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[39333] ソラとシンエンの狭間で(艦これ オリ主)
Name: 環 円◆21e3f90e ID:f72f07b0
Date: 2019/08/30 12:20
 ゲーム仕様を極力設定の中に整合してみました。
 艦娘の解釈に関しては、多分にダークな部分があります。
 
 こちらアルカディア様のほかに、ブログとハーメルン様にも投稿させていただいております。(10:16追記)

 新章 索敵機、発艦始め!
 次話 第三話 西南海域れぽーと 
  →欧州方面反撃作戦 発動!「シングル作戦」E1突破後更新予定
 

第一話 着任

 198X年、世界の頂として繁栄していた人類に震撼が走った。
 突如海底から現れ、世界の海を空を支配した謎の深海棲艦。
 それらは人類から海を、空を奪い、陸地に押し込めるまで猛威をふるい続けた。
 
 人類もただ無抵抗に侵略されたわけではない。
 国家間同士が連携を組み最大火力の戦力で、振り上げられた鉄槌に対し果敢にも挑んだのだ。
 誰もが見たことがあるだろう、絶望が人の間に伝播し諦めが多数になろうとも、たった一人現れるヒーローが全ての苦境を蹴散らし、世界を救うという映画の数々のどれかを。
 
 人々は祈った。
 祈り、奇跡が起こることを切に願った。

 しかし。
 逆境をひっくり返すはずのヒーローは現れなかった。志高く、挑んでいったものから骸と化した。
 全ての艦船は青の中へと消えてゆく。抵抗する一瞬、砲弾を、魚雷を撃つ数秒さえも与えられず、ことごとくが沈められていった。
 深海棲艦は情け容赦なく海に出てきた艦隊を叩き落としてゆく。
 人々は絶望する。天を仰ぎ天使の降臨を願うが全く奇跡は具現しなかった。
 世論は核の使用を求め民意に押し切られるような形でいくつもの国がそのスイッチを押す。
 戦争に及ばぬよう、その抑止力として保持されていた多くの核が投入されたものの、どこからともなく無尽蔵に湧き出てくる深海棲艦に対し効力は低く、使用の代償として残った放射能により、人類の行動範囲を狭める結果となった。

 海軍、海兵隊が海戦を経験したのは、第二次世界大戦が最後だ。
 訓練は無論、多くの経験を演習という形で積んできてはいたが、実戦における予想外の事態に対し、即座に対応出来る人員は数限りなく少ない。そうできるようになるための訓練ではあるが、状況に飲まれ動けなくなる者が数多くあった。
 炎上する艦を見続ける、連合艦隊に所属していた兵たちの脳裏にはこの日の光景が強く、強く焼き付けられ、後の日々で尾を引く事となる。
 
 世界各地で航海中であった船舶がことごとく撃沈され続けた。わずかに残ったのは港にある停泊中の船だけだ。
 勝利という希望を掴み損ねた人類は陸でのみ生きることを余儀なくされることとなる。


 人類は海を失った。
 最初こそ敗北の苦渋に拳を握り締めた人類であったが、生活圏を全て奪われたわけではない。ただ海が失われただけである。陸続きに住む人々の生活はほぼ、以前と変わらず営まれ続けていた。
 海に隣接し、糧を得ていた人々の嘆きと怨嗟は巨大な陸に住まう人々に向かう。
 
 動いたのは各国の指導者達だった。
 通行不能となった海というデスエリアに囲まれた島国へと、食料の支援が開始されたのだ。
 世界のパワーバランスが崩れてゆく。
 世界各地で内紛という名の武力紛争、援助という名の経済紛争が勃発した。
 その様はまるで第二次世界大戦が起こる前にあった、不安定な世情だといえよう。

 経済大国であった多くの国々がその位を落としてゆく中、躍進してきたのは中国とロシアだ。
 陸路を使い、国を超えた多くの人々の支持を集めた。

 さて四方を海に囲まれた日本という国はどうなったであろうか。
 経済的に裕福であり、常に上位にあった日本はその繁栄をみるみると翳らせていった。その速度は転げ落ちる、などとは生ぬるい。
かつての戦争時のように人口が減っていればこんな状態にはなっていなかっただろう。人口が横ばいのまま、食料及びエネルギー関係が行き渡らない状態となり、多くが生きてゆけぬ状態となるまで、そう時間は掛からなかった。インフラ、生活に必要な道具はあっても、それを動かす電気を作るための燃料、石油とガスが供給なく消費され続けるのだ。供給を絞ったところで、行き着く先は枯渇となる。

 この状況を何とか打破せんと志しても、解決手段の迷走により有効な手段を打てない状況が続いた。
 後に記される歴史書にはこの時期を『歴史至上最も最悪であった』と表している。

 しかし日本に全く光明が全くなかったわけではない。
 かつてからこの危機を予言し、準備していた集団が解決策を実施しはじめたのだ。
 多くがその様を疑惑とかすかな希望を織り交ぜた感情で注視し続ける。
 事変の警告を無視し、あざ笑っていた者たちも、次々と成果を積み重ねる集団にぐうの音も出ないほど見せ付けられては押し黙るしかなかった。

 集団は程なくして政府に迎え入れられる。
 この人事に文句をつける者は一人も出なかった。

 集団が使用した兵器は人の形をしていた。『艦娘(かんむす)』と彼らが呼称している少女達だ。
 彼女たちの活躍により、船舶の航行を可能とした日本は最悪の危機を脱したと言っても過言ではなかった。
 艦娘たちは日本の国民に受け入れられ、同時に海を封鎖されたこの国にとってなくてはならぬ救世主となったのだ。

 各地に鎮守府が置かれる。
 その管理運営を行なうのは、かつて集団と呼ばれていた者達の長であるひとりの女性だった。
 今や国軍として再編成されたその最高責任者として座し、元帥と呼ばれるようになっている。

 現在において日本国内にある鎮守府数が7、太平洋上各地に8の基地と泊地を持つ巨大な戦力と化し、海洋大国日本としての地位を得るまでになっていた。

 深海棲艦が出現するのは世界各地の海だ。
 どこに出現するのか、いまだそのアルゴリズムは解明されていないものの、集団が長年に渡って続けてきた観察と研究によって大体の間隔が把握され始めている。
 今現在、最も激戦が繰り広げられているのは、南方海域だ。
 ラバウル、ブイン、ショートランドの3箇所は頻発する海戦により磨耗が激しい状態が続いている。
 先日もアイアンボトムサウンドによる激戦があったばかりであった。この3箇所は特に人員の入れ替わりが激しく、我こそがこの戦場を制する者である、そう宣言しながらものの10日ほどで根を上げ、ほうほうの体で戻ってきた自称英雄候補も中には居た。
 人も、艦娘たちもこの最前線では擦り切れ、磨耗し例外なく全てが深遠深くに落ちてゆく。

 着任早々その前線指揮を執り行った新米提督の報が、元帥の下に今まさに届けられた。
 元帥は薄く笑みを浮かべる。
 今回の新人は、なかなか骨のある人物であるようだ。今後の活躍に期待しようではないか。
 振り返った窓ガラスの向こう側には、月が丸く浮いていた。



△▽△▽△▽△▽△▽△▽


 見渡す限り蒼い海が静かに広がっている。
 南海の海原は見渡す限り穏やかな波だけあり、揺らめく水面はゆらゆらと太陽の光を宝石のように輝いていた。
 かつては多くの船舶が行き交っていた海であるらしいが、今はもう、船、と名の付くモノが存在しない青があるだけだ。

 その水の平原に6本の白波が立つ。その中にあったのは少女たちだ。幼さが残る者、思春期を向かえ大人の階段を上り始めた者。貫禄を備えた女社長かと見紛うばかりの者、と年齢はさまざまだ。
 その彼女ら、がきらめく中をまるで氷の上を滑るかのように走っていた。

 「2時方向 感アリ」
 「T字! 急いで先行して」
 「頭(有利)取りました~!」
 「砲雷戦!」

 索敵の声が上がり、指示が飛べば、ばらばらにあった白波が一本の線に集まった。
 一本の線の上に乱れなく並ぶ。海の上を走る速度は落ちてはいない。

 先頭にあった少女が右手のクロスボウに弾倉(マガジン)を装填し空に向ける。

 「最新鋭の装甲空母の本当の戦い、見せてあげる!」

 その言葉を皮切りに放たれた弓が、見る間に航空機の集団へと変化していく。

 「遠慮はしない、撃てぇ!」

 2番手にある褐色の女性が背中の巨砲から真っ赤な砲煙を響かせれば、背後に続く4人もその手に、足に、背に搭載した火砲を一斉に放っていく。

 放たれた航空機が砲が向かう先には鈍色(にびいろ)の何かが浮いていた。
 そう、海面から少し浮いた空中にある物体だ。
 淀み、蒼い海の波の合間に浮かぶ暗緑色の塊に唐突に航空機からの投下した爆弾が、巨大な砲弾が、驟雨の如く降り注ぐ。

 火柱、水柱が混ざり合った砲火の爆発。
 至近に落ちた砲弾の破裂すらも巻き込んだ水柱が収まると機械とも深海魚とも見えた異形の姿をもった存在は破片だけを残し消え去っていた。


 「問題……ないですか?」

 怯えたように両手を握り締めた少女が周囲を見回し言葉する。装備している電探には何も示されてはいない。
 ほっと一息つきつつ、ぽん、と乗せられた大きな手にようやく安心したのか、ふにゃりと頬を緩めた。

 「みんなえらいぞ!…敵は壊滅 完全勝利だ」

 眼鏡を指先で押し上げつつ、白髪の女性がにこやかに笑むめば、栗色の小柄な女性が口元に手をあて応える。
 「そうですね。こちらには損傷全くありませんでした」

 「うう~ん……まだ足りないわ、もっともっと魚雷を撃ちたかった!」
 「まあまあまあ…ほら、大井っち、次があるって次が」

 大井という姉妹艦に片手を振り回されながら北上はちらりと大鳳、先頭を走っていた空母を見る。

 「重巡リ級3隻、軽巡ト級1隻、駆逐ハ級2隻の撃沈を確認、浮揚処理を開始します」

 読み上げるように流れる声に淀みは無い。
 期待はしないほうがいいだろう。そう北上は思う。はいといいえ、どちらか、で言うならばいいえ、が多いからだ。
 しかし、たまに、かつてこの海で沈んだ、日の丸を刻まれ海原で散っていった仲間が浮上してくることも、ある。
 実際北上はこの海から救い出されたひとりであった。
 目を閉じればその日のことは良く思いだせる。意識が覚醒した瞬間にふわり、と水中で浮遊感を感じたのだ。そして水面に手をつき、見上げた空には星が満ちていた。己を見るたくさんの目に多少引きはしたし、もう一度水中に潜るべきかと考えたが、引き上げられた瞬間に締め付けられる胸の痛みを感じた一瞬に、全てを理解した。
 自分が戻ってくるべきはここであったのだ、と。待っていた人がいま、自分を締め付けているのだ、と。
 ゆっくりと首を下に向ければ、そこに親友が居た。
 ああ、北上っち、ただいま。
 再会できた喜びの後に、今がある。

 だから誰もが静かに経緯を見守っていた。
 
 大鳳が取り出した『羅針盤』から小さな人影が飛び出し、深海棲艦が集っていた地点に小さななにかが投げられる。着水すれば、そのなにかが一瞬にして巨大化した。
 だれもが一度は目にしたことがあるだろう、赤と白のストライプが目に鮮やかな救命浮き輪だ。
 
 ちゃぷちゃぷと水音が立つ。
 10秒……20秒………30秒。
 漂っていた紅白の浮き輪が発光し始める。仲間が、居たのだ。
 光は空へと伸びる。伸びてゆっくりと沈んでいった。
 
 「はじめまして! 私は艦隊のアイドル、那珂ちゃんだよー。よっろしくぅ~!」

 きゃは! とウインクしながら浮き輪が在った場所から艤装を纏った少女が浮かび上がり、ポーズを決める。
 出現したのは軽巡洋艦 那珂だ。
 「うわあ! 嬉しいな、姉妹艦だあ! 私も那珂ちゃんだよ! よっろしくぅ~!」

 手を取り合いながら、黄色い声を互いに上げる。
 姉妹艦というより、双子艦というほうが正しいようにも思える。

 「旗艦大鳳です。貴方はこれより、鎮守府に登録の為に帰還してください。そして提督に報告後、編成迄は待機。これが最初の命令です」
 「はーい、わっかりましたぁー。那珂ちゃん直ちに鎮守府に帰港します!」
 
 羅針盤を持つ大鳳がその姿らしからぬ凛々しい口調で告げると、瓜二つのうち一人が敬礼した。
 じゃあまた後で。
 ポニーテールの小人を肩に乗せた那珂が水の上をくるくると回りながら、艦隊の出発地点、泊地へ向かう。
 新たな仲間の背を見送り、羅針盤に目を落とせばその上でボブカットの小人がきちんと正座をして待っていた。
 次、まわしていいかな? まるでそう訴えかけるかのように口元に笑みを浮かべている。
 少女達は再び海原の先に目を向けた。目指す最深部まではまだ遠い。

 「進軍します。敵主力艦隊出現予想地点まで、このままの勢いで行きましょう!」

 「「「「「おお―――!!」」」なのです」」

 羅針盤が回され、進むべき指し示された路を往く。
 6つの声が重なれば、再び白波が立った。少女達は手を繋ぎ合い、新たな戦場へと向かう。


 △▽△▽△▽△▽△▽△▽

 「……遅い」
 つぶやかれる声の主が奥歯を噛み、赤く染まった水平線をとある人物がにらみつけていた。
 インカムによる無線で作戦の終了が伝えられてから既に180分が経過している。
 向こうからの声は届くが、こちらからの声は届かない。一方通行の無線はあまり心臓に良くない代物である。
 もうそろそろ帰投しても良い時間であった。
 一昨日多次元宇宙に繋がっているらしいゲートが開き、中から深海棲艦が出現。その駆逐のために出撃していた者達がもうすぐ帰ってくる。
 ショートランド泊地では帰投する艦娘たちを今か、今かと待ちわびる男の姿が埠頭にあった。
 白を基調とした軍服を纏い、しかもなぜかそれが余り似合わないという、民間上がりの提督だった。
 執務室で踏ん反り返り待っていた先任とは大違いだと、通りがかる艦娘達がその姿を見つつ過ぎてゆく。

 とある娘は艤装(ぎそう)を揺らしながら、賑やかになった泊地に目を細め、笑む。
 つい先日まで出撃となれば二度と会えぬ別れとなっていたと、この風景を見て誰が思うだろう。今の提督が着任するまでは、多くの仲間が青の海に沈み、この泊地はいつの時もがらんとした寂しい場所であった。
 
 かつてあった大きな海戦。その記憶と魂を持ち生まれてきた艦娘たちは陰と陽を繰り返していた。
 沈んでは引き上げられ、引き上げられては沈む。
 使えばなくなってゆく消耗品の如く、艦娘たちは己が身を盾に、矛にして青の海の上に立ち続けていた。
 誰に命令されたわけでもない。辛い記憶を今に塗り替えるため、自分の意思でかつての記憶と同じにならぬよう、必死に足掻いていた。だが状況は過去と同じく悪かった。
 この命が未来の礎となるならば。決心して逝くものの、それでも、水面の奥底へ沈んでゆくのは寂しく、そして悲しい。己の無力を噛み締め、冷えてゆく体を抱きしめ、永遠の眠りに落ちてゆくのは無念だ。

 だがそれがどうしたことだろう。
 必ず帰って来い、そう送り出してくれる人が出来た途端、艦娘たちの帰還率が大幅に上がった。
 
 抜錨し行け、ではなく、帰ってくるように。
 そう命令し待ってくれている誰かがいる。
 艦娘たちの多くが喜んだ。事実、自分達を待つ人を得た彼女達は、勢い勇んで水面へ走り出し往くようになった。死地へ向かうのではない。戦い戻ってくるために、だ。少し前までは決死の覚悟を必要とした出撃も、今や次の戦いには絶対に呼んで欲しいと志願する娘まで出るほどになっている。
 大破炎上したとしてもここに戻る。提督が帰って来いと言った。だから意地でも帰る。
 たったそれだけのことだ。たったそれだけで、誰も沈まなくなり、士気が上がった。誰一人として欠けず、今や3つある最前線の中で最もうらびれていたこの地こそが非常に賑やかな場所となっていた。
 
 なぜだろう。そう思い、娘は埠頭で待つ提督の姿にころころと手に持つ扇子で口元を隠し、声する。

 「提督の人望、という理由にしておこうかの」

 今や提督は艦娘達にとって、灯台の様な存在になっている。その彼が失われるとれば、この泊地に在るすべての娘達が是が否もなくなく立ち上がるだろう。
 よくもまあこの短期間で、娘達の心を鷲づかみしたものである。
 たった、そう、この提督がやって来てまだ1ヶ月しか経っていないというのに、だ。

 着任初日にアイアンボトムサウンドが引き起こされ、この泊地は恐慌状態となった。
 軍歴も持たぬただの一般人が指揮を取れるわけが無い。司令部に詰める多くが絶望的な状態に天を仰いだ。
 しかし新任提督は今がどういう状態にあるのかを簡単に聞き取っただけで、作戦をいとも簡単に立案せしめたのだ。
 誰もが最初、無謀だと諭した。だが提督はこれでダメなら何をやっても無駄であると権限を使い押し切り実行とした。
 艦娘達も死を覚悟して厳命を待つ状態であった。そして選抜された6人が泊地に残る者達と別れを惜しんでいるとき、提督が娘達にこう言った。

 「無理だと思ったなら、戻っておいで」と。
 
 娘達の多くの目から鱗が落ちた、と言っていい。今までは作戦が終わるまで、戻らなかったし、戻っていいとも言われていなかったからだ。戻ってくればまた、行けるだろう? 何度でも向かえるじゃないか。敵はあの場から動かないのだから、気軽に行っておいで。必死になって行なってはいけないよ。必死とは、必ず死ぬと書く。だから無理せず、これ以上進むのは危険だと判断できたときには戻ってくるように、いいね。

 そう言って送り出された艦娘達はその言に従い、戻ってきた。
 先頭経験の浅いものと深いものが順番に出撃し、それぞれに課された役目を果たしてくる。
 行きと帰りを繰り返し、新たな情報が書き加えた作戦書が海図が次々と更新され攻略が進んでゆく。
 ひとつ、ふたつと再侵略されていた海域から開放し、みっつめ、よっつめと快進撃を続けた。他の最前線からの協力要請もなんなくやりきり、最奥、サーモン海域最深部で陣立てていた戦艦棲姫の首を取ったのはショートランド泊地所属の艦娘だった。

 終わってから振り返ってみれば、その全てが見事としか言えぬ配置であり、航路であり、采配であった。
 本当に軍務経験、士官学校出では無いのかと再三確認されたが、本人はいたって普通の会社員であったと発言し続けていた。
 元帥が直々に発掘し、この地へ送り込んできただけの人物である。
 そう誰もが思わざるを得ない作戦を、次々と変わり安定せぬ状況下で、その隙間を縫うように細い糸を通しきった手腕と度胸に誰もが全ての作戦が終了となったとき納得した。

 只者ではなかった。
 ただの一般人だという本人が最も己の価値を、頭脳の意味をわかってはいない。
 そう、多くが判断した。

 だが提督は己を特別視することを禁じた。
 ここにいるみんながいてくれたからこそ出来たのだと、戦果を己の手柄としなかった。
 誰もが思う。先任とは間逆の人物がやってきたのだ、と。
 そして新たな提督は、この泊地において好意的に受け入れられた。

 そして一ヶ月たった今、基地化されつつあるショートランドがあった。
 提督が泊地の更なる整備改修に着手したのだ。
 なぜなら着任したこの島には申し訳ない程度の飛行場と民家、港といえるかどうか微妙な船舶を繋ぎとめる岸のようなものしかなかったからだ。拠点にしてもそうだ。粗末な木枠の掘っ立て小屋が作戦指令本部とされていた。なぜか提督の自宅だけは豪華で、要らぬだろう映画鑑賞施設までが併設されていたのだ。
 よくこれで今まで戦ってきたものだと新任提督は唖然となった。
 これでは資材を大量に積んだ大きなタンカーが接岸するのが難しいし、艤装を修理するための資材を保管する倉庫も無い。
 
 前任者はあるがままを資材にしても山積みし、そのまま使っていたが、赴任してからが長い泊地生活となる。拠点として使いやすく、かつ生活空間として暮らしやすい環境を作るのは大切だと、これまた提督権限で押しきる形での実行となった。
 本土のような生活水準まで上げるのは難しいが、最低限のインフラを司令部周辺に張り巡らせ、4畳一間という手狭で暮らしていた泊地に在住する人員のため、宿舎の新たな建設する、という荒業が敢行された。無論、前提督宅は破壊された。
 
 建設を請け負ったのはこの島に在中する数少ない国防軍工兵隊の人員たちだ。
 作られたのは港湾施設と貯蓄倉庫、工作工場が主であったが、どうしても、とねじ込んだのが温泉施設(ドック)だった。
 新任提督は娘達を癒すにはこれが一番だと声高に主張、男にだけが分かる浪漫を持論展開し、握り取ったのだ。その他として艦娘達の工廠が新たに増改築され、装いも新たにされた。
 提督がぼそりといった言葉の中に、「これってまさしく課金だよな」という意味不明な文言があったものの、誰もその意味を追求することはなかったという。

 そして最もショートランド司令部が驚いたのが、資材の調達方法だった。
 現提督が赴任してくるまではいつもかつかつで、いつ枯渇してもおかしくはない細い綱を渡っているような状態だったのだ。
 増殖の魔法でも使ったのか、と表現するのが一番であろうか。
 建設が終わり1週間が過ぎた頃には、以前とは比べられないほどの資源が潤沢に存在するまでになっていた。

 簡潔に説明するならば、横領されていた、が最適な言葉であろう。
 本土から送られてくる納品書と搬入時の検品地をよくよく見直せば、定期的に大湊から大量の資材と予備兵力である艦娘たちが続々と送られてきていたのだ。

 この件について何か知っていることは?

 と新任提督は司令部の各々に尋ねた。しかし誰もが沈黙せざるを得なかった。
 まったく知らなかったわけでもない。が、その件に関しては提督権限が発動されており、触れさせて貰えなかったのだ。

 艦娘が消費する資材について、新任提督は荒稼ぎした。
 どこに何が現れ、何があるか。ソラで言えるほど繰り返していた作業である。
 オリョールクルージング等によって、倉庫群をどんどんと拡張せねば収まりきらぬほどの資源があっという間に積み重なった。

 「いまさら根掘り葉掘り真実を追究したとしても意味が無いし、この話はここまで。元帥には報告を出しておくので、向こう側が処理してくれるでしょう」

 新任提督はそう言い、その件の幕を下げる。
 内心では艦娘たちを過酷な状況下に追い込んでいた前任者に対し、殺意すら感じていたものの、本土は遠く、この地を放置して戻るわけにもいかない。

 なので大湊鎮守府からやってきた新たな仲間を歓待した後、ふと思いついた試みを男はしてみることにした。
 彼女達はこの泊地に来て装備の豪華さに驚いていたからだ。大湊では武器を奪われ小破や中破であればそのまま放置されていたという。
 しかし泊地へと来る際に、多くの物資を艦娘たちに手渡してくれたのだとも聞いている。
 もしそうであるならば。男は考える。
 これが上手くいけば大湊との連携が上手く出来、他の基地や泊地によってばらばらである装備の拡充も平均的に行なえるかもしれない。
 このショートランドだけが強くなっても、この戦いは終わらないだろう。
 艦娘たちに囲まれた生活は楽園であるものの、終わらない戦争はあってはならない、とも思う。
 
 大湊に在る最高責任者は堅物で融通のきかない男であるらしいが、もしかすれば良い話し相手となってくれる可能性もある。
 ならば早速行動に移そう。

 男は拳を握り締める。考えるだけで反吐が出たからだ。忘れはしない。許しもしない。
 ただ感情を露呈させはしない。元帥に投げた事案だ。あちらで再起不能にまでしてくれることを切に願う。

 前任者の提督はその権限を最大に生かし使っていた。ある意味、男もそれを見習わなければならないだろう。
 何のためにかは想像に容易い。
 本来であれば積荷を下ろしたタンカーは速やかに日本本土へ送り返さねばならないものだ。だが彼は空となったタンカーを流用し、こっそりと前任者が資材を隣の国へ流していたのである。
 やり方は簡単だ。最前線であるショートランドにおける艦娘の消耗率が実行方法を教えてくれている。
 そう、艦娘の護衛が付いているからと言って100%、タンカーが無事であるとは限らない。本土には『到着しなかった』と報告するのである。
 そして積荷をそのまま大陸ににある目的地へと輸送し、私腹を、権利を貪るのだ。
 
 タンカーはそのまま大陸で一部分を挿げ替え、『わが国では使わなくなったものであるが……』と日本に売られるのである。
 行方不明になった船舶が売られて戻ってくる現状には、政治家が関わっていた。
 分かっているのである。どういうカラクリであるのかも、分かっているのだ。しかし証拠が無かった、掴めなかった。それほど海上とは危険地帯なのである。もしGPS衛生があったならば話は別だっただろう。
 行方不明になったタンカーに乗っていた乗務員達も生きてはいなかった。全てが闇に葬られていたのだ。
 大陸はせせら笑っていた。日本に売らなくとも欲しい国はたくさんあるとばかりに足元を見ているのだ。

 そして艦娘に関してはこうだ。
 大陸にタンカーを届けた後、戻ってくるように厳命する。ただし、二日置きに一隻ずつ分かれて帰ってくるように命令するのだ。
 タンカー護衛任務に付く艦娘の多くは駆逐艦である。幾らでも代わりが利く雑多だ、とばかりに酷使され、殺されていた。

 もしこの場に前任者が立っていたならば、力任せに一発、殴っていただろう。

 タンカーは貴重な船舶である。
 大陸からの売却を受ける口添えをしている政治家たちの懐はさぞ、潤っていることだろう。
 ここ最前線では特に必要であった。現地でまかなえない資源を補給するためにはタンカーが必需であったのだ。深海棲艦に沈まされては困るものである。
 
 今回、このショートランドへ物資を届けてくれたのは大湊だ。男が提督に着任したからには必ずタンカーは大湊へ返還しなければならない。
 男は部隊を編成する。ショートランドへタンカーを運んできてくれた艦娘たちは数日の休養後、パラオを経て日本へ帰還する道程を予定している。
 向かわせるのはショートランド所属の錬度が中以下のいわゆる新人たちだ。
 最前線である南方海域から出てしまえば、トラック近くを通過しそのまま北上すればいい。途中南西諸島をかするが、補給物資を余分に持たせれば何とか通過も可能であろう。改にはなっていないが、もうすぐ可能となる娘達ばかりだ。
 慢心してはならぬ。絶対だめである。キラ付けは必須である。
 とはいえ動かなくては成果も出ない。男は手元を離れる艦娘たちに男が持ち、大湊鎮守府の提督が欲しているだろう情報を書き添え、戦力増加の感謝を伝える手紙を娘に託し、連絡の日を待つことにした。

 ……この試みは上手くいったとしていい。
 大湊とショートランドのやりとりは、今後、互いを補い合いながら続いてゆく。



 空に星が満ちる。
 電燈の明かりが埠頭のあちこちに灯っていた。
 波の音が静かに寄せては引いてゆく。暗くなってしまえば人の目で海の向こう側を見通すことが出来なくなる。
 戻ってくると信じていた。
 信じているが、この世には絶対はありえない。小数点以下の確立であろうとも、起こるべくして起こる事象は、どう足掻いたとしても起きてしまうものなのだ。
 
 己の身に起きた、提督という存在になるきっかけがあったあの日の、運命のいたずらのように、だ。
 遠くにふと、白の光が振れたような気がした。
 艦娘たちは夜間になるとその眼光を光らせて闇を渡ってくる。
 
 目を凝らせば見えるかと試みるも、傍から見れば怪しい人物にしか見えないだろう。
 男は電燈に背を預け、目を閉じた。

 「艦隊が泊地に帰投です。おつかれさま」
 
 旗艦大鳳の柔らかな声音の後には元気なみんなのアイドル那珂の、出撃した全てを褒める武蔵の、夜遅くまでの任務にお冠な大井とそれをたしなめる北上、そして帰還したことによってほっとし、気が抜けたのかその場にへたり込んでしまった電のふにゃりとした声が耳に届いた。

 ゆっくりと目を開けると、いつの間にか全員が提督の側に在った。
 今まで一度も見送りと出迎えを欠かしたことの無い提督がかけてくれる言葉を各々が待っているのだ。

 「お帰り、みんな。ご苦労様」

 艦娘たちが笑む。
 この言葉を聴くために、戦いへ行くのだ。

 円がばらけ、それぞれが宿舎に向かって歩み始める。
 そっと提督の手に触れるものがあった。

 「電、どうした?」

 握り締められた指をそっと包みかえす。

 「あの……約束どおり、今日は、今日だけは添い寝してくださいね?」

 可愛らしい願いに、提督は頷く。
 つながれた手のまま、父と子のようにも見える最後尾のふたりも司令部に向けて歩き始めた。



[39333] 第二話 大湊鎮守府
Name: 環 円◆21e3f90e ID:f72f07b0
Date: 2014/02/02 06:59

 大湊鎮守府は青森県むつ市にある。この地は恐山の麓にあり、りんごの生産地や温泉地として、また霊山に残るいたこが存在し続けることが有名であろうか。
 この鎮守府は国内外にある他の拠点とは違い完全な安全地帯であった。
 理由は明確ではないが深海棲艦が出現する地点から最も遠い、とされていた。それは霊山の影響であるとの説が強いが、本当のところは全く持って謎である。
 ただこの地、むつ湾内では太平洋上で行えない船による漁が今でも続いていた。水揚げされる魚介類は高級品として本土の南に向かう。それほど青森は平和な、穿った見方をするのであれば僻地といえるだろう。

 だが大湊には鎮守府が置かれていた。
 主にこの地へ赴任してくる提督は降格処分を受けたもの、能力に問題ありと判断されたものが派遣される窓際として使われている。よってこの地を希望して赴任してくる人物は皆無ではあるが、たったひとり、願ってやってきた男が居た。

 濃紺の軍服に防寒外套、外出時の制帽は実用一端張りのロシア帽という痩せぎすの男は『指令』とこの鎮守府では呼ばれている。
 表情を晒す事を嫌がる様に無愛想、臭いが強い煙草を好むチェーンスモーカーだ。故に軍務以外で関わりを持とうする部下も好意的な艦娘も居らず、様々な噂だけで語られる人物だった。

 当の本人も別段そのその名を気にする様子も無く好きなように呼べばいいと放置しており、沈黙をもっての了承である、と誰もが使う。
 ただひとり、指令の下に配属された秘書艦、艦娘達の取り纏めである「鳳翔」だけが軍務以上には立ち入れない男にある、高い心理の壁に戸惑いを隠せないでいた。

 「あのー、そろそろお茶にしましょうか」
 「いらん、先にこの後にある訓練予定と遠征部隊の出港予定の報告を頼む」
 「はい、訓練予定ですが――」

 取り付く島もないとはこの事だろう。業務連絡が落ち着いた声音をもって報告される。
 聞き終え、しばしの沈黙の後に指令が言葉するのは、

 「では、いつも通り貴女が訓練の指揮監督を執ってください。本日寄港の艦隊で備蓄資材が規定数を上回りますので訓練の燃料は気にせず、次第点ならやり直す様に」

 という淡々とした命令のみだ。
 いつも通り、変わらない。

 「はい、訓練の指揮権をお借りします。……あの」
 「訓練の加減等は一任します、離隊治療にならないのであれば結構」

 言いたい事の先を言われ、会話をさせてくれない相手に鳳翔は敬礼するしかできなかった。
 答礼し、外套とロシア帽を持った指令は鳳翔を執務室に残して、部屋を出る。
 鳳翔はその背を見送り、ため息をついた。今日も振り返ってはくれなかった。
 上司としては理想だ。この鎮守府に在する一部の無茶な命令を出す上官より、出来る事を正しく続ける彼はとても良い指揮官でもある。
 ただ人であれ、艦娘であれ、彼に笑いかけ、怒ったように、また悲しそうな表情で話しかけたとしても、指令はその表情を変えない。
 何があの人をそのようにしているのか。鳳翔には分からなかった。
 知りたいと思ったとしても、そのとっかっかりが無い。
 
 そしてここ、大湊の指令は以前、赴いたことがある他の鎮守府にある提督とは違い、この執務室にほとんどいない。
 絶えずどこかを巡回していた。どこに向かっていったのかは知っている。
 だが同伴させてもらったことは、今の今まで一日として無かった。
 存在としては必要とされているのだろう。だが支えとはなれない。
 
 「……これでは、任務に支障が。マイナス思考はいけません、ダメです」

 パチリと小さな音が立つ。両の手で頬を軽く叩いたのだ。
 下を向き、落ち込んでいてはこれからの訓練に障が出てしまう。
 鳳翔は背筋を伸ばし、上を向いた。
 今日という日はまだ始まったばかりだ。悲しい顔をしては、いられない。


 潮の香りが強い。
 男は理由を捜し、空を見上げる。
 風が止んでいた。本来ならばこの季節、風が止むことはない。
 何かが起こるのか。何かを起こす誰かが動いたのか。

 男は視線を地上に戻す。
 歩きたどり着いたのは艦船の入港・出港を管理する港の『湾岸指揮所』だ。その場にて働く係員に混じり、指令の姿があった。

 「毎度毎度、こんな退屈な所に来れるねぇ。訓練の方がいいんじゃないのかい?」
 「だよな~ 艦娘さん達が必死に頑張る姿もいいし、それに~~」

 顔を歪ませて笑う係員達の話を全く反応せず、指令は双眼鏡で陸奥湾を覗き続けている。
 係員たちの会話は続く。羨ましいと。近くで触れる機会もあるのだろうと。そして。

 「デュヒヒ、訓練弾で被弾して服が破ける様なんて~ もうね、もうね~」

 指令を煽って下品な笑いを浮かべる彼らに対し、指令は無視し続ける。だがある瞬間、いつ動いたのだとばかりに振り返り彼らへと向かう。
 無表情で凶悪な人相を隠さない様に係員達が気圧される。

 「本日の遠征部隊、貨物船3隻・タンカー1隻が護衛の艦娘4人と湾内に入ってきたぞ。
  本日中に荷降ろしを開始したい。後、昨日連絡した通り、本日夕刻前に艦娘護衛付きの遠征任務艦隊を出港させるから出港コースを開けておいてくれ」

 指令の言った要求を聞く船員達はあっけに取られた。
 なぜならば無理があったからだ。言う通りにするとしても本日中命一杯、独楽鼠の様に働いて可能かどうかというレベルだ。

 「ちょ、横暴だろ。そんなこと出来るかどうかギリギリじゃ」

 声を上げる係員を指令は見る。
 凝視する、と表現するほうがよいだろう。
 その眼光には強い光が宿っている。
 怒りではない。そしてまた悲しみでもない。

 「将官は戦時任務を遂行中であります。……戦争をしているのです、将官に何を言っても構いません。深海棲艦はあなた達の要求など聞きもしませんが」

 指令は口籠る係員達を含めそれらの仕事に従事する者らを放ったまま、接岸場所へと指令所を出て行った。
 係員達は互いの、そして誰の胸の中にも湧き上がっただろう不平の気分を隠しきれず、だがそれでも残業確定の業務に取り掛かりはじめる。
 なぜなら尤もであったからだ。敵は人間の都合など全く考慮などしない。してくれない。
 やるしか、なかった。


 そして指令は備蓄倉庫群の出入り口、本土の道路側にある事務所の所長席に座っていた。
 事務所内のデスクには各倉庫の内線電話がひっ切無しに鳴り響き、事務員たちが対応に追われている。

 [備蓄倉庫   総備蓄数] 
 艦娘用鋼材  二十四万トン
 艦娘機関燃料 二十八万トン
 艦娘砲弾薬  二十二万トン
 艦娘航空機材 十九万トン

 開発資材   八百八十八
 開発バーナー 四百
 修理バケツ  千五百

 壁一面の巨大ホワイトボードには大きな文字で備蓄総数が書きなぐられ、電話が終わる度に書き直しされる。
 指令も電話かけているが内線では無いようだ。

 「……判った。佐世保で大型艦建造に着手したんだな? 運営に支障が出るまで時間がないなら海上輸送を…
  うん、納期がそれなら陸上輸送で送る。……なに、元々そちらから預かっていたものだ。気にしなくていい。
  また装備開発したら結果報告を送ってくれ。うん電話を操作する、待ってくれ」

 チン、と耳につく高い音がひとつ立つ。
 それはこの鎮守府を仕切る、最高責任者からの伝達がある場合にのみ鳴らされる。

 「指令から達する、佐世保鎮守府へ備蓄資材を各三万、陸上輸送で移送させる。輸送計画の選定に入れ。無駄に資源を余らせることあたわず、時間を無駄にするな」

 慌しい時間が訪れ、一定後にぴたりと止んだ。
 それが合図だったとばかりに、備蓄倉庫群から巨大なトラックが次々と姿を表わし高速道路入口へと長い行列を作っていく。

 この鎮守府は国内にある艦娘の停泊施設の中で最も貧弱であり、更に出撃するとなれば最も航行時間がかかる攻撃に不向きな軍港である。
 当然、鎮守府の設備構成も他の鎮守府とは違ってきて当たり前であるのだが……国内本土の鎮守府はどこであろうがすべて同じ様に使えなくてはならない、という理由不明のルールが暗黙で制定されていた。そのためルール通りに建設されていれば、特にこの地では配備された艦娘は遊兵となりやすく、無駄な設備すら高額なコストがかかっていただろう。
 指令、が着任し、拒否をせねば他と同じく設置されている予定だった。
 計画の見直しが承諾され、国内にある鎮守府の中でもっとも閑散とした感もあるが、ここでしか出来ない業務もまた生まれている。
 指令の目的を果たすためには、必要な出来事であった。
 
 またこの鎮守府には目の上のたんこぶ的な問題がある。
 問題とするのも億劫であるが、この地に着任される官は、いわゆる他の本土鎮守府の混雑から整理された寄せ集めから集団というモノだ。
 海外の前線近い基地や泊地からも「本土鎮守府のオミソ」扱いが定着している。だが今や内情を知る者には、国内鎮守府の要と言うべき場所になっている事に気づくだろう。

 大湊鎮守府は建造も修理も行わない為ドックは最低限しかない、なのにも関わらず備蓄倉庫は常に上限数を上回る備蓄を管理していた。
 横須賀・呉・佐世保・舞鶴、各鎮守府では管理の上限を上回る資源は生産しない方針になっているが、本来資源の生成工場は無限供給可能であり、管理の上限がある事が運営の足かせになっていた。
 其処で大湊鎮守府の指令が各鎮守府に「上限過剰分の備蓄庫」を大湊に設置する事を提案したのだ。
 横須賀の元帥もこの案には諸手で賛成し、各本土鎮守府は備蓄可能数の60%~80%を保持、それ以上の備蓄が集まりそうになった時は大湊の倉庫群にまとめる様になったのだ。

 本土内は高速道路網を使って安全に輸送でき、建造と修理機能を削った大湊鎮守府は最低備蓄で運営できる。
 この利点が大湊鎮守府を劇的に変貌させる最初となる。


 夕方近く、母港編成岸壁には出港間際の喧騒で溢れていた。
 物資を満載した大型貨物艦2隻がエンジンのテストを繰り返す中、岸壁には八人ほどの集まりがあった。

 「編成を発表する。旗艦、麻耶を筆頭に龍田、長月、曙、満潮、霞の以上6名はこれから出る貨物船をパラオ泊地に『海上護衛』せよ」

 呼び出されたのはつい先ほどであった。
 何のために召集されるのかすら教えられぬまま、やってきていた艦娘たちが顔をお互いに見合う。
 そして前起きなく、指令に向け罵詈雑言を吐き出し始めた。
 艦娘たちは自分達の上官である指令に向ける怒りを隠そうともしない。誰もがあからさまな嫌悪感を、命令を告げた男へと向けていた。

 「ほらみんな、そんな怖い顔をしないで。きつくて大変な訓練ばかりでしたけど、改修を受けられる程に強くなったでしょ? それにちゃんと……」

 母、という形容がもっとも似合うであろう女性、指令の秘書官である鳳翔が憤る各々に声をかける。
 だがしかし、

「鳳翔は黙って」
「クソ指令。修理をけちっておれ達を沈める心算だったんだろ!」
「大破状態で延々と演習を繰り返したり 中破しているのに武装取り上げて通常の海上を航行させたり!」
「ろくな休憩も取らせずに損害を受けたままで生活とか、服が破れているのに青森市街から見える様に航行とか! これって完全なセクハラ!!」

 目覚め、己の職務を受け入れ、今の今まで労いの言葉ひとつ無く、雑巾のように使い古された彼女達の胸の内に溜まった鬱憤は、留まることなく流れ爆発し続ける。

 「改修改造を受けるレベルになるまで鍛えられたの事実だけど、改修後の装備を全部没収ってこの任務で死ねって事?」
 「貴方の指揮で戦うのは絶対にいや。今後絶対」

 腹の底から、何度も何度も悩み反芻してきた娘達の心が指令にぶつけられる。
 鳳翔はおろおろと指令と仲間の交互を見た。かける言葉を探し、口にしようとして止まる。
 そうではないのだ、と言いたかった。
 指令が一歩、前に動く。
 艦娘たちが戦闘態勢をとった。

 「大変元気でよろしい。貴殿らが今から向かうのはパラオ泊地である。入港後、六艦は全てパラオ鎮守府所属と決定されている。到着後はパラオ提督の指揮下に転属、指示を仰げ」

 ぽかんと誰もが口を開いたまま、ぱくぱくと、さながら陸に吊り上げられた魚の如く呆気にとられていた。
 怒りがすべて消え去ったわけではない。ただ言葉の内容が頭で理解できなかった。

 「今から新規装備を配布する。任務中に各装備を習熟する様に、麻耶、」
 「はへ?え、あ。はい」
 「15.5cm三連装副砲二門、61cm四連装酸素魚雷二基、22号対水上電探、三式弾を」

 運ばれてきた装備に声が喉で止まる。
 「これって…え―――!!」
 触れて、初めて実感が伴ってきた。

 「続いて龍田、15.5cm三連装副砲二門、61cm五連装酸素魚雷一基、三式水中探信儀、三式爆雷投射機、各駆逐艦は61cm四連装酸素魚雷二基、三式水中探信儀、三式爆雷投射機だ」

 艦娘達に配られた装備はそう滅多に手に入らない新兵器である。
 それぞれが装備を手にとり、くるりとひっくり返せば真新しい油の臭いがした。
 
 「これ、あたしの名前?」

 麻耶がふと見つけた凹みを指でなぞる。それは全員の装備にあった。たった一人、彼女らのためだけに作られた装備であることを、暗に示すものだ。

 表情をほころばせた鳳翔がやっとと口を開く。
 深呼吸し、慈愛を込めた瞳がひとりひとりに向いた。

 「みんな、指令はみんなのことをちゃんと理解してくださっています。わたし達から見れば意味のない、恥ずかしいとも思える事でしたけどちゃんと意味があったのだ、と。パラオの先輩達に聞いて御覧なさい。訓練の内容を確認してみれば必ず分かります」

 武器に関してもそうだ。倉庫に保管された資材には手をつけず、艦娘たちが集めてきたわずかなそれを使い、何度も失敗し続けようやく手にした装備を、過去から一度もそれを伝えず変えず、初任務の際に手渡し続けてきていた。

 しん、と静まり返る。
 艦娘たちはなんともいえぬ表情をしていた。
 怒りはすでに、無い。

 「各自、装備受領したら整列!……転属先は戦闘地区ある。必ず戦闘命令が出されるだろう。
  敵である深海棲艦は君達を撃沈する事が任務であり、其処に遠慮なぞない。……「恥ずかしがる」と言う贅沢は生き残ってからにするんだ。君達の武運長久を願っている」

 鳳翔の話のおかげだろうか。それとも新装備の所為か、艦娘達は整列し指令の強面の顔を初めて正面から見た。
 誰もがその顔を初めて真正面から見るのだと、気づいたであろうか。
 その背後で汽笛が鳴る。ゆっくりと舫綱と碇が巻かれて貨物船の出港が始まろうとしていた。

 「やばい、もうそんな時間って、出港じゃないの!」
 「まって、まって! 装備!」
 「みんな、元気でね」
 
 貨物船が動く前に着かなくてはいけない護衛地点に慌てて、海上に走り出す艦娘達の背を鳳翔がにこやかに見送る。
 慌しい別れである。だがその方が良いのであろう。
 指令はふと海に走り出す各々の背を、その光景を見、確認してから靴音を立て始める。

 「見送らないのですか?」

 鳳翔が指令にいつもかける言葉のひとつだ。
 装備の件も出発するまで口外を禁じられている。
 不器用な男であるのだろう。だが全く、艦娘の身を案じていないわけでもない、ようにも見える。
 言葉をもっとかけてやればいいのに。そう思うが忠言したとしても、指令はきっとその言を受け入れない。

 「見送りは任せる。工廠に行っているから君は見送ったら上がってくれ。今日の訓練の結果は明日でいい」

 鳳翔は頭を下げる。
 敬礼ではなく、頭を下げた。

 「君が真剣に育てた子達だ、君の手腕を信じる事と同じ様に不安など無い」

 何気なく放たれた言葉に、鳳翔は長い間、顔を上げられずにいた。
 熱をもったままの目頭を押さえ、海へと振り返る。
 
 「元気で。いつでも、いつまでも武運を祈っています」


 △▽△▽△▽△▽△▽△▽


 深夜、草木も眠る静かな刻。

 大湊鎮守府では艦娘の就寝時間はとうに過ぎ、起きている者は夜間任務か歩哨のみという時刻、無人であるはずのの工廠になぜか光が灯っていた。

 工廠と呼ばれてはいるが他の鎮守府や基地と比べ規模的に造船工廠と言うには余りにも小さいその場所で、こつこつと足音が響く。
 ここにあるものは軍備施設や造船所の範囲には入らない異質なものである。まさしくそれは『艦娘』専用の施設に相応しい名称であるといえるだろう。時代が時代でなければ、道徳的にも法に則しても明らかに逸脱した犯罪の証拠であり現場だ。

 本土の鎮守府に設置されている『工廠』の中央に設置されている機材は、高さ20~30Mという巨大化したミキサーのような外見であった。
 上の逆円錐の中には艦娘の治療保護を担うリンゲル液が詰まっている。緑色の液体は人間が飲んでも無害であるが、艦娘達の治癒速度を高めるという効果を持たせた特殊な配合が成されている。

 下部の長方形は正面が操作盤だ、右手面は資材投入口と装備品取り出し口、左手面が回復用リンゲル液放出口がある
 此方から見えない背面側は建造艦排出口となっていた。

 このシステムを構成した人物はよほどの天才か狂人か。指令自身は会った事は無いが、なかなかに癖のある人物であったそうだ。元々その人物は横須賀にある元帥府にいたらしい。しかしある日忽然と消え失せたと囁かれている。
 秘密裏に捜索が行われたという。元帥と並んで、軍部には無くてはならぬ人であったからだ。
 しかし伝え聞いた噂という名の批判では、元帥は先月、構築者の行方を捜査していた部署を縮小したという。
 それはなぜか。元帥がトカゲの尻尾きりに使ったのであろう、とかまたなにやら怪しい実験を行なうために身を潜ませているのだろう、とか根も葉もない噂が飛び交っている。

 ただ指令がとある人物から聞いた話では、行方不明になったこと、が問題ではない、と言っていた。
 構築されたシステムの中には、構築者だけが知りえる情報があり、システムが吐き出すその数字羅列の正体を把握し、証明し、説明できる人物が自発的に消えたのか、それとも何かに巻き込まれて消えたのか。それが問題であるのだという。
 指令にすれば、天才であり狂人であるたったひとりのみが解析し、知りえる情報形態を構築している時点で、危険であると判断するだろう。それに唯一しか使えないシステムである、という時点で待ったをかけなかった上層部にも責任があると考えられた。

 どちらにしろ手が出せない状態が続くのは、何者かに付け入る隙を与えるよいきっかけとなりかねない。

 ただ天才であり狂人である人物が作ったシステムは完璧であった。
 なぜなら作成した設計者が居ないとシステムの新規作成・既存システムの維持が出来ない訳ではなく、軍令部から派遣されシステムの調整を行う技師は存在するし、使い続けるだけであれば全く問題などないように成型されていたからだ。
 ただこのシステムのあらゆる部分には、軍機という壁に覆われた秘密で満たされており、全体の内容を知る者は技師の中にも居なかった。

 「ふむ。これの正体を軍機で隠そうとするのは自衛の為には仕方なく、法としても正義だろう…が、人間としての観点からすれば、全くもって正義ではないな」

 臭いの濃い煙草を煙らせながら、人のいない工廠内の天井部、ミキサーの頂部分を見下ろせる足場に指令は立ちリンゲル液が満たされている内部を見やる。
 天井部分には内部作業用のハッチがあった。其処に以前、知識欲に駆られてそれを開け、内部を調べてしまった技師が居たのだ。

 その男の事はよく覚えている。この大湊に派遣されたことを、なぜか喜んでいた。だから印象に強く残ったのであろう。
 一日二日であれば気づかれなかっただろう。技師は指令が知る情報に照らし合わせても、約十日ほど、このミキサーに篭もってしまった。
 そしてその行為が、ばれた。誰かが告発したのか、それとも本営からの監視者が居たのか、事情はわからない。
 技師の男はいつの間にか居なくなっていた。ふと姿を消したのだ。
 まるでちょっとそこまで出かけてくる、といった気軽さで、だ。
 その後、彼はこの大湊に在籍していたという情報すらら抹消され行方不明となった。

 後日、大湊鎮守府に機密漏えいの罪状による政府の監査が入った。調査の対象は技師の男が暮らしていた部屋と仕事場としていた周辺であったが、探索の為と称して執拗に来訪する軍令部の捜査員の余りの馴れ馴れしさに指令の堪忍袋の緒が切れるまでさほどの時間は必要なかった。
 月に二十日も滞在されては任務が全う出きず、予定の延滞も多く発生していたのだ。
 探しているものが見つかれば、二度と来ないであろう。そう判断した指令が彼らが滞在せぬ十日ほどの間に彼方此方を見て回ったのだ。
 彼らを追い返す手段となるならば、隠された何かを探すという手間も苦にはならなかった。
 執務を終え、残業者が残る時間に指令がとある場所を調べると……技師の男が残したであろう資料、というには粗末な、走り書きのメモの数々を張り付けた冊子を指令が発見したのだ。
 調査官らの目がモノを見ていないとはっきり分かった日であった。

 あれから年をいくつも超えてきたが、捜査員は未だに監査と称して指令を含む数名の監視と、鎮守府内の捜査を続けている。

 見つけた資料は結局、彼らには渡してはいない。中身を寸分違わず暗記し、そのコピーを通信記録簿保管室の未整理書類の山に紛れさせている。たとえ今、見つかったとしてもそもそも大量の紙の山を保管している倉庫だ。当時見つからなかったとするのは、おかしくは無い。それに本物の資料はすでにショートランドの補給資材の目録書類に紛れ込ませて輸送していた。

 かの男が気づくか、そうでないかはどうでもいい話だ。
 ここに無い、という事実があればそれだけでいい。

 「君達は…眠っているのか? 眠っているとするなら、夢もみるのだろうか?」

 ミキサーの内部のリンゲル液の中に漂う人型の軟体物質、形を失い球状に更に圧迫され液状になっているソレ――素体に指令は語りかける。

 ただそれは静かに緑の中で多くがたゆたい、あるだけであった。



[39333] 第三話 金剛提督 
Name: 環 円◆21e3f90e ID:f72f07b0
Date: 2014/01/28 07:29
 注釈
 金剛大好き提督様方々、我こそは金剛提督であるという方々、最初にお詫び申し上げます。
 作中に出てくる登場人物がその方自身を評するものではありません。
 大事なものに集中する余り、周りが見えないという観点でキャラを創作しております。
 気分を害しましたら申し訳ございません。


第三話 金剛提督 


 やわらかい朝の日差しが差し込む午前七時一五分、金剛は昨日届いた一通の手紙を握り締め、ため息をつく。
 こんな日がいつかは来ると確信していたが、よもやこのタイミングでくるかと、頭痛を感じながら塵ひとつ落ちていない廊下を歩いていた。
 このショートランド泊地では日替わりで秘書が代わってゆく。初期は固定だったのだが、希望する娘達が増えたため、日を決めて業務を分担することになったのだ。
 今日は彼女、金剛が提督の秘書官を勤める日だ。
 十八日ぶりの秘書日である。袖を通す服装の乱れや、髪型にも気合を入れた。
 そしてノックの後、執務室へと入る。
 が、しかし。いつもはあるはずの提督の姿が無かった。

 「提督はどこへ行ったのでしょうネ? かくれんぼですか? 困ったさんデース」

 金剛が扉を閉め、周囲を見回しながら提督捜索に入った。
 戦艦の中では索敵が高いほうである。深海棲艦を見つけるのも慣れたもので、たまに、レーダーに映らなくともあそこにいる、という第三の目が開くこともしばしばあった。

 提督の行動は決まっている。
 朝起きる時間は決まってマルロクマルマル。寝室に付随ずる洗面にて顔を洗い身支度をして部屋を出てくるのがナナマルゼロゼロ。
 そこから食堂に行き、モーニング。朝からラーメンでもハンバーガーでもいける鉄壁の胃の持ち主であった。

 「おっはよーごっざいマース! 提督、今日の秘書はワタシですヨー!」

 いつものように張り切って食堂に入れば、多くの娘達の視線が金剛に向いた。
 だが提督はいない。
 すでにお勧めのベーコン厚切りハニーマスタードサンドイッチを平らげ、食堂を出た後だという。
 
 Shit! 
 金剛は次なる目的地、執務室に向かう。すごろくでいえばはじめに戻る、となるがそれもまた楽しい。
 だが提督はまだ戻ってはいなかった。隣にある作戦本部にも今日はまだ顔を出していないらしい。

 今日の予定を確認する。
 ほんの三ヶ月と半月前までは朝礼や会議の席を問わず、資源調達任務に失敗した娘らの懲戒などが分刻みでいれられていたが、今やこの最前線、南方海域においてだけでなく、本土の倉庫と化している大湊を加えたとしてもそれに次ぐ第2位の資源保有を誇るようになっている。

 艦娘たちの奮闘もあった。
 だがそれ以上に提督の助言が大きい、と金剛は考えていた。なぜなら遠征に失敗しなくなっていたのだ。三回に一度、五回に二度失敗していては、溜まるものも貯まらなくなってゆく。
 組み合わせがあるのだ、と提督は言った。

 「今までの報告を見た限り、手の空いた艦同士で組み出ていたようだけど、TPOを無視したら当然、失敗するだろうね」

 提督はそう言い、片手間として向かわされていた遠征を、ひとつの作戦とした。
 そのためこの泊地……というには規模が大きくなりすぎているような気もするが……には殺伐とした雰囲気が消し飛んでしまっている。
 どちらかといえば本来あるべき南国風土さながらの、おおらかさが戻ったというべきか。

 「提督、どこですカー」

 特別案件は何も入ってはいないが、最低限でも午前中に昨日の報告書に目を通してもらわなければならない。
 提督が喉から手が出るほど欲していた物資も到着する予定になっている。それなのになぜ居ない。金剛は腕を組む。
 ……手紙の内容についても相談したかった。妹達には言えない複雑な事情がある。
 金剛の提督探しは続く。



 金剛が探す当人である提督はその時、とあるなにか、を追いかけていた。
 それはあの画面で何度も見た猫娘である。
 イベントが始まるその日、大規模アップデートがあった日、サーバーが増強された日、それは現れる。
 妖怪、猫娘(吊るし)だ。

 可愛い画像であるはずのそれに、何度拳を握り締めたか。
 F5の連打をこらえたか。
 他のサーバーでは怨嗟にまみれ、まぎれた歓喜が報告されても自分の鯖には全く入れないというこの理不尽を幾度噛み締めたか!
 
 それが目の前をよぎったのだ。
 凝視してしまった。目が合い、猫娘は脱兎の如く逃げ出した!
 その逃げ足たるや、どこぞの銀色涙形モンスターかと思うほどの俊足だ。
 がしかし! 男はそれに食らいつく。逃がしてなるものか経験値の塊、捕まえて急所へ毒針を刺してやる!

 そうして男は工事現場に猫娘を追い詰めた。
 このショートランドはブーゲンビル島の南に位置する島だ。掘削してみると思いのほか固い岩盤が地下にあり、こうして鉄筋コンクリートで施設を拡張することが出来ている。この現場には毎日通い、仕事の正確さと速さに驚きつつも監督から進行状況の確認を受けていた。
 
 また子供とは工事現場が好きである。危険な場所への探究心、好奇心が抑えきれなくという経験も男はしていた。
 待機組みとなる駆逐組みの子達と遊べる環境として、危険が無い区画では発砲禁止の鬼ごっこや艤装封印の缶蹴り、影踏みなどが出来る広々とした場所も確保している。
 いつも追いかけられ、隠れ、見つかっては引きずられる日々を送っている己から逃げられると思うな。
 第三者が居たならば、提督の目が据わっているのを確認できただろう。
 肩で息をしながら、白服の男、ショートランドの提督は猫娘を追い詰めた。

 「……さあ、観念してもらおうか」

 じりじりと男が猫娘に近づいてゆく。
 行き詰った廊下の端である。両側に人がひとりずつ通れる隙間はあれど、日々艦娘たちに鍛えられた肉体であれば抱きとめるくらいは出来るようになっているだろう。否、出来る、そうできるのだ。思い込みに近いが、出来ると念じる。
 
 ため息のようなエフェクトがあり、猫娘が抱いていた猫を打ちっぱなしであるコンクリートの上に置いた。
 にゃあー。
 なんともしまりの無い泣き声である。
 娘がぽん、とひとつ手を叩くと現れたのは、小さなホワイトボードだった。

 『ふっ、ほめてやろう。わたしをみつけることができるなんてほこっていいぞ!』
 
 男は書かれた内容に男は眉を寄せた。
 全部ひらがなで読みにくい。
 そしてなんだこいつは、という疑惑が浮上してきた。形姿は見知ったそれだ。絵柄からだけではどんなキャラであるのか分からない。
 胸が痛んだ。軽い落胆、による精神的ダメージである。

 「観念した、と承諾していいな?」

 疑問系で問うたのは、エラーとは突然やって来て去ってゆくものであるからだ。
 そして考える。
 見つけることが出来る、とはどういう理由からか、と。
 見つける、とは通常、発見するという意味だ。
 発見とは、世に知られていないものを初めて見つけ出すこと、である。
 
 初めて、見つける、とはいったいどういうことなのだろうか。
 
 『かんねんなどしていない。けいいをはらっているのだ。にんしきをあらためようとおもってね』

 きゅききゅきと黒のマーカーで書かれた文字に男は得体の知れないなにかを感じた。
 がしかし、ここで引いては男が廃る。
 例え目の前に恐怖があったとしても踏み込まねばならぬ時があり、出来ぬとわかっていたとしてもやってのけるのが男だろう。
 失敗を想像しない。出来ると自分に言い聞かせる。

 『わたしをみつけたほうびだ。ひとつだけなんでもこたえてやろう』

 ほう、なんでもこたえてくれる、ね。
 酸素不足の脳が胸の奥にくすぶるほの暗い感情を呼び起こす。
 ならば今までの恨みこの場で晴らしてくれようか。
 男は久し振りにほくそ笑んだ。今日という日を記念日にしても良いかもしれない。

 「じゃあ応えてくれ」

 ひらがなではない。漢字を使い対応する。
 「俺の僕従となってもらおう」

 『な!』
 
 ホワイトボードには一文字だけ、大きな、「な」が書かれた。
 「ひらがなだけだといろんな漢字を当てることが出来るよな? 質問でもすると思ったのか。残念だな」

 おっと、反故にする、なんてことはしないよな。
 羅針盤娘たちと同じく、猫娘であるお前は本営の運営に携わる大事な『なにか』に携わっているのだろう。
 いいのかい?
 お前達の存在を、他の基地の提督全員にぶちまけても。見つけた、ってことはそういう意味だよな。

 男が優しげに、にこやかに笑む。
 猫娘が僕従となれば、多くに話すことはしない。約束しよう。
 
 猫を置いた娘はうつむき目を瞑る。
 ここにいては危険だ。この男は危険だ。
 いつものように消えようとした。
 だが消えることが出来なかった。なぜ、と思うまでもなく、男の双眸が猫娘を射抜く。
 言うことを聞く。絶対だと言われていない。
 ならば言いつけられたことを拒否しよう。そうすればいい。きっとそうだ。そうしよう。

 猫娘は白猫を抱き、こくんと、頷く。
 頷いて顔を上げればすぐそこに男の顔があった。首にそっと手が回される。
 
 キン。

 何かが留まる音がした。
 それはペンダントだった。
 ハート型の、薄いピンクの石がはまった、契約の印であると気づくまで数秒とかからなかった。

 「ようこそ、我が泊地へ。歓迎しよう。俺の専属となり、その力を存分に振るってくれ」
 
 落ち着いたら執務室に来るように耳元で囁いた後、男は靴音を響かせてどこかへ去っていた。
 猫娘はへなへなとその場に座り込む。
 
 どうしよう、どうしよう。
 プロフェッサー、どうしよう。どうしたらいい?

 その心の内に答えてくれるものはこの場には無かった。
 

 △▽△▽△▽△▽△▽△▽


 「提督ぅー。どこで何してたデース! 探しマシた!」

 艤装を揺らし、金剛に体当たりされた男が壁に押し付けられる。
 頬を膨らませ、拗ねた表情の金剛はいつものはきはきとした様子とはまた違い、新鮮で可愛かった。
 押し付けられているふくらみも、大仕事を成したご褒美のようにも思える。

 「いやあ、ちょっとね」

 自分の中で消化できていない事柄を相談するわけにもいかず、提督は語尾を濁す。
 金剛は男がこの地に着任した当初から在籍していた、どちらかと言えば古株だ。この泊地には男が着任するまでの1ヶ月ほど、提督が不在であった時期もある。生まれは隣のブインだと聞いてはいたが、どんな場所であるのか、基地の責任者に関する情報等が詳しく聞けぬままとなっていた。
 丁度今日という日、秘書を務めるのが金剛であるならば聞いてみるのも良いかもしれない。

 「ほら、in a hury! もうすぐ9時デース!」

 柔らかな手に握り締められ、提督は廊下を行く。
 ドアを開け中に入れば大和と長門が椅子に座し、くつろいだ姿勢で待っていた。
 ショートランドに自生しているという植物で編んだ、い草のような柔らかなすわり心地を提供してくれるマットの上に転がっているのは青葉と衣笠である。その横で行儀正しく正座しているのが赤城と加賀だ。駆逐組みからは夕立と不知火が、軽巡寮からは球磨と多摩がテーブルの上で茶を飲み、丸くなっている。
 青葉がにやりと提督に笑む。
 いい写真が取れたとにんまりしているところを見れば、繋いでいた手でも撮られたのだろう。
 ちゃんとわかっている。慢心などしてない。提督としてこの地にあるからこそ艦娘たちにちやほやとされているだけで、本土に戻れば無職、童貞のニートに逆戻りであると。勘違いなど、してはいない。
 こんな男を撮ってなにが楽しいのか。
 理解に苦しむがしかし、娯楽が少ない島だ。ある程度は容認しなければ鬱憤も溜まるだろう。

 椅子に座せば早速仕事の始まりだ。
 まずは金剛から今日一日の予定をざっと聞く。そしてそれぞれ演習航海、戦闘訓練、哨戒任務、偵察にあたる旗艦へとその内容が書かれた命令書を手渡してゆく。

 「提督、この演習の時間確認を願う」

 長門から未記入であった空白を指し示され、廊下を隔ててすぐにある作戦本部へ金剛を向かわせた。
 その他に不備が無いと追認すれば今日の業務が動き出す。

 「待機の筆頭は扶桑、山城姉妹として、今日も臨機応変に行こう」
 
 決定が下されると、艦娘たちが部屋から飛び出してゆく。
 提督も見送りのために埠頭へと向かおうとし、廊下の端、角でこちらを見ている猫娘を発見した。
 手招きし、執務室を指差す。
 猫娘がこくん、と頷くのを見れば、作戦室へと入った。
 中には本土からこの地へ赴任してきたそれぞれが揃っている。
 タンカーの出入りをレーダーによって位置を確認し応援の有無の監視、昨日出た物資の最終的な数字の確認、これから来る新装備を据える場所の確認等、やらねばならぬ事は数限りなくある。

 「提督が着任されてから、ここほど恵まれている場所もない、と思えるようになりましたね」

 交換手が男へ笑みを向けてくる。
 単身赴任で来ている交換手のひとりが話し出せば、他の泊地や基地ではブラックだとか残業手当も雀の涙であるとか、なぜそんな離れた基地のことを知っているのだと突っ込みたいほど、情報が行き来していた。
 
 「ま、伝手はいろいろあるって事です」

 男が釘を刺すべきは今ではない。悪事に使われたときにこそ有効である。
 そう考え、猫娘に指示する内容のひとつを決めた。
 
 書類を手にしたまま男が歩みを止めたのは、埠頭だ。
 これから訓練に向けて出撃してゆく艦娘たちを見送るのだ。
 子ども扱いしないで欲しいと大人ぶる暁も、出るときだけは抱っこをせがんでくるようになっている。
 駆逐組に囲まれると、年の離れた兄のような心境になってくるのがどことなく、くすぐったい。
 もし妹が居たならば、こんな風に触れ合えていたのだろうか。そう思う。

 この地に着たばかりの頃は海に出ることを厭う娘達も居た。
 だが今や、誰もが我先にと出ようとしている。
 戦いが好きなもの、仲間を、姉妹艦を迎えに出るもの。行った事のない景色を見に、過去の記憶を新しくするために。
 理由はさまざまだが、誰ひとり欠けず、賑やかしさが増すこの泊地が誰にとっても希望となればいい。そう願う。

 最後を見送れば、再び作戦室に戻ろうと踵をかえした。
 非常事態が次々起きても困るが、何かがあったときにすぐ動ける体制にある、のは最前線の当然であった。
 くい、と白の制服が引っ張られる。

 「あの、提督?」
 「どうした、金剛?」

 首をかしげ、上目遣いで両手の指先をつつきあう姿に、男は軽い動悸を必死に抑える。
 「Breakfast がまだなのデス。提督を探して食べ損ねました。付き合ってくだサイ」

 途中作戦室に寄り、食堂に居ると伝えた後、個室に入りふたりだけの空間で飲食が始まる。
 個室にどうしても、と金剛が願ったからだ。なにやら神妙な相談事もあるらしい。

 金剛がナプキンで口元をふく。ロコモコを3人前、完食しての一息である。男が朝食べた皿よりもカロリーが高いに違いない。
 見ているだけで腹が膨れる、を体感しながらブラック珈琲を飲み、彼女から口を開いてくれるのを待つ。

 「アノですね、提督。金剛は、金剛がブインで生まれたという Story をした事があったと思うのデスが、覚えていマスか?」
 「ああ、覚えているよ」

 男が頷けば、なぜか金剛の頬が赤らんだ。

 「この Letterを見てくだサイ」

 す、と出されたのは趣味の良い花柄の封筒であった。中身を見て良いかと聞いてから、開く。
 すればブイン基地に在する金剛からの救援が書かれていた。
 深海棲艦からの脅威ではない。提督のわがままが自分達では手に負えなくなった。なので戻ってきて欲しい。
 という要約すればそういう内容である。
 
 「提督はブイン基地提督のあだ名を知っていますカ?」

 ショートランド提督である自分を、周囲がどう呼んでいるくらいであれば把握出来ているが、他の基地となれば全く分からない。唯一知っているのは大湊だけだ。手紙で何度もやりとりし、大体の人柄を把握することが出来た。今では仲の良い友人である、と相手は分からないが、男のほうはそう思っていた。

 「……金剛提督、と呼ばれていマス」

 金剛提督。
 思い当たる節が滅茶苦茶あった。
 まさか本当にそうではないよな、と思いつつも、さらりと聞いてみる。
 金剛ばかりを集めているからその名になったんじゃないよね、と。

 「よくお分かりになりマシタね。その通りデス! さすが金剛の提督デスね! That's famous!(すばらしい)」

 頭痛がした。
 よもや本当にそうだったとは思わなかった。
 ということはそのほかに榛名提督とか、その他諸々の勇者達も存在していそうな気がする。

 「で、金剛はどうしたいんだい」

 結局のところ、論点はそこだ。ずばりと核心を突く。

 「金剛はここに居たいデス。金剛の提督は、貴方だけ」

 真っ直ぐに向けられる瞳に男は後ずさりそうになった。椅子のまま倒れなかった自分を褒めてやりたいくらいだ。
 恋愛経験ゼロの童貞には、このような恋愛スキルは皆無なのである。

 「行きたく、ないんだな」
 「ハイ、ですが……」

 ため息が落ちる。
 ブインの金剛提督は、今まさに目の前に座る金剛をどの金剛より大切にしていたという。
 だが前ショートランド泊地提督が行なった---今もなお調査中であるが---非道な行いによって激減した艦娘たちの穴埋めのため、最も近隣であるブインから金剛を筆頭に4姉妹が派遣された経緯がある。
 派遣されたのであれば、戻ってくるのが筋であると金剛提督がのたまっているそうだ。
 たしかに、筋としては通っている。
 
 「ワタシたちは既に、本土指令部よりこの地、ショートランド所属となってイマス。
  ですがワタシの記憶が確かであれば、ブイン提督はこれごときでワタシを諦めるとは思えまセン。
  その歪な Love 故に強硬手段に出てきてもおかしくないのデス」

 あー。
 うん、わかるなあ、その歪さ。

 男は腕を組み、漏れ出そうになる乾いた笑みを飲み込む。
 ブインとショートランドは目と鼻の先である。情けない話だが、艦娘たちにお姫様抱っこで運んでもらえば、ものの二時間ほどで行き来できる距離だ。
 
 「あー、なるほど?」

 男はつい先日の騒ぎを思い出す。
 ブイン基地から資源の借受打診が来たのだ。
 大湊に要請を出しているが、到着前に枯渇してしまう可能性が高い。
 タンカー到着後にそちらへ借受した分を運ぶので、数日間貸してもらえないだろうか。
 そういう話が来た。
 男は必要数を聞き、それらの用意をしていた。
 小型の輸送船に荷を積み込み、さあ出発だとしたとき、あちらから一方的にこの話は無かったことにして欲しい。
 そう連絡が来、司令部内で詰めていた士官たちと顔を見合わせたのは記憶に新しい。

 資源を欲していたのは提督ではない。基地を運営する士官たちであったのだ。
 レシピを何十回と回したのだろう。
 確定されたもの、であってもなかなか目当てが来ないのが建造ミキサーの悩ましくも恐ろしいところだ。ギャンブルに通じると男は思っている。節度をもって資源に余裕ある場合にのみまわすべきが本来の正しい使い方であろう。大湊のように、資源を保管する倉庫のような場所で。

 「大湊からの物資運搬により、戦力と装備の拡充平均化は図れているはずなんだがな」
 
 なにが気に入らないのか。
 男にはうすうすわかったが、それを口に出す勇気が湧かなかった。
 
 「……提督。ワタシは、ここに居て、いいですか?」

 男は自嘲する。
 女性に言わせていいセリフではない。

 「金剛は俺が守るから。ここにいれば、いい」



 「ならば決闘を受けてもらおうか!」

 個室のドアを突然開けて入ってきたのは、美男子だった。
 白の軍服を着ていることから、男と同じ提督の地位にいるのだろう。
 はて、決闘とは何をするものであっただろうか。男が考え始めた頃、目を点にしていた金剛がわなわなと震え始める。
 心底嫌いぬいてはいない。だが好意を向ける相手でもない。男はそう、美男子を評した。
 
 「どうしてアナタはいつも突然なのデスか! 周囲の迷惑も考えなサイ!」
 「ああ、金剛、君だけだ。僕にそう言ってくれるのは君だけなんだよ。ずっと聞きたかった、その声を、その言葉を」

 後ろに控えていた無表情な金剛からバラの花束を受け取ると、ふぁさ、という軽やかな音が似合うような投げ方をする。
 花束は金剛の手の中に納まるが、すぐさま、隣の椅子へとそっと下ろされる。金剛提督からもらったバラが嬉しかったから、ではない。

 「これを得るために、いったいどれくらいの子たちを使ったのデスか」

 表情を固くする金剛に美男子は些末なことさ。とウインクしきらりと光る歯を見せた。
 おいおいここはいったいどこだ。男は口元を引きつらせる。
 ブイン基地はショートランドよりも広い面積を持ち、豊かな森を抱える島だ。
 深海棲艦が現れるまで住んでいた現地民も基地から離れた内陸に住まい、生活を送っている。
 流行って、いるのだろうか。
 こんな一昔以上前に流行った仕草と行為が。

 思わず男が美男子を蹴る。
 美男子が痛みに顔をしかめた。そうだろう、そうであろう。男が履いている白靴は鉄板いりの特別製である。大井が鬼ごっこするならこれくらいのハンデがないとね? と男に課された重りである。
 そしてこの表情豊かで変な訛りで話す金剛はショートランド所属の、金剛である。
 既にブイン基地所属ではない。

 「ここから、出ろ」

 男が低く、美男子---金剛提督だろう人物に放つ。
 暑苦しいのは嫌いではなかった。大の好物である。それがさらにロボットものであるならば、言うことはない。
 だが己の欲望を満たすために、手段として使うのは嫌いだ。この地に居た前任者と同じく反吐が出る。
 艦娘たちが居なければ深海棲艦と戦うことすら出来ぬのに、それがさも自分の力であるかのように錯覚している。

 人間などちっぽけな存在である。
 何をするにも個人では出来ず、群れを作り科学で、機械で技術でその身を守りながら出なければ何も出来ない生き物だ。
 だからこそ手も足も、核兵器すら使っても倒せない、有象無象に立ち向かうために、どういう手段を使っているのかはわかってはいないが、艦娘という兵器を作り上げ戦力としている。

 それを支えるのが各基地に配属されている提督の職務と男は自覚していた。
 資材の管理や作戦の立案もあるだろうが、その全ては艦娘たち中心で回っている。
 この戦いが終わるよう、男が関わってきた人物たちはみな身を心を砕いていた。
 だから乞われこの地へやってきたのだ。
 
 この決闘は本来ならば受けるべきではない。
 そう思う。だが感情が納得しない。理性ではやめておけ、と警鐘が鳴らされている。
 だが受けねば守れない。
 この泊地に集う各々に問いかけられない。
 惰性で戦いなどあってはならないからだ。始まりがあれば終わりもある。
 いまだ何者がゲートを開き無限に湧き続ける深海棲艦を送り込んできているのかわからぬ状態だ。しかもどこに終着点があるのかすら不明である。
 
 ゲーム、であればそれは間違いではない。
 所詮は遊び、であるからだ。オンラインゲームであれば尚更だ。続かなくては人が離れていってしまう。
 人生をかけてゲームをしている少数はあれど、課金するな! 無理なく利用してくれ、と公式で発表するほど『遊び』を追求していた運営である。そうであるならば、100ある枠数全てを金剛で埋めても構わない。眺めてにやにやし、観賞用に改二と改、そしてノーマルを並べて優越に浸っても良いだろう。
 だがこの世界では命がゴミくずのようにぽろぽろと死んでいる。
 死が、当たり前にある。
 艦娘達もそうだ。今もどこかの海で海の中へ引きずり込まれている誰かがいる。
 止めたいと願うのは、偽善だろうか。
 今を維持するために多くの犠牲を必要とするならば、その根本を排除せねばならない。
 
 艦娘たちがいったい何で作られているのか。
 考えたこともある。
 人体の元にもなっているたんぱく質を合成させて作った複製人間だろうか。
 それとも日本という国の中で暮らす両親のいない子供達を教育し、戦場に立たせているのではないだろうか。

 思考すればするほど、どつぼへとはまってゆく。
 だが彼女達が居なければ、少なくとも日本という国は成り立たないところまできている。
 男が守っているものは、戦場へ出る娘達の心だ。それを踏みにじる目の前の美男子には、きつい仕置きが必要であろう。
 
 提督ふたりが向かい合った場所は、柔道場だった。
 決闘とは生命をかけて行なう果し合いである。だが互いが基地と泊地の提督という責任ある立場についている。ならば雌雄がつけばよいだろう、と異種格闘技、使う技は何でもありでやりあえばいい。そう言い、ショートランドの男は背を向けここにやってきた。
 横須賀鎮守府に座す総司令に出会わなければ、一般民衆の中に男は紛れていただろう。
 あの人物と話す機会が無ければ、今も就職を求めてハローワークに通っていただろう。
 偶然とは本当に恐ろしく、また人生の転換期が音もなく背後から突然襲い掛かってくるとは言いえて妙だが、納得することが出来ていた。
 パソコンの画面に吸い込まれるなど、人生一度きりの経験としたいものである。

 上服を脱ぎ、帽子を置く。
 金剛提督は決闘を受けた男に感謝していた。
 なぜならば勝つのは当然、自分であると自信を持っていたからだ。
 柔道は幼い頃から修めて来た。大会で何度も賞を取っている。家柄も代々軍人を輩出してきた家系であり、内閣を構成する議員とも親交があった。
 提督という職務に、なるべくしてなったと言っても過言ではない。
 着任し、金剛という艦に魅かれた。雄雄しき軍艦は数あれど、ここまで洗練され優美な姿を持つ艦など他に見たことが無かったからだ。
 戦果を上げ、多くから認められてきた。
 その地位は、威光は揺るがない。そう、揺るがないはずだった。

 目の前に立つ、何のとりえも無い男が現れるまでは。

 一般人であったという。
 幼い頃から人の上に立つ事を望まれそうなるべく、勉学を収めてきたわけでもない。
 ポッと出だ。偶然が優位に重なり、勲功を立てただけだ。
 先の戦いで立案した作戦も見た。荒が目立ち、もしこれが学院の戦術科であれば再提出を求められていただろう。
 だがなぜか全てが上手く運んだ。
 こちらが戦力の建て直しに手をこまねいている間に、いとも容易くとんとんと、一般人はすり抜けていった。手柄を全てかっ攫っていったのだ。
 しかもその作戦の全てに、ブイン基地出身の金剛が携わっていた。
 手塩にかけて育てた、一番気に入っていた金剛が先頭に立ち、作戦をやり遂げたと聞いたとき、その金剛は僕のものだ、と叫びそうになったくらいだ。実際にそうなのである。金剛提督の、金剛であった。

 「返してもらおうか。僕の金剛を」
 「……寝言は夢を見ながら言え」

 決闘が、始まった。



 取り柄ではないが、何でもやっておくべきだとつくづく男は痛感していた。
 兄に殴られ、投げられ続けた記憶も、今やいい思い出だ。

 美男子の動きは軽い。柔道の自慢をしていたが、それだけ実直に身につけていたわけではないようである。
 どこか良家のお坊ちゃんだと思っていた男は、多少上向きに美男子の評価を上げる。
 男の兄は何でもできる人物であった。父と母の養分を全て吸い取ったかのごとく、ありとあらゆる才能を開花させた。
 次男として生まれた男は簡単に言い表せば味噌っかすである。
 両親は男に興味をなくした。当たり前である。
 霞ヶ丘に勤める父とそれらの世界に生きる母は同じ考え方、目線を持つ兄だけが居ればよかったのだ。
 もし兄も両親のように冷たく男をあしらっていたなら、もっと擦れた性格になっていただろう。
 だが兄はことごとく男の味方になった。その兄も父の後を追うように入った政界で鎬を削っている。
 
 国とはそこに生きる人が在ってこそ成り立つ。
 内部にあれば消えてゆく感情もある。国のためにと多くが助かるために小を切り捨て、非道な行いもそれがどうした、と行なう場合もあるだろう。だから自由な目でおれを見てくれ。お前の目に、おれはどう写っている? 家に戻ってきた兄がいつも言っていた言葉だ。
 内部は固い。固くあらねば国の行く末を決めることが出来ない組織である。
 そしてそれはこの世界にも当てはまっていた。ならば男は外から柔軟に動こうと決めた。

 
 伸ばされる手をかわす。頬の横を空を切り裂く音が響く。
 相手は殺る気まんまんだ。
 
 肩や腕、何度か受けた投げ技と関節締めで筋肉と神経が悲鳴をあげている。
 さすがに強かった。
 若さもそうだが、真っ直ぐにそれだけのために突き進む気力とそれを成してしまう才能が男には羨ましかった。
 これと決めたことを曲げず出来る行動力ははっきり言って妬ましい。
 だが男は無いものねだりをして喚くほど子供はない。欲しいもののために計画を立て、着実に一歩ずつ進む大人だ。

 「お前、何のために戦ってる?」
 息を吸うその狭間で男は美男子に問うた。
 「僕の! そして国のためだ! 金剛は返してもらう!」
 
 薄い。教えられたとおりのステレオだ。
 愛国心が濃いのは見上げた心意気だがしかし。その国がどうして成り立っているのか、わかっていない。

 「俺は今、金剛とお前が呼ぶ彼女のために戦っている」



 聞こえてきた声に金剛は息を呑んだ。もしかするならば。淡い期待が膨らむ。
 この人であるなら、金剛たちを光さす場所まで連れて行ってくれるかもしれない。

 アナタであるのですカ? 
 真実を知ったとしても、否定しないでいてくれますカ?
 終わりまで、一緒に行ってくれますカ?

 金剛は両手を握り締める。
 男同士のさしの殴り合いが続く。両者とも一歩も引かぬ、拳と拳の戦いだ。

 「         」

 一瞬、美男子の動きが止まった。
 男はすかさず足を払い、その崩れ落ちる体重と重力を利用し、ひねりながら真横に投げ飛ばす。
 肩関節が外れる音がしたが、男は意に返さない。髪をかき上げる。
 勝負は一瞬で決した。
 動揺を誘ったことは否定しない。だがこれもまた、戦略の一手だ。

 しばらくの間、その痛みを噛み締めろ。美青年を見る目がそう語る。
 上がった息が収まり、落ち着けば戻してやるのもやぶさかではない。

 久し振りに全力で体を動かしたツケはきっと、二、三日後にやってくるに違いない。
 これだから歳は取りたくないものだ。

 「くそ、始末書も必要だな」

 すっかり忘れていた男も悪いが、放置していた猫娘がいつの間にか道場に入り込み、ホワイトボードにこう記していたのが見えてしまったからだ。

 『げんすいにばらしてやった。ばーか、ばーか、いいきみだ』

 わざわざ教えに来てくれたのかと思いきや、罵りにやってきたらしい。
 ちゃんと理由をホワイトボードに書くとは律儀だ。
 
 ありがとう、の意味を込め片手を上げると、ふい、と横を向きながらちらりと男を猫娘が見る。
 ボードには、『そふとくりーむおおもりでてをうってやる。ありがたくおもえ』とあった。
 実にちゃっかりとした猫娘だ。
 
 「ほら、無理矢理入れようとするな。余計に悪化するぞ」
 「お前が外したんだろう!」
 「おうおう、たいした元気だな。じゃあ痛みに耐えられるよな?」
 
 くぐもり引きつる声音が響く。
 あとは冷やしておけ、そう言いつつブインから付いてきていた無表情の金剛を呼ぶ。
 氷嚢のありかを指示すれば、この泊地の金剛が並び立ち、
 
 「提督、この金剛にPlease give me some instructions デスよ!」と欲した。
 ならば言うべき言葉はひとつしかない。
 「じゃあ、頼む」

 YES! お任せください!
 そう走りながら返事を返す金剛と、ぺこりと会釈する金剛のふたりを見送った後、男は腕をさする美男子の、痛む方の肩を叩いた。

 「隣同士だ。仲良くやっていこうぜ?」

 手を差し出せば、憮然としながらもその手をとり、立ち上がる。

 「……僕の、金剛」
 「もし会いに来たくなったなら、こっちまで来ればいい。歓迎はしないが拒否もしない。ただちゃんと向こう側での仕事は終えてからな」
 「本当だな!? 嘘だと言ったら酷いからな!?」

 まったくもって金剛提督の金剛愛は基地を隔てたとしても終わらないようである。



[39333] 第四話 那珂と艤装とアイドルと
Name: 環 円◆21e3f90e ID:f72f07b0
Date: 2014/03/30 17:08
 軽巡那珂はどの鎮守府でも最低ひとりは存在している人気のある艦娘である。
 歌って踊れるのはもちろん、戦いに出る事のない陸に住まう多くの一般民衆に向け、情報や広報として今どこで何が行なわれているのか。何が起こっているのかを伝える役目を一手に引き受けているのが那珂たちであった。
 最も取材のマイクが向けられているのは、最前線である三箇所からきている那珂である。まさしくプロバカンダを兼ねた広報塔と言っても過言ではなかった。

 本土では那珂が歌う曲が街中で流れ、カセットテープの売れ行きも好調であるらしい。
 ブイン提督が昨日、突然やって来、僕の那珂が歌ってる写真が届いたんだ! 是非見てくれ! と執務机の前で鼻息荒く、広げ説明してくれたのだ。まったく、仕事を放り出し、わざわざ言いに来ることではない。遅れてやって来た無表情な金剛に首根っこを掴まれ、帰っていった哀れなブイン提督の、半ば海に沈んだその体に両手を合わせる。どうか下半身が無事でありますように。

 そして自分の執務室に戻り、開けたのがショートランド所属、那珂改からの手紙だ。
 先日のタンカーで届いたものであったが、今の今まで行方不明になっていたのだ。資料室に運ぶダンボールの中に紛れ込んでいたそれを龍驤(りゅじょう)が見つけたのである。
 
 『帰ったときがお楽しみ! 待っててね♪』 とたったそれだけが綴られた手紙であった。添えられていたのはカセットテープだ。
 
 男からすればCDや手のひらサイズのウォークマンを使っていた世代だ。カセットテープとは何ぞや、これはどうやって聞くものだと尋ねたい気持ちと声を押しとどめるのにどれだけ気力を振り絞ったか。
 PCなどまだ高価以前の問題で、やっと有名企業が手を出し始めたくらいであり、一般民衆が欲しようものならば諭吉が塊でふたつはかるく飛んでゆく、超絶ぜいたく品であった。五万も出せば、サクサクとネットの閲覧が出来、ゲームも遊べるという近代化された機材はまだ生まれてはいないのだ。

 だから男の感覚では手のひらサイズであろう、小型化されたイメージが強いものでも、現時点の年代にあればなんだこれ、と驚くほど大きく、世代格差をいい意味で感じる状態であった。

 カセットテープがCDとMDになり、そこからPCに繋いで音楽をダウンロードする機材にまでたどり着くには十年ほどの月日がかかるだろう。
 男は到着するタンカーに載せる、返却用の中に含まれている特殊素材の打ち合わせのためかけていた電話を肩にはさみ、意識しなくともことごとく、見ることの出来るようになった妖精たちが駆け回る姿を目に留めつつ、工廠の技師へ指示する内容をメモしてゆく。

 「わかっている。予定の変更はかけないさ」

 男は苦笑する。
 以前、鳳翔と話していた休暇が通ったのだ。そしてもうすぐ到着するタンカーの護衛任務のひとりとして搭乗していた。
 
 珍しいこともあるものだ、と男が以前聞けば、指令は艦娘たちに対し強制も否定もしない。望むのならばその通りにすればいい。というスタンスなのだと淡々と告げた。鳳翔がショートランドに滞在する期間は五日程度になるだろう。
 金剛愛であるブイン提督にも話を通せば、是非金剛を伴ってきてくれ、大歓迎しよう、という返答を貰っていた。さらにブインからラバウルにも連絡が行ったようで、本土に戻る際、ブインにも各種資材を投げているというのに、ショートランド島内に収まりきらなくなった鋼鉄をタンカーに積み、寄る航路が組まれてもいる。
 
 鳳翔が大湊の外に出たことで、訓練の度合いがいつもよりも遅れているという。
 男からすれば、「指令はちょっとくらい、鳳翔のありがたみを知るといい」状態である。なので指令が陣頭指揮を久し振りにとってはどうだ、と進言しておいた。
 睡眠時間を最低限まで削っている指令の隈が濃くなり、倒れるまでには鳳翔を戻さねばならぬだろうが、出すと決めたのは指令である。

 「で? 今回の娘達は全員、ブインからラバウルに変更なんだな?」

 深海棲艦の出現が、なぜかソロモン海沖周辺で頻発しており、ラバウルの消費が激しくなっているからだ。
 ショートランドやブインからも応援を向かわせてはいるが、距離的にどうしても初戦がラバウル基地所属の艦娘たちになってしまう。人も艦娘たちも、資材も資源もじりじりと消耗していた。

 「わかった。こちらからもタンカーに乗せて派遣するよ」

 大湊からトラック泊地を経由し、ショートランドへやってくる艦娘たちの数が六、うち一人は鳳翔である。
 五日間船の整備と補給、乗組員の休養のため停泊し、六日目にラバウルに向けて出航する。その時に大湊へ向かわせる一艦隊と、ラバウルに駐屯させる三艦隊を選定しなければならなかった。
 出すまでにその他の良案が浮かべがいいが、もし何も浮かんでこなければそれでいくしかない。
 苦い決断も時には下さねばならないときもある。
 ちらりと脳裏を掠めたのはとある海戦の名だ。順当に時が進めば史実を踏み台にして起きてきた今までと同じく、あれが起きる可能性があった。

 「何とか、するしかないだろう」

 タンカーに護衛が必要であるのは、深海棲艦から船を守るためであった。
 かつて海底より海上へ浮かび上がってきた鈍色の物体がいったい何を行なったか。
 誰の記憶にも新しいだろう。海の上に浮かぶ船という船を全て沈めたのだ。
 人間は誰ひとりとしてその脅威に打ち勝てなかった。

 余り語られることはないが、深海棲艦たちの姿は与えられた役目が遂行しやすいよう形作られていた。
 船舶を襲うのは決まって駆逐級と潜水級が行なう。人間を殺すのは軽巡級から上の棲艦だ。
 男が思い描くのは雑誌で買った際に付録で付いていた、ポスターだった。もっと良く見ておけばよかったと振り返る。そうすれば敵の生態をもっと突き詰めることが出来たような気がしたからだ。

 深海棲艦は船底に取り付き穴を開ける。船はその船体の重さで沈んでゆく。人間は船が無ければ海を渡れず、飛行機が無ければ空を往けない。謎のゲートから出てくる棲艦は大陸以外に人が出ることを嫌うかのように制海と制空を切り取った。
 宇宙だけはその限りではないため衛星電話であれば使用可能だ。しかしそれは国家間でのみ使用され、一般まで普及してはいない。海外電話のラインで繋いでいた、海底ケーブルも寸断され使えなくなっていた。各種連絡は国内だけに留まる。

 だがショートランドには衛星電話の機材があった。
 提督が総司令に直談判し、設置したのだ。小さなタンス大の塊が熱を発するため、巨大な扇風機がいくつも取り付けられ消費電力が最も高い場所となっている。
 風光明美ではあるが熱帯の、さらに熱が篭もる一室で黒電話を持ち、うちわで扇いでいた男が汽笛と楽しげな歌声を耳に止め、薄く笑む。

 「指令、着いたみたいだ。じゃあまたな」

 黒電話の向こう側から簡素な返答があり、男は受話器を置く。
 こういうときスマートフォンが無性に欲しくなるが、時代が時代だ。技術革新を待つしか手はない。
 作ろうと考えても男には全く知識が無かったからだ。あれば使えるが一から作るとなればかなりの頭脳労働をせねばならないだろう。
 
 なぜあの時、いつもはズボンのポケットに入れているスマートフォンを、充電のためとはいえ、コンセントにさしっぱなしにしてたし。

 悔やんでも後の祭りである。

 
 時は夕刻。
 建物の外に出ればかすかに冷たくなった風が肌に触れた。
 軍服を脱ぎたくなるが、実際着ていた方が涼しいという矛盾に何度文句を言いたくなったか分からない。
 
 「手があいてたら手伝ってくれ」
 
 哨戒のため島付近をくるくると回っていた昼間ローテーの駆逐組に男は声をかける。一日4交代制となっているブーゲンビル島とショートランド近辺の合同哨戒に当たっているのは、駆逐と軽巡、そして潜水艦組だ。
 湾内に入って来ようとしているタンカーには、本土に在籍する那珂と交流を終えて帰ってきた那珂が乗っている。
 向かう旅路において改二へと至れる段階に達し、本土で改造されてくるのかと思いきや、この島の仲間に改装後すぐを見てもらいたいから、とわざわざ戻ってくるまで我慢していたのだという。

 那珂の歌声は不思議にも聴く人を楽しくさせる効果がある。
 この泊地においては童謡や歌謡曲、そして那珂自身が作った即興などを口ずさんでいた。
 
 今まさに聞こえてきているそれは、「わたしの歌をきけえ!」という激しい絶叫だ。
 絶叫というのは少し語弊(ごへい)があろう。ヘビメタ、が最良だと男は思う。
 本土では珍しい歌が流行っているのであろうか。男は懐かしトップ100という、見たことのある歌謡番組を思い出してみる。
 が……該当する記憶が無い。
 しばらくして歌声が軽快なクリスマスソングへと変わった。

 「那珂さんの歌声、楽しいね」
 
 横に立っていった舞風がステップを踏む。汽笛と歌声に合わせ、手を打ち鳴らした。肩にタオルが垂れている。風呂上りなのだろう。ほんのりと良い香りが、した。

 「リクエストすれば歌ってくれるよ」
 「そうですね。なにたのもうかな!」

 基本的に艦娘たちは竣工した地に配属され、動くことは無い。だがここ、ショートランドと大湊では娘たちが行き来していた。
 艦隊のアイドル那珂は特に顕著で、ショートランドに在しているほうが少ないだろうか。そのほとんどを横須賀周辺で過ごしており、ショートランドに向かう船が出る際には単機、道案内役とし、帰りには旗艦として戻ってくる。
 
 その成長速度たるや疲労度など関係ありませんね、真っ赤ってなあに? でたたき上げられた状態であった。本人の頑張りが一番であるが、無理をしていないかと心配にもなる。

 「たっだいまー! 那珂ちゃんだよー!」

 現れたのはサンタ那珂だった。
 コスプレというより、いつもの服装であるセーラーの、レースがあしらわれていた裾に、ふわふわの綿をつけただけのようにも見えるがしかし、
 「自分で縫ったのか?」という疑問が娘達の口々から出るほうが早かった。

 「そうだよー。イベントがあって、みんなでお揃いのこれを着たの!」

 どう? 可愛いでしょ? 
 そう言って華麗にターンする。

 本イベントは十二月二十五日にあるが、そのPRイベントにおいて着用してきたのだと告げた。
 今日は十二月二十日、五日後にはクリスマスとなる。

 「真夏のクリスマスか、なんだか寒くないと変な感じだよな」

 男の感覚では今でもクリスマスは寒い冬と存在している。
 だが現在立つこの地は赤道付近である。寒波や雪など到底、望めない。
 本土は例年以上の寒波が押し寄せているらしく、日本海と東北方面では白い壁が生まれているという。

 「でもでも、いっぱい練習した歌とか、クリスマスケーキとか! あとターキーもすっごく楽しみ! 雰囲気だけでもクリスマスだよ!」

 材料は本土で調達してきたという。
 支払いはもちろん、提督につけもらったから、よっろしくー! らしい。

 「……使おうと思っても、使い先ないからいいけどさ」

 先に一言、教えてくれな、次回から。
 多くに聞こえるように言えば、提督のおごりで焼肉食べていーい? などの声が上がったが、男は全て黙認した。
 提督となってからの給与は手付かずのまま、銀行に預けっぱなしになっている。ならば長旅を経て本土に向かった娘達が多少、はめを外して豪遊したところで、使われきることはないだろう。思いのほか、提督業とは高給取りなのである。

 男は作戦司令室に向かう那珂を見送ってから、次々と陸へ上がって来る初顔の艦娘たちを出迎え、最後に鳳翔と礼をし合う。
 「大湊所属、鳳翔です。お世話になります、提督」
 「いえ、長い航路ご苦労さまでした。ゆっくりと旅の疲れを癒してください」

 男は本土へ移動させる物資の采配に声を張り上げる。
 渡ってきた船から大きな容器が運び出されていた。それは元修理ドックにあり、今では温泉施設にポンプで循環させているリンゲル液の換えであった。不純物を取り除き、ろ過して使用しているとはいえ、定期的に新し物に取り替えねばさすがに衛生的な面でよろしくない。入れ替えた古い液は本土に持ち帰られ、廃棄される。

 男がその液体の運搬を何気なく見ていると後ろから、
 「ヘイ、提督ぅ。何見てるデスかー!」
 
 と、突撃してきたのは金剛であった。
 両手で目を隠される。耳もとで囁かれる言葉に、男は苦笑した。
 「提督を補充デース。お仕事がんばってくるので、17秒だけ、くだサイね?」

 中途半端な時間だと思いつつも、後ろから抱きしめられて悪い気などするわけが無い。
 申告の17秒が終わり、金剛が割り当てられた仕事へと走ってゆく。
 男は搬入の作業を見ながら、それらのリストを手にするために階段を登った。


 △▽△▽△▽△▽△▽△▽


 那珂は久し振りに戻ってきた泊地の、見慣れた廊下を歩いていた。
 旗艦としての報告もなれたもので、書き込む項目を思い浮かべながらかけられる声に応えつつにこやかに笑む。
 笑んで、視た。

 周囲の色が変わったのだ。
 蒼く澄み渡る流れがあり、周囲にはいくつもの気配を感じる。
 それは仲間だ。青の流れを共に行く、仲間だ。

 その中で、那珂は皆の中心にいた。
 率いて走る。泳ぐ。突っ切り、そして赤に      。
 ザリザリとした雑音が入る。それはまるで本土で見た時間外放送時に見た、黒と白の砂嵐のようだ。

 「那珂? どうした、体調でも悪いのか。風呂に入ったほうが……」
 「……あ、…れ? 提督?」
 「ん?」

 男が焦点の定まらない那珂の体を支える。
 艤装がずしり、と重くのしかかってくる。いつでも思うが、こんな重量物をどうやって支えているのだろう。隠れて筋力トレーニングでもしているのだろうか。疑問に思うほど、謎であった。

 今までに何度か体調不良を訴えた艦娘たちがいる。
 どの娘も改造可能になり、いざ工廠へ行こうとすれば足が竦み、行けなかった者たちばかりであった。
 整備を受ければ、軽快に動けるようになるものの、また時間が経てば繰り返す。
 改造を受ければ、その症状が全く出なくなった。

 男は言いようのない、気持ち悪さを感じつつもそれらに言及することは無かった。
 なぜなら分からなかったから、だ。
 ものを知らずして意見するのは簡単だ。だがその状態で説明を受けたとしても、理解できないだろう。

 秘密があった。
 しかしそれを知る権限を、男は持っていない。
 仮説を立てるにしろ、そのパズルすら手元に無い状態なのである。
 かすかな苛立ちを感じるが、まずは目の前の問題を解決するほうが先であろう。

 「改造は夜、宴会の席でってことになってるが、先に整備うけるか?」

 食堂を切り盛りする調理師に混じり、非番の、料理に自信を持つ艦娘たちが厨房で歓迎会と改二への祝いを兼ねた食事会の用意をしている。艦娘たちは人間と同じ食事を口にした。
 男がプレイしていた擬似世界ゲームでは資源が食事として表現されていたが、なんのことはない。鋼鉄や燃料、ボーキサイトや銃弾は艤装の整備や弓矢   戦闘機の補充のために使われているだけで、娘たちが口元へ運ぶことは、ない。
 故に赤城や加賀がボーキサイトを大量に食べる、という現場を目撃せずにいられた。であるために必要物資の量がゲームとは違い多岐に渡り、管理が複雑になっていた。

 「…あ、はい。そうして、いいですか」

 随分と苦しそうであった。男は近くに居た摩耶を呼ぶ。
 情けない話だが、艤装をつけたまま脱力状態になった艦娘たちを支えられるほど、男には充実した筋肉が無かった。
 だらしないと言われつつ、那珂を工廠(こうしょう)へと引きずってもらう。
 男は提督としての権限コードを打ち込み、コンパートメントに入る。巨大なコンソールで那珂を改二へと改造するコマンドを入力、パネルを操作した。

 男の目の前には円柱が聳え立っていた。その周囲にはパイプが何十本と床に設置され、ここだけが何かの実験室のように異質な景色となっている。
 向かって右側にあるのが資材を投入する入り口だ。装備を作る際もここにレシピ必要数を投げ入れる。そうすれば多くの提督が祈り願う、絶望までのカウントダウンが始まる。
 
 工廠にさえ入ってしまえば、あとは全て全自動である。小破ならばまだ自力で行くことが出来るが、中破や大破となれば、どうしても担架での移動となった。重ねて述べるが、脱力した艦娘たちは、本当に重いのである。鉄の塊を持ち上げようとする、もしくは石の塊を持ち上げようとする、以上の重量であるのだ。

 この泊地に着任した際、この円柱   男にはさまざまをかき混ぜるミキサーのように見えた   の中はどうなっているのか、聞いたことがある。
 着任時、男がひとりでこの地に降り立ったわけではない。泊地へ向かう道すがら、総司令の部下である人物が提督が行なうべき業務についての説明を、また男からの質疑に応答、補足をしてくれたことがある。
 そして該当地にたどり着き、お手並み拝見といわんばかりの劣勢状態にお膳立てされたアイアンボトムサウンドの指揮をようやく終え、かの部下が帰途に着くその日に、今使っている施設の解説を願ったがしかし。

 『あれに関しては機密となっており、提督にも知る権限がございません』

 と一蹴されてしまったものだ。
 
 中がどうなっているのか、わからない。
 もしかするとこの、目の前を塞ぐ鉄板を引き剥がせば分かるのかもしれない。

 男は左手を向く。
 かつて左の部屋に修理ドックがあった。
 初期状態でふたつに分けられていた、湯船を見た瞬間、いったい何のために設置されているのか理解できた。
 風呂、まさしく風呂である。四角に区切られた泡風呂で、横に寝ることも可能なつくりになっていた。
 泊地改造の際、整備班を呼んで増築すれば、4つとなるらしい。そう聞き、男はぶっちゃけた。
 二つとか四つとか少なすぎるから、スーパー温泉作っちまおうぜ! と。
 スーパー温泉ってなんですか? と返答されたときの絶望といったら、残していた好物を横から奪われるよりも深かった。
 そう、時代を先取りしすぎていたのである。
 男は図に描き、艦娘だけでなく、この泊地に暮らす全員が入れるそれを目指し、作り上げてもらった。
 温泉は願って掘れば、出るものである。たとえ活火山が無くとも、だ。

 男が最終確認を、押す。
 モーター音が高速回転し始める。那珂の改修がミキサー内で始まった、のだ。


 △▽△▽△▽△▽△▽△▽


 那珂は名前を確認する。
 そして所属と今までの記憶を整理し、空白を埋めてゆく。
 記憶が容量から零れ落ちそうだった先までとは違い、整合された記録が整然と並んでいる。
 思い出すのに苦労していたさまざまも、これで簡単に取り出すことが出来る。那珂は安定した己を確認した。
 
 新しい艤装をつけた状態で、ゆっくりと光が差し込む場所に立つ。

 目を開くと、腰に手を当て、立っている金剛が居た。
 気分はどうかと聞かれたため、とてもいい、と答える。
 もやもやとしていた気分が晴れ晴れとしていた。
 夢か現か、側に感じていたいくつもの気持ち悪い気配も消えている。
 アイドル業が忙しく、きっと疲れていたのだろう。

 「そう。それは良かったデスね」

 手渡されたのは新しい衣装だった。
 倒れた那珂の代わりに荷物を部屋へ運んだ神通が別の紙袋の中に入っていたその服を見つけ、もってきたのだ。
 那珂はそれを受け取る。そして黄色い声を上げた。
 
 やっぱり那珂ちゃん最高! かわいいー!
 
 テンションがやたらに高い同僚を見つつ、金剛は小さなため息をつく。
 那珂は幸せであるのだと、思い。
 己の身を不運だと嘆くべきか、それとも真実を知れた幸運を喜ぶべきか。
 果たしてどちらが良いのか、未だに判断がつきかねないでいる。

 「那珂、急いでくだサイ。提督がドックの外で、みんなが食堂で Waits してマスよ!」
 「はあい、パワーアップした那珂ちゃん、着っ替えまーす!」

 新たな服を着、当たり前のように装備をつける。
 金剛は終わったと決めポーズを何度も決める那珂を促し、工廠から出る。
 そうすれば手を差し出す男、提督が居た。
 白の軍服がだんだんと様になってきている。
 金剛が初見に感じていた頼りなさもどんどん薄くなっていた。
 那珂に向けて格好をつけているのをなぜか、無性に腹立たしかった。

 「那珂ちゃんはー、みんなのものなんだからー、触ろうとしちゃダメなんだよー?」
 「……その新しい艤装が気になるんだが」
 「いいでしょうー! お気に入り♪ なんですよっ、きゃは!」

 男は記憶の中にあるアイドル然とした、その姿に多少違和感を感じたものの、さらりと流してしまう。
 矛盾。
 いったいどこに感じたのか。深く考えなかった。そうである、という思い込みもあった。

 (提督、マイナス10の減点デス)

 金剛は瞼を伏せ、歩き出す。
 向かうは食堂だ。みんなが待っている。
 飾りつけもそろそろ終わっている頃だろう。色紙を切り、輪にしたものを繋げる。ただそれだけであるが、駆逐組みが取り合いながら作業を行なっていた。
 ここには特別がある。他の基地や鎮守府では行なわれない『違い』があった。
 
 その変化を誰もが共有し、享受していた。
 最前線である、と忘れないようにする意識を維持するほうが難しくなっている。
 
 テーブルを繋げ、簡易のステージの上に立った那珂が挨拶を始めた。
 本土で行なったというイベントを繰り返す。その動きはさすがアイドルらしい可愛い振り付けだった。
 大人数がステージの上で動き回る様を想像すれば、圧巻だろう。
 
 今日だけは無礼講となり、作戦室に詰める仕官も含め、その周辺の部屋も開け放った食事会となっていた。人数が人数のため立食となっているが、誰の口からも不満など出ていない。
 食堂関係者だけがおおわらわ、である。特別手当の配布にも俄然、やる気を出してくれているようだ。
 倉庫管理の人員も代わる代わる、いつもとは全く違う特別製の弁当をもらい、誰もが笑顔だ。

 哨戒任務だけは外せないため、口に突っ込んでは三十分から一時間の航路を回る駆逐組みの出入りが激しいのが多少慌しいが、それ以外はゆったりとした時間を過ごしているようである。
 和、洋、中と各種の料理は冷めても美味であるがしかし、出る傍から駆逐組み、軽巡合わせた総勢69艦の胃に収まってゆく。
 遠慮というものは無い。この泊地では食べたもの勝ちである。自分の分を確保したい場合は器に名前を書く決まりとなっていた。
 むろんアルコールも準備されていた。特別な日しか出されないそれに群がる男に混じり、24缶いりのビールを20ケース持ってきてもらったというのに長門や陸奥、武蔵が凄まじい速さでビールを消費している。
 奥州産ワインの側では阿賀野、能代、矢矧がクラスを傾けながら、チーズを口にしていた。
 鳳翔が土産に持ってきたのは青森の地酒だ。各酒蔵の自慢を1本づつ、計8本持参してくれたものも、空母たちの喉に通りどんどんと量を減らしている。うわばみだらけである。
 
 男は窓側の席で多くを見ていた。
 ここに居た艦娘の最初は両手両足で足りるほどであった。
 だが今はどうだ。二百五十人まで収容可能な寮を作ってはいるが、既にその五分の三が埋まろうとしている。
 図鑑があれば90%以上が埋まっている状態だ。

 「てーとく! 飲むでち!」
 
 男が下戸だと覚えていてくれたらしい、伊58(ゴーヤ)がオレンジの入ったコップをはい、と手渡してきた。
 礼をいい、その頭を撫でる。
 はにかみ、ゴーヤは潜水艦たちのほうへ戻ってゆく。
 
 「…ワインで割ったな」

 全く飲めないわけではない。
 だが摂取し、回れば即、寝落ちてしまう。大学時代、どうしても外せない席に出席し、何度友人の家に泊めて貰ったことか。
 今日は眠れぬ事情があるというのに。

 伊58と伊168、伊8がちらりとこちらを見ていた。
 自棄である。
 ごくりと飲み、ぺろりと唇を舐める。

 ふとステージを見れば那珂がバラードを歌っていた。
 歌詞は英語だった。誰もが聞いたことがある、有名なものだ。

 那珂は聞いてもらうために覚えたたくさんの歌を披露していた。
 多くの前で歌い、踊るのが楽しい。以前もあった。
 多くに囲まれ、たったひとり取り残された。だがもう、ひとりになる心配もない。
 ここにさえあれば、ここにさえいれば、青の海に飲み込まれることもないのだ。

 アノ蒼ノ海デ 自由ニ声ヲ響カセル事ハ モウ 出来ナイ

 那珂はご機嫌だった。
 歌い終わり、瞬き、まつげが伏せられる。

 ツウ。

 頬に何かが伝った。
 涙、だ。

 なぜ泣いてるの?
 理由がわからず笑みながらそっと目尻に触れる。

 周囲に感じていた懐かしい気配が、いつの間にか消え去っていることにも気づかず、アンコールに応え、歌詞を口にする。
 金剛がひとり、食堂を出る。その表情は険しかった。


理想郷のみの小話

 ショートランドの提督が面白い事実を大湊の指令に告げた。
 多くには流布しない、との約束であるため口外はしてくれるな。ただし指令が創意工夫し、使い倒すのは推奨する、という話だけ聞けば眉唾物である。だがそれを視界に初めて納めて見れば、ふむ、と深々と被っていたロシア帽を思わず被りなおすほど衝撃であった。

 『妖精さんたち、便利だぜ』

 初見、衛星電話ではなく、手紙にて寄越した理由が分からなかった。
 ショートランドに在る提督は気安い人物であった。
 物を語らぬ堅物だと他人から言われ続けている大湊の指令に、ほどよい間隔をもって電話をかけてくるのだ。
 
 妖精さん、とは最初なんであるかまったく分からなかった。
 調べようにもその始まりさえない。
 ヒントとして羅針盤とあった。羅針盤とは艦娘らが演習の際に持ってゆく装備のひとつだ。
 大湊では深海棲艦と当たる確立はゼロに近い。だがたまに、そう千に一度くらいははぐれが北のほうに流れて来、戦闘となる場合もある。
 その際に使うのが羅針盤だ。
 どういう仕組みになっているのかは分からない。
 ただ中央の説明では、艦娘が深海棲艦と合うために必要な道具である、らしい。
 
 「なるほど。なんの変哲もない、無意識下では姿を捉えることすら出来ない妖怪の類か。言いえて妙だな」

 羅針盤とは方位磁石だ。
 それ以外のなにものでもない。
 ただそこに付随された効果は別である。

 日本に古くから存在する妖怪の類も通常、人の目に映らない。
 特殊な場所に往くか、素質あって訓練せねば上手く使いこなすことも難しいだろう。

 羅針盤を羅針盤であると認識すればするほど、その姿を見ることは出来ない。

 『指令は疑うの得意だろ。なら大丈夫』

 そう書かれていたとおり、指令は何事も表の事情だけでは動かない。
 行動には感情が付きまとっている。物事が淡々と、事象だけで動くことはありえない。

 だから羅針盤であるなにか。として数日観察してみたのだ。
 
 鳳翔は不思議な顔をしながらも、なぜか嬉しそうに新品の羅針盤を取り出して来、指令へと手渡した。
 ショートランドの提督に、またよからぬ何かでも吹き込まれたのだろう。

 『それいじょう、みつめないでください』

 頭の上にひよこを乗せた、ポニーテールの幼女が両手で顔を隠し、耳を赤くしてうつむいていた。
 幼女が乗っているのは羅針盤の上である。

 なるほど。
 妖精さんとはまた、かくも面白そうな存在である。
 
 ショートランド提督の言通り、ありがたく使わせてもらうこととした。



[39333] 第五話 真夜中の TEA PARTY
Name: 環 円◆21e3f90e ID:f72f07b0
Date: 2014/03/30 17:25
 クリスマスまであと二日。
 ここショートランドは真夏のクリスマスを迎える。
 本土であればこの寒い冬、雪が降ればホワイトクリスマスと特別な名をつけて過ごす日だ。
 家族がチキンとケーキ、ご馳走を囲み、恋人達が甘い言葉をささやきあう。女同士で食事を、男同士でネオン煌く歓楽街を歩き過ごす。そして子供達にはサンタクロースからのプレゼントが配られるという。
 深海棲艦が現れる前までは空を縦横無尽に舞い、トナカイが引くそりに乗って届けていたらしいが、今はどうなっているのだろうか。棲艦には空母ヲ級がある。その戦闘機は高度1万メートル以下までならば飛ぶことが可能だ。
 艦娘たちの飛ばす戦闘機はよくて五千以下の空しか飛べない。自分の感覚が及ぶ範囲内が航空可能領域であるからだ。
 
 (今夜のように空を見上げて探してみましょうカ)

 ゆっくりと海に下りる。下りて滑り始めた。足元には昼間とは全く違い、濃紺の青がある。昼間であれば透き通る透明な蒼も、月ある時間帯はまた別だ。透明度が高いが故に足元を見、竦む艦娘もわずかながらに居る。夜戦大好きっ子達も居るにはいるが、ごく少数であろう。
 『沈む記憶』があるが故に、水中から水面を見上げるのを嫌がる娘らも多い。夜は特に、それらが呼び起こされる率が高いという。
 彼女が向かうのは泊地がある場所から東にすこしまわった側にある波によって浸食された洞窟のような場所だ。
 そこはプライベートビーチのようになっており、金剛を含む姉妹たちの秘密の場所であった。

 (ワタシへの present はなんでしょうネ)

 提督が艦娘たちに隠れてプレゼントを包んでいる姿を金剛は知っている。
 こっそりととある倉庫の片隅で、各々が好むものをひとつずつ用意していた。
 この基地に所属する艦娘らに加え、単身赴任でやってきている士官にも別枠に用意されたそれらを含めると、全部で二百はくだらないのではないだろうか。
 いつ調べいつ知ったのか。そしてどうやって調達したのか。膝を突き詰めて3時間ほどねちねちと詰問したい感情の突起を抑えつつ、自分への贈り物を想像する。
 
 最初は頼りない男だと思った。
 こんな人間が、劣勢というにも生ぬるい状況をひっくり返せるものか、と見下していたくらいだ。
 そして男の下に集う艦娘に対しても艤装にプログラムされている偽の記憶により、自分達をかつて、日本という国で作られた艦船の魂を持って生まれたものである、と思い込まされている各々に失笑していた。

 本来の姿を忘れましたカ?
 深海からゲートと人間が呼ぶものの中から出で来たことを覚えていませんカ。
 
 艦娘たちは史実にある艦船の魂など宿してはいない。彼女らは決して沈んだ船ではないのだ。
 海底より生まれ、この海に姿を現し捕獲され、艦娘として形を形成、思い込まされているだけなのだ。
 艤装という名の拘束具をつけられ、偽の記憶を植えつけられ。
 人間に兵器として使われ消耗し、己がなんであるかなど自覚せぬまま沈んでゆく。
 そしてまた海底で回収され深海棲艦として浮上すれば、忌々しくもまた捕らえられ同じことを繰り返される。
 ……同士討ちさせられている、のだ。

 最も残酷であるのはこのプログラムだ。与えられた記憶に絡められた心の起伏、その中にある恋という意味不明な感情は責任者である『提督』に従うよう強く意味づけられている。いうなれば好き、と感じる好意が根本に仕込まれている、といことだ。
 作られた、決まった形を持つ感情に揺さぶられ、相手を想う情感に歯噛みする。
 
 (Love などいらない。必要ない。だから浮かんでこないで)

 忌々しいことに、艤装にはたったひとつ、禁止項目が設定されていた。
 『自害を禁ず』である。
 己を深海棲艦であったと認識した際、金剛は狂いかけた。狂ってこの体を、心を壊してしまいたい衝動に駆られた。
 全てを無に、全てをZEROに、己をゼロに。
 だが禁止項目により、どんなに叫び泣いたとしても、喉に手を伸ばせず、砲を己に向けようとして体が何度硬直したことか。

 それからだ。姉妹が金剛の心が形を保っているか、日に一度は必ず、確認しに来るようになったのは。
 頼りがいのある長女として姉妹の中で確立していた立場から、脆くも転落した日でもある。
 たまに無意識下でゼロ、という言葉を口にしてしまうことがあった。姉妹の前でしてしまったならば有無を言わせてもらえず、温泉に運ばれ湯治となってしまう。
 言葉が出るのは、金剛が切迫した心理状況にあるときだ。
 彼、ショートランド提督がやってきてからは、随分と落ち着いている。
 金剛提督が突然強襲してきたあの日でさえ、『ゼロ』という言葉を使わなかった。これは胸を張り、姉妹達に姉としての立場をそろそろ返して下サイ、と談判しても良いくらいであろう。この席で訴えてみようか。

 金剛は思う。
 楽しさを感じ、同時その感覚にむなしさを持つ。
 どうせならばこの心を封じて欲しかった、と最近、頓に思うようになってきた。
 原因はあの男である。
 惹かれていく自分を、押しとどめることが出来なくなっていたからだ。

 
 あの日、絶望的であった不利を、男は見事ひっくり返した。
 今までは棲艦がでてくるゲートが消えるまで、ひたすら防ぐだけしか出来ないで居た人間側が初めて、その最深部まで到達し、統率する一体を倒す快挙を行なったのだ。その結果、ゲートが未だ閉じない状態であるにも関わらず、深海棲艦たちの統制が取れなくなり、敵が襲ってこない、居るだけ、になった。

 ぞくりとした。
 浮かべている笑みにえもいわれぬ恐怖を感じた。
 人間にはまだ知られていないはずの特性を、彼が熟知し深海棲艦の首を真綿で絞めるかのように、じわりじわりと弄る様に金剛は体を震わせた。
 
 これは本土にあった元帥も思わず腰を浮かせた事態であったのだが、この遠く離れた南海に在る提督は全く知らなかった。

 またこの新たな提督は、以前の提督とは全く正反対の人物でもあった。
 実務が終わり報告に訪れたとき、タイミング悪く男と入れ違いになってしまったことがある。その時、余りにも散らかった執務机を見かねて整理整頓した際、上に放置したままの書類を偶然見てしまったのだ。

 『前ショートランド提督、某についての報告書』
 そう銘打たれた書類の中にはかつての提督が本土にも在せず行方不明となっていること。そちらからの渡航証明はあるものの、行方が依然と分かっていないことが短い文章で綴られていた。

 思い当たる節が無いわけでもない。しかし金剛からそれを提督に云う謂れもない。
 なぜなら金剛は今が気に入っていたからだ。
 毎日美味しい食事が出来、傷を癒す場所もたったふたつではなく、大勢が使える場所としてくれた男が、前任者を気になどかけなくとも良いのだ。むしろ放っておけばいい。

 そして絶えずピンと張り詰められていた多くの心が解け、泊地の誰も彼もがやさしくなった。
 だからこそ比べてしまう。
 少し前と今を。
 そして艤装を付けられている今と生態ユニットを付けられていた過去と、をだ。

 深海棲艦には知性も自我もほとんど無い、としていい。
 思考する頭脳はあっても、考える力が与えられていないのだ。
 絶えずぼんやりとした夢心地と表現するのが一番しっくりとくる。
 人間は深海棲艦の本体を女体の姿をしているもののほうであると認識しているが、それは間違っていた。
 人間に似せた形は擬態である。近づく際に怪しまれないための、見た目であった。本性は女体に巻きつく異形のほうだ。
 金剛はあえて生態ユニットと称しているが、それが擬態を動かしている。
 
 そしてその生態は生存本能が非常に高く強い。『生活圏の競合相手を駆逐しないと生きられない』と本能で知っている為、人類に対して牙を剥くのだ。もし人類が動物の類を出ず、海に在ったのがイルカや鯨だけであったなら、制海だけで済んだであろう。

 操っていたものがなんであるのか、金剛は知らない。
 闘争本能だけがあった以前の記憶など無いに等しいからだ。目の前に現れたものを喰らうために襲う。ただそれだけの行動を引き上げられれる前は繰り返していた。日々、艦娘として戦う敵もそうだ。艦娘を喰らうためにその顎(あぎと)を開く。
 
 生態ユニットに寄生されれば深海棲艦に、この艤装を取り付けられれば艦娘に。
 
 どちらにしても人形である。
 心を与えられた今のほうがある意味、悲惨であろう。この偽の記憶と感情で何をせよ、というのだ。
 与えられたものが重かった。それならまだ、戦うことだけが思考であり、目の前に現れた得物を殺し歓喜する、それだけの存在であったほうが楽だっただろう。

 苦しかった。
 与えられたプログラムだと分かればなお、胸の痛みが増してゆく。
 好きになっていた。Like ではない。Love だ。
 恋をしていた。

 提督を想えば心が高鳴った。
 その顔を思い出せば自然と顔の筋肉が緩んでしまう。

 重症だった。手遅れなのだろう。だがそれでも抵抗していた。
 受け入れてしまったなら、もう後戻り出来なくなってしまう。
 それに……

 「お姉さま、こちらです」

 妹のひとり、榛名の声にふと視線を送れば、既に金剛を除く姉妹たちが待っている状態であった。
 砂浜に上がる。
 白い砂の上にはパラソルが突き刺さっており、広げられた簡易式のテーブルにはいつの間に持ち出していたのだろう、ワインとつまみの数々があった。

 月を見ながらの茶会であったはずなのに。
 さては霧島であるな。

 ちらりと見れば、否定する気の無い妹がにこりと微笑んだ。
 金剛が好む、英国式のアフターヌンティの用意もむろん、されている。

 榛名と比叡が最近凝っているという抹茶を立て始めた。
 やりかたを提督に聞いたらしい。

 四姉妹は自分達のルーツを思い出している。
 思い出す、とは良い表現ではない。記憶の穴を穿った、のだ。姉妹艦として設定されているからこそ出来る裏技とも言えるだろう。
 その最初は金剛であった。
 自らの性格が破綻しているとは百も承知している。
 ブイン提督の下に居たとき、愛されすぎたのだ。押し付けられた愛が引き金となり今があるといっても過言ではない。
 ショートランドで改二になったあと、その後すぐに素体同系である南方棲戦姫との戦いで大破、艤装にプログラムされていた人格に欠損が発生し、両者の記憶を手に入れた。
 体の震えが止まらなかった、あの数日間はもう二度と繰り返したくは無い。
 ブイン提督のお陰で今がある。その点に関しては感謝しているが、あの提督の元に戻りたいかと言われると、全く思わない、としか回答できなかった。
 北上の言を借りるわけではないが、はっきり言ってうざいのである。それに何を思ったか、ショートランド提督に懐いていた。

 月夜の茶会が始まる。
 月に一度、四姉妹だけで集まり、こうして過ごすのが唯一の楽しみであった。
 もしこの場に彼が居たならば、もっと楽しいだろう。
 そう考え頭を振る。

 姉妹達にどうしたのかと聞かれ、なんでもないと慌てて否定するが、カンの鋭い霧島がにやりと笑んだ。
 次いでおっとりとしてはいるが、じっくりと相手を観察する確かな目を養ってきた榛名が頷く。
 全くわかっていないのが比叡だ。先日改二への改造を受けたが、そのあっけらかんとした性格が功を奏し、情報調整されたにもかかわらず、される前と全く変わらない状態を保持していた。

 今、一番心配であるのが駆逐組の電だ。
 あの子は少々、特殊な個体であった。幼児退行を起しているのはそのせいで、もし改の、再洗脳という名の記憶整合が行なわれた場合何が起こるか、金剛でも予想が付かないでいた。
 
 一日、一日が積み重なってゆく。
 いくつもの言葉が、彼の言葉が金剛を導いている。
 相談、したかった。何もかもを吐露してしまいたかった。

 状況に関することを、この恋心を告白してしまえば楽になるのだろうか。
 だが終わってしまう可能性もある。

 気づかれてしまうかもしれない。諸悪の権化たる、あの女に。
 この世界にある異常と、そして金剛から連なる姉妹の状態を、だ。
 
 その点、ショートランド提督はあっけらかんとしていた。バカであるのかそれとも包容力が強いのか、未だ、全く分からない。
 ただ提督は全く認識していないようであった。艦娘も深海棲艦も同等に見ている。
 数日前よほど疲れていたのだろう。
 『ヲ級ちゃんゲットしてえ』と寝言でほざいていたのだ。こんなに色とりどりの、そしてより取り見取り、選び放題の艦娘たちが居るというのに、まだそのほかを欲するのか。
 娘達の好意が向けられていると知っていながら、全く手を出さない提督は、一部の嗜好を持つ者には人気であるそれなのか、それとも欲が無い聖人君子であるのか、それともただの朴念仁であるのか。
 これまた寝言で言っていた『コスプレ』なる装いをすれば、もしかすると提督に二重の意味で喜んでもらえるかもしれない。
 が、しかし、コスプレなるものが一体なんであるか、金剛は知らなかった。
 本土へ行く用事を何かと作り、タンカーで向かうが吉か。
 考え、頭を思いっきり振った。姉妹達が見ていることも忘れ、煩悩に出て行けと命ずる。

 ここには小さな安らぎがあった。
 だからこそ、なのだろう。それゆえに金剛を始めとする姉妹達は安心して居続けることが出来ていた。
 そうでなければ素体を含め廃棄処分されてもおかしくはない状態であろう。
 この泊地であれば、素体は幾らでも手に入る。
 
 深海棲艦を倒し、その生体に寄生しているモノを取り外せば艦娘にも深海棲艦にもなる素体が取れるのだ。
 素体は擬態、操り人形。
 繰り返される。
 青海の闇に入れば棲艦に。空ある光に出れば艦娘に。

 彼の側に居る限り、金剛は『解体』(デリート)されることはないだろう。
 だからこそ苦しかった。

 艦娘たちひとりひとりに取り付けられている艤装は違う。
 姉妹艦たちであってもどこか違う部分がある。
 艤装にあう素体があった場合、工廠において艦娘は生まれた。失敗するのは適応素体が無いためである。
 戦艦を作ろうとし、重巡となりやすいのは合致する素体がミキサーの中に無いか、素体が中にあったとしても合致する艤装が在庫に無いかのどちらかである場合が多い。使われた資材により成長した素体に最も埋め込みやすい艤装が当てはめられでてくるというのがあのシステムの適応能力である。

 戦艦の素体は駆逐の30分の1と云われている。その中でも長門はさらにその4分の1、大和に限っては16分の1であり、武蔵に関しては今のところ不明となっていた。大鳳に関しては1296分の1という試算が出ている。
 提督が計算式を当てはめ、身震いしていた。よくもまあ、一発で引いたものである、と。
 さらに雑学となるが、戦艦を作ろうとし、重巡となった際にも工廠へ入れた材料がなぜ差額分戻ってこないかというと、リンゲル液の中にたゆたう素体の『ご飯』となるからだ。素体も一応、生命活動を微弱ではあるが行なっている。その維持に使われるのだ。
 
 提督が言うレシピにおいて、なぜ比率が違うのかというと、素体が成長するためのエネルギー量が違うからである。艤装を埋め込むさいの接合部分も構築される必要があった。
 駆逐艦より戦艦のほうが使用資材が多いのはそういう理由からだ。だから空母を作る場合は他の艦を作るよりもボーキサイトを大量に使う。
 
 提督である彼が本当を知ったとき、どういう行動を取るのか全く予想がつかない。
 全部を壊してしまおうとするのか、それとも今を受け入れ継続するのか。
 分からないからこそ動くに動けなかった。

 彼であればちゃんと受け止めてくれるだろう。
 そう思わなくも無い。
 だが、しかし、もしもの場合を考えると萎縮し、躊躇してしまう金剛があった。

 「ラバウル基地に駐屯は無くなりましたけれど、行ったり戻ったり、榛名はへとへとです」
 「ブインはまだ許容範囲ですが、他の基地の状況はよくありませんからね」
 「比叡は! いつでも全力過ぎて! ちょっとだけ休憩が欲しいです……」

 そう。
 彼は決断した。
 明日出るタンカーには大湊行きの熱烈特訓フリークが五名と那珂、鳳翔が護衛任務に着きながら向かい、ラバウルには所属する四名以外駐屯する艦隊は無し。必要資源すべてショートランド持ちで支援艦隊を要請毎に送り出すことになったのだ。深海棲艦と当たるラバウル所属の艦娘たちの遠方射撃しつつ、もし大破して動けなくなった艦がいれば救出し、所属基地へと移送する。
 支援に関してはっきりいえば、赤だ。出費が収支の倍以上となる。
 だが提督はそれでも構わないとした。資源はたっぷりあるのだ。今使わずにいつ使うのだ、と。無くなればまた、効率的に集められるようなプランを組めばいいだけの話である。

 提督が何より案じたのは艦娘たちの様子だ。所属はショートランドのままであっても、指揮権はラバウルに移る。
 無体な真似などあってはならぬが、全く無い、とも言い切れない。
 人間だから、である。
 男が抱える不安が、じわりじわりと艦娘たちにも伝播した。会話には全く出てこない。
 しかしショートランド提督という男は裏表が少ない人物である。悩みがあれば眉の間に皺が寄り、睡眠不足に陥れば執務机の上でゆだれをたらす。馬車馬のように働きながら、全力をもって艦娘を支え守っていた。
 
 提督は指揮権を手渡すことを拒否した。艦娘全員に己の指揮下を離れる状態にはしない、と断言したのだ。
 艦娘たちは喜んだ。ラバウルはほんの少し前の、ショートランドと同じ臭いを感じていたからだ。
 古参の誰もがそう思いながら、誰もがその言を伝えてはいない。だから現在、長距離の特別支援艦隊が組まれ、日に二、三回ほど出撃していた。

 ショートランドの艦娘たちはとても大切にされている。
 友好度というものがあるならば、所属している全員が振り切っていること間違いなしだ。

 だがそれが金剛を余計に苦しめていた。
 いつもはひとつを誰かと分け合い、年長者としての責務を全うしているが、本来の金剛は甘えん坊であった。
 電が提督に添い寝してもらっているのを羨ましいと思ったり、既成事実を作りにいけば、この気持ちに少しは整理がつけられるのやもしれぬと思い悩んでいるのだ。彼が誰かに優しくしているのを見ると腹立たしいし、金剛も頭を撫でてもらいたい。提督を独占してしまいたくなる。

 実際にそうなりそうなところまで、きていた。
 就寝後、何度廊下の月明かりで目覚めたか分からない。
 枕を持ち、自分は一体どこへ向かおうとしていたのか。自覚すればもう、その場にうずくまるしか出来なかった。
 そうして後ろ髪を引かれながら、部屋へと戻る。戻って枕を抱き目を瞑る。何度繰り返しているのかすら、把握していない。
 
 「姉様、耳が真っ赤ですわ」
 「………いやらしい imagine などしていませんヨ」

 「……してらしたんですね? 提督と?」

 違いマースと今更言ったところで、取り消すなど出来はしない。冷やかし始めた姉妹達の声を両耳を塞いで遮断する。
 
 (良い満月の夜ですネ。どこかの鈍感オオカミさんがいつまでも気づいてくれないと、本当に近々、大変なことになってしまいそうデス)

 金剛は火照る頬を認め、そう思う。
 思いながら、笑んだ。
 月が丸く見守るなか、金剛四姉妹の茶会は続く。



[39333] 第六話 はじまりの物語
Name: 環 円◆21e3f90e ID:f72f07b0
Date: 2014/03/30 17:32
 薄暗がりの部屋に女がひとり、座っていた。
 ここは自宅ではない。都内に幾つか持つ部屋のひとつであった。スタンドライトの光に当てているのは複数枚の紙束である。今日あった会議の議事録を女は読んでいた。

 女はこの国、日本で元帥と呼ばれる地位にある。
 世界が変わらざるを得なくなった、未知なる敵---深海棲艦との遭遇により劇的に変化を遂げた国のひとつが日本という国であった。細長い本土に触れるのは全て海である。四方を囲まれ、世界を広く見渡せば何をするにも船が、飛行機が必要な立地にある。
 かつて鎖国国家再び、と遠くはなれた国の幾つかでは面白おかしく伝聞されたが、元帥にとっては気になるものではない。
 鎖国上等、であったからだ。
 世界が日本に求める輸出品は少なく、その少ない品も代用品が存在する。
 だが入ってこねば困る品は多い。石油にしろ食料(小麦と大豆)これが使われぬ食べ物などほとんどないからだ。配給制にしたとて飽食の国と言われていた日本だ。国庫に備蓄されたいた量では餓死までのカウントダウンなど数えるまでもない。
 元帥を始めとする集団に、国が泣きついてきたのも当然であった。
 これは日本に限った話ではない。太平洋であればインドネシアやフィリピン、パプアニューにギア、オーストラリアやニュージーランドも含まれる。

 海洋大国日本は本土と同じく、海に囲まれた国に対し支援を名乗り出た。
 物質的な面で、ではない。軍事的な方面で、だ。

 かつて第二次世界大戦があった。世界の史実にも載る、大規模な対戦であった。
 その際にかつて日本が統治した地に再び基地や泊地を構える代わりに、その近辺の治安を保持するという条約である。
 必要であるならタンカーを使っての輸送にも協力する。
 
 海洋国はこの要請を快く受け入れた。
 反対に回ったのは、国連として未だに大きな顔するいくつかの国である。
 だがその声が通ることは無かった。なぜならば反対を口にする国はことごとく、広大な陸地を持っていたからである。国と国が両隣にあり、経済的にも安定していた。だから逼迫し、滅びすら眼前に突きつけられている海洋国の多くはその言を破り捨てたのである。
 
 だが広大な陸を持つ国々は危機感を抱いていた。
 かの屈強なる旧日本軍の再来に繋がる可能性を、だ。
 もしそうなれば世界の中で最も強い国であると自負する国の威信が脅かされるのではないか。そう考えたのだ。
 人類が持っていた核や生物兵器をもってしても太刀打ち出来なかった、深海棲艦に唯一立ち向かえる戦力をたったひとつの国だけに独占させておくわけにはいかない。そして、だからこそ有用な技術は世界に広く拡散するべきだと主張した。

 その実、日の本の国だけが海に船を出せる現状に、噛み付きたいだけなのである。一番の座を、明け渡すのが苦痛なだけなのである。二番目ではいけないのだろうか。日本という国はずっと事なかれ主義で、次点に甘んじてきた。
 ほんの少し機転を利かせただけなのである。
 以前、ゲートが開き、現状が訪れると世界に教えた人物を稀代のほら吹きと笑いものにし死へと追い込んだのは誰であったか。
 ちゃんちゃらおかしいのである。

 備えていたものとそうでないものの差が出ただけであった
 
 ならばお前達も独自で開発してみるがよかろう。成り代わり、奪うしか能がない猿が。
 言葉には出さないが、十二分に態度として表現されているのだろう。
 元帥には多くの敵があった。
 だがそれを元ともせぬほどの権力もまたその手にあった。

 元帥が今最も危惧しているのは、政府内に在する売国奴どもだ。
 政治家と政界人の中で確認されているのは五名の人物である。これらがテレビや国会で喚き、うるさいことこの上なかった。
 声を上げるのはまだいいとしよう。言論の自由がこの国では認められている。
 それらは国家機密である艦娘に関する技術を無償で大陸国へ譲渡せよと声高に主張しているのだ。
 
 世論でも少しくらい良いのではないか。そういう声が上がっているが、とんでもない。
 渡せばどうなるか、目に見えていた。
 それに闇取引と称した横流しも確認されている。現時点において艦娘を製造管理、維持できるのは技術大国でもある日の本の国だけである、そう自負したとしても過信ではない。

 真似出来るならばやってみるがいい。
 元帥は躍起になり艦娘の解析を急ぐ、幾つかの国を思い浮かべる。
 かの国々が使っているデータは全て流出させたものである。面白おかしく、数字を弄べばよい。
 
 「今だけを見、未来の展望を何一つ提示できない無能どもが」

 元帥は薄く笑み、議事録にある文言に侮蔑を放つ。
 どうしても大国に侍りたいのだ。それらの人物にお前の国籍はどこにあって今住む国はどこだ。そして誰の認によってその席に座っているのかと、その本心を聞いてみたい、とも思う。が、どうせ返答は決まりきった文言であろう。
 否定する、批判するならば、代案を指し示せというのだ。そもそも碌な質問もせぬのに、国会に呼び出し喚問を繰り返すのは愚の骨頂である。時間の無駄であった。有能な敵より、無能な味方が最も性質が悪いのである。
 議員である、それだけで何を威張っているのか。国民に選ばれなければ、票を入れてもらい、声高に叫んだ政策を実行に移す能力が無ければ、有害以外の何者でもない。
 必要であればその首を後ろから掻っ切っても許される罪を犯そうとしているのを、やんわりと制止してやっているというのに、何もわかっていないのだ。
 

 内閣とは何のためにあるのか。
 本来はこの国の籍を持ち国民としての義務を果たす多くの民のためにあってしかるべき組織である。だが長い年月をかけ考える能力を、思想を統制し徐々に奪われた結果がこれだ。腐敗の温床となっている。私利私欲を肥やすのはまだいい。国益中心に動くならば。
 だが国を根本からひっくり返そうとする勢力がある。日本が得るべき益をその他の国へ流そうとする不届き者が居るのである。
 何が友好だ、である。
 艦娘を友好の架け橋にし、輸出するなど出来ようはずも無い。
 しようと試みても、そのこと如くを失敗させる策と人員はすでに配置済みではあるものの、念には念を入れておかねばならない。
 失敗などあってはならぬ。
 
 やっと落ち着いたのである。
 この膠着が最も世界のバランスを保つ、現時点で最良であるからだ。
 無尽蔵に深海より湧き出てくる棲艦を根本的に排除する方法が未だに見つかってはいない。
 あるのだろう、とは想像出来た。現象として存在する限り、相反する物事は必ず存在るからだ。

 艦娘という戦闘人形を作るために構築された体系は問題なく稼動し続けている。
 それらを一から組み立てた本人がこの世界に居らぬだけで、問題なくすべてが組み立てられた筋書きのまま進んでいた。
 
 (真水の中に落とされた墨汁の一滴が、どう影響するか)

 人が集まり形成される組織である。
 問題が出ないわけが無い。
 ありとあらゆる場所からひとつ、ふたつと何かしらが浮上してくるものだ。
 それを調整し、あるときは叩きのめしこちらの要求を飲ませ、またあるときは折れた振りをしつつ、その通りにはしてやらずこちらの利になるよう動く。それを何度と繰り返してきた。そしてこれからも繰り返してゆくだろう。


 己が望む未来が手に入るまで。


 現在ショートランドの提督として在る人物が水面下でゆっくりと周囲を巻き込みながら起している渦を、元帥は面白く興味を持って静観していた。
 基地や泊地、鎮守府の連携は今までもしては、いる。ただそれぞれには野望があり、目的がありその地位についていた。最も分かりやすいのは金である。成果、戦果の分だけボーナスが出る仕組みとなっていた。
 競争が生まれているのである。
 その中で群を抜いているのははやり彼であろう。

 彼は元帥が拾った人間である。他の意図は無い。言葉の通りだ。
 だが拾った場所が場所であった。

 彼は艦娘という存在を作るプラントを作り上げた、元帥と並び立ち、現在の状況を作ったもうひとりの立役者である、『プロフェッサー』が姿を消した研究施設に突如、現れた存在であった。

 研究所は閉鎖されていた。閉鎖という名の監視だ。
 かの頭脳の置き土産とも言えるマスターコンピュータの本体が地下にあるその建物で、プロフェッサーが消えたその日と同じ現象が起き、駆けつけた元帥の目の前に倒れていた男が、現ショートランド提督であった。

 何らかの情報をもっている可能性もある。放置しておくわけにもどこかに監禁するわけにもいかず、急遽運びこまれたのは主に政府関係者が使う医療病院だ。
 極秘の入院にも対応してくれる個室に、男は運ばれる。
 簡単な体温や血圧等の検査が行なわれ、白を基調とする部屋に静寂が訪れた。

 元帥は立ち上がり、部屋を出る。
 ここで彼の呼吸を見続けていても事は何も動かず、時間だけが無為に過ぎてゆくだけだ。
 部下に目覚めたら知らせよと命じ、職務へと戻った。
 連絡が入ったのは三日後の早朝だった。
 仮眠を取り目覚めた瞬間に鳴った電話の機械音に手を伸ばし報告を聞く。一時間以内に向かうと伝え、その通り、女の姿が病室に現れたのは時間きっかりであった。

 先に聞き取られていたメモを見、思わず表情を動かした。

 彼の話は実に妄想虚言かと疑いたくなるさまざまが含まれていたからだ。
 なぜなら彼の生まれが1987年であり、年齢を聞けば26であるという。現時点の西暦で計算したとしても、彼の年齢はどうあがいたたとて一桁、記憶の曖昧さと理由付けても十代前半としかならない。そして確認した名前と住所には別人が住んでいた。さらに戸籍を調べさせたが、両親と兄、そして目の前にある男の名も番号も無かった。
 
 笑い話とするのは簡単だ。
 元帥はよくよく話を聞く。
 すれば彼が暮らしていた世界では今よりも科学が発達し、現在研究中である技術も形となっているようであった。
 未来から来たのか。そう考えるのが順当であった。
 しかし彼の世界では深海恐慌は起きていない、という。そしてその他、多種多様な情報を男はもたらした。

 その際たるはプロフェッサーが生きているらしい、ということだ。
 ありとあらゆる試みを試行錯誤しているのだろう。そう思える節々があった。
 意図してこちらから消えたのではなく、不測によって吸い込まれたのだ、と分かっただけでもここ数年、停滞していた問題がひとつ消え去ったのだ。そして元帥が考えていた最悪の事態のひとつは少なくとも回避されたことになる。

 プロフェッサーはゲームを作っていた、という。
 その名も『艦隊これくしょん』だ。
 艦娘という名称も、敵対する敵の名も、起きたイベントという名の海戦も全て過去と合致していた。
 開発会社の名前は覚えていなかったが、とある、発言が次々と連なって現れるツールを使った開発運営からの連絡には、プロフェッサー自身が書き込んだ投稿もあり、プレイヤーである男も見ていたと言った。
 なんとも面白い話である。
 こちらに戻ろうとしているのだろうか。もしそうであれば、僥倖である。
 マスターコンピューターから吐き出されている、何かの暗号がごとき数字の意味をそろそろ、まとめて解説してもらわねば困る高さにまで積み重なっていたからだ。

 艦娘となるモノを拘束する洗脳拘束具はプロフェッサーが打ち込んだプログラム通り作り続けられているが、これが止まってしまうと少なくとも日本という国は再度、成り立たなくなるだろう。
 元帥は海の奥底からやってくるものらがゼロとなるまで、その歩みを止めることは出来なかった。
 
 
 彼が生きていた世界では第二次世界大戦以後、日本は戦争を一度も行なうことなく平和を維持し続けているという。
 そして彼はパーソナルコンピューターの画面に、----驚くべき事に彼が暮らす世界ではパソコンが各家庭に一台以上あるらしく、携帯電話という手のひらサイズの端末により音楽を聴いたり、ネットワークシステムにアクセス、情報を知ることが簡単に出来るようになっているのだという。----吸い込まれたという。

 恐るべき技術革新の証である。
 だがもし、あのプロフェッサーがこの男と同様、あちらの世界に降り立ったならば、考えられない話ではない。
 プロフェッサーは深海棲艦が出現するゲートの研究に着手していた。どういう原理で開くのか、それさえ分かればその反対を行なえるのである。開閉の仕組みさえ分かってしまえば、永遠に封じることも可能と試算が出ていた。
 
 だろう、という憶測は使わない。する、と結実させるために動く。
 そうしてこの国を今、支えている柱がふと彼の使い道を思いつく。

 まさかとは思うが、プロフェッサーもそのような考えであったのだろうか。
 目の前の人物はいたって普通の、国民の一人として多くある若者である。一見での判断になるが突出したカリスマを持つわけでも、知識に、戦略に詳しい専門家というわけでもない。国内の一企業に勤める、その他大勢がひとりである。
 だがゲームとして現状をシミュレーションさせ、何らかの素質を持つ個体をこちらの世界へ送り込んできたとするならば、どうだろう。

 そんな甘い話があるわけが無い。思考に否定が入る。
 だが、プロフェッサーは技術狂人であった。
 人間の論理間など皆無に等しい。
 例えるならば、科学の発展のためならば実験動物に人間を投入してもよしとする人物だ。進歩のために多少の犠牲は已む無く、その後の多くが恩恵を享受できるならば、それを犠牲とは呼ばなくなる。失敗すれば犠牲だ。成功すれば最初のひとりとして英雄視されるだろう。そう嬉々として語る。

 『嘆き悲しみ否定する感情』がそもそも理解不能である、という。
 なぜ感謝しない。その始めとなる光栄が与えられるのだ。喜び勇んで諸手を上げ、強力すると涙するのが本来であろう。そう考える人物であり、実際にその思考原理で動いていた。

 プロフェッサーに置き換えこの人物を送り込んだ、否、利用したとするならば、だ。
 もしかしなくともゲートの向こう側に繋がっていた世界で、何らかの実験をしていたと考えるが妥当であろう。
 ゲームを作っていた、と彼は言った。
 ゲームという隠れ蓑を使い、その裏側でゲートを利用した人体実験をしていたとするならどうだ。
 
 ゲームをプレイしている多くの人員が実験体となるならば、250万人のアカウントがあり、その半分が実際のプレイ人口だとしても125万人がプロフェッサーの実験に参加していることになる。
 さらにその中からプロフェッサーが捜し求める金の珠、実験の肝となるモルモットを見出していたとするならば。
 行なっている実験にぴたりと符合し、条件に対応出来る人物に対し、ゲートを発露させるだろう。
 
 彼が言った画面に吸い込まれた、という現象がまさしくそれ、と確信できた。
 
 まさしく生贄である。
 
 (だって楽しいじゃない! 有意義じゃない! この世に不可能なんてないのよ。まだ至れていないだけ。諦めるなんて勿体無いわ。壁なんて壊してしまえばいいのよ。必要であればあたしは、やるわ。行き着くところまで、それがたとえ地獄だろうと閻魔様が待ち構えていようとも、それすらも倒し突き進むわ!)

 嬉々として行ったのだと簡単に想像出来る。
 彼は人の身でありながら、程よく調教され送れて来た戦士というわけだ。
 ならば、ならばこそだ。
 自身の役にも立ってもらおうか。
 どこかで見ているのだろう、プロフェッサー。
 使うぞ、お前が送り込んできたこの戦士を。

 元帥は彼に笑む。
 かつて夢と希望を胸に、未来を熱く語っていたかつてを演じながら彼に話しかけた。

 「苦境にある我らの一翼となってはくれまいか」

 彼は一瞬驚き、説明を求めてきた。
 元帥は嘘偽り無く語る。国の状況を。世界の姿を。そして深海棲艦がもたらした悲惨な現状を。


 △▽△▽△▽△▽△▽△▽



 「もう二ヵ月となるのか。早いものだ」
 
 今やこの日の本の国だけではない。多くが艦娘の動向に注視していた。
 特に鉄底海峡を抜けての作戦にはメディアも高く評価を下し、ショートランドの英雄を持ち上げていたくらいだ。
 その後始末が未だに残っているが、指揮を失った残党である。
 近づけば交戦になるが、観察しているだけであれば身動きひとつしないという。
 
 功を焦ったのか。
 ラバウル提督の采配ミスか、最前線にある3つの方面のうち、かの地の戦力だけが落とされている。
 なぜか。
 これに関しては早急に調査を向かわせるべきであると総帥は判断する。
 
 国内外にある鎮守府、基地、泊地にはショートランド提督が采配した戦果の詳細を参考にするように、と送っている。
 着実に、疑いを持たずそのまま実行している方面からは今のところ、感謝の声は上がっていても苦情は無い。
 
 貴重な戦力を無駄に使っていては、前ショートランド提督と同じ結末になるだろう。
 元帥はふと思い出した某の名前に唇を弧にする。
 
 口だけが達者な男であった。
 あるものを上手く使えば良いものを、私利私欲をかいたがために命を天秤にかける結果となったのだ。
 どこにいるかも定かではないが、生きていれば死ぬよりも苦しい状態になっているだろう。
 大陸のどこかに匿われているか、それともかつての部下に弑(しい)されたか。それもまたありえる話だ。

 艦娘らを形作る技術は解明しようとしても出来ない。
 なぜならばあのプロフェッサーですら永遠の課題だと喜んでいたくらいだ。
 何事も簡単に出来てしまうが故に、更なる次を欲する。なまじさまざまが出来たが故の狂気である。

 出世頭となったショートランド提督に対し、追いつけ追い越せとその他の地区も切磋琢磨し始めている。
 良い傾向だ。
 大湊からきな臭いにおいはしているが、尻尾を出さず成果だけを積み上げる人物のお陰で手が出せないでいる。がしかし、有能な男である。処分するより使ったほうがこの国のためになるだろう。

 報告書の一枚をめくれば、ショートランドから運び出されたリンゲル液内に確認された素体の数があった。それを見、思わず失笑する。

 深海棲艦は規則正しい縦割り社会を形成していた。
 思考回路はあるものの、感情という心が存在していない。
 システムとして種の形は完成されていた。ある意味美しいとさえ思える体系だ。
 進化の過程において生き残れない個体は滅び、生命力溢れる力強い種だけが残ってゆく。
 深海棲艦は成長しない。生まれたままの姿を保持する。進化するとすれば次生まれる新たな個から、らしい。
 新たな個は親であったものを食し養分とする。なぜならいらないからだ。古い型は必要とされない。
 そうして積み重なっていき生まれた固体に姫と名が付き、群れを率いる旗艦となる。
 ただそうした旗艦が生まれるのは稀だ。

 別紙を見ればショートランドにある戦力が記されている。
 大和、武蔵、長門、陸奥。大鳳、翔鶴、瑞鶴、蒼龍、飛龍と名立たる艦名が連なっていた。しかもその錬度は全ての拠点を含めた中であっても五位につけている。ついぞ前までは最下位であったのに、だ。
 最強の泊地、そう称してもおかしくは無い。
 
 「あっという間に追いつかれそうだ」

 男が泊地に赴任するまでは元帥がある横浜鎮守府の戦力が最も過大であった。

 深海棲艦は人間が持つ兵器で弱体化させることは出来ても、その活動を止めることは出来ない。
 艦娘たちが装備する、深海棲艦専用の兵器でなければ致命傷を与えられないのだ。

 「あやつはどれだけの棲艦を屠っておるのだ」

 それだけ日常的に戦闘が起こっている場所であると暗に示す数であった。
 各鎮守府にある素体の数は各々、基本、艦娘立ちの所属上限数入っている。
 羅針盤娘らが拾ってきた残骸から、解体した際にも素体がミキサーの中に入り、小さく収縮するのだ。

 元帥は知らなかった。
 ショートランドには客間を合わせ二百五十という大規模な宿舎が建造されている、ということを。
 宿舎の建造には許可を出したが、そんなに大きなものだとは想像していなかったのだ。そして入渠ドックについてもそうである。
 南海の島に温泉を掘り当てたなど、知るわけもない。
 
 工廠において建造の活発化により素体数が少なくなっている。佐世保などは諸手を挙げて喜ぶだろう。数が足りぬ多くに移送したとて、それでも100以上余る計算となる。
 戦力拡充のために少数しか下ろせなかった、国内にある研究所も涙するに違いない。少数を殺さぬよう保持させるのも維持費がかかるのである。全くもって役に立ってくれる男だ。
 情にほだされやすいのが多少気になるところではあるが、それが今は上手く回っているのだろう。
 
 所詮、艦娘として代替的に日本という国を守っている、そう宣伝している実は、元深海棲艦である。
 無尽蔵に湧いてくるのだ。使い捨てにすればよいのである。
 誰も気にとめなどしない。ゴミを焼却処分することに、誰が反対する。ゴミは焼却炉で焼かれ続けねば、己の生活が保てない。あっという間にゴミ屋敷となってしまうと理解しているからだ。

 ショートランドにしても、戦果を上げ続けるならば艦娘たちをどう扱おうが構わなかった。

 元帥として口出しする必要は無い。
 海外にある基地や泊地にしても、よくやっている。
 男のような神がかり的な勝利ばかりではないが、着実に戦果が上向いてきていた。たった一箇所を除いては。
 
 元帥としての仕事を行なうならば、かの地、ラバウルが自滅せぬよう、せいぜい見守るくらいだろう。
 
 「代えは用意しておいてやろう。せいぜい足掻くが良い」

 元帥は立ち上がりカーテンを開ける。
 朝日が昇ってきていた。

 暁の地平線に、光が溢れ始める。

 時は十二月二十六日。
 ショートランド泊地で新たな戦いが始まっていたことを、元帥が知るのは後の二十八日、ラバウル基地沈黙の報を大湊経由で受けたときであった。




 △▽△▽△▽△▽△▽△▽

 あとがき

 これにて全6話終了となります。
 ページを開いていただだいた皆様方、ありがとうございます。
 投稿させていただいているアルカディア、ハーメルン、双方の管理者様、場所をお貸し頂き感謝しております。
 
 後に続く幕引けであるのはは十二月二十四日から行なわれたアルペジオイベントへの布石です。
 時間を見つけ2万文字くらいでまとめられたら、と思っています。
 プロット作り楽しいです。色々な場所で色々が同時進行で進むので、脳内が凄いことになっています。メモ書きが意味不明な殴り書きで埋められており、本人でも解読が大変です。

 お気づきだとは思われますが、本作には3名の主人公がいます。
 複雑に思惑と真実が絡みながら時が進みます。
 
 イベントが進んでからになりますが、ミッドウェイも予定しています。書きあがりはイベントクリア後となりますので、期待せずに気長にお待ちくださいませ。というか、前振りの潜水艦ミッションから来そうで、喧々諤々としております。30分の空白が怖い。
 
 ああそうそう。これだけは書いておきませんと。
 表の主人公である提督と金剛(ヒロイン)とのイチャコラ系は相方がAAで描いてくれるらしいですヨ。
 胸熱ですよね! ひゃっほい!
 R18含めキンクリさん無しでいけるところまで! と申しましたら、変態紳士はお前か! といわれました。
 失礼な。

 多くの反応があれば重い腰が上がる、と信じています。読みたいんだよ! 相方の物語面白いんだよ!

 お読み頂きありがとうございました!
 重ねて御礼申し上げます。
 
 区切りの良いここで、一度、幕を下ろし完結とさせていただきます。

 ご質問等ございましたらお気軽に書き込みお願い致します。



[39333] アルペジオイベント 第一話 迷うものたち
Name: 環 円◆21e3f90e ID:f72f07b0
Date: 2014/03/30 17:54
 全て書きおえてからの投下予定でしたが、文字数がとんでもないことになっているので、前半部分を投下させていただきます。第一話 17496文字です。二話目もそれくらいとなっております。二話は明日投下いたします。
 お楽しみいただければ幸いです。




 いくつもの声が上がっていた。
 助けを請い、それに応えるもの。傷を負ったものを肩に担ぎ、避難を指示する声。
 基地は完全に阿鼻叫喚、地獄絵図と化していた。
 湾全体が炎の中に、建造物からは赤が空に向かって揺らめき立つ。硝煙と苦味をもった煙がこの基地の終わりを示していた。

 「いや! 沈みたくない! まだ、何もして無いのに!」
 
 夜襲が今までに一度も無かったか、と問われれば否、と誰もが答えるであろう。深海棲艦は夜の闇に紛れ、基地や泊地に接近してくることもある。だがそれは指示を出す鬼や姫の存在がある場合に限られた。
 昨日、幾隻かの撃沈を出しながらも鬼を討伐し、一息つけるかとラバウルではほっと胸を撫で下ろしたばかりである。
 それなのにどういうことであろうか。一糸乱れぬ横隊を組み、深海棲艦たちはこの基地を支える重要な工廠や入渠などを優先に破壊行動を行なっている。

 「潜水艦たちは早く海へ!」
 「駆逐と軽巡はブインへ、重巡洋艦はショートランドへ舵を向けなさい。急いで」

 引きつった声が放たれる。基地に残る残存兵力は少ない。
 ラバウル提督が秘書としていた赤城の指示の元、補佐を加賀とし、基地からの脱出を急いでいた。
 この基地を取りまとめるべき責任者の姿は港には無い。認めたくは無かったが、無様にも非戦闘員が乗るタンカーの一室で丸まって震えていた。どんなに赤城が、大のお気に入りであった雪風が鼓舞したとしても、早く何とかしろと一方的な具体的な指示のない感情を喚き散らすだけであった。

 なんという醜態か。赤城は奥歯を噛み、自身の提督を見据えた。
 一体なんのために。誰がために。
 あの悲惨な海へと皆が出て行ったのか。そして多くの犠牲をだしたのか。
 糾弾したい気持ちを抑え、赤城はタンカーを出た。
 己の身を砲弾とし、突撃していった彼女たちの死を無駄にだけはしてはならない。
 負の感情が渦巻く基地内を走り回り、提督に代わり指示を出し続けた。

 かつての記憶と重なり、赤城は拳を握り締める。魔の五分、そう呼ばれているあの瞬間だ。
 繰り返してはならない。繰り返すにしても、全く同じではいけない。
 
 「赤城さん、加賀さん、わたしに行かせて! このままじゃ!」
 「……落ち着きなさい、飛龍」

 たとえ最後の一艦となったとしても戦い抜くと息巻く航空母艦のひとり、包帯姿の飛龍をなだめる。
 提督などもはやどうでもよくなっていた。優先すべきはこの基地に在する艦娘が、ひとりでも多く生き延びることである。
 飛龍は昨日の特攻に参加していた。多くが撃沈した中で、生き残った数少ない生存艦である。入渠(ドック)がなかなか空かず、怪我の箇所を包帯で巻き応急処置を施したままのすがただ。ならばこそである。武勲を立てた彼女がここで命を無為に散らすなどあってはならない。深海棲艦の初弾にて屍となった艦娘らの体を陸地へ揚げ終え、無表情となっている生き残りへと出発の早急を再度告げる。

 「生き残るの! さあ、行きなさい!」
 
 赤城は発破を掛ける。
 異形がこの基地を占拠する前に、大海原へ出なければならなかった。
 すでに基地の死守が任務なのではない。生き残った全てを無事に他の味方陣営が在る場所まで運ぶことこそ使命と赤城は心得ていた。
 受け入れなければならない。心を動かさず、ただ目の前の事実を、実証として。
 負けたのだ。ここラバウルは深海棲艦により、廃墟と化す。
 だがそれをそのまま飛龍に伝えたとして、納得などしないであろう。
 飛龍はいきり立っていた。なんと声をかければ気を静められるのか思案すれば、まさにその時、飛龍のやわらかな頬がびよん、と伸びた。
 「ひやああぁうぃ」

 引き続き上がったのは、壊走脱出する場に相応しくない緩んだ叫びだ。
 視線を飛龍から後方へずらせば、ふたりの艦娘が無理矢理浮かべているのだろう。明らかに引きつった笑みが張り付いている。

 「わ、ったしはっ、反対だったんですけど!」
 「うわっ、舞風だけのせいにする気ですか、長良ちゃん!」

 頬を伸ばしていたのが舞風であり、その豊かな胸を揉んだのが長良であった。
 かつてを繰り返してはいけない。その思いが舞風に多分にあったのだ。
 繰り返したくは無い。皆が沈み、その後の雷撃処分を再び行なうなど、もう二度とごめんであった。
 特に赤城の最後を看取るなど、二度としたくはない。

 言葉ではなく行動が飛龍の感情を霧散させた。今にも泣き出しそうな顔をし、舞風の肩を前後に揺らしている。

 艦娘らは無力であった。
 疲弊を理由にしたとしても、何も出来なかった。
 ラバウル基地を襲った20を超えるの光は、反撃の暇を与えぬ前にことごとくこの基地の建造物を破壊した。
 今までみたことの無い砲撃だった。四十六センチ砲の連射など生ぬるい。巨大な閃光が空を覆い、昼間かと見紛うたくらいだ。
 仲間の遺品を拾っている暇も無い。墓標として残していくほか無かった。
 
 汽笛が鳴る。
 生き残った人間が乗るタンカーがゆっくりと動き始めた合図だ。
 その護衛に二艦隊が付く。
 赤城を旗艦とし、加賀、飛龍、蒼龍、長良、舞風の六艦と、旗艦千歳に続くのは千代田、飛鷹、隼鷹、利根、筑摩の六艦である。
 規定数を超えていた。だがそれを気にしているほど、ラバウル所属の艦娘に余裕はなかった。
 引き連れてゆくことになるだろう。だが、と赤城は唇を噛む。
 
 (どうか、どうか、向かう先の提督が、あの提督のような人ではありませんように)

 向かうはパラオであった。
 航空機を飛ばせない空母、軽空母に代わり、重巡と軽巡、駆逐艦が路を開く。闇夜のなかに浮かびあがる鈍色の物体を次々と漆黒の海へ沈めていった。
 光の束は撃たれない。
 タンカーはこの時とばかりにエンジンの回転数を最大にまで上げる。荷物らしい荷物はない。空っぽに近いタンカーだ。
 
 「また、ここへ……」

 戻って来ることが出来るのであろうか。
 赤城は振り返る。振り返って頭を振った。日の出はまだ遠い。


△▽△▽△▽△▽△▽△▽


 時を少し遡る。0343、草木も眠る丑三つ時である。虫の知らせが如く目が覚めた男は、なぜか収まらぬ鼓動を鷲づかみにしながら部屋から飛び出た。向かうは宿舎の屋上だ。日が昇り洗濯当番の娘らがロープを張り、それぞれを干す場となっていた。そこへ、走る。この泊地内で最も高いのは見張り台であるが、提督である男が登るにはいささか高度が高い。何かがあってからでは困ると昇りを禁止されていた。

 男はぐるりと周囲を見回す。
 高鳴りは続いていた。それは次の日の遠足が待ち遠しく、興奮して眠れない子供のような感覚だった。
 ショートランド島は緑豊かな島だ。大きな起伏は無いが、緑が豊かに覆い茂っている。
 闇が緑も、青も飲み込んでいた。唯一の光も薄雲の向こうにあり、色を照らし出すことはない。

 男は落下防止用の柵から身を乗り出し、とある一点を凝視した。
 人の目にみえるものではない。見えぬもののはずだ。

 「……ブイン、じゃない、な」

 ブイン基地はショートランド泊地の北側にある。気になって仕方が無い方向とは違っていた。
 その先には何がある?
 男は脳内に広げた地図で北西へと向かう。

 「ラバウル……?」

 まさか攻め落とされたのか。
 ここ近日、伝聞される戦果は芳しくなかった。何を焦っているのか、次々と疲労が抜けきらぬ艦娘たちを戦闘域に突入させていた。
 まさしく特攻であった。止めたくとも他基地の提督であるからこそ、ラバウル所属の艦娘に関し、男が口を挟むことはできなかった。
 ショートランドから出した支援艦隊とラバウルの実働部隊との待ち合わせも上手くいかず、引き返す羽目になったのも一度や二度ではない。到着までの必要時間は誤差を含めて伝えている。で、あるにもかかわらず、本隊との合流時間が過ぎても一向に現れないラバウル勢が討ち漏らしたであろう残党を始末し戻ってくるが重なっていた。

 電話連絡でのやり取りでは、侃侃諤諤と主張の言い合いになってはいない。ショートランド側が強く抗議すれば、ラバウル側が折れ、謝罪してきていたからだ。
 そして最終の電話が鳴らなかった。今日、出す支援艦隊の時刻をラバウルは告げてきてはいない。
 何度か鳴らしてはみたのだ。しかし受け取りが無かった。
 ラバウル基地は極度の緊張状態の中にあり、不調を訴え役目を全う出来ない人員が増えていたとも聞き及んでいる。
 ショートランドやブインから人員を派遣するのは、越権行為であった。どうしても行いたい場合は赤レンガに一度、話を通すのが筋となっている。

 (……一体なにがあった。もしくは、何が起きようとしている)

 男は階段を駆け下りる。向かうのは電信室がある、作戦司令室だった。もしもに備え、あの部屋には二十四時間誰かが詰めている。
 
 「あれ、提督、どうかしたんですか」

 夜勤についている人物がゆっくりと振り返り、男を見た。

 「飲みます?」
 「ああ、貰っていいかな」
 「どぞ」

 入れられたばかりであったのだろう。茶を差し出され、男は一気に飲み干す。
 息を整え、異常は無いかと確かめた。
 時計の針は0352を指している。

 「特に何も。いつもの通り静かな夜です」

 杞憂であったのか。それならば、いいのだが。

 ラバウルに電信を、と喉まで出かかった言葉を男は飲み込む。
 かの地にある提督は時間に厳しい人物であった。時間外に電話をし、男に文句を言うのは別段構わないのだが、それを伝えた兵にも向かってねちねちと不満を垂らし続けるのだと聞いている。存外に扱いが難しい人物でもあった。
 飛行出来る物があれば即座にスクランブルを出し出立して貰えるだろうが、深海棲艦に制海だけでなく空をも抑えられている状態で、物があっても行ってくれる操縦者が居ないのが現状である。

 どこぞに妖精の名を冠するパイロットがいないだろうか。
 男は切に思った。彼とその相棒であれば、どんな状態をもひっくり返す魔法を見せてくれるだろう。

 時計の針がゆっくりと時を刻む。
 
 「ここ数日、独楽鼠の如く働いてますから。気持ちが高ぶってるんでしょう」
 「なら、いいんだがな」

 男は白のズボンにTシャツという姿のまま、軍服を取りに行く気力も出ず、作戦室で肩肘を突いて時計を見続ける。
 0400、まだ空は白まない。
 男は重い腰を上げた。夜勤に就く官に追い立てられたのだ。大人しく自室に戻る。
 執務室で提督が居眠りをしていると艦娘らが代わる代わる見学に来、捌くのが大変であるのだと知らぬは男だけである。
 
 ベッドに入り、うつらうつらとまどろむ。
 ふと気づけば見慣れたPCと画面、積まれた漫画本が在る部屋に立っていた。
 ショートランド提督となる前、男が暮らしていた部屋である。

 読みかけの潜水艦が主人公である漫画やハードカバーの小説が散らかっていた。
 掃除は毎週土曜日、会社が休みであった日に欠かさず行なっていたが、それでも男やもめが暮らす部屋だ。
 状況的に考え、行方不明扱いになっているだろう。となれば警察が入ってくると仮定出来る。怪しい物体は無かったはずだが、室内が酷い有様であるのは間違いない。

 シンクには食べっぱなしのラーメンが置いてあったはずだ。
 洗っておけばよかったと今更ながらに思う。
 
 男は職を探していた。
 とある企業に勤めていたものの、合併を理由に解雇されたのだ。
 新卒で入社し、有給も使わず汗水垂らして働いた結果が退職金なしの事実上の解雇である。
 残ることを希望したが、人選から漏れてしまったのだ。全く世知辛い。ただ合併が急であったのもあり、恩赦として有給を使い求職活動をしてもよい、とされた。最後の給与はこれまでと同じく次月の20日に支払われると聞いていた。

 幸いに貯蓄は十分とあり、切羽詰った求職ではなかった。
 最低限でも今の生活を維持できる仕事に付かねばならない。幾つかへ履歴書を送り面接の電話を待っている状態だった。選り好みするから決まらないと、どこかの誰かが口を挟んできたが、選り好みをせねば生きてはいけないのである。最低限を落とせば路上生活を余儀なくされたとしても、仕方が無い、と受け入れなければならなくなるからだ。



 「提督はお寝坊さんね!」

 日が昇り、時刻もマルナナマルマルを十分も回っていた。いつもであればとっくに起きている時間帯である。
 今日の秘書艦である駆逐艦の雷が一緒に朝食を、と張り切って食堂に向かえば、珍しくまだ来ていないという。なので迎えにきてみたのだ。鍵はかかっておらず、ゆっくりとドアを引けば蝶番が鳴くこともなく開いた。
 室内は静かだ。ゆっくりとベットへと歩みを進める。
 提督はまだ、眠っていた。
 いつもは子ども扱いし、大好きだと伝えているのに頭を撫でることしかしない、想い人へと顔を寄せる。
 無防備な寝顔を雷に晒していた。思いのほかまつげが長い。そして男のくせに肌がもちもちであった。
 顔の目の前で手を振り、意識の確認を行なう。どうやら熟睡しているようだ。

 電ですら提督の寝顔は見た事がないと言っていた。これは雷だけが知る、雷だけの宝物になった。
 気分をよくした雷はベットに上り、さらに提督の体の上に乗る。艤装はつけたままだ。

 ベットが軋む。カエルがつぶれたような音がした。
 突如として眠りから覚めた男が目を開ける。
 確かに眠っていた。今までの人生の中で甥っ子や姪っ子に上からボディプレスを貰った経験は無い。だがされるとなればこんな気分なのであろうか。否、もっと凶悪である。ただの子供であればどんなに重くとも20キロまでであろう。が、上向いた体に馬乗りとなっていたのは、雷であった。

 「おはようのキスよ! ありがたく受け取りなさい!」

 どういう状況であるのか。頭が理解する前に体が動いた。
 近づいてきた顔を、その肩を思わずがしりと男は掴み、自身の体をひねりつつ唇の到達点を枕へと変更させ、その華奢な体を横へとずらす。
 へたれだと言われても構わなかった。男は脱兎の如く隣の部屋に続く扉へと走り入り、鍵を閉める。そこは小さなバスタブがある洗面所であった。ドアを背に体重を預け、ずるりと座り込む。

 扉が叩かれ、開けるように催促する声が連なったがしかし。男はこの天ノ岩戸を、しばらく開ける気になれなかった。
 

△▽△▽△▽△▽△▽△▽

 午後一時。
 ショートランド泊地の司令部は緊張状態に置かれていた。
 予備を含め3台ある衛星通信が不通となったからだ。考えられる原因は三つ、機械の故障か、衛星の不具合か、それとも本土で何かあったか、である。
 機械の故障ではないと判明するまで時間は掛からなかった。
 泊地周辺を映し出すレーダー施設にも整備班を走らせたが、なぜかこちらは正常に動いていたからだ。

 男が思慮した結果、疑われる原因は電波妨害だろう、と目星をつける。
 しかし深海棲艦が電波を使った攻撃をしてきた前例が無い。判断しようにも材料が不足していた。
 もし電波妨害を行なっているのが深海棲艦であれば由々しき事態である。海路、空路共に深海棲艦に支配され、海洋国は陸地に閉じ込められている。まだそれだけであればいい。国内生産を増やし、陸のみで生きる算段もつけられよう。だが深海棲艦は陸への侵略も時として行なってくる。いつ、どこに上陸してくるのか。全く予想が付かない。ただひとつ分かっているのは、大きな群れが出来上がったときのみ陸上への攻撃が行なわれる、ということだけだ。
 群れには姫か鬼が必ず居る。それが司令塔になり、進撃を行ってくる。

 誰もが判断しかねる状態になっていた。
 多くの視線が注ぐのは、かのアイアンボトムサウンドを攻略した男である。

 上下左右、前方後方、そして足元すら真っ暗闇の中であった。
 ……無いのであれば取りに行けば良い。

 そもそもの異常が判明したのが午前十時、大湊へ定時連絡を入れようとし、発覚した。
 状況を確認してみると、ブインも同じであるらしい。目と鼻の先に隣接する基地と泊地であったのが良かった。
 もし味方陣営から遠く離れた立地にあったならば、もっと混乱に拍車がかかっていただろう。動くに動けず、状況に左右されながら後手後手に回り、苛立ちを膨らませていに違いない。
 
 「えいやあ、っと!」

 睦月が飛んできた偵察機から投げられた筒を見事に受け止める。表情は満面の笑顔だった。その視線の先には紐を外し、ウインクしている妖精さんが居る。
 ブイン側に移動した鈴谷と筑摩、ショートランド側で待機していた最上と利根が交互に零式水上偵察機を使い、紙飛行機の如く飛ばし合って書簡のやり取りをしているのだ。
 いつもであれば戦闘機に宿っている妖精さんに操縦をお任せしているのだが、今日ばかりは甘味と茶を渡し、操縦桿を手放してもらっている。
 戦闘時、空母が放つ戦闘機の数はどんなに少なく積んだとしても五十を超える。戦闘機と空母は目には見えぬ繋がりを持ち、空母が願う方向へと向けて飛び立つものだ。操縦は上記のように妖精さんが受け持っている。空母の願いを察知し、操縦するのだ。

 しかし今日は違った。
 航空機を扱う艦娘への訓練として、以前から少しずつ妖精さんに頼らない戦闘機の操縦を行なっていた。
 妖精さんは働き者だ。深海棲艦に打ち落とされたとしても文句を言わず、海の一部へと還ってゆく。妖精さんには死が無い。厳密に言えば、死、という概念が無いのだ。そこにあって、そこにないもの、それが妖精さんである。この不可思議な存在にはくどいようだが死、がない。だが痛みや恐怖はある。
 妖精さんと交流するようになっていた男は、月見酒をしながら少しばかりの休息を打診されたこともあった。

 なので男は妖精さんにこう提案してみたのだ。
 『墜落しそうなときはパラシュートを開いて逃げてくれないか』と。
 もし男が妖精さんの立場に立ったならば、裸足で逃げ出してしまうだろうと思えたからだ。被弾し、墜落する際の光景など想像もしたくない。
 最初妖精さんたちは首をかしげて疑問を伝えてきた。「なぜ逃げなくてはならないの」と。男は答えた。「優秀なパイロットを失いたくないからだ」
 
 妖精さんたちにも錬度が存在している。だが落ちて消えればふりだしに戻るのだ。
 勿体無い。男は心の底からそう思った。
 パイロットは貴重である。しかも数百、数千と航空時間を持つ妖精ほど深海棲艦への被弾が高い。
 「君達、妖精さんたちが生き残れば生き残るほど、深海棲艦への切り札となってゆく。そして艦娘たちの生存率も上がるんだ。だから逃げて欲しい」
 この願いに妖精さんたちは相談し合い受領し現在となっていた。

 妖精さんが脱出した航空機は不安定である。
 妖精さんが乗っていない矢を飛ばしても、すぐに海へと落ちてしまう。しかもその操作を艦娘が行なうのは、脳に負担をかけた。
 頭痛ならまだましな部類である。吐き気や意識を失った艦娘も居た。
 幾人からはこの訓練の除外を申し入れて来ている。だがやってみる、と決意した艦娘の多くが三十分以内という時間制限つきではあるものの、妖精さんが操っていなくとも動かせるようになっていた。

 「最初はね、頭の中がぐちゃぐちゃにかき回されてるような気がしたけど、今はへっちゃらさ。慣れると爽快なんだ。妖精さんが空から見ている景色が堪能できるって、ちょっと得した気分だね」
 とは最上の言である。
 
 男は、ショートランド提督は書簡のやり取りの方法を提示したとき、金剛提督から却下された。
 金剛提督の目には妖精など見えはしない。しかも艦娘たちが使う戦闘機はある一定以上の速さから速度が落ちぬものとして認識していた。
 ふわりふわりと飛び、着地するなど見たことが無いと言い切ったのである。艦娘の元に戻ってきた戦闘機は矢の形に戻るのだ。実際ショートランドも最初はそうだった。妖精さんが乗る戦闘機は艦娘のすぐ側まで戻ってくると矢となる。またそのままの形を受け止め固定するのが飛行甲板だ。
 
 ここで物事を進める際に障害となるのは、どうやって飛行機の形を保てるのか、という一点だ。
 前者は艦娘の側に戻ってくると矢に戻り、後者の場合は固定され動かすことが出来なくなる。
 矢に戻らない条件は、意外と簡単であった。宿る妖精さんに飲食してもらうのである。

 飛鷹(ひよう)や隼鷹(じゅんよう)は巻物にある艦載機を実体化させ、手入れを良くしている。
 男の仕事部屋である執務室は意外と広い。とはいえ置くものと言えば机と書類を入れる棚と調度品は数少なかった。
 床は広く掃除も行き届いており、ゴミひとつ落ちてはいない。そこに目をつけたのが隼鷹であった。空母の詰め所では幾人もが床に巻物や式を広げるため、それぞれの領域が少なくなる。だが提督の部屋に行けば、広々と艦載機の手入れが出来た。

 だから、知っていたのである。
 実体化した艦載機から妖精さんが降り、貰ったクッキーを食べていることを、だ。

 男は論より証拠とばかりに、実際に航空機を飛ばした。
 金剛提督曰く、君のところにいる艦娘たちは変わりすぎだよ! なんでそんなことが簡単に出来るんだ?!
 という褒め言葉を貰ったほどである。
 
 最初こそは久し振りの感覚に苦戦していたが、意外にやっていると思い出すようである。今や十五分あれば向こう岸に届けることが出来るまでになっている。帰ってくるときは積荷が無い。ただ戻ってくるだけである。それに妖精さんが操縦してくれるので楽なものである、とは利根の言だ。
 そうしたやり取りの結果、ブインとショートランドは現状、戦闘態勢を維持しつつ他基地との連絡を取ることとなった。まずは最も近いラバウルからである。

 「ショートランドからも偵察部隊を出す」
 
 既に航空巡洋艦を主とした艦隊が先日、出航したタンカーの安否確認任務のために出立したばかりである。続いての作戦行動に泊地は慌しく声が交わりあっていた。

 太陽だけが燦々といつもと変わらぬ光を地上に投げている。
 大和と武蔵は泊地への襲来に控え、地上で四十六センチ砲を構え待機中だ。小さなさくら色の日傘がくるくると回っているその横では、黒の巨大な傘が石畳に突き刺さるというシュールな光景が作られている。
 選抜されたのは金剛四姉妹と木曽、大鳳であった。変わってブインは水面下を意識してか、金剛を筆頭に榛名、大井、五十鈴、由良、不知火という編成で行くという。
 
 無線が全く使えない状況である。送り出す際の不安がいつもよりも強い。だがその様をおくびにも出さない。
 男がそんな素振りをみせてみろ。基地の安否さえも明確ではない、もしかすれば最悪の事態となっている場所への偵察である。
 行く前から畏れさせてどうするというのだ。

 だから男は笑み続ける。
 呼吸をゆったりと維持し、緊張から来る震えを出さない。はっきり言っていつ奥歯ががちり、と音を立ててもおかしくは無かった。
 選ばれた艦娘たちが海へと降りる。どの顔にも笑みがあった。背を支えてくれる提督が、大事無いと腰を据え構えているのだ。何の心配もない、しなくてもいい。挑み往く勇気をその手に握り締め、進む。

 迎えに来たのであろう。ブインからの艦隊と手を打ち鳴らし、羅針盤娘による進路指示を受け走り始めた。


 視界良好、進み往く方向の空も青く澄み雲ひとつ無い。
 絶好の出撃日和だと和気藹々と進む中、ショートランドの金剛だけは注意深く周囲を警戒していた。
 本来ならば今日という日は曇りの予報であったからだ。インドネシア方面から赤道風に乗って流れてくる雲のため、本来ならば空一面に青が広がっているのはおかしい、と判断していた。天気の移り変わりの速さを理由にすれば、心配のしすぎであろう、そう言われても仕方が無い。だが心のどこかに引っ掛かりがあった。

 羅針盤娘が指し示す方向が一定に定まる。ここから一気に北西へと駆け上がってゆく。片道一二時間、往復二四時間の大遠征だ。何かが起こり調査を行なうのであればそこへさらに二時間ほどが加算される。
 「みなさーん、そろそろいつもの dangerous spot (危険点)デース! 用意はいいですカ」

 支援任務に当たり、往きなれた海路の途中で艦娘たちが銃器を構える。
 ラバウルに向かう際、深海棲艦が群れを成し固まる地点が幾つか発見されていた。鬼や姫が出現するゲートではない。駆逐や軽巡、そしてたまに雷巡が出てくる程度の小型ゲートだ。
 電探によって位置を確認し、先手必勝とばかりに群れを追い立てる。屍は海に沈み、浮かび上がってくることはない。

 二艦隊が共に行動すればそれだけ殲滅も早くなる。互いを健闘しながら、いつもよりも早い速度で海を渡っていた。
 ただ深海棲艦に艦娘が認識されやすい状況ではある。出撃数六、という数を超えるとどういう理由からか、深海棲艦に察知されやすくなるのだ。
 だからサーチアンドデストロイ。これが基本となる。
 また航路が順調であるのも気が急いているわけではない。数日間に渡るラバウルへの行程で最速の海路を見つけていた事と、艦隊の増加によって純粋に火力が上がったことが要因だ。

 「前方から多数……艦船識別、僚艦です。その後方敵も多数!」

 不知火が電探の情報を伝えてくる妖精の伝聞を張りのある声にて周囲に伝える。
 金剛の表情が固くなる。こちらの方に遠征に来ていたどこかの艦隊が、金剛たち合同出撃隊の煽りを受けたのではないか、と考えたのだ。
 そうでなければいい。もしラバウル所属の艦であれば願ったり叶ったりである。
 まだ遠めにあるらしく、目を細めても見えない。両金剛は頷きあい、大きく飛沫を上げた。皆がそれに追随する。
 陣形は共に単縦陣だ。こちらに向かってくる仲間たちは陣形を取れず、てんでばらばらに進んできている。後方から追われている状態だ。ラバウルから脱出してきた桓武据え目であると判断する。状況から判断して幾人もの犠牲が出ていると見て間違いない。
 
 「対空権確保しました!」
 「水中は五十鈴に任せて! 丸見えよ!」

 ラバウル所属の艦娘等とすれ違うが今は会話を楽しむときではない。提督の前に立ち塞がる『敵』を排除する時間である。
 殺し殺され浮き、沈む。
 大鳳と五十鈴によって上下の蒼の一時的な支配が終われば、金剛を筆頭に姉妹が水上を平らげて行く。
 水面下は大井を筆頭に軽巡、駆逐の独壇場だ。
 
 「何で当たらねぇんだよ!」
 「ひとつだけ、生きがよくても!」
 
 木曽と大井が爆雷をそれぞれ左右ひとつづつ、二回発射する。先に出す初弾はおとりだ。次の二発目はお互いが十字に投射角度が合うよう、意識している。
 一発目が回避されることは予定済みである。二発目の着弾を……

 「確認!」
 「くそっ、こっちは避けられた!」

 なんという素早い回避なのであろうか。

 「魚雷四、来ます!」

 三式水中探信儀が拾う水中音に不知火が警告を出す。高い錬度を持つ重巡、軽巡はそれをかわすがしかし、位置を知らせ続けていた駆逐艦不知火に直撃となった瞬間。

 「真上に jump ネ! アンド足元火気注意ヨ!」

 不知火は聞こえた言葉に思わず従った。真上にジャンプ。これ以上分かりやすい指示は無い。
 ここ数日で百を超えるようになった大縄跳びの回数も自信へと繋がっている。魚雷が足元に来る、その瞬間大きく足を上げ空へと手を伸ばす。
 すぐ下を何かが通った。人影であったような気もする。茶と黄色と白が視野に残った。
 水柱は立たない。
 足元から少し離れた場所で魚雷が爆破する。そのあおりを受け、スカートが縦にいくつも破けてしまうが艤装や他装備には欠損は出なかった。

 「お姉さま! なんて無茶をなさるのですか!」

 二重音声で放たれたのは榛名たちの非難だ。不知火は水面へ着地する。
 黒く漕げた衣を気にすることなく、頬についた硝煙を拭ったのはショートランド所属の金剛であった。
 ブイン所属の金剛は常時無表情であり、最近は無口が追加されている。全く対象のふたりではあるが、同じ金剛として仲が良い。
 
 「ちょっとだけ服が破れただけネ。榛名たちは心配性デース」

 何事も無かったかのように、金剛は海を走る。
 向かうはこの世の終わりであるかのような暗がりを持つ、苦しそうに胸を押さえながら進んでくる駆逐組の方だ。

 「助けて!」
 
 味方である二艦隊を見るや、多くが涙腺を崩壊させた。死を厭い、沈む恐怖を口にしているものたちを霧島は抱きしめる。
 落ち着いた数名に話を聞けば後方にはまだ軽巡と重巡たちが向かって来ているという。

 「金剛、大丈夫だぜ。潜水艦の位置は、把握している」

 緊張度の高い声音は木曽だ。元々は軽巡であったが改二への改造を受け、雷巡として能力を高められた艦である。
 気力を消耗している不知火に代わり探信儀を使用していた。

 動きが止まっている。
 金剛はこの報に一抹の不安を感じていた。確認しに行くべきであろう。なぜかそう思う。
 基本、艦娘たちは海に潜ることを嫌がる。潜水艦たちは潜らねば海を泳げないのだから、嫌だと発言したものは今までひとりもない。だが艦船である多くは海の上に浮かぶが基本だ。海の中に入るのは、沈むときだけである。なので『艦船の魂』を埋め込まれている艦娘たちは海へ潜るなど、したくない。

 続々と後続が到着し始める。
 出発した際はそれぞれが十五を越えていたというが、確認できる姿は既にそれぞれが十を下回っていた。
 最も被害が大きいのは駆逐組だ。
 
 「一旦、戻りましょうカ」

 金剛は金剛と幾つか会話のやり取りを行なう。小さな呟きを波立つ海原で拾うのは至難の業である。
 だが金剛は金剛と会話した。
 両提督は僚艦の救助を優先しても怒りはしないだろう。
 僚艦たちはラバウルから来たと言っている。状況を新たにするため、連れ帰るほうが喜ばれる。
 そうふたりの金剛は結論した。

 「霧島、榛名、比叡、この子達をPlease ネ!」

 金剛は付き合いの長い姉妹達に軽巡たちを任せ、柔軟体操を始める。
 同一艦金剛には既にどこに行くのかを伝えていた。

 『昔から一度決めたことは頑として、変えようとしないアナタですからネ。一応はstop かけますが無理デスよね。ええ。I know that(わかっているわ).』

 という返答も貰い済みである。
 もしもの時、に備え金剛と霧島、木曽が残ることとなった。
 ラバウルからの多くを率い、撤退が始まる。

 「じゃあ、ちょっと行ってきマース!」

 深き青の世界は太陽の光を受け、煌びやかな光を海中へ伸ばしている。
 天使のはしご、そう呼ばれる雲が切れ地上に投げかけられる光の柱がここ、海中にはいつも存在していた。
 懐かしい、とは微塵も感じない。
 だがどう体を動かせば泳げるのか。それは覚えていた。意識下にある本能とでもいうものであろう。息継ぎをしなくとも海の中に居ることが出来る。人間在らざる存在の証でもあった。

 潜水艦は位置を変えずそこに居た。
 潜水カ級ではない。蒼い潜水艦がそこにはあった。
 かつてあった世界大戦で実際に使われたであろう潜水艦とほぼ同型だと推測出来る。それは焼き付けられた偽の記憶が裏づけとなり、金剛に教えてくれた。

 (伊401、ですネ)
 
 海の中にあって映える青とは趣味がいい。金剛は警戒しながらもそっとその船体に触れる。
 どくん、と何かが、波打った。
 目の前に白亜の空間が広がる。ありえない光景だと瞬時に判断出来た。
 蒼の海の中を泳いでいるにもかかわらず、地上にある花々が白亜の先に咲き誇る二重視野など普通、あるわけがない。
 白亜に在るのは複数の人物だ。
 中央に置かれたテーブルを囲む椅子に座り、琥珀色の液体に口をつけている。
 ふと、青銀髪の少女と目が合った。大きな目を瞬かせ真っ直ぐに金剛を見る。そして柔らかく笑んだ。

 「やっと会話可能である個体を見つけた」
 「どういうことですカ?」

 金剛は思わず口を開いた。
 その行為に驚きを見せたのがピンク色の熊である。

 「……興味深いな」

 言葉を発したのは紫色のドレスを着た女性であった。金剛が第一に持った印象は絶世の美女、である。
 その横には赤を基調に赤と白の縞タイツをきた美少女が立っていた。
 金剛に背を向け首だけ後ろに回している女性は愛嬌ある顔をしている。その向かい側に座すのは黄色の髪をツインテールにしたもの静かな女性だ。
 金剛と視線を合わせてきた少女がゆっくりと歩んでくる。

 「っ、」

 金剛は突然の頭痛に顔をしかめる。

 「ここはあなたにとって、演算領域の外にある。余り長くいてはだめ」

 金剛の意識はその言を聞いたことにより、途切れる。そしてその身が海流に流される前に誰か、によって回収されたことを金剛は知らない。

 海上では潜水艦の動きを捕らえていた木曽が重々しく、潜水していた金剛と潜水艦の消失を告げた。
 捜索を霧島が訴えるがしかし、探信儀でその姿を追えなくなった今、恐怖を押し殺し水中に潜ったとしても二次被害が出てしまう可能性の方が高い。霧島は何度も後方を振り返りながら、姉の無事をただただ、祈り続けた。


△▽△▽△▽△▽△▽△▽


 緑の目がじ、と金剛を見つめていた。寝かされていたのは簡易のベットである。
 どれくらい眠っていのカ皆目見当がつかない。助けてくれたのであろう。衣服も濡れてはいない。礼を言いつつ、金剛はその身を起こす。
 互いがまず名乗ったのは名、であった。そして所属が続く。
 彼女たちは深海棲艦と行動を共にしていたが、敵ではなかった。どちらかといえば、まとわりついていたとするほうがしっくりと来る。
 金剛は伊401、イオナと名乗った少女の言に違和感を感じていた。何を違和感としているのか、説明がしにくいところではあるが、彼女は対話できる存在を探してこちら側に流れてきたという。

 「同じ音を繰り返し、モールスのようだったわ」
 
 言いえて妙だと金剛は思った。
 深海棲艦には固有の言語がない。動物と同じく、音の変化によって意志の疎通を行なう。
 人間と同じ言葉を使うようになったのは、降伏を勧告するためであった。人間は深海棲艦が使う音の高低を人間が使えないと祖が知ったからだ。
 基本的に深海棲艦には思考能力はない。だが接触を目的に作られた個体は別である。

 「姫や鬼は居ませんでしたか」
 「居た。けれど幾つかの言葉しか発しなかった」

 金剛の疑問に答えたのはイオナであった。姿かたちを説明したのが良かったのだろう。
 角が生え大きな異形を従えた黒っぽい固体と、白く目が赤く光った飛行場滑走路をひらひらとなびかせている個体は居なかったか、と尋ねたのだ。
 
 「おかしい、デスね」

 金剛は腕を組み眉を寄せる。金剛は、戦艦金剛となる素体は希少であるが、全く見つからぬものではない。
 探せば必ず見つかる部類に入る。そしてその素体は主に戦艦ル級から捕れた。そして金剛は元、flagship として存在していたことを覚えている。
 だがその情報は、与えられているものは微々たるものである。
 姫や鬼に追従するのは当たり前であり、命じられたことを実行する人間で言う部隊をまとめる隊長のような役割を持たされていた。
 両者に侍べることを許された存在が、戦艦ル級である。
 とはいえ知っていることは余りにも少ない。どこそこへ行けと命じられたなら、理由など尋ねず往く。そしてそこにあるものを壊して帰ってくる、ただそれだけだ。しかしその少ない情報であっても今までは十分に活用できた。
 何かが変わってきているのか。そうであれば、これからの戦況が負けに傾く可能性もあり得る。

 金剛が乗る潜水艦は伊401であった。
 青き鋼と呼ばれているという。この船に乗っているのはイオナとヒュウガのふたりだけである。
 白の空間にて金剛に背を向けながら顔だけ見せていた女性だ。

 あの場所に金剛が入室できたことが異例だと言った。
 元々同じ艦隊、東洋方面巡航艦隊に所属しているものだけが姿を現すことが出来る場所であるらしい。
 
 「話を聞いた限り、私たちはとても良く似た存在であるようだし。可能性としては否定できないわね」

 とヒュウガと名乗った女性が猫口を作り笑む。
 
 「まだ繋がったままのようだし、脳の空き容量を駆使してまたおいでなさいな」
 「はは…あははは、善処してみマース」

 ヒュウガは念を押すように、深海棲艦については出現した場所で出会い、そのまま行動を共にしていただけである。またそれらはイオナと系統を同じくするものではないことを再度告げてきた。ただ深海棲艦はイオナ他、同時期に現れた艦船を仲間であると認識しているらしい。なので群れから離れようとすると何らかの信号を送ってくる、という説明がなされた。

 金剛から告げられたのは、深海棲艦は人類に対して敵対をしていること。そして人類は深海棲艦と戦っているという事実を手短に伝える。現在の状況を手っ取り早く共有するためには彼女の上官である男に合うのが一番良い、という提案のみであった。

 途中から会話に加わってきたヒュウガも、数少ない情報で堂々巡りをするより、金剛が所属するという泊地の責任者と会うほうが建設的である、と同意を示した。
 ただイオナは深海棲艦を欺くためとはいえ、金剛が所属する側に攻撃したという事実はいくら取り繕ったとしても消えはしない。
 まずはヒュウガが上陸し、接触を図ること、となった。


 
 日はすでに暮れていた。
 白の光によって浮かび上がった泊地にはいくつもの簡易テントが張られ、多くの声が響き交わっていた。
 ブインでは負傷艦を多く抱えられないという理由により、急遽ショートランドに難民キャンプ張りの仮設が設けられたのである。
 霧島を含め、四姉妹の内三名が使い物にならなくなっていた。
 木曽も気が抜けたのか、どこか心あらずといった表情をしている。
 金剛だけが戻らなかった、という現実を飲み込む暇さえ与えられず、男はラバウルから遁走してきた各々から聞きだせるだけの情報をもらい、作戦室で彼の地の状況をシミュレートしていた。

 多分に、悪い。

 既に基地として機能出来ないであろう。そう思える有様であった。
 ひとつわからないのが、空を明るくしたという見たことも無い砲撃である。
 アニメや漫画ではないのだ。ビーム兵器などそうそうあってはたまらない。しかもそれが敵戦力として実装されているならば、人間は再び窮地に立たされることとなる。

 (……くそったれが)

 いつかは失う日が来ると覚悟はしていた。故意でなくとも、不運が重なりどうにもならない事態となって、だ。
 まさしく今がそうであった。どんなに策を練ったとしても、実際に戦いに赴くのは艦娘たちである。
 血が流れぬ戦いはない。失うものの無い、戦いなどありはしなかった。
 理性ではそう、分かっている。だが感情を上手く整理できないでいた。
 悪態をつくしばしの間すら与えられない。それが指揮官である。
 後悔を振り返るのは、全てが終わった後だ。

 作戦室にある目が男の言を待っていた。
 ラバウルは最前線と位置づけられている3つの拠点のひとつであり、落とされてはならぬ需要な基地である。
 どちらかといえばショートランドは陣屋に近い。だがラバウルとブインは基地という砦だ。
 反攻に転じる機は早ければ早いほうが良いだろう。なぜならあの地域はオーストラリアに続く海路を守っている。日本からの物資の多くもパラオ、ラバウルと経由してショートランドにやってくる。あの海域はブインとショートランドの生命線でもあった。深海棲艦の巣にされてはたまったものでは無い。
 

 男は銃を引き抜いた。誰もが目を丸くする。
 女、が窓際に立っていた。
 多くがその手に銃を抜く。
 本物の銃など、この泊地に来るまで手にした事など無かった。
 撃つのもそうだ。腕力が足りず、反動を抑えきれない。

 何者だ、と口が開くまでもなく、男には一体誰であるか理解してしまっていた。
 「……総員、銃を下ろせ。発砲は許可しない」

 静かな声だった。有無を言わせぬ声音でもあった。男が真っ先に鉄を下ろし、机の上に置く。
 そしてその名を呼んだ。

 「ヒュウガ、だな」
 「ええ、はじめまして」

 誰もが眉をしかめた。
 最もであろう。真っ先に男が銃口を向けたのである。それに習い、追随して抜き放った者らに撃つな、と言った。
 通じていた相手であったのか。
 否。作戦室に居た誰もが否定する。最初から知っているならば名など確認せぬし、密通相手がこの場に現れるなど在ってはならないことだ。可能性としてはショートランド提督を陥れるため、と考えるのが道理であろう。

 「撃っても弾の無駄遣いになる。やめておけ」

 男の言に女が薄く笑む。
 事前にヒュウガがこの男について知っている情報といえば、この基地の最高司令官であることだけだ。助けた金剛が信を第一に置いている相手でもあることも足しておこうか。
 なぜヒュウガの名を知っていたのか。
 疑問を抱きながらも横に置き、男の行動を観察する。
 
 「イオナも一緒だろう」
  
 ヒュウガは男の言にただならぬものを感じた。確信している言が放たれたからだ。
 まるで知己であるかのような振る舞いだ。……そうヒュウガが居るならばイオナも当然、一緒にいるであろうという必然が込められているかのようだ。
 
 (イオナ姉さまと私が対であるかのような物言い。いいわぁ、少しばかり見所がありそうじゃないの、この人間)
 ヒュウガは内心、じゅるりとしたたりそうになる心の歓喜を包み隠し、平然を装いすました顔で立ち続ける。

 「君達が来ていたとは、ね。大体は理解した」

 男はある意味安堵したと言っていい。闇雲に進まなければならない時こそが恐ろしいからだ。往々として物事はそうである。未来など、そうであるだろうと予想してもその通りに物事が運ぶ例がないのである。
 だが夜の闇を切り裂いた見たことの無い光、の正体が分かった。それだけでも行幸であろう。

 意味深長な言にヒュウガは目を細める。
 パン、とひとつ提督が手を叩く。その音は部屋にいる誰しもの注意を惹いた。
 「ピースが揃った。反攻の狼煙をあげ、救出に向かうとしよう」
 
 士官達は提督を見る。ヒュウガと名乗る人物が現れただけで、物事は全く前進していないように思えた。
 どこから来る自信なのだろうか。
 だが図々しくも笑む提督に誰もが既視感を覚える。そうだ、先の戦いでもそうではなかったか。
 誰もが終わりを口にしていた。この状態を打破する術など残っていないのだと諦めていた。
 それをひっくり返したのが目の前の男である。
 現れた女性が情報を口にしたわけでもないが、提督の中で必要な条件が整ったのであれば、それはそれで良しとしなければならないだろう。
 凡夫がいくら、説明を欲しされたとしても理解出来なければ時間を無駄に使うこととなる。

 「ようこそショートランド泊地へ。歓迎する、蒼き鋼たち」

 提督である男が差し出した手を、ヒュウガは数秒の間を置き取った。直接接続がこの人間にも使えればよかったのに、とヒュウガは心の底から思う。
 数刻の後、タンカー船が停泊する船渠に現れた蒼き鋼を見、多くが口をぽかーんと開けたままとした。そしてそこから下りてきた姉の姿に号泣した妹達もまた、あった。

 まるで未来でも覗いたことがあるかのようね。
 会談は明日とし、客室へ案内した男へヒュウガは言った。
 それは半分正しく、半分間違っている。
 覗いた、のではない。彼女らのことを知っていた、のである。
 
 ヒュウガの問いを男はあやふやにぼかした。

 男は扉を閉め、部屋を後にする。
 扉の前に残るは憲兵だ。彼女らを襲う不届き者が出ぬように、との配慮である。
 最も明日、男が考えている手段により誰もが手を出そうとはしなくなる、とは考えてはいたが念には念を入れておいたほうが良いと考えたからだ。彼女達を守るためではない。人間の命が失われぬよう、するためだ。

 彼女達は己を害しようとする人間を殺すことに躊躇しないだろう。
 なぜそうしようと思ったのか。理由を聞こうとしてくれたならば御の字であろう。

 震えが止まらぬ手を握り締め、奥歯を噛み息を殺す。
 武者震いであると自分に言い聞かせた。男の夜はまだ明けない。黄昏が始まったばかりである。



[39333] アルペジオイベント 第二話 出合うものたち
Name: 環 円◆21e3f90e ID:f72f07b0
Date: 2014/03/30 19:41
 十二月二十六日午前十時三十五分。
 大湊では指令が電信室に座し、連絡を待っていた。
 いつもであれば既に終わっている時間である。一秒ごとに音をたてる針が、今日はなぜか耳障りであった。
 ここ数ヶ月に渡り、かけ忘れたなど無い男である。本日明朝にラバウルへ到着であるはずのタンカーを含めた基地からの連絡も鳴ってはいない。
 異常であった。ただ非常事態である、と判断するには早急でもあった。

 ゲートは突然開く。

 新たに開いたゲートからは鬼や姫と名の付く統率者が出現する。鬼や姫は群れの要だ。それらを倒さねば、昼夜問わず深海棲艦は永遠と人間領域へ侵略を仕掛けてきた。もしゲートがショートランド近郊に開いたとするならば、連絡が多少遅れたとしても説明がつく。
 だがあの男がかけ忘れるなどあるだろうか。
 指令は思案する。在り得ない、が結論であった。どのような状況になったとしても、ショートランド提督が連絡を寄越さないわけがないのである。立て込んでいる。後にまた連絡する、切るぞ。そう短くも掛けてくる男だ。もし本当に切迫しているならば、男に代わり誰かが連絡を寄越すだろう。それに手柄に固執しない人物である。応援を周囲に呼びかけないほうがおかしい。あの泊地はそういう場所だ。それに最南端にあるあの泊地にとって最も危機となる状況は、補給の寸断である。最低限の衣食住は賄えたとしても、医療品の調達は難しい。それにあの地は最前線である。衛生が悪化すればあっという間に疫病が流行るであろう。
 
 だが、もしも、あるいは。
 
 (連絡が取れぬ状況になっている、と考えるが自然か)

 指令は立ち上がる。思考していても埒が明かないからである。
 ラバウルもしくはショートランドからの電信あれば即、回す様言い置き、その場で過ごした時が惜しいと言わんばかりに鎮守府内を廻り始めた。

 翌日ヒトフタマルマル、大湊鎮守府は大本営へ最前線にある三箇所の基地の沈黙を伝達することとなる。


△▽△▽△▽△▽△▽△▽


 十二月二十七日午前九時。

 男が抱いていた危惧は杞憂に終わった。
 深海棲艦が跋扈する海において潜水母艦伊401が航行出来ていた、など誰も信じなかったのだ。イオナ、ヒュウガの両名に関しても、艦娘と同じ存在であるという認識で一致していた。偽装はつけていなくとも、間宮を始めとするアイテム屋、眼鏡をかけた任務娘も存在している。全く疑われず、仲間陣営として迎え入れられてしまった。
 これに関して男は肩透かしを食らった気分である。

 しかも士官達には、
 「提督、確かに我々は気を張り詰め続けておりますが、まだそこまで切羽詰っていませんよ」
 と、多くに一笑にふされてしまった。
 
 ここ、ショートランド泊地は壊滅一歩手前まで陥ったことがある最前線だ。
 初期こそ五十名を超える仕官が務めていたが、ひとり、またひとりと慣れぬ環境と重度の過労によって倒れていったという。
 今現在残るのは二十名である。

 男が抱いていた危機は、港に着岸した船の存在に対する疑惑であった。そして突如現れたヒュウガの存在だ。

 彼女らの出現に一番頭を痛めていたのは男であった。
 なぜなら男は知っていたからである。彼女達がとあるアニメで放映されていた架空の人物たちである、ということにだ。
 部屋に戻った男がまず疑ったのは自らの正気であった。
 これは夢か現か、判断が出来ずにいた。艦娘たちが実際に存在する世界というだけでも天国である。可愛いなぁ、と愛でていた存在が目の前に、実際にあるのだ。これを楽園(パラダイス)といわずなんと言おうか。
 ゲームの中に吸い込まれるというパターンの漫画やゲーム、小説など探せば幾らでもあるだろう。そして読み進み主人公に感情移入してゆくにつれ、その状況が起こればいい、そう願う多くもあるに違いない。
 男も想像した事がない、とは言わない。自分がヒーローになったような気分を味わいながら、テレビを夢中で見ていた時期もあったからだ。

 「いったいなんだってんだ」

 人間の脳は内なる宇宙と言われている。
 悪い方向に考えれば考えるだけ、どつぼにはまってゆく自らを認識できた。
 この世界そものもがありえないはずの居空間だと今でも思っている。だから躊躇してしまう事柄も多い。
 日々を現実であるかのように、錯覚しているだけではないのか、と何かが起こるたび、思うのだ。

 「たとえそうだとしても、全く驚かない自信がある」

 どこかの隔離空間で椅子に座らされているのであろうか。
 それとも液体に満たされたカプセルのような場所で眠っているのだろうか。
 もしくはどこかの国が秘密裏に開発した機械に繋がれ、作られた架空世界の中でデータを取られているのであろうか。

 男は自身をこの地へ落とした存在の名を知っている。
 直接伝えられたわけではない。だがあの元帥がその名に飛びついたからである。
 プロフェッサー、と呼ばれていた存在は、男の世界で艦これのゲームを作っていた開発者であった。

 その艦これと彼女たち、青き鋼のアルペジオがコラボしイベントが行なわれていた期間がある。
 開放手順も3面あったMAPの概要もはっきりと覚えていた。全てがなぞられているのである。間違えるはずがない。
 差異はもちろん存在する。だが大きな違いは無い。差異があるとするならば地図位だろうか。
 しかし地球は男が生まれ、学んだ通りの国が並んでいる。生活も多少過去に遡っているため使用していた機材の世代前が流通しているが、不便さを感じるまでもなかった。
 街中で生活していたならばわざわざ受話器を取りに行かねばならぬ黒電話や、ブラウン管の大きなテレビの重量に多少、舌打ちはしたかもしれないが、そんな文明の利器が必要ない軍事基地に来ている。携帯にメモを取って送るより、メモ帳に走り書きをし担当官へ渡してもらったほうが早かった。
 一部の艦娘たちが男から聞いた夢のアイテムを形と機能だけ実現化し、持つようになってきてはいるが、それでもまだまだ数は少なく全てが最低限である。

 結論的に言えば、泊地に在する官及び工員は全く蒼の艦隊に関し特別な興味を示さなかった。

 戦力、防衛共に充実している泊地ではある。
 しかし何時、ラバウルのように消耗戦が始まり壊滅の危機が訪れるとも限らないのだ。そもそも男が着任するまで、ラバウルと似たり寄ったりの状況であった。今、この泊地に駐在している多くが当時とほぼ同じ人員だ。
 安定しているとはいえ、まだまだこの泊地は細い綱を渡っている状態である。これが木の橋になり、鉄橋となっていたなら、心理的圧迫の影響も無くなり現状における疑惑を持つだろうが、今はまだそこまで至っていない、ということだ。

 もし『あれは一体、何なのですか』と尋ねられたとしても、多くが納得できる答えを用意している。
 その時が来たら、発言すれば言いだけの話だと自分の中で割り切る。受け入れていないのは、男だけであるかのように感じたのだ。焦りに任せ先手を打ち、ここで説明するほうが疑念を抱かせる可能性が高い。現状に疑問が無いのであれば、なあなあだとしても、このまま進むべきだ。
 現状に男は小さく嘆息する。

 いいことであるのか。
 それとももう少し環境を整えるべきか。
 男としても悩むべき問題であった。
 
 「さて、どうするべきか」

 思考は新たな作戦を含め、これからの未来に視点を移す。
 今回のアルペジオイベントは本土からの意向は全く入っていない。
 本営から出される命令全てを受け入れ、ただ単に作戦を実行し続けるだけでは、これから先、立ち行かなくなるだろう。良くて現在の現状維持である。対処法でしかなく、根本的な解決にはならないからだ。
 男を中心に、この世界をどう渡ってゆくか。どういう状況にもっていくのが最も良い策であるのか。
 考える人物が必要になってくるだろう。男は参謀という存在を欲していた。
 何もかもを自身で考え続けていると、堂々巡りに陥るからである。
 世界を違えていなければ、何名かの悪友達の顔が浮かぶがしかし、探し存在したとしても別人である可能性が高いだろう。なぜならこの世界には男のルーツ、祖がないからに他ならない。
 まさしくぽつん、と現れた特異点である。

 男は孤独であった。この泊地に在する多くと同じく世界と接してはいる。だがひとり、あるべきではない存在でもあった。
 だからこそである。男には見えぬものを広く、遠く離れた東京という地を含め、世界の情勢を見渡してくれる目が不可欠であった。
 例えるならば、イオナに追随してきたヒュウガなどが最適であろう。少々、好む嗜好が変わっているものの、多くの意見が集まる場で成されていたその言は、理にかなうものが多かった。霧の艦隊に実装されていなかった感情を得、それを大切に扱うイオナの意を汲み、実行力の助けとなるところもまた評価できる。

 艦娘たちの中に望むのは早急であろうか。高望みであろうか。
 男はそう考えながら最後の一人が作戦本部に集ったことを確認し、反攻への作戦を構築し始める。
 時間はそうかからない。なにせ、難易度的に簡単であった、という声のほうが多かったイベントだ。
 今まで入手しにくかった多くの艦娘を手に出来る、ボーナスステージの意味合いが強かった、運営からのお年玉であったのだろう。

 「……いや、そうでもなかった、かな」

 右上の数字がくるくると減少する速度を思い出し男は顎に手を当てる。資材に関しては過剰なほどの備蓄があった。なので胃は痛いが遠征に駆逐艦たちが頻繁に出なくとも、数日の滞在分くらいは保つであろう。
 作戦室には五分ほどで到着した。
 場には男を含め、昨日この部屋に詰めていた数名と書記艦の長門と陸奥が立ち、そこへイオナとヒュウガが加わっている。

 広げられた海図は広い。
 ショートランドからラバウルに至る、通過するであろう海域が全て重ねられてある。

 昨夜の件については触れられなかった。
 艦娘らにも言質を取った折、ヒュウガは埠頭に自然と現れ、路を行き作戦本部がある建物に入り、階段を登って開け放たれたドアから普通に入ってきたと分かったからだ。何より深海棲艦の出現に敏感である多くの艦娘が反応しなかったという理由で、敵ではないと人間側にも認識されていた。全くもって滅茶苦茶な識別方法である。
 ヒュウガは研究者という肩書きを名乗り、イオナは艦娘達と同じくその艦の魂であるという説明で終わった。
 難しくあればあるほど粗が出るものである。何事もシンプルがいい。
 そしてなぜ男がヒュウガを知っていたのか。それに関しては以前横須賀鎮守府から送られてきた書類一式の中に秘密文書があり、それによって知っていた、という案が採用されている。どういう方法を使ってかは深く追求しなかったものの、ヒュウガの手により既に文書の作成が終わっており、秘文書保管金庫の中に紛れ込ませ済みだ。もし監査が入ったとしてもこの金庫が証拠となる。なぜなら開閉した日の履歴が残るからだ。ヒュウガは扉を開けずに中へ書類を入れた。全くもってナノマテリアルとは便利な物質である。

 「質疑は説明後に受け付ける。さて……、」
 
 大まかな進行としてはこうだ、と男は切り出す。
 数日前、ラバウルへ出航したタンカー船が新たなゲートが出現したことによりショートランドへ戻ってくる事となった。
 最も大きなゲートはラバウル基地の南西にあり、そこを最深部と定める。
 昨夜潜水組が集めてきた情報で出現したと思われるゲートは合計三ヵ所だと確定された。最奥をCと定め、Aから連なる海域名が暫定的に付けられた。
 本来ゲートは深海棲艦を吐き出すだけ吐き出した後、すぐに閉じるもの、であったはずだ。しかし今回、開いたままの状態が続いているという。出来るだけ早くに多くを潰さねば、南方海域にある基地が全て消失してしまう可能性もある。もし深海棲艦に再占拠されでもすれば、多くの海運国を支える航路を守る、トラックやパラオ泊地にも魔の手が伸びるであろう。なんとしてでも南方海域から深海棲艦を出すわけにはいかなかった。
 最深部へ出来るだけ安全に突入できるよう近海の安定のため、まずは泊地から最も近いゲートAから潰してゆく策を選んだ。急務ではあるが、急きすぎても事を仕損じてしまう。微細な手加減が必要であった。

 海図の公開に際し、質問が出た。
 何時の間にこのような詳細を手に入れていたのか、という発問である。
 それに答えたのはヒュウガだ。
 元帥より勅令を受け、特殊なコーティングを施した潜水艦、伊401を使い硫黄島からこちらに向かう際に得たものである。そう答えた。

 実際、広げられている海図はイオナがゲートより出現した瞬間から周辺をスキャンした結果を提供してもらっている。無論、スキャンという言葉は出さない。この時代にはまだ使われていないからだ。なので同義語としてサーチ、を使った。
 あれだけの巨体が通ったゲートである。全てあわせ25隻ほどの大艦隊が出現した計算だ。姫や鬼がわんさかと確認出来ていた。笑うしかない。

 男は昨夜、明日では遅いと感じ無礼を承知で訪ねていったのだ。
 両者には否定されず、どちらかと言えば好意的に捉えられた。睡眠を必要としない彼女らと夜を明かして話し合い、お互いの妥協点を見出していた。
 男が蒼き艦隊を、ひいては霧の艦隊をなぜ知っているのか。それに関しては未だうやむやのままにしているが、敵ではない、とは認識して貰えている、と自負できた。
 
 どう説明して良いものやら思案する男には上手く言い表す言葉が見つからないのだ。
 語彙不足であればまだなんとか、言葉をひねり出せたであろう。
 だがあなた達をテレビで見ていました。などと口が裂けても言える内容ではない。雑誌で連載されている、とも以下同文である。

 「特殊兵装を持つ艦が確認されている」

 男の言に数名が思わず声を上げた。
 
 「深海棲艦は新たな形、進化を模索しているのだろうと予想している。その形は無意味だと教えてやらねばならない」

 男は新たな試みの形を艦娘たちのような姿ではなく、艦船の形を取っているらしいことをあわせて伝える。
 かつて存在していた艦船の魂を持つ艦娘たちの、元の体である海底深くに沈んだ艦そのものを利用しているとしたのだ。
 
 嘘も方便である。
 つじつまを合わせて作った嘘だ。そうそう見破られはしないだろう。現物を実際にその目で見れば尚更である。
 交戦記録等が横須賀へ到着する頃にはこの騒動も治まっているだろう。
 一体何があったのだと質疑が掛かり、調査員も来るかもしれない。
 侮ってもらっては困る、こちらは日々最前線である。衛星関係がジャミングで使えない状態が保たれているのだ。幾らでも状況を好きなように作り出せる。

 なお今回の作戦行動はショートランド単独で行なうものとなった。
 ラバウルが落ち、次いでショートランドまでが傾けば南方海域は再び阿鼻叫喚渦巻く死の海へと逆戻りである。
 唯一残るであろうブインも圧倒的不利な状態になると予想できた。で、あるためブイン提督が合同作戦に難色を示したのだ。
 ショートランドがへまをやらかす確率は低い。しかし絶対はありえない。どんなに確率が低くとも、失敗はある。
 犠牲が出ると仮定して作戦に臨むように。そうブイン提督から書簡が届いている。

 (出すかよ。沈没艦なんて)
 男は内心で歯を食いしばっていた。何らかの作戦が実行されるときはいつも、である。
 だがブイン提督の助言は提督として、当たり前の覚悟だ。男がこだわり抜く、沈没を許さない考えの方が異端であった。偽善である。犠牲のない戦争など、過去にあったどの戦争を調べ倒してもありはしないのだ。

 (誰ひとりとして失いたくないんだ、この俺自身が)

 最前線のこの海にはすでに、多くの墓標が眠っている。かつて以上の犠牲はごめんであった。
 意地と言っていい。
 現実、今のどこかの基地や泊地で戦死者が出ている。男にとって艦娘とは無機質なゲーム画面の先にある、決まったセリフをただ返すだけの存在ではなくなっていた。
 心があり、感情によってその表情を変える。
 だが彼女たちは戦艦だ。戦いを望むものたちをどうして止められようか。

 艦娘たちが健気に、たとえ心無い人間に虐げられたとしてもその心は愚直が如く真っ直ぐである。
 艦の魂を宿しているからであろうか。かつての戦いにおいて関わった人間達の思いが染み付いているからであろうか。
 真実はわからない。だが艦娘たちはどんな過酷な状況となったとしても、戦地へと向かう。
 だから死地へ向かわせるような状況を作ることだけは絶対的に阻止しなければならなかった。

 「さてヒュウガ研究員、君は工廠で兵装の改良に当たって貰えるかな」
 「ええ、分かったわ」

 作戦室に慌しい靴音が響く。
 編成は既に長門の手に渡っていた。イオナを旗艦とし、該当海域への出撃を命じる艦娘たちの名もそこに連なっている。
 
 「ツンデレ重巡の確保をよろしく頼む」
 「がってん、承知」

 小さな声で交わされるそれに、振り向いたものはいなかった。
 揺れる銀青の背を見送り、男は白の帽子を被りなおす。
 その目は細く尖っていた。


△▽△▽△▽△▽△▽△▽


 第一海域Aはある意味、実験場である。
 現在手元にある大砲を使い、果たしてナガラ級に損害を与えることが出来るのか。式神式航空攻撃がどこまで通用するのか。かく乱できるだろう速度はどれほどであるか。そして幸運という不確定要素がどこまで通用するのか。
 男は選抜した艦娘たちの成果がいつもよりも待ち遠しく感じていた。
 
 電波妨害が続く海では、いつものように応対を行なうことは出来ない。羅針盤娘と猫娘にも独自の会話構築手段があり、これを使っても良いのだが普通、人間にはこの妖怪の類を目視することが出来なかった。男が誰も居ない場所に話しかける現場を見られたが最後、精神異常を疑われるだろう。息をもつけぬ目まぐるしさの中で病んだのだと思われてはかなわない。なので使用は男の中で却下されていた。それに今回の作戦には羅針盤を使わない。高速潜水艦というイオナが居るのである。これを使わなくてなにを使うというのだ。
 現状、人間側は全ての通信手段を奪われている。
 だが新たな伝達手段、と言ってしまってもよいものか、イオナとヒュウガは洋風のあずまや、概念伝達という霧の相互通信ネットワークで繋がっている。ある程度の意思疎通は行なえるであろうという目算があった。

 艦隊は既に出航している。
 旗艦をイオナとし、戦艦大和、装甲空母大鳳、駆逐艦島風と雪風、そして重巡青葉が出撃していた。
 実質、戦闘を行なうのは青葉を除く五名である。青葉にはその指が動く限り写真を取りまくれ、と命令を下していた。男はナガラ級の情報を泊地のものたちには提示してはいない。深海棲艦の新たな形とはしたが、明確には公言せず控えていた。

 男は泊地の様子を部屋の窓を開け放ち、見る。
 タンカーが一隻、入ることの出来る船渠やその沿岸部には武蔵を始めとする戦艦たちが思い思いのパラソルをコンクリートに打ち込み、交代制で泊地の守備を担っていた。戦友たちの出航を見送った後は、泊地周辺の哨戒任務や遠征任務に就くもの以外は思い思いの時間を過ごしているようである。
 開きっぱなしのゲートがあるのだ。遠征を控えるようにと通達したものの、駆逐組や潜水艦たちは、「こんな時だからこそ、行かなくちゃ」そう言って飛び出している。特に潜水艦たちはイオナに大きな影響を受けていた。別方面から見れば、ショックと言っても過言ではない。潜水艦は海の中では鈍重で、海上に浮上したとしても高速発揮は難しい。なぜなら船の形と出力が低いからである。どうしても高速を出したいと願うなら原子力エンジンでも積まなければ無理がある。
 
 潜水艦たちは男に言った。
 目の前に理想が、夢にまで見る究極の完成形がある。
 「どうしたらイオナみたいになれるでち?」
 「いつかはイオナのようになるから、見てて」

 口々に目を輝かせ、男へと宣言した。男としては可能性はゼロではない、と思っている。
 なぜならば人は進化する可能性をまだ、持っているだろうからだ。戦いが続く時世であればあるほど、誕生する可能性が高い。
 平安時代などを繙(ひもと)とけば顕著であろう。親よりも秀でた子が生まれていたからだ。鳶が鷹を産む、という格言が生まれている事からも伺える。
 男が知る鷹は平安時代後期の武将、源義家(みなもとのよしいえ)だ。八幡太郎という通り名の方が有名であろう。

 なんとも平和的な風景だ。程よい緊張感はあれど、慨嘆はない。
 戦闘海域に出立した艦隊が戻らない、など露ほどにも考えていないのであろう。それが常勝の恐ろしいところだ。
 男とて艦娘たちを信じている。被弾こそするだろうが、全員が無事戻ってくると信じている。だが、もしも、を考えないわけではない。
 
 金剛がLOSTしたと聞いたとき、血の気がさっと引いたのを自覚出来たほどだ。
 どれだけ心が傾いているのか、思い知らしめられた。

 今まで運が良かったのだ。慢心してはならぬと石橋を叩いてきた結果でもある。だが何時気が緩み、失敗してしまうか気が気ではなかった。
 作戦を立案し伝達、実行に移り実際の戦闘が行なわれる海域へ艦隊が向かう。作戦実行時の無線封鎖はある。だが戦闘と戦闘の狭間には幾つかの応答が行なわれるのが常であった。
 しかし今回ばかりはそれがない。ただ待つのみが勤めである。とはいえ何もせず待つなど、男の肩に乗せられた責においては許されるはずもない。
 次々と上がってくる泊地の状況を知らせる報に指示を出さねばならないからだ。
 赤で丸が付けられた、急を知らせる案件を人差し指で叩く。

 息抜きにと窓枠に肘をつき、聞こえてくる黄色い声に目を伏せる。
 緊張の糸が途切れようとしているのか。眠気を感じた。作戦海域までイオナであっても八時間かかるのである。一時間ほどであれば仮眠してもよいかと思い立ったその時、連れ帰って来る予定になっているもう一隻を思い出した。
 重巡タカオ、乙女プラグインという人間であっても難解な思考回路を、東洋方面巡航艦隊の中で最も早くに得たメンタルモデルである。

 「あ、やばい。ツンデレが入る船渠が無い」

 そうなのである。ショートランドには船渠が1隻分しか建設されていない。なぜならタンカー船が重複して入ってくるなど無いからだ。そうなったとしても、複数の船渠を持つブインがある。
 これから突貫を行なったとしても、丸十日はかかるだろう。その後にハルナ、キリシマも合流する。
 イベントでは仲間に入らなかった、マヤとコンゴウも今のまま上手く事が運べば泊地に寄港してくれるだろう。
 帰途についての方法やその間の滞在等を話し合わねばならない。ヒュウガ経由で情報の交換は程よく行なってはいるが、はやり面と向かって話をしなければ伝わりにくいような気もしている。
 
 「まあ、大丈夫か。少し離れた場所に停泊してもらっても……」

 男の言が静かな部屋でぽとりと床に落ちる。それを拾うものは居なかった。


 
 同日、イチナナサンヨン。
 艦隊はショートランドから北西、ブーゲンビル島に沿うよう進みその陸地が遠く霞み尚も直進、ニューブリテン、ニューアイランドの狭間ある目的地に到達した。

 初戦、次戦共に新たな形に出会うことは無く、誰もが一度は目にしたことのある深海棲艦と遭遇となる。
 相見たのは水雷戦隊であった。雷巡エリート級が先導していたものの、既存の深海棲艦など大和の敵ではない。先鋒として突っ込んでゆく島風を追うかのように大鳳が放った式神が戦闘機の形を取りながら並び、その射撃を支援としながら島風が雷巡チ級を撃破。次いで雪風の12.7cm連装砲が駆ハ級を2体まとめその腹に風穴を開ける。残るは軽巡ホ級とエリートだ。

 「青葉、取材頑張っちゃいますよ!」

 カメラを片手に撃つは15.5cm三連装副砲である。弾が当たる瞬間にフラッシュがたかれ、海へ沈む過程が画像に納められる。
 エリートが敗走のため背を向けた。

 「逃がすと……お思いですか」

 桜色の乙女が薄く笑む。放たれた砲により、エリートは断末魔さえも封じられ、水面下へと沈みゆくことしかできない。
 艦隊は被害と損失を確認、先へと進む。

 次戦は深海棲艦からの先制であった。
 潜伏していた輸送ワ級ならびに軽巡ホ級エリート、駆逐イ級がイオナにまとわりついたのだ。多くの艦船が撃沈されたときのように、船底に取り付き艦艇を破壊しようと試みたのであろう。

 強制波動装甲(クラインフィールド)が展開される。
 
 イオナは霧の艦隊にのみ実装されているバリアを張り巡らせ、深海棲艦の攻撃をことごとく無に帰した。浮かび上がってくれば艦娘たちの敵ではない。あっという間に沈め、次の海域へと駒を進めた。
 
 次が最後である。
 そう告げたのはイオナだ。
 出現したゲートは極小であったらしく、今にも消えそうな反応を示しているという。
 それを青葉がメモを取り、許可を取って映像を写真に収める。

 艦娘たちは随分とのんびりとしていた。
 夕暮れの空に目を細めながら、腹ごしらえは今とばかりにイオナの船内に積み入れていた袋を甲板に持ち上がる。
 
 「イオナさんのお陰ね」
 「敵の攻撃がぜーんぶ、吸い込まれてるみたいです!」

 囲まれるように座しているのはイオナだ。
 誰もが艦船の本体を持ったまま、魂をも実体化させているイオナに興味津々なのである。
 海風に髪を揺らしながら、一行が口にしているのはサンドイッチであった。腹が減っては戦も出来ぬ、と提督が持たせたものである。それぞれの好物が入れられた紙トレイを膝に乗せ、持参したコップに茶を注ぎ飲む。
 いつもの遠征は握り飯が多い。なぜならば走りながら食べるにはサンドイッチは不向きであった。

 今回の作戦では艦娘達は全員、イオナに乗っての移動である。羅針盤娘が宿る方位磁石は使わない。鈍足であるはずの潜水艦であるが、イオナの場合のみそれは通用しなかった。高速艦だけであっても泊地からラバウルまでは片道一二時間かかる行程である。もし低速の艦が居たならば、これが十八時間にも伸びた。しかしイオナが艦娘を運べば該当海域までたった八時間という速さで到着する。ラバウルまで行くならば十時間かからないと推測出来た。

 『ずっるーい。わたしの分もあるんでしょうね』
 『無い。戻れば泊地には美味しいものがたくさんある。きっとタカオも気に入ると思う』

 イオナはそう言うに留め、タカオが送ってきた情報をインポートする。そして艦娘を取りまとめている大和へ敵の情報を示した。
 菓子をつまむ青葉と雪風の間に島風が入り、いつでも準備万端であるという視線を大和へと向ける。
 
 島風は今在る泊地が気に入っていた。
 生まれはショートランドではない。大湊だ。
 彼の地では誰も島風の速さについて来れず、誰も彼もがもう少し他と合わせろ、とばかり言い、彼女の速さを邪険にした。
 島風は己の速さに誇りを持っている。風切る音と共に先手を取り、後方へ敵の目を向けさせない。敵を牽制し、意をこちらに向けさせていれば、きっと次いで交戦する仲間が楽であるとそう思い行動していた。
 余り言葉を話すのが、得意ではない。多分にそれが影響していただろう。
 いつしか島風は大湊でぽつんとひとり取り残される存在となっていた。誰も自分の思いに気づいてくれない。くすぶっていたところに声をかけてくれたのが、現提督である。

 『じゃあショートランドに来るよう指令に願えないかな』

 鳳翔経由でこの件を聞いた島風は単身、ショートランドへやってきた。
 深海棲艦と出合った場合、単艦であれば撃墜し、複数であったならば避けて躱し突っ切る。そうしてたどり着いた場所は島風にとって楽園であった。
 言いたい言葉があった。伝えたい気持ちもあった。
 たどたどしく詰まる言葉にも、誰も早く続きを、などとせかすことも無い。ゆっくりとじっくりと待ち、言葉が終わるのを待ってくれる。その最たるは大和であった。きびきびと指示を出す武蔵も、島風が焦りだせばその頭を撫で、ゆっくりで良い、と笑む。
 
 最も驚いたのは長門の性格だ。
 大湊に在り、今は佐世保に出向している長門は厳格であった。長らく連合艦隊旗艦を勤めていた彼女は意味の無い無言の時間を嫌っている。
 島風が話しかければ必ずじ、と凝視してきた。で、あるため苦手意識が先行していたのだが、ショートランドの長門は膝の上に駆逐艦を乗せ、どもってもただ静かに耳を傾けてくれた。
 
 提督もそうだ。島風にどう動きたいのか尋ねてくれた。
 こう動け、と命じられることはあっても、どう動きたいかなど、初めてであった。

 「あのね、提督、私は!」

 だから島風は速さを生かしたい己を訴えた。故にこのショートランドでは島風の単独突撃を許し、その行動が進撃に優位となるよう組まれた艦隊での出撃が主となっている。
 今回の任務でも提督から、敵が使ってくるだろう通常兵器が避けられるものか否か、確かめてきて欲しい。そう頼まれている。特殊兵装に関しては無理無茶無謀を禁じられたが、島風にしか出来ない命を受けたのである。俄然やる気を出していた。
 戦いを楽しむなどあってはならないのかもしれない、と島風は思う。だがどんなことをも楽しむのが島風であった。
 誰よりも速く、風と共に行く。英姿颯爽(えいしさっそう)の立ち居である。茜色に染まる海を駆け回る姿を瞼の裏に描く。
 守るべき場所を得た島風はどこまでも速く強くなれた。
 
 「ありがとうございます。敵の編成が分かれば、これほど戦いやすいものはないでしょう」

 長良級はアンノウンとし、表示させている敵艦隊の詳細を大和と共に見る。
 タカオについてはイオナとヒュウガの仲間であり、深海棲艦によって捕縛されていると説明していた。
 
 タカオを旗艦とし、アンノウンが二隻、空母ヌ級エリートが二隻、駆逐ニ級が二隻。それがこの海域を支配している敵の全てだ。
 ゲートが閉じそうなのであれば、タカオと共に行動している深海棲艦を討伐すればそれ以上は湧いては来ない。

 「皆が、無事に戻れる算段が付きました」

 大和はゆっくりと瞼を閉じる。その奥に浮かぶ肖像は提督であった。
 提督はいつも笑んでいる。どんなに悲惨な状況に追い込まれようと、自信有り気に笑んでいた。
 悪態や弱音を吐いている姿など見たことは無い。
 人間であるならば、一度や二度の失敗もある。だが提督は今の今まで全てを円滑に事成してきていた。
 驚くべき胆力を持つ人物である。

 艦娘たちの失敗は己のそれであると出撃したものたちを責めず、傷つき撤退してきたとて良く戻ってきたと出迎える。
 目覚めたばかりの駆逐艦などは武力を行使することを忌避するものも居たが、そういう艦には物資輸送を割り当て、決して無理はさせない。それぞれ個々と対話し性格と適正にあわせた任務を割り振る柔軟性も持つ。

 戦闘に関してもそうだ。
 兵器を使い、深海棲艦を実際に屠っているのは艦娘たちである。だがその殺意は紛れも無く男のものであると明確に示した。
 艦娘は決して道具ではない。しかしこの泊地という戦場に最も近い最前線において、艦娘全てが提督の指先であると断言している。
 この一言は大きい。そう大和は感じていた。
 なぜなら艦娘の責はすべて提督である男が負うと言っているのである。その言により戦場へつま先を向けることが出来た艦娘たちも実に多い。
 だから必ず泊地へ、提督の元に帰るのだ、という意識が生まれる。提督の肩には全ての艦娘が積載されているのだ。それを提督は全て受け入れ対応している。

 無理をしていない、訳も無い。
 今や提督は、あの泊地に無ければならぬ存在となっている。
 男がショートランドに着任する前と後では雲泥の差であると聞いていた。大和は泊地の中で新参である。新しく配備された艦であったとしても、気付くのだ。
 神経を尖らせつづけ、疲れていないはずも無い。誰もが現状を打破するため、日々戦い続けている。
 このような状況下で大和が提督に出来る事はたった一つである。

 「提督に勝利を。我らに未来を」

 イオナをはじめとする、艦娘たちがひとり、またひとりと戦闘態勢を整える。
 陣形はあえて使わない。イオナと大和、大鳳は単艦で動き、島風、雪風、青葉が集団行動となった。
 第一海域、最深部に到達する。
 大鳳のクロスボウから艦載機、彩雲が力強く飛び立った。

 「敵総数六! Unknown、確認、空母、駆逐共に提供データと合致しました!」

 目を閉じ彩雲と視野接続していた大鳳の声に各々が砲を構える。

 「流星より追申! 空母一、中破、駆逐一、撃沈です!」

 四十六センチ砲を構えた大和の間合いより、ほんの先に在るUnknownに向けられている。
 強制波動装甲(クラインフィールド)は永続的な防衛手段ではない、とイオナから説明を受けていた。ある一定ダメージが蓄積されるとその役目を終えたとばかりに消失し、人類が持つ兵器でも損傷を与えることが出来るようになるのだという。
 絶対ではないが無敵に近い。

 (とはいえ深海棲艦と比べれば、まだ交戦の余地は残されてはいるのですが)

 大和は注意深く鈍色が立てる波飛沫を視界に広く納め、その航路を認識する。
 夕日が左側に、地平線の向こう側にゆっくりと落ち込んでゆく黄昏の刻。
 先手を取ったのはイオナであった。潜行後、打ち出された魚雷が海中を走る。撃したのはUnknownが一隻、囚われているという重巡であった。目視できる距離になれば判る。もうひとつのUnknownはナガラであった。軽巡洋艦ナガラ、50口径三年式14cm単装砲 5基5門をはじめとする最大火力時の兵装を積んでいるように見えた。
 その優美な赤に染めた船体を、凛然としたその姿を見せ付けているかのようだ。

 島風が、疾く。
 その後ろを追いかけるのは雪風だ。
 さらにその後方に位置するのが青葉である。

 大鳳は左舷、散開し始めている無傷の空母ヌ級と艦爆、艦攻戦を繰り広げていた。
 相手に不足はない。夕日に似た色の航空機であることを見れば、elite(エリート)であると分かる。
 制空権を握るのは己だ。意識を強く持ち艦載機を操る。それは空母の矜持であった。空から青を望む。青を背に空を登る。航空機を操り空高くから景色を見下ろせるのは空母の特権だ。
 多角の視野が重なる。互いを守りあうのは艦戦航空機であった。対空する烈風が深海棲艦が放った艦爆機を撃墜させてゆく。一機たりとも逃しはしないと、妖精さんと意識を共有しつつ集中する。翼が雲を引き、海と空を交互に仰ぎながら烈風が青葉を狙い降下する艦攻機を撃墜するがしかし。

 「間に、合わない……」

 後方七時方面に開いたわずかな隙を通り抜けてきた敵艦爆の機銃が白く光る。
 悲鳴が上がる。
 金属が弾け、硝煙が黒く立ち上った。艦載機の離着陸が行なわれるハリケーン・バウが片方、向きを違える。
 しかし大鳳の心は折れなかった。物が壊れても直せばいい。厭うのは己の身が動かなくなる一点である。
 
 「この程度! 大鳳の装甲甲板を見くびらないで!」

 お返しとばかりにつがえた矢は彗星一二型甲だ。妖精さんには操縦桿を握らずにいてもらっている。その代わり既に上空を舞っている艦載機に関しては妖精さん任せになってしまうが、大鳳は信じていた。妖精さんたちであれば、大鳳の願いを確実に汲んでくれると。
 仲間の背に迫り往く敵戦闘機を睨む。攻撃させてなるものか。その思いが速度を上げる。
 後方を追う。機銃の射程圏内ぎりぎりで敵戦闘機は上空へとその機を翻した。彗星一二型甲の背を取ろうとしている。左右にひねる。下降すぐの上昇、二機は螺旋を描くようにドックファイトを繰り返す。
 
 「いま!」

 大鳳の声が空に響く。横に振られた腕の動きに沿うように、彗星一二型甲が発射した7.7mm固定機銃が命中したのだ。爆破炎上する敵戦闘機の横をすり抜け一気に下降した。
 彗星は雪風と並び、飛ぶ。雪風は笑んだ。操縦桿を握り直した妖精さんと視線を交わし、加速先行する。

 島風の前方、その進路を塞いだのは駆逐ニ級である。
 
 「島風ちゃん、任せて! 行って!」

 後方からの声をピンと立った黒のリボンが捉える。ならば島風の得物は、あの大きいものだ、と足を速めた。
 「うん!」
 進路は変えない。
 雪風が任せろというのだ。その通りにする。なぜなら雪風は世界に愛されていた。
 奇跡の駆逐艦と揶揄されているように、どんな戦いにおいても彼女は傷つかない。弾が彼女を避けるからだ。

 島風の横を彗星一二型甲が越える。
 突如現れた艦爆に二級が5inch連装砲を構えた。
 だが遅い。
 既に彗星一二型甲は唯一の250k爆弾を、駆逐ニ級の目と思われる空洞へと向け発射。光を消失させる。
 そして斜め後方から追撃されるのは雪風の12.7cm連装砲であった。空中に浮いていた鈍色が弾け、下地にある白を露出させながら海へと沈んでゆく。

 「島風ちゃんの足は、止めさせない!」

 雪風の声が耳に心地よく響く。
 島風は深海棲艦の屍を跳び越え、その先へと進む。目指すはナガラだ。

 彗星一二型甲は放たれている他の、戦闘を続けている艦爆、艦攻と合流するために旋回する。
 主翼に当たり反射する陽光に目を細めながら対峙している両者があった。
 青葉はカメラを首に下げ、手負いの空母ヌ級と向かい合っている。
 艦載機を飛ばす能力こそ削がれているものの、頭部にある触手や人間を模したその姿かたちは残っているのだ。
 当然、殴り合いに発展する場合も、ある。
 
 「青葉の拳はちょーっと痛いですよ」

 青葉が構えたのは機銃ではない。拳だ。今回の任務において、青葉は戦力として数えられてはいない。装備は強化型艦本式缶と21号対空電探、そして15.5cm三連装砲(副砲)が二門だ。はっきりいって火力を求められても困る。

 だが青葉はナガラ級から発せられた連装砲をことごとく避け、写真に収めていた。
 さすがの大きさである。船体から撃ち出される弾に当たれば最後、青葉など一撃で沈んでしまうだろう。
 持ち帰る写真が今後の戦況を決めるものになる。ぎりぎりまで近づき、赤の船体をファインダーに収め続ける。
 青葉の体は終戦時、呉にあった。最後まで生き残った艦のひとりである。
 解体され意識を失うまでは確かに、目の前に浮く船体よりも雄雄しく優美な重巡洋艦であった。
 全く羨む気持ちがない、わけではない。波を切り海を渡る体に戻れるのであれば、戻りたかった。そして未練を果たしたかった。
 
 (……小回りの利く、こっちも最近は捨てがたいんですけどねー)

 青葉がさまざまな角度から撮影していたその行動を阻害しにやってきたのが手負いのヌ級である。
 青葉は知っていた。深海棲艦とは沈んだ艦や人々の怨念が宿り形成されたなにか、であると。
 だから青葉は出撃するたびに深海棲艦へと問いかける。
 「青葉が置き去りにした気持ちは、キミがもってるのかい」と。
 しかしその声に応える深海棲艦は今のところ居なかった。

 青葉は三連装砲を水平に発射。杖を手に振り上げてくるヌ級の進路を誘導する。回避行動を取るヌ級は細かなステップを踏み、砲弾を回避、そのまま棍棒のように杖を構え、直進してきた。なかなかに上手である。どこかで踊りの練習をしたことがあるのだろうか。
 青葉は勝負を受けない。連装砲を続けて撃つのではなく、一門だけを発射、その後ヌ級の体の向きを予想し、2秒後に再びもう一門撃つ。
 ステップが繰り返される。だが同じ弾頭線を描かない遅らせた弾丸がその胴を貫いた。すぐさまの追撃があったとは連撃音に紛れ、感知できなったようだ。
 悲鳴が上がった。青葉は切迫する。真横に振られたのは頭部の触手だ。青葉はそれがふり切られたところで握り、同方向引っ張る。すればヌ級は水面に突っ伏した。青葉は連射砲にて触手が生える頭部を念入りに打ち抜く。
 生きていれば沈まぬその体が、青の中へ戻ってゆく。

 「大和……まだ、敵に気づかれてないよ」

 よかったね。
 つぶやきはカメラのレンズを向けた相手に向かう。首尾は上々のようだ。
 残る敵は捕らわれの姫であるらしい重巡タカオと、ナガラ級一隻だけとなった。
 青葉は距離をとる。ここからはシャッターを切るのが役目だと、心得ていた。


 重巡タカオは潜水艦イオナと一対一の戦いを繰り広げていた。深海棲艦を欺くためとはいえ、男が見ていればなかなかにお互いの弱点を突き合った攻撃を繰り返している、と各々に告げたであろう。それは彼女たちの艦長、千早群像仕込みであるのだろうか。それとも蓄積された膨大な記録を元に打ち合われているのであろうか。
 どちらにしても、

 『食べ物の恨みは怖いんだから!』
 『なぜ? 戻ったほうがいっぱいあるのに。オムライス美味しかった。お代わりも自由』
 『だから私のサンドイッチ!』

 という会話が成されながらの戦闘であると気づかれることは、ない。

 一方、Unknownとされていたナガラ相手に駆逐艦二隻は砲雷撃を繰り返していた。
 魚雷が打ち込まれたとしても雪風がソナーによって察知し、撃たれた魚雷同士をひきつけ爆破する。
 雨粒のように打ち入れる14cm単装砲も島風の残像を捉えるのみで、本体に当たることは無い。雪風に直撃確実だという弾も何も無いところでひっくり返った拍子に抜け、当たらず仕舞いであった。

 落雷に似た破裂音に耳を押さえながら、両艦は円を描き飛沫を上げながら回避行動を続ける。

 「あれがバリアー!」
 「ぜんぜん貫通しないね!」

 駆逐艦のふたりは初めての手ごたえに、驚きと興味を持ってナガラを観察する。
 さすがに大きかった。162mの全長は伊達ではない。最大速も島風に次ぐ。完全に雪風は競り負けるだろう。
 両者が使う魚雷と同じく、ナガラから打ち出されるそれは海中で航跡を残さない。
 61cm連装魚雷が暗がりを増した水面下より雪風と島風に向かう。

 「12、11、10…、」

 雪風のカウントが始まった。
 島風は耳を澄まし、数字の減少を待つ。

 「零!」
 雪風と島風はその声と共に水面から跳ねた。
 瞬間、魚雷の頭が足元が在った場所をかすめ過ぎる。と、同時に大きく水柱が上がった。
 信管が鋭敏であったのか。波間に揉まれ当たったと誤認したのだろうか。爆発した炎が頬を焼く。
 どちらでも違うであるなら。島風は可能性を探す。そして思いついたひとつを忘れないように何度も反芻した。

 「…損傷は、少し、大丈夫」

 雪風の声が張る。
 靴のように履く主機の一部が少々凹んだが、推進力を生むには全く支障が無い。背や手にある武装が破壊されたとしても攻撃手段を奪われるだけであるが、主機が損傷すると自力で動くことが難しくなった。これが損傷し最悪の場合、沈む。装甲がぺらぺらである駆逐艦だ。動けなくなることこそが恐怖であった。
 雪風はとんとん、とつま先を叩き足元を確かめる。
 その間も砲撃は続いているが、なぜか雪風の周辺だけは砲弾が落ちず静かであった。

 「動くよ!」
 「うん!」

 ふたりの動きを察知したかのように再び打ち込まれた魚雷を回避後、攻撃に転じる。
 両艦は遠くにくるくると回る花びらを視界の端に捉えた。大和だ。指示を出さず、各々の判断に任せ戦場を見ている。
 ヒットアンドアウェイを繰り返す駆逐艦に対し、ナガラがどういう行動を取るのか。情報を取っているのだ。
 泊地の艦娘の中では新参にあたる大和であるが、実戦に勝る訓練はない、と他の基地とは違い実戦配備されている。弾薬等の消費は激しいものの武蔵と同様、お蔵入りしている余裕が無いのも理由のひとつではあるが、彼女がもつ冷静な判断力が戦場でこそ大いなる力を発揮していた。
 
 ぞくり、と雪風の背筋に寒いものが走る。
 それは良くないものであると感じた。
 目の前で光が丸く集ってゆく。空を照らした白の光が輝き始める。
 ラバウル基地からやってきた、疲弊した駆逐艦たちが口々をそろえて言っていた、その光景が今まさに目の前にあった。

 「避けなきゃ!」
 「うん、」

 島風は雪風の手を握り、ナガラから距離を置き始める。
 連装砲を肩と左手に掴み、右手は雪風の手を握ったまま出来うる限りの速さをたたき出す。
 ふわり、と雪風が浮いた。
 だが光は膨張し、暮れなずみ始めた空を白く染める。
 
 ------追いつかれる。

 負けたくない。
 島風は光の速さに勝負を仕掛けた。

 その時、後方に迫り来ていた光が反れる。遅れて響いてきたのは大音量の破砕音だ。
 島風はちらりと後方を向く。その視界の端にくるくると回される懐かしき祖国に咲き誇る春の色を見た。

 46cm三連装砲が二門、斉射されたのだ。
 近弾、遠弾の確認はない。すれば相手に気づかれてしまう。目測をつけるためのポイントレーザーもまだ開発途中である。
 大和は己の中に培ってきた経験則を目印に、繰り返してきた訓練の蓄積による周囲の状況や風の流れ強さなど、揃わざる要因全てを想像し補完して撃った。失敗もある。だが撃ち損じたとしても今が絶好の機会であった。
 そもそも砲弾など五十発撃って一発当たれば金星である。
 駆逐たちが敵の注意をひきつけてくれている。またとない好機、今撃たずに何時撃つというのだ。

 狙い打つは上甲板の下であった。光を放つ攻撃は砲塔から打ち出されない、まさに特殊兵装である。
 砲塔を破壊したとて止まらないのであれば、船体を狙うが良しであろうと判断する。
 ならば狙い定められたふたりの身を助け、あわよくばその船体が横倒しになればよい。そうなれば後は多くの船舶同様、鉄の塊と化し海へ戻る。

 ある意味大和の目的は叶えられた。
 初弾こそ六角形を重ねた光る装甲に阻まれはしたものの、撃ち込まれた全ての熱量を受け流せずガラスのように破砕される。次いで着弾した二発目がナガラの装甲を貫通、火薬の引火が起こり黒い煙が上がった。
 大きい的は当てやすい。だがその装甲も、厚く固かった。
 
 「なるほど……41では防がれてしまいますね」

 呟きをもって大和は状況を記憶する。
 はやり深海棲艦との戦いのようにはいかない。
 だが深海棲艦が艦船の形を取り入れ始めるとなれば、確かに今後の脅威となるだろう。
 イオナたちのような型破りでないとしてもだ。
 大和は出航の際、男からイオナたちが運用されるのは極短期間であるという答えを貰っていた。

 「提督のおっしゃることは、ごもっともです」

 こんな兵器が投入されては、艦娘など用済みとなってしまうからだ。
 それほど強力な、否、そんな言葉などとうに飛び超えた、人に扱えぬ、また人知を超えた存在であった。
 が。

 (隠しておられるなにかもございましょうや)

 大和は薄く笑む。
 空から暖色が消え、寒色のみが見渡す限りに広がった。

 「さあさ、貴方達の舞台ですよ」

 大和の連撃により辛くも強制波動装甲(クラインフィールド)が破壊された。太陽が海に沈み、夜戦に突入したまさに今、駆逐組のふたりにとっては絶好の機会である。
    呟きが聞こえたのか。島風の表情がキリ、と引き締まった。

 「行くのよ! 雪風ちゃん!」
 「は、はいっ?! 頑張ります!」

 島風が止まる。スピードを緩めたわけではない。急停止したのだ。
 つんのめりそうになる体を無理矢理支えた。大きく足を開き、遠心力をつける。踏ん張った片足を軸に雪風を、連装砲を投げたのだ。
 投げ終わった島風が水面に顔を突っ込みその金髪を塩水に濡らすが、すぐさま頭を振り、雪風を追う。投げたものは、受け止めなくてはならない。
 
 雪風は空を舞っていた。舞うというには生易しいであろう。
 身が弾丸になったかのような感覚に陥る。それだけ島風が速度を出していたということだ。
 砲丸を投げるかのように、島風は雪風を振り切った。
 12.7cm連装砲を構える。連装砲ちゃんが島風の遠隔指示を受け、砲弾を向けた。雪風もそれに習う。

 撃ち、撃つ。
 当たらない、などは考えない。
 当たる、そう確信しトリガーを引く。

 撃ち出した際の衝撃により、体がしなる。このまま海にたたきつけられたなら、痛いだけでは済まないだろう。
 良くて温泉に縛られ放置か。最悪の場合、全ての機能が停止するであろう。
 不思議と怖くなかった。雪風は解体された艦だ。台風は怖いが、撃沈は。
 ……もしまた、生まれ変われたならば再び雪風となって島風とこうして出撃したい、と願う。

 多くの弾丸がナガラの装甲によって弾かれていた。
 青葉がファインダーの向こう側で苦い表情を浮かべる。
 夜戦に強い駆逐艦だとはいえ、相手が同じ人型の深海棲艦であったからこそ打ち落とせていたのだ。
 
 「……やっぱり悔しいな、負けるって」

 失敗である。
 青葉が現状を心に認めさせようとする。
 負けたのだ。戻り報告せねばならない。
 ナガラが勝ち誇ったかのように旋回し始める。

 「っ!」

 思わず青葉が目を閉じる。
 閃光がはじけたのだ。一体なにが起こったのか、全くわからない。
 
 もしナガラにメンタルコアが存在していたならば、最も困惑していたのは自身であっただろう。
 雪風が放った弾の内数発、不発となっていたその幾つかが旋回の折、大和が開けた風穴の向こう側にころころと落ちたのだ。
 幸運の女神はまさしく、守護を与えている存在に幸を与えた。

 ナガラは爆破炎上する。

 だが幸運はここまでだと雪風は目を瞑った。体を丸め、衝撃に備える。
 火花が混じる爆風がその横腹を叩いた。船体の色を赤に染めたままのタカオから垂直発射式アスロックミサイルが撃ち上がり、ナガラを完全に沈黙させる。
 その様を青葉が連続シャッターを切った。
 
 「あ、れ、痛くない」

 恐々と目を開き、見上げた先には優しく微笑む大和の顔があった。その背にはその衝撃を少しでも和らげようと背合わせになっていた大鳳が笑んでいる。
 
 「無事で、よかった」
 
 体の力を抜いた雪風の元に、島風が突っ込んでくる。目尻には小さな珠があった。
 大和の砲塔がいくつも歪んでいた。だがそれを気に留めている様子は無い。艤装は修理すれば、直るのだ。
 しかしこの雪風の代わりはいない。そう知っているからだ。

 大鳳が煤に汚れた裾を延ばし、はにかむ。
 島風が雪風に抱きつけば、連装砲ちゃんも主の心を受けてにこりと笑みを形作った。
 
 「いい写真がいっぱい取れましたよ!」

 青葉がシャッターを押す。
 Unknownを無事倒し、重なる四つの笑顔がレンズに収められた。
 その後ろではまだ終わらぬ、イオナとタカオの食にまつわる言い争いを眺め、ふと視線を空に向ける。
 落ちてきそうなほど鏤(ちりば)められた瞬きが、戦いの終わりをそっと祝しているかのようであった。



[39333] アルペジオイベント 第三話 転換
Name: 環 円◆21e3f90e ID:f72f07b0
Date: 2014/04/06 22:19
 タカオと高雄が対面した。
 紅と蒼の瞳を持つそれぞれが向かい合えば、互いに笑み合う。清楚なお嬢様系である高雄と、気は強いが出来るキャリア秘書という間逆であろうふたりが意気投合するなど誰が想像出来ただろう。何気ない日常会話から趣味を至り、恋バナにまで発展するまでわずかな時間しか必要としなかった。

 出合った場所は間宮が仕切る食堂だ。
 イオナから絶品であるといういくつものメニューを聞き及び、会議が終わった後、即訪れたのだ。
 多少、駆逐艦たちの騒がしさに口元を引きつらせていたが、それもしばらくすれば慣れたようである。きれいなお姉さんが来たと聞けば、悪い気分にはならなかったようで、すまし顔をしつつも何事か尋ねられると律儀に答えを返していた。

 時は十二月二十八日、午前十一時を五分ほど回っている。
 タカオとのランデブーを果たした遠征攻撃艦隊は翌日の丑三つ時に無事帰港した。
 出発時にはあった白のテントが全て撤去されており、艦を下りた大和には深淵の中に浮かぶ泊地が見知らぬ地のように見えた。腕の中にはすうすうと寝息を立てる島風が抱かれている。その後ろに続くのが大鳳だ。多少瞼が落ちているものの、しっかりと足取りで陸に上がった。背に雪風を担いで上がって来たのは青葉だ。大きなあくびを噛み殺している。天龍と龍田は何度起しても目を覚まさず、応急処置を施した状態でイオナの中で眠らせてもらえる事になっていた。

 おかえり。
 そうで迎えたのは提督ただひとりであった。
 いつもより静かな夜の理由を聞けば、賑やかな睦月型の駆逐艦たちが丁度、夜の警邏に出て行ったばかりだからではないか、と説明を受ける。
 だだ閑か過ぎる理由として駆逐組だけが原因ではない、と大和が周囲を見回した。
 浮かび上がる白が無かった。ディーゼルモーターで照らし出されていたテントが撤去されていたのだ。
 それに伴いテントの下にあった、数々の声も途切れていた。昨日までは混沌とした避難場所が消えていたのだ。
 状況に気持ちが追いつく。
 男が維持を良しとしなかったのであろう。使う必要が余り無く、山済みとなっていたバケツがふんだんに使われたのだ。
 通称バケツ。この中に満たされた液体、または粉末もある---は艦娘たちの外傷、内傷問わず短時間で癒す効能がある『薬物』である。香りは7種類あり、使用を許可された艦娘たちは自分達の好みを選択してバケツを使う。投入するのは壷風呂だ。香りの良い赤道直下参の木材をふんだんに使った広々とした湯船ではなく、駆逐たちであればふたりまで入ることの出来る個人用の大きな壷の中でゆったりと浸かるのである。
 大和も幾度か使ったことがあった。好みの香りに包まれ、程よい温かさの湯に浸かると疲れも一気に癒えるというものだ。

 (……穏やかな夜、としたのですね)

 非常事態が長く続けば不安が伝播する。日常と非日常の区別はしっかりとつけるべきであった。
 日常が壊れることを、非日常という。
 最前線であるショートランド泊地であるからこそ、緩急のメリハリが必要であるのだ。

 昨夜までは灯っていなかった窓に小さな光があった。
 それを見、大和は歩き出す。

 聞けば昼間は艦娘たちの大移動があったという。
 男は体を癒した艦娘から順に割り振った部屋へと案内したのだ。
 負傷時は全く気にならぬ事も、いざ癒えると不満に思う事柄も増えてくる。特に寝所は顕著であった。
 ラバウル基地所属の艦娘たちは全員宿舎に入り、泊地に在る者達と変わらぬ処遇としていた。二十四日にショートランドを出航したタンカーも十二時間ほど前に泊地へ着している。乗務員他、艦娘たちも数日間過ごしていた場所である。慣れた様子で部屋の鍵を貰い、早々と宿舎へと入っていたという。

 帰還の挨拶を終えた艦隊はそれぞれの部屋に戻ってゆく。
 報告は今日の昼となったからだ。
 大和は青葉と共に駆逐組の棟へと赴き、そっとふたりをベットに横たえ部屋を出る。
 あくびを噛み殺す青葉と視線が合う。ばつの悪そうな顔をされたが労い、気にする事は無いと笑えんだ。

 自室に戻った大和が報告書を書き終えふと窓に視線を振れば、提督が座す執務室にはまだ煌々とした光があった。
 大和には眠気が無い。帰還の最中、イオナの好意によって艦娘たちはその船内で仮眠を取らせてもらっていたからだ。
 だが提督は昼も夜も睡眠を取らず稼動し続けている。人間は脆い。耐久力が強い艦娘であっても睡眠不足は大敵なのだ。
 提出する報告書の草案を、メモしていたものをまとめただけであったが、時刻は既に四時を回ろうとしている。日の出までもうすぐであった。


 男は執務室にてアルペジオ勢と共に居た。
 日中、夜半とただ帰りを待っていただけではない。
 戦果や状況などはイオナを通じヒュウガによってあらましが男へと伝えられていた。
 詳しい状況は大和がまとめているであろう報告書を待てばよいだろうが、本日午後に予定している第二派の準備を整えておかねばならなかったのだ。

 「ってことでタカオ、あんたちょっと分解されなさい」
 「いきなりなによ! 説明くらいしなさいってば!」

 全くである。
 男はタカオに椅子を進め、まずは礼を述べた。
 深海棲艦の情報を前以て入手できたお陰で、艦娘たちの損傷が予想よりも少なく済んだのである。
 タカオは頬を赤らめる。そしてふい、と横を向いた。決して貴方のためにやったわけではないのだから、という言葉つきで、だ。
 男はその様子を感慨深げに見ていた。テレビや漫画のままである。タカオという人格はまだ、好意や感謝の念を向けられるのに慣れていないのだろう。
 突っ込んでは悪い。軽く流し、ヒュウガの説明へと移行した。

 要約すれば以上である。
 この世界にはアドミラリティ・コードが存在してはいない。よって霧の艦隊もまた存在しえないものである。
 霧を形作るナノマテリアルもまた、近しい物質は存在するものの合致するものは今現在のところ皆無であった。
 しかし現実的に東洋艦隊の一部がなにを原因とするのかは不明であるが、地球という概念を同じくする、別の次元に来てしまっている。
 素因は不明瞭であったが、媒介が何であるかは判明していた。
 ゲート、である。
 これに関しては霧が硫黄島に集っていた際、近づいてきていた低気圧に伴うなにか、が要因のひとつであると推測されていた。
 硫黄島に在ったものたちがなぜ遠く離れたラバウル近海に出現したのか。その謎は解き明かされてはいない。ゲートが原因である、とは断定出来るものの、因果まで深く探るには情報が足りなかった。

 が、それはひとまずさておき。
 コンゴウが束縛されている海域に開き続けているゲートを調べるのが手っ取り早い方法だろう、という結論に至っていた。
 記録を参照出来るよう、タカオにも閲覧権限を出している。
 
 「で、私を分解するってのと話が繋がってないんだけど」
 「ここに集合しようって話になってるのよ」
 
 指差したのは床だ。ヒュウガは続ける。
 「ただ深海棲艦が邪魔なわけ。コンゴウが動こうとすると牽制してくるんだって。今のところはまだ、仲間と認識はしているみたいなんだけどね」

 同じゲートから出てきた存在として。

 「面白いことにあれらは戦って負け寝返っても、奪い返そうという行動には出ないみたいなの」
 
 ただし、敵として再認識し破壊しようとしてくるのだけれど。
 ヒュウガは笑みを浮かべる。
 「だけどここで問題が浮上するのよ。この世界には私たちを傷つけられる兵器が、限られてるってことね」

 霧の艦隊が人間側に集まるには一度、負けを装わないといけないのだ。それが一番難しい。

 例外であるのが大和が撃った46cm三連装砲である。
 ある意味、ヒュウガは目を見張っていた。なぜなら今、現時点の暦はヒュウガたちが存在していた時間軸から見ても、過去に逆行していたからだ。
 メンタルモデルを手に入れるまでに交戦した記録を遡ったとしても、艦娘たちが使用している兵器の目録が見つからなかった。
 なぜなのか。答えは簡単だった。
 既に使われなくなった骨董品であったからだ。

 霧が人間を相手に戦ったとき、その兵器のほとんどはイージスシステムを積んでいた。宇宙に打ち上げた衛星と回線同調させ、高精密な射撃を可能としていた。
 それと比べれば艦娘たちの使う兵器の、なんと旧式であることか。
 ただその型落ちを使ってなお、メンタルモデルを形成しえないナガラ型とはいえ、クラインフィールドを突破した破壊力は侮りがたい。

 だが言い換えれば、それ以外では霧の艦隊に損傷を与えられないということだ。実際的にタカオに付随していたナガラを沈没させたのはタカオのミサイルである。
 出来るだけ霧は、霧という存在そのものを人間に秘匿しておきたいと考えていた。そして男としても霧という大きすぎる力は早々にご帰還願いたい、と願った。
 両者には共通の目的が出来、男と霧の総意の元に考え出された方法というのが、以下である。
 もし艦娘がナノマテリアル製の装備を手にしたならばどうなるだろうか。という発案を元に軽くではあるが塗布してみたのだ。目を見張る結果であった。塗っただけで威力が上がったのである。その倍率は塗る厚さによって変化した。
 ということで一時的に艦娘たちの武器弾薬にナノマテリアルを塗布しよう、ということになったのだが如何せん、ナノマテリアルは有限である。イオナを形成するナノマテリアルを使うのは、作戦遂行に支障をきたす恐れがあるため却下された。となれば残るは第一次合流組みのタカオである。しばらくの間、タカオには以前同化したときのようにイオナと一緒になってもらい、浮いた分を艦娘に回す案であった。

 「なんでよ。私や伊401が出ればいい話じゃない」

 そんな回りくどい方法をとらなくとも、直接的に霧が動けばいいだけの話だとタカオが反論する。
 ヒュウガやコンゴウもそれを考えなかったわけではない。
 霧がこの世界の招かれざる客であるとはいえ、さっさと動き戻る算段をつけたほうが手っ取り早いはずであった。
 だがこの世界は霧を拒絶している。

 「イオナ姉さまやタカオには掛かってないようなんだけど、大戦艦であるハルナやキリシマ、コンゴウにはあるようなのよ」

 自由に動けない、まではいかないが、動きにくい鎖のようなものが体に巻きついているのだという。
 目に見えるものではない。暗視やレーダーに映るものでもない。だが何かが体に絡み付いているのだ。
 
 「その鎖に関しては私も同意よ。コアだけの状態であるためなのか、船体を持つコンゴウたちよりは軽微だけれど」

 深海棲艦はコンゴウを始めとする艦戦を強き仲間、として認識しそれぞれの旗艦としている。まさしく自然界における群れである。
 だが旗艦同士が距離を置かず近くに存在することを厭うような行動をとっている個体もあった。
 それは命令系統が混乱するからではないか、とヒュウガはコンゴウとハルナに幾つかのパタンを試してもらいながら理論立て予想していた。
 旗艦が群れの長なのである。群れと群れが近すぎるとそれぞれの命令がこんがらがり、上手く伝わらないのであろう、というのが見立てだ。
 
 はっきり言って霧はこの世界に在ってはならぬものであった。
 なぜ今あるのか、全く分からない。分からないがそれでも、この世界が霧を異物として認識しているとは想像出来る。
 アドミラリティ・コードは存在しない。が、それに近いもの、似て非なるものがあるのであろう。

 「世界にある理(ことわり)に背いて無理矢理私たちが動くより、理の内側にある存在の方が事を成しやすいのではないかとの判断から、艦娘たちに動いてもらうことになったの。お分かり、タカオ?」

 それでもタカオには納得いかなかった。
 以前イオナにナノマテリアルを渡したのは艦長の危機であったからだ。相思相愛振りを見せ付けられ、傷心していたのは認める。
 だがこの世界には群像が居ない。
 願われたとしてもどうしても合意出来なかった。

 「タカオは群像に、会いたくない? 私は早く群像の元に帰りたい」
 「っ!」
 
 長い間、黙っていたイオナが口を開き、首をかしげる。
 タカオとて艦長の元に戻りたかった。
 なぜこんな場所に居るのだろう。居なければならないのだろう。
 負の思考が答えの出ない演算を繰り返す。

 「悪いね。ちょっと口を挟ませてもらっていいかな」

 この泊地の長である男が笑みながら周囲を見回す。
 「俺の予想としては、霧の艦隊が最深部に集まれば何か、変化が起こると考えているんだ」
 男が前置きとしてそう言い、続ける。

 そもそも霧の艦隊はこの世界に在らざるものである。それがどういう理由でか、世界線を跨いでこちら側に来てしまった。
 霧の艦隊が出てきたゲートは今も開き続けている。三箇所同時に開いたうちひとつは既に消滅し、もうひとつも収縮傾向にあるという。最深部に在るのは最も大きくかつ今なお深海棲艦を吐き出し続けているのである。
 とある説では世界とは多重螺旋構造になっており、鏡に映るこちらとあちら、両方に鏡という境界線を置いて似たような領域があるともされている。
 また境界線を引いて横同士にある世界は、その世界を存続させるために異物を排除するという自浄作用がある、とも考えられていた。
 実際的にそれが本当か嘘か、区別をつけることは難しい。
 だが。

 「可能性は大いにあると考えている。霧の艦、ひとつひとつでは単色だとしても、重なりあうと黒になる」

 深海棲艦が霧の艦隊を個別に引き離そうとしている理由について考えたとき、指揮系統が混乱する、というだけでは弱かった。
 なぜならば今現在、ショートランドが確認出来ている最も大きな群れとしての数は百前後である。姫と鬼が複数在ったとしても、混乱する素振りを見せたことがない。小隊の数は最大で六という艦娘の安全数と同じである。中隊はその小隊が五つほどまとまった数だ。そして大隊は中隊を三つから四つの塊から成っている。
 男もまさに今、知ったばかりであったが、霧の艦隊たちには鎖が掛けられているという。重巡までであれば拘束を付けられてはいないようだが、戦艦にはこれでもか、といわんばかりにがちがちに固められている。砲撃等は出来るだろうが、移動する際に何かに引っ張られているような気がした、と。
 
 脳内で幾つかの状況を思考する。
 深海棲艦が距離を置いたのも、はやりこれが原因ではないか、そう思るひとつを突き詰めてゆく。
 
 出没したゲートに霧の艦隊が引っ張られているのはなぜか。そもそもゲートが固定化するのは珍しい現象である。
 いつもはある一定数を吐き出せば、役目を終えたとばかりに消失するもの、である。それなのになぜ在り続けているのか。
 この世界が霧の艦隊を不必要な異物と認識したのであれば、取り除こうとする作用が働くと考えられる。しかも霧の艦隊はたった一隻であっても強力な破壊兵器だ。それが大量に押し寄せて来たのである。
 世界もさぞびっくりしているに違いない。開き続けているのは霧を排除するためであり、ひとつ残らず外に放り出すまではこのまま継続するだろう。
 深海棲艦には基本、思考能力を持っていないとされていた。持っていたとしても鬼や姫に限られる。だが思考能力が無くとも本能は備えていた。
 生き物は死を厭う。深海棲艦も沈む際、断末魔を上げるという。それは鉄板が水圧によって軋み立てる音に似ていると聞いていた。

 深海棲艦は霧の艦隊という己より数十倍も力を有する存在を見つけた。
 旗艦にすれば己たちが壊れる確率も低くなるであろう。だがゲートが、深海棲艦を吐き出すために開くゲートが霧の艦隊を奪おうとする。
 由々しき事態である。
 安全安心を確保出来たというのに、奪われては忌々しい艦娘という存在に滅せられてしまうだろう。
 ゲートから引き離せ、そして強きものの側から離れるな。

 というやり取りがもしあったとしたならば、深海棲艦は霧の艦隊をばらばらにするであろうな、と男は考えたのである。
 そして今だ開き続けているゲートを守らせているのだとすれば、全てに納得がいく。例え姫や鬼がそれだけ殺されようと、幾らでも湧いて出るゲートがそこにあり続けるのである。人間側にとっては冗談ではない事態だが、深海棲艦にしてみれば地球に住まう先住民、人間を根絶やしにすることが目的だ。味方が次々と現れるのならば、反旗の狼煙を上げている拠点に特攻してもなんら問題はない。後から続く同種がさらに追い討ちをかけるだろう。

 (まるで磁石だな)

 イオナとヒュウガの話を聞き、霧の艦隊とゲートは磁石のN極とS極のようだと思ったのだ。
 どんなに強力な磁石でも複数個に砕いてしまい、距離を置いたならば引かれる力も弱くなるであろう。
 だが寄せ集め、一箇所に積めば砕く前とほぼ同じ状態となる。

 「もし、……起こらなければ?」
 「別の方法を考えるしかない。因果は一揃えだが、間違えてはならないのは現在の『目的』だよ。こちら側に来てしまった原因を探るのではない。君達は戻らなければならないからね。そのための方法が欲しいんだ」


 タカオは腕を組み思考する。
 男の言に嘘はないであろう。嘘をつく利得がないからだ。イオナやヒュウガの会話記録を見ても、霧が現れたことにより、男に多くの負担が圧し掛かっているようであった。損得で判断するなら損であろう。
 タカオと提督は出会ったばかりである。まだ信頼できる相手とは思えない。だが男が霧を利用しようとしているようにも見えなかった。
 聞けば深海棲艦は人間よりも強い存在だ。それを駆逐するために人間がまず行なうのは、霧の取り込みだろう。出来なければ破壊、という浅はかな思考を選ぶ。使えなければ殺してしまえ、放置しておけばなにをしでかすか分からない、という理由でだ。
 だが目の前に居る男は、少なくともバカな部類ではないようである。霧を受け入れているのは合同で当たるほうが物事が滑らかに進行するからと割り切っている。
 どちらかと言えば元の場所に帰りたいと願うイオナ始めヒュウガに協力的であった。
 男が言う、もしもが起きない場合もあった。だが全くおきないと断じるのもまた早急だ。

 ハルナとキリシマとの合流後、なぜか本来の姿に戻ることが出来たキリシマから、タカオ分のナノマテリアルを補填するつもりである。
 そう聞いたことが決断の後押しになった。
 男の言うとおりである。どうしてこうなった、と原因を洗うより、まずは帰る算段をつけるべきであった。
 全てを否定するより、万にひとつの可能性でも試してみるべきだと考えを変えたのだ。イオナの言うとおり、早く艦長に会いたかった。二度と会えないとは考えたくはない。

 タカオはメンタルモデルを維持出来るだけのナノマテリアルを保持し、三分の二をイオナへ譲渡、残りを艦娘たちが使う兵器への強化へと充てた。これでイオナやタカオでなくとも、子供のような駆逐艦の娘たちでさえ、弾を充当てることが出来たなら霧に損害を与えられるだろう。ナガラにとっては厄介な飛び火だ。

 アルス・ノヴァモードとなったイオナは前回と同様、タカオからの兵器を全て引き継いでいた。
 男は再度、タカオへと礼を伝える。

 「勘違いしないで。私は私に出来る最善の行動をしているまでよ!」

 ふい、と青の髪を揺らし背を向けたタカオの頬は真っ赤に染まっていた。
 「……けれど、感謝の意は、貰っておいてあげるわ」


△▽△▽△▽△▽△▽△▽


 第二海域へと出る艦隊は武蔵を旗艦とし編成された。ただし嚮導艦はイオナである。
 ハルナとキリシマからの情報によれば、深海棲艦はナガラを旗艦に据え海域に広がっているという。
 ゲートは消失していたが吐き出された数が洒落にならなかった。数は両者が把握しているだけで六十である。そこにナガラ型が五とキリシマとハルナが居る。
 はっきり言って一艦隊だけで捌ききれる数では無かった。男は夜戦を主軸に討伐隊を編成した。イオナに運んでもらう総数は合計十七名、三艦隊である。
 主軸となり最深部へと突入する艦隊が第一とし、第二と第三は第一艦隊を挟むように進撃するローラー作戦だ。
 
 昼食時、食堂に張り出された召喚に多くの駆逐艦たちが己の名を探した。
 歓喜と落胆が入り混じる。
 選考の基準として先日行なわれた、動く的当て実弾ゲームで高得点を取った幾人かが選抜されていた。
 その他の備考としては、ラバウルから脱出して来、今回の作戦に志願した駆逐艦も含まれている。
 
 今回、駆逐艦たちは戦艦の護衛だけが任務ではない。むしろ護衛は二の次であろう。
 この作戦では駆逐艦たちこそが花形であった。
 男は泊地に赴任した最中に起こっていたアイアンボトムサウンドにおいて、多くの提督が戦いに挑んでいた昼間ではなく、夜間に船を進めた。
 その戦法を再度使おうとしているのだ。闇夜に乗じて敵を討つ。なんとも忍者っぽくてよいのだという理由である。

 しかも今回は特に短期決戦とし、今年が終わるまでに決着をつけようとしていた。
 正月などあってないようなものだが、提督である男はこの件を早々に終わらせようとしていた。

 出発はイチゴーマルマルである。
 名が挙げられている艦娘たちが慌しく昼食を食べ、艤装の点検のために工廠へと走っていた。
 整備を担当する工員も早々に食堂から立ち、技術を振るう現場に入る。
 泊地から少しばかり離れた沖合いでは、ヒュウガが潜水艦たちによる歓迎を受けながら、出立に際しての念入りな調整を行なっていた。
 
 作戦本部では三艦隊の旗艦が集まり、作戦の目的と概要が説明される。
 装備の点検を終えた駆逐艦たちも集い始め、部屋の内外は人口密度も相まって熱気に蒸れていた。
 冷やされた麦茶を喉に通しながら、航路の照会を行なう。

 誰もがこの作戦の難解さに息を呑む。誰もがこの作戦の進行速度に目を丸くした。
 短期決戦に持ち込みたい理由は分かる。だが余りにも時間設定がタイト過ぎた。今までに無く艦娘たちを酷使する内容であったからだ。気でも触れたか、と思わんばかりの時間構成であった。
 なぜなら翌日、二十九日の1400には次の作戦が実行されると発言を聞いたからだ。休憩などあってないようなものである。
 だがラバウル基地を落されているのだ。海路の要所といえるトラックがその北にあった。本土からショートランドに物資を運ぶ際、必ず通る場所である。この基地の生命線と言ってもいい。焦ったとしても当然か。
 相次ぐ出撃のため最も疲労しているであろうイオナに視線が集まるが、間宮特製の甘味を食べ続けているからであろうか。全く疲れているようには見えなかった。堂々とした様である。
 それよりも集まっている艦娘の数名が落ち着かない様子で視線をあちこちに彷徨わせていた。

 第一艦隊の主任務は第二海域Bにある本隊を叩くことだ。
 場所の特定は既に出来ており、その海図が透明なプラスチックスボードを使用した戦況表示板に描かれ置かれている。配置されている深海棲艦が赤のマーカーで真っ赤に染まっていた。
 中央突破航路が最も色の濃い地域だ。その次が南方航路、最も数が少ないのが北方航路である。
 南方は第三艦隊の駒が置かれ、北方は第二艦隊の持ち場とされていた。

 それぞれの艦隊を任された旗艦が座標を頭に叩き込んでいる。攻撃を主に行なうのは駆逐と軽巡、雷巡の艦娘たちだ。
 通常、深海棲艦に対する主力として扱われるのは戦艦や空母である。薄っぺらい押せば音が鳴るような駆逐艦のそれとはちがい、戦艦の装甲は厚く頼もしい。敵の砲弾が一発や二発直撃したとしても、砲塔は鳴り止まず撃って来た存在を屠ってゆく。空母と並び、戦艦はどの鎮守府でも欠かせない主役であった。
 変わって駆逐組の仕事は主に護衛や哨戒、偵察や輸送任務がほとんどだ。戦闘海域に共に向かい、戦艦が砲撃時、敵の潜水艦や軽巡、重巡が近づいて来ぬよう牽制することも重要な仕事ではある。だがどうしても見劣りするのである。水雷戦の要ははやり軽巡だろう。戦艦には劣るが装甲もある程度固く、砲撃も雷撃もそつなくこなす。駆逐組は数で勝負とも取られる露払い要員であり使い捨てが基本だと腐る艦娘も確かに居た。

 「わ、私が主力、ですか?」
 「そうよ。暁たちの出番なのよ!」

 第二艦隊に含まれている吹雪が胸を押さえる。吹雪はラバウルから逃れてきたひとりだ。ただ言われるがままに逃げてきた。
 だから何かがしたかった。駆逐艦として冷遇されてはいたが、基地は家であった。多くの戦友たちと笑い、泣き、別れてきた大切な場所であった。それを奪われたのである。一矢報いたかった。
 胸を張り自信満々に笑む暁が吹雪の手をとる。
 
 「へっちゃらよ! 暗い海は最初こそ怖いけれど、だからこそ小回りが利く私たちの実力が発揮されるんだから」

 渡された装備もラバウルでは持ったことの無い61cm五連装(酸素)魚雷が渡されていた。12.7cm連装砲もそうだ。訓練時には12cm単装砲が主であり、その他任務時にも良い武器を手渡されたのは数えられるほどであった。
 駆逐艦が冷遇されていたわけではない。良い装備を持った、決戦地に送り出された多くの仲間が戻らなかっただけだ。
 
 間宮手製の握り飯がイオナの中に運び込まれる。
 梅と昆布がひとつずつと、特製卵焼き、そしてタコウインナーとブロッコリーの詰め合わせだ。
 その他甘味も数種類と緑茶、玄米茶が積み入れられた。

 ショートランド泊地の出撃は、ピクニックのようである。悲しみの会話は無い。吹雪は高速潜水艦イオナの船内に入り、両手を握り締めた。

 ヒトゴーマルマル。
 泊地から伊401が出航する。
 船内では艦隊ごとに固まり、作戦内容の再熟読が成されている。最も真面目に打ち合わせをしているのは旗艦を扶桑が務める山城姉妹が率いる第三である。他の艦隊が不真面目、であるわけではない。第一は打ち合わせを早々と終えていたが、作戦内容がまっすぐ突き進めという簡単な指示であったからに他ならない。第二は要点を押さえた説明で、とんとん拍子に終わってしまったのである。伊勢や日向に言わせれば、扶桑、山城姉妹はおっとりしすぎなのだ。説明も丁寧で分かりやすいが、如何せん時間が掛かる。
 今回、彼女達の艦隊にはひとりを除いておっとりとした少女達で固められている。ただ戦いともなれば、性格が激変する幾人も居たがそれはまた、別の話だ。編成したのは提督である。考えて配置したのであろう。

 「余り気を詰めぬようにな、扶桑」
 「ええ、ありがとう、日向。気にかけてくれてありがとう」
 
 言葉が交わり、離れてゆく。
 既に第二艦隊の艦娘たちは弁当を取りに行っている。第一艦隊の娘らは既に食べ始めているようだ。
 (慎重にならざるを得ないのは、重々分かっていが)
 日向は和気藹々とした雰囲気の中、続いている打ち合わせの輪に振り向いた。
 彼女達の行う入念なそれは一度でこの作戦を成功させ、その勝利を持ち帰るために必要なものであった。
 聞こえてくる言葉に悲壮感や後退感は無い。出来るかしら、ではなく、こうしましょう、と聞こえてきた。日向は薄く笑む。

 両姉妹は変わった。自己評価が低く、何をやっても失敗ばかり、自分達には価値が無いのだと後ろ向きであることを止めてから、彼女たちはいい風に変わった。
 変えたのは提督である。何が起こったのか、今でも分かってはいない。だが日向はそれを探るつもりは無かった。
 黒の姉妹は良く笑うようになってた。ずっとこうでなければならない、こうあるべきだと己たちを型にはめようと頑張っていたのだ。
 が、ある日突然、変化した。全てが同一でなくとも良いと分かったからだ、と、今まで心配を掛け続けていたことを謝罪されたのだ。
 現提督が着任する以前に目を覚ましていた日向と扶桑である。付き合いもなかなかに長いほうであった。だからこそ、変化が嬉しかったのだ。
 伊勢、日向も彼女達と同じ航空戦艦であるが、得意とする分野が違っていた。それが当たり前なのである。それぞれが違っていて普通、であるのだ。
 とはいえ頭痛の種はまだいくつも残っている。前提督が蒔くだけ蒔き、放置していった芽がすくすくと育ってきていた。
 (……いや、今はまだいい。提督ならばなんとかしてくれるだろう。兎も角、今夜の作戦だ、切り替えねばな)
 
 日向は幾つかある、気をつけておいたほうが良いことを脳内で挙げてゆく。
 片付いていない問題もあるが焦る必要は無く、ゆくゆくでよい。最優先課題は既に伊勢に任せたのだ。上手く誘導してくれるだろう。
 (……もう一度航路の確認だけはしておかないと)
 記憶力には自信があったが、大丈夫であろう高をくくるのは良くない。提督の口癖どおり、慢心良くない絶対ダメ、なのである。
 第二と第三は中央に集まっている深海棲艦を左右におびき寄せる役目を帯びている。真ん中にあるものが二手に分かれれば、中央が手薄になるだろう。全く戦闘がなくなるか、と言われると否、だろうが随分と楽になるのもまた確かであろう。
 海域をかき回す。
 進軍する第一に深海棲艦が群がらないよう、左右が呼び集めながら戦うのである。


 作戦海域までは約六時間の行程だ。第二海域BはAの奥にある。だがタカオとの融合によりイオナの潜航速度が格段に上がっていた。そして前回見つけた海流に乗れば一気に距離を稼ぐことが出来る。
 吹雪は居心地の悪さを感じていた。基地が変われば雰囲気が変わると聞いてはいたものの、ここまで違うとは思っていなかったのだ。
 ラバウル基地の司令官は生粋の軍人であった。国防軍で多くの経験を積んだ50代のキャリア組である。
 彼は艦娘に対し、付かず離れずの立場にいた。お気に入りの艦娘も居たが、それはごく一部である。
 彼は有能であった。だからこそどんな命令も冷静沈着に艦娘へと伝えていた。性格は硬性であり悍威(かんい)だ。だからこそ被害に対し冷徹に事の推移を見通し、艦娘を兵器として運用していた。
 損害と戦果を冷静に計り、指示を出していた司令官をラバウルの駆逐艦たちは気難しい人だと、そう評していた。出来れば会いたくはない上官に分類されていた。
 だが吹雪にとっては、着任したての彼を知っている吹雪にとっては、責任感が強く使命に燃えた、あの日の面影がちらつくのである。一体どこで道を違えてしまったのか。
 
 変わってショートランドの提督は気安い人物であった。
 泊地には南国特有の緩さが見て取れた。それはラバウル基地があった島内の村々と同じ雰囲気である。最低限の規律は守られていた。出会えば敬礼する挨拶などだ。しかし言葉遣いは上官に使うに適さない数々が放たれていた。であるのに、提督は全く意に介さず通り過ぎた。吹雪にとっては衝撃的であった。
 ラバウル提督に敬語を使わず話しかければそれだけで処罰室行きである。
 (ああ、だからこの泊地のみんなは……)
 吹雪は肩に入れていた力がすっと抜け、脱力気味になって思った。本土から送られてきた資料にあるような、思わず目を見張るなる戦果を叩き出せているのだろう。
 (……羨ましくなんてない、って思ったら嘘になっちゃうな)

 隔たりが無かった。
 ラバウル基地は、きっちりと別たれていた。仕事をする場所と、そうでない場所が。
 だがショートランドはどこに行っても賑やかしい。艦娘たちがのびのびと生活している空間がどこまでも続いていた。
 堅苦しくはない。
 ラバウルでは軍に、国を支える軍に属しているのだ。如何に女子供であろうとも規律は守らねばならない。
 そう言われ続けていた。

 思い返すことが何もかも違う。今までの常識が崩れてしまった。
 吹雪は知ってしまった。もうあの場所には戻れないだろう。

 艦娘は人間ではない。戦艦の魂を持つ、人の形を模したなにかである。
 突き詰め考えればなぜか眠くなったり、急に体が震えるなどの症状が発症した。
 自分が一体何者であるか。吹雪は知りたかった。だが知れば壊れてしまうだろう事を本能で理解していた。
 守れなかったものを守るために。提督の言うとおりしていれば、何も間違いは無いのだと。守ることこそが正義である。考えなくとも良いように、己に責任を課した。
 
 吹雪が居たラバウルでは艦が捨てられていた。
 そのまま、文字通りの行為だ。
 その日、誰が生きて誰が死ぬか、選択を行なうのはラバウル提督であった。
 吹雪は捨てられた多くを見てきた。
 長く生きていればそれなりに錬度も上がってゆく。最初は曖昧であった最期の刻をも思い出せるまでになっていた。
 艦娘は当初、己の名と使命だけを強く意識して目覚める。
 一体ここがどこであるのかを気にする娘はほとんどいない。
 ここが戦地なのだと、かつてあった戦争に似た状態にあるのだと知り、そして選択する。

 戦うか、戦わぬか。
 
 多くは前者を選ぶ。なぜなら志半ばで沈んだからだ。
 守るために戦い無念の中で沈んだ多くが考えるのが、『やりなおせるだろうか』という一点である。
 無論後方支援を願う艦娘も居た。

 海に出るのは良いが、いざ敵と出会うと竦んでしまうのだ。
 かつての記憶に雁字搦めにされ、緩和する術も分からないまま引きずられ発狂する。

 ラバウルでも居た。
 ショートランドにも居るという。

 ラバウルではそういう艦娘は例外無く物資を輸送する任務に専属させられた。
 そして物資を運び続ける。
 休みなど無い。戦場に出る艦娘に関しては帰港後十二時間の自由時間を与えられるが、輸送任務に就く艦娘たちはひとつが終わればまた次と、休む暇を与えられず海に出されていた。
 しかし誰も文句は言わなかった。
 なぜなら自ら否定したからだ。艦船の魂を持っているのに、戦いを放棄した。
 ならば戦い続ける選択をした仲間の礎になるのだと、寝る間も惜しんで海に出続けていた。

 そしてある日倒れるのだ。
 食も満足に喉を通らず、少し疲れたと瞼を閉じその鼓動を止める。
 そうなった艦娘は工廠に運ばれ、二度と同じ存在に出会うことは無かった。
 同じ名であったとしても、最低限の記憶を持った無垢な魂の転成なのだ。

 かたかたと体が震える。
 頑張ろう、また明日ね。
 そう会話していたとしても、だ。
 例え同じ姿をした、同じ名前の艦娘だとしても、言葉を交し合ったかつての彼女ではなかった。
 解体され、再度組み上げられる。艦娘は代えが利く道具だ。
 
 (わかって、いるわ)

 人間に近い体を持ったとしても、艦娘は艦船の延長上にある人間が作り上げた道具だ。
 しかし割り切れない想いを持ってしまった今、そう思うことが苦しくて仕方が無かった。
 
 (誰もが心を殺していた)

 生きるために。生きたいと願ってしまったが故に。
 やり直す時間を与えられたが故に。
 だから勝手に決めていた。この気持ちは誰にも伝えてはいない。ラバウル基地では伝えられなかった。
 貴方達の犠牲は無駄にしない。課せられた使命を果たし、守ると。
 
 提督も、艦娘も消耗され続ける日々をただ無感情に受け入れていた。
 吹雪もそうだ。
 心が磨耗していた数日前には考えなかったことを、今、考えていた。

 (私たちは、一体なんなの? 何のために戦ってるの? こんなことなら、いっそ……)
 「私たちは何の為に戦っているのだろうね」
 
 吹雪は唇を抑えていた両手を上に上げ、思わず万歳の体勢になった。叫ばなかった己を内心で褒める。
 そして掛けられた声と自分の心が同じ意味を指していると数秒後に認識し、振り向く。そうすれば伊勢が立っていた。
 体を覆う大きな艤装をつけたまま、どっしりと重量感をもってそこに居た。
 駆逐艦にとって戦艦は手の届かぬ遠い、はるか階上に立つものたちだ。思わず体を硬直させる。

 「目覚めた幸運に感謝し朽ち果てるまで戦うべきか。それとも覚めぬ夢を見続けたほうが良かったのか。って日向も眉を寄せて、しかめっ面しながら言っているわ」

 航空戦艦、伊勢。
 彼女は吹雪が配置された第二艦隊の旗艦であった。
 ちょっとお話しましょうか、と差し出された手に引かれるまま小さなミーティングルームへと案内された。
 出されたのは紙コップに入った甘い珈琲だ。ミルクもたっぷりと入っているそれに口をつけ、頬を緩ませる。
 ラバウルでは珈琲だけは、誰もが自由に飲める飲料として置かれていた。提督が大の珈琲好きで島に住む人々から、安くは無い金額で買い上げていたのである。
 誰であってもいつでも、珈琲くらいは飲めるように。ラバウルでは至るところに珈琲豆が置かれていた。
 基地の珈琲とくらべ、今飲んでいるそれはほんの少し酸味が強かった。
 
 「実は貴方に伝言を預かっているの」

 伊勢は言葉を選ぶ。その視線は真っ直ぐ吹雪に向く。
 日向からも注意して見ておいて欲しい、と頼まれてもいた。ラバウルからの志願者の精神が揺れている可能性がある、と。
 それはそうであろう。聞きかじった情報だけである。が、その惨状は悲惨の一言であったからだ。
 ショートランドがそうならぬ、とも限らない。明日はわが身である。

 「帰りを待っている、だから絶対に戻ってきて」

 睦月からの言葉であった。
 ラバウルから共に逃げてきた駆逐艦の仲間だ。
 吹雪は真面目すぎるのだと、いつも眉に人差し指で皺を作りながら笑っていた。
 彼女は体中に傷を負い、療養室にいる。バケツを使ってもらい傷は癒えた。だが負った傷の痛みがぶり返すのである。幻痛を多くが患っていた。吹雪は運よく外傷を、ほとんど負わずにショートランドにたどり着くことが出来ていた。
 ラバウル代表として動くことが出来るのは、吹雪とそして神通のふたりだけだった。
 神通は泊地に残り仲間たちの看護助手と、ベットの上からは言い出しにくい意見をショートランドの提督へと伝える役に付き、吹雪が戦闘に出ることとなった。
 自慢ではないが吹雪は的への命中確率が高い。一航戦たちのように航空機を飛ばすことは出来ないが、その練習、弓道の弓と矢に何度も触れさせて貰え引く機会があったのだ。精神統一後に放つ一矢が的の中心に当たれば無性に嬉しかった。空母たちも練習を止めなかった。何かに没頭することは、努力を積み重ねることは、どんなことであっても無駄にはならないと知っていたからであろう。

 吹雪は笑む。
 そして礼を伝えた。海の上で沈んでもよい、そう考えていた思考を捨てたのだ。
 友が帰ってくるのを待っているという。ならば戻らねばならない。

 「我らが第二艦隊、そうやすやすとやられはしないけどね」

 吹雪は席を立った伊勢の背についてゆく。その手には温くなった紙コップが握られていた。


 △▽△▽△▽△▽△▽△▽

 フタマルゴーゴー。
 予定よりも五分早く第二海域の入り口に到着した。位置的にはラバウル基地の北西だ。
 空を見上げれば薄雲が広がっているものの、幾億もの輝きが視線の先を埋め尽くしていた。光が密集しているのは天の川である。
 誰もがゆっくりと、だが確実に海面へと下りてゆく。

 ここからは部隊ごとの作戦行動となる。手のひらを合わせあう者、視線を交わし笑み合う者と様々だ。
 だが艦娘たちは心を引き締める。
 深海棲艦は学習する、という。提督が言っていたのだから間違いないであろう。
 いつも艦娘たちが六隻編成で海に出るには理由がある。
 なぜであるのかは解明されてはいない。が、深海棲艦は六隻以上の艦娘が集っていると、正確にその位置を把握できる能力を持っているらしい、のだ。
 根拠としては大湊へのタンカー輸送任務である。かつて男が大湊に行きたいと願う娘等と遠征任務に就く六人をまとめて送り出したことがあった。
 その際、いつもは小規模な戦闘、駆逐級及びどんなに強くとも雷巡との遭遇が五回程度であるのに、十人まとめての時は敵側に空母や重巡、戦艦が紛れていたのだ。しかも遭遇回数は十二回を数えている。
 仮説を立て大湊の指令へとそれとなく尋ねてみたところ、「そんな基本的なことをなぜ知らぬ」と一喝された。
 理屈はわからない。だが現状、そうなっている。
 出撃する艦娘が規定の六隻にプラス一されるだけでも群がってきた。その様は餌を見つけた魚のように、と表現するほうが適切か。
 深海棲艦に見つからず航行できる、最大の数が六という数字であるのだ。

 だが今現在、この出発点には十七人の艦娘たちが居る。
 当然、深海棲艦に存在がばれているだろう。だが今回はそうでなければならなかった。

 不可能ではない。しかし非常に困難な作戦である。
 三艦隊は規定数に分かれて3つの航路を突き進む。
 北と中央、そして南ルートだ。
 事前に航路が割れているのは、イオナ他アルペジオ勢の存在が大きい。
 海底地図を手に入れられたのだ。深海棲艦も生物である。少なくとも機械ではなかった。
 生き物であるからこそ嫌う場所と好む場所の差があった。男が着目したのは旗艦をしている最上位個体だ。
 深海棲艦を生き物であると仮定するならば、犬や猫、そして人間のように性格もあるだろう。ショートランド泊地では出来るだけ多くの遭遇地点を解析し人類の敵、深海棲艦の出現地点、回遊地点を海底地図と照らし合わせれば、どこに集まりやすいかの予想が立てられるようになっていた。

 深海棲艦は海流ゆるやかな深みを好む傾向がある。
 戦艦級は海底に居り、海上の偵察を行なうために浮上してくる個体は駆逐級や潜水級が多い。
 だがひとたび戦闘が始まると、戦艦級や空母級が一気に海面へと上がってくる。戦闘があった地点ではない。艦娘が進むであろう方向に、もしくはその後方に出る。進行方向に出る場合はその先に海域を支配している姫が居る場合や、艦娘に全くの損害が出ていない場合だ。そして後方であるのは、手負いになった艦娘が撤退するだろう航路に出る。
 
 艦娘たちが頷きあった。
 第二、第三艦隊が北と南に分かれ進み出す。

 提督からも言われている。
 最も被害が大きく、重くなるのは、第二と第三であると。
 言葉にごまかしは無かった。

 だから艦娘たちは打ち合わせた通りに航路を進む。
 そして時間通りに零式水上観察機を飛ばし、吊光弾(ちょうこうだん)を撃つ。
 光で釣るのだ。
 中央に多く集まってるという深海棲艦を呼び寄せる。
 
 この作戦内容を文面だけで見た場合、無謀であり無駄だと誰もが思うであろう。また錬殿高い戦艦を惜しげもなく捨て駒に出来るのは、さすが最前線である。そう皮肉られた言葉を掛けられるであろう。
 表面上だけを取れば確かにそうだ。
 しかし彼女たちは分かっていた。ショートランドを背負って立つ筆頭は不沈提督である。
 『私たちの提督が、意味の無い命令を出すわけがない』のだ。
 穿たれている穴は小さく、まさに糸を針に通すような日程と作戦である。傍目には自棄になったとも捉えられるであろう。
 艦娘たちは一寸延びればば尋延びると信じ海原へ出る。最初から無理である、そう思いながら事に当たっても良い結果など出ない。やる気だけで何事も解決するわけではないという反論もあるだろうが、行動を起さねば因果すら起きないのである。もし失敗したとしても、後に続くだろう仲間達が先陣を切った彼女らの屍を乗り越え、事を継ぎ成し遂げてくれる。そう信じているからこそ胸を張って沈めるのだ。

 暗闇に慣れていた目が突然の光に痛んだ。
 待ち構えていた敵の姿を、打ち出された光が煌々と照らしている。

 第三艦隊の旗艦を務めていたのは山城であった。姉、扶桑は零式水上観察機を操り、光が途切れぬよう撃ち続けている。
 数にして二十余り、その多くは雷巡であった。相手として不足はない。
 だが今夜、山城の役目は攻撃ではなかった。
 後ろに控える、駆逐と軽巡たちの盾になることだ。
 
 山城はなぜだか今日はいつもより艤装が軽いような気がしていた。
 久々に加わる大きな海戦で心が高揚しているからであろうか。それとも艤装をナノマテリアルという物質で上塗りしたからなのであろうか。
 陣形は単横とした。
 深海棲艦の先鋒が縦二列で向かってきている。その後ろには空母と戦艦が禍々しい赤と黄色の眼光をこちらに向けていた。
 反跳爆撃を警戒する。提督からの言で、低確率ではあるが夜間でも敵航空機が飛んでくる可能性がある、と聞いていたからだ。
 深海棲艦には強さの階級がある。艦娘たちは一様に、normal(ノーマル)であるが、深海棲艦には同種でもelite(エリート)、flagship(フラグシップ)と三段階に分かれていた。その強さはnormal(ノーマル)が1とするなら、elite(エリート)は5、flagship(フラグシップ)は10と洒落にならない格差である。
 
 今でこそflagship(フラグシップ)と対峙出来るようになった山城だが、初めて出会ったときは恐怖を感じたものである。
 関わってはいけない。逃げるべきだと、本能が警鐘を鳴らしたくらいだ。
 ……反跳爆撃は、来ない。

 山城は攻撃の指示を出す。
 T字戦であった。自陣が有利だ。
 時雨がいの一番に砲撃を開始する。それに続き、白露が人差し指を伸ばして、その先へと砲弾を撃ち込んだ。
 集められた駆逐と軽巡は皆、狙撃の名手たちである。三発中二発命中させ、敵の数を確実に減らしていた。
 天龍と龍田は剣と槍を手に、砲撃をかいくぐり接してきた固体を各個撃破している。駆逐ふたりが弾を装てんしている間、砲撃を行なうのが山城であった。
 ふたりを背に庇い時を稼ぐ。そして準備を終えたなら、ふたりは山城の背から飛び出し、砲撃戦へと戻ってゆくのだ。
 
 山城は姉を見た。
 水上を滑るように移動しながら、吊光弾を打ち出す艦載機を操り続けている。
 航空戦艦とはいえ、長時間航空機を空に旋回させ続けるのは多大な精神負担が掛かった。妖精さんが主に操縦桿を握っているものの、夜間飛行という未経験の事態に緊張しているのである。それを助けているのが扶桑の精神であった。大丈夫、私が支えているのです。怖がらないで。と、妖精さんを励ましながら光を放ち続けているのだ。
 妹の視線にふと気づいた扶桑が柔らかな笑みを返す。心配するな、と目が語っていた。山城は素直に瞼を伏せる。そして開き見据えたのは赤の光が並ぶ新たな群れであった。

 扶桑は心配性の妹に小さな笑みを漏らす。妹の心を無碍にしているわけではない。ただ嬉しかっただけだ。
 伝えたい言葉の意味が、想いが曲がらず伝わる。かつての妹を卑屈にしてしまっていたのは、姉である己であった。
 喪った当初は考えられなかった。二度と妹を持つ気も無かったのだ。だがこうして姉妹揃って戦場に立てる喜びが扶桑の中を駆け巡っていた。

 失った妹の夢を今でも見る。だからこそ今の妹に過去を踏襲させてはいけないと思ったのである。
 姿形、その言葉遣いまでもが同じであるからこそ、より愛おしい。
 史実で姉妹はほとんど実戦配備されなかった。ドックの大御所といわれ続けていたくらいだ。
 そもそも設計段階から不都合がありとあらゆる箇所でふんだんに盛り込まれていた事が原因である。二番艦である山城に至っては基本設計の無茶振りを見なかったことにし、放置されたままでの竣工となっている。原因は分かっていた。艦橋である。船の形から人に近くなることで不具合がなんとか解消され、やっと人並みの生活を送れていた。
 とはいっても何も無いところで転ぶのは当たり前で、二日に一度くらいの頻度で空から鳥の糞が落ちてくる。だがこれは日向曰く、これはお前がぼーっとしすぎなのが悪いらしい。
 ただ日ごろの行いが良いお陰で砲弾が誤って空から降ってくる不幸は。今のところ体験してはいない。

 「扶桑の元へは、行かせない」
 「分かってる! 右舷任せるね!」

 駆逐のふたりの声が龍田の耳に届く。撃ち落とす以上の敵が次から次へと湧いてきていた。
 初見の二十はとうに沈めている。最大六十との説明であったが、それ以上であるように天龍と龍田は感じていた。
 次から次へと収まることを知らない。
 吊光弾を撃ち続ける戦艦の存在に気が付き、幾ら捌いても標的となっている扶桑の方へと固まっていく。
 疲労が蓄積されていた。息が荒く肩が揺れる。衣服の汚れを気にしている暇などありはしない。
 切れた傷口から赤が垂れ流しになっていた。これが夜でよかったと龍田は思う。

 「天龍ちゃん、無理してなぁい?」

 自身に余裕をもたせるべく、わざとゆっくり言葉を放つ。
 
 持ってきている砲弾の残量は足りるであろうか。
 初戦からして最終決戦並みの敵が青白い、幽霊のような光を纏いこちらにもどっておいで、と囁いてくるかのようだ。
 実際には艦娘と深海棲艦は違う生き物である。
 なぜなら艦娘たちは古い記憶を持っているからだ。船として在った愛すべき人間を知っている。

 「ああ! まだまだやれるさ!」

 届いた声に天龍は叫び返す。
 手元がぬらりとした液体に濡れていた。海水ではない。もっと濃く煮詰めたようなものだ。
 鼻腔をくすぐる硝煙の臭いに天龍はぞくりと身を震わせた。
 北にあるはずの光が消えていたからだ。いつなのか。わからない。
 北の航路は伊勢と日向、そして木曽、川内、暁と吹雪が居る。

 まさか、負けたのか?
 思いたくない言葉が脳裏をかすめる。戦いに絶対はない。どんなに用意周到と準備して臨んだとしても、負けるときがあるのだ。
 光が燦然と輝く下は同じような状態であると。想像力に自信が無くとも、今、まさに自身が対面しているそれと同じであるならば分かる。
 乱戦に次ぐ乱戦で誰かが膝を付いたのか。小さく舌打ちが鳴らされる。
 はっきり言ってしまえば、吊光弾を打ち続ける戦艦を守りながら敵を各個撃破していくのはかなりの重労働だ。
 深海棲艦の数も明確ではない。三艦隊が集うことによって発生しているだろう、襲来の影響もある。

 木曽も川内も夜戦に一種、独特としたこだわりを持っていた。特に川内は夜戦好きが高じ、提督の言う忍者の真似事を取り入れた必殺技まで編み出していたくらいだ。

 負けるなど、考えられない。
 否、考えたくはなかった。思考が否定ばかりを繰り返す。
 だが上がっている光はひとつしかない。
 もしそうであれば、この光を目指し深海棲艦が集まってくるだろう。

 事実。北から水を切り裂く音が大きく響いている。
 いち、にい、さん、よん。
 手負いもいち、含まれているが、その他三体は無傷である。

 龍田が叫んだ。鼓舞ではない。制止の悲鳴だった。
 爆音と閃光が交わり響く。破片と爆煙が交差する中を天龍は叫びながら突き抜けた。

 「うるぁああああああ!」

 その声は空気を振るわせた。艦娘だけでなく、深海棲艦すらも一瞬、動きを止めたほどの咆哮であった。

 死ぬまで戦ってやる!
 仲間を殺したのは、どこのどいつだ!
 オレを殺す深海棲艦はどこにいる! 天龍様はここにいるぞ! 殺れるものならやってみやがれ!

 天龍は再び吼える。
 十本の魚雷が打ち出された。

 一拍の間が生まれる。瞳に灯す光が線を引いた。
 手に持つ刃によって接近していたことごとくが沈黙させたのだ。鉄が軋む音がいくつも重なり、耳障りな高音が終わればしばしの静寂が訪れる。
 繰り返されるのは水が立てる音だけであり、そこに人為的な爆発音は、無い。
 天龍が立つ位置から後方に視線を下げれば、時雨と白露が背合わせになりお互いを支えている。服の損傷がかなり激しい。それでもまだ動けると役目を終えその場に座り込んでしまった扶桑の元まで歩き、ふたりで挟みこむように立って、防御、警戒に当たっている。
 山城も白の巫女服をかなり損傷していた。だが手に持った飛行甲板を盾にし、龍田を背に庇いながら砲撃を繰り返している。艤装に積まれた41cm連装砲は小回りが少しでも利くように、と口径を落とし装備されたものであった。長時間の戦闘が続いている今、じわりじわりとその軽さが優位を得ているようである。
 
 日本海軍の魚雷は白の軌跡を生まない。
 光に導かれるようにしてやってきた重巡リ級elite を旗艦とする深海棲艦四隻は視界に入った青白い何かに反応した。
 深海棲艦は海にあるが海を住みかにする多くを襲わない。
 並び泳いだとしても無視した。
 色と形を照合し、深海棲艦はかつて近寄ってきたサメと誤認したのだ。だが違う。
 違うと考えたわけではない。目の奥に繋がる何かが回避せよと命じた。
 瞬間、重巡リ級eliteは巨大な水柱に飲まれた。爆風に、水圧に上空へと投げ出されながらその体を覆っていた鈍色がぺりぺりと剥がれ落ちる。
 鼓膜が破れんばかりの爆音が次々と起こる。後に続いていた後続に魚雷が命中したのだ。

 海域が、静まる。
 深海棲艦のなれの果てが海中へ沈んでゆく。硬直させ、もがくように沈んでゆく手のひらがあった。
 しかし天龍は感情を向けず、ただ金の目を向けていただけであった。眼帯がはらりと落ちる。いつも隠している瞳が月明かりに照らされた。
 すい、と天龍は北を向く。そして花火が撃ちあがった後に聞こえてくるような響を聞いた。
 その方向は西である。第一艦隊が戦っているのだろう。

 ぱしゃりと天龍が膝を付く。終わったのだ。
 第一艦隊がこの海域の最奥にたどり着いたなら、倒れ伏したとて誰に叱咤されることもないだろう。
 その場に立ち、目を開けている気力が残っていなかった。
 うつぶせに倒れ、ゆっくりと浸水するが如く沈んでゆく天龍の元へ龍田が滑り込んだ。その紫の瞳には大きな珠がふたつ浮かび、流れ落ちる。次第に第二艦隊の皆が軽巡の元へと集い、支え合いながら、破裂音の発生場所へと視線を向けた。
 全員満身創痍である。ここまでボロボロにされたのは初めてであった。ここに在るほとんどがそうであろう。たったひとり、彼女の姉を除いて。

 後は第一艦隊の結果を待つだけだ。

 「……役目は、果たしました。提督」

 低くつぶやかれる山城の声は淡々としていた。



 男は夢をみていた。
 人間は生まれてからその日眠るまでの一生の記憶を毎日、夢の中で反芻するという。
 その作業はまるでデフラグのようである。脳をひとつの記憶媒体とするならば、あながち間違った考え方ではないだろう。
 
 夢であると分かったのは、かつて自身が暮らしていた部屋にあったデスクトップとモニターが乗った机と椅子があったからだ。
 今生きる世界には、まだ高性能なパソコンはない。ウインドウズなど姿形も出来ていないだろうし、MS-DOSがようやくあるかどうかのレベルだ。在ったとしても古い初期のものに違いない。この時代、主流であるのはワープロであった。ワードプロセッサー、だ。高価な品であるらしく、取り扱いは慎重に、と言われてしまった。開いて見ればノートパソコンのようなキーボードが付いていたが、重かった。落とし壊してしまっては大変だと、男はそっと元の棚に戻したのである。
 
 ふと見た画面では戦いが行なわれていた。
 男が作戦指揮を執っている、今まさに進行中のそれだ。
 三つの艦隊それぞれの疲労と状態が左右上と右下に出ている。最も損害が高いのは第三であった。
 特に天龍、龍田の両名は疲労度が最も高い赤が出ている。
 帰ってきたならば労いの言葉をいつもよりも多く掛けねばなるまいと男は笑んだ。

 本来は設定されていなかった中央航路を突き進んだ第一艦隊も大破が出ていた。
 とはいえ疲労はそうでもないようである。睦月型のふたりは装甲が薄く、回避も目立って突出しているわけではない。
 ゲームとしては燃費が良く遠征へ出すのに適した艦であった。
 現実となってもそれは変わらない。が、随分と小回りが良かったのには驚いた。RPG風に言うなら、AGI特化され、さらにボーナスが付いているような状態であろう。睦月型は軽量化によって素早さを確保し、また性能で小回りを実現しているのが島風だ。
 そもそも駆逐艦は泊地の要でもある。周辺の哨戒に加え、遠征任務のほとんども駆逐艦頼みだ。

 その中で最古の形である睦月型の思考は柔軟であった。自分達が駆逐艦の中でも弱いと知っている。だから出来る事を出来る限り行なう。男が思うに生真面目な艦も多いのではないだろうか。
 おちゃらけているように見え、実際はそう行なうことで誰かの緊張をほぐしていたりする。
 己の出来る事を頑張ったのであろう。どこかの小説にあったように、駆逐艦は全ての艦船にとって礎(いしずえ)である。
 だから駆逐艦以外の艦娘たちは誇らしげにいつも、こう言うのだ。

 『駆逐艦は、私たちの誇りです』と。
 
 その傾向は戦艦であれば尚更である。長門が陸奥に耳を引っ張られるまで駆逐艦と戯れたがるのは、日ごろの感謝が溢れた愛ゆえもあった。
 大和や武蔵も砲塔に駆逐娘をぶら下げ海に降り、高い高いならぬ飛んでゆけーとばかりに放り投げているのも同様である。
 重巡や雷巡たちも甘えさせ過ぎてはいけないと、口ではつっけんどんに突き放しても、その手が触れると握り締め横並びに歩くなど日常茶飯事だ。
 誰も彼もが駆逐艦が愛おしく大切なのである。

 男は画面の時計を見る。
 果たして現実と繋がっているのか微妙であるが、数字は0234とある。
 帰港時間は最長としても0600前後であろう。
 
 今日出る最深部の準備もそろそろ行なわなければならない。
 寝ているならば起きて采配を行なわねばならぬ時間だ。すっきりと目が覚めればよいのだが、と男は夢の中で苦笑する。
 随分と疲れが溜まっているのだろう。自身では全く感じていないが、周囲がそわそわと気づきを待っているのかもしれない。
 手のひらにしっくりと馴染むマウスを転がす。

 右上にあった第二艦隊が点滅していた。
 クリックし詳細を表示させれば弾薬がほぼ尽きていた。変わって燃料は満たんである。次いで位置を表示させた。
 男は顎をさする。ゲームでも南ルートに入った際、資源マスに反れる道がひとつあった。そこに北ルートを進んだ伊勢たちが渦潮の影響を受けたどり着いたのであろう。
 
 兎も角、出撃した三艦隊は大破こそすれ、全員が無事に戻って来そうな按配である。
 もしかすればここは男の夢だ。そうなって欲しいと思う希望が現れているだけなのかもしれない。
 男は目覚めを切実に願った。
 工作が趣味であろう、工廠に篭もっているヒュウガに聞けば一発だからである。
 なにやら妖精さんと面白いことをしているらしいし、男としてはそこらへんも気になるところであった。

 残る海域はあとひとつ。
 男は瞼を閉じる。そして発光する画面とデスクトップを残し、その姿をかき消した。
小話 

 飛龍は手紙を書いていた。
 宛名は佐世保鎮守府に居る同一艦、飛龍である。
 佐世保の飛龍は大湊から出向しており、唯一直接会ったことのある同系であった。
 
 飛龍は戦うことが好きだ。
 艦としてあるときは積めなかった烈風など、提督から手渡されたときなど心が躍った。
 紫電改二を矢につがえ青の空に飛ばした際には思わず声を上げて叫んでしまったほどだ。
 流星改も使っていて楽しい。急降下垂直爆撃、雷撃両方出来るのがお気に入りだ。

 ショートランド泊地の中で誰が最も航空機を上手く扱える空母であるか、選手権があれば己であろうと自負しているくらいだ。
 慢心ではない。絶対的な自信である。
 なぜなら飛龍は訓練が大好きであるからだ。
 艦載機の数々を抱きしめて眠ることも、艦載機の話だけでおにぎりを食べることも苦ではない。
 熱狂者と言われれば、彼女にとっては褒め言葉となった。

 烈風の扱いに掛けては世界中どこを探しても右に出るものが居ない、そうなるまで、そうなった後も研鑽を積んでいる。
 佐世保の飛龍から、以前、なかなか艦戦艦爆機を使わせてもらえないという愚痴があった。
 本土鎮守府は最前線である泊地とは違い、存在の目的が攻撃ではない。防衛が役目だ。なので艦攻や偵察機彩雲ばかりが手元に来るのであろう。

 だから大湊で居たかった。そう綴られ終わっていた。
 飛龍も以前、大湊にタンカー護衛任務に乗じ大湊へ行ったことがある。そこで里帰りした飛龍と出会い意気投合したのだが、そういえば烈風ばかりを飛ばしていたと思い出せた。
 飛龍は艦載機であれば、選り好みせず全てを好いている。そう思えるのは提督の尽力が大きい、と知っていた。
 工廠に篭もり、レシピを回し続け目当てが出るまで何度も繰り返している。この泊地には予備の艦載機が常時十、用意されていた。
 
 好きなときに好きなものを取り替えて空へと飛ばす。
 幸せであった。

 「飛龍、指令って漢字間違えるで」
 「え?」

 人差し指をむけていたのは龍驤(りゅうじょう)であった。
 指令とは上のものが下のものに指図することである。例えるなら提督が艦娘たちに下す命令だ。

 「あ。うん、そうなんだけど」
 
 飛龍はどう説明したものか、眉の間に皺を寄せた。
 『指令』は大湊の司令官を指すあだ名である。
 いつもうろうろと基地内を動き回り一箇所に留まることをしない人物であり、かつ出会ったならば必ず何らかの命令を残して去っていくことから付けられた異名である。

 漢字で書けば指令。
 言葉で発音すれば、しれい。
 正しい司令も同じ読みだ。

 「日本語って難しいね」
 「あ、え、そうやなあ?」

 龍驤は困ったように笑む飛龍に首をかしげ、良く分からぬままに同意する。
 「それより三時のおやつや!」
 「あ! 早い者勝ちの!」

 飛龍は龍驤と共に空母と軽空母が勤務時間中に控える、詰め所から走り出る。
 今日のおやつは5種類からふたつ、選べるシャーベットであった。いちごとなしとキュウイとパイナップル、そしてラズベリーである。
 
 (なににしようかな)

 飛龍はどれを選ぼうかと迷いつつ、佐世保バーガーに負けぬ、この泊地にしかないおやつをどう自慢しようか考えながら頬を緩めた。
 



[39333] アルペジオイベント 第四話 邂逅
Name: 環 円◆21e3f90e ID:f72f07b0
Date: 2014/04/23 07:42
 白の湯気が青く澄んだ空を写す窓辺に立ち上る。
 蒸篭から出てきた真白と景色に混ざりゆく白に駆逐組の少女達が歓声を上げた。
 三角巾を巻いた多くの頭が背比べの如くもこもこと上下を繰り返している。

 時は午前十一時。
 白の制服を脱ぎ杵を振り上げるのはこの泊地の提督である。
 場所は食堂の中央、テーブルを端に寄せぽっかりと開いた空間に臼が置かれていた。

 「武蔵ともち米が通るぞ!」

 割烹着を着、己の名と手に持つ麻の布の中身を持ち上げた戦艦が進み出る。
 その両側には花道を作る駆逐と軽巡組が黄色い声を響かせて在った。もちつきなど生まれて初めて見るのだ。しかもつきたての餅は格別であるという。
 大湊からの一行も加わり、その味を知る鳳翔からとろりとした甘さを伝えられたならば、甘味に目がないものたちがその色を変えぬはずがなかった。

 真夜中に戻ってきた皆もそうである。眠そうに首をかくり、かくりと前後させたり、瞼をこすりながらも参加していた。
 帰還後すぐに風呂への直行命令が下り、十時起きが厳命されたのである。無論傷を負ったものらにはバケツの使用が許可が出ていた。
 風呂場の前でバケツの使用報告書に名を書き、香りを選んで入る。しかし疑問に思った幾人が居た。
 本来ならば深海棲艦との戦闘に関わったものたちは二十四時間の休みが与えられるのが常であったのだ。
 それなのに今回ばかりは起きてくるように、提督に念を押してきた。艦娘たちが訳を尋ねるのも当たり前であった。
 どうしても起きられぬ場合は仕方が無いが、出来るだけ来るように。

 「出来立ては美味しいからね」

 人差し指を立て、小さな声で男が笑む。
 この言葉で気付かぬ艦娘は居なかった。即座に装備を工廠にある己のロッカーに入れ、要整備の札を掛けて風呂へと飛び込む多くがあった。いつもであればゆったりと一時間は湯に浸かる扶桑と山城も20分という速さで自室へと戻っていったくらいだ。
 で、あるため目覚ましをかけ遠方に置き、必死になって起きてきた多くがあった。まさしく艦娘の食欲は、睡眠欲にも勝るのだ。
 食べるだけ食べ、部屋まで引きずられていく姿もいくつか見えたが、それはそれで眼福である。ゆっくり休むよう、声をかけた。

 「せいや!」

 男が杵を振り下ろす。潰され、こねられて弾力を持ち始めた白がたぷんとたゆむ。
 二臼目までは早く早くとせかされ米の形が残った餅が取り上げられたが、なんとか三臼目からは滑らかな餅が供給され始めていた。
 見た目通りの柔らかさに、頬が落ちている多数の声を聞きながら男は杵を振り続けていた。

 重巡の多くは少し離れたテーブルにて白を丸く切り分け丸めている。卓は4つあり、薄力粉を広げたその上には手のひら大の白亜がいくつも並んでいた。
 
 「つまみ食いはひとつだけ、になさいませ」
 「ふぁい……」
 
 窘められているのは隼鷹であった。にこりと笑んでいるのは大和である。
 こちらも武蔵と同じく割烹着を着、古きよき時代の母という出で立ちをしていた。
 間宮から借りているのだ。鳳翔からも着用を勧められ袖を通してみれば案外、しっくりときていた。
 伸ばされる手には際限がない。なにせこの泊地には艦娘だけでも百を超えて居り、人間を含めれば130に少し足りないくらいの規模になっている。妖精さんを含めると優に200を突破する。ひとり分を五個と過程しても、凄まじい数となるだろう。

 白が多くを占めているが、中には緑と赤も幾つか伸ばされて在った。
 緑はよもぎであり、赤は桜海老を混ぜたものである。
 白は中に間宮印の餡をいれたものとそうでないもの、鏡餅ように大と中のものを。それぞれ役目を決め、食堂で集う多くが賑やかさに輪をかけて作っていた。
 
 「おいしそうでち!」
 「おひとついただいてもよいですかぁ」

 警邏から戻った潜水艦たちが食べて良いと言われたテーブルへと群がる。
 尋ねられたのはどの味にするか、であった。

 つき立ての温かい出来たてに掛けるきなこやごま、とろりとした大納言の甘煮、辛味が好みである者たちのために七味が入ったピリ辛しょうゆなど、多彩に味がそろえられている。
 
 「赤城さんが食べてるのって、なんですか」
 「みたらしよ。とても美味しいわ」

 伊168は差し出された箸の先をぱくりと口に含む。
 とろりとした醤油と絶妙な甘さがなんともいえぬ味をかもし出していた。餡は厨房の中にあるという。
  
 「あと7分で出るのね! 食べすぎに注意なの!」
 「ああん、待って、イクもー」
 
 てへへ、と笑む伊19の手にある皿には各種ひとつずつ載っていたからだ。
 水着の上からパーカーを羽織ったままの姿で駆け回っていた潜水艦たちが食堂から消えると、男が一息つくように間宮に視線を向けた。
 後方では鳳翔がなれた手つきで今ある材料を上手く使い、重箱をいくつも重ねている。中に入っているのは御節だ。全く以って鳳翔様様である。料理の腕はぴかいちであり、大湊では時折、鳳翔が食堂を借り切って居酒風を装うこともあるという。

 「鳳翔さんが居て下さって、本当に助かります」
 「……こちらこそ、ご相伴に預かれて嬉しい限りです」

 間宮と厨房に入る料理人達だけではきっと、御節を作ることができなかったであろう品々が並ぶ。現地で採れる材料には限りがあるため、種類は少ないが彩りは鮮やかだ。
 だがここショートランド泊地は熱帯である。作り置きできる量も知れていた。なので作られた食事はその日のうちに消費するのが基本であった。
 正月まであと二日あるが、タンカーが大湊に向け出向するのは明日の明朝である。そちらに載せる分を考えれば良い塩梅であろう。
 朝八時から始まった年の暮れを送り新たな年を祝う準備は終わる気配を見せない。だが誰もあせっていなかった。それぞれが最速で出来る事を着実に進めている。

 「あと何臼つけばいいかな」と、男の声が低く通れば、
 「残り一臼ですね。ご苦労様です」と、間宮が最期だという蒸し器を指差し笑む。

 ほのぼのとした雰囲気ではあるが、実際にはこのショートランド泊地は作戦行動真っ只中にある。
 あと三時間もすれば最終目的地、最深部へ向け艦隊が抜錨するのだ。
 選抜された三名が三つほどの餅が入る弁当箱に自分が作った、荒くついたもち米た使われている牡丹餅ときなこ、そして青海苔とくるみを混ぜた海苔もちを詰めてゆく。
 
 「我ながら、上手に出来ましたネー!」

 指先だけでなく、頬や眉の辺りを白く化粧した金剛が額を拭う。
 その横では早速、しょうゆをつけ焼き海苔を巻いて口に運ぶ榛名の姿があった。
 最深部へ行く三名の内二人だ。

 そしてピンク色のクマが、石臼の周囲を中心にうろうろと歩き回っていた。キリシマである。使い慣れた、とある人物が『ヨタロウ』と呼ぶ人形を模した姿だ。昨日、泊地への到着直後、分解されたタカオのナノマテリアルをキリシマが補った結果である。
 なにやら餅つきに興味があるらしい。聞いたことがない語彙を収集しているハルナの姿もあった。人間が永きに渡り継続し続けてきた文化が興味深いと耳を側だ立たせている。

 「正月、もちつき、かがみもち、縁起を担ぐ、餡子……多種多様な用途、複数に多重分類」

 その多くは食物系である。だが戦場にあっては収集できない言葉ばかりであった。
 アルペジオ勢も餅を消費する作業に加わっていた。
 メンタルモデルという人型を持つが、霧は基本的に食物を摂取しなくとも存在し続けることが出来る。だが食物を食べられない訳ではない。体感はもちろんのこと、甘みや辛味、苦味なども感じることが出来た。ただその感覚を使う頻度がつい最近まで限りなく少なかっただけである。
 が、人間の世界で生活したことのある、または人間と共に居を構えている一部は別であった。その中でも人に紛れ文化を享受し、うまみを知ったタカオは顕著だ。勧められるままにいくつもの塊を食しては頬を緩ませていた。特に気に入ったものを弁当箱に入れている。
  
 変わってキリクマは真っ白に燃え尽きていた。
 歩き回っていた数分前とはえらく違っていた。原因はわかっている。
 ピンク色のクマの姿に、艦娘の多くが刺激を受けたのだ。少女とは元来、可愛いものに目がないものである。
 オーストラリアに近いとはいえ、ここショートランド泊地は深海棲艦と戦う最前線の南海の小島だ。タンカーで多少、娯楽のひとつとして本土で流行っているグッズや漫画本などが運ばれてくるものの、その数は少ない。売店に並んだとしてもあっという間に売り切れる人気っぷりだ。よって少女たちは可愛いものに飢えていた。

 そんな彼女らの前に、ピンク色のクマがなめらかに動いていればどうなるか。想像に容易いであろう。

 いつの間にかキリシマは駆逐組に包囲され、いくつもの腕を渡りながらもみくちゃにされたのである。襲撃は一度では収まらなかった。任務帰りの駆逐組が食堂へ訪れるたび、キリクマは少女という生き物の恐ろしさを思い知ることとなった。艦娘は人間よりも力が強い。抜け出そうと体をひねっても圧迫される方が強く出られなかったのである。それにやわらかな頬が触れるたび、なんとも言えぬ気持ちになっていったのだ。
 ええいままよ、と諦め一通り愛でられた後、間宮の領域(テリトリー)である厨房手前の椅子の上で魂を口から吐き出しているクマがあった。そうなれば多くの艦娘たちも無体にはしない。頭を撫でるだけで無理矢理嫌がることはしなかった。

 「ご苦労さまでした」
 
 声をかけられ上を向けば、間宮がバニラアイスと餡子を餅で包んだ一品をキリシマの前に差し出した。
 それは間宮の裏メニューである。瞬間、キリクマに近い艦娘たちがピンクのクマを見た。
 キリクマはありがたく、餅を口の中に収める。
 餅の弾力が破れ、冷たいバニラアイスの味が舌にこぼれた。同時に餡子の甘みがバニラアイスと混ざり合う。たったひとつであったが。だからこその満足感がとろけた液体と共に体の中央へ流れてゆく。
 落胆の声とため息がキリクマの周囲に落ちた。間宮の裏メニューはそれほど貴重なのである。
 どんな味だったのかと再び囲まれることになるキリシマであったが、甘味の後ではそんな苦だとは思わないようになっていた。

 「ハルナさんもおひとついかがですか」
 「……貰おう、榛名」

 戦艦同士の挨拶もつつがなく終わり、霧島と榛名は同じ艦から派生した自分とは全く違う己に戸惑うことなく受け入れていた。
 それは艦娘として同じ艦が存在している事情に慣れているからでもあった。
 性格も話し方も違うそれぞれに、特に霧島は影響を受け武道派に再度、足を踏み入れそうな様子ではある。ただ駆逐組に囲まれるのだけは苦手であり、キリクマのようになるのは遠慮したいようではあった。

 「これで、最期だ!」

 振り下ろされた杵がゆっくりと持ち上がれば、返し手を行なっていた陸奥が両手で器用に白を丸めながら板の上に置き、こっちだと呼ぶ卓へと向かう。
 男は用意してもらっていた湯で臼と杵をたわしで洗い始めた。すぐ行なわねば固くなりこびり付いてしまうのだ。終われば長門がそれらを陰干しできる場所へと運んでゆく。男でも持ち上げられない重量物を容易く運び出すその姿に礼を述べつつ、流れてくる汗を拭う。

 一仕事を終えた男に冷たい麦茶を差し出したのは、金剛であった。
 いつもより一層、賑やかしい食堂を見回せば自然に笑みが浮かんできた。
 艦娘として在る間は、人間として扱われる。だがそれがもどかしさをも生んでいた。
 己が人間ではないと知っているが故のジレンマである。

 「提督、本当に良かったのデスか」
 「ん? ああ、やっぱり季節ごとの節目は大切だと思うし」

 数秒の空白のあと、金剛の問いに男は答える。提督の声に、金剛をほんの少し眉を寄せ目尻を下げた。
 聞きたい質問の意図とは方向性が違っていたがしかし、金剛は言葉を挟まない。

 「作戦中であったとしてもさ、」

 男は言葉を切る。
 日本軍として在ったころの海軍も節目を大切にしていた。
 雑煮と屠蘇(とそ)だけはどんな時であろうと用意していたのだという。

 だからというわけではない。
 いつまでこの状況が保てるのか、男に未来は読めなかった。
 なにがどうくるのかは知っている。だが起こるまで、なにがどうなっているのかは分からなかった。
 ある日突然、かのラバウルのように深海棲艦がこの泊地に攻め込んで来ないとは限らないのだ。
 今出来る事の最善を。今出来るだろう多くを。明日に持ち越すことなく行ないたいのである。

 「はっきり言って俺のわがままなんだ」

 その言に苦笑を漏らした人物がふたり、居た。
 割烹着姿の戦艦である。
 提督のわがままが艦娘たちの心をどれだけ守っているか。日の本の国の象徴として作られた大和と武蔵には強く感じられていた。
 両者はここ、と隣接するブイン基地以外の提督を知らないが、いくつかの鎮守府に在する者たちの話を耳にしていた。
 一見は百聞にしかずという。だが百聞では一見に届かないとしても、二百、三百と数があれば一見に近づく。
 直接の感想ではない。だがこの泊地ほど優遇された場所もないように思えた。この泊地では、少なくとも兵器として扱われることは無い。

 「貴殿の尽力により、この泊地には笑顔が溢れているのです」

 と、いう事実を否定までし、ここで告げるのも野暮であろう。
 傲慢に、艦娘を運用するかの地と比べるまでもないが、自己評価の低い上官もこれはこれで困ったものだ。
 折角、餅をつき終えるという大儀が終了したのである。もうしばらくゆっくりと過ごす時間を得たとして、誰からも苦情など来ないはずだ。

 大和は髪を束ねていた白を解く。
 今日の作戦も強行軍である。旗艦は提督の横に寄り添い立つ高速戦艦だ。
 胸の奥に感じる一刺しの痛みに苦笑しながら、大和は伏せていたまつげを上げる。
 提督が願う未来に指先が届くように。ただただ大和は希(こいねが)う。幸多かれと。


△▽△▽△▽△▽△▽△▽


 ピアノの音が青に奏でられていた。澄み渡る上下には曇りひとつ無い。

 両手の指が軽快に鍵盤を叩き続ける。楽曲は行進曲であった。連なる音は花のワルツへと変わる。
 ピアノの前に座る影はふたつ在った。
 ひとりは重巡マヤである。そしてもうひとりは戦艦コンゴウであった。
 なぜ二人並んでピアノの前にあるのか、と言えば単独で引き続けても面白くないと腕を引かれ座らされたからである。確かに連弾は退屈を紛らわした。白と黒の音階を叩くための楽譜を覚えるのに面倒臭さを覚えたが、コアの処理速度を落とすまで容量が大きいわけでもない。
 
 たまさかに、かつて失った友を再び得られたのだ。
 煩わしい、などと口に出し、夢幻の如くかき消してしまうのも癪であった。
 ただ愚直に、アドミラレティ・コードにある事柄に従い続けていた頃と比べれば、なんと不品行であることか。
 だがそれが良かった。頑なに変化を否定せず、周囲に目を向け見回せば偶にではあるが、面白いと思えることにも出会える。
 現状のように、未知なる遭遇にも、だ。

 
 謎に包まれた似て否なる海へ出て早3日、経とうとしていた。
 だが、と思い返せばまだ3日しか経っていないとも言える。
 人間は往々として生き急ぐ生き物であった。今回の件も核さえ失わなければ永遠に在り続けることのできる霧の一隻、コンゴウにとってみれば瞬きひとつする間の出来事であろう。
 友となったイオナとその核に大きな変化をもたらした千早群像との交わりであればまだ意義を見出せるが、その他の人間に関わるなど面倒以外のなにものでもない。

 「ねえねえ、コンゴウ。楽しみだねぇ。みんながマヤたちを迎えに来てくれるまで、あと8時間だよ!」

 伊402と伊403に作られた擬似人格を基に組み上げられていたかつてと同じく、姿を取り戻した重巡マヤが席を降りピアノの、そしてコンゴウの周りをくるくると回り飛び跳ねながら言葉する。
  
 「ああ、そうだな」

 そっけない返事だ。しかし頬を膨らませるマヤの様子を眺めるその目には以前には無かった感情が宿っている。
 白亜のあずまやでは今から出発するという定期連絡をタカオがしにやってきたばかりだ。
 珍しくイオナは顔を出してはいない。それが無性に寂しい、と感じた己にため息を付く。アドミラリティ・コードの命ずるまま淡々と命令をこなしていた頃には無かった思考である。

 周囲には有象無象の異形がひしめいていた。それらは一定時間ごとに水音をたて水面に顔を覗かせたと思えば、またすぐに青の下へと戻ってゆく。見張りのつもりであるのだろうが、動く気の無いコンゴウにとっては邪魔以外の何者でもなかった。
 こちらの人間がゲートと呼ぶ現象は他と違い収まってはいない。
 世界が違ったとしても霧は霧である。その存在と理由が消えるわけではない。

 「でもでも~、やっぱり自分が生まれた場所って大切だよねぇ」

 不意にマヤが言葉した内容に、コンゴウは表情を変えず続きを促す。

 「ん~、別に難しい話じゃないよ。ここって同じじゃないもん。同じように見えるけれど、でも違うでしょ」

 その違いがなんであるのか。マヤにもわかってはいなかった。漠然としたなにかを意味ある言葉に置き換えようとしても、良い語彙が思いつかなかったのだ。
 ハルナ辞典であれば適切な単語が出てくるであろうが、わざわざ東屋に呼び出し尋ねるまでもない。
 思い出した時にでも聞けばよいのだ。霧が霧としてある世界ではこれから、様々な変化が起こるだろう。と、マヤは密かにそれを楽しみにしていた。なぜなら自身が得られたからである。イオナの姉妹艦に作られた単純作業を繰り返していた時には無かった、未来を予想する想像力を手に入れたからだ。現在で終わっていた事柄が、全て現在進行形となった。今が一秒経つごとに過去に変わり、一秒先の未来が現在になるこの繰り返しが新鮮でたまらないのだ。

 「なんていうのかな。頭がすっきりしてるの。だからいっぱい、いーっぱいこれからは自分で考えられるってことだよね。マヤはこれから知らなきゃいけないことが、山のようにあるんだよ。だから早く戻りたいなー、って」
 それにお留守番ばっかりだったもん、マヤもいっぱいお出かけしたいの! これからはコンゴウといろんな場所に行けるよね!
 と、続いた言葉にコンゴウは薄く笑む。

 音符の中に混ざる過去からの伝言がマヤを未来へ突き進む事を急かすかのように聞こえてくる。その調べに、流れに出来るだけ早急に身を任せたかったのだ。
 マヤの中にあるはずの無い、マヤではないマヤが得たかもしれない、アドミラリティ・コードの残滓が呼んでいる。

 「居残る選択肢などありえない。皆無だ。私は霧としての役目を放棄したつもりはない。戻ることは最優先の決定事項だ」

 指を止め、コンゴウは立ち上がる。
 唯一の気がかりであるのは、数日前に霧の、東洋方面の霧だけが接続できる戦術ネットワークに紛れ込んできた存在だ。
 あれ以来この東屋に訪れてはいないが、コンゴウと名を同じくする艦であるという。同一艦、という存在に心が揺れる。
 コンゴウたち霧の艦隊は母体となるユニオンコアを有する戦艦がまずあり、メンタルモデルは人類との戦いがある程度収束した際に必要となって取得したものだ。
 基本的にコンゴウは人間を模すなど必要がない、と今でも考えている。追い詰められた人類が持てる能力を発揮し、攻勢を強めてきた事で、人類を地上に押し込めておく為の手段が必要となった。それは人類が使う戦略である。その概念を理解するためにこんなにも扱いにくい感情を内包した肉体をわざわざ構成したのだ。
 だが聞けば、艦娘という存在の金剛は心と体が先にあったという。彼女の成り立ちは霧に良く似ていた。
 第二次世界大戦、あの戦いと称される戦争の記憶をコンゴウは持ちえてはいない。どちらかといえば霧として存在する意義の方が強かった。
 艦娘はかつての記憶があるという。艦として沈んだ、過去を持っている。
 
 船にとって沈むということは死と同義だ。
 コンゴウに当てはめればユニオンコアが破壊され、存在そのものが消えると同じである。
 再びの生を受け、戦う艦娘は興味深かった。どこが、と問われれば第一に挙げるのが意志力であろうか。霧の突然変異ともいえる伊401と同じ精神構造を、否、それよりも人間に近く在りながらもユニオンコアに頼らない演算能力の高さが目を見張った。イオナにメンタルを直接触れられた、心震わせたかつてを思い出せば薄く唇が下弦の月のように形を変える。

 戦ってみたいとも考えるようになっていた。
 その経験はコンゴウがあるべき場所に戻った時に、大いに役に立つであろうと予感めいていたからだ。
 そしてその後に語りあうのはどうであろうか。同名艦であれば世界を違えていたとしても、この感情という不確定要素を上手く使いこなす落としどころの切っ掛けとなる可能性もある。

 「コンゴウ、なんだか楽しそうだねえ」

 マヤが笑む。笑んで椅子を降り踊り始める。カーニバルがもうすぐ始まると手を空に向けた。

 「マヤも楽しみなんだよ。いつかの借りを、タカオに返せるんだから」
 あとそれと、麻耶にも会いたいんだよ。早く泊地に連れて行ってくれないかなあ。

 心の底から楽しそうに、マヤは笑う。
 その様子を見ていたコンゴウも自然と目尻を下げた。

 だが、とコンゴウは首を振る。
 この海域を離れることがコンゴウには出来なかった。
 浮いているだけなら可能だ。戦闘も出来るであろう。だが船体を動かし移動を行なうとなれば、確実に今以上の戒めが食い込んでくる。
 お前など必要ない、さっさと出てゆけと言われているかのようである。何様であるのだろう。まさしくそうだ。
 コンゴウたちの意志や都合など全く考慮せず呼んだにもかかわらず、世界を跨がせた後すぐにやはり必要のないものであった、帰れといわれているようなものだろう。
 
 (忌々しい)

 コンゴウはかつて伊401に抱いていた感情と向きを同じくする苛立ちに目を細める。
 元の世界に戻ること、は決定事項であった。が、それを邪魔する存在がある。深海棲艦と呼ばれている存在だ。それらはこの世界における海の制定者である。海から人間を追い出す行為だけを見れば、霧のようである。
 己の身のままならぬ状態にコンゴウは息をつく。焼き払えるものならばとうにしていた。出来る能力があるのに、出来ぬ今が気に入らなかった。
 だがナノマテリアルの補給もこの海では出来ない。無駄に消費しては今後の行動にも支障が出てしまう。もどかしさを内包しつつ、現状を維持するほか手は無かった。

 「ええ! コンゴウはピクニックに行かないの?!」
 『行くもなにも、ここから動けないのだ。出来れば早急に、ゲートなるものを通り抜け元へと戻ったほうが建設的ではある』

 そう概念伝達にも流せば、盛大に立ち上がったのがピンクのクマであった。人形であるが表情は豊かだ。
 ブピッ、という音を鳴らし、耳を尖らせ、両手で額の辺りを押さえている。

 『待ってくれ! まだ泊地にいるんだ! 置いてかないでくれ!』

 キリシマの動揺は大きかった。
 なぜなら今回の編成は金剛を旗艦に、榛名、イオナ、ハルナ、タカオ、そして大鳳であったのだ。
 データを取るために今回はヒュウガも同行していた。キリシマは皆が一度この泊地に集合するなら待っているとしたのだ。

 『……再計算の結果、プラス73分。作戦時間の開始には間に合わない』

 キリシマを拾い再度、作戦海域まで至る時間を計ったイオナが表情を崩さず首だけを傾げる。
 コンゴウが逗留する海域では今もなお、深海棲艦が湧き出てきていた。既に艦娘たちの長である男が情報開示した群れ、の拡大による分裂も始まっている。
 予定時間を越えてしまえば集団の一部が離反し、回遊型に移行してしまうだろう。明日には鬼が率いる大隊が結実してしまう。もしその大隊が動き出してしまうと、攻め落とし空白地となっているラバウルに居を据え、または他の泊地、基地へ襲来する可能性もある。そうなれば人類は手痛い損害をこうむることになりかねない。

 引き返すには時間的、道程的にも無理があった。なぜならば既に行程の半分ほどの距離を進んでいたからだ。時間は午後六時である。
 艦内では夕食が振舞われ、皆でビーフシチューに舌鼓をしていた頃であった。
 それはキリシマも同じである。噛まなくとも舌の上でほろりと崩れるほど柔らかく煮込まれた牛肉がたっぷり入ったそれをお替りしてきたばかりだ。

 『キリシマ、ゲートは海の中だ。送ってもらうには潜水艦がいいだろう』
 冷静な物言いでハルナがそう分析する。
 夜は特にそうだ。イオナも音響ソナーを使い、深海棲艦の群れと遭遇せぬようその隙間を縫って進んでいる。
 『分かってる! だがこの体では海に入ると思うように動けなくなるんだ!』

 主に素材である綿の関係で。
 すったもんだの後、キリクマは伊168を始めとする潜水艦部隊に抱かれ、後を追うこととなった。
 
 「ダメ! このクマちゃんは、しまかぜと今日寝るんだから!」

 と、泊地内を最速である島風が逃亡者となり、キリクマ争奪戦があった事は余談である。
 ただ潜水艦娘たちは伊401、イオナとは違い低速であった。
 どんなに頑張って急いだとて到着が翌日の九時になってしまう。

 そればかりは仕方が無いと第一艦隊は予定変更無く、海路を進み始める。
 海の中を往くキリクマを抱いた潜水艦たちもいつものゆったりした旅路ではなく、今までに無い真剣な表情で青の中を泳いでいた。
 キリクマを届け、帰ったならば提督からご褒美が出るからだ。それは潜水艦であれば誰もが欲しているものであった。酸素ボンベである。おつかいにはお駄賃が発生するものだ。だから潜水艦たちは首にぶら下げることの出来る小型酸素ボンベをねだり、勝ち取った。
 潜水艦たちが最も畏れているのは、海底に沈み浮かび上がって来れない事、に尽きる。潜水組たちは自分達が海の中で呼吸出来るのは艤装のおかげであると認識していた。
 もし艤装が損傷し、沈んでしまったら。
 好奇心の強い伊58がやってみたことがあるのだ。艤装をつけず海に入り、いつものように呼吸すればおぼれたのである。故に潜水艦たちは必ず艤装を付け、海へと潜るのだ。
 潜水艦たちはお守りが欲しかった。海の中は上と違い多くの危険が潜んでいる。だがこのおつかいを無事、終えることが出来たなら手に出来る。これでどんな状態の海であろうと、怖がらずに進めた。

 「お前達、帰りはほんっとうに気をつけて帰れよ。行きは私がソナーになってやつらを回避しつづけられるが、帰りは居ないんだからな」

 海流の流れを計算し、効率の良い潮の中を猛スピードで進む中、キリクマが自身を抱く伊168に話しかける。

 「うん、ありがとう」
 「キリクマさんはやさしいでち」
 「ありがとうなのね」
 「……この潮の路、乗り方教えて欲しいの」

 突然であった。誰もが首をひねり、どうしたのかと皆が発言した仲間を見た。
 伊19は真剣なまなざしでキリクマを注視する。伊19は今まで考えたことも無かった。流れに乗り、早く泳ぐという事を、だ。
 伊19は大湊の出身である。今まで命じられるまま、命じられた行動をただ取っているだけだった。本来ならばそれでいいはずであった。潜水艦は足が遅く、どの作戦でも別枠とされ、決戦には使ってもらえない役どころである。そう思い込んでいたのだ。しかしイオナと触れあい、知った。潜水艦だからと卑下することはないのだと。そして潜水艦でも早く泳げるのだと。
 
 提督は昨日の作戦会議の際、駆逐艦が作戦の要であると言っていた。はっきり言って羨ましかった。戦闘の要である戦艦を盾にし、駆逐艦が攻撃を行なうなどだれが思いつくだろう。否、思いついたとしてもそれを実行に移すことの出来る指揮官など、ショートランド提督くらいなものだ。
 再び同じ言葉を発した、伊19の静かな声にクマが黒く笑む。
 「いいぜ?」

 海上では見えない、緩やかに波打つその下にある本当の姿を視認するキリシマがにたり、と口を歪ませる。地上のざわめきなど囁きにしか聞こえないほど、海中に轟く音と海流の視覚は雑多で煩わしものなのだ。それを知りたいというならば、知れば良い。その後、落胆するも能力を伸ばすもそれぞれ次第である。
 「到着するまでしごいてやろう」
 「はーい、なの!」
 海の中でクマのぬいぐるみがしゃべるという不思議を全く気にせず、潜水艦たちは激流の中を進みゆく。キリクマの海流スパルタ実地訓練が始まった。


 △▽△▽△▽△▽△▽△▽

 十二月二十九日 フタフタマルマル。
 第一艦隊は時間通り作戦海域へ突入、戦果を着実に上げながら最深部へ到達した。
 コンゴウを守るように在していたナガラを旗艦に群れていた7つの固まりも、イオナを始めとするナノマテリアルで作られた装備に身を固めた艦隊の敵ではなかった。
 人間側で戦う三艦はクラインフィールドを展開するまでも無く、泊地で供給された鋼鉄や火薬を元に構成したミサイルをこれでもかと言わんばかりに放出したのだ。また艦娘の活躍にも目を見張るものがあった。
 その様子をもし、長門や陸奥が見ていたならば目を丸くしたであろう。金剛、榛名、そして大鳳の戦力が今までの倍以上に嵩上げされていたのである。
 金剛はもともと速さのために防御を削られた艦だ。攻撃力もその分、弱くなっていた。
 だが長門は艦尾を延長するという方法を取り、速力を保持しながらも防御力、攻撃力共に高い水準を持ち続けていた。
 艦娘となってからは艤装の大きさや形状により、低速か高速かに分類されているものの、純粋な攻撃力としては両者を比べるとどうしても金剛級のほうが劣っていたのだ。

 それほどナノマテリアルという物質がもたらす効果は絶大であった。
 今までならば互角の戦いをしつつも、必ず損害を受けていた戦艦タ級flagship に対し、赤子の手をひねるかのような感覚しかなかったのである。
 砲を撃ち出した時の命中が、今までとは比にならないほど高かった。かすっただけでは与えられなかった損害も、弾の周りに見えない棘があるかのように深海棲艦を抉ったのだ。また大鳳が飛ばす艦載機もいつもとは違っていた。昨夜も夜間飛行を行なった零式水上観察機により放たれた光の中、大鳳の手を離れた艦上戦闘機、烈風が破竹の勢いで敵艦載機を屠っていたのだ。牽制にしか使えなかった機銃攻撃でも敵機を難なく貫通し、まるで相手が紙飛行機の如くひらひらと落ちていくのである。
 それに関し、ヒュウガは胸を張り長々と説明を講じたが、半分辺りまでしか金剛も理解できず、榛名にいたっては耳を塞いでいた。大鳳も聞いていたようで何用でしょうか、とにこやかに笑んでいるだけだ。理解の範疇を超えたところで思考をとめたのであろう。
 
 周囲があらかた片付けば、この海域を中心に妨害電波を発信し続けている戦艦より紫の光が立ち上り円が描かれる。

 「……大戦艦コンゴウだ。さあ、行なおう。兵器の宴を」

 対峙する距離は近くない。むしろ声が届く範囲外である。
 コンゴウは待っていた。金剛がこちらにやってくると聞いたときから模擬思考を繰り返していた。
 同一艦という不思議な出会いがもたらすであろう、己が中に芽生えた問いに対する答えを得るための行動をだ。

 「っ、」

 だが金剛にはその声が聞こえた。
 脳の中心辺りに響く痛みと共に周囲の風景が揺らめき、緑の直線が黒の空間上に幾つも引かれた不思議な視野が広がってゆく。
 それはとても摩訶不思議であった。水面上にあるはずの足元が揺れていないのだ。横に居たはずの榛名の姿も消えている。
 動揺を表情に出してはいなかったものの、内心は嵐だ。雷が鳴り響く、時化であった。

 『全く、感情の発露の仕方、下手なんだから』
 
 金剛の後方から聞こえてきたのは、イオナの船内に居るはずのヒュウガである。思わず振り返り、あんぐりと口が開いてしまった。
 なぜならヒュウガが歩いて来ていたからだ。海の上ではない。緑の空間を白衣を揺らしつかつかと進んできたのだ。思わず目をこする。
 『心配しないで、金剛。本体はイオナ姉さまの中にあるから。それにしても酷い顔よ。でもまあ、こっちのコンゴウが迷惑をかけてるし、見なかったことにしてあげる』

 ため息をついているものの、その行為を批判する気はないようである。金剛は両手で頬をほぐし、表情を元に戻した。
 『簡潔に説明するわね。コンゴウは貴方と早く話がしたいようなの。出来れば紅茶を飲みながらゆっくりと、ね』

 金剛は目をぱちくりと瞬かせた。霧のコンゴウとは、紫のドレスを着たあの美人であろう。
 『いま広がっているこの空間は、私たち霧が概念伝達を行なう戦略ネットワークの中よ。この先に初めてあなたと出会った東屋がある。意識しなさい、ここと海と、二重に視野を持てるはずよ』

 猫口のまま笑みを浮かべるヒュウガの言に従い、金剛は海を思い浮かべる。
 すれば黒の空間が透明なパネルに変わり、風景がいつものそれに変わった。

 『It's……、Amazing』(すごい)
 『なかなかやるじゃない』

 金剛は目の前の視野に目を見開いた。世界が一瞬にして塗り変わったからだ。
 砲を構えればどこに着弾するのか。その確率までもが数字として表示されていたからだ。

 『これが貴方たちの、』

 そうだ、と答えたのはハルナである。
 ビーム砲というこの世界に存在し得ない技術の最先端をゆく兵器で飛行場姫を一撃で落とし、振り返った。

 『異なる世界において進化の瞬間に立ち会えるとは幸運だ』
 
 聞けばハルナたち霧の艦隊はこの空間にそれぞれの艦の位置が表示されているという。
 認識信号を知って居ればこその表示であるため、全くの初顔であればこの限りではない。

 大きすぎる力である。
 だが使い方を間違わなければ金剛の目的が、容易く叶えられる力となるだろう。

 『私は貴様と紅茶を嗜みたいのだ。早く来い』
 『……それ、言葉の用法、間違ってるわよ』

 希望に添えられたのはタカオの鋭い突込みであった。金剛は笑う。
 『コンゴウ、もう少し、wait してくだサイね? すぐに行きマース』
 金剛は視野を二重に持つ、という意味を理解し、早速使い始める。慣れの問題だろうが、人が言う船酔いのような気持ち悪さを目の奥に感じた。
 だが悪いことばかりではない。

 耳を澄ませば遠くから、キリシマの声も聞こえてきている。その位置は遥か東南東にあった。
 会話の内容からして潜水艦たちに潮の流れを教えているようだ。
 (YESの前と後ろにsirを付けろ!)
 (Sir, yes, sir!!)
 というなんとも楽しそうな声が聞こえてくる。
 確かに潜水艦組が通過している周辺は潮目が変わりやすい場所だ。だが、だからこそその潮流が見えやすくもある。
 
 戦いの展開は速かった。少しよそ見しているだけであっという間に戦況が変わっしまう。
 「カーニバルだよ! みんな手加減なしでふっ飛ばしちゃうよ~!」
 「うるさい、このカーニバル女!」
 「うおっと! 今のは危なかったかも~ タカオなんかの弾に当ったらないよーだ!」
 「クラインフィールド、作動率3%、まだいける。左舷は任せてもらおう」
 「火器管制、オンライン。追尾システム、標的をロックオン!」
 「面倒くさい。マヤ、まとわり付くこれらを蹴散らすぞ」
 「コンゴウ、りょ~かい! ミサイルい~っぱい撃っちゃお~っと」

 この間、わずか18秒の出来事である。
 しかもこの間、概念伝達の中でも会話が成されていた。金剛は会話と情報量の多さについていけず、小さな苦笑が口元に浮かんだ。
 外で話し、内側でも打ち合わせする。霧の艦隊たちはなんと器用であることか。
 アスロックミサイルの発射口を全て開き標的を固定する。コンゴウを囲むようにして浮遊する深海棲艦に合わせれば、瞬く間にそれらを海の藻くずと化した。高火力も良いところである。

 『頃合だな』

 コンゴウは雪の結晶を巨大化した刃をナノマテリアルで構成した。
 来るはずの無い方向からの攻撃に、戸惑っているのだろうか。否、生まれたばかりである深海棲艦に戸惑う、など高度な思考が出来ようはずも無い。事実、かろうじて生き残った戦艦棲姫も虚ろな目を上空に向け惚けていた。

 コンゴウは止めを刺す。
 人型のほうではない。深海棲艦の本体である異形を切り刻んだ。
 そして形成していた幾本かの刃を細分化し、周囲に向けて放つ。
 行動中枢を失い、群れの頭となるものの元へと集まってきていた深海棲艦をことごとく串刺しにしてゆく。

 それらはイオナたちが道程にて撃ち漏らしたものたちであった。
 ……言い方を変えよう。道程にて遭遇できなかったものたち、である。
 数は少ない。だがその少数も集まれば群れとなる。コンゴウとマヤに付き従うナガラに群がってきていたそれらを、コンゴウはいとも簡単に薙いだ。そして小さく舌打ちし、その瞳を向けるのは海中である。
 コンゴウには4重の光の輪が囲っていた。それぞれが処理する情報が違う。
 一番太い輪ではゲートを二十四時間、監視しつづけていた。変化が無かったそれが、イオナたちの到着と同時に膨れ始めたのである。しかし膨張速度は遅い。最大にまで広がるには13時間ほどが必要となるだろう。やはりキリシマの不在が原因か。

 紫の女性は目を細め、ゲートから吐き出されたばかりの存在に向けアスロックを惜しげもなく放出する。
 そこから出てきた新たな敵を、コンゴウは実弾で以って殲滅した。金剛との接触をこれ以上邪魔されてはたまらない。ストレスを溜める一方になってしまう。
 今という時まで待ったのだ。深海棲艦とそれが出現するゲートを監視しながら生態系を探った。かつて霧が人間とはどういう生き物であるのか、理解するために行なった方法である。

 深海棲艦は中途半端な存在であった。
 本能だけで動く動物と変わりない。人間が恐れる姫や鬼と呼称する個体も、細かい雑多に比べ力が2から5倍程度の強化版に過ぎず、個を持っていなかった。
 コンゴウは嘲笑した。まるでかつての霧であったからだ。アドミラリティ・コードの命ずるまま、盲目的に実行し続ける。
 道具としては正しい。だが人間を殲滅する、という目的を叶えるには足りないのである。だから霧は取得したのだ。
 それがコンゴウを崩壊一歩手前にまで追い込む原因となった訳だが、格という人間が持つ不可思議な精神構造を取得するために必要な過程であったのだろう。
 とはいえここ数日、観察し続けてきた深海棲艦では建設的な思考を持ち、戦略を立てるなどほぼ、出来ないと結論に達している。偶然が重なったとしても、確率は1%に満ちはしないと断言できた。
 ただ、金剛のような異端分子は別である。
 
 コンゴウが分析した深海棲艦のデータに金剛を始めとする艦娘が符合していた。
 両者は間違いなく根本を同じくする生命体である。違いを挙げるならば記憶を持っている、という一点であろう。
 だが金剛は、艦娘と呼ばれるものたちは持っていた。霧が取得するまでに紆余曲折した、疑問を持ち、推論し調べ、結論付ける一連の知的活動を最初から行なっていたのである。なにが違うのか。コンゴウが至った結論は人間であった。やはりここでも人間が作用していたのである。
 霧が変わらざるを得なかった起こりであった。艦娘たちは良運に恵まれている。幸運と言わず、なんと表現するのだろうか。

 演算処理を超えた衝動がコンゴウの中にあった。
 これを高揚というのであろう。

 深海棲艦と金剛が呼ぶ存在は己の能力を上げるという思考を持ち合わせては居なかった。
 生物は進化する。外的要因だけでなく内部で起きた変化により、世代を重ね、または突然、不利となっている因子を変化させる。
 イオナは霧の艦隊の中で生まれた異端だ。人間の肉体の中で言う、ガン細胞と同じである。と、ある時に至るまでは思っていた。
 進化とは肉体持つ生物だけに現れる症状ではないらしい。そうコンゴウに考え直せたのは、イオナであった。そして今、目の前に居る金剛がその推論を確定のものとした。
 金剛は人間の形をしているが、深海棲艦と同じものである。そしてその精神構成は霧の艦隊に近しい存在である。心という不安定な思考が、今までそれを持ち得なかったものに対し大きな変化をもたらすのだ。
 そう考えれば、最初から持ち得ている人間の、なんと無駄の多いことか。
 
 「僥倖とはそれらの現象か」

 コンゴウは出会いという名の好運に頷く。
 今回の件もコンゴウと金剛が出会うために必要な過程であったのだとするならば。
 この場に、この地に不必要である霧が呼ばれ、繋がれたのはコンゴウと金剛を出会わせるためであったのだとするならば。巻き込まれて良かったのだと初めて認識できた。
 戦いは同じ名の響を持つ同士の対決に移行する。

 コンゴウは欲していた。
 心の意味を。それを持ち続ける疑問を。

 その思いを受け取り、金剛は走り出す。
 捜し求めていたからだ。かつての自分に重なる。
 金剛には提督が居た。提督が金剛に多くを教えてくれた。ならば彼から受け取ったこの思いを、心がもたらす感情という、揺れ動くからこそ尊い答えをコンゴウに伝えたかった。

 「霧の皆さんは、なんでもありデスねー!」

 金剛は水面を走りながら、コンゴウの側に航行してきたピンクの艦に苦言を呈する。
 なぜならマヤがその船体をナノマテリアルと化し、コンゴウへ譲渡したからである。その姿は雄雄しく、また凶悪なまでに美しかった。
 イオナとタカオが融合出来たのだ。同じ霧であるコンゴウとマヤに出来ぬはずはない。

 放たれるのはアスロックミサイルである。
 その数は100を超えていた。金剛を目標に、全てが誘導に沿って向かってくる。
 ミサイルの雨であった。一発でも受ければ、最低でも中破は免れないであろう。
 
 金剛は海面を走りながら向かってくるミサイルのうち、ひとつに的を絞り速度を上げる。そして跳躍した。
 二重視野だから出来る芸当である。どこにどのミサイルが軌道を描いて着弾するのか。分かるからこそ跳べた。
 ミサイルの上を走り、さらに跳ぶ。後方で爆発が起きた。体が巻き起こる爆風の煽りを受け吹き飛ぶ。

 だが金剛は即、次の目標へと体をひねり着地し走り出す。止まってはいられない。なぜならミサイルは金剛に着弾すべく飛んでいるからだ。
 男がこのミサイルの嵐を見ていたならば、とある戦闘機アニメにある、弾道軌跡遊戯のようだと目を輝かせていただろう。
 
 金剛は笑っていた。
 誰がなんと言おうが、金剛は戦闘狂いではない。それだけは断固として否定する。
 とはいえ今後、こういう対峙が出来るかと言えば否、であろう。
 戦略ネットワークの中で交わされている会話を拾えば、かなり科学が進んだ未来からの来訪者であると聞き取れたからである。
 
 コンゴウからの挑戦を受けたのも、やって出来なくはない、と思ったからだ。それにやる前からダメだ、出来ないと諦めるのが性で無かったのもある。
 確かに全身がナノマテリアルではない。当たれば損傷し、血も流れ、当たり所が悪ければ腕や足が吹き飛ぶであろう。
 だが金剛はコンゴウと違い極小の的である。二重視野のお陰で命中率だけではなく、回避率も格段に上がっていた。

 『基本的にコンゴウは難しく考えすぎなのデスよ』

 心に関しては、金剛も一時はこんなまがい物は要らない、とまで考えたこともある。
 素体には思考能力はない。ただ命令を遂行するだけだ。なぜならば手足は考えるもの、ではないからだ。命じられたとおりに動く、記憶能力だけがあればいい。
 艦娘の思考能力は艤装によって後付けられた付属である。記憶を持っている前提であるからだ。
 ではなぜ記憶を、心を与えられたのか。ただ命令に従うものとして作らなかった理由も考えたことがある。

 もし深海棲艦と同じ形態で作られたとしたならば、もっと機械的に物事が淡々と進むであろう。が、途中で乗っ取りも生まれていたはずだ。
 ……言葉は悪いが、艦娘がそうなのである。深海棲艦の一部であった彼女らを形作る素体を切り離し、艤装という拘束具により艦娘と成さしめているのだ。
 人間が深海棲艦を捕らえるには多くの犠牲を必要とする。だが深海棲艦は無限に湧いてきた。人が対峙すればするほど、人の消耗が激しくなる。だから敵を利用したのである。そうすれば損害を低く抑えられるからだ。
 
 話を元に戻そう。艦娘として構築する際に必要となる記憶、についてだ。
 例えば単純に深海棲艦を敵として排除する思考を植えつけたとしよう。
 深海棲艦も人類を殺害せよという思考を持っている。なにがどう違うのか。
 殺す相手が異なるだけである。元々は同じ存在である。命令を書き換える……本体が素体にとりつくだけで、あっという間に人間側から深海棲艦に逆戻りとなる。

 簡単に言えば、取り合い合戦だ。しかしこうなった場合、困るのは人間側であろう。

 だから艦娘という仕組みを作った人物は、艦娘となったものが簡単に深海棲艦側へ戻らぬようにした。
 それが記憶であり、心だ。
 己が何者であるのか。明確に示され固定されるのである。
 人間と共に在るのが当たり前となっている艦娘に、いくら深海棲艦が彼女らの言語で戻って来いと語りかけたとて、通じるわけもない。
 全く上手く作られた仕組みであろう。

 忌々しさを金剛は忘れたわけではない。
 金剛という名を与えられ、同士討ちに向かわされる日々をむなしいと感じていたこともある。
 この心がまがい物だと教えられたあの日の事はよく覚えていた。ぐちゃぐちゃにかき回し、唯一の体をも蹂躙しようと手を伸ばしてきた人物が教えてくれたのだ。
 金剛は絶望をそのとき、知った。
 元帥という人物が艦娘を統率していると知ったのもその人物からである。
 
 無論、制裁はさせてもらった。
 人間ごときが束になっても敵わぬ、元深海棲艦を欲望で塗りつぶそうとするなどおこがましいのである。

 だがそれも、現ショートランド提督との出会いにより、全てが意味のある日々であったと思えるようになっていた。
 艦娘という存在にされたことも、多少は、これでよかったのだろう、と納得しつつある。深海棲艦として心無く無為に時を過ごすよりも、たとえ苦しくとも、悲しみや辛い軋みを体の奥底で感じることがあったとしても、今がいいと思えていた。

 全く心とはいい加減なものなのだ。

 『はっきり言って、適当なのデス。大切なのはコンゴウは今、どうありたいと思っているかデスね』
 『……わから、ない』

 長い沈黙の後、ゆっくりと唇が意味を紡ぎ出す。
 ただ。
 長い沈黙の後につぶやかれた言葉に金剛は笑む。そして走る。
 コンゴウの甲板はもうすぐであった。
 その手を握り、直接、声で伝えたい言葉が出来たのだ。

 『それでいいと思いマスよ。だって、好きという感情はsuperb(すばらしい)なのデスから』
 
 
 そんな両者を手持ち無沙汰で見つめる瞳があった。月が出ているとはいえ昼間のように遠くまで見通せるほどの視野はない。
 榛名と大鳳は伊401の船体に立ち、金剛の姿を追っていた。
 霧たちはコンゴウから引き継いだゲートの膨張監視とそこから出てくる深海棲艦の排除を行なっていたが、海に潜れぬ両名、榛名と大鳳はやることがなかったのである。
 しかも金剛とコンゴウの戦いに関し、手出し無用だとお願いされたためこうしてイオナの上で月光浴をしているのだ。

 星が輝く闇の中に焔が生まれていた。
 榛名は紅がはじける度に鼓膜を震わせる振動を防ぐべくそっと手を当てる。
 姉の姿はとうに見えなくなっていた。だいたいあそこくらいだろう、という予想は爆発の度に付けられたが、それだけである。

 「……お姉さま、榛名はしょんぼりです」

 戦場に赴く際、榛名は比叡と組むことが多い。姉はオールラウンドであるため、さまざまな艦娘と任務に赴く。
 今回の選抜で姉と共に選ばれたことを、榛名は心の底から喜んだ。比叡には悪いが内心、ガッツポーズを組んだほどである。
 姉とのお出かけは、例えそれが戦場であったとしても心踊ったからだ。いつもよりやる気も倍増である。
 だが蓋を開ければ姉の横に立っていられたのはものの数時間であった。その代わりと言ってはなんだが、余り会話をしたことが無い、大鳳とこうして親交を深められているのだ。悪いことばかりではないがしかし、榛名は肩を落としていた。
 そもそも姉にお願いされては妹として、断ることなど出来はしないのだ。だが久々に見た、大鳳を間宮特製あんこの生クリーム添えアイスクリンによって買収するという暗黒面を間近で眺められたのは良かった。
 ……艦娘に断れるはずがないのである。間宮の甘味はそれほどまでに威力が高い代物であった。公私を分け、建設的な考えを持つ大鳳ですら悪魔の囁きに白旗を上げ、傍観を承諾したくらいだ。しかし姉はどうやって間宮特製あんこの生クリーム添えアイスクリンを手に入れるつもりなのだろうか。榛名は首を傾げる。特別券は確か、つい先日使い切ったはずだ。

 両者は戦っている。
 しかしただ戦っているわけではなかった。
 戦闘とはどちらかを殺すまで続く行為である。コンゴウと金剛の戦いは、まさしく生死をかけた戦であった。
 だが。
 
 (お姉さま、なんだか楽しそう)

 まるで対話しているかのように榛名には感じていた。姉妹揃ってのおしゃべりの如く、戦いの中で姉は姉と同じ名を持つ存在と会話している。
 (ただ少し榛名は切ないです、お姉さま)
 姉と姉と名を同じくする両者の間には特別ななにかがある。そのため、いつもならば手を伸ばせば必ず届く距離にある姉が遠くに感じていた。
 もしこの場に居たのが己ではなく、比叡や霧島であればもっと違った感じ方をしているかもしれない。
 (……拗ねてなんか、)
 榛名は気付く。そして赤面した。

 (本当に可愛い妹デスね)
 姉はそんな妹をくすぐったく思いながら空を駆けていた。遠くに離れていても手に取るように妹の状態が分かる。それは榛名がイオナの上にあるからだ。
 霧の艦隊と離れてしまうとこの力も失ってしまうであろう。イオナを始めとする異世界からの来訪者が在るからこその力である。
 だから、というわけではないが今この時を楽しんでいる己を金剛は素直に認めた。

 金剛はコンゴウの問いに答え続ける。
 答えに窮するものもあった。そういう時はあえて、問いを問いで返した。
 お互いに得、進み続けるために、必要な対話であった。
 ふたつの弧が笑みを形作る。戦いはまだ、始まったばかりであった。
 雌雄を決する戦いではない。だが共に高みへと登る共闘である。その方法が、両者の選択が戦闘という行為であっただけだ。

 金剛はコンゴウとマヤが立つ甲板へと到着する。マヤが金剛を出迎えた。
 マヤは摩耶と話し方も仕草も全く違っていた。当たり前である。同一艦とはいえ、成り立ちが違うのだ。全く同じであったなら、おかしいといえるだろう。だがマヤも摩耶と同じく、瞳に強い意志を宿らせていた。摩耶とマヤが同一である事実を感じとれるであろう。

 「はじめまして! 金剛は、コンゴウとそっくりだね」
 「そうなのデスか? 同じ金剛ですカラ、同じ部分もあって然りデース」

 それもそうだと納得したようにマヤが笑む。
 また後でいっぱいお話しようね、と約束を交わしマヤは艦橋へと戻っていった。
 甲板に残されたのは金剛とコンゴウの両名だけである。

 「……続きを」
 「ああ、続きを……」

 紫と金が交わる。

 両者は遠隔兵器を使わず、演算能力と思考を全て肉弾戦へ特化、傾向させた。戦いは続く。イオナが映し出した映像に汗を握って見ていた榛名と大鳳はすでに、艦内で寝息を立てて眠っている。他の霧も同様だ。タカオは自室にて艦長の抱き枕を抱き戦況の分析とデフラグを行い、イオナは両者の戦いを見守り続けていた。
 周囲を警戒しているのはハルナである。キリシマと声を交わしながら、回遊型の深海棲艦をやり過ごす航路の検索を数十秒ごとに再計算していた。そもそもはキリシマが行なっていた演算である。だが行なえない事態が起こっていた。
 艦娘は本当に、多彩に満ちている。霧のメンタルモデルにもそれぞれ個性という他と己を区別する色彩や造形を形成しているが、少なくとも美醜を競うものではない。
 人間とは真逆の存在であるはずのものが、周り巡って最も近しくなっている。

 ハルナは順調に予定航路を進んでいる彼女らを伺い見る。
 夕食後の強行軍である。潜水艦娘たちが眠気に負け、海流に流されそうになるのをキリクマが必死に繋ぎとめていたのだ。

 「上の目と下の目が、……くっついちゃうの」
 『開ければ大丈夫だ、開けろ!』
 「本が無いと、なんか、こう……」
 『流されるな! 本が無いなら歌えば……いいんじゃない、か?』

 ハルナは聞こえてくる会話に目を細める。
 海流を乗り継ぐ術を取得した彼女達は到着時刻をじわりと縮めてきていた。元から面倒見の良いキリシマである。案外、引率が向いているのかもしれない。そんなことをふと思った。
 霧には、東洋方面巡航艦隊には潜水艦が少ない。具現しているのは伊401を始めとする、402、403の三隻だけだ。しかも感情の起伏が乏しく、淡々とした語り口調は事務的以外のなにものでもない。だが艦娘である潜水艦たちは表情豊かでありかつ、感情も多岐に富んでいた。
 ハルナが大切に思う友人に良く似ている思考パターンである。観察していて飽きなかった。これを『好意』という感情であるのだと、キリシマを通して再確認していた。
 これらのやり取りはハルナにとって、心を理解する上で重要な要因となった。


 そして日が昇れば闇に沈んでいた青が光を受け透明さを取り戻す。コンゴウの甲板の上では戦いが一段落していた。となれば嗜むのは琥珀色の揺らめきである。

 「楽しかったデスねー」
 「まだまだ戦い方に改良の余地があるが、互いに洗い出せたのは良かった」

 両者は大戦艦コンゴウの甲板上で英国指揮の紅茶を楽しんでいた。運動後の紅茶は格別である。
 食器の多くはコンゴウのナノマテリアルによって形成されたものであるが、茶葉だけは本物だ。イオナの船内に積みいれた葉は、はるばるリンガ泊地から演習のためにやって来た艦娘が土産に持ってきてくれたアールグレイという品種の茶葉である。
 三段に重なったティスタンドには餅系が並んでいるのが珍妙であったが、サンドイッチもケーキも積んでいなかったため急ごしらえである。
 だがコンゴウは全く気にする様子無く、紅茶に口をつけ、程よい温かさと立ちのぶる香りを確かめていた。
 東屋で飲み続けてきたそれは、形骸化した真似であった。美味と感じたこれを再現する考えは全く無い。あの時もそうだ。硫黄島で紅茶というものが熱い飲み物だと知った。しかしこれからは紅茶に口をつけるたびに金剛を思い出すだろう。心と体を交わらせた、金剛と共に茶を楽しんだ時間があったのだ、ということを。

 会話の内容は日常の些細な事柄ばかりだ。途中でマヤが加わったが、勧められるままに口にした餅が大層気に入ったらしい。
 「本土では今、たれたれパンダが人気なのデス。黒と白の模様はそのままなのデスが、のっぺりとしてしっとりとした質感が良いとか」
 専ら金剛が話すほうで、聞き役に回っているのはコンゴウであるが、それでもどことなく、表情が柔らかい。餅を頬張るマヤが最もその変化を喜んで見ていた。
 時はあっという間に七時を回る。
 数十分前に到着した潜水艦四隻の娘達は、イオナの艦内にて振舞われている食事に食いつき、しばしの睡眠をとらせてもらっていた。
 水中を進んできたキリクマも水分と塩分を例の如くねじりながら排除され、ハルナの艦橋にて干されている。
 
 別れが近づいて来ていた。
 「名残惜しいデスね」
 「……そうだな。勝負も引き分けに終わっている」

 次、対峙することがあれば勝つのは己だと不適に笑い合えるところが、同名艦同士であろう繋がりか。
 ゲートの膨張が最大値となれば、次々と戦艦が海中へと潜ってゆく。
 艦娘旗艦、金剛は異世界の艦隊を見送る。全ての霧が集ったことによって膨張した光熱反応を起すゲートの広がりが確認されたのだ。
 榛名と大鳳の両者が海上に、金剛は途中までコンゴウに随行し、大きく広がった赤の渦巻きのなかに消えてゆく仲間の背に敬礼する。
 その横には潜水艦娘たちが居た。戦艦であるのに水中に潜れる、稀有な存在に黄色い声音で質問が矢継早に飛ぶ。
 金剛はそれを無碍にはしなかった。揺れ動く娘達の髪を撫で、帰りしなにじっくりと聞く準備があると伝える。

 『また会おう、友よ』

 ゲートが消える際、金剛に最期の言葉が残された。
 また、という別れは、いつかは分からないが次も必ずあるという意味だ。
 
 『See you again、コンゴウ。そして皆さん』

 見送り、確かにゲートが消失したと確認後、水面に戻ろうとした金剛の視界に、何かが引っかかる。
 それに反応したのは伊58と伊168だ。
 魚雷をいつでも撃ち出せるように構え、金剛が見据えたその先にあるものに目を凝らす。

 ごぼ、と水泡が金剛の口から吐き出される。
 水中であることを忘れ、叫んだのだ。潜水艦たちのように、水の中で上手く会話が出来ないのである。
 
 「あれ、しおちゃんなの!」
 
 伊9が指をさす方向に漂っていたのは、艦娘であった。否、艦娘となりかけている素体と言ったほうが適切であろう。艤装も無く、ただ漂っているだけの存在だった。
 本来であれば深海棲艦に寄生されている素体を成長させ艤装を取り付けねば、艦娘とはならないはずである。
 どこかで実験されていたのか、はたまたどこかのゲートから霧の艦隊の如く、送り出されてきたものか。判断するには情報が足りない。
 艦娘としての体をとっているならば、救助しなければならないだろう。泳ぎはさすがに潜水艦たちの方が上手かった。
 工廠内に果たして、伊401、シオイの艤装があるかどうかは不明だが、成長しきってはいない幼子の体を抱き金剛は水面へと上がる。宝石のように煌く水面の先には中と同じくきれいな青が広がっていた。

 「早く、金剛! 帰らなきゃ!」
 「シオイちゃんが、死んじゃう!」

 イオナが帰り、シオイが訪れた。これをただの偶然と片付けるにはいささか、状況が整いすぎてはいないか。
 金剛は腕の中でぐったりとしている潜水艦娘となる幼生に視線を落とす。
 
 (もしも、の場合はダーリンに何とかして貰いまショウか)

 戦艦が不安な顔をしていれば、慕ってくれている潜水艦娘たちの気持ちも揺らぐ。だから金剛は満面に笑みを浮かべた。
 艦娘が所属地に持ち込んだ問題の全ては、その地の最高責任者が持つ。どんな困難をも下してきた男だ。これくらい何とかしてくれるだろう。そうでなければ男が廃るというものだ。

 「さあ。 let's all go home デース!」
 金剛は旗艦として全員の点呼をとり、泊地に向かい進み始める。

 金剛はコンゴウからありがたくも譲り受けた、概念伝達の東屋と空間をヘクス上に広げ見る技能を駆使し、帰途を検索する。羅針盤に頼らない道程を進めるのだ。なんと便利なのだろう。使わない手はない。
 ただ艦娘の数が規定の数を超えていた。ならばきっと出遭うであろう。だが出来るだけ避ける算段はついていた。キリシマが潜水艦娘たちと最深部へ至る際、ことごとく深海棲艦を回避していたのだ。キリクマ曰く海流を計算し敵との遭遇をせぬように、分刻みで速度を変えていた、という。金剛にはそこまでの索敵能力は無いが、この空間把握を使えば何とかなるような気がしていた。しかも海流を探し、それに乗り続けてきた潜水艦たちもいる。やって出来なくはないだろう。
 低速であるはずの彼女達ではあるが、キリクマとの訓練により海流をたくみに使い高速艦とほぼ同じ速度を叩きだすことが出来るようになっていた。
 これに金剛の、概念伝達空間を重ねれば、遭遇をかなり減らすことが出来るであろう。

 金剛が最も避けたい状況は、回遊型の深海棲艦を引き連れて泊地に戻ること、である。たとえ逃げ入ったとしても、大和や長門、陸奥がパラソルを片手に待ち構えて居、46センチ砲で容易く殲滅してくれるだろう。だが、出来れば胸を張り、意気揚々と凱旋したいのである。見栄といわれてしまえばその通りだ。しかし大好きな人に褒めてもらいたいこの心の内に生まれた欲求も捨てがたいのである。

 (もうすぐ帰ります。待っていてくだサイね)

 提督はきっと、安堵するに違いない。
 霧の艦隊が無事帰途についたことを、そして金剛が得た能力を、喜んでくれるだろうか。
 そんなことを考えながら、水中から聞こえてくる声に耳を澄ませ、青の波を切り始める。

 △▽△▽△▽△▽△▽△▽

       
      
     

 時は二十九日、泊地を舞台にした大捕り物、対雪風、キリクマ争奪戦が終わった後まで遡る。
 潜水艦娘たちとキリシマを送り出すという大仕事を終えた男は、執務室で制服を脱ぎ卓上のレポート用紙に筆を走らせていた。
 無線封鎖を行なっているのは霧である。
 作戦が順当に進めば、いずれ電波状態も戻る。なぜなら妨害を発しているコンゴウがゲートの向こう側に帰るからである。
 そうなれば通常通りとなった電波を使い、本土本営から問い合わせがくるだろう。
 なぜなら男が大湊に連絡出来なかったからである。大湊の指令との付き合いはまだ半年にも満ちていない。仕事上だけの関係だ。いつも男が掛け続けている連絡も、待ちわびてくれているとは思ってはいない。……うざったいと邪険にされていないと信じている。もし仮に煩さがられていたとしても、連絡できない状態になっていること、くらいは予想してくれていると思いたかった。

 願いが90%近く入っているが、少なくとも最前線と連絡が付かなくなっている時点で、本土は何らかの行動を起しているに違いない。

 (横須賀からは出るだろうな。本土は基本防衛を主にしている。戦力を出せる基地が、その他ひとつふたつあればいいほうか)

 男は脳内で状況を組み立ててみる。
 以前と比べ多少落ち着いているとはいえ、ショートランド周辺にはかなりの頻度で深海棲艦の戦艦や空母が出現していた。他の基地や泊地に比べ、担当海域に出現するゲートが多いのである。何かしらの原因が疑われているが、そもそもゲートの開閉に関しては謎だらけだ。調べようとしても、謎が謎を呼ぶだけであった。解析出来るのは、男をこの地へ招いたプロフェッサーのみである。雲を掴むような話だ。全くもって分からないが、もしかすると男の存在が原因のひとつである可能性は高い。

 (生コンゴウとマヤを見れなかったのが残念ていや、残念だったな)

 男は嘘偽り無く、霧の艦隊という存在を除外した詳細なレポートを記しながら、思う。一体何があったか、それを伝える資料作りだ。既にあらかた形を成していた。
 ヒュウガとイオナ、ハルナとキリクマが訪れた記載はある。なぜならこの泊地に在する多くが彼女らを見ているからだ。矛盾が在ってはならぬ。ただ彼女達が何者か、男を除いた全員が知らない。だから男が尻尾を出さなければ、どうにでもなる案件であった。知らぬ存ぜぬを貫けば、疑いの目は向けられるだろうが、そもそも鉄の船が艦娘の護衛も無しに浮いていられたなど誰が信じるのだろう。本来であればそれが普通の状態であるが、深海棲艦が跋扈する現在では笑い話にしかならない。
 無論、ヒュウガが仕込んでくれた資料はありがたく使わせて貰う事にしている。男がなぜヒュウガを知っていたのか。それは以前のタンカーで運ばれてきた資料の中にあったからである。だから知っていても不思議は無い、とするのだ。
 資料は精密に出来ていた。ヒュウガはやるならば徹底的とばかりに、同日に送られてきた書類に残されていた指紋をも複製し、張り付けてある。身代わりとなる誰かに、男はそっと手を合わせた。
 
 (……青葉、泣かなきゃいいが)

 立つ鳥後を濁さず、とばかりにヒュウガは霧の存在が露になる物品の全てを回収していたからだ。
 青葉が撮った写真もそうである。見た、聞いた、話した、という記憶があっても、物的証拠がひとつも無くなっているのだ。
 たぬきかきつねに化かされたか。はっきり言ってしまえばそういう状況である。

 とはいえ元帥直下の情報部組織が真っ先にこの泊地にやってくるのは必然であろう。
 もしくはこちらの方に向け、艦娘の艦隊を幾つか差し向けている可能性が考えられた。
 ラバウル基地を発した最高指揮官が乗る船もトラックに到着していていい頃合だ。どんなに遅くとも今日、二十九日までには着いているだろう。タンカーが低速航行であるのは、船体いっぱいにまで物資を積んでいるからだ。空であり、目的地まで着けばいいとなれば、早くて一日半、どんなに時間が掛かったとしても三日あれば港についている。

 トラックは拠点である。もっと分かりやすく言うならば、海路の要である。飛行機が健在であれば、こういう言い方も出来るだろう。ハブ空港だ、と。
 竹島と夏島の両島は風光明美な小島が連なる海域である。大きなサンゴ礁に囲まれ大きな波が進入しにくい天然の要塞となっていた。
 そのためトラック諸島は艦娘たちにとっても、絶好の訓練地となっている。
 水深が深く、大きな船も悠々と入り込むことが出来る。巨大戦艦であった大和と武蔵が軽々と入ることが出来たくらいだ。
 使われている主な島は夏島である。
 ショートランドから演習のために艦隊を派遣したことがあるが、行って帰ってきた者達曰く、ちょっとした小旅行であったと言っていたくらいだ。
 同じ熱帯にある泊地であるが、所変われば品変わると言ったところだろう。

 トラックは位置的にも、霧の艦隊によって電波妨害を受けていないはずである。
 本土本営との連絡を密にとっていると予想された。

 「……ふう、」

 男はヒュウガと行なった打ち合わせどおり、この基地以外に配布する『おおよそ同じ内容』のまとめをクリップで留め机の端に置いた。
 視線が捉えたのは卓上型のカレンダーである。今年も残り、今日を含めて三日となった。イオナとヒュウガがこの泊地にやってきたのはクリスマスの翌日だったか。

 「まだ3日しか、経ってないな」

 男の中では優に一週間ばかりの時が流れているような感覚であった。それほどまでに濃密な日々であるのだろう。
 それも今日で終わりだ。さすがに完全徹夜も四日目に入るときつかった。若い頃は一週間程度、寝る間も惜しんで遊びまわっていたものだが、そろそろ下り坂が見えてくる年頃なのだろう。
 休みが取れるわけではない。男が就く職名に休みという贅沢は付随してはいないが、時間のやりくりは出来る。次のイベントの詳細を思いだせばうんざりとした気だるさが押し寄せてくるが、仕方が無い。
 これはゲームではなく現実だ。しかもこの泊地を中心とした海域の平定を任された最高責任者である。
 何もかもがとんとん拍子に運ぶのは、全てゲームから得た知識と経験があるからだ。男の場合、最も簡単な難易度、EASYであろう。大湊の指令などは、HARDを通り越したHELLモードのような気もする。ならば元帥は……と考えたところで耳につく音が鳴る。

 コンコン。

 とドアを遠慮がちに叩き、「失礼します」と声して入ってくる艦娘の姿があった。
 時計を見れば、19時を回っている。
 男は苦笑した。まだ日が高く、夕方だという感覚が伴なわない不慣れへの感覚に、だ。
 
 「ラバウル基地所属、吹雪参りました」
 「良く来てくれた。呼び出してすまないね」
 「いいえ! とんでもありません」

 吹雪が司令官の部屋に入れば、椅子に座し笑んだ姿が映る。しかも上着を着ていないシャツ姿だ。
 吹雪の提督はいつもしかめっ面をしていた。笑っている顔など見たことも無い。
 くらりとめまいを感じた。
 差が激しかった。どこにいてもそうだ。ここは自分の居場所ではないと、肩身が狭く感じてしまうことが多かった。

 男は立ち上がり佇まいを整え、付いてくるように吹雪へ伝える。吹雪は表情を動かさず、黙々と提督の指示に従った。
 男は程よい距離を置いてついて来る吹雪に思いを巡らせていた。
 吹雪を筆頭にラバウルから脱出出来た総勢、十六名が現在、ショートランド預かりとして滞在している。
 ラバウルから逃げてきた艦娘たちは一様に疲弊していた。言葉に表せば、まさに消耗、がぴったりである。
 ここまで疲れ切った艦娘たちの姿を、男は久し振りに見た。初見であったのはこの泊地に着任したその時である。タンカー船に乗りやって来たこの泊地には半端無い終末感が漂っていたのだ。なにをどう行なっても行き着く先は死である。諦めきった多くが訪れるだろうその瞬間をただ待っている状態であった。
 
 建物も掘っ立て小屋、所属している艦娘を始め、士官も投げやり、何という場所に放り出されたのかと頭を抱えたほどである。
 そこから考えれば、今はなんと落ち着いた環境であるだろうか。

 ラバウル基地はいわゆる、ブラック基地であった。
 そう思い至った過程は省くが、ラバウルからやって来た艦娘のことごとくが提督という肩書きを持つ男に、身を引き構えたのである。
 男は人間だ。そして彼女達は艦娘である。艦娘は人間に危害を加えない存在として男は説明を受けていた。

 はっきり言おう。人間は艦娘には及ばない。見た目は可愛く美人で器量良し、性格もかなり良質な女性達だ。が、腕力、知力とひとつとってみても、到底敵わないのである。
 艦娘をひとりの意志を持った個人として見ず、兵器として扱っている基地や泊地が多いため比べるべくもないが、戦略を座学として取り入れ、教育を施しているここ、ショートランド泊地では艦娘たちの多くが海に出た際、どうすればよいのかそれぞれが考えるようになっている。
 軍隊ではありえてはならぬ事、であった。
 本来であれば命令されたそのままに、任務を遂行することが兵に求められる。
 とあるゲーム風に言えば、随時『命令させろ』である。だがショートランドにおける艦娘たちの作戦は『みんながんばれ』であった。
 
 提督から提示されるのは目的だけである。
 その目的を達成するために、艦娘たちに思考させてから行動に移らせる。
 そうしていると目的を達成するために艦娘たちは己を研磨し、高める努力を始めた。

 中には戦略を練るのが得意とする艦娘たちも居る。
 男でも迷う事柄に対し、判断材料を与えれば打てば響く妙案を出してくることもあるのだ。この泊地でその傾向が強いのが、大和と高雄、大鳳、そして長門である。

 男は執務室を出、廊下を歩き階段を下って外へ出た。
 いくつもの声が男を呼ぶ。それぞれに手を上げ答え向かうのは宿舎方面だ。
 その先には工廠がある。

 ゲームとしてならばあり、であった。
 艦娘を置いておける数が初期値で100しかないのである。課金して増やしたとて上限には限りがあり、資材も節約して使いたい為どうしても捨て艦というものが発生していた。だがそれは、それが許されていたのはゲームだったから、である。現実に生きている艦娘にそれを行なえば、虐待だと言っても過言ではない。
 
 だが仕組みは現実となっても変わってはいなかった。近代化改装を行なうには艦娘を使って強化せねばならなかった。
 ここは最前線である。近代化改修を行なわない、という選択は出来なかった。なぜなら改修しなければ多くが死ぬからである。ふたり出し、両方失うよりもひとりを犠牲にし、もうひとりを強化して海に出すほうが帰還率も上がった。
 
 男の信念は、男の下に集まってきた艦娘たちを一人残らず存在させ続けること、である。

 そして改造はそのまま新たなプログラムを艤装と艦娘本人に流し、認識させて終わるらしい。が、その行程は男の権限の外にあり、実際はどういう風に行なわれているか全く知らなかった。改造に向かった艦娘たちが工廠に入る所までは見ることが出来る。その許可を押すことも可能だ。しかし工廠の、改造が行なわれる一角は男子禁制の、秘密の花園であった。女提督であれば入れたかもしれないが、残念、男はれっきとした、生まれも育ちも男である。よって見学も不可であった。

 「一体、私をどうする……」

 男は聡い吹雪に苦笑した。
 ブイン基地では奥まった場所にひっそりとたたずむ建物であるが、ここショートランドでは艦娘たちが暮らす宿舎の隣にそれはある。
 連れて来られた場所が工廠であると認識すれば、己にいったい何が施されるのか気づいたのであろう。
 そして言葉を詰まらせたのは工廠の入り口に立っていたのが、吹雪の親友である睦月だったからに他ならない。

 「えへへ。待ってたよ、吹雪」

 首をほんの少し傾げ、満面に笑む。

 「嫌です! 私、まだ!」
 「……まずは話を聞いてくれ、吹雪」

 男は先走りする吹雪をなだめる。走り寄ってきた睦月が提督にウインクすれば、後は任せたとばかりに男は即、身を引いた。
 「そうだよぉ。人の話は最期まで聞かないと、間違えちゃうんだよ?」
 女の子らしい笑い方をし、睦月が吹雪の手を取る。
 「とりあえず、話しながら行こっか」

 睦月がちらりと男を見た。
 男も小さく睦月へと頷く。ここまで来れば男の役目はほぼ完遂されたとしても良い。
 提案された当初、考え直すように提案したのだ。説得もした。しかし睦月の決意は揺るがなかった。

 「だって、こんなことを頼めるのは、頼めるんだって思ったのは、提督だからなんですよ」

 強い意志を秘めた睦月にそう言われてしまっては、男としても承認せざるを得なかったのである。
 睦月と吹雪はどんどん奥へと進んでゆく。その背を男はゆっくりとした歩調で付いて行った。
 会話はラバウル基地での日々である。

 「うん、それで吹雪が言ったんだよね。絶対に私が最期まで、覚えてるから。貴方達の事は、忘れたりなんかしないから、って」
 「……あの、それ聞かれてたんですか」

 誰にも言っていないと思っていたはずのことが、親友の口から出るとこそばゆく、恥ずかしい。
 「ふふん、睦月様の情報網、甘く見るでないぞ?」

 笑顔が咲く。無理矢理作ったものではない。自然に浮かぶ、それぞれの心だ。
 「だからね、吹雪には覚えておいて欲しいの。私のことも」

 歩みが止まる。
 吹雪の表情が強張り始めていた。

 「凍結処分を受けることにしたの」

 嫌だ、聞きたくない!
 吹雪の声が細切れに響く。言葉の流れは作られなかった。


 凍結。
 その言葉を親友から聞いた吹雪は瞬間、呼吸すら忘れた。親友はただじっと、吹雪を見ているだけだ。いつもの笑顔のまま、じ、と吹雪を見ている。
 
 「っ、そ……」
 「ううん、もう決めたの」

 一方的な宣言だった。
 目に映る光が暗転する。目に映る光景は変わらない。照明が落ちたわけでも、日が落ちたわけでもない。
 あまりの精神的損害に対し、目の前が真っ暗になっただけだ。

 吹雪は近代化改装ならびに改造を受けたことは無い。
 ……というのは語弊がある。受けさせてもらえる立場に無かった、というのが適切か。
 ラバウルの司令官は駆逐艦を材料に軽巡洋艦の近代化改装に力を入れていた。ラバウル近海にはよく、潜水カ級がやって来ていたからだ。
 深海棲艦はある一定数以上の群れになると地上を侵食しにやってくる。
 幾度となく、吹雪は島民を襲う深海棲艦を打ち倒してきた。遠征の行き帰りに悲鳴を聞けば、旗艦の裁量にて討伐に向かうかの判断がなされる場合があった。
 無線が基地と繋がる場合は司令官の指示を仰ぐ。だが司令官が下す判断の多くは、無視して帰ってくるように、であった。
 艦娘とは人型の兵器だ。しかし艦には無い感情が艦娘には備わっている。
 彼、が着任した当初はそうでもなかった、と記憶している。だが何時ごろからか命令を無視し、合いの手を差し伸べる多くが増え始めた。だがその多くは例外無く、処分された。従わぬものはいらぬとばかりに、司令官はさまざまを切り捨てた。

 ラバウル所属の艦娘の多くは精神を病んでいる。
 吹雪はこのショートランドへやって来、それを実感した。
 異常であると認識すればなんのことはない。正常な判断をしていた艦娘から殺されていたのだ。
 独裁である。私物として扱われていた。礎(いしずえ)にされていた。何の、と疑問符をつけなくとも分かる。提督の名誉のためだ。
 司令官の姿を最後に見たあの日、早く深海棲艦を殲滅してくるようにと叫んでいた人物の、私利私欲のために多くが散っていった。
 
 艦娘には艦であったころの記憶が根強く残っている。
 鮮明さはさまざまだ。なんとなく、という艦娘もいた。
 吹雪には明確な記憶があった。だから己に嘘をつき続ける必要があった。
 だがそれも、終わりだ。もう、抑えきれなかった。

 「好き勝手に! 眠る睦月はいいわ! 残される私は? この気持ちを、どこにぶつけたらいいの?!」

 心を、感情そのままに言葉を並べる。
 ここでは自由に発言しても許されると知っていたからだ。

 吹雪にも分かっていた。
 これは、艦娘に与えられた最期の選択だ。それを否定する権利など持ち合わせてはいない、など分かっている。

 艦娘には戸籍が無い。軍籍はあっても、日本人としての籍は存在していなかった。
 それはそうであろう。吹雪を始めとする艦娘は『艦船』であるからだ。人の形となった今もそれは変わらない。
 人間と同系の感情を持っているが故に同類として扱われているが、現れては消える泡沫と同じ消耗品なのである。特に駆逐艦であれば、なおさらだ。
 ここにあった、という記録は残る。だがそれだけだ。人間のように血が、世代がつながってゆくわけではない。
 
 睦月が眠れば、また新たな睦月が生まれるであろう。
 名も、その容姿も、船としての記憶も同じだ。
 だが。

 「睦月は、私にとっての貴方は、ひとりだけなのよ!」
 
 置いていかないで。
 吹雪は睦月の腕にすがりつき膝を付く。
 睦月はその体を支え、正座した。
 感情の波が穏やかになるまで待つ。その表情は静かであった。

 「ふむう。まぁた吹雪は難しく考えてるんだね」

 眉を寄せ、睦月が苦笑する。
 「私は、吹雪になるんだよ。こうして別の体で手を繋ぐのもいいけど、一緒になったほうがもっと、ずっと同じになれると思わないかなぁ」

 「同じものには、同じになんてなれるわけがない!」
 「やってもいないのに、否定するのはよくないかなー、って睦月は思うのですよ」

 言葉に詰まった吹雪は、顔を覗き込んでくる赤の瞳に唇を真一文字に結ぶ。
 近代化改装は艤装を渡す側と受け取る側が、基本同意して行なわれるものだ。しかし立場的には前者のほうが強い。なぜなら日本国軍規では、艦娘たちは最低の位、一平卒であるからだ。いくつもの勲章を持ち、階級も上から数えたほうが早い提督に「行ないなさい」と言われてしまえば拒否など出来なかった。
 
 だが。この泊地の提督であれば、言わないだろう。
 吹雪を助けてくれるだろう。
 そう思っていた。

 「吹雪、睦月の気持ちを……受け取ってやってほしい」

 その声と言葉に吹雪は愕然とした。
 なぜそんな恐ろしいことを言うのか。思わず吹雪は男に掴みかかった。
 みしり、と骨が軋む感覚が手のひらに伝わってくる。しかし男は静かに笑んでいるだけだ。
 
 (分かったって、吹雪の言うとおりにするって言いなさい!)

 手のひらに加わる圧が強まってゆく。
 痛いだろう。我慢せずとも良いのだ。さっさと吹雪の希望を叶えればいい。ただそれだけのことをなぜ良しと頷かないのか。

 「っ」

 短い息が吐かれる。だがそれは提督ではなかった。
 かさついた手がそっと吹雪の頬に触れたのだ。横に寄り添うように、目尻を下げ、口元に柔らかな笑みを浮かべた睦月が立っている。

 「……私、なに…を」

 男の体から吹雪の手が離れた。
 艦娘が提督に掴みかかるなど、ありはしない。あってはならなかった。人間にその力を行使しないよう、定義付けられていただからだ。
 もし行なってしまった艦があったなら、即時、解体される。どんなに経験を積み戦場においてなくてはならぬ存在だったとしてもだ。

 どさり、と重量のあるものが床へと落ちる。男が尻餅をついたのだ。足に力が入らない。大きく息を吐いてから首元に手をやり、襟のホックを外す。次いで握られていた腕をくるくると回し痛みを確かめた。
 ……骨は折れていないようである。ただ小さなひびは入っていそうだった。
 医務室に居る看護士になんと言い訳をしようかと男は考える。正直に言えば吹雪を処分せねばならなくなる。それだけは避けたかった。
 そして男の怪我を艦娘たちに知られないようにもしなければならなない。なぜならばベッドにくくりつけられるからである。
 男の背にぞわりとした悪寒が走った。

 「吹雪。ほら、見て?」

 名を呼ばれた吹雪の視線がゆっくりと上がる。親友が指差す位置には、セーラーの首元にはきれいな鎖骨がふたつ、揃っていた。
 吹雪は目をぱちくりとさせ、首を傾げる。睦月がなにを言いたいのか、さっぱり分からなかった。

 「吹雪、自分の首、触ってみて?」
 言われたままに吹雪は触れる。かつり、と何かが指先に触れた。
 「それねぇ。所属の証なんだって。貴方はこの基地の所属なんですよ、っていうしるしなんだよ。私、この泊地に来て初めて知ったんだぁ」

 小さな手鏡を手渡され、見る。そこにはネックレスが掛かっていた。ダイヤ型の青い石に指先が触れる。
 「私、…こんなもの、知ら…ないわ」

 吹雪も今、初めて目にし、触れた。
 こんなものが首に掛かっているとは全く気づかなかったのだ。
 おかしかった。まるで物の怪の類に化かされたかのようである。
 
 ちょこん、と吹雪の肩に座るものが居た。それは吹雪が装備するペンダントに宿る妖精さんだ。
 両手を合わせ涙目になり、ぺこりぺこりと頭を下げている。

 「この泊地の提督に聞いたの。妖精さんたちが隠してたんだって。そうするように、アイテム屋さんに頼んで、作ってたん…だ、って」
 酷いよね。見えなければこれはなあに、って聞かれることもないだろうからって。

 鼻の奥につん、としたものを感じながらも睦月は笑む。
 「私は、外されちゃってたの。ううん、最初から無かったんだろう、って思う。私ね、あの日、遠征の後、処分されることになってたんだよ」

 ごわごわになっている制服のスカートを持ち上げ、睦月が眉を下げた。
 艦娘たちが着る制服は月に数度、最長でも三ヶ月には一度必ず支給される消耗品である。
 深海棲艦との戦いは激しい。小破であればまだ繕えば着られるが、中破や大破となった場合は目も当てられないほどの破け方をする。
 替えを数枚、支給されているとはいえ無くなるときは一気に消費されるのだ。
 
 睦月が制服を貰えなくなって、そろそろ四ヵ月が経とうとしていた。
 資材を運ぶ遠征任務が多いとはいえ、塩害によって生地も痛んでくる。洗濯のたびに解れを直しアイロンを掛けたとて、それでも限界はやってきた。

 「吹雪は、提督の一番艦だから」
 「特別なんかじゃない、違うわ!」

 否定したとしても、周囲から一目置かれていたのは紛れもない事実だ。
 島風のように提督の執務室へ自由に入る事は出来なくなっていたが、重要な任務の際には必ず、吹雪の名が示されていた。
 艦同士の会議もそうだ。進行に行き詰まりが発生したとき、必ず吹雪に振られていた。なぜなら吹雪は場を丸く収めるのが誰よりも上手かったからに他ならない。
 ラバウルの吹雪は優等生だった。もし学校に通う少女であったならば、学級委員長に抜擢されていただろう。

 「……どうにも、ならないの?」
 「うん。もう決めちゃった」


 男にとってもこの、『近代化改装』という名の合成は苦辛する職務のひとつであった。
 ゲームの時はただ余った艦を、何も考えず良く使うレベルを上げたい艦の強化のために使っていただけである。
 どういう仕組みなのか。考えたことなどない。強くなれば詰まっていた海域すら、羅針盤が狂わなければ一回でボスに辿りつくことすらできたからだ。

 だがこの泊地にやって来、実際に行なう立場となったとき男は唖然とした。
 受け継がれるのは艤装であったのだ。女の子の部分がどうなるのか。これは依然として不明瞭であった。
 艦娘らは合成に対し、負の感情を持ってはいない。経験が受け継がれ仲間がより強くなるならば喜んでその身を捧げ、そして受ける側も受け入れた。自分が近代化改装を受け艤装を継げば、より多くの深海棲艦を倒すことが出来る。なぜ怖いのか。なぜ男が嫌がっているのか。全く分からない。多くの艦娘が、そう言う。人の形をしているが、艦娘たちは自らを艦であると認識している。これに男は愕然とした。今でもそうである。ゲームと現実の差に、動揺してしまう。

 死ぬわけではない、と聞いている。人間の技師も詳しくは知らなかった。聞きまわった先は妖精さんたちだ。
 そもそも妖精さんとは一体なんであるのか。男は知らない。本人達に聞いても教えてはくれないし、全ての責任者である元帥にしてもそうであろう。『知らぬが仏』だと一笑に伏されるがオチだ。推理するにしても材料が足りなかった。
 基本、妖精さんたちは人間には見えぬ存在である。男が目視出来るのは世界を跨いだからであろう。跨ぐ前の世界で妖精さんが武器を作る、艦娘を作るどの過程にも存在していた。なので妖精さんがいるのが当たり前となっていたからだ。
  
 艦娘に関し分かっている唯一は、人間ではない、ということだ。
 身寄りの無い孤児を艦娘にしたて上げているわけではない。そしてホムンクルス、複製であるかといえばそうでもない。
 なぜなら技師達曰く、科学的に人間の体を、艦娘たちのように成人まで即、それも20分やそこらで作るなど出来はしないと笑い飛ばされている。
 ならば何であるのか。大湊の指令なら知っていそうであるが、そうやすやすと情報を渡して貰えるとは考えられない。
 彼は実に敵が多い。鳳翔との会話の中にもちらほらと顔をみせていた。指令には世話になっている。男の不用意な発言で彼に要らぬ隙を作りたく無かった。

 艦娘とは一体なにか、という疑問をさておいても指令は一体なにと戦っているのだろうか。
 そう思うことが次第に増えてきていた。彼は男が知らぬ多くの経験を積み得ている。その繋がりは海を隔てた向こう側にもあるらしい。いくつもの言語を流暢に操る様を嬉しそうに語る鳳翔から聞いていた。
 男は視線を遠くに投げる。が、その先に答えなど載ってはいない。
 考えるしかなかった。

 思考を艦娘に戻す。
 ただ妖精さんたちが言うには、死ではない、と言った。
 元の状態に戻るだけである。なので痛みも無い、らしい。
 死の概念が無い妖精さんに死なないから、と言われても戸惑ってしまう。

 男に理解できたのは、痛み無く眠りの状態になる、ということだけだった。
 工廠の目隠しされた向こう側に答えがあるのだろう。漠然としてはいるが、そうであるだろうという確信があった。だが見てしまえば後戻りできない一線を越えるだろう予感も同時にしていた。

 男は口元を片手で覆う。
 脳裏にはひとりの姿があった。

 艦娘の体には金属が埋め込まれている。これは艤装をはじめとする、艦船としての装備を固定するためのコネクターだ。
 
 艦娘たちの裸など、男に見る機会など無い。
 風呂場を覗けば見られる可能性もあるが、男の何十倍もの身体能力を誇る彼女達に敵として認識されるのだけは避けねばならなかった。
 したとして逃げられるわけが無い。視覚も聴力も動物並みなのだ。
 
 見知っている理由はただひとつである。
 クリスマスの夜、初めて夜ばいを受けたのだ。鍵を掛け忘れていた男にも非はあるだろう。が、己がそういう対象になるとは全く考えていなかったのだ。
 男のような、平々凡々な人物など言葉は悪いが掃いて捨てるほどどこにでも居る、のである。唯一のアドバンテージといえば、『艦隊これくしょん』をプレイしていた経験があるだけだ。家の格や学歴などを持ち出してこられると、男は他の基地、泊地に在する提督たちに比べ、見事に見劣りするのである。
 しかも、だ。決定的であったのは実体験の差であった。
 ブイン提督が変わっているのだと信じたい気持ちの方が強くはあるが、総じてそうなのだ、と言われると反論の余地が見出せなかった。彼の一族内では、ある一定の年齢になると筆おろし等々されるのが一般的である、と言われたのだ。
 少なくとも彼と彼のご友人方はそうであるのだろう。が、男にそれが通用するか否かはまた違う話である。
 体の欲求はあった。解消もしていた。
 だが女性の生まれたままの姿など、平面でしか見たことの無い男にとって刺激が強かった。故に頭部へ血が上りすぎ、出血したのである。

 結果、身はなんとか守れたが、男として大切な何かを失った気分であるのは間違いではないだろう。
 彼女とは友人から始める事となった。手を繋ぐところから、である。
 へたれと言われたとしても構わない。女性と触れ合う機会の無い人生だったのだ。
 目で愛でていただけの対象が、まさに温かみをもって迫ってきたならば紅を噴いても仕方が無いだろう。



 (艦娘とは何だ? 深海棲艦とは?)

 男は改めてその存在を疑問視し、考える。
 そもそも考えて分かるものではない。
 だが艦娘も深海棲艦も現に存在している。

 すでにあるのだ。どうして存在しているのか、原因を探るなど意味は無い。

 深海棲艦とはなにか。そして艦娘とはなにか。
 最も基本的な問いであろう。
 だがそれを知る者はごく小数であるはずだ。
 なぜなら情報として開示されていないからである。

 いよいよもって男は、工廠の最奥を覗くか否か、選択する瀬戸際に立つ。
 後は跨ぐ勇気を振り絞るだけである。

 痛いほどの沈黙が破れ、嗚咽が聞こえてきた。
 男は白の帽子を浅く被る。
 選択を行なったひとりの少女をその瞼の奥に焼き付けるために、彼女達を見続けた。



[39333] アルペジオイベント 第五話 深淵
Name: 環 円◆21e3f90e ID:8fe56995
Date: 2017/11/09 06:33
 第一報が横須賀鎮守府にもたらされたのは、十二月二十七日、ヒトフタマルマル丁度であった。
 無線での連絡がふたつの基地と泊地につかない。なにかがあったらしい。
 という実に曖昧なものであったが、だからこそ元帥は即座に動いた。即断に至らせたのは大湊からの連絡であったことだ。本来であれば、何かが起こったかもしれない状況で本隊を動かすことはない。まずは状況確認のために偵察隊を送り込む。

 だが元帥は増援、救援部隊を横須賀、呉、佐世保からそれぞれ、トラック、パラオ、タタウイタウイに向けて練度が中ほどに至っている予備戦力を出撃するよう指令を出した。最もゲートが開く回数が多いのはショートランド近海であるが、海洋の要であるのはパラオである。ここを深海棲艦に奪われると南方からの輸送がことごとく止まってしまう、太平洋のへそであった。ゆえに奪われでもすれば世界に唯一残る海洋国家としての発言権が弱まり威厳が失われてしまいかねない。最高連度を誇る艦を送るほどではないが、深海棲艦が事実上支配している海での戦いは何があってもおかしくはない。

 元帥の後ろを歩く副官も表情筋こそ動かしはしなかったが、かなり元帥の決断をいぶかしんでいるようである。元帥は小さく唇を弧にする。
 大湊に棲まう無愛想な男は彼女に対して腹に一物を抱えている。今はまだ元帥である彼女に順じてはいるが、なにやら裏でこそこそと動き回っている節がある。しかもそれをわざと彼女に見せつけているかのようでもあった。

 その大湊の男が平静のまま横須賀へ一報を寄越してきた。
 ショートランドの提督は面白い人物であった。彼女の思惑をいとも簡単にすり抜け針の穴ほどしかない抜け道をこじ開けて想定していた予想をはるかに超えてゆく。さすが未来から来た人物、とでも評価してやればかの人物は喜ぶだろうか。否、わずかながらに知る人柄からして彼は困った顔をして眉を下げるだろう。

 プロフェッサーが作ったというゲームをプレイしていたという。
 本当にただ、それだけなのだろうか。届く戦果を見るたびに思う。元帥にもたらされる、ありとあらゆる情報はショートランドに送り込んだ男の非凡さが数字に姿を変え如実に現していたからだ。

 提督、という階級にある者たちは知らない。
 艦娘たちがなにから作られているのか、ということを。元帥は提督業に就く者たちにそれを教えるつもりもない。だからであろうか。だからこそ本能的に察してしまっているのか、ともおもう。人間のために戦い躯と成り果てる艦娘たちは本来、己らの命を脅かしていた異形を人の形に模したまがい物であると、だから使い潰していくのだと。
 安直に決めてしまうのはよろしくはない。だがこの世界の人間ではない彼と出会ってからというもの、元帥の思考が乱れることがある。目的を果たすためにあらゆるものをそげ落としやると決めたのだ。それがときどき、ぶれる。

 数字は嘘をつかない。改ざんされているならば話は別だが、人間が生態系の頂点であったのは最早過去となり、安全が担保できない時代にわざわざ死地へ近づく真似をする愚か者も数を減らしている。
 この世界の生まれではないショートランド提督だからこそ艦娘たちを良く使いこなしているともいえるだろう。幾人かの提督たちもそれに倣い始めているとも報告が上がってきていた。彼が他に与える影響力によっては何らかの手を打たねばならないだろう、が。今はこの世界のためにプロフェッサーにより高められたその力で役に立ってもらわねば困るのだ。

 「さて、続報を楽しみにしている。官邸へ向かってくれ」

 元帥は用意されていた黒塗りの車へと乗り込んだ。無意識につぶやいたその言葉に副官はうやうやしく頭を下げ上官を送り出す。
 元帥だけがみえている戦況に、副官はただその横で傍観者の如く見続けることしかできない。その心の内に浮かんだのは副官である彼の数少ない学友であった。どうか無事であれ。見上げれば続く蒼の、空の下に居るであろう親友に彼は祈る。空と海が同じ色をしているという南海のへそへと送られた友のために。




 
 12月28日夕刻。

 トラック諸島の本営に騒がしく要領を得ない無線が入電する。冬島の南にて哨戒にあたっていた潜水艦たちが口々に、矢継早に叫んでいたからだ。元々からしてにぎやかさが売りの潜水艦たちである。

 「お前たち、う・る・さ・い。そろそろ順番に解りやすく順序立てろ。みんなして話すと意味がわからん」

 春島の指令本部から柔らかいが厳とした声が飛ぶ。精悍な顔つきをした男が口元をひくつかせながら無線の前で座した大淀がくすくすと笑みを含んだ。
 ヘッドホンの向こう側からは元気な潜水艦たちの掛け声が聞こえてきていた。どうやらじゃんけんで、いち、にい、さん、と順番を決め、水中ではなく水面上にて何かを曳航しながら本拠地へと帰島しているらしい。

 「指令官、聞くでち!」初手は伊58になったようだ。
 「うん、聞いてるよ」
 「拾ったの!」と、二番手は伊19である。
 「なにを拾ったんだい」

 『飛龍ちゃん!』
 いくつもの声が重なった。しかもはもっている。

 はて。
 トラック提督は無線の調子がおかしくなったのかと思い、もう一度、尋ねてみた。しかし答えは変わらない。深海棲艦と遭遇したという一報は届いていなかったはずだ。無線連絡報告書に手を伸ばし目で追うも、潜水艦部隊からの連絡はこれが出撃して最初である。
 
 「いっぱい壊れてて」
 「傷だらけなのぉ」

 「ソナーの反応は」
 「そんなものあるわけないでち」

 彼はその場でそれもそうかと小さく息をつく。
 先月初めから始まった、ラバウル沖のゲートから発生した深海棲艦の駆逐を補佐するため、このトラックからも多くの艦娘たちが出撃したが一体ですら戻ってきてはいない。装備も資材も、艦娘もすべてラバウルの海に沈んでしまった。そのため防衛に必要な数も足りなくなっているのだ。
 彼は奥歯を噛み締める。がんと立ち向かえばよかったのだろう。しかし彼にも事情がある。
 ブインやショートランドの若輩どもは目上を敬わずないがしろにし続けている。君はそうではないだろう。君の父親とは同期としてのよしみがある。
 そういわれてしまっては出さないわけにはいかなかった。本土での、かのラバウル提督が握る利権は彼の父にとってかなり首を絞める件であったのだ。親は親、子は子だと彼には割り切れない縁もあった。

 
△▽△▽△▽△▽△▽△▽

 鮮やかに舞う炎が幻影であったかのように、ほうほうの体で逃げ出したかの船は順調な航海を続けていた。
 穏やかな波の音と蒼く広がる空を見上げれば、かの日が嘘であったかのようにも思えてくる。
 

 ラバウル基地から出向したタンカーは無事、ビスマーク海を抜けマヌス島を左舷に目的地であるパラオに向け舵を切った。夕闇が迫る空の紅がタンカーを染め始める。船内では基地で負傷した多くの人間が苦痛の声をあげていた。護衛のために甲板に立つ飛龍が下唇を噛む。
 艦娘たちは途方にくれていた。
 この船には医療に関する物資がまったく載せられてはいなかったのだ。救急箱くらいはあるだろうと探してみた赤城であるが、姿かたちもなく、さらに艦船にあるべきはずの非常食すら備品室から消え去っていた。
 備品の設置を怠っていたわけではない。確かに記載はあった。有事の際に使うため、備蓄されていたはずだった。だがすべて架空記載であったのだ、と気付いた時にはもう遅い。陸地は遠く船は海の上にあった。

 艦娘たちの体は、本土から派遣されてきている将兵よりも強い。急激な自己再生はしないまでも、清潔な水で患部を洗いガーゼ等を当てていれば悪化はしなかった。だが本土から来た者たちは傷口から菌が入って悪化する。消毒液も無く、水も手当てに使えるほど多くは無い。飲み水として通用するのもあともって数日、それ以後は最低でも煮沸が必要となるだろう。
 
 苦痛から発せられる唸りが止むことはない。
 負傷者が集められた部屋には鼻をつくような臭いも漂い始めている。そもそもからしてラバウルは熱帯だ。そして向かう先であるパラオも同様である。現状において体に外傷を受けた者が生き残る確率はかなり低いと見積もれるだろう。
 
 船に附属している無線からは、まだなにも聞こえない。救助支援を出してはいるのだ。しかしまったく反応してくれないでいる。なにが起こっているのか赤城をはじめ、加賀にもわからなかった。ただの無線封鎖であればいい。だが深海棲艦が今まで広域にかけて電波妨害をしてきたであろうか。いや、ない。無い、と言いきれた。ゲートが発生した海域に限っては電波が届きにくいという事例はあれど、まったく通さないというわけではなかった。

 新兵器が投入された? まさか。

 赤城は頭をふる。
 生命は突然変異を繰り返し機能を増やし海から陸地へ順応するからだを手に入れていた。だが深海棲艦はゲートより現れる未知の存在だ。どんなに学者が解明しようと研究を重ねても正体が明らかにはならなかった。対峙できるのは大日本帝国の海軍艦として造られた船の名を継ぐ艦娘たちのみである。それはこの世の理であった。誰に言われるのでもなく深海棲艦を沈める術と方法を赤城をはじめとする艦娘たちは具現した時から手にしていた。

 自身の境遇に対し疑問におもったことなどなかった。しかし現在の赤城は提督への信望を失い、個人として判断を下している。提督が戦死していない状況でこのような、事象を客観的に評価し決断を下すなど前代未聞だろう。
 提督とは、赤城が知る艦長は、指揮官たちは誰もが死すときも誇り高かった。国を想い、その国に住まう民を想い、その民を導き率いる天皇陛下を想い、その礎とならんとした誇り高い人物だった。
 だからこそ不思議におもった。なぜあれほどまでに無能な人間に従っていたのだろうか、と。あれは提督という名の皮をかぶったただの肉だ。どんなに無理無体な要求であってもできるだけそれに沿うよう努力した。出撃し、傷をかかえて帰還してなお、体に鞭を打ち身を幾度も捧げたこともある。そうしなければ若い、成ったばかりの艦娘たちが無体に嬲られかねなかったからだ。
 だがそれは間違いだった。なぜ気づかなかったのだろう。なぜこのような状況になるまで、違うと思い込めていたのだろう。

 О, если это - ошибка, которая протянула руку от дна моря, которое это тело глубоко, и мрачно для света, который ведет твердым быть хорошим для просто человека, и использует и выбрасывает человек; на скорее этой земле, определенный интервал ニ, темнота ニ, 引 рана пере - ムベキカ включая его. Личинка タチノ 為 ニ.


 かくん、と赤城がその場で膝を付く。脳の奥が熱かった。熱いところがじくじくと痛む。
 
 「赤城さん?!」

 その身を支えたのは飛龍だった。傷の痛みが大分治まってきたため、警戒任務につきたいと意見具申に来たのだ。

 【protocol/Prohibited-Lesson#Thought%PTNE.=BBsopoglom@Re-start……Memory+Adjustment……*seir…over……End】

 「赤城さん、なにをつぶやいて」

 あまりの速さに言葉のすべてを聞き取れなかった飛龍はぐったりと力を失った赤城を支える。
 青白い顔色に限界まで疲労をためているのだと嫌でもわかった。誰もが皆、赤城を頼りにしている。正規空母でありラバウルで誰よりも経験値が高く、己が身を省みず多くの艦娘たちをその背に庇っているのだと知っているからこその信頼といえた。

 飛龍は赤城を引きずる。赤城をしっかりと支えるのは飛龍ではかなり厳しい。
 人間が艦娘を支えようと踏ん張っても、なかなか支え続けるのは困難だった。艦娘同士であったとしても赤城が倒れないように抱きかかえられるのは戦艦か、加賀くらいなものだろう。
 だから、というわけではないがラバウル基地から共に脱出してきた官とすれ違っても助けを求められなかったのである。
 ずりずりと引きずり、なんとか日陰へと赤城をもたれさせることに成功した飛龍は空を仰ぐ。
 夜に近づいているはずなのに照り付ける日差しは強かった。

 戦略的撤退、だと提督はこのタンカーの最も安全な場所で指揮を執り始めた。
 だがその言葉を盲目的に信じ、動いている人員はどれくらいいるのだろうか。飛龍は両手を広げる。だがそれもすぐに握られた。

 誰も、いない。

 誰もが疲れきっていた。
 人も、艦娘も共に疲弊していた。
 
 しかし生き延びなければならなかった。艦娘たちにはそれぞれ目的があったのだ。
 最低でも赤城や加賀と共に戦った飛龍は、ミッドウェー海戦の雪辱を晴らすまでは再び沈むものかと決めていた。艦娘がどこからやってきたのか、と興味からとある官に尋ねられたことがある。艦娘たちは意志を持たぬ鉄の塊であったころからの記憶を保持している。それはなぜか。詳しいところは自分自身でもわからない。だが、もし、あの海で、次々と沈んでゆく友軍の、三空母炎上の大惨事を悔いて悔いて己に乗り動かしていた人間たちの心残りが宿っているのだとしたら。
 
 ショートランドから派遣されてきた艦娘たちが言っていた。
 歴史が繰り返されている。けれど過去の結果そのままがなぞられるわけではない、変えられるのだ。その導きを、提督が下さる。
 だからこそ最前線で戦える。生き残り今度こそ必ず果たすのだと、そう嬉しそうに語っていた。

 ならば飛龍にもその機会が必ずやってくるはずだ。彼ら乗組員たちの魂が飛龍に意識を与えてくれたのだとしたら、もしもう一度、戦えるのならば今度こそは間違えない。必ずあの戦線を突破してみせる。
 赤城が、加賀が、飛龍や蒼龍が待ち望む海戦をおもい、両手を握り締めた。

 
 赤城がうっすらと瞼をふるわせる。
 目を閉じていた時間は長くは無い。せいぜい20分程度だった。
 飛龍は立ち上がろうとする赤城に手を差し出せば、儚い微笑を浮かべそっと手のひらを握ってくれた。それだけでなんだか飛龍は嬉しくなってしまう。歩き出し離れてゆく手を寂しくおもいながら、前線復帰の願いを赤城に伝えれば、即断却下された。思わず「えー!」と不満の声をあげてしまい慌てて口を両手で塞ぐ。

 「まったく、仕方が無い子ね」

 赤城は苦笑した。
 あと数日、いいえ三日後からならば。
 赤城は嬉しそうに笑みを浮かべた飛龍を見やり、小さく息をつく。
 艦娘たちの傷は自然治癒しない。そのために入渠が必要であった。戦闘区域にて善戦し、疲労の色を濃くして戻ってくるラバウル所属の艦娘たちのために、少しでも痛みや苦しみが軽減するようにと薬剤を多めに入れるよう内密に指示していた。傷を治してはまたつくり、を短時間に繰り返したせいなのだろうか。入渠したとしても艦娘たちの治りが遅くなってきていた。そこへ今回の奇襲攻撃である。
 艦娘たちの傷は塞がらず、開いたままだ。安静にし患部を密着させていると悪化はしないが直りもしない。艦娘たちが決して人間ではないと思い知らされる事象でもある。

 しっかり休養します、と駆け足で去ってゆく二抗戦の背を見送ったあと赤城は艦橋に向かった。
 状況把握のため甲板に下りた赤城に代わり、加賀が指揮してくれていたのである。

 「赤城さん、困ったことになったわ」

 聞いて絶句した。あってはならぬ事だった。この船に乗る多くの人間が助かるための生命線ともいうべきものだ。燃料が、タンカーに積まれていた、そうであるはずの重油が補給されていなかったと判明したのである。
 
 「残量は?」

 数字を聞き、赤城は筆舌に尽くしがたい感情に至る。
 このままでは目的地であるパラオに到着することが出来ないだろう。現時点で確実に到着できる場所を急ぎ地図上で確認する。

 「……トラック」

 加賀は静かに赤城の言を肯定する。
 生き残りをかけるならば、行き先を変更せざるを得なかった。

 「舵を切りましょう」

 赤城の言葉に航海長は頷く。提督に報告する義務をあえて放棄し、艦娘の判断に沿う。
 ラバウルを出航し、二日目の白昼にタンカーはその船首の向きを変えた。




 目的地を変え丸一日が経った雀色時(すずめいろどき)。
 黄昏時を雀の羽色に例えた雅な言い回しであるが、赤く斜光する太陽に視野を狭められるため艦娘たちにとっては目にかかる疲労が最も大きくなる時間に入っていた。
 深海棲艦の追撃も無く、タンカーは着実にトラックに近づいている。燃料がなくなり動けなくなるなどあってはならない。ゆえに経済速度しか出せず、かなりゆっくりとした動きとなっていた。

 だがタンカーの内部では死のにおいが充満しつつあった。
 傷の深いものから息を引き取ってゆく。熱さを逃がすために扇風機は動いている。だが冷暖房などという上等な機材はもとから積まれてはいない。まるで棺おけのようだった。船の形をした、鉄の箱だ。医薬品も無く、体力を消耗しきった負傷者から命を落としていった。艦娘たちは逝った人間たちを弔いの場までストレッチャーを使い移動させてゆく。黙々と作業をする艦娘たちに罵詈雑言が飛び、その最中に響く断末魔は聞くに堪えぬ言葉が放たれては消えてゆく。艦娘たちはただ、ただ無表情のまま与えられた仕事を繰り返す。

 赤城と加賀は利根と筑摩を加え航路の選定と残存戦力について申し合わせを行なっていた。
 重巡のふたりがそれぞれ調べ、書き出した物資の量はかなり少なくなっている。逼迫していた。それぞれが平等に手にした場合、平時の四分の一となりまとめたとしても六艦の出撃が難しくなっている。特に弾薬が足りなかった。 次に尽きかけているのは軽空母たちの矢だ。矢を撃たないわけにはいかない。航空機による偵察はこのタンカーの安全を確保するために必要であった。だが飛ばした空域から戻ってくるのは半数程度である。深海棲艦の待ち伏せにあっているのだ。
 残機があるのは飛鷹と千代田の彩雲が三十機ばかりと天山、彗星が五十二機、九六式艦船が十二である。
 それとは別に赤城と加賀が持ちだした紫電改二が八十一と飛龍、蒼龍が持つ流星と烈風だけだ。

 どう考えても戦力が足りない。
 回りこまれている、と考えるのが筋であろう。

 無線はことごとく空振りに終わっている。国内に存在する四箇所の鎮守府は守りの要である。
 この内のどれかにさえ連絡がつけば、このタンカーに生き残る全てが息をつけるだろう。
 全員がため息を落とした直後だった。

 「あのう、失礼します! 雪風です。司令官が赤城さんを呼んでます!」

 のんびりとした声が艦橋に響く。
 ラバウル提督が愛玩している雪風である。
 先日、とうとう提督の手がついた。しかし、かの男は雪風だけでは満足できなかったらしい。
 ことあるごとに赤城を所望していた。

 だが赤城はその呼び出しをことごとく拒否していた。今までならば考えられなかった拒絶である。
 しかし雪風の、駆逐艦から切なげに見上げられるのには心を揺り動かせられる。駆逐艦たちは赤城という存在を慕ってくれた。一航戦であるから、空母であるから、という理由をつけなくとも赤城という存在を大切にしてくれる。まるで他の基地にいる鳳翔のようだとおもったこともある。

 ラバウルは立地的に、そして歴史的にも航空隊が多く配置されていた基地だった。
 ゆえに赤城や加賀が作戦指揮を執っていたとしてもおかしくはない。なにが歯車を狂わせたのだろう。
ラバウル提督は政略に長けていた。立てる戦略はことごとく戦果を挙げた。そのぶんの消耗も激しかったが、開いたゲートを片っ端から消滅させ最前線から一歩ひいた立地にあれど、他の基地の背を守っているといっても過言ではない働きをしていたのだ。それがいつから狂い始めたのだろうか。

 「わかったわ、雪風。行きます」
 「…赤城さん」

 「大丈夫よ、加賀さん」

 赤城は気丈に微笑む。心配をかけてはならない。
 まだ戦いは、撤退戦は続いているのだ。赤城を慕うものたちを守る責任と義務があった。

 提督が生き延びている。これはある意味恵まれていること、といえた。艦娘という存在は従うべき提督が不在であると精神が不安定になりやすい。己の行動に対して正しいのか、そうでないのかの判断がつかなくなってしまうのだ。その傾向は幼子の姿をとるほどに顕著となる。

 赤城はその場を加賀に任せ、縋りつく雪風がひくままに提督の篭もる部屋へと向かった。


 
 ラバウル提督はタンカー船のなかで最も堅固な一室に居た。
 負けたことのない男だった。政敵がどんな手を使ってきたとしても、それ以上の策を講じてつるし上げてきた。世界の守護者と同等の意である提督の任に就いたのも当然だった。男は請われてきたのだ。あの元帥がわざわざ男の元に何度も訪れ提督という重要な職務に就いてはくれないか、と。四回目の来訪時、男は憮然と頷いた。着任する鎮守府は当然、本土だと疑っていなかったが政治家を黙らせるために三年ほどラバウルにという懇願を受け、男は不承不承ながら赴任地へと赴いたのである。戻った折は呉の椅子を用意すると密約も交わしていた。気安くおもわれてはならない。気難しいくらいが重畳だ。相手が勝手に勘違いしてくれる。

 男は与えられた資材を使って結果を出し続けた。
 深海棲艦が現れるゲートが近海に感知されたなら、そのこと如くを粉砕する。簡単だった。
 男にとって艦娘は道具だ。野望を成し遂げるための駒のひとつである。情は抱かなかったが欲は出た。艦娘たちは拒まない。教えた通りに振舞った。手塩をかけたのは赤城である。何でもいう事を良く聞き教えたことを忠実に守ったからだ。

 本土から離れあと半年で三年という月日の期限がやってくる。
 多くの鎮守府で得られていない雪風を建造にて引き当てた日、奇しくも国防を担う海外に任地を持つ提督に対し、天皇陛下より褒章が届いたのである。聞けばここ数年は誰も受賞していない。今年、名が挙がったのはラバウルだけだという。唯一だ。箔であった。

 男は雪風を側に置いた。それからというものなにもかもが上手く回り始める。
 仕込んだ赤城さえ作戦本部においておけば深海棲艦などどうにでもなるよう躾けてあった。
 東京に戻れば拝謁の機会も与えられるだろう。
 その前に、仕込が必要だった。今までもわずかではあるが利権や少なくは無い金銭を使い広げていた人脈であるがいよいよそれを使う時がきたのである。本土にある男の資産もラバウルに来る前と比べれば倍以上となっている。忌々しくおもっていた赴任も、こうして振り返ってみればそう悪いものでもなかったと男はほくそ笑んだ。

 赤城は加賀と共にニ航戦たちをはじめ、入れ替わりの激しい軽空母や他の艦娘をよくまとめ続けた。そして男がなにもしなくとも実績と名誉を運び続ける。だからこそ男は提督業とは別の、もうひとつの仕事に集中できたといえよう。

 だがそれも深海棲艦の夜襲と共にすべて無に帰した。警戒はさせていたはずだ。
 あと一撃だった。
 最終攻撃はラバウルの手柄であるべきだった。
 ぽっと出のショートランドや堅苦しいブインの若造なぞに爪の垢ほども与えるつもりがなかったのだ。
 だがしかし。ラバウルに夜襲がかけられたとき、いの一番に飛んでこなければならぬのは、その若造たちであるべきだった。 男が長年積み上げてきた資料を基に、飛躍をしたのだから当然であろう。
 
 「指令官、赤城さんを連れてきました!」

 男は耳に心地よい雪風の声に満足げに頷く。雪風は提督が座す椅子の横に向かい、床にぺたりと座り見上げるいつもの姿勢をとる。頬を寄せるのは提督の膝だ。
 赤城はそんな駆逐艦の姿を痛ましくおもいながら、そっと瞼を閉じ開きながら提督を見る。
 幸運艦として名高い雪風が本来の役目を果たせず愛玩されている姿を見るとなぜか胸の奥が痛む。だがそんな一航戦の胸中を知らない雪風は無垢な瞳を赤城へと向けた。
 
 「赤城、状況はどうなっている」
 「報告いたします。……経済速度にてトラックに、」

 どういうことだ!?
 提督の怒号に赤城はすべての言葉を言い切ることができなかった。
 ラバウルの地に在るときはすべてを提督が仕切っていた。赤城も盲目的に提督を信じ、男の言を忠実に守り実行していた。
 だが今は敗走だ。仲間が居る場所までなんとかしてたどり着かねばならない。ただその目的のためだけに赤城は日々考えるる最善を選択してきたつもりだ。
 叱責が飛ぶ。至らない結果ばかり積み重なるのは赤城の罪だと、まるで法廷にて法を犯した犯人を追い詰めるがごとく男は赤城をののしった。

 赤城は黙ってそれらを聞いていた。違う、聞き流しているといった方が正しい。
 医療品がこの船に積まれていなかったのも、燃料タンクにあるはずの重油が抜かれていたのも、その始まりを指摘するのはたやすい。だが今ここで事実を述べたとしても提督は罪を認めないだろうし、癇癪(かんしゃく)がさらに悪化するのが目に見えていた。

 「指令官、お腹すきましたね!」
 「そうだな。よしよし、雪風。そこの赤城に取って来させよう。もう少し我慢しなさい」

 雪風は提督のお気に入りだった。
 雪風さえいればどんな作戦でも成功すると言い切っていたくらいだ。
 雪風が幸運艦である理由は運勢が上がるからではない。類稀なる感知能力と判断力が下地にあってこそなのだといわれている。だが提督はなにをどう取り違えたのか、雪風を幸運のお守りのように扱っていた。

 食べ物など、もう、ありません。
 艦娘たちは昨日から食事を控えていた。官たちが口にできる量も減っている。わずかながらでも食せるのは日に幾人もの命が旅立っているからである。
 無事、トラックにたどり着く心積もりであるが、缶詰などの保存食品も明日までもつかどうか。
 人は飲み食いせねば餓死する。だが艦娘たちは食べなくとも存在することができた。最悪、海水でもいいのだ。赤城と加賀、そして蒼龍は出航した日からそれだけで生き延びている。


 「全速を出せ! この際、トラックでもいい。あそこには級友の倅(せがれ)が居るからな。無線を使え、そして援軍を要請しろ。私が行ってやるのだ、盛大なもてなしをしろとな!」

 赤城は唇を噛んだ。
 頷けなかったのだ。全速を出せば目的地へ到着する前に燃料が尽きてしまう。
 無線もいまだどことも繋がらなかった。進行方向のどこかに大きな群が居るのだ。こちらのほうが速度が遅い。ラバウルを襲った深海棲艦もかなり合流していると考えるのが妥当だろう。
 
 爆音が響き渡る。この音は水しぶきだ。タンカーへ直接当たったわけではない。
 赤城は船室から飛び出でて、誰でもいい、戦況をと叫ぶ。
 
 「赤城さん、進行方向そのままに、距離5キロ先に正体不明の最上位個体が。数は百あまりを確認できたそうよ」

 加賀の言を聞き、赤城は思考する。
 着水しているのは威嚇のための砲撃か、それとも確実に戦闘機でタンカーを落とすための距離と機会を測っているのか判断がつかない。もっと詳しい説明を受けるために赤城は加賀と共に管制室へと向かおうとする。

 「なんのための一航戦か。役立たずどもが! 敵が現れたなら、殲滅しろ! 突破だ! 突っ切らずなにが航空母艦だ!」
 
 赤城が目を見開いて提督の部屋を振り返る。内部は見えない。閉めろ、と提督に命じられた雪風が扉を押したからだ。
 そしてすぐに加賀の姿を探す。
 
 「そう、提督はもう……、わかりました。赤城さん、いきましょう」

 穏やかだった。
 ありえないほど、あってはならぬほどの静かさだった。
 言ってはいけない言葉がある。特に加賀に対しては。
 なぜ今なのだ。

 この世に舞い戻った航空母艦の中で一番苛烈な性格をしているのは、加賀であった。
 きつ過ぎる物言いと滅多に感情を面に出さないため誤解されがちであるが、荒々しく時に殺伐とも言えるほどの激情を秘めているため、あえて能面のような表情を装っているのだ。だからニ航戦をはじめ、五航戦の姉妹も実のところ加賀を慕っている。つっけんどんとしながらも、気の配り具合は赤城よりも細やかだった。

 「赤城さん、大丈夫よ。貴方を残して沈むなんて…しないわ」



 △▽△▽△▽△▽△▽△▽

 飛龍のやわらかな髪をそよ風が弄んでいた。開け放たれた窓には薄手のカーテンがかけられ、中に吹き込む風にゆらめいている。

 飛龍はゆっくりと瞼をひらいた。見知らぬ天井にはくるくると回る三つ翼の扇がまわっている。ずいぶんと長く眠っていたらしく、目の奥が痛かった。
 ゆっくりと上半身を起す。周りを見回せば処置室のようだった。清潔な白のシーツがかけられたベットがふたつ、横に並んでいる。おもわず上半身を起す。体に巻かれていたはずの包帯がない。傷跡もすっかり綺麗になっていた。
 戦いの音が無い場所。耳を澄ませば声がいくつかの声音が交わっている。
 それは窓の外から。楽しそうにはしゃぐ、聞きなれた舞風と、……聞きなれぬ、誰かの声が、した。

 なんだ、夢だったのか。飛龍は再び体をベッドに横たえる。

 『いってらっしゃい! 持ちこたえて待ってます!』
 
 耳の奥、脳の端っこ、場所などどうでもいい。飛龍は慌てて飛び起きた。なぜ寝ているのだ。そんな余裕など、ありはしないのに!
 戦況はどうなったのか、確認していなかった。
 飛龍は厳命を受けた。タンカーの位置を、トラックに居る提督に知らせ援軍を願うこと。

 ここはどこなのか。目的地に着いたのだろうか。装備がすべて取り外されていた。
 飛龍が眠っているうちにタンカーが無事、トラックに到着したのかもしれない。そして対応されたのだ。
 赤城や加賀は強い。そして蒼龍も多くの経験を積んでいる。再会してからずっといっしょだった。もう二度と離れ離れにはならないと、幾多の戦線を潜り抜けてきた。
 そうでなければならなかった。あのタンカーに残ったものたちこそ生き残らねばならない。ゆいいつ残ったのが飛龍だけであるなど、そんなこと。
 
 「よう、起きたか。痛みはどんな感じ?」

 はっと息を飲み、顔を上げる。
 気配を感じさせぬまま処置室に足を踏み入れたのは高雄型重巡洋艦三番艦の摩耶だった。落ち着いた雰囲気であるが、裏打ちされた実力による自信が笑顔に現れているかのようだ。会ったことがある、本土所属の彼女に一度だけ。
 す、と伸びてきた手のひらは体がびくつく暇も与えない。
 
 「熱も下がったな。疲れてるとこ悪いんだけどあたしらの提督がさぁ、起きてたら話しが聞きたいって言ってんだ。来てくれるか」
 「え、えーと」
 「あ、口が悪くてわりぃ。あたしらはみんなこんなもんだとおもうんだけどさ。鳥海がうるさくて気をつけてるつもりなんで勘弁してくれ」

 飛龍は一瞬、ぽかんとした。そして訓告が口からこぼれそうになる。
 ラバウルでは規律が厳しく、順序があった。
 一航戦を頂きとし、航空戦艦、重巡、軽巡、駆逐艦と序列を決められていた。そのため飛龍は多くの艦娘から敬語で話しかけれていたのである。

 両手で慌てて口を塞いだ。ここはラバウルではない。ラバウルでは『普通』であっても他の基地や泊地では違う場合もあると共同作戦を務めた艦娘たちに聞いていた。
 郷に入れば郷に従え。
 ラバウルに派遣された艦娘たちはしなやかに、状況を把握してラバウル式にしたがっていた。

 ならば、飛龍もこの場所に倣わねばならない。
 気にしないでください、と伝えつつ提督の元にすぐに連れて行って欲しいと飛龍は願った。



 提督の執務室はすぐ隣だった。
 飛龍は胸を撫で下ろす。どうやらトラックに無事、到着していたらしい。
 この泊地の提督室はこの地に合った南国風平屋建てだった。どことなく木造校舎を思い出させる風貌であるがそこは日本海軍の出先機関である。最新の木造建築技術が使われていた。
 海に囲まれたこの島では革製品がしけってしまってね。そう言う提督は木でできた椅子に座っていた。執務を執り行う机もラバウルにあったような有名商標が作った重厚感ある立派なものではない。秘書艦として立つのは大淀だった。本来は本営と基地や泊地を結ぶ連絡員であるが、猫の手も借りたいほど艦娘が足りてはいない泊地において、臨時の秘書艦に取り立てられていた。
 摩耶や鳥海は泊地周辺の哨戒を代わる代わる行なっている。そこに秘書艦の業務を入れ込む隙間などなかった。どの艦娘も最低限の休息をとり己が出来る、割り当てられた役目に奔走していたのである。

 そんなことを全くしらない飛龍は少しばかり不満げな表情をした。いつも蒼龍に、すぐに顔に出すのはやめておいたほうがいいよ、とは言われるのだがこれがなかなか難しい。飛龍は根っから素直なのだ。嘘をつくのも苦手である。
 ちらりと飛龍が観察を続けた結果、この地の提督は思いのほか若い印象を受けた。四十は超えていないだろう。そして付け加えるなら凡庸である。
 
 「単刀直入に言おう」

 トラックの提督は遠まわしに物事を伝えるのを良しとしないらしい。
 語られたのは聞きたくないいくつもの言葉だった。世界からゆっくりと色と音が遠ざかってゆく。
 耳鳴りがした後、自覚もなくわななく唇が嘘だ、もっとよく調べてください。そう動く。飛龍は訴えた。負けるはずがない。赤城さんと加賀さんが、沈むわけがない!
 

 タンカーは到着していなかった。
 飛龍を保護した後、何かが起こっている、調べねば成らない。そう判断したトラック提督により哨戒に出た潜水艦たちが見つけたのは海面に広がる重油の跡だった。
 かなり広い海域を調べたため、帰ってきた潜水艦たちはほうほうの体だった。それでも潜水艦たちはやりきった。トラックには正規空母がひとりもいない。提督の引き運が悪いのか、なかなかきてくれなかった。それでも根気強く資材を投入し、目覚めてくれた五航戦のふたりがこの泊地に戻ってくることはない。
 軽空母たちが彼女たちの不足を埋め航空戦の要を引き受けていたのだ。軽空母は正規空母に比べて載せられる航空機の数が少ない。だからこそ数で補った。


 あの日、前日とかわらない青空が広がっていた真昼。助けを求めるため、飛龍はタンカーから海原へと走り出た。
 一番の最善策は、タンカーから出ず彩雲を飛ばすことだっただろう。だがあのタンカーに残っていた艦娘たちにはできなかった。補給も万全であり、気力も充実していたならば加賀であればゆうにここトラックにとどいていたに違いない。
 食べ物も尽きかけていた。人間が食べる分を優先していた。
 艦娘たちは、その存在を削りながらタンカーの護衛をしていた。

 ラバウル所属の艦娘たちのなかで、もっとも軽症であったのが飛龍だった。だから赤城は飛龍に託したのだ。このタンカーの位置を、トラックの提督に知らせてきてくださいと。一航戦のなかで最も足の速いあなたならば。そう期待を受け、誇りをもって背負った。
 飛龍であれば突破できる。敵の注意を赤城や加賀をはじめとする艦娘たちがひきつけたなら、眼前に迫った、見たことのない深海棲艦を守るようにして展開する群を突きぬけることができる、と踏んだのだ。
 生き残るために。時間を止めぬために。すべての想いを受けて出撃した。

 だが結果はどうだ。
 目的は果たされず、飛龍だけが生き残ってしまった、という最悪の結果が横たわっているではないか。
 アリエナイ。そんなこと、あってたまるものか。
 
 「違う!」

 飛龍は拳を握る。
 トラックの潜水艦たちがもたらした情報が間違っているのだと反論するわけではない。
 事実であるのだろう。波間に油膜が浮いていた、というのは。
 だが残骸が残っているわけではなかったのだろう。潜水艦たちは海の上を滑るように移動するのではなく、潜ることができる。当然、海底まで調べたはずだ。水深もそんなにないにちがいない。

 「なら、……そうだな。確かめに行くといい、自分の目で見て納得しろ」

 トラック提督はそう飛龍に提案する。すれば飛龍が目を見開いた。
 物資は他の泊地と同じく、余裕がさほどあるわけではない。
 だが飛龍の気が現場を見て済むならば、そこまで行くためくらいの量は融通できた。
 なぜ、どうしてそんなことを許してくれるのかと言いよどむ飛龍の姿に、ラバウル基地は聞いていた以上に艦娘に対する締め付けが厳しかったのだと、男は本当の意味で理解した。
 
 男は、男にとって飛龍は特別な艦であった。
 男の祖先を遡れば、飛龍に乗っていた記述が残っている。偉大な少将の影に隠れてしまい、薄い存在となっているが知るひとは知っている。とはいえ四代も前だ。太平洋戦争を生き抜いた祖父であるが全く父の姿は覚えていない。幼過ぎたのである。晩年にようやく出来た子だったという。

 だから多少無理してでも飛龍の願いはかなえてやりたかった。曽祖父の願いを叶えた艦であったからだ。
 飛龍が感情に揺れる双眸を男へと向けたとき、何度聞いてもけたたましい心臓に悪い警報が鳴り響く。
 泊地がある海域に深海棲艦が出現したのだ。偵察任務を帯びた艦娘たちが慌しく作戦本部を通り過ぎ海へと向かう。

 トラック泊地には戦艦や正規空母がいない。
 全方位を海に囲まれ、最前線に補給物資を届ける航路を守っている要であるが、先の戦いですべてを失い守備兵力すら全く足りていなかった。大湊から譲ってもらった艦娘たちも、男の不甲斐なさによって何隻も海へと戻ってしまっている。最低限の艦娘たちしか残っていなかった。

 「彩雲を、飛ばします。許可を」
 「大淀、議事録に記載してくれ。一時的にラバウル所属、二航戦飛龍をトラックに転籍。艦載機の使用を許可する。工廠に行き、好みにあったものを使え。そのあと会議室へ来るように」

 提督は案内を大淀に任せ、この泊地に残る艦娘たちが集う会議室へと向かう。
 すでにこの泊地に残る艦娘たちのほとんどが集まっていた。姿が見えないのは哨戒任務に赴いた駆逐艦たちだけだ。全艦無事に帰投した艦娘たちに労いの言葉をかけ、報告を促す。
 哨戒していた駆逐艦たちが見つけた深海棲艦はなにかを運んでいたという。進行速度は遅い。ただ向かっている方向が悪かった。

 「瑞鳳、レーダーの調子は戻ったか」
 「ううん、全然。整備班のみなさん剥げなきゃいいけど」

 実は昨日の夜から一部機能が使えなくなっているのだ。
 電波は正しく出ている。にもかかわらず敵影が映ると点滅してあちこちへ移るのだ。深海棲艦がまさか飛んで跳ねて移動しているわけでもなし、原因がわからず、壮年を迎えた整備班班長は形が良くわかる頭を掻き毟っていた。その激しさに瑞鳳は遠くをみて口元を引きつらせる。

 泊地周辺を監視するレーダーが使えないとなれば、人海戦術しかない。
 遠方を潜水艦たちに、近海を駆逐艦たちに哨戒させていた。第一報をもたらしたのは潜水艦たちである。その報を受け忍者が好きで好きでたまらない不知火がこっそり進行方向を割り出し近づいて敵影を映してきた。
 飛龍を見つけた潜水艦たちの活躍はこの一日二日、かなりのやる気をみせている。泊地に戻ってくるまでの距離がもったいないとブルサック環礁に物資を持ち込み、寝袋に包まりながら付近を捜索していたのだ。

 「話には、聞いたことがある」

 不知火が持って帰ってきた映像はおぞましいものだった。

 提督はゲートから出現した深海棲艦が大規模のものである場合、無線の電波を通しにくくなると。だが遮断ではない。通るには通るのだ。多少の聞き取り難さが発生するが、やり取りできないほどではない。
 もしレーダーが使えないまで巨大な群が出現したのだと仮定すれば。物事は得てして心持ち悪しきほうへ傾けて判断したほうが上手く転がるものである。

 艦娘たちに不安を与えたくは無い。
 だがすでに不知火が持ち帰った映像は全員で見てしまったあとだ。しかも男はこの地で骨を埋めなければならないほどの失態を犯し、かつすでに、この泊地の艦娘たちに男としての尊厳などまるでない情けない姿を晒し済みだ。
 
 数ヶ月前ラバウルの提督が無理難題を押し付けてきた。正規空母をすべて寄越せ、と。そうすれば助けてやらんことも無い、と。
 何に対して要求を突きつけられているのか、男に解らないはずがなかった。

 苦渋の選択だった。
 いや、男は選択もしていない。
 艦娘が、翔鶴と瑞鶴が往くことを許可してほしい、そう願い出たのだ。断固として否定せねばならない。ラバウルの戦況が不利だとしても、このトラックの守りを薄くして良いわけがない。行かせれば共倒れになる可能性もある。

 『提督さん、私は幸運の空母瑞鶴。翔鶴姉ぇを守りながら戦うのは慣れてるし。ほら、言って』
 『私たちはもどってきます、必ず。だから御命じ下さい。提督の役に立ちたいのです』

 自信満々な瑞鶴とたおやかに微笑む翔鶴と約束を、した。
 だがそれはあっけなく、果たされることなく散ってしまった。
 囮役にもならなかったとラバウル提督は不満をぶちまけて無線を一方的に切断した。
 トラックに配属されている技工士をはじめ仕官たちが呆気にとられた。そして怒りに打ち震え、歯を食いしばった。各地に赴任している提督たちに上下はない。対等な立場である。だがラバウル提督はトラック提督を下男のように扱った。
 怒りに支配され、木製の机を叩き割り、人間同士では止められず艦娘たちの助力を得てようやく止まったトラックの提督が自身についてぽつぽつと語ったのはかなり複雑なお家事情だった。
 巻き込むなと言いたい多くがいたが、この泊地に派遣された者たちはどうあがいても運命を一蓮托生となってしまう。
 元からこの泊地に赴任した男は可もなく不可もなく平凡を地でゆく提督だ。華々しい大戦果も無い変わりに、致命的な失敗も無い。
 男は年配の技工士たちから背中を幾度も叩かれた。しゃんとしろ、背筋を伸ばせ。ここではお前が俺たちのボスだ。
 怒ってもなにも生まん。昇華させろ。二度と同じ失敗を犯すな。艦娘たちも、不安そうにしている。するべきことを成せ。
 平均の何が悪い。安定指向、いいじゃないか。

 人間、艦娘関係なくなだめられ、励まされ、男はばつの悪さを抱えながら否定しなかったものたちに支えられ、立ち直ろうとしていた……ということがありトラック泊地の提督という椅子に座す男は、すでに自身の弱さと不甲斐なさを基地に居る将官や艦娘たちに知られてしまっているのだ。
 無様であろう。これ以上の羞恥はない。しかしもう、何も畏れることはない。素を晒し、全員に知られているのだ。

 「大淀、潜水艦たちに戻るよう通達してくれ。これからトラックは迎撃準備に入る」

 進路から予想するに深海棲艦の群はこのトラックに、間違いなく向かってきている。
 目的はわからない。だがこのトラックを落とさせるわけにはいかなかった。攻める戦力が無ければ守りを固めるしかない。
 レーダーも使えないとなると、最低でも目視出来る範囲内にきてもらわねばならないだろう。夜目が利く潜水艦たちの存在は必須だ。
 幸運にも飛龍が彩雲を飛ばしてくれるという。

 情報収集の後、やるべきことはただひとつである。
 必ず守る。男は失ったものと得たものを交互に思い浮かべ、過去に背を向けた。


△▽△▽△▽△▽△▽△▽

 トラック泊地に残る戦力は少ない。はっきり言って防衛線を張るにも絶対的に数がたりなかった。
 それでも出来ない、とは言えない。なぜならば彼は提督であった。このトラックに赴任する者たちの長なのだ。責任とは果たすためにあるものだった。
 とはいえ策などあってないようなものだ。こういうとき、かのショートランドの風雲児はどういう手段をとるのだろうか。そうふとおもう。真正面からぶつかっても勝機はない。無駄に沈む艦が出るだけだ。

 しかしトラックは泊地とはいえ死守しなければならない太平洋の重要拠点だ。
 ここを深海棲艦たちに落とされてしまうと、ここから南の海域がすべて敵陣になってしまい、日本はオーストラリアをはじめ南方への足がかりを失ってしまう。
 敵の群れは一定の速度で東向かって迷わず真っ直ぐに進んできていた。トラックの東にはハワイがある。そこには深海棲艦の拠点がある、と言われていた。しかしまだ攻め入るまでの準備が本土に整っていないため、トラックの主な任務はそこからやってくる偵察部隊を潰すのと、周囲の警戒であった。
 
 目的はなんだ。
 男は何枚もの海図を広げ、深海棲艦がなにを求めているのかを思考した。
 考えてもわからない、のではない。人間はさまざまな手段と方法、そして叶えたい目的がある。だから迷った。しかし深海棲艦たちの目的はとてもシンプルだ。この青の海から深海棲艦以外のすべてを排除することである。ならば行い為すことはとても簡単だった。見敵必殺(サーチアンドデストロイ)、ただそれだけである。
 
 深海棲艦たちは海底に開いた深淵(ゲート)から出現する、と言われていた。事実であるかどうかはわからない。直接人間がその様を見たわけではないからだ。しかし深海棲艦は海からやってくる。しかしどこへ向かうのかはわかっていない。だが今回はわかっている。ハワイだ。予想線を何十と描いても行き着く先はそこしかない。
 
 大淀が何度も計算した結果、トラック泊地から200キロキロ地点を深海棲艦の軍勢が通ることがわかった。
 艦隊が組まれる。
 
 軽巡由良を旗艦とし、駆逐艦不知火、漣(さざなみ)、初春、そして軽巡名取、一時的にトラック泊地所属として組み込まれた二航戦飛龍が出撃することになった。

 「おおい、お前ら予備の弾薬ちゃんと詰めてけよ。って、痛い鳥海!頬っぺた抓んなよ!」
 「漣ちゃん、雨は降らないと思うのよ?」
 「えっ。お気に入りなんだけど、だめかな」
 「月明かりの元では、それ、目立つわね?」

 出撃前、飛龍はまるでどこかに遊びに行くような雰囲気をかもし出しているトラックの面々に愕然としていた。ラバウルとは違い規則もゆるすぎで出撃前だというのに緊張感の欠片もない。
 飛龍は奥歯をかみ締める。
 タンカーを、奪取しにいくつもりだった。あの中には赤城をはじめとする仲間たちが居る。負傷した人たちも苦痛をこらえて待っているはずだ。けれどこのトラックの面々は考えていないのだろう。良くて遠くから見物するだけだ、と。滑稽だった。提督が平凡で一般人レベルであるはずだ。役立たずと罵られても当然であろう。

 飛龍は軽蔑の眼差しをトラックの艦娘らに送る。
 ひとりでも、最後の一人になったとしても奪取してみせる。数々の戦いを超えてきた。生ぬるい、このトラックのものたちでは成しえない戦いを生き抜いてきたのだ。飛龍は静かに目を閉じる。ここの艦娘には頼らない。自分の仲間たちはあのタンカーに居るみんなだけだ。もう少し待っていて。助けにいくから、必ず。

 「何してるの!? 危ない!」

 名取が飛龍を突き飛ばし、迫り着ていた魚雷の直撃を回避させる。
 深海棲艦の索敵範囲が思いのほか広かったのだ。今までとは違う。余裕をもって近づいたはずだったのに、気づかれてしまった。由良が指示を飛ばし、駆逐艦たちが連装砲を威嚇射撃する。撃ちもらしてもかまわない。名取が一体ずつ確実に仕留めていくからだ。数ヶ月前までは練度の高い艦娘たちが幾人もいた。それこそ宿舎がにぎやかさを通り越して煩いとまでおもえるほど居たのだ。それがラバウルからの増援依頼が続き、つぎつぎと実戦経験を豊富にもつ艦娘たちから居なくなっていった。
 今や由良がトラック泊地の古参と呼ばれるようになってしまったほどだ。

 戦況は悪かった。出来るだけ早くに由良はこの海域を離脱せねばならぬと判断を下す。だが飛龍が固まっていた。仲間が、ラバウルから共に脱出してきた仲間たちの末を眼前に突きつけられ茫然自失に陥っているのだ。出来るだけの助力をしてやって欲しい、そう提督から願われた由良は、気の済むまでタンカーを見送れば良いと考えていた。だが敵は部隊をいくつか差し向けてきた。当然応戦しなければならない。飛龍が納得するまで、この海域にいるつもりだったから。
 仲間が喪われる。それは心の柔らかな部分がごっそりとそげ落とされるような、できれば経験したくない苦しさを伴った痛みがじわりじわりとやってくる。由良にも経験が、あった。だから飛龍がどんなに冷たい目を向けてきたとしても仕方がないとおもっていたが、これ以上はいけない。

 はるか遠くに見える船影は揺らめいている。
 ゆらりゆるり、水面を断ちながらそれは曳航されていた。

 決めたはずだ。頼らないと、緊迫感のないお気楽なトラックの艦娘たちなど取るに足りないと。
 それなのに、そうだというのに。
 飛龍はがたがたと体を震わせていた。硬く結んだはずの誓いは、すでにずた袋のごとく引き裂かれてしまっている。
 月明かり差す夜のはずだ。水面も空を映して闇色になっている。覗き込んでも太陽が頭上にあるときのように青く透き通ったゆらめきを見せない。

 だというのに白く蒼くかがやく陽炎が立っていた。
 鉄の塊と化したタンカーのようなものがゆらろりゆらゆらと揺れ動いている。飛龍の耳に怨嗟が、聞こえた。苦しみの声が、低く地響きのように鉄が立てる軋みとともに響いている。
 時間が止まったかのようだ。知識の中だけにある、死者の行列を思い出す。おどろ恐ろしいあやかしたちの行進だ。あの中にみんなが居る。飛龍も加わらなければ。だって仲間であるのだ。いかねばならない。けれど足が、動かない。自分の息がひゅーひゅーと高く鳴っているのがわかる。

 夜間に艦載機は飛ばせない。夜戦が出来る夜偵など持っていなかった。
 それでもかの提督が艦隊に飛龍を組み込んだのは事実を事実として捉(とら)えるよう促すためだった。
 不知火が映してきた映像にはひしゃげた船体がうつっていた。船の形だけを保っているだけの鉄の塊。周囲を異形が取り囲み意味のわからない音を立てていた。

 信じたくなかった。
 信じられなかった。

 そうであるわけがない。

 「はは、そんなこと、ない。みんな生きてる、生きてる……生きてるんだ! 絶対にッ!」

 かなぎりごえが戦場音楽が奏でられる海にこだまする。
 夜は始まったばかり、夜明けはまだ遠い。



[39333] 索敵機、発艦始め! 第一話 ラバウル再建
Name: 環 円◆21e3f90e ID:487cf90c
Date: 2019/08/30 14:51
 大本営から大々的な配置移動が発布されたのは三が日を二日ほど過ぎたころだった。
 南方海域にある泊地のひとつ、ショートランドでは衛星通信による口頭伝達によってもたらされた。通信手から連絡を受けた提督である男はさもあらん、と内容を黙読して思考する。
 
 ラバウルはそれはもう見事に全壊しているという。施設も艦娘も根こそぎナガラ級になぎ払われてしまっているのだから当たり前だ。
 金剛から報告を受けたとき、想定の範囲内だったことに安堵したくらいである。本土からはすでに建築関係者がタンカー護衛されながら向かってきているだろう。本土からどんなに急いでもラバウルまで5日はかかる。そこから地ならししされ再建が行われるまでの大体の日程を指折り数える。指標となっているのはショートランドで温泉施設の増設をしてくれた官たちの仕事だ。

 二枚目がありますよ、と声に促されて見れば通達には男に対しての命令も付加されていた。
 ショートランドはブインと連携しラバウル再建の後押しをすべし、と。

 これに関して男は否定するつもりもなく、協力要請受けることにやぶさかではない。命令が来るとおもっていたからだ。来ないはずがないのだ。
 しかし、である。このあとに控える戦いのことをおもうと早々に胃が重くなりそうだった。いろいろとつじつまを合わせるのが大変なのだ。男が未来を知っていると大本営に知られるわけにはいかない。もし知れたなら本土で監禁されるにきまっている。すでにずいぶんと先の未来から来ているのだと知られているのだ。これ以上あの得体の知れない元帥閣下相手に未来を、選択肢と言い換えても良いだろう情報を渡したくはなかった。なぜなら元帥はどことなく信用してはいけない気がするのである。男に人を見る目があるかと言われたら、かなり首を傾げてしまうのだがそんな気がして仕方がない。敵ではないが味方でもないと男の中にある何かが警鐘を鳴らす。だから情報をどうにかごまかしつつ、東京周辺に突貫してくる群れに対応する手段を講じなければならない必要があった。

 そう、待ち構えている地獄の釜の名はミッドウェイ大戦、その再来である。ただの去来ならばいい。だがこちらではもう一歩、深海棲艦が踏み込んでくるのである。今からもう胃が痛い気がする。
 大湊との他愛の無い会話から、制海権を艦娘たちが少しづつ深海棲艦から切り取り取り戻し、平定し続けているおかげで日本国という島国の周辺はなんとか穏やかさをとりもどしているという。多くの国民が日々いつ襲われるかと心配をせずに暮らせるまでになっているのだそうだ。その平和を切り崩してしまうのも悔しい、と思ってしまう。戦果は各地に散らばる提督たちの血と涙と胃痛の結晶だ。男だけの功績だと慢心するつもりはない。公表するつもりも毛頭無いが、支払われている少なくはない給与は国民からの血税でまかなわれている。この泊地ではなかなかにして使い切れない金額で貯まっていく一方なのだ。だから近々本土に行ったときに使う予定にしている。召喚されないほうが御の字だ。しかしそうはいかないだろう。

 来たる未来に意識を据える。はっきり言ってショートランドがこれから展開されるであろう海戦に首を突っ込むのは難しい。
 作戦地域まで、あまりにも遠すぎるのだ。ゲームであればこそどのサーバーからも参戦できたが、ショートランドから太平洋ど真ん中に設定された作戦水域まで強行軍するなど無理無茶無謀も良いところだ。しかも日々、棲戦姫の出現を抑止するためかなりの艦娘たちが南方海域に出撃している。それに付け加え戦艦レ級というかなり厄介な固体が現れてからは艦娘たちのローテーションがかなり厳しく、他の基地に派遣できる娘たちが現在、正直言って人員を割けない。

 だからなんとか新しくラバウルに赴任となる、前トラック提督には奮闘してもらわなければならない。出来ればブインの金剛提督や腹の探りあいをしている大湊の指令のように友好関係を結びたいところではある。たった一人この世界に放り出されているため、肉親をはじめとする友も居ないぼっちなのだ。それはそれでかなり、男の精神を磨耗させていた。寂しすぎるのだ。家族だからこそ吐ける弱音を音に出来ないのだ。胸の奥底にヘドロのように溜まっていっているような気がしていた。今はまだ大丈夫だと言えるが、そうでなくなった時が恐ろしい。
 と、なると、だ。

 陣中見舞いを兼ねた、特訓を行わざるを得ないだろう。かなりきつい詰め込みになるだろうが、この際は仕方がない。該当する艦娘たちには奮闘してもらうしかないが、何を褒章にすれば士気が上がるだろう。
 ブインの金剛提督には艦載機の妖精無人機操作の必要性を説いているものの、男の下に集っている艦娘たちが規格外すぎて真似できないと匙を投げられている。ショートランドで最も無妖精機を上手に操る最上が言うには、頭の中をぐるんぐるんとかき回されたり握られて揉まれるようなに感覚にさえ慣れるとどうということはないと穏やかでにこやかに明言していた。聞いただけでも気分が悪くなりそうな表現が他にちりばめられていたが、あえて思い出す必要もない。そっと記憶にふたをしておくのが良いだろう。
 確かにそれに付随する訓練を行った日は、その訓練に参加した艦娘たちの死屍累々とした姿を見かける。
 飢島には気負わず出撃する空母たちが、その訓練のあとは食事も喉を通らず温泉施設に籠もるのだ。かなりの負担が脳にかかっているとわかっているからこそ訓練を続行させることに苦い思いがこみ上げてくる。だが必要なこと、と決断を下し全責任を背負うのもまた提督としての責務だ。
 
 手元に集められた新ラバウルの情報に目を通す。
 詳しい話は直接聞くしかないだろうが、かなり、切迫した状態になっているに違いない。こちらの戦力は割けないが、艦娘たちの艦娘たちによる艦娘たちのためのブートキャンプを組むことは可能だ。それと同時にラバウルの提督にも腹をくくってもらわねばならない。こちらのほうは男が言葉を尽くすしかないが、やってできないことはないはずだ。これ以上の睡眠時間が削られると男が早死にするのが決定してしまう。金剛の提督管理業務が鬼っているのである。このままだと強制的に意識を刈り取られそうだった。それだけはなんとしてでも避けたい。

 それに猫(エラー)娘に託した案件も気がかりでもあった。
 
 さて、と男は首に手をやりぽきり、と骨を鳴らす。
 かなり日程が過密になるだろうが、最善を目指すためやらねばならない事柄はすべて詰め込むべきだろう。
 ラバウルに陣中見舞いに向かう艦隊の選出と同時に、かの地から逃れてきた艦娘たちの帰還準備を早々と整えなければならない。あちらに戻る前に受けてもらう、生き残るための訓練は欠かせない。ブインにもかなりの艦娘たちが逗留していたはずだ。手紙をしたため、無妖精飛行の訓練中である軽空母たちの誰かに渡す段取りを組む。

 「誰か、長門を呼んでくれないか。相談があるから至急と伝えてくれ。あと、今日の戦闘予定表の見直しをするから大和に連絡を。朝一の会議の件は今から5分でまとめる。秘書官は誰だ? 望月? わかった。次だが…、」

 そうしてショートランドの、いつもの日常が始まる。


△▽△▽△▽△▽△▽△▽


 横須賀大本営の決定通知から約一ヶ月半。太陽の照りつけは緊張状態が続いたあの日とあまり変わらない。
 トラックにて提督を拝命していた男は配置移動を受けラバウルの地へと足を踏み入れていた。
 戦場の跡というのはなぜこうも哀愁を漂わせているのか。初めて目にする光景に思わず足がすくんでしまった。それを解いてくれたのは潜水艦たちだ。オリョクルが近くなった! と大騒ぎである。
 
 それから真新しい弾薬の、黒焦げた地面と全壊し瓦礫の山と化していた建物郡は本土から派遣されてきた工兵隊によってすっかり地ならしされ、真新しい鉄鋼材が大地から幾本も突き出している状態となっている。
 ラバウルの作戦本部は仮設に置かれ、無線やらなにやら、男と共に移動してきた者たちが日々運営に支障がきたさないよう作業を繰り返している。その最中、やっと通じるようになった無線からショートランド提督から連絡が入った。なんでも大本営からラバウルの支援を命じられており、陣中見舞いもかねてこちらに来るという。その際にはラバウルから難を逃れた艦娘たちも随行、もしくはいくつかの艦隊に分かれて合流すると聞かされた。その数、50あまり。ただ戦いを否定している艦も少なくないという。どう扱うかはラバウル提督にお任せする、とのことだが男にとってもどう扱って良いのかわかりかねる、が本音であった。
 トラックから共についてきてくれた艦娘たちはといえば駆逐艦と軽巡、潜水艦たち。そして軽空母が主力だ。重巡は麻耶と鳥海だけであるし、空母にいたっては瞳に光が消えた飛龍のみだ。
 戦力増強は確かに嬉しい。嬉しいが、あの無理難題を押し付けてきたかの人物の元で運用されていた艦娘たちである。
 思想や感情も上司である提督によって変わっていくともいわれており、どうやって付き合えばよいのかわからなくもあった。

 そも男は他の提督たちに比べ平凡さが際立っていた。
 どうして提督などという役職に抜擢されたのかいまだに意味不明だった。男が細々と続く帝国軍人の家系だったからだろうか。いくら考えても答えは出ないし、ラバウルにやってくると連絡をしてきたショートランド提督のような武勲を次々と立てられるような機会もないだろう。

 かくしてショートランド提督はやってきた。
 旗艦を戦艦金剛とし、航空巡洋艦最上、装甲空母大鳳、軽巡川内、潜水艦伊168、そして駆逐艦吹雪を先鋒とし一定距離を開けて次々と艦娘たちが到着する。ショートランド提督は野営の準備を指示し、到着の報に駆けつけたであろう男の元ににこやかな笑顔を浮かべて手を差し出す。男は背に汗をかきながらも平静を保った風を装い挨拶を受ける。提督としての移動手段が、金剛にお姫様抱っこされて、というのがかなり衝撃的ではあったものの船を使っての移動と比べるとずいぶんと早く到着できるのだという。有事の際は特に男性としての尊厳は捨てるに限る、と乾いた笑いを放っていたのが印象的だった。

 男が提督を案内したのは仮設の指揮所である。長机がひとつとパイプ椅子が壁に立てかけられただけの殺風景さだ。
 さて、と前置きしショートランド提督は制服を脱ぎ、自ら組み立てたパイプ椅子に上着をかける。そして時間がもったいないと滞在日数と目的を告げた。
 四日間、と言葉を切る。その期間内でこの後に予想される海戦を生き延びるための術をこの基地の艦娘たちに叩き込む、と宣言されたのである。
 「と、その前に風呂だな」
 「風呂?」

 男は提督の言葉が理解できずオウム返しする。
 提督は己の耳をぽんぽんと叩き、入渠施設を見に行ってもらったんだがたった4つだと艦娘たちの回復に時間がかかるだろう。そうすると傷だらけのままの待機艦が増え、この前のように基地が襲われても守る戦力が確保できないだろう、と言ってきた。

 「で、でも」
 「日本人とあの島国の由来を汲む艦娘たちの風呂好きを甘く見ちゃ駄目だぞ。というのは冗談だが。4つ以上作ってはいけない、なんて軍規の何処にも書かれていないし、死と絶えず隣り合わせの最前線にそれを強いられても無理すぎる。文句を言われたら鼻で笑ってやれ。最前線で戦死者を出さず生き残るれるほどの策があるのだろう、やれるならやってみろと。だから、まあ任せてくれ。この基地は南につながる玄関だから前任者のように、簡単に潰れてもらちゃ最南端の俺たちが困るんだよ」

 どこか困ったような表情をし、かのショートランド提督は笑う。強い言葉であるのに、その声には圧が含まれてはいない。
 じゃあブルドーザーを借りるぞ、と提督は男に言い、インカムであろうか。見たことの無い小型過ぎるそれに提督が次々と矢継ぎ早に指示を飛ばすのをただ呆気として見守ることしかできない。

 提督はそうしてあっという間に温泉を作ってしまった。必要であった時間は約12時間。突貫工事にもほどがある。
 そのすべてを指揮したのはショートランドの金剛だ。人も艦娘もうまく采配し、穴を掘り耐水コンクリートで固め簡易とはいえ何十人もが一度に入れると露天浴場を作り上げたのだ。形としては学校に備え付けられたプールに似ていなくもない。だが艦娘を初めとする人間の多くが喜びの声を上げた。日本人は風呂好きで有名な民族でもある。風呂を馳走と表現するくらいだ。
 工作兵にリンゲル液がプール型の風呂に流れ込むように工事を頼めば終了だという。

 これで傷ついた艦娘たちが傷を抱えたまま戦場に立たなくてすむようになる。疲労回復も備え付け形の入渠とは比べ物にならないと付け加えた。

 その間に行われていたのは提督による聞き取りだ。
 いったいラバウルに何があったのか。ラバウルからトラックになぜ向かったのか。この新しい基地の問題点を洗い出す。男と飛龍がそれぞれ提督と金剛により事情をあらまし把握され始めた頃、海上では夜戦番長として名高い川内によって駆逐艦たちがショートランド式回避術を仕込まれていた。駆逐艦たちにとっては軽巡川内に遊んでもらっているような感覚である。今まで遊びらしい遊びをしたことがなく、楽しみも食べることが主であった駆逐艦たちや麻耶までもが輪の中へと加わり、収拾がつかない状態になっていくのだがこれはまた別の話である。

 男にとってはその三日間はめまぐるしくもあっという間に過ぎた日々だった。
 さすが南方の、前任のショートランド提督が赴任地はさながら地獄絵図である、と顔を青くした海域を人類側に繋ぎとめているだけの人物だけはある。だが男にとっては劣等感を刺激され続けただけだ。

 なにをやっても望みどおりいかない。ほどほどに予測される範囲内にすべて収まる。大きな失敗をしない代わりに、少しも突出した結果が出なかった。先祖がどんなに凄かろうが、その凄さは血筋に反映されることがないのだろう。士官学校の出かと思われたショートランドの提督は民間出身だった。何の軍務経験すら積んでいない。それなのにここまで鮮やかな采配を見せられては男の立つ瀬がなかった。なにを学んできた。なんの経験を積んできた。机上の空論と点数に優劣を見て自己満足していただけではなかったのか。

 翌日の朝に帰る、と伝えにきた提督が男が座る椅子の横に立つ。
 『このままだと数ヶ月先にやってくる、魔の5分が繰り返すぞ』

 男は勢いよく顔を上げる。
 魔の5分、それは戦史を学ぶものならば知らないはずのない語句である。かのミッドウェイ大戦の折、空母四隻が沈んだ後、山口多門提督が飛流健在を謳(うた)い強硬手段に出た逸話につけられた題名のようなものだ。
 このままでは同じ轍(てつ)を、お前が飛龍に踏ませる。

 そう提督は断言した。
 男はショートランドから来たこの人物がいつ休息を取っているのかを知らない。男が眠気に襲われ寝落ちた後も動き回っていると聞いていた。
 人はどんなに睡魔に抗っても勝てるものではない。どんなに眠るものかと歯を食いしばっても、知らぬ間に意識が落ちているのだ。男が就寝する頃にはまだかの提督のテントには灯りがともっており、起床したときにはすでに活動を開始している。どれだけ強靭であるのかと、驚きを通り越していた。

 どうすればいいのかが、わかりません。

 男がか細く言葉にする。
 自己評価がかなり低い上司だと、トラックから共に赴任してきた艦娘たちが言っていた。なぜあそこまで自信がないのかがわからない。泊地運営の仕方も悪くないし、本土に比べれば限りあるだろう資源をやりくりして艦娘たちが少しでもすごしやすいように配慮してくれているという。

 家庭環境がなにか、影を落としているらしいが最古参の由良ですらわからないと首を振った。詳しい事情を知っていたのは、先の海戦でラバウルに派兵された翔鶴、瑞鶴姉妹だったという。姉妹を喪ったことで前後不覚になった男が大暴れしたことがあるらしいのだが、そのときでさえ明言していなかったという。送らねばならなかった不甲斐なさと感情を爆発させ吐露していた。だから、踏み込めない。一歩前に踏み出すと、なぜか何歩もあちらが下がっていくような気がする、のだと眉を下げた悲痛な表情で教えてくれた。

 発破をかけて奮起するならばやってもよいが、この男の場合は逆効果になる可能性が高い。
 ショートランド提督はパイプ椅子を壁際から引っ張って来、その横に座る。
 深海棲艦はタンカーを曳航していたという。何に使うのかは不明だ、というつもりはない。
 大湊から送られてきた書類の中に、本来入っているはずのない書類が紛れ込んでいた。それは偶然を装った故意だ。
 あの指令もなかなかにしたり顔で無茶を押し通す人使いの荒い人物だ。付き合いはまだ浅いがだいたいの人物像は掴んでいる。ちょっとやそっとのごまかしでは、嘘だと見抜かれてしまうだろう。だが信用できる相手であるのかまだわからない。そうであって欲しい、協力関係を結んでより良い環境を作りたいとおもってはいるものの、取りまとめの本元である元帥があのとおりの人物である。腹に一物ならぬ、二物の三物も抱えた狸だ。年若いとはいえショートランド提督にもそれくらいはわかる。

 深海棲艦は数を減らしているのだろう。
 減らしている、というより指揮系統をまとめる固体が出現しにくくなっている、のだと予想していた。なぜならショートランド沖のゲートはあいも変わらず頻繁に開閉を繰り返しているし、その他の地域も相変わらず大小さまざまではあるがゲート出現の報が途絶えてはいない。しかし送られてくるデータを見ると本土や泊地、基地への攻撃頻度が以前と比べて格段に下がっている。では開閉のたびに一定数出現する深海棲艦の群れはどこへ消えているのだろうか。
 南方海域周辺で姫系が群れを率いれないその際たる原因はショートランドが真面目に、姫や指令塔になるかもしれない固体をもぐらたたきのごとく確実に潰しているからだ。そうしなければ鉄底海峡の再発である。冗談ではない。
 タンカーの中には赤城と加賀、蒼龍が居たという。間違いなくあちら側に染め替えられているだろう。深海棲艦の生態など、知らぬに越したかったが知ってしまったものは仕方が無い。本当に厄介なものをあの指令は紛れ込ませてくれたものだ。悩みが深くなりすぎて禿げたらどうしてくれようか。笑い事ではない。これは切実な問題だった。

 「……あなたには、わからないでしょうね」
 「さて、どうだろう」

 わかるかもしれないし、わからないかもしれない。少なくとも話を聞くまではどちらかを判別できようもない。

 「飛龍が猛特訓しているのは知っているだろう」

 怪我をしても甘んじて受け入れ修復に緩和を求めない。痛みこそが生き残ってしまった己に課せられた罰なのだと。
 男は沈黙する。
 どうやら耳だけはこちらに向けてくれているらしい。逃げ出さなかったのは評価できるだろう。最も誰かを批評する権限などショートランド提督にはない。

 「あれなあ、大鳳と最上、君のところの軽空母たちが全力で航空機を飛ばした状況下でたったひとりになった状態でいかに戦うかっていう訓練をしていたんだ。他にも夜戦ってさ、航空機飛ばせないじゃん。駆逐艦と軽巡たちに少しでも触られたらまた最初から、三時間逃げ切るっていう訓練したり、航空機を早朝に発艦させ八時間の航空管制させたりさ」

 ショートランド提督がつらつらと語る内容は、かなり、いや、艦娘を命あるものとして扱っているとは到底思えない訓練(ひどさ)であった。訓練という名のしごきである。人間としてやってはいけない調練の限界を超えているような気がした。航空機をそんな長い時間飛ばすなど聞いたこともないし、一時間動きっぱなしでもかなりの疲労がたまるから、とトラックで自主訓練を行っていた艦娘たちは頻繁に休憩をとっていた。それを連続して訓練させるなど人道的ではない。

 「それでも弱音を吐かず今もやっている。海を見てみろよ」

 男はのろのろと窓に視線を移してゆく。夜の海は闇の支配下にある。月明かりがある満月の夜ならばかなり見通せるが、月が細い夜になると基地にともされている最低限の明かりだけが煌々としており、どこまでも深い暗闇が伸びていた。波の音だけが境界線のありかを教えてくれる。

 それもこれも、しばらくの凪のあとに必ずやってくると告げたミッドウェイ大戦のなぞりが来ると飛龍に告げたからである。
 男にも今まさに伝えた。悪夢の5分というキーワードが指し示すのはその海戦しかありえないからだ。
 ショートランドからは物理的に参加することが出来ない作戦だ。立地的にもトラック泊地が前線基地となるだろう。アリューシャンに至っては本土からの攻撃が主軸になると考えている。その場合、大湊が前線基地となるはずだ。
 元帥がいくら無茶振りを愛していると言っても、幌筵(ぱらむしる)泊地や単冠湾(ひとかっぷ)泊地集合にはしないはずである。荒波と霧が絶えず発生する北の海だ。置くとしても泊地というより監視所といったほうがしっくりくる施設になるだろう。

 真っ暗な海では艦娘たちが目にともす光が小さく光る。月明かりもない闇を孕んだ波の上には数え切れないほど多くの輝きが舞っていた。
 ただの闇ではない。煙幕も炊かれているようだ。人間の目には薄ぼんやりとしか見えない白く煙る中から駆逐艦だろうか、小さな光が転がり出ては再び白く煙る視界ゼロの空間へと突っ込んでゆく。

 「あれな、回避運動訓練なんだよ」

 ショートランドでは毎日、普通に行われている遊びだ。駆逐艦たちは標的に触れるたびに甘味を授与される。
 最近は材料の関係でずんだもちが多い。枝豆と豆腐で作れるこのもちは間宮の季節限定メニューのひとつでもある。
 だが今夜の、ラバウル基地でのご褒美は特別だった。その名も洗濯板、という。かなり大量の材料を使うものの、それらはちゃんとショートランドから持ち込んでおりこちらの食糧事情を圧迫せぬように配慮されていた。

 味見もちゃんと参加者たちにさせている。
 駆逐艦たちに一度も触れさせなければ、そのすべては飛龍のものになる約束つきだ。
 艦娘は本当に甘いものに弱い。どんなに機嫌が斜めでも、ちらつかせれば話くらいは聞いてくれるようになる。

 「人間なんて弱い生き物だよ。しかもさショートランドなんて南の端っこ、いくら戦果を積み上げ強い、強いと外から持て囃されたとしても艦娘たちがいなけりゃ明日の命も危ういんだぜ」

 提督など消耗品扱いであるいくらでも挿げ替える首があると、深海棲艦も知っているのだろうか。艦娘たちを迎えに埠頭に出ているときに襲われかけもしたが、それは提督のその奥に居た軽巡たちを狙った攻撃だった。すぐさま迎撃体制にうつった龍田によって長刀で切り刻まれていたが、猫娘がいやみったらしくお前なんてすぐに強欲たちの策略に引っかかって死ぬんだ、そうしたらまた新しいやつがやってきてここを支配するのだと言っていたのもあながち嘘ではないのだろう。深海棲艦の標的は、艦娘たちだ。そしてそれが終われば人間に移る。そして人間が滅んだなら。明日という未来が確実に存在しているなどという、平和な時代はすでに終わっている。けれどそれに気づかぬ振りをしなければ、多くが生きていけないのもまた事実だ。下手な恐怖漫画や映画、ゲームのほうがまだ救いがある。それでも、だが、と明日をもぎ取るために提督という存在(あわれなこひつじ)が必要不可欠なのだ。

 「友になりにきたんだよ。ついでに覚悟もしてもらいにね。もし君が約束してくれるなら俺が君を裏切ったり利用することは絶対にしないと誓うよ」
 「……なにに、です? 神や仏ですか」

 ずいぶんと時間が経ってから、男が小さくつぶやいた。視線は合わない。

 「いや、神や仏じゃない」

 そんなものに誓っても信憑性などありはしない。神も仏も御手を現世に伸ばせなかったからこその今なのだ。どんなに縋り祈っても物語のように威光が世界に降り注ぐことは、ない。

 「君と俺の良心に誓おう。友ならば何かしらが会った時に協力も惜しまないし、間違ったことをしていたら手段を講じて止めにくる」

 一方的でもかまわない、とショートランド提督は笑った。
 勝手に俺が誓うだけだから、君は俺を利用してもらってもかまわない。ただ気が向いたら友達っぽいことをしてくれ。落ち着くのはずいぶんと先になるだろうが、月を肴にうまい酒を飲もう。

 叶うかどうかも不確かな、未来の約束だった。けれどそれは闇に差す一条の光になり得る。不安だけがあった。混沌とした迷いが思考と行動を塞いでしまっていた。
 生き残らねば訪れない未来。約束が基点となれば明確な道筋がたてられる。そこまで生命を繋げ、と。それが命あるものの役目だといわれた気がした。
 男は、うなずく。まだ声を出しはっきりとした意思は示せない。けれど恐々ながらもうなずく。そうしたい、とおもったのだ。ふと感じた温かさに応える。かつて心の拠り所になっていた姉妹たちの体温をなぜか手のひらに感じたような気が、した。



[39333] 索敵機、発艦始め! 第二話 ひとりきり、ふたりきり---トラック
Name: 環 円◆21e3f90e ID:265d6405
Date: 2019/08/30 14:51
 到着した泊地には、だれもいなかった。力の抜けた手のひらから、ボストンバックが軽やかな音を立てて落ちる、彼はめまいを感じて柔らかな砂地におもわず両膝をついた。
 冬から夏へ、急激な季節の変化に体がついていかない。それ以上に己の置かれた状況を把握できていなかった。
 話が違うと叫びたい。住人が居なくなった廃村のように、空虚な建物がただ、ただ鮮やかなアオに彩られた緑とともに横たわっている。
 彼だけを降ろしたタンカーが碇を上げて動き出した。船体のきしむ音がどこか物寂しげに聞こえるのはなぜだろうか。次に向かうのはラバウルだという。そしてブイン、ショートランドと基地と泊地を回りもう一度、このトラックに寄航する予定だと船長が言っていた。
 思わず手を伸ばす。置いていかないで。この場所は、人の住める環境ではない。そうだ、帰ればいい。名前だけの親族なんて居ても邪魔なだけだ。日本には、いままで住んでいた家はきっと処分されて戻れないだろうから、築三十年を過ぎていてもいいから、屋根のある家を借りて今までどおり細々と暮らしていけばいい。再度、タンカーが立ち寄った時に乗り込もう。
 手持ちの金銭は与えられてはいないが、月ごとに口座へ給与が振り込まれるときいていた。おろかな者たちには触れない口座であると政務官と名乗った男が耳打ちしてきたのを今さらのようにおもいだす。

 彼はただその場にうずくまる。なぜ促されるまま降りてしまったのだろう。人の気配が無いこの島で生きていく能力など彼は持って居なかった。
 彼の生業は花を活けることだった。
 大きくは無いが教室を開き、通うひとたちへ季節の花々の生け方を教えていた。家元制度を取りまとめる宗家からは遠い生まれで、傍流も傍流、いっそのことまったく関係ないといわれたほうがすっきりするだろう末端だ。その彼が曲りなりにも一族に名を連ねている理由はただひとつ、時折魅せる鬼才を手の内に飼っておくためだ。彼は決して表舞台には出られない。一族の影だった。しかし彼はその境遇を嘆いたことは無い。閑静な人の世から離れた場所で草木に囲まれ生きるに不足しない金銭があれば満足だった。
 ここには花器も剣山も、はさみも無い、ただただ青々と茂る緑と星の色でもある青だけがある。

 人間がひとりとしていない場所などで生きてはいけない。安全な内地に戻りたい。そもそもなぜ彼がこの場所に降ろされたのか、詳しい説明も聞かされてはいなかった。秘密だらけの国防軍の、身分の高そうな人物から丁重にもてなされ、あれよあれよという間にこの地への赴任を要請されうけてしまった。提督としての資質がどうの、という話も聞いたが彼には理解できなかったし、半ば朦朧としていたためどのようなやりとりをしたような気もするがとても曖昧で不鮮明な記憶しか残っていない。

 遠ざかる船影がゆれる。
 手が振られていた。
 数日とはいえ寝食を共にした誰かが手を振りさよならの言葉をさえずっている。




 置いていかれた。その事実に身の毛もよだつ。
 これから、ひとりであの、深海棲艦という異形と戦わなければならないのだろうか。敵を打ち倒す銃や、身を守る盾すらないというのに。
 まるで底なしの絶望が手招きしているようだ。
 



 ではなぜ彼はこの地に赴任してきたのか。三文芝居であればよい。できればそうであって欲しかった。
 港へと送迎された日、彼らは居た。招かれざる客だったのか軍服を着た屈強に見える人物に押さえ込まれていたが、お前は一族の誉れである、すべて任せていってこい。そう叫んでいた。
 彼らは彼を捨てた大人だった。顔を見てもすぐに誰だかわからなかったほどだ。
 誰だろう、そう彼が心情をおもわず言葉にしたことにより遺伝子上の親だったと判明したくらいの希薄な関係だった。ふたつの顔を、実際的にはふたりだけでは無かったのだが見たとして、彼にはなにも感じられることはなかった。どんな表情をしているのかもわからなかったと言っていい。真白な笑顔の形にくりぬいた仮面のようだった。

 彼が数日、滞在した部屋で見せられた紙の束にあったのは、宗家が多額の借金を抱えているという文言から始まる調書だった。
 彼は感情を動かすことなくそれを一通り見、捨てた。どんなにうまく隠していたとしても、人の口に一度上ってしまえば口さがない連中がさえずり続けるものだ。彼がつつましやかに暮らす部屋に、有名雑誌の記者を名乗る人物が来たこともある。

 だが彼は知らなかった。
 隔離された部屋の外で何が起こっていたのかを。

 彼の認識ではどこであろうとも、たとえそこに火種がなかろうと煙をたてる輩はいるものだと考えていた。日本は日本の外と比べるべくも無く安全も安心も国民であるならば無償で与えられるものだとも信じている。そのための税金であり国であり、役人や政治家たちであるとおもっていた。
 深海棲艦という敵がいる、らしい。とはいえ現物を見たことが無い国民が多数だろう。国防軍によって守られている陸地は攻撃されるはずも無い。感覚的にはどちらかというと、動物園の檻の向こう側にいる猛獣と同じだ。だからというわけではないが、日々のバラエティはアイドルや芸人、テレビを賑わす人々のスキャンダルが面白おかしく報道されお茶の間に流れていた。ニュースもそうだ。陸地ではない場所で、あんな激しい戦闘が行われていたなど放送されていなかった。

 彼は同なにも知らなかった。

 いつだったか忘れたが家元制度とマルチ商法が一緒くたにされた記事がおもしろ半分に出回ったことがある。
 だが事実は違う。全く、ちがう。
 組織である以上、形態は似るだろう。マルチと呼ばれるものたちの、最大の問題点は取り扱っている現物商品にある。その商品を組織内で自己取引するのだ。外に売りに出るのではなく引き入れた内部にて売買を行う。そして拡大の限界を迎え商品が不良在庫となり破綻してゆく。
 だが家元制度の商品は無形の知識と技術である。これに在庫という観念はない。
 
 日本という島国は平和だ。人間同士で争っていた時代から、平和というものをほぼ、ただ同然で感受してきた。
 だから技術や知識に価値があると思い至らないひとたちも多かった。知っているなら教えてくれてもいいのに、けちくさい、と。

 彼の流派は間違えてしまった。
 無形の知識と技術ではこれ以上の拡大はないと物品を売り始めた。そしてその結果が紙の束にまとめられていたのである。

 間違いなく彼は、売られたのだろう。
 彼にどのような利用価値があるのか彼自身には見当もつかない。
 宗家と政府の間にどんなやり取りがあったのか、彼は知らなかったし知らされもしなかった。だがふと思い出せば、あるときからおべっかが始まったようにもおもえる。
 家元制度に所属しているだけでは『花の先生』はできない。年に数回、会合があるのだ。そこで流派の指針目標などが広く流布される。
 その場には彼を疎ましくおもう者たちも訪れた。彼は体調を崩しがちになる従兄弟に代わって作品を活けていたが、彼はその従兄弟の名を借り好き勝手していると密やかに陰口を囁かれていたのだ。
 だがある時から変わった。あれほど寄生虫だのごく潰しだと罵っていた宗家に近ければ近いほどの口が、家元から贔屓にされていて良いわねぇ、あなたの名を家元から聞きましたよ、精進している努力者だと手のひらを返したように良く言うものだから呆れかえったのを覚えている。良くも悪くも言い返しても一文の得にもならないため彼は黙って、ただ聞き流し、無視し続けていた。そうすれば彼を利用しようとするモノたちや蔑みに来たモノたちがいつものごとく言いたいことだけ言って去っていくとおもったからだ。

 しかし今回ばかりは、口だけでは無かった。ほぼ実力行使と言っていいだろう。
 彼はただひとつ、軍用で使用されているボストンバックを手渡され大湊から南下してきたタンカー船に押し込まれたのである。
 そこで出会ったのが艦娘たちだ。新聞やテレビではたまに見ていたが本人たちと数日間ではあるものの、タンカー内で生活を共にするなど考えもしていなかった。




 そして迎えた運命の、日。
 彼が赴任した異国の地は。日本と全く違う風土を持つ島だった。頭上を照らすのは、金糸を放っているような太陽だ。ただそこに在るだけで汗が吹き出てくる。日本の夏とはまた違った熱さだった。
 彼は元来、そんなに体がよろしくない。従兄弟と比べるべくもないが、高温多湿の気候は苦手であった。汗が背を流れる。国に対する絶望と失望で気が遠くなってゆく。いっそのこと死ぬことが出来たなら楽なのに、そしてこれが夢だったらどんなに幸せなことだったかと。


 彼はゆっくりとまぶたを開く。横たわっていたのは木のカウチベッドだ。風通しの良い涼しい木陰に置かれたそれに、心地よいようにと幾種ものクッションが所狭しと置かれている。疲労がたまるとすぐに倒れる彼のため、艦娘たちが島に残された材料で作り出した傑作である。寝やすいように揃えられたクッション群はなぜか彼だけが使っている。その中で彼は、埋もれているのを自覚しながら目を覚ました。最初の頃は不意に意識を失うことが多々あったが、最近はどちらかというと暑さにやられてというよりも、体力が尽きる前を見計らって午睡のためにお姫様抱っこで陸奥に連れて来られる率が高くなっているような気がする。しかも目覚めるさいは潜水艦たちがそっと置きなおした柔らかさが違うクッションに埋もれていることも多々あった。

 彼は手を伸ばし背もたれを探し出すと上半身をゆっくりと持ち上げる。



 すれば艦娘がひとり、様子を伺おうとしたのか膝立ちになったままの姿でおろおろと彼の側でうろたえていた。手には固く絞った麻の手拭と木のコップが握られている。その向こうでは手旗信号で提督である彼が起きたことを知らせるらしい、暗号が送られていた。静かであった小さな南の島の、トラック泊地に喧騒が戻ってくる。

「ああ、ありがとう。だいぶ、眠ってしまったみたいだ」

 彼は起き上がりそっとその、挙動不審なままである艦娘の額に手を伸ばし、汗で張り付いた髪を払えばなぜか顔を真っ赤にして頬を膨らませ視線をどこかへ向けた。彼は笑む。どうやらいつものごとく恥ずかしくて視線を合わせられなくなったようだ。
 静かな太陽のある時間が終わり、あわただしい闇の時間が始まる。この泊地での哨戒任務は主に夜に行われる。この辺りにある深海棲艦が現れる大きなゲートは太陽が出ている間は閉じ、夜に活性化するというきわめて限定的な穴であった。そのためこの泊地に赴任しているものたちはほぼ夜型となっている。

 彼は最初、ひとりきり、いや、ふたりきりであったこの泊地をおもいかえす。初日もそうだ、目の前にいる艦娘に助けられたのであった。


 あの日、紫と青に彩られ、熱と湿気が支配していた島々に少しだけ清涼な空気が流れ始める時間になるまで彼は動けなかった。共に赴任した艦娘はいない。たったひとりでこの泊地に降り立ったはずがいつの間にか側にパラソルが立てられた安楽椅子に座らされていたのである。目覚めた彼の目に映った、見上げる空が故郷とは違った。きめの細かい粉雪のような宇宙に密集してある星に喉仏が動いた。
 人間はたったひとりきり。
 ではいったい誰が助けてくれたのであろうか。その疑問はすぐに解決した。
 ランタンを持った少女が彼の前に現れたのである。もちろん彼は数秒の沈黙のあと絶叫した。銀の、星のきらめきのような髪に見とれたのもつかの間、心の底から、今まで生きてきた思い出せる限りの生の中で最も大きな声を出したであろうとおもわれる。

 だが彼女は首をかしげそこに居た。言葉を話さない、話せないと知ったのは翌日である。そして彼女が艦娘だと知ったのも、翌朝であった。艦娘が装備している艤装を身につけていなかったのだ。
 当初は肝を冷やした。闇が体の芯を冷やしてゆく、という貴重な経験をしたと今では思うが当時は生きた心地がしなかったのも確かだ。

 彼女が手を差し出し、どうすべきかと渋る彼にふと触れた、その温かさに彼は奥歯をかみ締めたのを覚えている。
 銀糸の髪を持つ乙女がランタンを手に微笑んでいた。案内されたのは浜辺からかなり奥に進んだ場所にある一軒家であった。作りは木造で現地の建築様式なのか風通しが良いように床が高く作られている。周囲には光源が多数あった。彼女はランタンを持たぬ手でくいくいと彼の手のひらを引く。その後のことはあまり語りたくは無い。精神的な疲労も祟ったのか、数日間、寝たきりの状態になったのである。熱にうなされながら、民間人が南の、トラック諸島の島に放り込まれなにをしろというのだ。花を活けるしか能がない己に、なにをしろと。などと夢うつつにうなっていたのだろう。

 数日後、彼が目を覚ませばぽたり、と額に乗せられていた温くなった手ぬぐいが床の上に落ちた。見知らぬ部屋と見知らぬ天井。人の住む家にしては簡素すぎた。農具を収める納屋のほうがまだ荷物が置かれているだろう。ガラスがはめられていない窓からは青い空が見えている。何度もしぼりなおしてくれているのだろう。ちいさなバケツが側にあった。何も無い部屋だ。ベッドがひとつと、小さな椅子がひとつ。そばには小さなテーブルがありその上にはこの島に咲く花が透明のコップに一輪挿されている。コップを重石としてその下には綺麗な文字で簡素に挨拶と用件がつづられていた。それを見、彼はいつの間に介抱されていたのだと知る。



 彼はふと、艦娘の顔を覗き込んだ。
 あれから幾週がすぎ、なんとか彼も提督業に慣れてきたような気もしないことはない。
 彼の艦娘として、この島で待っていた|叢雲《むらくも》と筆談をしながらなんとか意思疎通が出来るようになっている。

 「提督さーん、ショートランドからお手紙きたっぽい。起き上がれる?」

 そして彼を助けてくれる仲間たちも増えた。人間ではない、というのが彼にとっては重要であった。人間は機械の中からは生まれてこない。されど彼は艦娘たちが化け物だとはおもわなかった。人の形をしているが、人よりも上手く絶妙な距離感を保ってくれるからだ。どちらかといえば犬猫のような気がする。追い立てるようにこの島に来たため人間不信気味になっている彼には、彼女たち艦娘たちが、感じ取ってくれる一歩引いた関係がとても心地よかった。たまに接近しすぎなときもあるが、彼女たちのおかげで嫌悪感を抱かずにいられる。

 また同じ民間出身者という肩書きをもつショートランド提督も彼の後押しをしてくれる存在である。直接会ったことはないが、彼がこの島で暮らし始めて1週間ばかりがすぎた頃、引き返してきたタンカーには国防軍の工兵が乗っていた。そして彼らは上司提督の命令に従い多くの資源と食料を持ってきてくれたのだ。数日ではあるが無人にとなったこの島は、深海棲艦たちによって破壊活動が行われていたのである。彼らは必要不可欠な施設にテコ入れし、駆逐艦や軽空母たちが主ではあったが一時的ではあるもののトラックに留まり哨戒をしてくれるという。国防軍の工兵たちは重巡級の艦娘たちに抱きかかえられて二日後に帰っていった。なんでも北大西洋の海は人が渡るにはかなり危険な海域で、艦娘たちであれば3Mを越える波がうねっても軽くかわせるが人間だけだとのまれて海底に一直線なのだという。だから抱っこが一番安全なのだとか。本土の、彼をこの島に送り込んだ役人たちは信用ならない。なんの知識もない彼を送り込んだ意図すら検討つかないのである。死ねといわれているようなものだとおもった。しかし人間である以上、彼もまた生への執着がある。死ねたら楽だと思いながら死にたくないのだ。矛盾しているがそれが彼の正直な気持ちだった。
 頼りたくないとはいえ本土からの物資が届かなければ生きて行けないのも確かだ。営業職であったというショートランドの提督は、親身になって上手く本土から物資を融通してもらう方法をいろいろと教えてくれたのである。それぞれの泊地が遠方なうえ、移動手段が限られているため顔を直接合わせるのは難しいが、潜水艦を配達人とする手紙であればなんとか届く距離にある。大湊に大至急、増援も頼んだのでそれまでなんとか、初期艦の叢雲と耐えてくれと。希望的観測はなかった。だから信用してもいいと感じたのもたしかだ。

 彼はこの島で生きていくのだろう。
 きっと死ぬまでこの地に縫い付けられる。彼はなにかのゲームのプレイヤーなってしまったのかもしれない。何度も何度も裏切られてきた。人間など信用できなくなっている。ならば人間ではない、彼女らともども海の底に沈むほうが幸せなのかとも彼はおもうのだ。ここトラック諸島には艦娘として生まれる彼女らの本体が、多くの船体が静かに眠っていると聞いた。彼自身もそこに行くのがよいのかもしれない。
 物言わぬ花は形を変えて、彼の側に寄り添ってくれるのだときっとあの日、彼が熱を出して倒れた日に、彼は人ではないとうわさされていた彼女に心を奪われたのだろう。

 喉を潰され言葉を話せない彼女と、なんの軍事知識をも持たない華道の先生でしかない彼は。
 神話にある楽園から追い出されたアダムとイブのようにこの地でなにもわからないまま手探りで時を過ごすことになる。

 息をするのも苦しく、血反吐を吐くほうが楽だと知るまでのカウントダウンが、すでに始まっているとも知らず。
 





△▽△▽△▽△▽△▽△▽


 二月某日。
 粉雪が舞う首都東京にて本土内にある、九つある鎮守府と泊地に着任する提督が召喚された作戦会議が催されていた。本来ならば各地に散らばるすべての提督が集うはずの年に一度しかない大規模会議であったのだが、年末年始にかけ落とされたラバウルに赴任した少数とその幇助(ほうじょ)を厳命されているブイン、ショートランド提督からは連名で辞退の書簡が届けられていた。民間人を赴任させたばかりのトラックは言うもがなである。こちらからは全くと言っていいほど報告書が上がってこないが、まだ、元帥である彼女にとっては許容範囲内といったところだった。

 彼ら国家公務員のおもうまま、したいがままに采配を振るえばよい。
 ただし、その結果次第では彼らに責任をしっかりと取ってもらう事態になるが果たしてそこまで認識できているのか、はなはだ疑問であった。
 本土から離れた西大西洋の小島(トラック)やフィリピンのさらに西南にあるラバウルなど、地名を聞いたとていったいどこにあるのか答えられる日本人は少ないと言い切れる。深海棲艦による侵略が起こるまでは、観光地として知りうる者もいただろう。だが今、本土に住まう者たちからすれば、かの地らは異国も異国、自らには全く関係のない遠いどこかであり、何が起こっても全く自分には関係ないと考えている節がある。重要な拠点ではあるが空っぽになったトラック泊地およびラバウル基地に現在、利用価値はない。などと馬鹿げた嘲笑を繰り返すのは、第三者に多大なる代償を支払わせながらも己の咎とせず、ぬるま湯につかり続けられる愚鈍であるからであろう。体裁を繕うためだけに送られた人物、政治的でありかつ軍事戦略的に重要だとうそぶいて送られた民間人はさぞ、苦渋を舐めることになるに違いない。
 さらにここ最近、国という組織に所属する役人たちは人間を使って賭けを大々的に始めた。どれだけ送り出しても居つくことなく、役目を果たすことなく尻尾を巻いて戻ってくる期間や殉職した報がいつ届くのか、という質の悪いものである。聞くのも馬鹿らしいほどの巨額が動く、今回の賭け先はトラック泊地の民間人が本土に逃げ帰ってくるまでの期間であった。

 ------好きにすればいい。
 彼女が望む未来に到達できるのであれば、多少のオイタも目をつむろう。

 態のよい島流しとされたふたりにとっては不運ではあるが、いや、それは各々の主観によるためあながち、不幸ではないかもしれない。
 だから、というわけではないが海外の基地、泊地の提督たちには特例として今回だけは会議参加の免除と通告を元帥の名で返送していた。特に南方にあるブルネイ基地を基点としたタウイタウイとリンガ泊地では、連日長時間にわたりゲートが開きかなりの激戦になっているという報告が上がってきていたためだ。臨戦態勢時に指導者が離れると命令の齟齬が出ないとは限らない。よって三ヵ月に一度開かれている本土に所在する基地の提督が集まる定例会議と同じ面々となってしまっているが、それはいたし方のない事情であると元帥は|慨嘆《がいたん》した数名を切って捨てた。

 議題は補正予算の設定および資材、遊兵艦派遣のやりとりである。指揮権の有無や派遣期間の確認などが行われるはずだったが、参加人数の半減で有耶無耶となっている雰囲気は否めなかった。

 だが呉提督の一言により、佐世保提督との討論が過激になってゆく。
 いわく、東方ハワイ島周辺海域から頻繁に本土海域周辺へ深海棲艦の偵察隊および襲撃が行われている。現在国内三ヵ所ある基地で本土防衛を定期的交代で行われているが、主たるゲートの位置を把握しているのであろうか。対処療法としてただ殲滅し情報収集を怠っているのではないかと皮肉を混ぜながら呉が嗤った。
 対して佐世保はその嘲笑を更なる嘲(あざけ)りで応酬する。把握していないわけがない。そもそも呉はラバウルがなぜ攻め入られたのかその状況を把握しているのか。少し考えればわかるものだが。これまでの海戦はすべて史実をなぞってきている。歴史を学んでいるならば、どの道程を歩んでいるのかわかろうものだ。情報を集め精査し、すべて元帥閣下に報告済みである。わかっていないのは呉ではないか。

 きたる海戦の名は、一九四二年に開かれたアリューシャンおよびミッドウェイである。

 そう自信満々に佐世保が宣言した。
 国内にある泊地に赴任する提督の幾人かの椅子が鳴る。基地とは違い国内の泊地は航空基地の色合いが濃い。課せられた任務も基地とは比べようもなく軽いものだ。もし彼らが海外の泊地に赴任したならばその日のうちに音を上げるだろう。担う任務内容があまりにも違うのだ。  

 彼らは膿だ。前線に程近い場所にいるはずの彼らでこれだ。
 艦娘をただの兵器として使っている。よいだろう。彼らにとって代えのきく、いつでも補充できる銃弾と変わらない。使い方は提督の役職につた者に一任している。艦娘ひとりを生成するにあたり、どれくらいの金銭が使われているかなど知ったことではない。彼らはただ、ただ人間社会でのみ通用する輝かしい名誉と賞賛、階級による権力を安全と安心を担保された椅子に座って欲している。いつなんどき深海棲艦による大規模侵略が行われてもおかしくはないのに、だ。

 彼ら膿もある意味、代えの聞く日用品と変わらないことを理解してはいない。国の安全を担保する側に立つ軍人であってもこの体たらくである。一度滅びを経験したほうが彼らにとっては良い薬になる、とおもいはすれ元帥にはこの国を守らねばならない理由がある。遠い昔に約束を交わした、ただそれだけのために意思を継いでここにいるのだ。

 
 馬鹿とはさみは使いようなのである。
 右と左の陣取りゲームを、彼女は対岸の火事視するのだ。


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