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[3907] 然もないと
Name: さもない◆8608f9fe ID:94a36a62
Date: 2010/05/22 20:06
「…………ねこ?」

「にゃ?」

ぺしぺしと頬を叩かれるているのを感じ、ゆっくりと目を開ける。
ぼやけた輪郭が少しの間を置いて形となっていき、はっきりした像を結ぶ頃には眼鏡をかけたちっさな猫が眼前に出来上がった。
反射しての行動で身を起こしてみれば、視界に広がるのは海と砂浜。

あれぇと首を傾げる。
何で此処に居るのか分からない。昨日はミスミ様のお屋敷に泊まらせて貰った筈なのだ。何故人里離れた海岸などに?
党首LOVEの忍者に邪推されて寝てる間に運ばれたのだろうか? あいつ時々バカだよな。

「にゃあ?」

「……ユクレスの子かな? でも、何でこんな所に……」

此処は、あの浜辺だよな? この島に最初に流れ着いた時の。
鬼子君と妖精ちゃんとワンちゃんならともかく、他の召喚獣達此処に来るの?
軽い思考と両立してじーとねこ見詰めるが、にゃーにゃー鳴くだけで意思疎通出来そうもない。

しょうがないと溜息をつき、ねこ掴んで立ち上がる。
「にゃにゃっ!?」とか鳴き声を上げるが無視。放っておくとはぐれにボコボコにされそうだし。
取り合えず、あの日焼け忍者どうしてやろうかなー、と集落の方向へ足を向けると



ゼリーが一杯。



「ええぇ?」

一、二、三、四、五……って数多っ!? 囲まれてるし!
朝っぱらから勘弁して欲しいとテンションが下がる。ご飯食べる前にプルプル振るえてるアレ等と遭遇するのどうなんだよ?
気分悪いよ、マリンゼリーだかうんこだか知らないけど、もう普通に無理だよ。狙い澄ましたかの様に茶褐色のヤツいるし。
死ね!!

マジであのクソ忍者どうしてくれようかと殺意が沸いたが、先決するのはこいつ等だ。
さっさと片付けようと剣に手をかけ……

「………………ない」

「キュウ?」

剣がない? ならば召喚を、と腰をまさぐるがサモナイト石もない。
武器ない? 装備が何もない? 闘えない?
………………。


クソ忍者ぁぁあああああああああああああああああああっ!!!!!


ここまでするか!? ここまでするのかっ!? てめーどんだけ党首至上主義だよ!?
くそったれ! とうんこ忍者に悪態をつき「剣」を呼ぶ。
何だってこんなレベル1の序盤相手の格下にファイナルウェポンきらなければいけないのか。
屈辱だ。めっさ屈辱だ。



「ウィル君!!」



……ん?


「貴方達の相手は私です!」


投石。可愛い外見裏腹に恐ろしい速度で石を投げまくってくる赤髪の女性。
軟体であるゼリー達でもアレは痛いのか、額にバッテン十字を浮かべ女性に攻撃の矛先を向ける。
おいおい、アナタも丸腰でしょうと冷や汗浮かべ駆け寄ろうとする。ていうか、あんなご婦人この島にいたか? 全く見覚えないんだが。
あ、でも髪の色お揃いですねー。

「っ! 誰!?」

いいお付き合い出来たらいいなーと夢物語妄想していると、何もない虚空に向かって声を上げる婦人。え……もしかして危ない人? ……気違っちゃってる人?
マジかと、うっそーと、一瞬時を止め失意のどん底に落ちかける。何だってあんなべっぴんさんが。世の中っていうのはいつだって何か間違っている。主に俺中心に。はは、泣けてきた。

って悟ってる場合じゃない。痴呆(仮)の気があるとしても、麗しの女性を放っておくことなんて出来ない。助けなければ。
目から溢れる心の汗を拭い顔を上げて、真っ直ぐ前を見据えようとしたら────




────碧輝く剣を引っ提げゼリーどもをジェノサイドする白装束。




片っ端からゼリー共をぶった切るその姿ははっきり言って目茶目茶怖い。ていうか容赦が無い。
ゼリーが叫ぼうが喚こうがその剣を顔面にブチかます。いや、何アレ?

粗方ぶった切った白装束は切り残りを一睨み。
捻り潰すぞ? そう言外に告げている鋭い眼光に当てられ、残ったゼリー共は尻尾巻いて逃げ出した。

白装束が持つ剣から光が薄れ、やがてはその姿を消す。異形の姿形が大気に溶けたかと思うと、先程の赤髪の女性の姿が現実に舞い戻った。
振り向き笑顔を見せる麗しの女性。駆け足で此方に向かってくる。
自分のもとに注がれる温かな眼差し。男ならば最高のシチュエーションの筈なのに、しかし俺は浮かれる事も出来ず頭の機能を停止していた。

ほどなく、すぐ目の前までに女性がたどり着く。
相変わらずの笑顔のまま、身を屈め自分と視線を合わせる。……身を屈め?



「怪我はない? ウィル君?」



………………。


「…………ウィル?」

「う、うん。ウィル君、ウィル・マルティーニ君。…………だ、大丈夫?」

心配そうに俺の顔を見詰める女性。瞳が僅かな不安の色を灯す。
だが、こちとら構っている余裕がない。

始まりの浜辺? ゼリー? 赤髪? 剣? 碧? シャルトス? 抜剣者? マルティーニ?



…………………………。



「ウィ、ウィル君? やっぱりどこか「えええええええええええええええええええええええええええええええええええぇぇぇぇ!!!?!?!?」きゃあ!?」



抜剣者!? 抜剣者ぁ!? 何で!? どうして!? 何故故!? というか、シャルトス!? シャルトスですか!? 今更シャルトスですかっ!?
ていうか、マルティーニ!? 誰が!? 女性が語りかけている人物デス。ああ、俺だ。って、何ィィいいいいいいいいっ!!?


「ど、どうし「って、俺小せえええええええええええええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇ!!??」うひゃあ!?」







抜剣者レックス。
別名魔剣の主、先生、不幸の星の下に生まれてきた者、赤狸、ヘタレ、赤いの。

帝国軍軍人学校首席だったにも関わらず、部隊配属後すぐに退役。
理由は同僚の女傑の襲撃に耐えられなくなったから。

帰郷の際、大富豪マルティーニ氏の危機(退役に追い込まれた腹いせに投げた石が偶然マルティーニ氏の後頭部に着弾、慌てて周囲の人間Aを装い治療)を救い、命の恩人だと感謝される。
元帝国軍人首席と口を滑らせ、嫡子の家庭教師になってくれないかと頼まれる。給料が良かったため二つ返事でOK。
後にレックスはこう語る。「あれがそもそもの間違いだった」と。

生徒アリーゼ・マルティーニと共に工船都市パスティスへ向かう途中海賊の襲撃と嵐に合い海に投げ出される。
決して波にさらわれた生徒を助けようとしたためではない。勝手に落ちた。

奇跡的な生命力で島まで漂流。同じく流れ着いた生徒と合流。その際に碧の賢帝シャルトスの担い手になる。
「マジこの剣ウザイんだけど」とは本人談。語りかけてくる声がラスボスっぽい声だったんで気が気で無かったらしい。

そして、二つ名のとおりその不幸体質を遺憾なく発揮し島の事件に巻き込まれていく。
帝国の女傑との再会してからは胃薬は常備品となった。

島から脱出しようと何度も試みるが失敗。裏で女傑の弟の暗躍があったらしい。
それが判明した折に彼が発した言葉は「ブルートゥス、お前もか!?」だったらしい。

島の住人達に強制され戦闘に駆り出される。幾度となく抵抗を続けるがやがて逃避は不可能と判断。
決して正面からは戦おうとせず、狡い戦法を用いて島に襲来する帝国軍、無色の派閥を退ける。
渾名の内の1つ、赤狸は被害者のセルボルト家の現当主が命名。

その後仲間の尽力もあり島の脅威を全て排除した。
島の住人からは「セイバー」などと謳われるが、一連の事件が解決した後は完全無欠のニートと化した。

そして、今現在。生来の不幸は彼の安らぎを許さず。
原因は定かではないが、抜剣者レックスは始まりの場所へ出現した。





ウィル・マルティーニと成って。





「待てぇえええええええええええええええええええええええええええええええええっっ!!!!」

「にゃあー」




然もないと  1話 「始まりは突然にしてもこれはないと思う」



[3907] 2話
Name: さもない◆8608f9fe ID:94a36a62
Date: 2009/08/13 15:28
「……つまり、アティ先生が勝手に波に巻き込まれて、俺もそれの巻き添えを喰らったとそういう訳ですね?」

「違いますよっ!? 話聞いてましたか!? 逆です、逆!!」

「ははっ、先生がそんな善人な訳ないじゃないですか。大方海賊の宝を奪えないか考えていたら足を滑らせたんでしょう? みなまで言わなくても解ってますって」

「何処まで腐ってるんですか私は!? 勝手に決め付けないで下さいっ!!」

「帝国首席を退役した赤い髪の家庭教師はみんなそうなんですよ」

「初耳ですよっ!?」

「俺が決めました」

「最悪です!!」

「はは、よく言われます」

「誇らないで下さい!? ウィル君、私に恨みでもあるんですか?!」

「いえ、先生がやけに人間としてできてるんで気に食わなかっただけです」

「やっぱり最悪だっ!!?」

「ミャアー」







然もないと  2話 「陽気な漂流者も実は内面は複雑だったりする」







記憶が曖昧だと言って赤髪の女性――アティさんにこれまでの経緯を教えてもらった。
やはり俺の知っている過去の記憶と変わっていない。アティさんが俺とは180度違う人間だという事だけを除いて。

時間を遡っている。知らない人物がいる。何より俺が「俺」ではなくなっている。
ツッコミ所満載過ぎて何処からツッコミを入れればいいのか解らない。誰か説明を求む。
これまでの人生、特に後半はとんでもない事ばかり経験してきたが、今回は度が過ぎている。原因も理由も解らない。理不尽にも程がある。ファッキン。

まぁ、いいよ。どうせアレだろ? 何時の間にか変な騒動に巻き込まれたんだろう? 
ベイガーさん辺りが変な実験でもしたんだろ? 何時だって俺の意思尊重されないもんね?
もういいよ。慣れたから。納得出来ないけど諦めてるからもういいよ。世界は優しくないなからね、俺に。
エルゴの糞野郎!



「はぁ……」

「ウィ、ウィル君、大丈夫……?」

「……大丈夫だよ、アティ。俺、これからも頑張っていくから」

(ダメっぽい……)

突然聞こえた声に導かれるまま「剣」を手にし、たった1人の生徒を助け出したのがつい先程。
生徒が無事なことに良かったと安堵したのも束の間、突然叫び出し、落ち着いたかと思うと訳の解らないことを言い出す始末。
頭がおかしくなっちゃったんでしょうかとアティは身も蓋もないことを考える。港や船で接した時とは態度がまるで違う。
混乱しているのか、これが素なのか。後者だったとしたら結構キツイ。自分以外の家庭教師が次々に辞めていったのも頷ける。
どうか一時の気の迷いでありますよーに。アティは切実に願った。

「先生、この後如何するんですか?」

「えっ!? え、えーと…………と、とりあえずご飯食べましょうか? 此処に流れ着いてから何も食べてませんし」

「そうですね、分かりました」

突然呼び掛けられて驚いたが、良かった、礼儀正しいウィル君だ。
普通のウィルの態度にアティは安心した。その後勝手に1人で釣りの仕度を終え、「フィッシュ・オン!」と次々に魚を釣り上げるウィル。
やっぱり不安になった。



「じゃあ、この島に誰か居ないか確かめましょう」

「はい」

「ミャミャー!!」

「あ、先生。その鍋僕が持ちますよ」

「えっ? いいんですか?」

「はい、女性に荷物持たせる訳いきませんから」

「あ……ありがとうございます、ウィル君」

俺の行動が意外だったのか少し驚いているアティさん。少し傷付く。打算しているのは確かだが。
一応女性には優しくがポリシーだ。可愛い、綺麗な人だったら尚更。まぁ、例外もいるけどさ。女傑とか女傑とか女傑とか。胃が痛い。「アレ」のことを考えるのはよそう。

流れ着いた装備品、道具を拾い集め砂浜を後にした。
林へと進み、海岸線沿いの岩浜に抜け出る。

さて、装備を確認しよう。
確か彼女達来るしね。戦いたくないけど、アティさん1人に任せるのも気が引ける。
まぁ、ガチで戦う気なんて更々ないが。


「やっほ~~~~~~~」


ほら、来た。




「ウィル君、下がって!!」

今現在、アティさんとソノラ、スカレールが睨みを効かせ戦闘状態に入りつつある。
ねこも参戦するらしい。カッコいいなぁ、お前。

「いっくよぉ!!」

「くっ!」

ソノラの掛け声を合図に戦闘が開始される。それと同時に俺は林の中へ。
浜辺で拾ったサモナイト石に、先程の鍋を携え、音を立てず素早く林を背にしているソノラの元へと向かう。
背中がガラ空きなり。

魔法の射程距離ぎりぎりまで進み、誓約の儀式、召喚を果たす。

「来い、サモンマテリアル」

魔力が集まり召喚術特有の光が生じた。
召喚士であるアティさんは真っ先に気付き、召喚元――俺を捉え目を見開いている。
遅れながらスカーレルも気付き、慌ててソノラに警告した。

「!? ソノラ、そこから離れなさい!」

「え、え、えっ?」


だが、遅い。ソノラ──────去ねっ!!


「えぐっ!!?」


どごっと響く鈍い音。
ソノラの頭上、召喚されたサモンマテリアル──鉄アレイは無慈悲に落下し脳天に直撃。ソノラの意識を刈り取った。

やっぱ不意打ちっていい。





「ずるいーーーーーーーーっ!!! 反則だよ、あんなのっ!!」

あの後スカーレルが抵抗を続けていたが、暫くして持っている短剣を捨てた。背後でサモナイト石をちらつかせる俺が、気が気ではなかったらしい。
潔く負けを認め今に至っている。ソノラがギャーギャー騒いでいるが無視。

「ウィ、ウィル君? 召喚術使えたんですか?」

「ええ。以前の家庭教師の方に幾らか教えてもらいました」

普通に嘘八百ですが。
なるほどとこくこく頷いているアティさん。
くっ!? 天然かっ!?


ソノラようやく静まった後、ご意見番のスカーレルに気に入られ船に招待されることになった。
でも、この後も戦闘だよね。しかも相手の数滅茶苦茶多い。シャルトス使えば楽だけど……。
けど、アティさんにあの剣使わせたくないな。

アレ調子に乗って使い過ぎると、後々面倒になる。ていうか、ハイネル出てくる。一体何度アレに出くわしたことか。
「もう僕に君を救うだけの力は残されたいないんだ」と助けてやったと恩着せがましく言ってくるし、だけどその後も何度も出てくるし。その度に同じ台詞言ってね、彼。
十回目位に「いい加減にしろ」と切れられた。余裕あんならてめーがなんとかしろと言ってやった。襲い掛かってきやがった。何がしたかったんだ、奴は。

兎に角、あんな白い輩とアティさんを接触させたくない。シャルトス使おうとしたら食い止めねば。



そして、ソノラ達のアジト周辺。
記憶と一切狂いなく、はぐれ召喚獣達に襲われている。 カイルとヤード二人で奮闘しているが、何せはぐれの数が多い。
押し負けるのは時間の問題だった。

ちなみに俺はこの時アリーゼと共に逃走を選択。
瞬時に身を隠そうとしたが、アリーゼの助けなくていいんですかの上目遣いに俺の決断は陥落。
かったるいので、気が引けたがシャルトスを使用。戦闘開始1分でケリをつけた。

さて、アティさんは……って殺る気満々だし。杖もう構えてる。
そして、ソノラ達を仲間だと言い戦場に飛び込んでいくアティさん。呆気に取られていたソノラ達も再起動し、アティさんの後に続いていった。

「じゃあ俺等もいくか、ねこ」

「ニャッ!!」

そういえば、ねこの名前決めてない。




戦闘はカイル一家とアティさんに任せ、俺とねこは船へと上がる。
この体でいろいろ仕込みをするのは大変だが、ねこにも手伝ってもらいなんとか出来る。
やはり自分の体ではないというのは不便だ。筋力も距離感も違うし、何より魔力が少ない。
今の俺では最も簡易な召喚術であるサモンマテリアルさえ2、3発が限度だろう。
早急に対策を立てねば。そういえば、俺抜剣召喚出来るのか?

「……どうしても諦めてはくれないんですね?」

む、不味い。どうやらシャルトスを召喚する様である。止めねば。
抜剣召喚の体勢に入り、手を掲げるアティさん。静かに、だが膨大な魔力が集まりつつある。
確かにあれは反則だ。ガチで勝てる気がしない。


「はぁああああああ「サモンマテリアル」(ドゴッ!!)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!!?!??!!!?!!」


巨大な碇がアティさんの脳天に炸裂した。頭を抱え声にならない叫びを上げている。
カイル達がうわと顔を盛大に引き攣らせた。あれは痛い。

サモンマテリアルはランダムヒット、召喚するまで何が落ちてくるか解らない。
今回に限って一番凶悪な碇が召喚されてしまった。アティさん、幸運値低そうだな。

「すいませーん。手が滑りましたー」

「ベタベタな嘘つかないで下さい!? というか召喚術に手が滑るも何も関係ありませんっ!!!」

「よし。ねこ、着火」

「無視っ!?」

「ミャッ!!」と掛け声と共に、ねこが導火線に着火。
ジジジと小気味の好い音を立て火が導火線を伝い上っていく。大砲に。


「げっ!!?」

「あ、あの子、大砲をっ!?」

「こらぁ!! 人様の大砲勝手に使うなーーーーーっ!!」

「馬鹿なこと言ってないで逃げて下さいソノラっ!!?」

「というか、何でウィル君大砲使えるんですかーーーーーーーーっ!!?」





どっごーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん





「たまやー」

「ミャアー」















夜空に浮かぶ月をぼんやり見上げる。淡く灯る金色の光が貌へと降り注いでいた。
顔のすぐ横には丸っこい温もり。肩にねこが座っており、その小さな手に納まる本を読んでいる。
どっから取り出したんだ、それ?

大砲をブチかました後、その爆音と破壊力、ぷすぷすと焼け焦げた仲間を見て、はぐれ召喚獣達は全速力で逃げ出した。次弾を装填する準備が出来ていたのに残念だ。
あの後アティさんに涙目で怒られ、ソノラにも大砲使うなと怒られた。特にアティさんはやばかった。涙目で睨みながらずんずん此方に迫ってきた。目茶怖かった。

カイルは大笑いしながら俺に度胸があると言ってきた。どうやら気に入られたらしい。
スカーレルもヤードも好意的に接してくれた。ソノラは中々渋ってしたが、宴になると俺のことを許してくれた。
何でもみんなを助けてくれたからチャラにしてくれるとのこと。仲直り、とは違う気もするが取り合えず親しくなれて良かった。

「……これからよろしく、か」

ソノラに言われた言葉。
カイル達からすれば俺とは初見。そう言われるのは当たり前。
でも、俺は既にカイル達のことを知っていて。みな気さくでいい奴等だと解っている。

「ちょっと、キツイかな……」

仲間だった人達に、初めましてと言われるのは。
自分が知っている仲間達とは違うと解っていても、やっぱりキツイ。
誰も俺のことを知らない。一人ぼっち。本当に独り。
ああ、キツイ。

「それに……」

俺が「俺」で無くなってきている。俺という「レックス」と、この体の「ウィル」が溶け合い始めている。
「ウィル」の記憶みたいな物もぼんやりと頭に浮かんでくるし、何か全体的に性格が冷めてきている感じがする。
落ち着きがあると言えば良い事なんだろうけど、何だか俺っぽくない。そんな気がする。

しかも、「ウィル」の記憶があるって事は、「ウィル・マルティーニ」という人物は確かに居たってことだ。
それなのに、今こうして俺はウィルとして居る。

俺が「ウィル」を殺してしまったのだろうか。
確かに生きていた「ウィル」を、俺が消してしまったのだろうか。

俺は何かに巻き込まれただけ。断言出来る。
今までもそうだったし、こうなってしまった事に身に覚えはない。
けれど、やっぱ俺が「ウィル」の体を乗っ取ったっていう事実は、多分、恐らく、変わらない。動かない。
…………ヘコむ。


「世界は理不尽だ…………」






甲板。
冷たい夜風が吹き髪が流れる。そっと流れる髪を押さえながらあの子の姿を探す。

「あ……」

みんなで食べて笑い合い浮き立つ中、ウィル君だけが部屋を出て行ってしまった。
最初はお手洗いかと思って、でも中々帰って来ないので様子を見にきたのだけれど……。

月を見上げるその姿は今までの飄々とした様子は見受けられず……憂いが見て取れました。
船の出来事を思い出す。部屋を追い出された後そっと中を見れば、そこには不安を押し殺し涙を耐えるウィル君が居て。
あの時の彼と、今の彼が、そっくり重なった。


「アティ……先生?」

「……何やってるんですか、こんな所で?」

ウィル君が此方に気付いたので、私はウィル君の側まで足を運び尋ねてみる。
今も月を見上げる姿は何処もおかしくない年相応の少年に見えます。

「月を見上げながら、今後の世界情勢について考えていたんです」

…………訂正。
やっぱり変です、この子は。

「先生は何やってるんですか?」

「ウィル君が帰って来ないから、心配して見に来たんです」

「別に心配する事でもない様な気がしますけど」

「心配しますよ。ウィル君はたった一人の私の生徒なんですから」

そう言うと、ウィル君はびっくりした顔で此方を向いて目を見開いて。

…………ああ、そうか。
涙を堪える姿も。何かを憂いている姿も。それのせいだったんですか。



「寂しくなんかないですよ。私は、ちゃんとウィル君のこと、見てます」



「ソノラ達もいます。ウィル君は、一人じゃないです」

「…………そうですか」

「そうです」

「…………ども」

「いえいえ」


また月へ視線を戻す見ウィル君。
その横顔はさっきと同じように見えるけど。

でも今は、笑っています。

少し、ウィル君に近づけたと、そう思いました。
二人で見上げる月は、とても綺麗です。


「ミャミャ」

失礼。二人と、一匹です。



[3907] 3話
Name: さもない◆8608f9fe ID:94a36a62
Date: 2009/01/30 21:51
「授業、ですか?」

「はい。こんなことになっちゃいましたけど、ちゃんと勉強はやっておいた方がいいと思うんです」

ヤードさんのおかげで教科書も準備出来ましたし、と本を差し出される。
マルティーニの家は嫡子を士官学校に進学させる為に家庭教師を雇っていた。「レックス」もそうだった様にアティさんも勉強を教え込まなければいけない立場にある。
嫡子である「ウィル」は当然それを受けなければいけないのだが……元軍属だった「俺」が教わる事は何もない訳で。
しかも軍に行く気なんて更々ない。この先「俺」がどうなるかは解らないが、軍に行くよりこの島で暮らし続ける方がずっと魅力的だ。授業を受ける意味はほとんどない。あんま乗り気になれない、が

「頑張りましょう、ウィル君!」

多分、アティさんは昨日の言った事を守ろうとしている。俺に寂しい思いをさせないように、不安にさせないようにしてくれている。
………断れん。俺の為にやってくれるのだ、無下には出来ない。まぁ、美人の善意を無駄にするなんてどうかしている。此処は素直に受け入れよう。



「頑張らせて貰います」

「はい! では、早速始めましょう! 今日はまず武器について…」

「主に武器は三種類に分けられる。近距離武器、遠距離武器、間接武器。剣斧刀等が近距離、投具弓銃が遠距離、槍が間接とそれぞれに属される。各々の武器の間合いを取るのが何よりも重要であり、正面からではなく側面背後から攻撃するのが基本。対象より上段からの攻撃はより有効な損害を見込める。以上。終わり。お仕舞い」

「いきなり出端を挫かないで下さい!!?」






然もないと  3話 「はぐれもの達の島にて暴れる」






「フィッシュ・オンッッッ!!!」

竿が引かれるのと同時に一気に獲物を吊り上げる。
長い年月積み重ねたこの技術、雑魚共に遅れを取るなど有り得ない! 瞬殺である!!

「うっひゃ~~~。すっごい大漁。ていうか、釣れ過ぎ……」

「ミャミャミャ~~~!!!」

以前と同じように倉庫に置いてあった釣具を見付け、ソノラに先程釣りの許可を得た。
今から釣りへ行くと言ったら、自分も行くとソノラが着いてきて今に至る。


「ウィルー、もういいんじゃない? こんなに持って帰っても食べ切れないし、とっておくのに捌くのも手間かかるし」

「もーちょい待って」

「もう、しょうがないなー」

まだ、来てないのだよ。本命が。

「にしても、ウィルって器用だよね。釣りが上手くて、召喚術出来て、大砲も撃っちゃうし。何でそんな色々出来んの?」

やれと強制されたから。召喚術に限っては死活問題だったから。
やばい、思いだしたら涙が。

「此処に来る前、物好きな人達に教えてもらったんだ」

「ふ~~ん。ま、でも大砲に関してはまだまだ甘いね! 教えた人がなってないよ、うん!」

貴方です。

「今度私が教えて上げるよ! もっとこう派手にドーンってさ!」

「機会があれば……って、キタッ!!!」

「ミャミャ!?」

この竿のしなり具合―――間違いねぇ! 待った甲斐があった!!

「だらしゃーーーーーっ!!!!」

「ミャァーーーーッ!!!!」

「おおっ!!?」

渾身の力で引っ張り上げた獲物は海から飛び出し宙を舞い、放物線を描き岩浜に打ち揚げられた。

「おーーー…………って、宝箱?」

「ニャ?」

トレジャーです。

「如何して釣りで宝箱が釣れるのよ……」

「気にしたら負けだ。それよりも中身は…………って、オイ!!」

「うわ!? 何、何!?」

「サモナイト石……」

あれだけ粘ってこの仕打ちかっ!? やはり世界に嫌われているとしか思えない……!! エルゴ、てめーっ!!

「で、でも、良かったじゃん。儲けただけでも。それに綺麗だよ、これ?」

「……釣りでサモナイト石儲けてもなぁ」

大陸の方は手に入り憎い地域は確かにある。あっちの方では希少とも言えるかもしれない。
だが、この島に関してはサモナイト石は余りある程溢れている。サモナイト石に困る事は有り得ないのだ。テンション下がる……。

「……じゃあさ、これ上げるから、ウィルの釣り上げたソレちょうだい」

「え?」

ソノラが差し出したのは布で作られた水色の袋。口が紐で括られている。

「これって………」

「水夫のお守り、って言ってね。まぁ、そのまんまでお守りだよ。海に出る人だけしか効かないかもしれないけど」

「でも、これ……大事な物なんじゃあ」

「そうなんだけどね。でも、ウィルや先生が居なかったらあたしたち危なかったからさ、それのお礼」

「……僕じゃなくて、先生に渡した方が…」

「先生も同じこと言ってた。『ウィル君に渡して上げてください』だってさ」

「…………」

「はい!」

「ど、ども」

お守りを手渡し、ソノラは宝箱の中にあるサモナイト石を取り出す。
普段手に入る物より小さいそれは、光沢があり綺麗に菱形で形どられていた。

「ありがとう。大切にするよ!」

「う、うん……」

笑顔でそう言ったソノラはサモナイト石を大事にしまい、元来た道を歩いていく。
俺は手の中にある水夫のお守りをじっと見詰めた。


『昼間のお礼だよ。先生が居なかったら、きっとあたしたち大変だったから』


「レックス」だった時。
同じように「ソノラ」からこれと同じモノを貰った。同じ、ように。

……嬉しい。でも、やっぱ寂しい。
何も知らない今の状態。それで如何にかなる訳なんてないけど。
「みんな」に会いたい。そう思った。


「ウィル~~~~~! 置いてくよーーーー!!」


……ソノラが呼んでる。行こう。



「ていうか、何か持ってけよ……」

「ミャ~~~」

釣具と、大漁の魚、中身のない宝箱が散乱していた。








「じゃあ、ヤードさんの言う右上の青い灯りで……」

現在。アティさんと俺、カイル一家の全員が集まって島探索の作戦会議が開かれている。
この島を脱出(出来ないけどね)する為にも壊れた船を修復しなければいけない。そうなると必要なのは木材に専門的な知識と人手。
カイル一家が見たという島の中央を取り巻く四つの光からこの島に人が住んでいる可能性は高いと踏み、光の灯っていた場所に行ってみようという訳である。
しかしアティさん、よりによってソコを選んでしまったか……。将来はベイガーさんの実験三昧だね。南無。

さて、俺も『報復』する為の準備を……

「じゃあ、ウィル君は此処に残って下さい」

…………なぬ!?

「せ、先生!僕も「心配しないで下さい、ウィル君。ちゃんと帰ってきますから」……」

な、何てことだ。こんな展開になるなんて……。そんないい笑顔で「いってきます」だなんて、絶対帰ってきてねと送り出すしかないじゃないか。
「レックス」の時は留守番すると言ったにも関わらず強制的に連れ出されたのに、今はこうして危ないから留守番していろだなんて……!!

これでは『報復』がっ!?
畜生、いつだって世界は俺が望まない方向へ誘導していく! もはや常備発動型の特殊スキルが備わっているとしか思えない! もしくはエルゴ! どちらにしたって最悪だっ!!

「行ったわね。じゃあ、ウィルはこれから如何する?あたしは船の整備するけど」

「………部屋で勉強してます」

「解ったわ。何かあったら呼んで頂戴」

同じく留守番することになったスカーレルに返事をして船長室を出ていく。
この気を逃したら間違いなく『報復』は長い間お預けとなる。ダメだ、そんなのは許容出来ない。この激情を抑えておくなんて俺には出来ない。この先、気が納まることなんて決して訪れないっ!!

行くしかない。部屋へ戻り窓から脱出、アティさん達に見つからない様にし、速やかにミッションを達成して此処に戻ってくる。……ウィル、上手くやれよ。

「……逝くぞ、ねこ」

「ミャッ!!」


アティさん、そして召喚獣達に見つからないように、木が生い茂る森の中を進む。物音一つ立てない様に、細心の注意を払って。
速度も大事だが、何よりも大事なのは隠密性。まだこの島の住人達に認めらていない今、下手に刺激し警戒心を持たせるとこの先の交流に支障をきたすかもしれない。

誰にも見られることなく、気付かれることなく、任務を遂行しなければならない。
………段ボールがぜひ欲しい。











風雷の里、雨情の小道。
鬼妖界シルターンの召喚獣が住む集落、その場所において。風雷の里の護人キュウマは一人そこにいた。

先程伝えられた護人の召集。内容はアルディラが接触した人間達の処置を決めるというもの。話し合いが行なわれる集いの泉へ向かおうと屋敷を出てこの場所で差し掛かった所で、キュウマは動きを止めていた。
いや、動けずにいた。

(……殺気!!)

静かな、だが明確な殺気がキュウマの身に叩きつけられていた。
キュウマは辺りに視線を走らせるが、刺客の影は見当たらない。長々とした竹林が風でザァザァと鳴るだけで物音一つさえしなかった。

冷や汗がキュウマの頬を伝う。キュウマは鬼の忍。自分ではまだ未熟と謙遜はしているが、その腕は本物でありこの島の誰よりも気配の察知、隠密行動には優れている。
そのキュウマが殺気を感じ取っているにも関わらず相手の位置を特定出来ない。何よりこの状況に陥るまで異常―――自分以外の存在、前触れさえにも全く気付かなかったという事実。

信じられない。
キュウマの内でその思いが占められる。自分と同等、もしくはそれ以上の手練。それが今こうして自分のすぐ近くにいる。
明らかな窮地にキュウマは足を止めざるを得なかった。


静寂の一時。風が止み、竹の擦り合う音もしなくなる。
沈黙がその場を支配すると思われた、その時!

「!! はっ!」

頭上の脅威をキュウマは瞬時に知覚。横に飛び空中で身動きがとれないソレに苦無を投擲する。

「っ!? 鍋!!?」

だが、それは刺客その者ではなく囮。
キュウマの意識をそれに向けさせるデコイに過ぎない。本命は、今キュウマに高速で迫っているその凶弾!

「ぬおっ!!」

回避は不可能と思われたそれを、キュウマは身を捻り寸でのところで往なす。
先を常に読む忍は、その危機回避能力によって一命をとりとめた。

「そこかっ!!」

凶弾が放たれた方向から刺客の位置を断定。竹林の一角にキュウマは駆ける。
が、


「ぬおおっ!!?」


落とし穴。加速したその状態で踏み抜いた穴を避けるのはキュウマといえど不可能。
叫び声と共にキュウマは落下した。

「ぐうっ!?」

ボチャンと音を立て底に落ちたキュウマは呻き声を上げる。
まさか落とし穴が準備されているとは。先程の空蝉の術といい、相手は自分と同じ忍なのではないか。このやり取りからキュウマはそう思わずにはいられなかった。

「ぬあっ!? くさっ、臭い!! こ、これは、糞っ!!?」

穴に溜まっている茶褐色の液体。異臭を撒き散らすそれは紛れも無く糞だった。

『ふんっ、これで忍とは聞いて呆れる』

「!? 何奴っ!!」

頭上。キュウマから見て落とし穴の脇。
其処に黒装束を被った得体の知れない何者かが1人佇んでいた。被っている黒装束のせいで顔から姿まで何一つ窺えず、人か召喚獣かさえも解らない。
黒装束は糞まみれのキュウマを見下ろしていた。

『貴様のようなうんこが忍を名乗るなどおこがましいわ! このうんこ忍者がっ!!!』

「う、うんこっ!?」

『うっさい、うんこ! 黙れ、うんこ! 喋るな、うんこ!』

「き、貴様ぁ!! それ以上の侮辱はおぼぼぼぼぼぼぼっ?!!」

糞の濁流がキュウマに降り注いだ。これでもかと言うくらい降り注いだ。

『もういいだろう。止めろ。……よし、仕上げだ!!』

黒装束から魔力が渦巻き、空中に巨大な碇が召喚される。
真下には落とし穴もとい糞の泉に浸っているキュウマ。穴の幅は1m程しかなく、避ける隙間は皆無。というか穴に落ちれば脱出不可能の蓋となる。

「ま、待てぇええええええええええええええええええ!!!?!!?!」


『糞に溺れて溺死しろ』


ドボン、と茶色い液体が飛沫を上げた。







「あーすきっりした」

「にゃにゃ」

『報復』は終わった。今非常に達成感に満ち溢れている。
落とし穴やら肥溜めやらの準備。誰にも気付かれない運任せの部分。リスクを犯してでも行った甲斐があったというものだ。

俺が此処に居る原因。こうなる前は「ミスミ様」のお屋敷に居た訳だから、何かしらあの「うんこ忍者」が関係しているだろうという考えに至った。
「ミスミ様」がお屋敷に呼んでくれる様になってからあの「うんこ」、あからさまに俺を目の敵にしていたしな。変な仮面かけて斬り掛かってきたこともあるし。「キエエエエッ!!」とかどんな掛け声だよ。
まぁ、兎に角「うんこ」が関わっているのは間違いない。故に『報復』。うんこにはうんこらしい末路を用意してやった。
実際「俺」の知ってる「うんこ」じゃないんだろうけど、うんこはうんこだ。呪うなら俺を追い遣った「うんこ」を呪ってくれ。

「まぁ、死にはしないだろう。集いの泉には行けないだろうけど」







「ヤ、ヤッファ殿………」

「キュウマ! てめー、どんだけ遅れてんだ!! 待ちくたびれってくっさぁぁああああああああああっ!!!?!? くっさい!! くさっ! くっせ!! くそくさっ!!?」

「し、忍に、忍に嵌められて……」

「馬鹿っ、来んな!! 俺は鼻が効くんだっ! 殺す気かっ!!?」

「し、しかし、忍が、現れた、のです。相当の、手練です。今すぐみなで、討ちにいかなけ、れば……」

「来んなっ! 来んなっ、うんこ!! くせぇって言ってんだろっ!!? おえっ、くっさっ!!」

「そ、そこまで言わなくとも……」

「言うに決まってるだろっ!! てめーはくせぇっー! ゲロ以下のにおいがプンプンするぜッーーーーーーーー!!!!」



「?? どうしたんですか、アルディラさん? 何か騒がしいみたいですけど」

「な、何でもないわ。も、もう少し待って頂戴……」

「はぁ」

(代表がフンまみれで現れたなんて言えない……)













「――という訳なんです」

「なるほど……」

今アティさんに、この島が人が召喚したはぐれ達が放置されたままの実験場だと説明を受けた。
まぁ、知ってるんですけどね。

あの時はもう既に嫌な予感がしてたんだよな。呼ばれたのではないかとか聞かれたし。絶対何か厄介事に巻き込まれるから、護人の言うとおり不干渉決め込もうとしたのに帝国軍出てくるし。「カイル」に引っ張られてて奴等の姿見た瞬間、胃がギシって鳴ったね。「アレ」が居る筈がないと言い聞かせながら剣振った覚えがある。すぐに願いはブチ壊しにされたけど。


「アレ」のことを考えたせいかまた胃が痛み出してきた。そして、それと同時に森の方角から爆発音。
噂をすればなんとやらという奴か。帝国軍が現れた様である。……いるよね、アレ。
今回は運良く、てことないだろうし。ていうか、アレ死なないような気がする……。

「ウィル君は此処に居て下さい!」

「ちょい待って、先生」

「あぐうっ!?」

駆け出そうとするアティさんを止める為にマントを掴む。アティさんの首が絞まり変な呻き声が上がった。
前々から思ってたけど、アティさんのこの2つに分かれた後ろのクセっ毛って変わってると思う。

「何するんですかウィル君!? 殺す気ですかっ!!?」

「そんなんで先生が死ぬ筈ないじゃないですか」

「断言しないで下さい?!」

「今更のような気がしますけど、そんなことより―――」

態度を改め真剣な顔でアティさんを見詰める。俺のその様子に、アティさんは身を強張らせた。

「―――先生。あの『剣』、絶対使わないでください」

「えっ…………」

アティさんが目を見開く。恐らく、非常時には使うつもりであったのだろう。
「剣」がヤバイのはなんとなくは解ってはいるが、それでも周りの人達を守る為だったらアティさんは「剣」を抜く。自分より、他人を守ろうとする。そういう人だ。なんとなくそれが解ってしまった。
まぁ、俺の正反対の人だからという根拠もあるが。ちなみに俺は楽したい、怪我したくないなど、自己中心的に「剣」を使いまくった。

「約束してください」

「……ど、どうしてですか?」

ハイネル出てくるからです、なんて言っても納得してくれないだろうしな。ていうか意味解んねぇよそれじゃあ。
……ふむ。じゃあ、適当に。

「それは……」

「それは……?」


「あの「剣」使った時の先生が、滅茶苦茶怖かったからです」


「…………………はい?」

「怖かったんです。滅茶苦茶」

「…………そ、そんな理由で」

「もし、あの時のメルギトスみたいな顔で「剣」振り回してたら、此処の召喚獣達きっとびびって先生や僕達に近付こうとしませんよ? ひょっとしたら、攻撃仕掛けてくるかもしれません。仲良くなるならない以前の問題です」

「……え、ええっ!!? う、嘘っ!? そ、そんな!!?」

「ええ、ていうかメルギトスなんて取るに足りませんよ。はぐれ達を斬り掛かる姿を鬼畜にしか見えませんでした。いえ、ホントに。僕は先生のあの気に当てられて一時自分を見失いましたし」

「うっ……!!」

あの時の俺のいきなり叫び出した姿を思い出したのだろう。アティさんは泣きそうな顔で言葉に詰まっている。
まぁ、あれは俺が勝手に混乱してただけだが。でも、それ以外は割と事実。誇張してるけど。

「召喚獣に協力して貰わなきゃいけないんですから、アレは自重した方がいいですよ。いや、ていうかホント自重して下さいお願いします」

切実(しているよう)に頭を下げる。

「…………わ、解りました……使い、ません」

フラフラと爆発のあった方向に歩き出すアティさん。アレたどり着けるのか非常に不安になる。
暫く進んだ所でぴたっと立ち止まり、泣きそうな、いや半分泣きながら振り返った。

「そ、そんなに怖かったですか……?」

否定して欲しいと懇願するように尋ねてくるアティさん。縋る思いで聞いているのが見て取れる。
それを見て俺は、



笑顔でサムズアップした。



「…………う……うう…う、う……う~~~~~~~~~~~~~!!!!」

溢れる涙撒き散らしアティさんは森へ駆け抜けていった。ピョンピョン跳ねるクセっ毛が素敵です。


さて、どうするかな。俺が行かなくたってきっと片付けられるだろうし。アティさん「剣」使わないだろうし。いや、使えないだろうし。
戦いは嫌いだ。好き好んで怪我などしたくない。もう今回の戦闘は心配事ないのだから、みんなの帰りを待っているとしよう。うむ、それがいい。


『先生が居なかったら、きっとあたしたち大変だったから』


……怪我をするだろうことが解ってて、見過ごす。解ってる癖に行かない。出来る事があるのに何もしない。
…………どうなのよ、それは? 「俺」の知ってる「みんな」ではないけど、それでもみんなはみんなで。頑張ってきた、頑張っていく仲間達で。大切な、人達で。
らしくない。心配などらしくない。「ウィル」と混ざったからだろうか。それとも、彼女の姿に感化されたからだろうか。兎に角、俺らしくない。

此処に来る前だったら気にもしなかったの。いや普通に、「みんな」クソ強いし。逃げても隠れても連行されるし。無理矢理戦わされてたし。
此処では誰も俺に戦えとは言わない。待っていて、とそう言ってくれる。戦わずに済むのだから御の字の筈なんだけど。何故か喜べない。落ち着かない。

………もしかして、俺Mなのか? そうなのか? そうだったりしちゃうのかっ!?
嫌だっ! 真性の変態は嫌だっ!! 構ってくれないと死んじゃう小動物なんて嫌ーっ!!!

もしかしてアレの襲撃も実は喜んでたりしたしたのかっ!? マジかっ!? 本当にっ!?
いやそれはない。あの胃痛は本物だった。



「……あー、もういいよ、Mでも何でも」

駆け出す。剣と剣、光と光が打ち合わされている戦場へと。

アリーゼ。ただの変態なのかもしれないけど、君の言ったとおり、自分の意志で戦ってみるよ。











『オオオオオオオオオッッッ!!!!』

放たれる矢、銃弾、召喚術。それら全てを白銀の鎧が受け止める。
2mを有に越す巨体。人1人が持つやっとの大剣を軽々と片手に持つ冥界の騎士。
狭間の領域の護人ファルゼンは咆哮を上げ、人間――帝国軍の一斉射撃を耐え凌いでいた。

本来の彼ならばそれらを往なし防ぎ、攻勢に出るのは造作もない。だが、それをせずあえて全てを受け止める。
原因、理由は、彼の後ろにいる召喚獣。繰り出される攻撃の音に、威力に、怯え蹲っていた。
今自分が離れれば、後ろに控える召喚獣はこの荒れ狂う砲撃に晒されることになる。ファルゼンは自分の身を用いて盾となっていたのだ。


召喚獣達を無差別に攻撃する帝国軍達を発見したのはつい先程。その場はアルディラと人間――アティ達に退くように促され離れたのだが、アルディラ達が交戦する部隊とは別の隊に遭遇してしまった。
強制的に戦闘に入り奮闘するファルゼンだったが、例の召喚獣がこの場を逃げ遅れそれを守り続け今に至る。


『グゥウウウウウッッ!!!』

苦渋の声とも取れる音が戦場に響く。攻撃に晒され続けた鎧は全身に皹が入り、砕け損傷した箇所も少なくない。
四人からなる小隊の攻撃は衰える事を知らず、ファルゼンの体を徐々に削っていく

(このままじゃあ!!)

鎧で身を覆っている彼、いや彼女――ファリエルはこの状況に焦心する。
自分はもう既に死んでいる霊体。いくら鎧が傷付き壊れようが死ぬことはない。
だが、自分の後ろに今も震え動けずにいる召喚獣は別。この鎧が攻撃に耐えられなくなり後ろに通してしまえばこの子はどうなる? 命の保証など出来ない。

ファリエルは募っていく不安を感じながら全魔力を前面の鎧に回す。誰か助けが来るそれまで耐えなくてはいけない。
だが彼女自身が一番解っている。もう自分の鎧は限界が近い。もう幾分もしない内に完全に砕けてしまう。

(誰か!!)

助けて。心の中でファリエルはそれを望んだ。



「サモンマテリアル」



ドンッと鈍い音が森を震わせる。
「ぐおっ!?」と呻き声が上がり、身を襲っていた暴力の雨が止んだ。

(えっ?)

ファリエルは顔を上げ、前方に視線を走らせる。映るのは倒れ付す1人の兵士。残りの者達は驚愕し、視線を自分達の横に向けていた。
その視線を追えば、其処には疾走する緑の影。
1人の少年が、戦場に姿を現した。




「子供!!?」

突然の強襲。帝国兵士達は慌てて召喚元に目をやると、向かってくるのは仕立ての良い緑の服を着ているたった1人の少年。
その手に握られているのは鈍く光る灰色の鉱石―――サモナイト石。

「水夫の守り――誓約――召喚」

少年の呟きと共に無のサモナイト石が輝き、次第に形を変えてゆく。
契約の儀式。本来召喚獣との契約に用いられるそれは、特定のアイテムとサモナイト石を組み合わせる事で、武器を作り出すことも可能になる。
輝きに包まれるそれは剣を形作っていき。そして、輝きが消え少年の手元に現れたのは―――


「「「「え……」」」」


―――さびてる剣。
銘などない。さびてる。そのまんま。名前があるとすれば「さびた剣」。

片手剣に属されるその剣の威力は、もちろん底辺の最下級。攻撃力など皆無。切れるのかさえ疑わしい。ていうかまず無理。
帝国兵士も含め、ファリエルも素で言葉を洩らした。

少年以外の時が一瞬止まった。その隙を少年は見逃さず。
片手に持つその剣を振り上げ


ブン投げた。


「「「「って、ええぇーーーーーーっ!!!?」」」」

剣をブン投げる、この用途は如何に!?
更なる混乱が戦場を支配する。奇抜、というよりもはや救えない行為にしか感じられない。
速度を持って一直線に向かってくるなら兎も角、お世辞にも速いとは言えず更に放物線を描いている。

剣は少なからず重い。それをあの細身の体で投げ、飛んできているだけでも素直にすごい……が。
当たるのは別問題。帝国兵士達は何の苦もなくヒョイと避ける。何がしたいんだと兵士達が半ば呆れたところで、


異変が起こる。


「ぐっ!?」

「づっ!? ごほっ、がはっ!!?」

「う゛ぁ!? ご、ごれはっ!?」

兵士達は咽せ咳き込む。空気を吸い込んだ先から肺が激しく痛み、次には眩暈吐き気が彼らを襲った。体中に痛みが走る。
彼等の周囲は空気がくすんだ緑色に濁っている。濃緑の極小の粒が舞っていた。

(ど、毒胞子っ!?)

兵士の1人が先程投げられた剣、それが突き刺さっている異常に大きいキノコの存在に気付く。緑に染まっているそれは間違いなく、毒キノコ。

―――最初から、これを狙っていた!?

兵士に戦慄が走る。


「来い、ポワソ」

続いて響く少年の声。同じ「水夫のお守り」を契約の儀式に使い、召喚されたのは霊界の召喚獣ポワソ。
通常の召喚とは異なる「ユニット召喚」。発動した際のみしか効果がない通常召喚とは違い、召喚士が送還するか戦闘不能にならない限りその場に留まり続ける召喚術。戦闘、偵察、補助、あらゆる面で人間と同じかそれ以上の働きをする。

「杖を持った召喚士をやれ」

「ピィ!!」

召喚された帽子を被ったゴースト、ポワソはその可愛らしい外見裏腹にとんでもない速度で突撃。
今だ咳き込む帝国兵士に全身で体当たりをかます。

「があっ!!?」

渾身の体当たりを受けた兵士は豪快に吹き飛んだ。

「こ、こんのぉーー!!」

痛む体を起き上がらせ、帝国兵の一人は自らが持つ銃をポワソに向ける。

「ねこっ!」

「ミャミャーーッ!!!」

片手に持つ獣のサモナイト石を突き出し、少年は召喚魔法を発動する。
発動から一切のタイムラグなく、「ねこ」を召喚。ねこの持つ本から光が生まれ、銃を構える兵士へと肉薄する。


「召喚・星屑の欠片」


光は甲高い音と共に兵士に着弾。バキィンと光が砕ける音響が辺り一帯に広がり、兵士は声を上げる暇もなく地に倒れ伏した。

「っ!?」

「遅い」

残った兵士が弓を構えるが、それはあまりにも遅過ぎる。
少年から放たれた黒光りする鉄器―――苦無が兵士の肩に突き刺さり、直撃。

「いぐっ!!?」

「ポワソ」

そして、兵士の真下、視界に入らないそこにいる召喚獣。
合図と共に飛び上がったそれは、

「ピピィ!!」

「ぐあっ!!!?」


兵士の顎を打ち抜いた。




「………………!!!」

一瞬。一瞬だった。
無意味と思われた誓約の儀式から、全ての兵士を戦闘不能に陥れるまで。

攻撃の動作、速度が圧倒的な訳ではない。召喚術の威力が凄まじい訳ではない。
流麗。一切の無駄のない、流れるような戦闘技術。戦いに、慣れている。

静かに佇む少年を、ファリエルは言葉を失くし、見詰めていた。















何の前触れもなく、少年が振り向く。霊体である私の動揺は身を包む鎧に伝わり、その巨体が僅かに揺れた。
少年が近付いてくる。何をすればいいのか。何を言えばいいのか。目の前の光景を見て真っ白になってしまった頭は上手く動いてくれない。

そのまま何もする事も出来ず、気付いた時には彼がもう目の前に立っていた。
黒にも見える彼の深緑の瞳と、鎧越しから見詰める私の瞳が交差する。見詰め合ったのは少しの間。なのに、私にはその間がとても長い物に感じられた。

「……大丈夫?」

掛けられた声は何故か親しみが込められていて。
長年付き添った人に向けられるようなその響きに、私はひどく狼狽した。

「え……ぁっ…………」

ファルゼンではない、「私」の声が洩れる。
いけない。何をしているのか。正体を悟られてはいけないというのに。乱れる感情を押し殺し、ファルゼンで彼に応答する。

『……ナゼ、タスケタ』

………答えになっていないよ!? うぅ、まだ頭が混乱してる……。

でも、聞きたかったのは事実。
人間である彼が、どうして異形である私を助けたのか、助けてくれたのか。理由が知りたい。

私の、返答になっていない、逆に聞き返したそれに、彼は迷うことなくあっさり答えてくれた。


「助けたかったから」


たった一言。それだけだった。そんな彼の言葉にまた私は狼狽える。
でも、それと同時にその言葉がトスンと胸に落ちた。

「それに」と言葉を切って彼は私の後ろに向かう。
蹲っているメイトルパの獣に優しく声を掛け、頭を撫で怯えをなくしてあげた。落ち着いた所で「行きな」と言い、森に消える後姿を見送った。
何故か召喚獣の扱いが手慣れているように見えた。

「守ってたんでしょ、あの子。頑張ってあの子を守る姿見たら、どうしても助けたくなったんだ」

『…………ソウカ』

「うん、そう」

不思議な子だとそう思う。そして、いい人だとも。
彼を見てて、何だか嬉しくなった。



「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

って、如何しよう。会話が続かない……。
な、何か話さないと。

「ファルゼン」

『……?』

よ、良かった、話しかけてくれて。
って、あれ? 私名前言いましたっけ?

「あんまり、無茶しないで欲しい」

「………………ぇ?」

「自分をもっと大切にした方がいい。いや、しなさい」

「…………」


「…………約束。破ったら、ダメだから」


笑顔を向け、彼は私にそう言った。

ファルゼンに成ってから、本当の意味で「私」を見てくれる人はフレイズだけだった。
そのフレイズも、もう存在しない主従の関係を引き摺って私の意思を尊重しようとしてくれる。対等ではないのだ。


「約束」なんて、自分を大切しろなんて、「私」に向かってそう言ってくれる人なんて、居なかった。

彼は何も知らない筈。「私」のことなんて知らない筈。だから、これは傷付いた鎧、ファルゼンに言われた言葉。
「私」、じゃない。

でも、その瞳を向けているのは、「約束」をしているのは…………「私」?


声が出ない。胸が詰まる。在り得ないと分かっているのに。
彼の言葉が、「私」の中に入り込む。聞こえる筈のない脈動が、どくどくと体を震わす。


貴方は、「私」が見えているの?




「…………帰るよ。一緒に居る人達に心配掛けちゃうから」

「ぁ……」

「それじゃあ」


『…………「な」ハッ!?』


「…………」

『「な」ハ、ナントイウ……?』

「…………ウィル。ウィル、マルティーニ」

『うぃる……』

「………………また、ね」



―――ファリエル―――



「…………………」


呼んでくれたような気がした。「私」の名前を、呼んでくれた、そう聞こえた。



小さな背中はもう見えず、「私」1人だけが残される。月明かりの元、私は身に纏う鎧を解いた。

魔力に満ちている月の光は、霊体であるこの体を潤してくれる。数少ない「私」で居られる時と場所。

また、会えるのかな?

再会を望む言葉は、ひどく心地がいい物で。不思議と心が弾む。

胸に感じる温もり。そんなものはない、ただの虚構であるのは分かっているけれど。


でもやっぱり、暖かかった。



[3907] サブシナリオ
Name: さもない◆8608f9fe ID:94a36a62
Date: 2009/01/31 08:22
機のサモナイト石を握る。

「あっ、反応ありましたね。ウィル君、機属性の召喚獣と相性いいみたいです」

「はぁ」

鬼のサモナイト石を握る。

「あれ、また反応? 鬼属性の素質もあるのかな?」

「はぁ」

霊のサモナイト石を握る。

「ま、また……。霊属性も…………ということは」

「はぁ」

獣のサモナイト石を握る

「や、やっぱり。全属性に精通してる……」

「はぁ」


本日の授業は召喚術について。
基本的な誓約の関係と召喚術そのもの、送還術や召喚における暴走の危険性などをアティさんは説いた。
聞いててかなり関心する。教え方がとても上手い。受け手が理解してくれるように、内容を細かく砕いて尚且つ大雑把に解りやすく、アティさん自らの質問も取り入れて此方を退屈させない様に教えている。

んー、やっぱり俺なんかとは違う。俺の場合、島に来てしまった時点であんまやる気なかった。それどころじゃねーみたいな感じで。
変な事に巻き込まれたくない為に、授業を口実にして逃れようとしてたからなぁ。あんま意味なかったけど。
生徒、アリーゼに失礼だから授業する時は真面目に取り組んでたけど、アティさんの様に此処まで内容が濃いものではなかったと思う。
俺なんかの授業を解りやすいってアリーゼは言ってくれたけど、それは専らアリーゼが優秀だったからだと思う。アティさんの物と比べるととてもじゃないが、いい授業とは言えない。

それなのにアリーゼはいつも俺に感謝してくれて。色々と励ましてくれたりもして。
他のみんなに振り回される中で、アリーゼは数少ない俺の心のオアシスだった。とても出来た良い娘だったんです。
……あんなことになっちゃったけど。やめよう、ヘコむ。思い出すの打ち切り。終了。

今さっきまでアティさんが語ってたのはリィンバウムとそれを取り巻く四つの世界、そして名も無き世界について。それぞれの世界の特徴を軽く触れて、実物のサモナイト石を見せてついでに俺の属性判断をした。


「う~ん、珍しいですね。全属性扱える素質があるのは」

「そうなんですか?」

「はい。大抵相性のいい属性が1つあって、その属性だけを扱えるのが普通なんです」

「先生はどうなんですか?」

「……あははは、実は私もそうなんです」

……やっぱり?とすると、アティさんって俺の考えてるとおり…

「私の場合は中でも霊属性と相性がいいんです。ウィル君は……多分、獣属性と相性がいいと思います」

「……獣、属性ですか?」

「はい。さっきのサモナイト石の反応で、獣の反応が一番顕著でしたから」

「俺」は最終的に全属性が均等に扱えるオールマイティだったんだけど……。「ウィル」が影響しているのか?


「じゃあ、今日の授業は此処までにしましょう」

「はい。あ、先生」

「何ですか?」

「先生の生まれ、何処ですか?」

「えーとですねぇ。一応帝国なんですけど、寒くなると雪まで降っちゃう田舎で……。村の名前は――――」


アティさんの言う村は、全て俺の知ってるものと狂いは無かった。
アティさんは、「レックス」と同じ故郷を持っていた。








然もないと  サブシナリオ 「ウィックス補完計画」








黙々とカイルが伐採した木を運んでいく。先日の一件で島の住人達との協力を取り付ける事が出来、一定の材木の使用を許可された。
まだお互い完全に信用した訳ではないが、それはこれから育んでいくものだ。俺の時でも勝手にどんどん仲良くなったんだ。人の好いアティさんがいるからよりスムーズに関係を築けていけるだろう。

船の修復に使う材木を持って何度もその場を往復する。くっ、キツイ。この体、やっぱり不便だ。
昨日の戦闘を通してこの体中々いい性能だと解ったけど、やはり「レックス」と比べると見劣りする。まぁ、成人の体と比べるのなんてあまり意味がないんだけど。


ソノラの朝食だという声が此処まで聞こえてくる。アティさんがそれに返事をしてこっちに向かってくるのが見えた。
ふむ、じゃあ先にカイル呼びに行くか。

斧を用いて木を刈っているカイル。相も変わらずすごい力だ。そこまで筋肉が隆々としている訳ではないのにあの怪力。本人の鍛錬はもちろん、ストラによるところも大きい。
うーむ、やはり腕っ節強いのは羨ましい。というかカッコ良い。俺は頼りない体付きだったし。憧れる。

「カイル、そろそろご飯だって」

「おう、これ仕上げたら上げる! 先、行ってていいぞ!」

「いや、此処で待ってるよ」

「悪いな! もう少しで終わるからよ!」

「ん、気にすんな」

「はははっ!! そうか、なら気にさせねぇでもらうわ!」

カイルと話すのは心地がいい。男同士ってこともあるけど、カイルはとても気さくだから普通に何でも言える。それに俺が持ってない物を幾つも持ってるから、そういう意味でも惹かれる。リーダーシップとか、しっかりと持ったプライドとか、いい意味でも悪い意味でも熱い性格とか。

基本的受身で流されやすい俺は、正反対であるカイルと仲が良かった。馬鹿な話で盛り上がったり、男の浪漫で燃え上がったりと、まぁ色々だ。ヤバイ展開で逃げる隠れる俺を引き摺っていくのも大抵カイルだったが。

「カイルさーん、もう朝食にしましょう……って、あれ、ウィル君? 此処に居たんですか?」

「はい。もうカイルも終わるみたいです。終わったら、そっち行きます」

「じゃあ、私も待ってます」

「ども」

「気にしないで下さい」

笑顔でそういうアティさん。うーむ、本当に笑顔が綺麗な人だ。とても似合う。落としてきた異性も数多いんだろうなぁ。あんまり肩並べて男と町を歩くアティさんとか想像出来ないけど。……これで俺の考えてるとおりじゃなかったら、本当に理想的な人なんだけんど。


「んきゅう……」


「え?」

「……出たよ」

ガサガサと茂みを掻き分け、俺達の目の前でバタッと倒れた物体。体をぴくぴくと痙攣させている。
原因が原因なだけに馬鹿としか言いようがない。

「ええっ!? い、行き倒れ!? だ、大丈夫ですか!?」

「返事がない。ただの屍の様だ」

「物騒なこと言わないでください!?」

「わりい、わりい。待たせちまってな、って、うおっ!? な、何だぁ!?」

「先生が殴り倒して金目の物を物色しようと……」

「何言ってるんですかっ!? してませんよっ、そんなこと!!?」

「先生、アンタ………」

「カイルさんも信じないでください!?」

「先生、まだ間に合います。自首しましょう。罪は償えます」

「先生。人には踏み外しちゃあいけねぇ仁義ってもんがある。それを破っちまったら、俺もさすがに見逃すことは出来ねぇ。……ウィルの言うとおりだ、自首しな」

「ちょっ!!? し、してませんっ、私してませんっ!! 全部ウィル君のでっち上げです!! 私そんなことしてませんっ!!!」

「「……………」」

「何で黙るんですか!!? 言い逃れはよせみたいな顔しないでください!? というか、そんな痛ましそうに見ないでっ!!?」

「「……………」」

「し、し、してないんですっ!! 本当ですっ、私この人殴り倒してなんかないんですっ!! し、信じてくださいっ、ウィル君、カイルさん!!!」

「で、実際の所何があったんだ?」

「いきなり茂みから出てきてバタッ、と」

「ふぅむ、人騒がせな」

「ええ、全くです」

(…………………………………………この怒りの矛先は何処に向ければいいんでしょうか………!!!!!)



アティさんの背に青い炎を見た。








「脱水症状、みたいだな……」

「此処でですか……? 普通に川も湖もありますけど……」

上手い酒を飲む為に何も飲まなかったというのだから救えない。いや、救う価値がない。

「引き付けを起こしてる。早く何か飲ませなきゃやべぇぞ……!」

「わ、解りした! お水取ってきます!」

「いいよ、先生。僕持ってますから」

「ほ、本当ですか!?」

「ええ。……よい、しょっと。カイル、これ」

「酒かよ……」

(というかウィル君、それどこから取り出したんですか……)

「引き付け起こしてる奴に酒飲ませて平気なのか……。って、これは清酒・龍殺し!? 銘酒じゃねーかっ!? ウィ、ウィルッ、この酒何処で手に入れやがった!?」

「此処の召喚獣達が所持してます」

「マジでかっ!?」

「マジです」

「カイルさん早くしてください。怒りますよ?」

「お、おうっ!! わ、分かった!」

アティさんの気に当てられてビビるカイル。背にまた青い炎が再燃している。やりすぎたか。

酒を口元に持っていくと、へべれけの目が光り、瞬時に酒を奪い一気に飲み干していく。
カイルが心配しているが、するだけ無駄だ。これはそういう生き物だ。付き合わされて一体何回潰されたことか。体は酒でできていると言っても過言ではない。

「んっっぐ……!! ぷっっはっ~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!! ん~~~~~~~っまい、もうっ最っ高っ!! ずっと何も飲まないで我慢してきた甲斐があったわ~~~! ああ~~~生きてるって感じびんびんする!! にゃははははははははは!!!」

カイルとアティさんは顔を盛大に引き攣らせた。無理もない。

「はぁ~~~~~~~~。生きてて良かった! で、貴方ぁ? 身も知らずのメイメイさんに、こんな美味しいお酒飲ませてくれたのはぁ?」

「酒臭っ!! ま、待て、顔近づけるな! 俺じゃねぇよ! 飲ませたのは確かに俺だが、酒はウィルの物だ。礼を言うならそいつに言え」

「ん~~~~?」

此方に振り向き凝視するへべれけ。久しぶりの酒を飲み興奮しているのかハイになっている。いや、いつもハイだが。飲ませなければ良かったと少し後悔した。
暫く焦点の合わない目で見ていたが、しっかり俺を捉えると一瞬だけ目を見開いた。ふむ、やはり何か知ってそうだ。

「貴方……」

「初めまして、『メイメ「あっりがとう~~~~!!! 命の恩人くぅん~~~~~~~~~~!!!!!」むぶぅ!!?」

いきなり視界が暗くなって顔に柔らかい感触がっ!? って胸っ!? この弾力があり肌心地がいい双丘は胸ですかっ!!?
男冥利につくけど、つくけどぉっ!!?!?!?!!!?!!

「メイメイさん、感動っ~~~~~~~~~!!! もう抱きしめちゃうくらい~~~~!! にゃは、にゃははははははははははははっ!!!!!」

「ウィル…………何て羨ましい奴」

「カイルさん、最低です……」

「うぐあっ!!?」

「んぶんぅぐぐぐぐぅ!!? むぶぅううんんんんううぶうぅ~~~~~~~~~っ!!?(胸に溺れるっ!!?胸に溺れるぅ~~~~~~~~~~っ!!?)」













ひ、酷い目にあった。胸で圧死するなんて洒落にならん。決して気持ち良かったなんてことは思っていない。思っていないったら思っていない。

今は居るのはメイメイさんのお店。鬼妖界風の変わった内装で、ルーレットなんかあったり鍛冶出来ちゃったりする訳の解らない店だったりする。
助けてくれたお礼だと言い、アティさんには本を、カイルには海賊旗を渡している。後で誓約の儀式に使わせてもらおう。
職業(?)言い当てられて2人とも驚いていた。あの人何でも知ってるよな。まぁ、だから態々此処に居合わせているのだが。

買い物も出来ると聞き少しだけ見せてもらった後、ルーレットに興味を持ったアティさんがそれをやらせてもらった。
結果は……3等。微妙。にぼし貰ってる。やはりアティさん運なさそうだ。ぶっちゃけ、狙えば割と簡単に1等とかは取れるものなんだけど。

「じゃあ、帰りましょうか。すっかり遅くなっちゃいましたし」

「……先生、先行って下さい。僕まだ用があるんで」

「えっ? 何かまだあるんですか?」

ええ、と相槌を打つ。
如何しても聞いておかなくてはならない。明確な答えが返ってこないとしても。

「なぁにぃ? メイメイさんのあの熱~い抱擁じゃ物足りなかったの~~~~?」

「……ちゃうわ、ボケ」

ニヤニヤと笑うへべれけ。くっ、やはり態とだったか。

「えっと、待ってましょうか?」

「いえ、いいです。一応、プライベートの事聞きたいんで」

「え…………」

「……変なこと考えないてないですか?」

「あ、あははははっ!! そ、そそんなことないですよ!? じゃ、じゃあ、先行ってますね!」

顔を赤くし誤魔化そうと足早に出て行くアティさん。カイルは出る寸前にいい笑顔で俺に親指を立てた。だから、何もしないっちゅうに。


メイメイさんと俺だけが残された。相変わらず顔を赤く染め笑いながらメイメイさんは俺に目を向けている。

「お酒飲ませて上げたんですから、それ相当の『お礼』を頂けますか?」

「ん~~~~~~~。余程無理な注文じゃなかったら良いわよ」

ふむ、じゃあストレートに俺の事を相談してみるか。

「実は「その前に、はいこれ」……手紙?」

「ええ。『メイメイ』さんからのよ」

「………………」

「メイメイ」のニュアンスが違う。
やっぱり、そうなのか。「俺」の居た「世界」と、今俺の居る世界は別物。似たような世界が存在している。
……だとしたら別の世界から手紙受け取るこの人は何者だ? 今更の様な気がするが。

考えを打ち切り、封を開け手紙を読む。「拝啓愛しのレックス様。お元気ですか私は元気ですこの頃お店の売り上げが伸びずお酒を満足に飲めない日々が続いておりま」読み飛ばす。ほとんど如何でもいいことなので読み飛ばす。

手紙の7割が全く関係ないことで、残りの3割が俺がこうなった原因、「ウィル」として「此処」に居る事が書いてあった。
要約し纏めると――

――この世界の「ウィル」はあの例の嵐で死に掛けた。島に流れ着くことなくその時点で死んでしまいそうだった。

――それは不味く、「ウィル」が欠けたこの世界は何らかの支障を来たす。それはエルゴ(界の意思)にも反するものだった。

――このままでは世界云々(大げさなような気もするが)に悪影響を及ぼし混乱が起きる。その為の処置。

――「ウィル」に、死んでも死にそうもない、それこそ数々の受難を受けながらも決まった運命に左右されない奴の魂を入れてその場を凌ぐ。

――緊急事態だった為にエルゴもGOサインを出し、リィンバウムや四界それぞれの守護者を通して該当人物を検索、平行世界も巻き込んだそれは、適当の人物を発見。即抽出、即抽入。

――目論見どおり、何者であっても死んでいた筈の肉体は一命を取り留め島に流れ着く事が出来た。

――それが「俺」。「レックス」だった。



……………………………………………………………………………………。


「ざけんなぁあぁぁああああぁああああああぁあああああああぁああああぁあああぁああっっっ!!?!!!?!?!!!!!?!」


勝手過ぎっ!!? 超傲慢っ!!? 人を何だと思ってやがるっ!?


「最悪だぞっ!? 何考えてんだっ、人の命弄んでんじゃねえかっ!!? やっていい事と悪い事あんだろっ!? お構いなしか、お前等はっ!!」

「…………貴方には悪いことをしたと思ってる。でも、仕方がなかった。大局からすれば1人の犠牲は」

「本気で言ってんのか、あんたっ……!!! 魂だか何だか知らないが、最初から『ウィル』を助けてやれば良かっただろっ!?」

「……出来ない。既に消えていく「ウィル」との共界線(クリプス)は、もう無いも同然だった。「死」を変える程の界の意思は届かなかった」

「……っつ!!」

「許される事じゃない。分かって貰えないかもしれないけど、本当に申し訳なく思ってる…………ごめんなさい」

頭を下げ、真誠に謝罪するメイメイさん。言ってることは解る。世界からすれば、1つ2つの命など如何でもいい物だろう。
だが、納得は出来ない。一生怠惰な生活を送るだけだったかもしれないが、それでも「俺」の人生だ。世界とかエルゴとかは関係ない、「俺」が決めて「俺」が行動する「俺」だけの物だ。それをっ……。

頭の中がグシャグシャになる。理不尽だ。本当に理不尽だ。「ウィル」が居ないと世界が成立しない、つまり俺はもう「みんな」の居る「あの場所」へ変える事が出来ない。会えない。
もう「みんな」に会えない。違う場所で、違う世界で、俺は本当に独りぼっちだ。


世界は、理不尽だ。







「………………1つ、聞いていいか?」

「……どうぞ」

「「ウィル」はどうなったんだ? ……消えたのか?」

メイメイさんは目を丸くした。素っ頓狂な顔をして俺を見詰めている。な、何?

「……貴方、自分の事はいいの? 他人の心配なんかして?」

「……どうせ如何しようもないんだろ? 仕方がない、なんて絶対に認められないけど、受け止めるしかない。納得もしないけど」

「…………」

「それに……言って悲しくなるけど……理不尽ってヤツには慣れてる。「俺」はまだいい。でも、「ウィル」は違う。まだ子供だし。これで終わりなんて……可哀相だろ」

そう言うと、メイメイさんは驚いた顔から一転、顔を綻ばせた。だ、だから、何なんだよ?

「……やっぱり、貴方も『レックス』なのね。うん、メイメイさん納得!!」

「俺は俺はだっちゅうに。訳解んないこと言うな。それより、どうなんだよ?」

「はいはい。……気付いてるとは思うけど、その体は『レックス』とウィルが混ざり合ってるわ。『レックス』という本質がウィルを塗り替え今の貴方がいる。魂は精神と肉体の影響を受ける。貴方、『レックス』の自我はしっかり存在するけど、それもウィルの性質に影響を受けてる。自分でも解ってるんじゃない? 性格とか変わってきてるって」

確かにそれは感じてた。何をするにしてもクールに物事を行う。言葉遣いも何時の間にか変わってるし。
どちらかというと、今この状態が「レックス」に近いと思う。

「ウィルという受け皿に『レックス』が乗っかっていると考えて貰ってもいいわ。それもいずれ完全に1つになるでしょうけど。それで『ウィル』の事なんだけど……」

「……俺と混ざっているから消えてはいないってことか? でも、それは…」

「いえ、そうじゃないわ。確かにウィルと貴方は混ざってるから、そういう事も言えるけど、『ウィル』という自我はない。『ウィル』の本質はその体にはない」

何か遠回しの言い方。結局「ウィル」は消えたって事じゃないのか? 俺に気を遣っているのか、それとも……。
膝を折り俺の視線に合わせる。俺を見詰める顔は、先程の様にニヤけている。…………嫌な予感が。

「ねぇ、ウィル。『レックス』としての魂―――本質である貴方は此処に居る。じゃあ、元の世界。貴方が居た『世界』のレックスの肉体―――受け皿である貴方はどうなると思う?」

「……動かない、ただの肉の塊になる」

「そうね。肉体だけが残り、向こうの世界のレックスは居なくなるわ。向こうの『世界』で何の事象もないまま『レックス』という人物が欠けてしまう。何の問題も無い様に思えるけど、その『世界』としての原因もなしに、結果だけが残るのはちょっと不味いのよ。そこで……」

メガネをくいと中指で上げるへべれけ。嫌な予感がMAXだ。


「『レックス』の本質をウィルに入れたように、『ウィル』の本質、魂をレックスに入れたのよ。つまり、あっちには『ウィル』の自我を持つレックスが居るの」


………………え?


「だ、ダメだろ、それはっ?!」

「何で?」

「な、何でって、『ウィル』が起きたら勝手に身に覚えのない人として如何かと思う浮浪者になってるんだろ!? 年若い少年が既に終わっている大人に成るなんて最悪だぞ!?」

「自覚あったんだ……。まぁ、そのとおりなんだけどね。でも、死んじゃう位だったらそんなダメ男(お)になった方がマシでしょ?」

「ダメ男言うなっ!!」

「貴方自分で似たような事言ったじゃない……。それに最初は混乱するだろうけど、徐々に記憶と性質が本質と混ざり合って落ち着けるようにはなっていけるだろうし。貴方だって記憶とか混ざって、意識しなければ自分はウィルだと認識しちゃうでしょ?」

む、確かに。最初は違和感ありまくりだったが、今はもう自然にウィルということを受け止めている。
さっきの感情も思ったより簡単に落ち着いた。それが起因しているのか。
………何かそれでも自分でない物に強制され変えられている感じがするが。

「そういう訳。それにいざとなったら向こうの『私』が第二の人生歩ませて上げることも出来るしね。死んで何も出来なくなるより、ずっといいでしょ?」

「……メイメイさん、アンタ本当に何者だ? ただのへべれけじゃなかったのか?」

「にゃははははははははっ! 乙女には秘密の1つや2つあるものなのよ! それよりも……」

目が細まり、口をニィと上げるへべれけ。悪寒っ!?



「もし、あっちのレックス君とアリーゼちゃんが会ったらどうなるのかな~」



………………………………………#$%&¥%#&&#%%&¥!!?!?!!?!?!


「…………お、お、お、お、お、お前ぇえええええええええええええええええええっっ!!?!!?!?!!!?!!!!?」

「にゃは、にゃはははははははははっ!!!! いやー、本当に楽しみ! 残念なのはその場に居合わせる事が出来ないことだけど、『向こう』の私の連絡をじっくり詳しく聞くとしましょうか!!」

「やめぇええええええええええええええええっっ!!? ていうか、何でだ!? 何で知ってるんだっ?! おかしいだろっ!?」

「むふふふっ……!」

むふふ言っちゃったよ、この人っ!?


「まぁ、気にしなさんな。大体の事は知ってるからさ、へ・タ・レ・君?」


「う、うわああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!」



理不尽やーっ!!?









「で、貴方如何するの?これから?」

「……………………………何がだよ?」

「これから起きる島の事件、どう関わっていくかってことよ」

燃え尽きてる俺にこの先の未来について聞いてくるメイメイさん。平行世界であるけれど、この島も俺の経験した出来事とだいたい同じ流れで起きるらしい。だが、俺の知っている「世界」と差異もある。明らかなのはアリーゼがいないことだろう。

一応未来を知ってるってことになるんだろうけど、もう現時点で俺の知っているものと違いがあるとのこと。
心当たりがあるとすれば、昨日のファリエルを助けたことだろうか。

「貴方、先生に『剣』使わせてないでしょう? 周りの人存在すら知らないし。護人の方は気付いてるかもしれないけど」

おお、確かに。ハイネルに遭遇させない様にアティさんには細心の注意を払っている。って……

「……メイメイさん。やっぱり、アティさんは…」

「ええ、そうよ。アティはレックスの1つの可能性。逆に言えばレックスはアティの別の可能性。根本を同じとするもう1人の貴方よ」

「…………はぁ」

思ったとおり。俺と同じ立ち位置。似ている特徴。何より適格者であること。疑いようも無く、アティさんは俺と同一存在。この世界における「俺」だ。
あー、さすがに「自分」とのお付き合いは無理だな。それ以前にそこまで発展する筈もないが。万の一も無い。ふふ、涙しょっぱい。

「ていうか、性格とか中身違いすぎない? 根本同じとか言うけど本当なの? たくさんある世界の中でアティさんだけ変わってるんじゃないのか?」





(貴方が変わってるのよ……)

ウィルの問い掛けにメイメイは心の中で呆れながら呟く。



目の前の「レックス」は、数多く存在する世界のレックスの中でも群を抜いて奇天烈だ。というか、変態だ。
先程見せた他者の思い遣るという所は他のレックス(アティ)と変わらないが、それもあんまり外に出る事がない。基本的に事件に首を突っ込もうとせず傍観する。そして勝手に巻き込まれる。結果的に、周りの人達を守るというレックスとアティの行動の帰結となる。

嘗めている。何だそれはと高らかに叫びたい衝動に駆られる。
この「レックス」の島で行ってきたことを見れば、普通に最悪の未来が待ちうけていた筈なのだ。「剣」を使いまくるわ選んではいけない選択は普通にするわ敵前逃亡するわ。カルマ?何それ?みたいな感じだった。

だが、レックスが使い物にならないと悟ったせいか、周りのメンバーが恐ろしい程戦闘能力を発揮し如何なる敵にも遅れを取る事はなかった。そこに強制され連れて来られレックスが狡い戦法を用いて更に抜剣覚醒する始末。無色とか目じゃなかった。
レックス、アティの強さでもあり弱さでもある、優しさ、情けと言った物も欠けており、敵には容赦がない。ボコボコだった。

ハイネルの忠告にも耳を貸さず、ていうか邪険に扱い、それにハイネルが仕返ししようとでしゃばる。それにちっとも堪えないレックスに切れる。設定もキャラもかなぐり捨てたハイパーハイネルは核識本体の力を退け、結果的にレックスが剣に取り込まれる事がなくなった。しかも、そこまでしてレックスに負ける。何がしたい。

最終的に犠牲者を誰も出すことなく事件は解決。島の暴走止める為にボロクソのハイネルを押し込むという外道の方法をとった。終わっている。然もあらん。



いい意味でも悪い意味でも、この「レックス」は回りを壊す。運命すら例外ではなく、簡単に捻じ曲げる。今を精一杯生きる人達に謝れと言ってやりたい。

だからこそ、今回の入れ替わり――贄に選ばれてしまったのだが。
まぁ、そのおかげで無茶苦茶ぶりも今は鳴りを潜めている。出鱈目な事象が起きる事はないだろう。多分……。

「で? どうするの、せーんせい?」

「久々に聞いたな……。うーん、アティさんが『剣』をこれからも使わないようにして、みんなが危ない目に合わないように頑張る、かな?」

おや?とメイメイは思う。以前の「世界」では見られなかった反応だ。何か心境が変わったのか。

「へー。先生、カッコいいこと言うのね? 面倒くさいとか言うと思ってたのに」

「…………『みんな』が居なくなって、やっと『みんな』の大切さが解ったから、かな…」

自分の掌を見詰める「レックス」。彼の心境の変化を喜ぶべきなのか、こう追い遣ってしまった事を嘆くべきなのか。メイメイは複雑になる。
今回ばかりは彼の言うとおり、余りにも勝手過ぎる振る舞いだった。やったことを後悔している訳ではないが、それでも彼に引け目を感じる。

(しょうがない)

手が貸せる範囲で彼の力になろう。それがせめてもの彼に対する罪滅ぼし。そして自分の善意であり、「レックス」に対する好意だ。
この位なら別に問題あるまい。好きだから助けて上げる。誰もがやる、当然のことだ。


「にゃはははははははっ!! それじゃあ、カッコいい先生の為にメイメイさんが人肌脱いであげちゃう!! 出来る範囲で先生の力になってあげるよ! にゃは、にゃはははははははは!!!」

「じゃあ、俺の代わりに全部……」

「ダメー」

「ちっ」


今は背が低くなった「彼」に手を差し出す。それは始まりの握手。ウィルである「彼」と、自分の始まりの儀式だ。


「これからよろしくね、ウィックス君?」

「……やめい」


笑い合いながらお互い手を握る。
久しぶりの他人の手は、中々に心地が良かった。




「でさぁ、さっきのお話の続きなんだけどぉ!」

「やめええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
















レックス 

クラス SP 蒼き剣の狸   〈武器〉 縦×剣 縦×杖 投(Bタイプ)×投具 〈防具〉 ローブ

Lv30 HP255 MP371 AT137 DF81 MAT174 MDF131 TEC299 LUC7 MOV4 ↑2 ↓3 召喚数3

機A 鬼A 霊A 獣A   特殊能力 抜剣覚醒 暴走召喚(抜剣時) ユニット召喚 ダブルアタック 隠密


吹っ飛ばされる前の「レックス」のパラメーター。
基本的に本来のSP「蒼き剣の賢者」のクラスが元になっている。そのくせに隠密を覚えている辺りやはり何処かがおかしい。
何でも出来る万能型。逆に言えば器用貧乏。

本来何かに特化にしなければ大成出来ないご時世なのだが、手札の多さと頭の回転の速さ、というより狡猾さで何気に強い。
TECが変態の域に達しており、必中ひらめき常時のリアル形ユニットになっている。同時に急所(クリティカル)にもよく当てる。えげつない。

代わりにLUKが救えない程乏しい。いくら回避率高くても全ての判定に関わるLUKが低いので何かしら喰らう。どの位低いのかというと、不幸のドン底のもう1人の適格者よりも、アティ先生にギガスラッシュ喰らったゼリー達よりも低い。2割にも持たない。然もあらん。
LUCを+5上げてくれる「プリティ植木鉢」は必需品となっている。

異常な生命力で長期戦にもつれ込む事が多く、下したと思ったら抜剣覚醒により瞬時に復活する。もはや詐欺。
「忘れられた島」の地形を熟知しており、此処でのレックスの軍勢との戦闘は死を意味をする。圧倒的な兵力差であった無色の派閥も1人、また1人と消え、気付けばオルドレイクだけとなっていた。何時の間にかツェリーヌが横で倒れ伏しているのを見て彼は噴き出した。
背を向け逃走したかと思えば背後を取られて召喚術をブチかまされ、追い込んだと思えばさらっと抜剣して伏兵と共にフルボッコにする。清々しい顔で敵を嵌めまくる姿から、オルドレイクが命名した「赤狸」は非常に的を得ていたと言える。




ウィル(レックス)

クラス (偽)生徒 〈武器〉 縦、横×剣 縦、横×杖 投(Bタイプ)×投具 〈防具〉 ローブ 軽装

Lv9  HP87 MP109 AT51 DF39 MAT55 MDF50 TEC50 LUC20 MOV3 ↑2 ↓3 召喚数3

機C 鬼C 霊C 獣B   特殊能力 ユニット召喚 ダブルアタック 隠密


吹っ飛ばされた後の「レックス」のパラメーター。
ウィルの能力が基盤となっており、技術と召喚適正以外は元のウィルとさして代わらない。本人にしてみると結構辛いらしい。
LUCが大幅に上がっているのが唯一の救いか。それでも低いのは変わらず、やはり底辺に位置する。
もし、これでナップにでも成ってしまっていたら、ガチンコでも彼を止められなくなり、超変態になってしまっていたかもしれない。絶対攻撃を覚えてしまったら最後、世界が果てる。

抜剣覚醒が出来なくなっているのが大きく、デッドアンドリバースが使えなくなっている。大幅に戦闘能力低下しているのは間違いない。
だが、生来の狡さは消えておらず、セルボルト家現当主に「子狸」の二つ名を頂くのはそう遠くなさそうである。



[3907] 4話
Name: さもない◆8608f9fe ID:94a36a62
Date: 2009/02/13 09:01
「そういえば……」

「んっ? 何、先生?」

「俺がこの体に乗り移ってもう『ウィル』は死なずに済んだんだよな? だったら入れ替えなんてややこしい事しないで、『ウィル』をこの体に戻せばいいんじゃないか?」

「そうしてあげたいのはやまやまなんだけどね……。本来エルゴは何事にも不干渉って決まっているの。リィンバウムが危機に瀕した時も直接は手を下さず、誓約者(リンカー)を通して世界を救ったしね」

誓約者。リンカーと言われるそれは、 四界全ての召喚獣達と心を交わし、誓約ではなく信頼により彼等を使役する最強の召喚師。
究極、頂点とも言われる誓約者は、異界からの侵略者を退け、異界との間に結界を張り巡らせる事でリィンバウムに平和をもたらした。
「エルゴの王」と言われる誓約者は、その名にある様にエルゴから恩恵を授かり世界を救ったのだ。

メイメイさんの言いたい事は、世界のバランスが崩れる事の無くなった今はもうエルゴは何も起こさないし、何も示さない。それ準拠し各世界に存在する守護者達もこれ以上の行動もしない。そう言う事なんだろう。


「ホント勝手だよな、エルゴって奴は……。後始末さえしないのかよ」

「貴方の言う事も解るんだけどね。でも、度々世界が動いちゃうのはさすがに困るでしょ? 多くの人が織り成す物語に世界が介入する、個人の意思が世界の意思に飲み込まれてしまう。そんなの生きる意味が無くなっちゃうわ」

「そうなんだろうけどさぁ。でも、それだったら子供1人の命の為に色々巻き込んで世界が動くのもおかしくないか? ……あんま言いたくないけど」

「本当はね。…………でも、世界の根底に関わってしまう抜剣者の素質を持ってるとなるとまた話は変わってくる……」

「?? 何て言った? 聞き取れなかったんだけど」

「ん~~~~~気にしない気にしない。それよりも、ウィル、朝食急がないと不味いんじゃない? もう此処で相当話してるし」

「あ。…………いや、ていうかもう無理だろ。今頃片付けてるだろうし」

「じゃあ、食べてく?」

「………そうする」

「はいは~い。久しぶりに誰かと食事するわん。メイメイさん嬉し~~~~!」

「そりゃ良かった」





「って、酒の肴しかねぇ………」

「にゃは、にゃはははははははは!」







然もないと  4話 「海から来た暴れん坊は今回出番無しだったりする」







朝から酒を勧めるなんて如何いう神経してるんだ、あのへべれけは。しかも今の俺は子供だぞ、子供。やっぱり船で食べた方が良かったかもしれない。
朝っぱらからの酒の匂いと肴に胸焼けを引き起こしつつ船へと向かう。森を経由しアジトへ出る一本道へと進んだ。

さて、この後は何をするかな。釣りでも行って食料を確保してくるか、船の修繕を手伝うか。部屋で怠惰を貪るのも魅力的だが、この状況で下宿させてもらっているのだ。働かない訳にもいくまい。……前だったら絶対こんな事思わなかったな。メイメイさんの言う通り、確かに変わっている様だ。

木が疎らになり森の出口へと差し掛かる。そして唐突に叫び声が聞こえてきた。
何だ何だと声の方に視線を巡らせると、追いかけ逃げるねこと妖精の姿が。すぐにアティ先生が駆け付けねこを諌め、追いかけるのを止めさせた。
そう言えばマルルゥが島案内してくれたっけ。あの時は先生さんと指名されてしまい乗り気じゃなかったが連れて行かれたな。もうこれ以上関わりたくなかったってのが本音だったし。さっさと島出るつもりだったしね。まぁ、その後脱出不可能だという事を知り絶望したが。

一先ずアティさん達と合流。俺も一緒に行かないかと誘われたので了承した。カイル達も誘ってみるアティさんだったが見事全滅。若干肩を落とすアティさん。俺の時もそうだったから大体解ってたけど。

船を後にし、アティさんと俺、ねことマルルゥで集いの泉へと向かう。

「ソノラまで断るとは思いませんでした……」

「そんなもんですよ」

「そんなっ。せっかく招待してもらったのに……」

「先生みたいに割り切れる物でもないですよ。召喚獣達も同じだと思います」

俺の言葉に「実はそうなのですよ~」とマルルゥが相槌を打つ。クルクルと回りながら説明するその姿に、久しぶりだなと笑みがこぼれた。
マルルゥを含めた子供達とはよく遊んでいた。いや、駆り出されていたと言った方が適切だが。でも、それは不快な物ではなかったし、俺自身子供達と戯れるのを楽しんでいた。純粋無垢だしね。何か裏があるのではないかと勘繰る必要もない。常に警戒して過ごす日常生活ってどうかと思う。

「そういえば、マルルゥどう呼べばいいんでしょうか?」

「ん? 僕のこと?」

「はいですよ~。マルルゥ、名前覚えるのが苦手なのです~」

ふむ。ニックネーム、渾名か。前は俺が先生さんだったが……どうしたものか。
赤狸はさすがになぁ。好きじゃないし、マルルゥに「赤狸さん」と言われたら結構傷付く。てか赤の意味が解らねぇよ。
目立った特長ないんだよな、この体。う~む。ウィル・マルティーニ、ねぇ…………。

「んじゃあ、『まるまる』で」

「まるまる?」

「うん。ウィル・マルティーニのマルティーニから。簡単でしょ?」

「分かりました、まるまるさんですね~」

(ま、まるまる……)

アティさん、汗垂らしながら無理に笑おうとしないで下さい。傷付きます。

「まるまるさん、マルルゥと名前そっくりですから嬉しいのですよ~」

「ああ、僕も嬉しい」

「えへへ~~」

うむ。和む。癒される。

「ウィル君、本当に嬉しそうですね。ちょっと意外です」

「そうですか? あまり意識してないから分からないんですけど。まぁ、子供は確かに好きです」

「ふふ。ウィル君だってまだ子供じゃあ……」

「ええ、子供はいいんです。裏切られる心配はありませんし、無理矢理ものを強いる事もありません。大人とは違って純粋で荒んだ心が洗われます。暗い世界に差す光りそのものです、子供達は」

(……どういう人生送ってきたんですか)





集いの泉で俺達を待っていたアルディラとファルゼンに会った。俺の時はキュゥマとヤッファだったんだけど。アティさんが最初にラトリクス行ったせいかもしれない。
今後の事について話し合うアティさん達。ファルゼンだけに解る様に手を振ってみる。鎧が僅かに揺れた。ふむ、気付いていたみたいだ。反応で解る。

昨日助けて意味深な事言っちゃたからな。警戒されてるかもしれない。言わなきゃ良かったんだろうけど……でもなぁ。
ファリエルって見てて守ってあげたくなっちゃうんだよな。こんな俺でもそう思う。傷付いてもらいたくないし、無理して欲しくもない。つらい過去なだけに幸せになって欲しいと思う。まぁ、それはこの島のみんな全員に当て嵌まる事だけど。ていうか、何でファリエルがアレの妹やねん。理解出来ん。血が繋がってないとかそういうオチか?

話し掛けるのも躊躇われる。まだ早いかな。今日1日で信用して貰えるといいんだけど。



再びマルルゥと一緒に各集落へと回る。
みんなと会うのも久しぶりな様に感じてしまう。みんなは俺の事は久しいどころか知りもしないんだけど。…………キツイなぁ。

「ウィル君?」

「…………いえ、何でもないです。行きましょう」





機界集落ラトリクス


「此処のみなさんはすっごく働き者さんなのですよ~」

「昨日来た時も思いましたけど、ここの科学技術は群が抜けてますね。帝国のどの都市よりも……って、あれ? ウィル君、何処行っちゃったんですか?」


『何がでるかな、プライズ・ゲッター!』

「ていっ!! くっ、はずれた……!」

「ミャミャ~」

「…………何やってるんですか」

「プライズ・ゲッターです」

「いえ、意味が解りません……」

「ゲーム、スロットです。当たると賞品が出るみたいですよ。先生もどうですか?」

「勝手に使っても良いんでしょうか? いけない様な気がするんですけど……」

「う~~ん。ここのみなさんはいつも働いてるから、使っても平気だと思いますよ。それにマルルゥもやってみたいのです~」

「そうですか? じゃあ、1回だけ……」



「外れちゃいました……」

「まぁ、そういう時もある。今度また挑戦だ」

「はいですよ~! でも、先生さんすごいです! 1回で大当たりなんて!」

「…………そ、そうですね」

「ありゃ? 嬉しくないのですか~?」

(………………何でわら人形が)

「マルルゥ、近寄らない方がいい。呪われるぞ」

「ひどっ!?」




鬼妖界集落風雷の里


「これからも宜しくの」

「はい、ミスミ様」

「何か臭いますね。まるで長時間肥溜めに浸っていて染み付いたものが完全に拭えていない様な」

「キュウマ、お主……」

「ち、違います!? 完全に洗い落としました! そ、その様な筈は!?」

「?? 何かあったんですか?」

「それがのぉ。このキュウマが足を滑らせ糞まみ「違うのですっ!? 足を滑らしたのではなく、刺客に嵌められてっ!!」……その様な輩が何処に居るのだ。姿形も見当たらなかっただろうに。いい加減失態を認めて「否っ!! 否否否否否否否否否否否否、否ぁーーーーーーーーーっ!!!!」…………はぁ」


「どうしたんでしょうか?」

「さぁ?」

「みゃあ?」




霊界集落狭間の領域


『サァ! イザ尋常に勝負!!』

「しょ、勝負と言われましても……」

「……先生。ここは僕が」

「ウィル君?」

『ムッ。今ハソノ女子ノマネヲシテオル。オマエハ後にセイ』

「マネマネ師匠ともあろうものが姿形に囚われるとは……落ちたものだな!」

『!!』

「姿形が真似出来なくとも………俺はこの燃え滾る心で何処までもアンタのモノマネについていってやるぜーーーーーーっ!!!」

『ヨクゾ言ッタァ!! ナラバ何処マデモツイテコイッ! ユクゾォッ!!!」

『「決闘(デュエル)!!!」』

『ハアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!』

「やってやるぜぇーーーーーーーーーーっ!!!!」


「ウィル君が壊れちゃいました……」

「うひゃあ。まるまるさん、すごいです~」

「ミャミャミャーーーー!!」




幻獣界ユクレスの村


「お前等が母上の言ってた人間だな!」

「いや、違う。僕はそうだがこの人は違う。この人は……悪魔だっ!!」

「「ええっ!!?」」

「またですか!?」

「今はこんな形(なり)をしているが、一度剣を持てばその肌と髪は白く染まり、夜叉の様に敵を切り裂き引き裂き皆殺し!」

「「ひっ!!」」

「ちょっ!!?」

「その体を返り血で真っ赤に染め、狂った様に笑い、切り裂いた敵を食い荒らす!!」

「「ひぃい!!?」」

「あることないこと適当に言わないでください!?」

「夜にその剣を鳴らしながら、悪い子はいねぇか、悪い子はいねぇか、そう声を響かしながら……子供達を連れ去らうっ!!!」

「うわぁーーーっ!!? 母上ーーーーっ!!!」

「先生さん悪魔だったなのですよーーーー!!!」

「ああっ!? に、逃げないで!? 嘘、嘘ですよっ!? みんな全部嘘ですよっ!!?」

「本当だっ!!」

「やめてくださいっ!!」

「そこのワンちゃんも逃げろっ!!」

「ひぃいっ!?」

「やめてくださいってばっ!!?」




集落を全部回り終え、再び集いの泉へと向かう。
ミスミ様を始め、みな好意的だった為実に有意義なものだった。これなら心配する事もあるまい。


「う、うぅ……」

「違うんです。違うんです、マルルゥ……」

マルルゥは俺の影に隠れてアティさんを避け、そんなマルルゥの姿アティさんは涙する。ふむ、絶景。

「大丈夫だぞ、マルルゥ。僕が守ってやるからな」

「まるまるさぁん……」

「うう、理不尽です……」

今頃気付いたんですか? 世界は理不尽なんです。別にアティさんが恵まれてるから嫌がらせしてる訳じゃないんです。世界が理不尽なんです。俺じゃないです。

「ウィル君、何でそんな私に意地悪するんですか? 私のこと嫌いですか?」

ぐおっ!? な、涙目にそれは反則なり!!? 天然恐るべしっ!!

「き、嫌いな筈ないじゃないですか」

「じゃあ、如何していつもいつも私ばっかり……」

「まぁ、あれですよ。何と言うか、ええ、つまり…………ぶっちゃけ面白いから」

「最悪ですよ?!」

でも事実だし。

「前はいつも周りの人達に僕が振り回されていたので、弄りがいがありそうな先生で腹いせでもと」

「私関係ないですっ!?」

「諦めてください」

「そんなっ!?」

運命って言うやつです。















翌日。昨日護人達に頼まれた作物を掻っ攫う賊の討伐、それにアティさん達は朝早くから出発した。
俺はお留守番。着いて行こうか迷ったけど、ジャキーニさん達だしねぇ。別段問題もないだろう。
残ってもやる事あんまないんだけど……まぁ、あそこ行くか。知ってるのに埋もれたままにしておくのも可愛そうだしな。
ねこを肩に引き連れ、集落の方角へ足を運んだ。





「確かこの辺の筈…………」

『もし、そこのお方……』

「! ビンゴだっ!!」

声の聞こえた方向、ガラクタ山に駆け寄る。場所は解った。後はこの山をどかすだけ。…………なんだが、でかい。今の俺にはこれはちょっと…。
……帰ろうか? 相当無理あるよ、コレ。ていうか、よく俺こんなの前にどかしたな。大人の体でもこいつは……。
時期が早いからとかそういう理由? もっと後の方になればこのガラクタ山も崩れてるみたいな? うわー、失敗した。
マジで足を返そうとしたが、山の中からしきりに助けを呼ぶ声が響いている。『お願いであります!』『後生であります!』懇願の声が俺の良心を抉っていくっ……!
ええい、いつからそんなに軟弱になったウィル!? お前は野郎の声なんぞに反応する神経など持ち合わせていなかっただろうに!
くそったれ!と半ばヤケクソになってガラクタを退かし始める。ねこはもちろんユニット召喚で「テテ」も呼び出し協力させる。小さいが俺よりかは遥かに力がある。かなり頼もしい。


1日の半分使い果たしてようやくガラクタを退け、声を発していた存在が顕になった。

黒鉄。深い青と黒の装甲から成るその体。人を形どる重厚なその姿は紛れも無い兵器。傷付いた1体の機械兵士が、静かに跪いていた。
頭のカメラアイに光りが灯る。起動―――スクラップ場に打ち捨てられたそいつは、気の遠くなる様な年月を経てこの世界で息を吹き返す。


『ご援助ありがとうございます! 本機は無事、起動することに成功しました!!』

「ああ、苦労した甲斐があった。僕はウィル。お前の名前は?」

『はっ! 本機は形式番号名VR731LD、強攻突撃射撃機体VAR-Xe-LDであります!!」

「長い。ということで親しみを込め、勝手にヴァルゼルドと呼ばしてもらう」

『…………ッ!! はっ、感激であります!!!』

呼んで欲しい、前にこいつはそう言った。なら言われるまでもなく今此処で呼んでやるのが当然のことだ。
言葉通りにその声には嬉しさが滲み出ていて、自然と俺は笑みを浮かべた。
もう沈黙してしまった、たった1人の部下。力になりたいとそう願い、自らの意思で消えたポンコツ兵士。それが、またこうして互いに言葉を交し合っている。


初めて、この世界に来れて良かったと、そう思えた。




「数十万時間ねぇ。よくもまぁ、今まで停止せずに済んだな」

『最低限のシステムのみ稼動させ、待機状態にって猫ぉおぉぉおおおおおおおおっっ!!!?!?!?!!!』

「にゃ?」

『猫は、猫は苦手でありますぅぅうううううううううううう!?!!?!!!?!」

「ねこ、じゃれ付いてあげなさい」

「ミャミャ~~~~~~~!」

『待っぉおおおおおおォおおぉオオオオオオオぉォおおオオ#$%&¥%&#&¥#%$#!!!!?』





「無事?」

『…………は…ぃ……』

「今あっち居るからそろそろ戻っておいで」

『…………死ぬかと思ったであります』

「ねこ1匹で壊れるのってどうなのよ? まぁいいけどさ。で、ヴァルゼルドはもう平気なんだな?」

『はっ! 以後、太陽光パネルからエネルギーを供給する次第であります!』

「ん。それじゃあ今日は帰る。また来るからさ」

『ありがとうございます!! ……そういえば、ウィル殿の役職は一体何でありますか?』

「………………教導部隊配属」

『教官殿でありましたか! では、これからも教官殿と呼ばせて頂きます!!』

「ああ、それで頼む。じゃ、またな、ヴァルゼルド」

『はっ! お待ちしております!!』



日はもう既に沈みかけ、周囲が茜色に染まっている。夕日は人を感傷的にさせてしまうが、今の俺の心は真逆の晴れやか一色だ。

今日の世界は、ほんのちょっと優しかった。















『……………………』

「……………………」

「先生、僕疲れてるんですけど……」

ジャキーニさんの件も片が付き、本当の意味で認められた今日。お礼を言いたくて、こうしてファルゼンさんの所にやってきたんですけど……。
どうしよう。会話にならない。お礼を言ってそれっきり。二言以上続いていないです…………。
何となくこんな事態を予想してウィル君に引っ張ってもとい着いてきて貰ったんですが、どうやら正解だった様です。こんな空気1人じゃ耐えられません……。


『あてぃ、うぃる』

「え?」

「…………」

『オマエタチニハ……ミセテオコウ…』

ファルゼンさんの体が急に光りだし……っ!?


「これが……本来の、私の姿です」


…………。


「私の本当の名はファリエル。輪廻の輪から外れてさまよう、一人の娘の魂です」


……………………。


「強い魔力の下でだけ、私はこの姿に戻れます」


………………………………。


「こうした、月の光の降り注ぐ夜や…………って、あの、もしもし?」


どさっ。


「あの、ちょっと、アティさん? しっかりしてください、ね、ねえってばあ!?」

「………………何がやりたかったんだ、この人は」







「…………えっと」

「…………」

アティさんが倒れてウィル君と2人になってしまいました。
聞きたいこと一杯あったのに、いざ向かい合うと言葉が出てきてくれない……!

「……やっぱり女の子だったんだ」

「え…………き、気付いていたんですか!?」

「んー、何回か女の子の声聞こえたし」

あう……。やっぱり聞こえてた…。


「ファリエルは何であんな大きい鎧をいつも着けてるんだ?」

「………………」

如何してこの鎧を身に纏っているのか、理由を、罪を話す。ただの私の自己満足だということを。
そして、罪の全ては言わない。……言えない。傷付くのが怖いから、嫌われるのが怖いから。臆病な私は全てを曝け出すことは出来なかった。
……何て、浅ましいんだろう。

「ファリエル」

「は、はい。何ですか?」

卑下するのをやめ、顔を上げる。悟られちゃいけない。隠していることを。島であった事も。「剣」の事も。……醜い、私のことも。


「鎧着けんのやめなさい」


…………はい?

「あ、あの……聞いてました? 鎧着てないと魔力消費したり、他のみんなに正体が…」

「でも、もったいないと思う。そんな可愛いのに」

……………………はいっ!?

「なっ、なっ、なっ、なぁっ!? わ、私、可愛くなんかっ!?」

「可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い」

あわわわわわわわわっ!? な、何を突然っ!!? 可愛いって、ちょっと、ええっ!? というか連呼しないで!?

「初々しいなぁ。期待を裏切らない程に」

「初々しい……って、か、からかってたんですか!?」

「ふ」

良い笑顔で親指立てないでっ!?

「お、大人をからかわないでくださいっ!!」

「えー。でも僕とファリエルそんな年変わってない様に見えるけど?」

「こう見えても長生きしてるんですっ!」

「お婆ちゃん?」

「やめてっ!?」

おちょくられてるよ!? うう、最初に会った時の印象と全然違う……。



「……そんな風にさ、怒って、真っ赤になって、笑って、普通のファリエルのままでいいと思う」

「……………え?」

「1人で背負い込まないで、みんなに打ち明けて、そのまんまのファリエルで」

「………………」

「絶対みんな解ってくれる。受け入れてくれる。だから、」


「頑張れ」


「――――――」




「『ポワソ』。ごめん、先生の足持って。そう、地面着かないように。ねこは腰支えて。うん、ありがとう。じゃ、ファリエル。また明日」

「…………は、はい。また、明日」

前と同じ様に森へ消えていくウィル君。それを呆然と見送っていく。……アティさん、すごい体勢でしたけど…。
…………不思議な子だと思う。心が見透かされてる、そんな気がする。

本当に、解ってくれるかな? 受け入れてくれるかな? 許して……くれるかな。


『頑張れ』


……頑張ろう。いつか打ち明けられる様に。ごめんさない、とみんなに言える様に。
自分の為にも、信じてくれてる彼の為にも。

頑張ろう。












「………………」

月? あれ、ここは……

「お目覚めで?」

「! ウィ、ウィル君!?」

横まらの声に反応して起き上がる。
ここは……浜辺?

「どうして…………って、そうです!! ファ、ファルゼンさんは!?」

「居ないですよ。いきなり先生ぶっ倒れたから」

うぐっ。

「ホント何がしたかったんですか、アナタは」

ううっ……。

「此処まで運んでくる間も平和そうな顔でぐーすかと」

あううっ!

「あー、疲れた」

「…………ごめんなさい」

「どーいたしまして」

棒読み……! うう、ホントに泣きたいです。



「…………はぁ」

「………………」

「…………」

「………………」

「…………」

「…………い、行かないんですか?」

「もう立てるんですか?」

「えっ? は、はい。もう立てます……」

「んじゃあ、行きますか」

そう言って立ち上がるウィル君。……えっと。

「待っててくれたんですか?」

「ひょっとしなくても待ってました」

皮肉たっぷり効いてます……。

……でも、待っててくれてたんですね。起きるまで、ずっと。


「……ありがとうございます、ウィル君」

「いえいえ」

「……ふふっ」

前とは逆になっちゃいました。それが何だか面白く感じます。

小さな背中を見詰め、追い付き、肩を並べる。

2人の足音が重なって聞こえるのが、また嬉しく感じる。

今日も、月が綺麗です。




「どした、ねこ? そんな先生重かったのか?」

「ぶっ!!?」

「にゃあ~……」



[3907] 5話(上)
Name: さもない◆8608f9fe ID:94a36a62
Date: 2009/02/21 16:05
「ん~! さて、今日も頑張りましょう!」

うんと大きく体を伸ばし、アティは部屋を出ていく。島の召喚獣達の交流、それがアティが自分を張り切らせている理由である。

島の住人達に認められ、今日から島を自由に回れる事になった。だが、それは護人達の決定であって、島の住人全てがアティ達を受け入れてくれている訳ではない。
この島の過去からすれば当然のこと。人間と此処の召喚獣の溝はそう簡単に埋まる物ではない。
だが、アティは信じている。いつか島の住人達と自分達が何の隔たりも無く接しあう事が出来る日が来るだろうと。お互いの言葉を交し合えばきっと解りあえると、そう信じている。
今日もまたお互いの距離が縮まればいい。 そんな事を考えながらアティは船を下りていった。

「あら、先生。もう行くの?」

後方より声。
振り向けば甲板にスカーレルとヤードが出てきた所だった。

「はい。何だかじっとしていられなくて。スカーレルとヤードさんも一緒に行きますか?」

「あたしはもうちょっとしたら行かせてもらうわ」

「私もそうさせてもらいます。と、そういえば……アティさん」

「何ですか?」

「今日は授業はないのですか? さっき、ウィルが1人で部屋に居ましたが…」

「……………ぇ?」

「先生、貴方忘れてたの……?」



「あああ~~~~~~~~~~~~~!!?」




己の出せる最高の速度でアティは船内を駆けていく。ソノラに先生うるさいと注意されたが今はそれどころではない。
何てことだ、自分の本業を忘れていたなんて! 私の馬鹿、と悪態をつきながら目的地の前で急停止、ウィルの部屋のドアを開け放つ。


「ウィル君!!」

「おおっ!? せ、先生? ど、どうしたの?」

「ごめんなさい! 私、ウィル君との授業のことすっかり忘れてて……!!」

何事かと目をひん剥けるウィルに対して、アティはすぐ目の前で頭を下げる。暫く呆けるウィルだったが、そのアティの姿を見てそういう事かと察知した。

「気にしないでください。先生が色々忙しいのは解ってますから」

「でもっ!」

「平気ですって」

苦笑しながらウィルはアティそう伝える。
ウィルは「レックス」の際に、この時期の多忙さを経験している。アティもこの島を奔走することになるだろうと解っていた。真面目で他人を思い遣る彼女なら尚更だとも。

ウィルの場合、「レックス」の時はアリーゼの授業を理由に船の中に引き篭もるつもりだったが、それは叶わず島の交流に駆り出された。
何故自分なのだと異を唱えれば、人間代表のお前が居なければ上手くいく物も上手くいかないと言われた。何時そんな事になったのだと心の汗を流しながら何日も島のあっちこっちを回り、島の子供達の授業を頼まれ(強制され)、不満が爆発したアリーゼに謝りまくる等々etc……。
そんな自分の事を棚に置いといてアティを非難するという事はウィルにはちょっと出来ない。
それにアティが大変なら授業はやらなくてもいいとも思っている。軍人として学ぶ事はもう既に身に着けているのだから、ウィルはアティには島の方を先に優先して欲しかった。


「今大変なんですから、僕のことは置いといて貰って構いませんよ」

「………いえ、ダメです。しっかりけじめを付けなくちゃ。私は、ウィル君の教師ですから…」

「あの、そんな思い詰めなくても……」

「本当にごめんなさい、ウィル君……」

暗いって。
ウィルはずーんと影が差しているアティにツッコむ。ヘコむ時の度合いは似てるなーと自分を比べ、ウィルはそう思った。
見てて気分のいいモノではないので、アティを促しさっさと授業を始めていった。




「召喚師ウィルが命じる。我が声に答えよ――来い、テテ」

手に握るサモナイト石が発光し部屋を淡く照らす。ポンッと小気味のいい音が鳴り、目の前にテテが召喚された。

「うん、文句なしです。すごいですウィル君」

詠唱簡略化してもっと手っ取り早く出来ます等と心の中で呟く。
何度も修羅場を潜り抜けてきた身、この程度は屁でもない。まぁ、疑われる様な事をする筈もないが。

「前にも教えられましたから」

「そうでしたね。でも、ウィル君の年で此処まで召喚術を扱えるのは本当にすごいんですよ? 私感心しちゃいます」

笑顔で俺を誉めてくれるアティさん。騙している此方としては罪悪感がバリバリです。すんません。

「これだったら平気ですね。ウィル君、護衛獣を呼び出してましょうか」

「護衛獣、ですか…?」

正直必要ないんだよな。ねこ居るし、変なの出てきても嫌だし。
レックスだった時も養う金とか面倒臭かったから呼んでない。今更だけど終わってるな、俺。

「先生、ぼくにはねこが居るからいいです。呼び出すのも面倒なので」

「め、面倒……。で、でもねことは護衛獣の契約を交わした訳ではないんですよね? それだったらきちんと護衛獣と契約した方がいいと思うんです。こんな状況だからウィル君一人で居る時何か困ることがあるかもしれませんし」

確かにねことは護衛獣の契約を交わしていない。サモナイト石に通常の契約を刻んだだけだ。
ねこの場合はキユピーと同様なのだろう、生い立ちが特別で誰かに召喚された訳でも契約した訳でもない。厳密にははぐれとは言えないのだ。
だから護衛獣の儀式もすることなく、普通にその場で契約してねこの召喚術を行使出来る様になっている。俺の傍を離れないので、まんま護衛獣と変わらないのだが。

「ウィル君は相性のいい獣属性の召喚獣がいいと思います。ウィル君はどの属性とでも契約出来ますけど、やっぱりそっちの方が都合がいいでしょうし」

獣属性か……。ぜひドライアードと契約を結びたい。

「……もうちょっと待って貰っていいですか? 色々考えたいんで」

「ウィル君がそう言うんならいいですけど……早い内にした方がいいと思いますよ? ずっと共にするパートナーなんですから」

「解りました」

アティさんの言う通りなのだが、こればっかはな。譲れない物があるのだ。


「じゃあ、今日はこれでお終いです」

「ありがとうございました。あっ、先生。今日もし良かったら釣り行って貰ってもいいですか?」

「別にいいですよ。珍しいですね、ウィル君が釣りに行かないなんて」


いやね、多分彼居るだろうしね。そう、彼。アレの弟君。アレ本人じゃないけど、お腹痛くなっちゃうんです。………そろそろ遭遇するな。装備(幸運値補正あるやつ)と胃薬準備しないと。






然もないと  5話(上) 「自分の居場所って結構曖昧だと思う」






案の定、釣りに行ったアティさんは浜辺で倒れている人間を見つけリペアセンターへ連れて行ったらしい。記憶あんま自信無かったけど当たって良かった。

でもどうしようかな、イスラ。アレの弟だったり俺を島から閉じ込めていたり色々発覚した時は、この鬼畜がっ!と叫んだりおっかなびっくりだったけど、イスラも相当不幸だったらしいからな。死にたいなんてどんだけって感じですよ。俺なんかより不幸…………なのか?
何で断定できないんだろうか。畜生、泣けてきた。適格者はみな不幸の星の元に生まれる運命なのか。クソエルゴッ!!

いやまぁ、どうするかなんてそりゃあ捕まえて連絡する手段押さえてこっちの情報流さない様にするんだけど。いくら同族でも野郎に情けなどかけん。決して何度も嵐をお見舞いしてくれたからとかそういう理由じゃない。ないったらない。
問題は出来るのかという一点。この体だし、何よりあっちにはジェノサイダーブレイド(キルスレス)がある。万が一にも個人戦闘では勝ち目が無い。こいつスパイですなんて言ってもみんな信じてくれないだろうしね。

帝国軍にいる内は「剣」抜かないだろうけど、それでも帝国軍に合流してしまった時点でアウト。手は出せなくなる。やはり、ヤルには孤立している今、そして奇襲だ。
正面から行っても勝てる確立も低いのだから、仕掛けるのは無色の奴らに連絡を入れるその時。人気を避けるその瞬間。そこを狙う。
リペアセンター居る間はまだ平気の筈。それにそこで仕掛けても何やってるんだと白い目で見られそうだし。

こんな感じか。一先ず連絡する手段を無効化できればいい。どうせ無色来るんだろうし。最悪のタイミングで現れないならまだ対処のしようもある。

方針も決まったの俺も島へと駆り出すとしよう。………ジャキーニさん達に会ってないな、そういえば。





ユクレス村 実りの果樹園


という訳で、ジャキニーさん達の所に来てみた。オウキーニさんを筆頭に、海賊のみんながせっせと畑を耕している。ジャキーニさんは、あんま乗り気じゃないみたいだ。ブチブチ文句を言ってあんま働いていない。だが、そんな彼が1番土いじりに才能を持っているという事実。本人は気にしていたみたいだけど、こっちかしてみれば喜劇でしかなかい。

「おはようございます」

「ああ、おはようさんです! ってあれ、あんたは……」

「初めまして、ウィルって言います。先生の、カイルの仲間です」

「なるほど、これからよろしくたのんます。うちはオウキーニ言います」

笑顔で握手をしてくれるオウキーニさん。誰にでもありのままで接するその人柄は非常に好感が持てる。これでジャキーニさんと海賊をやっていたと言うんだから驚きである。いや、ジャキーニさんもいい人だけど。
ことのついでに、ジャキーニさんにも自己紹介する。ジロリと睨まれたが、その髭カッコいいですね、と誉めると目茶苦茶喜んで自分のことを話し始めた。変わっていない。

「がっはっはっは、お前わかっとるのぉ! うむ、気に入った! わしの舎弟にいれてやろう!」

「恐縮です」

「何、気にするな! ふははは「何言ってんだよ、ヒゲェ!!」ぶげらっ!!?」

カイルの渾身の右ストレートがジャキーニさんの顔面に炸裂。

「が、がが、ガイル!? 何ずるんじゃ!?」

「何じゃねえだろう! 人様の客人を勝手に子分にするんじゃねぇよ!!」

「ふ、ふんっ、し、知ったことか! おまえ「ヒゲヒゲさ~ん! サボったらいけないのです、よっ!!」お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛っ!!!?!??!!」

マルルゥの放った矢がジャキーニさんの額に突き刺さる。

「あ、あんさーんっ!!?」

「スコーンいったぞ、スコーン」

「あやっ、外れてしまったのですよ~。あっ、まるまるさぁん! おはようございます!」

何所に当てる気だったんだ、マルルゥ。いくらジャキーニさんでも死ぬぞアレは。
見ててこっちも嬉しくなる様な笑みを浮かべてこっちに来るマルルゥと挨拶を交わす。ニコニコと笑う妖精のすぐ下で矢が刺さった頭を抱えゴロゴロと転がっている男の図。誰が言うまでもなくシュールだ。ああ、これだよ、コレ。喜劇。なつかしい。


「だから、陸に上がるのは嫌なんじゃ~~~~~~~~~~~っ!!!!!!」



いや、ホントなつかしい。





ちょっと感傷に浸った後、ユクレスの広場に行ってみると超必死で走っているスバルとパナシェがいた。何か叫んでる。
何だ何だと後方を窺うと……半泣きのアティさんが2人を追いかけていた。何をやっているんだあの人は。

「ちぇい」

「うぐぅ!!?」

目の前を通り過ぎるアティさんのマントを掴み進行を阻止する。ちょっとどうなのよその声はと思ってしまう奇声を上げ、アティさんは地に倒れ伏した。

「何やってるんですか」

「こっちの台詞ですよソレは! ホント死んじゃいますよ!?」

「はいはい。で、どうしたんですか? 朝っぱらから幼い子供を追い回して。変態ですか、あなたは」

「言うに事欠いて貴方がそれを言いやがりますかっ!!!!」

怖っ……!!!


話を聞く所に寄ると、どうやら前回俺が話した夜叉アティさんにスバルとパナシェが心底恐怖していたらしい。アティさんの顔を見た瞬間全力で逃走を開始。ショックを受けたアティさんは誤解を解かなければと、話をする為に2人を追い掛けていたと…。

いや、それアティさん悪いでしょ。何怖がらせてるんですか、そんなのビビるに決まっていえ嘘ですごめんなさい僕が悪かったです申し訳ございせんですからその眼で睨むのやめて下さい生きてる心地がしないんです本当にすいませんでしたぁぁぁぁぁぁぁあああぁ!!!!!!



射殺されるかと思う程の眼差しにあっさりと屈服した俺はスバルとパナシェを捕まえ誤解をどうにか解いた。死活問題だったので俺も必死でした。

誤解が解けた後、じゃあこれから遊ぼうという事になり、風雷の里――大蓮の池へ移動。池には大小あるが、人1人が十分乗れる蓮が幾つも浮かんでいた。
スバル達はそれに足場にして進んでいく。アティ先生も習って乗ってみるが、蓮がアティさんの体重を支えきれずゆらゆらと揺れる。汗をタラリと流し尻込みするアティさんだったが、スバルに挑発されて俄然やる気になった。

「村の河童娘と言われた実力見せてあげます!」

だから、どうなのよそれは。


軽快なステップで蓮の上を飛んでいくアティさん。なるほど、確かに河童娘の名は伊達ではない。
ていうか、河童と言われて何とも思わなかったのだろうか、あの人は。

「スバルくんっ、賞品は頂きです!!」

「させぬわ」

「うわっ?! ウィ、ウィル君!? 何ですかいきなり!?」

「いえ、あまりにも自称河童娘がトロかったので負かしてやろうかと」

「むっ、信じてませんね! いいです、こっちこそウィル君を負かして上げます!」

「ふん。河童だが菜っ葉だが知りませんが、そんな田舎臭い物が僕に勝てると思っているんですか?」

「河童を舐めないでください!! 菜っ葉だって私の村では特産品です!!」

知ってます。

「いいでしょう。―――ついてこれるか?」

「貴方がついてきてください!!」

荒れ吹く風を物ともせず、俺たちはそこを駆け抜けた。



「ところで先生、蓮が震えてますよ」

「それがどうしました!そんなの沈む前に飛べば――」

「重そう(ぼそっ)」

「ぶっ!!?」


華麗に水中へダイブしなさった。





鬼の御殿へ水浸しになったアティさんの着替えを借りに来た。何か非難がましい視線を送られたが無視。

「どうもすいません、うちの先生が」

「何、気にするでない。困った時はお互い様じゃ。ゆるりと構えよ」

「感謝します」

「何だ、偉く畏まって」

「いえ、忍者の真似事でもと」

「ふふっ。中々様になっておるぞ、ウィル」

「ありがたき幸せ」

「くくっ、あはははははっ!! あまりわらわを笑わせるな、腹が捻れてしまう」

ふむ、やはりミスミ様のやりとりも和む。こんな人が母親だなんていいなぁ、スバル。
俺の母親なんて………やめよう、本当に腹が捻れてしまう。拒絶反応ってやつだ。


「すいません、ミスミ様。こんな服を貸して頂いて………」


と、襖を開けて姿を現すアティさん………………って、何ィ!!?

「おー! うむ、似合っておるぞ、アティ!! やはりわらわの目に狂いはなかったなんだ」

「そ、そうですか? 何だか自分では恥ずかしいんですけど………」

アティさんが来ているのは…………着物。自身の髪と同じ鮮やかな緋色で彩られておりそれに白の帯が巻かれている。

シルターンを起源にするその衣は似合う人と似合わない人がはっきり分かれる。似合う条件は体の線が細かったり醸し出す雰囲気だったり色々あるが、兎に角似合わない人は絶対似合わない。どんなに綺麗ですごいプロポーションでも、そう例えば緑の豪華な服を着ちゃってる年増とか呼ばれちゃう人とかその他色々。

だが、目の前の人は。

もうなんていうか………うん、似合い過ぎ。半端ない。
微妙にいつも周りに飛び出している髪形は、今は綺麗に梳かされておりまるで極上の絹の様に見える。
ほっそりとしている体に着物がぴったりと合っており、嫌でも目が離せない。一挙一挙に思わず目がいってしまう。

………何だこの物体は!? 無色の新兵器かっ!? 視界に入っただけで対象を魅了に陥れる超極悪の付属効果!?
なめんな、死ぬわ!!何も出来ずに全滅だ!!!

ていうか体の線ヤバイ!? ぴったり重なり合って更に帯がきつく結ばれているのか、滅茶苦茶強調されちゃってマス! 尻とか腰とか胸とか胸とか胸とか胸とかっ!!!
何気にでかいとは思っていたが、まさかここまでとはっ! 信じられねぇ、アンタは一体何なんだっ!!?

口をあんぐり開けてその姿に見入ってしまう。いや、見入ざるを得ない。それほどまでに、目の前の女性は優美さと艶美さを兼ね備えていた。
俺の視線に気付いたのか、アティさんが顔をほんのり赤く染めて此方を見詰める。
うおぃ!? そ、それはアカンてっ!?

「え、えっと……どうですか、ウィル君?」

「………………………………………(つい)」

絶対攻撃の前に、俺は反撃すら出来ず視線を横にずらした。やばい、絶対顔赤くなってる。

「あう………。ひ、ひどいですよ、ウィル君! 私だって恥ずかしいんですから、そんなあからさまに逸らさなくても……!」

「ふふふふ………」

ちゃうわ、ボケッ! この天然鈍感河童娘がっ!! いい加減にしろよお前っ!?
そしてミスミ様笑わないで下さい!? くそっ、絶対あれは俺がどう思っているのか気付いている!
くそぃ、屈辱だっ! めっさ屈辱だっ!! 何も出来ないまま蹂躙されるなんて、こんなワンサイドゲームなんて!!

「どうも、こんにちわ」

と、そこに現れた哀れな子羊、もとい、こういうのに全く免疫を持っていない召喚士ヤード。

「おお、ヤード。どうした、何か用か?」

「いえ、特に御用はな……………ぃ……」

会話の途中である一定の方向を見て固まってしまうヤード氏。はい、犠牲者二号。

「あ………ぇ……っ、と……ぁ」

正視する事が出来ず、忙しなく目をあちこち向けるヤード氏。言わずもかな、もちろん顔は赤い。

「ヤードさん?」

「! は、はいっ!!」

「わっ!? ど、どうしたんですか、いきなり叫んで?」

「い、い、い、いえっ!! おお、お、お気になさりゃずに!」

噛んでるよ。
ていうか、あれ話しかけてる人が誰だか解ってないな。身に覚えの無い麗人(だと思っている)に声掛けられて緊張しまくってる。

「………ヤード。それ、先生」

「…………………………………え゛」

時が止まる。ヤードの。

「ヤ、ヤードさん? だ、大丈夫ですか?」

「っっッ!!!」

顔を覗き込むアティさんに首から顔全体まで一気に赤くなるヤード氏。叫ばなかった彼はよくやった。あの天然から繰り出された凶悪スキルに耐えた彼に敬意を表したい。そして悪いが贄になってくれ。

「………じゃあ、僕もう行きます。まだ用があるんで」

「あっ、じゃあ私も……」

「そんな格好で出歩くつもりですか? 正気ですか、あなたは」

どれ程犠牲者を出せば気が済むのだ。

「そ、そこまで言わなくても!?」

「言うに決まってるでしょうこの鈍感」

「ど、どんかん………!」

絶対アレ意味履き違えてる。センスないとか感性が鈍いとか絶対そんな事考えてる。この馬鹿娘ぇ!!

「じゃあ、ヤード。後は頼んだ」

「って、ええっ!!? いや、ちょっと、待ってください!! わ、私もっ!!」

「ヤードさんも私と一緒に居るのは嫌なんですかっ!?」

「ぶっっ!!?!?!」

自覚なし! もうちねっ!! ちね、この人間凶器!! 何だその殺し文句はっ!?
もうダメだ。さっきからミスミ様が笑いを押し殺して低く唸っている。これ以上の醜態を晒す訳にはいかない。一生笑いの種にされてしまう。即刻戦場を撤退しなければ。
噴出するヤードの横を通り過ぎる俺。魔ってと俺を引き止める為に顔を向けるヤード、そして一瞬だけ交差する視線。アイ・コンタクト。


――ウィル! 私を置いていかないでください!?

――悲しいけどこれ、天然なのよね。

――ちょっ!!?


足早にヤードの横を抜ける。ごめん、俺君の事救えない。
背中に縋るりついてくるヤードの視線を一杯に受けながら、俺はその場から離脱した。










狭間の領域 異郷の水場



危ねー。マジ危ねー。シャレ抜きであれ落ちる所だった。もう1人の自分に落とされるなど救えない。
あー、でも綺麗だったな、アティさん。ホントに。

…………理不尽だー!!何であれが俺!?ないよ、マジないよっ!!遣りきれねーーーっ!!!

湖の辺で蹲り、盛大に溜息を吐く。心が「レックス」とウィルのお互いの気持ちでぐらぐらと揺れる。本当にウィルだったら何の問題もなく、憧れやら好意を抱けたのに。
生き殺しですよ、コレ。


「………貴方がウィル君ですか?」

突然かけられる声。何時の間にそこにいたのか、何者かが俺のすぐ横に立っていた。顔を上げてみると……

「……何だ、フレイズか」

(いきなり何だ呼ばわり………)

どうでもいいわー、みたいなぞんざいに反応する。本当どうでもいいし。フレイズの顔が引き攣っているが気にしない。

「ウィ、ウィル君。貴方と話したい事があります。っと、自己紹介がまだでしたね。私の名はフレイズ。もう聞いているかも知れませんが、これからよろしく」

「はい、よろしくお願いします、女タラシのフレイズさん」

「なっ!? な、何ですか、その女タラシというのはっ!?」

「ファリエルがそう言ってました。節操のない犬天使だと」

ガクッと地面に四つんばいになる金髪天使。「ふぁ、ふぁりえる様……」とか呟いてる。
どうでもいいけど邪魔だなコレ。

「…………は、話があるのです」

ふらふらと立ち上がるフレイズ。身に纏うオーラが暗い。
あなた本当に天使? ああ、そういえば今は違うんだっけ。

「ファリエル様のことです」

「…………」

態度改め真剣な顔付きになるフレイズ。ボロクソに言われようが主人のことを案ずるその姿勢。護衛獣の鏡だな。
別にファリエル犬とか言ってないけど。

前回にも聞いた通り、ファリエルの事は島のみんなには話さないで欲しいという内容だった。俺はファリエルが早くみんなと打ち解ける様にしてやりたいのだが………。まぁ、それもファリエルの気持ち次第。強制はしない。お節介はするけど。
とりあえず俺からは何も言わないとフレイズに伝えた。

そういえばアティさんも知っているけどいいのかと尋ねると、もう既に話をしたという金髪。やはりタラシだ。手が早い。
抜け目ねーと目の前の天使見詰めた。そしてすぐに、


光りが森の奥から見え、次には雷鳴が耳を振るわせた。


「!」

「あの光りは、タケシーの? ………ウィル君、それではまた」

羽を広げ、フレイズは光りが上がった森の奥へと飛んでいく。バサバサと羽ばたく音はやがて聞こえなくなった。

……確か、タケシーが住みかを他の召喚獣に襲われたんだっけ? そんでそれを退治しに行くと。
前は、俺も付き合わされた。私1人で行きますとかフレイズが言ったから、はいそれじゃあ頑張ってと俺は引き返そうとしたら、やっぱ付き合ってくださいとか言って連行された。何故に!?と抗議したら何かムカついたからとほざきやがった。
楽勝等と言ってたが、着いてみれば20は居たはぐれの群れ。オイてめー何が楽勝だと叫び、俺は泣く泣く戦った。もちろん抜剣したけど。

今回も巻き込まれずに済みました、と。……ホント複雑だな。

放っておく訳にもいかないのでファリエルに救助を要請。たまたま近くを通りかかっていたソノラとスカーレルにも加わってもらいフレイズを救出した。
助けに来て貰った事に感謝され悪い気はしなかったが、すぐにソノラの元へ向かいお嬢さん発言をかますタラシ。気にくわかなかったのでファリエルにファルゼンボイスで『イヌ…』とぼそっと呟いてもらった。
肩を震わせ乾いた笑みを上げる天使仮を拝めた。スカーレルがドン引きしてた。















「何ですか、話って?」

ミスミ様に頼まれた島の子供達の為の学校。受けるのはスバル君とパナシェ君だけで、学校と言える程の規模ではないんですけど。
最初はウィル君が居るからと言って断って、でもその後ゲンジさんに叱責されこの話を受けることにしました。
私はまだ教師として未熟だとそう感じて。私ももっと教師として勉強しなくてはいけないとそう思ったから。
それをウィル君に伝えなければいけません。

……正直に言って、気が重いです。
朝にウィル君の事を放っておいて別の子達に教えることになったなんて。それに自分がやってみたいという私情も入っているのも事実です。

彼はどう思うのか不安ですけど、でも話さなくちゃあいけません。それに、きっとウィル君は解ってくれると思います。この子は賢いから。
………よし、話しましょう。

「実は、今日ウィル君が居なくなった後……」

「ヤードを昏倒させたんですか?」

「何でそうなるんですか!?」

「あれ、てっきりその事かと思ったんですけど」

「違います!」

うう、せっかく決心したのに。

「でも、ヤード変な感じになってませんでしたか?」

「う…」

確かになってました。私がヤードさん見ると目逸らされましたし。
そんなに私に似合っていなかったのかずっと顔赤くさせて。吹き出すのを必死に我慢してる様な……。

「……ウィル君、そんなに私変だったでしょうか?」

結構自分ではいいなぁなんて思ったんですが………って、何ですかその目は!?

「ホント救えないですね」

「ええっ!?」

それ程ですか! 救えない程美的感覚ダメですか!?

「もう何ていうかズレてるっていうか、いえもうズレまくってます」

「あうっ!」

うう、そんな。根本からダメだなんて。自信無くします……。
まぁ、失う自信なんて最初から無いんですけど…。

「……勘違いしてると思うから言っときますけど、似合わないとか奇天烈とかそういう意味じゃないですよ」

「え……? ど、どういう意味何ですか?」

「自分で考えて下さい、鈍感」

うっ……。また言われました。

「…じゃ、じゃあ、ウィル君はどう思ったんですか?」

ちょっと聞いてみましょう。

「……馬子にも衣裳」

「……微妙ですね」

「豚に真珠」

「ひどくなってますよ!?」

………もういいです。ウィル君に聞いた私が馬鹿でした…。

「…でしたよ」

「………えっ?」


「綺麗、でした」


視線を横に向けて、ポツリとウィル君はそう言いました。頬を赤く染めて…。
て、照れ隠しなんでしょうか。何だか私まで顔が赤くなってそうです………。
……………。

「ありかどうございます、ウィル君」

「…いえ」

こういうウィル君は新鮮です。こんな顔、初めて見ました。何だか嬉しいです……。
新しい彼を見れるのが。不器用な彼の優しさが。

―――うん、嬉しいです。



「せ、先生。それで話って何なんですか?」

………話さなきゃ。

このままでいたいけど。こうやって、彼の優しさを感じていたいけど。

……話さなくちゃあ。

きっと解ってくれる。彼だったら、きっと。


「実は………」





……私は、心の何処かで彼に頼っていた。

彼だったら平気だと、決め付けていた。

彼の優しさに、甘えてた…。

彼だって一人の人間で。………まだ、子供なのに。

彼が涙を押し殺してた姿も、一人月を寂しそうに見上げていた姿も、知っていたのに。

私はそれを忘れ、彼に甘えていた。


全てが終わった後で、私はそれを後悔せずにはいられなかった。



[3907] 5話(下)
Name: さもない◆8608f9fe ID:94a36a62
Date: 2008/11/21 19:13
目の前には申し訳なさそうにスバル達の授業を開く事になったと告げるアティさん。俺が帰った後、ミスミ様に切り出されたそうだ。
ほぼ確信していたからから特に何も思わないが、一応驚いておくフリをする。さすがに無反応は変だし。

そして、昼間散々振り回された仕返しに、傷付いているのを無理をして隠しているが微妙に隠しきれてない憎い演出をする。
ウィル本来の性格と物静かな姿勢も相まって中々イイ仕事をしてしまってようである。自分でもキモイことやっていると鳥肌がたった程だ。

十分に慌てふたむけ!と内心高笑いしてやった。………が、やりすぎた。

ありえない程落ち込んでいる。朝の比じゃない。見ててこっちが悲しくなりそうな顔している。「本当に、ごめんなさい…」と消え入りそうな声で謝罪された。

ナンダ、コレハ。

罪の意識に苛まれる。うわサイテーとへべれけの声が俺の心を抉る。ってちょっと待て!?何してやがるんだあの飲んだくれは!?
気になってしょうがなかったが、今は目の前に居るアティさんを、この空気をどうにかしなくては。
気にしないでください大丈夫ですからと明るく振る舞う。

これならば……と思ったが、いつもと違い不自然なまでに明るい俺に何を思ったのか、無理矢理作った様な笑顔で「ありかどうございます」と言われた。
顔を俯かせ甲板を出て行くアティさん。俺はただ見送るだけしか出来なかった。

ナンテコトヲ………。

自責の念に心が潰されそうだった。後悔先に立たず。胸が痛い。痛過ぎる。

一部始終見ていたと思われるスカーレルがそっと俺の隣に立ち、「先生の気持ちも解って上げて頂戴」と言った。しみじみと。
素で泣きそうになった。




翌日。アティさんに言われた通り授業が開かれる。

青空教室。俺が「レックス」の際に経験した記念すべきその一回目は……ブチ壊しだった。
パナシェ泣くしスバル言う事聞かないしマルルゥ抗議するしアリーゼはすごい目で俺睨むし。
アリーゼが小さく呟いた「嘘吐き」の一言で俺は一発KO。涙ぐんで震えていたそのか細い声に殺られ、俺はその時間再起動することはなかった。

あの時の様な悲劇を繰り返してはならない!俺が傷付くなどありえないが、アティさんの場合は………。
これ以上アティさんの悲しそうな顔見たら死ねる。俺の良心がすり潰される。果てる。冗談抜きで果てる。なんとしてでも成功させなくては!
アティさんと気まずくて朝何も話せなかった俺は一人意気込んだ。



が、世界は俺を嘲笑うかの様に授業を滅茶苦茶にした。



やはりスバルとパナシェのいざこざが発生してしまい、アティさんはそれを諫める。俺も手伝いその場はなんとか治まった。
が、マルルゥの出現が全てを変える。マルルゥが参政権を要求しスバルが他の不干渉を主張しパナシェが無罪を叫ぶ。カオスが広がっていく青空教室。
止むえまい。俺は決断し、全てを押さえ込む最終権力を発動させる。


「先生キレると半端ないぞ」


スバル達にしか聞こえない音量。だが、威力は絶大。スバル達は青い顔をして動きを止めた。
やったかと安堵しようとして


「―――静かにして下さい!!!」


同時に放たれたアティさんの怒鳴り声。
刷り込まれてしまっているアティさんに対する恐怖、初めて見るアティさんの怒った姿。それに耐えきれず、最も恐怖に敏感なワンちゃんは


「うわあああぁぁぁっ!!!!」


逃走した。


「って、おい!!?」


必死すぎだろっ!?ていうか、ボイコット!?
シャレ抜きの最悪の展開。血の気が引いてく。


振り向く

顔を青ざめる彼女―――顔をクシャクシャに歪める女の子

そして交差する俺と彼女の視線―――訴えかける様な山吹の眼

揺れる瞳―――涙



重なってしまった、今の彼女とあの時の少女。



「ぼ、僕、追いかけますっ!」

建前を作り、俺は全速力で彼女達から逃げ出した。






然もないと  5話(下)「自分の居場所って多分自分だけでは気付けないモノなんだと思う」






今現在。ユクレス村の外れ。パナシェの捜索続行中。超鬱な俺。死にたい。
激しい自己嫌悪。何故あんな事をしてしまったのか。アティさんが俺の事を心配してくれていたのは解っていた筈なのに。
最悪だ。女性にあんな顔をさせてしまうなんて。前とまるで変わっていない。アリーゼにしてしまった様に、同じ様に傷付けてしまった。……救えない、ホント救えない。

ふらふらと夢遊病患者の様に徘徊する。あはははと気味の悪い笑い声を上げながら。気を抜くと口から魂が昇っていきそうだ。
心の内は後悔と罪悪感で荒れ狂っていたが、逃げ出してしまったワンちゃんを連れて帰らなければならない。
誰がどうみても不審者な俺はおぼつかない足取りながら任務を遂行しようとする。二度とこんな事が起きない様にしなくては。もう遅いけどね。ははっ……。

しかも何より。アティさんは自分が悪いと勘違いしている。間違いない。疑い様もなく俺が悪いのに。
ああ、ダメだ。ホント死にたい。死んでしまいたい。誰か俺の息の根を止めてくれ。



「子供………?」



ピシッと、体が凍る。
声。背後。気配。無数。周囲展開。囲まれている。

気付かなかった?此処まで接近を許すまで?いや、自ら相手の縄張りへ飛び込んでしまった?
―――救え、ない。

知覚した声。もう聞くことはないだろうと思い忘れていた、しかし聞き間違えない様のない、間違えられない声。
常にアレの側に控えていたもの。コレ=アレの図式が成り立つもの。第2位警戒対象。

壊れた人形の様に首を回す。帝国軍――海軍の制服に身を包んだ軍人達。
そして、中央。褐色の肌。隆々とした筋肉の巨漢。ゴツイおっさん。

引き攣る顔面。笑みを作っている口が痙攣している。
胃が縮む。腹の病を患っている訳でないのに、腹は嫌な音を立てギシギシと痛み出す。


―――お久しぶりです、クマサン。


出来る事なら二度と会いたくありませんでした。


「どうします、隊長?」


あ、ああ、あああああぁ

頼む、やめてくれ。これ以上俺に現実を叩きつけないでくれ。

厄災を、俺に振りかざさないでくれ。

オネガイシマス―――


人垣が割れ姿を現す、1人の軍人。

切れ目の鋭い瞳。硬く尖っている漆黒の髪。

伸ばされている背筋。何事にも屈すまいとする意志を携えたその姿勢。

流れる様な曲線。細く、だが引き締まっている鍛え抜かれた肢体。

胸の膨らみ。疑い様のない、女。


女傑―――アズリア。



「話を聞かせてもらうぞ、少年?」



不敵の笑みを浮かべる目の前の、アレ。


―――ああ、本物だ。


グシャと、ありえない音が胃から鳴った。
同時に俺の意識はブラックアウト。視界は真っ黒に染まった。


―――ごめん。俺、やっぱ死にたくない。











覚醒し、まず最初に視界に入ったのはその他大勢の帝国軍人A。
夢ではなかったのかと、目の前の現実に絶望した。

屈強な軍人の群れに囲まれているこの状況。逃走はまず不可能。
というより、武器ない。隠し持っていたサモナイト石も存在しない。召喚術も使用不可。
ねこは……居る。俺の肩にとまり周りの軍人達を威嚇していた。
孤立無援。無一物。考えられる上でもかなり劣悪な現状である様だ。マジない。

くそぃ、何だよコレ。聞いてない。前はアリーゼに殺られた後、目を覚ましたら勝手に引き摺られててそのまま戦場に放り込まれた。
確かに此処で戦闘になりアリーゼも居て守りながら戦ったけど、こんな事態は予想外。メイメイさんの言う通り、未来が俺の知る物とは相違が生じている。なんてこったい。

どうする?ドースル?
軍人の尋問に口を閉ざし、現状打開を模索する。まぁ、1番妥当なのはみんなが駆け付けてくれるのを待ち、その際に脱出。1番安全だ。
前も此処、竜骨の断層で戦闘になったのだ。何かしらの方法で帝国軍が此処に居るのを察知したのだろう。
懸念事項は、俺が帝国軍に囚われているのに気付いているかいないか。まぁ、恐らくは気付いていないだろうが。
帰ってこない俺を捜索し出すのにどれ程時間がかかるのか。このまま沈黙を続けてもあまり時間は稼げないだろう。もし、時間が掛かるのならば、待ち以外の方法を取るしかないかもしれない。………終わったかも。

「黙っちゃあ何も解んねぇだろうっ、ああぁ!!」

終始無言の俺に声を張り上げる……ええと、何だっけ?び…び………いいや、もうワカメと呼ぼう。
ワカメは睨んでも怒鳴っても黙り表情を崩さない俺に業を煮やしたのか、掴みかかろうとする。それを熊が止めようとするが、ワカメは卑下た笑みを浮かべあしらった。熊、そういう時は鉄拳制裁で黙らせろ。押しが弱い、押しが。


「やめろ、ビジュ」


その静止の声に舌打ちをし、大人しく言うことを聞くワカメ。そして唸り始める俺の胃腸。うぐっ、彼奴の存在を忘れていた……。
俺のすぐ前まで歩み寄るアレ――もといアズリア。終にエンカウントしてしまった。覚悟はしていたが………逃げたい。


悪夢が蘇る。
軍学校での初見から始まり退役するまで会う度に決闘を申し込まれ、此方が休暇中だろうが自室待機だろうが突っ込んでくるアレ。
真面目に戦え!さけんな、来んな!その応酬の毎日に俺は耐えられなくなり軍を退役。何時襲い掛かってくるやもしれないという警戒心、恐怖、ストレスからくる俺の体はボロボロ。安眠出来た日などなかった。自分でもよく耐えたと思う。
開放されたと清々しい気分の俺を門の前で待ち受けていたアレ。胃がはっきりとアレに拒絶反応を起こしたのはあの時だと思う。
「行くな!私はまだお前に勝っていない!だから行くな!!」喚き散らすアレ。誰のせいで退役したと思ってるんだ貴様。このバトルジャンキーがっ!!
剣を抜き俺を止めようと、いや息の根を止めようとするアレ。全力全開の逃走。あの時ほど速く駆け抜けた瞬間はないと断言出来る。
もう会うことはない、そう思っていたのに。この島での回合。繰り返されることになった悪夢と胃痛。

俺の人生の半分は奴の紫電絶華だった。そう錯覚してしまう程、アレは俺の心に深い爪痕を残した。


最後に会った「アレ」とあまり変わっていない目の前の人。
こっちの方はまだ落ち着いている様に見えるのが幸いか。でも、きっとアティさん見たら形振り構わず襲い掛かるんだろうな。アティさん、南無。
拘束されていない所を見るからに、きっと彼女の指示だろう。バトルジャンキーではあったが、こういう所はきちんとしていた。軍人として誇りを持っている彼女がただの子供を拘束するなど許す筈がない。こういう所は好意が持てるのだが……いや、アレは害でしかない。

俺が人質やらなんやら会話をし、私の知っている者ならば必ず来ると言ってそう締めくくった。え、何その信頼?必ず斬るとかそういうんじゃないの?これ、ホントにアズリア?

何かおかしくね?と訝しげに見遣る。何を考えているんだと少し混乱してしまった。
そして、不意に此方に顔を向けるアズリア。ビビる俺。

「私は帝国軍海戦隊第6部隊部隊長、アズリア・レヴィノス。貴様に聞きたい事がある」

なんやねん。俺に何もしないんじゃなかったのか。

「4日前、ある小隊が此処のはぐれ召喚獣と戦闘を行った。その際召喚獣ではなく、人間、それも子供にやられたという報告があってな」

「――――――」

………まずった。

「小隊が、たった1人の子供にやられたという事実。見過ごせるものではない」

「………それが僕だと?」

「それを聞きたい。貴様がやったのか、否か」

殺気籠もり出す空間。周囲の兵は静かにそれぞれの得物に手を添える。
オイオイ。いきなり何だそれは。俺がやったと言えば即襲い掛かるつもりか?だとしたら、笑えない。
正直に吐けという事なんだろうが、あまりにも物騒だ。威嚇ならもうちょっとスマートにやれ。

ふざけた事を考えながら、同時に頭をフル回転させる。
戦闘の際の混乱に乗じてみんなと合流するつもりだったが、甘かった。
もはや俺は完璧に警戒対象。やすやすと俺を合流させない心算だろう。武器もサモナイト石も持っていない今の俺には兵士1人にも勝てない。
更にアズリアは行わないと思うが、あのワカメが俺を人質にとる可能性がある。ていうか大。あのニヤニヤとしたムカつく顔は。
それだけは認められない。俺のせいでみんなが傷付くなど。嬲れらるなど絶対に却下だ。
………仕掛ける。この状況から抜け出す。


「普通に考えて在りえないでしょう。自分で言うのも何ですけど、僕ひょろいですよ?」

―――気付かれない様に、一瞬視線を周囲に走らせる。

「確かにな。だが、目撃した者の情報とお前の特徴が一致している」

―――俺がいるのは断層における三階層。この階層にはアズリア含め7人の障害。

「仕立ての良い服に帽子。そして護衛獣と思われるメイトルパの召喚獣」

―――これより上の階層には障害はなし。二階層、一階層には各3人。

「私の目の前に居る者と寸分狂いはないな」

「そうですね。確かに寸分狂いなし。すごい偶然です」

―――背後は上へと続く道。左手は岩盤。右手は崖。前方には障害。

「そういえば、僕似たような格好した子見ましたよ。それこそ寸分狂いのない」

―――囲まれている。が、右手の配置が手薄。

「ほう。だが押収させてもらった物の中に襲撃者が使役したのと同じサモナイト石があったが?」

―――十分だ。


「ただ持っていただけですよ。僕は扱えませんから」

俺はいけしゃあしゃあと言ってのけ、頭をガリガリと掻く。俺のそのふてぶてしい態度に腹を立てているのか帝国兵達は顔を歪めて睨んでくる。
冷静な判断、観察を怠った。アズリアさえもその自然体でいた俺の行動に疑問を持たなかった。
頭――帽子に忍び込ませていた無契約のサモナイト石を手の中に収める。


「盗んだんですよ。海賊達からサモナイト石と“海賊旗”。“誓約”の儀式も出来ない僕には意味なんてないんですけど」


眉を顰めるアズリア。海賊という言葉に反応したのか、俺の発言自体を訝しんだのか。どちらにせよ、既に気付けていない時点で嵌っている。

上空から降ってくる物体。相当の高度から落下するそれは、恐ろしい速度で目標へと向かう。

そして、炸裂する。



俺に。



「ぐあっ!?」

「「「「「「「!!?」」」」」」」

カーン!と俺を強襲した物体。声を上げる俺。驚愕する帝国軍兵士。
訓練を受け実戦を何度も経てきた兵士達はすぐに上方、空を見上げ脅威を警戒する。

有能であるが故の瞬時の判断。それは待っていた唯一の隙。

見上げたのと同時に俺は右面、崖の方向へ。落下してきたタライを回収。進行方向上の兵士にブン投げる。
顔面に迫ってくるタライ、それに視界を塞がれ兵士は俺を見失う。
駆け、跳ぶ。
兵士達が上空に何もないと気付いた時にはもう遅い。捕虜はその場から抜け出し、その身を崖へ投げだした。


「しまっ!?」

「ぶっ?!」

アズリアの驚愕の声とタライを顔面にもらった兵士の呻き声が響く。
じゃあな、とっつあんと心で呟きながら、俺は帽子からもう1つのサモナイト石を取り出す。

通常より遥かに小形のサモナイト石。釣りの際ソノラに上げた時気付いたその活用性。
携帯便利。何処でも格納可能。隠し持つのに最適なそのサモナイト石を俺は釣りまくり、それを万が一の為に帽子に忍び込ませていた。
更に海賊旗。カイルに好きに使って構わないと許可を得て、俺はそれを装備――腹巻にした。
幸運値上げるそれはもはや俺にとって必需品。邪魔にならない様腹に巻いていた。さすがにアズリア達もこれには気付かなかった様だ。まぁ、気付いたとしてもただの腹巻で終わるだろうが。

俺はその2つを用いて誓約の儀式を発動。そしてわざわざスカの組み合わせを選択し、自爆。仲間では無く警戒対象への攻撃にアズリア達は俺自ら行った事だとは露にも思わない。俺から注意を離し第三者の存在を警戒してしまった。
更に言えば、誓約の儀式による武具作成及び失敗はほとんど魔力が発生しない。発光はするが、スカにかんしては上空に光りが発生し何らかの物体が現れるので、アズリア達は俺の誓約の儀式にも気付けなかった。
後はこの通り。決定的な隙を生み出し、俺はまんまと逃げ果せになった。


寸分狂いなし、と。


二階層。落ちてくる俺に気付いた下層に居た兵士達。
まぁ、まだ完全に逃げ果せになった訳じゃあないけど、と兵士達を見据えそう呟く。

受身を取り着地。結構な高さから飛び降りたが、問題ない。
すぐに大きく後方へと下がり、同時に儀式を執行する。

「海賊旗――誓約――召喚」

速攻。反撃などさせない。圧し潰す。

三階層。落ちた俺を捉えるワカメ他。各々の飛び道具を構える。
二階層。剣と大剣を抜く兵士。詠唱に入る召喚士。
一階層。上へと続く階段へ向かう兵士達。

遅過ぎる。

「来い、『ドリトル』」

何者よりも速く召喚完成。
攻撃方向指示。指を向け、その一点を指し示す。
狙うは―――岩盤!!


「ドリルブロー」


その身を文字通りドリルへと変形し、ドリトルは俺が指し示した岩盤へと突き進む。
けたたましい音が断層一帯に響き、岩盤が抉り削られ破壊される。
帝国軍兵士全員が動きを止める。何をしているのかと、何が起こっているのだと混乱していた。

「っ!?総員退避!!そこから離れろっ!!!」

アズリアが気付いたが、遅い。
ドリトルは消え、元の世界へと送還され。


そして、断層――三階層は崩壊した。


「なぁぁああアアああああああああああ――――――――――」

「うあっ!っあ!い、あああーーーーーーーーー!!?!?!!?」

「な、何でっ――――――」

「うあああああああああああぁあああああああっっ!!!!!」

ある者は土砂に飲み込まれ、あう者は崩落に巻き込まれ、そしてある者は崩れ落ちた足場から宙へと投げ出される。
崩壊の範囲内に居た者全て、最下層へと叩きつけられた。






(………狙ったというのか、これをっ!!?)

断層の崩壊。起こりうる筈もなかった自然災害が、たった1人の人間の手によって引き起こされた。
目の前の光景にアズリアは愕然とする。先程まで自分の部下がいた地面がまるごと崩れ、二階層を巻き込んでいった。
今三階層に居るのは自分を含め3人。つまり、残りはギャレオとビジュのみ。他は全員反応出来ず下に落ちていった。
二階層は言うまでもなく全滅。一階層の者達は危うくも崩落の被害から逃れていた。

一瞬にして、部隊の半分が、戦力の半分が戦闘不能に陥れられた!?
何だ、それは!?大規模の召喚術を使った訳でも、大隊による一斉射撃を行った訳でもない!
だというのにっ!?

アズリアの中で驚愕が、疑念が渦を巻く。
信じられない。その念がアズリアの身を支配する。

「っ!」

下方。これを引き起こした張本人に目を向ける。
あの状態からの脱出、そしてこの崩落。偶然ではない。全て計算された行動。
でなければ、一連の行動の説明がつかない。誓約の儀式を囮に使ったのも、二階層の兵士と遠く離れた地点で着地したのも、距離を取り巻き込まれない様に崩壊を引き起こしたのも、全て!!

何故断層の脆い地点、そこをピンポイントで狙えたのか?何故そこを狙えば崩れると解ったのか?……いや、知っていた?
その場所を知らなければ最初からこの戦法(と言えるのか定かではないが)は成り立たない。
あの少年は、一体……!?

「……!!ギャレオ、ビジュ!下の者達と合流して崩落に巻き込まれた者達を救い出せ!!急げ!!」

「………は、はっ!!」

「…た、隊長っ!!あ、あのガキは、俺がっ!!」

「これは命令だ、ビジュ!行けっ!!」

「っ………!」

アズリアは呆然と立ち竦んでいるギャレオとビジュに指示を飛ばす。異を唱えるビジュだったが、アズリアの剣幕に従うしかなかった。
その場を飛び降り、アズリアは音も無く着地。ウィルと相対する。

「貴様、何者だ」

「ませてるガキです」

「ふざけるなっ………!」

剣を抜き、アズリアはウィルに向ける。
目の前に居る存在は危険だと、アズリアの本能が告げていた。

「いいんですか?僕なんかに構って?」

「何……?」

「あれだけ派手の音起きましたからね。来ますよ、みんな」

「っ!?」

それも計算の内?敵の戦力を削ぎ味方に自分の居場所を知らせる二段構え――撤退せざる得ない状況を作り出した!?
もはや、アズリアは戦慄するしかなかった。


「如何するんですか?此処で全滅するのか、離脱するのか。……早く決めた方がいいですよ。僕は圧倒的に後者を支持します」

飄々と語る目の前の少年。その言う通り、撤退するのが上策。いや、それしか手がない。
少年の言う味方はまだ不確定だが、十中八苦海賊共とこの島の召喚獣。そして……

(アティ……!!)

ビジュや他の部下達の報告からして間違いない。あの腑抜けたお人好しが、自分が認めた戦友が、今は自分の敵。
もうそれは動かない。受け入れるしかない。
そして、それらを踏まえれば決して敵の戦力は侮れる物ではない。今の部隊の現状で戦闘になれば全滅はほぼ確実。
撤退する。しなければいけない。


「……お前の言う通りだ。だが、それはこの場でお前を切り捨てた後でも十分可能だ」

アズリアは殺気をウィルに叩きつける。重心を低く保ち剣を構えた。
それをウィルは変わらない態度で平然と受け流した。

「でしょうね。だから、僕としては貴方にこの場をさっさと離れて欲しいんです。胃もさっきから痛みっぱなしですし」

こうも殺気を剥き出しにしているのに関わらずあの態度。まだ何か隠しているのではないかとアズリアは警戒せざるを得ない。
最初から斬りかかりに行くのを躊躇ったのもそれが原因。相手の真意が見えなかった。
腹を擦りながら「帰ってくださいお願いします」と懇願する目の前の存在。しかし、その間にも隙の1つも見せない。

(………狸がっ!!)

顔を歪め歯を噛み締める。時間が経てば経つほど向こうが有利になるのだ。つまり、今までのやり取りも含め既に向こうの術中に嵌っている。
まるで裏がとれず、そしてあしらわれていた。
アズリアは舌打ちをし、ギャレオ達を見遣る。埋まっている者達はほとんどは救助され、後は治療を残すのみ。
撤退するにせよ、まだ幾分かの時間が必要。ならば、もう関係ない。
―――罠だろうと何だろうと、全て切り伏せる!!

「はああああああああっ!!!」

「やっぱし………。ねこ!」

「ミャミャーーーーーッ!!!」

アズリアはウィル目掛けて駆け、ウィルは死角に待機させていたねこをアズリアに突進させる。

「っ!?」

自分の速度も利用された死角からのカウンター。もはや絶妙を通り越した変態の域のタイミング。間違いなく、必殺。

「っあああぁぁ!!」

だが、捌く。体を捻り剣を用いて受け流す。必殺を、捌ききる。

「疾ッ!!」

「!!?」

それすら――必殺を捌かれるのすら計算の上。
ウィルはアズリアが取った回避行動――目が離れたその一瞬で誓約の儀式を完了。手に収まった苦無を投擲する。

「ぐっ!!?」

この大きく崩れた体勢での回避は不可能。咄嗟に判断したアズリアは顔に迫る凶弾を左手で受け止めた。
掌に突き刺さり貫通する。焼ける様な痛みと伴って血が溢れ出す。左手が死んだ。

「ねこ!!」

「フシャーーーーー!!!」

「ちぃ!!」

更に、背後からねこの再襲。岩すらも砕く頭突きを交わし受け止める。
体勢が整わない故に反撃がままならない。アズリアは防戦一方を強いられる。


(終わりだ)

サモナイト石を前に突き出す。これは避けられない。
何百、何千と試合――いや、死合した「レックス」と「アズリア」。それによる対「アズリア」の戦闘経験。
それが彼女とてこの攻撃は交わせないと答えを叩きだしていた。

召喚光が発生する。

何か1つに特化していない「レックス」が、唯一誰にも負けはしないと自負するのがこの召喚速度。
通常の召喚師が3秒かかる召喚発動を、レックスはほぼタイムラグなしで終了させる。
全召喚術工程。魔力と精神力の融和。構築過程。詠唱省略に簡略化。それら全てを「剣」によって細部まで読み込んだ。
そして、何より戦闘におけるその召喚術の使用回数と、生きる確立を少しでも上げようとあらゆる道具を掻き集めて執行した誓約の儀式の回数。
召喚暴発すること何百回。スカを出すこと何千回。心配掛けた仲間に殴られることプライスレス。
くたばっても「剣」による力で蘇る、もはや人間止めた方がいいのではないかという、ド外道の荒業で万にも及ぶ召喚をこなし「レックス」は超高速召喚を身に着けた。
一度召喚し工程を理解したことのある召喚獣ならば、例外なく一瞬で呼び出すことが可能である。(最上級――Sランクの召喚術はランクが足りないので召喚自体不可)


その「レックス」であるウィルから繰り出される速攻の召喚術。
避ける暇も与えない。ウィルは勝利を確信した。

「ドリ―――」

召喚終了。後は放つのみ。


だが、そのトリガーを引く途中で、ウィルは信じられない光景を知覚する。


此方に背を向けているアズリア。体勢が崩れているにも関わらず、彼女はねこの一瞬の隙を突き高速の切り払いを放つ。
常人では到底不可能の攻撃方法。重心が後ろに傾いていると言うのに、腕の力と腹筋だけで剣を逆袈裟に切り上げた。
弾かれ吹き飛ぶねこ。アズリアはそれを見送ることなく切り上げた剣を瞬時に逆手に持ち返え。首を捻る。



漆黒の瞳が、ウィルを捉えていた。



「――――――ッッ!!?」


「あああああああああああああああああああっ!!!」


一閃!!!


切り上げを放った勢いそのままアズリアは剣を投擲する。
ウィルの召喚術を完成させ発射に至るまで一秒にも満たないその動作、しかしそれを以ってしてもアズリアの方が僅かに、速い。
予想外の行動による一瞬の硬直。本来致命的になど成り得ない零の空白。だがそれは今この戦場において――決定打。


剣が一直線に突き進み、ウィルを肉薄する。


「ツッッ!!?」

回避。ウィルもまた尋常ではない反応速度を以って、その不意の一撃を交わす。
だが、ウィルの頭が警報を鳴らす。視界に映る高速で迫る影。投擲と同時に駆け出していた漆黒。
迎撃不可能―――追撃から、逃れられないっ!!


「はあああああっ!!!!」


突撃そのまま前蹴り。突撃の速度も上乗せされたそれは、易々とウィルは後方へと吹き飛ばす。

「ぐっつ!!?」

両手でガード、炸裂する瞬間に後ろへ跳んだにも関わらず、とんでもない衝撃がウィルを襲う。
宙に舞い遥か後方へと吹き飛ばされ、そして背中で地を削り土煙を巻き上げる。
骨が軋み上げる両腕の痛みに耐え、回転。体を立ち上げる。脅威を視界に捉えようと顔を上げ―――



――――戦慄



岩盤に突き刺さった剣を回収し、既に眼前に迫っている脅威。

そして、構え。剣を持った右手を引いた突きの体勢。

それはただの突きではない、放たれればあらゆる防御を貫く数多の閃光。

防具を貫き、肉を抉り、体を食い散らす、神速の剣―――雷。

絶殺。


ウィルは静かに、そして冷静に、自分の詰みを悟った。


そして、放たれる。




――――紫電絶華――――





雷鳴が、血の花を撒き散らした













(ウィル君っ!!)

駆ける。速く、もっと速くと、アティは焦る気持ち抑えることなしに森を1人駆け抜ける。
帝国軍の部隊の中にウィルが居たということを聞いたのはつい先程。そして、間もなく竜骨の断層のある場所から轟音が上がった。
それを耳にした瞬間、仲間に連絡もせず、アティはその場を駆け出した。静止の声も聞かずたった1人で。
どうしようもない不安がアティを襲う。果てしない後悔がアティを支配する。


昨夜、彼を傷付けた。彼の気持ちも考えなしに、彼の想いを裏切った。大丈夫、心配ないと、いつもの様に自分を困らせる事を言って受け入れてくれると、自分の都合を押し付けた。
無表情の、けれど感情を押し殺している彼の顔が思い出される。
日頃の自分を装うとする彼。手で肘を掴み、何かを抑え様とする彼。伏せられた目、小さく呟かれた「解りました」という了承の声。
一転して心配ないと努めて明るく振舞う姿。無理をしているのは明らかだった。

その後スカーレルに聞かされた言葉。

『あの子、時々遠い目であたし達を見るのよ。2人きりで会話してる時も、みんなと居る時も、ふと気付けば寂しそうに見詰めていてね』

『みんなで笑い合ってる中で、1人だけ離れて眩しそうに見てた。何でそんな顔するのか解らないけど……ただ、あの子が迷子みたいに見えたわ』

ハンマーで殴られたかの様な衝撃が全身を襲った。
知っていたのに。寂しさに涙を流していたのも、たった1人で月を見上げていたのも、知っていたのに。
私は、彼が決して強くない、何処にでも居る普通の子だと、知っていたのに!
自分の居場所を求め続けてるって、知っていた筈なのにっ!!

私はそれを忘れて、彼の思い遣りに甘えようとしていたんだ。
他人に迷惑をかけない様にする彼の、寂しさを押し殺して距離を取ろうとする彼の、その想いに甘えていたんだ。

自分より他人を優先させようとする彼の行動。素直にも、正直にもなろうとしない普段の装い。常に自分を押し殺す彼。

今日、表面上は取り繕っていたが内面は動揺していた私を彼は助けてくれた。私に思うことがある筈なのに。
そして、やってしまった失態。乱れた心が授業を滅茶苦茶にしてしまった。それさえも、彼がなんとかしようと駆け出していった。

絡み合った視線。彼は私に何を見ていたんだろう。何を求めていたんだろう。

私のせいだ。私が彼を追い込んだ。彼を、傷付けていた。
助けなくちゃ。謝らなくちゃ。叱ってあげなくちゃ。
一杯言いたいことがある。だから、無事でっ!


森を抜ける。やがて見えるのは至る所から骨が突き出している巨大な断層。
僅かに土煙が舞っており、そして崩落したと思われる箇所に群れる帝国軍。
まさか、あの中に?ウィルの安否にアティの顔が青褪めた。そして、アティが気付くのと同時に帝国軍もアティの存在に気付く。

「くっ、来たか!総員警戒!」

「出やがったな、赤髪ィ!!」

ギャレオが治療を続ける兵士に警戒を呼び掛け、ビジュは笑みを浮かべ己の武器をアティに向ける。
構っている暇はない!突破して、ウィル君を!アティは障害を退けようと杖を構えた。

「そこを退いて下さい!!」

サモナイト石を取り出し詠唱を開始。目の前の敵を相手にしなければいけないもどかしさを感じながら、

アティはそれを目にする。


「――――――――――」


断層の二段目。剣を構え疾走する女性兵。見間違える筈もない、旧友。アズリア。

その彼女が向かわんとする所。其処に居るのは自分の生徒。守らなくてはいけない、大切な存在。


時間の流れが緩慢になる。

アズリアの手がぶれ、閃光の様な突きが繰り出された。

剣は放たれ■■■を貫く。

それだけに終わらず、幾重もの剣閃が■■■に注がれ、そして血飛沫が上がる。

一閃される度に剣は赤く染まっていき、そして■■■を穿ってゆく。

乱れる刃は終局を迎え、その刺突を以ってして、


■■■を岩盤へと叩きつけた。


崩れ落ち、倒れるその体は、


もう、動かない。



「―――――――――――――――――――――――――」



何かが切れる音がした。













「はっ、はっ、はっ…………っ」

息を乱し、アズリアは前方の岩盤を見遣る。
叩きつけられ血で赤く染まった体は、もうピクリとも動かない。
紫電絶華。自分の奥義にして必殺。放てば、どんな強固な障害であろうと粉砕してきた。
ましてやあれは子供。防具も何も身に付けていないあの小さな体が受ければ、結果など見えている。

(だが、生きている……)

にも関わらずあの少年は死んではいない。他の誰でもないアズリア自身がそれを解っていた。
あの瞬間。体勢は崩れており回避はままならない状態。高速で迫る自分に対して、あの少年は

自らも前に出た。

腕が伸びきり最高速度、威力に到達する前に、中途半端の状態の突きをその身に受けたのだ。
高速で繰り出される乱れ突きの中に自ら飛び込む。確かにその行動により威力を殺されるのは事実。だがあの場ではそれが正解だとしても、実行出来るかは別問題。はっきり言って正気の沙汰ではない。異常である。

更にもう1つの要素。
本来ならば例え前に飛び込んできたとしても、防具を身に付けていないあの体を死に至らしめるのは可能である。
そう、本来ならば。

(毒針とはな………!)

アズリアの左手に突き刺さっている投具。今も焼ける様な痛みを発しているそれは、蛇毒針。
海賊旗と無のサモナイト石で生成されるそれは、喰らった敵に毒の追加効果を与える特殊武器。
これにより毒が回り、アズリアは本来の紫電絶華を放つことは出来なかった。今も体中に痛みが走り体が思う様に動かない。

毒により荒くなる息を抑え、アズリアは蛇毒針を引き抜く。
最後の最後までやってくれる。そう悪態をつきウィルの元へと進む。


「ッ!!?」


異変。膨大な魔力。それに当てられアズリアは足を止める。
魔力の発生地。其処へ咄嗟に目を向ければ、



碧の剣を携える白影が、此方へ迫ってきていた。



「―――――――ッ!!?」

「アズリアァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッツ!!!!!!!!!!!!!!」




反射的に地面を全力で蹴り、横に薙がれた「剣」を剣で受け止める。
瞬間、凄まじい魔力が放出され、アズリアは紙切れの様に吹き飛ばされた。

「うあああああああああああああああっっ!!?!?」

奇しくも先程のウィルと同じ様の飛び上がり、重力に従い落下。地についた後も地面を抉りながら尚突き進む。
そして岩盤に激突することでようやく勢いは止まり静止した。

「ぐっ……っあ!!うぐっ………!!!」

呻き声を上げながら、アズリアは剣を利用して立ち上がる。
前を見据える。白装束をはためかせる幽鬼。碧の魔力光が体から溢れ出ていた。
今は背をアズリアに向け、崩れ落ちたウィルに治療を施そうとしている。
その右手に握られているのは、「剣」。

「…………ア、ティ…!?」

先程の白装束の声は、紛れもなく彼女の物。
声に反応し、顔だけをアズリアに向けるアティ。今は碧の色に変わっている瞳がアズリアに明確な敵意を放っていた。

「アズリアッ……!!」

「………そう、か。貴様がそれを持って私に立ちはだかるかっ………!!」

「………………!!」

それぞれの激情を抑えきれず互いを睨み合う。
久方ぶりの知己との再会は、お互い敵となって相間見える形となった。

「必ず、その「剣」は取り返す…………ッ!!!」

その言葉を言い残し、アズリアは身を翻す。
在り得なかった筈の被害は被り、帝国軍は撤退した。






「ウィル、君…………」

真っ赤に染まった体。破れた服から覗く血にまみれた傷口。力なく垂れる体。閉じられた瞼。
見るも無残な姿が、1つの結果が其処に横たわっていた。

「う、ぁっ……!!あ、ぁぁ、あああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!!!」

招いてしまった1つの結果を、アティは抱き上げる。血が流れ、アティの腕を濡らしていく。小さな体は、温かさを感じさせてくれない。

「いや、いやぁっ!!目を、目を開けてください!!目を覚ましてっ!!」

叫びと共に膨大な魔力がアティから放出される。召喚光が発生し、「ピコリット」が姿を現す。
傷口を癒していくが、圧倒的に力が足りない。魔力は余りある程、だが完全に治療させるにはピコリット自身のキャパシティを超えていた。

「お願いっ!死なないでっ!!死な、ないでっ……!!こん、なの……こんなの、嫌ぁっ!!!」

今も尚血は流れていく。アティの顔が悲愴に歪み、涙が次々と溢れ出ていく。


「ウィル君っっ!!!!」







「はい、何ですか」

普通に起きた。


「……………………………………………………ぇ?」


「何か御用で?」

普段と変わらない様子で口を開く狸。いや、赤狸。

「…………ウィ、ウィル君っ!?生き、て…………生きてっ!?」

「ええ、生きてます。伊達に死に慣れて………いえ、何でもありません。忘れてください」

一瞬不穏な発言をかましたが、アティはそれに気付かず、より一層涙を溢れさせた。

「ウィ、ル、君………!ぁ、ああぁ……!!っ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っっ!!!!!!!!!!」


その小さな体をアティは胸に掻き抱き、そして泣いた。閉じられた目から涙は止まらず、声にならない叫びが上がる。
間もなく沈み出した夕日が、彼女と彼を茜色に染め上げていた。







「大丈夫ですか………?」

「ええ。取り合えずは」

美女に抱きしめられるというかなり美味しい思いをして、今もアティさんの腕に支えれている。
ああ、こんな日が来るとは。カイル、俺ついにやったよ。女の胸の中で死ぬ。お前の言う浪漫を叶えたよ。生きてるけど。ていうかヘブン見たよ、ヘブン。滅茶苦茶柔らかかったデス。

「…良かったです。本当に、良かった………」

目の回りを赤くさせたアティさんが、そっと微笑む。目を潤ませているその顔はまた泣き出してしまいそうだ。……やばい、顔が熱い。超綺麗だ。そして、同時に泣かせてしまったことに途方もない罪悪感が…。

「まぁ、あのくらいじゃあ死にませんよ。死ぬ3歩手前くらいです。まだ余裕あります」

素で。

「馬鹿なこと言わないでください!!本当に死んじゃってもおかしくなかったんですよ!!本、当に………!」

そう言われてもなぁ。本当にまだ死ぬには僅かばかりの余裕がある。もうどれくらいで死ぬとか死なないとか解ってしまう。死の気配?そういうのを本当に死ぬ時は感じるからね。こう意識がすーっと失せていく様な。………本当にもう人間じゃないのかもしれない。

兎に角見た目程ヤバイ訳じゃない。滅茶苦茶痛いのは当然だが。アズリアの剣も貫通はしなかったし。脇抉られて剣突き出した時はゾッとしたが。アズリアも俺を殺すつもりは無かったと思う。「レックス」の時は容赦なかったが、今はウィルだし。子供を殺すことはアレはしないと思う。多分な。紫電絶華使ってきたから何とも言えないが。
俺が前に飛び込んできたから加減出来なかったのかもしれない。張り付かれたら苦無持ってた俺が有利だし。ていうか、毒回ってて何であんな動き出来るんだ。普通に無理だろ。化け物か。いや、今更か…。


「………ごめんなさい、ウィル君」

「え………?」

「私のせいで、こんな………!!」

「…………!」

「ごめ、ん、なさいっ……!!!」

目をぎゅうと閉じ、そこから涙を流すアティさん。ぽろぽろと零れる涙が俺の顔を濡らしていく。

………うぐぁ!!違う、違うんですっ!!貴方じゃなくて私が悪いんでございますです!!だから、泣かんといて!!後生や!!でないと、良心が、良心がっ!!

ズッキンズッキン痛む胸を握り潰しながら、アティさんの顔に手を伸ばし流れ出る涙を拭う。指に触れた涙は、ひどく暖かく感じられた。

「………ウィル、君?」

「先生は悪くありません。子供みたいなことやって先生を傷付けた、僕の自業自得です」

「ち、違います!!私がウィル君のこと何も考えずに、色々迷惑掛けて、寂しい思いさせて、傷付けて!………大怪我させて。悪いのは、私です…」

寂しい?ああ、あの夜の事まだ覚えててくれたのか。

「いえ、先生に迷惑掛けたのは僕です。それに怪我だって僕が勝手に捕まったせいですから」

「そんなことないですっ!!私が悪いんです!私がっ!!」

貴方が優しいこと解ってますが、自分を責め過ぎですよ。明らかに悪いのは俺なんですから。

「先生、勘違いしてます。僕は傷付いてなんかいません。あの時は、ただ先生の困る顔が見たくて悪戯しただけです」

「っ!如何してそんな強がるんですかっ!!いつも、いつも、いつもっ!!そうやって何でもない様に平気そうな顔して!!」

何だそれは。強がってなんかないし、それにこの涼しい顔は元々だ。しょうがあるまい。

「何訳の解らないこと言ってるんですか。こういう顔なんだから仕方ないでしょう。人の顔にケチつけないで下さい」

「~~~~っ!!そうやってまたっ!!はぐらかさないでくださいっ!!」

だから何なんだ、それは。いい加減に話を聞けい!

「どんな妄想してるしてるか知りませんが、これが素なんです、素。はぐらかすも何もないです。僕の言葉解ります?」

「も、妄想……!!何でそういうこと言うんですかっ!ウィル君全然可愛くないです!!もっと素直になってくださいっ!!」

うっさい!可愛くないなんて知ってるわ!!素直になるもクソもあるかー!!

「可愛くなる必要なんて何処にでもないでしょう。馬鹿ですか?子供じゃあるまいし」

「ウィル君思いっきり子供です!!完全無欠の子供ですっ!!何ませてるんですか!!ウィル君の方が馬鹿ですっ!!!」

てめっ!!?

「うっさいです。急に騒いで先生の方が子供じゃないですか。精神年齢低い証拠です。五歳児ですか、貴方は」

「なっ、なっ、なぁっ~~~~~~~~~~!!!?」

ふんっ!ざまぁ!!

「自覚があるようで何よりです。もっと「ウィル君なんて枯れてるじゃないですか!!よく変な発言したり、人生に疲れた様な顔してっ!!何悟ってるんですか!?その年でもうお爺ちゃんですかっ!!!」待てーーーーーーーーーっ!!!?」

聞き捨てならないぞ、それはっ!!?誰がジジイかっ!!!


「勝手なことほざくなっ!!俺は枯れてなどいないっ!!眼科行けっ、眼科っ!!」

「生憎私の視力は両方2,0の超正常ですよーーーーーだっ!!眼科なんて行く必要全くありませんっ!!」

「じゃあ眼鏡なんて持ってんなっ!!意味ないだろっ!アホかっ!!痴呆かっ!!頭の病院逝けっ!!!」

「なあっ!?失礼なこと言わないでください!!伊達に決まってるでしょう!?私はボケてませんっ!!」

「嘘抜かすな、この天然っ!!いつもいつも見当違いなこと言いやがって!こっちの身になってみろ!!」

「それはこっちのセリフですっ!変なことばっかり言ってるのはそっちじゃないですか!!変態ですかっ!!!」

「変態言うなっ!!この天然鈍感河童娘っ!!!」

「私の方が年上ですっ!!!」

「年増っ!!!」

「こらーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!!!!」





「……………何だ、アレ」

「先生と、ウィルね……」

「私達、相当焦って此処に来たよね……」

「ええ、相当心配しました……」

「それでアレ……?」

『………ムゥ』



「俺が悪いっ!!!」

「私ですっ!!!」

「俺っ!!!」

「私っ!!!」

「俺っ!!!」

「私っ!!!」

「ぬ~~~~~~~~~~~~~~!!!!」

「う~~~~~~~~~~~~~~!!!!」

「この分からずぅ………………ぅあぁ」

「え?…え、ええっ!?ウィ、ウィル君っ!!?」



「倒れたな」

「倒れたわね」

「バッタリだね」

「バッタリです」

「見事にね」

『………ムゥ』



「血が足りねぇ…………」

「あわわわわっ!!!だ、大丈夫ですかっ!?」

「ピコリットの群れが見える………」

「ちょっ!?シャレなってないですっ!?ウィル君、気を確かに!!?」



「帰るか」

「そうね」

「賛成~」

「ではいきましょう」

「無駄に疲れたわ」

『………ムゥ』




「はは、アリーゼ、今逝くよ……………そして俺を許してくれ…」

「ダメですよっ!!?何懺悔してるんですか!?…ウィル君?ウィル君!?ダ、ダメですーーーーーーーっ!!!?」

















「じゃあ、ウィル君は平気なんですね?」

「はい。まだ貧血の症状が見られますが、それ以外は何ら問題はありません。傷跡も残ることはないでしょう」

「はぁ。良かった。ありがとうございます、クノン。助かりました」

「感謝は不要です。私は、その為に在るのですから」


以前と似たようなやり取りをして苦笑してしまいます。
フラーゼンであるクノンのとって当たり前のことかもしれませんが、私にとってはいくら感謝しても足りないくらいです。
もう一度クノンにお礼を言い、ウィル君の病室へ向かった。

リペアセンターへ来るのは今日で2回目。最初は迷った此処の構造もようやく慣れてきました。そういえばあの娘は大丈夫でしょうか?少し心配です。後でもう一度見に行きましょう。

ウィル君が倒れた時は本当に焦りましたけど、無事で良かったです。
本当に一安心。でも、危なかったのは事実。むしろよくあんな状態で無事でいられたのが不思議です。後遺症もないだなんて。
やっぱり、「剣」のお蔭なんでしょうか?一瞬でこそ治療は無理でしたけど。ウィル君倒れるまでピンピンしてましたし。………ウィル君の底力の様な気がしてきました。何故か否定が出来ません…。

それにしても、あそこまで誰かとムキになって大声出し合ったのも久しぶりです。何だか可笑しい。その相手がウィル君だなんて。私達、似た者同士なのかもしれません。ウィル君は否定しそうですけど。………ふふっ、有りえますね。

さて、もう寝ちゃったでしょうか?


「ウィル君?入っていいですか?」

………返事がしない。やっぱり寝ちゃったのかな?

「入りますよ、ウィル君」

自動に横へ扉がスライドし、中に入る。今はもう夜で電灯がついていないこの部屋も暗くなっています。
窓から入る月明かりで、そこまで暗い訳ではないんですけど………って、いない!?

「ウィ、ウィル君!?」

空のベッドから目を離し部屋を見渡す。何処かに隠れているのかと窺いますが、病室である此処に隠れる場所なんてある訳がなくて……。
さあっと、顔から血の気が引いていった。




「アルディラッ!!!」

「アティ?如何したの、そんな慌てて?」

「ウィル君が、ウィル君が部屋に居ないんです!!」

「!ちょっと待って。今館内の捜索するから」

冷静にアルディラは機械と向かい合い操作していく。いくつものモニターが浮かび上がり、至る箇所の映像が映っては消えていきます。
アルディラがまだリペアセンターに居て助りました。クノンはあの娘の治療もあるので負担は掛けられません。
それよりも、ウィル君は何処へ行ってしまったのか。傷は治っていても、安静にしなければいけないのに。

不安と焦燥に駆られる。まだ見つからないのか。無事なのだろうか。
此処に危険はない。それは解っているのに、不安で不安でしょうがない。心臓が痛い程に胸打っている。
怖い。理屈抜きで、私は彼が居ないというだけで恐怖を感じている。

無残にも斬りつけられるその瞬間。岩に叩きつけられ動かなくなる有様。血に濡れ、まるで死者の様に目が伏せられているその姿。

あの時の光景が浮かび上がってゆく。失ってしまうのではないのか。消えてしまうのではないか。彼はこのまま、私の前から居なくなってしまうのではないか。
恐れている。こんなにも私は恐れている。彼が居なくなってしまうことを。彼の声が聞けなくなることを。感じられなくなることを。

私は、大切なモノを失うことを恐れている。


「……!居たわ」

「っ!!何処ですかっ!?」

「此処の屋上。でも、如何してこんな所に………………って、もう行ったの……?」







階段を駆け上がる。息が乱れるのに構うことなく、屋上へ続く段差を跳ぶ様に上っていく。
如何して屋上に居るのか。今は理由なんてどうでもいい。

屋上への扉の前で少し躊躇し、けれどもすぐにノブに手をかけ回す。
ギィと音を立て扉が開くと、視界に広がるのは人工的な灯りからなる機界の夜景。


そして、背中を向け佇む彼。


いつもと何も変わらないその背中が、今はひどく遠いモノに感じられた。



「……………先生」

「……………はい」

振り向く彼に、相槌を打つ私。
奥にいる彼と、私の今いる場所、それが私達の間にある距離の様に思えて、切なくなった。

彼の元へと向かい、肩を並べる。顔を向き合えたまま、お互いの瞳を見詰め合った。


「…………心配かけちゃいましたか?」

「はい。心配、しました………」

そうですかと呟き、彼は私から視線を外す。
言いたいことがあった筈なのだけれど、言葉は出てこなかった。
月を見詰める彼の目には、何が映っているんだろう。

「何をやってるんですか、こんな所で?」

「月を見上げながら、恒久的な世界平和について考えていたんです」

前と同じ様な問答。でも、今度は、


「何を、考えているんですか?」


近付く。彼へと。1歩、踏み出してみる。

此方を向いて、目を見開いて私を見上げる彼。
そのまま暫く見詰め合い、やがてまた彼は顔を月へと戻す。

「昔のことを、考えてしました」

「マルティーニのお屋敷のことですか?」

「…………………周りに居た人達のことです」

何か違うのだろうかと思ったけど、追求はしなかった。

「一緒に居た時は解らなかったけど、会えなくなって解りました。どのくらい自分がみんなを必要としていたのか。自分にとって掛け替えのない人達だったのか、ようやく解りました」

淡々と言葉が紡がれていくけれど、でもそれには彼の想いが確かに込められていて。

「それが、堪らなく悲しい」

いつかの姿が、ぴったりと重なった。



「スカーレルが言ってました。ウィル君は、時々自分やソノラ達を寂しそうに見てるって」

「……………マジですか?」

「マジです」

参ったと苦笑する彼。窺うことの出来る瞳には、確かに哀愁が見て取れた。

「カイル達、似てるんです。みんなと。本当にそっくりで、みんなと重ねて見ていたんですね」

「………私は、全然気付きませんでした」

「アティさんみたいな変人は居ませんでしたから。誰かと重ねて見ることはなかったんですよ」

誰が変人ですかと文句を言い非難の視線を向ける。
彼は口元に笑みを浮かべ私の視線をさらっと流します。本当にいい性格しています。

暫くして前へと歩き出し、私から彼は離れていく。

「でも、先生のことを羨ましく思っていたかもしれません。先生の立ち位置を、みんなに笑いかけられるその場所を」

「それは………」

「解ってます。みんなは僕にも同じ様に接してくれますから。だから、これはただの我が侭なんです。今自分には無いモノを欲しがる、子供の我が侭です」

今も彼は私から離れていき、距離は更に伸びていく。
その間にも彼の独白は続き、私の胸の中へと染み渡っていく。

「先生の言ってたことは当たっています。僕は寂しく思っていました。みんなが僕のことを知らないことを。僕は独りぼっちだっていうことを」


「…………ええ。僕は、寂しいです」



彼がどんな顔しているのか、背を向けれている私には解らない。
何を見て、何を感じ、何を思っているのか。私には解らない。

ただ、ずっと前に居る今の彼の姿は、偽りのない、彼の想いだと解った。


「私じゃあ、貴方の寂しさを癒せることは出来ませんか?」

歩み寄っていく

「私じゃあ、貴方を笑顔にさせることは出来ませんか?」

距離が無くなっていく。

「私じゃあ、貴方の助けになることは出来ませんか?」

やがて、お互いの距離は零になった。


振り向く。視線が絡み合う。そして、瞳に映っているモノは、私だった。


「嬉しかったですよ」


「先生が、僕を見てくれるって言ってくれて。1人じゃないって言ってくれて」


「独りぼっちの僕に、居場所をくれて」



「――――俺は、嬉しかった」



「だから、ありがとう」


頭を下げる彼。笑っていた彼。私を映していた彼。本当の、彼。
胸が高鳴った。


――――嬉しかった。













「先生?」

「……………!は、はいっ!!な、何ですか?」

「何呆けちゃってるんですか。やっぱり、頭の病院行った方が」

「馬鹿なこと言わないで下さいっ!!」

「行った方がいいと思いますけどね」

「私は変人じゃありません!って、そうです!!ウィル君、何やってるんですか!?怪我してるのにこんな所に来て!」

「いいじゃないですか別に」

「ダメです、寝てなきゃ!行きますよ!!」

「え、ちょ、ちょっと!?な、何引っ張ってるんですかっ?!離してください!?」

「嫌です!目を離したらまた何処かふらふら行っちゃうんですから!!このまま連れて行きます!」

「しません!しませんから、離してくださいっ!?手を離してっ!!?」

「いけません!部屋まで連行します!」

「馬鹿抜かすなーーーーーっ!?やっぱ、病院行けーーーーーーーーっ!!!この鈍ちん!!」

「に、鈍っ!?私はそんなトロくなんかありませんっ!!!」

「違ぇーーーーーーーー!!!?鈍すぎるわっ!!この天然悪魔っ!!ええい、離せっ!!!」

「ちょ、ちょっと暴れないで下さい!!というか、悪魔って言わないで下さいっ!!?また誤解されるじゃないですかっ!!」

「いいから、離せーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!!」







澄んだ夜空に浮かぶ満月。
その月の下、離れ引き寄せる2つの影。
暗闇の中に浮かぶ淡く青白い光りの相が、彼と彼女を照らしていた。



[3907] 6話(上)
Name: さもない◆8608f9fe ID:94a36a62
Date: 2008/11/11 17:35
起床。いつもの見上げる天井ではないことから、昨日はリペアセンターに泊まったことを思い出す。
体を起こして患者服を脱ぎ、準備されているマルティーニの服に袖を通す。

以前にもお世話になったが、やはりラトリクスの科学技術はすごい。
血で真っ赤になり穴だらけだった服、その代わりに用意して貰った服は元の物とそっくりそのまま、何ら変わりがない。
同じ材料使ったんだろうけど、完璧に再現出来ている。しかも一晩でだ。脱帽である。

まだちょっとぼうっとするな。血がもうちょいいる。肉食おう、肉。
朝食をとる為に部屋の外へ出る。クノン居てくれるといいんだけど。


「って、おお?」

「おはようございます、ウィルさま」

部屋から出てみるといきなりクノンと鉢合わせになった。
ワゴンを押す格好でいる所から、どうやら朝食を運んできてくれた様だ。
ナイスタイミング。そしてありがとう、クノン。非常に感謝だ。

「おはよう、クノン。朝食持ってきてくれたの?」

「はい、その通りです。それよりもウィルさま、貴方は安静の身です。まだ大人しくしていて下さい」

「平気だよ。もう普通に動けるし。食事とれば問題ない」

「確かに回復はしていますが、完全ではありません。お戻り下さい」

融通がきかない。そういえばまだこの時のクノンって頑固なんだよな。何言っても聞いてくれないし。
まぁ、笑う様になってからでも治療の際は何言っても聞かなかったか。

朝食食べる為に部屋出たから素直に戻って何も問題はないんだけど……ふむ。

「ダメなんだ。授業がある。今から行かないと間に合わない」

「いけません。部屋へお戻り下さい」

「僕は逃げてでも行くよ。先生に迷惑掛けたくないから」

「止めてください」

睨む様にして俺に訴えかけるクノン。患者である俺が走り回るなど、クノンからしてみれば言語道断。
この時ばかりは怒った表情をしている。

「それじゃあ、クノンが僕の言う事聞いてくれたら、僕もクノンの言う事聞くよ」

「する必要がありません。ウィルさまは安静の身なのですから私の指示に従って下さい」

「却下。僕だけが言う事を聞いてクノンは聞かないなんて不公平だ。それだったら僕もクノンの言う事聞かずにこの場で全力で逃走する」

「いけません」

「じゃあ、僕の言う事聞いて?」

「…………………………………」

クノンは眉を寄せて困った様な表情を作る。こんな事を言う俺が理解出来なくて混乱しているのだろう。クノンからしてみれば俺の言う事など聞く義理もない。だが聞かないと俺が逃走して体に負荷をかけてしまう。
フラーゼンである彼女にとってそんな事はさせられない。実力行使に出ようとしてもワゴンを挟んでいる為に俺の方が先に逃げてしまう。

八方塞のクノンは悩むしかない。まぁ、クノンの立場からすれば俺の言う事を聞くざるを得ないのだが。
何かこの頃俺こんなんばっかりだ。日常生活においても他人嵌めまくってる。「レックス」の時はそれほどでもなかったんだけど。どちらかというと、他の人の言う事に従わされる方だった。これもウィルになったせいか。

まぁ兎に角、こうやっていけばクノンもどんどん物事を考える様になっていくと思う。その証拠に、怒る、戸惑う、悩むといった行動と考えを今しているのだから。
簡単なんだ。こうやって何でもない事を話して考えていけば、クノンが変わっていける。余計なお節介かもしれないが、「クノン」は変わる事を望んでいた。俺もそうあって欲しいと思う。
押し付け傲慢だけど、あの娘が浮かべた笑顔は本物で、綺麗だったから。今を喜んでいてくれてたから。クノンにもそれを知って欲しい。
責任はとる。彼女が変わってしまう責任は。絶対に。


「……………………………解りました。ウィルさまの言う事を、聞きます」

よし。では聞いて貰おう。………何かちょっと危ない感じ入っているが気にしてはいけない。

「ありがとう。じゃあ今から僕のこと、ウィルって呼んで。さまづけなしで」

「そ、それは…………」

「失礼ってクノンは思うかもしれないけど、僕はさまづけされた方が不愉快に思うんだ。だから、お願い」

「…………………………」

更に困った顔するクノン。やばい。俺ちょっと楽しんでる。って馬鹿っ!!変態かっ!

「………ぁ………ぅ……」

クノンは口を開けては閉じを繰り返す。俺は目を逸らさずにクノンをじっと見詰める。

「……………ゥ、ィ……」

「クノン、聞こえない。もっとおっきく」

「……………ゥィ………ウィル」

やや俯きながら搾り出す様にしてクノンは名前を呼んでくれた。
そわそわと体を揺らすクノンを可愛いなと思いながら、お礼を言う。

「ありがとう、クノン。約束だから部屋で大人しくしてるよ」

「あ…………」

無作法の気もしたが、こっちでワゴンの中の朝食一式を引っ張りだす。本当はクノンと一緒に朝食を取りたかったがしょがない。色々大変だろうし。

「朝食もありがとう。じゃあ、また」

クノンにもう一度お礼を言い、部屋へと戻った。さすがに朝からステーキみたいな肉はないか。






然もないと  6話(上) 「招かざる来訪者その1は予想の斜め上をいってたりしてた」






「ヴァルゼルドー。起きろーい」

『………猫はっ!猫は苦手でありま「ねこ、行け」っておうぅおおおををおおおおおおをぅおうをおっっ!!!!?!?!!?!』

寝言言いきるに前にねこを押しかけてみた。





『………………お、おは、よう、ご、ざいま、す……きょ、きょう、かん、ど、の………』

「おはよう。で、体の方は平気か?あと、ねこ居ないからそろそろ目を覚ませ」

『……………りょ、了解。本気のエネルギー充電はもう完了しています。……では、早速、本気は歩行体勢に入ります!!』

はいはいと生返事をして巻き込まれない様に距離を取る。
早速歩行体勢に入ろうとするポンコツ。だが足が微動だにせず。そこに反動が加わり非常口の看板みたいな格好ですっ転んだ。

『おぐっ!!?』

頭から地面にめり込んでいる非常口のあれ。何かもう滑稽通り過ぎて涙を誘った。


朝食を取ってクノンに診断された後、激しい運動しないという条件で外出の許可を貰った。
ラトリクスに居たので都合がいいと思い、先程ヴァルゼルドの様子を見に行った次第である。
そして今はこうしてヴァルゼルドの電子頭脳をアルディラの元へ取りに行く途中。行ったり来たり微妙にメンドい。

あれ結構重いんだよなー、見かけによらず。この体でヴァルゼルドの元まで運べるだろうか?まぁ、キツくなったらねことポワソ辺りに助けてもらおう。




「え?居ない?」

「はい。先程アルディラ様は外出なされました」

あのヒッキーのアルディラが外出?んな馬鹿な。此処――中央管理施設に籠もって怪しい実験を繰り返すあのマッドが外に行くなど信じられない。実験のサンプルか何か発見したのか?

「レックス」の時、1番振り回されたのはあのベイガーさんだと思う。アレの襲撃より頻度は少ないが、インパクトが強過ぎた。気付いたら何時の間にか寝台に寝かされてて、危うくドリル付けられそうになったし。アリーゼが助けに来てくれなかったら、俺はシャレ抜きでドリルアームになっている所だった。曰くロケットパンチもつけたかったとか。死ね。

いつか超合金Zの巨大機械兵士でも作ってしまうのではないかという勢いだったあの「アルディラ」が?皆目見当がつかない。いや、此処のアルディラはもしかして違うのかもしれないけど………でもなぁ。想像出来ん。

「ちなみに何処行くか言ってた?」

「はい。アティさまの元へ行くと」

アティさん?ああ、そういう事ね。俺と同じ様に簡単に死なないアティさんで実験しようって魂胆ね。なるほど納得。
非常に気の毒だが、アティさんには潜り抜けてもらうしかあるまい。まぁ、ヤバかったら助けて上げよう。出来たらね。
でも、アティさん「剣」使ってないのにアルディラは解ってるのか。確かにメイメイさんは護人達知ってる様なこと言ってたけど。

しかし、参ったな。そうなるとアルディラが帰ってくるまで此処で待ってなきゃいけない。そこまで時間は掛からないと思うけど、またヴァルセルドの所まで行かなきゃならないからそこでも時間が掛かってしまう。
確か今日色々あったから、あまり時間を無駄にしたくないんだけど。

「何かアルディラさまに御用ですか?」

「え?あー、うん、そうなんだ。ちょっと用事があって」

「私が承りましょうか?」

「んーーー」

別に言っても平気だよな?どうせバレるんだろうし。
ダメ元でクノンに頼んでみるか。

「実は機械兵士の電子頭脳が欲しいんだけど……」

「電子頭脳を?何故ですか?」

「困ってる奴が居るんだ。僕は、そいつを助けてやりたい」

「…………………」

じっと見詰めてくるクノン。俺も視線を逸らさない。
後ろめたい事なんてないし、何より俺はヴァルゼルドについて何も譲るつもりはない。あいつだけが、最後までみんなの輪に居られなかった。
ああ。譲るつもりなんて、絶対ない。

「…………いいでしょう。準備します」

「いいの?」

「はい。どうせアルディラさまを煩わせるのでしょうから、今此処で渡してしまいす。アルディラさまには私の方からお伝えしますので」

「ありがとう、クノン。助かった」

「……礼は、無用です」

「それでも、ありがとう」

「………………何故ですか?」

「んっ?」

「何故、私に礼を言うのですか?私は当然の事をしてるまで。なのに、如何して?」

ふむ。

「クノンは……そうだな、アルディラにメンテナンスとか受けた時どう思う?」

「………特に、何も…」

「本当に?」

「………………………」

「それと同じ。言葉で言い表せないだろ?クノンがしてくれる当たり前の事を、僕はクノンがアルディラに感じるモノと同じモノを感じる」

「アルディラさまの場合は「クノンのメンテナンスだって当たり前のことだろ?」…………」

「クノンがアルディラに感じているモノを、感謝っていうんだよ。理屈抜き。感謝したいからお礼を言う。以上。お仕舞い」

「…………………よく、解りません」

うん、俺もよく解んない。理屈なんて一々つけてたら。

「なら、一杯考えればいい。それで自分だけじゃなくて、他の人にも聞くこと。アルディラでもいいし、先生でもいい。僕でもね。色んな人達に聞いて、自分で考えて、色んなことを知るといい」

「…………知る」

「ん。でも、そんなに深く考え過ぎない方がいい。クノンは頭でっかちだから」

「…………そんなことありません」

おお、怒った。……いい傾向、かな?
眉を吊り上げるクノンに宥めて、サブユニットを取ってきてもらう。よし、ミッションコンプリート。ヴァルゼルド風に。

「クノン、本当にありがとう。じゃあ」

「………ウィルさ……………ウィル」

「ん?何?」

「……………ありがとう、ございます」

さっきの、俺がクノンに言った事のお礼だとすぐに気付いた。
自然と、笑みが浮かんだ。

「どういたしまして」


なんだ、出来るじゃないか。






『ウマイであります!激ウマであります!!』

「あーそうかい。良かったなぁ、このポンコツ……!!」

『い、痛い!痛いであります、教官殿!?蹴らないで欲しいであります!!』

ゲシゲシとヴァルゼルドを蹴る俺。ヴァルセルドが何かほざくが俺は一向に蹴るのを止めない。
何故ヴァルゼルドに蹴りをかましているのかというと、このポンコツ腹が空いたなどとほざき始めやがった。えっちらおっちら電子頭脳を必死に持ってきて俺に、なんかもうエネルギーがヤバイとかなんだとか。そして俺はまたクノンの元へバッテリーを取りに向かったのだ。結局時間がかなり掛かってしまった。意味ないし。

どうやらこのポンコツ、見つけた貰った手前迷惑を掛けたくなかったので出来る限り自分だけでなんとかしようとしていたらしい。余裕が本当に少しあったのでソーラーパネルの方だけで補給を行っていたが、効率が悪くイマイチ充電出来なかったとのこと。
アホ!先言え!二度手間かかったわ!クノンにまたかよみたいな目で見られただろ!

確かに思い出してみれば一回目会った時、バッテリー持ってきてやった記憶がある。これも前より会うのが早かったのが起因しているのか。
ちょっとした行動でも本当に何かしら変わるんだな。気を付けなくては。その内痛い目に合いそうだ。

「迷惑掛けたくない?余計掛かったわ!」

『ごめんさい!?どうか許して欲しいであります!後生であります!!』

「うっさい、ポンコツ!お前なんかヴァカゼルドで十分だ!!」

『不名誉すぎるであります!?』

「知った事か!てめーは俺を怒らせた!よって軍事憲法第十六条において、てめーを罰する!!」

『初耳であります!?』

「黙らっしゃい!!ねこっ、殺れぇっ!!」

「ミャ!!」

『いいいいいぃぃっ!!?!?!!ちょっ、それはマズぅうっつおおおおぉぉおおおおおおおおおおおお&%#%¥#&%$$%#¥#$%#&¥#&¥&$%#%¥#%!!?!!?!?!!!?!?!!?!??!』


この日ヴァルゼルドが目を覚ますことはなかった。









「あれ?先生?」

ヴァルゼルドを機能停止に追いやって、ラトリクスを出ようとするとアティさんと遭遇した。

「あっ、ウィル君。もう調子はいいんですか?」

「はい、もう大丈夫です。先生は何処行くんですか?」

「浜辺で見つかった娘が目を覚ましたって教えて貰ったので、そのお見舞いですね。来て欲しい、とも言われましたけど」

ああ、イスラね。来て欲しいっていうのは、クノンが記憶喪失の(フリしてる)イスラと上手く対話が行えないからだろう。病は気からってやつで、励まして貰おうとしていると。

あれも全部演技だったんだよね。ふふ、アレの弟ということを偽り続けやがって。裏切られた時の俺の痛みなど奴に理解出来まい。主に胃の。
まぁ、全てが全て演技じゃないのは知ってるいるが。………不器用だ、あいつも。

とりあえず俺も着いていく。ラトリクス出ようとしてまたすぐに引き返すのもちょっとあれだが、しょうがあるまい。

「多分、あの船に乗っていたんだと思います。私達と同じで此処に流れ着いて……」

「………そうですね」

助かった者は帝国軍を除けばたったの3人。少な過ぎる生存者の数に、アティさんは顔を曇らせる。
しかも、その内の1人は仕組まれた存在なのだから、救えない。
全てが明らかになった時。この人は何を思うのか。アティさんの事を少なからず知っているだけに、不安を感じずにはいられない。もうちょい人生を気楽に生きて欲しいものだ。

「先生の憂いは解りますけど、今は喜ぶべきだと思います。人が助かったんですから」

それすらも偽りだが。知ってて言う俺も道化だ。

「………そうですね。あんな女の子が助かったんです。喜ばなくちゃあ、ダメですよね?」

「はい。そうです」

「うん、ありがとうございます。ウィル君」

いえいえ。……それにしても、この笑顔にはいつになっても慣れそうもない。
破壊力が有り過ぎる。というか、日に日に増して強力になってる様な気がする。柔らかくなっているというかなんというか。錯覚する様になるなんて、いよいよ俺の防護壁もヤバイかもしれない。何か対策を…………………って、うん?

「先生、ナンテ言いました?」

「?ありがとうございます、ですけど?」

「違います。もっと前」

「喜ばなくちゃあダメですよ」

「その前」

「あんな女の子が助かった、ですか?」

……………………………。

「男ですよね?」

「お、女の子ですよ」

「男でしょ?」

「ち、違いますって」

確かにあいつは中性的ではあるが、勘違いする程でもない。………この人やはり病院行った方がいいんじゃないだろうか。

「先生やっぱ眼科行きましょう。もう手遅れの様な気がしますが行きましょう」

「な、何でそうなるんですか!?私見間違えていません!あの娘は女の子です!!」

「やはり頭の方の「体だって女の子でした!!ちゃんと、その、む、胸だってありましたし」………………」

…………………………………胸?













「クノン」

「何でしょうか?」

「男だよな?あれ」

「いえ、あの方は女性です」

「男だよな?」

「女性です」

「マジ?」

「はい」

…………嘘。
ガラス一枚隔てられた部屋の向こう。アティさんが話し掛けている人物。線の細い体。円らな瞳。少し柔らかそうな黒色の髪。そして、服の上から山を形とっている、胸。
そう、胸だ。胸です。アティさんのモノの様に激しく自己主張する様なモノではなく形の良さそうな胸。胸である。
………何故に?

「名前知ってる?」

「記憶が混乱している様ですが、イスラさまとおっしゃりました」

別人という可能性も断たれた。いや、服がそっくりそのまんまだからもう何か悟ってたけど。

でも、マジ?いや、確かに俺とアティさん、ウィルとアリーゼの様に世界が変わって姓も変わっている人間がいた。他に姓が逆転している人間がいてもおかしくはない。
が………信じられん。アティさんもウィルも言い方が変な様な気がするが俺が当事者だったし、周りでは変わってた人は居なかった。だから、こうして他人が男が女に変わっているという事実を突き付けられると受容しかねるというかなんというか、ううむ、やっぱ信じられない。

しかも、「イスラ」がだ。普通に襲い掛かろう思ってた野郎が女性になってしまった。………襲撃出来るのか?
女性に襲い掛かる、激しく犯罪の臭いがぷんぷんする。そうでなくても一歩間違えれば普通に犯罪になる。

ヤバイだろ、それは。現行の時が唯一の機会になる訳だから、間違いなく仕掛けるタイミングは夜。イレギュラーが起こったらもはや言い逃れなど出来ない。本当に変態の烙印を押される事になってしまう。…………リスクが高過ぎる。
それに女性に乱暴は、ちょっと、いやかなり気が引ける。戦場ならそんな事言ってられないが、それ以外は………。

ガラスの向こうに居る女の子は弱りきった顔をしていた。
演技だ。解っている。だが、本当にそうなのか?俺は彼女のことを何も知らない。「イスラ」と同じ存在であったとしても、彼女という個は知らない。もし、違ったら?俺の知っている「イスラ」とは違っていたら?傷付けるのか?あの娘を?

アティさんと彼女が出てくる。アティさんに強引に引っ張られ戸惑っている姿は年相応の普通の女の子にしか見えない。
彼女を連れて外に出掛けるとアティさんが提案する。中に居ても参ってしまうだけだというその意見にクノンも賛成した。

俺の前に立つ彼女。思ってもみなかった展開に、困った様な笑みを浮かべていた。


「初めまして。イスラって言います」


その顔は偽りなのか?

真面目に困った。













集落へと向かう道中。木が生い茂る森の一本道を進んでいく。横一列に並び、左からアティさん、イスラ、俺の順だ。

イスラの顔を見つめる。アレとは逆の柔らかそうな髪は短く切られている。ショートボブというやつだろうか?耳を隠し首に少しかかる位のその髪型、そして着ている服が相まってボーイッシュの感じを受ける。
すっと伸びた鼻筋に小振りな唇。円らな瞳も黒のそれであり、小振りな顔は非常に整っている。

言うまでもなく、可愛い。少女から大人の女性に成長しつつある姿は魅力に満ち溢れていた。……余計に手を出し憎くなった。

「私の顔に何かついてるかな?」

俺の視線が気になったのかイスラが問い掛けてくる。女性の顔を凝視してしまっていたか。反省。

「記憶喪失なんですよね?」

「………うん」

「ウィ、ウィル君!」

俯き顔を暗くさせるイスラ。これが演技だとしたら大した狸だ。俺の言えた事ではないが。

「不幸をお悔やみしますよ。先生に捕まるなんて」

「ウィル君!!そんな不謹慎に、って私?!!」

「好き放題振り回されて骨の髄までしゃぶり尽くされます。ええ、本当に気の毒です」

「変な事言わないでくださいっ!!」

「約には立たないでしょうが、僕も出来る限り尽力します」

「無視しないでください!また誤解されちゃうじゃないですかっ!?」

「誤解される様な事してるせいです」

「あなたって人はっ!!?」

ギャーギャー言うアティさん。あしらう俺。もはや日常。


「あはっ、あははははははははははっ!!」


そんな俺達のやり取りに、イスラは声を上げて笑い出した。
カァーと赤くなるアティさん。どうやら初対面の人に見られ更に笑われたことを恥じている様だ。

「ご、ごめんさい。で、でも、面白くって」

目に浮かぶ涙を拭って謝るイスラ。その顔はまだ笑みを浮かべている。「あぅ…」とアティさんが呻いた。
だが顔を赤くし恥ずかしながらも、アティさんはイスラのその姿を見て顔を綻ばせた。暗いままでいたイスラが笑ったことを喜んでいる。

「良かったですね先生、笑われて。さすがです」

「………素直に喜べません」

「ふふっ」








風雷の里 鬼の御殿



「ふぅむ、記憶喪失とな?」

「はい………」

「そう気を落とすでない。いつか記憶も戻ってこよう。何か困ったことがあれば来るがよい。力になろうぞ」

「ありがとうございます」

「何、持ちつ持たれつじゃ。気にしなくてよい。じゃが、何でまたその様なことに?」

「それが……」

「こう、先生に背後からがばちょ、と」

「何でですかっ!!?」




井戸前広場



「おいらはスバル!こっちはパナシェ!よろしくな!!」

「よ、よろしくお願いします!」

「うん。私はイスラって言うんだ。よろしくね?」

「おう!じゃあ、イスラ!おいら達と遊ぼうぜ!」

「うん、いいよ。何するの?」

「鬼ごっこだ!」


「微笑ましいですね」

「ええ。イスラさんも楽しそうです。スバル君達には感謝しないと」

「いや、本当に楽しそうです。誰かさんに追いかけられた時とはまるで違う」

「ウィル君怒っていいですか?」

「申し訳ありませんでした」




狭間の領域 双子水晶



『バァ~~~~~~~~~~~~!!!!』

「きゃあっ!?え、え、えっ!!?……わ、私!?」

「マ、マネマネ師匠っ!?驚かさないでください!!イスラさんがびっくりしてるじゃないですか!」

『フッフ~~ン。ソンナコト知ラナイヨ~~ダッ』

「わ、私がいる………」

「ああ、違うんです!これはマネマネ師匠って言う人………人?と、兎に角、その人がイスラさんの格好をそっくり真似してるんです!」

『フッフッフッ。新シキ挑戦者ヨ、イザ尋常ニモノマネ勝負ト洒落込モウゾ!』

「ダメですってばっ!」

「先生、イスラ。退いてください。僕がいきます」

『来タナ。我ガ宿敵ウィルヨ!今日コソ引導ヲ渡シテクレル!!」

「ふん、やってみろ!いくぞ………って、イスラ?」

「………ウィル君、私がいくよ。これは、私の売られたケンカだから」

「イ、イスラさん!?というか、ケンカじゃないです?!」

「あれ、手強いぞ」

「うん。でも、逃げちゃいけない。だって…………」


「私の胸はあんな小さくないっ!!!」


「勝負っ!!」

『ソノ心意気良シヤ!!来イ、小娘ッ!!』


「…………………………………」

(「イスラ」とキャラちげぇ………)




ユクレス村 実りの果樹園



「これ貰っちゃったけど、いいのかな?」

「ん。マネマネ師匠は最後までモノマネについてきた人に賞品くれるから」

「そうなんだ。でもこの水晶、綺麗。何て言うんだろ」

「召魔の水晶」

「よく知ってるね?」

「まね。それよりイスラ、それ後で貸して。ちゃんと返すから」

「うん、いいよ」

(あの激しい攻防戦は一体………)

「此処は何て言う所何ですか?」

「えっ?あ、えっと、此処は実りの果樹園って言って……」


「うお~~~~~~~~~~~~~っ!!!!!離せっ、離さんかいっ!!!離すんじゃい、兄弟っ!!!」


「「わっ!?」」

「あったね、そういえば………」


「待つんや、あんさんっ!早まったらアカン!!」


「えっと………」

「ジャ、ジャキーニさん?」

「あーー……マイハンマーないんだよな」





「どうしてこんなことに…」

「ヘルモグラをやっつけるのですよ~」

「わ、私邪魔にならないかな?」

「イスラ、雑念を捨てろ。奴等に隙を見せたら最後………死ぬぞ」

「う、嘘………」

「真だ。奴等の速さは尋常じゃない。どの位速いかというと現在駐留してる帝国軍の女傑の必殺並みに速い」

「何でウィル君がアズリアのことを…って、そういえばそうでしたね……」

(確かにそれは死ぬなー)

「殺るなら瞬殺だ。そう例えばそこおおおおおおおぉっ!!!」

「「早っ!!?」」

「見るんじゃない!感じるんだ!」

「無茶言わないでください!?」

「ちょ、ちょっと無理が……。あっ、えいっ!」


ドーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!!


「って、えええええええぇっ!!?ば、爆発っ!?」

「ペンタ君だっ!」

「ぺ、ペンタ君っ!?」

「爆殺のプロです!」

「何でそんな物騒なものってきゃあああああああああああああああ!!?!?!?イ、イ、イスラさーーーーーーんっ!!?」

「ニコニコさんが真っ黒焦げになってしまったのですよーーーーっ!?」

「え、衛生兵!?衛生兵っ!?」

「去ねえええぇっ!!!モグラァアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!!!!!」

「何普通にモグラ叩きまくってるんですかっ!!?イスラさんをスルーしないでくださいっ!!」

「今止まったらイスラの死が無駄になるっ!」

「死んでませんっ!!!」

「くたばれぇえええええええええええええええええ、あ゛」


ドッゴーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!!!!!!!


「きゃああああっ!!?……ウィ、ウィルくーんっ!?」

「…………無念…」

「ちょっ!?此処マジでヤバイですっ!!?」










「だ、大丈夫ですか…?」

「あ、あははは…ちょ、ちょっと疲れました」

あの後俺とイスラは回収され治療。一命を取り留めた。
阿鼻叫喚の地獄絵図と化したジャキーニ畑だったが、何でもアティさんが俺とイスラを運び出す為に覚醒、1秒に九連打とか人知超えた離れ技やってのけたらしい。金色の粒子もとい蒼色の粒子撒き散らしたとか。光に変えやがったのろうか。アンタ実は召喚師じゃねーだろ。ちなみにジャキーニさんにプリティ植木鉢貰った。

だが真面目にイスラは心臓が止まっていたらしい。何馬鹿なこと言ってるんですか、それだったら生きてる筈ないでしょうとアティさんの言った事を一蹴したが………内心冷や汗ものだった。
呪いをその身に受けている「イスラ」は体が活動をしていないと死と蘇生を繰り返す。「クノン」に聞いた「イスラ」の症状だが、これはイスラにも当てはまるのだろう。
つまり、イスラは召喚呪咀を受けており、そして無色の恩恵で今は五体満足でいられる。呪ったのが無色だから恩恵も糞もないのだが。

取り敢えずこれでイスラが無色と繋がっているのは確定になった。なんともマヌケな判明の仕方である。


「す、すいません。まさかこんなことになるなんて……」

「僕の言った通りでしたね」

「絶対私のせいじゃない気がするんですけど」

「責任逃れですか?イスラを引っ張り出したのは先生なのに。見苦しいですね」

「くっ……!」

「あ、あのっ!き、気にしないで下さい。本当に楽しかったですし、いい気分転換になりましたから」

「………うう、すいません」

「あはははは………」

「………………」

「でも、ウィル君にも責任がある様な気が………ウィル君?」

「……………あれ」

「「ッ!!?」」


視線の向こう。木々が原型を留めないていない程に到る所が抉られ、その辺り一帯の森が死んでいた。
明らかな異常。自然の摂理にそぐわない現象であることは間違いない。どうやら、きしょい御一行が来なさった様である。













集いの泉にて、緊急会議が開かれている。
もちろん内容は先程の森の変貌。何が起きているのか、事態と原因の解明について話し合っている。

俺は参加していない。ジルコーダじゃね?って言ってもいいんだが、何でお前知ってんねんって話になる。あれメイトルパの方じゃ有名らしいけど、他の世界ではほとんど知られてない召喚獣だしね。派閥連中も一体何人が知っているのか。

普通に知ってますよ言っても怪しまれるだけだし。それに巣である場所を見つけないと、結局ジルコーダの仕業だと解っても解決しない。
巣は炭鉱です言ったらもう怪しまれるだけじゃすまない。よって何も話せない。だから居ても意味なし。

それよりもやらなければいけない事がある。「レックス」の時はこの後呼び出されて、強制的に「剣」を使わされている。アティさんに抜剣させる訳にはいかない。奴が此処を出た瞬間マークする。

あの時は抜剣しろ言われて、するかボケと反抗したが、「剣」が勝手に抜剣しやがった。いよいよあの時「剣」手放そうと思ったね。もはや呪いの類にしか思えなかった。まぁ、すぐに主導権奪い返したけど。

今俺が居るのは泉のほとり。泉の中央の会談の席を見守っていた。


「行かなくていいの?ずっと見てるけど」

「いいんだ。僕が居ても意味ないし。話なら後でも聞ける」

俺の横にはイスラ。非常事態故に、単独行動は危険と言われアティさんが戻ってくるのを待っている。ちなみに俺も同じ状態だったりする。

「ウィルってさ、変わってるよね」

「何、いきなり」

「最初から私のこと呼び捨てだったでしょ?遠慮がないっていうか」

「イスラだって僕のこと呼び捨ててるじゃないか」

「私は最初くんづけしてたよ。ウィルが呼び捨てるから、じゃあ私も、って」

「さいで」

「さいです」

にこっと笑うイスラ。マルルゥに早くもニコニコさん言われるだけあっていい笑顔だ。

「島回ってみてどうだった?」

「楽しかったよ、本当に。何も覚えてないせいかな。目に映る物全部、新鮮に見えた」

「………」


覚えてないのではなく、知らないんだろう、お前は。

呪いをその身に受け床に伏し、無色に引き抜かれた後もただ駒として動く此れまでの人生。
平穏、普通の生活、ありふれた日常。
それらとは縁のない裏の世界。その道を歩むしかなかったイスラは、知らない。

これは「イスラ」が言っていたことで、あいつが何を感じて何を思ったのか俺は解らないし、それは目の前のイスラについても同じ。
いくら俺がイスラの身になって考えてみてもそれはただの妄想でしかない。苦しみなんて物理解してやることなんて無理。

ただ解るのは、全てを眩しそうに見詰める眼差しをしていただけということ。


「何かやりたいことはあった?」

「え?」

「楽しかったんでしょ?何か興味を感じることはなかったの?」

「………………」

「これからもやっていきたいと思えたもの、なかったの?」

「なかったかな?楽しそうだったけど、色々大変そうだったし。私疲れるの嫌いだからさ。遊ぶだけだったらいいんだけど」


「うん、やりたいことなんて、なかった」



「はい、嘘ー」



「……………はっ?」

「滅茶苦茶嘘。普通に嘘。バレバレ」

「…嘘なんかじゃないよ。本当だもん」

「嘘だね。イスラは嘘吐いてる。絶対に」

「ついてないって」

「いや、イスラは嘘吐きだ。現役バリバリの嘘吐きだ。僕には解る」

「……如何して?」

「似たような奴知ってるから」

「誰?」

「僕」

「……………」

「……………」

「……………」

「……………」

「……………ぷっ」


「あはははははははははははははっ!!!!」


「あははっ!何それ?あー、もうホント可笑しいなぁ。………うん、本当に変だね、ウィルって」

「そんなことはない」

「はい、嘘ー」

「ぬっ」

「ふふふ」

本当に楽しそうにイスラは笑う。ころころと表情が変わり、屈託もなく、ただ嬉しそうに。
それは、きっと偽りなんかじゃない、本当の笑顔。


「だいたいさー。こんな正直者の私を捕まえて嘘吐きなんてよく言えるね?」

「そっちの方がよく言う。体弱ってる設定はどうした。普通に師匠と空中戦繰り広げやがったくせに」

「………あ、あはははははは。あ、あれはー、えー、うん、そう、お、女には引いてはいけない時があるんだよ!」

「へー、ふーん、そう」

「くっ……!?こんな屈辱は初めてだよっ………!!」

「胸の件より?」

「うーん、微妙……って何言わせるのっ!!」

「まだ成長の余地はあるって」

「親指立てるなっ!!!!!」



それから、イスラに用事があると伝えて別れた。アティさんには護人と一緒に居ると伝えてあるので平気。
じゃあ、奴が身動きとれない様に張り付くか。





ラトリクス周辺森林



(ば、馬鹿なっ………!)

いつぞやの殺気。醜態を晒す羽目になった先の出来事とまた同じ形。
あの黒装束が、また現れた。

汗が止まらない。喉をゴクリと鳴らし、キュウマは辺りを見回す。彼は汗を拭うことを忘れる程緊張を強いられていた。
忘れる筈もないあの糞にまみれた一件。同じ護人にはドン引きされ、仕える当主には頭の心配をされた。

屈辱、そして悪夢。刻まれた汚点の再襲。キュウマは戦慄する。



端から見ても狼狽しているうんこ忍者。今回トラップは仕込んでないが、今のうんこなら俺でも倒せる。意識刈り取る。んで、アティさんには近付けさせん。

ホントにあのうんこも難儀な性格をしている。ミスミ様の夫の言い残した言葉だが何だが知らないが、色々巻き込もうとしやがった。
その忠誠心には感服するが、それで周りが見えなくなってどうする。ミスミ様を泣かせんなアホ。過去じゃなくて今を見ろ、今を。
何より俺を巻き込むな。最後の最後まで俺を人柱にしようとしやがって。そもそもあの怪しさ爆発のラスボスボイスで気付け。
しかもハイネルは苦しむ俺を鼻で笑いやがった。舐め腐ってたなアイツ。
とにかく潰す。うんこ潰す。

殺気を強める。あからさまに体を強張らせたうんこに苦無を放つ、


「っ!?」


その前に、間違える筈もないあの気配を感じ取った。

「シャルトス!?」

発動した!?何で!?
予想外の事態。混乱しかけるのを抑え、思考を巡らせる。一体、何が起きている?
アティさんが抜剣せざる得なくなった?ジルコーダ?帝国軍?それとも………イスラ?

「消えた………」

「剣」の反応が消える。あまりにも発動の時間帯が短い。戦闘ではない?アティさんの意思とは無関係に「剣」が召喚された?俺の時と同じ?
馬鹿言うな。そうならない様に此処でキュウマを押さえ込んでいたんだろう。キュウマ以外の誰が「剣」に働きかけたというのだ。

それとも、変化が生じた?俺の知っている出来事とは違う何かが起こってしまった?
メイメイさんは言う通り相違が生まれてしまった?

「ちっ!!」

この場を破棄。離脱し、アティさんの元へ向かう。
「レックス」ではないせいか、「剣」が発動した場所まで特定出来なかった。探し回るしかない。だが……

(嫌な予感がする)

喚起の門。無意識の内にもうそこへ向かっていた。俺の時と照らし合わせてみて、展開があまりにも酷似し過ぎている。
切に外れて欲しいが………行くしかない。

如何なっていると、思わずにはいられなかった。













「タケシー!」

落雷。上空から雷が落ち、それを身に受けた異形は崩れ落ちた。
術者はそれを見届け乱れた息を整えようとする。だが、間髪入れず別の異形が飛び掛かってきた。

「っ!?」

「Gyaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!」

『あてぃ!』


轟撃。縦一閃、真横からそれを貰った異形は声を上げる間もなく地に叩き伏せられた。


「あ、ありがとう、ファルゼン」

『アァ』

「ちょっと!片付いたならこっちにも手を貸して頂戴!」

『「!」』

無援の奮闘が、今も尚続けられていた。



際限なく押し寄せる魔蟲。一体何処から湧き出て来るのか。
倒せど倒せど一向に異形共の数は減る気配を見せない。周囲には死体の山が散乱していた。

(数が多すぎる!)

この場でただ一人前線で剣を振るうファリエルは自分達が窮地に立たされつつある事を悟る。
味方は自分を含め3人。そしてその内2人は肉弾戦を不得意とする召喚師。数に押され張りつかれたら最後、今辛うじて保ちつつあるバランスは一気に崩れてしまう。
そうでなくても召喚術の乱発により召喚師――アティ、アルディラの魔力は尽きつつある。限界が近い。


『ハァアアアアアアアッッ!!!』

大剣が振るわれる。大きく薙がれた巨大な鉄塊は、魔蟲をその強固な外殻もろとも粉砕し、彼方へと弾き飛ばした。
撃破。だがそれを嘲笑うかの様にまた新しい魔蟲が森から姿を現す。その光景に、鎧の内でファリエルの顔が苦渋で歪んだ。

僅かに視線を傾け背後を顧みる。
息を大きく吐いているアティ。アルディラは平時のままの様に見えるが、顔からは幾筋もの汗を流していた。

ダメかもしれない。このまま援軍が来なければ。
ファリエルの頭にその思いが過る。

アティが抜剣すればそれで片は付く。
「剣」の力は絶大。いとも容易くあの召喚獣達を捻じ伏せられるだろう。

(それだけはダメ!)

だが、ファリエルはそれを許さない。
「剣」は島の亡霊達を呼び起こしてしまう。喚起の門も存在するこの場での抜剣は危険過ぎる。

何よりアルディラが「剣」の発動を促した事実。護人の、島のタブーを破ってまでの行為。尋常ではなかったアルディラの様子。全ての要素が、「剣」の使用は危険だと言っている。
しかし、このままいけば全滅を待つのみ。打開の術がない。


(……………確か、あの時も…)

思い出すのは先日の夜での戦闘。
召喚獣を庇いどうする事も出来なかった自分を助けてくれた一人の少年。瞬く間に敵を蹴散らし、自分に声を掛けてくれた。
ありえない。馬鹿げている。彼がまた来てくれるなど。そんな都合のいい話がある筈ない。
だけど―――


―――助けて―――


ファリエルは、心の中でまたそれを望んだ。



そして、変化が訪れる。



「Gyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!」

「Gyyyyyyyyy!!?」

新たに出現した魔蟲。群れの後方から姿を現したそれは、ファリエル達に向かうことなく、側に居た同族に牙を剥けた。
突然の背後からの攻撃に死に絶える魔蟲。同族殺しの異端は、それだけに至らず身近の魔蟲にも攻撃する。

「えっ………?」

そして新しく姿を現した魔蟲もまた同じように同族に襲い掛かかる。
同士討ちが、始まった。

「な、何が………」

『………………ッ!!』

アティ、アルディラが目の前の光景に呆然とする中、ファリエルだけが森の中の人影に気付く。

『うぃる!!』

「ええっ!!?」

「っ!?」

森を飛び出し姿を現す少年。肩で息をしているが、その目ははっきりと前を見据えていた。


「Gyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!」


同士討ちに漏れた1体の魔蟲――ジルコーダは現れた外敵に襲い掛かる。

「ウィル君っ!!?」

絶叫。

(間に合わない!!)

予測。

「…………!!」

信頼。


三者三様の反応を見せる中、少年――ウィルは己の成すべきことだけを実行する。


「召喚」


突き出すは深緑のサモナイト石。あらゆる召喚過程を省略し、異界の門を開く。


「ドライアード」


そして召喚されたのは魅惑的な花の妖精。戦場にそぐわない無垢な笑みを浮かべる森の乙女。


「ラブミーウインド」


だがその外見とは裏腹に行使する能力は極悪。両手を向かってくるジルコーダに伸ばし桃色の靄を飛ばす。靄がジルコーダを包み込んだ。

やがて、ジルコーダは動きを止め、反転。同士討ちを続ける群れの中へ身を投じた。


ドライアード。メイトルパの花の妖精であり、魅了魔法を使う数少ない召喚獣。
神経系に作用し対象の意識を他に向けさせる。心を一時的に魅了させ味方同士の同士討ちを図る特殊魔法。
ちなみに色香の作用で増減するらしく、雄の方が効果は高いらしい。

ウィルは森の中で遭遇した数匹のジルコーダに、ドライアードをけしかけ魅了状態にさせたのだ。
結果は言わずもかな、繰り広げられる乱闘が証明している。


互いを攻撃し合うジルコーダを尻目にウィルはそのすぐ横を通り過ぎる。
固まるアティとアルディラ、そしてファリエルの元へ合流した。

『うぃる………』

「…………如何してこうなったのか説明して欲しいですけど、取り合えずあれを片付けましょう」

そう言ってウィルは懐から水晶を取り出し、今も固まっているアルディラへと投げる。
向かってくる球体にアルディラは再起動を果たし、「とっ、とっ、とっ!?」と危なげにキャッチした。

「ウィ、ウィル君っ!?如何してっ!?」

「奇天烈な生き物見つけて後追ったら此処に」

「いえ、それもあるんですけどっ、ええと、そう、た、戦い慣れてません!?」

「ファルゼン、君また無茶しただろ?」

『ムゥ…………』

「無視っ!!?」

アティを普通にシカトするウィル。ファリエルもファリエルで聞きたい事があったのだが、何故か逆に叱られる。
アルディラは手の中にある水晶とウィルを交互に見てまだ混乱してた。

「アルディラ」

「はっ!な、何?」

「それ使って誓約の儀式して。召喚術の効果が切れる前にあれを潰して欲しい」

「ちょ、ちょっと待ちなさい。一体何を呼びだすっていうの?幾ら数が減ったっていってもまだあんなに……」

「ライザーです」

「!………なるほどね」

「借り物だからそれ傷付けないで」

ぬけたウィルの言葉に苦笑して、アルディラは水晶とサモナイト石を両手に構える。
召喚陣が展開され、サモナイト石が発光を始めた。

「アルディラの名において汝の名を刻む。我が求めに答え此処に誓いの儀を。召魔の水晶――誓約」

詠唱を終え、サモナイト石に刻印が打たれた。
そして誓約を交わした僕は主の声に応え異界の門をくぐり抜ける。


「おいで。ライザー」


現われたのは球体の小型機体。それは上空、ジルコーダの真上に召喚された。

「Gyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!!」

ドライアードによる魔法の効果が切れ、ジルコーダは正気を取り戻す。
洗脳され同士討ちを演じさせられていたことに怒り狂い、彼等はウィル達の元へと向かおうとする。


だがそれは叶わない。


上空に召喚されたライザーは元の何十倍もの大きさに巨体化する。
ジルコーダの一団をすっぽり円形の影が覆い、それに気付いた数匹が首を持ち上げた。

視認するのは圧倒的な質量の塊。彼等の動きが止まった。


「ビックボスプレス!!」


そして、落下する。



断末魔の代わりに破砕音が上がり、喚起の門一帯に爆音が鳴り響いた。






「……………!!」

落下地点を中心に辺り一面亀裂が走っている光景は、その威力を物語っていた。
舞い上げられた石の破片がばらばらとその場に落ちていく。
落下したライザーは収縮し、元居た世界に送還された。
その直下を見てみれば、案の定凄惨たる状況になっている。魔蟲の群れは物言わぬ屍と化していた。

(…………来てくれた)

そっと、隣に居る少年をファリエルは見遣る。
僅かに上下する胸。息を切らしており、此処まで来るのに全力で、または召喚術を乱発して無理をしたのが窺えた。
やはり、たまたまでなんかはなく自分達の危機を察知して駆けつけてくれたのだろう。
戦闘で発生した音を聞きつけたのか、魔力を感知したのか。いずれかは解らないが、ウィルは己の危険を顧みず来てくれたのだ。

(もしかしたら、本当に………)

届いたのかもしれない。自分の望みが。そして、彼が応えて……

(~~~~~~~~!!)

ファリエルはそんな事を考えて、次には理由が解らないまま体が熱くなるのを知覚する。
本当に、前触れもなく急に体が熱を帯びた。
え、え、え?とファリエルは混乱する。


別にこれはただの妄想で、そうであったら嬉しいと、本当に、ただそう思っただけで。
彼が、自分を近くに感じてくれているのではないかとそう思っただけで。


『…………約束。破ったら、ダメだから』


彼が自分の事を想ってくれていたらと……そう望んでいるだけで…。


ファリエルはありえる筈のない熱を感じつつ、じっとウィルを見詰めた。
今も前を見据える深緑の瞳は、強い意志が窺える。
視線に気付いたウィルはファリエルに顔を向ける。ファリエルがしまったと思った時には遅く、鎧がびくっと震えてしまう。
ウィルはそんなファリエルを訝しみ、目でファリエルに語りかけた。


―――大丈夫?


いつかと同じ、「ファリエル」に向けられる想いと瞳。





顔にも、熱が伝わった。



[3907] サブシナリオ2
Name: さもない◆8608f9fe ID:94a36a62
Date: 2009/02/19 10:18
戦闘の終了。アルディラの召喚術を最後に正体不明の召喚獣達は現れくなった。
周囲には私達が手にかけた彼等の骸。しょうがなかったとはいえ彼等を死に追いやった。ズキと、胸に痛みが走る。

傲慢なのは解ってます。でも思わずにはいられません。殺さずに済む方法はあったのではないのかと、そう思わずには。
………やめましょう。今は、それを考えている暇はないです。彼等がまだ居るのだとしたら、島のみんなが危険に晒されてしまう。なんとかしなくちゃいけない。


「緊急事態ね……。あの召喚獣達が森を破壊したと見て間違いない。他の護人を集めましょう。一刻を争うわ」

『アア』

「はい」

冷静に語るアルディラはいつもの彼女です。先程の様なおかしな様子は見られません。ファリエルもちらと窺いますが、あの時の荒々しい雰囲気は鳴りをひそめています。気にはなりますが、これも今は後回しです。

そういえば、気になると言えばウィル君が如何して此処に? いえ、おかげで助かりましたけど、あの召喚術の手際の良さは……。
話を聞こうと、後ろに居るウィル君に振り返る。

「ウィル君、あの、さっきのこと何ですけど……ウィル君?」

「……………」

様子がおかしい。息を荒く吐き体を揺らしている。消耗している?

「ど、如何したんですか? まさか、何処か怪我を!?」

「い、え…………ちょっ、と……っ」

次には、手を地面に付け座り込んでしまった。

「ウィル君っ!?」

「!」

「っ!?」

近寄りその体を支える。今も音を立て呼吸が繰り返されおり、頭がぶれたと思えば私の胸の中に収まってしまった。

!! そうだ。この子は、昨日酷い出血を……!!

顔が青褪ていくのが解る。
何故気付かなかったのか。昨日、あれ程身にしみていた筈なのに。

いえ、今はそんな事は如何でもいいです。兎に角、早くウィル君をどうにかしなくちゃいけません。
私はウィル君の体を持ち上げようと背に手を回す。

『ワタシガヤロウ』

「えっ?」

『ワタシガヤル』

そう言って、ファルゼン――ファリエルはウィル君の体を悠々と抱き上げる。彼女の胸にウィル君が収まった。

「ま、待ってください! 私が……!!」

『ワタシノ方ガ適任ダ』

有無を言わせない何かがありました。私はそれに何も言い返す事が出来ません。
『先ヘ行ク』と言い残し、ファリエルは此処を後にしました。ウィル君と、一緒に。

「私達も行きましょう。……アティ?」

「………………」

理由は解らない。如何してそんな気持ちになったのかも。


ただ、遠ざかっていく彼と彼女が、酷くもどかしく思えました。







然もないと  サブシナリオ2 「ウィックス補完計画その2」







「…………………」

「あ、起きた」

「……イスラ?」

「うん。大丈夫?」

「…………だいじょぶ」

体を起こし、周囲に視線を巡らせる。此処は……リペアセンター?

「何で……」

「過度の運動による貧血です」

「ク、クノン……」

声がする方向に振り向けば、そこには尻眉を上げ俺を睨む様にして、いや睨んでいるクノン。
機械的な物言いだったが、それも何処か刺々しく聞こえた。不味い。怒ってらっしゃる……!
そして思い出す。ジルコーダが全滅したのを見届けて、その後眩暈を感じ倒れたのだと。

「私はあれ程注意した筈なのですが?」

「うっ……。ご、ごめんなさい」

「許しません」

「そげな!?」

何か容赦なくない!?
こんな冷たい娘でしたっけ彼女!? って、おいこら! そこ、イスラ笑うな!!

「言いたい事は山ほどありますが、今は緊急事態です。私が戻るまで此処で絶対安静にしていて下さい」

「! 待って、緊急事態って?」

「あの森をおかしくした原因が解ったんだって。召喚獣らしくて、それを退治しに行くらしいよ」

イスラが横から答える。俺の知っている通り、集落事に守りを固めて護人とカイル達が巣を叩きにいくらしい。クノンもアルディラの留守を守る為に俺に構ってる暇はない、と。

「有事の際に備えて治療態勢を整えておかなければいけません。私は行きますが、くれぐれもこの部屋を出ないように。いいですね?」

俺に釘を刺すクノン。前科があるせいか念を入れてくる。
当たり前と言えば当たり前だが……

「……ごめん、クノン。それ聞けない」

「ダメです。許しません」

「それでも、聞けない」

クノンは俺を本当に怒った様に睨みつけてくる。確かに自分でも我が侭を言っている事は解っている。体の調子が悪いことも。
だが、ダメだ。それでも行かないと。みんなが傷付くのを見過ごす訳にはいかない。待っていることは、もう出来ない。

「行かしてくれ、クノン」

「ダメです」

「お願いします」

「ダメです」

「この通り」

「ダメです」

「行かして」

「ダメです」

「居さして」

「ダメで…」

「よし! ダメならしょうがない!! では、行ってくる!!」

「……(シュッ!!)」

「ぐおっ!!?」

「おおぉ!? 腕が伸びた!!」

一直線に伸びた魔手は服の襟を掴み首を絞め上げた。反動で尻餅をつく俺、そしてズルズルと俺を回収するワイヤードフィスト。
てめ、それ反則……!! 死ぬよ、マジで死ぬよ!?

現在進行形で首を圧迫される俺はもがき苦しむ。引き摺られながら。
首をタップするがフラーゼンな彼女はそれをシカトする。そして目をキラキラさせて伸び縮むする腕を見るイスラ。てめー、どういう趣味してやがるんだ。

クノンの足元に辿り着き、ようやく開放された。ゲホゲホと咳き込む俺。
いいなぁと呟くイスラ。殺してやりたい。

「絶対安静です。では、此処に居て下さい」

そう言って部屋を出ていこうとするクノン。
いかん、ああは言っているが絶対ドアをロックするつもりだ。前に注射から逃げまくっていた俺を閉じ込めた時と同じ様に! 笑って注射を構え近寄ってくる看護婦さんは今でも俺のトラウマです!!

「ゲホッ! ゴホッ! あ、アルディラ姉ふぁんの指示でございまふ!」

ピタッ、と止まるクノン。振り向き訝しむ顔で俺を見てくる。さすがにアルディラの指示となればクノンも聞きざるを得まい。

「……アルディラ様からはその様なことはお聞きしていませんが?」

「極秘って奴ですよ、極秘」

(はい、嘘ー)

黙れ、変態。

「何と言われたのですか?」

「メイメイさんの所言って道具とか譲渡の件をつけて欲しいって。ほら、あの人普通に頭おかしいでしょ? だから結構よく話す僕にお願いしたんだ。僕しか頼める人いないって」

「…………………」

眉を寄せるクノン。内容が内容なだけに、誰かを代打代わりする事も出来まい。あのへべれけ具合は島中に轟き渡っているからな。

「……それは、本当なのですね?」

「……うん」

すまん。クノン。騙したりなんかして。でも、行かなくてはいけない。

「…………点滴をします。それまでは此処で待っていて下さい」

部屋を出るクノン。怒ってるな、あれは。

「嘘だって解ってるよ、クノン」

「だろうね…」

「如何してそこまでするのか知らないけど、程々にね」

「…………」

俺はジルコーダ討伐に加わるとは言ってないのだが……いや今更か。俺が運ばれてきた理由は知っているだろうし。

「せっかく会えたんだから、これでお別れなんてやだよ?」

「不吉なこと言うな……」

「ふふっ、そうだね」

「でも」と言葉を切るイスラ。その顔は笑みのまま、俺を見詰めている。

「ウィルが居なくなったら私は悲しいよ。だから、約束」

「…………約束する」

にこっと微笑むイスラ。……くそっ、顔が熱い。
何か顔見られるのが嫌だったので、こっちからクノンの所へ行くと伝える。イスラは特に気にする事もなく分かったと了承した。


「ウィル」

「何?」

「頑張って」

「……任せろ」


互いに笑い合って、俺は部屋を後にした。









「俺の時はキュウマが事件の発端だった。でも、違った。キュウマは何もしていない」

「ふ~ん」

今居るのはメイメイさんのお店。討伐に向かうのはまだ時間があるそうなので余裕はある。
メイメイさんと向かい合いこれまでの事を話していく。俺の知る未来と明らかに変化が起きていると。

「……ファリエルかアルディラが、何かしたとしか思えない。信じたくないけど…」

だが、納得してしまっている俺もいる。前に「彼女達」から聞いた。ファリエルはハイネルの妹で、アルディラは恋人だったそうだ。
何であんな奴にこんな可愛い妹と綺麗な恋人がいるのかと俺は激しく世界の不条理を嘆いた。

普通に可笑しいだろ!? ハイネルだよ、ハイネル!? 白いよ!? ていうかクソだよ、アイツ!? 有り得ないって!?

そう叫びたかったが、「彼女達」に不快な思いをさせそうなで止めた。あれだよ、過去は美化されるってヤツ。きっとそうだ。ファリエルに関しては血が繋がってないんだよ、きっと。

話が逸れたが、兎に角「キュウマ」の時と同じように核識がハイネルの振りをして彼女達を誑かしているのだとしたら、説明がついてしまう。「剣」を使えば自分は蘇るだとかその手の事を言えば。
想いが強い程、それは甘美で激烈な猛毒だ。それは彼女たちを惑わせる。

狂った意思は、彼女達の願いを利用し、更にアティさんを贄にしようとしている。または「俺」や「キュウマ」に実行した。ふざけている。嘗め腐っている。何様のつもりだ。
やはりあれは生かしておけない。存在を許してはいけない。「俺」や「キュウマ」だけの問題だったら此処まで思わなかったが、あれはアティさん含め女性に手をかけやがった。
酌量の余地はない。最初から与えるつもりなど皆無だが。兎に角潰す。必ず潰す。捻り潰す。

「イスラだって女に成ってた。違いが有り過ぎる。……これって、やっぱり俺が居るからなんじゃないか? 俺が居るから、ファリエルとアルディラはおかしくなって、イスラも変わって……。全部俺のせいなんじゃないか?」

異邦人である俺が居るから、変化が生じているのではないか。そう思わずにはいられなかった。



メイメイさんは暫く俺を見詰め、そして眼鏡を取る。いつも様なおちゃらけた雰囲気が消え、ゆっくりと口を開いた。

「ウィル、貴方忘れてるんじゃない? この世界は貴方の居た『世界』ではなく別の世界、平行世界だって」

「!!」

「貴方の知る未来の通り世界が動いてく訳じゃないのよ? 酷似している事もあるかもしれないけど、それは貴方の知っている未来と同一じゃない。必ず相違があるわ」

「…………」

「だから貴方が此処に居るという理由だけで護人である彼女達が狂気に走ったり、他人の性別が変わったりなんかしない」

「でも…………」

「大体普通に考えて可笑しいでしょ? 元が男の人が、貴方が現われていきなり女に成っちゃうなんて」

「それは、そうだけど…」

「彼女達だって同じ。貴方の行動は確かに色々な事象に影響するけど、彼女達に関しては貴方が原因ではないわ。彼女達が選択した結果よ」

「でも、『俺』の時はっ」

「それともなぁに? 自分が居るだけで彼女達の運命が変わってしまうなんて思ってるの? 自己陶酔者なのかしら、貴方は?」

「むっ……」

「そんな難しく考えなさんな。未来より不鮮明で不確かな物なんてこの世にはないんだから」

「…………」

「この世界が貴方の知る未来と似た道程を辿るのは間違いないでしょうけどね。でも今回ので解ったでしょ? 絶対はないって。貴方の知りうる未来は参考程度にしておきなさい」

「……解った。今一納得出来ないけど」

「頑固ねぇ、貴方も」

苦笑するメイメイさん。だか、しょうがない。納得出来ないのだから。
俺の知る「ファリエル」と「アルディラ」は決して人を危険な目に合わせて自分の望みを叶える人ではなかったから。イレギュラーのせいとしか思えない。
これがキュウマだったら何とも思わない。俺が気に掛けるのは女性だけだ。野郎なぞどうでもいい。

取り合えず、此処は平行世界だという事は肝に銘じておこう。俺の知っている世界ではないという事を。決して思い通りにいかない事を。






「あ、そういえばメイメイさん。話変わるんだけど、剣借りてもいいか? あいつ等相手に投具だけじゃキツイんだ。ていうか貰いたいんだけど……」

「ええ、いいわよ。それくらい」

「マジでかっ!? やった、恩に着る!!」

ダメ元で言ってみたのだが、ついている!
言ってみるものだ。ほぼ文無しである身では嬉しいことこの上ないし、守銭度の身としてもありがたい。
よし、一番高そうで性能のいい物選ぼう。そういえば高価と言えばやはり杖なのだろうか? まぁ、俺は杖より断然剣派だが。

「レックス」の時は武器防具の購入は一切しなかった。もっぱら戦利品だった。誓約の儀式で揃えたりもしたが。
何より武器にしてみれば「剣」があったし。気味悪いのこの上なかったが結局使いまくってた。あれ越える武器もないしな。

兎に角武具に金を掛けてはいなかったのだ。
故にこうズラーと並んであってもどれが高いとかは解らない訳で。使えそうなのは何となく解るんだけど。

「ウィル。これなんてどう?」

「ん? それって……サーベルか?」

メイメイさんが手に持つのは見た目シンプルな細剣だった。湾曲した片刃でない直刀。両刃であり刺突も可能なそれは、サーベルとしては珍しい類だ。
柄や鍔等の彩色はほとんど黒一色。僅かに朱色が鍔に有るくらいで、細剣、サーベルの多くが割りと鮮やかな装飾を施されている点からもこれは珍しい。切れ味は確かに良さそうだが……

「ダメだ、メイメイさん。俺は細剣なんて使ったことないし、それだとすぐ折れる。知ってるだろ? ジルコーダの殻滅茶苦茶固いって」

そう、あの召喚蟲の纏う甲殻は半端なく固い。鎧と比べてみても遜色がない程だ。毒を持つ種類もいるし、繁殖力も含めればあれほど達の悪い召喚獣はそうはいないと思う。
女王などまんま怪物だ。あれはシャレになっていない。はっきり言って戦いたくないのが本音である。切実に。
少しズレたが、とにかく奴等相手に俺が細剣使っても壊すのは目に見えている。

「普通の片手剣でいい。簡単に折れたりしないやつ」

「大丈夫よ。これはガチンコサーベルっていってね、その名の通り正面から切り合おうが叩こうが全く問題ないわ。そんじょそこいらの剣よりずっと丈夫なんだから」

ガ、ガチンコ……。なんつーネーミングセンス。

「それに無理だなんて言ってるけど忘れたの? 今の貴方は『ウィル』なのよ。『レックス』が知らなくても体が、記憶が覚えてるわ。剣の扱い方をね」

「……んー」

ホンマかいなというのが正直の感想。俺自身は全く身に覚えのない剣術を、体がうんやらなんやらで扱えると言っても信用出来ない。普通に今まで振ってきた自分の剣の方がずっといい様な気が……。

「なぁに? メイメイさんの言うこと信用出来ないの?」

「んー、まぁぶっちゃけ。全然信用出来ない」

「貴方こういう時だけオブラートに包もうとしないわよね……。じゃあ言っときますけど、今のその体だと『レックス』が普段扱ってた剣振るうのは違和感あるわよ? 剣によっちゃあ満足に使えない物もあるかもしれない。それこそ両手でもったりしないとね。それは貴方のスタイルに反するんじゃないの?」

「うっ……」

「騙されたと思って持っていきなさい? ちゃんと貴方の力になる筈だから」

「……解った。使ってみる」

「そうよ! メイメイさんのウィックス君の為に見繕って上げたんだから、もう絶対役に立つんだから! にゃは、にゃははははははははは!!!」

(だから心配なんだけどな)

「変な事考えてなーい?」

「まさか」

「ふーん」

勘やっぱ鋭いな。俺も表情崩すことなく平然と答えるが。
この人と化かし合いやったら、他の人の様にうまくいかないのは間違いない。

剣を鞘ごと受け取り地面と平行になる様に腰へ装着する。ぶら下げると少し腰落とすだけで下に付いちゃうからな。
鞘から引き抜き軽く振ってみる。メイメイさんが「あぶにゃい!?」言ってるが無視。何かを傷付ける程馬鹿ではない。縦、横、斜めと順々に軌跡を描く。
軽い。ウィルになって筋力は落ちているのに、それでも尚軽く感じられる。それに速い。流れる様にして一気にトップスピードまで持っていける。取り回しもいい。

「これ本当に敵をぶっ叩いたりしても折れない?」

「ええ。簡単には折れないわ」

だとしたら確かに今の俺には最適かもしれない。
片手で十分に扱えるし、剣速も十分。てか余りあまる。これで「俺」の剣の使い方も反映出来るというなら文句なしだ。基本的に「俺」の剣の使い方はスパンと斬るよりブッタ斬るだったしね。

問題があるとすれば軽過ぎるってことか。
速さに適しているせいか、重い一撃をこれで繰り出すのは無理っぽい。あくまで斬るのが主流か。まぁ、なんとかなるか? ガチンコ出来る程丈夫らしいし。

「色々とありがとう、メイメイさん。助かった。じゃ、行ってくる」

「あー、ウィル。待って」

「?」

メイメイさんが近寄って俺の手にある物を渡す。この赤い果実は……

「ジュウユの実? 何で? ていうか、これ結構貴重なんじゃあ……」

「貴方今も貧血抜けきってないでしょ? ジュウユの実は増血作用あるからね。幾つか持ってけば、憂いなしってやつよ」

「……いいのか? 何か色々貰ってるけど?」

「まぁ、店の主人としてはどうかと思うけど、今はそんなの関係ないただのメイメイさんだからね。お友達に手を貸してあげるのは当然でしょ?」

「お友達ね……」

メイメイさんの言い方につい苦笑してしまう。そんなこと言う柄でもないだろうに。

「それに、言ったじゃない? 出来る範囲で貴方の力になって上げるって。こんなことくらいなら、お安い御用よ」

「メイメイさん………」

微笑を浮かべ、穏やかな眼差しで俺を見詰めるメイメイさん。温かく見守ってくれる、そんな優しさがあった。


とても、綺麗だった。






「解った!さすがメイメイさん!太っ腹だな!!」


では、遠慮する事はあるまい!!


「へっ……?」

「じゃあ、とりあえず薬草の類は全部貰っとくとして、ミナーシの滴も頂こうかな。レーセーの滴は……今回はいいか」

「ちょ、ちょっと?」

「おお!? イチゴキャンディー! メロン味まで! すげー、これ普通売ってないのに。ということで、あざーす」

「こ、こらっ! ま、待ちなさい!?」

「アクセサリも貰おう。磁気ネックレスに防犯スカーフ、目覚まし時計は……いらね」

「やめい!? 何普通に取ってんのよ!?」

「力なるゆーたやん。ええやないか、このくらい」

「その喋り方やめなさい!? 貴方が言うとムカつく!! って、そうじゃない! やっぱ、お金払いなさい!!」

「じゃ、メイメイさん。俺行くよ」

「って、速っ!? 何時の間に!? ま、待ちなさいっ、レックス!!?」

「出世払いで頼む!!」

「貴方が出世できる筈ないでしょうがーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!」


風と共に去りぬ。








「はぁ…………やられたぁ」

好きなだけ物色され、道具の類がほとんど持ってかれた。何気に古くなってる物には一切手が出されていない。主婦か、あの男は。

「ったく、もう……」

溜息を吐き、参ったと言わんばかりに手で顔を覆うメイメイ。此処までやり込まれたのはあのウィルが初めてである。ていうか、コソ泥まがいな事やってのけるの者などあれ以外いない。
この島以外にも色々の繋がりがあるメイメイでも、あそこまで人に翻弄される事はなかった。


「本当に不思議ね、貴方っていう人は……」

疲れた表情で、それで何処か嬉しそうにメイメイはそう呟く。
本来傍観者の位置に立つメイメイは、物語の人物達に助言を与えることはあっても深く繋がることはない。それが決められた役割であり、メイメイの使命であるからだ。
酒を飲み飄々としているも、1つ壁の向こう側に居て他人と距離を置くため。他者と深く関わることはない様にするためだ。

だがあのウィルは、「レックス」は、何の躊躇もなしにその壁を粉砕し近寄ってくる。越えてくるのではない。粉砕である。
遠慮ない。躊躇いない。ずうずうしい。そして、鈍感。あらゆる意味で鈍感。アティの事はあまり言えないくらい鈍感。鈍い。

いい意味で素直。悪い意味で馬鹿。
思う存分それを発揮し、勝手に他人の領域へズカズカと入り込んでくる。壁粉砕して。
え、何それ? 食えんの? と言わんばかりにだ。
しかもそれを他者に不快とは思わせない。「レックス」の持ち味というか、気付いたら居なくなってる薄さというか。兎に角そういう存在だ。

久々に他人と食事をすると言ったメイメイの言葉に、ウィルはその次の日から普通にメイメイの店へご飯を持って来る様になった。そして、一緒に食べる。特に会話もないまま、気付いたら何か話しかけ飯を食べる。そして、居なくなる。
何がしたいと突っ込みたくなる。だがそれでも、決して気まずい雰囲気にならない。不思議存在である。

あくまで、何処へ行っても何処に在ろうとも自分のまま。自然体でいるのがあのレックスの持ち味なのだろう。そしてやる事為す事ブッ飛んでいる超変態。それがレックスだ。メイメイはそう思う。

あれは如何なる者も巻き込み滅茶苦茶にしていく。
良い意味とか、悪い意味とかそういうレベルじゃない。奇天烈な方向に持っていく。最悪である。
そして、それはメイメイにも当てはまってしまう。


「毒されてるなぁ、私も……。向こうの『私』が気をつけろって言った意味がよ~く解ったわ」

何かもう既に手遅れだがとメイメイは苦笑する。

だが、不愉快ではない。こうしてレックスと戯れるのは、決して不愉快では。
いや居心地がいいと言えるだろう。責務を違えている様な気もしなくはないが、場合が場合だし許される範疇の筈。

こうしてあのレックスに会えたのは幸運なのか、不幸なのか。
少なくとも後悔はないと思う。変わってしまった事を嘆く事は、決してないと思う。何故ならば、今自分の気分は晴れやかなのだから。


「頑張りなさいな。応援してるし、見守ってる。助けてあげる。疲れたら休みに来てもいい。此処は貴方が唯一レックスでいられる場所なんだから」



「だから、頑張りなさい。『レックス』」



穏やかな、笑顔だった。























ウィル(レックス)

クラス (偽)生徒 〈武器〉 縦、横×剣 縦、横×杖 投(Bタイプ)×投具 〈防具〉 ローブ 軽装

Lv12  HP98 MP133 AT67 DF49 MAT78 MDF61 TEC89 LUC20 MOV3 ↑2 ↓3 召喚数3

機C 鬼C 霊C 獣B   特殊能力 ユニット召喚 ダブルアタック 隠密

武器:ガチンコサーベル AT40 LUC5 CR20% (蛇毒針 AT30 毒30%)

防具:empty

アクセサリ:プリティ植木鉢 耐獣 MDF+5 LUC+5


6話現在のウィルのパラメーター。
ATよりMATが上昇しており、どちらかと言えば召喚師型。といっても現段階では大差もそこまでないので区分させる意味はない。ウィルにとっては物理だろうが召喚術だろうが、それらは手段の内の1つでしかないのでどちらが突出しようがいいらしい。

やはりTECが急カーブを描いて上昇しだしている。珊瑚のオカマ的ネエさんより高い。元暗殺者のTEC上回る辺りやはり変態と言える。クソ忍者? あんなエセでは話にならない。

今回武器をメイメイさんに譲り受け、本格的に近接戦闘を展開出来る様になった。LUC付属効果がある武器を選んでくれる辺り、メイメイさんは非常に出来た人物と言える。というか、そこまでLUCを気にしなければいけない時点で結構泣ける。
防具は軽装さえもこの体じゃ一気にスピードが落ちるとの理由で使用していない。ローブは邪魔とのこと。装甲より速さを取るリアル系の鏡である。
アクセサリはレックス時には毎度おなじみだった「プリティ植木鉢」を装備。

余談だが、この「プリティ植木鉢」をレックスが初めて手に入れた際、仲間に引き摺られ戦場に駆り出されこれを被り兜して使用。
舐めてるのか貴様と仲間達の逆鱗に触れ、アルディラにシャイニング・ウィザードをかまされた。ベイガーで強化チタンが埋め込まれている彼女のシャイニング・ニーは植木鉢ごとレックスのこめかみを粉砕、陥没。「脳漿をブチまけろ!!」と叫びレックスをマットに沈めた彼女は以後「閃光のアルディラ」と呼ばれる様になる。
ど頭(たま)カチ割られたレックスは「くろっ!?」と叫び地に伏した。鼻血出しながら。カイルやヤッファ達が慣れない召喚術やストラで必死にレックスの蘇生を試みる傍ら女性陣は一切治療に加わらなかった。アリーゼさえも。ていうかアルディラとクノンが機神ゼルガノンかました。何も残らなかった。然もあらん。




アティ

クラス 魔剣の主 〈武器〉 横×杖 〈防具〉 ローブ 

Lv13  HP97 MP144 AT51 DF50 MAT91 MDF84 TEC57 LUC55 MOV3 ↑3 ↓3 召喚数3

機C 鬼C 霊A 獣C   特殊能力 抜剣召喚 暴走召喚 ユニット召喚

武器:機幻の杖 AT30 MAT12 TEC5

防具:鱗のローブ DF9 MDF11 TEC2

アクセサリ:かきかたの本 MP+10


6話現在のアティのパラメーター。
2ndクラスで上級――Aランクの召喚術を行使出来てしまう天然鈍感殺戮兵器。ウィルの言う通りやはり頭の何処かがおかしいのかもしれない。
完璧な召喚型であり、全ての属性を扱える万能召喚師。霊属性だけが突出しているが、このパラメーターで全属性扱える時点で既に破格。

何気に近接も結構いける。6話でのジルコーダ戦でも実際疲弊していなければ2,3匹くらいはガチで殺れたかもしれない。証拠にアズリアを吹っ飛し、ゼリー達を赤屍さん並にジェノサイドしている。「剣」の力と言えばそこまでだが、ウィルがその姿に戦慄している所からも先生の能力の高さが窺える。
実は帝国軍時代でアズリアと何度も切り結んでいたらしい。某狸が遭った襲撃回数程ではないが割と自己訓練で打ち合う事は多かった様だ。アズリアとは知己とも言える程の仲にまでなっている。

抜剣召喚したら鬼人の如き強さを発揮するのは間違いない。ただ、その性格故に力を抑えてしまう点から「レックス」程の脅威に成り得ないと予想される。だが、切れると恐らく容赦がなくなると思われ。ギガスラッシュを拝む日が来ないことを祈る。
また抜剣するのに非常に抵抗を持っている。誰の、いや何の畜生のせいかはもう言うまでもないが、実際相当気にしているらしい。スバルやパナシェの怯えた目がそれを助長させている。然もあらん。

武器及びアクセサリはメイメイさんから購入又は貰い受けた物。鱗のローブだけはウィルから売ってもらった。子供と売買するのはどうかと思うアティだったが、ウィルの「実際お金なんてのは建前で先生に貰って欲しいんですけどね」という照れ隠しの言葉に顔を綻ばせ1500バーム払った。アティはウィルも素直ではないなーとホクホク顔で嬉しがっているが、それが釣り上げられた物だとは微塵にも思っていない。誓約の儀式も済ませどう処理しようか悩んだウィルが小遣い稼ぎに利用した。
ちなみにメイメイさんの店で売ったら10バーム。腐っている。




本編とは直接関係ないが、補完の意味合いを兼ねて「レックス」の歩んだ軌跡を公開。
今回は1~2話。


島に漂着。何故自分がこんな浜辺にいるのか思い出そうとして最初に思い出したのが、子供の頃の夢はみんなを守れるセロハンテープになりたいという事だった。幼少の頃から奇天烈だったらしい。

だいたい記憶がはっきりし、自分が家庭教師になった事、生徒とパスティスを向かう途中だった事、海賊に襲われ更に嵐で海に投げ出された事を思い出す。海賊の宝をふんだくろうとした事を後悔した。

アリーゼを発見、合流。目を覚ましたアリーゼに「ひっ!」と思いっきり怯えられ、死にたくなった。取り合えず現状を説明しようとしたが、そこでゼリーが出現。多勢に無勢。しかも仲間の1人は役には立たない。装備もない。アリーゼを囮にして逃走しようかと思ったが、自称女性のジェントルマンのレックスとしてはそんな事出来る筈もなく、己のみで此処を切り抜ける事を決意する。

そして逃走。アリーゼ抱えて。あまりの速攻にゼリー達は愚かアリーゼも抱えられた事には気付かなかった。お姫様抱っこされていると気付いたアリーゼは赤面。1話にしてアリーゼフラグが立たった。逃げまくるレックスだったが、進行上にいた召喚獣(キユピー)が追いかけてきたゼリー達に襲われる。アリーゼの懇願によって本人は勘弁して欲しかったが反転、救助に向かう。

そこで「剣」と接触。シカトした。自分はキチガイではないと言い聞かせ、キユピーを間一髪でゼリー達の攻撃から助け出す。シカトし続けたせいか、別の声(ハイネル)が呼び掛ける様になるがそれも虫。額に青筋浮かべながら笑うハイネルが強引に「剣」をレックスの前に召喚。嫌々ながらも「剣」をとりゼリー達を2秒で全滅させた。

ぜってー面倒事に巻き込まつつあると予感する。キユピーを助けてくれた事で感謝するアリーゼに和みつつも幸先不安を感じまくっていた。


神業的な釣り(既に釣りは神域に達していた)を披露し食事。アリーゼの感心を集めつつ浜辺を後にする。林にて上手く進めないアリーゼに手を貸し感謝される。本来ならば「俺は君の先生だから助けるのは当たり前」などと言う筈なのに、「女性を助けるのは当たり前」などとほざき好感度を下げるどころか上げてしまう。実は天然のタラシだったりする。

岩浜でソノラ、スカーレルと遭遇。話し合いで穏便に済ませようとしたがなし崩し的に戦闘に突入。げんなりしつつキユピーを前線に押し出し隙を見計らいスカーレルに顔面に砂を投げ目潰しをする。悶えるスカーレルをサモンマテリアルで沈めた。海賊でもどうかと思う外道でセコイ戦法にソノラとアリーゼは顔を引き攣らせ、そしてレックスは動きの止まっているソノラにキユピーをブン投げる。投げの速度もプラスされたキユピーのすてみタックルはソノラの鳩に直撃。ソノラは意識が刈り取られ戦闘は終了した。
アリーゼの軽蔑の眼差しが痛すぎた。

浜辺で拾ったロープでソノラ、スカーレルをふん縛り拘束。海賊だから遠慮はしてはいけないとアリーゼを説き伏せる。目を覚ました2人から色々聞き出し船へと案内させる。人質にして上手いこと船を手に入れられないかと画策するレックスだったが、ありえない数のはぐれに襲われている船を目にしてアリーゼ抱え逃走。もうこの時点でカルマ値は三段階くらいに成ってたりする。

森に身を隠そうとするレックスだったが、アリーゼの何かを訴えかけてくる揺れる瞳に良心が耐えられなくなりUターン。御免蒙りたかったが、他に手がないので抜剣。戦場を一望できる崖から飛び降り、はぐれに襲われていたソノラを危機一髪で救い出す。ちなみに同じタイミングでカイルがはぐれに殴られたがそちらへ向かおうとする素振りも見せなかった。優先されるべきは女性らしい。

いきなり現れ助けてくれた白髪の剣士にソノラが見惚れつつ、レックスは片っ端からはぐれを斬りまくる。シャルトスに怯え逃げ出すはぐれにも容赦がない。全滅させた後、一悶着あったがカイルに気に入られ客人として招待される事になる。
その日の夜会話はソノラとアリーゼを選択。てめーシステム無視してんじゃねーよ的な暴挙だった。ソノラに連れ出され、その帰りにアリーゼと遭遇し、何か色々話す。

海賊の仲間になる事に不安を感じてそうなアリーゼに、君のせいでこうなったんだけどなー思わないでもなかったレックスだったが、「アリーゼだけは守る」と声を掛けてやる。昼間人として如何かと思う行動をしていたが、それは自分を守る為だったから? とアリーゼは盛大に勘違いし顔を赤くさせる。事実アリーゼだけは守っていたから強ち間違いでもないが、アリーゼが思う程この赤いのは綺麗な存在ではない。証拠に既に船内を散策し、宝がない事に軽く落胆していた。救えない。然もあらん。



[3907] 6話(下)
Name: さもない◆8608f9fe ID:94a36a62
Date: 2008/10/19 00:38
メイメイさんの店を出てラトリクスへと向かう。
ジルコーダの巣と化している炭鉱は喚起の門の東、ラトリクスの北東に位置している。アティさん達が何処に集まっているかは知らないが、経由するとしたら間違いなくラトリクス周辺を通る筈。俺の時はラトリクスの裏に集合だったし、そこへ行けば問題ないだろう。

喚起の門から出てきた女王蟲にしてみれば、比較的近い位置にあった炭鉱は環境からしてみてもうってつけの巣だったのだろう。ジルコーダの外見からぱっとみ想像するの蟻だし。土で構成され天然の空間など蟻にしてみれば最高の物件だ。飛びつかない筈がない。

何時喚起の門から現れたのかは謎だな。まぁ、そんな前から現れたという事はないだろうが。あったらとっくに森は食い尽くされ島は丸裸になってただろうし。
だが、そうなると女王蟲は1日か或いは経たない内にあそこまで兵を繁殖させたのか。……うえっ、最悪。増え過ぎ。ていうか、キモい。

本当にシャレにならない召喚獣だな。食うだけ食って増えるだけ増える。「食い破る者」……よく言ったものだ。「増え過ぎる者」でもいいような気がするが。いや、ダサいか。


「………いた」

アティさん達御一行が見える。どうやら俺の時と同じ場所に集まった様だ。
さて、どうするかな。普通に合流するか、こっそり付いてって「あれ奇遇ですね」と何食わぬ顔で戦闘に参加するか。普通に後者は無理があるが、馬鹿正直に戦わして下さいと言っても聞いてくれるか解らないし。
まぁ、いきなり俺が現れて戦ってる最中に混乱されたらマズイから、此処で合流するしかないんだけど。


「ご機嫌麗しゅう」


「「「「「「「「「ええっ!!?」」」」」」」」」


忍び寄っていきなり集団の中に姿を現した俺。たまげるみんな。


「ウィル君っ!?」

「他の何に見えるんですか」

「な、何で此処に居るの?」

「理由なんて特にないけど、取り合えず……僕も戦わして下さい」

「っ!!ダメです、危険過ぎます!今直ぐ戻って下さい、ウィルくん!!」

「僕も戦えますよ。足は引っ張りません」

「ダメです!絶対にダメですっ!!」

予想はしていたが、こうも反対されるとは思わなかったな。確かにガキだけどさぁ。

「戦えるんだったら数が多いに越した事はないでしょう?」

「そういう問題じゃありません!危ないって言ってるんです!!」

「一応これでも戦闘の経験はあります。多少の修羅場も」

多少どころかではないが。戦闘など一体どれほど巻き込まれた事か。

「危険なんて事は承知の上です。それを潜り抜ける自信もあります。それに、召喚術には結構自信ありますよ。先生も知ってるでしょう?」

「……!!でもっ…!」

じっ、とアティさんを見詰める。
アティさんは俺を見詰め返しどうしても首を縦に振ってくれない。何でそこまで意固地になるんだ。俺の利便性は授業を通しても解っている筈なのに。治療だって出来るんですよ、ぼかぁ。

埒が空かないと思い、アティさんから視線を外してアルディラを見遣る。合理的に物事を考える彼女ならば俺の戦闘参加に賛成してくれる筈。

「使えますよ、僕」

「………そう、ね。確かにウィルの能力を無駄にしておくのも惜しいわ」

『ッ!』

「アルディラッ!?」

「私は賛成よ。こんな事態ですもの。本人もその気なのだから構わないと思うけど?」

睨む(?)ファルゼン(ファリエルね)と食って掛かるアティさんに構わず、アルディラは淡々と事実を言ってのける。

ちょっと冷たい感じを受けるかもしれないが、あれでもアルディラは他人を気に掛けている。何を優先すべきか心得ているからこその言動だ。
それにちゃんとフォローはしてくれるだろうしな。何だかんだ言って彼女面倒見がいいし。クノンのそれからでも窺える。

「ウィ、ウィルが?ちょーっと私信じられない様な……」

「ソノラ、忘れたの?フレイズ助けた時のこと」

「あっ」

「普通に戦えるわよ、ウィルは。おかしいくらいにね………」

うっ。………疑われている。スカレールやっぱ鋭い。他人の機微とか読み取るの上手いしね。自分もアリーゼの件はお世話になりました。
結構冷や汗もんだったが、スカーレルが「それにソノラはウィルにやられたじゃない」とからかいだしたので追求される様なことはなかった。危ね。

ソノラのギャーギャーうるさいBGMを背景に、アティさんはまだ俺の参加に難色を示している。何だってそんな譲ろうとしない。謎だ。

「先生、如何してそんなに反対するんですか?僕の召喚術はすごいって言ってくれたのは先生じゃないですか」

「それ、は………」

「……僕も戦います。いいですね?」

「…………ッ」

口をぎゅっと結びアティさんは何も答えようとしてくれない。そんなに俺信用ないのだろうか。だとしたら、結構泣ける……


「解ってやれよ、ウィル」

「カイル?」

「先生の気持ちをな。お前さんは、その人にとってたった1人の生徒だろ?」

「……!」


『心配しますよ。ウィル君はたった1人の私の生徒なんですから』


……忘れていた。この人がとんでもないお人好しで、とても優しい人だって事を。
目の前で遣り切れないという顔をしている彼女が、少なからず俺を心配してくれているという事に。

忘れていた。



「………先生の気持ち、嬉しいです。本当に」

「……………」

「でも、もう待っているだけは嫌なんです。出来る事があるのに、何もしないのは嫌なんです」

「…………ウィル、君」

「だから、戦わして下さい。僕も、一緒に。………お願いします」


そう言って、頭を下げた。
自分も戦わして欲しいと願いを込めて。騙している事に対しての謝罪を込めて。こんな俺を想ってくれる事に感謝を込めて。
俺は、頭を下げた。

そして、少しの間沈黙が続き。
すぐ前に人の体温を感じ顔を上げると、そこには瞳に憂いを残すアティさんの顔があって。
じっと、俺を見詰めていた。


「絶対、無茶をしないでください」

「…………」

「絶対、私の前から居なくならないでください」

「…………はい」

「約束ですよ?」


こくりと、小さく頷く。彼女も、小さく笑った。
その瞳に、慈愛を携えて。


「先生も、無茶しちゃダメですよ?」

「ええ」


きっと。
この時初めて。
俺達は、同じ高さで、同じ見方で、同じ場所に立つことが出来たんだと思う。



同じ想いで、2人で笑い合った。







然もないと  6話(下) 「招かざる来訪者その2の方々は結構生理的にあれなものがある」







それからして炭鉱へ向かうパーティー。
絶対優先事項は女王の撃破。でなければ、どれだけ雑魚を潰そうが意味はない。頭を潰さない限り幾らでも増えてしまう。
ジルコーダの生態に詳しいヤッファが大まかな指示を出している。平時の時は俺とタメはれるニートの癖にやる時はやる男だ。率先してみんなを引っ張ってくれる。平然とやってのける。そこにシビれるあこがれる。

と、そういえば喚起の門で何が起こったのか聞かなくてはいけない。実際誰が何をしたのか詳しい事は解ってないのだから。聞き出すとしたらやはりアティさんか。
言ってて嫌になるが、事を起こした本人達に聞いても恐らく何も話してはくれないだろう。被害にあっただろうアティさんに聞き出すしか知る手段はない。

でも、今はさすがに無理か。外見はみないつも通りだが、内心は張り詰めているだろうし。動揺するだろう事聞いて戦闘に影響を出したくない。
取り合えず後回し。っと、そうだ。姉さんに……

「アルディラ」

「どうしたの、ウィル?」

「さっきはありがとう。僕を推してくれて」

「私は事実を言ったまでよ。見方を変えれば貴方を利用しようとしている。礼をする必要はないわ」

「うん、普通に利用するだけならそんな事言う必要はない。アルディラは優しい。だから、ありがとう」

「…………はぁ。調子狂っちゃうわ、貴方と話していると」

「はは、よく言われます」

「誉めてないわよ……」

苦笑するアルディラ。彼女もまた他人と一線を引きたがる人間だが、その実滅茶苦茶思い遣りがある人だ。感情ではなく計算で物事を推し量る融機人(ベイガー)であるが故に線引きをするが、彼女は人一倍の情を持っている。冷徹ではなく、熱い人なのだ。
………その熱がちょっとあれな方向に行っていってしまうのがキズだが。メカとかメカとかメカとかたまにバイオとか。マッドって奴ね。それさえなければ完璧なサイバーレディなのに。ふふ、何か悲しい。

「あと、アルディラ。ちょい頼みたいことが…」

「何、改まちゃって?」

クノンの所から逃げ出す為にアルディラの名を使った事を話す。それから、口裏を合わせて欲しいとも。嘘だと解ったら(恐らく気付いているが)クノンにまた色々言われてしまう。嫌われてしまうかもしれない。いや、もう手遅れもかもしんないけど。
そして、普通に女の子を騙そうとしている俺に乾杯。何処まで堕ちれば気が済むんだ貴様はっ!!ごめんっ、クノーーーンッ!!!

全部話したら呆れ半分苦笑半分だった。取り合えずクノンには言っといてくれるとのこと。ありがとうございます、姉さん。
そうお礼言ったら、姉さん言うのヤメロ言われた。結構はまってると思うんだが。

そして先程からファリエルの視線を感じる。俺がアルディラと話してるせいか何か言う気配はない。
そういえば、ファリエルにも心配かけてしまった。リペアセンター運んでくれたのもファリエルらしいし。後でお礼を言っておかなければ。
………信じられないな、ホントに。彼女達が暗躍しているなんて。信じたくない……。



程無くして、炭鉱付近に到着。森に潜み窺ってみるが……

「多っ……」

ソノラが炭鉱の入り口にうじゃうじゃといるジルコーダを見て呟く。うん、多い。滅茶苦茶多い。キショい。
群れる蟻が大きくなるとあれ程おぞましい物なのかと思い知らされてしまう。ソノラはうえーという顔を隠しもせず、スカーレルは勘弁してよと腕を摩りあっている。アティさんは………普通。けろっとしている。
え?何が気持ち悪いんですか?と言わんばかりだ。まぁ、あれだよ。あの田舎出身の河童娘にとってあんなの屁でもねぇって事だよ。
その内可愛いとか言い出しそうだ。男共が抱く幻想を軽くブロークンしそうだな、この人。

作戦として、入り口に群れている雑兵を誘導する囮と女王を討伐する本命の二つにパーティーを分ける事になった。記憶の通りだ。
危険性は本命の討伐組の方が高くなる。巣にはまだ他の雑兵が控えているし、囮の方がしくじれば前と後ろで挟まれてしまう。全滅は免れない。
「レックス」の時、俺は誰よりも早く囮を志願したが誰も許してはくれなかった。というか誰も聞いてくれていなかった。泣けた。
じゃあ、アティさんの場合は………いやまぁ、当然討伐組でなんでしょうけどね。

やはり予想通り、アティさんは討伐隊に率先して入った。残りは俺とカイル達、そしてヤッファとキュウマに決まった。囮の方はファリエルとアルディラ。俺の時はキュウマとヤッファだっんたけど。

ファリエルとアルディラを二人きりにしていいものか心配だが、特に二人とも変わった様子もなかったので今は置いておく事にした。キュウマとヤッファの時も何もなかったしな。
って、そう考えてみると、ファリエルかアルディラのどっちかが「剣」の発動を促して、残った方がそれを阻止しようとしたって事になるのか?
十分有り得るか…………いや、アティさんに聞けば済む事だ。深く考える必要はない。

取り敢えず、さっきから何か言おうとしてたファリエルに近づく。みんなには聞こえない様に小さな声で呼び掛けた。

(ファリエル)

『……!』

鎧が揺れる。少ししてファリエルも小さい声で応答した。

(な、何ですか?)

(いや、さっきから何か言おうとしてなかった?)

(え、えーと……………あっ、そうです。本当に体の方は平気なんですか?)

(うん、それは平気。そういえばファリエルが僕を運んでくれたんだよね。ありがとう、助かった)

(い、いえ。私こそ何度も助けて貰って、その、えと、感謝してるというか、う、嬉しかったというか、その)

(?)

小さい声が更に小さくなり後の方がごにょごにょとしか聞こえない。気にはなったがもう時間もない、一先ず注意だけしておこう。

(気を付けて。数だけは多いから)

(はい、解ってます。……それよりも、貴方の方が無茶しないでくださいね?じゃないと…)

(……それを君が言うか?)

(うっ………)

……本当にこの娘は。
思わず苦笑してしまう。自分の事を棚に置いといて人の心配するのだから。お人好しだ、ファリエルも。

(約束。破ったら、ダメだから)

(……はいっ!!)


そう言ってファリエルから離れた。間もなくアルディラも戦闘態勢に入り、飛び出す準備をする。

「行くわよ、ファルゼン!」

『アア!』

勇ましい声と共に、彼女達は召喚蟲の群れへと身を投じた。


「よし、俺達もいくぜ!」


害虫駆除。もう二度とごめんだと思っていたのに………やれやれだ。














炭鉱の奥へと進んでいく。薄暗い洞穴は視界が悪いと同時に気味が悪い。今にも敵が飛び出して来るのではないかという不安が如何してもつきまとってしまう。それにより、自然と幾分か慎重になって進む。まぁ、それでも十分早いが。

にしても………あー、マジ戦いたくねぇ、あの女王蟲。本当もう生理的に無理。強いし、硬い。何よりしぶとい。ゴキかテメーは、って位しぶとい。ていうか再生するんだよね、あれ。………素でやってられねぇ。

こっそりと溜息を吐く。願わくば俺の知る物より弱くなってますよーに。無駄だろうがそんな事を思ってしまった。
まぁ、でもきっとあれだよ、逆に強くなってるってパターンだよ。もう解ってしまう。毎度の事すぎて。「俺」だものね。
…………エルゴォオォォォオオオオオオオッッ!!!!!!!!!

そうこうしている内に、親玉控えるねぐらに到着。ヤッファ、カイル、キュウマが先頭に出て辺りを窺う。
周囲から腐る程の数の気配を感じるが、やはり薄暗いままなので視界が悪い。戦闘は出来るだろうが、視界がいい方に越した事はないので……。

「来い、ライザー」

サモナイト石を取り出しライザーを召喚。
指示を与え、上へと飛んでもらう。それから空洞の中心へ向かわせ、そこで内臓されているライトを点灯させた。旧式だが埋め込まれている装置は数知れず。高性能の肩書きは伊達ではない。
眩いばかりの光が空洞一帯を照らし上げる。一気に開けた視界、そこに映るのは………

「うげっ………」

おぞましいばかりの蟲蟲蟲。
そこかしこを蠢いており、もう周囲には何匹かのジルコーダが迫ってきている。ちなみに呻き声漏らしたのはまたもやソノラである。


「やっこさん、早速歓迎してくれるみたいだぜ?」

「遠慮させてもらいたいもんだぜ、ったく」

軽口を叩き合うタフガイ2名。口元は不敵な笑みを浮かべている。やばい、カッコイイ。何だこいつ等は。

「あぁ、私この後ご飯食べられないかも………」

鍋が待ってるZE!!
ちなみにスカーレルさん、僕の記憶が正しければ、貴方、これ終わった後お腹ペコペコだと高らかに宣言していました。

「道が分かれてますね」

「ええ。恐らくは我々も二手に分かれなければいけないでしょうが……今はこの場を先に片付けましょう」

冷静に辺りを観察するはぐれ召喚師とクソ忍者。ちなみに二人ともちゃっかり杖と剣持って臨戦態勢。

「こういう時は撃ち捲くるに限るっ!」

いつもそうだろ。

「ウィル君、大丈夫ですか?」

問題ないです、マイティーチャー。


周りにいるみんな。まだ共に戦ったことはない、俺にとって過去の戦友達。久方ぶりに目にした前を向くその姿。脳裏に焼きついてる「彼等」と寸分狂いもない姿は、はっきり言って頼もし過ぎた。


視線を最奥に向ける。此処からでもぼんやりと捉える事の出来る巨躯。今回の事件の元凶。厄災をもたらす最悪の来訪者。

目にした瞬間、きっと気後れしてしまうと思われたそれ。だが、今の気分は衰えるどころかハイになり、高揚の一途を辿っている。


みんなが居る。それだけだ。


それだけで、彼等が居るだけで、もう俺は負ける気がしない。

独りになってやっと気付いた。自分がどれだけ「彼等」を頼っていたのかを。

独りで戦い続けてやっと理解した。自分がどれだけ「彼等」を必要としていたのかを。

彼等と戦場を共にして、思い出した。背中を任せられる人達の心地良さを。

みんなに囲まれて、はっきりと自覚した。体の底からの奮えを。今にも爆発してしまいそうな歓喜を。

改めて確認した。俺達は、最強だと。


―――ああ。負ける気はしない。


「やってやるぜっ!!」

「はっはぁーーーーっ!!!」

「いくわよ!!」

「退きなさいっ!」

「参るっ!!」

「いっくよぉーーー!!!」

「道を開けて!!」



言うまでもなく、周囲にいた蟲は瞬殺だった。




ちなみに俺は何もしなかった。















ぽっかりと空いている巨大な穴を交わす形で左右の道へ二手に分かれた。
まるで谷の様な地形、顔を左に回せばあちらの道へ進んだアティさん達の奮闘ぶりがすぐ確認出来る。

左右の道の内、右の道に進路をとった俺を含めたメンバーは、ヤッファにヤード、ソノラだ。後援に傾いている節があるが、それはこちらの方が一見して敵の数が少ないという理由から。俺とねこも前衛に加わるので特に問題はない。回復専門のヤードもいるしね。

「オラァ!!」

「Gyaaaaaaaaaaaaaa!!?」

ていうか、ヤッファ強い。ソノラの援護射撃のおかげもあるけど1人で敵を押し退けている。装備されている爪で奴等の殻を簡単に引き裂いていた。本当にいつものニートっぷりが信じられない。何か俺出番なさそうだな。

「そういえばさぁ!」

「んんっ?」

銃を乱射しながら嬉々とした顔を隠そうともせず、ソノラが声を張り上げてくる。自分に向けられてる物だとなんとなく解り、前から視線を逸らさず返事だけした。

「ウィルってファルゼンと仲いいんだね!」

先程俺がファリエルと話していたことを言っているのだろうか。

「意外?」

「うん!ファルゼンってなんか黙ってる感じあるしさぁ!誰かと仲良さそうにしてる姿初めてみたかもっ!」

「実は可愛いかったりするんだ」

中身を見れば誰もがぶったまげるくらい。そういえばアティさんの意識も吹っ飛ばしたな。最強か、ファリエル。

「ファルゼンがっ?」

「いや、マジマジ。今度じっくり話してみなって。なんとなく解るから」

「うんっ、解った!」

返事するのに合わせて、ソノラは最後のジルコーダを撃ち抜く。頭を撃ち抜かれたジルコーダは崩れ落ち絶命した。相も変わらずよい腕前で。
鼻歌を唄いながら次弾を装填していくソノラ。本当に銃が撃ててご機嫌の様子だ。にしても………

「ソノラ、急いだ方がいい。また来た」

「ええー!もうっ!?」

木の柱の影から3体のジルコーダが姿を現す。蹴散らしたばかりだというのにキリがない。ていうか、絶対前より数増えてるって。畜生、やっぱり難易度が高くなっている。死ねエルゴ。

「ちっ!次から次へと……!!」

ヤッファも舌打ちをしている。さすがにこの開けた場所でヤッファが全てのジルコーダを前で受け止めるのはキツイ。そりゃ、舌打ちもつきたくなる。しかもソノラの援護射撃が切れた。ヤードは治療専門なので攻撃手段はサモンマテリアルしかない。
ふむ、じゃあ行くか。

「ヤッファ。一匹寄越して。なんとかするから」

「オイオイ、いけるのか?」

「ああ。僕も出番が欲しい」

「いや、そうじゃなくてだな………。喰らったら痛いじゃ済まされねーぞ?」

「ヤッファ嘗めすぎ。あんなの2分飛んで37秒で瞬殺出来る」

「いや、微妙……。瞬殺じゃねーぞ、それ。真面目に平気なんだな?」

「余裕」

「はっ、言うじゃねーか!なら、そっちは任すぞっ!!」

「合点」

抜剣。腰に差してある細剣を鞘から引き抜く。ちょうどいい機会だ。ウィルの剣術とやらを試してみよう。
ねこにはヤッファを援護する様に指示して、前方にいるジルコーダと完璧な1対1になった。歯をガチガチと鳴らす異形は、今にも飛び掛らんとしている。


「…………」

スイッチを入れ、前方の障害のみに集中する。意識を、記憶を「ウィル」に傾け、染み付いていると言われた剣術とやらを再現する。
キンッと、剣を胸に地面と垂直になる様に構え、前を見据えた。作法というやつか、どうにも上品な剣術の様である。

右足を軸にして、静かに、ゆっくりと剣の穂先を障害に向けて前方に構え直す。
そして、それを皮切りに、障害は一直線に飛び掛ってきた。

「Gyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!」

「………」

直線的過ぎるそれを、軽い脚捌きで回避。反転し襲い掛かってくる障害を、軽やかなステップでいとも容易く往なしていく。
なるほど、中々に熟達している様だ。こんな単調な攻撃では話にならない。最適な間合いを取り続け攻撃を横に回避し、常に敵の側面に回るカタチ。横斬りの流派か。

回避、旋回技術は十分。では、攻撃は?

掠りもしない俺に業を煮やしているのか、障害である召喚蟲は獰猛な眼をギラギラさせて俺に喰いつこうとする。それを、俺はただ冷徹に見詰める。
何度も繰り返されている突撃を同じ様に交わし、擦れ違いざまに



一閃



横に薙がれた斬撃は、甲殻の隙間を的確に捉え、腕の根元から斬り飛ばした。
停止。脚を止め、切り裂かれた腕のあった場所を首を傾け見詰める召喚蟲。やがて紫に染まっている血がボタボタと溢れ出し、地を濡らしていった。

「Gyyyyyyyyyyyyyyyyy!!?!?!」

漸く、痛みから斬られたという事実を知覚したのか、金切り声に似たような音を上げる。
怒り狂い、息を荒いで己を切り裂いたニンゲンの方向へと体を向けるが――


「遅いよ」

「Gy――――」


眼球はそのニンゲンを映し出し、そしてニンゲンに間合いへ入られたことを悟る。
俺は特にそれに対して思うことなく、ただ記憶通り、忠実に剣を振るった。



一閃、二閃、三閃四閃五閃六閃七閃八閃!!!!!



連撃。幾多も剣閃を繰り出し、それを召喚蟲に注いでいく。
殻と殻の間に線が次々と引かれ、内の無防備の肉を切り裂いていく。やがて、その体を異形自身の体液で染め上げた。

「Gy、Gsy……!!!」

「………」

軋みの様な声を漏らし、召喚蟲は体を不自然に体を震わす。
耳に残るその音を振り払う様にして、刺突を胸に見舞い、やがて召喚蟲は動きを止めた。



「ふぅ………」

一息。剣に付着した血を振り払う。中々にしつこそうだと粘つくそれを見て思った。

「ウィ、ウィル!すごいじゃんっ!!あんなに強かったんだ!」

「ええ、本当に。私も驚きました………」

近寄ってきたソノラとヤードが先程の剣術を感嘆してくる。ぶっちゃけ、「俺」の技術ではないのだが。
しかし、メイメイさんの言った通りだ。体と記憶は確かに「ウィル」の剣術を覚えていた。知りもしない剣術を、体が実践するというのが何とも言えない感じだが。

既に戦闘の途中で解っていたが、「ウィル」の剣術は十分に役に立つ。俺の雑な剣とは違う洗練された綺麗な剣。横斬りが可能になるそれは元の俺の剣と取り入れば一気に戦闘の幅が広がる。

トライドラ。
独自の脚捌きを持つ横斬りの流派だ。ウィルが習っている所から、上流階級にも扱われている様だが、確か騎士の間でも多様されていた筈。俺なんかも知っている割とメジャーな剣術である。横斬りの流派自体少ないしね。

どうやら、「ウィル」は大した子供だったらしい。少年の域を出ていないにも関わらず、あの技術。同じ世代で誰もが身に付けられる物ではない。
身体能力、魔力保有量からも解る様に、才能にも恵まれた勤勉な子供だった様だ。恐れ入る。比べるのもあれだが、アリーゼより戦闘に関しては光る物を持っているな。だからといって、アリーゼが劣っているという意味では決してないが。


「心配は必要なかった、ってことか。ガキのくせに大した奴だな」

ヤッファも素直に誉めてくれるが、何処か表情がぎこちなく見える。ちょっと俺の事をおかしく思ってるかもしれない。疑う、というレベルではないだろうが。

実際、本来の「ウィル」が今この場で俺と同じ様に剣が振るえたかと思うと結構怪しい。というか無理だ。練習は実戦とは訳が違う。本気で襲い掛かってくる脅威は、それだけ怖いものだ。
明確な敵意や殺意に怯む事なく、剣を振るった俺にヤッファは違和感を覚えているのだろう。戦闘における「慣れ」を感じたのかもしれない。何度もの戦闘を繰り返し身に付ける「慣れ」を。

まぁ、今は言及される事はないだろう。もし、言及されたら幼い頃に戦場に放り込まれたとでも言おう。でも、家が帝国随一の豪家だからさすがにそれは苦しいか?いや、島の外には疎いだろうし何とかなる筈。


「余裕ですよ、余裕」などとおちゃらけてみせ、さっさと行こうと促す。ヤッファはそれに了承し、先へと進んでいった。
表面を装いつつも、みんなを騙している事に心苦しく感じ、思わず溜息を吐いてしまう。

いっそ本当の事を言ってしまえば楽になるのだろうが、俺は「レックス」です等とほざいても理解して貰えないだろう。詳しく説明しても混乱するだろうし、アティさんなんて放心しそうだ。結局隠してる事を言ったってそれはただの自己満足で、意味がないのだ。

下降するテンションを抑え、ヤッファの背中を追う。今は討伐に集中しなければいけない。私情など捨てる。
粗方片付いたのか、もうジルコーダの影は見当たらない。まぁ、さっきまで出まくっていたのでこれ以上来てもらっても願い下げなのだが。


「いねえみてえだな」

「ぽいね」

「よし、先行ってキュウマ達と合流するぞ」

「うい」

「解りました」

「はーい」

「ミャミャー!」


各々返事をし、最奥へと進んだ。









「あれが………」

「女王か………。でけぇとは思ってたが、改めて見るととんでもねぇな」


呟きを漏らすアティさんとカイル。その目は全貌が既にはっきり見える女王蟲に向けられている。

俺達が先に合流地点に着く形になったが、程なくしてアティさん達も到着。一先ず全員の回復を済ませて今に至る。
残るは女王蟲のみ。普通の戦法ならば人海戦術を用いる。単純で堅実の方法だ。
というか、それしかない。この炭鉱において地形等を利用した小細工は不可能。何かやらかして炭鉱全体が崩落なんてシャレにならないからな。

しかし……あの女王蟲数の差を簡単に覆すからな。人海戦術においての長期戦など仕掛けた側が有利になる筈なのに、あれに限って言えばそれは当てはまらない。此方が不利になる。見たまんまの化け物だ。

前はどう仕留めたかというと、俺が独断先行で突撃。懐に入り零距離召喚、それの余波と女王の攻撃でくたばって瞬時に「剣」で復活。そしてまた零距離でかました。もちろんフルパワーで。
「みんな」消耗してたし、条件が悪過ぎた。勘弁して欲しかったけどそれしか手が思いつかなかったのだ。あんなのは二度とゴメンである。超怖かった。しかもその後「みんな」にはボッコボコにされた。理不尽にも程がある。普段は戦え言ってた癖に、いざ命懸けで戦ったらボコられるなんて。まぁ、確かに心配掛けたけどさぁ。

今回は間違ってもアティさんにはそんな手使わせる訳いかない。女性に神風アタックなんてさせてはアカンのです。


「よし、仕掛けるぞ!!」

ヤッファが号令を出す。みな武器を構えた。
とりあえず様子見しようか。強さ見極めなきゃいかん。……強くなってのかなぁ、やっぱり。
















ソノラのハンドガンが火を吹く。
頻りに弾丸が打ち出され、炭鉱全体に発砲音が鳴り響いていく。銃が向けられるは全長2メートルは有を越す巨大な蟲。魔蟲とも言われる凶悪な貌のそれに、ソノラは銃を乱射する。

「あ~~、もうっ!全然効いていないし!!」

その射撃は一遍も外れることなく女王蟲を捉えている。にも関わらず、蟲――女王ジルコーダは怯みもしない。命中した側から弾かれ、ただ火花が散っていく。

「Gyshaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!」

銃撃には構う事なく、女王蟲は咆哮と共にその長く太い腕を振るう。標的は周囲にいるニンゲンと召喚獣。ちょこまかと動き攻撃を加えてくる敵に、女王蟲はその腕を振り回す。

「シャアッ!!!」

喰らえば唯では済まないその剛腕を掻い潜り、懐に入り込んだスカーレルは手に持つ短剣でその巨躯を斬りつけた。

「っ!?ったく、こんなじゃ先に武器の方が潰れるわよ!」

ギィンと甲高い音。まるで鎧を斬りつけている手応えにスカーレルは悪態をつく。

「確かに、この殻は固過ぎます……!!」

背後からもキュウマが刀で横薙ぎの斬撃を放つが、それすらも殻に阻まれる。
甲殻体。先程までキュウマやスカーレルが相手にしてきた雑兵のジルコーダのそれとは話にならない程の強度。体全体を覆っているその甲殻に阻まれ、キュウマ達の攻撃に女王蟲は堪えもしない。

「くそったれがぁ!!」

カイルのストラで強化された拳も殻を破る事は適わない。精々傷を付けるか薄く凹ませるくらで、決定的なダメージいは程遠い。

「Gyshyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyy!!!」

「ちぃ!」

回避。やったらめったら振り回される腕を避け、ヤッファは舌打ち一つ。近接攻撃では効果がないのをヤッファは薄々と勘付いていた。雑兵でもあの外殻には手こずらされていたのだ。成体である女王蟲が雑兵より強力になっているのは道理である。

(出来れば外れて欲しかったんだがな!)

嫌な予感はいつも当たる、そう思いながらヤッファ爪を外殻に叩きつけた。



「来たれ、雷の精!タケシー!!」

アティはカイル達と離れた地点で召喚術を発動。
雷の精霊であるタケシーが召喚され、小憎らしい笑い声と共に女王蟲に落雷を落とした。

「Gsyyyyyyyyyyyy!!!?」

中級――Bランクである召喚術は外殻を越え女王蟲に直接ダメージを与える。雷はその身を確かに焼き、重度の火傷を負わせた。女王蟲も苦悶の声を上げる。しかし、

「再生!?」

焼け爛れた皮膚からゴポゴポと泡が吹き、みるみる内に治癒していく。あの防御に再生能力。最悪の組み合わせに、アティは驚愕と同時に歯噛みをした。

「Gyshaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!!」

「なっ!?」

怒りの叫びを上げ、女王蟲は背を反り、お返しとばかりにアティに向かい己の体液を吐き出す。

「~~~~~~~~~~~ッッツ!!?」

間一髪でアティは横に飛んだが、避けきれず左腕にそれを喰らってしまう。
煙を上げながら付着した酸がアティの腕を溶かしていく。アティは必死に痛みに耐えるが、声にならない呻きが漏れる。

「アティさん!誓約に応えよ!!」

ヤードが召喚術――ピコリットを使役し治療を施す。肉を溶かすその臭いにヤードは顔を顰めつつ、迅速に治療していく。治療召喚術を得意とするヤードにとって、アティの溶けた腕を元に戻すのは訳も無い。だが、そこへ女王蟲からの酸が何度も放たれた。

「っ!?」

「くっ、これでは!?」

アティを庇いながら物陰へと身を隠す。だが、その壁も酸によってすぐに溶けていく。満足に治療も出来ない上に追い詰められた。
不味いとヤードの顔が歪む。こうなったら自分が囮になってアティだけでも、とヤードは考えたが………それは一瞬。
何かが砕ける甲高い音が響いて、酸の雨は止まった。



「召喚・星屑の欠片」

ねこと共にウィルは酸を吐き出し続ける女王蟲に光弾を発射する。横っ面に直撃させ、ウィルは注意を自分に向けさせた。

(やっぱ、シャレになんねーコイツ)

飛んでくる強酸を交わしつつ、ウィルは圧倒的な力を持つ女王蟲について思案する。

近接において甲殻の隙間を狙っても、間接ではすぐに再生するし切断しようにも太過ぎて出来ない。腹や胸の隙間を狙おうとしても、懐に入った瞬間その巨体で押し潰そうとしてくる。背は問答無用で隙間がない。頭部など接近を許さないだろう。

遠距離でも銃、投具では歯が立たず、召喚術も連発は効かない為再生してしまう。瞬時に治癒する訳ではないので、ダメージは蓄積されるだろうが、先に此方の魔力が尽きる方のは目に見えている。

更には遠距離攻撃の強酸。女王蟲が持つ唯一の飛び道具。体内で生成されるそれは際限がなく、また射程距離も長い。

攻守、近遠全てにおいて死角はない化け物。その身に持つ特殊能力も質が悪い。はっきり言って手が付けられないというのがウィルの本音である。
ていうか、やっぱり強くなってんよーとウィルはげんなりする。前はあんな無敵の鉄壁を誇ってはいなかったし、強酸だって連射など出来なかった。マジねぇと自分の不幸体質をウィルは嘆く。もはや呪いだろコレと呟いた。

(まぁ、負ける気はしないけどな)

目の前の女王蟲の大よその能力は把握出来た。ちょっと強くなってるが問題ない。俺達なら勝てる。ウィルは勝利の図式を組み立てた。

「ん?」

カイル達の位置を把握していると、アティの姿が目に入った。その顔は険しく、女王蟲をじっと見詰めている。何かを決意した、そんな風にウィルには見えた。
あの人は……、とウィルの口から呆れ半分の愚痴が漏れる。溜息を吐きウィルはそこから駆け出した。





今も続く戦闘。戦っている相手は強大、まだ、みな目立った負傷はないが、それも何時訪れてしまってもおかしくない。
取り返しのつかない事になる前に、守る為に、アティは「剣」を抜く決断をする。

はっきり言えば、「剣」におぞましい物を感じている。喚起の門での出来事、暴走と言ってもいいかもしれない。自分の意思関係なく発動した「剣」に、あの地の底から唸る様な害意の声に、アティは慄然たる感情を少なからず抱いている。

だが、この状況が切り抜けられるというのなら、自分はどうなってもいい。仲間を守れるというのなら、「剣」を抜く事は厭わない。
誰も失いたくないからと、アティは目を瞑る。瞼の裏に映る闇、その中心に存在する「剣」へと呼びかけた。

アティの体から魔力が溢れ始める。明らかな異質な魔力を撒き散らしながら、アティは召喚される「剣」を取ろうと手を掲げようとした。


「止めてください」


「ッ!?」

静止の声と共に、掲げようとしたその手をつかまれた。アティはその自分の手をつかむ人物に目を見開いて顔を向ける。

「ウィル君!?」

「何やってるんですか、貴方は。僕はあれほど『剣』を使うなと言った筈ですが」

「そ、そんな場合じゃないんです!みんなを守らないと!!」

「自分の危険を顧みもしないでですか?」

「!!?」

目の前の少年が「剣」の危険性を指摘したことにアティは驚愕する。如何してそれをと、頭が混乱した。

「端から見たって『剣』がヤバイのは解ります。あれは、人の手に負える物じゃない。何かしらのリスクが伴う筈です」

「…………!!」

「危険です。『剣』を、使うのは」

「………大丈夫、です。私は……」

平気だから、そう言おうとして、ウィルがアティを睨んだ。目にしたことのない鋭い眼光に、アティは体を強張らせた。


「そうやって自分は傷付いてもいいとかほざくの止めてくれませんか?腹が立ちます」


「なっ………」

ウィルらしからぬ強い物言い。アティは固まってしまう。

「他人を助ける為に自分を犠牲にする?何ですか、それ?カッコ悪すぎです。自己犠牲か何だか知りませんが反吐が出ます」

「っ………!?」

「安易な道に走るな。自分を含めた全員を救う方法を模索しろ。足掻くことをやめるな」

「――――――ぁ」

「簡単に自分の命を放り出すなんて、馬鹿な奴がすることだ」

今も自分を睨み叱責するウィルにアティは息を呑む。静かな迫力と、強い意志が其処にはあった。
己より幾分も生きていない子供の言葉に、アティは圧されていた。


しばしの沈黙。互いの目が相手の目を捉えて離さない仲、先に視線を外したのはウィルだった。
後ろ髪をかいて、重い溜息を吐く。

「………楽の事ばっかと、自分の事だけしか考えてない俺が言えたことではないんですけどね」

「えっ……?」

「いえ、何でもないです。まぁ、兎に角僕の言いたい事は1人で如何にかしようと思わないで下さい、って事です。みんなも、そんなの望んでないと思います」

「あ………」

「それに約束したじゃないですか。無茶な事しないって。もう破るんですか?」

ウィルの一言一言がアティの胸に落ちていく。
恐らく、ウィルの言っている事は正しくて、何よりウィル自身の本音なのだろう。ウィルも、みんなも、自分1人無理するのを望んでいない。誰かが犠牲になる事なんて望んでいない。それに、ウィルの言う通り約束もしたのだった。すっかり、忘れてしまっていた。

アティは申し訳ない気持ちになりウィルを窺う。「らしくねー、キャラじゃねー」と頭抱えてうんうん唸ってるウィルに、何と伝えればいいのか解らず言葉を言いあぐねてしまう。

そんな困った表情をしているアティにウィルは気付き、唸るのを止め、うん?と首を傾げるが、取り敢えず時間もないので締め括る事にした。

「まぁ、あれです。無理しないで、みんなを頼ればいいんですよ。みんなで助け合っていけばいいんです」

「…………」

今も繰り広げられる戦闘に目を向ける。誰もが1人で戦おうとはしていない。協力して、お互いを補助し合いながら敵と立ち向かっている。

ヤッファが女王蟲の振るわれる腕の軌道を変え、空いた隙間をキュウマが駆け斬りつける。スカーレルの傷をヤードが癒し、ソノラが近づいてまで銃を乱射し注意を逸らそうとしている。カイルが女王蟲の一撃を喰らい、頭を抱えて朦朧としている。そこにウィルが手に持った瓶をカイルに向かって鬼の様なスピードで投げ、瓶はカイルの顔面を直撃する。
中身の液体がブチ撒けられ、カイルは「づおおおおおおおぉぉぉぉぉっ!!?!?!!」と叫びながらゴロゴロとのたうち回る。

「って、何やってるんですかっ!!?」

「助けたに決まってるじゃないですか」

「絶対嘘ですっ!!?」

「ホントですよ。女王蟲の体に変な香りがついてます。フェロモンってやつですか?兎に角、攻撃喰らったら相手を魅了状態にさせるんです。カイルも症状出てたんで、それ治す為にミーナシの滴投げたんですよ」

「で、でも、あの速度は………」

「道具を絶対に当てる自信なかったんで、必殺必中もしくは射殺すつもりでブン投げました」

「ダメですよっ!?殺って何ですか、殺って?!!」

「ブチ殺すって勢いで、こう……」

「さっきと言ってる事全然違いますっ!!?」

暫く不毛な言い争いをしていたが、いやこんな事やってる場合じゃないとアティは正気に返り、戦場に目を戻す。
奮闘しているが、みな疲弊の色を隠せてはいないし、それにあの女王蟲に決定打を与える事は出来ていない。どうやってこの状態から打ち勝つというのか。やはり、自分が「剣」を抜くしか………。アティはそう考えてしまう。

「ウィル君、やっぱり……」

「勝てますよ」

「え?」

「絶対に勝てます。僕達は負けない」

「………………」


「俺達は、最強です」


絶対の自信。それは何処から来るものなのか。アティには解らない。
ただ、戦場を昂然と見据えるその姿はアティの心を奮い立たせる。何故か、ウィルの横顔に同じ表情をした青年の顔を幻視し、アティは顔を紅く染めた。

「作戦があります。一度撤退しましょう」

「は、はいっ!!?」

声が上ずった。

「はっ…?あぁ、すいません。此処から出る訳じゃないです。戦時的撤退、一度態勢を立て直します。あいつの攻撃範囲から離れて作戦を伝えるので、みんなを集めましょう」

アティはコクコクと何度も頷く。ウィルはアティが解ってるんだか解ってないんだか少し不安になったが、時間が惜しいのですぐカイル達の元へと向かった。
アティもすぐ駆け出した。顔を紅く染めた状態で頭の天辺に片手で拳骨を落としながら。無意識の行動でその姿はかなり謎であり、ウィルにダメかもしれないと思わせるのに十分だった。





「再生する間もなく、最強火力で甲殻をブチ抜きます」

パーティー全員を集めたウィルはもと来た道まで後退、女王蟲が追ってこないのを確認しみなに内容を伝えていく。
ウィルの話す作戦に、全員が真面目に聞き入っている。少年の域を出ないにも関わらず、ウィルの言葉には耳を傾けざるを得ない何かがあった。それは偏に他者を惹きつけてやまない何かで、カリスマというやつなのかもしれない。

「ウィル、待ってください。私にはあの女王に効く攻撃手段が在りません。今の私では……」

「これ使って誓約の儀式してくれれば平気」

「わ、わら人形………」

(な、何で持ってるんですか………)

「ちなみに、それ先生が大切にしてる形見なので壊さないであげて下さい」

「ええっ!?ア、アティさんの!?というか、形見っ?!!」

「違いますっ!!そんな不気味な形見なんて持ってません!!!」

「何でも友人の形見だそうで、『自分の代わりにこの世い居る奴等を呪い殺してくれ』と遺言も貰って……」

「ないですっ!!そんなの全然ないですっ!!!事実無根です!!」

「そ、そうですよね。アティさんが、そんな事………」

「ヤード。あの着物来た先生が、夜遅く1人でわら人形片手にカァーン、カァーンと……」

ハマリすぎていた。

「…………………………………………」

「ちょ、ちょっとっ!?ヤ、ヤードさん、何で距離空けるんですかっ!!?」

「ハハハハハハハッ、ハハハ………」

「空笑いっ?!!」

「で、実際どうなんだ?それでいけるのか?」

カイルはナチュラルにアティ達をスルーし、作戦の是非を他の者に尋ねる。そのすぐ横では違う誤解なんですと泣き叫ぶアティ。ワカッテマスヨと後退するヤード。うるせぇーという顔をしているソノラ。

「確かに、いけるでしょうね。それなら」

「ですが、この方法ではヤッファ殿が………」

「……………」

ウィルの考案した作戦上、最も重要なキーがヤッファであり、また危険に晒されるのもヤッファだった。
ヤッファは腕を組み、黙ってそれまでの会話に耳を傾ける。それからして、ヤッファは立案したウィルに顔を向けた。

「ヤッファ、僕を信じてくれ」

「―――――」

一瞬の硬直。そのウィルの顔を見て、ヤッファはある男の顔を思い出す。


『ヤッファ、僕を信じてくれ』


男の名前はハイネル・コープス。護衛獣であったヤッファの前マスター。
今は亡き、この島で楽園を唱えた心優しき青年。如何しようもない程のお人好しで、馬鹿な人間。ヤッファが誰よりも信じる事ができ、そして守りたかった、たった1人の人間。
友であった彼と、今目の前に居るウィルが、重なって見えた。

「くっくっくっ…!ハッハハハハハッ!!!いいぜ、ウィル!俺の命、お前に預けてやる!!」

ヤッファは声に出して笑う。
同じ言葉に、同じ瞳。本当に友と全く同じ少年があまりにも愉快で、ヤッファはその込み上げてくる気持ちから自分の背中を預けてやろうと、そう決めた。

「俺が命を預けるのはお前で2人目だ。似てるぜ、お前等2人ともな」

「…………滅茶苦茶馬鹿にされてる気がする」

「くははははははははははっ!!!そうだな!確かに馬鹿にしちまったな!!」

似ているもう1人が大馬鹿なのだ。ウィルの言葉は正しい。的を得ているウィルに、ヤッファはまた大声で笑い出す。

子供に似つかわしくない戦闘能力とその知性。疑問を感じていたが、ウィルは信用に足る人物だとヤッファは確信する。
この手の目をする人間はみんな馬鹿で、そしていい奴等だ。そんな奴等は安心して背中を任せられる人間だと、ヤッファは知っている。
ひょっとして、ウィルはハイネルの生まれ変わりなのではないか、そんな馬鹿な考えが頭を過ぎった。それがまた可笑しく、ヤッファはまた笑う。

(お前があの馬鹿だろうが何だろうが構わねぇ。俺は、お前を信じる)

不服そうにしているウィルに、ヤッファは笑みを深める。此処に居るアティ達を含めて、まだまだ人間も捨てたもんじゃないと、ヤッファは口の端を吊り上げて思った。

「頼むぞ、ウィル」

「任せろ」

言葉を交わし合い、女王蟲の元へと向かう。傷は既に治療されている。魔力の方もウィルがメイメイさんに譲り受けたと言うキャンディで回復した。作戦に支障はない。


先程と変わらない場所に居座っている女王蟲。赤い眼がウィル達を捉えていた。身を高く持ち上げギチギチと体を鳴らす。臨戦態勢。



ラストバトルの幕が上がった。



パーティー全員が射程距離ギリギリまで近付き、まずカイル、ソノラ、スカーレルが先行した。

「つまんねぇ役回りだぜ、ったく!」

「文句言わないの」

「そーそー。というか、アニキ、そう言いながら嬉しそうじゃん」

「はっ!そう見えるかっ!」

「うん。もー普通に」

女王蟲から酸が飛びかってくる。カイル達はそれに動じることなく回避し、散開。
常に動き回りながら発砲。ソノラの銃から弾丸が射出され、全弾が顔面へと吸い込まれていく。顔への攻撃に女王蟲は意識を傾けざるを得ない。目など急所に注意して殻で防御。煩わしいと、体を反り強酸で迎撃しようとするが、

「――――シッ!!!」

毒蛇が音もなく牙を剥く。
気配を一切感じさせずスカーレルは女王蟲に肉薄。離れていた距離を一瞬で詰め、そしてその速度を落とさず短剣を振るった。
狙いは、間接。

「Gyshaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!?」

腕の甲殻の間を狂いなく切り裂き、そこから勢いよく血が流出した。女王蟲は叫び、自分に傷を付けたスカーレルへ矛先を向ける。
そして、怒り狂ったその眼は、逆から迫り来る影に気付けない。


(頼られるってのは、悪い気分じゃねぇさっ!!)

嬉しそうに見えるのも当たり前だろう。少年は囮になってくれと言い、自分達なら出来ると信じて疑わなかった。揺ぎ無い信頼を寄せてくれたのだ。
それは自然と心を奮わせ、何より応えたくなってしまう。カイルは口を一杯に吊り上げ、獰猛とも言える笑みを作った。


「やってやるぜえぇ!!!」


薄い藍色の光に包まれた拳が、女王蟲の脇腹に炸裂。殻を陥没させ、巨体を大きく振るわせた。



カイル達が奮闘している間にアティ達は自らの射程距離内へと身を置く。女王蟲は翻弄されアティ達の接近に気付けない。

「いきます!」

アティの合図にヤードとウィルが頷き、それぞれのサモナイト石を構える。魔力の放出と共に召喚光が発生。霊霊機。紫と黒。2つの異界への門が開かれた。

「タケシー!!」

「ブラックラック!!」

「ドリトル」

3体の召喚獣が姿を現す。内に秘められた魔力は凄まじく、術者達のなけなしの魔力が注ぎ込まれていた。
女王蟲がその魔力に反応し、身を翻すが、遅い。

「ゲレゲレサンダー!!」

「黄泉の瞬き!!」

上級――Aランクの高位召喚術。先程放ったそれと比べ物にならない轟雷。炭鉱内を紫電の光で染め上げ、女王蟲の体を焼く尽くす。内にある肉は元より、鉄壁を誇る甲殻をも溶かした。
そこへ荒びた外套に身を包んだ怨霊、髑髏から閃光が放たれ、連続的な爆発が巻き起こる。殻に亀裂が生じ、衝撃に耐えられなかった欠片が砕け散っていく。


「Gys―――」


「ドリルブロー」


息つく間もなく、鋼鉄の楔が打ち込まれた。


「―――yaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!?!??!!?!」


高速回転する円錐は、ぼろぼろの甲殻を火花を上げながら砕き抉っていく。果てしない絶叫が響き渡り、その場にいた者達の鼓膜を震わせる。
甲殻が、完璧に粉砕された。


そして、最後の布石。


「るをぉぉおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!!!!」

咆哮。亜人であるヤッファが「雄叫び」を上げ、自らの本能を呼び起こし、狂化する。
瞳孔が縦に割れ、その眼は炯々とした輝きを帯びていく。

「シシコマ!!」

続いて、声と共に鬼妖界シルターンの召喚獣「シシコマ」がキュウマによって召喚される。
大小の2体の獅子舞が姿を現し、ヤッファの体へと吸い込まれていった。

憑依召喚。
召喚獣を対象に乗り移らせることで召喚獣の恩恵、或いは呪いを与える召喚魔法。呪いの際のデメリットは無視出来るものではなく、逆に与えられるメリットは計り知れない。
そして、今回キュウマが使役した召喚術は『獅子奮迅』。憑依させた対象の攻撃力を上昇させる強化術式。


「おおぉおぉおおぉおおおおぉおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!!!!!!!!!!!!!!」


疾駆!!


狂化。憑依召喚。その2つのドーピングにより激上した攻撃力。筋肉は隆々と盛り上がり、幾つもの筋が腕に浮かび上がっていた。
女王蟲と言えど、その一撃を貰えば唯では済まされない。何より、鉄壁を誇る鎧はもう剥がされている。

「Gyyy………!!!Gyshaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!!!!!!!!」

召喚術の集中砲火を被り、既に大きく体は傷付いているにも関わらず、女王蟲はヤッファを迎撃せんと腕を振り上げる。
ウィルの作戦場上での唯一の懸念事項。それがこの瞬間、ヤッファへのカウンター。狂化は攻撃力を上げる反面、防御が大幅に落ちるというリスクを伴う。人知を超える女王蟲の剛腕をその状態で受ける事は、死を意味すると言っても過言ではない。


だが、ヤッファは怖じけない。


「おおおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!!!!!!!!!!!」


ただ、前へと突き進む。


(信じてんだよっ!!アイツをっ!!!)


剛腕が振るわれる。


「Gyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!!!!!!!!」


それでもヤッファは、前だけを見据え。そして、



「――――ムジナッ!!」



召喚。一度めの召喚を終えてまだ僅か数瞬、だがその数瞬で、ウィルは次の召喚術を発動させる。
超高速召喚。他の者に追随を許さない召喚速度、それはこの場において全ての速さを上回る。


「すすオトシッ!!」


対象に暗闇のステータス異常を与える阻害召喚術。纏わりつく黒の粒子をその身に受けた女王蟲は、視界を塞がれ、ヤッファを見失う。
剛腕が、空を切った。

「Gysh!!?」



「らああああああああああああああああああああっっ!!!!!!!」



炸裂



ドンッ、と全てを終わらせた音が炭鉱を木霊する。
渾身の一撃が魔蟲の胸部を貫き、やがて魔蟲は動きを完全に止めた。















「しんどかった…………」

「にゃはははははははっ!!ご苦労様、せーんせっ!!」

日は沈み、既に月が顔を出している夜。
ジルコーダ討伐を終えた俺達は無事帰還。マルルゥがみんなと準備していた宴に強制参加され今に至っている。
隣に居るのはメイメイさん。もちろん酒を片手に持っている。

「もう二度と害虫駆除はゴメンだ。今度こそゴメンだ」

「そう言うわりには結構平気そうじゃない?」

「体力より精神の方が消費する。もう生理的に無理。キショい。マジでキショい」

おくびには出さなかったけど、心の中では絶叫もんです。あれはない。

「まぁ、これ終わったんだし良かったじゃない。もぅ、メイメイさん、せんせーが心配でしょうがなかったんだからぁ」

「確かに一時はどうなるかと思ったけど……って、何、もう酔ってんの?」

「にゃは、にゃはははははははははっ!!!」

俺の背中に抱きついてくるメイメイさん。吐く息がとてつもなく酒臭い。離れろ飲んだくれと言おうとしたが、当たっている柔らかい双丘が俺の言葉を飲み込ませる。ちっ、またか!?ええい、負けるなウィル!こんな破壊力抜群の双丘に屈するでない!でも、やっぱ無理!!

「ちゃーんと剣役に立ったでしょ?」

「………はい。役に立ちました。ありがとうございます」

「ほーらね。メイメイさんの言った通りなんだから。それに、他の道具もばっちし役に立ったわよねー?」

「はい、それはもうばっちり…………ちょ、ちょっと?な、何か首キツイんですけど?」

「うふふふふ。メイメイさんも優しいと思わない?困ってるウィル君に『タダ』で道具を譲って上げるなんて……うふふふふふ」

「怖っ!?こ、怖いっ!怖いデスよメイメイさん!!?ていうか、なして炭鉱での会話知ってるん!?」

女王仕留める前に、回復の為にかっさらったメイメイさんの道具使った。みんなには譲り受けた物だと説明したけど、如何して知ってるの!?
っか、絞まってる!絞まってますよ、メイメイさん!!?

「ギブ!ギブギブギブギブギブギブッ!!!!絞まって!?絞まってぇ!!?」

「ふふふふふふ。メイメイさんの店のかっさらっておいて、よくも堂々と譲り受けたなんて……。そんなこと言うのはこの口かしら?」

「ひぃっ!!?」

手が顎や頬に伸ばされ口周りを艶やかに撫でられてるっ!?エ、エロい、じゃなくてっ、怖いっ!!メッチャ怖い!!!メイメイさんの顔見えないから、今どういう表情してんのか解んない!!?

「うふふふふふふふふ。………この、泥棒猫」

「何か使い方間違ってる気がするっ!!?」

「ミャー」

「ああ、なるほどねーーっ!!!『ねこ』にかけてんのね!!メイメイさんお上手ですねーーーーー!!!!」

「ちょっと五月蝿いんだけど?」

「ご、ごめっ!?ご、ご、ごめ、ゴメスっ!!?!?!」

絞まってるぅ!!?絞まってますよぉ!!?しゃべ、しゃべれにゃい……!!!

「フフフフフフフフフフフフフフ。ああ、もう、本当に…………」

「落ちちゃ……!!落ちちゃうっ…!!!落ち゛ち゛ゃい゛ま゛す゛よ゛っ!!!?!?!??」


「こんの、子狸ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!!!!!!!!!!!!!!!」



げあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!?!?!!?!???!?!!!!







「天に召されたら如何するんですか…………」

「貴方がそう簡単に死ぬ筈ないじゃない」

「ひどっ…………」

首を擦りながら溜息を吐く。いや、確かに調子乗り過ぎたかもしれませんけど、あんな天国から地獄なんてやり方しないで欲しかったのですよ。ていうか、締め過ぎです。この体細いんですから、もっと繊細に扱ってもらわないと……

「なーに?文句あるの?」

「イエ…………」

畜生、こえー。反論出来ねー。
とりあえず、土下座して謝り一応許して貰った。今度大量の酒を持ってくる事を条件に。くっ、本当に酒しか頭にねぇ!このべべれけがっ!いえ、すいません。何でもないです。

しかし、酒かぁ。はぐれ召喚獣倒して手に入れてもいいけどメンドイな。ジャきーにさん達が酒隠し持ってるから、それ貰いに行こう。無断で。泥棒?バレなきゃいいんだよ。

手元にある飲み物を口にしながら辺りを見回す。
ヤッファとカイル、ミスミ様が酒を飲み合い盛り上がっており、傍にはキュウマが控えている。ミスミ様、普通に酒強いんだよな。恐らくカイルとヤッファの方が先に潰れるっぽい。
キュウマはなんかこういう雰囲気に馴染めていない。この時くらい羽目を外せ。というか、まだ解んないのか。

「キュウマ」も最初はそうだったな。何回もやる内に少しずつ慣れていったけど。
記憶に新しいのは俺とカイル、ヤッファが奴を潰し、ミスミ様の命令だと言って腹踊りさせたことだな。あれは爆笑もんだった。ヨガみたいに舞ってたね、彼。

他に視線を巡らせれば走り回るスバル以下チビッコ達とイスラ。イスラは引きずられる様な形だが。それをソノラやスカーレル、ヤード、その他の集落の召喚獣達が微笑ましく見守っていた。

「………ん?」

アルディラが席を立ち、ラトリクスの方向へ去っていく。それをアティさんが追いかけていった。
………そういえば、色々あったんだよな。まだ俺も何も聞いてないから解んないけど。って、不味い。ファリエルはまだ居るのか?

「……良かった。まだ居た」

みなと距離を置いて宴を見詰めている。やっぱ1人では踏み出せないか。
そりゃ、不安か。俺が都合のいい事何べん言ったって、実際決断するのはファリエル自身なんだから。
背中を押すっていう事は俺には出来ないのかもな。柄じゃないし。まぁ、だから何もしないなんて絶対ないけど。
背中を押すのが無理なら、こっちが勝手に突き飛ばしてやろう。ふふ、待ってやがれ、ファリエル。華々しく散らしてやるぜ。

「メイメイさん」

「なーにぃ?」

「手伝って」

「??」

取り敢えず仕込みを。
別に今日じゃなくてもいいけど、先延ばしにすることもない。ファリエルは望んでいないかもしれないが、俺のお節介だ。諦めてくれ。




「ファリエル」

「…………っ!?」

そっと近付き声を掛ける。不意打ちだった為か素の声が漏れた。

「ウィル君………?」

「うむ」

「ど、どうしたんですか?こんな所で?」

「混ざらないの、ファリエルは?」

「……………」

鎧が沈黙する。やがて、少し沈んだ声が発せられた。

「……ごめんなさい。やっぱり、私はファルゼンのままでいい…」

「…………」

「みんなを守ることが出来れば、それで。……私は、許されちゃいけないから」

嘘だ。なら、如何して此処に居る。何故此処を離れない。
今日起きた事件がファリエルの罪の意識を強くさせたのだろうか。何が起きたのかは正確には解らないが、恐らく間違っていないと思う。
この娘もまた背負い込み過ぎだ。自分しか居ないからといって、ファリエル1人が背負い償うものではない。
いい人っていうのは、如何してこうも1人で背負うとするのか。いや、その在り方がいい人たる所以なのかもしれないが。

「ファリエル、ちょっと来て」

「えっ?」

「ヤッファ達が呼んでるんだ」

「私を、ですか……?」

「うん、何でも用事があるらしい」

訝しんでしるファリエルの手、いや指を取ってグイグイと連れて行く。
ファリエルは俺の為すがままにされ、引っ張られる。

「ヤッファ」

「ウィル、如何した!俺達と酒を飲みにきやがったか!」

「ああ、飲みにきた」

俺はファリエルの背後に回り前へと押す。押し出される形になったファリエルは戸惑い始めた。
え?え?といった感じで俺とヤッファを交互に見遣る。

「おっ、ファルゼン。珍しいじゃねーか。お前がこういう席に来るなんてよぉ」

『………用トハ、何ダ』

「用?何言ってやがる?」

『……………』

え、ちょっと?みたいな視線が俺に向けられる。俺はそれを気にも止めず、ヒョイと鎧の肩に掴まり、ファリエルにぶら下がる形になった。

(ウィ、ウィル君?何やってるんですか?というか、これって如何いう事なんですかっ?)

(えーと、確かここら辺に……)

苦無で鎧の背を叩き感触を確かめる。

(え、ええっ!?ウィ、ウィル君、まさかっ!?)

(ふっ、そのまさかよ)

ファリエルの鎧は背にある起点を中心に編まれているので、そこをコレでサクッと刺せば、鎧が解けるのだ。

(や、止めて下さい!?いえ、それ以前に何でウィル君が起点を知ってるんですか!!?)

(企業秘密なり)

コンコンとな。おっ、あった。

(!?だ、だめですってば!止めてっ!!)

(ふふ、良いではないか良いではないか)

(ウィル君、何かおかしいよっ!!?)


せーの………じぇい。


(っ!?)


起点に苦無が刺さり、やがて、


「だめぇっっ!!!」


1人の少女が姿を現した。



「…………嬢ちゃん?」

「ぁ…………」

ヤッファは目を見開き呆然と呟く。
ファリエルは元より白い顔を更に青白くさせ、目に涙を浮かべている。………ぐあっ!泣かせたー!!

「ファリエル様っ!?」

「ファリエル!?」

「ぁ、ぁ、ぁ…………!!」

キュウマとミスミ様も気付き、ファリエルの元へと近付く。ファリエルは声を漏らし後ずさる。体は震えていた。


「ち、違っ…!わ、私、ちがうっ……!わたし、わたしはっ!!」

「一体、どうなって……」



「夢だっ!!」



「はっ?」

「えっ?」

「ぬっ?」

「…………ぇ?」


「酒の過剰摂取により心のガタが外れ見えないものが見えて感じられる様になるいわゆる心理現象的な奇跡体験が可能になる超ごく稀な兎に角夢ッッ!!!!」


きょとんと、ファリエルは俺を見詰める。涙を浮かべたままで何度も瞬きしながら。

「何だ、夢か」

「そういうことですか」

「なるほどのぉ」

「って、えええっ!!?」

信じちゃうんですか!?と言った感じでファリエルは声を上げ驚く。
ファリエル、奴等の顔を見てみろ。暗くてよく解らないかもしれないが、奴等の顔はこれでもかと言うくらい真っ赤だ。オニビに負けぬ程にな。オニビって何だ。兎に角できちゃっているのだよ、既に。

「しかし……夢、か。そうだな、出来過ぎか……」

「何を言っているんだ、ヤッファ。これが夢だとしても、今のヤッファにとって目の前に居る人は120%現実だ。言いたいことがあったらちゃんと言って、したい様に接しなさい」

「あっ………」

「……そうか。そうだな。嬢ちゃんは嬢ちゃんだな。それは変わらねぇ」

ファリエルが驚愕した顔で俺を見詰め、ヤッファは頷いてファリエルの前に出る。千鳥足で。
そこで腰を下ろし、胡坐をかいて、ヤッファは頭を下げた。


「すまなかった!!嬢ちゃん!!」

「っ!?」

「俺はあの馬鹿も止められねぇで、嬢ちゃんさえ守ってやることも出来なかった!!許して貰えるなんて思っちゃいねぇ、だが言わせてくれ!すまなかった……!!」

「ヤ、ヤッファさんっ!?止めて下さい!私なんかにっ……!!」

「自分も、謝罪を。申し訳ありませんでした、ファリエル殿。リクト様が討たれ、自分はミスミ様達を守る為に他を切り捨てました。自分は、貴方を見捨てた」

「すまぬ、ファリエル。わらわ達だけが生き残ってしまった……。恨んでおるか?」

「う、恨んでなんかっ!恨んでなんかないっ!!そんなことする筈ないっ!!私は、みんなをっ……!!」


ファリエルの瞳から涙が決壊する。頬を流れ、次から次からへと落ちていく。


「私達がいけないんだよっ!私達のせいでっ、島のみんなをっ……!!私達が全部っ!!」

「ちげぇよ、嬢ちゃん。少なくとも嬢ちゃんとハイネルは、俺等の為に尽くしてくれた。嬢ちゃん達は悪くねぇ」

「貴方達が居てくれたからこそ、自分達は今此処に居ることが出来るのです」

「感謝しておるよ、ファリエル」

「~~~~~~~~~ッッ!!!!」


掻き抱く。涙を溢れさしたまま、ファリエルは己の体を掻き抱く。その震える胸に秘める想いはなんなのか。


「……ごめんなっ、ごめんなさいっ…!!私、ずっと謝りたかったっ…!みんなに、ずっと、謝りたかったっ……!!」


吐露する。胸の内の想いを。隠し続けた本当を。


「でもっ、私、怖くてっ…!みんなに謝るのが怖くてっ!!みんなに嫌われるのが、怖くてっ……!!」


独白が続き、


「…っ……ごめん、なさいっ……!!」


己の罪を、謝罪した。



「言っただろ、嬢ちゃん達は悪くねぇ。俺達は、感謝してるって」

「己を責めないで下さい。自分達の立つ瀬がありません。貴方達が居なければ集落の者達を守ることは出来なかった」

「別れもあったが、多くの出会いもあった。今こうしてみなと居られることを、わらわは嬉しく思う」

「だから、嬢ちゃん」

「ファリエル様」

「ファリエル」


「「「ありがとう」」」


「…………っ!!!ぁ、ぅああ、っ………あ、あ……っ!!」




―――ごめんなさい



そして、謝罪は涙と共に、夜へと消えたいった。







「落ちついたか、ファリエル?」

「………は、い。すいま、せん…」

「お気になさらずに、ファリエル様」

「相変わらず、嬢ちゃんは鼻っ垂れか」

「むっ………」

ファリエルが落ち着きを見せ始め、場の雰囲気も過去の清算から和らいだ空間になっている。


「よしっ、嬢ちゃんも居るんだ。飲み直しといくかっ!」

「当たり前だろうに!」

「御意っ」

「えっ………」

まだ飲むか。アレも口にしたというのに。いや、酒飲みに際限はないのか。
ファリエルも大丈夫なのかと汗を流している。

「嬢ちゃん、行くぞ!!……って、なに?」

「あっ……。そ、その、わ、私、幽霊だから……何も、掴めなくて……」

「ふぅむ、そりゃあ、難儀だな。まぁいい。兎に角来い、嬢ちゃん!積もる話が沢山あるんだ!」

「…………」

「ほれ、行くぞ、ファリエル」

「行きましょう」

「………は、はいっ!」


そうして、宴の席へと戻ったいった。いや、酒か。



「嬢ちゃんが居るってことはハイネルの馬鹿野郎も此処に居るのか?」

「い、いえっ、兄さんは、此処には………」

「……そうか。ちっ、居やがったら、あの野郎、ブン殴ってやろうと思ったんだが」

「………ふふっ」

「おい、ヤッファ。いい加減その可愛い娘を紹介しやがれ。こっちはずっと待ってんだぞ」

「えっ………か、かわっ……!」

「おお、すまねぇ。この嬢ちゃんはファリエルって言ってなぁ、見たまんまのお転婆娘だ」

「ヤ、ヤッファさんっ!!」

「そうかい。ファリエル、俺はカイルってんだ。海賊やってる。よろしくな」

「あっ、は、はい。こちらこそ……」

「いやー、こんな可愛い娘と酒を飲めるなんざぁ、男冥利「さぁ、ファリエル!わらわと共に飲み明かそうぞ!!」ぐぼっ!!?」

「あっ………」

「さぁ!さぁさぁ!!」

「あ、あの、ミスミ様?は、話聞いてました?私、幽霊だから、お酒も何も……」

「むっ、わらわの酒が飲めぬと言うのか?」

「いえ、だから、私………」

「安い酒では口にせんのか。しょうのない奴め。キュウマ!蔵にある秘蔵の酒を持って来い!こうなったら全て解禁じゃ!!全て飲み干してくれる!」

「御意っ!!」

「えっ、ちょっと、あのっ!?」

もはや使いっぱしりだな、うんこ。いや、知っていたが。


「わ~~、誰、誰、この娘?可愛い~~」

「本当、綺麗……」

「えっ……。あ、あう……」

ソノラ登場。ついでにイスラ。もちろん顔赤い。
この三人ほぼ同年代なのか?見た感じ違和感はない。いや、ファリエルは結構お婆ちゃ……ゲフンゲフン、長生きしてるのか。

「名前は?」

「何処の集落の娘?」

「え、えっと、ファリエルっていいます。集落は……領域の狭間です」

「ファリエルかぁ。よろしくね!私ソノラ!」

「私はイスラだよ。でも、確かに霊界って感じするね」

「実はファルゼンなんです」

「ウィ、ウィル君っ!!?」

「嘘っ!そんな裏設定が!?」

「あっ、ウィルの言ってた可愛いってそういうことだったの?」

「ん。恥ずかしがり屋ちゃんなんです」

「ウィル君っ!!」

「あははは、顔赤~~い。可愛い~~~~~!」

「ソノラさんまでっ!!」

「というか、ウィル、こんな可愛い娘独り占めしてたの?うわー、いやらしい」

「ふっ、何とでも言え。ファリエルは数少ない癒し系の女の子だ。俺の心のオアシスを貴様には渡さん」

「ぇ………」

「ふふん。私に勝てると思ってるの、ウィル?」

「未成熟のお前に負ける気などせんわ」

「こらっ!未成熟って何だ、未成熟って!!」

「胸」

「言ったなーーーーーーーーっ!!?」

「でさぁ、その時アニキなんて言ったと思う?もうその時の顔が傑作でさぁ、」

「え、えっと、と、止めなくていいのかな?」

「マルルゥもお話加えてくださーい!!」


その後スバルとパナシェも加わりてんてこ舞い。
殺意漲る瞳で俺を睨むイスラに、戻ってきたキュウマの足を引っ掛け、衝突させた。秘蔵の酒とやらを被ったイスラ、ソノラ他は更に酔っ払い、それを見たミスミ様は風を巻き起こす。吹き飛ぶうんこ。もちろん、俺は避難した。





「ウィル!!」

「やぁ、犬」

ガクッっと沈み込む犬もといフレイズ。やはり来たか。

「………っ。貴方は一体何を考えているのですかっ!ファリエル様の姿をみなの前に晒すなどっ!」

「平気平気。みんな酔っ払ってるから、明日になれば忘れてるよ」

「その様な確証、何処にもっ!!」

「いや、絶対だ。みんなが口にした酒、何だか解る?」

「………ただの、酒でしょう」

「違うね。ただの酒じゃない。アルコール度数とかもうそういう次元じゃなく、原材料の他に純粋な魔力(マナ)も加えて醸造された規格外。体や脳を酔わせるのではなく、魂を泥酔させる正にスピリッツ!」

(…………いや、それもはや呪いでしょう)

「神酒・天上天下!!」

(……何処に持っていたんですか)

「明日無事な人はいませんよ」

「で、ですが、此処に居るみなさんが飲んだ訳では…」

ある方向を指差す。フレイズも俺の差した方向を見やる。


そこには、神酒・天上天下を片手にジャキーニさん達海賊を潰している紅の暴君(べべれけ)。


ジャキーニさん白目向いてぐふふ笑ってる。いや死ぬぞ、あの人。
その後全滅したのを見届け、暴君は次の獲物を求め徘徊していった。

ちらとフレイズを窺う。口半開きで遠い目をしていた。近寄ってはいけない女がいることを理解したらしい。

「解った?あれがいるから運命はもう決まっている」

「ええ、そうですね。定めの様です」

依然遠い目で人々が潰れていく光景を見るフレイズ。達観してしまっている。

「………子供達にも?」

「当たり前でしょう」

(悪魔か………)

「これなら問題ないでしょう?誰もファリエルのこと覚えてないよ。覚えていたとしても、朧影だろうし。………それに」

ファリエル達を見やる。
ソノラがファリエルに抱き付こうとしてすり抜け、隣に居たイスラの頬にキスをかます。イスラが奇声を上げ、それが伝播してカイル達が騒ぎ出す。
切れたミスミ様が槍で薙飛ばし、マルルゥがあははと笑いながら逃げ惑うスバルとパナシェに矢を放つ。射ぬかれたパナシェがそのままぶっ倒れヤードの背に直撃、衝撃で酒を飲み合っていたスカーレルをヤードが押し倒す。
召喚獣の女性陣から上がる狂喜の悲鳴、なまめかしいスカーレル、石と化すヤード。そしてゲンジさんの怒号。
地獄絵図だった。

「……ええ、確かに」

そんな中、ファリエルは笑っていた。腹を押さえ、涙を流し、心から笑っていた。
みんなと共にいることを、喜んでいた。

「ファリエル様が今あそこにいるのを、望んでいるのですね」

フレイズはじっとファリエルを見つめる。

「あの様なファリエル様の笑顔は久しぶりです。あの日から今日まで、一度も目にしたことはありません」

「………」

「ファリエル様は、今日まで笑っていなかった」

「………」

「私は、あの方の何なのでしょうか」

「……護衛獣だろ」

「契りは失われています。私は、もう………」

「関係ない。フレイズが今までファリエルを支えてやったんだろう。フレイズがいたからファリエルは今日笑えたんだろう。お前がいなかったら、ファリエルはずっと苦しみ続けていたんだろ?」

「ウィル…」

「護衛獣の鏡だよ、フレイズは」

「………ありがとうございます」

「いや、マジで」

多分俺には出来ない。墮天というのがどういう物なのか解らないが、そこまで尽くすことは多分出来ない。


「ファリエルが喜んでる。十分でしょ、それで」

「そうですね………」

ファリエルが変わっていくという事実を、フレイズがどう受けとめるかは解らない。
ファリエルの身を案じ、また俺に剣を向けるかもしれない。
でも、それも結局はファリエルの為で。
ファリエルの為に考え、思い、行動し、尽くす。
一人の為に在り続けるフレイズが、カッコ良かった。俺はそう思う。


まだ燃え上がる焚き火が、笑い続けるファリエル達を夜に写していた。















「…………」


月の蒼白な光が辺りを照らしている。
澄み切った夜の姿、無数の星達が浮かぶ、変わることのない景色。
視線を下げれば夜景そのままに彩られている水面があって、空と海が交わる境界線が何処までも続いている。
背後には森。前には海岸。風が撫でると後ろからは木々の葉がそよぎ、前からは水面を震わせ波の寄せる音が木霊していく。
やがて、誰一人していないこの場所を、夜の静寂が包んでいった。



マナの光を浴びながら思う。
こんなにも笑ったのは何時ぶりだろう。みんなと同じモノを感じられたのは何時が最後だっただろう。

何時だったかなんていうのは憶測で、ただ人と触れ合う暖かさを忘れていたことだけを気付かされる。
あんなにも、みんなと居ることは心地良くて、安らげたんだ。

「可笑しかったな」

久しぶりに話を交わすヤッファさん達も。気さくに振る舞ってくれたカイルさん達も。友達になってくれるって言ってくれたソノラさんも、イスラさんも。みんな………

「楽しかった」

一夜限りの思い出だけど、本当に楽しかった。こんな思いをするのは、もうないものだと思ってたから。

「明日からはまた元通り」

ファルゼンとして、みんなを影から見つめ守っていく。私の償い。

「忘れなきゃ。温もりも、安らぎも」

じゃないと、きっと耐えられないから。独りで居ることに耐えられない。みんなが居るのに、独りで居続けることなんて、きっと出来ない。

「忘れなきゃ………」

もう知ってしまったから。

「……………」

私を呼んでくれる声を。

「……………よ」

私を映してくれる目を。

「……………だよ」

みんなの温もりを。

「……………やだよっ」


思い出して、しまったから。


「そんなのやだよっ!!」


もう想いは止まってくれない。



「嫌っ、ファルゼンは嫌っ!!私は、私がいいっ!!」


溢れだしていく想いを止める術を、私は知らない。


「私は、私でいたい!!……独りだけで居るのは………もう嫌っ……」


もう止められない。想いはもう、塞き止められない。


「私はっ………!!」

いや、違う。



隠し続けていた望みは、カタチに成ってしまった。



「みんなと一緒に居たいっ………」





涙は止まってくれない。私はその場に崩れ落ち、ただ嗚咽だけが響いていく。
夜の静けさが、寂しさだけが残った。



「ファリエル」



肩が震えた。ただ孤独である筈のこの場に、声が響いた。
振り向く。


「…………」


一人の少年が佇んでいた。


「……………ぁ」

何時から居たんだろう。何処から聞いていたんだろう。


イツから、私の望みを知っていたんだろう?


彼が近づいてくる。私の元へ向かってくる。
私は涙を流して、ただ見ていることしか出来ない。

「………」

膝を地に付けて、同じ目線になる。
彼の瞳と、私の瞳が、今度は涙越しに交差する。彼の顔は、ぼやけて見えない。


「…………」

「私、みんなと居たいよっ………」

「…………」

「独りはもう、やだよっ………」

許されないことだって解ってる。
私は、許されちゃいけないって解ってる。
それでも―――


「だめかなっ…………?」


―――望まずには、いられない





「いいに決まってる」


手が伸ばされる。


「幸せになる資格なんて必要ない」


手は私の頬に添えられて


「幸せになって、いいんだ」


涙を、拭ってくれた。


「っ、ぁ………」

霊体である私に触れる様にして、魔力の固まりとなった雫を拭ってくれる。
拭われた雫は藍色の粒になって散っていった。


「もっと自分を大切にしなさい………約束だろ?」


「ぅ、ぁ、ぁぁ………!」


どうしてかな?


「ぁ、ぅ………!!」


どうしてこんな、貴方の言葉一つ一つに、救われるのかな?


「っ…………ぃいの、かな?」


救われても、


「もち」



いいのかな?






「あったかいねっ………」

添えられてた手を、そっと包み込む。触れることの出来ないその手を、両手で包み込む。

そこには確かに温もりがあって、伝わってくる。

「こんなに、あったかい………!!」

彼は照れた様に笑って、頬を掻いた。



ねぇ、ウィル。



私の胸の震える音、貴方に聞こえるかな?



体中に響き渡ってるこの音、貴方に伝わってるかな?



こんなにも、私、貴方に惹かれてるんだよ。



こんなにも、貴方のことが―――





月明かりの元で少年と少女が笑い合う。少年は少女の笑顔に顔を綻ばせ、少女は少年の笑顔に救われる。

温もりを胸に携え、お互いを感じ合う。

そこには、空と海が交わる様に、境界線は存在しない。

空は海を見つめ、海は空そのものを映し出す。

夜の静寂、そこに孤独は存在しない。




―――独りなんかじゃない。



[3907] 7話(上)
Name: さもない◆8608f9fe ID:94a36a62
Date: 2009/02/13 13:02
「…………」

「…………」

「……何ですか、これは」

「死者の群れもとい二日酔いの群れですね」

「……どうしてこんな事に」

「紅の暴君が現われました」

「……そうですか」


俺とアティさんの視界に広がる光景。ごく僅かの人数を除く島の者達の成れの果てだった。
あーとかうーとか呻き声が至る所から上がっている。デロデロの液体とか立ちこめる悪臭は意識外に置いておく。でないとやってられない。

昨日はファリエルと別れ、そのまま自室へ帰宅。この宴会場のその後は知らん。まぁ、天上天下飲ませた時点でこうなるだろうとは解ってたけど。実際俺も「へべれけ」に飲まされた時、その場で一夜明かしたし。飲んだ後の記憶が見事になかった。素で。ていうか、気分が不愉快過ぎてそれどころじゃなかった。暫くは生きるのつらいだろう。南無。

画策したのを棚に置いといて、他人事の様に辺りを見回す。カイル達は元より、イスラも地に伏している。動き見せるかなとちょい思ったが、やはり無理だったか。
ていうか、お前目覚めてからまだ一日目だぞ? もう酒飲んで………いや、飲まされたのか。へべれけに。
今更だけどごめん。クノンに怒られたら庇ってやろう。


「先生は昨日如何したんですか?」

「ええっと、一度席を外してたんですけど、戻って来て少ししてから帰りました。ちょっとついていけなかったんで。ウィル君も居なかったですし」

「賢明ですね。もし、あそこに先生も寝転がってたら僕はドン引きしてましたよ」

「はははは……。本当に良かったです…」

「ていうか、先生酒癖悪そうですよね。笑い上戸か泣き上戸か。どちらにしても最悪っぽいですが」

「勝手に決め付けないでください。あと最悪とか言わないでください。傷付きます」

「悪魔」

「尚悪いですよっ!!」

むーと怒った様な顔で睨んでくる。いや、怒ってるんだろうけど全然そう見えない。クルものがある。小動物か、あんたは。

「冗談ですよ、冗談。怒らないで下さい。……時に、先生」

「何ですか……」

「昨日、喚起の門で何があったんですか」

「っ!?」

話を変え、不意打ち。アティさんの体が強ばる。
誤魔化される訳にはいかない。悪いが包み隠さず話してもらう。

「べ、別に……」

「『剣』使っといて何もなかったなんて言わないでくださいよ?」

「!! ……な、何で」

「波動を感じました」

(は、波動……)

「知らないでいるなんて嫌です。それで何も出来ないなんてもっと嫌だ」

「ウィル君……」

「話して下さい、先生」

顔を伏せる様にして視線を下に向け、アティさんは眉尻を下げる。
沈黙が続き、やがてアティさんは真剣に俺を見据え口を開いた。




アルディラに呼び出され、喚起の門について説明され、コントロールする為に「剣」の発動を促され、断ったにも関わらず「剣」が勝手に発動。アティさんが言うにはそういう事らしい。
……思った通り。是非とも外れて欲しかった。クソッタレ、嫌な予想だけはいつも当たる。本当に腹が立つ。

煮え切らない感情を抑え込み思案する。
アルディラの目的は「キュウマ」の物と相違ないのか? 喚起の門の正常な作動、更に「剣」を用いてはぐれとなった島のみんなを元居た世界へと送還する。正常な作動は兎も角、送還の方は上手くいかないというのが俺の見解なんだが。そもそも送還云々は核織が「キュウマ」を利用する為に用いた情報だ。信憑性は欠ける。

ベイガーであるアルディラが言うのなら可能なのかもしれないが…………だが、アルディラの目的は本当にそれか?
「キュウマ」は先に仕えていた主人の言葉の為に狂気に走った。ミスミ様、スバルを鬼妖界へ返す為だ。しかし、アルディラには元居た世界に返したい人など居ない筈。護人の務めと言えばそれまでだが、危険まで冒してまで彼女がそれをやるか? あてはまらない、不自然だ。

それにアティさんの主観では、アルディラが普段と違った様に見えたと言った。正気ではない―――操られている? 核織がアルディラを人形も同然の様に操っているのか。
それとも言葉で誘導、暗示によってマインドコントロールしているのか。

前者だとしたらブチ殺す。後者だとしてもブッ潰す。どちらにせよ消す。絶対に消す。
取り合えず後者だとすれば、やはり核織本体であったハイネルが蘇るとか言って誘導しているのか。
此方の方が理由としては適当だ。恐らく、外れてはいない。……本当に胸糞が悪い。

アティさんを助けた所からファリエルは「ヤッファ」と同じ様に味方と考えていいと思う。それだけが唯一の救いだ。
はっきり言って「俺」の時よりタチが悪い。「キュウマ」の時は加減などする必要もなかったが、女性には強引な手段は取れない。取りたくない。本当にやってられない。


「どう思いますか……?」

「…………何とも言えませんが、『剣』の使用だけは今まで通り控えるべきです。誰に何と言われても。武器が担い手に害を及ぼすなんて異常通り越して終わってます。というか、武器に意識がある時点で如何かと思いますが」

「…………そうですね」

「まぁ、先生のことですからそれでも使いそうですけど」

「うっ……」

「否定してくださいよ、頼みますから……」

「……ご、ごめんなさい」

「はぁ……。兎に角、何かあったらファリエルに相談した方がいいです。きっと、何か知ってると思います。僕でも構いません。相談くらいには乗れます」

「…………」

「1人で抱え込まないで下さい。いや、切に」

「…………ありがとうございます」

「いえいえ」



向けられる笑みを苦笑で返し、この人を危険な目に合わせない様にしようと、そう誓った。
この人には笑っていて欲しいと、そう思う。





「で、如何しますか、コレ」

「ですよね……」


その誓いやら思いも呻き声と異臭によってブチ壊しだったが。

取り合えず、アルディラに連絡し、ラトリクスのみなさんに協力して各集落へ運んでもらった。作業機械が担架使って運ぶ光景はシュールの一言に尽きた。
アルディラは心底呆れ、ファリエルはなんか落ち着きがなかった。俺の行動を顧みてみんながここまで酔いつぶれたのは自分のせいではないのかと思っているのかもしれない。その通りなのだが気にしなくてよろし。



てか、まさかみんな暫く使い物にならない?







然もないと  7話(上) 「すれ違う想いは人それぞれで引っぱり合う」







「随分前にやった試験の結果ですが……」

「…………」

「ミュウ……」

「……ぎりぎり及第点、合格です!」

「ふっ、当然」

「ミャミャー!!」


みんなを運んだ後、前回怪我の為出来なかった回も含めて、今アティさんに授業をしてもらってる。
軍学校の模擬試験の様なものを結構前にやったのだが、結果は見ての通り。いや、満点普通に取れたがこの時期に満点とかおかしいからね。家庭教師雇う意味ないし。少なくとも筆記の面では必要ない。俺の場合実技なんてそれこそ必要ない。まぁ、疑われる様な墓穴は掘らんさ。今更な様な気もするが。

「それでなんですが……」

「えっ?」

「ミャミャ?」

何かまだあんの?


「頑張ったウィル君にご褒美です!」


アティさんが差し出したのは、何かを包んだ紙袋。
……………………。

「…………僕、にですか?」

「はい、ウィル君にです」

「ミャー♪」

………………マジ?

「日頃の恨みとか言って爆弾とか入ってるんじゃないですよね?」

「何でそうなるんですか!!」

「いえ、そろそろ鬱憤が溜まってるだろうから、僕を安心させておいて一気に突き落とす、趣向を凝らした方法を取ってきたのかと」

「捻くれ過ぎですウィル君!! というか自覚あるなら止めてくださいっ!!」

「やだ」

「即答!?」

にしても、いや、本当に? マジで? 嘘じゃないの?ドッキリとかじゃなくて?
し、信じられない。俺が女性から贈り物なんて。今まで貰ったことなんて……いや、あるか。「ソノラ」からお守り頂いたし、アリーゼも誕生日にペンダントくれたっけか。あん時素で泣できそうだった。嬉しすぎて。
そういえば「アレ」からもプレゼントか知らんが品貰ったな。実戦用の剣。使いやす過ぎて逆に怖かった。手渡しに来た時、終に得物持ってきやがったかと真剣に命の心配をした。黙って渡して帰ったしまったから混乱の極みだったが。呪いかかってんのかと速攻で疑ったし。

「ほ、本当に……?」

「だから、そう言ってるじゃないですかっ」

「あ、ありがとう、ございます……」

本当にマジの様だ。同じ意味の言葉を2回言ってる。落ち着け俺。
開けてもいいか尋ねて、笑顔で「どうぞ」と言われる。うわっ、素で照れる。こんなことで照れるなど、もう大人なのに何をやっているのか。小っ恥ずかしいったらありゃしない。いや、今は子供だが……。

「…………マフラー」

「ミャッ!」

「はい。スカーレルに教えて貰って何とか作ったんです。初めてなんで、あまり上手くいかなかったんですけど……」

あははは、と空笑いするアティさん。
……て、手作り!? マジでっ!?

う、嬉しい。嬉しいんだけど……こ、こうもやるせない。
何でだ、何で貴方が俺なんだっ!? 最悪だっ、理不尽だっ、理不尽過ぎる!! エルゴ許すまじっ!! 反逆するぞ、テメーッッ!!!!

荒れ狂う感情の波を必死に表に出すまいと耐え、取り合えず巻いてみる。
緑の毛糸で編まれたマフラーは俺の来ている服に合わせてか。首を包み込むそれはチクチクとくすぐったいながらも暖かい。……ヤバイ、顔熱い。

「どうですか?」

「…………あ、あったかい、です」



「―――うん、良かったです」



―――100万ドルの笑顔



「ほら、此処の夜冷えるじゃないですか。だから、ウィル君が風引かない様に…………ウィル君? ど、如何したんですか、急に倒れて? ウィ、ウィル君、ウィルくーん? ………あ、あれ?」

「にゃ?」


…………もうヤダ。この人なんとかして。



ノックアウトされる直前にへべれけの爆笑の声が聞こえた。…………コロシテヤルッ!!!













ウィル君がいきなり倒れて驚きましたが、すぐに目を覚ましてくれたので安心しました。それにしても如何して倒れちゃったんでしょう?
本人に聞いてみても「うっさい、天然」とか言われたました。うう、私が何したっていうんですか……。
顔が赤かったので、熱でもあるのかと尋ねましたが問題ないの一点張り。すぐ部屋を出て行っちゃいました。心配なので付いてきてますけど。

「平気なんですか、本当に? 無理しない方が……」

「問題ないです。ええ、問題ありませんとも。本機は正常に起動しているであります、教官殿」

……まずいかもしれません。何か変なこと口走っちゃってます。やっぱり、部屋で大人しくしてる様に止めた方が……。
しつこく言い寄ってみますが、言うこと聞いてくれません。逆に清々しい笑顔で「もう割り切ったから問題ありません。覚悟しやがれこの天然」とかまた訳の解らないこと言われますし。うぅ、ほ、本当にどうしちゃったんですか……?

クノンに診て貰いましょうと言いたくなりましたが、激しくその選択肢はやばいような気がします。取り合えず、様子を見るしかないです。

「何処へ行くんですか?」

「すぐそこの岩浜です」

「?? 釣り、ですか?」

「いえ、ちょっとやりたい事が」

何でしょう? 岩浜には何もない筈ですし。釣り以外にすることなんてあるのかな?


そういえば、ソノラ達は平気でしょうか。みんな部屋で寝てる、いえ倒れてますけど、すごく苦しそうでしたし。看病した方が良かったでしょうか? でも自業自得の様な気もしますし、普通の二日酔いとは次元が違う様な気もしましたし……。

苦しみ方が半端じゃありませんでした。どれだけお酒飲んだんでしょう。それとも夜を外で過ごしたから風邪も引いちゃったのかな? 離れちゃまずかったでしょうか。でも、そうなると島のみんなも似た様な感じになってるってことに…………不安です。本当に大丈夫かなぁ。

「先生、聞いてもいいですか?」

「あ、はい、どうぞ」

いきなり声を掛けられてびっくりです。変な顔してたんでしょうか?
でも、ウィル君どんどん先行って振り向きもしませんし、顔は見られてないと思うんですけど。

「疲れてるんですか?」

「えっ……」

「朝から何となく元気がないように見えたんで」

「…………」

……確かに、夢を見ましたけど。
あの時の夢を。アズリアに怒鳴り散らされた夢。完璧に私とアズリアの目指す物が違えた夢。
私の言ってることはただの理想で、腑抜けているとそう言われた。笑って誤魔化そうとするお前は甘すぎるって。

誰も傷付かないでいて欲しいと思う私の願いは間違っていないって言える。戦うのではなくて、言葉で相手にぶつかっていけば、ちゃんと分かり合えるって信じてる。この島でも召喚獣である彼等と解り合えたんです。私達は、解り合えるんです。
でも、此処でアズリアの夢を見るってことは、やっぱり私が自分の想いに不安を抱いてるって、そういう事なんでしょうか?

変に見えたんでしょうか、私。いつもの通り振舞ってたんですけど。動揺なんてしてなかったのに。
アズリア……今この島に居るんですよね。ウィル君に剣を振るって、あの時は話をするどころじゃなかったですけど。
ちゃんと話し合わなきゃ。戦うなんて、絶対にダメです。


「シカトですか?」

「えっ? あっ………」






ウィル君に謝って何でもないと伝えたけど、多分信じられてませんね。何か雰囲気で分かっちゃいます。ウィル君鋭いからなぁ。
如何にか信じて貰おうとそうこうしている内に、岩浜へ到着しちゃいました。しょがないので今は置いときます。

さて、ウィル君は何をするんでしょうか?


「……サモナイト石?」

「はい。誓約の儀式をします」

懐から取り出した各属性のサモナイト石を砂浜に置いて、本当に誓約の儀式を執行しようとするウィル君。
ちょ、ちょっと待って下さい。何を媒介に使う気なんですか。

「ウィ、ウィル君? 一体何を使って……」

「先生のマフラーに決まってるじゃないですか」

………………はいっ!?

「ええっ!? む、無理ですよっ!!」

「何でですか」

「だ、だってそれ、私が作ったただのマフラーじゃないですか……」

「誰が作ったとか関係ないです。お守りやネジ一本でも誓約出来るですから、このマフラーでも出来る筈です」

「そ、それはそうですけど、いえ、でも……」

「魔力の有無もありますけど、ようはその媒介に想いや思念が込められているかです。サモナイト石はその想いや思念に反応して召喚獣或いは道具を召喚しますから」

確かにそうなのかもしれませんが、準備がされていない術者単独の誓約の儀式は元々邪道というか何というか、いまいち信用性に欠けるというか……。家系や派閥で相伝、または帝国で伝えられる様な正式な召喚術じゃないですし。

何が出てくるか分からないだけに怖い所があって、素人は勿論一般の召喚師でも簡単に暴発しちゃいますから、そう安易にほいほいと媒介変えてやるものじゃないんですけど……。いえ、それ以前に私の編んだマフラーで誓約出来る筈ないですって。

「やっぱり、無理だと思いますけど……」

「大丈夫ですって。ほら、ここの不細工な所なんて先生が必死こいて直そうとした想いがありありじゃないですか。愛を感じますよ、愛を」

…………なんか腹立ちます。

「じゃ、『手編みのマフラー』――誓約――召喚」

「あっ」

やっちゃいました。
無のサモナイト石使ってウィル君は誓約の儀式を執行。すぐたたない内にウィル君の頭にタライが落下しました。

「ぐっ!?」

「だから言ったじゃないですか……」

「まだ一個目です。成功は失敗の積み重ねってやつですよ。……『手編みのマフラー』――誓約――召喚」

また失敗。今度はシルターンでよく見られる瓦が降ってきました。って、かわらっ!?
つつーと血を垂らしながらそれでも儀式を続けるウィル君。横から治療をして上げます。……何やってるんでしょう、私。

いい加減無駄だと分かって 欲しいんですけど……。今度はドラム缶降ってきました。しかも中身入ってます。だんだん凶悪になってる気が……。
普通はずれって比較的軽い物降ってきません?こんな致命傷になりうる物降ってくるんですか? ウィル君だから? いえ、まさかそんな……。

「この前も思ったんですけど、ウィル君、召喚術も誓約の儀式も発動時間がすごい短いですよね……」

「前の先生に召喚術教えてもらったあと、手当たり次第こうやって誓約の儀式してましたからね。ほぼ我流です」

「……よく暴発しませんでしたね」

「身近な道具ばかりでしたからね。怪しげなアイテムじゃない限りとんでもない物は出てこないですよ」

それはそうですけど、でもやっぱり民間人が召喚術を行使するだけでも危ないんですよ? 何だかそこら辺解ってなさそうです。
いえ、そもそも我流でここまで発動時間が短くなるんでしょうか? 回数をこなしただけで? というか詠唱省略してませんか、ウィル君? 何だかおかしいです……


「あっ、出来た」

「だから、もういい加減にって、ええええええええええええええええぇぇっ!!?」













誓約の儀式を終えて島を放浪する。
自分の作ったマフラーで儀式が成功したのがよほど信じられなかったのか、アティさんはまだ呆然としている。だから、そういうもんなんだって。国や派閥連中の言うこと、型に囚われすぎ。お堅い奴等の言うことなど適当に流してもっと自由に考えた方がいいですよ? 危険なのは確かだけど。
それにしても………

「集落で、ここまで人の生きてる気配がしないってのは不気味通りこして恐ろしいな……」

風雷の里で暫くほっつき歩くが本当に誰もいない。民家に近付いても漂う異臭がそれ以上の接近を許してくれない。やりすぎたか……。
ミスミ様の所行っても無駄だろうな、これは。

「なんかホラーですね、人っ子1人居ないなんて」

「……でも、本当に冗談になってないですよ、これは」


いや、全く。








狭間の領域 異鏡の水場



「あっ、フレイズさんは無事だったんですね」

湖の辺でファリエルとフレイズに遭遇。霊界のみんなはさすがに平気だろうとのことで来た。まぁ、元々昼間の内は此処の住人達は姿を現さないのだが。
アティさんの言葉にフレイズは苦笑している。そりゃあするだろうな。あの惨劇を目撃しているだけに。無事という言葉は的を得ている。
フレイズとアティさんが話している傍らで、俺とファリエルも言葉を交わす。

「よ、良かったんでしょうか? 何だか……」

「ファリエルが気にすることない。元凶はあのへべれけだ」

「で、でも……」

「でもも何もない。ファリエルはみんなと話しただけだろ?」

「…………はい」

「あういう場所は後先のこと考えずに楽しめればいいんだから。あれで良かったんだよ」

「……そう、ですね。すごく、楽しかった」

分かってくれたか。俺が勝手にやったことなので、ファリエルに気を使わせたくないのだ。頼むから尾を引かないでくれ。じゃないと俺の方が心苦しい。

「ウィル」

「ん?」

「本当に、ありがとう」

頭を下げるファリエル。ちなみに鎧解いてます。
やがて姿勢を戻す。ファリエルは微笑んでおり、頬がほんのりと赤くまっている。ぐあっ、何だかそう改められるとこっちも照れてしまう。
自分の頬を掻きながら照れ隠しついでにそれとなく話題を変える。ちょっと真剣な話を。

「ファリエル、みんなには自分のこと言うの?」

「…………」

「みんな迎えてくれる、ファリエルを。隠す必要はもうないと思う」

「…………はい。私も、そう思います」

「じゃあ……」

「でも、まずはヤッファさんとキュウマさんに打ち明けたいと思います。昨日はああ言ってくれたけど、やっぱりみんなを騙してた罰は受けなきゃいけないと思うから」

「……そっか」

ファリエルがそう言うんなら止めない。ファリエルの気持ちの問題だし、これ以上は俺がお節介することじゃない。
まぁ、ヤッファ達がファリエルに罰を与えるなんて事はしないだろうしな、注意か戒める位だと思う。ファリエルはずっとみんなを守ってきたんだし。

「って、アルディラには伝えないの?」

「…………はい。今は、まだ…」

そっか。アルディラの様子がおかしいのか。
確かに不用意に事を起こして刺激を与えるのは危険かもしれない。

「分かった。ファリエルがそうしたいんならそれでいいと思う。でも良かったね、ファリエル」

「うん。ウィルの、おかげだよ……」

「僕はみんなを酔い潰す様にしただけだよ」

「そんなことないですよ!! そんなこと…………ない」

そう言ってファリエルは顔を赤くしながら俯ける。霊体なのに耳まで赤い。
いやー、なんていうか……本当に初々しいなぁ、ファリエル。頭撫でたくなる。まぁ本当に良かった、ファリエルが笑ってくれる様になって。こんな姿見れただけでもやった甲斐があった。

「…………ウィ、ウィル!」

「は、はいっ」

「こ、今度は、私がウィルの力になりますからっ。困ったことがあったら何でも言ってください!!」

「え、ああ、うん、分かった」

そ、そんな力まなくても。
だけど本当にいい娘だ、ファリエル。健気すぎる。アリーゼもそうだったけど霊属性の人っていい娘多いかもしんない。……いや、アレは例外だよ? 娘じゃねぇし。


その後アティさんとフレイズも加わって談笑。フレイズがアルミネのことを強く語っていた。お前言うこと本当に女のことしかないな。
ずばずばとクサイこと言うフレイズを呆れつつも羨ましいと思いながら、暫くしてから此処を後にした。









ラトリクス 補給ドッグ



「クノン?」

「おはようございます、アティ様、ウィル」

ラトリクス。外出しようとしているクノンを見つけた。
珍しいとアティさんが話しかけクノンに色々と聞いている。何でもアルディラの免疫力低下を防ぐ云々、兎に角ワクチンを作り上げる為に原料を採取しに行くとのこと。
アティさんが眉間に皺寄せて?を頭に浮かべている。この人機械とかになると途端に頭弱くなるな。抜けてる発言もよくかますし。村から出てきた当初はさぞ帝国は衝撃的だったことだろう。容易に予想出来てしまう。

確かこの後は、ジルコーダの生き残り出てくるんだっけ? クノン1人で行ったのを助けたんだったよな。
今回も恐らくそういう展開になる筈。危険と分かっていて1人で行かせる訳には行くまい。付いていこう。

「必要ありません」

「まぁ、少しくらいは役に「立ちません」……」

……何か滅茶苦茶拒否られてる。聞く耳もってない。
アティさんが手伝うと言った時と扱いが全然違う。むしろ来んな的なオーラを出してる。あれー? なしてー?

「……もしかして、クノン、怒ってる?」

「私が、何故、如何して、何を理由にして、怒りを感じていると言うのですか? 私はフラーゼンです。そのような感情を持つことはありえません。無責任な事を言わないでください」

「ク、クノン……?」

(普通に怒ってんじゃねーか……)

アティさん汗垂らしてるし。
あー、クノンに嘘ついたことだよなぁ、やっぱ。アルディラは手を回してくれたんだろうけど、クノンは解ってるんだろうな。ていうか俺がアルディラを利用したと思っているかもしれない。うわー、最低じゃん、俺。解ってはいたけど救えない。ホント救えない。

勝手に凹んでいる間にクノンは先へ行ってしまったようだった。再起動を果たしら既にいなくなってるし。
むっ、不味い。追わねば。

「先生、僕はクノンを追います」

「じゃあ、私も一緒に」

「いえ、僕1人で行かしてください。クノン、僕に対して怒ってるみたいなんで。2人でちゃんと話し合ってきちんと解決したいんです」

「……分かりました。確かにそれだったら私はお邪魔ですね」

「すいません」

「いえ、気にしないでください。その代わり、ちゃんとクノンと仲直りするんですよ?」

「はい」

「じゃあ、いってらっしゃい」

「いってきます。ああ、先生」

「何ですか?」

「僕とクノンは炭鉱へ行きます。炭鉱です。あの薄気味悪い炭鉱です。訳解んない蟲が一杯出てきた炭鉱です」

「は、はい。わ、解ってますけど……」

「炭鉱ですよ、炭鉱。その名を心に刻み付けて下さい。具体的にはもし僕達に危険が迫ってきていたらすぐみんなと一緒に駆け付けられる位にその名を覚えていて下さい」

「ウィ、ウィル君?」

「では、今度こそいってきます」

これだけ言えば大丈夫だろう。アティさんまでついて来たらもしもの援軍も望めないからな。よし、さっさとクノンを追いかけよう。



「……何だったんでしょうか、一体」











んで



「クノーン」

「帰ってください」

「話聞いてくださーい」

「必要ありません。帰ってください」

「いや、本当にお願いしますからお話を―――」

「嫌です」

「ぐはっ!!?」

なんかもう絶対領域な壁並みに拒絶されてる。強力過ぎて中和さえも出来ない。もっと僕に優しくしてよ……!!

炭鉱内に既に入り、ずんずんと奥へ進むクノンの後を追う。ていうか歩くの速い! そこまで嫌われてしまったのか、俺は!?
クノンを必死に追いながら辺りの気配を探る。今の所は蟲の気配は感じられない。奥の開けた空間に居るのか? 正直さっさと遭遇して、そこで引き返し改めて討伐という感じにもっていきたいのだが。

「クノン待って! 素で待って!!」

「付いて来ないでください。ウィルが居ても邪魔になるだけです」

「邪魔とかそんな悲しいこと言わないで欲しいな!?」

「邪魔です」

「話聞いてーーーーっ!!?」

お話とかそういうレベルじゃねぇ! 超強力な絶対領域!! 正に結界かっ!?
待ってよクノン!? ていうかホントそっち行っちゃダメー!!?

そして遂に終点の教義もとい炭鉱空洞にたどり着いてしまった白衣の天使。阻止できんかったー。
空洞内に入った瞬間ぴたっと足を止めるクノン。気付いたようだ。もう気配なんてもう探る必要なんてない。しこたまいる。
クノンは空洞一帯に視線を巡らせている。赤外線ってやつか? 俺には薄暗くてそこまで奥は見えない。

「クノン不味い、ジルコーダが居る。戻ろう、数が多過ぎる」

「…………」

やっと言うこと聞いてくれた…………って、前進っ!!?

「ちょっ、クノン!?」

「私はアルディラ様の元へワクチンの原料を持っていかなければいけません」

「んなっ!?」

原料奥の方にあるんだろう!? 状況を考えろよ、状況を!!

「今すぐじゃなくてもいいだろっ!? 一度戻って先生達と一緒に……!」

「1分1秒でも早く、アルディラ様の元に届けます」

「それでもし届けられなくなったら如何するんだ! 意味ないだろ、って行くなーーーーっ!? 話聞けぇーーーーーーーーー!!?」


融通利かないにも程がある! あーもう、畜生っ!!




クノンは後を追うがジルコーダと遭遇しない。クノンがジルコーダの居ない道を選んだのか。
いや正確には居るのか。障害物と段差を利用して接近させない様にしている。俺達を見つけて興奮しているのか、動きが単調になっている。確かにこれなら奥へは行けるかもしれない。だけど、包囲されたら帰り道の保障なんて何処にもない。解ってんのか、そこっ。

クノンの辿った道と敵の気配、それと勘で俺もジルコーダに遭遇せずに最奥へと到着。
既にクノンは原料とやらの回収に入っている。

「何でこうなるかなぁ……」

背を向けるクノンの後ろで愚痴る。振り返れば此方を見詰めている何対もの眼。
数えるのが馬鹿らしくなってくる。振り切って突破しようとしてもいずれ捕まるな、これは。

「私は帰る様に再三に渡って忠告しましたが」

「はいそうですね。付いて来た僕が悪いです」

「…………」

押し黙るクノン。俺があっさりと認めたのを訝しんでいるのか。ぶっちゃけ、唯の皮肉だが。
サモナイト石を取り出し、「ライザー」を召喚。これでねこも入れれば味方は4。
ねこは俺と契約はしているがいつも共にいるのでユニット召喚には含まれない。故に俺は準備さえ出来ていれば常に2匹の召喚獣を引き連れる形に持っていける。結構セコイが、まぁ「剣」程反則ではないだろう。


「何故ですか?」

「何が?」

「何故付いて来たのですか? ウィルは引き返す事が出来ました。此処に踏み入った時点でもウィルは引き返そうと言っていました。なのに如何して?」

「それで僕だけが1人で逃げてクノンを1人危険に晒すって? 冗談でしょ、全然笑えない」

「私はフラーゼンです。心配する必要は皆無です。無意味です」

「クノン、次それ言ったら殴る」

「………………」

「来るよ」


左方から2。右方から3。向かってくる進度から左方に狙いを付けガチンコサーベルを抜く。
クノンの言葉に腹が立った。何より、あの入り口の地点で戻ってアティさん達を呼びに行こうと一瞬でも考えた自分に腹が立った。
救えない。本当に救えない。収まることのない憤りを抱えつつ、俺は剣を振るった。









「ライザー。右前方に招雷。ねこはそのまま突撃」

「Bi!!」

「ミャミャーッ!!」

「『ドリトル』」

ライザーから発せられた雷が一体の蟲を焼き、ねこが三匹からなる群れへと突進。それを喰らった一匹は他を巻き込んで叩き飛ばされる。
俺はねこに飛ばされた蟲達にドリトルをけしかけ粉砕させた。

「はっ!!」

クノンが鋭い刺突を繰り出す。長い槍は蟲の射程距離外からそいつの頭部を貫いた。

「っ!」

「ミャ!?」

だが、その背後から新しい蟲がクノンへ突き進んでいる。そして、孤立したねこに周囲から蟲達が群がっていた。
クノンは槍が伸びきり、更に絶えた蟲の頭部に刺さったまま、迎撃は不可能。ねこはもとより万策尽きている。援護も意味は為さない。

当然、このまま終わる筈などないが。


「召喚・星屑の欠片」


「ねこ」を召喚。囲まれていたねこは瞬時に俺の元へ姿を現し、そしてそのまま召喚術を発動。
ねこの抱える本が開き、光が立ち昇る。

「Gyeeeeeeeeeee!!?」

クノンへ襲い掛かろうと突き進んでいた蟲に強大な岩石が落下、押し潰した。


『召喚・星屑の欠片』。
ねこの持つ魔道書からねこ自身が行使する召喚術。魔道書に載っている術のバリエーションは多く、この星屑の欠片だけでも前回使役した星光と今回の岩石で二種類の攻撃パターンがある。射程も通常の召喚術と比べ長い。難点は威力が低いことだが、魔力防御値が低い対象ならばこれで十分。当たりどころさえ見極めれば仕留められる。


「クノン! 突っ立ってないで構えて!」

「っ! 申し訳ありません」

いや、謝らんでもいいけどさ。
律儀なクノンにコメントしつつライザーとねこに指示、戦局を窺う。

倒しても倒してもキリがない。既に何匹始末した? はっきり言ってこのままだとジリ貧だ。まだ奥の方に何匹も控えている。
突破するしかないのか。だが、ギリギリの戦線を守っているのが今の状況。動いたら間違いく崩れる。それでもいずれみんなの体力と魔力が尽きるのは明白。

あと何分持つ? 10分? 5分?
こればかりは予想出来ない。敵の動き一つで消耗の度合いは変わってくる。極端な話、奥に控えている蟲が全部押し寄せてきたらそれでもう終わりだ。
くそ、本当に此処は地形の利が存在しない。全くもって使えん。

アティさん達を信じて待つか、チームワークは元より運にも任せた突破か。……どっちだ?
分の悪い賭けは嫌いではないなどとカッコつけてみる。いや、ゴメン。やっぱ怖い。痛いのは嫌だ。

「クノン!」

「何でしょうか?」

「待ちと突破、どっちがいい!」

参考までに聞いてみる。


「突破で」


即答。

いや、当然か。クノンからしてみれば。俺馬鹿?
だがまぁ、確かにじりじりとやられるのも癪か。アティさん達が来るにしても此処から進行していれば合流も早い。
まぁ、狂ったらそのまま前と後ろを挟まれて終わりだが。取り合えず左の道に進路をとればまだ全方位囲まれる心配はないか。数も見た感じ少ないし。
よし、やるか……!

「ライザー、来い!!」

「Bi!」

「自爆シークエンス起動」

「Bi!! …………Byyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyy!!?!?!??!」

ライザーが奇音を上げる。了承しておいて叫びだした。器用なことするな、お前。
あ、クノンが吹き出した。

「起動させたらそこで待機。俺がお前を投げた2秒後に自爆しろ」

「Bi、Bbii!? Byyyyyyyyyyyy!!?」

「ああ、華々しく散れ」

「Bveeeeeeeeeeeeeeee!!!?」

恐らく抗議しているのだろうが、こっちの都合で一方的な意思疎通を行う。
俺の手のサイズにライザーが縮小して掌に収まる。ライザーは俺の顔を見て目(?)をウルウルさせ涙目らしきものを作っていた。
コイツ本当に器用だ。当たりかもしれない。ついている。

クノンが目を見開いて俺を見て固まっていた。同胞が自爆に晒される、驚かない方がおかしい。
いや、でも殺るよ俺は。


「ライザーァァアアアアッ!!飛べぇぇえええええええええええええええ!!!!!!!!」


「Byeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee!!?!??!!!?!」


俺の投げた赤い球体は寸分狂わず前方のジルコーダの群れへ。
そして、予定通りに2秒後―――



――――爆砕



近くにあった火薬箱巻き込んで連鎖爆発。世界が輝いた。


轟音が鳴り響く。随分と派手にブチかましてしまった。此処崩れたら如何しようと少し不安。その分かなりのジルコーダは吹き飛んだ。これなら十分行けるな。ちなみにライザーは戦闘不能とみなされ送還された。
飛びながら本物の涙を流していたライザーを賞賛しながら左の道へと進路をとる。そしてクノンの俺を見る無表情の顔が怖い。いや、でもしょうがねーじゃん。

「クノン、足を動かすっ! ライザーの特攻を無駄にするなっ!!」

「……………………」

「あーでもしなきゃ突破なんて無理DEATH!!」

「それは、そうですが、しかし……」

「いいから走れ!! 僕だって悪いことしたと思ってるんだからっ!」

「…………はい」

やっとこさ走り出すクノン。それを見届け俺も駆け出す。
そして、吹き飛んだライザーの代わりに何の躊躇いもなく『ポワソ』を召喚。反省なんて微塵もしてなかった。クノンの視線が痛い。


前方には三匹の蟲。
時間をかけたらそこで終わりだ。瞬殺する。

「ねこ、ポワソ! 左潰せ!!」

「ミャ!!」

「ピピィ!!」

「右は僕がいく!」

「………!!」

接敵。
頭突きが、剣が、槍がそれぞれジルコーダに放たれる。

ねこの頭突きが腹に突き刺さり、続いてポワソの体当たりが強襲する。
俺の翻した細剣が腕を斬り飛ばし、そして切り上げた剣を次は振り下ろす。顔面を縦に切り裂いた。
渾身の突貫。甲殻を貫いたクノンの槍は一瞬の内にその蟲の息の根を止めた。

残り2匹。内1匹は既に致命傷。
いける。クノンがねこ達の援護に向かのを視界に納め俺は確信した。このまま逃げ仰せてやる。



「――――――」



違和感。金切り声を上げる目の前の蟲を往なす。
違和感。側面を取り、横切り。腹を裂いた。
違和感。飛び散る紫の液体。発せられる叫び声。
違和感。動きが止まった隙を見逃さず、首に剣を走らせる。
違和感。首が飛び、血潮が噴水の様に勢いよく飛び散った。


違和感? 何に対しての?



――――今モ足カラ伝ワッテクル微細ナ振動――――



「―――――――――――」


違和感は最大級の警報へと変わり頭に鳴り響く。

振動。僅かだが確かに存在している。知覚出来てしまう。そして今尚それは強まっている。

いや違う。振動が強まる云々ではなく、震源その物が近付いている。

今自分達が相手をしている奴等の外観は紛れもなく―――蟻。

地中を――――



クノンの足元に、隆起。



――――掘り進んでいる!!?



「――――――――――ッッ!!!!!?」



駆ける。クノンが槍で蟲の頭を叩き割る。隆起が盛り上がっていく。


突き飛ばす。彼女の顔が驚愕に変わる。隆起は土を退けその凶悪な貌を曝けだす。


行動不能。彼女の時が止まる。魔蟲の牙が俺の腹を捉えた。



食い破られた。




「―――――ぐっ」


激痛。腹が焼けている。
吐血。鉄の味が口内を占領する。
飛ぶ。脇腹からの衝撃。宙を浮かぶ。
痛、い。


「ぁああああああああああああああああああっ!!!!!!!!!」


召喚。


「ト゛リ゛ト゛ル゛ッッ!!!」


痛みと衝撃で切れかかる集中力を咆哮と気力で繋ぎ止める。
目標を定め、そして放つ。


「Gyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyy!!!?」


けたたましい音と断末魔が収まるとほぼ同じくして、俺は地面に落ちた。




「ウィルッ!!?」

「ぐっ、ごほっ………!!」

痛い……!! シャレにならんっ!!
聞いてねぇぞ、こんなのっ……!!

「毒、かよっ……!!」

亡骸と化している蟲の色は緑。間違いない。
吐き気がする。焦点がぶれる。気持ち悪い。滅茶苦茶不愉快だ。

「ウィル! 口をっ!!」

「………………!!」

差し出される飲料を飲み干す。何の解毒薬か解らないが体を襲う激痛は治まっていった。
そして傷を受けた箇所の服を裂かれ消毒、声にならない叫びを上げる俺に構わずクノンは傷にFエイドを貼った。
とんでもない速さの応急処置。恐れ入る。

「っ…………ありがと、クノン」

「まだ動いてはいけません! 安静に――」

「言ってられない。そんなこと……」

「っ!?」

取り囲まれた。俺達が前に出た関係で残りの蟲も加わってすごい数になってる。ライザーの自爆で大分減ってはいるのだが、それでも……。
体も万全じゃない。痛ぇ。ホントに不味いか?

「何故、ですか……?」

「クノン?」

「何故、私を助けたのですかっ?」

「何故って……」

「私は、フラーゼンです。人ではありません。なのにどうしてっ?」

「……理由なんてない。理屈もない。助けたかった。それだけだよ」

「………………」

人間も機械も関係ない。主人とか僕とか、主従関係なんて望んでない。
仲間なんだから。そんなもの全部関係ない。

「それに、クノン女の子じゃん。女の子に怪我なんてさせられない」

「なっ……」

「僕はそういう人間だから」

「私は……フラーゼンです。看護人形です。人間では…」

「でも女の子でしょ」

「……、………、………っ」

何か口籠もってるみたいたけど、構ってる余裕がない。前を見据え剣を構える。
やれるか? いや―――


「俺が女性を助けるのは、当たり前っ!!」


―――やるんだよ!!




「ウィル君!!」

「ウィルッ!!」

「にゃははっ、若いわね~」



轟雷


轟撃


轟爆



自分を奮い立たせた矢先に三つの破壊エナジーが蟲共を食い荒らした。



「……え、えなじっ?」


「無事ですかウィル君っ!?」

「もう平気だから!」

「急いだ甲斐があったわ~~」


「せ、先生? ファリエル? へべれけ?」

え、援軍? き、来てくれたんだ。
助かった……けど、何か萎えたな。タイミング的に。

「ていうか3人だけ?」

「みんな寝てるわよー」

「……なるほど」

天上天下で潰れてんだった。アルディラはワクチンを打つまでは行動不能だから、これが全戦力なのか。……マジかよ。

「先生にメイメイさんもひっぱられちゃってね、責任とってくださいって」

「……その割りには何もしてないな、アンタ」

「だって必要ないじゃなーい」

「…………まぁよ」

ファリエルが大剣で次々と蟲を蹴散らし、アティさんが上級召喚術を大規模に渡って炸裂させている。
数の利とか意味ねぇ。普通に2人だけでケリつくな。強過ぎだろ。

「ここ以外に蟲居たらどうするんだ?」

「フレイズが空から見て回ってるわ」

忘れてた。素で忘れてた。


既にぬかりはなし。やることなし。いや出番なし。まぁ、これで一安心とな。
しかし実際結構やばかった。もうちょいアティさん達遅かったらやられたかも。

「ウィル……」

掛けられた声に振り向くと、困った様な、悩んでいる様な、そんな子供みたいな顔しているクノンが居た。
そんな顔しているクノンが可笑しくて、俺は小さく笑う。

「さっき言ったことは本当。僕はクノンを助けたかった」

「…………」

「人間とか機械だとか関係なし。僕はクノンが怪我をしたらつらい。傷付いたら悲しい。居なくなったら寂しい」

「…………ぁ」

「無茶だって助ける。仲間なんだから」

「…………なかま」

「ん」

俺もクノンも視線を逸らさない。お互いを見詰め合う。

「理解は、出来ません。………でも―――」

彼女が目を瞑る。何かを探る様に。何かを見つけようとする様に。



「―――ウィルのその行動は、私は嫌いではないと思います」



やがて、目を開けて彼女は無垢な笑顔を浮かべた。
その瞳に穏やかな色を携えて。


「クノン。今すっごい可愛い顔してる。やっぱり正真正銘女の子だよ、クノンは」

「…………ぇ」

「鏡がないのが残念だ。クノン、自分の顔見て絶対驚くよ」

おどけて笑ってみせる。簡単にそんなクノンの顔が想像出来て可笑しくなる。
何より、「彼女」と変わることのない笑顔を浮かべるクノンが、とても嬉しかった。

「お取り込み中悪いんだけど、終わったみたいよ~」

「ん、本当だ」

アティさんとファリエルがそれぞれの武器を下ろしていた。炭鉱内に俺達以外で動く物はない。ていうか、本当に早い……。
手持ち無沙汰に酒の瓢箪を振っているメイメイさんに、手を上げ返し此方も今行くと伝える。振り返り、目を見開いているクノンに顔を向けた。
今も呆けている彼女の姿に、思わず苦笑が漏れた。

「僕達も行こう、クノン」

「あっ…………」



手を引っ張る。今の俺と変わらない大きさの手を取って引っ張る。

最初は狼狽えていたが、すぐに俺の歩調に合わせて付いてきてくれる。

またそれが嬉しくて、俺はその手を強く握った。

重なる足音も、繋がっている手も、彼女のヒンヤリと冷たい手も、全部心地良い。



やがて、彼女も同じ様に、俺の手を握り返してくれた。













「クノン、本当にもう大丈夫なんだけど」

「いけません。きちんと治療を施さなければ」

あの後炭鉱を出て、そのままクノンに手を引っ張られてリペアセンターに連れてこられた。
クノン本人がやってくれた応急処置のおかげで別段問題ないのだが、クノンはこの通り聞いてくれない。まぁ、こうなった以上素直に言うことを聞いておこう。

「そういえばクノン、アルディラの方はいいの? 一分一秒でも早く届けるって言ってたじゃないか」

「――――――――」

腹部に押し当てられているクノンの手が止まる。クノン自身も俺の言葉に固まってしまった。え、何、忘れてたの?
動きを止めたクノンだったが暫くしてからまた治療を再開した。

「…………私は、フラーゼンです。本来の私の存在意義は生物の治療です。……ですので、ウィルを優先しました」

「そっか」

何かまだ少し堅いが、それでもが柔軟になっていきているので喜ばしい。この調子なら大丈夫かな。
要領良く手を動かすクノンの顔を見てそう思った。

会話が途切れクノンがする治療の音だけが残る。決して気まずい沈黙ではなかったが、取り敢えず何か話題を探す。
沢山コミニケーションとった方がいいしな。あっ、そうだ………

「クノン、ごめん」

「何の件について言っているのでしょうか?」

「昨日クノンの言いつけ聞かなかったこと。さっきまでそれで怒ってたでしょ」

「…………」

「分かってたと思うけど、あれ嘘でさ、みんなと一緒に戦ってた。アルディラにも口裏合わせるよう頼んでそれを誤魔化そうとしたし。だから、ごめん」

再び沈黙。クノンは何も言わない。先程と同じ様に治療だけが続けられる。
怒らせてしまっただろうか。でも、謝らないままでいるのは何か違っている様な気がする。何より、俺のことで真剣に怒ってくれたクノンに失礼だと思う。ここでちゃんと許して貰うべきだ。

やがて治療が全て終わる。傷口の上のガーゼを包帯で固定してクノンは立ち上がった。

「フラーゼンとして、ウィルのした行動は許せる物ではありません。アルディラ様の手を煩わせたことも含めて」

「………」

「厳重注意、したい所ですが……」

そこでクノンは言葉を切る。少しの間を開けてクノンは口を開いた。

「ウィルの嘘は、先程私に言った様に、アルディラ様達を守る為に吐いたのですか?」

「……うん、まぁ、そうなる」

「……でしたら、私はウィルを許します」

「クノン……」

「機械の身である私ですが、それはきっと間違いではないと、そう思います」

「………………ありがとう、クノン」


許してくれたことも、クノンの言葉も、その言葉に帯びている柔らかさも、全部嬉しかった。

クノンは気付いているだろうか。今この時も自分が変わりつつあることを。感情を抱いているということを。
顔を、綻ばしているということを。


―――ああ、堪らなく嬉しい。


「ウィル」

「何?」

「助けてくれて、ありがとう」




微笑んでいる彼女は、やっぱり綺麗だった。















あったま、痛い……。最悪。昨日何あったんだっけ。
全く覚えてないんだけど。

確か、スバル君達に解放された後、ソノラと一緒に会話弾ませてたら…………酒臭漂わせる紅いのが、気持ち悪い笑みで迫ってきて…………。
あ、頭が割れる。思い出すのやめよう。拒絶反応出てる。


頭痛と怠さを抱え、それに耐えながら天を仰ぐ。
今居る森の中で私の周囲だけがぽっかりと穴を開けて、月と星の光が差し込んでいた。
大きくて透き通って見える月はとても雄大で、ちりばめらている星々はそれぞれが煌めいている。



――――夜空って、こんな綺麗だったんだ。



空を見上げるのを止め、視線を元に戻す。

感傷? 馬鹿々しい、何を今更。

くだらない思考を打ち切ってこんな所に来た目的を実行する。
思ったより前回と間空いちゃったな。何か色々口煩いこと言われそう。気が進まないなぁ。
気怠く思いながらも首元に付いてるペンダントの一つを外す。
さて、お仕事しますか。


「―――――ッ」


ペンダントを口に近付け声を出そうとしたその時だった。背後から気配がしたのは。
直ぐ様ペンダントを戻し動揺を抑え込む。

気配? こんな近くに? 気付かなかったの? 私が?

鋭敏になっている私の感覚に引っ掛からなかった。
アサシンにも背後を取られることなんて今までなかったのに。それをっ……!!


背後の存在に緊張を悟られない様に体を落ち着ける。自然体で、それでも警戒を怠らない。
体調が起因しているのか、それとも油断していたのか。自分以上の刺客という可能性を必死に否定しつつ、私はゆっくりと振り向いた。

木の群れから姿を現したそれは夜の光を浴びて顔が顕わになる。

そこに居たのは―――


「…………ウィル?」


―――憎からず思っていた、あの少年だった。





「何やってんの、イスラ」

「………ぇ、ぁ、あれ? わ、私、どうして?」

最初は本当に素で反応し、後はそれを利用して演技をする。
頭はまだ混乱しているけれど、それはおくびにも出さない。今は此処を誤魔化さなくては。

「えっと……あれ? 何で、こんな所に、私……」

「……………寝惚けてんの?」

「…………多分」

結構馬鹿なこと言ってるよ、私。幾らなんでも苦し過ぎる。頭まだ上手く動いてないみたい。
ていうか、ウィル滅茶苦茶引いてるんだけど。すごく哀れんだ目を向けられてる。く、屈辱……っ!!

「………夢遊病患ってたの?」

「…………い、いや、そんな覚えないんだけど…」

「…………………………」

…………何か腹立つ。あの死んで腐った魚みたいな目向けられると腹立つっ……!!!
絶対アレ可哀相な人生送ってるとかそういうこと考えてるよっ……!!

「可哀相な人生送ってるな、お前」

「ちょっと待って!? 心読んだでしょ!? 絶対読んだでしょっ!!?」

「今の僕を見て誰もが感じる考えを口にしただけデスよ」

「何よ、それっ!!?」

人の心勝手に誘導しないでよっ!? 道化かっ、君は!?
お、落ち着いて私っ。これは不味い。このペースはマズイ。目の前の存在に主導権握られるのは限りなくまずいっ……!!

「じゃあ、夢遊病持ちで痴呆が現在進行形で促進している可哀相なイスラ君は病院に行きましょうか」

「変なレッテル貼り捲くるなーーーーーーーっ!!!?」

「事実じゃん」

「違うっ!! 私は夢遊病にも痴呆にもなってないっ!!!」

「絶対?」

「確実っ!!!」

「真人間?」

「当然っ!!!」


「じゃあ、如何して此処に居るの?」


「あ゛…………」

「更にツッコませてもらうと真人間のイスラ君は此処で何をしているの?」

「………………」

「何も覚えてないの撤回するのね?」


…………道化なんかじゃない。
今私の目の前にいるムカつく程に澄ました顔をしているコレはっ……!!!


狸だっ……!!!!


確かにこの時、私は目の前の存在に丸い耳とムジナも顔負けの尻尾が生えているのを知覚した。

尻尾左右に振ってるし……っ!!!






「つまり、如何にもならない体の調子を夜風に当たって紛らわせようとしたと?」

「はい……」

「そんで調子乗って森に入ったら迷って出れなくなって無様に彷徨っていたと?」

「はいっ……!!」

「へー、ふーん、そう」

誤魔化す為には恥を晒すしかなかったとはいえ、これはっ……!!
物言い1つ1つが本当に神経を逆なでするっ!! ていうか、信じてないしっ!! 前とそっくりそのままっ!!
本当に屈辱だよっ……!!!

「まぁ、我輩は貴方がラトリクスを出て真っ直ぐ此処に来たのを目撃している訳ですが」

バタッと四つんばいになる。
嵌められたっ……!!

「知ってて何でこんな回りくどいことするの……!!」

「茶番」

二文字ッ……!!!






「…………で、そうやって私の茶番劇ご覧になった性悪の貴方は一体何がご用件ですかっ?」

負け惜しみで皮肉を効かせる。こうなったら絶対に口割らないからっ……!!

「いやぁ、こんな茶番が目的だったので用件なんてそんな大それた物は御座いませんよ」

殺していいかなっ……?

「まぁ、冗談はこれ位にして、はい」

「えっ? わっ、っと……これって」

召魔の、水晶?

「借り物返しに来た」

「…………別に、こんなの、返してくれなくたって」



「イスラが自分の手で手に入れた物だろ」



「―――――――――――――」



「それはイスラだけの物だ。間違っても僕がぶん取っていい物じゃない」

「………………私の?」

「そう、イスラの」

「………………」

「用はそんだけ」

「………き、聞かないの?」

「何を」

「……私が、何をしようとしてたのか」

「聞かない」

「ど、如何して?」

「どうせしょうもない事だろ」

「………………」



――――あたり







「ねぇ、ウィル。一緒に帰ろ」

「いいけど」

「じゃ、いこっ」

「…………」



手を引っ張る。私と大して変わらない小さな手を取って引っ張る。

最初は為すがされるままだったけど、すぐに私の歩調に合わせてくれる。

なんだかそれがただ嬉しくて、私はその手を強く握る。

重なる足音。繋がっている手。暖かい掌。全部が全部、心地良い。



すぐに、同じ様にして、私の手を握り返してくれた。





似てるんだよ、ウィル。

私達似てるんだよ。

嘘吐きで、捻くれてて、素直じゃなくて。

やることも、考えることも、全部。

似てるんだよ。


ただ、ウィルの方が私より素直だね。

いや、違うか。

我侭なのか、ウィルは。

それだけで、こんなにも違う。

それだけで、私とこんなにも違っちゃう。


羨ましいよ。

とても、羨ましい。

妬んじゃうくらいに、羨ましい。

羨ましいよ。





「ウィルー。私さぁ、今もまだ体調悪い訳さー」

「で?」

「おんぶしてー」

「僕を押し潰す気か貴様」

「女の子に重いだとか言うのタブーとか教わらなかったのかな君は?」

「重いなんて僕は一言も言ってない。ていうか短剣出すのやめろ。あと何処に隠し持っていたお前」

「企業秘密かな~」

「僕じゃなかったら取り押さえれてるぞ」

「ウィルは私は取り押さえないんだ?」

「いや、普通に勝てないし」

「そういう時はさぁ、俺はお前を傷付けないとか、そういうカッコイイこと言わなきゃダメじゃん」

「善処するよ」

「期待してます」

「いいのか?」

「何が?」

「用事」

「んー、如何でもよくなっちゃった」

「さいで」

「さいです」







大事にするよ。

私の手で、手に入れた物。

誰かに与えられた物なんかじゃない、私の力で手に得れた、私だけの物。

私の最初の宝物。

大事にするよ。



ありがとう、ウィル。



[3907] 7話(下)
Name: さもない◆8608f9fe ID:94a36a62
Date: 2008/11/11 23:25
暗闇を携える水面。日を浴びている際には晴れやかな空色を映し出す海が、今は深い黒に染まっていた。
今日は満月。だが、光に雲が靄の様にかかりぼやけている。大地に届くのはそんな霞から僅かに除く薄光のみ。
闇が深く溶け込んでいた。


別段何時もと変わりのない夜、そうである筈なのに闇が濃いと感じるのはやはり自分の内にあるわだかまりが起因しているのか。
甲板で見ることもなく夜の海を眺めているアティは胸に抱いている欝懐を拭えずにいた。

昼間、ウィルとクノンをジルコーダの群れ助け出した後のこと。
戦闘の反動は勿論、今日まで島を奔走し続けた疲れも相まって眠気に耐え切れず、アティは集落から離れた林の一角で休息を取っていた。
特に警戒も行なわずに無防備な姿を晒し暫く。はっきりと聞こえてくる芯の通った声に目を開けると、そこに居たのは剣を構えているアズリアの姿だった。朝見た夢の続きとも言える展開。いやアティとアズリアの別離の延長の果て。それが目の前にはあった。

立つ位置が異なるが故に対立するかつての親友。自分の信念を貫こうと話し合いを持ちかけるアティだったが、アズリアはそれを切って捨て逆にアティと果たし合おうとする。他者を巻き込みたくないと言うのなら一騎打ちでケリをつけようと。

アズリアにアティの言葉は届かなかった。
剣が迫っても得物を構えず無抵抗なままでいたアティにアズリアは舌打ちをし、踵を返し立ち去っていった。次はないと、そう言い残して。

やはり自分の望む物はただの理想に過ぎないのか。そんな事はないと否定するが、胸のわだかまりは消えてはくれない。アティは顔を曇らせ、混迷する自分の想いに馳せていた。


「先生?」

背後から投げられた声に振り向く。
そこには普段と変わらない落ち着いた表情をしているウィルが突っ立っていた。
随分とお互いの距離が空いていない。声を掛けられるまで気付かないなんて相当自分は参っているのかもしれない。
今もポーカーフェイスを崩さないウィルを見つつ、アティは自分の体たらくに苦笑した。

「如何したんですか、ウィル君?」

「それはこっちのセリフですよ。何ぼーっとしてるんですか」

「ただ海を見てただけですよ。何でもないです。ウィル君は如何して此処に?」

「イスラに借りた物を返しに行ってきました。それの帰りです」

そう言ってウィルはアティのいる手摺へ進み隣に並ぶ。自身の胸ほどある手摺に腕を乗せ、海を見詰めた。

「で、如何したんですか?」

徐に、ウィルが口を開く。
やっぱりきたとアティは心の内で呟く。何となく突っ込まれるであろう事をアティは予想していた。
この少年は鋭い。隠し事をしていてもすぐにばれてしまう。というより、あまり自分の言う事を信じていない節がある。
自分に信用がないのかウィルが捻くれているのか、どちらにせよ結構悲しい。後者はこれからも振り回されるのだろうという意味で。鼻がツンとくるのをアティは知覚した。

「………何泣いているんですか。素でキモいんですけど」

「いえ、目にゴミが……。決して泣いてる訳ではないんです。だから、キモいとか言わないで下さい。本当に、ぐすっ、泣いちゃいますよ?」

「…………」

よよーと涙を流すアティにウィルは若干引く。キチガイでも見るかの様な目で。
君のせいなんですけどね?と、アティはすぐ横にいる原因に言ってやりたかったが止めた。無駄だから。

「…………じゃあ、一つ聞いてもいいですか?」

「ぐすっ、はい、どうじょ…………」

「……先生と帝国のアレとの関係教えて貰えますか?」

「うぅ、はい、解りました……」

アティはアズリアとの関係を語りだす。アズリアがアレ呼ばわりされた事に気付いていないかった。

レヴィノス家の嫡子だということ。軍学校で最初の試験で目を付けられたこと、会うたびに何かと文句を言われたこと、次第に打ち解け親友とも言える仲になったこと。
それら自分が最初の任務で退役する時までのことをウィルにアティは話した。親友の辺りで何ソレ?みたいな顔をウィルがしていたがアティは気付かない。

「日々襲われていたんではないんですか?」と聞かれた。ある訳ないでしょうと言ってやった。
「退役した理由はもっと別の要因ですよね?」と迫られた。そんなのないですよと迫力に押されながらも答えた。
「いや、ないよ。マジないよ。理不尽だよ。何で俺だけ…………くそっ、チクショウ、何でだよっ!」とほざき始めた。さすがに引いた。

甲板に伏せながら握り拳をドンドンと叩きつける1人の少年。訳が解らない。本当に頭の方が心配になってきた。
やがてむくりと立ち上がるウィル。いつも通りに見えるが、目に光がない。

「………寝ます」

「え、ええ………」

そして、ウィルはその場をふらりと立ち去っていった。



「………わ、私、何かしちゃいましたか?」







然もないと  7話(下) 「すれ違う想いは往々に巻きおこる」







「し、死んじゃうよ~~~~」

「頑張れ。はい、水」

「ありがと、ウィル……あいたたたた」

ベッドから体を起き上がらせ俺の持ってきた水を口にするソノラ。
不休不眠で疲れが頂点に達しているかのような顔。いつもの元気もこの時ばかりは鳴りをひそめていた。よほど痛いのか、眉間に皺を寄せて痛みに耐えている。
自分にも経験があるだけに酷く同情してしまう。そして解ってしまうからこそ俺には何もしてやれない。

「うぅ~~。2日経ってもまだこんななんて信じられないよぉ。三日酔いぃ?もう、いやぁ、ったたたたたたた…!」

「でも、昨日よりかはマシでしょ?」

「当たり前じゃん。昨日なんてもう………うぅ」

ソノラはぶるりと体を震わせた。
昨日は、近くで響く声さえも全身に激痛を走らせるだろうと思い看病もせずノータッチだった。頭ではないのだ。全身である。魂がやられるのである。はっきり言って昨日1日は拷問だっただろう。


アティさんの口から衝撃的事実を聞かされて一夜明けた。
絶望した。在りえない程絶望した。アティさんがアレに苦しめられている事を望んでいた訳ではない、しかし「俺」の場合と差があり過ぎる。

何だよ親友って!?違うだろアレは!「アレ」は害だろ!化け物だろ!天敵だろっ!?間違っても笑って思い出を語る相手じゃないだろ!?
畜生、俺だけなのかよ!「俺」だけが「アレ」に追い回されていたのかよっ!!

自分の不幸体質に、いや自分の運命に絶望した。今更だが絶望した。昨日は枕を濡らしましたよ。ええ、ぐしょぐしょに。
上手く寝付けず起きた時間も早朝と言える時間帯。何やってるんだろオレと自分の有様に自嘲し、もう寝るのは無理だと思ったので浜辺で黄昏ていようと部屋を出た。
そして、そこで幽鬼の様に部屋から出てきたソノラと鉢合わせ。水を飲みに逝こうとしていたので止めて俺が持ってきた上げた次第である。

俺も俺で元気はないが、まぁソノラ達と比べるまでもないだろう。やる事もないのでソノラが眠りにつくまで傍に居る事にした。


「本当に参っちゃうなぁ。こんな質の悪いの初めてだよ」

だろうさ。肉体じゃなくてある意味精神がやられてるんだから。

「当たり前だけど宴会のこと全然覚えてないしー」

「楽しそうだったよ。ソノラもイスラも」

ファリエルもな。

「うんうん、イスラのことは覚えてるかな。初めて話したけど、最初から会話弾んちゃってさぁ。そうそう解る解るみたいな感じで」

「年離れてなさそうだったしね。良かったじゃない」

「うん、私もそう思う。女で私位の年の人って海賊には居なかったからさぁ、共通の話持ってるって嬉しい。イスラ面白いし、友達になれて良かった。あっつ……!!」

「もう横になった方がいい」

ベッドに腰掛けこめかみを押さえるソノラに言う。
ちなみに着てるのはパジャマ。長袖長ズボンでレモン色の物だ。ソノラによく似合っている。全体に入っている絵柄が導火線に火がついてる爆弾なのはもう苦笑するしかない。

「えー、もう寝れないんだけど。それに横になってるだけってキツイしぃ……」

「その気持ちは解らなくもないけどちゃんておとなしくしてた方がいい。体が参ってるんだから」

というか魂が安定するまで無理しない方がいい。その内生きてるのがしんどくなる。

「ぶーぶー」

「ぶーたれるなって」

久しぶりに聞いたソノラのそれに苦笑。
枕を直しソノラが横たわってから布団をかけてやる。ボサボサになっている髪もある程度梳いてあげた。
女性の髪を触っても良いものかとも思うが、ソノラだから遠慮する事もあるまい。

「……ウィルってさぁ」

「うん?」

「なんか、お兄ちゃんって感じする」

「………………」

「何時もならそんな事思わなかったけど、今のウィル見てたらそう思っちゃった」

「…………僕の方が年下なんだけど?」

「でもウィル大人びてるじゃん。こうやって視線が低い所から見ると違和感あんまりないよ。気分だけど」

お兄ちゃんか………。
言われたね、そっくり似てる「誰かさん」に。
「あの娘」は頼りないダメお兄ちゃんと俺を笑いながら言ってくれたが。

「大体ソノラにはカイルがいるじゃないか」

「兄貴は兄貴なんだよ。こうがさつでいい加減で。ウィルは落ち着きのある、面倒見のいいお兄ちゃん」

「何だかなぁ」

「あははは」

これも聞いた事のある言葉だ。もっとしゃっきりしていれば文句無しとコメントも頂いたっけ。
余計なお世話だと言ってやったが…………懐かしいな。

変わらないなホントに。ソノラも、「あの娘」も。何も、変わらない。


「じゃあ、お兄ちゃんが可愛い妹の為に人肌脱いでやろうではないか。何か欲しい物ない?」

「ふふっ、じゃあねぇ。んーー、そうだなぁ………エビが食べたいかな?」

「エビって………現金な奴というか欲望に忠実というか」

ていうかその状態でよく何か食べようとか思えるな。「俺」は天上天下飲んで暫くは食欲出なかったけど。まぁ、「ソノラ」の海老の執念は知ってはいるが。

「冗談冗談。本当にやらなくていいよ」

「いや、取ってくる」

「えっ………い、いいって。真に受けなくても」

「でも食べたいんでしょ?」

「そりゃあ、そうだけど………」

「釣ってくる。しばし待ってなさい」

「レックス」だった時確かに釣った記憶がある。海老、というより厳密にはロブスターか?いやまぁ一緒か。
あれ外見的にはザリガニだよね。田舎で食したことはあるが、やっぱ海老の方が断然いい。ていうか不味い。アティさんは食ったことあんのかな?可能性としては十分だが………遠慮して欲しいな、絵的に。

「いいよーぉ。私の我侭なんて聞いてくれなくて」

「遠慮するな。それに兄には出来る事がこれくらいしかない」

長時間話すのもつらいだろうしね。
海老入手の為にソノラの部屋を出ていこうと立ち上がった。が、同時に袖を掴まれた。離してくれない。
あのソノラさん?進めないんですけど?

「そんなのいいからさ、一緒に居てよ。寝れないから1人で居るの嫌なんだよね」

「頑張って寝れ」

「むーりー」

ふむ、それでは………。

「じゃあ、子守唄を唄おう。それで寝てくれ」

「何それー。あたしが寝なかったら如何するのよ。というか絶対無理だし」

「馬鹿め、抗えぬわ」

サモナイト石を取り出し、召喚。
眩い召喚光がソノラの部屋を照らし、光の中心から青の髪の人魚――「セイレーン」が召喚された。

「あっ………」

「スリープコール」

セイレーンがソノラの頭上で手に持つハープを奏でた。
滑らかに紡がれる曲を聞き、ソノラの瞼が徐々に下がっていく。魔力を全く込めてないので本当に眠りを促す程度だ。強制的に眠らせる訳ではないので、術の効き目が切れてすぐに目を覚ます事はあるまい。

「…………ウィ、る…」

「ちゃんと取ってくるから、楽しみにしてて」

「……………うん」

頷いて、ソノラの顔が綻ぶ。声には出なかったが、「ありがとう」と口がその言葉を作っていた。
俺もそんなソノラに顔を綻ばせる。穏やかな笑顔を見て嬉しくもなったし、ソノラに「俺」に微笑んでくれる「ソノラ」を見た。
もう俺は「みんな」に会えないけど、決して絆は消えることはないと、そう思えた。


「お休み、『ソノラ』」


多分この時は、俺もいい笑顔をしていただろう。








岩浜。
もう日もすっかり出て空には今日も澄み切った青が広がっている。
アティさんには悪かったが朝食を先に食べさせて貰い、伝言を残して此処へ足を運んだ。

手頃な岩に腰掛け海面の一点に集中する。浮き、それが沈むのを見るのではなく感じる。
今手に繋がれているのは道具ではなく体の延長であり体の一部。体であるが故に反応などおごがましく、獲物が食い付いた瞬間に反射する。
先制。獲物よりも一歩と言わず数歩早く攻勢に出る。逃げのモーションに入ることなど許さない。瞬殺だ。常に瞬殺だ。何度でも言うが瞬殺なのである。

「フィッシュ・オン」

「ミャ!!」

餌に食い付いたのを知覚、瞬時に竿を引く。
虚を衝かれたそれは抵抗する間もなく浜へ打ち上げられた。何を釣り上げたのかというと………タツノオトシゴみたいの。ゲテモノじゃん。
くそぃと呟きバケツの中に入れる。エビ釣れねー。魚ばっか釣れる。いや、釣りなんだから当たり前なんだけど。

ゴツゴツとした岩の群れ。その岩の一つに陣取っている俺は後ろを見やる。
打ち寄せる波に持っていかれないよう、収穫した魚は砂浜の奥に置いてある。もう釣り上げた魚はバケツ三つ目に突入しており全てが満杯。宝箱も幾つか散乱。しかし、本命には未だ当たらない。

ううむ、エビがこないのは餌が原因か?ソノラの為にも早く持っててやりたいし、それにせっかく釣り上げた魚がダメになってしまう。もったいない。
ここいらできて欲しいのだが。戦法を変更し、餌をミミズからするめに変える。今度こそ。じぇい。

「で、イスラ。何やってんの?」

「ミュウ?」

「うっ……。な、何で解ったの?」

「さっき振り向いた時ちらりと見えた」

「うっそー。すぐに隠れたから絶対バレてないと思ったのに。……ウィル、変態?」

「変態言うな」

イスラが俺の隣に腰掛ける。
先程から気配は僅かにだが感じていた。ぶっちゃけイスラの言う通り姿は見えなかったが、態々気配を絶って近付いて来てる相手に俺が気付いていたと言うのもおかしい。普通に気配の殺し方が暗殺者とかそれ並みだったし。うんこともタメはれるんじゃね?

「で、ご用件は?」

「別にないよ。ただ会いに来ただけ。船の方に行こうとしてたけど此処にウィルが居るの見えたからさ、こうやって来た訳さ」

「イスラは二日酔いだか何だかは平気なの?」

「う~ん。まだちょっと頭ががんがんするけど、特に問題ないかな?あっ、そう言えばソノラとカイルさん達平気?」

「まだ死んでるけど、大丈夫だよ。明日には復活するんじゃない?というか、して貰うわないと困る……」

「そっか。一安心かな」

昨日の夜に出歩いた所から見るに、やっぱ毒とかそういうのに耐性があるのか?派閥でどういう事をされてきたかは解らないが………胸クソが悪い。でも、この場合だと酒の強さではなくて魂の強さとかそういうことか?………解らん。
そういえば、「ヘイゼル」さんは今頃如何してるのか。幸せな人生とやらを送れていればいいが。

「ウィルはいつも此処で釣りしてるの?」

「大体ね」

「でも、こんな釣っちゃってすごいじゃん。ウィル、釣り上手いんだね」

「まぁよ。……じぇい!」

「言ってる側から釣ってるし……」

また外れ。むむっ、一時撤退するか?魚を置いてきて場所を変えた方がいいかもしれない。
取り合えず、あと何回かやったら引き上げよう。

浮きをブン投げる。それと同時に頭に乗っかっていたねこをイスラがひょいと抱き上げた。
ねこが「ミャミャ!?」と驚いている。俺の相棒に変なことすんなよ。

「ウィルはこの子とずっと前から一緒だったの?」

「いや、ねことはこの島に来た時初めて会った。それから懐かれて一緒に居る」

「フミュウ」

「へぇー。いいなぁ、こんな可愛い子が護衛獣だなんて」

護衛獣じゃないけどな。誓約はしているが。
イスラはねこを膝の上に乗せうりうりと首を撫ぜている。ねこも満更でもなさそうで、体をよじったりゴロゴロと鳴いて嬉しそうだ。やばい、和む。

「ていうかさぁ、名前が『ねこ』ってそのまんまじゃん。可愛そうだよ、ねこ君が」

「お前も今普通にねこ言ってるけどな。でもまぁ、確かに味気ないとは思うけど、もう定着しちゃったし」

「にゃあー」

「だけどさぁ………」

ふむ、イスラの言う事も一理ある。俺も元々は何か名前付けようとは思ってたし。
誓約するとき普通にサモナイト石へ「ねこ」で名を刻んじゃったんだよね。あーもうこりゃあしょうがねぇやって感じで「ねこ」に決定した。ねこも不満ないって言ってくれたしな。

ねこのつぶらな瞳を覗き込み、名前変えてもいいかどうかアイ・コンタクト。というか、したいかどうか聞いてみる。
顎に柔らか丸い手を添えて考えるねこ。キユピーも可愛かったけど、やっぱ俺は「ねこ」派だ。仕草も鳴き声も全てがグレイトである。って俺親バカ?
やがて、ねこはコクリと頷いた。どちらでもいいみたいな感じらしい。んー、じゃあ如何するかな……。

ちらりと横に座っている名前付けよーな顔してるイスラを見る。滅茶苦茶乗り気だ。
………んじゃあ

「イスラがねこの名前決めて上げて」

「…………いいの?」

「うん。ねこもイスラにもう懐いてるし、変な名前付けるんじゃなかったらそれで構わない」

「……………」

「にゃっ!」

ねこも見て本当にいいのか尋ねるイスラ。ねこは嬉しそうに声を上げる。
イスラの顔が輝いてく。まんま子供だ。

「うん、じゃあ任せて!君に、とってもいい名前付けてあげるから!!」

「ミュウ!」

うんうんと唸りだすイスラを尻目に俺もふっと笑う。
視線を外して前を見詰め釣りに専念、エビエビエビと念じて俺も神経を集中させる。
そして、浮きの手応えにかかったと目を光らせ一気に釣り上げた。エビーーーーッ!!

……いや、外れだけどさ。カモノハシ釣れた。何でやねん。

「よしっ、決めた!」

「おっ?」

「にゃにゃ?」

ケリがついた様である。さて、何が出てくる。

「テコなんてどうかな!」

「テコ?あんま、ねこと変わんない様な……。ちなみに何でテコ?」

「歩く時テコテコ歩くから!!」

「にゃ?」

えー、うん、まぁ、何とも言えないけど、いいんじゃない?シンプルで。

「そうする?」

「…………ミャッ!」

「やたっ!!」

本人の了承も得て、「ねこ」は本日限りから「テコ」に改名。一文字しか変わってないが、名付け親と本人が喜んでいるから構うまい。
後でメイメイさんのとこ行って誓約の名を変えなきゃな。

「今日から、君の名前はテコだ!」

「ミャーミャッ!!」

イスラは腕を突き出し「テコ」を胸の位置に掲げる。
嬉しそうなテコと共に、彼女は満面の笑みを浮かべていた。

イスラは、ペットの類を飼ったことはないだろうから何かに名前を付けて戯れる事はなかったのかもしれない。
多分これもイスラの初体験。他の生き物と触れ合って気持ちを共有する、そんな心温まるやり取り。


「よろしくね、テコ」

「ミャミャー!」


嬉しそうな顔しやがって。


自然と、顔が綻んだ。




しかし………くそっ、釣れねー。








相当重いバケツを両手に船へと帰っていく。腕がキツイ。今の俺にとって難易度高い重量級を、この頃運びまくってる気がする。

あの後、粘ったがエビがくる事はなく凹む俺に、テコの名付け親になり終始ご機嫌なイスラが如何したのかと尋ねてきた。
事情を説明すると、自信満々にそれは餌が悪いとイスラは言い切り、人の道具箱勝手に漁ってこれにするといいと手渡してきた。
イスラが差し出した物は……マタタビ団子。あいつの感性やっぱ理解出来ない。

いや無理だから。ていうかお団子は釣りの道具じゃないから。そういうタイプのお団子あるけど、これマタタビ団子だから。
そう言ってやったが、やってみなくちゃあ解らないと聞いてくれない。マタタビ団子は戦闘に役立つからこんな馬鹿げた事に使いたくなかったのが、イスラがうるさいので一回だけやった。

これ口にした瞬間魚眠るだけじゃねーのかと釣りが出来るのかさえ疑わしかったが…………釣れた。普通に釣れた。エビが。
どないやねん!一発!?一発で!?可笑しいだろっ!!あんだけ俺が奮闘しまくって、団子使ったら一発!?ていうか何で団子っ?!

高らかに叫びまくった。何かが作用しているとしか思えない。ってかエルゴ、テメーだろ?
勝ち誇ったイスラの顔が果てしなくムカついた。

非常に不服だったが目的も達成したので帰路につき、イスラがテコと一緒に居たそうだったので貸してやって、その場で別れた。
釣り上げた魚と空の宝箱を1人で持って行ける筈もないので「ポワソ」を召喚。宝箱を何段も乗っけ、一番上にバケツを置いたすごいオブジェを持って貰っている。
いや、普通に俺より力持ちだしね?浮遊してるし躓いてぶちまけることはないだろう。フラフラしているが。ゴメン、ポワソ。

アジト近辺で空箱をまとめてゴミ収集場所に置いていく。肩の荷が下りたポワソは一安心していた。ううむ、ねこ……じゃなかった。テコと別れなければよかったか?


後でポワソにポワポワドリアを上げようと決め船へと向かうと、アティさんを発見。
船のまん前で何だかシケた顔をしていた。

「先生」

「ウィル君………?」

「如何したんですか?まるでおやつにヨーグルトかプリンのどちらを食べようか真剣に悩んでいる様な顔をして」

「し、してませんっ!!」

「図星ですか。もういい大人なんですから勘弁してくださいよ」

「してないですってば!?何を根拠にそんな事言ってるんですか!?」

「僕の主観です」

「最悪ですっ!!!」

はぁ、はぁ、と息を吐くアティさん。やはりこの人を弄るのは面白い。
昨日あれだけ俺を好き放題に蹂躙しやがって。もう貴様の天然殺法を通用せんぞ。割り切ったからな。心の壁で拒絶してやる。復讐じゃ。

でも、本当に真面目な話如何したんだろうか。昨日からずっとこんな感じだ。何悩んでるんだ?
この時期、「俺」の場合はジルコーダを倒した後「アレ」が来襲してドンパチやらかした。だからこそ、アレの事で悩んでいるのだろうと思い、昨日色々アレについて話を聞いたのだが………アティさんの話す内容に俺の頭が耐えられなかった。だって、ねぇ?

兎に角、「俺」の様に「アレ」に怯え恐れているとか、それで寝れない日々が続いているとか、そういう悩みの種ではないらしい。
じゃあ何ぞ?うーむ、全く見当が付かない。アレと親友の時点で既にありえないし、もう何が何だか…………

って、親友?…………もしかして友達だから戦いたくないって事?
いや、もしかしなくても普通に考えてそうだろ。

あー、盲点。常識的に考えて全然盲点でもない様な気がするけど、これは盲点だった。恐れる余りそういう考えちっとも浮かばなかった。
アレが絡むと極端に視界が狭まる、というかマイナスのイメージしか働かなくなる。もはや偏見のレベルだな。
でも………それもしょうがないと僕は思うのですよ。常にこの首を狙われていたんですから。


「アレ………帝国軍の女隊長と戦うのが嫌なんですか?」

「………!」

アティさんは俺の言葉に目を見開く。どうやら間違ってはいない様だ。………戦いたくない理由が「俺」と180度違うってのが泣ける。

でも、アティさん戦いたくない理由が友達云々だと言うのなら、それは割り切って欲しい。
仲間が危険に晒されるのだ、私情は切り捨てて貰わないと困る。戦う事に迷いがあれば簡単に切り伏せられるし、それは仲間も巻き込む。それが戦場という物だから。アティさんのその感情は正直言って邪魔だ。

だが、アティさんの抱くその感情は人として間違ってはいない。割り切れ、というのも酷だろう。優しすぎる彼女なら尚更。
むぅ、どう説得したらいいものか…………



「アティ殿はおられるか!!」



…………タイミング最悪。


空気読めよクマ。







敵陣に1人やって来たクマもといギャレオは宣戦布告を物申してきた。「剣」を取り戻す為にね。
律儀というか馬鹿正直というか。俺が指揮官だったら絶対奇襲だけどなぁ。プライドでは飯は食えんのすよ。

相手は海賊なのだから、何やろうが客観的に見れば卑怯などという言葉はそこには在りえないし。
この離島で起きている絶対孤立という特殊条件下故に、敵の主力を漏らすことなく叩き潰すっていう考えは間違ってないけど………でもやっぱ不意打でドーンだよ。一切被害出すことなく終了って最高よね。
まぁ、お蔭で此方としては助かるのだが。

ギャレオの宣言はカイル達がいない分滞りなく済みそうだ。聞くのが俺(+ポワソ)とアティさんだけというのが何だかなーという感じではあるが。
隣でギャレオの言う言葉を真剣に聞き入っているアティさんは何を思っているのか。引き締めている彼女の顔が、無理をしている様に思え不安を感じてしまう。


「我が部隊は後方にて既に臨戦状態にある!!しかし!賊といえど「やかましいんだよ、ボケェッ!!頭に響くだろゴリラッ!!!」」

「弱者に対する一方的な攻撃は帝国の威信を損なうと「ちょっと黙んなさいよ!!近所迷惑でしょゴリラッ!!森帰んさいよっ!!」」

「よって、同時に降伏勧告をおこな「うるさーーーーいっ!!!!うるさいうるさいうるさいうるさいっ!!ゴリラうるさいっ!!!」」

「降伏の意思あ「品性を欠いた声で騒がないでくださいいえ生理的嫌悪を促す鳴き声を上げるんじゃないこの霊長類科の毛深い猿め兎に角ゴリラ帰れっ!!!」

「返答の「「「「かーえーれっ!!!かーえーれっ!!!かーえーれっ!!!かーえーれっ!!!かーえーれっ!!!」」」」」

「攻げ「「「「ゴーリーラッ!!!ゴーリーラッ!!!ゴーリーラッ!!!ゴーリーラッ!!!ゴーリーラッ!!!」」」」貴様等ぁあああああああああああああああああっっ!!!!!!!!!!!!!」


「…………………………」

「…………………………」

「ピィ…………」

ギャレオの大声に切れたカイル達が船内から野次、いや人種的差別を叫んでいる。
窓から物投げまくってる。ヤードが血走った目でサモナイト石を投げる姿はシュール通り越してこの世の光景なのかと目を疑ってしまう。
ブチ切れたギャレオが咆哮するが、圧倒的物資による砲撃を前に為すすべもなくボロクソになっていく。あれ、一応使者なんだけど。

やがて砲撃が止み、動かなくなったギャレオの亡骸が大地に横たわっていた。人類に敗れた巨大生物の末路みたいなになっている。三流映画の結末か。
いやマズイだろコレと俺とアティさんは目配せをしてピコリットとセイレーンで治療。怒りか悔しさか情けなさかで震える体は涙を誘う。哀れ過ぎた。
起き上がるギャレオに必死にカイル達の弁解をし、ペコペコ頭を下げるアティさん。保護者か貴方は。

やがてギャレオは去っていった。大きく、そして遠い背中に涙した。







「くっくっくっ、弱者ときたか……おえっ」

「カ、カイルさん………」

「無駄よ。さすがにああまで言われちゃあ、アタシらも引っ込みがつかないわ……うぷっ」


「ごめん、先生。やっぱねあたし達、海賊なんだよ………んぐっ」

「……………」

アホかこいつ等は。


船長室。
帝国軍の宣戦布告に対し、売られた喧嘩は買う、何よりあそこまで侮辱されて黙っている訳にはいかない等とほざくカイル一味。
侮辱されたのはお前等ではなく絶対ギャレオの方だと思う。というかゴリラゴリラ騒いどいて話聞いてたのか。

「あ、あの………」

「おい先生よ、まさか止める気じゃねえだろうな?おぐっ……!」

止めるに決まっている。

貴様こそその状態で戦闘するつもりか。嘗めてんのか。
カイル達全員顔に生気がない。てか顔が土気色になっている。戦闘なんてまず無理。

「や、止めといた方が………」

「馬鹿言うんじゃねぇ先生、おえっぷ…!俺達は売られた喧嘩は買う、おぶっ…!何より貫き通さなきゃ、げぶっ…!な、ならねぇ仁義ってもんがある、おごぅっ…!!」

「不愉快な喋り方するな貴様」

口を閉じろ。

「仁義もクソもあるか。おとなしく寝てろ」

「ウィル、てめぇ……おぼっ!?」

止めろっつてんだろ。

「戦ってる途中でゲロをぶちまけるつもりか。末代まで恥を晒すぞ。ていうか僕達に甚大な被害及ぼすから来んな」

「ぐうっ…!」

顔を歪めるカイル。悔しさと吐き気で。
カイル達の言いたい事は解る。「レックス」の時散々聞かされたカイル一家の掟という奴だ。
だが今回ばかりは本当に来ないで貰いたい。普通に邪魔だ。


「取り敢えずカイル達は絶対休んで貰うとして」

「ええ、そうですね………」

問題は……

「先生、戦えるんですか?」

「………………」

アティさんは顔を俯かせる。
正直割り切って貰わないと本当にキツイ。カイル達がこの状態なのだ、宴会で潰れた連中も同じだろう。
戦力がまるで足りない。これでアティさんが足を引っ張るというのならもう止めだ。現戦力では勝機が見出せない。

まだアティさんが戦えるならどうにかなるのだ。上級召喚術を行使出来るだけで戦況は一変出来る。
万が一状況が許さないのであれば「剣」を抜けばいい。数の差は簡単に覆せる。まぁ、さすがに使わせる気など毛頭ないが。
とにかくアティさんの力は「剣」がなかろうと必要不可欠。出て貰うしかない。

「先生、友達と戦いたくないのは解ります。でも……」

「…………違います」

「えっ?」

「私が戦いたくない理由はアズリアと戦うのが辛いんじゃなくて……いえ、それも勿論あるんですが」

友達云々が本命じゃない?じゃあ一体………

「私は戦う事を認めたくない。みんなや他の誰かが傷付くなんて嫌です。誰にも、傷付いて欲しくないんです」

「なっ……」

誰にも傷付いて欲しくない?何言って……

「先生っ、それは………!」

「解ってます。私の言ってる事が無茶苦茶なんだって事は」

「…………」

当然だ。誰にも傷付いて欲しくないなんてそんな願い。思考も、思想も、望む物もそれぞれ違う他者が、争う事なしにどうやって己の主張を通すというのだ。
それは望みを、欲望を、個人を殺す事と同義だ。全ての禍根を断つという事と同義だ。想いを閉じるなんて事は、不可能だ。
人間はそんな綺麗な存在ではない。醜い生き物だ。恐らく召喚獣さえも。 ……争いが無くなる事はない。


「でも私は諦めたくないんです。解り合おうとする事を諦めたくないんです」

「諦めたら、本当にそこで終わっちゃうから!」

「何の為に言葉があるのか解らなくなってしまうから!!」

「私は………解り合おうとする事を、諦めたくない」


綺麗事に過ぎない。この人が言ってる事は、ただの夢想だ。
アティさんの望みは叶わない。世界は優しくない。


世界は、理不尽だ。



「………信じたいんです」



でも。


「………ッ」


俺は知っている。この人がどれだけ他者を思いやっているかという事を。底抜けのお人好しで馬鹿という事を、知っている。

身を呈して俺を守ってくれた。打算も無しにカイル達を助けにいった。自分から召喚獣達に歩み寄っていった。
他者を守ろうと、他者を理解しようと、尽くしていた。

ジルコーダを討った、その後の彼女を覚えてる。
泣き出しそうな子供の様な顔をしていた。こんなのは悲しいと、そう呟いていた。


「……………」


それは俺には決して無いモノだ。

それは出来もしない事を望む傲慢なモノだ。

それはいつか取り返しのつかなくなる危険のモノだ。

それは愚かで救いようのないモノだ。

それは身を滅ぼすモノだ。


そして、それはとても眩しいモノだ。


叶う筈のないただの夢物語で、だからこそ、綺麗なモノだ。
それを抱き続ける彼女は…………


「結局、先生は話し合いで全てを解決したい、そう言いたいんですか?」

「はい……」

「彼等が本当に応じると思っているんですか?」

「解りません。でもっ、私は言葉と言葉でぶつかりたいんです……!!」

「……………」


笑ってしまう。


「僕は反対です。敵は宣戦布告まで出してる。今更説得なんて意味がない」


彼女が「俺」だって?


「きっと無駄になる」


在り得ないだろ?


「それでもっ!」




俺は、こんなカッコよくない。




「……まぁ、そんだけ言うんならどうぞご自由に」

「私はっ……………はい?」

「やればいいんじゃないんですか、先生のやりたい様に」

「………い、いいんですか?」

「どうぜダメと言ってもやるでしょう、先生は」

「うっ………」

「それに『剣』を持ってるのは先生です。僕が口出ししても結局意味ないですしね」

「い、いえ、そんなことは………」

「ありますよ。というか、始めから僕の言ってる事聞こうとしてないじゃないですか」

「う、うぅ…………そ、それは」

申し訳なさそうにするアティさんに苦笑。
最初から決めているなら俺の言葉など無視すればいいだろうに。
本当に俺とは真逆の人間。底抜けのお人好し。

「先生は馬鹿な事やろうとしてます。ええ、間違いなく馬鹿な事です」

「そ、そんなことっ……」

「馬鹿な事だけど、多分、間違ってはないと思います」

「あ……………」

「馬鹿で、間抜けで、阿呆で、異常で、救いようのない事ですけど……」

「……………」

「………でも、カッコイイです」

「ウィル君…………」

正直如何かとも思うけど、誰もが傷付かずに済む様に望むアティさんの顔は、真っ直ぐで、カッコイイ。
毒されてると思う。こんな事許すなんて。全く合理的じゃないし、無茶苦茶だ。

でも、応援したい。したくなる。「俺」には出来ない事だからそう思うのかもしれないけど。
あがけばいいと思う。それは無駄だったとしても、きっと素晴らしいモノだと思うから。


「先生が話し合いをしようと言うのなら僕は止めません。でも、その結果が先生の望んでない物だった時は、覚悟を決めてください」

「………解りました」

フォローはする。彼女の望む結果になろうがなるまいが、みんなが無事でいられる様に。


「先生」

「?」


だから―――


「―――頑張ってください」

「…………はいっ!」


子供の頃夢見た全ての人達を守るモノ。
それを、見せて欲しい。













では、問題も解決したのでぼちぼち行動に移ろう。

「取り合えず戦える人達集めましょう。といっても、アルディラとファリエル達ぐらいしかいないですけど」

「そうですね」

「僕はメイメイさんを呼んで来ます。あの人にも働いてもらわないと困る」

「解りました。それなら、後で集いの泉に落ち合うってことで」

「はい」

アティさんが船長室を出て行いった。
それを見送り、さて如何したものかと思案する。実際この戦力差はシャレになってないのだ。
恐らくアレは全戦力を投入してくるだろうし、戦場もほぼ平地に近いので地形条件は有利不利はない。そして小細工の施しようがない。陽動、囮、罠といった戦術もある程度の数がそろってないと実行不可能だし。
まずったな、こんな事になってしまうとは。思慮が足りなかった。

「ウィルー………」

「何、ソノラ?エビならちゃんと取ってきたから安心しなさい」

忘れていたが、まだ此処にはカイル達が残っている。みんな机に突っ伏しているが。
呻き声、というか亡者の声みたいのが上がってる。ソノラ以外の3人は症状が重いっぽい。それだけ酒を飲んだという事なのだろうが。

「うん、それは嬉しいんだけど……。やっぱりあたし達も行くよ。このままじゃあ、本当にカイル一家の名が廃っちゃうよ。先代の名前、汚したくないんだ」

「…………その状態で?」

「うん………」

明らかに顔色は悪い。いつもの調子が出せるとは思えないし、戦えたとしても普段の半分も力が出せないだろう。
原因が俺だけに、なんとかソノラ達の意志を汲みたいとは思うが………。
「……任せやがれウィル」とカイルがニィと笑みを浮かべるが、顔面全体が引き攣っている。ついでに言えば汗が垂れてる。何を任せていいのか解らない。

「うーん………後方支援だったらなんとかいける?」

「それだったら今のあたし達だって出来るよ!!うん、きっと!……多分」

徐々に自信の程を下げないで欲しい。判断に困る。
回復だけに専念させればまだ運用も可能か?ソノラに限れば銃での支援も。ヤードとスカーレルは治療と解毒に当て、カイルはストラでみんなを養う。………今のカイルにストラ使わせたら昇天するかもしれない。

やっぱ、不安材料が尽きないな。狙われたら間違いなくそこで終わる。カイル達を守る為に戦力を割く訳にいかない。
攻撃も届かない超遠距離からのサポート?うーむ、現実的じゃないな…………むっ?

「…………ソノラ。今から言うこと出来る?」

「なになに?」

カイル達にも内容を伝え、それくらいだったらやってみせると返ってきた。
口を抑えるスカーレルと髪と同じで顔色も青くなっているヤードが不安を掻き立てるが、信じるしかあるまい。

打ち合わせをしてからメイメイさんの店へと向かった。







集いの泉に集合した後、帝国軍の待つ場所へ移動を開始する。
「俺」が経験した通り、指定された場所は暁の丘。ラトリクスと風雷の里の東に位置する島の東部。

風雷の里周辺の森を進んでいく。
今居るパーティーは、アティさん、アルディラ、クノン、ファリエル、フレイズ、メイメイさん、そして俺とテコ。
やはり戦力不足は否めない。アルディラもこれだけの数で帝国軍を迎え撃つ事に難色を示している。
だが、他にどうしようもない。みんなが復活するまで待ってくれと言って待つ筈ないのだから。この人数でやるしかないのだ。………イスラも強制参戦させればよかっただろうか。いや、無理だけどさ。

集落の方は虫の息のキュウマやヤッファに任せてある。
戦えないのだからそれくらいはやってのけなさい?と氷点下の眼差しでキュウマ達を見詰めるアルディラは怖すぎた。
逆に『頼ム……』と切実にお願いするファリエルは対照的だった。責任感じるなっていってもやっぱダメだよね。申し訳ございません。

「でも、本当に大丈夫なの?メイメイさんでもこりゃマズイと思うんだけどぉ?」

「そう思うんだったら死ぬ程働け。1人で10人くらい叩きのめせ。そうすれば問題はなくなる」

「にゃはははははははっ。嫌よ」

「使えねぇ」

「あたし帰ろっかなー」

「ごめんなさい」

瞬時に垂直に腰を折る。
クソ、実行犯はこいつだが計画した主犯は俺なので何も言い返さない。でも、この人本気になれば簡単にケリがつくと思うのは俺だけだろうか?

「はぁ、何の為の護人なんだか……」

『…………………』

「あはははは………。ま、まぁ、アルディラ、なっちゃったものはしょうがないんですから、此処は私達が何とかしないと」

「何とかなると思ってるの……?」

「予想される敵戦力と此方との差はおよそ2倍。容易に覆せる差ではありません」

「ク、クノン………」

「事実なだけに否定のしようもありませんね」

「フレイズさんまで……」

愚痴を漏らすパーティー一同。ファリエルだけは沈黙。
最後のフレイズは俺に目をやったので、存外にどう責任を取るのか問うている。ワカッテマスヨ、コンチクショウ。


「でも、戦わずに済むかもしれないんです。いえ、私はそうさせたい」

「……楽観的、もしくは無謀と言わせて貰うわ」

「……………」

「でも、それが貴女ですもんね。戦わずに済む確率は置いといて、嫌いじゃないわよ、貴女のそういう所」

「アルディラ……!」

「今更ね。もう私達は貴女のことを信じると決めたんですから」

眉尻を下げてアルディラは笑う。言葉の通り、その声には信頼の色が窺えた。
突き放しといて安心させる話し方はアルディラらしい。それだけにアティさんにきちんとした信頼関係が結ばれていると解る。
アルディラ本人の気持ち。偽りは、ない。

一歩外で彼女を観察している自分に反吐が出てくる。彼女の内を探っている、疑っている自分がうざったくてしょうがない。
それでも止める事は出来ない。取り返しのつかない事になってしまったら、それこそ俺は自分が許せないから。
アティさんもアルディラも助ける事が出来なかったら、俺は一生後悔する。

言い訳、建前を己に言い聞かせ、ただ客観的にアルディラを見る。
判断を間違えるな。性根など既に腐りきっているのだ。今更腐った所で思うことなんてない。
揺さぶる。彼女の内にあるモノを、見定める。

「先生。もし帝国軍が『剣』を引き換えに島の無事を保障した場合、如何するんですか?」

カイル達の目的が「剣」だと知らされていない以上、アティさんが条件次第では帝国軍に「剣」を渡す事も有りえるのだ。この質問に不自然な点はない。
『剣』について知られる事が不味い者はこのメンバーには居ないので単刀直入にアティさんに尋ねる。
そして、アルディラの反応を注視する。


「アティ。まさか『剣』を渡すつもりじゃあないでしょうね?」


言葉はいつも通り。だが、譲渡を禁忌とする感情が僅かに浮かび上がっている。
何より、目の奥の色が黒いモノに染まった。狂気、執念、欲望。妄執に囚われている。

一変、した。

「いえ、『剣』は渡せません。これは簡単に渡していい物じゃない。私だけの問題なら兎も角、この『剣』は島も巻き込んでしまうかもしれないから」

「ええ、その通りよ。『剣』は渡していい物ではない。大きな力を手に入れた者がする事なんて碌なものじゃないわ。力に囚われる事のない貴女が持っているべきよ」

笑みを浮かべるアルディラ。だが、それは先程の様な柔らかい笑みではない。
内に秘めるドス黒い感情を具現した様な狂気の笑み。アティさん達は気付かない。外にいる俺だけが解る。


――クソッタレ


無表情を貫き通し、打ち震える程に手を握りしめる。
血が、滴り落ちた。







時刻は夕刻。日は沈み始め、草原が広がるこの丘を茜色に染め上げている。
枯れ果てた木に巨大な岩石、何か文字が刻まれている白色の石柱以外に目立った障害物は存在しない。
石柱は何らかの残骸だったのか。聞いた事はないが、この場所にも何かしらの建築物があったのかもしれない。
何も語らない夕日を浴びる白の人工物を見て俺はそんな事を考えていた。

暁の丘。
先程語った様に、この場所はほとんど平地。地形を利用した戦闘は此処では発生しない。

純粋に力と力、戦術と戦略の勝負になる。
数で劣る俺たちは絶対不利の条件下における勝負を挑まなければいけない訳である。いや、まだアティさんが行ってないから勝負するか解らないが。


森を抜けた今現在地。
目の前の小高い丘を登れば平坦な地形に出て、そこで陣を形成しているだろう帝国軍と向き合う形になる。
後はアティさん次第。だが「剣」を渡さないとするのなら、恐らく戦闘は回避出来ない。戦う事は免れないだろう。

「行く前に、作戦やら何やらを話しておきたいんですけど」

「ウィル君………」

「睨まないでくださいよ。別に戦闘になるって決め付けてる訳じゃないんですから。ただ、戦闘に突入した場合、何の策もないままは危険でしょう?」

「……………」

「賛成ね。正面から衝突したら間違いなくこちらの方が不利ですもの。何かしらの作戦を講じておこないと」

「ウィルとアルディラ様のおっしゃる通りだと思われます」

「……解りました」

『デハ、ドウスル』

「急造もいい所だもんねぇ。難しい作戦なんて出来ないだろうしぃ」

「単純且つお互いに支障を来さない、実行可能な策が求められるという訳ですね」

優秀なこって。言う事を先に理解してもらって助かる。
物分りのいい人達は大好きです。余計な争いをせずに済む。だけど、「俺」は目の前の人達に何か言えばボコボコにされていたという事実。あれ、何でだろう。涙が止まらない。

「障害物の少ないこの場で、敵が遠距離からの攻撃に数を割くのを明白。かと言って後衛を倒そうにも前衛部隊は無視出来る物ではない。それこそ数で劣っている私達が正面からの突破なんて時間が掛かり過ぎる。時間を掛ければ後衛からの射撃に晒され続ける」

「にゃははははははっ!お手上げってわけね~ん」

「笑い事ではありません……」

「規模の大きい召喚術で前衛を出来る限り削って特攻。それぐらいしか手は思いつかないわね」

『ムゥ…………』

「ウィル、なにか考えは…………如何したのですか?何処か痛いのですか?」

「いや、夕日が目に染みてね………」

「フミュウ?」

(また変な事思い出してるわね、あれ)

涙を流している俺にクノンが気付き、身を屈め尋ねてくる。
「クノン」にも容赦がされなかっただけにこの優しさがつらい。暴行は受けなかったが注射してくるのでカイル達より質が悪かった。貴方はそのまま優しい貴方でいてください。
へべれけの俺を見る目に何かムカつく物を感じつつ俺も話し合いに参加する。

「はい、アルディラ少尉。提案が1つ」

「発言を許可するわ」

(似合いすぎです、アルディラ………)

(義姉さん、眼鏡クイッって………)

(…………何してるのかしら、私)

作戦というよりただの不意打ちを提案。
各個の連携など望めないので大雑把な作戦展開を話す。概良好であり他に意見もないようで俺の策が通った。
「作戦を許可します」と最後まで乗ってくれたアルディラに乾杯。
メイメイさんがまたムカつく目で俺を見ていた。曰く、「またやりやがった」。そんな感じだった。意味が解らない。腹立つ。


「んじゃあ、いきますか」


行軍再開。









「この者達を帝国の敵と見做す!総員戦闘準備ッ!!」


アズリアと1対1の話し合い。
この島の事情をアズリアに聞かせるアティさんだったが、それを知ったアズリアはこの島は帝国の国益になり得ると返し交渉は決裂。
元より話し合いで済む確率は低かった。当然の結果である。だが、当然だとそう思うと同時に心残りにも思う。
やはり言葉だけで上手く収まる程世界は優しくない。その確たる事実に少しだけ打ちのめされた。

だが彼女は「あきらめない」と言った。
いつかは届く。何度も言葉と想いを重なれば、いつかは届くと彼女はそう言った。そして、アズリアの事を信じてると、言ってのけた。

やはり、笑ってしまう。何の根拠もなく言い切る彼女に。自分の想いを真っ直ぐ貫き通す彼女に笑ってしまう。
やっぱり「俺」と彼女は違う。「俺」は彼女の様にはなれないし、彼女は絶対に「俺」の様にはならない。

彼女の余りの馬鹿さ加減に呆れ、そして眩しい彼女が羨ましかった。


「先生っ」

「………解ってます!!」

迷う事はないと思う。突っ走ればいい。
子供みたいにただひたすらに。我侭に、無我夢中で。

「アティ!ウィル!いくわよ!!」

「ドカンと派手にね。にゃは、にゃははははははっ!!」

「了解」

「いけますっ!」

駆けて、途中にある物全て拾ってけばいい。

「グラヴィス!!」

「シシコマ!」

「ドリトル」

「タケシー!!」

最善じゃなくて、最高を。

「ジオクェイク!!」

「獅子激突!!」

「ドリルブロー」

「ゲレレサンダー!!」


貴方は、それが出来ると思うから。




「ファルゼン!」

『アアッ!!』

召喚術による一斉射撃。高火力を相手の陣にぶつけ、ファリエルと共に前線へと飛び出す。

(総数は16。前衛は剣槍斧。予想通り後方には弓による射撃部隊。いけるか?)

初っ端から召喚術を打ち込まれ、たたらを踏む帝国軍に肉薄する。
状況分析と平行しながら投具を投擲。肩に飛針を受け硬直する剣兵、それをファリエルが吹き飛ばした。

「背中は絶対守る。暴れてくれ」

「お願いします!!」

ファリエルが敵の中心へと切り込み大剣を振るう。
圧倒的な破壊力を伴って振るわれる剣は止まることを知らない。斧兵が立ち向かうが、それすら押し切った。
白銀の騎士が、蛮族の群れを蹂躙していく。

「疾ッ」

「ぐあっ!?」

ファリエルに攻撃を加えようとする槍兵目掛けブラインニードル(メイメイさんの店で買わされた)を投げる。
名の通り一定の確率で対象を暗闇状態にする投具。どうやら当たった様で、動きを止め頭が不自然に揺れている。そこにテコを強襲させ沈めた。
自分の身にも振りかかる凶刃を剣で捌き、ファリエルの背中に追従。彼女の背を譲らせない。

「放てっ!!」

「「!!」」

アズリアの号令と共に矢が放たれる。それを受け止め、交わし、矢の雨を凌ぐ。
それと同時に敵召喚師の召喚術。剣の群れが降り注いだ。

「ミャミャ!?」

「ドリトルッ!!」

高速召喚。
俺とファリエルのいる一点に迫るシャインセイバーをドリルブローで相殺。

やっぱキツイな、おい。



広範囲召喚術からの敵陣への特攻。
アルディラの言った戦法。違いがあるとすれば特攻を仕掛けた人数が俺とファリエルだけという点。
自殺行為以外の何にでもない。提案を持ち出しといてなんだけどよーく解ってる。ていうか、現在進行形でそれを味わっている。

四方八方を囲まれる現状。気を抜けば一瞬で終わってもおかしくない、そんな展開。
それがまだ終わらないのは後方、アティさん達がしきりに召喚術をブチかましている事他ならない。
アティさん達の召喚術を俺達の背後に位置する兵士達――アティさん達のまん前に居る奴等――は、それをモロに受けている。ていうか彼等の方が死線を彷徨っている。

「誓約の名において私に力を―――ブラックラック!!」

「がぁぁああああああっ!!?」

広範囲に及ぶ中級以上の召喚術を乱発されているのだ。堪ったものではないだろう。
更に言えばクノンの槍もそれに加わっている。多分彼等もうすぐ退場すると思う。

後ろを心配する必要がないのなら、俺とファリエルならこの条件下で耐え忍ぶ事は可能。
ファリエルは鎧が傷付いても魔力が尽きない限り戦闘を続行出来るし、俺は俺で際どいタイミングで攻撃を避けまくる。テコもいるし一斉に敵を近付けさせない。敵の矢による支援攻撃は俺達にとって正直無いような物だ。

近付いてくる俺達に高い比率で矢が向けられることでアティさん達に被害を出さずに済むのも計算の内。
敵を倒しにいかなければ、まだ少しこの戦線は拮抗出来る。敵召喚師は同士討ちを恐れ、俺達に召喚術を何度も放ってこない。放ってきたとしても先程の様に俺が相殺する。いや、これは場合にもよるけど。
しかし、一言言っておく。貴様達は甘い。殺る時は………味方ごと殺れ!!


超短期決戦。
これ以外に俺達が勝利する手立てはない。数の差は劣っているのだから長期戦などもってのほか。
時間を掛けた時点で負けなのだ。それならば消耗を気にしないで景気良く召喚術をぼんぼん放つに決まっている。
絶え間なく打ち込まれる召喚術により帝国軍は連携はとれていない。個々の能力では俺達の方が高い。組になって冷静に対処されなければどうにでもなる。


「うおおおおおっ!!!」

「!」

『ハアッ!!』

剣兵が俺に斬りかかるが、それをファリエルが横から弾き飛ばす。

「召喚・星屑の欠片」

間髪入れず「テコ」を召喚。
態勢を大きく崩した剣兵に交わす術はない。光弾が直撃した。

「づっが、あ゛………!?」

「ありがとっ」

「いえっ!」

踊りかかってくる敵兵を往なし、背中を向け合う。
互いに守り守られる両者。片方が攻撃をすればもう片方は周囲を牽制し、同じ様に片方が反撃に見舞われれば片方が迎撃する。

この状況下において敵を寄せ付けない完璧な連携。端から見れば今も奮闘を続ける俺達は異常のそれか。
攻めあぐねる帝国兵士達はその瞳に慄然の色を浮かび上がらせていた。

「平気?」

「私はまだいけます。ウィルは?」

「右に同じ」

「不思議です。一緒に戦うのは初めてなのに……」

「息が合ってるって?」

「はいっ。如何してでしょう?」

何処か弾んでいるような声が背中越しに響いてくる。
そりゃあ興奮するだろう、こうも息が揃っていれば。戦士として、何の気兼ねもなく暴れられるのは嬉しいに決まっている。

ファリエルは初めてだろうが、こちとら散々「みんな」と連携を取ってきたのだ。息が合うのも当然である。
「みんな」の戦闘を1番近い所で1番多く見てきた。まぁ、あまり自分から戦おうとせず一歩後ろで支援してきた結果であるのだが。

ペア組んで戦闘するのもざらだったし。「ファリエル」の様な前衛タイプとはもちろん、「アルディラ」達後衛タイプとだって。
ちなみに「俺」がペア組んで最強だったのは………真に遺憾というか当然の帰結というか神経を磨耗していく諸刃の剣というか………兎に角最凶は「アレ」だった。

自分で言うのも何だけど、無敵だったと思う。そして言ってて泣きたくなるが「俺」と「アレ」はお互いを知り過ぎていた(戦闘方法ダヨ、戦闘方法)。もはや連携っていうレベルじゃなかった。
長時間戦闘だけは絶えられないという弱点があったが。胃を代償にしなければいけないリスクは余りにも大きい。

胃が唸り始めたのでこの話は打ち切り。何にせよ、俺がみんなと動きを合わせるのは容易だ。
勿論「みんな」とみんなが全く同じ動きをする訳ないが、それでも付いていける。ファリエルの戦闘風景はこれまでにも多く見ているので尚やりやすい。

「相性がいいんじゃない?僕達」

「…………………あ、あいしょぅ…」

「……ファ、ファリエル?」

「は、はいっ!?寝てないです!寝てはないです先生っ!!」

ヴァルゼルドみたいなこと言ってる。
だ、大丈夫なのか?

「…………そっか。そうなんだ…」

「うぬ?」

「何でもないよ、ウィル。うん、私今なら誰にも負けない様な気がしてきた……!」

何かファリエルのテンション上がってる。
まぁ、頼もしい事この上ないが。

「当然。僕達は最強だ」

「はいっ!!」

その言葉を皮切りにお互い前に出る。
様子を窺っていただけに、帝国兵は突然の動きに付いていけない。大剣が薙がれ、細剣が突きを放つ。
今回初めての攻勢。凌ぐ事を前提として動いていたが、今こうして前に出てもやられる事はないと不思議と確信出来る。
ファリエルに中てられたのか、今は俺も負ける気がしない。

槍がファリエル、斧が俺に向けられた瞬間にスイッチ、標的を入れ替え迎撃する。
召喚術が放たれるが、それも俺が相殺、テコが代わりに刃を防ぐ。
不得手を攻めようが、隙を見計らろうが全て無駄。

穴など、存在しない。


細剣で斬撃を流し強引に蹴りを見舞う。剣兵が後方に飛ぶ。が、それを見向きもせず飛針を抜く。
視野の隅に映る影。予想していたよりもずっと早い。此方の狙いを悟り、潰しに来た。

迫るは漆黒。剣を携えた戦姫。最強の脅威。

―――来たか、アズリア。

頭が警報を打ち鳴らす。現状での戦闘続行は余りにも危険。何の手立てでもなく、粉砕される。
周囲の兵士。遥か前方から向かってくる幾多の矢。漆黒と、それに続く最終戦力。
止める術は、ない。


―――だが、負ける気はしない。













駆ける。刃と魔力が響き渡り、あるもの全てを焦がす空間に。
前方に広がる戦場へとアズリアは駆け抜ける。

戦闘開始からまだ数分も経っていないにも関わらず、召喚兵達に治療を指示したのを最後に、アズリアは指揮を捨てた。
意味が無いと悟った、何より敵のあの圧倒的破壊力を野放しにはしておけなかった。
破竹の勢いとは正にこの事、兵力差を覆し一人また一人と戦闘不能に陥れている。

余りにも、速過ぎる。
長期戦などもつれ込む暇もない。敵の勢いを止めなければやられるのは此方。各個の能力もあちらより劣っている。
そうと解ったアズリアの行動は迅速だった。驚異的な戦闘能力を有する騎士の召喚獣にそれを絶妙な連携で補佐する少年。
未だ落としきれないあの前衛を下し、後方に控える召喚師達を一呑みにする。
あの前衛を崩せば後は容易い。今も召喚術を乱発しているのだ、此方の被害も甚大だが、相手の魔力はもう大方尽きるだろう。

アズリアの判断は正しい。
ウィルの予測を上回る早さで決断した所からも彼女の有能さが伺える。

だが、アズリアは一抹の不安を感じていた。

それは喉に魚の小骨が引っ掛かる程度の些細な物。漠然として希薄、気にかける必要など皆無。
だが、それでも拭えない。言い様のない不安が、駆け抜けている今でもアズリアに纏わりついてくる。

(いや、解っている)

原因は、あの少年――ウィルだ。
周囲から攻撃に晒されているにも関わらずその瞳はアズリアを捉えて離さない。深緑のそれがアズリアの一点に向けられていた。

アズリアが抱える、首元に突きつけられた針の様な不安。それはウィルその物。
あの時の竜骨の断層での光景が脳に焼き付いている。これも何か罠ではないのかとアズリアは勘繰ってしまう。

(……詮索の意味はない)

混濁する思考に蓋を閉め、前方に集中する。
見晴らしが効くこの場において、気付かれず伏兵を配置するのは不可能。この兵力差は変わらない。
ましてや断層の際での真似事など問題外だ。罠はない。ない筈だ。

(例えあったとしても、打ち砕くのみ!!)

アズリアは、跳んだ。



「はぁああああああああ!!」

『!!』

人垣が割れ、アズリアが姿を現しファルゼンを肉薄する。
容易にあしらえる存在ではないと感じたのか、ファルゼンはアズリアと正面で向き合い大剣を構える。

「はっ!!」

袈裟に振るわれた剣をファルゼンは大剣で受け止めた。
瞬時に切り払い。アズリアの剣を引けて、ファルゼンは轟撃を繰り出す。

『オォオオオオオオオオッッ!!!!』

「くっ!?」

払われる剣を戻し、アズリアは迫り来る鉄塊を捌く。
力の差は火を見るより明らか、まともに防ごうとせず大剣を横に流した。
だが、それでも尚アズリアの体がその際の衝撃により揺さぶられる。アズリアの顔が歪んだ。
更にファルゼンの攻撃は続く。流された大剣を強引に止め、そこから一気に切り上げる。

「つっ!?」

強い……!!
往なし、アズリアは今も追撃を放ってくる騎士に恐れ戦く。
力は元より剣の技術が半端ではない。重量武器であるが故に大振りになるが、それも恐ろしい程鋭く、そして次の手に素早く繋げる巧さがある。
確かにこれは数で押そうが簡単に押さえ込める相手ではない。アズリアは素直にそう思う。
だが、

「それが、如何したっ!!」

振り切られた大剣の腹に自分の得物を思いっきり当て、地へと下す。
先を地面に向けるその大剣を足蹴に抑え込み、回転。抑える足を軸にして、ファルゼンの胸部へ強烈な回し蹴りを叩き込んだ。

『ムゥッ!!』

「ああああっ!!」

遅れて剣でも斬りつけ白銀の鎧を削る。
いくら大剣の扱いが慣れていようと振るった後は次の動きに備え必ず止まる。大剣ならば他の武器に比べそれはずっと顕著だ。
それを見極め懐に入ってしまえばもう怖い物はない。剣が届かない懐で叩き込む。アズリアはこの機を逃さない。

「疾ッ!!」

「ッ!?」

しかし、突きを放とうとした矢先、飛針がアズリアの頬を掠めた。
寸前に反応し、首を曲げる事によりなんとか回避。顔を向ければ、兵の追撃を逃れたウィルの姿。
投げた姿勢から、すぐに次弾へ手を伸ばし、アズリアに飛針を投擲する。

「このっ!……いいだろう、まずは貴様からだ!!」

剣で飛針を薙ぎ払い、アズリアはウィルへと駆ける。
ウィル、テコ、ファルゼンは迎撃しようとするが、周囲の兵士がそれを許そうとしない。更にそこへ降り注ぐ矢。
完璧に手詰まった。

「はあっ!!」

「っ!!」

振るわれた剣を細剣で防ぐが、ウィルは突進の衝撃を殺しきれず、後方へと吹き飛ばされた。

『うぃる!!』

ファルゼンが群がる兵を無理矢理振り払いウィルの元へ駆け寄ろうとするが――

「せいっ!!」

『ヌッ!?』

――巨漢ギャレオが横から殴りこむ。
放たれた拳を鎧の前腕部でガード。余りの重さにファルゼンの足が地面に沈み込み、ギギギと手甲と鎧が軋みを上げていく。

『邪魔ヲスルナッ!!!』

「断るっ!!」



アズリア、そしてギャレオの参入によってバランスは一気に崩れた。
更にギャレオ共々アズリアに控えていた残りの兵も加わり、アティ達から見れば前線はもう儘ならない。
ウィル達が潰されれば、魔力を消耗しているアティ達も間違いなくその後を辿る。

アティ達自らウィル達の援護に向かった所で、アルディラの懸念通り矢の雨に晒されてしまう。
支援を受けられるアズリア達と受けられないアティ達。どちらが有利など言うまでもない。

これは、この展開へと持っていったアズリアを誉めるべきだろう。
事実アズリアが飛び込むのを躊躇していた場合、前衛は全滅し、勢いにのったアティ達の進撃を受ける事になっていた。
召喚兵に戦闘可能である兵達に治療を指示し、崩れかけていた戦線を修復したアズリアの行動は満点に近い。
半ば奇策に近い戦法を取ったアティ達を、アズリアは冷静に、そして胆力を持って対処した。

アズリアの指揮官としての能力がアティ達を上回っていた。それだけだ。



そして、それを上回る程ウィルが狡猾であった。それだけだ。



風を切る音が誰の耳に届くことなく鳴り響いている。
音源は上空。そして、それは誰の目にも映ることなく大地へ迫っていく。



―――茜色に染まる白の翼が、黄昏の空を急降下していた。



「やりますね、ウィル!!」

落下を続ける白の翼――フレイズは口を吊り上げる。
弓、銃から編成される後衛部隊を空から奇襲。支援を断った所で全戦力で袋叩きにする。
これがウィルが提案してきた作戦の概要だった。

難しい所は何もない。後衛は討つ為にフレイズは戦闘が始まる前から遥か上空に待機、ファリエルとウィルが先行し前衛を食い止め、アティ達が後方より召喚術を放ち続け援護と同時に敵の数を削る。

短期決戦で決めようと勢いづくアティ達を阻止する為に、後衛部隊を放置し残りの部隊を前に出すのは道理。
また、アティ達が予想していたよりも少数で来たのもそれに拍車を掛ける。

この戦闘で主力を叩くつもりであった帝国軍は、まだ控えているだろう残存部隊を気にする余り、被害を最小限に留めようとする。
そこに端から全力全開で相手が襲い掛かってくるのだ。何もせず被害を悪戯に広がせる愚行はしようとしない筈。
故に支援を行う後衛が孤立するのは必然。そこをフレイズが叩き沈黙させれば、もう帝国軍には明確なアドバンテージは無くなる。

もし行動を起こさなければ、そのまま畳み掛ければいいだけの話。フレイズも状況を見極め臨機応変に空から攻撃して、勢いそのままで帝国軍を撃退する。

どちらに転ぼうと早いか遅いかの違いがあるのみ。
ウィルによって、アズリアは誘導されていたと言っても過言ではない。

勿論、この策には1人1人の奮闘が大前提であるのだが…………ウィルはそこは疑っていなかった。成功すると言ってのけた。
ウィル自身、一番危険である前線へと飛び込んでいった。そうなればフレイズ達もそれ相応の働きをするしかない。
ウィルは自らの行動で活路を見出し、示したのだ。


「認めましょう、ウィル!ファリエル様を、島を守ろうとする貴方の意志に偽りがないことを!!」


抜剣。


「ハアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!!」


斬撃。


「があっ!!?」


撃破。


後衛部隊に直下、隕石の如く高速で迫ったフレイズはそのまま剣を閃かせる。
振るわれたは四太刀。4人組の弓兵を一瞬にして斬り伏せた。

「後衛は無力化しました!今です!!」

敵味方両方に聞こえるよう声を上げる。
そして、サモナイト石を構え詠唱。召喚術を発動し、自身も戦場へと飛び込む。

「行きなさい、タケシー!!」

帝国軍の背後を、雷の光条が襲った。



フレイズが降下したのを確認すると同時に、アティ達も詠唱に入った。
赤赤黒。アティ、メイメイ、アルディラの三人が同時に詠唱を終え、三者三様に召喚する。

「ミョージン!」

「ナガレ!」

「ライザー!」

ユニット召喚。
一気にアティ達の軍勢が増え、そしてフレイズが後衛部隊を撃破した事により、この時点で帝国軍の数を上回った。
各々の召喚師から指示を受けた召喚獣達はその内容を実行。遠距離攻撃・氷結・水流・招雷が帝国軍に打ち込まれる。

「ぐあっ!?」

「ちっ!!」

「お、おい、待て。後ろからもっ……!?」

同時に、フレイズの召喚術も炸裂。前後からの射撃に帝国兵達は浮き足立った。

「何ッ!?」

アズリアが驚愕の声を上げる。
フレイズからもたらされた内容と続々姿を現した召喚獣達。挟み撃ち、帝国兵達はこれ以上のない不利な状況だと錯覚し混乱を引き起こした。
それに畳み掛ける様にしてクノンと召喚獣達は前に出て兵士達を蹴散らし、後方よりフレイズも召喚兵を切り捨てていく。

「馬鹿な………っ!?」

周りで次々に倒れていく部下達。
小型召喚獣達の魔力弾が次々と打ち込まれ、機械人形の振るう槍が無慈悲に兵達を屠っていく。
形勢が逆転したのは明らか。僅か一瞬の内に全てが決した戦場で、アズリアは呆然と立ち尽くす。
抱えていた不安が頭をもたげた時には、もう遅い。



「召喚」



「―――――」


響き渡る声。
刃と刃が交わって生じる不協和音。戦士達の咆哮は絶える事なく壮絶な旋律を奏でている。

戦場の歌が支配する中、アズリアに届いた1つの音。
夕日を背に佇む影。茜を逆光にする影はアズリアを捉えている。

深緑の召喚光。
閃光が、アズリアの瞳を焼く。


「先日の借りだ。持ってけ」


「――――――――ッッ!!!!!」


首元に突き付けられた針は刃へと変わり―――



「闘・ナックルキティ」



―――アズリアの肉を切り裂いた。


「がぁっ!!?づっ、ぐぁ、ぎ、っ、ぁ――――」


召喚光から姿を現しアズリアに疾駆する闘猫。
音速の拳が繰り出され、そしてそれは豪雨となってアズリアを抉っていく。
ガードなど意味を為さない純粋な魔力のラッシュ。突き抜け、粉砕する。


「――――ぁぁあああああアアアアアアアアアアアアアアっっ!!!!!!?」


旋風がアズリアを舞い上げた。




「隊長ッーーーーーーーーーーーッッ!!!?」


中級召喚術――「ナックルキティ」を被り、アズリアは吹き飛んだ。
ギャレオの絶叫が木霊する。立場が逆転してしまったギャレオはファルゼンを前に、アズリアの元へ向かう事が出来ない。

「……ッ!!………クッ!!!」

傷付いた我が身をアズリアは鞭打って立ち上げる。
震える体を抑え付け、アズリアは治療を施そうとサモナイト石を取り出す。

「………!」

だが、そこで前方にいる存在に気付いた。
瞳に映るのは赤髪の女性。かつての、親友。

「ア、ティ………ッ!!」

「アズリア………」

2人の視線が交錯する。
アズリアは睨みつける様にして、アティは沈痛な面持ちで、互いを見詰め合った。

「まだ、だっ……!まだ、負けてはいないっ!!!」

「アズリアッ!?」

「貴様さえ倒せばっ……!!」

違えた道は、交わらない。
和解を呼びかける友の声を拒絶した。降伏を呼びかける友の声を拒絶した。
アズリアは腑抜けた理想論を許容などする事は出来ない。アティは暴力による解決を許容する事は決して出来ない。
相反する想いは互いを受け入れる事は出来ず、すれ違っていく。


「ああぁああアアアアアアアアッッッ!!!!!」


アズリアは疾走する。
打ちひしがれた体を咆哮と共に起こし上げ、剣を構える。
紫電絶華。右腕を体の内に溜め、信念を、目の前の敵を貫こうと奥義を繰り出す。


「――――――ッ!!!」


アティは駆け抜ける。
魔力が尽きた体をただ前へと動かし、杖を構える。
言葉の意味。それを心に携え、望みも、誰をも守りたいと狂おしい程に叫ぶ。


「アティッ!!!」


右腕がぶれる。神速の突きが放たれようとした。


「どうしてっ!!」


回転。突きが放たれる直前に、外套を切り離し、疾走するアズリアに覆い被さる。


「!?しまっ―――!!」


突撃の勢いは止まらず、アズリアの視界が白一色となる。
突き出された剣は絡み取られ、そして討つべき敵を見失なった。


「はああああああああああああああああっっ!!!!!」


揺れる想い。守る為に傷付けなければいけないという矛盾。
それらを振り払う様にして、アティは渾身の一撃をアズリアに見舞った。


―――決着。







2人の戦闘の幕が下りた。

アティさんの一撃により、アズリアは意識を刈り取られた。
アズリアのそれと余りにも酷似していた突きは、友であった彼女に師事された物だったのか。

夕焼けに染まる戦場。佇む彼女に近付く。
背を向ける彼女は何も言わない。ただ、何も物言わない背中が全てを語っている様で、俺は僅かに眉を下げる。
彼女の背中は、こんなにも小さかったのか。

「どうして……」

「先生……」

「守りたいだけなのに。傷つけ合いたくないだけなのに」

「…………」

「悲しい思いをして欲しくない…………笑っていて欲しいだけなのにっ……」

「…………」

「どうしてっ………?」

震える声は哀愁を帯びていた。
目の前の現実を、否定された想いを、彼女はどう思い、どう受け止めるのか。

俺は彼女じゃないから、そこら辺の事は解らない。
打ちひしがれて腐るか、それとも挫けず進むのかは彼女次第。
ただ、これ位で折れないで欲しいとは思う。彼女の望みはこういう物だとは解りきっていた筈だから。簡単にいく様な物ではないのだから。
薄情な物言いだが、全部事実だ。

願わくば、前進を。
勝手に願望を人に押し付けている自分に呆れながらも、俺はそう思った。



帝国軍はほぼ壊滅。
あちらで満足に戦えているのはギャレオだけであり、周りの戦闘は収まりつつある。
今回結構な綱渡りだったと思う。みんなに存外に負担を掛けた。だがまぁ、無事に終わって良かった。もう二度とこんな展開ご免だが。


「むっ……?」


ファリエル達の姿を確認しようとして、そこで海の方角から姿を現した人影を捉えた。何かでかい物体を押している。
みんなは周囲にちゃんと居る。つまり、あれは帝国軍の誰かという事に…………アレ、大砲じゃね?
って、マズイ!?忘れてた……!!

「先生っ!!」

「…………?」

「…?」じゃねぇーよ、「…?」じゃ!!
やばいんだって!いや解らないだろうけど本当やばいんだって!!
距離取らないとあかん!

アティさんの元に駆け寄り此処から離れようとする。
が、狙い済ました様にドォンッと音と共に大砲が火を噴いた。
あんにゃろ!!

「えっ?」

「くっ、テコ!!」

「ミャ!!」

「きゃあ!?な、何やってるんですか!!?」

アティさんの腹に腕を回し、後ろから抱きつく形になる。言いたい事解るけど今は非常時なので勘弁してください!
テコにアティさんと向き合う形で距離を開けるよう指示。助走には十分。いけるか?

「テコ、バッチこいっ!!」

「ミャミャ、ミャーッ!!!」

「え、えええええええええええぇぇぇぇはうっっ!!!?」

俺は思いっきり地面を蹴りアティさんを抱えたまま後ろへ跳び、そしてテコはアティさん目掛け突進する。
テコの頭突きがアティさんの腹に突き刺さり、その勢いで俺達は遥か後方に吹っ飛んだ。
続いて爆発。俺達の居た場所とそう離れていない所に砲弾が撃ち込まれた。

「ぐむぅ。………んっ、どっこい」

「ミャミャ」

アティさんに押し潰される形から脱出。アティさんをテコと一緒にポイと横に捨てる。
あー重かった。

「くそっ、やってくれる……!」

「フシャー!」

「げほっ!?ごほっ?!おほっ、おほっ!!あぐうっ……!!?」

咳き込み、腹を押さえ悶絶するアティさん。横になって幼虫の様に丸まってた。プルプル震えてる。
どうでもいいですけど早く起き上がってください。下着見えちゃいますよ。今マントもないんだから。
沸き上がる煩悩を抑え込み、撃ってきた方向に目を凝らす。
あのワカメ、アズリアごと俺達を吹っ飛ばそうとしやがった。くそ、やるじゃないか。ナイス判断。

「ごほっ!!ごほっ、けほっ…………………………………………ウィル君?」

「いや怖いです。髪で目が隠れて本気で怖いです。ていうか音もなく距離詰めないでください」

「ミャミャ~~~!!?」

ゴゴゴゴゴと何か聞こえてきそうな雰囲気で静かに迫るアティさん。
目が髪で覆われていてどういう顔してるのか解らない。素で怖い。
テコが滅茶苦茶ビビっている。目潤んでるし。

「何で貴方はいつもいきなり訳の解らない事をするんですかこっちの身になってもらえますかいえウィル君の言う通り私にも至らない所があるのかもしれませんが絶対自分の事を棚に上げてますよね自覚がないなんて言わせませんよ絶対確信犯ですもんねそれで私がどんなに苦労しているのかも知らないでいつもいつもいつもいい加減にして欲しいって私でも思っちゃうんですよ解りますかああそうですか楽しんでるんですか人を振り回して楽しんでるんですねつまりはそういう事なんですかそういう事なんですね怒りますよ?」

「何の呪いですか。ていうか前フリ長過ぎです。あと近寄んな」

「ミュミュウ……!!」

無機質な声が恐ろしくフラットに紡がれていく。ズズイと顔寄せてくるし。怖ぇよ。
普段なら赤面ものだが、状況が状況なだけにそんな感情1ミリも沸いてこない。というかホント近い。マジで離れろ貴様。
これ程の鬱憤を抱えていたとは、正に逸材だったのだな!などと「剣」が言い出しそうだ。

「大砲ですよ、大砲?しょうがないじゃないですか」

「それでももっと他の方法があった筈です!!何ですかアレ!?助けられる前に死んじゃますよ!!!」

「テコ、ダメじゃないか?こんな事しちゃあ」

「にゃにゃ!?」

「貴方です貴方っ!!」

「あの状況でどないせい言うんですか。逆に僕の咄嗟の判断を誉めてくださいよ」

「誉められた助け方じゃ絶対ありませんっ!!!息止まったんですよ!?」

「そんなのおあいこでしょう。僕だって先生の下敷きにされて苦しい思いしたんですから。ていうかホント重かったんですけど」

「おもっ!?おもっ、お、おもーーーーーーーーーーっ?!!!」

「何語だ」

あーもう拉致あかねぇと顔近いアティさんを剥がして立ち上がる。
見ればアズリアや倒れていた帝国兵士達がいない。どうやらギャレオ達が運び出した様だ。
結局撤退されたか。


「てめー等ッ!!動くんじゃねーぞっ!コイツをブチかまされたくなかったらなぁ!!」


いや、どうせブチかますだろお前。

アティさん囮にしようかなー考えていると、何時の間にかファリエルが俺の前に出て立っていた。伴って当然フレイズもやってくる。
更に気配に気付き目をやると、後ろにクノンが控えている。それによりアルディラも随伴。
みなさーん?一箇所集まっちゃダメじゃないですかー? これじゃあいい的なんですけどー?

「何で……?」

『ドウシタ?』

「どうかなさいましたか?」

いや、ドウじゃねーよ。何で居んだよ。
アルディラを見やる。私も訳が解らないと肩をすくめられた。えっ、クノン暴走?
フレイズを見やる。コクリと頷かれた。いや、何だよコクリって。真剣な顔で頷くんじゃねーよ。アホか犬天使。

まさかファリエルが盾になってその間に大砲破壊とか言うんじゃねーだろうな?
ざけんな許しませんよ。ファリエル、貴方約束思いっくそ破るんじゃない。
ってそこっ!「剣」抜こうとしない!!

怪しげな魔力を放ちだしたアティさんの脇腹にチョップかます。
「はうっ!?」とさっきと同じ様に呻いた。腰を折って痛みに耐えている。涙目で睨まれるが華麗にスルー。アルディラが顔を引き攣らせてた。
如何してこうアティさんといいファリエルといい、天然入ってる女性は無茶しようとする。野郎なら兎も角貴方達に何かあったら胸クソ悪過ぎるだろうに。
アティさん囮にしようとしたのはノータッチ。未遂だ、未遂。

「でも、ホントどーすんの?」

「いたのか……」

「ずーっとさっきから居たわよん」

俺の頭に腕を乗っけてくるメイメイさん。オイ、やめろ。帽子潰れる。
とっくに逃げ出したものかと思っていた。

「貴方のせいなんだから何とかしなさいよ」

「集まったのは僕のせいじゃない」

「はいはい、解ったから何とかする」

ぞんざいな言い方に何か腹が立つ。俺に如何しろと言うんだ。

ワカメは卑下だ笑みを浮かべて何かほざいている。命乞いやら何やら言っているので俺達がビビっていると思っぽい。
ぶっちゃけ、着火する素振りを見せればすぐに「ナックルキティ」を召喚して迎撃出来る。2、3発なら殴り落としてくれるだろう。


「死ねーーーーーッ!!!!」


むっ。来たか。
詠唱省略を行い速攻で召喚。
砲門の角度を見極め砲弾の進路上に「ナックルキティ」が姿を現す。
そして、大爆発。



ワカメが。



「ひげぇえええええっ!!?!?」

断末魔らしい声上げてワカメは散った。


「…………………あれ?」


ナックルキティがファイティングポーズで固まっている。
首を捻り「いや、どうなってんの?」と俺を見てくる。ごめん、俺にも何が何だか解らない。
取り敢えず送還して帰ってもらった。最後の魔力だったのに。意味ねー。

「な、何が起こったんですか?」

「暴発……でしょうか?」

「いえ、何者かが砲撃をした様です」

「あ………忘れてた」

辺りをぐるりと見回す。
するとメイメイさんの店の方角に煙を上げている大砲を発見。

ソノラだ。大砲の横にはカイルとスカーレルと思わしき人物が横たわっている。どうやら此処まで大砲を運んできて力尽きた様だ。
手をぶんぶん振っているソノラに苦笑しながら、こっちも手を振り返す。最後の最後で出てきたな。頼んどいてすっかり忘れてた。

ソノラ達に頼んだ遠距離からの砲撃が今更だが行われた様である。
大砲の射程距離ギリギリ一杯なら、さすがに攻撃のしようもないと思ったので死にかけているカイル達にお願いしたのだ。実際は運ぶのに手間取って合戦中には間に合わなかった様だが。
卑怯?馬鹿言うんじゃありませんよ。戦いなんて卑怯でなんぼの世界なんですから。
それに召喚術に比べれば可愛いものでしょう?「アルディラ」にイクセリオンかまされた時は世界が輝いたし。あれは本気で危なかった。

取り敢えず、一件落着。
戦闘時間は全然経ってないだろうけど、内容が濃くて何時間も戦ってた様な感じがする。疲れた。早く帰ろう。


駄菓子菓子、なんとソノラが暴走。
帝国軍が撤退したいった方向へ大砲をブッぱなした。爆発の後に悲鳴が聞こえた様な気がする。見えているのか。
鷹の眼を持つ鉄砲娘、いや大砲娘のハイなテンションを見て戦慄。鉄砲と同じノリで打ちまくる姿に寒気を覚えた。帝国軍全滅コースじゃね?

大砲の弾も担がされただろうカイル達に同情した。
後で知った事だが、ヤードが丘を登る途中で弾を抱えながら転げ落ちたらしい。あれは見事な地獄車だったとはカイル談。その後で爆発したのは笑えたとスカーレル。助けろよ。

結局、アティさんがソノラの脳天に杖を振り下ろすまで砲撃は続いた。

















サクサクと音を立て砂浜を練り歩く。
足から伝わってくる感触。踏み出す度に砂が私を受け止め、次には押し返してくる。
浅く埋もれるだけで、深くまでは踏み込めない。力を入れても、砂は同じ様に力を入れて私をはね付けようとする。

そんな事を頭の隅で考えながら黙々と足を動かす。
音を立てない様に静かに一歩一歩足を前に出していく。といっても、砂浜だから余り意味はないのだけれど。
やがて速度を緩め、こんな時間に浜辺で寝そべる物好きさんの前で立ち止まった。


「こんな所で寝ていたら風邪を引きますよ?」


「……………先生?」


手を頭の後ろで組んで仰向けになっているウィル君の視界にひょいと顔を出す。
ウィル君は顔を出した私に目をぱちぱちと何度も瞬かせた。
私が近付いていたのをどうやら気付いていなかった様だ。いつもは鋭いのに、偶にこういう時がある。
普段余り見ないウィル君の抜けた顔が見れてちょっと得意気になり、自然と頬が緩んだ。

「風邪、引いちゃいますよ」

「………………ん」

ウィル君は首に巻いてあるマフラーを私に見せる様につまんで持ち上げる。
マフラーがあるから平気って言いたいんでしょうか?確かに夜は冷えるからって言って渡しましたけど。
でも、着けてくれてるんだ、そのマフラー。…………光栄ですね。

「温かいですか?」

「ええ。温かいです」

「そうですか……」

柔らかくなる気持ちを感じながら、彼の隣に腰を下ろす。
視線の先には海が広がっており、細波の音が耳を振るわせる。波が砕けては消えいき、かすかに鳴り響いていく。



戦いが終わって、みんなで帰って、夕食を食べて、部屋に戻って、する事もなくベッドに横になって。
そして気が付いたらウィル君を探していた。

何故ウィル君を探しているのか自分でもよく解らない。
会って如何するのか、何を話すつもりなのか。特に理由がないまま彼の姿を探し、甲板に出た所で浜辺を歩いているのを見付けた。

「何やってたんですか?」

「リペアセンターにちょっと行ってきました。用があって」

「誰にですか?」

「秘密です」

……気になりますね。

「先生は?」

「私は…………秘密です」

「……………そうですか」

中途半端に秘密とか言っちゃいました。ウィル君なんか呆れてます。むっ、だって何か悔しいじゃないですか。
それに、説明しようにも、ただ会いたかっただけって言うのも恥ずかしい様な…………あ、会いたいじゃなくて、さ、探していたですね。訂正。

「暇なんですね」

「………………」

悟った様に言われるのが腹立たしいです。
寝ているウィル君をじーと見下ろします。そんな私にウィル君は「え、違うの?」なんて顔しました。
………もういいです。


黙って空を見上げる。
今日の夜は昨日と違い、雲1つない晴天。
蒼白い月の光が海と浜辺に降り注いでおり、空にも蒼がかかっている。澄み切った色を作っていた。

帝都に出てきた時、田舎の空はとても綺麗だという事に気付かされたけど、それでもこの島の空には劣ると思う。
何の曇りもない本当の空。はっきりと見える月の表面や褪せる事のない星の輝きに、蒼く広がる幻想的な夜空。
世界中を探しても、この空を見れるのは此処だけではないのかと思った。


そんな空を見上げても心が震えないのは、もう見慣れてしまったのからなのか。それとも………。


ほぅ、と息を吐いて海に視線を向ける。
いや、解っている。この空を見ても何も思わないのは、昨日と同じ様に暗い色に見えてしまうのは。

もう整理はついている。だけど、それでもわだかまりが残ってる。
私がこれからもやっていく事は変わらない。変わらないけど……。
この遣り切れない気持ちは、消えてくれない。



「結局、戦うことは避けられなかったな………」

ぽつりと呟く。
多分最初から、誰かに聞いて欲しかったんだと思う。誰かに聞いて貰って、楽になりたいんだと思う。
愚痴に、なっちゃうんでしょうか。

「……先生には悪いですけど、最初からああなる確率の方が高かったです。当然と言えば、当然。しょうがない事だと思います」

「……………」

「でも、先生は自分なりのやり方を通したんでしょう?結果は伴わなかったけど、誇っていいことだと思います」

「ウィル君………」

「それとも悔いているんですか?」

「……そんなこと、ないです」

「なら、それで良いじゃないですか」

慰めて貰ちゃってる。
これじゃあ、どっちが先生なのか解りません。
申し訳ないと思いつつも、私を気遣ってくれる気持ちが嬉しかった。

よっ、と声を出してウィル君は体を起き上がらせる。
私と変わらない高さで目を合わせた。

「先生のやったことは認められる物ではないですけど、間違ってないですよ」

「…………ありがとう」




話を聞いて貰って、良かった。
また明日から頑張れる。みんなの為に戦えるとそう思った。
まだ私は笑っていられると、そう思った。




「先生」

「………?」

視線を海に向けたウィル君が私を呼ぶ。

「僕は自他と共に認める血も涙もない人間です」

「な、何を急に………」

「文字通り涙したことはありません。いえ、悔し泣きとこの世の嘆きは何度もしましたが」

………何が言いたいんでしょうか。

「そんな僕が言うのは説得力に欠けると思いますが………」

「?」



「泣けばすっきりしますよ」



…………え?


「思いっきり泣いて、全部吐き出すんです。畜生叫んで世の中の理不尽を叫びまくるんです」

「血の涙を流して貰っても構いません。言うこと聞こうとしない友達の愚痴を言っても貰っても構いません。僕の日頃の恨みをうたって貰っても構いません」

「泣きまくるんです。泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、楽になって下さい」


「じゃないと、貴方が壊れます」


…………何を、言ってるんですか?

そんな、こと………


「今の先生見てるのキツイです。目を逸らしたくなります。いえ、逸らしてますけど」


「っ!!」


――如何して?

まだ私は笑えますよ?みんなと一緒に、笑っていられますよ?

――如何して?

私は、みんなの為に笑えるのに。みんなの笑顔の為に、笑っていられるのに。

――如何して?


「そんな無理してる笑顔、僕は見たくないです」


――どうして、わかるんですか?


「ッ……!!」


みんなが笑ってくれるなら、私は笑えていられるのに。
つらい事も、悲しい事も、全部心の奥にしまえて笑えていられるのに。
全部隠して、忘れていられるのに。

なんで、そういうこと言うんですか?

私は大丈夫なのに。私は頑張っていけるのに。
わだかまりも、遣り切れない気持ちも、振り切っていられるのに。

溢れ出しそうなこの想いを、我慢していられるのに。

泣いちゃったら、全部っ…………。


「人はいません。思う存分泣いてください。僕も消えます」

「私、はっ…………」

「我慢しないで下さい。お願いですから」

「……!!」


涙腺が緩む。
じわりと、滲み出す。目が冷たいモノを帯びていく。
目をぎゅうと瞑り必死に堪える。唇を噛み、抱える膝に爪を立てる。
いけない、いけないとしきりに呟くが、胸が上下してしまう。しゃくり上げてしまう。

止まらない。止まってくれない。言うことを聞いてくれない。



「泣いていいんです」



その言葉が、止め。



もう堪えておくことは出来なかった。
子供みたいに声を上げ、ポロポロと涙を零していく。
体の震えが止まってくれなくて、嗚咽を漏らしていった。


彼が腰を上げる。それは私を1人にしてくれる彼の気遣い。
でも、今は―――


「!」

「っ、ぁ……ぃ、いてくだっ、さいっ……!!」


―――側に居て欲しい。



彼の手を掴んで離さない。
涙を流したたまま見上げ、懇願する。

やがて、困った様な顔をして、彼はまた隣に座ってくれる。
涙が一杯溢れてきて、悲しいのか、嬉しいのかが解らない。


自分でも驚く位にわんわんと泣く。

ぐちゃぐちゃになった感情は、私の中を引っかき回して。

如何したら止められるのか、何時まで泣き続けるのか、解らない。

如何することも出来ない想いを持て余して、私は彼の手を強く握り締めた。

加減なんか出来ない。強く、強く、握り締めてしまう。

少しだけ、少しだけ握り返してくれた彼の小さな手。

お互いの手と手。そこから伝わってくる暖かさ。



涙が、止まらなかった。















「…………ぐすっ、ありがとうごひゃいまふ」

「………だ、大丈夫ですか?」

「ふぁい………」

「…………」


ようやく涙も収まって、落ち着きを取り戻した。
こん風に泣くの、初めての様な気がします。

目元をぐしぐし拭って涙を払う。
絶対目赤くなってます。ウィル君に見られちゃうの、何か恥ずかしいですけど………今更ですね。

こんなにも泣く姿を晒してしまったのをとても恥ずかしいことだけど、今はつっかえていたモノがとれて、何だか居心地がいい。
本当に心が軽くなった様な気がします。

「ありがとうございます、ウィル君」

「………力になれたなら幸いですけど」

「はい、ウィル君のおかげですっきりしました。感謝してます………」

今度は、ちゃんと心の底から笑えたと思えます。
ウィル君の言った、無理してる笑顔なんかじゃなくて、私の本当の笑顔。
想いを込めて、彼に笑いかけた。

ウィル君は目を見開いて、私を見詰めたまま固まる。
あれ?と思いましたけど、すぐにウィル君も苦笑めいた笑みを作りました。
「良かったですね」と呟いた彼に、私はもう一度笑って頷いた。




「ウィル君の恋人になる人は幸せですね」

「…………何ですか、いきなり」


憑き物が落ちた私は、何となくそんなことを口にしていた。
ウィル君は戸惑った様な顔をして聞き返す。

「ウィル君が側に居てくれると、安心するんです。とっても、泣きやすかった」

「………喜んでいいんですか?」

「もちろん」

顔を顰めるウィル君。でも、頬が赤く染まっている。照れてますね。

可愛くて頭を撫でようと手を伸ばしましたが、ペシッと叩かれました。猫みたいです。
非難する様な目で私を睨んできますが、それもまた可愛く見えてしまう。可笑しくてこらえきれず、私はくすっと笑った。

ウィル君は私から顔を背けて海の方に顔を向けます。怒っちゃいましたか?



……でも、本当ですよ?

貴方の隣に居る人は必ず幸せになるって、そう思います。

私は、そう思います。




空を見上げ何処までも続く夜天に魅入る。
現金なもので、あれほど暗い色に見えた星空も、今はとても綺麗だった。

私達を見下ろす蒼白の月。
透き通る蒼に、心が引き込まれていく。

包み込むようにして片手を掲げるが、決して届くことはない。
手に入れることの出来ない蒼の光。私が望む物はあの光と同じ様に、果てのない幻想なのかもしれない。

1人では無理なのかもしれない。1人だけで足掻いた所で何の意味もないかもしれない。


でも、2人なら、きっと届く。
一緒なら、きっとあの蒼の光に届く。そんな気がする。




指の隙間から溢れ出す蒼の光は何処までも眩しく。
そして、今も繋がっている手は何よりも暖かかった。







「いい加減離してください…」

「もうちょっと………」

「ミャア~~」



[3907] サブシナリオ3
Name: さもない◆8608f9fe ID:94a36a62
Date: 2008/11/03 11:55
とある一室。
家具はベッドや机といった最低限の物しか存在せず、全体が木で出来ている室内は簡素の一言に尽きた。
まだ住人が入って日が経ってない事を感じさせる様な内装。事実、現在の部屋の主はまだこの此処に入って浅い。
洒落ている物が全く置いてないのは、部屋の主が飾りに気にかけていないことをありありと表していた。

一応、洒落………というか、奇天烈な存在はある。
いや十分アンティークの類に入るのだろうが、それの醸し出す雰囲気がそれをアンティークと呼んでいいのか躊躇わせる。

それはかなり大きさの、宝箱だった。
薄い緑で彩られた木製の宝箱で高さはベッドとほぼ同じくらい。よく見ればフジツボが所々張り付いており、短くない時間海にその身を置いていたのが解る。
モノホンと相違ない宝箱である。

部屋の隅に置かれた、そんな夢とロマンがぎっしり詰まっている筈のアイテムは、しかしその異様な空気により空間を歪ませていた。耳を澄ませばゴゴゴゴゴなる前触れの音が聞こえてくるのは錯覚だと信じたい。
人がそれを目にすれば本能がヤバイと告げているにも関わらず触れたくなる、そして触れてしまえば条件がクリアすれ奇妙体験の始まりへと巻き込まれる、そんな展開を予想させる品である。
ちなみに蓋の部分に「パンドラのはこ」と書かれた紙が貼ってある。

部屋に入って最初に目につくのがこの宝箱。そして、すぐに目を逸らすのもこの宝箱だった。


「……………」


ギィイイと軋みを上げるドアが開かれ、1人と1匹――少年とその頭にとまったねこが入室した。
何の声も発さず少年は宝箱に直進。何の躊躇もなく蓋を開け、手に持っていた光り輝く物体――「魔石のピアス」を収めた。
箱を覗いてみれば、中にある物は鍋から始まり海賊旗、鈍い光沢の大剣やら年季の入った茶釜やらが存在し、挙句にはわら人形まで詰め込まれている異次元空間となっている。
薄気味悪いオーラの元手はこれらであることは明白だった。というか収容出来る量の物理的法則を無視している。

少年、いやこの部屋の主――ウィルはその中から植木鉢を取り出す。
そして、ベッドの方へ歩み、腰を下ろしたかと思うとそのまま横に倒れた。
植木鉢抱きながら。


「訳分かんねぇ…………」


お前がな


残念ながらそうつっこむ人間は此処には居なかった。







然もないと  サブシナリオ3 「ウィックス補完計画その3 ~~ガラクタ山の声を一刀両断~~」







「何あれ?ヤバイ。ホントヤバイ。落ちる。ホント落ちる。というかあれどういう意味?普通にそういう意味だったりするのか?しかし天然。紛れもなく天然。推測の域は出ない。ていうかただのスキンシップの可能性も無きにしも非ず。ていうか大。ダメだ、やはり訳が分からない……」

何かぶつぶつと呟き始める少年ウィル・マルティーニ。
横に倒れた際頭から転げ落ちたねこ――テコが心配そうに顔を覗き込むが、無反応。初見の時と同じ様にその丸い手でぺちぺち頬を叩くが、やはり反応は無い。変態な相棒を本気で心配する出来すぎた召喚獣は、昨日からの続くこんな状態に困惑するばかりだった。


ウィルが思考の渦に巻き込まれている原因は、昨夜のアティの行動にある。
言葉通り、昨夜のアティはヤバ過ぎた。別に泣き出すまで特に思うことはなかったが、一緒に居て欲しいと言われた際、ウィルに途轍もない衝撃が走った。
頬を赤く染め、上目遣い。瞳に涙を溜めたその顔は間違いなくオーバーキル。これが伝家の宝刀泣き落としかとウィルは戦慄した。

不謹慎にも麗人のわんわん泣く姿はクルものがあり、しかもすぐ隣で、更には手が繋がっているのだからウィルの頭は警報鳴りっぱなしのコンディションレッド。フェイズ3通り越してフェイズ8くらいまで一気に跳ね上がった。

手を強く握り締められた時は、揺れた。
頭が「回避ィィイイイーーーーーーーッッ!!!!!!」と高らかに叫び面舵をとるが、無理、直撃。
自分で自分のことを好きになるってどうよな理念からアティに好意を寄せるまいとしていたウィル。そんなウィルの熱線さえ弾く第一、第二、第三装甲までも突き破った超ド級の砲撃。理念を一瞬にして打ち砕かれたウィルは、不覚にもその小さな手をほんの僅かに握り返してしまう。

それだけに被害を留めただけでも特別昇進ものだが、実際シャレになっていなかった。
「剣」の支配をウザイの一言で退ける強靭な、変態なウィルの精神を粉砕する超火力。「無敵戦艦アティ」的なそれは脅威の以外の何にでもない。
常に主砲がブリッジに向けられている感覚。何時落とされても分からない状況に、ウィルは理性は風前の灯火と化していた。

そして、ウィルに向けられたアティの笑顔。
言葉では言い表せないその笑顔にウィルの時が止まった。余りの威力に返って冷静になってしまう程だった。ていうか半ば放心に近かった。

アティの振る舞いは、今まで目にした事のないあの笑顔を向けたのは、好意の現れではないか?自惚れてもいいのではないかとウィルはそう考えてしまう。



ウィルは確かに鈍感だ。「レックス」の際に誰の好意にも気付けなかったことからそれは間違いない。
だが、それは「レックス」の空気に中てられ壊れた女性達が歪んだ好意を向けていたことに起因している。いや普通に好意に気付けなかったのもザラだったが。
その筆頭は間違いなく「アズリア」その人だろう。そっちの方面にてんで弱い彼女は悩んだ挙句、自分の長所でアプローチしようと決める。即ち戦闘である。然もあらん。

他に例を挙げれば「アルディラ」の趣味――実験・改造だったり、「ミスミ」の戦稽古だったり。
自分の心身を削る行動が好意の現れだと言われても流石に気付けない。しかも俗世間で言われる迷惑や苦労の一線を越した死線レヴェル。気付けと言う方が無理だった。

あからさまな好意を寄せられれば一応は気付く。面と面向かって好きの一言言えばよっぽどの事がない限り勘違いしない。断言出来ないのが悲しい所ではあるが。
それに事実、「レックス」はアリーゼの好意には気付いていた。「イスラ」倒した後くらいに。結構遅い。

だが「レックス」はアリーゼのそれに嬉しいと感じつつも、その感情は一時の憧れという奴だろうと思い込み、それからも以前と変わらぬ態度でアリーゼに接し続けた。それ故に悲劇もとい喜劇が巻き起こってしまったのだが…………。



兎に角、人並みの感性をウィルは一応持ち合わせている。「ウィル」と同化した事もそれに拍車を掛けていた。
よって昨夜のアティの振る舞いは、少なくとも近しい人に寄せる好意なのではないかと考えているのである。

余談だが、ファリエルの好意には気付いてはいない。仲間達に暴力を振るわれていた「レックス」の際に、島の女性陣に嫌われてはないにしても好意を寄せられるという事はないと刷り込まれている。「ファリエル」に乱暴された事はないが、島の女性陣という範囲に当てはまってしまうので前提からアリエナーイの一言で切り捨てている。不幸と書いて滑稽と読める。


部屋に1つだけ備えられている窓からは青々とした海原が覗いており、地平線から顔を出して間もない朝日が眩い光を散らしている。
ウィルはベッドの上でぼけーっと窓に映る青空を見ながら、部屋に差し込む光を身に浴びていた。

早朝から釣りに出掛け、この状態を脱しようと思ったが効果は上げられず。帰ってきたのが先程で依然思考のループに囚われてたままだった。


「………………はぁ」


重い溜息を吐き出し脱力。何やってんだかなーとウィルは1人ごちる。
アティが好意を寄せようが何だろうが自分には関係ない話。自分は己に好意を寄せるイタイ人間ではない。
それによく考えてみればアティには自分を子供として捉えている素振りが節々にあった。あれらの行動は雰囲気的に流されたただの気紛れかもしれない。むしろそちらの方が真実味がある。何よりあれは天然なのだ。

よし、とウィルは体を起こす。植木鉢抱きながら。
膨大に時間を注ぎ込んだ思考に決着を付ける。今まで通り接すれば良し。天然の不可解な行動を気にするだけ無駄だ。適度にシカトする。
そもそもアティが好意云々というのも根拠のない話だ。そう決め付けてだたの此方の勘違いだったら相当ハズイ。ていうか死ねる。
もう既にイタイな俺とウィルは肩を落とした。メイメイの言っていた自己陶酔者もこれでは否定出来ない。

らしくないと呟き、起きた反動で転がっているテコを頭の定位置に乗せる。
ベッドから立ち上がり植木鉢を宝箱の中へ。やはり長年愛用してきたプリティな鉢は心が落ち着くとうむうむ頷いた。
正直今の状態でアティに会うのは気が引けるが、それは勝手に妄想して自爆していただけ。己の責任だ。受け入れるしかない。

いつも通りの態度を心掛けよう。
平常心、平常心と己に言い聞かせ、ウィルは部屋を出る


「平じょっ!!?」


「ウィル君、居ます――――あ゛」


正にその瞬間にドアが開き、彼の顔面を強襲した。













「ノックもせずにドア開けるなんて如何いう神経してるんですか?」

「うぅ……………す、すいません」


目の前には半眼で私を睨んでいるウィル君。
出された椅子に座って向かい合ってる私は身を縮ませることしか出来ません。
本当に失態です。弁明のしようもないです………。

ウィル君に話したい事があって、部屋の前にやって来たまではよかったんですけど、何故かドアを開けるのに躊躇してしまいました。
恥ずかしい姿を見られたという事もあるんですけど、それも昨日思ったように今更でしたし。別に躊躇する必要はない筈なのに。

そんな風に考えていたら、はっきりと昨夜の出来事を思い出してしまい、顔を赤くしてドアの前でにらめっこ。
手を出したり引っ込めたりを繰り返して、ようやく決心してドアを開けて…………こんなになっちゃった訳です。
自分を落ち着けるのに必死でノックするの忘れてしまいました………。


はぁ、と溜息を思わず吐いてしまう。
一体どうしてしまったのだろうかと思い耽っていると。


「で、何か御用なんですか?」


機嫌の悪さが滲み出している声を投げかけられた。
はっ、と目の前にいるウィル君を視界に治めて我に返る。
いけない。こっちから尋ねてきたのに相手を放っておくなんて。………うう、本当に今日変です、私。

「ご、ごめんなさい。少し考え事してしまって………」

「それはいいですから、さっさと用件を言ってください。用がないんなら僕行きますよ?」

な、なんだか、何時もより刺々しいです。
目つきもさっきから険しいままですし。そ、そんなに痛かったですか?

「え、えと……きょ、今日も学校はないそうです。スバル君達まだ本調子じゃないそうなので」

「そうですか」

「しゅ、集落の人達の様子も見ましたけど、ほとんど普通に生活出来るみたいでした。やっぱり全快という訳ではなさそうでしたけど」

「朝早くからご苦労なことですね。で、終わりですか?」

「……………えーっと、その……」

此処まできて言うか言うまいか悩んでしまう。
ウィル君に迷惑を掛けていいものかと躊躇ってしまう。
生徒であるウィル君に私の問題を押し付けて、巻き込んでしまっていいのかとそう考えてしまう。
言葉に詰まる。

「…………終わりならもう行きます」

「ぁ…………」

立ち上がり、ウィル君は此処を後にしようとする。
離れていってしまう。
私の前から、居なくなってしまう。


「待って!」


気付けば、咄嗟に彼の手を握っていた。


「――――――――」

「…………待って、ください」

ウィル君の足が止まる。
私は、その小さな手を取ってウィル君を引き止めた。

違う。
私が話をしようと躊躇った理由はそうじゃない。
迷惑を掛けるとか問題を押し付けるとかは、きっと建前なんだ。
本音は別にある。

私は、彼に嫌われるのが嫌なんだ。

愛想を付かされるのが嫌なんだ。
私の前から居なくなってしまうのが、怖いんだ。

今こうして彼を引き止めているのが何よりの証拠。
嫌われないかと不安になって、そして今は離れていこうとする彼を止めている。

……行動が矛盾してます。
不安に思うのなら、別に話さなければいいのに。


『1人で抱え込まないで下さい』


でも、話そうと思ったのは、彼がそう言ってくれたから。
昨日の夜で、もう1人で抱え込むのは辛くなってしまったから。
受け止めて欲しいと、そう思ったから。


「………話を、聞いてください」

「っ!!!」

ウィル君は大きく肩を震わす。
どうしたのかと不思議に思い、次にはやはり何も話を聞きたくないのかと不安に思ってしまう。
いや、でもそれはおかしい。私はまだ何も伝えてないし、ウィル君は相談に乗ってくれると言ってくれたのだから。
だから、これはきっと私が勝手に不安に思ってるだけ。ただの思い違い。


「話したいことがあるんです………」


それでも声に緊張が含まれる。
解っていても、緊張してしまう。自然と握る手に力を込めてしまった。


「な、な、な……っ!!ちょっ……!!?」

「実は、私…………」


………言いましょう。
悩んでるなんて私らしくない。
大きく息を吸い込んで、私は口を開いた。


「ウィル君に…………」


「いや、ちょっと待っ―――!!!?」




「『剣』のことで話があるんです」




どがしゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん




「……………あれ?」

「フミュッ!!?」


ウィル君がすごい音を立てて倒れちゃいました。
テコもウィル君の頭から転がり落ちます。
えっと、どうしたんですか?

「ウィ、ウィル君?ど、どうしたんですか?というか、平気ですか?」

「フミュウ~~~~」

うつ伏せに倒れたウィル君は何も答えてくれません。
一体何が…………?

「ウィルくーん?」

「ミャアー………」




「………………もう、ヤダ」













盛大に勘違いしていた俺は見事にずっこけた。
勘違いした俺が悪い。ほんの僅かでもそういうことなのかと自惚れていた愚者の末路であることは理解している。

………だが、俺が愚かであった為だけかと言われれば否。断じて否である。
あんな、今から私勇気振り絞って伝えたいこと言います的な雰囲気なら変な妄想くらいするに決まっている!ていうか何だよ!?何で手握って切なそうな声出すんだよ!?その前フリ一体なんだったんだよ!?誤解するに決まってんだろ!?
この天然っ!!貴様今まで一体何人もの男共を泣かしてきやがった!?謝れ!俺達に謝れ!!

血の色を連想させる髪を持つ天然もとい赤い悪魔。全く異種の赤い悪魔である。計算も何もない、ただの行動で人をここまで磨耗させる害意無き悪魔の技。
何だ、それは。手に負える筈がない。
コレは俺の理解の範疇を超えている。というか誰からも理解されないに決まっている。


天然とは凡人には推し量れるものではなく、そして常軌を逸した存在なのだと思い知らされた。いや、再確認した。
俺はこれからずっとこの天然を理解することは決して出来ないだろう。

そしてもう変な妄想するのは止めよう。疲れるだけである。抜剣してもないのに髪が白くなってしまいそうだ。
変な期待、というより望みを持つのは止せ。その望みを持ったところで、所詮俺は今のように道化を演じるだけである。身の程を知れウィル・マルティーニ。
俺に好意を寄せる物好きな人物など居る筈がないのだから。…………いやゴメン。1人くらい居て欲しい。


散々振り回され現在進行形で精神が磨り減っている中、俺は机を挟んで向かい合ってるアンノーンを凝視する。
一体何を食ってどういう生活をすれば「俺」という存在がこんな生物になるのかと疑問を抱かずにはいられない。最大の謎である。

「あの………お、怒ってますか?」

「……怒ってませんよ」

凝視してくる俺をどう思ったのか、目の前の天然はそんなことを言ってくる。
どうやら目つきが自然と険しくなっていたようである。眉間に指をやって揉み解す。

「大体僕が怒ってるとして、原因が何なのか解るんですか?」

「えーと………解んないです、ね……」

でしょうね。心当たりも無いんだろうね。
はぁ、と本日二度目の溜息を吐いた。これからも犠牲者は増える一方なんだろうと達観する。


「………それで『剣』の話というのは?」

表情を改めてアティさんに尋ねる。
「剣」の事で相談ということは何かあったのだろう。考えられるのは遺跡の意思が語りかけてきたのか、それともハイネルが出てきたのか。
どちらにせよ、気分のいいものではないだろう。白いのだったら特に。

「実は、今日の朝に『剣』が私の意思とは勝手に出てきて………」

「…………なぬっ!?」

気配感じませんでしたヨ!?

話によると、今までの経緯や響いてくる「剣」の声に悩んでいたアティさんは、「剣」を召喚して今までの事を聞いてみたらしい。
「剣」が答えたのは強い精神と魂が持つ者が「剣」の担い手になれる云々。アティさんを同じカタチと輝きを持つ継承者なのだと言って締め括ったそうだ。
そして、お決まりのパターンで最後に勝手に抜剣してアティさんの中に強引に入り込んできたと。

…………俺の時はこの時期そんなことは無かったのだが。というか話聞く限りアティさんが「剣」と接触を計ったのが原因だろう。迂闊に「剣」に接触して欲しくないのだが。ぶっちゃけフォローしきれない。
ちなみに俺が何故アティさんの抜剣に気付けなかったかというと………ちょうど釣りに行ってて昨日の事でうんうん唸っていたからっぽい。間抜け過ぎる……。




「…………イスラが?」

「はい。偶然通りかかったイスラさんが声を掛けてくれて、何とか『剣』を抑え込めました」

「……………」

偶然、ではあるまい。
恐らくアティさんの姿を見つけて見張っていたのだろう。
「剣」の支配から逃れたのも、多分イスラが「剣」――キルスレスを用いて干渉したからだ。推測の域は出ないがタイミングが良すぎる。

………結局動いたか、イスラ。
ここ数日の夜はイスラの様子を見に行ってたが、あの森に行った日以外は怪しい行動を取る素振りはなかった。そこはクノンにも確認した。
やはりイスラは止まらないらしい。「イスラ」とは違う面を見せるから、もしかしたらという期待もあったが………こうなるのか。
解りきっていたことではあるが、イスラの色々な顔を見てきただけに少し辛い。

「ウィル君………?」

アティさんが黙り込んだ俺の顔を覗き込んでくる。
今日イスラが動いた時のことも考え、それとなく注意を促しておいた方がいいかもしれない。
この世界ではまだ不確定事項で「俺」の経験した事であるから上手く言えないのだが。………さて、何と言うか。
僅かばかり意識を向けてもらうえば十分か?いや、というかそれしか出来ないな、今の所は。

「先生、イスラは『剣』のことを聞いてきたんですか?」

「ええ。私が『剣』を持ってるのを見て、それがみんなの言うシャルトスですか、って」

「……イスラはどうして『剣』のことを知っていたんですか?」

「え……?」

「イスラが『剣』を見たのは今日が初めての筈です。なのに、何で『剣』の存在を知っているんですか?」

「……誰かから聞いたんじゃないでしょうか?」

「誰ですか?先生の『剣』のことを知っている人は限られている筈です。カイル達だって知らないんですから」

「あっ………」

「恐らく『剣』の存在を知っているのは護人達と、昨日の戦闘に参加しているクノンとフレイズくらいです。あとメイメイさんか。『剣』の存在を知らないイスラへ自主的に『剣』の話題を振るのは不自然ですし、存在を知らないイスラから『剣』のことを尋ねられるのは元より在り得ません………何より、今いったメンバーは『剣』の事を不用意に話す人達じゃないと思います」

「!!じゃ、じゃあ、イスラさんはどうして?」

「解りません。先生が『剣』を抜いている所に居合わせたのか………もしくは最初から知っていたのか。どちらにせよ、イスラは何か隠してるっぽいです」

「…………………」

俺の言葉にアティさんは顔を曇らせる。
この人からの性格からして他人を疑いたくないのだろう。アティさんの美徳なのだろうが………何時か足をすくわれかねないな。
まぁ、島のみんなと楽しそうに交流するイスラを疑うのも確かに無理があるような気もする。楽しそうにスバル達と戯れる姿は演技になんて見えないし。帝国軍、ましてや無色の派閥に属しているなど思いも寄る筈がない。



「まぁ、根拠のない話です。あまり気にしないでください」

「………はい」

「それよりも、『剣』を発動しないにしても不用意に接触するのは止めてください。また同じことになりますから。ていうか少し考えたらそうなるかもしれないって解ることじゃないですか………」

「うっ………。で、でも……」

「でももヘチマもないです。大体気になるんだったら護人達に聞けばいいじゃないですか。何か知ってるっぽいんですから」

「あっ、そういえば………」

「貴方って人は…………」

「あはははははは…………」

やっぱり何処か抜けてる、この人……。

「ありがとうございます、ウィル君。聞いて貰って、楽になりました」

「相談に乗るって言ったのは僕ですからね。気にしないでください。というかどんどん話してください」

「…………はい、そうします」

微笑むアティさんを見て、少しでも荷が下りたかと思った。
少しでも不安を取り除いてやれればいい。無理のないままで笑っていて欲しいから。

………しかしまぁ、本当に笑顔の似合うご婦人だな。















「召喚術の対抗力が弱い……ですか?」

「はい。それがウィル君の戦闘における差し当たっての課題です」


船近辺の森の一角。
カイル達と朝食を終えた今現在。周りが木々に囲まれているこの場で、俺は授業の一環で戦闘の長所と短所においての講義を受けている。
一通り模擬戦闘を行い、更に召喚術を執行。アティさんがそれを観察し俺の顕著な部分を挙げている。
正直、軍学校の入学試験でここまで戦闘スタイルを検討する必要はない。実技試験ではあくまで身体能力が規定値を達しているか視られる訳だから、ここまで実戦的な事は求められない。軍学校入ってから学ぶ事だしね。

まぁ、この島での状況を見れば必要である事は間違いないけど。自分の身は自分で守れって奴だ。
それに「俺」もアリーゼには杖の護身術教え込んだし。特訓らしきもの散々やったから人のことは言えない。

それにしても召喚術の対抗力が弱いか………。
気付かなかったな。自分の事なのに。いや、まだ此処で召喚術を1つももらってないからか気付く筈もないんだけど。ことごとく交わしてやったしね。
対抗力に限ったことではなく、今の俺は全般的に防御力は低いだろう。子供だし。一撃喰らったらそれだけでピンチになる。
交わし続ければいいだけの話だが、召喚術に限っては回避不可能の物もあるのでそこら辺は頭に入れておく必要がある。

「自分の欠点を知ることは強くなっていく為にとても重要なことだから覚えておいてくださいね」

「うす」

「今はまだそんなに気にしなくてもいいけど、これからはそこを意識して訓練していきましょう」

「了解です」

対抗力上げるのは魔力の総上げが手っ取り早い。といっても、そう簡単に増やせる物じゃないけどな。
物理防御は……まぁ、防具装備するなりしか方法はないわな。体鍛えていって武器が防げる訳ないし。
でも、この体に防具はちとキツイよな。欲張り過ぎかもしれないが、緊急時での防御手段の1つや2つ欲しい所ではある。

「………先生、質問」

「はい、何ですか?」

「僕、ストラ使えないですか?」

「ストラ、ですか……。んー、少し無理がありますかね。ウィル君に限らずに、召喚師は魔力が特化している訳ですから肉体強化出来るストラは不得意の部類に入ります。使えないこともないと思えますけど、ストラを専門にしている人には遠く及びません」

「ですよね………」

「無理に習得しようとしても結局どっちつかずになっちゃいますし。あまりそっちの方に興味を持つことはお勧め出来ません。でも、如何していきなり?」

「いやあ、カイルみたいに体1つで敵と戦うのってカッコいいじゃないですか。憧れます」

「ふふっ、ウィル君も男の子ですね」

「はい。身体能力上がればやりたい放題ですから、好きなだけ相手を嬲れます。肉弾戦でボッコボコに出来るって最高ですよね。こう、えぐり込む様にして打つべしみたいな。ノーリスクハイリターン。ええ、超憧れます」

(…………果てしなく危険な響きしかしないんですけど。というか、ウィル君がストラ覚えたら私への突っ込みが…………し、死んじゃいますっ……!!!)

「焼け石に水程度でも覚えたいですかね。カイルにでも教えてもらおうかな……」

「そ、それよりウィル君、ストラより召喚術の対抗手段を習得しましょう!そっちの方がずっと身になります!!ええ、間違いないです!!」

「何ですかいきなり。ていうか、さっき言ってたことと丸っきり逆じゃないですか。まだ気にしなくてもいいって……」

「い、いえ!敵の攻撃が強くなっている今だからこそ、ちゃんと備えはしておくべきです!!ええ、そうですそうですとも!!!では頑張りましょう!!」

(………毒キノコでも食ったのかこの人)


よく解らんが強制イベント。召喚術の対抗手段とやらを習得することになった。
アティさんと一定の距離をとり向かい合う。目算5メートルといった所か。

アティさんは正面にいる俺ではなく、横の木々の方向に手を向けた。
目を瞑り集中して、そして次の瞬間。


「ハァッ!」


目に見えない力の塊が、大きな音と共に木々を揺るがした。


「おおっ!」

「高めた魔力をそのまま衝撃として放ったんです」

「衝撃波って奴デスか!!」

「はい。ストラ技術の応用で、魔力の抵抗力の訓練にいいんです。私は医学を学んでたから、こういうのには詳しいんです」

「すごいです、先生!初めて尊敬しました!!」

「普通に傷付くんですけど…………。と、兎に角、これから私が魔力で攻撃するからウィル君はそれに耐えてください。勿論手加減はするけど、集中していないと怪我だってしちゃいます。覚悟してくださいね?」

「はい!!」

「では、いきます!」



…………三十分後



「………くそっ、こうやって僕のことを嬲るのが目的だったんですね!!」

「い、いえ、そんなことは………」

「こっちが何も出来ないからってボンボンボンボン調子に乗りやがって!!畜生、訴えてやる!!」

「ミャミャーッ!!」

(…………理不尽です)

アティさんの気合もとい衝撃波は喰らい続けて数十発。
耐える、っていうか俺もアティさんと同じ様に衝撃波かまして相殺することは解ってるんだけど、出ない。衝撃波が出ない。


今の俺(ウィル)にとっても「レックス」にとっても知らない召喚術対抗手段。知識とは知っている、恐らくは『魔抗』と言われるもの。
「レックス」の時は兎に角効率のいい戦闘方法だけを学んでいたので、こういう必要のない技術は帝国軍に身を置いている時はノータッチだった。「レックス」の時は魔力防御が高かった為だ。第一、強力な結界の様に完璧に防げる訳ではないだろうと見向きもしなかった。

だが全ての能力が低下し、「剣」も所持していない今の俺にはこの技術は習得しておきたい技術である。
考えるに、「剣」の知識で魔力の効率的応用を知った今の俺がこれが使いこなせる様になれば、高い確立でタイムラグ必要なしに一瞬で運用する事が出来る筈。伊達に高速召喚を執行出来る身の上ではない。
『魔抗』や結界のネックであるその場で動かずに使用するという条件も無視出来ると思う。一挙両得である。

しかし、至らない。魔力の放出まで至らない。出来ないのだ。

『魔抗』が未知の技術であるという事は勿論あるだろう。だが、恐らく最もの原因は「俺」がこの体を上手く使えていない為だ。
体術、剣の型は「レックス」の知識とこの体が覚えているので支障はない。召喚術は誓約の名に元において魔力を持っていけばいいだけの話。
更に言えば工程や構築過程、詠唱省略などの情報――土台は既に出来ている。メイメイさんの言い方ならば魂に刻まれているというのか。兎に角召喚術の発動には問題はない。

結論から言えば、「俺」はこの体を「レックス」の物と同じように扱おうとしている為に小手先が利いていない。既存の知識に魔力を流すただの供給――簡単な作業は出来るが、魔力の放出、指向性を持たせるといった今回の技術――綿密な作業は出来ていないのだ。

盲点だった。今まで問題なく体を動かせていたので気付きもしなかった。
恐らくは「俺」も知らない、「ウィル」も知らない技術がこれから出てきたら、習得は困難を極める。
「レックス」の体の使い方をこの体に当てはめているのだ。「ウィル」が1つの技術をマスターするよりも遥かに時間をかけなければいけないと思う。予想に過ぎないが、この体も本来の性能が引き出せてはないのではなかろうか?
体、というより魔力の扱い方を知らない…………本当に課題が浮き彫りになってしまった。


「ぶっ!?」

ドンッ、と空気が振動する。
襲い掛かった衝撃に、俺は体を仰け反らせた。
本当に魔力の欠片が出る気配もない。先程から今まで全く進歩していなかった。終わっている。

「ウィ、ウィル君?大丈夫ですか………?」

「モーマンタイ!」

「ミャミャ!!」

「……………」

「続けてください!!」

後に何発も衝撃波を放たれ、俺はその衝撃を全く削ることも出来ず、とうとうバランスを崩しすっころんだ。
地面に転がり仰向けになる。………くそ、みじめだ。カッコ悪い事この上ない。

広がる青空を視界に納め、大きく息を吐く。
解らん。全くもって魔力の放出の仕方が解らん。内にある魔力が漠然と集まるのは解るのだが、それっきりだ。体の外に打ち放つことは一切適わない。
「レックス」のやり方で魔力の操作が出来ていないという事になる。だが、他のやり方といっても一体どうしろと言うのだ……。

「ウィル君?」

「生きてます………」

「今日はもうこれで切り上げましょうか?ずっと続けてますし、それに簡単に身に付くものでもないですから………」

「…………最後に1回だけお願いします」

「……解りました」

一歩も進まずに終わる事は出来ない。せめて何か手応えが欲しい。
体を起こし、胡坐をかいて暫し思考に耽る。

魔力の扱い方の前提が間違っている事は否めない。やはり一から研磨しコツを掴んでいくしかないのか。
だが、メンドイ。果てしなくメンドイ。もっと楽なやり方で簡単に済ませたい。
アティさんに聞いてみる?でも、それも恐らくアティさんのやり方であって俺には当てはまらない可能性が高い。恐らく無意味。
持っている知識で何か応用出来る物を引き出せば…………。


立ち上がり、アティさんと向き合う。
アティさんがそうする様に、俺も手を突き出し同じ体勢になる。

「お願いします」

「はい。いきます………」

召喚術を執行する際には必ず魔力は発生する。
その際に紛れもなく魔力は体の外に溢れ出ているのだ。召喚獣に注ぎ込んだ魔力の余波も含まれているが、確かに魔力を放出している。
それと同じ原理。召喚術発動の前段階を再現して魔力を外に放出する。何千、万と繰り返してきた行為だ、出来ない筈はない。
今の体の扱い方では間違っている。ならばこの扱い方のまま、別の方法を模索する。ぎこちない体の運び方で別の通路を探し出す。

アティさんの瞳に力が篭る。
収束された魔力が手を通じ、放たれようとしている。

集中。頭を空っぽにして感覚を研ぎ澄ませる。体の内に満ちる魔力を手へと運んでいく。
突き出しているのは拳。そして、そこに握り締めらているのはサモナイト石。召喚術を執行せず、その至るまでの過程を応用。魔力を放出する為の媒介として利用する。


「ハァッ!!」


―――ブチかます。


「あああああっっ!!!」


放たれた魔力、アティさんの物より一瞬遅れて打ち出されたそれは。


「っ!!?」


相殺、するどころかその魔力を飲み込んでアティさんへ突き進んだ。


先程響いていた衝撃波を上回る程の爆音。
文字通り空間が爆ぜ、アティさんは吹き飛んだ。

「せ、先生っ!?」

豪快に後ろへ吹き飛んだアティさんの元へ慌てて駆け寄る。
不味い。アティさんとはいえ、女性に怪我をさせてしまったらいかん……!!

「ぃ、たたた………っ」

「へ、平気ですか!?」

「はい、大丈夫です………」

何の滞りもなく立ち上がるアティさんを見て一息吐く。
本当に怪我もなそうだ。安心した。

「…………出来たじゃないですか?」

「…………あっ」

アティさんが嬉しそうに笑みを作る。
言葉の意味を理解するのに少し時間がかかったが、やがてはっきりとその言葉が胸に落ちた。
おお、確かに!何か出た!確かに何か出てきた!!自力じゃないけど出来た!!

「ていっ!!」

手を突き出して気合一発。
先程と同じくして魔力の塊がドンっと音と一緒に放出された。

「出来たー!!」

「おめでとうございます」

「ミャーミャッ!!」

やたー!!



「状況に応じて上手く使ってくださいね。それから………」


どごんどごんどごんどごんどごんどごんどごんどごん


「見ろ、テコ!ドカドカ出るっ!!すげー!!」

「ミャーッ!!!」


どごんどごんどごんどごんどごんどごんどごんどごんどごんどごんどごんどごんどごんどごん


「……………………………」

「やばい、超使える……!!いい、マジいい!!!」

「ミャミャ!!」


どごんどごんどごんどごんどごんどごんどごんどごんどごんどごんどごんどごんどごんどごんどごんどごんどごんどごんどごん


(…………もしかして私、墓穴掘りました?)





「積年もとい朝の借りーーーーーーッ!!!!!」


どごんっ


「あうっ!!?」












「ちゃーす」

「あらまっ。珍しいわね、こんな時間帯に。朝ご飯なら食べちゃったわよ?」

「いや、飯を食いに来たわけじゃない」


メイメイさんの店に足を運ぶ。
入り口を開けると同時に小気味のいい鐘の音が鳴った。相も変わらず赤色の比率が高い店内。ケチをつける気はないが、この中にずっと居るとなると落ち着かなくなると思うのは俺だけか?
武器その他が並んでいる棚を見れば、装備品が新しい物に変わっている。特に目につく物はないが、あえて言うのならこの黒光りする鉄の塊だろうか。
ジルコーダが出てきた時から護人の許可もおり、銃の販売が許されたのだ。といっても買う奴なんて1人に限られているのだが。
カウンター席で何かの手紙を読んでいたメイメイさんは、俺の来店と同時に顔を上げた。

「誰からの手紙?」

「そんな野暮なこと聞いちゃダメよ、せーんせ」

「まぁ、いいけどさ」

「で、何の用?買い物って訳じゃないんでしょ?」

俺が守銭奴と知っているメイメイさんはそんなことを言ってくる。
これで俺が買い物しに来ていたらどうするのだ。失礼にも程があるぞ。いや、確かにその通りではあるのだが。

「メイメイさん、力貸して」

「んにゃ?なに、また戦闘?」

「いやそうじゃない。そうじゃないけど、力を貸して欲しい」

「??」


あいつが目を覚ますと思うんでね。






ラトリクス スクラップ場



敷き詰められている鉄板の上を歩いていく。
日はもうすっかり昇っており、燦々と輝いて周囲を照らしている。
打ち捨てられている機材、無造作に積まれている機器の山を見て、あいつ以外の奴も何処かで眠っているのだろうかとそんな事を思う。
物言わなくなったガラクタ山からは何も聞こえてはこない。代わりに中央管理施設の方からカァーンカァーンと何かを打ち合わせる音が耳に届いてきていた。

「で、つまりメイメイさんにヴァルゼルドの暴走を如何にかして貰おうっていうこと?」

「ぶっちゃけた話そうなる」

隣に居るメイメイさんと顔を合わせず応答する。
「レックス」の時は結局「ヴァルゼルド」が消えてしまう選択しか選べなかった。自分の満足いく選択を模索しないまま、他に方法がないという事実を受け入れるしかなかった。
しょうがないと言えばそれまでだが、後悔するのなら足掻き続ければ良かっただろうと思わずにはいられない。理不尽を跳ね除ければ良かっただろうにと、そう思わずには。

皮肉にも、そんな世界の理不尽によって、こうして俺はまたヴァルゼルドに会う機会を与えられた訳だが。


「はぁ……。本当ならこれ私の責務を大きく違えてるんだけど」

「手助けしてくれるって言ったじゃん」

「出来る限りって言ったでしょ?戦闘やサポートなら兎も角、傍観者……私の立ち位置を外れて干渉するような真似はダメなのよ」

「力を貸す時点で思いっきり干渉していると思うんだが。まぁ、『お礼』はちゃんとして貰うわないといかんよ、メイメイさん」

「はぁ~~~~~~~。………貴方、今更それをほじくり返す?」

「もち。生きてるって感じびんびんする美酒を飲ませて上げたんだから」

「何で一字一句間違わずに覚えてんのよ………」

呆れたような顔をされたがスルー。

「それにメイメイさんには俺のお手伝いをして貰うだけだからいいじゃん。ただメイメイさんの力をそのまま頼るって訳じゃないんだし」

「じゃなかったら断ってるわよ。私なんかの力を当てにするようじゃ、これから手助けしてあげないんだから」

「さいで」

「さいよ」

会話と平行して足を進めていく。
本当に今回だけだから勘弁して欲しい。俺にも、譲れない物があるのだ。


やがて、半ば崩れ落ちたガラクタ山が見えてくる。
辺りには山を形成していた機材の一部が散乱している。俺やテコ達が掘り起こした成果だった。
そして、そのガラクタ山の前には、膝を付いて動かない一体の機械兵士。
光を反射させる鉄の装甲は甲冑と遜色なく、その姿は騎士の忠誠を彷彿させた。

「ねぇ、確かこの後戦闘になるんじゃないの?」

「あれ、知ってるんじゃないのか?」

「私が知ってるのはあっちの『メイメイ』から送られてくる手紙の情報だけ。そこに書いてあるのは貴方のことだけだから、そこまで詳しい訳じゃないわ」

「そうなのか?」

「ええ。私は全知万能な存在なんかじゃない、この世界で起こることだって知ってる訳じゃないのもの。まぁ、兆しは解るんだけどね。一応観測も出来るけど」

ありゃ、意外。
何でも知ってるもんだと思ってた。しかし兆しやら観測ってなんやんねん。

「平行世界なんて言うけど、よっぽどの事がない限り接触なんてまずしないわ。『レックス』と『ウィル』の入れ替わりがあって特別に共界線を介して繋がりがあるの。この世界からしてみれば『貴方』の元居た『世界』は未来に当たるわけだしね。他の世界の情報、仮の未来をそう簡単には漏らせない」

それほど「俺」と「ウィル」の入れ替わりの件は緊急時だったってことか。
珍事に巻き込まれたのを喜ぶべきなのか、嘆くべきなのか………。
間違いなく言えることは『ウィル』の方が確実に不幸だということだけだな。

「アリーゼちゃんのこともそれで知ったのよん」

「へぇー………って待て貴様。それじゃあ、さっきの手紙は………」

「にゃはははははっ!」

「てめっ!!?」

見せろ!ていうかよこせっ!!

「はいはい、そんなことよりヴァルゼルドでしょう。その為に此処に来たんだから」

「………覚えてろよ」

ジト目で睨んでいたメイメイさんから視線を外し、ヴァルゼルドに目を向ける。
頭部には光は灯っておらず、沈黙を貫いている。

「で、どうだったのよ、貴方の時は?」

「『レックス』の時は確かに戦った。……おーい。起きろ、ヴァルゼルド」

「やっぱり戦うんじゃない……」

「アホか。こんな無防備な姿を晒してるんだ、即効にケリをつけるに決まってるだろう」

「……えっ?」

ぎょっ、と俺を見詰めるメイメイさんを尻目に、ヴァルゼルドが起動するのを見詰める。
やがて起動音と共にカメラアイが発光。通常の緑の灯ではなく、そこは赤に染まっていた。
手に持ったサモナイト石を用いて召喚、「ナックルキティ」を呼び出す。

『……………』

「起きたか、ヴァルゼルド?もし寝惚けてるようなら俺の必殺フィストが光って唸って輝き叫ぶぞ?」

無言で立ち上がるヴァルゼルド。
腰に手を伸ばし、マウントしている銃を装着する。メイメイさんが「ちょっと!?」とかなんとか慌てふためいてるが流す。

俺は既に憑依召喚「ファイトだにゃー」を発動。ふざけた名前ではあるが、強化術式の中では最上の効果を発揮したりする。
ナックルキティが俺の体に憑依し、深緑の光――獣属性の魔力が身を包み込んだ。


『…………弾幕展k「チェストォッ!!!」グボオッッ!!?!?』


銃を構え、不穏な発言かました瞬間、俺は魔力パンチを炸裂させた。


容赦のない一撃はヴァルゼルドの装甲に突き刺さり、ボディをくの字に折れ曲げさせ後ろのガラクタ山へぶっ飛ばした。
ぶち当たった衝撃でガラガラと音を立てて崩れるガラクタ山。埋まるヴァルゼルド。顔を引き攣らせるメイメイさん。そして、追撃の為に腰を低く構える俺。

埋もれる体を強引に動かしガラクタを退けるヴァルゼルド。
半身が起き上がり、その無防備な姿を晒した。
深緑の輝きが俺の脚に集まり収束する―――必殺である。


「『アルディラ』直伝!!」


地を閃光の如く駆け抜け、跳び、そして―――



「脳漿を、ブチまけろっ!!!」



―――ヴァルゼルドにシャイニング・ウィザードかました。


『づあぁあああぁぁあああああああぁアアアアァアアアアアアアッッ!!!?!?!!??!』


「ちょい!!?」


「ミャミャーッ!!!」


派手に吹き飛ぶヴァルゼルド。
何回転も転がり、時にはもんどり返って突き進む。
頂部に必殺を叩き込まれたヴァルゼルドは遠心力を帯びそう簡単には止まらない。スクラップを舞い上げ尚吹き飛んでいく。

ザザーッならぬズギャーッと鉄板と擦れ合った音を立ちあげて、ヴァルゼルドは完全に停止した。




『す、みませんっ………教官、殿……っ』

謝罪するヴァルゼルド。ぶっちゃけ何も被害は被ってはいない。
ヴァルゼルドの今の体勢はさなぎが横を向いて倒れている感じになっている。投げ出されている腕が哀愁を誘う。ちなみに頭陥没してる。
どちらかというと此方の方が申し訳ない立場である。どうでもいいが。

『不覚で………あります…。適応に失敗して……暴走を………本当に…すみません……っ』

「もういいよ!解ったから!!ヴァルゼルドが悪いわけじゃないって解ったから!!」

(…………よくもまぁ、抜け抜けと)

メイメイさんの突き刺さるような視線を心の壁で拒絶する。
さて、茶番はいい加減にしてさっさと行動に移そう。また暴走してもらっても困る。

「ヴァルゼルド」

『………は、い』

「お前俺の護衛獣にするから」

『……………はっ?』









「新たななる誓約のもとにウィルがここに望む―――」


「天地万象……星命流転……百邪万静……破邪龍声……」


「―――今ここに、護衛獣の誓約を交わさん―――」


「王命に於いて疾く、為したまえ!」


2人の韻が終わりを告げると同時に、陣から光が立ち昇る。
メイメイさんが準備したサプレスの魔方陣とシルターンの呪言で編まれたそれは中心――ヴァルゼルドの周りで一際強い輝きを放ち、やがて消えていった。
光が静まるのと同時にサモナイト石が黒光を放ち、そして名が刻まれる。
誓約終了。これでヴァルゼルドは俺の護衛獣となった。

あの後色々騒ぐヴァルゼルドを鉄拳で黙らせた。ヴァルゼルドを中心に陣を作成していくメイメイさんを尻目に俺はヴァルゼルドに消えんでいいと端的に説明。慌てながら成功の是非を何度も尋ねてくるヴァルゼルドをしつこいとあしらっていたが、俺も嬉しさを押し殺せず笑みを浮かべていた。
そして、儀式を執行。メイメイさんの力を借りてヴァルゼルドと護衛獣の誓約を結んだ。

「誓約の縛りで強引に暴走を抑える。………無茶苦茶なこと考えてくれるわね」

無理な注文を受けて儀式の補助に回ったメイメイさんは苦笑しながら呟く。
俺がヴァルゼルドを消えずに済む方法を思案し続け、そして考え付いたのが誓約による縛りを利用することだ。

「レックス」の時「ヤッファ」に聞いた召喚獣に課せられる誓約内容。
召喚獣に結ばれる誓約は、召喚師に反逆するのを苦痛で押さえ込む働きがある。ハイネルを素体とする核識に逆らい続けた為に、「ヤッファ」も誓約による苦痛に体を蝕まれていた。
「レックス」だった当時はとんでもないなと思うだけだったが、今はその誓約の縛りを逆手に取り、ヴァルゼルドの暴走を抑え込む為に利用したのだ。

メイメイさんの言う通り無茶苦茶、というか穴だらけな方法だ。
誓約の縛りは絶対的なものではなく、力の強い召喚獣はこれを抵抗ないし跳ね退けることが出来る。「ヤッファ」が遺跡の意志に逆らい続けていたようことからそれは明らかだ。
また、ヴァルゼルドを苦痛で抑えようにもそもそも痛覚がないので効くのかどうか怪しい所ではある。
まず普通に誓約を結んでも思惑通りにいかないだろう。

そこで、これらの不安要素を取り除く為にメイメイさんに頑張ってもらう。
俺がメイメイさんの「お礼」として要求したのは誓約条件の改変と補強。俺が護衛獣誓約を実行する傍らでその補助を頼んだのである。
誓約の縛りを暴走を事前に押さえ込むリミッター代わりにし、その効果の度を上昇させる。ヴァルゼルドが暴走しようならリミッターと化した誓約が反応して、ヴァルゼルドを正常な状態に無理矢理戻す心算だ。

メイメイさんがそれを可能であるのかがネックだったが………まぁ、このへべれけは無限回廊なる扉を出現させたり平行世界と連絡を取り合えるバンコクビックリショーの塊である。そこまで不安はなかった。誓約した真名を改名する術も扱える所から、召喚術や誓約方面にも精通していることに見当がついていたし。

メイメイさんの協力のおかげで儀式は成功。ヴァルゼルドは消えずに済んだ。
今回ばかりはへべれけ様々である。



「貴方がテコや他の護衛獣と契りを交わさなかったのも、まさかこのため?」

「ああ。譲るわけにはいかなかった」

「なんとまぁ………」

この方法を思いついた時、もう俺の護衛獣は決まっていた。
沈黙してしまったたった1人の『部下』。力になりたいとそう願い、自らの意思で消えた『ポンコツ兵士』。
同じ末路だけは辿らないと、そう決めていた。

陣の中央に佇むヴァルゼルドの元へ向かう。
ヴァルゼルドは俺を見つめ、互いに向き合った。

「過去」からの関係は今日から新しい契りへと変わる。
主と従者。刻まれた契り。
実際はそんなカッコいいものではなく。馬鹿なことを行い、戯れ、笑う、喜びを分かち合っていく。
何の事はない有りふれたモノ。「俺」が望んで止まなかったモノ。

ヴァルゼルドは「ヴァルゼルド」ではないけれど報いようと思う。自己満足であるけれど、ヴァルゼルドに報いようとそう思う。
この絆を手放すまいと、もう二度と失わないと、そう誓う。


『よろしくお願いします、マスター!!』


「ああ」



―――よろしく、ポンコツ。







「どうでもいいけど、テコがぐれて蹲ってるわよ」

「あ」

『え゛っ』


「ミャ…」

「………あー、テコ?別に俺はお前を見捨てたとかそういうんじゃなくてだな?護衛獣の誓約も結びたくなかったとかでもなくて、なんというか、その…………な?」

「…ミュ」

「…………俺達は所謂相棒というやつで、切っても切れない熱い絆で繋がれていてだな?えーっと……」

「…」

『あ、あああ、あ、あの、せ、せせせせせ先輩?だ、だだ、大丈夫でありますか?』

「……………フシャーーーーーーーーッ!!!!!!!」

『ぶぁぁああああぁああぁああああァアアアアアァァアアアァアアアア#$%&¥%¥&#%!!!?!!?!??」




(テコが切れた……)

(前途多難ね…………)


















ウィル(レックス)

クラス (偽)生徒 〈武器〉 縦、横×剣 縦、横×杖 投(Bタイプ)×投具 〈防具〉 ローブ 軽装

Lv14  HP130 MP172 AT72 DF52 MAT88 MDF65 TEC114 LUC20 MOV3 ↑2 ↓3 召喚数3

機C 鬼C 霊C 獣B   特殊能力 ユニット召喚 ダブルアタック 隠密 待機型「魔抗」 アイテムスロー(破)

武器:ガチンコサーベル AT40 LUC5 CR20% (ブラインニードル AT38 TEC8 暗20%)

防具:empty

アクセサリ:手編みのマフラー 魅了無効 DF+5 MDF+4


8話前のウィルのパラメーター。
レベル14において遂にTEC100オーバー。ランクアップしていないにも関わらずこの数値。前世はニュータイプといった方がよっぽど真実味がある。
前回のパラメーターと比べてあまり変化はないが、本来の「ウィル」と比べてやはり全体的の能力値は高い傾向にある。LUC以外。

特殊能力に待機型「魔抗」とアイテムスロー(破)を新たに習得。
アイテムスローはジルコーダ戦でカイルにミーナシの滴を投擲した際に生まれた産物。ちなみにダメージ判定がある。ATに基づいた従来の判定が行なわれるので、回復量が半端なアイテムの場合、ダメージが上回る恐れ大。全くもって使えない。だが攻撃においてはアイテムの組み合わせによればとてつもない効果を発揮。マタタビ団子とのコンボは外道の一言に尽きる。あと清酒・龍殺し。酒ビンを投げる絵は極悪のそれである。

アクセサリには手編みのマフラーを装備。何だかんだで気に入っている様子。

暇を見つけては酒及びアイテム調達の為に島の悪行召喚獣を適度に張り倒していたりする。
単独行動なのでテコとユニット召喚は必須。ユニット召喚で呼び出される比率が高いのはぶっちぎりでライザー。召喚する度に必ず自爆をさせ相手の数を削るのに重宝している。
『コードロレイラル 反逆のライザー』近日公開。




ヴァルゼルド

クラス 機械兵士 〈武器〉 突×ドリル 射×銃 〈防具〉 装甲

Lv14  HP150 MP73 AT88 DF84 MAT51 MDF46 TEC61 LUC50 MOV3 ↑2 ↓3 召喚数1

機C   特殊能力 スペシャルボディ

武器:ネオクラシカル AT68

防具:メタルコート DF24

アクセサリ:empty


8話前のヴァルゼルドのパラメーター。
いくら攻撃を受けようが構わず高火力で相手を粉砕することを目的としたアセンブリ。「目標を容赦なく叩きつぶす」という信条を持っているとかいないとか。元来の高いDFに防具随一の鉄壁を誇る装甲を装備するので正面からの打ち合いでは敵無し。正にガチタン。でもガチタンのくせに普通に動きはスムーズ。出来そこない等とは言わせない。ていうかキャタピラ履いてない。

物理攻撃には滅茶苦茶強い一方で、召喚術にはべらぼうに弱い。どこぞのヨロイ騎士よりも弱い。お前それで生きていけるのかというくらいに貧弱。召喚術の囮など任されたら最後、塵と化す。明らかに誓約を結んだ相手を間違えている。然もあらん。
また張りつかれるとTECがあまり高くない為に横切りのいい的となり、力を思うように発揮出来ない。ガチタンの宿命か。だが浪漫(ドリル)装備すると近接は一撃必殺。パイルバンカーも真っ青である。

護衛獣になってからテコに目の仇にされている。彼に安息の二文字はない。ただ度重なるテコの襲撃に次第に、本当にちょい、免疫が付いていく。遠い未来、ねこを克服した暁には最強の機械兵士誕生の予感バリバリである。




本編とは直接関係ないが、補完の意味合いを兼ねて「レックス」の歩んだ軌跡を公開。
今回は3~4話。


朝起きて船長室に集合。カイル達が船を襲った理由を含め「剣」の説明を受ける。
無色の派閥が保管していたと聞いた辺りからオイ冗談じゃねーぞと思い始める。ヤードが全ての元凶と解り詰め寄ろうとするが、その前にアリーゼが切れてタイミングを失う。そのまま切り出せず集まりはお開きとなってしまう。
解散した後ヤードの所に向かい「剣」から怪しさ抜群の声聞こえたり何より所持していると死亡フラグ全開だからと言って返そうとする。資料にも載っていなかったレックスの発言の内容が気になったヤードは「何かまだあるかもしれないからまだ持っていて欲しい」と至極当然なことを頼む。それに対するレックスの返事は首に叩き込んだラリアット。曰く、「いい加減にしろ貴様」。マジありえねーと呟きながら、白目向いて倒れたヤードを放置した。

ソノラに釣りの許可を貰いアリーゼと共に海へ向かう。宝箱が釣れた際には自分の目を疑った。大漁の魚を持って船へ戻るとまた直ぐに会議が開かれる。
この島に人が住んでる可能性があるから探険すると言われ、これまで遭遇したはぐれの数からもこの島は異常だと悟っていたレックスは速攻で拒否。アリーゼの授業をしなければいけない、俺はこの娘の家庭教師だ、と実行する気などさらさら無かったことを抜け抜けと言ってのける。力説(行くまいと必死なだけ)するレックスの姿を見てアリーゼの好感度が増したりした。
結局カイルに強引に参加させられ、更にカイル達の言う灯りのいずれかを選ぶことになる。ヤードの言う青い灯りは置いといて、これ召喚獣の属性ではないかと堪付きカイルに一票。カイルにさすが見る目があると誉められるが、ただ鬼妖界の連中ならまだ話が通じ合うだろうと打算してのこと(鬼妖界には人間も存在する)。戦いたくないだけだった。そしてこの選択により、うんことの深い因縁を決定的なものにした。

赤い灯りの出所に向かうレックス一同。鳥居を目にした瞬間、自分の予想が間違っていなかったことを確信する。瞬時に逃走するがカイルに捕まる。
何ビビってんだよとニヤつくカイルをウザイと思いながら、はぐれに囲まれてると忠告。そしてすぐに戦闘に突入。雪女が放ってきた氷結攻撃を、まだ側にいたカイルを使って防御。粉砕するカイル。敵味方問わずその場の時が止まる。抜剣。蹴散らした。
帰ろうとしたがキュウマが現れ止められる。もう勘弁して欲しかったが、ソノラ達が相手の話を聞くべきだと言うので仕方なしに付き合う。目を覚ましたカイルにジャーマン・スープレックスをもらった。

集いの泉で島の事情を聞き普通に退散。どの護人の後も追い掛けなかった。選択肢の存在すら無かった。
夜アリーゼに説明、森が爆発、部屋に閉じこもる。カイルに見つかり連れて行かれる。ここら辺から強制参加が不動のものになる。

帝国軍の姿を見て腹が痛み出し、不調を訴えるが既にこの時点でシカトされる。目から心の汗を流しているとキュウマにどちらに味方するのかと問われる。何で俺に聞くんだよ日焼け忍者と内心愚痴りながら、助けてやるから船直すの協力しろと条件を突き付ける。人として終わっていた。
カイル達に袋叩きにされ後、戦場に放り出される。既に瀕死の状態で更に頻りに痛む胃のせいで満足に戦えない。しぶとく生き残っていたが召喚術の一斉射撃に倒れた。シャレになっていない威力(帝国召喚兵も何故か暴発したことに驚く。しかもそれにも関わらず標的に吸い込まれていった)で、素でカイル達も顔を青ざめた。1人の命が失われた………が、「剣」により復活。「■■■■■■■■■■■■ーーーーーーーーー!!!!!!!」とか叫びながら帝国軍を瞬殺した。
お前人間じゃねえだろとカイルに言われる。俺もそう思うと泣きながら答える。

夜会話でヤッファ出現。「花の首飾り」貰う。ヤッファの好感度上昇ではなく、逆にレックスのヤッファに対しての好感度が上がる。何でも袋叩きの光景から一部始終見守ってて気の毒に思ったらしい。「まぁ、気にすんな……」の慰めの一言が何よりも辛かった。


一夜明け、早朝。働けと強制労働させられていたらへべれけに遭遇。なんか本貰う。
船に戻り、俺は家庭教師だと口にしてしまったので仕方なしに授業を始める。給料分の働き位してみせようとはりきり、進度も早く内容も濃いスパルタ形式になる。だが自称女性のジェントルマンなので常にアリーゼに気を使う。無駄な所でハイスペックを発揮する。ついていくのに精一杯だったアリーゼだったが、レックスの手を抜こうとしない姿勢や真剣に自分と接する態度により非常に満ち足りた時間を過ごす。レックスの教えにしっかり応えようと以後勉学に超励む。スーパーアリーゼ成立フラグが立った。

マルルゥに遭遇。呼び出しに氏名されていることに何でやねんと嘆く。カイル達全員に同伴を断られ、なんかいいように利用されてると思いつつしぶしぶ集いの泉に向かった。見せ物にされると言われて思う所もあったが、マルルゥの姿に癒されまぁいいやで済ませる。集落の巡りは何の問題なく終了。アルディラとミスミの挨拶の時だけ気合いを入れた。
ちなみにラトリクスに来た際にマルルゥの目を盗んで辺りを散策。何か使える道具はないだろうかとハイエナの如く嗅ぎ回る。そしてとある区画の倉庫に侵入し、ゴムボートを発見する。監視カメラ、センサー全てをやり過ごしゴムボートを運びだした。人の為す技かと疑いたくなる程の動きだった。

集いの泉に戻り、野党討伐参加を要請される。メンドイ思ったが、どうせ直ぐにオサラバするからこれくらい引き受けてやるかと快く承諾。不自然過ぎる程の清々しい笑顔だったが、その誠実な態度に護人の好感度が上がる。これまであんまりレックスと接していなかったファリエルは普通にいい人だと思い込んだ。

翌日。昨夜からの討伐ノリノリのレックスの態度にカイル達は訝しみながらも野党の元へ向かう。ジャキーニ一家に率先して話し合いを持ちかけるレックスだったが、話が通じないと判断すると直ぐに敵の殱滅を選択。機嫌がすこぶるいいレックスは己の能力を遺憾なく発揮。その統率力、指揮能力を以てして3分で戦闘を終了させた。そんなレックスの姿を見て信用しきったキュウマ達に島の住人の一員として認められる。本人からしてみれば全くどうでもよかったが、ノリでヤッファと熱い握手を交わす。ジャキーニ一家の処分を任され、普通なら奴隷になれくらい言ってのけるが、これもどうでもいい事だったのど適当に畑仕事を命じた。
夜、島の脱出を決行。運んでおいたゴムボートにありったけの食料と水を積み島を後にした。機嫌良すぎて鼻唄かますレックスだったが、島を出て5分で嵐に見舞われる。ゴミ屑のように吹き飛ばされた。



[3907] 8話(上)
Name: さもない◆8608f9fe ID:94a36a62
Date: 2009/04/24 20:14
「よし。いくぞ、ヴァルゼルド」

『…………は、い』

「……頼むから此処で機能停止しないでくれよ」


ヴァルゼルドと護衛獣の誓約も無事に終わり、俺とテコ、ヴァルゼルドは中央管理施設に向かっている。
メイメイさんとは既に店の方へ戻り、今は俺達だけしかいない。

敵意全開でヴァルゼルドを睨んでフーフー言ってるテコを、どうどう言って胸に抱きとめる。
こうして捕まえておかないと、またヴァルゼルドに飛び掛りかねない。メイメイさんの言う通り前途多難だな。

「ヴァルゼルド、お前今からすぐに修理してもらったとして、戦えるか?」

『はい、戦闘可能であります。例え修理を受けなくてもこの損傷の程度なら問題ないかと』

軽微でもありませんが、と付け足すヴァルゼルドにふむと相槌を打つ。
戦力としてのヴァルゼルドは心強い事この上ない。機械兵士特有の高い守備力はそう簡単に突破されなるものではないし、銃による射撃は正確無比。ドリルの威力など計り知れないものではない。風穴が空く、風穴が。

ヴァルゼルド自身がこう言ってるのだから今日中の戦闘に参戦させても平気か。この世界ではどういう展開になるのか断定出来ないが、「俺」の時のような流れになることを覚悟しておいた方がいいだろう。もしくはそれ以上の展開。
みんなに「俺」の知っている情報を話せないだけに、何か動きがあってからではないと手の打ちようがないのが歯痒いが、仕方あるまい。

火事云々が起きたという情報は聞いてないからまだ平気だとは思うが、予想外の事が起きるとなると状況はいくらも変わってくる。
さっさとヴァルゼルドの修理を終え、起きるやもしれない事件に備えておいた方がいい。

中央管理施設のドアをくぐり、アルディラの元へ足を運ぶ。
後ろでヴァルゼルドがガシャガシャと立てる足音を聞きながら、こいつをアルディラやクノンが見たらどうなるかなーと笑みを零す。2人して呆然とする顔を想像し可笑しくなる。
しかし、ふと頭に過ぎったが、もしアルディラがヴァルゼルド見て目を血走らせたらどうしよう。解体させてとか言われたら俺に止める術はないぞ………。Uターンした方がいいだろうか。

今の自分の行動に途轍もなく疑問を感じ始めたが、気付けばもアルディラが籠っている部屋の前に辿り着いてしまっていた。
暫く扉の前で立ち止まったが、ええいままよと足を踏み出す。何時かは通らなければいけない道だ、遅延して何になる。今ここで終わらせてやる。

後ろのヴァルゼルドに手を合わせる想いで入室。
アルディラを探す………が部屋の何処にも見当たらない。はて、と首を傾げていると、クノンが部屋の奥から姿を現した。

「おはようございます、ウィル…………機械兵士?」

俺に挨拶をしてきたクノンだったが、ヴァルゼルドを見て目を僅かばかり見開いた。
予想通りのリアクションあざーっすと思いながら、挨拶がてらヴァルゼルドのことを紹介していく。

『形式番号名VR731LD、強攻突撃射撃機体VAR-Xe-LD。親しみを込めてヴァルゼルドと、そう呼んで欲しいであります!』

「ほら、前に電子頭脳とかバッテリーとか借りに来ただろう?」

「合点がいきました。あれはこの機械兵士の為だったのですね。…………それにしても、私以外に高度な会話機能をもつ同胞がいたなんて……」

いや、まぁただポンコツなだけなんですけどね。寝言言っちゃうから、この子。
クノンの様に真面目すぎるのもあれだが、コレのようにいい加減過ぎてもダメだと思う。バランスが大事ですね、バランスが。
強い衝撃でたまたまこうなったと面白可笑しく伝えようとしたが、クノンは眉尻を下げて何処か悲しそうな顔していた。

あれ、と不思議に思ったが、次には感情の薄い表情に成っていた。
目をこすってクノンの顔を見詰める。別段変化はない。いつものクノンだ。錯覚か?
俺の視線に気が付いたのか「どうかしましたか?」とクノンが尋ねてきた。やっぱ気のせいかと自己完結し、用件を伝える。

「クノン、アルディラはいないのか? ヴァルゼルドの修理を頼みたいんだけど」

「アルディラ様はアティ様とお話をしています。内密の事のようです」

「内密……?」

何だ、一体? というか、内密というからには今アティさんとアルディラは2人っきりなのか?
やばくないかと内心汗を垂らす。アルディラがまた「剣」に干渉する可能性がある。まだ「剣」の気配は感じられないが、何時そうなってもおかしくはない。
アルディラのことを真っ先に疑っている自分に嫌気が差すが、今は置いといて俺も二人の元へ向かった方がいい。クノンにアティさん達の居る場所を聞き出そう。

「クノン。先生達は今何処に「大変ですよ~~~~~!!」って、マルルゥ?」

だが、その直前にマルルゥが慌てて部屋に飛び込んできた。
此処に来るなんて珍しいと思い、だが次にはマルルゥの様子から何かが起こったのだと悟る。

「メガネさんは何処に居るですか~!? 大変なのです~~~~!!」

「マルルゥ、落ち着いて。何があったんだ?」

「それが火事なのです! 火がボーボーなのです!!」

……イスラか。
もはやこれで「俺」の知っている記憶通りに事が動くのはほぼ確定した。結局はこうなるのか。

マルルゥから事情を聞き出す。風雷の里とユクレス村の二箇所で火事があり、今はもう鎮火したそうだ。マルルゥはヤッファにアルディラを連れて来るように頼まれたらしい。

「マルルゥ、アルディラ+1は僕が呼びに行く。先に戻っていて」

「わかりましたのです」

「クノン、悪いけどヴァルゼルドの修理の方頼んでもいい? 出来ないならいいんだけど」

「いえ、アルディラ様より同胞の修理に関しては教わっております。私単独でも可能ですので引き受けましょう」

「ごめん、世話かける。あと、ありがとう」

「いえ」

『マスター』

「しっかり直してもらえよ、ヴァルゼルド」

『はっ! マスターもお気を付けて!』

「ああ」

お気を付けるような展開はご免だが、と呟いて俺は部屋を後にした。




クノンに教えてもらったアティさん達の居場所は電波塔。
俺も数えるくらいしか入ったことのないこの建物は、機能の殆どが死んでいるので、誰も用など持ち得ず寄り付くことはない。まぁ、ラトリクス自体に他集落の人達はあまり足を運ばないのだが。
兎に角、此処ならば確かに秘密の話をするのに打って付けだろう。

だが、どうしてかね?
呼びに来た俺を除いて此処にはアティさんとアルディラしか居ない筈なのだが…………何故、第三者が此処にいる?


「何をやってるんだ、イスラ?」

「っ!?」


電波塔の最上階に位置する唯一設けられた部屋。
階段を上りきれば、すぐそこが塔の管理室。通路を進んで直角に曲がれば程なくして辿り付ける。
そしてその曲がり角。部屋の内部から死角になる位置に、イスラはいた。

色々な機器が置かれているその管理室からアティさんとアルディラの話し声。耳を澄まさずとも聞くことが出来る距離だ。
ドアが備え付けらていないそこは意図も簡単に入室できて、容易く中の様子がが窺える。
壁に体を添わせ、アティさん達を窺うようにして覗いていたイスラは俺に振り向いた。

「ウィル………」

「盗み聞きか? だったら感心しないな。趣味が悪い」

イスラは驚きを顔に張り付かせ、一方の俺は何時もと変わらない態度で彼女を前にする。
すぐに、背を向けていたイスラは俺と向き直った。

音もなく、そして一瞬で為したその動きは、目の前の人物はただの記憶喪失の少女ではないということを暗に告げていた。笑顔で子供達と遊ぶ何も知らない娘ではない、その身を生臭い戦場や闇に置く存在だと、そう告げている。

今更、だな。
日常の中で時折見せる体捌きでもうそんなの解っていたことだ。普通ではないのだと。
ただほんの少しの希望に縋ってみただけ。もしかしたらと都合の良い考えを抱いていただけだ。期待してやっぱり叶わなかった。それだけ。
ああ、ホント、残念だ。

「話が聞きたいのなら堂々と出て行ったらどう? そんなコソコソ隠れていたら誤解されるよ」

「……………」

「出て行くのが躊躇われるっていうんなら僕も付いていくよ。先生達と一緒に今までのことひっくるめて話をしよう」

「……遠慮させてもらうよ」

「理由は?」

「………………」

イスラは答えない。ただ俺の顔を見詰めるのみ。

その顔は見た者に寒気を感じさせるものではなく、感情を殺して無表情に徹したものでもなく。
笑っているでもなく、怒っているでもなく、睨んでも、悲しんでも、悔しんでも、冷たいのでも、喜んでもいるのでもない。
ただただ、イスラという少女の顔だった。普通の、何も考えてなそうな、ありのままの顔だった。

互いの視線が交差し、沈黙が俺達の間を支配する。片時も目を逸らすことなく相手のみを互いの瞳に映した。

それは僅か一時で、刹那だったのか。
確かなのは俺達が体感していた時間は回りの一切と切り離されていたものであり、永遠とも思えたそれは在りえる筈のない、虚構だったということ。


「動かないで!!」


その一言で、俺達の世界は幕を下ろし、打ち破られる。


「いくら気配を隠そうと、ベイガーのセンサーは誤魔化せないわ! さぁ、其処から出てきなさい!」

壁の向こうから甲高い警告が発せられる。
俺を映していた漆黒の瞳は惜しむようにして逸らされ、そして次には、変貌した鋭い眼差しが壁の向こうへ注がれた。

「――――――」

壁に向けられた掌。それは壁越しの警告主へと向けられたのは明らかだった。
息も声も発することもなく、イスラはそれを放った。

「?! っ、ぅあぁああああぁああああっっッ!!!!」

「なっ、アルディラッ!?」

「っ!!」

まるで血の様な、紅い、魔力。
つんざかんばかりの音が鳴り響き、アルディラの絶叫が木霊する。
アティさんは叫び、俺はその見に覚えのある魔力光に目を奪われた。
イスラは、その一瞬を突き、俺の後ろにある階段へと駆け出す。

迎撃は、出来た。
目を奪われたのはたかが一瞬。向かってくるあいつに投具を抜いて押し止めることは可能だった。
だが、しなかった。ただの気紛れか、俺を見詰めるその瞳がそうさせたのか。
まぁ恐らくは、なんとなくだ。

そして、すれ違いざま。
小さく呟くようにして、はっきりとその言葉を残した。


「ごめん、ウィル」


それを俺の耳に届け、イスラは階段へとその身を消していった。

「……………」

今の謝罪が一体何を指しているのか俺にはよく解らんが……


「謝んな、バカ」


……何故か、嬉しかった。
裏切られたモノがあったが、偽りではなかったモノも確かにあった。
何てことはない、些細な事柄だが。


自然と笑みが零れた。





「このっ……!! スクリプト・オン!!!」


この時までは。


「でえええええええええええええぇぇぇっ!!?!?」


アティさん達に顔を見せようとしたその時、何かとんでもない魔力の塊が俺に向かって激進。

着弾。

爆発。

喰らったら唯では済まされない爆音が起こり、俺の頬を魔力の残滓が撫でていった。
紙一重で飛び退いた俺は頭を両手で抱え込んだ体勢で硬直する。
掠ったよ。今本当に……カスッタヨ?

「ウィ、ウィル君!? 君が此処にいたんですか!?」

「…………エエ、マァ」

「如何して此処へ?」

硬直が抜けきっていない体と頭の状態で一言二言で説明。
集いの泉に来たれよ。我輩アナタタチ呼びに来た。

「そう、なんですか?」

「………本当にそのようね。センサーに反応はないわ」

納得するアティさんとアルディラ。
死に掛けた俺。


「…………やっぱ謝れ、バカ」



乾いた笑みが漏れた。








然もないと  8話(上) 「卑怯者って実は裏方で苦労ばっかしてる人だと思う」







向かった集いの泉で火災があったとヤッファ達に説明を受け、そのまま現場をカイル達や護人達を見て回る。
風雷の里で最初に火事を発見したのは子供達で、ユクレス村ではジャキーニさん達。迅速な対処もあって被害を広げずただ一部に済ませた。
火は自然に起こったものとは考え難く、放火の可能性が高い。風下にあった集落が狙われたことから、焼き討ち――帝国軍の仕業である。
それがアティさんを含めたみんなの見解である。

アティさんは暗い顔で帝国軍がやったのかと誰に言う訳でもなく呟いていた。
……アズリアがやったことではないと知ればまだ楽になるだろうが、真実はそれよりも重かったりする。またこの人の心労が増えるのかと思うとやるせない。どうしようもないのだが。

その後は空からフレイズが帝国軍を見つけるまで一時解散となった。
集落の人々に注意を呼び掛けたり、情報を集めに行ったり、自分達の家を守りを固めたりとみんなそれぞれに動く。

この後の展開から首謀者まで知っている俺は何をすべきか……。
根拠もないこと言ってもみんな信じてくれないしな。ホントに面倒だ。回りくどいことしなきゃいけないのがじれったい。

ぶつぶつと不満を垂れながら、俺も行動に移った。





集いの泉周辺



「うん……キュウマ」

「ウィル? 何か用ですか?」

危うくウンコ言いそうになったが、かろうじて止まる。
俺の目の前にはうんこもといキュウマ。周囲には俺達以外誰もいない。

おおっぴらなことは言えないが、それとなく仄めかすことを言ってキュウマに頑張ってもらう。
馬鹿ではないが、信じてしまえば一直線のキュウマを丸め込む心算だ。何よりもコイツはうんこ。コレの扱いなどレバーを上げて水で流すようなものよ。容易い、容易い。

「キュウマは帝国軍が見つかったらみんなと一緒に行くの?」

「無論。里に火を放った不届き者共を見過ごす訳にはいきません。打って出て、目に物見せてくれる」

相変わらず固い。そして何より言うことが物騒だ。
敵のことになるとコイツ、途端に言い回しがキツくなるからな。容赦がない。

「……はぁ、これで忍とは笑わしてくれる」

「なっ!?」

いつぞやの物言いを連想させ挑発。

「ど、どういうことですか!? 自分がっ、自分が忍として至らぬとでもっ!?」

「コスプレにしか見えない」

「ば、馬鹿なっ……!!?」

いきなり四つんばいになり唸り出すうんこ。
随分動揺してんやがんな。そんなに引き摺ってたのかコイツ。

「まぁ、落ち着けコスプレ。頭の出来は兎も角、拙者はユーの身体能力だけは忍に足りうると評価してるでござるYO」

「ウィル……!」

救われたという顔をするキュウマ。コイツ今俺の言ったこと解ってないな。

「取り敢えず、僕の考え聞いてくれない?」

「ええ、いいでしょう」

「(立ち直りやがった……) ……放火した犯人、帝国軍の目的が火攻めだとしたら、余りにも効率が悪過ぎると思うんだ」

「如何いうことですか?」

「火攻めをするのだったら混乱を巻き起こすようにもっと派手にやるのが定石。放火したのが二箇所だけなのはお粗末過ぎる」

「!? ………奴等の目的は放火そのものではないと?」

「イエス」

「では、一体奴等の目的は何だというのですか?」

「忍は常に裏を取る…………そうだな、キュウマ?」

じらす。

「……ええ。相手の虚を突く、忍の本質にして極意です」

「それと同じ。帝国軍は僕達の目を一点に向けさせることで、此方の虚を突こうとしている」

「!?」

忍の話持ってきて引き込む。

「討伐に僕達が向かえば必然的に集落の守りは手薄になる。もし、そこを狙われれば………」

「まさか、奴等の目的は!?」

「そう、集落とそこに住むみんなだっ!!!」

畳み掛ける。

「っ!!?」

「恐らく人質を取るか、集落という拠点そのものを破壊するか。真っ向からでは分が悪いからこそ搦手を用いて討つ。……忍の極意、それを向こうも使ってきたんだ」

「くっ……! おのれ、外道ッ!! 里の者達に手を出そうとするとは……っ!!」

あらん限りに歯を食い縛るうんこ。
こうも簡単に騙せると張り合いがない。いや、喰い付いてくるように誘導しているのだが。

「こうしてはいられません! みなにこの事を伝えなければっ!!」

「待てい」

「ぐおっ?!!」

首に巻いてる布引っ張る。

「こっちが相手の目的気付いて里の守り固めたら、帝国軍は今度こそ派手に火攻めをしてくるかもしれないでしょうが」

「げほっ!? ぶほっ、ごほっ、た、確かに………」

「だから、敢えてあちらの狙いに引っ掛かる。アティさん達には何も知らせないまま囮と思われる帝国軍の方へ行ってもらって、此方も別働隊で相手の本命を叩く」

「……なるほど。裏の裏を突くというわけですね?」

「そういうこと。敵を騙すには味方から、だ。 ……そして、誰にも悟らせることのないままこれを実行出来るのは、グレイト・オブ・ニンジャであるキュウマしかいない!!」

「グレイト・オブ・ニンジャ……!!」

なんか感動してる。

「そなたにのみ負担を掛けることは不本意だが……頼む、やってはくれぬか!!」

「御意っ、任されよ!! このキュウマ、里の者達には指一本触れさせぬ!!!」


チョロいな。




「多分、ラトリクスと狭間の領域にはあいつ等来ないと思うんだ。ラトリクスのみんな機械で迎撃装置あるし、狭間の領域のみんなは幽霊とかで雰囲気が怖いし。攻め難かったり薄気味悪い所は人間近寄らないのが心情だから」

「ということは、奴等が姿を現すのは我等の風雷の里か、ユクレス村ということですね。……風雷の里は自分が何とかしますが、流石にユクレス村の方までは手が回りませんよ。集落一つ取っても広いですから」

「分かってる。そっちの方は他の人に頼んでみるから、キュウマは風雷の里にだけ集中して」

「心得ました」

「じゃあ、後はよろしく。僕行くから」

「ええ、では!」

風雷の里へ素早く駆け出すキュウマ。
体術だけはやっぱ見張るね。うん、体術だけ。身体能力に頭の中身が伴っていない。……あいつの便、頭と一緒で固いんだろうな。
下ネタを呟きつつ、俺もその場を後にした。





ラトリクス周辺森林



「もう体の方は平気か、ヴァルゼルド?」

『はい! クノン衛生兵殿の手厚い看護により本機は万全の状態です!』

「ミャ…」

クノンの元へ赴きヴァルゼルドの様子を見に来たのだが、どうやらもう平気のようである。
待たされるようだったら今回は仕方ないと思っていたけど、損傷は激しくなかったので修理の方はすぐに終わったそうだ。
それは嬉しいのだが………テコよ、あからさまに嫌そうな顔をするんじゃない。僕はそんな顔見とうない。ピュアなままのお前でいておくれ。

「よし、ヴァルゼルド。早速任務だ」

『おおっ!本機もやっとマスターのお力になれるのですね!感激であります!!何なりとお申し付け下さい、マスター!!』

「……ミィィッ」

オーバーだっちゅに。それにそこまで大したことじゃないぞ?恐らくすぐ終わるし。
それでもヴァルゼルドのその言葉を嬉しく感じ、俺もつられるような感じで苦笑する。
本当にヴァルゼルドが共に居るのだと改めて実感出来た。多分、こんな光景を俺は望んでいたんだと思う。

そしてやっぱりテコの苦虫を噛み潰したような顔と呻き声がそれをブチ壊しにする。
呻き声は「新入りが…っ!」みたいな響きにしか聞こえない。きっと愛されてるんだろうけど………複雑過ぎる。
頭が痛いが、今は置いておこう。さっさと手を回していかなければ。

「任務の内容は、召喚だ」

『…………召喚、でありますか?しかし、本機は……』

「いや、ただある奴を呼ぶだけ。来るように喚ぶんだ」

互いの顔寄せてごにょにょ伝える。
別に耳打ちする必要なんてないが、まぁそこはノリである。

「任務の内容は以上。質問は?」

『ないであります!』

「ミャミャ!」

「よし、準備」

『了解!』

ヴァルゼルドは空を見上げ、頭部に取り付けてあるセンサー類を起動させる。
顔の中心を囲むように発光するそのセンサーは敵を捉える役割以外にも、ロレイラルの召喚獣達を指揮する機能も持つ。
突撃射撃機体――前衛であると同時にヴァルゼルドは指揮官機でもある。これで中々馬鹿に出来ない機械兵士なのだ。

『目標補足!方位は西南西!』

「でかした!」

南西、というかヴァルゼルドが向いている方向に俺も目を凝らす。
確かに豆粒のようなちっさい物体が空に浮かんでいる。
うむ、あれか。

「よし、やるぞ!」

『イエス、マスター!!』

「ミャーミャ!」

せーのっ


『「犬ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」』

「ミャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」


あらん限りにシャウト。


「あっ、高度が落ちた」

『約20メートルは落ちたであります』

「にゃにゃ」

ガクッと一気に高度を下げる小さい物体。
よく見えんが心なしかぶっ倒れた体勢で落下してた気がする。
こけた体勢で空を急降下するなんて器用の真似するなアイツ。今はこなくそと言わんばかりに再び高度を上げている。

「……こっち来る気配ないな」

『むしろ逆方向に進路を取っているであります』

「ミューー」

シカトか、あの犬め。

『こちらの召喚に応える気はないようです』

「ミャーミャミャ」

「現実を受け止めようとしないとはね。何処までいっても彼は犬でしかないというのに…………はっ、哀れすぎて笑えるね」

『もう一度全員で喚びますか?』

「いや、喉痛い。ヴァルゼルドだけでやって。思いっきり罵ってよか」

『はっ!!』

ヴァルゼルドが方角を修正。
体を沈めて大きく息を吸って、いや吸ってないけど、上体を反らし、言い放つ。


『おい、そこの貴様!!貴様だ、貴様!!ローラーで舗装されてひしゃげたような顔をしているお前っ!!冗談はその顔だけにしてさっさっと此方へ来い、マヌケ!!教官殿がお呼びになられているのが解らんのか、このクソッタレめ!!見るに耐えない青いケツ晒してるんじゃない!!その糞のへばりついたケツを誰かが拭ってくれると思っているのかファッキンウンコッ!!!』


空でずっこけるファッキンウンコ。空中なのにズシャーいって平行に直進してる。
いや、ていうか………

(どういう思考回路してやがる、この機械兵士………)

『何を転がっている糞野郎ッ!!知っているぞ!貴様が女のケツを追いかけてばかりいる節操のない犬野郎だということをっ!!救えないクズだなっ!!そもそも命令に従えない不能者が満足させてやれる筈がないだろう、気付け不能ッ!!!」

ちょ、それはマズイ?!!

『身の程を知れっ!!!このさかりの入った犬「待てぇぇええええぇええぇぇええええぇえええええええぇぇぇえええええぇえぇえぇぇええぇえええええええええええぇぇえええええええええええええええええええええぇエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」』


天使降臨。


この時ばかりはポンコツの暴走を止めてくれたことに感謝した。




「人の尊厳を何ぶち壊してるイル貴様ッ!!!」

『マスター!やりました、召喚成功です!!』

「無視するな機械兵士ぃイイイイイイイイイイイイイイイイイイッッ!!!!!!!!!!!」

(本気で切れてる………)

「ミュー」


「名を名乗れ、名をっ!!スクラップにした後、墓標にその名を刻んでくれる!!!」

『はっ!本機は形式番号名VR731LD、強攻突撃射撃機体VAR-Xe-LDであります!!』

「ラブ(L)堕天使(D)と呼んでやってくれ」

「呼ぶかっ!!!」

『親しみを込めて、ヴ「ラブ堕天使」と呼んで欲しいのであります!!』

「呼ぶかぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」





「やはり貴方が原因でしたかっ………!!!」

「いや、あれは俺のせいじゃねーよ。このポンコツが勝手に言ったんだって」

射殺さんとばかりに俺を睨みつけてくるフレイズ。
目が血走っており本気で堕天使というやつに見える。殺気漲ってるし。黒い。

「ヴァルゼルドー、あれ何だったの?俺もぶったげるほどの罵倒、っていうかスラングだったんだけど?」

『あれは本機のメモリに残されていた語彙集であります。本機体の作成過程で刷り込まれたものかと』

なに、ヴァルゼルド作った奴がこれ記憶させたの?
まさか本当に教官殿なる人物が居て軍隊よろしく吹き込んだんじゃねえだろうな。シャレになってないぞ。しかも何故か否定出来ない。
沈黙する機械兵士達の前で何か色々罵る教官殿…………シュール過ぎる。

『ミッション・コンプリートであります!!』

「…………(ギリッ!!)」

「ゴメンナサイ、後でちゃんと言って聞かせるんでその剣を収めてやってください。ていうか唇噛み切って血を流さないでください」

剣を振り上げるフレイズの前に立ちはだかって何とか諌める。
俺が抑止の役に回らなければいけないなんて。…………ヴァルゼルド、恐ろしい子!!


「………………それで、何か用ですか?品がないにも程がある方法で私を呼んだのです、私を納得させる理由があるのでしょう?」

いや、最初からお前が来てればこんな事になってねーよ。

普通に「ううん、ただ呼んだだけ」と言いたくなったが、流石に命の危険もあるので止めといた。
未だ剣を片手に持つ天使(仮)は何をしでかすか解ったものではない。黒い稲妻は落としてもおかしくはない。

「実は帝国軍を見つけてみんなに伝えた後も、空で目を光らせていて欲しいんだ」

「………それはまた如何して?」

「放火されたのはほぼ同時刻に二箇所、ってことは少なくとも部隊が2つは別れてる訳でしょう?僕達が一方の部隊へ向かったら、残っている部隊が何かしでかすかもしれない」

「ふむ、確かに……」

真面目な顔付きになり、顎に手を添えて考え込むフレイズ。
切実に戻ってくれて良かったと思った。

「ですが、それならば此方も組になって対処出来るようにしていれば良いのではありませんか?」

「その度にフレイズが報告しなきゃいけない訳だから、タイムラグがあり過ぎると思う。下手に人数裂いたら対処しきれない可能性も出てくるし。それだったら確実に潰していった方がいいと思う」

「…………」

「一応キュウマとか、他の人にも警戒してくれるよう頼んである。いざとなったら里の召喚獣達の力も借してもらえば平気だと思うし」

「………そうですね。部隊を別ければその分脅威は低くなる。それよりも大隊で固まっている部隊に力を回した方がいいのは道理。ウィルの言う通り、そちらの方が妥当のようです。従いましょう」

「ありがとう。んで、風雷の里の方はキュウマが何とかしてくれるから、ユクレス村を中心に見て回ってくれない?」

「解りました。では、発見を急がなければいけないので、これで」

「お願いします」

バサバサ羽を羽ばたかせ、フレイズは飛んで行った。
何とかシリアスな方向持ってて意識をそっちの方に向けさせられたな。血を見ずに済んだ。

しかし、意外過ぎる一面というか機能というか。ヴァルゼルドの新しい可能性を垣間見てしまったような気がする。
取り敢えず………

「ヴァルゼルド」

『何でありますか?』

「その記憶してある語彙封印しろ」

『? 封印でありますか?』

「そう封印。優先事項であり機密事項だ。口出しなしですぐにやってくれ」

『了解であります!』


みんなの前でブチまけられたら、汚物でも見るかのような目を向けられるに違いない。






狭間の領域 双子水晶



「マネマネ師匠ー」

『来タカ、ウィル。今日ハワシガ勝タセテモラウゾ!』

「あー、ごめん。モノマネ勝負しに来たわけじゃない」

『ナヌッ?』

周りに幾つもの水晶が連なっている大地に足を踏み入れる。
双子水晶。マネマネ師匠がねぐらとしているこの場所は、狭間の領域全体がそうであるように様々な水晶が広がっている。
太い水晶もあれば細い水晶もあり、その形状は様々だ。また中から生えてくるように木が水晶に絡まっている。
段差が激しいこの領域には珍しく此処は綺麗な平地で、モノマネ勝負をする際に上る石造りのステージが置かれている。
いざモノマネ勝負を始めようとすれば、呼んだ訳でもなく此処の集落の召喚獣達が寄ってくるのだから、中々に此処の住人達は暇をしているようだ。

『ナンジャ、モノマネヲシニ来タノデハナイノナラ帰レ。ワシハ暇デハナイノダ』

「嘘をつけ、嘘を」

俺の姿格好そのままのモノマネ師匠が、しっしっ、と手を振って追いやろうとする。
なるほど、この格好、というかこの人間がお前邪魔みたいな顔すると結構ムカつく。本人にその気がなくても人を小馬鹿にしているようにしか見えない。
この顔でどうでもいいわーみたいなぞんざいな扱い受けるたら、それは腹が立つことだろう。毎日こんな思いをしていたのかアティさん。
よし、もっと酷い扱いをしてやろう。

俺そっくりのモノマネ師匠は姿形は一切変わらず、ただ髪や服、目の色が違うのみ。
髪の色は白で抜剣したみたいに成っている。服は紺の物で目は赤色だ。
前に解ったことだが、師匠が人の姿をモノマネする時は決まって紫色になる訳ではないらしい。霊属性だから紫とかあんまり関係ないようだ。
瞳の色だけが「レックス」やアティさんと同じように、決まって赤に統一されている。

「師匠、お願い聞いてください」

『嫌ジャ』

………この顔、ホントムカつく。

「今度来た時は師匠が気が済むまで勝負するかさ」

『ムッ………』

嘘だがな。

「頼む、お願いします。師匠っ」

『…………ヨカロウ。今度相マミエタ時ハ1日付キ合ッテモラウゾ!』

「よし、では契約成立ということで」

『ウム。シテ何ジャ、頼ミトイウノハ』

「うん、実はファルゼンのモノマネしてそこら辺ほっつき歩いて欲しい」

もうキュウマとフレイズに警戒するように頼み込んだので心配はないと思うが、一応念には念を入れる。
師匠にその巨体で誰もを威圧するファルゼンになってもらって、帝国軍に下手には動けないと錯覚を与えるのが狙いだ。
ファルゼン(ファリエル)の強さは前回の戦闘で痛い程味わっている帝国軍連中は、その姿を見れば迂闊に行動を出来なくなるだろう。
ただほっつき回るだけで十分効果を発揮する筈。

『?? 何故ソンナコトスルノジャ?』

「いや怪しい奴等が今出回ってるみたいだからさ、その見回りがてら相手に好き勝手させないように」

『………メンドクサイノォ』

「言うなって。別に誰かに知らせるとかそういうことしなくていいから。ただ歩き回ってくれるだけでいい」

『ムゥ……。解ッタ、歩キ回ルダケジャゾ。ソレ以外ハ何モセンカラナ』

「うん、それいい。ありがとう」

『………フ、フンッ。別ニ礼ナドイランワイ』

………その格好でそういう反応は止めてもらいたい。
腕組んで目を瞑ってそっぽ向くとか、その振る舞いは激しくNGだ。非常におぞましい。

自分の姿に寒気を覚えるという何か珍妙な体験をしつつ、師匠にスタンバイするようにお願いする。

『言ッテオクガ、ワシハコノ領域カラハソコマデ離レンゾ。月モ出テイナイノニ外ヲ好キ勝手ニホッツクノハ流石ニキツイカラナ』

「ん、解った。別にそれでも構わない」

それはしょうがあるまい。
狭間の領域を出れないことは前もって覚悟していた。俺の中ではこの集落を襲われるごく僅かな可能性を0にするつもりくらいの気持ちだったし。集落から出れるだけ全然マシだ。というか、助かる。

師匠はファルゼンの格好をモノマネする為に、この辺りで一番大きい2本の水晶――双子水晶の裏に引っ込む。
互いに向き合ってるその水晶の裏で師匠はいつも姿を変えている。「レックス」の頃から思ってたが、あの人どうやって姿を変えているんだ。ていうかあの人自身の姿も見たことがない。………ううむ、謎だ。幽霊だからパッと簡単にモノマネしてしまうのだろうか。

『出来タゾイ』

む、相変わらず早いな。普通にそれ隠れる意味あんのか?
素朴な疑問を打ち消し顔を上げる。今更なんだが勝手にファリエルの鎧姿を借りていいものか?
後でファリエルに了承取ろうと思いながら、師匠のファルゼンバージョンを視界に納め、て…………………………


「………ぶっっ!!?!?」


『ムッ?何処カオカシイカ?』


噴き出した俺を訝しんで自分の体を確認する師匠。
ちょ、おま、何処がおかしいとか、いやおかしいけど、存在自体間違ってるっていうか、つーか、何でその格好っ!?


「ふぁりえるっ?!!」


『ン?オ前ガモノマネシロト言ッタデハナイカ、「オ嬢」ノモノマネヲ』


何言ってんのお前、と言わんばかりに横に垂れている髪の毛を掻き上げる「ふぁりえる」。

「テメーッッ!!俺の心のオアシスを汚すんじゃねーーーーーーーーッッッ!!!!!!!」

『ハ、ハァ?』

「その抜けた顔を止めろッ!!!?」

ずびしっ!と、「ふぁりえる」もとい、とんでもないことをしてくれちゃってる師匠を指差す。
ていうか黒い!ファリエルが黒いっ!!黒ファリエルが黒いッ!!!落ち着け俺ッ!!!!

「何でっお師匠さんはファリエルにモノマネしているんデスかっ!!?」

『ダカラ、オ前ガ言ったダロウ。「オ嬢」ノマネヲシロト』

言ってねーよ!?ファルゼンなれ言ったんだよ、ファルゼン!!ファリエルとは一言も言ってねーよッ!!!
ていうか「お嬢」ってファリエルのことですかっ!!?

「師匠、あんたファリエルのこと知ってたのか?!」

『当然ジャワイ。此処ニ居ル者達全員「オ嬢」ノコトハ知ッテオルゾ。此処ノ護人ヲ決メル際、全員ガ認メタカラノ』

そ、そうか。よく考えてみれば、何処の馬の骨とも知らない人物を各集落の代表である護人にする筈がない。
護人になる為にファリエルは霊界の住人達に正体を明かしたのだろう。
そういえば、「俺」に「フレイズ」が決闘を申し込んできた時、「ファリエル」の為に何でもするのが此処の住人達の意志だとか「フレイズ」が言っていたような気がする。
確かに師匠がファリエル知っていてもおかしくはない。おかしくはないけど………

「何だよ、コレは………」

黒ファリエルはねぇよ、黒ファリエルは。
唯一汚れのなかった「ファリエル」とファリエルさえも汚された気分だよ。ふざけんなよ、チクショウ……!!

全身真っ黒という訳ではない。俺やアティさんのモノマネのように肌の色はそのままで真っ白だ。
でも髪が黒い。激黒い。漆黒だ。更には来ている服が灰色と少量の黒で彩られてる。どこぞの悪魔だ貴様。
ファリエルがフォールダウンしてる…………。

『……オイ。何崩レ落チテオル』

「くそ、絶望した……!黒ファリエルに絶望したっ!!」

う゛う゛う゛、とまるで悪夢にうなされたような呻き声を上げながら……というか目の前にいるのはまんま悪夢なのだが……何とか立ち上がる。
顔を上げると呆れ顔の黒ファリエル。貴様ッ、その顔で俺を見るじゃねぇ……ッ!!!
心が、心が痛い。俺のオアシスが、音を立てて崩れていく!!

「くそっ、止めろ!その顔を止めろ!!兎に角ファリエルを止めろ!!」

『何故ジャ。ワシノモノマネハ完璧ジャゾ。オ嬢ト何処モ変ワランデハナイカ?』

完璧だからダメなんだよ、完璧だからっ!
幻想がブロークンする言ってんだよ!!

腰に片手を当て、意義を唱える黒ファリエル。
俺の物言いに不服そうな顔を隠しもしない。こんなのファリエルじゃないっ……。

「いいから止めろ!そもそも俺がモノマネしろって言ったのはファリエルじゃなくて………」

『一体何処ニ文句ガアルト言ウノジャ。動キニモ何モ問題ハナイ』

「……って、オイ!!?」

普通に動けると俺にアピールするようにいつもの調子で踊りだす黒ファリエル。
ちょ、それはマズッ!!?

「馬鹿ッ!!やめい!!ファリエルの格好で踊るなッッ!!!み、み、見っ、見え……っ!!!」

ファリエルの着ている服は、その、もう、滅茶苦茶スリットが深い。
そんな服で踊りなんてしたらっ……!!ふ、普通に、ミエテ……!!

『ウン?』

「……………」

『…………………フフン』

「ひっ!!?」

俺の言葉に首を傾げ一旦自分の体を見下ろしていた黒ファリエルは、意味を察したのか、次には顔を上げて不敵な笑みを俺に向けた。
エモノを狙う肉食獣のような笑み。ファリエルの顔から繰り出されたそれに、俺は堪らず声を上げた。

『色気ヅイタ小僧メ…………。ソンナニコレガ気ニナルノカ?』

「それはMAZUIです!!!?」

俺のすぐ前にある水晶に片足を乗せ、ずいと前に乗り出す黒ファリエル。
スリットから生足を曝け出すその態勢は、き、際どい、じゃなくてっ!エ、エロイ、でもなくてっ!!兎に角ソレハ危険過ギル!!?
見えるから!見えちゃうから!!見えそうで見えないから惜しいって何言ってるオレぇえええええええええっッ!!!?!?!!?


『クッ、ウィルヨ、顔ガ真ッ赤ジャゾ?ソンナニコノ体ニ欲情「何やってるんですかぁーーーーーーーーーーッッ!!!!!!」フギャ!!!?』


俺が湧き起こる煩悩と激戦を繰り広げたり変態と常人の境界線を逝ったり来たりしている内に。

剛腕が、黒ファリエルを吹き飛ばした。

ドジっ娘よろしくな態勢でズザーッと地面を滑っていく黒ファリエル。
どうやら黒ファリエルはドジっ娘属性だったらしい。





「マネマネ師匠!!ど、どうして人の姿で、ウィ、ウィ、ウィ、ウィルに変なことしてるんですかーーーーーーーーーッ!!!!!!!!」

『ヌアッ?!!』

黒ファリエルの耳元で顔真っ赤にして叫ぶファリエル。
鼓膜を破ると言わんほどの叫びが黒ファリエルの脳を揺さぶる。
頭をぐわんぐわんと揺らす黒ファリエル。自業自得だ。

ファリエルが来てくれて本当に助かった。あのままじゃあ素で俺も堕ちる所だった。変態に。
でも本当にギリギリだ。ほんっとうっにギリギリだった。………ギリギリだったんです。
……残念だとか思ってない。思ってないったら…………ない。ホントダヨ。

「わ、私のモノマネは他の人達に知られちゃうから、絶対にいけないってあれ程言ったじゃないですかっ!!そ、それなのに、あ、あんな、あんなっ………!!!」

『ヒッ!!?』

黒ファリエルがさっきの俺みたいになってる。
目に涙を溜めながらワタシ怒ッテマスと言わんばかりに睨みつけるファリエル。元祖大元に偽者が敵う筈がなかったらしい。
ファリエルの背でマナが燃えている。ファリエル、それは不味い。あんた本当に命を削っている。

勘違いでなければ大気が微弱な振動を繰り返しているような気がする。なんか「剣」と同じ現象引き起こしてた。
遂に世界にも干渉したか。やはりファリエル最強っぽい。

『チ、違ウゾッ、オ嬢!!?』

「何がですかっ!!!」

『ワシハタダ、ウィルニ頼マ「シッ!」へグッ?!!』

俺の拳がぶれた瞬間、黒ファリエルは奇声を上げ体をくの字に折り曲げる。
ファリエルの視界の外からぶっ放した魔力フィストは黒ファリエルの脇腹を抉った。

蹲る師匠。突然の師匠の奇行に首を傾げるファリエル。師匠の耳元に口を近づける俺。

(ふざけた戯言抜かしたらまたブチこむぞ)

(キ、キサマッ……!!)

(いいか。大人しく言うことを聞け。そうすれば命の安全は保障してやる)

(ホザケッ!貴様ニワシハ止メラレン!オ嬢ニ貴様ノ事ヲ、アラン限リニ貶メテ言イツケテヤルッ!!)

(いいのか?バラすぞ、フレイズに)

(!!? ナ、ナニヲ言ッテ………)

(お前、一時期フレイズに化けて此処の集落でやりたい放題にしていただろう?)

(ナッ!? 貴様ガ何故ソレヲ知ッテイルッ!!?)

(私が知っている理由などどうでもいい。それより如何する?フレイズは身に覚えのない襲撃を今も度々被っているのだろう?)

(クッ…!)

(私がばらしたらどうなるか…………解らないお前ではあるまい)

(ッ……!!)

(契約成立だな。………いいか、私を全力で見逃せ)

(………ワカッタッ)

(あとファリエルじゃなくてファルゼンでほっつき歩け。間違えるな、そこ)



契約を結んだ俺は、師匠から離れてファリエルに助けてくれたことにお礼を言う。
俺がファリエルのことについて師匠と話をしていたら、いきなりモノマネしてあんな事をしてきたと話をでっち上げた。
師匠はファリエル(ファルゼンアーム)の拳骨を頂いていた。いい様である。

取り敢えず、師匠に動いてもらう為にファリエルを連れてそこから離れた。
まだ言い足りない様子のファリエルであったが、俺がもう気にしてないからと伝えてなんとか怒りを静めてもらった。

何か滅茶苦茶疲れた。もう色々と手を回す為だけの時間がない。本当にやってられない。
大きく溜息を吐きたい衝動に駆られながらも、俺はファリエルと暫く会話を交わした。



ちなみに後日、黒ファリエルならぬ黒ファルゼンが出現したという話が島全体に広がる。
正真正銘の死神騎士の登場に、島中が一旦パニックに陥った。
ファリエルは素で護人達に事情聴取を受けたらしい。
勿論師匠は報いを受けた。それはもう派手に受けたらしい。暫くの間、双子水晶は静寂に包まれることとなる。
然もあらん。




「あー………(本物の)ファリエルと会話出来て本当に嬉しい。素で喜ばしい」

「………ええぇっ!!?」









風雷の里 鬼の御殿



「ええい、帝国軍め!里に火をつけるとは、腹立たしい!!こうなったら、わらわ直々に赴いて切り捨ててやる!」

「ぜひ」

「おお、そなたはそう言ってくれるか!」

ファリエルと別れ、最後に向かったのがミスミ様のお屋敷。
今この場に居合わせるのはミスミ様と俺の2人のみで、座敷に座って体を休めながらミスミ様との会話を楽しんでいる。
手を回す必要もなく有事の際には駆けつけてくれると思うが、一応ミスミ様に刺激を与えておくのも兼ねながらの会話。
ここ最近此処に来ていなかったので、それを含めればちょうどいい。

「ミスミ様を遊ばせておくのはもったいないと思うのが正直の本音」

「解っておるではないか。そもそも、里の危機にこうしてわらわが何もしないでおるのがおかしいのじゃ!キュウマはそこいらの事がさっぱり解っておらん!!」

握り拳を胸の高さに掲げ、声を高らかにするミスミ様。
中々に鬱憤が溜まっているようである。バトルジャンキーにいかないにしても、島で起きている戦闘をただ見守るだけというのはミスミ様にとって許容出来ないのだろう。
待っている、という行為がとても辛い事だと一番解ってるのも、島の人達の中ではきっとミスミ様だから。

まぁ、キュウマの気持ちも解るけどな。「キュウマ」のあの行動を見てるだけに。……俺の立場からしてみれば、ざけんなの一言に尽きたが。
主君の命に報いる。しかも命懸けで、後先考えず、更には周りも巻き込む。
馬鹿だ。やっぱり馬鹿だ。救えない程馬鹿だ。馬鹿過ぎる。本当に、馬鹿だ。

「…………それだけ、ミスミ様のことを想ってるんですよ」

「それは解っておる。じゃが……」

「あと、ミスミ様が戦に出て、此処で待つことになるスバルのことも」

「む…………」

キュウマの弁護、という訳ではないが取り敢えず口にしといた。理由はない。ノリだ。
ミスミ様も待つ苦しみを知っているから、こう言われれば解ってはくれるだろう。

「………ええい、そなたはわらわの味方なのかキュウマの味方なのか、よく解らん」

「もちろんミスミ様の味方ですって」

「……本当かのぅ」

俺の言葉にミスミ様は口を尖らせる。
いつもは高貴な雰囲気を感じさせるが、たまにこういう子供っぽい一面も見せる。

何処かアンバランスな感じで、そして何故か似合っているようにも感じてしまうのが不思議なものだ。
全部ひっくるめてミスミ様の魅力なのだろうが。普通なら男共がこれほどの女性を放ってはおくまい。
これで人妻、未亡人だというのだから世も末である。…………別にやましい気なんてない。

「ミスミ様には戦って欲しいってのは本当ですよ。これは本音。間違いないです」

その分降りかかる危険が減るしね。自分の身が一番可愛いです。
怪我すんのも死に掛けるのもウチはご免じゃけん。至極当然の帰結だ。
勿論このことを口にするほど愚かではない。

「なら、ウィルはわらわの味方ということじゃな?」

「ええ、そういうことになりますかね」

「よしよし。その言葉、しかと聞いたぞ。わらわが困苦している時は必ず力になってもらうからな」

「…………なんかとんでもない約束されてる」

「はははっ!もう遅いぞ、ウィル。後戻りはできぬ」

けらけらと笑うミスミ様を見て俺も頬が緩む。
うーむ、本当にこの人のやり取りは和む。こう接しているだけでひどく落ち着くのだ。
気さくで明るく、見ていてほっとする。このお屋敷の雰囲気もあって何だか自分の家に居るみたいに思える。
いや、本当の家にはアットホーム的な感じの欠片も存在しないが。

先程も言ったように大人びているようで子供っぽい。あっけらかんと笑う無邪気な様は人を強く惹きこみ、好感を抱かせる。
これもまたカリスマという奴なのだろう。前の主の妻とはいえど、キュウマが忠誠を誓うのも頷ける。


「ミスミ」様もそうだったように、何の躊躇いもなく受け入れているくれるものだから、つい甘えたくなってしまう。
母性がありふれていると言えばいいのか。本当に母という文字を体言したかのような人である。

まぁ、他の人と同様に、その、付いていけない趣味というかなんというか……過剰な戦士としての本能的なモノを持っちゃっているのが傷だが。
戦稽古に付き合わされたら死ぬ。斬られる。吹き飛ばされる。あの「うんこ」もチャンスと言わんばかりに加わって本気で命(タマ)狙ってくるので素で危険。いや、あの糞は遠慮なしにボコボコにしたが。

それさえなければ完璧なんだ。命の危険さえなければ完璧な年上の女性なのだ。危機を孕んでさえいなければ………って何よりも致命的な欠点じゃないか。死ぬって何だ、死ぬって。死亡前提かよ。
よく考えてみればこの島に居る女性ってそういう人だけじゃないか?………いい人達のなのに。綺麗な人達なのに。何処か、狂ってる。
何故だ……。

目の前のミスミ様に「彼女」の影を見てしまい少し泣きたくなった。
本当にいい女性(ひと)なのに…………畜生。


「そなたは、わらわに誰を見ておるのじゃ?」

「………え?」

「何故そんな寂しそうな目をわらわに向けるのか、そう聞いておる」

………寂びしいのではなく、嘆いていたんです。
勘違いされてしまっている。ていうかアホか、女性に気を使わせるんじゃない。しかもこんな救えない理由で。
ミスミ様の此方を気遣う顔がキツイ。俺にはこれっぽちもそんな顔を向けられる価値はないというのに……。

「もし、よければ話を聞くが?」

「………いえ、どうでもいい話なので」

素で。

「馬鹿申すでない、そんな泣きそうな顔して。何かあると言っているような物じゃ」

その何かがくだらな過ぎる。いや、確かに死活問題ではあったのだが。

「本当に気にしないでください。僕は大丈夫ですから」

「………………」

ぐあっ!そんな痛ましそうに見ないでっ!?
胸が痛い!胸が痛い!大胸筋辺りがものすごく痛い!!

「わだかまりを吐き出せば、その分心も軽くなる。溜め込んでいては苦しいままじゃ。………泣いていいのだぞ?」

顔を曇らせながらミスミ様は言う。
ていうか最近何処かで聞いたことのあるような言葉である。デジャビュって奴か。

「わらわは子供にそのような顔をさせるのはつらい…………」

「…………………………………」

不味い。この空気は不味い。
非常に重苦しいのに、その実余りにも馬鹿々し過ぎる。
ええい、どうにかしなくては………!!


「ミスミ様!!」


と、音もなくキュウマ参上。

「帝国軍の部隊が見つかったようです!今からみな出陣します!!」

でかしたっ!!

「キュウマ、僕達も行こう」

「ええ!ミスミ様はどうか此処に居てくださいませ」

「あっ………」

これ幸いと立ち上がり、今から戦いに行ってきます的な雰囲気をもっていく。
ナイスタイミングだ、うんこ。褒めてつかわす。

縁側の外に現れたキュウマは俺が立ち上がってすぐに飛び出していった。
俺の頼んだ通りに辺りを警戒任務に就いたのだろう。

すぐに自分も戦時的撤退。
俺も此処から出ようとミスミ様に背を向ける…………が、後ろからひしひしと視線を感じる。
……このまま何もせずに黙って出て行っていいのか。女性を等閑にすると?なんか非常にそれは憚れるような気がする。

「…………ウィル」

お前はそのままでいいのかと、そんな響きを携えた声が鼓膜を振るわせる。
ええ、いいんです。というか勘違いさせてゴメンナサイ。ただ怯えてただけなんです。
危うくそんな言葉が喉から出かかるが、飲み込んだ。激しくこの雰囲気をぶち壊しにする。というかこの雰囲気自体、最初からお門違いなのだが。

ええい、いいから何か言えいっ!!適当に誤魔化すんだ!!


「………………男は、女の前だけでは、泣いちゃいけない」

「……………えっ?」

「だって、カッコ悪いじゃないですか」

「―――――――――――」


「……色々気を使わせてしまってすいません。あと、心配してくれてありがとうございます」

「ぁ…………」

「いってきます」


……クサイ。クサスギル。
恥に耐えられず、俺は足早にお屋敷を後にした。





『男は女の前じゃ泣かねぇんだ』


『格好、つかねぇだろ』



「………………リクト?」










風雷の里 井戸前広場



「あっ、兄ちゃん」

「ウィル兄ちゃんも火事のことを僕達に聞きにきたの?」

「いや、ちゃうちゃう」

広場に居たスバルとパナシェ、そしてイスラに近付いていく。
火事が起きた所とそう遠くない場所にあるこの広場は思っている以上に広い。
ユクレスの広場とは比べるまでもないが、スバル達やその他の子供達が戯れても尚余裕はある程だ。
遊具などはなく、中心には井戸が1つあるだけである。恐らくは火事もここから水を汲んで消化したのだろう。

「此処に居ていいの?ウィル以外の人達、どんどん出ていちゃったけど?」

イスラはいつもの調子のままで話してくる。
普段と何も変わった様子を見せない、ごく普通の態度。
誰もそんなイスラを疑わない。疑う、筈がない。

「まぁ、平気でしょ。僕の1人や2人居なくても。それよりも、スバル。ミスミ様がさっき呼んでたぞ?」

「母上が?」

「ああ。あとパナシェのことも呼んでたな」

「僕もですか?」

「何だろ、学校のことかな」

「一回、2人でミスミ様の所戻ってみるといい」

「分かった。行こうぜ、パナシェ!」

「そうだね。じゃあ、いってきます。イスラさん、ウィル兄ちゃん」

「うん、いってらっしゃい」

「ん」

「またな!」

走って広場を出て行くスバルとパナシェを見送る。
やがてこの場には俺とイスラの2人だけとなった。

お互いに顔を合わせることもせずに、ただ時間が過ぎていく。
空の方に目を向ければ怪しい雲が立ち込めてきていた。嫌な色のそれは群れるが如く、此方に押し寄せてきている。
一雨来るのは明らかだった。

「で、ウィルは如何したの?もう用は済んだんじゃない?」

「そうだな。もう用はない。ただ此処に居たいだけだから、気にしないでいい」

「ふ~ん。………とかなんとか言っちゃって、実は私に何か用があるんでしょう?」

楽しそうに、イスラは俺にそう尋ねてくる。
何の大したこともない、人をおちょくってくるいつもの笑み。

「私と2人っきりになるまで言おうとしないってことは…………もしかして、デートのお誘いかな?」

「いや、ありえない」

即答する。

素の顔で言い切った俺に、イスラは笑いながら頬を引くつかせる。

「言うの早過ぎるんだけど………。何かこれはこれで腹立つなぁ」

「さいで」

「さいだよ」

むぅと顔を顰めながら、イスラは此方に歩み寄ってくる。
元々大した距離じゃない。すぐに俺とのイスラの間は無くなった。

自然な動作でイスラは自分の手を持ち上げて、その手を俺に差し出してくる。
その顔には相変わらずの笑み。しかし同じ笑みではあるが、それは確実に以前のイスラの笑みとは一線を画していた。
目だけを見ればそれが笑みなのだとは間違っても思わない。そこにあるのは一種の凶器。人を威圧し有無を言わせない力がある。

差し出す、といった表現も間違っている。
手を俺に差し出しているのではなく、突き出されている。その手に握られているのは、こちらは正真正銘の凶器だ。
前に見た短剣が、俺の眼前に置かれていた。

「じゃあ、私のデートの誘いは受けて貰える?」

「ちなみにデートとのたまうその心は?」

「私なりのお願い、かな?」

「ナイフ突き付ける脅迫がお願いだと言うのならお前の神経はひん曲がっている。病院行け、病院」

「もう散々クノンのお世話になったから病院は間に合ってるかなー。ま、確かにお願いとは言わないかもね」

そう言って、イスラはにこっと俺に笑いかけてくる。
突き出されている短剣の位置はそのままで、顔だけを満面の笑みに変えた。
それは、いつか見た時と同じ笑顔。



「付き合ってもらうよ、ウィル」



邪気を感じさせないそれは、ムカつく程に可愛かった。





女は魔物だと、何処の誰が言った言葉だったか。



[3907] 8話(中)
Name: さもない◆8608f9fe ID:94a36a62
Date: 2008/11/22 11:28
「自分のしたことには責任を持つ。決して誤魔化したり逃げたりしない。誰かさんの口癖でしたよね?」

「さてな……」


フレイズさんが帝国軍を発見したとの連絡を受け、みんなで集まったのがつい先程。
今まで帝国軍の前に立って進路を邪魔している形になっていた訳ですが………。

火をつけたのは貴方達かと尋ねた時のアズリアの顔、それを見て火をつけたのは彼女達ではないと確信しました。
アズリアが関係のない島の人達を巻き込むとは考えられない。何より、こんな人数で隠れながら火をつけるのはまず不可能です。何処かで誰かに見つかってしまう。

おかしいとは思いました。
目の前の利益を優先するのがまともの軍人の在り方だと、昨日アズリアは言いましたが、それでも放火しただけというのは不自然です。
放火の混乱が収まった後じゃあ火をつけた意味が何もない。そしてアズリアが意味のないことをやる筈がないんです。利益とかそういう以前の問題。アズリアが言っていた軍人としての誇りにも反する。

つまり、これはアズリア達ではない別の何者が火を放ったということ。
更に踏み込んでしまえば、その何者かはアズリア達がやったと見せかけようとも…………

「アティ」

「っ! な、何ですか、アズリア?」

突然掛けれらた声に反応し、思考の海から意識を引き上げる。
道を開けた私達の前を通り過ぎたアズリアが、此方に振り向いていた。

「昨日の戦闘において、お前達の戦術展開について聞きたいことがある。答えられなければ答えなくていい」

「えっ………」

突然のアズリアの申し出。
それが何を意味しているのか、何故そんなことを聞くのか解らなかった。

「あの戦闘の指揮或いは作戦を立案しあのはお前か?それとも―――」

それでも彼女が何を聞きたいのか、私は無意識の内にそれを悟った。


「―――あの、ウィルといった少年か?」


「っ!」

答えを思うが先に体が反応してしまい、僅かな体の揺れと動揺を表に出してしまう。

「やはりか……」

「……………」

「あんた、何が言いたいのよ!」

見当がついていたかのようなアズリアの反応。
むざむざ悟らせてしまった私は押し黙ることしか出来ず、代わりにソノラがアズリアの態度に噛み付いた。

「どうもこうもない。ただ私の中にあった確信が確定に変わっただけだ」

「!」

それは………

「それは最初からウィルがやったと信じて疑わなかったということかしら?私達がいるのにも関わらずあの子ただ一人に絞り込んでいたと?」

アルディラが普段より鋭い眼差しで問いただす。
少し刺のある物言いに聞こえるますが、アルディラは普段にも増して冷静にアズリアの真意を見極めようとしている。

「答える義務はない……が、まぁいいだろう。先に尋ねたのはこちらだ、答える義理くらいはある。…………確かにお前達の誰かがあれを講じた可能性は否めなかったが、あの狸……ウィルという少年には前にも痛い目に合わされているのでな。あの忌々しい手口からして大方の予想はついていた」

「前、から……?」

一体どういうこと…………


(狸ってオイ………)

(相応し過ぎるだろ……)

(確かにぴったりなような気がする)

(……盲点だったわね)

(化かされる、といった意味では的を得ているとかいいようがありません)

(ム………)

………アルディラが真面目に思案している傍らでソノラ達がこそこそ話してます。
何かウィル君のこと遠慮なしに言ってるんですけど…………ああ、でもみんなの意見には私も賛成です。激しく同意します。
というか、アズリア、敵の立場なのにこれ以上のない位にウィル君の本性を形容するなんて…………一体何があったんですか?ものすごく同情しちゃいます。というより親近感湧いてきました。

「以前と似たような感覚に襲われたからそう推測したまでだ。…………アティ、その哀れみと慰めを同居させたふざけた目で私を見るのは止めろ。虫酸か走る」

怒られちゃいました。

「……前とは以前にも似たようなことがあったということ?それが必要以上にウィルを警戒している理由?」

「一度の質問には答えた。これ以上話すつもりはない。あとは本人にでも聞けばいいだろう」

アルディラの問いをアズリアは受け付けず、話は済んだとばかりに切り上げる。

「……だが、そうだな。お前の言う通りあれには何度も辛酸を飲まされている。必要以上に警戒、というより警戒せざる得ない」

こちらに背を向けて、アズリアは答えるという訳ではなく独白のように言葉を連ねていく。
アズリアにこうまで言わせるなんて、ウィル君は何をしたんでしょう?確かにウィル君のやること為すことは度々目を見張らされますが。
何かとんでもない事をしでかしちゃったんでしょうか?……否定出来ない。というより簡単に想像出来る。本当に彼、何者なんでしょう………。

「ああ、当たり前だろう。こちらが撤退中に容赦なく背後から大砲を炸裂させる輩をどうして警戒せずにいられる?危うく部隊が全滅しかけたんだ、その元凶が少年だろうが狸だろうが雪辱を晴らすのは当然にして必然だ。脅威を排除するのに何を躊躇う?」

……なんだかアズリアの身に纏う雰囲気がやばくなってます。
というかアズリア、俯きながら笑わないでください。おぞましいにも程があります。あと、それ独り言ですか。
前髪がかかって目が隠れているアズリアは黒いオーラを背負っている。フフフ笑ってます。
こんなのアズリアじゃないです。アルディラやカイルさん達も顔を盛大に引きつらせてじりじりと後退してますし。

今気付きましたがアズリアの制服のあちこちに焦げた跡があります。上着の端の部分が虫食いにあったかの様にボロボロになってる……。
い、いえ、変形してる。新手のファッションですかと突っ込みたいくらい変形してしまっている……!
よーく見ればアズリア以外の帝国軍の人達も同じような状態です。というか、あの人達例外なく黒いオーラ纏ってます……!!


「あの爆音と火薬の臭い……ああ、思い出したよ、思い出したさ。敵の砲撃に晒され、為す術もなく吹き飛んでいく感覚。油断は瞬時に死へと繋がる本物の戦場。濃厚な死の気配……ああ、思い出したとも、あの狸の策略のおかげで思い出させてもらったよ…!!!」


く、黒いっ!?な、何より恐い!!
というか、それウィル君がやったんじゃないですっ!?

「ア、アズリアッ!?そ、それっ、誤解―――!!?」

「畜生の分際で人間に逆らうとはいい度胸だ。潰してやる。跡形もなく粉砕して再起不能にしてやる。生まれてきたことを後悔させてやるぞ……っ!!―――全軍行軍開始ッ!」

「あ………」

行っちゃいました……。もの凄く物騒なこと口走りながら…………。


「……………」

「……………」

「……………」

「……………」

私達の間で沈黙が続く。
そして暫くして、再起動を果たした私達は、1人を除く全員が、ある一点に顔を向けた。


「ソノラ……」

「お前……」

「……………………………」

みんなの視線を一斉に受けたソノラは顔を背けあさっての方を向く。一筋の汗を垂らしながら。

「どうすんだよ、オイ………」

「…………」

「冗談抜きで死者が出るかもしれません………」

「…………」

「因果応報の転換………ここまでむごいモノだったなんて」

「…………」

「ソノラ、あんた後でちゃんとウィルに謝っときなさいよ。でなかったら一生尽くしなさい。………許されるかは解らないけどね」

「…………うぅ」

『……………………』

「ファ、ファルゼン、睨まないでぇ……!」

ぐさぐさとソノラに刺さるカイルさん達の非難。自業自得ですからさすがに同情の余地がないです。
というか、本当にウィル君の生命の危機です。ヤル気満々でしたよ、帝国軍の人達。アズリアなんて目がいっちゃってましたし………。
何とかしないと……。

「……そ、そういえばさぁ、ウィルどうしたの? こ、此処に居ないじゃん!」

努めて明るく振る舞うソノラ。話逸らしましたね。
でも本当にウィル君何処行っちゃったんでしょう?時間もなかったから出発してしまいましたけど。

「そういえば、キュウマの姿も見えませんね」

「ああ、キュウマの野郎は用事があるらしい。俺達だけで行ってくれって来る前に頼まれた」

「用事、って何よ?島に関わる今回の件より優先させなきゃいけない用事って、一体何?」

『……………………』

アルディラがすごい剣幕でヤッファさんを睨み付けます。
ファリエルも無言でプレッシャーかけてます。

「い、いや、何でも忍ばなければいけない事が出来たとか何とか…………」

「何考えてるのよ、あの忍者はっ………!!曲がりなきにも護人でしょうが……!!」

何だかこの頃アルディラ怒ってばっかです。

「ねぇ、キュウマってもしかして………」

「あーー、あいつもまだ若いから汲んでやってくれ……」

何か変な空気になってきました。緊張感の欠片もない……。というか、キュウマさんの扱い不憫です。
というか、あの、みんな?火事のこと忘れてません?

何とかしなければと思い、火事の件は一体どうなっているのかと私はみんなに切り出そうとする。


「一大事です!!」


だけどその前に、血相を変えたキュウマさんがこの場に現れた。

「キュウマ!貴方今まで何処に……!!」

「今はそれどころではありません!」

アルディラの言葉をキュウマさんは切って捨てる。
その迫力に押されアルディラも戸惑い口をつぐんだ。

「何があった、キュウマ」


「謀反です!イスラが、帝国軍に加わって反旗を翻しました!!」


突然もたらされた内容に、この場の空気が一変した。


「なっ!!?」

「……どういうこと?」

「……………嘘、でしょ?」

『………ッ!!』

「おいおい、何言って………!?」

頭がこの状況に付いていけない。
みんなと同じように私も呆然と立ち尽くすしかなかった。

イスラさんが、謀反?裏切った?帝国、軍?

そんなのはありえない、心は頻りにそれを否定している。
だけど、キュウマさんの必死の形相が、それが真実であると告げていた。
動かぬ事実だと、受けとめるしかないのだと悟らせる。


「本当です!嘘などではありません!今イスラ達は境内に陣を引き――――」


そして次の言葉を聞いて、私の心臓は一際高い鼓動を打ち、次にはそれを握り潰すかのような錯覚を伴った。



「―――ウィルを人質として捕らえています!」




雨が、降り始めた。








然もないと  8話(中) 「卑怯者は誰からも理解されない傾向が多々見られる」








「…………」


しとしとと、最初は音もなく降っていた雨が、今は間を置かず、その身を地面に叩きつけて己の存在を自己主張している。
雨宿りをする都合のいい覆いはなく、ましてや傘など持ってる筈もなく、竹林の一角に体をすり寄せるようにして、俺は僅かな雨を凌ぐのみである。
勿論、此処に居るのは俺1人ではなく、見張りなる奴等が囲うようにして居る訳たが。………でなかったらむざむざ雨に濡れるような真似はしないで此処からおさらばしている。

此処、雨情の小道には、今現在俺の他に少数の帝国軍達が駐留している。
里の人達の姿が見えない所から、キュウマやフレイズが上手くやってくれたのだろう。
「俺」の知っている記憶より悪い方向にいっていないことは確かだ。しかし………

「何で此処に居るんですか、ゲンジさん……」

「知らん。知りたいのならわしをさらった奴等に聞け」

被害は0、ってのいうのは無理だったようで。
すぐ隣には帝国軍連中に捕まったゲンジさんが、俺と同じように雨に打たれている。

「一体どんな流れで捕まったんですか?」

「お前さんが此処へ連れられるのは偶然目にしてしまってな。キュウマに屋敷にいくよう言われてたんだが、それを破って………この様じゃ」

「…………ごめんなさい」

「いや、お前のせいではあらんよ。身の程を知らんでつけてきたわしが悪い」

普通に俺が原因のようである。申し訳ない……。
キュウマも御殿とそう離れてない庵に居るゲンジさんなら心配はないと思ったのだろう。
避難を促しただけで注意を払えなかったようである。

結局、人質を俺だけに止めることは出来なかったか。
なるべく「俺」の知っている展開に持っていこうと自分から捕まってみた訳だが、いやはや上手くいかないものである。
まぁ、実際この短時間でやれることなど少なくて一杯一杯だったのだが。自分から捕まったというよりは捕まるしかなかったという感じである。

それでもスバルやパナシェのような子供達は捕まらずに済んだのだ、その点だけでも良しとしよう。
思うように物事が動いていくほど世界が甘くないのは百も承知だから。常時上手くいく筈はない。

「まさかこのような形で捕まるとはな。わし等だけというのが不幸中の幸いか」

「同感です」

ゲンジさんと言葉を交わす。
いつもと変わらない様子でいるのは俺を不安にさせない為か。ゲンジさんの声は普段と同じ音色だった。


「レックス」の際にお世話になったように、ウィルになった今でもゲンジさんには色々気に掛けて貰っている。
前は殴られ投げられ極められるといったお叱りばかり受けていたが。サブミッション(間接技)の数々は老人とは思えない程のキレがあった。ギリギリと間接が絞まっていく感覚は島の暴力の中で2番目に味わいたくない理不尽である。ちなみに1番は「クノン」の注射。

あの時は何故お前のような若造がと、散々愚痴られ呆れられたものだった。
第一印象から教師の形(なり)じゃないと普通に言われた。自覚はあったがはっきり言われるとまたキツイ。自分のダメさを再認識してしまう。
また、教師の教訓を教えてもらう度に血反吐を吐くのはどういう理由だろう。あの頑固鉄拳パンチを繰り出す「ゲンジ」さんは決して教師などという役職に当てはまる人物ではない。

まぁ、そんな「ゲンジ」さんのおかげでこんな「俺」でも教師というものが出来たのだと思う。
島が平和になった後もなんだかんだで学校だけは続けていたし。それ以外はニート炸裂させていたが。


島に漂流して此処へ来た境遇を察してかは解らないが、ゲンジさんは俺に何かと声を掛けてくれる。単に子供好きなのかもしれないが。
ゲンジさんの庵に行けばお茶をいつもごちそうになるし、自分の昔話や経験談をよく聞かせてくれる。悩み事があれば何時でも言いに来いとも言ってくれた。「レックス」の時と態度が全く違って戸惑いもするが……まぁ、子供の役得ということで納得している。
いい人であるのは解りきっていることだし。

「ゲンジさん寒くないですか?ずっと雨に濡れてるし」

「バカタレ。子供が大人の心配をするな。わしより自分のことを気にしろ」

「大丈夫です。僕、雨好きですから」

「お前は何時もそうやって自分のことを等閑にして………。ちっとは子供らしくせい」

「してますよ。現在進行形で子供時代を謳歌してます」

「はぁ。…………若造の言った通りじゃな」

「はい?」

「いんや、何も言っとりゃせんよ」

溜息を吐くゲンジさんに首を傾げたが、何か疲れてる感じがしたので言及はしなかった。というか、コレ呆れられてる?
結局俺とゲンジさんはこういう相柄なのか。


「ったく、あの訳解んねぇ化物のせいでジジイしかさらえなかったぜ」

と、ゲンジさんと会話している中、大きな舌打ちと共にワカメが声を荒げる。

化物――恐らくキュウマのこと――それに襲撃を受けて集落の人達に手を出せなかったワカメは機嫌の悪さを隠そうともしない。
ワカメもそこら辺の兵士より能力は高いだろうが、人質という荷物を抱えている状態ではキュウマに敵わないのは当然だ。逃げてくるのが精一杯だったのだろう。
邪魔されたワカメは暴言を吐き散らし続けていた。

「しかしテメーが此処にいるとはなぁ、クソガキ。ヒヒッ、前の時といいマヌケだな、テメーもよぉ」

来たよ。
いつかは欝憤を晴らす為に矛先を向けてくるとは思っていたが、このワンパターン野郎め。迷惑極まりない。
卑下た笑みを目の前で浮かべるワカメは毎度のことながら邪魔に感じる。この海藻類の笑いは「イスラ」の笑い声の次くらいに耳に残る周波数なので結構ウザイ。

「ちょうどいい、赤髪が来る前にそのスカした面凹ませてやるぜ。ヒヒヒッ!」

スカとか言うな、スカとか。

「貴様、子供に手を振るうつもりかっ!」

「うるせえよ、ジジイ。このクソガキには借りがあるんだ、まとめて返してやらねえと気が済まねぇ」

いや、俺はまだ直接お前に手を下してはいない。

「気ぃ失わねえ程度に殴りまくってやるよ……!!」

華麗に避けまくってやるよと心の中で呟きつつ、ワカメの拳を目で見定める


「何やってんの」


が、それは結局徒労に終わる。
目を細め、静かな迫力を身に纏ったイスラがこちらを見詰めていた。

「イ、イスラ………」

「何勝手に手出そうとしてるの?人質に怪我させて取引台無しにする気?ビジュ、馬鹿?」

「………す、すまねぇ」

「はいはい、邪魔邪魔。どっかいって」

イスラの視線に気圧されたビジュはすんなりとその場がら立ち退いて道を開けた。
ただ冷たさを携えた無慈悲な瞳。島のみんなと接している時には決して見ることのなかったイスラの姿勢。あの無垢な少女のこのような姿、一体誰が信じられるのか。

隣でゲンジさんが息を呑むのが聞こえる。
想像も出来なかったイスラの一面に、ゲンジさんは自身の体を固めていた。

イスラが俺の前まで歩み寄り、同じ目線になるよう体を下げる。
俺は特に反応を示さないでイスラを見返して、そして当の本人は冷たい表情から一転して笑みを浮かべていた。

「ご機嫌いかがかな、ウィル?」

「寒いし冷たい、何より不愉快」

「あははっ、こんな時でもウィルはウィルなんだね。ちっとも何時もと変わらないや」

何が可笑しいのか俺の顔を見つめて笑い声を上げるイスラ。
害意の欠片も感じさせないその笑顔にこちらの調子も狂う。
内心顔をしかめて、やりづらいと感じながらイスラとのやり取りを続ける。

「状況を説明してもらえる?強制的に連れてこられて理解が追いついてないんだけど」

「うん、いいよ。さっきの会話から解ってると思うけど、ウィル達は人質。ちょっとした取引の為にね」

「その取引っていうのは、先生の持っている『剣』?」

「そうだよ、君の先生が持っている『剣』を返して貰うんだ。あれは元々帝国軍の物だからね」

「今更のような気がするけど、その言い回しからするとお前は………」

「帝国軍諜報部所属、イスラ・レヴィノスであります」

にこっと笑顔を作り、手を頭に持っていってイスラは敬礼をする。
抜けた感じを醸し出すふざけた敬礼を見ながら、俺はその素性さえも偽りであることを思って溜息を吐いた。
帝国と無色の二重スパイ。此処での生活も含めれば三つの顔を持っていることになる。本当によくやる。
…………ていうか、レヴィノス聞いたら胃が。

イスラはクスクスと笑う。
はっきり言って毒気が抜けていく。何がやりたい。此方の質問には簡単に答えるわ、態度は何時もと同じだわ。一体こいつが何を考えているのか全く解らん。裏が取れん。
自分の正体を明かせば「イスラ」がそうだったように態度を変えるとか思っていたが、一向にそんな気配を見せない。
確かに纏う雰囲気が変わることはあるが、此方と接する際はこれまでと何も変わっていなかった。

「ねぇ、ウィル」

「なに」

「こっち来ない?私と一緒にさ」

「!」

「なっ………」

「お、おいっ!」

……本当に、何を考えている?

「ちょ、ちょっと待て、イスラ!?」

「何?私、今ウィルと話してるんだけど」

ビジュの呼び掛けに、イスラは顔をそちらに向けようとしない。
返事にも何処か突き放すような響きがあった。

「……そ、そんなガキ邪魔になるだけだぜ。わざわざ入れる必要なんてねえじゃねえか。それに、勝手な行動しちまって………い、いいのかよ?」

「………命令違反ばっかしてるビジュが勝手なことするなって言うの?全く説得力ないんだけど」

「うっ……、いや、それは………」

目だけを動かしイスラは横目でビジュを見やる。顔にも声にも呆れが見て取れた。
ビジュはそんなイスラの指摘に呻くのみである。

「大体役に立たないなんて言うけど、さっきビジュ借りがあるとかなんとか言ってたじゃん。それってウィルにいいようにあしらわれたんでしょ?だったらビジュの方が役立たたずってことになるけど?」

「っ……!!」

「まぁ、お姉ちゃんには私の方から言っとくから問題ないよ。味方だって多いに越したことはないんだし………」

視線を戻し、イスラは俺を見詰めてくる。
自分の考えを悟らせないためか、警戒させないためか、また笑みを浮かべていた。
ただ俺の主観では、何か裏がある嘘臭い笑みには見えない。純粋に自分を誘っているのだと何となくそう感じた。

「……ね、どうかな?絶対ウィルに悪いようにはしない。保証する」

「僕にみんなを裏切れって言うのか?」

「そうなっちゃうかな。でも、こっちに来てくれるならちゃんと帝国に帰してあげるし、今までのことや海賊と一緒に行動してたことは見逃してあげる。ウィルは帝国に戻ってやることがあるんでしょ?都合はいいと思うけど」

別に俺は帝国戻りたくないけどな。島の方が住心地いいし。
ていうか、お前無色の同士だろ。帝国に帰すなんてどの口がほざく。

「どうかな?」

「断る」

考えるまでもない。どうしてみんなを裏切ることが出来る。
そんな選択肢などありえない。

つうかそれ以前に、アレがいる時点でどんなメリットがあろうとNOだ。
断固拒否である。譲ることの出来ない俺の想い、というか望みだ。守りたい明日があるんだ。

「あの人達を裏切るほど、僕は恩知らずじゃない」

「…………………」

浮かべていた笑みが消える。
次には。僅かに、ほんの少し、眉尻を下げた何処か寂しい笑みを浮かべる少女の顔が瞳に映った。

だが、それもすぐに消える。
幻だったかのようにイスラの表情は元に戻り、その場から立ち上がり俺を見下ろす形になる。

「そっか。残念だよ、ウィル」

「…………」

「私ウィルのこと気に入ってるからさ、一緒だったら嬉しかったんだけど。テコとも居たかったし」

「………ミィ」

俺の肩にとまっているテコをイスラは手を伸ばし撫でる。
テコは切なそうな声を上げた。

「ふられちゃったなー。ちょっと自信あったんだけど」

「……何処から沸いてきたんだ、その自信とやらは」

「だってさぁ、ウィル、私のこと誰にも言わなかったんでしょう?私、今日一日ずっと自由に動けてたし」

「ああ、言ってない」

「でしょ?だからさ、私のこと信じてたとか、私の味方になってくれてる、みたい感じなのかなって」

「いや、お前に詰め寄ってものらりくらりと交わされそうだし、みんなに言って見張っていてもボロ出さなそうだったし。証拠がないしな。時間の無駄だと悟ってた」

「………人の抱いてた幻想を簡単にぶち壊してくれるね、君は」

「ていうか、お前に消されそうで怖かった」

「君ってやつは………!!」

本当にいい性格してるよとイスラは俺を睨みながら続ける。
そしてその後に、ふっと笑みを浮かべた。

何故どうして俺にそんな顔を向けるのか。
拒絶したというのに嬉しそうに。そして、こんなに近くに居るのに遠い目で、俺を見詰めるのか。

何を言えばいいのか解らない。でも何か言ってやらなければいけないと感じ、俺は口を開こうとする。
だが、その直前にイスラは俺から視線を外し、ある一点に向ける。
俺も振り返りその方向に目を向けた。


「………さて、主賓も来たことだし、始めよっか」


遥か奥。
竹林から姿を現したアティさん達を見つめ、イスラは楽しそうに口を吊り上げた。















「ウィル君!ゲンジさん!」

鳥居の前、階段を登りきったそこに控えるウィルとゲンジの姿を見付け、アティは声を上げる。
キュウマからもたらされた報を聞いたアティ達は、急ぎ此処まで駆け付けた。

ウィルとゲンジの無事な姿、ウィルに至っては肩を竦めている、安否を確認し一先ず息を吐いた。
怪我は無く、乱暴された跡は見られない。傷つけられてはいないようだとアティは安心した。

「遅かったじゃねえか、待ちくたびれてたぜ。ヒヒヒッ」

「てめぇ……!」

アティ達を階段の上から見下ろす顔に刺青を彫った男――ビジュが卑下た笑い声を上げる。
神経を逆撫でするその様に、カイルは腹の底から低い唸り声を漏らした。

「貴方が集落に火をつけたんですね」

「ああ、半分はそうだぜ」

「ならもう半分はっ………」


「私だよ」


軽いソプラノの入った声が発せられる。
この緊迫した空気に似付かわしくない響きを携えた声音。
他者に尋ねられ、それはやったのは自分だと名乗り出るように。なんてことはない日常のヒトコマのように、少女はその問いに応答した。

「イスラさん……!!」

「スバル君達と遊んでる時にちょちょっとね。目を向けられていない隙にやらせてもらったんだ」

「……っ!!」

この光景を目にしてもまだ信じられなかった事実が、本人の言葉により虚仮ではないと証明されてしまった。
受け止めたくない事実、信じたくない少女の姿に、アティは悲痛な面持ちをする。
どうしてこんな真似をと叫びたいのか、何故こんなことにと悲しみたいのか、アティは感情の整理が追い付かない。

「もっと驚いてくれるかと思ったけど、その様子じゃ私がウィルを攫ったのを知ってたみたいだね。ちょっと拍子抜けかな」

「イスラ、どうしてっ……!?」

「この状況を見て解ってもらえないかな、ソノラ?」

「そんなの解るわけないっ!!」

解りたくないと言うかのようにソノラは声を張り上げる。
同世代の初めての友達。人懐こい笑顔を浮かべる明るい少女。
そんな友人が最初についた嘘は、痛烈な裏切り行為。
ソノラには、それは真実だと受け止めることはことは、この状況を前にしても出来なかった。

顔を歪めるソノラをイスラは変わらない表情で見つめ、淡々とした調子で口を開く。


「そう。じゃあ、説明するね。私は帝国軍人。ソノラ達の敵。おしまいだよ」

「っ!!」

それだけのこと。
些細な事柄だと、イスラは端的に言ってのける。
これ以上ない程に簡略で明確な、ソノラとイスラの関係だった。

「今までアタシ達を騙してたってわけ?」

「騙されたって思うんならそうなんじゃない?私は普通に振る舞ってただけ。今みたいにね。どう取るかはそっちの勝手」

「言ってくれるわね、子猫ちゃん……」

スカーレルの射貫くような鋭い視線に、イスラは満面の笑みを返す。
常人を萎縮させるそれを物ともせず、軽く受け流した。

「それだけ平和ボケしてたってことでしょ?疑わなかった君達が悪いよ。こんな訳の解らない私なんかを信じる君達がね」

「言い掛かりもいいところね」

「でも事実だよ。仲良し小好しが大好きな君達だから私を疑いすらもしなかった。その結果がこれなんだから」

可笑しそうに笑い、イスラはアティを見やる。

「ありがとう、先生。世話を焼いてもらったお陰でこんなすんなりと溶け込めた。本当に感謝してる」

「っ……」

「あはははっ!他人の為なら何でもするその姿勢、笑えるよ。損ばっかして、挙句にはこうやって裏切られる…………傑作だよね。あはっ、アッハハハハハハハハハハハハッ!!」


まるで歌うかのように。
軽やかに紡がれる少女の笑声。

無垢な響きを持つそれは、しかし狂喜が入れ乱れた嘲りのそれであった。







(……まぁ、大層な悪役ぶりだな)

すぐ眼前で繰り広げられるアティ達のやり取り、その中のイスラを見て、ウィルは素直な感想を思う。
先程自分と接していた態度から打って変わったイスラのそれ。よくああまで切り替えが出来るものだとウィルは半ば感心する。
あれなら今までの印象など簡単にひっくり返して、一気に評価を地の底に叩き落とすのも容易い。

何故自分の時はあのように突き放そうとしなかったのか疑問を感じるが、本当に自分を取り込もうとしていたのかと半ば強引に納得した。
というより、考えを巡らせても予想の域を出ることはないので止めた。
イスラの真意など解る筈もない。だが、「イスラ」の件を参考にさせてもらえばあれは態と反感を買っているということになる。

イスラは死を望んでいる。
それを頭の中に置いて考えれば目の前のイスラの行動自体は理解出来た。
気持ちのいいものでも、認めてやりたくもないことではあるが。

「レックス」の記憶がなければ自分もアティ達と似たような感情を抱くだろうとウィルは思う。
事実、「レックス」の時は彼も「イスラ」のことをクソッタレなモミアゲだと信じて疑わなかった。
今のイスラと同じ腹の立つ笑い声を上げて苛んでくれやがったのだ。

いや、イスラの方が女であるが故か全然マシに聞こえるが。
というかまだ可愛い。「モミアゲ」に比べれば小気味いい声にさえ聞こえる。


「うざってえ声を上げるんじゃねえ!!」

「この外道が!!」

が、そんなことを知らないカイル達はそうは思わないらしく。
イスラのそれに完璧に鶏冠に来ているようだった。

「外道なんてご挨拶だね。私の方が利口だっただけでしょ?功績や国益の前に腑抜けた感情は無用。目の前の利益だけが優先される。それが軍人の考え方…………ねっ、お姉ちゃん」

そして何時の間にいたのか、帝国軍の部隊を率いるアズリアが竹林の一角に姿を現していた。


「イスラ…………」


「うぐっ!?」と呻き声を上げウィルは体をくの字に折る。腹押さえながら。
アズリアの出現に胃が激しく痛み出した。ゲンジは疎か、近くにいる帝国軍人達もウィルの突然のアクションに目をぎょっとさせる。

おい、どうしたとゲンジが声を掛けるが、当の本人はぷるぷる震え顔を左右に振るだけ。理解不能だった。
だが子供達を常に大切に想っているゲンジは――こんな奇天烈な子供も例外なく――ウィルの身を案じて考えを巡らせる。
そして、この雨の中、腹を冷やしてしまったのではないのかという結論に辿り着いた。

「おい貴様等。ケツを拭く紙は持っていないか」と真面目に尋ねるゲンジ。「あ、いや、持っていません」と普通に応答する帝国軍。
致命的に場の空気が狂ってた。



そんな糞な雰囲気が背後で巻き起こっているとは知らず、というよりそれを意識の外に追いやるイスラ。
なんか表情堅かった。

「お姉ちゃん、って………まさか!?」

「そうだよ。私の名前はイスラ・レヴィノス。帝国軍諜報部の工作員で、アズリアの妹」

「そんな……っ」

「これではっきり解ったでしょ?何で私がこんなことをしたか」

打ち明けられた真実にアティ達は目を見開く。
最初から仕組まれていたことだったのだと叩きつけられた。

「………お前がビジュと接触しているとは思わなかったぞ、イスラ」

「これでも諜報部だからね。お姉ちゃんには悪いと思ったけど、計画が始まるまで情報を漏らすわけにはいかなかったんだよ」

「そうか。…………しかし、人質とはな」

「こっちの方が確実でしょ?手を煩わせずに済むしさ。お姉ちゃんは気に入らないかも……………お姉ちゃん?」

「………………………………………………」

無言。いや、無音。
妹の呼び掛けに姉は沈黙を貫く。何故か顔に影が差して目が見えない。
そして人の備わる第六の感覚がそうさせているのか、此処にいる全ての人間が口を閉ざした。
故に無音。何時の間にか雨も上がっている。

冗舌しがたい雰囲気がこの場を包み込んでいる。というより一人の身に纏う空気がそれを形成していた。
イスラは自分のたった一人の姉の背に、どす黒い負のオーラが渦巻いてるのを知覚する。

いや、アレは本当に自分の愛する姉なのか。

何かもっと別の、人の皮を被ったヤヴァイ存在ではないのか。あんな姉、生まれて此の方目にしたことがない。
イスラの頬をつつーと一筋の汗が伝う。アレ、闇の眷属とかそう言った方が正しい気がする。

「お、お姉ちゃん…………?」

絞りだすようにして、イスラはもう一度姉に呼び掛ける。
その呼び掛けに反応したのかは定かではないが、アズリアはゆっくりと顔を上げた。


「……………………………」


すんごい顔しながら。


「うわっ…………」

オオオオオオッとか聞こえてきそうな剣幕にイスラは顔を仰け反らせる。
誰もがアズリアから一歩退いた。

睨んでる。滅茶苦茶睨んでる。目に深遠の闇携えて在り得ないほど睨んでる。
人質行為がそこまで勘に触ったのか。姉ならば自分の行動に顔を顰めても理解はしてくれると思ったのに。
ていうか、あれだけで?あれだけでこんな変貌する?

激変し過ぎな姉にイスラはごくりと喉を鳴らす。生きている心地がしない。
と、後ろから突然「あわわわわわわわぅああばばばばばばばばばばば」と悲鳴……なのかは解らないが……兎に角、悲鳴が上がる。振り返ってみれば、そこには蹲って滅茶苦茶振動している緑の少年。
体をあらん限りに抱きしめながら「いがいがいがいがいがいがいがいが」とか狂ったように口走ってる。

「……」

イスラがアズリアの視線上から外れる。
姉は妹を見向きもせずただ一点を見つめ、いや、射殺していた。
怨念みたいのが全てが少年に注がれている。

……自分ではなく、この耳生やして尻尾まで丸くなってる小狸を睨んでいたらしい。
絶殺だと言わんばかりに睨み付けている。ていうかアズリアの後ろにいる兵達も血走った目でタヌキ睨んでる。整列しながら。
何の亡霊だ、キミタチ。

アティ達はアティ達で何かひそひそ言ってる。
「おい、何とかしろよ」だとか「誤解解かないとあの子この先報われることないわよ」だとか「ソノラ、早く名乗り出てください」だとか。
ソノラが「む、無理!そんなの無理ッ!!?」とかなんとか泣き叫んでる。この空気の原因はあの娘っ子らしい。ソノラ、君にはがっかりだよ。
後ろでは「毛布持って来い、毛布!あと、おまる!!」とか騒いでる。

カオスだった。果てしなくカオスだった。
あの張り詰めた空気は何処にいった?何故一瞬にしてこうもブチ壊れてしまっている?

イスラの顔が盛大に引きつる。全く理解が追い付かなかった。


「…………お、お姉ちゃん!!取引するよ!いいね!?」

「はっ! ……………あ、ああ、いいぞ」

何とか自分を取り戻したイスラは強引にこの空気の修正を図る。
指差され大声を投げかけられたアズリアはビクッと体を震わせ正常に戻った。
禍々しいオーラがアズリアの内に引っ込んでいく。その光景にイスラは脱力とも取れる息を吐く。なんだったんだ、アレ。

オーラが無くなった今でもタヌキ睨んでる姉はもうシカトして、イスラは顔をアティ達に向けた。
この状況をさっさと進めることにした。構ってる時間が惜しい。

「………じゃあ、取引といこうか。解ってるとは思うけど、そっちが支払うのは…」

「…………これを渡せばいいんですね?」

「うん、そうだよ」

アティの体が碧の魔力に包まれ、シャルトスが手の中に召喚される。
全身を白く染め上げた異形の姿となり、アティはイスラを見上げた。
イスラはそんなアティの姿を見て満足そうに頷く。内心やっと元に戻ったと心底安堵しながら。

「そ、それはっ!?」

「嘘っ!?」

「け、『剣』?!」

「何であんたがそれを持ってるんだ!?」


駄菓子菓子―――


「は、はいっ? ど、どうしたんですか?」

「どうしたじゃありませんっ!何でアティさんが!?一体何時の間に!?」

「えーっと………もう随分前から持ってますけど……」

「はああああああああっ?!!な、何でそれを早く言いやがらねぇ!!」

「な、何でって、カイルさん達『剣』探してたんですか?私聞いてないんですけど………」

「……………あ゛」

「確かに言ってないわね…………」

「というか下手に巻き込まない為に話してなかったんじゃなかった?」

「………ア、アティさんっ!!それは封印の剣と言って膨大な魔力を秘めた魔剣です!!」

「ええ、知ってますけど………」

「ネタバレ!!?」


―――「剣」の行方を追っていたカイル達がアティの抜剣を見て騒ぎ出す始末。

今更かよ、みたいな空気が護人と帝国軍の間で流れる。
ギャーギャーと騒ぐアティとカイル一味。此処まできて間抜け過ぎる会話だった。
見苦しい言い争いは一向に終わる気配を見せず、シリアスな展開など欠片も残っちゃいない。
ダレまくっていた。ていうかイスラ、普通にシカトされてた。


「…………………………………」


「…………イ、イスラ?」

目から光を消して俯くイスラ。
まるで嵐の前兆のような静けさにビジュはひゅっ、と息を吸いこむ。これはヤベエと汗をダラダラ掻きまくりながら、恐る恐る背後から声を掛ける。
警報が頻りにビジュの頭を鳴らし逃ゲロ逃ゲロ叫んでいるが、悲しいかなこの状況でイスラがどうかなってしまうと計画が丸潰れになってしまう。そうなればあの女傑に「この無能が!」と罵られる、とまではいかなくても、卑劣な行為でしかも結果も上げられなかったのかこの屑が、とか言って罰を与えてくるだろう。紫電絶華はもうこりごりです。

何よりこの態勢が少しでも崩れれば最も危険なのはビジュ含むこの場の帝国兵士達なのだ。人質がどうにかなればアティ達は遠慮なしに攻め落としにかかるだろう。間違いなくフルボッコである。あのメガネとか鎧容赦がねぇ。

更に言えばアティが抜剣している。死亡フラグのオンパレードである。
ちなみに竜骨の断層での語られなかったアティとの戦闘は、所要時間2秒のTKO(テクニカルノックアウト)だった。力とか全く釣り合ってなくて速攻で幕を閉じる。全員が綺麗に戦闘続行不可能にさせられた。手馴れ過ぎてて怖かった。

「…………………………イ、イスラさん?」

丁寧語。
敬称を使い始めた。この男のチキンぶりが窺える。
いや、ここは恐怖を抑え込み必死に目の前の恐怖と戦おうとしている彼を褒め称えるべきなのか。
少なくともビジュと同じの立場の兵士達は彼の屁っ放り腰ながらの勇気ある行動に畏敬の念を払うだろう。蹲って唸る畜生と、しっかりしろとかほざいてる爺を尻目に。彼等も中々難儀だった。

ビジュ達全員が固唾を呑んで見守る中、イスラが動きを見せる。
落ち着けイスラ・レヴィノス。COOLになれ。自分を見失ってはいけない。此処は懐が広いところを見せ付けてやるんだ。
僕等はイスラを信じてる。



「…………………………………………少し、頭を冷やそうか」



裏切られた。


「総員退避ーーーーーーーーーーーッッ!!!!!!!!」

「「「了解ッ!!!」」」

ビジュ覚醒。

「距離を取れ!!どうでもいいから距離を取りやがれっ!!!」

「イエス、マイロード!!」

「べスッ、何やってる馬鹿野郎ッ!!走れ、でかいのがくるぞ!!?」

「ま、待ってくれ!!民間人がまだっ………!!!」

「「なんだってーーーーーっ!!?!?」」

「ちぃっ!!!」

「た、隊長ッ!!?」

「おい、ジジイ!!さっさと此処から離れやがれ!!!」

「ウィルがっ!ウィルが死にそうなんじゃ!!」

「痛い痛い痛い痛いいたいいたいいたいイタイいたいイタイイタイいたいイタイいたイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ」

「世話掛けさせんじゃねぇ、クソガキがっ!!ジジイはさっさといけっ、巻き込まれるぞ!!!」

「お、お前っ!!?」

「いいからいけーーーーーーーーーッ!!!!」



「――――――召喚」



「総員対ショックーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!!!!!!!!!!!!!!」





世界が輝いた。












「お姉ちゃん」

「は、はいっ」

クイと顎で「行け」と差されたアズリアは大人しく妹の指示に従う。
進む先にはブスブスと煙を上げ、ごろごろと転がっている死体の群れ。クレーターできてる。
魔王の逆鱗に触れた小人達の成れの果てだった。ちなみに死体の数は5。護人達しっかりと避難してた。

これもう取引とか成立してないんじゃなかろうかと考えがアズリアの頭に過ぎる。
撃破して普通に奪回する形だ。取引をする意味がない。これでもう終わりである。

果たしてこんな終わり方でいいのかとアズリアは一瞬「剣」を取り上げるのを躊躇うが、そこでアティがのろのろと立ち上がる。
小人の1人はまだ死に至ってなかったようだ。というか、形からして此方の方が魔王だが。白いし。

アティの復活に取り敢えず心の中で喜ぶ。
絶好の機会を逃してしまったが、あんな結末を迎えずに済んだことは素直に良かったと思う。まだ此方の方がマシである。

「す、すまない………」

「……………い、え」

よく解らないけど謝っとくアズリア。
死に掛けの顔をしているアティを極力見ないようにしながら「剣」を受け取る。
すぐにその場から離れた。

「さぁ、これで取引は済んだ筈よ!人質を解放しなさい!」

ここぞとばかりに強気に出る女性の召喚獣。
余りに調子が良すぎるのではないかと微妙な立場にいるアズリアでさえ思った。
案の定、自分の妹はえーという顔している。

「普通に言うこと聞きたくないんだけどー」

「卑怯者!!」

「この外道がっ!!」

いや、それは間違ってる気がする。

「もうなんかやる気ないんだよね……」とイスラは髪を弄りながら呟く。
確かにこれまでの経緯を振り返れば、1人真面目に誘拐とかして緊張した空気作っていたイスラが余りにも報われない。どうでもいいと言うのは無理もないだろう。
すねているイスラの姿を見てなんか新鮮だなと感じつつ、アズリアは妹に同情した。




「ちゃ、ちゃんと、約束を、守ってください……!」

死に掛けのアティが口を開く。
ふらふらとよろめくその姿を見て、イスラは思いっきり溜息を吐いた。
眉間に皺を寄せながら片手で頭を抱く姿は、誰の目から見てもこの状況に疲れているのだと解る。然もあらん。

むくりむくりと立ち上がりだす海賊達を尻目に、イスラは帝国兵士に目配せをする。
ボロクソになったカイル達を見て少しは気が済んだのか、ウィルの解放を命じた。
が、何故だか互いを無言で見詰め合い、視線で語りあってるビジュ達とゲンジは動く気配を見せない。
あーもうはいはいと少女は悟りきって自らウィルの元に行く。何かもう悟りきった上に投げやりだった。

「ウィル、行っていいよ」

「……………む、ぅ」

腹を擦り呻き声を上げながらウィルは立ち上がる。
顔色が果てしなく悪い。レヴィノスさんとこの長女は再起不能の直前まで少年を追い込んでいた模様。

アティ達の下へ返す為に、イスラはウィルが階段の方向へ行くように道を開けた。
だが、そこからウィルは動こうとせずイスラをじっと見上げる。
とんでもないプレッシャーに襲われて調子は一杯一杯だろうが、立ち上がった所から解るようにまだ動ける筈。
見詰めてくるウィルにイスラは首を傾けた。

「ウィル? 行っていいんだよ?」

「………僕は後でいい」

「…………」

ピクリとイスラの眉が震える。
その間にもウィルはイスラの目から視線を逸らさない。
イスラの瞳の奥を覗き込んでいた。

「……どうしてそんなこと言うのかな?」

「先にゲンジさんを解放して欲しいから」

「別に解放されるんだから後とか先とか関係ないじゃ―――」

「お前が本当にそうするならな」

「―――……………」

続けようとした言葉を遮られ、イスラは口を閉じる。
ウィルとイスラの会話に、辺りがしんと静まっていく。誰もがウィルの発言に目を剥いた。
黙るイスラにウィルは一向に視線を緩めない。一定にフラットを保たれた起伏のないそれは、ずっとイスラの目に注がれている。
心理を見透かしているかのようなウィルの視線に、イスラは笑顔を作った。

「私の言うこと信じられないかな?」

「ああ。そんな嘘臭い笑み、信じられない」

息を呑んだのは誰だったのか。
イスラの言葉を何の感情の揺れもなくウィルは切り捨てた。
機械的に、事実だと言わんばかりに。

「……………………………」

「イスラは、嘘吐きだから」

虚偽と言い付けられた笑みを消し、イスラは目を閉じる。
何を考えているのか、何を思うのか。ウィルの発言にイスラは何も返さず、沈黙した。


「…………ん」


しかし、それは一瞬。
ふっ、とイスラの口元が緩み、曲線を描いた。
目を開けた次には、誰もが見惚れる笑みを浮かべ、イスラはウィルに問い掛けた。

「ウィル、もう一度聞くよ」

「……………」


「私と、一緒にこない?」


イスラのその言葉にアティ達も帝国軍も驚きを隠そうとしなかった。
アティは驚愕に目を見開き、アズリアは、なっ、と愕然として声を漏らす。
なんでと、一体何をと、各個が目の前の光景に思い思い混迷する。
突然の成り行きに、渦中の2人を除く全員が時を止め言葉を失くした。

そして、穏やかな笑みを浮かべ己を見下ろすイスラに、ウィルは眉1つ動かさないで見詰め、


「断る」


二度目の拒絶を言い渡した。


「うん、解った」

少年の拒絶に対し、少女は笑みを崩さず了承する。
まるで結果など最初から解りきっていた反応。余りの潔さに誰もが目を見張る。
イスラの意図が誰も理解出来なかった。

「ビジュ」と、イスラは声を掛けゲンジを解放するよう促す。
戸惑いながらもビジュはおうと返事をして、ゲンジの背を押して解き放つ。
自らが先へ行くことを良しと思わないゲンジだったが、この状況では自分は足手纏いだと理解して大人しくこの流れに身を任せた。

「これでいいかな?」

「……………ああ」

「じゃあ、ウィルも行っていいよ」

「………………」

ゲンジが階段を下っていく中、イスラはウィルにそう告げる。
依然笑みのまま。少女の顔に変化はなく、その誰もを引き込みそうな漆黒の瞳でウィルを見詰めている。
少女の真意が掴め切れない。だが、目の前の笑みには嘘はない。予想外の行動に僅かな動揺をしながら、ウィルはそう判断する。

暫くイスラを見据えていたウィルだったが、やがてイスラに背を向け歩き出した。





「手に入らないくらいなら、誰にも渡さない」





「――――――――――――――――――――づっ」



「私だけのモノになってもらう」



先が血に塗れた剣が、ウィルの胸から突き出る。

投げ掛けられる、酷く暖かみのあるその言葉は、致命的に常軌を逸していた。

空間が凍結した。



――――――やりやがった



ごぽと、ウィルの口から血が溢れ出す。
赤い、紅い自らの体液が滴り落ちていく。
口元から、そして胸から生えた剣から、血が滴り落ちていく。
まるで雨に濡れた葉のように。剣先を伝い、ポタポタと雫が地面へ落下する。


響き渡った叫び。

それは自分を呼ぶ声だったのか。

瞳に映ったのは、グニャリと歪んだお人好しなあの人の顔だった。


意識が混濁するウィルは周囲の状況の知覚さえ儘ならない。
視界がぼやけ体が崩れ落ちていく中、外界との時間の流れが切り離された。

まるで走馬灯。
隔離された内界は、外の一瞬を、何秒も何十秒も何百秒にも仕立て上げる。
一瞬の内に、ウィルの頭をおびただしい情報が駆けては巡っていった。


「彼」の思考が、これまでにない以上にフル回転していた。


刺された。貫かれた。打ち抜かれた。背後から剣によって胸を突き刺されたのだと、はっきりとウィルは認知する。
焼けるような痛みは吐き気と伴って、今も尚体を焦がし続けていた。

急速に遠ざかっていく意識。
負った損傷の深さは紛れも無く重度。臓器はやられたのかと冷静に見極める。
少なくとも、早期に治療を施さなければ命は保障出来ないと、ウィルはそう判断する。

だが、これは死の気配ではない。
あの慣れ親しんだ、絶望的なまでに如何することの出来ない虚無ではない。
世界との乖離とは程遠い。

恐らく、これは異常効果。
イスラが手にしている剣は対象を眠りへと誘う機能を有している。
この身を貫き、直接叩き込むことで剣の能力を遺憾なく発揮。逆らいようのない意識のシャットダウンに陥れようとしている。
仮死状態。それがイスラの狙いか。

イスラの真意は解らない。
言葉にしたように狂気のまま自分を剣で貫いたのか、それともこの状況を利用しようとしているのか。
この行為自体が本命なのか、あくまで副次的なそれでしか過ぎないのか。ウィルには断定することは出来ない。

だが、自分の予想通りに。
イスラが死を望んでいるのだとしたら。自らの破滅を望んでいるのだとしたら。
真意が前者だろうが後者だろうが、この行為の最終的な帰結は、間違いなくイスラ・レヴィノスという少女の死そのものだ。

この後イスラは自分に止めを刺すのか、それともこの死の偽装を悟られぬように処理――偽装を事実に見立てるのか。
どちらにせよ、「ウィル・マルティーニの死」という結果は覆しようのない禍根を残す。
事実だとしても、虚構だとしても、「ウィル・マルティーニの死」は決定的なまでにアティ達とイスラ、両者の間に因縁を作り出す。

仲間の「死」を、優し過ぎる彼等は悲愴なまでに受け止めてしまい、そして仇にその報いを果たそうとするだろう。
憎悪、怨嗟、怨憎、憤怒。自らに向けられるそれらの感情をイスラが利用し爆発させれば、恐らくアティでさえもう躊躇わない。
そうなればもう止まらない。激情を振るうがままの殺し合いの果ては、死のみだ。多いか少ないかの違いがあるだけの、人の死だけである。

今までの生活を通してイスラがアティの本質を理解していたら。
他者を殺める覚悟を持とうとしない彼女の本質を見極めていたら。
自分を殺すことを唯一出来る彼女に殺意を持たせるためには、死という現実を叩き付けるしかない、そう行き着くのではないのか。


―――ふざけるな


それだけは許容出来ない。
自分が原因で彼女達が血を流し、互いを殺しあうなど、許すことは出来ない。
何より、気に食わない。


彼女達を死に至らしめるなど――――絶対にあってはならない。


高速を超越した思考展開は、刹那に全ての推測及び可能性に蹴りをつけ、そして単純明快な極論を叩き出す。



―――イスラの目論見を、粉砕する。




「ウ゛ァル゛セ゛ル゛ト゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!」




弾丸の雨が、降り注いだ。















鳥居の奥に控えた大木。
地面を遥か離れた高さに位置するその大木の枝の1つに、ヴァルゼルドはその身を置いていた。

【ヴァルゼルドはこの木の上で待機していてくれ。…………何でかって? それは、えーっとだなぁ、うーむ……まぁ、勘だ。工作員共は此処に集まってなにかしそうな気がする………むっ、何だ、僕の言ってることが信じられないか?】

このポイントにいるように指示をした主の言葉を、ヴァルゼルドは反芻する。

【僕の勘は七割五分の確立で当たるって定評がある。嫌な予感や理不尽の前触れには百発百中だ。既に手遅れな場合が殆どだがな……。と、兎に角僕を信じろ。きっと何か起きる。此処で何も起きなくても、その時はお前をすぐに召喚して呼び出すから】

少々戸惑いもしたが、蓋を開けてみれば主の言う通りになった。
己のマスターは戦闘や召喚術だけでなく、予測行動やその他もろもろにも長けているのだとヴァルゼルドは尊敬する。

【取り敢えず、僕がどんな状況に陥っていも合図をするまでは出てくるな。イレギュラーが発生したら僕がサインをする。そん時は状況に合わせて行動して】

スクラップの山に埋もれる己を助け出し、そして「ヴァルゼルド」として自分を繋ぎ止めてくれた。
奔放ながら、とても心優しいあのマスターの護衛獣に成れたことを、ヴァルゼルドは誇りに思う。

【僕より他の人を優先すること。どんな状況にあってもそれが最優先。OK? あ、それと他の人達が危なかったら僕の合図待たないで飛び込んでいい。そこら辺の判断は任せる。じゃあ、頼んだぞ、ヴァルゼルド】

マスターの力に成れることが、役に立てることが「ヴァルゼルド」を震わす。
これは嬉しさだ。この震えの正体は喜びだ。
機械が抱く筈のないそれを胸に秘める己は、兵器として出来損ないだろう。元より己は偶然の産物で生まれた在り得ざる存在。
バグである自分は所詮、屑鉄。否定はしない。

それでも、この打ち震えるモノを、歓喜と言える感情を抱けるということを、ヴァルゼルドは幸せに思う。
例え屑鉄だとしても、それを受け入れ、付いて来いと言ってくれる主の元に居られるのが、何よりも幸せだと感じる。
「ヴァルゼルド」は今、幸せだ。


『―――――――』


だが、カメラを通して伝達されてくるこの映像は、何だ。
己の仕えるマスターから突き出す鈍い光沢のあの薄汚い鉄の塊は、何だ。
吐き散らされるあの紅い液体は、何だ。
崩れ落ちていく、あの、少年は、何だ。

「幸せ」という存在を、デリートしようとする、あの、不要不物除去消去殲滅撲滅破壊対象は、ダレだ。


『――――――――――――――――――』


視覚情報が赤一色に変色する。
これは怒りだ。視界を血と同じ色で覆う正体は、紛れも無く怒りだ。

ありとあらゆる情報が、「ヴァルゼルド」を形成する回路が、真っ赤に染め上がっていく。
「ヴァルゼルド」というバグは、膨大なデータにより端へ追いやられ、飲み込まれていく。
欠陥を携えた「強攻突撃射撃機体VAR-Xe-LD」へと書き換えられていく。
目の前の敵を、最優先目標を駆逐するのみの狂った兵器へと変貌する。

瞳が、真紅の色を灯した。



【バカ、ずっと一緒に居るんだよ、俺とお前は】



『――――――――――――――ッッ!!!!』

あの時の言葉と共に、「ヴァルゼルド」の頭に衝撃が走る。
赤に染まる視界が抜け落ちていき、瞳は真紅から碧へと移り変わった。
0と1から成る全機能を正常に復旧させ、ヴァルゼルドは「ヴァルゼルド」を取り戻す。
課せられた誓約はリミッターとしての役割を果たし、戒めとなってヴァルゼルドの暴走を強制的に打ち消した。

そうだ。
自分とあの方はずっと共に居るのだ。
「強攻突撃射撃機体VAR-Xe-LD」ではなく、「ヴァルゼルド」としてあの方の隣に立ち続けるのだ。

自分が「ヴァルゼルド」として存在を許されたあの時から、それを契約となり、己を戒める。
「ヴァルゼルド」で在れと、契約がそう自分に言い聞かせる。


【勝手に消えようとするな、ヴァカゼルド】


そうだ。
消えるのは許されない。
「ヴァルゼルド」があの方の隣から消えうせるのは絶対に在ってはならない。
それは契約。「ヴァルゼルド」を律する消えることのない戒め。
それは誓約。「ヴァルゼルド」と主が結んだ消えることのない約束。
それは望み。「ヴァルゼルド」と少年が互いに願った消えることのない想い。


【一生扱き使ってやるからな、ポンコツ】


それが絆だ。



「ウ゛ァル゛セ゛ル゛ト゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!」



喚ぶ声よりも早く、ヴァルゼルドは己を空中へと投げ出した。
暴走に駆られたのは一瞬も満たない間。戒めと約束、想いを胸に秘めた機械兵士はすぐに「自分」を取り戻す。
「ヴァルゼルド」は、誰よりも早く、絆の元へ馳せた。


『オオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!』


咆哮。
鼓膜が破れるのではないかという大音量。空間を震わせ、ヴァルゼルドは手に持つ銃を乱射する。

「!!?」

上空からの脅威。
今も尚恐ろしい速度で迫る影に、更にそこから降り注ぐ弾幕。
目でも耳でもなく、今まで培われてきた感覚でソレを察知した瞬間、イスラはその場を飛び退いた。

イスラがいた場所に凶弾が次々と打ち込まれ、間もなく



轟音



重力に引かれ落下した黒の鉄機は、足場を砕き破片を舞い上げその姿を現した。
主を背に立ち塞がるその貌は、見間違えようもなく騎士のそれ。

そして、機械仕掛けの瞳が碧の輝きを放ち、左手に持つ銃を前方に押し出した。

「「「「――――っ!!?」」」」



『掃討開始ッッ!!!!』



大口径の銃砲が、音響と共に火を噴いた。



[3907] 8話(中 その2)
Name: さもない◆8608f9fe ID:94a36a62
Date: 2009/01/30 13:11
敵戦力に照準、引金を引き続ける。
絶え間なく放たれる銃弾は容赦なく対象へと突き進んでいく。
ある者はその凶弾により肩に風穴を空け、ある者はプレートに炸裂し上体を歪め、ある者は寸での所で回避し、しかし鮮血を飛び散らせる。

技術、熟練などとは掛け離れた生粋のルーチンワーク。今まで当然のように繰り返されてきたその作業は、無慈悲なまで正確無比を体現させる。
それは反則じみた凶雨そのものだった。


「本当にっ、いつも驚かしてくれるね、ウィルッ!!」


そんな凶雨を、敵対象である少女は笑みを作って回避する。
至近距離といっても過言ではないショートレンジ。それで尚この乱れ狂う弾丸の嵐を往なし続けている。

《行動予測、誤差修正…………》

一斉射撃すれば攻め落とせる。
高性能AIは収集されたデータとこれまでの戦闘経験に基づきヴァルゼルドに牙城を崩す手段を提示した。

しかし、その弾き出された解答をヴァルゼルドは却下。目的は対象の殲滅ではない。
後ろに控える、何物にも変えられない主を守護することだ。
一点に集中すれば他方は此方へ押し寄せてくる。少女を含める敵戦力に防御や回避の隙を与えようが、このまま弾幕を展開し続けるしかない。


《――――――――》


鳴り響くアラート―――残弾払底。
警告がヴァゼルドの内の視界、画面上に表示された。弾幕の終幕が目前に迫っている。
狙い澄ましたかようなタイミング。天秤が傾く。

現状況下、リロードタイムの確保は――――不可能。

残弾がつきた後は、この装甲を用いて壁となるより他はない。ヴァルゼルドは決断する。
甚大な被害を予測。だがそれでも、別の選択肢は存在し得ない。
せめて主を味方勢力に合流させるまで。己の破滅は顧みず、ヴァルゼルドは残弾を発砲し続けた。

「テ゛コ゛ッッ!!!」

『!?』

そこに、背後から叫喚。
まともに発音出来ていない血の叫びに、ヴァルゼルドは瞬時に頭部だけを動かし視線を巡らす。

視界に飛び込んできたのは、もう一匹の従者に体当たりをもらう己の主。
衝撃で階段へと身を投じていく。

一瞬の驚愕。
だが少年の自身に向けられる眼を見て、ヴァルゼルドは彼の真意を理解した。



―――張り倒せ―――



焦点の合ってない、霞んでいる目で

尚それでも顔に不敵な笑みを貼り付け

主は、そう“言っていた”


『―――――――――――ォ』


衝動が胸を焦がす。

誰よりも自分を理解してくれている主に。

自分の為に己を犠牲にする主の健気さに。

文字通り、身を投げ出して自分に活路を提示した主の姿に。

悲愴と、歓喜が迸った。




『―――――――ォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!!!!!!!!!』




激進



体中を電流が狂い回る。回路の容量を越えた信号の濁流が溢れかえり、全体を駆け巡る。
電流を、熱を撒き散らす黒鉄の巨躯を翻し、ヴァルゼルドは前方へと突貫した。

「!!?」

前触れもない突然の進撃に少女、イスラは目を見開く。
急遽の回避行動。だが、ヴァルゼルドは直前に残りの銃弾を射出。それを交わす為に彼女の体勢が致命的に崩れた。

「―――――――っっ!!!?」

『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!!』

振り抜かれた漆黒の鉄槌。
空間を押し潰しながら放たれた一撃は、イスラの防御――構えられた剣をへし折り、そして彼女の身に貫通した。

「あぐっ!!?」

「このデガブツがぁあああああ!!!」

『!!』

何とか自らも跳び、衝撃を殺したイスラが吹き飛される最中、ビジュが帯刀していた剣を抜きヴァルゼルドに振るう。
左方からの横薙ぎの一閃。拳を振り抜いた体勢を突いた際どく速い攻撃。
硬直する一瞬を縫ったビジュのそれは、必殺といっても過言ではなかった。

「?! なぁっ!!?」

『ッッ!!!』

だが、それをも反応する。
迫る凶刃に対し、ヴァルゼルドは左手に持つ銃を手放し、あろうことかそのまま受け止め掴み上げた。
在り得ない反射速度。装備のパージ、既に放たれている一撃の完全防御を、ヴァルゼルドは予備動作無しで実行。
内で行き帰る夥しい幾条の電流の波が、超反応を可能にさせた。

「隊長ッ!!」

「こん、のっ!」

「くっ!!」

三方からの同時攻撃。
防御、回避など在り得ない。損傷は絶対。

『―――――――』

依然、体内で巻き起こる電流の循環。収まらない興奮、鼓舞、奮起。
点滅する視界。荒れ狂うスパーク。激情が冷めることはない。
ヴァルゼルドは、この時「猛然」という言葉を身をもって理解した。


―――今ならば、誰にも負ける気はしない


歓喜が、「喚起」へと変貌する。
それは明確な事象へと発展し、現状における打開策を呼び起こした。

迎撃。
撃鉄を上げ、構築された防衛装置を起動させる。
発動。



『放電(ディスチャージ)!!!!』



電撃が全方位に轟き渡った。


「!!?!?」

「がぁ、ぁあぁああああああああああああ?!!!」

「――――――――ヅッッ!!?」

「くそがあっ!!?」

激しくのたうつ電流がビジュ達を強襲する。
ヴァルゼルドを中心に展開された電撃は範囲内にいた対象全てを飲み込み感電させた。

崩れ落ちる帝国兵士達。離脱し、それでも尚余波を被ったビジュ。
空間が帯電する。

対の瞳が鋭気を伴い発光する。1つの戦場を、荒ぶる黒騎が震撼させた。




「君、調子乗り過ぎだよ」




『!!』

魔力の増大。
センサーが捉えた先には、イスラが紫紺の鉱石を此方に構えていた。
周囲を照射する召喚光。異界の門より、外套を纏う骸骨が貌を曝け出す。

込められている魔力の規模に、場を飛び退いて距離を置こうとするが、間に合わない。
襲い掛かるだろう衝撃に備え、ヴァルゼルドは顔の前で両手を交差させた。

『ッ!?』


「ブラックラックッ!!!」


召喚された髑髏から閃光が迸る。
幾重の色を放つ光の連鎖が、ヴァルゼルドに破滅の二文字をもたらそうと迫り―――


―――陣風


風の渦が、光の連鎖をヴァルゼルドから瀬切った。

「……!!」

『なっ…………』



「―――おいたが過ぎるぞ、イスラ」



今も立ち上る風の渦にイスラとヴァルゼルドが驚きを隠せぬ中、凛とした声が投じられる。
吹き荒れる旋風はそれと同時に止み、風の残滓が竹薮を撫で上げた。

響き渡る竹林の斉唱を受け現れるは、槍を携える鬼の姫。
細められた眼差しは氷の如き冷寒を纏い、しかし瞳の奥は烈火の如く怒気を孕んでいた。

「…………ミスミ、様」

「反省の意があるなら、大人しく体をわらわに預けろ。その性根を叩きなおしてやる」

「…従わなかったなかったら、如何するんです?」

短剣を取り出しゆっくりとミスミに向けるイスラ。
要求に対し、少女は顔に笑みを貼り付け不承の意を叩きつけた。


「そこになおれ―――」


『…………弾丸装填(リロード)』


風が荒ぶる。
治まった気流が再び渦を巻き、葉を浮かべてミスミを中心に舞を演じる。嵐の前兆とも言って相違ないそれに大気が震え上がった。
細められていた眼が開かれ、炯々とした眼光が全面に押し出される。

ヴァルゼルドはミスミを援軍と確認。それに乗じ銃に弾丸を装填、イスラに照準を定める。
鈍重な金属音が上がった。

イスラはそんな両者に、魔力を発散させながら、口を一杯に吊り上げた。


「――――わらわが直々に灸を据えてやろうっ!!!」


『一斉掃射、開始ッ!!!!』


「あはっ、アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!!!!!」


風の刃と弾丸の豪雨、数多の閃光。
2つの勢力は互いに衝突し合い、破壊の奔流が巻き起こった。










然もないと  8話(中 その2) 「卑怯者の美学」










気が付いた時には、もう走り出していた。
剣で貫かれた少年の姿。そこへ飛来する黒の影。視界に映る光景を理解するよりも、いち早く彼の元へ馳せ参じようと、駆け出した。

「全軍、イスラの援護! 戦闘開始!!」

旧友の号令が耳を打つ。だが、そちらには目もくれず、前進する。

「――――――」

階段へと身を落とし、激突。
受身も取らず無防備なまま少年は石の段差へと体を打ちつけ、そして転がり落ちていく。

がつんと、後頭部を鈍器で殴られたかのような衝撃を錯覚する。視界が揺れ、呼吸が一瞬停止した。
それでも、足は動かし、前へと。

「はああああああああっ!!」

「―――!?」

進行方面の側面から剣を振り被った兵士が迫る。
意識外にあった相手の行動に対処出来ない―――回避不可能。

『イケッ!!』

「なっ!?」

「!」

だが、向かってくる凶刃を白銀の騎士が体を滑り込ませ阻んだ。それに続き殺到する仲間達。更に後方より銃弾と召喚術が放たれる。
障害を進路から取り払われる。己の道が切り開かれた。
駆け抜ける。

「…………ッ!!」

無様に一段、また一段と階段を転げていく彼の姿。
力無く、落下していくその状態に逆らうことも出来ず、ただ鮮血を撒き散らしている。

終には地面へと吸い込まれるかのように、階段から身を投げ出された。


「ウィル君ッ!!!」


跳んだ。
させまいと、これ以上傷付けまいと、力の限りに跳んだ。
何者にも返られない存在を、受け止めた。

「くっ!!」

胸に抱え、そして跳んだ勢いそのまま石畳を音を上げながら滑っていく。
自分の体を下に晒し、被害は及ばないように彼を抱きしめ身を縮ませる。
階段に激突。勢いは失われようやく私達は静止した。
体を起こし上げる。

「ウィル君っ、ウィル君!!?」

すぐさま召喚術を発動。貫かれた胸に治療を施そうとする。
召喚されるまでの時間が惜しい。その一刻一刻が酷くもどかしかった。

「げほっ!? かはっ、ぁ……っ!!!」

「!!」

吐血。
口から吐き出された血が、私の視界を赤く染め上げる。顔が血に塗れた。
彼の顔が歪む。薄く閉じられた瞳はぼやけ、視線が定まっていない。繰り返される荒い呼吸が、鼓膜を通して何度も私の頭を揺さぶってくる。
涙が零れ落ちそうになった。

「しっかりして、しっかりしてくださいっ、ウィル君ッ!!」

「…………ぁ、せん、せ」

意識を繋げ止めようと、必死にウィル君に呼び掛けかた。
返ってきた細い声に僅かな安堵。感情の揺れを必死に抑え込み、状況を確認するだけの冷静さを取り戻す。

でも、やはり現状は芳しくない。傷口が深過ぎる。急所、心臓はかろうじて免れてるけど、肺には刃が届いていた。
ウィル君の傷口を治療しながら、私はこの状況を嘆く。

召喚術は万能じゃない。傷と消耗した体力を同時に癒すことは出来ないし、失われた血液も戻せない。
重度の怪我を治すのも、どれ程の時間を必要とするのか。一瞬で完治させるには、私の扱う召喚術ではなく、それこそ高位の召喚獣を使役しなければいけない。

込み上げてくる感情の波が全身を包み込む。
あの時のように、また繰り返してしまったこの光景に、とうとう目から涙が零れ落ちていった。

「バカタレッ!! お前が泣いて如何する!? そんな暇があったらさっさとウィルを助けんかっ!!」

「っ!」

駆け寄ってきたゲンジさんの叱咤に、唇を噛み締め涙を呑みこんだ。

――そうだ、泣いてる暇なんてない。今はただ彼だけをっ……!

自分のこれまでの経験、学んだ医療の知識、ありったけの魔力、全てを注ぎ込んで治療に専念する。
召喚したピコリットの身に纏う魔力の密度が増していった。


「マルルゥ、早くしろよっ!! 兄ちゃんがっ!?」

「先生っ、ウィル兄ちゃんっ!!」

「なっ、スバル!?」

「パナシェ君!?」

耳に飛び込んできた声に驚き顔を上げる。視線の向こうには竹林の向こうからやってきているスバル君達の姿が。様子からして、マルルゥもいるようだった。
如何して此処に? 治療を続けるも、思考が子供達に傾けられる。

周囲の注意が散漫になる。それにより、私達の元に1つの影が差していることに気付くのが遅れた。


「!!?」


「―――――――」


頭上。見上げる。
1人の少女が、私達の上空を舞っていた。

上方の階段から飛び降りたのか。
宙に身を置いて重力に引かれながら、彼女は此方を見下ろしていた。
視線と視線が交差する。私は突然のことで顔に驚愕を貼り付け、そして彼女はそんな私に対して笑みを作った。
それは何を意味するものだったのかは解らない。だけど、今の自分にとって、その笑みは決して許容出来るものではなかった。

――――この子に暴挙を振るって、何を抜け抜けと……っ!!?

全身に熱が灯るのを、はっきりと感じ取った。

「…………ぐつっ!?」

「え…………っ?! ウィ、ウィル君っ!!?」

呻き声に視線を下げれば、ウィル君が自分自身の脚に暗器を突き刺していた。
血が滲み出し溢れてくる眼前の様に混乱する。一体何をやっているのかと声を張り上げそうになった。
しかしそこで、ウィル君の定まらない焦点が消え失せ、瞳が僅かに光を取り戻す。

毒を貰っていた? 
痛みで強引に覚醒を促したのか。依然弱々しく、けれどはっきりと自分を見据えてくるウィル君の状態を見て、私は彼の奇行を悟る。
この状況下、躊躇いもなしに瞬時で決断を下した彼に、息を呑んだ。

「っ…………っ!」

「!」

持ち上げられた手が私の肩を掴み、下に引き寄せられる。
耳元に彼の顔が寄せられた。

「――――――」

「………………」

か細い声。
それでもはっきりとした響きを持つ声。
耳に届いた彼の声に、目を見開く。

「…………ウィル、君」

彼の顔を見詰める。
口の端を僅かに上げる本当に弱々しい笑み。眉尻を下げたそれは、自らの言うことが無茶だと分かっている、そんな困った笑みにも見えた。

「……お、願い、し、ます」

「…………はい」

こぼれるようにして口から出る懇願に、笑みを浮かべて頷く。
安心して貰えるように。約束するからと、だから心配しないでと、微笑みを返す。

私の了承に、ウィル君は玉のような汗を貼りつかせた顔を安堵に歪める。笑みを崩さず眉を寄せるているその表情は、同時に申し訳なさそうでもあった。

「先生っ、マルルゥ連れて来た!」

ウィル君と視線を交わす一方で、スバル君達が私達の元へ到着した。
ゲンジさんが何故此処に来たのか怒鳴って問い質したが、どうやら子供なりに自分達で出来ることをしようとしたらしい。
危険な戦場に子供達が赴いてきたのは注意しなければいけないけど、今は彼等の想いを素直に受け取る。

「まるまるさぁん、しっかりしてくださぁいっ!」

「マルルゥ、落ち着いて?」

涙の粒を流すマルルゥに諭すように聞かせる。
肺の方はもう塞がっている。止血もした。峠はもう越えている筈。治療が行えるマルルゥにウィル君を今は任し、私もみんなの所に行かなければならない。

「私の代わりにウィル君に治療を。これは貴方にか出来ないことなんです。だから、お願い」

「……はいですっ」

涙を浮かべながらも強く返事するマルルゥに、もう大丈夫だと判断する。
ゲンジさんにウィル君を預け、彼に負担を掛けないようにこの場を少しでも離れるように伝えた。本来ならリペアセンターへ一刻も早く向かって欲しいが、ウィル君を抱えながらこの場を突っ切って行くのはまず無理だろう。危険すぎる。

「後は、お願いします」

「……ああ、行ってこい」

立ち上がり、眼差しの矛を目の前の戦場へと向ける。
今までにない感情の早瀬を胸に秘めながら、そしてそれに弾かれるようにして、一気に駆け出す。
背後から感じられる魔力の波動。暖かな翠の光に後押しされるように、私は戦場へと身を投じた。


『…………恨ま、ないで……怒らないで、くだ、さい』


誰を、と主語が抜けた力のない言葉。
だが、彼が伝えようとした本意は、確かに届いた。
彼女の行動を納得した訳じゃない。私怨を振り払えた訳でもない。
胸から消えない身に余るこの感情が、何よりの証拠。

それでも、自分の為すことは決して報復の類ではない。

奪う為じゃない。傷付ける為じゃない。私が戦う理由は、今在る沢山のものを、守り抜く為だ。
気付かせてくれた彼の言葉。世話を掛けます、とお詫びを。傷付けて―――無理をさせてごめなんさい、と謝罪を。

ありがとう、と感謝を。

感情に振り回されるまま戦うんじゃない。憎しみ合って刃を振るうじゃない。
私の想いは、揺るがない。


―――もう、何も失わせない


疾走する身体に、強い意志と更なる想いを滾らせた。
















剣戟の音が境無く響き渡ってくる。
金属が打ち合うそれは、時には甲高く、時には重々しく、様々な音色を放ち続けていた。
絶え間なく届いてくる重奏に耳を傾けながら、イスラは周囲の様子を静かに見渡す。

アズリアの剣閃に対しキュウマが刀で打ち払い、ギャレオとカイルは激しいインファイトを繰り広げている。
残る帝国兵士達とアルディラ達は両者互いに応戦し合っていた。

(いい感じで熱くなってるかな……)

火花が散り、魔力の塊が炸裂する眼前の戦場。
繰り出される一撃一撃の中に容赦という二文字は存在し得ない。
凄絶。目の前で繰り広げられる光景は、その一言に尽きた。

「……それにしても、数でも地形差でも不利なのに、こうも物とはしないなんてね。正直、呆れちゃうなぁ」

カイル等に火を付けるような真似をした手前、予想以上の展開にイスラは嘆息の声を漏らす。
先程までの各々のグループの位置関係は、イスラやウィル達がいた境内を頂点に、階段を下りた層にアズリア率いる帝国軍、そして数段の段差を経たその下方にカイル達というもの。つまり、今現在カイル達は例外なく高位から攻撃を受け、そして反撃する際には低位からの実行を迫られる。
上方と下方、戦闘する際にどっちが有利など最早言うまでもないが、しかしその図式をカイル達は関係ないかのように押し寄せ、アズリア達と互角の戦闘を演じている。更に数の不利も覆して、だ。

境内の階段から直角に当たる竹林の前。戦火の及ばない位置で、「呆れるしかないでしょ」とイスラは1人呟いた。
その言葉とは裏腹に、何処か楽しそうな笑みを浮かべながら。

「ん?」

突如上がった悲鳴と爆音の方向に目を向ければ、召喚術を行使するアティとそれに対応する帝国兵士達の姿があった。
イスラはそれを無言で見やった後、側にいる狙撃兵の1人に声を掛ける。

「ねぇ、君の剣貸してくれない?」

「はっ? 剣、ですか?」

「そう、その腰に差してる剣。私のやつ、叩き折られちゃったからさ」

もう必要のなくなった自分の鞘を放り、声を掛けた兵士から代わりの剣を受け取る。
兵士は叩き折られたという発言に何とも言えない顔をしていたが、素直に差し出した。


この場にいる兵士はイスラを除けば弓や銃を持つ後方の部隊。乱戦と化している前方へ、味方の援護を行っていた。
「剣」を確保している兵士は此処には居らず、今はアズリアの後方で控えている。アズリアから「剣」を手渡された兵士は、その直後に戦闘が開始してしまい、そのまま巻き込まれてしまった為に後方部隊へ合流出来ずにいた。


アズリアとキュウマが織り成す剣戟を前に立ち尽くす兵士に、イスラは一目やって「ご愁傷様」と呟いた。
本来ならば―――帝国軍陣営の立場からすれば、彼の兵士ごと「剣」を第一に回収に向かわなければいけない。帝国軍の目標は「剣」奪取それ以外にないのだから。

だが、イスラは向かわない。見向きもしない。
この激戦地、誰もが余裕など持ち得ない現状。その中で唯一手を余しているイスラは、しかし目標を果たそうとはしなかった。
関係ない、如何でもいいと言うかのように、「剣」の所在とは見当違いの方向に視線を向ける。


彼女が見詰めるのは、赤い長髪を翻し果敢に杖を振るう女性。

そして、その奥で横たわる1人の少年だ。


兵士2人を前にして自身のみで相手をする赤髪の女性、アティにイスラは目を細める。
誰にも打ち明けることのない胸の内で、少しはやる気になったのだろうか、とアティの姿を見ながら零した。

(あー、腹立つ。本当にあのお人好し、何とかなんないかな。…………気に食わないことばかりだよ)

様子を見る限り、激昂しているようには感じられないあの姿勢。今この時でさえも戦う相手のことを気遣っている。
気に食わない。

常日頃からの態度も気に入らないし、何より口にする甘い戯言が不愉快だった。
誰構わず見せる心の底からの笑顔。信頼などという感情からくる幾つもの言動。叶いもしない夢物語。
本当に、気に食わない。


普段と変わりのないように見えるアティに、イスラは眉を歪める。
動揺もしていないのというのなら、離れ離れになってしまった今、自分が為した行動の意味がまるで見出せないではないか。

(…………もう流石に、嫌われちゃった、かな)

自覚はある。自分はそれだけのことをした。もはや、取り返しは付かないだろう。
先の行動に後悔はない。必要だったのだから。


――――必要であったのだ。故に、アレは必然だったのだ。


今更どのような手段方法も厭わない。後戻りなど、とうに不可能の地点に来ているのだから。
もう、自分は望みの為に前へと進むしかない。必要とあれば、何だってする。

それに、あそこで言ったことは恐らく自分の本音だ。
いざ行動を起こそうとすればためらうかとも思ったが、実際躊躇することもなく自然と手を前に突き出せたから。


自分という存在と近しい「存在」を、側に置いておきたかったのだ。

偽りで塗り固められている自分を理解してくれている「存在」を、手放したくなかったのだ。


きっと、それは本当だ。
偽ることしか出来なくなった今の自分が、偽ることをしなかった唯一の本当だ。

嬉しかったのだ。
あの時、自分の嘘を見抜いていた少年のことが。嘘の上辺ではなく、「自分」をちゃんと見ていてくれた彼のことが。
本当に、嬉しかったのだ。

だから自分の行動には後悔はない。
必要であって、必然であった。そして、本当だった。


ただ心残りがあるとすれば、それはやはりあちらが今自分のことを如何思っているかということと、手元に置くことが出来なくなったということ…………

「があっ!?」

「!」

上がった叫び声に、何時の間にか浸っていた思考の海から己を汲み上げる。
前方に向けられた視線に意識を戻せば、そこには倒れ伏す兵士の姿。
そして、此方へと疾走してくる外套をはためかす赤影。

「――――あはっ」

注がれている視線。自分だけを見据えている相手に、イスラは一笑。
如何やらそこまで悲観する必要はないのかもしれない。少なくとも注意だけはしてもらえているようだ。

剣を胸の位置で水平に構え、自らも向かってくる影だけを見据える。
心地の良い舞で踊れたらいい。頭に願望を描きながら、イスラは笑みを作り地を勢いよく踏み抜いた。











衝突


「イスラさんっ!!」

「何か用かな、先生っ!」

振るわれた杖と剣が、互いに弧を宙に描いてぶつかり合う。
軋みを上げる武器越しにアティとイスラの視線が交差する。蒼の瞳は鋭い眼差しを向け、漆黒の瞳は楽しそうに吊り上がっていた。

「何であんなことを!?」

「あんなこと、って何かな? 私が火を放ったこと? 先生達を裏切るよう真似をしたこと? それとも―――」

一息。


「――――ウィルを刺したことかな?」


「っ!!」

動揺し力のバランスが崩れたその機に、イスラは一気に切り払い、その衝撃でアティを後退させる。
たたらを踏むアティを、イスラは依然楽しそうに顔を歪めたまま見据える。あからさまなアティの様相に、目が愉快げに細められた。

「あははっ、分かり易いね先生? 見ていて飽きないや」

「……っ!! 如何してウィル君を!!? 答えてくださいっ!!」

「……先生、聞いてなかったの? さっき言った通りだよ」

クスクスと笑いながら、イスラは空いている手を胸へと当てる。
自身の素直な気持ちを打ち明けるかのよう、そのままさらりと言ってのけた。

「渡したくなかったんだよ、誰にもさ。―――ウィルを、欲しくなっちゃんたんだ」

「っ!! ……ウィル君はっ、ウィル君は物なんかじゃないっ! ちゃんと自分の意思を持ってます、そんな風に言わないでください!!」

「分かってるよ、そんなこと。でもさ、あのままじゃあ手に入らなかった。本当に、本当に欲しいのに、手に入らないんだ。自分のモノにならなくて、それで他人の手に渡っちゃう…………耐えられないでしょ?」

「そんなっ……自分勝手ッ!!」

召喚光。
頭に血が上るのを抑え、アティは詠唱を行いつつその場から更に後ろへと下がる。召喚術式を自身の出来る限りの速度で組み上げ、発動。
Cランク――比較的簡素な構築過程である召喚術を選択。攻撃力の代わりに速さを重視した戦法。

「誓約の名に於いて、汝此処へ! ギョロメ!!」

「タケシー!!」

アティの戦法に気付いていたのか、イスラもそれに応じるように低級召喚術を使役。
巨眼を隠し持つ小鬼と、電気を纏う魔精が姿を現す。放たれた呪波と電撃が一直線上で炸裂し、閃光と突風を生んだ。

「ッ!!」

ギョロメが送還、行動可能になると同時に前へ。
未だ召喚術の余波が残る空間へとアティは身を低くして飛び込んだ。呪波の残滓と電流が迫りくるが、アティはそれを魔力の放出――魔抗の劣化したもので遮断する。
足を止め集中していない分、本来の魔抗の効果とは程遠いが、召喚術の威力そのものが失われているこの場ではそれで十分。全身から魔力を出すことにより余波を受け付けず、そして炸裂した召喚術を目眩ましにすることでイスラへの不意打ちを仕掛ける。

電光石火。
文字通り、閃きを用いた一瞬の早業。視界を奪い相手の虚を突く。


「遅いよ?」


「っ!!?」

だがそれを、イスラは同じくして実行。
アティと変わらぬ動作で接近したイスラは、戸惑うことなく距離が無くなったアティへと剣を振るう。

自分の行動を先読みし眼前に現れたイスラにアティは逆に虚を突かれ、辛うじて向かってくる一撃を防いだ。
イスラはそのまま畳み掛けるかのように斬撃を見舞う。まるで疾風のように速く鋭い連撃に、アティは防戦一方を課せられた。

「あはははははっ!! すごいや、お姉ちゃんの言った通りだ!」

「つっ!?」

袈裟、横薙ぎ、切り上げ。

「言ってたよ、お姉ちゃんっ! あいつは前衛としても一流だって!!」

「くっ?!」

縦断、逆袈裟、上段回蹴。

「こんなに冴えてるなんて、普段の先生からは想像も出来ないかな!」

「うぐ……っ!!」

一閃。

「アッハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!!!」


喜悦に染まった笑声を上げながら、イスラは剣舞を演じる。
流れるような一連の剣撃は、時には鋭さを伴ってアティへ刃を翻す。流麗にして鋭利、華麗にして苛烈。裏と表の顔を併せ持つ自在の剣を、アティは危なげながらも凌ぎきっていた。

(――――縦、斜め、切り払い!!)

この攻防の中でアティはイスラの中に確かな剣の才覚を感じ、そしてまた彼女の剣が自分と同じルーツから来ていることを悟る。
ベースとなる横切りに、時折見せる鋭い一閃。様々な攻撃が織り交ぜられ掴み所がないそれは、しかしアティに慣れ親しんだ感覚を伝えてきた。

即ち、帝国の剣とアズリアの剣――帝国軍の剣術を基礎に、アズリアの剣技の一片を取り入れたアティと同系の型。

目の前で振るわれる剣は自分の剣と決してイコールで結べないが、それでも根本とする部分は変わらない。
帝国の剣を学び、アズリアに指導され、そして独自の鍛錬を重ねただろう彼女のそれは自分だけの剣と成っている。だがそれでも、ここまでくるまで自分とほぼ同じ過程を踏んでいるイスラの剣は、完璧でないにしても、読める。

「ッ!!」

「!!」

今振るわれた斬撃も見覚えのあるものだ。何合も打ち合わされる剣戟の中で、アティは確実にイスラの剣を見極めていく。
剣の才能はイスラの方がまず上だろう。自分が召喚師という理由もあるが、それでも変幻自在に剣筋が変わるこの剣は彼女が独力で昇華させたものだ。本来ならばこれは見極めるのは困難を極める筈。彼女の才能の片鱗が窺える。
剣を学ぶ境遇で差異の無かった、自分だからこその現状だ。

また、一撃一撃の重みが、軽い。
手数は途轍もないほど。鋭くもある―――だが、その鋭さに威力が伴っていない。
これもまた自分が怒涛とも言える彼女の剣を捌ける理由。

そして何より。
自分はこれ以上の速さで、太刀筋で、重みで、烈火の如く剣を振るう戦士を知っている。

―――何度も為合い、打ち合い、互いに研磨し高め合った、屈強な知己を知っている!

それからすれば、目の前の少女はまだ甘い。
一気に、前へ出る。イスラの剣筋を完璧に把握したアティは攻勢に転じようと身構える。

(次で……横ッ!!)

構えられた予備動作はアティの予測に的中。
押し返す。振るわれるだろう一撃に、アティは形成逆転を図った。



「終わりかな?」



だが、


(―――――――――――な)


剣が、軌道を変える。

間違いなく横に振るわれる剣。振るわれた筈の、剣。

その斬線が、途端鋭角に折れ曲がった。

顔面へと伸び上がってくる銀の煌き。
吸い込まれるようにして、大気を切り裂き目前に迫ってくる鈍い光沢。
―――凶刃。剣が、跳ねた。


「――――――――――――――――ッッツ!!!!!!!」


突き飛ばした。
自分の身体を、全力で刃と逆方向に突き飛ばした。
転がる。二転、三転。回避に体も意識も総動員した為に、体勢を立て直すことも儘ならない。
ようやく飛んだ反動が納まった頃には、身体のあちこちが汚れ擦傷を作っていた。

「―――――――…………」

呆然と、言葉を失う。
剣筋を読んでいた自分を、まるで嘲笑うかのような凶刃の太刀。それまでの太刀筋を全て無視して、一瞬で自分の命を奪いに来た。
石畳に身体を寝かせたまま、頭を起こし上げた体勢でアティは固まる。

型が、変わった。
自分のよく知る型から、一転して別物へと変わった。敵の命を絶つ為だけに生まれた、そんな暗い闇のような太刀筋。
まるで正道ではない―――光を浴びることのない、外道の剣。
過ぎ去った危機に未だ心臓が激しく脈打ち、顔を冷たい汗が伝っていた。

「…………よく、避けたね。ホントすごいよ、先生」

「っ!?」

剣を振るった体勢を平時の自然体に戻したイスラは、笑みを浮かべながら倒れているアティを見下ろす。
時を止めていたアティはその言葉で我に返り、急いで身体を立ち上げ、イスラと向かい合う。
そこで、見計らったかのようにアティの頬がぱっくりと割れ、血を溢れ出た。

「…………ッ!」

「あはははっ。完璧に、っていう訳にはいかなかったみたいだね。まぁ、そうじゃなかったら逆に私の方がショックなんだけどさ」

にこっ、と満面の笑みを浮かべてイスラはそう口にする。
アティは目の前の笑みに寒気を覚える。先程の一撃とはまるで関係ないような少女の姿、ともすれば必殺を放ったとは思えない。
端から見れば無邪気なその笑みは、しかしアティの目には酷く歪んだものに見えた。


「………………」

目を瞑り、息を静かに吐く。
少女の雰囲気に飲み込まれかけていた己の体を鎮め、強く前を見定める。
仕切りなおしだ。アティはそう自分に言い聞かせた。

「…………ねぇ、先生」

「……何ですか?」

そんなアティを見て、イスラは僅かに視線を強めた。
口は曲線を描いているが、何処か厳しい面構えに感じられる。

「まだ私に気を遣いながら戦うつもり?」

「!」

責めるような響きを持つイスラの言葉にアティは瞠目する。
少女の発言が事実であったからだ。

「さっきまでのあれ、私に何度か入れられた場面あったよね? 先生だったら出来たでしょ?」

「………………」

「加減が出来そうにないから見送ったのかな? だとしたら舐めてるよ。戦ってる最中に相手の身体を心配するなんて」

問いに答えようとしないアティに、イスラは益々視線を強めていく。
笑みが消え、険しくなっていく少女の眼光。アティはその視線から逸らそうとはせず、真っ向から受け止めた。

「今ので解ったと思うけど、私は先生を殺しにいくよ。遠慮なんてしない」

「…………」

「それでも、先生は私のこと気にしながら戦うのかな?」

問い掛けられた言葉に、アティは今度は黙ることをせず答えた。


「はい。私は、私のやり方で貴方を止めてみせます」


迷うことなく紡がれた言葉。
真直な意志を携えるアティの瞳に、イスラを顎を落とし視線を外す。
前髪が掛かって彼女の目を窺うことは出来ない。アティは空気が圧迫感を伴ったかのような錯覚を受けた。

だが、すぐにイスラは顔を上げる。前髪を掻き上げ顕になったそこには、笑み。
目を瞑りながら静謐な微笑を浮かべている。

「まぁ、別にいいんだけどね、先生が私のこと気にしながら戦っても。その分、私はやりやすくなるんだし」

瞼が開け、漆黒の瞳がアティを映す。
表情からは剣呑な雰囲気は消えていた。

「それは私に殺されても文句はないってことだもんね?」

「…………」

「本当に先生はお人好しだよ。馬鹿々しいくらいにさ」

「…………」

「うん、いいんだよ、それでもさ。構わない。そっちの方が都合はいいんだから。…………でも、」

そこでイスラは一旦言葉を切る。
何者にも窺うことのしれない黒の色彩が対の目を覆っていた。

「少し、頭にきたかな? こっちが真剣にやってるっていうのに、そんな甘いこと言うなんて」

眼をアティから外す。
彼女から離れた視線はそのまま横に動き、ある一点に向けられた。

そして、イスラは場にその言葉の羅列を投下する。


「先生は殺されてもいいんだろうけど、他の人はどうだろうね?」


「っ!?」

アティの体が雷に打たれたかのように震えた。
イスラの視線の先。先程まで自分が背にしていたその奥には、ゲンジと子供達、そしてウィルの姿。
今までの攻防で立ち位置が大きく変わった今、アティはイスラに其処までの直線の進路を譲ってしまっている。

余りにも迂闊。そして、無防備。守るべき対象は、ともすればいとも容易く少女の手に届く場所にある。
アティの身体から熱が奪われた。



「その甘い戯言、撤回させて上げるよ――――アティ」



少女の口元が狂気を構築する。
踏み出された一歩。その一歩で、イスラはアティを置き去りにした。


「――――――――――!!!!!!!」


瞬動。
軌跡を作る黒い影に追随するように一歩を踏み抜く。景色が線と化す。
決定的なまでな遅れを一歩で帳消しにし、次の二歩でその絶望的な距離を縮める。大気を後方へと追いやった。
三歩目。捕捉可能。捉えられる。

確信と共に踏み出される三の歩。だが、それが地面を蹴ることはなかった。


少女の体が反転する。


少女の眼差しがアティを射抜く。
見開かれた眼は獲物を映した猛禽類のそれと遜色がなく。
構えられた手、その中にある短剣は獲物の肉を引き裂く凶悪な爪そのものだった。

「なっ――――――」

投擲。
狩人の凶刃がアティへと肉薄。穿つは、心臓。

「ッッ!!?」

銀の閃光を、間一髪手に提げる杖で弾く。
半ば無意識の内の防衛。本能が身を守るべくした反応。瞬間、その刃を防いだのは奇跡と言っても過言ではなかった。
そして、奇跡に二度はない。

加速を試みようとした身体に咄嗟の防御反応、それにより体勢が大きく崩れる。
迎撃は適わない。今この瞬間に迫ってくる漆黒を迎え撃つ手立ては、存在しない。

少女の口が吊り上がった。



「――――君の死、でね」



後悔していいよ、と抑揚もなく続いた言葉がアティの鼓膜を振るわせた。
袈裟に上げられた鉄塊が、一気に此方へ目掛け大気を切り裂いてゆく。

――――終わった

死という威圧感を振りかざすそれに、アティは己の終幕を悟った。




血飛沫の華が咲き乱れた。










「―――――え?」

「ぁ、ぐ……っ!!?」


華の出所は、少女の手の甲。
死をもたらす筈の剣が、カランと音を立て地に転がり落ちる。
横たわる剣の柄の部分には風穴。また、そう遠くない位置の石畳に穿たれた円形の溝からは、硝煙が上がっていた。

終幕はまだ引かれていない。



『目標に命中を確認――――標討達成(ミッションコンプリート)』



鋼の黒騎が、静かに宣言をもたらす。

アティ達より遥か高方。境内からの長距離射撃。
重厚な鉄筒から吐き出された弾丸は、イスラの持つ剣をその小さな手もろとも正確に打ち抜いた。

「…………機械、兵士」

「ああっ、もうっ本当に頭にくるなあっ!!」

アティは見上げた視線の先にいる黒のシルエットに呆然と呟き。
イスラはこの状況と尽く邪魔をする彼の騎士に対し、顔を歪めて怒声を上げた。

血を振り撒きながら離脱するイスラにアティは一瞬反応したが、追いかけることはなかった。
此処から離れていない場所にいるウィル達が、未遂とはいえ、また狙われないとは限らない。
アティはその場に踏み止まった。

何より、落下してくるあの機械兵士の存在を放っておくことは出来なかった。
そう、此方へと迫ってくる、あの次第に大きくなっていく黒い影を見過ごすことは―――


「――――って、ちょっ!!?!?」


途轍もない勢いで迫ってくる黒の点に、アティは目をひん剥く。
これは疑いようもなく自分の頭上にクリティカルヒットではなかろうか!? 落下の軌道をゼロコンマゼロゼロ2秒で察知したアティは、今回の戦闘における自己ベストの反応でその場を飛び退いた。
頭抱えながら。


後に、粉砕、爆音。


舞い上がった石の破片が倒れ伏したアティの頭にパラパラと降り注ぐ。威力はサモンマテリアルとかの比ではない。
派手な音立てて石畳に亀裂を走らせたポンコツは、ニ本の足で大地に根を下ろしていた。
重々しいボディが日が出てもいないのに怪しげな光沢を放つ。

「…………な、何なんですか…?」

『……マスター!! 何処ですか、マスター!? 応答っ、応答してくださいっ! どうか、どうかご返事をっ!!?』

え、ちょっと、私放置ですか? と地面に這いつくばったままの体勢で、アティはこの仕打ちに対するコメントを頭の中で呟く。
身体と頭をブンブン振って辺りを高速で見回す機械兵士はアティの存在にさえ気付かない。
灯台下暗しってこういう時使うでしったけ、と昔本で読んだシルターンの諺を思い出してみる。そういえばウィル君も結構詳しかったですね、と思考を過去に走らせた。軽い現実逃避だった。

「…………あ、あのー…」

『マスターッ、一体何処にっ……む? 如何したのでありますか、そんな所で寝そべって? 体の調子でも悪いのですか?』

「………………」

悪気はないのだろう。だが、このやるせない感情は如何したものか。
自分を見下ろしてくる機械兵士に複雑な思いを抱きながらアティはのろのろと立ち上がる。

小柄なアティより頭一つも二つも高い機械兵士。黒と青で彩られ重量感のある全身は、目の前の存在が紛れもない兵器だとアティに伝えてくる。
だがその体裁は元より言動が、もうそんな物騒な響きと一切無縁であると感じさせた。というか少々抜けている感じが見受けられる。
無骨、というより、ポンコツ。何故かは分からないが、そんな言葉が思い浮かんだ。

『おお、よく見れば本機が援護を行った召喚師殿ではありませんか。ご無事でありますか?』

「あっ、はい、大丈夫です。……えーと、貴方は一体……?」

『申し遅れました。本機の名はヴァルゼルド。正式名称は、型式番号名VR731LD、強攻突撃射撃機体VAR-Xe-LD。機械兵士であります』

丁寧に名乗るヴァルゼルドに、アティは自分が持っていた機械兵士の先入観は間違っていたのかもしれないと思い始める。
機界ロレイラルを衰退へと辿らせたという兵器としての一面が、知識としてどうしても強く頭に根付いていたからだ。
目の前のヴァルゼルドを見ていれば、それは偏見だったと思わされる。

頭の隅で今は関係ないことを思考しつつ、アティは手短にヴァルゼルドとの応答を行おうとした。

「ヴァルゼルドさんですね。私はアティって言います。先程はありがとうございました。……それで、ヴァルゼルドさんは如何して此処に? ラトリクスの住人なんですか?』

『住人、というのには若干語弊がありますが、概ね間違ってはいません。本機が此処にいる理由はマスターの…………って、こんなことしている場合ではないであります!? マスターッ、何処でありますかっ!!?』

「ひゃっ!?」

突如アティから勢いよく視線を外し、ヴァルゼルドは周囲を見回し始まる。
アティは声を上げて目を瞬かせた。

「…………あの、さっきから言ってるマスターって誰のことを言ってるんですか?」

先程までの行動を同じようにして繰り返すヴァルゼルドに、アティは彼の言葉の中に含まれる「マスター」なる人物について問うてみる。
直前の言から、ヴァルゼルドが此処にいる理由はそのマスターが関係しているのだろうと察しが付いた。

『本機のマスターはウィル・マルティーニ殿! 不肖な本機を護衛獣に迎えてくださった心優しい少年でありますっ!! マスター、ご返事をっ!!!』

「……………………」

ああ、ウィル君か。
その一言で、一連のヴァルゼルドの奇行にアティは納得し、そして一気に疲れた。
というかウィル君何時護衛獣の契り交わしたんですか、と呼び出すの面倒などと言ってのけた少年に対し疑問を抱く。あの時の少年の顔は本当に面倒くさそうだった。

いやそれ以前に「心優しい」とは一体誰のことを言っているのだろうか。ヴァルゼルドの言うウィルが自分の知っているウィルを指しているのだとしたら、“心優しい少年”というレッテルは余りにも違和感が付き纏う。
むしろ“心優しそうな少年”の満面な笑みを浮かべ、「馬鹿も大概にしてくださいよこのマヌケ」とか毒舌を吐いてくる“心疚(やま)しい”少年だ。心がひねくれ病んでいるという意味で。

「あっ、今私うまいこと言いました」とアティは自画自賛。
聞きなれない人物の評価を耳にしたせいで、思考が変な方向に逸れていった。

『マスター、マスターァァッ!! マスターァアアアアアアアアアアアアアアア「ええい、黙れ!!」ぶぐぅっ!!??』

「うわっ!? って、ミ、ミスミ様っ!?」

マスターと連呼するポンコツの顔面に、煩わしいと言うかのように槍のスイングが叩き込まれた。柄の部分をもらったヴァルゼルドは背を仰け反らせる。
振り切られた槍と上体を歪める機械兵士に冷や汗を流しながら、アティは槍を振るった人物、ミスミに素っ頓狂な声をあげた。

「すまん、アティ。来るのが遅れた。存外に上の連中の相手に手間取ってな」

「ええっと、今までずっと戦ってたんですか……?」

「おお。そこのヴァルゼルドと一緒にな」

イスラに境内から離脱され追いかけようとしたが、ビジュ達残存勢力に妨害されたらしい。
片を付けようやくアティと合流したと、ミスミはそう説明した。

色々言うことはあったが、現状でミスミとヴァルゼルドの参戦はありがたかったのでアティは口を挟まず、自らも共闘を頼み込んだ。

「キュウマ達もあれでは多勢に無勢だろうて。わらわ達もすぐに行くとしよう」

「あ、はい。それはそうなんですけど……」

『マスターがいないのであります、鬼姫殿!?』

「五月蝿い! お前の目は節穴か!? あそこの竹林にいるだろうに!!」

『おおっ、マスターッ!! ご無事ですかっ!!?』

「行くなっ!!」

『おぶああぁああぁああっ!!?」

「………………」

ウィルの元へ疾走しようと試みたヴァルゼルドにミスミが容赦なく槍を膝にぶち込んだ。
バランスを崩し転倒するヴァルゼルドにアティは顔を引き攣らせる。というか、踏み込まれて支柱となっている片足、しかも膝に一撃を見舞ったミスミにアティは寒気を覚えた。
生身の相手ならそれだけで戦闘不能だ。皿が砕かれる、皿が。

「お主がウィルの元に行った所で何も変わりはせん! じゃったら、二度とあの子に危険が及ばぬようこの戦を終わらせる方が道理であろう!! 違うか!」

『……確かに、その通りであります。申し訳ありません、鬼姫殿。ご教授感謝します』

「分かればよい」

『マスターを心配するお心遣い、本機も嬉しいであります。マスターが貴方のことを母みたいな人物だと仰っていたのが、分かったような気がするであります』

「よせっ、照れるであろう!」

『そこで、ぜひ「お袋殿」と呼ばせて貰っても宜しいでしょうか?』

「やめろ。しばくぞ」

怖い。
照れた表情から打って変わったミスミの剣呑な表情にアティは素直にそう思った。
というか随分この二人砕けてるなー、とアティは見て感じた。上で戦っている時に何か共感することでもあったのだろうか。

「アティ、それでお主は気掛かりでもあるのか? 何か言いかけていたであろう?」

「ええ。私達がウィル君達から離れすぎてしまうと、危ないかもしれないってそう思って……」

敵となった少女が何をしてくるか分からない。
アティはその不安が拭いきれなかった。

「そういうことか。ならば気にするでない。わらわがもう既に手を打ってある」

「えっ?」

「こういうことじゃ!」

ミスミは笑みを作って手で印を結んだ。
その直後、ウィル達を中心に竹林の一角が風の渦に閉じ込められる。
激しい勢いで哮ける風は、間違いもなく竜巻のそれだった。

「これは、結界?」

「うむ。遅れた理由はこれを張り巡らせていたこともある。そう簡単には破れはせんよ」

「これなら……」

問題はない。
ウィル達に危害が及ぶことはないだろう。懸念事項は取り払われた。

アティは空高く上る風の流れから目を離し、背後に振り返る。
今も奮闘を続けるカイル達にアズリア率いる帝国軍。そして、撃ち抜かれた手を抱いて此方を見据えている、イスラ。
激しい戦場を介して、アティの視線とイスラの視線が確かに交じり合った。

「…………」

「さて、行くか。あの悪戯娘にがつんと言ってやらねば気が済まん」

「……はい」

『僭越ながら、自分はその程度で収められる自信がないであります』

ヴァルゼルドの瞳が一段と強く発光する。
手の中には銃が握られており、既に臨戦態勢に入っている彼は、この戦場の誰よりも激昂心を高ぶらせていた。

それに答えるように、ミスミは槍を構え、アティはサモナイト石を取り出し詠唱にかかる。
イスラとの戦闘の際繰り出した召喚術とは比べ物にならない魔力がアティの身体から噴き出していく。それは魔力で形成されたまた一つの渦。空間が打ち震える。

掲げられた手、その上空に現れるのは光輝く五振りの武具。
切っ先は戦場へと向けられ、今かと今かと力の解放を待ち続けている。

この場にいる者達みなが、伝わってくる魔力と眩い黄金の光に一瞬動きを止め。

そして、戦慄が走った。


「切り裂け、汝が刃――――」


韻が紡がれたと同時にミスミとヴァルゼルドが地を蹴った。銃砲が雄たけびを上げ、風が唸る。
間髪入れず、アティの閉じた瞼が一気に開かれ、ミスミとヴァルゼルドが接敵した瞬間。



「――――シャインッ、セイバーッッ!!!」



五条の光が楔となって、戦場に打ち込まれた。















「………………っ」


響いてきた轟音に、ゆっくりと目を開ける。
耳障りな浅い呼吸を繰り返しながら、周囲に視線を走らせた。

「■■■兄ちゃんっ、平気!?」

「兄ちゃん!!」

絶え間なく揺れている竹の群れに、それを取り囲む風の壁。
最初に目に入ってきたのがそれで、最後には瞳を揺らして此方を見詰めてくる「子供達」が飛び込んできた。

「『パナシェ』…? 『スバル』……?」

「■■■、しっかりしろっ!」

更に頭上から声。見上げれば、そこには逆さまに映る「ゲンジ」さんの顔。
どうやら、「ゲンジ」さんに背中を預けているようだ。

「■■■■さぁん……!」

「……『マルルゥ』まで。なんで…?」

涙を流す「マルルゥ」の姿も捉え、自然に疑問を口にしていた。
……誰かに何かをお願い事をしたのは覚えているのだが、如何せん、記憶が曖昧だ。
意識は完全に落ちていなかったが、それでも夢心地のような状態に成っているみたいだった。
頭にぼんやりと靄が掛かっているようで、思考が鈍い。

「兄ちゃんが捕まったって聞いたから、オイラ達、いてもいられなくなって……っ!!」

「……そっか」

今にも泣き出しそうな「スバル」の言葉を聞いて、理解した。どうやら、「子供達」に心配を掛けてしまったらしい。
ああ、例え仮であるとしても、これでは教師失格だ。また「ゲンジ」さんに怒られてしまう。

「大丈夫だよ、『スバル』。俺はこんなんでくたばったりしないって」

「…………兄ちゃん?」

安心させてやるように、「知ってるだろ?」と口にして笑ってやる。
スバルは瞳を揺らしたまま、驚いたかのように俺を見詰めてきた。

何をやっているのか、一体。「子供達」に心配を掛けるなんて。
「みんな」が自分の身の安全を気に掛けることなど毛頭もありはしないが、「子供達」は違う。純粋な「彼等」はこんな俺でも案じてしまう。

ああ、らしくない。全く以ってらしくない。
何時もは自分でもおかしいと思える程の不死身っぷりを発揮するくせに、今はこうして訳も分からないまま無様な姿を晒しているなんて。
本当に、らしくない。

早く立ち上がり、心配は無用ということを教えてあげなくては。
「アレ」の襲撃を喰らった訳ではあるまいし。腹に深刻なダメージは負ってはいないのならば、余裕の余裕。楽勝だ。

「ゲンジ」さんにもう平気と述べて、身体を起こし上げる。
「子供達」と「ゲンジ」さんは慌てて俺を止めようとするが、何言ってるんですか、と笑いながら受け流す。
何を今更、という感じだ。俺が変態なのはもうとっくに周知の事実でしょうに。

自分から自分のことを変態とほざく俺自身に苦笑する。
まぁ、でもそれもしょうがない。「みんな」に言われるように、自分でも認めてしまうくらい、それくらい、奇天烈だからな、俺は。

だって、俺は、■ッ■スなのだから――――




「ウィルッ!!!」




「―――――――ッッ!!!!!」


そこで世界が反転する。
はっきりと届いた「俺の名」は、偽りの意識を彼方へと追いやり、はっきりと「自我」を覚醒させた。
景色が、色を取り戻す。

「……………………ぁ」

「何を馬鹿なことを言っているっ!! 大人しくしていろっ! また傷が開くぞ!?」

ゲンジ、さんの怒声が鼓膜を揺すぶってくる。
俺に、ウィルに、無茶をするなと、そう呼び掛けていた。

「………………ああ」

「……ウィル兄ちゃん?」

「だ、大丈夫ですか?」

腰を浮かした中途半端な体勢で、呆然と立ち尽くす。
口からは納得の呟きが零れていった。

込み上げてくる痛みと吐き気。胸を焦がす痛みは頭の天辺まで響いてくる。
耐え切れず、腰を直角に折ってやり過ごす。

だが、実際はそんな痛みなど全く気に介することはなく。現状では痛覚など問題に成りはしなかった。
本命は、心の一番奥底でくすぶる、この不安定な情緒だ。


「………………………………だっさ」


自嘲の笑み。
中腰になって悟られないように浮かべたそれは、本当に馬鹿々しいもの。

先程の「あれ」は自分の本懐? 望郷?

それこそ、何を今更、だ。
救えない。本当に救えない。


「…………カッコ悪」


余りの馬鹿々しさに、余りの滑稽さに、素で笑いが込み上げ、止まらなかった。





「…………兄ちゃん、平気かよ?」

「……うむ、少しラリったが、問題ないぞ」

顔を覗きんでくるスバルに、姿勢を元に戻しイカれてはいないと告げる。
だが背筋を伸ばした瞬間に立ち眩み、よろける。……どうやら思っている以上に結構な状態のようだ。
イスラ、あの野郎……。

「ほら、立ってちゃダメだよっ!? 休まなきゃ!」

「パナシェの言う通りだ! いい加減にしろ、ウィル!!」

酔っ払っているかのような俺にゲンジさん達が腰を下ろすように促してきた。
あの嘘八百娘っ子に何てことしやがるんだと軽い殺意を覚えながら、ゲンジさん達の言うことに従う。

周囲を見回しつつ現状把握。
アティさんに頼み事してからの今までの経緯をこの状況から補完。
俺が人質に取られた子供達は少しでも役に立てるように此処へやって来て、そんで恐らくミスミ様が結界を張ってくれた、と。

すぐ傍らで心配そうに俺を見詰め、セイレーンで治療し続けるマルルゥを見やって、ふむと頷く。
現在進行形で行われているゲンジさんの説教を、澄ました顔で左から右に聞き流しながら大体の情報の整理をつけた。
こういう時にこの顔は便利だとつくづく思う。

「パナシェ、腰のポーチからジュウユの実二個くらい取ってくれない?」

「あ、うんっ。待ってて」

それくらい自分でやっても平気だろうが、取り合えず大人しくしてますよと伝える為にお願いする。
ごぞごぞと腰をまさぐられながら、今度は外の方に思考を傾けた。

ヴァルゼルドは恐らくアティさん達と一緒に戦っていることだろう。
色々境内でセッティングするまでアティさん達のことは語っていたから、ヴァルゼルドは協力しているはず。
あのポンコツも加わっているのだから競り負けるなんてことは万が一にもないと思うが……結界のせいで外を窺うことが出来ないから、こればっかりはな。把握しきれん。

もうここまで来たら「レックス」の記憶はほぼ当てにならないが、イスラが召喚師連中使って一斉射撃をしてくるのは動かないと思う。
「俺」の時も押せ押せの展開でいきなり放ってきたし。今現在の状況がどうであっても、多分イスラはやってくるだろう。

しかし、ブチかましてきたとして、どう防ぐか。「俺」の時は毎度おなじみ「剣」抜いて凌いだしな。
アティさんに「剣」抜かせる訳いかんし、かといって俺一人で如何にかなるもんでもないし。
……あー、面倒くさい。

「ウィル兄ちゃん、はい」

「ああ、ありがとう」

まず一個目。口に放り込み造血作用とやらに望みを繋ぐ。
正直、今の身体で何処まで動けるのか皆目見当がつかない。胸の痛みは健在だし、何時か味わった貧血の症状も見え隠れしている。
なるほど、ゲンジさんの言う傷が開くというのも強ち間違いではなさそうだ。

それでも、やらなければ。
例え体の調子が万全ではないとしても、怪我を被っているとしても、今の自分に出来ることがあるのなら。
己の為すことを実行するべきだ。果たすべきだ。

自分の望まぬ結果を迎えたことで後悔なんてするべきじゃない。後になってからナニカに気付いても、もう遅い。

もう理不尽にざけんなと泣きを見るのは間に合っている。
足掻くことを止めるな。自身が受け入れられる手段を、方法を模索しろ。
理不尽に屈するな。

胸の内に沸き起こった感傷のせいか、この時はより一層その想いを強く抱いた。


「まるまるさぁん……」

「何、マルルゥ?」

治療を止め、マルルゥが顔元に身体を寄せてきた。
彼女の手が俺の頬に添えられる。すぐ側にある彼女の顔は、普段の明るさが鳴りをひそめた、悲しげな表情だった。
いかん、また心配させてしまったか。ダメだ、もう本当に救えない。
マルルゥの気遣いはとても身に染みる思いなのだが、それ以上に俺のハートが悲鳴を上げている。
子供で更に女の子を泣かすとは、堕ちる所まで堕ちたものだな、貴様も! でもそれも不可抗力のような気がするのですよ。

器用に片手でマルルゥを包み込むようにして、親指の腹で頭を撫でる。
「レックス」の際によくせがまれていたので、慣れたものだった。マルルゥの艶のある細かな髪の触感が指から伝わってくる。
んっ、と声を漏らし身をよじるマルルゥを見て、自然笑みが浮かんだ。

「大丈夫だよ、マルルゥ。君のおかげですっかり良くなったから」

「………………」

撫でられた頭を両手で抑え、上目遣いで此方を見詰めてくるマルルゥは、まだ心配そうな色を浮かべていた。
これはさっさと戦闘終わらせてもう安全であることを分かってもらうしかないな。物騒な音が鳴り響いてくる現状じゃあ、安心するのも出来ないだろう。

「おい、ウィルッ、動くんじゃない! 何処へ行くつもりだ!」

「トイレです、トイレ。恥ずかしいですから、察して下さいよ」

さらりと言ってのける。
ゲンジさんにも嘘を吐くようになるとは、俺も黒くなったものだ。
まぁ、「レックス」の時なんて嘘ついたって決して信じて貰えなかったけど。というか俺の言うこと全部疑ってたがな、「ゲンジ」さんは!!
泣けてきた!

「……でかいほうか?」

「イエス」

「…………そこの茂みでしろ。いってこい」

あれ、何かすんなり許可下りたんですけど?
もっと言い包める必要があるかと思ったのに、拍子抜けしたな。

まぁいいやと勝手に納得し、戦場とは逆方向の竹薮へ向かう。
その途中で「紙はあるのか」と声を掛けられた時はビビッたが。油断も隙もないぜ。流石ゲンジさん。

「ミィ……?」

「お前までそんな顔するなって。平気だよ、さっさと終わらせよう」

隣で大丈夫かと尋ねてくるテコに、苦笑で返答する。
よく出来た相棒は俺のすることをもう察してようで、不安げな表情を隠そうともしない。
問題ないって。多分。

竹に遮られゲンジさん達の視界から消えたことを確認し、瞬時に気配を殺す。
「うんこ」に理不尽だと言わしめた気配遮断のスキル。何普通に『隠密』してるんだ貴方は、とかほざかれた。知るかよ馬鹿。
進路変更し、少しでも戦場に近い方面を目指す。
姿を見られても存在感薄いから気付かれないと思うけど、そこは用心して竹林の中を迂回するような形で進む。

そして内と外の境。結界の目の前までやって来た。
この手の結界は外からの干渉には一切の容赦もないが、内側からの接触は自由。簡単に抜け出られる。
風の壁――竜巻に手を伸ばし、触れるか否かで風が避けていくのを確認してよしと頷く。問題なし、と。
では、行くか。


「ダメですよ~~~~~~~~!!? 戻ってくださいっ、まるまるさぁん!!」


なぬっ!!?

「ま、マルルゥ!? なして此処に?!」

「まるまるさんが心配だから内緒で付いてきたのです! それよりも、行っちゃダメですっ、まるまるさんっ!!」

シット!? ゲンジさん達だけに意識を集中していたせいで刺客の存在に気付かなかったとは!?
アホか俺は!!?

「マルルゥ、どうしたんだっ!?」

「あーーーっ!!? ウィル兄ちゃん!!」

「何をやっておるんだ貴様はっ!! 大人しく此処で糞を垂れろ! 厠(かわや)など贅沢を言うなっ!!」

しまった、見つかった!?
ていうかゲンジさん意味が分からないです!!? どんだけ糞がしたいんだ俺は!?

「ええい、強行突破! ムジナァッ!!」

鬼のサモナイト石を取り出し、速攻でムジナを召喚。
「すすしオトシ」でスバル達の周囲を煤で暗闇に染める。

「え、えんまくぅっ?!!」

「兄ちゃん、きたねえっ!!?」

「げほっ、ごふぉっ!!?? ま、待たんか、ウィル!? 厠はこの近くにはないぞ!!?」

違ぇーよ!?
しつこいよアンタ!? ていうか厠から離れろっ!!

「行くぞ、テコッ!」

「ミャ!」

竜巻を一気に抜け、そしてすぐ視界に戦場が飛び込んでくる。
距離が思ったより離れていた。どうやら結構遠い場所で治療を受けていたようだ。

「…………ぐっ」

足が一瞬沈みかける。
まずった。本当に重症だ、これ。普段の調子なんて程遠い。
予想が甘過ぎた。

今ムジナを使った反動もあるのか、魔力の調整も上手くいかない。
召喚術もキツイかも。……どうすんだよ。

「……舐めんな」

この程度で挫けるか。
そうだ、俺はこれより酷い状態に陥ったことなど腐るほどある。
血が逆流して口からぶちまけたなんて、日常茶飯事だったじゃないかっ。
「アレ」の襲撃に比べれば、この程度でっ!! やってやる、やってやるぞっ!


「まるまるさぁん……」

「うおっ!!?」

決意新たにして一歩踏み出した所で、耳元で細かな声が響いてきた。
目を剥いてそちらに視線を回すと、先程と同じように顔を曇らせたマルルゥの姿が。
振り切れてなかったのか? マジかよ。

「マルルゥ、今すぐ戻れ! いや冗談抜きで!!」

「……いやです。まるまるさんが戻らないなら、マルルゥも戻りません」

「……っ」

こんな時にっ…!
もう一度説得しようと足を止めてマルルゥを見据える、だがそこで悟った。
彼女は何を言っても聞かないと。それこそ、俺が戻らなけらば彼女も動かない。

召喚術で此処に縫い止める?
ダメだ。あと何度正常に使役出来るのかも分からないのだ、ここで使って土壇場で発動出来なければ本も子もない。
マルルゥを止める術がない。

「…………マルルゥ、戻ってくれ。お願いだ」

「一人では、いやなのです……」

「…………」

目を背け、前進を再開する。
そしてすぐ、当たり前のようにマルルゥは俺の隣に随伴してきた。

顔を歪め、目を瞑り、吐息する。
瞼を開けた次にはマルルゥへと手を伸ばし、その小さな身体を掴みとった。

「ひゃっ!?」

「しがみついてて」

首の後部にマルルゥを回し、離れないように伝える。
こうなってはもうしょうがない。時間もないのだ、マルルゥと一緒に戦場に飛び込むしかない。

今の状態ではマルルゥに降りかかる危険に意識を割く余裕はない。
離れずに、一心同体ならぬ一身同体で突き進む。くそぃ、何故こんなことに。

力のない足取りでアティさん達の元へ急行する。
見た目頼りない感じバリバリだが、そこは気合と根性でどうにかするしかあるまい。

「まるまるさぁん……」

「何?」

横に流れていく風景の中、マルルゥが首元でささやく。
当然目はそちらに向けず、声のみで彼女に応じた。



「…………泣いているのですか?」



「――――――――――――――」



言葉を、失った。


「マルルゥ、みんなが笑っていてくれると嬉しくなるのです。それとは逆に、みんなが泣いていると、マルルゥも悲しくなってしまうのです」

「……………………」

「まるまるさん、目を覚ました時すごく嬉しくて、マルルゥ胸がぽかぽかしました」

「……………………」

「でもすぐに、まるまるさんはとても悲しくなって、マルルゥ泣きそうになりました」

マルルゥ、妖精である彼女は周囲の感情を感じ取ることが出来る。
今言ったように、人が喜びや嬉しさを感じていれば、彼女もそれに共感し自身も喜びに染まれるのだ。
それが理由でマルルゥは他人の手伝いを率先して行っている。人が笑っているところを見ると幸せになれる、「マルルゥ」はそう言っていた。

逆に、人の害意、負の感情に当たれば調子を崩して倒れ込んでしまう。
嘆き、憂い、悲愴。それに触れてしまえば、彼女もその者の悲哀へと身を落とすことになる。

つまり、そういうことだ。
馬鹿の感情に晒されてしまったマルルゥは、それを感じ取ってしまい、ああまで心配するような真似をしていた。
ここまで付いてきたのも、その為だ。

自分の蒔いた種だった。本当に救えないと思う。
でも今は。“悟られた”という事実が何よりも重く、そしてキツかった。

「…………大丈夫、大丈夫だ。……ああ、大丈夫」

「………………」

自分でも分かった。出てきた言葉は震えていたと。
マルルゥに向かって口にした言葉は、もしかしたら自分自身にも言い聞かせていたのかもしれない。
足は止めず、同じ言葉を繰り返し、そして反芻した。
大丈夫だと。心の底に押し込めた感情は、もう溢れることはないと。
繰り返し、言い聞かせた。


『~~~~~~~~♪』

「……? マルルゥ?」

前触れもなく、マルルゥが歌を紡ぎ出す。
何をしているのか戸惑い、だが次には身体の芯に熱が篭ったかのように、身も心も軽くなった。
暖かさに包まれていた。

(…………これは、『応援』? 妖精の歌?)

そして、理解する。
マルルゥが俺を抱きしめてくれているのだと。自分の背を、押してくれているのだと。
身体の動きが快活を取り戻していく。冷えていた心が暖まっていく。独りではないのだと、気付かされる。

動く。為せる。進んでいける。
折れはしない。屈しもしない。理不尽などに、負けはしない。
魂に火がついた。


「――――――ありがとう」


いつか聞いたものと同じ、「彼女」の歌を身に控え。




突き進む身体から、過去の残滓と確かな悲しみを、振り払った。



[3907] 8話(下)
Name: さもない◆8608f9fe ID:94a36a62
Date: 2009/03/08 20:56
然もないと  8話(下) 「卑怯者の気取りは崩れてはいけないモノだと思う」 











足から伝わる硬質の感触。石畳を蹴り上げ腱を震わす絶え間ない振動。
疾走。戦場へと身を翻し、肉薄する。

『マスターッ!!!』

マルルゥと共に渦中に飛び込んだウィルに、護衛獣の叫びが届く。
皮切りに、戦場の視線が彼の元へ注がれた。

「――――」

ウィルは瞬時に戦場を一望。アティやカイル、仲間の位置を捉え、同時に敵の配置を掌握する。
そして、後方。戦火の届かぬ最後尾に敵の陣形移動を確認。悟られないようにしているが、間違いなく、あの動きはウィルの予測に当て嵌まる。

「…………!」

「ウィル君っ!?」

未完の陣形を庇うように背を向けているイスラ、そして彼女と打ち合うアティの視線がウィルに向けられる。
深緑の瞳が少女の見開かれた黒の双眸とぶつかった。ウィルの眼がイスラを見据え、そして彼女は目を見開いたまま凝視する。
絡み合った視線、互いの瞳は何も語らずただ先の人物を映すのみ。僅かな回合だった。
そしてウィルは、そんな少女に対し、右手を持ち上げ、


「いっぺん死ね貴様!!」


中指を押っ立て、そう言ってのけた。


アティはその光景を見て、顔に引き攣った笑みを張り付かせる。
どっからどう見ても何時もの調子を取り戻している少年の姿に戸惑いを隠せない、というか何ですかソレと文句を言いたげそうだった。

地獄に堕ちろ!と言わんばかりのウィルに、イスラは顔をきょとんとさせ、そして顔を綻ばせた。
べー、と舌を出して「却下」と物申してくる。ウィルはそれを見て、今度は親指を上げて思いっきり下へと向けた。


(イスラにはアティさん、ギャレオにはカイル、ワカメは消去、アズリアはキュウマで、他はファリエル達が抑え込んでいる、と)

アティ達から目を離し、情報を確認。
自分の思い描く図面に対し、そう易々とまかり通りそうもない戦況展開に、ウィルは渋い顔を作って舌打ちをした。

「ヴァルゼルド!!」

『!』

痛む肺を堪え、声を張り上げる。
従者の目線に自分のそれも合わせ指示を交わした。

――援護しろ

――了解

主の命を受けたヴァルゼルドは自身が展開していた戦闘を強引に放棄。
弾幕を盛大にばら撒き、敵勢力を遠ざける。間髪入れず、リロード。
ウィルの進行上に銃身を向け、引き金を引いた。

「う、おっ!?」

「っ!?」

身に迫った弾丸の雨に、帝国兵が蹈鞴を踏む。
横からの援護射撃、それを受け、障害が取り払われ眼前の道が開けた。
一気に身体を滑り込ませる。突破。

「まるまるさん、大丈夫なのですかっ!?」

「安心されよ、身体は動くっ」

マルルゥの声に力強く返答。
彼女の「応援」の効果により、身体が活性化を促され、本調子ではないにしても十分現状維持は可能だった。
感謝の言葉を心の中で呟き、ウィルは手に持っていた残りのジュウユの実を口に投げ込む。
貧血症状も今は見られない。前を見据え、走り続けた。

仲間と帝国軍が剣戟を交わす中、縫うようにして駆け抜けていく。
うろちょろと動き回る目障りなウィルを帝国兵が叩き伏せようとするが、ヤッファやスカーレルの斬撃がそれを阻む。
苛烈な剣戟を後方に引き、混雑された群れを抜けた。視界が開ける。

「小僧ッ!!」

「!」

そこで、ウィルの前に大剣兵が立ち塞がる。
いち早くウィルの狙いに気付いたのかは定かではないが、追手がない状態で待ち構えていた。
いや、鋭く吊り上がっている眼が私怨に満ち溢れている。どうやら個人的な恨みらしい。ちなみに服焦げてる。

身に覚えのない眼光に疑問を感じつつ、ウィルは投具を抜く。
体格、身長差はもとより、武器のリーチ、威力が違い過ぎる。真っ向から打ち合うというのなら、どちらが有利など明白。
ウィルの勝機は絶望的。マルルゥが息を呑んだ。

「喰らえっ―――」


「ぐはあぁっ!!」


「―――って、何いぃ!!?」

「まるまるさん?!!」

大剣兵は何もしていないのにも関わらず、ウィルが突如血を吐いた。
吐血。大剣兵の目の前で鮮血が飛び散る。石畳が殺人現場よろしく赤く染まっていった。
大剣兵は剣を振りかぶった状態で目をひん剥いた。マルルゥも。

「テコ」

「ミャーミャッッ!!!」

「おほうぅっ!!?!?」

すかさず、金的。
口元赤く濡れた狸は何事もなかったかのようにテコへ指示。岩をも砕くロケット頭突きが大剣兵の股間に炸裂した。
奇声を上げ崩れ落ちる兵士。汗を流しそれを見詰めるマルルゥ。

「……ま、まるまるさん、平気なのですか?」

「あれはさっき食べたジュウユの実。口に含んだままで、そのまま吐き出した」

感心していいのか分からない。
無垢な花の妖精は、後頭部しか見えない少年の対応に戸惑った。

「ミャミャ!!」

「ぬ!?」

「わわわわわっ!?」

会話を交わす両者に、テコが警告を上げる。
ウィル達のいる場から離れた遠方。陣形を組みつつあった召喚師の一人が此方に狙いを定めていた。

既に詠唱は終末を迎えつつある。練られた魔力量と長時間詠唱、それらからウィルは中位、もしくは高位召喚術と判断。
持ち手のサモナイト石では、相殺は不可能と悟った。

「タマヒポ!」

現れたのはメイトルパの召喚獣。
ずんぐりと丸い巨体に緑の瞳。それが二体。青と赤、雌雄の組み合わせで召喚される。
そして、歯を大きく覗かせるその口から吐かれるブレスは、猛毒。

「アシッドブレス!!」

「召喚!」

眼前に出現したタマヒポが攻撃する直前に、ウィルは高速召喚を執行。
構築された術式は、誓約を交わした召喚獣を一瞬にして自分の元へと呼び起こす。
敵召喚師の中級召喚術に対し、ウィルが切った手札は―――

―――高くそびえる、黒き壁。

射線上に現れたそれは、濃緑の粒子からなるブレスをその身に受け、



『ぎゃあああああああああああああああああああああああああ!!!!!??』



絶叫した。


「よし、いこう」

「ミャミャ!」

「…………………………」

この光景を前にしても平然と行動を再開する少年。
側に控える召喚獣はどこか機嫌良さそうな音色で返事をした。
妖精は沈黙を貫く。

召喚されしは鋼鉄の召喚獣ヴァルゼルド。
その巨大なボディで魔力の吐息を一杯に受け止め、粉砕。
忠実な黒騎士は主人の一方的な都合により犠牲となった。
契りを交わした相手間違っている召喚獣NO.1の称号は伊達ではない。見事な撃滅っぷり。泣ける。
彼の今後を考えた必須アイテムは赤狸も大絶賛プリティ植木鉢か。LUC+5の他にもMDF+5の補正がある。ちなみに耐獣属性。相性抜群。

ブレスの直撃を被り、漆黒の巨体がバチバチと全身をショートさせ地に倒れ伏す。
焦げあがった鎧から、環境に悪そうな煙がもくもくと立ち昇っていった。

「お前の名前は絶対に忘れない」

「ミャーミャ」

「………………」



そして、一行は進む。

既に目標はすぐそこ。視界の中にはもう捉えている。
ウィルとそれを結ぶ直線上には既に障害は存在しない。後は一直線に駆けるのみ。

だが、本当にそれだけで目標は達成するのかと問われれば、ウィルは首を縦には振らないだろう。


「!? 貴様っ!!」


何故ならば、最後にして最大の難関が残っているのだから。

視界の隅より、動向に気付いたアズリアが急速に接近してくる。
ウィルの狙いを察したのか、キュウマの剣を弾き飛ばし此方を優先してきた。

「ウィル!? くっ!」

キュウマも気付きアズリアの後を追おうと試みるが、そこに矢が放たれる。
後方よりの支援攻撃が、キュウマの行く手を阻んだ。先程から攻撃は続いていたのか、キュウマの身体のあちこちに傷が見え隠れしていた。

(それでアレと闘り合うとは……よくやるよ、お前も)

その傷付いたキュウマの姿を見て、ウィルは胸中で賛辞を送る。
今回の事件の功労者はキュウマかな、と苦笑の思いを抱いた。


「止まれっ! でなければ加減は出来んぞ!!」

「どっちにしたって斬り伏せるでしょう、貴方はっ…!」

ぐんぐんと距離が縮まってくるアズリアに、ウィルは意識を戻す。
ウィルの直進に対し、アズリアはほぼ直角になるように疾走。
接敵までにもう時間は残されてない。ウィルは手の中にある投具を握り締め、そしてこの今の展開に顔を顰める。

本来ならばキュウマと協力しアズリアを押さえる算段だったのだが、今となってはもう遅い。
アズリアと弓の両方を捌いていたキュウマは疲弊しきっている。離れている距離も既に取り戻せるものではない。
ウィルの独力で、アズリアという障害を越えなければいけない。

(無茶だって……っ!!)

顔を歪め、苦渋の笑みを浮かべる。
例えウィル本来の調子だったとしても、アズリアの相手には役不足。純粋な戦闘能力では、ウィルは彼女の足元にも及ばない。
テコと協力した所で結果は同じ。竜骨の断層での結末が繰り返されるだけだ。

ベストコンディションには至らないこの状況で、一体如何すればいいというのか。


「まるまるさぁん……っ!」


だが、止まるわけにはいかない。
首にしがみ付き、か細い声を上げる少女の為にも。
自分を後押ししてくれた彼女の為にも、諦める訳にはいかないのだ。
故に、折れはしない。屈しはしない。負けは―――


「――――して、たまるかっ!!」


急停止。
前進を止め、アズリアの直進と交わる軌道から進路を転換した。
元来た道を若干戻るような形でアズリアの側面に回りこむ。

「!」

「ミャーーーーッッ!!!」

更にテコを停止地点に残し、アズリア目掛けさせ特攻。
二方からの同時襲撃。アズリアはウィルの仕掛けてきた戦術に目を見開く。


「ッッ!!」

だが、怖じけない。
彼女もまた心に抱くモノの為にも、ここでウィルに勝負を譲る訳にはいかない。
眼力が強まり、剣を握る手に力を込める。

現状の様子から、ウィルよりもテコを脅威と判断。
その場で足を止めたアズリアは、両者に対応出来るよう身を開き、そして意識をテコに傾けた。

「―――――――――」

「っ!?」

殺気。
突如放たれた殺気がアズリアの注意を妨げる。
出所はウィル。静かな、そして同時に冷たさを伴う眼光がある一点に向けらていた。
今までに感じたことのない、恐ろしく平坦なそれにアズリアは緊張を強いられる。このような無機質な殺気、長い軍行生活においても初めてだった。


「疾ッッ!!!」


そして、投擲。
放たれた暗器は大気を穿ち、アズリアに向かい直進する。

「っ!」

それを、アズリアは僅かな身体の動きで回避。
殺気に圧されはしたが、軌道を完全に見極め、回避した。

「ミャミャーーーー!!」

「はあっ!!」

「ミィ!?」

続いてやってきたテコも、往なすことはしないで剣で弾き返す。
衝突の衝撃で手に痺れを被る。ウィルに回避行動を止む無くされた為に正面から受け止める形になったが、しかし問題はない。
痺れを残す右手から左手に剣を持ち替え、次にはウィルへと疾駆する。

「やれっ!」

「え、うひゃあっ!!?」

アズリアの接近にウィルは視線を強め、首に控えていたマルルゥを彼方へと放る。
巻き込まれないようにする為か、アズリアの進撃に対して己のみで迎い合った。

「…………はぁあああああああっ!!」

そのウィルの姿勢に対しアズリアは一黙。
だがそれもすぐに終わり、ウィルを討たんと左手が大きく引かれた。
渾身の突き。少年の姿勢に、一撃を以って終わりにしようと心に誓う。

ウィルが腰を落とし、身構えるのを捉え、アズリアは一閃を繰り出す。



「――――――――――な゛っ」



しかし、突きは繰り出されることはなかった。

激痛が、アズリアの背中を焼く。
身に纏う軽装が貫通。機動性を重視された薄手の防具―――それが、穿たれたのだ。
思考に痛みというノイズが割って入る最中、アズリアは何かが自分の背を投じられたのだと悟る。
崩れかける身体を踏み留め、後方を振り返った。

「…………何故っ」

瞳に映えたのは、腕を振り切ったキュウマの姿だった。
石畳に膝を付いた体勢で、キュウマ自身も目を見開き呆然としている。

馬鹿な、とアズリアは口から驚異が漏れ出す。
今までの戦闘において、アズリアと支援の部隊に対してキュウマは投具を使い切っていた。
支援部隊に投具を放って反撃をしていたからこそ、キュウマはむざむざ矢の的にならずにアズリアと斬り合えたのだ。
そして、アズリアを前にして出し惜しみなど出来る筈がない。投具はとっくに底をついており、ウィルが乱入さえしなければ彼女はキュウマを仕留める寸前まで追い込んでいた。

なのに、何故――――



「くたばれ」



「―――――ッ!!?」

腰を深く沈めたまま、ウィルは足を踏み切る。
アズリアが顔を前に戻すが、もう遅い。


ウィルが先程殺気を向けた相手はアズリアではなく。その奥に控えていたキュウマ他ならない。
以前襲撃した際に放った同種の殺気、それに対しキュウマは本能レベルで察知。矢を往なそうが何をしていようが意識を其方に向かわせざるを得ない。

トラウマと化している一件。その前触れに反応しない筈もなく、キュウマはもはや反射と言ってもいい程の速さで向き直り、そして身に迫る投具を受け止めた。
つまり先程の一投がアズリアに容易く避けられたのは、それ自身が彼女を狙った放たれたものではなく。ウィルの本命は、キュウマに投具を預けるというただ一点。軌道、速度、全てがウィルの全力の投擲とは程遠いものだった。
進路をわざわざ逆走と変わらないように取ったのも、自分とアズリア、そしてキュウマを一直線上に敷き上げるため。テコの突撃は的の足を縫い止める牽制、そして意識を分散させるデコイに過ぎない。

キュウマがウィルの思惑通りに動くのか、もはや賭けに等しいこの策の瀬戸際だったが、天秤はウィルに傾いた。
視線、そして合図と共にキュウマは反射的に動き、掴み取った暗器を投擲。アズリアの進撃を阻害した。

与えられた一瞬。時間とは呼べぬ僅かな猶予の中で、ウィルは現実可能な策を構築。
即断即動。少年は、速攻の動作を展開した。


何時もお前とは綱渡りを演じることになる。
そう悪態をつきながら、ウィルは回転。遠心力を帯びた蹴りが空間を走り抜け、アズリアに肉薄した。


「―――――――ッッ!!!!!」


そして、炸裂。


「がはっ!!??」


胸を抉るようにして捉えられた箇所は、脇下。人体急所。
突きの予備動作の為に空いた穴。プレートの覆われていない一点を、上段回し蹴りが貫く。
踵に確かな手応え。打ち抜いた。

「ぐっ、がっ……!!?」

「……」

崩れ落ち、激痛に呻くアズリアを放置。
ウィルは目標へと向かう。

「ッ!!」

動き出した同時に、多大な魔力が吹き上がった。
それと同時に召喚光がウィルの視界の端に出現する。出所は竹薮の前面。それはウィルが最初に捉えた未完成の陣形の跡地。
陣が完成へと至ったのだ。そして、それの意味することは帝国軍召喚師達による召喚術の同時執行。
つまり、導き出される結論は―――


「召喚術の一斉射撃!?」


―――最大級の砲撃が投下されるということ。
ヤードの驚愕の声、悲鳴とも取れる叫びがウィルの耳を打つ。
時間はない。余裕など何処にもありはしない。ウィルは己の身体に鞭を入れて前へ駆け抜ける。


「くっ、くるなあっ!?」

「断固拒否だっ!!」


眼前。目標―――「剣」を携える兵士と自分を隔てる存在は一切ない。
ガタがきている身体に目を瞑りながら、ウィルはギアを一気に上げる。
帝国兵は空いている手で剣を装備。身を畏縮させた体勢でウィルを待ち構えた。

「去ね」

だが、ウィルは眼前に佇む帝国兵の狼狽など関係なしに、その一言をもって切り捨てる。
相手に構ってやる時間など存在しない。ならば瞬殺。一挙の元に敵を無効化する。
ウィルはサモナイト石を取り出し、発動。深緑の煌く光が周囲を照らし出した。


「召喚・深淵の氷刃」


召喚された「テコ」自ら己の持つ魔道書を使役。光が立ち昇った瞬間、地表に数多の氷の柱が突き出していく。
中級―――Bランクに該当するその召喚術は大規模に渡り、当然、その威力も今までテコが使役したものより跳ね上がる。
乱れる氷刃が帝国兵に殺到した。

「ぐああぁあぁああああぁっつ!!??」

「っ!!」

自身の周囲から囲むようにして突き出してきた氷柱に、為す術もなく帝国兵はその身を晒される。
切り裂かれ、穿たれ、氷結される。絶叫を上げ、帝国兵はその手に持っていた「剣」を衝撃により宙へ放り出した。

落下していく「剣」の元へウィルが趨走する。
弧を描き重力に引かれる一振り。軌跡を作るその光景を、何処か緩慢な流れの中で追いかける。

終着、地面に打ち付けるや否やの寸前。ウィルは自分の身体を空中に投げた。
そして、アティという適格者の手から離れた、純白の「剣」へと手を伸ばし――――



――――掴み取った



瞬時に、接続する。
そして、「剣」の淵へ埋没した。



――――照合確認

――――資格保有

――――条件達成

――――封域解除

――――選出

――――登録対象に相違

――――領有対象に不適合

――――訂正、類似領域を認知

――――件例無し、該当事件存在せず

――――保留

――――保留

――――保留

――――保留解除

――――同系列、魔力波形を確認

――――読み込み開始

――――魂殻の同義を認知

――――現適格者比類、相異率……微々

――――訂正、多大…………否、変動

――――件例無し、該当事件存在せず

――――保留

――――保っ、ウ、りゅ、ザイ、う

――――外部、シ、干、ツ、しょう、コ、確ッ、イ、にんっ

――――ウ、回、セ、ろ、ロ、遮っ、だだだだだだだ、んっ

――――…………………………………………

――――……………………読み込み開始

――――…………検索中

――――……ヒット

――――担手情報確認

――――現資料に追記

――――適格者による「核」の接触を認可

――――上書き中…………

――――…………

――――……

――――最適化

――――更新完了

――――登録対象外、補助ユニットの存在を認定

――――アクセス、許可



(沈め)

干渉。
「剣」というシステムに我を強引に割り込ませる。
彼が「彼」であった際、核識の残留思念を介して行われていた行為。知識という名の武器を掘り下げ、そして手中に収めた。
残留思念を掌握した後は、大した労を払うこともなく、慣れた。
「彼」でなくなった現在においても、魂が覚えている。

闇の奥、碧輝く回路が散りばめられる階層へと身を落としていく。
触れるのは表層で拵えられた格識の魔力封域ではない。
資格を持ち得ない者はともすれば弾き返される絶対防壁、しかし彼は難なくとそれを越えて「剣」の奥底へ埋まっていく。
目指すは、深層階域。

『――――――――――』

途中、膨大な知識、夥しい言葉の羅列が碧の光条として、彼の横を駆け巡っては過ぎ去っていく。
それは遍く事象の定理と真理。普遍であり不変でもある絶対の法則。共界線を通じて「ココ」に保管された世界の理、それが凶悪な質量となって圧し寄せてくる。
情報の濁流が彼を呑み込もうと、顎を開いた。

『邪魔』

それを、流す。
押し寄せる濁流を寄せ付けない。今は関係ない、と「剣」に蓄えられた情報を背後へと流していく。無意識の中の魂殻による反射。
召喚術式の発展、詠唱省略、オーバーロード、「島」の構築図、核識の憂い。既知であるものも未知であるものも含め、全ての情報を片っ端から跳ね除けていった。

そして、深層階域。

アティという適格者を既に登録している「剣」に該当する対象以外が接触を計るのならば、直接「剣」を「剣」たる存在に成し上げている「核」へと働きかねなければならない。
「剣」の力を利用するというのなら、尚更。

『…………』

「核」を、認識する。
何処までも広がる暗澹の闇、その中に存在する鈍い輝きを放つ剣。
剣の形を作っているそれは、過去に「彼」が「剣」を喚ぶ際に常から脳裏にあったイメージと相異はない。
「核」、そのもの。



――――掴み取る



――――格識を経由

――――共界線より魔力を吸引

――――術者生命維持を誘起

――――起動





――――抜剣、可能――――





暗澹の闇に、蒼の人影が浮かび上がった。












――――するかぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!



してたまるか!! とウィルは蒼い人影に向かって吼えた。


【き、君は!?】

『どの面下げて俺の前に出てきやがった貴様ッ!!?』

【えっ、い、一体何を……】

『うるさい黙れ消えろっ!!!!』

【ぶげらっ!!?】

掴み取っていた「核」を、蒼の人影に向かいフルスロー。
回転を伴った剣を形取っている「核」が蒼の人影、っていうかぶっちゃけハイネル、に命中。柄の先端が丁度横っ面に突き刺さった。

『死ねっ!!』と無様に横たわり痙攣する亡骸に最後言い渡し、ウィルは意識の浮上を開始する。
アティに抜剣させるつもりがなければ、己も更々それをしてやるつもりもない。可能と言った所で「するかよタコ」と言って切り捨てるのは当然で必然。女性陣に手を出した撲滅対象、その封印解除の手助けなど断固としてお断りである。何よりハイネルむかつく。顔が気に食わない。

「剣」は忌むべき物である。以前とは違う、頼る必要などない。
というか、ラスボスとか白いのに深く関わってしまうと分かっていて使う筈もない。出来ることなら廃棄処分にしたいというのが切なる願いである。
眉を吊り上げ半眼。不機嫌な面を隠しもしないで、ウィルは「剣」の階層から抜け出でた。



「―――――――!!」

埋没していた我を引き上げ、そして視界が深い闇から色彩鮮やかな光景へと切り替わる。
「剣」での出来事は、外では一瞬としても捉えられていない。切り離された時間の中で全て行われていた事柄。まだ事態は一時も進行してはいなかった。

雨情の小道。
我が舞い戻った先は先程までの戦場地。色を、匂いを、音を、流れてくる感覚を知覚する。思考も時間も復活を遂げた。

「っ!」

「剣」に飛びついた姿勢を把握、外界と内部の時間経過による誤差に顔を顰めつつ、地面に墜落、次いで一回転。
受身を取り瞬時に身体を持ち上げる。
旋回、眼差しを集束された光の渦――召喚光へと固定。射定めた。


手に握られるは、封印の魔剣。
過激派の召喚師集団、無色の派閥によって生み出された古代よりの至宝。
始祖ゼノビスが創作したそれは、彼の頂点、エルゴの王が振るった「始源の剣」を起源とする絶対の一振り。
共界線からの魔力を経て「剣」へと昇華されたそれは、唯一無二のオリジナルに勝るとも劣らない。

あの程度の砲撃、打ち払えなくて何が魔剣か。


「――――――――寄越せ」


「抜剣召喚」そのものは却下。擬似的に接続を果たした「剣」より抜剣時の超回復のみを召喚。「剣」が脈動した。
核識より供給された魔力がたちまち身に被った損傷を修復する。
そして、同時に胸に重々しい痛み。まるで刃の毀れた剣で抉られたような確かな痛覚。
今まで施された召喚術も含めて、急激な治癒は身体は治せど魂を磨耗させる。今までの負担は元より、理を越えた今回の超回復―――過負荷が、「剣」の補助無しに魂へと容赦なく刻まれた。

激痛が迸る。


「――――――――震えろ」


己を焼き焦がす事象に、しかし彼は顔色一つ変えず「剣」を構える。
碧の光線が「剣」から伸び、腕、肩、首、頬へと走り抜ける。数条のラインが浮かび上がった。
撃鉄が上がる。

純白の「剣」が、薄い碧の膜を帯びた。


「―――――――――――」


目を瞑る。
一瞬のみの、闇の幕間。

痛みなど問題に介さない。痛みなど幾らでも耐えられる。痛みなどに、屈しはしない。
本当に耐えられないのは、折れてしまいそうになるのは、己の奥底に封じ込められている寂寞だ。
だが、負けてはいけない。流されてはいけない。「自分」を押し殺し、此処で必要とされる己だけを、召喚する。
それが、「ウィル・マルティーニ」とする自分の確かな役目。誰に命令された訳でもない、「俺」の、己の意志。
それは、嘘なんかじゃない。決して、嘘なんかじゃない。
何故ならば、此処にいる人達の絆は、「絆」とも変えられるものではないのだから。

幕間は取り払われ、開かれた双眸に碧の色を灯す。


「――――――――えっ?」

「――――――――鳴け」


正に放たれようとする異界よりの波動。
それを防ごうと、「剣」へと伸ばされた本来の適格者の手。「剣」を呼び起こそうと上がった叫喚を、「それ」を携えた彼は打ち払う。
意思を跳ね除けられた彼女が此方へと振り向く。瞠目された蒼の瞳、しかし彼はそれに取り合わない。

発動するのは「剣」の魔力封域。
資格無き者を全て拒絶する魔力のうねり。それを調整、補強、底上げして、一気に解き放つ。

「剣」が光輝を放出した。


そして、臨界。


数多の色で構成されている光の奔流が、少女の号令と共に猛威を振り撒き――――





「爆ぜろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!」





――――顕在したマナの嵐が、それを遮り、粉砕した。















【大丈夫。私、先生の……貴方のこと、大好きです】


意識を失う直前、確かに彼女の笑顔と涙を見た。
そして、気付いた――――


――――ああ、俺も――――


胸の奥にある彼女への想い。いや、本当は気付いていた、「自分」の想い。
長い時間を隔たって彼女の顔を見て、ようやく、「自分」自身の、…………



蒼と山吹の光条に彼女は消えて、次には全てが闇に包まれた。




















目を開ければ、そこに映るのは木張りでできた天井。
吊るされた照明から淡く、けれど芯がある光が放たれている。
今更見間違える筈もない、何時も目覚めた時に目にする光景。辺りから漂う木の匂い、それに混じって微かな潮の香りが鼻をくすぐる。
カイル達の船に設けられた、自分の部屋。


「ウィル兄ちゃん、上の方なんか見てどうしたの? 何かあるの?」

「蜘蛛でもいるのか?」

「ちょっと、止めてよ!? また出たの!?」

「蜘蛛の一匹や二匹でそんな慌てずとも……」

「いえ、スカーレルでなくても寝ている時に顔へ落ちてくれば誰でも弱腰になります……」

「そうか? 蜘蛛の数匹貼り付いても気になんねえと思うがなぁ」

「それは兄貴だけだって……」

「まるまるさ~ん、まだナウバの実沢山ありますから、一杯食べてくださいね!」

……オーケー。
現実逃避はもう止めるぜ、パナシェ。

上に向けていた視線を元に戻し、密度が非常に高くなっている室内を見やる。
パナシェにスバル、ミスミ様とマルルゥに、カイル達四名。入るのには少々きつい人数が俺の部屋に居座っていた。
椅子やベッドに座っていたり、もしくは立ってままの姿勢で、各々会話や行動をしている。


あの召喚術の一斉射撃を相殺した後、帝国軍は撤退。
ぶっ倒れた俺はそのままリペアセンターに直行されたらしい。「剣」を使ったということでそれは念入りに検査されたそうな。
結果は異常無し。貫かれた胸の傷もさっぱりと消えており、入院するだけ無駄とのことで自室に帰ってよしとアルディラから許可が下りた。
それでも疲労は蓄積されてるのだから、今日明日は安静に、と言い渡された。

そんな道程を経て、今現在俺の自室。
カイル達が居座っている理由は、普通に俺のお見舞いだったりする。最初こそは大丈夫かと労わりの言葉を掛けていたが、今はくっちゃべったりと適当に過ごしていた。ちなみに俺はベッドの上で身を起こしている。
ていうか、見舞いすんだならもう帰れお前等。一応怪我人だぞ、俺は。


「はい、どうぞ、まるまるさ~ん」

「……うん、ありがとう、マルルゥ。ありがとうなんだけど、既に僕五本くらい食べたよね? オイラ流石にもうお腹一杯かなー、って」

「……いらないですか?」

「いやゴメン嘘。冗談、冗談ですから食べさせて下さいすいませんでした」

「はいですよ~!」

顔に翳りが入ったマルルゥの顔を見て、すぐさま前言を撤回するオイラ。
散々心配掛けた手前、そんな顔されるともう良心が吐き散れそうです。嬉しそうにマルルゥはナウバの実を取って俺に渡してくる。その優しさが今一番残酷なり。泣けてきた。
くそっ、もう堪忍や堪忍っ。これまだ後四本残ってる訳だからそれも食わないとあかん。死ねるっ、ナウバの実好きだけど、これは死ねる!!

隣でニコニコと笑っているマルルゥにそんなこと言える筈もなく、黙って皮を剥き一口。
実は戦闘直前に盛大に腹を殺られ、胃に何か送る度に痛み出す始末。「剣」の超回復もこれは完治させるのは適わなかった。ていうかどんだけだよ、「剣」で治んないって!?

だが……これのせいで現実逃避をしていた訳じゃないんだ。いや、勿論含まれてはいるが、これが本命ではないんだ。
むぐむぐとナウバの実を咀嚼しながら本当は胃薬が欲しいと思いつつ、逃避の直接の原因に目を向ける。

「…………………………………………」

「むぐっ、んぐっ…………で、さっきから何なんですか、先生?」

俺が意識を取り戻してからそのままずっと半眼で睨んでくる天然に向かって声を掛ける。
何も言わないから放置してようと思っていたのだが、無視する時間に比例して段々と眼光が強まってきている。今では声を掛けるのを躊躇われる程に。周りのみんながアティさんに触れようとしないのはそれが原因だった。
余りの視線に俺も居た堪れなくなったので、止めてくれるまで逃避していたのだが、もう無理だ。ナウバの実と胃の痛みのコンボに、この更なる追い討ちは身体が持たない。

「……………………………………………………」

「いや、お願いですから何か言ってくださいよ」

口を開かないアティさん。じー、と責めるような目で俺に見詰めてくる。
当の俺は顔に疲れを滲ませ、げんなりとお願いする。
面倒臭いから放置したのは謝りますから、本当もうソレ止めて。

「…………言ってるくせに」

「はい?」

「……私には『剣』を使って無茶をするなって言ってるくせに、自分は平気で使ったじゃないですかっ」

「…………えー?」

何ソレー? って感じで俺はアティさんの言葉に呆れを作る。
そんなこと言ったって、あの場合如何しろ言うんだ。俺が「剣」使わなかったら、貴方普通に抜剣してたじゃないですか。
俺の使い方なら特にペナルティないし。怪我も治るしね。精神とかの方はきついけど。
怒っている、ともすれば拗ねているような表情のアティさんを見て、俺は普通にそう思った。

「そんなこと言っても、僕がそうしなかったら先生こそ『剣』抜いたでしょう。しょうがないじゃないですか」

「しょうがなくなんかありません! 私はいいんです!!」

「良かねーよ、良か」

バカチン、と言うようにアティさんへ返す。
何だその不思議理論は。

「ウィル君はっ!! …………ウィル君はあの時、怪我、してたんですよ? それなのに、『剣』なんか使ったら……」

「…………うっ」

声が段々と小さくなって、更に瞳に涙を溜めだすアティさんに、俺は喉を詰まらせる。
ちょ、ちょっと待ち!? 何か俺滅茶苦茶悪いみたいデスっ!? 自分、貴方の為にかなり頑張ったんですけど?!
主にハイネルとかハイネルとかハイネルとかに会わせない為に!? やっぱりあの白いのが元凶かッ! マジで潰すぞ貴様!!

「いや、あの、別に僕が使っても、危険は別にないじゃないですか……?」

「……そんなっ、証拠っ、何処にもないじゃないですかっ」

「いやだってほら、先生以外の人が『剣』使っても、嵐が起、き…………」

起きるだけ、そう続けようとして気付く。
ヤードに「剣」の話――ヤード自身が使ったら嵐が巻き起こったということ――を聞いていないアティさんは、適格者以外の人間が「剣」を使っても抜剣出来ない、いや嵐のみが発生するだけということを知らない、という事実に。
護人達に聞いて「剣」を使いこなせるやら、継承者云々に関しては知っているかもしれないが、他の誰かが使用しても碌に発動しないということを分かってないのでは? つまり、他の人が使っても何かしらの危害が及ぶと、そう思っているのでは?

また、それに伴って、アティさん同様ヤード達の話を聞いていない俺もその事実に気付いている筈もないということに繋がる。
……シット!? せっかく「剣」使っても怪しまれないよう、嵐を上手い具合に起こしたって言うのに!?
アルディラとか護人に疑われずに済んでも、この場じゃ何の意味もない!?

「……何ですか?」

「いえ、あの、その……」

目から溜まった涙を拭い、アティさんは続きを促してくる。
しかし、俺は何も答える術がないと気付かされたわけで……。

「………………無理をして申し訳ありませんでした」

謝罪するしかないわけです……。
眉尻を下げたアティさんは、次にはそれを吊り上げて口を開いた。

「…………もう絶対あんなことしないで下さい」

「それは……」

貴方が無茶する限り保障出来ない。
そう言おうとしたが、アティさんの強まった視線に口を閉じるしかなかった。
畜生、こえー。

「先生さんっ、まるまるさんを怒らないであげてください!!」

と、そこに横で俺達を見守っていたマルルゥが、アティさんを諌める。
彼女の視線から俺を庇うようにして、竹林の時と同じく顔へ寄り添ってきた。頬に当てられた小さな両手がくすぐったい。
それを見て、アティさんの俺に向けられる視線が半眼になり更に強まった。
って、ちょ、えっ、な、なしてっ!?

「……ウィル君、マルルゥを洗脳するのは止めてください」

「何言っちゃってんのアンタ?!!」

何故そうなるっ!?

「マルルゥ? ウィル君にはちゃんと言って上げなきゃダメなんです。そこを退いて?」

「嫌ですっ! まるまるさん、もう謝ったじゃないですか! まるまるさん反省してるですから、先生さんも許して上げてください!!」

「……マルルゥ」

顔を困らせたようにするアティさん。
言っていることは間違っていない。正論だ、アティさんは何も言い返せない。
おお、いいぞ、マルルゥ! 効いている、頑張れ!!

「まるまるさん、あの時はすっごく悲しくて、それでもとっても頑張ってむぐぐぐぐぐぐぐっ!!?」

それはマズい。

「…………………………ウィル君」

「いや、ちょ、誤解……っ!?」

マルルゥを抱きかかえ指で口を塞ぐ俺に、アティさんが絶対零度の視線で見詰めてきた。
くそっ、あれは洗脳がどうたらだとか間違いなく確信してやがる。ていうか信用無さすぎだろ!? 洗脳って何だ、洗脳って! 鬼畜か俺は!?

「まぁまぁ、アティ。それくらいで許してやれ。ウィルもみなのことを思って必死だったのだろう?」

「(コクコクコクコクッ!!!)」

「ミスミ様……。でもっ…」

「それにウィルの言った通り、一つ違えばお主が無理をしたのではないか? 人のことは言えんよ」

「うっ……」

ブラボー! ミスミ様ブラボー!!
流石年長者、話が分かるっ! 貫禄がありなさるぜ!!

「まっ、そういうこったな。お前さん方、どっちもどっち、似てるってこった」

「えっ……」

「本当に傷付いたような顔しないでくださいっ!!」

「はいはい。じゃ、ここでお開きにしましょ? ウィルも身体休めなきゃいけないんだし」

スカーレルの合図により、そのまま解散となった。
子供達のまた明日という声にああと頷き、みんなを見送っていく。
最後に部屋に残ったアティさんはドアをくぐろうとする直前、後髪を引かれるように此方へ振り返った。
整った柳眉を寄せ、何処となく困ったそんな表情。

「……先生」

「……はい」

「ごめんなさい」

「…………」

「……あと、ありがとう」

何時の日かと同じように、俺の身を案じてくれた彼女へお礼を言う。
涙ぐんで自分の名を呼びかけてた彼女を覚えている。治療に専念していた必死な彼女の横顔を覚えている。自分の願望に頷いてくれた彼女の微笑を覚えている。
全部ひっくるめて感謝の言葉を届けた。自然、笑みを浮かべて。

「……………………」

アティさんは固まったまま、暫く何も言わなかった。
いや、驚いていたのか。判断は付かなかったが。
そして、それからすぐに頬を朱に染め、顔を綻ばせた。

「もう、無茶しないで下さいね?」

「ハイ、約束します」

「嘘っぽいです……」

悪戯っ子のようなアティさんの疑いの眼差し。そんな彼女の視線に対し、俺は肩をすくめる。
それを皮切りに、二人揃って噴き出した。

「でも、本当に約束ですよ?」

「うぃ」

「……お休みなさい、ウィル君」

「はい、お休みなさい」

柔らかい笑顔のまま、アティさんはドアをくぐり部屋を出ていく。
木の軋む音がドアから発せられ、パタンと閉められる。長い赤髪を見えなくなるまで目をやり続け、俺はベッドに仰向けで寝転がった。

「本当に子供みたいな人だな……」

天井を見上げながらそう呟く。
人に感謝されてああまでして顔を綻ばせるのは、彼女くらいだろう。子供達を褒めて、その際に返してくれるあの笑顔と変わりがない。
まぁ、そこも彼女が人を惹きつけて止まない長所の一つなのか。どんなに小さなことでも喜んでくれる、気取らない彼女の本質。
俺には真似できん。

「ミャミャ?」

「ああ、もう眠いよ」

顔に寄ってきて視界に入ってきたテコに返事をする。
今日は結構な時間意識が吹っ飛んでいたんだが、それでもこうしていれば眠気がすぐに襲ってくる。身体が休息を欲しがっています、と。
真面目に消耗、疲れているな。

「くぁ……」

あくびを一つして、今日のあったことに意識を走らせる。
一日の内に沢山のことがありすぎた。錯覚かもしれないが、如何しても内容が濃く、凝縮されていたと思ってしまう。
自分の行動を振り返っても、中々際どいことしてたし。他人に勘ぐられることはないと思うけど……。

最も懸念事項だった「剣」のことについても、先程思った通り、護人達には「剣」の暴発にしか映らなかっただろう。
一番の頭の切れるアルディラが診察をした後解放したのだから、そこのとこは明白だ。問題はない。

ゲンジさんにはこっぴどく怒られはしたが、ラリってた時のことは触れられなかったし。ヴァルゼルドは大破はしたが一命は取りとめてる。今は管理施設の方で修理中。うん、問題ない。
他は……ああ、うんこか? 襲撃したのが俺だと普通にバレた臭いな。いや、これは別に如何でもいいけど。

「……あの嘘吹き娘」

回想していき、最後のぶっ倒れる前に、こっちに手を振って去っていったイスラを思い出す。
もはや何も言いたくはないが、戦争やっといて笑顔で去っていくな。訳分からん。

「ああ、訳が分からん……」

「にゃ?」

「イスラのこと」

「ミュー……」

自分に喜んで構ってくれていたイスラに対し、テコも複雑な思いだろう。目線を下げて切なそうに鳴いていた。
俺も胸ぶっ刺されたしなぁ。考え通り、目的の為に俺を利用したんだろうけど……ダメだな、真意がはっきりしない。「イスラ」よりも過激だったということに落ち着くのか? むー、分からん。
まぁ、人の真意など他人が分かる筈もないのだが……。


『ウィルー、起きてる?』

「むっ?」

「ミュウ?」

控えめなノックと共に、扉の向こうからこれまた控えめな声が。
起きてるよ、と返事をすると開けたドアからソノラが手に器を持って入ってきた。

「? 如何したの、ソノラ?」

「ウィルがさ、お腹空いてるんじゃないかな、って思って。ほら」

そう言ってソノラは手に持った器、見た感じ魚介類のスープを身体を起こした俺に見せてくる。
湯気が立ち上って香りも漂い、確かに美味しそうではあるが……

「……ソノラ、僕がマルルゥにナウバの実食べさせられてたの見てないの? 相当な量を胃へ運び込まれたんだけど?」

「気にしない、気にしなーい」

「するわ……」

ベッドの側に備え付けてある、引出し兼物置きの上に器を乗せる。テーブルにある椅子を引き寄せ、ソノラ自身腰を落ち着けた。
む、本当に腹キツイんだけどな……。

「それにほら、これウィルが釣ってきた海老が入ってるんだよ? せっかく釣ってきたのに食べて上げないなんて海老に失礼だと思わない?」

「海老に失礼なんだ。釣ってきた僕が食べなきゃもったいないとか、そういうのじゃないんだ」

いいからいいから、とソノラはスープを勧めてきた。
本当にもう満腹ですありがとうござしましたな俺は難しい顔をして海老入りのスープを見詰める。
それで見かねたのか、ソノラは器を自分で持ってさじでスープを掬い、俺の元へ差し出してきた。

「よし、じゃあ私が食べさせて上げるよ。ほら、あーん」

「…………やめい。自分で食うわ」

ソノラから食事一式を奪い取る。ソノラは「もう、素直じゃないしー」と眉を吊り上げて見せたが、無視。
「もう」じゃない、「もう」じゃ。ハズいだろう馬鹿。
なし崩しに食事を取ることに溜息を吐きたくなったが、ソノラの好意なのでそれを飲み込んだ。女性の思い遣りだ、跳ね返す訳にはいくまい。
俺ではなく、海老に向いているがな。

「…………」

「……美味しい?」

「んっ」

「そっか」

釣り上げた海老を食べ、確かに美味いと胸中で一言。素材もいいことには間違いないだろうが、味付けの方も見事だ。これはオウキーニさんが手をかけたのかだろうと察しがついた。
隣にいるテコにも分けて共に口にしていく。スプーンで掬ったスープを念入りに息を吹きかけ一舐め。それでも熱かったのか、口を手で押さえてテコは小さな呻き声を上げた。まぁ、猫舌だしね。

カチャカチャと、食器の音だけが部屋に響いていく。
俺の側にいるソノラは先程の応答でそれっきり。今の何も言わず、口に笑みを浮かべて食事の様子を眺めていた。

「それで?」

「えっ?」

「何か話したいことあるんでしょ?」

視線は下げたまま、テコにスープを与えながらソノラに尋ねる。
俺の言葉に驚いたのか、ソノラは少し間を置いて、それから苦笑するように口を開いた。いや、事実していたのだろう。

「あたしそんなに分かりやすいかな?」

「どうだろ。少なくとも、僕には分かりやすかったかな」

「そっか……」

そこでまた沈黙が訪れる。テコの食事の音だけを除いて、何をするわけでもない淡々とした時間の流れが部屋を満たしていった。
俺は何も言おうとせずに、テコにスープを与え続ける。

「あたしさぁ、イスラが初めての友達だったんだよ」

どれくらい時間が経過したのか。長くもあったような気がしたし、酷く短くもあったよう気がする。
前触れもなく、ソノラが小さな唇の隙間からそれを落とした。

「仲間は一杯いたんだ。此処に来るまで一緒だった海賊連中がそうだし、ずっと広がる海の向こうで知り合って、杯を交わした人達もそう。島のみんなもおんなじで、先生も、ウィルも私達の大切な仲間」

目はベッドの方へ落としたままだったが、ソノラが俯きながらそれを言葉にしているのは分かった。

「初めてだったんだよ。あんな風に楽しく、遠慮なく、思ったことを話せたのは。本当に面白かった。一杯、笑えた」

仲間と、友達。
それの明確な線引きは俺には分からない。だが、ソノラの言いたいことは伝わっていた。気持ちは、理解出来た。

「ああ、こういうのを友達って言うんだな、って、その時分かったんだよね。イスラと会って、話をして、笑い合って、それがよく分かったんだ」

隠そうとしてしていたのか。

「それで、どうしてだろ。何でこんなことになっちゃったんだろ。…………わかないんや」

いや、抑えていたのだろう。


「…………わかんっ、ないよっ…!」


声が震えるのを。
それを言葉にする中で、ともすれば溢れ出してきてしまいそうなそれを、必死に抑え込んでいたのだろう。

「全部、嘘だったのかなってっ。今までのイスラは全部嘘だったのかなってっ、友達だって思ってたのはっ、私だけなのかなって……っ!!」

次第に震えは大きくなっていき、もう既に嗚咽へと変わっていた。
手を止めると、喉に詰まったソノラのか細い声だけが部屋に反響していく。ただただ、少女のしゃくり上げる音が耳朶を通り抜けていった。


きっとイスラのことは、誰もが胸に秘めて、そして口にすることは出来なかったことだ。
今まで過ごした少女の変貌に戸惑って、信じられなくて、悲しんでる。
それを言葉にしてしまうのを躊躇って、自分の中だけに留めておいている。その形がどうであっても。

ソノラの場合は恐らく、イスラに気を許していただけに、みんなの中でも最も身近に感じていた為に、胸に抑えておくことが出来なかった。
誰かに聞いて貰わないと、すぐにでも爆発してしまう程の感情の激流。制御の効かない、衝動だったのだろう。

まるで質の悪い時限爆弾。早かれ遅かれ起爆してまう、物騒なシロモノ。
此処でイスラが俺達に背を向けることになっていた時点で、こうなることは決まっていたのだと思う。少女の感情が爆発してしまうことは、決定事項だった。


「多分、僕はソノラの次にイスラとは話していたと思う」

だからこそ、ソノラは此処に来たのだろう。
イスラを知っている奴の話を聞いて、聞いてもらって、明日からまた踏み出していける踵にする。
地面を押して進むための最初の一歩。

「イスラが何考えてるのかは僕には分からない。今までのことも、今日のことも、どんな本意があったのかなんて、さっぱり」

はっきり言って、俺の柄ではないのだが。
役者不足が否めない。

「それでも、僕の見たこと思ったこと言わしてもらうと―――」

だが、気張ろうじゃないか。
此処に頼りに来たソノラのためにも。
いつだって、自分のことではなく他人のことで涙を流していた心優しい「彼女」と同じ、この少女のためにも。
精一杯の踏み台になってやるさ。


「―――嘘じゃなかったよ」


「…………ぇ?」


「嘘じゃなかった。ソノラとイスラとの今までは、嘘じゃなかったよ」

「交わした話も、浮かべてた笑顔も、偽ったものじゃなかった」

「僕の前で馬鹿なこと抜かしてた時も、スバル達と遊んでた時も、ソノラと一緒にいる時も、全部」

「隠していたこともあったけど、演技なんかじゃない」

「イスラ・レヴィノスがイスラを演じていたわけじゃない」

「今日のための過程だったとしても、今日で帳消しにするためのモノだったとしても」


「イスラは、ソノラの友達だった。あいつの、本当だった」


「…………ふ、ぇ…っ!」

「保証するよ。同じ嘘ばっかついてる、僕が保証する。あいつは楽しんでた。ソノラと、みんなとの毎日の中で、笑ってた」

「あ、ぁ、ぁ……!!」

「だから、心配すんな」


胸を握り締め、ソノラを身体を前に傾ける。
伏せられた顔は窺うことは出来ない。だが、彼女の細い腿の上に透明な雫が落ちては肌を濡らしていった。

伸ばせばすぐ届く位置にある淡黄色の髪。それを、帽子の中に手を突っ込んでクシャクシャとかき混ぜる。
明るくお転婆で、涙脆い妹分。何処にいても変わらない彼女の姿に、場違いであったのだろうが、静かに顔を綻ばせた。


ああ、知ってるよ。
お前の優しさも、果敢なさも、在りのままの姿も。
どんなに明るくても、自分でも気付いていなくても、根っこの部分は傷付きやすい女の子だってことは。

だから、思う存分泣いてくれ。
知ってるから。お前の抱えている気持ちは。
受け止めてやるから。今日で全部吐き出してしまってくれ。
こうやって傍に居てやることくらいは、俺でも出来るから。

だから、お願いだ。
明日になれば、いつものお前の明るい笑顔を見せて欲しい。
泣いているお前もお前らしいとも思うけど。だけど、笑っていてくれた方がやっぱり似合っている。だから、兄からのお願いだ。お前は笑っていてくれ。

気軽に俺の背中を叩いてきた笑顔を、凹んでいるのが馬鹿々しく思えてくる笑顔を、心が弾んでくるあの笑顔を、見せてくれ。
兄は、妹が元気の姿でいてくれることが、望ましい。



二人だけの部屋。波の音と、涙の濡れる音が微かに響き続けるこの場所で。
少女の想いが零れている中、ずっとその髪をかき混ぜ続けた。





















月明かりが窓から静かに差し込でいた。
僅かに照らし出される室内。柔らかい光を浴びて、闇の中ではっきりと浮かび上がっている輪郭がある。

窓を介してくる光の一部を背中に浴びながら、そっとベッドの横に佇み、顕になっている彼の顔を見やった。
枕元。身動き一つせず目を瞑っているの一人の少年。また、すぐ横には伴侶である召喚獣が丸まっている。
宵に映るその青白い光の光景を見て、頬が緩んだ。


一時は激しい雨も降り注いだせいか、夜を迎えても空には陰の入った雲だけが広がっていた。
月も星も見えない重々しい闇が覆っていたのだが、それも先程まで。今は雲に出来た隙間から、月が横顔を覗かせている。
月の光も出ていない夜に鎧を解くのはご法度、だから今の状況は私にとって歓迎出来た。
流石に、鎧姿ではあんまりだと思うから。

「剣」を使って倒れてしまったウィルのお見舞い。
一応そういう名目で彼の元へ向かい、一度部屋の前まで赴いたのが随分と前。
室内から聞こえてくる談笑の声に、他の人達が訪れていることを察した私は、その場は一旦離れて暫く時間を潰していた。

再度赴いた、つまり今来てみれば、船内からは明かりを消えてしまっていて。
自分の頃合の悪さを嘆いたけど……

(……お邪魔しちゃった)

今日はもう帰った方がいい、理性ではそう思っていたのだけど、感情は納得してくれず。
不謹慎だと思いつつも、こうして彼の部屋に足を踏み入れてしまった。
無断で部屋に入るなんて、それこそご法度だ。自分はこうまではしたなかったのかと、自分自身のことなのに疑問をぶつけてしまう。

後ろめたくはる。
だけど、それもこうやって傍で彼の寝顔を見たら、今日くらいは許して貰ってもいいんじゃないかと思った。
ほうっと胸に得る温もりを感じながら、単純だな、と自分のことながら苦笑した。



(あまり無茶をしないでください……)

寝息も聞こえてこない佇まいを見ながら、今日の戦闘での行動に心配の色を帯びた注意を、起こしてあげないように小さく零した。
あんな状態で無理をして戦場を駆け抜け、「剣」まで行使しようとするなんて。
如何することも出来なかったとはいえ、それでも放っておいていい筈がなかった。
結果だけを見れば良かったの一言で済むけど、何か間違えていたら取り返しのつかないことになっていたかもしれない。

(自分を大切にしなさい…………貴方が言ったことですよ?)

届きはしない呟きを彼に落とす。
人のことは言えないのかもしれない。でも、それはウィルにも当て嵌まること。
霊体とか生身とかは置いといても、ああまでして無理をする必要はない筈。これまでのことを思い出してみても、彼が身を粉にしているのがよく分かる。

(本当にもう……)

恐らくちゃんと言っても無駄なのだろう。私にも言えることだから、察しがつく。
不安は確かにある。でも、その時は傍にいて止めてあげればいい。思いきっり呼んで、引き止めてあげればいい。
守っていけばいいと思う。守りたいと、心から望む。
色々なモノをくれた彼を、助けていきたい。

苦笑が微笑へと変わっていったのが分かった。
確かな想いを抱き、そっと、頬に手を当てて滑るようにしてゆっくりと撫でていく。
実際は添えらている手を見ながら、気付かないことをいいことにちょっとずるいかな、と思った。
私の身体は何も触れることが出来ないから、こうやっても彼に悟られることはない。

「………………ファリ、エル?」

「はい、何ですか?」

そう、だからこんな寝惚けた彼の声も聞こえてくる筈がなくて、幻聴だと分かっていてもつい返事をしてしまう。
こんな風に一日の始まりを迎えられたら、どんなに嬉しいだろう?

「なん、で……?」

「私が貴方の傍に居たらいけませんか?」

今みたいに、普段では決して言えない台詞も簡単に口にすることが出来る。
考えてみたら、一日の始まりを共に迎えるってことは、つまり、うん、もしかしたらそういことになってしまうのかもしれないけど、うん、いいと思うんです。
意中の人とならそれでも構わない、というか何も問題はないだろうし、うん、変なことじゃないよ。

「……ん、そんなこと、ない」

「良かった。断られたら如何しようかと思いました」

こうやって、まどろんでいる彼の顔を見て、起きるのを優しく見守って、そしてずっと待ってあげるんだ。
きっとそれは、穏やかで優しい時間だと思うから。
……なんて、我侭言い過ぎかな?

「傍に……いて、欲しいよ。消えないで、欲しい」

「私は何処にもいきません。私が居たいって、そう思うから。だから、平気ですよ?」

近くに居られるだけでもいいのに、例え想像だとしてもこのままだとバチが当たってしまうかもしれない。
調子に乗るのも、もういい加減にした方がいいですね。うん。

「……………………………………ファリエル?」

「はい、どうかしましたか…………って、あれ?」

いい想像も大概にした筈なのに、何で今もまだウィルとやり取りを続けて…………アレ?


「…………ファリエルッ!?」


「は、はいっ!!! ……って、え、ええぇーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!??」


あ、あわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわ!!!?!?!!??
起き、起きてっ!? 今までの全部っ、起きてっ、そそ想像じゃなくてっ、げげげげげげげ現実!!!?

「……え、嘘……何で?」

「あのっ、えっと、ちち違うんですっ!!? その、決してウィルに変なことしようとしてた訳じゃなくて、ただ想像していただけっていうか勝手に妄想に浸っていただけっていうかって、じゃなくてっ!!?」

自分で自分の首絞めてるよ!? 
あわわわわわわっ、ごご誤解、じゃなかったりするけど兎に角誤解とかなきゃ!!??

「…………ウィル。ぁぁ、そっか、夢か……」

「そ、そうっ! 夢、夢です夢です! 完全無欠の夢です!! もう正真正銘明白明確偽りなんて存在しない不変の定理にして法則である絶対夢だって私が保証しますっっ!!!」

顔が真っ赤になっているのもお構いなしに、私は一気に捲し上げる。
誤解を解く、のではなく己の失態を誤魔化そうと必死になっていた。
あ、浅まし過ぎるっ!!? 前とは全く違った意味で浅まし過ぎるよ?! でもでもっ、それどころじゃないんです!!??


「えっとですねっそもそも夢っていうのは人が眠りに落ちることで無意識の内に見る幻覚だと広く定義されてる訳ですが間違っても正夢だとか夢見た本人の周りで起きたことが関与しているなんてことは到底在り得ないという訳で夢の中の人物が大胆なこと言い出したらきっとそれはえっとそのなんというかそうそうそう霊界サプレスの悪魔が恐らく多分きっと間違いなく故意に見せていた悪夢だってことにほぼ決定であって確定であってえっとそのですねつつつつつつつまりっ……!!!!!!」


「ファ、ファリエル……? いや、ちょ、あの……?」




兄さん、助けてーーーーーーーー!!!?










「じゃあ、ファリエルもお見舞いに来てくれたんだ?」

「はい。こんな夜遅くに悪いとは思ったんですけど……」

ほとぼりも冷めて、今は落ち着いて私達は話を交し合っていた。
……というか、私の暴走が収まっただけなんですけど。ううっ、穴があったら入りたい。

一応その甲斐もあって、というか甲斐と言っていいのか疑問ですけど……と、兎に角ウィルには夢だと納得してもらった。
そのことに対してウィルは本当に何も疑ってはないみたい。……私、本当に浅ましいよ。

「それは別に構わないんだけど。心配掛けたのは僕だし。どっちかというと、そこまで手を煩わせた僕の方が申し訳ないというか……」

「そ、そんなことないですよっ。私が勝手にしたことなんですし、それに私が来たいってそう思ったから」

「ありがと……」

胸の内で巻き起こっている自己嫌悪の渦から抜け出して、慌てて自分のしたことだと取り繕う。
そんな私の言い分に、ウィルは頬を掻きながら苦笑。私もそれを見て、自然に顔が綻んだ。

青白い光に包まれている寝台の上、僅かに顔に影が差していて窺いきれることはないけど、照れているのかなと思った。
それだったら、何か嬉しいと思う。前にもみせたその仕草を見詰めながら、私の頬にも心地よい熱を感じた。

「心配掛けたって自覚があるのなら、もうあんな真似止めてくださいよ? 見てるこっちが気が気じゃないんですから」

「先生にも言われた。多分しないよ、もうあんなことは。というか、したくない……」

溜息を吐くウィルの姿を見て、「多分」というのは気になったけど、信じることにした。
疲れを若干滲ませている顔を見たら、流石に疑えないですし……。

「でも気が気じゃない、って言ったらファリエルも似たようなもんだよ。僕の言ったこと、余り実になってないし。今日だってそんな感じだったじゃないか」

「そうですね。私もウィルのことは言えないかもしれません」

「でしょ?」

「じゃあ、ウィルが無茶をしないのなら、私もそれに習います。自分を大切にします」

「……そうくるか」

ウィルは眉を下げて笑みを作る。
一本取ったかな、と普段はやり込まれていることもあって少し満足。ウィルにこんな顔をさせたのは初めてかもしれない。

「ウィルだって言っても聞かないんじゃないですか? あんな怪我までしてみんなの為に自分を砕いてる」

「……む」

「私も同じです。前みたいに、自分のことを等閑にはしないって約束しますから」

偽りのない本心だった。


「だから、私にも意地を張らせてください」


「――――――――」

イスラさんに胸を貫かれても身を奮い起こすウィルも同じことが言えると思う。妥協しろとは言わないけど、分かって欲しい。
そういえば、イスラさん……。本当に、何でこんなことになっちゃったかな。せっかく友達になれたと思ったのに……

「……? ウィル?」

「……………………」

視線を感じ目を向けると、ウィルが呆然と言葉を失っていた。
目を見開いているその顔を見て、私は狼狽える。

「ど、どうしたんですか? 私、何か変なこと言いましたか?」

「…………いや、違う。違うんだ。……重なった、だけ」

最後の方はよく聞き取れなかったが、そう言い残してウィルは黙り込んでしまった。
自分の開いた右手に視線を落としたまま、顔を上げようとしない。掌だけを見詰めていた。
私は彼の姿に戸惑うばかりで何も言えない。困惑するばかりだった。

唐突に、部屋へ静寂が訪れていった。


「ウィル……?」

「…………」

「何か、あったんですか?」

「…………」

戸惑うのを止め、ウィルに呼びかける。

「何かあるんなら、話して欲しいです」

「…………」

「私に温もりをくれたのは、ウィルだから。私も何かを上げたい」

「…………」

「貴方の、助けになりたいよ」

助けになるって約束もした。助けたいと、そう願った。
届いて欲しい。時折に向けられる哀愁を帯びた瞳。何かあるのかと問えば、何でもないと笑って振り払われた。
届いて欲しいよ。身体だけじゃない。心も守って、助けてあげたい。そう思うから。

届いて……?



「…………夢、見たんだ」


徐に、彼が口を開いた。


「大切な人達の夢。もう、会えない、大切な人達の……」


声は酷く、平坦。抑揚を感じさせてくれない。


「みんなに、島のみんなに会えて、それももう平気だと思ってた」


視線は、掌に固定されたまま。


「でも、違った。そう思い込んでただけだった。みんなの夢を見て、気付かされた」


目の奥は空っぽ。何も映してはいない。


「根っこの部分で、望んでて止まなかった。会いたいって」


けれど、瞳の端で、光が帯びた。


「戻りはしないのに。意味なんてないなのに」


口元が、嘲りに歪められる。


「馬鹿みたいだっ……」


掌が、握りつぶされた。




手を伸ばす。
その小さな胸へ、手を伸ばし、押し当てた。

「…………ファリエル?」

確かに伝わってくる鼓動。一定に刻まれている律動。哀切を帯びた音色。
感じることは出来ても、決して触れることは叶わない距離。包んであげることも、抱きしめてあげることも出来ない。
それでも、


「――――――え」


助けになりたいよ。


「……マナ?」


癒してあげたいよ。埋めてあげたいよ。
寒いのなら、暖めてあげたいよ。


「ファリエル、待てっ。それは―――!!」


紫紺の燐光。
身を形作る魔力を集めて彼の胸に押し当てる。
何の意味もない魔力の放出。糧として分け与える訳でもない。
ただの光と熱を帯びた自身の欠片を、その小さな胸へ埋める。

「何を、やって……!」

「助けになりたいよ。支えになってあげたいよ」



「それが、今の私を形作っている、一番の想いだから」



「――――――――――――――ぁ」


「だめですか?」

「………………………ッ!!」

顔が伏せられた。
勢いよく顔が下へと向けられ、表情が見えなくなる。
指を立てられたシーツが、左手によって握り締められた。
そして、押し当てている掌から、一際高い鼓動が打ち震えた。

「届いたかな、私の温もり?」

「ああ……」

「貴方の寂しさ、少しは埋められたかな?」

「ああっ……」


握り締められている右手が解かれ、添えられた私の手に重なった。


「あったかいよ……」



「ああ、あったかいっ……」





零れたのは湿った声音だったのか、雫だったのか。

確かなのは、紡ぎ出された言葉は温情に濡れていたということ。

少年の身体から紫紺の粒子が立ち昇る。

それは心を埋めた光の残滓、少女のカケラ。

月の光を浴びて、更なる煌きを帯びていった。

添えられた右手。抱かれた右手。

上げられた顔。視線を交わす瞳。分かち合う温もり。

どちらからともなく、微笑みを交わした。




―――ああ、独りなんかじゃない
















「ウィル君? さっきから何だか騒が、し、ぃ………………」

「「あ」」

「なっ、なっ、なななななあっ!!? な、何やってるんっ「セイレーンッ!!!」…………ふにゃぁ」

「あわわわわわわわわわわわわわっ!!!?!??」

「危なっ。また洗脳がどうたら言われる所だった……」

「せ、洗脳っ!?」

「…………みゅう?」



[3907] サブシナリオ4
Name: さもない◆8608f9fe ID:94a36a62
Date: 2009/02/21 18:44
朝日。
小さな窓から差し込む光を浴びながら、ウィルは寝巻きから普段着へと着替えを行っていた。
自室にて起床して暫らく。口を開くことをせず衣服に手をかけていく。


『だから、私にも意地を張らせてください』


思い起こすのは昨夜の少女の言葉。
ウィルはそれと同じ言葉を、以前にも「彼女」から聞いている。

―――たまには、私にも意地を張らせてください

それは、同じように「剣」の慣れない行使のせいで倒れた際に聞いた言葉。
「レックス」として、自分のお見舞いなどいいから無理をするなと言った後に、「彼女」は微笑みながらそれを口にしたのだ。


『それが、今の私を形作っている、一番の想いだから』


これもまた、同じ。
「剣」という巨大な力により、気付かない内に一人進んで戦おうとしていた「レックス」を戒めた言葉。
それではみんなが一緒に居る意味はない。助けになりたい、支えてあげたい。彼女はそう告げた。
それは懇願で、願望。瞳を涙で濡らしながら、「彼女」はそれを言い落としたのだ。

―――それが、今の私を形作っている、一番の想いなんだもの

重なった彼女と「彼女」。繰り返されたコトバ。
胸に過ぎったのは確かな哀愁だった。普段なら決して表に出さない失態を、あの時むざむざ曝け出してしまった。

日頃より、仲間達の中に「彼等」の面影を見ることを多々ある。それで揺さぶられる感情がないと言えば嘘になるが、動揺するということはない。まして醜態を晒すことなど。
夢を見たせいだと思う。「彼等」の夢を、顔を、瞳を。それらを垣間見たせいでらしくもないことをやってしまったと、ウィルはそう思う。

「…………」

寂寥、感傷。確かにそれらはあるのだろう。
窓に薄く映える自分の顔を見詰めながら、ウィルは客観的に胸の内を分析する。恐らく、これらの感情は以後も消えることはないのだろうと考える。


『貴方の、助けになりたいよ』


だが、やっていける。

己の奥深くに沈める感情に、これからも悩まされるのだろう。思い煩わされるのだろう。
それでもきっとやっていける。助けてくれる人達がいるのだから。支えてくれる人達がいるのだから。笑顔で自分を迎えてくれる仲間がいるのだから。
自分はやっていけるのだ。その言葉を繰り返し、言い聞かせた。

「……よしっ。行こう、テコ」

「ミャミャ!」

息を吐いて瞳に力を灯し、側に控える自分の相棒へと手を差し出す。それを登るようにして伝ってテコは肩へととまった。
一歩踏み出し、前進。昨日は曇っていた心の内も今日の天気と同じように晴れやかだった。

「……ソノラ?」

「えへへっ。おはよっ、ウィル」

「ミャー!」

ドアを開けたそこにはソノラの姿。普段と変わらぬ笑顔でウィルを迎えていた。
目の下は赤く染まっているが、はにかんだ表情はそこに翳りの一片も見えない。何時か見た「少女」の笑顔だ。

「昨日は、ゴメンね。それで、ありがとう」

「……気にすんな」

「……うんっ!」

頷きと共に浮かべる満面の笑み。
程なくしてウィルの手を掴み、ソノラは歩き出した。

「もう朝ご飯できてるよ。みんな待ってるんだから」

「ん、すまん」

「許すっ!」


少年の口元にも笑み。繋がれた手から絆を感じ取る。
変わらない言葉。変わらない想い。変わらない絆。何が起ころうとも、それらだけは動かない。
確かな証を糧に、前へと踏み出していった。



――――ああ、俺はやっていける









然もないと  サブシナリオ4 「ウィックス補完計画その4」









「休日、ですか?」

「ああ。みんなと話し合って決めたんだ。先生、あんた此処に着てから働きっぱなしだろ」

食事をあらかた済ませ、茶を飲みあっている朝食後。
カイルがアティさんに明日の休日を言い渡してきた。ソノラやスカーレル、ヤードも加わり同じように促してくる。

今も会話を続けるアティさん達を横で見遣りながら、俺もカイル達の言い分には納得出来た。
この天然お人好し教師が仕事の手伝いや厄介事を毎度に引き受けているのは島で周知の事実だ。働き過ぎと言われても何もおかしくはない。疲れは取る為にも休息は取れというのは至極当然のことだろう。
アティさんは、自分は別に平気だと言っているが、カイル達の強い言い分に押されぎみだ。恐らく押し通されるとみた。

困ったように笑う彼女の顔を見ながら、しかし俺は複雑な気分だった。
いや、別にアティさんが休むことに反対という訳ではないのだ。俺だってさっき思った通りガス抜きは必要だと思っている。思っているのだが……

「……何故だ」

「ミュウ?」

「俺」の時は、「休め」などと一言も声を掛けられてはいない。
「イスラ」が騒動を起こした次の日の朝は何時もどおりの朝食が展開された。「休め」の「や」の字も出されていない。ほれ、今日もサボるなよ、と言わんばかりだった。…………何故だ。
この格差は、一体……。

「うーん、困りました…………って、な、何ですか、ウィル君? そ、そんな恨めしそうに……」

「……いえ」

何時の間にかアティさんを睨んでいたようだ。
いかんいかん、この人に非はないだろう。やりきれない感情の矛先にはお門違いだ。

アティさんの人徳って奴だよ、人徳。「俺」には無かったもんだったんだよ。うん、きっと、多分。……でもちょっとくらいあっても良かったんじゃないかとも思うだけど、けどやっぱり無かったんだろうね。きっとそうなんだろうね。
……しかし納得がいかねぇー!!? 待遇違い過ぎんだろ、理不尽だよコレはっ?! 俺にも優しさをくれ、優しさをっ!! 
くっそぉおおおおぉおおおぉぉおおおおおおぉおおおおおっっ!!!!


「ウィ、ウィル君?」

「…………何でもないです。明日はどうぞ素晴らしいお休みを満喫しやがって下さい」

「……あ、悪意のように聞こえるのは私だけでしょうか?」

「いい耳鼻科紹介しましょうか? ここから北に行った先の白い建物です。ええ、リペアセンターといいます。白い看護婦さんがドきづい注射をお見舞いしてくれますよ」

「……遠慮します。というか、何ですかこの仕打ち…」

理不尽です……、と零すアティさん。
それはこっちのセリフだっ。貴方が「俺」だなんて絶対認めないぞっ!!

「…まぁ、冗談は置いといて」

(タチが悪いです……)

「如何して困ったなんて言うんです? せっかくの休日でしょう? 息抜きするなりなんなりすればいいじゃないですか」

「俺」の時だったら部屋に閉じこもって怠惰の限りを尽くしただろうね。
間違いない。確実。

「そう、それなんですよっ、問題は!」

「……は?」

「にゃ?」

身を乗り出してきて、指をぴんっ、と立てるアティさん。何処か教師風。
アティさんの言う“それ”とは一体何を指しているのか。今一要領を得ないアティさんに俺は首を傾げる。

「休日なんて久しぶりですから、どうやって過ごしていいのかちっともよく分からないんです」

「…………」

「にゃ……」

……馬鹿?

「……趣味やら何かしらの息抜きすればいいじゃないですか」

「それがないんですよ、私。学生の時は、村のみんなのお金で軍学校行かせて貰ってましたから、遊ぶのは気が引けちゃって…」

「……友人のお誘いも断って?」

「はい」

この人誘いに来た男連中の泣く姿が容易に想像出来る……。

「……今まで休日は何してたんですか?」

「一日中寝ているか、図書室に篭って勉強でしょうか?」

馬鹿だ、馬鹿がいるぞ。

「う~~~~~~~ん……」

目を瞑り、拳を口元に当てるアティさん。考える人を実践しながら瞑想している。
そして、考えるのが終わったのかアティさんはポーズを止める。瞼を開け、一笑。にこっ、と満面の微笑を浮かべた。

「どうしましょう?」

「知るか」

国へ帰れ。

「にこっ、じゃないですよ、馬鹿ですか貴方は。自分のことでしょう、僕に聞かないでください」

「うっ、うう……」

うな垂れるアティさん。
今回は俺は全然悪くない。何で他人の休日スケジュール組み立てなきゃあかんのだ。嘗め腐っている。
もう既にカイル達は解散しており此処に居るのは俺とこの天然だけだ。今になって面倒事を押し付けられたような気分になってきた。普通に俺も離脱したい。


「まぁ、先生の健やかで取るに足らない耳カスのような問題はどうでもいいとしましょう」

「私にとっては結構重大なんですけど……」

「はいはい良かったね。それより、真面目な話があるんですが」

「?? 何ですか、一体?」

「ファリエルがヤッファ達に自分の正体を明かすので、それに立ち会って欲しいと」

「! ほ、本当ですか!?」

ええ、と頷き事情を説明する。いや事情という物でもないが。
ファリエルが勇気を出して決断したっていう話だしね。

昨日の夜、アティさんを強制睡眠に追いやった後、ファリエルが言ってきたのだ。自分が逃げ出さないようにアティさんと見守って欲しい、と。
ファリエルなら逃げ出すなんてことしないだろと普通に思ったが、女性からの頼み事だ、断る筈もない。
打ち明けると俺に言った日から少し間が空いたが、それは今日まで場を設けることが出来なかったから。イスラが色々やってくれたし、何より奴等の酒が抜けきっていなかった。面倒臭い奴等だ。……って、俺のせいじゃん。

「分かりました。じゃあ、もう今から?」

「ええ。狭間の領域でファリエルが待ってます。行きましょう」

「はい」


まぁ、心配ないと思うけど。










「……なるほど、な」

「ファルゼン殿が、ファリエル様だったとは……」

「…………本当に、ごめんなさい」

集いの泉。
昨夜の話した予定通りにファリエルと合流した俺とアティさんは此処へ赴き、そしてファリエルがヤッファ達に自分の姿を打ち明けるのを傍らで見守った。
ヤッファは目を瞑り静かに呟き、キュウマは驚きは隠せない。ファリエルは申し訳なさそうに佇まい、けれど真摯の瞳で彼等を見詰めて逸らさなかった。俺は黙って事の成り行きを待ち、アティさんは緊張しながらも強く見守っている。

「ま、確かに虫の良すぎる話だな。俺達を散々振り回した一端を担いどいて、その挙句に罪滅ぼしをしたいとはな」

「…………」

「今も貴方達に恨みを抱く者達は少なくありません。許されることはないでしょう」

「……はい。分かっています」

ヤッファは目を瞑ったまま軽薄な笑みを浮かべ、キュウマは静かに罪状をファリエルに言い渡してきた。
悲壮にそれらを受け止めるファリエルの姿にアティさんが身を乗り出そうとして、しかし踏み止まってその場でこらえる。人間である俺やアティさんが口を挟んでいい話ではない。彼等の手によって決着をつけなくてはいけないのだ。

「なら、此処で何をされても文句はねえ、ってことでいいんだな?」

「……構いません」

鋭利とも言える笑みを貼り付けたヤッファの双眸がファリエルを見据えた。ファリエルは、目を逸らさない。
緊張、一時の静寂に包まれた。

「…………だが、今更死んじまってるお嬢ちゃんをどうこうした所で、何も変わることなんてねえだろうな」

「それじゃあ……!」

「ええ。ファルゼン殿は今まで島の者達に尽くしてきました。賞賛はすれど、責め立てる道理はありませんよ」

「あっ…!」

アティさんが顔を安堵に形作る。俺も一息ついた。まどろっこしい言い方よせよと思ったのは内緒である。
ファリエルは何かを抑えるように俯いた。やがて、顔を上げてから、目の端には涙を溜めて誠直に腰を折る。

「…………ごめんなさいっ。……ありがとうっ」

けじめはついた。この場にいる誰もが笑みを浮かべてファリエルという少女を歓迎する。
身を起こして涙ながら笑うファリエルに二本指を上げてサイン。彼女も控えめながら、小さく二本指を立てて微笑み返した。



「ファルゼンが話があるっていうから内心驚いていたけどよ、蓋を開けてみればまた面食らっちまったぜ。今日はもう何があっても驚かねえだろうな」

「ですね」

「あははははっ」

ヤッファがおどけて見せて釣られるように場が賑やかになった。
本当にこういう時には役を演じるのが上手い。普段からそうしていればいい兄貴分なのに、もったいないと言えばもったいない。

その後も、ヤッファがファリエルをからっかたりとキュウマがアティさんに自分達の関係を話したりと引き続く。
やっぱり心配する必要はなかったと彼女達の姿を見ながら思った。知れず笑みが漏れる。ちなみに俺は蚊帳の外という奴である。のけ者にされてた。オイ。

「島の奴等にはおいおい知っていってもらうとして……いいのか、嬢ちゃん? アルディラには伝えなくて?」

「……はい。義姉さんには、まだちょっと…」

目を逸らすようにしてファリエルはそう返す。
伝えられない事情、深刻な問題がまだ残っている。それ故に彼女だけにはまだ正体を明かす訳にはいかなかった。
アルディラが不穏な動きをしているとヤッファ達に打ち明けないのは、ファリエルは甘さであり義姉を想う優しさだろう。まだ後戻りは出来るのではないかと信じたいのか。勝手な予想だが間違ってはいないと思う。そして、それに伴う覚悟も秘めているのだろう。…………くそったれ、だ。

「まぁ、嬢ちゃん達にも結構な関係があるしな。俺は口を挟むつもりはねえよ」

「ですが、ファリエル様。何時かは必ず……」

「ええ。私の口から、必ず姉さんに話します」


それが、果たして言葉での回合になるのか、または戦場での果し合いになるのか。
どちらを迎えようとも、彼女達が笑い合える結末を。
本心からそう願った。















「しかし、また如何してこんな時期に話すつもりになったんだ、嬢ちゃん?」

何かあったのか、とヤッファはウィル達が居なくなった集いの泉でファリエルに尋ねる。
今までファルゼンとして振舞ってきた彼女に、一体どういう心境の変化があったのかと疑問に思った。

「私が、これ以上ファルゼンを続けることに耐えられなかったことと……後はウィルが私の背中を押してくれたから、だと思います」

「……ほお」

頬を染めはにかむファリエルに、自分の知らぬ所で面白いことになっているようだとヤッファは口を吊り上げた。
記憶に残っているあのお転婆娘がこのような顔するようになったのかと過去と今を照らし合わせつつ、またおちょくってやろうかと考えた。が、薮蛇を突付くような真似をするなと頭が警報を告げてきて踏み止まった。
以前、出来心からアルディラをからかったことで手痛い目に合わされたのを思い出す。昨夜は楽しんだか、と聞いただけでドリルが降ってきやがった。木っ端微塵の一歩手前ってどういうことだ。手痛いレベルじゃない。

「ま、まぁ、確かにウィルの野郎はおもしれぇ奴だな」

平然を装うとするが声が上ずる。
血の関係はないが、義妹であるこの少女が大剣持って粉砕しようと向かってくるのは想像に難しくない。
冗談じゃねぇぞ、と呟きを落としながらヤッファは頬に冷や汗を伝え流した。

「そうですね。私もそう思います」

「…………」

ファリエルはヤッファの様子には気付かず顔を綻ばせたまま。キュウマは黙り込んで何かを考えているようだった。
近頃奇行に走っていたが昨日の奔走により名誉挽回した忍者の態度に疑問を覚えつつ、ヤッファはふと以前から思っていたことを口にする。

「馬鹿々しい話なんだがよ、俺はウィルの奴がハイネルの生まれ変わりなんじゃねえかと思ってるんだ」

「えっ!?」

「!」

一転して驚きの表情に変わるファリエル達にヤッファは苦笑を見せる。
自分でも突拍子もないことを言っていると自覚があった。

「あり得ませんっ! この島は死者の魂を離しませんし、それに、兄さんはっ……!!」

ハイネルはファリエルの実の兄であり、そして過去の戦争で朽ち果てている。
島の核識となり戦った彼は身体も魂さえも壊された。転生は適わない。生まれ変わり救済されることは決してないのだ。
勝手な考えとはいえ、ファリエルが熱くなるのもしょうがないことだった。

「分かってるさ、嬢ちゃん。だからそんな熱くなるな。根拠なんてねえからな、話半分に聞いてりゃいい」

「では、一体どのようにしてそう思い至ったのですか、ヤッファ殿?」

「ああ。本当に馬鹿も山々なんだがな……ウィルの『信じろ』って言葉にハイネルの奴が見えてな。ただ、それだけだ」

ジルコーダ討伐の最中のことだ。
あの時、確かにヤッファはウィルにハイネルを見た。性格から何もかも正反対の二人だが、ウィルの瞳にハイネルの物が重なったのだ。

「それに、これまでの戦いっぷりを見てもアイツが半端じゃないことは分かるからな。ただのガキじゃねえよ」

「確かに、あの年の域にしては目を見張る物があります……」

「……でもっ、やっぱりそんなことっ」

「確かに話が一気に飛躍はしたな。まっ、さっきも言った通り根拠なんざねえ。俺が勝手にそう思ってるだけだ。今更だが、気にすんな嬢ちゃん」


未だ不服そうなファリエルに笑みを投げつつ、果たして本当の所は如何なのだろうかとヤッファは考える。
今言った通り、ウィルが普通ではないことは明白だ。身体能力こそ年相応だが、判断能力や危機的回避能力は尋常のそれではない。何を考えているか一切不明な頭も途轍もなく切れる。
更に、召喚術。あれ程の執行速度を何処で身に着けたというのか。狭い世界で生きているヤッファの見解に過ぎないが、あの召喚速度を凌駕する存在はいないのではないかと思う。
非凡の身。此方の常識が通用しない。そういった点からもウィルはハイネルの生まれ変わりではないかと考えさせられるのだ。ハイネルという青年もまた、出鱈目な召喚師のそれであった。

―――まっ、なんにしたって構わねえんだけどよ。

ヤッファの結論はそれだ。
ウィルがハイネルの生まれ変わりであろうとなかろうと構わない。もし生まれ変わりだとしたら嬉しさ余って憎さ100倍といった所だが、違った所でウィルをどう思うことなんてあり得ないのだから。
今までウィルを見て感じてきたことは彼自身として見たヤッファの評価だ。澄ましてて、訳が分からなくて、愉快で、数少ない認められる人間の一人。そう思わせたのはウィル以外の何者でもない。ウィルという少年が行ってきたことの結果だ。


(似てるっちゃ言えば、アティの奴もそうだしな)

子供のような笑顔や気高い信念は正にそれだろう。外面から見ればアティの方が近いといえる。「剣」に選ばれたのだから当然といえば当然なのだが。
以外にあのお人好しに似た馬鹿共は多いのかと思い、自らのそれに笑みを漏らした。

「それに嬢ちゃんの目にかなったんだ、強ち間違いでもないんじゃねえか?」

「ヤ、ヤッファさんっ!!」

「ははははっ」

兄にべったりだったファリエルはその言葉に顔を赤く染め声を張り上げる。思い出したのかキュウマも微笑した。

「ハイネルの魂の一部が転生の輪を通ることが出来たっていう考えもあるんじゃねえか、ってな。そう思っちまうんだ」

「ヤッファ殿……」

「…………それでも、ウィルはウィルです」

「はっ、違いない」

ファリエルの言葉に笑みを一つ。
面倒も起こるだろうが、退屈も決してしないだろうとヤッファは彼の少年のことを思った。



「おお、そうだ。前によ、夢で嬢ちゃんが出てくるようなやつを見たんだ、これが。あれだ、正夢って奴だな」

「ヤッファ殿もですかっ? 実は自分も同じような夢を見たのです。本当にこのようなことがあるのですね」

「…………あはっ、あははははははは…」










「良かったですね、ファリエル。ヤッファさん達に許してもらえて」

「ええ、本当に」

集いの泉からの帰路。アティさんの隣で相槌を打つ。
正直、天上天下飲ました時に許してもらってたから、俺もファリエルも確信が少しもなかったと言えば嘘になる。やはり緊張はあったが、不安はなかった。そんな感じだろうか。

「それにしても、ファリエルの昔話の他にアルディラの私的なこと聞いちゃったけどいいんでしょうか?」

「いいんじゃないですか。先生が聞いた訳じゃないですし。アルディラに何かバレたらヤッファ達が勝手に喋ったって言えば平気ですよ」

「それもちょっと……」

苦笑するアティさん。
どうでもいいけど、貴方その話の時に結構興味ありげじゃなかったか?

「ファリエルのお兄さんでアルディラの好きだった人。ハイネルさんか……」

「……何でやねん」

聞こえないようにボソリと呟く。
これだけは認められない。不条理だ。

「きっと素敵な人だったんでしょうね」

「はは、冗談でしょう?」

ゲスだよ、アレは。

「えっ? 何か言いましたかウィル君?」

「いえ、別に」


やがて足を進めていく内に、木に備えられた黒板とそれを取り囲むようにして配置されている数個の切株が見えてきた。
青空教室。集いの泉の付近に位置する自分も含めた子供達の学校である。って、俺一回しか出てなくね?

「あ、そうです! 今日から学校も再開することになったんです!」

「良かったですね。おめでとうございます」

「はいっ! って、何人事のように言ってるんですかウィル君! 貴方も出るんですよっ」

了解、と返答。それを見てアティさんは楽しそうに笑みを作った。
久しぶりの学校に浮かれているようだ。子供と変わらないその姿に苦笑が出てくる。

「ところでウィル君、いきなりですが学級委員長を頼んでもいいですか?」

「僕がですか?」

「はい。ウィル君が一番お兄ちゃんですし」

「レックス」の時にも「ゲンジ」さんの助言からアリーゼに学級委員長を勤めてもらった記憶がある。
教えることを一人一人分かってもらうようにじっくり指導することになるから、自然それを補助をする委員長なる存在は必要になってくる。でなければ手が回りきらないだろう。

「場合によって私のお手伝いをしてもらうことになるんですけど……いいですか?」

「構いませんよ」

あの時の苦労は身に染みている。
断る理由はあるまい。

「ありがとうございます、ウィル君! じゃあ、お願いしますね?」

「ええ、任せてください。これで学級という秩序は僕の思いのままということです」

「!? な、何不吉なこと言ってるんですかっ!!?」

「やってやる、やってやるぞっ! ふはははははははははははっ!!!」

「ちょ、ちょっと?!」

「ビバ学級崩壊!」

「止めてくださいっ!!?」

本当に止めて!?と本気で言ってくるアティさんを落ち着かせるのには時間が掛かった。
やれやれって感じだ。冗談の通じない人である。そう言ったら、涙目で睨まれた。直角に腰を折った。

「…………ウィル」

「わっ!?」

「うおっ?!」

何時の間にいたのか、クノンが側に控えていた。
け、気配が感じられなかった。ていうかボソッと声出すの止めなさいクノン。素でビビる。

「ク、クノン? 何かあったんですか?」

「………………アルディラ様がウィルをお呼びです」

「アルディラが?」

はて、と一瞬首を傾けたが、すぐに昨日の「剣」についてのことかと思い至った。
マジ? 何か不備でもあったのか? そのことで怪しまれているのだとしたら不味い。
如何すると逡巡したが、すぐにアルディラの元へ行くことを決断。
赴かない訳にはいかない。後ろめたいことがあると言っているようなものだ。結局、選択肢は一つだけだ。

「すいません、今から行ってきます。学校には間に合うと思うんで」

「あ、はい。いってらっしゃい」

アティさんに別れを告げラトリクスに向かい始める。
今後の構想を組み立てながら、さて如何するかと頭を捻った。


その為に、クノンが浮かべていた悲痛そうな顔には気付かなかった。















「あの娘、だったのね……」

椅子に深く寄りかかり、アルディラは何処か果敢なげに呟きを漏らす。
此処は中央管理施設のメインルーム。広く設けられた室内は薄緑で彩られておりクリーンな雰囲気を形成している。複雑な機械が所々に置かれているが、それも乱雑という訳ではない。きちんと整頓されている。この部屋の主の清潔さをそのまま示し上げていた。

ラトリクスの敷地内で一段と高くそびえ立つこの鋼鉄の塔は、その名の冠する通りにこの集落においての稼動状況を管理する機能を有している。中央スクリーンに映し出される映像や情報を元に点検、作業機械の不備はないかどうかモニターするなど用途は様々。機械の修理修復も此処で担われており、ラトリクスの中枢といえた。


腹の位置に両指を組んで、黙考。
視線は床に固定し、だが何も見ることなくアルディラは先程の出来事を思い出す。

きっかけは偶然だった。アティの手から離れ使用された「剣」、ウィルが行使したという件で如何にも腑に落ちない点があり、それについて検証しようと少年の元へ向かったのだ。
『計画』も最終フェイズを迎えつつある。僅かな懸念事項も取り除いておきたかった。最初はクノンに頼もうと思ったのだが、最近の彼女の態度を顧みて躊躇ってしまい、結局自分の足を運ぶことにした。
その途次において集いの泉へ向かうキュウマの姿を発見し、その真剣な顔つきから何かあったのかと察して、自らも気付かれないように集いの泉へと向かい身を隠した。そして、知ってしまった。少女の隠し続けた真実を。

「……そうね。確かにファルゼンがあの娘だったという要素は散りばめられていた。振るっていた剣術なんてそのままだわ」

それに気付かないとわね、とアルディラは自嘲にも見える苦笑を浮かべる。
集いの泉での会話を盗み聞きした後、アルディラは逃げるようにしてその場から立ち去った。暫らく何も考えられず、本来の目的を思い出したのは此処に戻ってきた後のこと。ファルゼン、いやファリエルに遭遇するのを恐れ、結局クノンに頼み込んでウィルを迎えに行ってもらった。

「どう向かい合えばいいのかしらね……」

首を傾け天井を見上げなら一つの疑問を零す。
本来ならば、思う所があっただろうが普通に向きあえた筈だ。言いたいことをそのまま伝え、そして素直に少女がこの世界に留まっていたことを喜べた筈。

「無理、ね。今ではもう、何もかも手遅れ……」

それはもう叶わない。何事にも変えられない『計画』が故に、少女と手を取り合うことはない。
あちらもそう思っているのだろう。ヤッファ達のように立会いを許されていなかったのが何よりの証拠だ。

「…………何で」

こうな事になったのだろう。そう続けようとして、アルディラは口を噤む。
そのような問い、愚かにも程がある。口にすることは許されない。

自分自身が決断したことだ。それを今更、如何して穿り返す必要がある?
後悔はないのだ、ないのだろう? 躊躇も捨て去ったのではなかったのか?

もう既に自分はそれを行動で示したのだ。他者を利用し、己以外の個人を犯そうとしているのだ。多くのモノを巻き込もうとしているのだ。
そう、後悔はない。踏み切った。自身の願望だけを成就することだけを考え踏み切ったのだ。後悔など、していない。

…………いや、後戻りなど、出来ない。


「!」

一つの電子音が鳴った。それと共に、中央スクリーンがこの建物に何者かが入ってきたのを知らせてくる。
思考の渦から意識を引き上げる。モニターの表示は、見る間でもなくクノンとウィルだろう。
一体どれだけの時間を深思していたのだろうか。クノンが出て行った後から今まで考え込んでいたいう事実にアルディラは溜息を吐く。ここで参ってどうすると胸へ投げ掛け、姿勢を正して客人を待った。
程なくして、クノンとウィルが入室してきた。

「おはよう、アルディラ」

「ええ、おはよう、ウィル。悪いわね、呼び出しちゃって」

「気にすんな」

「……ふふっ、そうさせて貰うわ」

先程まで気疲れからこの後の受け答えを考えると滅入っていたのだが、今ウィルと挨拶を交わしたらそれも幾分か和らいだ。
顔色一つ変えずにずけずけと発言するその姿を見ると、何故か面白く感じる。無遠慮というか、そういう気質なのか、ウィルを前にすると相対する此方の気が楽になるのだ。気遣い無用、力を抜け、そう言って貰えているようで心持ちが柔らかくなる。
この力の抜け具合は長所なのかしらね、と思いながら、アルディラは自然笑みを浮かべた。

「……………………私は、これで」

「あっ、ええ。あ、ありがとう、クノン。助かったわ」

「…………失礼します」

クノンの投げ掛けられた声に、詰まりながら返答する。
すぐに空気の抜ける音と共に扉がスライドし、クノンは通路の奥へ消えていった。
今まで側に居てくれた少女との距離感、それを明確に感じる。何も言わない背中に対し、アルディラは眉根を寄せた。

「……クノン、何かあったの?」

「い、いえ。……特に、何も。今まで通りよ」

言葉を濁し、問答を避ける。
事実、思い返しても問題らしい問題はないのだ。言及されても答える術がない。

椅子を勧め着席させる。
向き合った体勢で、さてどう切り出すかとアルディラは考えていると、

「ヴァルゼルドはもう平気?」

「えっ? ああ、あの機械兵士ならもう大丈夫よ。行動不能に成りはしたみたいだけど大袈裟な損傷じゃないわ。修理は終わってる」

先にウィルが口を開いた。
返答し、今頃バッテリーでも補給しているじゃないかしら、と付け加える。
どうもと頭を下げられ、気にしないで頂戴と苦笑した。頭にとまっているテコが舌打ちらしい素振りをしたのが気になった。

「ところでアルディラ、実は頼みたいことが……」

「何かしら?」

引き続きウィルのターン。
用あったの私よね?と自問しながら取り合えず続きを促す。

「あのポンコツに今から言う装備みたいなの作ってくんない?」

「…………それ、明らかに私の専門外なんだけど?」

建物や船などといった比較的簡単な図面作成ならいざ知らず、詳しい知識もない複雑な兵器を作り出すというのは流石に無理がある。
それも機械兵士に見合った物となると、それ専用の武器を開発するということと同義だ。武器の知識があろうが一から設計しなければならない。今まで行ってきた作業とは勝手が違い過ぎる。

「いや、僕の知ってるアルディラは喜んで機械を弄りくりだすメカニック・マンだ。問題ない」

「……貴方が私のことをどう思ってるのか、小一時間問いただす必要があるようね」

「ごめん、メカニック・ウーマンだった」

「そこじゃないわ」

訂正箇所が違うと突っ込みを入れる。
だが、結局あれよあれよと言い包められ約束を取り付けられてしまった。
クノンの事で悩んでいるのではないかと引き合いに出されたのが痛かった。自分では解決出来そうもないのは事実なので、ウィルの協力を交換条件として成立する羽目となったのだ。
ちなみに当の本人は後に「女性を取引の材料にしてるよ俺……」と勝手に凹みだした。引いた。

しょうがないので、上手く誘導されていると自覚しながらもウィルの要望に応えることにした。
上手くいくか分からないわよ、と存外に期待するなと前置きをしたのだが、「平気平気」と返された。何が平気なのかよく分からない。


「で、もういいかしら? 私の用件を済ませても?」

「おうよ。バッチこい」

「以前、竜骨の断層であったことを教えてくれないかしら?」

一先ず、帝国軍の指揮官が言っていたことを尋ねる。
今の段階で「剣」に執着していると万に一つも悟られない為に前座をおいた。それに、これについて疑問に思ったのも事実だ。

「…………ア、アルディラッ。……ぃ、胃薬ない? いや、マジで…っ」

「…………」

なんでやねん。
腹を折って呻き出したウィルにアルディラは素直に突っ込む。
誤魔化そうとしているのかと疑ったが、演技には見えない。素で悶えているように見えた。
残念ながら胃薬は此処に置いてはいないと告げた。生憎此処はリペアセンターではない。処方の術は皆無だ。
「ゴメン、この体勢で許して……」と後頭部を曝け出しながらそう宣う少年。どっと疲労感がアルディラを襲う。何かどうでもよくなってきた。

「……で、何があったの?」

「…………うん、あのさ、ドリトルをさ、召喚してさ、放ったまではよかったんだけどさ、見事に外れて岩盤に突き刺さっちゃってさ、崩落しちゃったのよこれが」

「…………それで?」

「帝国軍がそれに一杯巻き込まれちゃってさ、逆ギレしたあの女に半殺しにされた……」

「………………」

何だソレ。
聞いててこっちが鬱になるような喜劇など聞きたくなかった。
今も小刻みに震えている身体が、全て少年の恐怖体験だったという事実を告げてくる。疑う余地がない。
それに思い出してみれば「ああアレか」という覚えが確かに存在する。確かに血塗れになっていたわね、とあの時に目へ飛び込んできた光景をアルディラは頭に浮かべた。
それじゃあ、なにか? あの帝国軍の女傑は逆恨みであそこまで禍々しいオーラを放っていたということか?

何だソレ。
話にならない。あの女傑、カルシウム摂取出来ているのだろうか。
「そういえばサバイバル中だったのよね」とアルディラは孤立状態にある帝国軍を思い返し、今度遭遇した際にはサプリメントでもくれてやろうと決める。度々あんな力場形成されても迷惑だ。

「……ごめんなさい。傷口を抉るような真似をして」

「……ううん、いいんよ。ウチ、まだ頑張っていけるんやから…」

「くっ…!」

泣けるっ、とアルディラは目頭を抑える。
少年のひた向きさが目に染みた。


もし、この場に先生か看護士のどちらかが居たら、彼女への毒の感染は防げたかもしれない。





「まだあるんだけど、それもいいかしら?」

「どぞどぞ」

仕切り直し、本来の目的の為に取り調べを進行させる。
ウィルも身体を起こし上げ復活を遂げている。今は椅子の上で向き合って、幾分か目線が高いアルディラがウィルを見下ろす形だった。

「昨日の『剣』を使った時のことを教えて欲しいの」

「何でまた?」

「えーっと、こう言っちゃうと変に思われちゃうかもしれないけど……知的好奇心からなのよ」

申し訳なさそうに苦笑を浮かべながらそう伝える。
ウィルは大した疑問も浮かべず、その時の状況を語ってくれた。


勿論、真意は違う。
昨夜、ウィルの「剣」の使用が『計画』に支障がないか過去のデータを洗い浚い点検していた時のことだ。島の付近、又は遠地で発生した嵐――魔力封域の観測記録の資料が目に入り、そこに記録されている魔力封域の規模を見て思わずアルディラは眉を顰めた。それらと比べてみてウィルの巻きこした嵐の範囲が明らかに小さかったのだ。

ウィルの負った傷が全て治ったのは、「剣」の中で何らかのトラブルが発生し共界線(クリプス)が開き、そこから供給された魔力が原因だとアルディラは思っている。通常、適格者以外の人間が「剣」を抜いても共界線は開かない。魔力封域が発動して弾き飛ばされるだけだ。
故に、事故。島の内部の行使により「剣」とその源である核識が同調してしまったのではないか。最もらしい理由を浮かべ、たまたま偶然が重なったのだろうと、アルディラはデータを見るまでそう結論していた。

だが、トラブルで起きたとしても、共界線はあの時確かに開いていた。島の付近で発生した物や遠地で発生した魔力封域は、共界線が閉じた状態で発動した物の筈。それなのに、暴発として巻き起こった昨日の嵐が規模で劣っているというのはおかしいのだ。
明らかに矛盾している。アルディラはすぐに自分が出していた結論を否定した。


(考えられる理由は……ウィルも、アティと同じ適格者だということ)

目の前の少年の話に相槌を打ちながら、アルディラは平行して思考を進める。
既に「剣」の担い手として登録されているアティがいる為に、資格を持ちながら抜剣が適わなかった。資格を持ち得ない者を弾き飛ばす魔力封域も、その場合だと対応に窮するだろう。不完全、という形で嵐が発生したのではないだろうか。もしかしたら傷の治癒もそれに伴った事象なのかもしれない。
ケースがケースだ。前例がないだけに、こればかりは予想の域は出なかった。

「……ってな感じかな。先生の言ってた声みたいのは聞こえなかった」

「なるほど、ね」

発言としては不自然な点は見られない。
適格者としての可能性が窺えなければ、適格者ではない証拠も見当たらない。可もなければ不可もない説明だった。
判断する側としては困る応答だ。

(……でも、少し完璧過ぎない?)

不自然な点もないが、隙もない。
此方の突っ込むことを良しとしないような“無難過ぎる”回答に、アルディラは胸の内でウィルの疑惑を深める。
質問する内容が解っていたのではないかと思わせる対応。そのようなこと有り得る筈ないのだが、用意していた答えを差し出してきた錯覚を受ける。

実はアルディラは、ウィルが適格者であるという可能性の他にも、この少年が「剣」を操作していたのではないかという予測も打ち出していた。これも普通に考えれば有り得ないことなのだが、しかしそう仮定する理由があった。
昨日の魔力封域の規模を含めた数値を集計してみると、規模が狭まっている代わりに密度――威力が高まっていたのだ。他の魔力封域発生とのデータと並べても、比にならない高出力だった。
前者が拡散型とすれば、後者は集束型とでも言えばいいのか。まるであの召喚術の一斉射撃を防ぐ為だけに行使されたような嵐の痕跡。余りにも、都合が良過ぎるのではないか。

(といっても、直接聞いてみても否定するだろうに決まってるしね。そもそも、根拠がないわ)

目の前の少年には怪しそうな箇所はある。だがそれも、怪しそう、であって、完璧な疑念に成長することはない。
何かを隠しているという直感はあるのだが、目の前の少年は尻尾を掴ませてはくれない。
歯痒いわね、とアルディラが心の中で呟く。だが、その言葉とは裏腹にアルディラは笑みを浮かべていた。
元来の性格か、こういったやり取りは嫌いではなかった。

「ありがとう。中々興味深かったわ」

「それは良かった」

「で、物のついでなんだけど、もう一つ聞いていいかしら?」

「……まだあんの?」

「あからさまに嫌そうな顔しないでよ……」

ええー、とげんなりした顔を見せるウィルに苦笑。
しかしこれすらも化かし合いかと思うと、中々如何して面白いと感じる自分がいる。
『計画』の為にも真剣になってイレギュラー要素は摘み取っておかなくてはいけないが、病み付きになりそうだと楽しんでいる自分が確かにいた。アルディラは笑みを深める。

「貴方が行使する召喚術、あの執行速度について教えてくれない?」

少し攻める矛先を変えてみた。
目先の出来事に捕らわれていたが、ウィルが扱う召喚術も十分異質だ。
あれをどういった過程で手に入れたのか興味は尽きない。もしかしたら、それから「剣」の糸口が見つかるかもしれない。

「ちっちゃな頃から馬鹿のように召喚術使ってたら自然に」

「嘘ね」

「ヘイ、ちょっとハエーYO!! もうちょっと信じようZE!?」

「信じられないもの」

有無を言わず両断。
誤魔化される訳にはいかない。

「そんなこと言ったら、召喚師は時間を掛ければ全員貴方のような真似事が出来ている筈だもの。今の貴方より、私の方が召喚術を行使してきた自信はある。でも、そんな兆候すら見えないわ」

「あれだよ、全属性をバランス良く使うことが……」

「それもないわ。異なる世界に門を繋げられる素質、属性が問われるだけで、基礎の術式は変わらないもの。秘伝などされている特別な体系がない限り、召喚術それ自体は万物不変よ」

「……むむっ」

眉を寄せ合わせ、渋い顔を作るウィルにアルディラは微笑。
さぁ手札を見せなさい? 喋るまで逃がすつもりはないと、アルディラは視線でその弁を叩き付けた。

「……何言ってんだコイツ、とか思うかもしれない話だけど、それでもいい?」

「ええ、構わないわ」

本当のこと話すまで言及止めないから、と胸の内で続ける。
これで少しは目の前の少年のことについても解るだろうと、上機嫌でほくそ笑んだ。



「…………僕さ、前世の記憶みたいのがあるんだ」



だがその発言に、舞い上がった感情は一瞬で身体の中から姿を消した。











「………………冗談、でしょ?」

自分のみしか残っていない室内で、アルディラは思考のループを繰り返す。
顔半分を片手で覆い、動くことのない焦点を床へ落としていた。

『記憶、っていうより情報? 技術や知識が頭の中にあってさ、それを召喚術でもなんでも活用しているんだ』

ウィルはそう言っていた。
前世の記憶、人格の継承はしておらず。知識だけを受け継いでいる、と。
眉唾物もいい所だ。これを聞いた者ならば誰一人として信じることはないだろう。
―――少年の前世なる人物に、心当たりがない者であるならば。

「……在り得ない」

口から漏れる音は、自らが打ち出した仮定を否定してくる。
だがそれは願望に過ぎないことはアルディラ自身解っていた。自分の根底に根付いている理性は、少なくとも仮定が事実と結びつく材料を認識している。可能性は十分に存在する、そう告げていた。

『俺はウィルの奴がハイネルの生まれ変わりなんじゃねえかと思ってるんだ』

自分が盗み聞いたその言葉。
何を馬鹿な、と嘲笑交じりに否定出来ていたその言葉が。
今は、否定する事が出来ない。

『ハイネルの魂の一部が転生の輪を通ることが出来たっていう考えもあるんじゃねえか』

この島の呪縛を考えれば、その推測はナンセンスだ。万が一にも在り得ない。
在り得ない、筈なのだ。

「…………でもっ」

そう仮定すれば、説明出来てしまう。
「剣」の奇妙な発動も、前世の記憶と情報が関与しているならば納得出来てしまう。
ウィルが無意識の内に仲間を守ろうと願ったならば、“あの人”の記憶と情報は力を貸して願いを叶えるのではないか。
容易に、想像出来る。むしろ確信すらある。
“あの人”は、喜んで手を差し伸べるだろう、と。

「…………ぁ、ぁ、あ、あ…っ」

血液の激流を制御出来ない。
喉から震えが止まることはない。
動悸が加速の一途をたどる。
自分の立っている足場が、瓦解していく。


『見ていてくれ、アルディラ』


あれは何時の記憶だったのか。
無邪気な笑顔を此方に向け、珍しい物を見つけた子供のように自分へ新しい発見を披露する、青年。
自分はその青年の姿に何時も苦笑を浮かべ、そして今度は何を見せてくれるのかと心を躍らせていた。


『共界線を通じてね、こんな術式を発見したんだ』


核識に成ることにいい顔は出来なかったが、嬉しそうに語るこの時間には文句も言えなかった。
見せてくれた物は召喚術式の簡略化。普段執行するよりも僅かに早く召喚獣を召喚してみせた。


『あははは……。余り変わらなかったね』


苦笑してみせる青年の顔を覚えている。
あどけないその笑顔を覚えている。差し伸べた手を掴むその暖かさを覚えている。

声を、匂いを、仕草を、癖を、温もりを、意志を、願いを、全て今でも覚えている。
ハイネル・コープスという人間を、今でも心へ刻み付けている。


「ああっ、あ、ぁ……」

少年の用いる術式の原型を知っている人物を自分は一人しか知らない。
何故気付かなかった。明白であったその事柄に、何故気付くことがなかった?
自分の記憶のものより更に洗練されていたから?
それとも、自分の選んだ選択の為に、気付こうとはしなかった?

「ぅ、ああ……っ!」

あの少年が、何気なく抜剣を阻止しているのは、あの人の、意志の現れではないのか?
犠牲を良しとしない、彼の意志だからではないか?

「あっ、あぁあぁぁあっ、ぁぁ……っ」

彼の願いは何だった?
彼が望んでいたモノはなんだった?
彼の願いに、望みに、愛した全てのモノに、自分は―――


「ます、た、ぁ……っ!!」


―――背を向けて、裏切っているのではないか?










【もうすぐだ、アルディラ。もうすぐ、会える】

「…………はい、マスター」


瞳から感情は消え失せ、虚ろなる光だけがそこに残る。

深遠の淵より狂気が出で立つ。
闇が蠢いていた。





















アルディラ

クラス 機界の護人 〈武器〉 突×杖 〈防具〉 ローブ

Lv15  HP109 MP174 AT52 DF56 MAT99 MDF74 TEC61 LUC35 MOV3 ↑2 ↓2 召喚数2

機B  特殊能力 ユニット召喚

武器:スターロッド AT35 MAT15 LUC5

防具:あやかしのローブ DF22 MDF28

アクセサリ:電気モーター 耐機 MAT+10


9話前のアルディラのパラメーター。
威力特化の召喚師タイプ。MATが洒落になんない程ぶっちぎっている。小狸のせいで知れ渡ってはいないが十八番はドリトル。何でも粉砕します。召喚術の属性もあり、役割としてはアタッカーのそれ。
最強コンボは看護婦さんとの機神ゼルガノン。ヴァルハラも捨てがたいが、しかしそこはやっぱりゼルガノン。合体合体!!
「神剣イクセリオン」の全部吹っ飛ばす光は赤狸のトラウマとなっている。本人曰く、「みんな弾けた」らしい。

子狸が先を思うに当たって今一番気にしている人物であり、一番心配している人でもある。ちなみに心配の半分は核識関係のことであり、もう半分はメカ関係。賽は既に投げられている。
護人の中で一番の苦労人。鎧はだんまりだし、とっつあんはヤル気ないし、忍者はうんこだし。特に最近の忍者の奇行に対してぶち切れそうな衝動を抱えてる。抑え込むのには大変労力を必要とするとか。ていうか、糞まみれで酒溺れて「忍ぶ」とか訳解んないことほざき出す始末に、アイツ本当は忍者じゃないだろうと思い始めている。容赦という感情がなくなってきていた。誰の影響、とは言わない。

W―ウィルスの感染が急激に広がりつつあるご婦人。キャラ崩壊率が着実に進みつつある。
果たして彼女に未来はあるのか。

ちなみに幸運値はウィルに次いで低かったりする。




ファルゼン(ファリエル)

クラス 霊界の護人 〈武器〉 縦×大剣 〈防具〉 重装

Lv15  HP161 MP93 AT100 DF82 MAT58 MDF51 TEC64 LUC50 MOV3 ↑2 ↓2 召喚数1

霊C  特殊能力 ユニット召喚 全憑依無効 ド根性 眼力

武器:魔光の宝剣 AT70 MAT10 LUC5

防具:キュアノスペイン DF35

アクセサリ:魔石のピアス AT+5 MDF+5


9話前のファルゼンのパラメーター。
突撃前衛。典型的な壁ユニットであり、模範的な対召喚術凄弱ユニット。これほど強弱が対になってはっきりしているのも珍しいと思われる。そんなゴツイ鎧君の正体は幽霊少女。珍ユニット大賞受賞者は間違いなく彼女であろう。人間時で剣を振るう姿をぜひ見たかった。
というか鎧を抜けばMDFが上がるような気がするのは間違っているのか。「浮遊」の特殊能力も備わって犬天使並みの上下段移動能力が手に入るのも気のせいなのか。ずっとそっちの方が強いような気がするのは気のせいだというのか。

何気に回復も出来たり僕(ユニット召喚)も引き連れられたりでいい仕事が出来る。誓約の儀式が使えるのも大きい。全憑依無効によりステータス強化出来ない点以外は短所は見られない。いや、MDF低かった。ポンコツに次いで低い。彼女もまた狸には注意を払う必要がある。
設定では魔力が尽きると命の危険らしい。しかし裏を返すと魔力が尽きない限りどんなダメージにも屈しない。すぐ直る。最強か。

武器及びアクセサリはウィルから貰った物。金は請求されていない。誰かとの扱いと比べて天と地と程の差がある。本人はプレゼントされたことに相当喜んでいるらしい。
ちなみに、舞い上がった際の幽霊さんは「霊界の白いヤツ」と帝国軍に二つ名をつけられる程恐れられている。帝国軍兵士撃墜数はぶっちぎりのトップ。大剣が振るわれる度に人間が軽く吹き飛んでいく光景は戦意を失わせるには十分だった。畏怖の的である。
「赤い覚醒(抜剣のこと)」とのコンビは最強タッグだと信じられている。結成されれば、女傑を残してでも撤退しようと兵士の間では暗黙の了解がされているらしい。然もあらん。




本編とは直接関係ないが、補完の意味合いを兼ねて「レックス」の歩んだ軌跡を公開。
今回は5話。


イスラ、記憶を失ってどーたらな計画を実行しようと浜辺へ向かう。道中、昨夜島脱出しようとした輩に嵐をお見舞いしたことに思い出してほくそ笑み、馬鹿な奴だと嘲笑してやった。島に辿り着き結界を解除した矢先にまた発動させるなんて思いもよらなかったと若干冷や汗もかきながら。
現地に到着。生来の貧弱ぶりを発揮しようとスタンバる。が、自分より先にボロクソになって浜辺で倒れ伏していたレックスに「!!?!?」と目を剥いて混乱の極致に陥る。何事か!? と派手に取り乱し硬直。ゴミクズもとい屍と化した赤いのと、それを凝視し時を止めるモミアゲという図で膠着。
長い時間その状況が続いたが、赤いのが身じろぎしたことでその場の時が動き出す。はっ、と我に帰るイスラ。もう何時覚醒してもおかしくないレックスを前にして決断を迫られる。撤退か、駐留か。予想だにしない事態に取り乱しているイスラは冷静な判断を失い、その場に倒れ伏すのを選択。計画の進行を優先した。浜辺で仲良く転がる赤いのと黒いの。馬鹿だった。

入れ替わるようにレックス復活。暫く放心していたが、脱出失敗という事実に「なんでじゃああああああああああああっ!!??」と超咆哮。横目でその様子を伺っていたイスラは、お前がなんなんだよ…、と素直な感想を持つ。四つんばいになり砂浜へ拳を叩きつけていたレックスだったが、程なくして立ち上がる。普通にイスラに気付かずそのままどっかへ去る。「オィイイイイイイイイイイイイイイイイッ!!!」とモミアゲは心の中で盛大に突っ込みを放った。
結局、イスラの二時間の粘りもあり、釣りに戻ってきたレックスに今度こそ回収される。だが鬱が入っているレックスはイスラの片足のみを持ってリペアセンターまで輸送。女性かと思って神速の対応をしようとした反動もあるらしい。「マジこういうモヤシが一番許せない」とかほざいてズルズル引き摺っていった。ここにイスラとの対立を決定的なものにした。

イスラ届けたついでにアルディラの元へ向かう。自分が脱出を図ろうとしたことを曖(おくび)にも出さず、昨夜嵐みたいのあったけどアレなんなの? と尋ねると、島に近付く者を吹っ飛ばす結解が作動したのだろう、と返される。牢獄かよ糞がッ!? とか普通に思ったがそれも曖にも出さず血の涙を流すレックス。それにビビるアルディラ。
後に注射を施そうとするクノンとデッドレースを演じた。ちなみに勝負の分れ目はワイヤードフィスト。

余談だが、嫌な予感が止まらない帝国軍の為にレックスはラトリクスの住人達で撃退出来ないのかと提案してみる。同胞達はそこまで戦闘能力は有していないと言うアルディラ。「なら合体してみては?」と申す赤いの。
はぁ?と最初は困惑していたアルディラだったが、何時の間にか誘導されて五体からなるDXラトリクスロボを完成させる。ちなみに頭部はゴレム。戦闘能力は余り期待できるものではなかったが、他集落の子供達に大好評でアルディラも満更でもなくなる。以後、メカ開発設計に超はまる。マッド誕生にはこういう背景があった。自分の首を自分で締めていたという話。喜劇。
ちなみに、姉さんの目標は機界の名匠ゼル作品シリーズを超えるスーパーロボを作ることらしい。

場面変わって、この頃島の住人達に構いっぱなしのレックスに対し不満を抱くアリーゼ嬢。自分のことを忘れているのではないかと不満半分不安半分で、自らレックスの自室へと授業の為に赴く。ノックして入ると、「グッドタイミンッ!」とサムズアップして清々しい笑顔を浮かべる仮教師の姿が。アリーゼ嬢、嬉しさの余りちょっと涙を流す。仮教師、こうなったらずっとアリーゼ嬢に付きっ切りで面倒事を回避すると胸に秘める。致命的な温度差があった。
先日にも増して凄いスパルタで進行していく授業。でも優しさを忘れないエセ教師。それを糧とする健気なお嬢様。アリーゼ嬢限界突破フラグが成立した。それから少しして、カイルがドア蹴破って乱入。「出てけ出て行きやがれっ!!」と用件も聞かずに退出を促す駄目教師。カイル、即座にコークスクリューを腹に叩き込み沈黙させる。アリーゼの涙混じりの視線に汗を流しながらも、鬼の御殿へレックスを運ぶ。

運び込まれ、ミスミ様に子供達の授業を引き受けてくれないかと頼まれるレックスだったが、身の保険を考えやんわり断る。残念そうなミスミ様に心痛んだが、これで変なイベントは起きるまいと息を吐いた。が、ダメだった。初頑固鉄拳パンチを顔面に貰い、そのまま教師とはなんたるかをゲンジさんに教わることに。何なんだよこのジジイ…、という顔をしているとカナディアンバックブリーカーを極められ腰を圧迫、瀕死に陥った。

拷問という名の教訓を受け、フラフラになりながらも島に駆り出されるレックス。「島の召喚獣達との交流の為にも先生が必要なのよ」とか笑顔でほざいたオカマに殺意が沸いた。扱いに容赦がなくなってきてると半泣きしながら子供達と遊んだり天使が勃発させた騒動に巻き込まれたりする。天使は後で湖に沈めた。

夜、アリーゼに学校を引き受けることになったと土下座しながら謝るレックス。痛めた腰に土下座はキツく、涙が流れる。例によって勘違いしたアリーゼは強く怒れず、自分を優先して欲しいと少し我侭が入った約束を交わすことで学校を許可した。我侭言ってくれれば引き受けずに済んだのに、と考えた輩がいたとかいなかったとか。


翌日。学校が開校。勿論大混乱。収拾がつかなくなる。アリーゼの「嘘吐き」のコメントを添えた涙目の睨みにレックス吐血。女の子泣かせたという事実に機能停止に陥る。
次にレックスの目が覚めた時は、現在進行形で空を飛来している最中だった。アリーゼを救う為に、レックスを引き摺ってきたカイルがジャイアントスイングからの投げを決行していたのだ。目をひん剥くレックス。次の瞬間、墜落。ワカメをすっ飛ばし岩盤に頭が突き刺さった。
そして崩落。レックス登場4秒後に竜骨の断層は崩壊した。

もはや気力でアリーゼ抱き寄せて崩落から彼女を救うレックス。一緒に埋もれるが、抜剣。碧の輝きを放ちながら岩盤を一気に退けて生還。少女を抱きながら不死鳥の如く佇むレックスに、抱かれているアリーゼは言うまでもなくソノラも素で惚れる。「大丈夫かアリーゼ?」みたいな微笑あり涙ありのお約束会話を交わした後、取り合えずカイルの息の根を止めた。

しぶといながら生き残っていた帝国軍と戦闘。顔を真っ赤にしたアズリア(「剣」のことで怒りつつも不死鳥レックスの姿に惚けている状態)が脇目も振らずレックスに突貫。「う゛ぞ゛ッッ!!!?」と叫び声を上げる白いの。抜剣してるのに押されまくる。胃が半端ない状況になっていた。
放たれる紫電絶華で終わると思われたその時、スーパーアリーゼの召喚術が炸裂。吹き飛ぶアズリア。アリーゼかっけえ、と見惚れる馬鹿。アリーゼとアズリアが火花を散らして睨み合いを続けていたが、とうとう帝国軍の最後の砦ギャレオが陥落する。アズリアに指揮を捨てられボロクソの部隊を立て直した彼はよくやったと言えた。
戦闘不能に陥り帝国軍は撤退。アズリアの捨て台詞に心底怯えながらも帰路につくレックス。そこでアリーゼと仲直りする。ああマジ良かったと一安堵。カイルの髪を片手で引っ張りながら船へと戻った。

夜会話はアリーゼ。学校と自分の授業を両立すると約束することで今度こそ認可。アリーゼは命懸けで助けてくれたレックスに揺ぎ無い信頼と恋心を寄せ、赤いのはアズリアという脅威から救ってくれたアリーゼに絶大なる感謝を抱く。何だかんだで絆が深まった。

アリーゼと別れた後、島の脱出に希望を繋げるレックスはみなが寝静まった機にゴムボートの回収に向かう。暫らく散策してゴムボートを発見。安堵して、しかしそこでファリエルイベント。ゴムボートを腕に抱いた体勢を幽霊に目撃された。
マズイ、どうにか誤魔化さなくては、と脂汗をダラダラと流しまくり危機打開の一手を模索。が、何も思いつかない。この状況でどう言い訳並べばええねん、と自分で突っ込み、もはやヤケになる。「ああ貴方様は誰でしょうか可憐で麗しく可愛いらしいお嬢様ぜひ名前を聞かせても貰ってもよろしいでございましょうか」とかイカれたトークでファリエルに畳み掛ける。こういうのに滅法弱いファリエルは混乱し、結局誤魔化された。ちなみにファリエルフラグが立った。
ファルゼンという正体に驚きつつも親しくなる。ゴムボートは森の中に隠しレックスは帰宅した。取り合えず、次の日にメイメイさんの所で胃薬買いにいこうと強く決意する。蛇足だが、この先のレックスの買い物のその8割が胃薬に割り当てられている。



[3907] 9話(上)
Name: さもない◆8608f9fe ID:94a36a62
Date: 2009/02/28 10:48
「先生、ここを教えてください」

「オイラもー」

「あっ、はいはい。何処ですか?」

「ここの所が……」

自分を呼ぶ声に、視線の先へ傾いていた意識を転換する。
教科書の問題の意を尋ねてくる子供達に、言葉と手の身振りを用いて解へと導いていった。

青空教室。
久方ばかりに再開した学校に、子供達は元気一杯にやって来た。
二、三日の休校の間に彼等は待ちきれないと言った風に気持ちを焦らしていたそうで、復習や予習をしてきたと話を聞いた時は教える側の此方としても喜ばしい限りだった。学ぶ、といった取り組みに興味を持って楽しんで貰うことが堪らなく嬉しい。思わず破顔してしまった程です。
自分も子供達も学校を心待ちにしていたということに、教壇に立つ間も笑みが止められなかった。


考え込むパナシェ君と頭を抱えるスバル君に笑みを漏らしつつ、そっと先程まで見ていた方向に視線を向ける。
そこには、唸り声を上げながら計算に戸惑うマルルゥに、それを丁寧に教え込んでいるウィル君。学級委員長を引き受けてくれたウィル君は私が言った言葉の通り、マルルゥに尋ねられた問題に対して嫌な顔をせず指導をしてくれていた。
ノートに書いてある図を示しながら指を折って解り易く説明しているウィル君は何処か楽しそう。マルルゥの悩んでいる姿を優しく見守っている。

「…………」

問題ない、これなら平気そう。ウィル君の態度にそう結論する一方で、そこから視線を剥がせずにいます。
心配は要らないと分かっているのに、それでもウィル君とマルルゥが二人で言葉を交わすその光景を見詰めてしまっている。

「あ……」

計算を解くことが出来たのか、マルルゥが笑顔になってウィル君に抱き付く。
彼はそれに苦笑。頬に貼り付いたマルルゥを剥がし、その小さな頭を撫でる。マルルゥは頬を染めてはにかんでいた。
ウィル君のあんな柔らかい表情、今まで幾つも見たことがなかった。

「………………」

まただ。
また胸にわだかまりが落ちた。自分でもよく解らない窮屈な塊状、それが胸の中で姿を見せる。
本当に如何したのだろうと思う。昨日も似たような感覚が何度もあった。朝の船内でも午後の境内で起きた事件の中でも……何度もです。
胸の圧迫感は全て共通していている。ただ、それに至る経緯はバラバラ。度合いの強さもその時によって変わってくる。
何より、それに伴うのは心地良さなのか心苦しさなのかが、はっきりと別れる。
……初めてです。こんな状態、本当に初めて。

「…………むむっ」

特に、“こういった”時には眉を寄せられずにはいらません。視線も強まってるような気がします。
昨日の夜だってそう。マルルゥがウィル君を庇ってる姿を見てから落ち着かなくなって、今と似たような状態になりました。あの時は何だか変なこと言っちゃいましたし。……確かに、洗脳はないです。

「……むー」

でも解っていても、こう、何というか、険しさみたいな物が取れません。
昨日はウィル君がマルルゥへ、以前私のことを悪魔やら何やらと吹き込んだように、言葉巧みに誘導したのではないかという可能性も無きにしも非ず、ということであの感情の成り立ちは納得もいくんですけど……。
じゃあ今は如何して? そう問われると答えることが出来ません。何故でしょうか、顔から固い表情が消えてくれない。
別に非を問う場面なんかじゃないのに。変なことじゃないって、納得しているのに。

……よく、解らない。


「先生っ、出来たよ! 合ってますか?」

「オイラはまだよく解んねー……」

「!」

はっ、と肩を上下させる。
いけない。パナシェ君達に付いていたのに、沸いてきた思考のせいで一時それを忘れていた。
どうかしてます。自分の役目をほったらかしてるなんて。首を振って、意識をしっかりと切り替えた。

胸に抱くわだかまりや理解の追いつかない疑問を振り払い、パナシェ君達と向かい合う。
思考と意識は目の前の子供達だけに集中した。誉めて、教えて、笑みを交わす。



ただ、談笑する彼と彼女の姿が、視界の端から離れることはなかった。









然もないと  9話(上) 「先生の休日前夜は筆舌に尽くし難し」









授業終了の鐘の音が高く響き渡った。マルルゥとの会話も程ほどにして自分の席へ着いていく。
子供達の前でアティさんが注意事項と連絡を言い渡し、やがて本日の学校はお開きとなった。

「うっわ~~~! すっげえ、体中が鎧に包まれてら!!」

「カッコ良いのですよ~~~~!」

「やっぱり大きい……」

『こ、これは…………て、照れるであります』

帰路につくかと思われたスバル達だったが、気付いていたのか、木の陰に控えていたヴァルゼルドの周りに集まっていった。
アルディラの質問を危なげに交わした後、修理の終えたヴァルゼルドと合流してそのまま青空教室、此処へ来たのだ。子供達に変な刺激を与えないように隠れて待機させていたのだが、どうやら取り越し苦労、余り意味がなかったようである。

スバル達はヴァルゼルドの見て目を輝かせ、アーマーをぺたぺたと触れていく。
ヴァルゼルドはそれに対して棒立ちのままだ。緊張している。

「いきなりスバル達の心を掴むとは……。やるな、ヴァルゼルド」

「まぁ、確かに目立ちますね、ヴァルゼルドは」

俺のコメントにアティさんが苦笑する。
アティさんにはヴァルゼルドの説明を終えており納得してもらってる。昨日の内にもう知っているとは思っていたが、まぁそこはちゃんと紹介させた。けじめは付けなくてはね。

「お前、名前なんて言うんだ?」

『本機の名はヴァルゼルドであります。正式名称は、形式番号名VR731LD、強攻突撃射撃機体VAR-Xe-LDです』

「ぶいあーる、な、ななさんいちぃ?」

「な、長いんだね……」

ううむ、それにしても子供がロボに群れるこの光景を見ると、「アルディラ」の作品の数々を思い出す。島の「子供達」もロボが出来上がる度にはしゃいでいたからな。
「ラトリクス」が此処のラトリクスより賑やかになっていたのは、一重にこういう心震わすメカの存在があったからこそだろう。……たまに変な兵器積んでいたがな! ドリルとかカッターとか冷却光線とかっ!! 普通に戦えるだろ!?

「………………」

「……ん? 僕の顔に何か付いていますか?」

「あっ、い、いえっ、そんな事ないですよ? あはははは……」

「?」

視線を感じてアティさんに顔を向けるが、笑って誤魔化された。
本当に何かくっついているのかと顔を手で拭ってみるが特に異常なし。はて? と首を傾げる。

「……ウィ、ウィル君、聞いてもいいですか?」

「僕に答えられることなら」

「き、昨日の夜、ファリエルと何かしていたりなんか……してしました?」

「……何かってなんですか?」

「えっ……。ええっと、ですね、その、あのー……」

……記憶があるのかこの天然? 完璧に眠らして記憶も曖昧である筈なのだが。
どもるアティさんを見上げながら胸中で舌打ち一つ。爪が甘かったか。鈍器で殴るぐらいしておくべきだったかもしれない。いや、でも流石にアティさんといえど、そこまで乱暴な真似は出来ん。女性だしね。
頭のネジが更に飛んでもらっても困る。天然に拍車が掛かったらもう体が持たない。

「如何してそんなこと言うのか知りませんが、昨日の夜はみんなが帰った後すぐに寝ましたよ。先生も知っているでしょう?」

「そ、そうですよね。ごめんなさい、夢を見て勘違いしたみたいです」

悟らせる筈もなく、軽く流す。
平常心を乱すことなど一切の可能性もない。慣れたものよ。

「ところで気になりますね、先生の夢の中に出てきた僕とファリエルというのは。一体何をしてたんですか?」

「ええっ!? い、いえっ、べ、別に大したことはっ!?」

「まぁ、どうせ先生のことでしょうから、逃げ惑うファリエルを『剣』持って追い掛け回していたんでしょう。悪い子はいねぇか、とか奇声ほざきながら」

「有り得ませんよっ!? というか“どうせ”って何ですか、“どうせ”って!!? 私のこと何だと思ってるんですかウィル君?!」

「ア・クマー」

「新種!?」

「オチとしては僕の仕掛けた落とし穴に嵌ってア・クマー・アティは地の底に封印され長い眠りについたのだった、といった所でしょうか」

「嫌ですよ?! というか、語呂最悪ですっ!!」

「正に夢オチですね」

「何処が!?」


アティさんと何やらかんやらのやり取りを展開し、後に放置。
視線をヴァルゼルド達に戻せば、何やら滅茶苦茶仲良くなっているようだった。ヴァルゼルドが笑顔に囲まれている。当の本人は戸惑っているが。
くっ、まさかこんな光景を見る日が来るとは。冗談抜きで泣けるぜ。良かったなヴァルゼルド。マルルゥに「ポンコツさん」と既に呼ばれているが本当に良かったな。
そしてテコ、目つき悪いよ。

「ヴァルゼルド。僕の方はいいからスバル達と遊んでいてくれ」

「いいのか、兄ちゃん!?」

「ああ、構わないよ」

「ありがとう、ウィル兄ちゃん!」

戯れるスバル達を見てヴァルゼルドに指示を出す。
俺と居ても手持ち無沙汰になるだけだ。だったら子供達と遊んだ方が有意義というものだろう。
イスラの件もあるしな。少なからず子供達は傷付いているだろうから、そういう意味でもヴァルゼルドと楽しんでもらいたい。

『ですが、マスター……』

「心配しなくていいよ。危険なんてそうあるもんじゃないし、テコも先生もいるんだ。側に居るなんて固いこと言わずに楽しんでらっしゃい」

『……はっ、ではお言葉に甘えさせて貰うであります!』

ああ、と了承してスバル達に囲まれるヴァルゼルドを見送る。今は何をして遊ぶかと早速相談でもしているのだろうか。
微笑ましいな、と一頷きしてアティさんに振り返る。彼女も同じことを思っていたのか、遠くなっていく背中を見ながら柔らかい顔つきをしていた。

「……じゃあ、僕も授業を頑張るとします」

「ええ、そうしましょう」

巨人と小人達を最後まで見送りながら、俺達はそこを後にした。






海賊船 ウィルの部屋


「という訳で、私の似顔絵を描いてもらいます」

「絵、ですか」

「ミャミャ」

軍学校の試験とは直接関係ないが、対象を正確にイメージする為の訓練ということでアティさんの肖像画を書くことになった。
この授業、というか訓練は延いては召喚術を効率良く行使することに繋がっていく。呼び寄せる召喚獣を具体的に思い浮かべることによって
、早く正確に召喚術を発動出来るようになるのだ。
この授業も実戦を考えてのことだろうか。もしかしたら実技試験を考慮に入れてるのかもしれない。まぁ、基本といえばそうなのだが。

「よし、僕の達人級の腕を見せてあげましょう」

「あはは、ちょっと怖いような気もしますね……」

「ミャー」

「むっ、失礼な。そこまで言うんなら、いいでしょう、僕の一筆入魂でその顔を吠え面かかせてやります」

(……絵の中の私がそうなるんじゃないですよね?)

何かムカつく顔をしているアティさんが気になったが、今はそれを意識から外し、真剣な目で彼女を見詰める。
言っておくと、俺は何でもそつなくこなす。冒険家の父親からは生きる術とこのような妙技を叩き込まれ、独自の自論を持つ母親からは訳の解らない教訓を脳に刻み込まれたからな。今思えばアレは改造だったのかもしれない。我が親ながら鳥肌が立つ。

「…………」

「…………」

「…………」

「………ん」

「動くな」

「は、はいっ…」

「…………」

「…………」

「…………」

「………ぇと」

「動くな」

「……はいぃ」

「…………」

「…………」

「…………」

「………あ、あのー」

「セイレーン」

「…………ふにゅぅ」

「テコ、それの顔支えて」

「ミャミャ!」

「…………」

「……くー」

「…………」

「……すーすー」

「…………」

「……ん、ぅ」

「…………」

「……むにゅ」

「…………」

「……ふにゃ」

(……ブン殴ってやりたくなってきた)

目の前でボケた顔した天然に何か制裁を加えてやりたい衝動に駆られる。
眠らしたのは確かに俺だが、こっちが真剣になっているというのにその態度はないだろう。「ふにゃ」じゃねーよ、「ふにゃ」じゃ。

顔に落書きでも施してやろうかと席を立つ。しかし、近付いた所で「んんっ…」と瞼が震え覚醒の兆しを見せた。
するすると自分の椅子へと戻る。くっ、運のいい奴だ。というか、こっちが接近して目を覚ますなんて獣みたいな奴だ。

「…………? あれ、私……」

「人が黙々と作業をしているのに眠りこけるなんていい度胸してますね」

「えっ!? わ、私寝てましたか?!」

「爆睡ですよ。鼻ちょうちん出してました」

「それは嘘ですよねっ!!?」

「ちっ」

後でからかってやろうと思ったのに。

「…………な、何か違和感があるような気がするんですけど」

「自分の醜態を誤魔化そうとでも? あーやだやだ、汚い大人。反吐が出ます」

「うっ……。で、でもっ、本当に何か変じゃないですかっ? 何ていうか、こう……」

「先生が変なのは今に始まったことじゃないと思います」

「ウィル君に言われたくないですよっ!! そうじゃなくてっ、私が前触れなく眠っちゃったことがですっ!」

「眠りなんて前触れなく落ちるものでしょう」

この間にも筆を走らせる俺。表情がコロコロ変わるから、もう諦めて幾つも顔を紙の隅へ書き殴っている。

「そ、そうですけど、本当に突然過ぎるというか、緑の淡い光を見たような……」

「また夢ですか? 現実との区別が出来なくなるなんて。いい病院を紹介しましょうか?」

「そのパターンはもういいです。…………何だか、直前の記憶が綺麗に抜け落ちているような気もするんですけど……」

「痴呆ですね分かります」

「ち、違いますよっ!」

う~ん、と頭を抱え出して唸り出すアティさん。
どうでもいいけど、アンタ既にこっちに協力する気ないだろ。顔伏せるんじゃない。

「……やったっ、出来たぞっ! これは改心の出来だ!! さぁ、見てください先生っ余計なこと思い出さなくていいから早くこれを見てください!」

「やっぱり何か誤魔化そうとしてませんかウィル君……?」

怪訝そうな顔で此方を見やる天然に絵を手渡す。
疑いの眼差しを向けていたアティさんだったが、しぶしぶと俺の一筆入魂に目を落とした。

「……………………」

「……………ミャー」

「ふふん、どうです、言葉も出ないでしょう」

「……え、ええ。本当に、上手です。ウィル君、こんな才能があったんですね……」

「ミャミャミャーッ!!」

「超人と呼んでもらっても構いません」

呆けた顔のアティさんを見て俺も満足。うむうむ頷いて素直にテコの賞賛を頂く。
今の俺、相当天狗になっているな。

「題名は『設定イラスト00 アティその3』でいきましょう」

「やけに生々しいですね……」

「ええ、きっと幻の作品です」

「意味が解らないんですけど……。うーん、それにしても…」

俺の絵を凝視してアティさんは呟きを漏らす。
むっ? 何か不手際があったか?

「おかしい所がありますか?」

「いえ、そんなことはないですよ? とっても上手です。上手、なんですけど……」

何なんだ? 言いよどむアティさんに、俺は自分の描いた絵について考えを巡らせる。別段変な箇所はないと思うのだが。
心が篭っていないとか言い出すんじゃないだろうな? だとしたら嘗め腐っているぞ。

「何ですか先生。気になることがあるんだったら、はっきり言ってください」

「……それじゃあ、言わしてもらいますけど」

「…………」

「……ミュ」

思った通りの答えだったら一発はたこう。

「…………私のこと、綺麗に描き過ぎじゃないですか?」

「…………ん?」

「…………みゅ?」

今なんつったコイツ?

「ウィル君が描いてくれた私は、綺麗過ぎるんじゃないかなー、って」

「…………」

頬を赤らめ恥ずかしがる目の前の物体に嘘はない。本気で言ってやがる。
ほら、とアティさんが手渡してくる絵を受け取り、自分で描いたにも関わらずもう一度見比べた。

「…………どう?」

「(ふるふるふるふる)」

一緒に覗き込んできたテコに是非を問えば、顔を横に振って「そんなことはない」と伝えてきた。
当然だろう、誰がどう見ても美化などされていない。そのままのアティさんが描かれている。なのに、目の前の赤いのは恥ずかしがりながら苦笑を浮かべていた。

……………………。


「先生、鏡見てますか?」

「えっ? 何時も確認してますけど、如何してですか?」

「…………」

ダメだ、こいつ。

「テコ、いくよ」

「ミャーミャミャ」

「えっ? ウィ、ウィル君? まだ授業終わってないんですけど?」

無視。

「あー、疲れた」

「ミャミャ」

「ウィ、ウィルくーんっ?」



ギィイ―――――バタンッ



「…………あれ?」






風雷の郷


「ウィル君、この頃私の扱いが邪険になってませんか?」

「ハイハイ、そーですね」

「これじゃあ私でも何時か怒っちゃいますよ?」

「へー、ふーん、そう」

「ほらまたっ! もうウィル君っ!!」

後を追ってきたアティさんにどーでもよさげに返事をする。
こちとら貴方の相手すんのも疲れてんだよ。真面目に取り合う自分が馬鹿に思えてくる。天然を脱して出直してきて下さい。

むー、とアティさんの何時にも増した強い視線を背に感じるが、取り合わない。オールシカト。流す。
ふぅ、と一息置き視線を巡らせる。ヴァルゼルド達は何処に居るだろうか。まあ、ユクレス村の方も見てきたし、残った場所は此処ぐらいしかないのだが……さて?


「あっ、まるまるさ~ん!」

『マスター』

ビンゴだ。
開けた草原にヴァルゼルドとマルルゥの姿があった。ずっと奥に見える池の岩場ではスバルとパナシェが手をぶんぶんと振っている。
遊びをするスバル達と話をするマルルゥ達とで別れていたらしい。ちょうど二組ずつに成っている。
ヴァルゼルドは生えている木の根元で座り込んでおり、マルルゥは此方に気付いたのと同時に近寄ってきた。

「まるまるさんと先生さんも遊びに来たのですか?」

「うん、そんなところ。って、マルルゥ……近いよ」

「えへへ~~」

顔にくっ付くようにして視界の半分を覆ってくるマルルゥに声を掛ける。思わず眉を下げて苦笑を浮かべてしまう。
悪びれていないのか、マルルゥは笑顔のまま俺の顔から離れてすぐ横の肩に腰を下ろした。

何だか昨日からスキンシップみたいのが一気に増えたな。遠慮なく懐に入ってくる。
まぁ、嫌な筈もないので別に構わないのだが。「レックス」の時もこんな感じだったし、早いか遅いかの違いだったのだろう。
それにもしかしたら、マルルゥは俺のこと心配してくれて寄り添ってくれているのかもしれない。昨日は胸の内を悟られてしまった訳だし。身体は小さくてもこの少女の思い遣る心はとても広いから。

頭にとまっているテコがフーと息を荒げた。指定席を奪われたことからマルルゥに抗議しているのか。
視線を横にずらせば、マルルゥは依然笑みを浮かべている。どうやら堪えていないようだ。引き続き苦笑。
そんな心優しく天真爛漫の彼女に感謝しつつ、礼を込めてその頭を撫でた。
マルルゥは目を閉じて為すがされるままになる。身を僅かによじる姿は、眼前ということもあって可愛らしかった。

「…………う、ん?」

首がちり、と焼けたような感覚を帯びた。
何だ何だと上半身を回して辺りを見回す。だが怪しい影は何処にも存在しない。
誰かに結構な視線を送られていたような気がしたんだが……うんこでも物陰に潜んでいるのだろうか? 心当たりといえば普通にあるけど。

「…………って」

今も継続されている首の辺りが焦げる感覚、出所は後ろしかあるまい。背後、俺の後ろに控える人物へと振り返った。
そこには半眼になって俺を見下ろしているアティさんの姿が。昨夜の光景をそのまんま連想させる。
……なして?

「な、何で睨んでるんですか?」

「………………………………別に」

別に、ってそりゃないだろう。そんなとんでもない眼をしときながら。だったらプレッシャー放つんじゃない。

「…………怒ってるんですか?」

「……………………別に怒ってなんかないですっ」

「嘘をつけ、嘘を」

昨日と同じ目付きじゃないかソレ。何か非難がましいヤツ。眼光が強いよ。

「……はあ。もう無視なんかしませんから機嫌直してくださいよ」

「むっ…! 何ですかっ、その言い方は!? それじゃあ私が構って欲しいみたいじゃないですか!」

「違うんですか?」

「違います!」

ぷいっ、と目を瞑り顔を背けるアティさん。
何だよコレ。本当に子供だ。思わず頭を抱えたくなる。確かに俺も悪いけどさ……。

ご機嫌斜めな天然にどう許しを請うか考える。無視を続行してもいいが、それだと昨夜のようにどんどん眼光がエスカレートしていくような気がビンビンだ。同じような愚考は繰り返さんよ。
しょうがない、ここは必殺土下座で……

「先生さん、まるまるさんとケンカしてるのですか?」

「えっ……い、いやっ、そういう訳じゃないんですけどっ…」

むっ、チャンス!
マルルゥに尋ねられ、しどろもどろになるアティさんの姿に勝機を見出す。ここぞとばかりに攻めの姿勢へと転じた。

「いや、いいんだマルルゥ。確かに僕と先生はケンカしているけど、うん間違いなく先生は僕に対して怒っているけど、別にいいんだよ。調子こいた僕が悪いんだ……」

「まるまるさん……」

「な、何ですかっ、その萎れかた!?」

よよよ、と泣き崩れる。ちなみに「へべれけ」の技のドロー。

「ええ、あんな酷いことをしたんです。どんなに謝っても先生は許してはくれないですよね…………僕はこんなに反省してるのに」

「まるまるさぁん……」

(マ、マルルゥの同情を得るつもりですか?!)

気付いたか。だが既に遅いッ!
目元を覆う手の隙間からアティさんの瞠目している顔を横目で確認。無駄な抵抗をされないよう、一気に畳み掛ける。

「如何したら許して貰えるのか僕には解りません。ええ、僕には解りません。僕一人じゃ許して貰えないのかも。ああきっとそうだ。誰かの助けが必要なのかも」

『大丈夫ですマスター、教官殿はお優しい方であります! マスターが誠意込めて反省していれば、何時かきっとお許しを頂ける筈であります!!』

黙れ。

「……先生さん。まるまるさんを許して上げられないですか?」

「うっ。で、でもっ……」

勝ったな。

「…………先生さぁん」

「……わ、分かりました」

陥落。がっくりうな垂れるアティさん。まぁ、あれには誰にも敵うまい。
アティさんは何処か抗議の目で見詰めてくる。俺は手を振ってまぁまぁと取り繕った。


「これで一件落着ですねあー良かった良かった。さてスバル達の所でも行きましょうか」

(……胸に抱くこのわだかまりは何でしょうか? よく解らないというか納得がいかないというか不服というか………………)

爆発しそうです……。
その不穏な発言が俺の耳に届くことはなかった。






大蓮の池


「兄ちゃん、先生、一緒に遊ぼうぜ!」

「ええよ」

「私もいいですよ。やっぱりみんなで競争ですか?」

「うんっ。向こうの岩まで誰が一番早く着くかだよ」

「スーパーエキスパートルール……これはシビアなレースになりそうですね」

「何訳の解らないこと言ってるんですかウィル君……」

「マルルゥ、お空飛べるのでお休みなのですよー。残念です……」

「安心しろマルルゥ、仇は取ってやる。ヴァルゼルドが」

『本機でありますか!?』

「でも、みんなで一斉に競争すると危ないかもしれないません。何処かでぶつかっちゃうかも」

「あっ、そっか」

「スーパーエキスパートルールに恐れをなしましたか。ふふん、器が知れるというものですね」

「むっ! 違いますっ、誰かが怪我しちゃうから止めましょうって言ってるんです! 怖いとかそういうことじゃありません!!」

「上辺では幾らでも言葉を並べられますよ。何よりも先生、貴方自分の足場が少なくなるから、それとなく有利なルールに誘導しようとしているでしょう?」

「うっ…!?」

「どういうこと、兄ちゃん?」

「すぐ飛んでいける足場がないと、先生は池に落ちるってこと。先生は僕達と違って長い間蓮に乗ってられないんだ。重いから」

「怒りますよ?」

『「「「ゴメンナサイ」」」』


被爆地にいた男性陣が全員土下座するという儀式の後、スーパーエキスパートルールではなくタイムトライアル形式で勝負をすることになった。
マルルゥにはゴール地点にいてもらってタイムを集計してもらう。


「これで前回のようにはいきません! ウィル君、今回は勝たせてもらいますっ!!」

(やはり根に持っていたか……。しかも確実な方法で勝ちを狙ってきやがった。抜け目がないな、この女……)

「最初は誰が行くんだ?」

「僕は一番最後がいいかな……」

「よしっ、行ってこい。ヴァルゼルド」

『はいっ!? ほ、本機も参加するのでありますか?!』

「当然だろう。マルルゥの仇を討つと約束したじゃないか」

「マルルゥを勝手に殺さないでください……」

「兎に角、お前ならイケル! さぁ、一歩を踏み出せっ!!」

『一歩で撃沈する可能性大であります!? あの蓮では本機の重量を受け止められないです!?』

「スバル達もヴァルゼルドの羽ばたく姿見たいよな!」

「ああ、オイラすっげー見てえ!!」

「頑張って、ヴァルゼルド!」

「ミャミャーッ! ミャーミャミャ、フシャーッ!!」

『うっ……!?』

(……子供って時に残酷だな。促しといてアレだけど…)

『で、ですが、やはり……』

「ヴァ、ヴァルゼルド? 止めといた方が……」

「ミャーミャーッ!! ミャーフシャーッ!!」

「(テコも容赦がない……) ……ヴァルゼルドッ、お前は僕の護衛獣だっ!! 不可能を可能にする漢だ!! お前なら出来るっ!」

『マ、マスターッ……!! いきますっ、いってきますっ! 本機は今日鷹になるであります!!』

「「おおっ!」」

「ミャッ!!」

「だ、騙されてます!? い、いけませんヴァルゼルドッ!?」

「システムオールグリーン、ヴァルゼルド、どうぞ!」

『ヴァルゼルドッ、行きます!!』

「ああっ!?」

飛翔。

『不可能を可能にぶぼほあっ!!??』

「「ヴァ、ヴァルゼルドー!?」」

「ミャミャー!」

「やっぱり……」

沈没。

『げぼうっ!? ぶふうっ!!? じ、沈むっ、沈むでありまずっ!!??』

「ど、どうしたのですか!? って、ぽ、ポンコツさーんっ!!?」

「先生っ! 何呆けてるんですか! 早くヴァルゼルドの救助をっ!!」

「む、無理ですよ!? 私一人じゃヴァルゼルドを持ち上げられっこないです!!?」

「先生がやらなくて一体誰がやるって言うんです! 僕も行きます、さぁ早く!!」

『おぶっっ、おほうっ!!? じ、浸水っ、し゛ん゛す゛い゛か゛っ、始まっで!!?!?』

天に手を仰ぐようにしてもがき続けるヴァルゼルド。沈水していく。

「「先生っ!」」

「先生さんっ!」

「くっ……! もうっ、ヤケです!! えいっ!!」

飛込。

「召喚」

『ぶはっっ!!! ごほおっ、ごふうっ!!? し、死ぬかと思ったであります…っ!!』

「平気?」

『ええ、何とか無事であります。本機を救助して頂き、ありがとうございますマスター』

「軽いもんよ」

「「「………………」」」

召喚され大地に出現するヴァルゼルド。ポコポコと池の表面に上がってくる気泡。

「さて、十分楽しめたし、他の所行こうか」

『お供するであります』

「ミャーミャ」

「…………ま、まるまるさぁん?」

「ん? どうしたんだい?」

「……ア、アレ、いいのかよ?」

スバルが指した方向を見やれば、何時の間に浮上したのか此方に背を向ける赤い物体の姿。頭に蓮を載せている。

「僕に河童の知り合いはいない」

「「「………………」」」

離脱。


「………………………………」

「……せ、せんせい?」

「……………………………………………………」

「ヒッ!!?」

「…………………………………………………………………………」

「パ、パナシェ、走れっ!?」

「ま、待ってえっ!!!?」

「急ぐですよっ!!?」

集団退去。



「…………………………………………………………………………………………………………………………………………」















何処までも続く青地に、その中に身を置く真円の光源。上空、晴れ渡った天候は青々とした色を一杯に広げている。
眩しくも温かな日輪の光が、砂に、岩に、海に、燦々と降り注いでいた。


浜辺。
白い砂が敷き詰められているそこに一人の少女の姿があった。
陸と海の境目に設けられた岩々の上に腰を落ち着け、自分の手元を見詰めている。

「…………」

陽を浴びて艶を帯びる黒塗りの髪。
あどけなさを感じさせる顔には柔らかい表情を浮かべており、何処か機嫌の良さが窺えた。

「うん、綺麗だ」

呟きと共に少女が手を目の高さまで上げる。
手元、少女の指が包むのは紫紺の球体だった。海と空、地平線を背景にしたその結晶は広大かつ繊細な印象を控える。
結晶の内部を通じて左右に伸びる紐をもう片方の手に携えながら、少女は破顔した。

「イスラ」

「……お姉ちゃん」

少女、イスラは背後よりの声に首を振り向ける。
白色の上衣を羽織った姉のアズリアが、此方に歩み寄ってきていた。
今彼女は鎧や手甲といった防具を身に着けていない。軽装の上から着る軍服をそのままにして、身体に負担を掛けることのない状態だった。

「そろそろ昼食だ。駐留地に戻ろう」

「うん、分かった」

イスラは顔を前に戻し、アズリアに背中を向ける。彼女はそこから腰を上げる気配を見せない。
アズリアは動こうとしないイスラに眉を寄せ、そしてどうする事も出来ずその場で佇んだ。
会話が途切れた砂浜に細波が砕ける音だけが響いていく。この状況に戸惑い、それでも何か言葉を探している姉に、イスラは胸の内で溜息をついた。


生れ落ちた頃から床に伏せていたイスラに対し、アズリアは無償の愛を抱きつつ、同時に後ろめたさも感じている。毎日死の発作を繰り返していた妹に比べ、彼女は何の不自由もなく生活することが出来、更にレヴィノスの家の期待――諦めにも通じていた物だったが――それを独占していた。男子が生まれることのなかった彼の家は、病弱な妹に最初から目など向けず無用の物としていたのだ。
帝国軍人を強制されていたアズリアだが、それでも妹が優遇の違いから憎しみの感情を抱いているのではないかと、そのような秘め事を心から拭えずにいた。

こうしてイスラが健康体になった今も、何処か控えめな関係が続いている。
話は交わすし、姉妹としての交流もある。だがそれでもアズリアはイスラの顔色を窺って強く出てこようとしない。何処か遠慮し、一歩距離を置いていた。


情けないな、とイスラは思う。
何時もは凛と佇まい毅然としている姉が、自分を前にするとそれが嘘のように弱腰になる。見るに耐えないと素直に思う。
常時のように自分に対しても白黒をはっきり付ければいいのだ。構うか、構わないか、どちらか決断すればこんな体たらくにはならないのだから。

(……それを口にしない私が言えたことじゃないか)

だがそう思う一方で、そんなことはしないで欲しいと思っている。
見捨てないで欲しいと思っている自分が確かに存在している。姉に愛を求めている、それが本望なのだ。

(結局私も情けない、っていう話だよね)

煩わしいと思っていても現在の関係を壊せずにいる。何かが変わるのを恐れている。
やっぱり姉妹なんだな、とイスラは自分の思考と心理に対して苦笑を浮かべた。

「…………イ、イスラ。その、手に持っている物は何なんだ? 私にも見せてくれないか?」

アズリアがイスラの横まで近付き手を伸ばしてくる。
姉として不器用な彼女が取った行動は、妹が夢中になっている品を確かめるというものだった。
少しでも共通の話題を分かち合おうとしたのだろう。不器用なりに考え抜いた結果だ、彼女に他意はない。

「ッ!」

しかし、少女にとってそれは許容出来ない事柄だった。
自分が抱くモノに向かって近付く手を、下から腕を振り上げ一挙に弾き飛ばした。

「……っ!?」

「触らないで」

躊躇なく振るわれたイスラの拒絶に、アズリアは身体を震わせた後に呆然とする。
口から漏れた言葉を驚くほど冷たいものだった。放ったイスラ自身もそれを自覚する。

「あっ……。す、すまない…」

「…………」

視線を行き場もなく彷徨わせた後、アズリアはイスラから逃れるように目を伏せた。
沈黙がこの場に落ち、変わることのない波の音だけが押し寄せては消えていく。

(……っ)

当の本人はこの有様に顔を歪める。思わず舌打ちをつきそうになった。
違う。こんな事をしようと思ったんじゃない。姉を傷付けるような真似をしたかったんじゃない。
ただ、これだけは譲れないモノだったから。他者に触れられたくない、自分だけのモノだったから。

大切な品で、繋がりだったから。

必要以上に過敏になってしまった。もっとやり方があった筈なのに。
イスラもまた目を伏せる。品を手渡した人物に対して、恨むよ、と呟きを落し、


(……『知るか馬鹿』、って言うんだろうな)


しかし次には顔をぶんぶんと左右に振った。

此処に居たらその様に宣っただろう少年の姿を想像して、苦笑と共に考えを改める。
そんなのは唯の擦り付け、責任転嫁だ。少年の言の通り、他人が与り知る所ではない、姉の興味をひくような真似をしていた自分が悪いのだろう。
確かに愚痴を零すのはお門違いだ。そう考え直したイスラは一息ついて立ち上がった。

「……ごめんね、お姉ちゃん。これ大切なモノなんだ。うん、言ったら悪いんだけど、その……誰にも触れて欲しくなかったから、さ」

「えっ? あっ、い、いやっ!! わ、私の方こそすまないっ! 思慮が足りなかったっ、は、反省しているっ……」

「……ぷっ」

慌てて謝罪と弁解を並べる姉にイスラは思わず吹き出す。
隊を率いる長が両手を使ってあたふたと取り乱しているのだ、普段のギャップから笑みを堪えるのは困難だった。

「お姉ちゃん、慌て過ぎ。そんな謝らなくていいよ。私も……というか、私の方が非はあるし」

「イスラ……」

「それに、私達家族でしょ? そんな他人行儀要らないって」

「……!! ああ、そうだなっ」

目を見開いていた表情から一転、アズリアは顔をみるみる喜色に染め上げていった。
そんな姉の姿にイスラは苦笑、しかしその一方で頬を緩ませる。
姉も自分も単純だ、と笑みと共に心の中で呟いた。

「誰にも触って欲しくなかったけど、まぁお姉ちゃんだったらいいや。ほら」

「……ああ、ありがとう」

結晶を差し伸べアズリアの手の上にのせる。
顔を綻ばせた彼女はじっとそれを見詰めた。

「……すごいな。美しくもあるが、少なくない魔力も込められてる。一体どうしたんだ、これは?」

「んー……」

素直にモノマネ対決で手に入れたと述べてもいいのだろうが、それだと何かややこしくなる気がする。
無難の返答を考え、まぁそれらしくもあって、少しおちゃらけた感じの物をイスラは言葉にした。少し願望も入っていたのかもしれない。

「うん、実は彼氏から貰ったモノなんだ」

「ぶっっ!!!?!?」

だが、姉にとってはその返答は無難どころか一大事だったらしい。
目に見えて狼狽し、次には顔全体をくわっと吊り上げた形相へと変貌させた。それを素早く察知したイスラはアズリアの手の中から品を奪い返す。

「かっ、かっ、彼氏だとっ!!? イ、イスラッ、如何いうことだ、説明しろっ!?」

「えー、そのまんまじゃん。お付き合いしてる殿方から親愛の印に貰ったんだよ」

「なぁにィイーーーーーーーーーーーーーッ!!!?」

絶叫する姉の姿にイスラは笑みを必死に噛み殺した。顔を真っ赤にしたアズリアはイスラのその様子には気付かない。
距離を詰めて尋問を行おうとする彼女をひらりと交わし、イスラは背を向けて歩き出す。

「さーて、ご飯、ご飯ー」

「ま、待てイスラ!? お前を誑かしている不届きの輩は何者だっ!? 正体を言えっ!!」

「人の彼氏を悪く言わないでくださーい」

「何を言っているイスラッ! お前はレヴィノス家の次女だ、そう簡単に交際などっ……いやそんなことは如何でもいいッ!!! 兎に角私は認めないぞっ!! お前の伴侶など絶対に認めんっ!! 少なくとも私を打倒してのける者でなければお前は絶対にやらんっ!!」

「お姉ちゃんに勝てる人なんてそうそう居る訳ないじゃん…」

頑固親父の如く自分の発言に異を唱えるアズリアに笑みが抑えきれない。
過保護すぎる姉を後ろに置いて砂浜をゆっくりと歩いていく。追いかけてくる慌しい足音が嬉しくもあり、可笑しかった。

(あはっ、気分いいや)

不思議と心持ちが軽くなっている。緩やかに下降していた筈の感情は、上に向かって上昇の一途を辿っていた。
彼の少年は特効薬なのかもしれない。彼のことを想像してから辛気臭い気分は拭われ、というかそんな事を考えているのが馬鹿らしく感じられ、そして心が弾んでいった。
なるほど、いい事に気付いた。新しい発見にイスラは笑みを深め、くすくすと声を漏らした。

手を背に回して腰の位置で組み、晴れ渡った空を見上げる。
指に絡めた茜色の紐。輪を作っているそれにぶら下った召魔の水晶が、紫紺の輝きを放っていった。


「何してるかなぁ、ウィル……」















逃げていた。


「くっ……!?」


訳も分からず、ただ生来の第六感が告げるままに逃げていた。
土を蹴り、砂を巻き上げ、草を踏み倒し、連なっている林道を走破していく。
理由などない。理屈などない。ただ全身を襲う、これまでにない破滅の予感が急き立ててくるのだ。
逃ゲロ、と。
デナケレバ終ワルゾ、と。

「一体っ、何が……っ!!?」

分からない。判らない。解らない。理解したくない。
身体を焦がして止まない殺気が、身の毛がよだつおぞましい感情の波が、粘りつき泥ついて全身を離さない怨念が、何処からか発散されているのかなど。


「―――――――――――な゛っ」


思わず振り返って見えたそこには、一つの影があった。
林の奥、木々の隙間。距離などと言えない大きな間の開きだ。だが、その莫大に開けた彼方であるにも関わらず、彼の眼は確かにその影を捉えた。

白い。

ボロボロの外套に身を包んだその影は、白だった。本来赤で彩られている衣装さえ白亜に染まっている。
くすんだ白だ。嫌悪の白だ。全てを塗り潰す白だ。万物を飲み込み乾してしまう圧倒的な白だ。最悪であり災厄の、白だ。


逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ


警報が脳の中で打ち鳴らされる。
あれはイケナイ。戦ってはイケナイ。近寄らせてもイケナイ。捕まっては、イケナイ。

目の前にしたら、終ワル。

逃げる。
恥も、体面も、矜持も、全てかなぐり捨て、背中を向けて全速力で逃げ惑う。



「一体っ、何なんだあの河童は――――――!!!??」



白色の帽子に乗った緑の皿が、幽鬼のようにユラユラと揺れていた。















「…………何よ、アレ」


スカーレルは戦慄する。

ゆたやかな日差しを身に浴び、今日はいいことがありそうだと鼻歌混じりに歩を進めていた彼は、何の前触れもなしにそれを目にしてしまった。
狭間の領域付近の森の中。集落の雰囲気にも似た薄暗い林道に差し掛かった所に、ソレはいた。
全身白尽くめ。覗けている肌以外、目が痛くなるほど白に塗られた一人の女性が、スカーレルの視線の先をテクテクと闊歩していたのだ。

(……先生、なの?)

あの背丈に変わったクセのある腰まで伸びた髪。距離が幾分か離れたスカーレルの位置からでも、そう判断出来る材料が窺えた。
だがしかし、アレを本当に「最初がアから始まり最後にィで終わる」人物と定義していていいのか、彼には解らなかった。
スカーレルの正面から見てソレは身体の側面を晒している、ちょうど直角の関係位置だった。横顔は伏せられており表情を見ることは出来ない。
何故か全身が水浸しになっているようで、外套や服の裾、髪の先端からポタポタと雫を垂らしていた。

(ナニ被ってんのよ……)

特筆すべきは頭上に設けられた緑色の皿らしきモノだろう。
ソレの歩みに乗じてユラユラ揺れるその物体は、古来から王を象徴する王冠にも見えなくもない。見えるか馬鹿野郎。

「……………………」

やがてソレは遅くもなく早くもない歩速で、スカーレルの視界を横切っていき姿を消した。
一体ナンだったんだアレは、とスカーレルは立ち尽くした姿勢のまま考える。アレが視界に入ってきた時から自然足は止まってしまっていた。
何故白いのかとか何で水浸しなのか突っ込み所が多過ぎるが、取り合えず頭に載せていた物体についてはスカーレルにも覚えがあった。
記憶が正しければ、そう確かアレは、蓮、という植物―――


「どこに、いっちゃったんでしょうか?」


「―――――――――――――――」


背後。声。戦慄再来。硬直。否、停止。


それは呟きだったのか。脳内は真っ白に塗りつぶされ思考が適わない。ヒタヒタと鳴る足音が、水滴の落ちる音響と共に鼓膜を振るわせた。
喉は機能不能に陥り言葉は凍結する。呼吸器が酸素を取り込もうと運動を試みたが、ひゅ、と乾いた音以外の成果は果たせなかった。状況は理解も把握も出来ない。混乱することも不可能で、活動停止だけを余儀なくされる。
しかし本能か、動きを止めることは死に直結すると刻みこまれていたスカーレルは、脳を介さない脊髄反射で―――だがそれでも尚錆びれた動きで―――どうにか首を反転させた。


視界に映えたのは、遠ざかっていく、ピョンピョン跳ねる白髪の後ろ姿だった。


「……………………」

膝が折れガクッとその場へと沈み込む。
全身から脂汗を迸り、口からは震える吐息が漏れていった。


「………………………………いつ、現れたのよ」















(ナンなんだよ、こりゃあ……)


カイルは慄然する。


「ウィルくん、どこにいったか、しりませんか?」


目の前の人型を形作った白い物体に対し、彼は戦き震え上がる。

ソレは唐突に姿を見せた。
果樹園へジャキーニ一家の様子を見に行った帰り、ユクレス村を出て林へ入ってすぐの所で、突如眼前に現れなさったのだ。
驚愕の声を上げる暇もなかった。大股で歩く自分の目の前にいきなり立っていたのだ、全身白いのが。しかもほざくのだ、ウィルを知らないか? と。
教師を名乗りその癖凄まじい戦闘能力を秘める自分の船に招いた客人であることに気付いたのは、その声を聞いてからだった。

オイオイ何の冗談だ、とカイルはこの光景を前にして思う。
生徒から容赦なく天然の名を冠されている彼女は、この様な尋常ならざる空気など身に纏うご婦人ではなかった筈。
何故自分がこうまで気圧されているのか理解出来ない。何故こんな人智を超えた存在が自分の目の前にいるのか、全く理解出来なかった。

(ていうか、河童かよアンタは……)

頭にのっかている蓮を見てカイルは素直な感想を持つ。
背の高い自分を見上げているソレの体勢からずれ落ちることのない緑の皿は、呆れ一割おっかな九割の疑問そのものだった。


「おこりますよ、カイルさん?」


「!!?!?」

見透かされたッ!?
心を読んだというのかこの物の怪?! カイルは目を見開きそして恐怖する。
ソレから出てきた声は、今まで生きて聞いてきた言葉のどれよりも暖かさを感じさせてくれなかった。ひゃっこい。ただただ冷たい。
前髪により目元は窺うことが出来ず、影が入っているそれがおぞましさに拍車をかける。
怖い。ていうか、強(こわ)い。

「ウィルくんは、どこにいますか?」

身体全身が萎縮し、股間が縮み上がった。
次はない。そう言っているようにカイルの耳には届いた。

「こっ、こここここっこの先のっ、島のはははは端っこに向かっていったような、きききっ気がするぜっ!!?」

「き?」

「見ましたっ! はっきりとこの目であっち行くの見ましたあっっ!!!?」

「ありがとうございます」

ふっ、と目の前からソレが姿を消す。
佇んでいたそこには水で濡れた地面が残っている。背後より、ヒタヒタと歩を進める音が響いていった。

「…………………………ぐはっ」

堪らず足が砕け四つんばいになる。
肝っ玉が収縮し、情けないポーズを取りそうになった。


「…………何をやりやがった、ウィル…ッ!!」


―――死ぬぞ…っ!?

呟きは、薄闇を纏い始めた空に消えていった。















「訳が解らないっ、本当に意味が解らないっ……!?」

ユクレス村を突っ切り越えた森の一角。
木の根元に身体を預け、盛大に息を切らす。己の全能力を駆使し、追っ手から逃れていた代償だった。

「何よアレッ!? 何のクリーチャー!!? あんな生き物出るなんて拙者のバケモン図鑑には載ってないでござるよ!!?」

混乱しているのか、口調も変だし取り乱しまくっている。
お、落ち着けっ、落ち着くんじゃウィルよ! 平常心を失ってはならぬっ、焦りは最大の敵なりッ!!

「はぁ、はぁ、はぁーーっ。…………よし、落ち着いたっ、状況整理ッ」

『教官殿がマジ切れしなさったでありますっ……』

「結論早いよっ!? もうちょっと現実逃避させてくれよゅ!!?」

「ミャ、ミャー……ッ」

すぐ近くには、四つんばいになっているヴァルゼルドとぐでーと転がっているテコが居る。
俺と運命共同体である為に此処まで全力疾走を続け、二人とも限界が近付いていた。勿論俺も右に同じ。消耗しまくっている。語尾も意味不明になってるし。

「やはりあの最後のヤツがダメだったのか……っ!?」

『それはもう明確かと……』

「にゃー…」

くそっ、確かにこの頃変な感じだったから何時ものノリで相手するのはNGだったのかもしれない。
あれがダメ押しだったのか、もはや何時ものアティさんでは無くなっている。抜剣してもないのに何か全身白いし、ホラーみたくヒタヒタと距離詰めてくるし。もはや空気からして違う。アティのアの字も当て嵌まらないよアレは。一体何の化身だよ。
ていうか在り得ねえだろっ!!? 何で振り切ってんのに気付けば接近を許してんだよ?! 全力の俺が撒けない相手って一体何ッ!!?

「何が追ってくるの!? 私をさっきから追い回す輩は何?!」

『落ち着くでありますマスター!?』

「ミャー!?」

恐怖だよっ、マジ恐怖だよっ!? 後悔先に立たずだよっ! こんなことなら身を削ってでも構ってあげればよかったー!?

『!? 方角四時、未確認の移動体を確認ッ!!』

「げっ!!?」

「ミャミャッ!!?」

もう来やがった!?

『パターン青、白いのですっ!』

「みなまで言わなくてもわかっとるわ!?」

馬鹿チン!と叫びながら、森の方へ目を向けて凝らす。
まず最初に映ったのは東の空へ沈みだしていく夕日だった。そして、次にはその黄昏の光の中に一つの人型が浮かび上がってくる。
ヤツだ。間違いない。逆光を浴びて作られるあの輪郭、頭に皿をのせた馬鹿としか言いようのない河童シルエットはヤツ以外に存在しない。……逃げなくては。急ぎ此処から逃げ出さなくてはっ!?

『マスターッ! 先輩と共に行ってください!!』

「なっ、お前、まさかっ!?」

『本機は特攻を試みるであります!』

「ミャッ!?」

「馬鹿っ! みんなで生き延びるって約束しただろう!?」

『このままでは一人残らず全滅です! ならば、本機が少しでも時間を稼ぐであります! その隙に離脱をっ!!』

「よせっ、止めろ!?」

「ミャミャー!?」

『マスターッ、先輩ッ! 御武運を!!』

ヴァ、ヴァルゼルドーーッ!!?


『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっうわあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!??』


って、早えよ!!?
瞬殺かよ!? 二秒も経ってねえし!? 少しも時間稼いでねぇー!!

「何が『御武運』だよ、あのポンコツッ!? 嘗め腐りやがって!!」

「ミャーッ!!」

夕日の光の中に向かったヴァルゼルドは、素で瞬きをする間もなく轟沈した。何の役にも立っていない。
使えないにも程があり過ぎる! ていうかカッコつけてそれらしい散り方すんな!

「くっ!?」

河童はもう既にはっきりと視認可能な距離まで詰め寄ってきていた。顕になった貌には薄い微笑が貼り付いており、瞳は前髪が邪魔で窺えない。ただ浮かべているその笑みはぞっとする程冷たいものであり、そして此方を魅惑するような甘い色香を伴っていた。
……アレ、本当にあの人なのっ!?

「ウィルくん? どうしたんですか、そんなふるえあがっちゃって?」

「今の自分の姿鏡で確認しろ貴様ッ!!」

ビビるに決まってんだろ!?

全身が白く生まれ変わっている前方の物体は、もはや越えてはいけない一線を越えてしまっている。在り得ない魔力が吹き出していた。
「剣」とラインが繋がっているのか、もはや魔力の釜状態だ。今にも洪水のように魔力の波が溢れ返ってしまいそうな錯覚を受ける。
頬には禍々しい碧の刻印が刻まれていた。もう既に人間じゃない。白化してる、白化。
くそったれ、デッドエンドの予感しかしねぇ!!

「ぢぇい!!」

「ミャーッ!!」

「テコ」を速攻で使役。「召喚・深淵の氷刃」で俺とアレの間に氷柱を築き上げ目眩ましにする。
これで少しはッ!

「行くぞテコッ!」

「ミャミャ!!」

旋回して全速で駆け出す。
上等だっ。こうなったら持久戦、アレが諦めるまで何処までも逃げ遂せて――――


「―――――――――――――なっ」


身体を襲う倦怠感。突如全身が重くなった。
足が鉛のように重く感じ身体から力が出てこない。満足に動くことが、出来ない。
何故…っ!!?

「クス」

「っ!?」

耳を通った微笑に振り向けば、そこには氷柱の群れを抜け歩み寄ってくあの人の姿が。
更に突き出されている手。そこには握られているのは―――サモナイト石。

「ぶ、ブラックラックゥウウウウウウウウウウッッ!!!?!?」

オオオオッと重苦しい音を響かせながら、外套に包まれた髑髏が俺の背に乗り掛かるようにしながら姿を現した。
ひょ、憑依召喚!? 容赦ないなお前ッ!!?

「ウィルくん、わたしくぅくぅおなかがすきました」

「何ほざいてんの!!?」

正気じゃない、アレ絶対正気じゃないっ!!?

「くそっ! テコよ、ユーは生きろっ!!」

「ミャミャ!? ミャ、ミャァーーーーーーーーーッ!!!?」

テコを引っ掴みそのままオーバースロー。空の彼方へと飛ばし離脱させた。
元を辿れば俺の責任だ、お前を巻き込む訳にはいかない。どうか生き延びてくれ。

「……駄菓子菓子、易々と死んでたまるか!」

アレの説得などもはや不可能だろう。ていうか会話が通じるかさえ怪しい。
殺るか殺られるか。二つに一つだ。ならば当然、俺は死など享受しねぇ!!

「ここで死んでおけよ娘ッ!!」

懐からは取り出すのは二つの無のサモナイト石。
術式を構築するのと同時に、燦然とした光が周囲一帯に輝きを撒き散らす。
いくぞ、俺の超必殺(ノウブル・ファンタズム)!!


「切り裂き断ち斬る――――光将の剣ッッ(シャインセイバー)!!!」


背後から現れる剣剣剣槍剣。
魔力を纏う刃の群れは一気に撃ち出され、炸裂、轟音が上がる。それと同時にまた五振りの武具が空間より顕在し、目標に向かい牙を向けた。
繰り返し放たれる武具の弾丸。数多の光刃の脅威がアティさん過去形に容赦なく降り注いだ。

切り裂き断ち斬る光将の剣。
戦場に散っていった戦士達が振るったとされる武具を使役し、それを豪雨の如く撃ち出す光の剣撃だ。
大層な名前を付けているがぶっちゃけただのシャインセイバー。高速召喚と二つサモナイト石を利用して直前のシャインセイバーを送還して間髪入れず放つ連続召喚である。早い話、シャインセイバーの繰り返し。召喚獣で同じことすると、そこはやっぱり生きてるから召喚してすぐに攻撃っていう感じにならないので波状攻撃は出来ない。タイムラグがある。武器であるシャインセイバーだからこその芸当だ。
単純ではあるがマジで超必殺である。防御と回避の隙を与えない絶対攻撃だ。調子乗れば魔力は一瞬で尽きるがな! 体にもキツイし!


「はぁ、はぁ…………やったか」

相当な量の武具炸裂により土煙が立ち込める。魔力はもう空だが、その分見返りも大きい筈。手応えは確かにあった。回避はすることは適わなかっただろう。
何だか女性に全力全開で攻撃してしまった。自己嫌悪がないと言ったら嘘になるのだが……それでも僕はしょうがないと思うのですよ、この場合。
誰にも言うわけでもな言い訳を呟き、段々と煙が晴れてきた前方を注視する。見えてくるのは、砂塵にぼやけた送還されていない十に及ぶ武具。それらが大地に突き刺さっている。
中心で倒れているのか、肝心の目標は姿は確認出来ない――――



「クス」



「――――――――――!!!???」

背後。
気付いた時には、もう遅かった


「貴様、よもやそこま――――――――――――――――――――――――――――――――――――」




ズルッ、グチャ、ピシャ…………







この日、少年が船へと帰還することは終にはなかった。
一方で、一連の件について全く身に覚えがなかった加害者Aは何事もなかったかのように帰宅し、その日の内に船長の決死の判断により鬼姫とへべれけ店主の元でお祓いを受けることになった。
へべれけがマジな顔で言うには、感情の爆発が池に沈んでいた河童の怨霊と共鳴してそれが原因で依代となり更に凶暴的な魔力が加わって超変身オレ参上がどうたらうんたら。兎に角お祓いはしたからこんなことは二度と起きないらしい。

しかしあの光景が目に焼き付いているカイルとスカーレルは如何しても、「この世全てのA」復活の懸念が拭えなかった。ていうかあの生徒を教える限り同じことはまた繰り返されるだろうと予感に近い物があった。
その時には既に島からオサラバしているだろう、きっとしている筈、いえホントお願いします。
切なる願望を描く船長とご意見番だった。然もあらん。



















今日は満月。宵に浮かび上がっている金色の円は静謐な光を大地に注いでくる。
それを身に受ける谷が、巨石が、森の木々が、それぞれの影を落として宵とはまた異なる闇を作り上げていた。
静かな夜だった。


「…………で」

見張りの目を盗んでこうやって抜け出したきてのは別段何時ものことだから問題ないとして。
今私の足元に転がっているこの死体仮は如何しよう、っていう話だよね……。

「……まぁ、確かに会えないかな、って思ったりもしてたけどさぁ」

これはないでしょ…。
私はピクリとも動かない身体の脇に屈み込んで、一体昼間に何をしていたのかと呆れ半分に思いながら死体仮を見下ろした。

今私達がいる周囲は半分が木々で覆われ、もう半分は緑から解放された開けた草原だった。
ちょうど森が途切れる境目。確かユクレス村を北とちょっと西寄りに出た場所だった筈。森と逆方向に目を向ければ深い青に彩られている海と地平線が見える。
帝国軍のみんなが駐留しているのはラトリクス方面の海岸沿い。お姉ちゃん達がウィル達と一戦交えた丘の少し北にいった所だ。此処からは結構距離が離れている。
何でわざわざそんな遠い場所まで足を運んでいるのかと聞かれれば、念には念を入れて秘め事を行うため、という理由と……

(……まぁ、ほとんどこっちが本命だけど)

先程口にした通り、今も動く気配を見せないこの少年に会えたらと期待してのことだった。
流石にソノラ達の船やその付近まで行ったらバレるだろうから、無駄だと思いつつも森が濃い集落の外れを回っていたんだけど……。

「まさか、本当に会っちゃうとは、ね」

不思議なものだ、と口にしながら思う。
案外、自分とこの少年―――ウィルは何かしらの縁で結ばれているのではないかとそんなことを想像してしまう。
だったら光栄だな、と素直に思う。

家族の絆、他人との親交。そういった人と人との関係は、薄い物も固い物も含めて、これまで私には皆無だったから。
姉との確かな絆も、感じることは出来ても実感することは出来なかったから。
こんな風に身近で、すぐ近くで、縁を実感出来るのはありがたいことだと、そう感じる。嬉しいことだと思うことが出来る。
例え想像であっても、だ。

「私がそう思えるようになった、ってことが重要だもんね」

前では考えられなかったことだろう。
床に伏して死の影に怯え続けていたあの時も、ただ生きる為に闇にのめり込んでいったあの時にも。
決して考えられなかったことだ。

「君のおかげだよ」

感謝してるよ。人との繋がりを実感させてくれることに対して。
信じられる。そう思えるようになったことに対して。
心地良い、ってそう感じられる本当をくれて。

「うん、君には感謝してる……」

呟きを落としていく。
彼は起きることはしないし、聞いてもいないけど。
傍でこうやって言葉にするだけで、十分だった。
満たされていく。心の奥が綻んでいく。胸の高鳴りを覚える。

「あーあ……本当に失敗したな。何が何でもあの時離さずにいるんだった」

こんなありがたい存在を手放してしまうなんて、本当に失敗だ。
自分の望みが叶うその日までに、退屈することのない―――きっと忘れることのない、鮮明な一日一日を送ることが出来たのだろう。
不覚の不覚。もったいないや。

「…………」

今、ウィルを陣地に持って帰って手元に置いておくのは簡単。
すぐにでも実行出来る。行動に移そうとする情緒も確かにあった。

でも、やらない。
ウィルが私のことをどう思っているのか気になっているということもある。
面と面で向き合うことが少し怖い。でも、何よりは、

(矛盾しちゃうから)

ここで持ち帰って、手元に置いておいたことが露呈すると、矛盾して全部が壊れてしまうかもしれないから。
願いが、台無しになっちゃう。積み重ねる私の全てが泡沫と化してしまう。
だから、やらない。出来ない。

「遠いなぁ……」

遠いよ。こんな近くにいるのに、こんなにも遠い。
手が触れられる距離にいるのに、触れることさえ叶わない溝がある。

「…………切ない、のかな」

膝に顔を埋め、物思いに耽る。
割り切ることも整理することも出来ない、名前もよく解らない感情に、手を持て余した。
胸に落ちるがらんどうなこの空洞は感傷なのか。

……よく、解らなかった。



「……いくね」

静かな闇に身を委ね、胸が落ち着きを取り戻した所で膝から顔を上げる。
立ち上がり、今の塒へと足を向けた。

「今度会う時は敵同士だ」

返事をすることのない背中に投げ掛ける。
容赦はしない。最期の時まで“イスラ”を貫き通す。そこに私は不要だから。
だから、容赦はしない。

「それに、“死んだ”君だったら手元に置いても何も問題ないからね」

名案でしょ?
そうおどけて見せて、笑みを浮かべた。


「……………………うーん。なんか、違うなぁ」

……これまで自己満足で独り言を続けていた訳ですが、やはり相手側の姿勢が気に食わない。
結構真面目な部分もあったのに、うつ伏せで後頭部だけ見せるってどうなのさ。これでは自分が滑稽過ぎる。
何時か思い出したら頭を抱えて悶えそうだ。

「せめて、絵になるように……」

自尊心を満たす為、ぐだーと力のない身体を起こし木に寄り掛からせる。
うん、これなら問題ない。

「冷えるかな?」

触れた身体が少し冷たいことに一思案。
我が軍は物資不足により提供出来る防寒具は何もない訳で。民間人に救いの手を差し伸べる余裕がない。
ふむ……

「……異界からの使者を従わせるべく我が名に於いて命じる。今此処に契りを交わせ。召魔の水晶――誓約」

既に試した誓約の儀式を執行しサモナイト石に真名を刻む。
続いて召喚。鬼妖界の召喚獣、ムジナが現れた。

「ウィルが風邪を引かないように身体を温めてくれない?」

「きゅ」

適当に還っていいからさ、と付け足しウィルの腿の上にムジナを置く。
茶釜の身体を持つだけあって、この子の全身は温かい。尻尾とかもぬくぬくそうだ。
ムジナも構わないようで、ウィルのお腹に寄り掛かるようにして丸まってくれた。

(貸し一つだよ?)

心の中でそう呟く。
月明かりに照らされる目蓋が閉じられた顔、そこにくっついてる土の欠けらを見て一笑した。

「……」

指で頬を掠め、汚れを拭う。
指先が、触れることの出来た僅かな部分は熱を帯びていて、温かみを肌を通して私に伝えてきた。


「…………やっぱり、今ここで返して貰うね?」



目の前の頬に、唇を落とした。





「じゃあねっ、ウィルッ!」

返事をする筈もない。聞こえてる筈もない。気付いてる筈なんて、ない。
そう分かっているのに、身体は忙しなく動き、足早に森の中へ入っていく。
頬の火照りは冷めそうになく、胸の鼓動は納まることを知らない。

「あははっ、女の子してるよ、私」

相手には覚えがない。昼間会う時は返してもらう余裕がない。
つまり、うん、きっとあれで良かったんだ。じゃなかったら貸しただけの一人損になってた訳だし。うん、これでいいんだ。

(……いや、借りが溜まってるのは私の方か)

貰ってばかりいるという事実に苦笑。
どうやら溜まっている借りは踏み倒すことになりそう。
まぁ、もうやってしまったのだから、それはそれでしょうがないと納得して欲しい。さっきのも、もしかしたら役得があるかもしれないし。

…………………。


「……自分で言ってて照れてるし」




樹木の連なる並木道を肩で風を切りながら進んでいく。
熱が灯った身体には丁度良く、側を流れる度に肌には心地良かった。
木々の隙間から覗く月の雫、それに導かれるようにして前へと歩を進めていく。
進む先には滞っている暗澹の闇。それには光の帯も届くことはない。
しかし恐怖などは存在せず、闇の中へ突き進んでいく。
奥に抱いた確かな思い出が、私の背中を押してくれる。

それは消えることのないモノだ。

それは褪せることのないモノだ。

だから、もう、進んでいける。

遠い日の記憶、今まで忘れることのなかった礎のページの中に。

また一つ、大切な思い出を、刻み込んだ。


未来永劫、失うことのない、私の欠片だ。



[3907] 9話(下)
Name: さもない◆8608f9fe ID:94a36a62
Date: 2009/02/28 07:51
「……さて、どうしましょう」

西の空に日が昇りまだ間もない時間。
自室にて目を覚まし、鏡の前で身支度を終えたアティは眉を寄り合わせ思い悩んでいた。

彼女の頭の中を占領するのは、無論、休日である今日という日をどのように過ごすか、その一点に集約される。
理由は不明だが、昨日の記憶は曖昧で何をしていたのかよく思い出せない。所々が抜け落ちておりアティ自身、何故こんな状態に、と首を傾けている。大規模な儀式のようなものを受けたような受けなかったような記憶もあって困惑するばかりであった。というか何でまた怪しげな儀式なんか、と余りの突拍子の無さに汗を垂らしていた。
もしや本当に痴呆が…、と危惧を抱いたのは内緒である。

兎に角、どうやら昨日の内には休日の予定は考えられなかったようだった。何も思い浮かばないのが何よりの証拠だろう。
今日当日になってもアティは頭を悩ませる状態が続いていた。

「う~~~ん、寝て過ごすというのも味気がないような気がしますし……」

口元に指を当てこれからの予定に思いを巡らす。
実際休日と言われても特別やることがない。趣味らしい趣味も持ち合わせていないし、息抜きといった行為もいざやろうと思うと何をすればいいのかと考えてしまう。今までが今までだっただけに、余暇活動についての具体性が致命的に欠けていた。

せっかくみんなが気を利かせてくれたのだから、怠惰を過ごすということはしたくないとアティは思う。
羽を伸ばしてくれとも言われたのだ、部屋に居るより外へ身体を向けた方がいいかもしれない。

「取り合えず、一人でいるより誰かと何かをした方がいいですよね」

それがいい、と一先ずの結論。相手がいてくれた方が何かと有意義な筈だとアティは頷いた。
では、付き合ってくれる相手を誰か誘いにいこう。そう考えアティは席を立つ。扉へと向かい、開戸、部屋の外に出た。

「…………」

誰の元へ行こうか。意中の人物、または人物達の顔を思い浮かべていたアティだったが、扉を抜け出た所で足がぴたと止まる。
顔が右に、自室の隣へと目が向かった。

「…………」

そこは自分の生徒の部屋だった。
二人だけで授業を行う部屋でもあり、教え学び、何気ない会話を交わす自分と少年の場所だ。

気が付けば、足は自然に、しかし滑らかにその場所へと向かっていた。
何か思い至った訳ではない。アティ自身にも行動の理由がよく解らなかった。ただ、そこへ行くのは自然なことのようにも思えた。
胸の内が身体を動かしていた。

「うっ……」

木造のドアを前にして逡巡、僅かな動揺を覚える。
以前にもこの扉を目の前にした時と全く同じだった。入室することに躊躇いが生まれる。自分で自分のことがよく解らなくなる瞬間だった。

(……えー、と)

右見て左見て、自分の周囲を確認。船内の廊下に人影は見えない。
視線を前方に固定。手を胸に置き、身じろぎを繰り返す体に落ち着きを落とす。
じー、とドアノブを見つめ、やがてそろそろと手を伸ばす

「……!」

その寸でで、踏み止まった。
危ないっ。また同じ過ちを繰り返す所だったとアティは安堵の吐息。今度無断で入ったら何を言われるか分かったものではない。
本当に危なかったと胸を撫でてから、目の前の扉にノックをした。

「ウィルくん? えっと、居ますか?」

叩くのと同時に声を投げるが、部屋の中から反応はない。
暫らく立った姿勢のまま待ち続けていたが、変化が訪れないので意を決してドアを開けてみる。そーっと覗き込んでみたが、少年の姿はなかった。

(どこに行っちゃったんでしょうか?)

また釣りにでも行ったのだろうかと思い倉庫へ足を運んだが、釣具はそこに置かれていた。
見当も外れアティは行き詰る。

「……でも、こうやって探し回っていくのも楽しいかも」

こういった物も含めて息抜きと思えばそれも愉快に感じる。
手間とは考えず、気長に後を追っていくというのも一つの過ごし方かもしれない。
ふっ、と口元に曲線を描き、アティは少年を見つけに足を軽やかに動かしていった。


「さて、何処へ行きましょうか?」


綻びを得た赤髪が、緩やかになびいていった。









然もないと  9話(下) 「先生の休日と漢達の浪漫と色々な叙情と」









「くそっ、何も記憶がねぇ……」

ふらふらと危なげな足取りでコンクリートで舗装された道を歩いていく。
昨日白い悪魔に殺られた後の記憶がなく、今日気が付いた時は木に身体を預けていた。意識が暗転する前に見た最後の光景が黒い微笑と蓮ってなんやねん。普通にトラウマになりそうですがな。
ぶるっ、と震える身体を掻き抱き歩を進めていく。もう二度と調子に乗り過ぎるのはよそうと心に誓った。素で死活問題だ。

そういえば外で一夜過ごしたにも関わらず体が冷えていないのはどういう訳か。
むしろ目を覚ました時はぬくぬくとした温もりがあったような気が……謎だ。

疑問に首を傾げながら辺りを見回す。
今日も此処、ラトリクスでは作業機械達が動き回り建物の修繕をしている。チュイイインやらギュイイインやらそこかしこでメカな音が鳴り響き火花が散っていた。
無機質ではあるが、此処の集落が他の集落より一番賑やかだとこの光景を見て思う。無駄のない動きで作業、移動を行い、他の機械達と連携して仕事に取り掛かる姿は、役割と協力というはっきりとした言葉を此方に抱かせてくる。確かなコミュニィティだとそう感じられた。
また、補給ドッグで行列を作っている彼等は何処か愛嬌があり、笑みがこぼれた。

機械達はプログラムされた内容を実行しているだけなのだろうが、こうも直向きで愚直に作業を繰り返す様は何か感じさせるものがある。マルルゥは此処の住人達は真面目な働き者と語っていたが、間違ってはいないだろう。例えそれが、ただの存在理由だとかなんやらだと言われても。少なくとも俺はそう思う。

程なくして巨塔と白亜の建物が見えてきた。中央管理施設、それにリペアセンターだ。
この二つ建物は隣接するように築かれており、二者間の間には距離がほとんどない。此処周囲が中心となり広がるようにして集落が設計されていることから、この二つの建物がラトリクスにおける主要部分であることが分かる。中央管理施設とリペアセンターに挟まれているように見える奥に控えた無骨な塔――電波塔もまた、壊れてしまっているが以前には大事な役割をしていたと「アルディラ」に聞いたことがあった。


「クノン!」

中央管理施設から出てきた人影、白と黒の看護服を着たクノンへ声を張り上げる。ちょうどいいタイミングだった。
俺がラトリクスに赴いたのは別にアティさんに襲撃された際に傷付いた身体を診て貰う為……ではないよ? いやそれもあるかもしれないけど、本命はクノンと話をする為だ。

本当はアルディラから話を聞いた時点で、その日の内にクノンと話をしようと思っていたのだが、あの訳の解らん河童のせいでそれも適わなくなってしまったのだ。本当にアレはイレギュラーもいい所だった。予定がぐちゃぐちゃになっちゃるわぁっ!


クノンがこの頃余所々しくなっている。アルディラはそう言っていた。
彼女もまた「クノン」と同じ様に感情というものを抱きつつある自分自身に戸惑っているのだろう。初めての感情に対して不安が抑えきれず、アルディラを含めた周りの人達にそっけない態度をとっているのだ。

「アルディラ」を笑顔にする事が出来る人達が羨ましい。自分にはない物を持っている人達が妬ましい。
身も心も文字通り機械的であった「クノン」に生じたその感情は、酷く新鮮でありまた同時に恐怖だった。羨望と嫉妬による思考のループは「クノン」を悩ませ、その中で行き着いてしまった過激な選択肢は彼女を戦かせる。
被害を出さない為に、自分を抑え込む為に、「彼女」は閉鎖的にならざる得なかった。

「レックス」の時の記憶そのまんまだが、間違ってはいまい。むしろそうなる様に誘導した節すらある。だからこれに限っては確信だ。クノンは、感情を抱きつつある。
俺の自己満足が彼女の葛藤を引き起こしたのだから、それの力に成ってやるのは当然であり必然。アルディラに頼まれなくてもクノンの話に乗ってやるつもりだった。責任は取る。ああ、当たり前だ。


「っ!? …………ウィル」

俺の声を捉えたクノンは勢いよく此方に振り向き表情を呆然とさせる。
この時間帯からしてアルディラの朝食の世話へ赴いていたのか。だが以前なら彼女はリペアセンターに戻ることはしないでアルディラの側に控えていた筈だ。
やはり思い悩んでいるらしい。ここ数日余裕がなかったとはいえ、相談に乗って上げなかったことが悔やまれる。というより馬鹿だ。自分自身に死ねといってやりたい。

「おはよう、クノン」

「……おはよう、ございます」

さて、何と言えばいいか。居心地が悪そうにしているクノンを視界に納めつつ、俺は件のことをどう切り出すか考える。
しかし、相手を手玉に取るとか術中に嵌めるだとかそういった方向性ではないので上手い言い方が思いつかない。……むぅ。

「ええいっ、ままよ。単刀直入に聞くよクノン? この頃何か色々考えていない?」

「! …………何故そのようなことを?」

「クノンに元気がないから」

「そんなことは……」

「ある」

「……っ」

言い切る前にクノンの言葉を切り捨てる。そんな顔してて問題ないだなんて、何かあると言っているようなものだ。
少し強引でも話を聞き出して、不安に思うことはないと伝えてあげなくては。

「立場が逆だったら、クノンは僕に診断する必要ありって言うと思うよ。それくらい今のクノンはらしくない」

「…………」

「何か悩んでるように見える。よかったら話を聞かせて欲しいんだけど。いや、聞かせなさい」

「……」

詰まったような顔してクノンは視線を逸らす。
くっ、強情な娘め。迷惑掛けたくないという心掛けは美点ではあるが、それも度が過ぎると返って困るというもの。正直になれいっ。

「何かあるんだったら溜め込んでないで、ぶちまけた方がいい。風邪だって何時までも身体の中に抱えている訳いかないだろ? 早期治療が好ましいってクノンも言ってるじゃないか」

「……それは」

「それとも、知られたくない?」

「ッ!!」

クノンの肩が大きく震えた。
まぁそうだろうな。どちらかといえば、心の内を悟られたくないという理由の方が強いだろう。

「気持ちは解るよ。それでも、話して欲しい。じゃないとクノンがだめになる。何時か耐えられくなって爆発しちゃう。僕はそんなの見たくない」

「………………です、が」

「それを聞いて変に思うことなんてない。僕がクノンのことを嫌いになるなんてあり得ない。君を醜いだなんて、絶対に思わない」

「!! …………ぁ」

「話して、クノン?」

見開かれた目を真摯に見詰め、離さない。彼女が心を開いてくれるまで待ち続ける。
黒で彩られた瞳が揺れる。か細く震えた声が喉から漏れ出し、それを抑えるように右手が胸に押し当てられた。
言葉の無くなった空間に周囲から溶接と切削の音が投じられてくる。そして、どれ程見詰め合っていたのか、やがてクノンは震える唇をゆっくりと開かせた。

「…………ウィル、私はっ、」


「ウィルくんっ!」


「?! げ、げえっ!!?」

「――――――――――――――」

耳へ届いてきた声に振り向けば、そこには顔に笑みを浮かばせている河童悪魔もといアティさんの姿が。
ドス黒い微笑が思い出される。たちまち昨日の記憶が誘起され、俺は溜まらず叫び声を上げた。
な、何しに来やがった!?

「むっ、何ですかその態度は! 人のことを恐ろしい物見るかのようにして!」

「貴様がそれを言うかっ!?」

まさにそれだろっ!? 絶叫しつつ瞬時にファイティンポーズを取る俺。
だが、ビビっているのか、いやそれはもうべらぼうにビビってますけど、兎に角構えられた腕は痙攣するかのように振動していた。
くそっ、完璧に息の根を止めにきやがったのか! ホント容赦がない!?

「だがっ、やらせはせん! やらせはせんぞっ!!」

「さっきから何言ってるんですかウィル君!?」

「自分の胸に聞けぇ!!」

どうせすぐクスクス笑い出すんだろ!?

「…………」

俺が全意識をアティさんに注ぐ中、隣のクノンが動きを見せた。
この場から無言で立ち去っていく。俺がそれに気付いた時は、彼女がもう離れた後だった。

「クノン? あっ、ま、待って!」

「えっ?」

遠ざかるクノンの背中を慌てて呼び止めるが、彼女は先程のように俺の声に振り向いてくれることはなかった。
リペアセンターの扉をくぐりその奥へと消えていく。動くことも出来ず立ち尽くす俺を見放すかのように、開口していたドアが無慈悲に閉められた。
無機質な白色が視界を塞がった。

「…………あちゃー」

がくりと首を落とし、片手で顔全体を覆う。漏れた声は俺の心境そのままだ。
やってしまった……。

「もしかして私、すっごくお邪魔でしたか……?」

「……いえ、そんなことはないです。今回は全面的に僕が悪い…」

話を聞きたいと自分からほざいていたというのに、クノンそっちのけでアティさんに構っていたのだ。
こんな状態で放って置かれたら、そりゃ誰だっていい顔なんてしない。

「それでも、私が出てきたからクノン行っちゃったんですよね…? ごめんなさい、ウィル君……」

「気にしないでください。いえ、マジで」

この人には悪気の欠片もないだろう。確かにタイミングが悪かったが、それだけだ。非を感じる必要なんてない。
眉尻を下げながら僅かな笑みを浮かべる。気落ちしているアティさんにそんなことはないとやんわりと伝えた。

「先生は悪くないです。貴方に対して恐怖を隠すことが出来なかった僕の責任なんですから。いくら恐怖の大魔王もとい天然悪魔で河童な人が現れたからってあのビビりようはないです。死刑宣告を告げられた囚人のように震え上がってしまって、ええ、本当に情けない」

(…………慰めてくれているのか貶めているのか分からない)

はぁ、と溜息を吐いて重い頭を持ち上げる。
またクノンの元へ向かった所で話してくれるだろうか。……いや、信頼を裏切ってしまったも同然。希望的観測は出来ない。
本当にやってしまった。

「……で、先生は如何したんですか? 命(たま)寄越せって言うんなら徹底抗戦しますよ?」

「だから、何でそうなるんですかっ」

酷いですっ、と膨れながら抗議してくるアティさん。
くそ、天然節健在かっ。久しぶりに胸を貫いてきやがった。この時のアティさんが一番強い。

しかし、先程から話が噛み合っていない。不思議に思いちょっと問い質してみると、アティさんは昨日の事を全く覚えてないらしかった。
何て奴だ、と速攻で思った。あれだけの厄災を振り撒いておきながら罪の自覚も何もないなんて。本当に悪魔か貴様。
アティ、恐ろしい女性(ひと)!!

「ここまで来ると本当に罪深いですね」

「えっ、わ、私本当に変なことしちゃったんですかっ!?」

「そう言ってるじゃないですか。昨日の先生のジェノサイダーっぷりって言ったら、もう……」

「そんなっ?!」

「素でメルギトス降・臨!! みたいな感じでした。いえ、それよりも絶対に惨かったでしょうが。『剣』に支配されているのかと思いましたよ」

「う、嘘っ……。ほ、本当に、『剣』のせいで記憶が…?」

「ああ、そうですそうです、絶対それです。『剣』のせいです『剣』のせい。だからもう二度と使わない方がいいですよ? 島のみんなから腐れ堕異禍威獣(だいかいじゅう)アッパとか言われちゃかもしれません。アティと河童の配合です、(シルターンの)竜王なんて目じゃありませんよ」

「…………確かに、ウィル君の言葉を聞いていると、こう、なにか、嫌な衝動が立ち昇ってくるような…」

「あっはははははははっ冗談に決まってるじゃないですか先生っっジョークですよジョークッッウィル君のお茶目な冗談ジョークってヤツですええっマジでホントダヨ!!!!!?」

ばんばんばん!!とアティさんの肩を高速連打しながら必死になる俺。「必ズ死ヌ」と書いて必死となる俺。マジでシャレなってねえーッ!!?
気安く女性の肩を叩くという暴挙に出ているが、もはやそれも気にしてる余裕などない。あれが降臨したら今度こそ死ねる。間違いなく死ぬ。必ズ死ヌ。
死ぬのはイヤァアアアアアアアアアアッ!!?!?

明らかに苦しかったが、アティさんは何時もの俺の弄りだと納得してくれたようだった。アティさん自身そんな事実信じたくなかったのだろう。
実際、語った事実が相当歪められていたが、それが不幸中の幸いだったらしい。素で九死に一生を得た。
馬鹿者ッ、調子に乗りすぎるなと誓ったばかりだろう、この青二才がっ!! だからお前はアホなのだ!!

心に盛大に喝を入れ、明鏡止水の域に入る。
よしっ、これで失態を演じるのは疎か、何が来ようとも動じないぜ。ビィクール。

「で、本当に何しに来たんですか? というか、僕に用なんですか?」

「あっ、は、はいっ……」

「じゃあ用件を。カモンカモン」

「えっと………私と、付き合ってくれませんか?」


ごんっ!!!


明鏡止水粉砕。発動五秒で完膚無きまでに砕かれた。マスター・Aって呼んでもいいですか?
側のコンクリに頭をめり込ませた俺は奇天烈な体勢で自我亡失する。頭の許容範囲を超えた爆弾に昇天しそうになった。

「ウィ、ウィル君っ!? 何奇行に走ってるんですか?!」

貴様ガソレヲ言ウノカ。


「というか、その……嫌、ですか?」


めりっ


嫌な音を立てて陥没していく頭部。血が迸る。
身長俺より高いくせに上目遣い(ココ重要)で不安げな顔をするアティさん。
モウヤメテ。私ノ命(ライフ)ハトックニ零ヨ。

「何言チャッテルンデスカ、貴方?」

「ぁ…………。や、やっぱり、嫌ですよね、私となんか…」

めりめりっ

「意味ガ解ラナイノデスガ」

「……えっ? 何がですか?」

「貴方ノ全テガ」

「?? よ、よく意味が解らないんですけど……」

「付キ合ウ、トハドウイッタ意味デ?」

「あっ、そういう意味ですか。今日一日、私の休息に付き合ってくれませんか、っていう意味です。迷惑かなって思ったんですけど―――」


ぐしゃ


「―――ウィル君が良ければ、ってきゃあああああああああ!!?? ウィ、ウィルくーんっ!!? 頭が完璧に埋まっちゃってますよーっ?!! というか、血、血っ、血がっ!!?!?」

首はイカレタ角度を保ち、事切れたように腕が力を無くしてぶらんぶらん垂れ下がった。
視界は暗黒に包まれ、セメントの臭いが鼻腔に充満する。息が出来ない。
アティさんの悲鳴を耳に残しつつ、俺の意識はブラックアウトした。



最後に、女将の大爆笑、ていうか笑い過ぎで呼吸困難に陥った死に掛けの喘ぎ声が聞こえてきた。…………頼ム、コロシテクレ。















「……つまり、暇潰しに協力してくれと?」

「身も蓋もない言い方ですけど……まぁ、そうなっちゃうんでしょうか」

頭引っこ抜かれ召喚術で治療された今現在。アティさんに誤解のない説明を受けて事の状況は分かった。
……畜生、もうヤダよ!!? 俺この人に付いていけないよ?!! 何時か恥辱で憤死してしまうYO!!??

その死に方だけは嫌だ!! 転生とかしたくてもぜってえ出来ねえー!!? 文字通り本当に生きてられなくなるっ!!
勘違いしたさ!? ああ、したよっ、しましたとも!! それが何かっ!? するに決まってんどぅあぉろぅがぁぁああああああああああッ!!!?
糞がぁあああああああああああああああああ!!!!

「……夜道は注意しやがれ、この腐れ天然」

「何怖いこと言ってるんですかっ!?」

この屈辱、何時か絶対晴らしてやるからな……っ!!


「しかし、暇潰しに僕を抜擢するなんて……当て付けですか?」

「ち、違いますよっ」

「じゃあ何で?」

「そ、それは……」

「まぁ、もう如何でもいいですけどね……」

心底疲れたように目を閉じる。溜息はもう品切れ、出てきませーん。
また訳の分からない事を考えているのか、アティさんは言葉に詰まっている。いや詰まるというより、あれは自分でも解ってないのかもしれない。
頬を僅かに染めながら、思案顔でうーんと天を仰ぐアティさんを見て俺はそう思った。いや、もうホントこの女性(ひと)訳解んない……。

「これ以上もう疲れることなんてないでしょうから、いいですよ、先生の暇潰しに協力しましょう」

「……なんだか嫌味がたっぷり含まれているような気がするんですけど」

「よく気付きましたねすごいすごーい」

俺のぞんざい過ぎる扱いにアティさんは柳眉を逆立てむーと睨んでくるが、もう意識外に追いやる。
素で身が持たない。特に働いてもいないくせに、俺の方が疲労困憊でぶっ倒れそうだ。労働時間はこの人の方が遥かに長いくせに……なんかこれも理不尽だよ。

「にしても、暇潰しか……」

腕を組んで、普段より5割切った稼動率の頭で思案する。
脳はもう無理と根を上げ糖分を欲しているが、いかんせん、女性の願いなのだ。等閑には出来ない。例えこの腐れ天然であろうとも。
俺一人でこの人に付き合うのは絶対不可能だ。断言する。というかそれは死刑宣告に等しい。暇潰しで死刑とかもはや笑えない。
となると、やはり救助もとい他の人達も誘って、楽しく可笑しく過ごすというのが最良だろうか……。

「……ふむ。先生、ちょっといいですか?」

「あっ、はい、何ですか?」


「暖かいのと涼しいの、どちらがお好みで?」


ちょっくら遠出でもしましょうか。















「うわあーっ!? すっげえーっ!!」

「花畑……いい香りがする!」

「綺麗なのですよー!」

「ええ、本当に……」

子供達が大いにはしゃぎ喜び、アティさんが感嘆の声を漏らす。
視界に覆い尽くすのは一面の海に、その天然の湾を囲うようにして咲き乱れる花畑。海の浅瀬は柔らかな青緑色で塗られ、その奥には深い群青の色彩が何処までも広がっている。背の低い花々が占領する敷地は言うまでもなく絶景であり、淡い白や桃の花色が健やかな印象を伴っていた。

イスアドラの温海。
島の東部、ユクレス村の北西に位置する天然の海底温水だ。海底火山の影響で拵えられたもので、この島ならではの自然の産物らしい。また海底温泉、温水の恩恵を受け育まれた花の群生が繁華している。絢爛ならぬ健爛である光景だ。
これだけの景色、楽園と呼んでも強ち間違いではないだろう。空も海も大地も何もかも澄んでいて、繰り返すようだが健やかだ。
慰安地にはもってこいである。

もう一つとっておきの慰安地があるのだが、アティさんの希望により今回はこの温海に赴くこととなった。
アティさんや俺の他に来たのは男性陣がカイルにヤッファ、一応テコとヴァルゼルド(召喚したら大の字で息絶えていた)。女性陣はソノラにアルディラとクノン。最後にスバル達のお子様集団だ。
他の人達は留守番ということになっている。流石に全員が出払う訳にいかなかったので、スカーレル達には残ってもらった。悪いとは思うが、こればっかりはな。


「まだこんな所あったんだねー。私全然知らなかったな」

「ああ、全くだ。本当にこの島には驚かされる」

『感激でありますっ!』

「ミャミャーッ!」

「俺を召喚しやがった奴のお気に入りでな。よく付き合わされたもんだぜ」

「ホント、懐かしいわね……」

みなそれぞれ感慨に耽っているようだ。
何かゲスの響きが聞こえたが、気に留めるのはよそう。せっかくの気分が台無しになる。

「先生、先生! 何処から行く!?」

「うーん……やっぱり、温海からでしょうか?」

「そうこなくっちゃ!」

はしゃいでいるソノラにアティさんが引っ張られていく。
待って、と口にしてはいるが身体は拒むことはしない。アティさんも待ちきれない、といった所か。ホント子供だ。笑える。

「―――だが、待たれよっ!!」

「「うわっ!」」

進行上に現れ立ちはだかる俺。いきなりの出現に驚きの声をあげるアティさん達。

「何よ、ウィル。邪魔しないでよっ」

「まぁまぁ、待て待て。何事にも準備というヤツが必要なのだよ。ハイ、これ」

「わっ。なになに、この包み?」

「開ければ分かる。アルディラ姉さんにでも説明を聞いてくれ」

「というか、何時もそんな荷物を何処から取り出すんですか、ウィル君……」

まぁ、説明も無用だと思うがな。
ソノラが俺の上半身程ある袋を抱え、アティさんと一緒にアルディラの元へ向かっていった。

「兄ちゃん、俺達には必要ないのか?」

「ああ、野郎には必要ない」

「!!?」

「ウィ、ウィルッ、てめえ、まさかっ……!?」

俺の発言の意を察したのか、ヤッファとカイルが戦慄した面持ちで俺を見詰める。
呆然と立ち尽くすヤッファ、言葉を失くすカイル。その両者に対して俺は口を歪めてクッと声を漏らした。

「此処に来るよう誘導したのは誰だ? 人員を成るだけ女性で調整しようとしたのは誰だ? 残りは漢気溢れる貴様等と子供達で構成し、小うるさそうな輩を除外したのは……一体、誰だ?」

「お前、始めから……ッ!!」

「計算積みだったっていうことかよ!?」

「クッ、どうした? らしくないじゃないか、カイル、ヤッファ?」

「「……っ!」」

嘲笑を浮かべる俺に歯噛みをするタフガイ二人。
俺はその様子に更に笑みを深める。

「ウィル兄ちゃん達何言ってるの?」

「子供はまだ入っちゃいけない領域だから気にしてはいけないよ? ウィル兄ちゃんとの約束だ」

「兄ちゃんだってまだ子供じゃんかっ」

「僕は漢意気(こころいき)がレベル100だからいいんだ」

「何を言っているか分からないのですよ~」

「うん、知ることのない、何時までもピュアな君達でいて欲しいな」

パナシェを諭し、不満を述べるスバルへ言い聞かせ、眉を寄せ困ったようにしているマルルゥに清々しい笑顔で願望を口にする。
ここから先は聖戦である。女子供は立ち入るべからず。

「それに、マルルゥにはないのですか?」

「ゴメン、マルルゥ。流石に君の分は準備出来なかった」

「ズルイのですよ~!」

マルルゥは形のよい眉を吊り上げ、頬を膨らませる。
抗議のつもりなのか、俺の帽子の上に陣取って寝そべった。上から覗き込もうとしてくるむくれた顔を上目で見やりながら、そこから垂れる緑の髪房に苦笑い。まぁまぁ、と手をやって落ち着ける。

『マスター!』

「むっ!」

従者の声に反応、素早く反転。
指示を忠実にこなしたヴァルゼルドを賞賛しつつ、それを視界に納める。


「…………(グッ!)」


だらしゃぁっ!! と思わず握り拳を作り上げた。


「なるほどね~。準備ってこういうことか」

「というか、こんなの何処にあったんですか?」

「データバンクに入っている服の資料ならリペアセンターに置いてある機器で作成可能なのよ。ウィルの服も仕立ててあげたしね」

眩しい。眩し過ぎる。
目が眩んでしまうのではないかという絶景。正に楽園。だらしゃ!!

ソノラ達の手渡した袋の中身。それは漢の浪漫、または桃源郷にして理想郷、遍く知られる界の至宝、ぶっちゃけ水着。
イスアドラの温海に行くと決まった瞬間、絶対実行が約束された事象である。疲れきったとか抜かしておいて準備の為に全力で奔走した結果だ。恐ろしきは本能か。俺もまだまだ若い。
水着の他にも遊具を入れておいたので、色鮮やかなビーチボールをアティさんが両腕に抱き、ソノラは面の広いゴーグルを持っていた。アルディラは手ぶらだ。

「見てみて! どう、似合う?」

「(グッ!!)」

目の前にやって来て自分の姿の是非を問うソノラに、今世紀最大のサムズアップをする。何だ、今世紀最大って。
余りの感動に脳がイカれているが、視界は正常なり。その姿を一切狂いもなく中枢に投影する。
アティさん達が身に着けているものは所謂ワンピースといった普通の水着である。変わった特徴はなく、何の変哲もないタイプだ。色はアティさんが白、ソノラとアルディラが黒。種類、バージョンに富んでいないのは素直に残念だが……しかし許すっ!

はっきり言おう。アティさんとアルディラはまんま凶器だ。三秒以上直視すれば殺られる。出血多量で。筆舌に尽くしがたし!!
証拠にヤッファが背を向けながら鼻を摘まんで上を向き、カイルは四つんばいになって片手で鼻から滴る血を塞き止めている。馬鹿め、この駄犬共がっ!!
ソノラもほっそりしている腰や滑らかな肢体が眩しい。瑞々し過ぎる。正直、この距離はまずいのだが、そこは鉄の精神でポーカーフェイスを保つ。いや、力入れ過ぎて眉間に皺寄せてるかも。……ガン見じゃん。

「じゃ、私先にいくねー!」

「いってらっしゃい」

「マルルゥも行くのですよ~!」

ソノラが我先にと走り出し、それに続くようにしてマルルゥ、スバルとパナシェが温海に向かい出した。
残された俺はその場に突っ立ち眉間をほぐす。すると、やがて視界に二つの影が差し込んだ。

「カイル、ヤッファ……」

「…………」

「…………」

立ちはだかっていたのは二人の漢。
厳めしい表情で実直に俺を見据えてくる。鼻血垂らしながら。

「(グッ!!)」

「(グッ!!)」

「(グッ!!)」

言葉は要らなかった。
三人同時に親指を上げ、イイ笑みを浮かべる。この偉業に対しての興奮と感動を分かち合う。ビバマイソロジー。
ガシッ!と肩を組み合い男三人のトライアングルを結成。腹に雄たけびを秘め、そして一気に解放する。



「「「よっしゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!」」」



「ウィル君達なにやってるんでしょう……?」

「男共は少なからずああいう種族なのよ」

「はぁ……」




砂浜にて


「先生、すっごい似合ってるぜ!」

「うん、綺麗だよっ!」

「ミャーミャミャ!!」

「あ、あははははっ……。ありがとう、スバル君、パナシェ君。あと、テコも」

(男なのに正面から誉めちぎるなんて。時々子供が無性に羨ましくなる……)

「お世辞でも嬉しいです。私、こういう水着みたいのを着るの初めてですから」

「そんなことないって!」

「僕達嘘なんか言ってないよ!」

「ミャミャミャ!!」

(いや待て、今俺も子供……)

「兄ちゃんもそう思うよな!」

「ねっ!」

「ミャ!」

(な、なんてことだ、俺はスバル達を羨ましがる資格もないなんて…………って、ん?」

「…………え、えっと、どうですか?」

顔をほんのり染めた白水着姿のアティさん。視覚から投影された画像がメイン脳味噌に叩きつけられる。
不意打ち。オーバーキル。

「ぶっ!!?」

「な、何で吹き出すんですか!?」

「ぐはあっ!!? 身体の制御が!!? ミーナシの滴っ、ミーナシの滴は何処でおじゃるか!!??」

「ミーナシの滴、って何か毒をもらったんですか!!?」

「かがむなぁああああああああああああああああ#$%&¥$&%#$%&¥##$%¥$#&¥!!!!??!?」

「ウィ、ウィルくーん?!!」

「に、兄ちゃん!!?」

(時々ウィル兄ちゃんが無性に解らなくなる……)

「にゃー……」




沖にて


「いやあーっ、いい天気じゃねえか」

「ああ、全くだ。ここに来ると何時もこうして寝むりこけちまう。まっ、面倒をサボる為に足を運ぶから当然なんだがな」

「はっはっはっはっ! おっさんらしいぜ。…………で、今日もそうやって寝るつもりなのかよ?」

「馬鹿言え。この光景を目に焼き付けるに決まってるじゃねえか」

「失言だった、許してくれ」

「気にすんな、兄弟」

「おうよ。……にしても、先生のアレはありえねえ。でかいとは分かっていたが……」

「アルディラも結構着痩せするタイプだが、確かにアレには敵わねえかもしれねえ……」

「着痩せするって、おっさん!? アンタ見たのかっ!!?」

「事故だ、事故。俺の主人、っとお…………ある男の部屋に足を運んだらよ、その、たまたまな」

「かぁーっ!! 羨ましすぎるなぁオイ!? そんな機会滅多にないぜ!?」

「ああ、滅多にないな。ドリルが何十発もこっちに向かって突進してくるなんて……」

「…………失言だった、許してくれ。いやホントすんません…」

「気に、すんな……」




温海にて


「てりゃっ!」

「わわわわっ!?」

「くっそー。ソノラァ、もっと手加減しろよ。大人気ないぞっ」

「さっきから一度も勝ってないね……」

「へっへーんっ。海の勝負じゃ負ける訳にはいかないもんねー」

「やっぱり私はスバル君達の方にいったほうがいいんじゃないでしょうか?」

(ビーチボール対決で四対二。アティさんソノラペアの10連勝。確かに大人気ないと言えば大人気ない)

「兄ちゃんもしっかりしてくれよっ! オイラこのままじゃ悔しいぞっ!」

「(胸の鑑賞――特にアティさん――を続けていたかったのだが……)よし、そろそろ本気出すわー」

「無理無理。ウィルがでしゃばったって、私と先生に勝てる筈ないしー」

「ほざけ。瞬殺してくれるわ。(……そういえばソノラとイスラの胸ってどっちが上なんだろう。神眼持ってないから解んないな)」

「口では何とでもっ……ちょ、ちょっと、ウィルッ。どこ見てんのよ!」

(……しまった、ガン見してた)

「…………ウィル君、最低です」

「……誤解があるようですが、別に邪な理由でソノラの胸を凝視していた訳じゃありません」

「じゃあ、どういう理由で見てたって言うの?」

「カイルがさっき、『ソノラの奴、水着の中に余計な物いれてやがる。俺には解る』って言ってたもんでその真偽を」

「クソアニキィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッッ!!!!!!?」

「ソ、ソノラッ!?」

「隙ありっ!!」

「いくです!」

「ええっ!? ひ、一人じゃ無理ですっ!?」

「……瞬・殺」

(時々ウィル兄ちゃんが無性に狸に見える……)




花畑にて


「ヴァルゼルド。いいか、しっかり見ておけ。その瞳にアティさん達を刻みつけろ」

『イエス、マスター!』

「……そういえば、アルディラが見えないな。何処行ったか知ってる?」

『少尉殿は先程まではクノン衛生兵と会話を交わしていたようですが……』

「……避けられていたって?」

『……はい、その通りであります』

「(本当に何とかしなきゃな……) ……で、今は?」

『はっ、何やらカイル海尉殿とヤッファ陸尉殿の密談を発見し、その後襲撃に踏み切りました』

「何やってんだアイツ等……。ていうか、さっきから巻き起こっている閃光はそれか…」

『はい、その通りであります。付け加えさせて貰うと、ソノラ准海尉殿が銃を持って海尉殿に反逆を』

「……あっそう。…………ちなみに、生きてる?」

『虫の息です』

「…………間違ってもズームであっちは見るなよ」

『イエス、マスター』







「じゃあ、生ゴミの処理も終わったし、そろそろ着替えましょうか」

「うんうん、賛成ー。何時あの生ゴミが変な目で見てくるか分からないし」

(な、生ゴミ……?)

一仕事終えたようなノリでアルディラとソノラが戻り、アティさんを促して岸に群れている大岩の裏に向かっていった。言葉の通り、着替えだろう。スバル達は今花畑の所々に沸いているプールを覗き込んで、そこにいる魚を取るのに夢中になっている。

「……ウィ、ウィルッ、てめえっ、ソノラに何を吹き込みやがった。訳分かんねえこと言いながら発砲してきやがったぞ…っ!?」

「生きてたんだ」

「生きとるわっ!!?」

「くそっ…! アルディラの奴、地獄耳かよっ…!?」

(何かこの調子じゃあ、姉さんヤッファ達がアティさんに勝手に話した内容も知ってそうだな……)

「てめえっ、ウィル! きっちりワビいれろやっ!!」

「はは、被害妄想も大概にしとけよ馬鹿」

「そこを動くなぁああああああああああああああッッ!!!!!!!」

獣のように飛び掛ってきたカイルをひょいと往なす。
繰り出される拳を避け続けながら、あのアティさん達が向かった岩場の向こうにはどうのような光景が広がっているのかと考えた。
……ぐぬっ!? いかんっ、この妄想はいかんよっ!? ある意味あの向こうは人外魔境だ、踏み入れて瞬間死ねるっ! 制裁を食らうという意味でもスピリチュアル的にオーバードライブという意味でも!

「くっ! ……やるな、カイルッ。空振った風圧で僕に血を見せるなんて」

「出来るかっ!? お前が勝手に鼻血垂らしやがっただけだろうがっ!!」

このエロガキがっ! と言い放ってくるカイル。
うるせえよドエロ。自分を差し置いて人を罵るんじゃねぇ、この腐れ筋肉が。

「つうか、ゴキブリかテメーはッ!!?」

「失礼だな。あんなキショい連中と一緒にしないでくれ」

「元気だな、お前等……」

冗談抜きのストラナックルを交わし捲くる俺に業を煮やすカイル。馬鹿、当たったらマイボディが千切れ飛ぶわ。
ヤッファさんはお疲れの模様。カイルと俺の攻防を見て溜息を吐いていた。

『マスター! 任務完了しました!!』

「うむ、ご苦労。よくやったぞヴァルゼルド」

帰還したヴァルゼルドを労い、側に歩み寄っていく。
カイルは拳が青くなる程のストラを消費し続けたせいか、今は中腰になってゼェゼェと息を切らしていた。

「首尾は?」

『上々かと』

「ふはははははは。よきかなよきかな」

ヴァルゼルドの返答に思わず上機嫌になる俺。
「かがんでー」とヴァルゼルドに命じ、おんぶしてもらうようにその背中に貼り付いた。

「電子頭脳あるとこに映るんだよな?」

『はっ。記憶媒体がそのままスクリーンを空気中に投影するであります』

「おい、ウィル? お前さっきから何やろうとしてんだ」

「ビデオ鑑賞」

「「!!?」」

俺の発言にどうでもよさげだった漢二人が目をひん剥く。肩で息をしていたカイルなんてマッハで反応し、瞬時に身を起こし上げた。
同士には構わず作業を続ける。ぱかっ、とハッチを開いてヴァルゼルドの電子頭脳の埋め込まれた箇所を顕にした。

「……ウィル。一つ聞くが、ヴァルゼルドのそれは……」

「キャメラ」

「「―――――――――」」

終には言葉を失った。
そんな両者に当てつけるように、ヴァルゼルドの対の眼が鋭く発光する。瞳の内部で機械仕掛けの焦点が回転し、装填。
ジーー、カシャ、と小気味のいい音がなった。
ウィンウィンと駆動音が響き、今撮影したばかりの写真が現像される。取り出しピッとそれを放り投げ、カイルとヤッファの足元に二人のアホ面が写った写真がひらひらと舞い落ちた。ホラ、写真も撮れるでござんすよ。

「…………何故ビデオカメラを用意している?」

「愚問だね」

「まさか、お前盗み撮ったのか!?」

「待て!」

身を乗り出そうとするカイルをヤッファは手を押し出して静止させる。
緊張を帯びた顔で俺にそれを尋ねてきた。

「ウィル、HI8――ハイエイトなんだろうな?」

「デジタルっす」

「今回の為に準備したのか?」

「イエスアイドゥー」


「「きさま~~~~~~!!」」




「「ダビングしてくれ!!!!!!」」




魂の叫びと共に差し出される1000バーム。


「……いや、いいけどさ」

「「しゃあっ!!」」

俺の返答に涙を迸らせ抱き合うカイルとヤッファ。
……どうでもいいけど、再生する機器お前等持ってんのか? ラトリクス行ってもその時点でエンディング迎えるような気がするぞ。

「ウィル、てめえは大器だっ! さっきのことは水に流してやるぜ!!」

「ホント現金だな、お前」

「オイお前等、後にしろ。今はさっさと拝ませてもらおうぜ」

「そしてお前は一番救いがないな」

此処まで真剣なヤッファを見たことがあっただろうか。
鷹の眼のような眼差しに鋭い笑み。不敵な表情を浮かべる今のコイツは滅茶苦茶場違いのような錯覚を受ける。身に纏っている空気と現状況の間に致命的な温度差があった。

「まぁいいや。ヴァルゼルド、再生してー」

『了解であります』

「「おおっ!」」

電子頭脳のすぐ横に備わっているレンズのような機器が光線を投射、宙に四角の平面画像が浮かび上がった。
ヴァルゼルドの背中に回り込んだカイルとヤッファがずずいと顔を寄せてきた。同士だけど、コレと同種ってのもなんかヤダな……。
いや、今はいい。この瞬間は我が従者ヴァルゼルドが上げた戦果を存分に拝見させてもらおうではないか!

「くぅ! 俺は今っ、猛烈に感動しているっ!」

「分かる、分かるぜ、カイル! 今この時に俺達は生きてきたと言っても過言じゃねえ!!」

「どうでもいいけど涙撒き散らすなオマエラ」

冷たいよ。



「ふぅん。やっぱりね、こんなことだろうと思ってたわ」



「「「――――――――――――――――――――――――――――――――――」」」

ぞっ、とするようなコメントが俺達の間に投下される。
非難と蔑み、あとは呆れか。それらが含まれた背後からの声は極寒の局地ともいえる冷気を帯びていた。
ビシッ、と凍結する身体。首に悪寒が盛大にして駆け抜ける。

「「「…………………………」」」

凍った首をギシギシと軋ませながら三人して回転。頭の中は銀世界、ぶぉんぶぉん吹き荒れまくるブリザード。
俺達は今、猛烈に死の危機に瀕している。


「で、何を拝んでいるのかしら?」


視界に映ったのは、イイ笑みを浮かべている機婦人の姿。

「…………ア、アルディーラさん」

「こ、これはだな、目の保養というか、とにかく明日に繋がる活力といいますか……」

「き、聞け、アルディラ。俺達はこれだけでメシ10杯はいける……!」

曲線を描いている口に対し、目が全く笑っていないというこのプレッシャー。
三人が三人とも平時を失い取り乱している。トラウマのせいか、ヤッファは訳の分からないことを口走ってしまっていた。

「あっそう。――――――死ねば?」

「―――――あ゛」

ヤッファの元に現れる眩い光と、そこに浮かび上がる円形の影。
頭上を見上げたヤッファがこの世の終わりのような顔をし、間髪いれず鋼鉄のスクリューが彼の立っていた場所に突き刺さった。
唸りを上げるドリル。その下で回転に合わせガガガガガッと振動する投げ出された腕。鮮血が飛び散っていく。
何かを砕く音と共に震え撒き散らすそれは、もはやスプラッタ。

「…………ぅ、うぉおおぉおおおぉぉおおおおおおおおおおっ!!!!?」

すぐ隣でヤッファが見るも無残な姿に成り果てたことでスイッチが入ったのか、カイルは恐慌に陥り、絶叫を上げながらその場から駆け出す。ヴァルゼルド抱えながら。
もはや本能なのか。本当にあいつ漢の中の漢だ。この状況下においても浪漫を死守しようとするとは。

「目障りよ」

それを汚物でも見るかのようにして、アルディーラさんは一蹴。
カイルの逃走経路上、その真上にライザーが出現。巨大化した半球真紅の球体が、血がこびり付いたような鉄槌となってカイルとヴァルゼルドをぷちっと圧殺した。楽園に砂煙が立ち込める。

「……………………………」

「はぁ。何で男っていうのは揃いも揃ってあんなのばかりなんでしょうね? 全く、理解が追いつかないとは思わない?」

「…………ソウデスネ」

溜息混じりに俺へそう問いかけるアルディーラさん。
もはや僕は籠の中の鳥状態でした。

「約束していた兵装開発、その中にあった赤外線も含められた多種機能の高性能カメラ。戦略的なことを考えてのことだと思ってたけど……まさかこんなことに使うつもりだったとはね」

言い訳をさせてもらうと、赤外線やらなんやらは薄暗い遺跡での奇襲に使おうと思ってました。決して夜な夜な盗撮しようとか下種なことしようと思ったとかそんなんじゃないんです。……いや、ホント。 だって、「カイル」それやって死ンダし。

「今日になってカメラだけでも取り付けてくれ、って言うもんだから急ピッチで設計したのに……これじゃあ私が余りにも報われないと思わない?」

「イエ、ソンナコトハ……」

「ないです、って? フフ、どこの口がそんなことほざくのかしら?」

――――死ンダ。
召喚光。瞳を焼きつける眩し過ぎる閃光に、俺は自分の死期をこの瞬間悟った。
せめてカイルのように一瞬で果てる最後がいい。冷笑を浮かべるアルディーラさんを見て俺は切に願った。ドリルは嫌だ。

やがて、その場に現れたのは、悪魔のような輪郭を持つ禍々しいフォルム――――


「―――――エ、エレキメDEATH!!!!??」


夥しい電流を放電しまくっている青と鋼色の機体が降臨する。出てきたそばから空間を焼き焦がしまくっていった。
デ、電撃で苦しめて殺る気満々!!? むごすぎるっ?! 生と死の狭間を彷徨ってフィーバーしまくれというのか!!!??

「レア、ミディアム、ウェルダン……どれがお好みかしら?」

「レアとか出来っこねええええええええええええええええええええええ!!!!!!???」



「ローストチキンにしてあげるわ」



ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!??!??















「……何で焼け焦げてるんですか、ウィル君?」

「浪漫(りそう)には犠牲が付き物なんですよ……」

また意味の分からないことを……。
憔悴しきったウィルの顔をアティは怪訝そうに見詰める。すぐ隣で座っている少年の考えることを理解出来る日は来るのだろうかと改めて疑問に思った。まぁ無理であろうとほぼ確信しているが。

着替えも終わって他の者達と合流した傍ら、ウィルを含めた男性陣がいないことに気付いたアティは彼等を探しに向かった。アルディラは放っておけと言っていたが、アティ自身としては流石にそういう訳にもいかず、静止をやんわり振り切って足を運んでいった。
血塗れになったヤッファとボロ雑巾と化したカイルとヴァルゼルドがフラフラと歩み寄ってくる姿に素でビビり、どれだけはしゃいでいたのだろうかと汗を流しながら治療。彼等にはアルディラ達の元へ戻ってもらい、残りのウィルを探し続けて今に至る。
ちなみに、発見当初は花畑にて煙を上げながら正座ポーズ、全く力の入っていない状態で頭を垂れ気を失っていた。


「痺れて立ち上がれない」というウィルに、アティは仕方なく回復するまで今現在付き添っている。
正座をすれば足も痺れるだろうと納得もしながら。

「で、楽しんでいますか?」

両足を伸ばして楽な姿勢を取っているウィルがアティに尋ねる。
手を地面につけてそれに寄り掛かるようにしている彼は、前方に広がる花畑と奥の温海へ視線を向けていた。

「はい、とってもっ。みんなでこうやって集まることが出来て、すごく楽しいです」

「それは良かった」

顔を綻ばせてアティは素直に感想を述べる。
戦闘以外でそう集まることのない仲間達と、こうして一緒にはしゃぐ今までの時間はとても有意義だったと思う。こういう機会がなかっただけに尚新鮮に感じられた。

「本当に、すごく楽しい休日になりました」

「先生の今までと比べれば、それも当たり前ですって」

確かに今まで過ごしてきたものとは比べるまでもないだろう。
味気のない休日だったんだな、とアティは苦笑の思いを抱いた。

「でも、みんなと一緒だったから、ここまで楽しいんだと思います。帝都じゃ多分、こうまで満喫出来なかったじゃないのかな」

「それには賛成します。みんな、賑やかでやかましくて、愉快な人達です。暇することなんてない」

ウィルが徐に、柔和な笑みを浮かべる。口調も柔らかいもので、本音が紡ぎ出されたような自然な響きがあった。
滅多に見せないウィルの年相応の表情。その柔らかい顔をアティは幾度も見た記憶はなく。言葉に耳に傾けつつ、自ずと瞳はウィルの表情を映した。

「…………ええ、傍に居たいって、そう思える人達です」

「――!」

視線の先の光景を見詰めながらの言葉。目は僅かに細められ、今までにない色がそこに帯びた。
ああ、これのことなのか。何処か此処ではない場所を見ているかのようなウィルの瞳に、アティはスカーレルの言っていた言葉を思い出す。

ソノラ達に向けられるという遠い目。寂寥が込められている、スカーレルはそう言っていた。
確かに、そうのように映る。何処かに想いを馳せ、何かを懐かしんでいるその瞳の奥は、触れてしまえば壊れてしまいそうな果敢無げな光が見えた。
まるで結晶。力を込めれば簡単に罅割れ崩れていく、そんな繊細の輝き。

「…………」

今までもこんな目をしていた時があったのか。
それを指摘される度に、何でもないと笑って誤魔化し隠し続けていたのか。心の奥にそれを落とし続けていたのか。


(ずっと……?)


突如、間隔が狭まった鼓動の音がアティを包み込んだ。大きく響き渡り、しかし何処か頼りない脈打つ音が耳に落ちては残留する。
これは、不安だ。全身に纏わり付いてくる不安定な音の連なりは、僅かな恐怖を抱いた確かな情動だ。

――――ウィルは、此処に居ないのではないのか

少年の想いは此処に向けられておらず、自分の知らない場所に置かれたままなのではないか。
この島の光景を透して別の場所を写し、そこだけに自分を馳せ続けているのだとしたら。その人物に向けられている言葉と感情は偽物で、別の誰かに向かっているモノではないのか。
ウィルの心は誰にも向けられていない。この場に存在さえしない。今までも、これからも、ずっと。

(……っ)

情動を呼び起こす正体はそれだ。
傍にいる筈のウィルが此処には居ない。それは耐え難い不安となってアティを抱き込んでくる。
胸の奥に手を伸ばし、爪をたててきた。

「……まぁ、あんな人達が帝都に居るってこと自体………………せ、先生?」

「…………」

他意はなく、身体が動くままに、手を持ち上げ指をウィルの目元に添える。
軋みをあげた胸の内が衝き起こさせるのか、微細な動きで目元から頬にかけて親指を除いた四指を這わせていった。

深緑の瞳が困惑に染まる。そこには先程の光はもう帯びていない。何をしているのかと疑問を問い掛けているようだった。
だが、身を包み込む不安は一向に消えてくれない。一抹の切なさが胸を占領する。自分の瞳もまた、それによって僅かに歪められているのが分かった。

胸に巣食う感情を吐き出してしまいたい。これ以上は抱き続けるのは嫌だった。
声を発することを忘れてしまった喉を動かし、アティは胸のわだかまりを言葉にした。


「ウィル君は…………」


―――此処に居ますか?
そう続く筈の言葉を飲み込む。それを言うのは最後に躊躇われた。口にする勇気が無かったのかもしれない。
別の言葉を戸惑いながらも探し、間が随分と空いた後で、やっとそれに続けた。

「……楽しんで、いますか?」

「…………」

その言葉とアティの切なげな瞳に、ウィルに目をぱちぱちと瞬かせ、そして笑みを作る。
くっ、と耐え切れず出てしまったような声を漏らし、アティの手の甲を握って、頬に触れている指を自然な動作で剥がした。



「当たり前じゃないですか」



満面の笑みだった。
目を弓なりにした随喜の笑顔。自分に、他ではない此処に、確かに向けられた本当の言葉だった。

「――――――本当、ですか?」

「嘘をついてもしょうがないでしょう?」

若干苦笑に変わったウィルの表情を見詰め、アティは握られていた手の甲を胸に抱く。
やがてウィルに向き合っていた上体を元の姿勢に正し、揃って曲げられた両足の方向に向き直って、そして穏やかな微笑を零した。

(……本当だ)

胸が高鳴りを覚える。それは身体から包み込んでいた不安を消して、代わりに温もりを溢れさせていった。
安心と安堵に抱かれ、暖かな感情が全身を巡る。

偽りのないその言葉が、ウィルの心からの本音が、純粋に嬉しかった。


「…………くあ」

安心したからなのか定かではないが、アティに急な睡魔が寄りかかってきた。
口を手で押さえながらも思わずあくびをしてしまう。

「眠いんですか?」

「えっと……」

顔を覗きこんできたウィルに尋ねられ、アティは言葉に詰まる。
確かに眠くなってきているのだが、それを素直に伝えても迷惑を掛けるだけではないか。
あははは、と乾いた笑みを浮かべながらアティは言葉を濁した。

「別にいいですよ、寝ても。先生も疲れているのは事実でしょうし」

「で、でも……」

「引き上げるまでにアルディラ達と合流すればいいんでしょう? その時になったら僕が起こしますよ。気にしないでください」

苦笑を浮かべてウィルはアティを気遣ってくる。
それもそれで申し訳ないような気がする。面子的にもあれだ。大丈夫、気にするな。そう伝えたい。
駄菓子菓子、空から降ってくる心地良過ぎる日差しは今もアティの意識を削り取り、強がろうとする理性を頭の隅に押し退けていく。
やがて身体を支配していく眠欲に抗えず、アティの理性はとうとう白旗を振った。

「……そ、それじゃあ、ちょっとだけ、いいですか?」

「どぞどぞ」

頬を赤らめ恥ずかしがるが、睡魔のせいでそれもすぐに消える。
よいしょと身体を仰向けに倒し、ウィルのすぐ隣に頭を置く。視線を向ければ、ウィルが手を振って「構うな構うな」と示していた。ふっ、と笑って目を閉じようとする。
だが、その直前に頭に浮かんだ言葉があり、僅かにまどろんだ目でウィルを見上げた。

「……ウィル君」

「へいへい」

「何処にも、行きませんか?」

んっ? とウィルは首を傾け、ああなるほどと頷き納得。
何時ものポーカーフェイスで口を開き、

「まぁ、寝た先生を放置して帰るのも面白そうですけどね」

「…………」

そして、次には一笑。

「安心してください。そんなセコイことはしませんから」

薄く遠ざかっていく輪郭に微笑みながら、アティは瞼を閉じていった。
きっと、自分の言っている意味は伝わっていないだろうと思う。
本意は解ってくれていないのだろうと思う。


「何処にも、行きませんよ」


――――でも、今はその言葉だけで十分だった。



















『………い』

…………

『……せい』

………ん

『せんせい』

……んんっ


心地の良い闇の中。
そこへ届いてきた声に、意識が頭をもたげる。闇がむずむずと動き、やがて僅かな光が差し込んできた。
瞼が、そろそろと開いていくのが分かった。

『先生』

雲が掛かったかのようにぼやけた意識、そこへ落ちてくるその声が、漠然と自分を呼んでいるのだと理解する。
ただ、この心地の良いまどろみにまだ浸っていたいという欲求が、その呼ぶ声を拒絶。
頬にあたる柔らかい感触に顔を埋めるようにして、声から遠ざかろうとする。

『いい加減起きてください、先生』

嫌です。断固拒否します。
一昨日来てください。くー。
柔らかな触感を預けてくる枕に顔全体を埋めた。

『何時まで寝れば気が済むんですか。ほら、起きい』

起きろと言われて素直に起きる人ってそうはいないと思うんです、私。
だから起きません。ぐー。
枕に鼻を押し付けすんすんと鳴らす。いい匂い、森の匂いがする。

『コラ、教師だろアンタ。そんなんでいいのか』

ううっ、分かりました。じゃあ、あと一時間だけ。
延長お願いします。すー。
本当に心地が良い。ずっとこうしていたいと思う。

『オイ、今なんつった? 一時間? 一時間ですか? よしっ、実力行使しよー。ブン殴ろー』

むー。すごい意地悪です。
いいです、こうなったら徹底抗戦―――
ギュッと枕を掴む。

『サモナイト石でブン殴ろー。先尖った方でこうグシャッと勢いよくブチまけよー』

―――するのは良くないですね。
人に迷惑掛けてはいけません。起きましょう。
名残惜しいように手を離し、んんっ、と瞼を開けた。


「…………」

「やっとですか」

視界が90度横に傾いている中、霞んだ目に最初に映ったのは、茜色。夕日に染まっていく空だった。
次には同じ色の海が映って、影が落ちる草花を最後に視界の端へ認めた。

耳に降ってきた声に視線を横―――上方へと向ける。
そこには茜色を帯びた少年の顔。日の光を反射する深緑の瞳。僅かに眉を寄せている呆れたような表情。
…………ウィルくん?

「お目覚めで?」

「…………ぁ、はい」

顔もそちらに向ける。視線と視線が交差した。
何故ウィル君が私のすぐ真上にいるのか分からない。
寝起きで思慮足らずな頭でぼんやりと目の前の光景について考える。

「退いてくれますか?」

「……えっ?」

「そこから退いて欲しいんです」

「……?」

そこ、とは今私が寝そべっている場所でしょうか。
如何してそんなことを言うのか疑問に思う。頭の後ろを包む柔らかな感触が気持ち良く、もう少しこうしていたいんですけど……

「…………え?」

意識が段々と鮮明になっていく。周囲の状況の一つ一つの情報が頭に落ちていった。
此方を真上から見下ろすウィル君。全く開いていないお互いの顔と顔との間隔。そして後頭部にある柔らかくも温かい枕……。
マクラ……?


「―――――っ!!?」


「あぶっ」

理解した。
今自分と、ウィル君が、どういう態勢で、どういう位置関係なのかを。
勢い良く体を起こし上げた私に当たらないようにウィル君は上半身を反る。でも私にはそれを気にする余裕がない。
視線をばっと急ぎ巡らせて、寝そべっていたそこを見回す。私の頭が置かれていた場所には……ウィル君の伸ばされた脚、腿があった。

「ヘッドバッドかます気ですか貴方は」

「……ご、ごごごごめんなさいっ!? で、で、でもそれより、もしかして私っ、ず、ずっとっ……!?」

―――ウィル君に、膝枕されていたんですか?
最後まで言葉が出てこない。口をぱくぱく開いたり閉じたりを繰り返す。
頬が赤くなっていくのが分かった。
そんな私に対し、ウィル君は溜息を吐きながら―――


「人の枕でよくもまぁ爆睡してくれましたね」


―――慈悲もなく胸を抉る言葉を宣告してくれました。

「~~~~~~~~~~~~~~!!!?」

恥ずかしさの余り顔を思いきり伏せる。全身から火が吹き出してしまいそう。きっと耳まで真っ赤になっているに違いなかった。
ううっ、そんなっ。人の腿を枕代わりに熟睡だなんて…っ!? しかも、ウィル君のを、ですっ……!!
途方もない羞恥に身を包まれ、私は口を真一文字に引き結び、身体を小さくして縮こませる。被ってる帽子の両端を手で掴み、顔を隠すようにして下へと引っ張った。

「……まぁ、枕を恋しく求めてしまう程疲れていたんでしょう」

フォローになってないですっ!?

ぶしゅーと湯気が頭から立ち込める。熱は一向に下がる気配がない。
本当に、その場で倒れてしまうかと思った。

「遠くで起きた爆発音にも気付きませんでしたからね……」

「…………えっ?」

「いやいや、気にせずに。都合良かったっていう話ですよ」

「……??」

帽子の下から目をそろそろと見上げてウィル君を窺う。
彼は視線を私ではなく集落の方向に向けられていた。

「今の状況、聞いておきますか?」

「あっ、はい。お願い、します……」

「……なにギョロメみたいなことやってんですか」

ギョロメ。少し愛嬌のある白い顔に、口の中に赤く大きい眼を隠し持つシルターンの召喚獣。
俯きながら、白の帽子で真っ赤に染まった顔を覆い隠した私を、ウィル君はギョロメに通じた物を感じたらしい。……ううっ、言い得て妙です。

座ったままの姿勢で、ウィル君から私が眠り落ちてから今までの経緯を聞く。
どうやら私の身体のことをみんなが配慮してくれたようだった。熟睡していた私を起こすのは悪いから寝かしておいてあげよう、ということになったそうです。
みんなの心遣いは嬉しいんですけど、何だか私としては散々振り回した挙げ句に最後でみんなのことを放り出したようで決まりが悪い。
それにどれだけ寝ていたんだろうと恥ずかしくも思う。時刻はもう夕暮れの時間帯に差し掛かっており、日の色が周囲のもの全てに落ちている。
振る舞い全てを自分勝手のように感じ、みんなに申し訳なくなった。

「そして、僕は生け贄もとい先生のお守りというとばっちりを受けた訳ですね」

「……すいませぇん」

ウィル君の皮肉に対して謝罪を絞りだすことしか出来ない。
こればっかりは何も言い返せなった。当たり前ですけど。
本当に申し訳ないです……。

「……わ、私、どんな風にウィル君の脚へ、そ、そのっ、乗っかっちゃったんですか……?」

「僕が目を離した隙を突かれました。むにゃむにゃほざいて平和そうな顔してると思ったら、いきなり僕の腿を手繰り寄せ、ストンと。余りの手際に呆けましたよ」

「……う、ううっ」

聞かなければよかった……。

「はぁ……。何で野郎の僕が膝枕してんですか。普通逆でしょう…」

重々しく吐かれる溜息と一緒にウィル君が不平をこぼす。
恐らく非難しているんじゃないと思いますけど、当事者なだけに面目がないです。

「そ、そうなんですか?」

「当たり前でしょう。女性の膝枕は男の浪漫ですよ。かなり上位に食い込みます」

「は、はぁ……」

よく意味は分からなかったけど、ウィル君がすごく疲れていることだけは分かった。

「えっと…………じゃあ、しましょうか?」

膝枕を、と言って抱えていた脚を伸ばして差し出す。
逆なら私がやっても問題ないでしょうし、横になれば疲れも……。

「あほいっ!」

「はうっ!?」

ビシッ!とウィル君の手の甲が帽子越しに私の額に勢いよく放たれた。手首の返しがよく効いた突っ込みがおでこを強襲する。
な、何するんですかっ!?

「痛いですよ!?」

「黙れ天然。テメーの思考回路をどうなってやがる。『じゃあ』ってなんだよ、『じゃあ』って。そこに至る経緯が解らない……」

がっくり項垂れ頭を抱えるウィル君。
わ、私が悪いんですか? 私だけされたのも何か申し訳ない、というかこのままじゃあ体面的に悪いのでしてあげようかと思ったんですけど……。

それに、膝くらいならいくらでも貸してあげられるから。今までずっと待っていてくれた君に恩返ししたいと思ったから。
だから、ゆっくり休んで欲しいとそう思ったんです。
これじゃあ、嫌なのかな?


「ええい、もう身がもたんっ……!! 帰りますよ! 行けますよね!?」

「は、はいっ!」

唸り声を上げてからウィル君は勢いよく顔を持ち上げて、此方を見据えてきた。
穏やかではない眼光に帽子越しからでも圧され、私は慌てて可と返答した。

「よいしょ」

手を使わずに身体を立ち上げる。もう別に帽子で押さえなくてもいいとは思いますが、でもやっぱり何処か気恥ずかしい。現状維持のまま、です。
うーん、それにしても身体の動きが鈍い。かなりの時間を寝ていたみたいだから当たり前と言えば当たり前なんですけど……

「……って、ウィル君? 如何したんですか、そんな変な体勢で…」

「お、おおぉおぉぉおぉ……っ!!?」

四つんばいのような体勢で、右足だけを投げ出して伸ばしている。
悶絶、なんでしょうか? お腹から絞り出されたような声を上げながら、ウィル君はぷるぷると震えていた。

「あ、脚がっ、わいの脚がっ……!? 度し難い痙攣というか痛みというか兎に角ビリビリキテルーッ!!!?」

「……脚が痺れてるんですか?」

コクコクコクッ! と頷きだけで返事をするウィル君。
口も開かないで必死に顔を上下に振って様は、身を襲う痺れの凄まじさが半端なものではないことを物語っている。でも、何でまた?

「まだあの時の痺れが取れてないんですか? それにしても長過ぎるような気がするんですけど……」

「ちげぇーよ!? 貴方がずっと僕の腿を枕にしてくれちゃったせいだろうがっ!!?」

馬鹿ッ! と悶えながらウィル君は私に文句を言う。そっ、そういうことですか。
原因を担っている私は冷や汗を流しつつ気恥ずかしくなり、ウィル君の痺れた右脚に回り込んで傍に屈んだ。
こうして見る限りは何も問題はないように映るんですけど、でもやっぱり中では大変なことになってるんでしょうか。

「召喚術を使えば治せるかな……?」

場合が場合なだけに、流石に判断がつかない。
そっとウィル君の腿を這わせるように触れた。

「おおおあああぁあああっっ!!?!?」

「わっ!?」

「何しちゃってくれてんだ貴様ァアアアアアッ!!!??」

は、はいっ?

「触るんじゃねぇえええええええ!!!? 殺す気ですかっ!!?」

「えっ、あ、あれだけでもダメなんですか?」

「死ねるわっ!!」

ガァー!! とウィル君は捲くし立ててくる。本当に必死です。必ず死ねると書いて必死です。
本当につらそう。あのウィル君が目の端を潤ませてる。何だかすごい貴重のような気がします……。

「…………」

目の前にはウィル君の右脚。
……子供の頃のような好奇心が芽生える。恐いもの見たさという物だろうか。
ちょっと触れただけでああなっちゃうんだから…………

「…………」


つんっ


「!!!??!?? あ゛っ、あ゛ …………あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!!!!!!??」

耳を塞ぎたくなるような絶叫がウィル君の口から放出される。
想像を絶する痛みもとい痺れという奴でしょうか。その威力は計り知れるものではなく、私には全く解りません。

「な゛っ、なにっ、なにやってんっ……!!?」

舌足らずになっているウィル君。本当にこんなウィル君を見るのは初めて。

「…………」

つんっ

「に゛ゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!???!!??」

テコみたいになっちゃいました。
…………面白いです。

「なっ、ぢょっ…!!?」

「…………」

つんっ

「ぎゃあああああああああああああああああああ!!!!?  お、おまっ…!!?」

つんっ

「まっががががががががががあああああああっ!!!?? やっ、やめっ」

つんっ、つんっ

「やぁーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!? だ、だめっ!!? それっ、だめえっ!?」

つんつんっ、つんっ

「めえええええええええええええええええええええええええええええ?!!!!!!」


つんっ、つんつんっ、つんっ、つんつんつんつんつんつんつんっ



「あ゛、ぁ゛、ア……アアアアアァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!!!??!?!?」
















「…………は、はう~~~~~~~~~~っ」

「死ねっ」

頭を押さえながら私は涙を止め処なく流す。
ウィル君は、文字通り肩を怒らして私に暴言を吐き散らしていた。
前を歩く彼は振り返る気配など見せず、ずんすんと進むだけ。夕陽で赤く染まったその小さな背中から怒気が迸っていた。

「ごっ、ごめんなさい~。調子に乗ってごめんなさい~~~っ」

「許すかっ」

涙ながらの謝罪も一蹴される。
ほっ、本当にすいませんでしたぁ……。


ウィル君の悶える様に味を占めた私は、何度も痺れているその脚を突ついていった。
絶叫と悶絶を繰り返される時間が暫らく続きましたが、けれど何事にも終わりというものがあるわけで。
痺れという戒めから解き放たれたウィル君は、荒い息を吐きながら血走った目を此方に向けて…………ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ。

何振りもの剣を空間に呼び出して撃ち放ってくるウィル君は手加減のての字もしてくれませんでした。
逃走も結界もそれの前では何も意味を為さず、私はぼかーんと吹き飛ばされた後に頭の天辺へ拳骨されました。サモナイト石で。
容赦せずにあれだけやってもウィル君はまだ怒ってます。うう、一体どうしたら許してもらえるんでしょうか……。


私達が今足を進めているのは島の外縁部、砂の原地が築き上げられている海岸線です。
黄昏に染まる海面が粒状の光を得て、幾つもの煌きを反射させている。海原から運ばれてきた潮風が側を通り抜け、私の髪をなだらかに流していった。

こうして砂浜を歩いているのは、ウィル君が元来た道に進路を取らず、温海に沿った道へ出てしまったから。
呼び止めようとしたのですが、ウィル君は怒っていて聞こうとしないのか歩みを止めてくれず、私も止むなく付き添っていきました。変なことをしてしまった手前、意見出来る筈もないですし。
ユクレス村、狭間の領域を迂回するように進み私達は海岸に出た。船の姿が遠目ながらもはっきりと確認出来る。
如何して遠回りの道を進んだのか理由が解らない。私に対する報復だろうか、とも思いましたけどそれにしては嫌がらせの域にも入っていないような気がしますし……。

声を掛け難いですけど、ずっとこのままという訳にもいかない。
気まずい関係が続くのは嫌です。聞きたいこともある。ちゃんと謝って許してもらいましょう。

「ウィル君」

「……」

誠意を籠めて呼びかける。ウィル君は足を止め、細めた厳しい目を此方に向けた。

「さっきは、ごめんなさい。本当に反省してます。……すいませんでした」

ぺこりと頭を下げた。ずっとそのままの体勢、許して貰うまで頭を下げ続ける。
風の過ぎ去っていく音と波の押し寄せる音が響いていく。オレンジ色の砂浜に、腰を折った私の影とウィル君の影が伸びていた。

「……はぁ」

場に溜息が落とされる。
「顔を上げてください」という言葉に投げられ、私は腰を戻してウィル君に向き直った。

「もうしないで下さいよ?」

「はい。気を付けます」

「気を付ける、ですか……」

苦笑を浮かべるウィル君。
私としても、約束は出来なかった。出来心が起因しているだけに。

「僕も人の言えた口じゃないですからね。いいです、許します。残ってる鬱憤は明日にでも持ち越ししますから」

「最後の方が余計なような気が……」

私も苦笑。
でも、それは許して貰えたことの方に対して嬉しさが勝った苦笑いだった。


「今日は付き合ってくれてありがとうございます」

「いえいえ」

「迷惑一杯掛けちゃいましたね」

「私的な都合やらもあったんで気にしないでください。それに僕も楽しみましたから」

近くまで歩み寄り、肩を並べて夕焼けの海岸を進んでいく。
此方に目を向けずに淡々と会話を続けるウィル君を見て、このやり取り、この空間が一番私達らしいな、と顔が自然に綻んだ。

「それにしても、如何して最初に来た道を引き返さなかったんですか?」

「まぁ、もう話しても構いませんね。先生が寝てる間、ユクレス村の方で爆発があったんです」

「えっ!?」

さらっと言われた言葉に私は仰天してしまう。

「落ち着いてください。帝国軍とかそんなんじゃありません。恐らく、ていうか間違いなくジャキーニさん達の反乱です」

「ど、どうして分かるんですか?」

「イスアドラに向かう準備をしていた時に、たまたま戦争やら自由を勝ち取るだの会話を聞いてしまいまして」

「それを言っていたのが、ジャキーニさん達?」

「そういうことです。言っている人が人なだけに眉唾物に出来なかったので、スカーレル達に迎撃を呼び掛けておきました。目立った被害も特にはないでしょう」

「げ、迎撃……」

そ、そんなことがあったなんて……

「もう鎮圧されてるとは思いますけど、後処理があったら先生も加わっちゃうと思ったんで、ユクレス村の付近を通らないようにしたんです」

「…………」

つまり、私の手を煩わせたくなかったということでしょうか?

「どうして言ってくれなかったんですか? いえ、何で最初に私へ教えてくれなかったんですか?」

「貴方に言ったら休日そっちのけにするでしょう。余計なこと考えずに、楽しんで貰いたかったんですよ」

ウィル君は肩を竦めながら言った。
教えてもらったら、確かにジャキーニさん達の元へ向かっただろうから否定は出来ない。
言葉の通り、ウィル君は私に今日を楽に過ごして欲しかったのだろう。気を遣って貰っていた、ということになる。

「ありがとうございます。私のことを気遣ってくれて。……でも、やっぱり話して欲しかったです」

「何でやねん。せっかくの休日でしょう、今日くらい面倒から解放されるべきですよ」

呆れたような顔をするウィル君。
私が何時も島で色々なことをやっていることを指摘しているのだろう。カイルさん達と同じように、ウィル君も私が働き過ぎだと思っているのかもしれない。
……でも、それは違います。

「ウィル君もみんなも働き過ぎだって心配してくれますけど、そんなことないんですよ?」

「如何してですか?」

「私はそんな毎日がとっても楽しいからです」

島の人達との交流も、手伝いも、色々起きてしまう思い掛けない出来事も。
教えることも、学校も、君の授業だって。全部楽しいと思えるから。疲れるなんて思わない、何時までも続けていきたいってそう思えるから。

「だから、みんなと一緒に過ごす日々が、私にとっては全部休日みたいなものなんです」

笑みを作ってウィル君に偽りのない本音を告げる。
だから心配しないで、そう伝えた。

「…………」

その言葉を聞いて、ウィル君は顔を向け私をじっと見詰めてきた。

「楽しいから疲れるのも問題ないと?」

「はい」

「面倒事も厄介事も、全部ひっくるめて休日だと?」

「はい」

「それらが休日だから、休む暇がもったいないと?」

「はい」

重ね重ねの質問に全部その通りと答える。
私の返答に、ウィル君は今度こそ本当に呆れたようだった。口を開いて私を遠いものを見るかのように見詰めてくる。
な、何でそういう顔するんですか。失礼ですよっ。

「イカれてますね、本当に」

「むっ。撤回してください、ウィル君。私は変なんかじゃありませんっ」

「貴方が変じゃなかったら、世界の人々がみんな変ということになります」

「どういう意味ですかっ!」

「そういう意味です」

批判を聞いても、ウィル君は目を瞑りながら間違ってないと顕然と言い渡してきます。
私は不満を露にしてウィル君に非難の眼差しを向けた。ウィル君は私の視線に気付いているのか、目を瞑ったまま口元を曲げる。
馬鹿にされているのかと思った私は、何で笑うのかと訴えようとした。

「ええ、イカれています。奇天烈です。僕には真似出来ない、しようとも思いません」

だけどすぐに、それがあの柔らかい笑みだということに気付き、私は言葉を口にすることはなかった。



「でも、僕は貴方のそういう所、嫌いじゃないですよ」



「――――――――ぁ」

肩越しに向けられた笑みに、目を見開いた。
瞼が開かれた深緑は穏やかな光を帯びている。私を映した瞳は何処までも透き通っており、綺麗だった。
引き込まれそうに深く、透明な碧。その色を携えた柔和な笑みに―――ただ、見惚れた。

「程々にしてくださいね」

笑みを浮かべたままウィル君をそう続け、依然歩を進めていく。
私は立ち止まって、その場に佇む。彼との差が開き始めていった。


呆然としている身体、だけどやがて感情を取り戻して熱を帯びていく。
感覚も舞い戻ってきて心臓の音を全身に伝えていった。

(ああ、そうか……)

今日、如何して最初に彼の元へ向かったのか分かった。
彼を頼ろうとしたのか、はっきり分かった。足が自然に動いていった訳を理解した。

(君の隣が、こんなにも居心地がいいから……)

当然な理由だった。
居心地のいい場所を求めて、身体は純粋と欲に従った。よりよい場所に向かっていった。
彼の隣にある場所が、何よりも穏やかでいられる居場所だから。

(笑っていられるから……)

笑顔でいられるから。過去から築いてきた笑形ではない、素直な笑顔でいられるから。
彼の隣で、心の底からの笑みを浮かべることが出来るから。

(だから、君を探しているんですね……)

目で追って、傍に足を向けるんだ。
傍に――此処に居るのか、不安になってしまうんだ。此処に居て、安堵を迎えるんだ。
此処に居て欲しいと、引き止めようとするんだ。


「…………先生?」

私が付いて来ていないことに気付いたのか、ウィル君が此方に振り向く。
僅かに開けた間隔を残し、その場に立ち止まった。

首を傾けつつも、私を待ち続けているその姿に笑みが漏れる。
私も同じだ。ウィル君のそういう所、嫌いじゃない、好きだと思う。
いえ、大好きです。

何時でも待ってくれる優しさが。
何時も気に掛けてくれている思い遣りが。
背中を後押してくれる言葉が。

さっきみたいに、偽りなく語ってくれる本当が。

大好きです。
貴方のそういう所が、控えめで、見返りを求めない、不器用な所が――――

「ウィル君」

「何ですか?」



「―――――私も、大好きですよ」



茜色に染まる互いの距離。柔らかで鮮明な光に包まれる波と風の場所。波が寄せられ、けれど浚われることのない空間。
風が髪を梳かしていき、潮と一緒に棚引かせる。

―――本当に、そう思います

心の奥から滲み出してくる感情のまま、私は満面に笑みを湛えた。





















どぼんっ


「!!? えっ、ウィ、ウィルくーーーーーーんっ!!!!?? 何だか今ものすごく無理ある転び方しましたよーーーー!!!?」

「……………………………………」

「だっ、大丈夫ですかっ!? というか早く海から出た方がっ……?!」

「……………………………………う」

「う?」


「うがあああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」

「きゃあああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!?」


どっぼおんっ


「俺の命はとっくにゼロだって言ってんだろぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!?」

「ごほっ、けほっ!!? なっ、何するんですかぁっ、人を海に引きずり込んでっ?!! というか何を言ってるんですかっ!!」

「黙れぇぇえええええええええええええええええええええッッッ!!!!!!!!!」

「ぶっっ!!? ちょ、何をっぶっっ!!!? す、水面蹴りぶっっ!!!!??」

「塩水浸って溺死しろッッ!!!!!」

「やっ、やめぶっっ!!? げほっ、や、やぶっっ!!? …………や、や、やめなさーーーーーーーーーーーーーーーいッ!!!!!!!!」

「ぶぶっ!!?」

「いきなりなんですかっ!!? 無闇矢鱈に人をびしょびしょにしてっ!? ウィル君訳解んないですっ!!」

「貴様が言うなっ!!!!!」

「わあっ!? まっ、まだやる気ですかっ!? いい加減にしてくださいっ!」

「お前がいい加減にしろ天然!!」

「ぶっっ!!? ……………………怒りました怒りましたよ怒っちゃいましたよ私!!!?」

「ぶぶっ!!?」

「私本気出しますよ!!? いいんですかいいんですねいいんですよね!!!?」

「既に出してんだろうが!!!?」

「じゃあ解禁しますっ!!!」

「聞けよっ!!?」




夕闇の降りる中、幾重もの水の塊が飛んでは跳ねる。二つの影は止まることを知らず、飛沫が何度も行き交った。
次々と滾る水は何度も互いの影を飲み込み合い、夕闇に染まる海に溶けていく。
流れる潮風がその水面を震わせ駆け抜けていき、程なくして仲の良いくしゃみが響き渡った。



[3907] サブシナリオ5
Name: さもない◆8608f9fe ID:94a36a62
Date: 2009/03/08 21:17
「「くしゅん!」」

呼気の爆発が二つ同時に発生する。
揃いも揃ってくしゃみをしたウィルとアティの両人は、鼻の下をぐしぐしと擦ったり或いは口元を覆った後、隣にいるお互いを非難がましい目で見やった。

「ウィル君のせいですよ。あんな水浸しにしてっ」

「これだから天然は嫌なんです。無自覚で自分のしでかした行動に対してまるで理解がない。こんな不思議世界抱えてる天然に付き合わされるなんて、自分で自分の不幸を嘆きますよ」

「どういう意味ですかそれはっ!」

「おっしゃっても意味が解らないでしょう? だから言いません。あーメンドクサイこの天然」

「む~!!」

もはや日常の一コマとなりつつあるやり取りを展開しつつ、ウィルは隣で頬を膨らませるアティに溜息をつく。
昨日の海辺での争い、その事の発端について天然教師は何も分かっていない。自分の言動が巻き起こす爆発的被害に気付いていないのだ。
発言の後から今に掛けての態度からしても“そーいう”意味合いが含まれていないことは明白であり、ただ思ったことを口にしただけなのだろうとウィルは悟っている。というより確信している。

会話の流れからして「自分も大好き」の言葉が出てくるのは理解不能である。今も眉を上げて此方を睨んでいるこの天然の頭の中は、どのような思考展開がされているのか、全く以って興味が尽きない。別に知りたくないが。理解出来る自信もない。
この天然不思議ちゃんがっ。ウィルは隣に控えるアティを細めた横目で見やりながら、心の中でそう呟いた。

「貴方達本当に仲がいいのね……。よくもまあ、何時も飽きずに同じことを続けて…」

「アルディラ、心底遺憾だから訂正して欲しい。僕はこの天然のせいで常に精神を磨り減らされているんだ」

「それは私の台詞です! ウィル君何時も変なこと言うからっ!」

「嫌ですね、ホント。自分のことを差し置いて他人のことを非難して。一度自分自身を見つめ直すことをお勧めします」

「それこそウィル君がするべきです! 自分の言動を省みて、他の人に与える影響に対してもっと自覚を持ってください!!」

「あっ、てめっ、言ったな? オノレが一番しなきゃいけないソレを言いやがったな? よしっ、もう遠慮しねえ。ていうか拙者我慢の限界でござるよ」

「な、何を!?」

「ちょっと止めてよ。暴れて欲しくて呼んだじゃないんだから」

「ちっ。……見てろよ、あられもない噂をばら撒いて社会的に抹殺してやる」

「何言うつもりですか!!?」

「曰く、先生は子供を捕らえてその肉を食らう食人鬼だと」

「なんか聞いたことがありますよソレ?!」

「もういいかしら? いい加減、次に進みたいんだけど……?」


呆れ疲れているアルディラの声で脱線していた話の内容へと戻る。
此処、中央管理施設にウィル達が集まっているのは、最近塞ぎ勝ちになっているクノンについて話し合う為だった。
最初のウィルとアルディラの間で交わされていた交換条件が、己の失態により話を聞くのが難しくなったとウィルが素直に告げほぼ破綻状態になり、別の方法を取ろうということでアティにも協力を得ることになったのだ。
クノンと日常的に話を交わしていたのはこの場にいる三人のみで、クノンが塞ぎ込んでいる原因に心当たりがあるとすればこのメンバー以外あり得ない。そういった背景があり、急遽作られたクノン対策緊急編成チームは目下検討中であった。

今現在クノンの態度について意見を交換し合っているが、状況を芳しくない。というより率直にいってしまえば手詰まり状態、お手上である。
クノンの此処最近の振る舞いに戸惑いと不安を隠せないでいるアルディラは眉を歪めて頭を痛めていた。

「やっぱり、クノンに直接聞いてみませんか?」

「で、でも、それは……」

「気持ちは分かりますよ。でも、本人に聞いてみないと、結局本当のことは分からないから」

「…………」

「私も協力します。だから、アルディラ」

「……そうね。あの子に聞いてみないと、分かる筈ないものね」

アルディラがアティの意見に眉尾を下げ笑みを浮かべながら同意する。
アティらしい、と一連の会話を横で見ながらウィルは思った。積極的で互いの言葉をぶつけ合おうとする彼女の真骨頂、愚かしくもあり美徳でもあるそれ。ウィル自身にはないそれだ。
「自分」の「時」はこうも簡単に踏み切れただろうかと、過去のことを少し思い出したりもした。

ともあれ、クノンと直接話し合う、アティとアルディラのこの決定にウィルも反対はない。
こうなってしまえばクノンが胸に秘めていることをアルディラの目の前でぶちまけてしまった方が早期解決になるだろう。この関係が長く続くのは好ましくない。クノンの力に成れなかった自分の体たらくには腹立たしいことこの上ないが、そんな自分の感情などは切り捨てこの件の解決に力を尽くすべき。ウィルはそう結論していた。
だがやはり自責の念は拭えず、クノンの元へ赴くため無機質な廊下をアティ達と歩きながらも、本当に役に立たないとウィルは自分にぶちぶちと悪態をついていた。

「ウィル君」

「あっ、はい。何ですか?」

アルディラを先頭にして進んでいる途中、隣にいたアティが口を開く。
己を貶めるのを止めウィルは首を上げた。

「えっと、あの……私、気付かない内にウィル君に嫌な思いさせていますか?」

「…………」

どことなく落ち着かない雰囲気で視線を彷徨わせた後、アティは恐る恐る此方に目を向ける。
質問の意は先程のやり取りを省みてのことだろうか。少なくとも原因の一端は担っているだろうと今のアティの様子を見てウィルは思った。
少しマジに言い過ぎたか、いやでもこの天然にはあの位言わないと抑止のヨの字程の効果も…、などと思い考える。
両目の間に指を添えた体勢で、結局、ちょっと彼女相手でも遠慮がなかったかもしれないと反省した。

何となく納得もいかないが、相手は女性であり敬うべき存在、このような顔させるのは自分の心情的にご法度だ。
この頃眉間を揉み解す回数多くなってきたなと思いつつ、アティに顔を向きなおして口をひらいた。

「嫌な思い、とは全く違います。当て嵌まりません。……ただ、ええ、繰り返すように疲れるというか、磨耗するというか……いえ、やっぱ何でもないです」

「??」

「とにかく、そこまで深刻に受け止めないでください。僕自身、先生にそんな顔して欲しくて文句を口にしてる訳じゃないんです」

「…………」

「ちょっと僕も言い過ぎました。でも、先生にも色々考えてから発言して欲しい。堅苦しい言い方ですけど、そんな所です」

大して離れてもない距離で見上げ見下ろしながら歩を進めていく両者。
やがて、アティは破顔、頬を染めてウィルに言葉を返した。

「はい、分かりました。今度から、気をつけますね」

「分かってませんよね、多分……」

嬉しそうに顔を綻ばせる所じゃないだろうとウィルは苦笑。
まぁ目の前の天然がそう簡単に改善される筈もないかと悟りも感じる。それにアティはこんな具合がちょうどいいとも思った。間違いなく疲れるんだろうが。

目の前の笑顔がすぐ隣で見られるなら、それも悪くないかもしれない。

暖かさを感じさせるアティの笑みを見て、ウィルはそう思った。


「兎に角、勘違いされるようなことは口にしないでください」

「はい。……うん、やっぱり、ウィル君のそういう優しい所、私は好きです」

「…………ダメだ、こいつ」









然もないと  サブシナリオ5 「ウィックス補完計画その5 ~乱れた振り子のご乱心~」









さて、リペアセンター内、クノンの待機室。
暫らく部屋の扉の前で逡巡していたアルディラだったが、意を決し中に入室、突如やって来たことに驚きの表情を作るクノンに向き合っている。

「……何か、御用でしょうか?」

「いえ、用というほどでもないんだけど……」

「でしたら、私は作業がありますので……」

「あっ……」

煮え切らないアルディラに顔を背け、クノンは横を通り過ぎようとする。
感情的なことを聞き出すことに慣れていないアルディラのこのような姿は予測出来た。それはしょうがあるまいと思う。慣れていようがいまいが、他者の心の内を聞くことばっかりは何時だって勇気がいることだ。彼女の態度を攻めることなんて出来やしない。

アルディラには悪いが考えられた範疇だった。予てから計算済みだったクノンの逃走経路に立ちふさがり部屋から出すまいとする。
最後まで付き合ってもらうぞクノン。ここで言いたいことを言ってしまえ。

「―――――ぁ」

と、自分の前方に現れた俺に対し、クノンが目を見開いて固まった。
何だ、この反応? 俺クノンをビビらせるようなことをしたのか? 首を傾ける中、クノンは呆然と動きを止めてしまっていた。

「―――――――」

そして次には視線が俺から離れ、動こうとしていた隣のアティさんに向かう。
そこでクノンは今までの表情を崩し、眉を一杯に寄せて苦渋の面立ちを作る。ともすれば、それは今にも泣き出してしまいそうな悲痛そうな表情と相違がなく映る。
何故そんな顔をするのか。悲しみの色を浮かべるクノンに戸惑いを隠せない。
その場で立ち尽くし顔を伏せる彼女に、俺は困惑するばかりだった。

「クノン、待って。アルディラの話を……」

アティさんが俺の横を通ってクノンへと近づく。
あからさまにアルディラを避けている彼女に、話を聞くようにと言い寄ろうした。クノンへと手が伸ばされる。
瞬間、


「ッッ!!」


「―――っ!?」

「?!」

「なっ!?」

一閃。
差し伸ばされた手をクノンは勢いよく振り払った。
薙がれた腕にアティさんの手は弾き飛ばされ、彼女自身は瞠目する。アルディラと俺は言葉を失った。

「私に、触らないでっ!」

クノンの口から鮮烈な言葉が言い放たれる。
薙いだ腕のままの姿勢で、眉は吊り上げられ双眸は険しい漆黒を湛えている。
明確な意思表示。それらが伝えてくるのは間違いなく、拒絶だった。

「……ク、クノン?」

「来ないでっ!!」

呆然としていたアティさんが再度動きを見せようとすると、クノンは声を張り上げ彼女を抑止する。
アティさんは踏み出そうとしていた足を留め、その場に縫い止めた。室内に驚愕と緊張が充満する。一人の少女の爆発が、場に混乱を引き起こしていた。

「何で!? 如何して!? 何故いつも貴方がそこにいるのですか!!?」

「えっ……?」

「如何して貴方なのですか!? 如何して貴方ばっかり……っ!!」

普段の感情に薄い表情はそこにはない。今浮かび上がっているのは完全な憤激だ。言葉に付加される怒りの色は声量に比例して、その濃度を深めていく。
睨みの矛は依然アティさんを貫いたまま。その瞳の上を塗り固めれているのは……

(……嫉妬?)

「私にはないものを持っていてっ、何時だって貴方はっ……!!」

「ク、ノン……?」

「ずるいっ、ずるいずるいずるいずるいずるいずるいっ!! ずるいですっ!!」

癇癪を起こした子供のようにずるいと繰り返すクノン。もはや彼女の顔は怒りを通り越して悲しみの色すら窺える。
憤怒と悲愴で顔が痛々しいほどに歪められていった。
そして、


「ずっ、るいっ……!!!」


喉から喘ぐようにして吐き出された言葉と共に、


「!!?」


彼女の身体から電流が迸った。


「クノン!?」

「放電!? そんなっ……や、止めなさい、クノン!!?」

空間に蒼電が走り抜ける。
帯電を引き起こした大気とクノンから間断なく放出される電流が衝突し合い、激しいスパークを巻き起こした。

培われた危機察知が頭に警告を告げる――――臨界ダ、と。
そして、視界にアティさんの予備動作を確認。判断を介さず疾駆する。

「クノンッ!!」

「馬鹿ッ!」

クノンに駆け寄ろうとするアティさんへ、半ば体当たりするようにして飛びついた。
彼女の腹の側面に片腕を絡めるようにして突進。踏み切った歩に加え、次の歩を床に食い込ませ、全力で踏み抜く。
滑空するように、部屋の隅へと跳んだ。


「スクリプト・オンッッ!!!」


次いで、号令。身を床に打ちつけると同時にアルディラの魔障壁が展開され―――




「う、あ、ぁぁああああああああああAAAAaaAaAAAAAaAAAAAAッッ!!!!?」




―――電撃の悲鳴が、爆散した。















「まさか、こんなことになるとはね……」

「…………」

部屋に設けられた椅子に腰を沈めているアルディラが重々しく呟く。
放電現象、もはや暴走といって差し違いないそれを引き起こしたクノンは、部屋に破壊の爪跡を残した後床に倒れ込んだ。
すぐさま救急治療室に運ばれ治療を施され、今はアティさんが付き添っている。

事の成り行きから、彼女達二人だけにするのは危険だと感じ反対したのだが、今回の事故に自分が関わっているのなら尚一層引くことは出来ないと言うアティさんを俺は説得することは出来なかった。
強い眼差しをする彼女に何を言っても無駄だと悟り、クノンと二人っきりで話をしたいという意見を汲んだ。勿論、何かあったら速攻で駆け込む所存だが。


「クノンは平気なの?」

「ボディの方は放電の余波を被っているけど、大したことはないわ。……問題は、中身。クノンの中枢ともいえる思考回路」

先程の暴走を抜きにしても、クノンの回路は何度も焼き焦げた跡があったらしい。
異常な過負荷のかかった回路は完全に焼き切れる寸前で、今回の様な事が同じくして起これば、クノンは……。
アルディラはそこで言葉を切り、大きく息を吐く。彼女自身、今回の事故に相当参っているようだった。

「解らない……如何してクノンが暴走してしまったのか、回路があんなぼろぼろになるまで苦しんでいたのか……まるで解らない」

「…………」

俺のせい、なのだろう。
クノンに「彼女」のような在り方を知って欲しいと思い、色々なことを考えろと言ったせいなのだろう。
胸を焼き焦がしながら、彼女はずっと感情を理解しようと考え続けていたのだろう。

…………俺が、引き起こしたのか。

目を瞑り疼きを上げる胸を鎮める。
よせ。後悔と非難は後でも出来る。その時がきたら傲慢と無責任なお前を何時だって罵ってやる。だから、今はよせ。
今は、彼女のことだけを考えろ。

「……僕さ、クノンに感謝の意味を考えろって言ったんだ。如何して私に礼を言うのか解らない、っていうクノンに」

「……あの娘が、そう言ったの?」

「ああ」

確かに伝えた。
それだけではなく、話をすることで色々な表情を出させた。言葉を交わすことで、様々な感情に触れてもらおうとした。
クノンに、「クノン」の笑顔を知ってもらいたかったから。


「レックス」に「クノン」は聞いてきた。何故笑うのか、と。如何したら嬉しいと感じるのか、と。
「俺」は曖昧で複雑過ぎる問いに頭を悩ませながらも答えてやった。嬉しいから、と。嬉しいにも色々な形があるのだ、と。

「クノン」はそれに真摯に受け止め、そして今回までいかなくても感情を爆発させた。機械である自分には「俺」と同じようなことは出来ない。「アルディラ」と一緒に嬉しいと感じることは出来ないと。
それを聞き届けた「俺」は「クノン」を「アルディラ」の元に送って想いをぶちまけてもらった。「アルディラ」も理解し、互いの言葉を交し合うことで元の鞘へ収まったのだ。そして「クノン」は笑みを湛えるようになった。

今回の件、クノンが何に苦しんでいるのか俺は大体解ってる。アルディラのことと、あとは多分俺が考えろと言った感謝の意味。アティさんもクノンに尋ねられたそうだ。「レックス」と同じ問いを。
だがら恐らく、クノンは俺の言葉とアティさんの言葉、その二つの意味を考えることによって、「彼女」とは違う経過を辿ってしまっている。アティさんに向けられた嫉妬の色もアルディラの件についてだろう。アティさんがアルディラと一緒に嬉しいと感じられることに対し、クノンは妬んでいる。つまり、そういうことだ。

人事のようにクノンのことを述べている自分に嫌気が差す。でもこうして努めて客観的にならなければ、胸に燻る火種が爆発してしまいそうだった。感情的になって、自分を抑えられなくなってしまう。
それだけはまずい。アルディラのいる前で取り乱したり、動揺を窺わせては、彼女が本当に参ってしまう。これ以上負担は掛けたくない。

……やはり、柄ではなかったということか。他人の為に世話を焼く、ということは。背中を押す、ということは。
役者不足、か。


「だからさ、知恵熱じゃないかな、って思うんだ。クノンが苦しんでた理由も、あんな風になちゃったのも」

だが、落ちぶれてなんかいられない。
事を起こした自分は、最後まで見届け蹴りをつけるべきだ。腐ってなんか、いられないのだ。

「そんな……。クノンが?」

「普通じゃあり得ないのかもしれない。でも、発想を変えるっていうのも必要なんじゃないかな」

「みんな」のことを覚えている。「みんな」の笑顔がどれだけ掛替えのないモノか、今だったらはっきりと言える。
だから、みんなの力になる。助けになる。傷付かせない。悲しませない。笑顔でいて欲しい。
そう決めた。当然クノンもだ。

「先生が言ってた。アルディラに笑顔を浮かべてもらうには如何したらいいか、クノンから相談を受けてたって」

「うそ……」

そうだ。最後までどうとかじゃない。
やると決めたのだ。力不足だろうがなんだろうが、最善を、いや最高を尽くす。

「クノン、きっと変わろうとしてるんだと思う。だから苦しんでるだって、僕はそう思う」

自分の出来ることと出来ないことは弁えてる。俺は完璧な人間じゃない。
それでも、やるんだ。やると誓った心に嘘をつく訳にはいかない。自分の想いに背くことは絶対にしない。みんなの笑顔を、守るとそう決めた。
お人好しで心優しい彼女のように。夢物語ばっか言って、そしてそれを信じて疑わないあの人のように。愚かだろうがなんだろうが、突っ走る。
ああ、腐ってなんかいられない。ただただ、突っ走る。

「一回さ、クノンと話してみようよ、アルディラ。思ったこと、思ってること、全部ぶちまけよう。そうすれば、きっと元通りになる」

「…………」

いい加減立ち直ろう。
うじうじ言うのはそれこそ柄じゃない。開き直って、突っ走ろう。

あの娘にも―――アリーゼにも言われた。
それがきっと、「俺」なんだから。



「……可笑しいわね。貴方がそう言うと、不思議とそうなるように感じちゃうわ」

「はは、よく言われます」

「嘘をつきなさい、嘘を……」

疲弊に塗れた表情から一転、アルディラはほのかに口元を曲げる。
明るい、前向きな苦笑だ。少しは元気になってくれたか。

「行ってみるわ。あの娘の所に。色々話してみる」

「うん」

笑みを作りアルディラは席から立ち上がる。
これなら大丈夫。目の前の笑顔を見て、俺はそう思った。

「僕も付いてく――――」



だが、その考えを嘲笑うかのように、真紅に染まった警報が俺達に降り注いだ。



「――――――ッッ!!?」

待機室が耳をつんざかんばかりの音と、赤い警告灯の光で満たされる。
突然の事態。俺とアルディラは驚愕を身体に伝播させ、互いのを顔を言葉無くして見合わせた。

「ッ!!」

「アクセスッ!!」

そして、瞬時に行動を開始する。
俺は部屋から飛び出し救急治療室―――クノンとアティさんの元に駆け出し。
アルディラはその場に残りリペアセンターの管理制御部に接続、現在の情報を収集し更新する。
俺達の間で、何処で何が起こったのか思い当たる節は、もう一つしかなかった。

「くそっ!!」

何が起きた、何が起きてしまった、一体何が起こってしまった!?
焦燥が全身に巡り渡り、膨大な熱が発生する。それは身体を焦がしていき、肌から汗を噴き出させた。
眉間に皺を寄せ顔を盛大に歪める。「俺」の時とは、もはや事態が逸脱している。状況は最悪の一途を辿っているように思えてならない。
思考の歯車が致命的なズレを訴えてくるまま、俺は救急治療室に突貫した。


「クノン! 先生!」

クノンが運び込まれた部屋に脱兎の勢いで突っ込む。
自動ドアが開く速度さえももどかしいと感じつつ、開けられると同時に中へ。
足を踏み入れ、一瞬にして周りへ視線を走らせる。

「っ!!? ぁ…………せ、先生」

そして、俺の目に飛び込んできたものは、アティさんの見るも無残な―――


「ぅ、う、ううっ……」


―――ぶっすぶすに焼け焦げて、床に倒れ伏している姿であった。

健康に宜しくなさそうな煙がもっくもくと立ち昇り、天井の換気口へと吸い込まれていく。
白いマントの裾が、物が焼け焦げた特有の茶色と黒の色を伴ってボロボロになっていた。
………………。

「…………何やってるんですか?」

「く……クノンに、て、手を掴まれて、で、電流を……」

「あ、浴びせられましたっ…」とアティさんは身体を痙攣させながら続ける。
…………いや、俺の時も確かに浴びせられた記憶があるけど、こうまで酷いものじゃなかったような気がするんだが…。
エレキメDEATH食らった俺みたいにローストチキンになっている。……この人、実はクノンから恨みを買うようなことしたんじゃないのか?

「……えーっと、無事ですか?」

「ア、アンマリ……」

でしょうね。
深刻なダメージにマヒも被っているアティさんを俺はセイレーンで治療。
なんやねんコレ、と思いつつも魔力を捌いていった。


何とか動けるまで回復したアティさんを引き連れ廊下に出る。
此方とクノンの動きをモニターしているだろうアルディラに向かい指示を仰いだ。

「アルディラ、クノンは何処だ!?」

『ちょっと待って! …………第三区画を抜けた? ……あの娘、まさか!?』

スピーカーから悲鳴にも似た声が上がる。
嫌な予感が背筋を駆け抜けたが、それに構わず俺はアルディラに続きを促すように声を張り上げた。

「アルディラッ!」

『外に出て! あの娘は、クノンはスクラップ場に向かう気よ!!』 

「「っ!?」」

発せられた言葉の意にアティさんと共に戦慄し、しかしすぐに脇目も振らずその場から駆け出す。
極薄い青色で彩られた通路に足音をばら撒きながら出口を目指した。

「クノン、言ってました! 自分は壊れてしまったって! その解決する方法は解っていて、それが最善なんだって!!」

「ッ……!」

走りながらアティさんがクノンと交わした話の内容を叫ぶ。痛々し過ぎる言葉が俺の鼓膜を打った。
何故こんなことになってしまった? 俺がでしゃばったから? クノンに余計なお節介をしてしまったから? 彼女の信頼を裏切ってしまったから?
解らない。解る筈がない。他者の心の内など、何を思い何を感じたかなど全て把握し悟れる筈がない。
だが少なくとも、俺の行動がクノンを追い詰めることをしていたのは事実だ。
ウィルという因子が、彼女に破滅の選択を駆り立てたのは真実だ!!

死ね! マジで死ねっ!! 肥溜めに頭から突っ込んでくたばれ!! 糞に塗れて溺死しろっ!!

奥歯を一杯に噛み締めあらん限りに己を罵倒する。胸の内から迸って止まることを知らない自分への怨讐を身に叩きつけ、しかしそれをも疾走の糧へと変え趨走した。
俺の自己満足がクノンの心を蝕んでいたのは認める。俺の無責任な行動がクノンを傷付けたのは受け入れる。否定なんかしない。

だが、彼女の死そのものは絶対に認めない。

認めない、認める訳にはいかない。
解決策が自分を殺すこと? 自らを閉じることで全てを終わらせる? ざけんな。否定する。それだけは否定する。断固として取り合わない。
手段も方法も模索しないで、もがきもしないで、簡単に消滅を選ぶなんて馬鹿の極みだ。それだけは、はっきりと言ってのけてやる。

認めない。認める訳にはいかない。認めてしまってはいけない。
認めるなんて、もう御免だ。


―――安易に死へ走ることなんて、絶対に許容出来るか!!
















「…………」

眼前に広がる断崖。鉄と鋼で築き上げられた高層の崖。
遥か下。人口の谷底に群集となって広がるのは、変形し使い物にならなくなった鉄屑に、錆びれ動かなくなった同胞達だった。

「…………」

大幅な可視可能距離を持つ漆黒の瞳が、眼下の積み上げられた固まりの中で、ある一つの光景を捉える。
それはかろうじて原型を残した人型の腕だった。機械兵士のものか、或いは用途上設計された作業機械のものか。今となっては分からない。
装甲は破砕し五指を所々欠けさせた腕が、此方を仰ぐようにして鉄屑の群れから半ばその貌を覗かせていた。

「…………」

何かを掴もうとしているその腕は、自分に向かって突き出されており、まるでこっちに来いと呼び掛けているようだった。
お前の相応しい場所は此処だと。来るべきは、壊れた道具が身を寄せ合うこの墓場なのだと。そう語りかけてくる。

「……解っています」

壊れてしまった自分が迎えるべき末路はこの場だと、クノンは招き誘う鉄の腕に応答する。
表情に変化はない。感情の薄い相貌で漠然とその認識を言葉にする。

「申し訳ありません、アティ様……」

狼藉を働いた自分を、許されざる感情を抱いてしまったことを、クノンは非を以って詫びる。
過ぎた真似をしてしまった自分に対し、罪悪感を抱きそして恥を感じる。ともすれば、溢れ出てしまいそうな激情、理不尽だと叫ぶ声、それらを抑え込んで、ただ彼女に謝罪をした。

「お許しください、アルディラ様……」

命令に背き勝手に動くことを、満足に力になれなかった自分を、クノンは顔を俯かせながら許しを請う。
おぞましいバグを抱え、暴走を来たしてしまった。主人の手を煩わせ、そして多大な迷惑を掛けてしまった。なんという、粗悪なことか。

こうなる以前から、きっと自分は致命的な欠落を抱いていた欠陥品だったのだ。忠実たる道具には成り得なかったのだ。
証拠に、主人である彼女にさえ如何する事も出来ない思考を抱いてしまった。冷酷で残酷な思考が発生してしまっていた。
傍に控えることは、もう出来ない。

「……………………」

壊れてしまった自分に何が残るのか。
破棄を目前にした自分には何が残されるのか。

ふと発生した問いかけ、しかしそれに半ば確信を持ちクノンは目を瞑る。
自分に残されるのはこうなってしまった原因、何時の間にか摩り替わっていた、見たいと思った一つの笑顔。
求めて已まなかった、自分に向けられた笑顔――――



「「「クノンッ!!」」」



「―――!?」


回想を打ち消した叫びに、クノンは振り返る。
視覚機能が映し出したのは、謝罪を送り、赦免を求め、そして心が望んだ、それぞれの人達だった。





(間に合った!?)

スクラップ場に到着し、クノンの姿を確認すると同時にウィルは一先ずの安堵を得る。
だが、まだ緊張を解くことは出来ない。クノンが立つ場所はスクラップが集められた廃棄施設の目と鼻の先。動きを許せば彼女は奈落の底へと身を置くことになってしまう。
絶対阻止。ウィルは拳を握り締めそれを自身に刻む。

「何を考えているの、クノンッ! 早く其処から戻りなさい!!」

「聞けませんっ!」

「なっ!?」

アルディラの張り上げられた指示を、クノンははっきりと却下。
明確に告げられたクノンの言葉に、アルディラは目を見張って唖然とする。今までどんな時だろうとアルディラの指示に従ってきた少女が、はっきりと拒絶を示しあげた。

「これ以上アルディラ様の傍には居られません。取り返しの、付かないことになってしまう……」

眉尻を下げ言葉を口にするクノンは愴然とした雰囲気を漂わせている。
自らが破壊されることも辞さない覚悟がそこから滲み出ていた。

「落ち着いて、クノン! そんなことしたってっ……」

「近付かないで!!」

「!」

威嚇するかのようにクノンの体から電流が放出する。
鉄板で構築された足場を電気の束がのたうち回った。

「もう来ないでください。じゃないと、私は……」

「……クノン?」

「……貴方を、殺してしまう」

「「なっ……」」

伏せがちになった目で視線を合わせようとせず、クノンをその宣告を場に落とした。
アティとアルディラが言葉を失う。少女が曝け出したその真意に、少なからずショックを隠せないようだった。

(クノンの元まで約三十メートル。一瞬で詰められる距離じゃない)

一方で、ウィルは淡々と状況把握に努める。
「レックス」の際に「少女」の口から聞いたのと変わらぬ秘め事、予想された言葉だった。
何も思わないと言えば間違いなく嘘になるが、それでも彼の強靭な精神は動じることをよしとせず、ただひたすら冷静であれと体に言い聞かせていた。

「抑えられないのです、もうこれ以上は……。この胸に巣食っている思考をっ……」

クノンの独白に耳を傾けながらも思考を全開で展開させる。
断崖絶壁を背にしたクノンをどうやって安全域に引きずり出すか。あの場からバランスを崩したその時点でアウト。万事を尽くさなければならない。

「自身を制御することが適わないっ…………如何にかなってしまいそうなんです!!」

目眩ましからの気配遮断に独断先行?
却下。クノンは看護人形(フラーゼン)、気配を絶った所で熱源を感知される。近距離ならまだしもこの間隔では相手に悟られる方が遥かに早い。察知されずに肉薄するのは到底不可。

ユニット召喚による奇襲?
却下。上案と同じ。高速召喚を用いた所で魔力の流動に気付かれる。ユニット召喚獣が接近するまでのタイムラグは覆せない。

「貴方がっ、憎らしい! 嫉ましいッ!! アルディラ様と嬉しいと感じることが出来る、貴方がっ……!!」

手段は選べない、ならばクノンの撃墜からの回収? 機能停止に追いやり無理やり引き摺り下ろす?
愚の骨頂。バランスを崩した時点で終わりと推論したのは一体誰か。あの手摺りも囲いもない場上の条件下、攻撃を加えようものなら最悪の結末を迎えるのは想像に難しくない。
手段、方法は皆無。考案は全壊。この状況を脱する策を、構築することが出来ない。

「私が望むものを何時だって手にしている貴方がっ、羨ましい……っ!!」

冷静を帯びていた仮面が一片一片と剥がれ落ちていく。刻一刻と時間が失われていく中、不落を誇っていたウィルの思考にノイズが走り出していた。
焦りと苛立ち。打開の一手を見出せない自身を不安定な感情の波がその巨躯をもって揺さぶってきた。鼓動が早まり、その急いた生々しい音に身も心も飲み込まれかける。

(……ッ!!)

乱れかけた呼吸を律する。
無様な体たらく。だがウィル自身、この異常ともいえる動揺の原因には察しがついていた。

恐れている。自分は、「ヴァルゼルド」を失ってしまった「この場所」で、今度はクノンを失ってしまうのではないかと恐れている。
失われた「機兵」の姿を、今は泣き出してしまいそうな少女のそれに重ね、幻視してしまっている。
そのような事あってたまるか。そう否定はすれど、今の自分を何も出来ないでいる。この状況に立ち尽くすのみだ。

失わせない。失ってはいけない。失ってなるものか。
過ちを繰り返さない。繰り返してはいけない。

―――「機兵」の消滅を認めてしまったあの「時」を、繰り返す訳にはいかないのだ。

それだけはウィルは許容しない。
少女の死を、関わってきた者達の如何なる死も、「彼」は決して許容することを許さない。


「私の一番欲しいものを持っている貴方が、許せないんです!!」


だが、その想いは枷となってウィル自身を束縛する。確かな重しとなりウィルの思考と決断を阻害する。
本来の能力を失わせた思考と早る想いだけが空回りしていた。

――――打つ手がない

その事実が導かれ身に叩きつけられる。
ウィルの脳裏に、最悪の一瞬が駆け過ぎった。



「なら、その想いを私にぶつけてください」



「――――――――」

息をするのも忘れたウィルの元に、凛とした声が投じられる。
それは揺れ動くことのない意思だった。この状況を前にして、迷いも躊躇いも寄せ付けない不動の意志だった。
何にも屈することなく、目の前の災難を打ち砕こうとしている。

「な、に、をっ……?」

「私は、貴方のことを止めてみせます」

顔を上げる。
瞳に映ったのは前だけを見据える蒼の双眸。内に秘める意志には一点の曇りもない。

「やめてっ……! 来ないでください!? 私は貴方を、傷付けたくっ……!?」


「貴方が消えてしまうのを黙って見過ごすなんて、私は絶対に認めないっ!!」


「―――――――――ぁ」

その声は、果たして彼女だけのモノだったか。
毅然としたその姿に言葉を無くし、そして胸の奥で控える心に火が灯るのが分かった。

「う、あ、あ……っ!!?」

「私を止めたいのなら、クノンッ、貴方も本気でぶつかってください!!」

手段じゃない。方法じゃない。理屈じゃない。
クノンをこの場に繋ぎ止めているのは、言葉の意志と真直の想いだった。

(マジかよっ……!?)

顔の筋肉が引き攣り、不細工な笑みが止められない。
心を満たしてくる激励に全身が熱くて堪らなくなる。自分が至らなかった事柄を、こうも簡単に為し遂げる彼女は何なのか。

(なんだ、それっ……!!)

理不尽だと思う。奇麗事ばかり並べて、全てそうなるようにしてしまう彼女の在り方を。
クノンの言うように、確かにズルイと思う。

(カッコ良過ぎるだろ、畜生ッ……!!)

そしてそれが、何よりも眩しいと思った。


「うぁああああああああああっ!!?」

クノンから溢れ出た叫びと共に周囲からロレイラルの召喚獣が姿を見せる。
彼女を守るようにして陣を引き、ウィル達に立ちふさがった。

「ッッ!!」

そうだ。何を尻込みしている。彼女を見習え。ただ愚直に突き進め。
遠慮なんてするな。お前はお前のやり方で好き放題に引っ掻き回せ。ビビるな。臆するな。前進を、躊躇うな。

(絶対に繰り返すなッ!!!)

らしくない。ああ、全く以ってらしくなない。
さっき言ったばかりだろう。柄じゃないと。自分は自分で在るがままでいい。
開き直って、突っ走れ。

「召喚ッ!!」

「過去」に縛られるな。「前」を見ろ。「前」だけを見据えろ。
「機兵」の結末を、視界に映る光景と重ねるな。今泣いている、目の前の少女―――クノンだけと向き合え。
最悪など、寄せ付けず、振り払ってみせろ。


「蹴散らせ、ヴァルゼルドッッ!!!」

『イエス、マスター!!』



従者の機兵と共に、「過去」を打ち砕け。






















クノン

クラス 機械人形 〈武器〉 突×槍 〈防具〉 装甲

Lv13  HP142 MP135 AT70 DF57 MAT61 MDF57 TEC61 LUC50 MOV3 ↑3 ↓3 召喚数1

機C   特殊能力 スペシャルボディ 充電 放電

武器:マギスピア AT66 MAT15

防具:メモワール43 DF43

アクセサリ:empty


10話前のクノンのパラメーター。
注射マスターの異名を持つ白衣の看護婦さん。切り傷、打ち身、たんこぶなどの怪我においてもニードルを一閃させる猛者。静脈の位置など確認するまでもなく打てるらしい。何でもその生物の血脈は一目で掌握出来るだとか。心眼ならぬ、針眼の持ち主。道違えて格闘家に転職しようものなら普通に殺人拳生み出してしまいそうな勢いである。貴方は顰蹙を買いつつも健気で優しい注射マスターでいてください。

レベルが低いため、各能力は他の者達と比べて若干見劣りする。現時点では可もなければ不可もない状態。全体的にバランスよく能力値が振り分けられている。槍及び装甲の特性上、ATとTEC中心に育てるのが無難か。しかしDF自体基本値が高くないので装甲に頼り過ぎるのもアレかもしれない。ていうか装甲女性専用のヤツ多過ぎる。これは、ヴァルゼルドではなく彼女を使えいいから使え使えって言ってんだろ使えよっ、という遠回しな意思表示だと思うのだが……どうだろうか?(謎

何気に現時点で「放電」を覚えている。先生の行動に何か原因があると思われ。巷で噂になっているフラグブレイカー(ノウブルファンタズムに至ってるらしい)の名は伊達じゃない。あらゆるフラグを破戒する天然。確立したフラグ的要素、フラグに関わる全てを“作られる前”に戻す究極の対フラグ萌具。最悪だ。夢なら覚めてくれ。

超兵器『インジェクス』とのコンビは、注射撲滅を訴えているウィル(レックス)には滅茶苦茶恐れられている。過去に奇襲も含め相当の数打たれたらしい。曰く「あの巨大注射に刺されたら果てる」だとか。然もあらん。




本編とは直接関係ないが、補完の意味合いを兼ねて「レックス」の歩んだ軌跡を公開。
今回は6~7話。


青空教室再開。委員長にアリーゼをおき、磐石の布陣で授業に臨む。ぶっちゃけ仮病使ってフケたかったが、木の陰にゲンジさんが控えているのでそれも儘ならない。ていうか計算とか基本知識なら教えられるんだからアンタも手伝えよ、と心の中で思っていたら授業終了後にキャメルクラッチを極められる。伝家の宝刀背骨折り、腰に続け背面部を殺られ白目むいて虫の息と化した。

今日も今日もで島に駆り出される。ジジイのように身体丸めてぶつぶつ文句垂れながら各集落へ。イモ畑でヘルモグラ討伐の任に就く。ハンマー持った瞬間背骨がイカレて真っ白に燃え尽きる。更にモグラからペンタ君も見舞われ爆死。抜剣。畑を焦土へと変える。怒られた。以後モグラに再戦を誓うようになる。「奴等との戦いは命懸けだ」とは本人談。
引き摺って持ってきた少年が目を覚ましたとの報を聞く。「で?」っていう感じだったのでシカトしようとしたが看護婦さんに注射器で脅され話し相手を任される。しょうがないので取り留めない話をするが、自分に対する相手の態度(以前の件でイスラ反感的)がかなり嫌味ったらしく相当気に食わなかったのでカイル直伝ジャーマン・スープレックスを放つ。イスラ激震フラグその1がたった。
五月蝿い、外でやれ、とメカニック・ウーマンに怒られリペアセンターを追われ、これもしょうがないのでイスラと一緒に島を放流。その後森が死んでる怪奇現象に遭遇。超絶に嫌な予感がしたので部屋に引き篭もる。無駄に終わる。

キュウマに呼び出され喚起の門へ。抜剣してくれと頼まれる。「するかよ馬鹿」と一言で切り捨てた。でも「剣」が勝手に抜剣。しかし二秒後には主導権を取り返す。ハイネルぶったまげる。これまで警告し続けて何も聞かなかったレックスに、少しは痛い目にあってもらおうと思ってただけにショックを隠せない。「普段は偉そうなことほざいてる癖にホント役立たないなオマエ」とのコメントを頂く。ハイネル破滅フラグその1がたった。
ヤッファ登場。キュウマとマジで殺り合う。レックス、ジルコーダの存在に速攻で気付き、殺し合い繰り広げる二人を放置し離脱。事無きを得る。後にヤッファから背後からの斬影拳の強襲を受けた。

ジルコーダ討伐に突入。「背骨から腰にかけてマジで死にそうなんで囮役させてくださいいやホントお願いします」と懇願する。しかし全員シカト。涙がホロリ。アリーゼの気遣いが嬉しくもあり虚しかった。
突入。しかし素でおじいちゃん歩きしか出来ないレックスは真面目に役立たず。「「「「「ダメだ、コイツ。早くなんとかしないと…」」」」」とアリーゼとファリエルを除く全員が心を一つに合わせる。献身的になりやすい少女二人以外は「キショいキショい」ほざいて何もしないゴミクズに殺意を立ち昇らせ、そして鬼人の如き強さを発揮。パーティー一同限界突破スキルを手に入れる。レックスのダメ度に比例して効果の度が上昇するスキル(レックスがシリアス入ると効果極薄い)。

何気に女性陣が危ない時だけ身を翻して進み、遂に女王とバトル。「いやアレ無理だろ…」と一目して背中を向け帰ろうとする赤いの。カイルに首襟掴まれ、忌々しき人間砲弾として射出される。ブチ硬い甲殻に激突、女王倒れる。その反動で近くにいたファルゼンが甚大な被害被る。中身ファリエルだと知ってるレックスはマジモードに突入。どうにか助け出し、追撃振り切り一時撤退。カイルを原型無くなるまで顔面ボコボコにし、みんなの顔色見てホントのホントにヤバイかもしれないと今更気付く(シリアス入ったのでみんな一気に消耗した)。「あーマジで俺なにもしてない」とアリーゼまでボロボロになっている姿見て思い、後ろめたさ1割あの腐れ蟲調子乗りやがってブチ殺すな殺意九割を胸に秘める。そして突貫。生来の薄さで居なくなったことを誰にも気付かせず、カイル達がレックスの姿を認めた時には零距離でドリルぶちかましていた。
火花を散らすドリル。巨頭ヘッドバッドかまされるレックス。迫った爆顔に素でビビりながらくたばり、「剣」で復活した時には「調子乗んな」と素でキレながら暴走召喚。ドリルを身体貫通させた後、上段からの兜割りを繰り出し完全粉砕させる。鮮やか過ぎる手並みに「アイツ一体何者なんだ…」と男性陣が呆れ驚き、余りのギャップの開きに「あの人どっちが本当なんだ…」と女性陣は顔を赤らめ照れ恥じる。何気に背中向けて佇むポーズが決まってた。取り敢えず、募った殺意と心配掛けた罰を兼ねて灸を据えた。主に前者が激し過ぎて灸とかいうレベルじゃなかった。然もあらん。

夜会話。鍋を食い漁っていると、一人寂しく佇んでいる鎧を発見。話聞く。幽霊少女が健気過ぎて泣きそうになる。真面目に力になると約束する。幽霊さんやっぱりいい人だと思う。着々と好感度が上がっていく。
取り敢えず鎧連れて馬鹿騒ぎ。話せないならせめて笑って貰おうと思い、宴から離れようとしていた忍者捕まえて腹踊りさせる。ここら辺で漢三人が本格的に団結する。爆笑の渦が巻き起こる。鎧引き連れていろんな所を回る内に交流が深まる。島のことをちょっといい所かもしんないと思い始める。
宴終わった後、酔っ払った身体引き摺って船に帰る。ていうか何でアリーゼ酒飲んでねん、と笑い上戸になった生徒背負いながら思う。「好きです」連呼されるがハイハイで流す。ベッドに寝かせた時に少女が見せた望郷の涙に、少しは真面目に頑張ろうかな思い始める。
何だかんだで色々な契機な一日だった。


起床。二日酔い。ヘタレ全開。酒臭い生徒と授業進めつつ、余りの頭の痛みにリペアセンターに薬貰いに行こうと決意。生徒引き連れリペアセンター進撃。しかし途中クノンに補給ドッグで遭遇する。これ幸いと「クノン先生クスリが欲しいです」と色々問題ある発言かます。「後にしてください」と炭鉱へ向かうクノンにばっさり言われる。凹む。アリーゼに慰められる。みじめ過ぎて泣ける。
頭痛いの耐えて子供達と遊んでいると、ジルコーダ残党発見の報が届く。すぐに部屋に戻ろうとしたが、クノンピンチに気付き炭鉱に爆進。蟲に群がれているクノンを見つけ速攻で抜剣。一人で蹴散らす。クノン驚愕と同時に顔を赤らめる。フラグたった。お詫びにとリペアセンターでクスリ貰いお茶貰い色々質問貰い、割と満ち足りた時間を過ごす。姉さんが茶に一服盛ったと気付いたのは寝台に寝かされドリルが迫ってきた後だった。助けにきたアリーゼが何よりもカッコよく見えた。

投与された毒が抜けきっていないのか、頭フラフラさせながら森を彷徨う。アリーゼとは逸れてしまった。耐え切れず、木の元に寄りかかって休む。暫らくして開眼。よく寝たと思ったら……視界にアレの姿が。「ごばぁっ!!?」と噴血。胃が突然の事態にパニクり酷いことになっていた。きっと夢だと祈って逝く。口内を占領する濃厚な鉄の味には気付かないフリをした。
アズリア、急に血を吐き倒れてしまった赤いのに戸惑い、どう対応するかで非常に悩む。厳格な軍人としてか、恋する乙女としてか。盛大に悩み(所用時間2秒)、介抱することを決断。膝枕。アズリア恥じ照れて赤面。レックス胃が捩れて青面。レックスのHPバーが急激に縮まっていくなか、アリーゼ登場。許容量を遥かに超えた映像に一瞬吐き気が込み上げふらつき、そして次には何かがキレ、目に涙を溜めながら大マジのキユピーフルスロー。何時ぞやのすてみタックルを沸騰させる光景だった。大絶叫を伴ったキユピーアローにすぐさまに気付いたアズリアは超人的な動作で回避。木を粉砕し叩き折った紫紺の弾丸に冷や汗を流した。再び合間見えた二人、当の本人死んでるけど突入する修羅場。言葉無いまま滅茶苦茶睨み合っていたが、轟音を聞きつけたカイル達と帝国軍が集結。その場は何とか収まった。背中を見せてアズリアが立ち退いていった後、彼女と赤いのの仲を勘繰り勘違いした恋する純粋少女の瞳からポロポロ涙が零れていった。

レックス覚醒。何があったと考え、悪夢を思い起こしその場からゴロゴロ転がりながら距離を取る。召喚しかけた「剣」を構えた先には足を崩したアリーゼの姿が。疑問符を浮かべながら取り敢えずどうなっているのかアリーゼに事情を聞く。彼女に膝枕をされていた事実に気付くことはなかった。
事情を話す中で、レックスへアズリアのことについて尋ねるアリーゼ。「話したくないというか話せないイヤ話しちゃったら胃が…」と胃って答えようとしない赤いのに、「お願いですから話してください」と泣きつく。泣き出したアリーゼに慌てふためいたレックスは渋々ながらアレとの関係を語り出した。胃薬を片手に持ちながら。
昼に見たアズリアの態度から赤いのが言う話を頑なに信じようとしなかったアリーゼだったが、顔色が激悪くなってきた教師の姿を見て信じざる得なくなった。念入りに女傑のことをどう思っているのか問い詰め、「宿敵通り越して害悪」の返答にやっと誤解だということを認知しほっと息をつく。胸のわだかまりが溶けていく一方で、本人に好意の欠片も気付いてもらっていないアズリアを哀れ過ぎるほど不憫だとも思った。そのまた一方でメモリーをフラッシュバックされた赤いのは瀕死状態に陥っていた。

翌朝。ドリームでもリアルでも悪夢再来したレックスは一睡も出来ず憔悴。食事も胃が何も受け付けてくれず、傍目でもアブナイ状態だった。元気付けようとした海賊達だったが、見計らったようにギャレオ参上。降服勧告並びに宣戦布告する。弱者やら言われたカイル達はブチ切れ決戦準備。赤いのは事切れかかって撤退準備。姿を暗まそうとするが結局阻まれ捕縛される。「もういいよ『剣』渡しましょうよテイウカ家帰シテ」、と腐れっぷりを全開にする赤いの。普段なら制裁をこれでもかと加えるカイル達だったが、余りのダメっぷりにもう何も言えなかった。しょうがない、ていうか戦える状態じゃないし絶対足手纏いになるのは明白だったのでレックスはただ一人残留組にして暁の丘に赴くことに。
出発の直前、ソノラが自室の隅で屈み凹んでいるレックスに声をかけ「先生の代わりにやっつけてくるから安心して!」と満面の笑顔で励ます。レックス、ちょっと救われる。同時に罪悪感も感じる。
それからソノラと入れ替わるようにしてアリーゼが入室。レックスの気持ちも解るけど本当にこれでいいのか、このままでいいのか、と尋ねられる。他人に強制されて戦って、そして今みたいに耐えきれなくなって逃げ出すのはカッコ悪いと言われる。アリーゼ的には今のレックスを見ているのは自分こそ耐えきれず、またアズリアにレックスが屈伏しているようで何か嫌だった。以前からも思っていた、もっとしっかりすれば文句なんかないの意も込めて、「自分の意思で剣を持って、自分の意志で戦ってください、先生」と言葉をレックスに落とす。一人しかいない部屋の中で、励ましに来てくれた少女の笑顔と生徒の言葉をレックスは暫らく反芻した。

最初から話し合いの場など設けず戦闘に突入するカイル達。凄まじい戦闘能力を発揮し数の差を覆す。負けじとアズリアの指揮のもと張り合っていた帝国軍だったが、そのアズリアがキュウマに忍び足からの一騎打ちを仕掛けられ、指示が滞り次第に押されていく。いける、と確信するカイル達。しかしそこに大砲からの集中砲火。戦況が一変。ビジュの策略により窮地に落とされる。
更なる砲弾の雨が放たれようとしたが、少女達に促され出撃し帝国軍の背後をとろうとしていたレックスがそれを阻止。瞬殺されるワカメ。大砲ぶんどる赤狸。始まった殺戮。吹っ飛んでいく兵士達。薙ぎ飛ばされるゴリラ。爆殺されるうんこ。少なからず巻き込まれるカイル達。構築される阿鼻叫喚の図。それでも一向に手を緩めない赤狸。ていうかアズリアを撃ち落とそうと必死だった。救いがなかった。
やがて、とうとう大砲の弾が尽きる。服焦がしながらそれでもノーダメージの女傑の姿。「本当に何者だアイツ…」と慄くレックス。脇目を振らずコチラに突進してくるアズリアに腹を括り、マジモードで激突。誰もが唖然とする超苛烈な剣戟を繰り広げる。「何でそれを常にやろうとしない…」とみなが心を一つに合わせる中、剣と剣で切り結ぶレックスとアズリア。昔を少し懐かしんだアズリアは自然口元を曲線に曲げ、それを獰猛な笑みと瞳に映したレックスは本当にイカれてやがるコイツと吐き気を催す。このままずっと続くのではないかと思われた剣舞だったが、放たれた紫電絶華をレックスが片手を犠牲に強引に受けとめ一撃、決着となった。乱れ突きの中に曝した腕は血塗れで原型を留めておらずスプラッタ、泣きだしたアリーゼに無茶しないでと強烈な突撃を喰らい赤狸悶絶。彼女の言ったことを実践してみせたので、感動の言葉を貰えるのではないかと少なからず期待していただけに結構悲しかった。他の仲間からは無差別砲撃の件でリンチを執行された。帝国軍には逃げられた。然もあらん。

夜会話。アリーゼと甲板にて。ジルコーダの件も合わせて無茶はしないで欲しいと言われる。本気になりつつ手段を選べとは難しいことを言うなと少し思案。まぁ女性のお願いだから無下にはすまいと努力はすると返答。約束してくださいとやや強い物言いされるが、「君を(この島に居る間は)ずっと守ってやりたいからこれで勘弁してくれ」と素で言う。一昨日涙を流すアリーゼの姿を顧みての発言だったが、当人には相当ズレた形で伝わった。真っ赤になって沈んだ生徒に疲労かと首を傾げながら、また背におんぶして部屋に運び寝かしつけた。色々面倒かけたからそりゃ疲れるかと苦笑。目を回して横になったアリーゼの頭を撫でながら、絶対守るからと零し笑みを浮かべた。知れずアリーゼの印象が大きく変わっていった。



[3907] サブシナリオ6
Name: さもない◆8608f9fe ID:94a36a62
Date: 2009/04/25 07:38
『一斉掃射ッッ(フルバースト)!!!』

ヴァルゼルドの銃筒が大音響と共に弾丸を吐き出していく。
広角度に展開された金属片が作業機械の群れに次々と突き刺さり、機能停止に陥れていった。

「ヴァルゼルド、機械達のコントロールを奪えないのか!」

「ミャミャ!!」

『不可能ですっ!!』

お前指揮官機だろっ!?と声を張り上げ尋ねるが、ヴァルゼルドはすぐにそれは無理だと言葉を返す。

「クノンが援軍を要請するのと平行してジャミングを作動させてる! 私からの命令も同胞達は受け付けないわ!!」

「めんどっ…!」

電波妨害。とことんやるつもりか、クノン。
胸を手で抑え、呼吸を荒げている彼女の姿を見やる。俯き加減に顔が伏せられ、その目元は窺い切れない。
クノンは何を思って、何と戦っているのか。

「タケシー!!」

だが、今それはいい。この人だって言ったんだ。ぶつかり合えばいいと。
想いをぶちまけるのと一緒だ。胸のつっかえが無くなるまで、思う存分やってやる。

『AF0B0XAA00000!!!?』

信号のような音声を振り撒いて作業機械達が足を折る。
炸裂したアティさんの召喚術が、前面にいる彼等を一挙に屠った。

「ミャミャッ!?」

『後方より敵援軍!! 更にクノン衛生兵の元に一部部隊が合流しました!』

「めんどっ!?」

「ラトリクス中の同胞達が集まってきている……?!」

「愛されてますねっ、貴方のとこの娘サン!?」

「当然でしょ!!」

馬鹿言ってんじゃないわよ!と若干切れぎみに怒鳴るアルディラ。
しかし身を挺して娘を守ろうとするそんな彼等を、姉さんは容赦なくドリル繰り出して粉砕していく。
何かが間違っている。

「ウィル君、アルディラ! 合わせてください! 道を開けます!!」

「合点!」

「任せて!!」

アティさんとアルディラが詠唱に入り、魔力を収束させていく。
でかい。高速召喚により所謂溜めを必要としない俺は、彼女達の発生させる召喚光を見て、それによる規模と破壊力の凄まじさを悟った。
はっきり言って俺は必要ないのではないかと思うほど。魔力量で劣っている俺の召喚術を、彼女達のそれは一回りも二回りも上回る。

「テコ、前に出て寄ってくる奴等弾け!」

「ミャーッ!!」

「ヴァルゼルドは後ろ、全部沈めろ!」

『了解!』

従者達にそれぞれ指示。
砲撃の範囲に相手が全員納まるように威嚇としてテコを押し出す。ヴァルゼルドには背後を突かれないように迎撃を命じた。

「……ヴァルゼルド」

『何でしょうか?』

今まさに後方へ向かおうとしていたヴァルゼルドを呼び止める。
まだ拭えない情緒がそうさせるのか。視線を向けないまま、背後にいるヴァルゼルドにそれを零した。

「消えるなよ」

『…………』

背にいる巨体は動く気配を出さず。その場に留まる。
やがて僅かな空白をおいて、背中の声はそれに返答した。

『自分は、貴方をおいて消えることはありません』

「…………」

『行ってきます!!』

勢いよく踏み出された従者の歩。
連続して鉄板に弾ける鋼鉄の音響を耳に引きながら、俺は顔を俯かせた。

「はっ……!」

肺から漏れ出たのは一呼吸。震動を伴ったそれには確かな嬉々が含まれている。
持ち上げた顔に吊り上げた口を刻み込む。不敵に歪め、尚笑みは深く。対の瞳には力強い眼光を宿した。

片腕を水平に突出、掌が納めるのは深緑の輝きを発するサモナイト石。
俺の感情に呼応するかのように魔力の粒子が猛々しく踊りあがった。


「「召喚!!」」


そして、彼女達の韻と共に――――身に余るこの激情を爆発させる!!!


「召喚・深淵の氷刃!!」

「黄泉の瞬き!!」

「ボルツテンペスト!!」



解き放たれた閃光の猛威は、轟音と共に眼前の全てを撃砕した。









然もないと サブシナリオ6 「ウィックス補完計画その6 ~乱れた振り子の修復作業~」









作業機械達は一様に吹き飛び後方の外壁に叩きつけられた。破損部分から電流の飛沫を覗かせ、戦闘不能は明らかとなる。
範囲内に配置されていた屑鉄と鉄箱は例外なく爆ぜ木っ端微塵。完全破壊を免れた障害物も炸裂した威力耐えられず、滑るようにして作業機械等と同じようにクノンの周囲へと押しやられた。
視界、彼女までの直線が何の隔たりもなく開ける。

「っ!?」

巻き起こった大爆発、更に押し寄せてくる種々雑多の金属群。胸を押さえていたクノンがそれらに顔を上げた。
それを視界へ捉えつつ、爆風に構うことなく前へ。身体全身で爆発の余韻を切り裂きながら突き進んでいく。

クノンの周囲にはヴァルゼルドの言った一部隊。
彼女を取り囲むようにして此方を睨みつけている。クノン親衛隊とでも呼べばいいのか。

「戻って来い、クノン!!」

「帰りましょう、クノン!!」

俺がクノンに呼び掛けるのと全く同時にアティさんが発声した。
被った声に俺とアティさんが「ん?」と顔を見合わせる。

「……ッ!!」

「ミャミャ!?」

「クノン?!」

クノンから魔力の渦が立ち昇った。
テコの悲鳴とアルディラの愕然とした声。それに反応しアティさんと一緒に視線を戻せば、クノンの手にはポーチ。
黒と白の色彩、アルディラの持つポーチと色違いでありおそろいのそれ。アルディラがクノンの為に作り上げた、二人の絆を表す品。
それが、柳眉を逆立てて顔を歪めているクノンの手に握り締められていた。

通常、召喚師ではないクノンは俺達と同様の執行過程を踏んでも召喚獣を使役することは適わない。魔力がないという訳ではない。ただ看護や治療といったケアを目的とされ作られた彼女は召喚術を扱う機能を有していないのだ。
しかし、今喚び起こされようとしている召喚獣だけは彼女にとって別だ。“あれ”だけはクノンも使役する権利は持ち合わせている。アルディラが共界線の知識を用いて作成し与えたポーチによって、執行へと至るまでの時間以外の要素―――召喚工程、術式構築、詠唱を必要とせずクノンは召喚術発動が可能となる。
過程を踏まずに発動にありつけるなど召喚師達が聞いたら憤慨しそうものだが、それも“あれ”のみしか召喚出来ないという制限があってこそ。あのポーチは召喚術を是とするものではなく、クノンに“あれ”の召喚を可能とさせる補助機器。
クノンは召喚術は執行出来ない。だが、“あれ”だけは使役出来るのだ。

まずい。
“あれ”は戦闘用というよりクノンと同じくした分類、後方支援を主とする臨機対応用の換装型機体。
クノンの為に作られたと言っても過言ではない程の召喚獣だ。というより、絶対狙っただろ、と突っ込まざる得ない程のハマリっぷり…!!
まずい。本当にマズイッ。……“あれ”は、マズ過ぎるッ!!?


「スクリプト・オン! ――――インジェクス!!」


ポーチから膨張するようにして発生した光の球体、そこから白亜の影が魔力と共に飛び出してきた。
白のフルメタルカラー。間接部へ主に振り分けられた金色の装甲が、陽光を反射して眩しいほどに輝いている。白銀と黄金で相俟ったその姿は優美の一言に尽き、その全容から連想されるのは騎士以外にあり得ない。
そして、何よりは、その右手に装着されている巨大なランス―――


『Je!!』


―――もとい、いくら何でもソレはないだろう、と言いたくなる程の超ぶっとい大型の注射器……。

「え…………え゛え゛っ!!!?」

「出たぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっ!!!?!?」

アティさんと俺の大絶叫が木霊する。
最凶最悪の超兵器『インジェクス』。その黄金の右から繰り出される注射ボンバーは一撃の元に対象を天へと召し上げる。その凄まじさ、破壊力、何より眼前に迫ってくる馬鹿デカイ注射器の恐怖は言葉では言い尽くせない。いや、はっきり言おう。失禁ものである。
ざけんなよ!? 何で貴様みたいな恐怖そのまんま体現したような召喚獣がいんだよ?! ていうか注射ヤメロッ注射ッ!! でか過ぎるよ!!? 超物騒だよ!!?


「レックス」の記憶が呼び起こされる。
注射を片手に持って追いかけてくる白衣の「看護婦さん」。注射ダメゼッタイを心情とする「俺」は、満面の笑みを浮かべて「レックス様、止まってください。いい加減にしないと実力行使に出ちゃいますよ?」とか何とか言いながらもう既に行使しちゃってる「少女K」から逃げ捲くる。
全力疾走で追っ手を振り切り「やった…!」と涙を流す「俺」、そこへ頭上から差し込む巨大な影、仰ぐ「俺」、注射ボンバーを構える機械騎士、凍結する「俺」、放たれたノット・パニッシャー、「はぶっ…!?」と奇声を上げる「拙者」、肉にずぶっと埋まる巨大針の感触、暗転する視界、「少女」の微笑、天国と地獄…………。
いやぁあああああああああああああああああああああああああっっ!!!!?!!??!?


「「注射コワイ注射コワイ注射コワイ……………………」」

「ちょっと!? こんな時に抜群のコンビプレイ見せないでよ!!?」

しゃがみ込んだ体勢で、頭を抱えながら全力で震え上がる俺とアティさん。勿論背を見せながら。
起源を元にしている為か、アティさんも俺と同じく注射は畏怖の的のようだ。小動物のようにガタガタと震え捲っている。俺もな。
あんな巨大注射反則デス!!?

「ッ…!! インジェクスッッ!!!」

『Je!!』

何か癇に障ったのか、クノンは一層声を荒げインジェクスの名を呼ぶ。
それに呼応するかのように、白亜の騎士はその身を翻した。

「「来たーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっ!!!?!?」」

「うっさい!?」

その突撃に俺とアティさんは悲鳴を上げる。
涙交じりでパニックに陥るアティさん。俺も俺で汗がダラダラと迸る。脚が震え後退すら適わない。
そして、騎士甲冑を纏った召喚獣が向かう先は…………俺達の元だった。

「きききききき来ちゃってますぅっ!!!?」

「う゛そ゛っ??!!」

突撃前傾から構え引かれる注射ボンバー。先端のピックがキラリと鋭い光を放った。

「ぐっ……!!? こうなったら、バリアアアアアッッ!!!!」

「!!?? ちょ、何やってっ、きゃあああああああああああああああああああああああ!!!!!!?」


ぶすっ


「はうっ!!!??」


ばたっ


ボンバーの真芯に捉えられ、アティさんは奇声を上げて大地に横たわった。
うつ伏せでピクリとも動かない。天に召された。

「そんなっ、先生っ…!? くっ、いい人だった……!!」

「貴方って人は……」

出もしない涙を袖で拭う。アルディラが憮然とした面持ちで視線を送ってくるが気にも留めない。
いい障壁だった。魔力対抗値が高い人はそのまま壁に使えるらしい。素晴らしい発見だ。メモメモ、と。

「先生の犠牲は絶対に無駄しねえ! ということで、クノン!! いい加減戻ってきなさい!!」

「貴方にいい加減にして欲しいと思うのは私だけかしら……?」

ビシッ!とクノンに指を向け高らかに宣言する俺。
アルディラの言葉は隔壁を展開し受け付けない。

「ウィ、ルッ……! っ……!!!」

顔全体が崩れた弱々しい表情。
しかし形が歪められた瞳には強い拒絶を貼り付けて、叫喚と同時に魔力を発散させた。

「ッッ……インジェクス!!」

本日二度目のインジェクスが召喚される。
白亜の騎士は苦しみの声を上げる主人を背にして出で立つ。金の装甲から成るランスを構え、頭部顔面、三つの縦状の隙間―――スリットから対の眼光を浮かび上がらせた。

「上等だ」

その決闘姿勢、見事。受けて立つ。
己の全身の二回り以上もでかい召喚獣を前にして、俺は一歩を踏み出す。
二度も……いや通算合わせて何度も辛酸を嘗めさせられてたまるか。蹴りをつけてやる。
片足を引いた体勢で半身。前にいる騎士だけを見据え打つ。
――――決闘(ショウブ)だ。

『Je!』

旋風を巻き上げ此方に突っ込んでくるインジェクス。巨体であるにも関わらず、その速度はさながら疾風だ。
このままでは間を置かず、奴のランスを俺は貫くだろう。予測される未来を前に、しかし視線は前方から背けない。彼方から生じた風が空間を打ち、金色の光が必殺だと言わんばかりに瞬いた。

「だが、ここで俺の罠カードが発動するぜ!!」

『Je?!』

嘘だがなっ!!


「俺のターン! 『闘・ナックルキティ』を召喚!!」


ノリで言った言葉に戸惑うインジェクスを尻目に、俺は召喚術を執行。
騎士の接近を上回る速度でナックルキティを喚び起こした。碧の魔力光を迸らせ、闘猫がファイティングポーズを構える。

「デュエルッ!!」

その宣言が一騎打ちの幕開けだ。
突撃してくるインジェクスに対し臆することなく、ナックルキティは地を駆けた。
騎士が繰り出す黄金の刺突。大気をも打ち抜いてきた巨撃。だが、闘猫はそれの側面に拳を添え流すことで回避、懐に潜り込んだ。
収斂。僅か一瞬で溜められるのは魔力と両拳、沈められた腰から放たれるのは力の超連撃だ。防ぐ手立ては存在しない。

「去ね」


『アアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!!!』


『Jeeeeeeeeeeeeee!!!!!??』

闘猫が哮けると同時、拳の幕が火蓋を切る。
音速で放たれる拳がインジェクスの装甲を砕き、貫き、破壊する。全長が相手の胸の位置にも満たない闘猫は、拳のみをもってして眼前の敵に後退を強制した。
騎士甲冑が一瞬の内に変形を来たし、完璧に粉砕された。

『Je……e……ッ!!?』

「インジェクス!?」

屑鉄や鉄箱が乱雑に積まれた一角、先程の爆撃の余波で押し寄せた機材も加わったそこに、インジェクスはその巨体を突っ込ませる。
鉄板で構成される足場を大いに震わせ、騎士は轟音と共に仰向けに崩れ落ちた。
やがて、インジェクスは呻き声を残し光に包まれ送還。同じくしてナックルキティもその後を辿る。

「インジェクス」は決して弱くない召喚獣だが、今回ばかりは相性が悪い。戦闘以外にも用途が考慮された万能型が、純戦闘特化の「ナックルキティ」に敵わないのは道理だろう。また中級召喚術の中でも「ナックルキティ」の威力は群を抜いている。悪いが、勝つ要素は皆無だ。
俺の中でも最強の手札、破られても困る。

『AXF00AAAAA!』

「!? ウィル、下がりなさい!!」

インジェクスが撃破されたのを契機に、作業機械達が一斉に前に出た。
「フロット」と呼ばれる浮遊機械達が、機体中心に設けられているセンサーを発光、射撃体勢に移行する。
打ち出されるのは電流の塊―――遠距離・招雷。アルディラがそれに気付き、遅れて魔障壁を展開しようと試みた。



「ずっと僕のターン」



だが、敵に猶予など与えない。


「「―――――ッ!!?」」

既に発動へと至っている召喚術にアルディラとクノンが目を見開く。
それに構うことなく執行を継続。再び『闘・ナックルキティ』がこの場に姿を現した。

「落ちろ」

作業機械達にナックルキティが疾走、拳を唸り上げる。拳弾の速射砲が次々に機械達を射抜いて宙に吹き飛ばしていった。
打ち上げられ、舞い狂い、墜落。地に叩き付けられ爆発する機体の群れ。唖然と佇むクノンの付近で爆炎の連鎖が発生した。

高速召喚。「この身体」になって以来、更に神懸っている超絶速度。迫られれば、敵の予備動作すら粉砕する。
『闘』の名が刻まれたコイツの使い勝手と反応速度は高速召喚と並べれば極悪だ。切ってしまえば先手迎撃追撃間隙全無効化してみせる反則カード。速攻を介して、蹴散らす。


炎の欠片が舞い踊る。
陽炎に揺らめく空間に闘猫の姿が浮かび上がり、やがて深緑の光粒を帯びて空へ散華した。





「…………!!」

全滅。
駆けつけた援軍が全機行動不能に陥れられた。
唯一の召喚対象のインジェクスも既に再起不能、この戦闘の内に喚び出すのはもう適わない。
事実上のチェックだった。

「クノン!」

「っ!?」

自分の名を呼ぶ声に、クノンは肩を震わせる。
視線の先にはウィルとアルディラの姿。もう幾分も距離は離れていない。近寄ろうと思えば時間を掛けずお互いの間隔を零に出来る。
自然、足が後ずさった。

「クノンッ、そこから動くな!!」

「……!」

険しい形相のウィルの言葉を聞き、首を僅かに捻る。視界に映るのは切り立った崖と、遥か下方に広がるスクラップの山だ。
一歩後退すればそのまま鉄屑の群れに身を激突させることになる。クノンはそこから動くことなく踏み止まり、目の向かう先を前に戻した。

「何故、来るのですか!?」

「行くに決まってるだろ! あんなんでハイソーデスカって引き下がれない!!」

「お願い、帰ってきてちょうだいっ、クノン!」

真誠に言葉を言い放ってくるウィルとアルディラに、クノンは自分の瞳が揺れていることに気付く。
視界が絶え間なく振るえていた。

「言ったではないですか!! 殺してっ、殺してしまうと!! 私はっ、アルディラ様達をっ、こ、ろ、しっ……!!」

最後の方は発音が適わず、途切れた言葉の連なりだけが落ちた。
クノン自身、己の身体を駆け巡るこの不安定なプログラム―――もしくはバグがなんなのか解らなかった。

「クノン、聞け! 君がそうなったのは多分恐らくいや間違いなく僕のせいですすいませんでしたあっ!!!」

そうだ。
自分は今視線の先で頭を下げている少年のせいでおかしくなった。
他にも思い当たる要素は数ほどある。だが、この胸から消えることのない不安定なバグは間違いなく少年が起因している。

「クノンに色々なことを知って貰いたかったから、だから僕は君に考えろって言った! 」

「はいっ、沢山思考を繰り返しました! でもっ……それを繰り返すほど、解らなくなりました!! 行動に対しての理由の中で、それに該当する明確で絶対的な答えなど、一つもないのです!!」

何故ならば、中枢制御部を占領したそのバグは、常に少年の姿振る舞い表情を映像として次々に立ち上げるから。
プロテクトが任意に弾き返そうが、削除しようが、何時まで経っても映像が消えることはない。色褪せることは、ない。

「それが感情って奴だ! 理由も理屈も全部抜き、漠然と思って感じる、それが感情ッ!! 共通した完璧な答えなんて何一つもない!」

「―――――ぇ」

「クノンは初めて抱く感情に戸惑ってるだけ!! 壊れてなんかない!!」

少年の、ウィルの瞳が真っ直ぐ此方を射定めてくる。
やはりだ。彼の行動一つ一つで胸のバグが活性化を催す。夥しい熱が発生し、回路を焼き焦がしていく。

「クノンは壊れてなんかない! もっぺん言うぞ! 君は壊れてなんかないっ!! もっぺん言いましょうか!? 貴方は壊れてなんかいません!!!」

「えっ、うっ、ぁ、で、もっ…………!!?」

「壊れてない、壊れてなんかない、だからクノンがいなくなる必要なんて何処にもない!! 例え壊れていたって、僕は君を認めてやる! 一緒に居てやる!! だから、消えんなッ!!!」

「――――――ぁ」

これだ。自分に向けられるこの眼差しだ。自分に向けられるこの言葉だ。
これらが全部バグを助長する。回路を引っ掻き回し、または狂い回していく。この無機質で冷たい胸をある一つの事柄で埋め尽くしていく。
今はない、自分に向けられる笑みが、何よりも胸に熱を抱かせる。

(……っ!?)

そして、やがてこの蓄積された熱は自分を焼くだけでなく、その伝導していく矛先を外部への人物にも向ける。向けてしまう―――アティ達に、だ。
熱ではなくなったそれは、そう、まるで水銀の結晶のように変化し胸へ残留する。バグは危険な思考を生み出し、発生した冷気はそれを実行する判断を押し進めようとする。信じられないような決断を迫ってくる。
如何することも出来ず、自分はそれに塗り潰されていくのだ。

「…………それでもっ、消えないのです!! アティ様を煩わしいと至る思考が! 消去を促す衝動が消えないのです!」

「…………!!」

「アルディラ様にさえっ……それを抱いてしまうのです!!」

「クノン……」

言った。言ってしまった。
知られたくなかった自分の思考。アティにも、アルディラにも、何より目の前の少年には知られたくなかった胸の内を。
はっきりと向かい合い、謳いあげてしまった。


「手遅れになる前に自ら消えようとすることは、いけないのでしょうか!?」


震えた叫びを吐露する。
―――異常を来たしたのは何時だったか。


「アルディラ様達を傷付けたくないから、だから破棄を選ぶのは傲慢ですか!? 傷付いて欲しくないと思う私の思考はっ、我侭なのでしょうか!?」


空間も、言い放った自分も打ち震える程の叫びを吐き出していく。
―――今ではもうよく思い出せなかった。


「ウィルッ、貴方は私に一体何をしたのですか!!?」


焦点がぼやけ、像をはっきりと捉えることが出来ない。
―――はっきりと自覚したのは魔蟲との戦闘後。本来の責務であった主人の献身を忘れ、少年の治療を優先させていた。


「痛いっ……!!」


胸を両手で握り締め、喘ぐようにして零す。
―――それからは何処までもおかしくなった。壊れていった。


「苦しいっ……!!」


堪らず、身体をくの字に折り曲げる。
―――彼を独り占めにするアティにも、彼と談笑を交わすアルディラにも、如何しようもない思念を、おぞましい悪意を抱き上げてしまった。


「貴方のことを考えると、胸がおかしくなってしまいそうなんですっ!!」


ナニカが瞳を覆い尽くし、情景の色彩があやふやな光へと変わっていく。
―――そうやって、気付いた時にはたった一つのことしか考えられなくなっていた。



「私は……っ、どうなってしまったのですかっ!!?」



やがてナニカは目元から溢れ、頬から伝い離れていった。
―――『彼の笑顔が見たい』









「クノンッ……!」

視線の先。胸を抑え、泣き乱れるクノンの姿。ウィルはそれを前にして、顔を苦渋に歪めそして噛み潰す。
彼女を不安にさせたのは己の所業、自分の行動の帰結が彼女を泣かせてしまった。
如何しようもない不甲斐無さ、同時に殺意を己に対し覚える。あのような悲しむ姿をさせない為に支えていくと誓ったのに。本末転倒もいい所だ。

彼女の信頼を裏切ってしまった。裏切られた不安で、彼女はああまでして胸を痛めている。
何たることか。自分がもっと彼女に気を掛けてやれば、このようなことには為らなかったというのにっ! 苦しめることはなかった筈なのにっ!! 泣かすことなんてッ……!!!


ばきっ


「………………はいっ?」

超自己嫌悪に苛まれている中。
ウィルの聴覚をナニカが折れたような音が叩いてきた。

特別大したような音ではない。腕が折れただとか背骨がイカれたとか、そんな生々しくおぞましい音ではなかった。
だが、無視出来ないような激烈な威圧感があった。まるで本能が「シカトこいたら救いのない結末迎えますよー」と言ってくるかのようだった。
ウィルは脳味噌プレーンが語りかけるまま、音源の方向に首を回転させる。



「…………何よ、本当に貴方のせいじゃない」



そこには、片手の握力のみで魔力合金使用の杖を真っ二つに折りなさった、アルディーラさんの姿が。


「!!? …………ア、アルディーラさまっ、いいっ、一体何をっ―――」

―――何を、そんな簡単に折っちゃってるんですか?
喉まで出掛かったその言葉をウィルはかろうじて飲み込んだ。それを言うのは憚れた。ていうか、言ったら地雷踏むような気がした。
ブンブン振り舞わして剣などと打ち合っても簡単に折れない魔法の杖が、見事ぽっきりてイッてしまうのは如何なる技なのか。
純粋な膂力? ああソウデスカ。ソウイウことですか。どんな化物ですかソレは。

「……ウィル」

「は、はいっ」

ゴゴゴゴゴゴゴッとかすごいBGM背負いながらアルディーラさんが口を開く。
底冷えするかのようで、更に腹の底から搾り出したような低音ボイスに、ウィルは後ろめたいことがない筈なのに冷や汗を後頭部に流していった。

「責任、取りなさいよ……?」

「…………えっ? あっ、ああ、うんっ、それは取る。クノンを変えた責任は、絶対に」

何を言われるかと思えば、それは以前から自分が決めていた内容。
緊張していただけに、ウィルはアルディラの言葉を聴いて少し拍子抜けした。自分の我侭でクノンを振り回したのだ、それの伴う責任は最初から言われなくとも担うつもりだった。

「…………ならいいわ」

鋭く険しい横目がウィルから外された。
一体何だったんだ、とウィルは依然心臓がバクバクいっている胸中で疑問を抱いた。

「クノン! 貴方のその感情は決して悪いものじゃないわ! いえ、本当は素晴らしいものなのよ!!」

「そうだ、クノン! 感情を持つというのは「黙りなさい」……ハイ」

アルディーラさんの援護射撃しようと思ったら逆に撃墜されてしまった。
何だこの仕打ち。別に自分おかしいことはしていないと思うのですが。
一声の元で切り伏せられた自分の発言に不備があったのかと、ウィルは背筋を震わせながら首を傾げこんだ。

「そのようなこと、信じられません!!」

「クノン、お願いっ! 今だけでいいから私を信じて頂戴! 私は貴方の主人として落ち度だらけだけど、今だけは信じて!! 怖いのは解ってる、でも、それ全てを貴方が否定してはいけないの!」

「……っ」

偽りの欠片も窺えないアルディラの言葉にクノンがたじろぐ。
依然涙を溜める瞳に、明らかな迷いの色が浮かび上がっていた。

「! そこから下がるな、クノンッ!!」

「!!」

上半身が後方へ開いたクノンにウィルは大声で警告する。戸惑いのせいか、無意識の内にクノンの身体は後退しようとしていた。
掛けられた声に、はっ、と身体を上下させたクノンは、後ろへ傾いていた足を前方に押しやる形で一歩踏み出す。
ウィルは脱力とも言える吐息。心臓に悪い。この状況は何とかならないものかと頭を痛ませた。

(……ん?)

思わず頭を抱えようとしたウィルだったが、その直前に目がある光景を捉える。
それは召喚術の一斉射撃を見舞われた作業機械。まだ機能を完全に停止していない一機だった。中心部のセンサーが赤色の点滅を繰り返している。
視界に入ったその光景が、やけに目を引いた。

(…………)

別段大したことのない光景。それの脅威は皆無。
理性は、そう判断する。

(…………――――――)

だが、直感はそれを否定した。

(―――――――――――)

それの、作業機械“自体”の脅威は皆無。
だが、それが迎えうるだろう事柄――――“その結果”に伴う事象は、最大級の暴威そのものだ。

理性の判断が本能に覆される。再検討を求められた解析は、今度こそ一つの可能性を認知した。
身体の奥から、熱が一気に膨れ上がる。

(―――――――――――ま、て)

張り詰められた糸、一線が今にギチギチと千切れていく感覚。
描かれた予測。それに現状が到達し得る可能性。全ての要素を考慮し、そして結論。

―――実現は可能。最悪は、成就される。

高速展開されていた思考はそれを慈悲なく叩き出した。
電流を絶え間なく吐き出す作業機械から勢いよく目を剥がし、ウィルはクノンに向かって口を開く。

「離れっ―――――」



『XF0AAA000…………!!?!?』



だが、少年の叫びは響き渡った断末魔に塗り潰された。


ドンッ、と鼓膜を震わせる確かな爆音が発生した。

「――――――――――」

「?」

「え?」

ウィル、アルディラ、クノン、三者三様にその爆発音に反応。視線を爆心地に向ける。
爆発があったのはクノンの近隣、そこはインジェクスが身を突っ込ませた廃棄資材の集まった一角。
音の源は、先程砲撃により吹き飛ばされた作業機械。今まで破壊を免れていた一機が、ボディの制御率が限界に達したのか、この瞬間耐えられなくなり炎上したのだ。
機体から上がった黒煙が、そのまま宙に浮かび拡散していく。



そして、それに続くように、オレンジ色の炎弁が凄まじい勢いで花開いた。



「ッッ!!!??」

咲き乱れた暴炎。
それは、容易くクノンを飲み乾した。







「―――――――――」

時が止まった。アルディラの視覚情報は更新されないまま、その動きを止める。
脳内に投影される光景。破裂粉砕した大量の鉄箱。迸った爆炎。紅蓮に姿を消した己の従者。
全てが、停止した。

(―――――――)

アルディラは理解する。
一度目の爆発。作業機体が炸裂し発生した火、それが飛び移り、鉄箱の群れ―――砲撃で吹き飛んだ機材、インジェクスの巨体に潰され半壊状態になった、恐らく火薬箱―――に引火したのだと。
二次爆発。何の偶然か、これまでの戦闘の過程により大規模爆破の舞台が整っていた。

(―――――――)

アルディラは理解する。
己の従者は、クノンは、爆発に巻き込まれ、地から足が離れているのだと。
爆炎により虚空へと追いられたのだと、現状を認識した。

(―――――――)

時が動き出し始める。
色彩を欠いていた世界がはっきりと色を取り戻し、万物の流れがゆっくりと、けれど確実に生じ出した。
炎が微細に揺らめき膨れ上がる。飛び散った幾片の破片が徐々に宙を貫いていく。細かな音が発生し、それは次第に震動を繰り返し、やがて轟音へと変わっていく。
自身を取り巻く事象の全動作が、加速していた脳内感覚を抜け出でて、そして瞬時に再生された。


「―――――――クノンッ!!!?」


視線の先には遥か空中へ押し出された従者の姿。
再開された世界の中で最初に知覚したのは、少女の名を呼ぶ自分の叫びであった。顔から血の気が一瞬にして引き、体温が同時に失われる。
遠い。余りにも遠過ぎる。絶望的なまでの差がアルディラとクノンの間には置かれている。
間に合わない。いや元より何も出来ない。突然の事態に明晰の頭脳は微動だにせず。事態を受け止め、かろうじてそれを認知するだけに留まっていた。
頭が、真っ白になった。

そして、落下体勢に陥った少女の姿が視界から消えていき、


「ミャミャッ!!?」

「んぶっ!!!?」


横から迫り激突した影によって、完全に見えなくなった。

「な、何っ!?」

「ミュミュ?!」

顔半分を覆ったソレをアルディラは瞬時に剥がす。
それは隣にいる筈の少年の従者、先程まで肩にとまっていたテコであった。
何故顔面を強襲されたのか。激変する現状況も相俟って、アルディラは瞬時にその疑問を氷解することは出来なかった。

「ミャミャーミャッ!!?」

「っ!!」

だが、手の中のテコが上げた叫び。更に向けられた視線の先。
それらに導かれるようにして、アルディラは何が起きているのか完璧に把握した。


「ウィル!!?」


少年が、深緑の弾丸となって、先の空間を貫いていた。







「――――――ッッ!!!」

走る。熱風と化した空気の流れを振り払い、ただ前へと疾走する。
風が翻る音。震動と共に刻まれる超速の鼓動。身体中を駆け巡る血流の早瀬に、狂ったように躍動する全筋肉。
感覚が伝えてくる全ての情報を意識外に追いやり、この瞬間は視覚が映す前方の光景のみを追随する。

「かっ……!」

事前察知。周囲の取り巻く全要素全て理解に至っていたウィルは、爆発と同時にスタート。巻き添えを被らせない為に、身を寄せていたテコを独断でアルディラの元へ投擲し、断崖絶壁に向かい突き進んでいた。

「すかっ…!!」

だが、瞬速の反応動作をもってしても彼方との距離は一挙に開いた。
爆風により生まれた長距離。既に落下を始めた少女の元へ行き着くには圧倒的に時間が不足している。今こうしている間にも少女は鋼鉄の墓場に吸い込まれているのだ。この条件下では肉薄すら適わない。

「やらすかっ……!!!」

よしんば彼女を捕まえることが出来たとして、その後は如何する。待ち受けている超高度からの破滅を、どう回避するのか。
発生する自己への問い。理性は頻りに目標の到達は不可能だと暗に訴えかけてきた。
―――だが、高速展開した思考は既に一つの手段を叩き出している。全能力駆使を絶対条件とした解を、既に模索し終えている。


「絶対にっ、やらせるかっ!!!!」


ならば、後は導き出された解へ疾駆するのみ。
伴う危険性を警告する理性を切り捨て、ウィルは迷いなく執行へと踏み切る。

「ヴァルゼルドッ!!」

手の内のサモナイト石より瞬光。一片の間も置かず、従者の機兵がウィルの進行上にその身を出現させた。
両者互いに向き合う形。疾走の勢いを緩めることのないウィルを前にして、突如呼び出されたヴァルゼルドは僅かな逡巡を見せた。

「投げろッ!!!」

『!!』

だが、次には主の思惑を理解する。
自分ではない先の光景のみを見据える眼に、放たれた強靭な意志の叫び。ヴァルゼルドはそれら要素だけで全て察し、主の望みを反映した。

『ッッ!!』

両手を組み上げ固定。体重は背の向こうに、姿勢を後傾にして反るような体勢を作り上げる。
今も地へと傾いていくそれは、弦を一杯に引き絞られる鋼鉄の弩砲だ。

「やれッ!!」

疾走の勢いそのままウィルは跳躍。指で編み込まれた両掌―――発射台に、片足を装填した。
ヴァルゼルドは後方に傾いていた身体を更に倒し、着手無しのブリッジ体勢に移行。頭から地面に激突することなど厭わず、「矢」―――ウィルの弾道を断崖の果てと直線上に仕立て上げる。
「矢」は前屈。投擲体勢に移り変わった弩砲に合わせ、装填位置で身を屈めた。

ヴァルゼルドの対の瞳が発光する。唸りを上げる人口筋肉を収縮させ、我という名の弩を撃発、そして弦を解き放した。



『ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!!!!』



轟砲と共に、「矢」は放たれた。


「ぐっ、っ……!!!」


視界が絶え間なく変動する。あらゆる光景が線の束と化す。
身体を打つ風圧に歯を噛み締めながら、ウィルは自らも風となって空間を走り抜けた。

「矢」は上向きの曲線、浅い弧を描いて断崖絶壁へと肉薄。その先へと、疾風する。
時間などという流れを要さず一瞬を介して切り岸を超えた。
視界が、一気に開けた。


「!!」


崖下。スクラップの山々が積み上げられている鋼鉄の墓場。それが視界を埋め尽くす。
そして、打ち錆びれた鉄の背景の中で、ウィルは彼女を見つけた。

「ッ!!」

空間を力なく落下。ピクリとも動かないまま、クノンは仰向けの状態で空を降り下っている。
蒼穹を見上げている彼女は、今何を思っているのか。

【―――ウィルのその行動は、私は嫌いではないと思います】

何時の日か目にした光景。それが映像となって脳に再生される。伴い、昂揚ともいえる熱が燃焼した。
激情が身を焦がす。立ち昇ってきた情動が喉に競り上がってきた。魂が叫喚を己に打ち据えてくる。
救う。救え。救い上げろ。目前に迫る破滅を乗り越え救済しろ。何に変えても、彼女の手を掴み取れ。
全身全霊を持って――――


【助けてくれて、ありがとう】


――――彼女の笑顔を取り戻せ!!!!



「ドリトルッッ!!!!」



弾速は衰えぬまま、ウィルはクノンの上方まで前進。
耳を切削する風音に劣ることのない召喚の韻を、空間へ構築した。

『Re!!』

眩い光を随伴し顕在したのは黄と銀のメタルカラー。尖状のパーツを頭部前方に纏った機界の召喚獣。
ドリトルを自分の進行方向上、クノンの直上へと召喚した。

ウィルは前方に現れたドリトルの片腕に手を伸ばし、掌握。
急停止による殺人的な衝撃が伴ったが、ドリトルの踏ん張りもあり、振り落とされることもなくその場に留まった。
反動により矮躯が空中を泳ぐ。だが、その深緑の双眸は外されることなく、眼下、少女の元のみに注がれている。
深緑が、猛き意志を宿した。


「いけええぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!!!!!!」


召喚師の咆哮を受け、鋼鉄の僕がその意志を聞き入れる。
デュアルセンサーが叫びに呼応するかのように燦爛と光発。可変、ウィルを捉えた腕はそのままに、その貌をドリルへと変形させた。
急降下。

「―――――――――――っっ!!!!!?」

鋼鉄の鎚は唸りをあげ、大気を穿ち突き進む。
推進剤は白熱の炎。後部の噴出口から熱線が迸り、垂直に落下を遂げた。
超加速。




「クノ―――――――――――――――――――――――――――――――――ンッッッ!!!!!!!!!!!!!!」




吠える。
飛びかける意識、だがそれを意志の力で繋ぎ止め、彼女の名を呼び吠える。
想いを乗せ、彼女だけを呼び求める。


「―――――――――――――ぁ」


薄く閉じられていた漆黒の瞳が、驚愕と共に見開かれた。
その目が映すのは瞬く間に大きくなっていく自分の姿。瞳に浮かぶその像は次第に揺れ動き、見る見る内にぼやけていった。

泣くな。泣かないでくれ。
自分勝手で無責任な言葉。だが彼女が笑ってくれるなら、どうでもいい。自分勝手にも無責任にも何だってなってやる。
だから、泣かないで欲しい。

未だ届かぬ彼女へと手を差し伸ばす。虚空を切り裂き、そして彼女をただ求める。


「…………っ!!」


僅かに持ち上げられた細い腕。だが何かに迷うようにして、中途半端な位置に押し止められる。
悲しみに歪んだ顔が、己の行動に対して禁忌の色を醸し出していた。瞳から零れた水滴が此方に向かい、頬に当たり砕け散った。

「関係、あるかっ!!」

「ぁ……!!」

迷いを振り切れない彼女の手、それを問答無用に取り上げる。
その小さな手を、掴み取った。

炎の尾を引く鏃は絶対であった距離を屠り、刹那の内に零へと変えた。互いを隔たる物はもう何も存在しない。
手を引いて彼女の身体を胸に収める。片手をその華奢な身体へと回し、あらん限りに掻き抱いた。

「ぅ、ぁぁ…………ッ!!」

押し殺したような声が、風が荒ぶるこの空間でもはっきりと耳に届く。
強張った身体から力が抜け、そして腕を自分の元へ回してきた。此方に応えるようにして、彼女の回された腕が強く抱き締め返してくる。
やっと、取り戻した。


「――――――――――――――っ」

クノンを得たことによる安堵か、意識の確立が揺らめいた。
ドリトルを送還する一方で、ウィルの瞳が急速に力を失っていく。
当然の帰結。ヴァルゼルドの投擲に、更にそこからの急停止と急速降下。
生身に降りかかった反動を生半端なものではなく、その小さな身体には余り過ぎる程の衝撃だった。

内臓を大いに揺さぶられ立ち込める嘔気。ともすれば身体がバラバラになってしまいそうな錯覚を受ける。
またドリトルに伴うことで加わった凶悪なG。一瞬視界が狭まった感覚を被った。酸素も吐き出してしまったせいか、現実がぶれて遠のいている。
未だ意識が健在していることの方が不思議であった。

(――――――――く、そ)

ウィルの焦点が乱れる。
意識を手放す訳にはいかない。もし手放してしまった暁には、そこで自分もクノンもスクッラプの山に身を衝突させることになる。助かる見込みなど存在し得ない。この冷たい墓場に、骨を沈めることになってしまう。
冗談ではない。死ぬなんてまっぴらご免である――――何より、彼女の死など絶対に認めない。

現実と闇の境界線。ウィルはその狭間を絶えず行き交い揺れ動く。
しかし、迫り来る鉄の残骸までもう幾分もない。彼はこの状況を打開する一手を打てないでいた。
風を切る音が鼓膜を通り過ぎていく。

「…………ウィ、ル」

「――――――」

か細い声。涙に濡れた声を、風の音を押し退けて鼓膜が掴み捉えた。
そうだ、何をやっている。腑抜けた振る舞いを演じるんじゃない。無様な様相など晒している暇など何処にもない。
彼女を助けるのは絶対。絶対が故に此処で失敗は許されない。他の誰でもない、ウィル・マルティーニが許容しない。
意志に合わせ腕が動き、腰に控える鉱石を手に納める。力一杯に、握り締めた。

「ありが、とう……」

「―――――――ッッ!!」

焦点が乱雑な点描を振り払った。瞳に輝きが戻る。
胸に押し付けられた顔。そこから伝わる雫の冷たさと確かな温もりを心奥に控え、それらを決意の後押しとする。
別れの言葉にさせるか。こんな所で終われない。
ウィルの意識が完璧に覚醒した。

「……!!」

秒を待たず突っ込む鉄塊の群れを認知。無骨な磐石が差し迫る。
普通通常であるならば途絶えた道、だがこちとら決して普通や通常といった言葉とは無縁な類。破滅を回避する術は、まだ生きている。

覆す。この残酷な時の流れを一瞬をもって覆す。
否、一瞬では遅い。瞬時瞬間瞬刻刹那ではまだ遅い。

零に肉薄しろ。
高速で、瞬速で足り得ないのならそれを超越しろ。
詠唱省略、召喚工程無視、魔力及び精神力相互融和既行。
―――術式のみを、限界を越え構築しろ。


――――――界を超えて、異世界の力を、召喚しろ!!!!





「――――――――――――――――――――――ッッッ!!!!!!!!!!!!!!!」





閃光と共に、重なり合った影が地表へと叩きつけられた。

















ぼよんっ


「………………え?」


ぼよん


「…………これ、は」

一瞬得たなだらかな浮遊感。
少年の胸の中で最後の時を待ち構えていたクノンは、思っても見なかった感触に呆然と声を漏らす。
緩やかな落下を受け、二三度それを繰り返した後に僅かに視線を巡らせば、そこに広がるのは鉄屑が入れ乱れる荒廃の光景ではなかった。

「召喚、獣……?」

少年と自分が下にしているのは、透いた緑に彩った液状の絨毯であった。一見粘液のようにも見えるそれは、横たわった身体にくすぐったい弾力を返してくる。
零れた呟きに反応するように、一部の緑がせり上がってくる。丸みを帯びたその輪郭にあるのは対の目と口。何処かユーモアさえあるそれは、紛れもなく顔形だった。自分の顔からそう遠く離れていない位置に現れたそれにぎょっとしながら、クノンは自分の推測が間違っていないことを悟る。


スライムポッド。普段は壷に身を控えているメイトルパの召喚獣。
その容貌とは裏腹に活用性は高く、多種多様の召喚方式を持つ。使役されたスライムポッドは己の身体を固め即席のクッションを形成。術者の叫喚に応え肉厚の形状で召喚を果たし、高速度で落下してきたクノン達をその軟性の身体で受け止めたのだ。


「……………………」

スクラップの山から一段高いクッションの上。
驚愕は抜けきらず、クノンは心を手放したかのように暫らくその場から動かなかった。目の前にある胸元だけを見詰め続ける。

「…………」

静謐な空間だった。空から降ってくる青が、向かい合い寝そべっているクノンと少年を包み込み、ただ時が流れていく。
知覚慣れた金属と錆びの刺激臭。その中に、一つだけ異なった香りが混じっていた。情報ではなく、言葉でそれをどう定義すればいいのかクノンは解らない。

だが、自分という主観を置くのなら。これはいい香りだと、クノンはそう思った。
顔をくすぐる森の匂い。クノンは額を目の前の胸にくっつけ、静かに目を閉じた。

「…………」

クノン達の高度が低くなっていく。スライムポッドが自分の身体を広げ、厚みを無くしていった。
やがて完全に周囲と同じ高さまでクノン達の位置を下げると、それから光の粒となって送還された。

肌に鉄の冷たい感触を浴び、それに促されるようにしてクノンは身じろぎする。
背中に回されて腕をゆっくり退けて、クノンは上体を持ち上げた。

「……私は」

膝を崩した状態でクノンは隣の人物を見下ろす。
自分を助け出した少年、ウィルが身動き一つとらず目を瞑って横たわっている。力尽きてしまい、今は目を覚ます気配は皆無だった。
落下の過程で帽子は吹き飛んでしまったのか、普段は露になっていない黒髪が周囲に流れている。

「アルディラ様と一緒に居てもよろしいのでしょうか……?」

呟きを落としながらクノンはウィルの片手をとる。
額を胸に押し当てた時に感じた緩やかな心臓の音が、腕を通してまた伝わってきた。
自分にはないものを埋めるように、クノンはその腕を胸に抱く。

「貴方と、一緒に居ても、よろしいのでしょうかっ……?」

声は再び震えて、瞳が水の揺らめきを取り戻す。
だが、これは先程のものとは違った。胸を刃で裂かれ目を瞑りたくなるような感覚ではない。何かに包まれたような、そうまるで、この少年が自分を抱いてくれた時のような、暖かさがある。自分の葛藤を関係ないと振り払い、掴み取ってくれた、温もりがある。

この空っぽの筈の胸を満たす何かが、この頬を伝う雫を溢れさしているのだ。
流れ落ちた雫に濡れる手を、クノンはより強く抱き締めた。


「クノン」

「……アルディラ様」

振り向き、濡れた瞳で背後のアルディラを映す。
彼女は苦笑混じりで、穏やかな顔つきをしてクノンを見詰めていた。

「アルディラ様…………私は……」

「……貴方に生きて欲しいと思うのは、私の我侭かしら?」

「…………う、ぁ」

視界が歪む。水で溢れかえった瞳が役に立たなくなる。
背中から優しく抱き留められた。雫が止め処なく瞳から零れていった。喉が咽び声の発音が適わなくなった。発音の適わない舌足らずの言葉で、それでも何度も謝った。そして、それに負けないくらい感謝の言葉を口にした。

理由ではなく。理屈でもなく。感情がそこにあるから礼を言う。ありがとう、の言葉を送る。
少年の言葉が、少しだけ分かったような気がした。

















帆の畳まれたマストが見えてきた。
森を抜けたクノンはその光景を確認しつつ、目的地へと歩を進める。

『安心なさい、クノン。貴方が抱いた感情は、女性だったら誰だって抱くものよ』

ラトリクス中を巻き込んだ事件から一夜。
東の空に太陽が身を留めている時間帯、クノンは一人カイル達の海賊船へ足を運んでいた。昨日の件で巻き込んでしまったウィルとアティに謝罪含め感謝を行うのが主な理由だ。
昨日はウィル含めアティはダウン状態。クノンもアルディラから今回の原因となった感情、そして“バグ”の講義を受けていた為に、一日送れての後始末ということになった。

『かくいう私も同じ経験をしているしね。貴方なんてまだ可愛い物よ? 私なんて実の妹だって解っているのに、あの娘へそういう感情抱いてしまったんだから』

苦笑交じりに、しかし楽しそうにアルディラが自分の経験談を話す姿を見て、とても胸が―――心が、和んだ。
どれだけ自分がアルディラの笑顔を望んでいたかよく解る。また同時にどれだけ自分が難しく考えていたのか、誰にも相談せず一人で解決しようと躍起になっていたのかが身をもって理解した。
あれは一人相撲だったのだろう。周囲の人達に一つでも打ち明けていたら、何か変わっていたのかもしれない。
少年の言う通り、自分は頭でっかちという奴なのかもしれない。

『まぁ、端的に言っちゃえば「嫉妬」ね。貴方の言うバグの正体は。勿論それだけじゃないけど、クノンが恐れてた感情はそれ』

人間や、感情を育む者達なら誰でも持つものだと聞いた時は驚きは隠せなかった。自分にさえ、あのアティさえそれはあるのだ、とアルディラがはっきり口にしていた。信じられないという思いも強かったが、『機械以上に感情っていうものは複雑なのよ』とアルディラが冗談のように言ったその言葉を聞いて、何となく胸に落ちた。
感情を自覚した今なら解る。確かに、これほど複雑で不明瞭な存在はないのかもしれない。


船から下ろされたと思われる積荷の横を通り過ぎていく。
用所ごとに区分けされた荷物の群れを抜け、やがて船の停泊場所へ辿り着いた。そしてすぐに、船外で食卓を囲っている海賊達、それにウィルとアティが視界に飛び込んできた。

「先生、いい加減機嫌直しましょうよ。朝っぱらからそれだと島全体の牛乳消費に大きく貢献しますよ?」

「どれだけ牛乳が好きなんですか私は!! 飲みませんよそんなっ!!!」

「今日はまた朝から激しいなあ、おい」

「昨日の夜に帰ってきてからこんな感じでしたね」

「で? ウィル、貴方今度は何したわけ?」

「身に覚えがあり過ぎて皆目見当がつかない」

「本当に最低だ!!?」

ウィルとアティが中心で騒ぎながら、何処か淡々とそして賑やかに朝食をとっている。
以前ならば眉を顰めて見ていた光景も、今ならば胸の内が不快一色ということになることはない。
だがやはり思うことはあるのか、あちらへ進む足は自ずと速くなる。

「ウィル君が私のことを無理矢理盾にしたことですよ! 本当に怖かった、というより本当に痛かったんですからっ!! 本当ですよ!!?」

「本当何回言ってるんですか。必死過ぎですよ」

「兎に角っ、ちゃんと謝ってくださいウィル君!!」

「僕は先生のあの勇姿、忘れませんよ」

「誰が褒め称えてくださいって言ったんですか!!? しかも勇姿とか絶対に思ってませんよね?!」

「いえ、そんなことはないですよ。間違いなくあれは傑作でした。ごちそうさま」

「貴方って人は「おはようございます、ウィル、アティ様」って、わあっ!!?」

「おおっ!?」

二人の背後から声をかける。隣の席に座る両者は互いに仰天しながら振り向いた。
カイル達は気付いていたのか、揃ってクノンに手を上げるなどして挨拶を交わす。

「クノン、やっほー」

「珍しいわね、貴方が此処に来るなんて。初めてじゃない?」

「何か御用ですか?」

「はい。ウィルとアティ様にご用件が」

身体を振り向けたウィルとアティは察しがついたのか、何も言わずに此方を待っている。
クノンはまずアティに向き直って腰を折った。

「申し訳ありません、アティ様。多大な迷惑を掛け、更にお怪我まで。本当に、申し訳ありませんでした……」

「いえ、気にしないでください。困った時はお互い様ですし。もう、クノンの悩み事は解決したんですよね?」

「はい」

「なら、それでいいじゃないですか。またこうしてクノンと話せて私も嬉しいです」

「……ありがとうございます」

柔らかな笑みを浮かべるアティに、クノンも笑みを作る。
此方のことを本当に喜んでくれる純粋な笑顔。自分はこの笑顔に憧れていたのだと、今ならはっきりと解る。
とても眩しい。自分も何時かこんな笑顔を出来るようになりたい。アティの笑顔を前にしながら、クノンは希望を胸に抱いた。

「ウィルも、本当にごめんなさい」

「いえいえ。……というより、僕が原因だからそこまでされると逆に後ろめたいというかなんというか…」

苦笑を浮かべやり難そうにしているウィルに、クノンはくすと笑みを漏らした。
アルディラの言った通りだった。こっちが謝ってもウィルは素直に受け止めようとはしないだろう、と。
自分がこうまで変わってしまったのは目の前の少年のせいだ。ウィルはそれを解っていない。

『あの唐変木は何か勘違いしてるわ。この際よ、はっきり気付かせて上げなさい』

それを攻める訳ではない。逆に、感謝……なのかは解らないが、とにかく有り難いと思っている。
色々教えてくれたことに。笑顔が交わせるようになったことに。素晴らしいものを抱けるようになったことに。
目の前の少年に会えて良かったと、心からそう思っている。

「ウィル。これを」

「あっ、帽子……。ありがとう、クノン。失くしたかと思ってた」

腰に下げていた帽子を取り出し、ウィルに差し出す。
これは元々ウィルが被っていたものではない。リペアセンターで作成したものだ。本物は、見つけ出して自分の部屋に置いてある。
何も置かれていない殺風景な部屋。その中で唯一の私品。自分を変え、助けてくれた思い出の品。彼との絆を表す大切な品だ。
彼には悪いが、頂戴させてもらっていた。

「…………クノン?」

「……」

帽子を取った手をそっと包み込む。添えられた自分の手に、ウィルは目を瞬かせていた。
腰を下げウィルと同じ目線になる。首を傾けている彼を瞳に映しつつ、頬へ熱が僅かに集まっていることを知覚した。

『言質はもう取ってあるわ。遠慮なくやっちゃっていいわよ。……まぁ、無理に、とは言わないけどね』

言葉を濁すアルディラを思い出し、少しの納得を得た。確かに簡単に行動へ移せるものではないのかもしれない。
それでも、今からすることを止めようとは思わなかった。逆に、この熱は心地がいい。

「ク、クノン? あのっ、な、何をしているんですか?」

「何々、愛の告白!?」

「ちょっと、スカーレルッ。変なこと言うのよしなよっ」

周囲の声に、やはりこの場で実行は無作法か、と躊躇いの感情が少し生まれる。が、それでももう止まらない。
発生した熱はそれを実行する判断を押し進めている。自分にとって別に信じられなくもない、というより歓迎出来る決断を迫っている。
――――躊躇う必要はないと思います。いっちゃいましょう。いえ、いってください。

GOサインだ。よし、いこう。
クノンはこくりと頷いた。

「…………ウィル」

「何ぞ?」

うん? と首を捻った少年の手をクイと此方へ引く。
目を僅かに見開いたウィルは此方に従うようにして近付いてきた。
包み込んでいた彼の手から片手を離し、それを向かってくる肩に当て彼の身体を停止、固定。
「「「「「えっ?」」」」」と声が重なるのを耳に聞きながら、眼前の顔へ自分の顔を持ち上げて寄せた。


『応援してるわ、クノン』


アルディラに言葉を思い出しながら。
触れるようにして、頬へ唇をくっつけた。


「「「「「なっっ!!!!?」」」」」

唇をそっと離す。周りの爆音は認知したが、今それは意識の外だった。彼だけを視界に納める。
彼は固まっていた。全く微動だにせず、石像のようにその場に突っ立ている。
肩に添えていた手を再び彼の手へ。帽子ごと優しく包み込んだ片手を胸へ持っていき、抱き上げた。

ウィルの身体が電流を流されたかのように震えた。彼の視線もまた此方の顔に固定される。
その見開かれた瞳を見詰めながら、クノンは顔を綻ばせた。



「――――責任、取ってくださいね?」



悲鳴が爆散する。
アティ達が一斉にこれでもかと声を張り上げた。驚愕と混乱と狂喜と憤懣と平静を失った音色が途切れることはない。
クノンは依然熱を頬に浮かべながら、胸に抱く手に力を少しだけ込めた。

ウィルの顔が見る見るうちに赤を灯していく。浮かび上がってきた朱は瞬く間に広がっていき、顔面全体を覆い尽くした。
勘違いを抜け、やっと解ってくれたようだった。クノンはそれに対し、今度こそ破顔。目を弓なりにした満面の笑みを浮かべる。
包んでいる手の熱を、胸に直接抱いた。



「ウィル、大好きです」



空っぽの胸に熱を抱かせる“バグ”の正体を。
少女は確信をもって理解した。

























ウィル(レックス)

クラス 熟練剣士 〈武器〉 縦、横×剣 縦、横×杖 投(Bタイプ)×投具 〈防具〉 ローブ 軽装

Lv16  HP147 MP201 AT85 DF54 MAT95 MDF69 TEC141 LUC22 MOV3 ↑3 ↓3 召喚数3

機B 鬼C 霊C 獣A   特殊能力 ユニット召喚 ダブルアタック 隠密 待機型「魔抗」 アイテムスロー(破)

武器:パレリィセイバー AT70 MAT10 TEC10  (イカスミスロー AT58 暗20%)

防具:empty

アクセサリ:手編みのマフラー 魅了無効 DF+5 MDF+4


10話前のウィルのパラメーター。
「(偽)生徒」からランクアップ。本来の2ndクラス「見習い剣士」よりやはり能力値が高い。ウィルとなってから高速召喚もろもろ召喚術方面が強力になっているらしく、今回で獣、機属性ランクが上がったことにより、現時点で召喚師としてもほぼ完成している。
また何よりランクアップに伴ってLUCが上昇している。快挙である。「レックス」の時には変動しないのは勿論、ランクアップで下がったこともあった。然もあらん。
このまま運を味方につけることは出来るのか。行く末に幸あれ。というかTEC自重。

本編に出てきた「闘・ナックルキティ」の真名は、「レックス」の時に「メイメイさん」から召喚獣の真名の重要性を説かれ、その後「剣」で情報を読み取って以後活用しているもの。この「闘」が刻まれることでナックルキティは消費魔力が格段に落ち、高速召喚と併用することでBランクにも関わらず遠慮なく連発出来るという地獄コンボに発展している。
「レックス」の際にもガンガンやっていた戦法で、これで突っ込んできた「ゴリラ」を「ずっと僕のターン」でタコ殴りにした過去を持つ。「無駄無駄無駄無駄無駄ァッ!!」と無慈悲に「ゴリラ」をボッコボコにのしていく光景は見た者に例外なく恐怖を抱かせた。以後、「レックス」がサモナイト石を取り出す仕草を見せたら「奴にスイッチを押させるなァアアアアッ!!!」と叫んで帝国軍全員が突っ込んでいくのは定例となっていた。

剣はメイメイさんから見舞い(イスラ反乱の際の奴)の品だと言われ貰った。見舞いの品が剣ってどういうことやねん、と文句垂れながらも頂いた。でもその後に取り出した胃薬には泣きながら感謝した。曰く「これで満足に飯が食える」。胃薬で泣く奴なんて初めて見た…、とはメイメイさん談。
イカスミスローについてはマルルゥから。ジャキーニさんの暴動を鎮圧した際、子分達が持っていたのを没収した物らしい。黒光りする物騒なブツを一杯入れた袋を吊るして飛んできたマルルゥを見て、最初は何があったんだと我が目を疑った。戦う自分のことを考えてくれたマルルゥの好意なのだろうが、何だか泣ける。誉めて誉めて、と純情無垢な笑みを浮かべる花の妖精とジャラジャラ鳴る黒光りの暗器。世界の光と闇を見たというか衝撃な取引現場を目にしてしまったというか、兎に角複雑だった。



[3907] 10話(上)
Name: さもない◆8608f9fe ID:94a36a62
Date: 2009/04/25 07:13
「な、何だったの今の?!! ウィルッ、ちゃんと説明してよ!!」

「ままままままままま待て待て待てっ!!? 拙者にも何がなんだか!?」

「もうそんな明らかじゃない! 告白よ、告白!! 愛の、コ・ク・ハ・ク! キャー!!」

「うるさいよアンタッ!?」

「くははははははっ、最高だっ!! 責任を取れなんざ言葉初めて聞いたぜっ! ……くくっ!!」

「黙れ!!」

「………………」

「おい、モヤシ。何だ、その成長した我が子を見詰めるような生暖かい視線は」

クノンの爆弾が投下され、まだ幾分も経っていない現在。
此処、海賊達の食卓は被爆者本人中心に混乱の真っ只中にあった。いや、楽しんでいる者達と半々といった所だが。
ちなみにクノンはアルディラの世話があると言って普通に帰還している。


ウィル自身、何が起きたのかなど、スカーレルに言われるまでもなく把握している。
疑いようのない告白。面と面を向かい合いクノンは真っ直ぐに好意を伝えてきた。キス、というトドメ……もといオマケも付けて。
これで何か勘違い出来るほどウィルの頭はおめでたくない。

だが、あれが正真正銘の告白だと把握出来ても、何故そうなったのかという理由や中身、原理が理解出来ない。
答えは解っても、その解に導かれる式および計算内容が全く解らなかった。解答用紙を見た所で途中式が“如何してそうなるのか”と首を捻るといった具合に、「え、何ぞコレ?」といった境地に立たされている。

「兎に角!! ウィルッ、あんたクノンに何したの!!?」

「知らん!? 心当たりなんて何一つとしてねーっ?!」

頬を若干赤く染めた状態で、ウィルは勢いよく食って掛かるソノラに反論。
未だウィルの脳裏には頬に触れた柔らかい感触や抱かれた手の温もり、そして蕾が花開いたような可憐な笑顔がこびり付いて離れず、胸の鼓動が静まることはなかった。

「レックス」であった頃から考えれば、クノンとの付き合いは果てしなく長いことになるが、あのような少女の姿を見たのは実際初めてだった。
正直な話、ウィルはあの時クノンに見惚れていた程だ。恋する乙女とでも言えばいいのか、兎に角頬を赤らめ顔を綻ばせる彼女は文句無しに可愛かった。
それだけに、如何して彼女が告白などしてきたのか、あれほど女の子をしていたのか全く解らなかった。
「クノン」とクノンは違うと分かっていても、だ。

「あーっ、もう何だか燃えてきたわっ! ウィル、安心して頂戴っ!! このアタシが乙女心を深く分かり易く教えてあげる!!」

「余計なお世話だよっ!? でいうか、乙女どうとか言う以前にテメー野郎だろっ!!」

「愛があれば何だって許されるわ!!」

「気持ち悪いよお前!?」

「取り合えずウィル、貴方はこれを読みなさい! 乙女心を知る上で必読書よ!! 帝都で女の子達を骨抜きにした、この『恋する乙「いるかぁああああああっっ!!」 あーーーーーーっ?!! ア、アタシのバイブルが放物線描いて海の藻屑に!!?」

「で? 何したんだぁ、ウィルゥ? 責任っていうからには……お前、遂にヤッちまっ「死ねぇえっ!!!!」たぶうぅっ!!?!?」

(きゅ、急所……)

「くっそぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!!!?」

「あーーっ、逃げたっ!!?」

ドドドドドドドッ!と足音を連続して響かせウィルは逃走。
必死さが滲み出た背中が、巻き上げられた砂塵の中へと次第に消えていった。


「……………………」


海へ消える者、地に這い蹲ってパクパクとエラ呼吸を繰り返す者、冷や汗を流す者、顔を真っ赤にして地団駄踏む者。
そんな中で、胸に手を押し当てたアティだけが、ウィルを消えていった方角を見詰め続けていた。










然もないと  10話(上) 「もつれあう真実にパニくる人達」










「一体何がどうなってんねんっ……!?」

「知らないわよ……」

机に突っ伏しながら頭を抱えまくる。ぐぬぬぬぬっ、と唸ってみるが何か変わる訳でもなく。
ただ超不安定な思考が渦を巻くだけであった。くそっ、現状が全く把握出来ねえー!?

「なしてっ!? どういうことっ!? 何故故っ!? クノンさん何やっちゃってんですかーーっ!!?」

(この唐変木……)

現在メイメイさんのお店。カイル達の元より離脱した俺は、自分でも笑ってしまうほど混乱混濁混沌の三拍子で絶賛パニック中だった。
いや、何があったのかなんて分かってる。あれは冗談だったと否定することなんか出来ない。出来る訳がない。
彼女がしたことは、あのオカマが言っていたように、間違いなく最初にコがついて最後にクがつく本心の吐露だ。頬へ最初にキがついて最後にスがつくモノかまされて否定出来るほど俺は不粋じゃない。
ていうか最初にキがついてなんちゃらとか隠蔽の意味ねえし! 墓穴掘ってるー!?

「うがあああああっ……!!?」

(うざい……)

机の上で奇声上げる俺にメイメイさんの容赦ない視線が突き刺さるが、そんなもん気にしてる余裕もない。
ただひたすら悶えまくる。羞恥に押し潰されて挽き肉になりそうだ。

なんでクノンが俺なんかにっ!? 在り得ないよ?! どういう心境の変化、っていうか別人だけどっ、兎に角なんで注射マスターのクノンさんが俺なんぞに!?
「俺」はぶっちゃっけ獲物的ポジションだっただろ!? 今宵のインジェクスは血に飢えておるわとか、注射ニードルの血の錆にしてくれるわとか、そんな感じでぶっ刺される哀れな小羊ちゃんだっただろ!? 自分で言ってて泣けてきた!? 畜生ぉおおおおおっ!!?

「……はぁ。ウィル、本当にクノンから好かれる心当たりないの?」

「ねえよっ!? なんもねえですよっ!!?」

「ったく、もう本当に……。あのねぇ、貴方がそれじゃあ、彼女が全く報われないじゃない」

溜息を吐かれ、最後には呆れと軽蔑の視線を寄越される。
俺が何をしたと高らかに叫びたいが、メイメイさんの雰囲気がそれを許そうとしない。主観だが、そんな気がする。
たがそれでも……っ!

「『前』の時と大して変わったことやってないよ!? そりゃ迷惑掛けたりちょっと無茶したかもしんないけど、それもあっちじゃ茶飯事だったし…………兎に角心当たりなんてねえー!!」

心からの本音である。
何かあるとすれば「レックス」の時よりまだ控えめだったり大人しかったり……詰まる所「自分」が抑えられているが、そんなこと関係してるとは思えんし……。

「ああ、そっか。先生の場合は下地からしてダメだったのね……」

「…………なんか俺、哀れまれてる?」

「気のせいよ」

つい、と目を逸らすメイメイさんに釈然としない物を感じるが、勘繰ってもしょうがないので今は置いておく。それよりもクノンだよ、クノンッ。
彼女は本当に俺のことを? ていうか何で俺……。

「……先生? 言っとくけど、自分の為に頑張ってくれる人がいたら、女性に限らず誰だって好意を寄せるものよ? それこそ、身を投げ出してでも自分を助けようとしてくれる人なら、尚更ね」

「……む」

「自覚してなくても、先生がしたことはそういうことなのよ?」

確かに、献身的だったのかもしれない。
信頼を裏切ってしまった分、プラマイ0のような気がしなくもないが、クノンには色々と付き纏っていた。
女性に対して普段と変わらぬスタンスを取ってきたつもりだったのだが……。

「それに『前』と変わらないなんて言ってたけど、最初から友好的に接してたんでしょう? 十分な変化じゃない」

「……ぐむむっ」

それも否定出来ない。「レックス」の時は最初なるべく不干渉に徹していたし。
しかもクノンの言葉で気付かされたが、「責任は取る」などと公言していれば確かに勘違い……というか“そーいう”つもりがあると、あちらにも思わせてしまうかもしれない。感情を知ったばかりで心に曇り一つない清純な彼女ならば、尚更、だ。
何てことだ。思わせぶりな言葉を吐いた、自分が蒔いた種だったのか。ぐあぁぁ、死にたいっ……!

「別によかったじゃない。召喚獣でもあんな可愛い娘に好意を寄せられて。このこのぅ! 幸せ者っ!」

「…………人事だと思いやがって。まぁ、確かに光栄なんだろうけど……」

「レックス」の時から妹……とは違うかもしれないが、いずれにせよ、より近しく感じていただけに“そういう”感情を持つことが難しい。
抵抗もある……かもしれない。身内である彼女に、それ以上の感情を抱いてしまうのも、それ以下の感情を抱いてしまうのも。

「……ええいっ、兎に角クノンの所へ行ってくる! このままじゃ何も出来んっ!」

「はいはーい。まったね~」

おちょくるような間延びした声に横目で一睨み。が、ニヤけた笑みを浮かべるへべれけに反省の意はない。
まぁ、こんなんで懲りたら世話はない。悟りが含蓄した溜息を吐いて店の戸口へと足を向ける。さっさと撤退に移った。

「ウィル」

「何だよ……」

「じっくり話してきなさいな。自分を見つめ直すのに、いい機会だと思うわよ」

背後からの声に不機嫌な声で応答したが、先程とは違った音色に顔もそちらに向ける。
そこには、目を優しく曲げるメイメイさん。まるで子供を見守る母親のように此方を見詰めていた。

この人は偶にこんな表情を見せる。俺だけに向けられるものではないのだが。
ズルイな、と思う。こういう時だけ素顔をさらすのは。何となく分かる、あれがメイメイさんの本質だと。

平常を装った表情を作って、くすぐったさを感じる内心を押し隠す。
メイメイさんから顔を外し、背中越しに手をひらひらと振って店を出た。

「いってらっしゃい」

へいへい。



「……じゃ、行くか」

店を出て間もなく降り注ぐ陽光の帯。
眩しい日の光に手で顔を覆いながら、メイメイさんの言ったことを心に留める。

自分を見つめ直すいい機会。確かにその通りなのかもしれない。
「みんな」と過ごした日々により、自然ここのみんなに抱いていた同じ想い。それを、改め直す。
同じ人達であっても、「みんな」と彼等は一緒じゃないから。重ねて見ることはあっても、「みんな」に対する想いを押し付けるのは止そう。

「彼女」に抱く親愛の念をどうにか出来た訳じゃない。きっとクノンにもそれを抱えると思う。
それでも、クノンは「彼女」じゃない。押し付け傲慢、既に前科持ちであるのだからこれ以上はご法度だ。クノンもきっと望まないと思う。
「彼女」ではない、自分の感情を伝えてきたクノンに、向き合おう。

(それに……ぶっちゃけ、言い訳のしようもなく見惚れてたからなぁ)

つい先程の光景を思い出す。
あどけない彼女の笑顔はこの上なく可愛いものだった。頬にかまされたモノの影響もあるのか、顔が充血するのは止められなかった。
今もあの笑みに感化され湧き出てくる感情に、俺って結構節操がないのかも、と軽く凹む。犬天使のことも言えねえよ、これじゃあ。

頭をガシガシと掻きながら彼女のいるラトリクスへ進路をとった。
雑念には蓋をする。頭の中は空にして、今は歩む道のりだけにただ集中していく。


回想中の出来事の折。
跳ねた鼓動には、少々目を瞑らせてもらった。













「………………」


もやもやする。
鬱蒼と連なる並木道。大人が五人ほど並べる横幅の道を歩きながら、アティは漠然とした思いを抱えていた。
何時かと同じ感情の類だ。元を同じくする不可解な胸のわだかまり。それが、またひょっこり顔を出した。

(…………嫌、だな)

だが正直、これまでのモノより遥かに質が悪くなっていると思う。はっきりと嫌なモノだと自覚する。
胸が詰まる。まるで狭窄、内からぎゅうぎゅうと身体を締め付けられていた。
苦しいと感じる。じっとしていたら、とてもじゃないがやってられない。
それこそ、こうして行き先もなく彷徨っていたりしないと。

「何ででしょう……?」

如何してこのような感情に……苦しさに襲われるのか、全く見当がつかなかった。
ややこしいことこの上ないと思う。原因が解っていれば、まだ対処の仕様があるというのに。

「……いえ」

心当たりはあった。
このわだかまりが生まれる時は、今も、前も、共通していることはただ一つしかない。

「……ウィル、くん」

端を発しているのは彼だ。胸が落ち着かなくなる場面に、何かしら関係している。
だが、何故自分の生徒である彼がそこで出てくるのか解らない。ウィルと胸痛、そこに結びつくものが何一つとして、見当たらない。

彼の隣が居心地いいことは確かだ。それは受け入れられる。出来るだけ傍に居たいと、そう思う。
だが、なんだってそんな慰安的領域が胸を害してくるのか。こう、抉りこむようにして打つべし打つべしっ、みたいな。
矛盾している。安堵を迎えさせてくれる居場所が、苦しみを訴えてくるなんて。

ウィル君だからでしょうか、とアティは首を捻りながら思ってみる。
案外に否定出来ない所が悲しいところであった。

「…………」

不意に、脳裏を過ぎる先程の光景。胸がわだかまった切欠。
包まれた両掌。抱くようにして手を添えられた細い肩。近付いていった互いの表情。
重なっただろう、少年の頬と少女の唇――――


「っ!」


再生されかけた映像に、肩を緊張さえ、次には頭をブンブンと勢いよく振る。
いけないと胸が叫んだ。爆発のような鼓動が一際高く胸を揺さぶり、すぐにそこから発生した熱が嘘のように退いていく。伴い、体温を全身から奪っていった。
やがて、漏れた泣声に似た胸の音律だけが、冷たい身体に残響した。

「……はぁ」

吐き出される溜息と連動して、だらりと下がった右腕に左手が添えられる。
無意識の内に回されて腕は、冷たい身体を掻き抱くように肘を握り締めていた。

―――自分は、如何なってしまったのだろう。

今までに何度も繰り返してきた自問を反芻する。そしてまた、繰り返されてきたように得られる答えはない。
これを抜ける日が来るのだろうか。想像してみるが、その時は今と比べ物にならない苦痛を味わいそうで、怖かった。

「あ……」

その場に立ち止まっていた身体。ふと顔を上げ視界に入ってきた光景に、声が漏れる。
金属で編まれた鋼鉄の都市。青で彩られた巨大な門が、自分を待ち構えているかのように聳え立っていた。
奥に見えるのは、曇りの一つもない純白の塔だ。

「…………」

意思と関係なく、此処へ向かっていたのか。
目の前に控えるラトリクスの全貌を見上げながら、アティは静かに思う。
片方の眉を困ったように上げ、暫らく立ち尽くした。

「……」

やがて、意を決して門の内側へ一歩踏み出していく。
此処でなにをするのかアティ自身はっきりと分かっていない。だが、この胸のわだかまりを如何にかするには、この先へ進まなければいけない気がする。
身体は導かれるようにして、純白の塔へ向かっていった。






「本人から聞いてはいたけど、まさか本当にやっちゃうとはね……」

アティの眼前で、椅子に腰掛けたアルディラが苦笑する。
リペアセンター内。明確な目的もないまま訪れたアティは、偶然近くを通りかかったアルディラに鉢合わせした。
コーヒーでもどう? と誘いを受け、断る理由もなかったのでそれに甘えさせてもらい、現在に落ち着いている。

「あの娘のことだから、無礼とも取れる真似にはブレーキするかと思って発破を掛けたんだけど……予想の斜め上を行ってくれたわ」

「はぁ……」

困ったような笑みを浮かべ、しかし嬉しさのような色を隠せていないアルディラを見て、アティは複雑そうな顔で相槌を打つ。
両手に持つコーヒーは湯気を立ち上らせている。淹れてもらった深い色合いは、香りも味も苦々しかった。

「ごめんなさいね、驚かせちゃって。人前でそんなことをするなんて、思ってなかったのよ」

「いえ……」

一室に招き入れられたアティは、今朝の出来事をアルディラに語った。
何となく提供した話題だったが、コーヒーに口付けていた彼女は「ああそれね」と頷き、表情を崩して今に至る。
どこか面白そうに、アルディラはクノンがした一連の行動をアティに説明していた。

「クノン、色々あったでしょう? 芽生えた感情にずっと混乱していたみたいなんだけど、その時に世話を焼いていたウィルに気を寄せちゃって……というかそれが原因で……まぁ、兎に角、ウィルを慕うようになっちゃったのよ」

「…………」

慕う、という言葉に思わず眉を寄せる。
だがすぐにそれを消して、喉から出掛かっている言葉を口にしようとした。
何故そのようなこと言うのか、大して理解もしないまま。

「あの、アルディラ。クノンは、ウィル君のことを……」

そこまで口にして、後に続く言葉は己の口からは出てこない。
何時の間にかぎゅっと握られたカップの中で、褐色の水面がゆらゆらと揺れていた。

「好意を持っているわ。私や貴方に感じてるものとは違う。私はあの娘じゃないから断言出来ないけど……きっと恋だと思う」

ちくり、と胸が痛んだ。
好意という言葉にも、恋という言葉にも、クノンが抱いた感情に胸が疼きを上げた。落ちているわだかまりが、その身を大きくする。

苦しくなった胸に、思わず身体を折りそうになった。しかし息を止めてそれに耐え、誤魔化すようにコーヒーを喉へ流し込む。
仄かな酸味に、重々しい苦味が絡み付いてきた。


「あら、噂をすればね。クノンの所にウィルが来て「ぶっっ!!!?」…………ちょっと」


けほっ、けほっ、と咳き込みながら、アティは涙目で口元を押さえる。
もたらされた情報に、飲んでいたコーヒーをそれはもう派手にはき出してしまった。褐色の濁流を直撃したアルディラが鈍い声を上げる。
液が滴り落ちる眼鏡から譴責の眼差しが向けられるが、アティにはそれに取り合う余裕がない。

「どっ、何処ですかっ?! 何処にもいませんよっ!?」

「……此処じゃないわ。そこよ」

取り乱したアティの姿に何を言っても無駄だと悟ったのか、アルディラは壁面に備え付けられたモニターの一つを指す。
映し出されていたクノン、そしてウィル。心臓が思いっきり跳ねた。
自分を取り巻く周囲が動きを止める。自意識から他の情報が締め出され、アティは画面だけに焦点をあわせた。











「ウィル?」

「あー…………やっ、クノン」

自動扉を越え、彼女がいる待機室へと入室する。
黙々と行進に従っていたら、思いのほか早く着いてしまった。
気分一つで時間の流れはどうとでも感受するのだなと思う今日この頃。

突然の来訪に驚きの表情を作るクノン。何か気まずいと思いながら、歯切れの悪い挨拶をする。
クノンはそれに反応し、綺麗な一礼。姿勢を戻せばそこには綻んだ顔がある。頬が若干赤いのは目の錯覚か。
……くそっ、もちつけ俺っ。こう杵でこねるように餅をぶっ叩いて……ってアホかっ!?

「先程はすぐに帰ってしまい、申し訳ありません……」

「いや、気にしてないから安心して」

ぺったんぺったんと餅突くBGMを耳にしながら、やんわりと大丈夫だと告げる。
内心落ち着かず馬鹿な妄想を繰り広げている俺の言葉に、クノンは目を細めた。

「ありがとうございます、ウィル。何か御用でしょうか?」

「えっと…………あっ、うん、なんだ……」

どう切り出せばええねん。
自分が聞きたいことを上手く伝える術が分からず、俺は返事に窮してしまう。
今更になって小っ恥ずかしくなってきたな。

「……私に会いに来てくれたのですか?」

「…………がふっ?!」

ほのかに口元を曲げ何かに期待するような彼女の表情に、膝が砕けた。ふ、不意打ちっ!!?
四つんばいになりながら目の前の攻撃に耐えるが……あ、足にきてるよっ!? 威力が抜群とかそういうレベルじゃないっ!!?

「ウィル?」

「そっ、そういうことになるズラ……」

「……とても、嬉しいです」

朱色を散りばめた満面の笑み。視認した瞬間アッパーカットをもらった衝撃を錯覚する。脳が揺さぶられた、脳が。
立ち上がってすぐさま打ち込まれたそれに、姿勢が安定しない。何もやっていないのに満身創痍ってどういうことだ。

ダウンを既に一度被りTKO間近な俺に気付いていないのか、クノンは依然笑みのまま。
だがそこで前触れなく、彼女の顔が曇った。

「……ウィル」

「えっ、な、何?」

「その、あのような行為をして……不快にさせてしまいましたか?」

恐る恐るクノンが口を開く。
あのような行為、というのは……まぁ、あれのことだろう。頬にかまされたヤツ。間違いにゃい。
俺の様子が変だから不安にさせてしまったのだろうか。……阿呆。

「そんなことない。いきなりでぶったまげたけど、まぁ、その…………と、得したというか、いやっ違うけど、なんていうか、う、嬉しかったというか……」

次第に声が尻込んでいく。
我ながら情けないが、嫌じゃなかったと伝えるのが精一杯だった。頬をかきながら、目を横に逸らしてしまう。
そして後ろの空間より、にゃはは~、とさも人を酒の肴にしている愉快そうな声が。
前々から思うんだが、これ普通にプライバシーとか無視してない?

「本当ですか……?」

「うっ、うん。マジで、本当に」

「……良かった。ずっと考えていました。あのようなことをしてしまって、失礼ではなかったかと」

影が取り払われ安堵した表情に、思わず苦笑する。
一応、自覚はあった訳か。ということはやはり、あれは偽りないってことになるんだろうな……。
…………腹を括ろう。

「クノン」

「何でしょうか?」

「クノンは僕のことを……」

「はい。私はウィルのことが好きです」

どういった好意か、と尋ねるのは今更だろう。
相変わらずストレートな物言いに内心赤面しながら、自分の中の言葉を探す。

「クノン、僕は―――」

「ですが、ウィルに私の好意を押し付けようとは思いません」

「――…………えっ?」

「アルディラ様がおっしゃいました。好意を押し付けるのは、相手にとって苦痛にしかならないと」

発せられた言葉に思わず面食らう。
そして続けられた言葉。アルディラが彼女に聞かせたというそれに、一度心臓がドクンと高く打った。
クノンへ「彼女」に対しての想いを押し付けていた俺を見透かしていたような言葉。いや恐らく偶然なんだろうけど……。

「ですから、ウィルが私を無理に気に掛ける必要はありません」

「でも、それは……」

「少なくとも、これまでのようにウィルが私を見て、言葉をかけて、笑ってくれれば、今は満足です」

微笑と共に送られてきた言葉に、言いかけた口を閉ざしてしまう。
気持ちの整理が追いついていない自分にとって、クノンのその言葉はありがたい。だがそれは何か間違っているような気もする。

「ただ、私の気持ちを知っていて欲しかった」

「…………」

好きだからこそ相手を思いやる。解る。文句はない。
でも、それで自分の想いを閉じてしまうのは、きっと何かが違う。
それは違うと、クノンに伝えようと口を開こうとした。


「そのように気持ちを知ってもらえれば、相手は否でも応でも此方に気を向けるようになると、アルディラ様に教わりました」


ガクッ!!


……一気に萎えた。
そーいうオチかよ。膝がまた沈んだし……。

「ていうか、アルディラ……」

「それに、欲や憧れというものもいずれ出てくると。今のままでは満足出来なくなる日が来る……だからその日まで、現状維持のままです」

そういう感情を抱くようになって、果たして今みたいに落ち着いていられるのか?
幾ら素直純情のクノンでも余裕がなくなると思うんだが。欲なんてモロそういう類のような気がするし……。

信頼、されているのだろうか? 俺がクノンのことを無下にはしないって。
…………なんかアルディラの手の上で踊らされているような気がする。

「……まぁ、とにかく責任は取る。言葉にしたんだし」

「…………よろしいのですか?」

「うん、嘘はつかない」

添い遂げる、という覚悟は流石にまだ出来ていないが、それも見越した所存であります。
腹を据えて言い切ったが、一方のクノンは眉を下げた表情を作っていた。目に力がない。
そんな彼女の様子に思わず首を傾げてしまう。

「……ご迷惑では、ありませんか?」

「…………」

躊躇いがちに落とされた声。
それを聞いて納得がいった。好意の押し付け、アルディラの話を聞いたクノンはそれに伴う結果を恐れているのだと思う。

少し、笑ってしまう。俺と同じことを考えていたクノンに。
どっちも諭されて今自分を見つめ直してる。案外、結構似ているのかもしれない、俺達。

「迷惑なんかじゃないよ」

「…………あっ」

負い目を感じなくていいと伝えるように、クノンの手を握る。
今朝彼女がやってくれたように右手を取りながら、俺も似たようなものだからと笑った。

「僕もクノンに色々押し付けてきた。余計なお節介、沢山したよ」

「そんなことっ……」

「正直、今も勝手な感情を抱いてる。クノンが覚えのない想いを押し付けてる」

否定しようとするクノンを視線で押し止めて、言うべき言葉を並べていった。

「今、クノンに抱いている感情は拭いきれないかもしれない」

「…………」

偽りはない。全部、本当。
クノンをぬか喜びさせる言葉は吐きたくないし。多分彼女もそれを望んでない。
僅かに揺れる漆黒の瞳を真っ直ぐに見詰めて、それをはっきりと形にする。

「でも、俺頑張るから」

「……えっ?」

「すぐには無理でも、君のことちゃんとした“好き”になれるよう頑張るから」

「―――――――」

握っている右手に力を込めた。


「強制なんかじゃない。約束するよ、自分の意思で君を好きになるって」


告げた言葉に、彼女は瞠目。
そして次には、頬を染めて一気に破顔した。


「―――はいっ、待っています」


握手の上からもう片方の手を添えられる。
重ねられた彼女の手が暖かいと思うのは俺の錯覚だろうか。どちらにせよ、俺の手は熱を発しているに違いない。
「彼女」ではない、クノンに抱き始めてるこの想いは、きっと嘘じゃないだろう。

微笑みを浮かべる彼女を見て、はにかみが漏れていった。









――――教え子である少女の想いを手放せるかは分からない。でも、いつかきっと――――

















海賊船 船外



「あーーーーーーっ、もうっ訳分かんないよっ!!」

「ソ、ソノラ、落ち着いて「何か言った!?」い、いえ……」

「くっ、そっ…!? ウィ、ウィルの野郎っ、潰れたらどうする気だっ……!!」

「うっさいっ、兄貴! 玉の一つや二つてガタガタ騒がないでよっ!!」

「馬鹿言ってんじゃねえ!? 死ぬわっ!!」

「あーっ、もうイライラするなあっ!! 蜂の巣にするよ!?」

「うおっ?! ……お、おい、何そんな腹立ててんだよ?」

「悪いっ!?」

「……ヤ、ヤード?」

「クノンが帰ってからずっとです……。私にも何がなんだか……」

「確かに、訳わかんねえな……」

「ったく……何赤くなってんのよっ、あたしといる時は大して変わんないくせにっ。……あたしとクノンじゃなんか違うっていうの?!」

「わ、私に聞かれても……」

「あ? んなもん、胸だろ?」

「…………(ジャキ!)」

(カ、カイルさん……)

「主人と同じで着痩せする体型だと見たな、俺は。しかもウィルが本当にヤったんなら、これからもっとでかく「黙れクソアニキィイイイイイイイイッッ!!!」うおおおおおおおおおおぁぁああああああああああああああっっ!!!!!?」

「……………………むなしいですね」





狭間の領域



「ふぅ……」

「お疲れさま、フレイズ」

「ファリエル様」

「みんなの為に見回りに行ってくれるのは助かるけど……無理しちゃダメだよ? 倒れちゃったら、それこそ……」

「心配は無用ですよ、ファリエル様。これくらいで倒れる程、私はヤワではありません」

「でも……」

「皆さんに、延いては貴方に、これ以上の負担は掛けるわけにはいきません。彼女が不穏な動きを見せている以上、万事を尽くさなくてはならない……違いますか?」

「フレイズ……」

「……鎮めの儀式をする際には合図を送ってください。すぐに「フレイズーーッ!!」……スカーレル?」

「!」

「あー、ちょうどよかった! 探してたのよ……って、あら、もしかしてお取り込み中だった?」

『……気ニスルナ』

「何かあったのですか?」

「あっ、そうなのよっ、実は私のバイブルが海へ消えちゃって……!!」

「は、はぁ……」

(バ、バイブルって……)

「……つまり、私に空から見つけて欲しいと?」

「ええ、飛んでった方向は分かるんだけど、落ちた場所はさっはりなのよ~! 浅瀬の方だからきっとまだどっかにあるはず!」

「別に構いませんが……飛んでいったとはどういうことですか?」

「それがねっ、ウィルったら私がせっかくバイブル渡して色々教えて上げようと思ったのに、それを余計なお世話だって言って放り投げたのよ~! 酷いとは思わない?!」

「またウィルですか……。所で、教えるとは何を?」

「恋よ、恋! あの子ったらクノンに告白されちゃったねっ、それで―――」


ドッゴーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッッ!!!!


「私が手取り足取り…………ファルゼン? どうしたの、いきなりすっころんで?」

(ファ、ファリエル様?!)

「ぇ…………えええっっ!!!?」

「あら、今の声は……?」

「ア、アハハハハハハハッハハハッ!! ソ、空耳ジャナイデスカッ?!!」

(……この前といい、ホント突然笑い出すわね、コレ)





いずこの海岸



「むっ!?」

「ど、如何したんですか、急に立ち上がって?」

「……なんかビビッ!ってきたっ!!」

(あれ、イスラさんあんなアホ毛あったけ……?)

「具体的には先を越されたような気がしたっ!!」

(……一体何の)

「べス君、ちょっと任せてもいいかな!?」

「えっ? あ、はい、もう煮込むだけなんで別に構わないですけど……」

「じゃあ、ちょっと行ってくるね!」

「あっ……」


ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド………………


「…………はや」

「べスー、もう出来たかー? って、あれ? 姫サンは?」

「……用事があるらしい」

「……お前、いいように使われてないか?」

「違う!! イスラさんはちゃんと魚捌くのを手伝ってくれた! 行く時だって僕に断りも入れた! きっと何かがあるんだっ!!」

「そ、そーかよ」

「そうなんだよ!」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「……惚れた弱みか」

「……うるせぇ」













「…………はぁ」

もう何度目だろう。
口から出てきた溜息の数に、我が身のことながら呆れることしか出来ない。

ウィル君とクノンの会話を覗き……もとい出歯亀……もとい盗み見……もうなんだっていいです。
兎に角、あの光景を見てしまってから気が塞がる思いで一方。歩いている足も鉛を括りつけているみたいに鈍重。思考も動作も、ずるずると地面に引きずっているようだった。
今、自分がどういう顔をしているのか、余り想像したくない。

(…………気が塞がる?)

ふと、何故自分がそう感じたのか疑問が浮かんだ。
あの光景の中に、気が塞がるような要素があっただろうか? 彼と彼女、どちらもどちらが一方を思い遣っていた姿の、何処に不満があるのだろう?

『約束するよ、自分の意思で――――』

私は、何が“嫌”だと思っているんだろう?



「…………あ」

ぐるぐると回る深思を抱えながら、更に重くなった足取りで歩みを進めていると、黒板が飾られた樹木と数個の切り株が目に入ってきた。
今私が居る場所は泉の側を通る林道。木と木の合間から見渡せるそこは、青空教室だ。

「そうでした……」

今日もこの場で授業が開かれる。
日の位置からそろそろ始める時間だということも察しがついた。
持ち歩いている教科書と教材を確認。外套の中――腰に取り付けてある授業道具一式を見て、取り合えずの準備は出来ていることに胸を撫で下ろす。今から準備していたら、此処と船の間を走り回らなければいけなかった。

「う~~ん……」

教室でみんなが来るのを待っていてもいいんですけど、多分暇をします。
待つには少し長くて、色々行動するには短い、そんな中途半端な時間帯。どうしようかと思い悩む。

「……迎えに、行きましょうか」

何時もそうしているように、ウィル君を。
此処へ来る時は大抵ウィル君と一緒だった。授業にどちらも参加するのだから当たり前といえば当たり前なんですけど……。
今日は、ちょっと気が進まない。

でも結局、他にすることもない私は元来た道を引き返すことにした。やること、ないですし。
もやもやとしたわだかまりを拭えないまま、ラトリクスまでの道を戻っていった。




「あっ、ウィル君」

距離は空いた前方に彼の姿を認めた。
ウィル君はまだこっちに気付いてないみたい。依然足を止めることなく進めていく。

「ウィル!!」

「ファリエル?」

「!」

けれどそこで、ぴた、と足が止まった。
目の前に転がり込んできた光景。鎧を翻すファルゼン――ファリエルがウィル君へ駆け寄っていった。

「おはよう、ファリエル。で、そんな急いでどったの?」

「おっ、おはようございますっ?! えっとっ、あのっ、そのっ!!?」

「……あー、ちょっと落ち着こう。ていうか、あっち行こう」

素の声で取り乱しているファリエルを見かねたのか、ウィル君はファリエルを木が濃くなっている場所へ引っ張っていく。
手を、握って。……いえ、指ですけど。

「…………」

木の陰に入ってファリエルが鎧を解いた。白い肌を赤に染めて、ファリエルはウィル君に此処では聞き取れない内容を聞き尋ねている。
うぐっ、とした顔になったウィル君でしたけど、すぐに苦笑しながらファリエルに何かを言い聞かせています。
身振り手振りして話を語らう二人は、端から見ても仲睦まじくて……

「………………」

その光景に思わず眉を顰める。でも、遠くから見てるだけしか出来ない。
胸がまたずしりと重くなった。呼吸が少し苦しくなる。知れず、手を胸に添えた。
やっぱり、嫌だ……。

「えっと、それじゃあ……」

「責任は取るという話で落ち着いた。……ていうかファリエル、如何してこの話知ってたの?」

「えっ?! えっとっ、ス、スカーレルさんから聞いたんですっ!? 興味本位とかじゃないんですよ!? ぐ、偶然聞いちゃっていうか……!」

「あのオカマッ…!!」

「わ、私もう行きますね?! さ、さよならっ、ウィル!!」

唸るウィル君を他所にファリエルが脱兎の勢いで離れていった。目の前で飛んでいったファリエルに、ウィル君は首を傾げてます。
立ち尽くしていた私も気を取り直し、静かに息を吐いてから足を前に出す。
今度こそ―――


「まるまるさ~~んっ!!」

「むぶっ!? …………おはよう、マルルゥ。そして何度も言うけど、初っ端顔に飛びつくのは止そう」

「えへへ~~」


―――と、思った矢先。
マルルゥが木の陰から出てきたウィルに抱き着いてきました。こう、見計らったかのような感じで……。
…………何でしょう。胸のもやもやが、何故かむかむかに変わってきたような……。

「まるまるさん、何してるですか?」

「んー、ちょっと色々と。マルルゥは?」

「マルルゥはヤンチャさん達の所行くのですよ。これからお勉強するです」

「ああそっか、青空教室か。言われてみれば、もうそんな時間だな……」

「まるまるさんも一緒に行きませんか?」

「あー、ごめん。これからオカマを潰し……ちょっと口軽い輩にお仕置きしなきゃダメなんだ」

「残念ですよー……」

「すまん。代わりに後で遊ぼう。スバル達も一緒にさ」

ウィル君の言葉に一喜一憂するマルルゥ。
微笑ましい筈なんですけど、どうしてか眉が上がってしまう。

マルルゥと笑顔で別れるウィル君をじーっと見詰め、ユクレス村の方角へ行くのに合わせて私も行動を再開する。
ずんずんと、幾分も速くなった歩調がウィル君の後を追う。迫ってくる背中を狭まった視界に収めながら、くすぶった感情のままに彼の名前を呼び上げようとした。




「あれ、ウィル君?」




だけれども――――


「シアリィ?」

「おはようだね。倒れたって聞いたけど、大丈夫?」


――――ウィル君が“また”女の子と出くわしたことで声を掛ける機会が失われ。


「………………………………」

目付きが鋭くなっていくのが分かる。胸のくすぶりが燃焼に変わった。
煙が上がり熱が発生する一方で、思考は驚くほど冷たい。というか、何で会う人会う人がみんな女の子なんですか。都合良過ぎじゃないですか。狙ってるんですか、ウィル君。

「大丈夫です御心配掛けました。そんで、何してるの? ユクレス村から出るなんて珍しい」

「えっ!? えーっと……」

しかも何ですかこの状況。あれですか、何時もみたいに私が接触する瀬戸際で強制放置に追い込むよう画策してるんですか。楽しんでるんですか楽しんでるんですね楽しんでるんですよね。どれだけ嫌らしい性格してるんですか。
いえそれ以前に相手の女の子赤くさせて何言っちゃってるんですか。…………見ていて気持ちのいいものじゃないんですけど。

「ああ、分かった。オウキーニさんに喜んでもらう「わーっ、わーっ、わーっ!!!?」……詰まる所、食材探しね」

とてもとても仲良さそうですねウィル君と相手の女の子。
此方に見せ付けるかのようにじゃれ合ってるみたいですけどもうちょっと人目を憚るというか自重しなさいというか、いえ別に私には関係ないことですけど一教師として教え子の非行は見過ごせないというかなんというか…………とにかく近いです。

「ふむ。じゃあ拙者も僅かながらも手助けするでござるよ。シアリィ殿の幸せのために」

「ウィル君ッ!!」

「照れるな照れるな。なに、今度またオウキーニさんの好みの料理を教えるよ」

「え……ほ、本当にっ!?」

「任せろい。あの人の好みは知り尽くしている」

「あ、ありがとう、ウィル君! すっごく嬉しいよ!」

花が咲いたような笑顔、というのでしょうか。ウィル君の目の前で相手の女の子が嬉しそうにはにかみました。
すっっっっごく可愛いですね、相手の女の子。ええ、本当に。
………………………………。



現在進行形で穏やかでない空気を発散させる赤髪教師。付近に近付こうとする命知らずは誰もいない。
視界前方で繰り広げられる光景に、勘繰って内容を脳内で捻じ曲げている。会話の一つも聴覚に届いていなかった。
目くじらを震わす蒼の瞳は、大幅な偏見が張り付いている。
そして、その末に辿り着いた彼女の胸の内は――――




………………なんか腹立ってきました。




――――人それを、ヤツ当たりという。















青空教室



「まるまるさんっ、終わったのですよー!」

「ん? どらどら……うん、ちゃんと出来てるよマルルゥ」

「やりました~!」

「よしよし、偉いぞマルルゥ」

「えへへ~~」

「……………………それでここはナウパの実を三人で分けると考えて……」

(な、何だよコレ、パナシェ!!? 先生、黒板に字書いてるだけなのに……なんでこんな怖えんだよっ!?)

(し、知らないよおっ!? あんな威圧感がある後ろ姿、見たことないもんっ?!!)

「ミュ、ミュミュゥ……!?」

「だから、一人が食べられるナウパの実は――――」

「まるまるさんが撫でてくれると、とても気持ちいいのですー」

「あ、あははははっ……。あ、ありがとう、マルルゥ」

「まるまるさんの手、すっごく温かくてっ、マルルゥ大好きなのですよ!」


「――――――――――――――――――――――――――――――(バキッ!!!!)」


((ヒィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!!!!??))

「ミュミャミュッッ!!!?!?」












「今日は実戦訓練です!! 私に一撃を入れるか、もしくは捕まえてください!!」

「……何でそんな怒ってんですか?」

「怒ってなんかいません!!」

円形の空間。周囲が木の群れで縁取られ空き地に、アティとウィル、二人だけの影が落ちている。
青空教室が終わって迎えたウィルの授業だ。柳眉を吊り上げたアティに、疑問顔のウィルが向き合っていた。

「身代わりにしたことまだ引きずってるんですか?」

「違います! 怒ってないって言ってるじゃないですかっ!!」

「いや自明でしょう……」

怒号に近い叫びが木々と緑葉の間を木霊する。
発声源のアティはぶすっとした表情を隠しもせず、生徒であるウィルを前にしていた。

げんなりとしたウィルに指摘されようが取り合わない。胸の内から揺らめく炎を認知しながら、それを憤りと気付いていないという、被災するウィルにしてみれば難儀以外何にでもない状態であった。

「機嫌直しましょうよ、ちゃんと謝りますから……」

「しつこいですウィル君! そんな人疑ってばっかだから捻くれちゃうんですよ! いい加減にしてください!!」

「……なに喧嘩売っちゃってんですか貴方? 言っときますけどオカマやらオカマやらオカマで今の僕余裕ないですよ?」

何時になく噛み付いてくるアティにウィルの視線が険しくなる。朝からイベント尽くしで疲れているのか、言葉の通りに沸点が低くなっているようだった。
普段のやり取りにはない剣呑な雰囲気にテコが「ミャミャ~~!?」と呻き声をあげる。

「人の話は聞きましょうって小さい頃言われませんでしたか? あぁ、なるほど。子供の時からそんなんだったと。やはり精神年齢低いままなんですね」

「なっ!? そんな筈ないじゃないですかっ! 無責任なこと言わないでください!!」

「失礼、相変わらずの痴呆の方ですか。愚問でしたねすいません」

「~~~~~~~~~~~~っ!!」

アティの顔が憤慨に染まる。
真っ赤になって、涙目でウィルを睨めつけた。

「はっ、そんな赤くなって図星ですか。だから早く病院に行けと「ウィ……ウィル君の、変態ジゴローーーーーーーーーーーッッ!!!!」……おい、意味解って言ってんのか腐れ天然?」


ウィルの額に青筋が走る。


「この頃調子乗ってますよね先生? いくら僕が穏便でも許容出来る範囲があるんですけど? ……吠え面かかすぞ貴様」

「ウィル君が調子乗ってない日なんてないじゃないですかっ! こっちの方こそ辛酸嘗めさせてやりますっ!!」

蒼い火花を撒き散らす両者。間には一種即発の空気が充満している。
二人の怒気に怯えるかのように森が震えて、葉のざわめきが駆け抜けていった。

「上等です、ボッコボコにしてやりますよ。具体的には生まれてきたことを後悔させてやるくらいに」

「私もウィル君が途中で泣いたって知りませんからっ!! 世の中の厳しさを思い知らせてあげます!!」


もはや授業の一環とかいうレヴェルではない。


「はっ、ほざいてろ。―――――いくぞ、天然。イカれた頭は健在か」

「もう、絶っ対っ手加減しませんからっ!!!」

「ミャ、ミャミャーーーーーーー!?」



史上稀にみる激烈な授業、その火蓋が切られた。



「くたばれえっ!!」

「甘いですっ!」

「せいっ!!」

「っ!?」

「そらそらそらそらぁっ!!」

「とっ、飛び道具ばっか使うなんて卑怯です?!」

「僕の好きな言葉は遠撃完殺です!!」

「造語っ!?」

「勝てばいいんだよ、勝てばぁああああああああああっ!!」

「くっ……! こん、のおっ!!」


ドゴンッ!!


「んなっ?! って、ぶぶっ!!?」

「お復習です!これが魔抗っ、思い出しましたか!!?」

「てめっ、全力で撃っただろ……!? オノレの馬鹿魔力を少しは考慮(ドゴンッ!!)しぶっ?!」

「ハアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!!」


ドゴンッ、ドゴンッ、ドゴンッドゴンッドゴンッドゴンッドゴンッドゴンッドゴンッ!!!!!!!


「ちょ、ちょんづくんじゃねえ、貴様ぁあああああああああ(ドゴンッ!!)ガブッ!!??」

「ウィル君がッ、泣くまでッ、撃つのを止めないッ!!」

「殺す気かっ!!? って、うおっ!? くそっ、嘗め腐りやがって……っ!! テコオッ!!」

「ミ、ミィッ!!?」

「一気にカタをつけるぞ!!」

「ミャッ…………ミャ、ミャミャミュミュッ!!?」

「ああ、僕に合わせろ!!」

「?!! ミュウーッ!?」

(い、意志疎通出来てないです……。というか、何やる気ですか…っ!!?)

「これがっ、俺達のっ!!」

「ミュミュゥ……!」

「……じょ、上級召喚術っ!!?」




―――――召喚・焔竜の息吹―――――




「え、ええぇーーーーーーーーーーーーー!!!?」


「――――切り札だッッッ!!!」


「きゃああああああああああああああああああああああ!!!!?」





ドッゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッッ!!!!!





辺り一帯、爆砕した。



[3907] 10話(中)
Name: さもない◆5e3b2ec4 ID:7f8d6cd5
Date: 2009/07/26 20:57
「はぁ。……大丈夫ですか?」

「……あんま」

「ミュウー……」

「あんな上級召喚術どこで覚えたんですか……。今のウィル君には負担が大き過ぎますよ……」

「……どこで覚えて何に使おうが、僕の勝手です」

「それでこんな風に倒れちゃったら世話がないですっ」

「くっ、屈辱っ……!!」

「もう……。そもそもですよ? 召喚術は決して無理な行使をしてはいけないんです。暴発の恐れがあるって何時も口をすっぱくして教えてるじゃないですか。私が相手だったら良かったものの……いえ、良くないですけど……とにかく、実戦で使ったら取り返しのつかないことになってたかもしれないんです。如何して言いつけ無視したんですか?」

「分の悪い賭けは嫌いじゃない……」

「意味が分からないです……」

「ミャミャー……」

「それに、無茶しないって約束したのにウィル君もう破ってるじゃないですかっ。……いえ、私にも非がありますけど」

「命に代えても倒さなきゃいけない、仇がいたんです……」

「それ私じゃないですか!!」

「にゃー」

「まったくもうっ……」

(こっちの台詞だっつうの……)

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「で……」

「はい? 何ですか?」

「普通にもう結構なんで、止めてもらえますか?」

「もう動けるんですか?」

「…………いえ、無理ですけど」

「じゃあ、まだ駄目です。このまま大人しくしていてください」

「……身が持たないんですけど」

「?? どういうことですか?」

「頭の後ろに感じる柔らかい感触だとか、体温だとか、香りだとか……その他もろもろとにかくヤバイんですていうかホント勘弁してくださいお願いします」

「えっと、先日のお返しのつもりだったんですけど……嫌、ですか?」

「…………モウイイデス」

「?」

(俺ノ寿命、アト幾ラダロ……)

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「……ふふっ」




取り敢えず、機嫌は直ったみたいで安心した。










然もないと  10話(中) 「もつれあう真実に頭抱える」










天然鈍感河童娘の精神汚染に晒され、憔悴し続け暫らく。
やっと歩けるまで回復した俺は速攻でアティさんの元から離脱し、今はスバル達と遊んでいる。
マルルゥと約束したしね。なんかもうフラフラだけど、ちゃんと約束したからね。約束はちゃんと守りますですよ?
素でぶっ倒れそうだけどね? ……モウヤメテ、私ノ命ハトックニ(以下略

「兄ちゃん、平気か? 顔色悪いぞ?」

「大丈夫ですか、まるまるさん……?」

「僕達の為に無理しなくていいんだよ?」

明らかに無理した笑みを浮かべていた俺に、子供達が心配そうに労りの声を掛けてくれる。
……くそっ、マジで癒されるっ。泣きそうですよ、ぼかぁ……!

「畜生っ、おみゃーら大好きだっ!!」

「うわあっ!? に、兄ちゃんっ、抱き着くなよ!? 暑苦しいってば!?」

がばっ!とスバルの顔を胸に埋め、つんつん尖った髪をよしよしと撫でる。
よよーと涙を流しながら、世界に光をもたらしてくれる純情存在を敬いまくった。ホント君達はピュアなままでいてください。

「……む~~~~~っ! ヤンチャさんっ、ズルイです! マルルゥにも変わってください!!」

「馬鹿言うなよ!? オイラじゃなくて兄ちゃんに言えっ! ていうか、兄ちゃん恥ずかしいから止めろって?!」

「あははは……」

あー、なんか朝から騒がしかったからマジ救われる。
こういう時間がもっと必要なんですよ、きっと今の僕には。安らぐー。

…………まぁ、「俺」の記憶からすると、この後も一層気の抜けない張り詰めた状況になってしまうのだが。
抜かりは許せなくなる。一つの失敗も禁止事項だ。

せめて、今だけは気を休めておこう。
どう転がるのかは皆目見当がつかないが、如何なる不慮にも対処できるように。

「ウィル、スバル様が嫌がられています。解放してください」

「急に現れるんじゃない、お前」

ビビるだろ。
別に気付いてたけどさ。

「キュウマ!? お前また付いてきたのかよ?! でも今はどうでもいいからウィル兄ちゃんなんとかしてくれー!?」

「はっ。では、ウィル」

「へいへい」

スバルも嫌がっているようなので素直に解放。ていうかそんな嫌でした、スバきゅん?
野郎に抱き着かれてもそりゃ何も嬉しくないだろうけど、本音ちょっと傷付くなー……。
別にそっちのケはないよ? 断じて。

「ぷはっ、助かった……」

「まるまるさん、マルルゥもぎゅっ、ってしてくださ~い!」

「ホントにウィル兄ちゃんに甘えるようになったね、マルルゥ」

ごめん、マルルゥ。体格的にそれは無理だ。
というか流石にそれは不味いから自重しよう。君も立派な女の子なんだしね?

マルルゥは妖精の中では生まれたばかりという位置づけらしく、身体も能力もまだ小さい。決してこのままという訳ではなく、長い年月と共に成長していくのだ。
妖精っていったらメイトルパの中でも結構な格付けだ。大きくなれば秘める力に劣らず、外見も相当なものになっているハズ。将来超有望なのだから、意中の相手に出会うまでにもっと自分を大切した方がいい。

その時のことを想像すると、娘を送り出す父親というか、まぁ兎に角そんな風な感慨を受けるが、仕方あるまい。
マルルゥの幸せだ、俺が生きているか分からないが、その時は手放しで喜んでやらなければ。

マルルゥの要望は苦笑しながら避け、代わりに頭を撫でてやる。
不満そうにむくれるマルルゥだったが、俺の為すがままに一応は受け入れてくれていた。

「ウィル」

「んっ? なに、僕に用あんの?」

と、まだ側に控えていたキュウマが声をかけてきた。スバルでなく俺に。
何ぞや? マルルゥの頭撫でながら首を傾ける。

「一つ、聞きたいことがあるのですが……向こうへ場所を移しませんか?」

「…………」

顔は平時のものだが、声が普段より幾分か固い。
この場で話そうとしないことからも、その内容がキュウマにとって軽々しいものではないことが窺える。
それも俺に関係してくる内容……とうとう来たか?

「別に僕は構わないけど」

「ありがとうございます。それでは、スバル様、暫らくウィルをお借りします」

「ああ、いいけどよ……」

突然の申し出に納得がいかなそうにスバルは眉を寄せる。パナシェやマルルゥにも似たような顔をしていた。
手をやりながらすぐ戻ってくるからと伝え、俺はキュウマの後を追う。


ユクレスの広場から離れた木々の一角。ヤッファの庵がある森の入口でキュウマは足を止めた。
こいつが尋ねようとしていることは、間違いなく以前の帝国軍との戦闘についてのことだろう。あの際に気が付いた事柄について、疑惑を抱いたか。

黒装束の正体が俺だと結論あるいは確信に至ったっぽいな、これは。
まぁ何時かは来るだろうと予測できていたことだ。動じることはない。
さて、どう往なす……?

「……取り敢えず、これを。先日の折、回収しておきました」

「……ん。ども」

手渡されたのはアズリア撃退へ貢献した投具。パス的な意味合いでキュウマに向かって投じたものだ。
わざわざ黒装束(俺)について仄めかすような前置き。……回りくどい真似を。逃げ場はないと暗に告げているつもりか。

「あの一連の投擲動作、見事なものでした。忍びである自分が思わず目を見張ってしまうほどに……」

「そりゃどーも」

此方を探るかのような眼差しと追及の色を窺わせるような言葉文句。
俺は顔には動揺の欠片も走らせず、ただ応答する。

キュウマを襲ったのが俺だと悟らせるのは、今更バレても島のみんなと関係悪くなる筈ないので別段構わない。本当に今更といった感じだ。
しかし、メンドい。恐らく「俺」と「うんこ」との関係のように発展するだろうから。
奇声あげながら斬りかかれるのは御免蒙りたい。間違っても忍者だから相手すんのに相応の体力消費するし、何よりうざいのだ。

何時ぞやのようにさり気なく尋問を誘導し交わすしかあるまい。
方針を固めた頭で幾つかのパターンを構築し派生させていく。どんな事態にも対応出来るように思考のギアを一段階上げた状態にした。
よっしゃ、バッチこい。

「……ウィル。私の中で一つの疑念が渦巻いています。その真偽を確認しなければ、この身が落ち着かぬほどに」

「それは僕に関係することなの?」

「ええ」

依然俺は澄ました顔をするが、キュウマは真っ直ぐに見詰めてくる。
質問に対して一切変化を見せない俺の態度には動じない。躊躇いなく言い切った。

「単刀直入に聞きます……」

キュウマの目が険しくなる。
来るか……。



「……ウィルッ、貴方も黒装束に襲われたことがあるのではないのですか!?」



………………は?


「男か女か、はたは人間か召喚獣さえかも解らない黒装束。忍びの技を駆使する正体不明の輩……あれの襲撃を被ったことが貴方もあるのではないのですかっ!?」

「…………」

すまん、状況が上手く掴めないんだが……。

「……何故にそんなことを?」

「一重に、ウィルの身のこなしとそこから発せられる殺気……威圧感を感じ取ったからです。あれは貴方の年齢を考えれば、独力のみで会得できるものではありません。指示は仰ぐもしくは参考にした存在がいたに違いない」

うん、まぁ分かる。言いたいことは分かる。理屈もあれだ、別に変な所もない。
だけど……

(俺が当の本人だとは一度も考えなかったのかよ……)

「貴方の異常ともいえる戦闘能力。それもあの黒装束が関わっているということになれば納得がいく。……如何です、違いますか!?」

ちげえ。

「私にはあの黒装束が教えを説くという姿がどうしても想像出来ない。横暴にして傲岸、あれは人の上に立つような輩ではありません」

ひでえ言われようだ。実際、教師やってたんだが……。
それほどキュウマにはインパクトが強過ぎたということか、あの一件は。
上から見下され糞の滝をかまされる……確かに重度の偏見が発生しても可笑しくないかもしれない。

今までの俺に関する懸念が、黒装束という強烈なファクターを通すことにより、キュウマの中ではこれ以上のない解答へ纏め上げ昇華させてしまったのかもしれない。それこそ天啓の閃きレベル、他の可能性は考え付かないほどに。

……まぁ、一度決めたり思ったりしたら、いい意味でも悪い意味でも真っ直ぐだからね、彼。
「うんこ」も目的の為にひたすら突っ走ってたし。「俺」を巻き添えすんのも厭わないくらいに。

「……うんまぁ、間違ってはないよ。はい、その通りです」

「やはり!? ウィルもあの黒装束のことを知っているのですね!」

やっぱりコイツ難儀だと遠い目しながら思いつつ、キュウマの言い分に合わせる。
あちらが勝手に都合のいい解釈をしてくれたのだ、乗らない手はない。

「僕もあの訳の分からない黒装束に奇襲を受けた。当時の僕は十の年にも満たっていなくてね、目の前で繰り広げられるその圧倒的な動きと雰囲気が余りにも強烈に見えた。これを真似ればもっと強い自分になれるんじゃないかと思うくらいに……」

「ええ、分かります。あれはそれほど常軌を逸している」

なんか自分のことを奇天烈のようなものにでっち上げるのって虚しいな……。

「僕はあれの動きを習得しようと必死になった。それこそ色々な書物も読み漁った。……そこで、あの黒装束の情報を少しだけ知ることが出来たんだ」

「!? そ、それはっ!?」

必死だよ、コイツ。

「……奴の名前は“野人二足”。その粗暴さと長衣から覗けた二本足から命名された正体不明の忍者マスターだ」

「野人二足……!!」

ちなみにヤジンニソクを下から読むと、クソニンジャ。

「逆に言うと、資料にもそれだけのことしか載ってなかった。それだけ得体の知れない相手だということだね。ただ、行動様式としては比較的ニンジャの前に現れることが多いらしい。一説によるとその素養を計り見る為にいきなり襲いかかるだとか……」

「く、詳しく教えてくださいっ!?」


必死と書いてマジになるキュウマ。ずずい、と顔を寄せてくる。
そんなうんこの様を見て、それから少々悪ノリ。あることないこと吹き込んでしまった。

話の影響を受け修行に精進せねばとヤル気マックスになる忍者。
張り切りに満ちて去っていく背中を見て、近いうちにまた現れてやろうかなと少しだけ思った。

忍者マスターと聞いておきながら、忍術何も関係ない銃を目の前でブッ放してやったらどんな顔するだろうアイツ。
……やってみようかしら。













いずこの海岸



「で、イスラはまだ戻ってない訳だ」

「おい、エドッ。イスラさんを呼び捨てにするな!」

「いや、姫サンは階級が一応俺等より下か同じだから。まぁ、寄せ集めの隊だから、やっこさんから出向してきた姫サンの方がどうしても格上な感じはあるけど」

「それでも馴れ馴れしく呼ぶんじゃねえっ!!」

「重症だな……。所でよ、ジャン、前から気になってたんだが、その姫サンってなんだ?」

「あん? なに、お前知らないの?」

「何を?」

「イスラさんへほぼ毎日張り付いてるアズリア隊長のことだよ」

「んなことくらい知ってるよ。病弱だったイスラをアズリア隊長が心配して、ってヤツだろ?」

「それも間違ってないが……現状はそんな生易しいものじゃねぇ」

「……どういう意味?」

「ほら、イスラさん……その、なんというか、か、可愛いだろ? 人当たりいいし、笑顔は可憐だし、それに他にも…」

「年上趣味のベス君が簡単に翻ってぞっこんになるくらいだもんな」

「うるせえっ!!」

「まぁ、とにかくだ。姫サンはベスに限らず隊の中で非常に受けがいい。アズリア隊長も顔では決して負けてはいないが、あの性格だしな。階級とかも色々あるし、わけ隔てなく接してくる姫サンの方が人気は断然高い」

「此処も訳ありの部隊だけど、そこの所だけはホント恵まれてるよな。紅一点ならぬ紅二点、他の隊より絶対俺等の方が士気高いぜ。で、それがどうした?」

「そんな姫サンに魅かれた、少なからず下心を持った野郎共が彼女の元へ近付くってのはどういうことだ? アズリア隊長から言わせれば、溺愛して止まない妹である姫サンの元に、だぞ?」

「…………まさか」

「ああ、アズリア隊長が四六時中姫サンの周囲に目を光らせてんだよ、害虫駆除のために。つうか、もはや守護だなあれは。その姿、姫を守る騎士の如く。そんで最凶の騎士に守られている当の本人についた渾名が、姫」

「料理当番だから、僕もなんとかイスラさんと二人きりを許されたんだよ。“手を出したら殺す”ってありありと睨まれて……」

「マジか……」

「実際、最初に姫サンへ手を出そうとした奴等叩きのめされたらしいぞ。紫電が迸ったらしい」

「どんだけだよ……」

「近くに居るのに、とっても遠い……」

「詩人だな、ベス」

「うはー、納得。確かに姫って言われても違和感ないわ。ていうか、アズリア隊長ハマリ過ぎ……」

「そんなアズリア隊長を慕う人達も根強いみたいだけどね。(ギャレオ副隊長とか)」

「それは当然あるだろ。(ギャレオ副隊長とか)」

「だな。(ギャレオ副隊長とか)」













「また派手にやってるなぁ……」

島の海岸線。
空から降りてくる日の光をはね返しまるで黄金の粒の様を呈する砂浜を、何十人もの人員が掘り返している。
彼等の目的は宝探し。見た目金の砂をほっぽって宝を探すその光景に、少しの苦笑が漏れた。


キュウマとのやり取りを済ませ子供達と合流した俺は、そのまま大蓮の池に移動。
ぴょんぴょんと遊びを興じていた訳だが、そこで鬼の御殿から大移動するジャキーニさん達の姿が目に入った。
そういえばこんなこともあったなと思いながら俺もジャキーニさん達に随伴。彼等が向かったこの浜辺までやってきた。


「ったく、今度は何の騒ぎだと思ったら宝探しかよ。ここまで来てホントこりない奴だぜ……」

「ふっはははははははっ!! なんじゃ、カイル! わし等に遅れをとったことがそんなに悔しいか! 言っておくが一欠けらもお前等にはやらんぞっ! ふはっ、ふははははははははっ!!」

「いるか、馬鹿。島にいる連中を差し置いてふんだくろうとするお前等の気が知れねえって言ってんだよ」

「いいか、野郎共! 気合入れて掘りまくれよ!! こんな機会はまたとないんじゃからなっ!!」

「「「「「「「「「「へい、船長!!」」」」」」」」」」

「聞いてないし……」

「でも、確かにお宝を前にして先を越されるのは悔しいものがあるわねぇ」

ジャキーニさんと子分さん達が砂浜を掘っている姿に、カイル達一同溜息を吐く。
一人はまた違う意味合いの溜息だが。

「蔵屋敷の整理を手伝ってもろうたらひょんなことに宝の地図が出てきたらしくての。もう整理の方も十分じゃったから、出てきたものには好きにしてええ、と言ったらこないなことに……」

「……それって猫糞されたのか、母上?」

「む、むぅ? そういうことになるのか、のう……?」

「ジャ、ジャキーニさん……」

「もう、ヒゲヒゲさんいけないのですよー!」

つまりそういうことだ。
宝の地図を見つけたジャキーニさん達は彼等が言う海の男の本能のままに宝探しへ移行。地図に記されたこの砂浜で“宝”を掘り当てようとしているのだ。
「前回」の経緯を知っている俺としては、まぁご愁傷さまといった感じだが。

「所でカイル、先生は? 船の方にいると思ったんだけど?」

「ああ、オウキーニが準備したタコを見たら顔を青くしてな。ほれ食えと言って迫ったら泣きながら逃げちまった」

「何やってんだ、あの人……。ていうかお前も女性が嫌がることすんなよ」

「ウィル、アティさんに対して貴方がそれを言いますか……」

「いやぁ、あの美味さを食いもしねえで嫌がるってのはちょいと気に入らなくてよ」

ヤードが何か言ったがスル―。最初の方は確かに楽しんでたが、最近はあの天然にストレス発散しないと割に合わなくなってきた。許容範囲だろ。
ていうかアティさんタコ苦手なのか。河童娘であるあの人がタコごときを嫌がるなんて驚きだ。
こう、川で仕留めて普通に焼き食いしてそうだが。いや、タコは川では取れないか……。

「本当に大丈夫やろうか? 地図の方にも死の呪いなんて物騒なこと書いてあるっちゅうのに……」

『今の所、付近に異常は見られませんが……』

オウキーニさんは不安な表情を隠すことも出来ずジャキーニさん達を見守っている。一方でヴァルゼルドが頭を巡らせながら周囲の警戒を払っていた。
外見モノホンの地図に記されている、「我らの誇りに手を出す輩に死の呪いあれ」的な言葉にオウキーニさんの心配は鰻登り。
彼は先程まで必死に俺達へ説得するよう求めてきたが、まぁ大丈夫じゃね?みたいな軽い反応にあしらわれた。ジャキーニさんだし別段平気だろと根拠のない理屈で。

何かあったら俺達がなんとかすると言って取り敢えず納得してもらった。
念の為に、ラトリクスで専用の武器作ってもらってたヴァルゼルドも呼んできた訳だし。

子供達も付いてきてしまったのが少しの懸念材料だが、カイル達とミスミ様、俺とテコ&ヴァルゼルドにジャキーニさん達もいる。戦力としては十分だろ。


「……ねぇ、ウィル」

「ん? 何、ソノラ?」

「あの後、クノンとは……どうなったの?」

「……それを此処で聞くか」

「だ、だってさ……」

突然のソノラの問い掛け。正直、あまり触れて欲しくないものなので顔を顰めてしまう。
少したじろぐソノラを視界に収めながら内心で溜息を吐き、ファリエルにそうしたように説明してやった。

「責任は取る、って……ウィルはそれでいいの?」

「言い方が変だったかもしれないけど、そんな義務みたいなもんじゃないよ。……少なからず、僕もクノンには魅かれてると思うし」

「…………」

「で、何でそんなこと聞くのさ? 恥を飲んで語った僕としては要説明してもらいたいんだけど?」

「えっ!? ぁ、あっははははははははっ!!」

興味本位でほじくり返しやがったのかと、どぎつい視線を送って真意を尋ねる。
ソノラは顔に赤を浮かべながら笑ってもみ消そうと躍起になっていた。やっぱりか貴様。
くぬやろー、と歯を剥いて威嚇の姿勢を見せてやる。噛みつくぞお前っ。

「何の話をしておるんじゃ、そなた達?」

「な、何でもないからっ!? ミスミ様が聞いてもなんも面白くないしっ?!」

「面白くないとか、じゃあ聞くなよ……。まぁ確かに、余り詮索して欲しい物じゃないですね」

ひょい、と割り込んできたミスミ様にソノラは慌てながら両手を左右に振る。俺の言葉も受け、ミスミ様は「何じゃ、釣れないのぅ」と口を尖らせた。
こんな仕草が様になっているご婦人はこの人だけだろう、と改めて苦笑を浮かべた。

「……で、でも実際さぁ、あれ本当に宝の地図なの!? なんかジャキーニ達が手を出したって時点で胡散臭いんだけど?!」

強引な話題転換。明らかにはぐらかそうとしているが、追及しないでやろう。
今は大目に見てやる。

「間違いなく本物。地図に記されていた海賊旗のマーク、あれ、帝国の手を散々煩わせた『巻きヒゲ』のシンボルなり」

「う、嘘っ!?」

「それは真か?」

驚きの声をあげるソノラと目を見開くミスミ様に一つの頷きを返す。
そこで同時にあがった歓声。目を向ければ、ジャキーニさん達が次々と宝箱を発掘していた。

「な、何でウィルはそんなこと知ってんの?」

「ウィル・マルティー二の名は伊達じゃない」

「訳分かんないし……」

「じゃあ、あれには本当に財宝の類が納められておるのか?」

「さぁ、どうでしょう?」

ジャキーニさんが喜々とした笑声をばら撒き、宝箱を開ける指示を出す。
砂浜に転がる薄汚れた宝箱は、一種の念のようなものを取り巻いていた。

「さぁ、って……地図は本物なんでしょう? だったら中身も……」

「金銀財宝という保証はないよね。まぁ、何かが入ってることは否定しないよ。……“本物”だから、死の呪いが掛けられるほどの大切な物があるんだろうし」

「「!!」」

俺の発言に二人が目を剥く。すぐさまジャキーニさん達の元に視線を戻した。
前触れを察知したのか、ヴァルゼルドが瞳を発光させ宝箱へ注意を注ぐ。


「宝も“本物”なら、呪いも“本物”だっていう話」


そして、爆発。
宝箱の封が切られた瞬時、中から紫紺の光と煙が発生する。間をおかず晴れ渡っていた空に暗雲が立ち込み、異常な空気が形成された。
伴い、襤褸けた衣装を纏う亡霊達が姿を現す。

「う、うひぃいいいいいいいいいっ!!?」

「ヴァルゼルド」

『了解!』

絶叫をあげるジャキーニさんに剣を振りかぶる海賊の亡霊。
させぬとばかりに、ヴァルゼルドの長距離射撃が亡霊の頭を撃ち抜いた。

「……あのさぁ、解ってたんなら先に言っといてくれる? 心臓に悪いんだけど」

「てへ」

「茶目など見せるな、気色悪い……」

「ぐふっ!? ふ、普通に胸抉られたでおじゃる……!」

胸をおさえ唸る俺を尻目にカイル達が一斉に動き出す。
向かうは海賊の亡霊達。彼等の眠りを妨げたことに詫びをしつつ、もう起きることがないようにと拳を構える。
闘気と魔力が発散した。

「じゃあ、行くか」

「ミャミャ!」

『イエス、マスター』

あの海賊達の想い、費やさない為にも。




「兄ちゃん! 母上!」

「そこにいろ、スバル! そなたが出る幕ではない!」

勇み出ようとするスバルをミスミ様が一喝。その場で縫い止まっているよう声を張り上げた。
納得がいかないのだろう、ミスミ様のそれに対しスバルは顔を歪め不服を表している。

「武芸のくし――誓約――召喚」

手元にある「武芸のくし」を獣のサモナイト石と用いて誓約の儀式を執行。
召喚光と共に顕現した「風薙の戦斧」をスバルの元に放った。

「えっ?」

「パナシェを一人にしてやるなよ、スバル」

目の前に突き立った斧にスバルは瞠目。そして、俺の言葉にピクリと肩を震わした。

「スバルゥ……」

「戦いに飛び込むのと同じくらい、誰かを側で守ることは大切だと僕は思うよ」

「…………」

「パナシェを守ってやれ」

暫らくの沈黙。
だがやがてスバルはキッと顔を上げ目の前の斧を取り、「ああ!」と力強く頷いた。

「兄ちゃん、母上、頑張れ!」

「任せろ」

「母に心配など無用じゃ、スバル!」

スバルとパナシェの激励を背に受けながら駆け出す。
前方では亡霊達とカイル達の激しい組みあいが繰り広げられていた。

「すまぬな」

「?」

「スバルのことじゃ。わらわだけではああまであの子を言い聞かすことは出来んかった」

戦場から目を逸らさずミスミ様は言葉を零す。
その瞳に浮かぶのは、僅かな寂寥か。

「……まぁ、あれです。男の子の気持ちは男の方が良く分かるってヤツです。ミスミ様が気に病む必要はないですよ」

「……そうかの」

「というより、そんなうじうじ悩んでるのはミスミ様らしくないです」

鳩が豆鉄砲を食らったように、前を向いたままでミスミ様は目をぱちぱちと瞬いた。
此方に目をやってきたので、俺は肩を竦めて薄ら笑い。違いますか? と視線で彼女に尋ねてやった。

「豪胆、っていう方が似合ってますよ。ミスミ様には」

「…………」

足を進めながら視線を交わす。
ミスミ様はそれから一笑、頬を緩め嬉しそうに表情を形作った。

「似たようなことを言われたわ……」

「はい?」

「ふふっ、言うことだけは瓜二つじゃな」

俺から目を剥がし前へ直るミスミ様。
風に飲まれた静かな言に俺は首を傾けたが、ミスミ様はなんでもないと笑みを浮かべながら首を振る。

「なに、気にするでない。そなたが良い男(おのこ)だと褒め称えただけじゃ」

「はは、よく言われます」

「あっははははっ! 言ってくれるな!」

堪らないというように笑い上げつつ、ミスミ様は手で印を構築。
目にも止まらない速さで指が術の基礎を編み上げ、そこに通された魔力が風の流れを周囲に生み落とした。

「どれ、ならばわらわの気性を見せてやろう!」

「どうぞ遠慮なく」

「召鬼・風刃!!」

放たれた風の刃が亡霊達に喰らいつく。
風圧も乗せられたそれに耐えることが出来ず、亡霊達は千切れ吹き飛ばされていった。

『オオオオオオオオオオッッ!!』

「疾ッ!」

風刃と共に飛び出した俺はそのまま群れる亡霊達に接敵。
投具を撃ち出し、片手に持ったパレリィセイバーで斬りかかった。
雄叫びごと彼の霊を両断する。

『グウウウウウゥ……!』

確かな手応えを得るが、斬られた側から相手の肉片が大気に散り、そして霊体が蒸発するかのように消え失せていった。
少なからず心を揺さぶる果敢ない光景。今度は執念に囚われることなく還って欲しい、と柄にもなく祈りを捧げた。

気持ちを切り替え周囲を見渡す。数は遥かに此方が不利。「以前」より数が多くなってくるのは錯覚だと思い込む。
だが数で劣ろうが、個の力は比べるまでもない。連携すれば数の暴力は容易に覆せる。

「うおおっ!? く、来るなや、貴様等!? そんな大勢で卑怯じゃろ!?」

「「「「「「「「「「せ、船長ーっ!?」」」」」」」」」」

「あ、あんさーんっ!!?」

「たかられとる……」

と、耳に飛び込んできた叫びに顔を向ければ、そこには亡霊達に囲まれているジャキーニさんと子分のみなさんの姿が。
結構ホラーな亡霊に腰が引けている。うーん、あの人達はダメか、やっぱり……。

「ソノラ、ヴァルゼルド、援護お願いします!!」

「もうっ、海賊なら卑怯とか言う前に張り倒しなさいよっ!!」

『弾幕展開!』

ハンドガンと大口径の銃砲が火線を連ねた。
音を突き破り空気を穿つおびただしい弾丸。次々と撃ちこまれた鉄の雨が炸裂を重ねる。

「スカ―レルさん、遊撃をお願いします!!」

「しょうがないわね!」

砂を蹴り上げスカ―レルが亡者の群れに肉薄。
振るわれる銀孤が的確に亡霊達を捉えていく。彼方の注意をジャキーニさん達から引き離した。
スカ―レルに亡霊達が群がろうとするが、華麗なステップを踏んで一対多数の状況を作り出さない。うん、戦い慣れてるね。

「そんな動きじゃアタシは捕まんない、わ、よ……」

スカ―レルの動きが言葉と共に鈍る。
突然の事態。笑みと一緒に余裕の色を浮かべていたオカマから表情が落ちていく。
遂には、顔が焦りにありありと染まっていった。

「スカ―レルッ!?」

「ヘイ、スカちゃん。そんなヘボイ動きじゃ捕まっちゃうZE」

「ア、 アタシもよく分かんないのよ!? 全力で動いてる筈なのにっ……?!」

ああ、パ二くってるパ二くってる。

「何が起きてんの!?」

「ソウカ、ワカッタゾ! アレハ亡霊達ノ呪イダー!!」

「の、呪い!? ていうか何で棒読み?!」

むらむらと押し寄せてくる亡霊達。オカマは必死に後退している。
通常より五割切ったのろくさい動きで。

「呪いだとしても何でスカ―レルだけっ!?」

「あのお姉言葉が気に食わない!!」

「ウィルの個人的な意見聞いてないから!?」

「冗談はさておき……恐らくはあのオカマっぽい振る舞いが亡霊達の癇に障ったんだ!」

「さっきとあんま変わってない?!」

「嘘でしょ!?」と続けながら銃を連射しまくるソノラ。
うん、勿論嘘。犯人は…………俺だったりする。

「積年の恨み、ここでは晴らさでおくべきかっ……!!」

どうせ面白可笑しく人を話のネタにしてくれっちゃったんだろう、なぁオカマ? 人の気持ちも知らないでよ。
……テメ―だけは絶対許さねぇええええええええっ!!!

報復は十倍返し。俺の逆鱗に触れたことをくたばって後悔しやれや。
俺があのオカマにしたことは「スライムポッド」による憑依召喚。動作、移動距離、素早さを著しく低下させる阻害の召喚術だ。
あのオカマが敵に飛び込んだ瞬間に高速召喚。逃げたくても逃げれぬ状況を作り出した。
ふははははははははっ、絶景じゃ絶景じゃ。

「一体どうした!?」

「ス、スカ―レルがよく解んないけど呪いにかかったらしくてっ!?」

「それならば、わらわが祓いの印で……!」

「グラヴィス」

ジオクェーイク。


「ぎゃあああああああああああああああああああああああっ!!!!??」


頭上からデカハンマーを何度もかまされる亡霊達とオトリもといオカマ。
広域攻撃にオカマ中心一帯が飲み込まれ、煙がもわもわと立ち昇る。オール昇天。

「自分を犠牲にするなんて……何て健気な奴っ!!」

「………………」

「……ウィル、お主」

「言ってました、スカ―レル。『アタシを踏み潰してでも前に進みなさい』って……」

何やってんだお前、という目を横に流しながら捏造話をでっち上げる。
素晴らしい囮だったスカ君。実にいい仕事をしてくれた。いや囮からの大規模召喚術、ホント懐かしい。これ病みつきになるのよね。

咎めの視線に構わずそのまま戦闘続行。
スカ君のおかげで亡霊達は大分減った。この分ならいけるだろう。
何人抜きをしているのか分からないくらい暴れまくっているカイル。派手な音を撒き散らすヤードとマルルゥ。って、マルルゥ何時の間に……。
目が眩むほどの召喚光に汗を流しながら、取り敢えず心配はないようだと付近の亡霊に向き直る。このまま押し切れるか……。

「せいやぁ!」

「おりゃっ!!」

普段はあれだが、オウキーニさんとコンビ組むと途端に動きが良くなるジャキーニさんも奮闘を続けている。
オウキーニさんも視野が広い。ジャキーニさんのサポートなんて完璧だ。
実際あの人達強いよな、普通に。なんか場の雰囲気で簡単に片づけられてるけど……。

「召喚。闘・ナックルキティ」

「ふんっ! ……む、なんじゃこれは? ち、力が湧き上ってきちょるっ!!」

「あ、あんさんの身体から光が薄らと……!?」

「こ、これは……遂にわしの時代が来たんかーーっ!!?」

ジャキーニさん達の所から一気に相手を畳みかけようと、憑依召喚によるドーピング。
当の本人は激しく勘違いしているが、とにかく馬力が相当跳ね上がっている。相手を蹴散らすのは容易くなった。

「ふはははははははっ!! 最高じゃ、最高の気分じゃ! わしの剣よ、光って唸れぇえええええええええっ!!!」

「「「「「「「「「「行けえ、船長ー!!」」」」」」」」」」

「あ、あんさんっ、調子乗ったらあかんてーっ!?」

ばったばったと亡霊達を薙ぎ倒していくジャキーニさん。オウキーニさんの戒めの声も届いちゃいない。
実際、討ち漏れがあってカイル達にツケが回っている。逆効果だっただろか……。

うーむ、だがあの暴れっぷりは目を見張るものがある。
超強気になるとあそこまで力を発揮するとは……ジャキーニさん、ちょっと見直したぜ。

「むっ! 貴様が親玉かあっ!!」

『ウオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』

「今のわしに勝てると思うなやーッ!! いくぞおっ! ――――――あっ!」

『…………フンッ!!』

「ごぼいっ?!!」

「あんさーんっ!?」

ダメだった。瞬時に幻滅だった。
馬力すごくても頭のほう供なってなかった。一撃で吹っ飛んでる。「ごぼい」ってなんだよ、「ごぼい」って。

オウキーニさんのストラの治療を受けてるジャキーニさん尻目に亡霊達の頭目を見やる。
縁がボロボロの黒の外套を羽織った幽霊キャプテン。頭に被った海賊のハットは血に汚れ、二刀流である対のサーベルが不気味な輝きを帯びていた。
記憶が正しければ、あのキャプテン「幻実防御」出来なかったか? 霊体がよく所持している「抵魔の領域」のスキルも。

召喚術は不利か。カイル達も先程のツケにより此方に手が回りそうもない。
やはりここはジャキーニさん達に気張ってもらおう。落とし前をつけるという意味も兼ねて。……決して楽しようとか思ってないヨ?

「オヤビンッ! ここで海の漢っぷりを見せつけてやってくだせえっ!!」

「「「「「「「「「「頑張れ、船長!!」」」」」」」」」」

「ちょ、お前等っ!?」

「来るでえ、あんさん!」

『ハアアアッ!!』

「って、うおおおおおおおっ!!?」

俺に誘導された子分さん達の声援を浴びながら、ジャキーニさんとオウキーニさんが幽霊キャプテンとの戦闘に突入した。
すっかり勢いが衰えてしまったジャキーニさんとはいえオウキーニさんとの二人がかり、だというのに相手はそれを難なく捌ききっている。器用巧みに操る二本のサーベルがジャキーニさん達の攻撃通過を許可しない。
疾風のように翻り剣と拳を弾き飛ばし、そして反転、暗い光沢を放つ双牙がジャキーニさん達に襲いかかった。

「ぬうっ!?」

「うぐあっ!!?」

「! オ、オウキーニッ!?」

「「「「「「「「「「副船長ーっ!?」」」」」」」」」」

「きさまぁ!!」

『オオオオオオオオオオオオオオッッ!!!』

腕を浅く斬られ膝をつくオウキーニさんの姿にジャキーニさんが激怒。
これまで以上の動きで相手に飛びかかるが……敵も強い。ジャキーニさんの剛撃を的確に往なしている。

強固な盾にもなる一対の細剣。攻守を同時に可能としている。
……「以前」より遥かに強いように見えるのは、もはや気のせいではないのだろうか。

「はぁ、はぁ……」

『フウウウウウウ……』

距離を開け向き合う両者。
ジャキーニさんは息を切らし、更に身体のあちこちに切り傷がある。対して相手は目立ったダメージは見られない。

ジャキーニさんの旗色は悪い。
……が、既に幽霊キャプテンはチェックをかけられている。その位置はもはや地雷原、ジャキーニさんの手の中だ。
キャプテンは忘れている。ジャキーニさんは決して一人で戦っている訳ではないのだと。

「はぁ、はぁ…………ふっ、わしの勝ちじゃ」

『……?』

不敵の笑みと共に為された宣言に、幽霊キャプテンは疑念の色を浮かび上がらせる。
それを見てジャキーニさんは更に笑みを深め、そしてキャプテンの背後へ視線を送った。

「やれえっ、オウキーニッ!!」

『!?』


そう、即ち挟み撃ちからの奇襲。


『ヌウッ!!』


幽霊キャプテンが迎撃せんと一気に旋回。そして、


『ナッ!!?』


誰もいなかった。




「ふっはははははははははははっ!! 馬鹿めッッ!!!!」




真の一撃。
ガラ空きとなった背に、卑怯なにそれ食えんの?と言わんばかりの砕撃が見舞われた。


『ガッアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!?』


深緑の輝き。
激上した威力をもってして、ジャキーニさんの剣は一撃のもとに幽霊キャプテンを葬った。

お見事。




「海賊がどうこう言うもんじゃねえけどよ……」

「きたなっ……」

「誉められるものではありませんね……」

「いやー、惚れ惚れする程のお手並み。拙者感服」

「兄ちゃんは節操を持とうよ……」

「ふははははははははっ!! 勝利じゃ、勝利じゃ!!」

「「「「「「「「「「へい、船長!!」」」」」」」」」」



「これは……」

「血染めの、海賊旗」

「……あの人達の誇りってヤツですね」

「そうみてえだな……」

『物であっても、意志は生きるのですね……』

「あやつ等もまた、武人じゃったか……」

「どうするのですか……?」

「……ふんっ、陸の上にコイツがあったって意味がないじゃろう!」

「あんさん……」

「海原を進み、潮の風に煽られる……それがコイツの本懐じゃ」

「……だな」

「連れてけや、カイル。わしの船はまだ動きそうもないからの」

「ああ、任せろ」


「……ジャキーニさん、すごいね」

「ああ、あの人は滅茶苦茶カッコ良いぞ」

「うん、僕初めて知った……」

「そっか」




「……あんた達もこれで満足か?」







――――ありがとう――――













いずこの海岸



「でも実際のところ神経質過ぎね、アズリア隊長? 心配なのは分かるけどさ、此処は軍所だぜ? 部隊の連携円滑にする為に気安く交流するのも当たり前じゃないか?」

「でも、アズリア隊長もイスラさんも、なんてたってレヴィノスの家の出だからな。嫌でも敏感になっちゃうんじゃないか?」

「……小耳に挟んだんだがな、」

「「うん?」」

「信憑性には全く欠けるんだが…………姫サンには付き合ってる男がいる「なぁにぃーーーーーーーーーーーっ!!?!?」うおっ!?」

「お、おいっ、ベスッ!!?」

「嘘だろう!? 止めてくれっ、ジャンッ!!?」

「ちょ、お前、落ち着けっ……!?」

「頼むから嘘と言ってくれぇえええええっ、ジャンッ!!!」

「ジャンは根拠ねえって言ってんだろっ!? 静まれ、馬鹿!!」

「はぁ、はぁ、はぁ…………ご、ごめん、ジャン。取り乱しちゃって……」

「い、いや、気にしてないから安心しろ。…………んじゃあ、話してもいいか?」

「ああ、頼む」

「…………」

「これはアズリア隊長最初の犠牲者の奴が言っていたらしいんだが……『貴様か、あの娘を誑かしている不届き不埒下種下劣汚濁汚泥唾棄腐食下半身野郎はっ……!!!!!』……って言われたらしい」

「「………………」」

「アズリア隊長の目、光が一切ない黒で覆われてたらしいぞ……」

(どうなったんだ、ソイツ……)

(ていうか取り敢えず生きてたことの方が驚きだよ……)

「実際ソイツは錯乱状態で身体の方も目が当てられない状態だったから、口にしたことが本当だとは言い切れんのだが……他の犠牲者も似たような感じらしい」

「……イスラが誰かと付き合ってることを何らかの方法で知ったアズリア隊長は怒り狂い、彼女に近寄ってくる野郎を根こそぎブチ殺しまくってる、それが真実ってことか?」

「しかも、その不届き不埒下種下劣汚濁汚泥唾棄腐食下半身野郎はこの隊にいるってこと?」

「移ってる移ってる、移ってますよベス君。まぁ、確証はないんだがな。でも、異常なまでのアズリア隊長の反応を考慮すると……」

「…………」

「…………」

「…………」

「オイ、てめーら。何さぼってんだ。何処であの女隊長が見てるか分かんねえぞ」

「あっ、隊長」

「ども、隊長」

「俺達に何か用ですか、隊長?」

「……てめーら、言ってんだろ、俺は隊長の職なんて就いてねえ。いい加減止めろ馬鹿」

「いえ、俺達は貴方に付いてくって決めましたからね」

「イスラさんが切れた時のあの手並み、本当すごかったです!」

「俺達はビジュ隊長に救われましたから。俺達の中では貴方は間違いなく隊長ですって」

「……ちっ、めんどくせえ野郎共だぜ」

「ははっ、まぁいいじゃないっすか。所で、俺達になんか用ですか? 隊長のことだからただ来ただけじゃないんでしょう?」

「い、いや、特にこれといった用もないんだけどよ……」

「「「?」」」

「…………あー、イスラはどうしたんだ? あいつも調理当番だっただろ?」

「えっ? あ、ああ、何か用があるとか言って何処かに走っていったらしいですけど……」

「ああ? 何やってんだ、アイツ……」

「「「…………」」」

「ちっ、ったく……」

(おい、まさかビジュ隊長も……)

(この人、そういうキャラじゃなくね……?)

(残酷非道突っ走る人だしね……。あ、でもあの時の一件で少し丸くなったのかも)

(昔は真面目で実直な人だって聞いてたしなぁ……)

(もしそういうことだとしたら、イスラとんでもねえな。隊長も落とすのかよ。姫ってより魔女だぜ……)

(いや、どちらかというと魔王……)

(口を慎め。お前等、潰すよ?)

(怖いから本当に止めろよ……)

「おい、何コソコソしてんだ、てめーら」

「い、いえ、ちょっとですね……」

「ええーと、あー……そ、そうえいえば、知ってます? アズリア隊長がイスラの彼氏を探してるって話? 今、隊の間で持ちきりなんですけど?」

「……ちょっと詳しく聞かせろ」

(決まりか……)

(隊長、今日からあんたと僕は敵同士だっ……!)


『お前は一体何を考えてるんだ!』

『えー、ちょっと位いいじゃん。偵察だよ、偵察』


「「「「んっ?」」」」

「単独行動は控えろ! 隊長に言われたばかりだろう!」

「お姉ちゃんは過保護すぎるんですー。それに言われたことだけをするだけじゃ出世出来ないよ? ちゃんと隊の実になることなんだから、ギャレオ副隊長殿の器量で見逃してよ、ねっ?」

「だめだ、規律を乱すことは許されない!」

「ぶーぶー」

「イ、 イスラさん!?」

「と、ギャレオ副隊長?」

「なんか口癖移っちゃったな……。あ、ベス君。ごめんね、勝手に押しつけちゃって」

「いいいい、いえっ!? そ、そんなっ……」

「で、何してるんで、副隊長? そんな薄汚い手でイスラの首根っこ掴んで持ち上げて?」

(まんま子猫だな……。ていうか、めっちゃ和む……)

「上官に対する口の聞き方ではないな、ビジュ……」

「こいつは失礼しました。ただ事実を申し上げただけなんですがね……」

(い、いきなり喧嘩腰……)

「ちょっとー、どうでもいいけど下ろしてよー。それともうちょっと仲良くしなよ、とばっちり全部お姉ちゃんにいくじゃん」

(お前が原因だ、お前が……)

「ほら、イスラもそう言ってることですし、さっさと下ろしてあげたら如何で? 副隊長の腕は窮屈らしいですぜ? そんなぶっとい腕してまるでゴリラ「ふんっっ!!!」ぶげらっ!!?」

「わあっ!?」

「「「た、隊長ー!!?」」

「もう一度ソレを言えば……次はないぞ」

(な、なにがあったんですか……)

(なんで立ち去ってく背中があんな悲しいんだ……)

「た、隊長!? 大丈夫ですかっ!?」

「あ、あの野郎、こ、今度会ったらっ――――」

「もう、あっぶないなぁ。ビジュ平気? 生きてる?」

「――――……………………」

「ちょっと、ビジュー? しっかりしなよー」

(た、狸寝入り……)

「はぁ、しょうがないなぁ。誓約の名の下において命じる……ピコリット」

(隊長ーーーーーーーーっ!!! なぁにイスラさんに介抱されやがってんですかぁアンタァアアアアアアアアアアアアッッ!!!!!?)

(ば、馬鹿っ!? 落ち着けっ!!?)

(離せぇえええええええええええええええええええええっ!!!!!)

「早く起きなよー」

「………………」












「お願いします、私と一緒に遺跡へ行って貰えませんか?」

集いの泉。
お馴染である海賊メンバーに俺とテコ、ヴァルゼルドの前でアティさんが頭を下げる。
彼女が頼み込んでいる内容は遺跡の内部調査。この島に関する真実を知りたい、アティさんはそう言っているのだ。

俺達が海賊の幽霊達を相手にしていた同刻、アティさんはファリエルが喚起の門にて鎮めの儀式をしていた所を目撃したらしい。
儀式の反動で倒れたファリエルをフレイズと共に狭間の領域へ搬送。そこで尋ねた島の亡霊達の件、返ってきた答えはアティさんの持つ「剣」に全て集約されているということだった。

島の根幹から力の一端を引き出すという「剣」、囚われている死者の魂、そして結界が張り巡らされ封印も施された島そのもの。
散りばめられたピース、見えてこない真実の全貌。「剣」をめぐり殺し合いを演じた彼女達を止めるために、理解して踏み込むために、アティさんは全てを知りたいと言う。
何も知らないで相手を傷付けてしまうより、全てを知った上で自分が傷付く方がいい、と。

幽霊騒ぎも放って置けなかったとはいえ、ファリエルの方に手を回せなかったのは痛い。
「ヤッファ」の時がそうであったように、彼女の方も穏便に済むものではなかっただろう。あの「タフガイ」だったらまぁそこまで気にしないのだが、女性に苦しい真似をさせてしまったのは普通に悔やまれる。謝るのも傲慢だが、すまんファリエル。

そして、同時に確信した。「俺」の記憶はもうほとんど役に立たない。「俺」の時は、確かに幽霊達を供養した後に「ヤッファ」の鎮めの儀式の現場に出くわした。
時間の経過が掌握しきれない。このままではいずれ大ポカかましてしまう。正直キツ過ぎるが、とにかく急事には早目の行動で順々に対処していくしかないだろう。


取り敢えず、後悔と反省はこの辺で。今は目の前の事態に集中だ。
遺跡進出。「俺」の時とほぼ同じ道程。……まぁ、「俺」の時はこのままじゃ島から出られないから仕方無しにって感じだったが。間違ってもアティさんみたいな綺麗なものじゃない。

しかし、本当に彼女をあそこへ連れていってしまっていいのか?
この通過儀礼を行わないと何時まで経っても前に進まないのは分かっている。今頃、無色の連中が海を渡りこの島へ向かっているかもしれない。身内に爆弾を抱えて奴等と相対するのは無謀、時間がないのは事実だ。

だが、一向に拭えぬ不安。
アルディラの思惑。理知的であり完璧な彼女が、どれほどの狂気を孕み、また周到な計画を用意しているか解らない。アティさんを、一体どんな危険な目に陥れてしまうのか。

これまでアルディラの説得も考えていたが、出来なかった。相手の胸の内も知らず此方の言い分を押しつけて説得など不可能。柄でもないし、それにあの狂気に染まった瞳には全て呑み込まれるような気がした。
手段を選ばず行動を起こしたとしても、無駄。監禁の類はただの問題の先延ばしというように、それらの行為を実行してしまえばアルディラが孤立するだけで、根本的な解決には至らない。俺達の間に深い溝を残すだけだ。
そこへ狙い澄ましたかのような無色到来……冗談じゃない。

今日という日が、全てを上手く進める契機になるのは確実。これを逃したら、果てして事態は収集がつくのか見当がつかない。
ベストを望むのだとしたら遺跡に向かうべき。見通しの効かない不安要素があったとしても、「記憶」の通りに事を進める。それが、最善。


「私達の目的も『剣』の処分ですからね。アティさんの申し出を断る理由はありません」

「それじゃあ……」

「ああ、手を貸すぜ」

ヤードが奪った「剣」にまつわる経緯と目的、事情を打ち明けカイル達はアティさんの話に賛成した。彼女達の利害は一致しているのだから当然だ。
もう遺跡に乗り込むのはほぼ確定。だが、一向に俺の迷いと雑念は晴れない。
今日ほど、「レックス」の記憶を持っていることを恨んだ日はなかった。

「ありがとうございます! あっ、ウィル君はどうですか?」

「…………」

ここで俺が反対した所で貴方達は遺跡へ向かうんだろうが。俺の意見の是非に意味はない。
了承を得た余韻で顔が笑っているアティさんを見て、腹が立ってきた。俺が必死こいて思考を巡らせているというのに、当の本人はどうしてこんな能天気なのか。

荒唐無稽なことをいっているとは解っている。だが、そう思わずにはいられない。
彼女の為に躍起になっているというのに、彼女の心配をしているというのに、彼女に傷付いて欲しくないと思っているというのに。

彼女の笑顔を守りたいと、そう思っているのに。




「ウィル君?」

「…………」

此方を見詰め押し黙っているウィルに、アティは首を傾げる。
何時も身に纏う雰囲気と、何かが違った。

「どう、したんですか?」

「…………」

疑問を投げかける。普段のウィルらしくない態度に、アティは僅かに戸惑いを感じる。
深緑の瞳が常時の色をかなぐり捨て、真剣にアティを見据えていた。それはまた何処か怒っているようにも見えて。
少し、胸が痛くなった。

「……勝手にしたらいいじゃないですか。どうせ僕が何言っても聞かないんでしょうから」

「ウィ、ウィル君……?」

「ええ、別に僕も反対はありません。それが妥当でしょう。…………ええ、一番妥当だ」

棘のある言葉。反対しないという音には、まるで無理矢理抑えつけたような響きが含まれている気さえする。
何故か、胸が苦しくなった。


やがて「先に行く」と言いウィルは集いの泉を後にする。
カイル達は疑問符を浮かべながらもその背に続き、はっと気付いた所でアティも慌てて彼等を追った。
揺れる瞳で、先頭にいるウィルに焦点を合わせながら。

徐に、此方を省みる深緑の瞳。
先程とは打って変わった申し訳なさそうな光。どうすることも出来ない自分自身に対し、此方へ許しを乞うような、そんな光。


「………………」


何故そんな目をするのか。
逸らされた瞳はもう見えず、此方に背を向けたウィルは何も言ってくれない。



開けた距離。埋まらない溝。語ってくれない背中。



震えるほどに、胸が寂しくなった。



[3907] 10話(下)
Name: さもない◆5e3b2ec4 ID:7f8d6cd5
Date: 2009/10/08 09:45
「なんか、気味悪いね……」

「…………」

鼓膜を貫いてくるほどの静けさ。
怯えたソノラの声が辺りにただ反響し、そしてすぐに静寂の中へ飲み込まれていった。

識得の間。
遺跡内部において比較的浅部に位置する開けた空間。薄い紫紺の色取りで装っており、存在感を示す巨大な装飾が部屋の隅々に施されている。瞳にうつる頭上側面床地の紫紺は神秘的であり、また不気味。
この場に身を置いていれば、嫌でも神経を尖らせてしまう。


遺跡の入口──識者の正門──にてアティさんが「剣」により門を開放。
「剣」の気に当てられた亡霊達、過去の戦で絶えた囚われの魂を撃破し俺達はこの識得の間まで侵入した。

遺跡へ足を踏み入れるのは島において禁忌、タブーだ。護人はおろか集落の者達にも協力は得られない。ばれてしまえばそれ相応のペナルティは免れないだろう。
それ故の隠密行動。島の住人以外の者達で目的を実行しなければいけない。

限られた仲間達しかいないことが、酷く心細く思える。十分といえる戦力が確保出来ているにも関わらず、他の仲間達がいてくれれば、と意味のない願望を抱きあげてしまう。
胸中が勝手に引き起こしている無様な緊張感に、俺は強いられていた。


「サプレスの魔方陣とメイトルパの呪法紋、シルターンの呪符に組み合わせ、それら異なる力をロレイラルの技術で統合制御している。……これは」

ヤードが険しい視線で目の前の装置──台座を睨めつける。
聖王国、旧王国、帝国、どの大国にも存在しないだろう超技術体系。四界全ての術を融合させたこれを、もはや技術と呼んでいいのかも解らない。

明らかなエルゴ──界への挑戦。
この装置単体で、魔力を好きなだけ引き出せる上に、目的に応じて魔力の属性を変換することも可能としている。
優劣を捨てて、もたらす結果だけを見るならば、これは人ならざるエルゴの王の具現だ。
「剣」と同じように。

眼前の装置には多様な様式の設備と外装が編み込まれ、部屋の雰囲気と相まってまさしく異界の様を曝け出している。
互いを絶妙のバランスで調和しているそれは、見事の成り立ちで一種の芸術に昇華しているにも関わらず、根本から相成れることのない不協和音を奏でていた。

これにいい「思い出」なんてない。
正直吐き気がする。今すぐぶち壊してしまいたい。
それが叶ったら訳ないのだが。

「で、これからどうすんだよ?」

「多分、この台座に『剣』を挿せばいいと思うんです」

装置を前にして顔を引き締めるアティさん。
その姿には一種の覚悟がありありと滲み出ている。毅然としているその様はとても力強い。
……が、それでも不安は拭えない。

これまでの順調過ぎる経緯は全部仕組まれているもの。
彼女の思惑の内であることは明白だ。
──そして、これから起こる出来事さえも、予定調和。

ぞっとしない予感と共に嫌な寒気が背中を走る。
見えない相手がここまで怖い存在だとは思わなかった。厄介極まりない。

何より、余裕がないこの状況を引き起こしている一番の理由は、中途半端に詳細を知ってしまっている「俺」の記憶のせいだ。

思い切りのいい行動を起こせない。今までにはなかった“待ち”の態勢に、自ら追いやってしまっている。
情けない。勝手に進む状況に流されている自分が、あり得ないほど情けない。
なんて体たらくだ。

「……ヴァルゼルド」

『周囲にはマスター達以外の反応はありません』

落ち着かない自分を誤魔化すようにヴァルゼルドへ周囲の確認を促す。
先程問うた時と同じように、異常は無し。周囲に怪しい人影は見られない。

だが、その報を聞いても気休めにはならず。
何度も確認しておいた所で無駄だと悟っている。アルディラは融機人、その気になればロレイラルの技術であるヴァルゼルドのセンサーを誤魔化すことくらいやってのけるだろう。
恐らくは、いる。

「じゃあ……いきます」

抜剣に踏み切るアティさん。
深い碧の魔力光が放たれ、白装束を身に纏い異形と化した彼女が現れた。

「………………」

真っ白に染め上がった髪と肌。色素の抜け落ちたそれらは彼女の温かみは感じさせてくれない。
膨大な魔力を引き連れ台座へと進む姿。一歩一歩踏み出すその一時が、今にも罅割れそうな危うい光景として映る。
光を湛える薄緑の瞳。曇りのない透き通った眼は、本当に戻ってくるのだろうか。


「えっ……?」

「────」


気がつけば、彼女の手を掴んでいた。


「ウィル君……?」

「…………」

此方に振り向いた、見開かれている瞳。
驚いている彼女の双眸へ、自分でもよく解らないこの行動を説明する術がない。掛ける言葉を無くす。
ただその代わりに、冷たくなっている彼女の白い手を強く握りしめた。

「…………大丈夫ですよ」

彼女は笑顔を落とす。
前に見た浜辺での笑み、柔らかく綻んだそれを俺に向けて安堵を預けてくる。真っ直ぐに此方を見詰めて。

消えない迷いはそのまま、ただ彼女の笑顔を心に投影し、握り返してきた彼女の手をそっと手放した。


「ちゃんと、戻ってきますから」


笑顔のままそう口にして前に向き直る彼女の背を見ながら、自分自身に誓約を刻む。
絶対厳守。何があってもこの誓約は守られる。他ではない、己が決めた。



彼女は、奪わせはしない。










然もないと  10話(下)「もつれあう真実と修羅場」










アティが台座の前に立った。
「剣」を構え、封じられた鍵を今解き放とうとする。

ウィルはその光景から片時も目を離さない。
意識は正面に収束。「遺跡」からアティへ浸食の兆しを見極めた瞬間、速攻でそれを阻む。

そして自身の第六感は周囲へ。
経験に基づく危機察知に、天性の勘ともいえる本能的感覚を外からの干渉全てに注ぐ。此方への足止めおよび不意打ちを全て捌く所存だった。
一秒時間を稼げればそれで十分。アティを「遺跡」から遠ざけるには事足りる。
浅く息を吐き、ウィルは眼前の事象だけに自己を埋没していった。


深緑の瞳でアティの一挙一動だけを見据える。
先を下に向けられた「剣」。それを振りかぶる彼女の腕。未だ沈黙を貫く装置と周囲の空気。

極限下における集中。
幾つも束ねられた意識の弦は、時間の流れを度外視して遅延をもたらす。秒における視界の情報が、夥しい回数をもって逐一更新されていった。
切り離された世界の中で、ウィルはアティが振り下ろした「剣」の動きだけを追随する。

そして、ゆっくりと「剣」が台座へと吸い込まれ、




「おいで」




「────」


同刻、時を凍結させる呪言が投下された。


「ジップ・フレイム」


赤銅の鎧に身を固めた機械騎士。
ロレイラルの召喚獣「フレイムナイト」が音もなく現れ、右腕のファイアバーナーを振り上げた。


そして、放炎。


「離れろーーーーーーーーーっ!!?」

紅緋色の炎が陽炎と共に世界を焼き尽くす。
荒ぶる燃焼の渦は、一瞬にしてカイルの怒号を飲み下した。

火の粉が舞い上がり、具現した猛火が空気を貪欲に喰らう。付近にいた全ての者が火に煽られ、絶えまない熱波が押し寄せてきた。

(──────!!?)

前触れを捉えた瞬時に駆け出そうとしたウィルだったが、本能が総動員して身体を停止、アティとの間に短くも遠い絶望的な距離が生まれてしまう。
周囲被害を度外視した上級召喚術。アティが範囲内に含まれているにも関わらず放たれた一撃。足止めレベルではない、殲滅の領域。

「ちょ、ちょっと!?」

「何がどうなってやがる?!」

「せ、先生!? 無事っ!?」

「……っ!!」

やられた。
視界を橙色に染める炎を前にして、ウィルの顔が驚愕と苦渋に歪む。
「遺跡」との接続を優先させるだろうという此方の思惑を裏切って、“彼女”はアティを巻き込むことを厭わず周囲の不安要素一蹴を選択した。

行動を許さないこれ以上のないタイミングに、打開を一切握りつぶす極手。
自分達の撃破を主軸に置いて更にアティを完璧に隔絶、強引に孤立させて此方から引き剥がしたのだ。

立ちはだかる炎の壁。
膨大な熱量が肌を叩き、口と鼻腔を通り身体の内を焦がしてきた。
まるで霊界にあるとされる奈落の底、獄炎風景。
目をやられぬよう腕で覆いながら、ウィルは炎の奥を必死に見定める。
そして、それを見てしまった。


「ああっ、ああああああああアアアあアアアアアアアアアアアアアアアァァァぁぁァっ!!!?」


光輝く黄金の膜。外界を隔つ、「遺跡」による絶対領域。
その牢獄に閉じ込められ、つんざかんばかりに叫喚するアティの姿。

「くそったれっ!!」

対の目が彼女の悶え苦しむ姿を映し出すと同時、ウィルは悪態の叫びと召喚術を投げ放った。
「テコ」の使役による「召喚・深淵の氷刃」。下からせり上がる氷柱が、炎の規模に押されながらもその暴挙を収めていく。
未だ揺らめく炎の壁。混乱に陥っている仲間達。それらに脇目も振らず、ウィルはその場から一気に駆け出した。

「アクセス」

ウィルの視界に炎が迫る一方で、濁った瞳をしたアルディラがコマンドを入力する。
重複する起動音と共に、装置周辺に施された外装がバクン、と音をたてて開口した。

「なっ────」

「ターゲット・ロック」

視界前方奥、一斉に姿を現した兵器の数々にウィルは言葉を消失させる。
識得の間における主要部分、「遺跡」中枢への連結装置を守るように出現したそれ。装飾、天井、壁面、至る部位がスライドし、漆黒の兵器が外気を浴びる。
アティを取り囲む無骨な銃群が、闇に染まる砲口をウィルへと向けた。


「フルファイア」


「──────ッッ!!?」

砲声が猛る。
出鱈目な音響が重なり合い、破壊の旋律が間を埋め尽くした。

「きゃあああああああっ!!?」

「アルディラッ、てめえッ!?」

有りっ丈の力で身体を横に薙ぎ飛ばし、ウィルは弾丸の雨を回避。
標的を失った弾丸はしかし、そのまま後方にいたカイル達へと降り注ぐ。
彼女の手により、この場を完璧に掌握された。

(聞いてないぞ、こんなのっ!?)

間断なく放たれる銃弾を紙一重で往なす一方で心臓が暴れ回る。
明らかな「過去」との相違に、ウィルの心中は穏やかではないどころか驚駭と焦りで燃え上がっていた。

「あっ、っぁぁあぁ、ああああああああああああっ!!?」

「ちょっとっ、何がどうなってるのよ!?」

「解りません!! ですが、アティさんを助けなければ絶対にまずいっ!」

「でもこんなのっ……!」

『迎撃装置多数、尚も増大中!!』

「近付けねえ……っ!!」

弾丸と怒号の交錯。
カイル達はぎりぎりの所で弾を往なすが、攻めへ転換する契機が見出せない。
ソノラとヴァルゼルドが己の銃で応戦するも、それも焼け石に水、放たれる弾幕は一向に衰えることはなかった。

「うぁ、ぎっ、ぁぁああAAAAAaaaaああああAAAAああ……っ?!!」

(読み込みが始まってる……!?)

耳を塞ぎたくなるような発声と言葉の羅列。
悶え苦しむアティの姿から、もはや最悪の秒読み段階に突入したことをウィルは悟る。
このまま「遺跡」がアティの人格をダウンロードし書き込みの作業に移れば、彼女はもう助からない。
「アティ」という魂は永遠に破棄され、完璧な「継承」が遂行される。
つまり、新たな核識の誕生────「遺跡」の完全復活だ。

「くっ!?」

だが、どうすればいい?
荒れ狂う現状は自分達を拘束して離さない。当初予定していた一秒などという猶予、この場で確保するのはほぼ不可能。
予断を許さないにもかかわらず、行動を制限されている。
黒鉄の一線がウィルの顔を掠め、頬から血がじわりと滲み出していった。

「っ!? ソノラ、危ない!!」

「えっ? あっ────」

何時の間に現れたのか。
既存の兵器と一線を画した大型の火砲がソノラに狙いを定めていた。
悲鳴に近いヤードの警告、だがそれはすぐに砲口の雄叫びにかき消されることとなる。

「っ!!?」

ウィルも気付くが、既に遅い。
膨大な熱の塊はソノラへと差し迫り────




『アアアアアアアアアアアアアアッッ!!!』




────粉砕。

剛気一閃。
炸裂する光と音の直前に振るわれた大銀の斬撃。
あろうことか、銀の光は灼熱の火球を粉々に打ち砕いた。






「…………へっ?」

「大丈夫ですか、ソノラさん?」

弾道とソノラの間に身を滑り込ませた大柄の影は、襤褸けた外套を生じた風圧になびかせる。
白銀の鎧騎士、ファルゼンは背後にぽかんと佇むソノラに透き通るような声で安否を尋ねた。

「え? あっ、だ、大丈夫だけど……ファ、ファルゼン?」

「良かった……」

安堵の音色に満ちた声が罅割れている鎧より漏れる。
いくら防いだといっても眼前で破裂した砲弾はその余波によりファルゼンに少なくない損害を与えていた。傷付いた鎧の破片がぼろぼろと地面に転がっていく。

やがて零れ落ちた破片は魔力の粒となって大気へと散華し、またその紫紺の舞いに呼び出されるように、白銀の鎧が解かれ一人の少女が姿を現した。

「……あっ」

顕在した少女──ファリエルをソノラは呆然と瞳に映した。
驚きに目を丸くするその表情を見てファリエルは少しの苦笑。
仕方無い、と思うと同時に一夜限りであった友の繋がりを寂しくも感じる。
記憶がある筈ないのだから、望むのは間違っていると分かってはいるのだが。

胸を過る微かな寂寥を振り払い、ファリエルは顔を上げる。
すぐにウィルを見つけ、目を見開いている表情から一気に脱力するその様に笑みを浮かべ大丈夫だと告げた。

「ウィルッ、みんなと一緒にアティを! 彼女は、私が!!」

「……いいのか?」

「……はい!」

これだけは、自分の役割だ。
力強い頷きで返答し、ファリエルはウィルに自分の意思をそれに乗せた。
彼もそれを見届け頷き返し、そしてすまないと視線でファリエルに詫びる。
未だ状況を掴めていないカイル達を促し、少年はアティの元へと駆け出していった。

「フレイズ、ウィル達を助けてあげて」

「心得ました!」

同伴してきたフレイズが上空より飛び交う弾丸の中へ身を投じる。
後は彼等を信じるしかない。信頼をウィル達に預け、ファリエルは自分の為すべきことだけに集中する。

「ファリ、エル……?」

「──────」

背中に投げられた呟くような声に、ファリエルは一瞬動きを止めた。
耳を通して伝わってきたソノラの言葉が胸へと落ち、それを理解するのに縮小された体感時間で暫時を要し、やがて湿っぽい何かが広がっていく。

「……先へ進んでください、ソノラさん」

「あっ……!」

顔を僅かに向け微笑を送り、そして疾走を開始する。
返事はせず、彼女の声に答えることはしなかった。

────ああ、嘘みたいだ。

再開した動きの中で熱に囃したてられ、それに浮かされるように瞳が潤いを纏う。
覚えていてくれたのだ。例え夢のような朧げな残滓でも、ソノラはあの夜の思い出を抱いてくれていたのだ。

今度向かい合った時は、もう一度友達になろう。

勝手な約束、けれどとても大切な約束を胸に、ファリエルは双眸をあらゆる決意で固めた。
そこにはもう水で濡れた跡は見られない。

「っ! スクリプト────」

「させない!」

「!?」

閃光。
右手に凝縮した魔力をアルディラに叩きつけ、コマンド入力を阻止する。
咄嗟に張り巡らされた魔抗壁が紫紺の光波と衝突し、激しいスパークが巻き起こった。

「ファリエル……ッ!!」

「過去は、兄さんはっ、戻ってこないよ!!」

吐き出されるのは万事の感情を込めた叫びだ。
明滅する光を浴びるアルディラの顔を見据えながら、ファリエルはありっ丈の想いと力を注ぎこむ。
願望と現実の狭間に苦しみ、過去を映し出す鏡(じぶん)を前にして歪む彼女の相貌を、心底からの言で叩き飛ばした。


「もう悪夢に囚われないで、義姉さん!!」





「ヴァルゼルド、あれを黙らせろ!」

『了解!』

迎撃兵器を沈黙させようと奮起するフレイズの援護にヴァルゼルドを送り出し、ウィルはアティの元へと辿り着く。
歯をあらん限りに噛み締め苦悶する彼女の前には、金色の絶対領域が未だ存在している。

「遺跡」中枢からの共界線、膨大な魔力を用いて展開されているこの魔障壁を突破するのは困難に尽きる。
同等の出力を備える「剣」でも用いなければ取り払うことはまず出来ないだろう。

(時間なんてかけるか!)

元よりこの障壁を抜くるもりはない。
カイル達が魔障壁をどうにかしようと躍起になるのを横に、ウィルは己の精神を研ぎ澄ませる。
「剣」に接触した際にまいた種、最悪を予期しての対抗策を切った。

(繋げっ……!!)

「剣」に自らの意思を介入させる。
あのイスラ反乱の折、ウィルは「剣」へ我を割り込ませることで行使権利を無理矢理構築させた。
補助ユニットの名目で「剣」へ干渉する術を確保したのだ。

「レックス」の時と同じ要領で「剣」の機能を阻害、もしくは完全に支配下に置く心算。
「遺跡」からの逆ハックに晒されていた「今あの時」とは違う。負担を背負わされていない今ならば書き込みも止めることが出来る筈。
ウィルは自己を「剣」へと埋没させた。


────照合確認

────資格保有

────条件達成

────アクセス認可

────…………緊急コード、承認

────オートディフェンサ、作動



『!!?』



弾き、飛ばされた。


「────づっ!!?」

脳髄に激しい衝撃。頭を盛大に揺さぶられる。
「剣」内部へと干渉しようとした正にその瞬間、光壁がウィルの我を阻みそのままはね返した。
干渉を拒絶された状況に混乱をきたす。何が起こっているのか全く理解が追いつかない。

(まさ、か……!?)

反動によりぶれる思考と視界を抱えながら、ウィルはアルディラにばっと顧みる。
青と紫の光に照らし出される彼女の表情には余裕の欠片も見られない。ファリエルと相対して防御に構うのが精一杯だ。

しかし徐にその空虚な瞳が此方へぐるりと向けられた。
その暗色に染まった平坦な瞳孔を見て、ウィルは愕然として悟る。


────手の内を、読まれていた?


クリプスに張られた魔力隔壁。アティを今閉じ込めている魔障壁のように、外部からの干渉を全て寄せ付けない。
直接接触を阻む対物理障壁に加え、精神介入も断ずる対魔力障壁。
後者は明らかに自分に対する防衛策。先を見透かされていたというのか?

万が一の保険も打ち砕かれ、ウィルの思考が瞬間的な停止を余儀なくさせる。
舐めていた。アルディラの理知を、あの黒く淀んだ果てしない狂気を。
自分は、彼女の抱き続けていた秘奥の渇望を、計り切れていなかった。

「あ、ぐっ、ぁ、A、A、aaぁaaあアアAAAあAAAぁぁAaaaあアアアああaアアああAあっ、ぁ、あ゛…………」

身体中に碧色のラインを走らせるアティより壊変の音が絞り出されていく。
刻々と迫る崩壊という名の終曲。「剣」に浸食された身体は噴き出す魔力と共に波打つように跳ね、その度に瞳が大きく見開かれた。
幾重にも折り重なる禍々しい碧の刻印。妖艶の輝きを放つそれが、まるで手を這わすかのように、ずるりとアティの頬を食らい伸びていった。

「冗談でしょ……っ!?」

「堅過ぎるっ……!!」

「くそがぁあああああああああっ!!?」

斬線が、召喚術が、拳打が、あらゆる干渉が阻まれる。
アティを内包した半球の膜は微動だにしない。カイル達の惨澹な叫びが焦燥を貫き、無作為に残響していった。

(どうする、どうする、どうするっ!?)

このままでは到達するであろう惨状。頭をもたげ待ち構えている最悪の結末。
血液と情動の激流が体中を猛り狂う。汗が吹き出し、喉が枯れ、鼓動が喚き叫んだ。

(どうすればいい!?)

金色と碧、現実と共界線に張り巡らされた二重障壁。
突破は適わない。干渉も拒絶される。除去は元より不可能。
彼女を、助けられない。

(ふざけんなっ!)

脳裏を掠める光景を罵倒と共に押し潰し、神経が焼き切れるほどに思考を行使。あらゆる手段を模索する。
技術と経験、身に埋まる全ての知識を掘り起こしていった。

(「俺」の時は!?)

「自分」はどうやってやり過ごした?
「過去」における「自分」は、この状況をどのように切り抜けた?
「レックス」は、一体どうして助かった?

(「俺」の、時は……っ!!)

「自分」は、「あの時」、閉じられた闇の世界の中で────




【嘘つきに────】




────声を、聞いた。


「っ!!」

ばぁん、と魔障壁へと身を打ちつける。
両手を金色の壁に貼り付け、顔をぐっと押し寄せた。
目と鼻の先に、隔たれている僅かもない境界の奥に、顔と顔が触れるか否かの距離にいるアティに、ウィルは声を張り上げた。


「何やってんですかっ、先生ッ!!」


記憶の淵で喚起されたのは少女の声。
塗り潰されていく「自分」に届いたのは、気弱で照れ屋で、とても強かった、一人の少女の声だった。


「奇行走ってないでさっさと正気に戻ってください!! どこまで天然発揮すれば気が済むんですか、貴方はっ!!」


芯の籠った声。懸命に呼び掛けてきた声。涙に濡れた、かすれた声。
自分を繋ぎ止めてくれた、あの娘の叫び。
忘れはしない、彼女の心の吐露。


「大概にしないと僕怒りますよ!? 切れますよ!? ぶん殴りますよっ!? 修復不可能などぎつい噂、島中にばらまきますよ!? いいんですかっ!!」


胸を過るのは確かな不安。
こんな自分の声が彼女に届くのか?
自分の声なんかに、彼女は応えてくれるのか?
果たして、自分にあの娘のような芸当が出来るのか?


「冗談じゃ……ないっ!」


違う。


「貴方が消えるなんて、そんなことっ!!」


出来るかではない。やるのだ。
彼女が目を開けてくれるまで、ずっと、何度でも、呼び続けてやる。
「あの時」聞いた声を、届いてきたあの娘の叫びを────今度は、自分が。



「目を開けてください! つうか、開けろっ!!」

【目を開けてください! 先生っ!?】



「言ってたじゃないですか!? 僕のこと、ちゃんと見てくれてるって!」

【約束したでしょう……!? 私のこと、ずっと守ってくださるって!】



「僕は一人じゃないって、そう言ってくれたじゃないですかっ!?」

【絶対守ってくれるって、先生おっしゃったじゃないですかっ!?】



「嘘だったんですか!? あれ全部、ただの気休めだったんですかっ!? 僕を慰めるだけの、その場凌ぎだったんですかっ!?」

【破っちゃうんですか!? 嬉しかったのにっ、先生の言葉、私っ……本当に嬉しかったのにっ……!! 】



「無責任な嘘なんてつかないでください! あのふにゃけた笑顔で……っ、平和そうで、馬鹿々しい、あの子供みたいな笑顔でっ、そんなことないって証明してくださいよっ!!」

【消えないでっ、居なくならないでくださいっ!! いつもみたいに、笑顔を見せてください!? ほら、目を開けて、私に……っ!】



「先生……っ!」

【お願いだから……っ】






「嘘つきに、ならないで!!」


【嘘つきに、ならないでっ……!!】






「うっ……!! ──────アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!!」



光砕。
裂帛の咆哮が障壁の内より放出され、硝子の割れるような音と共に金色の破片が舞い散った。

眩い閃光。眼前で飛散する光片にウィルは思わず目を瞑って顔を両腕で覆った。
キィィンと甲高い音が鼓膜を滑って身体の内まで反響していく。
やがて、音響は細くなっていき、終にはその姿を消した

後ずさり、だがすぐに顔をあげ視界を復帰させる。
取り戻した視線の先にいたのは、碧の瞳を薄く開けて力なく佇むアティの姿。
すぐ霧散するかのように緑色の魔力が辺りの光景を包み、それが収まることで抜剣状態から解放される。
元の姿に戻った彼女は膝から折れ、地面へと引かれていった。

「っ!」

間髪いれず身体を滑り込ませ、全身でアティを受け止める。
ぼふっ、と音と共に此方の胸へへたり込んだ彼女をしっかりと抱き締め、すぐ横にある顔へ不安が抑え切れない声で呼びかけた。

「先生!? 平気ですかっ!?」

「…………ウィル、くん」

肩にもたれかかっているアティの細い声が耳朶をくすぐる。
弱々しい、けれど他の誰でもない彼女の声に、胸にじんと伝わっていく熱がこもる。
それが心からの安堵だと、ウィルは動かない頭で漠然と理解した。

「……ありが、とう。君のおかげで、私っ……」

「っ……!」

枷が外れたかのように、足から力が抜けゆっくりと地面へ身を落としていく。
アティを抱きとめたまま、両足を伸ばした状態で腰を床につけた。

「勘弁してくださいよ……っ」

「う、ん、ごめ、ん、ねっ……」

定まらない声。熱い吐息。触れるようにして胸を掴む小さな手。
確かな彼女の存在に、鼓動が応えるようにどくどくと打ち震える。
肺から空気を一杯に吐き出し、彼女を引き寄せるように、背へ回した腕にか細く力をこめた。


耳元で繰り返された「ありがとう」の言葉が、首筋を伝う涙と一緒に、身体の奥へ溶けて行った。











「あ、ああっ……!」

折り重なるアティとウィルの姿を見て、アルディラは糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
目を伏せる姿は諦念にまみれ、喉から漏れ出す声は嘆きに満ちている。
計画の破綻。彼女が為し得ようとした願いはここに打ち砕かれた。

「義姉さん……」

「終わりですね」

崩れ落ちたアルディラの姿をファリエルは哀切の瞳で見詰め、その隣に厳しい面立ちをしたフレイズが降り立った。
身に纏う雰囲気は先程の戦闘から依然変わらぬまま、緊張は途切れていない。
彼は急ぐことのない動作で、しかし無駄なくアルディラの元へと足を運んだ。

「何か弁明はありますか?」

「…………っ」

「過去よりの掟を破り、あまつさえ島に住む同胞を危険に陥れようとしたその罪……決して許されるものではない」

顔と瞳を伏せるアルディラをフレイズは鋭い目つきで見下ろす。
淡々と罪状を言い渡す彼の姿は、本来の責である天使の役割を彷彿させた。

断罪は為されるが必定。
普段の柔らかい物腰を治め、フレイズは厳格にそう言い渡していた。

「その身をもって償いを果たすべきです」

静かに宣言を落とし、フレイズは右腕を振りかぶる。
審判の光を散らす剣が暗澹に染まった天を衝き。
そしてフレイズは一気にそれをアルディラ目がけ振り下ろした。


「ダメッ!」

「なっ────」


だが、あわやと言った所でアティがそれを阻止し。


「去ねえっ!!」

「────にぶっ!!?」


ほぼ同刻に、ウィルのドロップキックがフレイズへぶちかまされた。


アティ+アルディラの目の前から吹き飛び消えるフレイズ。
メトロノームのように上体がぶれ、床に横転していった。
場の雰囲気に飲まれていたカイル達は一斉に後頭部から汗を噴出させる。

「誰かの命を奪って全てを終わらせようなんて、絶対にダメです!」

「何やってんだよてめぇええええええっ!? 女性に手あげるなんて、そこまで堕ちやがったのか犬天使ィイイイイイイイイイイイイイイッッッ!!!!」

「「「「「……………………」」」」」

何かが致命的にずれた二つの光景が繰り広げられる。
「もう生きてる意味なんてないの!」と贖罪を叫ぶアルディラに張り手かますアティ。
「ぢょ、なにっ、ぐあっ!?」と呻くフレイズに拳を注ぐウィル。

「死ぬなんて簡単に口にしないでっ!」と涙で頬を濡らしながらアティは声を張り上げる。
「裏切ったな、僕の気持ちを裏切ったな!?」と血で拳を染めながらウィルは腕を振り上げる。
アルディラの命を繋ぎ止めようとするアティの後ろ姿に胸が突き動かされつつ、フレイズを撲殺する勢いでマウントポジションするウィルの後ろ姿に塞ぎこみたくなる衝動に促される。

二極化して相反するキテレツな状況。
方向性が一切掴めない阿鼻叫喚の図。こんなもの見たくなかった。

誰かコレなんとかしてくれ……、とこの場を取り巻く被害者達は心から思った。



「……なにやってるかな」



そこに、転機。



「「「「「ッ!?」」」」」

神速の勢いで声の方向に振り向くカイル一同。
後方、識得の間に通ずる一本の通路に中隊規模の帝国軍兵士を率いるイスラが佇んでいた。
その顔はやはりというかなんというか、兎に角呆れ顔だった。

「同士討ちしてくれるかな、って思ってたけど……なんか予想の斜め上いってるし……」

どこかげんなりしてコメントを寄せるイスラ。
目に力がない。


「えっと……やる?」


一応の確認。
出来たら私帰りたいんだけど、と言外に語られていた。



「「「「逃がすかっ!!」」」」

『スマヌ……』



咆哮。


「てめぇら、今まで隠れてやがったな!  許せねえ!」

「出てこなければ良かったって後悔してるよ……」

「だけど本当に助かったっ恩に着るっ!!」

「どっちさ!?」

「アタシら海賊に不意討ちなんていい度胸してるじゃない! でもそこが素敵!」

「うわっ鳥肌たった!?」

「愛してるよイスラ!」

「お断りだよ!? ていうか君もかソノラ!?」

「私こんなんばっかかっ!?」と響き渡る少女の悲鳴。
後ろに控える帝国兵達の瞳全てに彼女への労りの念が宿っていた。

「救いもたらす彼等に慈悲の光を! 滅べぇええええええええええええええええええっ!!!!」

「ちょっ!? って、うわあああああああああああっ!!?」

『……スマヌ』

矛盾に満ち溢れた詠唱から放たれたヤード特大の召喚術。
帝国陣営に紫の閃光が容赦なく炸裂した。

後ろから聞こえてくるアルディラの泣き叫ぶ声とフレイズ殴打の生々しい音をかき消す為に手段を選んでる場合じゃなかった。
あの空間には耐えられない。

「あー、もうっ!? 期待してた展開と全然違うし!! 全隊戦闘準備!」

『はっ!』

「目標は『剣』の確保! だけどなるべくあの人達やっつけて!!」

『はっ!』

「というかみんな、お願い!? 助けて!?」

『ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!!!』

冗談抜きの少女の涙。
帝国兵達のボルテージが一瞬で最高潮に達した。

「俺達の姫に手をだすんじゃねえええええええええええっ!!!」

「守ってみせるぅうううううううっ!!!」

「イスラを泣かしたぁぁぁぁぁぁ!!」

「失せろっ、お前等が在たままだと、彼女が二度と笑えないーーーーーー!!!!」

漢達の雄叫びが轟き渡る。
決して広くない一本の通路を夥しい人数が雪崩のようになって驀進した。
実際、雪崩と相違なかった。



「上等だぁあああああああああああああああっ!!!!」


『らあああああああああああああああああああっ!!!!』



全軍衝突。
収拾は、つきそうになかった。











「むっ!?」

ドゴッ、グシャ、メキッ、という拳の打撃音が塗り潰されるほどの騒音が背後から響いてきた。
凸凹になった犬天使の首襟を片手に掴んだまま振り返れば、彼方には暑苦しい程の熱気をふりまき白熱するカイル達と帝国軍の姿が。

「しまった! こんなことやってる場合じゃなかった!?」

「にゃにゃー……」

コレの行為は俺のポリシーに反する、っていうか許容範囲を遥かにぶっちぎっていたので有無を言わせず鉄拳制裁をしていたのだが……頭が真っ白になってこの展開の配慮が全く出来ていなかった。
くそっやってくれる……っ! 思わず悪態をつきながら犬天使の襟を離し立ち上がる。
べちゃ、とピクリとも動かず地面に落ちたそれはもう放置してカイル達の下へ向かった。
ワンちゃんはそこで反省! ご飯は抜き!!

「先生! アルディラと一緒にそこに居てください!! ああ、金髪のタラシはもう立ち上がれないので大丈夫です!」

「な、何が大丈夫なのかちっとも解らないんですけど……」

「兎に角そこに待機! そんな状態でしゃしゃり出てもらっても迷惑です! いいですね!」

「……はい」

顔を顰めるように眉尻を下げたアティさんの返事を聞いて、今度こそ前だけを見て走り続出す。
間を置かず「頑張って」と僅かに背中へ届いてきた声に、俄然テンションが上がった。
任せろい。


「す、すげー気だっ……!」

「ミャミャッ……!?」

『戦闘能力20000、21000、22000…………ば、馬鹿なであります!!』

(……アルディラはこいつのセンサーに何を取り付けたんだ)

迎撃装置を沈黙させ合流してきたポンコツの発言に違和が拭えない。
マッドの手によって自分の守護獣は確実に変貌の一途を辿っていた。

「と、とにかく……」

ヴァルゼルドから視線を剥がし、前へと戻す。
そこには凄まじい戦闘が今もなお繰り広げられていた。

『うおおおおおおっ!!』と野太い叫びが充満する戦場は未だかつてなく激烈だった。
高い段差で左右を縁取られている通路は帝国兵で埋め尽くされ、それの進行を阻止しようとカイルとスカ―レル、ファリエルが前方に出て鎬を削り合っている。
ファリエルはともかく、カイルとスカ―レルの動きの切れもまた半端じゃない。一人で三人くらい相手請け負ってあの破竹の勢いに対抗している。
技を越えた純粋な強さ、それがパワーだ! などと両陣営とも言わんばかりだ。

お互いの陣営から溢れる気が突風を生み出し 大気を上へ上へと押し上げていた。
魔力とかに混じって香るこの漢の香りは一体……。

「取り敢えず……くたばれっ!!」

懐からサモナイト石を取り出し召喚術を放つ。
召喚するのはドリトル。上昇した魔力資質によって扱えるようになった機属性の中級召喚術を行使。
ドリルラッシュ。この「身体」になってから初行使である。

「ウィル!?」

「ごめん、遅れた!」

一直線に帝国陣営へ突き進んだドリトルを見送ってソノラが此方に振り返る。
俺はテコ&ヴァルゼルドと共に彼女の隣へ並んだ。

「で、今どういう状況なの? なんか果てしなく男気臭いんだけど?」

「ウィルのせいでしょうがっ!!」

「は? 何で?」

「自分の胸に聞いてみなさいよ!」

自分に向けられている怒りの矛先に何か理不尽だと感じながら胸に手を置いてみる。
目を瞑って僅かな間で一思案。先程までの光景を巻き戻してみた。
…………ふむ、そうか、とどのつまり……。

「ごめん、さっぱり分からない」

「何でよ!? ていうか無自覚!?」

「あっ、分かった。あれだ、帝国さんちのクマさんが復讐に燃えてその熱が伝染してるんだ」

「超的外れだから?! しかもそれ何気に私達のせい!?」

「『劇場版エンパイアモンスター ギャレオの逆襲』近日公開」

「やめいっ!!?」

「あべっ、前売り券買うの忘れた」

「もう喋るな!!」

口を塞げ! といわんばかりにそう宣うソノラ嬢。
沸点が低いぞマイシスター。

「あーっ、もうだからっ! 何でフレイズにあんなことしたのよ!? 突拍子過ぎるでしょ!?」

「いやぁ、此処にいると嫌でも『昔』のメモリー思い出しちゃって、こう、つい……」

「此処に来たの初めてでしょうが!!」

シュッシュッ、と軽いシャドーをやってみせる俺に、思い出も糞もないだろとソノラは突っ込む。
嘘じゃないんだけどなぁ。「此処」で起こった一連の出来事を思い出してこうカッとなっちゃって……。
……クソ、本当に腹が立ってきてやがった。あの「クソ忍者」「此処」で調子乗りまくってやがって……!!

『マスター!!』

「ん? なんじゃいヴァルゼル、って、なぬっ!?」

ヴァルゼルドの上げた大声に、「過去」にメラメラ私怨を馳せていた俺は意識を現実に戻す。
そして、次の瞬間驚愕。

「む、無傷!?」

視線の先には召喚術を被ったにも関わらず、ちっとも堪えていない帝国兵達の姿が。
結構な魔力を割いたというのに誰一人として致命傷を負っちゃいない。「ふぉあああああああっ!!」とか訳の分からない奇声あげながら依然カイル達と打ち合っている。
わ、わいのドリルラッシュが!? は、初公開だったのに!? 初公開だったのに!? 大事なことだから二度言うけど、進化ドリルの初陣だったのにっ!!?

「なして!?」

目の前の光景にぶったまげることしか出来ない。
取り敢えずドリルは置いとくとして、実際召喚師でもない帝国兵達が無傷ってのはおかし過ぎる。くたばらないにしても致命傷に近いダメージは与えられる筈。
繰り返すが魔力だってかなり込めたんだ、一人や二人くらい再起不能になってもらわきゃ割に合わない。

……あのスーパーモードのせいなのか?
何が彼等を駆り立てるのかは知らないが、その源によって水を得た魚ならぬ星を得たヒゲ並みに無敵状態に……って、ざけんな。それは余りにも理不尽過ぎる。時間制限も無視だなんて許されることじゃない。
破損した鎧や若干鈍くなった動きから見るに、完璧に無傷という訳ではなく少々の被害はあるようなのだが……

「……って、そうか。『反魔の水晶』……」

戦場となっている通路の左右両端に走っている純白の大理石。
その段上には薄い光を宿す結晶体が文字通り浮かんでいて、通路沿いに幾つも連なっていた。

魔力効果緩和石。
アンチサモナイトとも言われるそれは、範囲内における魔力効果および召喚術の力を減少させる属性を有している。攻撃は勿論、回復や性質付加など魔力的要素全てが阻害の対象だ。
俺のドリルラッシュもあの水晶により威力を多大に削がれてしまったのか。
それならば帝国兵達の健在ぶりにも納得がいく。彼等が無茶苦茶な存在になったのではなく、戦場そのものが召喚術効果の薄れる環境であったのだ。
更に言えばあの通路はそこまで広くない一本道。左右均等に反魔の水晶が敷き詰められていれば、嫌だろうがなんだろうがそれの効果領域に誰しも含まれることになる。

馬鹿か。此処の地形条件を忘れていたなんて。
どうやらアティさん達のことで気を詰め過ぎて頭が上手く機能していないらしい。切り替えねば。
つまり、あれか。戦場の中心地ではほぼ召喚術は役に立たないということか。
敵の方も同じ条件だから何とも言えんが…………少しやりづらい、か?

通路の特性上で場が狭いだけに、直接相手とぶつかり合う人数は限られてくる。
取り換えがきく帝国軍はともかくカイル達には連続戦闘を強いることになってしまう。召喚術の援護、サポートが効果を発揮しにくいとなると益々まずい。
しかもあっちは勢力のほぼ全員投入しているだけに数は多いし何故か知らんが能力向上してるしその上以心伝心してるような動きを見せるし。
ぶっちゃっけ、普通に強いのだ。
くそ、とうとう人間にも忌まわしき呪いの効果が現れてしまったのか……!

普段のカイルを始めとしたスーパー無双が発動していない。このままではいずれ数の多寡がカイル達前衛にのしかかっていくことになる。
……いやまぁ、カイルとかスカ―レルも帝国兵と似たような状態になってるから、悲観することでもないのかもしれないけど。
「まだまだぁーーっ!!」とか吠えて押し負ける気配ないし。


(いや、それよりも問題は……)


視線を主戦場より後方、高低差が生じている通路奥に移す。
高い場上で陣取っている少女。どこか拗ねたような顔で此方を見下ろしているイスラ、今はあいつの方が厄介だ。

嫌な位置にいる。
遠くもなく近くもない距離。援護は十分な射程内に落ち着いており、またすぐに自ら戦闘へ駆け付けることが出来る。
それに戦場全体を一望できるあそこからは、戦況がどのように推移しているか手に取るように解るだろう。
イスラの動き一つで流れがどうとでも変わる。
前回の戦闘を振りかえっても何をしでかすか解らない為、なおさら怖い。
背後からグサッなんてもう洒落にならん……。

「……んっ?」

(……気付いた)

イスラの瞳に俺の視線がぶつかる。
首にかかる程度に短く切り揃えられた髪をくるくると弄っていた手は止まり、黒塗りの眼が僅かな時間此方に固定された。

「…………あはっ」

そしてすぐに、相貌へ薄い笑みが貼り付けられる。
双眼を細めてくるイスラは纏う雰囲気をがらりと変え、明らかな臨戦状態をとった。
……嫌な予感しかしない。

「久しぶりっ、ウィル! 会いたかったよ!」

「ハイお久しぶり。僕はもうちょっとまともな所で会いたかったです」

「そうかなっ? 戦場で巡り会う二人っていうの素敵だと思わない!? 運命、って感じでさ!」

「病院行こう、イスラちゃん? お願いだから、ねっ?」

頭ちょっと見てもらおう? と結構マジ入って憐憫の目を送る。
それに対してイスラはクスクスと可笑しそうに笑って肩を揺らす。普通に流された。
そして隣からにゅっと伸びてきた足に何故かマイフット踏まれた。痛いよソノラさん。
何すんの…、と問いかけたら「……くっちゃべってないで集中するっ!!」と叱られた。
なんでやねん。俺のせいじゃないだろう、それは。……理不尽だよ。


「じゃあ、再会のしるし! 受け取ってね!! ────全隊伏臥!」


馬鹿な戯言をほざいたと思ったら、後には打って変わって鋭い指示が飛ぶ。
不敵な笑みを浮かべたまま、イスラは片手で抜いた剣を大横に振り抜いた。
剣の軌道上には────反魔の水晶。

「!?」

破砕する結晶体。
水晶上部が綺麗に破壊され、そして次には散弾のごとく、青に煌めく小塊が此方目がけ飛来してきた。

「うおっ!?」

「ちっ!?」

『ヌゥウッ!?』

原因不明のステータスアップしている帝国軍は一矢乱れない動きで地面に伏せ、間髪いれず開けた視界から魔弾が襲いかかる。
前方にいるカイル達はそれを存分に被り、俺達後衛組にもその余勢が届く。微小の結晶群により燦爛とする空気中に、血の斑点が飛び交い入れ混じった。

「なんてことしやがるっ……!?」

「アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」

続けてイスラは剣を振るう。
水晶の砕かれる甲高く奥深い鳴音が間の隅々まで伝播。哄笑と光粒が次々とばらまかれていく。

一発一発は致命傷になりうる筈ないが、無数の弾丸となって押し寄せるとなると馬鹿正直に頂く訳にはいかない。ステップを踏み、剣で切り払い、どうにか往なしていく。
拡散する攻撃に自ずと回避動作も大きくなってくる。反撃が封じられた。
畜生、あいつもよく考える……!

「みんな、結晶破壊して!」

『了解!』

弾幕を張り続けるイスラが、俺達同様身動きが取れない兵達に指示を出す。
それを受け、帝国兵はなんと寝そべったまま自分達の得物を投擲。超殺到した武器群により、あろうことか、此方の領域内にあった反魔の水晶は破壊された。

「ちょっ!?」

眼前で起こった光景に間抜けな声を漏らしてしまう。
明らか無理な体勢で武器を投げたにも関わらず、両サイドの水晶は完全粉砕。パラパラと蒼銀の欠片が大理石の上に零れていった。
何故ゆえ!? その状態で破壊とか在りえんだろ!? つうか何があんた達をそうさせる?!

思わず目をひん剥いて固まってしまったが、しかしすぐに容易く破壊されたその要因を察した。
散弾の狙いは俺達だけではなかったのだ。いや、あくまで本命はこちら、召喚術を妨げる反魔の水晶。
俺達を強襲すると見せて、散弾は確実に水晶の身を削っていた。
つまり、イスラの目的は────


「ブラックラック!!」


────広範囲召喚術!!
凝縮された魔力の波が大気を押し潰しながら此方へ突進してくる。
この状況での回避は不可能。一本に仕立てられているこの通路は上方及び後方を除けば密閉とほぼ相違なく、俺達を逃しなどしない。
光の氾濫が怒涛の如く押し寄せてきた。

「ヤード、ファリエル!!」

「! はぁああああああああっ!!」

『オオオオオオオオオオオオッ!!』

迫りくる閃光を前にして二人の名を張り上げる。
俺の意思を汲みとってくれたのか、ヤードとファリエルは魔力を集中させ防護障壁を形成する。
紫紺の輝きを纏う壁がパーティの前面へ姿を為した。

そして、炸裂。

閃光の束が障壁と衝突し、激しいスパークを巻き起こす。
光が爆発を伴って、障壁そのものを絶えず震わしてきた。

「ああああああああぁっ!」

微力ながら補助しようと、霊のサモナイト石と「水夫のお守り」を媒介に魔抗を発動。
耐霊属性の効力を魔力に着色させ、特大の魔抗を放出した。

大気がうねり、二つの力の拮抗が世界の音を占領する。
やがて炸裂を重ねた光の波動は四散するように弾け、紫紺の粒子となって宙へ舞っていった。
此方の負担は決して小さくないが、障壁は健在。

「!!」

「お前の属性じゃ、ちょっとやそっとの魔力籠めたって届かない」

瞠目するイスラを希薄となった障壁越しに見つめる。
こっちには霊界のスペシャリストとも言える召喚士が二人もいるのだ。しかもどちらも無色に伝えられている術式を使用している。ファリエルなんぞ共界線からの知識で祓いの儀式や結界関係にはめっぽう強い。消費が大きいのと鎧で受け止めるのに慣れちゃったのでお披露目することは少ないようだが。
同じ土俵なら、二人がそう簡単に負ける筈がない。

障壁は取り払われると同時にカイルとスカ―レルが前へ出た。
得物を失った帝国兵達をここぞとばかりに潰しにかかる。電光石火の勢いに、帝国兵達は対処が間に合わない。

「ソノラ、ヴァルゼルド! 撃って!」

「任せて!」

『了解!!』

此方も間を置かずにソノラとヴァルゼルドへ狙撃を指示。
指で方角を示した先には、イスラの狙い同じく反魔の水晶。

「っ!」

イスラが散弾として利用したそれは既に半壊状態。強度は決して高くない。
ソノラとヴァルゼルドの精密射撃により、イスラの側に控える水晶も音を立て完璧に砕け散っていく。
これで、あいつもまた守りを失った。

「「召喚!!」」

ヤードとファリエルの声が重なり魔力が一気に立ち昇る。
既に説明は不要。あちらが仕掛けてきた戦法をそっくりそのまま返してやるだけだ。
雷精と光輝く武具が異界の門より召喚される。


「テコ!」

「ミャッ!!」


テコの魔導書が光発するのを合図に、三者三様の召喚術が一斉に放たれた。

「!!?」

イスラの元に雷条と武具が光の軌道を作って押し寄せる。
更に逃さないと言わんばかりに床より幾つもの氷柱が露出。全方位から飛び出してきた氷塊に、イスラは周囲まるごと一挙に噛み砕かれた。

着弾。

雷光と剣戟が付近一帯を飲みこみ、塵灰を巻き上げた。
直撃だ。「召喚・深淵の氷刃」により回避行動も許されなかった。少なくとも、すぐには戦闘を続行するのは適わない筈。
イスラが討たれたことで帝国兵達に動揺が走っている。この機を見逃す筈もない。

(畳みかける……!)






ウィルは剣を抜いて床を蹴る。全滅を目前にした敵を前にして足を止める理由などどこにもない。
慎重になる動機も警戒する対象も払拭された疑いようのない戦況。
誰もがそう思ったように、ウィルもまた自分達の優勢を疑っていなかった。
いや、疑える筈もなかった。




「惜しかったね」




だから、それは彼にとって不意打ちを超えた奇怪でしかなかった。


「────────」


未だ続く戦闘の律動を抜いて届いてきた一つの発声。鼓膜を震わした確かな声に、ウィルの時が止まる。
脳がそれを幻聴だと示唆する。あり得る筈がないと。今この時この場所でこの状態で少女の声が存在する筈がないと。偶発的に発生した誤認情報だと、降りかかった事象に対して拒絶の意を示す。
だが、理性を含む戦闘本能は警鐘を限界まで鳴り散らした。
培った戦闘経験は行動の停止を良しとせず、反射的に顔を上へと導く。
戦慄にまみれる眼球が向かう先は戦塵が舞い上がっている空間。少女が立っていた通路奥。


内奥を遮っていた灰煙が、何かの圧力に押し退けられるように放射状へ散っていく。


顕になった先の光景。紫電が千切られたように細かく大気へ走り、五振りの武具が無残に転がり或いは突き刺さっている。
更には罅割れて、先端が溶解している幾多もの氷柱の連なり。
最後にその中心には、漆黒の少女が悠然と佇んでいた。

(────在り得ない)

連続で叩きこんだ中級召喚術。
結界も無しに、あの規模と威力を直撃しながら無傷など、絶対に在り得ない。

「もう少しで抜かれる所だった」

「!!」

口元に曲線を描くイスラの周りに幾つもの炎の帯が螺旋を作る。
彼女を守るように取り囲むそれは火の欠片を散らせ、識得の間を橙に照らし出す。
誰もが動きを止め、彼女の方向へと向き直った。

続くようにイスラ自身にも変化が現れる。
臀部からは極上の毛並みを持つ淡色の尾、頭には白く尖った獣耳。
人の持たざる器官が彼女の内から生え出した。

「なっ……」

ふくよかな尻尾は弧を描き艶やかに舞い、獣耳は尻尾ほど滑らかな動きではないが、両方同時に上下へコトコトと揺れた。
作り物には出来ない確かな生物の動作、ともすれば偽りの類には見えない。
理解の範疇を越えた光景にウィルは言葉を失い、イスラはそれを見て愉快げに目を細める。
そして、炎の帯に付属するように、夥しい呪符が次々と具現した。

「────────」

悟った。
目の前の光景も、今自分達の置かれている現状も、ウィルは全て理解した。

一連の流れは全て布石。
反魔の水晶を攻撃手段に用いたのは此方の召喚術を誘発させるため。
召喚術が力を発揮できないこの場で、その原因を担う結晶を壊してみせれば嫌でもそちらに注意がいく。
ご丁寧にもイスラ自らその攻法を実践してみせ、そして見せつけることで此方にそれを行う段取りを植え付けていた。
大規模の召喚術を発動させることで、次回への魔力関与の反撃及び防御手段を潰す。
彼女の目論みはそれだ。
おまけに自らがその火力を被って完全に防ぎきることを演出し、此方に動揺と隙を浮かび上がらせた。
事実、ウィルも縮まった脳内時間の中で思考展開するだけに留まっており、今は誰一人として行動を起こせていない。

最後に、召喚術に耐えきったイスラの防御手段。

“あれ”は恩恵。
召喚獣を身体に取り入れることで、彼等の力を一時的に身につける特殊形態。
攻撃補助、自然治癒、運動向上、そして魔効守護。召喚獣の数だけ存在する様々な強化形式。
────そう、憑依召喚。


イスラから生えた尻尾と獣耳が大きく揺れ始める。
そして遂には、蛹から羽化する流麗な蝶のように、イスラの背中から一体の召喚獣が姿を現した。

軽やかな矮躯を包み込んだ赤と白の礼装。
絹の如く滑らかで、清流のように零れおちる尾と同色の長髪。
双眼を覆う狐を模した白面。

鬼妖界シルターンの召喚獣「狐火の巫女」。
そして執行された召喚術は「憑依護法陣」。召喚師の中でもごく僅かの者達にしか扱えない専用召喚術。
憑依した対象を、ありとあらゆる召喚術から守護する────界壁術式。
散りばめられた要素が一本の線で繋がり、一つの結論を導き出した。


ウィルは悟る。



「ウィルはさぁ、何か勘違いしてたみたいだけど……」



自分は、嵌められた。



「私の十八番(おはこ)は、鬼属性(こっち)だよ?」



────女狐



口を吊り上げる少女の姿に、ウィルは硬直したままその言葉を紡ぎ出した。


「ココノエ!」


即座、イスラの疾呼が飛ぶ。
「ココノエ」という名で呼ばれた「狐火の巫女」は主の声に従い、瞬時に身を翻した。

前面に踊りたった狐火の巫女は呪符を自分の頭上へ纏め上げる。
数多の呪符が彼女の周りで踊り狂い、その薄身に抑え切れぬ魔力を発散させた。



「黒炎陣符!!」



爆砕

「──────ッッ!!!?」

「~~~~~~~~~~~っ?!!」

『ヌゥウウウウウウウウウッッ!!?』

呪符が一つの意思の元にウィル達の元へ殺到。
周辺へ環状に展開したそれは、立て続いて魔力の雲ともいえる紫紺の帯を構築し、次には大爆発を発生させた。

『マスターーーーーーーッ!?』

「ヤードッ、ファルゼンッ!?」

上級召喚術。
Aランクに相当する火力が華を咲かせる。爆発は広範囲に及びウィル達召喚師を一気に飲み込んだ。
燎原の火。危機一髪回避したカイル達を傍らに、膨れ上がり破裂する猛火が黒煙を吐き出していく。

「…………ッ!!」

周囲を炎で埋め尽くされる中、超反応による魔抗の行使で直撃を避けたウィルは、後ろに空足を踏みながらも咄嗟に視線を巡らせた。
ヤードはかろうじて倒れるのを踏み止まっているが、鎧を破損させているファリエルは耐えきれず膝をついている。
被害は甚大。そして何より、

(沈、黙っ……!?)

魔力が、封じられた。
「黒炎陣符」に付属されている異常効果。符に記された呪印は対象の魔力を束縛、「沈黙」させる。
────まずい。ウィルの頭の中で神経をすり潰すような軋轢が生じる。

「おまけだよ」

「っ!?」

イスラの隣で詠唱を開始する二人の召喚兵。
早過ぎる。この展開の為に、彼等だけはあらかじめ身を潜ませていたのか。
的中した懸念と予想を覆す速度の連続展開。
ウィルの貌から色が抜け落ちた。

召喚術────防御、相殺手段は殺されている。
直撃は絶対。


「放て」


第二波


「きゃああああああああっ!!?」

「ぐああああああああっ!?」

今度は例外なく誰をも完全に巻き込み、召喚術はカイル達を吹き飛ばした。
閃光と衝撃が世界を飽和させる。

「?! ヴァルゼルッ……!!?」

『────────グ、ガ』

ウィルの視界を黒影が塞ぎ、次には破壊の光によって薙ぎ払われた。
召喚術を放たれる前に行動を開始していたのだろう、ヴァルゼルドはウィルの前に立ち塞ぎ主を守る盾となった。
轟音を響かせ仰向けに転がる巨体、その頭部から瞳の光が消える。ボディを焼き焦がした従者は完全に機能を停止させた。


「終わりかな?」


「ッッ!!?」

漆黒が駆ける。
口を歪め、片手に剣を提げた死神が空間を走り抜ける。

烈火の勢いに肉薄する間断ない侵攻速度。
此方の対処行動を置き去りにする、疾風怒濤の体現。
速過ぎる。

止め。
たった一人。もう後はない。
為すがままに蹂躙される。


────負ける


凶気に染まる対の瞳が、ウィルを貫いた。





「スクリプト・オン!!」





「なっ!?」

「!?」

蒼光。
燦然と輝く燐光がイスラとウィルの眼前に介在し、刹那「エレキメデス」が召喚される。
何条もの雷電がイスラに向かって踊りかかった。

「アルディラ!?」

背後を振り返える。
ウィルの視界に入ってきたのは、顔を歪め四つん這いになり、それでも此方へと手を突き出しているアルディラの姿。


そして、白の外套をはためかせ疾走する、赤髪の剣姫。


「!!」

交じり合う瞳。邂逅は一瞬。
アティはウィルを抜いてイスラへと邁進した。

「……あはっ、アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!!!」

肉薄するアティを捉え、イスラは狂ったように笑い出す。
「エレキメデス」による電撃を被り後退していた彼女は、己の眼が映し出す光景の中へ飛び込んでいった。

トップスピード。
互いに速度を緩めることなくアティとイスラは存在する距離を駆け抜ける。

沈黙した「剣」を携えるアティは蒼眼に意志の光を乗せ。
狂笑にまみれるイスラは黒眼に悦楽の色を乗せ。
両者互い、瞳が射定める影に向かって突き進む。
そして激突、

「ッッ!!」

「!」

その寸前に、アティは旋回。
外套を身から取り外し、イスラの視界に押し放った。
イスラの前進が止まる。

「はあっ!!」

繰り出された剣突。
視界の全てが死角となったイスラへ「剣」が疾った。
アズリアをも破ったアティの戦法。虚はそのまま必殺へと繋がる。
刃が外套を貫き、イスラへと進み────


「無駄だよ」

「!」


────受け止められた。

「全体重をのせたお姉ちゃんの突きならともかく、ギリギリまで間合いを測っていた私に届く筈ない」

嘲笑と共に紡がれる言葉。
白の外套が重力に引かれ落ち、アティの顔とイスラの顔の間にあった仕切りが取り払われる。
細められた瞳と見開かれた瞳、両者の視線が交差。
イスラの口が吊り上がった。


「ぼろぼろになった今のアティ一人で、私に敵う訳ないじゃん」





「一人ならな」





「────────っっ!!?」

下段。完璧な不意。
落ち行く外套の影、残った死角から飛び出してきたウィルが剣撃を見舞う。
地面すれすれから繰り出された細剣の一閃。
驚愕に目を染めるイスラの元に斬線が伸び上がった。

「くっ!?」

驚異的な反射速度でイスラもまたそれを既の所で回避する。
だが、アティはそこに生まれた隙を見逃さない。一気に前踏し、重心が後ろに傾いたイスラへ渾身の斬撃を放った。

「はぁああああああっ!!」

「っ!!?」

右袈裟斬り。
大上段から振り抜かれた一撃はイスラの剣を捉え、そのまま後方へと押しやった。
彼女の足が床を激しく擦過し、後退を余儀なくさせる。

「テコッ!!」

叫喚と共に突き出される獣のサモナイト石。
既にアイテムで異常効果を解毒させたウィルは高速召喚を発動。彼の最大魔力がこの術に根こそぎ注ぎ込められる。
巻き起こる巨大な召喚光。膨大な光源として現界する緑色の光華が、この場に存在する全ての瞳に煥乎の花弁を舞い落とした。

「……っ」

キャパシティを遥かに超えた過負荷。
絞り立てられていく魔力と悲鳴を上げる神経に、ウィルの顔が罅いるように歪んだ。

「────大丈夫」

「……!!」

だが、それも意に介さない。
今、自分は一人ではないのだから。

背後から伸ばされた腕。
ウィルの腕を抱くように、彼女の手は発光するサモナイト石を掴んだ。石を握りしめるウィルの小さな指ごと、包み込んでいる。
背中から感じる彼女の温かさ。そして、力強い息吹。
ウィルの瞳に絶対の意志が灯る。加速する鼓動を全身の源力へと変え、自分を包み込んでくる彼女と共に魔力の奔流を解放した。


「「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!」」


喚び声に応えるのは魔装装束を身に纏う一体の召喚獣。
召喚術式を受け、本来の姿から成長を遂げたその身からは傑出した魔力を湧き上らせている。
召喚獣──テコは巨大な魔導書を前面展開。開くと同時に十字の陣が形成され、門が開通を至る。
書に内包される最強の術、紅の鱗に包まれる竜頭を現界させた。


────協力召喚────




「召喚・焔竜の息吹」




咆哮。
巨大な顎から放たれた竜炎が、通路を余すことなく迸った。
進路上にいた帝国軍全てを呑み込み、突き当たる壁面まで火焔が伸長する。

一直線に引かれた灼熱の軌跡。
大気をも蒸発させた咆火が通ったそこには無事な者は誰一人としていない。

極大の紅蓮が、全てを灰燼に帰した。







「…………手負いの相手に、これ?」

通路の一角で片膝をつけ姿勢を低くしていたイスラは自軍の惨状に呟きを漏らした。
炎に押し出される形となった帝国兵達は通路の奥で死に体となって固まっており、イスラ以外動く者は皆無だ。
彼女自身少なくないダメージを隠せていないが、彼等よりかはマシであった。
前髪をかき上げながら、イスラは肺に溜まっている空気を吐き出していく。

「…………」

ウィルはそんな彼女の姿を見据える。
召喚術を放った直後、自分の視界の隅に映った紅の光。
まるで血のような深い光彩は「レックス」の記憶に未だ鮮明に焼き付いている。

────「剣」の魔力を使ったのか。

でなければ説明出来ない。
あの火力をもってしても撃破を受け付けない、という事実は。

「……痛み分けって所だね。少し不甲斐ないけど」

ゆっくりと立ち上がったイスラはウィル達に向かい口を開く。
薄い笑みが張り付いた顔は、どこか楽しそうだった。

「撤退させてもらうよ。君達が追ってこれない内に」

「…………」

「…………」

踵を返しイスラは背を向ける。
それをウィルはアティと共に黙って見詰めていった。


「バイバイ。ウィル、アティ」


────今度は最後まで、やり合えるといいね
最後にそう言い残し、イスラは通路の奥へ消えていった。







「ボロボロ、ですね……」

「はい……」

暫く経ってからウィルは静かに呟き、アティも目を伏せながらそれに頷いた。
────肉体的にも、精神的にも。
ウィルは最後までそう続けることはなかったが、その言葉が後に隠れていることをアティも察しているだろうと感じた。

カイル達の方に目を向ければ、みんな意識はあるようだがやはり疲弊しきっている。
傷を負っている身体に鞭を入れて誰もが治療に回り、お互いを助け合っていた。

でも、それは外面だけのもので。
誰も思い感じている言葉を出せずに……彼女達の胸の内に、触れられずにいる。
誰も、動けずにいた。


「………………」


この光景を前にして胸に抱くのは僅かな喪失感。
解っていたとはいえ、彼女達に傷を負わせてしまったこの結果が堪らなく悲しい。
去っていったイスラが見せた最後の笑みが思い出される。
今の自分達と、これからの行く末をせせら笑っているようで、少し腹が立ち、本当に憎らしくなった。

「……」

もう「過去」とは大きく逸れている。
この先何が待ち受けているのかウィルには想像できない。
誰かが涙を流す未来を迎える気は毛頭ないが、この時ばかりは暗い緞帳が心に下りていて、少し気が重くなった。

「…………」

「ウィル、くん……?」

だけど、やっていけるだろう、と思う。
隣の彼女がいる限り、自分達はきっと間違わない。ウィルはそう思う。

今までの彼女の姿を思い出して。
みんなに向けられるあの笑顔を想起して。
今日自分を信じて、イスラに立ち向かっていった彼女を想って。

自分を助け、支えてくれた彼女を感じて。

ウィルはそう確信する。
今も手に感じる温かさは、きっと自分達を導いてくれる。

「…………」

「…………」

寄り添うように立っていた彼女の手の中。自分から絡めた指はトクトクと鼓動の音に震えている。
初めて、自ら握った彼女の手はやはり細く、やはりとても暖かった。



握り返してきた彼女の温もりに。
太陽みたいだ、とふとそんなことを思った。



[3907] サブシナリオ7
Name: さもない◆5e3b2ec4 ID:7f8d6cd5
Date: 2009/08/13 17:54
「ならぬと言ったらならぬ!」

「どうしてだよ!?」

声を荒げるスバルとミスミ様。
こうして声を張って言い争うことは決して珍しくない親子ではあるが、今日の所は少し様子が違った。
真剣な目で睨み合い、どちらもこの場を退こうとする気配をみせない。

「ど、どうしたんでしょうか?」

「……喧嘩ですかね?」

風雷の里に足を運んだ俺とアティさんは、鬼の御殿から聞こえてきた声に引かれ、今こうして繰り広げられている親子喧嘩を目の当たりにしていた。
何時になく激しいやり取りにアティさんは唖然とし、俺は「前」に見たこの光景を思い出耽るようにして目を細めていた。


遺跡で事が起きてまだ二日。
彼女達に暫く時間を与えようと決めたアティさん達は、それの尾に引かれながらも以前の通りのサイクルを取り戻している。
現状の放置はただの逃避ではあることは解っているが、ファリエルとアルディラが消耗しているのは事実だ。彼女達を休ませる為に俺もみんなの意見に反対はしていない。

まぁ、俺はこれからお見舞い兼お話しをしに度々行く心算だが。例え拒絶されたとしても。
アティさんもきっとやるだろうし、何よりこのまま彼女達を放っておくのは俺自身が許しはしない。
嫌われようが罵られようが、彼女達の笑顔が戻るならお節介でも何でもやってやる。
ああ、絶対に。


「そなたのような子供が出る幕ではないわ! 戦いは遊びではないのだぞ!」

「言われなくたって、オイラそれくらい分かってるよ!!」

スバルとミスミ様は納まることなく声を散らし合っている。
見兼ねたアティさんが側に控えているキュウマとゲンジさんへ事情を尋ねに向かった。

二人が揉めている内容はスバルの戦闘参加について。
「レックス」の記憶を参考にしなくても、自ずと聞こえてくる二人の会話を聞いてれば察しがつく。
スバルがミスミ様に、本気で戦場へ飛び込みたいと望んでいるのだ。

「本来ならば既にミスミ殿が笑い飛ばして終いなのじゃがな」

「今日ばかりは、スバル様が一向に引こうとしないのです」

ゲンジさんは悟ったように、キュウマは仕方なしと苦笑するように説明する。
ミスミ様とはまた別の立場にいる彼等は止めることはせず、あくまで中立を保ってスバル達を見守っていた。

……今は全く関係ないことなのだが、キュウマがこの場に居合わせていることに対して何だか不思議な感じがする。
「俺」の時は「キュウマ」が事件を引き起こしたので、「この時」は姿を現さなかったのだ。
この一大事にあのクソ野郎、と「当時」は怒り募らせていた「俺」だったが……いざこうやって同じ場面でキュウマがいる所を前にすると、また変な感覚に襲われる。

別におかしいという訳ではないのだが、映画の全く同じシーンでの風景の違いとでも言えばいいのか、そんな印象を受けてしまう。
どちらが本当だとか、そんな区別はない筈なのに。

ダメだな。また感傷みたいなものに袖を引っ張られている。
今スバル達を支えられるキュウマがちゃんといる。それでいいではないか。
思うことなんて、何もない。

「自惚れるでない!」

「あうっ!?」

ミスミ様の平手打ちがスバルの頬を捉えた。
父親が自分と同じ年頃で活躍したことを引合いに出したスバルをミスミ様は戒める。
お前に父親と同じことが出来るものか、と。
それでも食い下がって反抗するスバルだったが、繰り返してミスミ様の手が一閃された。

「っ……! 母上なんてっ…………だいっ嫌いだあっ!!」

涙を振り撒き、スバルは座敷を飛び出していく。
顔を伏せ遠ざかっていく背中が、また何時もより小さいものに見えた。

「スバル君!?」

「僕が行きます」

追いかけようとするアティさんを押し止めて外に出る。
男には男、女性には女性。話を聞くというのならそれが適材適所だろう。

ミスミ様の方をアティさんに任せ、俺は小さくなってしまったスバルの背中を探しにいった。








然もないと  サブシナリオ7 「ウィックス補完計画その7 ~母と子と教訓と~」








俺が御殿の塀を越えた頃にはもうスバルは見えなくなっていたが、里の中を回っていると程なくしてその姿を認めた。
青々とした空を映す大蓮の池。そのほとりにスバルは身動き取ることなく胡坐をかいていた。
此方に向いている背に近寄っていく。

「……兄ちゃん」

「隣いい?」

僅かに首を持ち上げるスバルに尋ねる。
スバルを俺の顔を暫く見たあと、目を背けるようにしたあとコクリと頷いた。
許可を得た俺はスバルのすぐ隣に腰を下ろす。視線は前に固定してこの空間にただ身を委ねた。

「…………」

「……」

「…………」

「……」

「……兄ちゃん、連れ戻しにきたんじゃないのか?」

「いや。僕はスバルを追いかけてきたけど、連れて帰ろうと思って来た訳じゃないよ」

「…………」

「今スバルが何を思っているのか聞きたいな、って」

顔を向けてスバルと相対する。今は力がないやんちゃそうな吊り目と視線を絡ませた。
スバルは此方を窺っていたが、やがて顔を俯けるように視線を池へと落とした。

「…………母上は解ってくれない。オイラが何も出来ないって決めつけてる」

「……」

「母上の言う通り、オイラ子供だけど、でもちゃんと戦える。自分のことくらいちゃんと守れる。キュウマだってそう認めてくれたんだ。……なのに」

スバルはぽつぽつと胸の苦情を語り出す。
言っていることは全て事実。決して自惚れではなく、他者にも評価された実績もある。
それでも自分を認めようとしないミスミ様に、スバルはやりきれないと言った表情で不満を述べていった。

「……愛されてるなあ」

「……?」

スバルの話を一通り聞いた俺は笑いながらそう口にした。
俺の突拍子のない発言に、背の低いスバルは俺を仰ぎ見る形のまま目を丸くする。

「スバルには戦は早い。引っくり返しちゃえば、スバルを戦に出したくない、そういうことだからさ」

「!」

「ミスミ様はスバルのことをとても大切に思ってる。だから、愛されてるなって」

「……っ」

俺の言葉を聞いて、スバルは口をぎゅっと結び眉を一杯に寄り合わせた。

ミスミ様が頭ごなしにスバルの言い分をはね除けるのは、一重にスバルが確かな地の力を持ってしまっているからだ。
戦場に出ても十分な力量、少なくとも足手纏いにはならない、それだけの能力。
スバルが有しているそれを、正論で否定することは出来ない。

だからミスミ様はスバルの言葉を切り捨てる。耳を塞ぐように聞かぬと言って取り合わない。
スバルを、たった一人の子を危険に晒さない為に。
ミスミ様がスバルに向ける、一途な愛だ。

「スバルも解っているんだろう?」

自分に注がれる惜しみない愛情、ミスミ様に誰よりも愛されているという事実。
この子もそれを理解している筈だ。

「……解ってる、解ってるよっ、それくらい! 解ってるけどっ…………でも、母上の優しさに甘えてるだけじゃ、オイラ……っ!」

自分の願ってることは叶わない。
顔を歪めているスバルが抱いているのはその言葉。ミスミ様を守るという望みは、親愛を受け止めるということと同時には成り立たない。
だからスバルもミスミ様の真意を解っていながらあの場で引き下がることは出来なかった。

(やっぱ親子か……)

ミスミ様とスバル、どちらも相手のことを等しく想っている。
母親のことで悩みそしてその身を案ずるスバルの姿を見て、俺はほのかな苦笑いを漏らした。

「スバル、もう一度ミスミ様と話をするといい」

「…………」

「ただ、今度は自分が何を考えているのか何を想っているのかちゃんと伝えるんだ。怒鳴り合って自分の意見を主張するだけじゃなくてさ」

「何を想っているのか……」

「うん。自分の気持ちを知ってもらう、それが本当の話をする為の最初の一歩なんだって、僕は思うよ」

そういう俺も、平和な彼女を見て感化された口だが。
ああ、毒されている。間違いない。少なくとも「俺」はこんなことをさらっと言える人間ではなかった。
半ば人生やり直しに等しいここに来て、俺の中で何かが変わってきている。

……それも構わない、と思ってしまっている所から、既に手遅れなんだろうが。
まぁ、悪い気はしない。

意識を切り替える。
目の前には、俺の言った言葉を受け止めて黙り考え込んでいるスバル。
恐らくはこれでもう一度ミスミ様と話が出来るだろう。あっちの方もアティさん達がいるから心配はしていない。
今度はスバルもミスミ様も冷静かつ真摯に互いの言葉を聞ける筈。
もう本来ならすることはない、が…………少し、老婆心ながら語らせてもらうか。

「男は女性を守ってやらなくちゃいけない」

「えっ?」

「泣かせてもいけない」

「……兄ちゃん?」

「僕の母さんの言葉。女性はみんなか弱い生物なんだから、男は何が何でも女性を守る生物なんだ、って。すごい男女差別、ひどいだろ?」

そう言っておどけて笑ってやる。
実際、女性の方がいろんな面で強かったなんてことはざらだ。代表格は女傑か。……いかん、腹痛くなってきた。
スバルは何と言えばいいのか分からないようで困った顔をしていたが、俺はそれに構わず続けていく。

「僕の母さんちょっと頭ぶっとんじゃってる人でさ、価値観だとか考え方だとかが普通の人と変わってた。僕もそれ聞いて育ったから母さんのこと言えないんだけど……」

勿論これは「ウィル」の母親ではなく「俺」の母親だ。
生まれてすぐ母親を亡くしてしまった「ウィル」にはそれに関する記憶はほぼない。不用意にこんな話をするのはまずいかもしれないが、そこは母親代わりの人がいたとでも言って誤魔化せばいいだろう。

ちなみに「俺」の母親は普通にバリバリ生きている。アリーゼを軍学校に入学させて村戻った以来から会ってないが、恐らくピンピンしているだろう。
昔と何ら変わらず全く老けてなかったような気もするし。……何者なんだ、母さん。
そういえば、髪の色違うけど母さんアティさんに少し似てるな。今更だけど。
……当たり前だったりするのか?

「兎に角、そんな母さんは僕に何時もさっき言ったことを繰り返して聞かせてた。僕のルーツは多分それ」

語るまでもないと思うけどね。

「これは全部母さんの言ってたこと。……『女性は守ってあげないといけない。泣かせてもいけない。そして、女性の為に剣をとったなら、自分の命も責任をとらなければいけない。好意の有無は関係ない。絶対に、倒れちゃいけない』」

「……どうして?」

「もし死んじゃったら、守られてしまった女性は自分のせいで男がいなくなったと思っちゃうからだってさ」

いきなり話されて混乱しているだろうが、取りあえず母の独自理論について尋ねてきてくてくれたスバルに、俺は母の言ったことをそのまま引用して返答してやる。
そしてその言葉に何か気付いたのか、スバルははっとして目を見開いた。

「……いいか、スバル。僕達は誰かの為に戦うことを決めたら、絶対生きて帰ってこなくちゃいけない」

見開かれたスバルの瞳を真っ直ぐ覗きこむ。

「守ってそれでハイお仕舞い、それじゃあ絶対いけないんだ」

固まってしまったスバルも、俺の目から瞳を背けようとはしなかった。

「守るって決めた人、そして自分を含めた全員を救う方法を模索しろ。足掻くことを止めるな」

トン、と指をその小さな胸板に押し当てた。

「それが、何かの為に戦うってことを決めた奴の責任」

「…………」

「忘れるなよ」

ミスミ様を絶対に泣かせるな。
それを言外に伝えて、胸から指を離した。
スバルは指されていた胸に手を当てじっとそこを見つめた後、もう一度俺を見返してから、力強く頷いた。

「兄ちゃん、オイラ絶対母上の前から消えない。それで、ずっと母上を守ってやる!」

「ああ、約束だ」

破るなよ? と笑みを浮かべながらスバルの頭をクシャクシャとかき混ぜる。
スバルも笑いながら俺に為すがままにされた後、「おう!」と大きく返事をした。

立ち上がり、微笑み合いながら二人並んで鬼の御殿へ帰っていく。
歩いている内にふと、自分は余りいい見本じゃないな、とこれまでの戦闘を振り返りながら思ったが。
それのせいでこの子が無茶するようなら、それもどうにか出来るように自分が尽くそうと、根拠もなくそう思った。


隣の笑顔も、自分が守ろうとするモノの一つなのだ。













「では……始め!」

合図と共にスバルがミスミ様目掛けて駆ける。
振りかぶられ一気に下ろされた斧撃は、しかしミスミ様が横にゆるりと避けることで空を切った。
間を置かずミスミ様の槍が羽ねあげられ、スバルは慌てながらもそれを的確に回避。直ちに応戦する。

「っ! はぁあああっ!」

「遅い!」

銀と銀の軌跡が交錯し合う。


元服、という仕来りがシルターンの鬼人族には存在する。
子が親に挑み、己の力を示すという一種の儀式的催し。これを経ることで鬼人族の子は一人前として認められるという。
本来父親が請け負うそれを、ミスミ様が担ってスバルを相手にしていた。
これも彼女なりのけじめのつけ方なのだろう。

スバルが御殿に戻ってミスミ様と改めて話を交わした。
ミスミ様もアティさん達と話して落ち着いたのかスバルの想いの丈を全て聞き届け、こうして元服の儀をやることとなった。


父親のように強くなりたい。そして強くなってミスミ様を父親の代わりに守る。泣いているミスミ様はもう見たくない。
「以前」「俺」が聞いたことのあるそれをスバルはアティさんに語ったらしい。
ミスミ様もアティさん口からそれら言葉を聞いて今回の儀式を決心したそうだ。

「っ……。スバル君……」

「……激しいですね」

未熟な面が抜けていないスバルをミスミ様は容赦なく振り払う。流石に急所は避け峰打ちに留めているが、それでも攻撃の苛烈さは凄まじい。
一方のスバルもまた負けられないという気概を背負って、放たれる攻撃に怖じることなく何度もミスミ様に立ち向かっていた。
火花を散らす戟斧。撃ち出される妖術。加減のない母と子のぶつかり合い。それはスバルとミスミ様の想いの深さをそのまま表している。

(スバル……)





「その程度か、スバル!」

「くっ……!」

強い。
こうして得物を何合も交わし合うことで改めて実感させられる。
自分の母親はここまで強い。今の自分では到底及ばないほどに。

守る。
この言葉の意味を、重みを、身体の髄に叩きつけられる。
母を守るということは、今直面しているこの力同等、或いはそれ以上の力と刃を交え張り合わなければならないということだ。
刺し違える、そんな選択肢は打ち捨てて、相手を打倒しなければいけない。

軽々しい言葉ではないのだ。責も無く口にしていいものではないのだ。守るという言葉は。
父親が絶えた理由も解っている。
決して、半端な想いで達成できるものではないのだ。

(それでも……!)

自分は、守る。守りたい。
あの母親を守ってやりたい。
影で涙を流すあの小さな背中を。父親が支えてやれないあの泣き崩れる身体を。
愛する母親を、側で守ってやりたい。

仲間達を、島のみんなを、この今という時間を守りたい。
犯される日常を。血を流し、それでも戦い続ける強い仲間達を。
大切な時間を、大切な人達と共に並んで守っていきたい。

(見てるだけは、もう嫌なんだっ!)

蘇る光景は血塗れのウィルの姿。剣で貫かれ息絶え絶えになっている様は、今まで触れることのなかった死という現実を自分に叩きつけてきた。
ウィルに限った話ではない。あれが、アティにも、他のみんなにも、そしてミスミにもなり代わってもおかしくないのだ。
側にいてくれた人が、自分から遠ざかっていってしまうあの絶望的な感覚。
初めて、“怖い”と、そう思った。

もう知ってしまった。その感情を。胸を毀れた刃で削られるようなあの痛みを。“怖い”の本当の意味を。
大切な人達の帰りを待ち続けることは、もう不可能だ。

(だから、オイラは……っ!!)

ウィルを見る。
攻め立てる槍の僅かな間隙を縫って、此方を見つめ続けている彼を見やる。
ボロボロに傷付き、それでも戦う理由の為に奔走し、そして必ず守り、生き残ってきた彼の勇姿を脳裏に現像させる。
自分を含めた全員を守って見せろ。そう言った彼の顔を思い出す。

母を見る。
振り下ろされた一撃を受け止め、鋭い眼差しで自分を見据えてくる彼女を見定める。
憂いに染まり、伴侶がいない今を嘆き、静かに涙を零す彼女の姿を胸に刻み込む。
慈愛の目で見つめる、彼女の穏やかな顔を瞳に焼き付ける。

(父上のように、みんなを守ってっ!)

母とこの島を守った、もう会えない父親へと想いを馳せる。


「スバルーーーーーーーーーーッ!!!」


大気が圧縮され陣風が巻き起こる。
ミスミの咆哮に従い、風の刃が乱舞した。

(絶対っ……!)

牙を剥き駆け抜ける疾風。
視界が風の姿と色で染まり、引導を渡さんとうなり声を轟かせてくる。

(絶対にっ……!!)

風刃が眼前へと翻り。

そして、相対する己の身体から、猛る電流が迸った。



「母上の前から、居なくならねええええええええええええっっ!!!!」



──────雷光







「相も変わらず……」

とんでもないな、と目の前で起こった雷撃に呟きを漏らす。
スバルが叫んだと同時に放出された凄まじい雷は、風刃をはねのけミスミ様へと命中した。
目を眩むほどの光の塊を直撃したミスミ様はそのまま力尽き、今は仰向けに倒れた態勢でアティさんに抱えられている。

倒れ込む寸前にアティさんが受け止めたので怪我らしい怪我もないが、スバルは泣きついてミスミ様に謝っている。
そんな泣き顔で心配するスバルを、ミスミ様はあやすように慰めていた。

「終いじゃな」

「そうみたいですね」

「……お前は終始落ち着いておったな」

「え?」

「いやなに、そわそわと体を揺らしておった若造と比べ、お前は随分冷静だったからな。どっちがいい大人なのか解らん」

「……先生ですからね。良くも悪くも何でも一生懸命になっちゃう……」

「ははっ、的を得ていますね」

寄り添うようにしているスバル達を、俺とキュウマとゲンジさんは離れて見つめる。
軽口を交わしながらも、声には安堵の音色がそれとなく響き渡っていた。

「それに……」

「うん?」

「……スバルとミスミ様なら、どっちも解り合って元の鞘に収まるだろうって、なんとなく解ってましたから」

「……ふふっ、違いない」

「ええ、自明です……」

目に涙を溜めつつも笑顔のスバルに、やはり笑みでその頭を撫でるミスミ様。
どちらの気持ちも受け止め認めた親子の光景が、何時までもそこに在り続けた。













「…………」

立派に拵えられた墓の前で両手を合して佇む。
此処で眠っている良人へ、ミスミは何時もそうしているように冥福を祈っていた。

里の山際に位置する鎮守の社。周囲が木で囲まれているこの場は静寂に包まれている。
目の前で行われたスバルの元服も見守ってくれましたか、とミスミは目を瞑りながら語りかける。
自分達の息子は大きくなったと、寂しくも笑いながら我が子の成長を話し思い浮かべていた。

スバルを立派に育てていく。
この墓前でそう約束したのがつい昨日のことのように思える。
そして僅か一つの夜が明けた内に、あの子は自分の足で立ち、前を向き、強い意志を携え自分の胸から巣立っていった。
そんな風にも感じた。

本当にあの子は良人に似ている。そう苦笑の思いを禁じえない。
一度言い出したら止まらない気性も、あの何事にも曲がろうとしない一途な眼差しも。全てが良人にそっくりだ。
似なくてもいい所もすっかり受け継いでしまっている。
そうすると、今日この日を迎えることは必然だったのかもしれない、とそんなことを朧げに思う。

やれやれと、側を離れても自分の手を煩わす亡き良人に溜息交じりの文句を添えた。
瞳は柔和な形を保ちながら。


「……では」

また来ます。
そう言って社に礼を告げ、ミスミは踵を返した。
数枚ほどの大きな板石が敷かれる通路を過ぎて、階段に拵えられた鳥居をくぐっていく。
空は燦々と晴れ渡っており、千切れた白雲がまるで足跡のように連なっていた。
空の上から見守っていたのかもしれない、と自分の想像にくすりと一笑して、ミスミは石段をゆっくり下っていった。

「……ん? あれは……」

階段の半分も過ぎた所で、階下に広がる光景をミスミは気付く。
ちょうど開けているそこにはスバルとウィル、それにパナシェとマルルゥが笑い合って戯れていた。
みな年相応の幼い顔で、走り合って遊びに興じている。

「…………」

自然と此方も笑みが浮かぶ。
穏やかな顔つきになるのが自分でもよく分かった。

この光景はとても尊いものだ。ミスミにはそれがはっきりと分かる。
本音を言ってしまえば、スバルにはあそこにずっと居て欲しかったのだが、それも仕方無しだろう。あの子が自分で選び定めたのだから。
それに例えスバルが戦いに身を投じても、この光景は失われない。失わせはしない。

「いい天気じゃ……」

上から降り注ぐ日差しに目を細めながら、階段の下部の所で腰を下ろす。
暖かな日溜りの場所で、ミスミは子供達を見守り続けた。












夢。
夢を見ていた。
暖かく、幸せな夢。

そう、夢だ。
もう叶うことのない、とても綺麗な夢。

すぐ隣、左手には自分が愛した良人がいた。豪快に笑い、もはや聞き慣れた大きな声が耳朶をくすぐっている。
右手にはスバル。今と変わらない姿の息子が自分の腰にしがみついており、良人と自分へ随喜の顔で頻りに話しかけていた。
二人とも笑みを浮かべ、そして彼等に挟まれている自分も幸せそうに微笑んでいる。

三人で共に、一面穏やかな白を装う空間を歩んでいく。
どこまでもどこまでも。いつまでもいつまでも。


それは有り得ない光景で、ミスミが置き忘れていった過去の情景だ。望んでやまなかった一つの願いでもある。
だから、これは夢だ。今は迎えることのない、掛け替えのない夢。

悲しみは、ない。寂寥も、ない。
ないと言ったらそれは嘘なのかもしれないが、少なくとも、今この時はない。

これがほんのひと時の夢幻だったとしても。消えることが約束されている僅かな時間だったとしても。
今自分は確かに、幸せの中に居るのだから。

無粋な想いはなしだ。
今は幸せを噛み締め、愛する二人の温もりにただ抱かれる。
引き寄せ、手を繋ぎ、肌に触れ、温もりを感じ、目の端に水滴を溜め、そして笑う。
二人と共に。満面の笑みで。言葉を交わし。他愛もない話をして。

頬を伝う雫には構わず、胸が思うままに、笑い合う。


とても美しい夢。
どこまでも優しいまどかな夢。
いつまでも続かない、約束の時間。

やがて、温かさと一緒に景色が遠くなり。
黎明のような光が世界を真っ白に染め上げる。
そして────










「………………」

────目が覚めた。

「……ここは」

視界の全景を彩るのは淡い茜色。
僅かに薄い青の色を残す空を見ながら、ミスミはまだ上手く働かない頭でどうやら眠ってしまったようだと認識する。
階段に座ったままの態勢で、暫くその場で時間を過ごした。

子供達は帰ってしまったかと、かなかなと鳴る虫の羽音を耳にしながらぼんやり思う。
動き回る影もなければ遊びの声音も響いてこない。夕焼けに染まりつつある果敢なくも雄大な景色があるだけだ。

回想とはまた違う感情の回帰。未だ手に残る自分とは違う他者の温かみ。
まだ少しは何も出来そうにない。夢心地が抜けきらない己の身体を感じながらミスミはそう思った。
ぬるま湯に浸かるように、もう少し夢の残滓を感じていたかった。

「…………うん?」

ぼうっと茜色をただ瞳に映していたが、ふと違和を感じた。
“未だ残る温かみ”、ということはどういうことか。あの幸せの時間は夢だった筈。
終わってしまった夢の余韻を、目覚めた今もこうして感じるのはおかしくはないか。

眠気眼で首を小さく傾げながら、ミスミは力を身体にこめてみる。
具体的には今自分の左手が握るこの小さくも柔らかいふにふにとした何かの触感を楽しむように…………

「…………って、なぬ?」

頭が鮮明になり意識がはっきり確立する。
左手の何かを離さないまま、首をばっと横に回転させ隣を窺った。


「……どうもー」


瞳が捉えたのは、苦笑いを浮かべるウィルの姿だった。

「は、はえっ!?」

自分でもよく解らない奇声をあげミスミは上体を横に傾ける。
幾分も離れていない、というか肩が触れ合う距離にいるウィルから少しでも距離を取ろうとした。
しかし、下半身がまるで何かにがっちり固定されているようで、身体自体は全く動かない。
大して成果もあげられずミスミは変わらない位置に留まることになった

「なっ、何故そなたがそこにいる?! というか、何故ゆえわらわはそのたの手を、って、のわっ!?」

一向に掴めない現状に絶賛混乱中のミスミは気恥かしさから頬を赤くする。
口から動揺に塗れた声がまくし立てられるが、その自らの言によってまだウィルの手を握っていることに気付き自爆。
慌ててウィルの手を解放して、羞恥で熱を宿す左手を片方の手で抱くように握りしめた。

「ど、どういうことじゃ!? ウィ、ウィルッ、早急に説明をんぐっ?!」

「……しー、でお願いします」

自分の口をウィルの手が塞ぐ。
驚きに次ぐ驚きで冷静さを見失っていたミスミだったが、ウィルの口に人差し指を立てるジェスチャーにぴたりと身体の動きを止める。
ちょいちょい、とウィルが指す自分の脚の方へ目を落とせば、そこには太腿へ被さるようにして眠りこけるスバルの姿があった。
自分の脚を枕にして猫のように丸まりしがみついている。

「……これは」

「遊びが終わった頃に此処にいたミスミ様に気付きまして。寝てるようだからじゃあ起きるまで待ってよう、とスバルが。ぼくはまぁ、おまけみたいなもんです」

スバルを呆然と見下ろすなか、横からのウィルの説明に納得を得る。
つまり自分はスバルとウィルに寝顔をこれ見よがしに晒してしまっていたわけか。
別段恥ずかしがることでもなかったが、先程の演じてしまった恥態によりそうも言ってられない。
再びこみ上げてくる羞恥で顔を紅潮させながら、ウィルに文句を言った。

「それならば起こしてくれれば良かったろうに……。わざわざわらわを待たなくとも……」

「母上を休ませてあげたい、ってスバルが言ったんですよ。つい昼まで試合やってて、ミスミ様を倒しちゃった訳ですし。寝かしてあげたいって」

「むぅ……」

補足される内容にミスミは口を閉じるしかない。
経緯の大元がスバルの思いやりであるだけに、言い返す言葉が見つからないのだ。

しかし納得がいくかどうかはまた別問題。
スバルの頭を撫でながら、それでも不満だという顔でミスミは口を尖らせた。

「一人損をした気分じゃっ」

「いや、損っていう程でも……」

それを聞いたウィルは苦笑。ミスミは彼から視線を外し拗ねたような顔でふいっ、と前を向いた。
ウィルの手を握ったのは間違いなく自分の所為だろう。夢の内容そのままに、寝ぼけて彼の手を取って引き寄せてしまったといったところか。

とんだ失態だ。
ミスミにもそれなりの矜持がある。いい年した女が乙女のような振る舞いをしても似合わない、少なくともミスミはそう思う。ましてやスバル、ウィルの前ではそういったものは殊更引ける。
前者は親という立場から、後者は何だかんだで気に入っている為。凛然とした態度で見栄をはっておきたかったのだ。
そのような思惑から、ミスミは眉を寄せるしかない

(…………待て。それならば……)

そっと自分の頬を触れてみる。
指が撫でるそこは、僅かに水で濡れたような跡。目元は赤くなっているかもしれない。
そよぐ風にひんやりとした冷気をかもし出す湿り気に、ミスミはやはり涙も流れてしまっていたかと悟る。

そしてまた、同時に誰かが涙を拭ってくれたことも。

頬半ばで切れる水の軌跡とほのかに残る他者の温かみ。
思わず目を見開き、頬に指を当てたままミスミは隣を見やった。

「ウィル、お主……」

「拙者は何も見てないでござる」

澄まし顔であさっての方向を向いて笑みを浮かべるウィルに、ミスミは言葉を無くし、そして顔を綻ばせる。
馬鹿者、と呟く一方で、心の際へ静かに押し寄せる細波のような感情が打ち寄せてきた。

「とんだ狸じゃ……」

小言を呟く。崩れてしまいそうな笑みを湛えながら。
それに気付いているのかいないのか、ウィルは口元を緩やかに曲げたまま山頂に傾く夕日を眺めていた。

(リクトとは、やはり似てないかもしれん……)

口にする言葉はそっくりそのままだが、性質はほぼ真逆、捻くれ且つ控えめだ。
良人のような大雑把とは程遠い。一定の距離間、それも此方が不快に思わない心地良い距離を保ってくれる。

(気付いた時には踏みこまれているが……)

そしてさらりと距離を埋め、近付いてくる。ごく自然に。
嫌悪は湧かない。多分それはウィルの本質であり役得だ。
此方が何か思う時には必ず手を貸し側にいてくれる、そんなさりげない優しさ。
好ましい、とミスミは思う。

(良い男(おのこ)とは、みなそういうものなのか?)

良人の場合は、此方の都合関係無しに不躾に足を踏み入れてきた。
心の壁を取り払って、そして豪快に笑い飛ばす。怒る気にもなれず、どうしてか許してしまう。方向性は同じではあるが、ウィルとは全く正反対だった。
理屈なく距離を埋めてくる者。それが良い男の一つの条件なのかもしれない。

(ふふ……)

結局似ているのか似ていないのか。
よく解らないそれにミスミは頬を緩ませ笑った。

「此処の夕日は変わらないですね……」

と、隣でウィルがそんなことを呟く。
感慨深げなその言葉に、ミスミは笑みを浮かべたままウィルへ顔を向ける。

「なんじゃ、何時もこうして……──────」

夕日を眺めていたのか。
そう続けようとしたが、言葉は出てこなかった。


夕日を見つめるウィルの顔に、一人の青年の顔を幻視する。


優しげな顔立ち。精悍な容貌に残る子供のようなあどけなさ。
伸びている髪は赤の色で、柔らかそうなそれが撫でられるように風に揺れている。
穏やかな眼差しは情に溢れており、深い蒼の瞳は、粋美の輝きをそっと携えていた。

「……………………」

思考が停止する。持ち合わせていた言葉もどこかに姿を消してしまった。
これは誰かとか、どうして此処にいるだとか、何故喜々を浮かべているだとか、そんな疑問も形にならない。
その部分だけ世界から切り取られたかのような眼前の光景に。
ただただ目を奪われていた。

「スバル、熟睡しちゃってますね」

「!!」

青年が此方に顔をひょいと寄せてスバルの顔を窺う。
埋められた距離に心臓が跳ね、ビクッ! と身体全身が不自然に震えた。
夕日の色と混ざった、茜色とはまた違う赤模様が頬に浮かび上がってくる。

「? ミスミ様?」

「あっ、えっ、そ、そなたはっ………………え?」

「……何かあったんですか?」

治まらない動悸に四苦八苦していたミスミだったが、瞳が映すウィルの姿に唖然と声を零す。青年は、忽然と姿を消した。
目の前には訝しい顔をするウィルが此方を見つめているだけだ。赤髪の青年などいない。

「……ミスミ様?」

「…………」

先程までの光景は何だったのか。その問いがミスミの中で繰り返される。
目を服の裾でごしごしと拭い、前を見る。ウィルだ。間違いない。ウィルがいる。というかウィルしかいない。

「…………」

「…………みひゅふぃひゃま?」

両手を用いてウィルの頬を伸ばす。弾力を備えるほっぺがみょーんと伸びた。
他の誰でもない。ウィルだ。
「何やってるんですかアンタ……」と非難がましい視線が送られてくるが、ミスミはそれに取り合わず、瞳を丸くしたまま頬をみょんみょん引っ張ってみる。変化無し。

目の前にいるのはウィルである。疑念を差し込む余地はない。
では、あの青年は……幻? 幻覚?

遂にボケてしまったのかとミスミの頭に嫌な懸念が一瞬過るが、一先ずそれは無しの方向で思考を進める。
信じたくなかったし、それに自分が目にした像は幻にしては余りにも克明だった。
見た覚えのない者の顔を幻視するのは少し無理がある……ような気がする。

(未来視か……? しかしあれは高位の巫女の専売特許のようなもので、わらわが扱うのはお門違いというかなんというか……)

「……はにゃひてくひゃひゃい」

ウィルの頬を引っ張ったまま思考に耽るミスミだったが、「離してください」の文句にはっと気付き指を解いた。
頬を赤くしながら「す、すまんすまん」とどもりながら謝罪しつつ、呆れたような顔のウィルを見つめる。

あれがウィルの未来像だったとしても、少し無理があるような気がする。
ウィルという少年の面影を全く残していないし、どちらかというとあれは別人だ。
髪や瞳の色も違った。

(じゃが……)

纏う雰囲気は、一緒だったと思う。
時折見せる優しげな笑み。どこか遠くを見つめる眼差し。
瞳の奥に控える、意志の光。

「なんだったのかのう……」

「何がですか……」

ぷにぷに、と指でウィルの横顔をつつく。
悔しいが、一瞬見惚れてただけに一層気になる。依然頬に余る熱を感じながらミスミは口惜しげに言葉を吐きだした

もう諦めたのかウィルも疲れた顔をしてミスミにいいようにさせている。
どうやら答えは見つかりそうにない。

「……それより、どうしますか、スバル? 起こしますか?」

「……ふむ」

幻の件は取り敢えず置いておき、溜息の色を窺わせるウィルの意見に一思案。
ウィルの言葉に考える素振りを置いてスバルへと目を落とす。
昼に一端の顔を見せていた息子も、今は可愛らしい寝顔をしていた。

顔が解れるのを自覚しつつ、横のウィルにそっと視線を這わせる。
少年もミスミと同じように穏やかな顔つきだ。
我が子を見守るような、教え子の成長を喜んでいるような、そんな表情だった。

(…………)

良人の影が重なる。
青年の影が重なる。


それぞれ違う各々の瞳が、深緑の瞳と重なった。





「……いや、もう少しこうしていよう」

「分かりました」

自然と、笑みが浮かぶ。

「ウィル」

「スバルのことは好きか?」

「当たり前じゃないですか」

「では、わらわのことも好きか?」

「…………そりゃあ、勿論」

「好きか?」

「……好きです」

「……ふふっ」


少年に良人の姿を重ねるのは失礼なのかもしれない。
ただ、今だけはそれも許して欲しい。こうして思い出に浸るのも今回で最後にするから。

過去との別離。
良人を愛した記憶はそのまま。思い出は胸の中にある。
掛け替えのない想いは、そっと胸にしまっておくことだけに留まろう。
キュウマが言っていたように。あの人が遺した言葉の通りに。
良人の影を引きずるのは、もう止そう。
子は自分から離れた。ならば自分も前へ進み、変わらないといけないと思うから。


少年に青年の影を見出してしまうのは身勝手なのかもしれない。
ただ、少し期待させて欲しい。いつかはあの青年のようにたくましくなって、その時もまたこの子を見守っていて欲しいから。

未来の願望。
最初は親が子へそうするように向けていた視線を、何時の間にか別の物へ変えていた少年。
愛した良人の面影を思わせ、けれど良人とは違う言葉を、笑みを投げかける男。
笑いが抑え切れない付き合いに。心地良さを預ける言動に。
隣にいることを許していた。
そんな少年の成長を、息子と同じように見届けていきたい。

そして、あわよくば――――





「うむ、ウィル。先程のようにもう少しこっちへ寄れ。人肌が恋しゅうてかなわん」

「は、はぁ……」

「……ふふっ。家族水入らずというやつじゃな」

「僕がスバルのお兄ちゃんですか?」

「………………まぁ、よい。今はそれで」

「?」


空が夕焼けの色に埋め尽くされる。
薄い雲がたなびき、茜に透く白がよく映えていた。
三人寄り添うようにして、ゆたやかな西日を真っ直ぐ浴びる。


夢の続き。
未来の情景。

息子と少年の二人に挟まれて。
ミスミは温かさに包まれていた。

















スバル

クラス 鬼の子 〈武器〉 縦×斧 〈防具〉 着物

Lv13  HP108 MP87 AT74 DF63 MAT61 MDF57 TEC49 LUC65 MOV3 ↑3 ↓3 召喚数1

鬼C   特殊能力 逆境 火事場のバカ力 「遠距離攻撃・召雷」

武器:風薙の戦斧 AT108 TEC10 CR10%

防具:エイモンカラクサ DF29 MDF10 TEC13

アクセサリ:empty


11話前のスバルのパラメーター。
少し未熟が抜けきらない鬼人族のサラブレット。レベルがまだ周囲と見劣りしている。近中距離の間合いを持っているが、遠距離攻撃は息切れしがち。ガチンコ上等。ていうか彼のボイスには魅力効果があるような気がしてならない。
武器はウィルの誓約の儀式で出してもらった。鬼子君の中では宝物。めっちゃ大事にしている。

話は逸れるが親父さんの戦闘能力はいかほどのものだったのか結構気になる。実際、カイル並みの能力で斧装備とかだったら結構外道。序盤中盤は間違いなく敵無しだろう。防具も着物だろうからTECも補正上昇。最強装備だったらMDFも軽装重装の比ではないほど高くなる。鬼か。いや鬼だった。
スバルの最終進化系見るからにMOVも4とか持ってそう。勇猛果敢とか覚えてたら更に鬼。彼の纏わる話からして素で覚えてそうで困る。最後に火事場のバカ力。いっそ殺して。
素で前衛系最強ユニットだったかもしれない。ビバ轟雷の将。

父親リクトに尊敬を抱き、身近のお兄ちゃん的存在の狸を指標とする。
曰く、「父上のように強くなる! そんでオイラもいつかは兄ちゃんみたいになる!」。終わった。

ウィルの教訓をそのまま倣い、女性(マルルゥ除く)を守るを以後モットーとする。「守る=優しくする」に変換されるのはもはや仕様である。
将来、純真ピュアな熱血ハートはそのままで無節操にフラグたてる具合が予想される。熱血だけに主人公補正も狸の比ではないと思われ。新しい出会い(女の子)の度に相棒のワンちゃんに溜息を連発されるのももはや仕様。然もあらん。




ミスミ

クラス 疾風の鬼姫 〈武器〉 突×槍 突×刀 〈防具〉 着物

Lv18  HP154 MP183 AT87 DF56 MAT101 MDF83 TEC64 LUC70 MOV3 ↑3 ↓3 召喚数3

鬼A   特殊能力 ユニット召喚 「遠距離攻撃・風刃」 祓いの印 祓いの儀式 待機型「見切り」

武器:竜尾のナギナタ AT80 MAT6 TEC8 CR10%

防具:ゲントウボタン DF35 MDF15 TEC11 LUC5

アクセサリ:紅蓮札 耐鬼 「毒・眠り」無効 MP+8 MAT+3 MDF+3


11話前のミスミのパラメーター。
何気にもう2ndクラス。召喚術頼らなくても「風刃」で敵をばったばった吹っ飛ばしてくれるすごい女性(ひと)。この女性の前では憑依召喚も吹っ飛ぶ。うんこも吹っ飛ぶ。
近接でも召喚術でもサポートでも何でもござれで忘れられた島女性陣の中でも一、二を争う剛の者という噂。というか恐らく最強の未亡人。余りの強さに男が寄ってこない。ちなみにこの時点でゴウセツ使用可能。レックスはこれで寸断された。

彼女の戦稽古はウィルの中でアレに次ぐトラウマの象徴。中でも蒼氷の滝での一騎打ガチ三本勝負は真面目に命の危機だったらしい。滝に落とされかけ永遠凍結になるところだったとか。くたばる訳ではないので抜剣も発動しない。死ぬっちゅうより完全永眠。抜剣者を生身で事実上抹殺に追い込んだ“歴史史上初の偉人”(ファーストターミネーター)。「地獄に落ちろ狸ぃいいいいいいっ!!!」と引導を渡しに飛びかかってきた忍者はそのまま滝壺に突き落とした。「未亡人には逆らうな」とは赤狸談。
アレ、マッド、オニヒメのトライアングルはこの世界のおいても不変の真理としてウィルに刻み込まれ、(死の)不安と(死の)恐怖に駆り立てている。こればっかりは悲劇。

イスラ反乱においての共闘を通してヴァルゼルドとは仲が良い。切れまくっていたミスミの姿にこれまたブチ切れまくっていたヴァルゼルドが共感した結果。物騒な経緯である。ビジュ率いる小隊が止めの一撃にて最後に聞いた言葉は「『脳漿をブチまけろ!!』」だったらしい(ちなみに出所はヴァルゼルド殲滅の際のアレ)。
以後流行る。




本編とは直接関係ないが、補完の意味合いを兼ねて「レックス」の歩んだ軌跡を公開。
今回は8~9話。


先日の帝国軍戦闘において、島脱出を前提にするにしても今以上の地力をつけなくては命が危ういと悟ったレックスは修行という名の「剣」蹂躙を開始。いよいよ高速召喚に着手し始める。「剣」に埋まる莫大な技術知識を必要な分だけ掘り起こしていった。自分でもそう簡単にマスター出来なかった召喚術式の簡略化を着実に修めていくレックスを見てハイネルは素で驚愕。変態狸の確かな能力の裏付け、精神面における抜群のセンスを垣間見た。
それを見せつけられたハイネルは嫉妬も多少入れ混じった警告でレックスに制止を促す。「止めろ、取り返しのつかないことになるっ!? 破滅するぞ!?」と叫んだが、「はいはい滅びのバーストストリーム」と言われ流される。ハイネル破滅フラグその2がたった。

赤狸ラトリクスへ。「剣」で色々開発しているが、やはり逃げるに越したことはない、つうかもはや一刻の猶予もない、と帝国軍もといアレの脅威に怯えアルディーラさんの元へ出陣。曰く付きの例のボートを持っていき「これ改造してみない? きっと海陸用機体作成の参考になるでよ?」と嘘臭い笑みを浮かべながら提案。アルディーラさん食いつく。「嵐も突っ切れるくらいの出力とか欲しくね?」とそれとなく提案。「そうね、どうせテストだし派手に逝きましょうか」とマッドな笑みを浮かべるアルディーラ少尉。ミスった、と瞬時に悟るレックス。表面上はにこやかな様を保ちつつ冷や汗を垂らした。その様子を影で看護婦さんが見つめているのは気付かなかった。
スクッラプ場から使えそうなパーツ見繕ってきて、と姉さんに言われ目的成就の為にも大人しく従う。ヴァルゼルド遭遇。くっちゃべった後にバッテリー持っててやる。取り敢えずアホな子だと認識。それから以後ちょくちょく顔を出すようになる。

青空教室終えた後にアリーゼの授業へ。杖の護身術も様になってきており、筆記の方は言わずもがな順調なので、ちょっとした実技訓練やってみる。接近戦で思いのほか戦えることに驚愕しつつ、まだ投擲物に対しての見切りが甘いかなーと考慮。ガンガン投具ブン投げて反射神経養ってもいいのだが女の子にしていいことじゃないので、落ちてくる大量の木の実を回避する方法を採用。
木の下に生徒を配置し幹に蹴りをかますレックス。降ってくる沢山の木の実。はわわわっ、と必死に回避するアリーゼ。ボトッと出現する蜂の巣。ビキッと凍結する空間。サバイビー勃発。足が止まった瞬間死に直結するという物騒な概念空間の中、必死でキラービーから逃げ惑う赤狸と哀れ生徒。ちなみに幸運Zを誇る狸に蜂の九割九分が殺到した。赤いのキユピーをブン投げ囮にし、アリーゼ脇に抱えて全力離脱。逃げおおせた。
「何やねんアレッ…!?」と四つん這いになりぜぇーぜぇー息を切らすダメ教師。抱かれたことで顔を赤くしながらもダメ教師の背をさする善良生徒。好感度上昇。本来ならば「見切り」だけマスターさせる筈が、迫りくる蜂回避により「俊敏」も習得させてしまう。着々とスーパーアリーゼ化。余談だが暫くキユピーがぐれた。

アリーゼと島をほっつき歩いていたら火事騒動が。うん絶好の火事日和だね、と訳の分からない戯言ほざきながら自分の部屋帰ろうとする腐れ。ダメですー!? と後ろから両手で服を引っ張って止めようとするアリーゼ。両足で踏ん張るもザザザッと引き摺られるが、程なくしてやって来たカイルのランニング・エルボーで赤いの沈黙させそのまま連行。
帝国軍が上げたと思われる火事の二件について、効率悪っと考えるが、それよりも如何にして身を隠すかと赤いのは思案する。が、アリーゼとソノラに両脇を固められ実行不可。涙を呑みつつ、どうせならアルディラとミスミ様が良かった…、と心の中で思う。喋ってもないのにソノラから零距離射撃を叩きこまれ、アリーゼからは足をつねられた。後者はともかく前者で虫の息と化す。

やがてフレイズより帝国軍発見の報。ホント勘弁してくださいと胃薬片手に泣きながら向かう。そして昨日続いてアズリアとご対面。「剣」で完治した筈の紫電絶華を被った左手がズキズキと疼き腹もビキビキと唸るなか、アズリアは戦うことはしようとせず「そこをどけ」と前に進もうとする。ここしかない! と目をキュピーン光らせ赤いの「どうぞー!!!」と速やかに道を開ける。腰を直角に折った低姿勢で。ボコられる。カイル達構わず戦闘に突入。カイルとヤッファにスローイングされ戦場のド真ん中に放り込まれたレックスは撤退不可に超嘆きつつなんやかんやで戦う。

兵士を二、三人も片づけた所でアズリアと相対。何故かぽっかりと空けた二人のみの空間、もうお腹一杯ですと血を吐きそうな身体を抑えながら剣を構えていたが、ふとアズリアの悲しそうというかなんというか、とにかく寂しそうな目をしていることに気付く。「お前も、信じてくれないのか…?」とぽつりと言われた言葉に、レックスもデフォで泣く態勢を止めちょっと困ったような顔をする。害悪とはいえ、以前の付き合い(殺し合い)からアズリアの性格を少なからず知っているレックスは今回の事件が彼女の指示のもと行われたとは思っておらず、一部隊の単独行動かもしくは第三勢力の仕業かと考えており、「いやお前そういうキャラじゃなくね?」と言ってあげる。腹さすりながら。目に見えて顔が輝くアズリア。ちょっと犬耳見えた。
好機と見た赤狸は「行けよアズリア。お前には行く所があるんだろ?」とイイ笑顔で言葉を送り、「…ああ!」とアズリアも促され走り出す。一人で。誘導成功。「た、隊長ー?!」とゴリラの絶叫が迸るが瞬時に飛びかかり口を塞ぐ。憂いが無くなった狸は容赦なく殲滅戦を展開した。

これでコイツ等捕えておけば後々楽になると転がっている帝国軍を縄でふん縛ろうとするレックスだったが、マルルゥのSOS信号、ひいてはスバルが捕まったとの報せに、帝国軍放り出して駆け出す。「「「「「「「ちょっ!!?」」」」」」」と余りの瞬速ぶりに目をひん剥くカイル達だったが、慌てて彼等も駆け出す。帝国軍放置。
激走するレックスは自分の考えの浅はかさ、というかアレのことで一杯一杯だった自分を呪いつつギアを全開、子供達に手を出したらぬっ殺すとマジになって疾風となる。やがて遠目から帝国軍を視認、把握。スバルの他にも人質がいることを確認し、取りあえずその場では攻撃はせず突っ込む。

登場したレックスにワカメがお馴染みの笑い声を上げるが「はいはいワカメワカメ」と言って無視。「剣」渡すからさっさと人質解放しろと要求するレックスだったが、視界に現れたイスラに流石にびっくり。子供達と遊ぶ姿に偽りはなかっただけに驚きを隠せない。嫌な笑みを浮かべるイスラはこの時を待っていたと言わんばかりに「アズリアの弟だったのさ!」と自分の正体を高らかに暴露。赤いの盛大に吐血。「ぐばぁ!?」と大地を血の色に染め地にひれ伏す。残酷な真実に胃が砕け散った。「あっははははははははははははは!!」と笑いまくるイスラ。散々辛酸を嘗めさせてくれた赤いのへ復讐を果たした彼は有頂天だった。

嫌味ではなく素で笑いまくっているイスラとピクピク悶える瀕死レックス。蚊帳の外に置かれたビジュ含む帝国軍とスバルゲンジパナシェその他もろもろは汗を流し見守るばかり。土地勘がなくレックスに遅れて登場したアズリアも後頭部にでかい汗を湛えるばかり。
やがてイスラの爆笑に段々我慢ならなくなってきたレックスは血反吐を吐きながら復帰。ふつふつと怒りを募らせる赤いのは、アズリアの存在を意識外に叩きだし戦闘シークエンスへ移行。ようやく笑いが治まったイスラは腹立つ笑みのまま「剣」を差し出すように指示する。レックス中指をおっ立て「死ね!!」とトリガーワードを撃発。大爆破。接敵する前に放っておいたライザーが人質を囲む帝国軍を道連れにした。イスラ含むみなが虚を突かれる。レックス全武装を投擲。投具はもちろん装備していた剣までブン投げ、スバルを捕まえていたビジュや残存兵士を蹴散らし人質から隔離した。全オプションパージしたレックスは抜剣、ビクティム・ビークよろしくファイナルウェポンひっさげ突貫。この間僅か三秒。

イスラぶったまげるなか、怒りの向くまま敵を屠る白髪鬼。結界張ろうとしていたミスミもそれに便乗しダブル無双。まだ息のあった兵士達を瞬殺していく鬼コンビ。偉く息の合う共闘ぶりにミスミは昔のことを思い出しつつ興奮。フラグ成立。「後はテメェだけだモミアゲェエエエエエエエエエエエエエエエッ!!!」とイスラに踊りかかる修羅。だがイスラも汗流しながらジョーカーを切り、全弾発射もとい召喚術の一斉射撃を敢行。森に忍ばせていた召喚師達から超火力が放たれる。自分の背後にスバル達がいることからレックス本気と書いてマジモード。「剣」出力全開で砲撃ブッタ斬った。凄まじい碧の輝きと斬鉄剣レックスの姿にスバル途轍もない憧れを抱き、ミスミほか召喚獣の女性陣一斉に頬を染める。好感度激上。スーパーレックスタイム終了。
カイル達到着する頃には全てが終了。意識飛んだレックスだけがぶっ倒れていた。

夜会話。ベッドに寝かしつけら大量の見舞い客とやり取りしたレックスの元、最後にファリエルやってくる。正体隠さなきゃいけないって不便やねー、などと世間話をする。何気に看護もしてくれるファリエルに、負担をかけて悪い気がしたので大丈夫と声をかけるが、「たまには私にも意地を張らせてください」とやんわり笑顔で告げられる。申し訳なく思いつつもやっぱこの子ええ娘やー、と感涙する思いでファリエルを誉めちぎる。慌てふためく幽霊尻目に、貴方はそのまま優しい貴方でいてくださいと涙ながら懇願した。


ぶっ倒れてから一夜。いつも通りの朝食。今日も部屋に閉じこもるなよと海賊達に忠告を受け、コイツ等にファリエルの爪の垢でも飲ましてやりたいとちょっと泣きそうになる。昨日ダウンしたんだから少しくらいの思いやりはあってもいいのではないか、と静かにご飯を頂きつつ思った。

休日など迎えず今日も島を奔走。授業やったりモグラ叩いたり鬼姫様に呼び出されたり。流石に昨日の今日で帝国軍出て来ないだろうと思いつつ、暇な時間を見つけラトリクスへ。改造ボートの進行状況をアルディーラさんに聞きにいった。「ああ、もう出来ているわよ」とさらっと言われ驚愕。ボートの面影も残っていない戦車のような形状に汗が止まらなかった。名前はポセイドン号らしい。いずれ空と陸バージョンに変形する機能をつけたいだと笑みを浮かべながら語ってくれた。勝手にしてくれ思った。看護婦さんが自分達を見ていたことに気付き声をかけるが、シカトされる。凹む。

その後にテスト運転の名目でボートを預かり、ひぃひぃ言いながらリアカーで海岸まで持っていく。これで舞台は整ったと希望に溢れる顔を浮かべる赤いの。不安要素には目を瞑り、やはり決行するのは深夜だと計画して準備を始める。食糧かき集めてる時アリーゼから何の準備をしているのかと尋ねられるが、「天体観測さ」と清々しい笑顔にサムズアップで交わす。自分も行きたいと言われてたが子供は寝てなきゃダメだと言い繕った。頬を膨らませるアリーゼを見ながら、自分の行動にこれでいいのかと心境複雑な疑問を抱くが、背に腹はかえられないと割り切る。取り敢えず脱出可能だったらもう一度戻ってこようと決め、そして後ろめたい気持ちからアリーゼの頭をクシャクシャ撫でた。
「!!?」と初めてかもしれないレックス主導のスキンシップに顔を真っ赤にさせるアリーゼだったが、その後は終わるまでずっとレックスにされるがままだった。一頻り撫でられたあと、アリーゼ嬢は意を決して「今度二人っきりで島の外れにいってみませんか!?」と誘う。「二人っきり」をかなり強調したが、今夜島を発とうと思っているレックスは罪悪感みたいなものが過っており大して届かず、アリーゼの真意など気付くことなく苦笑いして了承した。華咲いたような笑顔を浮かべるアリーゼと、がしがしと髪をかくレックスだった。

深夜。後戻りは出来ない、と良心に蓋をしながらポセイドンに乗り込むレックス。アリーゼの笑顔がずっと頭にこびり付いており、ここまできて行くか行くまいか迷ったが、アレにまつわる事件を思い出し瞬時本能を肯定した。死ねば何も出来ない、だけど生きてれば何でも出来る、と確かな道理を心で謳った。
エンジン点火。さてどうなる、と緊張した面持ちで動力部を見守っていたが、その二秒後音が消える。在り得ないオーバーブーストで聴覚が意味を失い視界の全てが斜線と化した。仰け反って吹っ飛びそうになる赤いの。ブォオオオオオオオオッッ!と咆哮するラトリクス社製マークのブラックエンジン。そして発生する嵐。ていうか竜巻。刹那、衝突。
竜巻のどてっ腹に風穴開けたポセイドン号は、程なくして大切山おろしをかまされ天高く舞い上がった。

翌朝。朝食にも顔を出さず、部屋にもいないレックスにアリーゼは不安を感じる。まだ天体観測から戻ってきていないのかと島中を探してみるが、見るかることはなかった。不安が不安を呼び嫌な予感が過るようになったアリーゼは走り出してカイル達にレックス探索を頼もうとするが、そこでジャキーニの乱が発生。焦燥に駆られながらも鎮圧に参加。速攻で終わらせようとアリーゼは加減無しの召喚術を準備する。
そして戦闘開始。そしてその直後放赤いの出現。突然姿を現した赤いのにその場にいるみながぎょっとするなか、アリーゼはほっと息をついた。が、すぐに自分の教師の様子がおかしいことに気付く。何故か全身ズブ濡れ。歩みを進めるたびに靴がカポカポ音を鳴らし、水滴をポタポタと滴り落とす。瞳は前髪に隠れて見えず、異様な空気を纏っていた。「「「「「「「…………」」」」」」」とジャキーニ一家もカイル達も口を閉ざす。何ダアレハ、というのがこの場にいる全員の見解だった。そんな沈黙が下りる戦場だったが、ジャキーニに召喚されたサハギンが近付いてきた赤いのに飛びかかる。「「「「「「「あっ」」」」」」」と気付いた瞬間、サハギンは空の星と化していた。レックス暴走。「……うがぁあああああああああああああああっ!!!」と顎部ジョイント引き千切る勢いで駆け出した赤いのはジャキーニ一家に突撃、獣じみた動きで殺戮の限りを尽くした。「「「「「「「何があった…」」」」」」」と目の前で繰り広げられるジェノサイドに、カイル達を汗を流しながら心を一つに合わせた。乱鎮圧。

竜巻に吹っ飛ばされ海に叩きつけられた憂さ晴らしを済ませた赤狸。結局脱出は不可能なのかと盛大に凹んでいると、アリーゼと半日ぶりの再会を果たす。再会するのはもうちょっと長くなる予定だったんだけどなあと涙を堪えつつ、怒ったり心配したり首を傾げたりして百面相をしているアリーゼに「じゃあ昨日の行った通りどっか行こうか」と声をかける。顔を赤くするアリーゼ。頷いて、二人だけで出掛ける。
レックスの案内でイスアドラの温海へ。普通の浜辺でのんびりできたらいいと思っていたアリーゼは驚嘆の声を漏らす。もしかして朝居なかったのは此処を探していたから? とアリーゼは脈数上げながら想像を膨らませる。ぶっちゃけ早朝流れ着いたのが此処だっただけだった。赤いのがただで起きてたまるかと利用しただけである。救いがないくせに好感度上がる。
温海に足をひたしてはしゃぐアリーゼとキユピーを見て和むレックス。今度は女性(みんな)連れてきて水着姿見よう、と野望を密かに打ち立てる。やがてアリーゼに引っ張られ、苦笑しながらも水遊びに興じた。半日遊び通し、ご飯も魚釣って此処で済ませた。

アリーゼと夜会話。楽しかった、また来ましょう、とまだ興奮した表情でアリーゼに言われる。レックスそれに相槌をうち、今度はみんなで来ようと言ったら臍を曲げられた。首を傾げだが、すぐにアリーゼは機嫌を戻し笑顔で色々お喋りを開始。何時になく饒舌なアリーゼに少し狼狽えたが、聞いてて飽きなかったのでレックスは笑みを浮かべながら聞き手に回る。アリーゼがはっと正気に戻るまでお喋りは続いた。
その後は遊び疲れ寝てしまったアリーゼに肩を貸して星を眺めていたが、流石にこのままじゃいけないかと撤収。こういうのも偶にはいいな、と思いながらアリーゼを起こさないように帰り部屋へと運んだ。
最後に一日中サボり通したということでカイル達に折檻を喰らい、一日が終わりを告げた。
ちなみにボートは既に回収済み。


アルディラに呼び出されラトリクスへ。クノンの様子がおかしいと聞き少し心配になったレックスは、取り敢えず与太話をしにクノンの元へ行ってみる。遭遇した瞬間嫌な顔され死にたくなったが、めげずに話かけてみる。そして話をする内に段々とヒートアップしてくるクノン。自分への不満からレックスへの文句に変わり、もう一度自分への不満に変わった所で「アルディラ様と笑みを交わす貴方が許せない!」とシャウトされる。電流をピカチュウしながら。
……何この修羅場? と頭の警鐘を聞きながらじりじり後退するレックスだったが、クノンの泣きそうな顔を見て踏み止まる。前進してクノンの腕を確保、強引にアルディラの元へ連行する。抵抗するクノンはピカチュウどころかライチュウしてくるが、レックス気力と漢の使命ではねのける。移動する間にもクノンに言葉を送り続けながら説得、溜まってるものアルディラに直接ぶちかませと言い聞かせる。クノンは顔を伏せながら、赤いのは意識が吹っ飛びかけながら、ようやくアルディラの部屋へ到着。言葉のガチンコしてもらった。
一方的にクノンのターンだったが、アルディラがそれをしっかり受け止め問題解決。泣く泣くクノンの頭を撫でるアルディラに感動しながらも、身体に力が入らないレックスはそのまま意識がブラックアウト。入院した。



[3907] 11話
Name: さもない◆5e3b2ec4 ID:5419e509
Date: 2009/10/02 14:58
「…………」

「…………」

「ミィー」

かつかつかつ、とペンの走る音がリズムを刻んでは響いていく。
淀みなく解答を書き込むウィル君に、消しゴムを抱えこみながらそれを覗きこんでいるテコ。
目の前の机越しの光景を、私は笑みを浮かべながら見守っていた。

ここは私の部屋。青空教室を終えた今はウィル君の家庭教師を務めさせてもらっている。
今日は復習もかねた小試験。ウィル君の出来の良さを考慮して結構難度の高い内容にしたのだけれど……この調子だと余り意味がなかったみたいです。
今更になりますが、舌を巻かざるを得ません。筆記も実技もウィル君はそつなくこなしてしまう。いえ、そつなくという表現は控えめで、容易く終わらせてしまうというのが恐らく適切です。
島で起きた戦いを振り返ればそれがいい証拠。彼は同年代の子供達と比較して一歩も十歩も先をいっている。ううん、きっとそれ以上に。

「こらテコ、消すんじゃない。悪戯するな」

「ミュミュゥ……」

本当に家庭教師が必要だったのか、とこの子を教えてきて思わずにはいられない。
余程のことがない限り、ウィル君なら独学でも軍学校に入学できたような気がする。緊張なんて言葉はこの子にははるか無縁でしょうし……。

「って、間違ってた……?」

「ミャミャ!」

「ぐぬ……。インテリ眼鏡は伊達じゃないのか……」

でも、私個人としては、この場を預からせてもらっていることは非常に良かったと思う。
人を教えるということを学べたし、何より目の前の光景をこうして眺めることが楽しいと思えるから。
この空間がきっと好きになっている。二人だけの授業風景。心地の良い温かさに浮かされる時間。

「ミャーミャ」

「不覚だ……って、ちょ、ちょっと?」

そっと、彼の髪に指を絡ませる。ウィル君は焦ったように身体を揺らした。ついていた糸くずを拭ってあげる。
「糸くずです」と言って彼に見せると、ウィル君は顔色を変えすぐに非難がましい視線を送ってきた。
何かを物言うような目付き。ウィル君はしばらく私を睨んだ後、ふんと顔を背け筆記に取り掛りっていった。
でも、そんな態度と裏腹に俯いた頬には赤みが差している。照れて恥ずかしがっているウィル君が微笑ましく、私はくすくすと笑みをこぼした。

ぶす、とすぐに手をペンで刺されましたけど。
痛いですよ……。

「…………」

かけがえのない時間。
そんな言葉が心に浮かび上がると同時に自分の顔が曇ったことがわかった。
頭を過ったのは、未だ塞ぎこんでいる彼女達のこと。

アルディラとファリエル。遺跡の一件以来、私を含めたみんなは彼女達へ何も働きかけずにいた。
犠牲を省みず私達を利用しようとしたアルディラ。島の秘密を語ろうとせず、今は疲弊しきった身体を休めているファリエル。
傷付いた彼女達に近付くことが出来ない。躊躇ってしまう。特に、アルディラについては。
彼女の行為をカイルさんは私達に対する裏切りだという。愛に縛られている彼女のことをスカ―レルは哀れだという。
どちらも当たっている。それらは認めるしかなく、だからこそ、私は彼女の為に何も出来ずにいた。


「丸くなりましたよね、先生」

「……?」

前触れなく、ぽつりと目の前にいるウィル君がその言葉を落とした。
二人だけしかいない室内ではやけにその声が響き渡る。訪れる沈黙。
……………………。
………………。
……!!

「ふ、太ってなんかないですよっ!?」

「ちげーよ」

ばっ! とすごい勢いでお腹を両手で覆い隠す。
け、決して島の果物が美味しくてつい食べ過ぎなんてこと、し、してませんっ!! お、お腹がちょっと気になってきたなんて勿論、あ、あり得ませんっ!
ついこの間食欲に負け、マルルゥが見てない所でナウパの実をこっそり頂いたなんてそんなことはっ……!?

「丸く収まるようになってきた、ってことです」

「…………はい?」

動揺する私を尻目にウィル君はそう続けた。
若干の冷静さを復活させ、まだ顔を赤くしながらも私は耳を傾ける。

「前なら人の都合お構いなしにずいずい踏み込んでいったのに、今はちゃんと人に遠慮することを覚えています。ええ、すごい進歩です」

「そ、そんなことは……」

「僕達の迷惑も省みず、おりゃーと言って帝国軍説得しにいったのが懐かしいですね」

「うっ……」

以前のことを引っぱり出して本当に懐かしそうに語るウィル君。満面の笑みで此方の心を抉るように。
な、何も言い返せない……。

「ただ、遠慮という言葉を知ったのは喜ばしいですが……ちょっと先生らしくないような気がします」

「……えっ?」

「近付くのを踏み止まって遠慮するのは似合ってないって、そう思うんです」

「…………」

ウィル君は視線を合わせ真っ直ぐ見つめてくる。
口元がほのかに曲がって、私に投げかけられた。

「難しいこと考えないでぶつかっていく方が、きっと先生らしいですよ」

「ウィル君……」

とん、と背中を押されたような気がした。
彼の言葉が胸の憂いを溶かすように沁みこんでいく。
鼓動が何かを伝えるように、全身へ音を送り届けてきた。

「……では」

顔を元に戻したウィル君は、言いたいことはこれで終わりというように言葉を切った。
記述を終えた解答用紙を私の元に提出し席を立ち、テコが便乗して彼の腕を伝って肩にとまる。
はっ、とした私は慌てて正気に戻った。

「僕はファリエルのお見舞いに行ってきますんで」

「ウィ、ウィル君!? まだ採点終わってないですよ?!」

「きっと満点です」

「ミャミャー」

制止も聞かないウィル君がドアの向こうに消えた後、急いで解答用紙に目を通す。
流し読みだったが、作ったのは自分自身なのでざっと内容を見ればおおよその正否は判断がつく。

結果は……満点。
可愛げないくらい優秀です……。


「…………」


難しいことを考えないでぶつかっていく。
ウィルの言葉を反芻し、そして、自分でもきっとそうだと頷いた。

彼女達に時間を与えているつもりだったけど、それは逃げでしかなかったんだと思う。
つらい事実から目を背けていただけだ。時間が今の状況を解消してくれることを望んでいただけだ。
私らしくない。うじうじ考えてしまうのは。今の私は、私らしくない。
言葉は打ち砕かれた心をより強く蘇らせてくれる。
それを、私はあの人達に教えてもらったじゃないか。

「……行きましょう」

立ち上がる。
もう躊躇わない。今自分のすべきことが解ったから。
扉を開け、今を苦しんでいる彼女の元へと向かった。








然もないと  11話 「昔日の残照を浴びながら」








瞑想の祠。
二本の大樹に挟まれている水晶群、そこにできた天然の洞穴。周囲のクリスタルにマナが集まりやすく魔力純度の高い空間が形成される、サプレスの召喚獣達にとっては一種の休憩地。
その入り口正面に、フレイズが身動き一つせず佇んでいた。仁王立ちのような威勢こそないが、静寂な迫力が何人たりとも祠の奥へ進むことを拒絶している。
目を閉じてその場にいることを全うしている天使の姿は自然と門番の姿を彷彿させた。

『ハッハッハッ、フレイズ様のお通りだぞ~! ドケドケ~!』

「────!?」

徐にフレイズの視線の先を、全身が銀色尽くめになった彼瓜二つの天使が横切っていった。
青い瞳が驚愕に見開かれ、次には背中から天使にあるまじき荒んだ怒気を発散される。
偽フレイズは本人に見せびらかすように痴態を演じ、そこかしこにいる召喚獣達へ好き放題な行為を働いていた。

「あの馬鹿師匠の仕業だったのですか……!」と、普段の彼を知っている者が聞けば耳を疑うような怨嗟の声が呟かれる。神経がブチ切れるような擬音も発生し始めた。
耐えろ私にはファリエル様の側に控える重要な使命がっ、と自らに言い聞かせるようにブツブツ言葉を唱えていたフレイズだったが、偽フレイズが見習いロリ天使に甘いマスクでナンパしている所を目撃し、瞬間地を蹴った。
言葉にならない絶叫をあげながら、彼は偽フレイズの元へ猛速で飛んでいった。



「行ったか……」

犬天使と偽天使が壮絶なデッドレースを繰り広げながら消えていく。偽天使の方は飛ぶことも忘れ激必死でドタドタ走りだ。
それを見届けた俺は木の影から顔を出す。計画通りと黒い笑みを浮かべる、なんてことはなく、すたこらと祠へと足を進めた。犬天使がすぐに戻ってきたらかなわん。

アティさんの部屋から出てきた俺は、彼女に言ったようにファリエルの所に来ていた。
ここ数日の間は先程のようにフレイズが立ち塞がっていたので顔を合わせることも出来なかったが、これでようやく彼女に会える。
あいつの主人を想う直向きさは尊敬さえするが、しかしもう少し融通も利いてくれんかな。ちょっとくらいファリエルの顔を見ることくらい許されると思うんだが。

消耗しているファリエルを思い遣ってのフレイズの行動は理解しているけど、今回は餌で釣ることで──餌であるマネマネ師匠は脅した──強引に突破口を開かせてもらった。
こうでもしないとファリエルに会えないし、時間も余りかけてられない。「記憶」が正しければ帝国軍が今日にも攻めてくる。身体を休めている彼女には悪いが、そろそろタイムリミットだ。
アルディラの方は完全にアティさん任せ。信用しているし、俺よりかは遥かにアルディラの為になるだろう。
遠まわしにファリエルの方は任せろと言ったつもりだ。あの人ならきっと意味を汲んでくれてアルディラの所へ赴いてくれている筈。

「じゃあ、行こう」

そう口にして俺は祠へ入っていった。




「……ウィル?」

淡く青い光で照らしだされる洞窟内。円形に縁取られた奥の広間で、ファリエルが壁に寄り掛かる姿勢を作っていた。
鎧を解いている彼女の顔は未だ疲労の色が濃く残っている。俺は心の中で謝罪しながら彼女へと近付く。

「おはよう、ファリエル。お見舞いに来たよ」

「……ありがとう」

弱々しい笑み。その顔には疲れ以外にも何かを覚悟したような雰囲気が覗いている。
俺はそれに気付かないふりをしながら、大丈夫か、身体の調子はどうか、など有り体の言葉を送り、二三言交わしてから手に持っていた風呂敷の中身をごそごそと取り出した。

包みの中から顔を出すのはすり鉢や木の棒、それに沢山の木の実。
すり鉢に実をばらばらと入れて、すりこぎで粉状にしていく。ごりごりごり、と木と木の摩擦で生じる音が、物音一つしない祠に鮮明に響いていった。
ファリエルは俺の行動に疑問の顔を作っていたが、それから表情を改めて口を開いた。

「聞かないんですか……?」

「何を?」

「……私がウィル達に黙っていたことを、です」

「…………」

もう知ってるから別に構わないさ、なんて言えんがな……。
覇気のない顔をしているファリエルには非常に悪いが、俺の心情はそんな感じだった。
島にまつわる話は「レックス」の時に聞いて熟知済み。そんなこと今更だろう? と笑顔で言うような感覚が否めない。
俺としては早く元気になってみんなと和解してもらいたいだけだったりする。

「……聞きたくないって言ったら嘘になる。何で今まで話してくれなかったのか、っていうことも含めて」

「…………」

まぁ、少々の本音と冗談はさておき。
思いつめてしまっているファリエルに失礼のないよう真剣に語ってみる。

「それでも、今まで頑張ってきたファリエルのこと考えてみたらそんな無茶言えないし、今の悲しそうな顔も見ていると無理に聞き出すのもはばかれる、かな……?」

「……っ」

俺の指摘にファリエルは肩を震わした。すぐに顔を俯きかけてしまう。
ごりごりごりと依然手を動かしながら、俺は言葉を続けた。

「だから、ファリエルを信じることにした」

「……え?」

ファリエルの疑問に答える前に、完璧粉末になったすり鉢の中身を土瓶のような容器に入れ替える。
簡単な装飾をされたそれを弄って、ファリエルの前にコトリと置いた。

「……?」

「ミスミ様とヤッファの所で借りてきた」

程なくして容器から蒼の光粒が昇っていく。
薄く淡い輝きがきらきらと祠の内部に反射した。

「……これは」

「ん、蒼氷樹の実」

蒼氷の滝の付近で生息している蒼氷樹。それから木の実を少々失敬してきた。
蒼氷樹は冷気と一緒にマナを放出する珍しい樹木で、その辺りには豊富なマナが潤う。ファリエルの身体が回復するのに役立つと思い立ち、活用することにした。
流石に木を引っこ抜いてくる訳にもいかないので、というか無理なので、氷飴のような木の実をこうしてすりおろし、香炉に入れて焚いてみたのだ。
すり鉢セットはミスミ様から、結構すごそうな香炉はヤッファから。後者は呪術などで用いられるものらしく、どうやらマナを焚くのも成功したようである。

「…………」

「ファリエルの身体に少しは良い、はず……」

マナの微光と香りがこの場を満たす。
呆然と自分の元に降ってくる光の欠片を見上げるファリエルに、俺は先程の続きを話した。

「……絶対みんな解ってくれるから、だから『頑張れ』」

「……!」

「あの時のこと、ファリエルが守ってくれるって、そう信じることにした」

「………………」

ファリエルは完全に顔を俯ける。
少しだけ、彼女の勇気を煽る真似。恐らく彼女のことだから、俺達が何も言わなくても話すつもりだったのだろうが…………抱える不安を和らげてやろうと要らないお節介をしてみた。

「ずるいかな……?」

「…………ううん」

俯いた顔がふるふると左右に振られる。
俺の呟きに返ってきた声が持ち合わせるのは、どこか湿ったような響き
やがてゆっくりと上げられた顔には、潤んだ瞳と笑顔があった。

「なんで、貴方はそんな優しいのかな……?」

「女性を助けるのは当たり前だから」

サムズアップしながら場違いな笑みを浮かべる。
ファリエルは瞳に溜まった涙をそっと拭う仕草をして、改めて泣き笑いを作った。
「ありがとう……」とかき消えるような細かい声と頬を薄く染めた笑顔に、不覚にも心臓が跳ねてしまう。
うぐっ、と内心で声を詰まらせた俺は誤魔化すように横を向いた。

「あー、うん、僕はそれでいいんだけど……」

「?」

歯切れの悪い俺にファリエルは首を小さく傾ける。
そういえばこの娘も天然だった、と赤い悪魔によって忘れて久しい事柄を思い出す。「以前」は「あの娘」のキラーパスに結構苦しめられました。
悶えそうになるのを理性で抑え込みながら、俺は指を後ろの方に向けた。

「……ただ、“友達”としてはちゃんとお話を聞きたいだってさ」

「あっ……」

俺が指を向けた方向。
死角になっている祠の壁から黒のテンガロンハットがはみ出ており、そわそわと揺れていた。
目を見開くファリエルに、俺は外で待っていると伝えて腰を持ち上げる。慌てた声が聞こえてきたが、構わず外に向かった。

件の壁の前を通れば、そこにはソノラ。落ち着きのない彼女は若干頬を赤らめながら半目をやり、ありがと、と音にならない文字を唇で作った。
俺は眉を下げる笑みで肩を竦ませソノラの前も通り過ぎる。壁から離れ広間に出ていく気配を背後で感じながら、またあの夜ように笑い合って欲しいなと願う。

あの娘(ファリエル)に関しては、自分は献身的な傾向があるのかもしれない。

どこか何時も少女のことを気にかけている自分を省みて、そんなことを思った。
知らずの内に惹かれてたのかな、と「あの娘」のことを思い出し、苦笑して、そして「過去」を見るのを止め、今の少女のことを考える。
どちらにせよ、あの娘に幸せになって欲しいという想いは偽りじゃないとそう結論。
幻想的な光の森を見上げ、「過去」のものと変わらない光輝を浴びながら、ゆっくりと歩みを連ねていった。



ちなみに、師匠を脅したのは少女の黒光りする銃だったりする。













「遺跡を、封印しましょう」

集いの泉で、私は決着させた選択を全員に聞こえるよう言った。
アルディラやファリエル、みんなが集まっているこの場で。


四界全ての魔力を膨大に生み出す装置。全ての界に繋がりあらゆる召喚獣を喚び寄せてみせる喚起の門。
それら圧倒的な設備を開発した無色の派閥の最終的な目標は、人の手で界の意志(エルゴ)を作り出すことだった。

界の意志から派生し世界のあらゆる万物と繋がっている共界線(クリプス)、それを掌握することで世界を意のままに操る。人の意志をもって界の意志に成り代わる方法、無色の派閥はその手段をこの島で模索していた。この島は、その為の実験場。
界の意志と世界の両方から送られる莫大な情報を捌くことは事実上不可能。装置の制御中枢、核識に成りえる人物は存在せず、無色の派閥の計画は座礁することになる。
しかし、唯一例外だったハイネル・コープスさん──ファリエルの兄でありアルディラのマスター──の存在が、無色の派閥の危機感を刺激することとなってしまう。
無色の派閥は核識に耐え得るハイネルさんを恐れ、この島の放棄を決定。彼ともども島を抹消しようとした。
それが過去の顛末。この忘れられた島で起こってしまった凄惨な悲劇。
「剣」の魔力によって活性化してしまう島の亡霊達も、壊れてしまった核識──「遺跡」の思念によって歪んだ共界線に囚われた、過去の犠牲者達だった。

遺跡を復活させれば封印されたハイネルさんの意識も蘇るかもしれない。私という鍵を見出したアルディラは、そう思って今回の行いに踏み切った。
そして、ファリエルは何も知らずに暮らす島のみんなの今を守る為に、亡霊達を鎮め続け、また今を壊そうとするアルディラに剣を振るった。打ち明けることをしなかったのも、知らずにいて欲しかったから。何も変わらないでいて欲しかったから。今という時間を、守りたかったから。


過去の全容、二人がずっと背負ってきたもの。それを私は聞いた。
アルディラの想い。ハイネルさんへの赤心の愛情。「遺跡」に自らを捧げてまで大切な人に会おうとした果てのない悲哀。
ファリエルの責務。護人を通じて悟った兄の望んだ今の在るべき姿。守れなかった兄の代わりにその夢を守ってあげたい。巻き込んでしまった者達への償いという名の願い。

二人の全てを聞いて私が下した結論は、アルディラの望みに幕を下ろすこと。

彼女の愛が理解できないなんて言わない。また理解できたとも言わない。その上で、彼女の思慕を間違っているなど言える筈がなかった。
それでも私はこの選択をとった。彼女が傷付くと解っていて。
今を選んだという事実はいくら弁解しようとしても言い訳になってしまう。だから、彼女に何を言おうとは思わない。
今という現在を代償にして失ってしまった過去を取り戻すことを、私は選べなかった。
それだけが真実だから。


「ふふふ……。やっぱり、そういう答えになるのよね……」

「…………」

「封印なんて、絶対にさせないわ……!」

「アルディラ……」

赫怒とも悲愴ともいえる面持ちが私の言葉を拒絶する。
自分の選んだ結果。私はそれに対して、心の痛みに耐えることしか出来ない。

「アルディラ、お前……!」

「我らが護人になった理由をお忘れですか!」

事情を話しこの場立ち合っていたヤッファさんとキュウマさんが、アルディラに説得するように呼び掛ける。
それを彼女はかぶりを振って受け付けない。目に涙を溜める彼女が抱くのは深すぎる情念。自身の抑制すら利かない、昇華され歪んでしまった一途な想い。


「私が護人になったのは、帰ってくるあの人の居場所を守るため!」


叫ぶ。彼女自身の想いの丈を言い表すかのように。


「それが叶わないのなら、この島も、私自身にも、存在する価値なんて在りはしないわ!!」


その悲鳴を否定することだけは、この場にいる誰もが出来なかった。


「どうしても封印を行うというのなら、私を倒しなさいっ!!」


魔力が発散される。相貌が歪み罅割れる。双眸から涙がこぼれ落ちる。


「私を壊してっ、全部、終わりにしてよぉッ!!?」


召喚光がアルディラを照らし出し、そして彼女の細い肩が何者かの手によってポンと叩かれた。





「10万ぼると」





電流が、ほとばしった。


「#$%&¥#$%¥$$&¥#&%%¥#$#&¥~~~~~~~~~~~~!!!?!?!?」

「「「「「「って、オイッッ!!!?」」」」」」

「何やってるんですかぁーーーーーっ!!!?」

目が眩むような閃光がアルディラを襲う。声にならない絶叫をあげ、彼女はバタリと地面に沈んだ。
私達の非難もなんのその。誰にも気付かせることなくアルディラの背後に忍び寄ったウィル君は、ふぅと息を吐いて此方にイイ笑顔を見せた。

「ファインプレーだぜ、ウィル」

「「「「「「「意味がわからない!!?」」」」」」」

親指を上げてみせるウィル君に対して私達の心は一つだった。
混乱と混沌が均等に配合された空間。ファリエルなんて余りの光景に固まってしまっている。

「な、何をしたんですかウィル君!?」

「クノンに手伝ってもらって、電流をバチッと」

ほら、と言ってウィル君は握っている他人の手を私に見せる。
バチバチと電流を瞬かせる掌は確かにクノンのものだ。これでさっきアルディラの肩叩いたんですか……

「って、腕長っ!?」

「僕はともかく、クノンの存在をアルディラに気付かれない為ワイヤードフィストをフル活用した訳ですね。敵に回せば恐ろしい機能も、味方になればこれほど頼もしい存在はいないということです」

「意味がわからないです……」

「鬼に金棒ならぬ看護婦にスタンガンですね!」

「本当に意味がわからない!?」

伸びた腕の方角を窺えば、奥の方に申し訳なさそうにしているクノンの姿が見えた。
取り敢えず、諸悪の元凶はウィル君だということはわかりました……。

「うっ、うぅ……」

「ア、 アルディラ!? 無事ですかっ?!」

「あっ、ちなみにこれは絶縁グローブです」

「貴方は黙っていてください!!」

ぶすぶす焼け焦げたアルディラは微小な痙攣を繰り返す。
その姿を見て非常に悲しいことながら、哀れみという名の親近感が止まらなかった。ごめんなさい、アルディラ……。

「みたか、アルディラ。これが長い年月僕が味わってきた慈悲なきフィーバーだ」

「し、してませんっ!」

駆け寄ってきたクノンが顔を赤くしてウィル君に異議を唱える。
そしてすぐに彼女は謝りながらアルディラの介抱を始めた。健気過ぎる……。

「それで、何でこんなことしたんですか……」

「こういった修羅場は自分が主導権を握るに限ります。似たような経験があるのでこれはガチです」

「根本的な答えになってないです……」

ウィル君はそう言ってくるりと私に背を向けてアルディラに向き直った。
なんだか上手く誤魔化されたような気がする……。

「で、真剣な話。死ぬなんて馬鹿なこと言うんじゃありません」

「……っ。貴方に、一体何がっ……!」

「解るか馬鹿。死ぬなんてほざく馬鹿な奴の気持ちなんて」

ウィル君の空気が変わった。
此方から唯一見える小さな背中が、本気で怒っているように見えた。

「何ですって……!?」

「柄じゃないから一つだけ言っとく。────無責任なことすんな」

鋭い語気。反論を許さないその響きを、私は聞いたことがあった。
あれは、そう、ジルコーダの時の……

「アルディラ様……」

回想に耽りかけた所で、小さな声が耳朶を打った。
アルディラの横を支えるクノンが、力のない顔で、ともすれば悲しそうな面持ちで語りかけている。

「私に生きて欲しいとおっしゃったのは、アルディラ様ではないですか……?」

「!!」

「私を置いて、ご自分だけいってしまわれるのですか?」

「……っ」

「そのような悲しいこと、言わないでくださいっ……」

クノンが静かに涙を流した。ぽろぽろと雫がその数を増やしていく。
震える手が、何かを訴えかけるようにアルディラの腕を強く握った。

「ク、ノン……」

「……今死ねば、あんたを泣かせてでも守った男の全てが、無駄になるぞ」

「──────」

「誰もアルディラの死なんて望んじゃいない」

アルディラの時間が止まった。大きく見開かれた瞳からみるみるうちに涙が溢れてくる。
ぎこちない動作で自分に顔を向けたアルディラに、ウィル君は私達に聞こえない声で、けれど確かに何かを呟いた。

「…………それが、“アナタ”の望み?」

「……ああ、僕の望みだ」

涙に崩れた笑みが一つの問いを尋ねた。彼女自身にしか真意は解らない一つの問いを。
ウィル君の解答に、アルディラの表情に僅かな落胆が宿る。けれど、

「白いの…………ハイネル、さんも、きっとそれを望んでいる」

「……ぁ、ぁあぁああああっ、あああああああああああああっ…………!!」

その言葉で、アルディラが崩れ落ちた。
万感がつまった痛哭を漏らし、虚空を見上げながら。

哀切と、寂寞と、空虚と、無念と、謝罪と、懇請と、慕情が。
協奏を作って泉に波紋を広げていく。
胸が引き裂かれるような音色に誰もが顔を歪め、そして誰もそれから目を背けることはなかった。
呼応するかのように私の目尻にも涙が溜まる。
滂沱の雨が絶え間なく降り続き、昔日からの雨雲が、今日あがった。











「む~~~~~~~~~~」

「ミィイ……」

行ったり来たりと。
腕を組んだ体勢で同じ場所を右に左に動き回る。
唸っていることも忘れ、俺は懊悩という行為をひたすら続けていた。

「いい加減落ち着け」

「そうだよ、みっともない」

「だって……」

「ミュウー」

カイルとソノラの注意に、俺は顔を顰めて口応えする。
此処、集いの泉にいるのは俺とカイル達に加えヤッファとキュウマ、それとクノンしかいない。
アティさんにファリエルとアルディラは封印を行う為に「遺跡」へと赴いていった。そう、三人だけで。

「先生だよ、先生? 何をしでかすか分からない、見てるこっちがドキドキハラハラする先生だよ?」

「「お前がそれを言うな」」

何故だ。俺はあれほど無茶苦茶じゃないぞ。

「ファリエルだって本調子じゃないだろうし、アルディラだって……」

今不安定な状態だ、というその先の言葉は飲み込んだ。
……早い話、俺は「遺跡」に向かったアティさん達が心配でならなかった。「レックス」の「記憶」からこの後起きるだろうことも予想できてしまうため、気が気でないのだ。
「遺跡」からの干渉、「キュウマ」が行いかけた裏切り行為。それを元に検証してみると、下手をすればアティさん達は……。
そんな懸念が、頭を過っては堂々巡り回る。

「やっぱり、僕ちょっと見に行って……」

「やめろ馬鹿。藪蛇になるぞ」

「ぐえっ」

ヤッファのぶっとい腕が、むんず、と俺の首襟を捕獲。
そのまま吊るし上げられ、宙づりの状態となった。

「ったく、送り出してやったんだからきっちり待ってろ。けじめを持て」

「……ヤッファは心配してないの?」

「アルディラと嬢ちゃんがやらせてくれ、って言ったからな。心配どうこうより、信用の方が勝ってるわな」

「…………」

「彼女達なら何事なくやり遂げてくれますよ、ウィル」

てめーが言うな、と口走りそうになったが、なんとかこらえた。
キュウマにとっては身に覚えのないことだし、それはただの醜い八つ当たりだ。
すまんと呟きつつ、結構自分も不安定な状態になっているな、と自分のことながら思った。

「それにこれはアルディラ達にとってもけじめだ。護人であるあいつ等が、各々の判断で島を危機に追いやっていたんだ。あの二人が責任を取らなくちゃならねえ」

「自分達も封印の助太刀をしてやりたいのですが、こればかりは」

彼等の掟、ひいては固い絆を知っているだけに何も言葉を挟みこめない。

「ウィル、アルディラ様達を信じてあげでください」

「クノン……」

「お前の気持ちも分からんでもないけどよ、必要以上の疑いは先生達の誇りを汚すことになるぜ?」

「……それも先代の教え?」

「おうよ!」

強いな、と笑みを浮かべるカイル達を見て思う。
どうしてそこまで彼等は平静でいられるのかと考えてみると、ふとそこで、自分は待つということを全くしていなかったことに気がついた。
何時も自分は窮地に向かう側で、大切な人達を待つ側に回ったことがないに等しいのだと。

「戦う時になればいつも背中任せてくれるじゃん。それと同じ、信じようよ」

「そうよ、先生達ならきっと大丈夫」

「…………ん」

大人しく信じるってことに対するもどかしさや歯痒さが消えた訳じゃない。
それでも、みんなの言葉を受けて待つことにした。

「それにしても、初めてウィルの年相応の姿を見た気がしますね」

「はっ、違いない」

「いつもこれくらいの可愛げがありゃあなぁ」

「むりむり。絶対あり得ないって」

「ソノラ様、それはツンデレというものですか?」

「何言っちゃってるのクノン!?」

「如実に必読書の効果が表れてるわね!」

「あんたが原因か!!」

騒がしいやり取りの中にみんなの信頼が窺えて、「過去」見ることのなかった新しい一面を垣間見た気がする。
こうやって「自分」も待っていてくれたのだろうか、と苦笑混じりの感情が湧きでて、少し笑えた。
もう確かめる術はないけれど、きっとそうなのだろうと、そう思えた。











「おい、何処行くんだ、イスラ?」

「んー?」

小波と潮風の音が響き渡っていた。
照りつける日光を受け止めはね返す広い砂浜、海岸線。そこに二つの人影が点在している。
丁度いま振り返った少女の背中に、ビジュは続けて呼びかけた。

「もう隊長が出撃の号令出すぞ。抜け出してきていいのか?」

「抜け出してきたそんな私を追いかけてくるなんて、ビジュ、もしかして私に気がある?」

「……馬鹿野郎、はぐらかすんじゃねえよ」

少女の指摘にビジュは動揺が顔を出ないようにぐっ、と下顎に力をこめる。
くすくすと面白そうに笑う少女、イスラはからかうような面立ちを浮かべるだけで、ビジュの変化に気付いた様子もなかった。

「ちょっと私用だよ。やっておきたいことがあるんだ」

「何だよ、そりゃあ?」

「秘密ー」

「ちっ、てめえがあの女隊長と同じ遺伝子持ってることが信じられねえ」

「あっはははははっ! 言うね、ビジュ! うん、私も本当にそう思うよ」

笑う。笑う。笑う。
ころころ表情を変えて楽しそうに。あどけない少女の顔が彩りを添えるように咲き開く。
それを見て、心の中でビジュはもう一度舌打ちをついた。
心を揺さぶって絶えない少女と、分かっていてもそれにいい様に振り回される自分の不甲斐なさに。
どちらに対しても、如何しようもねぇ、と呟くのが彼の精一杯だった。

「なんなら、俺も手を貸すか? どうせ海賊の奴等を嵌める手回しなんだろ?」

「んー、当たらずとも遠からずかな」

前に向き直り、イスラの表情が隠れる。
黒い短髪が陽光を浴びて光沢を帯び、風に揺れて爽やかに流れていった。

「ちょっと悪巧みをね。結構面倒だから、来なくていいよ」

「二人の方が早く片がつくだろう」

「それに危ないかも」

「別に構いやしねえよ。それに尚更だろう、危ねえっていうんなら」

「心配してくれるんだ?」

顔が傾けられ目を弓なりにした笑みが向けられた。
満面といえる笑顔と図星であるその言葉に、ビジュの顔がとうとう気色ばむ。

「……悪りいかよ」

「ううん、嬉しいよ」

「…………」

笑みは変わらずに、一息。

「それじゃあさ、ビジュ。私じゃなくて、私の心配事を気にかけてもらえないかな?」

「何だよ……?」

「お姉ちゃん、守ってあげて」

ビジュは眉を八の字にする。
不可解な言葉を聞いての反射的な行動だった。

「あの馬鹿みたいに強え女隊長を守る必要があるのか?」

「あれでもお姉ちゃん、結構女の子なんだよ? まぁ言い方が悪かったかな。離れないで、これからも近くで力になってあげて欲しいんだ。どんな時でも、さ」

「お前は、そうして欲しいのか?」

「うん、そうして欲しいな」

「……わあったよ」

満面の笑み。けれど一向に距離は埋まらない、そう錯覚してしまうような遠い笑み。
長い軍人生活であらゆる経験をまたいできたビジュは、目の前にいる少女の間合いがここまでなのだと理解し、それ以上踏み出すことなく足を退いた。
イスラに背を向け、少しの心残りと共に踵を返していく。


「ビジュ」


浜辺に数歩の足跡を作った所で声が投げかけられた。
ビジュは首を捻る動きで背後を顧みる。そして、息を呑んだ。


「約束だよ」


全身は正面を向き、手は背の方に回された気軽な姿勢。
浮かぶ笑みは貼り付けられた仮面ではなく、恐らく、少女の本物の微笑だった。
双眼が瞠目し、身体の動きが止まる。空っぽになった頭の中に押し寄せてきた波音が静かに届いてきた。

青空を背景にしたその穏やかな絵が、ひどく果敢ないものに見えたのは、何故だったのか。














「尚のこと、我等はお前達を許す訳にはいかなくなった!」

アズリアの怒号が辺り一面に散らばった。
アジト近辺。カイル達の船を後方に置いて俺達はアズリア達帝国軍と相対する。
「遺跡」の封印作業を終えたアティさん達が帰ってきて、まだ間もない時間だった。

奪われた「剣」の奪還。
それを目標に掲げる帝国軍にとって、俺達が敢行した「剣」の存在を「遺跡」に閉じ込める封印行為は、決して許容できるものではなかった。
「剣」の護送任務を課せられた彼等にとっては当然の話。此方がもう渡すべき「剣」がないからといって戦闘停止を促しても、それでこれまでの図式が変化する訳もなく。
帝国軍は「遺跡」に封じられた「剣」を取り戻そうと、これまで以上に躍起になって俺達に襲いかかるということになる。

「つまり、泥沼……」

「アルディラ達の願いのように、アタシ達の思惑も決して両立することはなかったっていうことね」

俺の呟きにスカ―レルが悟ったような笑みで言葉をこぼした。
現状に苛まれているアティさんの苦衷を察するが、こればっかりはどうしようもないことだった。
スカ―レルの言ったように、どちらかの主張が立つためにはどちらか一方を切り捨てるしかないのだから。

望む望まない関わらず、場は臨戦態勢に移行する。
集結した両陣営の戦力がそれぞれの得物を手にしていった。

「貴方達の言い分は関係ないわ。島の平穏を乱す者は、私達護人が許さない。……そうでしょう、ファルゼン?」

『……アア!』

そんな中でアルディラとファリエルが先頭に出て勇み立った。
どうやら調子を取り戻したようである。彼女達の頼もしい姿を見て、俺は懸念材料が無くなったと安堵の気持ちを抱いた。
これなら何も心配することはないだろう。

「同じ言葉をそのまま返してやる。いくぞ、総員戦闘準備!」

「待ちなさい!」

と、アズリアの号令から戦闘の火蓋が切られようとした所に、アルディラから待ったがかけられた。
思わず前につんのめりそうになった俺は、何だ何だと彼女の方を見やる。他のみんなも同じ様子であった。

「どうした、怖じけついたのか」

「安心してちょうだい、今更和解なんて言うつもりはないわ。……クノン」

「はい、アルディラ様」

淀みのない動きで、ていうか何時の間にか移動したのか分からない動きでクノンがアルディラの横に控え立つ。
両手で持っていたボックスから何かビンのようなものを取り出し、アルディラへと手渡した。
あれは、錠剤の入ったガラス容器? 何だってそんなものを……。

俺を含めたみなが疑問符を頭に浮かべる中、アルディラはライザーを召喚。
もらった容器をライザーに預け、アズリアの元へ向かわせる。
錠剤をアズリアの手の中に落としてライザーは送還された。

「……何だ、コレは」

「カルシウムを主成分に調合したサプリメントよ。冷静な判断を見失っているだろうから、飲みなさいな」

「「「「「「「「「「………………」」」」」」」」」」

俺達の間で重い沈黙が形成された。
アズリアも目元が見えないように顔を俯け、次には手に持ったサプリメントを純粋な握力で「バキッ!!」と粉砕、爆破。

「何て奴なの!? 人の善意を無下にするなんて……!」

((((((((((いやいやいやいや…………))))))))))

挑発行為にしか見えない。
味方ながら彼女を肯定する者は誰もいなかった。

「全軍っ、奴等を殲滅しろッ!!」

「行くわよ、クノン!」

「はい、アルディラ様」

兎に角、戦闘開始。




剣戟の音が幾重にも鳴り響いた。
敵陣営を包囲するように広域展開した帝国軍と、それに構うことなく前進したアティ達の剣が一斉にぶつかり合う。
崖に半ば囲まれた上に高さという地の利を取られたアティ達の選んだ戦法は、愚直でありなけなしの勢いを秘める正面突破。
散開して各方面で対処することより、広がることによって壁が手薄になる帝国軍陣形を一点集中で蹴散らすことで活路を開く。
数では確かに上回る帝国軍ではあるが、それもあくまで数人程度。怒涛となって押し寄せてくるアティ達に、彼等は戦力を左右に分担されないようにする為にも、すぐさま中央を厚くせざるを得ない。
各個の戦闘能力差と互いをサポートする連携の練度が、帝国軍の戦法を瓦解させかけていた。

「ちっ……!」

早くも旗色が悪くなりだしている戦況にビジュは顔を歪めた。
小細工なしの戦術でありながら、速さと連携のみで一気に此方へ防戦を課してきている。
逆の言い方をすれば、アティ達は小細工なしの舞台にすることで極めて優勢に近い拮抗状態をもぎ取ったということになる。
認めるしかない。敵は「剣」の力を頼らずとも強力無比の猛者達だということを。

「……おい、副隊長さんよお」

「なんだ」

前衛で指揮を任せられているギャレオにビジュは声をかける。ギャレオは重く低い声で相槌を打った。
互いの顔には親しみのしの字の感情もなく、無愛想の表情が牽制するように貼りついている。

「俺はてめえのことが嫌いだ。反りが合わねえ」

「奇遇だな、俺もだ」

眼前の戦場に視線を固定している彼等は目を合わせようともしない。
すぐ側に控えているビジュ親衛隊が『戦場のど真ん中で何言い出すんだこの人達……!?』と冷や汗ながら彼等の動向を見守っていた。

「だが、この状況で四の五も言ってられねえ。……力貸せや」

「……どういった心境の変化だ」

「うるせえ、いいからてめえの馬鹿力を貸し出せ」

約束とかいう、あまっちょろい言葉を破る訳にはいかない。
ビジュの脳裏に過るのはたったの一言と寄せられた笑み。
此処は任されたからには応えてみせる。ビジュの心で押し固まった一つの決意だ

「ふん、いいだろう。不肖の部下の申し出だ、部隊の為にも聞いてやる」

「死ね、ゴリラ」

「口を閉じろ、不良問題児が」

悪態が交わされる一方で、投具と武具が音を鳴らす。
決して互いを認めようとしない二人だったが、この時は瞳に据える意志を一つした。
────闘る。

「いくぞ、コラアァッ!!」

「全隊、援護しろっ!」




「第一小隊は左翼を狙え! 前衛と合わせて敵の急所を突く! 第二小隊は中央の補助を続けろ!」

地殻が高く突出した隆起帯。
戦場を高く見下ろせる位置でアズリアは一人周囲を一望し指示を飛ばす。
アズリアに付きそっている兵士は誰もおらず、弓弩兵や召喚兵といった射撃部隊が彼女の視界隅に取り巻いているのみだ。
彼女の声に従い多くの矢と召喚術が前方を貫く。

(くっ……!)

ギャレオとビジュの指揮と奮闘により前衛部隊は善戦している。
崩れかける戦線は迅速に編成して立て直し、未だかつて目にしたことのない二人の協力戦闘は敵陣営への反撃にも転じていた。ギャレオとビジュは敵前衛に決して引けを取っていない。
だが、越えられない。カイル達の防壁を。
アティ達召喚師組みによる結界と回復によりあと一歩が及ばない。

「おらぁああああああっ!!」

「ハアッ!!」

そして、止まらない。護人と称される四体の召喚獣達、その卓越した連携動作が。
もはや以心伝心の領域まで達している各個の動きが複雑に絡み合い、一糸乱れぬ波状攻撃となって味方の被害を広げている。
止まらない、止まらない、止められない。


『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!!』


遂に、崩壊。
白騎士の渾身の斬撃が前衛部隊に大穴を開ける。そこから雪崩れ込んできた敵勢力が楔となり中枢へ食らいつき、更に一部が反転し左方の部隊に襲いかかった。
アズリアの眉間が一杯に寄る。此方の左翼は壁が薄いとみせかけられ、まんまと敵の手中に誘き出されていた。前衛部隊は左右に割られ指示系統もままならない。
あの狸か。憎たらしいほど物の見事な手並みに、アズリアはギリと歯軋りをもらした。

「スクリプト・オン!」

「っ!」

枝分かれした幾条もの幕電が視界を瞬いた。
広範囲召喚術が両側面に走り土煙を巻き上げ、アズリアは反射的に腕で顔面を覆う。後から鼓膜が弾けるような電流の音がきた。
射撃部隊を狙ったのか、宙に舞う塵芥により確認が届かない。
と、前方の砂塵が揺らめきを作る。浮かび出る薄い影が陽炎のようにブレたかと思うと、次には煙の尾を曳いて白と黒の看護衣が姿を現した。


「お相手を務めさせていただきます」


優雅な一礼。
スカートの裾を両手で摘み頭を下げる侍女の動作。
そしてそれに連動するように後方の砂塵が風で薙がれ、晴れた背景には混戦となった戦況が顕になった。
戦士達の雄叫びと破壊の音色が晴れ渡る空を昇り、切り離されたこの空間にもその余韻を示す。

「…………機械人形か」

「訂正は必要ありません。ただ、この後で私を人形と呼んだことを撤回してもらいます」

アズリアは油断することなく腰を落とし、地面に刺さっていた槍を手にする。
機械人形と呼ばれたクノンも左手にある槍をアズリアへ突き出すように構えた。

「────やってみせろ!」

「!!」

互いの槍が交差する。
機先に突き出されるアズリアの戦槍をクノンは的確に捉えた。
アズリアとクノンが持つのは同じ種類の間接武器。得物のリーチも差はほとんどなく、両者の間合いは一定の距離を保たれたまま離れない。

「はあっ!」

「っ!」

速く重いアズリアの連撃に対してクノンは全て対応してみせる。
機関砲の如く突き進む銀の矛先を、刃で弾き柄で往なす。
大きく相手の軌道を逸らせば一転して攻勢。アズリアのものに威力こそ届かないが、前に縦に横に、巧みな槍捌きで旋風を作って様々な軌跡を描く。
空間を疾る槍にアズリアの防御が重なり合い、ことごとく火花が散った。

(技量は十分、経験の不足も機械さながらの状況判断で埋め合わせている……)

代わる代わる一連の攻守の中で、アズリアはクノンの槍を観察する。
未熟な面はあるが思い切りはいい。少なくとも自分が容易に切り崩せないほどの実力は有している。

(……だが、綺麗過ぎる!)

教本の内容をそのまま忠実に再現したような動き。余りにも明快で単純。
その速度と技術は認めよう。だが、アズリアにはクノンの次の動きが手に取るように予測できる。
踏み込みと同時に打たれようとする攻撃──見切りきった未来動作に、アズリアは一挙に前へ出た。

「!?」

「そこだっ!」

槍の穂先が出端から弾き飛ばされ、クノンの瞳が驚愕に見開いた
待機型「先制」。神速のカウンター。アズリアの振るった一撃によりクノンの槍が後方へと流される。
アズリアはすかさず回脚。左足を軸とした回し蹴りがクノンの腹部を穿つ。

「ぐっ──!?」

「終わりだっ!!」

後ろへと跳ぶことで衝撃を逃がしたようだが、それも徒労。
槍を持つ対人との戦闘の中で後方への緊急避難は下策中の下策。退避している無防備な身体に必殺の追撃が突貫となって見舞われるだけだ。
右手に溜めた一撃。アズリアは躊躇うことなくその砕撃を解放させた。



「────Full power」



「──────」

窮地に追い込まれる間にもアズリアの元へ注ぎこまれていた漆黒の瞳が、その瞬間をもって無機質な光を灯す。
全身の神経を走り抜ける寒気。まるで陥穽にはまったような嫌な感覚に、アズリアの本能が大声で叫びをあげた。


そして、一閃。


通常ではあり得ない体勢から放たれた剛槍。
重心が後ろに傾いているのにも関わらず、超速の刺突がアズリアの元へ繰り出された。

「────ッッ!!?」

直線的な線条が突風を生み、大気に穿孔が形成される。
閃光と化した穂先がアズリアの寸での防御を貫いた。
斜に構えられた戦槍、その刃の接合部が粉砕され、クノンのスピアはアズリアの脇下を通過。
黄金の稲光。空気を引き千切るような裂罅音に伴って、電流の飛沫が乱雑に拡散する。

「なっ……!?」

「……外れました」

今度はアズリアが目を見開く番だった。
回避にはかろうじて成功、だが咄嗟に出した槍刃の根元は高熱にあぶられたように融解し、スピアの軌道が掠めた脇下と腰周りの制服がボロボロに炭化している。
焦げた衣服から微細な電火が飛び跳ねては散った。

「機界の恩恵かっ……!」

「アルディラ様のサポートは万全です」

クノンの肩口に浮かび上がる実像。
守護者の如く現れたのは「エレキメデス」。憑依召喚「ボルツイクイップ」がクノンの攻撃力を上昇させ、またエレキメデスの属性である電気がそのまま付与されていた。
無理矢理な体勢から繋がった一撃は、はね上がった攻撃力をそのまま頼りに、そして機械の全身を完全酷似したことで為せた技か。
更にこの一瞬まで憑依能力を隠蔽していた事実も見逃せない。
戦闘能力で劣る自分に対して策を弄してきたクノンに、アズリアはただの人形という認識を改める。
敵を機械的と捉えるのは危険とそう判断した。

使い物にならない戦槍を放棄し帯刀していた剣を抜き放つ。
電撃を付与した槍を構えるクノンと仕切り直そうと半身をとった。
碧の輝きが戦場に散華したのは、その時だった。


「「!?」」


膨大な魔力と共に、賢帝の名を持つ妖剣が姿を降臨させた。




「……何だよ、ありゃあ」

「空が……」

「何が起こっている!?」

「自分にも解りません!?」

紅の柱。
瞬く間に蒼天を覆い尽くした暗雲に衝き立った、鮮血の一柱。
喚起の門を越えた島の深奥部を出所にするそれは、天と地を繋ぐ螺旋のごとく伸び上がっている。

封印した筈の「剣」──シャルトスがアティの意思関係なく召喚されてから島の環境は激変の一途を辿っていた。
予兆のない突然の嵐。誰しもこの異常気象に上空を仰ぎ目を見張る。
漆黒の空から降り注ぐ暴雨は頬を絶え間なく叩き、吹き荒れる風の錯綜は身体を掴みあげて止まない。冷寒とした空気は、何かを囁くように肌にまとわりついていた。

「…………」

ウィルは見上げる。
平穏の終局を告げる暴君の猛りを。「過去」の赤光に身を濡らしながら。


始まるのだ、これから。

















雨が止まらない。
深夜に入っても一向に勢いが衰えることのない嵐。夜の色に染まり切った黒雲が依然猛威を振るっている。
降雨が木々に当たっては砕け、細かな雫となって地面へと吸い込まれていく。耳を通ずる音は雨風のもの以外存在しない。
確か、全てを失ったあの日も、こんな容赦のない雨が降り続いていた。

「ファリエル?」

「あっ、何でもないです」

隣にいる義姉さんの声に、感傷に浸りかけていた頭を立ち直らせた。


帝国軍との戦闘が強制的に終了してからもう数時間。
今は「遺跡」の再調査の帰り。封印したにも関わらず召喚された「剣」を受けて、私と義姉さんはこうして「遺跡」へと足を運びにいっていた。
間違いなく封印は成功していた。けれど「剣」はああしてアティの手の中で抜剣を果たしてしまった。
不備があったのかと慎重に「遺跡」へ探りを入れてみたが、結果はシロ。やはり封印は作用しており、窺った限りでは異常は見当たらなかった。
何が起きているのか、ちっとも把握できない。
沈黙を擬態としている可能性も否めないと義姉さんは言っていたけど、使い物にならないように破壊してきたから、差し迫った心配はないと思うけど……。


「それで? その後はどうしたの?」

「はい、その後はウィルに色々助けてもらって……」

考えてもしょうがないことだ。この話は「遺跡」へ向かう途中で散々議論したことなのだし。
今はこうして義姉さんとの距離を少しでも縮められるようにしたい。
これまですれ違ってばっかりいたから、今までの空白の時間を帳消しにするように私と義姉さんは互いに沢山の話を交わしていた。

「それで、ヤッファさん達に打ち明けることが出来たんです」

「へぇ、あれはそういうことだったの……」

今日一日で全て元通りになるとは思わないけど、何時かは兄さんの生きていた時のような関係になればと心から願う。
私の言葉を聞いて微笑を浮かべる義姉さんを見て、つい弾んだ声が出るのが自分でもわかった。

「そういえば、あの時ウィルになんて言われたの、義姉さん?」

「…………」

ふと疑問になったことを、思い切って尋ねてみる。
集いの泉でウィルが義姉さんに小さく囁いた言葉。無作法な気もしたけど、それがどうしても心に引っかかっていた私は口に出した。
義姉さんは小さく笑って、瞳は何処かを見つめるように答えてくれた。

「みんなと笑っていて欲しい、ですって……」

「…………それって、」

「本当、不思議ね……」

まるで兄さんの言葉のようだった。
この島を楽園にして、みんなが笑顔でいられるようにと望んだ兄さんの……。
「ウィルがハイネルの生まれ変わりなのではないか」というヤッファさんの言葉が思い出される。
……本当に、ウィルは兄さんの転生体なのだろうか?

「ども」

「!」

「ウィル?」

と、木の枝が折れる音に振り向いてみると、頭の中で思い描いていた当の本人が顔を出していた。
やけに似合うシルターンの古傘を持ってウィルは此方に近付いてくる。

「どうしたのよ、こんな所で?」

「いやちょっと用事が」

「私達にですか?」

「んー、まぁね。ああ、『遺跡』の方はどうだった?」

こんな夜遅くの時間帯に尋ねなければいけないことなのか。
内心で疑問に思いながらウィルへ「遺跡」のことを話した。

「結局何故あんなことが起こったのか、何も解りませんでした……」

「説明がつかないの。封印が機能している一方で、水面下の活動を続けているなんて。アティが抜剣して『遺跡』に力を流出させた訳じゃないのに……矛盾しているわ」

義姉さんが半ば愚痴のように吐き連ねる。
ウィルは義姉さんの言葉を、何時もと変わらない表情で聞いていた。

「……扉は一つ。『鍵』は二つ」

「えっ……?」

「──────」

「もうひと振りの『剣』、何処にあるのかな?」

薄く呟かれた言葉は、今は身長が高くなっている私には届かず、雨落ちる音にも消えて聞き逃した。
私よりウィルの近くにいた義姉さんは動きを止める。僅かに震えた身体が息を呑んでいた。

「ね、義姉さん? ウィル……?」

「……まぁ、予想の話なんて置いといて。アルディラ、いい?」

「え、ええ…………な、何?」

明らかに動揺している義姉さんに構わずウィルは言葉を続けた。
さっき言っていた用事の件だということは見当がついたけれど、私は義姉さんの態度が気になってしまった。
ウィルはウィルでこの場をすぐに切り上げようとしている気がする。いえ、なんというか真剣な話じゃなくて、早く終わらせようというような気だるげな雰囲気があるというか……。

「ちょっとヴァルゼルドの装備のことで相談が……」

ウィルは腰の辺りをまさぐったかと思うと、一枚の図面らしきものを手に握っていた。
……どこから取り出したんだろう?

「…………………………詳しく聞かせなさい」

義姉さんの目の色が変わった。
ウィルの言葉を聞いてすっと目を細めて、表情がいわゆる本気なものへと豹変する。
ああやっぱり…、なんて呟きがウィルの方から聞こえてきた。

顔を寄せ合い図面に目を落とし、ごにょごにょごにょと囁き合うウィルと義姉さん。
その光景を見て、むっ、と眉が吊り上がるのが分かった。
蚊帳の外に置かれたことに私は非難の視線を二人に送るが、全く取り合ってくれない。
義姉さんはウィルの提供する考えを聞いて、ふむふむとそれを咀嚼してようだった。

「で、だからさ、こう撃ちまくった後はもう用無しになる訳だから……」

「なるほど、つまり排除分離機構にすることでその後の高機動戦闘にも差し支えなくしてより高度なオペレートを持続可能にし更に固定装備に囚われない多様性を並行して実現できる訳ねなるほどそれは盲点だったわこれで積載量の問題もクリアできるええ素晴らしいわウィルでもそうすると冷却機構も別規格にすることでより強力なパフォーマンスも期待できるんじゃないかしらいえ逝けるわ間違いない私なら出来るフフフ面白くなってきたわね……………………」

「……………………」

「……………………」


ね、義姉さん、怖い……。








「じゃあ、アルディラとは色々話せたんだ」

「はい、昔のこととかも懐かしんだりして、沢山話しました」

集落の位置関係で先にラトリクスへ戻った義姉さんと別れ、今はウィルと私で二人。
相変わらず雨は降り続いているけど、今のこの時の場面に心は浮き立っていた。

「本当に良かったね」

「はいっ」

笑みを浮かべ祝福してくれるウィルに上ずった声で返答する。
きっと、今自分は幸せなのだろう。

思えば、ウィルのおかげで失っていたものを取り戻せた。新しいものも手にすることが出来た。
ヤッファさん達と和解できた。義姉さんと笑い合えるようになった。ソノラさんとも友達になった。
諦めていたものも、羨望していたものも、今は数多く手にしている。
ファルゼンではなく、ファリエルとして今ここに居ることが出来る。
それが、たまらなく嬉しい。

「むっ、強くなってきた……」

「雨宿りしますか?」

鎧を纏っている私と違い、ウィルはこのままでは風邪を引いてしまう。
風も出て横殴りとなった激しい強雨に、私とウィルは急いで一本の樹の下へと避難した。
邪魔にならないように鎧を解く。雨は弱まるどころか強くなっていき、今暫くはこうしていた方がよさそうだった。

「うへぇ……」

「だ、大丈夫ですか?」

ずぶ濡れ、とまではいかなくても、かなりの雨に曝されてしまったウィルの服は相当湿っていた。
髪からは雫がポタポタと零れおち、また一滴の水粒がうなじへとすーっと下っていく。
細い顎からも汗のように雫が垂れ、また上下するきめ細かな肌を幾筋もの水流が伝っていった。
よく見れば雨に濡れた服はその小さな身体にぴったり貼りついていて…………

「………………はっ!?」

「ファリエル?」

「なっ、ななななななななな何でもないですよっっ!!?」

「う、うん?」

ド、ドキドキしてきたっ……!!

「…………」

「弱まんないな……」

ザーザーと降って止まらない雨は私とウィルを狭い木の下に閉じ込めてしまった。
二人の状態を正しく認識した所で途端身体が熱くなってくる。思考がぐちゃぐちゃして冷静な判断ができない。
浅い呼吸が何度も繰り返され、今にも全身が茹であがってもしまいそうだった。
というか二人の間隔が狭い……!

「…………ぅ、ぅぅ」

「平気、ファリエル? なんかさっきから……」

「! だっ、大丈夫ですよ?! た、ただ色々考え事というかっ、えっと、そのっ、」

呂律が上手く回らない。
とにかく何かを口から紡ぎ出そうと、必死になって頭の中身を言葉にした。



「ほ、ほらっ、こういう雨宿りって、なんだか恋人同士がすることみたいじゃないですかっ!? 私っ、昔読んだ本でこういうのにずっと憧れてて、それ、で…………」



…………スゴイコトを口走ってしまったような気がする。

「…………」

首からグングン伸びてくる熱に頭が沸騰しかけ、それでも何とか気力で意志を繋ぎ止め。
勇気を振り絞って隣を窺い見た。


「……………………」


赤く染まりきった頬をかきながら、ウィルは此方を向こうとせず正面を見つめていた。

「~~~~~~~~~っ!!?」

ボンっ!! と盛大な音を立てて爆発する。
しゅうううぅ、と木の上を仰ぎ見る形になった顔から煙が上がっていた。
じ、自爆……!!



「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

無言のやり取りが交わされる。ウィルも私も一向に口を開こうとしない。
けれどそれは気まずい沈黙ではなく、次に何か言うことで嫌でも相手のことを意識してしまうような、この場を壊してしまうことを躊躇ってしまうような、そんな歯痒さが満ちた沈黙だった。

「…………」

昔読んだ本では、この後は何があっただろうか。
雨が止むまでずっとこのままだったような気もするし、何か甘い言葉を交わしたかもしれない。
見ず知らずの他人がやってきてお流れになっていたような気もする。
もしかしたら、二人の身体が寄り添ったかも……しれない。

「…………」

ウィルの頬は赤いままだ。傍目にも照れているのが分かる。
そして、きっと私の方は顔全体が真っ赤だ。

「…………」

いいだろうか? 彼は嫌がっていないだろうか? 私の独りよがりになっていないだろうか?
わからない。わからないけど、もうこのままではいられない。

「…………」

喉を静かに転がす。顔は依然朱色を灯し、熱に浮かされている。
視線を下へ。触れるか触れないかの距離にある彼の手。それをじっと見つめた後、意を決す。

「…………」

ゆっくりと手を回し、ちっとも進まない動きでそっと傾けていく。
びくりと震えて一度止まり、少し躊躇ってから、もう一度近付けた。
そして、





────指ガ、彼ノ手ヲ透キ通ッタ────





「──────────」


一気に、頭の熱が消失した。
重大であり当然であり必然であり皮肉であり愚かなまでに既知であった事実が、胸へと突き刺さる。
瞳がその無感動の光景に固定され、次には感情という感情が全身から洗われた。
思い浮かべていた夢や願望は無用の長物と化し、勇気と信頼で包まれていた自尊心は廃れていく。
全て(ファリエル)の全てが、意味を失った。


「───────…………」


さっきまで幸せだと思っていた筈なのに。
確かに幸せだとその想いに満たされていた筈なのに。
どうして、今はもう、このファリエルという魂の器は空洞と化しているのか。


「…………」


いたい。イタイ。痛い。甚い。傷(いた)い。辛(いた)い。苦(いた)い。酷(いた)い。
全身に亀裂が生じ、あちこちの裂け目から慨嘆の声が漏れ出していく。
初めてこの身体を呪った。初めて今ここに居る自分自身を恨んだ。初めて、身の程を弁えない自分の愚かしさを憎んだ。


「…………」

「……ファリエル?」


罅割れた身体で木の根元を離れる。
力を失った足取りが、比喩ではない幽鬼の歩を踏んだ。
雨がばら撒かれている。風が走っていく。冷気がうねり襲いかかってくる。
けれど、この身体は雨にも濡れず、風になびくこともなく、冷たいと感じることもない。
彼に触れることも。


「…………」


なんてことはない、定められていた事柄。
悲しいなんて思うのはおこがましく、今存在を許されていることだけでも喜ばなくてはならない。
それでも、ぽっかりと身体に空いた喪失感は消えてくれなくて。

────こんなのっ、嫌だっ……。

私をこの世界に繋ぎ止めている想いが弱くなる。
薄れていく。
果敢なくなっていく。
魂が失われる、そう思われた。


「ファリエル!」

「…………っ」


けれど、無理だった。
そんなことは不可能だった。
求めてしまっている。
彼を、求めてしまっている。
こんなにも苦しい思いをしながら、それでも彼を求めてしまっている。
知らなかった。
知らなかった。
知らなかった。
────自分がこんな欲張りだったなんて、知らなかった。






「ねえ、ウィル」

「……!」



振り向く。



「ちゃんと身体があったら、想いを届けられたかな?」

「──────」



涙で濡れた顔で、精一杯の笑顔を浮かべて。



「ちゃんと身体があったら、触れられて、恋人になれたかな?」



この涙を、雨は誤魔化してくれないだろうか。



「こんなに好きなのに、悲しいんです」



……あははっ、馬鹿みたいだ。



「これ以上幸せなんてないのに」



もう気付かれているに決まってる。



「これ以上望んだらばちが当たっちゃうのに……」



この身体はただ在るだけで、物事も、時間も、温もりも、全てが過ぎ去っていくのだから。



「自分がこんなに欲張りだなんて、知らなかったよっ……」



笑う。一生懸命笑う。溢れてくる想いを塗り潰すように。
こみ上げてくる嗚咽を抑え込み、一杯の笑みを浮かべる。
瞳から落ちる雫が頬を半ば伝い、すぐに紫紺の輝きとなって宙に四散した。



「俺は……」

「…………」

「俺はっ、君に幸せになって欲しいから……!」

「……!」

「誰よりも幸せになって欲しいからっ!」

「…………ぅ、っ」

「だがらっ……!」



彼が口を開く。とても苦しそうな表情で。
彼自身の本当を、一杯に叫んでくれた。
言葉に成らない続きが、私の胸を揺さぶってならない。
涙が枯れない。枯れ果てることがない。
思わず顔を俯けた。
喜びに染まる想念と、悲しみに溢れかえる情念が決壊しそうになる。
瞼を思い切り瞑った。



「…………ぃ、っしよに、いて……?」



やがて、愚かな願いを口にした



「ず、っと、一緒にいて……?」



そして、また一つ咎を増やした



「貴方の、隣にいるのは、私じゃなくてもいいからっ……」



でも、もう止められない



「貴方が消えてしまう、その時まで、ずっと一緒にっ……いてください」

「…………ファリエル」



痛ましい顔をする彼に、最後に一度微笑んだ。
空の滴が身体を貫いていく。幾度となく身体を刺して、沁み込むことなく地面へ行き着いていく。
矛盾を孕んだ残酷な願いを、雨と一緒に彼へと落とした。


月も星も見えない夜の空の下で、静かに誓う。


彼が消え、もし許されるのであれば、


その時は、自分も共に消えよう。



[3907] サブシナリオ8
Name: さもない◆5e3b2ec4 ID:5419e509
Date: 2010/06/04 20:00
雨降る音が暗い室内に響いてきている。
取り付けられた窓から覗く野外は重い闇をのせて黒く湿っており、堰を切ったような涙雨が途切れることはなかった。

「参った……」

外と同じくして薄闇に包まれた部屋の中。
光源が何一つ灯っていないそこに、掠れた呟きが広がる。
簡素の一言。けれど様々な感情がない交ぜになって詰まっている語気には、重々しい音色が伴う。

「ミィ……?」

「ああ、参った……」

日付も変わった時間帯でありながらベッドにも入らず、ただ壁に体を寄りかけるウィルは、腿に縋るテコの頭を撫でながら弱々しくこぼした。
ファリエル。彼の心を占めるのは彼女の悲笑一つのみだ。
言葉にされた想いと、涙に変わった願い。悲痛過ぎる彼女の全てが胸を掴んで爪を立ててくる。
心を支配する痛覚。切り裂かれたような鋭い痛みは、ウィルの感傷他ならない。

「笑っていて欲しいだけなのに……」

幸せになって欲しいのに。
口から漏れ出した言葉は、形になることなく雨の音でかき消されていった。
暗然とした思いが渦を作り、そしてウィルの心境を表すように外で雨の勢いが増す。
重い帳が部屋を満たし、沈黙と影がはびこった。


ドアをノックする音が静かに響いたのは、そんな時だった。


「…………」

立ち上がり、緩慢ともいえる動きで部屋の入り口へと赴く。
誰か、と隔たりの向こうに尋ねることはせず。
ウィルは一息で木製の扉を開けた。

「……ウィル」

「…………」

「話があります。付いてきてください」

返事の有無は切り捨て、真夜中の客人──フレイズはそう言った。
選択の余地はない、と怜悧かつ鋭さを保った面相が静かに物語っている。
ウィルもそれを受け入れる。困惑しているテコを肩に乗せ自室から踏み出て、既に背を向けたフレイズの後を追った。
彼が来るだろうことは何となく予想がついていた。
来てしまうのだろうと、「以前」と変わらぬ天候と泥水のように重い己の心中が、そう予感させていた。


「…………」


彼女の笑顔が見たいと、ふとそう思ってしまうのはただの甘えなのだろうか。
心に浮かぶ「彼女」を特定出来ないまま、ウィルはそんなことを思った。









然もないと  サブシナリオ8「ウィックス補完計画その8 ~魂の行方はきっとそれぞれが望む所に落ち着くのではないかと思う~」









闇の空から雨が落ちてくる。
木の群れ群れに抱かれる此処、狭間の領域にも枝葉の合間を抜けて水滴が地面に重なっていた。
頬にかかる雨の冷たさを漠然と感じながら、俺は黙ってフレイズの後に付いていっている。
これから起こるだろうことに、確信として固まっている予想を抱いている状態で。


忘れもしない「フレイズ」との決闘。今から待ち受けているのは恐らくその再現だ。
ファリエルの護衛獣であったフレイズは、その肩書が既に消えてしまった今でも彼女に絶対の忠誠を誓っている。
ファリエルが願うならそれこそ何だってするだろうし、彼女の為なら信頼を失おうがどこまでも堕ちる覚悟がある。天使の掟(ルール)を破り彼女の魂を破滅から救ったことからもそれは明らかだ。

そんなフレイズからすれば、ファリエルを脅かす存在は敵か味方かという区別は関係なく、一様に撲滅の対象となる。
そう例えば、ファリエルをみんなの前に連れ出し、その心の変化から彼女自ら戦場の最前線に立ちにいく原因を作り出した、俺なんかを。
ファリエルの意思だとしても、戦線へ赴く端緒を担った俺をフレイズは許さない。
進んで傷付きみんなを守ろうとするファリエルの変化に拍車をかける俺を、フレイズは認められない。
「フレイズ」が「レックス」に告げた概略は、つまりそういうことだった。


フレイズの歩みが止まる。
場所は魔晶の台地。水晶の塊が至る所に点在し、あるいは隆起している。木々の間隙にできたスペースは広大で見晴らしがいい。
また、霊界の住人達が糧とし純力とするマナが飽和に達するほどに潤っている。ちょうど、これから始まる戦闘にはもってこいとでも言うかのように。

「ウィル、何故私が此処に足を運んだか理解していますか」

「……大体ね」

「そうですか。ならば、話が早い……」

ゆっくりと振り返ったフレイズの双眼が俺を射抜く。
開きかけている口唇が作る言葉は、恐らくは「ファリエルに近付くな」あたりだろう。
どこか冷めた気持ちでその言葉を待つ────



「…………死んで、己の犯した過ちを死ぬほど懺悔してください」



────って、ナヌィ!!?


「し、死んっ?! し、死ねって、おまっ!?」

「おや、何を慌てているのですか。私の真意を理解しているならそれくらい予想できた筈ですが」

「予想より斜め上ブッチ切ってたZE!?」

何いきなり臨界突破してんの?! 修羅場迎えるのは悟ってたけど、こんなベクトル違い、ていうか問答無用の修羅場は断じて予見できねえーよ!!
つうか言葉おかしいよ!? 死んじまって死ぬほど懺悔って何だよ!?
不慮の事態に俺混乱。エマージェンシーエマージェンシー。説明要求む。ていうか、剣抜くなぁああああああっ!!!?

「ファリエルに近付くなとかそういうことじゃなくて!?」

「フフ、その程度で済むと思っているのですか貴方は? 本当におめでたい頭の持ち主ですね浅はかとしか言いようがないやはり死ね」

お前それキャラ違うだろ?!

「分からないというのなら、その欺瞞と老獪に満ち満ちた狸頭でもよく理解できるよう教えてあげましょう。……まず第一にファリエル様を泣かせたこと。第二にファリエル様を泣かせたこと。そして第三に……ファリエル様を泣かせたことだぁああああああああああああああっ!!!」

「素直に許せないって言え!?」

過保護天使がっ!

「百歩譲ってファリエル様が戦場に赴くことは認めましょう! 今のあの方は進んでみなさんの盾になるのではなく、協力して助け合うことを心得ている。自責や償いの念による自己犠牲を止め、島の住人達と対等でいようと考えています。その点では、ウィル、貴方の存在が彼女に働きかけたことは否定出来ませんっ」

語気は若干大人しくなり、けれど顔は前髪によって窺うことが出来ず。
ぷるぷると震える肩が、内にあるナニカを必死に我慢していることを表しているようだった。

「むしろ私は貴方に謝辞を送るべきなのでしょう…………ですがぁっ!」

首を勢いよく上げ、くわっと顔面を正面に解放させる。
そしてそこには……夜叉がいた。

「ファリエル様の純情を裏切って泣かせ、あまつさえ飽きたらポイなど許容出来る筈ないだろうがぁあああああああああああああっ!!!」

「オイ後半部分っ!!?」

それはねえよっ?!
ていうか前半部分も全否定出来ないけど、なんかおかしいぞ!?

「泣かせたのは謝る! ごめん、マジゴメンッ本当に申し訳ありませんでしたっ!! でもその前の裏切るってなんぞ!?」

「ファリエル様を誑かしておいて、そして貴方はその好意を無下にしたっ!!」

「だから、何言ってんだ!? そんなことするかっ!」

「では、何故あの方は泣いておられるのですか!」

要領を得ないフレイズに若干怒気が募ったが、その放たれた叫びを聞いた瞬間、氷塊を打ちつけられたように頭から熱が消えた。

「何故ファリエル様は今も泣きじゃくっておられるのですか! 悲痛な叫びを押し殺し、あそこまで弱り果てているのですかっ!」

────それは。
口が動かない。言い返す言葉が見つからない。
あの時、俺はファリエルの懇願に答える術を知らなかった。傷付くと解っていながら、その報われない望みにすぐ応えてやることをしなかった。
涙に濡れ切った悲しげな笑みを浮かべ逃げるように去っていく彼女を、追いかけてやることが……出来なかった。

「あの方がああも悲しんでおられる原因があるとすれば、私には心当たりが一つしかないっ……!」

非難と軽蔑の眼差しが俺を真っ直ぐに貫く。
顔から色という色を削げ落とした俺は、その糾弾を前に立ちすくむことしか出来ない。
フレイズは顔を盛大に歪め、その口から罪状を言い渡すように────



「故に、貴方がファリエル様の想いを清々しく笑いながら手の平返したように踏みにじったに決まってるだろぉうがぁああああああああああああああああああっ!!!」



────だから、そこで飛躍し過ぎいっ!!?


「鬼畜か俺はっ!?」

「鬼妖界ネコ目畜生(イヌ)科ムジナ属でしょう!!」

「誰が上手いこと言えと?!」

「ミャミャ~~~~~~!?」

あられもない言い方をされテコとともに叫ぶ。
畜生(イヌ)の所で奴の憎悪を感じられずにはいられない。
そうこうしている内、フレイズの雄叫びに共感するかのように周囲から魔力が噴き上がっていく。
なんぞ!? とギョッと目を剥いていると一つ、また一つとその数は次第に増えていき、遂には膨大な数の幽霊や精霊、果てには天使達がフレイズの背後より姿を現した。
地形条件を受け、とんでもない霊属性魔力が今もなお天井知らずに高まっている。


「我らの想いは一つ、ファリエル様を守ることです! あの方の意に背いてでも────仇(てき)は討つ!!」


一斉に向けられる瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳。
キュピーンと闇の向こうで輝きを放つ数多の対の目が俺達の元に集束された。
殺気籠もる魔晶の台地。濃密な敵意が渦を巻くように辺り一帯を満たす
俺とテコは、予想されるこの後の展開とそれに伴う生命の危機に顔を思い切り強張らせながら、後頭部から滝のような汗を流しまくった。



「罪深キ咎人ニ制裁ヲッ!!」



それが、宴(リンチ)の合図。





『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!』





「「に゛ゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!?」」


俺とテコは腹の底から絶叫をあげ、そしてその場から背を向け全速力で駆け出した。
こえーよ!? ホラーかよっ!? 待ち受ける未来はスプラッタかよっ!?
フレイズの号令から大挙となって押し寄せてきた幽霊群に半分泣きながら激必死に水晶台地を蹴りつける。テコは既に涙をばら撒きながら、俺の肩から落ちまいと必死にしがみ付いていた。
エコーのかかっている怨念じみた声が背筋を襲う。素でパニック一歩手前だ。だ、誰かーっ!!?

「って、結界っ?!」

「ミャミャァーッ!!?」

魔晶の台地を取り囲むように形成されたガラスのような透明な壁。
天使のみなさんはこれの行使に回っているのか。集団からなる堅牢な魔力壁は水晶から生み出されるマナに補強されることで超鉄壁へと変貌してしまっている。この世の終わりのような悲鳴がテコから飛び散った。
さ、最初から俺達を嬲る心算(つもり)だった!?

振り返る。夥しい数の亡霊がすごい勢いで此方に向かってきている。
いたずら幽霊がゲタゲタ笑いながらその鋭い歯に粘液と殺意を漲らせ、タケシーは眉目を吊り上げ雷で俺達を焼く気満々。スパークルの渾名を持つ聖霊ペコさんは「オラ怒ってます」とばかりに金色のオーラを噴出させ突撃体勢である。

『ウコケケクエェエェエエエエエエエエエエエェエエエエッ!!!!』

そして白髪をたなびかせ赤の瞳を血走らせる俺(ウィル)は、青竜刀を舌舐めずりして積年の恨みを晴らさでおくべきか的な空気を身に纏っていた。
って、あのクソ師匠っ!? 流れに便乗してマジで俺を殺るつもりでいやがる! てめーどこのサハギンだ!?

「くそったれっ!!」

死ぬわっ! と奇声ほざくクソ師匠先頭の霊集団を見て叫ぶ。
碌な戦闘もできん! こんなアウェーあってたまるかっ!

「ライザー!!」

『Bi「自爆!」……』

もはや手榴弾と化したライザーを召喚し、投げ込む。
瞬きする間もなく大爆発が起き召喚獣達の特攻の出端をくじく形となった。師匠は爆炎の中に消えた。
今のうちにっ……!

「やらすかぁあああああああああああああああっ!!!」

「げっ!?」

「ミャミャ?!」

空より飛来する金髪天使。剣を一杯に振りかぶり此方へ矢の如く突き進んでくる。
低い雷鳴音が空を駆け、刃が狂暴な光を反射した。ていうか表情が凄いっ……!?

「ハアァッ!!」

「ぐぬっ!?」

振り下ろされた剣撃は急降下の勢いが上乗せされ、とんでもない威力を秘めていた。
刀身で防ぐことには成功したが、柄を持っていた手が盛大にしびれる。余りの衝撃に目尻に涙が浮かんだ。

「裏切ったな、私の気持ちを裏切ったな!!」

「お前絶対遺跡のこと根に持ってるよな!?」

ギギギッ、と剣と剣が鍔迫り合いを演じる奥でフレイズの鬼の形相が俺を見据えてくる。
怒りに燃える瞳が眼前で展開され、俺は少し腰が引けた。その間にもサプレスの召喚獣達が爆殺された前線を乗り越え第二波となり、みるみるうちに此方との距離を詰めてくる。
ええい、埒があかんっ! 渾身の力で得物をかちあげ瞬時に後退。フレイズから逃げるように間合いを離す。
まだ泣いているテコに束の間の天使迎撃を頼み、俺はその隙に懐からサモナイト石を取り出し召喚術を発動させた。


「ヴァルゼルドッッ!」


カモン!!




『ドリルは嫌っ、ドリルは嫌ぁああああああああああああああああああああああああっ!!?!?』




うるせえっ!!?


何事だっ!? と俺は半ばブチ切れながらヴァルゼルドに吠える。

『ド、ドリルはぁあああああ、ぁあ……? ああっ?! たっ、助かったっ!? 助かったでありますっ!!!』

「うるせーポンコツ! 何寝言ほざいてんだ!!」

「ミャミャー!!」

『いや素で冗談じゃねーであります!? め、目を狂わせた少尉殿がっ、じ、自分を無理矢理固定してドリルの山を装着させようと!!?』

「「…………」」

さいか……。


回想。
遺跡においてイスラの召喚術で派手に殺られたヴァルゼルドは、今日まで修理の名目でラトリクスに収用されていた。
しかしそれもあくまで表向き。実際は、いい機会だからと俺の方からクノンに頼んでヴァルゼルドの入念な身体チェックを頼んでいたのだ。来たるアルディラ復活の日──つまり改造再開日──に備えて、作業が滞りなく進むよう細かい資料を作成させておこうと。
回想終わり。

そしてエックスデー、つまり本日。無事復活を遂げたアルディラさーんの手にかかりヴァルゼルドは彼女の趣味に走った装備をこれでもかと貼り付けられそうになったらしい。
その証拠にポンコツの体には既にかなり物騒な装甲と兵器が取り付けられている。肩とか腰とか背中とか。
……向こうも修羅場だったようだ。


『あぁ、ありがとうございます、ありがとうございますマスター! 恩にきます!!』

「ハイハイ。ああ、ちなみに用が済んだらラトリクス帰れよ」

『え……ええぇッ!? ま、マジでありますかっ?!』

「マジだよ。ヴァルゼルドカスタムでもヴァルゼルドカンタムでもいいから強化されてこい」

『ドリルは嫌ァアアアアアアアアアアッ!!?』

装甲ガチャガチャ鳴らして頭抱えるヴァルゼルド。
どうでもいいから仕事しろ。こっちも冗談抜きで切迫しとるねん。

「とにかくあの数という名の暴力なんとかしろっ!」

『りょ、了解……。って、何でありますか、この状況?』

「説明は後! ただひたすら撃ちまくれ!」

『イエス、マスター!』

その声とともにヴァルゼルドの双眸が輝きを散らす。
連動してヴァルゼルドの本体を除いた怪しいパーツ群が『ブォオオオオオオオオッッ!!』と激しい駆動音をあげる。
何やら聞いたことのあるそのラトリクス社印の咆哮に、思い出してはいけない何かを思い出しそうになった。


『────想いだけでも、力だけでもッ!!』


そして撃発。
肩やら腰やらに取り付けられた兵器のハッチが開き、鉛玉やら砲弾やらミサイルやらが轟音とともに一斉に放出された。
さり気なく混ざっていた光学兵器の圧倒的火線に俄然うすら寒い感覚を覚える。
サプレスの召喚獣達ごと周囲一帯を灰燼へと化していく最狂科学者形態(ハイマッドモード)。
す、すげぇ……! アルディラ、何てモン作っちまったんだっ……!!

「貴様は一体何なんだッ!!」

『ッ!?』

虐殺デスと言わんばかりのあの圧倒的火力をくぐり抜け、フレイズがヴァルゼルドに斬りかかった。
全EN消費したヴァルゼルドは鉄の塊と化した装備品をオールパージ。ドカドカドガッ、と酷い音を立てて水晶台地に落ちるそれらと平行して愛用している大口径の銃砲を腰から解き放つ。
瞬間、猛り疾った剣を間一髪銃砲の腹で受け止めた。煌々とした火花が盛大に咲き綻ぶ。
……ていうか排除分離機構。即採用か、アルディーラさん……。

「そこをどけぇええええええええっ!!」

『グッ……オオオオオオッ!』

咆哮と化したヴァルゼルドの音声が発せられ、機械兵士特有の馬力がフレイズを押し返した。
間合いが開き、すかさずヴァルゼルドは発砲。降りしきる雨にも負けない量の弾丸が連射され、しかしフレイズは空へと飛翔し尽く射線から逃れてみせる。
銃弾の隙間を縫うように白い翼が空中を駆け上がっていき、凄まじい機動が展開された。

「……フ、フレイズ! 僕が言う立場じゃないかもしんないけど、勝敗はもう決した、多分! そろそろその物騒な剣収めてほしかなぁーなんて思ったりするんだけど!!」

「笑止! 同胞達がみな倒れようと、私は貴方を討つまで剣を振るってみせる!」

超旋回を続けながらフレイズは吠える。
とうとう敵に留まらずあの天使まで強くなっているような気をバリバリに抱えながら、俺は宙を浮くフレイズと視線を合わせた。
一対の白翼が大きく左右へ伸びる。純白の羽毛をふりまく様は、見る者によってはいっそ荘厳なものとして瞳に映るかもしれない。
堕ちた身であるにも関わらず、その姿は一種の神々しさに満ちていた。


「貴方がいくら望まぬとも、私には最後まで戦う理由がある! 大義がある! 誓いがあるっ!」


天よ裂けよと言わんばかりのその宣言に、その想いの丈に、俺は喉を震わせた。
テコもヴァルゼルドも息を呑んでフレイズを見上げる。


「これは私闘です! 私の誇りを傷付けることをした、貴方への私怨そのものです!」


遥か空、黒く染まった雨雲の間を雷鳴が走り抜ける。
稲光に照らされながら、フレイズはその貫徹した意志を表すように声高らかに叫んだ。
譲れないものがあるのだと言うように。強く、気高く。


「そして、死闘です! どちらかが倒れるまで終わらない、終わらせてはいけないっ、決着させるべき戦なのです!」


湖面の色をした双眸が揺るぎない戦意を灯したまま俺を穿った。
五指が確固として握り締めるのは、マナを宿す晶霊の剣。


「この身は、ファリエル様のためにッ!!」


裂帛の気概とともに剣を頭上へと。腕を伸ばし、刃の切っ先が真っ直ぐ空へと突き立てられる。
そして、天もそれに同調するかのように。
極光と言って相違ない鮮烈な雷が、つんざくような爆音とともに天空から繰り出され、落ちた。



フレイズに。






「ぐぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」






「………………」

「………………」

『………………』


明滅明滅明滅。
絶叫をあげる天使がライチュウする。童話に出てくる魔王消滅のワンシーンのごとく、断末魔の声が響き渡った。

振り上げられた剣はジャストで避雷針の役割を果たし、数億ボルトに相当する稲妻が白い翼へと直撃。
結界を容易く貫いた落雷は天使を呑み込み、焼いた。
べちゃっ、とぶっすぶすに焼き焦げたローストチキンが地へと墜落する。天に召された。

「……帰るか」

「……にゃーにゃ」

『……イエス、マスター』

踵を返しその場を立ち去ろうとする俺達。
結界を行使していた天使達はどうしていいか分からず困り顔で右往左往するのみ。
やたらと鼻につく香ばしい香りが風に乗って辺りへと充満していった。

「…………マっ、待ちナっ、さイっ……!!」

と、ぐぐっと両手をついて起き上りだす天死体。
生きてたのか。

「……もう止めとけよ。神様も言うてるよ、無駄な争い止めなはれって」

「ミャミャー……」

『僭越ながら、その体では戦闘続行は不可能かと』

「黙りっ、なさいッ……!!」

バチバチと軽い帯電現象を引き起こしながらフレイズはふらふらと立ち上がる。
剣を杖代わりにして必死に姿勢を保つ。ぶるぶると震え芯の入ってないその体は、テコのミニハンドで押されただけで再び地面とキスをかましてしまいそうだった。
軽くパーマがかかってしまった金髪が哀愁を誘う。

「私は、認める訳にはいかないのですっ……! 貴方への敗北を認める訳には……ッ!!」

眼光を依然鋭いまま。フレイズは決して諦めようとしない。
一気にやる気を消失してしまった此方としてはもう帰りたくてしょうがなかったのだが、このまま事態は収束するとも思えないので再びボロボロな天使と向き合う。
しかしどうすんべぇ、と思いながら、取り敢えず誤解だけは解いておこうと口を開こうとして、


「フレイズ!?」


慌てふためいたファリエルが飛んできた。













「何をしているの、フレイズ!? それに……ウィル、まで……」

戦闘音かはたは轟雷の音を聞きつけてか、血相を変えたファリエルがウィルとフレイズのいる場所へと駆け付けてきた。
狭間の住人達の死屍累々たる様や見るも無残なこんがり焼き上がったフレイズの姿、そして頭をぼりぼりとかくウィルと、視線を次々に移しその度に顔色を変える。

「邪魔をしないでください、ファリエル様ッ。貴方に何と言われようが、こればかりは止める訳にいかない……!」

「フレイズ!? 一体何をっ……!?」

「討つのです、我らの敵をっ。諸悪の根源たる大罪人を討ち滅ぼすのです……!」

全く意味の汲めないフレイズの発言にファリエルは混乱と困惑を等しくする。
助けを求めるようにこの場にいるウィルへ瞳を向け、そしてすぐにはっとして視線を逸らす。ウィルも気まずぞうに口をへの字にした。
二人の様子を目ざとく察知したフレイズは、その瞬間怒潮のごとく闘気を発散させた。

「ウィルッ、もう構いません! ファリエル様の目の前で罪を悔いて地獄へ落ちなさい!!」

「何を言っているの!? お願いだから剣なんかしまって!」

「無理デス!!」

「?! ど、どうしちゃったの!?」

「……あー、ちょっと聞いて、ファリエル」

耐えかねたウィルがファリエルにこれまでの経緯を説明し出した。
何とも進まなそうな顔でウィルは一連の出来事をかいつまんで話していく。切りかかろうとするフレイズはファリエルの必死の懇願で一先ずの小康状態へと移行した。
ウィルと頑なに目を合わせようとしなかったファリエルだったが、内容に耳を傾けていく内に頬に赤みがさしていき、話が終わる頃には真っ赤に熟しきった果実となった。

「フ、フレイズッ、そ、それっ……ごかっ、誤解っ……!?」

「みなまで言わずとも結構です。五回と言わず、万を越える責苦をこの者に与えてみせましょう……!」

「ち、違っ……!?」

護衛獣の暴走に対しファリエルの目尻に涙が溜まる。
一切聞く耳を持たないそんなフレイズの姿に「お前どこの『忍者』だよ……」とウィルが小さく呟いた。
ままならない現況に、幽霊少女は両手を胸の前で組み、涙を振り払って、吠えた。


「話を聞いてっ、フレイズ!!」







「…………つまり、ウィルに触れることが出来なくて悲しんでいたと?」

「………………」

ファリエルの決死の弁明は、ようやくフレイズの舞い狂っていた炎を沈下することに成功した。
彼は普段と変わらない冷静な、けれど少し困ったように眉を曲げた顔を作っている。
端的に事実の確認をされファリエルは俯きがちにこくりと頷いた。耳まで真っ赤な彼女の様子を横から見やるウィルも「えー、つまり、それは、あー?」と取り乱しながら頬に熱が集まるのを止められない。

「なるほど、そういうことだったのですか。やっと事態の把握が出来ました……」

「おい、納得する前に僕に何か言うことがあるだろう」

「ミャー……」

ウィルは神妙な顔付きでうむうむ頷くフレイズにすかさず突っ込んだ。
不可抗力でファリエルを意識してしまう現状から目を背けようとしての行動だったが、フレイズは無視をして取り合わない。
てめぇ…、とウィルは睨みを利かせる。テコもそれに便乗してじろーと視線を送った。
ヴァルゼルドはというと、パージしたパーツの回収と倒れている住人達の運搬を手伝っている。

「…………ふむ。ご安心を、ファリエル様。貴方の願いはこの不肖の身である私がどうにかしてみせましょう」

「……えっ!?」

「ファリエル様が消えてしまうかもしれないのです。それを防ぐ為だったら私は何だってしましょう」

突然の発言にファリエルとウィルは瞠目。
ウィルに限っては開いた口が塞がらないといった表情で、呆然と固まってしまった。
フレイズは静かに瞼を閉めて言葉を続ける。

「それに元はといえば、ファリエル様がそのような体になった原因は私にあるのですから」

「……ッ、それは違うわ、フレイズ!! だって、私は貴方のおかげでっ……!」

「いいえ。私は貴方の魂を自己満足で縛り、何より、貴方を守ることが出来なかった」

「フレイズ……」

二人の会話が島の過去まで遡る。
禍根と償い。当事者ではないウィルには決して共有することの出来ない心情であるが、自然と己の眉が沈んでいくのが分かった。

「とにかく、私に任せてください」

暗くなりかける場を払拭するようにフレイズが胸を張って告げる。
何をするつもりなのか疑問につきないが、その前に、ウィルは水を差すことを自覚した上ではっきりと自分の胸の内を口にした。

「出来るのか、本当にそんなことが……?」

「レックス」の際には「ファリエル」の背負った定めは決して離れないように思えた。
事実「彼女」は島の事件が終結した後でも鎧無しでは何も触れられずにいた。
ここでフレイズがどうにか出来るならば、「ファリエル」も「フレイズ」の手で救われていた筈ではないのか。
朗報を信じたい気持は山々であるが、ウィルにはどうしても彼の言うことを鵜呑みすることが出来なかった。

「その前に、ウィル。確認しておきますが、貴方ファリエル様の為なら何でもしますね?」

「え……あ、ああ。僕に出来ることなら何でもするけど……」

逆に問われたウィルは少々ひるみながらそのように言う。
ファリエルには幸せになってほしいというのはウィルの偽らざる気持ちだ。何か出来ることがあるなら協力は惜しまない。
フレイズは返答したウィルに目を細めた後、では問題ありませんと言い切ってみせた。
ファリエルは自分を置いて進んでいく状況に、目を円らにしながら右へ左へと顔ごと視線を何往復もさせる。

「で、何をするんだ?」

「ファリエル様と世界を確固とした絆で繋げます」

「私と、世界の絆……?」

「少し悪い言い方になってしまいますが、ファリエル様に現世に留まってもらうだけの強い『未練』を作るということです」

今のファリエルの体はリィンバウムでいう幽霊とはまた異なる。それはあくまでサプレスの召喚獣の一部を指す言葉だ。
実体のない魂そのもの、すなわち霊体。生存している生身の人間とサプレスの召喚獣達精神生命体の中間点に当たり、非常に不安定な存在といえる。
仮定の話、現世に対する執着が薄くなれば、ファリエルは自分と世界を結ぶ繋がりを失うことになりこの世界に留まることが出来ない。転生の輪を外れた彼女がその先に迎えるのは完全なる消滅だけだ。

「小難しい理論は後で。ファリエル様のお身体が心配です、早い実践を」

霊体である彼女が肉体を所持せずに世界に在り続けているのは、ひとえに外的による要因──この場合はフレイズの奇跡──と彼女の強い想い、つまりは世界に対する未練によるものだ。
フレイズにしてみれば彼女の消滅など認められる筈がなく、言葉にせずとも断固阻止の思いだろう。
ウィルもそこの所は理解出来るが、しかしファリエルが接触能力を得られるどうかということになるとまた別問題のような気がした。

訝しげな顔を隠せないウィルだったが、刹那ぐるりと向けられたフレイズの顔にびくりと体が微震する。
不意に脳裏を過った、獲物を捉える猛禽の図
その真顔に宿る無言の迫力を感じて、自分でも解らない内に足が後退してしまった。

「ということで、ウィル。貴方、ファリエル様と誓約(エンゲージ)をなさい」

「エ、エンゲージ……?」

「ええ、誓約です。召喚獣と結ぶ誓約とはまた別の、魂の誓いです」

さらっと紡がれる言葉に汗が落ちた。
何ぞソレ、とウィルは恐る恐る尋ねる。


「早い話ファリエル様と貴方を契って、この世界でのファリエル様の立ち位置を不動のものとします…………媒介は、そうですね、接吻がいいでしょう」


────────マテ







魂とは、存在そのものを形作る器の魂殻(シエル)と内面を満たす「意識」で出来ている。
心とその働きである「意識」、中身を保護する為の外殻──精神的な肉体である魂殻。
その内の後者を強い作用、つまりは「切欠」によって補強しファリエルの存在を揺らぎのないようにする。
フレイズの言っていることは、つまりそういうことらしい。

だが、つまりはそういうことなのだとしても。
何故こんな状況に陥ってしまっているのかという疑問は湧き上がって湧き上がって湧き上がるばかりで甚だ甚だ甚だ尽きることはない。

自分の目線の高さにあるほっそりとした下顎に、今は紅一色に染まってしまっている雪原のように真っ白な肌。
澄んだ白銀の髪がマナの光粒に揺れ、存在しない筈の芳香を漂わせてくる。
果敢なさを絶えず纏う霊体の少女が、焦点を糸ミミズでぐちゃぐちゃのようにさせながら、吐息のかかってしまうほどの間合いで佇立していた。
今自分はどんな間抜けなツラをしているのだろうと、茫然自失の状態でウィルはそう思った。



告げられたフレイズの言葉に、間髪いれずウィルとファリエルはタイミング狂わず一緒に意義を唱えた。
待って、と。何をほざいているのだ、と
しかし天使は動じることなく長ったらしい説明をここぞとばかりに語り出した。ひょっとしたらあれは孔明の罠だったのかもしれない。


【先程『未練』が必要と言いましたね。つまり要は、ファリエル様をこの世に繋ぎ止める『切欠』が欲しいのですよ】

【これを語るにはまず魂について話した方がいいでしょう。──魂とは何か? 見解は四界を含めれば様々、千差万別、およそ正確な解答など恐らく存在しないでのしょうがここは敢えてサプレスひいては私達天使の間で不動のものとなっている理念を話しましょう魂とは輝きそして輝きとはつまりその者の尊厳であって我等はそれを何よりも尊びますまたその輝きは神の涙にも劣らぬ美酒といっていいでしょう天使にとっては陶酔の的であり我が身を狂わせる禁断の果実とも言えるかもしれませんねかくいう私もそんな魂の輝きに引かれ惹かれ魅かれトチ狂ってしまった身ではありますがおっと話が逸れましたとにかく強い意志を持つ魂は天使にとって至上の存在であるのです殊更人の魂から生み出される輝きは美しい限りで時には夜空の星が瞬くように時には炎が燃えさかるようにその輝きを周囲に誇らしめます何故ああまで人間は輝けるのか逸脱した頭脳や妖気奇跡亜人のような優れた身体能力を持ち合わせる訳ではありません種としては劣っている筈なのですええ本当に理解に届かないいえ解らないこそ我等は魅かれてしまうのでしょう豊穣の天使といわれた彼女でさえ例外ではなかったのですから罪人の烙印を押されるのが必定でありながら彼女をそこまで堕としめた彼の魂とは何なのか果ては大天使をも愛に駆り立てた魂の輝きとはいかほどのものなのかあぁ叶うのならばその魂をこの目で見て感じたいものです勿論この世界を彷徨っているといわれる彼の御方にもぜひ会ってみたい限りですがあっ実は私アルミネ様の大ファンでしてええそれはもう憧れていますよ崇拝と言ってもいいかもしれませんねフフ秘密ですよ一天使が最初の堕天使を神よりも崇めているなんてバレたら即刻私も罪人処分となってしまいますって私とっくに堕ちてましたねこりゃうっかりハハ参りました参りましたおっと熱くなり過ぎてまたもや脱線してしまいましたね申し訳ありませんええそれでは詰まるところ魂というのは────…………】

【…………という訳で、魂殻とは己と他者の認識または外界を分ける境界線でもあります。すなわち、『切欠(せっぷん)』によって魂殻の存在を強固にしていけばファリエル様も他者に触れることが出来る……ことも無きにしも非ずだったりするのではないかと思う筈なのです】


最初からその結論を出しておけば良かったのではないかという突っ込みは長々とした蘊蓄もといフレイズの熱弁により姿を消滅させた。
この頃になると既にウィルとファリエルは煙を上げてオーバーヒートとなっていたからだ。
正直これっぽちもフレイズの言うことが理解出来なったウィルは、なけなしの気力を振り絞ってフレイズに食ってかかったが、

【うるさいですね。魂殻を作り出すことの出来る精神生命体(わたし)が言っているのだから間違いないではありませんか。そもそも、本来ならば接吻どころか婚約をですねぇ……】

という返しに思いっ切り動揺を呈してしまい、

【あ、じゃあ挙げますか、式? ちょうど師匠の双子水晶がいい感じに仕上がってますし、いこうと思えばいけますが?】

その繋ぎによって絶賛パニックに陥りかけ、

【狭間の領域の住人の全出席は当たり前として他集落からも……ああ、貴方の親族代表としてはアティで……構いませんよねぇ?】

さらりと告げられたその言葉の羅列によって、最後の反抗の意志は潰えた。
具体的には後半部分、実現した瞬間降臨を果たす白い河童悪魔の姿を何故か脳裏に誘発され、体の震えが止まらなかった。
【接吻にしときますか?】という悪魔の囁きにブンブンブンッ!! と首千切れる勢いで頷いた時には、既に後の祭り。

狼狽しながら制止を促すファリエルも、フレイズにそっと何事かを耳打ちされ、真っ赤な顔に変貌しつつ、最後は素直にコクリと顎を引いて了承してみせた。



そして今現在。
数センチの間隔を残してファリエルがウィルの前に立っている。
あの後必死に起死回生を計ろうと四苦八苦して、しかし腹を括ってくださいとフレイズの一太刀のもとで切り捨てられ。
もはや手段に構ってられず自分には責任取らなければいけない娘がいると切実に訴えてみせたが、

【知りませんよそんなこと。責任云々語るんだったら両方取り持つ度量の一つや二つ見せなさい】

────お、おみゃー!?
と、碌でもないことを言われ反射的に叫んでしまった。

(……馬鹿言ってんじゃねぇーよ……)

フレイズの対応を思い出しながらウィルは絶句する。
お付き合いを視野に入れた娘にそんな不誠実な真似働ける筈がない、と汗をダラダラ流しながら器用に顔の色を様々に変化させた。

「…………」

視線をそろそろ上げると、此方の姿を映すファリエルの瞳とぶつかる。交差した視線は離れずにそこで絡み合うことになった。
潤み出している少女の目を見て、頭が熱で煮え滾ったトマトのようになってくる。まともな思考がかなわない。
頭をくらくらさせながら、鼻腔をくすぐる香りは蒼氷樹の実の匂いだと漠然と気付いた。

透き通っていく甘い香りに誘われるように、小さな唇へ視点が動く。
雪か、白花か。色白を通り越した純白の口唇は生命の精気だけは感じさせないものの、神秘的と言わざるを得ない瑞々しさを宿している。
酷く繊細なその唇に目を奪われた瞬間、もう頭の中は完全に真っ白になってしまった。
制御不可能に陥った鼓動の音だけが体中に響き渡っていく。

「…………んっ」

小振りな白い花弁から震えた呼気が漏れる。
それを受けて止まっていたウィルの時間が動き出し、同時にファリエルの顔も近付いてきた。
目の裏にいよいよ膨大な熱が刻まれた。けれど動かし方を忘れてしまったように体はぴくりとも反応しない。
触れられるとか触れられないとか、もはやそんな些細な事柄は意識の彼方に吹っ飛んでいる。
決心したような少女の表情とそこで形となっている想いの色が、何よりも目の前に顕在する現実だった。
────前にこんなことがなかったか、と感情の伴わない空っぽな記憶が頭を過り。
ウィルはかろうじて動く瞼をぎゅっと瞑った。



「……ぁの、ごめん、なさぃ……」



蒼氷樹の香りが頬を撫で、そっと印をつけていった。















「みゃ、ミャー……?」

『ま、マスター?』

「…………………………………………」

テコとヴァルゼルドの呼びかけにも無反応。
四つん這いとなり頭をむごたらしく首から垂らすウィルを苛めるのは、奇天烈な自己嫌悪に他ならない。
暗い影を全身にかけて身に纏い、いっそそのまま地面の中へずぶずぶと沈みこんでしまいそうな勢いだった。
項垂れている彼の目には、土を覆う芝とそこから少し顔を出した水晶しか映っていない。


だから、ウィルは気付かなかった。


「……ふっ」

己の背後でフレイズが不敵な面構えでVサインを作り。

「ぅ~~っ」

顔を真っ赤にさせて足を忍ばせるファリエルが、しかし控えめながらしっかりと彼に指を立て返していたことを。
己の耳元で彼女が静かに屈んだことを、ウィルは気付くことが出来なかった。





「……ウィル、ずっと前から……好きでした」





パタリ



「ミャ~~……」

『マスター……』

真っ赤に腐乱した死体が、地面に伏せきった格好で一つ出来あがった。













フレイズ

クラス 天使〈武器〉横×剣〈防具〉ローブ 軽装

Lv19  HP194 MP194 AT92 DF62 MAT92 MDF64 TEC95 LUC40 MOV3 ↑4 ↓4 召喚数2

霊B   特殊能力 浮遊 眼力 加護の祈り

武器:晶霊剣 AT110 MAT5 TEC5 LUC5 CR10%

防具: 天啓の鎧

アクセサリ:empty


12話前のフレイズのパラメーター。
うんこ忍者に続く不名誉な渾名シリーズ第二位。犬と名付けられたその日から着実に彼の運命の歯車が狂い出している。
スカ―レルには白い目で見られ、ファリエルにはイヌと言われ、特に後者に関しては名誉が失墜したと内心ビクビクしているらしい。小狸の仕掛けた計画的犯行だと気付く日は遠い。実はウィルが犬天使と口にした所をマルルゥが耳にしており、パナシェと同じワンワンさんと呼んであげようか迷っている。彼の明日はどっちだ。
ちなみに「レックス」だった頃の渾名はパツキン天使。

そこいらの騎士より遥かに忠誠心が高い。数値で換算すると下10ケタくらい違う。
幽霊王女ファリエールのためなら例え火の中水の中。エルゴにさえ刃向かってみせるらしい。お前天使(ほんしょく)忘れてるだろう、とは「レックス」談。
↑4(最高値は↑5)という驚異的な飛行能力を持っており、斧を装備しなおかつ縦切りだったならば恐らく魔王の如きユニットになっていた。銃なんて持たせた日にはバルキリーもといバトロイドも真っ青である。

コマンド「加護の祈り」のおかげでピコリット要らず。更に聖母プラーマの協力召喚「奇跡の聖域」は射程範囲効果範囲ともに↑10という驚異的な数値を誇る。昇ることしか出来ないのか貴様は。
天使でありながらうっかり凶暴的な彼ではあるが、メインは回復係。攻撃能力と回復能力をしっかり持ち合せており、序盤から参戦してなおかつ隠しユニットではなかったらみんなに愛されていたかもしれない。しかし例えそうであっても紫電の剣姫のインパクトぶりに霞んで裏方へ回るというオチが透けて見える。紫電絶華は反則ですたい。泣ける。然もあらん。




本編とは直接関係ないが、補完の意味合いを兼ねて「レックス」の歩んだ軌跡を公開。
今回は10~11話。


クノンの一件から一晩、レックス、リペアセンターから退院。様子を見に来てくれたのがアリーゼだけだという事実に対し、そろそろ自分の位置付けはどうなっているのかと思い始める。コレ別に無断で島出てっても構わんよなあ? などと乾燥した感想を抱えつつ青空教室へ。ちなみに途中でヴァルゼルドの元へ赴いて様子を見たり己の存在意義について語り合ったりしてみた。動けるようになったら自分を守ると言うポンコツに、じゃあ俺の代わりに戦ってくれと固い約束を交わし最後一歩手前のお別れを済ました。

将来の夢という作文課題を出して青空教室を終了。アリーゼは何か決まっているのかと訪ねてみると顔を赤くしてしどろもどろな感じで結局教えてくれず。が、神速の手癖で察知されないまま作文を取り上げて拝見させてもらう。内容は『好きな人のお嫁さん』。女の子らしい夢に、あー畜生可愛いなぁと頬を緩ませながら続きを読んでみると、『普段は頼りないけどヤルときはヤル人でお金にはちょっとうるさくてがめついけれどいつも自分を守ってくれて実はとても優しい人であって少し向こう見ずな所が見ていてハラハラしてしまうけれど子供達といる時はどっちが子供か分からないくらいで笑った時の顔が本当に…』、とつらつら書かれていた。少女の男性理想像あるいは惚れていると思われる男の内容に対して、「アリーゼちょっと趣味悪いのか…」と個人的感想を持つ。実在人物だとしたらきっと騙されてるよと少女の将来を心から心配した。
ちなみに個人レッスンの際にて作文盗み見したことがキユピーのチクリでバレ、模擬訓練にてスーパーアリーゼ発動、キユピーとの合体攻撃をもろに食らいブチのめされる。顔真っ赤にした半泣きの少女にぼかぼかロッドで叩かれまくった。ていうか作文自分に提出するんだから隠す意味ないじゃん…、と指摘したら、羞恥で更に赤くなった生徒に一層打撃された。理不尽…、と血塗れになりながら意識を落とす。付属としてアリーゼ、キユピーの「ホーリィスペル」をマスター。

半死に一生を得た赤いの、スーパーアリーゼの戦闘力に戦慄しつつ、血を流しながらふらふらと島を歩いて回る。そらからすぐ経たない内にジャキーニ一家の海賊亡霊騒動勃発、背を向けるが助けてくれとオウキーニにせがまれる。非常に気が向かなかったが、いつも美味しい料理をご馳走してくれる他ならぬオウキーニの頼みだったので、しぶしぶ出陣。そしてすぐに相手が宝を守る亡霊だと知る。目の色を変える。
超ヤル気モードでジャキーニ一家を指揮指導、指令系統掌握。宝を横取りしようの精神に乗っ取りヒゲ海賊団を綺麗に誘導、同士討ちをぷよぷよ十八連鎖させ、最後余った連中を囮召喚で幽霊キャプテンごと掃討した。開始五分の出来事。会心の笑み。さーてお宝お宝と意気揚々に宝箱を覗き込む赤狸だったが、そこにあったのは血染めの海賊旗。はて? と首傾げているとかろうじて生き延びていた幽霊キャプテンの話を聞きちょい涙腺が弛む。知り合いの幽霊の女の子のこともあって感情移入。必ず旗を海に連れていくと約束し幽霊キャプテンが消えていくのを見届ける。カイル達に頼んでみよう、と真摯に考えながら砂浜を後にした。散乱する海賊達の亡骸を残して。

クノンのお礼兼お茶に付き合ったりミスミ様の戦稽古から逃げ出したりマルルゥの頭撫でたりでイベントこなす赤いの、喚起の門周辺でドンパチの音を耳にする。耳栓して立ち去ろうとするが、確かに聞こえたヤッファの苦悶の叫びにおいおいマジかと駆け付ける。森を抜けて視界に飛び込んできたのは、胸を押さえ喘ぎ苦しんでいるヤッファと、それぞれの得物を振り下ろそうとする亡霊達の姿。突貫。ヤッファの制止も聞かず抜剣、瞬殺。
なんか「剣」の魔力に当てられ滅茶苦茶苦しみ悶絶し始める亡霊達を見て「あるぇー?」してると、特攻(ブッコミ)のヤッファとか命名されそうなくらい青筋走らせる総長の姿が。「やっちゃたZE」とか茶目決めてみるが、本日二回目の臨死体験味わうことになった。

ボッコボコな状態でヤッファ兄さんから事情聞く。呪いとか島にまつわる色々とか。床に伏せる兄さんの所から戻り、レックス自室にて悩む。ヤッファの体のことを心配すると見せかけてこのままでは島から脱走が不可能という一点を考えに考え抜き、遺跡をどうにかするしかねえ、と結論。結界云々は身に覚えあり過ぎて恐ろしさが身に沁みている腐れは可及的速やかに結界排除を決心した。こうしてはいられないとカイル達を招集し、彼等が回収しなければいけない「剣」を餌にパーティへと引き込んだ。頼み込んではいない、あくまで引き込んだ。アリーゼにはぜひ付いてきて欲しくなかったが、頑なに言うことを聞こうとしないのでレックスの方が折れた。

遺跡の入口『識者の正門』にてドア開かないので抜剣。ドア開くがゾンビも出る。朝から色々あったせいかビリッと頭に走る嫌な痛みに、ごめんちょっと休む、とホントに小休憩しようとする赤いのだったが、カイルの手によってジャイアントスイング。どうせいつものことだろうと信じて疑われなかった赤いの、敵陣の真っただ中に着弾、粉砕。日頃の行いという名の因果応報な故に救えない。既に虫の息だったが、残っている敵にもう一度抜剣して蹴散らした。遺跡に近付いているせいか抜剣に伴う反動がやたらと強く感じられた。

一日の内に三回死の淵に立たされたとか記録更新したのではないかと考えながら疲れ切った体をずるずる引きずる赤いの。少し体調がおかしく見えるレックスを心配してアリーゼ声をかけるが、「アリーゼにも殺られたんだけどね?」と爽快な笑みで返され俯き赤面。これくらいで許してやろうと萌えさせられたレックスは勘弁してやった。
識得の間。嫌な雰囲気に絶対何か出るよとげんなりしつつ、台座装置に「剣」挿入。瞬間、洒落にならない魔力流がスパーク。精神的な意味ではなくて、肉体攻撃的な意味での明らか致死量の必殺行為。レックス「おまっ!?」と叫んで光の中に消える。アリーゼほかカイル一同、出現して屹立した雷の姿にぶったまげる。都合四度目死亡(仮)。物陰でレックス達の動向を窺っていたキュウマもこれには汗を流した。
結果的にいうと例の如く不死身っぷりを発揮する赤いのだったが、「遺跡」がここぞとばかりに読み込み&書き込みを開始。一日にかけて相当死んでいたレックス、弱り切って素で抗えない。これは不味い、と暗くなった内面世界でムムム唸るレックスだったが、目の前に現れ鼻で笑ってきたハイネルに殺意。BOKOBOKOにする。何だかキュウマのざまあみろ的な高笑いも遠くの方から聞こえてきて米神が怒りに歪んだ。そうしている間にも読み込みが進行進行進行、大変よろしくない状況になってしまう。

打って変わってアリーゼ達、キュウマはヤッファに任せることが出来たが、オートディフェンサがどうしても抜けない。いかなる攻撃も防ぐ金色の障壁に焦燥が募っていく。そして顔を蒼白にして立ちすくむアリーゼの前で、レックスが強制抜剣状態に移行。服がモコモコして髪がビンビン伸びて碧のラインが走りまくるその姿に、アリーゼの涙腺がとうとう崩壊。障壁に飛びついてあらん限りに叫ぶ。哭く。呼ぶ。嘘つきにならないで、と必死にその声を放った。
マジのマジでヤバイとシリアス入ってあらん限りに歯を噛み締めていたレックスだったが、聴覚に飛び込んできたアリーゼの涙の声に一気に開眼、覚醒。「遺跡」突然のオーバーフローに【!!?!?】と驚愕しながらハイネルもろとも吹き飛ぶ。障壁を内から砕き、白髪をたなびかせながらレックス生還。泣きじゃくりながらアリーゼ抱き着く。ちょい感動の抱擁。アリーゼの身長(キャパシティ)では腰の位置がやっとだったが。ちなみにハイネル破滅フラグその3成立。

わんわん泣く小犬と化したアリーゼを苦笑しながらなんとか離れてもらい、赤いの、トチ狂った猛笑を作り忍者の元へ突貫。「馬鹿な…!」と計画の失敗に呆然とするキュウマ、顔を上げた瞬間、双眸を血走らせた赤鬼に渾身のシャイニング・ウィザードをもらう。脳漿をブチまけられた。すごい回転しながら床を転がる忍者に赤いのすかさずマウントポジション、容赦なく握り拳を叩き込んでいく。「ネタは上がってんだよクソ忍者ぁあああああああっ!!!」と咆哮しながら素で死にかけた怒りをこれでもかと血塗られる拳で代弁。みんな閉口。キュウマに制裁しようと思っていたヤッファも動けない。
打撃音ならぬ打突音が派手に響いていくそんな光景を、イスラ遠目から眺め、そして部隊に撤退を指示。あそこへ飛び込む間抜けにも勇者にもなりたくなかったし、何より心から関わりたくなかった。
第一次遺跡騒動閉幕。のされた忍者は放置された。

夜会話。あーマジ疲れたと就寝しようとした赤いのだったが、ドアノックされる。開けてみると、ソノラから借りたレモン色の寝巻を来たアリーゼの姿が。うん? と首を傾げていると元気無さげな顔で少しいいだろうかと聞かれ、断る理由も無いので部屋へ招き入れる。何故枕を抱えているのか疑問ではあったが触れることはせず、椅子を出して自分はベッドに。しばらく向かい合ったがアリーゼは中々口を開いてくれず、辛抱強く待っているとやがてぽつぽつ話し出し、少し断片的だったが要約すると、先生がいつの間にかいなくなっちゃいそうで怖い、とのことだった。
自分自身でも上手く自分の気持ちを整理出来ていないようで、赤い顔をするアリーゼ。先生失格だなぁ元からだけど、と心配かけてしまったことを不甲斐なく思い、取り敢えず自分不死身ですからと笑ってみせたりおどけてみせたりして大丈夫だと告げるが、効果上げられず。どうしよと頭ひねっていると、アリーゼ赤い顔を抱いている枕に埋めたまま「今日だけ、一緒に寝てもらってもいいですか……?」と爆弾投下する。

潤んだ瞳にほんのり朱に染まった頬。伝家の宝刀上目遣い。胸に何かがキタ。

「よぅし僕はロリコンじゃないぞー?」と自己防衛システムをフル稼働させ無理矢理の笑みを浮かべながら少女の猛攻に耐える。拙者は道を踏み外す気はござらんであるよー? と言い聞かせなければ仮借のない砲撃の前に無敵の装甲が撃ち砕かれそうになった。動揺で引き攣った笑みを継続させながら、風紀上まずいからと刺激与えないようにやんわりと断る。が、「ダメですか?」の傷付いたような声音とはらはら決壊しそうになる涙の前に、何故こうまで良心を削られなくてはならないのかと頭を抱える。女性泣かせるってどうよの志とそのアリーゼの態度に白旗を振り、寝床を共にすることだけは全力で阻止しつつ、アリーゼを寝かしつける格好で譲歩してもらった。椅子に座った自分の手を離そうとしない教え子に苦笑半分微笑半分、ベッドに入ったアリーゼも自身を見守るような瞳に安心したのか暫くして寝息をたて始める。離してくれんよねと握られている手を見てもはや悟り、赤いの面倒臭かったので座った体勢のまま器用に眠りに落ちる。爆睡。
その晩、小さな顔と唇が自分に寄り添ってくる美味しい夢を見た。やけに唇の感触が生々しかったなぁと歯磨きしながら眠気眼でぼんやり思う。隣では真っ赤な顔を俯き加減にする生徒が無言で歯ブラシを動かしていた。
ちなみに、赭面のアリーゼが脱兎の勢いで赤いのの部屋から出ていくのをスカ―レルが目撃し、朝食の後に緊急ミーティングという名の有罪確定の裁判が行われた。


数日後。鬼の御殿にてスバル反乱。ミスミと言い争いするが張り手をもらい御殿を後にする。スバルを追いかけようとしたレックスだったが、ゲンジに先を越される。若造はミスミ様を頼むと告げられ取り敢えず、「ゲンジさんこんな時だけ教師ヅラすんなよ…」と心の内でぼやいた。事件後タワー・ブリッジが炸裂した。

スバルのことでぐすぐす泣くミスミ様を前に「一体どうしろと…」と汗をかく赤狸。こんな時に限っていないキュウマに悪態をつきつつ──自分が殴り殺した──、ひとまず事情を聞く。スバルが戦場に出たいと申し込んできたことを聞くと、あの子の力量なら特に問題ないような気がしますけど…と言いかけたが「我が子を危地へ放り出す親がどこにいるっ!」と怒鳴られ「ですよねー」と速攻で意見を翻した。肉親に強いられた全く安全が保障されていないあのサバイバルは何だったんだと遠い目で思い出したりしたが、頭を切り替えスバルの言っていたこと行っていたことをミスミに伝える。眉を下げ顔を伏せるミスミに、父親から教訓として授けられた男とは何たるかを静かに話すレックス。結局女性は守るという帰結だったが、ミスミも苦笑して納得を示し、赤いのもサムズアップしてみせた。

元服に臨んだ親子二人をゲンジとともに傍観。スバルの招雷にぶったまげながら倒れ込むミスミ様をキャッチ。決着。あぁいいなぁ親子と寄り添う二人見ながらぼんやり思う。脳裏に浮かぶ清々しい母の微笑は全力で無視をした。
寂しそうな顔で「これで良かったのだろう?」と尋ねるミスミにしっかりと頷く。良人の代わりに自分がスバルを絶対に守ってみせると告げ、きょとんとしたミスミも頬を緩ませ「頼む」と一言。
レックスもこの時は裏表のない笑顔を送った。無粋な話抜きで好感度上昇。


それから更に数日後。ここんとこ平和でいいなー、とホクホク顔で島の日常を満喫する赤いの。強制労働に目を瞑れば至って平穏なので、寝込んでいるヤッファのお見舞いそこそこ行方の知れない忍者完全無視して、ずっとこんな日常が続けばいいと素で願う。全く護人達に介入しようとしなかった。
アリーゼとの授業の中で「本当にこのままでいいんですか?」と尋ねられる。遺跡の件で護人達と自分達の間に軋轢が生じていることを指していたが、腐れ教師全く気付かず「平和が一番だと思うんだ」と笑顔でサムズアップ。遺跡もぶっ飛んで結界消えただろうし、アルディラのポセイドン号復活するのを待てばいいとすこぶる現状維持の構えだった。酷い温度差。アリーゼそんな腐れの態度に柳眉を逆立てて「先生のそういう所、嫌いです!」と日頃の態度とダメな所を説教し、最後には結構自己中な不満などつらつら饒舌に言い放ちまくった。はっと理性取り戻したアリーゼは気恥かしさから逃げるように部屋から退出し、レックスの方は教え子のマシンガントークにうーんと頭をかいた。

生徒に尻を蹴られる形で動き出すダメ教師、取り敢えずヤッファは体調芳しくないので非常に気が進まなかったがキュウマ探しに行く。ミスミに何か知らないか聞きに行ったが、『探さないでください』という忍者の置き手紙があったと泣く泣く語られる。何のギャクだあの忍者、とレックス怒り呆れ、泣いているミスミ様をなだめる。スバルとこの女性(ひと)泣かすんじゃねーよと鶏冠に来た赤狸は忍者捕縛を決意。ミスミのために。あくまでミスミ様のために。遺跡の秘密や護人の事情は二の次。
鎮守の社に移動。何かしらミスミ様のこととなればあのクソ忍者が出現するのはガチ、と判断した赤狸は「ミスミ様が危機に落ち入ればヤツは現れる」と彼女自身に提案。ミスミも承諾。危機といっても女性に怪我させる訳いかないので、レックス、覚悟を決める。こと起こす前に最初から謝っておきますと土下座をかまし、ミスミはミスミで「何やっとるんだお主…」と困惑。半眼になるミスミを脇に、赤いの一世一代の賭け。ミスミ様の両手をがっしりと握り、「俺があの忍者の代わりにミスミ様とスバルを幸せにしてみせますっ!!」と渾身のプロポーズ(偽り)。一世一代レックスによる超真顔の告白。ゼロレンジから放たれた強襲機動戦艦レックスのローエングリンに、ミスミ撃沈。落ちた。
予想違わず奇声を上げながら竹藪から襲い掛かって来た忍者を赤狸は時は満ちたと言わんばかりに罠を作動、拘束。腕ひしぎ十字固めを極められ悶え苦しむ忍者と赤狸を他所に、朱の石像と化した未亡人が立ち尽くしていた。ミスミルートオン。
余談になるが、この話が島中にマッハの速度で広まり対赤狸攻略戦線が激化の一途を辿る。

忍者を縛り上げているとヤッファ連れたカイル達とアリーゼが合流してくる。「俺等なりに考えて動いてみたんだよ」とニッと笑うカイルに「何言ってんだコイツ…」と赤いの筋肉の頭の作りを本気で心配する。よく現状が分からないままミーティング。何故か島と自分達の過去をペラペラ喋り出す護人二人に、どういう繋がりでそうなったのか全く理解出来なかったが島の命運を任される。いや意味が解らない、と余りの事態進行速度に取り残される赤いの。どうしようもなく二者択一を迫られることとなった。
遺跡を封印するか、否か。いやするに決まってんだろ、と二秒で即決。何故自分が危険な目に合わなくてはならないとヤッファキュウマの事情も聞かず自分本位で決めた。ある意味どんな世界のレックスより純粋。
解散して二分後に再び集合。集いの泉で遺跡封印発表。忍者謀反。ハイハイとシカト。忍者自分のキャラ忘れるほどブチ切れて赤狸だけは滅殺せんと斬りかかる。抜剣出来ないことにあっヤベと慌てる赤いのだったが、カイルという障壁用いて自力でねじ伏せる。ミスミ様の風刃と説得もあって忍者頭を垂れて沈静化。幽霊キャプテン(金髪)が蘇る前に遺跡へと封印に向かう。

遺跡内、ヤッファとキュウマを連れ、早速封印を始めるフリをするレックス。制御盤に「剣」突き刺すフリをして「うわぁあああああああ!?」と絶叫を上げる。ヤッファが慌てふためく中、キュウマ本性を現し揚々と裏切り行為を語り出す。フルボッコ。馬鹿が、と行動パターンばればれなんだよと吐き捨てる。ヤッファ、コイツら見てて飽きないな思う。
次やったらミスミ様にチクると盛大に釘をさして再封印。予想通りなんかすごい思念が襲い掛かり──何気にハイネルが力を加えていた──、しかしそれも万全な状態で臨んだ今回は全く意に介さず、キュウマも「遺跡」の声に何を思ったのか拒絶し、漢三人で「遺跡」を蹴散らした。封印完了。三人並んで歩く帰り道、終始無言だったが「酒飲まない?」という赤いのの提案に二人とも了解。何だかんだで溝が埋まった感じだった

カイルとデッドレース繰り広げているとアジト近辺に帝国軍出現。忘れてた…、とすごい勢いで落ち込む赤いの。今回は意表をついて木箱の中に隠れてみるが、レックスハンターと化したカイルに容易く正体を看破され箱ごとブン投げられた。ビジュに命中、撃砕。ちょっと待てコラとよろよろ立ち上がるレックスが顔を上げると、あら不思議、五メートルもない距離にアレの姿が。心からの絶叫。ほとばしる悲鳴。目の色変える剣姫。衝突。指揮官のいなくなった帝国軍との戦闘は一気に泥沼化。ギャレオが熱い涙を流しながら指示を吠えまくる。この頃既にカイル達の彼に対する認識は『軍の可哀相な人』だった。
レックスのことになると途端視野が狭くなる隊長殿、長槍を突く突く突く。槍で紫電絶華放ってくるという恐ろしい事実にレックス素で呼吸が止まる。胃が警報を散らし、「剣」という保険が無くなった赤いのを絶望が支配した。集団戦闘が繰り広げられるアジト周辺、その空間だけ別次元の戦闘が展開された。
ハイライト。
「はぁああああああっ!!」
「紫電絶華連発とかてめーそんな暴挙が許されると思ってんのかぁあああああ!!?」
「今日こそはお前に勝つ!」
「勝つとか以前に俺死ぬよ!? ねぇ死ぬよ!? 胃が死んじゃうよ?!」
「お前に勝って私の婿にっ、じゃないっ! 『剣』を奪取するっ!」
「『剣』もうないYO!? 封印しっちゃったYO! 俺刺しても意味ないYO!!」
「なん……だと……」
「よし終わり! もう終わり! 惨劇もう終わり! ねっアズリアさん!?」
「……お前がッ、婿になるまでッ、襲うのを止めないッ!!」
「うおおおおおおお話になってねえええええええ!!?」
流石にカイル達も同情せずにはいられなかった。

婿争奪宣言に黙っていられる筈がないスーパーアリーゼ他がレックス達のもとに突撃しようとしたが、契機、晴れ渡る空を一瞬で嵐が覆い尽くす。敵味方関係なく混乱が伝染するアジト周辺。唯一の例外は戦闘を続行するアズリアとレックス。他に気を逸らすと刹那の内に挽肉へと変わってしまう恐怖が赤いのを縛って逃さない。超修羅場ということもあってアズリアのプロポーズ発言に全く気付かず、それ以上に生命の危機だった。そして決着の瞬間、泥で足をとられるレックスと紫電絶華を構えるアズリア。蒼白になるレックス、走馬灯が終わり切らない内に無意識で「剣」を召喚。エクスカリバー。アズリア吹っ飛ばす。
地面に叩きつけられたアズリア、悔しさの余り顔を歪め、「お前は、嘘つきだっ!」と本気で半べそをかく。いわゆる女の子座りに両手をついた彼女に「……えー?」と白いのげんなりする。隊長の幼児退行に帝国軍兵士がみな鼻から噴血した。帝国軍撤退。
空に伸びる紅の柱を見ながら、なんか嫌なフラグ立ってない?とすこぶる幸先不安になるレックスだった。

夜会話。
アレとの死闘によりシステム無視して寝込んだ。



[3907] サブシナリオ9
Name: さもない◆5e3b2ec4 ID:5419e509
Date: 2010/06/04 21:20
「…………」

「…………」

「…………」

困惑を多大に含んだ沈黙が形成されていた。アティとヤッファ、キュウマはそれぞれの顔を見合って珍妙な表情を作る。
場は集いの泉。昨日に起きた異常現象を確かめるため遺跡調査へ赴いたアルディラおよびファリエルの報告を拝聴しようと、アティ達は朝一番に集結していた。
アティと護人以外には誰もおらず揃う者は揃っている。後はアルディラ達の口から直接ことの内容を聞き届けるだけだ……が、しかし既に時間にして一刻、全く進行する気配がない。
原因は、プレゼンテーションを行う筈である彼女達の状態にあった。

「……近接武装はこの際後回し、格納する方向で今は火力の増強を……」

「……ぇ、ぅ」

携帯端末へタッチペンで一心不乱に何事かを打ち込むアルディラ。目の下には隈を溜め口元にはフフフと不気味な笑みが浮かべられている。
顔を俯けながらそわそわと体を揺り動かすファリエル。心なし両の頬をほんのりと染め、時折ちらちらとアティの方に窺い見ていた。
アルディラはともかくファリエルの明らか自分を意識している素振りに、アティは小首を傾げる。

とにかく、先程からこのような有様で状況は動く気配がない。均衡がずっと保たれている。
依然とした静寂。どこか気まずい雰囲気に動けずにいた外野組だったが、とうとう痺れを切らし小さな円を作った。
顔を寄せ合いアティ達はごにょごにょと話し合いを始める。
──二人とも、一体何があったんですか?
──分かりません。
──取りあえず、今のアルディラだけには触れたくねえ。
あーだこーだと意見が交わされるが、約一名の恐怖から来る本音が取り出されるだけで成果はちっとも実らず。
結局、彼女達へ働きかけるしかないと無駄に時間を浪費した結論となり、ワンパターンながらアティが代表してアルディラとファリエルへ「あのー」と声をかけた。
びくうっ、と体を震わせた彼女達は瞳から怪しい色が抜け落ちたり赤く緊張したりと反応様々だったが、一応正気には戻った。会議の開始である。



「静か過ぎる、か」

「はい……」

「確かに不自然ではありますね……」

アルディラ達から事情を聞き、ヤッファ達は眉間に皺を刻んだ。
アティも一抹の不安を感じずにはいられない。封印作業に参加した彼女自身あの時確かな手応えを感じ、だからこそ、「剣」が再び召喚されるその時まで二度と遺跡にまつわる事件は起らないと信じていた。
ことが起きてしまった以上なんらかのイレギュラーがあったということになってしまうが、しかし封印は間違いなく機能し続けているという。
事態は明解、原因は不可解。もはや不自然を通り越して不気味としか形容のしようがない。

「封印は解けていない。これは絶対です。そうじゃなかったら、今頃島に縛られている亡霊達は苦しみに喘いでいる筈だから……」

「仮病を決め込もうが身に余る活力は誤魔化せねえってか」

「では、他に原因が?」

「うーん、見当がつかないですね…………アルディラ?」

話し合いに加わっていないアルディラにアティはどうしたのかと声をかける。
彼女は顎を引いて難しい面相を作っている。深く懊悩しているような暗い陰が入ったその顔を見て、アティは少しどきりとする。

「…………少し、いいから?」

重い響きの前置きが入り、この場にいる全員が口を閉ざして次のアルディラの言葉を待った。

「推測……いえ、私が出した結論から言うわ。……ウィルは、適格者かもしれない」

「…………えっ?」

耳朶をなぞった言葉の意味に、アティは自分の唇から空っぽな反応を落としてしまった。
他の護人達も呆けたように時を止め、すぐに表情を改めアルディラに食ってかかる。

「どういうことだ、アルディラ」

「何を、言っているんですか……!?」

「……どのような根拠をしてそのようなことを?」

説明を求められ、彼女は口を引き結んだ後に応答を作る。
瞳には沈痛そうな光が込められたまま。自らの悩みも断ち切るような雰囲気で口を切った。

「最初に言っておくと、現状を説明出来る原因が一つだけあるわ。いえ、事実まっとうな解答はこれだけしかない……。アティの『剣』に発端がないとしたら、もう一振りの『剣』が遺跡を活性化させる切欠となった」

『!!』

「扉は一つ、『鍵』は二つ……簡単よね。少し考えてみればすぐに解ることだった」

その可能性を考慮したくなかっただけなのかもしれないけど、とアルディラを疲れたように吐き出した。
彼女の纏う雰囲気が核心に迫る予兆を感じさせ、アティは知れず喉を転がす

「ヤッファ、貴方言ったわよね? ウィルがマスターの生まれ変わりじゃないかって」

「お、お前、それをどこで……」

「そんなのはどうでもいいの。とにかく、貴方の思う所の仮定を踏まえてみれば、ウィルが適格者だということは自ずと否定出来ないでしょう?」

目の前の話についていけない。
ウィルが適格者? ハイネル・コープスの生まれ変わり? 自分と、同じ?
初耳である情報と乱れる心境が状況の理解を阻害する。アティは護人達のやり取りを傍観することしか出来なかった。

「実際あの子には曰く付きがあり過ぎる。戦闘能力然り、分析能力然り……本当に才能の一言で片付けられるの?」

「……ただのガキにしては、確かに行き過ぎな所はあるけどよ。だが絶対に出来ねえかと言われれば、そうじゃねえだろ?」

険しい目でヤッファが指摘するのは自分達を使役していた召喚師の一派。機械的と言わざるえない彼等の中には、珍しいと言っても、年端も行かない構成員は確かに存在していた。
無色の派閥、紅き手袋は言うに及ばず、蒼の派閥や金の派閥、騎士、帝国軍人。環境さえ適合すれば何事にも例外はないと、島の外の詳細を知らないヤッファでもそう断言することをした。

「過去の詮索なんざするつもりはねえが、生まれと育ちで素質はどうにでも変わっちまう。信じられないくらいやべえガキなんて俺達の思っているよりそこいらにいる筈だ」

「私は違うかもしれないけど、少なくとも兄さんはそうでした!」

「…………野人二足」

ヤッファの弁を援護するようにファリエルは叫んだ。彼の実兄は言うに及ばず、過小評価している彼女自身も異常とも言える戦闘能力を既に幼少時代から保有していた。
キュウマも何か思いつくことがあったのかぼそりと何かを呟く。それが誰かの耳に届くことはなかったが。
そして、少年の育った環境を少なからず知るアティは、びくりと体を震わす。
ヤッファ達の言うことが荒唐無稽だということを、彼女は知ってしまっている。

「……アティ、貴方はどう思っているの? あの子を指導する教師として、何か思うことはなかった?」

「わ、私は……」

必ずしも、異常だとは言えない。ヤッファ達の言う通り子供の中にはそういった存在がいるのかもしれない。
だが、おかしいと。
少なくとも自分が教師を務める必要はなかったのではないかという、時計の短針と長針が噛み合わないような、時が正確に刻めていないような違和感は、ウィルの能力を前にして幾度となく思ってきた。

「……質問を変えるわ。あの執行過程を抜き去る召喚術を見て、召喚師である貴方は何も感じなかったの?」

「そ、それは……ウィル君が、前の家庭教師の方に教わったって……」

「あんだ出鱈目な召喚術を見せつけられて、そんな法螺(ほら)を鵜呑みに出来るほど私はおめでたくないわ」

「っ……」

「アティ、貴方も気付かない振りをしようとしているだけじゃない?」

────だって。
だって、信じるしかないではないか。例え違和感を拭えなかったとしても、彼がそう言ったならば、その言葉を信じるしかないではないか。
とても勤勉家のマルティーニの嫡子で、親の愛情を深く触れられなかった自分と同じような境遇の子供で。
奇矯な振る舞いをしていつも困らせてくる男の子で、気が付くと一人寂寥を抱えている決して特別なんかじゃない少年で。
そんな彼を。いつも背中を押してくれて、助けてくれて、真っ直ぐに笑いかけてくる、自分の初めての生徒を。
────疑える筈、ないではないか。

「貴方達には言ってないけど、ウィルが『剣』を行使したあの日、通常では考えられないような魔力数値が検出されているわ。この意味、解るわね?」

今まで意識してこなかった事柄に、顔を強引に向けさせられる。
たった一つの懸念が疑念の芽を膨らませ、何をしようとも言われようとも無条件で信じられた仲間──少年のことを、探らずにはいられなくなっている。
それはあの雨の日に袂を分けた黒髪の少女の存在も、大いに作用し助長させていた。

「……遺跡の時も、私が保険として仕掛けた“適格者でなければ嵌らない”ような罠に、あの子は見事に足を踏み入れてきたわ」

その発言に誰もが息を呑んだ。
アルディラは青ざめるアティの方を向き、そして決定的とも言える通告を言い渡す。

「貴方達が乗船して難破した客船。アティ、貴方は発生した嵐に巻き込まれ碧の賢帝(シャルトス)に選ばれた……。じゃあ、もう一振りは? あの場に居て、貴方と同じ資格を持って、そして生き残ったのは誰?」

「────」

符合、合致、整合、同定。全ての条件が一人の人物に収束され完結する。
頭を過る一枚絵。近くも遠い距離にたたずみ此方に背を向ける少年。機界の夜景の前に立つその姿は、この世界と遊離し切り離されたたった唯一の存在だとでも言うかのように。
様々な色取りに塗られ構築する界というキャンバスの中で、彼を示す一点だけが異彩異色異質を放ち、そぐわない。
一瞬でも浮かんでしまった自分の想像に、アティはぶんぶんと髪を散らしながら首を振った。

「……つまり、アルディラ殿は」

「ウィルの野郎が封印を解いて何かを企んでやがる。そう言いてえのか?」

「……あくまでその可能性もあるって言いたいだけ」

そんな、とアティが体を小刻みに揺らしながら呟く。
アルディラはそんな立ちすくんでいる彼女に気付き、ふぅと息を吐いて首を振った後、苦笑しながら「本気にしないで。本当に、一つの可能性に過ぎないの」と伝えた。
彼女はそこで一気に肩の力を抜いて脱力する

「遺跡の方で紅い柱が上がった時ウィルは私達と一緒に居たし、アリバイはある。それにもし『剣』を隠し持っていたとしても、これまであの子のやってきた行動に色々矛盾が出てきてしまうわ。……まぁ、全てがあの子の計算通りって言ったら元も子もないんだけど」

元はと言えばあの子の言った言葉でこんな発想にたどり着いてしまったしね、とアルディラは言葉を次ぐ。装っていた雰囲気が霧散した。
そこでアティは気付く。先程からアルディラは可能性という言葉を強調し、あくまでウィルがこの一件の犯人ではなく、適格者であるということしか示唆していないことを。
彼女とてウィルを完璧に疑っている訳ではないのだ。ただ────自分の時のような例もあるのではないかと、それを伝えたいのではないか。

「……ウィルは、ウィルだよ。義姉さん」

「……そうね。でも、あの子は私の仕掛けたファイアウォールに干渉してきた。予備知識も無しにそんなことをするのは、絶対に不可能よ」

眼鏡を取り外しふっと息を吹きかけ、またつけ直す。

「ウィルは適格者……これだけはもう動かない」

それだけは忘れないで、と疲れたように口元を曲げて締めくくった。
ウィルは適格者。そしてもう一振りの「剣」を誰かが所持しているという事実。
その後の会議の内容は、アティはもうよく覚えていなかった。









然もないと  サブシナリオ9 「ウィックス補完計画その9」









「一体何がどうなってるんでありまするんでござるのですかああああぁぁっ……!!?」

「ちょっと、いい加減にしてよ……」

机に頭を撃沈させて発狂しまくる。
既に避難場所として定着してしまったメイメイさんの店で、俺は体をねじってひねって頭を抱え押し潰す勢いで錯乱の境地にいた。

クノンに次ぎ、ファリエルまで……っ!?
しかもファリエルに至っては保護者(フレイズ)公認、ていうか狸の背負った薪に兎がカチカチと火打石でファイアーするが如く逃げ道塞いで罠に落とし込んだ感じバリバリ!?
素で俺をフレイムしてモエ殺す気だったのか奴は!? どうでもいいけどシルターンの民話ってエグイ話多いよね?! とてもじゃないがスバルやパナシェに毒の塗り薬渡すとか泥の船乗せて湖に沈めるとか話せねえ!

「って、んな現実逃避してる場合じゃねええええぇぇぇっ……!!?」

(追い出そうかしら……)

ぼそっ、とメイメイさんの方から冷めた呟きが聞こえてきたが、聞こえない、何も聞こえなーいっ!
素で死活問題ですっ、死活じゃないかもしれないですけどしかしそれでもとてもとても大問題ですっ!?
俺クノンにどのツラ下げて会えばいいのーっ!!?

「ねえメイメイはん!? うちどうしたらええんっ、うちどうすればええのっ!? 後生ですから教えてくだはいっ!!」

「なっ、こらっ!? やめっ、は、放しなさいっ?! ちょ、やめいっ!!?」

半分マジで泣きつきメイメイさんに取りつく。服を掴んで引っ張ってくる俺を見て彼女は頬を盛大に痙攣させた。
俺も盛大に本気なのでもうなり振り構わず、ていうかヤケクソになって神の慈悲を請うた。
助けてくださいっ……!

不毛な取っ組み合いは、メイメイさんの肘鉄が俺の頭頂部に叩き込まれるまで続けられた。



「……そんな他人の恋路なんて知らないわよ、先生の好きにすればいいでしょう。そもそも、人の意見に縋りついてこれ見よがしにどうにかしようとなんて、その方がよっぽどあの娘達に失礼じゃない」

「これ見よがしになんてせえへんですよ……ただ状況が打開出来る光明が欲しいですばい……」

「一緒よ」

にべもなく切り捨てられる。
実際返す言葉もない。ことがことなだけに他力本願で済ませようという考え自体終わっている。ふふ、自称女性の味方が笑わせてくれるぜ……。
駄菓子菓子、マジで俺はどうすればいいんだ……。今にも平衡が崩れそうな精神状態、誰かに構ってもらわねばいつか爆破して砕け散ってしまいそうだ。
頭の天辺に巨大なたんこぶを作った俺は深く項垂れる。テーブルの上に座布団を敷き正座する俺にもう何を言っても無駄だと悟ったのか、メイメイさんがその奇行に突っ込むことはなかった。

「はぁ……。貴方のやったことは決して間違ってなかったけど、ただちょっと思慮足らずというかなんというか、とにかく鈍い」

「意味解んないですよちゃんと理解出来る言葉喋ってくださいよメイメイはん……」

「事実よ、事実」

メイメイさんの言葉も、垂れ下がった頭に入らず右から左へ通り抜ける。
自身の口調が意識を離れてずーんと重々しい響きを伴っていた。

「大体、前にもこの場所で聞かせたでしょう? 自分のために親身になってくれる人がいたらころっと騙されるって」

「……そんな感じだったっけ?」

「似たようなもんでしょ」

はん、と鼻を鳴らすメイメイ師。
言外にやってられるかと告げられているようだった。

「本当、『昔』の貴方は何をどうしてくぐり抜けてたのか、実物で見てみたかったわね……」

「何をどうって……」

なにを、どうって…………。

「…………ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「ちょっ?! せ、正座のまま震動するなんて、器用な真似やるんじゃにゃー!?」

ガタガタガタガタッッ、と超小刻みに生命のビートを刻み恐慌の荒波に囚われる。
極力思い出さないようにしていた当時の恐怖体験が超鮮明に蘇った瞬間、心の均衡がついにボキリと折れ、そして絶望の冬が来た。

「お、折れるっ、震え過ぎてテーブルの足折れちゃうっ!!?」

「襲撃勘弁してください改造勘弁してください戦稽古勘弁してください注射勘弁してください乱れ撃ち勘弁してくださいペンタ君勘弁してくだいスヴェルグ勘弁してください紫電絶華許してください…………」




「…………」

ダメだ、これは。
ぶつぶつぶつとトチ狂ったように呟きを紡いで精神崩壊を起こしている狸を見下ろし、メイメイは頭痛を堪えるように片手で米神を押さえた。
既にテーブルの足は四足とも綺麗に根元から破砕しており、もはや床にただの丸板を敷いたような用途不明のオブジェと化してしまっている。
無論、その上には正座のまま震える物体が依然落ち着いていた。

自分がトリガーを引いてしまったことに少しの罪悪感を覚え、取りあえず、メイメイは現実から目を逸らし店のカウンターの方に足を向ける。
幾つもある戸棚の中の一つを空けて、煎餅でも入ってそうな銀箱を取り出し蓋を空けた。中身は既に飽和に達しようかというほどの量の無地の封筒。
「向こう」から送られてきた「メイメイの手紙」である。

「えっと、確か……」

比較的古い方に「レックス」の「島の住人」関連の丸秘エピソードが載っていたような……、とごそごそと漁り、やがて目的の物を見つけ開く。
便箋十七枚にも及ぶ「レックス」の苦難────というか、被害。
届いた当初はびっしりと書いてあるそれに、「『あっちの私』も随分お熱だなぁ」、と流し半分で雑に目を通したのだが、今はちょっと真剣になって視線を滑らせていく。

それは一人の漢の軌跡だった。
もう既にそれだけで伝記にも匹敵しそうな青年の一時(いっとき)の歴史は、濃密な愛と憎しみの感情がスパイラルをなし時には奇天烈(ユーモア)なブラックジョークがピリリとスパイスを効かせるソレ死ってレベルじゃねーぞというような破天荒に和をかけたカタストロフィ叙情詩。
詰まる所、目も当てられない。

漢の体は死と再生で出来ていた。心は疼痛、血潮は胃液。
幾千の戦場を越え山あり谷ありえっちらおっちらだったが、それでも「彼女達」(+「仲間」)のためならと、天罰かまされようが折檻食らおうが理不尽な仕打ちを受けようが、漢は体に鞭打って守ることだけはしようとした。例え胃の症状が悪化しようとも。
故に、その体はシャレ抜きで「剣」で出来ていた。然もあらん。

思わず瞳に影を落として口元を手で覆ってしまう。別に何も知らなかった訳ではないが、改めて確認すると「うわ…」と半開きになった口から嫌な呻吟が漏れ出ていく。
「彼」の場合、女子(おなご)の問題は修羅場云々ではないのだ。そういう次元を超越した、新感覚レヴェルでの死活問題だったのだ。
ダメだった。派手に同情する余地はあっても、その鈍感加減を責めることはメイメイにはもう出来ない。ちょっと、いやかなり「向こうの女性陣」にも問題がある。
元はたどればこの男の空気に当てられた結果なのだろうが、と考えた所でメイメイは再び溜息を漏らした。

こんな先入観があっては、島の住人である彼女達にあからさまな好意を向けられ混乱しない方が、流石に無理な話なのかもしれない。
ちらと闇に没しているウィルを見る。何かを耐えている雨に濡れた哀れ小犬のような姿に、不覚にもその小さな体を抱きしめたくなってしまった。
いかんいかん、と幻覚を払うように頭を振って、再びウィルの側に近寄った。その場でしゃがんで耳に直接ぶつけるように口を開く。

「……あー、先生? 私は貴方達の問題には口を挟めないけど……これだけは言えるわ。貴方は間違ったことだけはしていない」

相手のアクションを待たずに続ける。

「今でこそ先生は悩んでるみたいだけど、あの娘達を放っておいたら、先生は比べ物にならないくらい後悔してたんじゃない?」

ぴくり、と小さな体が震えた。

「女性(おんなのこ)が苦しんでて、何も知らない振りをするの、先生に出来た?」

「…………無理」

返ってきた言葉に「でしょ」と苦笑気味に微笑んでやる。

「だから、良かったのよ。色々付属として、なんか立っちゃったみたいだけど」

旗が、とは言わない。
「……うん」と鈍い反応をしてウィルは丸板を下りて立ち上がる。メイメイも合わせて体を伸ばした。

「ま、男冥利に尽きると思って。一杯悩んで、一杯考えて、それから答えを出しなさいな!」

「……しか、ないのかぁ」

若干途方に暮れたように呟きを漏らすウィルの頭を、メイメイは帽子の上からべしべしと手の平で連打する。
やめい、と弾いてじろりと睨んでくる少年を見て、調子が戻ってくれたかと心の内で安心した。
たまにはいい薬なのかもしれないが、彼はいつも通りがいいと、そんなことを思った。



「それにしても……やっぱり顔なのか?」

「……は?」

「やっぱりこの世は顔でしかないのか? 胡散臭い田舎イモ顔よりまだ品のいい都会フェイスの方が……受けるのか?」

「…………」

「畜生、一人の『漢』としてウィル・マルティーニという小僧に殺意を覚える……」

……馬鹿。
疲れた頭をもう一度抱えながら、メイメイは眼鏡をとって眉間をもみほぐした。













外見はいつも通り、澄まし顔で路程を消化する。
ちょっとアクシデントというか心の平静をすこぶる欠いてしまったが、本日のことを考えるとこんな所で馬鹿している場合はないのである。
今日という日に合わせ、何事にも優先した前もった準備、対策を仕込みに仕込み既に抜かりはないとはいえ、気を緩ませる訳にはいかない。
出だしから躓いてるとか冗談でも幸先悪いのは御免こうむる。
……早朝の戦闘やら衝撃続きの出来事のせいで言うまでもなく寝不足だがな。ていうかぶっちゃけ昨日から一睡も寝てない……。
犬天使ぃいいいいいっ、どうしてくれるんすかぁあああああああっ……!!

重荷がのっかてる瞼を細く保ちながら、うむぅと唸る。
予想される帝国軍の宣戦布告は午後半ば。正直「記憶」の方は信用し切れなくなっているのでそのまま当てにする訳にはいかないが……アジト周辺にやって来るのはガチと見て問題ないだろう。昨日もそうだったし、島の他の場所は此方の首脳陣(?)が居るのかアズリア達にしてみれば随分不確定だ。
船の甲板で休んでいれば少なくとも寝過ごすなんてことはまずない。
よし、と心の中で頷きカイル達の船へと足を向けた。
軽く横になれば頭も冴えるだろうし……



「ソノラ様、ウィルはどちらに居るのでしょう?」

「だからぁ!? 知ぃらぁなぁいっ、って言ってるじゃんっ!」

……と思ってたんだけどなぁ。
視線の先で向かい合っているクノンとソノラに、つい遠い目をしてしまう。
どうやら、安眠は許されないようだ……。

「もうっ、どうしてそんなしつこいの! あたしそんな信用ない?!」

「いえ、ソノラ様はツンデレなので、私にもデレるまでつれない態度をお取りするのではないのかと」

「スカァーレルゥッ!? 一回と言わず十回殴らせろぉー!!」

包みらしきものを両手に持つクノンと高い声で空に吠えるソノラは何事かを言い争っているようだった。
迂回するのもありなのだろうが……ダメだ、多分ここで逃げたらずっと言い訳をして、きっとクノンにファリエルのことを打ち明けられなくなる。
容易ならないと思いながら、クノンへ真っ直ぐ歩を進めた。そんな俺にソノラが最初に気付き、すぐにクノンも同じ行動に従う。
目が合った瞬間、蕾が開いたように破顔して頬を嬉々の色に染めた。……その微笑みが胸に痛い。

「ウィル、おはようございます」

「……あー、うん、おはよう……」

「……むー」

良心の痛みに耐えながら笑いかけてくるクノンに応答。
何故か口を尖らせているソノラを隣に──悪いが構っている余裕はなく──、俺は取りあえず場所を移そうとクノンを誘い出すことにした。

「えーと、クノン、ちょっと話があるんだけど……ちょっとあっちの方までいかない?」

「本当ですか? 私もウィルに用があったのです。以心伝心というものですね」

それは恐らくないなぁ、と心の底から空笑い。
あっち、と船の更に奥の浜辺へ指しながら、無邪気なクノンの笑みが目に沁みた。

「……あたしも行くっ!」

「ソノラ様、それはズルイです。先程まで紛失した疑惑のある大砲を探しに行くとおっしゃっていたではないですか」

「あたしもウィルに用があったの思い出したの! 待つの面倒だから、クノンの用事終わるまで付いてく!」

「それは、今ここで済むものではないのですか?」

「そ、そうよ! は、半日くらい時間かかっちゃう!」

半日は無理だろ……。
テンガロンハットと看護帽子が衝突し合うすれすれの距離で互いを見据える両者。
ムキになっているソノラと冷静な装いながら若干目を吊り上げているクノンは、対照的なようで似たり寄ったりだった。
頭上で交わされる視線の応酬になんとも気の乗らない顔をしながら、やがてはソノラに諦めてもらおうと声をかける。

「ごめん、ソノラ。後で絶対聞くから、今は勘弁して」

「そ、そんなあたしお邪魔「お願いしますっ」…………わかったわよっ」

言葉をみなまで言わせず頭を下げる。
最後は消え入りそうな声を出す彼女に罪悪感をひしひし感じながら、その場は譲ってもらった。

「すまん。約束、ちゃんと守るから……」

「……エビ沢山ごちそうしてもらうからね!」

「……分かったよ」

それ約束違うだろと苦笑しながら、ぷいっと脹れっ面を背けたソノラを見送る。
船の方へ小さくなっていくテンガロンハットにもう一度心の中で謝ってから、改めてクノンへと振り返る。
渋い顔の俺を不思議なものでも見るかのようにしている彼女の手を取り、引っ張っていく格好で可及的速やかに海岸を目指した。




「……ということがあったのです」

「……そうですか」

浜辺。小波の砕ける音が耳の裏に吐息を届けて、むず痒い。
本格的に砂浜が広がり出す一歩手前の土手に腰を下ろし、クノンへ今日一番にあったことを伝えた。
包み隠さず伝えるのは自分で言ってて結構な羞恥だったが、クノンにどんな顔をさせてしまうのか考えると気が気ではない。
情けないことに視線を海の方角へ固定させたまま、クノンの反応を待った。

「……ウィルは、ファリエル様のことをどう思っているのですか?」

「……僕は」

来た、と一瞬でも思ってしまった。一番聞かれて困る質問だった。
どう思う、と聞かれれば、抱いているのはきっと好意だ。
「レックス」の感情を抜きにしたって、いや関係ない、俺(ウィル)はファリエルのことを少なからず想ってる。
同情とか憐憫から派生している感情なのかもしれないが、それだけで片付けられるものでは決してないと、そう思う。
ただ、線引きが利かない。想うってことの量とか丈とかはきっとフレイズともタメをはれる筈。でも、その肝心の中身の色がはっきりしない。漠然とした想いが袋の中で持て余すようにたぷんと音を立てて波打っていた。
恋というものでは、ない。一貫した愛かというと、それもまた少し違う。
放っておけない、というのが恐らく表すにはぴったりで、今までの行動理由もそれだ。

自分のことながらはっきりしない。優柔不断極まり過ぎると、胸の内で垂れまくった。クノンのいる手前そんな醜態する訳にはいかなかったが。
恋愛感情──相手を追いかける強烈な好意ではなく、手放したくない好意──見放したくない好意だ。
卑怯だと思いながら、そう結論を出す。

「……僕は、ファリエルのことは、好きだよ。クノンと同じくらいに」

でも、と一息。
傷付けるのを覚悟の上で、言う。

「今クノンに感じてる好意より、もっと……ちゃんと異性に対して感じるものだと、そう思う。……いや、きっとそうなんだ」

はっきりと大気に打った。胸の吐露を。
クノンに向ける感情と恐らく土台から違う。クノンより身近に感じていなかったために、基礎の上に成り立つその想いは近しい者に抱くものとは違う、遠い相手に焦れる思慕の念へと昇華してしまっている。
以前期待させるようなことをほざいときながら、でも告げた。
偽ることも、誤魔化すようなことも、彼女達に真摯に向き合うなら、それはきっとしてはいけないことだ。

「…………きっと、ショックです」

俺と同じでよく自分でも整理出来ない、けれど質と意味が全く異なる迷いの言葉。
覚悟しておきながら胸の奥が筆舌尽くし難い渦を巻いたが、あぐらをかいている脚に手の爪を食い込ませ、耐える。
力を入れている前歯に更に力ませ、下唇が突き出るほど噛み締めた。

「言いたいことは多々ありますが……一度、ファリエル様と正面を切って話をしたくなりました」

…………む?

「僕じゃないの……?」

「私には、ウィルに何を言えばいいのか分かりません」

責めればいいのではないのだろうか。
クノンの思うまま、しっちゃかめっちゃか。

「ウィルの行いでファリエル様を助かったのだと思われます、私と同じように。そしてその結果、ファリエル様はウィルのことを慕うようになったのだと思います…………私と、同じように」

俺の心情を悟っているのかいないのか、以前にはなかった色ある黒の瞳を海原に馳せて、クノンはゆっくり言葉を唇に乗せる。
細く吹いた潮風が彼女の髪を軽くさらい、色素の薄い横顔が日の光に濡れた。

「もしウィルがファリエル様を助けなかったとしたら、それは、私からすればずっと人形のままでいたということと同じです。……今なら解ってしまう。それはきっと、恐ろしいことです……」

崩して座る自分の脚に視線を落とし、眉もまた悲しそうに曲がる。
俺は目を見開きながら彼女の言葉に聞き入っていた。

「……ウィルのやったことは間違っていません。私が否定させません。だから、感謝することはあっても、責めるなどということはないのです。……それに、例え他の誰かにその行為が向けられても、私はきっと嬉しくなって得意になります」

顔が俺の方を向き、笑った。


「同じような私(だれか)を助けてくれて、ありがとう、と」


…………畜生、何で俺がフォローされてるんだ。
混じりけなしのその本物の笑みに、申し訳ない気持ちと感謝の気持ちが等しく溢れてくる。
彼女の優しさに胸が痛み、そして抗いようもなく温かくなってしまった。
俺はその感情を誤魔化すため、あたかも今の言葉を告げたクノンに意地悪するかのよう、自虐的な文句を持ち出した。

「……でもさ、クノンにしてみれば……裏切りもいい所だろ? あんな口上切っといて、自分で言うのも救えないけど、不誠実過ぎるだろ……」

「そうでしょうか?」

くい、と小首を傾げたクノンは、容易く俺の弾劾申請を切って捨てた。

「未だ感情初心である私ですが、他人から好意を寄せられることは、とても嬉しいことだと思います」

例え誰であろうとも自分を好きになってもらうのは基本的に喜ばしいことなのだと。
笑みを継続しながら彼女は付け加える。

「好きになってもらうおかげで、自らも相手のことを好きになることが出来るのではないでしょうか」

────アティ様のように。
そう口にし、羨望の眼差しで目を細める。

「そしてその好意を拒むことは、とてもつらいことだと思います。こんな私でも、それは勇気のいることだと思います」

だから、とまた笑う。

「大丈夫ですよ。私は、ウィルのことが好きです」

……優しさが痛い優しさが痛い優しさが痛い優しさが痛い優しさが痛いぃっ……!!
クノンの言っていることは恐らく真理だ。そして、無垢である彼女でしか多分言えないことだ。
俺が逆の立場だったとしたら、絶対にそんな綺麗なこと言えない……。

がっくりと項垂れ、肺の中身全て吐き出すように重い溜息。
答えは出せずともけじめだけはつけようという心算が、粉々に打ち砕かれた。もう自分を卑しめることも彼女を傷付ける真似を働くのも、この笑みの前では不可能だ。
そんなことはないと看護され、抵抗してもふわりと軽く往なされてしまい、最後には大丈夫だと耳元で言い聞かされるように抱きしめられる。

……ちくしょうぅ、悔しいぃ。胸から込み上げてくるこの熱が悔しいぃっ……!
このままでは、隣にいるこの白衣の天使を、素で好きなってしまう。

のろのろと顔を上げ、彼女を見る。
真っ直ぐに此方を見つめている柔和な瞳は、目が合うと嬉しそうに再び微笑みかけてくれた。


「それに、私もウィルに好きなってもらえるよう、頑張るのですから」


「……ぁ」

──でも、俺頑張るから。
──君のことちゃんとした“好き”になれるよう頑張るから。
想起されるのはあの日の一幕。
自分が彼女に伝えた偽りなかった言葉。

「…………」

……ああ、と。
健気過ぎる、と。
こんちくしょうと、そんなことを心の中心で叫びながら、自分でもどんな顔をしているのかよく分からない笑みを、彼女に向けて作った。



「それでは、私の用事も済ませたいと思います」

「……うん?」

くるりと空気を一変させるようにクノンが心なし嬉しそうに告げた。
そういえば用事あるとか言っていたなと、ぼんやり思いながら何やら包みから取り出しているクノンを見守る。
脇に置いてあった風呂敷包みを自分の膝の上に置き、彼女ははらりとそれを解いてみせた。

「……おにぎり」

「はい。ただいまオウキーニ師匠から様々なことを指導してもらっているのですが、これもその一環です」

確か……お笑いを教えてもらってるんだっけ? 人の感情を効率良く学ぶために。
……「レックス」の時、胸部にかまされた突っ込みは渾身の一撃だったな。「なんでやねん!」という叫び声が「フルパワー!」とそのまま脳内変換出来た……。ちなみに全治三日。
その後もどういう経緯をたどり進化したのか定かじゃないが注射での『ツッコミ』も披露されたし……おっと黒歴史、今こんなことを思い出すってのは無粋ってもんだろ、フフ……。

翳りの入った笑みをするのを止め、クノンに食っていい? と視線で確認。どうぞと勧められるまま手に取りひょいと口に一口。
「以前」にはこういうことしてもらったことはないな、と少し思い出しながらもぐもぐと白米を味わう。
ごくり、と嚥下。

「……美味しい」

「良かったです……」

思わず漏れた呟きに、視線を俺の口元に傾けていたクノンはほっとしたように安堵する。
初めての試みでありながら完全自作だったらしい。「まだまだありますよ?」とどこかうきうきしているクノンを見て、ちょっと微笑ましい感情が先だった。
にしても……

「クノン、やるなぁ……。普通に美味しいよ。うん、いい塩梅」

やはり調味料とかでも適量計るのは朝飯前なのか。
怪我の処置だけでなく服用する薬も扱うエキスパート看護婦なだけに、と塩と海苔の味がする指を舐めながら思った。
と、クノンは何かを思いついたように、此方の顔を覗きこむように首を下に傾けた。

「惚れ直してもらっても構いませんよ?」

「…………」

……苦笑する。
クノン、そこはきっと悪戯っ子みたいな笑顔をして言う所だ。
そんな綺麗な、満面の笑顔で言う言葉じゃない。

空と海の青に映える、その透き通った純粋な笑みに指摘を入れてやる。
む? と白磁のような滑らかなほっぺを触ったり軽く伸ばしたりして不思議そうに目を円らにする彼女を見て、今度は声を上げて笑った。


波が静かに引いて、また押し寄せてくる。耳をくすぐる波音は既に心地良いさざめきへと変わっていた。
俺達は、それこそ単純に、おにぎり片手に笑い合っていた。













カランコロン、と。鼓膜を包み込むような鐘の音が甲高く響き、授業の終了を告げた。
すっきりとした蒼穹と強い日差しのもと、解散を告げられた子供達がぱっと集まり小さな円を作る。
どこかへ遊びに行く打ち合せでもしているのだろうか。私はぼんやりと子供達の動きを目で追う。

「浜辺へ行くみたいですよ、スバル達」

「……ウィル君」

「何でも、パナシェが海で見たっていう船を確かめにいくみたいです」

そうですか、と気の抜けた相槌を打つ。
私の隣にやって来たウィル君を見てから、もう一度スバル君達の方に取り留めなく視線を飛ばした。

「何だか、いつにも増してふにゃけた顔してますね」

「……いきなり失礼なこと言わないでください」

そもそもいつにも増してってどういう意味ですか、と目をじろりと向けて問い質す。
肩を竦めるウィル君は普段の佇まいを崩さず、「そのままの意味です」と言ってのけました。
それなら、と私は眉を立ててウィル君に噛みつく。

「ウィル君だって、授業中に船を漕いでたじゃないですかっ。教わりにきたマルルゥに怒られて叩き起されたくせにっ」

「うっ……ぼ、僕にも体調が万全じゃない時だってあります」

「なら、私にもぼうっとしちゃう時くらいありますっ」

べぇっ、と両目を瞑りながらウィル君に舌を出してやる。
それを見たウィル君は頭を手で押さえながら「ガキか……」と唸るように呟いた。
私はふんっと憮然とした表情を作ってそっぽを向いた。

「…………」

だけど、そんな尖った顔持ちもすぐに曇っていく。
集いの泉で交わされた話の内容が、耳にこびついて離れない。
すぐ隣にいる彼のことで頭は一杯になってしまっていて、こうしている今も不機嫌な感情を媒介にしなければ、落ち着いて会話することも出来なかった。
何を迷うことがあるのだろうとそのように一笑に付すべきなのに、思考の流動は止まる気配を見せない。
疑っているのか、ウィル君を。
……心の中で頭をもたげるのは、確かな自己嫌悪だった。

「……先生。真面目な話、いいですか?」

「! ど、どうぞ……?」

先程とは異なる硬質な声音が背中にかけられ、私は反射的に肩を力ませる。
首だけひねると、ウィル君がいつになく真剣な表情で此方を直視していた。

「さっきの話掘り返しますが、水平線に船影を見たと、パナシェはそう言っていました」

「……そう、なんですか?」

「そうなんです。……もしですよ? もしパナシェの言ってることが本当だとすると、今日中にでも、外部の人間が此処に足を踏み入れるかもしれません」

「……え?」

「端的に言ってしまえば、僕達にとっての“外敵”がやって来る可能性があるということです」

「────っ!!」

パナシェ君の言う分には信じられなかっただろう言葉が、彼が指摘した途端、一気に現実味を帯びた。
その声音に含まれる響きはどこか確証に固まっている気がするのは、単なる私の気のせい?

「あくまで“パナシェの話を真に受けたら”という前提です。あの子の勘違いかもしれないですしね。……ただ、島を覆う結界がなんたらって言うのも、昨日あんなことがあったんです、碌に作動していないなんてことも考えておいた方がいいと思います」

息が、思わず止まる。
あくまで可能性に過ぎない話が、果たしてこうもつらつらと紡がれるものなのか。
脳裏を掠めるアルディラの仮定。ウィル君は適格者で、そして私達に隠れて何か暗躍して──。
不安を集積する胸が動揺に揺らいだ。

「あんま言いたくないですけど、帝国軍の援軍とかだったりするかもしれません。状況が状況ですし。……もっとタチの悪い輩の可能性も無きにしも非ず、ですけど」

それは予想? それとも確信? ウィル君の中では、決まっていること?
口内まで上り詰めた言葉の欠片は、唇からこぼれて音になることはなかった。
本能が出かかる問いを喉に留める。

それに、そもそもおかしいではないか。
仮に、本当に仮に、招かざる客の来訪がウィル君の意図する所であっても……私にこうやって警告として伝える意味がない。
何か目的あっての行動だとしても、過程と結果の間では明らかに破綻を起こしている。

ありえない。馬鹿げている。たまたま重なっている事態が妄想に拍車をかけているだけ。理性は私の考えを切って捨てる。
だから、これは勘違い。ウィル君はパナシェ君の言葉を等閑にしない上で進言してくれている。
島の未来を案じてくれているからこその意見だ。

「まぁ、その逆も然りですね。ちょっと大袈裟に過ぎるかもしれませんけど、頭に入れといてみんなにそれとなく呼びかけておいても…………先生?」

「…………」

なのに、強張った体はすぐに緊張から解放されることはなく。
自分でも目も当てられないほどウィル君へ狼狽を呈することになった。

「あ、あの……あくまで根も葉もない考えなんで、そんなガチに受け止めてもらわなくても……」

「……そっ、そうですよねっ……」

「い、いや、全く取り合ってもらえないのもそれはそれで問題なんですけど……ただ心構えは作っておいて欲しいというか…………なんと伝えればええねん」

「…………」

なんだろう。酷く、噛み合っていない。
私と彼の間にある隔たりを否が応にも見せつけられている気分。
頭を抱え込んで小さな呟きをこぼすウィル君を見下ろしながら、私は一律でなくなった心臓の活動を胸の上から押さえる。

ウィル君を、信じられていない。

自分の生徒を少しでも疑ってしまっている己自身が堪らなく嫌な人間だと感じられて。
戒めるように、唇へ歯を立てた。







胸にわだかまる感情を拭えないままその場はお流れになり、私達は船へと向かっていた。
予定通りなら次はウィル君の個人授業……けれど、正直何をすればいいか分からない。
ちらちらと、肩を並べている横顔を何度も窺う真似をしてしまう。
彼の方は私と違い先程のことをさして引きずっていないようで、いつものように前だけを見て歩みに勤しんでいた。

「先生、唐突ですけど聞いてもいいですか?」

「えっ、ぁ、はい……」

視線を動かさず問いを投げかけてくるウィル君。
何だか胸の中を見透かされているような錯覚を味わってしまい、どうにも生気のない声を返してしまう。

「前に言いましたよね。誰にも傷付いてもらいたくない、解り合おうとすることを止めたくないって。あれ、何でです?」

「何で、って……?」

淡々とした語調とまた質問の内容もあって、私は面を食らう。
いつもと変わらないウィル君の少し砕けたような調子に、一時とはいえ安堵が胸を占めたせいもあるかもしれない。

「頭の中も年中平和な先生が、それこそ既に手遅れな超生粋ド級の平和主義者ということは僕も知る所ですが……」

…………けなされてますか、私?

「……先生がそうまで言葉でぶつかろうとする理由を知りたくて。まぁ、言いたくないなら結構です」

困惑する私を置いて、さも軽い調子でウィル君はそう言葉を続けた。
藪から棒にどうしてそんなことを、と内心怪訝には思ったけれど、何かしていないと思考がどんどんと泥沼にはまってしまいそうなので、今は優先してその問いに答えることにする。

……私が、言葉を振るおうとする理由。

それは、過去があるからだ。
紅く染まった視界に、失われていく温もり。
狂ったように溢れてくるのは笑声と落涙で、認められない現実を前に鋭い耳鳴りが激しく響き渡っていく。
全てが暗転して次に待っていたのは、茫漠とした暗い暗い闇の世界。周囲を取り囲む常闇に委ねるように身を任せ、生きるという意味を放棄した。
そして、そんな閉じた世界に幾度となく、諦めることなく響いてきた、私の名前を呼ぶあの人達の言葉(こえ)。

あの過去を経て、今の私が在る。
笑えるようになったのも、軍学校を目指したのも、医学や召喚術を学ぼうとしたのも、全部。

全容を語るのは、はばかれた。
場の雰囲気を必要以上に暗くさせるのは明白で、ウィル君にも気を使わせてしまう。
……いえ、自分本位な理由、ただ私が言いたくないだけだ。
口にしてしまうことで直面する心底の爪痕に向き合いたくないのだ、きっと。
今までそうしてきたように誰にも何も明かさず、身に付けた笑形で胸の奥の一番脆い部分を覆い隠そうとしている。
頑なに語ろうとしない自身の心の動きに嫌気が差しつつ、結局、その決定に逆らうことの出来ないままあったことを断片的にぼかして伝えることを決める。
ごめんなさいと声にならない声で呟いて、私はウィル君に口を傾けた。

「そう、ですね。ちょっと長くなりますけど…………私小さい頃、一時期自分の殻の中に閉じこもっていたことがあったんです」

「……」

その理由を言及されることはなかった。
彼の心遣いに感謝しながら、あの時の記憶を思い浮かべていく。

「きっと、その時の私は周囲を拒絶してて……何を言われても無関心でした」

いや、事実、あの時の私は死んでいた。
膝を抱えうずくまり、全ての事柄を意識から取り除いていた。
けど……

「……そんな私に、ずっと語りかけてくれた人達がいたんです。いっぱい、いっぱい。たくさん、たくさん。めげずに、あの人達は私に言葉をかけてくれたんです」

空っぽだった私の中身が、少しずつ、けれど確かに満たされていった。
葉から滴り落ちる雨滴のように音を立て、次第にそれは胸に込み上げてくる何かに変わった。

「嬉しかった。私を呼び続けてくれる声が。私が、私であることを忘れてしまわないように、何度も届いてきた村のみんなの言葉が……」

そして、今の私がいる。

「その時、思ったんです。強い力っていうのは、どんなものでも打ち負かしてしまうけど、」

絶望の淵からでも手を伸ばして引っ張りあげてくれた、村のみんなのように。

「想いをこめた言葉の持つ力は、そうやって打ち負かされたものを、より強く蘇らせることが出来るって」

あんな人達のようになろうとする、今の私が。

「…………」

「だから、ですかね。打ち負かす力じゃなくて、解り合う力でみんなを守りたいってそう思うのは」

言い終えた後に大きく一息を入れる。
知れず、自分の想いを打ち明けることをしていた。
何故だろう、という疑問は。きっと隣に居るのが彼だからだ、という答えですぐに埋められた。
視線は前に、歩く足はそのまま。涼しい風が私達の間を流れていった。穏やかな空気に包まれた、声の生まれないこの時間が、どこか神聖なものに感じられる。
肩を並べたまま、歩き続けていく。
時間にすれば大して経っていない共有された無言の時は、やがてすぐ側で呟かれた一言で姿を消した。


「カッコいいですね」


その言葉を合図にするように、彼の方を向く。
頭一つ高い視点からは目元は窺い切れないが、その下にある口端は、うっすらと緩やかに曲がっていた。


「先生みたいな天然記念物、そうはいませんよ」


黒の髪が揺れる。
導かれるように、深緑の双眸が私の顔を見上げた。


「……ええ、カッコいいです」


いつか見た、彼の本当の素顔。
唇にささやかな微笑みを滲ませ、瞳が優しい線に縁取られている。
────出来るなら、その気持ち、先生は忘れないでください。
顔を前に戻しそっと風に消したその言葉は、けれど確かに私のもとに届いた。

(…………ぁぁ)

どうして彼のことを疑ってしまうのか、その感情の本質をはっきりと悟る。
怖いからだ。
怪しいからとか、裏切られるとか、そういうことじゃなくて。
もっと純粋に。
失うことが。消えてしまうことが。自分の前から居なくなってしまうことが。
此方に背を向けて、手の届かない距離に行ってしまうことが。
怖いんだ。
ちょうど、機界の夜景からなるあの絵を眺めた日と同じように。
大切なものを失うことを、とても恐れている。

「…………」

切り離せなくなった日常の一部。かけがえのない存在。
答えはきっとそれだ。彼に寄せる信頼の証として、もしかしたらという可能性が産声を上げる。とても恐ろしい仮想を抱かずにはいられなくなってしまう。
側に居て欲しい。こうして、ずっと隣で肩を並べ続けていたい。
だから、疑って、疑って、疑って。
その心の内を知ろうとする。どこにもいかないということを、確かめようとする。
この懐疑の心は、一番深い所で抱いている願望の裏返しだった。

「……先生?」

立ち止まる。放っておけばすぐ俯いてしまう顔を我慢し、前を向く。
最初から分かっていた。何にせよ、胸が破裂しそうなこの情緒を解消する方法は、一つしかないと。
答えを、聞く。
彼しか知らない本当を、聞き届ける。
鼓動の音が聴覚にへばりつき全身を犯す。不定期な音響の連続は、時間を積むごとに度を失っていく。
決断を前にして感じるのは恐怖だ。隠しようもない。心の内で顎をもたげている空想が現実に直結した瞬間、張り裂けんばかりのこの想いは、きっと音を立てる間もなく瓦解してしまう。
最悪を迎えた後を想像し、その際に虚ろと空くだろう喪失感が鮮明に胸へと焼き付いた。

「……っ」

わななく胸を退ける。行為の中断を呼びかける音の震えを一思いに振り払った。
今逃げれば私はずっとこの先に進めない。彼に、一歩も近付けなくなるだろう。
ウィル君への信頼を嘘にしないためにも、ぐらつく不安に決着をつけるためにも、踏み込まなきゃいけない。
震える呼気を強引に抑え込んだ。指に僅かも入らない力を込めて、精一杯の拳を作る。
ぐちゃぐちゃな思考は風に乗せる問いをまだ用意しておらず。言葉は形になっていなかった。

でも、迷っている時間は既に残っていない。

振り返り、不思議そうに私を見つめているウィル君に、揺れる視線をぶつけた。
いつかよりずっと近い距離、けれど未だ埋まらない私達の距離。
想いを代弁する言葉は定められないまま。
手の届かない場所にいる彼に、声を伸ばした。



「ウィル君は、ウィル君ですか?」



舞い上がった風に乗ったのは、そんな言葉だった。













「ウィル君は、ウィル君ですか?」

「──────」

────言われた。
アティの顔を見つめていたウィルはその言葉を聞いて、一瞬時を止めた。
視線の交差。震える蒼の瞳と凝結する深緑の瞳が真っ直ぐに混じり合い、暫時の時間が流れていく。
お互いの間で吹き上がった風は、やがて収まっていった。
心の臓に打ち込まれた楔は最初こそ貫いた衝撃を体中に伝播させたが、核心に触れられただけに止まり、被害を広げることはなかった。
頭の冷めた部分が、切迫し硬直した体を常日頃の外観へと、相手に気取らせることなく巧妙にシフトさせる。
顔は平時のまま、胸中ではほんの僅かな動揺を背負い、ウィルはややあって、言った。


「違うって言ったら、どうするんですか?」


心の隅で何かが疼いたが、それだけで済んだ。
顔色一つ変えないウィルは愕然と目を見開くアティから目を逸らさず、自己を客観的に分析する。

自分(ウィル)は、ウィルか。

正直、ようやく訪れたかとさえ思う。
この話題はいつか問い詰められるのだろうと、ウィルになったあの日から確信に近いものを抱いていた。言及は、逃れられないだろうと。
自分は「自分」であって、今はウィルという少年に限りなく近しい存在に成り変わっていたとしても、本当の本物じゃない。
自分とすげ替えられる前の、本当のウィルを唯一知る彼女から疑いを抱かれるのは…………恐らく必然だったのだ。
問いに問い返す形で、気付けばウィルはアティの反応を確かめるようにそう口にしていた。
ぐっ、と決壊しそうになる蒼の瞳。打ち震える水面が虹彩をぐにゃりと曲げ、彼女の眦に水滴が溜まり出す。

「…………どう、しましょうか」

「……」

長い沈黙を経てアティは揺れる声音をこぼした。
とても困ったような、本当に寂しそうな、眉を一杯に下げた笑みにならない笑みを浮かべながら。
俯き加減になった顔の横で鮮やかな赤い髪がさらと流れる。
胸を往来する幻痛にウィルは静かに奥歯を噛み締めた。

「……何マジになってるんですか。冗談で言ったんですから、そんな反応されても困ります」

そもそも要領を得ないこと言わないで下さい、と言い捨てて、ウィルは顔を前に戻し歩みを再開させる。
彼女の問いの真偽も、自分のこの感情にも、答えを出した所で意味はない。
そう断じて振り払うように話を切った。いつもの調子で常の自分を演じる。

「…………」

「…………」

アティは後ろで立ち止まったまま。付いてくる気配がない。
唯一、背中に縋りついている果敢なげな視線の存在だけは知覚出来た。

晴れ渡る空はひたすら青かった。抜けるような色がどこまでも続き、ウィル達を見下ろしている。
靴が土を噛む乾いた音が響いていく。隣には誰もおらず、ぽっかりと穴が落ちていた。
そのまま独りで先に進もうと前へ前へ足を動かしていく。
動かして動かして動かして、動かそうとして。
そして、それが出来たらどんなに楽なのだろうと、縫い止められたように立ち止まっている足を見やって、思った。

「……先生」

「……?」

視線の遥か先に見える海と空の混ざる一本の境界線を見つめながら。
理不尽だ、とこんな境遇に追いやった界に愚痴を吐いた。

「信じて貰えないかもしれないですけど……何言ってんだこいつって思うかもしれないですけど……」

信じられない現実を語った所で何も解決しない。告げるべき本当がない。
不条理極まる状況に嘆くことしか出来ない中、ただ一つだけ伝えるために。
首だけをひねり、依然立ち通している彼女を瞳に収めた。



「『俺』は、此処のみんなが大好きです」



一つだけ伝えられる真実は、それだけだった。


「貴方みたいなまともな志なんてありません、でも……」

「此処にある今は守りたい」

「貴方と同じように、大好きなみんなが笑っていられる今は、守りたいんです」


一気に喋り、そして眉根がすぐに苦渋の念で崩れる。
弁明になっていない弁明。言い訳じみている己の自己満足に、嫌悪感が雪崩のように押し寄せて募った。
こんな言葉を誰が信じるのだと余りの馬鹿馬鹿しさに肩を落とし、ウィルはきまり悪そうに視線を切ろうとする、


「…………」


────その正に寸前、視界の奥にある彼女の目が、前触れなく涙をこぼした。

「!!?」

ぎょっと目を剥き、戻しかけた首を反転、あたかも振り向きざまに二度見するようにアティへもう一度視線を飛ばす。
体も回してアティと向き合う格好になるが、円らな瞳からはぽろぽろと際限なく滴が溢れていく。次には、くしゃっ、と丸みを帯びている顔が幼い子供のように歪んだ。
事態の把握はまるでかなわなかったが、高確率で自分の言動が彼女を泣かせたというリアルに、ウィルの胸が盛大にぎゃあーっ! とわめいて軋む。
胸部を両手で押さえて体をくの字に曲げそうになった。

他方、そんな慌てふためく少年を置いてアティは頬を伝う涙を片手でぐしぐしと拭い。
ぎゅっと唇を引き結んでウィルの方に歩み寄って来た。
肌には赤い涙の痕が残るが、眉尾は斜め上を向いて勇んでいる。巡る巡るアティの表情の変化に、どこか凄みのある歩行。迫力あるそれらを前にしてウィルは反射的に逃げ腰になってしまった。

「────ウィル君」

「は、はいっ」

風を切る前進は目の前で止まり、ウィルは情けない声を絞り出す。屹立する赤い壁は真っ直ぐに自分を見据えている。
アティは自分の顔を見上げる呆然とした視線には意を介さず、すかさず腰を折った。

「ごめんなさい」

「…………はっ?」

ぽろりと落下し地面を転がったのは疑問の音だった。
ウィルは眼前に突きつけられる形となった白帽子に目を丸くする。

「疑って、ごめんなさい」

「……え、えっと」

なんのこっちゃ、と。
正直な感想はその七文字の羅列だった。視界を覆う白一色は微動だにしない。
疑う、というのはウィルが本物云々ということだろうか。しかしどうも聞く限り脈絡がないような感じが地味にあるような。
いまいち要領を得ないウィルだったが、わざわざ自主的に蒸し返したい話題ではなかったので、釈然としたものを感じながらも場の空気に素直に流されることしにした。

「い、言ってることはよく解りませんけど……だ、大丈夫です、気にしないでください……」

「……はいっ」

かき消えそうな細い声に伴うのは震えと、喜びの感情か。
ゆっくりとアティが上体を戻すと、そこには一筋の涙とともに浮かぶ爽快とした笑みがあった。
起き上った反動で目元から離れた数粒の涙適が宙を舞い、日の光を反射してきらきらと彼女の顔を照らす。
次にはほっそりとした指で目尻に残る滴を拭い落とし、興盛、弾けるような飛び切りの笑顔が作られた。

(────んなっ────)

────なんでこのタイミングで。
至近距離から放たれる邪気一切ない笑みに、胸が一層たじろぐ。灯った笑顔には先程までの翳りは欠片も存在せず、密かに潤んでいる瞳は慈しみの光に溢れている。
破壊力はもはや語るまでもなく、こんな状況でもなければすぐにでも卒倒してしまいそうだった。

「…………ぃ、いいんだったら、も、もう、行きましょぅ……」

「そうですねっ」

顔全体に集まる赤熱を感付かれないようぐるっと速やかに回転、アティに背を向けて船への進路へ復帰する。
弾んだ声はいそいそと進む自分の体にすぐ追い付き、白の外套が隣に並んだ。
嬉々を微塵も隠そうとしない彼女は、前を見続けている。

「…………」

一体何が、と色んな意味で荒れ狂う胸中、ウィルは努めて冷静であろうとする。
隣接する赤姫はまるで蛹から生まれ変わった蝶のように存在感を撒き散らしており、ついさっきまでの雰囲気と一転したその姿に、冴えた頭もこの時ばかりは予想を成り立たせることが出来ない。
熱が引く頃には落ち着くようになったウィルだったが、首を傾げるのは止められなかった。

「ウィル君」

「……ぁ、はい」

呼ばれた声に顔を上げる。
アティはウィルの方を見ることせず、視線を正面に置いていた。

「手を、繋ぎましょう」

「…………」

ぽかん、と空白を維持したのは、一瞬だけだった。
口元を綻ばせる横顔を見て、真っ直ぐに前だけを見つめている瞳を見て、心が透明になった。
視線を下げれば裾から覗く小さい手が、自分のことを仰いでいる。

「……」

迫力もなく強制もしていないアティの願いに、ウィルはただ何となく手を差し出した。それが正しいことのように思えた。
そっと開いた手の平に自分のものを重ねる。肌と肌が触れ合うと静かに相手の指が閉じ、伝わってくる温度と一緒に包み込んでくる。ウィルもその動きにならった。

「…………」

「…………」

漂ってくる木々の匂いが肌を洗う。二つの影が進む道は太陽の光に歓迎されていた。
指を添えながら、二人隣り合って歩いていく。不思議と心には波紋一つ広がらず、脈動は繋がっている彼女の音と同調して一つのものになっていた。
甘酸っぱいだとか、こそばゆいだとか、そんな野暮な空気はなく。
ただただ静かに、そして何より自然な光景だった。

「私も……」

「……?」

囁くような言葉は、再び現れた風に乗って空に上がった。


「……此処のみんなが、大好きです」


────ウィル君も。


「…………」

青空に溶けた最後の言葉に、緊張しなかったとは言えば嘘になるが。
彼女らしい、と。そう苦笑とともに出てくる思いが、ウィルの感想を占めた。
きゅっ、と相手の指が此方の手を抱くように握った。

やられっぱなしは性に合わないと、からかい文句の一つでも言ってやろうと口を開きかける。
そして目を瞑り浅い笑みを浮かべた所で。



『しょうこりもなく何しに来やがったゴリラァアアアアアアアアアアアッ!!!』

『貴様ぁああああああああああああああああああッッ!!?』

『ちょっ?! ぎゃ、ギャレオッ、使者なのに戦っちゃだめぇー!?』



雄叫びと怒号と悲鳴が、彼方から響き渡ってきた。

「「!」」

弾かれるように互いの顔を見合わせ、次には駆け出す。
見晴らしのいい草原を踏破して巨石が露出し始める岩浜地帯へと。視界の横に海原を置きながら、軽く弧を描く経路でアジト近辺にたどり着く。
全景となって現れるのは海賊船を背後にとるカイル達と、彼等と相対するギャレオとイスラの姿だった。

木材、生ゴミ、サモナイト石。それぞれを投擲姿勢で構えるスカーレルとソノラ、ヤードを後衛に、カイルが前に出て拳をバキバキと鳴らしている。
ギャレオは稲妻のような青筋を米神に形成し今にも殴りかからんとする態勢。そんな彼の大木のような胴体に両手を回してしがみつき、必死に押し止めようとするのはイスラ。
場は一触即発の空気を滞留させていた。

「はっ、女の二の腕振り払えねえなんざ、その猿みてえな筋肉はかざりかゴリラァ!」

「ねぇ、ちょっとソノラぁ。なんか酷く鼻につく清潔臭の欠けた獣臭さがしない? ……ゴリラみたいな」

「あたしはナウバの実(=バナナ)の匂いがするなっ! ゴリラが食べたみたいな!」

「ふふっ、ソノラさん。獣は亜人と比べて限りなく知能指数が低いですからナウバの実の皮を剥くことすら不可能です。……そう、ゴリラのように」

「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!!」

「だめだってえっ!!? ……お、お姉ちゃんに言っちゃうよ、副隊長?!」

「奴等は隊長の顔に泥を塗ったあッ!!」

「塗ってないよ!?」

もうっやだぁーッ!? と少女の涙の叫びが周囲に木霊する。この場で誰が一番不幸か傍目で理解出来る光景だった。
「あいつ等ギャレオの弄りが神懸ってやがる……」とウィルは微妙な顔をしながら遠目で彼等の動向を観察する。
そこまで二日酔いの一件を根に持っているのかと、自分が発端なだけに、茶褐色の帝国巨人に対して良心が呵責された。
ひとまず、醜い闘争から目を離し辺りを窺う。どうやら他の仲間はまだ駆け付けていないようだった。

「イスラさん!」

と、アティが声を張り上げ彼女のもとへ近付く。自然、ウィルも従う形となった。
はっとするイスラはアティの方を振り向く。その瞳がアティのことを女神のように見つめているのは、ウィルの気のせいか。

「来たね! もう遅いから待ちくたびれちゃったよっでも許すよっ!」

「は、はあ……」

難儀だ、と瞳をきらきらさせるイスラを前にウィルは半目。

「イスラさん、貴方達がいるってことは……」

「そうだよ、最後の決戦(デート)のお誘い。────ねっ、そうだよねえっ、ギャレオッ!!?」

「ぉ、おおぅっ……」

言い聞かせるかのようにギャレオへと吠えかかるイスラ。
余りの迫力にギャレオの目に理性の光が戻った。カイル達もつられてびくつく。
きらきらをギラギラに変えた瞳がやがて瞬きを数度、再びアティ達に向き直り、ギャレオ達に見えない角度でこれ以上のないくらい安堵の表情を少女は作り上げる。
抜剣者が苦労するのはデフォルトかぁ等とウィルが思っていると、イスラは面構えを一新。人を小馬鹿にするような空気を纏い、いつぞや見た不敵な笑みを構築した。

「宣戦布告ってやつだよ。私は別にこんなことしなくてもよかったんだけど、副隊長がどうしてもって言うから」

「…………」

「お姉ちゃん、本気だよ。蹴りをつけるって。降服させるとかそんなんじゃない、殺しにい、くぅ…………」

イスラの発声が、何故か萎んでいく。呆けたように目を丸くし固まった。
うん? とその様子に首を傾げるウィルが彼女の視線を追うと、そこはアティとウィルに挟まれている間隙。早い話、未だがっしりと掴み合っている手と手があった。
そういえば繋いだままだった、と他人事のようにその映像を脳内に投影していると────びリっ、と。
空気が確かに震撼した音とともに、凄まじい凶気がウィルの身に喰らいついた。
う、ん…? とその大気の豹変に頸椎を錆びれさせるウィルが視線を戻すと、そこには、氷のような冷たい微笑を浮かべたイスラの姿が。


「…………へぇー、見せつけてくれるじゃん」


────ぞっ、と。
ついこの間まで聞き慣れていた少女のボイスが、ウィルに尋常ではない怖気を喚起させた。
えっ何ぞコレ、と胸中全く穏やかでない感情が発生するのを覚えながら、無意識の内に冷たい汗を湛える。心のどこかで警鐘が盛大に猛り狂った。
正面のイスラは猫のように目を細め、手を繋いでいるウィルとアティを見据えていた。勿論、曲線を描いている唇に反してその眼はこれっぽっちも笑っていない。
口元に現れている薄い薄い微笑が、頭の裏に灯っている第六感をじりじりと焦がしている。

「で、何? “随分”仲が良いみたいですけど、自慢でもしてるんですかぁ?」

随分、の辺りがやけに強調された発言が、怖い。
見つめている────いや睨みつけている瞳が、縮めた瞼の奥でだんだんと血のような紅い光彩に侵食されているのをウィルは幻視する。
彼女の後ろでソノラが剣呑な雰囲気を纏い出し、カイル達とギャレオが戦きながら後退したのも視界に入った。
少年は体内で肺が喘いでいるのを感じ取り、隣にいるアティは少女の変化に対してぽかんと小首を傾けた。

「………………先生、手を、放してください」

「えっ、どうしてですか?」

「イヤ、どうしてって……」

理由なんてない。だが、手を繋いでいる理由もない。
第六感が告げるままに連結部分を緊急パージしようと試みるウィルだったが、天然の壁に阻まれる。
ていうか空気を読めよ、と不思議そうに此方を見ている童顔教師にウィルは言ってやりたかった。
無駄に終わるヴィジョンが鮮明過ぎて、すぐに実行する気になれなかったが。

「ここですよ~~!! にこにこさん達が来てるのですうっ!」

そして、畳みかけるかのように。
森の奥からユクレス村出身の妖精さんの声が聞こえてきたかと思うと、島の住人勢がこぞっと木立を抜けて照りつける太陽のもとに出現した。
イスラ達を、いやウィルとアティを包囲する形で。
全視線がウィル達のもとに集束する。

『……………………………………………………』

「…………」

「……ウィル君?」

此処はホームの筈ではないのか、とウィルはそんなことを考えた。
余すことなく戦闘メンバーが全員集合する中、およそ全方位に対の瞳が散乱し、針のむしろを現在進行形で維持させる。

「でさぁ、どうするの? 殺るの、殺らないの?」

────イスラさん、それは。
ニュアンスが違うのではないか、とウィルは音になることない抗議を挙げる。
そして、目は細めたまま無表情で尋ねてくるイスラに対し、アティは毅然と顔を上げて立ち向かった。

「受けますよ」

「ふぅん、往生際いいんだ」

「はい。解らないことは沢山あるけど、今やることだけは分かっていますから」

「……隣にいる貴方の生徒さんは違うみたいですけど?」

そこで俺に振るか、と憮然と視線を送ってくる少女にウィルはぎぎぎと首を横に回す。
というよりアティとイスラの会話上で致命的な齟齬──戦闘行う上での「動機」の差異──があるような気がしてならなかった。
アティはウィルを一瞥してから、手を握る力を強くする。



「────私はっ、ウィル君のことをもう誤解なんてしない! ウィル君の想いを教えてもらったから!!」



ゴウッッ!!! と。
少女の背後で灼熱の業火が具現を果たした。

えええええぇぇえええええええええええええぇっ!!? と心の内から絶叫したウィルは、第六感が引火し爆ぜた瞬間を境に、手遅れながら迸るほどの身の危険を感じ始めた。
紅のオーラが少女の全身から立ち昇る。相貌は完全無欠に無表情。無慈悲にウィル達に向けられる双眼だけが燃え盛る激情をメラメラと宿していた。
何が原因で何でこうなったとかは、目の前の魔王によってもはや考える余裕がない。


「私とウィル君の気持ちは一緒です!」


周囲。
ソノラが眉を震わせて今にも銃(エモノ)に手を伸ばしそうだったり。クノンが何を考えているのか解らない目でじっとウィル達を直視していたり。ファリエルがどこか寂しそうにちらちらと見つめていたり。マルルゥが物欲しそうな顔で唇に指を当てていたり。

アルディラは白い眼を向けていたり、ミスミはふむぅと手を顎にそえながら「やはり若さか……」などと呟いていたり。
カイル達はギャレオと仲良く甲板まで撤退し、キュウマは冷えた体をさするスバルを連れて空蝉の術、逃げ遅れたヤッファは自らにセイレーンを行使し意識を絶った。
最後に、犬天使が殺意溢れる視線をウィルの後頭部にブチ刺していた。




「私達は、絶対に負けない!!」




絶対宣言。
帝国軍の挑戦状に対するその返答が、何かもっと別の、まるでこの場にいる者達への「宣戦布告」に聞こえてしまうのは、気のせいなのだろうか。
様々な思念で渦を巻くアジト近辺。ぎゅうと握り締めてくる柔らかい手が、第一級危険指定の代物のような気がした。


────なに、コレ?


返答来る筈もない質問を、冷や汗ダッラダラで呟き。


────修羅場って言うのよ。


律儀に返ってきた誰とも知らない疲れた声に、意味も解らないまま泣きそうになった。














ウィル(レックス)

クラス 熟練剣士 〈武器〉 縦、横×剣 縦、横×杖 投(Bタイプ)×投具 〈防具〉 ローブ 軽装

Lv19  HP173 MP245 AT93 DF57 MAT111 MDF76 TEC170 LUC4.4 MOV3 ↑3 ↓3 召喚数3

機B 鬼C 霊C 獣A   特殊能力 ユニット召喚 ダブルアタック 隠密 待機型「魔抗」 アイテムスロー(破)

武器:晶霊剣 AT110 MAT5 TEC5 LUC5 CR10%  (苦無 AT92 TEC12 LUC5)

防具:empty

アクセサリ:手編みのマフラー 魅了無効 DF+5 MDF+4


12話前のウィルのパラメーター。
TECが(略。DFの伸びが致命的になってきている。防具も身につけていないためギャレオの太腕一本でも叩き込まれれば瀕死は免れない。でも彼とは相性いいので多分問題ない。TEC的な意味で。数々のイヴェントこなし過ぎてとある能力値に大きな修正が加えられている。「過去」に返り咲いたというか返り萎れたというか、とにかく先の将来を予兆するかのような数値である。

晶霊剣はファリエルからのプレゼント。以前もらったアクセサリのお返しとのことで見ててこそばゆい光景が広がったが、柄の先端にルアー(魅了を解呪する)がお守り代わりに取り付けられており、それを発見してしまったウィルは汗を流した。フレイズが幽霊以外に魔が差さぬようにと独断で仕掛けたらしい。ちなみに剣は天使のものと色違いのペアルック。フレイズのがファルゼンverで、ウィルのがファリエルver。二本合体させると運命を両断するツインブレードになったりはしない。

霊属性の異性に惚れやすい疑惑が浮上している。教え子だったり幽霊だったりIf自分だったり。アレは例外。
その体質があらゆる厄介事を招き寄せるのは自明と書いてデフォルトだが、案外自ら禍根を作っているケースも多かったりする。また、元来の不幸補正により敵が強くなるのも然もありなんであるが、レックス時におけるクリア特典で敵の難易度(センリョク)がウルトラハードになっている。ウィルもそれを薄々感付いているので、他の事柄より優先してニート対策に余念がないらしい。




本編とは直接関係ないが、補完の意味合いを兼ねて「レックス」の歩んだ軌跡を公開。
今回は12話。


雨ザーザー降り寄せる深夜、赤いのベッドの中でうーんうーんうなされていると、突如入室してきたフレイズに叩き起こされる。ベッドから転落し「何事!?」と混乱しているといつになくマジな天使に付いてきてくださいと静かに告げられた。フレイズが部屋を出ていった後、ドアの鍵を閉めベッドに潜り込む。女傑との戦闘で心身磨耗したヘタレは相手にするのも面倒だと完全惰眠の構えだった。二分後、羽ばたいて窓を突き破ってきた天使に強制拉致、狭間の領域まで嵐の中をすごいマニューバしながら高速飛行した。

中々他では味わえないスリルをたらふく食わされた赤いの、九割キレながらフレイズに食ってかかる。が、天使もそれに負けず劣らずリアル真顔。鋭い眼光に尻込むレックスは、彼からファリエルの幽体にまつわる話+この場に誘拐された訳──君のせいでうちの可愛い娘が危険に首を突っ込んでいる。何とかしろ──を聞き、何とかしろも糞もないだろ、と素直に理不尽な要求を嘆く。ファリエルを変えたなど自覚もないし戦場で盾になってくれとお願いしたこともない。冤罪だよと高らかに叫びたかったが、護衛獣としての天使の心情をこの時ばかりは僅かに理解し、「無理」と正面切って返事で拒絶、そしてガチンコ勝負に突入した。
従者の意地と女性の意思を尊重する意志がぶつかりあって男の戦い。最初こそは得物を使って剣舞を繰り広げていたが、いつしか拳の応酬となる。魔晶の大地からマナを汲み上げた天使の魔力ナックルはすこぶる痛く、しかし負けじとカイル仕込みの喧嘩拳を叩き込む。ボロクソになる両者だったが、勝負の分かれ目は数えるのも億劫となっていた凶悪な殺人技の被害回数。超速接近からの斬影拳を打ち込み、ひるんだ所をほぼ投げ技に近いジャーマンスープレックスでフレイズをマットに沈めた。「あの娘が戦場に飛び込もうが、これからも守ってやりゃあいいじゃん」の発言がキーだったのかもしれない。僅差で勝利。

首が変な角度になりつつも起き上ろうとするフレイズ、肉の殴打の音を聞きつけて飛んできたファリエルに大泣きされる。何やってるのと物を通過する拳で幾つも胸を叩かれ、自分のことばかりではなくフレイズ自身も大切にしてと呂律が回らない言葉で怒られた。天使も涙流す。ハイ俺邪魔ー、と空気に追いやられたレックス、感動シーンの脇ですごすご帰っていく。殴られ損かよ畜生と文句垂れながらも微妙に笑ってた。怪我は道中に抜剣して完治。

翌日。船まで来た天使に頭下げられる。ハイハイで済ませ終了。こっそりフレイズの好感度が上昇した。天使戦線加入。
その後ファルゼンにも会いに来られ、少し会話。フレイズのこと話したり今までの苦労を聞いたり。もっと早く会えていたら何か違うことがあったのかと、透明なマナを纏う鎧を見つめながら思った。


帝国軍なんとかしないと俺の安寧訪れんなー、と昨日のこと思い出しながら不気味に笑う赤いの、授業を終えた後に痛む胃を手をやりながらラトリクスに赴く。ヴァルゼルドそろそろ自分を守ってくれないかなぁとスクラップ場に足を運ぶと、いきなり狙撃された。「ヲイッ!?」と頬掠めた鉛玉に悲鳴を上げつつポンコツと強制戦闘。
デュアルセンサ赤くさせ精密射撃してくるヴァルゼルドに、遠隔操作されるボクスやフロット等を蹴散らす傍ら抜剣することを躊躇ってしまう。召喚術ぶちまかそうが銃を離さない。大声の説得もガン無視され汗を流している内に、やがてアルディラとクノンが援軍。二人の助けを借りてポンコツに肉薄し零距離召喚で装備装甲ごと吹っ飛ばした。

謀反か貴様と詰め寄るとなんか謝罪され、サブユニット取り付けて欲しいと頼まれる。そうしたらお前消えんだろバカチンと切り捨てて、「修理してやるから待ってろ」と、悲痛そうな顔をするアルディラを無視して、ヴァルゼルドを中央管理施設にリアカーで運搬。が、途中で再び暴走。折れた足引きずりながら緩慢な動きで此方に掴みかかろうとするヴァルゼルドを眼前に、無表情でアルディラを見つめると、目を伏せられ首を横に振られた。
レックス前髪で目元を覆いあらん限りに手を握りしめた後、渾身の拳打をヴァルゼルドの顔面に叩き込む。そっと近付いてきたクノンに取りにいっていたサブユニットを手渡され、装着。ライトグリーンの瞳が、ノイズ混じりの発音で感謝の言葉を言ったような気がした。
独りたたずむ背中を見て、アルディラが慕情を抱いたのもこの時。

見晴らしのいい崖の上に座りこみ海を見る訳でもなく眺めるレックス、涙は出てこなかった。シリアスな雰囲気に主要メンバーが木の陰から窺うが、普段の調子で絡むこと出来ず見守る格好となる。いつもより小さく見える背中に瞳を揺らすアリーゼ、意を決して歩み出てぺたんと隣に腰を下ろす。海鳥の鳴き声が響く青い海原を正面にしながら無言を重ね、おもむろにレックスが「世界ってやっぱ理不尽だ」とぽつりとこぼす。アリーゼ何か言おうとするが言葉にならず、ややあって、「それでも先生は、頑張ってます」と慰めにもならない、けれど偽りない本心を語る。情けない姿を晒そうが救えない行動を取ろうが、守るという一点だけは何にも譲らなかった教師の手を生徒そっと握る。
「ありがとうございます」と告げられたアリーゼの言葉が、機兵のものと重なり、日差しに照らされる赤髪がそっと俯いた。
教え子の頭ぐしゃぐしゃ撫でて赤いのその場から撤退。他メンバーが急いで森の中に隠れる中、頭を両手でおさえる生徒はその後ろ姿を見続けていた。

ぼけぇーっと無為に時間を過ごす赤いの、プリティ植木鉢頭にかぶりながら船の甲板でごろごろと意味もなく転がっていると、ギャレオとイスラの最終決戦の通達が。正対するカイル達のボルテージが上がっていく中でレックス船の上からぼーっと一部始終眺めるだけで、とにかく覇気がない。ガスの抜けた風船レックスの状態に、カイル達あれ抜きで蹴りをつけると方針を決めるが、いつのまにか臨戦態勢に入っている青年の姿にぎょっと驚愕。みんな集めといて、とふらふらしながら指示を出す後ろ姿に何とも言えない不安を覚えつつ行動を開始する。アリーゼ教師の後に付いていこうとするが、その隠密能力で姿を見失った。妙な胸騒ぎ。

決戦、夕闇の墓標。ギャレオの涙の懇願に行動を自重する構えのアズリアだったが、戦闘が始まった瞬間その敵の大攻勢に喉を鳴らす。此方の手の内を読み切ったかのような戦術展開に絡め手を用いた計略。障害物の多量さや段差と高低差の激しい墓標内で、帝国軍の気付かない抜け道たるルートが押さえられおり、後衛前衛関係なく部隊が一掃されていく。各個撃破されていたかと思えば味方の布陣は既に虫食いだらけとなっており、アズリア戦線の後退を指示。そこに輻射波動ならぬジオクエイク。「剣」により島の情報を掌握したレックス、地盤の悪い地形条件を利用、読み取ったピンポイントにグラヴィスを打ち込んで人為的な土砂崩れを激発。土砂岩石に呑み込まれ或いは退路を断たれ、アズリアとギャレオを除く全部隊壊滅。ビジュも巻き込まれた。
立ち尽くすアズリア達のもとに近付く茜色の影二つ。レックス、VAR-Xe-LDにギャレオの相手を指示、剣を抜いて単身アズリアに斬りかかる。マジモードの元帝国軍陸戦隊に戦姫も超本気、衝突。何発も鳴り響く乾いた銃撃の音を背景に、八つ当たりレックス剣を振りまくる。何合も打ち合い火花を散らし続け互角の勝負を繰り広げた。
交わされる一進一退だったが、体格および性別から来る体力差を狙った長期戦によりアズリアの切れが鈍り、もはや食らいまくって知りつくしている紫電絶華をわざと隙を見せることで誘発させ、その格段に遅くなった必殺を完璧に見切りカウンター、撃破。
最後まで敵わなかったと澄んだ笑みでこぼすアズリア、終わりにしてくれと望む。剣の切っ先を突き付ける青年をみなが固唾を呑んで見守る中、レックス、鞘に得物戻して「するか馬鹿」とひねくれ顔でプイとそっぽ向く。カイル達一気に脱力しやがて笑い合い、アリーゼも涙目で口元押さえながら笑った。
そして、黄昏が来る。

イスラの高笑いから出現し始めた軍勢、殺戮開始。
アズリア呆然とする隣でレックス誰よりも早く再起動、敵勢力不明ながらカイル達に迎撃を号令。が、瞬時にその選択が下策と悟る。余りに特化された殺傷能力と根本的に違い過ぎる戦闘に対する心構え、連戦で消耗している味方には荷が重過ぎる云々を越えた生命の危機。また一つと散っていく帝国軍の命に濃密な死の気配を嗅ぎ取り、喪失したヴァルゼルドの一件も手伝って仲間を失うまいと心に刻むレックス、帝国兵を囮にした総撤退を断行。アズリアの部下を切り捨てた。
隣で叫ぶ元同僚には此処から離れるよう伝え、戦場に飛び込んだ。

抜剣覚醒から敵兵士が作成する包囲網に風穴を開けカイル達に逃走を促す。広がる地獄絵図にアリーゼ含めた子供達を率先して戦場から追いやるよう言い渡し、自らは暴れまくる。白髪鬼、人外の力で孤軍奮闘。サーチアンドデストロイ。暴走召喚で砕け散ったサモナイト石は数知れず。少数精鋭で殿をするカイル達の力もあって敵勢力を激減させるが、ジジイの極速の居合斬り+法衣妻の死霊召喚にとうとう進撃歯止め。抜剣解ける。オイ冗談じゃねーぞ、とその人並み外れた力に自分のこと棚に置きながら戦慄。
限界、と悟り、未だ帝国軍勢残っているも離脱しようと構える。が、瞳が捉えたボロボロの体で戦っているアズリアの姿に、目眩に似た殺意を覚え全身に鞭打って急行。敵数名蹴散らしてたどり着いた頃には帰り血やらなんやらで互いに血まみれ、激昂して掴みかかるも、部下残して逃げられる筈がないと怒鳴る女傑に目をかっぴらく。苦渋にぎりぎりと切歯した後、エゴと理解しつつボディブロー、意識刈り取って今度こそ撤退する。が、マフラー暗殺者の凶刃に行く手を阻害。退路断たれた。
マジのマジのマジでマズイと頭の裏で鳴り散らされる超警鐘に体が発熱し、汗が頬を下る。四肢の明らかな機能低下に素であかんと胸中で呟いた。

肩に担いでいるコレだけでも何とかならんだろうかと後ろ向きな考えを抱いたそんな時、生徒の叫びが耳朶を叩く。はっと振り向くと、アリーゼがはらはらと落涙しながら震え、それでも此方を気丈に見据えていた。両手を組んだ祈祷の構え。少女の頭上に現れた巨大な召喚光がマナを発散させ、キユピーの「ホーリィスペル」発動。
圧倒的な魔力放出。姿を現した天使による光の翼と浄化の風が敵味方関係なく怪我を快癒させる。天聖母のキャパシティをも越えた上級召喚術に、光の光景からなる蘇生一歩手前レベルまでの治癒効果に、誰もが動きを止め放心した。そんな中、赤いの「キユピー、ただのピンク色のまんじゅうじゃなかったの…?」と可憐過ぎる小天使の姿に間抜け面で口を全開にした。一人だけ着眼点違った。スーパーアリーゼ、レックスの傷が癒えたのを見届け力尽きる。

ぱたりとアリーゼが倒れるのを見て正気に戻るレックス。カイルが生徒連れていくのを確認し、今しかないと全快した体を躍動させ尻尾巻いて逃げ出すが、強烈な召喚術が進路上に炸裂。慌てて背後を顧みると、大層な杖持った眼鏡にロン毛の召喚師が。法衣妻──ツェリーヌさんが高らかに自分の夫オルドレイク氏を紹介。「無色の派閥」というフレーズに、島の歴史からして薄々感付いてはいたが赤いのうげっという感想止められない。そしてべっぴん妻もらった勝ち組を心の底から憎んだ。とにかくこっそり去ろうとしたが、「抜剣者(おまえ)だけは見逃せん」とジジイが許してくれず。ですよねー、と空笑い。無色の始祖についてやら島の全てを貰い受けるやらぶちぶち演説するのをたった一人で聞き流し、どうにかならんかなこの状況、と起死回生の一手を高速思考とシミュレーションで模索。と、おもむろに、ユーが適格者かとニヤニヤしながらオルドレイクが接近。「剣」の力を見せてみろ、と言い油断しまくっているその姿に、好機、と判断する。トリガー・オフ。ロン毛、赤いのが水面下で必殺の準備をしていることに気付かない。
理不尽な仕打ちやらべっぴん妻を見せびらかす眼鏡の所業やらにイライラが募っているレックス、生き残るためにもコイツをブチ殺しても構わんのだろう? と憎しみ一割嫉妬九割を糧に、一度は破られた「剣」の魔力をリチャージ。カルマルートも真っ青なハイ出力にハイネル本気で制止を促すが、逆に共界線から魔力を汲み上げるポンプ媒介として利用される。死にかける。ハイネル破滅フラグコンプリート。

依然調子乗って間合いを詰めてくるドレイクさんに対し、「く、来るなぁっ!」と赤狸怯えきった三下役を演じ標的を確実に射程距離内に誘い込む。主演男優賞なみのその迫真の演技にジジイもといウィゼルも騙された。哀れな羊の皮被った血に飢えたオオカミレックスの姿に、声を上げて嘲笑するオルさん、デスラインに足を踏み入れた瞬間、世界が爆ぜた。
アズリア担いだまま白いの、牙突エヌマエリシュ。光速極光ガトリングドライバーに、ロン毛空を翔ぶ。ツェリーヌは絶叫し、ヘイゼル以下は滝汗。海にドボンッと立った縦長の水柱を見ながら、ああいう傲慢ちきが相手なら何とかなるかもしれないと白狸密かに思った。
取り乱した健気妻が全部隊に夫の救出を命じたので、ウィゼルとか除いて誰もいなくなる夕闇の墓標。じっと見てくる爺の視線を極力シカトしつつ戻って来たカイルと一緒に生き残った帝国兵を回収。ニート連中戻ってこない内にその場を後にした。ようやっと撤退。ちなみに、レックスの中で窮地を救った天使アリーゼの好感度が激上する。でも無自覚。

夜会話。浜辺付近で弔いの火が昇るのを見上げる。アリーゼのベホマズンで殆どの帝国兵が助かったとはいえ、拾えなかった命もあった。ままならないとレックス圧倒的な暴力による不条理に敗北感噛みしめながら目を瞑り、やがて腰を上げ、視線の先で炎の前に立ち続ける背中に歩み寄る。
顔を火に照らされるアズリア、涙が出てこないと振り向かずに告げる。昼間の自分と丸っきり同じ彼女にレックス顔を曇らし、泣け、と一言。アズリアの肩が震えるのを前に、こいつは自分のように神経太くないと腐れ縁の付き合いから忠告。一人で溜めこむのはしんどいと昼間の経験から知るレックス、「じゃないとお前が壊れる」とそのように伝えた。ゆっくり振り向き頬に涙の一線を走らせる女傑の姿に、赤いの不覚にも胸を打たれる。噂のギャップ萌えかと己の邪念を誤魔化し、「じゃ、じゃあ思う存分泣いてください」と直ちに去ろうとした所で、涙腺が決壊したアズリアに抱き着かれる。「────」と凍結するレックス、脳裏を過るのは意外にある胸の感触やら思いのほか柔らかくしなやかな体の温もり、ではなく。圧倒的な走馬灯。去来する過去の映像に終止符を打たれた刹那、胃が断末魔の声とともに爆散した。もはやアレを体が徹底的に受け付けられないよう改造されていた。
ぼたぼたと口から滴る赤い生命の水。吐血。喀血。口内を支配する甚大な鉄の味覚に、赤いの口周りに血化粧して真顔で時を止める。頭上から降って髪を濡らす水分をレックスの涙と勘違いしたアズリア、一緒に泣いてくれていることにぐずと鼻を鳴らし更に縋りつく。ゴパン、と酷い音を立てて、血の飛沫が弔いの空に花を咲かせた。
その影で、シスコン弟がすんごい目で慌てる姉に介抱される赤いのを睨みつけていた。イスラ激震フラグその2が立った。


一命を取り留めた赤いの、何故死にかけたのか理解していない女傑と微妙な距離を保ちながら話を交わす。リペアセンターに行きたかったが、傷心の女性を放っておく訳にもいかず本当に頑張って心のケアに努める。軍学校のマシな思い出やらマシなエピソードやら語る内にアズリアさんも少し笑うようになり──記憶の大半が襲撃しかない赤いのは反比例して具合が悪くなり──、ぽつぽつとレヴィノスの家の事情やらイスラのことを話し始めた。召喚呪詛ねぇ、とイスラにかけられた呪いや無色との現協力関係の背景を大まかに知り、あいつも不幸なのかと少し同情。で、どうすんの? とイスラの対処を尋ねる。顔を暗くさせるアズリアだったが、そこで本人登場。

嘘なのか本当なのか解らない恨み言を連ねて始末しに来たと告げられ、自嘲するアズリアは弟の言う通り命を差し出そうと歩み寄っていく。が、「それ違うだろ」とレックスに襟掴まれ首絞め、ぐいっと引き寄せられリターンされる。偶然に赤いのへ体を預ける格好となった姉の体勢にイスラ青筋。胃の痛みを我慢しつつ、アズリア死んでもイスラの自己満足で終わるだけと指摘。モミアゲの言うことなんかきな臭いなと内心思いながら、面倒臭い今の状況何とかしてから姉弟の問題に蹴りつけろとアズリアに言い聞かせた。あと簡単に死ぬとか言うなと鉄拳。額を打たれたアズリア、煩悶しながらも涙ながら笑ってみせた。蚊帳の外のイスラ、イライラが頂点に達する。
超嫌味ったらしく二人ともお熱いようでと皮肉を吐き捨てると、アズリアは俯いて紅潮、赤いのは「はぁっ!?」と怒りを滲ませる。というか、自分の苦労知らずに何知ったかこいている貴様と素で泣いて切れる。自分自身に匹敵しそうな絶望のオーラ背負う漢の姿にイスラ後退。だが次の瞬間に言われた「そもそもお前が貧弱(モヤシ)だからアレが軍学校来て俺の前に現れたんだろうがっ!」の文句が逆鱗に触れる。引き連れていた無色兵を入れて開戦。アズリア赤くなったままで外界の変化に気付かない。
醜い不幸自慢が剣戟の音と一緒にぎゃーぎゃー繰り広げられていたが、女傑やっと意識を取り戻し参戦。軍学校伝説の赤と黒のコンビネーションに無色兵なす術なく完膚無きまでにボコボコにされる。腹をさする相方従えた黒いのにたじろぐイスラ。
最後、今はまだ死ねないと決意新たにする姉の凛とした姿に、弟は鼻を鳴らし捨て台詞を残して、どこか寂しそうにまた満足そうに去っていった。

アズリア、島の陣営に加わることを宣言。戦力面では嬉しい限りだが体調面では果たしてといった感じのレックス、引きつった苦笑いを浮かべながら承認する。差し出された手を逃げ腰ながら掴み、色んなことを含めてありがとう告げられる。実は初めてである握手と感謝の言葉の両方に目を丸くさせた後、あぁこんな顔も出来るのかとそんなことを思った。



[3907] 12話
Name: さもない◆5e3b2ec4 ID:5419e509
Date: 2010/07/15 07:39
(すっげえっ……!)

スバルは瞠目する。自分の目の先が行く遥か前方の光景に。
此方には背だけを向け、跳ぶように駆けて交戦の軌跡を引き連れる少年の姿に、己の居る場所は戦場だということを忘れ立ち尽くす。
呼吸をすることさえ意識の彼方に置き、彼はその光景に見入った。

日は西へと食い込み空は赤らみ始めている。
底に朱を帯びている薄雲が見下ろす所、夕暮れの墓標と名付けられた過去の戦いの激戦地は、鬨の声とともに戦端が押し開かれていた。
帝国軍の開戦宣言を受け付けアティ達がこの地へ赴き既に半刻。今度の戦いで終幕を引く心算の帝国軍は、その気焔を留ませることを知らない。
剣戟の火花が狂ったようにあちこちで咲き誇る。玉砕も半ば覚悟するその姿勢は肌を震わす激声へと繋がり、辺り一帯に木霊した。
島の住人達も同じように勇み応戦するその光景は、正に決戦風景だ。

そんな過剰な戦意を纏う戦士達がしのぎを削る中で、その小さな影は一切の遅れを取らない。
仲間達の間で僅かに生じる間隙を埋めるように敵を迎撃し、またある時は神速の召喚術で自陣の攻勢を援護する。躍動に富む動きではなく敏捷に特化した緑風のような流動は、この場で誰よりも疾く動いているとそんな錯覚をもたらす。
一歩離れた位置で味方を支え守る様はまるで黒衣そのものだ。広い視野をもって補助に徹することで、少年の力添えを受ける誰もが自身の本領を遺憾なく発揮してみせている。
敵には譲らせないと。少年は影で仲間の背を押し、そして守り抜いていた。

(……!)

全身は震え、喉が鳴る。
スバルの経る実戦はこの戦いを入れて二度目。先の戦闘は場の勢いに呑まれ大した働きは出来なかったが、白熱の空気に慣れた今はもう醜態を演じる要素はない。手も動けば足も動く。視界も広がり戦場の流れを把握することが出来る。
そしてだからこそ、解る。少年の水際立った動きが。
自分より少し年長でしかない兄貴分は、臆することなく戦場を駆け回り、己より一回りも巨大な敵と渡り合ってみせている。
視線の向く活況に、知れず体の奥が熱くなった。

「……へへっ」

「ヤンチャさん、どうしたのですか?」

込み上げてくる熱気を放任し、スバルは笑みを漏らした。
戦場に焦がれる。何かが殻を破ってスバルの意志を望むべく場所へ駆り出させる。
無意識の内に鼓舞させられた全身から湧き上がってくる疼き。恐れを感じる所の理性は頭の隅に追いやられ、少年の本質たる本能が剥き出しになった。
体の中を流れる鬼の血がそうさせるのか、口元に活き活きとした笑みを作ってスバルは斧を担ぎ直す。
側で不思議そうに此方を見ているマルルゥを仰ぎ、笑みのまま叫んだ。

「マルルゥ、オイラの足を引っ張るなよ!」

「もうっ何を言ってるのですかっ、マルルゥはヤンチャさんの足にしがみついたりなんかしませんっ!」

「言ってねぇよそんなことっ!?」

「それに、マルルゥはヤンチャさんに構ってあげられるほどお暇じゃないのです!」

「お前後で覚えてろよっ!」

抜けた発言をする妖精に突っ込みを入れつつ、スバルは斧を振り上げ、少年────ウィルの駆ける戦場へ飛び込んだ。


「召鬼・落雷っ!!」









然もないと  十二話 「黄昏、来たりて────そして伝説へ────」








「キュウマ、次あそこ」

「心得ました!」

「ミャミャー!」

入り組んだ道をことごとく踏破していく。
キュウマを先頭にして俺とテコは決して足場のよろしくない道上を走り抜けていた。

戦闘開始直後一旦集団戦となった開けた戦地を抜けると、俺達を迎えたのは高低差の激しい白石覗く廃墟跡。
ここ、夕暮れの墓標は勾配のある丘の上に築かれている。苔が侵食する石畳に半ば折れた石柱、死に絶えたかつては建築物だったであろう残骸は室内と野外の境界が曖昧になっていた。
神殿を彷彿させる造りはその威容をもって侵入者を阻む。破損した石柱や回廊はそのまま障害物となり待ち伏せに適し、段差の多い地形条件は攻める側としては戦い難いことこの上ない。

セオリー通り高台にて待ち構える帝国軍は、俺達の頭上から弓と銃、召喚術で息もつかせない遠距離攻撃を敢行してきた。展開される前衛組ともやり合わなければならない都合上、ノーリスクかつ打ち放題に行われる射撃は非常に厄介と言える。
ソノラやアルディラに応戦してもらっているが、いかんせんここでも物陰となった障害物が彼女達の反撃を容易くは通さない。もはや敵後衛にしてみれば、状況は城壁に立てこもり行う籠城戦と大して相違はないだろう。
故に「以前」と全く同じよう、ちょっとした迷路となっている建物内の構造路を使うことにした。
俺とキュウマはこっそりこそこそ混戦模様となった戦線から一時離脱、墓標内のルートは熟知済みの俺がナビの役割を果たし、今度は此方が物陰を利用して帝国軍に肉薄をかける。


「はい、どーん」

「ハァアアアアアアアアアアアッッ!!」


とどのつまり、奇襲である。


「!!?」

「ちょ、ぎゃああああああああああっ!?」

隠密から一気に現れた俺達に、弓や銃を撃ちまくっていた帝国兵達は一斉に面食らった。
俺の放った苦無が相手の武器を打ち抜きキュウマの刀が一瞬で二人ほど斬り殺す。
なおも動揺を伝播させる帝国軍へ問答無用に切りかかる忍者を脇に、俺は高速召喚術を執行。
キュウマの手の届かない位置にある小隊向かって、反撃の余地与えず「ライザー」を召喚した。

「ビッグボスプレス」

『────────────おまっ』

圧砕。
巨大化したボールハンマーに潰される名もなき帝国軍兵士達。
蒼白な顔で上方を仰ぎ、口を合わせて何か呟いたような気がしたが、何も聞こえなーい。
ずがんっと爆音量が墓標内に満ち満ちる。

「合図です!」

「しゃあっ!!」

「待ちくたびれちゃったわよ!」

「お先~!」

その爆音を機にアティさんの号令。召喚師組が「メモリーデスク」「石細工の土台」を次々と喚び出し、即席の台座を作る。それらを足場にすることによりカイル達は自力で届くことのなかった高台に取りつき乗り越え、進出を果たした。
カイルやスカーレルが獣のように先陣を切って周囲の敵へと踊りかかる。その後に随伴してきたソノラは嬉々とした顔で高台の一角を陣取り、ここぞとばかりに下方で依然たむろしている帝国の前衛に逆襲を始めた。一連の動きに呆気にとられていた兵達に銃弾の雨が無慈悲に注がれる。連続する絶叫。
残りのみんなも越えてきてそのまま高台を占拠、攻守形勢をそっくりそのまま引っくり返した。

『……行クゾ!』

「お願いします!」

アティさん達少数精鋭は更に上を目指す。進む所はアズリア構える本陣だ。
空から偵察したフレイズ経由から寄せられたことになっている抜け道へ進路をとって、足を休めることなく前進する。
他のみんなもそれぞれの仕事を実行。風の刃が唸りを上げたかと思うと、立て続け野獣の遠吠えが残響を引いて空気を振動させる。
残りの部隊を掃討せんと散開し展開する仲間達の後ろ姿を見て、やはり頼もし過ぎると密かに思った。

「────旗色もう悪くなってる、しっ!」

「!!」

「ミュッ!?」

真上。
自分のものと重なる人型の影に、テコを抱えその場を跳ぶ。
間髪入れず胴体があった場所を、肩から腰を袈裟に両断する軌道で剣が通過した。

「ダメじゃんウィル、躱しちゃあ!」

「死ぬわボケ」

「ミュミュウ……!」

上から振ってきた黒猫娘に不平。
土を踏み締めすかさず跳び付いてくるイスラに、抜剣、刀身と刀身をぶつけ合う。

「ウィル!」

「先行って!」

刺客の存在にキュウマが目の色変えるが、この場は任せろと声を張り上げる。
踏ん切りつかなそうにする忍者だったが、目力込めて見据えると此方の意向を汲んでくれたのか、一つの頷きとともにその場を後にする。
「以前」にその親身さが欲しかったとお門違いな思いを抱きつつ、眼前の相手に集中する。

「さてっ、言いたいことは多々あるんだけど────お話聞かせて?」

「……お前が言うと洒落にならん」

目を尖らせ凄みを利かせるイスラに、今は戦闘中ということを忘れ逃げ腰になってしまいそうになる。歯を覗かせたその笑みに目くじらを盛大に痙攣させ──次には意識を切り替えた。
剣の凌ぎ合いを進行させる最中、柄を強く握り、そして相手と同時に剣を弾き返す。
加速する。

「シッ!」

「っ!」

剣閃が二度瞬き。刃と刃が擦過。
触れ合い身を切削する銀塊同士が、裂けんばかりの金切り声を空に突き上げた。

「教師生徒の間柄で、何やってるのかなぁ君達はッ!!?」

「何をやっているのかと聞かれれば、主に僕の命(ライフ)が一方的に削られているとしか言いようがない」

「嘘つくならもっとマシな嘘ついて欲しいんだけどっ!」

「僕はお前の目の前でクノンから胃の処方箋もらった筈だけどな」

「……ちくしょおー!!」

アティさんに泣きつかれた日の翌朝、憔悴し切った顔で薬を受け取る俺の姿を思い出したのか、イスラは少女にあるまじき言葉を発声する。俺は俺で取りあえず顕然たる事実だけは伝えておいた。
そんなくだらない口論する間にも、互いの体は動きを止めない。それどころか一層の速さを伴って激しい攻防を繰り広げる。
顔面目がけ振り下ろされる縦断を相殺、滑るように真横から薙がれる斬撃を相殺、烈風を纏って突き出される刺突を相殺。
相殺、相殺、相殺、相殺、相殺。
手に持つ剣で、目まぐるしい敵の連撃を打ち落とし、相殺する。


『────ッッ!!』


ギアが更に上がる。
銀と銀のかち合う音の数が異常なまでに膨れ上がり、鼓膜がその音色一色に染まっていく。
大気を走る弧は周囲を埋め尽くし、軌跡の余韻消え去らない内に次手の弧が即座に伸びていった。
容赦も妥協も介さない剣撃の応酬が形成される。

「……あはっ、あっはははははははははははははっ!! やれるやれるっ、ウィル、全然やれるよ!」

「……ちッ!」

「見直したよっ、小手先だけじゃないんだね!」

────バトルジャンキーがっ。
やはりお前も姉(アレ)と同じ穴の貉か、と眉を歪ませ心の内で呟く。
此方が今どれだけ全力を振り絞ってるのか分かっているのかいないのか、イスラは嬉しそうに歓呼する。ともすれば嘲りや挑発とも取れるその言葉、しかし生憎返事する余裕がない。
今や自分(ウィル)の身体をフル行使だ。喋る暇はとうに無くなった。
反応は出来る、機先を制されることはない。けれど肝心な肉体が苦痛に喘ぎ、くぐもった悲鳴をこぼしていた。

「どこまで一緒に踊れるのかな!?」

地面を踏むなだらかかつ鋭いステップの後を追う。
都合四の足が絡み合い、踏み固められた地盤から舞う土煙。薄い埃の膜は夕日を浴びて黄金(こがね)色にきらめきながら場を彩った。
周囲と隔たる二人だけの別世界、剣舞は続行されていく。

身体の能力から考えて結構な瀬戸際まで追い込まれている現況、攻勢には決して出れないが……けれど、防ぐことは出来る。
迎え撃つ此方側としてはこうして手数で押してくるタイプの方がまだ楽だ。これにあと少しでも力が加わるようならもうお手上げ、ガチでの戦闘は避けざるを得ない。
ある意味、非力ともいえるこの少女の一面に救われていることになる。
ゴリ押しが自分(ウィル)にとって一番厄介。まぁ、ぶっちゃけってしまえば……アレとの相性は最悪ということである。
とかく、この娘っ子とはまだ均衡状態を保てた。

「いいね、このままずっと続けていたいよ!」

「むり……っ!」

本気なのか冗談なのか察せない文句を並べながらイスラは剣を振るう。
もう一段階剣が鋭さを増し、流石に内心で汗をかかざる得なくなった。
強がらずキュウマに力を貸してもらえばよかったと、遅まきながら後悔し出す。

「……でも、残念。悠長してる暇もないんだ」

と、そこで小さく呟かれた言葉。ふっと透いた笑みが眼前で浮かぶ。
その少女の言葉の向かう所に対し、俺は反射的に目を細めた。
やがて、イスラは細い笑みの滲む口端を、くっ、と冷たく吊り上げ嗜虐的な三日月を作りあげる。

「決めたよ」

「!!」

剣速がまた上がった。
それまで十分急いていた早瀬を突き抜けるかのような噴流の一閃に、咄嗟に反応して、かろうじて剣を打ちつけ迎撃する。
火花と一緒につんざく高音響。

「時間もないし────」

防がれた刃を返して、右袈裟から高速の斬撃が繰り出される。
視界の隅から迫ってくる銀の一撃を、俺は横に体を倒すことで回避経路を確保した。剣が体から一歩離れた所で走っていく。
そして、イスラは嗤う。


「────ここで“一旦”殺すね?」


「────」

剣が、跳ねる。
突如姿を現した鮮烈な殺気。俺の首に喰らいつこうと顎を鋭く開口させた。
凶刃がそれまでの進路からほぼ直角に曲がり、閃く。
刀身が夕日を浴び、紅色に輝いた。時が止まる。


「────頂き」


瞬間。
軌道上へ、手に隠し持つ研ぎ澄まされたサモナイト鉱石を滑り込ませ、その銀閃を流し払った。

「!!?」

「疾ッ!」

回るようにして凶撃を往なし、そのままカウンターへと動作を繋げる。
衝撃で離れた間合いに構わず左足を地に打ち込み、そこを軸に独楽のように回転。
風を巻き込みながら回し蹴りを放った。踵が向かう先は敵顔面。
頭上に剣を流され片腕のみを万歳させたイスラは素の驚愕をあらわにし、そして顔を焦りで染めながらも上半身を反った回避行動を取る。
僅差で俺の足は届かない。

「悶えろ!」

「ミャアアアッッ!!」

「!? んなっ────ぶぎゅっ?!」

が、俺の服の影に隠れていたテコの間を置かない追撃が、奴の腹に炸裂した。
これ以上のないタイミングで突き刺さったロケット頭突き。最大の隙を見込んで放たれた超突は、いたいけな少女としては致命的な、頓狂な声を成果に上げる。
目を限界までかっ開き奇声とともに後方へ吹っ飛ぶそんなイスラを、更に追い打ち。
防御にも利用した、手中の獣のサモナイト石を媒介に召喚術を発動させる。

「闘・ナックルキティ」

切り札にして十八番、最強である闘猫が全身で風を切る。
召喚光から矢のように飛び出してきた「ナックルキティ」が、疾走体勢そのまま、秘められし黄金の右を思い切り振りかぶった。
背へ一杯に溜められた必殺の拳、GT・マグニャムが、一条の光となって射出。
一直線を音速で走った拳砲が、現在進行形で宙を滑空しているイスラに着弾する。

「────────に゛ゃか゛っ」

粉砕。
よく解らない呻き声らしきものを残し、イスラのいた場所近辺が爆光に包まれた。

地鳴りにも似た爆発の残響がきぃぃんと周囲に伝播していく。発生する風圧と粉塵から腕で顔を庇い、ほどなくして晴れる前方の景色を見る。
視界の中央には綺麗に形成されたクレーター。
人一人は楽に入りそうな円形の穴を、ぱらぱらと空から降ってくる砕け散った小石が縁取っていく。

拳を振り切った姿勢で夕日の向こうにたたずむ超漢気な闘猫は、くるりと反転し此方と正対、グローブに包まれた拳と尻尾をパタパタと振ってくる。
嬉しそうに笑みを浮かべている彼(彼女?)に「お疲れーす」と礼を告げ、テコと一緒にぺこりと頭を下げた後に還ってもらった。
もくもくと煙が上がる墓標内。やがてクレーターの中からぷるぷる震える手が顔を出し、がっと地上に指をかける。にゅっと出現する上半身。

「…………ちょ、ちょっと……っ!?」

「……そこは死んどけよ」

「ミャミャー……」

曲がりなりにも全力を込めた一連のコンボ、予想は出来ていたとはいえ、戦闘不能になっていないその様に口をへの字にしてしまう。完璧な不意を突いたテコも短い手で頭をさすっていた。
円状の窪みから這い出てきたイスラは、煙を発散させ多少黒コゲになりながら地上で両手両足をつく。
「げふっ、ごふぉっ……!?」と腹を押さえ噎せながら、キッと顔を上げて涙目で叫んだ。

「馬鹿ぁあああああああっ!! 容赦してよっ、この鬼ぃ、悪魔ぁっ、狸いいぃっ!!?」

「お前が言うな」

むしろ僕に言う権利がある、と憮然とした顔で口にする。
この場で撃破出来たら、と一縷の望みを抱いて貴重な魔力を割いてみたが、やはり骨折り損だったようだ。やれやれである。
決して今まで嘗めさせられた辛酸を返済しようとした訳ではない。ないったらない。

「しかもっ……何よ、あれっ?! アティもそうだけどっ、反応する、普通!?」

「僕の反射神経なめんなよ」

高速召喚とこれだけが、この未成熟な体になっても未だ健在である数少ない武器だ。俺の唯一の取柄といってもいい。
正確には反射速度も「レックス」のものと比べて落ちてしまっているのだろうが、勝負所では否応なく機能してくれる。

「ったく……! 何が、私に消されるのが怖い、よっ。全然余裕じゃない……!」

よほど悔しかったのか、イスラは威嚇するかのように歯を剥き出しにして悪態を散らしている。
流石にダメージはあるようで、よろっとぐらつきながらゆっくり立ち上がった。
膨大な魔力を強引に流し込み、体に溜まるツケを無視する少女の姿に、俺は目を細めて言ってやる。

「イスラが全力を出してれば、僕は今立っちゃいないよ」

「……」

沈黙。


「……私は、全力だよ」


“お前自身”はな。

「…………」

「…………」

しばしの無言を共有。
どちらも装うポーカーフェイスがお互いを見つめ合った。
夕日に照らされる雲が、誰にも気取られないように立ち位置を変えていく。

「……潮時、かな?」

呟かれた言葉に同調するように、外の戦況が動く。
いまだ戦線を保つ帝国軍陣営だったが、ゆっくりと、しかし確実にカイル達に呑み込まれつつあった。拮抗しているのはアズリア率いる本陣くらいのものだ。
この場より更に上った付近を横目で窺い、視線を前に戻す。

「行くよ。此処にいても、もう意味ないし」

「……」

「じゃあね、ウィル」

前髪で瞳を隠し、口元には淡い笑みを浮かべながら、イスラは俺の前から姿を消した。
あっさりと、それこそ我が家へ帰宅する子供のように、別れの言葉を添えて。
最後に置いてかれた言葉の真意を探ろうとして、しかし、すぐに止めた。
無駄な思惟にしかならないとそう結論づける。今更な感傷は不要だ。

究極的、「剣」を持つイスラの行動は誰にも阻めない。

仮に、過去の段階で抜剣したアティさんをけしかけたとしても、「剣」の扱いにはイスラの方が一日の長がある筈、本当に止められたかと聞かれれば答えは窮する。
アティさんとイスラでは恐らく心構えからして違う。アティさんが守るためではなく自発的に襲い掛かった所で、イスラに返り討ちにあうのは予想に難しくない。そもそもあの人は無抵抗な人間を──無抵抗を装う人間さえも──襲うことなど出来ないだろう。

だから、『奴等』との合流を止められないのは予定調和。無理に防ごうとして取り返しのつかない被害をもらったら目も当てられない。
確かに思う所はある、けれど黙って見過ごす方が吉だ。
いずれぶち当たる問題を先延ばししているに過ぎないが、それでも今回だけは機を避けるべき。
連戦模様の中「暴君」が現れるという最悪な事態は、絶対に。

「…………」

一人取り残された場で少しの間立ち通し、そして短く吐息。
何もかもリセットするように肺を空にし、新たな空気を入れ替える。
イスラも居なくなり、既に敵も退けているこの場は合戦の最後尾。俺以外に人影はおらず、動きやすい環境は出来あがっている。誰にも察知されないまま隠匿行動に移り易い。
そうした意味合いも兼ねて此処に居座り、単独イスラを迎え撃つような真似をとった訳だが……あいつを退却させるために浪費した体力もろもろを考えると、果たして良い判断だったのか微妙な所ではある。

「フミュ?」

「……うん、行こうか」

テコの鳴き声に促され、顔を上げる。
日は既に西寄り、水平線の彼方に沈みつつあった。広がっている海の水面が燦爛と輝いている。吹きつけてくる風はどこか生温い。
みんなの陣形とアズリア達帝国軍の位置をもう一度確認し、最後に、黄昏を迎える空を睨みつける。

覚えている、この方角。

血の色のように燃える夕日を一頻り見据え。
俺はその場を後にした。













「ああああああああッ!」

「っっ!!」

ギィン、と剣と杖がぶつかり合う音が盛大に散る。
縦一文字に奔った剛剣が横に構えられた杖の柄に食い込んだ。
常人では考えられない瞬発力から見舞われたアズリアの一撃が、防御を貫通してアティに衝撃を与える。

「決着をっ、つけてやるっ……!!」

「ぐっ、ぅぅ……!」

アズリアは込める膂力を緩めない。十字を描く互いの得物の均衡を崩そうと、両手に持つ剣へ全体重をかける。
逆に両足で踏ん張るアティの顔は苦痛に歪む。軋みをあげる杖が、彼女の顔の方へ徐々に押し込まれていった。

アズリアを中心に形成される帝国軍本陣。
ファルゼンを中心とした突破力を有する島の住人勢が、事実上帝国軍最後の砦であるギャレオ達近衛兵に激突している。
両勢力が全力で争い抗う陣中。間断なく響き渡る戦音を背景に、アティとアズリアは大将同士の一騎打ちに臨んでいた。


「……!!」

激しい鍔迫り合い。純粋な力比べである今の状況では、近接戦を主とするアズリアの絶対的優位は動かない。ゆっくりと天秤が彼女のもとへ傾いていく。
目前に迫る刃に、アティは眉を崩し、一度瞼を閉鎖。
何かを溜めるように歯を食い縛り、次の瞬間勢いよくその蒼眼を開け、続く言霊を強い気勢とともに発した。

「マナよ、力を紡げ! 誓約を為し導を作れ!」

「!?」

呪文詠唱。距離が一切離れていないにも関わらず準備される召喚術に、アズリアは目を剥く。
アティのやろうとしていることに気付いた彼女は顔色を変え、絶対阻止せんとあらん限りの力を己の剣に注ぎ込んだ。
杖は悲鳴を上げながらも、ぎりぎりの一線を踏み止まる。平行して柄の先端に取り付けられたサモナイト石が発光。喚起される力を解き放とうと、紫紺の輝きを放出し始めた。

「っ……このッ!!」

「づぅっ……届け、求めっ……! 地を祓う暴光を、我が望む場所へ!」

繰り出された膝頭がアティの脇腹を抉るが、しかし詠唱は途切れない。
魔力がアティの体から吹き上がる。至近距離からびりびりと肌を震わすその魔力放出に、アズリアは息を呑み、やがて何かの覚悟を決めたかのように眼光を募らせる。
転瞬。上体を引き、顎を上げ、そして乗り出す態勢で自分の頭部をアティに振り下ろした。

「っ!?」

間近に急迫する光景にアティは一瞬目を見開き、しかし次には、瞳を意志の光に固めアズリアの動きを倣う。
詠唱は破棄しないまま、向かってくる知己の額へ、自分のものも突っ込ませた。

どごっっ、と。

両者ほぼ同じタイミングで見舞った、渾身のヘッドバッド。
帝国の片田舎、村随一の強度を誇った石頭が、同じく筋金入りの石頭を真っ向から受け止める。
発生する衝撃に、漆の髪がざわと揺れ、白帽が赤髪から舞い落ちた。
斜に構えられた瞳、蒼と黒、二つの視線が文字通り眼前で交差。
聞けば誰もが顔を蒼褪めさせる痛烈な鈍重音の後────アズリアの頭がぶれ、せり負けた。



「────っっ、出でよ、雷撃の魔精ッッ!!」



唱える。
体のバランスを崩したアズリアに畳みかけるように、アティは最後の撃鉄を韻に変え吠えた。
アティとアズリアの間隙、僅かしか生じていない空間に羽を持つ召喚獣が現れる。
ゲタゲタと声を上げる「タケシー」は、召喚師の魔力を受け最大出力の雷を正面に押し放った。

轟雷。

上級召喚術である極大の紫電が、アズリアの全身を焼き貫いた。
目も眩む放電現象が辺り一帯に巻き起こり、墓標内が紫紺の輝きに覆い尽される。
アズリアは後方へと吹き飛ばされ、続いて遅れてきた爆音が大気を引き裂いた。

地面に打ちつけられ土砂を削り、なお後退を余儀なくされる。
彼女の体が止まる頃にはタケシーも消え、束の間の静寂が場を支配した。

「…………ッ!!」

アズリアは起き上がり、剣を再び構え直し────そしてすぐ経たないうちに、頭を垂れた。
彼女の見渡せる位置で立っている自軍の影は、アズリア自身を除けばたった二つ。
息を切らしているギャレオに、似たような状態で投具をかざしているビジュ。他の兵士達は地に沈んでいる。
全てを賭して踏み切った総力戦。勝負の行き着く所は既に明らか。
今ここで体を回復しアズリア一人で奮闘しても、もはや意味はなかった。

「我々の、負けだ……」

「……アズリア」

剣を手から滑り落とし、俯いたまま静かに宣言する。
彼女のもとに近付き寄ったアティは、ぼろぼろに傷付いた過去の戦友に眉を下げる。
地に下った剣が、カラン、と乾いた音を鳴らした

「ッ……隊、長……!!」

「……ちっ、くしょうがぁあああああっ!!」

創痍しているギャレオとビジュの絞り出した叫びが飛んでいく。
ギャレオは糸が切れたように片膝を地面につき、ビジュは己が持つ投具を思い切り足元に叩きつけた。
空に浮かぶ赤い夕陽が、黙って彼等を傍観する。

「結局、お前には負け越しのままか……」

「…………」

自嘲するように口を曲げるアズリアはアティを見る。アティは眉を沈めたままその言葉に答えない。
学生時代の情景に思いを馳せていたようなアズリアは、それまでの表情を引き払い、厳格な軍人の顔となって口を開く。

「勝者の責務を果たせ、アティ」

「……」

「お前には、全てを終わらせる役目が「私は、間違っても命を奪うことはしませんよ」…………」

みなまで言わせず言葉を遮るアティ。
ある程度は予想していたのかアズリアは動じることなく、柳眉を逆立てて食ってかかろうとした。

「お前はそうやって、いつもっ「何と言われようと、生きてもらいます!」……っ!」

再び言葉を被せる。

「私に全てを終わらせる役目があるっていうなら、貴方達に命令出来る権利があるっていうなら、言います、生きてください。……命を捨てる覚悟なんて放り出して、生きてくださいっ!!」

いつの日か「諦めない」と声高らかにしたように、いやもっと大きく、強く、叫んだ。

「……っ」

「誰かの命を奪うことで迎える決着なんて、私は絶対に認めません。誰も、そんな結末なんか望んでない」

「アティ、お前は私達にっ……!」

「生き恥、なんて言うのはなしです」

先回りされた文句に、アズリアは目を見張る。

「生きることが恥ずかしいなんて、ただの弱虫です。軍人の誇りは、そんなものなんかじゃない」

「……!」

「私にその誇りを教えてくれた人は、戦う術を持たない人達に代わって暴力に立ち向かうことが、本当の軍人の誇りなんだって、そう言ってました」

「…………」

静寂が訪れる。
風が止み、遠くの海から凪の音が打ち寄せられた。

「………………もう、好きにしろ」

敵わん、と疲れたようにこぼし、アズリアは笑みを作る。
片腕をそっと抱き、ゆっくり上空を仰いだ。

「アズリア……!」

「どうせ何を言っても無駄なのだろう。それに、我々は負けたんだ。……ああ、煮るなり焼くなりするのはお前等の勝手だ」

「隊長……」

「……すまない、ギャレオ、ビジュ。私は……」

「い、いえっ! 自分は、自分はっ……っ!」

「……けっ。勝手に殺されることになるより、百倍マシだっつうの」

「ビジュッ、貴様、隊長に向かって……!」

「うっせーよ、ゴリラ」

謝罪をするアズリアだったが、いがみ合うギャレオ達の姿に苦笑を作った。
側で瞳を湿らせるアティと顔を見合わせ、いつの日かと同じように、笑い合う。

終戦の雰囲気に、遠巻きのカイル達は帝国軍兵士達に手を貸し始めた。ぼろぼろになった彼等も素直に施しを受け、一人、また一人と立ち上がっていく。抵抗する者はいない。
長らく続いた野営生活や帰還の問題、規格外過ぎる交戦相手もろもろ含めた将来の不安に、帝国軍の心身は彼等自身が思っている以上にピークへ達していた。張り詰めていた糸は既に切れてしまっている。
これ以上の戦闘を望む者はこの場には誰もいなかった。



「ダメだよ、お姉ちゃん」



その、たった一人を除いて。

「イスラ……」

「最後まで戦わなきゃ。そんなくだらない綺麗事に丸みこまれちゃ、レヴィノスの家の名折れだよ?」

場にそぐわない、目を弓なりにした笑みを浮かべながら、イスラは姉に言う。
触れられたくない急所とも言える箇所を突いてくる指摘に、アズリアは顔を顰める。

「大体さ、現実も見ていないお人好しの言うことを聞く必要なんて、これっぽっちもないんだよ。そんな上辺だけの笑顔に騙されてちゃ、馬鹿をみることになる」

「ばっ……?!」

「んだと……?」

笑みを維持しつつ、少女は侮蔑を込めた眼差しをアティへと流し目で送る。
余りの言い草にソノラやカイルが反応する一方、アティは顎を引いて瞳を強く保ち、その視線を受け止めた。
イスラは彼等に構わず歌うように続けた。

「斬って、殴って、刺して、奪って。戦って戦って、殺し合わなきゃ。最後の一人になるまで、足元を真っ赤な血の色で固めるまで、ずっと」

「…………」

「お姉ちゃんの覚悟って、そういうものじゃなかったの?」

「……それ、は」

「ふふっ、これじゃあ、ただの戦争ごっこだよ?」

クスクスと幼い子供のような笑声が響いていく。
口に手を添え、たおやかな淑女のように、可憐な少女のように、無邪気に笑い嗤った。
鈴のよう声音が、夕焼け色に染まる墓標を満たしていく。
今まで苦楽をともにしてきた少女のどこか異質な雰囲気に、帝国軍の兵達は困惑と薄ら寒い感情を等しくした。

「イ、 イスラさん……?」

「……ベス、待て。なんか、やべえ……」

「……っ、イスラッ、発言を慎め!!」

「……」

傷を負う兵達が浮き足立ち、ギャレオの怒声が飛ぶ。ビジュは当惑顔で押し黙っていた。
少女の背に昇る夕日が逆光を作り上げる。
表情は陰に埋もれ隠れていき、地に潜む影が、静かにその身の丈を伸ばしていく。

「それとも、情にほだされちゃったの? お姉ちゃんはもう、その人に毒されちゃったのかな?」

「……だったら、どうだというのだ? 勝敗を決した、これ以上の戦闘はもう無意味だ。必要以上の流れる血を止めることが出来るなら、それもまた軍人の負う所だ」

「詭弁だよ。今のお姉ちゃん達を擁護するためだけの都合のいい解釈だ」

「ならば、ここから玉砕しろとでも言うのか?」

「そっちの方が私の好みかな?」

もはや実姉への嘲弄を伏せることせず露出させる。
イスラは指を絡めた両手を背に回し、たったっと後ろにステップを踏んだ。

「……無茶を言うな。もう我々には戦う力など……」

「お姉ちゃん達には、ね。……でもさ、ほら、着いたみたいだよ」

聞こえない? と茜の光に霞むイスラは、恐らく笑みを作って、問いかけてくる。
怪訝そうな顔をしたアズリアだったが、イスラの背のする所、丘の彼方に浮かび上がる光景を見て口を噤んで硬直する。程なくして耳に届くのは軍靴を踏み散らす幾つもの音。
遠目でもはっきりと分かる、アズリアの部隊に匹敵する規模の徒党が、紅色の夕差しの向こうから固まってやって来た。

「なっ……!?」

「本当はもっとお姉ちゃん達に頑張って欲しかったんだけど……上手くいかないもんだね」

アズリア達をアティ達の力を削ぐ捨て駒にしていたことを暗に告げながら、イスラは面白そうに肩を揺すった。
同じくして戦意を喪失させていた帝国軍にも動揺が走る。援軍だとするならば、この状況は一変することになる。このままアティ達の降服を受け入れる必要はない。
だが、肌を焦がすような嫌な何かが、彼の部隊を援軍だと鵜呑みにすることを良しとしなかった。

「…………」

一方、本当に来た、とアティは心中で呟く。
ウィルの警告を聞いていた彼女は意識を途切らせることなく、今向かってくる謎の軍団に神経を集中させた。
今回の戦闘自体、作戦を提案してきたウィルの意向により、第二戦三戦を視野に入れた上での戦術展開となっている。だからこそ、先程までの帝国軍戦は多少の被害には目を瞑り早期決着をしてみせた。
心構えはとうに出来ている。カイル達もまた、前もって伝えられていたので、そこまで驚いた様子なく戦闘姿勢を継続させていた。

「……アズリア。あれは、帝国の援軍ですか?」

「い、いや……私は、聞いていない……」

イスラの様子からして、彼女自身はあの軍団の存在は知っていた。しかし部隊の隊長であるアズリアは知らなかった。
帝国軍による援軍の線は薄いとアティはいよいよ判断する。下降していた士気の問題を考えるならば、イスラが事前に援軍の情報をアズリア達へ知らせなかったのはまるで解せない。「敵を騙すなら味方から」などという方便は、現状から解るように明らかな失策に値する。もはや意図してこのような漁夫の利を掠め取る図式を作ったとしか、アティには考えられなかった。
残るは最後の可能性。つまり、第三勢力。
アティは視線を逸らさないまま、喉を静かに転がした。

逆光をとる影の集団は止まらない。
等間隔を崩さず足一つ乱すことしないまま、一種の威圧を纏いながら確実にアティ達との距離を詰めていった。
闇のような薄暗い兵装群は何も語ろうとはせず。重複する闊歩が忘れられた島を蹂躙していく。

帝国軍は動けない。
カイル達の緊迫感は高まっていく。
肩を並べるアティとアズリアは必死に目を凝らし正体を見極めようとする。
知れず離れた地点に身を移したイスラの目は愉快げに細まっていた。
空が、黄昏にまた一歩近付いた。




『あー、あぁーーっ…………テステス、マイクのテスト中。えー、聞こえますかぁー?』




そして、場違いな言葉の羅列もとい機械による拡声音が響き渡ったのは、そんな折だった。


「「「「「「「「「「「「「「…………………………」」」」」」」」」」」」」」

『聞こえますねー? 先、続けまーす』


聞き覚えあり過ぎる声に、アティ達はそれまでの緊張の面差しを消失させ、一様に声の出所へ視線を向ける。
見れば、アティ達のいる場より小高い丘陵地点、ロレイラル製の拡声器を片手に持つ少年の姿があった。
「貸した覚えはないんだけど……」と茶髪の機婦人が遠い目をしながら呟きを漏らす。

一体何をやっている、と現在の状況を忘れ心を一つにするカイル他。アティはアティで酷く脱力し、ちょっと…、と警告を促した張本人へ非難がましい半目を送っている。
アズリア含めた帝国軍は神妙な顔。イスラはまたもや何か予兆を臭わせる不穏な空気に、一人調子乗っていた先程までの態度を翻し、びくっと震えながら顔を怯えに凍結させた。
黒の軍団だけが、ザッザッと足音合わせて規律正しい行進を止めようとしない。


『えー、我が物顔でずんずん歩いてるそこの帝国の援軍と思しき部隊(仮)に告げます。この土地は私有地です。即刻無様に引き返して島からアホの子のように出ていって下さい。存在が迷惑です』


撤退勧告。
澄まし顔で告げられる少年の台詞に、味方勢もこの時ばかりは呆れの表情を作る。曰く、聞く筈がないと。
無論彼等が思ったように、黒の軍団の進行は止まらない。


『えー、これは最終警告です。これ以上の進行は侵略行為とみなし仮借のない攻撃を加えます。繰り返します、これ以上の進行は(略。これは脅しではありません。至ってマジです』


攻撃、という言葉に一瞬止まりかけた軍団だったが、すぐ何事もなかったように歩みを再開させる。
進行は止まらない。


『あっ、そう。来んのね? 来ちゃうわけね? もう警告はしたかんね? 後悔すんなよー?』


進行は、止まらない。


『じゃあ───打ち方、用意』


次の瞬間。
丘陵の後方、勾配の死角から列挙し現れる────大砲大砲大砲大砲大砲大砲大砲大砲大砲大砲大砲大砲大砲大砲。
沢山の、大砲。



『!!!?』



進行が、止まった。


「「「「「「「「「「「「「「はぁっ!!?」」」」」」」」」」」」」」

『──────────────────』

「な゛っ────」


敵味方第三勢力関係なく渦巻くカオス。
突如出現した無骨に黒光りする大砲群に、アティ達は目をこれ以上ないくらいに開眼しながら叫び声を上げ。
過去、とある精密砲撃により素で死にかけた帝国軍は、記憶のフラッシュバックとともに全顔面を蒼白通り越した真っ白色にさせ。
イスラは、目に映る光景を許容することが出来ず。
最後に、砲口を一身に受ける黒の軍団は、逆光にも関わらず容易に察せられるほどの狼狽をこれ見よがしにあらわにした。


「召喚」


続いて、その増幅器を介さない少年の生の声が、やけに場へ響き渡った。
秒を待たず次に出現したのは、黒鉄。ついこの間まで少年の側に控えていた護衛獣の姿だった。
しかし、記憶のものと遠く及ばないその形状に、アティ達は己の目を疑う。

ダークブルーの追加装甲板は分厚く、ゴツく、機兵本来の原型を留めていない。
両肩両脚、体の大部分を占領するコンテナからは、数え切れないミサイルのシーカー部分が突き出している。
両手に装着されるのは余りに太すぎる奇環砲(ガトリング)×2。
背中から伸びるキャノン砲らしきクソ長い砲身は、もはやただの冗談にしか見えなかった。

明らか積載量オーバーした、酷いウェポンの数々ひっさげる超機兵の超外観は、機界ロレイラルを荒廃に追いやった一つの象徴である。
追加装甲に半分埋もれた頭部。対の瞳が爛々と鋭い光を放っていた。

「アルディラ様、あれは……」

「う、嘘……。あの子、本気なの……?」

非常に沈痛そうな顔で苦言らしき響きを言葉に乗せるクノン。
その機兵が生み出す無限の可能性を誰よりも知る、ていうか禍根の原因であるアルディラは、目に見えて恐れをなした。
黒の軍団はとっくに使命を忘れ引けた腰、戦慄とともに今にも踵を返す寸前である。


「準備」

『イエス、マスター』


ラトリクスの火薬庫が起動する。
ブォオオオオオオオオッッ!! と馬の嘶きにも似た、しかし音量の規模はケタ違いな雄叫びが、背部に懸架されているブラックエンジンから轟き渡る。
連動して下腿部に動きがあったかと思えば、薬莢が炸裂、勢いよく板状のアンカーが地面に打ち込まれた。ドゴンッ、と裂音を従えてがっしりずっしり大地に食い込む対反動支柱。
あたかも生命を吹き込まれたように武器から稼働音が次々と上がり、キュインキュインと微細かつ繊細な調整動作が行われた。


「……ソノラ、まさか、大砲無くなってたのって……」

「か、数は合わないってっ?! ぁ、あんな多くはない筈でしょうっ!?」

「ハハハハなら話は簡単です紛失した数を除けば残りのアレは脅しのためのブラフ即ちただのハリボテに過ぎないということですフフまた狸のシャイな悪戯に騙される所でしたねハハハハハッ」

「ジャキーニの船に残ってたヤツと合わせれば、ぴったりじゃねえか……?」

「「「…………………」」」

「あの、すいません……。この光景、すごい既視感があるんですけど……」

「「「「……………………………………」」」」


遡ること今となっては大昔。島に漂流したばかりの当時の記憶と、現在における目の前の光景が合致する。
少年の荒唐無稽さを真っ先に目の当たりにしたアティとカイル一家は────最初の犠牲者である彼女達は、差し迫る事態に条件反射で顔から色という色を抜け落とした。

俄かに騒がしくなる黒い集団後方。この異常状態にようやく気付いたのか、しかし、遅い。
もはや「破滅の引き金(ヴァルハラ)」は少年の手の中にある。今動き出しても、射程範囲内に誘き出されたしまった時点で、既に、遅過ぎるのだ。

丘の向こう。西日と真逆の方位の一角。
離れていてもはっきりと視認出来る、清々しい、本当にこの上ないくらいの、清らかな笑み。
黄金の光に濡れた満面過ぎる笑みを、謎の集団(仮)に傾注する少年は、そして、のたまった。





「くたばれ」





虐殺が、始まった。















「がっははははははっ! 撃てえ! 撃って撃って撃ちまくるんじゃあぁっ!!」

「「「「「「「「「「へい、船長!!」」」」」」」」」」

「ちょ、あんさーんっ!?」

連発する。
軽い平面を描く丘陵の頂上地点、十三門にも及ぶ大砲が火を吹いて吹いて吹いて吹きまくる。
大弾丸の発射とともに排出される色濃い黒煙が、個性溢れる火薬の臭いと一緒に夕暮れの墓標に散布された。

炸裂する砲弾。土の砕け散る音響。舞い上がっていく爆風。泡食って逃げ惑う、まるで蟻のような黒装束達。
一目で手練と分かる切れのある俊敏な動きも、着弾の規模がでか過ぎる砲弾の前ではただの小細工でしかなく。
地を這うしかない蟻は、悲鳴を連れだって爆炎の中に消えていった。

「あ、あんさんっ、もうちょっと遠慮ちゅうもんをっ!?」

「ウィルの小僧は遠慮するなと言っちょったじゃろうがっ! 侵略者どもからワシ等の畑を守るんじゃあー!!」

「「「「「「「「「「へい、船長!!」」」」」」」」」」

「そ、そやかてっ、これはっ……!?」

オウキーニの視界、広がるのは阿鼻叫喚の地獄絵図だ。人が紙屑のように吹き飛んでいく。
木霊するのは惨たらしい絶叫。「ぐぁああああっ!?」やら「ぎょええええっ?!」やら断末魔とそう変わらない喚声が飛び散り空に昇っていった。
また一人、奇天烈なポーズを取りながら一人の兵士が宙を飛んだ。

「オウキーニ! お前もぼさっとしてないでさっさと撃たんかいっ!」

「む、無理やー!? うちには無理やぁああーーーっ?!」

「「「「「「「「「「副船長ーっ!?」」」」」」」」」」

そうこうしている内にも砲弾は飛び交い、もの言わなくなった屍は量産されていく。
以前からウィルに「海の漢の華麗な大砲捌きを教えて欲しい」とせがまれていたジャキーニ一家は、尊敬の眼差しで嘘臭く目をきらきら光らせる子分見習いにいいとこ見せようと、大砲の整備と予行練習を日々怠っていなかった。
練習バレてカイルやらマルルゥに折檻されるのもざらだったが、上手いように担がされ誘導させられた彼等の頑張りは、本日満を持して実ったことになる。
パナシェの証言をもって怪しい奴等がこの島に上陸しているとウィルに囁かれたジャキーニは、ただ撃ちまくってくれればいいの言葉通りに無駄に上がった砲撃スキルを駆使していった。

「どうじゃウィル! ワシら海の漢の大砲捌きは!?」

「最高です、オヤビン」

「フハハハハハハハハッ、もっと誉めろーっ!!」

誰が加害者で誰が被害者か。
犠牲者ばかりが増えていく。
赤髪で鳶色の目をした海賊頭は、ここぞとばかりに有頂天になった。

「正義はわし等にありいいいいぃっ!」





『ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!』

咆哮する。
円筒型の機関銃が激回転し夥しい弾幕を展開、先の尖った誘導弾は肩から脚から至る所からシュボシュボ音を立て次々と射出。
地面を抉る弾丸の雨は間欠泉のように土を上方に巻き上げ、リィンバウムでは決して再現出来ない鋼の爆弾はあちこちでけたたましい花火を咲かせる。多弾頭ミサイルのお花畑である。
背から長く伸びるバスターライフルは、怪しい召喚術を準備していた一団に向かい光の柱をお見舞いした。
世界が輝いた後、二本の足で立つ人影はそこには存在しない。

「────────あ゛」

「!!?!?」

「なっ、ちょ、なぁあっ?!」

「うぉおおおおおおぁああああああああああああッ!!!?」

膨大な戦塵が巻き起こり大混乱する戦場に、ヴァルゼルドは引き続きその絶大火力を降り注ぐ。
敬愛すべき主人に一言告げられた「根絶やし」の指令を遂行させようと、鉄機は目標の撃滅を着々と進めていった。

ジャキーニ達大砲の次弾装填時間をフォローするための、チャージタイム抜きによる全弾発射。
詰め込まれた弾薬が尽きるまで無限ループする不断の火線は、破壊の二文字を留めること知らない。

(最優先目標……事前情報に合致する敵影……無し)

スコープにより投影される内部画面。片っ端からマルチロックオンが進んでいく中で、独立した菱形のレティクルがモニター内を目まぐるしく動き回る。
────胡散臭いロン毛眼鏡がいたらそいつを殺れ。真っ先に殺れ。
少年が念入りを押した対象の姿は、残念ながらヴァルゼルドの視界情報の中では捉えられない。
いたしかたなく目標の殲滅を破棄、他の優先目標に矛先を変える。

率先して狙うのは遠距離でも反撃可能な召喚師に、この状況下においても無謀と肉薄をかけてくる刺客だ。
自機を含めジャキーニ砲撃部隊も近付かれたらそこで終わり。近接武器の装備はもとより四肢は碌に振れず、間合いを失ってしまえば抵抗らしい抵抗も出来ないままやられてしまう。
今のヴァルゼルドは、遠方の闇を切り裂くことの出来る、しかし足元には光を及ばせられない灯台に等しかった。
敵戦力を掃討するためにも、接近だけは許してはならない。

『……!』

なす術なく倒れていく敵集団の中で、豹のような一段と素早い機動で此方に迫って来る敵影を確認。
ヴァルゼルドの“勘”が告げる。あれは、危険だと。
二又に割れる長いマフラーを後方にたなびかせるその影に、ヴァルゼルドは両手の銃口を差し向け一斉射撃を実行した。
地面すれすれを疾走する低姿勢の赤い影は左右に跳びながら乱射される鉛玉を尽く往なしてみせる。
寒気すら覚える圧巻の身のこなしだったが、しかしヴァルゼルドも譲らない。執拗について回る速射弾の群れは命中こそかなわないが赤の影の進撃を完璧に止めていた。

とある融機人に徹底調整された火力管制は冴え渡っている。手術台らしきものに寝かされドリルやら何やらで頭をいじくられたことが懐かしい。
デュアルセンサ────目元の辺りにグッと何か熱いものが込み上げてくるのを錯覚しながら、ヴァルゼルドはそれを振り切るようガトリング砲をフルスロットルさせた。

V2.A.B(ヴァルゼルドセカンド・アサルトバスター)。
それが機婦人に名付けられた、今の彼の名称(暫定)だった。





「ちっ……!」

ヘイゼルは舌打ちをする。
逸れた弾丸が地面に炸裂。飛沫をあげ視界で散ってくる土くれに目を細め、絶えず体を動かし続ける。
普段マフラーに隠れている物憂げな表情が今は歪み切り苦渋の色を呈していた。
完璧な不意打ちと言える敵の砲撃行為に晒され自分の部隊はとうに瓦解。もうなり振り構わずこの凶悪な砲撃を阻止しようと前に出てみれば、意味の解らない鉄の塊に理不尽ともいえる連続射撃を叩き込まれている。二重の意味で意味が解らない。

しかもこの射撃、今まで遭遇したどんな狙撃手よりも狙いが巧妙過ぎる。腹を割ってしまうと、正直冷や汗が止まらない。
軽捷に秀でた自分や組織の仲間でさえこのざまだ、雇い主の正規軍などもう目も当てられない状態だろう。
組織の中でも取りわけ任務を機械的にこなすヘイゼルではあったが、この時ばかりは彼女の心も嵐の起こった海のように危機感で荒立っていた。

「────っっ!?」

ロレイラルでいうミサイルが、ヘイゼルのすぐ側で着弾。
爆風で体が綿毛のように吹き飛んだ。
衝撃。世界が回る。
地面にごろごろと転がるヘイゼルは無意識に受け身を取りつつ勢いを制止、ちかちかと光る瞳に吐き気を覚え、そしてすぐさまそこから飛び退く。
ガガガガガガッッ! と酷い音を立てて凶弾が先程までいた地面をハチの巣にした。
少女の顔から初めて血の気が引く。

「……なん、だってっ……!」

闇の世界を生き抜いてきたヘイゼルの直感が告げる。
この島は、これまで迎えてきたいかなる危地よりも、殊更に奇天烈だと。


「何だってっ、言うのよっ!?」















「…………」

無言で放たれた不可視の斬撃は、迫りくる砲弾を瞬きする暇なく二つに切り分けた。
斬られたことを自覚しないその黒鉛色の球形は、斬撃を繰り出した人物の左右脇に逸れてからようやく斬殺されたことを悟り、地面に転がった瞬間を境に粉微塵と散る。
腰を僅かに落とした構えを解く剣士、着物を纏う老人は、片目を瞑って髭の蓄えられた口を浅く動かした。

「手荒い歓迎だな……」

「ば、馬鹿な……!?」

老人────ウィゼルが呟く隣で、白い法衣で全身を包んだツェリーヌが驚駭の声を漏らす。
発生する砂塵と運ばれてくる濃密な硝煙の香りに対し、袖で顔を隠す彼女は常日頃の落ち着いた物腰と反して軽い錯乱に陥っていた。
見る者が見れば目を見紛うだろう彼女の姿を、ウィゼルは変わらぬ顔付きで一瞥し、再び刀の柄頭に手を添える。

「下がれ、ツェリーヌ。邪魔だ」

「っ……! この場を私に一任したあの方の顔に、泥を塗れとそう言うのですか!?」

「此処でお前に出来ることなど何もない」

激昂するツェリーヌに構わずウィゼルを淡々と語る。
軍団の後方に位置するウィゼル達のもとですら苛烈な砲撃の範囲内。夕暮れの空にアーチを描く数多の砲弾とミサイルが、羽を伸ばして突っ込んできていた。
構築されてしまったこの戦場に安全地帯という例外は存在しない。

「そのようなことっ……!」

「はっきりと口にしなければ分からないお前ではないだろう」

撃ち放たれる火砲は、召喚師の詠唱はもとより術発動の足掛かりである精神集中すら許しはしなかった。
結界一つ張ろうにも見計らったかのように砲撃が迫り魔力制御を行わせない。召喚師達はランダムで撃ち滅ぼされる前衛の兵達より、明らかな悪意という名の殺意をもって優先され狙われていた。

ツェリーヌもまた真っ先に奇襲の対象とされ、それ以後、術の執行の糸口を掴ませてもらえない口だ。
集中力を乱した召喚師ほど不安定な存在はない。召喚術の暴発はそのまま味方に大打撃を与え、術者自身も有り余る危機に晒されてしてしまう。
高度な技術を有するツェリーヌ率いる召喚師一派だったが、一度失った平静はこの状況下で取り戻せるものではなく。
明鏡止水の心など数分前に置き忘れてきた過去のものだ。精神を鎮めることは荒ぶる砲声と火力の前では不可能。死の気配が常に首元をくすぐっている。
それはまるで獣のふさふさとした尾先で、こちょこちょとおちょくられているかのようなふざけた感覚にも似ていた。

「俺でも召喚師(おまえら)全員の面倒は見切れん」

寡黙の剣客が口にする言葉の通り。ツェリーヌは己の体を焼く無力感に唇を噛む。
そしてその言葉の側から、爆音、煙を突き破って吹き飛んでくる召喚師が一人。
びくっ! とツェリーヌは瞠目。余す所なく嫌な黒色に焦げたボディが、ぴくぴく痙攣しながら彼女の足元に転がった。

「はっ、はがっ……!?」

「……!!」

「奴の面目をこれ以上潰されたくないというのなら、早く退け」

「くっ……!」

翻る法衣をウィゼルは横目で見送り、視線を前に戻さないまま抜刀、接近してきた砲弾を両断する。
ツェリーヌの飛んだ指示から召喚師組が戦線を下げていく光景の傍ら、老人は砲弾の解体という全く無味の作業に没した。

「…………」

爆撃の音が乱発されるかつてない戦場。絶叫は途切れることを知らない。
偶然を装いこれ以上のない時宜で召喚師を狙い澄ます殺り方。無作為と思わせる殲滅戦の中に潜む明確な意志に、ウィゼルは片目を瞑ったまま砲撃もとを見据えた。





「あのジジイ、やっぱ化物だ……」

砲弾真っ二つってどういうことだよ、とウィルは細くした目に呆れと畏怖を込めながら呟きをこぼす。
ジャキーニと愉快な子分達に囲まれながら大砲を取り扱う元凶もとい小狸は、尋常ではない居合いの切れ味を思い出してぶるっと体を震わせた。
「過去」で見事に胴をチョンパされた感覚が脳裏に蘇っていく。「剣」がなかったら今頃は土の中で一生惰眠を貪っていたかもしれない。
今の小さな体にはある筈もない古傷がずきりと痛んだよう気がした。

(しかし、本当にいねえでやんの)

嫌な懐古を振り払い戦場を冷静に見渡しながら、標的である敵の頭がいないことにウィルは思わず舌打ち。
呑気に船の中にでもいるのか、悠然と登場する機会でも待っているのか。恐らく世界中でも屈指であろう召喚師の姿はどこにも見えなかった。
息の根を止めれずとも致命傷を負わせれば敵の完全撤退は見込める筈だったのだが、どうもそう上手くことは運べないらしい。
背を向けて逃げ惑う召喚師達に弾をドカドカ命中させるのと平行して、ウィルは眉を顰めた。

「むっ、下がるか……」

ジャキーニ達による手当たり次第の砲弾幕と異なりピンポイントで召喚師を狙っていたウィルは、すぐにその動きに気付く。
敵召喚師達が付き合いきれるかと言うように持ち場を放棄していそいそと下がっていた。

妥当、というより当然の判断ではある。むざむざ全滅を甘受する道理もない。
大砲およびヴァルゼルドの射程距離から脱出すればこれ以上の被害は免れることが可能だ。
単純に元来た道を可及的速やかに引き返せばいいだけの話である。
だが、

「そりゃ悪手だろ、蟻んコ」

そこは陥穽だ。
召喚光。手中で輝くサモナイト石が遥か天空に巨大な光球を構築する。
光の門を越えてやってきたのは────体長何十メートルにも及ぶ、赤銅色の翼竜。
対の翼を羽ばたかせ余りに大き過ぎるその巨身を空へ留める異形は、ぎょろりと金色の瞳で大地に散らばる矮小な影々を俯瞰した。

幻獣界メイトルパを代表する召喚獣「ワイヴァーン」。
高度な知能を持つ龍に至っていないとはいえ、歴とした、竜種。
呼吸を根こそぎ奪う存在感と全身を粟立たせる威圧感は決して意識の外に放置出来るものではない。
夕焼けの丘に戦慄が走り抜ける。



「ガトリングフレア」



にべもない。
あっさり投げられた死刑宣告。砲群地帯に最も近く、また幼少時代に鍛えられた視力によってただ一人ウィルの口の動きを察したマフラー暗殺者が、銃撃されていることも忘れ表情を絶望に染める。瞬時、世界トップクラスの勢いで戦場からあさっての方向へ離脱を開始した。
そして上空、影を見下ろすだけだった金色の瞳にはっきりとした意志が灯り、そして竜の口内は赤熱。牙の間から陽炎を作り出す火気が溢れていく。
次の瞬間、灼熱の塊が一発と言わず何十発と大地に向かって轟発された。

「……俺、来世があったら、真人間になって働くんだ」

「ああ、エルゴに誓うぜ。自分の手で周りの人達をこれ以上ないくらいに幸せにしてやる……」

「俺も」

「俺も」

「俺も……」

迫りくる火球の群れに、意思を折られ正気を失ったズタボロの兵士達がイイ笑みを浮かべて最期の言葉を言い残す。
死を悟ったそんな彼等に、しかし火球は一切の容赦をしなかった。地表に落ちる赤い光の光景は一思いに兵士達の輪郭を塗り潰し、光滅。
爆裂し爆砕する大火球に、揺れる大地。白い閃光に霞むのは漢達の笑みだった。
晴々した笑みを浮かべた兵士達が、直撃する火球に包まれ次々と地上から姿を消していった。

「ワイヴァーン、もうちょい奥! そんで右! そうそうっ、そこらへん!」

『GOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!』

懺悔と更生の誓いがあったことなど露ほども知らず、ウィルはワイヴァーンに火の玉を生み出させ続けた。魔力を根こそぎ突き詰める様は少年の覚悟のほどが窺える。
降り注ぐ真っ赤な隕石群。一見せずとも明らか見境ない炎の鉄槌が、夕闇の墓標を何度も何度も刺し貫いた。

「なっ────」

そして、一発の火球が周囲で最も高い丘、その中腹に着弾。
“運悪く”地盤がすこぶる弱かったようで、抉られた箇所を起点にあっという間土砂崩れが発生した。
地響きを伴い土砂の流れゆく先には、事実上そこしか残されていない、そこしか意図的に残されていなかったツェリーヌ達の逃走経路。彼女達が飛び込んでしまった後退進路だ。
時を忘れたかのように愕然と立ち止まる彼女達のもとに、もの凄い速度で土の塊と岩石が殺到する。
巻き起こる異常な事象の数々と、とどめの地上での荒波の姿に、ツェリーヌの顔が血の気を失い峻烈に凍り付いた。

「──────あぁ」

「つぇ、ツェリーヌ様!?」

「き、気を失われた────っ!?」

「誰か治療しろおっ!? このままだと──?!」

「ああ、見えるっ! オルドレイク様のご乱心が見えるぅっ!!?」

「早く(心の)傷を治すんだっ!!」

「ってそんな猶予ねぇえええええええええっ!!?」

ドドドドドドドッ!! と不気味過ぎる轟音を立てて疾走してくる土気色の雪崩。
脳への瞬間的な過負荷から意識を落とす死霊の女王に続き、その取り巻きは逃げられない現実を前に吠声を上げる。
また誰も気付かない所で、彼女達に撤退を促した老人がその光景に一筋の汗を流した。
ほどなく、土石からなる怒涛の勢いがツェリーヌ達へ大口を開いた。


『ぬわぁああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!??』


惨劇はまだ終わらない。





「ウィ、ウィルの野郎っ、俺の寝床からサモナイト石ちょろまかしやがったな……!?」

「「「「「「またお前かっ!!」」」」」」」

「ジャキーニの反乱の時といい、お主は一体何度恥の上塗りをすれば気が済むのだ!?」

「まっ、待てミスミ! クールになれっ!? 風刃はやべえ?!」

「いい加減にしなさいよ穀潰し! 忍者といい貴方といい、もっと護人として自覚を持ちなさいっ!!」

「なぜ私まで……」

「お、お前が言えることじゃねえだろアルディラ!? あのうるせえずんぐりドングリ(注:ヴァルゼルド)は明らか手前の仕業じゃねえかっ!!」

「あ、あれは……ち、知的好奇心よ!!」

「好奇心で島の地形を変えるんじゃねえっ!!」

「う、うるさいっ! 可能性の探求はベイガーの性なのよ! 貴方みたいなずぼらと一緒にしないで頂戴、このっ、シマシマ!!」

「シマシマは関係ねええええええええええッ!!!」

「見苦し過ぎです、お二方ッ!」

「フレイズ様の言う通りです、アルディラ様。それよりも一刻も早くこの場から撤退することを推奨します」

「義姉さんっ、ヤッファさんっ、早くここから離れないと!?」

「お空が真っ赤なのです~っ!?」

「馬鹿、マルルゥ!? お前さっさと逃げろ!」

「!? スバル様、お下がりくださ(ドゴンッ!!)あべしっ!!?」

「きゅ、キュウマー!?」

謎の軍団が甚大な被害に祝福されながら入島式を迎える一方、少年の仲間である島の住人達もばっちりとトバッチリを受け絶賛渦中の最中だった。
アティ達および帝国軍、謎の軍団、そして目を背けたくなる品々物品拠点位置を線で結んで出来あがるのは、二等辺三角形。
底辺に当たるアティ達と謎の軍団とのラインは彼方の接近を許したがために極端に短く、頂角の点に居を構える狸もといウィル達が超砲撃すれば、その火力規模と稀に発生する誤射によって少なからず巻き添えを食らうことになる。彼等からしてみれば敵味方の区別は無いも等しい。
繰り返すことになるが、この戦場に安全地帯という例外は存在しない。

「こんな、ことが……」

島の住人勢の発する悲鳴を背中で聞き入れる訳でもなく聞きながら、アズリアは力を失った体で殺戮風景を眼前に立ちすくむ。
地上の砲撃に空中からの爆撃。ヒゲ海賊の哄笑が響き渡ったかと思うと、鉄塊が盛大な唸りを上げ、更にバサバサと大気に何度も羽を打つ翼竜が火炎をまく。
一つの絵として見ればシュールな構図この上ない。

余りに酷い光景に意識を手放して半ば放心しかける。戦争のセオリーもといルールは綺麗さっぱり消失していた。
見開かれた双眸は瞳孔を収縮させ、爆風に煽られるアズリアの体がわなわなと震えた。

「アズリア、部隊を下げてください!? ま、巻き込まれちゃいますぅ!?」

「!? て、撤退、撤退ぃーっ!? 下がれ、下がれーッ!!」

教え子の超奇行に涙目である知己の声が、アズリアの頬っ面を叩いた。
はっと瞳に正気の色を復活させた彼女は、背後に控える己が兵達に振り返ってあらん限りに叫ぶ。
腹の底から激必死に絞り出された号令は、とあるトラウマから金縛りにあっていった帝国軍のケツを蹴っ飛ばし逃走という名の動きを強要した。びくっと再起動し、我先にと駆け出す帝国軍兵士達。
自分のすぐ隣で飯を食った仲間が爆殺(ふきとば)され、涙を垂れ流す彼等が思うことは一体何なのか。
ちなみに、人為的厄災に免疫のあるビジュ率いる小隊はどの部隊よりもいち早く絶対安全圏にたどり着いていた。

大地を埋めて鼓膜も貫く砲撃音に空から幾度となく降下する爆撃音。
聴覚だけをとればもはやモノホンの戦争と相違ない修羅場に、誰もが恐怖と嘆きに満ちる。
悪夢だった。


「……嘘でしょ?」


一人半泣きの少女が、島の中心で哀を呟いた。













「…………何だ、コレは」

新たな世界の創造を目論む無色の派閥の大幹部ことセルボルト家現当主もといオルドレイク・セルボルトは、その口から呆然とした声を漏らす。
超絶に鳴り響いていた激音は既に止み、今は日干しにされたような静寂が墓標全体に横たわっている。
あちらこちらでぷすぷすと上がる黒煙が、虚しく空へと身を伸ばしていた。

私兵らしき死体(仮)は視界にまんべんなく散らばり、幾重にも折り重なった状態でピクリとも動かない。
鼻腔を刺激する異臭は雑多な火薬類と、あとは鮮血のそれか。
地面に突き刺さっている罅割れた槍や砕けた大剣が、夕暮れの朱の色を反射して輝いていた。

新たな新天地どころか荒れたてな珍天地が創造されてしまっている。
普段ならばありえない茫然自失とした表情を、オルドレイクはしばし己の顔に貼り付けていた。


オルドレイクの統率する無色の派閥がこの忘れられた島に到着したのは、空が夕暮時に変わり始めた頃だった。
帝国のスパイとして潜り込ませているイスラによって島の内情は理解している。始祖が喚び出した召喚獣に帝国の飼い犬、島を掌握する気でいるオルドレイクにとって目下目障りであるその両勢力が互いに潰し合っているというのだ、都合の良いことこの上ない。
島の視認出来る位置からイスラに連絡し、彼女の手で誘導させた決戦時刻と決戦日時。戦闘の勝者敗者に構わず場に乱入して一掃せしめようと、オルドレイクは紅き手袋始めとした私兵の殆どを夕闇の墓標へと出向かせた。

舞台が整うのをゆるりと構え待っていたオルドレイクはその掃討戦に参加していない。
不粋な雑事にさらさら関わる気のなかった彼は、妻のツェリーヌに邪魔な輩の掃除を任せきり、やがて響いてきたけたたましい虐殺の旋律に笑みを噛み殺していた。
曰く、「船の長旅から解放され彼奴等もはしゃいでおるわ」と。
当時そこで何が起きていたのか知らなかった彼は幸運だったのかもしれない。事実、現在広がっている光景を目の前にするまでは、やっと己の念願が成就すると子供のように目を輝かせ十分な悦に浸っていられたのだから。
例えこの時をもって鰻登りだった高揚感が急転直下したとしても、だ。


「何が、あったというのだ……」

呟かれた言葉に、彼の背後に控える派閥の親衛隊は何とも居心地悪そうに身じろぎする。
オルドレイクの手を煩わせないよう手配されている派閥の中で選りすぐりの彼等でも、その問いに答える術は持っていなかった。
当主の機嫌は努めて損ないたくないものの、戦場から離れて待機していたので「何があった」など解る筈もない。

ただ、過程に当たる「何があった」かは解らないものの、結果としての「何が起こったか」ということに関しては答えを用意することが出来る。
お掃除と称した殲滅戦に投入された貴方様の私兵は全滅しました、と。
逆に貴方様の私兵がお掃除されてしまいました、と。
この状況では口が裂けても告げることなど不可能だったが。

「……オルドレイク」

「ウィゼルッ……これは一体どういうことだ……っ!」

と、オルドレイクの側に一つの影が歩み寄ってくる。
未だ黒い煙が昇る戦場の方からやって来たウィゼルは常態を崩さず言葉をやった。

「襲撃を受けた。島の者達からな……」

「襲撃……!? 召喚獣どもは帝国の飼い犬と争っていたではないか!」

「だが事実だ」

「例えそうであったとしても、新たな世界の秩序たる我が軍勢が遅れを取る筈がないであろう!」

「……それも場合による」

俺もそのことを痛感した、とまどろっこしく喋るウィゼルにオルドレイクは苛立ちを募らせる。
片目を瞑るいつもと変わらないその姿が、どこか哀愁を纏っているように他の兵士は幻視した。

「現実を認めろ、オルドレイク。何にせよお前の軍勢は潰された。見渡せば瞭然だろう」

「ッ……ウィゼル、貴様がいながらなんたる醜態だ!!」

「お前の傘下に下った覚えはないが、さて……」

何か後ろめたいことがあるのか、オルドレイクの文句にも大した反抗の意思を見せないウィゼル。
派閥兵が益々疑問を深めるそんな傍ら、彼は視線をオルドレイクから外し、とある一角を見やった。
厳しい目付きをしていたオルドレイクは億劫そうに「一体何だ」と彼の示す方向に視線を飛ばしたが、その光景を見た瞬間、色硝子の眼鏡の奥で瞳の形を激変させた。

「ツェ、ツェリーヌ!?」

不自然にこんもりと盛り上がった土の塊がある。土砂崩れによって出来あがったのだろう土の山だ。
その表面に半ば埋まるように顔を覗かせているのは純白の白頭巾。というか、普段オルドレイクの側で妻が身につけている法衣そのものだった。
青い顔で目は力無く閉じられ、きめ細かな白磁の肌はこの時ばかりは不健康そうな色合いへと昇華されてしまっている。地面に半分埋められたその姿は、あたかも新感覚の魔女狩りかと錯覚させるほど。
血相を変えたオルドレイクは、砂浜に埋もれた貝殻状態と酷似する愛妻のもとへ駆け付ける。「魔抗」に似た簡素な魔力放出で土を吹き飛ばし、薄汚れた法衣に包まれた妻の亡き骸(仮)を抱き起した。

「あな、た……っ。に、げ……っ」

「おおお、ツェリーヌ!?」

遺言のような言葉を残して完璧に力を失った妻に、オルドレイクは痛切を極める。
まるでたった一匹の化物に斬殺された妻とそれを見送る夫というような構図に全世界が泣いた。
ちなみに、主人の奥方を死守した召喚師達は彼女を囲むように未だ埋まりっぱなしだった。

「ぐっ……何故このようなっ……!!」

「俺達の上陸が露見していたと考えるのが妥当か」

唇を噛み切る勢いで歯を突き立てるオルドレイクの横で、ウィゼルはツェリーヌの体を預かり気付けを行う。
後頭部と顎に両手を当ててコキッと首を鳴らすと、「はきゅ!?」と小さく可愛らしい悲鳴が上がった。

「情報の漏洩……同士イスラかっ!」

「は、はひっ?!」

オルドレイクの眼光が向かう先、子猫のようにビクリと肩を震わせるのは涙目の少女である。
後退姿勢の彼女は色んな意味で、かつ自分でも理解出来ない内に、結構な情緒不安定状態にはまっていた。

「同士イスラよ、貴様、我々を裏切ったかっ!」

「ちっ、違いますよっ!? まだ裏切る予定は────じゃなくてっ! と、とにかく私はオルドレイク様達を売ってなんかありませんっ!!」

「では、何故我が軍勢がこのような憂き目をみている!?」

「私が聞きたいですぅっ!!」

もはや頬を伝う涙適を隠しもしないイスラはうきゃー!? と吠える。
一人冷静なウィゼルは、嘘はついていない、と静かにこぼした。

『ふん、まだ気付かないのかロン毛眼鏡』

と、いつの間に現れたのか、虐殺の仕掛け人ウィル・マルティーニがオルドレイクの視界の中で言葉を放つ。拡声器を片手に持って。
ロン毛眼鏡なる生来初の屈辱的渾名に、オルドレイクのボルテージが静かに上がった。
一方で誰もの耳に入るようなその拡声の音量に、少女は「もう、止めて…っ!」とフルフル首を横に振って涙目で訴える。受理される筈もなかったが。

『コインの裏の裏は表……つまりイスラはとっくにこっちの味方に翻ってるんだよ! 愛と勇気の心を取り戻した僕達のかげかえのない仲間だ!』

「にこにこさぁんっ……!」

「イスラぁ……!」

「信じてたよ、イスラ!!」

「見るなッ! そんな目で私を見るなぁぁッ!?」

味方、仲間、というフレーズに無条件で洗脳されたソノラ加えた子供組が、キラキラした純情無垢な眼差しをイスラに注ぐ。
余りの精神攻撃に絶叫するイスラ。視線から逃れるように頭を両手で抱え悶え苦しんだ。

「やはり、貴様……!」

「オルドレイク様も信じないでくださいっ!!」

なり振り構ってられない少女はオルドレイク様にすら突っ込みを敢行した。
着実に某狸によるイスラ孤立計画が進んでいることに気付くことはない。

「……ウィ、ウィル君! 貴方は彼等の正体を知ってるんですか!?」

『いえ。でもどうせ再就職先のアテもない探す気もないイイ大人が何やってるんだか見てるこっちが恥ずかしくなるようなアイタタタな集団に決まってます』

「ど、どこから突っ込めばいいのか、私、分かりませんっ!?」

『仕事をしろと言ってやったらどうですか?』

避難地から声を張るアティに淡々と拡声器で返答するウィル。
疲れを滲ませるカイル達もアズリア達帝国軍も、この時ばかりは二人のやり取りを傍観する形で小休止に入っていた。



「いい加減にしろッッ!!」



怒声。
繰り広げられる茶番にとうとうオルドレイクが切れた。
大仰であり決して外見だけではない、斧にも似た漆黒の杖を地へと打ちつける。大音響。
一瞬で姿を現界させた心臓を直接突き刺すような絶大な魔力に、アティ達は己の意思関係無しに緊張を強いられた。

「聞いていれば下賤な言葉を連ねおってっ……誰に向かって戯言を利いている!」

威厳こもった声がビリビリと大気を震わせた。そこに含蓄するのは確かな迫力と威圧。
誰かの喉を鳴らす音が静かに響いた。

『先生、どうやらあれが親玉のようです。やはりアレな集団の親玉なだけあって嫌な存在感がバリバリですね。きっと「新世界の王に俺はなる!」とかほざいちゃう人ですよ』

「……ま、的外れであって欲しい説明ありがとうございます……」

「小僧ッ……!!」

ウィルは再び拡声器をアティ達の方向に向け発声。
誰もが萎縮するような声音を受けても、少年一人だけは常時の姿勢を崩さない。お前は空気読め、と汗を流すアティ達の緊張が若干和らいだ。
オルドレイクはそれだけで射殺せそうな視線をウィルに突き刺した。けれど澄まし顔は動じない。

「落ち着けオルドレイク。挑発だ、流せ」

「……ふんっ、童一人に向きになるほど暇ではないわ」

ウィゼルの忠告にオルドレイクは笑みを歪める。
ちっ、とウィル方から小さな舌打ちが響いた。

「…………ひ、控えなさいっ、かっ、下等なる獣どもよ!」

ふらふらとバランスが危ういツェリーヌが立ち上がり、口を切る。
自然、未だ健全な兵士達が畏まる姿勢を作った。

「この御方こそお前達召喚獣の主、この島を継ぐために起こしになられた……」

一息。

「……無色の派閥の大幹部、セルボルト家のオルドレイク様です!」

周囲の空気が衝撃を孕んだ。
護人達を中心とする召喚獣達は圧迫されたかのように体の動きを止め、少なからぬ因縁を持つ帝国軍は驚愕に目を見開く。

「無色ですってっ……!?」

「うそ……」

「……おいおい、俺達の都合はお構いなしかよ」

「…………」

アルディラ達が漏らすのは危惧の声。
ヤッファは軽口の中に盾突く響きを忍ばせ、キュウマは静かに殺気籠もった。

「何もおかしなことではあるまい。我等が始祖の残した遺産、それらを受け取ることに何の不順がある?」

島の住人達の反応を見て調子を取り戻したのか、オルドレイクは不遜かつ不敵な表情で口を吊り上げてみせる。
始祖の残した遺産────喚起の門、二振りの魔剣、そして遺跡。
護人達の話を聞いたアティ達はすぐさま現在の状況がどうであるのかを悟る。
この島にまつわる全ての発端である無色の派閥、その到来。そこから導かれるのは、過去の清算、すなわち彼等が島の略奪を働こうとする侵略者であるということだ。

「っ……待てっ!!」

固まるに留まっていたアズリアはそこで声を散らす。
傷付いた体で前に乗り出しながら、顔を焦りに似た何かで染めた。

「貴様等が無色の派閥だというのならっ……何故、何故お前がそこにいる、イスラ!?」

叫びが駆ける方向は、オルドレイク達側のもとにいる彼女の妹だった。
背を向けしゃがみ込んで「ふーんだ、どうせ私は使えない子ですよーだっ……」と石片で地面を削っていたイスラは、その姉の呼声にちらと背中越しのみで視線を送る。
アズリアの他にも縋るような目をする帝国軍に何を思ったのか、イスラは溜息とともに起立。
くるりと一回転し、面倒臭そうに口を開いた。

「私が此処にいる時点で理解して欲しいんだけどなぁ……」

「イスラ……!?」

「お姉ちゃんなら私が此処にいる理由、大体察しがつくでしょ?」

彼女達の間でしか分からない言葉のやり取り。
一つ背の高い丘の上で、イスラは髪をくるくると弄りながら顔を歪めるアズリアを見下ろす。

「……っ」

「……私が男だったらさ、まだレヴィノスの家も構ってくれたかもしれないけど……女だしね。お姉ちゃんがいる時点で、そっちの世界じゃあ私の価値なんてこれっぽっちも無かったんだよ」

「!!」

後釜にも保険にもなりはしないしね、と言い捨てる。
いつのまにか無感情となっている貌は冷めた目で姉を見据えていた。

「少し考えれば分かってたことだと思うんだけど……今更そんな風に気付いたような顔してもらっても、虫唾が走るだけだよ? お姉ちゃん?」

「ちっ、違っ……!? わたし、私はっ……!?」

にこっと笑うイスラにアズリアは弁明をしようとするが、喉が狂ったように揺れて言葉を紡がない。
イスラは興味を失ったように視界から姉を除き、顔をオルドレイクの方に向けた。

「これ、猿芝居に見えますか? オルドレイク様達を欺くための」

「穿てばどうとでも取れるわ。失墜しかけている信用を取り戻したくば、証明してみせろ」

そうすればこれまでの実績を兼ねて今回は目を瞑ってやる、とオルドレイクは両目を閉じて言う。次に何が起きるか確信しているのか口元を愉悦に形作った。
「分かりました」とイスラも薄い微笑を浮かべ、片手で剣を抜き、柄を上持ち穂先を傾斜にして構える。
もう片方の手の中には、既に発光を始め、執行体勢に入ったサモナイト石があった。

「────」

「飛ばした、呪文を!?」

「ほう、誓約者(リンカー)の真似事さえやってのけるか」

いわゆる溜めの時間だけは残し、完璧な詠唱破棄を披露するイスラにアルディラは叫ぶ。オルドレイクの方は愉快そうに感嘆の声を上げた。
隠れて魔力を練り上げていたイスラは残された過程を一手間で終え、言葉を失うアズリアに構うことなく、術を発動してみせた。


「見せてあげるよ、お姉ちゃん」


異界の門が押し開く。
赤い光を振り撒きながら魔力の穴が大気に空いたかと思うと、突如、空から幾本もの巨大な釘が落下した。

「────ッッ!!?」

鼻先を掠り眼前に突き立った巨柱に、アズリアは竦んだ声を口内に充満させる。
アズリアを中心とした帝国軍を取り囲む錆びれた釘の群れ。広大な効果範囲が形成され、次には一際大きい影が上空より飛来する。


「お姉ちゃんの信じたくないもの、全部」


藁で編まれた体を持つその異形の名は「ノロイ」。怨傀儡の別名を持つシルターンの召喚獣。
遺恨じみた呪力が少女の狂気を受け爆発するように膨張する。
アズリアの頭上へ急降下したノロイは、振りかざした巨槌を一気に釘の頂部へ叩き付けた。




「吹き飛んじゃえ」




「────イス、ラ」

轟爆。
寸前に呟かれた少女の名前は刹那の内に消滅した。
地に打ち込まれた巨大な恨針、全九本が互いを補完し合い威力を相乗させる。地雷が作動したかのように大地が喚声を上げ、そして破砕。
爆心地を起点に紅の光がドーム状に開いた。


「アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!!」


圏内にいた帝国軍兵士が四方八方へと散る。彼等は血にまみれ、強かに地面へと倒れ込んだ。
地面から空に舞い上がった岩々は雨となって還ってくる。目の眩むような光と爆発の余波にはたかれ咄嗟に顔を両手で覆っていたカイル達やギャレオ他も、慌ててその場から飛び退いた。
少女の哄笑を皮切りに、戦場が熱を取り戻す。

「ア、ティ……!? それに、お前……!」

「つぅ~~~~……っ!!」

「……超痛え」

最も被害が高い攻撃の中心地にいたアズリアは、辛くも危地を脱していた。
動き出していたアティとウィルが体当たりよろしく彼女の身を突き飛ばしたからだ。
仲良く地面にひれ伏す三人の内、呆然とするアズリアを置いてアティとウィルは視線を交わし、瞬時立ち上がる。

「誓約の名において願う。慈愛の天使よ、傷付いた者達に救いの手を────『聖母プラーマ』!」

「クマさん、コレ連れてずらかれ!」

アティの広範囲召喚術が怪我人に治癒を促す一方、ウィルはギャレオに向かって指示を出す。
突然呼ばれ驚くギャレオに背を向け、ウィルはすぐに次の行動。右手の指を唇に挟んでピィーーッ、と遠方まで届く甲高い音を鳴らした。

『あ、合図じゃ、野郎ども! これは戦略的撤退じゃ、けっ、決して恐れをなして逃げる訳ではないぞお!?』

『『『『『『『『『『へい、船長!』』』』』』』』』』

『あんさん、いいからはよ逃げなっ!?』

「クマさん、あんたが指揮とって帝国軍退かせて! あの人達に付いていけば神殿の抜け道から出られる!」

「く、くまっ……!? ま、待てっ、何故我々がっ────」

「あんたの愛しのこの女隊長が死ぬぞ!」

「────ブッ!!?」

「えっ、何、図星? ────まぁいいよ、色んな意味でドンマイ────とにかくっ、早く離れて!」

「っ……し、しかしっ……」



「逃がすとでも思ったか?」



『────ッ!!』

震撼する。


「我、直々に礼をしてやらぬと気が済まぬわ」


天井知らずに高まる魔力に、この場にいる誰もが瞳を微震させた。
生まれ持った暴力を解放しようとその召喚師は術式を組む。
鋭い眼差しと笑みがアティ達を睥睨した。

「……っ! 全小隊、退くぞ! あの海賊達に続け!」

「ギャレオ!? 何を、って、きゃあっ?!」

「失礼します、隊長!」

膝裏と背中に腕を回し、ギャレオはアズリアの体を持って運び出す。
立ち上がれない負傷者に手を貸し庇い合う帝国軍の動きは迅速だった。先頭を走るギャレオに兵達は続々と従い、最後尾では尾を引くような顔しながらもビジュが警戒に当たる。
猛烈な死の気配に突き動かされた逃走劇が始まった。













(────討つ!!)

キュウマは駆ける。
冷酷なまでに瞳を殺気に固め、彼はオルドレイクのもとに疾走していた。
過去の戦い。仕えるべき君主に守られ、そして先立たれ、一度は生きる意味を手放しかけたあの時。
キュウマは未だ忘れていない。あの深い絶望を。
君主であるリクトの言葉やミスミ、彼の忘れ形見がなければ囚われていただろう、業火の如き憎悪を。

時が流れ姿形を変えたとはいえ、その激しい感情はキュウマの胸の奥で燻ぶる火のように生き残っていた。
絶望は二度と過ちを犯さないとする研鑽の糧となり、憎悪はやり場なく溜め続けられる憤懣へと。

二度と発散されることはなかっただろう感情の類。しかし、現れた。
明確な的となって、全ての元凶たる仇そのものが、再び目の前に現れた。

復讐に身を燃やす自分を見て、果たしてリクトがどんな顔をするのかは今のキュウマには分からない。恐らく、ミスミは心を痛めることだろう。
だが、一矢報いなければならない。
君主達が例え望まないことであったとしても、忍である自分は、己のためにもリクトのためにもこの刃を奴等に打ち込まなくてはならない。
そして何より、リクトの忘れ形見────スバルのためにも。

若き殿の行く未来を閉ざさせはしない。
復讐からくる仇打ち。守るための抗戦。二つの動機をキュウマは誤魔化さず受け入れ、自らの刀に乗せる。
一歩遅れて付いてくるヤッファもまた同じ気持ちの筈だ。鋭い光を帯びる双眼は向かうべき場所のみに馳せられている。

周囲には目もくれず、キュウマとヤッファは詠唱体勢に入ったオルドレイクへ一直線に突き進む。
ばらばらと展開する兵達を視界に捉えながら、進路を阻む者は切り捨てようと腕に力を込めた。



「────」



そこで気付いたのは、恐らく自分の能力に依拠する所ではなかった。
“放った”相手が加減した、解答はきっとそれに尽きる。
半歩先、秒もかけず突入していただろう予測通過地点を、超速の斬閃が瞬いた。


「────────っっ!!?」

「キュウマ!?」


首を斜めに斬り落としただろう斬撃の軌跡。
横手から繰り出された必殺にキュウマはかろうじて踏み止まり、しかし顔の左右に垂れた白髪を首の代わりに持っていかれた。
切り離された毛の一房が宙に散っていく。遅れてやって来た寒気に内蔵を凍らせながら、キュウマはヤッファと一斉に左手の方角へばっと顔を振った。

「奴に借りを作っておくのも癪なのでな、足止めさせてもらうぞ」

物静かに語られる言葉は、その語気に反してキュウマに途轍もない脅威を預けてくる。
着流しを隙なく身に纏う男。ウィゼルがゆるりと刀を構えていた。
右半身は前に。僅かに捻られた腰とともに左手は鞘の鯉口に添えられている。
疑う余地のない体勢、居合いの技。
キュウマは目を見開く。

「侍……!?」

「そういうお前は忍か。大陸を離れたこのような孤島で出会うとは、なるほど、生きてみるものだな」

文句の割に感情の起伏が少ないその言はキュウマの耳を素通りする。
目算、三丈。
キュウマとウィゼルの間に引かれる距離。刀、いやどんな武器をもってしてもそれ単体では決して届くことのない絶対の距離だ。
それをウィゼルは埋めてきた。その場から一歩も動くことなく、いとも容易く覆した。

距離を跳んだ。

規格外なまでに、居合い斬りからなる斬撃をキュウマのもとへ飛ばしてきた。
「居合い斬り・絶」。現時点のキュウマでは到達も理解も許されない剣豪の奥義。
予備知識もないヤッファでさえも、その常軌を逸した一太刀の冴えに唖然とする。

「技量はまずまず……が、惜しむらくは武器か」

使い手の意志を反映するだけに留まっている、と口にするウィゼルは、次の瞬間上体を沈めた。
剣気が、一挙に膨れ上がった。

『──────』

「命が惜しければ、動くな」

叩きつけられるのは鮮烈な死のイメージ。
抜刀を察することなく両断される己の体。胴を寸断されたことにも気付かず、時を停止したまま絶命を余儀なくされる。
脳裏を過る光景(かのうせい)の数々は、全てが全て己の最期へと帰結した。

(ば、馬鹿なっ……!?)

キュウマは動かない。動けない。
老域に片足を突っ込んでいるにも関わらず、その体から放たれるのは今まで感じたことのない死の気配。
あれほど復讐と守護に焦がれていた意志が、一本の刀の前で斬り刻まれる。
殺気は微塵もない無風のような空間の中でありながら、一言も発することが出来なかった。
異常な発汗を引き起こしながら、顔を慄然とさせるヤッファともどもキュウマはその場に縫い付けられた。




「先生、帝国軍が撤退するまで時間を稼ぎましょう!」

「分かりました!」

「ヴァルゼルド!」と遠くに叫ぶウィルの姿から目を離し、アティは舞い戻った戦場を見渡す。
既にカイル達は敵の親衛隊と対塁している。得物が打ち合わされれば、両陣営どちらも魔力を解禁して召喚術を繰り出していた。
その戦場の中でも否応に意識を傾かざるを得ないのが、敵陣の最奥、異常とも言える長時間詠唱で魔力を術に内包する冷笑の召喚師。
いや、あれは遊んでいるのか。まるで籠の中で足掻く虫を観察し、また見下すかのようなその目付きに、アティは唇を噛んで強くオルドレイクを見据えた。

「出来るならあのロン毛なんとかしてください!!」

「やってみます!」

パーツを取り外し元の形貌に戻ったヴァルゼルドと合流し、帝国軍に伸びる追手を迎撃するウィルを見送る。
もはや死という概念が濃厚となったこの場において、果たして生徒である彼のもとに居なくて平気なのかという気持ちはアティの胸に常に付き纏ってくるが、信じるしかない。
ウィルはきっと大丈夫だと言い聞かせ、不安を胸から追い払う。予断を許さないこの状況ではぐずぐずしている暇などない。

やはり最大のネックはオルドレイクその人だ。
いかなる召喚術を準備しているのか判別つかないが、繰り出されるだろう一撃はその魔力の規模から破格なものだと窺える。カイル達も彼の術を阻止しようと躍起になっていた。
ならばウィルの言われた通り、自分のすることもまたあの召喚術の完成を防ぐことだ。

「誓約の名のもとにおいて命じる!」

魔力を全開させる。
自分が行使出来る上で最大の召喚術をオルドレイクのもとに叩き込む心算。
構えた杖とサモナイト石が、溢れんばかりの魔力を吸引して結晶の奥で光を白熱させた。

「────」

「っ!?」

出し抜け、アティの死角から銀の刃が伸びてきた。
頸動脈、急所目がけ曲線を描いた一撃に、咄嗟身をひねる。
音もなく振るわれた攻撃は大気を割いて薄皮一枚の所を過っていった。
瀬戸際で感付けたのは一瞬だけ生まれた針のような殺気と、脳裏に映って警告するかのように発光した「剣」のおかげだった。

「やらせないわ」

「……!」

赤い衣装に身を包む少女、ヘイゼルはそれだけ言う。
迂闊を働けば瞬目で懐に入られそうな気配にアティはやむなく彼女と正対する。
杖を前に突き出し牽制するが、ヘイゼルは自身の姿勢を崩さない。情の一切を省かれた機械的な双眸はアティ本人ではなく、その命を対象として捉えている。
ぞっと、胸が戦くように震えた。

「……」

「…………くっ」

人を殺すことが自然体となっていると、少女の身のこなしを見てそんな風にすら感じる。
暗殺者という言葉が反射的に浮かび上がった。
じりじりと変動する間合い。少女が一挙一動する度に此方も行動を求められる。
不用意に動けない。相手が、それを許してくれない。

(このままじゃ……!)

刻々と経過する焦眉の時間。
間隔が狭まっていく心臓の音を耳に、アティの顔が危機感に強張った。




「こいつ等……っ!?」

無色兵と乱戦の体を晒すカイル等前線組は衝突する敵の力に唸っていた。
帝国軍との一戦におけるハンデを差し引いても自分達を抑え込むであろう実力。
互いの連携能力も半端なものではなく、完璧に秩序だった攻防は我流で力付いてきたカイル達に牙を次々と突き立ててくる。

「ッ……舐めんなああァァッ!!」

「がぁっ!?」

ストラの光に包まれた蒼拳が痛撃と加えられる。
「必殺の一撃」。繰り出された渾身の拳は敵の大剣を真っ向から粉砕しなお貫通、装備された胸のプレートをも叩き割った。
亀裂を無数に入れた鎧ごと吹き飛ぶ無色兵が、呻き声を上げて地面を転がっていく。

「ったく、次から次へと!」

「ですが、これで最後です!」

撃破から間を置かず飛びかかって来た敵兵にカイルが悪態をつく。
だが、先程敢行された砲撃で無色勢は大幅に勢力を失っている。数の利でカイル達は決して劣っている訳ではない。
剣戟を交わすクノンは冷静に戦況を見極め声をかけた。

「贄を誓約とし徘徊せよ。愚者を演じ血肉を屠れ、霊界の下僕どもよ!」

その時、不気味な韻律が敵陣の後方で上がる。
白の外套を大気に打って腕を突き出したツェリーヌは、視界に入るもの全てを怨讐と見なすように睨みつけた。
途端、宵色と見紛う濃紺の魔力が周囲の空間を歪め、地獄の底から昇ってきたような苦鳴が現界する。
オオオオオオオオオッッと残響を効かせ、魂片となった多数の亡霊達が弧を描いて戦場に降り注いだ。
彼等が向かう先は、辺り一面に伏した再起不能の派閥兵達。

「!!?」

指の一つも動かせなかった筈の無色兵が、緩慢な動作で起き上った。
白目をむいた顔に生気はない。流れる血液、負っている傷など無視をしてカイル達に踊りかかった。勢力図が引っくり返る。

「生き返りやがった!?」

「た、耐えられんっ……!!」

「母上っ!」

理性もなくカイル達に襲いかかってくるその様は創作でしか語られないような生ける屍そのものだ。
凍えるような呼気を振りまく死兵は、役職など問わず召喚師ですら杖を掲げ前線に突き進んでくる。
滑稽極まりかつ、おぞましく。数の波にカイル達が呑み込まれかけていく。

「ファリエル様、これは!?」

「死霊召喚……。なんてことをっ……!?」

死霊召喚。
代償を払うことで霊界サプレスの高位の悪魔を使役する召喚術。
術で倒された者達の魂を供物として捧げる特異な召喚儀式。

今回ツェリーヌの行使した術は輪をかけてたちが悪い。通常の死霊召喚が葬った敵の魂をさらうのに対し、憑依術式を用いて傷の深度関係なく負傷者を亡霊に操らせている。味方の体を担保に悪魔達は無作為に暴れ、命を刈り取ろうと蠢くのだ。
そこに肉体への配慮はない。リィンバウムという楽園で得た瑞々しい体に悪魔達は狂喜し更なる犠牲を求め飢える。
最終的には宿主の生気さえ代価として奪っていく、破滅もたらす禁呪だった。

「亡者どもよ、あの者達を絶望に染めなさい!」

「人をっ……命を何だと思っている、無色(おまえら)は!?」

傀儡と化した生きる屍が歓声する。
その凄惨風景を前に、一人のはぐれ召喚師が怒鳴り散らした。




「新たなる世界に、勝利と栄光をぉぉぉぉっ!!」

また一つ命が散った。
戦闘不能に追いやられたと断じた瞬間、派閥兵は自らの生命を顧みず爆物と化す。
自爆。紅の花弁を咲かせた後はそこに何一つ残らない。
逃走する帝国軍の側で、カイル達の目の前で、無残な光が連鎖する。

「……」

一つ離れた場所でそれら光景を望遠するイスラは微笑を浮かべていた。
断続的に響き、時折凄まじい不協和音が並ぶそのメロディに、満足そうに目を閉じて身を委ねている。
安らかな、けれど仮面めいた笑みは、今にも鼻歌を奏でそうな雰囲気だった。

「イスラッ!!」

「……ソノラ」

疾呼がイスラに向かって飛ぶ。
ハンドガンを片手に構えるソノラが、イスラの額に照準を合わせていた。

「何やってんのよ、あんた……! 一体何考えてっ、こんなことやってるのよっ!?」

「……自分のため、じゃあ答えにならないかな?」

首だけをそちらにやり笑みを消して言うイスラに、ソノラは眉尻を一杯に吊り上げる。

「最初からこうするつもりだったの!? あたし達も、自分の姉貴も騙してっ!?」

「うん、全部予定通り。ウィルが変なことしでかしてくれなかったら、もっとすごいことになってたと思うよ」

爆風が彼女達のもとに届き、イスラの前髪が揺れて目元を覆う。
これが本当の殺し合いだよ、と言葉を添えてクッと口が曲がった。

「…………わかんないよ。あたしっ、イスラの考えてること、全然わかんないよっ!!」

「……」

悲痛を伴って叫ぶソノラは湧き出そうになる涙を堪え、無理矢理眉を逆立て瞳に力を入れる。
銃把を握る手がぶるっと震え、それを押し殺すように強く握りしめられた。
過去の関係に思いを馳せているだろう少女の姿に、イスラは瞳を隠したまま僅かに顎を引いた。


「解る訳ないじゃん」


小振りな唇が冷気を落とす。

「今も、昔も、これからもずっと、自分の思うように生きられるソノラに、私のことなんて解る筈がないじゃん」

「…………イス、ラ?」

「好きな時だけ食事が出来て、怯えることなく眠ることが出来て、真っ青な空の下で風を感じられることが出来るソノラに、私のことなんて絶対に解らない」

「………………」

「かえって、解った風な口を利いてもらった方がよっぽど腹立つよ。……殺したくなっちゃうくらいに」

静かに足を進め出したイスラに、ソノラは言葉を失う。
先程とはまた違った意味で彼女の胸がかすかに震え始めていた。
確かな戦場の中である筈なのに、少女の周りだけが切り離されたような空気を彩る。

「……う、撃つよ!? それ以上来たら、本当に撃つよ!?」

「へえ、撃てるんだ……ソノラに」

歩み寄って来る。
頭部に銃口の向く先が固定さているにも関わらず、目線を髪で瀬切るイスラは止まらない。
むしろ笑みさえ浮かべ、イスラは歩調を速めた。

「じゃあ、試してみよっか?」

「…………え?」

「そんな鉛玉一つで、本当に私を殺せるかどうか、試してみよっか?」

「────」

顔が上がる。
薄く細められた瞳に弧を作る口端。零度の狂気があった。

「そんなちゃちな銃で私を殺すって、面白い冗談だよね」

「……なに、言って……」

「でも銃(それ)では試したことなかったし、うん、一興にはなるかな」

「…………」

細まった瞳はそのまま。
いつか見た、談笑を交わす際に浮かべていた笑みを見せ。
イスラは近付いてくる。

「ほら、ソノラ、試してみようよ?」

「……、……ぁ」

「私が、死ぬことが出来るのか、さ」

間合いが消える。
震える銃口との少女の間隔は歩幅四歩分。まだ止まらない。吐き出される弾丸を求めるようになお前進してくる。
黒髪が揺れる。また一歩。イスラはためらわない。
残り一歩。得体の知れない感情の渦に、ソノラの震える細脚が砕けそうになった。

「ほら、撃てない」

最後の歩。
表情をすっと消したイスラが、片手に持つ剣の穂先をソノラ目がけ閃かせた。
激音。

「──────ぇ?」

「アタシの妹分を泣かせるんじゃないわよ」

「……へぇ」

刃を受け止めたのは短剣だった。
自分の体を割り込ませる形で、間一髪、スカーレルがソノラを庇うようにイスラの凶気に歯止めをかける。

「どこかで見た剣筋だと思ったら……そういうことだったのね」

「あ、やっぱり同業者さんだったんだ?」

「スカー、レル……」

蛇のように睨めつけるスカーレルの眼差しに、イスラはにこっと破顔。
当事者達に関与出来ない位置へ追いやられたソノラは、片頬に涙の筋を引っ張って呆然と呟く。

「離れなさい、ソノラ。この子猫ちゃんはアンタの手に負えないわ」

「うん、確かにソノラの膝の上で気紛れするのも飽きちゃったかな」

「……訂正するわ、構う価値もない」

「……っ!」

剥き出しになる殺気にソノラの肩が揺れる。
殺さんばかりのスカーレルの視線に、イスラはニィイと口が裂けるほどに笑ってみせた。

「行きなさい!」

「あはははっ、ソノラの騎士様だっ!!」

突き飛ばされたソノラの背中に激烈な剣音が響いてくる。
背を殴りつけてくる何重もの音響に押し出されるように、ソノラはおぼつかない足取りで駆け出した。

「っ……あたし、なに信じていいのかわかんないよぉ、ウィルぅ……っ!」

手で覆われた口元から、咽び声がこぼれ落ちた。




「この程度か……」

未だ自分の目の前にすら到達出来ない相手にオルドレイクは嘲笑する。
何かの手違いで構成員の殆んどが壊滅状態。今後のことも兼ねて敵の真の力を見極めてやろうと召喚術(エサ)をぶら下げてやっていたが、それにすら届かない。
余計な手間、杞憂ですらない、とくつくつと笑った。

愚かなまでに傲岸な態度だったが、しかしそれも彼の力に裏付けされたものだった。
事実、彼がその気になればこの場にいる全ての者が意志なき暴力にひれ伏すことになる。
オルドレイクにとってこの時間は一つの余興に過ぎない。
ましてや、今も戦線から離れようとする帝国軍を逃す気も更々なかった。

「目障りだ。負け犬に成り下がった飼い犬ども」

オルドレイクは杖を水平に構える。
器から溢れ出さんばかりに注がれた魔力の水が、この時をもって解放された。

「消え失せろ!」




「ちょっと、何を召喚するつもりよ……?!」

オルドレイクの作り上げた召喚光から放出される異質なマナに、アルディラは悚然とした声音を出した。
見る見る内に異界の扉から開いていき、次には地面に茫漠とした闇が広がる。
闇の沼としか形容しようのない円形の大穴からソレがせり出していき、全貌が顕になった瞬間、確実に夕闇の墓標の温度が著しく低下した。

骸。その一言に尽きる。

肋骨を彷彿させる奇怪な外装。本体を囲む幾つもの骨は昆虫の足のように蠢いている。
白亜と紫からなる帯状の拘束具が幾重にも巻き付く本体そのものは、まるでミイラのようだ。
無機質な仮面を被った顔面部分には虚ろな穴が二つ、奥を見通せない闇が静かに戦場を見下ろしていた。
約十メートルに及ぶ総身。闇の沼の上を音もなく浮遊するその体は、凄まじい嫌悪感を見る者に与えた。

「パラ・ダリオ」。討ち滅ぼされてもなお霊界の淵で在(い)き続ける大悪魔の屍。
アルディラの喉が引き攣る。つんざかんばかりの警鐘が彼女の頭を犯した。
黙して語らない骸は醜悪な虚無感を撒き散らすだけ撒き散らし、やがて術者の意思を受けて鳴動した。


「悠遠の獄縛」


パラ・ダリオの真下、オルドレイクの足元に広がる闇の沼がドクンッと波打つ。
おどろおどろしい瘴気が立ち昇ったかと思えば、一気に闇の波動が大地を走った。

「なっ────」

「『石化』の呪い!?」

アティは戦慄を、アルディラは悲鳴を。
大穴から前面展開された魔力の帯が地面伝いに進み、倒れているとある無色兵を一過、次に出来あがったのは灰色に染まった人間の石像だった。
『石化』効果。耐性がなければ一瞬の内に全身を石に変え行動不能に陥れる極悪の特殊能力。
一切の行動を封じるだけでなく、毒を盛るように肉体を内から蝕み破壊させていく。
石化の黒波がアティ達を飲み干そうと地をひた走った。

「退け!」

「あいつ等……!?」

「カイルさん、下がってくださいっ!?」

「みんなっ、急いで!?」

ヘイゼル以下派閥兵は一糸乱れない動きで直ちに退去。
アティ達を置き去りにし、機械的な動きで無駄なく「悠遠の獄縛」の射線および効果範囲から抜け出した。
ヤードとファリエルの警告が空に上がるが、黒波も速い。
死霊に操られていた派閥兵はたちまち呑み込まれ灰の石となった。

「味方まで……!?」

怪我などの理由で逃げ遅れた構成員も時を凍結させる。
黒波の過ぎ去った軌跡内、命を宿すもの全てが石化。草も、花も、虫も、人も、例外なく同じ末路を辿る。
人型を作る石のオブジェに、びきっと網のような亀裂が走り抜けた。

(呑み込まれる!?)

弾き出された計算から自分達が迎える未来をアルディラは悟ってしまう。
前線に出払っていたカイル達は完璧に手遅れ、比較的後方に位置していた自分やアティ達も瀬戸際、空を飛べるフレイズを除けば安全が確保出来る対象は半分にも満たない。
自分達の後ろで完全撤退を遂げていない帝国軍も同じだ。大多数があの闇の波動の餌食になる。

(アティが抜剣するしかっ……!?)

唯一の打開方法はそれしかない。
「剣」の魔力を用いれば相殺は可能だし、黒波を足止めするだけでもこと足りる。
だが────本当に今この瞬間「剣」を抜いて無事で済まされるのか。

不確定要素が多過ぎる。疑似的な沈黙を貫く遺跡、昨日強制的に引き起こされた抜剣覚醒、そしてもう一振りの「剣」の存在。
伴うリスク、その見通しが効かない。数値化出来ないという現実はアルディラに途方もない恐怖を感じさせる。
アティを闇の奈落へ突き落す真似をして、犠牲に転じてしまって許されるのか。

『……!!』

アティと目が合う。
視界の隅には黒波に背を向けて全力疾走するカイル達や、スバル達を抱き締め守ろうとするファリエルの姿がある。
彼等を見殺しにするのか、アティを危地へと差し出すのか。
こまねいている猶予はなかった。しかし、それ以上に“彼女”が前者を取る道理がなかった。
アルディラから視線を切ったアティが、制止の声も聞くまでもなく「碧の賢帝」を召喚しようとした。


『アルディラァッ! 結界っ!!』


「!!」

どこからともなく響いて来た拡声器の発声に、アルディラは理屈抜きで従った。
断片的な情報でありながら導かれるように自分のすべき行動を完結させる。
高速の反応速度はそのまま声の主への信頼感に値する。逼迫した状況はアルディラが少年に抱いている無意識の感情を如実に表面化させた。
突き付けられた二者択一を振り払うため、アルディラは少年に全てを賭ける。



「スクリプト・オンッ!!」



魔障壁。
広域展開された蒼壁が、今にも呑み込まれそうだったファリエル達の目の前で闇の波動を阻んだ。
スパークする蒼い光条。巨大な半円球の膜が、がつんっ、がつんっ、と次々とぶつかってくる黒波を受け止めていく。
抜剣を踏み止まり目を見開くアティには瞥見くれず、アルディラは己の魔力を全てひっくるめ結界へ費やした。

「────ぐっ、ぅあ」

「標本風情がっ、煩わしいぞッ!」

秒を耐え忍ぶことも出来ず、魔障壁に歪みが生じ出す。
黒い毛並みを持つ獣のような波動がいきり立つ。軋みを上げる結界は誰の目から見ても限界を越えようとしていた。
仲間の逃げる時間も碌に稼げずアルディラの結界が無駄な悪あがきとして潰えていく。オルドレイクの魔力が更にパラ・ダリオへ傾けられた。

────どうするのよ!?

障壁貫通を目前に、アルディラは両目を瞑って心中で少年に非難の声をぶつけた。


「丁度いい、召喚獣どもはここで採取してくれよう……ふっ、ふっははははははははははっ!!」


オルドレイクの高笑いが響き渡る。
パラ・ダリオを行使する彼は杖をばっと横に広げ心持ちの最高潮を示した。

「────」

その一方で、それに最初に気付いたのは、恐らくウィゼルだった。



「ふっっははははははははははははははっ──────!!!」

「……」



しかし、いち早く気付いてもどうすることも出来なかった。
夕日に伸びる影が三つ。
宙に浮かぶパラ・ダリオの巨大な影、笑声を上げるオルドレイクの標準の影、そして気を付けなければ感覚的に察知出来ない小柄な影。

拡声器を片手に持つ少年が、オルドレイクの背後に忍び立っていた。

現役忍者もびっくりな隠密能力でオルドレイクの背をとった彼は、静かに召喚術を発動させる。


「ヴァルゼルド」

『了解』


少年が出現してからこの間、僅かゼロコンマ2秒。オルドレイクは依然大口を開けて高笑いしている。
高速召喚は無色の派閥の大幹部の魔力センサーをもってしても知覚外。
黒鉄の機兵は静かに片腕を上げ、ポン、と笑いまくっているオルドレイクの肩に手を乗せた。


『サテライトビーム・マーク』


最終兵器が起動する。
そして、空が鳴いた。




「────────────ふあぁっ!!!??」




大奇声。
極大の光柱がオルドレイクの頭上から降り注いだ。


「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「─────────────────────────────────」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」


誰もが言語機能を忘却の彼方に吹っ飛ばす。
それほどまでに凄まじい光景だった。

ズドォオオオオオンッッ、と耳を疑うような太く厳めしい超低音が地響きとともに長くしつこく木霊する。
神が降臨するが如く巨大な光の柱が大地に屹立。高熱で融解した地面がドライアイスのように湯気を演出した。
機兵とともに一人の召喚師が光の向こうに消える。

薄紅色の粒子群の正体は極太のレーザービーム。
「衛星攻撃・β」。
忘れられた島の遥か上空に浮かぶ気象観測衛星「はいねる」から繰り出される至高の一撃である。
アルディラのトチ狂ったショッカー強化手術により生まれた偶然の産物は、ヴァルゼルドに「はいねる」へのアクセス権限を本人望まぬまま譲渡してしまっていた。

『…………』

沈黙を貫くパラ・ダリオは幻だったかのようにぱっとかき消える。黒波も道連れだった。
術者の生存反応を物語るかのように、潔く大悪魔は地獄の淵へ送還される。平行してアルディラの結界も解除。

光の極柱は濃度を薄れさせ規模を細くしていき、ぱらぱらと粒子の粉雪がアティ達に降り注いだ。
放射能関連でとてもとても頭の毛が心配になってしまう代物だった。直撃直下はもはや毛髪ご臨終である。

やがて光粒の奥に見えてくるのは二つの影。無言で立ちつくす召喚師とその肩に手を置いたままの体勢でいる機兵の姿。
比喩抜きで黒一色となった召喚師は、口を二度と開くことなく、ゆっくり重力に引かれていった。
膝から大地に着地し、糸の切れた人形のようにドサッと倒れる。
静寂がはびこった。


「…………あ、貴方ぁーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!?」


スモークが完全に晴れる頃に健気妻の大絶叫が君に届けとばかりに響き渡る。
停滞していた墓標全土の時がはっと動き出した。

『ミッション・コンプリート』

「流石に死んだか……」

ライトグリーンの瞳をキュピンと光らせるヴァルゼルド。
その横で焼却処分された物体をウィルは剣でつんつんとつつく。反応は無かった。

帝国軍の護衛と見せかけて神殿迷路へ侵入、丘陵を大きく迂回する経路を辿り、ウィルは色んな意味でオルドレイク達の裏をかいた。
ヴァルゼルドの「衛星攻撃・β」は信号の発信する対象を中心にピンポイントで周囲の敵を根絶やしにする精密射撃なので、どうしても彼をオルドレイクの懐に放り込む必要があった。
そこでウィルは己の隠密能力を理解した上で自らをヴァルゼルド接敵するための礎となったのだ。
────無論特別何かした訳ではなく、むしろ地獄のような戦闘を回避していた。

誘導装置と化したヴァルゼルドにより捕捉されたオルドレイク。
射出されたレーザー。
焼き払われた大地。
ウィルの奥の手は本人が思っていた以上の成果を上げ。
窮鼠は調子乗った猫の喉元食い千切ることに成功した。


「めっ、滅しなさいッ!? あの無礼者をっ、あの狸を毛の一本残さず一族郎党皆殺しにするのですっ!!!」

「「「「「「「「「「は、はっ!!」」」」」」」」」」

『みんな、後は頼んだ!』


ツェリーヌの憤激の号令にヘイゼル達は汗を流しながら承知。
ウィルは拡声器をアティ達に向けた後、速やかに戦略的撤退に移った。
決河の勢いで駆け出すヘイゼル達派閥兵。背を向けてヴァルゼルドとともに全力フォームでシュパッ! と光になるウィル。
結果は九割方見えている鬼ごっこが開始した。


『お、追えっ! 逃がすなっ!!』

『茨の君、速過ぎです!!』

『触れもしないスピードには、どんなパワーも通じない……!!』

『動きが不規則過ぎるっ……!?』

『ヴァルゼルド、お前そこの崖から海に飛び込め』

『はいっ!? な、何故でありますか?!』

『僕はともかくオマエあいつ等振り切れないぞ。掴まってマジモンのスクラップになる』

『マ、マジでありますかっ……!?』

『大マジだよ。安心しろ、後で召喚して回収するから』

『ミャミャーッミャーッ、フシャー!!』

『りょ、了解……。────ア、アイキャンッ、フラァーーーーーーーーーーイィッッ!!!!』


夕日の光に消えるウィル達。『げぶらっ!?』と響く沈水音と盛大な水柱。
戦闘意欲などとうに萎えたアティ達は、その光景を見て誰もが無言のまま立ち尽くした。

取りあえず気の乗らないまま護人を筆頭に殲滅戦。
多くの兵を失い少ない手駒も石になっている無色勢力だったが、法衣妻の傀儡戦争もびっくりな悪霊操縦(オート)による人間兵器によって超無双、居合い爺の奮闘もあって結果ドローゲーム。
日も完璧に没する頃、決着つかぬまま痛み分けと終わった。然もあらん。



















夜空は晴れていた。
けれど、一人の少女の胸の内は大雨だった。
昨夜の嵐の影響か雲一つ確認出来ない空の上、光量の高い半月に二つの影が照らし出されていた。

「……あー、落ち着いた?」

「ミャー?」

「ひぐっ、うぐぅ、うぅ~~~~~~~~!!!」

「さいで……」

肩を落としたような声音、と表現すればいいのだろうか。
ウィルは小さな吐息をして指でうなじをかく。
その隣に座るソノラは、泣く声を出しながら首をぶんぶんっと小振りしていた。
ヴァルゼルドは甲板の端でその光景を静観していた。


カイルの海賊船、甲板。
ウィルとソノラは肩を並べ、船内へと続くドアの横手に腰を下ろしていた。
海中から召喚され甲板の上で待機命令を出されていたヴァルゼルドは、ソノラに無理矢理引きずられあの場に着座を強いられたウィルの一部始終を見守っている。
他意はなかったのだが、指示が出されている以上反故にする訳にもいかず、状況的に彼等の動向を見せつけられる形となってしまったのだ。

「僕やることあるんだけどな……」

誰に言う訳でなく空に呟くウィルは参ったというように眉を下げ、次にヴァルゼルドの方に目をやった。
命じられていた周囲警戒は怠っていないと、小さく頷いてヴァルゼルドは彼に伝える。
続けて、と手を振られたのでその指示に従ったが、瞳が向かう先はウィル達に固定したまま、警戒任務の方は内蔵されるレーダーに任せることにした。
野暮とは思いつつも、ヴァルゼルドのバグは人の引き起こす感情の爆発に興味を持ってしまったのだった。


ヴァルゼルドの視線の先ではウィルが気を入れ替えるように顔付きを変える。
ソノラへ泣きじゃくる子をあやすように接した。

「……そんで、ソノラに解る訳ないって言われたって? イスラから?」

「んんうっ……!」

唇を引き結んだままこくこくっと頷く動き。
咽ぶ声は依然静かに響いている。
えぐえぐ、とソノラが膝に顔を埋めて声を押し殺した。

ウィルが拉致……相談されている理由は、イスラ・レヴィノスその人のことについて。
度重なる裏切り行為に、彼女と友人であったソノラは心を痛めている……と、これまでの会話を視聴覚機から拾ってヴァルゼルドはそう判断していた。

「イス、ラッ……わたしとの、ことっ……ぜんぶ気紛れだったって、そう言ってたっ……!」

「あー……」

どう返答すればいいのか、というウィルの気持ちが傍目からでも伝わってくる。
対応はどうするのだろう、とヴァルゼルドは静かに自分のマスターの動きを待った。

「ほら、あれだよ。クノンの言ってたやつ……ツンデレってやつだよ。いつかデレるって」

「あんなツンデレ、聞いたことないよぅ……!!」

むしろヤンデルようぅ、とソノラは消え入りそうな声で口にする。
ツンデレなる言葉は理解不能だったが、ヴァルゼルドもソノラの否定的意見に賛成だった。
部外者であるヴァルゼルドから見ても、あれはウィル達の言う善人とは程遠いと感ずる。

イスラ・レヴィノスは悪辣者。

ヴァルゼルドはあれをそう定義している。
戦場でまみえればまずトリガーを引くのを躊躇わない。ヴァルゼルドがイスラ・レヴィノスに抱いているのは恐らく人で言う所の殺意だ。
あの暴走寸前までなった当時の記録は色褪せないだけに、怒りというバグも継続している。
むしろ、自身も重傷を負わされたというのに、何故ウィルがそうまでしてあれを庇うのか理解出来なかった。

「僕が本気にするな、って言っても信じられないよね、それじゃあ……」

「…………」

嗚咽が治まってきたソノラはウィルの問いに答えない。
ただ、俯いた顔、髪で見えない目元から伝ってくる月明かりを反射した涙適が、如実に彼の言葉を肯定しているようだった。

「……徹底的に嫌われたいんじゃないかなぁ、あいつは」

「……?」

ウィルの呟いた言葉にソノラは顔を上げる。
ちら、と彼女の顔を見やってから、ウィルは視線を前にやって己の考えを口にした。

「イスラにはソノラ達に後ろめたいことがあった、だから今まで嫌われるような真似してきた。加えて、あいつはアズリア達にも後ろめたいことがあった、だから今日あんな真似して徹底的に嫌われようとした」

「…………どうして、それで嫌われようとするの?」

「悲しまれるより憎まれた方が良かったから……かなぁ?」

どこかすっとぼけた言い方をウィルはする。
考察に自信がないというより、根拠を説明する術がないからそんな上辺を演じていると、第三者の位置で見ているヴァルゼルドはそう感じた。

「あそこまでして……?」

「それだけイスラも必死なんじゃないのかな」

さらっとウィルは言っているが、彼自身がそう思い込んでいるのだとしたらヴァルゼルドは複雑になってしまう。
その論だとイスラの嫌われようとした過程で、ウィルは胸を突き刺されたことになる。
なるほど効果は覿面かもしれない。しかしそれを許容出来るとなると話は別問題、ウィルの神経の作りを疑ってしまう。
ましてやその論が真実とは限らないのだ。確たる証拠があればまた別かもしれないが。
普通はソノラのように参ってしまう。彼女の反応が当然の帰結だった。
ヴァルゼルドはウィルの判断に納得がいかなかった。

「ウィルを、それで本当になんとも思ってないの……?」

「僕は基本女性の味方だから」

納得してしまった。

「……あたしは、信じられないよ。イスラのなにが本当って信じていいのか、わかんないよっ……」

「……」

両膝を囲む手が、柔肌の二の腕へ指を食い込ませる。
ウィルは何を考えているのか解らないポーカーフェイスでソノラの横顔を見つめ、また視線を前に戻した。

「当然だろ、ソノラは何もイスラのこと知らないんだから」

ぴたっ、とソノラの動きが止まった。

「イスラにも言われたんでしょ? 何も解る訳がないって。それ、合ってるよ。ソノラは何でイスラが無色の派閥にいるのか知らないし、それよりも前にどうして帝国軍に所属していたのかも知らないじゃないか」

「……ぁ」

「他人のことなんて、その人の考えてることなんて全部理解出来る筈ないんだ。でも、事情を知ることは出来るよ。それを知りもしないで信じられない信じられないって言うのは、うん、やっぱり当たり前のことだよ」

隣を見つめるソノラの瞳が大きく見開かれる。
ウィルはすぐ近くにある双眸と視線を絡ませて、言ってやった。

「知ってあげなよ、イスラのこと。あの大嘘つきが何を隠してるのか……確かめてやれ」

落ち込むのはまだ早い、と静かに言葉を添える。
ソノラの瞳がゆっくりと潤み出し、目尻に滴がたまった。

「…………イスラ、言ってたんだっ。解った風な口を利いた方が腹立つ、って……」

「何だ、知ってもらいたそうじゃないか、あいつも」

堰を切ったように涙が肌をこぼれていく。
ソノラはくしゃっと顔を歪め、再び小さな嗚咽を喉から漏らし始めた。

「できるかなぁ……? あたし、イスラのことっ……知ってあげることができるかなぁ……っ?」

「安心しろ、僕も手伝ってやる」

いい笑みでウィルは、しゅたっ、と親指を上げる。
とうとう揺れていた瞳の水面が氾濫し、ぽろぽろと落涙を止められくなったソノラは、引き寄せられるようにウィルへ抱き付いた。
「?! ぎゃ、ぎゃあーっ!?」と体重を支えきれない小さな体は、そのまま折り重なって一緒に倒れ込んだ。
衝撃で浮いたテンガロンハットがひらひらと宙を舞う。

『…………』

盛大な泣き声が飛び散っていく。
ヴァルゼルドはこれはどうするべきかと沈黙とともに思案。空気を読んでこのまま待機しているか、自力で脱出不可能であろう主人を助けに向かうか。
発汗機能があれば間違いなく稼働させていただろう状況で、しばしの間立ち通した。

やがて、号泣が静かにすすり泣く音に変わる頃。
サンドイッチ状態になっているのかテコの「ブミュウ……!?」という潰れた声が聞こえ、ヴァルゼルドが意を決して足を進めた。

仰向けに転がる少年の体とそれに横抱きの格好でくっつく少女の体。
月の光で縁取られるその場にヴァルゼルドはゆっくり歩み寄り、それから上から覗き込むようにして静かに話しかけた。

『マ、マスター、先輩……』

「……お前がいてくれて良かった」

「ミュブゥー……!!」

空笑いするウィル。
彼とソノラの胸の辺りに挟まっているテコは緩衝材のように体の形を変形させ、小さな手をばたばたと振っていった。

「どうしても離れない。なんとか出来る?」

『や、やってみます……』

泣き疲れすぅすぅ寝息を立てているソノラを、ウィルはちょいちょいと指差す。
護衛獣は主人を映す鏡。女性に気を使うこと何となく察しているヴァルゼルドは、ソノラが目を覚まさないよう注意して引き剥がしにかかった。
三分後、それは徒労に終わることになった。

「うん、まぁ、分かってたよ、分かってた……」

『ス、スイマセン……』

「フミュグー!」

テコから抗議の声が上がるがどうしようもない。
肩身狭い思いでヴァルゼルドは頭を若干垂らしながらその場で直立した。

『……マスター、一つ尋ねても構いませんか?』

「あに?」

場の空気に堪えられなくなったという訳ではないが。
ヴァルゼルドは先程から考えていたことを音声に出力した。

『マスターは、本当にイスラ・レヴィノスを許すのでありますか?』

例えどんな理由があっても、イスラの行ってきた所業の数々は消えない。
集落に火を放ち、ウィルに凶刃を閃かせ、今日絶対の敵となって島の住人達と帝国軍を殺戮しにきた。
これから先も何かしら危害を加えてくるだろう。中には取り返しのつかない事態にまで発展するものもあるかもしれない。
それでも貴方はあれを許すのですか、とヴァルゼルドは何に変えても守り抜きたい主へ静かに問うた。

「…………何も知らなかったら、きっとそんなこと欠片も思わなかったんだろうけどなぁ」

どこか透いた苦笑を浮かべ、ウィルは独り言のように呟いた。

『何か、知っているのですか……?』

「お前がいない時に色々あったんだよ。……ま、正直鵜呑みにしていいのか僕自身も迷ってるけど」

自分がいない間、ということはまだスクラップ場に鎮座していた頃だろうか。

『いつ頃の話でありますか?』

「ずっと前だよ。ほんと、ずっと前……」

ヴァルゼルドを見ていた深緑の目が更にその上、星が散りばめられている夜空の方へ向かう。
ウィルの言い方に少し疑問を覚えたが、取り分け問い質そうとはしなかった。
ずっと前と言ったのだから、ウィルにとってそれは遠い日の出来事ということになっているのだろう。
空を見上げる姿勢で心情をどこかに馳せているようなウィルを、ヴァルゼルドは黙って見下ろした。



「何やってんだ、お前等……」

と、時間がある程度経過した頃。
アジトの方角から船に上がってきたカイルが、呆れたような声をヴァルゼルド達に放り投げた。

『海尉殿……』

「おおっ、いい所に! あんたのとこの妹さんを寝床へ持っててやってくれ!」

「別に構わねえけどよ……」

どうしてこうなった、と訝しげにカイルは顎を動かす。
しかしウィル達の体勢をよく見た所でおおっ? と顔をして、次には意地の悪そうな笑みを作った。

「何だよ、人の妹をたぶらかしてやがったのか?」

「つうより僕が逆に押し倒されたな」

「かーっ、情けねえっ。そこは先制打喰らわす所だろうがよ」

「僕に蜂の巣になれってのか」

「それくらいの覚悟踏んでねぇと、俺の妹はやれねえなぁ」

ニヤと笑うカイルにウィルは左足をスイングして靴を飛ばす。
ひょいと軽く往なしたカイルは屈みこんで妹の剥離作業に取り掛かった。
ウィルの服をがっしり掴んでいる細い両手にチョップを二発、指が緩んだ瞬間ばばっと取り上げ、多少強引にその小さな体を引き剥がした。
おお~、とウィルとヴァルゼルドの間で感嘆の声が漏れる。ころりと転がり床に弾んだテコはゼェゼェと喘いだ。

「そう言えば、どこ行ってたの?」

「ラトリクスとかメイメイの所とか、まぁ色々だ。クノンに連行されちまってな、せっかくだから他の集落にも寄っていったのさ」

武器も壊れちまったからな、とカイルは溜息をつく。
近況を語る様子は無色との交戦が尾を引いてしまっていることを暗に告げていた。

「ていうか、ウィル、てめえあの大砲はどういうことだ。あんなの聞いてなかったぞ」

「敵は騙すからには味方から」

「ほう、本音は?」

「露見すると撤去されそうだったから言わなかった」

「死ねえッ!」

ぶんっ、と先程の靴を投げるカイルだったがウィルはひょいと軽く往なす。
壁に当たって転がったそれを取って履き、すたっと軽く立ち上がった。

「ったく。実際あれに救われたようなもんだから責めれる筈ねえが……お前知ってたのか、あいつ等が島に来るのを?」

「イスラがどっかに電波を飛ばしかけてたのは目撃した」

飄々と語るウィルにカイルは「先言っとけよ…」と頭を抱える。
ヴァルゼルドも今回のミッションはやけに具体的な指示であったことを思い出したが、確かな裏付けがあったのかと納得した。

「そう言われても目撃したのは結構前だよ。帝国軍抱えてる状態で別の外敵にも気を付けろって言われても、注意が散漫するだけだったよ、きっと」

「そうだろうけどよ……」

「結界っていう代物があったらしいから、別に気にかけることでもないかなってそう思ってたんだ。昨日までは」

そう言われるとカイルも返す言葉がないようだった。眉の形を崩して閉口する。
パナシェの話もあって念には念を入れた、と語り終えるウィル。ヴァルゼルドにも理路整然とした話のように聞こえた。
自分の改造計画に何か今回のことを見越した感があったと感じるのも事実だったが、しかしあれはアルディラの暴走の一言だ。
姿形変わった自分を見たウィルの引き攣った顔は忘れられないし、護衛獣になった日に「マッドには気を付けろ」と念入りに警告されもしていた。
主人が上手く利用したというだけの話なのだろう。

「……さっき聞いたけど、無色の派閥、根絶やしに出来なかったんだって?」

「根絶やしって……いやまぁ、その通りだけどな。やる気そがれたってのもあるが、あの僧侶みたいな女とジジイが半端じゃなかったな」

「……畜生」

ぼそっ、とウィルが何事かを吐きこぼした。小さ過ぎてよく聞き取れなかったが。
今日で殲滅する気だったのに、ていうか強くなり過ぎだろ、デッドアンドリバースなんて聞いてねーぞ、と何やら怪しい言葉が続く。
ヴァルゼルドには半分も意味は解らなかった。

「そもそも人員増え過ぎなんだよ自重しろよ自重……」

「……オイ、訳わかんねえこと言ってんな。何もなかったらもう寝とけ。疲れとっとかねえと、明日何が起きるかわかんねえぞ」

ぶつぶつ言っていたウィルだったが、その言葉に「むっ」と何かを思い出したように顔を上げる。

「ヴァルゼルド、この辺りに人の反応ある?」

『いえ、先程からそれらしい熱源は感知出来ませんが』

「……? じゃあ、あっちの浜辺の方は? アレとかアレとかアレがいない?」

『アレ、とはよく解りませんが……本機がここから一望出来る距離には誰も見当たりません』

「…………あれ??」

首を傾げるウィル。
ヴァルゼルドも彼が何を気にしているのか分からない。

「何だ、気にかかることでもあるのか?」

「……カイル、アレ……帝国軍の女隊長どっかで見た?」

「はぁ? あいつ等はお前が全員病院送りにしただろうが。アズリアの奴も先生と一緒にクノンの手伝いしてやがったぞ」

「…………」

カイルの言葉にウィルはきょとんとした顔を作った。
珍しく間抜けな表情をしていたかと思うと、二三度瞬きをして「……あぁ」と口を僅かに綻ばせた。

「そっか、そっか……」

「そっか、じゃねーよ。俺達まで巻き込みやがって。殺す気かっ」

ヘッドロックをかけてくるカイルにウィルは「いでででっ」と言うが、腕に埋もれている顔は笑っていた。
ヴァルゼルドの知らない所で、ウィルは何かを喜んでいるようだった。

「……誰も、死ななかったんだよな」

「死ぬ所だったって言ってんだろう」

どごっ、と拳骨かまされるがウィルは笑みを絶やさない。
頭の帽子を深く下げ、自分の顔半分を覆い尽くすようにした。
「居ない筈だ」と小さくこぼして、ウィルは船外に歩を進め始める。

「おい、ウィル。どこ行くつもりだ」

「先生の所。あと、帝国軍。謝罪がてらちょっと知りたいこと聞いてくる」

「明日でいいじゃねえか」

「今日聞きたい気分なんだ」

機嫌良く答えるとウィルはすぐに船から陸に続く階段を下っていった。
取り残されたヴァルゼルドとテコは互いに顔を見合わせ、たっと小走りにウィルの後を追う。
テコを先に行かせ、ヴァルゼルドも階段に進もうと船縁に手をかけた、その時。



『──────』



視線の先に、赤毛の青年がいた。


『…………』

赤を基調とした服に包まれていた。
平均よりやや高い身長の体は細身のような印象を受ける。
が、姿勢と歩行のバランスから筋質が鍛えられていることがよく分かった。
一定の歩幅を刻む様は軽くなだらかで、何故か、ヴァルゼルドのよく知る人物と背中がだぶって見えた。

階下、自分と同じようにテコも固まっている。
視線の行く先は無論赤毛の青年のもとだ。
そして、ようやくヴァルゼルドは気付く。ウィルがいない。
青年と入れ替わるようにして彼の姿が消えてしまった。先へ行ってしまったのだろうか。
いや、そうじゃない。あの青年は誰だ。
何故誰とも知らない人物を警戒しないでほったらかすような状況を維持している。
でも、それもしょうがない。
だって、似ているのだ。あの人に。あの方に。あの主に。
自分が契りを交わした、あの少年に────

「……っ」

すぐ後ろ、息を呑む気配がした。
テコと一緒に振り返るとカイルもまた目を見開いている。
彼も瞳に自分達と同じものを映しているのか、何かを此方と確認するように顔を見合わせた。

「おーい、テコ、ヴァルゼルド。行くよ」

『!!』

響いてきた声に視線を戻す。
そこには、振り返りヴァルゼルド達を仰いでいるウィルの姿があった。
森に進路をとっている少年はヴァルゼルド達に付いてこいと促してくる。
青年の姿は、さっぱりと消えていた。

『……マスター?』

「うん?」

「……お、おい、ウィル。今、誰か居なかったか?」

「誰かって、誰? 無職みたいの?」

「い、いや、そうじゃねえんだが……」

「僕のレーダーには反応がないぞ」

「夢でも見たんじゃないの」と本当に知らなそうに告げるウィルに、狐につままれたような顔をしたカイルは、やがて苦笑して頭をばりばりとかいた。
俺も疲れてるみたいだな、と笑う彼は「気を付けろよ」と最後に声をかけソノラとともに船内へ入っていった。

「みゅ、みゅう……?」

『…………』

……センサーの故障?
過去のメモリが視覚野に映像を投影してしまったのかとヴァルゼルドは考える。
しかし、自分は元よりVAR-Xe-LDの記録を洗い浚い探っても、さっきの青年のような特徴をもった人間は一件もヒットしない。
純粋な疑問だけが反芻される。

「おぉーい。ちょっと急がないと駄目かもしれないから、早くー」

『「!」』

そう言って歩き出そうとするウィルに、テコもヴァルゼルドも動きを再開させる。
いつまでも経っても弾き出されない解答にこれ以上時間をかけても無駄、ウィルに迷惑をかけてしまうとヴァルゼルドはそう判断する。
足音立てて追ってくる自分達を確認して、ウィルも前を向き足を動かし始めた。

聞けばいいとヴァルゼルドは思う。
一笑に付すような話だが、ウィルに聞いて、それこそ笑い飛ばしてもらえばもう気にならなくなるだろう。
機械の身でありながら感じてしまった言い様のない感覚……不安も姿を消す筈だ。


『…………っ』


だが、ヴァルゼルドは聞けなかった。
今も遠ざかっていくウィルの背中が。
青年のものと重なる小さな背中が、どこかへ消えてしまうような気がして。

今は聞くことも何もかも放り出し。
居なくなってしまわないように、その背中をテコとともに必死に追いかけた。



[3907] サブシナリオ10
Name: さもない◆5e3b2ec4 ID:5419e509
Date: 2010/07/17 10:10
建築材で舗装された通路。
多様な機械施設に囲まれた一角は静まり返り、空から振る月明かりが照明の光と混じっている。
開けたその空間には二つの影がいた。

「全く、お前は自分の生徒にどういう教育をしてきたんだっ」

「あれは私のせいじゃないですよう……」

光に照らされ艶を帯びる長い赤髪を揺らしながら、自分は一切関与していないとアティは肩を落としてそう言った。
彼女の目の前にいるアズリアは不服と言わんばかりに顔を顰めている。


ラトリクス。
数多の星を湛える夜の空に負けず劣らず光を散りばめる人工灯溢れた機界集落は、樹木の栄える森林の中で異彩を放つかのように輝きを纏っている。
ぼんやりと闇を彩る輝きに、一部の者は気付いたかもしれない。常時より光が強く、あたかも砦のように周囲へ牽制の色を示していることを。
近付いてくる獣を火で追い払うかのように、ラトリクスは夜になっても眠ることなく活動を続けていた。

アティとアズリアは中央管理施設から一区画離れた補給ドッグにいた。
あの夕闇の墓標の戦闘後、無色の派閥から辛くも逃れることに成功したアズリア達帝国軍は、遅れてやって来たアティ達に引率される形でここラトリクスに搬入、戦闘で受けた傷の手当てにリペアセンターで治療を受けることとなった。
アティ達と敵同士であった帝国軍だが、抵抗するような真似はせず素直に治療を受け入れている。
度重なる疲弊と今回の一戦により精も根も尽き果ててしまった彼等に、反抗する意思など残されている筈もなかった。

むしろ搬入された後は、クノンによる手厚い看護とふかふかのベッドを始めとする不備一切ない寝床に泣いて喜ぶ者達が大多数だった。更に詳細すると前者による効果の割合の方が圧倒的に高い。
癒しの笑顔を身につけるようになった白衣の天使に、野太い男どもは槍で突かれ薙がれたことも忘れ頬を涙で濡らしたのだ。
注射での荒療治(ちりょう)によって感激の声が悲鳴に変わるもまた早かったが。

そして今現在。
負傷者の手当ても大方終了し、クノン達の手伝いをしていたアティとアズリアは休憩がてらリペアセンターから抜け出し、今後のこともろもろ含め話を交わしていた。

「教役に就いたというなら、その者は指導する立場として教え子に対する全責任を負わなければならない。そんなことも分からずに教師などやっているのか、お前は」

「うぅ、こればっかりは理不尽です……」

というよりウィル君に関わってから理不尽の嵐ですよー、とアティは泣きながら口にする。笑顔でサムズアップする生徒の顔を夜空に幻視した。
実は無色派閥以上にウィルの砲撃によって多大な被害を受けている帝国軍。部隊長であるアズリアは憮然とした表情を隠しもせず、教導責任者へ灸を据えるのを緩めようとはしない。
「大体お前は軍学校の時からだな……」と過去に遡ってまでアティの落ち度を引っぱり出している。
久方ぶりの知己の説教にアティはぐうの音も出せず頭を垂らした。

「いいか、二度とあんな真似をさせないようしっかり監督しておけ。……次があったら、我々の堪忍袋の緒が切れるぞ」

既に切れかかっているのだ、とアズリアは本気と書いて殺ると読む瞳をすっと細める。
正直それはアズリアだけじゃないかなぁ、と帝国軍兵士みなさんの憔悴具合を思い出しながらアティはぼんやり思った。もはや怨敵必殺のオーラは尽き果てたかのように感じられない。
仏(?)の顔も三度まで、というシルターンの諺はある。では分福茶釜(たぬきのおんがえし)が訪れる日も来るのだろうとか、と目の前の現実から逃れるようにアティは意識を思考の彼方へと旅立たせるのだった。
夜空の少年は依然嘘臭い笑みを絶やさない。

「……だが、助かったのも事実だ」

「……アズリア?」

ふぅ、と息をつく音ともにアズリアは空を仰ぐ。

「ああ、助けられたな……あの小憎らしい狸に、敵だったお前達に……」

「……」

「今日の今日まで侵略者だった私が言える義理ではないが…………ありがとう。私も、部下も、お前達のおかげで命を繋げられた。感謝、している」

腰を折り頭を下げたアズリアを見て、ああ変わらない、とアティは笑みを浮かべた。
誰よりも厳格で、自他に容赦せず、頑固と言っていいほど融通の利かない、けれどだからこそ、こうして躊躇いもせず他者に誠意を開くことの出来るアズリア・レヴィノスという一人の人間。
袂を分ったあの日から何ら変わっていない知己の姿に、互いを隔てていた衝立が取り払われたような、そんな思いを味わった。

「私も、またこうしてアズリアと話が出来る日を迎えられて、感謝してます」

「……お前という奴は」

顔を上げ苦笑するアズリアは、けれど満更でもなさそうだった。
すれ違っていた想いは、時を一つ置いて再び手を取り合い、肩を並べた。




「召喚呪詛……」

「ああ、病魔の呪いだ。あの娘は……イスラは、生まれた時から癒えることのない苦痛に犯され続けていた……」

光を浴びながらアズリアは静かに語る。正面に向けられた遠い目は寂寥と悲愴に明け暮れていた。
明らかになったイスラの本性。黒幕、無色の派閥との繋がり。
今日をもって公になった事態に、アズリアはイスラの過去を交えて彼女達の背後関係────己の憶測をアティへと話す。


アズリアとイスラの父親は、帝国軍陸戦隊切っての選抜部隊その長だった。
任務上、無色の派閥と激しく敵対していたアズリアの父親は尽く彼等の活動を取り締まり抑えつけ、故に派閥の憎しみは、明確な的に置き換えられた彼へと集束することとなる。
そしてその憎悪の矛先は本人ではなく自らの子に、つまりイスラに向かうこととなった。
召喚師の命を触媒として厄災をもたらす呪い────召喚呪詛。それをイスラは生まれた瞬間から身に刻みつけられたのだ。
己の意思や行動とは何ら因果関係無しに、理不尽極まる巻き添えという形で。

イスラは死という概念を奪われた。
代わりに与えられたのは、本人以外は想像することすら許されない圧倒的責苦。
およそ致死に匹敵する苦痛を呑まされながら、けれど死に到達することが出来ない。必ず絶命寸前に息を吹き返してしまう。
死を超越しながら体は蝕まれ続けるという矛盾。
生まれ落ちて徳も罪もない真っ白だった一人の少女は、呪いという名の病魔により地獄の底へと埋没させられた。


「私は見たんだ、年端もいかないあの娘が痛みに狂って自害しようとしたその瞬間を。……だが、それでも駄目だった。私の胸の中で大量の血に濡れながら、顔を蒼白にして、それでも生き繋いでしまった……」

「そんな……」

眦に涙を溜めるアズリアの顔は表情に乏しかった。
紡がれるその事実と、淡々と語るアズリアの姿に、アティは胸に穴を穿たれたようなやりきれない痛みを覚える。

「呪いが解けない限りイスラは永遠に苦しみ続ける……解っていた筈なのにな。回復の兆しが顕著になり、私はその事実のみを受け入れて……。そんな自然に治癒することなど、あり得る訳がないというのに」

アズリアの頬が自嘲に歪められる。

「古の召喚呪詛から逃れるためには、同じく古くからの知識を持ち合わせている者達に頼る他ない。だから、イスラは奴等と接触した。病魔の呪いから解放されたいがために」

後は大方予想がつくだろう、と己の考えをあらかた喋ったアズリアはそう締めくくった。
派閥に助けを乞うたイスラに見返りとして求められたのは帝国のスパイ。諜報部に所属した彼女は軍の情報を無色の派閥へ流すことで自身の地位を確固のものとし、そしてのし上がった。
帝国軍の護送する「剣」の横奪任務や、この忘れられた島へオルドレイク達を導く任務の中核をなすほどに。

「お前も知っての通り、レヴィノス家は傭兵としての活躍をあげ帝国の名誉国民となった一族だ。今でこそ名門などと謳われているが、当時はなり上がった下賤の身だと蔑まれていてな。周囲を黙らすには、それこそ形振り構わず上級軍人を輩出し続け結果を示すしかなかった。名家となった今もその習わしを引き継いでいる」

周囲から耳に挟んでいた程度のレヴィノス家に関する知識。
イスラに関することなのか、軍学校時代も家の事情を語ろうとしなかったアズリアはぽつぽつと話し始める。

「男子に恵まれなかった私達の代はそれは失望された。とりわけ、女である私の後から生まれてきたイスラは期待されていただけに落胆も大きかった。その反動もあって、男でもなく、また呪いによって病弱なあの娘は家中から忌避されたよ。表面では誰も口にしなかったが、一族の恥とするそんな空気さえあった」

「……」

「生まれてしばらくして、イスラは療養という名目で実家から遠く離れた別邸に移された。あの娘のもとへ度々出向く私のことも父は気に食わなかったのだろう……私の軍人として成功する道に百害あって一利なしと、そう判断してイスラを私から遠ざけたのかもしれない」

アティはアズリアの胸の内を思いはかる。
家の風習と姉としての感情に挟まれた当時の彼女は、一体どれほどのジレンマを抱えていたのか。
家の名誉を守ろうと幼少の頃より心身を酷使し、一方で自分と離れ離れになった妹の境遇の違いに心を痛める。
彼女自身も決して家中から歓迎されていないにも関わらずそれら苦難を振り切り、問題児の集まりとはいえこうして海軍の部隊長に就いたのは、ひとえにアズリア・レヴィノスという人間の芯の強さの賜物なのだろう。
アズリアの携える頑なの出世意欲と、妹(イスラ)に対する後ろめたさ、それを垣間見た気がした。

「私はまだ良かった。いや、恵まれ過ぎていた。今日あの娘に言われた通りだ。私は自分のことだけで何もしてやれず、逆にあいつをレヴィノスという枠の外に追いやっていた」

「アズリア……」

「……いつの頃からだったかな。顔を合わすごとに快癒へと向かい、日に日に元気な姿になっていくあの娘を見て、私はただ喜んだよ。奇跡が起こったのだと、あの娘は救われたのだと……」

それから月日は経ち、アズリアが軍学校を卒業する頃、イスラは彼女と入れ違うように軍属になるべく帝都へ向かった。
軍務省の選抜試験を一年足らずで通過してみせた彼女を、家の者達はそれまでの態度を翻してそれは称賛したと言う。
恐らくその時すでに、イスラと無色の派閥は深い所まで結ばれていたのだ。

「私は都合のいい解釈に逃げてしまった。私は、イスラの何も見ていなかった……」

俯くアズリアにかける言葉が見つからない。
だが、それは違うと。アズリア一人が背負う責任では決してないと。
自己嫌悪に苛まれている目の前の親友に、アティはそう伝えようとした。


「何だ、よく自覚してるじゃん」


「「!?」」

だが、そこで突然の声が降る。
アティとアズリアが顔を振った先、建物の作る影の中。
アズリアと同じ黒髪の少女が、一人ゆっくりと歩み出てきた。









然もないと  サブシナリオ10 「ウィックス補完計画その10 ~終わりなき誓いは夢を見る~」









「嫌味の一つや二つ言ってあげようかと思ったけど、必要ないみたいだね」

「イスラ……!?」

アズリアとアティは驚きを隠せない。
数時間前には激戦を繰り広げたばかり、まさかこうまで早く来訪するとは予想することも出来なかった。
しかも、イスラ単独である。
人が潜める物陰にはおろか、周囲一帯に彼女以外の気配は感じられない。
相手陣地に物怖じ一つせず現れた少女に、警戒よりも一体何しに来たのかという困惑が先立つ。

「どうやって、此処まで……」

こと限って、多くの帝国軍負傷者を抱えるこのラトリクスは至る所に設置された警備装置がフル稼働し、厳重な警戒態勢が敷かれている。
監視カメラの網を潜ってここまで素通りするのはほぼ不可能の筈だ。

「やだなぁ、私が何のためにアティ達の懐に居座ってたと思ってるの?」

「!」

察する。まず、前提は違えていた。
二重スパイ。帝国軍諜報部というのはあくまで表向き、本命は派閥の工作員。
イスラは帝国軍としてアティ達の周囲を内部調査するだけでなく、無色の派閥の上陸のためにあらかじめ島の地理や集落の情報を入念にかき集めていたに違いない。

「機界集落(ここ)では衣食住でお世話になってたしね。近場の抜け道だったら大体押さえてある」

機械(め)の一つや二つ潰せば侵入もちょろいものだと、イスラは軽く語ってみせる。
細い人差し指を振って8の字を描きながら、得意げそうに胸を反らした。

「お人好しさん達のことだからどこかでお姉ちゃんを匿ってると思ったけど……一発で当たりか。本当に分かりやすいね、君達は」

「……」

細く口を吊り上げるイスラはアティに視線を飛ばし、鼻で笑う。
安い挑発。アティはイスラのペースに唆されないよう正面から彼女の瞳を見つめ返した。
その態度に興醒めしたのか、面白くなさそうに半目をしたイスラは気まぐれの子猫のようにつんっと顔を背け、そしてアズリアの方に正対した。

「じゃ、さくさく用件を済ませよっか。……殺しにきたよ、お姉ちゃん」

「……!」

「結構減点がかさんじゃってさ。色々勘繰られる前に、お姉ちゃんの首をお土産にして、派閥へ忠誠の一つくらい誓っとかないとね」

差し出してくれるでしょ? とイスラは無言の圧力を発しながら微笑みかける。
切れ目の姉とは違う大きく円らな瞳が、針のような光を帯びた。

「ッ!」

「ちょっと、割って入らないでよアティ。さっきの話聞いてたんでしょ? これは私とお姉ちゃんの問題なんだから」

アズリアを庇うように前へ出るアティに、邪魔、と言外にイスラは告げる。
目の前の少女に臆することなく舗装道路へ足を根付かせるアティだったが、その肩にすっと手を置かれ、やわい力で後ろに引かれた。

「……アティ、下がってくれ」

「アズリア!?」

アティと入れ替わり前に歩み出るアズリアは沈んだ目で妹を見る。
イスラは無表情に近い面持ちで彼女を見返していた。

「……一つ、聞かせてくれ、イスラ」

「なに?」

「私は確かにお前へ何もしてやれなかった。お前が恨むのも無理はない。ただ……この島へ来てお前と通じ合えていたと感じたのは、私の勘違いなのか……?」

この島であったイスラとの交流をアズリアは思い返す。
砂浜での戯れを含めた幾つもの出来事。世界の至る所でありふれているだろうごく普通の姉妹による一幕が、目を閉じればありありと再現できる。
ぎこちなく接する自分に、悪戯めいた笑みで常にからかってくるイスラ。
未練だということはアズリアも理解している。ただ、過去を埋め合わすように交わしたあの時間も偽りに過ぎなかったのかと、彼女は何かに懇願するように真偽を問うた。

「……」

些少の空白。
後ろ髪に手を伸ばしくるくると弄るイスラは、やがて言う。

「……私も楽しかったよ、お姉ちゃん。ユメみたいだった」

「……イスラっ?」

思いがけない返答──半ば予想していたものと違う妹の姿に、アズリアの目が見開かれる。
穏やかな装いで薄く顔を綻ばせるイスラの顔は、春風のように清くほがらかだった。
夜風になびく清涼な静寂がこの場に訪れる。
堪え切れないというようにアズリアの足が身を乗り出した。

「ホント楽しかったよ、家族ごっこ」

間を置かず、それまでの空気が容易く霧散した。

「────」

「昔に置いてきた家族ごっこ、私も楽しめたよ? ベッドに寝っぱなしだった私には、お姉ちゃん、あんな風に笑いかけられなかったもんね? いつも私の顔色窺って、びくびくして、ずっと後ろめたそうだったもんね? あんな仲好し子好しに振る舞える筈なかったもんね?」

「…………ぅ、ぁ」

「餌を与えられた犬みたいに笑ってるお姉ちゃん見て、私、可笑しくて可笑しくてたまらなかったよ。“ああ、この人は今本当に心から安心してるんだな”、って……。もう責められる心配はないって、疑ってないんだなって」

穏やかさを装う笑顔は崩れていない。それどころか目を弓なりにして笑みは深まっている。
ただ言葉に含まれる無邪気な害意が、アズリアの呼吸ごと周囲の空気を捻じ曲げていた。
彼女の心を抉るかのようにイスラは言葉の刃を止めない。

「お姉ちゃんもこんな顔出来るのかって新鮮だったよ、吐き気がするくらい滑稽だったけど。……ユメはユメでも悪夢だったかな? いつ派閥の命令を無視して襲っちゃうか気が気じゃなかったもん。ふふっ、あはははっ……」

アズリアの顔に色らしき色は残されてはいない。微細に震える肩が彼女の心情を表していた。
顔の半分を片手で覆い上体を丸めながら笑うイスラは、ややあって、それまでの鳴りを潜めて姿勢を正す。
指の隙間から覗く毒刃のような瞳がアズリアの顔面を突き刺しにいった。

「お姉ちゃんは私よりレヴィノスの家のことを取ったんだもんね? ただの我儘だけど、私は寂しかったなぁ」

「…………わたし、は、」

「別に構わないんだよ? 死にかけの妹より家の名誉をとったお姉ちゃんの選択は至極正解だと私も思うし……」

間。

「……たださ、少しでも負い目を感じてるっていうなら、見捨てられた妹のお願いの一つでも聞いてくれてもいいんじゃないかって、私はそうも思うんだ」

情に訴えかけるかのように、傷口につけ込むように少女は言葉を這い寄らせる。
口元を劣悪な笑みに変え、イスラはぎゅうと瞳を急激に細めた。

「だからさ、お姉ちゃんの命、ちょうだい?」

イスラの空いている片手が機敏と蠢いた。
背に手をやったかと思うと次には刃物が握られており、間髪入れず瞬目の勢いでアズリア向けて投擲。
飛燕のような一閃が彼女の首元に迫る。

「アズリアッ!」

「!!」

素直に頂けば致命傷を与えただろう短剣を防いだのは、横合いから振り下ろされた杖だった。
アティは檄を飛ばすように声を張り上げる。立ち竦むだけに留まっていたアズリアも、はっと意識を改める。

「イスラさんっ、アズリアは貴方のお姉さんでしょう!? どうしてこんなっ……!」

「あははっ、勘違いしないでよ、アティ。私はお姉ちゃんが質問があるって言うから律儀に答えただけ。ちょっと本音(て)が出ちゃっけど、他意はないよ?」

「っ……」

それにどうせ君が防いじゃうんだし、とイスラは悪びれた様子もなく続ける。
アティはその態度を咎めるように睨みつけた後、厳しい顔付きのまま諭すように言葉を並べた。

「イスラさん、貴方も解っているんじゃないんですか? アズリアの気持ちを、ずっと苦しんできたお姉さんの気持ちを……」

「知ってるよ、それくらい。家族の義理か義務かは知らないけどさ、私のこと心配してくれてたんでしょ? ……で、それがどうしたの?」

「なっ……」

「うん、そうだね。お姉ちゃんは私のことを心配してくれていたかもしれない。それで? お姉ちゃんは何をしたの? 私が苦しんで喘でいる時に、何かしてくれたの?」

「……っ!」

「ふふっ、何もしてないよね? お姉ちゃんも自分で言ってたじゃない。……身にならない想いなんて、存在しないのと一緒だよ?」

愕然とした呟きを漏らすアティの後ろでアズリアが息を呑む。
イスラは首を軽く傾けながら人を小馬鹿にするような笑みを継いだ。

「結果の前じゃあ、大事に抱えてた本音なんてもの何の価値にもなりはしないよ。最終的に生まれた利益だけが全てだもん。私を助けてくれた派閥と、私を助けられなかったお姉ちゃん……ほら、どっちが有益かなんて一目瞭然じゃない?」

「貴方に呪詛をかけたのは、その派閥なんですよ!?」

「それがどうしたっていうのさ? 確かに私は顔も知りもしない連中にこんな体にされた。でも、何も出来なかったお姉ちゃんより、こうして生きる自由をくれたオルドレイク様の方が私にとってよっぽど有難みを感じられるよ。じゃなかったら、私は一生ベッドの中だったんだし」

優先されるのは結果だと、少女は頑なに主張する。
どうしてもその考えを首肯出来ないアティは唇を動かしかけたが、イスラがそこで表情を消した。

「平行線だよ、アティ。あの地獄を知らない君に私の気持ちなんて解る訳ないし、理解してもらおうとも思わない。知ってもらったとしても、どうせ綺麗事を並べる君に私の腹が立つだけだ」

「っ……!」

「私にとっての現実がこれだけだった。それで十分でしょ?」

そう言い切ったイスラは自然な動作で腰に差していた剣を抜く。

『!』

「時間もないし、さっさとやろう。おたくの生徒さんのせいで無色(あっち)は今偉いことになってるからね。此処に来たのも私の独断だし、ばれる前に蹴りをつけたいんだ」

空から降る月の光を剣身が鋭く反射する。
イスラは構えた剣とは別側の手に、紅のサモナイト石を握り締めた。

「ほら、早く構えなよ? じゃないと死ぬよ? アティも、お姉ちゃんも、私が殺しちゃうよ?」

「イスラ……っ」

瞳から感情を取り除き臨戦態勢に入るイスラの姿に、アズリアの眉根が苦渋に歪む。
決別の言葉を告げられてもなお、その顔には、肉親と剣を交えることを拒もうとする思いがありありと浮かんでいた。

「……踏ん切りつかないっていうんなら、その気にさせてあげるよ────『ココノエ』!」

イスラが声を張り上げ、サモナイト石から眩い光が生じ出したと思えば、ボンッという音ともに「狐火の巫女」がリィンバウムに召喚される。
表情の窺い切れない仮面の少女は、指の間に挟んだ一枚の術符を眼前に構え、そして地に叩きつけた。
爆発。
軽い粉塵が巻き起こり、煙が立ち込め。
やがて、そこからゆっくり出てきたのは、外見を等しくさせた二人のイスラだった。













「!?」

「化けた?!」

アズリアとともにアティは驚愕を露にする。
アティ達の視界前方を覆った煙の中から二つの影が輪郭とともにはっきりと浮かび上がってくる。
同じ顔に同じ背格好。身体的な特徴から歩幅まで同質な、二人のイスラが歩み出てきた。
瓜二つの双子、などという表現では生温い。今こうしてアティ達へ向かってくる側から全ての動作──歩行、歩幅、姿勢が共通している。
まるで鏡像。唯一剣を持つ手は左右反対にする二人のイスラは、唖然とするアティ達目がけ同じタイミングで一挙に駆け出した。

「アズリアっ!?」

「くっ!」

二手に別れ各個で当たってくるイスラ達に、アズリアも仕方無しに抜剣。
刹那を待たず、すぐに金属のかち合う音が二重に響き渡った。

(どちらが本物……!?)

正面のイスラに意識を置きながらもアティは考える。
間違いなく片方の「イスラ」は狐火の巫女が化けた偽のイスラだ。かといって、アティにはその幻術を見破ることは出来ない。
余りにも巧妙な変化の術であり、また一人と一匹は見事にお互いの息を合わせている。
一朝一夕で至れる代物ではないのは明白。恐らく、ココノエと呼ばれるこの狐火の巫女とイスラの間には、護衛獣の関係に負けず劣らずの深い馴染みがあるのだろう。誓約を交わしたその瞬間から彼女達は多くの時間をともにしてきたに違いない。

不味いとアティは言葉にせず呟く。アズリアに今本物のイスラを当てるのは下策だ。
殺害を明言しているイスラの手にかかれば、傍から見ても迷いのあるアズリアは大した時間を要さず討たれてしまうことになるだろう。
ココノエの剣技がどれほどのものか予想はつかないが、手練であるイスラの実力に伯仲するとは考え難い。アティ自身が本物を受け持てば取りあえずアズリアの無事は保障できる筈。
現在の対戦関係を破棄するか否か。
一瞬で思考を走らせたアティは判断の岐路に立たされる。

「っ!?」

「!」

一先ず鍔迫り合いを解くため剣を弾くが、そこで相手のイスラの上体が大きく崩れる。
瞳を剥く少女はその失態を隠すようにすぐさま斬りかかってくるが、その剣筋は余りにもお粗末、出鱈目だ。
アティは切り返しの要領で強烈な横切りを見舞った。振るった剣の横っ面を杖で叩かれ、相対しているイスラの体が拒否権無しに間合いから吹き飛ばされる。

(こっちが偽物ッ!)

稚拙な剣技にアティがそのように断ずると、すぐ隣でアズリアともう一人のイスラが連続して火花を散らす。
判断は即時の反応に変換され、アティのつま先は剣撃を交わす姉妹のもとへ向いた。


「油断しちゃったよ」


「────」

愉悦を含んだ声がアティの耳朶を舐めた。
後方より忍び寄った声音は聞き慣れた少女のそれ。
戦慄に凍り付いたアティの瞳が背を顧みれば、捉えたのは剣の穂先を今まさに打ち出そうとする本物の姿。
────“化かされた”。
アティが状況を把握した瞬間、狐(イスラ)の顔が狡猾な笑みに歪んだ。

「あはははっ!」

「──────ッ!?」

高速の突きがアティの背中へ驀進する。
無防備な後ろ姿を守ろうと振り向きざま斜に構えられた杖は、ぎりぎりの所で剣突の進路を阻んで上にずらすことに成功した。
肩を抉る軌道で首の真横を通過する一閃。絶体絶命の危機を脱するアティだったが、イスラはそこで止まらない。
背筋を駆け巡った冷気にアティがわななくのも許さず、ブーツに包まれた膝へ痛烈な蹴りを打ち込んだ。

「づっ!?」

「はいはいっと!」

バランスの起点を崩されるアティへすかさず放たれるハイキック。
米神一帯に衝撃。意識に一瞬の空白が刻まれる。
視界の左半分が真っ黒に覆い尽されたかと思うと、アティの体は右手後方へ思い切り薙ぎ飛ばされていた。

「ココノエ」

「!」

アズリアと剣を打ち合っていた「イスラ」──狐火の巫女が大きく後ろに飛び退き、連動して己の持つ剣をアティのもとへ放った。
空間を走る剣は道中で火の粉を纏い、瞬く間にその姿形を四散させ一枚の呪符へと変貌。
瞳の焦点を霞ませるアティの懐へ到達した瞬間、爆発した。




「アティッ!?」

オレンジ色の花弁が狂躁する。
炎の渦がアティを丸ごと呑み込んだ。
繰り出された「炎陣符」。獰猛な燃焼が大気を貪欲に食らい、あっという間に火の海を作り上げた。

「一人めー」

火が付いたように一斉に喚き出すラトリクスの警報装置。
紅の警報灯を全身に浴びながらイスラは笑みを作ってアズリアへと闊歩する。

「あははっ、お姉ちゃんのお友達も灰になっちゃったね」

「っ!」

「さ、覚悟はいいかな?」

アズリアは歯を噛み締める。
妹の私怨に巻き込まれたアティへの罪悪感、中途半端の姿勢で醜態を晒す己の不甲斐無さ。熾烈な罵倒と後悔に体を焦がしつつ、アズリアはアティの救出を第一に身を翻す。
アティの治癒を最優先。イスラを越えて彼女のもとへ行かなければならない。
イスラ達と自身の位置関係から召喚術を選択、実用性が高く軍でも好まれて使われる「シャインセイバー」を素早く発動させた。

「無駄だって」

それに対してイスラは不敵に笑ってみせる。
アズリアと時を同じくして術の執行態勢に入っていた彼女は、サモナイト石を胸の高さで構える。
すると「イスラ」に化けていたココノエが術を解いて紅色の霊体となり、石の光に呼応するようイスラへ吸い込まれていった。

「!?」

イスラへと達するシャインセイバーだったが、彼女の体を守るように展開された呪符の壁と炎の帯が剣戟を阻む。
上級召喚術にカテゴリされる「憑依護法陣」がシャインセイバーを完璧に相殺した。

「ぼうっとしている暇はないよ!」

「っ!?」

俊敏な身のこなしでイスラは斬りかかってくる。
驚愕抜けきらないアズリアだったが咄嗟に反応しその一撃を防御。
弾かれたイスラの剣は、速度を緩めないまま再びアズリアを襲撃した。

「うぐ……!!」

「どうしたの、お姉ちゃん! 真面目にやってよ!」

笑うイスラの剣閃が一度二度と防御を抜いてアズリアの体を掠めていく。
アズリアの劣勢は明らかだった。畳みかけるように剣を振るうイスラに彼女はじりじりと後退を強いられる。
縦横無尽に放たれる攻撃がある時は頬を削り、ある時は軍服の上から四肢を傷付け、血の斑点を点々と空中へ飛ばしていく。

「シッ!」

「ぐあっ!?」

斬り上げから返された剣の柄頭がアズリアの手首を殴りつけた。
骨の髄まで染み込む痛打に得物を取り落とし、そして痛みに悶える暇もなく脇腹へ膝を叩き込まれる。
治療のために軽装を身につけていなかったことが仇となった。力の細いイスラのその一撃も確かな損害となってアズリアの体を貫く。
かはっ、と酸素を体外に引きずり出されアズリアは横転、炎に照らされるアスファルトの上でうつ伏せる。

「ぁ、ごほっ、ごほっ!? うぁっ……!!」

「……情けないなぁ。なに、その体たらく?」

起き上れないアズリアを見下しながらイスラは歩み寄った。
吐きつけた言葉に乗せた失望の色を顔にも浮かべ、苦悶するアズリアを更に蹴りつける。
靴の裏が胸を捉え押し飛ばした。どかっ、と響く鈍音。

「ぐぅっ……!?」

「本当に私の知ってるお姉ちゃんなの? 無様にもほどがあるんだけど」

仰向けに転がったアズリアは、切歯しつつ薄らと目を開ける。
赤く燃え上がる夜空を背にするイスラは軽蔑ともとれる眼差しをしていた。
今まで一度も目にすることのなかった妹の自分を見る視線に、胸が霜焼けたように痛み出す。
こんな時においても自分は感傷を抱かずにはいられないのかと、半分無意識の内にアズリアは考えた。

「拍子抜けもいい所だよ。それとも私を馬鹿にしてる訳?」

「……っ」

「もっと私を楽しませてよ。虫みたいにベッドへ埋まってた時からずっと考えてたんだから。私から何もかも奪っていったお姉ちゃんを叩きのめす所を。……安い同情を向けるだけで、私を哀れむことしかしてこなかったお姉ちゃんを斬り刻む所をさぁ!」

声を一段と高くする妹の姿に、アズリアはショックを受けるのと同時に心が急速に冷めていくのを感じた。
何てことはない。自分の行いはイスラにとって屈辱感を植え込むだけで、本当に、何の助けにもなりはしなかったのだと。
力の入らない腕を使い上半身を起き上らせ、鈍い動きで片膝を立てた姿勢に体を持っていく。

「ほら、立ってよ、早く。じゃないと本当に今ここで終わらせちゃうよ?」

「…………せ」

「はぁ? 何言ってるのか全然聞こえないんだけど?」

「……殺せ」

「…………」

ピクリ、とイスラの持っている剣が揺れた。
アズリアは悔恨に取りつかれたよう表情で、ともすれば疲れ切った老人に似た雰囲気を纏いながらイスラに呟く。

「全てお前の言う通りだ。私は自分の可愛さ余りに、お前に向き合おうとしなかった。逃げていたんだ、私は。……私がもっと強かったら、本当にお前のことを助けようとしたなら、また別の道が見つかったかもしれないというのに」

イスラの顔を見上げながらアズリアを続けた。

「これは報いだ。お前を救い出してやることの出来なかった、私のな」

「……それが、お姉ちゃんの答え?」

「ああ、覚悟は出来ている」

達観して言葉を落とすアズリアに、イスラは苛立ったように顔へ皺を刻んだ。
ゆっくりと剣の先を喉元に突きつけられたアズリアは顔色一つ変えず、逆にそれを贖罪とするかのように待ち構えた。
ギリッと歯の鳴る音。
イスラの顔が感情を剥き出したかのように激しいものへと変わる。

「……あっそ。じゃあ、ここで息の根を止めてあげるよっ!」

斬首のために引き戻された剣を最後に見て、アズリアは静かに目を閉じた。
何を間違ってしまったのだろうと心の内で呟いて、すぐに何もかも間違っていたのだと、皮肉めいた笑みとともに思い直した。
剣の鳴る音が聴覚をさらう。慣れ親しんだ刃の威圧が自分のもとに迫ってくる。
その瞳を開けて、少女の顔を見上げていたなら何かが変わっていただろう瞬間を逸したまま。
アズリアは遠い日に見た妹の笑顔を思い出しながら、己の全てを放棄した。



瞬間、爆塵。



イスラの剣がアズリアの肌を貫く前に、光の武具が燃え盛る炎の中から撃ち出された。

「!?」

剣戟が殺到する一点はイスラその人。
真横から猛進してきたその攻撃に彼女は瞠目しながらも咄嗟に片手を突き出す。手の平を中心に現れるのは呪符の陣形。
秒を待たず剣と楯が激突。
激しい拮抗の光条が発生したかと思うと、五振りの刃が引き千切るように護法陣を貫通した。

「なっっ────!!?」

戦慄するイスラへ剣と槍が立て続けに着弾する。
アズリアの放ったものと同じシャインセイバーでありながら、その威力は馬鹿馬鹿しいほどに桁外れていた。過去に複数の召喚術を防いだことのある強力なココノエの結界を粉々に打ち砕いてみせる。
爆音に驚き顔を上げるアズリアの目の前で、イスラが突風に殴り付けられたかのように吹き飛んだ。

少女の体が武具ごと地面に叩きつけられる強かな音と、同時に、大穴を穿たれた炎の壁が喘ぎ散らす声が響く。
一瞬で巻き起こった状況に置いてきぼりにされるアズリアを他所に、一本の隧道を空ける爆炎が、内部から膨れ上がるようにその身を肥大化させる。
ゴウッという音とともに火炎が渦を巻きながら散り散りになり、その中から、炎と同じ色に染まった髪を振りかざすアティが出現した。
火の粉を連れて凄まじい魔力の流れが空へ昇っていく。
顔と衣服、それぞれ負傷と火痕を痛々しいほど刻む彼女は、大汗を肌に貼りつかせながらイスラとアズリアの方角を睨みつけた。

「いい加減にっ、してくださいっ!!」

燃え広がっている火炎地帯を後にして真っ当な大気を取り込む中、大きく肩で息をしながらアティは強く叫んだ。

「殺すだとか殺してくれだとか、姉妹揃って何馬鹿なこと言ってるんですかっ!!」

煌々と燃えるように輝くのはその赤髪だけではない。鋭く構えられた蒼眼までも怒りに滾っている。
一度として拝むことのなかった知己の憤激の表情にアズリアは呆然と動きを止める。地面から身を起こす傷付いたイスラもまた驚駭した表情を見せ、だが彼女はすぐに顔を歪めて取り直すようにアティを睨み返した。

「いい歳こいた子供みたいな人に馬鹿呼ばわりされる日が来るなんて、私も焼きが回ったかなっ……!」

「我儘ばっか言っている貴方の方がよっぽど子供です!」

嘲り顔で告げるイスラの皮肉を、アティはみなまで言わせず両断する。
今までと異なったアティの一気呵成の激しい語調に、イスラは「なっ…」とこぼしてひるんだ。

「全部アズリアに責任を転嫁して好き放題言って、そんなのただの逆恨みです! 少し考えれば分かることじゃないですかっ!?」

イスラ、アズリア、自身と、それぞれが両端と中点を結ぶ一直線の上でアティは大声を発する。
尖った目尻は平静に治まらない。

「自分を見捨てたとか、何もしてくれなかったとか、それじゃあ貴方は一度でも助けを求めたんですか!? アズリアはっ、貴方の伸ばした手を本当に振り払ったんですかっ!」

「っ……!!」

「私には、イスラさんっ、貴方が言う結果である今を、貴方自身が後悔しているようにしか見えません! 貴方が今言っていたことは全部、アズリアに八つ当たりしているだけ!」

「アティ……」

イスラがこの場で口にしたことは自分本位の考え方だ。
話の中で自分のことしか顧みずアズリアの内心を汲んでやろうとしないその様は、幼児が駄々をこねるのと何ら変わりがない。
確かに彼女の境遇は他者が介してやれない悲惨極まるものがある、けれどその不幸を盾として構え彼女が自由に暴挙を働くのは、また話が違った。
ましてやそれは、ただ利欲のためにアズリアを殺そうとする理由には、決して見合わない。
イスラは後悔の感情の捌け口にアズリアを利用していると、アティはイスラの言動をそう切って捨てる。

「そもそもお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんって、単に貴方はアズリアに構ってもらいたいだけじゃないですか!」

変化は劇的だった。
目を見開いた少女の頬が、かあっっと音が聞こえてそうなほど赤面する。
仮面の剥がれていたイスラの素顔があっという間に羞恥に染まり上がり、次には真っ赤な状態のままアティを射殺さんばかりに睨みつけた。

「こ、このッ……!!」

「それに、アズリア、貴方もです!」

目の端にうっすらと滴を浮かべたイスラの高熱の視線を、しかしアティは取り合わず、顔の向きを変えて今度はアズリアに叱責を飛ばした。
完璧な天然(むし)という名のバリアー。
イスラの頬が型崩れた笑みとともに痙攣する。

「殺されてもいいだなんて、そんな罪の償い方、間違ってます!」

「っ! し、しかし……っ」

「たった一人の妹なら、命を差し出すくらい彼女を愛してるんだったらっ、ちゃんと自分の手で笑顔にしてあげればいいじゃないですか!」

「────!!」

肩が震えた。
先程まで枯れきっていた心が、アティの声に横っ面を張られることで揺さ振られるのを、アズリアは確かに感じ取る。
アティは無茶苦茶なことを言っている。
自分はイスラに恨まれている、そんな相手に手を尽くしてもらった所で当人に幸せが訪れる筈が、彼女自身が幸せを認めてくれる筈がない。
けれど……

「今のアズリアも、自分には何も出来ないからって、認めたくない現実から目を背けて逃げ出しているだけです!」

……けれど、『逃げていた』。
その言葉に偽りはない。

逃げていた。
今この時だけでなく、自分はずっと前から妹から逃げていた。
自分だけ自由に生きられることを罵られるのが怖くかった、何もしてやれないことを責められるのが恐ろしかった。
宛がわれていた小さい部屋、ドアを開けると迎えてくれた、あの喜びに綻ぶあえかな笑みを、苦痛に染めてしまうのが──それを目にするのが、何よりもつらく悲しかった。
逃げていた、逃げていた、逃げていた。
妹を囲む現実とは向き合わず、たった一つの絆に縋ろうと半端な毎日を繰り返していた。
────また、逃げ出すのか。
その問いが、アズリアの胸の中を何度もはね返り心に波紋を投じていく。


「無視すんなッ!!」


当時の幼き少女の声が、現代の少女の盛大な怒声に変換される。
アズリアの意識がはっと引き上げられた瞬間、ぐわっと大気が引き裂かれた。
撃ち出されたのは凶悪な形状をした武器群。
沸点を置き去りにしたイスラの「ダークブリンガー」がアティ目がけ疾走していく。
アティは瞳を見張って緊急回避、一瞬遅れて炸裂した禍々しい武装の余波に蹴り飛ばされ、その体は道路の上を転がった。

「……っぅ!?」

「根も葉もない戯言聞いてっ、鶏冠にきたよっ!! そこを動かないで……って、最初から動けないか……あはっ、あっははははははははっ!」

いい様だと言わんばかりにイスラは蹲るアティを見ながら哄笑した。
傷付いた顔を苦悶に歪めるアティは、両膝をついた態勢から動こうとしない。彼女の半身には闇色の膜のようなものがべったりと纏わりついている。
ダークブリンガーの追加効果『暗闇』。
怨念とでも言うべきその闇の衣──対象の動きを制限する異常状態は、アティの自由を奪い体をその場に縛り付けていた。

「予定にはなかったけど、いいや、此所で私の気が済むまで痛い目にあってもらうよ……っ」

半ば正気を失い、瞳を血走らせるイスラはアティに向かい歩き出す。
手に握られる剣が獲物の痛哭に餓えるようにきらめき、舌なめずりをした。

「────くっ!」

痛む体に鞭を打ちアズリアは走った。
取り落とした剣を途中で拾い上げ、イスラの進路へと滑り込む。

「どいてよ、お姉ちゃん。今はお姉ちゃんより、あの偽善者を打ちのめさないと腹の虫がおさまらないんだ」

正面に立ちはだかった瞬間、イスラは表情を消失させる。
それは確かめるまでもなく最終警告だった。完全に頭に血が上ってしまっている今の少女の態度は、噴火前に静けさを纏った火山と何ら変わらない。
邪魔するのならアズリアもここで蹴散らすと、暗にそう語っていた。

「っ……できんっ……!」

震えそうになる声を抑えて、剣を正中に構える。
次第に大きくなっていくイスラを前に、足がひとりでに後ろへ下がりそうになった。

「ふぅん……なら、お姉ちゃんから片付けてあげよっかッ!」

一瞬でトップスピードに乗った黒い影がアズリアに飛びかかる。
依然と迷いを携えるアズリアは、しかし今回ばかりは抜かりなく応戦を演じた。
アティを背にする彼女には、もう本当の意味で後がなかった。

(私はっ……)

己だけでなくアティの命まで預かるアズリアは、危うげにイスラの剣を弾きながら、深思する。
自分は何をしなければいけないのか。自分は何がしたいのか。

「本っ当っ、お姉ちゃんにとってあのお人好しは大切な人みたいだねっ……!」

苛ついたイスラの言葉を聞くたびに全身が反応していく。
イスラ・レヴィノスはアズリア・レヴィノスにとってかけがえのない光であり、そして同時に罪の象徴でもあった。
もう少女から何も失わせはしないと決意した幼少の時代。家の者の目から妹を遠ざけようと躍起になり、少しでも非難の矛先を自分へとかき集めた。嘲弄されながらも必死にあがき続け、自分一人でレヴィノスという家名に報いようとした。

そしてそれからすぐ、自分の行動の過ちを悟った。

見舞いから去ろうとする自分をとても寂しげに、半身を切り裂かれたかのように見つめてくる少女の姿を見て、自分の行動はただの独り善がりだということに気付いた。
少女を一人置き去りにした後ろめたさは、それから以後付き纏うことになる。
あの時、果たして自分はたった一人の妹に、何をしてあげたかったのか。
今、剣を交わしている自分は、彼女に何をしてやらなければならないのか。

「アズリア……!」

アティの言葉を反芻する。
自分はとてもではないが器用な人間ではない。
そんな自分の手でイスラを笑顔にしてやることなど、到底無理な話だと思う。
イスラへの罪滅ぼしには自分の命をもって償うことがちょうどいいことのように思えていた、先程までは。
だか、本当にそうなのだろうか。自分には、何か出来ることがあるのではないか。
妹の凶気を、止めてやることが出来るのではないか。

(私、はっ……!)

心中で発生する自問の数々。
考えるのを止めればすぐにでも自責の沼に囚われる中で、形にならない不鮮明な何かを手繰り寄せようとする。
脳裏を支配するイメージ。踵のすぐ後ろでは、ぽっかりと口を開ける罪の意識がある。つま先の向く前方には、遥か遠くまで伸びる終点の見えない白い道のりがある。
後退か、前進か。
自分の向かう一歩の行方は────


「もうっ、いい加減にしてよ、お姉ちゃんっ!!」


「────ぁ」

足の重心が、後方に広がる大穴へと傾いた。
まるで過去の全てを咎めるようなその言葉が決定打となり、アズリアの体を背後の穴へどんっと押しやる。
イスラの剣が水平に走り、高速の横切りがアズリアの胴めがけ飛んだ。
視界が、黒い靄に染まっていく。

「────アズリアッ、貴方はっ」

けれど。



「自分の手で、妹を人殺しにするつもりなの!?」



陽の光が靄を打ち払った。



「────────ッッッ!!!!」



前進する。
背後で待ち構えていた罪の穴を蹴り飛ばし、大きく前に一歩を踏み出す。
眼前に伸びる白い道が、一気に開けた。
全身の再起動。
己の胴に向かってくる剣を、あらん限りの力をもって迎撃する。

「っ!?」

弾く。
強烈な火花が散り、少女の凶刃が宙を泳いだ。
────何かが自分の中で固まった。


「っ……そんなに友達が大事なら、先にあっちを殺してあげるよっ!」


────そして、何かが自分の中で燃え上がった。


「イスラアァッ!!」

「────ぇ?」


弾かれた反動を利用して脇を抜けようとするイスラを、『先制』の一撃をもってその場に押し止める。
神速の反応から撃ち出された突きがイスラの剣を空へと弾き飛ばし、当の本人は何が起こったのか理解出来ないまま瞠目した。
空間が唸る。
バランスを崩し踏鞴を踏むイスラに、アズリアは柳眉を逆立て剣を従える右手を後方へと。
瞬時に溜められた必殺が、解放の瞬間を食い千切る。
大気が戦いた。
イスラは信じられないものを目にしたかのように瞳を真円にし、そして息を呑んだ。


「ああああああああああああああァァッ!!!」





────紫電絶華────





「ツッッ!!!?」


閃光の連射。
紫電の如き一閃が爆発的に数を膨れ上がらせる。
絶討の乱れ突きが少女の全身を軽々と被覆し、次の瞬間、空中へと吹き飛ばした。













警告灯の光を貫いていく。
その影は地面すれすれを削るように後方へと追いやられ。
ざざっ! とアスファルトを連続と擦過した所で、貫流のような勢いはようやく停止した。
仰向けに転がったイスラは唖然と空を見上げ続け、損害に耐えるようなぎこちない動きで上半身を起こす。

「ココ、ノエ……」

イスラを庇うようにもたれかかっている召喚獣は、力の無くなった頭を少女の胸に預けている。空隙を作る小振りな唇が何かを堪えるように歪んだ。
憑依を独断で解除したココノエは、主である少女を守るため、無謀にも紫電絶華を真正面から受け止めたのだった。
全身に裂傷を作る巫女の少女はか細く呻いた後、送還の光に包まれ跡形もなく消えていく。

数秒を置いて、イスラが顔を上げた。
彼女の視線の前に屹立しているのはアズリアだ。
先程までの弱気だった姿勢が嘘だったかのように、毅然と体を構えながら舞い上がる火の粉を周りに有している。
意志に塗り固められた黒瞳でイスラを突き刺し、アズリアは大きく口を開いた。

「お前が私に断罪を求めるのなら、いいだろう! 私はお前の叱責も拳も甘んじて受けてやる!」

「だがな」と一つの呼気とともに、元々鋭かった双眼が更に吊り上がった。

「関係のない者達に私情を交えることは認めんッ! お前の横暴な都合で、他者を理不尽に巻き込むことだけは絶対に許さんぞ!!」

爆発した気炎がその巨躯をもって少女を射抜く。
ぶつけられたのは明確な怒り。この時をして初めて姉は、敵を前にするかのように自身の妹を睥睨した。
具現する転機。

未だ呆然とした様相が抜けきらないイスラは、やがて何を思ったのか、前触れなく口の両端を上げた。
それは笑形を形作る仮面のように。
見開いた瞳は維持されたまま、少女は狂った道化のように笑い声を上げ始める。

「くっ、はは…………あっははははははははははっアハハハハハハハハハハハハハッッ!! 何だ、出来るじゃんっ! お姉ちゃん、出来るじゃないっ!!」

数刻前までの憤激がそのまま歓喜に変換されたかのようだった。
肩を揺す振りながら立ち上がるイスラの情緒は収まることを知らない。

「そう、それだよ! その目だ! 私が殺したかったのは、今のアズリア・レヴィノスだっ!!」

向けられる敵意をむしろ歓迎するかのようにイスラは喜々に満ちる。
自分だけを見ろとでも言うように右手を胸に差し向け、少女は吠え続ける。

「何だ、こんな簡単なことだったんだ! さっさと言っとけば良かったよ、殺すって!」

「イスラッ……!」

「軍人の誇りなんて本気で信じてるお姉ちゃんも、他人が大事だなんて抜かす偽善者だったんだもんね! あははっ、忘れてたよっ、ははははははははははっ!!」

前傾になり顔を前髪で覆うイスラは喜びの感情、ともすれば一種の狂喜だけに染まっていた。
表情の中で唯一見える口元が、げたげたとその感情を発散させていく。
アズリアが整理出来ない己が思考に顔を歪め、また呪いから解放されたアティが彼女の隣に並ぶ頃。
ようやく途切れがちとなってきた笑声を抱えるイスラは、ぴたりと動きを止め、酷薄な笑みを彩る貌をゆっくり引き上げると、アズリア達に向いた。

「殺すよ」

「……ッ!」

「決めたよ、みんな、殺す。そこにいるお人好しも、お姉ちゃんの部下達も。みんな、みんな、お姉ちゃんの大切な人達を全員殺してあげる」

「イスラさん……っ」

「それでこそ遣り甲斐があるってもんだよ。お姉ちゃんがその時どんな顔をするのか、想像するだけでも今からぞくそくしてくる」

醜悪な笑みだった。
他の不幸を喜びの糧にするような、悲運に魅入られた者にしか出来ない笑み。
薄いソプラノの入った笑いの音色が、再び少女の口からくつくつと漏れていく。
アティが眉を曇らす側で、淡い赤に塗られる夜空へその声が木霊するのを聞きながら、アズリアは歯を食い縛る。

「何がだっ……」

真っ当な精神状態などとうにかけ離れている妹の姿に、内に秘める感情を押し殺しながら両の拳を握り締める。
対の目をぎゅっと強く瞑り、アズリアは俯き加減になって叫んだ。

「何がお前をそこまで変えた、イスラ!!」

きぃんと声が響き渡る。
思い出に残る幼い妹は、気が付けば優しく笑っていた。
風に揺らぐ草原のように、青い空に浮かぶ鳥の羽毛のように、繊細さを纏いつつも、たおやかに、蕩々と。

やつれ細り、死の果敢なさに溺れながらそれでも微笑みかけてくる妹の姿。
扉を開け部屋に入る自分を、宝物を見つけたような透いた瞳で歓迎し嬉しそうに笑う、イスラ。

触れれば壊れてしまいそうで、けれど頬を染めいじらしく自分に笑いかけていた。
気咎めする自分は、その笑顔にだけは引きずられて、救われていたようなそんな気がした。
あの時の少女は、笑顔は、どこへ消えたのか。
アズリアは悲痛を伴って現在の少女に問いを飛ばす。
イスラは笑みをすっと消し、無言を通した。

「………………ジャック、ノイ、レーメ、」

数秒の空白の後、とある名が綴られる。

「……?」

「カルロット、ナイジェ……後はもう思い出せないな。お姉ちゃんはこの人達のこと覚えてる? 知ってる?」

脈絡なく、イスラはとある単語群を紡ぎ出す。
「私の世話をしてくれた人達のなんだけどさ」と言を続ける顔は氷像のように動かない。

一部の者の名前には、確かに覚えがある。
別邸で従事していたレヴィノス家の使用人だった筈だ。
無断で屋敷を去っていったという、錆びついた記憶をくすぐる情報が、アズリアに、何かちりちりと首元を焼く嫌な気配を預けてくる。

「……彼等が、何だと言うんだ?」

言い様のない感覚に包まれながらもアズリアは問い返した。
少女の口が開きかけ、束の間唇の上下が縫われた後、今度こそそれは音になった。



「女の私を凌辱(おか)した人達の名前だよ」



空間が呼吸を止めた。


『────────』

「いつだったかな。まぁ、今よりもっと小さい、正真正銘の生娘だったのは、確かかな」

闇が、喘ぐ。
空気は腐臭を放つように澱み、張り詰め、静かに胎動した。
アズリアとアティは顔を蒼白にして言葉を失った。
未だ燃え上がる炎の熱気で僅かに揺れる前髪の奥、イスラの瞳は無感動に冷めきっており、けれど、次には一転。
目を弓なりにした破顔を持ち出し笑ってみせた。

「シルターンで言う……そうそう、まないたの鯉ってやつ? あははっ、悲鳴も出せない半死人のどこが良かったんだろうね?」

声音はいつもの彼女のものに戻っていた。
そして、それがこの状況で何よりもそぐわないものだった。

「私が元気になった後『免職』させちゃったから、もう何も聞けっこないんだけどさ」

両足は肩幅、両手は組んで背に回す。
態勢は前屈みで、後ろに一歩、二歩と足を踏み、イスラは笑う。
けらけらと笑う。
アズリアの視界の中、思い出に残る少女の絵へ、鏡が割れるように亀裂が走り込んだ。

「……ィ」

「私を人殺しにさせるななんて、的外れもいい所だよ」

イスラ、と呼ぶ乾いた声を遮るように黒髪の少女は言葉を連ねた。
アズリアを無視するようにアティへと向けられた視線は荒んだ感情に満ちている。
それからイスラは瞳を細めて、危うげな雰囲気を纏いながら嗤った。

「真っ黒だよ。とっくに、私は」

アズリアも、アティも、その場から一つの動作も働けなかった。
警報装置だけがその音を補給ドッグに荒げ続けている。
喧騒をずっと放ち続けていた中央管理施設の方向から、今になってやっとばらばらと足音が鳴り響いてきていた。けれど音源からの距離は依然遠い。
それぞれの者の間で声にならない想いが錯綜した。

「……何が私を変えたって?」

呟きが熱を孕んだ夜気に乗る。

「私を取り巻く、世界の全部だよ」

先刻のアズリアの質問に対し、はっ、と鼻で笑うようにしてイスラはそう締めくくった。
僅かにも満たない沈黙。
当事者達からすれば永遠のような一時の中で、アズリアは双眸をぶるっと震わしイスラに視線を馳せ────それからすぐに、瞼を閉じる。
ゆっくりと目を開いた彼女は、何もかもの余念を振り切り、たった一人の妹を真っ直ぐに見据えていた。
揺るぐことのない強い眼差しをイスラは一見馬鹿にするように、前髪で視線を切ってから、静かに笑った。




最後の問答を終え、数瞬の時が経った頃か。
視線の交差が続き、もうしばらくは静謐の対峙が続くかと思われたその折。
低く鋭い音──度重なる発砲音が、アティ達の真横から響き渡ってきた。

「「「!」」」

あたかも鉄板が焼けるような擦り切れた音がイスラの足元で炸裂する。
舗装された路面は容易く抉られ、無数の罅が周囲に及んだ。
その場にいる三人が一斉に振り向くと、補給ユニット奥にある通路から、ライトグリーンの双眼が淡い燐光を放っている。
大口径の銃砲を構える機械兵士がはっきりとした戦意を確立させ、イスラに照準していた。

「おまっ、ヴァルゼルドッ、何やってんの!?」

『威嚇射撃です』

「質疑の要点はそこじゃない!? 僕は撃てなんて言ってないだろ?!」

「ミャー!」

『では、手が滑りました』

「そぉい!?」

「ミュミュ!?」

「『では』って何!?」と高らかな悲鳴が上がる。
隣に並ぶ緑づくめの少年が取り乱しながら己の護衛獣へ詰め寄っていた。
交わされるコントに視線を釘付けにしていたアティ達だったが、徐にイスラが吐息をつく。
彼女はアティとアズリアに向き直った。

「調子狂うのが来ちゃったから、今日の所は帰らせてもらうよ。……あっちも賑やかになってきたしね」

イスラの正面、アティ達の背後。幾人かで形成される接近の音が迫って来ていた。
くるりとイスラは回転し、アティ達に無防備な背中を晒す。元来た道を軽い足取りで引き返していった。
じゃあね、と闇に消えていく少女は最後にそう言い残し、その場を後にした。






「……」

嘘くせぇ、と。
話を密かに聞いていたウィルは、イスラの消えていった方向を半目で見やる。
全てが全て虚偽という訳ではなさそうだが、それも人を騙す常套手段。嘘の割合に対し真実は二割切ってそうだとウィルはそんなことを思う。
証拠を問われれば勘としか言えないが、自分と似た臭みを言動の端々から漂わせていた所から、そのように判断する材料には足りた。あくまで人には信用ならない根拠ではあるのだが。
……どの部分が真実なのかは、ウィルもそこの所は判別はつかない。
頭をぐしぐしとかきながら、それでもイスラの言っていたことは話半分に受け取っていた方が良さそうだと、ウィルはそう思考を結論付けた。
ままならん、と小さく呟きながら。

「……にしても、ふっつーに出遅れたな」

現在に至るまでの経緯を辿ると、スタートダッシュに失敗したウィルはもろに戦闘開始の合図に出遅れ、派手な爆発音を聞きつけた際にはまだラトリクス郊外の森林地点だった。
テコとヴァルゼルドを置き去りにしウィルは単独で音の出所へと急行する。
そして現場、つまり補給ドッグに辿り着いた頃にはアティ達は膠着状態にあり、ユニットの影で一先ず様子を窺っていたのだが……イスラの話し終えるのとほぼ同時にヴァルゼルドが到着し、なんとそこから制止する間もなく射撃を敢行したのだった。

「反抗期か……」

誰にも聞こえない声量でウィルは呟いた。
ちらと護衛獣を見やる。本場の鉄仮面でポーカーフェイスを維持していたヴァルゼルドだったが、今はテコにお仕置きされている(ように見える)。
イスラに何か手痛い仕打ちでもされたかとウィルは考えるが、結局予想の域は出ない。
ギャァアアアアアアアとか悲鳴が聞こえてくるが、構うのも億劫だったので触れないようにした。

「さて……」

いい加減行動に移ろうとウィルは自分の家庭教師のもとに小走りで向かった。
ほどなくしてアティのもとへと着く。

「先生」

「……ウィル君」

「大丈夫ですか?」

どこか翳りを背負う表情のアティだったが、ウィルの疑問に、澄んだ蒼眼を丸くさせぱちぱちと瞬いた。
えっ? と自覚のない反応を寄越すアティにウィルは口をへの字にし、そっと彼女の頬へ手を伸ばす。
赤く腫れ上がった米神から頬上部に指が浅く触れると、「んんっ」と左目を瞑って肩を緊張させた。

痛覚は生きてる、と大まかに考えつつ獣のサモナイト石を取り出す。
服はあちこち焼け焦げ、覗く素肌も到る所火傷しているその姿はざっと見ただけでも痛々しい。ウィルは内心で顔を顰めながらすぐに「セイレーヌ」を発動させた。
異常状態も治癒させる「ヒーリングコール」がアティの傷付いた体を回復させていく。

「あ、ありがとうございます、ウィル君……」

「どういたしまして。で、みなまで聞かなくても察しは付きますが、何があったんですか?」

「……」

アティは普段の明るさを潜ませながら後ろを振り返った。
目尻を沈ませる彼女の向く先はイスラの去っていった方角、そしてアズリアが此方へ背を向けている方角だった。
ひっそりとたたずんでいる彼女は、何も口にせず妹の足跡の続く先を見つめているようだった。

ぽつぽつと語られるアティの話でことの成行きを補完しつつ、どこか見たことのある背中だとウィルは思った。
「場所」と「状況」は違えど、弔いの火の前に立つあの「軍人」の後ろ姿に、今のアズリアはだぶって見えた。


「……決めたぞ、アティ」


だが、それもすぐに勘違いだと気付かされる。

「私は戦う。自分のためにも、あの娘のためにも、禍根である無色(やつら)を叩き伏せてやる」

ゆっくりと振り向いた彼女は堂々と言ってのけた。
凛とした顔付きには迷いは一切見られない。
そこにあるものは、一つの誓いを立てた気概だけだ。

「お前の言う通り、逃げるのはもう止めだ。あの娘を取り巻くもの全てを取り払って、それから決着をつけようと思う」

あの娘と最後まで向き合って、全てを受け止めたいと、そう付け加える。
路上に溢れていた火の気は既に無くなり、涼を伴う風がアズリアの黒い髪を揺らす。
彼女は壊れかけている剣を鞘から抜き片手に提げた後、細く相好を崩した。

「今更答えを出した私を、笑うか?」

ふとした問いに、アティはぶんぶんと顔を振った。
彼女自身もまた、祝福を持ちかける聖母のように笑顔を作る。

「誓うぞ。どれだけ迷い、苦しむことになっても、この望みだけは絶対に諦めはしないと!」

振るわれた誓いの剣が大きく鳴る。
辺りに散る銀光は周囲にあるいかなるものよりも鮮明に輝き、澄み切っていた。

取り越し苦労だった訳か、とウィルはふっ切れた顔をする一人の軍人を前にして思い。
本当に太陽みたいだな、と知己の背中を押しただろう彼女の存在を、はっきりと感じ取った。
ウィルの隣で胸に手を抱くアティが、子供のように温かく微笑んだ。

















「それで、だ。私の隊の状況から言っても、お前達と共闘することにもはや異論はない、というより此方から申し込みたいのだが……」

「はい、勿論ですっ」

(あれ、何この寒気……)

「……その前に、片付けなくてはならないことがある。オイ、そこの狸」

「ア、アズリア……?」

(って、これだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!?)

「このような形で鬱憤を晴らすのはおよそ正しくないと理解しているのだがな、感情と情動は別物らしい」

「あの、アズリア、別物も何も、それどっちもおんなじです……」

(ヴァ、ヴァルゼルドを囮に我が逃走経路を、って機能停止していらっしゃるうううううう!?)

「私も女だ、紫電絶華(いちげき)で済ませてやる」

(一撃じゃねぇえええええええええっっ!!? どうするよ!? どーするよ俺?!)

「何か言い残すことはあるか?」

(アズリア、そこはかとなしに殺気が見え隠れしているような────)

「…………………………先生。僕、ちゃんと言われた通り大砲を配備して上手くやりましたよ。誉めてください」

「────って、ちょっ!!?」

「……アティ」

「ダ、ダメですアズリアっ!? 騙されてます?! ウィル君の口先だけは信じちゃいけませんっ!」

「僕、ずっと前から良心を痛めつつも帝国軍のみなさんを“先生の言う通り”誘導してきたんですから、そろそろ生贄(ごほうび)が欲しいです」

「こらーーーーーっ!!? いくらなんでもそれは外道の所業ですよウィル君!! というか本音が半分出てきてますっ!」

「………………」

「うっ!? い、いけませんっ、いけませんよアズリアッ! お願いですから冷静になってお願いしますから睨みつけるのを止めてくださいっ!?」

「せんせー、誉めて誉めて」

「貴方は黙っていてくださいっ!!」

「……師弟もろとも矯正する必要があるようだな」

「あっいけねっボク授業の課題あったんだっ帰らなきゃっっっ!!!!」

「させないッッ!!」

捕獲。

「てっ、天然っ、貴様ァアアアアアアアッ!? 今すぐその手を放せぇえええええええええっ!!」

「逃がしませんよっ! というか、逃がせませんよっ!?」

「は、放せっ、放してえっ、放せよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」

響き渡る絶叫。

「貴様等の戯れに付き合っている暇が惜しい────そこになおれ」

「先生ッ! こうなったら囮作戦ですっ!! 勿論餌は大きい方がいいに決まってますよねっ!」

「それじゃあ私はウィル君を盾にする方向でいきますッ!!」

「こんの腐れ外道がぁーーーーーーーーーーーーッッ!!!」

「ウィル君に言われたくないですうっ!!」

「────散れ」

「ひっ!? し、紫電絶華はもう嫌ですーっ!?」

「あっ今僕先生に親近感湧きましたーっ!」

「ちっとも嬉しくありませえぇんっ!!」




機婦人、看護人形、帝国軍が息を切らせ現場に到達した頃。
彼等の視界に広がったのは、剣を振りかざす女傑から逃げ惑う、泣き叫ぶ教師と生徒の姿だった。

















アズリア

クラス 女傑 〈武器〉 突×剣 縦、突×槍 〈防具〉 軽装

Lv21  HP222 MP185 AT103 DF85 MAT75 MDF81 TEC101 LUC55 MOV3 ↑3 ↓3 召喚数2

霊B   特殊能力 眼力 待機型「先制」 心眼 「秘剣・紫電絶華」

武器:壊れた誓いの剣 AT115 TEC5

防具:帝国軽鎧百士式壊 DF48

アクセサリ:壊れた帝国勲章 魅了無効 DF+5 MDF+4


13話前のアズリアのパラメーター。
Lost Islandよ、彼女は再び帰ってきた。
レックスの次回作にご期待ください。




本編とは直接関係ないが、補完の意味合いを兼ねて「レックス」の歩んだ軌跡を公開。
今回は13~14話。


長い夜を越えて迎えた無色の派閥襲来の翌朝。アズリアイベントで血が不足しているレックス、メイメイさんの店でビバ増血剤「ジュウユの実」をたぁんと召しあがる。金は払おうとしない──あわよくば踏み倒そうとする魂胆。メイメイさんにニートの連中のせいで商売上がったりだと愚痴られ、「うんうんそうね」と頷きながら壊れてしまった装備類を補充しようと戸棚を物色する。金は依然払おうとしない。メイメイさんにお酒が飲めなくなるから早く無職団体を追っ払っちゃってとお願いされ、「任せるっちゃ」と口にしながら新入荷アクセサリ「水晶の腕輪」もポケットの中に突っ込む。払う金はない。メイメイさんに芸術的なスリーパーホールドをお見舞いされ、密着する胸を堪能する余裕もなく頸動脈を絞められ失神する。糸が切れたように首をカクリと折って白目を剥いた。
意識取り戻すとメイメイさんがなんと膝枕、超近距離にてスゴイ笑顔で見下ろしながら。がっちり両手で挟まれている己の頭蓋骨に「ああ死んだ…」と無色と再戦する前に死期を悟る赤いの。「お酒のために早く殲滅してね?」とスゴイ笑顔継続しながら言うへべれけ店主に、コクコクコクッと高速で顎を上下させた。挟まれていた米神がミシリと鳴った。
最初から殲滅するつもりだったので内心で安堵の息をついていたレックスに、メイメイさんどうせだからと無限回廊なるものを紹介する。これからのためにもパワーアップしたらどう? というメイメイさんのご厚意、レックス即断で拒絶を決意。好き好んで鬼のように強い奴等と戦いたくなどなかった。
集いの泉で回廊の門を見せようと張り切るメイメイさんを先に行かせ、店主不在になった店内から取り上げられた品々を回収し海賊船へと戻る。後日、渾身のドラゴンスリーパーが現界を果たした。

レックス、朝食をそこそこに戦闘メンバーへ非常招集。メイメイさんが集いの泉で徘徊している確立が高いためアジト近辺にて会議。受け身など更々とるつもりなく、逆襲に打って出る心算。血の気の多い男連中は二つ返事で了承、鉄砲娘やら鬼姫やら女傑やら以外の女性陣は物騒な進行具合に渋い顔をしたが、レックスがそれとなく戦場から遠ざけようとしていることに気付くと顔色変えて参加することを宣言。守られるだけは絶対嫌だった。余りの迫力にレックスびびる。
滞りなく進められていく戦闘計画。オルドレイク暗殺のために出撃したスカーレルのことを唯一知るヤードは滝汗。
後に語られる第一次無色殲滅戦が幕を開ける。

巳の刻、無色の派閥駆逐計画発動。
基本待ち伏せの構えで陣を構築。忍者、天使、赤狸が囮役を務め、周囲の制止を押し切って開戦した。放たれていた無色兵をターゲットに各ポイントへ誘導していく。
忍者、森に誘い込む。落とし穴など簡易ブービートラップで足を止め袋叩き、帝国軍の力も借り召喚術の一斉砲火。殲滅。
天使、炭鉱へと誘い込む。一人飛んであらかじめ開けてあった天井の穴をくぐり脱出、アルディラ特製のリモコン爆薬で炭鉱爆破し崩落、生き埋め。殲滅。
赤いの、崖下へ誘い込む。超負け犬っぷりを演じて尻尾巻いて逃げだすと見せかけ数分後には伏兵とともに迷える子羊達を包囲。抜剣。超殲滅。
この時点で赤き手袋はヘイゼル率いる小隊を残して九割方全滅した。

派手に陽動かまし派手に無色兵をぶちのめしていく島の住人勢の動きに対し、流石に感付くオルドレイク、忌々しく思いながらも戦線を再編成。やっぱり切れる頭脳を発揮し僅かに生じた間隙に部隊を送り込む。戦闘可能な帝国軍がなんとか防いでみせるが、旗色悪し。フレイズの空からの連絡を受け、楽にはいかないとすこぶるシリアス入るレックス、アズリアと合流。手の足りないポイントへ二人で先行。伝説が生まれる。
カイル達が辿り着いた頃には赤と黒の人影以外立っている者はいなかった。

余談。この戦乱後、島流しに放り出され漂流、とある宿場町に職にありつき無職でなくなった派閥召喚師Aは語る。「奴等と再戦臨むくらいなら俺は無色に殴り込みへ行くのも厭わない」。赤と黒のパーソナルカラーは以後彼の恐怖の象徴となった。然もあらん。
ちなみに周囲に気付かれることなくアズリア達を裏切っていたビジュ、この殲滅戦の際に誰にも気付かれることなく粉砕、他と同じく島流しに遭い退場を余儀なくされる。レックスの記憶に余り残らなかったのもこれが原因。

痺れを切らしたオルドレイク、とうとう自ら出陣。イスラ含めた幹部連中連れて暁の丘へ出張る。カイル達もすぐさま布陣。仕掛けるならもうここしかないと悟るヤード、自分を囮にしオルドレイクに召喚術を放つ。容易くはね返され吹き飛ぶヤード、哄笑するオルドレイク、そしてこれ以上のないタイミングで飛び出した珊瑚の毒蛇。オルドレイクを暗殺せしめようと肉薄する──が、同じく切欠を窺っていて同タイミングで発進した赤狸と頭ゴチーンする。両者悶絶。ウィゼルに阻まれるまでもなく、頭抱えながら蛇と狸が地面をのたうち回った。
「何やってんすかスカさぁあああああああんっ!!?」と掴みかかれるスカさん非常に混乱する。それはアタシの台詞だとか汗流しながら言おうとしたが、自分達の背後にそびえる居合い爺にハッとする。超逃走。斬撃とか召喚術とか見舞われながらも二人一緒に暁の丘から撤退した。ちなみにヘイゼル以下追手に執拗に追われた。

アレな感じでも一応指揮官である存在を失ったことにより、攻め込まれるカイル達は不利な状況に追い込まれていく。アズリアが何とか指示を出すが連携が上手く取れない。仮初の混合部隊の弊害が出始めていた。オルドレイクの機嫌がようやく直り始めた頃、イスラ戦いに加わることせず戦況を見守る。いよいよアズリアが危なくなってきたと判断するシスコンはそのツンデレ具合を発揮して「剣」の発動を介し時間を稼ごうと決断、あの変態が戻ってくるまで周囲をビビらせ圧倒させておけばいいとオルドレイクに抜剣の申請に向かう。しかし次の瞬間、背後より途轍もない爆撃を食らい意識が彼方に吹っ飛ぶ。イスラリタイア。まさかの抜剣不発。激震フラグその3が立った。
暁の丘→浜辺→岩槍の断崖(原作14話イベントバトルフィールド)→暁の丘、とあり得ない経路辿って舞い戻ってきた白狸による奇襲。ちなみに追手はスカさんに全部押し付けた。無色の陣の後方を取った白狸、ここぞとばかりに暴走召喚を執行。ロン毛眼鏡愕然。高速召喚と組み合わされた殺人コンボがああソドムとゴモラよ燃え上がれと言わんばかりに無色兵を焼き尽くしていく。まさかのジップトースト連発に全無色が泣いた。
仮借のない圧倒的火力により足並みを乱す派閥勢、カイル達も攻勢に乗り出し挟撃する形となった。イスラ沈黙しているので白いの止める術を持たないオルドレイク、盛大な歯軋りしながら部隊に総撤退を行わせる。ウィゼルだけが残り、炎の海の中で白夜叉と鬼のような死闘を繰り広げまくった。
第一次無色殲滅戦了。

夜会話。赤いのスカーレルとヤード呼び出し。甲板の上にて三人で正座しながら事情を聞く。スカーレルが元紅き手袋だったりヤードが元無色の派閥だったり。元々は取り戻した「剣」をエサにして無色の派閥を翻弄してやるつもりだったとつらつら語るヤードに、レックス「やっぱり俺を利用する気満々だったんじゃねーか」と以前の出来事を引き合いに出しスリーパーを極め、青髪召喚師は誤解を解く前に鼻から汁を垂らして意識を手放した。汗を流して身じろぎするスカさんには尋問を続行、情報を全て吐かせた後、取り敢えずソノラを泣かせたので鉄拳。カイルに殴られただろう同じ箇所を打撃した。しばらく痛みに苦しんでいたスカーレルだったが、むくりと復活したヤードと一緒に「気ままに生きられる先生が羨ましい」とそんなことを言ってくる。この人達が言うとまた重みが違うなぁと、レックス笑いかけてくるスカさんヤドさん見て思った。幼少時代、旧王国に村が攻め込まれた時父親がいなかったらどうなっていたかと、二人を見てそんなifを考えてしまった。そしてきっと母親が微笑みながら召喚術で蹴散らしただろうと確信した。もう深くは考えないことにした。


早朝にて珍しく自発的に起床。さて今日も無職狩りに行くか、と常日頃のようなノリで物騒なこと考える赤いの。何気に無色の所業を根に持っていた。朝から一人でパトロール、またあわよくば不意打ちを企もうとする赤いのに、一部始終を見守っていた幽霊浮かない顔をする。少し前の自分のような感じになっているレックスに心配を募らせた。
昨日と違って敵の姿が見えず守りを固めているのかと考えるレックスだったが、まさかのシアリィはん誘拐イベント。ぶち切れる赤鬼、オウキーニ他ジャキーニ一家とともに敵をすごい勢いで滅殺する。ああもう一刻の猶予もないわと判断し、レックス敵陣地への殴り込みを決定する。暁の丘近辺の海辺に船を停めているだろうと当たりをつけ、岩槍の断崖経由で襲撃しようと目論む。が、同じことを考えていたイスラ達とばったり遭遇。仕方無しに開戦。

険しい天然の要塞に苦しむ島の住人達だったが、率先して突っ込んだ抜剣レックスによって活路が開く。一方でファリエル、いよいよレックスの心構えを危惧。
仲間の力も借りて敵をばっさばっさと切り捨てる白夜叉の前に、イスラが立ちはだかる。先日の余りの殺られ方に、怒りメーターが臨界点に達しかかっているモミーはずけずけと悪態を放ってくるが、レックス無視。逆に「モヤシが」と鼻で笑ってみせる。暴君降臨。瞳も体も真っ赤に染まった怒りの魔人が、目を丸くさせる白いのに飛びかかる。聞いてねぇーぞ!? と白いの高らかに叫びを散らした。剣が切り結ばれる度にとんでもない余波が発生し、断崖が震動し岩が砕け散っていく。有頂天になって笑いまくるイスラ、当初の目的も忘れレックスぶちのめそうとひたすら暴れまくり、レックスはレックスでガチになって応戦。人外の戦いが超三次元戦闘規模で展開されていく。遺跡水面下で着実に活性化。
もうすっかりギャラリーと化した外野組、オルドレイクも観戦しながら真(シン)・イスラとキラーレックスの勝負の行方を見守る。普通に人間を止めた動きをする白いの×2に、無色の兵達が『もう帰りたい…』と呟きをこぼしたらしい。「おのれは一体何なんだ!」と相手のお株を奪うレックスだったが、異変、「剣」のコントロールが乱れる。目をひん剥いて内心焦るレックス、何が原因だと探ってみると……ハイネルが計画通りと嘲笑うかのように口元をひん曲げていた。てめぇえええええええええ!!? とレックス唸る。現実世界ではイスラの激攻を耐え凌ぎ、内面世界ではハイネルの陰湿な──というか極悪の嫌がらせを受け、一杯一杯になってしまう。そして反旗を翻したハイネル、核識を経由せず共界線にアクセスしてのけ魔力を引き上げハイパー化。設定もキャラもかなぐり捨てたハイパーハイネルは満を持してレックスに牙を剥き襲いかかった。二秒後返り討ちにあった。

たった二秒、されど二秒。ハイネルに気を取られ致命的な隙を晒したレックスにイスラが猛然と切りかかった。渾身のエクスカリバー対艦刀。刃が胸部を貫通、なんてことはなかったが、キルスレスによってシャルトスを刀身の半分から叩き折られる。ハイネルのパワーアップの反動により「剣」の強度が著しく低下していた。抜剣解除。レックス吹っ飛ぶ。墜落していくレックスを見て、「──ずしゃあッ!!」と握り拳を天高く掲げるオルドレイク。赤狸を粉砕したことにキャラを忘れ喜んだが、すぐに「剣」を破壊してしまった事実に気付きキレる。イスラに怒鳴りながら詰め寄ったが、狂笑する白いのにブッタ斬られる。オルドレイク涙目。本性を現した、ていうか自分を見失ってシャルトス折っちゃってヤケになったイスラはうがぁーっと暴れまくる。カイル達にも被害が及び三つ巴。

崖から転落しリアル犬神家の一族を砂浜に埋まりながら実践するレックス、息が出来ない。ギャレオに引っこ抜いてもらうが目を回してばたんきゅーする。中々復活しない。ウィゼルのご丁寧な説明により「剣の破壊=所有者の心の木端微塵」という図式を知らされたアリーゼ、泣いて取り乱して先生に抱き縋る。レックスの顔面を涙適が何度も濡らし、女の子を号泣させている事実に、赤いのの意識が可及的に速やかに復旧する。アリーゼの目の前でくわっと瞼を開いてがばっと起き上った。アリーゼ素で呆ける。生徒の泣き顔にハンカチ押し付けグシグシ拭い鼻をチーンさせて肩を両手でポンポンと叩いた。最後にサムズアップ。意味が解らなかった。それ以前に心の一ミクロンも破損すらしていなかった。

速やかに意識を再度戦闘モードに移行、そしてイスラに蹂躙されている仲間達を視界に捉え双眼吊り上げマジモード。半ばから折れている「剣」の残骸に目を落とし、復活しろ復活しろ念じる。ていうか復活してもらわないと困ると瞳を血走らせ魔力を込め始めた。あの馬鹿(ハイネル)に出来て自分に出来ない筈がない、と「剣」による端末機能から遺跡を介さない共界線を引っ張ってきて新たに接続。封印の魔剣本来の、意志の強度で力を増す属性を最大限利用し、「剣」の構造を再構築。「核識」の意識の代替として所有者の意志を置き、「剣」より魔剣の性質を主軸にした。「剣」の魂、「核」たるべき確たる意志の方向性は「守ること」。レックスの魔力を注ぎ込まれ「核識」の魔力は払拭一掃、「剣」が白熱化する。
自力で抜剣覚醒・改。「剣」が蒼色に染まり折れた刀身の先からライトセイバー化した。ウィゼル本気でぶったまげる。リベンジ。カイル達を救出して安全圏内に追いやった後、進路塞ぐ邪魔な無職を「剣」を振るうだけで蹴散らして蒼い矢になる。煌びやかな蒼い光引っ提げてイスラへと突貫。みんながみんなその輝きに見惚れ、そしてイスラが目を見開くのを他所に、「死ねぇぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっっ!!!!」とあらん限りにシャウトし斬艦刀振り下ろす勢いで「剣」をモミアゲに見舞った。世界が輝く。断崖が完璧に消滅した。敵味方問わない大被害に盛大にボコボコにされた。
無色はオルドレイク重傷のため本隊は既にいち早く脱出。イスラは水平線の彼方まで飛んだ。泳いで帰ってきた。イスラ激震フラグその4が立った。

夜会話。フルボッコにされボロボロな赤いの、今日もう早く寝ようと船内をフラフラ歩きながら部屋へと向かう。そこでふと、窓の外に広がる船外を見てみると、腕を組みながらあっちにフラフラこっちにフラフラする女傑の姿が。真相はレックスのもとに訪れようか訪れまいか照れ屋な彼女が悩んでいただけだったが、赤いのの目には襲撃の機を計っているようにしか見えない。凄惨な過去を思い出し顔からサァーと血の気が引いてくレックス、自室には戻ってはいけないと呼吸をひゅーひゅー乱しながらアリーゼの部屋へ突撃する。
日記を書いていたらしいアリーゼ、突然の来訪に顔を真っ赤にさせ本を胸に抱き寄せた姿勢で固まるが、赤いのは形振り構わずダッシュ土下座。「匿ってくださいッッ!」と出し惜しみすることなく全力で生徒にお願いした。唯一レックスの過去話を知るアリーゼ、理由を聞いて了承し、そしてすぐにまさかのまさかのまさかの同衾イベントに取り乱しまくる。「あわわわわっ…!」と瞳をぐっちゃぐちゃにしてロボットのような動きで部屋の中を右往左往していたが、馬鹿が一人ベッドの下に潜り込み襲撃を警戒する構えを見せた瞬間、一瞬でそれまでの気持ちが萎えた。
ベッドの下に野郎が潜んでいるという条件下、なかなか寝付けないアリーゼだった。



[3907] 13話(上)
Name: さもない◆5e3b2ec4 ID:54992e99
Date: 2010/10/06 22:05

「だからさ、あいつ等の船に攻め込んじゃえばいいんだよ!」


廊下を歩いていると威勢のいい声が聞こえてきた。
東から顔を出した太陽が、窓を通じて通路を照らす今の時間帯は朝。
ウィルは肩にとまっているテコと顔を見合わせた後、段々と大きくなってくる声のもとへ足を進めていく。
昨夜、アズリアに追いまわされたツケにより痛む体をぐぬぅと呻きながら引きずっていると、ほどなくして船首付近の船長室へ辿り着いた。
未だ騒がしい木の板一枚隔たった室内を前に、ウィルは扉を開けてひょいと中を覗きこんだ。

「海の上だったら絶対あたし達の方が一枚も二枚も上手だって! あいつ等が慌てふためいてる隙にたたみかけてっ、それで船を潰しちゃうの! それでそれでっ、イスラをとっ捕まえてあたしの知りたいこと全部吐いてもらうっ! 拒否権はなし! それからワビついでに銃をちらつかせて泣き付いてくるまであたしがいびり倒すっっ!!」

視界に真っ先に飛び込んだのは息巻くソノラだ。
先程からの音の出所はどうやら彼女のようで、船長室にいたアティとカイルへ自分の意見をまくし立てている。
話に持ち上がっているのは、島に居座る無色の派閥への対策について、だろう。
ソノラは渋い顔をするアティとカイルを前に堂々と強硬手段を主張する。
船で奇襲なんたらは建前で、後半の私情が大いにあの猛牛のような姿勢に作用していることは瞭然だった。
眉を立ち上げて意志に燃える少女の姿に、焚きつけてしまったかなぁ、とウィルは昨夜の己の振る舞いを思い出して、ぼりぼりと後頭部をかいた。
というか、いびり倒すのは別にいいだろう。

「やれないことはねえが、しかし、なぁ……?」

「はい。よしんば無色の船を落としても、その後に待っているのは本格的な徹底抗戦です。帰る手段が無くなっちゃったら、彼等も形振り構わなくなって襲いかかってくると思います……きっと、前の帝国軍以上に」

「うっ……」

「だな。俺等はともかく、戦えない召喚獣達が何されるか分かったもんじゃない」

的確な見通しに言葉を詰まらせるソノラ。
集落に住まう召喚獣が危険に晒されることに気付いたのだろう、あれだけ強気だった姿勢が萎んでしまっている。
アティはあくまでも無色の派閥を島から追い出したいと、真っ直ぐに語ってソノラを諭した。
どちらか一方が倒れるまで剣を振るうのではなく、守るための力を盾にして相手を退けるようにと。


「傷付ける力じゃなくて、守る力で私はみんなを助けたい」


駄目ですかね、と眉を下げながら笑うアティに、ソノラはばつが悪そうに頭をかいた後、こくりと頷いて彼女の意思を尊重した。
そしてウィルは、扉の影で遠いものを見るかのように目を細める。
現実を直視していない綺麗事に頭の片隅が疼きを上げたが、それ以上に、視界が眩しかった。

「あっ、おはようございます、ウィル君。どうしたんですか?」

「……たまたま、通りかかっただけですよ」

顔を出していたウィルに気が付いて、アティが自分の瞳を見つめる。
赤い髪と白い外套を揺らして振り返る彼女の姿は、窓から差し込む朝日が手伝って、酷く綺麗に映った。
ウィルは一笑する。

「先生」

「何ですか?」

「先生は、そのままでいてください」

滲むような笑みを浮かべた後、すぐに苦笑を取り出して、ウィルはその言葉を残した。
退室する。

「……ウィル君?」

扉の隙間が埋まる直前、ぽつりと落ちた呟きを耳にする。
後ろ手でドアを閉めたウィルは俯き加減に瞑目した後、きっと強い視線で前を向き、その場から離れていった。









然もないと  13話(上)「断罪の剣はウルトラバイオレンス」









「無職の連中を、駆逐します」

静けさを保つ、低く重々しい第一声がヤッファ達の耳朶を叩いた。
晴れ渡る空の下。濃厚な木と水の匂いに囲まれる集いの泉に、幾つもの影が集い合っている。ウィルを中心に円を作る面々は、ヤッファやキュウマを代表とした各集落の男性陣だ。
意外にも、というよりこの島の面々にはまるきり異色であるビジュ達小隊もそこには加わっていた。

「駆逐って、お前……」

「大きく出ましたね」

ヤッファが半ば呆れたような表情と声を出し、その隣にいるフレイズは真剣な顔付きでただ可能なのかという一点を問うてくる。
彼等の反応に対しウィルは表情を変えずすらすらと自身の考えを並べた。

「ロン毛眼鏡率いる本隊は無理だったとしても、島中にばらまかれる偵察部隊は全滅させる。それさえ叩けば、島の人達の安全は一先ず保障できる筈だから」

「レックス」の時に起きた「シアリィ」拉致の一件はウィルの心に深く根付いている。
あのような事件を繰り返さないためにも、ウィルは「前回」以上に警戒と注意、そして駆除作業を行う心算だった。

アティにああ行った手前、守るだけでは駄目だ、とウィルの中でリアリストの自分が頑なに声を上げていた。
物事を考える上で基準となる、本来の自分の性質に近いその声に、ウィルは分かっているというように心中で相槌を打つ。
アティの理想論だけでは非情な現実に押し潰されてしまうかもしれない。だというなら、その厚い壁をも飛び越えていけるよう、誰かが彼女の踏み台になればいいのだ。
裏方に回り黒子に徹する。
自分には無いものを持つアティの信念を汚させはしない、汚させたくない、その一念でウィルは彼女の協力は仰がず眥を決していた。

「ですが、敵は本当に送り込んでくるでしょうか。昨日の戦闘で少なからず手負いの身であるというのに」

「斥候の類は確実。昨日の襲撃で連中の目には、僕達が島の外敵に対し何かしらの防衛手段を張り巡らせているように映っている筈だから。遺跡を掌握する気なら、此方の動向と実態を探ってくる。いや、僕が向こうの立場だったら絶対そうする」

「……一理ある、か?」

「ええ……そうですね。状況が状況です、警戒を払い過ぎるに越したことはないと思います」

キュウマの疑問に対しての返答を聞いて、ヤッファ達も理解の意を示していく。
質問と回答を織り交ぜてミーティングが進んでいった。

「仮に無色が刺客を放ってきたとしても、だ。此処にいる俺達だけで凌げるのか? 此処にいない奴等は、つまりこの荒事に関わらせるつもりはねえんだろう?」

「野郎は黙って女性の盾になるものです」

「ええ、同感です」

「お前等こういう時だけ息あわせるのな……」

「フレイズ氏、いかに女性が尊ぶべき存在かを教えてやってくれ」

「承知」

「いや、もういい、分かった……」

「ですが実際、我々だけで防げるのですか?」

「結構な被害をもらったのが昨日の今日だから、あっちの動かせる駒はそう多くないよ」

「まだあれ以上の兵を隠し持っている可能性は……」

「……ないだろうな」

「ですね……」

出し惜しみしている余裕はなかった昨日の虐殺風景、既に一杯一杯だった無色の姿を思い出し、ヤッファ達は悟ったような顔をした。
いいだろう、と周囲から賛同をもらっていく。一部始終を黙って見守っているビジュ達も意見を挟むことはなかった。
意思の向かう方向が一つになった所で、ウィルは島の大まかな地図を取り出し、早速「以前」と同じように無職狩りの全容を伝えていった。

「人手が足りないので小細工でカバーする。基本待ちの構えで」

「そういえば、カイルはどうした? あいつは参加しないのか?」

「カイルには影でこそこそ何かやらせるのは無理。ソノラあたりに僕達の行動が露見する」

「スカーレルとヤードは?」

「早朝から潮干狩りにくり出していった」

「マジか」

「残念です。とりわけスカーレルの身のこなしは一流の隠密に迫るものがあります。色香の術に長けたあの御仁は……ええ、もしや、私より忍に近い存在やも……」

「お前は少し黙れ」

くだらないやり取りの一方で淡々と説明を進めていく。
台座の上へ広げられる地形図にウィルの細い指が這っていき、それを上から見下ろすヤッファ達の双眸もつられて動いていった。
ヴァルゼルドとテコもその円に加わる中、そこでふとヤッファが視線の先を変えた。

「ところでよ、本当にこいつ等と連携とれんのか?」

ウィルに当てた言葉は、そのままビジュ達にも届く。
彼のうろんげな目付きにビジュは「けっ」と吐き捨てて、小隊の者も顔を顰めた。
実際、小隊長を除いた彼等は一波乱ありそうな空気に内心汗をかいていたが、ウィルがその心を汲んだように気軽にフォローする。

「帝国軍の全面協力は先生とそっちの隊長との間で確約されてるから、ワカメさん達が裏切る理由なんてないし、いがみあってる暇も惜しいでしょ」

「おい、誰がワカメだ」

「連携の密度もそれほどまで求めないから、モーマンタイ」

常態でビジュをスルーするウィルは「どうせならここで親睦深めたら?」と地図に目を縫い付けながら、なんでもないように喋った。
緊急時ということもあって、効率のことを考えればウィルの弁に文句を差し込めないヤッファ達は、口元を微妙に曲げながら、顔を見合わせて帝国軍に向き直る。
つい先日までいがみ合うどころか、物騒なレベルで争い合っていた相手に歩み寄るのは思う所があるのか、帝国軍小隊の方は視線を互いに送りながら気まずそうにした。

こういう光景を見ると、アティのすぐさま和解に移れるあの態度はやはりすごいものなのだと、ウィルはしみじみとそんなことを思わせられる。
ウィル自身、彼等を嵌めて嬲って散々と危地へ追いやった張本人だが、これからのことも考えて出来る限り一方的な偏見、それに種族の垣根を取り払って欲しいとぼんやり思っていた。
放任するではなくやはり自分から働きかけた方がいいかとウィルは行動を示そうとしたが、その前に、帝国軍の童顔の青年が勢いよく声を張った。

「そ、それじゃあっ、あのっ! 聞きたいことがあるんですけど、いいですか!」

「……ええ。私達で答えられることなら、答えましょう」

「おう、言ってみろ」

「は、はいっ、それじゃあ…………あの鎧騎士の中身の女の子の名前、教えてくださいっ!」

「おいおいベス、お前あれからすっかり年下にぞっこんかよ。お近付きになろうってのがあけすけだぞ……あっ、俺はついででいいんですけど、あのメイトルパの妖精サンの名前なんつーんですか?」

「ジャン、お前のそれはピンポイントで犯罪だ。自重しろ。────ところで、あの未亡人らしき高貴なお方の尊名をぜひ拝聴したいのですが……」

「「「殺スゾ」」」

温度差のストリームを前に、蚊帳の外に置かれたウィルとビジュは遠くを見るように半目をする。
知らん振りを突き通すように顔を背けたビジュは、ウィルの隣につき、不機嫌そうな面構えでぐっと鼻と鼻の先を近付けた。

「俺にも確かめてぇことがある。大人しく使われてやるから、感謝しやがれ」

「……うん、そうさせてもらう」

ビジュの瞳には不満の色がありありと映る中、一方で嫌悪感も敵対心も消えていた。
泰然とした顔でビジュの瞳を見つめながら、少なからず帝国軍と自分達の距離が狭まっていることを、ウィルは僅かな感触とともに思う。
それじゃあ、と一言を置き、最初の指示を目の前の青年に告げた。













ラトリクス



「うっ、アズリア……」

「……何だ、その反応は」

(昨日あれだけ追い回されれば、おびることくらいしちゃいますよ……)

「何か言ったか?(ギロッ)」

「い、いえっ。なにもっ、なーんにも、思ってないですよっ?」

「……まぁ、いい。それで、何の用だ? 理由もなく訪れた訳ではないだろう」

「あ、はい。これからのことなんですけど……」

「隊長!」

「……ギャレオさん?」

「むっ、貴様は……ふんっ」

「ギャレオっ」

「あ、あはははっ……」

「全く……それで、他の兵の容態は?」

「はっ。自分も含め、行動に支障は出ない程度に回復しています。まだ疲労を残す者もいますが、特に問題はないかと」

「そうか。なら、手筈通りいけるな」

「?? あの、何の話ですか?」

「何だ、聞いていないのか?」

「えっとー……はい、多分、聞いてないような……」

「まったく、護人の方には了承は得たと聞いているというのに……。仮にもお前はこの島の先頭に立っているのだろう、能天気なのも対外にしろ。学生の時から何も変わっていないではないか。……そもそもお前はだなっ」

(わわわっ、始まっちゃいました……!?)

(アズリアさん、隊の指揮と違ってどこか活き活きしているような……)

「……そのうえお前は計画性などこれっぽっちもなく、極めつけはっ、人が机にかじりついて予習に余念がないという時に惰眠を貪り、あまつさえそのまま授業をすっぽかすなど首席代表にあるまじきことをっ……!! 当時貴様と一式と考えられた私が尻拭いされる羽目になったんだぞ……!」

「アズリア! アズリアっ!? もう分かりましたから、ほら、話の続きを……!」

(こいつ、授業をサボった癖に首席だったのか……)

(ギャレオさんの目が汚物でも見るようになってますぅ……!? こ、こんな失態ウィル君に聞かれたらっ……い、いじられる!!)

「後で覚えておけよ……」

「うぅ、明日という受難が怖いです……」

(アズリアさん、世話好きだったのか? もしこいつが甲斐性のない赤い髪の男だったら……末恐ろしい……っ!!)

(あ、あれ、殺気……?)

「こほん……先程の話は、私の部下をこの島の警備に当てようというものだ」

「えっ、それって……」

「ああ。お前達の言う集落と呼ばれる拠点に兵を配置し、かつ各住人達と協力し、いたずらに被害を広げるのを食い止めようというのが目的だ」

「お前等と我々の全部隊が合流しても、碌な運搬はかなわないだろうという隊長のご采配だ」

「……? まぁ、とにかく、背後の護りが固められればお前達も気兼ねなく戦闘に集中できるだろう。島で暮らす召喚獣達の憂慮も緩和できるのではないか?」

「そう、ですね……はい、素晴らしい考えだと思います。ありがとう、アズリア」

「ふん、アズリア隊長のご配慮を有難く思え」

「……ギャレオ、さっきから何を言っている? この件はお前が立案したのではないのか?」

「はっ? い、いえっ、自分は隊長の指示だと聞きましたが……」

「なんだと……?」

「?」

「……」

「……」

「え、えーと……二人は誰伝いに話を聞いたんですか?」

「「ビジュ」」

「…………」

「…………」

「…………」

「……明日は、雪か……?」

「いえ、槍が降る可能性が……」

「そ、そこまで……」













彼は恐慌に陥っていった。


「……、……、……ッッ!!!」


彼方から響いてくる言葉にならないその悲鳴を、無理矢理に耳の中へ放り込まれながら、自身もひゅーひゅーという狂った笛のような呼吸を繰り返す。
瞳を罹患したように真っ赤に血走らせて辺りを窺う。
周囲を埋め尽くすほどの森林地帯。
数え切れない梢が幾重にも折り重なって、青空から降る日の光を乏しいものにしている。

彼は一介の派閥兵だった。
上からの指示により島の偵察を任された派閥兵は、便宜上において仲間と呼ばれる者達と小隊を組んで島の各地へ散った。
彼もその一兵であり、少人数ながら同僚とともに気配を殺し、こうして集落付近の森へ潜み警備情報を探っている最中であった。
今回の偵察任務には、機があれば召喚獣を攫ってくる命も含まれている。
派閥内に置いて今日の手柄は明日の命に繋がることを彼は知っているので、機械的な表情とは裏腹に虎視眈々と獲物を狙っていた。

しかし。
気が付けば、彼等は狩る側から狩られる側へと立場を逆転させられていた。
警戒を怠った訳でも目先の欲に捉われていた訳でもない。
ただその異変を認知した時には、既に手遅れだった。


(体、が……っ!!)


────動かない。
身の周りの空気ごと押し固められたように、全身の身動きが利かない。
いや、正確には震えたり身じろぎ程度の微細な動きはできるのだが、それ以上の「行動」といえる動作まで発展させられないのだ。
それこそ、大量なセメントで己の体を地中深く埋め立てられてしまったかのように。


(か、『仮面の石像』……っ!?)


動揺を貼りつける眼が捉えるのは、奇怪な紋様と顔の彫刻を携える灰色の石像。
『近寄りがたい石像』という別名まで持つそれは、ZOCと言われる特殊の力場を発生させる「名もなき世界」の召喚柱である。

ZOC(ゾーン・オブ・コントロール)とは、生粋の戦士や剛毅な召喚獣が無意識の内に使いこなす能力で、彼等の間では『眼力』や『威圧』、『闘気』などと称されるのが一般的である。
『威圧』などという言葉から分かる通り、相手に向かって気の類を発散させ迂闊に間合いへと近付けさせない、或いは己のテリトリーに近寄らせない能力だ。
この『仮面の石像』はそのZOCをより強力により具現化して、いっそ呪いとでもいう方向性に昇華させたもので、地形に配置することで敵の進攻を阻む役割を果たす。
像と相対する対象は見えない壁に阻まれているような感覚に襲われ、一手間では『仮面の石像』を突破できなくなる。石像の脇を通ることさえ意のままにならない。


(じょ、冗談じゃっ……!?)


そんな本能に直接威圧感を訴えてくる『仮面の石像』が、複数。
見渡せる範囲でも十以上もの石像が、茂みや幹の影に巧妙に隠され設置されている。
────複数のZOCが円を作るように等間隔で発生した結果、巻き起るのは、文字通り行動を制限する圧迫伴う異空間だ。
全方位に重圧が生じることで、四肢はもとより全身の自由が損なわれる。挙動が奪われてしまう。
蛇に睨まれた蛙、という言葉と意味は違えど、身動きできないという点では、招かれる状況はさして変わらないかもしれない。
要は、居合いを構えるウィゼル様×4に四方を囲まれていると考えればいい。
神は死んだ。

知れずこの領域に足を踏み入れてしまった彼等は、何重にも張り巡らされたZ.O.C.により、蜘蛛の巣に絡まった蝶が如く空間の束縛を受けてしまっていた。
生い茂る枝葉によって視界は限られ見通しは効きにくい。罠の形跡も伏兵の気配も一切なく、その一時の安堵を突かれる格好となった。
劣悪な視野の中で巧妙に配置された石像に気付くことが出来なかったのだ。


「あ゛、ぁ゛、ぁ゛、ぁ゛、ぁ゛、ぁ゛、ぁ゛、ぁ゛、ぁ゛、ぁ゛、ぁ゛、ぁ゛……!!!」

(ひぃ、ぁ……っ!?)


耳を塞ぎたくなるような──けれど塞げない──仲間の断末魔がまた響く。
その甲高い悲鳴に彼は心中で情けない声を漏らし、周囲の木々からは鳥達が一斉に羽ばたいた。
相互に干渉し合い、複雑に絡み合う力場の狭間に足を踏み入れてしまった彼等を最初に襲ったのは動揺で、次には絶望ともしれない恐怖だった。
強制的に金縛りへと移行させられた自分達のもとに、鎌の一太刀を浴びせる死神が、一機、潜んでいたのだ。



『目標沈黙……ラスト』



無機質な音声が鼓膜を揺るがす。
視界隅に認めるのは、右手に赤く赤く染まった錐────おぞましい彩色のドリルを装備した、巨身の機械兵士。
紛れもなく、此方の島上陸作戦をカウンターする形で虐殺の一役を担ったあの殺戮兵器だった。
派閥内での下っ端の間で、この島の恐怖の象徴となりつつある鉄機は、ゆっくりと彼の方へ歩み寄ってくる。


「へあッ……!?」

『余り動かないようにお願いします。本機は、歯医者(デンティスト)は苦手ですので……』


恐怖が臨界に達する。伴って、脳の一部がイカれた。
眼球の端に滴を溢れんほど溜め込み、顔面の筋肉が壊れた引き攣った笑みを浮かべる。
────驚いた、あの血と肉の掘削作業が歯医者サンの真似事だったなんて、べらぼうに驚いた。
カチカチと噛み合わない歯の音を鳴らしながら、彼の思考は現実逃避の方向に爆走した。

鋼鉄の歯医者は何も言わず大地を踏みしめ迫ってくる。
不可視の領域が見えているのか、機械兵士はZOCの影響の欠片も受けず距離を詰めていった。
歯医者──ヴァルゼルドにとって、それはあらかじめ設定されていた経路を辿る簡素な作業。入力されているデータが従えばいいだけの話。
ZOC範囲外を縫うようにして進むその機動は淀みがない。

距離が三メートルを切った頃、ゆっくりと頭部の横に構えられた絶対の凶器が、いななく。
ギュィ、ギュィィィィィィィィン、とドリルが右に、左に回転した。
銀光輝くボディの半分を真っ赤に染めながら、その殺人スクリューはいまだ獲物の生きた鮮血を求め飢え狂っている。
腰はとうに砕けていた。しかしケツは地面に着陸しない。
不気味に笑う石像が彼の体を立った姿勢で固定させ、嘲笑っていた。
涙と震えでぐしゃぐしゃのトチ狂った笑みを継続して、ほどなく、彼は己の最期を目の前にする。




『脳漿をブチまけさせてもらいます』




────それは歯医者なんかじゃねえ。


声にならない抗議がこぼれた後、絶叫が空に打ち上がった。













中央管理施設 正面ゲート前



「何よ、これは……」

『『『『『『&%#』』』』』』

アルディラの眼前、ボクスやフロットなどの作業機械が列をなしてずらーっと縦に並ぶ。
二体一組でペアを作る彼等が抱えるのは、ボロ雑巾となった男達……派閥兵の乗る、真っ白な担架。

「指揮官機VAR-Xe-LD……ヴァルゼルドの指示……?」

『$』

「ああ、あの子ね……」

溜息の落ちた側から、列の最後尾にまた新しい患者が追加された。
ドリルで掘られたような余りに惨い外見にモザイクをつけざるを得ない。何があった。

『%#$$$』

「……営倉入り? 後で島流しにするからですって? あの子がそう言ったの?」

『$』

「そんな甘い処置でいいわけ? 脱走なんかされても、責任は取りきれないわよ?」

『#####%$&』

「『程々に行動不能にして欲しい』……?」

『&%%#%』

「『実験の許可も辞さない』……?」

『&&』

間。

「…………」

『…………』

「…………」

『…………』

「……いいの?」

『……$』

素敵な笑み。

「うふっ、うふふふふふふふふ……」

『…………』

「そうね、『行動不能』よね。要は身動き取れないようにすればいいのよね?」

『………………』

「融機人用コールドスリープの冷却装置を応用して指向性を持たせれば……フフ、いける、逝けるわ、念願の冷却光線がっ……!」

『『『『『『………………』』』』』』

長蛇の列が足並み揃えて機婦人から一歩距離を取った。

「モルモッ……もとい、灸を据えてやらなきゃいけない連中はごまんといるわ、それにこれは正当防衛、自爆なんかされないためにも思う存分試射テスト兼出力調整を……」

『…………』

後日、頬を伝う涙をも凍結させた数え切れない氷像が、忘れられた島を旅立っていったらしい。













何が起こっているのか。
穴から這い出てきた派閥兵は混乱の極致に陥りながら眼前の光景を理解しようとする。
悲鳴に継ぐ悲鳴。仲間の口から迸る絶叫の連鎖が竹林────雨情の小道を満たしていた。



島中に散開した派閥兵の中で、鬼妖界集落付近の森へ足を運んだ彼等がすぐさま発見したは、仕立てのいい服に身を包んだ少年だった。
つい先程までは複数対一からなる追いかけっこを演じていた相手だ。
木の実でも取りにきていたのか、林の中でばったりと遭遇した直後中身の詰まった籠をぼとっと地面に落とし、「ひっ!」と怯えに硬直した様は派閥兵達の嗜虐心をすこぶる刺激した。
姿を見られたからには始末するしかない。親とはぐれた小動物のように必死に逃げるその後ろ姿は蹂躙欲も手伝って、件の少年は下卑た笑みを浮かべる彼等の目に極上のエサとして映った。群れて狩りをする肉食獣のように連携した動きをして派閥兵達は、少年を人里離れたこの場所まで追い込んでいったのだ。
が、この静寂を保つ竹林に足を踏み入れた瞬間、事態は急変する。


躓いて地面へ転び、絶望に顔を染める少年へ飛びかかった冷笑の派閥兵の足元に、突如して穴が出現した。


兵は音もなく穴に吸い込まれた。一瞬だった。まるでバキュームされるかのようにその姿を大地へと消した。場の時が眠りについた。
穴の底からようやく響いてきた遠い悲鳴に、他の派閥兵が意識をはっと取り戻したのは同時。
それからすぐ、穴の深さを物語るドゴンッボチャッという何かが砕け散った激突音が届き、伴って悲鳴も消えた。

そこからは目まぐるしかった。
キン、と鋼糸が張り詰めた音がしたかと思うと、まず物騒な凶器群が彼等の頭上を襲った。
手裏剣、小太刀、忍者刀。無骨な光を宿す暗器が降り注ぎ、そこで二名の兵がゲートオブバビロンされた。
嵌められたことを自覚し出す派閥兵達のもとに、今度は一斉に地面から槍衾の如く矛が生えた。四方八方局所的なそれに三名の兵が串刺しにされ、味方に裏切られた正義の味方ENDを迎えた。いよいよ派閥兵の顔色が蒼白に染まる。

後はもう酷かった。
竹林を薙ぎ倒しながら馬鹿でかい丸太が横っ面から飛んできたり、まだ血が足りぬと言うように刃の雨が降り続き、とどめに地面に次々と落とし穴が開いた。
落ちる寸前どうにかこらえたかと思えば直上から碇が降ってくる始末。圧倒的死ねと言われてるようにしか思えない。
阿鼻叫喚たる光景の中、兵達の視界の隅でパンパンと手で服を払い、スタスタとその場を後にする澄まし顔の子狸の姿があった。



「ぐ、がっ……!」

地面に顔をついた態勢で荒い息をつく。
ちょうど切り立った崖に縋りついたような格好で、下半身をいまだ落とし穴に食われながらも視線を巡らせば、もう僅かも残っていない仲間達が致死の罠から必死に逃げ惑っている。
いつの間に自分達は瓦解への進路へ転じってしまったのか、と派閥兵は呆然と思考。
この多大なる罠のご歓迎は一体何だ。

彼は知る由もないが、今設置されているトラップパラダイスは狸による謹製で、更にそこへキュウマの執念とでも言うべき意地が上乗せされている。
“とある事件”をきっかけにしたキュウマの妄執。
向けられる相手はお門違いでありながらも来たる日のために磨き上げようとする技術は、罠をより鋭利に、より残虐に、より容赦のないものとして昇華させていた。
雪辱に燃える忍者に「やり過ぎ」と少年の一言が添えられるくらいに。

(に、臭う……っ!)

何故か穴の底に溜まっていた茶褐色の液体が派閥兵の兵装をこれでもかと犯している。
追及したくないその正体と余りの悪臭に、眦へうっすらと滴が浮かぶ。鼻が曲がりそうだ。己の体は文字通り汚されてしまった。
兵装ももはや廃棄処分確定。二度と使用できない。
武装破壊としては地味に効果的ではある、ええ確かに効果的ではあるが、果たしてその狙いは一体でどうなのでござるか。
明確な殺意に潜んだ陰湿な悪意に派閥兵は身震いする。この島はどこか狂っていると、先日のデストロイ事後を胸にその思いが芽生えた。

「うわ、何だコイツ。糞まみれなんて人として恥ずかしくないのか」

「────」

上から降ってきた言葉に声を失う。
例のブツによってべったりと額に貼りつく前髪を払いながら、首を傾ける。
瞳に映るのは、軽蔑の眼差しで己を見下ろす帝国軍兵達。

「ていうか、うわ、マジくせぇ」

「ゲロくっせぇー」

「超くせぇ」

────後詰部隊。
仮借のない言葉に人としての尊厳が大いに抉られながらも、派閥兵は自分の置かれている状況を理解する。
徹底した後始末。この柄の悪い連中は確実に自分達の息の根を止める気だ。
折れかけていた精神が真っ二つになるのと並んで、調理を待つ畜生の気分を初めて味わった。
染み込まされた習性が体を自動運転させる。もはや反射的な行動で自爆装置とへ手を伸ばした。
腰に吊り下がっている爆弾に触れ、紐式の安全装置を一気に引っ張ろうとして…………トン、と。

「……ぁ?」

軽い衝撃が骨盤を通じた。
振り返れば、一本の投具が自分の腰に、いや爆薬を吊るしてあった留め具に突き刺さっている。
支えを失った装置が穴の底に落ちていく。ボチャン、と茶色の飛沫を上げて、爆薬は肥溜めの中で処理された。
何が起きたのか理解できない顔する派閥兵は、泡がぷくぷくと浮かぶ茶の水面を見て、そのまま緩慢な動きで自身の背後を見た。

「くだらねえことすんじゃねえぞ、クソ野郎」

凶暴なイレズミを顔面に彫った男だった。
規律を重んじる制服に身を包んでいるが、その悪人面と雰囲気から最も軍兵らしくない軍兵でもあった。
腕を伸ばし切った投擲態勢。針の穴を通すような的確な狙撃をしたのはこの男らしい。
そこで気付く。退路を断たれた。自決はもうできない。

「隊長ォ、こいつにイスラさんのこと聞き出しましょうよぉ……根掘り葉掘り隅々まで体の中身が空っぽになるまで丹念に」

「いっちゃう? 逝っちゃう?」

「切る? キル?」

「バァカ、こんなクソ臭ぇクソ野郎があいつの事情を知ってる筈ねえだろ」

「「「ですよねー(笑)」」」

四方を取り囲む、言動も身に纏う空気も物騒過ぎる帝国軍兵士達。
うんこ座りで自分を見下ろす四対の眼に生きた心地がしない。待ち受けている未来に血の気が引いた。ていうか、いちいち行動が今の自分を貶すもので死にたくなってきた。
いっそこの手を放して糞の泉に沈んでしまおうか、と思ったがその矢先、ガッ! と伸びてきた足が腕を踏みつけ地面に固定する。
目線を上げれば、童顔の帝国軍兵士が瞳を細めて残虐に笑っていた。
もうやだ、コワイ──。

糞の泉で溺れることさえ許されない派閥兵は死期を悟った。
昨日(さくじつ)の殲滅戦を受けたのに加え自分達のアイドルを奪われたことで、彼等帝国軍のフラストレーションは限界突破しているのだ。しかし後者は冤罪だと高らかに叫びたい。
そして「あぁ…」と腹の中で呟きながらもう一つ悟る。自分以外の同僚が声も漏らさず静まり返っているのは、この人達の手で既に始末されてしまったからだと。
元より自分に他の選択肢はなかったのだ。

四方で動き出す気配を敏感に感じ取りながら、彼は最後に泣き笑いを浮かべて、言った。




「イスラちゃんの風呂上がり目撃した俺は勝ち組」

「「「「死ネ」」」」




一矢報いた彼は、一死では済まされなかった。













鬼の御殿 縁側



「おや、ご老体。今までどちらへ?」

「ミスミ殿。なに、若造に外へ出歩くのを控えろと注意されていてな。全く、わしに説教垂れるなどいっちょまえに生意気言いおって」

「ふふっ、先日帝国軍に捉われた件もあるゆえ、アティも気が気がでなかったのでは?」

「むっ……そう言われてしまうと立つ瀬がない。これは、一本取られたか」

「まぁまぁ、それほどアティも心配を払っているということで。……ですがご老体、しつこいようですが、くれぐれもこの御殿を離れぬようお願いします。帝国軍と里の男が見張りの者を立ててくれるとはいえ、彼奴等の前では何が起きるとも限らないので……」

「分かっておるよ、ミスミ殿。老いぼれは大人しく屋内に引っ込んでいるとしよう。……そういえば、スバルの姿が見えないようだが?」

「……それが自分も見張りにつくといって聞かず……鬼忍衆が一緒についているとはいえ、わらわも気が気がではないのです……」

「鬼忍衆……キュウマと同じリクト殿の配下、だったか? それなら、長のキュウマ本人は何をして?」

「何でも、忍ばねばならないことがどうとうか……」

「またか……」

「はぁ。こういう時にこそあの子とお手玉でもして、母の威厳を見せつけてやろうと思っておったのに……」

「(しょぼくさい威厳じゃな……)ミスミ殿はスバルを放っておいていいので?」

「……うむ。ちと寂しい、いや不安も憂慮も甚だ尽きぬが……しかしそれも、わらわがあの子の母親であるからこそなのだろう」

「……」

「実際、スバルは実力をめきめきとつけておる。見張り番程度なら、わらわの心配も杞憂に過ぎん。キュウマもそれが分かっているから私用を優先させているのだろうし……」

「ふむ、まぁ親心は複雑だろうな。けれどミスミ殿、貴方の思っていることは何も間違っとらんよ。むしろ親として当然じゃ」

「……かたじけない、ご老体」

「なぁに。しかし、あのやんちゃ坊主が里を思って行動するようになったか。男子三日会わざれば刮目して見よ、とはこのことか」

「ええ、本当に……。この間など、かよわい女子(おなご)を守るのは男の役目などと言って……」

「………………」

「ふふっ、一端のことを言うようになったものじゃ」

「…………時に、ミスミ殿」

「む? どうしたのです、急に改まった顔をして?」

「…………スバルが求婚されているのはご存じで?」

「なんと!? あの子にか!?」

「わしも偶然その場に居合わせただけで、何とも言えんのだが……」

「ぬっ? あぁ、そうか。ご老体、その娘(むすめ)は雪女の所のコユキじゃろう? あの子はスバルのことを慕っておるようじゃからな、ややもすると少し逞しくなったスバルに恋慕を募らせたのかもしれん」

「……どうやら複数人の女に言い寄られておるようで」

「なぬっ? ではミゾレやユキメ達もかっ? うぬぅ、全くあの方の息子なだけあって罪作りな男子になって────」

「……若造と大して年も変わらんような女子供に、な」

「──────なん……じゃと……」

「……どうもはぐれに襲われていたのを助けたのが切欠らしい」

「……」

「……そしてあの坊主は鈍感を貫いて何も理解しておらん。『みんな面倒をみてやる!』とほざいておったの」

「……」

「スカーレルが言うには、今“しょた”が熱いとかどうとか……」

「……」

「……」

「……わらわは、何か間違ってしまったのか?」

「何も間違っとらんよ、恐らく……“ミスミ殿”は」













(……煙幕!)

己の周囲を取り囲んだ濃煙に、暗殺者は両眼を鋭くした。
森を抜けて出た開けた窪地にはどこからともなく発生した気体が立ち込め、視界360度が覆い尽されてしまっている。
偵察任務についてから既に半刻。紅き手袋から出向している暗殺者で編成されたその小集団は、ユクレス村を目と鼻の先にして足止めを食らっていた。

(この色といい……毒霧か)

鼻腔の奥を刺激する緑色の煙霧は、暗殺者に嗅ぎ慣れたあの感覚を預けてくる。
この島の生態系は知らないが、まず自然発生する類ではない。それに微量ながら魔力の残滓も感じ取れる。
十中八九、召喚術。
確実にこの濃霧は自分達を迎え撃つため、狙って放たれたものだ。
隠密行動を取っていた自分達をこうも早急に捕捉していたことに、暗殺者は軽い驚きを覚えていた。
やはりこの島は外敵に対して異様ともいえる警戒態勢を敷いているのか、と自己完結で締めくくる。
この規模と濃度から考えて、敵はここで自分達の身動きを封じるつもりだろうか。
だとしたのなら、それは無意味だ。

(毒は……効かん)

巻いてあるマフラーを口元まで上げる。
物心つく以前から毒を摂取し、生死の狭間を彷徨ってきた暗殺者達にとって、この程度の脅威はぬるま湯につかっているようなものだった。
これが無色の派閥の一兵卒ならば分からなかったが、自分達には効果の前兆も見込めない。
残念だったなと心中で呟いて、暗殺者は見えない仲間に向かって口笛で合図を取ろうとした。

「……!」

一歩踏み出した足の先、つま先がある筈の地面ではなく、空(くう)を捉える。
何だ、と張り詰めて足元を凝視すると、薄らと、ぼこっと空いた穴の輪郭が見えた。
直径は三十センチといった所か。よく見ると、自身の足元には一定の間隔を置いて多くの穴が連なっている。
落とし穴のつもりかと暗殺者は考える。そうであるならば中途半端な穴の大きさや隠蔽の仕方からいってお粗末としか言いようがないが、しかし、何か引っかかる。
付近にいるだろう仲間の気配にも怪訝な色が孕んでいる。この場を離脱するか否か、暗殺者達の間で一瞬の逡巡が走った。
その時、地面の穴々に動きが見えた。

「! ……モグラ?」

落ちた呟きの通り、穴から顔を覗かせたのはモグラだった。
何故かヘルメットを被った彼等は一見無害にとれて、またその円らな瞳で暗殺者達を見上げ続けている。
意表の連続に暗殺者達が思わず動きを止めてしまい、それを見たモグラ達は一度穴の中に引っ込んでしまう。
そして次に現れた瞬間、彼等が置き土産として残していったのは、数多の球体。

「────」

火花を散らす導火線を持つのは、愛嬌溢れた鳥の顔面を備える召喚獣。
業界の間では余りにも有名過ぎる幻獣界の仕事人。
────爆殺のプロ(ペンタ君)だ────!!


「───────!!!?」






「ご愁傷さん……」


ボムッ、と連続の爆砕音が木霊した。
爆発の余波でかき消された声にならない叫びが毒霧の中を飛び散った。
一段と高い大木の上、両手を頭の裏で組んで枝に寝転がるヤッファは、眼下の光景に同情の言葉を送る。
もうもうと立ち込める煙の中で膨れ上がる爆風は、あたかもマグマに浮き上がる気泡のようだった。

「あいつもよく考える……」

召喚した『タマヒポ』の毒の息吹で視界を奪った後、ヘルモグラの巣穴の存在を悟らせないまま地下からの襲撃で爆殺する。
ユクレス村の作物を狙うヘルモグラの巣はこの地帯一帯に張り巡らされている。天然の地雷原に入り込んでしまった時点で彼等の「詰み」は決まったようなものだった。
見張り役としてこの場を任されているヤッファは、もう先程から手持無沙汰な状態が続いている。

よくもまぁ敵もホイホイ引っかかるものだと、面白いように爆散していく派閥連中を見てヤッファも溜飲が下がる思いである。
その分、もはや“未来予知”に近い采配を下すウィルに薄ら寒いものを感じるのも事実であるが。
この作戦を聞かされた際、既にヘルモグラを買収済みであったのは戦慄を通り越して寒気を感じた。メイトルパに狸がいなくて良かったと心底思う今日この頃である。

「ん? 上手く逃げたか?」

霧が不自然に動く気配を見つけてヤッファは立ち上がる。
しょうがねえなぁ、と口にしながら一挙に高度十数メートルはある枝から飛び降りた。
とんっと着地するのと同時、緑色の霧が揺らめきを作り、その奥から形振り構わない体で暗殺者が飛び出してくる。
ばたっと倒れ込んだ彼はボロボロに焼き焦げた姿で、地面にひれ伏したまま急いた呼吸を何度も繰り返した。

その姿に特に感慨を抱かないまま、死刑宣告を告げるようあからさまにバキボキと指を鳴らす。
びくっ、と震えた暗殺者は絶望し切った顔をゆっくりもたげ、ヤッファはそれを不敵な笑顔で歓迎した。




「らっしゃい」




もう何度目とも知らない悲鳴が青空に昇った。













異鏡の水場



「ファリエル! イスラとっちめるの協力して!」

「あの、ソノラさん……?」

「今までのあたしはどうかしてた! 遠慮なんかしないで、聞きたいことは無理矢理聞き出す! ていうか、吐かせる! うん、そうだよ、だってあたし達は海賊なんだから!」

(あれ、いつの間にか私も海賊になってる……?)

「このままじゃあカイル一家の面汚しっ、落とし前つけさせるためにもあのニャンコロっ猫鍋にしてやるうっ!」

(……どうしてだろう、イスラさんが猫鍋をしたら男性のみなさんが目の色を変えるような気がする……ううん、そもそも猫鍋って……)

「だからお願いっ、ファリエル! 悔しいけど、あたし一人じゃかなわないから、手を貸して!」

「ど、どうしちゃったんですか、急に? それに聞きたいことって……?」

「イスラがあそこにいる理由を知りたいの! 今あいつが思ってること、隠してること、それ全部聞き出さないと絶対納得出来ない!」

「……」

「あたし、イスラとの関係このまま終わりにしたくないっ!」

「…………分かりました、私も手伝います。いえ、手伝わせてください」

「ファリエル……!」

「私もソノラさんと同じです。頭で理解していても、やっぱり納得はいかないですから。……一夜だけの友達だったとしても、私も、イスラさんのことを知りたい……」

「……大丈夫だって! イスラもきっとファリエルのこと覚えてるよ!」

「……ありがとう、ソノラさん」

「いいっていいって。それじゃあね、まず何をするかなんだけど……って、んん?」

「あれは……クノン?」


「おはようございます、ソノラ様、ファリエル様」


「あ、おはようございます」

「おはよ、クノン。どうしたの?」

「ファリエル様にお尋ねしたいことがあったので、伺いに来ました」

「私に?」

「……なんかさぁ、クノン、行動範囲が広がったっていうか積極的になったっていうか、とにかく変わったよね?」

「そうでしょうか? ……いえ、そうなのでしょうね、きっと……はい、私は変わりました」

(……ほんと可愛く笑うようになっちゃったなぁ)

(何だか嬉しそう……?)

「ファリエル様、よろしいでしょうか?」

「ぁ、はい。何ですか?」

「……率直に伺います。ウィルと接吻したというのは本当ですか?」

「「ぶっっ!!?」」

「ファリエル様、答えてください」

「ファリエルぅーー!? ファリエルファリエルファリエルファリエルファリエルゥーーーーーッッ?!!」

「ええッ、あっ、うううううううううっ!!?」

「ファリエル様、答えてください」

「したのっ!? ねぇ、本当にしたのっっ!!?」

「しっ、しっ、しっ…………してまセン、ヨ?」

「目がそれてるし声が裏返ってるっ!! こらぁ、吐けぇぇ!!」

「ファリエル様、お仕置きしちゃいますよ?」


~五分後~


「だから、その、頬に触れただけというか、霊体だから物理的にはかなわなかったというか……せ、接吻には数えられないというか……」

「ファリエル様がその行為に踏み切った時点で未遂の一言では片付けられません」

「あうぅ……」

「ぶーぶー……!」

「で、でも、クノンだってウィルに……し、したって……!」

「…………両者とも合意の上です」

「こらこらこらぁっ!?」

「嘘です!? それは絶対に嘘っ!」

「……いえ、事実です。言質も取ってあります。アルディラ様が証人になってくれるでしょう」

「ウィルが何て言ったのよ!?」

「……『クノンに何をされようが“責任はとる”』、と」

「文脈おかしいですよ!?」

「そもそもあれ、絶対クノンの不意打ちだったじゃないっ!」

「…………問題、ありません」

「大アリだっ!?」

「目をそむけないでくださいっ!」

「……いやー、やっぱり平和が一番ですなー」

「藪から棒に何を!?」

「っ……あたしちょっとキス、じゃないっ、ウィルの所に言ってくるっ!」




「────────お待ちください、ソノラ様!!」
「────────待って、ソノラさん!!」




撃ち出されるワイヤードフィスト。
掴みかかるブーストナックル。

「ぐぎゅうぅっ!!?」

「落ち着いてください、ソノラ様。自分を見失ってはいけません」

「えっと、あのっ、そ、そうですっ! まだ私っ、ソノラさんとイスラさんのことお話したくてっ……!」

「クノンッ腕伸びてるぅ!? 襟も締まってるぅ!? ファリエル腕だけファルゼンになってるぅ胴体潰れるうううううううぅ!!?」

しかし放すまいとする細腕と巨腕。

「まずは深呼吸です。大きく息を吸って雑念を省き無我の境地に入ります。私に従ってください、せーの……ヒッヒッフー」

「その、やっぱりイスラさんの猫鍋は召喚してはいけないものと思うんでここはもっと穏便にテコ鍋くらいにっ……!」

「いいから放してぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……!!?」













「……おかしいわね」

様々な葉が入り乱れる雑木林の中、スカーレルはぽつりと呟いた。
誰に語りかけた訳でもないその言葉に含まれているのは怪訝な響き。
気配を殺し自身の体を林の中に溶け込ませる彼は、ごく自然体に風景の一部と化しながら周囲を見渡す。
まるで鋭敏化させた感覚で何かを探り出すかのように。

「連中の姿がまるで見当たらない……。敵状視察の余裕もないっていうの?」

自分の胸に傾けられる独白は現状が解せないことを語っていた。
スカーレルは知っている。無色の派閥、オルドレイクに率いられてきた「紅き手袋」の行動方針とまたその理念を。
過去に全てを失い、彼の組織に属していた彼は、それが手に取るように分かる。



スカーレルは暗殺者だ。いや、暗殺者だった。
幼少の頃、ヤードとともに住んでいた村を焼き払われ天涯孤独となった彼は、大陸の犯罪者集団「紅き手袋」に流れ着き、以後そこの構成員となって血に明け暮れる日々を過ごしていった。
人生の諦観からくるがらんどうの忠誠は、「紅き手袋」の協力関係である無色の派閥が、彼の村を実験台にし滅ぼした事実を知るまで続くことになる。

「珊瑚の毒蛇」という二つ名まで手に入れ一人前の暗殺者となった彼は逃亡を計る。
直接の切欠は失敗を犯した仲間の始末を言い渡されたこと。裏切り者の末路は死と理解しておきながらスカーレルはその命令を拒み、そして追手の標的となった。
本来始末する筈だった仲間にも命を狙われ一度は諦めた命だったが、とある海賊頭とその仲間に窮地を救われ、紆余曲折を経てその後継ぎであるカイル一家のご意見番として身を置くことになる。
幼い海賊の少女に生きる希望を貰ったスカーレルは、人を殺す毒を捨てて生まれ変わった。
心の奥に根付いてしまった冷酷な蛇と決別こそは出来なかったものの、元来の性格と処世術でスカーレルはカイル達と助け合い笑い合い、広大な海を渡ってきたのだ。

そんなスカーレルに転機が訪れたのは、同じく村を失い無色の派閥召喚師となったヤードとの再会だった。
仇の正体、事件の真相。それを幼馴染の口から聞いた彼は復讐を誓う。毒蛇は再び頭をもたげ、訪れる日を前にその牙を磨ぎ始めた。
「剣」を囮にすることで仇を引きずり出す計画は頓挫したものの、結果的にはスカーレルとヤードの悲願は目前まで迫っている。
事件の首謀者、オルドレイク・セルボルトの暗殺が。



「こうも静かだなんて、一体どういうことなのかしら?」

眉を顰めるスカーレルは森に転じていた視点を変え、見下ろす格好で己の足元を見やる。
地面にひれ伏しているのは軽衣に身を包んだ暗殺者だった。自分に向けられた言葉に細身の男はビクリと肩を震わし、怯えるようにぶんぶんと頭を振る。
出会い頭に撃退し拘束した相手に対し、スカーレルは目をすっと細めた。

紅き手袋は職業柄、情報収集は決して怠らない。
暗殺を主な生業とする彼等にはターゲットの情報の入手は必須事項であり、また自分の命と等号で結ばれる。任務の失敗は例外を除いて自分の死と直結するからだ。
接敵必殺。命をチップにした暗殺者達の暗黙のルールだった。

そんな彼等が教えに準じていない。あり得ない出来事だ。
確かに相手の被害は此方側の目からしても大きいものだった。しかし純粋な派閥兵と異なり、「茨の君」を筆頭にした紅き手袋の集団はまだ十分に残っていた筈。
命令系統──この場合の頂点はオルドレイク達だ──が麻痺していたとしても彼等なら自ずと偵察行動に走るだろう。
辻褄が合わない。

「ねえ、素直に吐けばもう少し長く生かしてあげる。吐かなかったら、蛇(アタシ)の毒で最期まで苦しませてあげる。……どうする?」

嘘を吐く。
「毒蛇」の毒は訓練を受けている紅き手袋の者でも悶死させるほど強力であるが、唯一の例外を残して、スカーレルの手元には毒はない。
組織から抜ける際に毒はもう捨てたのだ。彼に残されているのは仇の首を噛み千切る牙のみだ。
「珊瑚の毒蛇」の名は有数の毒使いとして組織でも知れ渡っている。組織の一員であるからこそ、毒と疎遠となっている彼等にその脅しは少なからず効果を持つ。
が、伏している暗殺者の行動は変わらなかった。ぶるぶると哀れなほど体を震わし首を振りまくるだけで、スカーレルの取引を全く受け付けない。

分かり切っていたが、やはり駄目か。
雇い主あるいは自身の内情を吐き出す暗殺者は、その時点でアサシンの名折れである。赤裸々に語るくらいだったら自ら死を選ぶだろう。
この状況下、自刃を踏み止まっている時点でこの暗殺者は稀有な存在といえた。
スカーレルの零度の殺気に当てられているのか、男はその場をまるで動こうとしない。
暗殺者としては愚かしいまでに怯えていた。そもそも先程のスカーレルの言葉も聞いていたかさえ怪しい。
どうでもいい、とスカーレルは頓着しなかったが。

ヒュン、と無言で短剣を翻し、スカーレルは暗殺者の首に狙いを定めた。
始末する。
頭を地面に垂らすことで剥き出しになっている延髄を突き刺し、息の根を止める。
瞳から一切の光を省き、スカーレルは剣を持つ右手を振りかぶった。
そして腕を振り下ろす────まさにその瞬間、眼前の茂みが、不自然なほど音を立てて振るえた。

「「!?」」

スカーレルと暗殺者の男は同時に顔を向けた。
反射的にスカーレルはその場から後ろへ飛び退き、男は身の震えを増加させ怯えを顕著にする。
熱くなった心臓を静まらせ前方を見据える。未だ揺れている緑葉の奥に神経を集中させ、油断なく短剣を構えた。

「ぁ、ぁぁ、ぁああっっ……!!」

男がこの世の終わりのような声を漏らし、いわゆる匍匐前進で茂みから距離を取り出した。
目から正気の色を消している暗殺者に、えっ何コイツ気持ち悪い、と素を出しながらスカーレルは若干引く。
自分が居なくなった後であの組織は人材育成に問題を抱えるようになったのかと、過去のホームに疑問を馳せてしまった。

取りとめない思考にスカーレルが一瞬捉われている間、茂みの音は大きくなっていった。
そして男がようやく元いた場所から一歩分の距離を稼いだ頃、バシュンッ! と葉の中から凄まじい勢いで鉄腕が飛び出し、男の足首を掴んだ。

「ひィいいいいいいいいいいいいいっっ!!?」

「なっ……!?」

がばちょ! と標的に食い込んだ黒光りするマシーンな腕は何も語らず、ぐいぐいと男の体を茂みの奥へ引きずり込んでいく。
「ぃやだ……嫌だぁぁぁぁぁぁ!?」と泣き叫びながら敵である自分へ手を伸ばす暗殺者の姿に、スカーレルは顔を引き攣らせ、やることも忘れてその場に立ち尽くした。
茂みに飲み込まれていく暗殺者。あらん限りに見開いて自分を見つめる滂沱の瞳が消えるまで、スカーレルはその場を動けなかった。


「………………何が起きてるのよ」






「ふぅ、危ない……」


空中より見下ろした光景にフレイズは安堵の息をつく。
白鳥のものと見劣りしない純白の翼を静かに羽ばたかせ、上空から降ってくる日の光を金の髪で輝かせる。
例によって派閥の駆逐作戦に参加している彼は、敵状視察ならぬ敵状俯瞰しながら彼等の動向を的確に捉えていた。

「ヴァルゼルド、ファインプレーです。よくやりました」

『恐縮です、空尉殿。この捕虜は手筈通りに?』

「ええ。黙らせた後ラトリクスに送りなさい」

『了解』

手に持った「合金無線機」──アルディラの誓約の儀式が終わったからといって手渡された──から、ドリルの唸り声と狂ったスピーカーのような叫び声が流れてきた。グロい音も付属してきたのですぐさま通信を切る。
フレイズの役目は上空より派閥の動きを捉え、この無線機を介してウィル達に随時指令を出すことだ。
空からの目があることで、ウィル達は相手の一歩も二歩も先に立ち回ることができる。そこに下準備の整った地形条件が加われば、少ない人数と少ない労力で最大の効果を見込める。
言ってみればフレイズがこの駆逐作戦においての肝だった。

「言動の端々から見た目通りの人物ではないと思っていましたが……あれがスカーレルの闇ですか」

ちょうどぽっかりと穴の空いた雑木林の中に、いまだ硬直の抜けきっていないスカーレルを認めながらフレイズは考えるように呟く。
地上から飛び立つ際ウィルにこっそり耳打ちされた「実はスカさんがなんかヤバめの空気を纏って血に飢えていた」「見つけたら注意しといて」の言葉にフレイズは了承していた。
本人がそれほど望むなら敵の抹殺も止むなしではないかと最初こそは意見したフレイズだったが、「スカさんが敵やっちゃったら女子(ソノラ)が泣いちゃうYO」と告げられ、自分の浅はかな考えを恥じまくった。
女性の涙、ダメ、絶対。

「後はもう殆んど残っていないようですね……キュウマ、集いの泉まで南下し待ち伏せてください。一人来ます」

『御意』

日々のパトロールで養われた鷹の眼は、上空数百メートルの地点でも的確に島の地形や人影を視認できるが、ほぼ密林化している空間は流石にその限りではない。
自然の天幕にはさしもの眼も弾かれる。大部分が森で覆われている島においてその要素は致命的ですらあったが、それは狭間の領域の住人達の協力で解消されていた。
──『樹木の天頂に潜み、敵の姿を確認した次第身体を発光させろ』。
「ペコ」を始めとした光の精霊達にそのように頼み込むことで、フレイズは素早く全景図から敵の位置を割り出し、味方へ情報を送信することが可能になっていた。

「後は……くっ、機界の道具はいまいち慣れません……」

愚痴をこぼしながら通信機のスイッチやダイアルをいじくって周波数を設定する。
機界特製の無線機だけあって下手な操作でもしっかりサポートして持ち主の意思を汲む。
ほどなくしてウィルの受信機へと繋がった。

『あらかた片付いた?』

「ええ、貴方とキュウマが囮を務めた甲斐もあって。死亡者はゼロ、全てラトリクスに搬入されました」

『流石。で、敵の本営見つかった?』

「貴方の言った通り、どうにも暁の丘の周辺が怪しいですね。小規模ながら強力な結界が張られています」

どちらかと言えば島の北東寄り、炭鉱付近だ。
夕闇の墓標に現れた折、海岸線を背にしていたことから、停泊している船の位置はその近辺で間違いあるまい。

「破ることもそうですが、外からは中の様子が窺えない仕様になっていますね、あれは。やはり敵の召喚術は侮れない」

『むしろ侮る所を探す方が難しいけどな』

「とんとん拍子で敵を撃退してますから忘れそうになりますね……って、ちょっと待ってください、何だかぞろぞろ出てきましたよ」

『えっ、嘘、早くね? 斥候の追加とじゃなくて?』

「いえ、幹部も……揃っていますね。まちがいなく本陣です」

『法衣着た女王様も?』

「はい。敵ながら容姿だけは完璧です」

『赤い暗殺者の娘も?』

「ええ……というか、何ですかあの胸は……! 見下ろして初めて分かる胸囲! まさかアティと互角以上!? 胸囲的と言わざるを得ませんっ……!」

『おい止めろよ、遠く離れた僕にまで卑猥な妄想が感染するじゃないか。って、くそっ、既に手遅れになってやがる……! は、鼻が熱いっ……!!』

「漢々(われわれ)の至宝が暗殺者だなんて、リィンバウムも末ですね……」

『テコ、至急クノンに増血剤を……っ! いやダメだ、そこは何故か注射器の予感しかしない……! こうなったら先生に治療をっ……ダメだ、正視できる自信がない!! 詰んだっ!』

「あんな中身ぎっしり詰まった宝を抱えて、本当に暗殺なんて出来るんでしょうかね。甚だ疑問です」

『自重しろっつってんだろ犬天使ィ!! 僕を殺す気かっ!? しかもそれ言い逃れしようもなく覗きだろ!』

「覗きなど人聞きの悪い、これは相手の模様を探るためのれっきとした……うわっ目が合いましたってこの距離で捕捉されたってメッチャ睨んでます……!?」

『じゃあねフレイズ、今まで楽しかったよ』

「ま、待ちなさい!? その別れ方はまずい! 素で今生の別れになるような気がしてならないっ!!」

『ファリエルに言っとく。あいつ最後まで勇者だったって』

「止めろ! ファリエル様がファルゼン様になって私がファルゼン様されるっ!! これ以上評価が地に堕ちたら私を待ち受けるのはファルゼン様だ!」

『断罪ですねわかります』

「ぐぁあああああああああああああああああああああああっ!!?」

『あっ、ファリエール様。ちょっと小耳に挟んだ情報なんですが……』

「やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!?」

『で、冗談は置いといて。ジジイとかもイスラとかもいるわけ?』

「……ぐっ、その、ようです……がふっ」

『……なぁ、ロン毛眼鏡は流石にいないよな?』

「ええ、それらしき姿はどこにも………………うわっ」

『おい、何だよ、何があったんだよ?』

「……包帯ぐるぐる巻きのパラ・ダリオみたいな奴が陣の最後尾に……」

『…………』













暁の丘



「おのれ、忌々しい……! 傷が疼きおる……!!」

「貴方、やはり無理をしない方が……」

「みなまで言うな、ツェリーヌっ。我の顔に泥を塗った彼奴等に、直接制裁を下さねばこの痛みも屈辱も晴れぬ!」

「……こんな辺境で侍に引き続き、木乃伊までお目にかかれるとは、な」

「黙れウィゼルッ! 我はもともとこのようなふざけた格好はしておらん!!」

「興奮するな。傷が開くぞ」

「誰のせいだと思っている……っ!」

「貴方、落ち着いて。ウィゼル様もご自重なさってください!」

「……」

「くそっ、あのような訳の解らん方法で不意打ちするなどと……! ええぃ、思い出しただけでも腸が煮え返るぞっ!」

「ツェリーヌがいなければとんぼ返りになる所だったな」

「くっ、使い手はともかく、流石は始祖の遺産ということか。……ふふっ、これから我がものになると思えば、怒りも少しは収まるというものよ。奪い返した暁には、まずはあの小憎らしい小童から焼き尽くしてくれるっ」

「……」

「それにしても、共界線(クリプス)を用いたエルゴの代替とは……始祖も粋な計らいをするではないか」

「核識を掌握してしまえば、この島から一気に世界を牛耳ることも可能……」

「その通りだ、ツェリーヌ。ふははっ、我が秩序たる世界がもうすぐそこまで来ている……! 予てから計画していた魔王召喚などという儀式はもはや用済みよ! ふっ、ふははははは!!」

「…………」

(……殺気? いや、これは……)

「はははははははぁ…………ぁ? ど、どうした、ツェリーヌ、その荒波を控えた大海原のような顔は?」

「……貴方」

「う、うむっ?」

「私の知らない間に情婦を随分ご熱心にかき集めていたようですが……そのことをお聞きしても?」

「!? ま、待て、取り乱すなツェリーヌ、決して早まってはならんぞ?!」

(……嫉妬狂いか。そしてオルドレイク、お前の方が取り乱している)

「あ、あれは……そ、そうっ、道具、道具であるっ! あくまで魔王を降臨させるための器のためっ、あやつ等を囲うのもまた仕方無しというのが真に遺憾ながらこの堕落した世界の道理ッ!!」

「崇高ある儀式のためなら囲う必要などないのでは? ……私に黙ってまで」

「う、うむっ、そうであったなっ!?」

(既に瀬戸際……)

「か、勘違いするなよツェリーヌ。あくまで私の妻はお前だけだ、お前以外にこの心を譲る相手など存在しない! 『お前想う、故に我在り』だっ!!」

「その割には貴方好みの女が揃っていたようですが?」

「み、見たのか?! この間からどうも余所余所しいと思ったら、そういうことだったのか!?」

「何でも男児が生まれたらソル、女児が生まれたらカシスという名前にすると仲睦まじく決め合ったとか……」

「違うぞツェリーヌ! 男児だったらキール、女児だったらクラレットだ! あ゛」

「……………………」

「つ、杖を下ろせツェリーヌッ! 今の私はタケシー一匹で死ぬぞ!! お、下ろせ、下ろすのだっ、下ろしてください!? ……ぁ、愛しているっ、愛しているぞツェリーヌゥウウウウウっ!!?」

「私も貴方のことを愛してる」

「ぬあああああああああああああああああああああああああっ!!!?」

(哀妻家……いや、遭災家か)













「なーんか騒がしいねー」

「……」

自分にかけられた言葉を、ヘイゼルは無言で受け付けない。
多少の間隔を空けて隣に立つイスラはその反応に腹を立てる訳でもなく、気軽な笑みを浮かべていた。
先日の被害で少なくなっている人員で行軍している最中、少女二人が隣り合って歩を進めていた。

「後ろの方から悲鳴みたいの聞こえてきたけど、もしかして奇襲とか遭っちゃってたり?」

「……」

「あり得ないとか考えてるかもしれないけどさぁ、この島じゃ何が起きるか分かったもんじゃないんだなー、これが」

「……」

「ホントホント、何か知らないけどいつの間にか戦況がひっくり返されてたり、人が真剣に振る舞ってるのに訳の解らない脱力感が蔓延してたり……ううっ、ぐすっ、ひぐっ……何だってんだぁ馬鹿ヤロー! 私の苦労返せぇー!!」

煩わしい。
べらべら喋りかけてくるイスラを本気でうっとおしいと思い、ヘイゼルは形の整った眉を苛立たしげに歪めた。
何故黙っていられないのか、何故自分に話しかけてくるのか、イスラへの疑問が全て憤懣に繋がる。
この島に来るまでは、互いに興味の欠片も示さない間柄であった筈だ。ここにきて気安く接してくる少女に覚えるのは僅かな戸惑いと、それ以上の不快感でしかない。
孤独に慣れ過ぎたヘイゼルは無視の姿勢を貫いたまま歩幅を広くした。
じめじめと泣きながら喚くイスラを置いてきぼりにし、独りでいられる空間に足を運ぶ。

「帰ってこないね、君の使い走り」

「…………」

背後より投げられた声に、ヘイゼルは足を止め振り返った。
先程とは異なる声音。嘲りをちらつかせる言葉を放った少女は、瞳を糸のように細めて笑っていた。
────こいつ。
ヘイゼルの眼差しに殺気が乗る。周囲の空気が息を止めたかのように静まり返った。

「お使いもこなせない駒を、オルドレイク様はどう思うんだろうねー? あの人達に指示出してた君のことも含めてさぁ」

嘲笑っている。
イスラ以上に自分が気にかけていた懸念をわざわざ引っぱり出し、此方の反応を楽しむかのように嬲ってくる。
小さな舌で顔を舐めまわされるような屈辱感にヘイゼルの視界が一瞬燃えた。浅い拳を作っている指にグッと力が入り、筋肉の緊張が更なる怒気を呼び起こす。
近寄ってきながらくすくすと笑声を囀り散らすイスラに、今度こそ殺気を叩きつけた。

「ふふっ、そういう顔もいいなぁ。私達あんまり接点なかったよね、だから君のそういう表情、とても新鮮に映るよ」

「……」

「もうちょっと他の顔も見せてくれると嬉しいな。もしかしたら“これっきり”になっちゃうかもしれないし」

「……お前も似たような立場だ、黒猫」

顔と顔が触れ合う位置まで距離が詰められる。
既に能面のような無表情になったヘイゼルは、備えつけているナイフに手を伸ばし次には翻そうとした。
だが、イスラはヘイゼルの予備動作に関心を寄せず、それどころかくるりと無防備に過ぎる一回転をして再び隣に並んだ。

「あははっ、そうなんだよねえ、実は。むしろ私の方が減点重なってやばい感じ? もうどうしたものかなー」

「……」

さっきまでの調子に元通ったイスラに、ヘイゼルは思わず面食らった。
その顔を愉快げな流し目で見やった後、彼女はすぐに破顔を持ち出して話の続きを並べ始める。
まるで自分の発言を引き出すことが目的だったかのように、少女は無邪気な笑顔を取り戻していた。

(……なに、こいつ)

内の狼狽を悟らせないように努めながらヘイゼルは呟く。
肩を並べる位置で身振り手振りして話題を振るイスラは、年相応の女の子のようだ。あたかも友人と接するかのように。
理解できない少女の様子に、ヘイゼル自身無自覚だったが、押されっぱなしだった。

「でも私には『切り札』あるしー。やっぱりどっちかっていうと、茨の君の方が不利だよ、うん」

「……」

「一人も殺せてない暗殺者集団ってどうなの、って感じ? 何か手を打っとかないとあとあと困るんじゃないかにゃー?」

「……」

「もう、こうなったら夜伽に乗り出しちゃうとか」

「……ツェリーヌ様に首を飛ばされるわ」

「あはははははははっ! うんうん、確かに! そういえばあったよね、前にさぁ、オルドレイク様に取り入ろうとしてすごいことやらかしっちゃった人!」

何年も前の話だ。
とある女暗殺者が、ちょうどイスラがヘイゼルに持ちかけていたように、自分の美貌を使ってオルドレイクを誘惑しようとした。
紅き手袋と派閥のパイプ役だったのかそれとも私事だったのか定かではないが、とにかくその暗殺者はオルドレイクの私邸に忍び込んだのだ。
計画は順調だったらしい。荒事なく見張りをやり過ごしっていった女暗殺者はターゲットの私室に辿り着いたとも聞く。
風の噂によると相手の方もノリノリだったらしいが、しかし駄菓子菓子、絶妙なタイミングで死霊の女王が召喚され世界が悲鳴と怒りに満ちたらしい。
後に語り継がれる「セルボルトのアバンチュール事件」である。

頭を抱えて部屋の隅で蹲る件の女暗殺者を見たこともあるし、改装工事をしていたオルドレイク邸の前で汗を流したこともあるから、きっと事実なのだろう。ちなみに誰かの手回しかその女暗殺者も紅き手袋も制裁を下されることはなかった。
以後、オルドレイクのもとに女の構成員が単独近付かないことは不文律の掟となっている。「オルドレイクは汚せない」の名言は組織内で余りにも有名だ。
ちなみに娯楽のない紅き手袋の中では、オルドレイクの操(笑)をかっさらっう勇者を当てる賭博が流行している。
自分も候補に挙がっているらしい。
出来るか。死ぬわ。

けらけら笑いながらその話をするイスラは本当に楽しそうだった。
ともすれば、闇に浸り切った一人の人間には見えないくらいに。
ヘイゼルはそんなイスラをしばらく見つめてから、自然と口を開いた。

「…………変わったわね、貴方」

「んー、そお?」

笑みを止め、きょとんと見てくるイスラに「…ええ」と返す。

「前も周囲と比べたら、べらべら喋る方だったけど……」

「……茨の君も意外に口キツイんだね」

明確な答えを用意できず、言いあぐねること数秒。
自分を直視する黒塗りの瞳に居心地が悪くなり、早く済ませようとぶっきらぼうに呟いた。

「……何か、変わったわ」

地面に落ちた自分の声に、どこか感慨が含まれていることに気付きヘイゼルは顔を顰める。
己の言動を揉み消すように乱暴に歩みを再開させた。すぐに呑気な足取りで少女が付いてくる気配がしたが、構うことはしなかった。

この少女の変化は、この島に来てからということになるのか。
一体何があったのか、と明るく笑う少女の顔を思い出し。
やがて、冷めた思考でくだらないと唱える。
自分とは一切無縁な類だと断じて、巻かれている紅いマフラーを口元までぐいと上げた。
顔と、自分の内にある何かを覆い隠すように。

「でもさぁ、茨の君。本当に今は狙い時かもよ? オルドレイク様は負傷中だし、こんな緊急事態だからツェリーヌ様も付きっきりっていう訳にもいかなし」

しつこい。
すぐ後ろで話しかけてくるイスラにうんざりとした感情が働く。
ならお前がいけばいいだろうと内心で悪態をついたが、この少女はそっちの教育を受けていなかったことを思い出す。
返答の糸口も見つかられないそんなヘイゼルに、イスラは一層背中に歩み寄って言った。

「もしだよ? ツェリーヌ様に見つからず、オルドレイク様の寝室に忍び込めたら……」

どこか緩慢に連ねられる言葉。
もったいぶったような言い方に辟易する。
いい加減しつこいと文句でもくれようと、ヘイゼルは口を開きかけ、



「……全部、“自由”になれるかもよ?」



ゾクリ、と首筋がわなないた。

「────ッッ!?」

『消せ』と言った。この少女は言外に、はっきりと、『殺せばいい』と告げた。
乾燥しきっていた心を鷲掴みにしたその言葉の羅列に、ヘイゼルは形相を作り振り向く。
冷たい笑みがある。此方を試すように見つめる冷たい笑み。
薄くなった瞳には暗い光がある。口元に浮かぶ浅く細い三日月は、嗜虐な形をなしていた。
もう何回目とも知らない豹変した少女の雰囲気に、ヘイゼルは今度こそ喉を鳴らした。


「……うふふっ、冗談冗談。そんな真に受けないでよ」


くるり、とまた表情が一変する。
瞠目しているヘイゼルを抜いてイスラは前に出た。

────黒猫。

記憶の海から浮かび上がった、紅き手袋で正式に定められたものではないイスラのもう一つの名前を、ヘイゼルは胸中で呟いた。
首輪に繋がれた幼い猫。
行動は無邪気で、御しやすく、誰にでも懐き────そして裏切る。
それが少女の“手口”。およそ暗殺として似つかわしくないその方法に、知れず誰かが言うようになった。
『黒猫』と。


「茨の君も案外からかい甲斐があるんだね、あははっ」


黒猫は紅き手袋の中でも殊更に嫌われている。
正式な所属自体は無色の派閥で、出向という形で紅き手袋に身を置いていること。
先代達の技術を漁り我が物顔で盗んでいくこと。
またオルドレイクのお気に入り──結局は使い勝手のいい道具という意味だが──ということ。
それら多々な要素が絡み合って忌避の理由に含まれているが、しかし、中心を占めているのはそこではない。

『黒猫は死なない』

暗殺対象に返り討ちにあおうが、早まった追手連中に処理を受けようが、気に食わぬと暗殺者達が手をかけようが、少女は決して死ななかった。
暗殺の完遂率は100%。
指示を受け取れば少女は必ずその目標を消し去ってみせた。オルドレイクに重宝されるのもそれが理由だ。
気まぐれな猫のようなやり方で、殺害不可能の体をもってして、少女は異常な早さで屍を量産していった。

故に黒猫は疎外される。
組織の仲間達は、隙を見せれば喉笛を食い千切られることを知っているから。
怒りに触れればどこまでも追い回されることも知っているから。
黒猫は、絶対に死なないから。


「いいこと知っちゃったな~」

「…………」


後ろで手を組んでステップを重ねる少女を見据える。
少女の言葉の真意は解らない。だが警戒姿勢を敷かずにはいられなかった。
それまでの馴れ合いらしき行為も関係ない。
これが「黒猫」なのだ。
改めて、決して心を許してはいけない相手だと強く認識した。







「お前は、どうするんだ?」

「何が?」


背中に問う。
細めた眼差しを突き刺して、鋭く。


「首輪が外れるかもしれないと知って、猫は一体どうするの?」

「…………」


問いかけに一時の無言が返される。
その小柄な背中は動きを止め、ややあって、振り返った。


「決まってるじゃん」


陋醜な響き。
ニタ、と亀裂が生じたように口端を持ち上げる。
形の歪んだ瞳を差し向けた。
しかし、次には一転。


「鳴くんだよ」


太陽のように微笑んだ。


「捨てないで、って鳴くんだよ」


偽りの太陽のように、微笑んだ。



[3907] 13話(中)
Name: さもない◆5e3b2ec4 ID:9146c838
Date: 2011/01/25 18:35
「父と母の仇……っ、思い知れえぇぇっ!」

ヤードの絶叫が大気を打った。
大量の魔力をかき集めた渾身の召喚術がオルドレイクに向け放たれる。
驚愕の抜けきらないアティ達は、ただその光景を見せつけられるしかなかった。



暁の丘にオルドレイク達が布陣したとの報告を受けたのは、太陽が西の空に傾き出した頃だった。
フレイズよりもたらされた伝令は瞬く間に島中の者達に広まった。直前の取り決め通り、集落の守りはジャキーニ一家を始めとした戦闘に心得のある者達と帝国軍の下級兵で任せることで、アティ達精鋭は後ろ髪を引かれることなく速やかに暁の丘に急行できた。行方知らずのキュウマ達や小隊と別れたビジュもすぐ合流する。
先日より格段にその数を減らしたもののその威圧感は健在、オルドレイク達と緊張状態に陥ったアティ達は暫時の睨み合いを続ける。
その均衡を静かに破ったのが、ヤードだった。

『召喚獣も、人間も、全てを、派閥に利をもたらす道具だと思え』
『より有効な使い道を求め、壊れたならば速やかにうち捨てよ』

オルドレイクに直接教わった言葉だとつらつら語る青年の姿はアティ達に衝撃を与えた。
無色の派閥の召喚師ヤード・グレナーゼ。
オルドレイクの直弟子だと暴露するヤード今の目には、これまでにあった温厚な光は欠片も存在しない。
故郷を奪われ復讐に焼かれるはぐれの召喚師が、そこにはいた。



「ふんっ……」

ヤードの怒りの召喚術、光輝く「シャインセイバー」。
その迫りくる刃の群れを前に、包帯を全身に巻くオルドレイクは鼻を鳴らす。
何故か新しい重傷を増やしている彼は迎撃の素振りも見せず、冷めた目でそれを見つめていた。

「身の程を弁えなさい!」

怒号とともに現れたのは同じく武具の召喚術。
実際立っているのもやっとなオルドレイクを庇うように前に出たツェリーヌが、「ダークブリンガー」を発動した。
闇の剣戟が光のそれをいとも容易く退ける。
更に勢いは止まらず、剣群の切っ先はヤードに向かい突き進んだ。

「ぐぁぁぁぁっ!?」

「ふはははは! 血迷ったか、弟子が師に敵うはずあるまいに!」

衝撃に吹き飛ぶヤードを見てオルドレイクの哄笑が飛ぶ。
「──てめえは何もしてねえだろ」とボソッと呟かれたビジュの声は本人に届くことはなかった。
不可抗力でアティ達は汗を流す。

「……今です!」

「!?」

オルドレイクの笑声を遮るヤードの声が、音もなく疾走する影の正体を浮き彫りにした。
この場にいた者達の意識の死角を掻い潜り、一匹の蛇が、獲物へとうねり急迫する。
牙が光った。

「貴方!?」

「なっ!?」

「────くたばれっ!!」

立ち竦むツェリーヌを置き去りにして、スカーレルが驚愕するオルドレイク目がけ凶刃を振るった。
これ以上のないタイミングで執行された暗殺に、誰もが息を止め時を停止させる。
芸術的ですらあった一連の流れがオルドレイクの目の前で結実し、回避を許さない必殺となって迫っていた。
もはや秒を待たず、円弧を描いた短剣が獲物の首へ差しかかり

「ぬんっ!」

「ッ!?」

神速の斬撃によって、切り払われた。

「召喚師は囮か。俺さえいなければ成功したろうにな」

「……まったくね」

立ちはだかったウィゼルが静かにスカーレルの太刀筋を評価する。
並外れた反応に加え、抜刀された刀は針に糸を通すほどの正確さで短剣を打っていた。
スカーレルは様は無い、というように力なく笑う。
ヤードとの計画が失敗した彼は、失意の色を滲ませながらも、確かな無念をちらつかせた。
ぎりっ、と奥歯が噛み締められる。

一瞬の出来事に硬直するオルドレイクだったが、こと無きを得たと分かると再び笑みを持ち直した。


「……お、驚かせおって! 所詮、貴様等の猿知恵など我には届かぬわッ! ふっ、フハハハハハハハ「後頭部がお留守になっていますよ」ハがっっ!?!?」


刺殺。

「…………え?」

「なっ……」

どごすっ、と何かを貫通したような鈍い音が響き渡った。
奇声を残し、瞳孔が開ききったオルドレイクが前のめりに倒れ込んだ。ゆっくりと、スローモーションのように。
大地に倒れ伏し曝け出される後頭部には、黒光りする投具が一本刺さっている。巻かれている白地の布がじくじくと紅く染まっていった。

びくんっ、びくんっと無言で痙攣し、言外にSOSを発信しているそのミイラを見て、スカーレルとウィゼルは目を見開く。
ツェリーヌとヤードは凍結。
ヘイゼル達も凝結。
アティ達は重い沈黙を背負った。
最後にイスラは、体をあさっての方向に向け、耳を真っ赤にしながら笑声を堪えていた。

「「!!」」

ばっ、とスカーレルとウィゼルがもろとも同じ方角を振り返った。
視界の真ん中にいるのは、オーバースローで腕を振り切った姿勢でいる、ウィルなにがしとかいう物体。足元には同じポーズをしたネコ科の召喚獣。
誰が何を投げて誰を殺ったのかは、もはや語るまでもなかった。

スカーレルの暗殺敢行を“一人知っていた”ソレは、『過去(いつぞや)』と同じように派閥本陣の背後を取って、虎視眈々と絶好の機会を狙い、そして遠慮なく脳漿をブチ撒けた。
本場のアサシンも差し置いて剣豪を出し抜いた隠密能力がキラリと光る。
投擲姿勢を解除してぷらぷらと手首を振るその姿に、ウィゼルは稀有ともいえる驚愕の表情をあらわにした。

「……」

「……」

ウィゼルの横で同じく呆然としているスカーレルと、おもむろに、ウィルの視線がばっちり合う。
二人だけの眼差しの交差が幾分か続き、言葉にならない交信が続けられた。
ややあって、


「(グッ!!)」

「(グッ!!)」


二人一緒に親指を立てる。
キラッと満面の笑顔をするウィルに対し、スカーレルも口端を曲げる爽やかな微笑みを浮かべた。


「あ、貴方ァーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!?」


先日の時間を巻き戻したようにツェリーヌの絶叫が細い喉から迸った。
時は動き出す。
ウィゼルが正気に戻り、ヘイゼル達は汗を流しながらその場でおろおろと右往左往する。
アティ達の体が再起動したようにびくっと揺れた。
イスラは、必死に腹を押さえ、まだ動けずにいた。

「貴方、貴方ぁっ!?」

「「ヤード、逃がすなッッ!!」」

「えあっ?!」

痙攣の周期が短くなってきたオルドレイクに駆け寄ろうとするツェリーヌ。
それを見てウィルとスカーレルは同時に疾呼。仰天するヤードに『捕まえておけ!』と目力で命令した。

「と、とあーっ!?」

「っ!?」

ガキン! と変な構えで繰り出された杖を、ツェリーヌの杖が受け止める。

「グレナーゼッ……! あの方に育てられた恩を仇で返す気ですか!?」

「わ、私にも何がなんだか……!?」

憤激するツェリーヌにヤードは情けない声を出す。
ウィル達から蘇生防止を言い渡された彼は、慣れない鍔迫り合いをしてツェリーヌをその場に縫い止める。

「部隊の後方の者はオルドレイクを守れ! 前衛は正面から来る召喚獣達をせき止めろ! 手筈の陣形は多少崩しても構わん!」

『は、はっ!!』

一方、オルドレイク、ツェリーヌの身動き取れない状態を受けて、ウィゼルの号令が派閥勢へ矢継ぎ早に飛ぶ。
自分達の首領の片腕ともいえる人物の指示に、派閥兵は無条件で従った。
昨日から残存している兵達が、既に少なくなっていたその人員を更に二つに割って、後方と前方、両端に別れる。

ウィルとスカーレルは既に暴れ出していた。
集結し出す派閥兵をすかさず襲いかかっては斬り裂き、あるいは速攻の召喚術をお見舞いする。治療の術を持つ召喚師達が率先して狙われた。
ウィル達は決してオルドレイクを過小評価していない。事実、彼が全力で召喚術を扱おうものならいくらでも戦闘の趨勢は変わるからだ。
暴れるスカーレルをウィルがサポート。まるで長年付き添っていたようなコンビネーションを発揮しながら、彼等はオルドレイクの復活だけは防ぐ心算だった。

「よしっ、ウィルが殺ったぞ! 続けェ!!」

「え、ちょ、おっさん!?」

「こ、これ、予定調和だったんですか……?」

「ミスミ様、今こそ好機ッ!!」

「……いや、もう何も言うまい」

『野郎ども! 戦争であります!!』

「ヴァルゼルド。あの沢山の敵兵、捕縛したら好きにして……いいのよね?」

『……………………(ガクガクブルブルブル!!)』

「ポンコツさんが泣いているのですー!?」

「マルルゥ、そっとしておいてあげなさい」

「……我々はこんな奴等に負けたのか」

「隊長……っ!」

「ぼさっとしてねえで行け、ゴリラ副隊長」

「ビジュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウッ!!!」

「もう何が何だか……」

アティ達も前進を開始。
孤立したウィル達と合流しようと駆け出す。その先には間もなく接敵するだろう派閥兵の前衛が立ち塞がっていた。
混乱抜け切らない中、二度目の対決の幕が切って落とされた。









然もないと  13話(中)「断罪の剣の矛先と結末」









「……毒か」

戦場となった丘陵地点から少し離れて、ウィゼルは引っ張ってきたオルドレイクの傷を確かめる。
突き刺さっている投具は『百足針』。某へべれけ店のルーレット商品であるそれは、『毒』付加属性を持つ凶悪な代物だった。
質が悪過ぎる、と後頭部に依然と屹立している投具を見てウィゼルは思った。生命の危機はもとより助かったとしても後遺症が残るかもしれない。
具体的には頭皮の毛根が尽き果てたり。

「ぶひゅっ、ぶくくっ、ぷくくくくくっ……!?」

「…………」

隣から噴き出てくる声に視線をやる。
オルドレイク治療のために首根っこ掴んで連れてきたイスラが、此方はまた別ベクトルで体を痙攣させていた。
口元を手で塞ぎ込み、くの字に折った体をぴくぴくと揺り動かす。
腹痛ぇー、と耳まで真っ赤にした少女は必死に爆笑の衝動を抑えていた。

「……小娘」

「ひゃ、ひゃいっ……わかってまひゅ、ぷくっ、わかって、ぷひゅひゅひゅ……!?」

斬るか、と一瞬そんな言葉が脳裏を過る。
取りあえず、この猫が全然飼い主を敬ってないことは分かった。
イスラは涙を溜めた瞳を指で拭い、ひぃひぃ言いながらようやく姿勢を戻す。
一頻り笑いに悶えていた体を落ち着けるように、ふぅー、と大きく吐息した。

「……えーと、で、何でしたっけ? 私は何をすれば?」

「オルドレイクを治療しろ。こやつ、既に虫の息だ」

「やだなぁ、ウィゼル様。オルドレイク様みたいな新世界の神になるお方が、そうそう簡単にくたばる訳ないじゃないですか」

「早くしろ」

こんな事態にふざけた口を利くイスラに、ウィゼルは細い眼光を向けた。
身動き一つ働けば首が飛んでしまうかのような、そんな錯覚を預ける零度の凄み。
にこにこ笑っていたイスラはしかし、物怖じする素振りも見せず、更に微笑んでみせた。

「できません」

「……」

「私、今は回復できる召喚獣、持ち合わせていないんですよ」

ほら、と言って手持ちのサモナイト石を全て地面に放る。
赤赤赤。鮮血のような真紅の色をした鬼属性の石が三つ並ぶ。
ウィゼルは拳ほどのそれらを一瞥した後、目を細め、静かにイスラを見つめた。
少女は目の無くなっているその満面の笑みを変えない。
すぐ先の方角から剣戟の音が鳴り響いてくる。ぴくぴく痙攣するオルドレイクを挟んで、二人はしばし向かい合った。

「……適格者と召喚獣達を相手取れ。前線を指揮しろ」

「はぁーい」

告げられた言葉にイスラは素直に従った。
サモナイト石をかがんで回収し、くるりと背中を向け歩き出す。やがて思い出したように走り出した。
ウィゼルはその背中を厳しく見据えた後、持ち合わせの道具でオルドレイクを応急処置し、すぐに自らも立って戦場へ向かった。






「どけえぇっ!」

「スカーレルっ、ヤードっ、そっち着いたら話全部聞かせてもらうんだからねっ!」

カイルの凄まじい拳打音とソノラの放つ銃声が重複する。
様々な得物を装備する派閥兵と、アティ達は真っ向から衝突していた。
アティ達の正面──敵の背後には孤軍奮闘するウィルとスカーレル、そしてツェリーヌを抑え込むヤードの姿がある。
無色の派閥が部隊を二つに分けたことによって、その戦域はちょうど前の領域と後方の領域、綺麗に二等分されていた。

「ここを抜けばウィル達と合流できます!」

「敵影の数は私達より下回っています……強行突破を推奨」

『オオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!』

アティ達と現在交戦するこの横長に広がる派閥の前衛組みが、ちょうど戦域の境界線だ。
先日の被害が払拭できないまま今回に臨んだ派閥兵は、アティ達にとって物の数ではなかった。
一切合切防御に手を費やしているが、綻びは既に生じている。敵戦線の突破は時を待たずして決してしまう。

「うわー、ぎりぎり、だったかな?」

「!」

「イスラ!?」

ただしそれも、少女がこの場に波紋を投げさえしなければ、という条件付きの話だった。
防衛線を張る派閥兵と一つ距離を置いてイスラが登場する。
彼女は編成し直した部隊──大勢の召喚師達を従えて、宣告を告げるように右腕を突き出した。

「さぁ、反撃開始だよ!」

召喚師達がその声を受け一斉に術を執行する。
緻密な詠唱を組み上げないずさんな制御のもと、召喚師達が一様に構えていた霊のサモナイト石から光が立ち昇る。
そして異界の門が開いた。
まだ開ききってない扉の隙間から溢れ出したのは、瘴気を放つ漆黒の羽。

「悪魔!?」

「いや、それよりも……」

「何匹出てくんだよ!?」

槍を提げた堕天兵が、飽きることなく門の向こうから暴出された。




「ウィル、あれ!?」

「おいおいおい……!」

「ミュウー!?」

その光景はウィル達の方からも視認できた。
相手をあらかた片付けた──正確にはイスラの引き抜きで拡散した──敵陣のど真ん中で、双眸を剥く。
宙に形成された異界の出口から、次々とサプレスの悪魔が吐き出され、群れを作る鴉のように空を旋回している。
数だけを見るならもはや勢力図は引っくり返っている。もとからいた派閥兵に加え、多くの召喚獣がアティ達の前に壁となって立ちはだかっていた。

「ちょっと、ずるくないっ!?」

「手勢を召喚術で補うのは基本っていえば基本なんだけど……っ」

流石に限度があるだろう……! とウィルは目元を歪める。
派閥召喚師達は何も特別なことはしていない。
単なる、「ユニット召喚」。
大陸ではよく見られる光景だ。力の差あるいは数の差を召喚獣で穴埋めする、外道召喚師や無法者が好んで使う常套手段。

ウィル達が普段使う召喚術が、召喚師の魔力を組み合わせ召喚獣の力を引き出す「術」ならば、ユニット召喚は一つの命令のもと召喚獣の行動を誘導させる、まさしく「使役」である。
「魔法」、といえるような攻撃、防御、治癒効果を発揮しない、本当に対象を喚び出すだけの召喚術。
結んだ誓約の期間内で主をサポートさせる、どちらかといえば一般人に通常認識されている召喚術といえる。ジャキーニ達が起こした反乱、その中で召喚されたサハギン達がいい例だ。
知識とプライドに重きを置いた、「蒼」や「金」も含める派閥の召喚師ならばまず使おうとしない、力のない者達が扱う代物だった。

そんなユニット召喚を、他と頭一つ飛び抜けている無色の派閥の召喚師が、己の魔力の手当たり次第に執行する。はっきりいって悪夢だ。
魔力が高ければ当然喚び出す召喚獣は上級種になってくるし、力も強い。召喚数自体も増える。
一人の召喚師につき三つのサモナイト石を使役できるとしたら、召喚師十人で────三十体。
そこにもとからいた派閥兵も加わる訳だから、二十に届くか届かないかのアティ達からしてみれば、絶望的な数字といってもいい。

「節操がねえ……!」

現状はその一言に尽きた。──決してこの少年が言えたことではないが。
一つだけ上げるなら、召喚師全員がユニット召喚に全キャパシティを割いていることで、召喚術からの遠距離攻撃は無くなっている。
だが、この数の多寡にしてみればそれはもう些事に過ぎない。
ついに剣を交え出したアティ達と悪魔達の形勢を見れば、あきらかにアティ達が押されていた。

まさかこんな方法を持ち出してくるとは夢にも思わなかった。殊更プライドの塊であるオルドレイクが指示したこととは思えない。
一体誰が、と一瞬考え込むウィルだったが、答えはすぐに出た。
こんなことを即興で思い付くのは一人しかいない。
ゆるりと立って戦場を傍観している黒髪の少女を、ウィルは苦々しく見つめた。


「────」


「「っ!」」

「ミュミャ!?」

間合いに入り込んだ刺客の存在に、しかしウィルとスカーレルは反応してみせる。
走り抜けた銀線を、テコを抱えて二人一緒に回避した。

「ッ……茨の君!」

「……!」

目の前に現れたヘイゼルに対し、危うく名前を呼びそうになったウィルは口をぐっと閉じた。
小柄な少女はウィルに軽い瞥見をくれると、それをすぐに切ってスカーレルを睨みつける。
無言のまま体を飛ばし、スカーレルに狙いを絞って刃を振るった。

「スカーレル!」

「いいわ! 貴方はヤードやみんなを!」

疾風を彷彿させるヘイゼルの刃撃にスカーレルが押される。
ウィルとスカーレル、二分された。

(っ……ヤードには悪いけど、先にあっちをなんとかするか……!)

当初の予定ならば、この時点でアティ達と合流し敵を畳みかける予定だったのだが……分厚い悪魔の壁に阻まれ合流できずにいる。
自分の思惑とずれた展開に歯噛みしながらも、ウィルは思考を切り換え状況の打開を試みる。

イスラ率いる敵勢は見事にアティ達を抑え込んでいるが、ウィルに対して無防備な後ろ姿を晒している。
召喚師は倒せば使役する召喚獣達も無効化可能だ。
風穴を開けてやる、とこんな時のためにとっておいたヴァルゼルド召喚用のサモナイト石を取り出す。
自らも剣を抜いて敵召喚師を後ろから斬り伏せようと、一気に駆け出した。



「どこへ行く?」



「────────」

びたっ、と足が止まった。
いや、止まらざるをえなかった。
背後に控えるその威圧が、それ以上の行動を許しはしなかった。

静かに鼓膜を貫いてきた声に、ウィルは一瞬呼吸を忘れながら、錆びついた動きで首を巡らせた。
片目を瞑った老剣客。柳のように静謐に、悠然と立ち構え、ウィルを眺めている。
剣豪、ウィゼル。

「………………何か御用でございますか?」

盛大に引き攣った不細工な笑みを浮かべながら、ウィルは震える声音でそう尋ねた。
相手に背を晒しているにも関わらず、思わず屁っ放り腰になってしまう。

「ああ。少し、付き合ってもらうぞ」

「…………『剣』の担い手様なら、あちらでございますが?」

ほら、と両手を使って、激しい戦闘を繰り広げている交戦地帯を指し示す。
中心にいるのは赤髪を波立たせる元エリート軍人の姿。
狸は、アティを、売った。

「適格者もいずれは剣を交えるつもりだが……その前に、小僧、お前に興味を持った。見極めさせてもらうぞ」

────なして。
ビキッと脳ミソに亀裂が走る。
ありえんだろ、とウィルは半ば現実を拒否しながら思った。
この御老人は基本、手を出そうとしなければ誰にも危害を与えず、緊急事態以外動かなかった筈なのに、と追憶に浸る。
──無色の派閥駆逐に意気込み過ぎていた『彼』は、迂闊にも、自重という言葉を忘れ過ぎていた。究極の武器職人マスターにスカウターされた現状では、後の祭りなのである。
そしてそのことに気付けない──そこまで頭が回ってくれないウィルは、達人様が目にとめるのは抜剣者だけではなかったのか、と「過去」の映像と照らして合わせて振り返った。

迫りくる斬撃。
速過ぎて見えない斬撃。
純鉄の剣を豆腐のように真っ二つにする斬撃
空間断絶する斬撃。
気付いた時にはブッタ斬られている斬撃。
距離を無視してすっ飛んでくる斬撃。
神速な斬撃。
極彩と散る斬撃。
これがモノを殺すということだ斬撃。
……。
…………。
………………。



「うわぁアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!? 先生ぇ、先生ええぇーーっ!! 助けて先生えええええええええっっ!!!?」 



ウィルは、叫んだ。
初めて心の底から、アティに助けを求めた。

思い出されるものの全てがリアル臨死体験の映像ばかり。
まさかの事態に対する動揺と混乱と恐怖、そして「過去」に裏付けされた絶対斬殺のビジョンが、彼の理性を粉々に打ち砕き、幼児退行へと走らせた。
あるいはそれは本来の少年(ウィル)の精神が反映された結果なのかもしれない。
一瞬。戦闘中にも関わらずその瞬間だけ、少年は我を忘れてしまった。
恥も外聞もかなぐり捨て、彼は思いっ切り叫び声を放っていく。

他方、敵の向こう側で激しい戦闘を行う家庭教師は反応を示していた。
シャレを置き去りにした生徒の絶叫が聞こえたような気がして、「ウィ、ウィル君っ……?」とでっかい汗を湛える。
身動き取れないこの状況では、そのまま汗を流すことしかできなかったが。

「なぁ、おい、冗談だろ!? ボク斬っても美味しくねぇーぞ?! むしろ狸汁がきいてて獣臭いぞ!! 僕の血は赤色じゃねーって定評があるぞッッッ!!?」

「……」

「おい、こら! 河童悪魔ッ!? あんたの出番だぞ! 何やってんだ! 助けろよ! 可愛い生徒がチョンパされるぞっ! 両断されて寸断されちゃうYO!! 生贄はどうしたああああっ!?」

「……落ち着いたか?」

「ああ落ち着いたぜコンチクショぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

未だ訳の解らないテンションを宿しながらウィルは地面に向かって吠えた。
はぁ、はぁ、と荒い息をつきながら半狂乱状態を抜ける。
こんなことぐらいで挫けんよ、と心中呟く。紫電の神様の百烈突きに比べればあんな斬撃……! と歯を食い縛った。

しかし不味い、と地面に向けている顔から嫌な汗を流す。
この老人を自力で出し抜けるイメージが、全く湧かなかった。突破口という糸口が存在しない。
「レックス」の時も抜剣しなければアドバンテージも碌に得られなかったのだ。
この身体(ウィル)には悪いが、今なら二秒で刺身になる自信がある。

それほどまでに、目の前の敵は強過ぎた。何より、速過ぎた。
震える心臓の音が、切迫した音色となって全身を駆け巡る。

「もういいだろう。構えろ、小僧」

「……!!」

「お前の全てを曝け出してもらうぞ」

言葉が締めくくられ 柄に手がかけられた瞬間。
ウィゼルは、ウィルの眼前まで一気に肉薄した。


「──────ッッ!?」


激突。













「ちッ!」

「……!」

ヒュン、ヒュン、と素早い風切り音が鳴り、刃が空気を切り裂く。
目の前で繰り出される攻撃を寸での所で避け、スカーレルも応戦、短剣を振るう。
無表情を構えるヘイゼルはスカーレルと同じように体を揺さ振り、尽く反撃を往なしてみせた。

「随分とアタシにご執心のようじゃない、ヘイゼル!」

「……」

「貴方からアプローチを仕掛けてくるなんて、アタシの魅力も捨てたもんじゃないかしら、ねぇ茨の君さん!」

「……黙れ……!」

スカーレルの軽口にヘイゼルは眉を上げた。
言葉と一緒に飛びかかり一撃を浴びせ、かと思えば、すぐに飛び退いて目まぐるしく周囲を移動する。
隙を探っては飛びかかり、決して深入りはしてこない。巧妙なヒットアンドアウェイを繰り返す。

スカーレルは挑発することでヘイゼルのリズムを崩そうと試みたが、そうことは上手く運ばない。
一度の攻撃に拘らず、無駄だと悟ればすぐさま離れ間合いをとる。苛立ちをあらわにするヘイゼルであるが、その表情とは裏腹に動きは冷静沈着そのものだった。
決して敵の術中に嵌らない、溶けることのない氷のような強(したた)かさがある。

(不味いわね……)

スカーレルは胸の中で苦い声を出す。
自分の知るヘイゼルより遥かに強く、速くなっている。
先輩後輩の間柄であった時の彼女なら圧倒できる自信があった。しかし、今のヘイゼルはもはやスカーレルの知る未熟なアサシンなどではない。
完成された一人の女暗殺者、「茨の君」だ。
挑発という搦め手も持ち出すのも裏を返せば、正攻法では崩し難い、一筋縄ではいかない相手だということだ。

「珊瑚の毒蛇……裏切り者め!」

「懐かしい名前を聞かせてくれるじゃない!」

「茨の君」を冠する彼女の暗殺のスタイルはもっぱら不意打ちだ。
その薔薇のような甘美な香りと赤く熟した肢体をもって相手を引き寄せ、棘を打ち込む。その身体を最大限利用する女暗殺者ならではの手段だった。
しかしそんな騙し討ちが霞んでしまうほど、彼女の戦闘能力そのものが、高い。
一体どこまで、あの暗い暗い闇の中に沈んだのか。

「組織を抜け出しておいて、何をのうのうと生きている!」

「今日はやけにお喋りね! それともアタシが居なくなった後で少しは明るくなったのかしら!? だとしたら、オネエサン嬉しいわ!」

「……ッ!」

間隔を空け、並走するような形でスカーレルとヘイゼル、両者が丘陵を駆け抜けていく。
視線を絡めたまま原野を踏み鳴らしていき、間もなく二人の間に大岩が現れた。
その巨大な衝立が互いの姿を覆い隠した瞬間、スカーレルは進路を逆転し、そしてヘイゼルは────宙に身を躍らせた。

「「!」」

頭上、上空からの奇襲にスカーレルは僅かな先制を許す。
ヘイゼルは羽のように自重を感じさせない跳躍後、衝立となった岩を蹴り上げ進行方向を微修正。次には、反動で一気に加速していた。
野獣を彷彿させる勢いで、スカーレルに斬りかかる。

「くっ!?」

瞳へ吸い寄せられる刃に、自分の短剣の腹を這わせ、真後ろに流す。
金属を切削する甲高い音と火花が散った。スカーレルは態勢を保てず堪らず後転し、ぎりぎりの所でヘイゼルの襲撃を往なした。
後転する最中、空を行くヘイゼルと視線が合う。自分を見下ろす暗い対の眼に、首筋から汗が噴き出た。

(この娘っ……!?)

先手を取られている。
速さだけなら、間違いなくヘイゼルの方が上だ。
熱となった危機感が体の末端まで行き渡る。スカーレルの相貌に焦りの色が浮かんだ。
転がった体をすぐさま起き上らせ、スカーレルは相手を視界に確保する。

「────」

次の瞬間、彼は息を呑んだ。
視界のど真ん中にいる赤い影が、脚を沈ませ、既に加速姿勢を完了させている。
着地とともに敏速にターンを決めたヘイゼルは、今にもスカーレルへ飛びかからんとしていた。

────不味い。

間髪入れず、茨の少女がスカーレルの懐に肉薄する。


「ッッ!?」


赤い矢が大気を射抜いた。
突き出された短剣が高速の刺突となって眼前に迫る。
回避行動は間に合わない。よしんば急所を逃すことはできても、体のどこかに致命的な傷を負うことになる。

スカーレルは不本意ながら防御を選択した。
本来の戦闘スタイルを投げ捨てて敵の攻撃を咄嗟に受け止める。
少女の体も一緒に乗った凄まじい突貫が、スカーレルの全身を揺さ振った。息が詰まるほどの衝撃が伝播する。
短剣を短剣で抑え込み、刃は心臓を皮一枚の所で制止。
ヘイゼルの体が軽かったことが幸いし、どうにかその一撃を防ぐことに成功した。
しかし、


(もう一本っ!?)


少女の体の影から現れた手が、一振りの暗剣を従えてスカーレルに向かう。
ヒュオ、と乾いた音が鳴り、空間に一瞬の真空が生まれる。
赤紫色をした刀身が肉を切り裂き、血飛沫を宙にばら撒いた。

「づぅ……!?」

「……」

首を狙ったそれは、無理矢理体を捻じることで、スカーレルの頬を抉るに留まった。
崩れる体勢に逆らわず後方へ飛び、二歩、三歩、と相手から距離をとる。
ヘイゼルは逃げるスカーレルをじっと見ながら、腕を振り抜いた姿勢をゆっくりと戻す。
追撃は、なかった。

「はっ、は……はぁ、っ……」

息が上がっている。
反応が、少女の動きに付いていけない。完全に後手の態勢だ。
参ったわね、とスカーレルは口の中で呟きを転がした。
組織を抜け出したために体が鈍った訳では決してない。
そうではなく、自分とは逆に組織の中に身を置き続けた目の前の少女が、己が身をより鋭く、研ぎ澄ましていただけのことだった。

「……終わりよ」

「……? 何を、」

言っているの、と声が続くことはなかった。
言葉の代わりに熱くどろついた液体が口内を満たし、唇から一気に、溢れ出した。

「────」

「言った通りの意味……お前はもう終わりだ、毒蛇」

溢れる。溢れる。溢れる。
どす黒く濁った血の塊が口から吐き出され、ぼたぼたと、草原を紅い模様で染め上げた。
見開かれた瞳が戸惑いの色を帯びるその間にも、血は止まらない。

「ごほっ、がっっ、げぇっ……っ!?」

酸素が上手く取り込めず、上がっていた呼吸が益々乱れる。
不自然に発熱し上気する肌が、そのまま異常な発汗を引き起こす。
とうとう膝を折って地面についたスカーレルは、激痛に呻きながらヘイゼルを見上げ……そして見た。
彼女が持つ、自分の頬を切り裂いた暗剣の正体を。

「アタシの、剣……!?」













「っ!?」

「……ふんっ!」

奇天烈な幾多の斬閃が、ウィルの視界を占領した。
一閃、二閃、三閃、四閃、五閃、六閃…………追い切れないっ!
圧倒的な数となった銀の軌跡がウィルの視認能力を超過する。
激しい攻防──正確には、防戦一方──を継続するこの寸秒の間、徐々に衣服の一部が飛び、血の斑点が宙を舞っていく。

数多と迫りくる刀撃に対し、肉体(ウィル)に備わっている動体視力が付いていけない。
ウィルはもはや瞳での攻撃捕捉を放棄し、長年培ってきた予測と勘でウィゼルの攻撃を捌いていった。

「ぐぬっ……!?」

「……どうしても距離が欲しいか」

剣と剣の間隙、見出した脱出経路に体をねじ込んで敵の至近から逃れる。
一つ間違えれば四肢が吹き飛びかねない危険な綱渡りを通じて、ウィルはもう何度目とも知れない仕切り直しを計った。
だが、詰められる。
足袋の形状を思わせるブーツが地面を踏み抜けば、一挙、開いた間合いがゼロになる。
すかさず放たれた超速の斬撃がウィルの手中を切り裂いた。

「っ……!?」

「剣と投具に、召喚術……つくづく器用だな、小僧」

手に握られていた鉱石、サモナイト石が切断され、次には破片となって手の中から飛び散る。
きらきらと光る緑色の結晶が幻想的に空間を彩った。
無論、ウィルにはその光景に感動も恍惚も抱く暇などない。

(どんな技を使ってんだよっ!?)

五指でしっかり掴まえていたサモナイト石だけを綺麗に斬り抜くその業。
ウィルも反射して手を逃がしているとはいえ、指を掠ることもなく、拳大の石のみを見事に破壊している。
てめえの方が百倍器用だろ! とウィルは叫び声まじりに悪態をついた。

(これで何個目だ!?)

ウィゼルに斬られたサモナイト石の数。もはや十はくだらないか。
スペアを含めた予備もとうとう底が尽きかけている。身体能力および近距離戦闘だけでは圧倒的な不利な現状、頼りとなるのは既に召喚術だけなのだが、それも相手が許しはしない。
純粋な己が力だけで戦えと、斬撃を通して訴えてくる。

(ふざけんなっ!!)

────冗談じゃねえ! 死ねるわ!
ジジイの趣味に付き合う趣味はないと、ウィルは反撃の太刀で訴え返す。
その細い体に似つかわしくない猛烈な袈裟斬り。打ち合わされた細剣と刀の間で火花が発生する。
ウィゼルはそれに目を細めながら、知ったことかと言わんばかりに刀を振るった。

神速の斬撃を迎撃する細剣。
時には間一髪の所で往なして刀をやり過ごし、それすらもかなわない時は投具を逆の手に装備し受け流す。
鉄と鉄との衝突。
峻烈な剣劇の音が、幾重にも幾重にも鳴り響いた。

「…………」

「くっっ! …………?」

互いに大きく獲物を振り抜き、ぶつけ、一際高い音が残響する。
パワー負けしたウィルは後退を余儀なくされ、一方のウィゼルはそこから攻め入ることなく踏み止まった。
間合いを埋めてこないウィゼルに、ウィルは怪訝な顔を隠さない。
流れ落ちる汗を放置し、何を企んでいると油断なく相手の一挙一動を見守る。
無風の空間に、ウィルの乱れた呼吸の音が流れていった。

「……解せんな」

「?」

「模範通りの横切りの剣の型……かと思えば流派も何もない、強いて言えば経験にものを言わせた獰猛な縦切り…………小僧、貴様その体に“何を”飼っている?」

「────ッ」

核心に踏み込むその言葉に一瞬息が止まる。
ウィゼルは、ウィルのその「体質」に────「彼」という存在そのものに言及してきた。
この短い攻防の間だけで看破したのか、と信じられない思いが胸の中を充満する
太刀筋の洞察力、剣と剣との会話。
武器を打ち合わせるだけでこうまで相手の内情を見透かすウィゼルに、ウィルは戦慄にも似た感情を抱いた。

────落ち着け。

何も問題はない。自分にそう言い聞かせる。
ウィゼルは自分の正体を悟った訳ではない。あくまでそれは予想の域だ。
言い及んでいる内容は、言ってしまえば的外れ。解答へは至っていないのだから。
ウィルは動揺を瞬時に殺し、ウィゼルを見つめ返した。

「……喋る気はないか。まぁ、当然か」

「……まぁ、当然だね」

老人と子供、奇妙な沈黙。
視線の交差だけが続いた。

「僕からも一つ聞いていいか」

「何だ」

「どうして居合いを使わないんだ」

「……」

「昨日あれだけ砲弾斬りまくってた技を使えば、僕なんてとっくに刺身だろ」

「不服か?」

「いや、むしろ助かる」

「……くっ」

初めて、その剣客は笑みを見せた。
瞑目し、髭が蓄えられた口元を浅く曲げる、些細なものだったが。

「…………お前という素材(うつわ)を見極めたかったのでな。相手を倒すだけの戦士とは違う……職人の性、だな」

「訳わからん」

『以前』もどうしてこの老人が無色に身を置いていたのか、ウィルは知らない。

「……究極の武器。それを自分の手で作り出すことが俺の全てだ。剣を極めるのも、振るうのも、あくまでその過程に過ぎん」

「……」

「強固な武器を具現し得る多くの担い手達と巡り会ったが……小僧、お前は本当に変わり種だ。武器を作りたいとも思わんが……お前は面白い」

「はは、よく言われます」

「……」

先程とはまた違う微妙な沈黙。
ウィゼルは片目だけを瞑った。

「お前は叩きがいがある。打てば打つほど、様々な色と形を見せるのでな……俺もつい興が乗ってしまった」

じゃあ何か。「昔」も含め、自分が頻繁に襲われていた理由は抜剣者云々ではなく、ジジイの偏屈な趣味に見出されてしまったからか。
クソッタレめ、と内心でぐぎぎっと歯を食い縛りながら、ウィルはそう吐き捨てた。
そんなウィルを尻目に、ウィゼルはふと視線を横にずらした。

「……お前は存外によく粘る。だが、仲間の方はそうはいかないらしいな」

「!?」

その言葉の意味に、条件反射でウィルはウィゼルの視線の先を振り向いた。
遠方、口を血化粧するスカーレルが、暗殺者の少女の前で今まさに膝を屈していた。

「スカーレル!?」

更に、爆発。
視界の奥で凄まじい魔力が暴れ狂い、敵を屠らんと紫紺の爆光を炸裂させる。

「……っ!」

「ツェリーヌの方も片が付くか」

ヤード、と音にならない呟きが口から落ちた。
光の奥に霞む人影を、ウィルの瞳は確かに捉えていた。

「歯止めのようだな、お前達の勢いも。それとも小僧、まだ他に何か隠しているのか?」

「…………」

この野郎、とウィルはウィゼルに振り返りながら視線を鋭くする。
目の前の老人の心理、このごに及んでまだ自分を観察しようとしているその魂胆に、軽い殺意が芽生えた。

ウィゼルは自分達を陥れている元凶がウィルだと薄々感付いている。
それを踏まえての上でウィルがどのように行動するか、何を起こすのか……そしてそれを行うために自分(ウィゼル)という壁をどう乗り越えるのか、見極めてようとしているのだ。
ウィルという器の真価を、引き出そうとしている。

「……」

実際ウィゼルの言う通り、ウィル達の攻勢は完全に歯止めがかかっている。
視線をずらしてみれば、アティ達は完全に抑え込まれていた。援軍は期待できず、むしろアティ達本隊の方も危機が及んでいる。
彼女達と合流できなければ、ウィル達はもうすぐ討たれる。これはもはや絶対事項だ。
“ウィル”がこの状況を打開する一手を働くためには、目の前のウィゼルを倒さなければならない。

腹立たしいことこの上ないというのが、正直な感想。
そしてどう足掻こうが自分では目の前の敵は倒せないというのが、正直な本音。

……あの人なら、きっとこんな場面でも諦めないで、なんとかしちゃうんだろうな、と。
自分とは全く正反対の所にいる、太陽のような彼女のことを考えながら。
ウィルは、自分のやり方で、なんとかすることにした。

「……種も仕掛けもございません」

「!」

行動を起こす。
少し屈んで、足元に手を伸ばした。
祭服にも似た形状の仕立てのいい服、そのスカートの裾を、ほっそりとした指でつまみ、ゆっくりとたくし上げていく。
どこか勿体ぶるような動きでスカートをめくり上げていき、やがてそれがある高度に達した瞬間、どばっっ、と文房具もとい道具の山が裾の内側から溢れ落ちた。

「……」

ウィゼルはもはや突っ込まなかった。
どこかにどう隠せば収納できるか分からないほどの道具が、出るわ出るわ。
バラバラどばどば降りしきるアイテムは、やがてチンと音を立てガラス瓶に当たったサモナイト石を最後に、終わりを見せた。

「ん……」

再び腰を折り、ウィルはアイテムの泉と化した地面に腕を伸ばす。
散乱する道具の中から幾つかを見繕い、ひょいひょいと手の中に収めていく。その中にはサモナイト石も含まれている。
ウィゼルは目を細め、鞘にしまった刀の柄頭、そこに手を添えた。
召喚する素振りを見せれば、瞬時に抜刀できる構えだ。

「……ジジイ、貴様は一つ勘違いしている」

「……何?」

また勿体ぶるようにゆるゆると瞼を開いていき、ウィルは怪しい輝きを誇る瞳をウィゼルに向ける。
紫のサモナイト石、水に満たされた二つの小瓶。
ウィルはそれら道具を持つ両手にぐっと力を込め、また対応して居合いの構えを作るウィゼルを無視し、
空高く、ブン投げた。

「なっ……」

後ろに手を回すように両手を万歳させ、アーチを描く軌道で後方に道具類を放り投げる。
くるくると回るサモナイト石と小瓶は、やがてウィルの体に隠れてウィゼルの視界から姿を消した。墜落の光景は最後まで窺えない。
ウィルは口元をひん曲げた。

「黒幕を僕一人だけだと思うなよ……!」













「そういう、ことね……あの時、アタシが投げたっ……!」

「そうよ。貴方が、私を助けた時に使った剣……」

滴る血を止めることもできず、草原に視線を落としたままスカーレルは声を絞り出す。
昔の話だ。
それこそ目の前の少女は年端もいかず、未熟な暗殺者の卵だった頃。
後輩といえる立場のヘイゼルを、上の指示で面倒をみていた先達のスカーレルが、とある暗殺の場で助けたことがあった。
寝床をともにした元騎士を彼女が殺し損ね、返り討ちに合う所を屋外で見張っていたスカーレルが割って入り、その騎士の息の根を止めたのだ。
今ヘイゼルの持つ、“毒蛇謹製”の短剣で。

魔獣の毒牙を調合した、珊瑚の毒蛇の特別製。
血と混ざったら最後、あっという間に身体を腐らせてしまう逸品だ。
ヘイゼルの手の中で光る、毒々しい赤紫色をした鱗粉のようなものがまぶされている刀身。
見間違える筈もない、あの時の毒剣だった。

「拾ってる暇なんて、なかったけどっ……まさか、貴方が持ってたなんてね……っ!」

「ええ、いつか返そうと思ってた……助けられた相手にあんなこと言った手前、おかしな話だったけれど……」

当時の記憶に意識を飛ばしているのか、ヘイゼルの目が此処ではないどこかを見る。
回想に耽る琥珀色の瞳は、しかし無機質と言えるほど虚ろだった。

「踏ん切りがつかないで渡せないまま、貴方は組織を裏切って、剣だけが私の手元に残って……今まで捨てられなかったのは、感傷かしら」

瞳はがらんどうのまま、ヘイゼルはいつになく饒舌に言葉を使う。
常人ならばとっくに餌食となっている毒を耐えながら、スカーレルは脂汗に塗れる顔で少女を見上げた。

「あの時私を助けてくれた貴方の剣……今は、貴方を殺すためのただの道具……」

とんだ皮肉だ。
わざわざそれを使って引導を渡そうとするヘイゼルの行動も、巡り返ってくる自分から出た毒も。
確かに感傷だと、スカーレルはぼやける眼(まなこ)をしながら思う。
人を殺すことが常だった世界の中、自分がした行動は、少なからずヘイゼルを戸惑わせ苛む「棘」となっていたらしい。
言葉の端々が窺える、冷めきった──けれど確かな情緒が、少女が自分に固執する理由を物語っていた。
彼女を知らない者ならば気付かない感情の揺れ幅だが、短い間でも少女の面倒を見ていたスカーレルには、それが分かってしまう。
「茨の君」を苛む棘。
これもまた、皮肉だ。

「……お前は私が殺す。追手から逃れたと聞いた時から、心にそう決めていた」

感情をあらわにしてまで彼女が自分に拘る理由はなんとなしに分かった。
だが、とスカーレルは思う。

「これが裏切り者の末路よ。私達は組織の部品……それ以上でも以下でもないんだから」

琥珀の瞳の中にある、一番奥の色。
スカーレルに向けられる最も強い感情の色、それが解せなかった。
ヘイゼルを駆り立てる心の発火点はそれが本命だ。
己を助けた借り、裏切り者の報復。その理由らは本音を隠す建前に過ぎない。
自分(スカーレル)を通して何かを映している瞳。
まるで、己では届かないものを見つめているような。

──組織を抜け出しておいて、何をのうのうと生きている
──お前は私が殺す
──私達は組織の部品
──それ以上でも以下でもないんだから

今までの少女の言動が、飴のように溶けつつある思考を過っていく。
掴みかけている少女の心理を前に、スカーレルはもう一度彼女を正視した。
空っぽな瞳。
自分の知る幼い頃の彼女よりまた一層光を失い、本当に、希望も何もかも殺してしまったような……

これじゃあまるで、羨望────

そう考えた所で、全ての点が一本の線で繋がる。
スカーレルの頭の中でカチリとピースが合わさる音が鳴り、自然に口は開いていた。


「ヘイゼル、貴方……嫉妬しているの?」

「!!」


琥珀色の瞳に、波紋が落ちた。
暗く静寂を保っていた水面に、次々と円状の波の模様が浮かび上がっていく。
見開かれた双眼がありのままの感情を剥き出した。

「“組織の部品じゃなくなった”アタシに……」

「……ッ!!」

言葉は、最後まで言わせてもらえなかった。
初めて見せる激昂の形相をして、ヘイゼルは容赦のない蹴りをスカーレルの腹に見舞う。
ぐしゃ、と腐木を砕いたような音。
足のつま先が鳩尾に突き刺さり、スカーレルは呻き声も出せないまま後ろへ吹っ飛んだ。

「────ぐぅっ!?」

「ふざっ、けるなっ……!!」

目を背けたくなるほどの血を撒き散らしながら、スカーレルは草原を転がる。
ようやく勢いが止まってもがき苦しむ彼の耳に、感情を絞り出したかのようなヘイゼルの声が届いた。

『何をのうのうと生きている』。
最初の時に口走ったあの言葉が、少女の偽らざる本音だったのだろう。

組織の部品でしかないスカーレルが、自分と同じ道具でしかなかった彼が、光の届く世界で生きていることが、ヘイゼルには許せなかった。
それは少女が心の奥底で抱く願望の裏返しだ。
落ちる所まで落ち汚れ切った筈の人間が、同胞であった自分と違う世界で生きるこの格差は何なのかと、子供のような癇癪を起し世界の理不尽を呪っている。

今思い出せばずっとそうだった。目の前の少女はいつでも強がっていた。
いつ死んだって構わないと虚勢を張り、自暴自棄な態度を振りかざし、しかしその実、「死」というものにずっと怯えていた。
自らに降りかかる死も、相手へもたらしてしまう死も。
少女は暗殺者として致命的な欠陥を抱えながら、今日まで生きてきたのだ。

人を殺す生き方しか知らない彼女はとっくのとうに諦念にまみれ、胸を占める虚しさと一緒に、唯一敷かれたレールの上を歩き続け。
分岐するレールなどはないと決め込み、素通りしてきた。

「お前にっ……貴方なんかにっ、私の何が……っ!!」

そこで、同じ軌条の上を歩いていた筈の人間が、ふと遠く離れた道を歩いているのを目にした時、彼女が思ったことは何だったのだろうか。
多くの人々に囲まれ、笑みを交わし合いながら光の先に向かう光景を目の当たりにして。
一人で影に沈む線路の上を歩いていた少女は、その心に何を抱いたのか。

「殺すっ……!」

「ぐっ、ぅ……っ!」

マフラーを引き上げ顔の下半分を覆い隠す。
逆立てた柳眉の下、様々な感情がない交ぜになった瞳でスカーレルを睨みつけながら、ヘイゼルは剣を横に閃かした。
スカーレルは震える腕を支えにして立ち上がろうとする。開いた距離を一縷の望みに、彼女を迎え撃とうと力を振り絞る。

(あぁ、死にたくないわ……。少なくとも、今は死ねない……ッ!)

今の居場所が好きになっている自分のためにも、迷子の子供のような目をしている少女のためにも。
過去の少ない時間を共有して情が移ったかのかもしれない。村を焼かれ、全てを諦めていた自分の境遇と重ねているのかもしれない。
ただ理由がどうであれ、もう自分は、あの少女を放っておくことはできない。
妹(ソノラ)に救われたあの時の自分のように。
嫉妬して、羨望して、自分は何も変われはしないなどと決め込んでいる視線の先の少女を、引っぱたいてやるまで。
死ねない。

「死ね、毒蛇ッ!」

ヘイゼルが紅い弾丸になる。
自分のもとへまっしぐらに駆けてくる少女を前に、スカーレルはその二本の足で立ち上がった。
すぐ側から頭をかき乱す目眩。これ以上血を失うのは危険と判断し、喉からせり上がる血を無理矢理飲み下し、猛毒と一緒に嚥下する。
既に手元には武器はない。蹴り飛ばされた拍子にどこかへいってしまった。
体のコンディションは最悪。取り巻く状況もまた絶望的。
それでも諦めなどという言葉は頭から吹き飛ばし、スカーレルは迫るヘイゼルを見据える。

刺し違えてでも、いや、肉を切らせてでも彼女をぶん殴る。
未だ組織の歯車となって回り続けている少女の目を、一発覚ましてやる。
双眼に灯るのは意志の光。
五メートルを切った間合いを前に、スカーレルは腰を沈めた。




次には、バリン、と。




横っ面の方からブッ飛んできたガラス瓶が、スカーレルの顔面に炸裂した。


「────は?」

「──────」


────オイ。
米神を強かに殴った衝撃に、スカーレルは首を半回転されながら、胸中でその一言を発した。
眼前で起きた光景に、ヘイゼルも突撃を中断し目を丸くさせる。素の声が漏れていた。
シリアスな空気を一瞬で粉々にしてみせた一投に、恒例の既視感を感じながらスカーレルは、首は依然回転させたまま視線だけを横に巡らせる。
果たして瓶が飛んできた方向には、気持ちよく腕を振り切った、ネコ科の召喚獣の姿が

────テコ、お前もか。

主人(?)を彷彿させる投擲態勢の姿に、此処いたらみんなが突っ込んでいただろう心の声を代弁する。
しっかり狸(パートナー)に毒されちゃってオネエサン嬉しいわぁ、とフフフフ笑いながらスカーレルは額に青筋を走らせる。
あんちきしょうめ、と盛大に少年を罵りながらスカーレルは怨嗟に満ちた。
すぐ目の前で固まっているヘイゼルを視界に、このぐでんぐでんになった空気をどうしてくれると、拳を握り締めプルプル震える。
──そして、気付いた。



「っ!? 『ラムルカムルの葉』?!」



体が、正常に機能する。
全身に力が戻った。

ヘイゼルの驚愕の声にスカーレルも全て悟った。
ガラス瓶に水と一緒に浸されていたのは『ラムルカムルの葉』。
あらゆる毒素を打ち消す最上級の特効解毒薬。
取り扱っている店は物の数ほどもなく、だからこそ冒険者やその手の堅気ではない者達が、高値にも関わらずこぞって確保しようとする稀少なアイテムだ。


「ミャミャーッ!」


更に、もう一発。
投じられた小瓶が今度は頭に命中し、中身がしたたる滴となってスカーレルの唇に届く。
強烈な芳香。舌を甘みで痺れさせ、倦怠感のはびこる体に直接染み込んでいくような。
『クロッツアの実』。
ラムルカルムの葉と並ぶレアアイテム。効能は、体力全快。100%果汁にされたそれがスカーレルを満たした。
麻薬を服用したかのような全能感。死にかけの体に活力が漲る。

道具の連続使用、テコの『ダブルアイテム』。
速攻性の致死毒の効果が、アイテムの相乗効果によって全身から洗われた。
光を取り戻したスカーレルの目、それがはっきりとヘイゼルの姿を射抜く。

「ちッ!?」

出し抜けの騒動に停止していたヘイゼルが短剣を突いた。
間抜けな失態に舌打ちをしながら、スカーレルへ毒刃を繰り出す。

「!!」

スカーレルはその一撃必殺に抜かりなく対応。
毒を食らうまでの俊敏さを蘇らせ、突き出された相手の右手に己の手の甲を当てる。
力を加えることで胸に進む一撃を体の外側へ追いやった。

彼はまだ止まらない。

あらかじめ決められていた行動をなぞるような速攻の動作で、右手を頭──後頭部にやり、そして髪を束ねるカンザシを一気に引き抜く。
金属製の飾りが分解され、菫色の一針があらわになった。
留められてあった長髪が背を流れ落ちるのと、鋭い細針が振り下ろされたのは、同時。


「────ッ!!」


極細の一線が、少女の手を捉えた。





「ぐっっ!?」

────暗器(かくしぶき)!!
鋭い痛覚にヘイゼルは呻く。
振り下ろされた針が貫いたのは、今まさにスカーレルへ短剣を放とうとしていたヘイゼルの左手。
残った剣での連撃を阻止される形で、菫の針が深々と皮膚に突き刺さっていた。
馬鹿っ、とヘイゼルは数秒前の自分を責める。
余りにも迂闊。相手は腐ってもあの“珊瑚の毒蛇”だ、保険の一つや二つ用意していて至当。

歯嚙みするヘイゼルは、しかしすぐに思考を切り換える。
所詮針ごときと、傷を無視して攻撃を続行させようとした。


「──────」


直後、目を一杯に見開いた。
カラン、と音を立てて、ナイフが地面に転がる。
長年愛用してきた少女の獲物が、細い指の隙間からするりと離れ、抜け落ちていった。
敵前で武器を手放すという暗殺者にあるまじき行動。
しかし、それはヘイゼルの意思に依る所ではない。

(から、だ、がっ……)

自由の利かなくなった肉体に、狼狽と混乱が神経を這いずり回る。
束の間の冷静さを手放し動転しかける脳は、此方を見据える蛇の瞳を認めたその瞬間、身に降りかかっている事態を悟った。

(ッッ、毒!?)

瞬く間に疑問を氷解させる。
組織を抜けそれまでの自分を捨てようとしたスカーレルが、唯一捨て切れなかった例外。
麻痺毒。
殺めるためではない、身を守るための毒。大切なものを守るための毒。
『珊瑚の毒蛇』ではなく、『優しい毒蛇』であろうとしたスカーレルの最後の“毒”。
それがヘイゼルの体に打ち込まれた。


「歯を、食い縛りなさい……ヘイゼル」

「────」


静かに耳朶へ吸い込まれた声に、ヘイゼルは顔を振り上げた。
かつての同胞が、自分に情けをかけた男が。
女のような長い髪を垂らし、双眸を一杯に吊り上げて。
まるで、妹(みうち)を叱りつけるような姉のように、大きく腕を振りかぶっている。

奥歯に仕込んでいる解毒剤の存在も、その瞬間は忘れたまま。
ヘイゼルは、実直に自分を見つめる目の前の瞳に、棒立ちとなった。



「妬む恨むの前に、まず自分の足で動き出しなさいッッ!!!」



強烈な平手打ちが、柔い頬を思い切り引っ叩いた。







「──────がっっ!!?」

豪快にヘイゼルが吹っ飛ぶ。
腰が乗り遠心力をもプラスされた一撃は、身動き取れない少女を容易く横合いに投げ飛ばした。
張手を振り切ったスカーレルは、少女の余りの体の軽さに、あの娘ちゃんとご飯食べているのかしら、と場違いなことを考える。

丘陵に叩きつけられたヘイゼルは、そこから動くことはなかった。
まだ痺れが消えないのか、放心したように身動きしない。

「ヤードっ……!」

全てをぶつけた少女からは視線を切って。
スカーレルは、未だ爆光が連鎖するヤードのもとへ身を馳せた。













「ぐっ、ぁ……」

どすっ、とヤードは両膝を地面に落とす。
ボロボロに焼け焦げた服から嫌な音を立てて煙が立ち昇っている。
爆撃をまともに喰らい続けた体があちこちで悲鳴を上げていた。

「余計な手間を……」

吐き捨てるように言ったツェリーヌがヤードを睨みつける。
彼女の周りには二匹の悪魔が取り巻いていた。派閥兵が呼び寄せた召喚獣だ。
召喚主からの指示のもと悪魔達はツェリーヌのサポートに向かい、彼女の細腕では追い払えなかったヤードを強引に引き剥がした。そこからは、彼女に絶対的有利な召喚術の打ち合いへと発展。
扱う召喚術に、そして召喚師としての能力。
この二つが劣るヤードは必然的に窮地へと陥っていた。

「ピィ!?」

「ペコ……!」

ヤードがユニット召喚した『ペコ』が悪魔達のスピアによって弾き飛ばされる。
悪魔達の攻撃を一手に引き受け主を守っていた召喚獣は、とうとう限界を迎えて元いた世界へと送還される。
足元に転がった球状の聖霊が光となって消えていくのを、ヤードはすり傷と火傷で汚れた顔を歪めながら見守った。

「愚かしい……それが貴方の末路ですか、ヤード・グレナーゼ」

「っ……!」

「夫は貴方の才を見出し情さえ恵んだというのに……それを自らの手で払い、あまつさえ刃向ってみせるなどと……理解できません」

軽蔑と非難の眼差しがヤードを穿つ。
派閥の構成員時代、オルドレイクの師事の傍らで自分達を優しく見守っていた瞳が、今は汚いものを見るかのように嫌悪に染まっている。
身寄りのいなかった自分が、彼女に母親としての温もりを感じていなかったと言えば、きっとそれは嘘になる。
自分から打ち壊してやった関係にも関わらず、こんな状況下でさえ、追憶に引きずられる形で胸が痛んでしまった。

「既にかける慈悲はありません。己の行いを恥じて、その身を亡者どもに捧げなさい」

冷酷な美貌を構え、ツェリーヌは宣言する。
左手が持った杖の柄先端、取り付けられている霊属性のサモナイト石があらゆるものを吸い寄せるような、おどろおどろしい光を断続的に発した。
細い声音で紡がれる詠唱が大気を冷やし、ヤードの耳を撫でる。背筋がぞっとする感覚とともに心臓が冷気によって軋んだ。
瞼の裏さえ貫く強烈な光が周囲を覆い込んだとか思えば、それは門を越え、現れた。


「『砂棺の王』」


巨大な体躯。
砂棺という名が指す通り、棺が丸々召喚獣と化したような外観。
実質的には、棺を彷彿させる鎧を着込んだ巨大な遺体と言った方が正しい。外気に晒される骨の腕と顔面が霊界の召喚獣としての属性をありありと示していた。
黄金色に輝く体と無数の死霊を従えるその姿は王と呼ばれるに相応しい。空洞となっている眼窩の奥で静謐に輝く光眼が、高圧的にヤードを射竦める。

「悠久の、秘宝王……!?」

震える声でヤードが砂棺の王の二つ名を呟く。
存在する力の隔たりに、全身から力が消失しかけた。
派閥の創始者の家系が一つ、セルボルト家の、門外不出の召喚術。

オルドレイクが以前に召喚した『パラ・ダリオ』の禍々しさと異なり、砂棺の王は一種の荘厳さに満ちていた。
見る者を取り込むような古美術的な美しさ。同じサプレスの天使とはまた違うベクトルの粋美。
古の一族の誇る秘伝は、他の召喚獣とは明らか一線を画した威容を宿している。

ヤードは喉を鳴らす。
かつての師であったオルドレイクにのみ託されたセルボルトの秘術が、自分の目の前に現界している。
Sランク──最上級召喚術にカテゴリされる砂棺の王を操る彼女自身もまた、鬼才の身であった。

「セルボルト家で代々受け継がれてきた秘術……正当な血を引く私にも、当然扱う資格は持ち合わせています」

オルドレイクの専売特許ではない、ツェリーヌはヤードに向かってそう告げる。
愕然とするヤードは悟ってしまう。博識を誇る彼の知識は、一つの答えを導き出してしまう。
自分はもう、どうあっても助からない。
復讐を基礎にして築かれていた意志が、音を立てて崩れていった。

「王よ、あの哀れな魂に永遠の救済を」

砂棺の王が動き出す。
両手に持つ牧杖(ヘカト)を胸元でクロスさせ、魔力が一点に集まっていく。周囲を飛ぶ死霊達が凍るような鳴き声を上げ始めた。
『霊王の裁き』。
強大無比のキャパシティをもって繰り出される純粋破壊の召喚術。放たれれば、敵を一瞬にして消し飛ばす絶対の魔力光。

思考が真っ白になる。
防げない。もとより、一介の召喚師が太刀打ちできる存在ですらない。
圧倒的な力の前にヤードの心がへし折れる。死界を統べる王の前に、召喚師としての本能が完全に屈してしまった。

(…………ぁぁ)

くだされる最期を目と鼻の先にしながら、何の感情も湧き上がってこない。
肉親を殺された時の身を裂くような怒りも、くすぶっていた怨讐も、生への未練も、何もかもその力の前で踏み潰されてしまった。

……すいません。

それは今日まで彼等を騙してきたことに対しての謝罪だ。
それは最後まで彼等の仲間になりきれなかったことへの謝罪だ。
同じ村の友に、今まで面倒を見てくれた海賊の兄妹に。
島の仲間達に、ちっぽけで無責任な遺言を残し、ヤードは光の渦に呑み込まれた。


「消えなさい」


極光。








浮遊感。

「────え?」

気が付くと、地面に投げ出されていた。
揺れる音。落下する体。
肩を叩く衝撃とともに土の上へ転がる。
頭が無重力に包まれるイメージ。ざざっという擦過音が耳を何度か撫でて、体の動きが完全に止まる。
最初に感覚がまだ生きていることに対する驚きが生まれ、次に皮膚を撫でる魔力の残滓を感じ取り、最後に、体へ覆い被さる温もりに気付いた。

「……ソノラさんっ!?」

「つぅ……!」

膨大な魔力の光によって、一時的に失っていった視力が回復する。
視界がクリアになるのと同時に、ヤードは目を見張った。
爪先から真っ黒に炭化し煙を上げるブーツ。服から覗くきめ細かな肌は赤く焼け爛れている。
あの光の砲撃からソノラが自分が守られたことは、明白だった。

「────この、馬鹿野郎がっ!!」

「っ!?」

呆然となりかける思考に衝撃が叩き込まれる。
強い力で襟を掴まれ引き寄せられたかと思えば、頬を思いっきり殴られた。
じんじんと痛みの響く頬を押さえながら振り向くと、目の前には顔を血と泥で汚したカイルがいた。
額が割れていて出血が酷い。顔が真っ赤な絵の具で塗りたくられている。

まさか、と思う。
越えてきたのか。あの敵の防衛線を。
凶悪な悪魔達で補われた分厚い壁に突っ込んで、無理矢理道を切り開き、こうまで血を流して……自分の命も顧みずに。
アティ達も、カイルとソノラだけが通れるほどの、僅かな穴を開けるために援護をして。
────自分を、助ける前に?
息を呑むヤードに構わず、カイルは再び襟を取って顔を引き寄せる。

「いつまで客人のつもりでいやがるんだ、てめえはっ!?」

「ぇ……あ」

「いまさら他人行儀なんかするんじゃねえ! 何度背中を預けたと思ってやがるっ! それとも、てめえ等の力にもならねえか、俺達は!?」

目の前で怒鳴り散らされる声に、がつんと頭を打たれる。
殴られた頬より遥かに強い衝撃がヤードの胸を揺さ振った。
歯を食い縛って立ち上がってきたソノラも、ヤードに迫る。

「何で相談してくれなかったのよ! あたし達、仲間じゃないの!? 今までやってきたことっ……ヤードも嘘だったなんて、そう言うのっ!?」

「……ソノラ、さん」

水滴を溜める瞳が真っ直ぐに訴えてきた。
友と認めた少女に手を払われたことのある彼女は、いっそ親に縋りつく子供のように感情をぶつけてくる。
それを見て、またヤードの胸が軋んだ。

「ヤードを責めないであげて、ソノラ」

「スカーレルっ……」

「その子はアタシの我儘に付き合わされただけなの。悪いのは、全部アタシ」

そっと声がかけられる。
いつの間にか、スカーレルもヤード達のもとに合流を果たしていた。
長い髪を腰に届かせた麗人の風貌の彼は、乾いた血で染まった口元を苦笑させる。

「ごめんなさいね、ヤード。損な役回りさせちゃって」

「っ……違う、スカーレル……! 私はっ、私の方こそっ……!」

「いいのよ、もう。自分を貶めるのは止めときなさい。どうせこの後、二人とも一杯叱られちゃうんだし」

冗談めかした台詞、しかしそれに反してスカーレルの顔は張り詰めたまま。
彼はヤードから目を離して言葉を継ぐ。

「……それにね、どっちにしたって、アタシは貴方にまた面倒を押し付けることになる」

肩を揺らし、ヤードはスカーレルの視線の後を追う。
発散されているのは強大な魔力だ。
前方、体から立ち昇る魔力を砂棺の王に充填させるツェリーヌが瞳に映った。

「どうやら今度も海賊に助けられたようですが……次はありません。まとめて吹き飛ばします」

未だリィンバウムに留まっている砂棺の王がゆらりと体の向きを変えた。
コォォ、と死霊の息吹が剥き出しになった歯から漏れていく。
此方を睥睨する両の眼に、ヤードはおろかカイルとソノラも顔を歪めその場に立ち尽くした。

「ヤード。発端を作ったアタシがこれを言うのは馬鹿げてると思う。でも、言うわね……アタシ達を助けて」

「!」

「あれはもう、アタシじゃ手に負えない。貴方がやるしかないわ」

本当に厄介事ばかり押し付けている、と自嘲するスカーレルはヤードと視線を合わせる。
どこか儚い雰囲気を纏うスカーレルは、申し訳なさそうに眉を下げた笑みをする。

「カイルとソノラを、助けてあげて」

無責任な言葉、とは思わなかった。
スカーレルの心情をそのまま表したように、ヤードには聞こえた。
持ち出した『剣』を餌に派閥をかく乱する手筈だった計画。最初からカイル達を利用して遂行させようとしていた、醜い復讐劇。
秘密を明かさず、自分達の私怨に巻き込んでしまった彼等に。
本当の意味で、今報いようと。

ヤードは瞠目しながらも、そのように受け取る。
そして恐らく、それは間違っていない。

「……『苦難を同じくした者には、敬意と友愛をもって接するべし』」

「……カイル一家の掟、ふたつめ、だね?」

突然、カイルが合いの手を入れる。
血を拭って粋な笑みを浮かべる彼の隣で、ソノラも頬を緩めた。

「ヤード、これが終わったら、美味い酒を飲み明かそうぜ」

「え……」

「二度とヤードが馬鹿なこと考えないようにさ、杯を交わすんだよ。あたし達はずっと一緒だっていう、仲間の証」

「────」

言葉と笑顔が、心の底へ届く。
一気にせり上がってきた感情の波に、ヤードは勢いよく顔を俯けた。

(あぁ、死にたくない……。死なせたく、ないっ……!)

復讐に目が眩み、心のどこかで価値のないものとして扱っていた自分の命を、今初めてここに留めておきたいと思った。
こんな自分を仲間だと言ってくれるこの人達を失いたくないと、何よりも望んだ。
死ねない。死ぬ訳にはいかない。
彼等に自分の家族と同じ末路を歩ませないためにも。
失うのは、もう沢山だ。

「────ミュミュ!?」

「! ……テコ?」

抑え切れない感情が溢れ出しそうになったその折、地面に落としていた視界へ変化が現れた。
大急ぎで駆けてきたテコが、ずてんっ、とヤードの足元で盛大にこける。
涙目になる彼の両手から転がり落ちたのは、鋭角的な刻印が打たれた紫紺の結晶。
それがサモナイト石だと認めるのに際して、ヤードは、はっと顔を上げた。

何重もの剣戟の音を響かせ、ウィルがウィゼルの猛攻を凌いでいる。
もはや構う余裕さえないのか、ヤード達の方を一顧だにもせず武器を振り続けていた。
彼もまた、自分より遥かに巨大な敵と必死になって戦っている。
このサモナイト石は、そんな少年がヤードに送った最後の手助けだ。

「……ッ!」

サモナイト石を拾い上げる。
背徳感と後悔で曇っていた瞳と心がはっきりと澄み渡り、今なすべきことが自分の中で固まった。
仲間と言ってもらえた。背中を後押ししてもらった。
歴然たる力の差があったとしても関係ない。ここで踏み止まった所で、一体何が残るというのか。
あの昔日の母を、今日、倒そう。
この場を乗り越えて、みんなでアティ達のもとへ、帰ろう。
カイル達を庇うように前へ進み出た。握り締められる鉱石がヤードの魔力に反応を示し、断続的に発光現象が起こる。

「カイルさん、ソノラさん、スカーレル……私に、命を預けてくれますか……?」

しっかりと前を見据え、背後にいるカイル達へそれだけ尋ねる。
顔の見えない彼等は、三人して笑いを呑み込んだような気配の後、間を開けず言った。


「「「任せた!!」」」


ヤードも笑う。
頬を一筋に薄く伝うのは、きっと、カイルが言っていた心の汗だ。
双眸を吊り上げる。
杖をサモナイト石と一緒に構え、距離を置いて立ち塞がっている相手の姿を正視した。
砂棺の王が厳かな挙止で牧杖を胸に構える。これまでにないヤードの魔力の放出にツェリーヌも顔を硬化させ、次には夥しい魔力を砂棺の王へ継ぎ込んだ。

互いの魔力が一帯の空間を飽和する。
遠く離れて戦うアティ、護人、帝国軍、そして派閥兵とイスラも一旦行動を止めて、その震源地を見やった。
陸を這い空を飛ぶ悪魔達が一斉に叫喚を上げ始める。

(後は、信じます……!)

未だ正体の知れない召喚獣を預けたウィルの判断を。
ヤードの揃えていたサモナイト石ではツェリーヌの術には歯が立たない。
ウィルの采配を、信じる。
サモナイト石から溢れ出す光粒が、自分以外のカイル達をも取り巻く状態に気付かないまま、ヤードは一気に魔力を解放させた。

「誓約に、答えよ!!」

紫紺の輝きがヤード達を包み込んだ。













「くっ────!?」

ツェリーヌは咄嗟に顔を法衣で覆った。
轟音を立て、また凄まじい速度で、「何か」が自分の横を駆け抜けていった。
一瞬の混乱が彼女を襲う。『霊王の裁き』を撃ち出す前にヤードが門を開いたかと思えば、その中から巨大な光の塊が、一直線にツェリーヌへ突っ込んできたからだ。
側で浮遊している悪魔達が言葉にならない啼き声を張り上げている。
喚び出されたと同時に、召喚獣が体当たりでもしてきたのか。

(っ! 居ない……!?)

法衣を顔から取り払った視線の先で、ヤード達はその姿を忽然と消していた。
驚くツェリーヌの前で、砂棺の王が後方を振り返って低く唸る。
彼女は反射的に王の動作を倣い、駆け抜けていった召喚獣をその目で追った。

「なっ……」






アティは瞳を見開く。

「う、うそ……」

目に飛び込んできた光景に、一瞬この場が戦場ということを忘れ呆けてしまった。

「おいっ、いつから召喚術は“あんなもの”を喚び出せるようになったんだ……っ!」

「し、知らないですよ!?」

アティの隣からアズリアが忌々しそうな声音で詰問する。
帝国軍海戦隊の部隊長である彼女は、怨敵を睨み付けるように“それ”を凝視した。
視界の大部分を占める巨大な影。
土砂を盛大に撒き上げ、地上を驀進するそのシルエットはまさに────

「か、海賊船!?」






「船ぇ!?」

ソノラが素っ頓狂な声を上げる。
アティ等が仰天する一方で、彼女達も等しく混乱に襲われていた。
ヤードの召喚術の光に包まれた瞬間、彼女達を取り囲む状況は“土の上”から“船の上”へとすっかり移転してしまっていたのだ。
腐乱して所々穴の空いた甲板、傷痕を残し折れかかっているマスト、半壊した鼠色の大砲群。
真っ当な船などではなく、あたかもお伽噺で出てくるような「幽霊船」そのもの。
怪しいきらめきを宿す紫の霧が、船全体を取り込んでいた。

「陸(おか)を走ってるの!? 船が?!」

「舵はどうなってやがる!?」

スカーレルとカイルの荒げた声に、我に返ったヤードは咄嗟に後部デッキを振り返った。
舵を操る操舵輪の前、ハンドルを握るのは海賊帽子をかぶり長い髭を生やした骸骨のアンデッド。
衣装に身を包む骸の男はヤードと目が合うと、パイプを咥えた口をニッと笑うように吊り上げた。

(……そうか!)

悟る。ウィルの真意を。
この幽霊船、召喚術を使えば、派閥兵と悪魔が形作るあの壁を突破できる。
カイル達の海賊船と同等の規模を誇るこの船ならば、進路上の敵の数が多かろうが関係ない。
その図体で、蹴散らすのみだ。

「ひえっ!? ゆ、幽霊?!」

船を操るその存在に気付いたソノラが悲鳴と一緒に飛び上がり、そしてそれを皮切りに、大勢のアンデッド達が空間から浮かび上がるように現れ始める。
カイルとスカーレルも顔を振って驚くのを他方に、甲板を、不死身の海賊達が埋め尽くした。

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

一度死を迎えた亡霊達が、歌うように雄叫びを上げた。
『海賊巻きヒゲ団』。多くの帝国軍海兵隊をてこずらせ、海を暴れ回った荒くれ者達。
この忘れられた島で骨を埋め、誇りを守るために怨霊と化していた海賊達は、『血染めの海賊旗』に宿る魂の残滓を媒介に再び蘇った。
生前を越える破天荒ぶりを振りかざし、海賊達が陸上の航路を取る。

「掴まっていてください!」

「う、おおおおおおおおおおおおっ!!?」

「荒っぽいわねえぇ!!」

「落ちるっ、落ちるーっ!?」

目前には暁の丘に隣接している森林。
ヤードは杖を水平に保ち、魔力の供給とともに舵輪を操る海賊頭に意思を叩きつける。
海賊頭──『ホーンテッド船長』は口端を歪めたままハンドルを一気に回した。
ひたすら直進していた船体が転舵、急激な旋回を行う。
船が分解すると錯覚させるほどの大きなブレ。魔力のフル出力による急ブレーキと強引な方向転換により、本来の巨大船ならばありえない旋回機動──最小限の円軌道を描き、僅か分秒で進路方向を逆転してみせた。

(これなら……!)

森林の端が船尾に巻き込まれ、木々の群れを豪快に薙ぎ倒す。
千切れ飛んだ幾多の樹木が空へ目がけて飛んだ。
轟音に次ぐ轟音。森を掠めた海賊船はそこから更に加速し、船首をアティ達のもとへ向ける。
ともすれば暴走の様相を見せつける船は、一向に止まらない。






「何と……」

船が大地を割りながら突き進む出鱈目な光景を、離れた位置から見るウィゼルは素直に驚嘆した。
召喚術と縁のないウィゼルにもその凄まじい魔力が肌で感じ取れる。
吹き荒れるマナの風が頬を叩き、着流しの裾がばさばさと煽られた。

(師のもとを離れようとも、弟子は弟子か……)

非凡によって見出された才もやはり非凡。
師(オルドレイク)と決別してもその才能は腐ることはなかった。むしろ、新しい境地の中でヤードは別の力を得たのかもしれない。
過去、派閥内で幼い面影を残しながらも既に才覚を発揮していたヤードの横顔を思い出し、ウィゼルはそっと目を細めた。

「ふぬっ!!」

「!」

ウィゼルが追憶に浸りかけたその一瞬をウィルは見逃さず、一挙に背を向け駆け出した。
武器を放り出し、ウィゼルのことなどもはや眼中にとめず船の予想進路に向かってひた走る。全力逃走だ。
少年の中ではこれが予定調和だったのか、迷いもなく全身を駆っていく。
見る見る内に距離が開けていった。

「……結局、頼み綱は他人か」

拍子抜けしたぞ小僧、とウィゼルは片目を瞑り、そして必殺を構えた。
腰が落ち、右手が鞘に収まった刀の柄に伸びる。
ウィゼルの周りの空間だけが呼吸を止めたかのように、静寂を纏う。

(敵に背を向けるとは……失望させてくれたな)

むしろ、その堂に入った逃走フォームが、少年の経てきた敵前逃亡回数を如実に物語っていた。
これまでの剣技や回避行動より遥かにキレのある動きだ。もはや次元が違う。

今も間合いが離れていく標的を、しかしウィゼルは視界の正中に捉えて離さない。
胸中でぼやく言葉とは裏腹に心は波風一つ立っていない。
刹那の極集中が引き起こす収縮された時間の中、心眼が示すままウィゼルは抜刀した。

「さらばだ」

居合い斬り・絶。
人の手によって生み出された神速のカマイタチが、大気を切り分け、飛んだ。



次の瞬間、不可視の斬撃は少年の足元を素通りした。



「──────」


跳んだ。
背後より迫る斬閃を、死角からの絶対攻撃を。
空中に跳躍することで、飛び越した。
完璧な回避。

「……馬鹿な」

心からこぼれ落ちた素の呟きが地面に転がる。
宙に踊らせていたその身は重力に引かれ着地し、そして何事もなかったように走行を再開させる。
瞠目する剣豪を置き去りにし、少年は、疾走を続けた。






「────死ぬかと思った! 死ぬかと思ったぁ!?」


悲鳴とともに爆走するウィルは、ずれ落ちかけた帽子を片手で押さえる。
瞳をかっ開き、どっと噴き出る汗にまみれる顔には余裕の欠片もない。
少年は今も続いている生の素晴らしさを噛み締めていた。

「そこの海賊船待ってーっ!? 僕を断頭台(ココ)から連れ出してーっ!?」

ウィルがウィゼルの居合いを回避できたのは、特に何もない、ただのヤマ勘だ。
より詳細を極めるなら、『過去』の経験に基づいた予測行動。
人を殺めようとしなかった「ウィゼル」の行動原理を踏まえ、彼が極限の切れ味を持つ居合いを、無防備な背を晒す相手に放つとしたら、それはどこか。
生命維持に関わる急所が密集する上半身が狙われるとは考えにくい、となれば、逃走を食い止めるためにも狙われるのは十中八九、下半身。特に両脚部。

この状況下においてウィゼルが取捨するだろう選択肢を厳選し、ウィルは最も可能性の高いそれに賭けたのだ。
斬撃の来るタイミングに限っては本当に当てずっぽうだ。背中に目がついている訳でもない、己の第六感だけを信じ、頭の警報が鳴る直前から地面を蹴った。
結果は、ドンピシャ。
思い描いていた通り、ウィゼルの斬撃はウィルの靴底一枚の所を過ぎ去り、刺身になる未来図を蹴り飛ばすことに成功した。

「ちっくしょーっ! もう二度とあのジジイとは戦わねええぇぇぇっ!!?」

命がいくらあっても足りない! と叫び散らす。
不確定な事象に頼らなければ、逃げ切ること自体も不可能だったという事実。
一か八かどころの話ではない。たった一度の回避を実践するだけでも九死に一生を得た気分だ。
己の全幸運値をこの瞬間で全て使い切った死活的感覚を覚えながら、「くっそおおおおおお!!」とウィルは嘆きに満ちた。

「ウィルッ! 手を!」

「うわぁあああああああっソノラさん大好きいいいいいいいいいいいいいいぃ!!!」

ウィルの絶叫を聞きつけたソノラが、船縁から身を乗り出して腕を伸ばす。
盛大に潤んだ瞳で告げられたいきなりの文句に、面食らった海賊少女の頬がぼっと染まった。

「『テコ』!」

「ミャー!!」

高速召喚で発動した「召喚・深淵の氷刃」が即席の踏み切り台を作り上げる。
氷の段差を足場にして、身長の二倍はある舷に向かって飛び上がった。
全力跳躍でも手すりに少し届かないウィルの手を、赤くなったソノラの指がぎゅっと絡め取る。

「んぐぐっ……!?」

重さと反動に耐えられず一度は沈むソノラの細腕だったが、横からにゅっと伸びた何本もの人骨の腕が、彼女とウィルの体を支える。
目を見開くソノラは、だがすぐに笑い、わらわらと群がる亡霊達と一緒に力を合わせた。

「っっ、せぇー……のっ!!」

『ドッセエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!!』

「おうっ?!」

「ブミュ!?」

一本釣りの要領で、小さな体が甲板へと飛び込んだ。
救出。




「……退いてもらいます!」

船首が大地を切って進み、大量な土砂が宙に巻き上がる。
地面を抉るけたたましい爆音が間断なく響き渡っていく。

船が向かう先は戦域を二等分する敵の境界線、そのど真ん中。
そして、霊界の王を従える死霊の女王。
此方を睨み付けるツェリーヌと視線を絡め、ヤードは自身の魔力をサモナイト石に注ぎ込んだ。

「無駄な足掻きを……! 砂棺の王ッ!」

『オォォオォオオオォオオオォォオオオオオォオォ!!』

耳を塞ぎたくなるような残響伴った咆哮が空へ昇った。怯えた悪魔達がその声によって身動きを止めた。
砂棺の王の眼前に収束される魔力光が最大の規模を見せる。
今にも臨界を突破しそうな光の渦が大気にスパークした。砂棺の王の周囲を飛んでいた怨霊達が残らず吸い寄せられ、悲鳴とともにその力場に喰われていく。

「構いません、肉体ごとあの者達の魂を消し去りなさい!」

ツェリーヌの腕が突き出され、号令が飛ぶ。
船が射程距離内に入った瞬間、砂棺の王が両手の牧杖を振り上げた。
閃光が散る。

『フッ!!』

しかし、その真際、海賊頭が操舵を破棄し飛び上がる。
空を高く飛んだ巨大な影は船を通り越し、砂棺の王の直上、敵の真上へと躍り出た。
腰から抜かれた二本のサーベルが、上空に銀色の光を散りばめる。

『!?』

『カアァッ!!』

銀閃が二度瞬いた。
『ホーンデッド船長』を見上げる格好をしていた王の体に、×の軌跡が走り抜ける。
硬直する砂棺の王から、斬り裂かれた傷に沿ってマナの粒子が勢いよく噴出していく。
やがて光の破片となって散らばっていく砂棺の王を背に、ホーンテッド船長も影のようにその場から姿を消した。

「なっ!?」

砂棺の王の送還とともに消滅する光の渦。
Sランクに相当する召喚獣が破られた。ツェリーヌは愕然と立ち尽くす。

そして、そうしている間にも、幽霊船は突進を続ける。

進路上に一人取り残されたツェリーヌがはっと気付いた時には、もう遅い。
その巨体で押し潰さんと、土砂の波を従えた船体が彼女に覆い被さろうとしていた。

「──────ッッ!!?」






「「「「行けぇええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」」」」






あっという間に幽霊船はツェリーヌと二匹の悪魔の居た場所を一過し。



「げえっ!?」

「ま、待チナサイッ、コノ機動ハ……!?」

「我々全員、効果範囲内……駄目です、諦めましょう」

「馬鹿を申すなぁ!!?」

「貴様等の指揮体系はどうなっているううううううううううううううううううううううううううううううううっ!!」

「た、隊長ー!? ……って、ビジュー! 貴様ぁー!? 何故既に避難しているー!?」

「なるほど、人型に拘らなくてもこんな風に戦艦に見立てれば、それはそれで味が……」

『少尉殿、その冷静さは一体どこから……』

「ヤンチャさーん……まるまるさん、ぶーぶーさんに抱き着かれてるのですー……」

「お前、案外目ざといな……」

『ヌゥ……!』

「みんなぁー!? いいから早く逃げてくださーいっ!!?」

『無色のみんなも気を付けてねー』

『流石イスラさんっ!! 気付いた時にはもういなくなっているぅ!』

『イスラさん、マジパナイっす!』

『俺達置いてかれちゃったぜえええええええええええぇぇぇぇぇぇ!!』

『『『『『『『ぐ、ぐああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!?』』』』』』』



次の瞬間、敵味方もとろも、吹っ飛んだ。



[3907] 13話(下)
Name: さもない◆5e3b2ec4 ID:9146c838
Date: 2011/02/12 07:12
「……!」

稲妻が落ちたような凄まじい音がヘイゼルのもとに届いた。
未だ地面に体を横たえる彼女は、目を剥いて音源の方へ目をやる。
膨大な土煙。視界の奥では砂塵が湯気のように広く舞って、あたかも火山の頂上にいるかのよう。
横向きになった視界の規模は狭い。全容が把握し切れなかった。
解毒剤を服用しても快方に向かわない体の状態に、厄介な毒をもらった、とヘイゼルは眉を歪める。

「『エンゼルキュア』」

どこからともなく細い声が落ちた瞬間、ヘイゼルは魔力の滴に包まれた。
突然の出来事に目を見張る彼女の上空を、羽を生やした小天使がさぁーと光の鱗粉とともに横切っていく。

「やほー。生きてるー?」

「……黒、猫」

ぱっとすぐ隣に現れた影にヘイゼルは呟いた。
イスラは、笑いながら彼女を見下ろす格好となっている。

「何を……」

「ぽつんと一人、さみしそぉ~に寝転がってたからさ、助けにきてあげたんだよ?」

感謝してよねー、と笑い続けるイスラ。
ヘイゼルは召喚術で解毒された体をふらつきながらも起こし、怪訝な目付きで少女と正対する。

「貴方、オルドレイク様の治療のために連れていかれたんじゃなかったの?」

「うん、そうだよ? ウィゼル様に無理矢理引っ張られて。回復系統のサモナイト石持ち合わせてなかったから、無駄足だったけど」

「……それは、何よ」

少女の手の中で輝く、紫紺の鉱石について言及する。
イスラはさっと石を握っている手を背中に隠した。にこにことする笑みは途切れていない。

「これは、ほら、あれだよ、向こうにいる召喚師の人達から借りたんだ」

「……」

言葉の正否をヘイゼルは問わなかった。
問い詰めたとしても、抜け抜けと嘘を吐くこの猫の返答は変わらないに決まっていて、何よりヘイゼルの胸中では答えが一点に固まっているからだ。
ヘイゼルは眉根を寄せ合わせる。ただ唯一、少女の秘める真意だけが知れなかった。

「ウィゼル様達の方に茨の君も行ったら? ツェリーヌ様はぎりぎりウィゼル様が助けたみたいだけど、ボロボロだしね」

「……」

「島の召喚獣達は、派閥の人達と一緒に私が引き受けといてあげるからさ」

言葉では説明できない不快感が募る。
自分の知らない所でいいようにこき使われているような、目の前の少女の手の平の上で踊っているような感覚。
この戦闘自体が、まるでイスラの思惑通りに運んでいるような気がしてならない。

「それとも、私との抜群の相性、召喚獣達に見せつけちゃう?」

「……ウィゼル様達のもとに行くわ」

「あははっ、フラれちゃったよ」

視線を切って背を向ける。
煽られていることは分かっていたが、言葉を真に受けてイスラと共闘するのはもっと気に食わなかった。
それに優先順位など最初から決まり切っている、先決すべきなのは間違ってもこの少女ではない。
雇い主達のもとにヘイゼルは駆け出そうとした。

「あっ、ついでに伝言も頼まれてよ」

「っ……何よ」

見切りをつけようとした矢先にこれだ。若干苛立ちながらもう一度振り向く。
最初から今まで全く変わっていない満面の笑顔……仮面のような笑みが、ヘイゼルに言葉を投げかける。

「もし召喚獣達を抑え切れなかったり……適格者が抜剣するような真似したら……私も“やる”って、そう伝えて」

「……」

目付きを鋭く保ったまま返答はせず、ヘイゼルは今度こそその場を後にした。




「じゃあ、お墨付きももらったようなものだし、行っこか?」

あっという間に小さくなるヘイゼルの背を見送り、イスラは虚空に向かって口を開いた。
それからすぐ、ズズッと隣の空間が渦を作り、その中から赤い人影が現れる。
『狐火の巫女』──ココノエと呼ばれる、イスラお気に入りの召喚獣が不可視の術を解除した。

「……」

「もう、本当に神経質だなぁ」

じっ、と仮面の奥でイスラを見つめてくるココノエの姿にイスラは笑う。
先程の押しつけがましい粗雑な対応を咎めるような雰囲気に、「不可抗力だって」とちっとも悪びれてない様子で手を振った。

「あの武器狂いのお爺さんに警戒されちゃったんだから、しょうがないじゃん。『保険だ』、なんて言って私のこと見張ってくるし」

渋い声を出して、それでも可愛らしさは抜け切れず。
本人に成り切れてない声真似を披露しながらイスラは言う。

「やむなく臨機応変に対応しましたー、とでも言わないと、これからやることにまた何か勘繰られちゃうよ」

どこか面白そうに肩を竦めるイスラに、何を行っても無駄だと悟ったのか、ココノエは無言のままそれまでの空気を霧散させた。
その代わりに、次には心配するような素振りでそっとイスラの側に身を寄せる。
地面から拳一つの間隔で宙を浮遊する召喚獣は、己の尻尾を包み込むように召喚主の肩に回す。

「……大丈夫だって。まだ平気だよ。…………うん、だって、まだ足掛かりすらなってないんだから」

回された尻尾に片目を細めながら、もう片方の目はとある方角を見やる。
土煙の向こうで微かに見える、慌てふためく白い背中。赤髪の女性。
儚げな雰囲気をがらりと一変させ、少女は仇を見るかのように彼女を睨み付ける。
そして最後に、海賊達と仲良く転がっている、一人の少年へと目を向けた。

「……時間も怪しくなってきた。もう邪魔される訳にいかない。そっち、頼んだよ?」

「……」

力を抜いた瞼が作り上げる、湖面のよう静謐な笑み。
その笑みを向けられたココノエはやはり無言のまま、仮面をはめた顔を俯ける。
イスラは従者のその態度にはもう触れず、前を向いて、黄昏の丘陵へ身を進めた。

「今度こそ最後まで付き合ってもらうよ、アティ」

地平線に沈みかける夕陽が、少女の貌を紅色に染めた。









然もないと  13話(下)「断罪の剣の独壇場」









「ぐぉおおお……っ!?」

「いったぁ~!」

「前触れ、なしに……消えちゃったわねぇ……! そ、ソノラ重いっ……!」

「す、すいません……最後まで持ちませんでした……」

「……ふぅ、死ぬかと思いましたね」

『こっちの台詞だ!?』

海賊船着弾地。
敵味方関係なしにその巨体で巻き込んだ亡霊戦は、今は跡形もなく姿を消失させていた。
境界線を豪快に粉砕した僅秒の間でちょうどヤードの魔力が底をつき、召喚術『突撃・幽霊船』の効果も切れたのだ。中途半端に敵(+味方)を蹴散らした足跡が残っている。
幽霊海賊達の暴れぶりの名残を示すように、ウィル達の頭上を紫色の粒子が舞っていく。

船がかき消えるのと一緒に甲板にいたウィル達も放り出され、慣性に従ってアティ達のもとへ飛び込む形をとった。無論、大地と熱烈な抱擁を交わす結果は避けられない。
折り重なって饅頭となっているカイル一家と、その上ですっかり落ち着きを取り戻した澄まし顔のウィルに、死相を貼りつけていたアティ達は「馬鹿者共が」と食ってかかる。

「ウィル君っ、今回は本当に冗談になっていませんでしたよ!?」

「もとより天然(せんせい)の冗談なんて、僕、聞きたくないです」

「何言っちゃってるんですか?!」

「真理」

「ちょっとぉ!?」

「────オイ、貴様等、癇に障る師弟漫才は止めろ。蜂の巣にするぞ」

(((((((こわっ……)))))))

憤怒という名の女傑(オニ)が顔をメラメラ燃え上がらせ二人の間に出現する。握り締められた剣が紫電の輝きに飢えている。
ウィル達に何か言おうとしていたキュウマ達被害者の会は、顔を怯えに変えてその場で足を縫い止めた。
師弟コンビは仲良く条件反射で身を竦ませる。ウィルはさっと目を逸らし、アティに限っては「何で私までぇ…」ともはや半泣きだった。

「戦術の原則とやかく以前に、常識というものがないのか貴様等は、ええ?」

「あ、アズリア、アズリアっ! 冤罪っ、わたし、冤罪……っ!?」

「…………拙者は、指示に従わないと単位落とすぞと、教官殿に脅されて……」

「ウィル君本気で私怒りますよっ!!?」

泣き縋るような顔から一転、ずずいっと柳眉を逆立てウィルの眼前まで詰め寄るアティ。
目端に涙を溜める童顔の迫力に、ウィルは「臨界見誤った…」と汗をかきながら再び視線を横に逸らした。
鼻と鼻の先がくっつきそうなそんな二人の顔を、むくれたマルルゥが割り込んで引き剥がし、続いて目尻を尖らせるソノラと外見上は冷静そうなクノンが体を入れる。

「はいはいっ離れてぇー」

「なのです~っっ」

「ソ、ソノラ……? マルルゥ?」

「ウィル、まだ我々は交戦中です。夫婦漫才はこの後私とやりましょう」

「クノンおかしい、それはおかしい……!」

出遅れた鎧があたふたと体を左右に振っていた。

「……アズリア、ここは一旦堪えて頂戴。クノンの言う通り、まだ戦闘は終わってないわ」

「いたずらに時間の浪費するのも馬鹿馬鹿しいじゃろ? ことがことだけに、尚更の」

「……くっ、分かった」

年長者を思わせるアルディラとミスミの貫録に、アズリアも自分の短慮を反省しながら引き下がる。
後で覚えてろよ的な視線に、ウィルはさっとアティの後ろに隠れた。非難がましい目を背後に向ける赤髪教師。

「取りあえず被害状況ね……クノン」

「ヤッファ様とフレイズ様が船体に巻き込まれ完全に再起不能。後は、ギャレオ様も……」

「私を庇って、意識を失っている……」

ゴロゴロ転がっている大男達。

「ヤード達が助かったんです、少ない犠牲には多少目を瞑るべきですね」

「瞑っちゃダメですよ!?」

「ええい、もうお主らは口を閉じて大人しくしておけっ。それで、ヤード達の方は?」

「あたしはまだ平気だけど、アニキ達が……」

ソノラの心配げな目を向ける所、カイル達は消耗の色を滲ませて、各々が楽な姿勢を取っている。
魔力切れのヤードはもう十分な戦力に数えられず、スカーレルもドーピングをしたからといって本調子とまではいかない。カイルは強行突破した際の傷と疲労によるツケが溜まっていた。
比較的無傷の後衛組に対して、前衛組の被害が目立つ。

「最前線に立てるのは……私とファリエル様、後は強要という形になってしまいますが、ヴァルゼルドくらいですね」

『本機は近接戦闘の戦闘プログラムも組み込まれているので、装備さえ換装すれば、問題ありません』

「おい。無色の野郎ども、部隊を再編成してるみてえだぞ。イスラがまとめてる」

「……相手の方が被害は大きいと思うけど……もし召喚術のスペアがあるとすると、不味いわね」

ビジュの簡潔な偵察内容に、アルディラは未だ立ち昇っている土煙の奥をきっと見据える。
召喚した悪魔達がいくら傷付いて使い物にならなくなっても、予備のサモナイト石があれば無傷の召喚獣を新たに喚び出せるのだ。
代わりとなる戦力がいないアティ達にとっては、どうしても形勢不利となる。

(撤退、してもいいけど……結局問題の先送りだしな)

仲間達の会話に耳を傾けながらウィルは思索する。
頭目も含め敵には少なくない痛手を与えた、態勢を立て直し後日改め仕切り直すのも決して愚策ではない。むしろ安全を取るならそれが一番だ。
が、今日戦場となっているのは自分達の島(ホーム)なのだ。何をしでかすか分からない連中だからこそ、楽観的な推測はもとより悠長なことは言ってられない。かえって追い詰められたことで残虐な行為にひた走る可能性もある。
パナシェを始めとした島の召喚獣達はみな怯えている。一日も早い根本的解決が求められている。

(でもみんなの言う通り旗色は悪いし……いやぁ、ままならん)

いつだってこんな筈じゃないことばっかりだよ、と心の中でぼやく。
決して海賊船の「みんなまとめてサプライズボンバー」は自分のせいではないと言い訳をしてみる。
ツェリーヌという強大な敵を相手にしていたヤードに、コントロール云々を責めるのもまたお門違いなのだが。

「……相手の召喚師を、なんとかしましょう」

「ウィル君……」

ウィルの開口に、みながそちらに振り返った。

「確かに、使役もとである召喚師達を何とかすれば、僕となっている悪魔達も連鎖的に無効化されます」

「あっ、なるほど……」

「……まぁ、妥当よね。それが最も有効的。けど、敵もそれは承知済みの筈よ、必ず召喚師達の護衛を固めてくるわ」

ファリエルの説明を肯定しつつも、アルディラは注意点を喚起させる。
悪魔達の使役のみに回り無防備な様を晒していることで、むしろ召喚師達は防衛には万全な陣を敷いている筈だ。
派閥の陣形を現在支えているのも彼等他ならないのだから、敵全体でカバーしてくるに違いない。

「どうする気、ウィル?」

「…………」

アルディラの問いかけに、ウィルは答えない。
ただそれは返答を用意していないからではなく、今から起きることに対しての憂慮が絶えず襲ってきて、彼から余裕を奪っているからだ。
若干、というかかなり顔色を悪くさせながら、ウィルはある方向を向く。
口をへの字に曲げて重くなる足を引きずりながら、やがて、その人物の前に立った。

「……何だ」

「……」

腕を組み、憮然と己を見下ろしてくる、アズリア・レヴィノスその人。
此方に対する不満という不満が高まっているのか、抱く反感を隠さないで睨みを利かせている。
ウィルはギチギチと鳴り始める体内の内臓系に嘆きながら、ちょこんと頭を下げた。

「協力、してください」













(────────)

は? と。
無色の召喚兵は頭の中を半ば真っ白にしながら、そう思った。

鼓膜を打ち据える轟音。閃光。爆発。
連発される召喚術。相手陣地から景気良く放たれる種々雑多な攻撃が、次々と味方に襲いかかってくる。
地面を抉り、岩を砕き、丘陵全体を震わせる射撃群はもはや隕石の雨のようだ。
それほどまで凄まじい火力だった。

だが、彼はそのことに思考を停止しかけているのではない。
その眼球が釘付けにされているのは、影だ。
雨あられと注ぐ召喚術の間を縫うようにして“進撃”を行う、あの二つの影だ。

(────────)

細身の影と小柄な影。番のように前後に連れ添う二人組。
軍服を纏う女性軍人と、その背後に控える少年が、戦場のド真ん中を突っ切ってきっていった。
そう、突っ切っているのだ。
襲いかかる悪魔達を、立ち塞がる数の暴力を、“ことごとく蹴散らして”突き進んでいる。

(え、ちょ、なんっ────)

今にも、空から飛びかかった三匹の悪魔が返り討ちにあう。
後手の立場を覆す『先制』の突きに、その速度にも劣らない出鱈目な召喚術、とどめには動きをぴったりシンクロさせた同時攻撃。一瞬で三つの影が撃墜された。
余りの戦闘能力──圧倒的過ぎる連携に、召喚師は呼吸することを忘れる。

(あ、頭、おかしっ────)

その二人組──奴等は、砂塵が晴れ出して視界が確保できるようになった頃、唐突に現れた。
味方の召喚術(えんご)を肩に背負い、夕暮れの光を浴び黄金に輝く土煙を纏いながら、大胆無謀にも突撃を仕掛けてきたのだ。
当然、悪魔達はその獲物に群がった。空を飛ぶことで召喚術をかい潜った異形達は、その二つの影をまとめて串刺しにせんと、槍の矛を四方八方から突き出した。

刹那、悪魔達は宙を舞うことになる。

少年が速攻の召喚術で攻撃をカウンターした後、鬼のような戦闘能力を誇る女傑が踊り狂ったのだ。
憑依召喚でも施されていたのか、何の冗談かと問いたくなるほど悪魔達は千切られては投げ飛ばされていった。
派閥兵が全員目を点にする中、奴等は悪鬼のごとき蹂躙を働き、そして今に至るまで、怯える悪魔と狼狽える兵士をねじ伏せていっている。

相手の後続から放たれる強烈な召喚術に、少なからぬダメージを受けていることもある。
度重なる爆発によって足止めされ、敵二人に襲いかかれる組が限定されていることもある。
奴等の他にも攻め入ってくる召喚獣達によって、此方の連携行動が存分に発揮されていないことも、ある。
しかし、それを差し引いても。
あの大小女男異彩ペアの戦闘力は、途方もなかった。というか、おかしかった。
人為的な厄災(あらし)がそこにはあった。極めて、凶悪な。

(あ、れ、みんな、どこ────)

既に召喚師が何人か屠られていた。動ける悪魔の数が明らかに減少している。
奴等は此方の急所をピンポイントで狙ってきていた。
邪魔する者は例外なく即殺だ。また一匹、視界の中で哀れな悪魔が断末魔を上げて葬られる。
遠距離攻撃ができないのが痛い、痛過ぎる。召喚術による援護も迎撃も悪魔達を使役しているこの状態では不可能だ。
己の手で自分達の首を絞めていたことに、召喚師は遅まきながら理解する。

(あ゛────)

目が、合った。
まるで鷹の目のような、女の鋭い切れ目がこの体を射抜いた。殺気的な意味で。
次ハ貴様ダ、とそう死刑宣告された。
奴等の進路が反転する。

(ああぁあぁぁああああぁああぁあああああああぁあぁぁぁぁ────)

進撃する。
剣姫が、小さな従者を引き連れ、突っ込んでくる。
理性の金具が吹っ飛んだ絶叫を心の中で散らしながら、彼の瞳孔は一気に狭まった。
終わりの始まりがスタートする。

(とめっ、止めぇっ、止めぇぇぇぇぇぇぇぇ────)

願いが通じたのか、大剣兵が奴等の前に立ち塞がった。
超重量の鎧を装備し攻守に殊更秀でた、屈強な兵士だ。その顔は既に死地に赴いた戦士のそれだった。
そして召喚師も反射的にサモナイト石を取り出した。使役する悪魔達を送還して、迎撃のための召喚術を準備する。
こんなもんもう操ってる場合か。目先のアレを潰さないと、不味い……!

召喚師のサモナイト石が発光する。奴等は全く速度を緩めない。
大剣兵の巨岩をも砕く超鉄塊が振り上げられる。奴等は全く気にしない。
じれったく思える震えた声が詠唱を組み上げていく。奴等の得物が動き出す。
大剣兵の決死の斬撃が女傑へと放たれる。前に、少年の投げた砂が兵士の目を潰す。汚ねえ。
背に溜められていた剣姫の右腕がぶれる。紫電が咲き誇った。

「──────ぁ゛」

(──────ぁぁ)

死んだ。
派閥兵の中でも屈指の実力を持つ男が、散った。
呻き声とも取れぬか細い声を残して、鎧バラバラにされながら大地に沈む。
ていうか、アレ、重装。普通の武器(けん)が蜂の巣にしていいもんじゃない。ウィゼル様いらねーじゃん。
夕暮れの視界の中、理不尽が満ち満ちる。中身が空っぽな小声が思わず漏れた。

(って、#$%&$$%#$%&#%$#$%&────!?!?)

迫っていた。
奴等が、もう数秒もかけないで辿り着く距離まで肉薄していた。
リィンバウムには早過ぎる言語を駆使して召喚兵は叫び散らす。均衡を失った精神が粉砕した。
そして死の淵に立たされた召喚師は限界を越えた。奇声を編みながら、術をギリギリの所で完成させてみせる。
────やった!
DEAD ENDに全力で抗おうと、手持ち最強の召喚術を奴等へ解き放とうとする。

「ほい」

が、少年の手から撃ち出された投具が、サモナイト石にクリティカルヒット。
ペキッ、と情けない音を立てて、発光していた石がど真ん中から砕け散った。

「────」

息をつく暇もなく、剣を高々と振り上げた影(シルエット)が、召喚師の体を覆い尽くす。



「足掻くな」



────ゴメンナサイ。
股間が収縮。キュウ、と切ない音が鳴る。
反射的に謝ってしまった言葉を最後に、召喚師は剣の餌食となった。
斬殺。




余談。
この戦乱後、島流しに放り出され漂流、とある宿場町に職にありつき無職でなくなった派閥召喚師Aは語る。
「奴等と再戦臨むくらいなら俺は無色に殴り込みへ行くのも厭わない」。
緑と黒のパーソナルカラーは以後彼の恐怖の象徴となった。然もあらん。













「何さ、アレ……」

イスラはげんなりとした顔で呟いた。
砂塵を巻き起こす暴走列車のごとき二人組を瞳の中に映し、それから少し間を置いて、徐々に半目を作る。

「もうっ、本当に節操がないなあっ」

その言葉が向かう先の少年は、イスラの実姉とぴったりと息を合わせている。
まるで長年付き添ってきたパートナーのように、彼女を後ろからサポートしていた。
姉(アズリア)のことなら何でも知っていると、あたかもそう言うかのように。
目が段々と尖っていき、自制していた感情が再燃し出す。

(……ていうかさぁ! お姉ちゃんもだよ!)

また一方の姉の様子も、イスラの心のささくれに一役買っていた。
遠目からでも分かる。今、姉はご機嫌だ。
戦いの最中ゆえに引き締まった精悍な表情こそしているが、血を分けたイスラには瞭然だ。アズリアは、存分に己の力を発揮できるウィルとの連携に喜びを見出している。
類まれのない相棒を得てここぞと高揚していた。

(うわー! うわーっ!)

ついこの間までは、自分の前でタヌキタヌキと罵ってばかりだったくせに。
少年とこれ見よがしに連携(なかよく)する姉が気に食わない。
姉にまで手を出して、しかも自分の知らない彼女のことまで何故か知っていて。
自分から姉を掠め取るような真似をしている少年が気に食わない。
イスラは二つの意味で、アズリアとウィル、両者へ嫉妬した。

(……うぎーっ!)

それに加え、二人の愛(:一方的妄想)の力が自分の指示した陣形──悪魔の軍勢を容易く撃ち破っているのだ。
あんな訳の分からないものにゴリ押しで力負けしては、参謀したイスラの立つ瀬がない。腹も立つ。
自分がことごとく負けているようなそんな敗北感が発生し、イスラはその場で地団駄を踏みそうになった。

(………………ん)

だがすぐに、幼児化に走っていた感情は鳴りをひそめた。

「何やってんだろ……」

むくれていた顔は消え、一瞬寂しそうな眼差しを覗かせる。
着実にイスラのもとへ近付き始めているアズリアとウィルをじっと見て、やがて名残りを払うように視線を切った。
視界から二人の姿を消し、前を向く。

(未練とかさ……もう止めてよね)

さっきまでの自分のことを顧みて、そんなことを呟く。
爆発の音と響く戦声を聞く訳でもなく耳にして、さくさくと芝生の上を歩む。
少し早足になったことに気付かないまま、イスラはアズリア達から遠ざかっていった。

「あー、女々しい女々しい」

両目を瞑りながら声を出す。
ゆっくりと瞼が開く頃には感慨は捨て去って、顔を無貌で飾った。
海の方角からやってくる微風と、押し寄せてくる爆発の余波に髪を流されながら、イスラは機械的に靴を鳴らしていく。

「……見っけ」

驚くほど冷たい音をぽつりと落とし、イスラは己の目的へ進路を取った。
────振ルエ、と。
自分の最も深い所から湧き出てくるその紅の囁きを聞きながら、イスラは静かに唇を吊り上げていた。

「うるさい。私に指図するな」













アズリアはノっていった。
自分の背に翼でも生えているかのように、戦域を自由に動き、行動することができる。
すぐ後ろからの援護により防御や回避に気を使わずに済み、視野が自分でも驚いてしまうほど広い。
この島に上陸して以来、己の力をここまで引き出せたのは今日が初めてだった。度重なる戦闘から来るストレスが皆無なのだ。清々しさすらある。
体の隅々から滲み出る全能感。今ならば己に敗走はあり得ないと、そんな確信に近い予感すら抱ける。
アズリアは高まる感情に突き動かされながら剣を振るっていた。

(まさか、ここまで……)

ちら、と小さく目を背後に飛ばす。
離れ過ぎず近過ぎず、アズリアの動きを阻害しない最適な位置取りでウィルが続いてくる。

アズリアが最大限の力を発揮できているのはウィルのおかげだ。この少年がアズリアの仇為す者全てを受け持ち時には排除することで、彼女は目の前の敵に100%集中できる。
攻撃の間隙に行われる援護も絶妙だった。アズリアの一挙一動を掌握しているかのように、全ての行為が彼女の動きと絡み合って相乗効果を生む。
アズリアはウィルのことを合切も気にかけない、一方的な支援を受けるだけの関係。「持ちつ持たれつ」という言葉の意味とは遠くかけ離れた連携だ。
にも関わらず。
はっきり言ってしまって、敵無しだった。

最初にコンビを組んでくれと言われた時は「何を馬鹿な」と耳を疑ったアズリアだったが、蓋を開けてみれば、すぐにウィルの判断が正しいことを思い知らされた。
そもそも、アズリア自身、自分がこうまで戦場を蹂躙できるなど思いもよらなかったくらいだ。
自分との連携にその効果を見出していた少年の眼識は、一体どれほどのものなのか。

(認めるざるを得ない、か……)

つい先日まで辛酸を嘗めさせてくれたウィルへの歪んだ見解を払拭できずとも。
その能力を、洞察力を。
感情が確かに興奮している事実を。
背中を預けられる存在として、ウィルを頼もしいと感じている心の動きを、アズリアは認めざるを得なかった。

「ふん……」

迫る悪魔を薙ぎ払う。
剣が振り切られた直後の彼女の顔には、淡い笑みが浮かべられていた。
すぐに口を真一文字に引き締め、それも瞬く間に消えてしまったが。

それから足を止めずに前進を続けながら。
アズリアは仲間と接する同じ心持ちで、自分の背後に声をかけた。

「おい、狸」






「おい、狸」

ふぇ? とウィルは心の中で生気に欠けた声を返した。
胃薬の瓶を片手にほんのり顔色を悪くしている少年は、活動限界がそろそろ間近に迫っている。
腹に手をやり、「まだヤレル!」と歯を食い縛っている己の内臓に熱い涙を流しながら、ウィルはその凛とした後ろ姿を見た。

「何かあったんですか?」

とういうかアズリアにその名前で呼ばれるのも新鮮だな、と取りとめないことを考えつつ。
ウィルはアズリアの言葉を待つ。

「このままあの娘のもとまで進んで、構わんな?」

「……」

その呼びかけに、一旦黙りこくる。
……白状してしまうと、もう保険といえる保険は残っていない。
海賊船特攻(とっておき)も使ってしまい、もう奇策というような手札はウィルの手元にはなかった。
いくらアズリアとのペアを組んでいたとしても、無策で『爆弾』を抱えるイスラに立ち向かうのは、怖いものがある。

(……いや、堂々巡りか)

けれど結局、答えが行き着く所は以前に思案した通り、早いか遅いかという違いだけだ。
イスラとの対決は避けられない。いや、決着をつける必要があるのだ。
島の事情という点でも、彼女自身の問題という点でも。

せめて万全の状態で臨みたいというのがウィルの唯一の希望だが、予断を許さないこの状況では贅沢も言ってられない。
それに苦情を言い散らす理性を横に置いておくと、あの天然な彼女のためにも、イスラの相手は自分が引き受けたいという心情が顔を出す。心に刻み付いている女性の味方精神は健在だった。
蛮勇であろうと、この破竹の勢いに乗ってしまうのも一つの手か。
ウィルは勘案を重ね判断を進める。

(『剣』には……繋がってる)

パキ、と今は小さくなった自分の右手を鳴らす。
「遺跡」の件のような大ポカをやらかした前科があるので、不安がないといえば嘘になるのだが──『喚べる』。
軽く吐息をついて、ウィルは眦を決した。
いかなる対処も働けるように、イスラは自分の目の前に置いておいた方がいい。ウィルは生じる利害を束の間に判断して、アズリアの気勢を押してやることにした。

「ええ、構いません、行きましょう。ただ言っときますけど、ガチ戦闘は任せっきりにしますから」

「もとより加勢を許すつもりはない!」

虎のような咆哮をしてアズリアは加速する。
あー頼もしい、と女傑が味方になった力強さを胃の呻き声と一緒に噛み締めながら、ウィルは彼女の背中を追った。

投槍のような進攻が戦場を貫いていく間も、立ちはだかる敵を撃破する。
ウィルはアズリアのサポートと平行しながら手持ちの装備を最後に確認。
ウィゼルとの戦闘で放棄した「ラグレスセイバー」に代わり、ファリエルから貰った片手剣の「晶霊剣」。投具の「苦無」は残弾四、今一つ使ってあと三つ。サモナイト石はアルディラから譲り受けたもののみ。
ラスボスを相手にするのは心もとない懐の具合だが、今は紫電の神様がいる。後は自分の手綱捌き一つだ。
腰に縋りついているテコの頭を軽く撫で、ウィルは視線の先にいるイスラをきっと見据えた。

「はぁッ!」

「あぎっ!?」

最後の派閥召喚師をアズリアが切り捨たことで、活動していた悪魔は動きを止めた。召喚師が息絶えれば元の世界に還れなくなる召喚獣達は、余計な刺激をするような真似はせず大人しくなる。
派閥兵が未だアティ達と抵抗を続けているが、ウィル達にとってはそれはもう後方に置いてきたものに過ぎない。
彼等の視界に残る者は既にイスラただ一人。

「イスラ!!」

歩数にして約十歩の距離を残し、アズリアは止まる。相対するイスラに向かって剣を正眼に構えた。
イスラは無手のまま立ち通し、じっと此方を見つめ返している
ウィルは「剣」の魔力の発生有無に意識の大半を割きながら、いつでも行動を起こせるようにサモナイト石を手にした。

「っ」

「……アズリア?」

ぴくり、とアズリアの肩が震えた。
動揺が空気を通して伝わる。ウィルは自然と口を開き、目の前の背中に疑問を投げた。

「……がう」

「えっ?」

「……違うっ、あの娘じゃないっ!」

何を言っているのか、と心の中で戸惑いが生まれるより先に。
直感が予感めいた答えを弾き出した。
ざわっ、と全身の毛が逆立つ。顔面の皮膚が硬直した。
それを見て、“イスラ”は眉尾を下げて悲しそうな顔をする。

「!?」

少女の体を火と術符が取り巻き、変化が訪れるより前に。ウィルは背後を振り返った。
戦場の奥、遥か奥、そのもっと奥、味方自陣の最後尾。
砂煙がまだ晴れ切っていない丘陵に、赤い髪と、黒い髪の少女の立ち姿を見た。

「先生!?」













「イスラさん……!?」

「やぁ、アティ」

アティは目の前に現れた少女に瞳を見開いた。
いつの間にか、どこからともなく現れたイスラは、目を細めて冷たい光を差し向けている。

「どうして……」

「どうやってお姉ちゃん達を出し抜いてきたかって? 簡単だよ、お姉ちゃん達は“私じゃない私”に夢中だったんだから、後はこっそり足を忍ばせるだけ」

ココノエを身代わりにしたと、昨夜嵌められたアティはすぐに見当がついた。
無色の残存勢力とアルディラ達がしのぎを削り合っている今、アティ達の状況に気付く者は誰もいない。
緊張した面持ちをするアティに、イスラは酷薄な笑みを晒し続ける。

「私が君の前にのこのこ出てきた理由、分かってる?」

「……」

「だんまり? それとも本当に分かってない? まぁ、どっちでもいいや。教えてあげる……君を殺すためだよ」

「っ!」

イスラの瞳が怪しく光っている。
粘ついた情念が貼り付いている眼光を、息を呑むアティだけに注いだ。

「『剣』を持ってる君が、無色(わたしたち)にとって一番邪魔だって理由もあるんだけどさ……でも私自身にとっても、君は特別なんだよ。特別、憎らしい」

イスラとアティの空間だけが切り取られたかのように。
周囲の喧騒が、遠くに聞こえる。

「アティ、知ってた? 私は君のこと殺したくて殺したくて、殺したくて堪らなかったことを」

「……!」

「最初に会った時からそうだった。私達二人が“特別な”関係を持った後からじゃない、あの船の上で出くわした時から、私は君が気に入らなかった」

何を言っているのか理解できない所もあったが、半分は分かった。
帝国領の工船都市パスティスを出港したあの日。ウィルと一緒に乗った船の上で、アティとイスラは一度会っている。
日に濡れた甲板で、二人きりで視線を交わし合っていた。

「理由なんて特になかったよ。ただ見た瞬間から気に食わなかった。嫌悪って言うのかな、私はこの人だけとは絶対に相成れないなって、分かっちゃったんだ」

アティが口を開けずにいる中、イスラは淡々と語り続ける。

「……で、やっぱりその通りだった」

笑う。

「吐き気がしたよ。君がやることなすことも、口から出る甘っちょろいことも……いつも顔に貼り付けている、その嘘臭い笑みも」

「!!」

アティの体が震える。
急所に打ち込まれた言葉が心臓を一際高く打ち鳴らした。

「気に食わない、気に食わない。全部全部気に食わない。……だから決めてたんだよ、私。私を縛り付ける都合なんかとは関係なく、君だけは壊してやるって」

「あな、たは……」

「奪って、踏みにじって、君から全てを取り上げて絶望のどん底に叩き落としてやるって。君のほざいてた綺麗事は全部間違いだったって大声で笑ってあげて、ぼろぼろに壊してやるって」

言葉が狂気に取り付かれていく。
井戸の底から這い昇ってきたような暗くしめった空気を、目の前の少女は身に纏う。
そんな中で唯一、瞳だけが爛々と輝いていた。

「待ってたよ……待っていた。君と殺し合って、どちらか一方が死ぬまで、剣を振るい続けることを」

「……私、はっ」

「『そんなことしない』、って?」

言葉の先を越される。

「無理だよ」

少女の顔が俯く。
表情が消えた。

「もう、無理。言ったじゃない、待てないって。我慢できないんだよ、私は」

「……っ」

「アティがいくら嫌がったって、私が許さない。逃がさない。殺し合う以外できないように…………追い込んであげる」

瞬間、イスラは腕を振り上げる。
一緒に持ち上げられた顔が、凶気に歪んだ笑みを描いていた。
すぐさま、アティに向かって突き出された人差し指がおぞましい光を放つ。

「────ぁ」

紅い光。
そして低く甲高い音響。
瞳を焼かれ、矛盾した耳鳴りが巻き起こった瞬間、アティの中で力の源泉が膨れ上がった。

「ッッ!?」

抜剣召喚。
碧の輝きが立ち昇った。周囲を照らす強烈な光の後、白の異形と化したアティは呆然とする。
迸る魔力。漲る活気。移り変わった瞳の色。
自分の意思を離れて、また、「剣」が現れた。

『!?』

「アティ!?」

周囲の者達がようやく事態に気付く。
莫大な魔力の発生に従って、その場にいる全員がアティ達の方を振り向いた。
アルディラの叫びが飛ぶ。

「何でっ……!」

「くっ、はははははっ……あっはははははっ……!!」

アティが自分の体を見下ろす一方で、イスラは笑い声を上げた。
今まで溜め込んできた何かが抑え切れなくなったように、剥き出しの感情を漏らしていく。
聞く者の耳を疑わせる、倒錯した喜びだ。

「…………これで、やっと」

俯いて表情が前髪に隠れる中、小さな唇が何かを呟いた。
アティの耳がそれを聞き取れずにいると、イスラはすぐに顔を上げる。
貼り付いているのは、歪な微笑み。

「あははっ、困っちゃうなぁ……アティが殺す気満々で襲いかかったら、今の私なんてすぐにやられちゃうよ」

「ち、違いますっ! 私は『剣』を喚んでなんかっ……!?」

うろたえるアティを見て、おかしそうに口元を揺すりながら、イスラは顔の半分を左手で覆った。

「これじゃあ、しょうがないよね?」

「──────」

細い細い、指の隙間。
触れれば折れてしまいそうな繊細な指の間から。

「私も、本気にならなきゃ」

血のように真っ赤な瞳が、輝いていた。


「さぁ、殺ろう」


暴君が降臨した。













誰もが言葉を失った。


「くっ、ふふっ、あっははははははは……!!」


その紅の光を見て。
禍々しい紅い「剣」を見て。
もう一人の白の異形を見て。


「アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!!!」


紅く染まる、瞳を見て。
誰もが発する言葉を奪われた。

「やっぱりさあっ、いいよねえ!? 圧倒的な力ってヤツはッ!!」

狂喜に満ち溢れた異形は哄笑する。
醜く曲がった口を一層吊り上げて、イスラは、純粋な歓喜を解き放つ。

病的なまでに、異常なまでに白い肌。髪。
角のように頭から生えた二本の突起。
首にかけていたペンダントはばらばらに分解され、彼女の背で環状のパーツとなっている。
そして、紅の妖刀──『紅の暴君(キルスレス)』が、脈打つように定期的に不気味な光を放ちながら、細い右腕と一体化していた。

「これだけで自分は何だってできると思えちゃうんだからッ!」

もう一振りの『剣』の担い手は魔力の嵐を巻き起こす。肉眼でもはっきりと確認できるほどの濃密な魔力が、暁の丘に溢れ返っていった。
──二人の“特別な”関係──適格者──残された封印の剣──碧の賢帝ともう一対──紅の暴君──。
──海で起こった嵐──「継承」の産物──自分が選ばれる前に「剣」を手にしていたのは──。
唖然と立ち尽くすアティの脳裏にそれらの言葉が過っていく。
バラバラのピースが全て組み合わさり、絶対的な現実をアティの目の前に叩きつけた。

「そりゃ絵空事も言いたくなるよねッ! こんな力を持ってたらさぁ!」

腰まで伸びた白髪を手でばっと払いながら、イスラは真っ直ぐアティのもとへ進む。
その碧の瞳を大きく開いている彼女との距離を、大股で迷いなく詰めていった。
アティは動かない。動けない。
現実を受け止める時間が圧倒的に足りない。

「────クッ」

そんなアティの姿にイスラは笑みを深め、直後、踏み切った足で一気に地面を蹴り砕いた。

「ッ!?」

「踊ってもらうよ、アティ!!」

────私とッッ!
そう言い放ったイスラは、間合いを喰らい容赦なくキルスレスを振るった。
魔力光を伴った右上段からの袈裟斬りを、アティは咄嗟に剣を掲げ防御する。
そして刀身と刀身が触れ合ったその瞬間、ゴウッと、爆発といって相違ない衝撃波が生まれた。
強大な魔力の反発が大気を絶叫させる。遠く離れているにも関わらず、押し寄せてくる風と魔力の遠吠えにアルディラ達は体を仰け反らせた。

「あっはははははははははははははははははっっ!!」

「なぁっ……!?」

力任せに振るわれる「剣」が縦横無尽に駆け回る。
殺到する剣撃にアティは何とかシャルトスを打ち合わせ、またその度に魔力が渦を巻いた。
まるで大槌を振るっているかのような膨大な圧力と風切り音。細身の刀身から生まれる現象全てが人知を越えていた。
今まで味わったことのない速度と破壊力に、アティの瞳の奥が切迫に満ちる。

「ほら、ほら、ほらァ!!」

「う、ぁ……!?」

紅の軌跡が引かれる度に碧の閃光が散る。
一太刀浴びせるごとに狂ったような爆音が響き渡る。
紅の光が、碧の光を侵食していく。

「アティ、どうしたの!?」

「っっ!?」

「守るんじゃないの!? みんなの笑顔を、守りたいんじゃなかったの!?」

「……!!」

「このままじゃあ、私が壊しちゃうよ!? 君が大切だっていうもの、全部まとめて、私が消しちゃうよ!? あはっ、アハハハハハハハハッ!!」

凶笑が飛び、大気が戦く。
イスラが振るうのは純粋な暴力、それだけだ。
生身の彼女が誇っていた剣舞の面影など存在しない。
「剣」を上げ、叩きつける。それだけで敵を圧倒できる力を少女は手に入れていた。
砕けよと言わんばかりの剛剣が、構えた「剣」ごとアティを地面に押し付ける。

砕け散る瀑布のように飛散していく光の粒子。余波で地盤は捲れあがり、近場に転がっている大岩にも亀裂が生じる。
現実離れした光景に見る者達は心を手放してしまう。逆らえない力の波動に身も心も活動を停止して、瞠目する双眸の中に例外なく畏怖を映す。
リミッターの壊れた「剣」の力が、真っ白になった頭の中に刻み付けられた。思考が儘ならない。

暴君が作る惨禍に誰もが動けなかった。
時間が恐ろしく遅い速度で流れていき、僅か寸秒の間を無限と錯覚する。
隔絶された遥か別世界の中。
その場で動けたのは渦中に身を置くアティ達と、




「『ボルツショック』!」

「「!?」」




ウィルだけだった。


「離れてください、先生ッ!!」


アルディラ達が「剣」の魔力に呑み込まれる中、ウィルだけが行動を起こしていた。
誰よりも「剣」に耐性がある『彼』は、今も疾走を続けながら、後先考えず魔力をありったけ注ぎ込んで「エレキメデス」を行使する。
幾条もの電撃がアティとイスラの間に割って入り、放電、二人の瞳を一時的に焼く。イスラの攻撃がひるんだ。
更にイスラにのみ電撃の束が絡み付き、アティから離そうとする。

「……ふふっ、ほらっ、やっぱり邪魔してきたあァッ!!」

キルスレスを一薙ぎ。
それだけでイスラを襲う雷の幕は飴細工のように吹き飛んだ。
口を裂くように吊り上げたイスラは、向かってくるウィルをギラギラした紅眼で睨みつける。

「ウィル君っ!?」

「離れろっちゅーうにっ!!」

「ミャーミャーッ!!」

「テ、テコ?!」

棒立ちとなるアティを、テコが思い切りぶつかることでイスラから突き放した。
彼女が仰天する間にもウィルは距離を埋め、イスラの注意を自分のもとへと引き付ける。

「エレキメデス!」

『VOOOOOOOOOOOOOOO!!』

連続行使。
ウィルの魔力を食らい宙に浮かぶエレキメデスが咆哮する。
最大出力の雷撃が、網目状となってイスラへ突進した。

「そんなのっっ!!」

大気中を蛇のごとく這いずり駆ける電流の網に、イスラは空いている左手を突き出した。
薄い紅の力場が掌に形成されスパークを抑え込む。笑みさえ浮かべてイスラは電撃の一つを掴み上げ、次には握り潰してみせた。
「剣」を用いるまでもない。嘲笑を浮かべるイスラは奥にいるウィルに目を細め────次には目を見開いた。

眼前に、投具。

召喚術は囮だ。
激しい雷光と幾重もの電撃で目眩まし。視界情報を狭め、一瞬の虚を突いた。
魔力障壁を迂回する角度で黒鉄の苦無がイスラの瞳に迫っている。
出し抜けの光景に、紅の虹彩が動揺に揺れた瞬間、

グシャッ、と。

苦無の穂先が眼球に飲み込まれ、イスラの頭が跳ねる。その光景にアティ達はみな息を呑んだ。
一秒、二秒、三秒。
時が止まったように辺りが静寂に満ちる。
そして、



「やってくれるね、ウィル」



「っっ!?」

ぐるりと。
頭を回転させるイスラは投具が突き刺さったままウィルを見た。
貫通した瞳孔から血の涙を止めどなく流す彼女は、軽い動作で、苦無を掴み引き抜く。
風穴の空いた瞳。
ごっそりと中心が潰れた眼球はしかし、紅い光が包み込んだかと思うと、肉が埋まるように穴がズクズクと塞がっていく。ソノラが、震える手で口元を押さえた。
何事もなかったように傷を完治させたイスラは、左手に持った投具をくるくると玩び、口を吊り上げて笑い、疾駆。

「!? ────『ベズソウ』!!」

どんっと小爆破を起こし紅い弾丸となるイスラを、ウィルは高速召喚で迎撃。
サークルエッジを胴体に装備した中型機体が彼我の直線状に召喚される。
『ギヤ・ブルース』。
高速運転する回転刃が対象を切り刻もうと翻る。
イスラは臆することなく前進を続行し、「剣」を肩に構え、振り下ろした。

『GI、gsh……ッ!?』

「アッハハハハハッ……邪魔ぁっ!!」

飛び散るスパーク。凄まじい金属の切削音が鳴り響き火花が拡散。ベズソウの機械仕掛けの瞳が驚愕に見開かれる。
大剣の規格にも及ぶ巨大な回転刃を一撃のもとに抑え込むイスラは両眼を鋭くし、一気にキルスレスを押し込むと────両断。
斜線の引かれたベズソウの体が二つに別れ、すれ違ったイスラの背後で大爆発を起こした。

「っ!?」

「動いちゃあダメだよぉ、ウィルッ!!」

葬られたベズソウにショックを受ける時間も、イスラは与えない。
驀進してくる化物にウィルは直ちに再起動し、次弾のサモナイト石を左手に構える。
焦燥を顔に浮かべながら速攻で門を組み上げる。が、

「ダメだってえっ!!」

じっとしてなきゃ、と。
己の目玉を貫いた投具を、イスラはウィル目がけ撃ち出した。
渾身の上手投げ(オーバースロー)。知覚できない速度をもって苦無が一直線に飛ぶ。
瞬きする暇も挟まず、ウィルの手の中にあったサモナイト石を木端微塵に打ち砕き、更にその手の平を、串刺しにした。

「────」

体が反応しきれなかった。
左手の中心から衝撃が伝播し、五本の指が不細工なダンスを踊る。折れた。
手首から鈍い音。関節が意味をなさなくなる。外れた。
肘と肩がペキャと鳴いて、先程のイスラの頭のように、腕がまるごと跳ねた。イカれた。
未だパーツとパーツが千切れずに済んでいることの方が不思議だった。

腕の跳ね上がった反動でウィルの足が地面から離れる。
糸の狂ったマリオネットのように左手を万歳させながら、ウィルの瞳は、眼前で「剣」を振り上げたイスラを映した。


「今度は死んじゃうかもね?」


嗤う。
遠くからヴァルゼルドの叫び声。脳を素通りする。
処刑の一撃が、頭上からスタートを切った。


「!?」

「────ぇ?」

「ッッ!!」


直後、ウィルに影が覆いかぶさる。
黒い髪。白い制服。細い体。
アズリア。


「──────」


イスラに背を向ける形で、彼女はウィルを胸の中に閉じ込めた。
身代わり。
無防備な背中に見舞う一刃。ウィルより手前に出ているため体を真っ二つにする軌道。絶命は免れない。
時間の流れが遅くなった。
双眼を凍らせたイスラの手が震える。既に繰り出されているキルスレスの速度が僅かに鈍った。


「クソッタレがぁっ!!!」

「がっ!?」

「!」


しかし、再び景色の変化。罵声とともに伸びてきた足が、アズリアの体を手加減なく蹴り飛ばす。
目まぐるしい状況の推移、だがイスラの紅い瞳は瞬間的な全容を認める。
足を振り抜いた態勢で此方を見つめるビジュと、目が合った。
時間が色を取り戻す。
次の瞬間、振り抜かれた一撃が、大地を割った。









『お姉ちゃん、守ってあげて』

恐らく、きっと。
例え本人が認めずとも。
ビジュの中では。

『約束だよ』

あの抜けるような青空の下で交わした約束は。
彼がそれだけは守ってやりたいと思えた、少女との、最初で最後の約束だったのだ。









「がっっ────」

斬り裂かれたビジュから、イスラは血の雨を浴びる。
地中を抉るほどの衝撃に彼の体は吹き飛び、強制離脱されたアズリア達もそれに巻き込まれる。頭を強打する音。
土の上に転がった両者はピクリとも動かなくなった。
無音が流れる。


「…………ひっ、は、はっ……あはっ、アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!!」


堰を破るように、イスラは笑い出した。

「お姉ちゃん達からお終いだぁーーーーっ!! あっはははははははははっ!?」

頭を抱え、体を揺すりながら狂笑を纏う。
大量の血に染まる白い立ち姿は凄絶以外の何にでもない。
げたげたと喚く彼女は一頻り笑った後、やがて顔を上げて振り向いた。
固まってしまっているアティに、イスラは言う。

「次は、殺すよ?」

笑み。
それを見た瞬間。
アティは切れた。



『──────────────────────────────────────────────────────ッッッ!!!!』



シャルトスが咆哮した。
目を見開いて笑うイスラのもとに突風が吹きつけ、そして碧色のラインに右半身を侵食されたアティが、斬りかかった。

「イスラァァ────────────────────────────ッッ!!!!」

「ギっっ!?」

見舞われた斬撃を受け止めるイスラの体ががくんっと沈む。白い肌が割れ、両腕から鮮血が吹き上がった。
顔を怒りの形相に変えたアティが更なる魔力を呼び起こす。先程までのイスラのものより莫大な魔力が、シャルトスに充填されていく。
刀身が碧光の規模を倍増させた。

「ふ、ふふっ、あはははは……! いいよ、アティ……! やっと同じ土俵に立ってくれたね!?」

「ッッ……!!」

「やっと、生っちょろい考えっ、捨ててくれる気になったね!?」

切り返し。
ガァンッと快音を響かせキルスレスをかち上げ、返す「剣」で反撃。
アティも瞬時にそれを弾く。

「────ああッ!!」

「そうそう、その調子! その眼で、その顔でっ……私を……ッ!!」

「剣」が交差して、閃光。
アティの半身に走る碧のラインがより激しく輝く。共界線が活性化の一途を辿る。
イスラはそれを見て獰猛に笑みを深めた。

「でも足りない! まだ全然足りないッ! そんなんじゃあ、私は殺せないよっ!?」

紅の光がイスラを包み、脈動、ズタズタに裂かれ流血していた両腕の傷が完治した。
『真紅の鼓動』が抜剣者を守る。
アティはイスラの挑発に促されるように、より力を込めて「剣」を見舞った。

「うあああああああああああああああああああああああああッッ!!」

「アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!」

我を失った叫び声とけたたましい歓呼が入り乱れる。
シャルトスが啼く。キルスレスもまた啼く。
碧と紅。互いの光が溶け合い重なった次の瞬間、二本の魔剣が共鳴を起こした。
凄まじい黄金の光がアティとイスラを中心に立ち昇る。

「……じ、地震っ!?」

「いえ、これは!?」

「『剣』が……!」

ビジュ達の体を確保するアルディラ達を大地の震動が襲う。黄金の光の密度が増す度に揺れも激しくなっていく。
アティとイスラを起点にして発生した金光は上空にも届き、流れていた雲を一斉に消散させた。
光の柱を中心に、空に穴が開く。

「ふふはっ、ふはははははは!? 天変地異さえ引き起こすか、始祖の残した遺産は!」

いつの間にか回復したのか、オルドレイクは愉悦の声を張り上げた。傷付いているツェリーヌ達と一緒に、超常現象を目の当たりにする。
ヘイゼルは戦慄を隠しきれない眼差しで空を見上げ、ツェリーヌは吹き荒れる魔力に顔を覆う。
ウィゼルは瞳を細め、二人の適格者を見つめた。


【ふふふふ……ッ? ぐふふっ! ぎひゃはははははははははははは!!?】


狂った「島」の声が、アティとイスラの頭に木霊する。
溜め込まれ深みを増していくそんな喜悦の声も、今の彼女達には意味のないものでしかなかった。
変色した瞳が映すのは目の前の相手以外なにもない。
アティの頬を侵す碧のラインが厚みを増す。イスラの眼が真っ赤に染まる。互いに双眸を吊り上げ、鍔迫り合い。
軋みを上げ拮抗するシャルトスとキルスレスから、一際激しい金光が迸った。



『ゥ────』



抜剣者同士の衝突。
龍神や魔王ですら容易には踏み込めない力の領域。
何人にも止められない魔力の暴走の渦に。



『────オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!!』



一人の騎士が、突っ込んだ。


「「!?」」


巨体の影がアティとイスラに覆い被さる。
振り向いて顔を仰ぐ彼女達に構わず、ファルゼンは「剣」と「剣」の間に自分の体をねじ込んだ。


『ヌウウウウウゥゥゥッ!?』


一瞬で全身に罅割れが駆け巡った。
白銀の鎧が凄まじい速度で崩壊していき、幾つもの破片が飛び散っていく中、ファルゼンは両腕で魔剣を掴み上げる。
重なり合う二本の「剣」を強引に引き剥がしていった。

「剣」の魔力が弾け、その太い指が砕ける。
鎧の各部で悲鳴が生じている。限界強度を越えた体は今にもマナの霧へ消えてしまいそうだった。
しかし、離れない。
抵抗不可能の力に刻一刻と身を圧懐されながら、ファルゼンは、島の護人は、それでもその手を離さなかった。
兜の奥で燐光を灯す双眼が浮き出る。
刹那、



『うアアアアアああぁあああああああアアアアアあああぁアアアアアアアアアアッッ!!!!』



少女と騎士の声音が混じった吠声が響き渡り、シャルトスとキルスレスを引き離した。発生する閃光と爆発。
アティとイスラも同じように押し飛ばされ、瞠目する彼女達は無理矢理距離を開けられた。
治まって姿を消失させる黄金の光だったが、それを見届ける余裕もなく、四肢を消滅させたファルゼンは崩れ落ちる。
クレーターとなった窪地に、達磨となったボロボロの鎧の塊が転がっていった。

「一撃必殺ッ!!」

「っ!?」

それを機に、島の住人達の攻勢が始まった。
一斉に動き出した彼等の中で、イスラに肉薄したカイルはストラを凝縮した拳を振り上げる。
奇襲。

「『にゃんにゃん』さん!」

時を同じくしてマルルゥが「ナックルキティ」を発動。カイルに憑依召喚を施す。
召喚術を上乗せした「必殺の一撃」が、イスラを真芯に捉えた。

「ちッ!?」

刀身の腹でそれを受け止めたイスラは、衝撃に耐えきれず後退を余儀なくされた。地面を削り滑っていく。
ダメージは皆無。しかしアティから遠ざけることには成功する。


「「「召鬼ッ!!」」」


「スクリプト・オン!」


『一斉射撃(フルバースト)!!』


キュウマ達鬼人族の妖術、爆炎、風刃、招雷が炸裂。
更にアルディラの召喚術とヴァルゼルドの銃砲が火を噴いた。
直撃。白髪の少女がその超火力を被爆し、たちまち爆風に呑み込まれていく。
鬼妖界と機界の一斉砲火が轟音と地響きを巻き起こした。

「…………ッ!!」

誰かの呼吸が震えた。
爆炎を火種に発生したオレンジ色の猛火の中、揺らめきが浮かび上がる。



「あっははははははははははははははははははははっ!?」



笑声が猛る。

「……馬鹿な!?」

『全弾命中を確認……敵損害状況は、ゼロ……!』

「滅茶苦茶だわっ……!」

「鬼が、『鬼』に怯える日が来ようとはのう……っ」

「イスラっ……!」

暴君が炎の海から姿を現す。
炎に焼かれながら歩み出てくる彼女には傷一つ付いていない。火炎の中で映える真っ白な雪のようなその姿は、いっそ神秘的ですらあった。
焼け野原を踏みしめるイスラはキュウマ達に口端を裂く。
禍々しい魔力を秘め出すキルスレスと一緒に、サモナイト石を構えた。

「あははははっ、熱い歓迎ごくろーさま! これは……私からのお返しだよッ!!」

言葉を言い終わるや否や、巨大な召喚光が出現する。
淀んだ黒い光の渦。常軌を逸した魔力が収束し、形容しがたい音の唸りが場を支配する。
空間が割れるように歪んだ。
────暴走召喚。


「『紅童子』!!」


異界の門が弾け飛び、天を衝かんばかりの巨身の鬼が召喚される。
黒い稲妻のような魔力を帯びる「金剛鬼」は、理性を失った眼でキュウマ達を見下ろした。
こと召喚術に精通するアルディラとミスミの顔が蒼白に染まる。限界を越えたキャパシティ。弩級の爆弾が解放の瞬間を待ちわびている。
次の瞬間、金剛鬼は跳躍した。
島の遥か上空を貫き舞い上がり、そして落下姿勢に入る。
恐ろしい咆哮を曳いて、狂った鬼は手に持つ棍棒を振り上げた。


『金剛衝』


音が消えた。
振り下ろされた鉄塊が大地に激突した瞬間、ドーム状の爆光が破裂する。
元来の威力が桁外れに跳ね上がった上級召喚術。
アルディラとミスミが咄嗟に張った結界はいとも容易く破れ、後ろにいたキュウマ達と一緒に吹き飛んでいく。決河の勢いで丘に叩きつけられた。

砕かれた大地は地割れを有し、夥しい煙があちこちから吹き上がっていく。
まるで巨人が暴れ回った荒野のようだ。
地形を変えるほどの極撃を放った金剛鬼は、強制酷使の反動か、弱々しい呻吟を漏らし頭を振りながら、その身を光の粒に変えて消え去っていった。

「うふふ……ここまでみんな脆いと、何だかやになっちゃうなぁ」

ビキッ、と罅が入り、粉となってこぼれていくサモナイト石をイスラは見向きもせず。
笑みを浮かべながら、それを簡単に放り捨てた。






「みんな……っ」

形成された光景にアティは声を枯らせる。
痛ましい傷痕が刻まれた島の自然。仲間達の他にも、巻き込まれた多くの派閥兵が瀕死の状態で地に倒れ伏せている。
凄惨だった。寂寞だった。虚無的ですらあった。
目の前の光景と、無残にも破壊し尽くされた過去の村の映像が、ぴったりと合致する。作っている拳が震えた。

止めなくてはいけない。イスラを。
これ以上、誰も傷付けはさせてはいけない。
「剣」を握る力を込める。アティの意志に反応するように刃が光り、張り詰め、研ぎ澄まされていく。
────言葉では、いけないの?
幼い自分(アティ)の声がした。耳を掠めるその問いかけにアティはびくっと震え、眉を歪めた苦渋の顔をする。
────彼女を止めるには、もう一つしか方法はないから。
絞り出した思いを己の胸に言い聞かせ、そして雑念を振り払う。
心の奥にある本当に背を向けて、アティは、「剣」を取った。

「……!」

視線をイスラのもとに馳せる。
もとから自分以外に眼中はないのか、彼女も此方を見据えていた。
サモナイト石を取り出し、魔力を収斂。途端にラインの這っている腕から頬が、熱を持ち始める。
視界の奥で満足げに笑っているイスラ。
彼女を射定め、力を解放しようと「剣」を空高く突き上げた。
転瞬、




「ふんっ!!」




むこう脛に、蹴りを叩き込まれた。


「「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っっ!?!?」」


激痛が、激震する。
弁慶の泣き所につま先がクリティカルヒット。ブーツ越しとはいえ、果てしない痛みが貫通した。立っていられない。
碧の賢帝(ばけもの)がダウンを奪われる。
がくっ!? と遠くの方でイスラの頭も折れた。

蹴りを放った張本人、ウィルも痛みに悶絶する。
抜剣して頑丈となっていたアティの脛に思わぬ反撃を食らい、足を抱えてぴょんぴょん跳ねまくっていた。自爆。

「「ぁ、ぁ、ぁぁあぁああぁぁぁ……!?」」

「何やってんのよあんた達はっ!?」

プルプル震え仲良く身悶えする白いのと小さいのに、ソノラが突っ込む。
しかし二人とも構う余裕がない。

「なっ、なっ、なぁっ……何するんですかぁ、ウィルくぅん……!?」

「痛ぇっ、マジ痛ぇぇっ、信じられねえこの天然クソ痛えぇぇぇっ……!?」

盛大に涙目になりながら、というか今も半分泣きながら、アティは掠れた声でウィルを責める。
返ってくるのは理不尽なまでな自分に対する悪態。久しぶりにメソメソ泣きたくなった。
二人してうずくまる状態は、ウィルの呼吸が落ち着くまで続けられた。

「くぅぅっ…………いい加減、暴走するのは止めてください、先生っ!」

「ウィル君にそのまま返していいですか……?」

酷い温度差。

「ええい、なにワケワカメなこと言ってるんですか、この天然河童娘抜剣ver!」

「私、ウィル君の言っていることの方がワケワカメですうっ!?」

悲鳴を上げるようにアティは訴える。
ウィルはようやく全回復したのか、ぎこちなくその場で立ち上がった。妙な角度でぶらんと力無く垂れ下がっている左腕の存在に、アティはそこで初めて気が付く。
はっと息を呑む彼女に、ウィルは無言で体を捻り、左腕をアティからは見えない角度へ押しやった。

「ウィ、ウィル君……それ……」

「んなこたぁどうでもいいんです。それより、先生のことです」

傷付けてしまった、守れなかった────。
その言葉がアティの胸に重くのしかかる。ウィルの言葉も今ばかりは頭に入らない。
この時、また一つ、彼女の中で心の天秤が危うい方向に傾いた。
キッと顔を上げ、「剣」を握り締める。

「おい、こら、聞いてるんですかっ」

「ぁ……な、何ですか?」

「だからっ、今すぐ『剣』を仕舞ってください」

「!」

思わずウィルの顔を見つめる。
抜剣を、解く……?
この状況で、イスラを放っておけというのか。キルスレスを持つ彼女を止めるには、同じ封印の魔剣を用いるしかないというのに。
いつになく鋭く真剣な表情をするウィルに、アティは当惑する。

「そ、そんなことしたらっ……」

「このすっとこどっこい。島を滅ぼす気ですか」

先程までの天変地異に自覚がないのかとウィルは噛み付く。
言っていることは分かる、けれど……。
守れないことを恐れるアティには、「剣」を下ろすという踏ん切りがつかない。

「で、でもっ……!」

「……今すぐ仕舞わなかったら、もう一発、ぶちかまします……」

「しっ、仕舞います、仕舞いますからっ!?」

もう一本の己の足を潰すことも辞さないウィルの意向に、アティは慌てて抜剣を解いた。
条件反射の行動に、はっと気付いた時にはもう遅い。
乾いた笛のような音とともに碧の光が萎み、アティはもとの姿へと戻った。

「……むっ」

他方、遠くから脱力しがちに一部始終を眺めていたイスラは、その様子に眉をひそめた。
くるりと向き直って緊張の眼差しで送ってくるアティに、じろっと半目を作る。
やがて彼女はアティ達から視線を切り、普段とは勝手が違う長い白髪をくるくると弄くりながら、周囲を見渡す。
立っている者、動いている者は僅かにも満たない。暁の丘そのものも、数時間前までの原型を留めておらず、茫漠とした荒野が広がっていた。

イスラが感慨なさそうに遠見していると、背後で、トッ、と軽い着地音がした。
振り向くと、ココノエが静かにイスラを見つめてきている。

「……まぁ、いっか」

顔を戻しイスラはそう呟いた。

「これで終わりっていうのも、味気ないもんね。楽しみは取っておきたいし……それにもう、いつだって私達は殺り合えるんだから」

アティ達に届けるように言葉を紡いだ。決して大きくないソプラノの声が、静まり返った暁の丘を滑らかに滑っていく。
緊迫した空気の抜け切らないアティを見て、イスラは機嫌良さそうに目を細めた。
「剣」をシャンと鳴らして、抜剣状態を解除する。
アティ達の空気が少し緩んだ。

「アティ、また今度も頑張らなきゃダメだよ? じゃないと、次は大切なものを無くしちゃうかもしれないんだから……あはっ、アッハハハハハハハハハハハハ!!」

既に暗くなった空に笑い声を響かせイスラは背を向けた。
振り向きざまクノン等に治療されているアズリアとビジュを視界に一瞬掠め、それで終わり。
ココノエを引き連れ、軽い足取りで去ってゆく。


言葉では埋められない絶望的な距離が開いていく。
絶対強者の貫録で、イスラはオルドレイク達のもとへ帰っていった。



















静かな夜だった。
夕闇まで島中を脅かしていた戦いの音色が嘘だったかのように、沈黙の帳が下りている。
寒々とした月明かりが木々の群れに降り注いでいた。

「……」

メイメイは、店のカウンターに位置取りながら手紙を読んでいた。
カウンターの上には銀箱とその蓋、そして幾つもの便箋が散らばっている。
鼻にかかる眼鏡を直しながら、メイメイは落ち着いた雰囲気で「己」の筆跡を読み耽っていた。

「……ん」

手紙をしまい、立ち上がって戸棚に戻す。
カウンターには戻らず来客用のテーブルのもとで腰を下ろすと、申し合わせていたかのように店の扉が開いた。ベルの小気味よい音が響く。
最初から訪客を見通していたかのように。
メイメイは首を振り向かせて笑顔を浮かべた。

「いらっしゃ~い。もう夜遅くなんだから、子供は寝てなきゃダメよ~」

「そうしたいのも山々なんだけど」

メイメイの軽口に反抗するでもなく付き合うのは、左腕を白地の布で吊ったウィルだった。
三角巾を見事に首に巻きつけられ、すっかり怪我人の様相を呈している。

「うっひゃ~、痛そうー。ま~た、無理なんかしちゃったんじゃないのぉ?」

「無理っていうか、気が付いたら既に破壊されてたな」

感情の起伏が少ない顔の割には、声には少し落ち込んでいる響きがあった。
そのことが分かったメイメイは、徐々に彼のことを知りつつあることを悟らされ、まぁ、程々には嬉しくなる。
くすり、といつものような調子で会話する自分達に笑みをこぼし、メイメイはそのまま問いかけた。

「それで、何か御用なのかしら?」

優しげな瞳で尋ねるメイメイをウィルはじっと見て、一度瞬きを置いてから、口を開いた。

「力、貸してくれ」







「天地万象、星命流転、百邪万静、破邪龍声……王命に於いて疾く、為したまえ!」

景色が変わる。
空に浮かぶ月を映す泉が、巨大な門を有する異空間へと。
水面の上に築かれた『無限回廊』の門を仰ぎながら、ウィルは「これが…」と呟いた。

「にしても、『試練をうけさせてくれ』なんて……そんなことを貴方の口から聞くとはメイメイさん、夢にも思ってもみなかったわぁ~」

「僕もだよ……」

げんなりとしながらウィルは答える。門に視線を縫い止めたまま、微妙そうな顔でしばしそのままでいた。
店を出てウィル達がやって来たのは集いの泉。四界の魔力が集まるこの泉を利用して、メイメイの法術から無限回廊の門を喚び出したのだ。
「過去」にこの無限回廊なる存在を「メイメイ」から聞いていたウィルは、今夜彼女に頼み込んで初挑戦に臨んでいた。

「で、どういう風の吹き回し?」

「別に……どうもこうもないだろ。今のままじゃヤバイって、無色(あいつら)と戦って思っただけだよ」

その考え方からして手紙に記してあった「レックス」の人物像とは遠くかけ離れているのだが、そこは言わないことにした。
ふ~ん、とメイメイは納得したような振りをしながらウィルの横顔を見つめる。

「無色の派閥っていうより、イスラと戦ってみて、じゃないの?」

「まぁよ」

それでもどいつもこいつも強くなり過ぎてる、と小さなぼやきを聞く。
「居合い斬りなんて、もう…」と暗い目をする少年の横顔に、あのご老体も元気そうで何よりだなぁ、とメイメイは知人の男性に対し感想を抱いた。

「確かに使いこなしてたわね、彼女。『剣』を……」

「……」

「『剣』に振り回されてた訳じゃない、共界線からの魔力も制御して、逆に力を引き出してた」

ウィルが歩んだ歴史を参照するなら、イスラもまた抜剣した回数は一度──「継承」の際のみ──しか満たしていない筈なのだが。
少女の執念が、そこまでさせるに至らせたのか。

「やる気になってる所悪いんだけど……貴方が少し強くなっても、彼女は止められないと思うわよ」

はっきりと告げるが、これはメイメイの良心からだった。
そもそもエルゴの代替として成り立つほどの存在に、生身の人間が挑むこと自体間違っているのだ。力の次元が違い過ぎる。
返ってくる答えを半ば予測しつつも、メイメイは老婆心じみた忠告を送った。

「……抜くよ、俺が」

「剣」を、と最後に続ける。

「先生……アティを助けるため?」

「どうかな……。多分それも含まれてるんだろうけど…………自分の味わった苦しみを女性に与えたくないっていうか……」

同じよ、と心中で呆れながら呟く。

「本当は今日も喚ぶつもりだったんだ。あんな強制技で出番潰れるなんて、思ってもみなかったけど……」

覚悟はできていた、ということだろうか。
実際アティに負担をかけたくないと思っていたのなら、ウィルが「剣」を抜くことは、彼自身の中で最初から予定調和だったのかもしれないが。
けど、とメイメイは考える。

「貴方が面倒なことを全部引き受ける必要、あるのかしら?」

オブラートに包み込んだ言い方だが、要は「余計な善意になっていないか」ということだ。
人は越えられない壁の前では多くが挫折する。しかし、それを乗り越えるために成長する者も確かにいる。
アティは紛れもなく後者だろう、とメイメイは確信している。
傍観者という立場故の苦言なのかもしれないが、アティの成長の機会まで奪ってウィルが血反吐を吐く必要はあるのかと、そんなことを思うのだ。
当事者達の抱えるだろう苦しみも知らずに、客観的に秤へかけて述べている、歪んだ者の考えなのかもしれないが。

ウィルは黙って門を見上げていたが。
すぐにメイメイへ顔を巡らせ、口を開いた。

「……駄目かな?」

眉を下げて笑いかけてくる。
自分は出過ぎたことをしているのかと、未だ答えを見つけられない迷いを尋ねるように。

(……)

忘れてたわ、とメイメイはこぼす。
結局、異性が苦しむことを知っていて動かずにいるのは、彼には無理なのだと。
迷いを引きずりつつも身を粉にしようと決めているその瞳を見て、妙に納得してしまった。

「……ま、今更かもね~」

「……ん」


ありがと、と呟かれた声に妙に気恥かしい感じを抱きつつ。
どちらにせよ上手くやるだろう、とメイメイは思った。
「彼」ならば不思議と万事解決へとこぎつけるだろうと。「彼」の軌跡を思い出しながら、そう結論した。
ましてや、ここにはアティもいるのだから。

二人で肩を並べ、しばし門を見上げる。
すこーし、また近付いてしまったかなぁと。互いの肩と肩の距離を思わず意識しながら。
柄にもないことを考えるメイメイだった。




「……よし、行くか」

門を見るのを止め、ウィルは告げる。
後ろを振り返り、この異界の外、集いの泉に繋がっている穴を見た。
出入り口の外で準備体操……揃って深く伸脚をしているテコとヴァルゼルドに、「もう行くよ」とウィルは声をかけた。

「本当にみんなと行かなくていいの?」

「メイメイさんだって言っただろ。『剣』相手に、生身の僕達がちょっと強くなっただけじゃ敵わないって」

そう言われるとメイメイも肩を竦めるしかない。
結局、力の勝っている抜剣者相手に確実に勝つ方法は、適格者自身の自力の底上げしかないのだ。

「それよりも、本当に時間は気にしなくて問題ないのか?」

「だいじょぶ、だいじょぶ。あっちで一ヶ月過ごしても、こっちじゃ一時間も経っていないことになってるから」

時間の進み方が違うことをもう一度説明してやる。
確認をとったウィルはわかったと頷いて、合流してくるヴァルゼルド達を迎えた。

「貴方達だけじゃあメイメイさんちょーっと心配なんだけど……まっ、死んじゃわない程度に頑張ってね。にゃは、にゃははははははは!」

「何言ってんだ、あんたも行くんだよ」

「にゃはははははぁ…………ぁ?」

ぴたり、と笑い声を止めメイメイはウィルを見下ろす。
澄まし顔の少年はメイメイの方を一瞥もくれず、門を眺めている。

「僕は怪我でしばらく本調子じゃないし。保険(メイメイさん)がいないと困る」

「……き、聞いてないわよ、そんなこと?!」

「言ってねーもん」

「じょ、冗談じゃないわ! 断っちゃう!! そんなのに付き合ってちゃあ、いつお酒が飲めるか分かったもんじゃにゃい!」

「ヴァルゼルド」

『イエス、マスター』

捕獲。

「って、にゃぁー!?」

「ブン投げろ」

『イエス、マスター』

「ウィ……ウィルゥーーーーーーーーーーーっ!!?」

門の中へ放り込まれるへべれけ。

「じゃあ、僕達も行こう」

「ミャミャー!」

『了解!』

テコ、ヴァルゼルドの順で門をくぐっていく。
最後に残ったウィルは門の前で一度足を止め、後ろを振り返ってから。
ややあって、前を向いて無限回廊の中へ消えていった。

異界が閉じる。
後には、誰もいない集いの泉が月明かりの下に浮かび上がっていた。



















「……ウィル君、少し、いいですか?」

トントン、とノックを二回。
呼びかけに対し、部屋の主は無反応だった。
迷いあぐね、失礼します、と告げてから恐る恐るドアを開ける。

「ウィル……くん?」

見回すが、声を聞きたかった相手は部屋のどこにもいなかった。
誰もいない室内は痛いくらいに静まり返っていて。
得体の知れない寂しさが、打ちひしがれた心と一緒に、そっと体を抱きしめてきた。

「…………」

眉を沈め、アティはその場で立ちつくす。
俯く彼女を、窓から差し込む朝日が照らし出し、長い影を床に作りだしていた。



[3907] 14話
Name: さもない◆5e3b2ec4 ID:c33a9c35
Date: 2011/02/12 07:11





砕けた







「アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!!!」


「剣」が、幾つもの碧の破片となって。
私の手の中から、こぼれ落ちていく。
砕け散っていく。

響き渡る哄笑を聞きながら。
みんなの悲鳴を聞きながら。
私は、固まった瞳で散っていく「剣」を見つめ、ゆっくりとその事実を受け入れていった。



私は「覚悟」した筈だった。
無色の派閥を、イスラを止めるため、傷付け合う戦いを「覚悟」した筈だった。
この断崖で彼女と相対し、迷いなく「剣」を抜いて、打ち合って。
容赦なく力を振るって、私は、戦った。

けれど。
私の「覚悟」なんてものは。
捨てることのできない迷いに蓋をしただけの、ただの皮相に過ぎなくて。
追い詰めた彼女を前に、私は決意した筈の次の瞬間へ、踏み出すことができなかった。

本当に追い詰められていたのはどっちだったんだろう。
追い詰められてしまったのは、一体いつからだったんだろう。

理不尽な暴力に対抗するには、同じ力を用いるしかないと決意した時か。
言葉を捨てて、持ち続けてきた想いをねじ曲げようとした時か。
守るためではなく、倒すために剣を取ってしまった時か。
“誰か”に、会えなかった時からか。



「…………ぁあ、ぅああああああああああああああああああああああああああああっ!?」



絶叫が迸る。
叫び声は私の口から溢れ出ていた。
何かが壊れていく音。
「剣」と一緒に砕け散った何かが、数え切れない破片となって散らばっていく。

「剣」の破断は意志の破断。
砕けていく碧の欠片は私の「心」だったもの。
音を立てて、「私」が壊れていく。


「ぅあぁ……ぁぁ、あぁ……!」


“誰か”が誰なのかもはや分からなくなったまま、私は子供のように泣きじゃくる。
何も分からない。
もう、何も分からない。
私を呼ぶ声も、彼女が振り上げる「剣」も。
言葉の意味も、大切にしていた何かも……たった一つの本当も。
両目を瞑り、溢れ出る涙を止めどなく流しながら、壊れた私の意識は真っ白に染まっていった。


「…………ぁ」


そっと、何かが私を抱きとめた。
力の失った体をその何かが受け止めてくれている。
温もりに、抱かれている。
薄れていく意識の中、私は僅かな力を振り絞って、震える瞼を開いた。


気を失う寸前、見上げる瞳に映ったのは、後悔に歪んだ“誰か”の顔だった。









然もないと  14話「砕けゆくものと、その後」









切り立った崖の下から吹き上がってくる潮風。
そのふぶく音と砕ける波の音だけが、静まり返る場を無音から遠ざけていた。



岩槍の断崖。
力での解決を決意したアティは、イスラ率いる派閥兵にヘイゼルら紅き手袋と、この険しい崖の上で衝突した。
ウィゼルが見守るもとで行われた戦いの行方は、一方的にもアティ達の終始有利で進んでいく。
とりわけ、全力で「剣」を振るうことを己に課したアティの奮闘ぶりは凄まじかった。上層から襲いかかってくる敵兵をものともせず、その身に秘める召喚力で崖上にいる召喚師達後衛を岩山ごと吹き飛ばしていく。
味方の先頭をひた走る彼女の背中には、悲壮なまでの想いが宿っていた。

──命のやり取りになったとしても
──力じゃなきゃ、もう、止められないから
──これ以上、誰も傷付いてほしくないから

そんな彼女の胸の内を、知る者も、聞いた者も、その場には誰もいなかった。
以前まで彼女の心を赤裸々に引き出し、その度に解きほぐしてきた存在が、この時に限って、彼女の隣にはいなかった。

力ずくで突っ込んでくるアティに、すぐさまイスラも抜剣をして迎撃に乗り出した。
戦闘の趨勢に彼女の思惑が関与していたのかは定かではない。
だが結果として、アティはイスラを追い詰め、その「剣」を彼女の喉元に突きつけるまで至った。

しかし。

「剣」を砕かれたのはアティの方だった。
非情になり切れなかった弱さを、あるいは強さを捨て切れなかった彼女はイスラの逆襲に遭い、一瞬で碧の賢帝を破壊された。

イスラが怒りに歯を食い縛った所を見た者は、誰もいない。
イスラが泣きそうな顔になったのを見た者は、誰もいない。
ただ厳然たる事実として、アティはイスラに敗北した。
それだけが残った。

そうして、今。
敵味方を問わない視線が一点に集まっている。
赤ん坊のように泣き喚きやがて寝静まったアティを、ウィルが、静かに抱きかかえている。
どこからともなく現れ、戦場のど真ん中を横断し、アティのもとへ駆け付けた遅過ぎる援軍は一向に口を開かない。
横抱きの格好で、少年の胸に頭を力なく預ける彼女の頬に、溢れた涙適が幾筋も伝っていく。
崩れ落ちたアティを庇い、今も支え続けているウィルは、押し黙っていた。



静寂が依然と流れている。
湿った風の音だけが生きていた。

膝を地についてアティを片手で抱き締めるウィルの姿に、誰もが声を発するのを忘れている。
彼のもう片方の手が提げるのは、「剣」。
砕け散ったシャルトスであったものを、ウィルは右手で握り締めていた。

それは既に「剣」と言える代物ではない。
破壊された「剣」の残骸。粉々に打ち砕けて刀身を失った、柄だけの存在。もはや剣(つるぎ)とも呼べない惨めなガラクタだった。
しかし残骸と言えど、それは間違いなく「剣」の一部であり。
弱々しくも細い燐光を、確かに灯していた。

「……ウィ、ル」

誰かの唇から転がり落ちた微かな声が、潮風に翻弄された。
ウィル自身の外見に大きな変化はない。
ただ唯一。
その右眼が本来の色を忘れ、碧の輝きを宿していた。


「…………あはっ」


キルスレスを振り上げ固まっていたイスラは、おもむろに口を曲げた。
アティに止めを刺そうとしていた所に現れたウィルを見て、純白の頬が喜びに歪む。
────不完全といえど、『抜剣召喚』。
ウィル・マルティーニは、適格者。
その目の前の事実が、少女に何よりの熱情を投下した。


「あっはははははははははははははははははははははははははははははははははっ!!?」


歓呼、狂笑。
壊してしまった宝箱の鍵を、再び見つけた子供のように。
イスラは喜悦に染まった。


「そっか! そっかぁ!!」


紅の瞳を大きく見開き心の底から歓喜に震える。
有頂天を迎えながら、イスラはウィルに歩み寄ろうとする。


「今度はウィルが私と踊ってくれるんだね!?」









「一人でやってろ」









両断。


「────────」


剣の残骸が燦然と発火する。
呼びかけを一言のもとで叩き斬るウィルの碧眼を見て。
刹那の内に現れた異界へ通ずる巨大な門を仰いで。
イスラの双眸が、不自然に凝結した。


「『牙王アイギス』」


限界突破。







「月下咆哮」







世界が割れた。



『────────────────────────────────────────────────ッッッ!!!?』



爆砕する。
喚び出された圧倒的な巨躯が哮ったその瞬間、空間が比喩なく歪み、岩槍の断崖を粉砕した。
純粋な音の衝撃波。
幻獣界の守護獣、アイギスの口腔から放出された激音の塊が、イスラもろとも付近一帯を呑み込んだ。
耳を聾する神獣の吠声。後に、岩盤が崩壊する。

「逃げろおぉっ!!?」

「巻き込まれるぞっ!!」

ヤッファの叫びとそれに続くミスミの警告も、発生した崖崩れによってすぐにかき消えた。
破界の一撃によって均衡を失った岩槍の断崖は、全身を土砂の波へと変え下へ下へ崩れ落ちる。
比較的下層に陣取っていたカイル達は速やかに退避することに成功したが、イスラを囲むように布陣していた無色の派閥は悲惨だった。
月下咆哮の巻き添えを食らい吹き飛ぶ者、岩に押し潰される者、空中へ放り出される者。逃げる猶予も与えられず人為的災害の餌食となっていく。
絶叫と悲鳴が断続的に響き渡った。

「…………マジかよ」

崖下、浜まで避難したカイルが周囲の者達の心の声を代弁した。
原型を失った崖の中腹に刻まれた巨大なクレーター。深い。まるで干上がった底深い湖のようだ。その中央で身じろぎする紅く塗り染まった人影は、イスラか。
Sランク────最上級召喚術。その威力を見せつけられたカイル達は放心したようにしばし立ち尽くした。
白虎を彷彿させる巨大な四足獣は、鬣を振って空に吠えると、送還の光とともにその姿を消した。

後に残ったのは、呆気ない幕切れと、海の浅瀬にまで雪崩れた岩石群。
そして、その上に立つウィルのみだ。

「っ……ウィ、ウィルッ!」

静かに立っているその背中に、アルディラは堪らず声を張った。
アティを横抱きに抱えたウィルはしばらく視線を例のクレーターに縫い止めていた後、ゆらりと振り返った。
片方だけ碧に染まった瞳。柄を握る右手も手首まで白化している。

それを見た護人達は体を震わした。
『ウィルは適格者』。アルディラの推測が現実のものとなる。
しかし推測をした本人さえも、その光景をいざ目の当たりにして感じたのは動揺と、戦慄だった。

「カイル」

「お、おう……」

「先生、お願い」

普段と変わらない筈の落ち着きを払った表情に、今ばかりはちぐはぐな違和感を覚えながら、カイルは差し出されたアティの体を引き継ぐ。
ウィルは涙の乾かないアティの顔を見て、それからすぐに断崖に振り返った。

「みんな、このまま逃げて」

『!?』

一斉に面食らうカイル達に、ウィルは背を向けたまま続ける。

「敵の増援が来てる」

カイル達が振り仰いだ崖の頂上には、オルドレイクを始め派閥の本隊が集結しつつあった。
遥か頭上で多くの目が此方を見下ろしてきている。疲弊したカイル達にはあの全ての敵とやり合うのは荷が重過ぎる。
またあれほどの攻撃を直撃したにも関わらず、イスラも復活の兆しを見せていた。

「あ、あたし達に仲間を見捨てる真似しろって言うの!?」

「ぶっちゃけ、“今の”僕一人なら適当に時間を稼いで逃げ切れるんだ。でもみんながいると、それもできない」

「っ……!!」

ソノラの怒声にウィルは淡々と返す。
小さな背中が突きつける事実に彼女は唇を噛み締め、泣きそうな顔になった。
前を向くウィルは、見えない筈のその感情の機微を悟ったように、「大丈夫だから」と言うような仕草で柄を持つ白手を軽く持ち上げてみせる。
賢帝の欠片がそれを後押しするように光を放った。

「……ずらかるぞ」

「ヤッファさん!?」

「……どの道、あの規模をまともに相手することなんて今の私達にはできないわ。アティの容態も気になる……一刻も早くここを離れるのが得策よ、ファリエル」

冷静に現状分析するヤッファとアルディラにファリエルは言い寄ろうとして、止まった。
吐け気を堪えるかのようにウィルの背中をぎりぎりと見据えている二人の顔に、深い懊悩の色を読み取ったからだ。
彼等の主人、ファリエルの兄と交わした最後の瞬間を今この時とだぶらせて、それでも決断を下している護人二人を、ファリエルは責めることができなかった。

「……っ、ウィル!」

アルディラ達は断ち切るように前から視線を外し、背後に控えるクノン達に向いて指示を出し始める。
ファリエルはそんな彼等を見てられず、縋るようにウィルへ視線を馳せようとした。
振り返る。



少年の形が、消えかかっていた。



「────────」

少なくともファリエルにはそう見えた。
ジジ、とビデオテープのすれるような音がウィルの背を取り巻いたかと思うと、彼の形が希薄になり、代わりに一つの姿が空気に溶けるように浮かび上がった。
赤い髪。黒いマフラー。広い背中。
ファリエルは、青年の背中を目にした。

「……ぇ」

呆然とする。
強烈な既視感をファリエルは抱かずにはいられなかった。

(ア、 ティ……?)

「ファリエル、何をやっているの!? 急ぎなさい!」

思考は強い叱咤によって中断された。
ファリエルは肩を揺らしてぎこちなくアルディラの方を見る。

「ね、義姉さん……」

「あの子のことを思うなら、今は走りなさい!」

義姉がそれに気付いた様子はない。
ファリエルがもう一度視線を前に戻すと、瞳に映るのは、見知った少年の背中だけだった。
黒鉄の護衛獣を召喚して、臨戦態勢に入る。

「……っ」

後ろ髪を引かれる思いを胸に抱えながら。
ファリエルは少年の無事を願って、この場を離れるしかなかった。













「ぐっ、ぎ……!?」

がらがらと音を立て、断層に半分埋まりかけている体を起こす。
腕はズタズタになり、右足も千切れかけている。
『真紅の鼓動』による治癒が追いつかない。砕けたとはいえ「剣」の魔力を上乗せした咆撃は、イスラに大きなダメージを与えていた。
歯を食い縛りながら、彼女はなんとか五体満足の状態まで行き着く。

「……!」

嫌な音とともに岩の裂け目が周囲に走った。
イスラは咄嗟に立ち上がり、次には上層へと大きく跳躍する。
彼女の着地を待たずして円環状の窪地は形を崩し、小規模な岩なだれを再び発生させた。
崩れていく足場を次々と器用に飛び移り、イスラは頂上の安全地帯まで辿り着く。

「……わーお」

膨大な土砂と巨大な岩々が青い海を侵食している光景は圧巻だった。
あの険しい自然の砦が中あいほどまでこぞって削り取られている。立ち込める煙は空から降る日差しを薄らと浸透させていた。
眼下の光景、とりわけ奥の方で此方を見上げてきている一人の少年に、イスラは頬を紅潮させながら笑った。
己の念願が果たせることを確信したかのように。

「何を笑っている、同士イスラよ」

「…………」

背後からかかる声に、イスラはちらと顧みた。
眉間に皺を寄せ、鋭く双眼を構えるオルドレイクが睨み付けていた。
周囲を取り巻くツェリーヌ、ウィゼルともども、剣呑な空気が辺りに散漫している。

「奪回すべき『剣』を破壊してしまうとは……今までの功績だけではこの失態、見逃すわけにはいかぬぞっ……」

殺気を募らせオルドレイクは告げた。
派閥兵士が首領の怒りを受け静かに武器を構え出す。
イスラはその様子を見て、笑みを引っ込める。
水平線の広がる前方の光景に視線を戻して、邪魔くさいなぁ、と目の横で揺れる長い白髪をすくって耳の後ろに流してから、くるっとオルドレイク達に向き直った。

「待ってください、オルドレイク様。私にも考えがあってのことなんです」

にこっ、笑みを作りイスラはそう言い切る

「何だと……?」

「失礼ながら、オルドレイク様は一つの考えに囚われ過ぎかと」

恭しい動作で距離を詰めていく。
怪訝な顔をするオルドレイクに、イスラは一種の自信を覗かせながら歩み寄った。

「何が言いたい。はっきりと言え」

「ですから、考え方を少し変えてみてください、オルドレイク様」

粗相の働けない間隔を残して立ち止り、イスラは首を横に傾げてみせる。
穏やかな笑みで、「そうすれば……」とイスラは言葉を続けた。



「────ほら、こうなることも簡単に思いつくでしょ?」



刺突。

「ぬがあぁッ!!?」

一瞬で間合いを埋め、イスラは「剣」をオルドレイクの胸へ見舞った。

「痛い? ねぇ、痛い? 体を剣で貫かれて、泣き叫んじゃうくらいに痛い? だったらほら、腹の底から叫んでみなよ?」

「ぐ、がぁあぁあああぁぁああああああああっっ!?」

「あははっ、汚い声」

肉を穿つキルスレスをゆっくりと回すと、狂ったオルゴールのように絶叫が鳴った。
瞳を開き切った狂気の表情で、イスラは口を思いっ切り吊り上げた。

「あ……貴方ぁぁっ!?」

「化けの皮を剥がしたか、小娘!!」

繰り出されたウィゼルの斬撃をイスラは後ろに跳んで回避する。
オルドレイクから「剣」が引き抜かれた瞬間、大量の血飛沫が足場に飛び散った。

「ずっ、ぎぁっ、あ、があっ……!?」

「あははははははっ!! 私がさぁ、本当に君達の飼い猫に成り下がったと思ってたのぉ? そんな訳……ある筈ないじゃんっ!」

口から、穴の空いた胸から血を溢れさせるオルドレイクに、肩を揺すりながらイスラは嗤った。
ツェリーヌの必死の召喚術が傷を癒すが、易々と傷口は塞がらない。
呪いに匹敵する「剣」の傷は、死霊の女王の名を持つ彼女をもってしても、瞬間治癒はかなわなかった。

「毎晩寝る時にさぁ、ずっとこんな光景を膨らませてきたんだよ。私をこんな体にした相手にツケを払わせて、思いっ切り見下してあげるって。ふふふっ、ひっ、アッハハハハハハハハッ!!!」

「ッッ……その娘を、殺しなさないっ!!」

倒れ伏すオルドレイクに代わりツェリーヌが号令する。
動揺を見せる派閥兵だったが、すぐ機械的にその命令を受信し、実行に移った。

「じゃまー」

飛びかかった剣兵三人を、イスラは「剣」一振りで対応した。
大塗りの紅の軌跡が空間に刻まれた瞬間、途轍もない勢いで三つの体が後方の森林に叩きつけられる。呻き声と鮮血が飛び散り、糸の切れた人形のように彼等は動かなくなった。
理不尽ともいえる光景に、残りの派閥兵が凍ったように立ち止まる。

「んん?」

ウィゼルが腰を落とし、刀を構える。
それの放たれる直前に気が付いたイスラは目を細め、何をする訳でもなく棒立ちとなってたたずんだ。

「──────!!」

張り詰めた弦を彷彿させる、鋭い抜刀音。
横合いから迫る神速の斬撃を、イスラは黙って受けた。
『居合い斬り・絶』が彼女の体にめり込む。左腕を切断し、体内にも斬閃が到達する。
が、次には『真紅の鼓動』が発動。
ずれ落ちかける左腕が瞬時に元通りと化し、体の傷もあっという間になかったことにした。

「躱せないけど、躱す必要もないって……ねッ!」

無造作にイスラはキルスレスを振るう。
紅い魔力の衝撃波がウィゼルに肉薄した。

「!!」

ウィゼルが俊敏な動きで横に跳んだ後、もといた場所は勢いよく爆ぜた。
片目を瞑る彼の右手は、ぼろぼろに破れた裾と一緒に血がぽたぽたと滴っていた。

「究極の武器っていうやつの錆にでもなっちゃう? 凄腕の鍛治氏さんなら、本望でしょ?」

「…………」

嘲るようにイスラは言った。
ウィゼルは常態を崩さず、観察するようにイスラを見つめる。
隙なくたたずむ彼は数秒後、ぱっと消える動きでツェリーヌのもとに移った。

「退くぞ、ツェリーヌ。時間を浪費するだけだ。船に戻り、本腰を据えてかからなければこやつは助かるまい」

「は、はいっ!」

告げられた内容にはっと目の色を変えたツェリーヌは、残存する兵に撤収命令を出した。
迅速に部隊が移動する間にもウィゼルはイスラと正対し、刀を持つ。
イスラの方は、もうその気はないとでも言うように「剣」の先端でコツコツと地面を叩き、抱えられるオルドレイクに流し目を送る。

「逃がしてあげる。惨めったらしく生き繋いで、私の苦痛の百万分の一でも味わうといいよ」

くつくつと笑みを噛み殺すイスラを、片目を瞑ったままウィゼルは見据え、完全に部隊が森の奥へ消えた所で自らも背を翻した。
一人となったイスラは抜剣を解除し、崖下を見下す。
ずっと様子を見守っていたウィルが、体勢を変えることなく彼女を仰いでいた。

「ふふっ……ホント、嬉しい誤算だよ」

遠く離れた彼には届かない声で、本心を吐露する。
しがらみの全てから解放されたように、晴々とした表情でイスラは目を瞑った。

「ウィル……殺しにきてね、私を」

アティの仇討ちをしたいのなら、とそう続ける。
恋人に向けるような熱い眼差しをウィルに注ぎながら、イスラは陶酔して言った。

「待ってるよ。ずっと、待ってる……」

その言葉を最後に、イスラも断崖から消えていった。






「…………」

は、と誰もいなくなった岩槍の断層でウィルは吐息をついた。
握っていたシャルトスの柄が光りをしぼめ、伴ってウィルの瞳も手も常時の色を取り戻す。
今度こそ、一連の戦闘の幕が下りた。

『マスター……』

「……ん。僕の方はいいから、みんなの所に行って。僕には掠り傷無しってことと、さっきの顛末を報告して欲しい」

低いヴァルゼルドの声にどこか気遣いの音が含まれている。
それに気付かない振りをしながら、ウィルは指示を出す。

『マスターは?』

「僕は……もうちょい、此処にいるよ」

『…………』

「何にもないって。ただ……少し、一人になりたいだけだから」

『……了解しました』

すいません、とヴァルゼルドは何故か謝って、ウィルはそんな護衛獣の態度に、苦笑した。
そっと差し出される鋼鉄の手にテコを乗せて、一緒に帰ってもらう。
ヴァルゼルドの肩に置かれたテコは心配そうな瞳で、姿が隠れるまでウィルを見つめ続けていた。

「…………はぁぁ」

大きな溜息を今度は遠慮なく吐き出す。
脱力する体に後悔とやるせなさを盛大に乗せ、ウィルは地面を見下ろした。
しばらくアティのことを思い出して、静かに憤死しそうになった。

「…………むん」

切り換える。
事件はまだ何も解決しちゃあいない、と己に言い聞かせた。
顔を上げて辺りを見回す。探し物があったら間違いなく見つけられないだろう、岩と土砂に埋もれた崖崩れ跡が蕩然と広がっていた。

ウィルはシャルトスの柄を眼前に持ち上げ、魔力を込める。
うっすらと発光する柄を探知機のように巡らすと、ふっ、ふっ、と細い光が足場から立ち昇った。
近くにある光へ歩み寄り、その岩と岩の間に手を突っ込むと、出てくるのは角砂糖ほどもない、サモナイト鉱石の塊。
あと幾つもあるとも知れない「剣」の欠片を、ウィルは地道に一つずつ回収していった。

「ん、っ……」

「!」

そして、土砂を掘り起こした折だった。耳を澄まさなければ聞き取れない、僅かな声音をウィルが知覚したのは。
察知すると同時に跳び退り投具を構える。
土砂の降り注いだ経路から一つ横に逸れた、浜辺の方角。警戒を緩めず声の出所へ近寄り、周囲にも気を配りながら、そっとそこを窺った。

(え゛っ……)

瞬く間に凍りついた。
砂浜に転がっていたのは、血のような赤い衣装に身を包んだ小柄な体。
背中の中ほどまで伸びた琥珀色の髪。
見間違う筈もない暗殺者の少女、ヘイゼルがいた。

「……!?」

さっ!さっ! とウィルは右左を見回してから、寝込んでいるヘイゼルを見下ろして、さぁーっ!と顔を全開で青ざめる。
わたわたとまごついて、やがてばっと身を翻し体の安否を確かめた。

(息はある、けど…………足が、折れてらっしゃる……っ!?)

────アティに続き、二人目の女性の犠牲者が自分の手によって!!
ショックの余り「ひゅ」と息が喉に詰まり、ウィルは危うく卒倒しかけた。

骨折以外に目立った外傷はない。
あの崩落に巻き込まれた中で浜辺へ落下したのが僥倖だったのだろう。
恐らく意図的ではあろうが、柔らかい砂地に激突したことで衝撃が拡散したのだ。似たような経験があるウィルには、何とはなしにそれが理解できる。「彼」の場合上半身が丸々埋まったが。
だが結局、自分の手が招いた事故だということは変わらない。

「ぅ、ぁ……」

(あばばばばばばばば!?!?)

善かれと思って敢行した敵大掃除作戦が裏目に出た。
ていうか頭に血が昇ってヘイゼルの存在を忘れていた。
ていうか、こんなのもん気にする方が無理だ。
あちこち服が破れかけているヘイゼルを見て、ウィルは自責と言い訳を交互に汗をダラダラと流した。

「……こんなことしてる場合じゃないっ!?」

側で膝を折り、細心の注意を払いながら抱き起す。
ヴァルゼルドを召喚しようかと思ったが、余計な混乱と騒動を逆に召喚してしまいそうなので中止する。
「剣」を用いて共界線から魔力を引き出し、身体強化。
アティの時もそうだったように、自分より一回り大きいヘイゼルの体を、ウィルの細腕が難なく持ち上げた。
ていうかヘイゼルさん軽っ、とウィルは奇しくもスカーレルと同じことを感じた。

(リペアセンターは……無理かっ!)

少なくとも、今はすんなりと受け入れてもらえないだろう。
ええいままよっ、とウィルは駆け出す。
破片の回収作業を切り上げ、全速力でその場を後にした。













「命に別状はなし……数日は満足に歩けないかもしれないけど、まっ、安心していいわよ~」

「そっか……」

メイメイの言葉を聞いて、ウィルは安堵の息をついた。
緊急避難場所として彼が選んだのは彼女の店。限られた選択肢ではここが最良だっただろう。
無限回廊の件も含めてしばらく頭が上がらなそうだと、ウィルは心の中で呟いた。

「でも服がズタボロ泥だらけ。とーぜんゴミ箱行き。メイメイさんの服はちょいあの娘には大きそうだし、どうするぅ?」

「どう、するって……」

じゃあ今はヘイゼルさんどんな格好してはるんですか、と一瞬の恐ろしい邪念が過ったが、今それに触れると確実ニ死ヌと言い聞かせウィルは頭を振った。
犬天使をもってして胸囲的と言わしめた凶器は伊達ではないのだ。
僅かの間、黙考する。

「……あれ、『タイガーチャイナ』でも着せとけば?」

「ああ、無限回廊で拾ったやつ。そうしましょうか」

ヘイゼルの最初の罰ゲームが決まった瞬間だった。

「にしても……無限回廊から出てきたらこんなにも時間が経過してたなんて、ね」

「……誰のせいだと思ってるんだ」

「何よー? 私のせいだって言うのー?」

他にいないだろ、とウィルは恨みがましい目付きを向ける。
メイメイはそれに対して眉尾を吊り上げ反抗する。

「もとはと言えば、貴方がどんどん下の階層進んじゃったからいけないんでしょう? 身の程知らないでずんずんズンズン……面倒事メイメイさんにぜーんぶ押し付けてっ。『ヒトガタの符』なんて使い切っちゃったしぃ……!!」

わなわなと震えるメイメイは真面目に鶏冠に来ているようだった。
本人と能力が全く変わらない分身を作り出すという出鱈目なアイテム、「ヒトガタの符」をウィルの手によって全て消費されてしまったからだ。店の帳簿的に言えば、その損失は大打撃どころの話ではない。
狸の戦略と人員過多な偽カイル達無敵軍団が相まって、ウィル達は無限回廊の最下層まで到達してしまっていた。

「あんな便利なアイテム使わなきゃ損だろ?」

「節度ってもんがあるでしょーが!?」

「だって、あんなジルゴーダの進化系が出てくるなんて聞いてなかったし……」

ゴルゴーダとかいう訳の分からない魔蟲とその女王蟲×3という当時の光景がフラッシュバックしたのか、ウィルはぶるっと震える。
蟲がうぞうぞと溢れている地獄のようなその階層では、正直、発狂寸前だった。

「そもそもメイメイさんの話の通りだったら、最下層に着いた時点でも、こっちの時間は夜も明けてなかった筈だぞ」

「うっ……」

「……絶対あの人外召喚術合戦のせいだ」

「じ、人外とか言うんじゃにゃいっ!」

最深部、人型の幻影達に紛れ込んでいた「幻影龍妃」とかいう黒メイメイとの衝突を思い出す。
黒メイメイの召喚師した黒い「龍神オボロ」と、それに泡を食ったメイメイが迎撃に乗り出し喚び寄せたもう一匹の「龍神オボロ」。
Sクラス同士の召喚術の衝突の中、ウィルは確かに最終界廊全体が空間のうねりとともに歪むのを感じ取った。
凄まじい力のぶつかり合いに、あの最下層における時間の概念が狂ったとウィルは推測している。
──事実その通りだったので、先程まで息巻いていたメイメイは口ごもった。

「…………いや、でも」

しかしウィルは、そこでメイメイを睨むのを止めた。

「結局間に合っていても……多分、今回のことは避けられなかったような気がする」

「……」

「あの人が追い詰められてたの、気付いてやれなかった」

顎を引き、ウィルは顔を暗くする。
シャルトスの破壊。それに伴うアティの心のダメージ。ともすれば、取り返しのつかないほどの。
涙を流し崩れるアティの姿が脳裏に蘇り、一層鈍い痛みが走った。

鈍感だった自分に対して胸にちらつくのは嫌悪の影だ。
アティは自分と神経の作りが違うと分かっていた筈。「自分」の時のように「剣」が破壊されずに済むなんてことも、あの時点では憶測に過ぎないのは理解していた筈。
……自分自身も、焦っていたのかもしれない。予想以上のイスラの力に。
これまでの幾つもの出来事を振り返って、ウィルはそのように自己分析する。

「心配……? アティのこと」

「……勿論」

「でも」、と一言を置く。
俯き加減の顔を上げて、引き締めた顔でメイメイを見返した。

「立つよ、あの人は」

自信や確信に固められた言葉ではなかった。
あるのは、信頼。

「どんなに時間がかかっても、あの人は自分の足で立ち上がる」

「剣」が砕けたくらいじゃ彼女は壊れないと、先達の抜剣者は言い切った。
毅然とするそんなウィルの顔を見て、メイメイは目尻を和らげる。

「行ってくる」

「アティの所?」

「いや。まだ起きてないだろうし……今は、僕ができることをする」

反撃の狼煙を仕込んでくると、ウィルは歩き出す。
全てのことが終わったら、一杯話そう。嫌と思われるくらい、彼女と沢山の言葉を交わそう。
言葉の力を信じていた彼女に、それは決して間違いなんかではないことを、思い出してもらおう。
それまで、自分が彼女を守り抜く。

「ウィル」

「何?」

「無理しちゃ駄目よ?」

「みんなに無理してもらう予定だから、大丈夫」

あのねぇ、と苦笑された雰囲気を背で感じながら、ドアの前に立った。
ドアノブを掴んで回し、太陽の光を浴びる。

「いってらしゃい」

「ああ」

空は、果てしなく蒼かった。













「…………」

キュウマは目を閉じて、構えていた。
竹藪に囲まれた鎮主の社は粛々とした静けさが横たわっている。
自分以外誰もいない空間で、彼は瞑想に耽るように押し黙り、己の内側に没入していた。
腰に差した刀を持つ手がピクリと震える。

「く……っ」

そこで初めて顔が苦渋に歪んだ。
額に丸い汗を一粒二粒溜めながら、此処にはいない、見えない何かと水面下の争いを繰り広げる。
時間が経過するにつれ表情は険しくなっていき、がさっと竹林が風に揺れた瞬間、一気に開眼した。

「────ふっ!!」

刀が閃く。
息を呑むほどの鋭い音響が辺りに木霊し、目の前を舞う細長い竹の葉が、真っ二つに切断された。
竹のざわめきがしばらくの間その場を満たす。

「勝てない……」

刀を抜いた態勢で固まっていたキュウマは、刀身を鞘に戻してぼそりと力なく呟いた。
仮想の敵、心で描く想像上の相手と何度も何度もし合っても、結果は全て同じ。抵抗虚しく自分の体が無残に割られる。
老剣客、ウィゼル。
先日、剣の腕前を見せつけられた侍に、キュウマはイメージの中でどうしても勝つことができなかった。

(抜刀の初動が、違い過ぎるっ……)

それだけではない。
間合いの取り方、足運び、何事にも動じない湖面のような静謐な心、威圧、剣気。
多くの要素から、実力そのものに大きな隔たりが生じている。

(正面からは戦わず、敵の虚を突くのが忍びの極意……)

奇襲、不意打ち、搦め手。
しかしそれらも、不意が不意に成り得ないあの剣豪に果たして通用するものなのか。
柳のごとくいかなる風も往なし、逆に斬閃を見舞ってくる『返しの刃』。
一人の剣士として、ウィゼルは完成され過ぎていた。

(…………)

真っ向から立ち向かっても無謀な敵。遠距離から召喚師が相手取ろうにも、あの距離を問わない斬撃によって、むしろ相性という点では最悪に等しい。
故に、ウィゼルを受け持つのは本来ならばキュウマの役割だ。正面から挑まないという点では、忍である彼が一番適任だった。

(……私では、敵わないのか)

しかし、剣の腕前は足元にも及ばず、いち忍としても十分に渡り合うことができず。
戦場で悠然とたたずむウィゼルを目にする度に、その見解は深まっていくばかり。
無力感が全身を支配する。
生真面目過ぎるきらいがあるキュウマは、苦悩に苛まれ失意に沈みかけていた。

「────!?」

突然の殺気。
警戒を微塵も払っていなかった中、目の届かない後方から襲撃が行われる。
キュウマは素早く地を蹴った。間一髪、苦無が地面に突き刺さる。

『ほう。腐り切っていたかと思えば、存外に動けるらしい』

「貴様は……!?」

放たれた攻撃から位置を割り出し振り向くのと、襲撃者の声が降ってきたのは同時だった。
敵は上にいた。社の屋根に立つのはボロボロの黒い外套。
キュウマはそのシルエットを一度たりとも忘れたことがない。

「野人二足!!」

『……うん、まぁ、呼び名はどうでもいい』

一度しか見えてないにも関わらず、キュウマにとって仇敵といって差し支えのない相手、野人二足。
寝床で何度うなされたか分からない諸悪の元凶が、今度こそキュウマの目の前に現れた。

「そこは我が主が眠る場所、今すぐその汚い足をどけろッッ!」

『仕えていた過去の主にも未だ忠誠を続ける……なるほど、忍の鏡だ。しかし、既にいなくなった者を気にしている余裕が、今のお前にはあるのか?』

激昂しかけるキュウマとは対照的に、野人二足は淡々と言葉を連ねる。
記憶にある立ち姿と微妙に異なる気がして、キュウマは僅かな違和を感じていた。
身長はあれほど高かったか。以前落とし穴の中から見上げた時は、高低差を差し引いてももっと小柄だったような気がする。
いや些細なことだ、とキュウマはその雑念を払い、それ以降頓着することはなかったが。

「何が言いたいっ……!」

『今この島にいる剣士……あの御仁の刀の錆に成り果てない算段はあるのか、そう尋ねている』

「!!」

震えた。
まるで己の心を見透かしたかのような指摘に、キュウマは驚きを隠せず瞠目する。
その様子を見て、肌の一部も見えない黒装束は『ふむ』と顎に手をやる仕草をした。

『どうやら無粋な質問だったようだ。実際に刃を交わしてもいない相手に尻込んでいる時点で、程度が知れていたな。許せよ』

「ッ……!」

焚きつけるような言い方に、キュウマは眉を吊り上げた。
それまでの後ろ向きな思考が灰となって燃え尽き、代わりに煮え滾る闘志が腹の底から湧き立ってくる。
塞ぎ込んでいたそれまでの姿勢が一瞬で改まった。
その瞬間、野人二足の外套の奥に埋まる目が、キラリと光った……ような気がした。

『そうだ、自嘲は何も生まん。今のお前に必要なのは安易な打算ではなく、何が何でも敵を撃ち破ろうという気概だ』

「……っ?」

人を小馬鹿にするような言動から裏返った態度と声音に、キュウマは混乱する。
そして次の発言に、キュウマは一段と心臓を鳴らした。

『────打ち勝ってみせろ、ウィゼルに』

「!?」

呆然と自分を見上げるキュウマに構わず、黒装束は続ける。

『奴の居合いは神業の域に達している。見ても間に合わん。感じろ』

『呼吸を、筋肉の僅かな流動を、動作の機微を。僅かな前触れも逃すな。全神経を集中し、見極めろ』

『暗殺者として標的を見定めてきたその洞察力ならば、可能な筈だ』

畳みかけるように告げられる言葉によって、次々と動揺の波が起こる。
特に最後の台詞はキュウマに強烈な衝撃を与えた。
この島がまだ無色の派閥の実験場だった頃、キュウマは召喚師達に暗殺者として召喚された。派閥の定める破壊活動を担うのを始め、組織に仇なす存在、不穏分子、用済みとなった人材あるいは召喚獣、それらの処理を押し付けられたのだ。
リクトという主君に出会えなければ、血を求め続ける抜き身の刃に変わり果てていただろうと、キュウマは過去の自分を顧みてそう思っている。

護人とミスミを除けば知る者はいない事柄を、何故────。
瞳を揺らしてキュウマは、風に煽られる黒装束を見つめた。

『剣士としての腕と忍としての技量を足し合わせても、伯仲には足り得ない。だが、アサシンとしての研ぎ澄まされた感覚を上乗せすれば、銀砂ほどに過ぎずとも、勝機は見えてくる』

「……」

『暗殺者としての自分に舞い戻る必要はない。少しでいい、受け入れろ。穢らわしい汚点として忌避するのではなく、今日のためだけに培った力として、思い出せ』

「思い出す……」

『少なくともあの剣豪は、必要な力を見境なく、己の血肉として取り込んできた筈だ』

知れず耳を傾けていた。
何事かを企む訳でもなく、純粋にキュウマの可能性を引き出そうとしている声音。尋ねずとも真意があちら側からやって来た。
先程口にしたように、勝ってみせろの一言が、ひしひしと言葉遣いから伝わってくる。

『……くれてやる』

おもむろに、腕を振るように外套がばさりと揺れた。
投じられたそれは宙で円を描き、ザンッと音を立ててキュウマの目の前に突き立つ。

「これは……」

『銘刀サツマハヤト……この世に二本とない名刀だ』

手を伸ばし、柄を引き上げあらわになった刀身を見て、キュウマは唾を飲んだ。
一切曇りのない銀の刃。刀を扱う者として、その切れ味を振るう前に察する。
下手をすれば逆に自分が振り回されかねない、極限の神刀。

『使いこなしてみせろ。……さらばだ』

「っ、待て! 何故、自分に肩入れするような真似をする!?」

立ち去ろうとする黒装束にキュウマは声を荒げた。
踵を返そうとした野人二足はその声に動きをぴたりと止め、考える素振りをする。
そして、

『忍の可能性が知りたい、それだけだ』

簡潔に述べて、黒装束はその場から姿を消した。

「…………」

キュウマはまた一人となった竹藪で立ち通し、些少の間、無言を連ねた。
どこまであの男のことを信用していいかは分からない。得体の知れない相手だ、初見の一件もある、むしろ信を置くだけの価値はないのかもしれない。けれど。
『ニンジャの素養を計るために出没する』……ウィルの言っていた話を思い出す。
あの男もまた忍として、研鑽と鍛錬を積み重ね今を生きる、生粋の「ニンジャ」なのかもしれない。

「……助太刀、御免」

だから、キュウマは信じてみることにした。そして自分の力を、忍としての器を見せつけてやることにした。
託されたサツマハヤトに視線を落とす。
刀の腹に移る双眼からは、既に迷いは消えていた。








「えーと、面倒な奴は終わって、と……次はミスミ様か?」

「ミャミャー」

フードに当たる外套を脱いでウィルは林を駆ける。
キュウマの純情を玩んだ狸はそれを歯牙にもかけず、次なる予定に思考を割いていた。
ウィルの頭の上に乗って黒装束の顔面部分を務めていたテコは、若干乗り出して不思議そうな声を出した。

「ミャーミャ?」

「ん? キュウマにも直接渡せば良かったんじゃないのかって?」

「ミュミュ」

「いやー、あいつ真面目過ぎるから、演出臭くても雰囲気作ってやった方が薬になるんじゃないかってさ」

「ミュー?」

まぁ、効果はあった筈だとウィルは考える。
発破をかける前と後では目の輝きが違った。ウィルが普通にハイとサツマハヤトを渡しても、モチベーション的な関係で、あそこまで燃えるまでにはいかなかっただろう。
真面目腐りがちな忍者には、劇的なくらいが丁度いいとあんまりなことを思うウィルだった。

(少なくとも、名刀(サツマハヤト)にジジイは反応する筈……)

果たしてその真意は、忍者を生贄に捧げる気満々。
ジジイ相手だから死にゃあしないと勝手に高をくくっている。
さすが狸きたない。

「お宝はあと幾つあったけ?」

『残り六つほどです』

ウィルの問いに、ヴァルゼルドが返答する。
ウィルの真横を付き添う護衛獣は、両手に一杯のアイテムを抱えながらガシャガシャ音を立てて走っていた。

ウィルのできること、それは即ち反則級武器による味方強化に他ならなかった。

無限回廊で入手した戦利品を引っ提げ、ウィル一行は味方パーティのもとに順々と巡っていく。
攻撃力を中心に、恐ろしいまでカイル達の戦闘能力が上昇していくのを、今は誰も知らない。













「……お前か。何の用だ?」

「んー、まぁ、色々……」

すっかり日が暮れた時間帯。
あらかたアイテム配付を終えた俺は、リペアセンターにやって来ていた。
自動扉を越えて俺を最初に迎えたのはアズリア。怪訝な顔をしつつも、以前のような邪険な振る舞いは見られない。
昨日──俺の体感時間ではもう何か月も前だが──助けられた件といい、いつの間にか彼女は俺のことを少なからず認めてくれたようだった。……嬉しいような嬉しくないような。

「取りあえず、お礼を伝えるのを忘れてたので。……助けてくれて、ありがとうございます」

「……軍人が一般人を助けるのは義務だ。改まって礼など言われる筋合いはない」

そっぽを向いてアズリアは、俺の感謝を素直に受け取らなかった。
びみょーに頬がピンク色になっている。照れてるんだろうけど……ナニこの可愛い物体?
「記憶」が正しいなら、この後いつも斬りかかられたんだが……。照れ隠し? 馬鹿言うんじゃありませんよ、剣を振り回す照れ隠しがどこにあるんすか。

「レックス」とウィルとではこうも違いが現れるのかと、俺は顔に若干の翳りを差して死んだ魚の目をした。
現状は喜ばしいといえば喜ばしいのだろうが……なんかこう、複雑だ。

「それだけか? なら、すぐにでも帰れ。夜道は危険だ」

「……いえ、実は聞きたいことがあるんです。貴方に」

「私に……?」

俺の言葉に眉を曲げるアズリア。
無意識に腹へ手を伸ばしながら、俺は余り他の人に聞かれたくないことを伝えた。
アズリアは奥のベッドで休息したり談話している帝国軍兵士達を見やって、ふむ、と思案する。

「なら、ここの屋上でいいだろう。あそこなら聞き耳を立てられることもない」

「分かりました」

付いてこい、と言わんばかりに歩み出す背中に、俺はアヒルの子供のように従った。




「ワカメ……ビジュさんの容態は大丈夫なんですか?」

「峠は越えた、そうだ。今はまだ意識を失っているが、快方に向かっているとクノンは言っていた」

周囲の施設の灯りで照らされる屋上にて、アズリアと向き合う。
自分を助けた部下のことを内心では気に病みながらも、彼女はそれを俺の前ではおくびにも出さなかった。
付き合いが長すぎただけに筒抜けだが、そんな姿が懐かしく感じられ、なんとはなしに微笑ましかった。

「アティもまだ眠ったまま……起きる気配がない。いいのか、お前は。こんな所で油を売っていて?」

「お見舞いには、もう行ってきました。面会謝絶だって、クノンにもアルディラにも言われちゃって」

「そう、か」

ふぅ、と小さい吐息をつくアズリアの目元には、疲れの色が滲んでいた。
自分の妹が引き起こしている惨事に、胸を痛めているだろうことは察しがつく。
気にするな、と言えない今の自分が、少し歯痒い。

「……すいません、いいですか?」

「ん、すまん。私で答えられることなら、できる限り話そう」

頭を振ってアズリアは此方を正視する。
実直な人柄は相変わらず。だから俺も遠慮することなく聞きたいことを尋ねる。

「先生が軍を止めた原因……理由。知っていたら、教えてください」

「…………」

アティさんに以前聞いた話が本当なら、軍を退役した理由は「俺」と大きく異なっている。
軍人は自分には合わなかった、なんて言っていたが、あの人は元々医療方面の知識も豊富に揃えていた筈だ。看護関係の役職にもつけられた、軍をわざわざ抜ける必要は薄いように思える。
今回の事件も作用して、そこに何か引っかかりを覚えた俺は、彼女の近くにいたアズリアに真相を聞くことにした。

アズリアは一瞬黙り込む。
目を瞑って少しの時間を置いた後、アズリアは俺の目の奥を覗きこんで、やがて語り出した。

「本来なら、私の口から言うべきことではないのだろうが……」




初任務で失敗を犯してしまったこと。
旧王国の工作員に命乞いをされ、みすみす見逃し、それが原因で帝都の要人達を乗せた列車乗っ取り事件を引き起こしてしまったこと。
たった一人で事件を解決させるも、軍の上層部による祭り上げと自責の念に耐えられず、そこで軍を退役したこと。




「…………」

話を聞き終えた俺は、あの人らしい、と思ってしまった。
確かに彼女に軍人は似合わない。起こったことを事実として突きつけられると、改めてそう思えた。
皮肉にも、アティさんの犯した失態が、当時事件に巻き込まれたマルティーニ氏──ウィルの父親だ──との繋がりを築きあげてしまったのか。
……「俺」の時と全く違うな。

「……納得のいかない顔をしているな」

「うん……まぁ」

弱い、と感じる。
アティさんの心の危うさに、力を嫌い言葉を振るおうとする彼女の人格形成に、その出来事は弱いと感じてしまう。
「剣」が壊れるまで────自分自身をズタズタに傷付けるまで追い込んだ、彼女の「他人を守りたい」という強迫観念はどこから来た……?

「……アズリア、さん」

「アズリアでいい。何だ?」

「先生の村……帝国の片田舎を、旧王国の残党が襲った事件って、ありました?」

「……あったな」

アズリアの表情が能面に近くなる。
──「レックス」も経験した目と鼻の先まで迫っていた往時の事件、それを前提に推理を進めていく内に、「俺」の時は起こることのなかった“もしも”が浮かび上がってくる。
あぁ、と自分の予測が外れていないことにほぼ確信を覚えながら、俺はそれを口にした。

「先生も、巻き込まれたんですね?」








「…………」

細い寝息が、耳朶を撫でてくる。
クノンに無理言って通させてもらった治療室の中、俺はアティさんの寝るベッドの隣にたたずんだ。
頬には涙の跡。彼女の流した痛みがそこに残っている。

「……言ってくれなきゃ、わかないんですよ」

返ってくる筈もない言葉を期待して、呟いてしまう。
アズリアは当時の事件の記録を事務的に教えてくれた。
村は焼き払われ、彼女の両親は一人娘を庇って死亡し、救助された彼女自身も心神喪失。
重い過去が彼女の歩んだ軌跡には乗っかっていた。

少なくないショック。
実際に違うとはいえ、自分の親が殺されていたという事実は、ちと、響く。
俺が塞ぎ込んでもしょうがないのだが。

────守りたい……失いたくない、か。

理解できない他者の心情を、この時ばかりは一杯に慮って、彼女の胸の内を想像する。
少しだけ、自分を顧みようとしない彼女の強さと脆さに、触れたような気がした。

「……でも、それで貴方がボロボロになってちゃあ、意味ないじゃないですか」

守れるものも守れなくなる。
失わなかったものも失ってしまう。
彼女を守りたいと思っている人達を、傷付けてしまう。

とどのつまり、重荷を別けて欲しかった。
ちょっとでいいから、背負った荷物を寄越して欲しかった。
心を開いて、欲しかった。

「……人のこと言えねー」

一頻り苦笑して、じっと彼女の顔を見つめた。
結局、やることは変わらない。
少し疲れてしまった彼女を守ってやる。終わらせることを終わらせたら、彼女がげんなりするまで付き纏ってやる。
今は閉じられている瞼が開いて、本当の笑顔が咲くまで、甲斐甲斐しくも働き回ってやる。
それだけ。

「…………」

胸がすぅすぅと上下している。
赤みの差した頬は柔らかそうで、小振りな唇は少し湿っていた。整った睫毛が水滴に濡れ、きらめいている。
俺は赤い髪が一筋かかっているあどけないその顔を見つめたまま、おもむろに、手を伸ばした。

頬にそっと手を添えようと、ゆっくりと伸ばしていき。
手の平に温もりが感じられるようになった寸での所で。

「……」

動きを止めて、かかっている髪を直すだけに留まった。
自分でもよく解らない苦笑をして、惜しむかのように彼女に背を向けた。
髪に触れてしまった指を、手首から振るって温もりの残滓を打ち消す。
ドアの前で首だけ振り返り、さっさと元気になってくださいね、と身も蓋もないことを言いながら、本日における彼女の顔を見納めにした。



普段は困った天然も、眠り姫になるとこうも愛らしくなるのかと、不謹慎にもそんなことを思ってしまった。



[3907] サブシナリオ11
Name: さもない◆5e3b2ec4 ID:c33a9c35
Date: 2011/03/27 19:27
「…………」

窓から差し込む日の光が儚くなってしまった横顔を照らす。
薄い寝巻を着たアティが、ベッドの上で体を起こし、シーツのかかった下半身をただ見つめている。
瞳は虚ろとはいかなくとも意思の光は感じられない。事実彼女は何も見ていなかった。
心が壊れてしまった彼女は何も発することなく、人形の振る舞いで微動だにしなかった。

『……先生、起きてる?』

ドアの向こうから躊躇いがちに声が投げかけられた。ソノラのものだ。
アティは動かず、反応を示さない。

『今日もご飯作ったんだけど……あ、あははっ、昨日のはあたしが当番だったからアレだったかもしれないけど……きょ、今日の朝食はなんとオウキーニが作ったやつなのよ! 取れたてでぷりぷりのエビが入ったスープなんて本当に美味しくてさぁ! だからさ、先生っ……だか、ら……』

努めて明るく出していた声が次第に萎んでいく。
何ら動きのない部屋の前で、ソノラは押し黙ったようだった。
完全に彼女の声が途切れる。

『……もし良かったら、食べて』

「……」

消え入りそうな言葉を残し、寂しげな足音が遠のいていく。
終始動くことのなかったアティの顔が、若干俯いた。

『……ィル? ……そっち先生の……何をする……?』

ところが、去っていく予定だったソノラの気配がおもむろに立ち止まった。
遠ざかったせいか、途切れ途切れの声がアティの部屋に届いてくる。

『いや、だから話をっ……え、ちょ…………はぁ!?』

慌ただしくなってきた。

『ばっ……! こら、止めっ……空気を読ん…………ちょーっ!!?』

むしろ怪しくなってきた空気に、アティの意識しない所で本能が何かを訴えてきた。
────嫌な予感がします。
そんなニュアンスの訴え。
が、しかし、主人格を司るアティの心は無反応を貫き通した。

表面上は人形のまま。
微妙に引きつりそうになった眉には知らんぷりをきかせながら、アティは黙ってそのままでいた。
ほどなくして、部屋のドアが蹴破られる。

「おはようございます、先生! 今日も外出して馬鹿みたいに小躍りしたくなるくらい、いい天気ですね!!」

耳に響くうるさい声。
大きく張った声とは裏腹にポーカーフェイスをしているウィルが、朝食一式の乗ったトレーを両手で持って、ずかずかと室内に入り込んできた。
その後ろではソノラがだーと涙を流し、腕を伸ばしながら固まっている。
アティは、反応しない。無視する。

「ご飯、食べてください」

「……」

椅子をとっ掴み、ベッドに引き寄せ、トレーをその上へ少々乱暴に置いた。
静かな声には有無を言わせない響きがある。
すぐ横でじっと直視してくる双眸に、それでもアティは動かない。無視する。

「腹の肉が気になってダイエットする気持ちは分かります。ですが、あえて言います────諦めましょう」

「…………」

ぷるっ、と意識を離れて手が震えそうになった。
本能的に何かが目覚めて食いつきそうになったが、動かない。決して動かない。不動。
断固無視する。

「……先生? 頑なになるのは分かります、服がきつくなってきたのは確かに辛いかもしれません。けど、一時の感情で暴走するなんて浅はかっていうもんです。だってそうでしょう? 結果なんて見え透いてるんですから」

労わるような声音でそっと語りかけられた。腹立たしいほどにムカつく声音だった。若干哀れむような響きも混ざっている。
無視、する。

「どうせ失敗して太るに決まって、おっと、体重が重くなるんですから、早く悟りましょうよ」

────メラ、と何かが燃え上がりそうになった。
言い直した意味はあるのか。言い直した意味はあったのか。
ダイエットに成功したことなんて一度くらいはある。あるったらある。ありますよ、当然。馬鹿にしないでください。そんな何度も失敗してる筈なんか、筈なんか……。

唇がむずむず動き出しそうになるのを、アティは無意識の内に封じ込めた。
本能はもはやガンガン燃え上がってガンガン薪をくべられている。脳裏を過るのは淡々とキャンプファイアーを行う狸の絵。発狂しそうになった。
されど、耐え、る。

「……」

「………………」

ウィルはじーっとアティの横顔を注視する。彼女の反応を窺うように。
ベッドにぎゅぅっと噛みついている両手の指には気付かないまま。
アティは同じ姿勢で、口を引き結んでいた。

「食え」

「!?」

いきなりだった。
埒が明かないと判断したのか、ウィルは皿の上のパンを取ってアティに押し付ける。
ずいっ、ぎゅむっ、と唇に押し付けられた小麦の塊に、アティは思わず目を見開いてしまった。

「そら、食え、食ってしまえ。天然なんぞがダイエットなどおこがましいわ」

「……!? ……!?」

ぐいぐいと顔に寄せられる度に香ばしい焼き立ての麦の香りが鼻腔をくすぐる。
押しつけがましいその態度に、アティは徹底抗戦をした。
両目を瞑り、ぷいっ!と顔を明後日の方向に向けさせる。ともすればそれは嫌いな野菜を嫌がる子供のような仕草。
ウィルもめげない。逃げられると当時に先回りをして待ち構える。フットワークに優れた拳大のパン。

アティの顔がぶんぶんと振られる度ウィルが動く。
左、右、左、右、左右左右左右。
激しい攻防を繰り広げる両者。彼等の後ろで、ソノラが静かに汗を垂らしてその光景を見守っていた。

「……っ!」

「────そこ!」

「んんっ!?」

呼吸の乱れたアティの口が酸素を欲した時だった。
細く空いた小振りの唇に、ウィルは懐に隠し持っていたパックを電光石火の勢いで閃かせる。
アティの唇にパックから突き出たストローがねじ込まれ、次にはウィルの指がパックを容赦なく握り潰す。
容器の中身はゼリー状の飲料、ラトリクス産。爽やかな果物の味がアティの口の中に広がる。
10秒チャージ、2時間キープ。

「んっぐ────けほっ、こほっ!?」

「これで先生は一日必要な栄養を五日分摂取しました」

「問答無用で太るわぁーー!?」

女の敵ぃー!? と微妙に突っ込む箇所が間違ってるソノラの声をバックに、アティは口を手で押さえながら咳きこんだ。
かぁっと熱くなる全身。抗議の声が喉をせり上がってくる。

────何するんですか、ウィル君!?

いつものような涙声が出かかって、思わず吐き出してしまいそうになって、実際音になりかけて。
けれどアティは、それを口にすることが、できなかった。
ぐいっ、と。シーツを引き寄せて自分の体に被せる。座ったままの体勢で、ベッドの上に真っ白な山ができあがる。
閉じ籠ってしまった。

(…………ひぐっ)

──何をやっているんだろう、と。
今まで空っぽだった心の中で、久しぶりの気持ちが浮かんだ。
枯れきってしまっていた感情が、例え種類はどうであれ、確かな水を得た。
人形から人間に戻ったアティは、被ったシーツの中で無性に泣きたくる。

──もう、無理なのだ。
──言葉の意味が、分からなくなってしまったのだ。
──自分の抱いていた本当が本当だったのか、分からなくなってしまったのだ。
──分かっていたのかさえも、もう分からない。
──砕け散ってしまったのがなんだったのか、それさえも。
──張り詰めていた何かは体の中で切れてしまって、胸の奥にあった笑顔も無くなってしまって。
──どう笑えばいいのか、自分はどんな風に笑っていたのか。
──分からない。
──自分はもう、笑えなくなってしまった。

気が付けば、涙がこぼれていた。
整理のつかない感情が渦を作る。情けない姿を晒すみじめな自分もそれを助長させて。
アティは目を思い切り閉じて、ぽたぽたと、自分の膝に涙をこぼした。
纏っている寝巻にしみができていく。

「…………」

時折揺れる白い山を、目の前でウィルはしばらく見つめ続け、おもむろに背を返した。
困惑するソノラも押して部屋を出る。
今度こそ遠ざかっていく気配に、アティの涙が量を増して溢れ出た。

「先生」

びくっ、とシーツを被っている山が震える。
出入り口の方から凛とした声が投げられた。

「……先生は、頑張ったと思います。血反吐はいて、頑張り過ぎるくらいに頑張って、一人で無茶してきたと思います」

「だから、そろそろ休んでいいと思います」

「骨休みって、大切ですよ」

最後にそう言い残し、今度こそ声の主はいなくなった。
窓から暖かな光が転がり込んで、寒くなっていた部屋に静穏が満ちる。
するすると頭から被っていたシーツを下ろしたアティは部屋の扉をぼうっと見つめて、窓の外を見た。
涙を溜めた瞳には、今の太陽は眩しくて……アティはそっと瞼を閉じる。
肩の荷は、少し和らいでいた。



それが、三日前のことだった。









然もないと  サブシナリオ11 「ウィックス補完計画その11」









「…………」

アティは頼りない足取りで島を渡り歩いていた。
俯き加減に保たれた顔は依然として明るさが鳴りをひそめており、覇気というものはまるで感じられない。
むしろ心の砕けた彼女がこうして行動をしていることの方が、今という状況のもとでは不自然だった。
では何故そんな彼女が島を彷徨っているかというと、先程、彼女のもとに一つの報せが入ったのだ。

────ウィルがいなくなったの。

ベッドの上で聞いたソノラからの言葉。
既に三日、海賊船に戻らず行方をくらませているらしい。テコやヴァルゼルドも一緒だそうだ。
これまで好き勝手好き放題に水面下で動きまわっていたウィルのことだ、カイル達も大騒ぎしているという訳ではないのだが……アティの件も手伝って暗雲立ち込めている今の状況、不安は隠せないらしい。
無色の派閥あるいは、最悪イスラの手の内に掴まっているのではないかと。

ソノラが部屋を去った後、アティは気が付けば身支度をして船を抜け出していた。
一種の朦朧とした状態を継続させながら、彼女はウィルの姿を探し続けている。

(……私は)

ウィルを探す道中で色々な人達に会って、その度に体の一番深い所が疼いた。
パナシェは、大樹ユクレスの前でアティに笑顔が戻るようにとずっと願い続けていた。
ジャキーニは、ナウバの実をくれて気軽に慰めてくれた。
ゲンジは、彼女の態度を叱咤し教師がなんであるか今一度説いた。
メイメイは、笑顔には理屈なんていらないとそう言ってくれた。
アズリアは……この腐った体たらくを怒り、罵倒し、軽蔑し、そして不器用に背中を押していった。

彼等の言動が絡み合ってアティの胸をきつく締める。
自分の身を案じる人達の声が、何度も何度も反響した。
自己に対する、形の見えない不鮮明な問いかけ。それがアティの胸でもたげる。

(私は……私が、今ここにいる意味は……)

倦怠感を纏った体の内で、本当に少し、何かが胎動する。
少し寒い風に髪が煽られる中、彼女の胸の内もまた揺らいでいった。

「…………」

崖に出た。
遥か下方で、打ち寄せる波が岩肌にぶつかっては音を立てている。
島の縁に沿ってアティは、そのまま歩みを重ねていく。

(どうして私、こんな所に……)

ウィルがいる筈もないというのに。
岩槍の断崖。「剣」とアティの心が砕けた場所。
アティの想いが、イスラの狂気に打ち負かされた場所。
感傷かと、無意識の内に足を運んでしまった己の行動を思案する。
崖の一角に「剣」を破壊される自分の幻影を見てしまい、アティは視線を遠ざけ、逃げるようにそこから立ち去ろうとした。


「!?」


踵を返そうとした、まさにその時。
アティの耳に何かが弾ける音が届いた。
危うく聞き逃してしまいそうな大きさで、絶え止まず連続して響く、何かと何かが衝突し合っている金属音。
この島に来てから、もはや幾度として聞き慣れてしまったそれは……

(誰かが、戦ってる!)

理解した瞬間、アティは走り出していた。
考えての行動ではない。ただアティは、自分がこんな状況になっていても、誰かが傷付け合っているという事実を看過することができなかった。

砕ける波の音に紛れる細かな音が、進むにつれその身を大きくしていく。
聴覚だけを頼りにして、林の中へ飛び込んで、土を蹴り、茂みをかき分ける。
音がとうとう鮮明に聞き取れる位置までやって来た時、遠方、アティの視界に一人の老人と一人の少年が映り込んだ。

「────っ!!」

断崖から少し離れた、中規模に開けた地形。海が近い。二人はそこで争っていた。
アティがその光景にショックを受ける間にも、激しい戦闘が続いていく。
ウィルが細剣を翻し横斬りを見舞う。それをウィゼルは難なく打ち落とし、更に強烈なカウンターを付属させてきた。狙いは頸部。
──シュン、と空を切る音。アティの顔が青ざめる。

首と胴が離れることはなかった。
間一髪の所で、いやぎりぎりの範囲を見極めて、ウィルは刀の丈すれすれの所で回避する。
命知らず極まる最小限の動きで、ウィゼルの『返しの刃』を躱し、すかさずその間隙を衝く。
ウィゼルの双眼が険しさを乗せて細まった。

(うそっ……!?)

アティは呼吸を止めてその攻防に見とれた。
彼女もあの派閥の用心棒であるウィゼルの実力は知っている。とてもではないが、ウィル一人で敵うような相手ではない。
にも関わらず、少年はウィゼルとせり合っていた。
解せない。まるで解せない。彼等の間では、個々の術や剣の技術は置いておくにしても、身体能力の差が歴然としている。
達人の域を越えてしまったウィゼルの腕もあって、技巧による形成逆転は難しい。全てが抑え込まれてしまう。間違ってもこのような展開には陥らない筈なのだ。
戸惑いで頭を埋め尽くすアティだったが、ある光景を捉えた瞬間、閃きが駆け抜けた。
ウィルの体の周りを、薄らとした緑光が取り巻いている。

(憑依召喚!!)

召喚獣憑依による能力向上。
外部からの恩恵により、ウィルは一時的に己の力をブーストしているのだ。
察するにあれは「クロックラビィ」。対象の体内外を時間操作することで相対的に速度を上昇させる、幻獣界の時兎(ときうさぎ)。伴って移動力も付与させる。ちょうど「スライムポッド」と真逆の憑依効果だ。

疑問は氷解した。
速度という一点のみ、ウィルはウィゼルと同じ土台に立っていたのだ。力で劣っていたとしても、もとより抜きんでていた“速さ”が強化されることで、ウィルの持ち味が生きてくる。
依然として随所で押し負けている所は確かに見受けられる、しかしそれも、投具を始めとした豊富な手札で強引に埋め合わせていた。

また、少年のキャパシティ自体が全体的かつ徹底的に底上げされているのもこの勝負の中で追い風となっている。前回の戦闘の際とは、まるで別人だ。
剣豪もそれを痛感していることが表情から見て取れる。
ウィルは自ら相手の懐に飛び込み、左右側面から襲いかかる至近戦闘を仕掛けていた。

(でも、あの動き……)

状況を理解する一方で、アティはウィルのウィゼルに対する動きに引っかかりを覚えた。
緊急回避一つも、危うげでありながら……どこか予定調和。そんな気がするのだ。
出方を読んでいる? それとも、見切り?
いや違う。あえて言うならば、相手の動作を予測しきっている。
まるで“ウィゼルの一挙手一投足を把握しているかのような”。
此方の手札は明かさず、相手の持ち札を丸見えにさせているような、そんなずるい感覚を、ウィルの動きからアティは感じ取ってしまった。

「……ふっ!!」

「っ!?」

(あっ!?)

アティが思考に耽っていた間に戦況が動いた。
今までの攻撃が霞んでしまうほどの、鋭い切り返し。剛力も上乗せされた一撃が、防御ごとウィルの体を弾き飛ばす。
初めて互いの間に大きな間合いが敷かれた。

そして一瞬。ウィゼルは刀を鞘に納め、必殺を構えた。
ぞくり、とアティの背筋が震える。観戦の立場にいるにも関わらず、戦慄が全身を支配した。
居合い切り・絶。剣匠の死刑宣告。
ウィルの顔にも瞬間的な緊張が走り抜ける。

戦闘を強制終了させるあの技を構えさせてはいけなかった。もとより、ウィルはそうさせまいと執拗にウィゼルへ貼りついていたのだから。
絶対絶命。アティの脳裏にその言葉が過る。
────逃げてっ。
アティの声にならない訴えを、ウィルは果たして聞き届けたのか、右足を浅く後退させ────突っ込んだ。


(────────)


“突っ込んだ”。
斬撃の死地に自ら、飛び込んだ。
アティの呼吸と鼓動が途切れた。顔が色を失い、全身の機能がストップする。
胸が、張り裂ける一歩手前までいく。

ウィルは加速する。
最速力の突貫がウィゼルに肉薄する……が、無論、足りない。
歩数にしてたった五歩の道程。しかし繰り出される一撃の前では、余りにも遠すぎる道程だ。
鯉口を切る音。はばきが外され、鞘に納められた刀が銀光と一緒に牙を剥く。
ウィゼルの双眼が極限まで細まった。
そして、一気に、



『死に腐れであります』



空気の読めない鉄兵が、長距離射撃を敢行した。

「!?」

(────ぶっっ!!?)

大気を切り裂く音が鳴り響く。ウィゼルは瞠目し、アティは吹き出した。
機械兵士の性能にものを言わせた超精密狙撃。丘に潜んだ寡黙なスナイパーが、スコープ越しにロックオンしたウィゼルの米神目がけ、黒ずんだ鉛玉を射出。
汚っ!? と味方のアティでさえ思わせるその一撃は、完璧にウィゼルの意識と視界の死角を突いた。
狸は進む。全部予定通りだから。

剣豪は動揺をあらわにしつつ────なんと、完全回避。
首を前に折って凶弾をやり過ごす。スコープを覗いていたヴァルゼルドの瞳が驚愕に見開かれた。
体勢が僅かに崩れたウィゼルだったが、それも許容範囲内。誤差を修正し鬼畜狸を捉え直す。

ウィルは二歩の距離を稼ぐことができたが、まだ三歩遠い。依然ウィゼルの有利。
盤外からの奇襲はもう考えられなかった。ウィゼルが殺気を募らせ柄を取る。
息を呑むアティの視界の中、ウィゼルの手がぶれた。

「疾ッッ!!」

「────ぐぉ!?」

しかし、その瞬間だけ、ウィルの一手は抜刀より早かった。
小柄な体から繰り出されたのは空気の揺らぎ。必殺に専念していたウィゼルの無防備な腹に、実体のない一撃が直撃する。
『魔抗』。
予備動作を必要としない魔力の体外射出。
無手でそのスキルを扱えない未熟者が、その手に提げて用いた魔力媒介は、「剣」。
右眼を碧に染めたウィル渾身の衝撃波が、無敵を誇っていたウィゼルに踏鞴を踏ませた。

「っっ、小僧ッ!!」

ダメージを無視し、ウィゼルは不利な体勢ながら居合い斬りを放つ。
鍔が鞘から離れ刀が走る。神速の斬撃が空間に弧を描こうとした。

「ふぬらっ!!」

が、

「なっ!?」

ガキンッ! と。
刀の柄頭に、「剣」の柄の先端が打ちつけられる。
刀身が鞘から抜け切れない。抜刀を強引に抑え込まれた格好だ。
三歩あった間合いは、既に走破されていた。


「くたばれ」

「ッ!?」


零距離に等しい間隔の中、ウィルは空いた手に装備したサモナイト石で高速召喚をする。
不意の不意の不意を畳みかけようやく手に入れたウィゼルの虚。
そして、“回避不可能な”絶対の間合い。
ウィルはそれを逃そうとはしなかった。



「召喚・焔竜の息吹」



頭上、成長したテコが魔導書を大気の上に叩きつける。
開かれた書から喚び起こされた竜頭が、ウィルとウィゼルのすぐ真上で、がぱっと顎を開いた。


「ウィッ────!!?」


生徒の名を叫んだアティの悲鳴は、劫火に塗り潰された。
轟炎。
最大の火力がウィルとウィゼルを一瞬で呑み込んだ。上方より降り注ぐ灼熱の滝はアティの双眸を焼き、なお吐き出され続けていく。
避ける暇も防ぐ術もあろう筈がなく、二つの影が炎の奥に消える。
自爆攻撃。身の保障も捨ててウィルはウィゼルを討ちにいった。
唇を震わせるアティが、堪らず足を一歩踏み出した次の瞬間、

「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っっ!!!?」

大爆発。
なみなみと注がれた竜の炎が膨れ上がり、内部から破裂した。紅色と黒色が混ざった華が咲きあがる。

衝撃を受けたアティは背後に飛ばされた。林の中、何枚もの葉や枝と一緒に地面を転がっていく。
勢いようやくが止まり、帽子を押さえながら顔を振り上げた時には、ウィル達がいた場所から随分離されていた。
バクバクと壊れるのではないかというほどの心臓の音に突き動かされながら、アティは吹き飛ばされた道を戻る。
必死に枝葉を押しのけ、躓きかけること数度、やがてもとの位置まで辿り着いた。

確保した視界の中に最初に映ったのは、焦土となった崖。
あちこちで未だ揺らめいている炎の断片。
そして、緩慢な動きで起き上ろうとする、二つの影。

「ぁ……!!」

アティの顔が安堵一色に染まり、強張っていた体から力が抜けていく。
爆心地にいたウィルとウィゼルは、互いに吹き飛ばされながらも一命を繋げていたようだった。ウィルは地面から立ち上がり、ウィゼルも叩きつけられた岩から背中を離す。
どちらも満身創痍に近い……ようには見える。
ややあって完璧に立ち上がったウィルは、静かに佇立したウィゼルを忌々しげに睨んだ。

「おいっ、ジジィ、何で生きてやがる……!?」

「……“斬った”」

「馬鹿野郎……っ!!」

焼けてボロボロになった帽子の塊を脱ぎ捨て、ウィルは苦虫を噛み潰したように吐き捨てた。
恐らく、抜剣召喚を経て、魔力対抗力を上昇させた自分だけが生き残るというのがウィルの思惑だったのだろう。元来の使い方の魔抗まで併用して相殺したらしい。結構元気そうである。
同士討ちなど鼻からするつもりはなかったのだ。

それに対してウィゼルは、言葉の通り斬ったのだ、あの炎を。
尋常ならざる剣速と剣風で真空状態を生み出し、被害を最小限に留めたのである。
ウィルでなくても頭を抱えてしまいたくなる出鱈目ぶりだった。

しかし、確実にウィゼルは傷付いている。
普段と変わらないように見えるが、防具である着流しは焼け落ちて損傷が酷く、全身は火傷だらけだ。
特に利き手である右手から肩は、目を背けたくなるほどの熱傷が崩れた着流しの隙間から覗けていた。

「……仕切り直す前に、もう一度聞いておく」

溶けた鞘を捨てたウィゼルが髭を動かす。

「その砕けた『剣』の欠片を、大人しくこちらに渡さぬか?」

(えっ……)

その言葉を聞いたアティは驚いた。
ヴァルゼルドの狙撃を含めた手回しから、ウィルがウィゼルに戦闘を仕掛けたものだと思っていたが、どうやら違うらしい。ウィゼルの方がウィルに用があったのか。
アティはウィルに視線を移す。彼は腰に吊るした──「剣」の破片を集めたと思われる──袋をそっと手で押さえた。

「誰が渡すか。そもそも、状況を見て言え。あんたの方が明らかに重傷だろうが。自分より弱ってる相手の交渉なんて聞かん」

「……そのような『剣』の残り滓で、よく強がるな、小僧。共界線からろくに魔力も引き出せず、己の意志のみで魔剣の力を繋ぎ止め……外はともかく、中は無事で済んでいるのか?」

「…………」

ウィルが表情を消した。

「例えそれを所持していたとして、どうするというのだ。『剣』を復元して、女をもとに戻そうとでもいうつもりか?」

(……!)

少なくない衝撃がアティを襲う。
ウィルが三日も姿を消していたのは──「剣」の欠片を探し回っていたのは、自分のため……?
瞳が動揺に揺れた。

「あの時、シャルトスはキルスレスに砕かれた。女の心は破れたのだ。『剣』を修復した所で、穿たれた空洞(あな)は塞がらん」

ウィゼルの言葉がアティに突き刺さる。
空洞。そう、確かに今の自分には孔が空いている。
がらんどうで、寒くて、空虚で、いくら外から風が吹いてきても通り抜けていってしまう。
前にはあった芯が、アティという器の中で砕け、消え失せてしまった。

「あの腑抜けた『剣』の輝きと強度はお前も見たであろう。折れた意志に、どれほどの価値があろうか」

突き刺さる。突き刺さる。突き刺さる。
容赦のない言葉がアティの胸に殺到する。
けれど、いくら串刺しにされようが、貫かれようが、痛みは感じなかった。
無気力なまま、ただ受け入れてしまっている。
やはり、自分は壊れてしまったのだ。

「あれはもう、死者だ」

ウィゼルの言う通り、『アティ』は、死んでしまったのだ。
だらりと、過去の壊れた自分を取り戻したように、彼女の顔が俯く。



「あの図抜けた天然が、そう簡単にくたばる筈ないだろう」



「──────」

地面に視線を落とす瞳が、見開かれた。

「意志なんて簡単にへし折れるに決まってるだろうが。折れて、直して、折れて、直して、それの繰り返しだ。強い意志なんてない、折れたものを作り直そうとする、馬鹿みたいに諦めの悪い人達がいるだけだ」

芯のこもった声だった。
ウィルに似つかわしくないほど、強い響きがあった。
はっきりとした語気で紡がれるのは、ウィルの持論? いや、彼の見てきたもの?
苦しんで、迷って、挫けて、泣いて。
それでも過去を振り切って、過去と決別して、そして過去に笑われないよう、前に進もうとした人達が、いた?

この時アティはアルディラとアズリアの顔を思い浮かべた。
ウィルにも、彼女達のような人が身近にいたのだろうか。

「人は弱いよ。誰かが居てくれなきゃ、支えてくれなきゃすぐ腐る。働こうともしないで、部屋に引きこもる。僕がそうだ。今は、あの人がそうなっちゃってるだけだ」

…………。

「あの人は、死んでなんかいない」

胸が、動いた。
もう何も響くことのなかった筈の胸が、確かな音を立てた。

「……女の心は壊れた。もとには戻らんぞ」

ウィゼルは目を細める。
ありのままの事実を突き付けるように、冷淡に告げた。
それでもウィルの瞳は揺るがない。

「これは人の受け売りだ」

真っ直ぐに言った。




「想いをこめた言葉は、打ち負かされたものをより強く、蘇らせてくれる」


「───────」




「もとに戻すんじゃない。また立ち上がってもらうんだ」

ああ。

「何度だって呼びかけてやる。いくらでも呼び続けてやる」

そっか。
そうだったんだ。

「あの人が笑ってくれるまで、言葉をかけ続けてやる」

私の心は、砕けてなんかない。

「だから」

壊れたふりをして。
分からなくなったふりをして。
弱い自分が、容赦のない現実から逃げだしていただけだ。

「彼女が積み上げてきたものを、お前等なんかに奪われてたまるか」

砕けてなんかない。
砕けてなんか……いないっ!

「あの人の笑顔は、絶対に失わせない」

だって。

「……できるのか?」

だって……。




「それが、守るってことだ」




(……そうじゃなかったら、涙がこんなに溢れるはず、ないから……)

瞳から大粒の涙を流しながら、アティは笑みを滲ませた。
胸の奥にしまっていた、彼女の本当の笑顔だった。

ぐいっと腕で頬を拭い、凛とした顔を上げる。
もう迷いはない。
杖を取り出し、ウィゼルの足元に召喚術を撃ち放つ。

「「!!」」

一気に駆け出して、アティはウィルのもとへ辿り着いた。
純白の外套をはためかせ、彼の前に躍り出る。

「…………先生?」

「はい。……迷惑かけて、ごめんなさい」

ぽかんとするウィルの顔を肩越しに見て、微笑んだ。
絡み合う視線の中、憑き物が落ちた顔をするアティに、ウィルはくすぐったそうに笑った。心配させないでくださいよ、と肩をすくめながら。
ぺろりと小さく舌を出して、アティもくすぐったそうに、申し訳なさそうに笑う。一杯の感謝をこめて。

「……立ったか、本当に」

ウィゼルの言葉が風に舞う。
アティは前を向いて、強い眼差しで彼と相対した。
その背後では天然に会心の一撃を見舞われたウィルが、胸を握り潰し必死にK.O.を耐えていた。半目のテコが彼の足を支える。

「あれほどの敗北を喫してなお、お前は戦い続けるのか?」

「ええ。もう逃げないと決めました。誰からも、何からも……自分からも」

淀みのないアティの答えに、ウィゼルはじっと彼女を見つめ、やがて両目を瞑った。

「ふ……」

淡い笑みを一瞬だけ浮かべる。

「久しぶりだ。俺自らが手を振るいたいと思えた素材は……」

「……?」

独白のような呟きに、アティは不思議そうな顔をした。
おもむろに、ウィゼルはアティの目を真っ直ぐに見つめ口を開く。

「どうだ、適格者よ。お前さえ良ければ、砕かれた『剣』、俺が修復するというのは」

「!?」

告げられた言葉にアティは目を見開いた。
一人ラリっていたウィルも、がばっと頭を振り起こす。

「どうして、敵の私にそんなことを……?」

「使い手の意志を体現する最強の武器を、この手で作り上げる……俺の望みはそれでしかない」

共通する志など初めからなく、無色の派閥と行動をともにしているのは、あくまでその目的の一端でしかないのだと。
オルドレイクの狂気。それを宿した武器を生み出すために、今日までウィゼルは用心棒として彼等に同伴していたのだ。
彼は簡潔にそう説明する。
そして今、武器と心を重ねる高みまで登り詰めたアティに、ウィゼルは興味を抱いて「剣」の修復作業を持ちかけている。

「先生、話がうま過ぎです。だったら『最初から手を貸しとけよこのスットコドッコイが』っちゅう話です。無視しましょう」

「否定はせん。これもただの気まぐれだ。……だが、あえて言っておく」

『力無き意志では、意志無き力は止められはせぬ』。
アティだけを見据えながら、ウィゼルはそうこぼした。

「…………信じます」

「そうそう信じるわけない、っておおおおおおおおおおおおおいっ!?」

絶叫するウィル。

「貴方に『剣』の修復を、お願いします」

「ちょっ、先生っ!? 正気ですか?! あれ、今の今まで僕達の敵だったんですよ!? 僕、軽く刺身にされそうだったんですよっ!?」

背を向けているアティにウィルはまくし立てるように噛みついた。私怨を大いに絡ませながら。
振り返った彼女は困ったような顔で自分の生徒を見下ろす。

「今ならあれは弱ってます! ヴァルゼルドを喚んでボコれば僕達が勝つ筈です! 恐らく! そうすれば、手負いのロン毛眼鏡率いる無職な奴等との戦いがずっと楽にっ……」

「でも、その後にはイスラと戦うことになります。『剣』がこんな状態じゃあ、きっと勝てない」

「……うっ。いや、でもっ、『剣』なんて気合いとノリでどうにか直せる筈ですよ……!?」

「ウィル君支離滅裂です」

ウィルはたじろぎ、言葉を上手く使えない。
アティは更に言葉を重ねた。

「それに、もう負けたくないんです。曖昧に笑って自分を誤魔化したくない。守りたいものがあって信じたいものがある……それが分かった今だからこそ」

「…………」

口を思いっきり曲げてぐぬぬっと唸るウィルだったが、肩を落とし脱力。
もう好きにしてええ、と手を振ってジェスチャーした。
アティも頷いて再びウィゼルを見る。

「よろしくお願いします」

「ああ。任された」

ちっとも納得しきっていない顔のウィルを置いて、アティとウィゼルは会話を進めた。
道具も設備もないこの辺境の島で、どのように「剣」の修復作業を行うのかというアティの質問に対し、ウィゼルはどうやら心当たりがあるらしい。

「今からそこに向かう。付いてこい」

「……あの、すいません。少し時間をくれませんか?」

「……?」

「できたら席を外してもらうと……いえ、その心当たりのある場所を教えてもらえると、助かります……」

「…………」

ウィゼルの去った後で自分の足で赴く、ということを言外に告げるアティ。
少々訝しげな目をしたウィゼルだったが、ちょっと俯き加減にして赭面を隠すアティに、野暮な真似はしなかった。
ぶーたれて半眼を送ってくるウィルをちらりと一瞥して、アティに特定の場所を教えてから、ウィゼルはその場を速やかに去っていく。
若いな、とそんなことを呟きながら。



「…………」

「あーもう、何なんだこの超展開……」

二人ぽつんと残され、アティはウィルに背を向けたまましばらく動かなかった。
ウィルの方は両手で頭を抱えうんうん唸りながら、悩ましそうに独り言をこぼす。
白い外套が風によってなびき、ぱたっ、ぱたっ、と乾いた音が青空に吸い込まれていく。
彼女の赤い髪も一緒に梳かれていった。太陽の日差しを浴びてきらやかな艶を帯びる柳髪が、穏やかに宙を流れる。
やがて、アティの体が動き、ゆっくりと後ろを向いていく。

「先生、今更言うのもなんですけど、もうちょっと人を疑うことを覚えた方が────────…………ぁ?」

「……」

ウィルは言葉を言い終えることができなかった。
アティに抱きしめられていたからだ。

「#$%¥&#%@@¥$&#######!?!?」

「……ん」

ぶわっ、と一瞬で全身を発汗させたウィルは、壊れに壊れた声を喉から迸らせた。足元にいるテコが両手で口を押さえる。
アティは、石みたいに硬直したその体をもっと抱きすくめた。
少年の細い首筋に、自分の頬を少しだけくっつける。

(何なんだこの超展開ァーーーーーーーーーーーーー!!?)

「…………とう」

「は、はひっ!!?」

「……ありがとう」

ぴくっ、とウィルの体が揺れた。限界突破していた緊張が、徐々に体から抜けていく。
かがんでウィルに抱き着いている姿勢のアティは、その首に顔を埋めるように顎を引いた。
前髪が目元を隠し、そこから一筋だけ、涙がこぼれていく。
震える声音を出す唇はしかし、しっかりと笑っていた。

「私、貴方に会えて、良かったっ……」

「…………」

ぎゅっと強くなった抱擁に、空を見上げる格好になっていたウィルは、苦笑した。
なすがままにされつつ、労わるようにアティの帽子へ頭を傾け、小突く。ぽふっと音が鳴る。
アティの微笑む気配が伝わってきた。

海が穏やかに波打っていった。吹いてくる潮風が二人を包み込む。
ウィルはじれったい動きでおずおずと腕を上げ、行き場なく宙を彷徨わせた後。
子供をあやす様にぽんぽんとアティの背中を叩く。
返事の代わりにアティは腕の力をこめた。ウィルの苦笑は深まる。

太陽に照らされるまま。
地面に浮かぶ二つの影は、しばらくくっついたままだった。






「…………いい加減、離してください」

「もう、ちょっとだけ……」

「フミュゥ……」













「ウィゼル・カリバーン……伝説とまで言われる魔剣鍛治師。にゅふふふぅ、見事大物を釣り上げちゃったわねぇ、先生! 幸先明るいわよぉ~!」

「は、はぁ……」

ウィゼルの言う心当たりとはメイメイのお店だった。
メイメイは以前から彼と面識があったらしく、意外な組み合わせにアティは最初驚きを隠せなかった。ウィルでさえ「オイ……」と非難がましい視線を送っていたほどだ。
何故一介の店に鍛治用の炉と道具が揃っているのか疑問は甚だ尽きないが、アティはメイメイの店だからと納得することにした。もう今更なのである。

作業に問題なく取りかかれることを確認したウィゼルは、「剣」を打ち直すにあたっての説明をした。
今から自分が打つ「剣」はこれまでの「剣」とは似て異なる代物であること。
遺跡の意志ではなく、アティの意志を核として今度の「剣」は力を振るう。早い話、アティの心の強さが「剣」の強さへ直接繋がるのだ。
────確たるものを探せ。
「剣」の魂、「剣」に籠めるべきものを見つけろと、ウィゼルはそのようにアティへ告げた。

宿題を出されたアティは、具体性に欠ける内容に首を傾げていたが、メイメイは難しく考えなさるなとアドバイスを送る。
自分にとって一番大切な想い、守りたいもの。
それが答えなのだと。今、アティの心の中にいる人物に会ってくればいいのだと。
後は自ずと、その人物がアティを導いてくれると、そう言った。

「って、もう決まりきっちゃってるわね……にゃは、にゃははははははははははっ!」

意味深に笑うメイメイだったが、それはさておき。
アティは彼女に言われた言葉を反芻し、素直に従うのだった。


という訳で。


「ごめんなさい、お手伝いで忙しいのに」

「いえ、まだ時間には余裕があるみたいなんで、それは大丈夫なんですけど……」

アティはウィルのもとに来た。迷いなく。
ウィゼルから修復作業の助手を求められた彼は、メイメイの店の片隅で暇を持て余している。
今は二人向かい合い、視線を交わしていた。

「……ウィル君、何だか疲れてます?」

「ええ、まぁ……いやそんな真面目な話じゃないんですけど」

米神をグリグリと押さえこむウィルの表情は少しだけ硬い。
眉が結構すごい角度に曲がっている。

「予想の斜め上を行く展開過ぎるというか、役者が変わると脚本(ストーリー)も変わるというか、いやもう何なのこの状況というか…………もうね、先生あんた本当すげえですよ。拙者脱帽……」

「は、はい?」

「……すいません、気の迷いです。忘れてください」

要領を得ない発言に戸惑うアティ。
上を向いて眉間を揉み解すウィルからは、憔悴の色がちらついて見えた。

「で、話って何ですか?」

「……実は、さっき言われたことについてなんですけど」

アティは語る。これまで自分が抱え込んでいたものを。
自分が焦っていたこと。
オルドレイクやイスラ 言葉も理屈も通じない強大な力をもった敵を前にして、みんなを守っていけるか不安だったこと。
イスラの言う綺麗事ばかりの自分のせいで、取り返しがつかなくなるのが、怖くて仕方なかったこと。
変わらなければいけないと、自分に嘘をつきながら覚悟したこと。
結局そんな弱気があんな結果を招いたのかもしれない、とアティはそう締めくくった。

「ふむ……じゃあ、僕と同じですね」

「え……?」

「先生の考えていたことやっていたことは、概ね僕と変わらないって言ってるんです」

話を聞き終えたウィルの言葉に、アティは目を丸くする。
思いもよらなかった返答に驚いてしまった。

「焦ってましたよ、僕も。思ってたものより全然強い人外連中に、何とかしなきゃいけない何とかしなきゃいけない、って。一人で勝手に唸って悩んでました」

「ウィル君が……?」

「ええ。……ただ、僕と先生では一つだけ違ったことがあります」

「それは?」

指をぴしっと一本立てて、ウィルは言う。

「カイル達を利用しなかったことです」

「…………」

ウィルを見る目付きと顔付きが微妙なものになる。
だが彼はいたって真面目そうに続けた。

「いや、結構マジですよ? 僕は作戦やら罠やらを考えるだけ考えて、面倒事はカイル達に全部押し付けました。丸投げです。あるいは囮にもなってもらいました。僕は楽ができて、比較的余裕でした」

「ウィル君……」

「納得できませんか? じゃあ、言い方を変えましょう。僕は遠慮なくカイル達を頼りました、それこそ肩の荷が下りるくらいに」

「!」

さらっと、ウィルは核心に触れる。
アティは彼が言わんとしていることに何となく気付いた。

「僕と先生の違いは、多分そこですよ。ただでさえ先生は抱え込む癖があるのに、一人で考え詰めちゃったら、そりゃ勝てるものだって勝てません」

「先生は『剣』を持ってるせいで微妙な立場にいたかもしれませんけど」とウィルは付け加える。
確かに、頼ろうと思えば頼れた。弱音だってアルディラ達にいくらでも吐けた。
そうしなかったのは、きっと、アティが心のどこかで自分が何とかしなければいけないと思い込んでいたからだ。
仲間を傷付けたくないという直向きな思いと、彼等に迷惑をかけることで嫌われたくないという勝手な思いが混ざり合い、アティの逃げ道を塞いでいた。
後者に限っては、誰をも好きになろうとしてきた、彼女の歪んだ象徴と言えるかもしれない。

「一人じゃ割と何もできませんよ。でも、二人なら割と何でもできます。三人ならそれよりもっと。みんなとなら、それこそ何でも」

生徒を諭すような優しい声音だった。
もしくは、同じ立場の人間に同じ目線で語りかけるような、そっと言葉を添える物言い。
何故か、鏡を見ているかのように自分と似た赤い髪の青年が目の前に立っている、そんな光景が思い浮かんだ。


「守りたいものに守られちゃ、いけませんか?」


すん、と胸に何かが落ちた。
それこそ今まであったわだかまりが消えてしまうくらいに。
アティがずっと抱えてきた歪んだ何かが、溶けていった。

「互いに頼って、互いに守り合っていけばいいっていうだけの話です。そっちの方がずっと効率良くて、強そうじゃないですか?」

「……そうですね」

軽くなった胸から湧く透き通った感情。自然と微笑みが浮かんできた。
アティの相好が崩れ、頬を赤らめながら、綺麗に笑う。

「仲間想いなのはいいことですけど、先生の場合は僕を見習うべきですね」

「それは違いますよう」

ニヤリと意地の悪い笑みをするウィルに、クスクスと声を漏らした。
まぁ僕達(やろう)は女性を一方的に守りますが、えー何ですかそれ、漢はそういう生物です、男女差別ですよそんなの、いやいや、いやいやいや……。
あーだこーだとくだらないやり取りをそれからしばらく交わした後、ウィルはもう一度顔付きを改めて、アティに向かって言う。

「何でも一人で背負い込むのは止めてください。僕も裏でこそこそするの、止めにします」

「うん」

「苦しいなら苦しいって言ってください。助けて欲しいなら助けてって訴えてください。みんなも僕も、ちゃんと受け止めますから」

────先生の信じてる言葉ってやつ、使ってくださいよ。
ウィルは最後にそう言った。
分からなくなっていたものが、忘れていたものが、戻ってきたようなそんな感覚。
自分のどこかにいる幼い自分(アティ)が、無邪気に微笑んだ、そんな気がした。

アティが顔を綻ばせながら頷いたちょうどその時、ウィゼルが隣の部屋から出てきた。
どうやら準備が整ったらしい。

「待たせたな。小僧、手伝ってもらうぞ」

「へいへい」

「お前もすぐに出番だ。……答えは、見つかったか?」

ウィゼルの透徹した眼差しを受け止め、アティは隣のウィルを見る。
小さく笑みを投げかけてくる彼に、彼女もまた破顔して、ウィゼルを見つめ返した。

「はいっ!」













アジト近辺


「あっ、いたわよ! ヴァルゼルドがいたわーっ!」

「本当か!? スカーレル!」

「ええ、ほら、あそこに! ちょっと、ヴァルゼルドー!」

『……』

「心配かけさせんじゃねえよ、ったく! お前がいるってことは、ウィルの奴も無事なんだな?」

『…………ぁ、あ』

「ちょ、ちょっと、どうしちゃったの? 何かあったのっ?」

『あ……ありのまま先程起こったことを話すであります! 任務に失敗してそれでも援護に徹しようと丘に待機していたら、本機のカメラの先でマスターと教官殿が機神ゼルガノンして、じ、じじじじじじじじじじジップフレイムッ!!?』

「はぁ?」

「……大丈夫、この子?」

『本機のオイルが沸騰するであります!!』

「おい、何があったんだ……」

『……コホン。失礼、今言ったことは忘れて欲しいであります。冷静に考えれば極秘情報であります。バレればマスターの手で少尉殿のもとに送り込まれる気がビンビンにするであります。ドリルは嫌であります』

「気になるわね……。まぁいいわ、とにかくその話し方からすると、ウィルはもとより先生にも何かあったみたいね?」

『は、その通りであります! 教官殿も奮起した次第です!』

「おいおい、マジかよ!? 今日の朝まで見てられねえ顔してたっていうのに、何があったんだよ、オイ!」

『む、むむ、あれをどう表せばいいのか、本機の会話機能では限界が……』

嬉しそうに顔を歪めるカイル。唸るヴァルゼルド。

『そうであります! 本機の記録を最初から見てもらえばご理解も円滑かと! トランスフォームであります!』

屈んで頭部ハッチを開けるポンコツ。
スタンバイ観賞モード。

「へぇー、便利ねえ、機械兵士って……って、どうしたのカイル? そんな毒味を任されたような不景気な顔して?」

「……前の時と、丸っきり同じような気が……」

「?」

「いや、何でもねえ。……見てみよう」

『再生であります!』

ぱっと映る投影画面。
直後、アティが機動し、ウィルと機神ゼルガノンする図。

「「ほあぁっ!!?」」

『し、シマッタァー!?』

のけ反るカイル達。

「最初からクライマックスゥ!?」

「キャー、キャーッ!? 何これ、何これぇっ!?」

『ああ!? 忘れて欲しいであります忘れて欲しいであります?! い、一時停止、じゃない! スロー、でもないっ! て、停止、停止であります!!』

「あ~ん、消えちゃったぁ~」

「益々何があったか分かんねえぞ……」

『ち、違うのです。これは、その、ええと……レンズにゴミが!』

「いや、無茶だろ……」

「ちょっとちょっとぉ? ヴァルゼルド、何があったのかこのアタシにしっかり見せてごらんなさぁい?」

『む、無理であります! 後生であります!? 本機にはまだドリルプレッシャーパンチは早過ぎるでありまっ………………』

「……? おい、ヴァルゼルド?」

「どうしっちゃったの?」

『………………六時の方向に、ててっ、敵影ガガガガガガガガガガガガガガッ』

「六時の……」

「方向……?」

振り向くカイルとスカ。
立っているソノラ。

「「!!?」」

「ねえ、今の、何?」

前髪で目が見えぬ。

「いいいい今のって、そそそりゃあ、お前……きっ、機神ゼルガノンに決まってるだろ! なぁ、スカーレル!?」

「え、ええ、そうよ! アルディラ秘密兵器の機神ゼルガノンよ!? だからソノラ、貴方の今考えていることは間違っているわ……!」

「……ぜるがのん?」

「おう、ゼルガノン!」

「YES、ゼルガノン!」

「……ちょっと、それ、見せて」

「待て、落ち着けぇソノラァ! 銃を構えるにはまだ早いッ!!」

「ヴァルゼルドあんたどっか行ってなさいッ!!!」

『……膝の駆動系が、早撃ちされて、身動きが……』

「「見エナカッター!?」」

「アニキたち、じゃま……」


三人四脚もとい二人一機四脚をして逃走するカイル達と、黒いオーラをまき散らすソノラの追走を、ヤードが甲板から目撃したらしい。













一切の曇りがない、透き通った一刀だった。
あらゆる鉱石よりきらめき、どんな硝子よりも澄んだ、純真の剣。
透明な光が部屋全体を照らし出す。

完成した剣を目の前にして、アティはウィゼルを見る。
ゆっくりと頷かれ、彼女はそれに手を伸ばした。
細い指が柄を掴み、台座から刀身を引き抜いた途端、見る見る内に剣が蒼の燐光に染まっていく。
眩い蒼光が最高潮に達した時、そこにいたのは、蒼い「剣」を握り抜剣覚醒したアティの姿だった。

「本当に完成したよ……」

「綺麗ね……」

ウィルは複雑そうな顔をしてその光景を見つめる。
隣ではメイメイが美しい光に目を細めていた。

「分かります……この『剣』だったら、必ず!」

白髪を揺らしながらアティは笑う。
蒼穹の色をした瞳が意志の光に満ち溢れていた。
果てしなき蒼、ウィスタリアス。
アティが絶えず魔力を注ぎ込んで命を吹き込み、その末に生まれた彼女だけの「剣」。
確たる核は、「守り、守られること」。
答えを見つけたアティの意志を受け、ともに闘う仲間の数だけ威力を増加させる、これまでの魔剣とは一線を画する異彩色の「剣」だ。

「傑作、か……オルドレイクの狂気を追い続けた結果、巡り会うとはな。……だが、悪くない」

「ウィゼルさん……」

「俺自身にとっても大いに有意義な仕事だった。だから、礼はするな。その『剣』の真価を存分に示すこと……それで十分だ」

「……はい」

それでもアティは頭を下げ、自分の意を見せる。
浅く口を曲げたウィゼルはそれきり何も話さず、静かにその場を辞した。
少しの静寂。

(俺の『剣』より色が澄み切ってるな……)

(そりゃあ貴方の心の方が汚ればっかりでしょうよ)

(うっせ)

(にゃはははははっ……うん?)

小声を出しながら肘でどつき合うウィル達だったが、メイメイがふと顔を上げる。
彼女が入口に顔を向けると、間を置かず、転がり込むようにパナシェが店内に入ってきた。

「先生!?」

「パナシェ君?」

「……嫌な予感が」

涙目になっているパナシェを見てウィルが微妙そうな顔をする。
そして彼の予想通り、パナシェのもたらした内容はカイル達が無色の派閥と決着をつけにいったというものだった。

「スバル達には先生に伝えちゃいけないって言われたんだけど、でも、僕っ……!」

「うん、大丈夫だから、パナシェ君。泣かないで?」

「……善かれと思って『剣』の修復を伏せておいたのが、逆効果になっちゃったわね」

「本当、怒涛の展開なのな……」

メイメイの呟きも耳を素通り。
目まぐるしい状況にウィルはもはや空笑いを隠そうとはしない。「レックス」の時とは全くノリが違う。
しばしそのままでいた彼だったが、ややあって、ぱんっと両手で頬を叩き頭の中を切り換えた。

突発的な戦闘ゆえに今回は策も保険も何もない。
正真正銘、無色の派閥と自分達、そしてアティとの純粋な力と力の激突だ。

「ウィル君」

「……ええ、大丈夫です」

しかし緊張はない。憂慮も微塵として浮かばなかった。
目の前にいる抜剣者が不安を全て払拭する。
今の彼女ならどんな道も切り開いてくれる、ウィルは自信をもってそう言えた。
勝利ならぬ、蒼き剣の女神がウィルに微笑む。


「行きましょう!」


無色が涙目になるまで、残り十分。















ウィル(レックス)

クラス 狡猾の子狸 〈武器〉 縦、横×剣 縦、横×杖 投(Bタイプ)×投具 〈防具〉 ローブ 軽装

Lv28  HP223 MP342 AT129 DF74 MAT161 MDF114 TEC263 LUC20 MOV4 ↑3 ↓3 召喚数3

機A 鬼B 霊C 獣S   特殊能力 ユニット召喚 ダブルアタック 隠密 待機型「魔抗」 アイテムスロー

武器:絶対勇者剣 AT148 MAT25 TEC15 LUC15  (流星苦無 AT138 MAT34 TEC15  CR10%)

防具:empty

アクセサリ:手編みのマフラー 魅了無効 DF+5 MDF+4


15話前のウィルのパラメーター。
ウィル本来の3rdクラス「英知の剣士」とは既に面影の欠片もない。全体的に攻撃重視。装甲は紙。TECはもう突っ込んではいけない。
祝LUC改善。+15という驚異的な数値を叩きだす「絶対勇者剣」は手放せなくなっている。実はレックス以来ご無沙汰。傷害罪を盾にウィゼルへ迫り、ウィルでも扱えるようにカスタムしてもらった。抜け目がない。メイメイ曰く、ウィゼルのあんな嫌そうな顔はじめて見た、らしい。

無限回廊にこもっていたせいでLv.がアティ達より頭一つ飛び抜けた格好。ブレイブクリアができなくなった。実は前線に駆り出されていたヴァルゼルドとテコの方がLv.は高かったりする。
回廊の中では色々あったが、あえてピックアップするならば、第12回廊機界で起きたライザーの謀反。回廊内にて爆発的に高まった自爆回数にとうとうコードロレイラル発動。裏切りの玉子、敵機レジスタンスを率いて狸に反旗を翻した。「あれはマジビビッた」とは狸談。
怨嗟に固められた学習能力によってウィル並みの指揮能力を発揮するライザーだったが、黒兜ならぬヴァルゼルドの活躍によって無力化された。ライザーリベリオン鎮圧。
間違っていたのは僕じゃない、狸の方だ。『コードロレイラル 反逆のライザーR2』始動。

憂いはもうほとんど無くなり後は攻略あるのみ。イスラの方もアティに任せる気満々。結構ご満悦モード。
水面下で巻き起こっているルート争奪権に本人が気付いていないのは、ある意味幸せなことなのかもしれない。




本編とは直接関係ないが、補完の意味合いを兼ねて「レックス」の歩んだ軌跡を公開。
今回は15話。


早朝。寝具一つ挟んだアリーゼの直下で仮眠をとっていた赤いの、目を開けてベッドの下からズルズル這い出す。無事朝を迎えられたことに清々しい笑みを浮かべ、窓から差し込む日の光にサムズアップした。熟睡中のアリーゼは起こさず、あどけない寝顔に癒しをもらって部屋を後にする。ソノラにジャストで目撃され朝っぱらから銃撃された。
朝食も取らずに折れた「剣」の回収に赴く赤いの。消滅した岩槍の断崖跡でうろうろ。「剣」をセンサーにして浅瀬に打ち寄せられていた刀身の上部分をようやく発見し、熟考、とりあえず真っ二つに折れた断面部分をくっつけて念じてみる。直れ直れ直れ直れ直れ…………繋がった。木の陰にて様子を窺っていたウィゼル、思わず額を木肌にゴンッと打ちつける。気合いとノリだけで「剣」を修復。

その後もパトロール。ずっと一人で単独行動。味方を信用していないのとは違ったが、知れず「剣」の巨大な力があれば自分だけで十分だと、そんなことを考えていた。女性は守ろうぜ的な。一方でファリエルに後ろから見張られていることに気付かない。島に刺客の存在がないことを確認した赤いの、じゃあ敵本拠地──船を落としに行くかと足を向ける。戦力差を考えたらほぼギリギリ、奇襲してなんとかといった所。オルドレイクは瀕死だがウィゼルその他もろもろがいる。まぁでも自分死なねーし、とホイホイ進行。死地にたった一人で向かってあまつさえ口笛まで吹き出した赤いのに、ファリエルとうとうキレる。ファルゼンパンチ。森の中ロケットブーストして霊界集落まで飛ばされた。ちなみにスタート地点は風雷の郷付近の森。眼前をすごい勢いで横切った赤い塊にヤードが腰を抜かしたらしい。

水晶に頭を埋めた首なしライダー、何かこの頃こういうの多いなぁと寂しく感じながら頭部を引っこ抜く。血だらけの頭よりファルゼンパンチ食らった体の方が痛かった。そして追い付いたファリエルが説教開始。もっと自分を大切にしろ、それじゃあ前の自分と一緒ではないか、そんなレックス見たくないetcetc……。あれぇ逆に戦わないようにするとしこたま殴られていたような気がしたんだがー? と過去を顧みて涙をキラリとする赤いのだったが、こっちも泣き出した幽霊にビックリ仰天。慌てながらとにかく謝りまくっていたが、「お願いだから、無理しないでぇ…!」の涙文句に不謹慎にも吐血。膝が震えた。
レックスの助けになりたい、支えになりたい、それが今の自分の体を作っている一番の想いだから、という遠回しな告白発言に、しかし呼吸が荒いレックス気付かない。それからすぐに胸の中に飛び込まれ、殺人級の連続コンボに滝汗流し、けれどすぐに触れられない少女の体に気付いて眉を落とし。クスンクスン泣くファリエルの背中を散々悩んだ挙句、なぞるように撫でてやった。ファリエル好感度MAX。無茶はしない、いつもみたいにみんなにお世話になると約束したレックスとファリエル、至近距離で笑みを交わした。
蛇足。ファルゼンパンチの轟音を聞きつけた女性陣が、隠れながら一団となってその光景をガン見。一歩離れていたアリーゼ、異様な景色に静かに汗。

三日後。無色の派閥、遺跡の掌握を敢行。しかし待ってましたとカイル達伏兵出現。赤いのに改めて協力求められた島の住人勢、気力150。食い放題だ!と暴れ回る。
罠も張り巡らされており派閥勢不利。更に姿の見えないレックスに、大規模な不安とじれに悩まされる始末。『『『『『『くそっ、畜生ッ、どこに行きやがったあの赤狸っ……!』』』』』』とオルドレイクを含めて兵士達が心の声を一つに合わせる。嫌過ぎる心理的負担に晒された派閥兵はコンディンションレッド、一人、また一人と力を発揮できずに散っていった。
ハァハァと息を切らし目を血走らせてダービー兄貴みたいになるオルドレイク、とうとう我慢できず、最終兵器ウィゼルを自分の護衛から外して前線に送り出した。赤狸もとい白狸のどこから来るとも知れない奇襲は怖過ぎたが、それでもウィゼルなら、ウィゼルならきっと何とかしてくれる…!と安易な希望的観測を抱く。実際、襲撃地帯がウィゼルの近場だったらそうなっていたかもしれないが、しかしオルドレイクはその時点で狸との賭けに負けていた。
カイル達の進撃をウィゼルの武力が阻みそれによる鼓舞で徐々に形勢が傾いていくが、異変、オルドレイクとツェリーヌが背にする遺跡中枢に繋がる扉──織幹の間の扉が開き始める。背筋を凍らせるツェリーヌが振り向くと果たしてそこには、白いスモークとともに、ででーん、と現れる赤狸の姿が。「剣」の力使ってオルドレイク達が来る前に遺跡中枢に潜り込んでいた白狸、時は満ちたと言わんばかりに殲滅戦を開始。よりによって隙だらけになった敵のケツを狙っていた。回復役のツェリーヌが速攻で意識を刈り取られ、一番上に布陣していたオルドレイクの隊は秒単位で屠られていく。呆けていたオルドレイク、気付いたら一人ぼっち。超悲鳴。超究武神覇斬。虫の息。

ウィゼル後方の異変に感付くが、時すでに遅し。白狸によって制圧された本陣から煙がもくもく。やがて、オルドレイクの髪掴んで階段をずるずると引きずり下りてくる白いの、ロン毛眼鏡の首に「剣」を押し付け、「武器を捨てろ」とウィゼルに命令。立派な人質行為。『『『『『『『『『『『『『おまえ……』』』』』』』』』』』』』と敵味方からすっげえ軽蔑の眼差しが殺到するが、外道狸は揺るがない。過去スバル達を人質にした「イスラ? 何ソレ、食えんの?」と開き直るかのような暴挙だった。人外なウィゼル様には戦わずして勝つことが一番だったのである。「……」と沈黙しながら刀を捨てるウィゼルに、白狸すかさず合図を送りVAR-Xe-LDに発砲指示。眠り100%を誇る『麻酔銃』によってウィゼル様倒れる。あんまりな終わり方に全無色が泣いた。

完全勝利にも関わらず滅茶苦茶後味の悪い空気が流れる中、赤いの一人でちゃっちゃと終戦処理。敵みんな捕縛。こいつらどうすんねん、と流石に幹部連中は島流しできねえだろ的な意見に、「アズリアさんお願いします」と押し付け。彼女の隊には犠牲者も出ているだけに、帝国へ護送し公のもとで裁くのが妥当だろうと判断。アズリアの「剣」輸送任務失敗の帳消しにもなるし、女傑厄介払いできるし、特に後者は重要だし、完璧じゃね?とレックス渾身の笑み。オルドレイク等帝国強制連行決定。無印サモンナイト・完。
後に、帝都ウルゴーラにて刑務所の壁が豆腐のようにすっぱり斬られ、囚人の大量脱獄が発生するが、レックスの知る所ではない。

夜会話。盛大な宴の後、酔いから醒めたレックスが膝枕していたのは、アリーゼ、と見せかけてソノラと見せかけてクノンと見せかけてアルディラと見せかけてミスミと見せかけてファリエルと見せかけてマルルゥと見せかけて…………アズリア。『──何故に』とレックス抜剣覚醒してもないのに白くなる。メキョ、と嫌な音が腹から鳴った。
極めて冷静になって情報整理しようとする白いの、しかし全くことの顛末は思い出せず。「どーすんのよどーすんだよコレ…!?」と足に爆弾を仕掛けられたかのようにパニックに陥った。一方、実は起きているアズリア、『どうしよう、イスラどうしよう…っ?』と目を瞑りながら必死に考える。酒に酔った勢いでフラフラとレックスに近寄り、パタッと膝枕を占領して非情にイイ笑顔で眠りこけたまでは良かったが、酒も抜けて目覚めてみれば急転直下、これまで経験したことのない戦況に直面していた。頬が真っ赤に充血していたが、白いの激混乱して気付けない。周囲ではカイル達が全滅しており援軍もしくは横槍は期待できない。ピリピリするレックスとドキドキするアズリア、謎の拮抗状態がしばらく続く。

先に動いたのはレックスの方だった。震える手でアズリアの両の米神を掴みにいく。察知されないようにこの爆弾を処理するべきと結論した赤いの、黒いのの頭を脇の地面に置こうとする。高度なオペレートが要求されるのは百も承知だったが、生憎内臓のタイムリミットもある、なり振り構ってられなかった。勿論気付くアズリア、プルプル震える手が自分の顔(注:米神)をそっと包み込むのに赤面。『え……えぇーっ!?』と内心叫び、まさかこのまま唇が奪われるのかと凄まじく勘違い。謎の空間が佳境を迎える。
我慢できなくなったのはアズリアの方だった。引き寄せられるように頭が持ち上げられた瞬間、くわっと涙目を見開いて真っ赤になりながら「何をしているッッ!?」と紫電パンチ。レックスの顔面に拳がめり込む。悲鳴を出すことすら許されなかった。紫電が轟くと同時に、潰れた顔が夜空を向き体も浮くレックスだったが、アズリアを膝枕している故に吹き飛ぶこともできず。昇竜拳食らった反動で上から下方に顔が落下する赤いの、そのまま勢いよく黒いのの唇に向かって……「「あ──」」……接着して至近距離で見つめ合う。アズリア真っ赤になり瞳を潤ませ、レックス一瞬真っ赤になりながらそこから零秒で蒼くなる。果てしなく蒼くなる。次の瞬間、レックスは逃げ出した。アズリア地面に放り出される。
三秒後、赤いのはきたない花火になった。



[3907] 未完
Name: さもない◆5e3b2ec4 ID:f393017f
Date: 2012/04/04 21:58
それはまるで、温かな太陽のように。

「綺麗……」

現れた蒼色の光輝に誰もが目を奪われた。
透き通り、澄み切っていて、何物よりも尊い。
具現した心の刃が、遺跡深部『識幹の間』を隅々まで照らし出す。
ウィスタリアス。果てしなき蒼。
これまでの鋭く威圧的であった碧光とは異なる、側にいるもの全てを包み込んでしまうような暖光だ。
光の中心にいるアティは眼差しを強く構える。
伸びた白髪に白い肌。そして蒼穹の瞳。
復活を遂げた抜剣者は救世主のごとくカイル達の前に現れた。

「『剣』が復元……!?」

「このような芸当ができるのはっ……ウィゼル!」

激しい交戦の最中、相手陣地に現れたアティの『ウィスタリアス』を見せつけられ、オルドレイクは激憤の表情を見せた。
彼の目が射抜く先、ウィゼルは片目を瞑りこれまで通りの常態を崩さない。
『剣』を復活させた名工は、しばしアティへ眩しいものを見るかのような視線を馳せ、ややあってからオルドレイクに向き直り口を開いた。

「俺は俺の都合で動く。お前の狂気を再現する武器を打つために、こうして用心棒まがいの役目を務めているようにな。それはお前も知るところであろう」

「ぬうっ……!」

淡々としたウィゼルにオルドレイクは声をすり潰す。
彼は突きつけられた利害に一頻り呻いた後、再び前に振り返った。
視界の中心で、アティが静かに口を開く。

「……もう、貴方達に何も傷付けさせはしない」

「小娘がッ……!」

蒼の瞳と闇の瞳が交差する。
膨れ上がる戦意。多くの者が傷付き倒れかけていた筈のカイル達は、一人、また一人と膝を伸ばし立ち上がっていく。向かい合う派閥兵達は眉間に力を込め、脅威足りうる彼等を睥睨した。
たっ、たっ、と。
軽いステップで仲間達のもとにやって来たウィルの登場が、合図だった。
間もなく、一戦を仕切り直す狼煙が両陣営から上がる。

「召喚獣どもを蹴散らせ! 奴等を理想の礎へと変えろっ!!」

『はっ!!』

「みんな、力を貸してください!」

『よしきたぁああああああああああああああああああああああああああああ!!』

(あぁもう勝ったな)

「ぼけっとしてんな、ウィル!」

決戦が始まる。










然もないと 15話「一つの答え、一つの想い」










時間を巻き戻すと、戦端は、遺跡に陣を敷いた無色の派閥をカイル達が襲撃したことで形で開かれていた。
イスラの謀反によりオルドレイクともども痛手を負い、『遺跡』の確保を優先させ中枢掌握に乗り出した無色の派閥。
それをやらせまいと、傷付いたアティを残し自分達のみで勝負に打って出た島の住人勢。
手負いとはいえ大陸で名を轟かすその実力は本物、圧倒的な召喚術を中心に攻め入る無色の派閥にカイル達は劣勢に立たされていた。
が、アティ(とウィルというおまけ)の加入が全てを変わる。
戦況は一変していた。

「はああっ!」

瓦解しかけていたカイル達の陣形は立て直し、怒涛の勢いで無色の軍勢を押し返す。
その先頭に立つのはアティ。『抜剣覚醒・改』を経た彼女の戦い振りは、まさに一騎当千の働きに相応しかった。

「──げっっ!?」

袈裟に振り下ろされたアティの『剣』が派閥兵を捉える。
蒼光を纏う刀身は、相手の構えられた大剣の上から鎧である重装ごとまとめて“斬った”。
肉厚の金属塊がまるでバターのように切り裂かれる。
膨大な威力が付与された魔力斬撃。
魔力が高圧縮された刃はどこまでも研ぎ澄まされ、この世のあらゆる武器と一線を画した切れ味を誇る。太刀打ちできる武具はもう一振りの『剣』を除いて現存しない。

比類のない斬撃をまともに食らった兵士は、しかしその身に切り傷一つとしてなかった。
ウィスタリアスの属性は『守護』、そして『不殺』。
アティの想いが具現した心の刃は敵を傷付けることなく戦闘不能にさせる。

「やぁあああああああああああああッ!!」

前方、数人の固まる敵部隊まで距離およそ十メートル。
アティは距離も詰めず大上段に『剣』を構え、一気に振り抜いた。
弓型を形作る斬撃の大光波が大気の上を滑走する。
眼をあらん限りに剥いた派閥兵達は迫りくる光刃に動きを止めてしまい────爆裂。
蒼光が派手に飛び散り、大の男達はあられもなく中空へ吹き飛んだ。

「す、すげぇ……!?」

アティに率いられる形のカイル達はその獅子奮迅の活躍ぶりに開いた口が塞がらない。
小細工なし、正真正銘の中央突破。
今のアティはまさに蒼光を放つ楔に違いなかった。

「天然はやればできる子でした」

澄ました顔を浮かべながらそう口にするウィルは心の中で、うっひゃーマジ楽ー、と拍手喝采する。
絶対安全地帯──アティの影にこそこそ隠れながらサモナイト石を行使する。

「でんちマーン」

『セイッ!』

「あふんっ!?」

血迷った格好で召喚される『でんちマン』の血迷ったサイドチェスト。
『しびれるポーズ』をもろに被視した派閥兵は、無理矢理『麻痺』状態に追い込まれ嬌声とともに撃沈した。
白眼を剥いて倒れ伏す男の後頭部に、ソノラが気の毒そうな視線を送る。

「オイオイオイ! いいのか、すげぇ簡単にここまで来ちまったぞ!?」

「先生さんがとってもとっても凄いのです~!」

ヤッファが叫べばマルルゥが感嘆する。
その光景は圧巻だった。彼等だけでは切り崩せなかった敵前衛の布陣を、あたかも砂の城を崩すように攻め落としてく。
一向はオルドレイク本陣のもとに繋がる大階段をもはや目前にしていた。

「おお、おお! まるで若き日の良人を見ているようじゃ!」

「轟雷の将っ……何度あの背を追いかけ続けたことかっ!」

「父上が……!」

単独先頭で道を切り開いていく白い外套の背に、ミスミ達鬼人族は亡き豪傑の姿を見る。
歓呼と追懐と、憧憬。
過ぎ去った光景に突き動かされる形で彼等の勢いが増した。
槍が飛び刀が振るわれ、斧が奮える。
アティ以外の者達もまた己の力を爆発させ立ち塞がる敵を蹴散らしていく──地味に各々が装備する武器(どれも無限回廊から回収された“曰くつき”)の威力がキラリと光っていた。狸の笑みもまた光る。
鉄砲水を彷彿させる凄まじい攻勢は、頬を痙攣させる無色兵達をいともたやすく呑み込んでいった。
大階段に突入する。

「頼もしいことこの上ありませんが、このまま行けば……!」

「ああ。私が敵の指揮官ならば、必ずここに兵を配置し要撃する!」

空を飛ぶフレイズの言葉に、側にいたアズリアは同意を示す。
段数は何百段とあり、段差自体も丈のある、規模と大きさが尋常ではない大階段。
菫色の大理石で構築された階段は幅が広く遮蔽物も存在しない。階段頂上に“狙撃手”が潜んでいれば、上ってくる敵はまさに狙い放題、格好の的に尽きるだろう。
散見する敵兵を切って捨て、大階段を駆け上がっていくアティ達の視界の中。
ほどなくしてフレイズとアズリアの予感が的中し、敵側が頂上付近で動きを作った。

「矢と、銃!!」

「あら、真っ向からの撃ち合いで私のヴァルゼルドに勝てると思って?」

「アルディーラさん、それ、僕の台詞っす……」

『弾幕展開ッ!!』

雨あられと降りしきる射撃攻撃に、ヴァルゼルドを含めた遠距離組がすぐさま応射。
激しい銃撃戦が繰り広げる。が、敵の手はこれで止まらなかった。
まるで洞窟から蝙蝠の群れが溢れ出すように、階段天辺の奥から数え切れない黒い影が羽ばたいてくる。

「ええっ!?」

「また喚んだようですね、悪魔達を……」

「プライドとか、もうかなぐり捨ててやがんな……」

以前イスラが指揮した時と同じ光景だった。
大量の堕天兵を使役してこちらに送りこんできたオルドレイクに、ウィルは口をへの字にする。
使役もとの召喚師も階段の頂上で待機しているので直接は狙えない。悪魔達を倒そうがまた新たな召喚獣が喚び出され、無限ループ。
悪辣極まる。
無色の派閥はここぞと数の暴力でアティ達を捻り潰しにきた。

「──どいてください!」

しかし、それも今の彼女には通用しなかった。
アティが天を突くように『剣』を頭上に掲げる。
膨大な、それでいて通常の召喚術とは隔たった異質な魔力が収束し……次には、『門』が開いた。

「『送還術』!?」

「おいおい、流石にそこまでは……!」

直径約三十メートル、『喚起の門』とほぼ同等規模の蒼光の渦が中空高く展開された。
異世界から召喚獣を喚び出す召喚獣とは真逆のベクトル。リィンバウムへ現界した使役対象をもとの世界へと“送還”する対召喚術(アンチ・サモン)。

もはやアティの行使したそれは『送還術』と呼べるほどの立派な技術ではなく、共界線を利用して異世界へ通ずる『穴』そのものを構築させた力任せの大技だ。
宙に浮かぶ悪魔達が導かれるように穴という名の『門』へ吸い寄せられ、次々とその身を光の中へ消していく。ともすればそれは堕天使達が救いの光を請い求める、幻想的な光景だった。
響き渡るエコー。
悪魔があっという間に一匹残らず送還される。
頭上を仰いだ格好で呆然と固まるのは派閥召喚師達。
敵味方問わず召喚師が驚愕する中、ウィルさえもそのアティの破天荒ぶりに目を剥いた。
手が、つけられない。


『オオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!』


一瞬の空白が生まれたのも束の間、いち早く行動を開始したファルゼンが、己の巨体を揺るがし大階段を駆け上がる。
鎧騎士は銀色の大剣を後方へと溜め自身を引き絞られた矢に見立てると、はっと意識を取り戻した狙撃部隊達めがけ、その轟撃を解き放った。
吹き飛ばす。
大薙ぎされた一撃が階段頂上に陣取っていた兵士達をまとめて飛散させた。嘘のように人の体が軽々しく宙を舞う。
錐揉みした兵士達が床に叩きつけられるのと同じタイミングで、ウィル達も一気に階段を踏破。
とうとう敵の本陣と対峙する。

「さぁて、追い詰めたわね……」

「最後の戦い、ってね」

スカレールが蛇を彷彿させる不敵な眼光を浮かべ、ソノラがリボルバーに弾丸を装填しながら同調した。
辿り着いた場所はあたかも祭壇のような場所だった。広大な平面空間には荘厳な長柱が数多く並び、遥か奥には『識幹の間』と遺跡の深部を繋ぐ巨大な門が鎮座している。無色の派閥の本隊は門を背にする形でアティ達を待ち構えていた。
島の召喚獣等の瞳に射られる派閥兵達はアティの能力に狼狽えながらも、いまだその戦意を失ってはいない。目には剣呑な光が残っている。
相手は部隊を二つに分けていた。
ツェリーヌが率いる本隊に、ウィゼルの周りを付かず離れずの距離で取り巻く遊撃部隊。
オルドレイクが彼等の最後方で一人孤立しており、全ての味方を己の射程圏に収めている絶妙な位置にいる。

「使い捨ての駒で僕達を足止めして……自分は後ろから好き放題撃ちまくるっていう腹かな」

「おいおい、それ不味くねぇか?」

ウィルの洞察にカイルは顔を顰めた。
島に上陸してから碌な目にあっていないが、オルドレイクの力は紛れもなく世界屈指のものだ。彼の使役する召喚術はカイル達を、ともすれば全滅へ追い込む威力を秘めている。
全ての派閥兵が彼の召喚術の効果範囲内、つまりカイル達が接近し敵前衛と衝突したその瞬間から、弩級の砲撃が間断なく注がれることになる。
死霊の女王ことツェリーヌはその規格外の回復術で戦線を保たせ、更にウィゼル達は遊撃隊として自由に動き回りこちらを撹乱、あるいは此方の打ち漏らしを潰す。
規格外の戦闘能力を持つ三人が作り上げる、強力なトライアングルだった。
正面衝突をするならば甚大な被害を覚悟しなければならない。

「どうするんだ?」

「ここまでくれば作戦も何もないと思うけど……」

「なぁに、こちらには『蒼穹の最終兵器』ことアティ先生がいます。真正面からブッ潰してやりましょう」

「渾名がこれまで以上に物騒な響きになってますー!?」

若干一名の悲鳴が上がる中、泥沼化は避けられないが、やはりアティの力にものを言わせた召喚術の撃ち合いでも敢行するかと。
余り前向きになれない選択肢が、アルディラ達パーティの首脳陣の中で濃厚になってきた頃。
突如、彼等の後方から、遥か高い天井にまで届こうかという鬨の声が轟いた。

「ちょ……嘘!」

「どこに隠れてやがった!?」

アティ達の背後を取ったのは、大階段を駆け上がってくる大人数の派閥兵達だった。
大理石の構造物の影にでも身を潜めていたのか、その数は二十はくだらない。
まんまとかかったなと哄笑するように叫び声を連ね距離を詰めてくる。

「あれだけの兵力をまだ隠し持っていたというのか……」

「いえ、先日の交戦記録を参照すれば、彼等の特徴は登録済みであるキャラクターデータと一致します。100%、無色の派閥が現れた初日、虐殺の被害に遭った方々です」

「何故でしょう、途端に彼等が哀れに見えてきました」

「ていうか、生きてたのか……」

「そうだよっ、あんな死にかけだったのに、もう動けるようになっちゃったの!?」

「ツェリーヌ様の力なら、決して不可能ではないかと……」

「ズリィー!」

復活を遂げた兵達にカイル達は苦い顔をする。
取りあえず足止めとしてウィルがヴァルゼルドに射撃からの迎撃を命じると、それからすぐ、不動だった敵の本隊が前進を開始した。

「挟み撃ちぃ!?」

「まぁ、そうするじゃろうな」

「見事に誘き寄せられたってわけね……」

「はん、やっこさん、今までと違って随分必死そうじゃねえか」

「全くです、最後くらい正々堂々戦えと」

「「「「「だからお前が言うな」」」」」

文字通りアティ達は袋の鼠となった。
逃げ場のない高所地帯、前も後ろも塞がれ身動きが取れない。
今はまだ後方の部隊を何とか押し止めているが、正面の本隊と接敵すればこの状況も容易く崩れるだろう。
もはや窮地に一歩、足を踏み入れている。

「──前進しましょう。僕達も仕掛けます」

そんな中、顔付きを変えたウィルの判断は速かった。
敵の動きを鋭く見据え、決断をくだす。
投じられた声に目を見張るカイル達は、視線を彼のもとに集め、そしてすぐに口を吊り上げて賛同の意を示した。
今日という日までともに戦い抜いてきた彼等の中で、いまさら異議を唱える者はいなかった。

「ヤッファ、今から言うことできる?」

「言ってみな。期待を裏切らねえくらいに、気張ってやるからよ」

口端をあげるヤッファにウィルは頷いて、頭の中で描いた設計図を語った。周囲にも聞こえる程度に声を出す。
ヤッファ以外の者も一字一句聞き逃すまいと耳を貸し、自然と円が作られた。

(……)

切迫しつつある状況の中、簡潔かつ手短に自分の言葉を並べるウィルと、それを聞くカイル達の姿を見渡して……この光景も久しぶりだな、とアティは思う。
ついこの前まで繰り返されてきたものだが、心の迷宮を抜け出した今の自分にとって、酷く懐かしく感じた。
仲間がいる。
アティは目の前の一枚の絵に胸を叩かれ、熱い気持ちに包まれた。白くなった肌を軽く染め、柔らかな笑みを滲ませる。

「先生、なにニヤけているんですか気持ち悪い。夢に出てきそうなんで止めてください」

「あぁ、このやり取りも久しぶりですね本当に懐かしいですエヘヘ私なんだか泣きたくなってきました」

「笑ったり泣いたり忙しい人ですね。拙者失笑」

「あーもうっ本当に懐かしいなぁ!?」

「時間がないんだから止めなさいっ!!」

蒼く輝く瞳からおいおい涙を流すアティにアルディラは一喝。
他方、帽子を失っているウィルの頭に、ふくれたマルルゥはヒップアタックをする。妖精が頭の上に不時着したかと思えば、ソノラ他の視線が束となって教師と生徒の頬をともども抉った。
何故に、とアティとウィルは内心で汗をかきながら顔を無理矢理引き締める。

「……で、ヤッファ?」

「ああ、やれねえことはねぇが……ただ、そうなるとコイツを借りることになるぜ?」

「ふぇ? 何ですか、シマシマさん?」

脹れっ面で話を聞いていなかったマルルゥが、ウィルを見下ろしていた姿勢から顔を上げる。
不思議そうにヤッファとウィルの顔に目を往復させた。

「ん、大丈夫。マルルゥ、頑張って」

「えっ、えっ?」

「何でもねえよ。いいからお前はこっちに来とけ」

「はむぅ!?」

混乱している妖精を右手でモギュッと掴まえ、ヤッファはそのまま自分の肩へ持っていく。

「もう今から仕込む。こっちは任せとけ。だが、流石に後方(あっち)までは届かねえからな?」

「わかってる」

くい、と大階段を顎でさすヤッファにウィルは相槌を打った。
そこで、一部始終を聞き二人のやり取りを見守っていたファリエルが、意を決したように動きを作る。

「ウィル。あの人達は、私に任せてください」

「……いいの?」

「はい。一番私が適任でしょうし……今度は、私がみんなの背中を守りたい」

常に最前線で敵へ斬り込み、背後を味方に守られているファリエルならではの言葉だった。
彼女に触発されるかのように、ミスミが口元に笑みを浮かべ人垣を割り、またフレイズも続いた。

「わらわも連れていけ、ファリエル。この場なら、わらわの風も少しは役に立とう」

「ファリエル様と私は一蓮托生、どこまでもお供します」

「……なら、島の古株として私も格好つけさせてもらうかしら。敵の本隊は任せなさい。試したい召喚術があるの」

「サポートはお任せください、アルディラ様」

「……ウィゼルは、私が討ちます」

「キュウマ、オイラにも手伝わせろよ!」

アルディラが、クノンが、キュウマが、スバルが。
島の召喚獣達が次々と名乗りをあげる。
ウィルは勝手に進んでいく配置付けに嘆息したが、止めようとはしなかった。

「ということは、オルドレイクを相手取るのは我々か……」

「なぁに、そんな大きい体してビビちゃってるの?」

「抜かせ、海賊」

ギャレオとスカーレルの軽口の交わし合い。
気負うどころか全く緊張していない彼等の姿に、ウィルはもう何も手回しする必要がないことを知る。
最後に、いつかと同じように、そっとアティの方を見上げた。
蒼い瞳と目が合うと、彼女はウィルにだけわかるように、ふっと微笑みかける。
ウィルもまたほんの少し相好を崩した。

「……これ終わったら、またみんなで鍋を囲みましょう」

「……うん!」
















激しい銃撃が止まった。
場所は大階段。派閥兵の進行を阻んでいた弾幕が途切れ、晴れて行動の制限から抜け出せる。
彼等は保険だった。
自らも大怪我を負い私兵をことごとく損耗させたオルドレイクが、アティが来る前からカイル達を警戒し、密かに潜ませていたもしものための保険。
復活した抜剣者の乱入という予想外の流れとなったが、何はともあれオルドレイクの必勝の策はここに作動したのである。
後方からの襲撃で浮き足立つアティ達を追い詰め、本隊との連携により一網打尽。
目下邪魔であった弾幕はもうない。後はもう機械的に与えられた任務を遂行していくだけ。
その筈だった。

「か……風っ!?」

止んだ銃弾の雨の代わりに、風が吹き寄せていた。
階段を上る派閥兵にとっての向かい風。頬を殴る強烈な風圧が彼等の進行を大いに鈍らせる。
風が、まるで生き物のように体へ絡みついてきた。

(す、進めんっ……!?)

気を抜けば階段から足が離れそうだった。
芋虫のように縮こまり、派閥兵達は段差に這うような格好を取る。
余りにも不自然な風向き。遺跡内部というこの人工的な空間ではあり得ざる風の猛威だ。目を細くして大階段を見上げた派閥兵の一人が、両手で印を結び風を呼ぶ鬼人の姿を捉える。
部隊の進行が完全に止まってしまった中。
ぐわっ、と上空の空気が引き裂かれたかのように大きく揺らいだのは、それから間もなくのことだった。

『──────』

派閥兵達の二度目の戦慄。
巨大な影が、頭上から降ってくる────。


『ムゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウン!』


轟音が大階段に炸裂した。
隕石のように落下してきた白銀の鎧、ファルゼンが派閥部隊の前方に着弾する。
数えきれない大理石の破片。階段の最上段から飛び降りた騎士は派閥兵もろとも足場を爆砕させる。
先頭にいた仲間達が衝撃の余波により拡散していく光景に、後続の者達は頬を引きつらせることしかできなかった。
落下地点の中心で、膝を折った騎士がゆっくりと立ち上がる。
一緒に持ち上がった兜の奥で、紫紺の双眼が淡く輝いた。

「つ……潰せぇえええええええええええっ!?」

誰かが叫ぶ。
大階段の最下へ派手に叩きつけられただろう仲間を頭から忘却し、眼前の死神を退けようと大声を張った。
人三人分はある敵の巨体によって幾分か風は遮られている。行動は可能だった。
まだ二十を超える兵力差で畳みかけようと、最前列の数人が一斉にファルゼンへと飛びかかる。

『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』

が、呆気なく彼等の目論みは粉砕された。
剛腕から放たれた大斬撃が、向かってきた兵四人、まとめて吹き飛ばす。
ドカァンッ、と馬鹿げた音が鳴り響いた。

「!?」

『オオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』

初撃に続く第二の攻撃が派閥兵を喰らう。
防御に構えられた斧ごと筋骨たくましい偉丈夫が銀剣で弾かれ、カウンターを試みる槍兵もあっけなく衝撃に殴り飛ばされた。
後手に立たされた敵の完全な無効化。防御も反撃も許さない。
『絶対攻撃』。
剛腕剛剣から繰り出される怪物じみた一撃が、理不尽の塊となって兵達を蹂躙する。

「か、構えろ!?」

「撃てぇっ!!」

後方の召喚師と射撃武器を持つ兵の悲鳴が重なった。
十分な間合いを残し、かき集められた重火力が解き放たれる。
一斉射撃が剣を振るっていたファルゼンに見舞われた。取り残された兵達も巻き添えにしながら、凄まじい遠距離攻撃が叩きこまれていく。
放たれる銃弾に矢、召喚術は巨大な的へ立て続けに命中し、次々と敵の鎧が飛んで砕け散っていく。それでも彼等は決して手を止めようとしなかった。
鼓膜を聾する砲声が幾重にも反響し、やがて膨大な粉塵が舞い上がって辺りを充満する。相手の姿が完全に視界から消えた。
大階段中程の地点を、もうもうと白煙が覆い尽くす。

「……ぁ」

転がった呟き。
視界が晴れていく。
霧散していく煙の中心に立つのは、紫紺の光を全身から放出する、輝かしいまでの白銀の鎧だった。

『フゥウウウウウウウウウッ……!』

抉られ、破砕し、亀裂の入った箇所が見る見るうちに修復していく。
今も鎧から立ち昇る光の粒子は、一人の少女の魔力だった。
自身のマナを燃やし治癒効果を発動させる────『再生能力』。
もう何度目とも知れない戦慄が派閥兵達を襲う。
いくら叩こうが斬りつけようが壊れない。彼等の目にはその銀騎士は不死身の存在として映った。
こちらの攻撃は意味をなさず、相手の攻撃は防げず。
『死神』という言葉が、絶望の感情とともに彼等の脳裏を等しく駆け巡る。


「ここから先は、一歩も通さない……!!」


可憐な少女の声が猛々しく大気を打ち、騎士は大剣を振りかぶる。
峻烈な剣舞が派閥兵の群れをかき分けていった。
既に戦意を半ばまで折られた兵達はなすがまま蹴散らされていく。
やがて後方より絶叫があがったかと思うと、射撃部隊が上空から天使に奇襲されている瞬間が目に入った。
──もう、終わりだ。
響き渡る咆哮。翻る巨肢。止まらない剣の激流。
目前に迫る巨影を前に、残る兵達はそう悟った。

















「うし、おっぱじめるとするか」

時は遡り、ファリエルが大階段で暴れる数分前。
ヤッファは口を動かすと静かに立ち上がった。

「準備はいいな、マルルゥ」

「はいですよ~! マルルゥ、とっても頑張りますよー!」

宙をくるくる回りながらマルルゥは朗らかに笑う。
「ったく」と耳の裏側をかきながらヤッファはぼやいてみせたが、すぐに自分自身も笑みを作った。
ルシャナの花の妖精は笑みをこぼした後、すっと目を瞑って両手を掲げる。
やがて緑光が彼女の周囲を取り巻きだし、その光に誘われるかのように碧色の鉱石がふわふわと浮かび上がった。
マルルゥの頭より大きなサモナイト石が、突き出された細い腕の先で浮遊、静止する。瞬く間に石は鮮やかな発光を始めた。

上級召喚術が行使される中、ヤッファはその大きな右手をがしっとマルルゥの頭の上に置いた。
まるでボールを掴むような扱いに、マルルゥの結わえられた髪がくいっと持ち上がって無言の抗議を示してくるが、笑みを浮かべ無視をする。
サモナイト石にこめられていく妖精の魔力に同調させるように、ヤッファは自分のものを手の平から送った。
溶け合って爆発的に高まっていく獣属性の魔力に、サモナイト石が発火する。

「いくですよぉー!!」

「おう、ぶちかませ!」

二つの魔力の融和。
『協力召喚』だ。


「出てきてくださ~いっ!」


マルルゥの喚ぶ声が弾け、サモナイト石から溢れ出た巨大な緑光が膨れ上がる。
次の瞬間、一匹の召喚獣が光の膜を破って現れた。
美しい翡翠色の毛皮を持つ四足獣は、首をぶるっと震わせた後、天井に向かって清い鳴き声を打ち上げる。
メイトルパの聖獣、『ジュラフィム』。
荘厳な鐘の音のような、あるいは森と自然が紡ぐ声音のような、生命力に溢れた緑の歌が『識幹の間』を満たしていく。
瞬間、緑光がぶわっと拡大した。
アティ達も、向かってくる無色の派閥も包み込む光の円柱。ジュラフィムは最後にキュルと高く鳴き、前足を地から離して後ろ足立ちをする。
上方へ振り上げた前足をぐぐっと溜め、一気に、大理石の床へ叩きつけた。



木の根が、天を衝く。



『聖獣の怒り』。
ジュラフィムの上級召喚術。
大木と見紛う巨大な緑根が地響きともに床から勢いよくせり上がった。
更に一本では止まらない。
次々と次々と生えては伸び、あたかも槍衾のように突き出されていく。
根の槍群は無色の派閥を中心に形成され、敵の陣を縦横無尽に裂く。
その光景を空から俯瞰すればすぐにわかっただろう。オルドレイク達の陣が、空高く突き上がった何本もの木の根によって、綺麗に“三等分”されたことを。
動揺がひた走る中、無色の派閥は部隊を散り散りにされた。

「もう俺達はここから動けねえからな……」

巨大な衝立が佇立する光景を前に、ヤッファは呟いた。
今も召喚術を行使し続けているヤッファとマルルゥは動くことはできない。行動可能になるには召喚術を解かなければならないが、それではこの地形効果が失われてしまう。
敵を瞬間的に分散するという役目を負ったヤッファ達の仕事はここまでだ。

「さっさと終わらせちまってくれよ?」

上級召喚術の制御に振り回されるマルルゥが「あわわっ」と目を回す中、魔力を放出するヤッファはその場であぐらをかく。気だるげに親父臭く、笑みを浮かべながら。
仲間に、ひいては同じ護人に向けられた言葉は、風に乗って宙を舞った。

















「そんな……貴方っ!?」

突如として作り上げられた壁に、ツェリーヌの喉は震えた。
『聖獣の怒り』は彼女が指揮する本隊をすっぽりと取り囲むように発動しており、オルドレイクはおろか比較的近くにいたウィゼルの姿も巨大な木の根によって阻まれている。
まるで天然の檻だ、向こうを視認することができない。
部隊の分散に伴った各個撃破。敵の狙いは明白だった。
自分達の目論みを引っくり返す荒技にツェリーヌは言葉を失い、夫を遠くへ隔てた樹根の連なりを見上げながら、数瞬の間その場で立ちつくしてしまう。
彼女の動揺が兵達にも伝わり混乱を招いた。

「自分のことを捨て置いて気遣える伴侶がいるなんて……妬けるわ」

「!」

投じられた声にツェリーヌは振り返った。
大きく距離が離れた地点、部隊と対峙する形で機界の融機人(ベイガー)と、彼女に付き添うように看護用人形(フラーゼン)がいる。
ツェリーヌは目を見開いた後、すぐに視線を険しくする。

「いますぐこれを解きなさい、獣(ケダモノ)よ! 私はあの方の側を離れるわけにはいかないのです!」

「……貴方には悪いけど、嫌な気分ね。まるで鏡を見ているみたい。ほんの少し前の自分を見ているようだわ」

語調を激しくするツェリーヌと対照的に、アルディラは冷淡な眼差しで淡々と喋った。
怪訝そうな顔をするツェリーヌを無視して彼女は言葉を継ぐ。

「一つ聞きたいのだけど、貴方はその思い人に愛されている?」

「なっ……!」

「気を悪くさせたらごめんなさい。ただ、貴方の一方通行になっていたとしたら、同じ“女”として少し見過ごせそうにないのよ。……そう、言うことを聞くだけの人形に成り下がっているのなら、尚更」

その瞳に一瞬だけ哀れみさえ覗かせたアルディラに、ツェリーヌは愕然とした後、すぐにその雪肌を真っ赤に染めた。
彼女が滅多に見せない激情の色。
ツェリーヌにとって最大級の侮辱をされ、唇が自制を忘れてわなわなと震え出す。

「このッ、無礼者ッ!! 私とあの方の愛を土足で踏み荒らすなどっ……疑うなんてっ、恥を知りなさい!」

「……」

「どの口が愛などと語るのですか!? 我々に使役されるだけの存在がわかった風な口を利いて、おこがましい!」

常の口調を乱してツェリーヌはアルディラを非難する。
一流召喚師の家系に生まれた矜持が召喚獣に諭されるなど許容できなかった。
何より一人の女として、何にも代え難い誇りを汚されたことが、我慢ならなかった。

「妻が夫に尽くすのは当然のこと、見返りを求めようとする時点でお前は腐敗している! 汚らわしいっ、無償の愛を抱けずして何が伴侶か!」

「……そう、貴方は強いのね」

「黙りなさい! 召喚獣風情が語らう愛などままごと、所詮、己を喚び出した召喚師の情婦にでも成り下がったのでしょう!」

軽蔑の視線を隠しもしないツェリーヌに、アルディラは無表情のまま、ゆっくりと瞳を閉じた。
何を言い返すわけでもなくその場で立ちつくし、数秒。
やがて瞼を薄く開いて、もう一度ツェリーヌと視線を合わせた。

「そうね、野暮な質問だったわ。ごめんなさいね、貴方達の愛に茶々を入れて」

「……?」

「わかっていたわ、あの男と貴方が愛し合っていることは。科学的根拠なんていらない、一発よ、だって私も女ですもの」

「なに、を……?」

「意外だったのは、貴方が道具として利用されることも受け入れていることかしら? 今の私には、貴方のそれは自己陶酔にしか見えない……なんて言ってみるけど、ふふっ、ただの負け惜しみかしら? 貴方の言う通り、私の方がつまらない女なのかもしれない」

自嘲の香りを臭わせながらアルディラは薄笑いをした。ツェリーヌは打った変わった態度に疑念を隠せない。
そして繰り広げられる異次元(おんな)の会話に、派閥兵達は緊張した面差しで、固唾を呑みながら見守っていた。
──ツェリーヌ様マジパネェっす。
──いやあのベイガーさんも負けておらぬ。

「あまり真に受けないでちょうだい。大したことじゃないの、少し貴方にちょっかいを出したかっただけ」

「……」

「ええ、そうよ。これはただの、愛せる相手がいる貴方への────嫉妬ですもの」

酷薄だった眼差しが、押し殺した声とともに鋭く吊り上がる。
そして次の瞬間。
アルディラの背後、控えていたクノンから、辺り一帯を光で埋め尽くす強力な青球が発生した。

「──────」

「後は、そう、ただの時間稼ぎだから」

異界の扉が形成される。
アルディラに気を取られていたツェリーヌは、水面下でゲートを構築するクノンの存在を察することができなかった。

「準備が整いました、アルディラ様」

「ごくろうさま。じゃあ、行くわよ。散々のろけてくれたあの女をスクラップにしてやるわ」

「かしこまりました」

もはや私怨を覗かせながらアルディラはキッと眦を決した。
ばっと杖を持つ左手を水平に構え、光の粒子をまき散らすゲートに己の魔力を装填する。
ツェリーヌは顔を引き攣らせた。
彼女をして莫大だと思わせる魔力量があの光のゲートにつぎ込まれている。
予想されるはSクラス。最上級召喚術。
自分の迂闊さを呪うと同時に、ツェリーヌは己が実現できるうえでの最高強度をもって対魔力の護法を組み上げる。
そして、予想していたものと別ベクトルの修羅場に突入したことに、兵士達は涙目になった。
──ツェリーヌ様もうヤバイっす。
──やはりあのベイガーさんは死神であった。



「来なさない、『ゼルガノン』」



暁望の大機兵がゲートをくぐる。
二機。規格外の大きさを誇るスリムな機械兵士と、重戦車と見紛うような人型砲台。
対照的な二体の召喚獣は背中から高熱の粒子を放出し、一定高度で浮遊している。
今や巨大な影と重圧が、派閥の本隊をまるまる覆っていた。
メタリックシルバーの全身装甲。ツェリーヌ達の首を仰がせるその総身は何も語らずとも無機質な威圧感を振り下ろしてくる。霊界や鬼妖界とはまた別種の神々しさが、そのアーマーの上で輝いていた。
そして冷たい金属の中で生きる、意志に満ちた機械仕掛けの瞳。
それは一人の天才が己の技術の粋をつぎ込んだ結晶だった。
『機神ゼルガノン』。
型式番号ZLG-0666。名匠ゼルが作り上げた機界の決戦兵器。
それぞれ独立したウェポンユニットによって近中遠全ての距離に対応するツガイの召喚獣は、ロールアウトした兄弟機の中でも殊更特異性を誇っている。

この機体の真髄はオールレンジ対応などというセコイ売り出し文句などではなく、そう、“合体”である。

瞳が眼鏡の奥で光り、アルディラは腕を空高く伸ばし「パチンッ!」と親指を弾く。これ以上ないドヤ顔で。
二体のゼルガノンはそれに反応し、ブースターを咆哮させ一斉に上空へ飛び上がった。『識幹の間』の天井を破壊し、夕暮れに濡れる茜色の空へ躍り出る。
青い二本の閃光が螺旋を描き、装甲が外れ展開する音。
機体内部の連結ユニットがせり上がり、謎の引力が働いて互いのボディを引き寄せ合う。
ところ変わって、遥か上空で輝き出す眩い閃光にウィルは遠い目、その隣でヴァルゼルドが敬礼を送る。もはや何も言わないクノンはしずしずと主人の背後で頭を下げていた。
そしてとうとう、合着。
鉄と鉄が噛み合う大音が響き渡り、大機兵の名に違わぬ巨身機士が完成した。
派閥兵達はアホのように口を全開。

「────イクセリオン」

『Understand』

肩部に付属している細長の外套をはためかせ、機神は虚空に手を伸ばした。
すぐに黄金の粒子が集結し始め、それは一本の巨剣となる。
振り下ろされれば一撃で大地を割る神剣、ゼルガノンはその柄を持って大きく振りかぶった。
魔力が爆発する。

「召喚獣ごときが、何故ここまでの術をっ……!?」

ツェリーヌが初めて戦慄した声をこぼした。
アルディラは至極真面目な顔をして、一声。

「愛(ロマン)の力に決まってるでしょう」

ハイネル涙目。




「『神剣イクセリオン』」




機神の投剣が撃ち出された。
大気に大穴をぶち開けて突き進む天剣に、派閥兵達の顔にはっきりと死相が浮かんだ。
猛烈な勢い、神速。
回避は許されなかった。
極厚の極剣の切っ先が銀の光粒をこぼしながら迫りきて、風の遠吠えを上げる。
すぐに、大爆砕。
世界が輝いた。

「────ぁ」

張り巡らされた結界を跡形もなく破壊される中。
ツェリーヌの意識は光の波に呑みこまれた。


「こんなところね」


そして、形成された特大規模のクレーターを眺める機婦人たる彼女は。
背後に従者、頭上に巨身兵を伴いながら。
美しい所作で自分の髪をかき上げるのだった。


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