図書館と進路を変え……。


「シャマル。ちょっと離れて歩いてくれん?」


 はやてちゃんが理不尽な注文をしてきました。それは無茶です。

 そうできない理由があります。なぜなら。


「私があなたの車椅子を押しているので、無理です」
「……ハンドリムがある。車椅子は手で進める」


 さらに無茶なことを言うはやてちゃん。それでも私はヴォルケンリッター。主の言う言葉には絶対服従でなくてはいけません。

 何となく面白い場所があったので、そっちの方に車椅子を向けてから手を離します。

 車輪の外側にある小さな円、ハンドリムを動かして車椅子を進めるはやてちゃん。

 ほうっとあからさまな安堵の吐息をついた次の瞬間、段差に嵌りました。

 はやてちゃんが私のことを恨めしげな顔で見つめてきます。タイヤがすっぽりと嵌っているので、抜け出そうにも抜け出せません。

 何とか脱出しようと頑張りますが、結局抜け出せず。

 屈辱的な顔で私の顔を見た後、本当に小さな声でポツリと一言。


「……って」
「はいはい」
「ちょ! そこは『何て言ったんですか?』 じゃないんかい!?」


 ちなみにさっきはやてちゃんは、手伝ってと言いました。

 相手を侮辱するのが目的だったら、大きな声でもう一度、とかが基本ですが、私ははやてちゃんの車椅子を押すのが目的なので、小さな声で助けを求められれば充分なのです。

 私に車椅子を押されながら、納得いかないと呟いているはやてちゃん。

 大好きな子の車椅子が押せて、私は幸せです。口元の笑みは、どうしても戻せそうにありませんでした。





「シャマルの甲冑は、絶対にあの鎧の正反対にしたる……」


 図書館でふつふつと怒りに燃えるはやてちゃん。何でそんなピンポイントな復讐を考えるのでしょうか。

 ぶっちゃけてしまえば、それが一番ダメージ大きいんですけど。

 彼女自身知らないところで私に大きな心理攻撃を仕掛けようとしているはやてちゃん。その天然ぶりに、震えが止まりません。

 今はやてちゃんが持っている本は、昔の服などが乗っている装飾関連の書籍です。

 そうして幾つかの本を持って、本を借りに行ったはやてちゃん。……ヒマですね。

 はやてちゃんを待っている間、手持ち無沙汰になってしまいました。

 本を読もうにもそんな長い間離れているわけではなく、あの分量だと数分はかかる。

 普通に待っていればいいんでしょうけど、今はそんな気分でもなし。というわけで、図書館探険でもしますか。

 探険というより、どんな人がいるのかを調べるというのが正しいですけど。


「……えっと……あった」


 そんな小さな女の子の声が聞こえて私は振り向きました。まず目に飛び込んできたのは、真っ白な純白の学校制服でした。

 次に目を惹くのは、白と相反する深い紫色の髪の毛。そして、制服の色とお揃いのカチューシャ。

 ……えーと。誰でしたっけ? どこかで見たような気がしないでもないんですが。

 その子は本棚の前で背伸びをして本を手に取っています。あ、取りました。

 気になるので声をかけたいのですが、理由にできそうな本を取るという行動をもう出来そうにありません。

 ……んー。じゃあ、特に理由をつけずに挨拶してみましょうか。

 紫色の髪の毛をした子に近づいて声をかけようとして。


「シャマルー。本、借りたから帰るでー」
「あ、はい」


 我がマスターに呼ばれてしまいました。……ちょっとだけ不機嫌になっているはやてちゃんを待たせるのも嫌ですし、行きますか。

 ……それでも、あの子がちょっとだけ気になるんですけどね。

 はやてちゃんの大声が気になったのか、女の子が振り向きます。ちょうど目が合います。このまま突っ立っているのも何なので、とりあえず微笑んでみました。

 私の顔を見て、女の子も笑顔で礼をしてくれます。手を振ってみました。あっちの子も手を振ってくれました。

 何だか幸せな気分になってから、私ははやてちゃんの元に向かいました。

 特に出す話題でもないので、さっきの女の子のことはやてちゃんには言いません。今は、あの女の子よりも大事なことがあるんですから。

 袋に入った本を抱きかかえているはやてちゃん。どんな騎士甲冑を作ろうか悩んでいるはやてちゃんを尻目に、私は近くのリサイクルボックスからペットボトルを取り出しました。クスクスグズグズグルグル。

 比較的綺麗な物をいくつか持ちます。

 そんな私の奇行を見て、不思議そうな顔をするはやてちゃん。


「何やっとるん、シャマル?」
「このペットボトルが、後で重要になるんです」
「……?」


 戦利品は服の資料とペットボトル。これで今日の夕方は終わりました。





「あーあー。思い出した」


 お夕飯を作っている私の傍で、装飾品の本を読んでいたはやてちゃんが納得の声をあげました。

 彼女が開いているのは、フランス系統の本です。そういえば、私のシャアスタイルを十六世紀フランスとか言っていましたね、この子は。


「シャマル。あのダサイ鎧、もっかい着てみて」


 笑顔で言ってのけるはやてちゃん。

 私の米神に浮かぶ十字模様。何、普通にダサイとか言ってるんですか。全次元世界の男の子に謝りなさい。

 私の体を緑色の光が覆います。光が弾けた次の瞬間には、私の全身を赤い鎧が包んでいました。


「装着、完了です」
「まずは、その変なトンガリ帽子」
「ケンカ売ってるんですか?」


 何でそんな変な名前を付けられなくてはいけないんです。

 パラパラと本を捲ると、トゲ付き帽子を指差して私に質問をしてくるはやてちゃん。


「それはなんや?」
「指揮官の角ですよ?」


 指揮官? 首を傾げるはやてちゃん。

 理解できなかったのかそれだけで終わり、本のページを開いてやっぱり似てると呟きます。


「それ、多分エナンやね」


 ……エナン?

 私の頭に過ぎったエナン。どんな物かと聞かれた時は、ドラクエ7の王女が被ってるアレと言えばわかりやすいですね。

 ……確かに、似ていないと言い切ることはできませんね。でも、本来は先端に取り付ける薄絹がかけられていませんよ。

 本来、エナンとは女性が髪を隠す為の円錐型の帽子です。十五世紀の宮廷女性の被り物。確かにフランスが発祥でしたけど。

 でも……。


「……どう考えてもコレは角じゃないですか」
「そんならそれでええけど。じゃ、その手甲は?」


 別に、一つ一つには興味がないのか次に移るはやてちゃん。

 彼女が次に選んだのは私の手甲でした。これはもうガントレット以外言いようがないですよね。

 これはガントレット以外に見える方が変だと思うのですが。


「ガントレットですけど?」
「そうや。でもな、他のパーツと併せて見ると、どうしても別の物に見えるんよ。次は、プレートアーマー。それを付けていたのはやっぱり十五世紀前後の騎士。腰の小さなスカートがまるでパニエみたいで、そいで……」
「いきなり専門用語出されても……。ヴィータちゃんなんて、一つも分かってませんよ?」
「そ、そか……」


 私と会話しているはやてちゃんの言葉が気になっているのか、何時の間にかヴィータちゃんが紛れ込んでいます。

 会話の意味が全く理解できていないようですけど。そもそも、そんな専門用語ラッシュをされても、誰にもわからないと思います。

 昔のフランス女性といえば、幅広いスカート。そんなふわっとしたドーム状のスカートを再現するのに利用したのがパニエです。スカートの内枠と言えば分かり易いでしょう。

 プレートアーマーの見た目がまるでコルセットみたいだとか言いませんよね?

 ヴィータちゃんがザフィーラに連れられて、外に出されました。空気を当てるのが目的のようです。


「で、最後に靴やね」
「……シャアキック専用のこの靴ですか?」


 やはり、シャアキックという言葉に首を傾げました。女の子にはそうそう馴染み深い作品ではないことは認めますけど。

 そういえば、この世界にはガンダムがあるのでしょうか。だったら、一度ぐらい見ておきたいんですけど。

 とんがった私の靴を見てから資料を開くと、はやてちゃんは乗っている写真と靴を見比べます。


「尖頭靴。やっぱりそれも昔のフランスの貴族が履いとった靴や。けっこう似とる」
「こじ付けみたいですけど……」
「そうしてみると、その手甲が『ガン』にしか見えん」


 ガンは刺繍が施された白い手袋のことらしいですけど、別にそんな……。

 って、そういえば手甲には花の模様が入っていましたね。特にまじまじとは眺めたことなかったんで忘れていました。


「それで扇(エヴァンターユ)持ってマスク(カシュネ)でも被っとったら本物の14世紀から16世紀にかけてのフランス装備や」


 貴族貴婦人騎士が混ざりまくり。本を閉じる前にそう言って、はやてちゃんは話を纏めました。……好き放題言いやがってます。

 はやてちゃんが言っていること。これは、前回のマスターである男(本名不明)が私に貴婦人の格好をさせていたということです。

 どうして道具として扱われていたヴォルケンリッターが、そんな衣装を着せられるんですか。

 ……あ、そういえば、はやてちゃんはヴォルケンリッターの過去のこと知らないんでしたっけ。だったらそんな勘違いをしてもおかしくないですね。

 けれどもまだ何か納得いかないことでもあるのか、表情は硬くなっています。


「ただ、一つ分からんことがあるんよ」


 ……資料を持っているのに心当たりがないとは。つまり、資料以外のパーツでもあるのでしょう。

 それは私の鎧がシャアである証明。とうとう説明のつかない事例が現れたんですね。

 内心での私の歓喜に気付かず、はやてちゃんはポツリと零します。


「何で赤色?」


 そんな基本的なことですか。赤色というのはシャアの色。つまりシャアであるそれ以上でもそれ以下でもありません。

 それならば、私が言うことは決まっています。私は胸を張ると、その言葉を口に出します。


「シャアですから!」
「それが当時のフランス風の甲冑やったんなら、赤はおかしい。赤は高貴な色。女王にしか使うのは許されない絶対の権力の象徴」


 聞いていないはやてちゃん。こういう風に無視されるのは、ドットの役回りだった気がするんですけど。

 結構エライ貴婦人さんだって下着みたいな見えない所にしか赤を使った服は着てないというに……。ブツクサ呟くはやてちゃん。


「前の主さんが王だったと仮定すると……」


 そこまで口から出して……続く内容を咄嗟に止めて、私を見ます。

 私の格好を上から下まで見て、ふむふむと自己完結して納得しています。

 はやてちゃんの表情が崩れました。その笑顔は、あまり綺麗な笑みではありません。綺麗どころか下品なオーラがぷんぷんです。


「ははぁん……」
「……何ですか?」
「いや、何でもあらへんよ」


 意味深げにニヤニヤ笑うはやてちゃん。なんだかカチンときました。知っていることを包み隠しているその行動、万死に値します。

 私もいろいろと秘密を持っていることは忘れます。世の中には、言って良いことと言うと悪いことの二つがあるんです。

 はやてちゃんの崩れた表情が、いきなり引き締まりました。今度の目は真剣です。つい背筋が伸びてしまいました。


「ところで、聞きたいんやけど」
「……?」


 はやてちゃんは目を瞑ると、頭の中で言いたい言葉を反芻させてから、言葉を口に出しました。

 目に見えるのは小さな悲しみ。瞳の中にある悲哀に、緊張してしまいました。


「騎士甲冑は主から賜る物。シャマルは、私から甲冑を授かってくれんの?」


 ……! そ、そういえば、そうでした。騎士甲冑を賜るというのは一つの儀式です。前の鎧が気にいっていて、さらに装備することができる。

 だけど、その鎧を着ていてはダメじゃないですか。私たちは転生するたびに主から鎧を授かり、鎧をもって主の盾となる。

 前回の主の鎧を着続けるというのは、今回の主の身を守らないということ。そのことを忘れてしまっていました。

 ……単独行動が長かった弊害ですね。気をつけなくては。


「その鎧。ひいては前回のマスターっていう人のことを大切に思うのはわかる」
「へ?」
「そんでも、今のシャマルのマスターは私や。前のマスターのことを覚えときたいのは分かるけど、私のことも考えて欲しい」


 別に前のお方にそんな義理はないんですけど。口の中で転がしたその言葉は口に出しません。

 何だか勘違いされてしまっているような気がしますが、無視です。せっかく丸く収まろうとしているのに変に混ぜっ返すつもりなんてありません。

 赤い甲冑は確かに重要。だけど、ヴォルケンリッターである私は、賜った物を絶対に使わなくてはならない。というよりも、前の鎧のことは忘れなければならない。

 かなり不肖不精ですが、私は自らの騎士甲冑を替えることを認めたのでした。





「そういえばシャマル。あのペットボトル、何に使うん?」
「近所に可愛いネコがいるって言ったじゃないですか」
「うん、言っとったね」
「素行が悪そうなんで、ちょっと結界などを」


 数日後。八神家の前に、監視のためにリーゼ姉妹がやってきた。この前とかわらないネコ姿。今度こそ見つからないようにと、気合充分である。

 ところが、気合は一瞬で霧散した。その理由は、八神邸の前にポツンと置かれたある物に由来する。

 デンと置かれたペットボトル。サンサンと降り注ぐ陽光を反射して輝き、夥しい存在感を発揮している。

 ネコ避けペットボトル。中身は水。しかも二リットル入り。

 舐めてるのかとしか言いようがない。


「「……」」

 かつて、自分たちがネコであることを揶揄する会話をシャマル――当時はシャアと名乗っていた――としたことがあった。

 その時、彼女は言った。あなたたちにペットボトルって効くんですか、と。

 効くわけがない。確かにネコを使って生まれた使い魔だとはいえ、自分たちは本質的にはネコではないのだから。

 ……バカにされている。屈辱に震える二匹。

 その時、ペットボトルの反射が二匹を襲った。キラキラと輝くものに反応してしまうネコの本能が発揮され、つい威嚇してしまった

 フシャーという、ネコの鋭い威嚇の声が住宅街に響き渡った。

 同時に、監視対象の玄関のドアがガラリと開いた。中からピンク色のエプロンをした、金髪の女性が出てきた。

 ペットボトルに威嚇しているネコを見て、大きく目を見開く。


「あ……」


 驚いたような彼女の声。確認しなくても正体はわかる。一時期の間だけだが、彼女の声は監視目的でよく聞いていたのだから。

 女性がはしゃいだような声をあげた。


「やっぱり、ネコなんですね」


 自分たちは聞いていないし、何もしていない。今日はちょっとだけ、うん、ノンビリしていたんだ。

 今日は監視行動なんてしてないよー。

 二匹は心の中で涙を流すと、自分たちの主人であるギル・グレアムのところに今日のことを愚痴りに行くことにした。





――後書き
Q 物語のパターン単純。もっと捻れ!
A これ以外の構成が思いつかないのよー。股旅ものっぽくて良くないッスか?
主人公が石田先生を石田さんと呼んでいます。出会い方の問題ですね。


キシャー!!

……うん、疲れたんです。ネコアルクに逃げたくなるんです。
柚姉、かわいいよ。かわいいよ、柚姉。
ハッ。俺はこんなキャラじゃなかったはず。もっとこおはで……アレ?



[3946] シャア丸さんの冒険 短編六話
Name: 田中白◆d6b13d0c ID:d0504f35
Date: 2008/11/30 21:00
「なぁ、みんなに聞きたいことがあるんやけど?」

 私たちがはやてちゃんの家にお世話になるようになってから、早一ヶ月ちょっと。

 ご近所さんとの仲も段々と良くなってきていて、私たちの存在もこの町内では普通になっています。

 そんな気持ち良くて、気分も良くなる昼下がり。自分がご飯を作ると言い張っていたはやてちゃんから、どうにか調理場をぶん取ってお昼ご飯を作っている私。

 その横ではやてちゃんが、リビングに置いてあるテーブルの前で車椅子に座ってみんなの顔を見渡しながらそんなことを言いました。


「なんでしょうか、主はやて」


 何時になく真剣なはやてちゃんを見て将としての血が騒いだのか、シグナムの顔もキリリと引き締まります。同様に、ヴィータちゃんとザフィーラも姿勢を正しました。

 ……一人だけでご飯を作るのってなんだか寂しいです。

 泣きそうな私の表情には気付かず、はやてちゃんは一度コホンと咳払いをすると三人を見て(私は近くにいないので)聞きました。


「私の下着、どこに行ったんやろ?」
「「「は?」」」
「はうぅ?」


 一斉に首を捻るヴォルケンリッター。もちろん、私も首を傾げます。

 下着……ですか? そういえば、最近数が少なくなっているような……。家族が出来た記念に古い物を処分しているのかと思っていたのですが、違うのでしょうか。

 私には心当たりがあるものの、他の三人は主の下着事情なんて知りません。

 不思議そうな顔をしているヴォルケンズを見て、慌てて先を続けるはやてちゃん。


「……洗濯して干してあった下着がな、なんや最近ようなくなるんよ。風で飛ばされたんかと思ったんやけど、なんだかおかしい。せやからみんなに聞いたけど……やっぱ分からんよね」


 一人で完結して納得してしまうはやてちゃん。

 下着がなくなっている、ですか。……そう言えば、そんな話が奥様方の井戸端会議であったような。

 思考を分割して、その時の会話を思い出してみます。あれは、ゴシップ好きの今井さん(仲間内でゴシッパーの名を欲しいままにしている。意味は不明)が話していたような……。

 ああ、そうです。近頃隣町で、若い娘さんがいる家を狙った下着泥棒が発生していると聞いたんでした。

 遠くの事件だったから今まで気にしていませんでしたけど、もしかしたらその泥棒さんがこっちにまで出張して来たのかも。

 調理作業を中断すると手に調味料を持ったまま、はやてちゃんを呼びます。

 何事かと私の方へ車椅子を進めてくるはやてちゃん。……私から出向くべきでしたね。


「その事件、心当たりがあるので近所の奥様たちと情報交換してきます。後は塩・胡椒をかければ完成なので、味付けしておいて下さい。ご飯は食べてて構いませんから」


 噂を仕入れるのは早ければ早いほど良し。奥さんたちの会話の流れはあまりにも早く、あまりにも遅い。もう一度下着泥棒の話が出るとも限りませんし、さっさと調べておくことにしましょう。

 手に持っていた仕上げ用調味料をはやてちゃんに渡すと、私はエプロンを外しながら玄関に向かいました。……このエプロン、ピンク色なんですよね。緑じゃなくて良かったと喜ぶべきでしょうか。

 家を出る準備をしている途中で、今度ははやてちゃんに呼び止められます。……どうしたんですかね。

 んー。ご飯を食べてから行けとでも言うつもりですかね? 十分もしない内に帰ってくるつもりなんですけど。


「……なぁ、シャマル。これかけるつもりだったん?」
「はい? ……あ」


 私が渡して、はやてちゃんが受け取った最後の調味料。

 ……それは、砂糖でした。どうやら、またしても塩と砂糖を間違えた様子。……危なかったです。このまま続けていたら、みんなの命(味覚的な意味で)はなかったかもしれません。

 何度か失敗しているので、たまに警戒されているというのに。信頼がレッドゾーンにまで急降下するところでした、危ない危ない。

 安堵の溜息を付く私を、どうしてか白い目で見ているはやてちゃん。手の中で、これ見よがしとばかりに砂糖の入った容器を振っています。


「あと少しで料理に砂糖入れてしまうとこやったよ……。そのおっちょこちょいなとこがなくなれば、私の料理パートナーになれそうなんやけどなぁ……」


 やれやれと失望の声をかけてくるはやてちゃん。

 ……ふふふ。その姿につい笑いがこみ上げてきます。料理技能が負けているのが悔しいからって、そんな大人気ない手段を使わなくても……。

 はやてちゃんが腹黒い真似をしたって、微笑ましいだけでなんともありませんよ?

 慈愛の笑みを浮かべてあげると、はやてちゃんの米神には青筋が浮かびます。せっかく可愛い顔をしているんだから、そんな表情はしないで欲しいのに……。

 はやてちゃんも料理が上手いとはいえ、所詮は九歳児。私のように、数々の人に食べさせ、味を研究し、本場(?)のシェフに学んだことはないはずです。

 家族や友達のような『食べさせる相手』のがいない経験不足のはやてちゃんが、そんな私に勝てるはずないじゃありませんか。……複雑な家庭って悲しいですよね。

 そんなことは顔に出さず、互いに腹を探り合うような笑みを浮かべあいます。背中に踊るは竜と虎。互いの想像上で、ブレスを吐きあっています。

 やっている内に段々ノリノリになってきて、なんだかマジバトルに発展しようとしたその瞬間、はやてちゃんがハッとした様子で表情を変えました。


「ご飯は先に食べとるから、さっさと帰ってきい」


 一転して笑顔になるはやてちゃん。

 むぅ。……確かに『家族』がこんな変な理由で仲が悪くなったら嫌ですよね。それに気付いてすぐさまでケンカを水に流すとは。

 ……うーん。まだまだ私も未熟ですか。気心が知れすぎると、なんだか悪戯心が湧いてしまうんですよね……。

 さっきまでのバトルを無視した私は、はやてちゃんに手を振って家を出ました。……帰れる場所があるというのは、とても素晴らしいことだと思います。





「下着? そう言えば、近所の娘持ちの家庭でそんな話を聞いたような気が……」


 近所の公園付近で健康づくりの昼下がりウォーキングを行っていた後藤さんに声をかけます。私の言葉に、思うところでもあるのかふむと顎に手を当てて何やら考えています。やっぱり後藤さんも何か心当たりがあるようです。

 それはおいておいて、直射日光とかで出来る染みは気にならないんでしょうか? 自分を若い若いと思っていると、すぐに肌は衰えてしまいますよ?

 私の質問から何を聞きたいのかを推理したのか、少し驚いた様な顔になって後藤さんが疑問を言ってきます。


「シャマルさんの家もそうなの?」
「ええ。はやてちゃんの下着がなくなっているそうです」
「そうなんだ。……美人さんが二人もいる八神家で、子どもの下着が狙ったのか。もしかすると、犯人はロリコンかもしれないわね」


 人差し指を立てて、まるで探偵にでもなったかのように自分の推測を述べる後藤さん。

 犯人の予想像はロリコンなんですか? ……子供好きにそんな犯罪を犯すような人がいるなんて、少しだけ寂しいです。

 ところで、ロリコンはただ子供が大好きな人ですよ。子供に欲情するのはペドフィリアです。そこを間違えると、私もただのロリコンさんになってしまいます。

 ……でも、それよりも先に聞き捨てならない言葉を聞いてしまったような……。


「あのぉ……美人って……?」


 そう、そこです。この人、何を血迷ったのか私のことを美人さんとか言って来たのです。シグナムは美人。ヴィータちゃんは可愛い。私は、自分のことをどっちつかずの半端者だと思っているのですが……。

 あ、自分のことを可愛くて綺麗の両方を持っていると言っているわけではないですよ?


「美人さんは美人さん。つまりシャマルさんよ。……あのね、謙遜もいいと思うけど、貴女ほどの女性が自分を低く言うのって逆に嫌味に感じるわよ。もっと自分に自信を持ちなさいな」
「……美人って言われもピンとこないんですが」


 後藤さんは自分の腰に手を当てて、プンプンと表現するしかないような顔で私に説教をかましてきます。

 ……でも、なんかこう、私は昔から保母を目指して戦っているので、目指している目標は美人さんではなく優しい人なんです。目標としている場所が見当違い過ぎて、女性としてのなんやかんやに殆んど興味がないんですよね。

 私の表情から何かを読み取ったのか、後藤さんは、はぁと一度だけ溜息を付きました。溜息を付いた後、急に真面目な顔になります。


「子供が危ない。これは、ご近所に注意を促す必要があるわね」
「……そうですね」


 私は昔からこの人が好きでした。それは、優しさとお茶目さ、両方を併せ持った主婦の鏡だったから。

 この人に初めて会ったとき、私はこんな人になりたいんだと直感したんです。前の私はただの主夫でした。……けれど、今の私は後藤さんと同じ『主婦』。条件は対等、初めてこの人と同じ場所に立てるのです。

 私は静かな使命感に燃えはじめました。

 ……そういえば、後藤さんの喋り方、昔の喋り方と比べるとかなり違和感があるような? 昔は、もっと、こう、若奥さんみたいな空気を発していたような。今の後藤さんは何だか姐御みたいなんですけど。……気のせいですかね?

 どうやら、後藤さんはこの下着泥棒事件を井戸端会議で話題に取り上げるつもりのようです。今日の夕方六時、近所のアパートの前に奥様軍団集合の場でこの危機を発表。後藤さんにそう言われて、私は帰路に付きました。

 触りだけをはやてちゃんに伝えると、ここら辺の人々にどんな質問をしようかと、部屋に篭って考え始めました。

 同じ部屋のシグナムが、あきれたような目で私を見ていますけど黙殺しました。





 夕方六時。着々と集まってくる主婦の方々。それぞれが、普通の人には見えない話好きオーラを纏っています。

 各々が独自のルートを使って手に入れた必殺の話題をもって、近所の主婦たちから感心の声を聞こうと張り切っています。

 目を爛々と輝かせ、それぞれの情報を語っていくその様子は、見ていて神聖さすら感じさせるものがあります。

 ちなみに、新参者の私たちは噂話格好の標的。あまり人とコミュニケーションを取るのが上手くないシグナムなんかが結構狙い撃ちされています。

 ヴィータちゃんを好きになってしまっている近所の小学生の話は、家族が関係しているのもあってなんだか心が踊りました。

 そんな中、近所の大学生が八神宅を覗こうと必死になっている様を、とある主婦が赤裸々に語り始めました。……まさか、鏡をそんな風に使うとは。驚きの内容が展開されていきます。今大学生さんは、この主婦さんに見られているのに気付いて自重しているそうです。

 しばらくの間、その大学生さんは主婦の方々に汚物を見られるような目で見られること請け合いです。……名も知らぬ――いえ、聞きましたけど――大学生さんの精神の充足を、少しの間祈ってあげます。

 全員の奥さま話も絶好調。そんな、みんなのノリがいい時期を見計らって、後藤さんが話題を切り出しました。

 夕闇に照らされた後藤さんのマジメそうな顔に、皆の会話が一端停止しました。


「最近、この区で下着泥棒が起こってない?」


 その言葉を聞いて、主婦の方々の目の色が変わりました。娘持ちの奥さんたちが、あるあると一斉に言い始めたのです。

 近頃娘が下着がないとよく言ってくるのだそうです。少なくて一枚、多くて五枚。この地区の娘さんのほとんどが被害に遇っていることが判明したのです。


「あら、わたしの家なんて……」
「そういえば、娘がそんなこと言ってたわね……。マジメに聞いておけば良かった」


 顔をつき合わせて、それぞれが知っている情報を出し合っている噂大好きさんたち。

 この話題に真剣になり始めた奥さまたちの話から、犯行時刻は昼から夕方にかけて一定しておらず、犯行は大体二日に一回起こっていて、さらに七歳以下で十五歳以上の女の子の下着は狙わないということが判明しました。


「怪しい人ねえ。……そういえば、前に黒い服を着てた男が……」
「私も見たわよ。確か、緑色のセーターを着てた」


 そこから、話が広がっていって、ジョギングやウォーキングが趣味の奥さま方から、最近ここら辺で挙動不審な男を見かけたという話まで上る始末。

 全員の話を総合して、ここ数週間、特に目立たない一般的な服を着ている二十歳以上の男が、常に民家のベランダを見ながら歩いていることまで明らかになりました。

 近くの危ない人の名前が出され、第一の容疑者が上がります。さらに、さっきの大学生が犯人なんじゃないかと邪推する人まで現れる始末。

 結果、近所から隣町まで合わせて十人の容疑者が挙げられ、三人位まで絞り込まれました。……場所が違っても衰えることはありませんね、この特殊すぎる操作網は。

 聡明な方がいない地域では、ただの愚痴りあいになってしまうのが最大の欠点です。

 奥さまたちの目が、近所の何処にでもあることを感じさせる結果になりました。……恐ろしい。

 ただ、奥様たちが訝しがっているのは、その犯行の手際の悪さだそうです。

 世界はとても広いらしく、二十枚の下着を盗むのに一年の計画を練る人もいるのだとのこと。今回のように、二日に一回のペースで盗んでいてはすぐにバレてしまうショボい犯行だと言っています。

 つまり、これは素人の犯行だと皆が揃って言っているのです。……人生経験って恐い。

 そんな話をして犯人許すまじと盛り上がっていると、噂大好き今井さん(ゴシッパー)が、奇妙なことを言い出しました。


「……二日に一回、よね?」


 そうよ、と頷く主婦の方々。後藤さんは、下着泥棒に注意して締めるつもりでいたそうなので、今井さんの突然の乱入に驚いているようす。

 主婦の好奇心や、犯罪者をのさばらせてはいけないという使命感。それと、近所を騒がす事件にちょっとした興奮を覚えているらしい今井さんが言葉を続けます。


「だったら、わたしたちで犯人を捕まえてみない?」


 驚きの提案に目を白黒させる主婦の方々。わたし良いこと言ったと自分を褒めている、満足気な表情の今井さん。

 そんな今井さんを見て、私は呆れてしまいました。

 成人している男の人に、ただの主婦が立ち向かえると思っているんですか。逆に危ないですよ。

 これは危ない兆候ですね。後藤さんと目を併せると、彼女も私と同じことを考えているのか迷惑そうに首を振りました。

 ……ですよね、危ないですよね。これは止めなくては。たまたま静まり返った一瞬を狙って大声を張り上げます。


「あの……さすがに、それは危険だと「「そう、それよ!!」」はうぅ!?」


 逆に私の言葉が遮られるほどの大声で、今井さんの言葉に従おうと言い出す人が出てきました。

 自分の娘が辱められているのに、親が動かなくてどうするのか。そんな風に、主婦の方々は主張します。……いえいえ。それって、事件という非日常にただ関わってみたいだけですよね!?

 変な好奇心で事件に関わって怪我をしたら、それこそ大事件ですよ。下着泥棒に入られた家は、十五歳以下の子どもしかいない家だということですよね!? 家事の中心人物である親が怪我をしたら、子どもはどうすればいいんですか!?


「大丈夫、家には高校生の息子がいるから!」
「根拠になってません!?」


 親指をあげて私に家の平気さをアピールする主婦の方もいます。何でそんなノリノリなんです。危ないことは危ないんですよ。何故にそんな無責任な真似を。

 憤っている私の肩に、ポンと手が置かれました。振り向くと、そこには諦めろと言いたげな表情で私を見ている後藤さんがいました。


「……あの、止めないんですか?」
「……主婦はね、サークルとかに入ったりして趣味を持っていないと、暇なのよ。手のかかる子どもが小学校に入ったりして、急に出来た自由という時間。まだ仕事を始める気はなくて、真昼間から家事をする気もおきない。だらだらと、リビングでテレビを見て過ごす。こんなヘタな時間の使い方をするくらいなら、下着泥棒をこの手で捕まえて表彰なんかされちゃったりして。そんな妄想をしたくなるの。刺激が欲しくなるの」


 何だか自分のことのように語り出す後藤さん。というより、後藤さんの本音でもあるらしいです。……知的な主婦という見方は、私が一方的に押し付けいた幻想だったのかしら……。何だか見てはいけないものを見てしまった気がします。

 ハッとして、何時もの格好良い主婦の姿に戻る後藤さん。……作られたキャラだったんですか。何だか幻滅しました。

 ……い、いえ、まだ大丈夫。見なかったことにすれば大丈夫。見なかったことにすれば、これが嘘だったという希望が生まれます。深く聞いたらそれこそ墓穴。後藤さんには、私の夢のままでいて欲しいです。

 しかし、一度本音を口に出してしまえばそのままズルズルいってしまうのが人間というもの。


「はぁ……。たくましい男の子と不倫したいなあ……」


 なんか、後藤さんの口から本音が出てしまっています!? まさか、前の私に仲良く接してくれていたのは、食べたかったからですか!? マッチョな私が捕食対象だったんですか!? 

 幻滅とかそんな騒ぎじゃないです! シュ、シュレティンガーを、シュレティンガーの猫の発動を要求します! 私が見なかったことにすれば、私の世界の中では後藤さんはそんな人じゃなくなります! 観測されていない事柄は、世の中で起こっていないんです!  ずっと猫を被った素敵な後藤さんのままでいてください!?

 後藤さんを一端視界から外すと、何度か深呼吸をします。視線を戻すと、彼女の顔からそんな表情は消えていました。

 ……ふう、どうして私は一人で騒いでいたのでしょうか。一体、何があったというのか。何故か、ここ数分の記憶がありませんね。全くないですね。ないったらないですね。完璧に忘れ去りました。これで、また普通に後藤さんと話せます。

 電信柱に頭を叩きつけたくなる欲求をなんとか堪え、嬉しそうに下着泥棒退治の話を始めている主婦の皆さんを目に入れます。

 わたしがヒーローじゃー。騒ぎに騒いでノリノリです。近所に住んでいる男の方々が、何事かと言った様子で主婦たちの井戸端会議を覗いています。

 楽しそうな声を聞いて、さっきまでは会議に加わっていなかった女性たちも集まってきました。自分たちが正義を執行できると聞いて、さらなる熱狂の渦に叩き込まれていく奥さま方。

 少しでも遠くから見ると、そこにいるのは無駄にヒートアップした女の群れ。

 気味悪そうに、女性の群れを見てから通り過ぎていく男性たち。何度か振り返り、あれはこの世の光景かと確認しているようです。

 ……もう、どうなっても知りませんよ?

 私が入り込む余地はなし。そう判断して、私は狂乱地帯から抜け出して帰路に付きました。





「それで、話し合いの結果はどうだったのだ、シャマル?」


 主の下着を盗むなど、言語道断不届き千万。一応、主の危機っぽい事件にうれいているシグナムが、今日の会議の成果を聞いてきました。


「ダメダメです。皆さん、変な風に盛り上がってしまって、人の話を聞けるような状況じゃありません」
「自分の娘の下履きが盗まれたのだ。当然のことではないか?」


 ザフィーラが私を見上げてそんなことを言ってきました。まあ、そうですね。と適当に答えます。……子どものことを語るような人にはとても見えませんが、ザフィーラは案外子ども好き。

 大きな犬として、近所の子どもに大人気です。ヴィータちゃんが連れている時に、子どもを一人二人乗せて走っている姿を見たこともあります。

 奥さん方には狼じゃないのかと勘繰られているようですし、たまに去勢したのかと聞かれることもあります。

 ……ご近所円満のために、イエスと答えていますけど。周囲の人に嘘ついてゴメンね、ザフィーラ。

 ソファーに座ると、はやてちゃんがお茶を煎れてくれました。お礼を言ってから、カップに口をつけます。

 口の中に広がる良い匂いと味。……あれ? これって、少し前に私が煎れてあげたお茶の味に似ているような……。


「練習したんやで。……年上かて、料理でシャマルに負けるのなんかシャクやから」
「……凄い。とてもおいしいです。……たくさん練習しましたね?」
「当然や! お腹減っとるやろ? すぐ作るから、待っとき」


 私においしいと言わせたのが嬉しいのか、グッと手を握るはやてちゃん。その様子に小さく微笑む私。

 その姿を見て、決心します。……あんまり意地を張ってないで、私の技術をはやてちゃんに教えてあげますか。この子の技術はまだまだ伸びる。料理の本と一人での研究よりも、先生がいた方が伸びが速い。

 車椅子に乗ったままはやてちゃんが台所に向かいます。どうやら夕ご飯を作ろうとしているようです。

 私も後に続くと、あくまで自然な動作ではやてちゃんの横に並びました。


「シャマル?」
「お料理、お手伝いします」


 笑顔ではやてちゃんを見ます。今までは、互いに相手に料理を食べさせることに夢中で、手伝いあったことなんてありません。

 私が手伝うと言ったのは、初日を除いてこれが始めてのこと。笑顔のはやてちゃんの笑顔が、さらに深くなります。


「……ほうか! よろしゅうなシャマル」
「はいっ!」


 その日は、二人で一緒にご飯を作りました。壁を感じてしまって、ヴィータちゃんが声をかけるのを躊躇うくらい、仲良くご飯を作ることができました。

 ……とはいえ、まだまだしこりは取れていませんけど。私は、はやてちゃんの何に苛付いているのでしょうか?





 次の日も、特に何事もなく迎えられました。朝はベッドで起きるのがとても新鮮で、台所に行ってはやてちゃんと挨拶してから一緒にご飯を作って。

 ヴィータちゃんが起き出してきて、シグナムに新聞を渡して。何時ものような日が続きます。

 捕り物があったという話は未だ出てこないうちに、時刻は夕方を回ります。周囲の人へのカモフラージュとかの意味があるのかないのか不明な、ザフィーラの散歩の時間になりました。

 ヴィータちゃんは、最近、近所のおじいちゃんおばあちゃんの人気者になっていて、今日は家にいません。

 ということで、シグナムがザフィーラの散歩を担当することに。

 感情をあまり表に出さないザフィーラすらも、最初の頃は嫌がっていた散歩行為。何時の間にか馴れっこになってしまっていて、近所の子どもと遊ぶ余裕すら生まれています。

 これを格好良いと喜ぶべきか、それとも悲しい運命だと嘆くべきか。私の中では未だにハッキリしていません。

 ただ一つだけ言えることは、ザフィーラはすでに男として見られていないということです。……せめて、忘れ去られてしまった真実を、私だけは覚えていてあげたいものですね。

 首に首輪を巻かれ、リードを繋がれ準備バッチリなザフィーラの後ろ姿を見て、私はこっそり涙しました。





 ……青き狼が……こんなに丸くなって……。……む。

 最近は、すっかり見慣れてしまった住宅街を歩くシグナムとザフィーラ。互いに会話はない。

 元より、ヴォルケンズの中で一二を争うほど無口な二人だ。事務的な会話こそすれど、意味のない会話をするはずがない。


「……ザフィーラ」
「どうした、シグナム」


 空で煌く赤い夕日を目に入れたシグナムが、ポツリと呟いた。律儀に答えるザフィーラ。

 ……まさか意味のない会話をするとは。

 シグナムは、手に握るリードに篭める力を強くした。首輪が絞まり、ザフィーラは小さく唸った。

 だが、彼は何も言わない。我らが将が何を言うのかを律儀に待つ。


「夕日というのは、赤いんだな」
「……」


 それだけで会話は終わった。ザフィーラはまだ何も言わない。彼もまたわかっているからだ。

 夕日は赤い。ただそれだけのことを知るのに、彼らは気が遠くなるほどの時間を費やしたのだから。

 普通に空を見ることが出来る生。そんな、当たり前の瞬間を得るまでに彼女たちがかけた時間はとても長い。

 これ以降は、会話らしい会話もなく穏やかな時間が流れていく。

 剣と盾は、並んで歩く。影の向き、歩調すらも同じくゆっくりと歩く。

 思えば、我らは平穏を求めて旅を続けていたのではないだろうか。リリカルなのはと呼ばれる世界の中で決められていたストーリー。

 最後が平穏な日常で終わることの、なんと素晴らしいことか。

 周囲の風景を眺めながら歩くシグナムの隣を、学校帰りらしい子供たちが歩いていく。はたまた塾の帰りなのかもしれない。

 まったりとした、戦いのない風景。そんな世界を、シグナムとザフィーラはとても楽しんでいた。


「キャー! どろぼーう!!」


 そんな時、先程まで静かだった住宅街に甲高い悲鳴が響いた。あらかじめ発声練習でもしていたかのような、充分に練られたよく響く声。

 それは趣味で合唱を行っている主婦の出した声だったのだが、シグナムは知る由もなかった。

 わんわんと反響する声の後、その声を聞いた後、あちらこちらの家から、あっちに行った、こっちに行ったという叫び声が聞こえ始める。

 追われている者が、こちらに近づいて来ている。耳に聞こえてくる悲鳴が大きくなっていることから、シグナムはそれを読み取った。

 ……泥棒か。もしや、シャマルが言っていた、主はやての下着を盗んだ犯人かもしれない。シグナムの体が強張った。どのみち、泥棒という言葉自体が緊張の対象だ。

 最後に、すぐ曲がり角から泥棒! という叫びが響いた時、声がした曲がり角から一人の男が飛び出してきた。

 二十代を少しばかり超えた、身長180はある筋肉質な身体。黒っぽい服を着た、誠実そうな男だった。

 手には色取り取りの下着を握っている。そのアンバランスな姿に、つい呆気に取られてしまうシグナム。次の瞬間、シグナムとザフィーラの横を男が凄い速さで通り過ぎていった。

 充分に鍛え抜かれた全身の筋肉を使って走っているようで、去って行く背中はスプリンターを連想させた。

 手に持っているのが下着ではなくバトンだったのならば、どこかでレースでも行っているのではないかと勘違いしてしまうほど綺麗なフォームだった。

 これは『健全な肉体には健全な精神が宿る』というスポーツマンの持論を覆さねばならないほどショッキングな光景だった。


「……あれが、此度の主の下着を盗んだ犯人か?」
「おそらくな」


 男を見て、シグナムとザフィーラの間で交わされる短いやり取り。

 ……殺るか。シグナムの口から、物騒な言葉が漏れる。……殺るという言葉を、これほど意味もなく使うとは。烈火の将も丸くなったものだ。

 ペンダントを握り締めるシグナム。……抜かれそうになるレヴァンティン。……待て!?


「シグナム。一般人が見ている前で魔法を使うな」
「はっ。……すまんな、ザフィーラ」


 頭に血が上っていて気が付かなかったと呟くシグナム。どうやら、あまり興味がないフリをしていたが、結構お怒りらしい。

 ……この世界には魔法がない。それに、この国には銃刀法や危険物所持法という法律がある。違反すると、官憲の世話になる。

 簡潔に言うと、逮捕される。少なくとも、レヴァンティンを抜いたら立派な犯罪になってしまう。

 だが……それでも、主の仇を討ちたいと考えるシグナム。レヴァンティンこそ使えないにしても、何か使える武器がないものか。

 走り去っていく男の屈強な後ろ姿を目で追いながら、シグナムは周囲に視線を巡らす。

 自らの思考速度を利用して、入ってくる視覚情報を舐めるように見つめる。その中に、一つの集団があるのに気付いた。

 進路を変更。とある少年たちのグループの前に踊り出る。


「……うお!?」
「なんじゃらほい!?」
「アンパンマンアンパンマン」


 それは、近所のスポーツ少年団に通う剣道少年たちだった。……セリフからの連想は不可能だが。

 それぞれが背負っている細長い袋の中には、もちろん『竹刀』が入っている。


「その袋の中身を貸して欲しい」


 急いでいるので単刀直入。少年たちに頼み込むシグナム。困惑したように顔を見合う三人だったが、少年たちにしても切れ長美人のお姉さんとお知り合いになるのは悪い気がしない。

 もちろん、速攻で竹刀袋を渡す。武器を受け取ると同時に、シグナムは一陣の風になる。

 目標は、誰も俺には追いつけないぜ、俺は風になるんだ、を現在進行形で実行している下着泥棒。

 ものの数分もしない内に追いつき、竹刀で足払いを喰らわす。綺麗に転倒するが、一瞬で受身を取る男。

 手から零れ落ちる原色のパンティーが、噴き出る血を連想させた。

 シグナムを前にして、空手だか中国拳法だかボクシングだか分からない構えを取る男。

 何かの武術をかじっているようだが、残念なことに判別不能。シグナムは剣を無行の位置に構えたまま男と相対する。


「……っ!」
「どうした?」


 シグナムから自分との圧倒的な実力の差を感じ取ったのか、男の額から冷や汗が垂れる。

 ただし、頬には笑みを浮かべたまま、手に持った下着を無言でポケットにぶち込むと身体中から裂帛の気合を発する。

 何故か路上で始まってしまった、剣対拳。さっき竹刀を貸した中学生とかが息を乱しながら集まってきて、二人の戦いを、固唾を飲んで見守っている。

 シグナムの手の中で小さく揺れる竹刀。その先っぽは大きくささくれていた。どうやら元の持ち主が、使用後の手入れをサボっていたらしい。これは、こすって刺さったりしたら破傷風になる危険がある。

 さらに、近所の人たちに怪しまれることを恐れてマスクをつけていないこの男。素顔が衆人の目に晒されている。

 下着泥棒、二つの理由で大ピンチ。

 ポケットからはみ出る緑色の透明な布切れが、もの悲しさすら感じさせる。最近の子どもは大胆です。

 衆人環視で晒し者にされ、切れた男が大きく叫びながらシグナムに突撃を開始する。

 鍛錬で鍛え抜かれた拳が、日々の修練を感じさせるフォームで突き出される。しかし、敵は百戦錬磨のヴォルケンリッター。その攻撃は、あまりにも遅い。

 コンクリートを蹴り、一足飛びで宙を舞ったシグナムの竹刀の一撃が男の頭部に炸裂した。

 見ている者の目には、シグナムが空を飛んだように見えた。決して飛んだわけではないのだが、空中での剣戟が戦闘での基本であるシグナムの技は、360°全体が見渡せる宙の中でこそ生かされる。

 あっけなく、一撃で倒れる男。アスファルトに頭からぶつかり、白目になる。そのまま口から泡を吹き始めた。

 さすがに人目の中でトドメを刺すつもりはないのか、それとも視線に晒されて恥ずかしくなったのか。少年たちに竹刀を返すと、シグナムはスタコラさっさと逃げ出した。

 ザフィーラは、その様子を遠くから見守っていた。決して、子どもたちに触られるのが嫌だったわけではない。例え外敵がいないのだとしても、前線の皆が安心して戦えるよう、後ろの守りを固めるのが彼の存在意義なのだ。

 だから、決して子どもたちに触れられるのが嫌だったわけではない。後方を守ることこそ、盾の守護獣ザフィーラ最大の仕事なのだ。





 次の日、号外みたいな回覧板が八神家に回ってきた。女性剣士お手柄とか書いた用紙だ。シグナムが男に剣で攻撃を入れた瞬間の写真が貼られている。

 どうやら、誰かがあの戦闘の様子を写真で撮っていたらしい。

 何処の誰なのかは、この住宅街の人だけが知っている。近所の主婦たちは、シグナムの存在を面白い話題に目のないマスコミから守りきった。

 シグナムは、一時的にこの住宅街で英雄扱いされるだろう。自分たち主婦のネタの英雄を、無粋なカメラなんかの餌食にしてたまるか。

 こんな時だけは凄まじい住宅街主婦のチームワーク。それが、この小さな団地の売りなのだ。


「……結局、私は関係ありませんでしたね。手柄はシグナムが総取りです」
「お前……」


 情報を集めこそすれ、御用には全く関わらなかったシャマルが、号外を嬉しそうに広げている。お気楽に笑うシャマルを見て、溜息を付くシグナム。

 我らが将のお手柄を嬉しく思い、どんどん書いてある内容を読み進めていくシャマルとはやて。

 どうやら捕まったあの男は、マジメな公務員だったらしい。しかし、職場のストレスからペドフィリアという性癖に目醒め、突発的に下着泥棒を繰り返してしまったらしい。

 ロリコンとペドフィリアは、全くの別物だと誰かが熱く語っていた。

 仕事のストレスは、常に働き手の身体と精神を襲う。それに対抗できる者だけが、人生を楽しく生きることができる。

 仕事は利用するぐらいが丁度いい。自分にとって一番良い仕事の付き合い方を見つけることが大事だと感じさせられる事件だった。

 読み終わった後、もう一度回覧板を持ち上げたシャマル。なんとかシグナムに見せようとするが、彼女は雁として見ようとしない。

 じゃれ付くシャマル。嫌がるシグナム。その様子を見て笑っているはやて。同じくニヤニヤ見ているヴィータ。ただ寝そべっているザフィーラ。

 それはとても平和な時間だった。……何時の間にか、このシャマルを受け入れている自分に、シグナムは気付いた。

 その時、回覧板の中から一枚の紙が滑り落ちた。


「ん? 手紙入っとるね」


 落ちた手紙をはやてが拾い上げる。なになにと呟いて目を通し、おおと声をあげる。

 手紙を手に持ったまま、シグナムに見せようと後ろから抱きつく。


「シグナム、これ見てみい!」
「は、はぁ。なんでしょうか、主はやて」


 主直々の言葉には従わずにはいられないシグナム。なんとも損な性格をしている。

 読んでいるうちに、目に入ってくる文章。それを見て、シグナムは、もう一度はぁと溜息をついた。

 手紙には簡潔に『近くの剣道スポーツ少年団の臨時講師をしませんか?』と書いてあった。


「……私は、人に剣を教えられるような者ではありません。誘ってくれた方には悪ですが、断ることにしましょう……」
「ええっ! ご近所さんと仲良く慣れるチャンスなのに、もったいない!!」


 断る気満々のシグナムに考え直すように勧めるシャマル。言葉面だけでは勧めているとは言いがたいが、一応本人は勧めているつもりだ。

 もう一度溜息を付いて断ると断言したシグナムだったが、もう一度手紙を見つめる。

 はやての輝いた目と、シャマルの顔を見つめる。ヴィータも面白そうじゃんと呟いていて、ザフィーラはさっきと変わらず起きているのか寝てるのか。

 そんな、少しずつ変わっていく『愛すべき』仲間たちを見て、シグナムは……。





「集合!!」
「「「「「はい!!!」」」」」
「これから、臨時講師の紹介に移る!」
「「「「「はい!!!!」」」」」
「先日の泥棒事件を納めた美人女性剣士、シグナムさんだ!」
「(美人……?)シグナムだ。……あまり、人に物を教えるのは上手くないがよろしくたのむ――」


 こうして、海鳴に来た頃は何もなかったヴォルケンリッターにも居場所が増えていく。

 増えていく大切な人、時間、場所。人間味の薄かった彼女たちに芽生える温かさや思い出。

 それは、これから何があったとしても、胸の内に留まり続けるだろう……。





――後書き
Q 知ったように言うな。
A ssってのは、作者と読者の自我のぶつかりあいだ!!


一応言っておきますが、作者は主婦の習性は知りませんので。主婦の行動知ってる人は怒らんといて。
私のまわりにいた主婦の方々はみんな仲良さげだったのですが、みんなそんな人ばかりではなくドロドロした所もまたある。そのことを忘れないで下さい。



[3946] シャア丸さんの冒険 短編七話
Name: 田中白◆d6b13d0c ID:d0504f35
Date: 2008/12/31 23:18
「……ちょう、涼しくなってきたと思ってたけど、まだ暖かいなぁ」
「そうですねぇ……」


 そろそろ九月も半ばを過ぎましたが、私たちは未だ平和に暮らしています。はやてちゃんの体調が悪くなるような気配もなし、現在の私はとても幸せです。

 意見の違いでたまにケンカすることもありますが、それもとても少なくなってきました。……でも、それは分かり合えているというのでしょうか。

 今ならば、普段は仲が良いと胸を張って言えるでしょう。

 今は、お昼頃のお散歩の途中です。家の中でじっとしているのは体に良くありません。お日様に当たる時間は、長ければ長いほど良いのです。

 はやてちゃんの車椅子を押しながら歩いていると、はやてちゃんが私の顔を見上げて聞いてきました


「今日は予定あるか、シャマル?」
「一つだけ。今井さんの家の子たちへの家庭教師です」


 私は昔からキッチリしていた人なので、自分の予定を忘れることはありません。教え子たちの顔と時間もしっかりと覚えています。

 別に個人的な依頼での家庭教師ならば、何か組織を介する必要もなし。ちょっとしたアルバイトのような感覚で、私は近所の子供に勉強を教えているのです。お給金はとても良心的な設定です。

 魔導師なので、理数系はほぼ最高。昔からたくさんの本を読んでいるので、国語力もある。教師として最低限の技能は習得しているんです。


「そうかー。……じゃ、夜ご飯は少し遅うなるかもな」
「かもしれませんねー」


 話しはそれでストップして、からからと車椅子の車輪が回転する音だけが住宅街の一角に響いています。

 私とはやてちゃんの間に生じる沈黙。でも、それは決して居心地の悪い沈黙ではありません。

 不思議と和やかな空気が私たちの周囲に流れています。ずっとこんな雰囲気でいられたらいいのに。

 それははやてちゃんも同じだったようで、彼女も私のようにとても寂しげな表情をしていました。


「ごめんな、シャマル」
「ごめんなさいね、はやてちゃん」


 せっかく発生していた楽しい空間が壊れ去ってしまったのを感じとって、二人で相手に謝ります。

 考えていることまで同じ。それに気付いて、お互いに笑い合います。同時に、はやてちゃんのお腹がなりました。

 顔を赤くして恥ずかしそうに笑うはやてちゃん。……帰ったらお昼ご飯にしましょうか。

 今日も私が台所に立とうかと考えて、はたと止まります。ここ二日は私が台所を占拠しているのです。

 今日の料理ははやてちゃんに任せて、私は見守ることにしましょう。

 それでは。私は小さく呟くと、車椅子を八神家に向けました。


「シャマルさーん」


 その時、誰かに声をかけられました。はやてちゃんと目を合わせた後、二人で声の主の方を見ます。

 そこにいたのは、近所でナウいさんの愛称で親しまれている、ゴシッパーの今井さんでした。時間が経つごとに増えていくそのあだ名はプラナリアの如く。

 いずれは千の呼び名を持つ奥さまとか呼ばれそうです。……や、さすがにそれはありえないと思いますが。


「……電話、したんだけど、家にいないそうだから、探しに来たの」
「私、携帯電話は持ってませんから……」


 微妙に息を切らしている今井さんを見て、罪悪感が浮かび上がってきます。それにしても、走ってまで私を探していたとは一体どんな用があるというのでしょうか?

 口から漏れる吐息が完全になくなるのを待ってから今井さんが喋り始めます。口から出る言葉は常に最適の聞き取り易さ、という凄い目標を持っている今井さんは、自らの小さな息切れすら許していないのです。


「わたしね。今日から用事があって、帰るのが明日の昼になっちゃうんだ。だから、迷惑だとは思うけど、家庭教師ついでに一晩、子供の面倒をみてくれない?」


 相変わらずのハスキーボイスで頼みごとをしてくる今井さん(37)。

 ふむ。それは、私の保母活動、第一歩目の礎になるということでしょうか? 今井さんの子供さんは男の子二人。小学五年生のお兄さんと小学二年生の弟くんです。

 どちらも生意気盛りの年齢ですが、噂話好きな今井さんの数々の教育実験によって、同じ年頃の子供より少しだけ精神年齢が高いのです。勉強もよく出来ますし。

 それに、お兄さんの方は個人的な意味でも知り合いですしね。

 はやてちゃんが何と言うかは分かりきっていますが、一応はやてちゃんの顔を盗み見ます。

 特に言うべきことはなし。シャマルの好きなようにせえ。はやてちゃんの表情が言っています。……お腹が鳴ったのに、いい子です。

 ……まあ、お腹が鳴った程度で早く食べなきゃと言い出す人がいたら、それもおかしいですけどね。

 一瞬だけ考えるフリをします。ちょっとしたブラフの掛け合いという奴です。別に意味はありません。


「では、行かせて頂きます。……お夕飯も作ることになると思いますが、冷蔵庫の中身はどうなっていますか?」
「けっこう入ってるよ」


 簡潔に物事を伝えてくる今井さん。要点だけを伝えてくるクールな喋り方なのに、どうして噂話が好きなのか。たまに疑問になります。

 それから数個、必要な事柄だけを聞き出して私は頷きます。

 九時には寝かせること、弟の方はシャンプーをする時目を開けられないので、洗ってやって欲しいこと、ピーマンを食べさせて欲しいこと。

 とりあえず、注意すべきことはそれだけです。ただ……。もう一個何かを言おうとして、停止。やっぱいいやと今井さんが微妙な顔をして呟きました。

 悩みがあるなら相談して欲しいのが私の常。聞きだすことにします。


「どうしました?」
「下の子の方がね、最近変な戦隊物とかいうの? にはまってるの」
「はぁ?」


 別に戦隊物にはまるのは男の子にありがちなことだと思うのですが。私も、小学生との会話のネタにするため、よく見ましたよ?

 決してのめり込んでいたわけではないんですからね!

 私の考えていることはわかっているらしく、面倒くさそうに頭を振ります。別に、ヒーローにはまるのは悪いことではないというのは今井さんもわかっているらしいです。

 では、何が悪いというのでしょうか?

 ……ところで、聞いてしまったからには手伝わないといけないのですが、これはハメられたのでしょうか。


「カットソーだとかオギタだとかいう、よくわかんないやつ。出来れば止めさせて。教育に悪いから」
「……それを一日でやれと?」


 教育に悪いヒーロー物? ……そこまで露骨な作品ありましたっけ? 大概いい作品だと思うのですが。

 ……私は友人いわく、お前は物語を肯定しすぎる。たまにはなんか否定しろとか言われていましたけど。

 それにしても、聞いたことのないヒーロー作品です。マイナーなのかな? はたまた、私がいた世界には存在しない作品なのか。

 でも、男の子に、現在はまっている作品を見るのを止めさせるのは不可能に近いのだと思うのですが。そもそも、上から止めろと言ったら子供は反抗するんですけど。

 けれど、私の視線もどこ吹く風。そ知らぬ顔で今井さんは言います。


「切り札、あるでしょう」
「……ここで切る札なんですか?」
「とっとく札でもないじゃない」


 すでに息は整えられて、顔を無表情で固定している今井さん。ノリノリモードの時は表情豊かなのですが、普段の彼女のとっつき難さは異常です。

 彼女曰く『わたしの情報は誰一人にとて渡さん』とのこと。


「では、後はよろしく」


 ペコリと一礼して去っていく今井さん。かと思いきや一端止まり私の方に振り返ると、じっと目を見て言いました。

 何やら、結構大切な情報らしいので、マジメに聞くことにします。あまり表情が変わらないのに聞き取り易い彼女の声は、聞いていてたまに混乱しそうになります。


「軸足に攻撃判定がある飛び蹴りに注意してね。あの子、コケるから」
「……はぁ……踏み付け?」
「必殺のキックらしいよ。立ってる相手には当たらないけど」


 ケガさせないように、とのことです。では、と呟くと、スタタタタと擬音を響かせて今井さんは去って行きました。

 かなり足早なので、急いでいることは容易に想像できます。……でも、どんな用事なのでしょうか?

 コンサート? それとも同窓会? はたまた何か怪しげな集会?

 普段から噂話を集めて何を考えているのかわからないので、何が目的なのか想像がつきません。

 彼女に聞けば、簡単に暇つぶしと答えてくれるかもしれませんが、この考える作業が面白いのです。

 ……予想をつけてから、聞きに行きますか。ふと、この探偵ごっこも主婦の暇つぶしの一つなのではないかと思って戦慄しました。

 ……私は視線を下に移し、はやてちゃんの後頭部を見ます。何故か私たちの会話に加わってこなかったはやてちゃん。
 この子は一体何を……?


「……ホンマ大人気やね、シャマルは」


 寂しいと思ってしまってなんや恥ずかしくなる。はやてちゃんがポツリと呟きます。

 これじゃ、まるで私の方が子供みたいやんか。

 小さく小さく呟いています。どうやら自分の中で自分自身に問いかけを行っているようです。


「私が保護者で、シャマルたちを養っているんや。あの子に母親を透かしてみたらあかん。そんなんシャマルに迷惑や」


 ぶつぶつと、ありがたいのか寂しいのか受け取り方に困ることを口に出しているはやてちゃん。ただ……その言葉に、何故か感情がざわつきます。

 理解できな不気味な思いを胸に秘めながら、私は車椅子を押します。ドロドロとしたこの感覚は、一体なんなのでしょうか?

 まだまだ太陽は空高くあるはずなのに、首筋を冷たい風に撫でられたような気分になりました。





「ただいまやー」
「ただいま帰りましたー」


 用事があるなら早うせんとな。はやてちゃんの言葉に従ってすぐに家に帰った私は、お泊りセットの準備をすることにしました。

 ……と言っても、一日だけですけどね。今井さんは、自分のベッドを使用して構わないと言っていましたし、利用させてもらいましょう。ただし、高確率で弟くんの方がベッドに潜り込んでくるらしいですけど。

 まあ、小学二年生ですしそんな物でしょう。親離れをさせるのって中々難しいんですよ。


「……ん? 何処か行くの?」


 お夕飯の準備をしているはやてちゃんの傍で、調理に加わらず何やら荷造りをしている私を見て、ヴィータちゃんが不思議そうに声をかけてきました。

 大方、料理の匂いに釣られてやって来たんでしょうけども。普通の見送りだったらどんなに嬉しかったことか。


「ええ、今井さんの家にちょっとだけ……」
「…………」


 今井さんと聞いて、いきなり不機嫌な顔になってしまったヴィータちゃん。微妙な怒りが顔の節々から感じ取れます。

 ……どうしたんでしょうか? 名前を聞いただけでヴィータちゃんがこんなに怒るとは。


「どしたん、ヴィータ。そんな怖い顔しとったらあかんよ?」
「あ、はやてっ」


 はやてちゃんの声を聞いた途端、表情を柔らかくしてヴィータちゃんは彼女の膝に飛びつきます。

 驚いたような目になりましたが、すぐにヴィータちゃんの頭を撫で始めるはやてちゃん。

 ……うーむ。ヴィータちゃんもかなり懐きましたね。まさか、ここまでデレデレするようになるとは思ってもいませんでした。

 はやてちゃんになでなでされ、猫のように目を細めているヴィータちゃんの背中を見守ります。

 そこにシグナムもやってきて、やはり荷造りしている私を見て首を傾げました。


「主はやて、お帰りになられましたか。……む、シャマル? 何処かに行くのか?」
「ええ。ちょっと、ご近所づきあいにとでも言いますか……」
「はぁ。……ザフィーラが居てくれるとはいえ、本来のお前は主の護衛役なのだがな」
「分かっています。でも、今はみんながはやてちゃんの傍にいてくれますから」


 私の言葉を聞いて頭を抑えたシグナム。本来のヴォルケンリッターには、ありえなかったはずのこの行動。

 とはいえ、彼女も主から離れて剣道スポーツ少年団の講師をしている身。私に何か他に言う気はないようです。

 今回の私の立場は、周辺とのコミュニケーションを取ること。何故かそんな役職についているのです。


「……周辺の人間との関係作りもお前の仕事ということか。……お前が留守の間は、私も主の家事の手伝いでもしてみよう」
「お願いします」


 まあ、一日だけなんですけどね。お布団を干すとか、それ位しかすることなさそうです。それくらいなら、シグナムもよく手伝っていますしね。

 なでなでしていた手を休め、今度こそ台所に行こうとするはやてちゃん。感触を思い出しているかのように微妙に揺れているヴィータちゃん。

 その前に一度私の近くまで車椅子の車輪を押して近づいて来てピッと額に右手を上げて敬礼してきました。


「では、シャマル隊員、今井さん家の方々のお世話任務、頑張って来て下さい」
「……は、はぁ」


 いきなりのネタ振りに困惑してしまう私。返してくれなくて、不満気なはやてちゃん。……しょうがないじゃないですか。はやてちゃんがいきなりボケるとは思っていなかったんですから。

 そもそも、ツッコミ要因はねぎマンかマンキー。天然ボケがドットで、通常ボケがラッキ。打ち落とし、スルーが五百川さん。話をリセットするのが山田くん。その他たくさん。

 変な分担方法が決まっていたので、私に役割はなかったんですよ。私はもっぱら肯定役。だから、ボケへの対応は下手くそなんです。


「じゃあ、特訓のためもう一度だけ振るで!」
「……はい」
「シャマル隊員、お仕事を……って、恥ずかしいっちゅーに!」
「…………」


 気の利いたツッコミが出来なくてごめんなさい。一人ボケツッコミに対応できるほど、私は凄くないんです。

 はやてちゃんも、ただ関西の方の喋り方をしているだけで、そこまでボケはうまくないみたいですし。

 恥ずかしさに耐え切れなかったのか、何だか赤くなって悶えているはやてちゃん。その姿は、とても可愛いです。そこで悪戯に移るのが私です。

 膝を抱えて蹲っているはやてちゃんに追い討ちをかけることにしました。


「では、頑張らせていただきます」


 管理局で学んだスキルを生かして、ピシッと敬礼します。はやてちゃんのボケとは違った、要点を抑えたその敬礼。

 はやてちゃんがぽかんと口を開きます。


「……なんや、シャマル敬礼馴れとるなぁ」
「……あ、あはははは」


 ……まともに返されると恥ずかしいですね、これ。はやてちゃんと同じく、私の頬も熱くなってきました。


「……用、あるんじゃないのか?」


 互いに赤くなって固まっている私に、ヴィータちゃんが聞いてきました。ビクッとする私およびはやてちゃん。そういえば、見られていましたね……。

 確かに遅れても構いはしないのですが、大人の女性としては五分前行動というものを実行しなくてはいけませんし……。

 わたわたと準備の続きをする私。別に、一日程度のお泊りにたくさんの道具はいりませんが、一応私のも見得というものが……!?


「……ああ、今井さんの弟の方に会ったら言っといて」


 準備中でテンパッている私の背中に、暗い感じのヴィータちゃんの声が聞こえてきました。

 そういえば、さっきも弟くんの話しをしたら不機嫌になりましたね。何かあるんでしょうか?

 準備の手を休め、ヴィータちゃんの言葉の続きを待ちます。


「死ねって」


 飛び出た伝言に、ガクンとコケる私。口がぱかっと開くはやてちゃん。

 ……あ、あれ、おかしいですね? 今井さんの弟くん、どうしてそんなに嫌われているのでしょうか?

 前に聞いた奥さまの話からすると、弟くんはヴィータちゃんのこと……。


「ヴィ、ヴィータ? それはさすがに酷いと思うんやけど……」


 私の隣からはやてちゃんが額からでっかい汗垂らしながら呟きます。ヴィータちゃんは、その言葉にただ顔を背けるだけ。

 拗ねてるというべきか、話す気がないだけというべきか。


「ヴィータ?」
「あいつ、いらつく」


 はやてちゃんに目を合わせられて、ぶすっとするヴィータちゃん。

 カラッとした性格(というより、見た目が同い年くらいへの人への興味が少ない)のこの子が人を率先して嫌うとは、一体どんなことをされたというのでしょうか?

 ……あーっと。ヴィータちゃんが一人で出歩くのは、ゲートボールの時とおつかいの時くらいですし、弟くんと出会う機会はほんとうに少ないはずなんですけど。

 私に伝えて欲しい伝言を言い、それっきり何も言わないヴィータちゃんを放っておいて、私は弟くんに聞くことが増えたなぁと思いながら荷物を持って家を出ました。

 後ろから、はやてちゃんの戸惑ったような、いってらっしゃいという声が聞こえてきました。

 ……時刻は二時過ぎ。お昼ごはんの時間にはちょうどいいような、遅すぎるような。





 歩くこと、ほんの十分程度。家庭菜園が目をひく今井さんのお庭。流行り廃りを見事に感じ取って、人気情報の先陣を突っ切り続けているのが今井さんです。

 緑黄色野菜が健康にいいと聞けば、わざわざ買いにいかずにお家で作る。その根性、尊敬に値します。

 ただ、家庭菜園だけを趣味にせず、数々のメディアで流行っている色々な情報を片っ端から実行しているその姿は、どうにも認められません。

 ここの子供たちの精神習熟度が高いのも、お母さん(今井さん)の移り気な性格に流されないためでしょうし。

 防犯が流行っていた頃に入手したらしい防犯カメラになんとなく手を振ってから、門を開けて家の敷地に踏み入ります。

 入ると同時に目に付いた一匹の犬。ペットブームに押されて飼ったらしい犬とちょびっと目を合わせても、特に吠える様子もなし。

 これは躾がしっかりしていると言うべきか、ただ年寄りなだけだと考えるべきか。

 ぺこりと礼をしたあと家の前に立つと、とりあえずチャイムを軽く押します。ピンポンという小さな音。

 他人の家という、少し違和感のある匂いを感じ取った後、ガチャリと音をたてて扉が開きました。

 そこにいたのは、薄い緑色の髪の毛をした一人の男の子。身長は、同学年の子供と比べると少し高いですね。……そういえば、この子はフリーダム毛髪です。あまり気にしていませんでした。


「あ、シャマルさん。母さんから話し聞いてるから、あがってあがって」


 この子はお兄さんの方ですね。小学五年生のお兄さんに進められて、今井さんの家に入ります。

 お茶会のときとかに何度か寄らせてもらっているので、食器とかの位置は教えてもらっています。

 でも、その前に家庭教師の仕事をしなくては。


「弟くんは何処にいますか?」
「ちょっと待って、オギタが始まる寸前なんだ! 早く行かないと」
「オギタ?」
「オギダだよ!」


 それだけ言って走り出すお兄さん。

 オギタだかオギダだか。いえ、オギダらしいですけど。そういえば、今井さんがそんなこと言っていましたね。内容が教育に悪いとか何とか。

 お兄さんの背中を追うようにして、彼らの部屋に入ります。それにしても……なんでこんな時間にヒーロー物がやっているのでしょうか?

 部屋に置かれているソファーの上で、弟くんがテレビをじっと見ています。

 近くに置いてあった新聞をパラリと捲ってみると、『再』の字が付いています。へえ、再放送なんですか。

 何となくテレビを見てみます。どうやらOPテーマが始まった様子。二人の興奮の度合いが上がっていきます。


『オギダファナダ 凄く強い』


 ……あ、やっぱりオギダなんですね。主人公の名前が一番に来るとはなかなか。


『働かなくても 強いから平気』


 …………無職?


『夜が来る 夜明けの前に 奴が来る 奴が夜明けを連れて来る』


 どうしてここだけ印象に残り易い歌詞を使うんです。


『ダーダ ダーダラッダー』


 ……最後のサックスだけは見事でした。何かヒーローだか敵だか分からない人がアップで映って、段々と引いていくカメラワークはなかなかに格好良いです。

 そしてタイトルが出ました。


≪オギダファナダ 11話 変身するは我にあり≫


 お、何だか凄そうなタイトルです。


「良かった、間にあった!」


 お兄さんが歓声を上げます。ソファーの上に飛び乗ると、テレビに見入り始めました。

 内容は、主人公である荻田康一ことオギダファナダ(右手には円形ノコギリが付いています)が、変身ヒーローなのにどうして変身を解かないのかが語られる話でした。

 変身といっても、ファナダストーンに力を込めることで変身できるらしいですけど。腰にある扇風機とかじゃないんですね。

 ……で、理由ですが。何ですか、中年太りが嫌だからって。

 緑色のボディに赤いマフラー、黄色のグローブとブーツ。ここだけ見れば仮面ライダーとかのヒーローに見えます。

 でも、主人公があまりにもショボいような気がするんですが。お兄さんと弟くんの話しを聞く限り、今回登場したヒロインは二代目だとか三代目だとか四代目らしいですし。

 11話までに何人ヒロインが死んでいるんですか。……教育に悪いってそういうことですか。武器もノコギリ(カットソゥ)だそうですしね。

 あと、必殺技というものが何なのかも分かりました。飛んでその場で横方向に一回転して蹴りをお見舞いする。足が微妙に曲っているので、射程は自分の体の周囲三十センチもありません。

 ……どんな主人公ですか。彼らは面白いんですかね、これ。

 そうしているうちに流れるEDテーマ。



『(助けてー! 怪人に誘拐されるー!)

走る! 右から左へただ走る(飲ちゃん走りか!)
飛ぶ! 上から下へだた飛ぶ(ウルトラマンセブン)

そんな生き方に憧れた。 走れど飛べどそこに愛は無く
しかしそれこそ心の汗だ
オギタ オギタ オギター
轟く銀色カットソー(カットソー)

「オギダさーん」
「呼んだかい少年!?
「この前貸した小銭返してください!」
「すまない少年、大切な用事を思い出した…」

ダバダダバダダバダバダバー』



 ……もう、何も言いません。途中で声の発音が悪いのか、オギダじゃなくてオギタに聞こえるところがありますし。

 歌詞で右から左って言ってるのに、左から右に走ってますし。

 テレビから次の回の予告が流れ始めます。リポロスアタン星から怪人部隊にスパイが潜り込むとかいう話らしいです。

 見る気はないですけどね。


『次回、第十二話≪哀愁のリポキネン』』


 しかもタイトルだけは微妙に格好良いし。聞いた話だと、十話のタイトルは≪心優しき破壊者≫だったらしいです。タイトルを作品の内容にも生かして欲しいのですが。

 呆然としている私を放ってお菓子を取り出して、感動の余韻とともに食べているらしい弟くん。

 彼が手に持っているのは『復刻版 オギタファナダチップス(うすしお味)』

 これもオギタです。わざと間違っているんじゃないかと不安になりますね。

 中からカードを取り出して、ちぇ、もう持ってるやと残念そうに呟いています。

 あんな微妙な番組を見た後なのに、なぜかまったりとした空気が流れています。

 ……じゃ、勉強始めますか。


「あ、シャマル姉ちゃん! お菓子取らないで!」


 弟くんが悲しげな声を出しますが、無視しました。





「……では、休憩しましょうか」
「やっと終わったぁ……」
「お菓子くれー」


 私の終了宣言と供に倒れこむお兄さんと弟くん。

 別に思い出すようなことはないです。ただの家庭教師日記になってしまいそうなので、回想はしません。

 二人の男の子に並行して物事を教えるくらいならば簡単。三十人くらいの子供に勉強を教えることができる教職の方は凄いですよね。

 持ち運びし易い簡易ホワイトボードをしまうと、私はご飯の準備をすることにしました。

 冷蔵庫を開けて中を見ると、そこにあるのは2005年ごろに流行っていた野菜の数々。

 ……そういえば、この時期はこんな野菜が流行していましたね。何だかノスタルジーに浸ってしまいました。

 とりあえず、この材料を使って2008年度料理でも作ってみますかね。三年後の料理、この子たちの舌に合うでしょうか。

 そんなバカらしいことを考えながら食器の準備をしていきます。


「……そういえばさ、シャマルさん」
「何ですかー?」


 準備中の私に、お兄さんの方が声をかけてきました。別に忙しくはないので聞き返します。

 もじもじしているような気配が私の背中に伝わってきてます。


「八神、はや、……シ、シグナムさん、元気?」


 何かを途中まで言いかけて止めると、すぐに別の話に移行するお兄さん。彼は近くの剣道のスポーツ少年団に入っているので、シグナムと知り合いなのです。

 シグナムが言うに、お兄さんは『筋は悪くないが、まだまだ子供。だが、この平和な世界ならばあれで充分』とのこと。シグナムも、大分丸くなってますよねー。

 ……個人的にはその前に何を言いたかったのかが気になりますが、今は彼の質問に答えるとしましょう。


「元気ですよ。ただし、君はもう少しマジメになった方がいい。とか言ってましたけど」
「……マジメにやってるよ!」


 剥れるお兄さん。弟くんが、お兄さんを指差して笑っています。弟くんに飛び掛るお兄さん。

 しかし、その攻撃は成功しませんでした。私の手にある指輪から伸びたクラールヴィントが、二人の間に割りこみをかけたからです。

 シグナムやヴィータちゃんのデバイスと違って、私のクラールヴィントは武器の形をしていません。

 だから、こんな風に使うこともできるのです。ちなみに、これを見た人には手品だと紹介しています。これだけにしか使えないということにしているのです。


「やっぱカッケェ……」
「種おしえてよー」


 目の前数センチの場所で停止している緑色の宝石を見て、息を呑む二人。

 よし、ケンカの仲裁成功。一つのことに一所懸命になっている人には、全く別の刺激を与えるのが一番です。

 ……この理論が、私とはやてちゃんの間でも使えれば良かったのですが。

 そこで、ハタと動きの止まるお兄さん。


「ところで、シグナムさんって強いよね」
「ええ、とても強いですよ。」


 会話の進路を無理やり変更して、会話を繋げようとしているお兄さん。何を考えているのかは知りませんが、乗ってあげます。

 はてさて、ここからどういう風に展開するのでしょうか?


「ザフィーラって格好いいよね」
「青い毛皮、良いですよね」


 ……む? 何だか外堀を埋めるように動いていますね。もしかして、このまま八神家を一周するつもりですか。

 弟くんの方がするのならともかく、どうしてお兄さんの方が。


「で、で、はやて、はやてちゃ、はやてさんってさ……なんか、おれに言ってた?」
「…………」


 思考が停止する私。お兄さんから感じる、甘酸っぱい空気。あれ、これ、もしかして……。

 ホレてるんですか、はやてちゃんに。今までそんな空気を微塵も感じさせたことありませんでしたし、それにお兄さんとはやてちゃんが喋っている姿なんて、見たことないんですけどね。


「好きなんですか、はやてちゃんが?」


 そんなことを聞くとは、私もデリカシーがないですねぇ。でも、他人の恋路は蜜の味。小学生の恋愛は、見ていてドキドキすること請負です。

 やばいです。お兄さんがはやてちゃんに告白する光景が、凄く見てみたいです。


「そんな訳ないだろ! あんなぶっさいく」


 顔を真っ赤にして否定するお兄さん。最近の小学生なのに、こんな思春期の男の子をしているとは。

 本当にやばいです。はやてちゃんクラスの可愛さです。やっぱり子供は可愛すぎです。

 ああ、こんな生活をしていて良かった。心の底から思うことができました。弟くんを見ます。彼も何か言いたげです。

 それは当然。


「あのさ、シャマル姉ちゃん。ヴィータちゃん、何かぼくに……」


 なぜなら、この子はヴィータちゃんに惚れているからです。何ヶ月か前に聞いた、ヴィータちゃんが好きな男の子の話。中心人物は、この子です。

 今井さんの言う切り札とは、ヴィータちゃんの名前を出して何かを強制させるということ。卑怯なので、使うつもりはありませんが。

 好きな子を苛める。それは小学生の定番。弟くんは伝説の技を地でやっているのです。

 ヴィータちゃんが彼に死ねと伝えてくれと言ったのは、きっと弟くんの悪戯のせいでしょう。

 何をされているのかは知りませんが、自分を大人だと自負するヴィータちゃんをここまで大人気なくさせるとは、弟くんも嫌な意味でやりますね。

 でも、どうして弟くんはヴィータちゃんを好きになったんですかね? ……今は聞けそうにありませんが、何時の日か聞いてみたいものです。

 はやてちゃんとヴィータちゃんに興味津々の小学二年生と五年生。その恋を応援できたら、どんなに素晴らしいでしょうか。

 今はこの家にいない今井さんが羨ましいです。……ですが、私が関わったらダメという理由はないですよね。

 確か、次の日曜日ははやてちゃんにもヴィータちゃんにも用事はなかったはず。

 ……この近くのデートスポットは、と。

 ある程度考えてから、私は人差し指を立てました。


「だったら、次の日曜にでも二人を誘って出かければいいじゃないですか」
「え?」
「は?」


 私の言葉に、お兄さんと弟くんが一斉に首を傾げました。

 その後弟くんと一緒にお風呂に入ったり寝床に潜り込まれたりして一日が終わります。……どうやって二人を説得しましょうかねぇ。




シャア丸さんの冒険
短編七話「ハートフル……ラブ……コメディ?」




 楽しい時間は待ち遠しいもの。あれから何日かたって、今日はとうとう日曜日です。

 次の日曜日、今井さん家の息子さんたちと遊んで欲しいと伝えましたが、はやてちゃんとヴィータちゃんの反応は最悪。

 わざわざ弟の方と合う気はないと断言するヴィータちゃんに、兄の方がどんな人か知らんしなぁと言うはやてちゃん。

 遊ぶ気がなさそうな二人をどうにか説き伏せて、今日という日を向かえたのです。

 待ち合わせに設定した場所は近くの公園。時間は10時。ちなみに今は9時。なのに、お兄さんの方も弟くんの方も精一杯のおめかしをして待ち合わせ場所で待っています。

 つまり、一時間も前からここにいるのです。時間厳守ここに極まれり。五分前行動なんて真っ青です。

 お兄さんも弟くんもカチコチに緊張していて、見ていて微笑ましいったらありゃしません。


「……覗き見とは趣味が悪いな、シャマル」
「何を言っているんです、『通りすがりの狼』。今はカメラ使って録画中なんですから、個人名を入れないでください」
「……では『風』と呼べと?」


 私のデバガメ行動を見て、やれやれと溜息を吐くザフィーラ。もとい、『通りすがりの狼』。

 コードネームで呼び合うって何だか良くありませんか?

 二人をデートに出して、その様子をビデオに撮る。楽しいじゃないですか。これ、昔から一度やってみたかったんです。

 一人暮らしの人間の前で、家庭のホームビデオを見せないで下さいよ。羨ましくなってしまうじゃありませんか。

 この作戦を行うにあたって、『通りすがりの獣』に私は協力を求めたのです。ザフィーラを連れていれば、ただのペット連れの女性にしか見えない。ふふふ、これなら全く目立たない筈です。

 現に兄弟は私の存在に気付いていません!

〝……ただ緊張しているだけだろう〟

 現実思考の『通りすがりの獣』の言葉を聞いて、私の心に風が吹きます。……あのですね、せっかく人がノリノリになっているのに、水を注さないで欲しいのですが。

〝しかし、これは策士の行動ではないぞ〟

 策とか糞食らえです。必要なのは、ラブアンドピース。平和を心と映像に残すのが私の使命です!

〝……そうか〟

 やれやれと呆れたように首を振るザフィーラ。……なんか、最近のザフィーラ、私をバカにしてばかりいるような気がするのですが。

〝気のせいだ〟

 ……まあ、それならいいんですけどね。

 とまあ『通りすがりの獣』との念話を楽しんでいた私ですが、何時の間にやら時刻は9時30分になっています。

〝主が来たようだな〟

 ザフィーラの――まぁ、口に出すときだけ『通りすがりの獣』にすればいいですよね――の言葉を聞いて辺りを見回すと、はやてちゃんとヴィータちゃんの姿を発見することに成功しました。

 はやてちゃんも、車椅子を押しているヴィータちゃんも可愛く着飾っていて、まさにデートとしか言いようがない格好をしています。

 特にヴィータちゃんはゴスロリっぽい服を着ていて、危ないお兄さんを一発でノックアウトできそうです。

 はやてちゃんは車椅子で短いスカートを穿いているので……目線を下げれば、その、見えます。何が見えるとかは明言しませんが、見えます。


「『風』。その発言は拙いぞ」
「『通りすがりの獣』。わざわざ言わなければ、ビデオに声は入らないのですが」
「「…………」」


 監視する作業に戻ることにしました。魔法を使って聴覚を強化。ではなく、集音効果をビデオに付与します。

 こうすれば、遠くの声も録画し放題。彼らが行うであろう会話も筒抜けです。


「普段はあまり使わない癖に、ここぞというときには使うのだな」
「しっ。静かに。声が聞こえないじゃありませんか」
「……(これがおばさんという存在の前段階なのか)足を踏むな、シャマル」
「『風』と呼びなさい『通りすがりの獣』。私はいないようでいるという、ステルス的な存在になっているんです」


 私が普段は使わない魔法を使っていることに呆れているザフィーラ。あまりにも失礼なので、グリグリします。

 コードネームという、隠密行動している響きが格好いいんです。このまま監視と言うか、記録を続けさせてもらいます。

 ですが、中々先に進まないはやてちゃん。時計を見ながら、お兄さんと弟くんの姿を観察しています。これは二重尾行の一種なのでしょうか。

 そして、10時になりました。はやてちゃんがヴィータちゃんに車椅子を押してもらって公園の中に進み始めました。

 暇なので私たちがジャレあっている間にも、彼らの間で話しは進んでいるようです。はしゃいでいる彼らの声に、私は耳を傾けます。

 ……それにしても、もう少し近くで聞けないものですかね。





「待った?」
「大丈夫、今来たところだから」
「二十分前からいたじゃねーか」
「な!?」


 お約束の会話を繰り広げ、揃った異種四人組。一般男子二人と魔法女子二人。

 恥ずかしい姿を見られたかのように感じた弟が、ヴィータにちょっかいをかけるべく動き出した。

 兄の方はまだ大人な対応。自分の策が見破られても次がある。まずは、基本である女性を褒めることから始めることにした。

 他の人には告白していないものの、自分の恋心を理解しているのはエライと言えるだろう。ただ、どこで好きになったのやら。


「可愛いね、その服」
「そか? 褒めてもらえるのは嬉しいなあ」


 公園から出ることにして、歩き始める四人。遊ぶ場所の設定まではしていないので、必然的に買い食いツアーなどに発展する確立が高いだろう。

 兄の言葉に嬉しげな顔をするはやて。綺麗な笑顔を見て、兄は心をときめかせる。

 ちなみに、はやての着ている服は可愛い服をヴィータに着せる、という理由付けの一環で着ているものなので、現在の状況をデートだとは認識していなかったりする。

 けれど、兄の方は違う。自分は精一杯のお洒落をして来た。彼女もお洒落をしている=自分に気がある。

 そんな展開をしてしまっている。残念ながら、はやてにはそんな気さらさらない。これを、日本の古典表現でいとあはれと言う。

 さて、弟の方はというと。


「そんな服来って似あわねーよ、ブース」
「ああ! はやての選んだ服に文句つけんのか!」


 小学生男子をしていた。その言葉使いに、遠くで覗き見をしているシャマルが悶えた。隣にいるザフィーラがガクンと肩を落とす。

 死ね、死ね。ブース、ブース。弟とヴィータの間で言葉の応酬が続く。弟の心の機微を知りたいものだが、残念ながらそこまでの読心術は所持していない。


「……おい、行くぞ弟」
「ヴィータ……ホンマに弟さん嫌いなんやね……」


 なぜか名前で呼ばれない弟。二人の言葉に自分の名前を叫びたくなる弟だが、人通りが増えてきたので自重した。

 周囲を見て最低限の空気を読む力はあるのだ。ただし、好きな人を相手にすると力を発揮できない。とても男の子をしている。


「分かったよ、にいちゃん。今行く」
「嫌いじゃない、大嫌いだ!」


 ヴィータの大声に、仰け反る弟。目の端から零れ落ちる涙。だが、決して見せることはない。好きな子に、泣いている姿を見せるわけにはいかない。

 男らしい理論だが、そうするくらいなら素直になればいいのにと思ってしまう。だが、それを実践出来ないのが小学二年生の心理である。

 背中を向けているヴィータには、後ろにいる弟を見ることはできない。だが、はやてと兄は見た。涙を流す弟を。

 はやてはなるほどと悟った。兄は頑張れと思った。

 ヴィータの恋路か……。はやては考える。そして、自分にべったりなヴィータの姿に行き着く。

 ……あかん、君の恋、叶う確率めっちゃ低い。はやてには何もできなかった。

 はやてに出来たのは、そっと弟の肩に手を乗せてあげるだけだった。それを見た兄が、憧れのはやてにそんなことをしてもらった弟にキレた。


「テメッ、何を!」
「にいちゃん? 痛っ! ……何すんだ!」


 いきなり巻き起こった兄弟喧嘩に呆然とするはやて及びヴィータ。二人の前だという理由ですぐに納まったが、家に帰ったら再開される恐れがある。

 道端でそんなことをすれば、もちろん目立つ。それも、近くに車椅子美少女とゴスロリ美少女がいるのなら尚更のこと。

 お、秩序の縺れか? 心の中で冷やかす大人までいる。しばしの間、彼らはここら一体の人々の目の保養にされた。

 さらに、その姿は高画質で残されている。はやてもヴィータも気にすることはなさそうだが、少年二人にとってはかなりの羞恥プレイだろう。

 両者に引っかき傷こそついたが、ケンカはストップ。

 近くで微笑ましげに見ている人々に気付いてガンをつけると、四人で逃げ出した。はやては移動が難しいので、ヴィータが車椅子を押していたが。

 ここではやての車椅子を押さなかったあたり、兄のビビり具合が窺える。

 それから走ること数分。兄弟が走るのを止める。弟が疲れてきたのだ。そこで弟の疲れを嗅ぎ取れるのは、さすがはお兄さんと言うべきだろう。


「何で走ったんだよ?」


 周辺の目をあまり気にしないヴィータは、兄弟が理由なく走り出したように見えた

 まわりの人の可愛いなぁ、という笑みが嫌だったと言うのは簡単だ。しかし、そう正直には言えない。

 彼らにはプライドがある。近くの人々の視線が嫌で逃げ出したなんて、言ってたまるか。兄弟はうーむと考え。


「「敵の気配がしたんだ!」」


 揃って言ってのけた。遠くでシャマルが逃げ出した。バカ正直ではないとはいえ、敵という単語に敏感なのがヴォルケンリッター。

 ヴィータが捜索など行使してしまったら、自分がいるのがバレてしまう。それはマズい。それはヤバい。

 あなたたちのデートをデバガメに行きます。なんて言えないので、シャマルは今井さんの家でお話をしているという設定になっているのだ。

 主婦の間での話し合いは済んでいる。もしも口裏を合わせてくれるのならば、記録用ビデオテープの焼き増しが約束されているのである。

 主婦は楽しい物はなんでも来いのスタンスを取っているので、エサで釣り易い。この場合、デメリットがないのにメリットだけがある。乗らないよりは、乗った方が面白い。

 というわけで、主婦に聞いてもわたしたちはシャマルさんと一緒にいた。と答えるだけ。情報的にならば、シャマルは今井さんの家にずっといたことになる。

 だから、見つかるマズイ。隠し切れなくなる。はやてに見つかると、説教ではすまされないかもしれない。

 そんなわけで逃げ出したのだった。

 アイゼンを展開するわけにはいかないので、簡易的に魔法を行使するヴィータ。自分の捜査の届く範囲に魔力の感触はない。

 ……んじゃ、こいつらは嘘言ったのか。ヴィータは何でそんな嘘を付いたのか疑問に思った。

 長い時間を生きているのだが、思春期少年が近くにいなかったヴィータ。物知りであってもどこか抜けているヴィータ。

 自分の見た目年齢に流されている少女がここに一人。

 理由はわからないものの、別に移動することに障害はない。行動を開始する四人。

 それから数分後、そこに犬連れの女性がやってくる。キョロキョロと辺りを見回した後、犬を見て言った。


「ザフィーラ、匂いを嗅いで探して!」
「……捜索魔法を使用すればいいだろう」


 ちょっとどころか、かなりテンパッているらしい。その焦りの理由は何なんだか。





「……もうそろそろ夏も終わるいうのに、まだアイス屋あるんやね」


 特に意識せずにシャマルの追跡を逃れた彼女たちだが、車椅子に乗っている少女を連れてそう遠くまで行けるわけがない。

 先程いた場所からは、ほんの数分の場所。待ち合わせに使った公園に近づきつつあった。

 その途中で、彼らは時期外れになりつつあるアイスクリーム屋を発見したのだった。


「アイス!」


 喜びの声をあげるヴィータ。今日の間に散々ちょっかいをかけた弟だったが、彼のがんばりよりも、一つのアイスの方が喜ばしいらしい。

 ……黄昏た弟。兄とはやての手が、彼の肩に乗せられた。ヴィータはそれに気付かず、はやてにアイスをねだる。

 はやてに購入してもらったアイスをかなり嬉しそう食べるヴィータ。9月といえど、暑い日は暑い。冷たいアイスは、歩き続けた彼女の全身を心地よく冷やしているようだった。

 ふとそこで、自分がアイスを買ってあげれば同じような表情をして貰えたのではないかと思う弟。

 とはいえ既に後の祭り。考えが及ばなかった彼は戦略的に負けている。今更アイス買ってあげてもいいよと言ったところで、そっぽを向かれるのが関の山。

 誰かぼくのことを手伝って。弟が周囲の二人にヘルプを送る。

 はやては自分の妹分がまだ良く知らない男に取られるのを良しとしなかった。

 兄はお前を手伝うくらいなら、はやてちゃんとの仲を深めるわいと思った。

 絶望の弟。彼は涙ながらに逃げ出した。男は好きな人に涙を見られることを嫌う。それは例え子供だとしても、蔑ろにすることのできない大事なものなのだろう。

 でも、近くに連れがいることを忘れてはいけない。彼らは、君を追いかけなくてはならないのだから。

 また走るんかい。はやてが楽しそうに呟く。弟へのヴィータの評価がまた落ちた。

 容赦のない連続評価ダウンを見て戦慄する兄。弟よ、お前の恋はどうなるのだろうな?

 声に出さない彼の優しさプライスレス。兄弟の友情は破滅である。大人になったら忘れ去る。

 泣きながら逃げ出した弟を追いかけること数分。朝方に見たブロック塀が辺りにある。どうやら出発地点に戻ってきてしまったようだ。

 時刻は三時過ぎ。そろそろ解散にはちょうどよいのではないだろうか。

 何とか弟を捕まえた兄はグダグダになりつつある空気を敏感に感じ取り、前々から考えていた計画を実行に移すことを決意した。

 すなわち、八神はやてへの告白である。……それは請求過ぎるような。けれども一度思い込んだら突っ走れるのが子供の利点。

 兄はどうにかロマンティックな告白をするべく、はやてと二人っきりになるべく行動を開始する。

 はやてと二人っきりになるには、あの赤髪の女の子が邪魔になる。どうにか追い払うことはできないか。

 だが、はやてはあの女の子のことを気に入っているらしいから、無碍にはできない。女の子。確か、ヴィータだっけ? を楽しませ、それでいて邪魔にならない。

 ヴィータをどうにかする必要がある。そういえば、弟はヴィータに惚れていることが今日、明らかになった。

 ……よし、こうなったら作戦会議だ。何がこうなったらなのかは判らないが、作戦会議らしい。

 絶対に女子二名が着いてこられず、人もいない場所。兄のそこまで良くない頭脳が、一つの場所を指し示す。


「な、おれ、ちょっとションベン行くわ。……ちょっと来い」
「にいちゃん? ……うお!?」


 弟の服の裾をガッシと掴むと、そのまま引っ張って公園備え付けのトイレへと連れて行く兄。その姿は怪しすぎだった。絶対何か企んでいる。誰が見てもそう断言できる顔を彼はしていた。

 しかし、後ろ姿しか見ていないはやてとヴィータには、その凶悪な顔は見えていなかった。

 彼女たちが思うことはただ一つ。


「女の子の前で、あんな下品な単語使うとかありえへん……」
「デリカシー? っていうのがない奴らだな」


 評価の下がりは最大級。彼らにとって幸運だったのは、そんな批評をされたのを聞いていなかったことだろう。

 もしも聞いていたら、石化していてもおかしくなかったかもしれない。


 む。……トイレの中に入ったところで、兄は掴んでいた弟の服の裾を離した。同意なくいきなりトイレに連れ込まれ、文句の一つでも言いたくなる弟。

 だが、続く兄の言葉でその言葉を飲み込んだ。


「なあ、おれ、はやてと二人っきりになりたいんだ。手伝ってくれ。成功すれば、お前もヴィータちゃんと二人っきりになれるぞ」
「やる」


 即答だった。好きな人(そこまでは意識していないように感じられる)と二人になれると聞いたら、そこに思考など入る隙間もなし。弟は兄の提案に脊髄反射で乗っかった。

 何時の間にかはやてをちゃん付けから呼び捨てに変えている辺り、兄の増徴具合が窺える。

 細かい作戦なんて考えない。人生是行き当たりバッタリ。行動すれば、きっと良いことあるだろう。

 兄は持ち前のプラス思考を武器にして、今日中に告白を成功させるつもりでいた。

 どう考えても無理無茶無謀の南無三だったが、兄の中ではほっぺにチューの妄想が爆発していた。

 唇? 好きな人と唇にちゅーしたら、赤ちゃんが出来ちゃうよ。男の子は純真で純粋だった。そろそろ精通が始まる時期なので、失われてしまう日も近いが。


「じゃ、どうにかおれとはやてを二人っきりにしろ。そうすれば、お前はヴィータちゃんと二人っきりだ」
「よっしゃー」


 やる気満々でトイレから出てきた一般男子二人。ちなみに、会議の所要時間は十分。おしっこには長すぎる。つまり、おっきい方だと魔法女子二人は取っていた。

 二人揃ってふんばるとか正直どうよ? 何だか嫌な気分になっていた。男の子の方は良い告白日和だと思っていたが、女の子の方のメンタルは最悪だった。

 なんと悲しいすれ違い。彼らの恋が叶うことを神に祈ってみたいと思う。ただし、神は信じていない。

 公園の真ん中で自分たちを待っている女の子に、土を踏みしめ一歩一歩近づく少年たち。

 彼らの歩き方には、一種、威風堂々の空気すら感じられる。

 そんな風に結構な時間をかけて彼らは少女たちの前に辿り着いた。そんな演出される意味がわからないはやて。ヴィータは変な歩き方だなと思っただけだった。

 脈絡のない行動に混乱するはやてだったが、彼らがそんなことをしたい気分だったのだろうと勝手に納得した。

 一瞬で自らの周囲で起こった出来事に対してある程度の予測を立て、自分を取り戻すことが出来るのは流石だと言える。子供が持っていて良い技能であるとは言い難いが。

 どんな時でも混乱せず、瞬時に周りの状況に合わせて臨機応変に対応する。これもまた、彼女の指揮官適正の一つだろう。


「ところで、一つ聞いてええ?」
「なんだい、はやて?」


 歯を光らせて(ライトは仕込んでいない)彼女の名前を呼ぶ兄。

 馴れ馴れしいやっちゃなぁ。シャマルも、何でこんな奴と一緒に遊べ言うたんやろ? いまだ目の前にいる少年の恋心に気付かないはやて。

 けれどもそんなことは置いておいて、はやてにはまず聞いておかなければいけないことがある。

 一人の料理好きとして、このことを聞かずにはいられなかった。


「手、洗った?」


 はやての問いかけに首を傾げる兄。

 小学生、特に男子は手を洗うという習慣を無視しがち。さらに、彼は排泄行為を行っていないのだ。よって、手を洗う理由など一つもなかった。


「洗ってないぜ!」


 だから自信満々に言い切った。すっごい嫌そうな顔をするはやて。小学三年生相当の年齢とはいえ、良識もあるので黴菌が云々言うつもりはないが、単純に不潔だと思った。

 適切にはやての好感度を下げていく兄の姿勢には、もはや感動すら覚える。

 すでに彼女の中で、兄はあんまり良くない人という烙印を押されていた。この状況からの復帰はほぼ不可能。

 第一印象である『中々面白そうな人』は、ほんの数時間で掻き消えた。

 小学五年生に高望みをするなと言いたくなる。が、ダメ。これが現実。

 はやての心境など一向に考えず、自分の我を通すべく奮闘する兄。その頃、弟はヴィータと二人きりになるべく行動を開始していた。


「……何すんだ、テメェ!?」


 はやてと兄の会話を掻っ切って、ヴィータの怒鳴り声が響いた。驚いてヴィータの方を見るはやて。

 そこには、後ろからヴィータのスカートを持ち上げている弟の姿が会った。奥儀、スカート捲り。男の子が好きな女の子の興味を引くための最初の技にして最終手段である。

 公園の中で明らかにされた、素朴な純白の下着。白く細いヴィータの足と相まって、中身は公園の茶色の中によく栄えた。エロかわいいブームに乗っていなくて本当に良かった。

 ヴィータにとって幸運だったのは、天気が悪くなってきていて大半の子供が家に帰っていたことと、最近ここら辺の子供に大人気のゲームが発売されたことだろう。

 公園にいたのはほんの数名。その人たちも、ヴィータの痴態は見ていなかった。

 ちなみにその中に若干一名、足を棒にしている青年がいた。彼は遠くの住宅街でかなり有名なロリコン(隠しているがバレバレ)なのだが、目撃はしなかった。

 存在自体に意味がないモブキャラであるので、今の状況には全く関係ない。今休んでいるのも、小さな女の子を求めて歩きまわっていたためだと思われる。

 スカートを捲られて暴れているヴィータ。魔法を使えば弾くのは簡単だが、はやてに使うのを止められている。

 ある程度して満足したのか、弟は走って逃げ出した。こうすれば、ヴィータちゃんと二人っきりだ! 心の中でガッツポーズを取る弟。

 それがフラグブレイクであることに、最後まで気が付かなかった。

 放心して弟の後ろ姿を見つめるヴィータ。その後わなわなと震え出すと、はやての方を見た。


「殺っていい?」
「殺さん程度でほどほどにな。ただ、女の敵やからボッコボコにしてやりぃ」


 ヴィータの言葉に笑顔を向けるはやて。米神にはバッテンマークが浮かんでいる。自分の妹同然であるヴィータにセクハラを敢行されたため、かーなーり怒っているらしい。

 はやての了承を受けるが否や、首にかけていた待機フォルムのグラーフアイゼンを引っつかみ、弟の背中を追い始める。

 手の中で巨大化して、大きなハンマーに変化するグラーフアイゼン。

 それを軽々と振り回し、自分にセクハラしやがった馬鹿野郎に天誅を下すべくただ走る。


「……ヴィータ、元気やなぁ」


 あっはっはと笑うはやて。ただし口元こそ笑っているが、目は笑っていない。

 シャマルさんと同じような手品を使うヴィータにビビリまくる兄。同様を表に出さないようにしながら弟の冥福を誰にともなく念じると、弟の犠牲を無駄にしないよう、告白の段取りを整えることにした。

 一発で好きだ! と言わない辺り、やっぱり彼のビビリようが窺える。


「な、なぁ、はやてっ!」
「んー? なんや、お兄さん」


 悪戯っぽい顔で、彼をお兄さんと呼ぶはやて。あれ、やっぱりこれ脈ありじゃね? 自己完結して興奮する兄。

 けれども自分はケダモノじゃないんだぞ、落ち着けとヘタレっぷりを発揮して思考を冷却する。

 上ずってしまった声を抑えると、少しお話することにした。


「は、はやては毎日が楽しいか?」
「楽しいよー。……あなたは?」
「おれも楽しい。今は……好きな……何でもない」
「?」


 目を逸らし、話の途中で言葉を止めた兄を見て首を傾げるはやて。可愛らしい動作に惹かれて、兄はつい目を合わせてしまう。

 とりあえず、これで気を惹くことに成功だ。後は、ロマンティックに告白するだけ。兄のテンション鰻上り。

 いざ、口を開き……そこで兄は絶句した。はやての顔は「なんや、恥ずかしがらんで言ってみぃ?」と言っているようだったからだ。

 はやての目は上からの目。母親や父親と同じ質の目。

 小さな子の悩みを聞いているかのような、そんな視線。

 それが勘違いなのだとしても、少なくとも自分より年上の少年に向ける目ではなかったのは確かだった。

 幼い頃からの一人暮らし。自分のことはほとんど全部、自分でする。そんな境遇で育った少女だからこそ出来る『大人の目』だった。

 兄の中に羞恥が生まれた。はやての行動に一喜一憂し、さあ告白するぞと喜んでいる自分がとても子供に見えてしまった。

 車椅子を進ませ、兄の顔を覗き込む。平均より高い彼の身長と、車椅子に座ったままの彼女だから出来る体勢だった。

 下から覗き込まれるというのは、まるで泣いているとき大人に大丈夫? と聞かれているのと同じ。はやてから噴き出る大人のオーラが、そんなことを考えさせた。

 たまたま図書館に寄ったときに見た、図書館の妖精。車椅子に乗った天使は、兄にとってとても綺麗なものに見えた。

 だから近所に住んでいる少女なのだと知って歓喜した。彼女の家族がスポ少の先生で喜んだ。彼女の家族が自分の元に家庭教師をしに来て喜んだ。

 彼女にとって、自分は特別な存在なのだと妄想した。けれど、あの目は自分が望んでいた少女のものではない。

 年下の男の子に向けられているかのような彼女の目は、彼のプライドを大きく削った。

 自分とはやては釣りあっていないのではないかと思って、怖くなってしまった。


「はやてはさ、家族好き?」
「大好きや。だから大好きな家族と毎日が送れて楽しい」


 ふふっと笑うはやて。その笑顔に兄は苦悩する。……そんな笑みをしないでくれ。その笑みは綺麗だけど、おれとの違いが際立ってしまう気がする。

 おれではそんな風に笑えない。君が遠くにいることを実感してしまう。止めて。その笑みを止めて。

 自分では届かない。どんなに背伸びをしたって届かない。向かい合ったはやてとの会話で、兄はそのことに気付いてしまった。

 弟やヴィータとバカバカしく話していた時、はやては年相応だった。けれど、毎日が楽しいかなんてことを聞いてしまってから、はやての気配が変わった。

 意味もなく毎日を楽しんでいる子供な少年では届かない、理由を持って毎日を楽しんでいる大人な少女に。

 そんな場所におれは立てない。そんな遠くに立たないで。少年は心の中で絶叫する。

 おれじゃあ、何年経ったってそこにはいけない。おれと同じ場所にいてよ。おれを見てよ。おれを好きになってよ。

 好きな人に見てもらいたいという欲求が、彼を最悪の行動に駆り立てた。


「……家族なんてさ、メンドイじゃん」
「え?」


 ……おれがそこに行けないのなら、君をおれの隣に持ってくる。君から、子供らしさを引きずり出してやる。

 少年の心にポツンと生まれた黒い感情。自分が努力するのではなく、相手を引き摺り落とすという最低の行為。

 家族と一緒にいて楽しいとはやてが言うのなら、はやての口から家族といて苦しいと言わせてやる。

 今の自分しか見ることが出来ない、ちっぽけな彼のささやかな抵抗。けれども、それは間違いだ。

 確固とした自己形成が完了しつつあるはやてに、そんな揺さぶりは通用しない。

 はやてが兄の言葉を聞いて思ったのは「この人、家族と上手くいってないのかなぁ」と一つだけ。

 それもまた、自分より年上の人間に感じる感情ではなかった。


「……じゃなくてさ、もっと遊ばないの?」
「……? 毎日、みんなと楽しゅう暮らしとるけど?」


 今一要領の得ない兄の言葉に疑問を持つはやて。兄の目が、最初と比べて少しだけ濁っていた。

 はやて自身が気付いていない、さっきの言葉。彼女の中に遊ぶという単語は今のところまだない。

 日々生きるのに精一杯だったので、楽しむという言葉の意味をそこまで深く知っていない。

 家族と暮らせる=楽しい。そんな考えの子供がこの住宅街にどれほど少ないのか、彼女は気付いていない。

 我がままを言えず、文句を言えず。物心が付いたころには両親が死んでいた。そのまま誰かに引き取られもせず、愛情を注いで貰ったのは赤子の頃にだけ。

 なのに他人を愛せるというその不思議。

 どれほど慈愛に満ちた少女なのか。恐ろしいほど献身的で、恐ろしいほど自分を捨てられる。

 愛を貰えなかったから、無理やり子供の頃に貰った愛を搾り出してでも他人に愛を与える。

 ……だから、私を見て。私を愛して。はやては心の底でそんなことを考えているのかもしれない。


「みんなとか家族とか。そんな関係、うっとおしくねーのかよ!?」


 少年は叫んだ。

 自分の恋が空回りしているのではないか、恐ろしくなって叫んだ。

 いきなり叫んだ彼を見て、はやては驚く。そんな感情を出すような会話を自分たちはしていただろうか?

 ……ならば、感情を振り撒いている彼に納得をいく返事を。私の本心を。

 はやては一度深呼吸をして息を整えると。涙すら出掛かっている彼を見据えて言った。


「うっとおしいとかメンドくさいとか」
「え?」
「うん、そう思っとるよ。私は」
「あ……」


 はやての言葉を聞いて、少年の中に幾つもの感情が駆け巡る。

 それは歓喜であり悲哀だった。

 自分が好きな少女のレベルが下がった。自分の手が届く範囲に彼女が来た。それは嬉しい。

 けれども、それは自分の好きな少女が少しばかり汚くなってしまったということ。自分と同じ場所に落ちてきてしまったということ。

 だが、少年の思いとはやての思いは違っていた。この考えは間違っていたと、一瞬後に彼は知る。


「でも、それがええんやないか」
「え?」



 笑顔のはやてを見て、兄の思考が停止する。

 それがいい? ……めんどうくさいのが良いって、どういうこと?

 少年の中で錯綜する思い。自分では考え付かない言葉に、頭が壊れそうになる。


「人間関係っていうのは、メンドくさくて当然や。だって、相手に気を使わなアカンのやから。相手に気を使わないのは確かに楽やけど、それじゃ心を通わせてるとは言えん。何度も何度もケンカして、そして一層気を使う。それは家族だって同じこと。みんなに気を使えば使うほど、どんどん仲が深まっていく。みんなと一緒にいるということが、メンドくさい。だから私は毎日が楽しいんよ」


 一息ではやてが告げたその言葉。少年はとうとう受け入れた。自分ではこの少女に告白なんてできないのだと受け入れた。

 ああ、なんということだ。恋というのがこんなにも辛く苦しいものなのだと、おれは知らなかった。

 ……もう、告白とかどうこう言っている場合じゃない。この少女の前から逃げ出したい。浮かれていた自分が恥ずかしい。

 八神はやてとおれは、全く持って釣りあわない。


「……にいちゃーん」


 そこに、彼の弟の声が聞こえた。後ろから聞こえてくる泣きそうな声。お前もフラれたか。……よし、一緒に逃げようぜ。

 彼は振り返った。そして絶句した。弟はボロボロだった。傷はないのにボロボロだった。それが非殺傷設定の恐ろしさなのだが、彼はそのことを知らなかった。

 よくギャグマンガとかで見るボロボロ状態とはあんな感じでなのではないかと勘違いしてしまいそうなほど弟はボロボロだった。

 ……あ、あれは逃げる口実に使えそうだ。

 思いついた後の行動は迅速だった。ボロボロになっている弟に駆け寄ると、兄は弟の肩を掴む。

 そして一言耳元で。


「逃げるぞ」


 兄の言葉にコクコク頷く弟。彼にも何かあったらしい。心は一つ。今なら二人三脚で二百メートル走れそうだ。

 はやての方を見て、兄は出来る限りの大声で叫ぶ。


「弟の治療してやんなきゃ行けないから帰るな。じゃ、まったなー!」


 捨てゼリフに聞こえないよう、最大限の注意を込めて彼の口から声が響く。そのまま反転いきなりダッシュ。

 いきなりの帰る宣言に驚くはやて。さっきまでの彼だったら、家まで送るよとか言いそうなのに。……んー。そんなに弟くんが心配なんやろか。ヴィータに悪いことさせてもうたなぁ……。

 ちょっぴり反省。でも、スカート捲りをするような男にはいい薬だと思い直した。


「そうや、ヴィータ。あの後、何したん?」
「急に止まってあたしに何か言いたそうな顔してたけど、聞く耳ないからぶっ叩いた」


 真顔のヴィータ。ボコボコにしたことを、全く悪いと思っていないらしい。まあ、スカート捲りされたんだから当然か。

 ただし、はやては弟がヴィータへ覚えていた感情に気付いていた。だから、失恋残念やったね。と思った。

 告白すらせず失恋したもう一人の少年の気持ちに、はやては全く気付かなかった。

 すでに豆粒になってしまっている二人の少年。手を振って、見送る。

 今日の目的は一体なんだったのだろうかと思いながら、はやてとヴィータは家路についた。





 ……さて、と。お兄さんと弟くんが傷心状態でいるらしいので、今井さん家に突撃です。

 私はこそこそと今井さんの家のチャイムを押しました。


「シャマルさん。……うん、失恋したみたい」
「ありゃー。やっぱりですか。じゃ、ちょっと慰めて来ますねー」
「お願いね」


 私を家に上げると、鍵とチェーンロックを閉める今井さん。どうしてそんなことをするのか気になりましたが、今は彼らの愚痴を聞くのが先決。

 彼らの部屋に向かいます。二階にある彼らの共同部屋の前に立ちます。そこには、入るなと書かれた看板。

 私が設定したデートイベントで、振られ傷ついた少年二人。つまり、あの二人が振られた原因は私にあるんですよね。

 ……ノリで子供を傷つけるとは、私もヒドイ女ですよね。でも、これではやてちゃんやヴィータちゃんについた悪い虫は追い払えました。

 私は扉をノックすると、返事を待たずに部屋に入ります。かかっていた鍵は魔法で解除。わざわざ使う必要がないところで使うから意味があるんです。

 侵入先、ベッドの上で横になっている彼らに近づくと、そっと声をかけます。


「……シャマルさん」
「シャマル姉ちゃん」


 起き上がった兄弟二人が私を恨めしそうな目で見ます。こんなことをされなければ、自分たちはもっと普通の友達で……って、まだ知り合いじゃなかったし。

 大体そんなことを考えているではないかと邪推します。


「……告白、失敗したんですね」
「……見てたの?」
「いえ、撒かれました」


 ……実際、ここに入った理由の20%くらいに逃げられたことへの恨みがありますし。

 そんなことは億尾にも出さず、彼らを慰めることにします。今日は言葉を使うつもりがないので、ただ抱きしめるだけ。

 これだけで充分なはずです。

 二十分ほど二人を抱きしめていると、彼らもどうにか持ち直したようです。

 ……さて、さっさと帰らないと。

 本当は窓から飛んで逃げ出したいところですが、さすがにそんなことできないので玄関から……。

 今井さんに帰りますね宣言はせず、ちゃっちゃと玄関にまで降りて、扉の鍵を……。


「シャマルさん、何処に行くのかしら?」


 私の背筋がビクッと揺れます。聞こえないフリをして鍵を開ける作業を続けます。大丈夫、鍵を二つ開けてロックを外すだけなんですから。

 扉を開けようと頑張る私の後ろから『後藤さん』が近づいて来ました。私の肩にそろっと触れられる彼女の手。


「…………」


 無視です、無視。反応したらヤバイです。全ての鍵を開けて、私は家の外に出ます。その先にいたのは、数人の主婦。

 ……回り込まれています。


「……な、何でしょうか? 私、今日、用事があってですね……」
「用事があるような人が、今日一日子供たちをおっかけているのかしらね? ……それに、あのヒーローものも止めさせてないし……」


 ぬうっと私の前に現れる今井さん。……ヤバイ、ヤバイです。それにおっかないです。後ろには主婦。前にも主婦。

 前門の主婦に後門の主婦ほど情報的にシャレにならない集団は存在しませんよ。

 何だか飛んで逃げたくなってきました。


「平和的に、平和的に話し合いませんか?」
「……あなたは、私たちに口裏合わせを頼んだ」
「報酬に、今日のビデオの提供を約束した」
「ところが、あなたは子供たちを見失い、報酬を持っていない」


 詰問してくる奥さま軍団。彼女たちは、今井さんの家に集まって、私からの報酬を楽しみにしていたのです。

 ですが、私がビデオを持っていないので怒っているのです。

 ……つまり、まずい。非常にまずい。


「……では、そういうことで」


 そこで強行突破を図ろうとする私。ところが、私よりも今井さんの方が早かった。

 今井さんが、欧米並みオーバーアクション(固有名詞)でやれやれと呟きます。


「はやてちゃん」


 ボソッと今井さんの庭に響いたその言葉。ピシリとフリーズする私。

 ……もしも二人の少年の純情が私の提案したイベントによって散らされたと聞いたら、はやてちゃんは怒り狂います。それどころか、責任を取ってお兄さんと付き合ってしまうかもしれません。

 私の未来のために、この屈辱受け入れましょう。……かなり悔しいですけど。


「貸し一つっと」


 あうあうしている私を見て、近くの電柱に繋がれているザフィーラがやれやれと首を振りました。……やっぱり呆れ要員じゃないですか!!

 声に出ない私の念話が周辺の空気の中に溶け込みます。

 私が近所の主婦軍団に貸しを作って、今日という一日は終わりを迎えました。


 ……それにしても、どんな風にしてはやてちゃんはお兄さんを振ったのでしょうか?





――後書き
Q なぁなぁ、主人公デバガメすぎじゃね?
A 主人公、調子に乗っています。
このssは、お姉さん萌えに分類されるのだろうか……。そう考えると冷や汗でてきた。

何だかんだ言って寂しがったりしても、はやては大人ですよね。このssの表テーマである『大人と子供』の大人の方に分類されています。

……兄と弟の名前が出ていないのは使用です。今更言えたことじゃありませんが、あんまりキャラを増やしすぎても収集つかないので。
でもこいつら中盤の半レギュラーなんだよなぁ……。名前くらい付けてあげるか、はたまた兄と弟でずっと通すか。

『オギダファナダ』を登場させるにあたって参考にした文献
≪オギダファナダ大全集≫ ふたば社(嘘)出版



[3946] シャア丸さんの冒険 十話
Name: 田中白◆d6b13d0c ID:d0504f35
Date: 2008/12/31 23:19
2005年10月27日




 八神家のリビング。ここは、はやてちゃんとヴォルケンリッターの憩いの場です。

 それぞれの部屋とは違ったこの広い部屋で、楽しくお話をしたりテレビをみたりする。こんな毎日がとても楽しいです。

 最近はそれぞれ予定があったりして、一緒にいることが少なかったんです。けれど、今日は予定なしの日が重なったので揃ってまったりとしているのです。

 お昼のテレビ放送からはバラエティー番組が流れていて、芸人さんのボケやツッコミにみんなで笑ったりしています。

 ……うん。こうやって笑えるのは、とってもいいことです。


「今日は、みんなで一緒やねー」


 そんな風に有意義にポケッとしていると、はやてちゃんがみんなを見渡してそんなことを言ってきました。

 声をかけられた全員が、そういえばそうだなと頷きます。

 何時の間にやら、こうやって一緒にいることが普通になっている。生まれた頃の、そして今までのヴォルケンリッターには考えられなかったことです。

 だからこそ、とても居心地が良くてすごく愉快なんですよね。

 私たちが人としての幸せを得る。本来だったらありえない、素晴らしい時間です。この幸せな空気を胸いっぱいに吸い込みます。

 はやてちゃんに撫でられるヴィータちゃん。まるで当然とでも言うかのように、はやてちゃんの手はヴィータちゃんの頭に伸びるのです。

 撫でられたヴィータちゃんは、嬉しそうに目を細めます。そんな二人を、優しい目で見守るシグナム。

 ああ、至福の時間です……。恍惚としている私を見て、ザフィーラがカクンと肩を落としました。

 ……そういえば、この反応も普通になってきましたね。

 はやてちゃんが、そうやって遊んでいる私たちを見て小さく笑います。


「普段からこんなに一緒にいれればええんやけどなー」


 勢ぞろいした家族を見て、はぁぁーと盛大に溜息を吐くはやてちゃん。

 家族と一緒は超うれしい。もっと一緒におれたらええのになぁ……。口に出さずに空気で呟くはやてちゃん。

 心の言葉を聞いたシグナムが、だったら剣道の講師を止めましょうかと口を開きます。でも、はやてちゃんの手にストップを食らって黙り込みます。

 みんな一緒はとても楽しいけれど、何時も自分たちの中だけで完結するわけにはいかない。

 せっかくの平和な日々なんやから、もっともっと遊びまわろう。

 家族だけではなく、色んな人と楽しいことを見つけような。憂鬱そうな顔を追い払って、はやてちゃんが笑顔になります。

 そのまま、ずっと撫でっぱなしだったヴィータちゃんの顔を見ました。


「ヴィータは、近所のおじいちゃんおばあちゃんとよく一緒にいるよなー」
「うん。みんな良い人だからさ。お菓子くれるし」
「あははっ。ヴィータは食いしん坊やね」


 八神家に木霊する、楽しい笑い声。こんな日々がずっと続いていくのだと信じていますし、これからもきっと続いていくでしょう。

 懸案事項は闇の書の暴走、もしくは管理局の介入の二つだけ。

 よっぽどの事件が起こらなくては、私たちの平和な時間はなくならないのです。

 例え登場するキャラクターがそのままであっても、闇の書が暴走するとは限りません。

 所詮、あれは『アニメ』なんですから。この世界は私にとって『現実』。

 本当にアニメ通りに進んでしまったら。いえ。もう、アニメ通りに進むことなんてありえないでしょう。

 私がファクターとなって、管理局に関わった。これは、きっと大きな変化です。

 蝶の羽ばたきが嵐を起こすんですから、管理局に関わったのならば局が滅んでしまってもおかしくありません。

 それに、原作通りにシナリオの上で過ごすなんて、生きること重視のつまらない毎日です。楽しみを求めるなら、原作改変どんと来い。

 生き死になんて、後からついて来るものです。

 などと偉そうに言ってみましたけど、これは私がAAAランクの魔導師だからこそ言える言葉なんですよね。

 もしも自分のランクがCとかBだったら、今の言葉は絶対に言えないでしょう。

 とはいえ、これは強者の戯言が言えるほど私が強いということです。自分の強さを間違えず、真っ直ぐに進んで行ければ良いんですけど。

 ……少し前に考えたなのはちゃんやフェイトちゃんの力を借りるという案は、もしかすると失敗するかもしれませんね。

 というか、『無印』は史実通りに終わったのでしょうか? そもそも、無印なんて起こったのでしょうか?

 ……一度くらい、翠屋でなのはちゃんの様子を見ておいた方が良かったかも……。いえ、今から見に行ってもいいんですけど。でも、今から見に行ったら変な事件に巻き込まれてしまいそうです。

 私だけが勝手に考えて、勝手に暴走して、勝手に自爆するなんてことありませんよね?

 そんな風に考えていたら何だか泣けてきました。はやてちゃんの手前、涙を流しはしませんが情けないです。

 ……泣き言なんて、いまさら言ってはいられません。

 平和な日々を暮らしていくため、警戒は厳に。でも、それだけだと疲れるから所々で手を抜いて。せめて、今年いっぱいは気を付けるようにしましょう。

 これから何が起こったとしても、私は家族を守ってみせる。

 恒例のテンションアップを行っていると、守る人第一号さんが私の顔を覗き込んできました。

 私の目の中に燃える炎でも見つけたのか、はやてちゃんは「おおっ」と驚きます。

 一度目を瞑ると、今度は私の目と自分の目を合わせます。小さく起こる視線の交差。その後、はやてちゃんが聞いてきます。


「シャマルは、毎日楽しい?」
「はい、楽しいです!」


 最高の笑顔で、はやてちゃんの言葉に返すことが出来ました。

 一緒に暮らしているうちに、最初の頃のわだかまりはほぼ完璧に消え去り、隣にいる時に浮かぶのは笑顔だけ。

 たまにあのはやてちゃんの行動が何だったのかが気になる時もありますが、今の私たちは仲の良い家族の良い見本だと言えるでしょう。

 ケンカして、仲直りして、もっと分かり合う。家族との交流は、人生最大の楽しみの一つなのです。

 私の笑顔に安心したらしく、次はシグナムに毎日の楽しさを聞いているはやてちゃん。嬉しそうな横顔を眺めながら、懸案事項を頭の中に思い描きます。

 ……とりあえず、今一番怖いのは闇の書の暴走。今のところただの創作物だと考えていますが、登場人物がここまでそっくりなのに、事件が発生しないとは考え難い。

 窓から外を眺め、激しく輝く生命の象徴、太陽を目に入れます。

 そして、心の中で呟きました。


 ……闇の書事件って、何時からでしたっけ?





シャア丸さんの冒険
十話「事件の始まり」





2005年11月11日(細目の日)→(==)




「……麻痺が、進行している?」


 私の隣でシグナムが青ざめた顔をしながら呟きました。荒れそうになる心を押さえ込んで、私は石田先生の言葉の続きを聞いていました。

 はやてちゃんの検査が目的で訪れた海鳴大学病院。

 石田さんが私たちを呼び出して、はやてちゃんの足の麻痺が進行していることを告げてきたのです。

 少しずつ広がる麻痺は、いずれはやてちゃんの全身に広まり、彼女の体を停止させる。とても恐ろしい情報です。

 唐突に訪れた幸せの終わり。それは、戦いの日々の始まりを告げる容赦のないの鐘の音。

 ……11月。闇の書事件の始まりは、こんなにも遅かったのですか。

 こうなってくると、今まで何もしようとしていなかったのが悔やまれます。

 はやてちゃんの寿命がいつなのかは知りません。知りたくもありませんし、調べまもしません。

 起こらないと信じていたことが起こってしまっても、困惑するわけにはいかないのです。

 こうなることは、信じていなかったにしろ、ずっと前から知識として知ってたのですから。

 だからこそ、この事件を解決するのに必要な対応策はすでに考えてあります。

 奇跡を信じた、あまりにも馬鹿げた策とはとても言えない一つの策を。

 自分の力としてきたことを信じているからこそ出来る、自分の運と行動を信じた言語道断の賭け。

 誰が聞いたところで成功しないと言うであろう、無意味な作戦。

 けれども、デバイスを解析してバグを潰すとか、かけられた呪いを解呪するとか、そんな特殊な力を持っていない私に用意することが出来たのは、こんな小さな努力だけ。

 デバイスマイスターなんて、管理局の敵対者である私がなるのは絶対に無理。そもそも闇の書のバグを潰すための施設が借りられない。

 解呪なんて、そもそも霊を見たことがない私がなるのは絶対に無理。それに、たかだか数年で覚えられる技術でもないでしょう。

 だからこそ、今回の生で自分がやってきたことを最大限に生かす道を選んだのです。

 それは……管理局を利用して闇の書の防御プログラムを最高クラスの破壊兵器アルカンシェルで破壊するという、無茶な作戦。でも……完遂に必要なプロセスは、そんなに多くはないのです。きっと、成功するはず。

 ……一応、なあなあにすることが出来る予備の作戦もありますし。

 まず必要なのは、闇の書のページを集めること。

 ページを集めきり、闇の書……もとい、夜天の書を完成させたときこそ、私たちが生き残るための作戦が始まるのです。


「……シャマルさん、大丈夫ですか? 顔色、凄く悪いですよ?」


 これから何をするべきか。そのことを考えていると、石田さんに声をかけられました。

 目に見えて顔色が悪いシグナムと違って、驚きもせずに黙って俯いている私が気になったのでしょう。

 石田さんが私の体調を気にした言葉をかけてくれました。

 安心させるためというか、自分を落ち着かせるために首を左右に振ります。


「いえ、大丈夫です。……考えごとがしたいので、帰らせてもらいます」
「……はい」


 私がなんとか搾り出した声に、石田さんは小さく頷きます。シグナムの体は小刻みに震えています。

 そこから読みとれるのは、悔しさと不甲斐なさ。どうして気付けなかったのか。どうして今の段階に甘えていたのか。

 同時に、シグナムは気付いたでしょう。八神はやての足を悪くしている元凶に。


「……気休めですが、私も頑張りますので、あなたたちも頑張ってください。一番辛いのは……きっと、はやてちゃんでしょうから。家族であるあなた方が、あの子を支えてあげてください」


 自分の体の麻痺が進んでいることに、八神はやては気付いている。ただ、顔に出していないだけ。

 最後に石田さんがかけてくれた言葉は、そう言っているように聞こえました。そして、そんなはやてちゃんを支えて欲しいと懇願しています。

 強い子だからって、強い顔をしているのはおかしい。泣いてもいいんだって、頼ってもいいんだって教えてあげて欲しい。

 短い言葉の中にそれだけの意味があるのです。それだけはやてちゃんのことを考えているのです。

 ……だから、私たちも出来ることをすることにします。





 石田さんが見えなくなった瞬間、シグナムが近くの壁に拳を叩きつけました。ドンと大きな音が廊下に響きます。その音は、きっと石田さんも聞いているでしょう。

 魔力による身体能力強化は行っていないようで、壁にヒビが入ったりはしませんでした。


「……なぜ、気付かなかった」


 先ほど感じた不甲斐なさと悔しさを言葉の中に込めて、シグナムが呟きます。

 ……それは、私のせいでしょうね。事件なんか起こらない、起こってたまるもんかと意地を張って、はやてちゃんの体を調査していなかったのですから。

 一度でも調査していれば、彼女の体が徐々に悪くなっていることに、きっと気付けたはずなのに。

 黙ったままの私を振り返り、シグナムが辛そうに言います。


「……帰るぞ、シャマル。主はやてを待たせているからな」
「ええ、そうしましょう」


 自分に禁じている女の言葉使いが、最近増えているような気がしました。





「あ。遅かったなぁ。はよ帰ろ、シグナム、シャマル」


 石田先生、何て言っとった? 小さく笑ってきます。

 待合室は相変わらず込みっぱなしで、この病院がどれだけ信頼されているのか、一目でわかります。

 待合室の端っこの方にはやてちゃんはいました。病院通いの中での知り合いも多いようで、さっきまでは、近くにいた大人の女性と話していたようです。

 待ち人が来たのを見て取って、女性がはやてちゃんから離れました。小さく手を振っています。

 病院のような行きずりの縁が多い場所では、家周辺の人たちとは違って結界とかの影響は受けず普通に話せていたんですね。

 彼女の社交性や大らかさは、病院内で身に付けたものなのかもしれませんね。

 次はヴィータちゃんを探します。ゲートボールをしているおじいちゃんがいたようで、顔を付き合わせて笑っています。

 あ、別れ際に頭を撫でられました。はにかむヴィータちゃん。

 ……凄く嬉しそうですね。こうして感情が表に出せるようになったのは、とても良いことですよね。

 そうして、知り合いとの別れの挨拶を済ませて二人が近寄ってきました。病院に来るだけで知り合いと出会うとは、この二人はどれだけ顔が広いんでしょうね。

 ……いえ、私も主婦とその子供になら顔が広いんですけど。

 シグナムは、スポ少に通っている子供、その子の友達とかに顔が広いです。

 ザフィーラは、近所のペットを飼っている家ではよく躾けられた良い犬だと評判です。それと、小さな子供にはとても好かれています。

 ……ふむ、つまり八神家が揃えば子供、主婦、年輩。青年を除くほとんどの人と顔見知りになるということですね。

 まだまだ二十代の知り合いが少ない。新たな人員の開拓が必要かもしれませんね。

 さあ、帰りましょう。先程の石田さんとの会話は忘れます。麻痺が進んでいることなんて考えていると、多感なこの子に私たちの感じる不安が届いてしまいます。

 シグナムはすでにポーカーフェイス。所々に苦しみが見て取れますが、もともと仏頂面(失礼)なのでわかりにくいです。

 私も彼女を見習わなくては。先程の友達たくさん計画を頭の中で進ませて、楽しい気分を高めます。


「……シャマル、無理して笑っとらん?」


 うふふと楽しいことを考えていると、はやてちゃんが私の顔を見上げて聞いてきました。

 私がはやてちゃんの車椅子を押すようになってから、すでに四ヶ月を越えています。

 何時の間にか、振り向いたはやてちゃんに何かを聞かれるというのは、私の日課になっているようです。


「いえいえ。何でもありませんよー」


 背中を向けているはやてちゃんの頭を、くしゃくしゃと撫でます。ネコのように目を細め、くふふと笑うはやてちゃん。

 撫でられている間は、とても安心。抱きしめられている時は、とても嬉しい。

 彼女の性質を利用して、話を逸らします。

 はやてちゃんもそのことには気付いているようです。でも、話したくないならば無理には聞かない。彼女のスタンスというか、処世術からもう一度聞いてくることはありません。

 心配事があったら、まずは率先して聞く。聞いて欲しくないというならば二度は聞かない。聞いて欲しいのならば黙って聞く。

 誰でもいいから自分を気にかけて欲しい。そんな感情が、彼女の行動の節々から感じ取れるのです。

 それから八神の家に帰るまで、ずっとはやてちゃんの頭を撫でていました。私の不安を伝えないように。そして、彼女に笑顔でいて貰うために。

 帰ったらすぐ、ヴィータちゃんとザフィーラに、今日石田さんに言われたことを伝えよう。念話で、シグナムと確認しました。

 シグナムは、我らが将は黙って頷きました。




2005年11月12日




 時刻は12時を越え、今は深夜。ほんの数分前に、日付が変わりました。

 はやてちゃんが寝静まるのを待って、私たちは外に出ます。そのまま門の外へと歩き出しました。

 私たちが何を言い出すのか。ヴィータちゃんもザフィーラも、私とシグナムの二人から、尋常ではない空気を感じ取っているようです。

 念話でヴィータちゃんにこのことを伝えることは出来ませんでした。今の彼女は前の彼女とは違いすぎるのです。

 そのため、我らが主の今の状況のことを告げると、はやてちゃんが近くにいたとしても騒いでしまう危険性があると判断したからです。

 ザフィーラは、ヴィータちゃんを抑えるための道連れです。自分だけが大切なことを知らないでいる状況に、耐えられる子だとは思えませんので。

 ……同じくらい生きているのに、どうして子供っぽいまま何ですかね。あー……体の年齢に精神が引っ張られているってことですか。


「で、何だよ、シャマル。」


 家から少し離れた場所にある、海沿いのベンチ。私はそこに座りました。そのまま、黙って闇に沈んだ暗い海を眺めます。

 ヴィータちゃんの言葉に応えるのは、シグナムの役目。私は頭の中で、これから何をするべきかを整理することにします。

 私の手の中にあるのは、闇の書。付いて来たがっているようなので、持ってきました。

 どの道、これからのことを考えれば絶対に持っていく必要があるのですから。

 ヴィータちゃんとザフィーラを前にして、シグナムが今のはやてちゃんの状況を伝えています。

 もともと警戒気味だったヴィータちゃんの顔が、シグナムの言葉を聞いて徐々に歪んで行きます。

 闇の書による、はやてちゃんの体の侵食。彼女のリンカーコアにかけられている呪い。

 こうなることをすでに知っていた私と違い、シグナムもヴィータちゃんもザフィーラも何をしていいのかが全く分からない。


「助けなきゃ!」


 ヴィータちゃんが叫びました。

 目の端から零れ落ちる涙。とうとう、他人のために泣くことが出来たヴィータちゃん。この子の成長に、場違いながら喜ぶことが出来ました。


「なに黙ってんだよ、シャマル!!」


 落ち着き払っている私に、ヴィータちゃんが食って掛かります。

 自分たちが慌てている中で、しれっとした顔をしている私が気に障るのでしょう。でも……今は、必死に考えをまとめている最中なんです。

 これからどうすれば、どう動けば、私の考えている策を実行に移すことが出来るのか。今まで得た知識をフルに活用して、これからのことを考えます。

 どうしたって、一個の生物が思い描く未来には限界があります。でも、二個の存在が合体して出来上がった私ならば、何かを変えることができるはず。

 原作どおりに話をなぞればそれで良い。そうしたって誰も攻めない。そんな気はします。でも……それだと、闇の書が完成しない。不思議とそんな予感がするのです。

 今からページを集めると仮定して、クラールヴィントの中の80ページを解放しても、12月24日には終わらない。そんな感覚をひしひしと感じます。

 闇の書が完成するのが12月24日だと限らない。1月や2月かもしれない。でも、それだと、すでに原作通りじゃないです。

 クリスマス・イブに闇の書が完全に起動しない。そんな未来図が、私の目に見えているのです。

 それを悟った時点で、『リリカルなのは』のアニメは効力を失いました。今から私が綴るのは、アニメとは全く違った物語です。

 まずは、張っておいた伏線を回収することから始めましょう。


「だから……何か言えよ! シャマルは、回復系得意だろ……!」
「私では、侵食を止めるのは無理です」


 泣きそうになっているヴィータちゃんの言葉に、やっと答えます。いきなりの言葉に二の句が告げれず、黙り込んでしまうヴィータちゃん。

 何となく、今の自分は冷たい目をしているんだろうなぁ。と思いました。

 でも、それは当然のことなんですよね。私は、他のみんなと違ってはやてちゃんに変えられた訳じゃないんですから。

 私とヴィータちゃんの会話を放っておいて、シグナムとザフィーラは顔をつき合わせています。


「……シグナム」
「どうした、ザフィーラ?」


 何やら重要らしい話をしています。きっと、闇の書のページを集めることを考えているのでしょう。

 そして、考えていることは、言葉として紡がれました。


「集めよう、闇の書のページを」


 手の平をギュッと握り締め、シグナムが言いました。ザフィーラもこくりと頷きます。

 そこにどれほどの葛藤があるのか。見ているだけではとても分からないシグナムの感情。ザフィーラもまた、断腸の思いで頷いたのだということが、なんとなく分かりました。

 ヴィータちゃんは、その言葉を聞いてシグナムの方を見ます。


「それじゃ、そいつらを殺すことになるじゃねーか! はやての未来を、血で汚したくなんてない!」
「分かっている。……だから、『今まで』とは違い、誰も殺さずにリンカーコア〝だけ〟を集めるんだ」


 ヴィータちゃんの叫びに頷くシグナム。私は、二人の会話を黙って聞いています。上手いタイミングで二人の間に割り込む必要があります。

 魔法の力を持っている生物と一回一回戦っていたのでは、体が持ちません。もっと簡単に、それでいて大量に集める必要があるのです。

 それに……この作戦とも呼べない作戦は、時間があればあるほど成功する可能性が上がるのですから。

 ……でも、あそこで集めると数日のうちに集まりきってしまいそうなのが恐いですよね。


「……リンカーコアを集めに行く」


 もう一度だけ自分に言い聞かせるためにか、シグナムが呟きました。

 これから、自分たちは主の命を破るのだ。自分の中で実感を固めるため、罪を背負う覚悟をするため、それ相応の儀式をやっておこう。

 シグナムがとあるビルを指差して、そんな感じのことを言います。

 ……ここから、変えます。もう後戻りは出来ません。『リリカルなのは』という原作とは、ここでおさらばです。

 これから十年もすれば、管理局とジェイル・スカリエッティとの戦いなんかもあるかもしれません。でもその時のはやてちゃんは、管理局の下でのうのうとしているのでしょうか?

 何たってこの作戦が成功してしまったら、私たちは犯罪なんてせずに済むのですから。

 管理局の保護(監視)を受けて、無理やり局に入れられることにはなるかもしれませんけどね。


「待ってください」

 私は一歩踏み出します。決められた未来を享受せず、自分の手で未来を切り開きます。

 それはきっと茨の道となるでしょう。けれど、絶対に後悔しないと仲間たちに誓うことにします。

 私の言葉に、シグナムとヴィータちゃんの動きが停止します。

 そのまま、次の私の言葉を待っています。だから、安心して次の言葉を言うことができました。


「魔導師や魔法の力が強い生物を狙うのは、危険です」


 私の言葉を聞いて、ガクンと肩を落とすシグナム。もちろん当然の反応です。危険なのは百も承知。その上で、リンカーコアを集める気なのですから。

 私の言葉は上っ面だけを聞くと、危ないから止めましょうと言っているのと同じです。

 だからこそ、次の反応もまた予想通り。


「……言うに事欠いてそれか、シャマル」
「あたしたちの危険なんて関係ねーんだよ。今一番重要なのは、はやてだ!」


 期待を寄せていたのであろう私の言葉を聞いて、失望に目を細めるシグナム。同じく私の弱気に聞こえる発言に激昂するヴィータちゃん。

 確かにさっきの私の言葉は、まるで日和見主義のそれ。このまま八神はやてがどうなっても構わないとでも言っているように感じられるはずです。

 ……私が、そんなことを言うはずないというのに。

 でも、数ヶ月前までのケンカとかを思い出すと、そんな行動を取っても当然だと思われてしまうのも当たり前なのかもしれません。


「という訳で、もっと安全な道を選びます」
「……どういう意味だ、シャマル?」


 ザフィーラだけは最後まで話を聞くつもりなのか、先を促してきます。……これなら、他の二人も文句は言えども話しは聞いてくれるはずです。

 私はクラールヴィントを掲げると、今まで保存し続けていた80ページに渡る魔力を引き出します。

 手の中から浮かび上がった闇の書に、一言。


「闇の書、蒐集」


 闇の書……まあ、この場合は闇の書で良いですよね? が怪しく光り輝き、私が取り出した魔力を回収していきます。リンカーコアを蒐集して書き込まれていく大量のページ。

 記述は次々と増えていき、80ページを少し超えた辺りで停止しました。


『Erfrischung』(快適になりました)


 長時間の負荷から解放され、クラールヴィントが小さく明滅します。

 ページを蒐集し魔力量が増えたからか闇の書が少しだけ浮かび上がり、私の手の中に収まりました。


「そのリンカーコアは……?」


 私のクラールヴィントから吐き出された大量のページを見て、ザフィーラが聞いてきます。

 ……何年か前に、竜の世界で手に入れた大量のページ。それと、世界を回っている間に手に入れたページ。前も言いましたが、総量は80に匹敵します。

 全力で集めようとしていなかったからこの程度ですが、あのたくさんの竜がいる世界には、蒐集を行っていない竜が最低でも、厳密に数えてはいませんでしたが五百はいるはずです。

 一匹1ページしか持っていないとしても、総量は500ページ。

 けれども、あそこにいる竜が1ページだけなんてはずはなく、一匹につき2ページは持っているはず。

 さらに、あの世界にいる竜の中には、SSSランクはありそうな王竜さんがいるのです。

 彼女(彼?)は一匹で50~70のページは持っていそうです。他にもたくさんの魔力を持っている竜がたっぷりいると思います。

 闇の書のページ蒐集におけるチートエリア。あの世界は、そう呼ぶのに相応しいかもしれません。


「『あの世界』なら、これだけのページが一日で手に入るはずです」


 私の言葉を聞いて、目を剥くヴォルケンリッターのみんな。

 前にあの世界にいた時は、動きを止めるためだけに使用していたリンカーコアの蒐集。戦いの片手間だったため、集めるのが難しかった。

 けれども、もしも今あの世界で蒐集できるのなら、全ての竜が好意的です。危険なく、簡単にコアを入手できるでしょう。

 ……失敗があるとするなら、竜たちが私を忘れている時くらいです。


「こんな簡単な方法があるのに、戦って魔導師や生物からリンカーコアを抜くなんてメンドウくさいです。」


 私の言葉を聞き、それぞれ違った表情を見せるヴォルケンリッターの面々。

 ヴィータちゃんは、それならはやてちゃんもすぐに助かるという、嬉しげな表情。

 シグナムは、どうしてそんな容易にコアを集めることが出来る場所を知っているのかという疑念の顔。

 ザフィーラは静かですが、私が管理局の元にいたという話を思い出しているようです。

 後者二人が思い描くのは、すなわち私への不審でしょう。管理局の下で、裏切りなどを働いているのではないかという懐疑。

 今は疑念を持たれていても良いです。重要なのは、私の策を実行に移すこと。それさえ成功すれば、申し開きの機会はいくらでも作れるんですから。

 最悪、私の秘密をバラすことになることすら厭わないでしょう。ここでの不審を後まで引き摺れば、何時の日か私の身を焼くことになる。そんな気がしました。

 けれども、私のことを一応は信じるのか、三人が私の前に集まります。


「その世界は何処だ、シャマル?」


 シグナムの問いかけに、クラールヴィントを持ち上げることで応えます。指輪の宝石から浮かび上がる、竜世界の座標。この世界から行くまでに、複数の世界を渡る必要があります。

 世界の場所を暗記して、ヴォルケンリッターがそれぞれ動き出します。

 私は目に付いたビルの上に飛び上がりました。同じように、後ろから追ってくるヴォルケンリッター。

 会話はありません。私たちの胸にあるのは、主との約束を破るという懺悔と後悔のみ。

 ビルの上に辿り着くと、四人で十字を象ります。東西南北に一人ずつ立って、互いの顔を見合わせます。

 ついで、足元に広がる六角形の魔法陣。

 円陣の中心には闇の書が浮かんでいます。ある種の威圧感を発生させて、闇の書は宙に浮かんでいるのです。

 口から流れ出す呪文。

 詠唱は、誓いの言葉。主に迷惑をかけず、先を閉ざすようなこともしない。

 六角の魔法陣の先の円を見ながら、私は小さく目を瞑ります。



 それは懐古。長い生の中で繰り返される苦痛の日々。

 それは歓喜。ようやく巡り合えた最愛の主。

 それは祝詞。かつての主の言葉を破ることへの謝罪の言葉。

 それは虚言。これから我らが成すことは主のことを思ってのこととの言い訳。

 それは道程。目指すのは大切な笑顔と心地よい居場所。

 それは未来。幸せになる幸せにしてみせるという誓約。



 思い出すのはつい先日の会話。

 寒いベランダにて闇の書の蒐集行使のことを聞き、自らを抱き上げるシグナムの手の中で八神はやては微笑んだ。

 空を見上げて力強く言ってのけた。


『他人さまに迷惑をかけてまで、幸せになりたくない』


 父さんも母さんもいない。足も不自由。それでも、私はこのままでいい。

 幼い女の子が一人で暮らしていたというのに、恨み言すら言わずに他人のことを考える。

 力強い瞳の中に嘘はなく、心の底から自分以外の誰かのことを考えているのが窺えた。

 自分の幸せよりも他人の幸せ。短い言葉の中に、どれだけの勇気と覚悟が篭められているのか。

 不幸を決めるのは、結局のところ自分の判断でしかない。同情なんていらない。憐憫なんていらない。

 私が本当に欲しいのは、一緒に笑っていられる人たちだけ。

 シグナムの胸に体を預け、はやては言葉を続けた。


『だから、約束して』


 とても大事な約束を。剣にかけた約束を。

 主はとても大事だった。約束もとても大事だった。


『闇の書のマスターが私であるうちは、蒐集なんてしないってことを』


 だから、破る。

 誰よりも他人のために頑張れるあなただからこそ、私たちはあなたの下にいる。あなたのことを守りたいと思うことができる。

 とても強くてとても弱いあなたの下にいるために、私たちは約束を破ります。

 どうか、許してください。この愚かな選択を。

 そして、褒めてあげてください。惰性と命令だけで生きていた彼女たちが自分から行動したことを。

 最後にあなたにご自愛を。守護騎士(私たち)は、(主)あなたが幸せじゃないと幸せになれないんです。あなたの笑顔は、私たちの笑顔でもあるんですから。

 『他人のため』。そのことを、教えてくれてありがとう。

 ビルの上。それぞれの回想を終えた皆が、騎士甲冑を展開しました。

 服を侵食するようにして、光が上に上がって行きます。ザフィーラは人の姿を取りました。


 ヴィータちゃんは赤いゴスロリ。

 シグナムは紫の騎士服

 ザフィーラは黒い戦闘服。

 私は緑の法衣。


 守護騎士の体を包み込む、衣服。

 騎士甲冑を甲冑とせず、衣服とする。戦いなんて必要ない。そう言ってのけたはやてちゃんの心意気。

 ……ただの儀礼用装備でしたが、最悪の場合は戦闘に使うハメになりますね。

 でも、順調に進めばすぐにでも闇の書が完成しそうです。戦闘になんかならずに済むかもしれません。

 湧き上がってくる楽観的な感情。

 シナリオなんか必要なし、楽ならばそれが一番良し。

 そうはいかないだろうな。頭のどこかにある冷静な部分が現実を告げてきましたが、あえて無視します。


「それじゃあ、行きましょうか」


 私の言葉に、皆が一斉に頷きました。



[3946] シャア丸さんの冒険 十一話
Name: 田中白◆d6b13d0c ID:d0504f35
Date: 2008/12/31 23:20
2005年11月12日



 行きますと言ってから十分が経過しています。

 だというのに、誓いの言葉を口にしたビルの上には、未だに竜の世界へと向かっていない私たちがいました。

 足元に浮かぶ六角形の魔法陣はそのままで、全員が疲れた顔をして突っ立っています。


「……なぁ」


 天上は星空。月と星が見守る中で、ヴィータちゃんが小さく呟きました。

 小さな体で精一杯の背伸びをして、六角形の中心で手を伸ばします。

 目指す先にあるのは闇の書です。しかし、ヴィータちゃんの手が闇の書に触れるか触れないかというところで本が小さく動き、ヴィータちゃんの手から逃げ出しました。

 逃げた先でもシグナムが手を伸ばし闇の書を掴もうとして、同じくかわされます。私も手を伸ばしますが、やっぱり機敏な動作で逃れます。

 この十分の間ずっと、闇の書を連れて竜世界に行こうと努力しているのです。

 けれども、闇の書は私たちの気持ちなんて知ったことじゃないと言わんばかり。誰の手にも納まろうとしません。


「……どうして付いて来ない、闇の書?」


 不毛な捕獲行動に嫌気がさしたのか、シグナムが腕を伸ばしながら聞きました。

 無言でシグナムの手を避け、さささっと私たちから距離を取る闇の書。

 宙に逃げた闇の書を飛び上がったザフィーラが手の内に納めようとしますが、すぐさま転移して闇の書は私の後ろに逃げ込みます。

 後ろにいるのでクラールヴィントを巻きつけて捕縛……さらっとかわしてまた六角形魔法陣の中央に移動しました。

 手荒なマネはしたくないのでガバっと掴むことが出来ずにいると、シグナムがポツリと呟きました。


「まさか、シャマルの言う世界に危険があるとでも言っているのか……?」


 その言葉にビクッとなる私。そんな疑念を持たれたら、私の作戦はこの場で終了。

 危険性の高い、魔導師や強力な魔力持ち生物との戦闘ルートに移行してしまいます。

 それだけは避けなくてはならないので、どうにか誤解を解こうとします。


「いえ、そんなことは……」
「黙っていろ、シャマル。私は闇の書に聞いている」


 強い口調のシグナムの言葉に、弁解の言葉すら封殺されてしまいます。

 ……はうぅ。闇の書のせいで、私の用意周到とは言いがたいけれど、失敗する可能性はそこまで低くない計画がおじゃんになってしまいそうです。

 もしもこれで竜世界行きが取り消されてしまったら、これからは一生闇の書を夜天の書と呼んで上げませんっ。

 変な覚悟を決める私。……闇の書も、どうしてこんなときに動かないんですか。私ははやてちゃんを助けたいだけなのに……。


「で、シャマルの言ってる世界って危険なのかよ?」


 ヴィータちゃんも闇の書に聞きます。ザフィーラも視線で聞きます。

 他のヴォルケンリッターの問いかけに答えるように、宙に浮かぶ闇の書が明滅しました。

 そのまま横に、左右に揺れ始めました。


「……?」


 闇の書の奇怪な行動に、怪訝そうな顔をするシグナム。

 横に揺れられても、何がしたいのか分かったものではありません。

 諦めずに、何かを伝える様に左右に揺れ続けている闇の書。その姿を何処かで見たような気がして、私は少しばかり考え込みます。

 規則性を持って横方向に動いている闇の書。それはまるで、人の首みたいです。

 何がしたいのか分からない私ですが、混乱するみんなの中でヴィータちゃんが声をあげました。


「あ!」
「……どうした、ヴィータ?」


 ヴィータちゃんが理解の色を示したのに気付き、ザフィーラが何に思い至ったのかを聞いています。

 横に揺れていた闇の書が、ヴィータちゃんの叫びを聞いて動きを止めました。


「ほら、今の闇の書、首を横に振ってるみたいじゃないか?」


 嬉しそうに言うヴィータちゃん。そう言われてみれば、そうかもしれません。

 全員に見られている闇の書が、縦方向、上下に動きました。どうやら肯定を表しているようです。

 ……長いヴォルケンリッターの歴史の中で、始めて未覚醒状態の闇の書と意思の疎通がとれたかもしれません。

 ヴィータの意見と取って良い。そのことを認めたシグナムが、闇の書に再度問いかけます。


「……それで、だ。シャマルの言う世界は危険なのか?」


 シグナムの問いかけに横方向に揺れる闇の書。否定、つまり危険ではないと言っています。

 さっすが夜天の書! 私の言葉を肯定してくれるんですね!

 そんなさっきと真逆のことを考えていたら、闇の書に体当りされました。……なんでです。

 理不尽を感じている私を放っておいて、会話を続けるシグナムと闇の書。


「では、何故お前は付いて来ない?」


 考え込むように動きを止める闇の書。

 困った、と言っているような動作に、シグナムは違う聞き方をします。


「聞き方がまずかったな。お前は、我々に付いて来る気がない。そういうことか?」


 大仰な動作で縦方向に揺れる闇の書。その通りである。かなり偉そうに見える動き方でした。

 米神に青筋が浮かぶシグナム。

 ……まあ、闇の書がないと効率的な蒐集が出来ませんからね。

 今回の私のように抜いたリンカーコアを保存しておくことは出来ますが、それだと持ち運べるコアの量が激減してしまいます。

 ずっと負荷をかけ続けていたクラールヴィントも休ませたいですし、デバイスを戦闘機動させる必要があるかもしれない前衛二人に最大容量までコアを溜めさせることは出来ません。

 それを考慮すると、100ページ。これが一回の転移でデバイスに入れることが出来る限界値でしょう。

 けれど闇の書を持ち歩けば、666ページ、気にすることなくページを蒐集できます。

 ……うーん。時間が生まれるのは私の考えからすれば都合が良いんですが、闇の書はどうして竜世界に行くのを嫌がっているんでしょうか。

 ……想像が付きません。


「「「…………」」」


 手を伸ばし、逃げられ、また手を伸ばし、逃げられる。そんな、遊んでいるようにしか見えない三人と一冊。

 何がしたいのか、とりあえず連れて行ってから決める様子のシグナム。

 手に入るのを良しとせず、頑として逃げ続ける闇の書。

 追いかけっこに嫌気がさしたらしいシグナムが、闇の書を見据えます。


「では、行かない方がいいのだな」


 凄まじい速さで左右に動く闇の書。絶対に行け、行った方がいい。鬼気迫る動きで自らの感情を伝えてきます。

 ……自分は行かないが、お前らは行け。……何ですかそれは。


「……はぁ」


 頭を抑えて闇の書の行動の真意を捉えようとしているらしいシグナム。

 闇の書の真意は何なのか。私はそのことをずっと考えていました。

 二人で闇の書の異常行動の意味を模索します。もしかして、闇の書がバグっているのでは……。

 予想できるいくつもの可能性を考えては破棄、考えては破棄をしていると、後ろからヴィータちゃんの声が聞こえました。






「……あー、もう、しょうがねーな」

 あたしの言葉にシグナムとシャマルが振り向いた。

 これから何を言い出すのか、期待しているようだった。

 ……そりゃあ闇の書があった方が蒐集は早いし、何よりデバイスに負担をかけないですむ。

 それに、リンカーコアは特殊な術式を組まないと引き抜けないから闇の書が一瞬でやってくれると楽だ。

 だけど、闇の書が付いて来ないって言うんじゃ仕方がない。


「行こうよ、闇の書置いてさ」


 このまま闇の書を説得するなんてまだるっこしいことはやってられない。はやての症状は、かなり悪い。

 こうして無駄な時間をかけている間にも、認めたくないけど、はやての体はどんどん悪くなっていく。

 だから、闇の書が行かないって言うならそれでいい。要は、あたしたちが頑張ればいいだけなんだから。

 あたしたちが頑張れるだけ頑張って、闇の書が付いてこなくたってもたくさんのページを蒐集すればいいんだ。


「そうするしかないだろうな……」


 何を考えているのだか。シグナムが、闇の書を見つめながら微妙な顔をする。

 闇の書は、そ知らぬ顔で揺れるだけ。つれない態度だ。


「ヴィータちゃん……」


 シャマルが心配そうな目であたしを見てくる。

 あたしの体のことを考えて、心配そうな顔をしている。

 目を瞑ると思い出すのは、昔のシャマル。冷たい目をした湖の騎士。

 やっぱり、変だ。昔っからあたしのことを気にかけてくるおせっかいな奴だけど、前の再生からはそれが度を過ぎてる。

 やっぱり、バグなんだろうか。あたしの視線を受けて曖昧に微笑むシャマルを見ていると、ふと思う。

 けど、闇の書を通して感じるシャマルに、おかしなところは全然ない。むしろ、強化されている。存在的にも、魔力的にも。

 前回の闇の書の覚醒のときに消えて、出た。それだけで強化されるというのはありえない。バグなのに強化されるっていうのは、もっとありえない。

 怪しさを解消するため、シャマル抜きでシグナムたちと話したこともあるけど、結局保留ということで落ち着いた。

 強くなって、知ってることが増えて、家事ができて。そして、優しくなって。何なんだろうかこいつは。

 だけど、たった一つだけ確信できることがある。

 こいつはどうしようもなくシャマルなんだと、それだけは分かった。闇の書から伝わってくる、こいつの考えていることの断片。

 少なくとも、それは悪いものではないように感じられる。

 そんなことを考えていると、自然と言葉が口から漏れた。


「わかんねえ……」
「何がですかー?」


 ほら、すぐに聞いてくる。どんな時でもあたしたちのことを気にかけている。

 ……シャマルって、ホントにこんな奴だっけ。何だか、丸っきり他人のような、そのままのような……。

 そういえば、こんなにシャマルのことを考えたのは初めてではないだろうか。

 ……なんか気にいらねえ。


「なんでもねえよ!」


 シャマルにぶっきらぼうに答えると、あたしは転送の準備を始める。ほかの奴らは、すでに発動段階だ。

 周囲を見渡して慌てたように魔法を発動し、転移の準備をしているシャマル。……遅いって。

 シャマルが準備を終えるまでの、短い時間の空き。

 視線を彷徨わせ、闇の書を見る。闇色の魔法陣が消えた後も、じぃっとそこに留まっている。

 ……なんで付いて来ないんだろ、あいつ。危険はない、行って来い。太鼓判を押しているのに、自分は行かない。

 わけわかんねえ。最近、そんなのばっかりだ。

 シグナムとかザフィーラは、あたしのことをノーテンキだとか思ってるみたいだけど、色々と考えてんだよ、これでも。

 シャマルの転移準備は終わった。……んじゃ、行くか。

 目的の世界まで行くのに通る世界は三つ。うざったい管理局に見つからないように、ちゃっちゃと行くか。

 ほんの数秒後、四つの光の線が星空を切り裂いた。





 ランダムに二つの世界を移動、その後にシャマルの言う世界の一つ前で合流。

 示し合わせた手順を終了して、あたしは他の三人と合流した。

 木々の多い、自然が豊かな場所。ただし、気温は-30℃。寒冷地の中でのみ生き残れる植物しか生えていない。動物は十数種類程度。管理外世界の一つだ。

 騎士甲冑を身に纏っているおかげで寒さは感じない。はやての服が最初に守ってくれたのが、敵の攻撃ではなく寒さだというのが、少しばかりおかしかった。

 帽子についてるノロイウサギは、吹雪を真っ向から受けて寒そうだった。

 吹き付ける雪をかわすために、三人は森の中にいた。

 全員、木の根元に座っている。

 一番後に出たはずのシャマルがあたしより前にいるのが、少しばかり納得いかない。

 ……やっぱり、魔力が増えたおかげだろうか。どうして生物じゃないはずのシャマルの魔力が増えたのかが、かなり気になる。


「どうしたんだよ、さっさと行こう?」


 全く動こうとしないみんなを見て、あたしは焦れたように言った。ように、というより、本当に焦っているのだろう。

 時間ばっかりかけたくない。こんなに待機の連続になるだなんて、想像してなかった。もっとがっつりと簡単に行けばいいのに。

 まだるっこしいことは嫌いだ。障害なんて突き破っていけばいい。

 手の中でハンマーの形態を取っているグラーフアイゼンを握り締める。


「待て、ヴィータ」


 木の根元に座り込んだまま、シグナムが呟いた。リーダー様の言葉に、あたしの動きが止まる。同時に浮かび上がってくるのは、怒り。いや、苛立ちだ。

 ……さっきも闇の書の変な行動のせいで時間が潰れた、これ以上時間を潰されるのは、嫌だ。

 時間がない。このことは、全員知っているはずなのに。


「また待つのかよ。そんなの、飽きた」


 飽きた、の言葉で溜息を吐くシグナム。その態度が、いっそう癪に触る。

 狼の姿を取って寝そべっているザフィーラが、のっそりと体を起こした。


「待った方がいい。目的の世界を、管理局が見張っている」


 ……? シャマルが行こう行こうと押している世界を、管理局が見張っている?

 シャマルを見る。顔を背け、下を向いた。

 その言葉を聞いて、シャマルの反応を見て、頭に血が昇った。

 顔を伏せているシャマルに近づくと、胸倉を掴む。


「何だよ、それ!」


 シャマルの目が、諦めに染まっているのがより腹立たしい。

 何か言えよ。何か弁解しろよ。

 けれども、シャマルは目を背けるだけだった。

 シャマルの口が、ごめんなさいと動いた。

 視界が変わる。自分の目の色が変わったのを感じた。

 何が簡単にコアが手にはいる、だ。何が戦って集めるのがメンドウくさい、だ。

 何も知らないまま進んでいたら管理局に見つかって、それこそメンドウなことになっていたことだろう。

 犯罪をしていないから捕まることはないだろうけど、身元を調べられる。そうなれば、闇の書の守護騎士だと芋づる式にバレてしまうかもしれない。

 ……もう、信頼できるか! あたしの中で、何かが爆発する。


「お前は何なんだよ!!」


 それは、信頼できないこいつへの不審の感情だった。

 あたしの言葉に、目を見開くシャマル。掴んだ胸倉を何度も何度も揺さぶって、当り散らす。

 みっともない。ちらりと考えたが、そんなこと知ったことじゃなかった。

 あたしたちが捕まって、はやてに迷惑がかかるよりはずっと良いのだから。

 回りだした口は止まらなくて、聞いてはいけない、聞かないで良いと思っていたグレーゾーンのことまで聞いてしまう。


「お前はシャマルなのか!? それとも違うのか!?」


 やさしい、よくあわてる、わらう、にんじょうか、ぬるい。

 天真爛漫。たくさんの感情を見せて、たくさんの信頼を寄せられる。

 本当にお前(シャマル)はそんな奴だったか?

 冷たい目で他人のコアを引き抜く策謀の騎士は何処へ行った!?

 にこにこと笑って、誰からも愛されて、それが湖の騎士なのか!

 どうして自分が湖と呼ばれたのかを思い出せ!

 誰かを心配したように見せても、本当の目的はただのメディカルチェックで、常に諦めていて最悪の選択を頭にいれて、霧を張った湖のように平静で……。

 だけど、湖のように平静の中にたくさんの命(策略)を持っていて……。


「湖の騎士シャマルを、何処へやったんだよ!?」


 あたしの叫び声に、小さく息を呑むシャマル。目に浮かんでいるのは、焦りというよりは純粋な驚き。

 目を覗きこむ。その奥にある軟弱な部分を確かめたくて、奥の奥まで覗き込む。

 そして、表向きの部分を通り越して、裏の部分に辿り着いた気がした。

 すぅっとシャマルの目が細められた。あたしの目とシャマルの目が真っ向からぶつかり合う。

 期せずしてぶつかりあった瞳は、そのまま動かない。シャマルの目は、真っ向からあたしを見詰めていた。

 そこにあったのは、殺意だった。これ以上、覗くな。そう言っているようだった。


「――止めなさい、ヴィータちゃん」


 シャマルの唇から洩れた言葉。声量はあまりにも小さく、吹雪の音を相まって、きっとあたしの耳にしか届いていないだろう。

 ……逸らせない。ここで目を逸らしたら、攻撃してしまう、攻撃される。そんな予感がした。それほど、シャマルの目は『怖かった』。

 シャマルの口が、またしても小さく動いた。そこから先に確信がある。そんな気がする。あたしの目をじっと見つめ、シャマルは口を開く。


「私は……」
「そこまでにしておけ、ヴィータ」


 引き寄せていた胸倉を、シグナムによって離される。

 あたしの手から、シャマルが解放される。

 途端に笑顔になったシャマルが、シグナムに助かりましたーと礼を言っている。

 その姿に、何だか安心した。同時に不安になった。

 シャマルにも、まだあんな暗い部分がある。そのことが、何だか嬉しかった。同時に、失望もした。はやての下にいたのに、まだあんな目ができるのか、と。

 希望と失望が同じもの。矛盾しているが、そんな感想を抱いた。


「ゴメン、シャマル」


 謝るしかない。話を最後まで聞かずに掴みかかることはなかったと、反省した。

 けれど、シャマルは相変わらずの笑顔で私にひらひらと手を振る。大丈夫ですよー、気にしてませんから。

 ……〝いつも通り〟だけど、この笑顔の下には、あの冷たさがある。そのことが何だか恐ろしかった。


「さて。話が拗れてしまったが、ここはシャマルの弁解を聞くとしよう」


 居住まいを但し、シャマルを顎で指すシグナム。あたしも思考の海からさっと引きあがってシャマルの言葉を聞くことにした。

 何時もの笑顔のシャマル。今は、このままでいいやと諦めた。今以上は踏み込んじゃいけないみたいだから。何か言う必要があるなら、シャマルが言ってくれるに違いない。

 三対の視線を向けられて困惑するシャマル。えー、シグナムとザフィーラにはもう弁解したじゃないですかーと愚痴るシャマル。

 どのみちヴィータにもするのだから、また私たちに話しても手間は同じだろう。ニヤリと笑うシグナム。

 分かりましたよー。溜息を吐こうとしてすぐに止め、笑顔に少しばかりの苦渋を入れてシャマルは解説を始めた。


「あの世界は、管理外世界でも管理世界でもない、強いて言うなら無視世界です」


 ああ、そういや行こうとは言われたものの、世界自体の説明受けてなかったな。

 無視された世界の略だろうが、とてもセンスが良いネーミングではなかった。

 名付けた本人は胸を張っているので、シャマルは自信タップリの名前らしい。……やっぱ、変わってんのか?

 ちょっと理解に苦しむが、メンドイからすぐに思考を放棄した。


「管理局に監視をされていなかったので、少し前は誰でも入れたんですけど、どうやら監視がついてしまったみたいですね……」


 シャマルが言うには、あの世界にはロストロギア級の生物がいるので、管理局による統治こそ出来ないものの、何時監視がついてもおかしくなかったらしい。

 ……やっぱりハナっから罠だったんじゃねーの?


「いや、それはない。管理局がいることを知らせたのはシャマルだからな」
「はぁ?」


 そこで、シグナムがシャマルを庇うかのような発言をした。

 あたしが少しばかり到着が遅れているので、シャマルが今あの世界がどうなっているのかを探索魔法で調べたところ、管理局の戦艦が監視しているのを発見したらしい。

 なるほど、もしも罠だったいうんらな、見つけた時点で何食わぬ顔で管理局に見つかればいい。

 ザフィーラも、シャマルの言葉をこの世界に引き止める口実だと考えて周囲の警戒しているが、今のところこの世界に管理局が潜り込んでくる気配はないそうだ。


「って、私が嘘を付いてるって考えてたんですか!?」
「良くも悪くも変わりすぎなのでな。少しばかり警戒させてもらった」


 予想外のことを聞いていじけているシャマルを置いておいて、あたしはふと重要なことに気がついた。

 ……結局、あの世界の詳しい説明を受けてねえ。ロストロギア級の生物つってたが、そいつは一体なんなんだ。

 うじうじしてるシャマルの背中を蹴っ飛ばしてまで聞くつもりはねえし……。まあ、どうにでもなるだろ。あたしたちは最強なんだしな。





 それからまた数十分。はやての世界では夜の二時くらいになっているだろうか。

 蒐集にどれくらいかかるかは知らねーが、このままじゃ朝になっちまうんじゃないか?

 シャマルが立ち上がり、探索を開始。これでもう五度目。

 ……何時まで監視してんだか。

 今日はこれで帰らないとはやてが起きちまうよー。なんて思っていると、シャマルの目つきが変わった。


「戦艦、行きましたね……」
「よっしゃあ!」


 管理局による監視が外れ、世界に入れるようになったとシャマルが告げた。

 歓声を上げると、あたしは転移魔法の準備を開始する。


「とはいえ、あの世界にいる王竜さんはかなり強力な生物です。そんなに長い間監視が外れるとは思えませんし、さっさと蒐集を済ませなくては」


 おうりゅう、王竜。それがロストロギア級生物の名前らしい。

 竜ってことは、あの『竜』なんだろうか。火を吹いてガオーって言う奴。……まあ、見りゃわかるか。

 あたしだってマジマジと見たことはない竜という生物。

 シャマルがどんな蒐集をするのかは聞いていないが、何だかワクワクが止まらなかった。

 それぞれが転送を開始。目指すのは、雪を降らせている雲の隙間からたまに見える、岩の世界。

 足元に広がる赤い魔法陣。発動する魔法。赤い閃光となって、あたしは王竜とやらのいる世界に突撃した。





 最初に見たのは赤い岩肌。空の色は灰色。所々から獣の臭いがする。

 ばら撒かれているのは殺気。荒涼とした殺意だけが、世界を覆っている。


「……ここでいーのかよ」


 お世辞にも、生物がいそうな世界ではなかった。その上、感じるのは殺気だけ。

 胸糞悪い。


「……なんか、かーなーり殺気立ってますね。監視されているせいでしょうか……?」


 冷や汗だらだらのシャマル。

 何とも頼りにならないガイドだ。

 四方八方から感じる視線。……ホントにやばくないか、ここ。

 その時、更なる殺気があたしに向かってきた。

 ドロドロとした、空気にも似たぶ厚い原始的な感情。

 日々の殺し合いの中で培われてきたであろう、直情的な殺意。


 〝食べてやる。〟


 向けられたのは、捕食の感情。同時に飛び掛ってくる、一つの大きな影。

 手の中ですでに臨戦態勢にあったアイゼンを一閃。

 カートリッジをロードするヒマはなかったが、手応えは上々。良い当たりだった。


「毛髪西洋竜さん!」


 ヘアードラゴンさん! シャマルが叫んだ。……っつ、知り合い!? まさか、シャマルの言う簡単な蒐集対象って、ここにいる友好的な生物たちなのか!?

 まあ、とても好意的にゃあ見えねえけどな……。

 ……ヤベっ。潰しちまったかも……。

 恐る恐る顔をあげる。そして、絶句。

 目に前にいたのは、十メートルを越える緑色の体を持った一匹のドラゴン。

 何か当たったのかとでも言いたげに、鼻を擦っている。

 ……カートリッジをロードしてなかったとはいえ、魔力で強化されたあたしの攻撃を喰らって、鼻を擦るだけ……?

 何でも壊せるってのがあたしの中で最大の矜侍だってのに、鼻を擦るだけ?

 ……そんなの、認められるか。

 ハンマーを振りかぶり、あたしは叫ぶ。まずは、カートリッジロードだ!


「アイゼン!」
『Ya!』(了解しました)
「何やってんですか、ヴィータちゃん!?」


 シャマルの手から放たれ、アイゼンに巻きつくクラールヴィント。これじゃ、振り下ろせない。

 何度かこのまま振り下ろせないものかと引っ張ってみたが、ビクともしない。


「放せ、シャマル。こいつを倒せない!」
「だから、倒す必要ないんですって!」


 その後、ザフィーラに諭されてあたしはヘアードラゴンを攻撃することを諦めた。
 ……別に髪の毛が生えてるって訳でもないのに、何でヘアードラゴンなんだろ?




 シャマルに声をかけられて、急に沈静化したヘアードラゴン? ……どうしてだ。

 シャマルが言うに、前にこの世界に来た時、ちょっとした事件を解決したらしい。

 その影響で、ここの竜たちとちょっとした交友関係が生まれたそうだ。……何をどうしたら、会話できないだろう竜と友達になれるんだ。

 周囲に集まった竜は五十以上。今までの戦闘経験から考えると、一匹一匹がかなりの魔力を保有している。

 それどころか、竜はこの世界のそこら中にいるらしい。

 全員、やって来たのがシャマルだと知った瞬間、殺気が消失した。

 事件解決とやらのおかげで、ここに住んでいる竜は『全員』シャマルには友好的だとのこと……。

 湧き上がる感情は、歓喜。


「オイ!!」
「ど、どうしました、ヴィータちゃん?」


 わらわらと、芋を洗うかのようにして集まっている竜たち。

 あたしはここに集まっている竜を指差して、叫ぶ。

 声には紛れもない喜びがにじみ出ている。シャマルにぶつけた怒りは、完全に消え去った。


「これなら、すぐにはやてを助けられるな!!」


 闇の書はついてこないから仕方ないが、全員のデバイスに合計100ページまでしか入らないとしても、たったの一週間で全てのページが集まる、埋まる。

 簡単。今の状況は、たったの二文字で端的に表せられる。

 アイゼンを振り回し、歓喜の感情を抑えきれないままはしゃぐ。


「じゃあ、集めて集めて集めまくろうぜ!」
「待て、ヴィータ。……シャマル、一つ聞いていいか?」


 ザフィーラに割り込まれ、バランスを崩すあたし。

 ただ、あまり発現しないこの青い狼が疑問を投げかけるというのだから、大きな問題があるのだろう。

 黙ってザフィーラの言葉に耳を傾けることにする。


「なるほど、確かにここの竜たちは友好的だ。一匹一匹の魔力保有量も多い。だが、リンカーコアの蒐集には大きな痛みが伴う。暴れられてはどうにもならないだろう。そこをどうするつもりだ?」


 ……っ。そうだった……。

 コアの蒐集は、一言で言うと『痛い』。いかに竜の魔力が多いからといって、蒐集の痛みに耐えてくれるとは思えない。

 一匹蒐集するだけで終わりという可能性もある。……どう、しよう。

 シグナムは、何故だか竜に集られている。ここの竜たちは、シャマルと背や体つきが似ているシグナムに興味津々らしい。

 困った顔をしているものの、巨大な竜の姿に『強さ』を見ているのか、シグナムの顔は楽しそうだ。

 蒐集するだけで、この笑顔が消えてしまう。そんなの、駄目だ。


「あ、大丈夫ですよ」


 シャマルがあっけらかんと言った言葉で再度こける。ザフィーラも肩をがくんと落とす。分かりにくいがこけたらしい。かなりレアな行動だ。

 あたしのちょっとマジメな考えはなんだったんだろうか。ちょっとだけ目元に涙が滲む。……なんだよ、これ。


「この世界は、他の世界と比べると何故だか魔力が豊富です」


 そう言われて気付く。この世界は異常に魔力素が濃い。周囲が岩肌でとても動植物が育つ状況ではないというのに、たくさんの生命の息吹を感じる。

 それは、動植物が魔力素を喰らって育つという機構を持っているからとシャマルが言う。

 ここに自制しているコケ類や肉類が、かなり栄養価が高いから不思議に思って調べたところ、それが判明したらしい。

 どうして栄養価が高いのを知ったかというと、食べたかららしい。ここで何してたんだろ、シャマル。

 その質問を軽くスルーして、シャマルは言葉を続ける。


「なので、ここに住んでいる竜たちは、常に過剰魔力に苛まれています」


 過剰な魔力を送り込まれ続けているため、体を常に痛みが襲っている。けれど、それに耐える力がある。だから防御力が高い。体力がある。

 後頭部への一撃やら全身への打撲などには対応していないようですけど、とシャマルは昔を思い出すようにして寂しげに笑った。


「そんな状況に比べれば、蒐集の痛みなんて微々たるものです。それどころか、リンカーコアを抜かれることで魔力を作る機能がなくなるため、過剰魔力から解放されて一時的にですがリフレッシュします」


 まあ、これはあくまで予想なんですけどね。とシャマルは締めた。

 でも……もしもシャマルの予想が正しいのだとしたら、彼らはリンカーコアが抜かれることをマッサージ程度にしか取らないだろう。

 シャマル曰く、一度コアを抜いた後に動けなくなっていた(実は確かめていない)ようですけど、きっと揉み返しみたいなものでしょう。とのこと。

 彼らに迷惑をかけないうえ、たくさんのコアが一辺に集まる。


「……じゃあ、今度こそ蒐集しよう!」


 また叫んだ。今度は誰も止めない。じゃあ、蒐集を開始しよう。

 グラーフアイゼンを抜き放って、リンカーコアを抜き取るための術式を作成する。

 戦闘不能にしてからコアを抜くのは、対象が動いているからに過ぎない。別に対象がこちらに全てを任せているのであれば、弱らせなくてもコアは抜ける。

 あたしの目は、きっと希望に満ち溢れているだろう。


『―――!』


 シャマルが大声で何かを叫んだ。それはただの鳴き声のようだったが、竜たちが応じて集まってきた。

 どうやら収集の合図らしい。

 シャマルが悪戯っぽく、竜たちに集まってくださいと言ったんですと笑った。


『―――!』


 もう一度叫ぶ。竜たちが私たちに体を預けてくる。……じゃあ、集めるか。

 そっと一匹の竜の体に触れる。

 その時、一際大きな山の方から地鳴りが響いてきた。

 ズン、ズン、ズン、ズン。音はどんどん大きくなり、そして、一匹の巨大な竜が現れた。

 山の化身。そうとしか言えない、神々しい姿。シャマルが、やっぱりフェルグラントドラゴンに似てなくもないですと呟いた。

 シャマルが言った王竜ってのは、多分こいつだ。つーか、こいつが王竜じゃなかったら、誰が王竜なんだ。

 それほど、この竜は神秘的だった。

 王竜があたしたちを見下ろしてくる。微妙な居心地の悪さがある。

 そして、王竜がシャマルを見据えて口を開いた。


「久しぶりだな」
「なっ!?」
「うわっ!?」
「ぬぅっ!?」
「お久しぶりでーす」


 ……喋った!? そりゃあ、喋る野生生物もいるだろうが……たまに見たが、こいつが、こんなにデカいのが喋るとは思わなかった。

 こんなに綺麗な竜なのだから、はやてに見せてあげたい。何となくそう思った。


「約束、守ってくれたようだな」
「……スミマセン」
「謝る必要はない。お前にはお前の目的があり、我らには我らの需要がある。それが重なっただけに過ぎないのだから」
「それでも、ごめんなさい。私の目的に、あなたたちを利用してしまって……」
「謝るぐらいなら始めてくれ。我も〝ソレ〟を味わってみたかった」


 くすりと笑うと、シャマルは王竜の肩に飛び乗った。そして、旅の鏡を詠唱。シャマルの手が、王竜の胸から飛び出し。そして、蒐集。

 その場でくすぐったそうに震える王竜。……嘘だろ、蒐集喰らって倒れないなんて……。

 ちょっとした絶望を感じていたら、シャマルがあっと呟いた。クラールヴィントの中に、目的までページが溜まったらしい。

 一回で50以上のページを入手。知らず、ゴクリと喉が鳴った。……これなら、これなら、本当に簡単にはやてを助けられる。

 こんな簡単で良いのかな。そんな疑問を持ちながら、あたしはコアの蒐集を開始した。





 まだ目的容量までページが集まりきっていないけど、途中でシャマルに声をかける。

 一つ、聞いておきたいことがあったから。


「なあ、シャマル?」
「どうしたんですか、ヴィータちゃん?」
「シャマルさ、はやてん家から出るとき、魔法使ってたろ? アレ何だったんだ?」
「ああ、あれですか」


 それは、はやての症状が進行すると聞くほんの少し前。シャマルが、はやてが寝静まったのを確認した後、部屋でエリアタイプの魔法を使ってた。


「癒しの空間を展開して、怪我とか病気の進行を抑える結界を張る魔法です」
「そんな魔法あったんだ」
「いえ、少しばかり入用があったので作ったんです。はやてちゃんのために使用できて良かったです」


 そう言ってシャマルは笑った。

 けれど、その笑みはあまり嬉しそうじゃなかった。役にたったのに、どうしてそんな自嘲的な笑みをしているのか気になって、理由を聞こうとして……。


『――シグナム、ヴィータ、シャマル。逃げろ、この世界を監視していた船が戻ってきた!』


 ザフィーラの念話が飛んできた。ずっと見張りに徹したいたあいつが、管理局の戦艦が戻ってきたのを発見したらしい。

 さすがに偵察が得意なだけある。

 シャマルはすでに転移魔法を発動中。予定までページが溜まっていたから、すでに詠唱を行っていたらしい。

 シグナムも、やはり転移を発動中。どうやら、ページを集めきっていなかったのはあたしだけらしい。

 ……ちっ、あたしだけ遅れたか!

 悔やむくらいならばその時間を転移魔法の発動に回した方がいい。すぐさま魔法を発動して、魔法陣を展開。

 効果が起動するまでの数十秒が今は待ち遠しい。くそっ、今日は待ち時間に苛立たせられる……。

 何かが、近くの宙域に近づいて来たのを感じ取る。同時に転移が発動、あたしは別の世界に転移した。





今回の収穫
80+100=180/666ページ 残り486ページ

闇の書ワンポイントチェック。
今回はシャマルのおかげで大量に稼げたが、次はこうは行かないぞ。ヴィータは、疑問を持つ時間を蒐集に回していれば良かっただろう。





「艦長、さっきの少女は……?」
「大方、一時期あの世界で流行った観光業だろうよ。迷惑なこった。あの世界での死人が多すぎたせいで、今さら俺たちが監視してんのに……」
「艦長、言いすぎです!」
「俺は……もう、死人なんて見たくないのさ……」
「艦、長……。すみません。あなたも、確か……」
「それ以上言うな!」
「艦長!?」
「いや、なに……スマン、感情的になった」
「艦長……」
「なに、次の艦の交替までまだ時間がある。少しばかりなんかに触れるが、酒でも飲もうや」
「艦長っ!」
「それしかいえねーのかテメェは!」

 はぁと溜息を吐くと、艦長は副官を見やる。あの世界には、凶暴な竜が大量にいる。

 監視用の機械などを置いておくだけでは、咄嗟の事態には対応できない。だからこそ、咄嗟の事態に対応するために自分たちがこうしてあの世界を見張っているのだ。

 神竜脈。神たる竜を産む、聖なる山。界竜の住む世界を、荒らしてはいけない。

 それは、自分たちが良く知っている。かつて、あの世界の逆鱗に触れた者は、みな死んだのだから。


「さて、と」


 艦の中にこっそりとしまっておいた酒を取り出すと、中身をグラスに注ぐ。

 カチンとグラスをあわせ、副官と乾杯する。

 横目で見るのは、さきほど捉えた少女の映像。

 遠くだったため、ボンヤリとしていて画質が悪い上、後ろ姿しか写っていない。


「ま、こんな取るに足らない侵入者の目撃情報でも、一応、報告しておくか」


 報告書の一つとして、艦長は鉄槌の騎士ヴィータの画像を纏めることにした。



[3946] 十二話 交差する少女たち
Name: 田中白◆d6b13d0c ID:d0504f35
Date: 2009/01/31 18:16
2005年 11月26日




 11月下旬。冬の空は目が痛くなるほど青く澄み渡っています。たまに吹く風は冷たく、お出かけには少しばかり涼しい気候です。

 とはいえ厳密に言えば人じゃあない私はそこまで寒さは感じることはないため、綺麗に晴れ渡った空を見て素直に気持ち良いと思うことができます。

 閑静な住宅街は、それぞれの家から聞こえてくる子供たちの小さな話し声だけ残して静まり返り、今道路を歩いているのは私たちだけ。

 今日ははやてちゃんの診察もなく、夜を除けば特に何か用事があるわけでもなし。そんな訳で、今日ははやてちゃんにせがまれて図書館に本を借りに行く途中なのです。

 今の私ははやてちゃんの車椅子を押して、ついでにヴィータちゃんも引き連れて図書館へと向かっています。

 頬に吹き付けてくる風もなんのその。三人で歩いているならへっちゃらへーです。

 かなり厚着をした、というか私が着せたのですが、はやてちゃんが透明な青空を見上げた後、私の顔を見上げてにっこり笑いました。



「なんや、最近はやけにノンビリした時間が続いとるよねー」

「そうよねー」

「……あ、シャマル、また敬語ちゃうね」

「……アレ?」



 ちょうど空の上を鳥が飛んでいき、はやてちゃんは羽ばたく鳥を目で追い始めました。

 ノンビリした時間、ですか。……確かに昼頃は何もないのですが、実のところ最近の夜は結構忙しいんです。

 二週間前、はやてちゃんに気付かれないように蒐集に行き、帰ってきた私たちは、まずはどれくらいの頻度であの世界に行けるのかを確かめることにしました。

 遠見ができるセンサーを竜世界の近くにセットして、何日か置きに望遠スフィアの作成とそれの隠蔽をしながらあの世界から監視が消える時を待っているのです。

 けれども、今日という日まであの世界に行くことは出来ていません。前回私たちがあの世界にいたことがバレてしまったのか、警戒が全く解かれないのです。

 前あの世界に行けたのは偶然だったのではないか。そんな嫌な予感がぷんぷんしています。もちろん、あれから稼いだページはゼロです。

 ヴォルケンリッターのみんなも焦ってきています。そもそも、今日まで何も言われていないのがおかしいくらいです。

 はやてちゃんの体がいつ停止するか分からない苦しみに、みんな突き動かされています。けれど、表面上はみんな落ち着いています。

 焦って行動すれば、逆に失敗することになると、自分を戒めているのです。

 世界を転移しまくって、蒐集をすることも出来る。なのにそれをせず、周囲の警戒だけをしているのです。

 それほどに、たった数時間で100ページを無傷で稼げたという前回の事例は大きかったようです。

 ……あんな効率の良い蒐集は、微妙な主の下で苦戦続きだったヴォルケンリッターに望めるはずありませんでしたから。

 このまま機会を待ち続けて管理局に見つからずに蒐集を進めれば、『闇の書事件』という事件は発生せずに済むかもしれません。

 闇の書事件。それは私たちヴォルケンリッターの将来を左右する、大事な事件。

 管理局に事件として取り上げられなくなるなら、それに越したことはないのですが……。

 誰も傷つけることなくページの蒐集を終えることができたのなら、私たちは胸を張ってはやてちゃんに闇の書、いえ、夜天の書のマスターになって貰うことができます。


 ……そういえば、誰かを傷つけるわけじゃないんだから、はやてちゃんに許可を取ってから始めても良かったような……。


 …………ま、まぁ、許可を取る前に始めてしまったんだから仕方がありません。このまま黙って黙々とページを集めるしかないでしょう。

 空気が揺れる気配がして、正気に戻ります。目の前に少しばかり急勾配の坂がありました。

 


「お先!」

「あ、待ちなや、ヴィータ!」



 ヴィータちゃんが先に駆け出して目の前に広がる坂を登りきると、はやてちゃんに向かって手を振りました。

 私にもっと急ぐようにはやてちゃんは言って、ヴィータちゃんの名を呼びながら笑顔で前へと進み始めます。

 2人の姿が相変わらず微笑ましくて、知らず口元に笑みが浮かびました。

 けれども、そんな楽しい風景を作り出しているはやてちゃんの体は、今は闇の書のプログラムに侵され少しずつ麻痺している最中。

 麻痺の進みは本当にゆっくりですけど、少しずつ進んでいるのです。

 こんな素敵な日々が、ほんの短い間で崩れてなくなってしまう。

 それが嫌だから、私たちは頑張っています。

 とても長い導火線のついた爆弾を抱えた毎日。今の状況を現すのならば、こう表現するべきでしょう。



「ヴィータ、急に走ると危ないでぇ」

「天気もいいし、何だか気分良くなってさ」



 ヴィータちゃんに追いつくと、はやてちゃんは背を伸ばしてヴィータちゃんの頭を撫でます。

 心地よさから目を細めるヴィータちゃん。安心しきった小動物のようなヴィータちゃんの顔を見たはやてちゃんの口元が、薄っすらと天使のような笑顔を作り出します。

 ……闇の書の侵食を出来るだけ遅くするため、魔法を使ってはやてちゃんの体調を整え続けていますが、それも何時まで持つか分かりません。侵食が終わるのは一年後か、それとも半年後か。はたまたその半分か。

 頭を撫でる作業に一段落したのか、はやてちゃんが私に車椅子を押すようお願いしてきます。



「……さ、はよ図書館行こうか、ヴィータ、シャマル」

「うん。……なあ、シャマルも何か喋れよー」

「ゴメンなさいね。2人が可愛くて、つい見惚れてしまいました……」

「「なっ!?」」



 完全な侵食なんてさせない。はやてちゃんは、家族は絶対に守りきる。

 頭の中で何度反芻したか分からない言葉。この気持ちは、何があろうとも絶対に揺るぐことはないでしょう。

 それこそ何を利用してでも、私はやてちゃんを守ります。守り通してみせます。

 願えば、夢は叶うはずだから。

 神でも仏でもない何かに私は祈りを捧げます。私という存在を確固としたものにしてくれた奇跡に、祈りを捧げます。

 最後にくるのは、ハッピーエンドだと思うから。

 まっすぐな気持ちは、きっと私たちを守ってくれると信じているから……。





 けっこうな数の蔵書があるという海鳴市の図書館。

 図書館の中は、本のことを考えて常に常温に保たれています。同じ理由で、空気は少しだけ乾燥しています。漂っているのは、古い本が放つ独特な香り。特に嫌いな匂いではないので、暗くなっていた気分が少しだけですが良くなります。

 はやてちゃんは今日はファンタジー作品を読みたい気分なのか、その手の本が並べられたコーナーにいます。目に付いた本をぱらぱらと捲り、自分が読んでみたい作品を探しているようです。

 現在ヴィータちゃんがはやてちゃんの車椅子を押しているので、私は少しばかりヒマだったり。

 ページを捲ってはすぐに戻し、次の本を手に取る。そんなことを繰り返しているはやてちゃん。

 車椅子をヴィータちゃんに動かしてもらって本を取る愛くるしいその背中を、黙って見守ります。たまに私の方を振り向くのは、視線が気になるからでしょうか?



「……届かない……」

「……?」



 そうしてはやてちゃんを見守っていると、誰かが唸っている声が聞こえてきました。声量はとても小さく、誰かに手伝って欲しいという気配は感じられません。

 視線をそちらに向けると、そこには一人の女の子がいました。

 明り取りから入る光を受けた、神秘的な姿を私に晒しています。

 身に付けているのは、前回と同じ真っ白い制服と真っ白なカチューシャ。それと真逆の紫色の髪のコントラストが目に栄えます。

 小学生だと思われるあの娘の身長では少しばかり手が届きにくい、背の高い本棚。前回ここで見たときと同じ姿格好で彼女はそこにいました。

 背を伸ばして本を取ろうと必死になっています。

 この前あの娘を見たときは、何故か気になってしまったんですよね……。今も気になってますし。……何か理由があるのでしょうか?

 本棚付近をキョロキョロと見渡し、踏み台を探しているようです。

 ……今度は、声をかける口実になりそうですね。

 はやてちゃんは本を探すのに夢中。ヴィータちゃんも付いていますし、少しくらいなら目を離しても大丈夫でしょう。

 私はその子に近づくと、声をかけることにしました。

 ……でも、ホント誰なんでしょうねこの子。






 ……届かない。

 高い所に置いてある目当ての本を前にして私は特に意識せずに嘆息した。もう少しで届くのに、ギリギリで指がひっかからない。このもどかしさは、言葉ではどうにも言い表しづらい。

 もう一度手を伸ばしてみても、やはり本に手を触れることができない。

 飛び上がって取るのは簡単だけど、私みたいな女の子が1メートル近く跳躍するのを他の人が見たらどう思うだろう。

 ……背を伸ばして取るのはきっぱり諦めて、どこかに踏み台でも探しに行こうかな。

 身長のせいで遥か遠くに見える、今読んでいる途中のファンタジー小説の二巻を見上げて、堅実的なことを考える。

 伸ばした手を引っ込めて、辺りを見回してみる。目に見える範囲に踏み台はない。……踏み台がどこにあるのか司書さんに聞こうっと。

 もちろん、司書さんに取ってもらうという選択肢はない。自分が読みたい本くらい、自分で取るから。



「取りたい本はこれですか?」

「え? ……はい、それです。ありがとうございます」



 踏み台を探しに行こうと本棚から背を翻した時、私の隣に立った人が、取ろうとしていたファンタジー小説を私に手渡してくれた。

 咄嗟にお礼を言うと、渡された本を胸に抱きしめる。

 どんな人なのか気になって顔を見上げた。薄い金色の髪をした優しそうなお姉さんだった。

 ……たまに見かける人だな。



「たまに見かけますけど、本、好きなんですか?」



 私と同じことを考えていたのか、笑顔で聞いてくるお姉さん。親しげな笑みは、子供心に素敵だと思った。

 笑みを作っている顔のパーツには一切の邪気がなく、何となく人を安心させてくれる温かさがあった。

 ただ、笑顔のどこかに不自然さがあって、まるで作られた微笑みを見ているような不思議な気持ちになる。

 ……この人、あの車椅子の子のヘルパーさん(?)だ。

 思い出すのは、たまに見かける私と同い年くらいの女の子のこと。声をかけてみようと思う時もけど、何時も近くにいる人たちと楽しそうに話しているので、どうにも声をかけづらかったのだ。

 そういえば、前、図書館に来た時にこの人と目礼をしたような気もする。



「あの、どうしました?」

「あ、その……」



 不思議そうに私の顔を覗き込んでくるヘルパーさん。

 話している最中なのに考えごとをしちゃった……。……失礼だったかな。

 少し気まずくなってしまって口ごもる。これも失礼にあたるのではないかと、ちょっぴり自己嫌悪。



「あはは、そうですよね。初対面なのに馴れ馴れしいですよね……」



 ところが、気まずい気分になっている私よりさらに気まずそうな顔で女性は不安そうに指をもじもじさせている。

 大人のクセに可愛い人。人指し指をくっつけて所帯なさげにしている彼女の姿を見てそう思った。

 ……何だか勘違いしているみたいだし、誤解、解いておこうかな。

 踵を返して私の前から立ち去ろうとする女性の背中に、声をかける。



「ゴメンなさい、さっきの言葉は忘れてくだ……」

「好きですよ」

「あっと……?」

「本、好きです」



 私の声を聞いて、慌てたように振り替える女性。やっぱり不安そうなままで、綺麗な顔は面白いくらい歪んでいた。

 足元の床の感触を何となく確かめて、胸に本を抱えながらお礼を言うことにする。

 ありがとうございます。さっきも言った言葉だけど、誠意を伝えるなら感謝の思いは何度か口に出す必要があるだろう。

 これから言うべき言葉を何度か舌の上で転がして、さっきみたいにまごつかないよう反芻する。



「ありがとう……」

「シャマルー、その子知り合いなんかー?」



 声を口から出そうとした瞬間、後ろの方から声が聞こえた。少しばかり落ち着いた女の子の声。口調からにじみ出ている好意が、何だかくすぐったかった。

 目の前の女性の笑みが濃くなったのを見て、声の主は前から気になっていた車椅子に乗ったあの子だろうと予測を付ける。

 話をしてみたかったんだけど、どうにもきっかけが掴めなかった。それもあって、この出会いに感謝することにした。

 私の横に、車椅子が並ぶ。乗り手の女の子の短い茶色の髪には、赤と黄色のリボンが絡み付いていた。それ以外に目立った装飾はない。あまり飾らない子なんだなと思う。

 車椅子を押しているのは、茶色の髪のこの子より少しだけ歳が下に見える赤い髪の毛の女の子。白い肌と青い目が印象深い、お人形さんのような子だった。

 横に並んでいる私の顔を、車椅子の子が眺めてきた。期せずして、目と目が合う。私に何か通じるものを見つけたのか、車椅子の子は柔らかく微笑んだ。



「はじめまして、私は八神はやて言うねん。よろしゅうなー」

「八神、はやてちゃん。……私は月村すずか。よろしくね……」



 唐突な自己紹介。ニッコリと笑いかけられて、何故だか赤面する。

 お互いの名を教えあう私たちを見ているヘルパーさんとはまた違う、素敵で魅力的な笑顔だった。

 ヘルパーさんの笑みが誰かを落ち着かせ安心させるための笑顔だとしたら、はやてちゃんの笑顔は混じりっけのない透明で純粋な微笑み。

 出会ってから数分も経っていないはやてちゃんの第一印象は、そんな優しいイメージだった。





 お話せえへん? はやてちゃんに誘われて、私は図書館に備え付けられたテーブル席に座ることにした。

 小学生同士の簡単な関係のせいか、最初からお互い下の名前で呼びあうよう。

 土曜の朝から本を借りに来るような本の虫。邪気のない笑顔ではやてちゃんに言われて、私の表情は凍りついた。

 それなら、はやてちゃんだって同じだよ。

 そう返すと、はやてちゃんの表情も凍った。言われたら否定できなくてちょっとだけ苦しいね。お互いに笑い合う。

 車椅子を握る役がシャマルさんに変わって、今は私とヴィータちゃんは椅子に座っている。

 シャマルさんに座らなくてもいいのか聞いたけど、彼女は立ってる方が性に合うんです、と笑うだけだった。

 女の子二人とその保護者。はやてちゃん、ヴィータちゃん、シャマルさん。この三人の関係を推理するとこうなる。

 シャマルさんの見た目はあまりにも若くって、どうしてもはやてちゃんのお母さんだと思うことはできない。やっぱりヘルパーさんで合ってるのかな。

 理由として、名前が日本名と海外名であることと、見た目があんまり似ていないというのが挙げられる。……雰囲気はそっくりだけど。

 でも、ヴィータちゃんのお母さんには見えないこともないかな。



「……すずか。何か、変なこと考えなかった?」



 途端に不機嫌そうな顔になるヴィータちゃん。……もしかして、怒った? そんなに考えてること表情に出やすかったかな?

 少しだけ不思議だったけど、あまり深くは聞かないことにして、曖昧に笑ってヴィータちゃんの問いかけは流すことにした。

 しばらくの間ヴィータちゃんは私を白い目を見ていたけど、すぐに興味が失せたようにはやてちゃんに視線を戻した。

 凄く仲がいいけど、姉妹なのかな? 髪の色も違うから、やっぱり別の家の子かも。

 詮索するのは頭の中であっても失礼にあたるだろうけど、それでも気になることに変わりはない。この程度の好奇心は許して欲しいものだ。

 なんとなしに、目の前の三人を眺める。

 はやてちゃんの膝の上にヴィータちゃんが寝転がった。図書館で騒ぐのは良くないでー。はやてちゃんが意地悪く言う。その後、頭を撫でる。シャマルさんが二人を慈愛たっぷりの目で見る。

 なるほど、こんな関係か。三人が取った一連の動作で、八神さん家がどんな風に毎日を過ごしているのかが分かった気がした。



「私とシャマルが家事担当なんよー。後は、それぞれ趣味の時間とか……」

「そうなんだ。私もお姉ちゃんが……」



 話の中で、全員が同じ家に暮らしていることが明らかになる。他にも犬が一匹、女性が一人いるということも知った。

 ほんの数十分で仲良くなれたのは嬉しかった。友達が増える。こんなイベントは大歓迎。

 図書館の中だから大きな声はお話できないけど、それでもとっても楽しい時間だ。


――ヴーヴー。


 と、メールの着信音が鳴った。図書館だからバイブに設定してるけど。三人に断ってから、ケータイを開く。差出人はお姉ちゃん。

 今日のお昼は何処で食べるのか、簡潔に聞かれている。

 話しているうちに、時刻は12時を回っていたんだ。……全然気が付かなかった。



「ゴメンね、はやてちゃん。もうお昼の時間だから……」

「えー。もっと話したいんやけど……。でも、ご飯なら仕方ないかー」



 目に見えて暗くなって肩を落とすはやてちゃん。その姿に罪悪感が沸く。お姉ちゃんが聞いているのはご飯を何処で食べるのかだから、まだご飯は出来ていないのだろう。

 なら、はやてちゃんの家でご馳走になればいい……と思うけど、友達とは言え、出会ってから数時間の人たち。そんなこと言ったら、きっと迷惑になる。



「すずかちゃんの分のご飯、もう作られてるんですか?」



 むぅーと唸っているはやてちゃんを見かねてか、シャマルさんが私に聞いてくる。……あれ? シャマルさん、私と同じこと考えてる?



「ううん、何処かで食べる約束してるかどうか聞かれたの」



 私の言葉を聞いて、机に突っ伏していたはやてちゃんがガバッと起き上がる。目は希望で爛々と輝いていた。

 シャマルさんも、ふむふむと頷いている。何だか着々と足場が固められているような……。

 ……でも、ご飯にお呼ばれ? 出会ったばかりなのに、それはちょっとだけ早いような……。



「なら、私の家で食べればええ!」



 ドンと胸を叩いて宣言するはやてちゃん。……うーん、やっぱりこうなるんだ。

 この人たちの人の良さそうな顔を見ていると、本心からもっと話をしていたいと考えていることが良く分かる。

 けど、お父さんとかお母さんに何て説明するんだろう。家にいる人たちの分しか準備してないんじゃ……。

 あれ? お父さんお母さん?

 はやてちゃんが教えてくれた八神の家の家族構成を思い返す。家にいるのは、犬と女性と言っていた。……ご両親は? もしかしてお出かけ中?

 もしもそうなら、余計悪いような……。

 でも、保護者のシャマルさんが良いと言ってるから良いのかな? ……はやてちゃん家の家庭の事情が全然分からない。



「心配しなくてもいいですよ、マズイ料理は出しませんから」



 えっへんと胸を張るシャマルさん。……そんなことを疑問に思ってるわけじゃないのに~。

 気になることは多々あれど、私は事実を確かめるために、はやてちゃんたちに付いていくことにした。

 お昼ごはんはいりません。お友達のお家で食べることにします。メールを打って、お姉ちゃんに送信、と。

 終わったよ。そう言おうと顔をあげると、視線の先にみんなはいなかった。

 右、左。どこにもいない。どうやら善は急げとはやてちゃんが先に行ってしまったらしい。



「待ってよ、はやてちゃん!」

「すずかー。はやくこっちおいでよー」



 ヴィータちゃんに急かされて、シャマルさんに車椅子を押されるはやてちゃんの後を追いかける。

 図書館から出ると、冬の寒空を見上げた。冷たい風が吹いているけど、今の私には暖かな陽気に感じられる。

 三人はたまに振り返りながら、先へ先へと進んでいる。少しだけ走って、前を進む三人に追いつく。隣に並ぶと、さっきの話の続きを話しながら歩き始めた。






 ……また厨房盗られた。前から口を酸っぱくしてこの家の家主は私や言うとるのに……。

 帰ってきて早々、シャマルは私の言葉を聞かずに走り出して台所に直行した。せっかくすずかちゃんに私の手料理食べさせたろうと思っとったのにぃ……。

 腹いせにザフィーラのお腹をなでなでしながら、相変わらずの上機嫌でご飯を作っているシャマルの背中を目で追う。

 ……ザフィーラ、最近はほんに動物っぽくなったなぁ。まさか、自分が人型にもなれること、忘れとらんよね?

 嬉しそうに触られているザフィーラを、すずかちゃんは恐々と見つめていた。

 新しくお友達になった女の子、すずかちゃん。ザフィーラのことを、大きな犬だねと言っていた。……うん、絶対本心ちゃうね。たぶん狼だと思っとるはず。

 うーん。やっぱり犬って設定はムチャやったかなー。でも今更、ゴメン、ホントは狼やっていうのもただ怖がらせるだけやろうし……。

 それに、ホントのホントは闇の書の防衛プログラムやから……。何て言っても信じてくれへんよね。

 話しこんがらがってまうし、このままでええか。素直に言うと、諦めた。



「シャマルさん、料理上手だね。さすがヘルパーさん!」



 ……へ、ヘルパーさん?

 シャマルを褒めるすずかちゃんの言葉を聞いて、困惑しつつ、何だか納得した。……ヘルパーさん。今の私たち家族の関係は、知らない人から見たらそう見えるんか。

 それが嬉しくもあり、残念でもある。

 でも、ヘルパーさんと勘違いさせておくのもなんやし、家族やと説明せんとあかんよなぁ……。

 ……困った。ヘルパーさんだと信じきっているすずかちゃんに、今更ちがいますなんて言えへん。

 少しばかり考えを纏めてみる。

 シャマル、というか、ヴォルケンリッターはみんな家族。ずっと一緒にいる関係。

 すずかちゃんは、シャマルのことをヘルパーさんだと勘違い。他の子たちを何だと思っているのかは、今のところ不明。

 すずかちゃんがシャマルのことを私の家族だと認識していないと仮定して、八神家に何か不都合は……あらへん。

 んー。本当のこと言わんで黙っとこうかな。そのままにしといた方が面白そうや。いろいろ秘密はあるけど、それは後でおいおい明かしていくことにしよ。

 思考の結果、すずかちゃんの言葉に曖昧に頷くだけにする。その後、ちょっぴり後悔。……なんだか嘘付いたみたいや。

 そこに、昼頃になったのを確認して急いで来たらしいシグナムが帰ってきた。さて、すずかちゃんはシグナムをどんな人だと思うんやろか。

 ピンク色の髪の毛だから、もしかすると赤い髪をしているヴィータのお母さんだと勘違いするとか。ヴィータが私を不審気に見つめてる気がした。

 ……さて、どう来る、すずかちゃん。



「ただいま帰りました、主はやて」

「おう。お帰り、シグナム」



 さらっと主と言ってのけるシグナム。うーむ、さすがに初対面で主はビビるか?

 でも、言ってしまったという事実は変わらんし、すずかちゃんが面白そうな反応しそうやからやっぱりほっとこう。

 すずかちゃんの困惑する気配が背中に伝わってくる。小さく、主……? と呟いている。

 あー、やっぱそうやよねー。そう反応するよねー。最近は主って呼ばれるのにも慣れてしまったもんやなぁ……。もしかして私、気付かぬ間に汚れとる?



「お、お邪魔してます」

「む。い、いらっしゃい。……主のお友達ですか?」

「うん、友達のすずかちゃんや。シグナムも挨拶しときー」



 私の言葉を聞いて、堅苦しい顔で歓迎の意を告げるシグナム。すずかちゃんも、少し硬くなって自己紹介をしている。

 そういえば、みんなが来てから誰かが家に遊びに来るの、これが始めてやないかな。

 そうかー、この家に友達が来るのはすっごく久しぶりかー。どれくらい来とらんのかな……少し数えてみるか。

 一年、二年、三年……は来てない。四年、五年……。

 あれ、何やろ。何か無性に悲しくなった。

 自分の家に訪れる人の少なさに絶句し、そして情けなくなる。ずっと一人で眠っていた頃のあの寂しさが蘇ってくる。

 ヴィータが、シグナムが、ザフィーラが、そしてシャマルが隣にいなかったあの日の記憶が、目を醒まそうとする……。

 感情を一旦リセット。悪いことなんてない。今は楽しい今は平和。今は、幸せ。……よし。

 でも、今は家族が居るから平気や。手を伸ばし、ソファーに座っているヴィータの頭に手を乗せる。そのままくしゃくしゃ、ヴィータの柔らかい髪を堪能する。



「は、はやて?」



 私の突然の行動に驚くヴィータ。とりあえず、笑顔で黙殺。

 ヴィータは私が愛して愛しぬく、とか。

 微笑ましいものでも見たかのように、すずかちゃんが微笑んだ。

 ……なんやねん、その笑顔。



「ご飯できましたよー」



 ご飯が出来たことを告げるシャマルの声。その言葉を聞いた途端、お腹がぐうと鳴った。
 ……シャマル、許すまじ。





シャア丸さんの冒険
十二話「交差する少女たち」





 新しい知り合いと一緒に食べるご飯は、なんだか新鮮だった。

 いただきます、と手を併せた後ご飯を食べ始める。

 おかずを一品口に放り込む。口の中に広がるうまみ。……シャマルの作るご飯もおいしいんだけど、やっぱりはやてのご飯も食べたいな……。

 夜ご飯ははやてのご飯を頼もうっと。

 そんなことを考えていると、はやてがあたしの方に手を向ける。



「ヴィータ、お醤油取ってやー」

「うん。……はい、はやて」

「ありがとなー」



 食卓に付く人が一人増えて、はやては終始ご機嫌だ。すずかに楽しそうに話しかけている。その姿が何だか羨ましくて、ちょっとだけすずかに嫉妬する。

 一人増えただけのはずなのに、食卓は何時もより賑やかだ。普段喋るのは、はやてかあたしかシャマルだけだからなー。ザフィーラとシグナムあんま喋んないし。

 ご飯を食べ終わった後はおしゃべりタイムに突入した。

 はやてとすずかの話しは、なかなか終わることはなかった。

 あたしたちじゃ理解できないような話をしている2人。……服のこととかよくわかんねーよ。

 ふて腐れた私の頭をシャマルが撫でた。……撫でんな! パシンとシャマルの手を弾く。シャマルが露骨に傷ついた顔をする。無視した。

 そんな私たちを見て、すずかが笑った。はやても笑った。

 やっぱり、はやての笑顔は綺麗だと思う。そんな笑顔をいつでも見ることができるあたしは幸せだとも。

 シャマルはといえば、納得いかなさそうに自分の掌を見ていた。私にはニコポナデポのスキル、搭載されてないんでしょうか……。山田くんはマンキーにニコポもどき習得させることに成功したのに……。なんて変なことを呟いている。

 それから何時間か経って、すずかが壁にかかった時計を見あげて驚きの声をあげた。釣られて時計を見ると、時間は五時を回っていた。



「ゴメン、はやてちゃん。もう帰らなきゃ」

「え? ……ホンマや、もうこんな時間……。んー、名残惜しいけど、またな、すずかちゃん」



 わたわたと帰り支度を整えているすずか。はやてもすずかを手伝う。

 ……そんなに荷物多くないのに。女の子って、やっぱりスゲーや。

 何だか、自分が本当に女の子のことをしらなかったんだなと思ってしまった。





 空は赤く染まってた。はやてと一緒にすずかを見送ると、あたしはシグナムを振り返る。

 シグナムが小さく頷いた。決行だ。宙域に存在している戦艦の様子がいつもと違うらしい。……今日こそ、あの竜がたくさんいる世界に入れるかもしれない。

 後、たったの五回。あの世界に五回行くだけで闇の書のページが全部埋まるんだ。

 はやてに気取られることなく、怪我を負うことなく、魔力を消費することなく。

 ないないずくし。だけど、それが一番良い。

 いくらだって待てる。蒐集を焦って気付かれてはやてを傷つけてしまうよりは、ゆっくりと竜からリンカーコアを抜いて気付かれない方が何倍もいい。

 でも、もう二週間も経つ。そろそろ次の蒐集を行えないと、多分あたしはキレる。

 そうなったらダメだ。だから……管理局、あの世界から早いとこいなくなってくれよ……。

 深刻な顔をしているあたしに気付いたのか、はやてがあたしの顔を覗き込んでくる。



「どしたん、ヴィータ。深刻そうな顔して?」

「何でもないよ、はやて。……ところで、今日の夜ご飯なに?」

「さっき食べたばっかやないかっ」

「お昼のご飯はシャマルのご飯だったから、夜ははやてのご飯が食べたいな」

「うーむ。リクエストもあったことやし、シャマルに掛け合ってみるか」



 この笑いを何時までも見られるように、あたしたちは今、精一杯頑張っている。






 夜ご飯を食べて、仮眠を取って。

 転移魔法を使う前にあたしたちは全員別々に移動し、八神家から距離を取り始めた。

 ――固まって行動するのは危険だ、転送する前に一度離れて、目的地の前の世界で合流することにしよう。

 夜、あの世界に行くようになってから何日かした頃、シグナムがそんなことを言った。

 もちろん、誰も反論することはなかった。

 当然のことだ。三人の女性と一匹の獣が固まっている姿を誰かに目撃なんてされたら、近所に住んでるおばさんたちが、はやての家に住んでいるあたしたちとの関連性を疑うかもしれない。だって、あの人たちは噂が大好きだから。

 騎士甲冑を着てるから顔は見えないだろうけど、海鳴の空をはやての同居人たちに似ている人影が飛んでいるなんて噂、立てたくない。

 だから、あたしは一人で人目が付かない場所を目指して飛び回っている。今日は新しい場所で転移することにした。いつもいつも同じ場所で転移するわけにはいかないかんな。

 さて……どっかいい場所ねーかな?

 下に見えるのは、暗く沈んだ海鳴を彩る電灯の群れ。町を空から眺めるのは、案外好きだったりする。

 ベルカの厚い雲の隙間から顔を覗かせる光に憧れていたあの時のように、ずっと見ていたくなる。



「まるで、宝石箱みたいだよな……」



 宝石なんて権力者の下にいた時、それとテレビでしか見たことないけど、それでも綺麗だと思う。

 あたしにとってこの町の風景は、宝石以上に綺麗だけど。

 ……なんてこと、はやてに会う前のあたしだったら全然考えなかったんだろうなぁ。

 こんなに変わってしまったあたしだけど、あたしは今のあたしが大好きだ。それだけは、胸を張って言えるだろう。

 乱立するビルの群れを眼下に置いて飛び続けていると、目に見える風景が見覚えのないものに変わってきつつあった。何時の間にか、隣町にまで来てしまったみたいだ。



「やべ、ちょっと遠すぎたか……」



 ブレーキかけて、その場で一旦停止。辺りを見回すと、転移に都合が良さそうな場所を探し始める。

 シグナムあたりに遅いとかまた文句言われそうだな……。まあ、あたしの自業自得だから仕方ねーけど……。でも、なんか納得いかねえ。最近こんな役ばっかりな気がする。

 って、なに愚痴ってんだあたしは。

 首を振って、文句を言い続ける思考を止める。現在最も重要である『魔法を使っても人目に付かない場所』を探す作業に戻る。

 ……良さ気な転移スポットと言えば、やっぱビルの上かねー。

 空中で縦方向に一回転。腰の飾りがフワリと揺れる。見上げた空には星がたくさん。足元の光と頭上の光に囲まれて、あたしは何だか幸せだった。

 ビルつったら、やっぱ一番高いやつじゃねーと、誰かに見られる危険があるから……。

 目の前に広がっている街並みをグルッと見渡し、それらしい建物を探すこと十秒。発見した。

 屋上の立地条件は最高クラス。あれより高いビルは近辺になく、塀も高くて人目にも付きにくい。

 あそこならとりあえず問題ないだろう。



「んじゃ、行ってみるか。……ん?」



 ――ひゅん、ひゅん。

 あたしの耳に、あのビルの近くで何かが動いている音が聞こえてきた。

 速さは感じないものの、力強さを感じる風切り音だ。

 ……怪しい。

 音の正体を確かめるため、ちょっと待機。

 同時に音が消失した。耳の集音能力をあげてさっきの音の発生源を探すけど、聞こえてくるのは下にいる人たちの話し声だけ。

 一分待っても、風切り音が聞こえてくることはない。

 ……気のせいかな。

 さらに一分待つ。音が聞こえてくることはない。聞こえてくるのは下からの楽しそうな喋り声だけだ。

 時間がヤバいってのに、何でこんなこと気にしなきゃなんねーんだ。

 正体不明の音の主に毒づくと、さっき目を付けたビルの上に降り立つ。

 硬いアスファルトの感触を足に感じる。予想通り塀は高く、ヘリを飛ばすか屋上のドアを開けてここに入って来ない限り、あたしが見つかることはないだろう。

 はぁっと息を吐き出し、ガシガシと頭をかく。

 思い出すのは二週間前の蒐集のこと。怪我をすることなく、短時間で100枚ものページを稼ぐことができた。これに期待しないで何を期待するのか。

 前回はちょっとばかしミスったが、今日こそたくさんページを蒐集できるはずと意気込む。意気込まなけりゃやってけない。管理局いなけりゃもっと楽なのによー。

 首からハンマー型のペンダントを毟り取ると、手の平に置きアイゼンを起動。そのままハンマー形態に移行する。

 数々の期待を胸に秘め、転移魔法の発動と同時に、鉄の伯爵を振るう。

 アイゼンが宙を薙いだ。足元に広がる赤い転送魔法陣。

 転移先は、前に行った雪の管理外世界。あそこは視界が悪いから、隠れるのにも都合がいい。



「ね、レイジングハート。さっきの光、魔法の光かな?」

『Perhaps, it is so』(多分そうでしょう)



 移動先の設定中、後ろの方から女らしき声が聞こえた。後ろとはすなわち空中。声の主は空にいるようだ。あえて背後は振り返らない。

 空に居る奴は、誰かと会話しているらしい。話し声が、聴力の強化されたあたしの耳に入ってくる。聞こえてきた会話の中で重要なのは、声の主が魔法のことを知っているということだ。

 ……まじぃな。

 ただ魔法を知っているだけでは警戒対象にはならない。けど、この魔法が浸透していない管理外世界で魔法を知っているというのは、十分警戒対象になりうる。

 つまり、あいつは管理局に所属している魔導師かもしれない。

 何でもかんでも管理局のせいにはしたくないけど、それでも疑ってしまうくらい管理局と言う組織はとにかく幅が広い。

 とりあえず無視。あたしが興味なしという顔してれば、あっちも無視するはずだ。そうなることを切に願う。



「って、転送しようとしてるよ!? レイジングハート!」

『All right』(了解しました)



 声と声の以心伝心。互いの信頼関係はかなり良いらしい。

 背中に感じる魔力の高まり。あたしに声をかけようとしている奴は、かなり高密度の魔力を操れる魔導師のようだ。

 集った魔力を機械的な声のほう、つーか多分デバイス、が練りこみ、取り込んだ魔力を魔法となした。

 発動する魔法。爆発する魔力。デバイスが魔法を発動したのが感覚的にわかった。桜色の魔力光が、背を向けていても視界の端に見えた。



『Depressing fin』(『デプレッシング・フィン』)

「ありがとね、レイジングハート。さて、と……。ねー、そこの人ー!」



 聞こえてくる叫び声、というか呼び声。完璧にあたしに話しかけようとしている。

 ……メンドウだ。何であたしに声かけようとしてんだよ。

 このまま転移準備してたら転移の魔法にあいつまで巻き込んじまいそうだから、魔法を解除。足元に広がっていた魔法陣がかき消える。

 感じる気配を完璧にスルーして、宙に浮かび上がると最大速度で逃げ出すことにする。……今日は厄日かっつーの



「はやっ!? フェイトちゃんくらいあるかな……」

『No. She might be faster』(いえ、フェイトの方が速いと思われます)

「そっか。……でもどっちにしても追いつけないよー」

『Who do you try to exchange it?』(そもそも、どうして声をかけようとしているのでしょうか?)

「フェイトちゃん以外の女の子魔法使い見たの始めてだから、友達になりたいの!」

『It consented』(そういうことですか)



 そこで一旦会話が途切れた。何事か考えているような気配が伝わってくる。

 ぶっちゃけ、嫌な予感しかしない。

 しばらくの沈黙の後、女の声がまた聞こえ始めた。



「……止まらなきゃ撃つぞー、とか言ってみようかな?」

『It is likely not to hit, and it doesn‘t care』(どうせ当たらないでしょうし、言ってみては?)

「よし。……そこの子ー! 止まらないと撃つよー!」



 耳をずっと強化していたのが幸いだったというべきか、女とデバイスの会話はバッチリと聞こえていた。

 つーわけで、止まる必要はなし。もともと止まる気なんてサラサラねーしな。

 声が聞こえなくなるギリギリまで離れると、振り向いてあたしに声をかけてきた奴の顔を拝むことにする。

 この管理外世界に魔導師がいるだなんて聞いたことないし、顔を見ておいて損はないだろ。

 視力を強化。女の姿を目に入れる。

 纏うのは、真っ白な上着と青い線が入った同じく純白のスカート。手には大きな杖を持ち、茶色の髪は後ろで一本のポニーテールに纏められている。……シグナムとおそろいだな。足の内側からはピンク色の翼が生えていて、翼の上に足を乗せている。

 ……よし、顔は覚えた。後は見かけたら近づかないように……。



「私は高町なのは! 君は!?」



 たいしたことない速度で必死にあたしを追いかけているあの女。このまま逃げ切るのは余裕のはずだった。

 ところが、あいつは騎士に向かって名前を聞いて来た。しかも、自分の名乗りつきで。

 ……騎士が名乗られたなら、こっちからも名乗らないわけにいかねーじゃねーか。

 さっきと同じく急停止、勢いをそのままに反転して『高町なのは』の方を振り返る。

 急に動きを止めたあたしに驚いて、高町なのはがびくっと震えた。

 それでも怖がらずに突き進んで、高町なのははあたしの前で姿勢を正した。

 杖を待機フォルムらしい赤いビーダマ状に戻して、あたしに向かって手を伸ばす。



「え、えと、もう一度。私は高町なのは。あなたのお名前は?」



 愛くるしい、はやてとは違った笑みを浮かべ、高町なのははあたしに向けて手を差し伸べる。

 向けられた手は何も持っていない。全身でもって、敵意はないと訴えている。

 …………。少し気になることがあるけど……。



「ヴィータだ」

「え?」

「あたしの名前はヴィータだ、高町なにょは。……ゴメン、噛んだ」

「…………大丈夫、気にしてないから」

「めっちゃ気にしてんじゃねーか!」



 あたしの謝罪に暗い顔するなのは。……頭ん中なら普通に呼べんだけどな。

 ……人の名前はしっかりと呼ばなあかん、ってはやても言ってたし……。


「なにょ、なにょは、なの……」

「無理して言わなくていいよ、ヴィータちゃん」

「もう少しで言えそうだったのに、何すんだよ!!」

「怒らないでってば!?」



 あたしの怒鳴り声を皮切りに、変な沈黙がやってきた。

 互いに相手の顔を見たまま一旦停止中。

 そんなこと構わずにあたしの顔をじぃっと見つめているなのは。……何かついてんのか?

 目を合わせる。その瞬間、なのはが向日葵みたいに微笑んだ。不意打ちだった。なぜか頬が熱くなる。

 嬉しそうな顔のまま、なのはは口を開いた。



「ヴィータちゃんは、魔法使いさんだよね?」

「……ああ、そうだけど」

「おそろいだねっ」

「…………」



 なんか調子くるう。

 小動物のような可愛らしい笑みを浮かべているなのはの顔を盗み見る。

 あたしの表情にあわせてまたなのはが微笑む。幸せゲージがリミットブレイクしているみたいだった。

 なのはの後ろで瞬く星々が、凛とした強さを見せるなのはを際立たせて、なのはがとても綺麗に見えた。

 このまま話し続けてもいいかもしれない。そんなことを考えてしまうほど、なのはとても可憐に見えた。



『ヴィータちゃん!!』



 その時、シャマルから念話で通信が入ってきた。せっかくのいい気分が一瞬で霧散する。

 楽しい時間に水を差されて、思考がささくれる。

 浮かび上がってきた怒りの感情をそのままに念話を使って大音量で叫ぶ。



『なんだよ、シャマル! 今いいとこなんだ、邪魔すんな!』

『はうぅ……ただいまヴィータちゃんが反抗期よ、シグナムぅ……』

『……何をやってるんだ、お前たちは』



 呆れた声を出しながら念話に割り込んでくるシグナム。頭を抱えている様子が明確に脳裏に思い浮かぶ。

 シグナムたちが確認している前で当番の交代のためにか戦艦が去りつつあるから、いい加減こっちの世界に来い、とお怒りだった。

 あたしの表情が変わったのを見て取ったのか、なのはは不思議そうに首を傾げていた。

 ……この夜の出会いは、なんだったんだろう。

 なのはと向かい合いながら、あたしは思う。



「なにょはは、何であたしの前でデバイスしまったんだ?」
「…………また」



 気になっていたことを問いかける。噛んだのは自分でスルーする。なのははショックを受けているみたいだが、それもスルーする。

 その姿にさらにガクンと肩を落とす。何だか悪いことをした気がした。

 諦めたように顔を揺すると、あたしの質問に答えようとして、キョトンと目を瞬かせるなのは。

 それでも質問に精一杯質問に答えようと考えを纏めている。



「人と話すときは、武器をしまうのが礼儀だから、かな。……というか、最近はずっと礼儀作法やってたから……。剣道にしろ薙刀にしろ、始めはとりあえず礼儀からなんだよねぇ……」



 はあぁぁぁーと深いため息を吐くなのは。背中が微妙に煤けているのが何だか面白かった。

 そんな情けない姿を見せていても、なのはから感じる強さは全く減っていなかったけど。



「そんなわけで、人と話すときは武器を待機させておかないといけないの。だからレイジングハートを待機させたの」



 えらいでしょー。えっへんと胸を張るなのは。

 ことわざだったか小話だったか忘れたけど、使者は武器を持たないという言葉を思い出す。

 別に、なのはが使者ってわけじゃないけど。



「じゃあさ、もしもあたしが攻撃したらどうしてたんだよ?」



 湧き上がってきた悪戯心をそのまま疑問にしてなのはに聞く。



「返り討ち」



 問いかけへの返答は簡潔だった。答えを言うまでにコンマ秒すらかかっていない。

 なのはは笑顔のまま、背筋が凍りそうなことを言ってきた。

 ……こいつ、なんだかやばい。

 なのはから感じる強さ。それは、実戦を繰り広げたことがある者だけが持てる自信だったのではないか。

 今更感じる警戒心。

 あっさり返り討ちにすると言い切ったなのはは、確かに強敵だった。



『来ないんですかー、ヴィータちゃん? あの世界の監視がそろそろ完璧になくなりますから、早くしないと先に行っちゃいますよー』

『今行くよ!!』



 思考の裏で代わる代わる話しかけてくるヴォルケンリッター。

 そろそろ切り上げないと、本当に置いて行かれてしまうだろう。

 なのはとの会話は名残惜しいけど、今ははやての方が重要だから。

 とりあえず、なのはがどこの世界の人なのかくらい聞いておこうかな。



「なにょはは、この世界の人?」

「うん、そうだよ」



 先ほどと変わらない笑顔で、なのはは肯定する。

 ってことは、はやてが元気になったら一緒に遊べるのかな。

 これがお別れじゃない。そのことが嬉しかった。

 だけど、次の質問の返答しだいで、この関係は崩れさる。

 小さく、なのはに気付かれない程度に深呼吸した後、恐る恐る聞いてみる。



「……なにょはは、管理局の人?」

「? 違うよ?」



 あたしの質問に首を傾げた後、なのはは管理局にいることを否定する。

 ……良かった。体が安堵に包まれる。

 アイゼンを振るう。足もとに広がる赤い三角形魔方陣。

 突然の魔法の発動に、なのはがびっくりした顔であたしを見た。



「今は用事があるから遊べないけど、すぐにこれも終わるから。その後は、一緒に遊ぼう」
「……うん!」



 驚きの顔を満開の桜のように綻ばせ、なのはは頷く。

 今一度手を差し伸ばし、あたしに掌を見せる。あたしも、手を差し出す。あたしの手となのは手が触れ合った。



「ヴィータちゃん、友達になろう」

「……うん」


 互いの笑みが交差する。

 転移魔法が発動して、あたしの体が運ばれていく。

 途中で「だから、私の名前をちゃんと呼んで」と聞こえたのはきっと気のせいだろう。





今日の収穫
97ページ。
今回97+前回180/666 計277ページ 残り389ページ

闇の書ワンポイントチェック
どうしてこんなコーナーがあるのか疑問に思っちゃいけないぞ、恥ずかしいから。
とりあえず蒐集したページだが、数分遅れたから予定数に達していないな。これからの頑張りに期待だ。





 どこかに転移していったヴィータちゃんの姿を見送ると、私は一息ついた。

 あの子から感じた魔力は並じゃない。初めてフェイトちゃんと相対した時と同じような肌の泡立ちが最初に見つけた時はあった。

 けど、一緒に遊ぼうと言ってくれた時、それと友達になろうと聞いて頷いてくれたときの笑顔は嘘じゃないと思うから。

 だから、誰かにヴィータちゃんのことを聞かれたら、胸を張って友達だと答えるようにしたい。

 ……なんだろ、この思考。



『なのは、今日の訓練は終わった?』

『ユーノくん!』



 ヴィータちゃんが消えた空から地上を見下ろしていると、友達のユーノくんから念話が入ってきた。

 この時間は魔法の訓練が終わる頃だと知っているユーノくんは、この時刻はたまに念話で通信を入れてくれるんだ。

 さっきあったことを一番に伝えたかった人からの連絡に、私のテンションはうなぎ上りだ。



『ねえ、ユーノくん。今日、新しい友達ができたんだ!』

『へえ。良かったね、なのは』

『うん!』

『どんな子なの?』

『えっとね、えっとね。その子、魔法使いなんだよ』

『そうか。魔法使いなんだ。……魔法使い? ……え、ホント? 魔道師ってこと?』

『……そうだけど?』

『……どういうことだ……?』

『何? どうしたの、ユーノくん』

『97管理外世界に登録されてる魔道師はそう多くないはず……。たまたま出会うなんてこと、そう簡単には……』



 急に歯切れが悪くなるユーノくん。

 疑問文が多くなっている。……魔法使いさんだと、何かいけないのかな?

 ユーノくんから真面目な空気が流れてきた。デオドライザーで空気洗浄しなければならないくらいのシリアス臭が向こうから漂ってくる。


『……なのはが友達になった男の子の名前、聞かせて』

『女の子なんだけど……』

『…………なのはが友達になった女の子の名前、聞かせて』

『実は男の子なんだけど……』

『こんな時にボケないでいいから!?』

『ヴィータちゃんって言うんだよ』

『……ヴィータ、か。じゃあ、その女の子のこと……』

『これで男の子なんだから、世界って広いよね』

『……結局どっちなのさ!?』

『どっちだと思う?』

『男の子!』

『ハッズレー! 正解は女の子でした!』

『情報ありがとう、なのは』

『どういたしまして』


 何時もの掛け合いを終える。

 そうしている間もユーノくんが真剣に思案している気配が念話越しに伝わってくる。

 ユーノくんが真面目に考え事をしているときの横顔が私の頭によみがえる。あの可愛らしい顔が思案気に整っているときの顔が浮かび上がってくる。

 そんな時、いつもこんなことを考えてしまう私は悪い子でしょうか?

 ほぉっと私は赤い顔で溜息を吐いた。

 ……茶々、いれたい。



『じゃあね、なのは。僕は用事があるから今日はこれで』

『えー、ユーノくんもそんなこと言うのー!? もっとお話しようよー!』

『……そろそろフェイトの裁判も終わるからね。お話はフェイトも交えてまたこんどね』

『うぅー。分かったよー』

『おやすみ、なのは』

『おやすみ、ユーノくん』



 私が何かよからぬことを考えていることを察したのか、念話を切ろうとするユーノくん。引き止めてみたものの、それから数秒もしないうちに念話は切れた。

 なんだかまわりのみんなが忙しくて、長時間のお話できずに欲求不満な私を残して。

 ……また、何かが始まろうとしてるのかな?

 初めて空を舞った時と同じようなどきどきが、私の胸に飛来してきた。





――あとがき
Q 視点変更が五回もある……だと……?
A うん、プロットミスなんだ、すまない。次からはこんなことないだろうから落ち着いて読んで欲しい。

どうすればキャラの性格をうまく引き出せるんでしょうか?
誰か書き分けの良い方法を教えてください。でないと、凄まじく低クオリティのままで話が進んでしまいますよー。

それと、会話文も大事だということを学んだので、ちょっと書き方と改行を変更してみました。


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