はじめまして、或いはお久しぶりです。
本作品はライトノベル『灼眼のシャナ』の二次創作で、以前に私が書いた完結済の『水色の星』という作品をリメイクした『水色の星A』の続編に当たります。
なので、本作を読む前に『水色の星A』の方を先に読んで頂けると嬉しく思います。
原作とは設定を改変している部分も幾つかございますが、予めご了承下さい。
この世の歩いて行けない隣には、紅世と呼ばれるもう一つの世界がある。
太古の昔、隣に住まう紅世の徒はこの世という世界を見つけ、渡り来た。
しかし彼らは、本来ならば居てはならない『隣』の住人。己だけではこの世に留まる事さえ出来ない。
故に彼らは……人間を喰らう。己に近しい意志を持つモノから、この世に在る為の根源……存在の力を奪う為に。
だが、在る筈の人間の欠落はこの世を歪ませ、いつしか両界の破滅を齎らす。それを危惧した紅世の王たちは、人間の器に力を預けて同胞を討つ使命の剣……フレイムヘイズを生み出した。
同胞殺しの目を逃れる為に、徒は歪みを和らげる道具を編み出す。
その名は、トーチ。
喰らった人間の存在の残滓を使って作られる代替品。それは急激な欠落を和らげる為に居場所に残り、少しずつ薄れて、いつしか消える。誰の記憶に残る事も無い。
「……………」
日本の御崎市という街に住む少年・坂井悠二も、そのトーチの一つだった。
だが、只のトーチというわけでもない。身体の中に宝具を蔵する特別なトーチ・『ミステス』だ。
彼の宝具は『零時迷子』、毎夜零時に失った力を回復させる永久機関。その恩恵によって、悠二は消滅の運命を免れている。
「……悠二」
部屋のドアをノックして、一人の少女が入って来る。
水色の髪と瞳を持つ小柄な女の子。彼女の名は“頂の座”ヘカテー。紅世真正の神より生まれた眷属の一人である。
「そろそろ時間です」
「……うん、行こう」
ヘカテーとの出会いが悠二の日常を変え、因果の齎らす幾つもの戦いを彼女と一緒に乗り越えて来た。
積み重ねた結果は、今も少年の日常と非日常に繋がっている。
「わざわざ見送る必要もないと思うのですが」
「……かもね」
二人で階段を降りる。
会話する悠二の声は暗く、段差を踏む足取りは重い。
少しでも顔に出さないようにと努めながら、玄関で靴を穿く。
「……………」
自分が人間ではない事、掛け替えの無い日常から取り残される事に恐怖しながら、それでも悠二は襲い来る脅威と戦って来た。自分と、自分の大切なものを守る為に。
それなのに―――
「(僕は………)」
扉を開いて外へと踏み出す、苦悩を越えて怯えすら見せる少年を……
「グッモーニン! 今日も爽やかな朝ですなぁ♪」
太陽のように笑う少女が、出迎えた。
―――その胸に一つ、人ならざるモノの灯火が揺れている。
「結局、一番肝心な教授には逃げられちゃったんだよねぇ……」
平井ゆかり。
高校に入ってから仲良くなった、今では誰より近しい坂井悠二の親友である。
その少女の世界は……ほんの半日前まで、日常の側にあった。
頭の両端で小さく結んだ焦げ茶色の長い髪も、爛々と輝く紫の瞳も、眩しいばかりの笑顔も変わらない。
しかしその胸には……トーチの証たる灯火が燃えている。
「あの状況で贅沢は言えません。“壊刃”を倒せただけでも幸運と思わなければ」
ある切っ掛けで悠二とヘカテーの真実を知った平井は、彼らを拒まず、受け入れ、それどころか自分から積極的に紅世に関わろうとした。悠二が何度言っても意志を曲げず、時には危険を冒して。
そして遂に、先の戦いで悲劇は起きた。
「どちらにせよ、悠二の炎を見られた以上、おじ様は遠からずまた現れます」
“探耽求究”ダンタリオン教授の実験と、それに雇われた殺し屋“壊刃”サブラクとの死闘。
その激しい戦いの最中、宝具によって戦場を見張っていた平井が、敵の凶刃に倒れたのだ。……だが、敵が仕掛けたのは攻撃のみ。それで平井がトーチになる事など無い。
「……だったら、それまでに出来る準備はしとかないとね」
平井をトーチに変えたのは、徒ではなく……他でもない、ここにいる坂井悠二だった。
瀕死の彼女の傍に居た悠二は、死別の間際、少女との別離を受け入れられず……その身をトーチへと変化させたのだ。
「あ、もう来てる」
結果として、平井ゆかりという存在は今もここに残っている。……しかし、その身は既に人間ではない。本来なら迎える事が出来た筈の『人間として死ぬ事』すら、もはや不可能。
悠二は己の弱さから、平井を自分と同じ道に引き摺り込んでしまった。……いや、正確には、同じですらない。
「はよー、坂井、ヘカテーちゃん。あと……」
ミステスには、二つの種類が存在する。
一つは『旅する宝の蔵』と呼ばれる、世界中の器を無作為に転移する宝具が偶々入っているだけの……自身は通常のトーチと変わらないミステス。
もう一つは、高性能な下僕……燐子を造れない徒が宝具を核に造る、“戦闘用のミステス”。
喰われた人間の残滓である通常のミステスと、戦う事を前提に造られる戦闘用のミステスでは構成原理が異なる。
戦闘用のミステスは、その人間から過去、現在、未来に広がる世界への影響力……運命という名の器を焼き払い、その器に外れた者としての存在の力を満たされて完成する。
内に蔵するモノに違いはあれど、これはフレイムヘイズと同じ構造である。……故に、そこに居た人間の代替物として造られる通常のトーチとは違い、その身は完全にこの世から欠落する。
悠二は前者、平井は……後者だ。
「平井さん……だったよね?」
「おうよっ、ちなみに前は“ちゃん”付けで呼んでたから、その方向でヨロシク」
ここにいる二人の少年、佐藤啓作と田中栄太も、ほんの半日前まで平井ゆかりの事を友人だと認識していた。
彼らはわけあって『この世の真実』を知っている数少ない人間だったが、それでも今……彼らは、平井を“友人だったらしい少女”としか認識出来ていない。異能者らにそうだと告げられて、実感の無いまま適応しようとしているだけだ。
例外は、悠二やヘカテーを含めた異能者と……
「平井さん、昨日はシャナちゃんの家に泊まったんだって?」
「うん、今日メリーさんも連れて来ようと思ったんだけど、起きたらもうバイトに出ててさ」
歪んだ世界を均す自在法『調律』の中核となっていた、同じく世界の真実を知る友人、池速人のみ。
この取り返しのつかない現状に、悠二は無言で唇を噛み締める。
「(平井さんは、僕のせいで……)」
この事態を、悠二は想定していなかった。それどころか、あの時の悠二は錯乱状態にあった。
正気に帰った時には、手元にあった大剣型宝具を中核に、少女を戦闘用のミステスに変えていたのだ。
もっとも、通常のトーチなら許されるというわけでもないし、あのまま彼女の死を見届ければ良かったかと訊かれれば……悠二には答えられない。
解っているのは、もう変える事の出来ない残酷な現実だけだ。
「痛っ!?」
いつしか目に見えて沈痛な顔になっていた悠二の脇腹を、池の肘鉄が打った。
非難の目で振り返る悠二は、呆れたような半眼を向けられて黙らされる。……確かに、これでは自分の悩みを周りに押し付けているようなものだ。
「約束の時間より少し早いけど、これで全員揃いましたね」
ちなみに今は、教授と“壊刃”の襲撃から一夜明けた御崎大橋。その目的は、昨夜の内に街の調律を終えたフレイムヘイズ『儀装の駆り手』カムシンの見送りである。
同じくフレイムヘイズであるシャナ、ヴィルヘルミナ、マージョリーもまた、この場に集合している。
そのカムシンは、予想以上の形で巻き込んでしまった池に向き直り、フードを少し深く被り直した。
「ああ、今度こそ調律は成功させました。……ですが、昨日の言葉は撤回しなければならないかも知れません」
「ふむ、どうもこの地は因果を引き寄せる性質にあるようじゃしな。調律一つで解決するかどうか、もはや儂らにも解らんのじゃよ」
二人で一人の『儀装の駆り手』は、調律の協力を求めるにあたって、池に一つの保障をしていた。
「歪んだ街を調律すれば、もうこの街に徒は来ない」と。半ば騙された形の池は、怒りもせず静かに首を振る。
「……いいんです。誰だって、思い通りになんかならない。フレイムヘイズだって、それは同じだと思います」
たった二日で、池速人の世界は変わった。今はもう、強い者に無責任に縋りつく気にはなれなくなっていた。
「カムシンさんは自分の意志で戦ってる。それだけで十分です。僕も……この現実に向き合って生きて行きます」
力強く言い切って、池はカムシンに手を差し出した。カムシンもまた、口元に薄い笑みを浮かべてそれを握る。
二秒あるかないかという握手が終わり、カムシンの視線はシャナへと移った。
「ああ、“天壌の劫火”。我々はこれから、近隣の外界宿を回ってみる事にします」
「ふむ、無性に嫌な予感がするのでな」
より正確には、シャナのペンダントに意識を表出させる天罰神アラストールへと。その視線は、横にゆっくりと動いてヴィルヘルミナ、マージョリー、そして悠二に流れる。
「“探耽求究”の実験を阻止し、“壊刃”サブラクを討滅した手並みは見事でした。ですが、いつも上手くいくとは限りません」
「今回は運が良かっただけという事実を、念頭に置いておいても良いじゃろうな」
「言われるまでもないのであります」
「って言うか、今回はアンタの調律が利用されたんだろうが」
「今から逃げるジジィ共が偉そうに」
その忠告に悠二とマージョリーから手痛い皮肉を返されるも、カムシンは表情一つ変えない。そして、同じ忠告をヘカテーには向けない。
「ああ、では、そろそろ行きます」
「因果の交叉路でまた逢おう」
必要最低限の事だけ言って、カムシン・ネブハーウは去って行く。
結局最後まで、悠二は彼の事が好きになれなかった。最初に抱いた印象そのままに、自分の日常を掻き乱していた最古の討ち手が。
「さってと、んじゃ、あたし達も行くとしますか!」
どことなく解散の空気が広がる寸前、平井が両手を伸ばして宣言する。
『どこに?』という一同の視線を受けて……
「これから修行篇に突入します!!」
清々しいほど脈絡の無い提案を、自信満々に言い切った。