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[38675] 宇宙人宮崎のえるの交信
Name: 白山月◆441e8768 ID:8ec34bc7
Date: 2014/02/14 04:13
 白山月です。Arcadiaでは今回が初投稿になります。


 ジャンルは明確には限定できませんが、恐らく青春小説が一番近いジャンルかと。本当なら恋愛小説と言ってみたかったのですが、最初に主人公の設定を間違えまして……。(泣)


 気長にやっていきたいと思っているので更新はまちまちになるかもしれませんが、是非ご一読ください。
 感想・批評・誤字脱字の指摘なども是非お願いします。


 追伸

 日常怠惰小説『のほのほ』の更新も始めました。不定期更新ですが、そちらの方もよろしくお願いします。


2013/10/8 出会い① 更新
10/9 出会い② 更新
10/13 出会い③ 更新
10/17 出会い④ 更新
10/22 出会い⑤ 更新
10/29 放浪①  更新
11/7 放浪②  更新
11/14 放浪③  更新
11/21 放浪④  更新
11/28 放浪⑤  更新
12/5 放浪⑥  更新
12/12 運動会① 更新
12/19 運動会② 更新
12/28 運動会③ 更新
2014/1/5 運動会④ 更新
1/14 運動会⑤ 更新
1/22 運動会⑤ 追加
1/22 運動会⑥ 更新
2/2  運動会⑦ 更新
2/12 運動会⑧ 更新



 近頃更新が不定期になって申し訳ありません。m(_ _)m



[38675] 出会い①
Name: 白山月◆441e8768 ID:8ec34bc7
Date: 2013/10/11 00:31
 私――平野悠実(ひらのゆうみ)が宇宙人と直接関わるようになったのは、私が小学五年の春、桜が満開の頃だった。

 宇宙人と言っても、テレビや映画で見るようなタコ型の火星人や、グレイと呼ばれるヒト型の金星人でもない。ましてやUMAでもない。完全、完璧、どこをどうとっても、誰がどう見ても人間の子どもにしか見えない。

それどころか、人間の中ではトップクラスと言っても過言ではないほど、顔立ちが整っている。いわゆる完璧美少女というやつだ。

 じゃあ、何が宇宙人なのかというと、実は物的証拠は何もない。本人がそう主張しているだけなのだ。


「えーっと、宮崎(みやざき)のえる、で良かったよね?」

 新学期、新学年。

 桜舞う春真っ盛りのこの季節、楽しかった春休みも終わりを迎え、名残惜しさもほどほどに、新しいタームが始まった。たなびく春風は桜吹雪を誘い、往路には黒と赤、ときどき青や緑と、最近はカラフルになったランドセルが季節を表しているかのように上下に揺れ動いている。

 私もそうした例に漏れていない。一つ学年が上がって高学年となり、低中学年らに模範を示さなければならない年頃になったものの、二年に一度のクラス替えに私は気分ウキウキ、自分のクラスである5―2の教室に足を踏み入れた。8時を過ぎた辺りの教室はザワザワと落ち着きがなく、去年のクラスメイトもいれば、今年で初めて同じクラスになる人もたくさんいた。早くも小さなグループを作って喋り合っている者もいて、私とおんなじ気持ちになっている人は少なくないとどこかしらの安堵感を覚えたりもした。

 本当は、一学年100人足らずの少ない母集団のため、顔も名前もすでにほとんど知っている人ばかりなのだが、何というか、その、クラス替えはワクワクするものというのは世間一般の共通認識だと思う。だからといって普段私は口数の少ない方(だと信じている)なので、こういうときだけ一人心の内ではしゃいでいるのは悪い癖なのかもしれない。

 何はともあれ、自分の名前が書いてある机に座り、こうして珍しく自分から隣の女の子に喋りかけたわけだ。

 言った後気付いたが、その〝宮崎のえる〟なる者はものすごくきれいな顔をしていたので、もしかしたら、四年生の時ウワサになっていた、「4―1でべらぼうにかわいい女の子」はこの子のことかもしれないと直感的に思った。白を基調としたシンプルな服装も、つややかなセミロングの黒髪と相まって一つの絵にすら感じられた。

 だから、私に向かって放たれる彼女の第一声に、私は初め空耳だと思わずにはいられなかった。

 ピンと背筋を伸ばしていた宮崎のえるは、その状態のままこちらにピッタリ90度顔を回転させ、わざとやってるんじゃないかと思えるほどの無表情でたった一言、

「私は宇宙人だ」

と言ってのけたのである。

「はい……はい?」

 これには私も聞き返さずにはいられなかった。いや、だって、宇宙人って言われても……。

「ワレワレハウチュウジンダ」とよく冗談でやるのは耳にするものの――それでさえこのご時世冷ややかな視線を浴びる行為である――至極真面目な顔で、何の前振りもなく唐突に自称宇宙人を宣言されたことなど一度もなかった。私は大いにたじろいだ。

 辺りを少し見回してみたが、幸い、このやりとりを聞いている者はいないようだ。なぜそれが分かったのかというと、誰もこちらを向いて不審がっている人がいなかったからである。

 宮崎のえるは戸惑う私の態度を汲み取ったのか、続けざまに言った。

「私は――星からやってきた視察団の一人だ。この地球を植民地にするためにやってきた」

 説明になっているようで、なっていなかった。というか、〝――星〟の〝――〟の部分の発音があまりに謎すぎた。ついでに言うと、その発音の時に無表情だった彼女が急に顔全体を使って発音していたので、何となく滑稽に思えて笑いそうになった。

 だが、笑いそうになったことと状況の打破とは全くの無関係である。彼女としては一通り説明を終えたらしく、気づくと話しかける前の状態に戻っていた。そもそも、さっきから彼女がやっている両の手を触手のようにうねうね動かしている行為も意味不明だ。

 とにかく、私は今自らに貼り付いているであろう能面のような苦笑いを引っぱがすため、しばし考えることにした。

 この〝自称宇宙人〟をどう対処するか。

 真っ先に消去した選択肢は、『宇宙人ということを否定する』ことだ。宇宙人であることを主張する〝人間〟に対して、「それは違います」ときっぱり否定することは、人格を否定することと同じなのでよろしくない、気がする。だからといって「そうだねー宇宙人だねー、あ、私も宇宙人かも」などと抜かすのはバカにしてるみたいでおかしい。

 そこで私の脳内に「華麗にスルー」という案が浮かび上がった。

 とりあえずここはそれなりの友好を示しておいて、宇宙人に関することはスルーするのがベストではないか、と。うん、たぶんそれがいい。

 そういうわけで、「のえるちゃんって呼んでいいよね? あ、あと、私のことはゆみじゃなくてゆうみって呼んでね?」と強引に話しかけた後(のえるちゃんは何も反応しなかった)、私は8時30分から始まる始業式までクラスにいた他の友達とダベることで残りの時間を過ごすことにした。


「えーっと……」

 いまは始業式中だ。中のはずなのだが、これは、ええと、どうしたらいいんだろう……。

 体育館で行われている始業式は校歌を斉唱し終え、例のごとく『校長先生のお話』に差し掛かっている。長話以外に特徴のないうちの校長先生は今日も平常運転で、生徒らを立たせているにも関わらず、すでに話は10分くらい経過している。話の峠はすでに越えているようなので、もうすぐ終わるのは何となく分かるのだが、周りを見てみると、うんざりした顔、呆れた顔、寝ている顔があちらこちらに見えた。小学生相手にそんなに語ることもなかろうに。

 しかし、それ以上に私の注意を全面的に集めていたのは、隣にいる〝宇宙人〟だった。何を隠そう、さきほどの〝うねうね〟をとりもなおさず続けているのだ! 校歌の斉唱中も、下手したら教室から体育館へ移動するときもやっていたかもしれない。これまで「華麗にスルー」してきた私だったが、とうとう観念せざるを得なかった。

「えっと、のえるちゃん何やってんの?」

 勇気を出して、言ってみた。しかし、反応はない。聞こえなかったのかと思い、もう一度言ってみる。

「えっと、のえるちゃん――」

「黙って見てろ、集中して練成できない」

「……」

 ツッコミどころが多すぎて、どこからツッコんでいいのか分からなかった。そもそも、これはツッコんでいいのか。分からないことだらけだった。唯一分かったとすれば、それは「のえるちゃんが何を言おうとしてるのかさっぱり分からない」ということだった。

――別に、見たくて見てるわけじゃないんだけど。

――ここ集中するタイミングじゃない……

――まず練成ってなに……?

 言いたいことは山程あったが、結局全部言わずじまいになった。どれを言っても意味がないと思ったからだ。

 『お話』が終わる頃、担任の先生の「ちょ、ちょっとだけ止まっててくれないかな?」という優しい注意でのえるちゃんはようやく〝練成〟をやめたが、それから1分も経たないうちに、今度はスリープモードに入った。背筋がピンと伸びたままだったので不自然極まりなかった。

「これで、始業式を終わります」と教頭先生が言い、一年生からずらずらと体育館を出て行くのを流し目で見ながら、しばらく私はのえるちゃんの様子を観察することにした。相変わらず直立不動で眼だけが釈迦像のように閉じたままになっている。

 周りからはおしゃべりの雑踏が絶え間なく続いており、その音も次第に大きくなっているのだが、まるでそれが子守歌になっているかのような雰囲気すら醸し出しており、聞き耳を立てると、スースーと幸せそうな寝息を立てていて、こんなところでよくもまあ寝れるもんだということと、宇宙人でも一応呼吸しているのかということと、二重の意味で私は驚いた。もちろん、後者は未だに半信半疑だ。

 四年生の退場が指示されても全く起きる気配がなかったので、試しに、肩をトントンと叩いてみたら、何事もなかったかのように一瞬で目を覚ました。

 寝ぼけている様子もなかったので安心していたが、五年生の退場が指示され、少し目を離しているうちにまた〝練成〟を始めていた。その妙に滑らかな手の動きが注目を惹いているのか、単に意味不明だから注目が集まっているだけなのかは知らないが、周囲の関心を一手に引き受けているのが分かって、なぜか自分が辱めを受けているような気がした。私は教室に戻るまで終始うつむき加減だった。

 のえるちゃんは私の様子などお構いなしに、かの〝練成〟の作業を黙々と続けていた。〝練成〟中に、時々あるちょっとした段差を飛び越えたり、向かいから来る人を紙一重でかわしたりしているところを見るとどうものえるちゃんの運動神経は良さそうなのだが、それでも私は溜め息をついて、思わずにはいられなかった。


 ――いったい何なんだこの子は。



[38675] 出会い②
Name: 白山月◆441e8768 ID:8ec34bc7
Date: 2013/10/11 00:39
 教室に戻って、新しく担任になった先生がこれからのことを一通り連絡した後、クラス全員が自己紹介をすることになった。

 正直言うと初めて見たような顔はほとんどいないし、それはクラスの誰もが思っていることであろうから、たぶん自己紹介は必要ないのだろうが、それでも隣人の自己紹介がどうも気になるから、私はこの茶番に付き合うことにした。

 男子勢がひたすらネタを披露し、女子勢が無難に締めるのが一通り続き、私も「もう知ってる人も多いと思いますけど、よろしく」とクラス内の雰囲気に合わせ、おかしな隣人にバトンを渡す。担任の先生が「じゃあ、次、宮崎さん」と言い終わった後、のえるちゃんはすっくと立ち、予想通り、

「私は宇宙人だ」

 と一言、私に言ったときと全く同じ抑揚のない声で言った。やっぱりか。

 男子女子ともにバカ受け、担任は苦笑い。男子の中には「宮崎またそれかよー」と野次る声もあった。
 
 また、ということは去年もやっていたのだろうか。本人は恐らく本気で言っている(ように見える)が、周囲的には完全にネタ扱いだった。どちらにせよ私は一度全く同じことをついさっき聞かされた上、自己紹介ともなれば容易に想像のつく発言だったので、作り笑いをするのに必死だった。

 ……ん? 待てよ?

 もしかして朝の「私は宇宙人だ」はこの自己紹介のための練習だったのではないか?

 ふとそんな考えが私の頭によぎった。それなら、私の注文に反応しなかったのも頷けるし、ネタのために始業式も徹底して宇宙人のフリをしていたことも納得がいく。何よりこの考えが当たっていれば、のえるちゃんはちょっと不思議っ子だが宇宙人ではないという選択肢も浮かび上がってくる(それに何の違いがあるのかは知らない)。

 全員の自己紹介が終わり、学級委員などの委員の決定は明日に行われるから、本日の課程は全て終了となった。日直は今日はいないので、先生が起立礼をして、生徒たちは散り散りになっていく。時刻はまだ12時にもなっていなかったが、得てして始業式の日というのはこんなものだ。

 私は帰る準備をしながら、同じく帰る準備をしているのえるちゃんに思い切って尋ねてみることにした。先程の考えが正しければ、のえるちゃんはただの不思議っ子ということで決着がつく。そうなれば、授業中に彼女のおかしな行動で悩まされたりすることもないはずだ。……たぶん。

 ねえねえのえるちゃん、と予めこちらの存在を認識させた上で、私は質問をぶつける。

「さっきののえるちゃんの宇宙――」

「まぁ」

 私の質問をあっさりとさえぎり、のえるちゃんはこちらに向き直った。

 これは、もしかして当たりではないか? 予想もしてみるもんだ!

「これからコウシンがあるから、帰る」

 質問する以前の問題だった。

 のえるちゃんは私の横を通り過ぎ、スタスタと教室の外へ出て行った。さっきの行動は私の方へ向き直ったのではなく、単に教室から出るために方向転換しただけだったのか、とさりげない事実に勘づきつつ、私は肩を落とした。

 どうやら、私の煩悩は絶えないらしい。

 なぜなら、のえるちゃんが言わんとしていたそのコウシンとやらは、ブログの〝更新〟でも、〝行進〟の練習でもなく、宇宙との〝交信〟であることが火を見るより明らかだったからだ。

 私は一通りため息をついた後、仕方ないので前のクラスの友達を誘って帰ることとなった。さして新しくもない校舎から中庭に出て、花壇に咲いた色とりどりのチューリップの花を横目に、乾いたグランドに降りる。そのままグランドの真ん中を突っ切って登下校用の南門をくぐる。

 ゆっくりと歩きながら振り返って遠景を見ると、500~600m級の山々が北方に連なっている。四月のこの時期は山桜があちらこちらに散見されて、暗緑の中に見える薄桃色はなかなかに美しい、と、少し大人ぶってみる。

 私の学校近辺は世間的に見ればなかなかの田舎で、基本的に田んぼと畑と住宅街しかない。

 最近学校からの最寄り駅にコンビニができたらしいが、そもそも学校から駅まで20分以上かかる上に、なぜこんなところにコンビニを建てたのかと誰しもが思うほど、その駅は寂れていた。

 隣町が人口もそこそこ多い市街地でアミューズメント施設も多く、普通この一帯にいる若者はそこまで自転車で行って遊んでいるため、なおさらそのコンビニの経営者の意図がよく分からない。

 色鮮やかに映える桜をボーッと眺めていると、前のクラスメートの山口詩穂(やまぐちしほ)――しほりん――がこちらに話題を振ってきた。

「ねえ悠実、さっき話しかけてた子って誰? めっちゃ面白くない?」

「だよねー、何か始業式の時から変な動きして先生に注意されてたよね」同じく前のクラスメートの井山香織(いやまかおり)が笑いながら言う。

 はっきり言って、こっちが聞きたいくらいだった。「一体宮崎のえるは何者なんだ!?」と。だいたい、普通の人間でさえ初日に素性を聞かれても第一印象答えるのが精一杯だというのに、人間じゃないと言い張っている人間(?)をどうやって説明しろというのだ。

 とはいえ、そんなことをほかの友達にわめき散らしても仕方ないので、「うーん」と少し考えるそぶりを見せていると、香織の横にいた、今年初めて同じクラスになる木戸真衣(きどまい)がぬうっと顔を覗かせて言った。

「やっぱ、初めて見ただけじゃ分からないよねー平野さん」

「悠実でいいよ……ってか、木戸さんのえるちゃんのこと知ってるの?」

 知っていたとすれば衝撃だ。宇宙人にも友達がいたことになる。いても別に問題はないが。

 私の内なる驚きを知ってか知らずか、真衣は快晴の空を見上げながら言った。

「知ってるも何も、一年の時からずっと一緒のクラスだったからねー。最初からあんな感じだったよ。朝来たらほかの子の机にずっと立ってて、その机の子がきても、全く動かないもんだから、その子泣き出しちゃって。結局先生が来て注意されるまでずっと立ちっぱなし。しかも、立ちながら本を読んでいたんだけど、その本が何かの学術書? かなんかで、誰が見ても分からないやつ。しかも本を逆さまにして下から上に読んでるんだから、意味不明よね。あ、言い遅れちゃったけど、わたしのことも真衣って呼んでいいよ」

「それ聞いたことある! あの後職員室で話題になったって、先生が言ってた」

 しほりんは合点して声高に言う。

 真衣はうんうんと頷き、さらに続けた。

「それが、三年生の時。他にも、去年クラス全員でドッジボールをしたときに、宮崎さんずっとコートの隅で体育座りしてて、クラスで一番ドッジ強かった男の子に当てられても動かなくて、その男の子が『外野に行け!』って言っても全然反応しなくて。ああ、男の子って倉田君のことね。んで、倉田君嫌がらせに宮崎さんをずっと狙ってたんだけど、宮崎さん全部紙一重で交わしちゃって、倉田君もうカンカン。最終的に外野に行って助走つけて近距離から思いっきり投げたんだけど、宮崎さんそのボールを苦もなくキャッチしてね、そのボールを蹴って外野にいた倉田君の顔面に見事命中。倉田君、『ドッジボールやれよ!』って、そのまま泣いちゃった。って、泣かせたエピソードしかないな……」

「そ、それってもはやこの学校のガキ大将レベルだよね……」香織は苦笑いを浮かべていた。

「うわー、そんなにヤバかったんだ」しほりんも驚きを隠せない。

 何より戦慄したのは私だった。

 宇宙人どころか、ただの問題児じゃないか!

 よりによって、新学年になってはじめに声をかけたのが学年随一と言っていいであろう問題児とは、私の不運もなかなかのものだと、落胆せずにはいられなかった。そういえば、今年のおみくじは大吉だったが、その時点で私は今年の運を使い切ったと言うことか。ああ無情。南無三。

「まあ、大変だとは思うけど、悠実、頑張ってね」

 真衣は私の左肩を叩いてそう言った。

 ……へ?

「え、ちょっ、真衣はのえるちゃんの友達じゃないの?」

「違うに決まってんじゃない、友達どころか、喋ったこともほとんどないし。さっきの話は全部見てただけ」

「えぇ!?」

 ガッデム! 私は天を仰いだ。ああ神様、なんてことでしょう。どうやらというか、やはりというべきなのか、宇宙人に友達はいないようです。

「……いや」

 むしろ関わりたくなかったら、関わらなければいいだけの話だ。隣りといっても、二ヶ月後ぐらいには席替えもあるし。隣だからといって喋る理由はどこにもない。必要最低限のことだけ喋ればいい。もっとも、向こうが喋ってくるのかどうかは疑問だが。

 私の家は学区のかなり南の方にあるため、3人とは途中で別れた。また明日ー、と適当に手を振って、自らの帰路をぶらりと歩く。

「でも……うわー、どうしよう」

 頭にはそれしかなかった。

 私はもともとそんな問題児に積極的に関わっていこうとする物好きではないのだ。むしろ集団の女子グループ内でも隅のほうにいるのが私なのだ。目立つ気なんてさらさらない日陰者なのだ。

「……とにかく、この一、二ヶ月を何とか乗り切ろう」

 そうすれば活路は開けるはず。

 握り拳を作り、南に上る太陽を見上げながら、私はそう決心した。

 いつの間にか立ち止まっていた足を動かし、私はここから10分ほど歩いたところにある自分の家を目指し歩き出した。

 ……のもつかの間、私は再び足を止め、静止した。

 東の方角、森の入り口辺りに人影が見える。

「誰だ……?」

 私が今いる場所は学校から徒歩10分南に下った田んぼのど真ん中にいる。その東側は200mも行くと森が広がっていて、普段そこに立ち寄る人はあまりいない。私が人影が見えたのを不思議に思ったのもこれが原因だ。

 この時間に帰っているといえば、幼稚園児か? いや、それにしては大きすぎないか。それに、森に入っていくわけでもなく、立ち止まって何かをしているようだ。

 細心の注意を払いながら、私は徐々にその人影に近づいていった。目があまりよろしくない私は、もっと近くまで行かないとその人影が何者なのかを具体的に判断することができない。もっとも、目の前まで行っても全く誰か分からない可能性ももちろんあるわけだが。

 〝フシンシャ〟だったらどうしようという思いが頭をよぎった。仮にそうであった場合、周りは田んぼとあぜ道だらけで隠れる場所などないから、逃げたとしても捕まってしまうのは確実だ。あるいは、思い切って森に飛び込んで姿をくらますとか? にしてもうまくいく気はしない。

 ネガティブな思考を繰り返すうちに額に冷や汗が垂れてきたが、今更引き返すわけにも行かなかった。

 残り50m。

 そもそもなんで近づこうと思ったのだろうと、自分の動機に疑問を抱きつつも、私が歩みを止めることはなかった。

 そして残り20m辺り、私の両眼がその顔貌を捉えたとき、私は別の意味で逃げたくなった。

 絹のようなセミロングの黒髪がそよ風にたなびく中、わずかに見える横顔から伺える、小学生離れした整った顔立ち。しかしその顔からは喜怒哀楽の感情が抜け落ちたかのように表情がまるで変わらない。まるで感情を排した〝宇宙人〟。

「のえるちゃん……」

 私は5mまで来たところで足を止めた。先ほどまで話に上っていた問題児が今、目の前にいる。これが噂をすればなんとやらか、と、不意にこみ上げてくる実感が何とも腹立たしかった。

 私が名前を呼んだとき、一瞬こちらを一瞥したが、すぐにまた元の方向に向き直っていた。両の手は、私が彼女を視界に捉えたときから恐らくずっと上げたままだ。

「どうする……私」



[38675] 出会い③
Name: 白山月◆441e8768 ID:8ec34bc7
Date: 2013/10/15 23:03
 まさかこんな展開になるとは思っても見なかった。何とかやり過ごそうと決意した矢先にこれか。いや、そもそも首を突っ込んだのは私なのか。

 もはや私の頭はパニくっていた。落ち着け、落ち着くんだ平野悠実。スー、スー、ハー。

 よし、状況を整理しよう。

 恐らく、今の両手を上げている状態と、先ほどの学校での一言から、どうやらのえるちゃんは〝コウシン〟をしていると見て間違いないだろう(その事実を受け入れるかどうかはまた話が別だ)。

 そして私は偶然、偶然その様子を目撃してここへ来た。決してノゾキに来たわけではない。

 雰囲気的に、〝コウシン〟はまだ終わらなそうだ。といっても、無言で両手を上げているだけなので終わる気配というものがあるのかどうかすら怪しい。

 いずれにしろ、私が選択可能な選択肢は大ざっぱに分ければ、

 ①待つ

 か、

 ②逃げる

 かのいずれかだ。他にも取ることのできる行動はあると思うが、突き詰めていけばたぶんこの二択に絞られると思う。

 メリット・デメリットを考えられるだけの余裕は持ち合わせていないが、少なくとも私に分かることは、①の選択肢にメリットらしいメリットは存在しないということだった。だって、〝コウシン〟が終わるまで待ったとしても、のえるちゃんは私を無視して帰ってしまうのは見え見えだからだ。

 となると、選択肢は結局一つに決まる。②の、「逃げる」だ。

 ただ、一目散に逃げるのは何だか印象に悪い。自分も悪いことをして逃げ帰った気分になり、翌日からの登校に支障が出る。理想なのは、のえるちゃんに不思議がられずにその場を去る、だ。

 私は「あ、のえるちゃん、また会ったね……」と軽い挨拶を口にしてそのまま森を抜けて帰る作戦をとった。少し遠回りになるが、森の中央付近で南に方向転換して森を出れば例の寂れた駅と新しくできた謎のコンビニが見えるはず。そこから家までは10分強。これくらいの寄り道は仕方なかろう。

 無事に噛まずにあいさつを終え、のえるちゃんの前を通り抜ける。もしかしたら〝コウシン〟中に失礼なのかもしれないが、一応存在だけは認識しておいてもらいたいと思い(通り過ぎた後に気づかれると何かと都合が悪い)、あえて前を通った。これで、私のプランは予定通り……

「おい」

 声をかけられたーー!!

 私はまさかの不意打ちに足をすくませた。やはり、〝コウシン〟中に前を通り抜けるのはタブーだったのか? 宇宙人のタブーに触れてしまった私は一体どのような仕打ちを受けるのか。斬首か。火あぶりか。

 相変わらず両手を広げて〝コウシン〟を続けているのえるちゃんは、私の動揺を知ってか知らずか、顔もこちらに向けずに、抑揚のない、しかし透き通った声で言った。

「どこへ行く」

「どこへって……家だけど」

 私はかろうじて返答することができた。割と単純な質問でよかったと心の内でそっと胸をなで下ろす。

「だが、そちらは森だ」

「森を抜けたとこにあるの」真っ赤っかの嘘だ。

「そちらは学区外だ」

 失念していた!

 私は一瞬返しに詰まったが、すぐに何とか別の切り抜け方を思いつく。

「森の中央あたりで南に方向転換するの。そしたら湯ノ川駅に着くから。あの、最近できたコンビニに行ってみたくて」

 これでどうだ! 我ながら傑作……の嘘だ。

 のえるちゃんは両腕をおろした。どうやら話している間に〝コウシン〟が終了したらしい。あるいは一時中断なのかもしれないが、私にはどちらなのかついぞ判別がつかなかった。

 今度は私のほうに向き直って、しかし表情は変わらずのえるちゃんは言った。

「なら、学校から線路の高架下まで南に下って、そこから東に進んだ方が遙かに早い。わざわざ森を抜けるのは効率が悪い」

「いや、それは、……そう森林浴! 時間もあるし、たまには気分転換もいいかなと思って……」

「別に都会でもないのに、森の中と外で空気の鮮度がそこまで変わるとは思えない。それに、時間があるなら学校北にある神社の方が境内一帯に植物も多いし、十分なリフレッシュになる」


「……」

 圧倒されて返す言葉もなかった。言っている意味は正直ピンとこなかったが、直感的にのえるちゃんの言っていることは正論なのだろうと思った。ついでにいうと、これ以上嘘を突き通すのがバカらしくなったということもある。

 一気に気まずくなってしまった。今更嘘でしたと言うのは気が引けるし、だからといって黙っているのもよくない気がした。だが、俯いている私を尻目に、のえるちゃんは能天気な声で

「まぁ」

 と言った。

「……まぁ?」

 何かの暗号だろうか。それとも宇宙人の言葉? 何のために言った言葉なのかはさっぱり分からなかったが、のえるちゃんの真表情からして、とりあえず場を取りなすために言った言葉ではないということだけは理解した。

「帰る」

 結局私が何も言えない中、のえるちゃんは最後に一言そう言い、水色のランドセルをしょってそのままスタスタと私が通ってきた元の道を辿って去ってしまった。私は呆然としたまま一人取り残された。

 たっぷり五分ほど放心状態を続けたあと、私も家に帰ることにした。その後の帰り道のことは覚えていない。

 ただ、一つ覚えているのは、私が「自称宇宙人」と普通に喋れていたこと、そして、どうしてか明日ももう一度のえるちゃんと喋ってみようとお風呂のシャワー中に思ったことだ。



[38675] 出会い④
Name: 白山月◆441e8768 ID:8ec34bc7
Date: 2013/10/17 01:18
「のえるちゃんおはよー」

「……」

 始業式からはや一ヶ月。

 気づけば私はのえるちゃんと話すようになっていた(相変わらずあいさつは返してくれないが)。

 まだ打ち解けたと言うにはほど遠いが――というか打ち解ける気がしないが――それでも、少しずつ会話も進むようになってきた。もちろん、前述の通り、会話が進むのは基本的に私だけで、のえるちゃんが喋るのは一回の会話に二言三言程度だった。

「うわー、もう8時20分かー。ギリギリだねー。最近起きたら8時とかでマジ焦っちゃうよ」

「……」

「このままいったら私絶対遅刻するわー、そういやのえるちゃんいつも何時くらいに来てんの?」

「8時」

「早っ。私の起きてる時刻とほとんど一緒じゃん」

 ……といった会話が一日につき5~6回、散発的に行われていた。

 だいたい、会話は数十秒もすれば途絶えてしまい、私はその度にぎこちない笑みを元に戻していく。

 だが、今日の私は珍しくもこの会話で終わらなかった。ふと思いついたことがあったのだ。

「ねえ、のえるちゃん今日の放課後空いてる?」

「……コウシンはない」

 いやいや、そんな頻繁にあってもらっても困る。

 実はこの一ヶ月のあいだに、〝コウシン〟を理由にのえるちゃんが私と一緒に帰るのを断った回数は5回を超えていた。私が帰りに誘わない場合を考えると、一ヶ月におよそ10回くらい〝コウシン〟をしているんじゃないだろうか、というのがここ最近の私の推測だ。それだけ〝コウシン〟していたら、フシンシャ扱いされないだろうかとも思う。実際私が初めて
〝コウシン〟を見たときは、その奇怪な光景からフシンシャだという考えが浮かんだくらいだ。

 ともあれ、今日は予定が空いているとの確認がとれた。ということは、私の計画が予定通りに行える。まあ、今し方思いついたばかりなのだが、いちいち気にしていては話が進まない。

 私はこの時のためにため込んだものを出し切るかのように、勢いをつけて言った。

「じゃあさ、今日私のとっておきの場所にのえるちゃん連れて行ってもいい?」

 これは決まった! 心の中で、私はそう確信した。とっておきの場所――これだけ曖昧ながら、魅力的に聞こえる言葉はないだろう。まあ、とっておきといっても、私がたまに行く家の裏にある、文字通り裏山の中腹にある高台スポットなのだが、こうしてオブラートに包むことによって、威力は倍増したに違いない。小学5年生でこうした〝狡い〟考え方をしてしまうようになったのは、読書を人よりしているからか、あるいは……。

 心内ガッツポーズをしてから10秒ほど経っただろうか。学校のチャイムが時間切れのように鳴り出した。恐らく、登校時刻の8時25分のチャイムだろう。男子たちがなだれ込むように一斉に教室に入ってきていた。

華麗なスライディングを決めて「セーフ!」と声高に叫んでいる者もいた。私は先程の確信とは裏腹に、のえるちゃんが全く何の反応も示さないことに焦りを感じていた。

 かと思うと、のえるちゃんは伏し目がちに、僅かに口を開いた。

「……まぁ」

 男子たちのなだれ込みにちょっと気を取られてるうちに、のえるちゃんは男子たちの騒がしい音に呑みこまれそうな声でそう呟き、途中まで読んでいた本を再び逆さにして読み出した。そして、しばらくしてもその状態は変わらない。

「……え、今の返事!?」

 私はその返事かどうかも分からない一言で一日中悩むことになった。


「えーっと、で、のえるちゃん来てくれる?」

 放課後になってもあの返事について何の結論も出せなかった私は、結局のところ来るか来ないかの明確な意思表示をのえるちゃんから再度受け取らざるを得なかった。中間休みの時も昼休みの時もそのことについて思案していたので、今日は放課後がやってくるのがいつもより早く感じられた。

 のえるちゃんはいつものように淡々と水色のランドセルに教科書……じゃない、何かの専門書を入れている最中だったが、私が発したその言葉に反応したのか――あるいは違うのかもしれないが――首を90度回転させて私の方に向き直った。今回はちゃんと私の方を向いてくれているということを祈りながら再度言葉を繰り返す。

「えー、もう一回言うけど、今日のえるちゃんを連れて私が知ってるオススメスポットに行きたいんだけど、ダメかな? コウシンもないって言うし……」

 相変わらず反応はない。

「まあ、何か用事あるとか、無理だったら別にいいんだけど……今日行かなきゃダメみたいな決まりもないし、今日無理なら明日でも明後日でも――」

「今日」

 突然のえるちゃんが声を発したので、私は驚いて黙り込んだ。のえるちゃんが自ら私に話しかけてきたことがなかったわけではなかったものの、学校で向こうから喋るのは初めてな気がする。何というか、私は今まさに鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている気がした。

 のえるちゃんはさらにその続きを、不器用な告白のように呟いた。

「今日、行く」



[38675] 出会い⑤
Name: 白山月◆441e8768 ID:8ec34bc7
Date: 2013/10/22 02:53
「え……ほんと?」

 念押しのようにもう一度確認すると、のえるちゃんは微かに頭を上下に揺らした。えっと、これは肯定のサインということで受け取っていいんだよね?

「じゃ、じゃあ……行こっか」

 のえるちゃんの調子に引きずられて自分までぎこちなくなっていることには目をつぶって、告白するときは告白する方だけじゃなくて告白される方も緊張するんだな、と変なこと考えつつ、のえるちゃんと二人で教室を出た。

 小学五年生の教室がある北校舎の三階の階段をゆっくりと降り、北校舎を出たところにある中庭を通って学校の北側にある正門から出る(普段は登下校用に作られている南門を使う)。

 その間に会話はゼロだった。

 私は雲一つない晴れた空を見つめながら、5月なのに暑いなー、とか、中庭の花の閉じた朝顔を見て、これ二年前に私も育てたなー、とか、とりとめのないことを考えていた。

 ちらちらと横を見てのえるちゃんの様子を確認すると、彼女も私と同じように空を見たり中庭を見たりしていたから、もしかしたら私と同じようなことを考えているかもしれないな、と思い、そう考えると、自称宇宙人であるのえるちゃんも実はそれなりに人間なのではないかという、本人からすれば失礼極まりない発想も浮かんできて、私はひとりで勝手に親近感を寄せていた。

 もちろん、単なる思い過ごしかもしれないし、実はのえるちゃんは空を見ながら宇宙人としての責務を果たしているだけだったりする可能性もある。

 それでも私は、何となくのえるちゃんから人間性、人間らしい、人間っぽいところを見つけ出そうとしていた。少なくともそんな気がした。

 小学校から数分歩くと、うっそうと茂った森が辺りを覆うようになる。裏山に近づいてきた証だ。

 本来この周辺の子どもたちはあまり裏山には行かないように学校から教えられているが、それを気にする子どもはほとんどいない。夏の裏山には少年たちの憧れ、カブトムシがわんさかいるのだ。誰が裏山に入らないというのか。私はそれ目当てで登ったことはないけれど。

 森を少し迂回すると、裏山に登るコースのようなものが設置されていて、そこに簡易に舗装された道もあるので、私とのえるちゃんも例に漏れずそのコースを使った。

 相変わらず会話はなし。

 ここ最近気づいたのだが、のえるちゃんにとって、会話は必ずしも必要ではないのだ。喋るときは喋ればいいし、黙っているときは黙っていればいい。別に無理に会話を続けようとする必要がない、必要がないから喋らないときは喋らない。

 のえるちゃんはこのシンプルなスタイルを忠実に遂行しているだけで、別にこの年頃の少女が考える――私も人のことは言えないが――せせこましい悩みに囚われているわけではない、と私は思う。

 だから、沈黙は気まずさにはならない。私は、そうした心地よい、とはいかないにしても、変な空気にならない無言は、結構好きだった。普段友達と喋る機会が多いだけに、逆に一人で過ごす時間が割と好きなせいかもしれない。

 少し汗をかきながら、途中で水分補給をするなどして、学校を出てから30分くらい経ったとき、ようやく裏山の中腹を示す看板が目に映った。

 無言でスタスタ歩いてきた私は一瞬心配になってのえるちゃんが来てるかどうか後ろを確認したが、のえるちゃんが息一つ切らさず、汗もほとんどかかずに無表情で登ってくるのを見て、要らぬ心配だったか、むしろこの人の頭上には冷房が効いているのかと思わず疑うほどだった。

「着いた! ここが私のオススメスポットの、裏山中腹。高台みたいな感じでいいでしょ?」

 もちろんのえるちゃんに感想を求めたわけではないが、ここは一応儀礼的なものも必要かと思って言った。逆に感想が返ってきたら仰天ものだ。

 そして案の定のえるちゃんは私の言葉を無視して、中腹から見える湯ノ川北区域を一望していた。ほとんど田んぼだらけなので正直緑がいっぱいだなーくらいにしか思えないかもしれないが、これはこれで壮大な光景だと、私は勝手にそう結論づけている。

「ここには、よく来るのか」

 しばらくして、のえるちゃんが私に訊いたのはこれだった。珍しくのえるちゃんの方から訊いてきた、というか、これもしかして初めてじゃないか? とどうでもいい疑問が湧いてくるのを何とかこらえて質問に答える。

「んー、まあ、よく来るっちゃよく来るね。気晴らしみたいな感じで。二、三週間に一回くらいかな?」

「何で」

「何でって、今し方気晴らしって言ったと思うんだけど……まあ、もともと私山登りに憧れてて、」

 そう。

 私は山登りをしてみたいのだ。山登りが趣味、と言わなかったのは、まだまともに山登りをしたことがないから。

 やりたいならやればいいじゃないか、とも思うかもしれないが、さすがに小学生の女の子が一人で山に登ることは危険だということくらいは自分でも知っていた。この間も、おじいさんとその孫が一緒に800m級の山で遭難したというニュースを聞いたくらいだから、標高の低い山でも無理は出来ない。

 じゃあ、親と一緒に行けばいいじゃないか。確かにその反論は考えられる。でも私の場合は――

「でも、山にはこの裏山以外登ったことがないの。理由は、一人じゃ危険だから。親は共働きであんまりお家に帰ってこないしね。私も行きたいのは、文字通りやまやまなんだけど、あんまり無理は出来ないなって」

 親は二人とも働いていて、なかなか休みをとれないのか、とにかく家にいる時間が少ない。そんなに働いて何になる、と思ったりしなくもないが、それが親なのだから自分にはどうしようもない。

 時たま帰っていたとしても、二人とも疲れていて、山登りなんて体力を使うレジャーをどうしてもおねだりするわけにはいかなかった。遊園地なら、親は休憩できるタイミングがあるから何回か連れて行ってもらったことがあるのだが、一番やりたい山登りは今のところ一回も行けずじまいだった。

「自分で調べて一回行こうとしたこともあるんだけどね、費用とか、準備の大変さを思い知って結局諦めちゃった。何だか、山をなめるなって、山から言われたみたいで。あれ、私今変なこと言ってるね、ハハ……あれ?」

 のえるちゃんがいない。さっきいたところから消えてる。もしかして私が一人語りしてる間に帰った?

「あれ……のえるちゃん? ……あ」

 身体を全回転させて辺りをくまなく見回すと、中腹に備え付けられたベンチに人影があった。

 近づいてみると、やはりのえるちゃんだった。それに関しては一安心だ。それに関しては。問題なのは……

「えっと、……これ、寝てる?」

 ベンチで仰向けになったのえるちゃんはスースーと深い寝息を立てていた。寝顔がまた何ともかわいらしい。じゃなくて。

「さっきの話、全部聞いてなかったってこと……?」

 確かに寝ている姿は愛嬌があっていいものだし、そもそもこの晴れたポカポカな陽気の中、眠たくなるのは分からなくもないが、これは私からも文句を言っていいんじゃないだろうか。

「のえるちゃんひどいよ……」



[38675] 放浪①
Name: 白山月◆441e8768 ID:8ec34bc7
Date: 2013/10/29 22:46
 小学校には、授業参観というものがある。

 毎年2~3回ほど、保護者が学校に直接やって来て、普段の授業の様子を見て子どもの成長を見ようとするのが目的だ。

 勉強が一定程度出来る子どもはこの機会に自分の立派な姿を見てもらおうと、親に褒めてもらおうとその日の授業だけやけに張り切り(空回りすることも多いが)、あまり勉強の出来ない子どもはまるで嵐が来るかのように、その日一日をじっと堪え忍ぶ。

 一方親は、親同士でぺちゃくちゃとお喋りに精を出す人もいるし、教育熱心な親は授業風景を食い入るように見つめている。

 私と、私の親は、そのどちらのタイプにも属していなかった。

 授業参観の日に張り切るわけでもなく、かといって嵐が過ぎ去るのを待つがごとく一生懸命に堪えるわけでもない。適当にやり過ごす。それは、至極単純な理由からだった。

 親が「来ない」タイプだからだ。

 恐らく小学校のうちで、授業参観の日に親が来たことは、小学校2年生の時の一回だけだ。そのときだけ妙に張り切った覚えがある。

 それ以外で、親が来たことはただの一度もない。低学年の頃はそれこそ半べそをかきながら「来て、来て」と駄々をこねたものだが、4年生あたりになって、どうも駄々をこねたところで親が授業参観に来る気がないということを悟った後は、授業参観のプリントを親に渡すこともなくなった。

 先生からプリントを配られた日に「もうすぐこの日に授業参観があるんだけど」「あー、ごめん、その日は仕事」という味気ない会話がやりとりされて、そしてプリントはあえなくゴミ箱行きとなる。最近ではもう気にすることもなくなった。

 悟りを開いて以降は、私は授業参観の日はいつも以上に目立たないようにしていた。

 なるべく先生と目線を合わさないように、かといって全く興味がないような感じを出さずに、それなりに授業を聞いてますよ的な雰囲気を出すことに専念した。

 たまに問題を当てられても、「分かりません」と適当に流して他の張り切っている子にバトンパスをする。それのせいか、友達の親から「私はあまり勉強の出来ない子」という烙印を押されがちらしいが、その噂は自分の両親のもとに届くことはない。自分の親が他の子の親と会う機会がほとんどないからだ。

 一応反論しておくと、私はこれまでの通知表で「がんばろう」を頂いたことなどただの一度もないし、ただ一人の宇宙人を除けば、むしろ成績はクラスの中でもかなり上の方だった。

 友達にも「悠実って何だかんだ頭いいよねー」と言われているし(何だかんだ、というのが気になるが)、ちょっとばかし探りを入れても、私が頭悪いキャラとして確立している、なんていう話は聞いていない。

 だとしても、私は授業参観のことをあまり快く思っていなかった。開き直って言えば、親は来ないより来てくれた方が嬉しいからだ。しかし、そうした淡い希望は今日の授業参観でも実現することはない。

 昼休みの掃除が終わりかかる頃、クラスメートの親が続々と顔を覗かせる。1年から同じクラスでよく家にも遊びに行っている詩穂や香織のお母さんが来ると、目で会釈したものの、それ以外は努めて親の方を見ないようにした。

 別に意識してそれをやったつもりはなかったが、どうせ自分の親は来ないから関係ないということが前提にあったので、自然とそう言う行動になったのかもしれない。いつもの日常だ、と、私は気負わずにそう思った。

 箒を片付け、自分の席に座ろうとしたところで、同じく黒板を拭き終わって席に戻ろうとするのえるちゃんの姿が目に入った。そこでふとした疑問にかられる。

(そういえば、のえるちゃんのお母さんってどんな感じなんだろう……?
もしかしてお母さんも宇宙人だったりして……いや、それはないか)

 だとしても、あののえるちゃんのお母さんだ、かなり気になるところではある。まさか授業参観に来てのえるちゃんと同様専門書を逆さに読み出すなどというマネはしないと信じたい。

 あるいは、普通のお母さんなのだろうか。

 いや、そもそも、この授業参観に来るのだろうか。 

 普段は疑問がわき上がっても飲み下して忘れることが多いが、何だか今日は気まぐれにのえるちゃんに聞いてみることにした。込み入った話だったらやっかいだが、たぶん大丈夫だろうと、何の根拠もない予測で腹の中にある一抹の不安を落ち着ける。

 一つ呼吸を整えた後、席に着いて相変わらず逆さに本を読んでいるのえるちゃんに話しかけた。

「のえるちゃん」

 のえるちゃんは私の声に反応し、読んでいた(かどうかは正直分からないが)本を机に置いた。最近私の声にちゃんと対応してくれるようになったのだ。日進月歩の成長ぶりであると、私は勝手に思っている。

「何だ」

「のえるちゃんの親って今日の授業参観来るの?」

「……」

 のえるちゃんは黙ったまま再び専門書を手に取った。ちらりと見えた本の背表紙には、『宇宙工学概論』と重々しく刻まれたタイトルが書かれていた。

 どう考えても大学レベルだと驚愕すると同時に、宇宙人でもやっぱり宇宙のことは勉強するんだ、と変に感心もした。

「もう」

 やはりいつものように、会話は中断していなかった。のえるちゃんは再度口を開き、おもむろに何かを語り始める。

 これも最近気づいたことなのだが、どうものえるちゃんは会話を始めるタイミングが人より遅いようで、人の質問に対して返答することが遅れる場合があるらしい。

 そうじゃない場合の方が多いのだが、3回に1回くらいはこのパターンになる。

 だから、私はのえるちゃんに何かを尋ねたとき、返事が来なかったとしてもしばらくはじっと待つことにしている。

 それで何も返ってこなかったときは「無視されたのか」と若干ショックを受けたりもするけど。

「もう、地球に降りたっている頃だろう」

 のえるちゃんが抑揚のない声で言ったその言葉を、私はじっくりと、噛んで含めるように理解する。理解すると同時に、その言葉から読み取れることが二つあることも分かった。

 お母さん、授業参観来るんだ……

 と、

 お母さんも、宇宙人だったんだ……

 の二つ。

 のえるちゃんの言葉は一回で意味を二つも三つも読み取らなくちゃいけないから、中学入試の国語とかで出される問題にピッタリじゃなかろうか、と時々思ってしまう。

「そっかー」

 のえるちゃんに適当に相づちを打った後、私は改めて考えた。

(宇宙人でも、授業参観は来るんだ……)

 だとしたら、宇宙人でもないうちの親はどうして来ないのだろう。

 独りごちたとき、授業開始5分前の予鈴が鳴った。



[38675] 放浪②
Name: 白山月◆441e8768 ID:8ec34bc7
Date: 2013/11/07 11:22
(今日も出来レースか……)

 授業参観は今までと特段変わることもなく進んでいった。

 先生が頑張って準備していたのであろう、紙製の台形や平行四辺形、ひし形を黒板に貼り付けてその問題を生徒に解かせ、答えが合っていたら教卓の前で生徒自身に解説してもらうという形式。

 普段の授業なら先生が手ずから生徒の机を回っていって、出来ている生徒に解説をさせるのだが、やはりと言っていいのか、開始5分も経たないうちに「先生出来ました!」という威勢のいい声がそこかしこから飛び始める有様だった。先生も苦笑いしながらその声の元に寄り、答えが合っているのを確認した後、その生徒に解説をお願いする。

 今年から担任の先生が替わってやり方も変わっていたのだが、「授業参観はいつもの方式で行くから」と事前に言っていたので、私は安堵していた。

 というのも、今までの担任の先生は一定時間が経った後誰かをランダムで当てる方式だったので、私に当たる可能性があったからだ。しかも私は成績は上の方だったので、「この子ならできるだろう(から、教育がちゃんと出来てると親に示せるだろう)」という思惑も働いていたのか、私自身は存在感を薄くしているつもりなのに、授業参観はいつも以上によく当たっていた。

 5時間目のチャイムが鳴ると、先生は「今日は来ていただいてどうもありがとうございました」と軽く父兄に挨拶をした後、黒板の台形や平行四辺形を片付け始める。生徒たちは伸びをしながら「終わったぁ~」と解放感に満たされる者もいれば、そそくさと帰る準備を始めている者もいた(今日は週に2回の5時間授業だ)。

 私もその中の一人になるべく、お道具箱の右側に入っている教科書類をまとめてランドセルに放り込む。

 ふと隣を見ると、のえるちゃんは一人泰然と専門書を読んでいた。もちろん逆さにして。

 一度のえるちゃんのランドセルの中身を見せてもらったことがあるが、専門書一冊以外は、これといって本らしい本はなかった。逆を言えば、教科書は何一つ持ってきていないと言える。

 他にあったものは、水色の折りたたみ傘と、水玉模様のハンカチと、リコーダーの入っていないリコーダー袋、あとは給食用のナプキンくらいだった。私の推測するに、たぶんリコーダー袋以外は親が入れたものではないかと踏んでいる。もちろん、親がリアル宇宙人でなければの話だが。

 ちなみに本人曰く、専門書は読み終えたらちゃんと新しいものに取り替えるらしい。何が〝ちゃんと〟なのかは検討もつかない。

「今日、コウシンある?」

 そして、いつものように私はのえるちゃんを帰りに誘う。

 のえるちゃんは何かを思い出したようにすっくと立ち上がると、専門書をランドセルに投げ入れて言った。

「今日は、コウシンがある」

「そっか」

 断られても、特別気にすることはない。実際、のえるちゃんと帰るのは週に2回くらいだ。一応データを取ってみたが、どうやら5時間授業の時にコウシンがあるわけではないことが分かっている。

「じゃあ、今日は他の子と帰るね」

 それだけ言い残して、のえるちゃんにバイバイと手を振る。向こうはこちらを見つめてくるだけだ。昔は手を振る前に自分の動作に戻っていたのだから、これも進歩の一つだ。

 しほりんや香織たちが先に教室から出ていくのを見かけていたので、私はランドセルを担ぐとすぐさま教室を飛び出した。そのまま直角に曲がり、今まさに廊下を曲がって階段を降りんとするしほりんたちに声をかけようとしたところで、後ろから、女子にしては若干低い声が聞こえた。

「ちょっと待って」

 反射的に振り向くと、一人の女の人がいた。

 すぐさま、さっきの授業参観で「ものすごい美人のお母さんがいる」とクラスの女子内で話題になっていた人だと気づく。ちなみに誰のお母さんかは分からずじまいだった。

 どうやら私を呼び止めたらしいと気づき、走り出そうとしていた足を止めた。向こうはそれに安堵したのか、ゆっくりと近づき、微笑みながらこう言った。

「あなたが、平野悠実さんね?」


 その人は、名前を宮崎諒子と言った。

 どうやら私のことを、のえるちゃんから聞いたらしい。

 それで、普段は行かないはずの授業参観にいてもたってもいられずにやって来てしまったそうだ。のえるのお友達の平野悠実ちゃんという子は、一体どんな子なのかしら? と。

「上品そうな子で良かったわ。変な子にたぶらかされていたらどうしようかと思って」

「いや、そんな上品だなんて……」

 むしろあなたの方が私の100倍くらい上品に見えますよと言いたかった。

 言葉遣いも見た目通りだった。

 本物の美人は、本物の品をも備えているということだろう。

 それくらい、のえるちゃんのお母さんは綺麗だった。のえるちゃん本人の容貌も相当整っているが、それも自分の中で腑に落ちた。この親にしてこの子ありということだったのだ。むろん、言葉遣いは天と地ほどの差があるが。

「初めてのえるからあなたのことを聞いたときは、そりゃもうびっくりしたわ。『宇宙人仲間ができた』って。お父さんと顔を見合わせて、明日は雪でも降るんじゃないかって、逆に心配したのよ」

 今の発言に聞き捨てならない部分が見受けられたが、それは端に置いておこう。そして、本物はジョークも本物のようだ。自分の娘くらい信用しようよ。あと、やっぱり端に置いておけない、宇宙人仲間って、私は宇宙人だったのか。自分でもびっくりだ。

「それで、お会いして話がしたくて、こうして待っていたの」

「それは、私も、のえるちゃんのお母さんってどんな人なのかなって、ちょっと気になってました。のえるちゃんに聞いたら今日授業参観に来るって聞いてたし……どの人か分かれば、挨拶くらいはしておこうかと思ってたんですけど」

 まあ、すごい美人がいる話が立った時に何となくそうじゃないかなあとは思ってはいたんだけれど。

「あら、それはありがたい話ね」

「本人曰く『もう地球に降りたった頃』とか何とか」

「ふふ、私も宇宙人らしいから。宇宙人の母、だったかしら」

 どうやらこれまでの話から察するに、のえるちゃんのお母さんは宇宙人のことについて知っているようだった。しかも、結構前向きに捉えている……ような気がする。

 いや、ほんとうはそうでもないのかもしれない。実際には、普通に育ってくれた方がいいとは誰しも思うはずだからだ。それを見せないのは、やはり母親としての努めなのだろうか。

 とにかく、私にはその心裏が読めなかった。ただ、変に勘ぐるのもよろしくないと思い、それ以降宇宙人の話には触れず、のえるちゃんの日常について他愛のない会話を続けた。

 一通り会話して、そろそろお開きになろうかとしたとき、お母さんの雰囲気が少し変わった。先程の柔らかな表情が少し真剣味を帯びる。私は猫背になっていた姿勢を軽く正し、お母さんの目を見た。

「悠実ちゃん」

「……はい」

「のえるはあんな子だけど、私は根はいい子なんだって、信じてる。だから、これからも迷惑かけちゃうこともあるかもしれないけれど、どうか見守るつもりで、よろしくお願いします」

 のえるちゃんのお母さんは深々と私に頭を下げた。私は突然の行為に、どうしていいか分からずたじろぐ。

「そ、そんな、こ、こちらも、これからもよろしくお願いします!」

 私も、のえるちゃんのお母さん以上に深々とお辞儀する。

「ありがとう。……あと」

 ふっ、と優しく微笑んだ後、少し困ったような表情をして言った。

「もう一つ、のえるのことで頼まれごとをお願いしてもいいかしら」

 正直、のえるちゃんにまだ厄介事があるのかと目を剥いたが、すぐに気を取り直す。

「いいですよ」

 もう、のえるちゃんだったら何をやらかしてもおかしくないだろう。だから、そのお母さんに何をお願いされても、それは怪しいことでも何でもない。

「のえるちゃんは」

 何たって――

「宇宙人、ですからね」



[38675] 放浪③
Name: 白山月◆441e8768 ID:8ec34bc7
Date: 2013/11/14 00:13
 放浪。

 その二文字を聞いたとき、私はいくら何でもそれは大げさ過ぎじゃないか、と思った。小学生が行ける範囲なんてたかが知れてるし、行く場所なんて限られるだろう。そう思ったからである。

 しかし、実際話を聞いてるうちに、その熟語が案外ぴったりなもののように聞こえてきた。のえるちゃんは、ここでも小学生の範疇を軽く超えていたのである。

 通常、小学生はある場所に向かう際、親に行き先を告げた後、一定の時間になると、それがある程度タイムオーバーしていたとしても、せいぜい予定時刻の30分後ぐらいには帰ってくる。

 わんぱくな子どもにしても、行き先もなく自転車でかっ飛ばしたりはするものの、親から告げられた時刻の2時間後くらいには泥だらけになって帰るはずだ。そうでなければ、迷子となって一人、あるいはグループで孤立してさまよっているところを保護されるか何かだろう。

 のえるちゃんは、そのどちらにも当てはまらない。

 簡単に言うと、親に行き先も告げず、ランダムに選んだ場所にずっと居座り続け、門限から3時間経っても帰ってこないのだ。

 今のところ両親の方針により、警察に連絡してのえるちゃんが保護されたケースは一度もないらしいが、毎度〝放浪〟が起きるとのえるちゃんのお母さんは探すのが大変だそうだ。この一帯をくまなく探さなければ行けないのだから、それも当然だろう。

 それでも警察に連絡しないのは、やはり自分で見つけないと心配になるという親心だろうか。

 とにかく、私が頼まれたのは、もしのえるちゃんが〝放浪〟をしたときに、一緒に探してくれないか、というものだった。

「無理を承知で、お願いします」

 頼んでいるお母さんの表情はすごく申し訳なさそうだった。

 確かに、〝放浪〟したときにのえるちゃんを探すのにかかる時間は1~2時間もするというし、基本的に日没になっても帰ってこない時に探し出すから、必然的に探し始めは夜になる。のえるちゃんのお母さんがしていることは、小学生に夜出歩けといっているものだから、罪悪感を感じるのは至極真っ当だと言える。

 そもそも最初は、私の両親に頼んでくれないかというものだったのだ。

 しかし私は、その頼みを断った。

 ――どうせ仕事だから、自分の娘ならまだしも、のえるちゃんを、娘の友達なんて探すヒマなんてない。

 そう、のえるちゃんのお母さんに言って。

 だから、〝放浪〟したのえるちゃんを探すという頼みを、私自らが引き受けることにした。 話がついた後は、のえるちゃんのお母さんと一緒に帰りながら、またのえるちゃんの日常についての他愛ない会話に終始した。

「じゃあ、私はこっちだから、今日はほんとうにありがとう」

 別れ道、再びのえるちゃんのお母さんは深々とお辞儀する。

「いえ、こちらこそ」

「また、機会があったらお話ししましょうね」

「はい、是非」

 そうして、松林に行く曲がり道の少し手前の曲がり道でのえるちゃんのお母さんと別れた。のえるちゃんのお家は学区ギリギリのところにあるらしい。そのせいか、隣町の活気が若干混ざり込んでいて、コンビニなどの施設にも近いそうだ。今度機会があれば行くことにしよう。

 ただ、のえるちゃんの部屋に行って何をするのかはちょっと思いつかないが。

 10分ほどして、私は自分の家に着く。始めに電子ロックの扉を開けた後、庭を横切って家の二重鍵ロックの鍵を開けていく。扉が開いたのを確認した後、マスコットキャラのがストラップされた鍵をもとあったランドセルの外側のポケットにしまい直し、家に入った。

「ただいまー」

 返事が返ってこないことを知りつつ、それでも癖になった言葉を放つ。そして案の定、「おかえり」の一言は降ってこない。

 当然だ。家には誰もいないのだから。

 1階のリビングに入り、ランドセルからナプキンと体操服を取り出して、洗面台の背後にある洗濯機の中へ放り込む。

 それから水筒を出してシンクに持って行き、軽く洗って適当に乾かせておく。

 家に帰った直後のルーティンをひとしきり終えた後、私はランドセルを担いで2階にある自分の部屋に向かった。

 2階の一番手前にある部屋のドアを開けると、いつもの自分の空間が広がっていた。

 入って右の壁には富士山の写真が写ったカレンダー。

 左奥には小学校の入学祝いに買ってもらった学習机。

 ここ2、3年は配置を全く変えておらず、新鮮みに欠ける部屋だったが、私はこの部屋の配置がなかなか気に入っていた。

 おもむろに机に向かい、1段目にある一冊の本を手に取る。

 表紙には、『春のオススメ登山スポット』というタイトル。登山ファンなどが買う登山専門誌だった。

 1年前、山に登ろうと思い立ち、わざわざ一ヶ月分のお小遣いをはたいて買った、思い入れのある一冊だ。

 ただ、その割には、新品のようなツヤがその本には残っていた。

「結局、1回読んだだけだったな」

 書かれていたのは自分の家からはるか遠い山のことばかりで、書かれていることもちんぷんかんぷんだった。専門用語が多すぎて小学生の自分にはよく分からなかった。

 山に登りたい。それは、今の自分の心に、確かにある。でも、それは一人で黙々と山に登ることかと言われれば、たぶんそうじゃないと、これまた心の中に確かにある。

 つまるところ、私は気の許せる誰かとお喋りしながら登りたかっただけなのだろう。和気藹々とした雰囲気を楽しみつつ、頂上の景色を見て開放感にふける。

 眺めが素晴らしければなお良し。

 そんな山登りを私はしたかっただけなのだろう。

 でも、それは叶うことはなかった。そして、これからも叶うことはないと思う。

 親にせがむことは出来ない。それはもうとっくの昔に分かっている。授業参観にもまともに顔を出さないような親が、山登りなどという疲れるだけのレジャーにどうして行くものか。

 友達という線ももちろんなかった。

 気の許せる友達は何人かいたが、小学生で山登りなんて考える子どもが一体何人いるかという話だ。

 実際、かおりん辺りに声をかけたことがあるが、「何で?」と逆に聞き返され、それ以降山登りについてはこちらから口に出さなくなってしまった。

 そこで、ふと考えが浮かぶ。

「じゃあ――」

 のえるちゃんだったら?



[38675] 放浪④
Name: 白山月◆441e8768 ID:8ec34bc7
Date: 2013/11/21 20:04
 のえるちゃんは、私が「山登りしよう」と言ったら、了承してくれるだろうか?

 たぶん「いいよ」と言ったり頷いたりすることは天地がひっくり返ってもないだろうが、適当に「まぁ」とかそれなりの反応は示してくれないだろうか?

 というか、私はのえるちゃんにはいかいいえで答える質問に「嫌だ」と言ったり、それに準ずるサインを見せたことってあったっけ……?

 疑問に思ったところで、家の電話のベルが鳴った。

 私は考えを保留にして、いったん電話の元に向かう。現在時刻は7時過ぎ。母親からの電話か、そうでなければ家関連の電話だろう。

「もしもし」

 私はそう思って、声を取り繕うこともなく電話に出た。

 だが、向こうから聞こえてくる声をキャッチした瞬間、私は驚きで声を上げそうにになった。

『もしもし、宮崎ですけど、平野様のお宅でいらっしゃいますか』

(この声……のえるちゃんのお母さんだ!)

 先程耳にした声だったから、すぐに確信が持てた。

 しかしなぜ?

 新たな疑問が浮かびあがる。

「あ、はい、あの、私、平野悠実です」

『あぁ、悠実ちゃん、出てくれてちょうど良かったわ』

 先程まで微かにこわばっていたのえるちゃんのお母さんの声は私だと分かった瞬間に急に朗らかになった。

「で、家に何かご用ですか?」

『うん、それがね…………早速なの』

「はい?」

 何が早速だというのか。

『えーと、簡潔に言うと……のえるちゃんが〝放浪〟したわ』

「……!」

 私は言葉に詰まった。

 だが、すぐに落ち着き、状況を整理する。

(なるほど……だから早速か)

「私は、どうしたらいいですか?」

『そうね、悠実ちゃん、携帯電話は持ってる?』

「はい、一応」

 一応と言ったのは、持ってるには持ってるが、親との連絡用にしか使わないからだった。

 おまけに、たいがい親は私が家にいる時間に電話をかけてくるので、節約上家に電話がかかってくることが多く、必然的に電話は宝の持ち腐れ状態になっていた。小学校に携帯電話を持ってくるなという規定はないものの、他に持っている友達もいないし、持って行って見せびらかすのも何か違う気がしたので、結局携帯電話は私の部屋に居る時間が一番長いことになっている。

『それは良かった。じゃあ、私の携帯の番号教えるから、見つけたらかけてもらえる? で、私が見つけたら、私があなたに連絡するわ』

「じゃあ、私の電話番号も教えないとですね」

『そうね、お願い』

 お互いの電話番号を教えあった後、

『探すのはゆっくりでいいから、とにかく、悠実ちゃんの安全第一でお願いします』

 と、のえるちゃんのお母さんが言って、電話は切れた。

 娘の行方が分からないのに、探しに行ってくれる友達の身の安全を考えるのは、やはり大人としての責任の表れなのかなと、漠然と考えながら私は部屋着から着替えて外に出た。

「さて……」

 出たはいいものの、だ。

「どこを探せばいいんだろう」

 それは自然と口をついて出てきた言葉だった。

 よくよく考えれば、11年間ともに過ごしてきた母親ですら見つけるのに1~2時間かかるというのに、出会って話をするようになってからまだ2ヶ月も経っていない小学生に一体何が分かるというのか。

「……いやいや」

 探すと決めたからには、とにかく探さないと。

 頬を二度ほどパンパンと叩き、とりあえず北に向かって歩き出す。そもそも北に向かっているのが正しいかどうかも分からないのだが、もう考えたって仕方ないと開き直り、歩み続ける。歩きながら、別のことを考える。

 まず、のえるちゃんはなぜ〝放浪〟するのか。

 これははっきり言って私には全く、毛ほども見当のつかないことだった。宇宙人の行動を予測することが出来るほど私は情報通ではないし、頭の回転が速いわけでもなかった。

 ただ、それでも私はのえるちゃんに関するちょっとした知識はある。まずはそれを元手に考えるほかなかった。

「コウシン……」

 恐らく、のえるちゃんは新たな〝コウシン場所〟を求めているのではないか。私がコウシンを直に見たのは、松林前の1回しかないが、私はコウシンのしやすそうな場所の特徴、というものを自然と思い描いていた。それこそ、のえるちゃん、宇宙人の気持ちになって。

「コウシンする時、のえるちゃんは空を向いていた。ということは、視界は開けている方がいい。そして、なるべく人目につかないところ……」

 私が向かっている北方向で、それが当てはまる場所は幾つかあった。

 だが、私は真っ先に選んだのは、やはりあの場所だ。

「高台……」



[38675] 放浪⑤
Name: 白山月◆441e8768 ID:8ec34bc7
Date: 2013/11/28 15:59
 そう、あの高台なら、視界も開けているし、夕暮れのこんな時間にわざわざ出向く人もいない。それゆえに私にとってのオススメスポットでもあったのだが、もしのえるちゃんがあの場所を気に入ってくれていたのなら、コウシンにあの場所を使うという可能性は十分あるんじゃないか。

 そう考えると、なぜ出会った頃松林の手前でコウシンをしていたのかは全くの謎だったが。

 とにもかくにも、私はあの高台を目指す以外方法はなかった。

 当てもなくさまよっても見つかる気はしないし、下手をすると自分が迷子扱いになるかもしれない。「君、家が分からなくなったの?」と大人の人に聞かれた暁には、私は顔を熟れたリンゴのように真っ赤っかにしているだろう。

 さすがに小学五年生なんだから、自分の家ぐらい分かるって、って心の中でぼやきながら。

 考えがまとまると途端に足が軽くなった気がした。朝登校時に見た風景を再び見返しながら、早足で高台へと向かう。携帯で時間を確認するとデジタルで19:34と示されていた。不在着信がなかったので、まだのえるちゃんはみつかっていないのだろう。

 すっかり暗くなった夜の帳に機械的に光る携帯の画面を消灯してポケットに入れ、私はさらに足を速めた。早くも松林へと向かう曲がり角の場所を通り抜け、少し坂になっている学校へと続く一本道へとさしかかる。

 もしかしたら今まで通ってきた中で一番早く学校に着くかも知れないと思った。今日は学校に入らないから、このタイムアタックが参考記録になってしまうのが残念だった。

 10分ほどしてさらに急になる学校手前の坂を登り切った直後、私はあることに気がついて足を止めた。

「学校からしか行ったことがないから、学校を通らないで高台に向かう道が分からない……」

 そういえば、気ままに高台に立ち寄る時はいつも下校時だった。休みの日に高台に行こうなんて思い立つことすらなかった。遠いし。

 いつものように学校を通り抜けて正門から行くのが一番手っ取り早いのだが、それだと一つ問題が生じる。

 この世の中、公立の小学校といえどもセキュリティ管理には厳しいらしく、監視カメラが設置されている上に、指定時間以外に正門を通ると職員室だったか警備室だったかに通知されるということだ。

 以前先生から耳にしたことがある。その意味でも普段正門は生徒の登下校には利用されていない。まあ、北に向かったところでほとんど民家がないから、使われないのは当然とも言えるが。

 学校の登下校に利用される南門の手前まで来たが、南門は赤くさびた鉄扉で固く閉ざされていた。普段は端っこに隠れるように佇んでいるその門は、今は暗がりの中でその借りを返すかのように存在感を放っている。

 この様子では、この南門を超えたところで、正門も閉ざされているだろう。さすがに正門を超えようとすると通知が行くため、突破するのが困難になってくる。

「やっぱ回り道するしかないかなあ……」

 回り道といっても、学校沿いに進んで正門の北に出るだけなのだが、学校の周りは基本的に草木が生い茂っていて進むのにも一苦労するから、私としては出来るだけ選びたくない選択肢だった。

 だが、のえるちゃんのお母さんは今も自分の愛娘を心配して捜している最中だというのに、そんな自分勝手な理由で遠回りをするわけにも行かず、仕方なく南門を通りすぎて学校を囲う水色のフェンスに沿って再び歩き出す。途中からはアスファルトで舗装された道を外れ、私は鬱蒼と茂った気味悪い林の中に入っていく。林の中は月の光以外たいした明かりもなく、ぶっちゃけ怖い。

「早く抜けよ……」

 いつの間にか小走りになっていた私は、途中で聞こえてきた不気味な音に怯えながらも、すぐに林を抜けた。右手側には正門が見える。

 高台へと続く道は正門を出て西側にあったので、私は正門のある方向とは逆側に歩を進めた。ここまで来たら、さすがにもう悩む心配はない。それ以前にそもそも高台にのえるちゃんはいるのかという根源的な不安は置いておくとして。

 しかし、夜になって頭が研ぎ澄まされてきたのか、こういう時に限っていらぬ予測をたててしまう。

 仮に高台でコウシンするとして、のえるちゃんは恐らく学校から直接高台に向かったはずだ。どうやら学校からのえるちゃんの家までは、学校から私の家までの距離とほとんど同じ、つまり歩いて20分くらいの距離だから、わざわざ一度家に帰宅して荷物を置いてからコウシンしに出向くとは考えにくい。

 事実、松林の手前でコウシンしていた時はのえるちゃんの足元には水色のランドセルがあった。ということは、下校中にふらりとコウシンするのがのえるちゃんにとっての日常なのだろう。

 そうすると、のえるちゃんは学校から直接高台に向かったことになる。今日は学校が2時半に終わったから、単純計算で、のえるちゃんは高台に遅くとも3時半に着いていることになるのだ。

 現在時刻は8時。ということは、のえるちゃんはコウシンを4時間以上続けていることになる。

 普段コウシンしている時間はこんなにも長いものなのだろうか? 私はのえるちゃんがコウシンする一部始終を見たことがないので、コウシンが一体何を指すのか、そして一体コウシンとは何をどうするのかは全く知らないが、私の感覚で言えば、長電話でもそんな時間はかからない。2時間も喋っていれば私の長電話歴代記録に名を連ねるはずだ。

 いや――

「のえるちゃんに関しては、私が何か予測したところでムダか……」

 諦めた。

 とにかく、高台に行って確認してみるしかない。のえるちゃんならコウシンを4時間続けることもあるだろう。私の長電話などお話にならないくらい宇宙人と喋っていることもあるだろう。あるいはもしかしたらこないだのようにベンチで眠りこけているかもしれない(それはそれで非常に問題だが)。

 整備された道を一歩ずつ踏みしめ、時折ある段差を踏み越え、20分ほど経っただろうか、たどり着いた高台には、

「……やっぱり、ね」



[38675] 放浪⑥
Name: 白山月◆441e8768 ID:8ec34bc7
Date: 2013/12/05 16:03
 のえるちゃんがいた。

 とりあえず私は携帯電話を取り出してのえるちゃんのお母さんに連絡する。

 のえるちゃんのお母さんはほっとした声で「すぐに迎えに行くから、そこで待ってて」とよこした。

 電話を切り、のえるちゃんの方に向き直る。

「……」

 コウシンは、していなかった。

 ただ、寝てはいない……と思う。ベンチで仰向けになってないし。

 では、のえるちゃんはどういう格好をしているのかというと、地べたにあぐらをかいて、右手を真っ直ぐに伸ばして手のひらをここの高台の中で一番大きい木に当てていた。意味不明。

 なぜかその姿は一枚の絵のようで、私はしばし呆気にとられていたが、すぐさまいやいやおかしいだろと態度を改めた。

「のえるちゃん」

 いつものように、私はのえるちゃんを呼んだ。

 のえるちゃんは閉じていた目を開け、視線だけこちらに移した。やはり寝ていないという予想は正解だったようだ。

 その目も、その表情も、当然のようにいつものものだったので、私は身体が疼くような安堵感を覚えた。

「コウシンは、終わったの」

「……」

「今は、何してるの」

「……木の声を、聞いていた」

「……ごめん、もう一回」

「この高台の主に、高台の居心地を聞いていた」

 のえるちゃんは当たり前のように言ってのけたのだが、私からしたら今のはたぶん後百回聞いても理解できない言葉だった。今し方聞いたのにのえるちゃんが言った内容がもうおぼろげになっているのは、きっとそのせいだろう。

「お母さんが、迎えに来るって」

 とりあえずのえるちゃんの発言は華麗に流しておいて、私はのえるちゃんに最も言わなければならないことを言っておく。

 これで私はのえるちゃんの捜索に晴れて成功したわけだ。

 同時に、遠くから人が歩いてくる音がする。砂を踏む音が、微かに、しかし確かに聞こえてきていて、その音は時間が経つにつれて次第に大きくなってきた。のえるちゃんのお母さんに違いない。

 私はのえるちゃんの近くに寄って、左手を差し出した。

「お母さん来たし、帰ろ」

 のえるちゃんはまたいつの間にか目を閉じていたらしいが、再び目を開けると、あぐらを解いて私の左手をぎゅっと掴んで立ち上がった。

 高台の夜風が思ったより冷たかった中で、私はのえるちゃんの差し出した左手の温度を確かに感じ取ることができた。



[38675] 運動会①
Name: 白山月◆441e8768 ID:8ec34bc7
Date: 2013/12/12 17:54
「今日も間に合ったー」

 のえるちゃんの〝放浪〟から早一週間、私の日常生活に特に異変が起きることはなかった。

 あれからお母さんに迎えに来てもらったのえるちゃんは、家の車に乗せてもらって帰って行った。といっても、途中までは私も乗せてもらっていたのだが。

 のえるちゃんのお母さんは松林の方を探しに行ってたらしい。いなくなるとき、のえるちゃんが一番多くいるポイントがそこだそうだ。

 私は高台を降りる時も、車内でも、別れる時もしきりに感謝されっぱなしだった。たぶん10秒に1回くらい「ありがとう」と言われた気がする。最初は「いえいえ……」とか「どうも……」とか言っていたのだが、最後らへんになると苦笑いしか浮かべることができなかったから、恐らく相当な回数言われていると思う。

 その日から今日まで、のえるちゃんは一度もコウシンすることなく来ている。懲りたとは思えないし、〝放浪〟あとはしばらく充電期間が必要とかその辺りだと勝手に思っている。

 何はともあれ、無事が一番。今日も一日元気に……

「ん……?」

 窓側から二番目、前から三番目の自分の席に行こうとすると、その席の斜め後ろで一人うずくまっている男の子がいた。察するに寝ているわけではなく、どうやらほんとうにうずくまっているようだった。

「山上くん、どうしたの?」

 山上淳一郎。それが彼の名前だった。

 スポーツ万能、成績も良く、おまけにイケメン。絵に描いたような秀才で、クラスの中で一番モテる彼がどうしてうずくまっているのかは、とても気になった。

「平野か……おはよう」

「あ、うん、おはよう」

 山上くんはうずくまったまま挨拶してきた近くで見るとその残念な雰囲気が余計によく分かる。

「そうか……そういや、平野は宮崎と友達だったよな」

「え、うん、そうだ……と思うけど」

「なら、俺の話を聞いて、感想を述べてほしいんだ」

「か、感想……? いいけど……」

 のえるちゃんと山上くんとの間に一体何があったのかは分からないが、とにかく、私は山上くんの話を聞かなければならないらしい。

「じゃあ、聞いてくれ!」

 突然バッと顔を上げたかと思うと、山上くんは『事件』の一部始終を語り出した。



 昨日俺は放課後、宮崎を正門前に呼び出したんだ。

――なんで?

 その、それは…………宮崎に、告白するためだよ。

――え、山上くんのえるちゃんのこと好きなの!?

 シッ! 声がでかい! それで、呼び出して、一応告白はしたんだよ。「好きです、付き合ってください」って。まあ、宮崎ってこういうことに興味なさそうだから、もともとダメもとのつもりだったんだ。「興味ない」とか「いや」とか言われたらそれはそれでいいってさ。でも、そうじゃなかったんだよ。

――のえるちゃんなんて言ったの?

 「もう付き合ってるぞ?」だって。最初は意味が分からなかったけど、これってたぶん〝付き合う〟の意味取り違えているよな?

――たぶんじゃなくて絶対だね。

 ああ、だから、必死に説明したんだよ。「違う、そうじゃなくて、その〝付き合う〟じゃなくて……」たぶん10分くらい説明したよ。それでも結局分かってくれなくて、宮崎最後になんて言ったと思う? 「何を言っているのか分からないぞ、山下」だ。「俺は山下じゃねー!! 」って思わず逃げ帰ってきちまった。……はあ、もう顔も会わせられねえ。



「で、どう思うよ平野。これ酷くね?」

 とりあえず、話は分かった。要するに、山上くんはまだ諦めていないのだ。名前を間違えられたというのに。しかも相手がのえるちゃんともなると、その壁は果てしなく、エベレストくらいに高いような気がするが、今は黙っておく。

 ……じゃなくて、感想か。

「えっと、山上くん、たぶんその『事件』についてなんだけど、のえるちゃんは毛ほども気にしてないはずだから、顔は上げてていいと思うよ」

「そうか……それは良かった。危うく授業が受けられなくなるところだったよ、宮崎は俺の前の席だしな」

 いや、そこは普通に顔上げようよ。

「うん、ちなみに――」

 のえるちゃんもうとっくの昔に前の席に着いてるよ。

 そう言おうとしたが、それは先生の声に阻まれた。

「じゃあ、リレーの最後の一人は平野でいいな」

 一瞬、何を言ったのか理解できなかった。

「え……山上くん」

「何だ?」

「今、先生、何て言った?」

「えーと、要約すると、平野が運動会のリレーに出るって話だな」

「……えーー!?」

 今度は私の方が理解できない番だった。

 その日一日、私はリレーのことで頭が一杯になり、授業どころの騒ぎじゃなくなってしまった。



[38675] 運動会②
Name: 白山月◆441e8768 ID:8ec34bc7
Date: 2013/12/19 17:47
「家(いえ)」

 放課後、隣の席から不意に放たれた言葉は、その二文字だった。

 一・二時間目が終わり、中間休みが終わり、三・四時間目が終わって、昼休みも終わり、五・六時間目が終わって放課後に入っても相変わらずリレーのことでうんうん唸っていた私は、その言葉で現実に引き戻される。

「あ……そうだったね」

 そう。今日はついに……

「のえるちゃんのお家に、行くんだったね」

 前々から約束を取り付けて、ついに今日がその当日だったのだ。

 リレーのせいですっかり失念していたが、こちらもなかなかに大きなイベントだ。まあ、約束といっても、私が「のえるちゃんのお家に今度遊びに行ってもいい?」と聞いて「まぁ」と返ってきただけなのだが。口約束にしてももうちょっと何かあると思わなくもないが、今は横に置いておく。

 半ば強引にリレーのことを頭から引きはがし、心なしか重い手をせっせと動かして帰る準備をする。のえるちゃんはいつの間にか準備を終えていつもの参考書を逆さに読んでいたが、ふとその後ろの席でそそくさと片付けをしている山上くんが目に入った。

 それと同時に、私はとあるアイディアを思いつく。

「これは……名案かもしれない」

 先程から続いていたどんよりとした雰囲気に、僅かに晴れ間が差したような気がした。


「あのさ……」

 私の後ろをとぼとぼ歩いていた山上くんが声をかける。

「なーに?」

「いや、あの、聞きたいことがあるんだけど」

「何でもどうぞ」

「俺、何で宮崎の家に行くことになってんの……? 俺今日田中の家に遊びに行く予定だったんだけど……」

 先程からずっと思案顔をしていた山上くんは、意を決したかのようにそう言った。

 私が浮かんだ名案というのは、私の運動会の練習に付き合うという名目で山上くんをのえるちゃんの家に引き込むことだった。

 始め山上くんに提案した時は、さすがに「ええ、無理だよ、何で女子の家に行かなきゃいけねえんだよ」と不満げだったが、「今回は突然リレー選手に指名されて悩んでいる私の運動会の練習に付き合ってあげるという理由(建前)」と「好いているのえるちゃんの家に行けるという理由(本音)」もあって、ある程度おしたらあっさり承諾してくれた。

 正直私自身には何を得するわけでもないが、もともとのえるちゃんの家に行く予定だったし、せっかくだから物事はおもしろい方がいい。

「まあまあ。実際のえるちゃんの家、行ってみたいでしょ?」

「そ、そんなことねーよ!」

 山上くんは否定するものの、どこか虚勢を張っている感じがした。

「まあ、まだチャンスあるんだから、頑張って」

「ぐっ……平野って、意外に腹黒いよな……」

「はは、そんなこと言われたの初めてだよ」

 確かに、普段の私ならこんなことやってないのかもしれない。

 前を見ると、のえるちゃんは自分の家に向かって、淡々と歩を進めていた。
 もしかしたら――

(のえるちゃんを変えようと思って行動してるのは間違いないけど、回り回って私が変わってるのかな……)

 それにしても腹黒いとはあまりいい変化ではないのだけれど。

「じゃあ、逆にチャンスがあるとか言うんだったら、平野だけが知ってる宮崎の情報とかないのかよ」

 反撃に打って出るかのように、山上くんが質問する。

「情報ねぇ……基本的に無口」

「誰でも知ってるだろ……他には」

「たまに呼びかけても反応しない時がある」

「それはこないだ嫌というほど思い知ったよ……他には」

「……」

「……え、それだけ?」

「いや、それだけじゃないんだけど……」

 私は言葉に詰まった。

 私が知ってるのえるちゃんに関する情報がこれだけじゃないのはもちろんだ。もちろんなのだが、正直多すぎて逆にどこまでが言っていいラインなのかが分からない。

 例えば、〝放浪〟癖があるのは言っていいことなのか。

 例えば、コウシンの説明はどうするのか。

 説明しようとしてもこんがらがってしまいそうな情報だらけで、結局私は黙らざるを得なかった。

「ま、まあ、のえるちゃんのお家に行けば、何か情報つかめるんじゃない? そのためにのえるちゃんのお家に行くようなものでしょ」

 こうして、話題を逸らしてお茶を濁すしかなかった。

「一応平野の運動会の練習って名目じゃなかったのかよ。まあ、どうせ名目って言っても俺と平野の中だけでの名目だしな。もう何でもいいや」

 山上くんは山上くんで吹っ切れたらしい。逆にそれぐらいでないとのえるちゃんの相手はできないのかもしれない。

「着いた」

 前から声がかかり、私と山上くんは同時に足を止めた。どうやら喋っている間にのえるちゃんの家に到着したらしい。

 そして、足を止めた先の家を見て、私と山上くんは同時に唸った。

「で、でけぇ……」

「おっきい……」



[38675] 運動会③
Name: 白山月◆441e8768 ID:8ec34bc7
Date: 2013/12/28 03:21
 予想していたものとは広さの点で遙かに違った。のえるちゃんのお家は、いわゆる豪邸だった。

 まず、最初の門から次の玄関までが長い。30mくらいはあるんじゃないんだろうか。

そして、何といっても家そのものが大きい。ただただ大きい。感想がその一言だけでも差し支えないくらい、のえるちゃんのお家は大きかった。

「のえるちゃん、兄弟とかいるの?」

 思わず尋ねてしまう。

「――と、――と住んでいる」

「おい、今宮崎なんて言ったんだ? 住んでいるしか日本語が聞き取れなかったんだが」

「たぶん最初の方日本語じゃないしね……。でもたぶん、三人暮らしだと思う」

 いつかの顔全体を使う言葉で、一応返答してくれたみたいだった。〝――〟の部分はひょっとすると両親の名前とかだろうか?

「とりあえず、上がっていいかな」

「まぁ」

「い、いいのか平野?」

 すでに山上くんはうろたえ気味だった。確かに、端から見たら会話が成立しているようには見えないのかもしれない。

「いいみたい」

 とりあえず家の前で突っ立っていても仕方がないので、私たちは家にお邪魔することにした。

 鉄の門の脇にある人一人ぶんの大きさの扉を、のえるちゃんがキーナンバーを入力して開ける。一応宇宙人でも現代には対応しているんだ、と感心しながら、30mほどある庭を歩いて玄関までたどり着いた。

 庭を見る限り、家庭菜園もやっているみたいで、トマトらしき植物があった。たぶんのえるちゃんのお母さんが栽培しているのだろう。隣りに少しだけ盛り上がった土が無造作に置かれてあるが、これはのえるちゃんがやったのだろうか。

 玄関で、今度は普通の鍵をランドセルから出して扉を開ける。ガチャリと少し大きな音を立ててのえるちゃんが扉を開けて数秒後、ついこのあいだ見たばかりの顔が現れた。

「いらっしゃい悠実ちゃん。今日はゆっくりしていってね……あら、もう一人いるのかしら?」

「あ、あの山上淳一郎といいます。き、今日は、ゆっくりお邪魔させていただきます」

 緊張しているのか、明らかに余計な言葉が加わる。ゆっくりお邪魔されても困る気がする。

「どうぞ、ゆっくりしていってくださいねー、淳一郎くん」

「あ、はい」

 のえるちゃんのお母さんは山上くんの失言も気にとめず笑顔で迎えてくれた。もっとも、二度ほど話してみて分かったのだが、どうものえるちゃんのお母さんはおっとりしている部分があるから、今の失言もスルーというよりかは気づいていないと言うだけの可能性もある。

 靴を脱いで玄関口に上がると、その時点ですでに開放感があった。天井までの高さも私の家の二倍くらいある。リビングには高そうな白のソファーがどっしりと横になっていた。

「後で2階にお菓子持って行くわね」

 のえるちゃんのお母さんにそう言われて、2階にあるのえるちゃんの部屋へと連れて行かれる。

 吹き抜けになっている2階は部屋が三つあった。おそらく三人暮らしの各々の部屋なのだろう。2階の端の方に階段があったから、3階もあるということだろうが、部屋は余っているのだろうか。

 一番手前にある部屋がのえるちゃんの部屋だった。木製の扉の真ん中に「のえるのへや」と書かれた小さな看板がぶら下がっているが、恐らくのえるちゃんのお母さんが設置したものなのだろう。当然それを気にすることもなく、のえるちゃんは部屋の扉を開けた。

「おお……んん?」

 中に入ってすぐ感嘆を漏らしたが、その直後、変な違和感がこみ上げてくる。

 感嘆を漏らしたのは、部屋の大きさ。10畳くらいはあるんじゃないだろうか。小学生の一人部屋にしてはかなり大きい部類にはいると思う。山上くんも同じように「やっぱ家が大きいと、部屋も大きくなるんだな」と感想を述べていたところも見ると、この部屋は大きいのだろう。

 その直後の変な違和感は、一瞬何かと疑ったが、これも私の中ですぐに消化された。

「きれい……すぎる」

 いや、きれいすぎるんじゃない。

 モノがなさ過ぎる。

置いてあったのはベッドと、机と、本棚だけ。本棚には漢字が羅列してあるいつもの学術書が数冊と、学校で使われている教科書が置いてあるだけで、漫画とかそういう類のものは一切なかった。

 唯一〝モノがある〟という点で気になったのは本棚の上にある置物だ。台の上に銀色に薄く光る針金が奇妙な方向に行ったり来たりしているだけの、どこかいびつな置物。それが二つほど並んでいる。その横には、ろくろで失敗したような形の悪い陶器があった。

「宮崎の部屋えらいきれいなんだなー、女子の部屋ってたいがいこんなもんなのか?」

 山上くんはこの異常なきれいさに気がついていないらしい。

 お人形の一つもないこの部屋が、スタンダードであるはずがない。逆に生活感がなさすぎて私は怖くなった。

「のえるちゃん、普段この部屋で何してる?」

「……」

 返事はない。しばらく反応がないパターンだ。

 しばらく待っていると、のえるちゃんの口から堰を切ったように言葉が出る。

「普段は、あの本を読んでる。たまに、ろくろで宇宙人のコウシン道具を作っている」

 のえるちゃんは本棚の方をおもむろに指さした。

「でも、陶器は一つしかないよ」

「うまくいったのがあれしかない」

 あれもうまくいったようには到底思えないが。

「ふーん、じゃあ、宮崎は陶芸もどきをやっているのか」

「違う、ヤマキ」

「えっ」

 独り言のつもりで言ったのであろう発言に唐突に返され、山上くんはたじろいだ。ちなみにまたも名前を間違えられているが、本人は動揺しているためか、気づいていないようだ。

 のえるちゃんは陶器の方に目を向け続けながら、言葉を続ける。

「陶芸ではない、ヤマオカ、コウシン道具の錬成だ」

「……あっ」

 なるほど、じゃあ入学式のあの動きはコウシン道具を作る時のイメトレだったのか! お宅訪問が思わぬつながりを見せ、私は妙に納得した。あの錬成は、このことを言っていたのか。

「どうした平野?」

「え、いや、何でもないよ」

 錬成ってあのことだったんだなと思って、と山上くんに言ったところで、あのことがどのことなのか山上くんにはさっぱりだろうし、そもそも錬成のことを知っていたと知られるとこちらにも変な疑いをかけられそうな気がしたので、私は黙っておくことにした。

「ふーん、そっか」

 山上くんもそれ以上は追及してこないようで、納得した言葉を発した後は、部屋全体が沈黙に包まれた。

 会話が落ち着いたので、私はもう一度部屋全体を見渡した。うちの家もどちらかというと広い方だと思うのだが、のえるちゃんの部屋はそのうちの家のリビングぐらい大きかった。

 それなのに、部屋の半分以上はまっさらな状態で、僅かにものが置いてある部分も、他人である私からすると非常に味気ない物ばかりだった。

「なあ……」

 沈黙を破ったのは、今度は山上くんの方だった。



[38675] 運動会④
Name: 白山月◆441e8768 ID:8ec34bc7
Date: 2014/01/05 18:01
 私は山上くんの方に向き直る。

「なに?」

「なにって……何かしないの?」

「あぁ……ねぇ、のえるちゃん」

「何だ」

「何かやることない?」

「ない」

「そう……」

 もちろん、期待してはいなかったが、こうもはっきりと宣告されると、私としてもどう対処していいか困る。まあ、最初から何かをするためにのえるちゃんの家に来たわけではないのだが。

「山上くん、ないって」

「聞いてるよ……」

「じゃあ、もっとのえるちゃんと喋ってみたら? お互いを知り合うことも必要だと思うよ」

「うっせ! そんな簡単にできたら世の中もっとうまく回ってるだろ」

「そんなこと言ってたらいつまで経っても付き合えないよ?」

「うるせーお前に言われなくても分かってるよ!」

 開き直ったか、山上くんは勢いよくのえるちゃんの方に向き直る。のえるちゃんはいつの間にか本棚にあった学術書を読んでいた。ちなみに、山上くんが向き直ったことに対する反応はない。

 のえるちゃんと山上くんが対峙した状態でしばらくの時が過ぎる。10秒…………20秒…………淡々と時間は流れていくが、会話が始まるそぶりは一向にない。二人とも下を向いたままだ。ただ、下を向いている理由が真逆なのが何とも痛々しい。

 ようやく山上くんの方から一言目が口にされる。

「えー、今日もいい天気だな……」

「……」

「……」

「外は曇ってるぞ」

「……あ、ああ、そうだな」

 のえるちゃんは表情一つ変えずに、窓の方に目を向けることすらせず、山上くんのちんぷんかんぷんな天気の話に返答し、山上くんは天気がいいなどと口走ってしまった自分を責めるように、再び顔を真っ赤にして俯いた。勇気を振り絞って会話を切り出したのはいいものの、正直会話になっていなかった。

 仕方ないなあ、と心の中でため息を呟きつつ、私は山上くんに助け船を出すことを決めた。

「のえるちゃん」

「何だ」

「それ読んだままでいいからさ、私の家に来ない?」


 時刻を見ると、どこにそんな時が過ぎる要素があったのか、早くも夕方5時を回るところだった。夏至も近くなったおかげで、ここ最近は5時でもまだまだ外は明るい。まあ、いくら暗くなったところで、私の家には門限などというルールは存在しないから、問題ないと言えば問題ないのだが。

「のえるちゃんのお家って、門限とかあるの?」

「……」

「あー、そっか、関係なかったね」

 〝放浪〟してるのに門限もへったくれもない。

「何のことだ?」

 もちろんのえるちゃんの放浪を知らない山上くんは不思議がるが、事情が事情なだけに暴露するようなことはしない。

「何でもないよ」

「何だよ、ケチなやつ」

「はいはい、っと」

「ってか、お前こそ門限とか大丈夫なのかよ。宮崎の家でさっき時計見た時5時過ぎてたぞ」

「今日は、両親いないから大丈夫」

 本当は〝今日は〟じゃなくて〝今日も〟だけど、と心の中で呟いた。

 枝道となっていた部分から、私の通学路でもある本道に戻る。のえるちゃんの家の近くこそ住宅地が集まっているものの、ここら辺一帯は水田一色となっていて、青々としたイネが光を照り返してまぶしい。

 最近はそうでもなくなったが、幼稚園や小学校低学年の頃はこの辺りでよく遊んでいたし、遊びがてらに農作業を手伝ったりもした。都会にいるいとこにそのことを話したところ、「そんなのうちじゃありえない」と驚かれるとともに羨ましがられた記憶がある。田んぼで遊ぶのはまあいいとして、農作業自体はそこまでいいもんでもないような気がしていたが、実際都会の子からしたいいものなのだろうか。

 見慣れた道を10分少々歩くと、これまた見慣れた家が見えてきた。2階建て3LDKの庭付き一戸建ては周りの家と比べても遜色ない大きさだが、さすがにさっきの豪邸を見た後ではスケールの小ささは否めない。

 いつものように電子ロックを解除し、庭を横切り、扉を解錠し、中に入る。見慣れた光景が当然のように広がっていたが、友達の前で、誰もいないのに「ただいま」を言うのは何か気恥ずかしかったので、今日は何も言わなかった。

 代わりに山上くんが「おじゃましまーす」の一言を家に響かせる。

 「私の部屋は2階に上がってすぐの部屋だし、お茶用意するから先に上がってて」と山上くんとのえるちゃんに促した後、私はグラスを三つ用意し、冷蔵庫から取り出した麦茶を入れて持って上がった。

 さすがに日が沈んできたのか、腰高窓に映る光に赤みがかかっていた。ガラス越しに見える田んぼも、それと同調するかのように薄赤に揺らいでいる。

 私と山上くんが麦茶に口をつけて一段落したところで、部屋の空気に沈黙がたれ込めていることに気づいた。のえるちゃんはもちろんのこと、山上くんも時折口をもぞもぞと動かすものの、それらは全て言葉として成り立つことなくしぼんでいく。

 かくいう私も、こうした静かな空気を破壊できるほどの明るい人間ではなかったので、家にはいるまでの会話はどこへ行ったのやら、この気まずい空気はしばらくのあいだ続いた。

 そういうわけで、私と山上くんが会話をゼロから作り上げるすべを持たない以上、のえるちゃんから会話が始まるということは、私と山上くんは少なからず驚いた一方で当然といえば当然であったのかもしれない。



[38675] 運動会⑤
Name: 白山月◆441e8768 ID:8ec34bc7
Date: 2014/01/22 17:25
 といっても、のえるちゃんがいきなり何かしゃべり出したわけではない。

 私が麦茶を持って上がってきてから5分ぐらい経った頃だろうか、のえるちゃんはそれまで読んでいた学術書(私の家に来る途中も言われたとおり本当に読んでいた)を突如パタリと閉じると、その右手でわたしの部屋にあったカレンダーを指さしたのだった。

 私は早くも沈黙に順応してボーッとしていたのだが、その動作に気づいて慌ててのえるちゃんの指さす方向を見た。

「ああ、このカレンダーが気になるの?」

「まぁ」

 どうやらそうでもないらしかった。のえるちゃんなりの会話を始めるきっかけを作りたかったのだろうか。

 ちなみに、のえるちゃんがたまに、いやしょっちゅう口にする「まぁ」という言葉は、決して曖昧な肯定を示すものではないということは、つい最近になって分かるようになった。むろんのえるちゃんの口から直接その言葉の意味を聞いたわけではないが、推測するに「どうでもいいんだが」というニュアンスの言葉らしかった。

 とにかく、せっかくのえるちゃんが自ら能動的に動きを見せたのだから、それを無下にするわけにもいかず、そのカレンダーが私の部屋にある理由を説明することになった。

「何で、富士山のカレンダーなのか……ということでいいよね? というか、そういう解釈で話を進めさせてもらうよ」

「確かに、言われてみれば気になるけど、単なるもらいものとかじゃないのか?」

 山上くんも会話が始まったことに安心したのか、いつもの口調で喋りだした。ただ、単なるもらいものという線は外れだが。

「ぶー。違います。これは私がカレンダーを選ぶ時に親に言って買ってもらったものです」

「マジで? 渋い趣味してんなあ」

 そして山上くんが何となしにそう言った言葉に、私ははたと気づかされる。

「渋い……か」

 よくよく考えてみればそうだろう。富士山の写真を使ったカレンダーをわざわざ選んで親に買ってもらう小学生なんて滅多にいるもんじゃない。

 だが、「渋い」という言葉を使われてこちらもいい気味ではないのは確かだった。小学生の女子、つまり私が言われて喜ぶ言葉は「可愛い」であって、少なくとも「渋い」ではない。

 だから、山上くんの放った「渋い」という表現に私は大いに反発したかった。「わたし渋くなんかないもん、乙女心のわからんやつめ!」と盛大に山上くんに反論したかった。

 でも、現実にはできなかった。「渋い」という言葉を反復して、苦笑いを浮かべて心の中でひっそりと肩を落としただけだった。

 どうしてだろう。分からない。

 もやもやとした思いは胸の奥底で渦となって風をおこし、私の心に吹きすさぶ。自分の気持ちが分からないというのはいらいらして仕方なかったが、表に出したところで意味はないので、顔だけでも平然を取り繕う。

「……で、何で富士山?」

 山上くんの、これまた何気ない一言で、私は我に返った。

「私、山が好きでさ……何度か実際に登ろうとしたことがあるんだよね」

「一人でか? 危なくねーか?」

「そう。だから、計画したはいいんだけど、途中で挫折しちゃった。いや、結局登ってすらいないから、途中でもなかったね。始まってすらなかった」

「親とかに頼んで、ピクニック感覚でそこら辺の山に登るとかならできんじゃねーのか?」

「それが出来たらいいんだけど……共働きで二人とも忙しいみたいだから、誘ったことない。今日も仕事。だから家ががら空きなの。それに、ここら辺の山なら私何回も登ってるよ。でも、本当に登りたいのはもうちょっと、登山って胸を張って言えるくらいの高さの山なの」

「そうだったのか……」

 山上くんは少し俯いて考えるそぶりを見せた後、もう一度私を見て言った。

「じゃあさ、俺たちで登るってのは無理なのか? 一人じゃ危険だとしても、二人か三人なら大丈夫じゃないか? ほら、赤信号みんなで渡れば怖くないって言うし」

 だけど、私はせっかくのその提案に力なく首を横に振ることしかできない。

「ううん、ダメ。数百mの山ならまだしも、1000mを超えるとなると、それなりの登山の準備が必要なの。それにはお金もかかるし、とても私のお小遣いだけじゃまかないきれない。山上くんは5000円くらいするトレッキング用のシューズをポンと買えるほどのお金は持ってる?」

「ト、トラッキング……? よくわからねえけど、よほど欲しいと思ってないと買えねえな。だって、5000円もあったらサッカーゲーム一本買えるしな」

「うん、でも、私はよほど欲しいと思ったから、買ったの」

 私はスライド式のドアを少しだけずらして、押し入れの中から濃緑色の重たいシューズを取りだした。

「これでも安い方なんだけどね。高いやつは余裕で10000円超えるから。で、買ったはいいんだけど、今度は登山用のバックパックとか、トレッキングする時に使うステッキとか、他にも必要なものが山ほどあるって分かってきて、それで私が持ってるお金じゃ無理ってことが判明して……」

「親から出してもらえないのか?」

「言ってみたら、『一人で登山は危険だからダメ』って言われちゃった」

「じゃあ、どうしてそこで『一緒に登ろう』って言わなかったんだよ。さすがに反対せずに一緒に登ってくれるんじゃねーの?」

「それは……」

 確かに、そうだ。

 何で私はあのとき「じゃあ一緒に登ってよ」とお願いできなかったのだろう。どうしてその一言が言えなかったのだろう。

 考えれば考えるほどおかしな話だ。私は誰かと一緒に山に登りたいのに、実際やろうとしているのは一人での登山計画だった。

 あのとき親に一緒に登ろうと言っておけば、また状況は変わっていたかもしれない。あのとき親に言っておけば……

「……いや」

 それは不可能だ。

 仮に友達に一緒に登ろうとは口に出来ても、親には口に出来なかった。そしてその理由を、私は気づかぬうちに持っていたのだ。

 諦め――この不可思議な私の行動を納得のいくものにするとしたら、これしかありえなかった。私は自分の願いを親に聞き入れてもらうことを早々に諦めていたのだ。

 思えば両親とどこかへ行ったという記憶は片手の指で数えられるほどしかなかった。

 授業参観の時と一緒だ。

 言っては断られ、言っては断られとしていくうちに、小さな私の中に小さく潜むようになっていた黒はどんどん大きくなっていき、今ではそれが全体を包んでくまなく染めている。やがてその黒は歪みを生んでいき、「親に頼んでもムダ」という結論を私に導かせた。

「……まあ、登山はもうちょっと大きくなってからやることにするよ」

 一人でに悶々としていた私がようやく口にできたのは、そんな言い訳じみた虚勢だった。

 そうして私が俯いているものだから、のえるちゃんが学術書を読む手を止めていたことに、私はまったく気づかない。


 私のどんよりとした空気が暗に山上くんに伝わったのか、その後は話題が変わって運動会の話をして終わった。

 聞くところによると5年生のリレーは男子5人女子5人で、男子から始まって男女交互にリレーし、最後に女子の順で進められるらしい。今のところはトップに一番早い山上くんを持ってくることで逃げ切りを計っているそうだ。

 ちなみにのえるちゃんは最後の女子、つまりアンカーで出るらしい。

 といっても、女子もクラスで一番速い子がが2番目、2番目に速い子が4番目と、先手必勝体勢で挑むらしいので、4番目に速いのえるちゃんはアンカーに回されただけだそうだ。ちなみに、私がダントツに遅いので先手必勝体勢にのっとれば私がアンカーになるはずなのだけれど、さすがにアンカーは速くないとダメらしい。山上くんにド直球にそう言われたので、やっぱり私の期待値はゼロだなと落胆するよりほかなかった。

 暗くなってきたのでお開きにして、玄関まで出て帰る二人を見送った。

 山上くんとのえるちゃんが二人きりで帰るのはかなり不安があったが、はたして会話できるのだろうか。心配してみるが、さっきの言葉が頭にガンガン響いていたものだから、二人についていく気力はさらさらなかった。

 見送った後ドアを閉めて、ゆっくりと自室へ戻る。時計を確認して、電話がかかってくるのはあと30分後かと考える。特に決まっているわけではないのだが、夕飯を作るのは母親から「今日仕事が遅くなるから、先にお夕飯食べてて」と7時に電話がかかってきた後にしている。

 1階に下りて夕飯の下準備に取りかかろうと炊飯器にお米を入れた後、何となく今日は早くごはんを食べたい気分になって、そのまま夕飯を作ることにした。

 米をといで炊飯器のスイッチを押した後、冷蔵庫の中身を見て適当に作れそうなものを考える。

 私結婚したら何でもこなせる主婦になること間違いなしね、と小さく呟いて、心にパラリと降った雨の慰みとした。



[38675] 運動会⑥
Name: 白山月◆441e8768 ID:8ec34bc7
Date: 2014/01/22 17:27
「ついに来てしまったか……」

 私は無意識のうちに頭を手で覆っていた。

 そう、今日は運動会当日。

 そしてまもなく、学年別のリレーが始まる。

 まだ時間の余裕があるじゃないかと主張したい人もいるかもしれないが、実はリレーは小学4年生からなので、あと10分もすれば小学5年生のリレーが始まるのだ。

 今、一つ下の子らが必死の応援の中、しのぎを削っている真っ最中だ。田舎丸出しのこの地域にしてはなぜか子どもの数だけは多く、一学年に4クラスもあるのだが、どのクラスも差が5m以内で、状況次第では一発逆転の可能性を秘めている。

 それに、僅差なのはリレーだけではない。現在、4クラスの合計得点は1位と4位までの差が42点と非常に拮抗している。つまり、この学年別リレーがクラスの優勝を決定づけるレースとなるのだ。

 特に下馬評ではうちの2組は小学4年生があまり強くなく、小学6年生が段違いに強いという情報が入ってきているので、クラス同士の実力も拮抗している小学5年生のリレーが勝負の鍵を握っているという香織の予測は、不幸にも間違いではなかった。

 残り2人。2組は現在3位で、どうやらこのまま決着が付きそうだった。

 ラスト1人となり、一位の3組がゴールを駆け抜け、ピストルが2回打ち鳴らされる。ほぼ同時に、うちのクラスの隣りがワッと歓声を上げた。

 内心ビクついている私は、フラッシュをたかれた馬のように驚いてそちらに振り向き、改めて背負っているプレッシャーの重さにめまいを覚えた。

 なんたって初リレーがこんな熾烈な展開なのか。もうちょっとソフトに、余裕綽々の一位で私が三年峠のおじいさんよろしくひゃっぺん転んでも大丈夫なくらいの点数の開きが欲しかった。もちろん現実はそんなうまいことできていない。

「ころりん、ころりん、すってんころり、ぺったんころりん、ひょいころ、ころりん……ああ、私は何を歌っているんだ……」

 完全に気が動転していた。

 そして隣りに目を移してさらにため息を漏らす。

 のえるちゃんは何者にも動じない不動明王のような毅然とした様子で――本人は露ほどもそんなつもりはないだろうが――リレーに向けて精神を整えている……ように見えた。

「私ものえるちゃんのような精神力が欲しいよ……はあ」

 それが無理なら、私のせいでリレーが負けても気が滅入らないくらいタフな忍耐力か。どちらも持っていない私にこの状況は拷問も同然だった。

『次は、小学5年生の部です』と放送から明るい声が響き、今更ながら逃げ出したい気持ちになる。こんなことになるなら、あのとき山上くんとか無視して話を聞いておけば良かったと、してもしょうがない後悔の念が一気にこみ上げてきた。

 鉛が入ったかのように重い腰をのろのろと上げ、引きずるように足をグラウンド中央に向けて動かす。もともとトラックの中にいたから、スタートのところに来るまでさほど時間はかからなかった。

 それだけに、心の準備も出来ていない。本当はもっと早くから準備する必要があったのかもしれないが、時間に余裕があるときくらいは現実逃避していたかったのだ。許せ。

 みんなが準備体操をする中、私はひとりボーッと突っ立っていた。周りの声は何も聞こえない。これが精神の高まりなら問題ないが、実際のところは精神分離状態だから問題アリアリだ。適当に身体も動かしてみるが、初夏なのにも関わらず手足の先が冷たい。このまま風邪だと言って保健室に直行したいが、すでに一走目の人がスタート地点に立っているのにそんなことが言えるはずもなく。

「位置について!」

 まだ――

「ヨーイ!」

 心の準備が――



[38675] 運動会⑦
Name: 白山月◆441e8768 ID:8ec34bc7
Date: 2014/02/02 17:55
 パンッ!

 勢いよく鳴らされたピストルを合図に、堰を切ったかのように走者が走り出した。

 リレーは1人100mで、トラックを一周する形となっている。そこで重要なのが2回あるコーナリングなのだが……

『あーっと! 3組の子が1人転倒してしまいました! 大丈夫でしょうか!?』

 無惨にも転がる男子を見て、図らずも私は小さくガッツポーズをしていた。スポーツマンシップがどうとかは今は関係ない。

(これで最下位はなくなる!)

 大切なのは〝私に何位で回ってくるか〟だ。

 ベストは二位。二位なら、「一位から転落」という不名誉な称号を得ることもなく、かといって(私を除いて)まったく逆転が狙えない位置でもない。

 俯いた顔を上げ、私は先頭にいる男子を見やった。

「……!」

 私は戦慄する。

 先頭にいるのは、山上くんだった。

 しかも、圧倒的一位。

 放課後はサッカーでよく遊んでいると、山上くんが好きな女子に聞いたことがあるが、その俊敏さでコーナリングもうまく立ち回れたのだろうか、一回目のコーナーを曲がって直線に向いた時点で早くも後ろとは3mほどの差があった。こないだはピュアピュアボーイでからかいがいもあったが、やはりクラスのエースは伊達ではない。

 山上くんが5mほどリードを保ったまま一位で二走目の女子に渡す。もちろん、こちらはクラスの女子エースであり、学年全体でも2,3番目に速い。

「これ……うちいけるんじゃね?」

「このまま行けば優勝だ!」

 うちの組の走者の中では早くもそのような声が聞こえ始めてきた。上ずり気味の、興奮したその声が聞こえる度に、私は「まだ私がいる! まだ私がいる!」と心の中で絶叫する。

 他の組はアンカーに速い人をあてがったようで、やはり二走目も差は開いていく一方だった。三走目の走者にバトンが渡った時点で二位との差は10m近く。

 さすがにこれだけリードをもらえば、一位でも逃げ切れるだろう。

 少しだけ安心した私は、わけもなくのえるちゃんの隣りに行った。

「何とか、優勝か二位くらいにはなれそうだね」

「……」

 相変わらずのえるちゃんは無口のままだった。思えば運動会の午後の部になってから一度も話していない気がする。

 午前に関しても、私が「どうしよう、リレーどうしよう」とのえるちゃんに言って、「まぁ」という答えが返ってきただけの会話とも言えないやりとりだけだったから、グラウンドに出てきてから初めての会話だった。

 私自身そこまで返答を期待していたわけではないが、のえるちゃんは例のごとくしばらくしてからこっちを振り返り、そして言った。

「まだ……分からんぞ」と。

 一瞬何を言ってるのか分からなかったが、すぐに気がつき、血の気が引く。

 我が二組は確かに一位だった。そしてそれは今も変わっていない。

 しかし。

「リードが……なくなってる…………!」

 一位と二位との差は僅か1m。ほとんど同着といってもいいくらいだった。

「え? なんで? どうして?」

 パニックでわけが分からなくなる。

「次、二組の人、誰!?」

 スタート付近にいる先生が大声を上げる。

 次の二組の走者は……

「私だ……!」

 理解と同時に跳び上がった。

 慌ててトラックの最内に構えると、バトンを持った二組の男子は、もうすぐ目の前まで来ていた。

 私は走り出す。

 バトンの練習だけはしっかりしておいたのだ。少しでも受け渡しにミスがないように、何度も、何度も。

「はい!」

 男子からバトンパスのかけ声。すかさず私は左手を後ろに差し出す。

 秒と経たないうちに、バトンの冷えた感触。そして微かに触れる温かな指先。

 私はバトンを力強く握る。

「何とか持ちこたえてくれ!」

 後ろから大きな声が聞こえた。もう誰が行ったのか分からない。振り返らない。振り替えれない。

 私はひたすらに走る。最初のコーナーを曲がり、

「……!」

 交わされた。無惨に。

 交わした相手は学年内でも指折りの快足女子だった。直線に入ると、その差はあっという間に広がった。

 二回目のコーナーに入り、後ろから足音が近づいていることに気づく。

(来るな……来るな…………!)

 必死に願い、それ以上のことは考えられない。

 周りの歓声は消し炭みたいに消え、自分の呼吸音も聞こえなかった。

 聞こえてくるのははち切れんばかりの鼓動だけ。

 コーナーを曲がる。

 すぐ後ろにいたもう1人が、私に並びかけたところでゴールだった。

 無心に、無意識にかけ声を上げ、次の走者に押しつけるようにバトンをパスし、その場にへたり込んで、ようやく私の出番が終わったことを認識する。

 そして、〝私が終わった〟ことも。

「死のう……」



[38675] 運動会⑧
Name: 白山月◆441e8768 ID:8ec34bc7
Date: 2014/02/12 20:43
 私は早々に結論づけた。これはダメだ。生きていけないし、そもそも今、生きた心地がしなかった。

 ふと何か視線のようなものを感じた気がして、クラスのところを見ようとして、やっぱりやめた。

 三角座りしていた状態から、力を緩め、仰向けになる。

 私の力を引き出してくれるはずだった応援は、ようやく私の耳に届き始める。

 その応援が自分を責めているように聞こえて、私は両手で耳を塞いだ。

 聞こえたって意味がない。

 聞かない方がいい。

 私にはそう思えた。

 ちらと走っている人影に目をやる。順位はほとんど変わらずで、私たちの組は一位から6m差、二位から2m差の三位だった。五人目の男子が思いの外頑張っているようで、私が走った時からあまり差は変わっていないようだった。

「戦犯は、私か……」

 造作なく右手を空に掲げて、だらしなく再び下ろした。カンカンに照っている太陽だが、日射量に比べて今日はそこまで暑くもない。本格的に秋到来といったところか。それとも私が身震いしているのか。風邪ならいいのに、言い訳できるのに、と思ったことは、言うまでもない。

 ぼんやりと見ていた空が突然闇に覆われたのはその時だった。

「のえるちゃん……」

 仰向けになった私の上に、のえるちゃんが現れたのだった。

 表情はさっきと変わっていない。というか、逆光でよく見えない。

「……失敗しちゃった」

 のえるちゃんにしか聞こえない声量で、笑いながら言った。懸命に笑いながら――

「……あれ」

 涙が溢れてる……。

 瞬間、太陽が雲に隠れた。

 さっきまでらんらんと照っていた日光が不意に遮られる。

 そして、のえるちゃんの顔が、微かにこの目に映った。

「……え?」

 私は目を疑った。

 のえるちゃんは無表情ではなかった……ように見えたのだ。

 ただ、それがどんな表情だったのかはよく分からなくて、私が目を丸くさせていると、のえるちゃんはたった一言、

「宇宙人の本気を見せてやる」

 と言い残し、スタートに向かった。

 その一言でさらに驚き、私は仰向けの状態から立ち上がる。

 一位の組はすでにアンカーにバトンが渡っていた。もうすぐ二位の組もバトンパスが完了する。

 そして二位の組のパスが渡ると同時、のえるちゃんはスタートを切った。

「はい! あとはお前だけだ! 頼む!」

 パスする男子から必死の声援。

 そして、私はのえるちゃんの口元を見て驚愕した。

 だって、確かに口は動いてた。



――任せろ、って。



 そして、この学校全員が刮目することになる。

 宇宙人の本気を。

 バトンをもらった直後、のえるちゃんのスピードのギアが突如変わる。足の回転が急激に加速する。

 スタートして僅か20mほどで、離れていた二位を捉えた。

 しかも、コーナーで。

「え……?」

 声援がどよめきに変わり出す。

 そして私も呆気にとられていた。

 なぜって、この速さ、男子を含めても、どう考えても学年でトップの速さだからだ。

 つまり、今までの体育の50m走は全く本気で走っていなかったということ。

 腕の振り、足の回転、瞬発力、全てにおいて一級品だった。

 小学校の陸上大会なら上位に食いこめる、まさに天賦のスピード。

 スピードに乗った状態で直線に入り、先頭との差はみるみる縮まっていく。

 誰がこんな展開を予想しただろう。

 私の頬を濡らした雫は、いつの間にか渇いていた。

「いけ、のえるちゃん!」

 しなやかなフォームから繰り出される大きなストライドは、直線半ばで早くも一位に並んだ。

 一位のアンカーは、どう考えても勝つと思っていたのか、後ろからやって来た刺客に目を剥いていた。

 ため息もつかせぬうちに、あっという間に交わす。

 応援はほとんど沈黙に変わっていた。

 体育祭だというのに、実況も応援もないまま、リレーは終盤を迎える。

 そして、みんなはここからさらに驚くことになる。

 一位を抜いた後、のえるちゃんはさらに加速したのだ。

 もう、一位は私のものだ、と言い張るかのように。

 最終コーナーに差しかかってものえるちゃんのスピードは全く衰えない。二位との差をグングン引き離し、コーナーを曲がりきる頃にはセーフティリードすらあった。

 唖然としていた体育委員は慌ててゴールテープの準備をする。

 そして、最後は速度を緩めながら、テープを切った。

 同じく呆然としていた先生が、少し遅れてピストルを2回打ち鳴らす。

 ゴールしても、周囲は静まりかえっていた。

 ふぅ、と息をつき、まるで今まで何もしていなかったかのように平然と戻ってくるのえるちゃん。

 長らく続いた沈黙が破ったのは、意外なのか、やはりなのか、私だった。

「すごい……すごいよのえるちゃん!」

 私が精一杯の声で伝えるとともに、グラウンド中を喝采が包む。

 二組の他の人も駆け寄ってきて、

「宮崎さんすごい!」「速すぎだろ!」「圧勝だった!」

 とのえるちゃんにいくつもの賛辞を浴びせた。

 だが、様々に声がかかる中で、のえるちゃんはいつものように、

「まぁ」

 と呟くだけだった。

 興奮冷めやらぬ雰囲気の中六年生のリレーがスタートしたが、いまだに五年生の間では先程ののえるちゃんの話題で持ちきりだった。もちろん、のえるちゃんと喋れるのは私(と、一応山上くん)しかいないので、のえるちゃん自身はほっぽりっぱなしだが。

「のえるちゃん、すごい速かったね」

 私とのえるちゃんは、二組の応援席の端っこの方に座っていた。

 結局、大活躍しても、のえるちゃんと喋ろうとするのは私だけだという話だ。

「まぁ」

 相も変わらず、のえるちゃんは能天気な返事をした。表情も変わらず無表情。

 私はふと考える。

 さっきののえるちゃんの表情は一体何だったのだろうか?

 結局のところその表情はよく見えなかった。しかし、推測することはできる。

 もしかしたら、リレーで失敗した私を気遣ってくれたのかもしれない。いや、でも宇宙人が気遣うなんてあるのか? そもそもあの言葉はのえるちゃんに聞こえたのだろうか。

 分からない。分からないことが多すぎて分からない。

 そうして私なりに出した結論が、ダメもとで本人に聞いてみるというものだった。自分の頭でいくら考えても分からないということは、直接聞いてみろということなのではないかと思った次第だ。

「あのねのえるちゃ――」

「悠実」

 しかし、私の挑戦はあっけなくさえぎられる。

「私は、疲れたので、寝る」

 のえるちゃんは端的にそう言うと、椅子を立ち、私の前を通り過ぎると、グラウンドで仰向けに寝だした。すぐに寝息が聞こえてくる。その電光石火な姿に私は呆れてものも言えない。

「まったく……どれだけ寝付きがいいんだか」

 苦笑いを浮かべながら、私は〝初めて名前で呼んでくれた〟事実をちょっぴり嬉しく思わずにいられなかった。


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