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[37888] 【ゆるゆり/R15】向日葵はいつか太陽になるだろう
Name: 彩嶋セリカ◆1a0d5176 ID:fb878ae9
Date: 2013/06/20 13:52
【はじめに】
本作品はR15指定です。
一般文芸小説レベルの性描写と暴力描写(いじめ描写)を含みます。
15歳未満の方ならびに性や暴力に関する表現に触れたくない方は閲覧をご遠慮ください。



[37888] 向日葵はいつか太陽になるだろう
Name: 彩嶋セリカ◆1a0d5176 ID:fb878ae9
Date: 2013/06/20 13:53
 向日葵。私の名前。私の嫌いな花の名前。
 私はひまわりが嫌い。お母さんみたいだから。まっすぐで、大きくて、太陽ばかり見ている花は、正しいことしか認めないお母さんみたいで嫌い。頑固者で押しつけがましいお母さんみたいで嫌い。よその人にばかりいい顔をするお母さんみたいで嫌い。私は野に咲くひまわりのような女の子にはなりたくない。ひまわりなんて大嫌い。向日葵、なんていう自分の名前も嫌いだし、明るくて愛想が良くて「櫻子ちゃんの方があなたよりもひまわりの花みたいじゃないの」ってうちのお母さんに言われている櫻子のことも大嫌い。櫻子のお母さんも好きじゃない。いつもにこにこ笑っているけど「向日葵ちゃんは本当に大和撫子って感じで可愛いわね。凛とした気品があって、言葉遣いもきちんとしていて。それに比べてうちの子は……」とか笑顔で比較してきて、なんか怖い。私の名前は向日葵で、ひまわりという花の持つポジティブなパブリックイメージを背負わされているというのに、嫌いなものしか見つからない私の世界に太陽はない。私は太陽になりたかった。太陽の顔を真似、決して手の届かない太陽ばかり見ているようなひまわりの花なんかじゃなくて、私自身が太陽になりたいと思っていた。だけど私の世界には、照らしたいものもなければ育みたいものもない。ひまわりという花の負うポジティブなイメージを押しつけられて、私は曲がり、小さくなり、いつしか陽だまりを避けるようになった。
「あの二人って、レズじゃない?」
 レズ。そんな言葉を知ったのは、今から四年前のこと。子供の作り方を知らず、しかし早熟な私の乳房は早くも膨らみ始めていた小学校三年生のときだった。
 廊下を歩いているときに教室の中から聞こえてきた同じクラスの女子生徒の会話を通じて私は知った。
「レズってなあに?」
「女の人が好きな女の人のこと」
「あー。私ってレズかも。友達大好きだし」
「あ。えーと……、友達を大事にするって意味じゃなくて。女同士で恋愛する人のこと」
「え。なにそれー」
「キモーい。恋愛ってイケメンとするものだし」
「だよねー。イケメン以外ありえないし」
「レズの人ってさ。相手の女の人のおっぱい揉んだりするんだって」
「あー。おっぱいって揉むと大きくなるんだよねー」
「あいつ、おっぱい膨らんでる! っていうことは……」
「レズだー!」
「レズの人って、相手の女の人のおしっこ出るとこ舐めたりもするんだよ」
「えー、汚い! ありえない!」
「うわー、バイキンだー」
「でも、あの二人って、おしっこ出るとこ舐め合ってそうじゃない?」
「えー、キモーい。想像したくない!」
「でもなんか、仲良すぎるよね。いつも一緒にいるし」
「トイレするとき、個室に一緒に入ってるらしいよ」
「ってことは、やっぱ……、きゃー!」
「バイキン! バイキン! バイキン!」
 心臓が早鐘を打ち、血潮の流れるさーっという砂嵐のような音が耳の奥の方で聞こえた。
 自分の話題だと直感する。正確には自分一人ではなく、自分と櫻子のことを言っているのだ、と察する。教室から聞こえる声は明るく楽しげだったけど、私を、櫻子を狭くて小さな枠の中に押し込めようとしているような意地悪な気配がして、強い苛立ちがこみ上げた。今の教室は危険だ。神経が過敏になり、身体が臨戦態勢になる。だけど隣を歩く櫻子は何食わぬ顔をして教室に近づいていく。お母さんの言葉を思い出す──「櫻子ちゃんの方があなたよりもひまわりの花みたいじゃないの」──嫌い。櫻子なんて大嫌い。今教室に入っても嫌な思いをするだけなのに、無邪気に向かっていくなんて。あなたがそんな風だから、私は人一倍神経を尖らせなきゃいけなくなるの。そう思って、ふと気づく。私の手を握りしめる櫻子のてのひらは、じっとりと汗ばんでいた。え、と思った。だけどすぐに、暑さのせいだ、そうじゃないなら、私のかいた汗が櫻子のてのひらについてしまっただけだ、そう考えて納得した。私と違ってとてもいい、とお母さんの言う櫻子は私と全然違うから、私の感じる苛立ちや恐怖を感じるわけがない。
 櫻子が教室の扉を開けると、女子の話し声がやんだ。
 教室の隅にたむろする女子生徒の一団が引きつった笑みを口元に浮かべ、一斉にこちらを注視する。いくつかの仲良しグループが一つの場所に集まった十人近い大所帯で、レズ、レズとさっきから大声で連呼していたのは、一部の女子グループから腫れ物扱いされている素行不良のデブスだった。私は無言で軽蔑する。普段は陰口を叩き合っているのにこんなときだけ一致団結。櫻子としか付き合わない私のこの誠実さを汚らわしい妄想で好き勝手に歪めるなんて、許せない。彼女たちを睨みつけると、ある者はなんの迷いもなく、またある者は気まずそうに、一人、また一人、私から視線を逸らしていった。そうして彼女たちはまた、無駄話を再開する。ただし今度は囁き声で。誰かの耳に入ることをひどく警戒しているように。
 やっぱりだ、と確信する。やっぱりさっきの陰口は私たちのことだったんだ。私の前では言えないくせに、それどころか櫻子に声をかけられたら愛想笑いを浮かべながらこちらに寄ってくるくせに。卑怯だ。私はこいつらと混ざりたくない。仲間外れにされてよかった。そう思っているはずなのに、悔しくて仕方がない。私も櫻子もレズじゃない。私の胸がもう膨らんでいるのは櫻子に揉まれたからじゃないし、互いの〝おしっこ出るとこ〟を舐め合ったことなんて一度もない。だいたい、同じクラスの女子二人の〝おしっこ出るとこ〟の舐め合いを想像するなんて気持ち悪いし、そんな話を楽しげにクラスメイトと交わすなんて、そっちの方がレズっぽくてすごく嫌な感じがする。私と櫻子の関係を狭くて小さな枠の中に押し込めるなんて許せない。あなたたちに何がわかるの。幼稚園のときからずっと櫻子とは同じクラスだけど、それは私のせいじゃない。私の手の届かない場所で勝手に決まってしまったことだ。そそっかしい櫻子の面倒を見るのだって、彼女のことが好きだからやっているわけじゃない、義務だから、そう、やらなきゃいけないことだから好き嫌いの関係なくやっているだけのこと。それをレズなんて言葉で簡単に片づけられてしまうなんて、私に降りかかる理不尽をいったい何だと思っているのよ。彼女たちに抗議すべく、私は震える息を整え、そちらに向けて足を進める。そんな私の視界の隅を櫻子が横切った。黒板の方につかつかと進み、白いチョークを手に取ると、櫻子はおもむろに『同せいあいのれきしについて』、そんなことを書き始めた。
「ちょっと。何してるのよ!」
 私は櫻子に詰め寄った。振り返った櫻子の表情は晴れやかだった。どういう神経をしているんだろう。自分たちが周囲からレズのレッテルを貼られ、薄汚い妄想の犠牲になっているというのに、同せいあい、などというわけのわからないことについて講釈を垂れようとするなんて。だから私は嫌いなのだ。社交的でありながら周囲に決して流されない、ひまわりの花を思わせる櫻子の性質が。彼女のそばにいるだけで、自分の何かを侵害されているような気分になる。
 苛立つ私に櫻子は無邪気な笑顔で答えた。
「レズビアンに対するサベツとヘンケンを取り除かなきゃ」
「差別と偏見? そういうものを向けられているのは私たちのほうですわ」
「んー。でもそれって、レズビアンに対する間違った認識が原因じゃないのかなぁ。だからこの、櫻子さまが! 正しい歴史認識を!」
 まるで水を打ったように教室内が静まり返る。私の前で言えないことを囁き声で交わしながら忍び笑いを漏らしていた女子生徒の一団は、皆一様に口を止めて、怪訝そうな表情で櫻子を見つめていた。
 正しい歴史認識。それは櫻子のお父さんやお母さんの口癖だった。大室家の両親は日本的なものが好きで、誇りある国だとか正しい歴史認識だとか、そういう話ばかりしている。二人の話は複雑で私にはよくわからないけれど、彼らがとても物知りで、難しい問題について真剣に考えているのだということはひしひしと感じていた。だけど私には一つだけ、納得出来ないことがあった。話の内容なんかじゃない。国に誇りを、歴史に誇りを、自虐は良くない、そんなことを言ってるくせに、どうしてあなたたちは自分たちの生み出した櫻子のありのままの姿に誇りを持とうとしないのですか、スケールの大きなものにしか誇りを持ってはいけないのですか、その点がどうしても私には納得出来なかった。
 だから私は櫻子が両親を模倣すると苦しくなる。善い悪いの問題じゃない。ただ苦しい。櫻子が自分自身を塗り潰しているようで。「向日葵ちゃんは本当に大和撫子って感じで可愛いわね。凛とした気品があって、言葉遣いもきちんとしていて。それに比べてうちの子は……」──そんな視線に櫻子が歪められていくようで。
 下火になったかと思われた私や櫻子に対する悪意を蒸し返したのはデブスだった。
「レズを庇うなんてレズの証拠!」
 豚の声に空気が震えた。デブスは派手な音を立てて机を蹴りつけ立ち上がり、どすどすと床を踏みしめながらこちらへと歩み寄る。
「みんなに謝れ! おしっこ出るとこ舐めるなんて不潔だって言ってただけなのに、偏見だとか差別だとか、いちいち被害者ヅラをして……、差別してるのはおまえらだろ。汚いものを汚いってただ言っただけなのに、差別してるとか文句をつけて、私らを、クラスの仲間を差別しやがって。みんなに謝れ、変態レズ女!」
 ヒステリックに叫びながら彼女は私を押し退けて、櫻子を両手で突き飛ばした。
「櫻子に何しますの!」
 私はデブスにタックルした。誰かが櫻子に近づくだけで私は苛々するっていうのに、彼女は櫻子に危害を加えた、これはもう戦争だ。私の体当たりを受けて、豚の巨体がよろめいた。「櫻子に謝りなさいよ!」。私はデブスの胸ぐらを掴み、その背を壁際の黒板に叩きつけるべく体重をかけた。しかし豚が反撃する。私の胸にパンチを繰り出す。どすっと鈍い音がして、発育途中の私の乳房に豚の拳がめり込んだ。乳房に食らった衝撃に私は声を出すことも出来ず、涙目になりながら両手で胸元を覆い、庇う。
 膨らみ始めた乳房は痛い。肌の内側に入り込んだ石が膨れあがっていくような、張りつめたような痛みがあって、何かが軽く当たっただけで思わずうめきそうになる。そんな場所をデブの馬力で力任せに殴られて、私は立っているだけで精一杯という有り様だった。
「あー。向日葵の変身が解けちゃう!」
 櫻子の意味不明なボケにツッコミを入れる余裕もない。
「横から暴力振るってきて。やっぱりレズじゃないのおまえら」
 デブスはにやにや笑いながら私の胸に拳を繰り出す。「なぁーに隠してんだよ」。乳房を庇う私の両手を払いのけようとする。「やめて! 向日葵の変身が解けちゃう!」。櫻子は背後からデブスの巨体に突進する。デブスは肥満らしからぬ俊敏な動きで身をひねり、丸太のような太腿を櫻子のわき腹に叩きつける。櫻子は壁際に吹っ飛んで尻餅をついて床に転がる。「ウゼえな。みんなに謝れレズ女ども」。がたがたと椅子の動く音がした。「そうだそうだ」「謝れレズ」「謝れバイキン」。これまで椅子に座っていた周囲の女子が豚に加勢し、倒れた櫻子の髪を引っ張り、或いは私の背後から乳房を庇う両手を掴んだ。
「やめなさい! こんな真似をしてただで済むと思ってますの?」
「は、放せー! 私はシャザイもバイショウもしないぞー!」
 櫻子の叫び声が聞こえる。「さっさと放しなさい」。私はもがいた。群がる腕を振り払い、一刻も早く櫻子を助け出さなければならないと思った。だけど足が動かない。背後から四人がかりで両手を拘束されていて、一歩もそこから動けない。デブスの大きなてのひらが私の右の胸に伸びる。デブスはにたりと不気味に笑い、庇うもののなくなった膨らみかけの私の乳房を芋虫のような五本の指で握り潰すようにぎゅっと掴んだ。
「ひぃッ、痛……、あ、あ……」
 三日三晩殴られて腫れ上がった身体のどこかを巨大なペンチでゆっくりと捻り潰されるかのような、耐えがたく不快な痛みに私は思わずうめいていた。しかし豚の口元はますますいびつにねじ曲がる。喜んでいるのだ。楽しんでいるのだ。私は痛くて仕方がないのに、この豚は、あぶれ者予備軍の崖っぷちコミュ障は、私の感じるこの苦痛を蜜のように味わっている。豚のくせに。ブスのくせに。ウザいキモいあいつ嫌いと陰口を叩かれている分際で、みんなに、その一言で周囲の女子に自分のことを仲間だと思い込ませ、暴君のような振る舞いでスクールライフを謳歌している。愚劣だ。私は呪った。私の周囲の櫻子以外のすべての女子生徒を呪った。くだらない、このあまりにもくだらない仲間意識を破壊したい。私の目の前に立つ人のかたちをした豚は、櫻子や私に対する悪意を発散したいだけなのに、他人を巻き込んでみんなに、みんなに、とクラスの女子一同の代弁者を気取っている。苛々する。そんな手口に乗せられる周囲の女子もくだらない。こんなくだらない連中から私は櫻子を守らなければならない。櫻子には抜けているところがあるから、そう、櫻子はひまわりの花のようなおかしな感じのする子だから、くだらない連中に利用されたり騙されたり馬鹿にされたりしないように私が見張ってなければならない。櫻子の敵は私の敵、櫻子に危害を加える奴は私がぶちのめさなければならない。私は力を振り絞り、自分の両手にまとわりつく腕を振り落とそうとした。
 そんな私の左の乳房にもデブスの腕が伸びてくる。デブスの両手が私の乳房を握り潰すように揉む。
「古谷さんの胸、大きすぎ。小三とは思えないよね」
「ひぐッ、や……、痛ッ、やめ……ぎぁ……」
「なんでそんな、嫌そうな顔をするかなぁ? 大室さんにはいつも揉んでもらってるんでしょ? ほら、こんな、小三とは思えないくらい大きくなってさー」
「ひぃッ、あぐ……ぎひッ!」
 私に苦痛を与え続けるデブスを殺してやりたいと思った。だけど蹴りを入れようにも、痛みに腰が引けてしまい、足を上げることすら出来ない。教室の隅の方で櫻子の悲鳴があがった。涙で滲んだ視界の端、デブスの巨体の向こう側、女子生徒が数人がかりで櫻子のぺたんこの胸を愛撫しているのが見えた。
「あはははは、大室さん、レズのくせに胸小さい!」
「古谷さんに胸揉んでもらってないんでしょー。代わりに揉んであげるー」
「やめろー!」
「なんで嫌がるの、レズのくせにー」
「レズの変態のくせにー」
「おしっこ出るとこ舐め合ってるバイキンのくせにー」
 レズ、変態、バイキンと口々に囃し立てながら、女子生徒の一団は暴力的な手段をもって私と櫻子の胸を好き勝手に弄んだ。休み時間の終了を告げるチャイムが突如鳴り響き、それを合図に私たちは責めから解放されたものの、この日を境に私と櫻子はクラスの女子全員から性的いじめを受けるようになった。


「ねえねえ、大室さん」
 放課後の教室に充満する悪意を感じる。息苦しい。おまえなんかが櫻子に気安く話しかけるな。心の底から思ったけれど、仰向けになった私の口は女子生徒の手で塞がれていて、何を言おうとしてみてもくぐもったうめきしか出てこない。見えるのは白っぽい天井と、灯りの落ちた蛍光灯。細長い照明器具の配置の規則正しさが、今はひどく場違いに感じられて仕方ない。
 私は机の上にいる。いくつも並べてくっつけて台のようになった机に私の身体は強引に横たえられてしまっていた。四方から伸びる女子の腕が私の手足を押さえつけ、私は身動き一つ出来ない。採集されて標本になった蝶のような気分だった。そんな風に感じるのは、開脚を強いられているからだろうか。
 今やクラスの女子を束ねるリーダーとなったコミュ障のデブスが得意げに櫻子を挑発するのが不愉快だった。
「大室さん。なに無視してるのよ」
「……ん? ちゃんと聞いてるよぉ。でも言いたいこと、特にないしなぁ」
 私を押さえる女子の一人が「何その態度」と声を荒らげた。便乗するように四方から櫻子に対する罵倒が飛ぶが、猿山のボスとなった豚人間が口を開くと罵詈雑言は小さく消えた。
「ねえ、大室さん。おしっこ出るとこ舐めるなんて汚いって考えは、レズに対する差別と偏見だって言ってたよね?」
「あー、言った言った。せっかくこの、櫻子さまが、ちゃんとしたことを教えてあげようと──」
「じゃあ、古谷さんのおしっこ出るとこをあたしたちの前で舐めてくれる?」
「はへ?」
「古谷さんのおしっこ出るとこを今、ここで、舐めてって言ってるの」
「えー。なんで櫻子さまがそんなことしなきゃいけないんだよー」
「汚くないんでしょ? だったらその証拠を見せて。みんなの前で証明して」
「なっ……、は、放せ!」
 争うような音がした。櫻子の様子は私には見えない。
 私に見えているものは、自分の腹の中で渦巻くマグマのような怒りだけ。熱く濁ってどろりと流れる行き場のない怒りだけ。私はぶちまけようとした。手足を押さえつける腕を力任せにはね飛ばし、櫻子に不潔なことをさせるやつらをぶちのめそうとした。だけどいくら力を込めても手も足も動かない。まるでコンクリートのかたまりの中に手足が埋まってしまったかのように、いくら脳が命じても私の身体はびくともしない。笑い声が降り注ぐ。「古谷さーん、暴れないでよ」「あはは、バイキン女が動いたー」「いつも舐めさせてるんでしょー。私らにも見せてよ」「バイキンのくせに恥ずかしがるな、バイキンレズ女のくせにー」。悪意に濁った女子の声に緊張感はまるでなく、ただ手足を押さえつける腕の本数が増えただけだった。
 力んだことによって生じた耳鳴りのような音の向こうで櫻子を挑発するデブスの不快な声がする。
「おしっこ出るとこ舐めるのは汚いことじゃないんでしょ? 汚いって考えは差別と偏見なんでしょ?」
「んー、そういう意味じゃないよぉ。恋愛は自由っていうか」
「は? 意味がわからないし」
「おしっこ出るとこ舐めるのはレズビアンだけじゃないもん。イケメンだって舐めるもんねー」
「はぁ? 答えになってないし」
 デブスが怒鳴り、周囲の女子が櫻子を非難する。「イケメンがそんなことするわけないし」「おしっこ出るとこ舐めるのは変態だけだし」。櫻子は唇を尖らせたような声で「イケメンだって舐めるもん」と繰り返し主張するが、「嘘つくな! そんなとこ舐めるのはレズとキモいおっさんだけだし」「イケメンを変態扱いするな」「イケメンはおまえみたいな変態じゃない」「イケメンを悪く言うなバイキン」「バイキンレズ女は死ね」「そうだ、死ね」、そして鈍い音がして、櫻子が悲鳴をあげた。
 あいつらが櫻子に暴力を振るった。許せない。殺してやる。
 私は息を大きく吸い込み、自分の手足に力を込めた。だけどやっぱり動かない。力む私を押さえつける腕の力強さが増す。「汚いなー、暴れないでよ、手に唾がついちゃうでしょー」。明るく無邪気な嘲笑が頭の上から降り注ぐ。ふざけるな。ぶっ飛ばしてやる。そう思った次の瞬間、冷たく細長い金属が私の素肌に触れるのを感じた。しゃき、と冷ややかな音がして、股の間に新鮮な空気が流れ込んでくる。ハサミだ。ハサミで誰かがパンツを切った。私のパンツをハサミで切って〝おしっこ出るとこ〟を丸出しにした。反射的に目を閉じていた。「うわ、キモっ」「何これ、グロい」「こんなの舐めるの……マジで……」。露わになったそこに対する侮蔑の言葉が次々と周囲の女子の口から漏れる。消えたい。今すぐこの世から消えたい。死ぬんじゃなくて一瞬にして跡形もなく消え去りたい。誰の記憶に残ることなく、存在自体を無にしたい。そうすれば私はこれ以上嫌な思いをせずに済むし、櫻子だってレズの嫌疑をかけられていじめられることもないだろう。胸の奥がきりきりと軋むように激しく痛んだ。
「ほら。大室さん。いつもみたいに舐めてみせてよ」
「やめ、んぐ……」
 凹凸のある暖かいものが、剥き出しになった私の股間に密着するのを感じた。「さっさと舐めろよ」「んんー」「悪あがきはみっともないぞ、変態レズ女」。そこに押しつけられたものがもぞもぞとランダムに動き、私から少し離れた。櫻子のうめき声がして、熱い息が股間にかかる。櫻子の顔の位置を私の脳は把握する。私の〝おしっこ出るとこ〟に密着していた動くものは、櫻子の顔面だったのだ。恥ずかしさや怒りよりも、こんな汚いものを櫻子の顔に触れさせてしまった、その事実に打ちのめされた。
 固く閉じた瞼から涙が落ちるのを感じた。
「うわ。古谷さん泣いてる。ヤバくない?」
「えー。いい気味だよー。大室さんとしか喋れないくせに偉そうにしててウザかったし」
「そうそう。バイキンのくせにお嬢様ぶっててウザかったしー」
「おしっこ出るとこ舐められるのが好きなくせに泣くなんてわけわからない」
「ていうか汚いなー、涙と涎で手が汚れる、レズ菌がうつるし迷惑!」
 降り注ぐ罵詈雑言は私にまったく刺さらない。届かないのだ。私まで。私のとても汚いものを櫻子の顔に触れさせてしまった、その事実の前ではいかなるレッテルも決めつけも無意味だった。
「ほら。早く舐めなさいよ」
「ん……」
「おしっこ出るとこ舐めるのは汚いことじゃないって、そう言ったのは大室さんでしょ? 私たちはみんな、汚いって思ってるのに。汚くないって言い張ってみんなに謝らなかった以上、みんなの前で汚くないって証明するのは当たり前だし」
 何も言わない櫻子に、周囲の女子が「そうだそうだ」と無邪気に追い打ちをかける。子分の追従につけあがった豚の得意げな声がする。
「認めるんだー、汚いって。おしっこ出るとこ舐めるのは汚いって」
「そうじゃないけど……」
「舐められないなら認めれば? おしっこ出るとこ舐めるのは汚いって。バイキン仲間の古谷さんにも聞こえるように大声で、汚い、舐められない、おまえのおしっこ出るとこは汚い、舐めたりしたらバイキンがうつる、私はレズなんかじゃないのにおまえがいつもくっついてくるからレズ扱いされて迷惑してる、おまえは汚い、バイキンだって、ほら早く、大きな声で言いなさいよ。そしたら許してあげるからさー」
 櫻子の息が震えたのがわかった。
「汚くないよ」
 そう呟いた櫻子の声はいつもどおりの明るさだったが、ぞっとするほど空疎に思えた。
「なぁんだ。みんな、ドウセイアイに興味があっただけなんだぁ。しょうがないなぁ。そんなに見たいならこの、櫻子さまが、お手本を見せてあげるから。ちゃんと見ててよね!」
 私の太腿の内側に櫻子が両手を添えた。櫻子、私から離れて。そう思った次の瞬間、生暖かくぬるりとしたものが剥き出しの股間に触れた。閉ざした瞼に力がこもる。「うわ」と誰かが呟いた。溶けそうなほど柔らかくぬめった異物が股の間で動く。足の付け根の割れた肉の真ん中にある縦筋を何度も繰り返しなぞるように異物が上下に動いている。周囲の女子は絶句していた。「こいつ、マジで舐めてるし」。そう呟いた少女の声は明らかに引いていて、喉の奥に何かが詰まっているかのようにぎこちなかった。
 私のおしっこ出るとこを櫻子に舐めさせてしまった。毎日お風呂で洗っても変なにおいのするような、あんなに汚い場所なのに、舐めるよう命令された櫻子を助けられなかった。こんな汚い場所を舐めたら、櫻子の身体にバイキンが入っちゃう。私のせいで櫻子が病気になっちゃう。どうしよう。やめさせなきゃ。すぐにでもうがいをさせなきゃ。なのに身体が動かない。櫻子、やめなさい。その一言すら声に出せない。悔しくて仕方がない。櫻子は抜けていてどこか危なっかしいから、私が一緒についていなきゃ、守ってあげなきゃいけないのに。
 そうなの? 本当に?
 本当に、櫻子には、私の庇護が必要なの?
「やっぱ初めてじゃないんだー」とデブスが手を叩きながら笑った。「全然抵抗ないよね、舐めるの。ソフトクリームか何かみたいにおしっこ出るとこペロペロ舐めて、信じられない。マジキモい。こんな変態バイキン女が同じクラスにいるなんて普通に嫌だし、みんなも迷惑するでしょ。死んでくれない?」。小馬鹿にするような声色で豚人間がまくし立てる。けれども櫻子の舌の動きが滞ることはない。櫻子は動揺していない。縦筋をなぞる舌先を時折横に震わせる。おしっこの出る直前のような気持ち良さがこみ上げる。汚いのに、櫻子の舌が汚れるのに、口からバイキンが入るのに、もっとして、そんな気持ちが自分の胸の片隅に湧いてくるのを自覚する。「マジキモいんだけど」。豚人間の一言で、快感は白けた刺激に落ちる。櫻子の舌は止まらない。私の〝おしっこ出るとこ〟を櫻子は無言で舐め続ける。
 櫻子のことを守ってる? 誰が? 私が?
 馬鹿じゃないの? おまえは櫻子に寄生しているだけ。弱い櫻子を守っている自分、そんな妄想に酔いながら、ひまわりの花のようになれないいびつな自分から逃げているだけ。櫻子を守り導きながら、庇護が必要な間抜けな弱者、と櫻子のことを見下しているだけ。「死ねよ、レズのバイキン女」。デブスの罵声が聞こえる。刺々しく大きな声はどこか虚勢じみていて、彼女の内心の怯えが滲み出ているように思えた。でもいったいこの暴君は何に怯えているのだろう。頭の悪いデブスのくせにクラスの女子のリーダーになり、コミュ障でありながらいじめの首謀者になった。見下されるべき豚人間が、頂点に君臨しているのだ。そこまで到達したのにどうして怯えなければならないんだろう。疑問に思って不意に気づく。櫻子だ。彼女は櫻子が怖いのだ。何を言っても何をしても自分のペースを崩さない櫻子が怖いのだ。ああ、そうだ。そうなのだ。櫻子は庇護されるべき間抜けな弱者などではない。抜けている櫻子が誰かに利用されないように、誰かに騙されないように、誰かに馬鹿にされないように、そんなことを思いながら、私はこの世の誰よりもしたたかに彼女に寄生していた。櫻子の過失につけ込んで、上から目線でナイト気取り。向日葵、と名付けられたのに、陽だまりに馴染めないねじ曲がった小さな私。向日葵、と呼ばれるたびに「人違いですわ」と言いたくなるような違和感を感じる私。櫻子に寄生して、櫻子を守っているような気分になっている私は、櫻子がいなければ人間のフリをすることすら出来ず、完全に孤立する。だから、それを知っているからこそ、私の人格、無意識は、相手を弱者に貶めてまでして〝誰かの役に立っている自分〟なんていうありもしない幻想を欲するのだ。「死ねよ、バイキン。邪魔なんだよ。バイキンは学校に来るな。死ね。さっさと死ね。ほらほら、死ね、死ね」。デブスが手を叩いている。「死ね、死ね」。空々しい声と手拍子を周囲の女子が次々に真似る。「死ね、死ね」。私の手足を押さえる女子も声を張り上げ便乗する。「死ね、死ね、死ね、死ね」。明るく尖ったいくつもの声が死ね死ねコールを唱和する。「死ね、死ね、死ね、死ね」。櫻子の舌は止まらない。死ね死ねコールと手拍子をBGMに動き続ける。「死ね、死ね、死ね、死ね」。櫻子のお母さんの言葉が不意に脳裏を去来する──「向日葵ちゃんは本当に大和撫子って感じで可愛いわね。凛とした気品があって、言葉遣いもきちんとしていて」──違う、それは外側だ。そういうキャラを演じているだけ。普通に考えて私の言葉遣いは明らかに場違いだし、浮いていることだって私はちゃんと自覚している。アニメやゲームに出てくるような、作りものじみたおかしなキャラ。そう、おかしい。でもだからこそ、私はこのキャラを選んだ。ひまわりの花のようになれない小さな自分を隠すために。ひまわりの花を求める人が私に近づいてこないように。だけど私のこのキャラは、櫻子がいなければ破綻する。櫻子を弱者に貶め、見下すことによってのみ、私はひまわりのようになれない自分から、逃避出来る。
 でも、だけど、私は殺して埋めたはずの自分に追いつかれてしまった。
 櫻子一人守れない、守れなかったことを悔やむこの自責の念すらも偽りで自己欺瞞、誰の役にも何の役にも立たない自分自身から目を逸らすために櫻子を弱者に貶め見下して現実逃避しているだけ、そんな事実を直視してショックを受けているだけで、身動き出来ない私はもう、ひまわりのようになれない自分を隠し通すことすら出来ない。
「死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね」
 大勢の女子が笑っている。ほんの数日前までは、櫻子に声をかけられると愛想笑いを浮かべながらこちらに寄ってきたくせに、彼女たちは今櫻子にとても汚いことをさせて、言いなりになる櫻子を見下し、嘲笑い、罵っている。櫻子には選択肢があった。おしっこ出るとこ舐めるなんて汚いとはっきり言い、私を裏切り罵るという選択肢があったはずだ。そちらを選べばよかったのだ。「おまえのおしっこ出るとこは汚い」と私に言えばよかったのだ。「舐めたりしたらバイキンがうつる」と私に言えばよかったのだ。「私はレズなんかじゃないのにおまえがいつもくっついてくるからレズ扱いされて迷惑してる、おまえは汚い、バイキンだ」と私に言えばよかったのだ。私を裏切り、あちら側の仲間になればよかったのだ。だけど櫻子はそうしなかった。汚くない、と言い切って、いつもどおりの明るさのまま、みんなが嫌がるようなことを平然とやり始めた。狂ってる? そう思う。頭おかしい? そう思う。でも、この場で一番強い者は、櫻子だ。彼女は庇護の必要な間抜けな弱者なんかじゃない。確かに抜けているけれど、確かにズレているけれど、自分自身を守るための鎧くらい持っている。
 寄生しているのは私の方だ。
 彼女のナイトを演じることで、ひまわりにも太陽にもなれない自分を誤魔化していただけだ。
「死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね」
 何度存在否定の言葉を浴びても、何人にそれを言われても、私の殺したかったもの、ひまわりの花のようになれない私が消えることは決してない。むしろ逆だ。否定に曝されることによって私は私を知覚する。ねじ曲がり、小さくなり、陽だまりの中で生きられない自分の姿、その存在をどこまでも強く実感する。そして罵声は意味を失う。ただひたすら同じリズムで繰り返される一つの単語、「死ね、死ね、死ね、死ね」、あれ、死ねって何だろう、死ね、死ぬの命令形、死ぬを命令するのが「しーね」。そうだっけ。しーねって、そんな言葉、そんな日本語、聞いたこと、あったっけ。「ね、しーね、しーね、しー」「ね、しー」「ね、死ー」「ね、しー」「ね、」「しー」「ね、」「しー」──みんな、何を言ってるんだろう。なんで笑ってるんだろう。なんで手拍子してるんだろう。言葉が意味を失って、ただの音になっていく。閉ざした視界と無意味なノイズの中、手足を拘束する腕と櫻子の舌の動き、そこから感じるものだけが私にとって真実だった。下校時間の到来を告げる午後四時のチャイムが鳴り響くまで、その日、櫻子は私の〝おしっこ出るとこ〟を舐め続けた。
 チャイムを合図に周囲の女子は蜘蛛の子を散らすように逃げ出して、取り残された櫻子と私は見回りに訪れた先生に発見されてしまったけれど、私は自分たちのされたことを話すことが出来なかった。櫻子は疲れて眠っていて、口を利けるのは私だけ。どうしてこんな時間まで教室に残っていたのか、こんな時間まで教室でいったい何をしていたのか、先生に詰問されたけれど私は何も言えなかった。
 櫻子のさせられたことを人に知られるのが嫌だった。
 だからこの問題は、自分たちだけで解決するか、泣き寝入りするしかなかった。


 人間ウォッシュレット。それが櫻子のあだ名になった。「私らはね。人間の大室さんをウォッシュレット扱いしてるんじゃないの。ウォッシュレットに過ぎない大室さんを人間扱いしてあげてるの」。猿山の大将にのぼりつめたコミュ障のデブスはそう言って、笑いながらパンツを脱いだ。
 それは櫻子が私の股間をじかに舐めた三日後のこと。
 豚人間の自宅に連れ込まれた私と櫻子は、両親のいない空っぽの家でクラスの女子に囲まれていた。
 三日前と違うのは、参加メンバーの少なさだった。デブスのどんな発言にも引きつった愛想笑いで無理矢理同意するような、彼女を内心恐れている従順な取り巻きが三人だけ。そして私の両手はすでに紐で拘束されている。後ろに回した両手首を荷造り用の紐で縛られて、紐の先はリビングの柱、まるで犬か何かのように行動範囲を制限され、この場で起きることをすべて見るよう命令されている。一方の櫻子は、物理的な拘束は何一つとして受けていない。しかし周囲がソファに座る中、櫻子だけはリビングの床に座るよう強制されていて、私が犬なら彼女は奴隷階級の身分といった感じだった。
 ソファの上で豚人間はスカートの裾をめくりあげ、勝ち誇った表情で櫻子に命じた。
「大室さん。私のおしっこ出るとこも舐めてきれいにしてくれない?」
「やだよぉ。汚いもん」
 櫻子の明るい声に、豚人間の得意げな表情が凍り付いた。「は? 何言ってんの?」と周囲に控える女子が即座に櫻子を蹴り飛ばす。「人間ウォッシュレットのくせに」「不良品。ウォッシュレットはどんな人が来てもきれいにしなきゃいけないんだよ」「ほらー、さっさと舐めなよ」。三人の取り巻きの態度に普段の調子を取り戻したのか、豚人間の膨れた顔からこわばりがすっと消えた。
「大室さん。おしっこ出るとこを舐めるのは汚いって考えは差別だって言ってたわよね」
「あー。言った言ったー」
「なのに汚いなんて言って。大室さんはいつからレズを差別するようになったの?」
「サベツなんてしてないよぉ」
「じゃあ舐めなさいよ、人間ウォッシュレット」
「やだー。汚いもん。そんなとこ舐められない」
 取り巻きの女子が声を荒らげる。「ウォッシュレットが相手を選ぶな」「何おまえ。古谷さんだけが特別だって言いたいわけ?」「なんだ、やっぱりレズなんだー」「レズの変態。バイキン女」「変態のくせに好き嫌いするな」「キモいんだよレズ」「不良品のくせに」。三人の少女は口々に櫻子を罵りながら、癖のある髪を引っ張り、彼女の顔を豚人間の股間へと近づける。
「私、レズじゃないよぉ。女の子と恋人同士になりたいわけじゃないもん」
 そう叫んだ櫻子の表情は私には見えなかった。五メートルも離れていないはずなのに、櫻子の見慣れた後ろ姿をどこまでも遠く感じた。ただ、櫻子の口にした言葉、レズじゃない、女の子と恋人同士になりたいわけじゃない、その二言がなぜか私に深々と突き刺さった。どうしてショックを受けるのか、それは私にもわからない。私だってレズじゃないし、女の子と恋人同士になりたいとも思わない。まして、レズじゃないけど櫻子だけは特別、ってわけでもない。ただ、三日前の櫻子の行為、私を罵ることを拒み、誰もが嫌がるようなことを普段どおりの明るさのまま進んでおこなったことが、不器用な彼女の私に対する誠意だったのだ、と思った。
「櫻子を放しなさい!」
 私は四人に向かって叫ぶ。四人は私を一瞥し、予想通りの反応だと言いたげに冷たく笑いながらすぐに視線を櫻子に戻し、豚人間のウォッシュレット役を櫻子に務めさせようとする。無視なんてさせるものか。櫻子に汚らわしい行為を強いる奴らを自分の声だけで、言葉だけで刺し殺すつもりで私は再び四人に叫んだ。
「私が舐めますわ! 櫻子の代わりに!」
 四人の動きがぴたりと止まる。コミュ障デブスが不機嫌そうな顔で私を見るのがわかった。櫻子に向けるものとは違う、敵意に満ちた鋭い目つき。私はああ、と合点する。こいつ、レズの気質があるんだ。周りのみんなを巻き込んでレズの話ばかりするのは、レズの世界に興味があるから、自分の仲間がほしいから。櫻子のことが好きだから私のことを敵視するのか、それともただ、レズの自分をさしおいてクラスの女子生徒二人が仲良くするのが気に入らないのか、それはよくわからない。ただ、豚人間の目的はいじめそのものじゃなくて、抵抗出来ない女子生徒に自分の〝おしっこ出るとこ〟を舐めさせることなんじゃないか、そんなことをふと思った。
 デブスは私を睨みながら、口元だけをつり上げた。
「そう。だったらここにいる四人全員のおしっこ出るとこを舌で舐めてきれいにしてよ」
「な……」
「嫌なら大室さんにしてもらうけど?」
「く……」
「どうするの?」
「……私が……」
「聞こえない。さっきと全然違うじゃない、声の大きさが」
「私が、舐めますわ……」
 デブスがソファから立ち上がる。巨体と肉を揺らしながら、一歩、また一歩、こちらへと近づいてくる。
 後ろ手に縛られたまま、私は床に膝をつき、目の前に立つ豚人間の股の間に舌を差し込む。脂肪に覆われたデブスのそこは、ぷにぷにしすぎて隅々までうまく洗えていないのか、学校のトイレと鶏の飼育小屋の悪臭をブレンドしたような、汚らしい臭いがした。つんとするようなしょっぱさに、私は思わずむせ返る。「不良品。大室さんに交代させるわよ」。デブスの言葉に私はうめき、肉の割れ目に舌を入れる。柔らかくて気持ち悪い。無茶な姿勢のせいだろうか、首が痛い、膝が痛い、身体のあちこちが痛い。「んー。なんかイマイチ」とデブスがぼそりと小声で漏らした。慌てて取り繕うように「そんな舐め方じゃきれいにならないでしょ」、デブスは大きな声で言い、腰をぐっと前に突き出す。口の中が塩辛い。デブスの〝おしっこ出るとこ〟にこびりついた汚いものが自分の身体に入るのが嫌で、溜まった唾液を飲み込めない。「もっとしっかり舐めなさいよ」。デブスがまた、腰を突き出す。舌が割れ目の中にもぐり込み、もしかして、と不意に思う。あのとき櫻子に舐められて気持ちいいと感じた場所、そんな場所があったけど、もしかしてこのデブス、私の舌を自分のそこに当てようとしているの?
 そこに思い至ったとたん、道具にされていることに対する怒りと強い屈辱感、そしてデブスのそこに対する意地悪な気持ちがこみ上げた。私は三日前の櫻子を真似て、前後左右に舌を動かした。デブスの息が震えるのがわかった。はっ、何よおまえ。気持ちいいの。レズを馬鹿にしていたくせに、女子に股間を舐められて気持ちよくなってるの。バイキン。豚人間の分際で女の子に興味を持つなんて。胸の奥がもやもやして、破壊的な衝動が喉の奥に充満した。私は舌を震わせた。自分の口から溢れ出した涎が顎を伝い落ちる。「汚いなー、涎垂らして」と取り巻きの女子が野次を飛ばした。私に対する罵声が続き、やがてそれらの声はまた、死ね死ねコールに発展した。繰り返される手拍子と存在否定の言葉の中、私は今度こそ本物の太陽になりたい、と思った。何かを育み照らし出す暖かな光などではなく、直視する者の目を潰し、自らの死と引き換えにすべての生命を跡形もなく焼きつくす太陽に。
 死ね死ねコールと手拍子の後ろで不思議な電子音が鳴った。
 櫻子の持っていた携帯電話のカメラの音だと知ったのは、ずっとあとのことだった。
 撮られた写真は流出し、デブスとそのお仲間は社会的制裁を受けた。ある者は学校に来なくなり、ある者は転校し、ある者は教室の隅で一人で黙り込むようになった。とはいえその写真には私の顔も写っていて、私は新たな好奇と悪意に曝される羽目になった。流出について櫻子は自分のミスだと主張した。嘘だ、と直感した。いじめに報復するために櫻子はわざと証拠写真をネット上に流出させたのではないか、私はそんな風に思った。だけど真相はわからない。櫻子はミスだと騒いでいる。だから私は今までのように上から目線で彼女に接した。「しょうがない子ですわね。あなたがミスを繰り返さないように私がついていてあげますわ」。櫻子は「えへへ」と笑い、「ホントはみんな私の方が勝ってるもんねー」とわけのわからない勝利宣言をしてみせた。しかし私と櫻子の平穏なスクールライフは失われたまま戻らない。いじめの首謀者が消えても、ひとたびレズの烙印を押された私たちに対する迫害が終わることは決してなかった。


【終】



[37888] あとがき、その他
Name: 彩嶋セリカ◆1a0d5176 ID:fb878ae9
Date: 2013/06/20 13:59
作品本編は以上です。
お付き合いいただきありがとうございました。

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なお、作品のどこかに著者名もしくは原作者名「彩嶋セリカ」と作品名「向日葵はいつか太陽になるだろう」を明記していただけると幸いです。

※本作はpixivにも重複投稿しています。


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