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[39018] 【氷菓SS】不和のハーモニー【古典部シリーズ】
Name: 世葉零頭◆520fb875 ID:f0b01ca2
Date: 2014/10/02 11:00
【2014/10/02】
生存報告です。まだ失踪はしていません。
最近更新がなかなか出来ず申し訳ありません。実は、とある作品賞へ応募するために、こちらの更新が遅れている状態です。続きは考えておりますので、もう少しお待ち下さい。

【他シリーズ】
・怪奇現象調査団 (小説風
・ホラー短編集 (小説風
・SNSで俺は神と崇められている (ラノベ風
・じゃあ俺は現実世界で勇者になる! (ラノベ風

こちらもお時間あれば、よろしくお願いします。



[39018] 二度ある毎に一度しかない(1)
Name: 世葉零頭◆c3f4cfbe ID:f0b01ca2
Date: 2014/10/02 10:48
 学校教育には定期的に行われる催し事がある。新歓祭、体育祭、文化祭、小さなものをいれるとするならば、少し前に行われたマラソン大会も歴とした学校行事の一つにあたるだろう。しかし、よく考えてみれば神山高校には社会科見学という一見遠足と何が違うのかが分からない、教育上必要であるとされている行事がない。少なくとも俺が在籍しているこの一年と数ヶ月の間に、厄介事が絡んでくる校内行事は多々あったものの、遠くに足を運び他人と共同作業をする様な行事は行われていないはずだ。高等学校ならば普通なのだろうか。他の高校の事情を知りたいものだ。まぁ共同作業といっても、俺の主義からすれば自ら率先して手を貸す真似はしないだろう。

 雨の滴る窓際、読書をするには丁度いい。雨音は集中力を高めるというが、全くそのとおりだと思う。聴覚に刺激がある分、些細な人為的物音に対する反応が僅かに鈍る。屋内で本を読む分には良いが、外に出れば無駄に体を冷やしてしまいかねない。濡れた体を拭くのも億劫だし、雨の日は最小限のエネルギー消費で過ごしたいものだ。

 「やぁ、ホータロー」

 こんな昼間から俺に話しかける奴なんて、姿を確認せずとも分かる。旧友であり同じ古典部に所属する福部里志だ。いつもと変わらず、にやけ顔で話しかけてきた。そんなに普段から笑っていて、果たして口角は疲れないのだろうかこいつは。

 「やぁ」

 「...素っ気ないな奉太郎。取り込み中だったかい?」
 
 「いや、別に」

 読んでいた本にしおりを挟み、里志へ眼をやる。前の席で座っていた里志は、には、手に何かパンフレットの様な物を握っていた。

 「何か用か?」

 「いや、別に」

 別にと言う割には、何か言いたげな様子じゃないか。それに、

「何も無いというのなら、その手に持っているものはなんだ」

 「なんだ気がついていたのか。流石はホータロー」

 わざとらしい言動はいつものことだ。たとえ俺以外の生徒でも、里志の手に持たれた何かには気がつくだろうに。

 「実はこれ、一般の生徒にはまだ公開されていないものなんだけどね」
 
 「いつからお前は一般生徒じゃなくなったんだか。自分が学校の裏を握る人物の一人と勘違いしているんじゃないのか」

 「まぁ、そう言うなって。それよりさ、これ見てくれよ」
 
 古典部兼総務委員の里志が、手に持っていた緑色のそれを俺の方へ差し出してきた。手にとってみて分かったことだが、慣れない厚さの紙が数頁あった。表紙には何も書かれていない。まさかここへ『本日の宿題』と礼儀正しく書かれるとは思えないが。
 
 「これは?」
  
 「それは裏面さ。表へ向けてごらんよ」
 
 よく見るとホッチキス止めは、不覚にも右側に施されていた。言われるがままに、その紙束をひっくり返してみる。そこにはこの紙束達の名前が記載されていた。



 2001年度 社会科見学
 音楽鑑賞会

 日時:6月13日(火)
 会場:市民会館第一ホール



 音楽鑑賞会?

 「こんなもの去年は無かったじゃないか! そう思っただろ?」

 そんな大声を出さなくてもいい。ましてお前の声はよく響くというのに。

 「あぁ。去年は社会科見学なんて無かったはずだ」

 「そう、去年は確かに無かったんだ。でも、僕達が入学する前にあたる一昨年は行われているんだよ」

 「一昨年?」

 そういえば去年、古典部文集『氷菓』に纏わる謎を紐解く際に、神山高校の歴史なる図書で社会科見学会なる記述を見た気がする。

 「そう一昨年。この神山高校では、二年に一度のペースで社会科見学が行われているんだ。僕たちは一年目に社会科見学が無かったから、卒業までに一回しかない計算になるね」

 「二年に一度のペースか。それは知らなかったが、保護者から文句が出そうなシステムだな」

 「大丈夫さ。費用は全部学校持ちだから、保護者からのクレームも無いみたいだよ。ちなみに二年前は芸術観賞会と称して、近くで行われている能を見にったらしい」

 能とはまた現代とかけ離れた文化を見に行くものだな。決して能を馬鹿にするわけじゃ無いが、今の学生が能を見て何を学んで帰ってくるというのか。大半は肩肘ついて眠りこけっていたに違いない。

 「能と言うと、隣町の文化会館か」

 「うん。全校生徒で行ったらしいけど、ホータローなら評判は言わなくても分かるよね」

 「まぁ...な」

 能を見ながら長時間に渡る睡魔との戦いに勝てる自信は無い。それならばまだ、ここに書いてある音楽鑑賞の方が幾分マシだ。



 ただ音楽鑑賞会となると場所が問題なのだ。

 「市民会館か。かなり距離があるんじゃないのか?」

 「そうだね。電車で三駅くらいはあるかな」

 駅までですら歩いてそこそこあるというのに、そこから電車に乗って三駅となると……

 「遠い。それならまだ、学校で授業を受けている方が楽だな」

 俺の言葉を聞き、意外そうな顔をする里志。

 「あれ? ホータローは外に出るのが嫌なのかい? 僕は学業の手を止めて、学校の外へ出られるのは嬉しい限りなんだけどさ」

 確かに平日を学校外で過ごす機会は滅多に無い。しかしそれよりも俺は

 「できるならば座っていたい」

 わざわざクラスの皆で学校外へ出向くのは、省エネ主義の俺にとっては違うと思う。昨春から里志と同じく古典部所属、千反田える嬢に捻じ曲げられてはいるものの、この主義はなるだけ曲げたくはない。

 「やっぱりホータローはホータローだね。五月病が流行る時期だけど、いつも長期療養中のホータローには全く心配いらないや」

 「別に何に対してもやる気が無い訳じゃない。いつも言っているが……」

 「分かってるよ。やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に。だろ?」

 その通り。俺にとって音楽鑑賞会は、別にやらなくてもいいことだ。ただ学校行事となると、そうはいかないのだろうな。



 里志から渡されたパンフレットを開く。中にはまだ何も書かれていなかった。

 「それで、何でまたこれを俺のところに?」

 「別に。ただ知らせてやろうと思っただけさ」

 そんな安易にこの手の情報を漏らしてもいいのか? いや、何か意味があるに決まっているが、里志が言わないというのなら俺から無理に引っ張り出す必要はない。

 「そうか。ありがとな里志」

 閉じていた本を手に取り、しおりを探して先程閉じた頁を開く。

 「そう拗ねるなってホータロー」

 「別に拗ねてなんかない。用がないんなら、また放課後な」

 「ごめんごめん。ちゃんと要件を伝えるよ」

 いちいち回りくどいのが里志だ。初めから要件を言えば良いものを。数行しか進まなかった頁を再び閉じる。

 「それで?」

 「実は今、しおりのサブタイトルを考えていてね」

 「サブタイトル? そんなもの必要なのか?」

 机の上に置かれたままのパンフレットへ再び眼を向ける。確かに音楽鑑賞会と書かれている行と場所が記されている行の間に空白があった。

 「個人的には必要ないと思うんだけど、田名辺先輩が古典部なら何か赴きのある良い題名を考えられるんじゃないかって言い出してさ」

 田名辺先輩というと、いつかの連続窃盗事件で暗躍していた総務委員長か。あの人もまた余計な事を言い出したものだ。

 「だからホータローに何か良い題名を考えておいてもらおうと思ってね。答えは今じゃなくていいよ。今日の放課後、地学準備室で聞くから考えておいて」

 「強引だな。俺はまだ考えるとは言ってない」

 「またまた、そう言いながらいつも考えてくれるじゃないか。期待してるよ、ホータロー。そのパンフレットは渡しておくけど、あまり人には見せないでね。一応、委員外秘のものだから」

 俺の言葉を無視し、半ば強制的に依頼を投げかけ去っていく里志。今から千反田ともう一人の古典部部員であり里志の恋人、伊原 摩耶花の元へ同じ話を持ちかけるのだろう。そして二人は俺とは違い快く頼みを聞きいれ、放課後に備えるはず。そうなれば俺だけサブタイトルを考えていない方が、面倒なことになりかねない。仕方ない。皆が納得するかは別として、何か有り触れたものでもいいからサブタイトルを考えておこう。

 そう心配することはない、千反田あたりが素晴らしい題名を考えてくれるだろうさ。



[39018] 二度ある毎に一度しかない(2)
Name: 世葉零頭◆c3f4cfbe ID:f0b01ca2
Date: 2013/12/12 23:46
 放課後、合図もなしに地学準備室のドアを開ける。既に来ていた千反田と伊原は、里志から拝借したであろう例のパンフレットを眺めていた。

 「あら折木、あんたも福ちゃんに呼ばれたの?」

 「呼ばれたんじゃない。脅されたんだ」

 「ふーん、そう。なら来なくても良かったのに」

 夏服に変わってから数日間、俺は伊原を見かけていなかった。冬場露にならない素肌が男心を少しは擽るはずなのだが、半袖を纏った伊原 摩耶花は、相変わらず可愛げも上品さも全く無い。それは伊原に仕草・言葉使いという、女性に必須とされるものが欠如しているからなのだろうか。

 「ちょっとあんた、今何か失礼なこと考えてたでしょ」

 「いや、別に」

 今日はよく心の声を聞かれる。つい先程も、里志に心の中を見透かされた様なことを言われた。里志ならまだ分かるが、何故毛嫌いしている俺の考えを、伊原が読み取れるのだか。

 「折木さんも福部さんから、音楽鑑賞会のしおりを渡されたんですか?」

 伊原と同じく半袖の制服を着用した千反田が、手に持っていたパンフレットを掲げている。千反田とは地学準備室で何度か会っているので、今年度夏服姿を見るのは始めてじゃない。伊原とは違い、才色兼備と名高い千反田家の箱入り長女千反田える嬢は、清楚な容姿に白い肌が加わり、より一層涼しげな姿に見える。伊原、少しは千反田の真似をしてみてもバチはあたらないと思うぞ。

 「おーれーきー」

 伊原がまた何かを疑うような目つきで睨んできた。エスパーかこいつは。



 「しおりというのは、これのことか?」

 鞄の中に閉まっていた緑色の紙束を取り出す。適当に閉まっていたからか、少しシワがいってしまった。

 「そうです。ということは、折木さんも音楽鑑賞会の題名を、福部さんから考えるように頼まれているんですね」

 何度も言うが、頼まれたんじゃない。

 「脅されたんだ」

 「福ちゃんがあんたを脅すわけ無いじゃない」

 伊原は何故か不機嫌そうにしている。さては里志と喧嘩でもしたのか? 苛ついている伊原を茶化しても、口論が続くばかりになるからエネルギー効率が悪い。無駄口を止め、千反田の真向かいにある自分の指定席へ腰を下ろした。指定席といっても、ただ普段から座っているからであって、特に縄張り意識があるわけでもない。

 「それで、里志は?」
 
 「まだ今日は部室に来ていませんよ。私が鍵を開けたので、間違いありません」

 話をふっかけておいて、当の本人はまだらしい。

 「福ちゃんのことだから、総務委員に寄ってから来るんじゃないかな? 繁忙期なんだって忙しそうにしていたし」

 「そうですか。では、福部さんが来るまでお茶でもしませんか。叔母が送ってくださった、美味しいお菓子もありますので」

 千反田は席を立ち、すぐ近くに置いてあった紙袋を机の上へ移動させる。そして紙袋から、赤と金で配色された大きな箱を取り出す。

 この箱、どこかで見たことがある。おそらくだが姉貴が昔、お土産として買ってきていたはずだ。千反田が持ってきたお土産のパッケージを、伊原もまじまじと見つめている。

 「何コレ...バなりタ?」

 開口部に『バ 成 タ』と書かれた菓子。そうだ、思い出した。これは北海道の名物とされているバターをたっぷりと使ったお菓子だ。俺がまだ小学生の時に、姉貴の修学旅行のお土産として何個か貰った記憶がある。

 「これでマルセイと読むんです摩耶花さん。北海道の大地が育んだバターたっぷりの、バターサンドです。是非一つ食べてみて下さい。きっと頬っぺたが落っこちますよ」

 菓子箱を伊原へ近寄せる千反田。怪しそうに様子を窺う伊原だったが、千反田の言葉に負けた様だ。

 「ちーちゃんがそう言うなら一つ貰うわね」

 そう言って伊原は箱の中からこれまた同じ赤と菌の配色をした菓子袋を取り出し、包装ホイルを破いていく。中からは予想通り、北海道名物のバターサンドが姿を表した。伊原は有無を言わずに、バターサンドを口に運んだ。しばらくその独特な風味と味を嗜んだ後
 「何これ! すっごく美味しい!」
 とお決まりの言葉を口にした。いや、確かにバターサンドは美味しい。俺もこれを土産として貰ったなら、素直に喜ぶだろう。

 「北海道名物 マルセイのバターサンドです。お気に召しましたか?」
 
 「うん。バターの味が濃くてすっごく美味しい! こんなの初めて食べたかも」

 よっぽど気に入ったのか、再び箱に手を伸ばす伊原。千反田は伊原の満足げな感想を聞き終えて安心したのか、お茶を用意し始める。

 「ちーちゃんごめん、もう一つ食べてもいい?」

 「はい、どうぞ。私は家にまだありますから、好きなだけ召し上がって下さい」
 
 「ありがとうちーちゃん。今度私の実家でお土産買ってくるね」

 「はい、楽しみにしておきます」

 千反田に食べたことの無いご当地菓子があるのかは疑問だがな。豪農千反田家は、その家柄からあらゆる方面に知り合いがいると聞く。そんな千反田家なら、大抵の名産物は俺たちが駄菓子を買い漁るって溜め込むかの様に、机の上で山積みになっていても何ら不思議ではない。

 
「もう一つ頂いちゃおっと」

二個目を食べ終えた伊原が、再び菓子箱へ手を伸ばしている。

 「太るぞ」

 伊原の手が止まる。

 「失礼ね。女の子に向かって、よくそんなことが言えるわ。あんたその性格治さないと、絶対に女から好かれないわよ」

 そちらこそ、何と失礼な言い様か。睨みつけてきた伊原は止めていた手を再び前へ進め、三個目のバターサンドを開封し始める。それにしても良い匂いだ。バターの濃厚で蕩けそうになる匂いと、レーズンの甘い香りが絡まって食欲を掻き立てる。今思えば、小学生の頃も同じ印象だった。初めてバターサンドを口に運んだ時には、バターのしつこさがあったものの、こんな美味い菓子があるなんてと感激した覚えがある。いざ目の前にすると、食べる気は無かったのだが、思い出を振り返るという意味合いで一口欲しくなった。

 「千反田、俺も貰っていいか?」

 「もちろんです折木さん。どうぞ、召し上がって下さい」

 ではバターの匂いとお言葉に甘えて。少し体を乗り出し右側にあるバターサンドの箱へ手を伸ばす。しかし、箱に手が届きそうになった瞬間、バターサンドの入った華やかな菓子箱は、俺の意に反する方向へと移動していくのだった。

 「伊原......」

 菓子箱の横には、食べさしの菓子を持った伊原が、意地の悪い表情を浮かべていた。左の手で菓子箱をぐっと掴み、それを俺の手から逃がしてやろうと奮闘している。

 「太るわよ、ホータロー」

 「太って結構。生憎、俺はいくら食べても太る体質じゃない」

 正月を除いては...だがな。

 伊原は菓子箱を掴んでいた左手でもう一枚バターサンドを取り出し、それを自分の机の上に置いた。その直後、

 「ふんっ」

 と不機嫌そうに菓子箱へデコピンをかまし、菓子箱は俺の方へ飛んでくることとなった。何はともあれ、これでバターサンドにはありつける。伊原の機嫌なんてどうだっていい。閉じられていた開口部を開け、中身を確認する。

 「……ん?」

 空箱の中には濃厚なバターの香りと、開封時にこぼれ落ちた菓子屑だけが残されていた。伊原め、デコピンをする前に取り出したのが最後の一枚だったか。

 「折木。それ空になったから、あんたの後ろにあるゴミ箱に捨てておいて」

 最後の一枚を頬張る伊原は、してやったりとばかりにどこか満足気だった。俺はこんなことで怒ったりはしない。それは余計なエネルギー消費だし、第一大人げないじゃないか。無くなってしまったものは仕方がない、言われるがまま空となった菓子箱をゴミ箱へ投げ入れる。まぁいい、もうすぐ里志が来る頃だ。バターサンドはまた後日、伊原がいない時にでも千反田から分けてもらうことにしよう。



[39018] 二度ある毎に一度しかない(3)
Name: 世葉零頭◆c3f4cfbe ID:f0b01ca2
Date: 2014/04/09 12:21
 俺と伊原がバターサンドの取り合いを終え、千反田が運んできた茶を飲みながら一息ついた頃だ。普段は静かな地学準備室のドアが、慌ただしく開かれる。

 「みんなごめん!総務委員会が長引いちゃってさ」

 全力で走って来ましたといわんばかりに疲労困憊の様子をうかがわせる里志が、お決まりの言い訳と共にご到着なさった。

 「遅い。もう少しで帰っていたところだ」
 「福ちゃんいつも時間を守らないんだから」
 「ごめん摩耶花、ホータロー。それに、千反田さんも」
 顔の前に手を合わせ、平謝りする里志。いつもの掛け合いだ。
 「大丈夫ですよ。それより、運動後のお茶はいかがですか?」
 
 運動後にお茶? それも温かいお茶だなんて。
 「運動後は浸透率の高い飲み物を提供すべきではないか千反田。お茶は運動後に相性が悪いという記事をどこかで読んだことがある」
 たしか少し前の地方紙に掲載されていたコラムだ。ざっと目を通していた際に読んだのだが……。
 「その記事なら、私も読みました。広報かみやまでしたっけ?」
 それだ。神山市の地方誌『広報かみやま』。毎月二回、無料で神山市民のポストへ投函される。
 「お茶のような一度煮沸した飲料は、中が無酸素になるので運動後によくない、と書かれていました」
 「俺が言いたかったのはそれだ千反田。知っていたのなら、何故里志にお茶を勧めるんだ?」
 まさか遅れてきた里志への腹いせにこいつは......、ってこいつに限っては有り得んか。
 「たしかに運動後に無酸素飲料を飲むのはよくないことですが、あの記事には該当種類が烏龍茶と書いてあった気がします」

 流石にそこまで覚えてはいないぞ……。恐るべし記憶力、千反田える。

 「それにこのお茶、実は普通の物とは少し違うんです」
 ずっと話を聞いていただけの伊原が、今まさにカップを口へ運ぼうとしていた手を止める。
 「えっ? 普通のとは違うって、どういう意味? まさか…お茶の中に蛇を漬けていたとか、そういうのじゃないよねちーちゃん!?」
 「もちろん違いますよ摩耶花さん」
 それは酒の話だろ伊原。ましてハブ酒の様に生き物を密封するのは一部の地域だけであって、それをお茶でするなんて話は聞いたことがない。

 「このお茶は、一般的なものより塩分濃度が高いんです。海洋地域に近い場所で作ったとても珍しい品種で、専門店にもなかなか出てこない貴重なものなんですよ」
 微笑みながらお茶葉の入れ物を見せつけてくる千反田。お茶については烏龍茶、緑茶、麦茶程度の知識しかないので、それがいかに他のものと違うのか俺にはよくわからない。様子を見るに、俺以外の二人も同じ心境のようだ。
 「まぁとにかく、貴重で凄く有難みのあるお茶ってことだよね千反田さん。悪いんだけど、友人を待たせている自責の念に駆られて走ってきた僕にも、そのお茶を一杯いれてくれないかな?」
 「はい。少し濃いめにしておきますね」
 千反田はまたお茶っ葉を取り出し、先程と同じようにお茶をいれ始めた。そういえば、何かもう一つ指摘することが無かったか? その時はすっかり忘れていたが、疑問は里志の前に出された湯気が立ち上るお茶を見て思い出すことができた。季節は6月初旬。暑さが増すなか、運動後に味濃いめの熱いお茶を飲むだなんて、里志にはとんだ罰ゲームだ。

 しばらくして、千反田のいれた熱いお茶を嫌がりもせず半分程飲んだ里志が、話を今日の本題へと戻す。
 「ところでみんな。今日お昼に伝えた件、考えてくれたかい?」
 お昼に伝えた件とはもちろん音楽鑑賞会しおりに使うサブタイトルのことだ。伝えられたんじゃない、あれは脅しだ。
 「一応考えてきたけど、ちょっと恥ずかしいかも。名前はふせてくれるのよね?」
 「私も全校生徒に知られるとなると、少し気が引けます……」
 この二人はそんなところまで気にしているのか。俺なんて、どうせ千反田と伊原の案が採用されると思い、ユーモアのかけらも捻り出していないというのに。
 「大丈夫だよ二人とも。もちろん名前は公表しないさ。それをしちゃうと、私も私もって目立ちたがりの立候補者が大勢出てくるからね」
 「よかったー。それなら心おきなく発表できるわね」
 伊原がカバンからA5サイズのノートを取り出す。黄色を基調としたノートは、丁寧にゴムバンドで閉じられている。伊原は元々美術研究会に所属していたっけ。もしかするとこれは、こいつのデッサンノートなのかもしれない。

 伊原はしばらくノートを見つめた後、
「よし、決めた。私の考えたサブタイトルはこれ」
と自信を漲らせながら、考えてきた題名を口にした。

 「安らぎと和みを音楽にのせて」

 それは正直なところ、なんとも反応に困るものだった。ノートを見つめていたということは、伊原なりに何個か題名を考えていたのだろう。
 「とても素敵ですね」
 誰も声を出さないでいると気を利かせた千反田が開口一番にそう言った。
 「うん、なかなかいい」
 「本当!? そんな素直に褒められると、なんか照れちゃうわね」
 里志も千反田の感想に相槌をうつ。里志め、心にも無いことを。
 「折木さんは伊原さんの考えた題名、どう思われますか?」
 せっかく黙っていたのに俺へ振るな千反田……。振られたからには仕方がない。俺だけでも正直に答えようじゃないか。
 「なんというか、ほにゃららにのせてっていう表現はどこか料理の名前みたいだな。これじゃまるで、フランス料理のオードブルみたいな印象を与えるんじゃないか?」
 「料理の名前だなんて失礼ねあんた」
 やはり伊原が突っかかってきた。こんな言い方をすればそうなるか。
 「いや、別に題名が悪いとは思わないぞ」
 あくまでタイトルが与える印象の問題なのだ。

 『2001年度社会科見学会~安らぎと和みを音楽にのせて~』

 音楽に安らぎと和みを混ぜ合わせたソースがかけられて、とても美味しそうに思える。
 「料理の題名みたいっていうのは、少し酷いと思うけどなぁ」
 「そうですね。その言い方は、摩耶花さんが可哀想だと思います」
 「そうよそうよ」
全員から怒られるだなんて。分かりました、もう口出し致しません。

 「とりあえず、摩耶花の案は『安らぎと和みを音楽にのせて』っと」

 里志は熱心に伊原のタイトルをメモへ書き写している。そういえば安らぎと和みというのはどこから連想されたものだろうか?
 「おい伊原」
 「何よ?」
 鋭い眼光が俺を睨みつける。正直な意見を言ったまでだ。そこまで怒らなくてもいいじゃないか。
 「安らぎと和みっていう表現はどこからきたんだ? 音楽鑑賞会といっても、歌を聞くのか合唱を聞くのか、もしくはピアノ演奏みたいなものを聞くのかなんてまだ分からないじゃないか」
 「え? あんた福ちゃんから内容は聞いてないの?」
 内容? 知らんぞそんなこと。里志を見ると苦笑いを浮かべている。
 「あー…そういえば、ホータローには鑑賞内容について伝え忘れてたっけ?」
 「おそらくな」
 内容が決まっているだなんて初耳だ。パンフレットの中見がまだ書かれていなかったから、てっきり内容は決まっていないのだと思い込んでいた。
 「やっぱりそうだよね、ごめんホータロー。今年の音楽鑑賞会、内容としては市民会館で神山交響楽団が奏でるオーケストラを鑑賞するんだ」

 神山交響楽団? 神山交響楽団…神山交響楽団…。

 「あぁ、神山交響楽団か。どこかで名前は聞いたことがあるな。たしか……」
 「広報かみやまです」
 「そう、それだ」
 千反田、ナイスフォローだ。

 「地元の音楽好きが集まって練習している交響楽団だったか。それを早くいってくれ里志。オーケストラとなれば、また違うサブタイトルを考えないといけなくなるじゃないか」
 まぁ俺の場合、元からサブタイトルなんて考えていないわけだが。

 「頼んでおいて本当にごめん。そうだ、ホータローが考えている間、千反田さんに発表してもらおう。うん、それがいい。どうだい千反田さん、何か考えてきてくれた?」
 「えぇ。考えては来ましたが、やっぱり少し恥ずかしいですね」
 そう言いながらも、千反田もまた学生鞄からノートを取り出した。伊原ノートの様な止めゴムはついておらず、美しい筆跡で書かれた千反田の名前だけが、自由帳には不釣合いに思える。
 「あまり期待しないで下さいね」
 千反田はそう前置きした後、一呼吸いれた。

 「初夏に奏でるハーモニー。なんてのはどうでしょうか?」

 それは実に千反田らしいサブタイトルだった。そう、まるで模範解答の様に。里志と伊原は口を揃えて「いいじゃないか」と千反田を褒めているも、俺はそう思わない。ありふれすぎている、そんな気がしたのだ。しかし先程の伊原の件がある。なかなか批判的なことは言い辛い。

 「千反田らしくていいんじゃないか」

 結局俺も流される派なのだ。いや、流された方が省エネに繋がるケースも存分にあるから、むしろ全く問題はない。
 「じゃあ千反田さんは『初夏に奏でるハーモニー』で」
 「はい」

 里志はメモを書きながらも、俺へと体を向ける。
 「後はホータローだけだけど、ちゃんと考えてきてくれたかい?」
 「あぁ、一応」
 「本当!? 意外だなぁ、ホータローは考えてきてくれないと思っていたよ」
 元から戦力には入れられていなかったらしい。
 「それじゃあ教えてホータロー。『万人の死角』に続く、素晴らしいネーミングをさ」

 「あぁ、言うぞ」

 里志がメモをかまえ、千反田は何故か目を輝かせて俺の方を見ている。そんなに期待しないでくれ。俺は何の捻りもない、ごくごく一般的なサブタイトルを考えてきたのだから。俺の考えてきたサブタイトルはこれだ。



 「神山高校音楽鑑賞会」



[39018] 二度ある毎に一度しかない(4)
Name: 世葉零頭◆c3f4cfbe ID:f0b01ca2
Date: 2014/04/09 12:22
 「神山高校音楽鑑賞会」

 口にした途端、三人ともが表情を凍らせる。あぁ、やっぱりそうなるか。

 「あんた、最低ね」

 始めに貶しの言葉を飛ばしてきたのは、ノートへ書き溜める程にサブタイトルを考えてきた伊原だ。

 「折木さん。それは福部さんにも、失礼だと思います」

 伊原に次いで、千反田が大きな瞳に似合わない不機嫌そうな表情を浮かべて言った。珍しく怒っているのだろうか。眉が少しつり上がっている。しかし、そう怒られるばかりでは納得がいかない。

 「待て千反田、これにはちゃんとした理由がある。そう威嚇するな」

 「理由ですか?」

 千反田が表情を緩め、首をかしげる。伊原は相変わらず、軽蔑の眼差しをやめてはくれない。

 「理由ねぇ」

 責められる俺を今の今まで放って置いた里志が、ここぞとばかりに話へ入ってきた。
 「ホータローは関谷祭の時、入須先輩のクラスが作った映画に、見事なタイトルをつけた実績があるからね。本当に理由があるなら、是非聞かせて欲しいな」

 それがフォローというのなら、もう少し早くして欲しいな。しかし里志、あまり期待されても困る。それにそんな言い方をすれば、目の前にいる好奇心の猛獣が檻から出てきてしまうではないか。

 「ごめんなさい折木さん。理由があったんですね。では、折木さんが何故その様な有り触れている題名を考えてこられたのか。その理由を私にも教えて下さい!」

 「私、気になります」

 ほら......。
 ただ、いくら千反田から気になられたとしても、大した理由は返せない。
 「そんなに捻った理由じゃないぞ」

 「と言いますと?」

 これを言ったら、伊原にまた怒られそうな気がする。しかし千反田がこうなってしまっては、言い訳するのも難しい。

 「俺はただ、シンプルイズベストが一番と思っただけだ」

 そう告げると、また地学準備室に静寂が訪れる。一人話の続きを期待する猛獣は、俺の口が動かないことを確認したのか、しばらくして待つことをやめた。

 「それだけですか?」
 「それだけだ」

 「シンプルイズベストという考えに至るまでの理由は無いのですか?」
 「あぁ、ない」

 少しばかりか、地学準備室に静寂が流れる。いや、これは俺のせいじゃない。いらない事を掘り下げてきた千反田が悪い、多分...。

 「折木。あんたやっぱり最低ね」
 「最低でもかまわないさ」

 「折木さんなら、もっと鑑賞会に適した題名を考えられるはずなのに...。勿体無いです、折木さん」
 勿体無いかはお前じゃなくて、俺が決めることだろうに。伊原から冷たい視線、そして千反田からは失望の眼差しが俺に向けられていた。俺が何か悪い事をしただろうか?

 「ふーん、まぁいいや。ホータローは『神山高校音楽鑑賞会』っと。うん、どれも個性的で面白い。とりあえず明日の総務委員会で、この3つを提案してみるよ」

 「えー福ちゃん、折木の意見はそれでいいの?」

 「別にかまわないよ。無難な意見ってのも、何かを導く時には大事だからね。みんなありがとう。おかげで明日は、少し話が進みそうだ」
 「いえいえ。お力になれたかは分かりませんが、福部さんの頼みならいつでも力になりますよ」
 「私もよ福ちゃん。折木はともかく」
 一言余計だ。しかしナイスだ里志。おかげで無駄な議論は省けた。

 「さてと、そろそろ帰るか」

 立ち上がると同時に、他の三人も下校の準備に取り掛かった。ドア付近で待っていると、
 「ホータロー、後でちょっといいかい」
 と駆け寄ってきた里志が小声で耳打ちしてきた。
 「かまわないけど、手短にな。今日は余計に頭を働かせたから疲れた」
 「もちろんさ。じゃあ二人と別れた後でまた」
 「お前、伊原はいいのか?」
 「今日は千反田さんと買い物にいくんだって。だからその後に」
 何の用事だろう。全く思い当たる節がない。里志から怒気は見受けられないので、今日の有り触れた題名について文句がある訳ではないのだろう。

 「電気、消しますね」

 暗くなった部室の鍵を千反田が丁寧に閉める。この時期にもなれば、夕方になってもまだ外は明るい。ついこの間まで、この時間帯なら外はもう真っ暗だったのに。

 千反田と伊原が2人で鍵を返しに行くと言い出したのは、地学準備室を離れたすぐ後だ。それは先程里志から聞いた「二人で買い物に行く」という情報が、珍しく正しいものであったことを示していた。



[39018] 二度ある毎に一度しかない(5)
Name: 世葉零頭◆c3f4cfbe ID:f0b01ca2
Date: 2014/04/09 12:25
 里志と帰り道が同じ区間は、商店街を抜けてすぐにある交差点までの15分程だ。ただ商店街には信号が多く、タイミングによっては5分程度のズレがある。千反田・伊原と別れ正門を出た後、すぐに里志が話しを始めた。

 「何を買いに行くんだろうね、あの二人」

 知らん。俺に聞くよりも、後で伊原に聞いてみるといいじゃないか。

 「季節的には何か催し物があるわけじゃないし、参考書とかかな?」

 「知らん」

 声に出してみるも、里志の無駄話は止まらない。

 「全く、ホータローはこの思春期という薔薇色の時間に、女の子同士が何を欲しがって買い物へ行くのかすら想像しないのかい?」

 柄にもないことを言うな。

 「里志、そんなところにお前の興味はないだろ」

 里志は少し口を閉ざす。

 「うん、そうだね。流石はホータローだ。後から摩耶花に聞けばわかる事だし」

 里志はあっさりと図星であることを認めた。こいつはどこか、本題を先延ばしにする癖がある。話したい事があったとしても、先延ばしにして結論を言わない。伊原との関係もそうだ。里志がすんなりと結論を伝えていれば、もっと前から二人は付き合いを始めていただろうに。

 データベースは結論を出せないという里志の口癖も、結局のところ自分の意見に自信が持てず、結論を先延ばしにするための謳い文句でしかないのかもしれない。

 「いやぁ、それにしても千反田さんと摩耶花が一緒に買い物だなんて、あんまり想像が出来ないよ。趣味趣向は合うのかな?」

 まだ言うのか...。

 「勿体ぶるなよ。今日地学準備室で俺が提案した題名について、何か聞きたい事があるんじゃないのか」


 「勿体ぶってなんかいないさ。ホータローと別れる道はまだまだ先だから、もう少し後で聞きたいと思ってね」

 もう少し後か。となると里志が話を始めたいタイミングは、商店街に差し掛かってからになるはず...。いや、それは厄介だ。

 「それはちょっとまずいな。題名についての理由を聞きたいなら、今にしてくれないか」

 「別に構わないよ。後で聞きたいっていうのは僕のワガママだし。でも何故今なんだい?」

 「それは後だ」



 前方には、老舗らしい看板が不規則な列を作って並んでいる。中には新しい看板も見受けられるが、周りにあるアンティークな看板と調和し、まるで新鮮さが見て取れない。上についている雨除けのルーフも、この古ぼけた雰囲気を醸し出す一つの要因になっているのだろう。ちょうど商店街に差し掛かる手前の交差点で俺達は信号に止められてしまった。

 「じゃあ今聞いておこうか」

 里志が本来聞きたかったであろうことを尋ねてきた。

 「さっきホータローが提案した『神山高校音楽鑑賞会』っていうのは、本気で考え抜いた結果なのかい?」

 里志は表情を真面目なものに変えた。

 「あぁ本気さ。ふざけているわけでも、からかっているわけでもなんでもない」

 「その言葉に、嘘偽りはないんだね?」

 「ない。それに、ちゃんとした理由もある」

 里志の尋問に対し、きっぱりと返答しておく。

 「地学準備室には千反田と伊原がいた。あの場で理由付けをしたら、また口論になるのは明らかだ。それが面倒だった」

 俺の言葉に胸をなでおろしたのか、里志はいつもの緩んだ表情を見せ「そうかい、ホータローらしいや」と呟いた。

 「それで、何故僕にだけ教えてくれるんだい? 今披露するなら地学準備室で話したって、ホータロー自身のイメージ的にも良かったんじゃないかな」

 「イメージなんて、元から良いとは思われていない」

 少なくとも伊原には間違いなくだ。

 「千反田と伊原はあくまで古典部部員の回答者だ。だがお前は、総務委員で質問者。質問者が納得しないというのなら、答えるのが筋じゃないか」
 
 もちろん、聞かれていなければ答えてはいなかったけれど。

 「なるほど。これまたホータローらしい」

 俺らしいというのは褒め言葉なのか貶し言葉なのか。あまり良い印象で受け取れないあたり、褒めてはいないのだろう。

 赤信号は未だ色を変えることなく、危険信号を送り続けている。信号機隣にある横棒が重なったカウント表示も、まだ半分を下回ってから間も無い様子だ。商店街前の大通りは交通量が多く、なかなか青信号を光らせてはくれない。

 「それじゃあ、その理由ってのをお聞かせ願えるかな?」
 俺の方へ顔を向ける里志。その表情には先程まで向けられていた疑いの目は無いように思えた。

 「万人の死角。僕はあのタイトル、結構ネーミングセンスがあったと思っているんだよ。そんなホータローが『神山高校音楽鑑賞会』だなんて寂しい題名をつけるから驚いたよ」

 寂しいとは、俺も過大評価されたものだな。

 「まず根本的に違うぞ里志。今回と入須先輩の映画じゃ、他人の見る目も状況も違う」

 「というと?」

 できれば赤信号が変わる前に話を終わらせたいが、おそらく間に合わない。

 「万人の死角。あれは何のタイトルだ?」

 「映画のタイトルだね。入須先輩のクラスが作った」

 「もう少し具体的には?」

 「具体的にか...。うーん、神山高校学園祭で披露するために入須先輩のクラスが制作したミステリー映画。こんなところかな」

 「そう。あれは神山高校学園祭の出し物として作られた映画だ」

 もっと厳密に言えば、
 『神山高校学園祭で学生達に見てもらうため、学園祭出し物の一つとして入須先輩のクラス及び古典部部員が制作したミステリー映画』
 といったところか。特に『及び古典部部員』は譲れないな。

 「じゃあ今回はどうだ?」

 この問いかけに、里志は少し頭を悩ませている様子だった。

 「学生達が文化交流として市民ホールで音楽を鑑賞する会...でいいのかな?」

 「まぁそんなとこだろうな」

 こちらは俺もまだ内容をよく把握していないから、訂正が難しい。

 「この二つ。一見学生達に楽しんでもらうための企画に見える。だが根本的に違うことがある」

 「それは僕でも分かるさ。学園祭はお祭り。学生主導で盛り上げていく企画だ。けど社会科見学は、あくまで勉学の延長。学校が主催で行なっている行事にあたるね。まさか、そんな理由でこの題名を?」

 信号はまだ変わる様子を見せない。

 「早まるな。主導の違いもあるけれど、それ以上に考慮することがある」

 社会科見学が勉学の延長上だとしても、少しお固い遠足程度のものだ。主催の差異は、題名を真面目なものにした大元の理由じゃない。

 「学園祭にしろ社会科見学にしろ、必ず配られるものがあるだろ」

 「催し物のしおりのこと?」

 流石は総務部員。返答が早い。

 「そう、学校行事がある度に制作されるしおりが問題なんだ。しおりは作成されると、その当日あるいは翌日に学生へ配られる。でよかったか? 総務委員さん」

 俺の問いかけに里志は首を縦に振った。

 「ほとんどは翌日だね。編成は総務委員だけど、作っているのは広報委員だから、朝に完成してもチェックをする必要があるんだ」

 まぁ、作業工程はこの際どうでもいいんだが。

 「しおりの表紙には、大きくタイトルが印字されるはずだ。そこにでかでかと『安らぎと和みを音楽にのせて』とか『初夏に奏でるハーモニー』のみたいなメルヘンチックな題名を載せるとなると、少し抵抗がありやしないか? それも全校生徒に古典部部員が命名したとでも知れ渡ったら...」

 男子高校生の俺からすれば、全身がむず痒くなるではないか。

 「僕は別に抵抗無いかな。それに命名したのは総務委員ってことでいいんじゃない」

 万人の死角を命名したのは折木奉太郎ですとカンヤ祭後に豪語していたのはお前じゃないか里志...。それにまだ理由はある。長く赤を灯していた信号機が色を変える。これでやっと進めるな。

 「まぁ最悪、俺達はいいさ。ただ一番心配なのは保護者だ」

 歩を商店街の方へ進めながら話を続ける。

 「保護者?」

 里志は首をかしげたが、すぐにかしげた首を戻す。

 「あぁ、しおりは親宛にも発送されていたね。カンヤ祭の時、家にパンフレットのようなのが届いていたっけ」

 うちにも届いていたが、姉貴が部屋に持っていったっきりな気がする。

 「そこにさっきの題名が書かれていたらどうだ。中には「ふざけた行事なのか?」と尋ねてくる親がいるかもしれない」

 神山高校はそこまで優秀な高校でもないが、中途半端に進学校のようなことも仄めかしている。勉強熱心な親からすれば、ふざけた題名の学校行事を見て怒り出すことも考えられない訳ではない。

 「うーん..確かに、否定は出来ないね」

 意外にも、里志が俺の意見に同意した。正直すんなり受け取ってくれるとは思っていなかった。

 「去年も勉強熱心な保護者から、学園祭なんて無駄な行事だって言われたこともあったらしい。その意見、可能性は0じゃ無いかな」

 「だから俺は、あえて凝ったサブタイトルじゃなくて、有り触れていて親御さんにも文句を付けられない無難なサブタイトルを提案したんだ。ふざけてなんかじゃないぞ」

 里志は何か考える様子を見せたものの長くは続かず、またすぐに俺の方へ顔を向けた。

 「へぇ、ホータローなりにしっかりとした言い訳を考えていたんだね」

 「言い訳じゃない。これが本心だ」

 里志は微笑しながら「そうかい」と、一応は納得してくれた様だ。

 ま、考えるのが少し面倒だったのは認めるがな...。



 兎にも角にも、俺の言いたかったことは里志へ伝わったらしい。よかった、商店街には差し掛かってしまったものの、おおよそ予想通りの場所までに話し終えることが出来た。これ以上時間がかかっていたら、少々危険な時間帯になっていたからな。

 「大体、何でも考え込んだ名前をつけるもんじゃない」

 「そっちの方が省エネだからね」

 まして学校行事なのだ。一般受けの良い名前が一番安心できる。

 「それはそうとしてホータロー、話を早めようとしていたのは何故なんだい?」

 「あぁ、それはもうすぐ分かる」

 

 季節は徐々に春から夏へ移り変わろうとしている。ついこの間まで雪が積もりスリップ注意とされていた道路にも、今やチェーンを巻いて走っている車は一台も見当たらない。

 商店街に差し掛かって三台目の信号機で、俺達は再び足を止めた。そろそろだろう。そう思った矢先、後方から声をかけられた。

 「折木さん、福部さん」

 友人であるのに「さん」をわざわざつけた上品な名前の呼び方。俺が返事するよりも先に里志が振り返っていた。

 「あっ!千反田さん。それに摩耶花も」

 思っていたよりも遅いお出ましだったな。こいつらも商店街手前の信号機で立ち往生していたのだろうか。

 「買い物はどうしたの?二人で行くって言っていたじゃないか」

 「だから買い物をしに来たんじゃないの。この商店街以外に、女の子二人が買い物出来るスポットなんて無いじゃない」

 「あぁ、言われてみれば...。隣町まで行かないと、大きなショッピングセンターは無いんだっけ」

 この辺りに住んでいる人間なら、買い物と聞いて一番に思い浮かぶのがこの商店街だ。洋服に雑貨、食材も豊富で喫茶店もある。ショッピングセンターの様な凝縮された施設には敵わないが、この商店街だってボリュームで言えば引けは取らないはずだ。

 「二人でどこに行くんだ?」

 「向こう側にある置物屋です。地学準備室に何か飾りを置こうかと思いまして。折木さん、何か希望はありますか?」

 「いえ、ありません。おまかせします」

 こういうのは千反田の方が長けているだろうしな。

 「そうですか。では私達はここで。素敵な置き物、楽しみにしていて下さいね」

 明日は地学準備室に足を運ばぬよう、注意しなければ...。

 「ふくちゃん、折木、また明日ね」

 そう言い残し、千反田と伊原の二人は足を止めている俺達を置き、反対側の道路へ渡って行った。

 「そういうことか。流石ホータローだ」

 里志が小声で囁いてくる。

 「もちろん、ぬかりはないさ」

 しばらくして、前方にある信号が進めを示した。向かい側の歩道では、千反田と伊原が小さく手を振っている。俺も手を少しだけ上げて、横で大手を振っている里志を尻目に会釈しておいた。



[39018] 菩薩の耳には念仏(1)
Name: 世葉零頭◆c3f4cfbe ID:f0b01ca2
Date: 2014/03/03 12:46
 鑑賞会当日は生憎の雨となった。屋根から伝わってくる忌々しい雨音が、小降りでないこと知らせている。こんな日に限って何故......。



 リビングへ向かうと、姉貴が頭にタオルを被せて座っていた。朝からウォーキングでもしていたのだろうか。

 「あら、今日は早いのね」
 
 「姉貴もな」

 「毎日の日課よ。あんた今まで知らなかったの?」

 姉貴が学生の頃、毎朝自主的にランニングをしていたのは覚えにあるが、引退後もかかさず続けていたのは知らなかった。

 「えらく活発なことで」

 「こんなの朝飯前よ」

 おっ、なかなか上手い。

 「あんたも少しは運動しなさい。体の衰えは、動かしていない程早いのよ。30半ばで動けなくなられたら、私が困るじゃないの」

 動かさずともエネルギー消費を抑えて長持ちさせるさ。そこまでは姉貴が心配しなくとも......。

 「それよりあんた、今日は社会科見学なんだって?」

 どこでそれを。姉貴は俺が眉を僅かに動かした仕草を見逃さず続ける。

 「机の上にパンフレットが置いてあったのよ。へぇ、今年は音楽鑑賞会か。なかなか洒落てるじゃない。制服まだあったはずだから、私もこっそり行っちゃおうかしら」

 無邪気な笑みを浮かべながら恐ろしいことを言う。

 「出席確認で引っかかるだろ」

 姉貴のことだ、どうせ静かに身を潜める訳でもないだろう。まして自分の制服を着用すると言うのだ、懐かしの制服姿に興奮して、何をしでかすか分からない。

 「出席なんて、一人増えてる分には分からないものよ。あくまで全員いるかどうかの確認なんだから、全員いれば2〜3人増えてたって絶対気づかれない」

 お願いだからやめてくれ...。そんなことで職員室に呼び出されてはたまったもんじゃない。

 「行くなら一般客として行ってくれよ。責任転嫁は御免だからな」

 「あら、えらく冷たいじゃない奉太郎」

 優しい弟は姉の奇行を止めようとしているのだ。冷たいどころか、その寛容な気持ちに感謝して欲しい。

 姉貴が頭に被せていたタオルをほどきながら立ち上がった。結構な雨水を浴びていたらしく、タオルからは少し水が滴っている。

 「冗談よ。今日は違う予定があるから、安心しなさい」

 そう言い残し、姉貴は洗面所の方へ姿を消した。始めからややこしい事を言うな。



 屋内照明だけでは室内が暗いと思い、リビングのカーテンを開く。昨晩聞いた予報通り、外には暗雲が立ち込め、神山駅までの道のりが余計に遠く感じられる。

 前々から天気予報を確認していたのか、千反田が数日前からせっせかせっせか照る照る坊主を作っていたが、どうやらお天道様には届かなかったらしい。俺としても雨の中移動するのは億劫だったので、どうせなら晴れた方が良かった。



 朝食の食パンをかじりながら机の上を眺める。朝食をのせた皿の他に、俺が持ち帰った社会科見学のパンフレットと、『広報かみやま』が置かれている。折り目の少ない神山かみやまは、どうやら最新号らしい。まだ読んでいなかったっけか。家を出る時間まではまだ余裕があったので、空いていた左手を伸ばし、神山月報を手に取る。表紙をめくった矢先、目次欄に興味を引く記事があった。



 『天才ヴァイオリン少女、初の国際大会へ』



 ヴァイオリン少女? そんな話は聞いた事が無かった。広報かみやまに特集が載るということは、神山市民であることは間違いないのだろう。今日音楽鑑賞会に行くのだからという理由で、記事ページを開いてみる。表題には目次欄と同じ文面が記載されており、記事はこう続く。
 
 『神山市出身の天才ヴァイオリン少女が世界に挑む。神山市在住の天野由美さん(14)が、7月25日にロンドンで行われる国際ジュニアコンクールへ招待された。生まれつき絶対音感を持つという天野さんは、全国ジュニアヴァイオリニスト大会において優勝という輝かしい実績を残したことも記憶に新しいが、今度は国外でその演奏を披露することとなった。音楽分野での国際コンクールへの個人参加は、もちろんのこと神山市初の快挙だ。そこで今月は、若くして世界に挑むこととなった天野さんにインタビューを行いました。』

 「ほぉ、凄い」

 心底から出てきた言葉だ。全国大会で優勝したことについては記憶に無かったが、国際大会ともなると尊敬の意しかない。こんな中学生が神山市にいるとは知らなかった。

 記事を読み進めると、「毎日5時間は練習している」、「夢の中でもヴァイオリンを引いている」などの俺には理解出来ない発言が多々載せられていた。ここまで努力しても、才能が無ければ国際大会なんかには呼ばれないのだろうと考えてしまうあたり、やはり捻くれている。努力の日々と栄光ある受賞歴が語られた後、最後の文章に意外な事が書かれてあった。

 『Q. 最後に天野さん、近々神山市で凱旋公演されるそうですね』

 『A. はい。凱旋といえばまだ気が早いのですけど、今度私が所属している神山市交響楽団が、市民会館第一ホールで公演を行います。皆様にも是非、私達の奏でるメロディを聞きに来てもらいたいです!』

 文章の後に公演日時と場所が載せられていた。文字を目でなぞった後、視線を机上へ動かしてある事を確認する。偶然なのだろうか、机に置かれたもう一つの冊子にも、全く同じことが書かれてあった。



 『日時:6月13日(火)
  場所:市民会館第一ホール』



[39018] 菩薩の耳には念仏(2)
Name: 世葉零頭◆c3f4cfbe ID:f0b01ca2
Date: 2014/04/09 12:26
 学校から神山駅までは遠い。俺の場合、自宅から歩いた方が早いのだが、一度学校に登校するように言われたので仕方がない。全体集合したところですぐに出発するのだから、直接神山駅に集合でも良かっただろうに。

 簡単な注意事項の後は、各クラス毎で動くこととなる。同じクラスの里志と共に正門を出てすぐに、神山駅まで数百人の高校生が行列をなして移動している様子に、俺は違和感を覚えた。それは目の前に広がる光景が、イチゴ狩りにでも出かける小学生達のそれとよく似ていたからだ。高校生ならば、もう少し自由に行動させてくれても良い気がする。

 「それにしても楽しみだね。CDでは聞いたことあるけど、まじまじとオーケストラを拝聴するのは初めてだ」

 話しかけてきたのは、手ぶらの生徒が多い中、いつもの巾着袋を肩からぶら下げている里志だ。

 「殆どの生徒がそうだろ。楽団のコンサートなんて、家族か知り合いが音楽に携わっている奴ぐらいしか、行ったことはないんじゃないか」

 「そんな事ないさ。本当にクラシック音楽や管音楽が好きだったら、僕は一人でも行くと思うけど」

 それはお前程の行動力あってのものと思うがな。いや、千反田と伊原もそうか。どうも古典部は活発的な奴が多い。

 神山駅に着くなり、電車が来るまで休憩となった。駅の前はアスファルトで舗装された広場となっており、その先には車の乗り入れが可能なロータリーもある。ロータリーの真ん中には小洒落た花壇があり、教師陣は車道を渡っていこうとする生徒一行に「車道を渡るな」と繰り返し注意を促していた。この時点ですらクラス単位の集団行動は成されていなかったが、このタイミングを境にクラスという纏まりは姿を消してしまった。部活動が多い学校だから仕方ない。教師達も群衆になってしまった生徒達を纏める気は無いらしい。適時点呼を取れば大丈夫とでも考えているのだろう。

 現に古典部も、ここに集まってしまっている。休憩時間というのに、休息の余地は与えてもらえなさそうだ。

 「折木さん、福部さん、おはようございます」

 「おはよう」

 「おはよう、千反田さん」



 ......あれ?

 いつもならそこにある甲高い声が聞こえてこない。

 「伊原は?」

 「摩耶花さんなら、あちらでクラスのお友達とお話されてましたよ」

 里志が辺りを見渡して伊原を探すも、声を発さなかったところをみるに見つからなかった様子。

 「千反田さんはクラスの友達といなくていいのかい?」

 こいつはこう見えてクラスの友人も多い。つれない俺達なんかより、クラスで行動した方が楽しいはずだが。

 「皆さんも部活動の仲間と行かれるそうです。だから私もこちらに来ました」

 さいですか。まぁ好奇心旺盛な性格は抜きにして、この活力溢れる群衆の中を里志と二人で行動するよりは幾分マシか。この状況、紅一点とはよく例えるが、こいつの場合『紅』というよりは『白』だな。容姿からしてそんな気がする。

 「折木さん、どうかされましたか?」
 
 「いや、別に」



 先生から号令がかかったのは駅に着いてから15分程経った頃だ。

 「あと5分で電車が到着するから、各自ホームへ移動するように」

 俺達も皆につられて、改札口を抜ける。改札口を抜けたあとは、生徒達が放射状にホームへ広がっていく。

 「ねぇねぇ、一番前の車両に乗りたくないかい?」

 そう言うと里志は、わざわざ持ってきていた巾着袋からインスタントカメラを取り出した。何をしに来たんだこいつは...。

 「乗り口までいくのが面倒だ。一人でいってこい」

 「私も少し歩き疲れました。あまり動きたくありません」

 珍しく千反田が怠惰な言葉を口にした。いつも自転車で登校しているところを見れば、体力がある方ではないのだろう。いや、それ以前にこいつは運動が得意では無かったな。

 「確かに乗り口まで少しあるけど、冷静に考えてみてよホータロー。ここで待ってるのは、逆にエネルギー効率が悪いんじゃないかな? 」

 こんなところで里志からエネルギー効率について指摘されるとは思ってもみなかった。

 「一番前の車両に行くことは、僕にとっても、ホータローにとっても、歩き疲れた千反田さんにとっても、メリットがあると思うけどね」
 
 里志の言葉につられ、現状を整理してみる。俺が頭を働かし始めたと同時に、ホームへ電車到着のアナウンスが流れ始めた。右方向を見ると、電車はすぐそこまで来ているではないか。

 エネルギー効率...、前方車両...、歩き疲れた千反田......あぁ、なるほどな。

 「確かに里志の言う通りだな。一番前の車両に乗ろう」

 言葉の後すぐ、前方車両の乗り口へ足を進めた。

 「そうこなくっちゃ」

 里志は嬉しそうな表情を浮かべている。そんなに運転席からの写真を撮りたいのかこいつは。

 「え? 何故ですか折木さん?」

 千反田は戸惑いながらも、少し遅れて俺達の後ろを追いかけてきた。

 「すぐに分かる。それより、もう電車が来てるから行くぞ」

 「は、はい」

 半ば強引ですまない千反田。だが改札口前で待っていては、里志の言うとおりエネルギー効率が非常に悪い。それは千反田よ、お前にとってもそうだ。

 俺が考えるに、前方車両へ乗ることは利点しかなかった。



[39018] 菩薩の耳には念仏(3)
Name: 世葉零頭◆c3f4cfbe ID:f0b01ca2
Date: 2014/04/21 15:48
 先頭車両へ乗り込むと同時に、一目散に里志が運転席の方へと走っていった。

 「よし、誰もいない。これはいい写真が撮れそうだ」

 何をしに来たんだこいつは。今から社会科見学で音楽を聴きに行くというのに、手には一眼レフカメラ。音楽鑑賞には、全くの無縁ではないだろうか。

 あまりこの電車に乗ったことが無く知らなかったのだが、どうやら壁側にもたれるシートではなく、バスなどでよく見る二人がけのシートが採用されている様だった。適当に前後二列が空いている場所を探し、片方の背もたれを動かして四人向かい合って座れる席を作った。

 「ホータロー。ほら、もうすぐ電車が動き出すよ」

 写真の世界をよく知らないが、ベストショットでも撮れるのだろうか? 一人はしゃいでいる里志は放っておいて、俺は運転席側奥の座席に腰掛けた。千反田はというと、電車が発車してからも、しばらく里志の隣で前方車窓を鑑賞していた。しかし数分後、車窓に飽きたのだろうか俺の隣の席へとやって来た

 「向かいに座ればいいじゃないか」

 「あちらはダメです。福部さんと摩耶花さんの席ですから」

 千反田は好奇心旺盛になると周りを見ることが出来なくなるが、普通にしている時には、なかなか気が利くお嬢様だ。そこまでは俺も気が回っていなかったな。

 「運転席からの風景、なかなか良かったです。私はあまり電車に乗りませんので、皆さんとこういう機会にお出かけ出来るのはすごく楽しいです」
 
 笑顔でこちらに語りかけてくるのは千反田だ。確かにこいつは電車で移動しそうにないな。一見活発的に見えて、遠出をしたという話はあまり聞かないし。知っている限りでは、5月頃に古典部で行った温泉旅行くらいだ。あの時は確か電車に乗ったが、切符の買い方がよく分かりませんとかなんとか言っていた気がする。当時はそんな奴本当にいるんだなと、目を丸くした覚えもある。

 「それより折木さん。さっきのお話、聞かせてくれませんか?」

 「何のことだ?」

 「何故、先頭車両に乗ろうと提案していたかのことです。私、運転席から風景を眺めている時も、ずっと気になっていて」

 あぁ、こいつまだ気がついてなかったのか。説明せずとも、あの改札口前に溢れかえる学童集団を見れば分かると思ったんだが。

 「すぐに分かる。ここにもう一人来るだろうから」

 確証は無いけれど……。いや、里志が改札口手前で話していたので大丈夫だろう。

 「折木さんがそう言うなら、信じます。ただその方がもし来られなかったら、その時は教えて下さいね」

 「あぁ、分かった」

 電車が減速を始める。それに伴い、緩やかに体へかかっていた負荷が取り払われていく。

 「それより千反田、音楽鑑賞会の会場までは何駅あるんだ?」

 「えっと……、確か三駅ですね」

 「意外に遠いんだな、市民会館って」

 確かに今から向かう場所も神山市ではあるわけだが、普通は神山市役所の近くにあるものじゃないのか? 駅間が三駅もあるとなると、すごく不便な気がするのだが。

 「そうですね。これは父から聞いた話なのですが、神山市は多くの町が合併を重ねてできた大きな複合都市というのはご存知ですか?」

 「あぁ、どここが合併したかまでは知らないけど話だけなら俺も聞いたことがある」

 「なら話は早いですね。その際に、市民会館としてどこの建物を残すか話し合いになったそうです。神山市にはこれといった建物がなく、ホールとしての機能も薄かったために、少し離れにあった交響楽団ホールを神山市の市民会館として使うようになったそうですよ」

 ほぉ、そんな逸話があったなんて。……にしても遠い。大都会でもなければ工業地帯でもない神山市なら、いたるところに建築予定地があった気もするのだけれど。いっそのこと新しいのを市役所近辺で建ててみてはどうだ?

 運転席側を見ると、見覚えのあるカメラ小僧が活き活きと車窓を撮影している。他人のふり、他人のふり。

 「確かに距離はあります。でも、離れにあるおかげでとても立派な門構えをしていました。子供の頃に一度両親に連れられて行ったことがありましたが、とても素敵な会場だったと今でも覚えています」

 こいつの家も相当に立派だったが、千反田自身は「少し大きいだけ」と言った。その千反田が「立派」というのだから、それはそれは立派な建物なのだろうな。

 まぁ、今日の目的は立派な建物を見ることでもなく、電車の前を陣取って車窓撮影するわけでもない。優良な音楽を耳にし、学校に帰ってからつまらん感想文を提出することだ。

 隣にあった窓へホームが写り込んできた。やっと一駅目か、案外駅間があるものだな。と言っても、電車が元々遅いのを考慮すれば、そこまで遠くには来ていないのかもしれない。

 電車が停車しドアが開いた途端、車両間のドアに手をかけている一つの人影が見えた。伊原め遅いぞ、やっと来たのか。早くこっちへ来て他車両の現状を千反田に伝えてくれ。

 しかし、車両間のドアを開き乗り込んできたのは、予想に反して伊原ではなかった。関わらないでおこうと思ったのだが、視線をそらす前に目が合ってしまう。

 「あれ、先輩達がなんでここに?」

 短髪で浅黒く日焼けをしているその女生徒は、ついこの前古典部を辞退すると表明した大日向友子だった。 



[39018] 菩薩の耳には念仏(4)
Name: 世葉零頭◆c3f4cfbe ID:f0b01ca2
Date: 2014/06/06 15:29
 「大日向か。久しぶりだな」

 「お久しぶりです折木先輩。......千反田先輩も、お久しぶりです」

 大日向は少し遠慮しながら千反田へ目を向けていた。大日向は古典部への仮入部を取り止めている事情がある。些細ながら食い違いもあったためか、部長の千反田には顔を合わせ辛いのかもしれない。

 「お久しぶりです、大日向さん。少し焼けました?」

 一方の千反田は、引き下がり気味の大日向に笑顔で対応する。反応を窺っていたのか、菩薩の様にも見えた千反田の笑顔を見て、大日向は引っかかっていた感情を拭えた様だ。

 「そうなんですよ。この間、友達とバーベキューに行ってきたんですけど、初夏だと舐めてかかったら、いやぁもう真っ黒。まぁ日焼け止めを塗らなかった私も悪いんですけどね」

 元々誰の悪意も無い揉め事だったのだから、後から尾っぽを引く必要は毛頭ない。今更千反田が大日向を攻めたりしようものなら、俺からもそれは違うんじゃないかと反論するだろう。千反田に限って、その様な事は万に一つ無いだろうけれど。

 「おっ、何だか騒がしいと思えば大日向さんじゃないか。高校生活にはもう慣れたかい?」

 カメラを首からぶら下げる姿は、どうにもこいつには似合わない。普段持ち歩いていないからだろうか?

 「お久しぶりです福部先輩。バッチリですよ。私以上に高校生活を満喫している人、なかなかいないと思うくらいですね」

 「へぇ、なら良かった。古典部を辞退した後、自分で部活を立ち上げるって知った時は驚いたよ」

 「え?」

 意外にも、そこで声を漏らしたのは俺だけだった。千反田は知っているのか? と目をやると、どうにも驚いた様子はない。

 「あれ? ホータロー知らなかったのかい?」

 「あぁ。里志はどこでそれを?」

 「どこでって、僕が総務委員なのを忘れたのかい? 創部の申請は、もちろん総務委員会でも目を通すのさ。 千反田さんが知っていたから、ホータローも知ってるものと思ってたよ」

 再び千反田に目をやる。千反田は俺の発しようとした言葉を察知し答えてみせた。

 「壁新聞部の校内新聞に書いてありました。折木さんは読んでいないのですか?」

 当然ですよね?と言わんばかりに言われた気がする。

 「どこにそんな記事が?」

 「確か、5月の記事でした。下段一番右端のところに小さくではありますが載せてありましたよ」

 一番目をやらないところじゃないか。どおりで見逃すわけだ。校内新聞には一応ながら目を通している。見出しのある上段右端から、文末の下段左端まで、ザッと流し読みするだけだが、千反田の記憶が確かであれば、俺の読み方では見逃してしまう箇所だ。こればかりは仕方が無い。

 「なーんだ、折木先輩知らなかったんですか。名探偵なのに情報収集がなってないですね」

 大日向が嫌味のある笑みを浮かべながら俺へ語りかけてきた。悪かったな、そういうのは千反田か里志の役目だろうに。

 電車が再び減速体制に入った。体にゆったりとした負荷がかかってゆく。

 「あれ? そういえば折木さん......」

 千反田が何かを思い出したらしい。千反田の大きな瞳は、首を傾げながらも俺を捉えていた。

 「先程、折木さんの言葉の後に大日向さんがこの車両に入って来ましたけど、先頭車両まで歩いた理由は大日向さんが知っているということなんでしょうか?」

 いや、予想してた人物とは違うのが本音。だが大日向がこの車両に乗り込んで来た理由は、ここに来るはずであった伊原と同じだろう。と言っても、そんな事に見栄を張る理由はないか。

 「いや、本当は伊原だと思っていたんだが」

 徐々に減速していく電車の中、大日向にちらと目をやる。

 「大日向、千反田にこの車両へ来た理由を教えてやってくれないか」

 「え? まぁいいですよ。隠す事でも無いですし。他の車両、生徒でギュウギュウ詰めなんですよね。ほんと蒸し暑いったら。だから人が少なそう、まして高山駅の改札口から最も遠いと感じた先頭車両へわざわざ出向いたったわけです」

 大日向の解説を聞き、傾げていた首を戻す千反田。

 「あぁ、そういうことだったんですね。私はあまり電車に乗ったことがありませんので、そこまで頭が回りませんでした」

 「流石だ、大日向さん。君も中々聡明だね」

 「いえいえ福部先輩。古典部の折木名探偵にはまだまだ及ばないですよ」

 頭を摩す仕草と照れ笑いを浮かべながら、俺への皮肉は忘れない大日向も流石だ。

 「本当は伊原が来ると思ってたんだがな」

 そして説明も伊原にしてもらう予定だった。

 「里志、あいつはまだ来ないのか?」

 「ん? あー、麻耶花ならこっちには来ないってさ。漫研だった頃に仲の良かった同級生と行動するってさ」

 「そうなのか」

 それは知らなかった。ならば大日向が偶然この車両へ来てくれたことに、俺は助けられていた様だ。恩に着るぞ大日向。俺は無言で大日向へ手を摩って見せたが、当の本人に目撃されることは無かった。



[39018] 菩薩の耳には念仏(5)
Name: 世葉零頭◆520fb875 ID:f0b01ca2
Date: 2014/06/24 13:59
 その後も降車駅に着くまで、伊原は姿を表さなかった。我の強い伊原だが、あいつには俺が思っている以上に友人がいるらしい。学校ですれ違う時、いつも誰かが隣にいる。もちろんそれが千反田であることもあるが、人から避けられているといった印象は無い。まぁ、嫌っている奴もいるだろうがな。

 「じゃあ私はこれで。またどこかで会ったら、相手して下さい」

 電車を降りた途端、何かに引っ張られるかの如く大日向は走り去っていく。こいつもまた、一人でいるところをあまり見たことがない。大日向の性格は当たり障りの無い元気娘といった印象だから、嫌う奴もあまりいなさそうだ。表向きなら、里志に似ている気がした。里志も活発的で、常に誰か付き添いが隣にいるからだ。ま、殆どは俺な訳だが。しかし、里志は表面こそにやけた顔をしているが、内心何を考えているか分からない事もしばしばある。野心家、とでも言っておこうか。里志とはかれこれ長いが、未だに掴めない部分がある。

 そう言えば、千反田はどうだろうか? 千反田は普段......あぁ、古典部の部室にいるな。校内ですれ違う時も、たいていお嬢様はお一人で行動なされている。こいつ......、まさかとは思うが古典部としか友好関係が無いんじゃないのか。少し不安に思ったものの、考えてみれば俺だって里志以外にクラスで友人と呼べる人物はいない。学校行事に疎い俺は、今までクラスという集合母体へ歩み寄ろうとしてこなかった。当然、周りも俺へ目を向ける事はない。ただそれは俺の望んでいる状態、いわば無駄なエネルギーを使わないための予防策だ。目立ちたい奴は里志みたいに目立てばいい。そういう奴もクラスには必要なのだろう。ただ、俺はそうなりたくはない。活力ある眼差しをこの柔な身体に注がれても、これといって成果を出なせない事も俺は理解している。だからこそ、そこに無駄なエネルギーを浪費したくは無いのだ。

 「折木さん!」

 千反田の声に俺はハッとする。途端、傘に当たる雨粒の雫音がフェードするかの様に耳へ伝わってきた。俺はいつの間にか自分の世界に入り込んでいたらしい。ふと見ると、千反田は俺の後ろから右腕を掴んでいる。

 「信号、赤ですよ」
 「あぁ、悪い」

 気がつかない内に俺達3人は駅を出て、にわか雨の中を公民館の方へと移動していた。前方には学生の群。俺達は群の後方にいるらしい。電車の端に乗っていたのだから、中央に改札口のある降車駅から出たのも遅くはなるか。

 「ホータロー、いつもの癖が出ていたからね。千反田さんにも話しかけない様に言ったんだ。でもホータローったら、赤信号に気付かず進もうとするからビックリしたよ」
 
 「そうですよ。考え事もいいですけど、周りもちゃんと見て下さい」

 「あぁ、すまん。気をつける」

 千反田は少し怒っているように見えた。いや、心配しているのか。確かに千反田が止めてくれなければ、俺は事故にあっていたかもしれない。うん、気を付けなければ......。


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