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[35267] 【完結】怪力魔法ウォーリア系転生TSアラサー不老幼女新米侍女(異世界王宮ファンタジー)
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2020/10/24 06:43
まえがき

現代日本で人生を終えた男が異世界に女として転生し、魔法と蛮族の戦闘技術を身につけ、幼女の姿のまま不老となり、元日本人としての知識を全て出し切り冒険者として活躍し、三十路を間近に控え冒険者を引退した後に新米侍女として第二ならぬ第三の人生を歩む日常系王宮ファンタジー小説です。

胸躍る大冒険も、めくるめく大事件も、驚天動地の大戦乱も、TSを巡る大混乱も、全て転生主人公として消化し終えたアラサー幼女がだらだらと平穏な日々を過ごすだけのお話です。

※小説家になろうにも投稿しています



[35267] 1.私の履歴
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2019/08/03 10:56
 三十歳を間近に控え、私は就職活動をすることにした。
 人の寿命が七十歳弱のこの国で三十路近くになって職探しをするというのは、特殊な事情を抱えていそうな話に聞こえるかも知れない。
 しかし私は別にこの歳まで無職でいたわけでも、失業したわけでもない。
 今就いている仕事がお世辞にも安定した仕事といえるものではないため、平穏な生活と安心できる老後のために、ちょっくら転職でもしようと思い立ったのだ。

 私の『前世』では就職活動をするには履歴書を書く必要があった。
 『今世』の国では履歴書を書く文化がないが、ちょっと特殊な私の経歴をまとめるために、人生の履歴を振り返ってみようと思う。



◆◇◆◇◆



 私は転生者である。
 前世は地球生まれの日本男児だった。一人の日本人として人生を謳歌し、短く太く生きそして死んだ。
 前世の経歴は今生の就職活動にさほど関係あると思えないので、今回振り返るのは省略する。

 で、転生である。輪廻転生。前世の日本男児としての記憶を失わずに私は新しい生を受けた。
 今生の私はある少数民族の姫として生まれた、らしい。
 らしいというのは前世の記憶が今の精神に馴染むまでの間に、私はその民族の庇護の下から離れていたのだ。

 物心ついた幼い頃の私は父に連れられ諸国を漫遊していた。
 旅人である。旅の仲間に母はいなかった。
 なぜ私が母のもとから離れて旅をしているのか父は語らなかった。が、私が姫であること、そして母が生きていることは父から教えられた。
 寡黙な父だった。その父から私はこの世界での生き方を学んだ。

 私は転生者である。そしてこの世界は地球ではない。
 地球から遠く離れた外宇宙の星なのか、次元を跳躍した異世界なのかはわからない。わかる必要もない。この世界で新たに生まれた私は、地球に戻りたいという思いは特に抱かなかった。
 この世界は日本人である前世の私から見て、簡単に言うと「剣と魔法のファンタジー世界」だった。
 文化は中世や近世の西洋にどことなく似ていて、日本語でいうところの魔法に当てはまる不思議な技術体系が存在した。
 この世界独自の動植物の他に、大地の地脈の悪気からこぼれでた魔物なる異生物も存在した。

 父は旅を続けながら魔物を退治して金を稼ぎ、そして私にも魔物との戦い方を学ばせた。
 齢五つにも満たない娘に巨大な両手剣を持たせてさあ振ってみろ、などちょっとありえない教えを受けたのだが、私自身もちょっとありえない生物なので問題はなかった。

 今生の私は人間である。
 人間なのだが、人間離れした力を持って生まれていた。
 私は生まれつき怪力だった。女として生まれ変わってからというもの、私は物を持って重たいと感じたことがほとんどない。
 成人していない小さな体で軽々と人を持ち上げ、馬(のような四つ足の動物)を持ち上げ、岩を持ち上げ、小屋を持ち上げることができた。
 どうもこの世界ではときたま特異体質を持って生まれてくる人間がいるらしい。私達のような存在は『魔人』などと呼ばれているようだ。ちなみに『魔人』は勝手に私が日本語訳した当て字だ。
 そんな『魔人』に生まれた私は父から魔物と戦うための剣技を学び、国々を旅して歩いた。

「お前には苦労をかける」

 そいつは言わない約束だよおとっつぁん。
 私はそれなりに父を尊敬し、共に旅路を行きすくすくと育った。

 そんな旅の生活を続けるある日、父が死んだ。
 ある町で魔物退治の仕事を請け負い、魔物に挑んで返り討ちにあった。いや、父上さすがに竜退治は無謀でしたよ。

 唯一の肉親である父を失った私は天涯孤独の身となった。母のいるらしい遊牧民のもとへと戻るにも、その場所を私は知らない。
 父にこの世界での生き方を学びはしたものの、そのとき私はわずか七歳。父が町に作った知り合い達は、それを見かねていろいろ手を尽くしてくれた。
 気がつくと私は町の外れの塔に住む魔女のもとに、養女として引き取られることになった。

 私は生まれつき怪力なだけではなく、強い魔力も持っていた。
 魔力というのは魔法を使うために人間が使う不思議パワーである。生物であれば多かれ少なかれ身につけているパワーらしい。ただ、私に強い魔力があると言っても『魔人』に分類されるような先天的な超魔力というわけではない。

 実は私は生まれつき言葉を話せない。
 怪力魔人として生まれた弊害か、人間とはちょっと身体の作りが違っていて、声を発する器官が身体に備わっていない。
 そのためか本来なら声と一緒に口からどばーっと飛び出すはずの魔力パワーが身体の中に溜まっている。そこに目を付けた魔女さんが、自分の後継者として私を養女として引き取ってくれたらしい。

 剣と野営の仕方と魔物の殺し方しか知らないような脳筋幼女が、一転して人類の英知の結晶である魔法を学ぶことになった。
 本当に私が単なる脳筋幼女だったらその境遇にくじけていただろう。

 だがしかし。

 私は転生者である。
 元日本男児である。地球でも比較的高い教育水準の国で生まれ育った記憶がある。
 まあ要するに、魔法なる一種の学問を学べるだけの知性が生まれつき備わっていたわけだ。魔法自体にはさほど興味がなかった当時の私だが、衣食住が魔女に保障され他にやることもなかったのでそれなりに熱心に魔法を学んだ。

 そして私がこの世界で十歳と少しになったある日のことだ。

「もうあなたに教えることはない、とは言いません。でも、もうあなたに教えてあげることはできない。なので私の秘技をあなたに伝えます」

 年若い少女の姿をした魔女がそんなことを言い出した。
 見た目はどこの国のお姫様だと言いたくなるような若く美しい魔女だが、実は不老の身で歳は二〇〇を超えていた。
 そして不老ではあっても不死ではなく、魔力の衰退による死が近いと常々こぼしていた。
 で、その日の魔女は言ったのだ。

「明日私は老衰で死にます。なのであなたには私の生きた証として後継者になってもらいます」

 寝耳に水だった。
 明日死ぬなど急に言われても。

 しかし、魔女はすでに死ぬ準備を一人で全て終えていたらしく、最後に私に魔法の秘技を残すだけとなっていた。
 理解の追いつかない私に、魔女は一つの首飾りを渡した。
 それは魔女の『魔法使いとしての証』だった。首飾りについた宝石の中には、魔女の魔法使いとしての全ての経歴が魔法で刻まれていた。
 魔女は私の首にかけたその首飾りを通じて、魔法の秘技を伝えた。
 それはすごくあっさりとした魔法の儀式だったが、魔女に宿っていた魔法の力が私に受け渡されたのがわかった。

 その翌日、魔女は美しい少女の姿のまま死んだ。
 いつの間にか町の者達は葬儀の用意を整えていた。生前の魔女に、死ぬ日を伝えられていたのだという。
 葬儀はつつがなく進められ、魔女の塔の横に小さな墓が作られた。
 私は母のように慕っていた魔女の死を悲しみながら、もう一つ突き付けられた現実に涙した。

 ――ああ、十歳のこの身体で不老になってしまった。

 魔女から渡された魔法の秘技には不老の術も含まれていた。それは任意でかける便利な魔法ではなく、不老は秘技を扱うために必要な一連の魔法システムに組み込まれたセット効果なのだった。
 不老だけ取り外したくても、秘技は完成度があまりにも高く、いじりようがなかった。

 こうして一人の怪力魔法ウォーリア系転生TS不老幼女が生まれたのだった。



◆◇◆◇◆



「つまり私は死ぬまでこの小さな体のままなのだ」

 私はここまで話を聞いてくれた一人の男性に向かい、そう言葉を締めくくった。
 ここは魔女のいた塔のある地の領主の館。目の前で私の話を聞く男性は、領主であるレン・ゴアード・パルヌ・ボ・バガルポカルである。
 長ったらしい名前だが、要約すると次のようになる。
 パルヌ家のゴアード侯爵(レン)。領地(ボ)はバガルポカル領。日本人風に短くするとパルヌ ゴアードさんだ。
 口髭の似合う渋いアラフォーおやじである。ただし。

「なるほど。いやー、会ったときからずっと変わらない美幼女なのはそういうわけかー。てっきり長寿種族の血でも混じっているのかと思ってたよ」

 口を開くとすごいフランクなのだ。見た目渋い侯爵の癖に。
 残念美人ならぬ残念貴人である。

「幼い姿で成長の止まる長寿種族はおらんよ。生物として、不利な子供の状態で長い時を過ごす利点がない」

 よくある私の姿についての勘違いを目の前の男、ゴアードに語る。

「そういうわけで、この幼い姿のまま老後を迎えるまで私を雇ってくれるような仕事先を探しているのだ」

 私がなぜわざわざ侯爵の館に来ているかというと、就職活動の一環である。

 十歳のあの日から三十路を間近に控える今日まで、私は『庭師』として過ごしてきた。庭師といっても、別に貴族の庭を剪定する園丁のことを指しているわけではない。園丁などという安定した職業についているなら、こうして転職先を探してつてを頼り、国中を飛び回る必要はない。
 『庭師』とは、『剣と魔法のファンタジー』風に言うと冒険者である。
 魔女の庇護がなくなった私は、魔女の弟子という経歴をひっさげて冒険者の免許を取った。なんと免許制である。
 魔法を学びはしたが、私は魔法の真理を探究するよりも、今生の父に学んだ魔物退治の力を活かす生き方を選んだのだ。

 免許を取り、魔物を倒し、世界という未知の庭を切り開いていく『庭師』の生活を続けること二十年弱。
 満ち足りた年月だったが、歳を取り、「いい加減一ヶ所に腰を落ち着けてゆっくり生活すべきかもしれない。アラサーだし」と考えるようになった。
 その考えに最適解とも言える職はある。

 専業主婦である。

 しかしこの身は永遠の十歳児。結婚などありえない。
 いや、実際には縁談は『庭師』時代何度かきている。幼女なのに。
 愛に見た目など関係ないとうそぶくロリコン野郎の縁談は、ことごとく蹴ってある。

 なぜなら私は転生者である。元日本男児である。
 男の精神を持って女に生まれ、そして十歳で成長が止まった。
 第二次性徴は迎えておらず、それにともなう精神の変調が起きていない。

 つまり今の私は、幼女ボディの元男精神のアラサーなのだ。

 男精神とはいっても、今生で女性に対し性的な好意を持ったことはない。
 第二次性徴前の女の脳を持っているからだろうか。前世の記憶をたぐると、確か男と女とでは脳の構造が違ったはずだ。
 もちろん同性愛者はこの世界にも存在するが。
 ただまあ私の場合は男にも女にも恋愛感情を持ったことは今のところないのである。

 なので私は、主婦という選択肢を捨て、十歳児の身体で一人老後まで働き続けられるような就職先を探さねばならないのだ。

「何かよい働き先はないだろうか。領主ならば多くの職を把握しているだろうと、恥ずかしながら頼った次第なのだ」

「まあ領地運営している以上、人材には常に飢えてるけどねー」

 ふうむ、とゴアードは立派な黒の口髭をいじりながら言う。

「君ほどの『庭師』なら、お金には困っていないんじゃない? それこそ、そこらの下級貴族並の蓄えがありそう」

「ああ、武具につぎ込むだけつぎ込んでも、なおありあまる金はある」

「じゃあ無理に働かなくても、遊び人として過ごせばいいんじゃないかなー?」

 それはいけない。最悪の解だ。

「若くして自由人になるなどとんでもない。そういうのは隠居してからだ。ゴアードも侯爵ならばわかるだろう。働かない良家の次男三男が、いかに人間として腐っていくかを」

「うーん、一理あるかな」

 この国の貴族は男子が家を継ぐ。家を継ぐ長男以外の男は、家から仕事を与えられなければ、家の財産を食いつぶすだけの『ニート貴族』になる。
 そして、領地を運営する貴族の家には税として多くの富が集まる。貴族の家には『ニート貴族』を養うための財があり、そしてそれを許容する貴族間の常識がある。
 私は『庭師』として貴族からの依頼をこなすことも多くあった。その数々の仕事で見てきた働かない次男坊三男坊達は、みな人としての活力が乏しく、また中には常識知らずなろくでもない人間になっているものもいた。

「やはり老いるまでは、手に職をつけていたほうがいいと思うんだ。私は老いないが」

「『庭師』は駄目なん?」

「『庭師』の仕事は好きだし誇りを持っているが、荒事にもそろそろ疲れたんだ。安定した職について少しゆっくり生活したい」

 魔物を倒し、秘宝を探し、巨獣を討伐し、世界の真相を知り、悪竜に挑む勇者を助け、滅びに向かう国を救った今までの生き方に後悔はない。だが、さすがにそろそろ激動の世界を若さだけで乗り切るのに、疲れを感じてきたのだ。
 いつの日か、私は平穏な生活と安定した老後というものに恋焦がれるようになり、そして今、職を求めて侯爵の前にいる。

「ふーむふむ。お金があるなら自分から新しい仕事を興してみるのも悪くないんじゃなーい?」

「それは駄目だ。私には商才と人を率いる才がないからな」

 それについては日本男児であった前世のころに嫌というほど痛感している。
 そういうものに、てんで向いていないのだ。

「与えられた仕事や、やらなければいけない仕事をこつこつとこなすのがいい」

「じゃああれだ。魔女さんの後継者なら魔法の研究をするのは駄目なのかい?」

「ああ、駄目だな。そもそも私が塔に留まらず『庭師』になったのがそれだ。私は生まれつき声を出せないから、詠唱ができない」

 私は魔女から多くの魔法を教わった。しかしながら、体質上その多くを使いこなすことができない。
 私は言葉をしゃべれない。声にのせて身体の中の魔力を組み立てることができない。魔法を使うのに必要な詠唱ができないのだ。
 今こうして侯爵と面と向かって言葉を交わせているのは、詠唱のいらない簡単な魔法で周囲の空気を振動させて仮初めの声を作りだせているからだ。
 ゆえに私は魔法使いではなく、いくつかの魔法が使えるただの戦士でしかない。

「なので、仕事の斡旋先は魔法に関係ないものを紹介していただきたい」

「うーん……よし、わかった。いい仕事があるよ」

 ゴアードは口髭をいじる手を止め、にやりと渋い笑顔を作った。

「む、今日は伝えるだけにして後日また伺おうと思ったんだが、もう心当たりがあるのか」

 あくまで頼れるつての一つとして無理言ってこの侯爵家を訪ねたのだが、幸先は良いようだ。

「ああ、あれだ」

 そう言ってゴアードは立てた親指を横に向け、何かを指し示した。

「?」

 彼の指の先には、ひっそりと佇む女官がいる。
 部屋に案内された私に茶を入れてくれた後、ずっと部屋の隅に立っていつでも主人の指示に応えられるよう待機していた。

「十六年前の秋に、君に頼んだ依頼覚えているかな? 西のサマッカ館の護衛」

「ふむ……ああ、あれか。覚えているとも」

 ゴアードが侯爵を継いで一年と少しが経った頃のことだ。
 その頃すでに私は彼から何度も依頼を受けて、その全てを成功させており、信用に足る『庭師』として目をかけて貰っていた。
 なにぶん十歳で見た目の成長を止めた身だ。人一倍実績を残さないと大きな仕事は得られない。
 私の拠点である魔女の塔。その土地の領主であるゴアードからの依頼は、受けるに越したことはなかった。

 その時受けた依頼は、領地の西にある狩猟用の屋敷、サマッカ館でのパーティの護衛だ。
 国中の若い貴族達を集めてのパーティが三日にわたって開催される。その招待客の一人に悪魔の影ありとして、悪魔退治の経験がある私が呼ばれたのだ。

 だが、貴族の集まりの中で騎士でもない私が鎧と両手斧を携えて構えているわけにもいかない。
 そこで取られた手段が。

「侍女見習いに扮して護衛に当たったんだったな」

「うん、そう。それ。侍女」

「ふむん?」

 それとは?

「侍女の仕事なら紹介できるよー。君、貴族じゃないけど、前の国王から名誉勲章貰ってたよね? それに『庭師』の免許も最大の種別だ。だから貴族の子女相当として推薦できるし、なにより侍女は生活が安定していて社会的地位の高い仕事だよ」

「侍……女……」

 その提案を拒否する材料は私には特になかった。
 貴族社会の中に飛び込めるだけの教養を身につけている自信はない。が、全く新しい仕事の世界に足を踏み入れるならば、どこでもそんなものだ。

 こうして私、キリン・セト・ウィーワチッタは怪力魔法ウォーリア系転生TSアラサー不老幼女新米侍女となったのだった。



[35267] 2.私の門出
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2021/05/04 08:42
 侍女として斡旋された先は王城でした。

 ……ちょっとわけがわからない。
 王城と言えば王城である。王国の中心であるあの王城である。
 王族が住み、政務を行う多くの貴族が勤めており、近隣国で最強と名高い近衛騎士団の宿舎があり、世界の中枢である『幹』との関係も深い宮廷魔法師団があり、若き国王の側室が集められた華やかな後宮があり、薔薇(のような花)が季節問わず咲き乱れる有名な植物園がある、あの王城である。
 『庭師』時代に何度か訪れたことはあるが、あくまで客の立場として短期間滞在したことがあるだけだ。
 それが今や侍女である。

 この国における侍女とは、貴族の屋敷などに住み込み、主人や客人の身の回りの世話をする女官のことを指す。
 その仕事の性質上、侍女は貴族や豪商などの高い身分の家柄を持つ子女がなる。終身雇用先として侍女になることもあれば、貴女の花嫁修業として短期間侍女を務めることもある。
 少なくとも『庭師』出身の私がなるような仕事ではない。
 いや、これでも私の生まれは一応少数民族の姫であり、『庭師』の冒険の最中にその遊牧民を見つけて姫の証明を受けてはいる。
 ただ、魔物を狩って野をかけずり回ってきたような私が王城の侍女になるなど、前代未聞の事態なのだ。

 どこかの辺境貴族の屋敷付き侍女なら別に問題はないか、と例の侯爵の話を受けたわけだが、斡旋先が国の中心など予想だにしていなかった。

 王城付きの侍女。
 侍女の仕事柄、王城に住み込むことになる。これはまあ問題ない。
 私の経歴はまだ有効な『庭師』の免許がしっかりと保証してくれている。過去の怪しい人物ではないと声を高くして断言できる。声帯がないので声はでないが。

 侍女の業務。
 王城で要職について働く人々はいずれもやんごとない家柄の人々だ。侍女はそんな人々の身の回りの世話をする。
 これが問題だ。免許で経歴が保証されているとは言っても、私自身の身分が高くなるわけではない。とある民族の姫だと言っても、この国にいる誰もが「どこそれ」と首を傾げる知名度だ。そもそも姫として育ってないので王城という場で侍女の業務をするには支障がある。
 いや、私自身は侍女になると決めた時点で貴族社会に馴染む気満々だ。だが、私に奉公を受ける側の人からすれば、『庭師』出身の娘が侍女としてうろつくのにどういう反応をするのか。
 侯爵推薦というカードがどこまで通用するのやら。

 これが下女なら問題はなかった。
 下女は位の低い女官のことで、貴族の娘である侍女に任せられない掃除だとか洗濯だとか力仕事だとかを受け持つ。
 うむ、下女の仕事は得意だ。魔女の塔は私一人で管理しているので掃除や洗濯はお手の物だし、力仕事なら一般人が一〇〇人がかりで持ち上げられないものでも持ち運べる自信がある。
 王城だと下女もそれなりの身分の者である必要があるが、別に『庭師』出身でも問題は感じられない。
 『庭師』は貴族の子女がなるような職ではないが、厳正な審査を通過した者だけが上に登れる平民憧れの職業なのだ。さすが免許制。

 奉公先が王城と知って、私は王城なら下女にしろと侯爵に言った。
 言ったのだが、侯爵は侍女でいいと頑なに意見を変えなかった。というかすがりついて侍女になってくださいと嘆願された。
 そもそも私は選択肢の一つとして侯爵を頼っただけで、侯爵の紹介してくれた仕事に就く必要はない。だが、『庭師』をやめるなら王城付き侍女になってくれとお願いされてしまったのだ。
 その理由はと言うと。

「キリンお姉様! お待ちしておりました!」

 リレン・ククル・パルヌ・ボ・バガルポカルが、花嫁修業のため王城付き侍女として奉公しているからだった。
 リレンとは侯爵家の子供を指す名。つまりは、私より先に侯爵家から一人、愛娘が侍女として王城に住み込んでいるわけだ。
 バガルポカル侯ゴアードは親バカであった。
 一年と少し前、私は侯爵に「娘が家を出ていってしまう、どうにかしてくれ」と泣きつかれたことがある。
 知らんがな。
 とそのときは返したものの、渋いアラフォー親父がだだをこねて泣く姿にはなんともいえない微妙な気分にされたものだ。
 そして今回侯爵から斡旋された仕事先は、ククルと同じ王城付きの侍女。
 つまり私は、ククルのお目付役としてここに送り込まれたことになる。

「久しぶりだな、ククル。元気だったか」

「はい!」

 父親ゆずりの黒い瞳をキラキラと輝かせてククルが答える。
 彼女の頭には前世の日本を思い出させるような艶やかな黒髪が綺麗に結い上げられており、白く透きとおった首筋が美しく浮き上がっている。
 うむ、簡単にへし折れそう。
 じゃなくて、立派に育ったものだ。彼女のことは乳飲み子だったころから知っているが、私のように途中で背の伸びを止めることもなく、立派な貴族の子女として美しく成長した。
 両親に甘やかされて育った完全な箱入り娘だったため、侍女として奉公すると聞いたときは侯爵ほどではないが私も驚いたものだ。
 奉公の理由が、『庭師』として世界中を回った私の冒険話を聞いて、自分も屋敷の外の世界を見てみたくなったからだと聞いたときは、私も苦笑するしかなかったが。あと侯爵ににらまれた。

「侍女長に書面を渡すよう君の父から言われているんだが、ククルが案内役ということでいいのか」

「はい、侍女長に無理言って案内の役目を受けさせてもらいましたの!」

 ここは王城の門前。
 城へと参上した私は門番に新たに侍女として赴任してきたことを伝えたところ、迎えが来るので待つよう言われていたのだ。
 通常、新たに奉公しにやってくる侍女は、身の回りの荷物を乗せた馬車(正確には馬のような草食動物の引く車)で参上するのが普通だと侯爵が言っていた。
 しかし私はそれほど荷物などない。元々が鎧と武器と野営道具だけで世界中を回っていたような人間だ。それらを持つ必要がないなら、いくらかの着替えと路銀だけ持って徒歩で王都に向かった方が速い。魔人なので馬より速く走れる。
 そんなわけで私は、平民上がりの下女のように一人で王城に参上したわけだ。

 迎えとしてやってきたククルと言葉を交わしている最中も、門の詰め所の兵士達がじろじろとこちらを見てくる。
 やはり侍女の一人登城というのは珍しいのだろうか。

「なんかどこかで見たことねえ?」

 私の無駄に高性能な聴覚がひそひそと話している兵士の言葉を捉えた。

「いや、貴族の子なんだから、どっかの夜会で見た覚えがあってもおかしくないんじゃねえか?」

 うん、すまない。私は王城のパーティに参加したことはあるが、貴族の夜会に出た覚えはほとんどない。
 きっとあれだ。前の仕事で鎧と大戦斧を身につけて登城したときに、私を目にすることがあったんだろう。
 そして今の私は侯爵に貰った貴族用の外出着を着ている。そのギャップで同一人物だと気づけないんだろう。ただ、それを彼らに指摘する必要は特にはない。

「それではお姉様、案内しますわ。ようこそ、クーレンバレン王城へ!」

 ククルに手を引かれ、私は王城の中へと足を踏み入れた。
 別に手を繋いで貰う必要はないのだが、ククルのニコニコとした笑顔を見るとそれを言うのも野暮かと思いおとなしくすることにした。
 ゴアード侯とは昔から依頼主と『庭師』という関係だけではなく、気の置けない友人として良好な関係を築いていた。
 ゴアード侯と知り合ったのはククルが生まれるより前のこと。彼には友人として屋敷に招かれることも多く、娘のククルにはいつの間にか姉のように慕われるようになっていた。それで呼び名が「キリンお姉様」だ。
 もっとも、ククルの歳が十を超え立派な少女となった今では、手を引かれる私の姿は姉ではなくむしろ妹のように周りから見えることだろう。
 元日本男児としては情けないものだが、さすがに永遠の幼女となって二十年弱。そういった待遇ももう慣れたものだ。

 手を引かれるまま門をくぐり、王宮の中へと入る。
 先を行くククルから、ほのかな薔薇(のような花)の香りがかすかに鼻に届いた。
 ククル、色を知る歳か。
 いや、王城付きの侍女としてはその程度のおしゃれはして当然なんだろうがね。
 さらにいうと私の嗅覚が魔人として秀ですぎているだけで、実際は周囲に香りを振りまかない程度の控えめな量の香水を身につけているだけだろう。
 いや、香水じゃなくて香り袋か?
 物理的に子供を持てない私としては、この娘の少女としての成長にほのかな嬉しさを感じる。

 『庭師』として目をかけた若手達の成長は、誰もが切ったはったの血なまぐさい香りと一緒だった。
 だが、今私が足を踏み入れようとしている新たな人生は、そういった荒事とは無縁の安定した公職の世界なんだな、と心がほんわりとする。

 ちなみに私も血なまぐささぶっちぎりの人生を歩んで参りました。
 魔物は大地の悪意が染み出した魔力の塊だから切っても血はでないが。だが、魔物以外にも巨獣とか生物としての竜とか人間とかは斬ったら血のシャワーを全身に浴びるわけで、今生の私の青春は血の香水の香りを周囲にぷんぷんと漂わせていました。
 すげえ! 薔薇オーラ満載のククルとは正反対の生き方だ!
 それでも彼女のお目付役として侍女になった以上、薔薇は無理でも青百合(のような花)のオーラを身につけてみせるぞ。
 花言葉は新たな門出。ちなみに何故そんな高尚な知識を身につけているかというと、ここに来るまでの侯爵夫人のスパルタ貴族社会入門教育のたまものだ。

 とまあ、ククルの成長を嬉しく思いつらつらと無駄な思考を日本語でぐるぐると巡らせているうちに、私達の進む廊下の様相が少しずつ変わってきたことに気づく。

「ふむ、使用人用の通路……いや、生活圏かな?」

 見張りが幾人も直立不動していた王宮の入り口とはうって変わり、今進む通路では下女や小姓達が慌ただしく行き交っている。
 私の言葉に、ククルは無駄に尊敬の視線が混じった笑顔を私に向けると、その砂糖菓子のような甘い声で答えた。

「ええ、しばらくお仕事に慣れるまで、キリンお姉様はこのあたりを生活の場所にすることとなるでしょう。市井出身の方も多くいらっしゃいますし、過ごしやすいかと」

 ふぬん。この程度の誰でも気づきそうなことで、感心した目を向けられても困るのだがね。

「侍女長の執務室はこの近くです」

「侍女は侍女、下女は下女と女官の位で仕事場が隔絶されていないのだね」

「侍女は力仕事をしませんし、汚れた王宮の掃除もしません。しかし、そういった仕事が必要な場所を侍女が見つけることがあります。そのときに私どもは下女の方に的確に仕事を割り振る必要があります」

 中間管理職というわけか。

「もちろん、下女の仕事内容を下々の者が行うものとして見下している侍女は、この城では居ませんわ。仕事の違う女官同士が円滑なコミュニケーションを取ることで王城が回っている、とは侍女長の言です」

 ふむ。ふむふむふむ。これはこれは。

「ククル、見ない間に一人前の貴族になったな。外面だけではなく内面もとても美しく育って、姉の立場として非常に誇らしい」

 ククルが王城付き侍女の仕事に誇りを持っていることがよくわかる。働いている姿はまだ見ていないが心構えは一人前だ。
 そしてもう一つわかったことがある。少なくともククルの周囲における女官という仕事は、とてもやりがいのある仕事なのだろう。
 昔から無理難題ばかり持ちかけてきた侯爵も、たまには良い仕事を持ち込んでくれるものだ。

「……キリンお姉様」

「なんだね」

「ぎゅっとしていいですか」

 ふぬ?
 ってああ、ぎゅーってされた! 敵意も悪意も何にもないから完全な不意打ちでぎゅーっとされた!
 待て、今の流れでは私の方からククルをぎゅーっとする場面じゃなかったのか。
 くそう、匂い袋から漂うほのかな香りが心地良いじゃないか。



◆◇◆◇◆



 ククルに手を引かれ侍女長のいる部屋にやってきた私は、侍女長に侯爵からの書面を手渡した。
 紹介状である。
 もちろん、事前に王城には侯爵家から私の細かい経歴を載せた推薦状が送られている。今回のこれは、侍女の仕事を始めるにあたっての身元照合のようなものだ。
 この国には写真技術がない。カメラと似たような役割を持つ魔法や魔法道具は存在するが、一般には広まっていない。
 なので、王城に来て新人侍女ですと言っても、ちゃんと本人かどうか確認する手順を踏まなければならないのだ。

 紹介状には侯爵のサインと魔法印がしっかりと記されている。
 侍女長は魔法のレンズでそれの真贋を確認すると、紹介状から視線を外し私に向かって薄い笑みを向けた。
 三十代半ばほどの美しい婦人だ。結い上げられたピンク色の髪がなんとも異世界情緒を感じさせる。

「キリンさん」

「はい」

 侍女長の服はククルが着ていた服の色違いのもの。
 おそらくこれが侍女の制服なのだろう。
 荷物を抱えて廊下を動き回っていたエプロン姿の下女の制服とは違い、貴族の士官達の周囲に侍るのに相応しいシックなドレスだ。
 ドレスとは言っても動き回るのに邪魔にならないよう、装飾が省かれた控えめなものだ。
 私もこれの色違いを着て働くことになるのだろうか。女に生まれ変わって三十年弱立ったとはいえ、こういった服は苦手だ。

「侍女の業務を始める前に一つ、あなたにお願いしたいことがあります」

 と、紹介状を読み終わった侍女長にそんなことを言われる。
 さて、新たな上司の指示だ。
 頑張って侍女の仕事を覚えて第二……いや、第三の人生をスタートさせよう。

 などと気合いを入れた私に向かって侍女長が続けて言った言葉は、予想だにしていないものだった。

「サインをいただけますか」

「……はい?」

 侍女長の手にはいつの間にか、私の姿絵の描かれた一枚のカードが握られていた。



◆◇◆◇◆



 この王国を中心にして、私は二十年の間『庭師』、つまりは冒険者として第一線で活躍し続けた。
 生まれついての魔人としての力、魔女の後継者としての強い魔力、そして転生者としての特異な知識。それらを活かして思う存分冒険を楽しんだ。
 物語の中で語られるような大事件の当事者となることもあり、この王国で私はちょっとした有名人になっていた。

 私よりすごい『庭師』はいくらでもいる。が、私は目立つ。
 なにせ見た目十歳の幼女が、成人男性の背丈を超える大きな剣や戦斧を振り回して飛び回るのだ。これでもかというほど目立つ。

 さらには私が商人にした助言を基に作られ、貴族向けの娯楽品として大ヒットした『トレーディングカードゲーム』。
 そのヒーローカードに私の肖像が特別に採用されたことが、私の知名度向上に拍車をかけていた。

●剛力の魔人
種類:戦闘カード
攻:12
防:3
種族:人間・魔人
属性:鉄
特殊能力『貫通』:相手の魔法属性以外の防御カードを1ターンに1枚破壊する
特殊能力『失声』:このカードは音属性の補助カードをエンチャントできない

 脳筋一直線のレアカードである。幼女姿なのに斧を構える姿絵が無駄に格好良く、王国の貴族の間では一枚が小さな宝石一粒ほどの価値で取引されているらしい。
 そういうわけで、私はカードに直筆のサインを侍女長にねだられてもちっとも不思議ではない立場なのだ。
 立場なのだが。

「ククル、もしかして城の人達は『キリン』が侍女になったとみな知っているのか」

「どうでしょう。少なくとも私の周りの侍女の方々は知っていますわ。私が広めましたもの」

 ふむん。皆に侍女長のような反応をされたら、ちょっとどうしていいかわからない。
 いや、さすがに自意識過剰か。この王城には私よりすごい騎士だとか魔導士だとかが勤めているのだ。

 サインによって上機嫌となった侍女長に、「今日は来城で疲れているだろうから宿舎でゆっくり休んで欲しい」と言われた私は、ククルに案内されて王宮の廊下を再び歩いていた。
 私の持参した荷物は侯爵夫人から貰い受けたいくらかの服と下着、それと魔女の塔から持参した不自由しない程度のお金だ。念のため『庭師』の免許も持ち歩いている。

「夫人に言われたとおり、これしか荷物を持ってきていないのだが、足りるだろうか」

「ええ、生活に必要なものは宿舎にそろっていますから。それにしても、ふふっ……」

 ククルは私を見ると何かおかしいのか口元に手を当ててくすくすと笑った。
 その仕草がとても可愛らしく、本当にあの渋親父の娘なのかと疑いたくなる眼福さだ。女の身だが美しい少女は見ていて癒される。

「侍女として城に上がるものは、大抵馬車一杯のドレスを持参するのですよ。仕事着は支給されますのにね。持ち込んだ荷物のほとんどを積んだまま馬車が戻っていくのが風物詩なのですけれど……うふふ、お姉様、まさか徒歩で来るなんて」

「侯爵領から馬車で参上するなど、遅すぎて耐えられないよ」

「そうですわよね。ああ、もう私の背ではキリンお姉様に背負っていただいて庭を駈ける遊びができないのですね」

「背負うのが無理なら抱きかかえるさ」

「ふふ、こんな小さな子に抱えられる姿を他の人が見たら驚かれますわ」

 好きで小さい子の姿でいるわけじゃないやい。
 まあククルも冗談で言っているのだろう。このような歳になってまで『ニトロバイクごっこ』を本気でせがんでいるわけはない。
 冗談を言い合える同僚が新しい仕事場にいるというのは幸先の良いスタートだと言える。
 いや、同僚ではなく先輩か。職の先達を『先輩』と呼ぶ風習はこの国にはないが。

「侍女の宿舎は王宮から離れた場所にありますわ」

 ククルが勝手口を開け、王城の庭に私を招く。
 高い壁に囲まれた王城は、いくつかの建物に分かれている。中枢である王宮の他に、騎士団の訓練所や魔法の研究塔、後宮、植物園など、壁に囲まれた土地の中にそれぞれ別の建物が用意されている。と、以前王城に招かれたときに説明を受けた。
 女官の宿舎もそういった中の一つなのだろう。

「男子禁制?」

「男子禁制ですの。……どなたか殿方を連れ込むご予定でも?」

「それはない」

 男子禁制か。元日本男児としては少々ハードルが高い場所だ。
 冒険者である『庭師』として二十年間過ごしたが基本男所帯であったし。

「それは安心しました。侍女の宿舎は二人部屋ですので」

「貴族の子が住むのに二人部屋なのか」

「女官に広い場所を割り当てられるほど王城は広く作られていませんわ」

 言われてみればそうか。いくら王城とはいえ、使用人の一人一人に広い部屋を与えていたら、それだけで敷地内に高級ホテルが建ってしまう。スペースを無駄に広く取っても警備上の問題とかがあるだろう。

「こちらの建物ですわ」

 石造りの立派な建物が目の前に見える。うむ、王城の敷地内に王都ホテルが建っているぞ。
 いや、それほど巨大な建物ではないが、いかにも高級な作りをしている。丁寧に掃除が行き届いているのか外壁がぴかぴかに磨かれ輝いている。
 大理石? いや、この世界の石材事情には詳しくないが。

 漂う高貴なオーラに怯む私をククルが手を引き建物へと招く。
 観音開きの豪華な扉が、ククルの空いたもう片方の手によって開かれる。
 ぐわー、なんだか男子禁制の高貴なオーラに、元一般人の男の魂が焼かれる幻覚がー。

「皆様、キリンお姉様をお連れしましたわ!」

 建物内に足を踏み入れたククルが、そんな言葉を突然叫んだ。
 すると、わずかにおくれてわっと建物の奥から声が響き、扉を開ける蝶番の音が次々と無駄に聴覚の良い私のもとへと届く。
 そして、宿舎の玄関ホールに、年若い少女達が集まってきた。

「え、えーと、ククルこれは?」

「今日非番の同僚の方々ですわ」

 少女達は皆私の方に視線を向けている。注目されるのには慣れているが、このシチュエーションは初体験だ。
 少女達は私を遠巻きに眺め、口々に「可愛い」「お人形さんみたい」「抱きしめたい」「ご奉仕したい」などと言葉を交わしている。
 非番の同僚の方々。つまりは、少女達は皆この宿舎に住む侍女なのだろう。
 そんな私服の侍女達の手には、みな同じものが握られているのに私は気づいてしまった。

 『トレーディングカードゲーム』、ヒーローカード『剛力の魔人』。

 おおう。
 つまりは彼女達は侍女長と『同じ』人種なのだろう。
 『庭師』として王国で武勲をあげた永遠の幼女『剛力魔人姫キリン』に憧れを持つ夢見る少女達だ。

「キリン様! サインいただけますか!」

 ……私、侍女になりにきたんだがなぁ。



[35267] 3.私の研修
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2020/01/09 02:04
「お茶はもう完璧ですわね」

「恐縮です」

 先輩侍女の言葉に、私は慣れない敬語で応える。
 侍女の新人研修を始めて一週間。私はお茶汲みの指導担当の侍女からようやくの合格を貰った。

 侍女を始めてまず最初に難儀したのが、敬語を使い続けることだった。
 私は相手に声を届けるために、思考の表層を汲み取って音に変換して周囲に伝える魔法を使っている。
 要約すると思ったことをそのまま相手に伝える魔法だ。敬語を使うには、まず思考の表層を敬語に変えなければならない。
 しかしこれが厄介だ。まず、私の思考はこの国で使われている言葉で組まれていない。
 では何かというと、日本語だ。ジャパニーズ。
 この世界に転生して三十年弱。それだけ生きてきてなぜこの世界の言語で頭の中を埋めていないのかというと、侍女になる前の職業が関わっている。
 冒険者である。魔物を倒し未知に挑むのがその仕事内容だが、私は偉い人から仕事の依頼を受けることがしばしばあった。その仕事上で、ちょっと他人には言えない国家機密だとか世界の秘密だとかを知る機会があった。
 そして私は魔女の後継者である。自分では使えない様々な魔法の知識があった。その魔法の中に、とても厄介な魔法があることを私は知っていた。

 読心。

 相手の心の扉をこじ開けて、記憶を読み取ってしまう外法が魔法使いの秘術として存在していた。
 ちょっと危ない他人の秘密を知ってしまったあの日の私は、半ば忘れかけていた日本語を自分だけの公用語にすることに決めた。
 その日から私の第一言語はジャパニーズである。しかしそうなると思考を音に変える魔法を使ったとき、周囲に響くのは日本語だ。この世界の誰も知らない言葉で話しても意味がない。
 なので、私は音の魔法を使うときは、思考を必要な分だけこちらの国の言語に訳す。
 ただ思考は思考。前世の頃に使えていた声帯と違って、なかなか融通が利かない。言語の訳はすでに慣れたものだが、今まであまり使うことのなかった敬語を使うのがなかなかに難しい。
 しかしアラサーにもなって敬語もまともに使えないというのは、自分のことながら情けないものだ。

 敬語の次に難儀なのが礼儀作法。
 貴族の作法を身につけていないわけではない。例のサマッカ館の護衛のように、前の仕事でも作法を身につける機会はいっぱいあった。
 しかし、二十年の間『庭師』として世界各国を巡っているうちに、各国の作法を覚えすぎてしまったのだ。
 礼をとって、あれ、これこの国のやり方でいいんだっけ? という具合だ。グローバルすぎるのも考え物である。

 そんな不出来な私を先輩侍女達は幼い子供を見る優しい目で見守り、熱心に指導してくれた。
 さすが花嫁修業の場、王城の侍女である。
 奉公に上がった世間知らずな箱入り娘を、立派な一人前の貴人に改造する出荷工場だ。見た目十歳の幼女を指導するなど日常的なことなのだろう。
 まあその幼女の中身は、三十路を間近に控えたおばさんだが。さらにいうと前世は大往生した日本のおっさんだが。
 閑話休題。
 私は侍女の業務として、侍女長からお茶汲みの仕事を任命された。
 お茶汲みである。正確にはお茶のような植物の葉を発酵・乾燥させたものに湯をかけて、味と香りと色を染み出させた温かい飲み物である。お茶の葉はこちらの言葉で発音すると『カーターツー』であるがお茶としておく。
 貴族出身でない新米侍女にお茶汲みを任せるのは、はたして良いものなのか。人の口に入るものである。毒とか危険である。
 そんなことを仕事を言い渡されたときに侍女長に言ってみたのだが、返ってきた言葉は。

「キリンさんほど信用のおける人物はそうそういません。それに、茶や茶菓子に毒が混ざっていた場合、キリンさんに解毒魔法を施してもらえます」

 え、解毒魔法って何それ私知らない。
 毒なんて自然界に星の数ほど存在していて、それぞれ人体に作用する箇所が違うのだ。解毒魔法なんて万能な代物、それこそ前世のおとぎ話の不思議な魔法ですよ。
 そんな言葉を返してみたら、侍女長は残念そうな顔をしながらもお茶淹れを学ぶようにと指導の侍女を一人つけてくれた。
 その侍女は顔見知りのククルではなかったが、ククルの友人であるようだった。
 金髪の巻き毛が可愛いカヤ嬢。前職の冒険話をねだられつつも、お茶汲みの手順を学ぶこと一週間。
 ようやく私は、人前でお茶を入れても恥ずかしくない、最低限のレベルに到達することができたわけだ。
 あとは日々精進を怠らず、新人教育を受け続けいつの日か正式に業務を割り当てられるのを待つばかりである。

「じゃあ早速政務中の官僚の方にお茶を入れに行きましょうか」

 あれ、ちょっと前職並に新人の現場投入が早くないでしょうか。



◆◇◆◇◆



 王宮のある執務室の扉で、カヤ嬢が綺麗なその指で拳を緩く作り、ノックを二度行った。
 二度のノックは使用人が部屋の主に伺いを立てるときに使われるもの。前世の地球では二回ノックはトイレで行うものだったが忘れてしまっていいだろう。
 扉の向こうから「入れ」と返事が返ってくる。入ってます、じゃなくて良かった。いや、トイレは忘れよう。

「失礼します」

 カヤ嬢はそう述べると、静かに扉を開いた。
 先にカヤ嬢が入室し、扉を押さえる。そして私が遅れて茶器の乗ったワゴンを押しながら扉をくぐる。
 そして、事前に説明されたとおり、室内の士官達に向かってカヤ嬢と共に礼を取った。そしてカヤ嬢が言う。

「お茶をお持ちしました」

「……ああ、もうそんな時刻か。休憩するとしようか」

 部屋の中では、武官が三人応接用のソファーに座り、テーブルに書類を広げていた。
 カヤ嬢の説明によると、ここは王都と周辺地域の巡回兵をまとめあげる千人長の執務室。騎士団のものや文官達が訪れることが多いらしく、茶器は多めに用意してある。
 そしてお茶淹れ初仕事の私の前には、兵士隊の長であることを示す軍服を着た千人長を含めた、三人の武官がソファーに身を預けている。
 いきなりハードルが高くなった、と思いながらテーブルの横にワゴンを運ぶ。
 と、座る武官の一人の顔を見て私は心の中でうげ、と声をあげた。幸い私は魔法で言葉を飛ばさなければ声を発せないので、口から漏れたのは吐息だけだった。

 武官の一人に、見覚えのある人物がいた。
 かつて冒険者時代に王国の騎士と協力して飛竜退治をしたときに、騎士のまとめ役として顔を合わせたことのある人物だ。
 役職は、青の騎士団の副団長。そのときから年代が経過しているので今は騎士団長にでもなっているのかもしれない。
 私の正体に気づかれたらどんな反応をされるか。彼の人柄を考えると大笑いされるのは必至だ。
 ……いや、おとなしくしていれば大丈夫だろう。当時と髪型も違うし、侍女服だし、かぶるのが任意の侍女帽も被っている。
 王城で働くと決めた以上、顔見知り相手に奉公するなどこれからいくらでも機会が回ってくるのだ。落ち着こう。

 落ち着いた。習ったとおりに茶器に茶葉を入れ、湯を入れ、砂時計を置いて蒸らし、カップに茶をそそぐ。
 そして三人分のお茶を順番にテーブルへと音を立てないように差し出し、「どうぞ」と告げる。
 そんな様子を見ていた赤髪の千人長が、こちらを見てにっこりとほほえんだ。

「これはまた可愛らしいお嬢さんだ」

 わっふー。注目された。
 まあ確かに結婚適齢期前の貴族の子女が侍女になると言えど、見た目十歳の幼女が茶汲みをするのは珍しいのだろう。

「ええ、先日城に召し上げられたばかりの侍女ですの」

 カヤ嬢がそう補足を入れてくれる。
 私はとりあえず千人長に向かって侍女の礼を取った。
 今の私は研修中の木っ端侍女なのでわざわざ名前を告げる必要はないだろう。

 ツンツン頭の青の騎士がこちらをんんーっと注視しているが、何かを言われるまではスルーである。
 そして、彼らの中でいち早く紅茶に口をつけたもう一人の紫髪の武官が、優雅とは言えない仕草で一口二口とお茶を飲み、口を離してカップをテーブルに置いた。
 味はどうだっただろうか。不味いと言われたらショックで立ち直れなくなる……わけではないがちょっとくじけるかもしれない。
 紫髪の武官が、口を開いた。

「で、西のやつらの動きだが」

 って仕事の話を続けるんかい。千人長様がさっき休憩しようって言いましたよね。
 千人長は苦笑しながら、ああ、と言葉を返した。
 そして青の騎士がごくごくとお茶を飲み干してから、話に続く。熱くないんかい。

「共和国の影が国にだいぶ入り込んでいるな。うちの部下が伯爵領で見つけたが取り逃がした」

 影。王国を含めた周辺国での隠密のことだ。ジャパニーズ風に言うなら『忍者』だ。

「王都にも痕跡がある。王城まで忍び込まれているとは思いたくないが……」

 難しい表情で千人長が唸る。『忍者』を捕らえるのは中々骨の折れる仕事だ。
 彼らは闇に紛れる魔法を駆使し動き回り、さらに変装を得意とする。

 と、冒険者時代の思考を巡らせたところでふと気づいた。侍女がこんな話を聞いて良いのか。
 私は隣に控えるカヤ嬢の様子を窺うが、彼女は特に気にした様子もなく三人が茶を飲み終わるのを待ち佇んでいる。
 今交わされている会話はつまり侍女に聞かれても問題ない程度の話なのだろう。
 私も先輩を見習って心を落ち着けなければ。
 大丈夫、前職の職業柄平常心を保つことには慣れている。

 ……と、心を静めたところで魔人としての私の感覚に何かが引っかかった。
 これは……。
 心をさらに深く静め、身体の奥底に渦巻いている魔力を引き出し私の周囲に飛ばす。
 “引っかかった”。

「失礼します」

 そう私は三人の武官に言葉を飛ばすと、ワゴンの上に乗せていた茶器を一式、目の前のテーブルの上に素早く移し替える。
 横でカヤ嬢が私の突然の奇行にぎょっとするのが感じ取れる。
 武官達もさすがに驚いて、「どうした」と言ってくるが、スルー。
 ワゴンの上から全ての茶器を移し終えたことを確認すると、私は金属製のワゴンを片手で軽く“持ち上げた”。

「なっ!?」

 驚きの声を誰かがあげるが、それもスルー。
 そして私は、ワゴンを振り上げ、執務室の“壁”に向かって体を走らせた。

 一瞬で目の前に迫った壁に、持ち上げたワゴンを思いっきり――ではないが加減してぶちかました。
 轟音と共に、強固な王城の煉瓦造りの外壁が破壊され、石材を外に向かってぶちまけながら部屋に大きな穴を開けた。

 ――剛力魔人百八の秘技が一つ、要塞徹し!

 持てる怪力の力を手に持つ武器の一点に集中し、被害を最小限に抑えながら壁をぶち抜く脳筋技だ。武器は壊れないように魔法で保護する。
 百八もあるのは「私の秘技は百八あるぞ」と戦いの場でお茶目心を演出するためにいろいろ用意したちょっとした遊び心だ。「私の馬力は53万です」は没にした。さすがにそこまで怪力じゃない

 と、私がなぜこんな突拍子もない暴挙に走ったのかというと、執務室の部屋の外、王宮の外壁に明らかに『人の影』が感知できたからだ。
 白昼堂々王宮の外壁にへばりついているなど、普通では想像も付かない。が、先ほど武官達が言っていたではないか。『忍者』が王都に忍び込んでいると。そして『忍者なら』その程度やってのける。

 私は壁に空いた穴から、王宮の外へと身を投げ出す。
 例の執務室は三階である。ぶちまけられた外壁の石材が宙に舞っている。そして、その中に石材の色と同じ迷彩服を着込んだ人間がきりもみ回転で空を飛んでいるのを見つけた。
 私はその『推定忍者』に向かって身体を飛ばす。背中から吹き出た魔力の噴射が私をさらに加速させ、そして私の小さな腕が推定忍者の身体を捕らえた。

 空を舞う私と推定忍者。高さは王宮の三階相当。
 だがこの程度の高さは私にとって階段を二つ飛ばしで飛び降りた程度の瑣末なものだ。
 私は推定忍者を肩に担ぎ上げ、しっかりとホールド。そして、飛び出した横方向の勢いと、自由落下の勢いを殺さぬまま、私は王城の庭に豪快に着地した。
 肩の後ろから骨がきしむ鈍い音が鳴り響く。私は着地の衝撃を余すことなく、密着した身体を通して担ぎ上げた推定忍者に伝えたのだ。剛力魔人プロレスの脳筋バスターである。

 そして私は着地した地面に、抱えた推定忍者を放り投げた。
 推定忍者は男で、口から泡を吹いて気絶している。そしてその迷彩服の特徴から、武官達が話していた「西のやつら」である隣の大陸の共和国の隠密だということを察した。王宮の壁にへばりついて、影の魔法で室内の会話を盗聴していたのだろう。

 私が着地した場所の遠くから、轟音を聞きつけた者達が慌ただしく走り回っているのを私の聴覚が感じ取った。
 王城に見事な穴を開けてしまったが、この気絶する隠密を生け捕りにしたことを伝えれば、咎められることはないだろう。きっとない。ないといいな。

 ともあれ、私の初めてのお茶汲み実地研修は、こうして思わぬ形で終結することになった。



[35267] 4.私の動機
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2019/06/26 01:09
「ぶはははははは! 侍女て! 怪力幼女が侍女て!」

 忍者を捕まえてから騒ぎを聞きつけた城の憲兵に囲まれ、遅れて私の元へやってきた青の騎士に事情を説明したところ、見事に大笑いされた。
 脳筋バスターで股関節を完全に破壊された忍者は憲兵に担がれ運ばれていき、残された私は青の騎士と城内の警備担当の兵士長に取り調べを受けていた。
 それでまあ、当然のように私の正体が露見したわけだ。

「じ、侍女。マジで侍女なん? 近衛騎士とかじゃなくて?」

 笑いを隠そうともしない青の騎士団元副団長――数年前に騎士団長になったらしい――が私に問いかけてくる。

「はい、バガルポカル侯の推薦で一週間前より王城付き侍女となりました」

「だははははは! 幼女魔人が敬語使ってる! なんだこれ!」

「何かおかしいところでもありましたでしょうか」

「全部おかしいよ!」

 声を出して笑う青の騎士。隣にいる兵士長はそれを困ったような顔で見ている。
 兵士長は事態をまだ飲み込めていないのだろう。この人とは面識がないため、見た目十歳の侍女の私が忍者を捕まえたことに理解が及ばなくて当然だ。

 私は何度も練習した侍女の礼を兵士長に取る。

「お初にお目にかかります兵士長様。私は侍女見習いのキリンと申します」

「ぶは!」

 青の騎士が私の挨拶に吹き出すが、スルー。

「千人長様の執務室でお茶淹れをしていたところ、壁越しに影の気配を感じ、逃げられる前にと捕縛した次第であります」

「う……む……」

 兵士長が私の言葉に困惑しながら頷く。

「壁越しに気配を感じる……というのがよくわからんが」

 思って当然の疑問を兵士長が尋ねてくる。

「はい。私は魔人の生まれで魔法もたしなんでおりますので、常人より人の気配というものに敏感なのです」

「そうか……」

 それでもなお納得できないという顔でこちらを見下ろしてくる兵士長。

「あー、兵士長さん。こいつこう見えても四十超えたババァの『庭師』なんだよ。見た目に騙されちゃいけねえ」

「失礼ですね。私はまだ三十路も迎えておりません。それと『庭師』は退職し、今は侍女見習いです」

 反論の言葉を投げておくが、青の騎士の説明でようやく納得いったのか、兵士長の顔から険が取れる。
 こういうのは見た目幼女の私が説明しても中々理解して貰えないものだ。その点で、私を知る青の騎士が居たのは幸運である。
 しかしまあ、奉公早々やらかしてしまったものだ。
 王宮に穴を開けるという暴挙は王宮まで忍び込んだ影を捕まえたという功績でおとがめなしに多分なるだろうが、侍女見習いの身で少々目立ちすぎた。

「侍女の身で影を捕まえるというのは、過ぎた行為でしたでしょうか」

「……いや、城で働く者が不審者を見つけた場合、何らかの手を打つのは当然のことだ。この場合憲兵を呼ぶのが正解だが」

「共和国の影は素早いので、迅速な対処を行わせていただきました」

「そうだな。その点に関しては礼を言おう。我々は、城に影が入り込んだというのを今の今まで気づけていなかったのだ」

「恐縮です」

 再度兵士長に侍女の礼を向ける。
 うむ、今回の件はこれで問題はないようだ。

 と、兵士長との会話を黙って聞いていた青の騎士が動いた。私に向かって一歩踏み出し、ぬっと手を伸ばしてくる。
 その手は侍女帽を被った私の頭の上にぽふっとのせられ、ぐりぐりと左右に動いた。
 かいぐりかいぐりと頭を撫でられる。

「おめー、剛力幼女の癖に可愛いじゃねーかこの。昔のクールな態度はどこにいったんだよ」

「やめてください不快です死にます」

 今の私は侍女だ。
 騎士団長や兵士長に敬意を払うのは当然の職務なのだ。

「侍女かー。なんでまた侍女なんだよー」

「安定した職業ですので」

「戯曲にもなった最強の戦士が、安定した職探しかこら」

「若さで乗り切るには辛い歳になりました」

「おめー永遠の幼女だろおい」

「体は老いなくても、心は老いますので」

 このまま行けば、数十年後には見事なロリババァの完成である。魂は元男なのでロリジジイでもある。
 我が師であり育ての母でもあった魔女は美少女ババァであった。

「しかし侍女ねぇ。そうだ、青の騎士団付きになってくれよ。若手にお前の剣を見せてやれる」

「見習いの身ですのでそこはなんとも。あと青の騎士団の兵舎は王城ではありませんよね。私、王城付き侍女ですので」

「かー、敬語使ってても、やっぱりつんけんしてるなてめーは」

 かいぐりかいぐり。そろそろ撫でるのをやめて欲しい。
 ほら、横にいる兵士長もどうしていいのか困った顔をしているぞ。



◆◇◆◇◆



「キリンさんは、なぜ『庭師』から侍女になったのでしょう」

 青の騎士から解放され、仕事終わりの侍女の宿舎。
 二人部屋の同居人、カヤ嬢がそんな疑問をぶつけてくる。
 カヤ嬢とは一週間共に過ごしてきたが、『庭師』時代の話をせがまれはしても侍女になった理由を聞かれたことがなかった。
 おそらく、今日実際に私の魔人としての馬鹿力を目の当たりにして疑問が湧いてきたのだろう。

「ふむ。言ってなかったな」

 仕事明けで敬語を使う必要がなくなった私は、自然体でカヤ嬢に向かう。
 仕事中は同僚の侍女達にも練習として敬語を使って話すが、仕事が終わると肩の力を抜いて普段通りの言葉遣いに戻している。

 今は仕事着から私服に着替え、カヤ嬢と共に二人部屋で夜の一時を過ごしている。
 私は水で薄めたワインを飲みながら、カヤ嬢に語る。未成年のアルコール摂取による成長の阻害も何も関係ない体なので、飲酒は問題ない。

「『庭師』の冒険は華やかだ。魔物を倒し、事件を解き、世界を巡る、誇り高い仕事だ。世界樹教の教えにも相応しい善の生き方だ」

「ですわよね。キリンさんに話を聞いていて、素晴らしいお仕事だと思いましたもの」

「素晴らしい仕事だよ。……ただね、問題があるんだ。名声を得て、舞い込んでくる依頼を次々とこなす。やりがいはあるのだが……正直疲れる」

「疲れるのですか」

 そう、私は疲れたのだ。

「私も若い頃は意欲に満ちあふれていた。だがな、激しい人生を三十年も続けていると、さすがに休みたくなるんだ」

「それで侍女に?」

「ああ、別に侍女でなくともよかったのだがね。まあ、『庭師』ほど忙しくない、危なくない、ちゃんとした仕事に就きたくなったわけだよ」

「なるほど、そうでしたか」

 カヤ嬢は納得したというように頷いた。
 『庭師』の仕事は花形職だが、皆四十を前にして引退する者が多い。
 命の危険が常に伴う仕事なので、肉体の衰えを感じるとさっさと隠居してしまうのだ。前世でいうところのプロスポーツ選手みたいなものだ。
 そして私に訪れたのは、肉体の衰えではなく精神の衰えだったというわけである。

「まあ別に侍女の仕事を楽なものだと、馬鹿にしているわけではないけどな。これも立派な職業だ。とてもやりがいがある」

「ええ、私、侍女の仕事に誇りを持っていますわ」

 金色の巻き毛を揺らしながら、カヤ嬢が誇らしげに胸を張る。巨乳だ。
 女性に対し性的な興味はないが、大きな胸というものには少し惹かれるものがある。おそらくこの永遠の幼女ボディでは持ち得ないパーツだからだろう。う、うらやましくないんだからね! 元日本男児なんだから!
 閑話休題。

「カヤ嬢は、花嫁修業のために王城に来たんだったか」

「ええ、許婚がすでにおりますので、立派なあの方に見劣りしない淑女になるためにこの道を選びましたの」

 カヤ嬢は王国の南に領地を持つ伯爵家の次女である。
 そんな高貴な家柄を持つ彼女は、元『庭師』である私を過剰に尊敬するわけでもなく、畏怖をもつでもなく、下にみるでもなく、子供扱いするでもなく、一人の侍女見習いとして見てくれる非常に出来た娘さんだ。
 そんな彼女が立派なあの方と呼ぶ婚約者も、またいい男なのだろう。

「許婚か。どんな人か聞いてもいいかな」

「ふふ、キリンさんとはすでに面識がある方だと思いますわよ」

 ほう?

「青の騎士団の騎士団長様ですわ」

「……あいつか!」

 なんてことだ。カヤ嬢みたいな良い子の夫がよりによって、あんなノータリン野郎になるだなんて。

「カヤ嬢、考え直した方が良い」

「はい?」

「あいつはろくでもないやつだ。カヤ嬢のような出来た娘があいつの妻になるなど……」

「まあ、キリンさん。セーリン様は素晴らしい方ですわよ」

 セーリン。あの青の騎士の本名だったか。

「だがあいつはろくでもないやつで、剣の腕も……良いな。騎士の指揮能力も……高いな。部下からの評判は……あれ、高いぞあいつ」

「でしょう? 今の至らない身の私には勿体ない高貴な方ですわ」

「高貴……いや高貴はどうだろう。『庭師』の頃の私と馬鹿話ばかりをしていたし、先ほども侍女になった私を指さして笑っていたぞ」

「まあ、セーリン様と仲がよろしいのですね。私の前ではそんな姿を見せてくれませんのに。妬けますわ」

「ええー……」

 なんだあいつ。もしかして許婚の前では格好付けてるのだろうか。
 笑われた仕返しに冒険者流のいじり倒しをやり返してやろうか。
 やーい、お前の婚約者才色兼備ー! あ、褒め言葉だこれ。

「私もセーリン様に砕けた会話を向けてもらえるよう、努力しませんとね」

 あー、うん。
 本人がその気ならこれはこれでいいのか?



[35267] 5.私の余暇
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2020/10/27 08:26
 一日の侍女の仕事が終わると、私達は宿舎に戻って私服に着替える。
 最初にこの宿舎に訪れたときは豪奢な外観と建物のサイズに驚いたものだが、実際に侍女として過ごしてみるとこの王都ホテル並の建物が王城敷地内に建っているのも納得できるようになった。

 侍女の制服を脱いだ仕事終わりの侍女は、宿舎の外に出ることができない。
 王城に住み込む女性の数は多い。そんな女性達が仕事を終えた後に王城内をうろうろすると、警備上の問題が発生してしまうのだ。
 もちろん、個別に割り当てられた休日ならば、私服を着て城の外に遊びに行く権利はある。ただ、日常的に制服を脱いで城の中をうろつくことができないだけだ。

 侍女は終業後の自由時間を宿舎の中で過ごす。そして侍女は皆、それなりの身分をもつ貴女達である。
 ゆえに、身分に合った時間を過ごせるよう、宿舎の設備が充実しているのだ。
 私達はあくまで侍女なので、身の回りの世話をしてくれる担当侍女はいない。が、宿舎担当の下女達が生活を支えてくれている。

 宿舎内の食堂で食事は三食用意されるし、大浴場もある。
 この国の貴族には風呂に入る文化がある。元日本人としては嬉しいことだ。
 他にも暇を過ごすための遊戯施設や茶室、図書室も宿舎内にある。

 王城付きの侍女になった私も仕事を終えた後は、この広い宿舎の中で次の日の朝まで過ごすという生活を送るようになった。
 しかし、これがなかなか窮屈である。仕事終わりに城下町の酒場に繰り出して一杯ひっかけるという、自由人な過ごし方ができない。
 城の外に出るには、侍女長に外出許可届けを出さなければならない。王城なので、人の出入りを管理していて当然である。

 長い自由時間を宿舎の中で潰さなければならないのだが、困ったことに時間を潰せる趣味というものが私にはなかった。
 前世の日本男児時代の趣味は、釣りと登山、アウトドア全般。宿舎の中でできるようなものではない。
 本を読んですごすにも、いまいち気乗りがしない。前世では読書と言えば某有名週刊少年漫画雑誌を読むことだった。この国には漫画文化はない。正確には生まれたばかりの文化だ。
 貴族向けの室内球技があるのだが、私の場合体の性能があまりにも高すぎて、侍女になるような少女達では相手にならない。
 貴族の間でブームとなっている『トレーディングカードゲーム』は魔女の塔に全部置いてきてしまった。まとめて休日が取れたときにでも走って取りにいかなければ。

 そんなわけで、仕事終わりの私は非常に暇なのだ。
 侍女達が私の『庭師』時代の話を聞きたがっているが、一方的に話を語るというのはあまり楽しくない。
 対等な立場で日常会話を楽しめる友は、まだククルとカヤ嬢くらいしかできていない。出自が特殊過ぎて友達作りをするのにも難儀する。
 そんな新米侍女の悩みを私は、同室のカヤ嬢に相談してみることにした。

「あら、でしたら新しい趣味でも作ってみてはいかがですか」

 読みかけの本を横に置いて話を聞いてくれたカヤ嬢は、にっこりと笑ってそんな答えを返してくれた。
 新しい趣味! なるほど!
 しかし宿舎の施設が充実していると言えど、私に向いているものがあるだろうか。
 恥ずかしながら今生に女の身として生まれてからというもの、インドア的な嗜好は魔法の研究くらいしか覚えていない。
 世界を回るため各国の言語を習ったりもしたが、それはあくまで勉強だ。勉強を趣味にするほど私はインテリな人間ではない。むしろ脳筋だ。

「何事も挑戦ですわ」

 う、む。さすがカヤ嬢。良いことを言う。

「それじゃあキリンさん、ちょっと施設へご案内しますわ」

「む、どこへだね」

「裁縫室です」



◆◇◆◇◆



 案内された部屋には、大量の布が置かれていた。
 さらには機織り機がいくつか置かれ、その一つに女性が一人座り織物を作っていた。
 他にも、毛糸を手に編み物をしている少女のグループが、楽しげに談笑している。
 部屋に踏み込んだカヤ嬢と私にその少女達の視線が集まるが、カヤ嬢は涼しげに視線を受け流して部屋の奥へと進んだ。

「刺繍なら、私でも部屋で教えられると思いますの」

「刺繍か」

「はい、こういうものですわ」

 カヤ嬢は部屋の隅に置かれていた箱をあけ、一枚のハンカチを取り出した。
 白いシルク(のような生地)のハンカチには、白い糸で美しい薔薇(のような花)が装飾されていた。

「なるほど、確かに覚えれば時間を有意義に使えそうだ」

「ええ、作ったものは綺麗にできれば、普段身につけることも出来ますしね。キリンさんの場合、香り袋作りなんて良いのではないかしら」

「む、香り袋か……」

「キリンさん、香水もつけていらっしゃらないでしょう?」

「生まれつき嗅覚が鋭く、それを活かす仕事についていたからな。匂いをつける習慣がなかった」

「でも侍女になったからには、やりすぎない程度には香りにも気を配ったほうがいいですわ」

「そういうものか?」

「ええ、やんごとないご婦人の周りに侍ることもありますから」

 会話を続ける最中にも、カヤ嬢は部屋に用意されていた道具を手際よく集めていた。
 彼女はいくつかの安布に、針と糸、それと教本らしい薄い紙の束を用意した。

「自室で始めてみましょうか。このお部屋でやると他の方々が集まってしまって、ここを利用している方に迷惑がかかってしまうでしょうから」

 うむ。カヤ嬢も私のこの宿舎での扱われ方というのをすっかり熟知したようだ。
 しかしよく気がつく子である。
 知れば知るほど青の騎士に嫁に出すのが、本当に惜しくなる子だ。



◆◇◆◇◆



「キリンさん、手先が器用なんですね」

 刺繍を始めて数時間、就寝時間が近づいた頃、カヤ嬢にそんなことを言われた。
 今私がやっているのは、失敗してもいい安い布の切れ端に簡単な縁取りの刺繍を施す作業である。
 針と糸を使った細かい作業。それを私は教本とカヤ嬢の教えに従って、するするとこなしていた。

「うむ、刺繍は初めてだが、裁縫は昔からよくやっているからな。旅先で服が破けたら自分で縫わないと替えが利かない環境にいた。子供サイズの魔法繊維の戦闘服なんて、そうそう手に入るものではないしな」

「なるほど、そうでしたか」

「魔法の道具作りでも細かい作業が多い。針と糸は使わないが、布に魔法陣を刻み込むようなこともやったことがある」

「剣を持って、魔物に立ち向かうだけではないのですね」

「剛力魔人が繊細な作業をできて笑えるかい」

「いえ、そんなことはありませんわ」

 そう答えつつもカヤ嬢の目はわずかに泳いでいる。
 まあ仕方がない。
 私の武勇といえば、虎のような巨獣の首を素手でねじ切っただとか、固く閉ざされた要塞の扉をこじ開けただとか、岩山を剣で両断しただとか、そんなパワーイズジャスティスなものばかりだ。
 繊細な手先とはイメージが結びつかなくて当然だ。
 というか、私の怪力を知る人の中には、私のことを力をセーブできず人に触れるとミンチにしてしまう化物だと思い込んでいる者もいるくらいだ。
 む、もしかして、普段私のことを妙に恐れて、遠巻きに見ている一部の女官の人達はそんな勘違いをしているのか。
 こちとら人外レベルの怪力に付き合って三十年弱だ。今更力の加減を間違えるということはない。恐れずに接して貰いたいものだが。

 侍女の同僚にお近づきの印として私が刺繍した小物をプレゼントすれば、そういったわだかまりもなくなるだろうか。
 そう考えるとやる気が起きる。

「その分ですと、目標の香り袋作りに取りかかれるのもそう遠くはないですね」

 しかし、私よりカヤ嬢の方が嬉しそうなのが不思議だ。
 ククルとはまた違う形でこの子には懐かれている気がする。



◆◇◆◇◆



 刺繍を始めて数日後の終業時間。

「昇り竜!」

 完成した香り袋の刺繍をカヤ嬢に向けて、高々と掲げてみせる。
 昇り竜。前世の日本にいた頭にヤのつく職業の人が背中に彫っていたような、猛々しい幻想の生物である。
 その幻想生物の姿が、香り袋用の分厚い生地に三色の糸で見事に再現されている。
 我ながら素晴らしい出来映えだと思う。こんな才能が私に眠っていたとは。いや、元々裁縫は得意だけれど。

「竜ですか」

 図書室から持ち出した恋愛小説に目を通していたカヤ嬢が、私の掲げる香り袋に目を向けた。

「私の知っている竜の姿とはだいぶ違いますわね」

「うむ、ここでいう竜とは、地を這うあのトカゲもどきとは違う神聖な生き物なのだ」

 私の説明を聞きながら、カヤ嬢は膝の上に本をのせニコニコと笑顔を向けてくる。
 まだ短い同室の付き合いだが、彼女はとても聞き上手な人であると最近理解した。

「竜は川の化身なのだ。ほら、蛇のような細長い体躯をしているだろう。いかにも川を登りそうだろう」

「そうですね。確かに川の幻獣と言われればそう見えますわ」

「竜は元々川をさかのぼる鯉なのだ。……ああ、鯉と言ってもわからないか。大きな川魚だ」

「竜なのに魚なのですか」

「うむ。流れの急な川をさかのぼり、滝を昇り、竜の門と呼ばれる伝説の大河を登りきった鯉は、川の化身として竜に変わるのだ。これになぞらえて、立身出世の道となる難関のことを『登竜門』と呼ぶのだ」

「まあ、初めて聞く言葉ですわ」

「遠い国の故事だよ」

 遠い国どころか遠い世界であるが。
 ちなみにこの世界に鯉はいない。
 旅の食料として川魚を多く捕まえてきたが、この世界の川の生態系は地球とかなり違う。命の危険を感じる大きさの沢ガニとか生物事情はかなりデンジャラスだ。

「立身出世の願がこめられた竜なのですね」

「そうだな。川を登りきって竜となった後には、天に昇っていくんだ。天に向かう竜の姿を昇り竜という」

「翼はどこでしょうか」

「翼はない。神聖な幻獣だからな。翼を使わずとも空を飛べるのだ。もちろん竜としての強力な神通力も有している」

「不思議な竜なのですね」

 そう納得したカヤ嬢は、膝の上にのせた本に栞をはさみ、横の机の上に本をのけた。
 そして、立ち上がって椅子を持ち上げると、私の隣まで椅子を運び、香り袋がよく見える位置まで近づいてきた。
 私は隣に座ったカヤ嬢に昇り竜の生地を手渡して見せた。私的には会心の出来だが、先輩刺繍少女としてはどういう評価を下すだろうか。

「立身出世の猛き幻獣ですか……ね、ね、キリンさん、これどなたに差し上げるの?」

 うむ?

「千人長様かしら? 兵士長様かしら? いえ、まだ高い地位についていない若い騎士様かしら!」

「何を言っているんだカヤ嬢」

「んもう、恥ずかしがらずに教えてくださいな。どんな殿方を狙っていますの?」

「本当に何を言っているんだ」

 いきなり何を言い出すのだこの娘は。
 香り袋の刺繍からどうすれば男の話になるのだ。
 いや、待てよ。カヤ嬢がさっきから熱心に読んでいたのは恋愛小説だ。思春期の少女の脳内でとんでもない変換が行われているかもしれぬ。
 昇り竜。登竜門。立身出世。香り袋。誰に差し上げるのか。
 ……ああ、なるほど。そういうことか。

「カヤ嬢、これは私が自分のために作った生地だよ。他の人に渡す予定はない」

「え?」

「私用だ。別に誰かの出世を願って作ったわけではない。昇り竜にしたのは、単に格好良いからだ」

「……え?」

 何かを考えるようにカヤ嬢の表情が固まる。
 カヤ嬢は香り袋の生地を握って停止し、十秒ほど経過したあたりでようやく動く。

「キリンさん」

「納得いったか」

「これは没収ですわ」

「え?」

 なにがどうなってそうなった。

「んもう、キリンさん、今のご自分を理解していらっしゃらないの? あなたは侍女なのですよ」

 んん?
 それはあれか。侍女の身で立身出世の意味を持つ昇り竜を持つのがまずいということか。

「あなたはもう剣を振り回す武人ではないのですよ。可愛らしい十歳の侍女見習いさんなのです。それがこんな強そうな幻獣など、お姉さん許しません」

「んん!?」

「いいですか、戦いばかりの日常を何十年も過ごして自覚していらっしゃらないかもしれませんが、キリンさんはとても可愛いのです。抱きしめて一緒に眠りたくなるほど愛らしいのです。そんな子が、竜の香り袋などもってのほかです」

 ぷりぷりと怒り出すカヤ嬢。
 いや、私から見れば今の怒っているカヤ嬢の方が可愛らしいぞ。

「キリンさんに似合うのは獣ではなく、可憐な花です。青百合、白詰草、紫陽花。そういう香り袋を常に持ちあるかなければならないのですよ」

 ならないのですよ、と言われても。

「そうですわ、キリンさんには貴女としての情操教育が足りないのです。刺繍だけでは足りませんわ。楽器にダンスもやりましょう。お茶も淹れる側ではなく飲む側になるべきですの。今度のお休みには刺繍のために一緒に薔薇の植物園に参りましょう」

 一気にまくし立てるカヤ嬢が怖い。
 キラキラしていた眼がいつの間にかギラギラに変わっている。
 なんだ、なんだこのプレッシャーは。今まで感じたことのないものだぞ。

「夜会用のドレスも必要ですわ。後宮担当の子に相談して、最高のお針子を紹介して貰いませんと!」

 誰か! 誰かカヤ嬢を止めて!
 このままだと私の中に残ったなけなしの男分が消し去られる気がする!



[35267] 6.私の仕事
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2022/02/16 22:31
 王城付き侍女の仕事は多岐に渡る。
 大雑把に仕事内容を言うと、王城で役職に就いている人の身の回りの世話をするというものである。
 が、この身の回りの世話というのがなかなかに統一性というものが見いだせないのだ。

 例えば、私が最初に覚えたのはお茶淹れ。部屋で働いている官僚の休憩時間に合わせて、お茶(のような飲み物)を出しに行く。
 似た仕事としては食事の手配がある。王城には食堂があるが、専用の執務室を与えられるような高官は、直接執務室や私室に食事を運ぶ。王族ともなると専用の毒味役の侍女が食事を徹底的に管理している。
 なお、当然のことながら調理を行うのは侍女の仕事ではない。

 他には、城に住居を持つ者の寝室の管理がある。
 寝室の掃除を行うのは下女の仕事だが、侍女はそれを監視する役割を与えられる。下女による私物の盗難を防ぐためだ。
 ベッドメイキングは下女ではなく侍女の仕事だ。シーツの洗濯を行うのは下女達の仕事なのに、シーツを敷くのは侍女の仕事なのである。境界線がわからない。

 官僚の使い走りは侍女の仕事である。下女は平民。侍女は貴族。官僚は貴族。なので官僚が指示を出すのは侍女相手なのだとか。
 その理屈はよくわからない、が、たくさんいる下女一人一人の顔と名前を官僚の方々が覚えるのは大変なのはわかる。下女達に指示を出すのは彼女達の上司である侍女の役目だ。
 使い走りとして伝言を頼まれることもあるが、メモを取ることは許されていない。一字一句間違えずに伝言を覚え、広い城内のどこかにいる伝言相手に言葉を伝えなければならない。これをできない侍女は結構いるのだとか。私はこういったお使いは『庭師』時代で慣れているので、いざ官僚付き侍女になってもこれについて問題はないだろう。

 他にも、靴の手入れや服の管理、着付けの世話といった貴人達の身だしなみを整える手伝いをする。
 私は見習いの身なので、まだ実際に高官達の身だしなみの世話をしたことはない。
 先輩侍女を練習相手にして絶賛特訓中だ。

「キリンお姉様、本当にこれが何かわからないのですか……?」

 本日の指導担当、ククルが奇怪なものを見る目で私を見る。
 なぜそのような目を向けられるのかてんでわからない。
 貴婦人の身だしなみの世話の仕方を教えると言われて出された道具を前に、使い方がわからないと言っただけだというのに。

「見覚えはないですね」

 仕事中なので今の私はククル相手でも敬語モードだ。

「お姉様、いまおいくつですか」

「二十九」

 何を言わせるのだククルは。見た目十歳だが中身は二十九+αだ。
 そんな世間知らずの子供を見るような目で見つめないで欲しい。

「本当に見たことがないのですか」

「ああ……うむ、化粧道具だというところまでは予想が付いているんですが、使い道がさっぱりわかりません」

 目の前にあるのは、判子に使う朱肉のようなケースと、小さな筆。
 身だしなみで筆ときたら化粧に使うものだとは思いつく。さすがに髪結いにこんな筆を使うとは思えない。
 しかし朱肉である。筆とセットになっているということは、筆を朱肉につけ顔に化粧するのか。
 しかし色は赤である。目元に塗るにもさすがに赤はない。顔に模様を描く? 隈取りか? 歌舞伎役者用の化粧品なのか?

「お姉様、化粧の経験は?」

「ない」

 全くない。化粧で肌を誤魔化さなければならないような肉体年齢ではない。
 私は永遠の瑞々しい肌を持つ幼女なのだ。髪型に凝ることはあっても、顔に手を加える必要などないのだ。
 体に魔法の文様を付ける化粧魔法というものもあるが、専用の魔法道具を用いるため化粧道具とは縁がない。
 というか元日本男児の精神を持つ身としては、女らしい服装だとか女らしい身だしなみだとかに対してどうしても違和感を持ってしまうのだ。今着ている侍女の制服のスカートもすごく落ち着かない。

「はあ……」

 ククルが気落ちしたようにため息をつく。
 なんだなんだ。妹分であるククルにこんな態度を取られるとさすがの私も傷つくぞ。
 むう。これでも私は昔、ククルに外の国のお土産として、アクセサリや魔法の手鏡をプレゼントしたことがある。言うほど女という人種に疎いわけではないはずだ。

「で、結局これはなんなのですか」

 朱肉と筆。謎だらけの道具だ。

「……口紅ですわ。知っていますか、口紅。唇を赤く見せる化粧ですの。市井の若い町娘の方でも知ってる道具ですのに……口紅すら知らないなんて重症ね……」

「口紅くらい知っているわ! いや、これ口紅!? 筆なのに口紅!?」

「筆がなくてどうやって紅を塗るのですか」

「いや、口紅だぞ。……ですよ。口紅といったら……こう……紅を固めて、そう、顔料のようなものにして、棒状になって口に塗るものでしょう」

 私は人差し指を立てて、つつーっと唇をなぞってみせる。
 口紅は使ったことないが、知識にはしっかりとあるぞ。

「そんなものがあるのですか」

「うむ、口紅と言えばスティックですよ」

「使っている方を見たことがありませんね……。どこの国の化粧なのかしら。周辺諸国からの輸入品にも見たことありませんし、世界樹の上の国かしら? 下の国かしら?」

「ああ、私が知ってる口紅は……」

 あれ?
 スティック状の口紅ってこの世界で見たことがないぞ。
 あれは前世の地球の化粧品ではないか。実物を見たのは、前世の子供の頃母親の化粧品をいたずらして、顔に塗りたくったときくらいだ。

「……うん、かなり遠い国の化粧品ですよ。使ったことはありませんが」

「なるほどそうでしたか。大陸の枝が変われば文化も違うのですね」

 納得したのか、ククルは小さく首を縦に動かして頷く。
 異世界の知識だが、私が無知な人間だとは思われずに済んだようだ。

「でも、この筆の口紅は見たことがないのですよね? ということは、白粉も香油もクリームも全部知らなさそうですわね」

「……う、はい」

 ククルが用意した箱の中から次々と取り出される道具。
 そのどれもが見覚えのないものばかり。ゆえに私は無知であることを正直に答えておく。

「では、一通り使ってみるところから始めましょうか。まずは口紅から」

 そう言ってククルは筆を手に取ると、空いたもう片方の手を私に向かって伸ばしてきた。
 ククルの細い指が私の顔の横に当てられ、きゅっと掴まれ私の頭を固定した。

「ぬ? なんだ?」

「はい、じっとしていてくださいねお姉様」

「え、ちょっと待て。化粧の施し方を私が学ぶんだよな。それがなぜククルが私に口紅をすることになるんだ」

「化粧をしたこともない人が、他の人に化粧を施せるわけがないでしょう」

 待て。待ってくれ。
 心の準備が終わっていない。女になった事実はとうの昔に受け入れているが、化粧をする覚悟は急には決められない!

「安心してくださいまし。陛下が見たら一目で後宮入りを決めてしまうくらいの、最高のお姉様に仕立てあげてみせますわ!」

 ストォォーップ!



◆◇◆◇◆



 自分の美しさが怖い。
 女は化粧で化けるとはよく聞く言葉だが、ククルに化粧をほどこされた私は、幼女の顔から傾国の美女の顔に変わった。
 前世の自分がこれを見ていたら、ロリコンの道に目覚めていたかもしれないほどのものだった。
 危険すぎるので、今後自分で化粧をするときはナチュラルメイクに努めよう。永遠の十歳児ボディの貞操が危ない。

 気を取り直して仕事の続きである。
 化粧はおいておいて、貴婦人相手の身だしなみの整えを練習する。
 行うのは髪結いだ。

 髪結いは得意だ。ククルにも子供時代、何度か髪の手入れをしてあげたことがある。
 そのときのことを覚えているククルも、髪結いの練習台として休憩室の椅子に座って大人しくしている。
 まずはブラッシングだ。彼女の髪は父親ゆずりの黒髪。混じりっけなしの艶やかな黒は、そこらの宝石では比べものにならない美しさと輝きをまとっている。
 ブラシに髪をひっかけないよう優しくとかす。癖のない真っ直ぐな髪は、結ってしまうのが勿体ないくらいだ。
 綺麗に整えたところで、香油の瓶を手に取る。化粧用の香油は知らないが、髪の手入れ用の香油は世界各地のものを知っている。
 瓶から香油を少しの量だけ手にたらし、手の平でこねて延ばす。そして十分に延ばし終えたそれを髪に満遍なくのせていく。
 ここで気をつけなければならないのは、香油はあくまで添えるだけの量に控えるということだ。手の平でのばして髪には薄く被せるだけ。
 べっとり油をつけるとせっかくのさらさらヘアーが台無しだ。結いやすくはなるがてっかてかになってしまい見苦しい。
 油で輝くエンゼルリングなど、美しくない。この世界の天使には丸い輪っかなどないので、エンゼルリングと言っても通じないが。

「化粧は知らないのに、昔から髪結いは得意ですよねキリンお姉様は」

 香油を薄くのせた髪を再度ブラシでとかしている最中、ククルがそんなことを言ってくる。
 そう、私には化粧をする文化はないが、髪の手入れをする文化はあるのだ。

「髪には魔力が宿るんですよ。私は魔女の後継者ですからね。育ての母代わりの魔女に髪の魔法を仕込まれたんです」

 父と共に荒野の旅を続けていた蛮人であった幼い頃の私に、魔女は女としての身の整え方を教えてくれた。
 特に熱心だったのが髪の手入れ。私は超人的な身体を持つ魔人だったので、適当に水洗いさえしていれば髪など勝手に綺麗になってくれた。だがそれでは駄目だと魔女は言った。髪には強い魔力が宿る。そう私に諭した。
 今思えば、元男として自分の身体を乱暴に扱っていた私に対する、魔女なりの子供教育だったのかもしれない。
 ただ魔法的な手順で綺麗に手入れをした髪が魔力を宿すのは本当のこと。金と茶の入り交じった腰まで届く私の髪は、毎朝丁寧に三つ編みにしている。
 おしゃれといえば鎧な今までの私だったが、髪に関しては貴婦人を相手にしても劣っている気はしない。

「お姉様の手は優しいのですよね。他の方にお任せすると痛くてびっくりすることがありますわ」

「引っ張るのはいけないな。完成後の形しか考えずに頭皮を痛めたら、将来抜け毛に悩むことになりますよ」

 不老の身なので抜け毛の悩みとは縁がないが、髪型のために頭皮を引っ張るのはよろしくないと思う。
 見栄えを良くするために苦痛を抱えて日常を過ごすなど、私には理解できない。そういえばこの国にはドレスを着る際のコルセットの文化は無かったな。良いことだ。

 そんなことを考えている間に結い終わりだ。
 ついでに箱に入っていた造花のヘアアクセをつけて完成。手鏡をククルに渡すと、彼女はうっとりと鏡に映る自分の頭を眺めた。
 ククルの髪は相変わらずいじりがいがある。髪質の固い私の髪と違って、さらさらできらきらだ。

「こちらの腕はやはり完璧ですわね。今すぐ王妹殿下の髪結いを任されても問題ないくらいです」

 さすがにそれは褒めすぎではないかね。

「近年の流行の結い髪の手順書がありますので、順番に覚えていきましょうか」

「流行か。他の国で見てきた髪型をやってみせれば、真新しいものとして受け入れられますかね」

「どうでしょう。私で試して頂いて良ければ採用、というのはいかがでしょうか」

「ふむ」

 記憶の中にあるインパクトのある髪型の数々を思い出す。
 と、そんな私の心の中にちょっとしたいたずら心が湧いてくる。やってしまうか。
 いや、いい歳したアラサー幼女が妹分の髪をやってしまうのはどうだろう。いやでも髪を切るわけでもないからすぐに元に戻せる。
 ……よし、やろう。

「ククル、少し魔法を使った髪結いをやりますよ」

「魔法ですか? ……ちょっと楽しみです」

 【加熱】魔法発動。人差し指と中指をヘアアイロンに。
 【熱風】魔法発動。ドライヤー準備完了。
 髪を解いて、整え、上にあげる。指で固めて大きく渦を巻くようにくーるくる。
 数分後、そこには綺麗な黒髪がすべて頭の上でうずまく山となっていた。イメージはソフトクリームだ。造花のアクセを横に添えてと。

「できましたよ、ククル。はい、手鏡」

「どんなのでしょう。……あらこれは」

 遠い異世界の町、歌舞伎町式の髪結い。
 前世にテレビで見た記憶を今持つ知恵と技術で再現した。

「盛り髪です」

「…………」

 ククルが黙った。
 やはり怒らせてしまったか。いくらなんでもいたずらがすぎた。
 前世の記憶だと、中世ヨーロッパの貴族達は歌舞伎町の盛り髪など序の口なもの凄い髪型をしていたようなので、もしかしたらありかなと思ったのだが。
 イギリスのエリザベス一世を扱った映画は、髪もドレスも全部常識をぶっちぎっていたから、剣と魔法のファンタジー世界なこの国でも受け入れられるかもと思ったのだが。
 いや、言い訳だ。単純にいたずら心を抑えきれず少女の髪で遊んでしまっただけだ。いい歳して情けない。

「……キリンお姉様」

「はい、ごめんなさい」

「? なぜ謝るのですか」

「え、そんな髪型にしてしまって申し訳ないなと」

「いえいえ、お姉様。これは斬新ですわ。他の方にも見せてあげませんと!」

「斬新……ああ、斬新だな」

 どうやらありのようだった。

「みなさんに見せてきます! うふ、うふふ!」

 休憩室を出て他の侍女の同僚達に盛り髪を見せびらかしにいくククルを見送りながら、私は久方ぶりの異世界カルチャーショックを味わうのだった。
 ……元が日本の髪型なので異世界カルチャーは違うか。



[35267] 7.私の特技
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2019/06/26 01:49
 私は子供に好かれる体質だ。
 『庭師』になりたてのころはリアル年齢十歳ということもあり、危ない仕事はまわしてもらえなかった。
 何でも屋として町中の雑事をこなして、名を上げるチャンスを虎視眈々と狙っていた、そんな時代が私にもあった。
 そんなときにやった仕事の一つに、子守がある。
 十歳児の子供が子守をするというのはなんとも変な話だが、そこは『庭師』。プロフェッショナルとして子供の世話をした。
 最初に任されたのは孤児院を兼ねる世界樹教の教会での留守番だったか。
 そこで私は孤児の子供達に妙に懐かれたものだった。元々の中身がいい歳をした元日本男児だったということが要因だろう。見た目十歳ということで子供達とは垣根が無く、そして大人の中身を持つ精神で子供達全員に気を配った。

 その後も子守の仕事はちょくちょくと請け負った。
 『庭師』として大成した後も、辛い冒険の後の休憩をかねて子供の世話といった身体を休められる仕事を続けていた。
 侯爵家に生まれたククルも、乳飲み子の頃から遊び相手として何年も顔を合わせ、そしてお姉様と呼ばれるほどにまで懐かれるようになった。

 『庭師』の仲間の中には、子供が苦手だと話す者達が多かった。
 戦いと冒険に身をやつした風来坊どもだ。さもありなん。
 しかし、子供が苦手でどうするのか。若いうちはいいが、やがて結婚して自分に子供が出来たときに、良い親でいられるのか。
 そんなことを指摘したら不老幼女に言われたくないと返された。
 ごもっとも。私は初潮前の永遠の子供だし、男に身を許すつもりもないので子供を持つことはない。
 でも子供は嫌いでも苦手でもない。好かれるのだから、こちらも子供に対して好意を持つのは当然の帰結だ。

 そんな子供慣れした私に向いた仕事が、新しく始めた侍女の業務内容にあった。
 王城での子守り。
 王宮には託児所が設けられている。
 情操教育のために城に預けられた偉い貴族の子女がいたり、王城に勤める高官が可愛い我が子を手元に置いておくために城に連れてきた子供がいたりと、城には貴族の子がそれなりの数滞在している。
 そういった貴族の子供達の世話をするのも侍女の仕事の一つだ。

 侍女見習いである私の今日の研修内容は、そんな子供達が預けられた託児所での子守りである。
 託児所にいるのは乳離れをした三歳ほどの子から本格的な貴族教育を受ける前の七歳ほどまでの小さな子供達。
 そのいずれも女の子。託児所は子守りをするだけでなく、貴族としての習い事をする場でもあるので、男子と女子に部屋を分けられて預けられているのだ。
 幼児達が無邪気に遊び回る託児所の中は、さながら幼稚園。
 子供達にはそれぞれ出身の家による身分の差があるのだろうが、こんな年の子達にとってはそんな事情もおかまいなし。
 私達侍女も子供の家柄で扱いに差をつけるようなことはしないらしく、それを聞いて私は安心した。子供には大人の事情など気にせずすくすくと育って欲しい。

「はい、それではもう一度歌いましょう」

 私の研修担当であるククルが楽器を奏でながら、女の子達と一緒に歌っている。
 ククルの使っている楽器は、ピアノとオルガンを足したような外観の鍵盤楽器。この国の貴族の女の子なら誰もが習う定番の楽器だ。ちなみに私は演奏できない。
 代わりに私は子供達に目を配り、恥ずかしがって歌えていない子がいるようなら、隣にいってやり一緒に歌って皆と足並みを揃えられるようにしてあげる。

 託児所付きの専門の侍女は、そんな私の子供慣れした様子に驚いていたようだが、ククルが当然といったような態度で子供の相手を続けていたので、侍女はやがて納得したのかこちらを気にせず自分の仕事に専念するようになった。
 うむ、さすがククルよくわかっている。ククルは私が育てた。

「お姉ちゃんお歌上手いね」

 一曲歌い終わり、休憩を取ったところで女の子の一人が、私に向かってそんなことを言った。
 小さな子でも歌の上手い下手がわかるのか。貴族の子は違うなぁ。

「キリンお姉様は歌がお上手なだけではなく、いろんな国の歌を知っているのですよ」

 鍵盤楽器の椅子に座りながら、ククルがそう話にのってきた。
 私は歌が上手い。間違いない事実である。
 というか、私は本来歌が歌えない。声を出すための声帯がない。ではどうやって歌っているのかというと、音を出す魔法を使って仮初めの声を出しているのだ。
 喉を通さない歌声。必要なのは歌唱技術ではなく、正確な音を出す魔法技術だ。
 楽器を演奏する感覚に近いだろうか。正確な音程を取るのは、言葉の発音を聞き取れるレベルに調整するよりもはるかに簡単だ。
 なので、私の歌声はそこらの吟遊詩人にも負けないレベルのものなのである。

「いろんな歌を知ってるのー? お姉ちゃん何か歌って歌って!」

 子供達にはやし立てられる私。
 こういうときは子供達の要望を聞いてやり、高い腕前を披露して子供達との仲を深めるのが良い。
 子供達に尊敬されつつも子供達と同じ目線を保つことが、子守りの一つのやり方だ。永遠の子供の身体は、子供達の心の壁を取っ払うのに非常に役に立つ。

「ふむ。ではククル、演奏を頼みます。『白昼の牧歌』、覚えていますか」

「ええ、お任せください」

 私の言葉に、ククルは頷いて鍵盤に向き直る。
 ククルには子供の頃何度も歌を披露したことがある。そして、鍵盤楽器の練習に付き合って異国の楽曲を教えてやったこともある。
 『白昼の牧歌』もそんな異国の楽曲の一つ。私はククルの鍵盤楽器を弾く技術はないが、メロディを彼女に披露したところ鍵盤楽器で見事に伴奏を再現してみせた過去がある。ククルの楽器の才能はそれなりに高い。
 鍵盤からゆるやかな旋律が紡がれる。それに乗せて、私は魔法の声を響かせた。
 白昼の牧歌。この歌は、私が生まれた遊牧民族に伝わるものだ。『庭師』の冒険時代、出身部族を見つけた私はしばらくの間そこに留まり、多くの文化を学んだ。

「広く緑、遠く青、輝く白に羊たち。眠る猫、駆ける犬、いななく馬に来る夕暮れ」

 草原で過ごす遊牧民の一日を語る歌だ。
 ただ、歌詞はこの国で使われている言語ではない。せっかくの異国風景だが子供達にはそれを想像することができないだろう。
 訳詞の才はないので異国の言葉での歌唱だ。まあ、この国のものとは違う旋律に浸って貰えさえすればいい。
 ちなみに羊も猫も犬も馬もこの世界にはいない。近い動物を思考の日本語訳に当てているだけで、実際はこの世界独自の動物の固有名詞を使って歌っている。

 歌が終わり、伴奏が終わる。
 子供達は皆笑顔で最後まで聞いてくれていた。
 歌い終わった私に、子供達が飛びついてくる。

「ねーねーなんて歌ってたの?」

「わたしもうたいたい!」

「なんだか不思議ー」

 みんなめんこいのう。



◆◇◆◇◆



 とある古い国を支配する帝の正妃には、多くの女官が付き従っていた。
 帝の権力は強く、正妃はまさに国の象徴と呼べる高貴な存在であり、身の回りの世話から遊びの相手まで生活の全てを、侍る女官達が助けていた。
 冬のある日、炭火の周りに集まり談話をかわす女官達に、正妃は不意に問いを投げかけた。

「香炉峰の雪はいかに?」

 謎の問いかけに首をひねる女官達。
 そんな女官達の中から一人、年若い侍女が立ち上がった。
 その女官は無言で雪よけのすだれを巻き上げる。すだれの向こうには中庭に降り積もった雪景色があった。
 その国の近隣国には、「香炉峰の雪はすだれをかかげて見る」という逸話があった。正妃は女官の教養を試したのだ。
 正妃は見事な解答をした女官に満足して笑い、他の女官達も「そういう逸話の知識はあり詩に使うことはあったが、このように行動で示すとは思いもよりませんでした」と褒め称えた。
 この女官こそ前世日本の古い偉人、清少納言である。

 高貴な者に付き従う侍女は、その地位に見合った教養を要求される。
 貴族にとっては、豪華な服を着飾ることよりも、きらびやかな装飾品を身に纏うことよりも、優秀な従者を持つことが重要なステータスとなるのである。
 王城付き侍女ともなれば、貴族の子女達の中でも特に優れた者がなるとされている。
 花嫁修業の先として王城付き侍女の仕事が選ばれるのは、それだけの理由がある。つまり、王城に放り込まれ女官達に揉まれれば、どんなおてんばガールでも、強制的に優秀な貴人に変えられるというシステムがあるのだ。

 侯爵の陰謀で――いや、はからいで私の奉公先が王城になったとき、私が躊躇したのもそういった実状があるからだ。
 人格矯正プログラムにかけられるのが怖いとかではなく、単純に、『庭師』をやってきた自由人の私に高い教養を求められて、それに応えられるか不安だったのだ。
 そんないまいち微妙な心構えで侍女生活を始めること一週間と週半ば。私の思いは変わっていた。
 別に良いではないか、貴族でなくとも。『庭師』出身という特殊な経歴はむしろ活かせるのではないか。
 貴族の侍女が教養を持つとはいっても、それはこの国の閉じた知識。一方私は、木の形をしたこの世界の根本からてっぺんまで、全て回りきったグローバル自由人。外に出ねば得られない変わった教養を身につけていると思えばいいのだ。

 そんな思いで歌った牧歌は、女の子達に好評だった。

「もっとうたってー」

「うたってー」

「歌って歌ってー」

 やまないアンコールの声。他の侍女が面倒を見ていた子達も、いつの間にか私達の周りに集まってきている。
 嫌いじゃない、こういうの。
 こうまで純粋にせがまれては、ちょっと本気で喜ばせたくなる。

「では、もう一曲」

 さっと私は観劇の役者が取るような礼をする。

「どの曲にしますの?」

 鍵盤の前に座るククルがそう訊ねてくる。彼女の持つレパートリーは広い。
 だが、今回は伴奏をククルに頼るつもりはなかった。

「次はククルも演奏せずに聞いていてください。――秘技を使う」

「まあ! まさかあれを」

 私の言葉を聞いたククルの表情がぱあっと明るくなる。
 秘技を使う。そう、剛力魔人百八の秘技が一つ、人力DTM!

 ――【和音】魔法発動。

 音の魔法を奏でる。響く音は声ではない。それは楽器の音。
 この世界に存在しない楽器、ピアノの音色だ。
 静かなピアノの前奏が終わり、そこから私は音の魔法を一気に解放した。

 ヴァイオリンの音。
 サックスの音。
 ドラムセットの音。
 エレキギターの音。
 シンセサイザーの電子音。

 私は声を出すのに音の魔法を使っている。空気を振るわせて人の声を再現する。そこに声帯という肉体の縛りはない。
 つまりは、魔法を使えばどんな音だって再現できるのだ。
 これぞ、私が編み出した究極の宴会芸だ。
 複数の声色を重ねれば、どんな名うての吟遊詩人にも真似できない一人歌劇が実現する。

 託児所の女の子達、そして世話役の侍女達の視線が私一人に集まる。
 誰もが驚いていることだろう。当然だ。人を驚かせるために作った宴会芸の秘技だ。
 日常的に声の代わりに音の魔法を使っている私だからこそできる大魔法である。

 複数の楽器の音が重なる演奏に、私は歌声の音を追加した。
 今度はこの国の言葉で歌う。幼い子供達にもわかるように。
 紡ぐのは、建国史。未来の貴族達のために、この国の叙事詩を歌う。

「世界樹は月に根付き枝葉を伸ばす。若き枝の原初の大陸に命が実った。さあ、大いなる国の誕生を謳いましょう」



◆◇◆◇◆



 枝の大陸に一人の少年がいた。命を見通す魔眼を持つ少年はクーレンと呼ばれた。
 クーレンは石の鎌を使い薬草を刈り取って生活していた。
 ある日、クーレンは傷つき倒れる天使を見つけた。クーレンは薬草をあたえ天使を己の家で休ませた。
 傷を癒した天使はクーレンを恩ある人と呼び、恩を返すまでこの地に留まると彼に伝えた。
 クーレンの周りの人々は、珍しい天使を見に彼の家を次々に訪れた。
 天使は美しかった。その美貌に男も女も魅了された。天使の噂は広く知れ渡り、クーレンの周りには多くの人々が集まるようになった。
 人々は天使をめぐって争うようになるが、クーレンが割って入りこれを静めた。
 天使の美しさとクーレンの人望に、人々はいつからかまとまるようになった。若い枝の大陸に国らしきものが生まれようとしていた。
 だがあるとき、人々に向かって天使が語った。クーレンは自分を独占しようと企んでいる。木の枝で組んだ籠の中に閉じ込めようとしている。
 人々は激昂し、クーレンを大陸の外に追い出した。
 クーレンは激怒した。自分は一度も天使を囲おうとしたことはないと。だが人々は彼の言葉を聞かず、代わりに刃を向けてきた。
 刃を向けてきた人々をクーレンはくびり殺した。それでも彼の怒りは収まらず、数少ない自分に付き従ってきた者達を率い、大陸に攻め入った。
 大陸の人々は、クーレンが天使を奪いに来たと驚き、天使を守るように彼を迎え撃った。
 万の人々と百のクーレンとその仲間達。クーレン達は強く、大陸の人々は次々と殺され首を刈り取られた。
 戦いは続き、首を刈り取られた死体が地を埋めた。
 クーレンの石の鎌は万の戦いに耐えきれず壊れたが、彼は死体の骨を使い新たな鎌を作った。
 クーレン達が歩んだ後には、死体が積み重なって肉の道となった。
 やがてクーレンは天使のもとへと辿り着く。
 天使は語った。己は何も言っていないと。人々が勘違いをして勝手にクーレンを追い出したのだと。
 だが、万の人々の死を見たクーレンの魔眼は、天使の嘘を見抜き、天使の本当の姿を暴いた。
 天使は悪魔であった。クーレンは骨の鎌を振り上げ、悪魔の首を刈り取った。悪魔の首からは火の血が止めどなく溢れ出した。
 大地を燃やさんとする悪魔の死体をクーレンは高い山の上に埋めた。さらに美しい悪魔の頭を泉に捨てようとするが、生き残った人々が泣いて捨てぬよう懇願するので、クーレンは慈悲の心で悪魔の頭を木の枝で組んだ籠の中に入れ、誰の目にも触れないようこれを隠した。
 万の人々を失い大陸は荒れるが、クーレンはこれを静め、国を作り上げた。
 戦いで首を刈り取られ死んだ人々は、一箇所に集められ大地に返された。生き残った人々はこの地をクーレンバレンと呼ぶようになり、クーレンはクーレンバレンの上に城を建て王となった。



◆◇◆◇◆



「王は願った。人の命を刈り取る時がもう訪れないように。全ての人々が共に生きられるように。さあ、大いなる国アルイブキラの誕生を讃えましょう」

 叙事詩が終わる。それに続くように溢れる音の波をゆっくりと静めていく。
 これは古い建国の歌だ。現代の歴史書にも残されていない、喪失した歴史である。
 私が『庭師』だったころ、この国の王子――現在の国王と共に王家の遺跡から発掘した、幻の叙事詩だ。

 作詞、昔の偉い人。
 作曲、当時の王子。
 編曲、私と人力DTMパワー。

 満足した。久々に披露した音の剛力魔人百八の秘技の結果を確かめるため、私は周囲に視線を向けた。
 みな呆然とした顔をしていた。先ほど歌ったときのような感激の反応がない。
 あれ、あまりにも演出が壮大すぎて女の子達の歳じゃついてこれなかったか。
 いや、そうでもない。感動に震えて目にうっすらと涙を浮かべている子もいる。

「ふえ……」

 感動の涙を浮かべている一人の女の子がふと声を発した。

「ふえええええええええん!」

 あれ!? 泣いた!?

「おはか、おはかー!」

 んん!?
 どういうことだ。

「うああああああん!」

 女の子に釣られるように、他の子達も連鎖して泣き出し始めた。
 なんだこれは。
 と、後ろから誰かが私の肩を叩いた。振り返ると、そこには顔から表情をなくしたククルの姿が。

「キリンお姉様」

「なあ、なぜこの子達は泣いているんだ」

「最悪です」

 ホワイ!?

「お姉様、クーレンバレンの城はいかに?」

「いや、急になんだククル」

「お姉様、クーレンバレンの城の下には何がありますか」

 うん? ああ、叙事詩のことか。

「首無し死体が集められているな」

「お姉様、ここはどこでしょう」

「託児所だろう」

 あ、痛い。ククル爪を肩で立てるな。

「ここはクーレンバレン城ですよお姉様」

「それがどうかしたのか」

「……んもう! 山のような死体の上に今居るのですよって歌ですのよ今のは!」

 ……ああー、なるほど。
 そこか。そこに注目するのか。
 そうだな。天使は悪魔ではなかったのではとか、王は最初から天使を囲おうとしていたのではとか、そんな歴史浪漫をこの歳の子供達が感じるはずがないのだ。
 小さな子供からすれば、この叙事詩は数万人の人間が首を刈られて殺されたサイコホラーだ。
 『庭師』のころは人の死に慣れすぎて頭から飛んでいたが、貴族の小さな子女達にとって首刈り戦争は泣き叫ぶほど恐ろしい話なのだ。

「今夜眠れなかったらキリンお姉様のせいですからね。カヤに代わっていただいて一緒に寝て貰います」

「……いや、ククルの場合、昔からこういう武勇の話をせがんでいただろう。今更恐れるものか」

 というか昔のククルを相手しているときの感覚でいたため、女の子相手に戦いの歌などを歌ってしまった。

「んもう! 私だって怪談は怖いですのよ!」

 怪談? 首刈り惨殺ではなく怪談的な要素でみんな泣いているのか?
 ククルが先ほど言ったことそのままの意味で、死体の上に築かれた城にいるのが怖いということか。夜眠れないのは幽霊が怖いとでも言うのだろうか。
 魂の仕組みは魔法的に太古の昔に解明済みで、彷徨う幽霊なんて完全な迷信となっている世界なのに、幽霊が怖いのか。
 うむん。安定生活見習いの私と、平和な世界で生きる人との感覚のずれはここまで大きいのか。

「しかし、『庭師』の志望の子供達には人気の歌なのだがなあ……」

「おーねーえーさーまー! 相手は女の子ですよ! もう、今日の研修は落第点です! ほら、泣いてる子をあやして!」

 落第点か……。
 クーレンバレンの城はいかに?
 その問いに無言で正しい答えを示せるようにならないと、一人前の侍女とは言えないか。
 いや、清少納言のやり方だと、現場がスプラッターになってしまうから駄目だ。

 と、うわ。泣いた子が抱きついてきた。

「ほ、ほうら泣かない泣かない。単なる歌ですからねー。怖くないですよってああ鼻水つけないでください」

 子供は可愛いけど、同じ目線に立ってものを見るのは難しいというのが今回の教訓だろうか。
 永遠の子供ボディなのに子供心がわかっていないと思い知らされたようでショックだ。
 ああ、おもらししてる子が! そこまで首刈り王城怖くないよ!



[35267] 8.私の戦技
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2019/10/20 00:09
 一度死に、転生し、不老となったことで一つ思い知ったことがある。精神年齢というものは肉体に引きずられるものなのだと。
 別に脳の構造がどうこうなどという、小難しい脳科学の話をしようとしているわけではない。
 簡単な話だ。肉体の状態は精神に多大なフィードバックをもたらす。
 若者と言えない年を経た年齢の身体は、精神に鈍重さと慎重さを与える。
 ろくに動けない乳幼児の身体は、目と耳で世界を観察する学びの精神を作る。
 そして、若く健康で疲れを知らない十歳の魔人の身体は、無限の好奇心と無謀さを精神にもたらす。

 戦いの日々に心が疲弊し、平穏と安定を求め新たに侍女となった私だが、この永遠の子供ボディは私の精神をただのアラサー女(もしくは元男)に留めおいてはくれないようだった。
 毎日教えられる侍女の仕事。その内容に、私の好奇心メーターは常に限界マックスを記録していた。

 健全な精神は健全な肉体に宿る。
 そんな言葉は世迷いごとだと思っていた前世の私。
 だが今ならわかる。
 健全すぎる肉体は、健全どころか無駄に過剰で力強い精神を無理矢理に作りだしてしまうのだ。
 向上心、集中力、チャレンジ精神。そんな正の精神パワーが、肉体の健康さから無限に湧きだしてくる。

 私は『庭師』としての意欲を失った。戦いと冒険と発見の日々に疲れ切った。
 だが私は別に無気力な人間になったわけではない。静かな生活に強く憧れはしても、何もしないで漫然と日々を過ごしたいなどとは思っていない。
 侍女として歩み始めた第三の人生。その平和な日々で、私は肉体の若さからくる好奇心や向上心を侍女の仕事を覚えることに向けた。
 楽しい。
 まだ侍女になって一月も経過していないが、毎日が楽しい。
 ただ静かに過ごせる場になればいいとだけ思い訪れた、王城での侍女の仕事が、とても楽しい。

 そして自覚するのだ。この世界に生まれて二十九年経過したが、私の精神年齢は二十年前のあの日で止まったのだと。
 だがそれも悪くない。
 侍女として楽しい日々を過ごせるなら、心が子供だからといって何の問題があるのだというのか。

「つまりは、私は侍女の仕事を天職としています。おわかりですか?」

「お、おう」

 私の熱弁を聞き、頷きを返したのは王城では数少ない昔馴染みの顔。
 青の騎士団現騎士団長である。
 カヤ嬢に仕事を託されて一人で千人長の執務室にお茶を淹れに行った私は、補修中の壁が目立つ室内にまた青の騎士がいたのを見つけた。
 彼は王城勤務でないはずなのに、こう何度も顔を合わせるのが不思議でならない。が、騎士団長ともなるとあちこちをかけずり回って人と会うのが仕事の一つなのだろう。
 彼らの仕事の事情には踏み込まずに、侍女として千人長と青の騎士にお茶を淹れた私。
 そんな私に、青の騎士は「『庭師』の仕事をしてもらいたい」と唐突に話を切り出したのだった。

「今の私はしがない侍女見習いです」

 城の中だというのに青の騎士団を象徴する青い軽鎧に身を包んだ騎士に、そう意見を伝える。
 『庭師』という前職の経歴がある以上、侍女になっても城の士官達から荒事を頼まれることがあるだろうとは予想していた。
 ただ、もう私は『庭師』の仕事を続けるつもりはない。

「まだ免許持ってるんだろう」

 そう問いかけてくる騎士。
 確かに、私はまだ『庭師』の免許を持っている。侍女であっても免許がある以上、他の人から見れば私は『庭師』のままだ。

「『庭師』の仕事の依頼ならば、生活扶助組合の事務員を通してください。もっとも私宛の依頼は全て断るよう全世界の組合に通知済みですが」

「なんでそんなんで免許失効にならねえんだ……」

「『幹種第3類』は大犯罪を起こさない限り死ぬまで有効です」

「夢の終身雇用じゃねえか……」

 『幹種』は『庭師』が取り得る最大の免許種別だ。世界の成り立ちの真理を知り、世界を救えるだけの力を認められた者に発行される。
 ただ免許はあくまで免許。職業選択の自由が認められているので、今の私は先ほども言ったようにしがない侍女見習いだ。

「免許は有効ですが、組合での組合員登録は解除してあります」

 生活扶助組合組合員。それが職業『庭師』の正式な名称だ。
 免許はこの組合が交付しており、免許を持つ人物を組合員として雇い上げ、それぞれの能力に見合った仕事を適切に割り当てる。
 免許を持っていても組合に所属する義務はない。個人的に依頼を探して仲介料を節約する自営の『庭師』がいたり、本職を持ち空いた時間で依頼をこなすような『兼業庭師』もいたりする。

「今の私の雇い主は組合ではなくこの王国です。女官としてできることを仕事としております」

 私は侍女の礼を取りながら青の騎士へと申し上げる。

「なので、騎士団の合同訓練への参加は、今の私には職務外なのです」



◆◇◆◇◆



 今の私はしがない侍女見習いだ。
 城勤めの官職としての位は、栄えある青の騎士団長よりはるかに低く、見習いなので身の回りの世話をする直接の主がいない。
 つまりは、騎士団長から指示を出されると、今の私ではそれが人道や道徳から外れたものでない限り拒否することができない。

 十歳の幼女を騎士団の戦闘訓練に参加させるのは、はたして人道や道徳から外れた所業だろうか。
 いや、残念なことに私の実年齢は二十九で、侍女として王城に上がるにあたって、侯爵の推薦状だけでなく『庭師』の免許状も使用した。つまりは訓練に参加しても問題ないレベルの戦力としてカウントされる。
 世知辛い世の中だ。これが訓練でなく演習なら、「人間国家間の戦争行為には極力参加を控える」という前職『庭師』の規定を振り回せたというのに。

 青の騎士に侍女服姿のまま連れ去られた私は、今王城の外にある大きな練兵場で木剣を握ってたたずんでいる。
 騎士団の訓練で私が出来るのは、組み手の相手くらいなものだ。覚えている剣技は、父から教えられた対魔物用の辺境蛮族のもの。ウォーリアではナイトに教えられる技などない。
 そして私には人を率いる才がないので、兵の指揮もできない。魔法も詠唱のない特殊な魔法しか使わないので、騎士の魔法能力では教えられることがない。

 結局のところ、戦いの指導者としての私は、怪力ウォーリアとして荒々しく剣や斧を振り回すことしかできないのだ。
 そんな私がこの場にいて何の役に立つ、と声を(魔法的に)高くして主張したいのだが、青の騎士的には剣を振り回すだけで良いらしい。

「『殺竜姫キリン』との剣技試合を始める!」

 青の騎士団と共に合同訓練を行っている、緑の騎士団の騎士団長殿が低く響く声でそう宣言した。
 緑の騎士団長は、銀髪だか白髪だか判別のつかない白い髪を長くたなびかせた、中年のダンディ巨漢マッチョである。いかにも頼れる騎士といった風貌だ。
 背に担いでいる得物は槍斧。強力な魔法の加護がびんびんと感じられる。その巨体に合わせて作られた緑の鎧も見事な一級品だ。

 一方私は子供用の侍女服一枚と侍女帽のみ。防具はない。
 いや、そこらの安物の防具は身体の動きを阻害するだけでむしろ邪魔なのだが。
 先天的な身体能力系の魔人の生まれに、数々の鍛錬と様々な加護を得たこの身体は、防具が無くても十分頑丈だ。
 手には訓練用の木剣。練兵場にある一番大きいものを貸して貰ったが、父の形見である『不壊』の加護を持つ大剣とは比べものにならない程小さい。
 木剣を軽く振ってリーチを把握する。子供ボディにくっついているこの腕は、肉体年齢に相応しい頼りない短さだ。
 素振りをして、身体を慣らす。『庭師』を辞めて昨日今日で、まだ動きはなまってはいないようだ。

 そんな私の前に、一人の騎士が木の槍を両手に抱え、進み出てくる。
 二十にも行っていない若い男。だが彼が身に纏っている闘気はその若さに見合わない達人のもの。歩きの足捌きだけでその力量の高さがうかがい知れる。
 むむ、こやつできる。

「それでは――」

 私と若い騎士が互いに向かい合ったのを確認した緑の騎士団長は、低い声でとうとうと告げながら手を空に掲げた。
 そして、勢いよく下に振り下ろす。

「始め!」

 はいどーん。
 直進踏み込み横なぎホームラン。
 若い騎士は宙を舞い練兵場の向こうへと吹き飛んでいく。
 うむ、異常なし。

「次の方をお願いします」

 緑の騎士団長にそうお願いする。
 騎士団長はその渋い顔をなんとも言えない表情に変えていたが、まあフォローとか説明とかコメントとかを入れるのも面倒なので次々行って貰おう。

 次に出てきたのは、筋肉質な壮年の男騎士。手には両手剣サイズの木剣。
 いくら木剣でもそのサイズで頭を殴ったら人が死ぬだろうと思わないでもない。訓練用に中抜きでもされているのだろうか。
 彼は先ほどの若者とは違い洗練された動きはないが、代わりに荒々しい獣のようなオーラを放っている。
 むむ、こやつできる。

「始め!」

 はいずがーん。
 離れた距離からの一足の飛び込み突きで、先端を予め丸く削っておいた木剣の先が男騎士の鎧をへこませ、騎士の身体を豪快に転倒させる。

「次お願いします」

「……うむ、次!」

 出てきたのは緑の騎士団ではなく青の騎士団の騎士。
 細身の身体を持っており、体捌きを見るに速度で攪乱する技巧派の剣士だろう。武器も小回りと取り扱いに優れた形状の刺突剣――の木剣。
 木剣を構えるその立ち姿も、これまでの騎士達のようなずっしりと地に根を張る重心が感じられない。代わりに、立ち姿から羽のような軽さを連想させた。
 むむ、こやつできる。

「では、始め!」

 はいどーん、と見せかけてジャンプキックすぱーん。
 地面に彼、いや、彼女の身体がうつぶせにめり込んだ。女騎士か。男性ほどの筋肉をつけられないからこその速度の剣か。

 私は緑の騎士団長に視線を向ける。次をどうぞと。

「次、ヴォヴォよ行け!」

 緑の騎士達の集団から、一際強い剣気を持つ青年が一人歩み出てくる。
 鎧は他の騎士達とは少し違うデザインだ。何らかの役職に就いている実力者なのだろう。
 騎士団の高官は別に強いものがなると決まっているわけではない。が、王国の強さの象徴なので強いものがなるに越したことはないとかつて青の騎士が話していた。
 彼が持つのは二本の曲がった木剣。二刀流である。二本の武器を同時に実戦レベルで使いこなせるものはそうそういない。
 むむ、こやつかなりできる。

「それでは、始め!」

 はいずどーんずがーんシュポーン。
 私は先ほどから常人では目に追えない速度で動いているのだが、どうやら彼は一瞬反応できたようだ。私の攻撃を防ごうと剣がわずかに反応していた。
 なのでいつもより多く攻撃しております。防御の剣を折り、カウンター狙いであろう攻撃の剣を折り、最後に足払いをかけて空に向けて打ち上げ退場願った。足払いでも人が空を飛ぶのが魔人クオリティ。

「さ、どんどんお願いします」

「う、む、……しかしこれでは余りに一試合の決着が早すぎて、訓練になるか少々疑問になってくるな」

 緑の騎士が考え込むように渋い顔を作る、

「負けは騎士を成長させるが、自分が何をされたのかわからなかったとあっては、成長のしようがない。手加減できないかね」

「手加減してなかったら木剣を使っても潰れた挽肉の完成です。あと、『庭師』は対人戦闘ではなく対魔物戦闘を覚えるので、敵は発見次第殺せが信条です。毒霧や火炎放射を向けられてはかないませんので」

 というかめんどい。早く帰りたい。
 なぜ私がこんなことをしなければならないのか。侍女の仕事の範疇をこれでもかというほど逸脱している。
 いちいち騎士達の武芸の上達になど付き合っていられないので、開幕即ぶっとばしだ。早く終わらないものか。

 みんなまとめてかかってこい! とか言えば早く終わりそうだが、いくらなんでもそれは騎士の方々を馬鹿にしすぎなのでやらない。
 なので今の私は、目の前に立った騎士の人を順番に殴り飛ばすライン工である。時給は0円。
 あ、王城で今の私の扱いどうなっているのだろう。千人長の部屋からそのままここまで連行されたのだった。
 侍女長にちゃんと話を通してくれているのか青の騎士は。見習いが早々にサボりをしていると思われたら最悪だ。
 と、次の騎士が木剣を構えてやってきた。

「始め!」

 はいすこーん。
 新しい騎士は明らかに守りの体勢になっていたので、木剣をぶん投げて鎧の隙間打ち。
 木剣でも強く投げれば痛い。悶絶する騎士が、他の騎士達に運ばれて退場していく。

「むう」

 またもや渋面の緑の騎士団長。
 自ら武器を手放す剣投げをしたのだからその反応もわかる。が、剣投げはリーチのなさを補う強力な技なので私はそれなりに使う。
 狩猟民族が大型動物を集団で狩るときに使うのは、昔から投げ槍と相場が決まっている。武器投げは文化。
 一対一ならば、投げて避けられた後は上手く立ち回って拾えばいい。前世中国の古典、三国志に登場する徐庶という文官は、文官のくせに撃剣という剣投げの達人だったという。

「ぬう……、次の者」

 緑の騎士の表情は優れない。
 彼らの予想していたような剣の訓練にならずに、ただいたずらに騎士がノックアウトされている現状に思うところがあるのだろう。
 でも私の剣技はそんなたいそうなものではなく蛮族の剣であるし、なにより私にやる気がない。
 ご丁寧に剣の手ほどきに付き合ったら、今日だけでなくまた頻繁に訓練に付き合わされる気がしてならない。

「参考になられないのなら、今すぐ王城に帰らせていただきますが……」

 というか帰らせてくださいませ。
 今日は千人長のお茶淹れを一人でした後は、カヤ嬢と共に寝室のベッドメイクを行う予定だったのだ。
 騎士団式の剣の訓練には、その仕事に勝る興味を引く要素がない。

 それに試合を眺める騎士達の奇妙なものを見るような視線が痛い。
 うむ、私がやってるのは剣の試合じゃないからだろう。魔人のパワーに任せた蹂躙だから。巨人が暴れているのと変わらない。
 でもこれが私の戦い方なのだ。やっつけなのは否定しないが、パワーイズジャスティス。戦いにおいて力が技を上回る状況なら、力任せにしてもいいではないか。

「おいおい、殺竜姫様よ、まだ帰すわけにはいかねえよ。最後まで付き合ってもらうぞ」

 一人のんきに試合を観戦していた青の騎士団長が、私に向かってそんなことを言った。

「……そもそも殺竜姫ってなんですか。そんな二つ名を持った覚えなどないのですが」

「俺達騎士にとっちゃあ、お前の武勲は北の山の飛竜殺しだ」

「左様ですか」

 殺竜姫て。殺竜姫て!
 剛力魔人でいいじゃないか!

「とりあえずここに居る騎士全員をこてんぱんに伸してもらうかな」

「……全員て。あとこてんぱんって、そこまでこの訓練を継続させる必要が感じられません」

「必要あるんだよ。一対一じゃあ絶対にかなわない相手がいるってことを、訓練のうちに身体で覚えさせねばならねえ。でないと人の身で竜なんて倒せないさ」

 私は彼と共に戦った飛竜のことを思い出す。
 冒険者と騎士団総掛かりで討伐に挑むも、いくら傷を付けても無限に再生する竜の前に私達は膝を折った。
 だが、最後には戦士達が竜を地に縫い付け、魔法使い達が大魔法で大砲を撃ちだして、脳と心臓を同時に貫くことで竜を打倒した。このときの大魔法の砲弾が私である。
 人一人の持てる力は限られている。北の飛竜以上に凶悪だった、災厄の悪竜を倒した勇者も、仲間を三人連れていたのだ。

「ただまあ若い奴らだけにきつい訓練をさせるのもあれだ。だから次の相手は俺がやるぜ」

 そう告げると、彼は地面に転がっていた両手剣サイズの木剣を拾い柄を握った。
 どよ、と周囲を囲む騎士達からざわめきがあがる。
 ひそひそと騎士達が何やら話している。ふむ。

「ぶふ、青い貴公子ですか」

「なんでお前がその二つ名知ってんの!?」

「周りの人が言っているのを聞きました。私耳が良いので」

 竜殺しと青い貴公子の対決だ、とかなんとか。

「てめえらー! 次言ったらひねり潰すぞ!」

 顔を真っ赤にして青い貴公子、もとい青の騎士が周囲に向かって叫ぶ。
 だが誰がその名を言ったのかはわからなかったのか、荒くなった息を整えながら剣を構えた。

「本気でいくぞ。お前も本気を出せよ」

「本気で斬ったら木剣でも鎧ごと胴体真っ二つですが」

「あ、やっぱ力は加減して……。だが、その敬語はやめろ。俺は侍女に戦いを挑んでるんじゃない。最強の『庭師』のお前に挑んでるんだ」

「……ふむ、私より強い者はいっぱいいるぞ。英雄と呼ばれる者がそれだ」

 気持ちを切り替える。やる気は未だに出ないままだが、こいつが本気でくるとなったら、ゆるんだ侍女脳では対処しきれない。

「ではよろしいか」

 私達の会話を無言で聞いていた緑の騎士団長が確認の言葉を発した。
 私は無言で剣を構え、精神を集中させる。五感が鋭くなり、世界が広がる。
 青の騎士も剣を正眼に構えて瞳に力を入れた。水面を思わせる彼の静かな剣気が肌に伝わってくる。

「始め!」

 最速の突きを放つ。駆け引きなど無視だ。私の本気は「力を込めてぶっ飛ばす」だ。
 体当たりとも言える突き。それを青の騎士は半身を動かしかわしてみせた。さらに彼は私の進路に足の先を出してきた。
 突進に対して足の引っかけ。騎士とは思えない喧嘩の技。だがそれでこそ私の戦友だ。

 私はその出された足を逆に蹴飛ばす。人体の限界を超えて身体を動かすのが魔人である私だ。
 だが青の騎士は器用にも出した足を瞬時に引いて、蹴りを避ける。
 騎士の横を私の身体が通り過ぎる。私は足を踏ん張り急停止。振り向きざまに横薙ぎを一閃。
 背の小さな私の横薙ぎは、背の高い青の騎士にとっては対処が難しい低い攻撃だ。だがそれも青の騎士はわずかに後退して紙一重で回避してみせた。

 空ぶった私に青の騎士が反撃の突きを撃ってくる。
 私は空振りの勢いを止めず、そのまま一回転しながら強引に跳躍する。
 騎士の突きを飛び越え、そして身体を回転させながら剣を振り回す。だがこれも当たらない。青の騎士はいつのまにか剣を引き大きく距離を取っていた。
 着地。それと同時に青の騎士に向かって飛びつき斬りつける。回避。さらに斬る。回避。斬る斬る斬る。全て回避される。最後に騎士が反撃の鋭い一撃を入れてくるが、私は無理矢理腕を動かしこれを木剣で防いだ。

「くかかかか! 楽しいなあ剛力魔人!」

「私は早く帰りたい」

「そう言うなよ!」

 私が攻勢に出て、青の騎士が回避し反撃を狙ってくる。この繰り返しだ。
 私は怪力の魔人である。強い力を振るう土台である身体能力は常人のそれをはるかに超えている。さらには『庭師』として戦い続けた経験と、身にまとった魔力が鋭い『直感』をもたらしている。
 そんな私の攻撃を避けている青の騎士もまた、魔人だ。
 だが私のように全身の性能が高い超人というわけではない。彼の魔人としての先天能力は魔眼。全てを見通す目と彼は語っていた。
 要は動体視力の類が凄いのだ。私の前世の知識によると、人は目でものを見てから視神経を通じて脳に映像を送り、その映像に対して行動の指示を手足に伝えるまで間に、反応のタイムラグが発生するらしい。
 この世界の人間が前世の地球人と同じ生物かどうかはわからないが、常人は見てから避けるという動作に限界があるのだと人との戦いで私は知っている。
 だが彼にはその限界が存在しない。青の騎士は光の魔法を見て避ける。光が目に入るイコール直撃しているはずであるが、彼の目は光を見て光を避けるという矛盾した行為を可能とする。予知の魔眼なのかもしれない。

 彼を打倒するには、長期戦に持ち込み体力を消耗させれば良い。
 魔人の目を持っていても、身体は魔法の保護も、大樹の加護も、天界の祝福もない普通の鍛えられた騎士のものだ。
 だが私はその手段を取らない。何度も言うように私は帰りたいのだ。日が暮れるまで付き合うつもりはない。
 なので別の手段で彼の肉体の限界を引き出そう。
 木剣を後ろに構え大きくバックスイング。そして地面をえぐるように振り上げる。
 えぐるようにではなく、実際にえぐり取られた地面の土が、青の騎士に襲いかかる。さらに私は騎士に向かって飛びかかり、斬撃、蹴り、蹴り、裏拳、体当たり、突きと反撃を与える間もなく連続で攻勢をかける。

 避けられるなら避けられないくらいの速さで連続攻撃をし続けてしまえ作戦。

 青の騎士は顔一面に汗をしたたらせ必死に回避を続ける。
 そして一方的な暴力が続くこと一分ほど。ついに私の拳が彼の腹に届いた。
 ぽーんと宙に舞う騎士の身体。
 腹を守っていた騎士団長の軽鎧は見事に砕けていた。
 訓練中に士官用の鎧が破損した場合、誰が新注のお金を出すのだろう。そんなことを考えている間に、青の騎士の身体が地面に落ちて豪快な激突音をならした。
 うむ、もうこれは剣技の試合でもなんでもないな。



◆◇◆◇◆



 私が王城に戻れたのはすでに終業時刻をすぎた後だった。
 まず侍女長のもとに向かい、事情を説明。問題ないので今日はもう休むようにと指示を受けた。
 私の戦う姿を見たかったと言われたが、あれはきっとあなたの思っているような優雅なものではないですよ、と返すかどうか迷った。返さなかった。

 そして宿舎に戻り、私に割り当てられた二人部屋にようやく帰ってきた。
 部屋にはすでにカヤ嬢がいて、侍女服から私服に着替えていた。一方私は砂埃まみれの侍女服のままだ。

「んー、ふふふふ」

 帰ってきてからというもの、カヤ嬢は妙に上機嫌だった。
 私はそんなカヤ嬢の視線を受けながら服を着替える。早く風呂に入ってしまいたい。お腹もすいた。

「キリンさんも息抜きに仕事を抜け出すことを覚えましたか」

 上着に袖を通しているところに、私の汚れた侍女服を手に取ったカヤ嬢がそんなことを言ってきた。
 仕事を抜け出す。ああ、侍女長に話が通っていても、私と一緒に仕事をする予定だったカヤ嬢には事情が伝わっていなかったのか。

「安心しました。見ていてあまりにも熱心すぎでしたからね。このまま見習いを卒業したら過労で倒れるのではとずっと心配だったのですよ?」

「いや、遊びに行っていたわけではないのだが」

「外を飛び回りでもしないとここまで汚れませんわ」

「まあ城の外にいたのは確かだが……」

 私は風呂の時間が回ってくるまで、カヤ嬢に仕事を抜け出すことになった事情の説明をすることに追われた。
 なかなか聞いてくれないカヤ嬢をなんとか納得させた後は、カヤ嬢に青の騎士の戦いぶりをせがまれ会話を続けることとなった。
 結局この日一日は騎士団との訓練に関することで過ぎ去ることとなった。



◆◇◆◇◆



 シーツを抱えて私は王城の廊下を歩く。
 ベッドメイクで換えたシーツを洗濯担当の下女のもとへと運んでいるのだ。
 侍女には基本的にものを持ち運ぶ力仕事が存在しない。ただし、ワゴンを押して茶器や食器を運ぶ仕事はある。
 そして例外的にこのシーツやドレスといった軽いものを持ち運ぶ仕事がある。ただ私の魔人としてのパワーが活かされるような場面は巡ってこない。
 私はそんな侍女の仕事が好きである。
 力を持って生まれたからといって、力を使って生きなければならないわけではない。ある意味、『庭師』のころよりも自由な生き方を今私はしているのかもしれない。

 昨日は青の騎士のせいで一日が潰れたが、寝て起きたら昨日のことなどどうでもよくなり、今日一日を楽しく過ごすことに心が向いた。
 朝から上機嫌である。思わず鼻歌を歌いたくなる。歌えないが。

 シーツを抱えて廊下の角を曲がったところ、緑の軽鎧を着た青年騎士が廊下の真ん中をこちらに向かって歩いていた。
 私は廊下の隅に移動し、礼を取って横を通り過ぎようとする。が。

「おお、キリン殿、探しましたよ」

 緑の鎧を着た騎士が私に向かってそんなことを言ってきた。
 昨日の今日でまた騎士が私に用事か? 高まっていた一日のやる気がみるみるうちにしぼんでいくのがわかった。

「おはようございます騎士様。何かご用でしょうか?」

 礼を取ったまま挨拶をする。
 青年騎士はああ、と頷きを返した。
 ふむ、この騎士は見覚えがある。というか昨日緑の騎士団のいる訓練に参加したばかりだ。
 短い金髪、若く整った顔、鎧の上からでもわかる鍛えられた身体。鎧は一般騎士とは違う、役職を持つものが着るのを許される上等なもの。
 ああ、緑の騎士の中でもそれなりに強かった、あの曲刀二刀流の剣士か。

「ええ、キリン殿にお願いがあってきたのです」

「お願いですか。侍女見習いの身ではご期待にそえる働きはできないかもしれませんが……」

 嫌な予感がする。というかこの状況で嫌な予感がしなければとんだ鈍感だ。
 今日は何だ。一日剣の修練に付き合ってくれとでもいうのか。私だって自分の仕事を持つ王城の従業員なのだぞ。

 そんな私の心中を知ってか知らずでか、緑の騎士が私に近づいてくる。
 そして彼は急に、私の前で膝を折りしゃがんだ。
 いや、確かに私は背が小さいけど。130センチもないけど。そんな子供相手にするように視線を下げて会話しなくてもいい。見下ろされても怖がらないぞ。

「あなたに剣を捧げることをお許しいただきたい」

 ……ホワイ?

「はい? どういうことですか?」

「私の主になって欲しいのです。剣の姫よ」

 あー、うん。これは。あれか?
 カヤ嬢が好んで読んでいる恋愛小説のようなあれか?
 自分が守りたいと思った貴族の娘に、国への忠誠とはまた別に騎士が剣を捧げ主従の契約を結ぶというあれか?
 でも私は小説の貴族令嬢のような「守ってあげたくなる儚い美少女」ではないぞ。私昨日こいつのことを蹴り飛ばしたぞ。

「そして、許されるならば未来の私の妻になっていただきたい」

「はあああああ!?」

 何がどうなってそうなった。
 ……いや、落ち着け。まずは相手を見ろ。
 表情、目線。うむ、嘘や冗談を言っている様子はない。つまり本気。
 導き出される答えは一つ。

 こいつロリコンだ!

 うわー、うわー。久しぶりの出現だ。
 世の中は広いもので見た目十歳の女である剛力魔人の私に、愛の言葉をささやく人種が存在する。
 このように往来で堂々と告白してきたり、縁談を持ちかけてきたり、攫おうとしてきたり、襲いかかろうとしてきたりと色々なパターンがある。

 勘弁して欲しい。私は幼女で、元男だ。
 今のところ、男とも女とも愛を育むつもりは毛頭無い。
 やっかいな事態に発展する前に騒動の芽はつんでおかなければ。

「申し訳ありませんが……」

 私はシーツを両手で抱え、騎士から距離を取る。拒絶の意志を身体で示す。
 私の様子に騎士の顔に落胆の表情が浮かぶ。
 これで対象が私でなければ、剣を交わしたよしみで恋愛の面倒を見てあげるのもやぶさかではないのだが。
 あ、いややっぱり駄目だ。ロリコン男の恋の助けなどしてはいけない。

 とりあえず、私は十数パターン用意してある断りの返事を頭の中に展開。
 その中から騎士という人種に相応しそうな言葉をチョイスすることにした。

「私より弱い人はちょっと……」



[35267] 9.私の食卓
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2021/07/13 13:35
 世界の話をしよう。
 この世界は球体の惑星ではない。

 現代地球人としての知識があるとその事実に驚いてしまうのだが、この世界の住人達はそれを当然のこととして受け取っている。
 この世界は巨大な一本の木である。
 人々の住む大陸は、幹から伸びた枝の葉が積み重なったもの。他の大陸に渡るには、海を船で進むのではなく枝をつたって移動する。
 世界には階層があり、上に行くほど若い枝の大陸となる。
 世界を下に辿るとやがて根の国に辿り着く。そして世界の根は、荒廃した大地に根付いている。
 生き物が生息することができないケッフェキリと呼ばれるこの死の荒野。実のところは空気のないただの衛星である。

 世界の成り立ちの話をしよう。
 この世界の人々は太古の昔、球体の惑星に住んでいた。

 土と海の星に神々が住み、様々な国と文明が生まれては消えていった神の時代をつづる『大地神話』。
 その神話の最後には、世界の崩壊が語られる。この世界に生まれたばかりの頃の幼い私は、この神話の締めくくりを宗教によくある終末思想とだけ思っていた。
 『庭師』となった私は、世界を巡り、世界の本当の形を知り、そして木の世界の中心である『幹』に辿り着いた。
 そこで知ることになった世界の真実。『大地神話』は実際にあった太古の歴史であり、今生きる人々は崩壊した世界から生き延びた神々の末裔なのだという。神話の神々はただの人間であった。
 そしてこの木の世界は、崩壊する世界から人々が逃れるために一本の大樹を元に作りだした、脱出船なのだという。
 私はこの世界を「剣と魔法のファンタジー世界」だと思っていた。だが実際は、崩壊した惑星の衛星に不時着した宇宙船が舞台の魔法SF世界だった。

 小惑星に根付いた脱出船は、星から資源を吸い取り成長する。そして生き延びた人々は脱出船の上で新しい文明を興す。
 その果てに今の私が生きる「剣と魔法のファンタジー世界」の文明ができあがった。

 冒険者達が『庭師』という俗称で呼ばれるのも、世界という一本の木、世界樹の枝葉を園丁する存在だからだ。
 一度死に、そして新たに生まれた今生の私は、大きな木の枝に立ち、魔法で作られた人工の太陽の下で生きている。
 この不思議な境遇をとりあえず簡単にまとめると、「地球から異世界に転生した」となるだろうか。

 さて、長々と考えたが、なぜこんなことを今更思い巡らせているのかというと、私は異世界に生まれてしまったのだなぁと最近また実感しているからだ。
 異世界である。地球とは違う世界である。
 人間はいるが、世界を満たす動植物の数々は地球とは違う。私の愛してやまない猫がこの世界にはいない。
 ペット事情だけならそこまで気にする必要はないが、これが食事の事情となると変わってくる。

 前世とは異なる数々の食材。
 二十九年といくらかこの世界で過ごし、それにはさすがに慣れた。
 米を懐かしく思うがこちらの穀物も悪くない。
 だが問題は調味料だ。

 この世界は一本の大樹である。人々が住むのは幹から伸びる枝の上である。
 枝の上には土が被さり、一見前世となんら変わらない世界に見える。だが枝の上である。

 世界には海がない。
 水は地中深くの枝から染み出してきて、蒸発した水分は天蓋に吸収され、世界の中枢である『幹』の管理者により雨の天候が実行される。
 雨と地下水により、世界には湖や川が存在する。
 だが海がない。
 海とは何か。塩水に満たされた領域だ。

 海がない。つまり、海から塩を作り出す風習が存在しない。
 大問題である。生物は塩がなければ生きていけない。

 この世界のどこに塩が存在するのか。答えは地中。
 世界樹は根を張った小惑星からさまざまな資源を栄養として吸い出している。
 そしてその栄養は、果実として地中深くの枝に実る。その多くは岩石。大きく実った岩石は土を突き破り、山となる。
 岩石以外にも、鉄や銅、炭などの鉱物が地中深くに実っている。岩塩もその一つだ。

 実った岩塩は、同じく枝から実った水により少しずつ溶け、土に染み出す。
 この世界の人々は、その塩分濃度の高い土を精製して塩を作り出す。
 また、大地を深く掘り、実った岩塩の鉱脈を直接取り出す方法もある。

 だが、どの方法も前世の地球での塩の入手法と比べると非常に手間がかかるものだ。
 この世界は海水から塩を取り出すことも、海水が固まってできた地表の岩塩を採取することもできない。

 この世界では、塩は高価なのだ。

 前世の地球における調味料の歴史は、塩と密接な関係があった。
 その代表的なものが醤(ひしお)。食材と塩を混ぜ発酵させた調味料で、大豆から作られるのが味噌と醤油。魚から作られるのが魚醤。醤は人類の食文化を東西問わずに支えた偉大な調味料だ。

 しかし、数々の醤が生まれたのは、世界に豊富な塩があったからだ。
 調味料の発達は、素材が豊富に手に入る状況でなければ起きない。

 こちらの世界の塩は高級品だ。
 他の食材と混ぜ調味料に加工すると、さらにその値段は上がる。
 しかし人間は生物学的に多くの塩分を必要とする。発汗機能が発達しているからである。
 結果、この世界の文明では長い年月を経てどうなったかというと、生活の必需品として身分を問わず塩飴を舐める文化が生まれたのである。
 塩を豊富に使う料理文化は根付いていなかった。



◆◇◆◇◆



「我らが偉大なる母、大地と大樹に実りの感謝を。アル・フィーナ」

 世界樹教の食前の祈りを捧げ、通常シフトの侍女達が食事を始める。
 仕事終わりの夕方の侍女宿舎。私達はここの食堂で共に食事を取る。仕事が長引き食事の時間に間に合わない侍女もいるが、そういった場合も個別に食事を取れるようになっている。
 一斉に食事を取るのは、数の多い女官がばらばらに食事を取ると、飯炊きと配膳の下女を多く雇う必要がでてくるからだ。
 国が民に対し仕事を与えるのは政策として良いこととされているが、王城に出入りする民間人を増やすことに対してはどうやら避ける傾向にあるようだ。

 私は祈りを捧げた手を下ろし、食器を手に取った。
 世界そのものを信仰する世界樹教はこの国の国教である。食前は皆世界に感謝の祈りを捧げる。アル・フィーナとは聖句であり、短い魔法の詠唱だ。唱えることで悪気を浄化する。
 私は魔法の詠唱ができないので、この聖句を音の魔法で発してもなんの効果もない。
 が、代わりに私の両隣に座るククルとカヤ嬢の祈りの力が、ほんの少しであるが私のもとにも届いた。

「今日も一日お疲れ様でした」

 そうククルが私に声をかけてくる。
 今日は一日カヤ嬢と共に仕事をしたため、ククルと顔を合わせるのは朝食以来だ。
 昼食では仕事の時間がずれていたのか彼女とは会っていない。

「お疲れ様でした」

「お疲れ様」

 カヤ嬢と私も互いに慰労の言葉を交わす。敬語モードは解除済み。
 私の左にカヤ嬢、右にククルというのがこの食堂でのいつもの席順だ。
 王城に奉公に来て日が浅い私に気を使ってくれているのか、こうやって私が孤立しないようにしてくれている。

「今日はアルル魚の蒸し焼きですか。私、これ大好きですの」

 カヤ嬢が二叉のフォークで赤身魚をほぐしながらそう言った。

「カヤは昔から魚好きですわね」

「アルル魚は実家の近くの湖にいるのですよ」

「ああ、なるほど。キリンお姉様、カヤの家ではよく湖で園遊会を開きますのよ」

 ククルとカヤ嬢は王城に侍女として上がる前からの友人らしい。
 ククルの実家のあるバガルポカル領と、カヤの実家である伯爵家のアラハラレ領は隣合った領地だ。その地理的な縁と、お互い歳の近い娘という事情で仲良くなったのだろう。

「園遊会か。水辺で酒を交わしたり、ボートで遊覧したりするのかね」

 想像の中のこの国の野外貴族パーティの様子をカヤ嬢に訊ねてみる。

「ふふ、それがですね、私の父は釣り好きでして」

 む、釣りとな。私も前世は釣り好きだった。
 こっちの世界に生まれてからは水の中にいる魚の場所を感知できてしまうので、待つ醍醐味が減ってもう趣味としてはやっていないが。

「それで、集まった方達と一緒に湖に船を出して釣りをしますの。そこで釣った魚を夜会で食べるのが毎度の楽しみでした」

 ふむ。この国は肉食の文化が強いが、カヤ嬢は珍しく魚好きであるような。
 私はカヤ嬢に向けていた視線を前に戻す。配膳された皿には、蒸し焼きにされた魚がのっている。
 フォークで皮を崩すと、ふわっとほぐれた赤身が顔を覗かせる。
 この世界の魚には白身と赤身、青身だけでなくケミカルな身の色をした魚が食用として市場に出回っている。魔力がどうとか水草がどうとか色が付く理由があるらしいが、あの色を見ると正直食欲がわかない。前世の米国のお菓子もあんな色であった。
 このアルル魚は幸いにも自然な色をしている。香辛料の香りが食欲をそそる。
 ほぐした身を私は左手に持ったトング(のような箸のような金属を折り曲げた食器)で掴むと、口に入れて噛みしめる。
 うむ。

「私は魚は塩焼きにして食べるのが一番好きだ」

「塩焼き?」

 カヤ嬢は聞いたことがないといった表情で私に聞き返してくる。

「ああ、砂粒のように細かくした塩を身に振って、直火で焼く。素朴な塩の味と脂のうま味が噛み合って実に美味だ」

「是非食べてみたいですわ」

 『庭師』時代は野営をすることが多く、川で魚を捕らえ内臓を取り出し携帯している塩をすり込んでたき火で焼いた、川魚の塩焼きをよく食べたものだ。
 前世のサンマの塩焼きが懐かしくなる。
 この世界でも秋のサンマのように脂のたっぷりのった魚はいるが、大根がない。大根おろしが作れないのだ。
 サンマ、大根おろし、醤油、白いご飯。ああ懐かしい。

 そんな望郷の思いを巡らせつつ、私はトングをおいてパンを手に取る。
 世界が変わっても食卓の主役は穀物だ。このパンは、向日葵のような穀物カツツの実を脱穀し粉にした、向日葵麦粉を使ったパンだ。パンといっても酵母でふっくらと焼き上がっているわけではなく、ナンのように平べったい形をしている。
 パンをちぎり、スープに軽くひたす。このパンとスープは必ずセットで出される。スープにつけるのが一般的な食べ方だからだ。
 この侍女の食堂では、フォークとトングで器用にパンをちぎって食べる礼儀の行き届いた子が多い。が、私は面倒なので手づかみだ。
 スープを吸ったパンを一口で食べる。噛むごとにスープの水気がパンから染み出してくる。
 うむ。

「キリンお姉様もそろそろ食器使いを覚えませんとね」

 手づかみでパンを食べる私にククルがそんなことを言った。

「いや、私は使えないわけじゃないぞ。面倒なだけだ」

「面倒でもちゃんと使うのが作法ですのよ」

 うーん、さすがは貴族の花嫁修業の場。
 私は再びトングを手にして、菜っ葉のサラダを食べる。
 うむ、ドレッシングの酢が利いて美味だ。美味い。

 美味いので一口二口と食べていったらすぐになくなってしまった。
 侍女の食事量は少ない。貴族の食卓といえばテーブル一杯に食べきれない量の皿を広げ、食べられる分だけ食べて後は全て残すというイメージがある。だが、ここの食堂はまるで学校給食のように決まった量しか食事を出さない。

 理由を前に聞いたところ、侍女が太らないようにするためだとか。
 侍女は美しさを保つのも義務であるようだ。

「お姉様またサラダだけ先に食べて。バランスよく順番に食べませんと」

「ククル、お前は私のお母さんか」

「教育係です」

「んん!?」

 おかしいな。
 ククルは昔から私の妹で教え子のような存在だったぞ。

「ほら、食器を使ってパンを食べましょうね」

 わかりました侍女先輩。
 食器を両の手で確かめるようにしっかりと握りなおす。私の利き手は両手なので左右どちらにトングを持つかはその日の気分だ。

 フォークでおさえてトングでちぎる。
 スープにつける。口に運びぱくりと食べる。
 そんな作業をひたすら続ける。
 魚も忘れずに食べる。
 もっそもっそ。

 さすが貴族の子がなる侍女の食卓。そこらの町の定食屋では食べられない上等な料理だ。
 しかしだな、うむ。

 心にもやもやを抱えながら、私は気を晴らすように両隣の二人に話題を振った。

「しかしなんだね。今日の食堂はいつもと雰囲気が違う」

 食堂を見渡しながら言う。
 私服に着替えた通常シフトの侍女達。
 いつもはお淑やかに食事を取っているのだが、今日は会話も多く皆どこかそわそわとしている。
 明日は国で定められた一週間に一度の休日。侍女の仕事柄、全員まとめて休みを取るということはない。が、休日の王城は働く士官が少ないので、侍女の仕事量が少なく、それに合わせて休みを与えられる侍女の数が多い。
 そんな週に一度の休日を彼女達は楽しみにしているのかと思うが、前回の休日前夜よりも少女達の浮かれようが上がっている気がするのだ。侍女になって二度目の休日なのでサンプル数が少なすぎるが。

「ああ、キリンさんは初めてでしたね」

 私の疑問に、カヤ嬢が笑って答えてくれた。

「昨日お給金が出ましたでしょう? それで明日どう使おうか考えているのですよ」

「給料? みな良家の子女であろう。別に侍女の給金がなくとも金には困らないだろう」

「困りはしませんね。でも、やはり自分で働いて手にしたお金ですから、思い入れが違いますわ」

 なるほど。なるほどなるほど、ここにいるのは皆貴族の子女達だ。確かにお金には困っていない。
 だが、やはり自分が働いて手にしたお金を使うというのには心が満たされるものがあるのだろう。
 いや、貴族だからこそ、生活に余裕があるからこそ、自分の力で手にしたお金というものに特別な思いを抱くのだろう。

 そう、例え話をしよう。
 今私が食べているこの料理も、侍女ならば無料で与えられるものだ。
 しかしそんな生活が続く中で、自分達で料理を作ってみたらどうなるか。いつもと違った気分で食事を楽しめる。

 給金で休日をすごすのは、年若い侍女達にとってそんな生活のスパイスのようなものなのだろう。

 私は前世の遙か遠い子供時代を思い出して、何ともほんわかした気持ちになる。
 この少女達の雰囲気は嫌いではない。
 『庭師』時代には味わえなかったものだ。『庭師』は手にしたお金のほとんどを武具につぎ込む。誰も彼もが名を上げることばかり考えていた。日々を生きることよりも、世界に己の名を残すことを考えるのが、『庭師』という人種だ。

「お姉様、明日の休みはどうされます?」

「キリンさんは私と一緒に薔薇園に行くのですよ」

 ね? とカヤ嬢が私に向けて笑顔を向けた。
 ふむう、まだあの情操教育の話は有効だったのか。

「薔薇園ってここの薔薇園ですか?」

「ええ。キリンさんに花の美しさを知っていただくのです」

「私もご一緒してよろしいですか?」

「もちろん。一緒にキリンさんに淑女のなんたるかをお教えしましょうね」

「ふふ、さすがカヤ。よくわかっていますわね」

 私をはさんで二人が仲むつまじげに言葉のキャッチボールを交わしている。
 私は別にカヤ嬢に対し、植物園に行くことを承諾したつもりはない。しかしそのことを告げるのはよろしくない。
 これだけ二人が楽しそうにしているのだ。是非一緒に休日を過ごしたい。
 だからこそ、これから言うことがとても心苦しい。

「カヤ嬢、それとククル。すまないが、明日私は行かねばならぬところがあるのだ。だから、植物園は次の休みのときに頼む」

「ええー。そんな」

 目に見えて落胆の様子を見せるククル。すまぬ、すまぬ。

「うふふ!」

 カヤ嬢は、むう、何故かすごい嬉しそうだ。

「うふふふふ、そうですか。キリンさん、そうですか」

「どうしたのだカヤ嬢」

「いえいえ、わかっていますとも。ぜひとも明日は楽しんできてくださいまし」

 どうしたのだ本当に。
 カヤ嬢には明日私が何をするか言ってないし、そもそも明日することは楽しむようなことではない。

「どういうことですの?」

 ククルが不思議そうに私とカヤ嬢の顔を覗き込んだ。

「いや、私にもわからん」

「あらあら、キリンさん誤魔化そうとしても駄目ですわ。お姉さん全部わかっているんですよ」

 何がだ。

「カヤ、どういうことかしら?」

「うふふ、キリンさんは明日ヴォヴォ様とデートをするのですわ」

 はあ!? デート!?
 何がどうなってそんな話になった? というかヴォヴォって誰だ。

「ヴォヴォ様って、もしかして緑の騎士団の剣総長のヴォヴォ様ですか?」

 緑の騎士団……ああ、カヤ嬢に話した合同訓練のことで、また何かとんでもない勘違いをしているのか。
 でもヴォヴォって誰だ。巨漢の緑の騎士団長とは名前が違う。

「うふふ、そうですわ。実はですね、キリンさんはこの前ヴォヴォ様に剣を捧げられ求婚をされたのですわ」

「んん!? なぜそれを知っている!?」

 待て待て待て、あのことは誰にも言ってない。
 どうしてカヤ嬢に伝わっているのだ。
 あのロリコン、周りに言いふらしたのか。なんてことをしたのだ。今度会ったらねじ切る。

「ふふふふふ、カーリンから求婚を見たと、今日聞いたのです。確かな情報ですわ」

 カーリン。誰だ。……ああ、あのよく廊下を掃除している掃除担当の下女か。
 妙に影が薄く、私でも気配を察知するのが難しい下女だ。あまりに気配がなさすぎて、逆に名前を覚えてしまった。
 私の高性能な耳をもってしても、足音も呼吸音も聞き取れないので、存在が希薄という類の魔人なのではと疑っている。

「求婚を断ったと聞きましたけれど、その様子ではお付き合いを始めるようですのね」

「まあ、まあまあ、キリンお姉様そういうことは、ちゃんと私に相談してくれませんと。今夜はデートの作法をみっちりですね」

「待て。待たんか二人とも。緑の騎士は剣も求婚もきっぱりと断った。あいつとはもう会うことすらないだろう」

 私の言葉にククルがきょとんとした表情をする。
 一方カヤ嬢は。

「まあ、恥ずかしがって。でも大丈夫、女に生まれた以上誰もが通る道ですわ」

「いや、だからな……」

 身体は女でも中身は元男だ。
 というかもし前世が女だったとしてもロリコンは嫌だ。

「ああ、なんだ、またいつもの勘違いですの……」

 私の隣でククルが呆れたようにそんなことを呟いた。
 なるほど、どうやらカヤ嬢は思い込みの激しい性格であるようだ。薄々気づいてはいたが。

「で、お姉様、実際のところ明日どのようなご予定が?」

 一人盛り上がるカヤ嬢を無視してククルが私に聞いてくる。
 私もカヤ嬢を無視してククルの方に身体を向けた。

 話をしている間に、私はすでに食事を終えていた。ククル達はまだ半分も食べていない。
 私は話をするときに口を開く必要がないので、口にものを入れながら声を出すという芸当ができるのだ。音の魔法は喉の奥ではなく唇の先から出るように設定してある。

「ああ、そのことだが」

 私は喉を潤すために、コップに注がれているワイン(のような味がするお酒)を飲みながら、ククルに向けて言った。

「家に帰る」

 侍女生活を始めて二週間、恥ずかしながら実家に帰らせていただきます。



[35267] 10.私の休日
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2020/10/27 08:27
 キリンは激怒した。必ず、かの邪知暴虐の食を除かなければならぬと決意した。キリンには栄養学がわからぬ。キリンは元冒険者である。斧を振り、魔物と戦って暮らしてきた。けれども、食事の質に対しては、人一倍に敏感であった。

 というわけで私は今日未明、王城を出発して野を越え山を越え王都から離れた南西のバガルポカル領までやってきた。
 全力でぶっ飛ばし、早馬(のような生き物)を使っても一日半かかる道を四時間ほどで走りきった。メロスなど敵ではない。

 なぜ一日しかない休日を里帰りで潰しているのかというと、私は侍女の生活にとうとう我慢しきれなくなったのだ。
 いや、正確に言うと侍女の食生活だ。別に侍女が嫌になったわけではない。
 決まった時間に三食しっかりと出される食事。内容は貴族用の上等なもの。
 だが私はそれに耐えられなくなった。ぶち切れた。

 塩味が、足りない。
 この国の貴族達は、薄味料理を高貴なものとして扱っているのだ。肉食なのに。
 高級品である塩は、調味料としてほとんど使われていない。代わりにハーブやスパイスなどの香辛料を丁寧に取り入れている。
 そして足りない塩分を補うために、侍女には塩飴が適量ただで支給される。

 そんな貴族の料理に対して、庶民の料理は単純だ。
 高級な塩は、とりあえず完成した料理に上から振りかける。そのやり方が一番ロスがない。後は塩飴を買って舐める。

 貴族料理と庶民料理、どちらが美味いかと言われると貴族料理だ。食材の質も料理人の質も全てが違う。
 だが、毎日食べるとなると話は変わってくる。繊細な薄味続きに私は耐えられなくなった。

 なので里帰りだ。仕事を辞めたわけではない。今日中に王城には帰る。
 見慣れた町の外れにある魔女の塔。そこに私は二週間ぶりに帰ってきた。

 掃除の行き届いた王城にすっかり慣れた私は塔に入った途端、うわ汚い、と驚いたが掃除をしている暇はない。
 塔を駆け上り、調理場へと入る。そして、そこに置かれている魔法の箱を開けた。
 これは冒険の途中に手に入れた密閉性の高い箱に、魔女から受け継いだ最大の秘技である時止めの魔法を何重にも刻み込んだ、国宝級の魔法道具である。用途は冷蔵庫。この道具の誕生により、冒険の拠点としてこの塔の性能は何段階も跳ね上がった。
 ちなみに私を不老たらしめている魔法は時止めの魔法ではない。時を止めた人間は新陳代謝すら止めたアンデッドだ。

 私は魔法の箱、冷蔵庫から食品を取りだしていく。別に中は冷えていないが、一番近い日本語訳が冷蔵庫なので、冷蔵庫と呼んでいる。

 塩漬け肉、野菜の漬け物、燻製、魚の酒粕漬け、チーズ(のような発酵食品)、梅酒(のような物)。
 冒険の友である保存食達だ。『庭師』は未踏の地や過去の遺跡を何週間も、時には何ヶ月もかけて冒険する。
 保存食には、高級品である塩も保存料としてふんだんに使われている。『庭師』は金回りが良いので、高いものでもそれが仕事に必要なものなら惜しみなく買いあさるのだ。
 そして保存食のほとんどは、味が濃い。
 私はこれを取りに来るため、わざわざ塔にまで戻ってきたのだ。
 冷蔵庫から保存食を取り出しながら、細かく刻まれた魚の干物を一つ口に含む。
 うむ、美味い。塩が利いている。魚の凝縮されたうま味もしっかりと感じる。

 一通りの保存食を取り出し満足すると、次は冷蔵庫の中から調味料を探す。
 料理は覚えている。そもそも料理ができないと野営ができない。この塔は私の冒険の拠点だったので普段の食事を作るための調味料はそろっているし、冒険のときに持っていくための小分けにパッキングした調味料もある。

 私は料理人ではない。農村の生まれでもない。
 この世界で前世の調味料を再現することはできない。もう醤油や味噌の味を楽しむことができない。
 しかし世界は広いもので、塩を使った独自の調味料が細々と作られている集落があったり、塩を使った保存食を名産としている町があったりする。
 世界を巡る途中に見つけた珍しい数々の品は、塔に持ち帰って保存している。
 今までは時の魔法で保存するだけ保存して満足し放置していたが、王城付き侍女になり塔にはいつでも一両日中に戻れるようになったので、それらを使うことがこれからは増えていくだろう。

 容器に詰めた調味料の数々を見て、うむと私は頷いた。
 食堂の食事の味が不満なときはこれをぶっかけることにしよう。

 そして、王城から持ってきた鞄に、これらの保存食と調味料を詰めていく。ああ、あとお酒も持っていこう。

「もう帰ってきたのですか。解雇されたのですね」

 うひい!

 突然背後から聞こえてきた声に私は飛び上がった。
 心臓がばくばくと跳ねる。完全に不意をついた一声だった。

 私は後ろへと振り向く。
 誰もいない。
 気配もない。

「くくく、そんなにびっくりしなくてもいいでしょうに」

 虚空から届く声。
 その正体に思い至り、私は床に視線を向けた。
 地脈を汲み取って光を出す魔法の永久灯に照らされた私の影が伸びている。

「出てこい」

「わかりました」

 私が影に向けて呼びかけると、影はこんもりと天井に向けて高くふくれあがり、やがてするすると織物が糸にほどけるように影が散った。
 散った影の代わりに現れたのは、魔女のローブを着た一人の少年。男とも女とも判別がつかない不思議な容貌をしている。実際にこれは男でも女でもない。魔女の塔に住む住人の一人だ。

「驚かすな」

 私はその住人に向けて文句を言った。言っても無駄ではあるのだが。

「このくらいで驚かないようにしなさい」

 その返答に、私は言い返す気も起きずため息をついた。
 目の前にいるこれは塔を管理する魔法人形だ。ファンタジー風に言うとウッドゴーレムだ。
 ゴーレムと言ってもemethの文字が刻まれた従順な使い魔などではない。私が作ったゴーレムではないので、私の言うことなど聞かない。

 これは、塔の前の持ち主である魔女が死んだその日に、急に塔の中で活動を始めたゴーレムである。
 作成者はおそらく魔女。
 私でも解析しきれない高度な魔法を何重にもかけて作られた最高級のゴーレムだ。

 人との会話も可能。
 だが、知性があるわけではない。決められた入力に決められた出力を返す、そんなゴーレムとしての基本機能が極めて高度なだけである。
 おはようと言えば、おはようと返す。物を運んでと言えば、物を運んでくれる。
 そんな行動パターンを膨大な量内包することで、あたかも「会話が成り立っているように錯覚してしまう」仮初めのトップダウン設計の人工知能が組み込まれている。
 魔女が何のためにこのゴーレムを作ったのかは知らない。そもそも作っている様子を見せたこともない。
 ただ、私の知らない魔女の魔法知識を会話の中で私に披露するので、何となくこのゴーレムの存在理由を予想できている。

 おそらくこのゴーレムは、魔女の後継者を育てるための教師的な存在なのではないだろうか。
 私が魔女に引き取られたのは魔女が死ぬ二年前。二年は後継者を育てるにはあまりにも短い時間だ。
 魔女は自分の死ぬ時期を最初から知っていた素振りを見せていた。私が弟子になる以前から、自分が死んだ後に自分の後継者を作り出す準備をしていたのではないだろうか。

「二週間で解雇ですか。もはや魔女になるしかないですね」

 何より、このゴーレムの会話パターンは魔女本人に似通っている。というかそっくりだ。
 自分の好きなように生きなさいと言う癖に、私を魔女にしようとするその態度があの魔女そのものだ。
 なので私はこのゴーレムが苦手だ。

「解雇されてない。今日は休日だ」

「はあ。仕事先は王城でしたね。新人のくせに連休を取ったのですか?」

「休みは今日だけ。走って帰ってきた」

「ああ、あなた馬鹿なのですね。ばーか」

 ああ超むかつく。いっそぶっ壊してしまいたいが、魔女の魔法を全て内包しているうえに、世界樹の枝で作られているこのウッドゴーレムは、私よりはるかに強いのでどうしようもない。
 もうこのゴーレムが魔女になればいいんじゃないかな。

「取り忘れた荷物を取りに来ただけだ。すぐに王城に戻る」

「取り忘れた荷物がご飯ですか。食い意地を張るのはやめなさいとあれほど言ったでしょう」

「言われたのはあんたにではなく魔女にだよ……」

 相手をしていると疲れて仕方がないので、荷物をまとめる作業に戻る。
 あくまで決められた入力に決められた出力を返すだけの存在なので、こちらからアプローチしなければ何もしてこない。
 まあ、もっともこれの前で私が動くだけで入力とみなされるのだが。

 よし、食料と調味料は終わり。後は、侍女の生活をしていて必要と感じたものをいくつか見繕っていくとしよう。
 冷蔵庫を閉じて、調理場を出る。
 塔を登って私の私室に向かう。その後ろをゴーレムは無言でついてくる。何でついてくるかなあ!

「そうだ、塔の中結構汚れているぞ。ちゃんと掃除したまえ」

「掃除をできるような住人は今ここに住んでいませんよ」

「あんたがいるだろう……」

「どうして私が掃除をしなければいけないのですか。掃除は弟子の仕事です」

「本当に魔女そっくりだなあんた!」

 塔の管理ゴーレムなのだから管理して欲しい。
 そんな無駄な思いを抱きながら、私は私室の扉を開いた。
 魔女の弟子時代から使っている部屋。塔の主は今や私だが、この部屋にすっかり慣れてしまっているので、他の部屋を私生活空間にすることは少ない。
 部屋の壁には、『庭師』時代の武器の数々が飾ってある。父の形見である不壊の大剣も、最も愛用していた戦斧もその中にある。
 そして私の幼女の身体に合わせ特注した魔法の鎧が、部屋の角で一際強いオーラを出して存在を主張していた。これ一つで侍女の宿舎が丸ごと一つ買い取れる価値がある。
 武器も鎧も無造作に置いてあるので簡単に盗まれそうだが、無敵のゴーレムが塔を管理しているのでその心配はないだろう。その点だけは本当に留守を任せるのに役に立つゴーレムだ。

 私は武具から目を離し、生活用品が入っている棚へと向かう。
 棚を開け、必要そうなものを適当に見繕っておく。魔法装飾用の裁縫道具、魔法のハンカチ、トレーディングカード、髪飾り、香油、ブラシ、手鏡、カヤ嬢へのお土産になりそうな希少本。
 侍女になるために王城へ行く前にもこの塔に立ち寄ったのだが、ここから物を持ち出すことはなかった。王城へ持ち込んだ荷物は、これがあれば侍女生活に困らないと侯爵夫人が用意してくれたもの。その言葉を信用していたので私物は持っていかなかった。
 実際、侍女の二週間の生活で不足したものは塩味以外にない。ただまあ、より豊かな生活を過ごすために私物を追加することは悪くないだろう。

「とうとうお洒落に目覚めましたか」

 勝手に私の部屋に入ってきていたゴーレムが、私の用意した品を見てそんなことを言った。
 本当に我が物顔だ。プライベート空間くらい作らせてくれ。

「侍女の仕事柄、身だしなみを整えねばならないからな」

 私が用意したのは、ほとんどが装飾品や身だしなみを整えるための道具だ。
 旅先から持ち帰り、棚の中にしまってからは一度も取り出したことがないものばかり。唯一の例外が髪の手入れ道具だ。

「そうですか。あなたもそんな歳に……」

 感慨深げにゴーレムが顔に手を当てた。
 決められた出力をするだけの木偶で感情はないはずなのに、仕草が細かい。魔女本気で作り込みすぎ。

 と、ゴーレムが顔に当てていた手を離し、唐突に前方へと腕を突き出した。
 ゴーレムの足元の影が立ち上がる。そして影はぐねぐねとうごめきながらゴーレムの手の中に吸い込まれていく。
 影は手の平にすっぽりと収まる大きさになり、そしてゆっくりと色を持ち始める。
 ゴーレムが爪先を床に軽く打ち付ける。すると、ゴーレムの足元から消えていた影が再び出現する。一方、手の中にはガラスの瓶が握られていた。瓶の中には青い錠剤が入っている。

「餞別です。持っていきなさい」

 そう言ってゴーレムは私に瓶を放ってきた。
 それを私は片手でキャッチ。受け取った瓶の中を覗き込む。
 青い錠剤。魔法の力は感じられない。見覚えのない薬だ。

「これは?」

「避妊薬です。お洒落を気にするようになったからには必要でしょう」

「まだきとらんわ!」

 というか歳が止まってるから永久に避妊が必要な時期はこない。そもそも避妊が必要な状況になることもない。
 私は魔女に行動がそっくりすぎるゴーレムに向かってガラスの瓶をぶん投げた。



◆◇◆◇◆



 王城への道を行く道半ばで、私は前世で読んだ『走れメロス』を思い出した。
 王城と故郷の村を数日で往復する話だ。
 王城に身代わりの友人を置いて村に走り、妹の結婚式を見てから王城に舞い戻る。
 この話、行きはよいが帰りが怖い。豪雨で氾濫した川が道をふさぎ、それを越えた先で山賊に襲われ、全裸になって王城へと戻る。

 幸い天候は良い。そもそも、魔法的な災害が起きなければこの世界では豪雨など起きない。
 ただまあ、仮に氾濫した川があっても飛び越えられるし、山賊に身をやつす程度の人間ならば脅威でもない。全裸については服を脱ぐ理由がそもそも思いつかない。メロスもなんで全裸になったのだったか。

 なぜそんな遠い昔に読んだ物語を思い出しているのかというと、大勢の山賊が出た。
 山賊は脅威ではない。
 ただ問題が、山賊に襲われているのは私ではなく、一台の馬車であるということだ。

 三頭立ての巨大な馬車を引く馬(のような生き物)は三頭とも矢で射られ息絶えており、馬車は横転している。
 その馬車の周りをぐるりと数十人の山賊の集団が囲んでおり、倒れた馬車の横には血を流し倒れる御者と、山賊に剣を向けて対峙している五人の剣士と、座り込み震えている貴族の娘らしき少女がいた。
 そんな現場にニトロモードで走る私が辿り着いてしまった。

 うむ、わかる。すごいわかる。
 今この国は国王が変わったばかりで不安定で、さらにこの世界は魔王の出現で魔物が凶暴になっている。本来ならば国民の中でも裕福な生活を送れる農民が、そんな情勢の影響で山賊に身をやつす事態が起きているのだと聞く。山賊を狩るのは青の騎士団率いる国軍と、それぞれの領地の領軍だ。
 ここは王族領と貴族領の境目辺り。監視の目が緩いスポットなのだろう。そんな場所に不幸にも貴族の馬車が通りかかったわけだ。

 わかる。すごいわかる。このパターンは私が貴族の娘を助けて認められ、貴族への縁を作るパターンだ。
 私は今も『庭師』の免許を持つ立場なので、こういう場面に遭遇しやすい。
 『庭師』は世界から悪意を払う存在であり、世界はそんな『庭師』達が悪意に遭遇できるよう運命を操る。
 悪漢に襲われる運命の娘を助ける話は、この世界の英雄譚では必ずと言って良いほど登場する。

 だからこの状況もわかるが、今の私は『庭師』じゃなくて侍女だ。こういうのはごめんこうむる。
 それにあれだ、門限に間に合わないと大変だ。メロスのように友人が処刑されるということはないが、私が友人に大目玉を食らう。
 なのでとりあえず、荷物を背負ったまま私は現場に走り、馬車を囲む山賊達の膝を砕いていく。
 殺しはしない。悪人を悪人のまま殺せば、世界に悪人の魂が送られて魔物出現の遠因となる。とりあえず山賊稼業が二度とできなくなる程度に人体を順番に破壊していく。

 よし、次。
 倒れている御者。矢を腹に受けているようで、血を流し顔面が蒼白になっている。
 矢を抜いて、治癒の魔法をかけ傷を塞ぐ。
 荷物から酒を取り出し、魔法をかけて魔法薬に変換し、御者の口に酒瓶をつっこむ。
 無理矢理薬を飲ませて完了だ。

 よし、次。馬っぽい生き物。死んでる。無理。
 馬車。倒れているのをおこす。車輪が壊れている。だが乗る部分が損壊しているわけではない。
 馬車の中に御者を寝かし、ついでに呆然としている娘と剣士達を馬車の中につっこむ。
 そして私は馬車の下に潜り込むと、馬車の底に指をくいこませて持ち上げた。しかし大きな馬車だ。三頭立てとは。しかも死んでいる馬は荷運び用の大きな体躯の品種だ。
 馬車を持ち上げたまま、私は走る。馬車と人間七人程度、負荷でもなんでもない。全力疾走で数十分。王族領の最寄りの町に辿り着いた。
 そして、私は何度か来たことのあるこの町の生活扶助組合へと走り、建物の前に馬車を置き、そのまま王城の方角へと再び走り出した。

 メロス。君の気持ちは良くわかる。
 人一倍邪悪に対し敏感な正義感あふれる君でも、友人の待つ王城に帰るときは山賊に会っても殴り倒すだけで、捕まえて役人を呼ぶといった行動は取らなかった。
 忙しいときは正義が最後まで執行されなくても仕方ないのだ。あ、倒れた山賊、魔物に食われたら大変だな。まあいいか、悪人を食べて強くなった魔物を倒すのは現役の『庭師』達のお仕事だ。私はしがない侍女見習いである。



◆◇◆◇◆



 刻限ぎりぎりに全裸で王城に戻ったメロスは、身代わりとしていた友人と友情をさらに深め、その姿を見た悪の王を改心させた。
 門限前に王城へと辿り着いた私は、全裸ではなかった。当然だ。全裸だったら王城どころか人前にすら出られない。
 そしてこの王城に住む若い国王は悪人ではない。良いやつだ。悪政を敷いているという話も聞かない。

 私は……メロスになれない……。
 などと走り続けたせいで変なテンションになっていた私は、風呂と食事を済ませた後、せめて友人と親睦を深めるために、カヤ嬢と私の二人部屋にククルを招いて酒盛りをすることにした。

 塔から持ち込んだ梅酒(正確にはケーリという木の実を梅酒の手順で私が漬けた物)で乾杯をし、保存食をつまみとする。
 この国の国法で定められた飲酒年齢は十二歳。ククルが十四歳、カヤ嬢が十五歳なので酒盛りをしても問題ない。
 ただ、子供の飲酒は大人が見るべしという風潮がある。この場にはアラサーの私がいるので問題ない。身体は十歳だが。

 この世界は成り立ち上、水の質が良いため中世ヨーロッパのように子供が水代わりにビールをがばがば飲むみたいな文化はない。

 くぴりとカヤ嬢が梅酒を一口飲んだ。

「あら、初めて飲む味ですわ」

 続けてククルも梅酒を飲む。

「本当。強いのにすごい甘くて……何の果実酒ですかキリンお姉様」

 私はごくごくとコップの酒を飲みながら音の魔法で言葉を返した。

「ケーリの実と同量の砂糖を向日葵麦の蒸留酒に漬け込んで二年寝かせたものだ」

「ケーリの実ですか。ジャムに使うあれですわよね」

「ああ。ほれ」

 私は梅酒の瓶をどんと彼女達の前に見せた。瓶の中には桃色の液体と、色の抜けた桃のような果実が入っている。

「ケーリの実はバガルポカル領で名産としている村があってな。漬け込みは私の自家製だ。毎年実家の塔で作っている」

「お姉様は酒豪ですからねぇ。こんな小さな子ですのに」

 酒豪と言うよりはあれだ。魔人の身体がアルコールを毒素として分解してしまうので、無理矢理魔法で内臓機能を下げて、飲みたい量だけ飲んで酔うようにしているのだ。
 魔人としての力は怪力だけなのに、それを成り立たせるための土台である身体があまりにも高性能すぎる。
 正直不老にならなくても、なかなか老いない身体だったのではないかと最近は思っている。
 私の老後は一体何歳からカウントすれば良いのだろうか。

「さて、こちらがつまみだな。世界各国の保存食だ。『庭師』時代によく食べていてな、酒によく合う」

 塔から持ち込んだ保存食のうち、比較的日持ちしそうにないものを広げる。
 ククル達はそれに手を伸ばし、これは何かと聞いて私は材料と製法を説明した。
 そしてカヤ嬢は遠いシーミ諸国で作られた魚の干物を選び、口に運んだ。

「んん……」

 かみ切れずにぷるぷると震えるカヤ嬢。可愛い。
 魚の干物は固いのでアゴの弱い貴族の子女には辛い物だろう。

「やっと噛めましたわ、わ、しょっぱいですわ! しょっぱいですわ!」

 慣れぬ強い塩味に口を開けて騒ぐカヤ嬢。

「そういうときは酒を飲むのだ。そうすれば酒がより旨く感じる」

「ん……」

 ぐいぐいと梅酒をあおるカヤ嬢。結構高い度数なのだが、甘くて抵抗が少ないのだろう。飲み過ぎないようちゃんと見ておかないと危ないな。

「ふわ……ああ、このお酒美味しいですわねぇ」

 ほう、と息をつくカヤ嬢。その横では、ククルがチーズを興味深げに眺めていた。
 チーズが生産されている国とこの国は枝がだいぶ離れている。名前すら知らないだろう。
 溶けたチーズをたっぷりのせたパンは至高の味だが、それだけのチーズをここに持ち込むには大陸間移動を許可された行商人を頼る必要があるだろう。
 ククルはチーズに鼻を近づけ、ひすひすと匂いを嗅ぐ。そして渋い顔をした。

「ククル、匂いは強いが味の臭みはさほど強いものではない。食べても大丈夫だ」

「はあ……」

「食べないなら私がいただきますわよ」

「わ!」

 ククルの指先にぱくりと食らいつくカヤ嬢。
 うむ。この娘、既に酔ってる。

「あら、これは濃厚で口の中においしさが広がってきますわ」

「本当? じゃあ私もいただきます」

 仲むつまじげにチーズを食べ、梅酒をちびりちびりと飲む二人。
 そんな二人の様子を肴に私はがばがばと酒をあけていく。ちなみに私が飲んでいるのは梅酒ではなく、梅酒を漬けるのに使っている向日葵麦の蒸留酒だ。麦焼酎に近い。

「そうそう、夕食の後にカーリンから聞いたのですけど」

 魚の干物に再挑戦しながら、カヤ嬢が話題を振ってくる。
 ……んん!? 侍女の宿舎の夕食が終わった後になぜ下女のカーリンと話をしている?

「今日、後宮に新しいお方がいらっしゃる話は知ってますわね?」

「ええ、後宮担当の子が今日は休めないと、なげいてましたわ」

 後宮か。あの王子……現国王も大変だな。
 好きでもない女を何人も抱えて子を産ませなければならないなど。
 王権神授とはいうが、この国で一番自由がないのは王であるあやつではないだろうか。

「それが、夜になっても到着していないのですって。すぐ隣の公爵家の方ですから、そう遅れることはないはずなのに、とカーリンが」

「南の公爵ですわね。複雑なお家の事情があるらしいですが……」

「ええ、ええそうなのですよククル! エカット公爵家の一人娘は今の公爵夫人にとって前妻の子! きっと疎んだ夫人が後宮に押しつけたのですわ! まあ、まあまあまあどうしましょう! どうなってしまったのでしょう!」

 …………。
 うん、わかっている。
 私もこれで十九年といくらか『庭師』をやっていた。さすがにわかる。
 あの山賊に襲われていたのが公爵の子なのだろう。そしてきっと王城で私の前に現れるのだろう。そういうのよーくわかる。
 でも今の私はただの侍女。会っても気づかれないようにしよう。

「ほら、ククル。これはどうだ。ミシシ村で取れた菜っ葉の塩漬けだ」

「まあ、ミシシ村ですか!」

 話をそらすため、ククルにバガルポカル領の特産品を使った漬け物を差し出す。
 カヤ嬢は……飲み過ぎないよう注意だけしておこう。

「ん、塩っ辛いですけど瑞々しいです。でも塩っ辛いです」

「向日葵麦をそのままふっくらとたいた麦飯と一緒に食べると美味い。まあさすがにそこまでは用意できないから酒の肴だな」

 私も漬け物をぽりぽりと食べる。
 白菜に似た肉厚の菜っ葉に塩がしみていて美味である。酒がよくすすむ。

「しかし、キリンお姉様本当に食事のためだけに塔に戻ったのですね……」

 呆れたようにククルが言う。その横では話にかまってもらえず飽いたカヤ嬢が、ククルに向かってしなだれかかっていた。

「む、いや、これだけ持ってきたわけではないぞ。生活用品もしっかり持ってきた」

「ククルさん、ククルさんこれ見てくださいな」

 む?
 ククルに抱きついていたはずのカヤ嬢の声が何故か背後から聞こえる。
 後ろを振り向いてみると、酔っぱらったカヤ嬢が私の冒険家鞄を開いて、中を覗き込んでいた。酒癖悪いなカヤ嬢……。ちょっと青の騎士の未来が心配になった。

「ほら、これ!」

「どうしたのですか」

 やれやれといった感じでククルがカヤ嬢のもとへと向かう。
 そして鞄を開くカヤ嬢の手元を覗き込み。

「……まあ!」

 ぱあっと笑顔になった。
 うん? 彼女達が喜ぶようなものを持ってきたか?
 トレーディングカードはカードケースに入ってるから中のヒーローカードは見えないはずだし。

「キリンお姉様、私感激です……」

「どうしたというのだ……」

 わけがわからず私も冒険鞄のところへ向かう。
 すると。

「ほら!」

「ほら!」

 カヤ嬢とククルが同時に鞄の中から手を出す。
 手に掴まれていたのは、棚から適当に持ってきた装飾品だ。

「それがどうかしたのか」

「まあ、まあまあまあ、キリンさんようやくわかってくれましたのね!」

「……何がだ」

 キャッキャと騒ぐ二人は何が琴線に触れたのか、嬉しげだ。

「キリンさんも口では否定していますけど、女の子らしい格好をしたいのですね!」

「お姉様! 明日から特訓ですよ!」

「……うむ」

 私は身だしなみに気をつけようと思っただけなのだが、どうやら二人の中ではそれは一大事件のようだった。
 侍女の仕事内容を知った今では、そういうことに気をつけるのは当然のことだと思っているのだが。
 どうも二人は侍女になりたて数日のころの私の態度が未だに印象深いらしい。あの頃は侍女服を着るだけで恥ずかしく、自分を着飾るのを嫌がっていたものだ。
 しかしだ、これでも私は柔軟に己の立ち位置を考えなければ生きてこられなかった『庭師』の世界に、十何年も浸っていたのだ。あの世界はただ脳筋なだけでは生きていけない。臨機応変に動いて環境に慣れるのは得意だ。

「わ、わわわわわわわ! ククルさん! 大変です!」

「うわ! どうしたのカヤ」

 鞄を未だに漁っていたカヤ嬢が、急に叫びだした。
 今度はなんだ。

「これ!」

 カヤ嬢が鞄から手を出し、上に掲げる。
 手に握られていたのはガラス瓶。

「……薬? それがどうかしたのですか?」

 なん、だと……。

「大変、大変ですわ! もう、もうどうしましょう」

「カヤ、カヤ、落ち着いて」

「落ち着いていられません。ククルさん、これは避妊薬ですのよ!」

「えっ!」

 ばっと私の方を振り向くククル。
 ……あのクソゴーレム、いつの間に入れおったのだ。投げつけずに破壊しておけばよかったか。

「キリンお姉様! どういうことですか! まさか、まさかそんなご予定が!」

「ええい、落ち着け。私が持ち込んだわけではない」

「私という妹がありながら!」

「んん!? もしかしてククルも酔ってるな!?」

 がばりと私に抱きついてくるククル。
 そんな様子を「まあ」といった顔で眺めているカヤ嬢。

「お姉様をお嫁にやるなんて、口惜しいです」

 まるで子供時代のようにぎゅーっと身体を抱きしめてくるククル。
 私は、ひどく赤面した。



[35267] 11.私の好悪
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2020/10/25 05:27
「私には嫌いな色があります」

 そんな言葉を私は切り出した。

「ほう、それは?」

「緑です」

 緑。
 四年前の記憶。最も若い枝の大陸から生まれ出た災厄の悪竜の色だ。

 この世界に竜は二種類存在する。
 強い魔力溜まりの地で生まれた動物が変質し、新たに生まれ変わる生物としての竜。
 もう一つは、世界樹の中に流れる『世界要素』のうち、悪意が地表に噴き出し形を取った魔物としての竜だ。

 この世界に生きる全ての生命は、死後魂を世界樹に取り込まれる。
 魂に宿るその生命が生きてきた記録を世界樹は要素ごとに分解し蓄える。その中で悪意に相当するものを世界樹は枝葉から排泄物として放出する。噴き出た悪意は、分解された魂の記録を元に生物に似た形を取る。これが魔物である。
 『庭師』はこの魔物を浄化の魔法や浄化の武器で倒し、悪意を無垢な魂に変換して世界に返す。世界の園丁である『庭師』の名前の由来だ。
 世界から一度に噴き出す悪意の量が多い場合、悪意はその量に見合った強力な生物の姿を模そうとする。その最たる者が竜である。

 悪意とは、人の価値観からみた「悪」である。
 この世界は『大地神話』の終末で太古の人々が急ごしらえで作り上げたもの。滅んだ惑星の代わりに魂の管理をする機能を付けたとき、悪の魂を不要なものとして排出する機構を後先考えずに取り付けたのだ。
 世界樹は常に成長を続けており、悪意を排出する機構もいびつになり定期的かつ均等な滞りのない排出ができないようになっている。
 そんな悪意が世界樹の中で溜まりに溜まり、数十年に一度膨大な量となって噴き出すことを人々は災厄と呼ぶ。
 悪竜、巨大魚、獣王、魔王、暴食大樹。そんな災厄が歴史上に何度も登場した。

 世界の中枢である『幹』の認定を受けた数少ない『庭師』の一人であった私は、その災厄に挑んだ。
 面と向かって対峙したわけではない。私達はあくまで悪竜に引き寄せられた無数の魔物を倒し、『幹』が対災厄用に作り出した『勇者』を災厄の悪竜のもとへと送り届ける役割を任されていただけだ。
 だが、私は悪竜の姿を見た。木の葉の鱗を全身にまとった、緑色の悪意の塊。
 その姿形、咆哮、気配、魔力に私はとてつもない恐怖と吐き気に見舞われた。

「そのときの悪竜の姿がトラウマになっているのです。ですので緑は嫌いです」

 あんなものに正面から立ち向かい、そして浄化したというのだから勇者とその仲間達はとんでもない人間だ。

「では、緑の騎士団を辞めれば私の愛を受け入れてくれると?」

「それはないです」

 私の前に立っているのは緑の騎士団の団員。士官を証明する高等な軽鎧を着た騎士だ。
 名前はヴォヴォ。正直こんなロリコンの名前など覚えたくはないのだが、王城勤務でもないのに偶然を装って仕事中の私の前に姿を現わすので、嫌でも名前を覚えさせられる事態になっていた。
 ロリコンでストーカーだ。

「セト姫の好きな色はどれだろうか?」

「それをお教えする理由はございません」

 彼は気がついたら私のことをセト姫と呼ぶようになっていた。
 セトとは私の出身部族名。どこから聞きつけたのか、私が少数民族の姫として生まれたことを知っていた。
 そして彼は言ったのだ、「姫ならば私が騎士として剣を捧げるのは当然のこと」と。知らんがな。私の部族にそんな風習はないし、そもそも王国所属の騎士がはるか遠い遊牧民の姫に忠誠を誓うなと言いたい。言った。

 ちなみに私のフルネームはキリン・セト・ウィーワチッタ。ウィーワチッタは魔女から受け継いだ魔女の秘技と首飾りを持つものの名。キリンは母が名付けたという私だけの名だ。
 この世界には、動物園にいたキリンも、ビールのラベルに描かれていたキリンも存在しない。なのに、私の髪は動物のキリンの体毛のように、金と茶が入り交じった不思議なまだらの色をしている。
 ああ、冷えたビールが飲みたい。この世界には小麦と大麦が存在しないので、完璧に再現されたものはもう飲めないが。

「しかし、緑はお嫌いか……」

「どうでもいい人物の評価は、おおむね会った直後の第一印象で決まります。今更他の色に変えてもその評価は変わりません」

 青の騎士になっても赤の魔法師になっても、お前は私の中ではずっとその他の緑の騎士Lだ。LはロリコンのL。

「ああ、あとロリコンなのは救いようがないですね」

「ロリコンとはなにかね?」

「幼児性愛者のことを指す異国の言葉です」

 私の言葉に、騎士Lは顔をしかめる。

「私は断じてそのようなものではありません! 私が愛してやまないのはあくまでも強く尊いセト姫だけであります!」

 ロリコンはみんなそう言うんだ。

「ちなみに私はおそらく百数十年も経てもこの幼い姿のままですが、それについてどう思いますか」

「その美貌が永遠のものであるのは、まさしく世界の宝と言えるでしょう。そしてそのお姿を人の悪意から守るために、私を守護騎士として従えていただきたい」

 うん、重症だ。

「私より弱い人はちょっと……」

 問答無用で彼を引き下がらせる文句をここでぶつけた。
 騎士Lの若く整った顔が悲愴なものへと変わる。
 そこらの侍女相手だとこの表情に「ああ、この人もこんな哀しい顔をするのね。守って欲しいけど守ってあげたい。キュン!」となるのかもしれないが、私には何の影響力ももたらさない。
 私をキュンとさせたいのなら、この世界に存在しない猫に生まれ変わってくると良い。

「……災厄の悪竜を打倒した勇者のように武人として強くなれば、あなたに認めて貰えるだろうか」

「勇者様は、世界の真実に絶望して今では災厄の魔王になっていますけれどね。まあ私から言えるのは、強くなりたいなら気功術を特に学べばよいかと」

 勇者を成長させるための旅は、全て『幹』の勇者育成課によって管理されていた。
 勇者が旅の途中に救ったつもりの人々も、旅を続ける勇者の身では目先の問題を解決するのみで最後まで面倒は見切れず問題が後から浮上しまくって、私はそんな勇者の尻ぬぐい――アフターケアを『庭師』の依頼でこなして小金を稼いでいた。

 勇者の旅の仲間でその事情に気づいていたのは、道具協会の協会員である最強の荷物持ちの道具使いだけだ。道具協会というのは『幹』が世界の文明レベル管理のために作った世界組織だ。
 道具使いというとしょぼそうだが、太古から現代に至るまでのあらゆる魔法道具を使いこなすスーパー少女。私では絶対に勝てない人間の一人である。
 彼女は勇者とは一歩引いた立ち位置の関係を築いていたので、自分が道化だったと絶望して闇堕ちした勇者とは無関係らしい。

「勇者よりも武と心、魂ともに強くなれば、男として認めます」

 尊敬できる男としてだけどな!

 勇者は真実に耐えられない心の弱さもアレだったが、何よりも善の塊であった膨大な魂が悪に反転して、生きた人間でありながら悪意の塊となったという、長い勇者史にも例のない魂の不安定さが非常にアレな結末だった。
 世界から悪意が噴き出していないのに災厄の魔王になるというのは、いくらなんでも規格外すぎである。

 騎士Lもロリコン魂で強さを追い求めるのもいいが、いやよくないが、そのロリコン魂が性的な犯罪行為といった悪意に傾かないことを切に願う。王城には私以外にも幼女はいっぱいいるのだから。



◆◇◆◇◆



 緑の騎士Lが去った人気のない使用人の仕事区画。
 そこで私は周囲にさっと意識を向けた。そして見つけた。

「カーリン」

「はいい!?」

 私が虚空に声をかけると、何も無いところから驚きの声があがり、そしてすうっと人影が浮かび上がってきた。
 現れたのはエプロンドレスに身をつつんだ下女の少女。いまいち記憶に残りにくい顔の作りをした十二、三歳ほどの少女だ。
 幽霊下女、ポルターガイストの主、怪談一人足りないの元凶、忍者よりも忍者している一般下女、と散々な言われようをしてそれでも皆から忘れ去られる空気の魔人(のような謎の生物)である。

「気づいてらしたのですか」

「慣れてきた」

 下女は侍女にとって部下なので敬語は使わないことにしている。

「はあ、慣れですかー。ちょっと本気で消えたつもりなのですが」

「存在が消えて目に入れてもいると認識ができなくとも、そこに人として立っている以上、人一人分の物理的な空気の流れは誤魔化せない。いると予想して探ればなんとか気づける」

「そうですか。努力してもっと完璧に消えられるようにします!」

「むしろカーリンは、存在感を増して他の下女達に存在を認めてもらうよう頑張りたまえ……」

 職場に友人がいるのか心配でならない。
 ああ、私は友人のつもりだし、カヤ嬢も彼女とは交流を持っているようだが。

「そもそもどう努力すればこんな幻の状態になれるんだ。気配が薄いではなく存在が薄いぞ君は」

 今も気を緩めると視界から見失ってしまいそうだ。

「えーと、私なんてどうせ誰にも必要とされてないいらない子なんだ……って思ったときに見えなくなるらしいです」

「んん!? それその方向で努力したら駄目だぞ!」

 極めたら本当にこの世界から消えてなくなりそうだぞこの子は。
 もしくは心の病にかかって自殺でもしそうな勢いだ。
 うん、やっぱりこの子とはちゃんと友人になろう。将来が心配だ。

「ところで、緑の騎士が私の前にこうも姿を現せるのが不思議でならないんだが、もしや君が関わっていたりするのかい」

 ちょっとした疑問だ。最初の求婚の現場にも彼女がいたというし、今もただでさえ薄い気配を自ら押し殺していたというのだ。

「あ、う、その……」

「いや、怒っているわけではないよ。私より彼の方が地位が高いから、私の心情より彼の立場を優先すべきだ」

「そうじゃなくてですね、そのー。言っていいのかな……」

 なにやらもじもじとしだすカーリン。
 なんだ。気になるではないか。

「無理に言わなくてもいいが、気になるな」

「その、ですね、私、ヴォヴォ様のことをですね、……お慕いしているんです。なので、お役に立ちたいなと」

 ……んん!?

「待て。それがなぜ彼の私へ恥ずかしいほど愛を振りまく行為を手助けしているのだ。私は恋敵ではないか」

「うん、その、私みたいな下女なんかに目を向けてくれることはないので、ただその助けをできればですね、満足なんです」

 うむう。
 なんだこれは。三角関係? カヤ嬢が聞いたら飛び上がって喜びそうな状況だぞ。
 カヤ嬢の耳に入ったらどんな面倒なことになるか。
 いや、カヤ嬢なら事態を正確に把握さえすればカーリンのためにかけずり回って、彼女の恋を実らせてしまいそうだ。
 そうなれば私はあの騎士Lに付きまとわれることもなくなることになる。

 カーリンは十二歳ほどの少女。恋愛をするには問題のない年……齢……?
 うむん。前世的には十二歳に手を出す青年はロリコンだが、この国の常識的には……ギリギリセーフ?

 何よりカーリンが緑の騎士Lを慕っているのが大きい要素だ。友人として応援したい純粋な気持ちもある。
 カーリンのことは友人として好ましく思っている。なぜなら第一印象がよかったからだ。
 人を見た目で判断するなとはよく言われる言葉だが、私は第一印象と直感をそれなりに信用する。人をじっくりと観察して善悪や敵味方を見切る気長な生活を前職では送っていなかった。

 この子を初めて見つけたときの私の印象。
 そう、今にも世界から消えてなくなりそうな儚い姿の中、私はある色に目を奪われた。

「ああ、そうだ。話を聞いていたならせっかくだから私の好きな色を教えよう」

「はあ」

 私は少し離れた場所に風景に今にも溶け込みそうな様子で佇むカーリンに近づいていく。

「エメラルドグリーンだ」

 私は背伸びをしてカーリンの頭に手を伸ばし、その美しいエメラルドグリーンの髪の一房を軽く持ち上げた。
 うむ、美しい色だ。まさにエメラルド(この世界にはエメラルドがある)。

「綺麗な髪だ。貴族の子達にも全く見劣りをしない宝石だ」

「え、ええ!?」

 私に髪を褒められたカーリンがわずかに頬を染める。
 これで私が男だったら最悪のナンパ野郎だが、私は幼女。髪を褒めるのは女子間でよくあるスキンシップの一つだ。

 うむ、下女なのにククルの黒髪に負けないサラサラとした美しく輝く良い髪だ。王城で働く以上、民間出身の下級女官も身だしなみをきちんと整えているのだろう。
 この綺麗な髪を結ってみたい。手入れをしてみたい。彼女は魔力が希薄だというのに、髪からは神聖なオーラが感じられる。この場合のオーラとはびびっと肌に感じる類のものでなく、私の心に浮かび上がってくるものだ。

「……一応言っておくが、私はレズビアンではないぞ」

「レズビアン? なんですかそれ?」

「女性の同性愛者のことを指す異国の言葉だ」

 私の言葉に、ついには赤面するカーリン。
 初心な子だ。
 こんな子だから、自らは身を引いて好きな男を他の女のもとに連れていくようなことをしでかしてしまうのだろう。
 だが私の平穏のために、彼女には騎士Lへの生け贄になっていただきたい。同性愛者に対してこれといった偏見はないつもりだが、私自身は同性愛者ではない。つまり、男精神の私は男騎士と恋愛するつもりはないのだ。まあ女性とも恋愛する気はないが。

「ただ、私は君のことを得難い友人だと思っているよ。これからも気配なく私に近づいてて欲しい」

 荒事に疲れたとはいえ、鍛錬は積み重ねるに越したことはない。生存に何よりも大事な直感力が失われるのは手痛いものだ。

「友人、ですか。嬉しいです。でもなぜ私なんかを気にしてくださるのですか? あの魔人姫様が」

「ふむ、人物の評価は、おおむね会った直後の第一印象を引きずるものさ。特に好ましい人物の場合は記憶に残りやすい」

 私が初めてこの気配の希薄な少女を見つけ出すことに成功したとき、目に入ったのがこの輝くエメラルドグリーンの髪だ。

「エメラルドグリーンは私の好きな色だ」

 緑の騎士団の鎧が悪竜を思わせる深緑の色でなく、エメラルドグリーンであれば、きっとあの騎士Lへの印象もまた変わっていただろう。何の力も持たずに生まれながら、あれだけ鍛錬を重ねた強さを持つ男は嫌いではない。
 でもロリコンで全て台無しだが。

「あの、なぜその色がお好きなんですか」

「ああ、緑が嫌いな理由と似たような話さ」

 昔の記憶を思い出す。それは四年前の戦い。
 悪竜の恐怖に震えながら、悪竜のもとに次々と集まる魔物達と戦っていたとき、唐突に訪れた光景。

「悪竜が勇者に浄化されたとき、一面に降り注いだ魂の光の色が、美しいエメラルドグリーンだったのさ」

 私は聖人君子でも出来た大人でもない。
 好き嫌いの差は激しく、もうアラサーだというのに自分の思い通りにならないことがあるとすぐにふてくされてしまう。
 侍女の教育の中でそれが改善されるといいな、とは思っているがどうなることか。

 ただ、私の好きな色の髪の少女が、私の嫌いな色の鎧の騎士へとその思いを届けられたら良いな、と今私は独善的に考えていて、その考えは自分を客観的に見つめてもそう悪くないものだと思っている。
 女は失恋をして強くなる、なんて恋愛小説を読みながらカヤ嬢が言っていたが、今の彼女は失恋ですらない思いの押し殺し。
 できれば失恋することなくその恋が実ればいい、などという打算とかすかな友情が混じった思いが、私の中にある。

 騎士Lの私への気持ち?
 そんなもの、ゴミ箱に放り投げておけばいいと思うよ。



[35267] 12.性癖改善バイオレンス系トライアングル純愛恋愛事情<1>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:df6b2349
Date: 2021/10/11 19:49
 ごきげんよう。恋する下女カーリンを応援すると決めた私だが、カヤ嬢達に彼女の恋心を暴露して意見を求めたこと以外には特に何も進展はなし。
 彼女の恋をまずはまっとうな形にするには、ロリコン騎士の私への関心を失わせなければいけない。しかし行動を起こして実践するにはタイミングというものが必要だ。そもそも彼は王城勤務ではないわけだし。
 まあ急ぐ要素など皆無なわけで、恋愛ごとは一旦脇に置いておこう。
 あくまで他人の恋路に個人的な興味や野次馬根性で踏み込もうとしているだけなのだ。本来やるべきことである侍女の仕事に支障をきたすわけにはいかない。

 そういうわけで今日も私は新米侍女としての仕事に励み、そして終業後に宿舎でのんびりと仕事の疲れを癒している。
 今私が居るのは、談話室。夕食の時間まで同僚の人達と世間話でもして交流をはかろうとしているのだ。
 侍女はみな良家の子女とあって、侍女の仕事から解放される寄宿舎では高貴で優美な時間を過ごす。
 間違っても庭師や傭兵達のような筋肉と暴食と汗満載の余暇の過ごし方をしてはならない。

 談話室には良く見知ったカヤ嬢の姿も見えるが、あえて彼女とは離れて普段あまり顔を合わせることのない子に声をかける。
 私はこの国、アルイブキラの貴族出身でも何でもなく、さらにはここ何年もの間、世界中を飛び回る生活をしていた。なので、どうも若い世代の侍女の方々に妙な壁のようなものを感じているのだ。

 十年ほど前は『庭師』の仕事でこの国の貴族や王城の高官と関わることが多かったため、侍女の仕事歴が長い方々とはそれなりに顔を合わせたことがある。しかし若い子達からすると、私の存在は少々特殊だ。
 この国出身の『庭師』であり、世界各地で実績を残し話に伝え聞く幹種第3類の怪力魔人。対面したことのない人からすると、私という存在は「住む世界の違う」人間のようだ。

 地球人的に例えるなら、近所の公園で毎日のようにボールを蹴って遊んでいた少年が、年を経てプロサッカー選手になり外国のチームで試合に出ていたような存在が私だ。私の子供時代を知る地元の人は「住む世界が違う」なんて思わないだろうし、たとえ地元の人でも若い人々はわんぱく少年時代など知る由もないのだ。

 現在私はそんなある種のコミュニティ不全状態にいるが、さすがにこの状況を放置しておくわけにもいくまいと、談話室での日常会話にチャレンジしているのだ。
 侍女はどうも横のつながりが広い職業らしい。同じ王城の執政官などは上下関係が大事なようだが、城中に満遍なく配置される侍女はまた違う。女所帯というのもあるかもしれない。
 私は今のところ老後まで侍女の仕事を続けるつもりだ。状況を改善できるならした方が良い。

 民間出身でジェネレーションギャップもある若い子達と、すんなり会話を開始するのは難しい。私の前職の冒険譚を聞きたがる者は未だにいるが、その選択は現状の改善にはあまり繋がらないだろう。
 しかしここは談話室なのだ。食前の薬草茶を飲んでいる人もいるし、複数人で娯楽に励んでいる姿も見える。会話のきっかけとなる要素がいろいろ転がっている。
 そして今、私と同じく新米の若い侍女達を相手に仲良く会話することに成功している。
 話題は近くの卓で行われている貴族の遊びについてだ。
 侍女は皆上流階級の者で、嫁入り前の高貴な少女が揃っている。娯楽の内容も市井とはまた違うのだ。

 貴族の子女が嗜む遊びといえば。
 そう。

わたくしのターンフィーナ・ドイク! ドローエリーク!」

 トレーディングカードゲームによる対戦である。
 ……いや、冗談でもなんでもないぞ? マジもマジで大まじめだ。

「ヒーローカード『蟲神蟻の賢者』を場に転生フィーナ・コボウ! 続けて悪獣カード『フダツ湖の食人蟹』を転生コボウ!」

 貴族の子女に相応しい見事なプレイングである。
 さて、この状況を説明するために、少し私の前世について話をしよう。

 前世の私は、日本の大学に入りそして留年することなく卒業したごくごく一般的な経歴を持つ。その大学時代だが、私はあるサークルに所属していた。
 その名も娯楽追求倶楽部。
「遊びにかまけて貴重な大学生活を棒に振らないよう、あらゆる娯楽を計画的に追求し節度あるキャンパスライフを送ろう」
 そんな理念を掲げたサークルだった。
 砕けた言い方をするなら、「うちの大学は自由に遊べる余暇がいっぱいあるから、遊びすぎないように気をつけながらみんなで遊ぼう」というわけだ。

 そのサークルで私は、娯楽追求という名の通り様々な娯楽に触れた。
 屋外ではスポーツ、アウトドア、サバイバル、ガーデニング。屋内ではテーブルゲーム、ビデオゲーム、楽器演奏、手品。などなど。
 その中で、私はトレーディングカードゲームというものに触れたのだ。

 そして前世から今生へと話を移そう。
 私が『庭師』となって一年と少しほど経過した頃だったろうか。その頃私は大きな仕事を受けられるほどの実績もまだなく、この国で細々とした仕事をしていた。
 庭師――生活扶助組合組合員の仕事とは本来、世界に満ちた悪意を善意に変換するものである。世界の悪意から生まれる魔物を浄化したり、暴れ回って人の心に負荷をかける猛獣を討伐したり、武装した悪人を捕まえたり、などである。
 が、それとはまた別に、生活扶助組合の名の通り、町の身近な何でも屋、便利屋としての側面も大きかったりする。

 魔物退治と便利屋は明らかに専門が違うとしか言いようがないのだが、『庭師』の免許を得られる者達は武力の高さとはまた別に多種多様な才能を持つ傾向にある。
 毎日のように命の危険がある仕事をしていては、組合に認められた『庭師』と言えど身体にガタが来る。なので多才な技術の数々を様々な困り事の解決に使うというわけだ。私も魔人としての怪力と父に教えられた蛮族の武技の他に、魔女から受け継いだ様々な補助魔法があった。なお、生活扶助の仕事がこなせない戦うしか能がない人間は、『庭師』ではなく兵士になったり傭兵になったりする。

 新米冒険者時代の私。駆け出しというだけでなく実年齢も見た目通りだったため、仕事の斡旋所の人達に過保護に扱われ雑務ばかりをしていたのだ。
 そんなとき、私は街のある商家の男の依頼を受けた。
 雑貨店を構える商家の男は、店のオーナーをするにはあまりにも若いゼリンという名の少年であった。なんでも、彼の父である先代はグルメな人間で、微量に毒を含む山菜を食べ過ぎて全身から血を噴き出して死んでしまったというのだ。そして残された少年は、若すぎる家長就任である。
 だが少年ゼリンは前向きな商人で、店を大きくする野心で溢れていた。資金はあり、様々な伝手を使って新たな商売を開拓しようとしていた。
 私が受けた依頼は『新しい商品のアイデア出し』であった。

「非凡な者しかいない『庭師』なら商売のチャンスに繋がる何かを思いつくはずだ」

 そんな滅茶苦茶なことを初対面で言われたものだ。

 その後の十数年で判明することだが、私には商才がない。しかし、新たな商売のアイデア自体は山のように持っていた。
 なぜなら私はこの世界とは違う惑星地球で生まれ育ったことのある転生者だからだ。この世界にはなく、地球にはある何かがすなわち新しい商品のアイデアになるわけだ。
 そして私は、前世の大学サークル時代に遊んだいくつかの玩具についてのアイデアを伝えた。
 その一つがトレーディングカードゲームだ。
 そのアイデアが商業的に当たったかどうかは、今私の目の前で繰り広げられている対戦を見て解るとおりだ。

補助ステップレイ・エーキ! 『古なる庭師王』に属性カード『天使の聖杯』を付与!」

「まあ彼女すごいわ! 世界樹教に拝神火教が両方合わさって無敵に見えます」

「『庭師』の苦手属性である悪魔を倒すにはこれ以上ない選択だね」

「そうくると思っていましたわ! 魔法割り込みウィー・レイ! 魔法カード『太古の堕天』を発動! このカードは世界樹属性と神火属性を同時に所持する戦闘カードの攻撃力と防御力を5下げます!」

「なっ!? そんなレアカードを隠していたのですね……!」

 この対戦を見て解るとおり、トレーディングカードゲーム……トレカは貴族などの上流階級の女性層でヒットを飛ばした。
 そう、女性である。

 地球におけるトレカは、カードの収集愛好者人口、そして競技人口の大半が男性だった。
 なぜか?
 それは男は物をコレクションする性質をもつ生き物だからだ。対戦という要素も男の子向けだ。地球だけでなくこの世界の男も同じである。

 でもこの世界では実際のところ女性人気が高い。
 なぜか?
 それは最初から女性に売れるよう作ったからだ。

 この世界での年が若く、商才のなかった私には思いつかなかったことだ。日本にて札束を刷っているとまで言われたカード。しかし、世界の中枢『幹』と道具協会によって技術レベルの操作を受けているこの国では、一枚一枚の製造コストが高くなってしまう。
 日本のトレーディングカードは子供の娯楽として宣伝することで、男の子達がこぞって買い集めるようになった。そうサークルで聞いたことがあるが、この国、いや、この世界では一般家庭の子供が何百枚も気軽に買えるような安価な商品にすることができないのだった。

 そこで商家の少年ゼリンは、イラストカードという新しい雑貨をファッションとして設計した。
 高級アクセサリーとしてカードホルダーを作り、魔法素材で美しいカードスリーブを生産させた。
 さらには広く売れた場合の事業計画として、対戦大会の勝利者でしか得られないバッヂやメダリオンを設計し、男性向けの『強者が得られるトロフィー的アイテム』も用意した。
 ……結果的に大会の成績で得られる階級メダリオンは、男性ではなく女性に人気のアイテムとなったのだが。
 その様子を見た商家の少年――その時点では青年は言った。

「女性がファッションを意識するのは、お洒落な同性に囲まれたとき」

 なるほど、カードゲームの勝敗とは別に、トレカと関連アクセサリーはファッションを競い合う材料ともなったわけだ。

「く、この状況で魔法カードでの攻撃ですの」

「このカードは木属性のヒーローカードの攻撃ファリオとして扱われます。さあ受けなさい! 『世界の合言葉は樹木』!」

「……わたくしの世界魔力ルキアで受けますわ!」

 対戦を続ける私服の侍女の方々。
 彼女達は互いにルールやカードのテキストを把握しているというのにまるで、カードゲーム漫画のようにテキストを読み上げ、腕を振り上げる仕草で行動を宣言する。
 彼女達の動作を追う様に、卓上では魔法の光が縦横無尽に舞っていた。

 ……トレカ対戦における前世との最大の違い。それは、対戦は神聖で魔法的な宗教儀式であるということだ。

 試験販売でファッションとしてのカードは売れると確信した商家の少年。彼の次に打ち立てた方針は、ゲームとしての完成度を上げる事であった。
 そこで彼がとった行動は私には到底思いつきようがないものだった。
 共同開発提案としてカードを持ち込んだのだ。宗教団体に。

 この世界における最大の宗教。世界樹教。この世界に生きる人間は大なり小なり、この宗教の神を信仰している。
 なぜなら、神は実在している。すぐ足元に。この世界を形作る、巨大な樹が神なのだ。世界樹は植物であるが、世界樹の実態は旧惑星に神のごとき偉大な生物が跋扈していた何千万年も前から生きるある種の神獣だ。

 世界樹は意志もあり、人へ神託をもたらすこともある。そして何より、人間が生まれ生きるために必要な魂は、世界樹から与えられるものなのだ。樹の脈を流れる『人間の要素』が枝――大地から女性の身体を通じて萌芽する。それが魔法的な人、そして生命の誕生だ。
 文字通り人は大地に生まれ大地に生きるのだ。そして大地に還す生命の魂を善なるものになるよう努めるのが、『庭師』であり世界樹教の司祭達というわけだ。

 そんなもの凄い宗教団体に恐れもなく、商材としてトレカを持ち込んだ商家の少年。
 少年は世界樹教の経営部門の教職者達に説いたのだ。

「我々信徒は起床や食前など日常的な場面で聖句を唱える。だが、率先して大規模な儀式を行うことは少ない。生活圏を善で満たすには儀式をあらゆる場所で行うことが望ましいとされているのに。故に、義務感ではなく娯楽として儀式を行うようにすればいい」

 世界樹教はお堅い宗教ではない。そもそもこの世界に生きる人々は、世界樹からの恩恵を多大に受けており、厳しい生活を送ることは少ない。よって人々は宗教に救いや戒律を求めない。
 基本的には神様に感謝しましょうねという宗教なのだ。

 そしてこの世界に生きる人々が世界樹から受ける恩恵の一つが、特殊な魔法である。
 聖句を唱えると様々な益をもたらす、知識のいらない魔法。日本語訳をするとしたら神聖魔法だろうか。世界樹教の信徒達は神への感謝と恩返しとして、神聖魔法を使って世界を綺麗にする。それが起床時や食前に行う聖句の習慣だ。
 そして、一言呟く聖句より長い祝詞をあげる儀式を行う方が、浄化の効果ははるかに高い。その儀式をカードゲームでやれ、と少年は言ったのだ。

 教職者達は商家の少年の話術に見事に乗せられ、ゲームの設計を行った。
 競技ルールはこの世界における転生の概念や魔物の発生理論を基にすることによって、この世界の成り立ちと世界樹教の教えを娯楽で身につけられるようになった。
 競技ルールの専門用語やカードに書かれるテキストには、聖句を織り交ぜられた。札を引くドローなどの行動を宣言するだけで神聖魔法が発動する。当然、テキストを把握していたとしてもテキストを読み上げることが推奨される。
 結果、前世で机に座り静かに行っていたカード対戦は、大きな身振りでテキストの読み上げ、神聖魔法の光が飛び交うコミック時空の娯楽に生まれ変わることとなった。

 世界樹教の全面バックアップで、トレーディングカードゲームはこの国の広い地域で販売された。
 トレカは新しい謎の玩具ではなく、バックボーンのしっかりした新ファッションとして上流階級に飛ぶように売れた。そしてすぐにあらゆる言語に翻訳され世界的ヒットを飛ばしたのであった。

 トレーディングカードゲームは男所帯ながらも高給取りである『庭師』の間でも流行っていた。
 そして侍女達の間でも当然のように流行っているようだ。
 対戦の内容に差はなくとも、『庭師』の対戦は格好良く、侍女達の対戦は美しい。侍女達のこの優美さは勝ち負けを争う戦いというよりも、神聖な儀式と言った方が相応しいだろうか。
 ……やっていることは結局カードゲームでしかないのだけれども。

「『剛力の魔人』で『アルイブキラ・ドラゴン』を攻撃ファリオ。これで貴女の世界魔力ルキアは全て世界へと還ります」

「……完敗ですわ。いい試合でしたカリカ・レイ・ククルアーナ!」

いい試合でしたカリカ・レイ・ククルアーナ!」

いい試合でしたカリカ・レイ・ククルアーナ!」

 対戦した二人だけでなく、周囲で観戦していた侍女達も一緒に儀式終了の聖句を唱える。
 そこには激しさや暑苦しさなどどこにもない。まさしく貴族の子女の嗜み。
 勝ち負けの争いをしていたはずのプレイヤー二人に浮かぶ表情も、優越の顔や悔しがる顔ではなく、美しく儀式を終えられた満足げなものだった。

「次、どなたかおやりになる?」

「あ、私キリン様と対戦カリカしたいです……!」

 おや、珍しい。私にお声がかかった。
 私はこの宿舎に来た当初、カードを持参していなかった。なので前は誘われても手元にないと断っていた。
 以前の休日でカードを塔から持ってきたことはあまり言っていないのだが、ククルかカヤ嬢が誰かに話したか。
 しかし未だに私を様付けで呼ぶなんて誰だろうか。身分もなく新米中の新米なので様付けなどいらないと皆に言ってあるのだが。

 声の主に私は振り返る。が、その人物に私は仰天した。

「……なにしてるんだ君は」

 そこにいたのは下女の制服に身を包んだ少女、カーリンだった。



[35267] 13.性癖改善バイオレンス系トライアングル純愛恋愛事情<2>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:df6b2349
Date: 2020/10/09 16:57
「おはようからお休みまで貴女の一日をお助けします☆ 侍女宿舎付き下女のカーリンでございます」

「ああ、うん、そうか」

 バチコーンと音がしそうなウィンクを私に向ける下女カーリン。
 なるほど、この侍女の宿舎の担当侍女ならここにいるのも納得……できるわけがない。
 普段私が彼女と会うのは、王宮の廊下でだ。そのとき彼女は大抵掃除用具を手に持っている。それを見るなら彼女は王宮付きの清掃下女ということだ。
 あとウィンクとかいつもとキャラが違う。あ、顔赤くしてるから今のはやってみただけなのな。

 カーリンは影が薄いので、王宮担当ということを知る者は少ないかもしれない。
 それでも、仕事中であろう下女が終業後の侍女と遊戯にふけるというのは、いかがなものだろうか。さすがにそんな場違いすぎる下女の登場に、侍女達は困惑顔でざわざわとしている。ざわざわというか私の無駄に良い耳には本気でリアクションに困っているような会話が聞こえるぞ。
 どうするんだ。私ではフォローできないぞこの状況。

 と、次の瞬間、カーリンは下女の仕事着のポケットに手を入れ、何やら物を取り出した。
 トレーディングカードゲーム用のグッズだ。高級そうなカードケース。そして、銀の鎖に繋がれた白金のメダリオンである。
 それを見て、私と先ほどまで一緒に雑談に興じていた同僚の少女が驚きの顔を見せる。

「あれは! 発売十周年に限定生産された幻の竜皮カードケース!」

 少女の声に、カーリンはカードケースを掲げるようにしてこちらに見せてきた。
 ああ、あれは――。

「まあ! ロットナンバー1桁ですって!?」

 ケースに浮き彫りになった三の文字(この国の言語で)。珍しいんだろうなってそうじゃない、あのケースの素材、私が騎士達と一緒に討伐した飛竜の皮にしか見えないぞ。
 竜と言えば濃い魔力溜まりでしか生まれない生物で、死体から得られる素材も魔力に満ちあふれた高級品だ。そんなものをカードケースにするなんて、なんて勿体ないことを……。

「メダリオンの方は一級プレイヤーの証、白金記章ですわ!」

 白金のメダリオン。白金と言えばあの白金である。別名プラチナ。
 前世地球のプラチナと同じ金属かは確証が持てないが、白く輝く加工困難な金属なので多分プラチナである。訳さずこの国の言語そのままで言うと“エレル・ミーパイン”になる。直訳で大いなる銀。
 白金はこの世界において、装飾品や魔法の触媒として用いられる希少な高級品である。世界に存在する絶対数が少ないというだけでなく、先ほども述べたとおり加工困難なのである。具体的に言うと融点がもの凄く高い。

 地球の話をしよう。場所はアメリカ大陸にその昔、インカ帝国という国があった。その国では高い冶金技術でもってプラチナの装飾細工を作りだしていた。そして大航海時代、ヨーロッパの軍勢がインカ帝国を滅ぼす。そのとき戦利品としてプラチナの装飾品を多数持ち帰った。しかし、ヨーロッパの人々はプラチナの存在を知らず、銀を溶かすための炉にプラチナの装飾品をくべた。当然、プラチナは溶けない。結果、ヨーロッパの人々はこれを加工ができない出来損ないの銀と呼んだ。

 以上、もはやうろ覚えになっている地球の歴史の小話である。
 この世界でもプラチナが加工困難であることには変わりなく、もっぱら魔術師達の魔法の火や、火の神を祀る拝神火教の術によって加工をされている貴重な金属である。

「あ、ああ……あの刻印は……!」

 前世に思いをはせた私の横で、少女の解説はまだまだ続く。なんだろうこの説明台詞は。カードバトルなんてしてるからコミック時空にでも彷徨いこんでしまったのか。そういえばあの馴染みの商家には漫画文化も伝えたんだった。公式カード漫画くらいあってもおかしくない。きっとそれでは解説キャラが大活躍するのであろう。
 そんな解説少女が白金のメダリオンを指さすと、希少な品にうっとりとしていた他の侍女達も今度こそ驚きの顔に変わった。

「アルイブキラ国内統一王者……カーリン様!?」

「まあっ!」

「カーリン様ですって!?」

「あの正体不明とまで言われた絶対王者……」

「そんな、まさかこんな身近にいらっしゃったなんて……!」

 え、なにこの空気。
 国内統一王者ってカーリンそんなすごい子だったの。彼女まだ十二歳くらいだぞ。
 ああ、さっきのカードケースももしかして大会の賞品なのか。カード発売十周年といえば七、八年は前でさすがにその頃からカードを集めていたとも思えないし。

「ふふ、皆様ごきげんよう。このような格好で失礼いたします。本来ならば、対戦儀式の正装に身を包んで参上すべき身分ですが……是非ともキリン様と対戦したく、急ぎ参った次第です」

 そんなカーリンの物言いに、談話室の全ての侍女達の視線が私に集まる。
 どういう状況だこれは。

「ええと……カーリン、どういうことだ? 確かに私も少々トレカは嗜むが、国内チャンピオンとまともに戦えるような腕は持たないぞ」

「まあ、謙遜ですね」

 いつの間にかメダリオンを首に提げ、薄い白手袋(手の脂を高級品であるカード用品に付けないためのもの。対戦中はカードを汚さないために付けるカードスリーブをさらに汚さない用途で用いられる乙女の道具)を身につけ、カードケースを胸の前にかざしながらカーリンは笑う。
 私の知ってるカーリンと違う。

「キリン様、貴女、ゲームマスターですよね?」

 ざわりと。また侍女達から驚きが漏れる。
 ゲームマスター。当然トレーディングカードゲームにまつわる単語だ。そして私は事実、ゲームマスターと呼ばれる人種だ。しかし、私がそうだと知る者はあまり多くないはずだ。
 私を見る侍女達の視線が強くなる。特に、隣から強い視線を感じる。カーリンの一挙手一投足を詳しく説明していた解説少女、いや、侍女の同僚のメイヤが、キラキラと目を輝かせながら何かを期待するかのようにそわそわとしている。
 期待するかのように、というか期待されている。私がゲームマスターの証を取り出すのを。しかし世の中そんなに歌劇のように都合良くはいけない。いくらカード対戦をするからといって、こんな場所なんかにゲームマスターの証なんて持ち込んでいるはずが……あ、はずがあった。

 私は私服の襟の中に指を入れ、首に掛かっていた鎖を引っ張り出す。
 それは、アクセサリーという物に興味を持たない私が唯一常に身につけている装飾品。先代の魔女から死の間際に受け継いだ、魔女の首飾りだ。
 指先に触れた鎖に小さく魔力を通す。すると、鎖の先にぶら下がっている宝石が淡く輝く。すると、宝石の中心が小さく瞬き、宝石の周囲に光の魔法陣が浮かび上がった。

「メイヤ、あれは?」

 先刻、私とメイヤと共に会話に興じていた別の侍女が、解説少女メイヤに訊ねる。

「あ、あれはー……わからないです……」

 勉強不足だねメイヤくん。この光の魔法陣に見える物は、実は魔法陣ではなく紋章だ。魔術師がおのれの経歴を記載して周囲に見せるための名刺のようなもので、経歴紋章という。まあトレーディングカードゲームには関係ない魔術師達の社交界アイテムだけれど。
 私は首飾りにさらに魔力を流す。すると、紋章はさらに形を変え、世界樹を模した図を形作る。
 魔法の光を受けた解説少女の瞳はきらりと輝き、今度こそはと解説を始めた。

「あれは一級アンパイアのさらに上位の存在、ゲームマスターだけが所持することを許された、大いなるメダリオンに刻まれる紋章! ゲームマスターの証です!」

 ゲームマスターのメダリオンを出すとばかり思っていたのだろう。説明がどうも冗長でふわふわとしている。
 あ、なんだかこういうノリでの解説って気分が良い。
 そうだよ。今の私は冒険者とは違うんだ。冒険者は相手が驚いているうちに殴れが基本だもの。悪人にこっちの正体を悟らせた驚きの隙に一網打尽にするのが基本だもの。解説役の解説を聞いている暇なんてなかったんだ。

「そう、私がトレーディングカードゲームの発案者。元『庭師』のキリン・セト・ウィーワチッタだ」

 紋章の光を掲げながらそんなノリノリの名乗りを上げてみる。恥ずかしいか? いや、恥ずかしくない。そもそもがここにいるのは若い少女ばかりなのだし、こういうノリも悪くないじゃないか。

「まあ本当にゲームマスターなのね」

「カヤ、貴女知ってらした?」

「初めて知りましたわ」

「ということはカーリン様よりお強いってこと?」

「何度も大会を見ましたが、ゲームマスターと言えど、彼女より強い人がいるとはとても……」

「でも発案者ですよ?」

 ……うん、知る者は多くないはずと言っても、別にゲームマスターであることは隠していたわけではないのだ。
 だから本当はSだけど面倒だからBに見えるとかそういう類ではないのだ恥ずかしい。そもそも制作者というだけで対戦の技量が特別高いわけではない。

「で、カーリン。君ほどの強者でカードを熟知した人間なら、ゲームマスターが強者ではないことくらい推測できると思う」

「ええ、そうですね」

 そうですか。解った上で言っているのか。

「それでも、わざわざここで私と戦いたいのかな」

「はい! 私に、ゲームマスターに挑むチャンスをください!」

 ゲームマスターに挑むチャンスとな。
 なるほど、ゲームを知り尽くした人間が制作者に挑むこと自体に意味があるということか。
 この展開は知っている。彼女はへぼ対戦者である私自身による普通の対戦になど、用はないのだ。

 だがそっちがそうならこっちにも考えというものがある。

「では私が勝ったらカーリン、君に次の私の休日に一日付き合ってもらうぞ。急だが休日申請を出して貰う」

「えっ。ええ、その程度、勝負がなくても受けますけど、とにかく対戦してくれるってことですね! さあ、儀式を始めましょう!」

 なんでこんなに熱いんだカーリン。
 まあ、いい。

「この勝負受けよう。一人のゲームマスターとして」

 私は魔法空間からカードケースをアポートする。
 対戦用のデッキではない、まさにゲームマスター用のデッキを私は対戦用の卓に展開した。



◆◇◆◇◆



いい試合だったカリカ・レイ・ククルアーナ

「……いい試合でしたカリカ・レイ・ククルアーナ

 試合終了。私の勝利です。
 そしてギャラリーの皆さんどん引きです。

「これがゲームマスター……」

 解説のメイヤが神妙な表情で呟く。そう、トレーディングカードゲームの設計者であるゲームマスターとして、私は全力で戦った。
 ゲームマスターの行う対戦とは? それは新しいカードの設計と、そのゲームバランスの確認である。

 考え得るあらゆる戦法を駆使し、新規カードの不備を見つけ出す。それがゲームマスター。
 カードの不備とは、基本的に『特定条件であまりにも強すぎる・有効的すぎる効力を発揮する』というものだ。
 この対戦で使用したゲームマスター専用デッキは、長い付き合いの商家の少年――今ではすっかり中年――ゼリンから送られてきたものだ。私は暇な時を見つけて、ゲームバランスが崩壊するような不備を探し出していた。そして、この対戦でそれらを使いこなしてカーリンに勝利したのだった。

 以下、その悲惨すぎる一方的な試合内容。

 私達の対戦は通常通り聖句の宣言から始まった。
 しかしその光景は本来のものよりいささか華やかさに欠けるものだ。なぜなら私は魔法の詠唱ができないから、聖句を補助魔法の音色で再現しても神聖魔法が発動しないのだ。
 その様子を見てぎょっとしたギャラリーの侍女達だったが、次の瞬間には別の意味で目を見開いていた。
 私が出したカードが、彼女達の誰も見たこともない謎のカードだったからだ。
 見たことがないのは当然だ。市販されていないカードだからだ。正確には検証用サンプルカードである。

 デッキは全カードが来年度に発売予定のテーマ『魔術師の祭典』で構築されている。
 直接カード同士での戦闘を行うカードは少なく、そのどれもが特殊効果持ち。他の大半は魔法カードと呼ばれる、カードを提示した瞬間に相手に効果やルールを強要するというもの。つまり、バランス調整前だとひどいことになるのが火を見るよりも明らかな代物。
 私はその魔法カードを複数枚使うコンボを使用して、カーリンのあらゆるカードを弱体化し、行動を封じ、防ぐ手段すらなくして攻撃した。フルボッコであった。
 カーリンは平然としていたが、観戦者はみな酷い物をみたという感じで、私を非難の目で見ていた。

 ゲームマスターは別に対戦がべらぼうに強いわけではない。ただの設計者でただのデバッガーだ。
 そのことを詳しく口頭で説明すれば(私は口で喋るわけじゃないが)よかったのだが、雰囲気的にぐだぐだと対戦を引き延ばす流れでもなかった。断る流れではもっとなかった。
 ゆえに未発売のバランス調整前カードで一方的にぼこぼこにするという、人間のクズとも言って良い試合結果になってしまったのだ。でも後悔していない。ゲームマスターは対戦強者だという勘違いについて国内最優秀プレイヤーを使って訂正できたのだから。後悔していない。後悔していないんだって!

「なあ、カーリン。これでよく解っただろう? ゲームマスターは対戦の勝利を追求する強者じゃない」

 カードを片付けながら私は卓に向かい合うカーリンに話しかける。
 周囲からの目が痛くて仕方がないのでさっさと卓を明け渡してしまおう。次の対戦希望者がいるはずだから。いるはずだきっと。

「カードの不備を検証するために対戦する存在なのだ私達は。ゲームマスターとしてではなく、一プレイヤーとしてなら私もこんなことせずに普通に遊べるよ。君よりずっと弱いだろうけど」

「……いえ、これでいいんす。私はこういうゲームマスターとしての戦いをしたかったんす」

 カーリンの口調が崩れている。口ではこう言っても実際のところ敗北はショックだったのかもしれない。
 でも手加減すればよかったのかというとそれは違うだろう。難しい。
 とりあえず私もカーリンもいたたまれないので、デッキをしまって談話室の隅へと移動した。
 その頃には侍女達の興味も私達から逸れており、新しく始まった対戦を皆で眺めているようだ。心なしか聞こえるテキスト読み上げに魔法カードのものが多い気もするが、気のせいと言うことにしておこう。

「はい、お姉様。一杯どうぞ。カーリンさんも」

 と、部屋の隅のソファに座った私に、お茶を勧めてくれた人が一人。ククルである。
 ククルも観戦していたのか。この子に軽蔑されたら本気で死にたくなるのだが。
 ……いや、ネガティブになるのもやめよう。確かにここが小学校なら帰りの会で女子達に晒し者にされるようなことをしたが、ここには落ち着いた淑女達が揃っている。このことが尾を引いて何か起きるということもないはずだ。多分。

 ククルからお茶を受け取った私とカーリンはお茶を一口のみ、ほうと一息つく。
 うん、落ち着いた。

「で、カーリンはなんでまた、仕事中に割り込んでまでこんなことを? もしかしてカード設計者志望だったのかい?」

 彼女が国内統一チャンピオンということでスルーされたが、本来なら終業後の侍女と就業中の下女がトレカで遊んでいるって、いろいろまずい状態だ。
 ネームバリューで押し通せると踏んだのかもしれないが、なんとも肝の据わったお嬢さんだ。

「まあ統一王者という知識の豊富さなら、教会のトレカ部門ももしかしたら受け入れてくれるかもしれないよ」

 いろいろ彼女の行動に疑問は残るが、私が気にしすぎても仕方がないことではある。

「あ、いいえ、ゲームマスターになりたいわけじゃないんですよ」

 おや。ゲームマスター希望でないのにゲームマスターの戦いを見たかったのか。
 どういうことだろう。

「昔からずっとうらやましかったんです。発売前のカードで検証対戦することが」

「……? まあそういうこともあるのかな」

「やりたくても触らせてくれなくて……守秘義務だーって、ちょっとおかしいですよね」

「まあ私達に守秘義務はないね。実際今回だって発売前のカードを皆が見たわけだし」

「そう言ってやりましたけど、うちはそういう方針だって。ひどいですよねうちの親父」

「? そうかねそうだね」

 んん? 何か会話が変だな。誰だ親父って。

「……あの、キリンお姉様?」

 それまでニコニコと私達二人の会話を横で聞いていたククルが、初めて口をはさんだ。

「彼女の名前ご存じなんですよね?」

「ああ、カーリンだろう」

 王宮の廊下ですれ違った下女を私が呼び止めたのだ。あまりにも気配が薄いので、他国のスパイか忍者か何かと勘違いしたのが彼女と知り合ったいきさつだ。

「いえ、そちらではなく家名の方で」

「…………」

 家名。名字のこと。

「そういえば知らないな」

「カーリンさんはティニク家の御息女さんです。カードの販売元の商家の」

「バガルポカル・カーリン・ティニクです」

 バガルポカル・カーリン・ティニク。バガルポカル領のティニク家のカーリンさん。
 ティニク家。知ってる。知ってるというか……。私が冒険者見習いの頃に、新しい商品の案は無いかと依頼を出してきた商家の少年の家名だ。
 少年の名はバガルポカル・ゼリン・ティニク

「ゼリンの娘!? いや娘がいるとは聞いていたが……」

 聞いていた。彼は私に送ってくる手紙に、聞いてもいないのに町での日常や家族との生活をいちいち書いてくるような人間なのだ。彼の家族構成は頭にしっかりと入っている。

「あの、キリン様。私、何度も実家でお会いしたのです」

 と、困惑している私に、そんなことをカーリンが言った。

「……え、本当?」

「はい本当です。ただし気づいて貰えませんでしたが」

「何やってるんだ私は……」

「いえ自分で言うのもなんですけど、私影薄いので……」

 何とも言えない空気が周囲に漂う。
 視線が痛い。ククルの無言な視線が痛い。未発売カードで一方的に生命魔力を削ったときの侍女達の視線の万倍痛い。
 そして全く言い訳ができない。

「これは……私が全面的に悪いね……。ゲームマスターと対戦したくなるのも納得だ」

 ゼリンとは彼の家で何度もカードの検証を行ったことがある。『庭師』として世界中を飛び回るようになってからも所在地にカードが送られてきて、検証を頼むと手紙が添えられていることもしょっちゅうだったし、この国に帰ってきたときはよく彼のところに寄ってカードの使用感の報告をしたものだ。
 その様子を娘として見てきたなら。そして国内大会で優勝できるほどカード好きだったなら。
 確かに、ゲームマスターとしての戦いを一度で良いからしたくなるに決まっている。

「……本気でごめんなさい」

「いいっすよー。いつものことなので」

 いいっすよーって敬語が乱れるくらいには気にしてるじゃないか!
 困った。カーリンはずっと私に対して、昔から知ってる知人のお姉ちゃんみたいな感じで話しかけてきてくれていたのだろう。そして私から告げられる、全く知りませんでした宣告。これは酷い。

 いや、これはどうにかして謝罪というか、何らかの埋め合わせをしてあげないとな。
 言葉で謝っても、彼女は自分の体質のせいだとしか受け止めないだろうから。

「私のことはキリンお姉さんと呼んでいいんだよ」

「遠慮しておきます」

 がーん。
 あ、ククルめ笑いやがったな。
 いやまあ今更関係性は変えようがないので、接し方はこれまで通り知人友人的なものでいくしかないか。

 しかし私としては何か謝罪の意を示したいところだ。
 先ほどの会話からも解るとおり、ゼリンはカーリンをカードゲームの事業に関わらせていないようだ。商家を継ぐのはゼリンの息子だから、そういうことだろう。まあ限定カードケースなどはばっちり買い与えている様子だが。

 私が今回使った検証前デッキをカーリンに渡して、親父さんと話をしてこいというのはどうだろう。娘さんは仲間はずれにされて寂しがっていたんだぞ、と私が怒鳴り込む。
 いや、これはないな。一見良い事をしているようにも見えるが、実際のところ他人の家の方針に割り込んで勝手なことを言っているだけにしかならない。
 それに家庭の事情で、そういう青春ドラマ的熱いノリをやって許されるのは、学生程度の年齢までだろう。私にはキツイ。
 それに、カーリンが下女として王城に働きに出てるということは、商売に関わるのとは違う生き方を選んでいる、もしくは選ばされたのかもしれないし。

 例えば、そう。良家の花嫁だとか。お嫁さんだとか。

「カーリン、そういえば対戦の前に話していたことなのだが……」

 花嫁だとかお嫁さんだとか。王城の侍女の仕事は貴族の花嫁修業の場だが、もしかしたら下女も一般の上流階級にとって花嫁修業の場だったりしないだろうか。

「はい、えーと休日をご一緒する話でしたか?」

「ああ、無理にとは言わないが、付き合って貰えると嬉しい」

 彼女への埋め合わせ。それは予定通りのことをすれば問題がないのではないだろうか。

「大丈夫ですよ。でもなにするんです?」

 家庭の事情が無理なら、個人の事情の恋愛で。
 そんな一見良い事をしているようにも見える何かを私はカーリンにささやく。

「ああ、君とあの緑の騎士との恋愛をちょっと応援させて貰おうと思ってね」

 次の瞬間、モブとしてずっと観戦者達に埋もれていたはずのカヤ嬢が、私に向かって勢いよく振り向いた。
 ……どんだけ恋愛ごとが好きなんだあの子は。



[35267] 14.性癖改善バイオレンス系トライアングル純愛恋愛事情<3>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:df6b2349
Date: 2020/10/25 06:33
 冒険者時代の私は、世界の各地を転々として仕事をこなしていた。
 冒険者である『庭師』の免許は、上の種別になると国境を越えることが可能になる。とは言え熟練の冒険者でも遠くの国までわざわざ働きに出ることは少ない。
 何故か。答えは簡単。この樹の世界も地球と同じく国によって様々な言語が存在するからだ。

 私は前世の頃から外国語をマスターすることが得意だった。そして今の私はどうやら脳の言語野が高度に発達してくれているらしく、驚異的な速度で各国の言語を覚えることができた。十歳という若さで見た目の成長が止まっていることが関係しているかもしれない。
 そういうわけで多言語を習得している私は、庭師の事務局からちょっとあっちの国へ行ってきてなどと、やっかいな国境越えの仕事を幾度となく頼まれていたのだ。

 前世のように交通が発達しているわけでもなく、旅は厳しい。向かった先の国で腰を落ち着けたいと思ったことは何度もあった。
 それでも私は折を見てこの国アルイブキラへと戻るようにしていた。
 私は遊牧民の生まれだがその記憶はない。父とは様々な国を旅していた。だが魔女との二年間の生活は違った。バガルポカル領の魔女の塔で一緒に過ごしていた。だからか、私はこの国を今生での故郷だと思うようになっていたのだ。

 バガルポカル領の領主とも冒険者の駆け出しの頃に知り合った仲であり、国に帰るたびお土産を持って領主館に行ったものだ。彼のことは、親友と言っても過言ではないと私は思っている。
 そんな彼に娘のククルが生まれたときは、まるで姪っ子か何かが生まれたような感覚があった。ククルは昔から可愛らしい子で、言葉を話すようになって私をお姉様と呼んだときは、それはそれは嬉しかったものだ。
 その後、冒険者として名を馳せ世界の中枢『幹』に免許の一等級を授かったときは、無理を言って世界樹の脈を伝う高速移動術の使用許可を貰った。それを使い遠い国で仕事が終わるたび、小さいククルに会いに戻るようになった。

 ククルにはよく前世の話をした。彼女はこの世界の遠い国の話よりも、未知の世界である地球の話を好んでいた。
 あるとき、私はククルに地球のある文化の話をした。
 それは私にとっても未知の文化だった。その名もパジャマパーティである。

 さて、話を現在に戻そう。
 談話室でカーリンとのカード対戦を終え、私、ククル、カヤ嬢のいつもの三人とカーリンが一所に集まり、カーリンの恋の話をはじめた。が、すぐに夕食の時間となりその場は解散せざるを得なくなった。さすがにカーリンを侍女の宿舎の食卓に座らせるわけにはいかない。
 話はまた後日、と思ったところでククルがこんなことを言い出したのだ。

「キリンお姉様のお部屋でパジャマパーティをしましょう」

 と。未知の文化の侵略である。

 そういうわけで夕食と入浴が終わり、私とカヤ嬢の部屋でパジャマパーティの開催である。
 私とカヤ嬢の部屋は二人部屋。家具を除いた床の広さは十四畳ほどだろうか。四人が眠るには十分な広さだ。
 ごめん嘘言った。畳一枚の大きさとかもう覚えてません。まあ日本のまあまあな温泉旅館の二人部屋の本間くらいの広さはあると思う。多分。
 貴族の娘が寝泊まりするには手狭だ。私物も全てこの部屋に収めないとならない。しかしここは王城の敷地内。侍女一人一人に衣装部屋など用意するわけにはいかない。
 なので宿舎には談話室や裁縫室など様々な目的の部屋があるし、細かいサイズに分けられた制服と寝間着、そして宿舎内で過ごすためのカジュアルな服がいつでも借りられるようになっている。わがままは許されない。決められた風習に従うのも花嫁修業の一環だ。
 夜会などでドレスを用意したいときは貸付金を出すので王都に場所を借りてくださいとなるそうだ。どこぞの不動産商会の臭いを感じる。

 なおこの部屋は土足厳禁。
 理由は、私は寝転がるのが好きだから。床には私が城下町から買ってきたカーペットが敷いてある。部屋の広さは有限だが、規則の範囲内で部屋を飾ることは住人の自由だ。ケージがあればペットを飼うことだってできる。
 なお、扉の前には靴を脱いでの入室を促す張り紙。入口には、私とカヤ嬢が裁縫して作ったスリッパが何足か。この国の人には馴染みのない文化だろうが、私のごろ寝のために受け入れて貰うしかない。

 いやはやしかし、パジャマパーティとは、私もすっかり女子としての生活に染まったものだ。
 冒険者時代は男社会だったので、みんなで集まって寝ると言ったらろくなものじゃなかった。宴会のあと酔ったままその場で雑魚寝したり、魔物や怪獣が跋扈する深い森での野営だったりそんなものだ。
 侍女という職業になった以上は、女の子女の子した生活を今後も続けることにはなるだろうけれども。

「しかしこの分布はどうしたものだろうね」

「分布ですか?」

 私の言葉に首を傾げるククル。
 私はそんなククルを指さして言う。

「十四歳。領主のお嬢様」

 次にカヤを指さす。

「十五歳。領主のお嬢様」

 そしてカーリン。彼女の年齢は、彼女の父ゼリンの話から年齢逆算できる。

「十一歳。豪商のお嬢様」

 そして最後に私。

「……二十九歳。なんなのこれ場違いすぎるよ私」

「いいではないですか。永遠の少女ですし、キリンさんは」

 そうカヤ嬢はフォローしてくれるが、ククルとカーリンは苦笑。
 そりゃ苦笑もするさ。二人はかつて、何年間も私のことを年上の存在として見ていたのだろうから。カーリンについては年上と見られてるか推測でしかないけれど、ククルについては乳幼児の頃から知っている。
 年齢分布だけで言うなら、私の代わりに侍女長を配置しても同じ状況になるのだ。侍女長がパジャマパーティに乗ってくれるかどうかは解らないけれど。いや、乗ってくれるか。あの人、一児の母ながらなかなかにノリが良い。

 なお、今回のメンバーには、下女のカーリンが混ざっている。元々が彼女について話をしようとして始めた集まりなのだ。
 四人という所帯で影に埋もれないよう、カーリンにはその特有の体質を打ち消すために、『注目』という幻影魔法を掛けてある。
 初歩の初歩の初歩の魔法で、満員状態の酒場の中で店員さんに向けて自分の声を通らせたり、数十人規模の人を対象に教師が講義を行うときなどに使う。カーリンにこの魔法を覚えることをお勧めしたが断られた。いいのかい? 後悔しないかい。絶対後悔すると思うよ。

 ちなみにカーリンは下女なので、本来寝泊まりするための下女宿舎が王城内にある。
 王宮勤務の官僚や執務の補助を任される上級侍女など位が高い場合は王都の自宅などから通う者もいるが、一般侍女や下女、小姓などの使用人、長期雇用の工員などは王城の敷地内にある何らかの建物に宿泊している。
 城の人の出入りを減らすための警備上の都合だ。
 王城には強固な外壁があるが、王城の中でも王宮もまた強固な魔法結界がある。そのため、どこに誰がいるかさえ把握されていれば王宮の外の王城敷地内で人が生活する分には、それほど大きな問題はないのだ。工作員を外から新たに招くのが一番よろしくない。

 そういうわけで、ククルとカヤ嬢の二人はパジャマパーティの開催を決めると、ものすごい勢いと速さで下女の宿舎と侍女の宿舎長にカーリンの侍女宿舎への宿泊申請を出した。
 王宮の高官が急に寝泊まりをする場所を変えるとあれば、大事になる。が、元々王城の外周付近の宿舎内に住まう侍女や下女の一人が宿舎を一日変えたところで、警備への負担はさほど増えない。
 増えないのか? 本当か? 今、王城は、スパイを取り締まる厳重態勢だと聞いているぞ? 私が前に壁にへばりついた忍者を吹き飛ばしてからだ。まあ申請がスムーズに通ったなら、私の考えることではないか。

 しかしパジャマパーティか。女子会に並んで、前世の私からすると想像も出来ない催しだ。確かに、そんなものが存在すると昔ククルに話したけれどもさあ。
 前世では三十歳超えてるのに“女子”会とか……などとテレビで見るたび嘲笑っていたのに、実際アラサー女子(永遠の幼女と読む)の自分が女子会だよ。いやパジャマパーティか。
 ちなみに、女子とは女の子という意味ではなくて女性全般を指す言葉だと、前世の女子の親友に怒られたことがある。スポーツで女子シングルスとか言うものな。

「パジャマで集まるとこう、わくわくしてきますね」

 カーペットの上に敷物を用意しながらカヤ嬢は言う。床の上で飲み食いするための敷物である。

「でしょうでしょう。お姉様に聞いて一度やりたいと思ってましたの!」

 クッションを胸に抱えて転げ回りながらククルが言う。
 ああ、こんなにはしゃぐククルを見るのは何年ぶりだろうか。

「普段はなかなかできないね。基本、寝間着姿で部屋の外を歩き回るのはいけないことらしいから」

 とは言っても部屋にトイレがあるわけでもないので、夜中に用を足すときは寝間着姿でも可だ。
 だから規則というわけでもなく、口で交わされるマナー程度のものだ。それでもカヤ嬢が夜中に寝間着で出歩いたり、寝間着のククルが部屋に訪ねてきたりしたのを見たことはない。
 行儀の良いお嬢様方だ。

「カーリンはどう? 堅苦しくならなくていいのよ、ここには私達しかいないのだし」

 カーリンにお酒のグラスを渡しながらカヤ嬢が言った。この国で飲酒が認められるのは十二歳からだ。誰だカヤ嬢の行儀がいいと言ったのは。
 そういえばカヤ嬢はカーリンと前々から親しい様子だったなぁ。私とカーリンが王城で知り合ったのは、カヤ嬢とは関係ないところだったのだが。

「ええと、そもそもこの寝間着が着慣れないっす……。いいのかな、こんないい物着て……」

 カーリンが着ている寝間着は、私やククル達が着ているものと同じで、この侍女の宿舎で用意されるものだ。先ほども述べたとおり、王城内や宿舎内で着る物は全て宿舎側が用意してくれる。

「とてもお似合いですわ。それにそもそもこのパジャマは、ティニク商会が用意したものですの」

 カーリンに笑いかけるククル。ちなみにティニク商会とはカーリンの実家だ。

「え、うちですか? 娯楽品でもないのに?」

「確かに私の家のバガルポカル方面だと、世界向けの娯楽品を扱っていることが多いですわね」

 そう話しながらククルは私の荷物から、お酒のつまみやお菓子を勝手知ったるなんとやらのごとく次々と取り出していく。
 確かに塩気のあるおつまみは休みのときに王都の町から補給するようにしたけどさあ! 同室のカヤ嬢でもあるまいし、なんでそんなに物の配置を把握しているのこの姪っ子ちゃんは。

「でも王都のお店は高級品なら何でも扱ってますの。特にこういった衣料品には強いですわ」

「そうだったんですか。自分の家なのに知らないと恥ずかしいっすね……」

「君の父は家長候補以外は家のことに関わらせない方針だから、知らなくても仕方ないさ」

 まあよくあることである。慰めるように彼女のグラスに梅酒を注いでやる。
 ああ、今年の梅酒はどうするかなぁ。正確にはケーリ果実を氷砂糖で長期間漬けた酒だが、手順は梅酒と同じ。来月がケーリの果実が実る時期なので、漬けたものをどこかに保存しておきたいのだ。
 塔まで戻るか? でも侍女生活を続けるのだからこの部屋の戸棚でもいいか?

「ちなみにこのパジャマに使われているスパイダーシルクは、ティニク商会の独占品で他では見られないもの、らしいの」

「あらククルさん詳しいですのね」

「ティニク商会は我が家の領地発の世界的商会ですから」

 世界的商会かぁ。もう世界中を旅することがなくなったから、この国で手に入りにくい干物とかはゼリンに発注して取り寄せてもらうのもいいな。
 ああ、世界の旅と言えば。

「そうそう、スパイダーシルク。私がティニクのところのゼリンに教えたものだった、そういえば」

「え、キリン様が父さんにですか?」

「ああ、やつからは何か面白そうな商材があれば、教えてくれと言われてたからな」

 あれはいつだったか。この国で氷の巨獣退治を請け負っていた頃、戦いで後れを取って巨獣から氷の吐息をくらってしまったことがあった。
 巨獣は何とか退治したものの、巨獣の影響で周囲はまるで氷の国。身体も吐息を受けたせいで体温が急低下。おまけに人里からはずいぶんと離れていた。
 魔法の火で暖を取るも身体の芯は冷えたまま。毛皮にでもくるまって眠りたいところだったが、私と巨獣の戦いで賢い獣は皆逃げていた。

 そんなとき発見したのが、氷蜘蛛の巣だった。
 氷蜘蛛はこの国にいないはずの寒冷地に住む肉食性の蜘蛛で、自分より小さな獲物しか食べず人間には害のない種類の大型の虫だ。サイズは成人した人間の頭くらいである。
 この世界では、親となる者が居なくても環境さえ合っていれば、世界樹が直接動植物を生み出すことがある。陸の上にあるあらゆるものは世界樹の枝が咲かせる花であり芽吹く葉なのだ。

 氷蜘蛛は付近で暴れ回る氷の巨獣の影響で一時的に発生したのだろう。巨獣自体も三匹しかいなかったので、同じように世界から直接産み落とされたものだったのだろう。
 糸でできた氷蜘蛛の巣に触れてみると、粘つかない。しかもなんと冷たくない。氷蜘蛛は直接獲物に襲いかかるタイプの蜘蛛で、糸はあくまで住居を作るためのもの。そして巣を冷たく保つために糸は断熱性に優れた素材なのだと推測できた。
 そこで、私は魔法で周りにいた氷蜘蛛を操り、糸を吐かせた。そして雪のかまくらのような糸の住処を作らせた私は、魔法の火で暖まりながらその中で一晩過ごした。

 氷の巨獣達が死んだことで、生息に必要な環境を失うであろう氷蜘蛛。私は魔法で操った十数匹の蜘蛛達を魔女の塔まで連れ帰り、人工的に用意した環境で彼らを飼育した。蜘蛛糸は細くきめ細やかで魔法の織物を作るのにとても役立った。

「人を襲わないので家畜化が容易だと思ったから、その後ゼリンのやつに売ったんだ。毎年相当の額がそのときの契約金として送られてくるから、スパイダーシルクは結構な人気の織物になったみたいだ」

 何せ本来なら、寒い枝葉の国でしか生産できない糸なのだ。
 肌触りは前世の絹に近く、高級感たっぷりである。そして断熱性に優れているため防寒具として使える。暑い季節には使いにくいが、そこは糸の織り方の工夫でまた違ってくる。

「はあー、そんな取引が父さんとの間に。家でそんな蜘蛛なんて見たことないですけど」

 糸よりも蜘蛛に興味ありげなカーリンである。

「魔法で作った氷室じゃないと飼えないからね。蜘蛛にとって人間は体温が高すぎるのか中々寄ってこないけれど、こちらに害意がないとわかれば人懐っこくて可愛いやつだよ」

 そんな蜘蛛への思いを受け入れられないのか、カヤ嬢は言う。

「私、蜘蛛って少し苦手ですの」

 それでもスパイダーシルクの寝間着はちゃんと着ているあたり、カヤ嬢の中で蜘蛛と蜘蛛糸は別物として扱われているのだろう。
 可愛いんだけどな、蜘蛛。特にべたべたした糸を吐かないやつ。
 蜘蛛は基本的に、人間に害のある虫を食べてくれる益虫だ。前世でも学生時代、一人暮らししていたアパートにアシダカグモが住み着いていた。物音にすぐ怯える小心者なところが可愛くて仕方なかった。

「蜘蛛、可愛いんだがなぁ……」

「それよりもキリンお姉様、スパイダーシルクのパジャマを着たカーリンさんの方が可愛らしいですわ」

 きゃーっとカーリンに抱きつきながらククルが言う。
 まだ酒も回ってないのに何をしているんだこの娘は。もしかして、自分より小さい子を抱きしめるのが好きなのかククルは。私はよく抱きつかれるのにカヤ嬢(一歳年上、巨乳)にはそんなことしないし。

「確かに可愛らしいわねぇ。この短い髪も侍女ではあまり見ないから新鮮よね」

 ククルの腕の中にいるカーリンの髪を手櫛で梳きながらカヤ嬢も話に乗ってくる。カーリンはエメラルドグリーンに輝く髪をセミショートにしている。

「さ、お姉様」

 何かを期待するかのようにククルが私を促してくる。
 もう何だ。乗らなければ駄目なのか。

「……ああ、寝間着、よく似合っているよ」

「ですって。きゃー」

「あ、ありがとうございます」

 ククルの腕の中でぺこりとお辞儀してくるカーリン。
 きゃーじゃないよククル。まあ、まあまあ、じゃないよカヤ嬢何が嬉しいんだよ。

 何この私のホスト的な役割は。
 まあ他人行儀じゃ、場が始まらないのもわかるけれどもさあ。
 そもそもが、寝間着姿で一緒に夜を過ごすほど仲の良い友人達によって行われるのが、本来のパジャマパーティなわけだ。

 それにしてもカーリンよりククルとカヤ嬢の方が、この状況にすんなり馴染んでいるのが面白いな。
 寝間着で一室に集まるというのは、領地が離れていたり、王都で隣の屋敷と距離が離れていたりする貴族には馴染みが薄いだろう。
 前世では単語くらいしかまともに知り得なかったが、やはり気軽に一つの家に集まれる者同士で行うのが普通なのだろうか、パジャマパーティは。
 そうするとパジャマパーティが流行る下地は、この国でも市井の一般女子ならあるだろうな。

「はいカーリンさん、あーん」

「あ、あーん」

 ククルが自分お気に入りのチーズを手ずから食べさせようとしている。
 ふむん。
 やはりこういうもののブームは、雑誌などの広報が広めることによって流行が作られるのだろう。
 そういう意味ではパジャマパーティ――複数の友人達を集めてのお泊まり会という概念自体、この国には存在しない可能性も高い。

 広報の媒体と言えば、娯楽として私がゼリンに教えた漫画文化が広まってきている。やつの商才は恐ろしい。
 ただ、印刷技術の問題でまだ割高。紙の質が高い単行本は、成人男性一人の給料一日分程度の価格はする。
 安い粗悪な紙とインクで印刷される少女向けの娯楽漫画や、娯楽雑誌にパジャマパーティについて載れば流行るだろうか。いや、流行るな。ティニク商会のゼリンとはそういう男だ。

 と、なんで楽しいパーティで私は小難しいことを考えているんだ。
 しかし、だ。

「実際、パジャマパーティって何をすればいいのだろうね」

「ええー、パジャマパーティの大元はキリンお姉様ですよ?」

「私はククルから初めて聞きましたわ」

「私、商家の娘なので貴族の風習はそこまで詳しくないです」

「いや、貴族より市民向けの文化だと思うがね……」

 パジャマパーティ。前世男の私が知るのは、まず夜女子達が集まってパジャマに着替える(ここは合っている。アラサーも女子に含まれるところまで合ってる)。
 スナック菓子やジュースを広げたりする(目の前に広がるのは、どう見ても酒とおつまみばかりである)。
 夜の仲間内でしかできない噂話や遊びで盛り上がる(ここが不明。遊びはトレカがあるが前世の女子はやりそうにない。巨獣退治と蜘蛛の家畜化も女子がしそうな話ではない)。

「まあまあ、年若い女子が四人も集まってする話と言えば――」

「年若いに私も含めていいのか」

 一応カヤ嬢にツッコミを入れておく。
 年配の人からすると二十九などまだまだ若造だろうが、カヤ嬢達からすると立派なおばさんだ。

「話と言えば――もちろん恋バナですわ!」

 こ、恋バナかぁー。
 いやいや、そもそもこの集まりはカーリンの恋について話し合う場だった、そういえば。
 夕食を食べてお風呂でゆったりしている間に、頭から抜け出ていた。

「もちろん、キリンさんの恋の話ですわね」

「何故そうなる。カーリンの恋の話だ」

「つまりキリンさんにまつわる、恋の三角関係の話ってことですわね!」

 もうこの娘は……。
 青の騎士団長のところに収まれば大人しくなるのかなぁ、これ。
 親戚の婚姻話にもの凄い絡んでくるおばちゃんに将来なりそうで怖いぞ。

「キリンお姉様は、私の目が黒いうちはお嫁にやりません!」

 ククル、私か腕の中のカーリンかどっちかにしなさい。



[35267] 15.性癖改善バイオレンス系トライアングル純愛恋愛事情<4>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:df6b2349
Date: 2022/09/27 00:12
 私を含む侍女三人に囲まれながら、カーリンは語り始めた。
 それは彼女と騎士L(ロリコン)、もとい緑の騎士団歩兵剣総長ヴォヴォの馴れ初め。

「その日は、朝から王城にある練兵場の整備をしていました。騎士団の方々が連れてきていた小姓の方達と一緒に、訓練の準備です。私は掃除下女ですけど、仕事の範囲には練兵場の整備も含まれるんです。重労働なうえに砂埃が付くので、みんな嫌がる仕事なんですけどね」

 王城には狭いながらも練兵場が存在する。もちろん、本格的な訓練を行うには、王城の外にある広い敷地で行った方が良い。だが、王城でしかできないことというのもやはりあるのだ。
 その日は、「王のもとを出来るだけ離れたくないけど腕をなまらせたくはない」などという近衛騎士達のわがままで、近衛騎士と緑の騎士の合同訓練が行われる日だった。
 緑の騎士団の騎士は決められた担当地域から移動する事が少ない。国中のあちらこちらを行ったり来たりする青の騎士団と比べると、近衛騎士団の訓練相手として都合が付きやすいのだろう。王都勤務の緑の騎士が練兵場で訓練するのはさほど珍しいことではないという。

 カーリンは土を均すための道具を小姓のもとまで運んだり、汗拭き用の布地を用意したり、水や盛り塩を用意したり、その日も黙々と仕事をこなしていた。

「親しい下女の人も、仕事に入ると私のこと見えなくなっちゃいますから」

 慣れたものなのか、他人に認識されない状況を笑って済ませてしまうカーリンである。
 しかし彼女にとって笑い事で済まないことが起きた。
 訓練の集合時間のいくらか前。ぽつぽつと騎士達が集まってきたところで、チェック票を見ながら最終確認をしていた彼女に、声がかかった。

「ご苦労様」

 そんな短い一言。しかし、仕事中に滅多に言われたことのない言葉を緑の鎧を着た騎士に言われたのだ。
 彼女は、何も目立つことはしていなかった。下女として、当然の業務を行っていただけ。背景、バックグラウンドの一員として完全に埋没しており、視点を合わせることすら本来なら困難なはずだった。
 酷く驚いたが、最終確認の途中でありその場は仕事を続けたという。

 そして合同訓練開始。
 その日は一日練兵場付きの仕事なので、訓練を眺めながら就業時間を過ごす。訓練中といえども下女の仕事がなくなるわけではない。
 折れた木剣の代わりを用意したり、軽傷者を医療班のもとへと案内したり。そして、休憩に入ろうとする騎士に布や水などを渡したり。
 カーリンが担当したのは、休憩する騎士への水などの受け渡し。騎士達は当然のように布を受け取り汗を拭い、盆の上にある水や塩を取った。下女のことを気にかけることはない。いや、カーリンがあまりにも空気然としているので存在を気にかけることができないのだ。
 見えないでもなく、認識できないでもなく、意識を向けることができない。それが仕事中のカーリンである。……おそらく私でも気づけないだろう。私はあくまで鋭敏な感覚でもって気配の薄い彼女を把握できているのだ。そこにいて当然のような状況で背景に紛れられると、いくら感覚器官が発達していようともどうしようもないのだ。

 そんな仕事を続けているうち、先ほど彼女に挨拶をした緑の騎士が、組み手を終えて下がってきた。
 盆に水と盛り塩を載せ、綺麗な布を携えて騎士のもとに向かう。そして布を手渡した。

「これはどうも」

 そう言って布で額の汗を拭う騎士。
 次に水を渡すと、ぐいと一口飲んでからまた言う。

「おや、果実が絞ってありますねぇ。これは嬉しいなあ」

 そして、汗を大いにかいたであろう騎士に盆の上の盛り塩を差し出すと。

「君はよく気が利きますね。ありがとう」

 はっきりとカーリンの目を見ながら、礼を言った。確かに、物を渡すという具体的なアクションを取ると、反射的に礼を言う騎士達は居る。しかし、はっきりと彼女の存在を目に捉えながら言葉を放ったのは、この緑の騎士だけであった。
 思わずうろたえてしまうカーリン。

「大丈夫かい? 今日は陽射しが強いから、待機中はちゃんと日陰に入っているんだよ」

 どきーんと来た。らしい。心臓がばくばくいって、「はい」と一言返すだけ精一杯だった。らしい。
 晩夏の季節――日本で言う真夏の時期であり、すわ日射病かとも一瞬勘違いしたというが、違った。
 恋に落ちてしまったのだ。十一歳にしてカーリンの初恋だった。

 これがカーリンと緑の騎士ヴォヴォとの出会いである。今からおおよそ一ヶ月(約四十日)前のこと。
 意外と最近だが、そもそも彼女は下女になって半年しか経っていないとのことだ。
 カーリン視点で見ると、地元を出て一人王城で働き始め、仕事に慣れてきたところで恋をしたというわけである。

「はぁーすごいですねぇ」

 腕の中からカーリンに抜け出され、綿の詰まったクッションを抱きかかえながら話を聞いていたククルが、そう感想を漏らす。
 一方カヤ嬢はというと。

「運命ですわねぇ」

 と、うっとりしていた。
 運命か。なるほどね。
 この世界でいう運命とは、世界によって決められる巡り合わせのことだ。
 実際、この世界に運命は存在する。アカシックレコード的なすごいものではないが、世界樹には人と人の出会いを作り出す神の力があるのだ。例えば私のように『庭師』として認められた人間は、浄化すべき悪意に出会いやすくなったりする。
 そしてカーリンはおそらくだが、特別な存在として産み落とされた魔人という人種なのだ。

「こういうことは乙女チックすぎて言うのが恥ずかしいのだが……なんとも運命めいた出会いだね、君にとっては」

 初めて出会うイケメン騎士が、誰にも認められない自分を認めてくれた。まさに少女漫画の導入だ。
 いや、少女漫画など片手で数えられるほどしか読んだ記憶はないのだけれども、それでも運命的だとは思った。女子三人の乙女的空気に当てられたともいう。
 もし、ごく普通の下女がこれと同じ状況だったら、単なる一目惚れとして見ていただろう。しかし、誰にも認識されない娘がある日突然自分のことを見てくれる人に出会ったのだ。その娘視点で見ると運命的である。

 そんな運命の出会いから一ヶ月も経たずに、相手が自分より幼い(ように見える)女相手に愛をささやく姿を見るはめになるとはなんとも。いや、幼い女って私なんだが、辛いだろうな。片思いってそういうものかもしれないが。
 カーリンと私はもう友人と言ってもいい――と私が勝手に思っているので、一種の三角関係というやつだ。

 そしてもう一つ感想。
 緑の騎士の口調、私が知っているものと偉く違うな……。何故だろうか。ロリコンだから十一歳少女のカーリンには優しくしたのだろうか。いやそれなら同じく外見少女の私にも同じ口調で接するはずだ。
 あれかな。剣を捧げるとか言っているから私には格好つけているのか。なんだかあれだなぁ。あれって何だって話だがあれだなぁ。
「いいですわねぇ。いいですわねぇ」

 こんなことを言うのは当然カヤ嬢だ。

「うらやましいのかい、カヤ嬢。君も騎士の許婚がいるが」

 カヤ嬢には青の騎士団長セーリンという心から愛する許婚がいる。しかし、何故カヤ嬢があいつのことをあそこまで惚れ込んでいるかは、聞いたことがなかった。
 いや、正確には聞こうとしなかったか。私はセーリンとも知り合いだから、知り合い同士の惚気話を聞く気が起きなかったのだ。
 しかしまあ、女同士のパジャマパーティで恋バナをしているのだから、ここで一つ聞くのも悪くない。
 ちなみにセーリンやカーリンなど、「リン」と付く名前を持つ人が多いが、これはこの国でよくある名前の一つだ。「リン」は美しい子供という意味を持つ。私の名前のキリンのリンはこの国の命名則とは関係ないのだけど。

「うらやましいですわね」

 私のうらやましいのかという言葉に、カヤ嬢がそう言葉を返す。

「セーリンのやつとは運命的な出会いではなかったのか。許婚というんだからおそらく親同士が勝手に決めたんだろうが」

「いえ、違うのです」

 ふるふると首を振るカヤ嬢。

「セーリン様とは十年来のお付き合いなのですが、その、許婚となったのも私が望んだことなのですが……その……」

 なにやら言いよどむカヤ嬢。
 しばしごにゃごにゃと言葉にならない声をつぶやいたところで、ククルがクッションを彼女に投げつけた。なにしてんの。

「言っちゃいなさいなカヤー。別にあれくらいー」

 ククルのその言葉に観念したのか、投げつけられたクッションを腕に抱えながらカヤ嬢が語り始めた。

「あの方は領地を持たない上級騎士の家系で、お父上は私の実家の領地担当でいらっしゃる緑の地方騎士幹部なのです」

 緑の騎士とは護国の騎士である。
 この国の領主達は兵を持たない。さらには徴兵権を持たない。国が一括で専属の兵士を集め、黄の王国軍というものを組織する。
 そして各領地に国が兵士達を常駐軍として配備する。その常駐軍を指揮するのが、緑の騎士団の地方幹部達なのである。
 この国アルイブキラは飽食の国だ。この国の土地の下にある世界樹の枝は、金属や岩塩などの鉱物資源を実らせない。
 その代わり、栄養豊かな土を生み出し、また鉱物で土壌を汚染することもない。すなわち農業に適した土地が広大に広がる、農業大国なのだ。

 食料が豊富で安い。常備軍を作っても農民が不足するということはない。他国への食料輸出で、鉱物資源不足と言えど国庫は豊かだ。
 そういうわけで、常備軍は常備の名の通り、常に兵士がいる軍隊として機能している。
 地方幹部の緑の騎士も、各領の駐屯地に一年中滞在して軍を管理するというわけだ。
 この場合、カヤ嬢の実家アラハラレ領の地方軍担当の幹部騎士が、青の騎士団長の父親というわけである。この国における貴族の定義は、領地を持つことではなく国の管理する貴族称号名簿に名が載るかだ。

「私の家はあの方の家と家族ぐるみの付き合いでして、私が幼い頃はあの方と一緒に時間を過ごしていたのです」

 幼馴染みというやつか。王道だなぁ。
 幼い頃を一緒に過ごした、か。私が青のやつと初めて会ったのは北の竜退治のときだ。

 王国からは青の騎士団、赤の宮廷魔法師団、そして私と王太子――現在の国王が次期近衛騎士として集めていた一癖も二癖もある準騎士達が出ていた。その王国側の総指揮をしたのが青の騎士団副騎士団長セーリンだったのだ。
 竜退治が行われたのは七年前。その当時から副団長だったということは、青の騎士団就任前でアラハラレ領にて幼いカヤ嬢と過ごせた時期というのは、相当短いものだったのではないだろうか。青の騎士というのは国中を飛び回り、ひとところに腰を落ち着けない役割を持つ騎士だからだ。

「その頃、私はセーリン様のことをお兄様と呼んで、実の家族であるかのようにお慕いしておりました」

 王道だなぁ。歳の差も十は確実にあるだろうし。

「そして、ある日言ったのです。『お兄様は恋人いないの? じゃあ私が大きくなったらお嫁さんになってあげる』と」

 思わず手で顔を覆ってしまうカヤ嬢。これは恥ずかしさとはまた違うようだ。
 王道だ、これは王道なんだけど……。

「その当時の私に恋心はなかったのです。ただ親しい年頃の男性というのがあの方だけだったので、あんなことを言ったのでしょう……」

 カヤ嬢の様子を見るに、幼い頃の約束とか言う甘酸っぱいものではないらしい。
 子供の頃にありがちな他愛のない冗談というわけだ。

「セーリン様も『そうだな、カヤが大きくなったら頼むよ』と冗談で返してくれたのですが、私達の両親がそれを見ておりまして……」

 本気にしたのか冗談なのか、許婚となったわけか。
 うーん、王道でこれはまた良い話なんだけど、運命的ではないよな確かに。

「でも、そのあとは冗談じゃなくて本気で入れ込んでしまうのですよー、カヤは」

 面白そうにククルが横から言った。
 ククルとカヤ嬢は親友同士であり、二人の実家の仲も昔から良いようだ。ククルはカヤ嬢の恋の話について全て知っているのだろう。

「はい、あの方が従騎士から青の騎士となり疎遠になってから急に寂しくなって、共に過ごしていた時間をよく思い出すようになったのです。すると、どの姿を思い出してもあの方は素晴らしい方で、そして私の許婚なのです。そのことを考えると、もう、もう」

 急にカヤ嬢がクッションをばっさばっさと床に叩きつけはじめた。
 食べ物があるんだから埃を立てるのはやめなさい。

「遠距離恋愛で想いがつのっていったってことですねぇ」

 カヤ嬢の奇行はスルーして、カーリンがうっとりと言う。遠距離恋愛っていうワードとシチュエーション好きそうだよな、こういう若い子って。実際自分がそうなるとなったら辛いだろうが、話として聞くのは別だ。

「で、セーリンのやつはカヤ嬢のことはどう思っているんだい? 許婚だから仕方ないとか言うようなら、私がカヤ嬢に代わって殴りに行っても良いが」

「キリンお姉様物騒です! まあもしそうなら私も、何か文句を言いに行ったかもしれませんけれど」

 もしそうなら、ということは違うということか。

「ええと、私の十二歳の誕生日にセーリン様がですね、言ってくださったのです。『青の騎士団長になった以上、一つの屋敷には留まれない。いずれ各地に家を買って国中を飛び回ることになるだろう。俺の妻となる者は一つの屋敷を守るのではなく、任務先の家でその日の帰りを待っていてもらいたいのだ。カヤ、俺に付いてきてくれるか?』って、もう、もうもう!」

 牛のような声を出しながらカヤ嬢は、顔を真っ赤にしてクッションを抱えてごろごろと転がりだした。牛はこの世界にいないので鳴き声には突っ込めない。
 いやー、しかし完全にプロポーズですねこれは。カヤ嬢がこうして侍女の花嫁修業をしているということは、セーリンは貴族用の家を複数買う資金繰り中ということかな。甲斐性の見せ所だ。
 しかしあいつにこんな婚約者が居たとはねぇ。やつからは聞いたこともなかった。ああ、仕方ないか。異性の幼女など相手に、男が恋人自慢なんてするはずがないか。

 とりあえずカヤ嬢がクールダウンするのを三人で待つ。
 これ以上カヤ嬢に盛り上がられたら、他の部屋の侍女達にも迷惑だろうし。

「……ふう」

 数分経ってカヤ嬢は水で薄めた酒を一口飲んで、ようやく落ち着いた。
 その間に私とカーリンで聖句無しの高速カード対戦が、一セット終了している。私の惨敗である。

「私からはそういうことで、次、ククルさんのお話ですわね」

「え、私ですか?」

 突然話題を振られてきょとんとするククル。

「ククルさんは侍女となってからというもの浮いた話がないのですよ」

 こちらを見ながらカヤ嬢がそんなことを言う。

「侍女になる前はどうだったのでしょう。以前は私も年に数回会うくらいでしたので」

「昔か。特にこれと言った話はないな。そもバガルポカル侯からして娘は嫁にやらん! って言うような親馬鹿だからな」

 同意ですわ、とカヤ嬢も頷く。彼女から見てもやはりあいつは親馬鹿か……。

「キリン様とククル様って昔から親しいのですか?」

 と、ここに事情を知らない子が一人。そうだカーリンは知らないか。

「カーリンも知っての通り、私はバガルポカル領を拠点に前職の活動をしていた。領の経営に関わる仕事や侯爵家の存続に関わる仕事もしていたから、ククルの実家とは昔から関わりが深いのだ。それこそ、カヤ嬢の実家と青の騎士団長の実家のように」

「ということは、キリンお姉様のお嫁さんになってあげるー、とか言って……るわけないですよね」

「言ってません!」

 即座に否定するククル。
 でもね。私の記憶にはね。おねえさまとけっこんしたらどっちがおよめさんになるの? という言葉がね。あるんですね。
 しかし、私は優しいので心にしまっておくのである。

「まあククルさんにも直に素敵な出会いがあるでしょうね。何せ王城には様々な貴人がいらっしゃいますもの」

 そうまとめるカヤ嬢をよそに、ククルがすっと私の横に来た。そして小声で耳打ちしてくる。

「お姉様が来てからというもの、カヤの興味がそちらにずれてくれて助かっていますわ」

「あー……」

 カヤ嬢のあの恋愛妄想のメイン被害者だったというわけか。

「ほらそこ!」

 カヤ嬢の急な声にびくんとするククル。

「キリンさん! 次はキリンさんですよ」

「いや、次ってなんだ。ああ、カーリンの好きな相手を略奪する気はないぞ」

「当然です。運命の出会いを邪魔してはなりませんわ」

 あるぇー。前と言っていることが違うなぁ……。

「キリンさんがこうして侍女に転職したということは、以前のお仕事では素敵な出会いがなかったのでしょう。不思議なことに。となると王城で半月程度過ごしたくらいで、すぐに運命の人が現れるとは思えませんわ」

「そーですか」

「そもそもキリンさんが好きなのはどんなタイプなのでしょう?」

「好きな人から好きなタイプとは、急に俗な話題に変わったな……」

「でも気になりますわ」

「確かにお姉様からそういう話は聞いたことがないので気になります」

「魔人姫の好きなタイプですかー。気になります」

 ここで意見が揃うのか……。
 いや、好きなタイプと言われてもすごい困る。

「ううん……、カヤ嬢とカーリンの二人は知らないかもしれないけれどな……実は私には前世の記憶というものがある」

 私の恋愛について考えるには、まずここから語らないといけない。

「あ、それは知ってます」

 とカーリン。

「有名ですわね」

 とカヤ嬢。
 あれ、そうなのか。まあ隠してないし、結構な人に言ったことがある。

「カードを場に転生させるコストが特殊なので、『剛力の魔人』カードを持っている人は多かれ少なかれ知っていると思います」

 先ほど私と対戦したカードデッキをいじりながらカーリンが補足した。
 なるほどね。
 そもそも、この世界において前世の記憶を持つというのはありえない事ではない。
 そこでもう一つ二人に告白する。

「実はこの世界とは別の場所から転生した」

「別の場所……どこか遠い国ということですか?」

 そうカーリンが質問を返してくるが、それは違う。

「いや、そもそもこの世界樹ではない別の世界、別の星からだ」

 あ、とカヤ嬢は声をあげる。

「もしかして、聖典にある『大地神話』の惑星ですの?」

「惑星という意味では正解だけれど、『大地神話』に登場する惑星かというと、おそらくだけど違う」

 私の答えに、首をひねるカヤ嬢とカーリンの二人。
 ククルには昔から詳しく話してあるので、彼女は笑みを浮かべて二人を見ている。
 私は二人にさらに説明を続けた。

「遠い空の向こうには無数の星がある。その中の一つかはわからないが、とある星の一つに前世の私は居た」

 この国の夜空には星々が光らない。なので、二人は星と言われても想像しにくいかもしれない。

 この世界は一本の大樹で出来ていて、枝の先に生える木の葉が一つ一つの陸地になっている
 この国のはるか上空にも枝や木の葉の陸地があるので、昼は人工の太陽、夜は人工の月が空に輝いている。全ては世界樹と『幹』の人々が擬似的に作りだしたもの。天候や季節も管理されて、再現されているにすぎない。

「でも、聖典には人の魂は死後、世界樹に取り込まれまた新しい魂となって生まれ変わると載ってます」

 そうカーリンが言う。聖典とは、世界樹教の聖典で、世界の成り立ちを説明しているものだ。

「世界樹がない『惑星』では死後の魂はどうなるのでしょう。キリン様のように遠い世界樹まではるばるやってくるのでしょうか」

「はは、それはないよ。まあその星それぞれが魂の管理をしているのではないかな。そもそも世界樹の魂管理自体が、『大地神話』で滅んだ惑星の仕組みを模倣したものだ」

 人の魂にはその人の人生の記録は全て収められている。そして死後の魂は全て世界樹へと還り、汚れや記憶をぬぐい去られて新しい命として生まれ変わる、と聖典では教えている。
 前世の記憶持ちとは、その汚れ落としが抜けている存在だ。魔法の秘術には死後の魂を完全に保ち、前世の記憶を持って生まれ変わるというものがある。私の師である魔女も、前世の記憶を持って生まれ変わっているかもしれない。一緒に過ごした年数が少ないので人となりは把握できていないからだ。
 
「私が別の世界から生まれ変わったのは、拝神火教の天界が絡んでいると思っている。まあ詳しく探求するつもりはないけれど」

 拝神火教とは世界樹教とはまた違う火の神を祀る宗教で、この世界樹には実際に天界という上位次元世界への門がある。
 前世の自分の死因を考えると、その火の世界である天界が実に怪しそうだ。
 前世の私が死ぬ前最期に言った言葉が、火を崇拝する邪教の狂信者を前にして友人に言った「ここは俺に任せて先に行け」だった。その後見事に殺されたが、個人的にはこれ以上ないほどの大往生だった。

「自分の出自を詳しく調べるつもりはないんですか?」

 そうカーリンに言われるが。

「ないな。自分がなんのために生まれてきたかなんて哲学的なこと、そこまで大まじめに考えるかい?」

「うーん……」

 私の問いにカーリンは唸る。十一歳の子供が考えるようなものではない。

「どうだいククル」

 と、私は関係ありませんとばかりにチーズを食べていたククルに、話題を振ってみる。
 十四歳。思春期と呼ばれるお年頃だ。自分の生まれてきた意味なんて、しょうもないことを考えてもいいお年である。

「善に生きるために生まれてきた?」

「それは教会の教義だろう? もっと個人的な話さ」

「……考えたこともありませんわ」

 そう言ってグラスの酒をあおった。つまりはそういうことだ。何故この世界に生まれ変わったかなんて考えるのは。
 と、そこでカヤ嬢が話題に乗ってきた。

「私には、ちゃんとその答えがありますわ」

「へえ」

 ああ、これはカヤ嬢がろくな事言わないときの顔だ。

「私は、旦那様と幸せな家庭を築くために生まれてきたのです」

「あーはいはい」

 そうだよ女子会だったよこれは。女子会というかパジャマパーティか。

「話を戻すと、異世界からそのまま魂が持ち込まれて浄化されなかったのか、前世の記憶が欠けるところ無くあるのだ。そして前世では男だった」

 男だった。そう、男だったのだよ。
 生きた年数はすでに女の方が長いけれどもベースとなる精神は男なのだ。

「あら、そうだったのですか」

「ええっ! それは知りませんでした!」

 軽く驚くカヤ嬢と、すごい驚くカーリン。
 このカミングアウトに関してはほんとうに様々な反応がある。
 まあ普通ならありえない状況だ。画一的な反応など起きようもない、か。

「でも、そうですわね。人が転生して性別が変わるなんて、二分の一の確率でそうなりますわね」

 そうコメントするカヤ嬢に、ククルがうんうんと頷く。
 彼女達も魂が浄化される前は、男だったのかもしれないわけだ。

 そして一方カーリンだが、なにやらそわそわしたような雰囲気に変わっていた。
 これは、あれかな。

「カーリン」

「あ、ひゃい?」

 ひゃいって。

「寝間着姿でいるのに男が同室では気が気でないかな?」

「え、いや、そんな……はい……」

 若い娘の反応としてはこれもまた当然のことかな。

「そう気にすることはないよ。もう女として二十九年生きてきたが、前にも言ったとおり、私は女性を好きになるような嗜好はないようだ」

「それを聞いて安心しました」

 そう答えたのはカーリンじゃなくてカヤ嬢だった。
 うん、安心って違う意味でだよねそれ。自分が狙われるとかそういう意味じゃなくて、恋愛話的な意味で男が好きなようで安心したって意味だよね。
 でも違う。

「男でも女でもない曖昧な存在でこちらに生まれてこの方、他人に恋愛感情を抱いたことがないのだよ。二次性徴前に魔法で成長が止まったからか、性欲の類も湧いてこないし」

 まあ原因の大半は魔法の成長停止じゃないかと思っているけれど。太古の時代の魔術師達は、あらゆる欲を克服した仙人のような存在だったというし。

「つまりキリン様には好きなタイプすらないということですか」

 そわそわが収まってきたカーリンがそうまとめた。
 その通りだ。
 そして、カーリンはさらに続ける。

「誰も好きになれないってなんだか寂しいですね」

 絶賛恋する乙女継続中の彼女から見れば、そう見えるのか。

「大丈夫ですわ。いずれ運命の人が現れて恋に落ちることは目に明らかですの」

 うん、もうアラサーなのに運命の人とか逆にきついけどね。

「お姉様はそのままでいいんですよ」

 ククル、いつまでも仲のいいままというわけにもいかないよ。いずれ君も誰かのもとに嫁いでいくんだ。……相手は誰だ!
 いや、落ち着こう。ククルの父のようにはなるまい。

「恋愛という意味での好きはないが、人としてとか友としてとか、そういう意味での好きはあるから、そう寂しいということはないさ」

 結婚だけが人の幸せじゃない。
 っていかにも適齢期逃したアラサー女子が言いそうな台詞になるけども。

「寂しいといえば、好きな動物とかはいるのでペットを飼うのも悪くないと思うよ。まあ同室のカヤ嬢次第だが」

「ペットですか」

 露骨な話題変更にもちゃんと相づちを返してくれるカヤ嬢だった。

「動物は嫌いかい、カヤ嬢?」

「いえ、それなりに好きではありますけど、いずれセーリン様のところに嫁いだら各地を転々することを考えると……」

 自分では飼えないということか。つまり私が飼う分には構わないと。
 私も冒険者の頃は世界中を飛び回っていたから、拠点となる魔女の塔では何も飼っていなかった。
 死んだ魔女も昔は使い魔的なものが居たが今はいないと言っていたし。自分の死期を悟っていたからかな。

「キリンさんはどんな動物が好きですの?」

「そうだね、両の腕の中に収まるような大きさの、毛がもふもふとした哺乳類が好きかな」

「えー、もう少し大きな方が良いですよお姉様」

「ククルはそうだろうね」

 ククルの実家には大型犬ほどのサイズの肉食獣が飼われている。
 地球で言うと犬のボルゾイに似ているだろうか。ククルの父はそいつを引き連れて、よく鳥獣の狩猟を楽しんでいた。
 ククルは狩猟よりも、もっぱら抱きつくのが好きだったようだが。

「腕に収まるというと、長毛ネズミとかですか?」

「うん、最大サイズのは悪くないね」

 カーリンの言う毛長ネズミとは、イタチだとかオコジョだとかの胴と首が長いネズミをもっと毛深くしたような動物だ。
 この世界のネズミは胴が長くて毛深いのがスタンダードである。そもそもネズミというのも私が勝手に日本語訳として当てているだけで、種としては根本的に異なるのだろう。
 ちなみに毛長ネズミの最大サイズは、成人男性の靴ほどの大きさだ。ケージなしで室内飼いされることの多い愛玩動物である。この国は食料豊富なので、愛玩動物を飼う文化が特に発達していたりもする。

「そうだね、前世では猫が好きだった」

 猫は可愛い。とにかく可愛い。

「ねこ、ですか。聞いたことありませんわ」

「そうだろうねえ。前世の世界にいた動物で、こっちの世界では見かけたことがない。水汲み桶ほどの大きさの毛のある動物だよ」

 いいよなぁ猫。飼いたいなぁどこかにいないかなぁ。
 そんなことを思っているときだ、カーリンが呟いた。

「ねこって動物どこかで聞いたことあります」

「本当かい!?」

 私が知らないだけで、この世界のどこかに猫がいるのだろうか!?
 ……ああでも、日本語の『ねこ』そのままの名称で猫がいるわけがないから、ねこというだけの別の存在かな。

「うう、確かじゃないんすけど、どこかで聞いたことあるようなー程度っす」

「ああうん、別にそこまで無理して聞いているわけじゃないから」

 十中八九別物だろう、冷静に考えたら。
 万が一、地球から辿り着いたとしても、猫が自分から日本語で我が輩は猫であるなんて言うわけがない。

「別世界の動物ですか。どんな姿なのか気になりますわね」

 可愛いですよ?

「お姉様お姉様」

「ん、なんだい?」

「猫出してくださいな、猫」

「出してとな?」

「昔、猫を出してくれたことがありますわよね。ほら、魔法で」

「ああ、そうか」

 そうか、そうだった。
 本物は無理でも、幻影魔法を使って虚像の動物を出すことくらいはできるのだ。
 ククルにはよく地球のものを魔法で見せてあげてたっけ。動物に限らず、飛行機だとか電車だとか自動車だとかもだ。文明管理してる道具協会が知ったら怒って飛んできそう所業だが。

 それはそれとして幻影魔法発動っと。

「みゃ」

 鳴き声とともに幻の猫誕生。
 白と黒の毛が混じったサバトラのアメリカンショートヘアーである。

「わあ」

 幻影の猫の姿に、少女達の顔がほころんだ。

「可愛い!」

 幻の猫にカーリンが突然抱きついた。しかし幻影魔法の猫なのですり抜けるのみだ。
 ショックを受けたようにカーリンの表情が歪む。急に年齢相応の反応になったなぁ。

「触りたい……」

「まあ待ちたまえ。魔法で作った猫だから、触覚再現が難しいんだ。特定のポーズを取ったときしか触れない」

 魔法の猫にふせのポーズを取らせる。このポーズの時のみ、幻影に触ることが可能になるのだ。現実に存在しない動物だから、かなり苦労して触覚を再現してある。

「かーわーいーいー」

 カーリン大喜びである。カヤ嬢とククルはその様子を微笑ましそうに見ている。
 あれれ? 見ているだけでいいのかな? 触りたくない? 触りたくならない?
 く、こやつら犬派か。

「じゃあ犬も出そう」

 魔法で幻の犬を作り出す。白と茶の毛並み美しい柴犬の成犬だ。

「あらあら、これは可愛らしいわねぇ」

 カヤ嬢が撫でようとしたところですり抜ける。

「すまないね、触覚再現はしていないんだ」

 主に愛の違いで。
 その言葉にショックを受けたのは、カヤ嬢ではなくククルだった。犬派ごめんね?
 ああでも肉球だけは、この世界の動物を基に触覚再現完璧だ。

「これもキリンさんの前世の世界にいる動物ですか?」

「ああ、犬という動物だな。猫と並んで、広く愛玩動物として親しまれていた」

「興味深いですね。他にも出せるのかしら」

「姿だけならね。幻影だし場所も取らないので出してみようか」

 犬猫の他にも、この世界で見かけたことのない動物をいくつか出してみる。
 キツネにタヌキ、猪に豚。カヤ嬢のリクエストで鳥も出してみた。おや、カヤ嬢は鳥が好きなのかな。

 さらにはカーリンから猫の増量を頼まれたり、ククルから様々な品種の犬をせがまれたりもした。
 結局その後は幻影で前世の動物を再現するパーティになってしまって、次第に皆眠くなり床の上で就寝。カーリンの恋愛に対する仕掛けの話とかねこと呼ばれるこの世界の動物の話とかが、うやむやになってしまったのだった。



[35267] 16.性癖改善バイオレンス系トライアングル純愛恋愛事情<5>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:df6b2349
Date: 2020/10/28 22:00
 一枚葉の大国アルイブキラ。その首都であり王室直轄領であるイブカル。その中枢には防壁に囲まれた城下町クーレンバレンカルが、栄華を誇っている。
 イブカルおよび、クーレンバレンカルの主産物――すなわち世界樹の実りは、熱された水。天然温泉だ。
 地中深くにある世界樹の枝から熱い地下水が絶えず生み出されており、城下町の人々はそれを掘り出して温泉として活用している。
 この国に風呂文化があるのも、国の中心となる首都で温泉が湧き出しているからだ。
 元日本人の私としては非常になじみ深い文化である。

 城下町クーレンバレンカルには大通りがいくつかあり、そのいずれもが王城クーレンバレンの城門へと繋がっている。
 大通りが城門に直通しているのは国防的な面で見て問題があるように見えるが、そこはしっかり魔術的な対策が取られているらしい。軍事機密なので内容は知らないが。
 城門をくぐった王城の敷地内には、複数の施設が建てられている。
 使用人の宿舎や近衛騎士の練兵場、薔薇のような花が年中咲き誇る植物園、若い国王の側室が多数住んでいるらしい後宮、我が師である魔女にも匹敵するような魔法師が在籍する魔法宮、そして国の頭脳部にして心臓部である王宮だ。

 王城付き侍女である私の本日の業務内容。
 城門をくぐった先にある登城控え室にて、案内人待ちのお客様への来客対応。お客様の入城許可が出るまで、お茶出しをしたり話のお相手をするなどの給仕と応対をするお仕事です。
 侍女となってまだ一ヶ月が過ぎていない新米も新米な私。
 本来なら先輩侍女について仕事内容を覚えるのが仕事なわけだが、そうも言っていられないほど現在王城は女官不足。今日は普段なら使われない予備の登城控え室を開け、私が給仕役として一人で任されているのだった。

 現在王城は警戒態勢に入っている。
 その契機は、以前私が壁をぶち抜いてスパイを捕まえたあの事件。
 あの日を皮切りに王城、そして城下町では多数の忍者やスパイが捕まっている。そのことで直接動く警備の衛兵や憲兵、護国の緑の騎士。そして彼らだけでなく、王城で人が多数行き来することで下女や侍女などの下支えの者達も慌ただしく動き回っているのだった。

 そんなわけで新米侍女ながら、決まった仕事がまだ割り振られていない私が、この拡充された登城控え室のヘルプ要員として割り当てられているわけである。
 仕事内容は簡単。控え室に案内されたお客様が案内人に呼ばれるまでの間、失礼なことがないように接しつつ相手が変なことをしでかさないよう監視するというもの。
 本来部屋には侍女以外に衛兵が一人以上詰めているはずなのだが、人手不足なのでそれもなく私一人。明らかに私の前職を意識した配置である。
 だがそれに私が異を唱えることはない。伝え聞く話では、侍女長は有能な人だ。部下の能力に応じた適切な人員配置をするのは上官として当然のことなのだ。
 侍女長がいけると判断したなら実際私一人でもいけるのだろう。異は唱えませんですはい。

 まあ、物騒な人が紛れ込まなければ、登城控え室での来客対応など平和なものである。
 今日これまでに対応したのは、後宮向けの雑貨商人と植物園の荷運び業者の二組だけで、特に何事もなく退室していった。
 雑貨商人にお茶を出したら小さいのに偉いねと褒められて果実味飴を貰った。この程度なら禁止されている収賄には当たらないはず。うん、後で舐めよう。さすがに仕事中に口にするわけにはいかない。

 そんな感じで見た目十歳程度の幼女ということで、お客様は気さくに話しかけてくれる。
 うむ、この仕事は割と私に向いているかもしれない。前職でも見知らぬ人と会話する機会が多かったので、会話能力という点では劣っていないつもりだ。
 この分だと、すごいお偉いさんがやってきても、退屈させて失礼になったりということはなさそうだ。多分。
 敬語の使い方や礼儀作法などは、まだ怪しいところがあるのだけれど。

「ほう、蟻蜜漬けかね」

「はい、この季節はやはりケーリの蟻蜜漬けですね。漬けたてなら一季は保ちますので、国をまたぐお土産に最適です」

 本日三組目。隣国の貿易商人だという壮年の紳士二人組である。イブカルへ来るのは初めてということで、お土産に相応しい王都周辺の特産品を紹介している最中である。
 ちなみにこの隣国とは、城へ忍者を放ってきた例の国のことではない。
 この国アルイブキラは、世界樹の枝から生える葉の大陸まるまる一つを国土とする国である。なので、直接国境を接する国はない。
 ただ、アルイブキラの近くにもう一つ、同じ世界樹の枝から生える別の葉の大陸が存在している。その大陸の端っこの方に国境を持つ国の一つがこの交易商人さんがやってきた国だ。この国とはここ十数年で交易が急に盛んになってきている。
 この貿易商人さんはその国に許可を受けた業者さん、すなわち一種の国の代表者である、と事前に閲覧した書類に書いてあった。
 突発的な来城でない限り予定がしっかり組まれているので、私のような末端の給仕も来客対応用の資料としてお客様の簡素なプロフィールが閲覧できる。なんて新米侍女に優しい環境なんだろうか。

「今の季節はケーリの実が漬けられますが、季節によって漬ける実が変わるのが特徴ですね。お酒を加えて保存期間を長くしたものも店頭に並んでいるので、是非ごらんになってください」

「そうだね。いやあ私は甘い物に目が無くてね。今から楽しみだよ」

「こらこら、少し控えろと医者に言われただろうに」

「たまにはいいだろうさ、たまには」

 そんな紳士二人(一人はお茶に蟻蜜をたっぷり入れて欲しいとリクエストされた)と談笑をしてしばし過ごした後、兵士が控え室にやってきて彼らを城内へと案内していった。
 これから王宮へと入り、文官達と交易についての話し合いをするのだろう。
 国の運営とか国際貿易とか私には想像の付かない分野だ。国々を旅するのは好きなのだけれど。

「ふう、午前の対応はここまでかな」

 突発のお客もなく、午前の業務は終了。一度昼休憩を挟む。この国は一日三食だ。
 宿舎での昼食を取り、歯を磨き、その場に居合わせた侍女同士で身だしなみの相互チェック。
 よし、今日もキリンちゃん可愛い! ……何かやってて空しくなるな。

 さて、気合い入れて控え室へ戻った私だが、午後はしばらくこの部屋への来客がいない。突発のお客がいなければ別だが……と。

「侍女さん、いいかな?」

 案内の兵士さんが部屋へと顔を出してきた。

「はい、なんでしょうか」

「騎士様の登城があったからお通しするよ。はい、これ見てね」

 そう言って兵士さんが私の前に紙を見せる。即日の登城申請書である。
 私はそれにさっと目を通し、大丈夫ですと兵士さんを部屋から送り出した。
 ほどなくして、登城控え室に見覚えのある顔がやってくる。話題の青年、緑の騎士ヴォヴォである。今日はもう一人、同じ緑の騎士を同伴しての登城だった。
 彼らのような騎士の登城は商人達のように、事前通達があるわけではない。首都周辺勤務の騎士は王城が職場の一つのようなものだからだ。

 さて、顔見知りの彼が、わざわざ私の居る控え室に彼が来たのは偶然か? まあ偶然だろう。
 さすがにこの状況をカーリンが前のように仕組めるとは思えない。えいやと気合いを入れてみても、それらしい気配は感じ取れないし。

「どうぞお席に座ってお待ちください」

 騎士ヴォヴォと、もう一人の騎士――登城申請書によると、緑の騎士団の副団長殿を備え付けのソファに案内する。そして部屋に備え付けの設備を使って、茶を一杯入れる。騎士の登城手続きは普通の来客と違って早いが、まあ茶の一杯飲むくらいの時間はあるだろう。

 さて、騎士と言えども登城手続き無しで入れないのが、王城という場所だ。この城はなかなか管理意識というのが高く、誰が城内にいるかというのをしっかり名簿で管理しているのだ。
 私達のような王城勤務の女官だと使用人通用口からの登城になるのだが、普段外に所属している騎士だと、一般客と同じようにこの控え室で入城手続きを待つようだ。今は厳戒態勢なのでスパイや忍者の成りすましに厳しくなっているのだろう。

「どうぞ」

 花弁を乾燥させて作ったという茶葉から淹れた花茶をソファに座る二人へと出す。砂糖の代わりに、蜜蟻の巣から取れる蟻蜜の入ったビンを横に置くのも忘れずに。

「おお、姫の手ずから茶を振る舞っていただけるとは、感激です」

 ロリコン騎士は平常運転。

「はは、そうか、君が剣を捧げ損なったというのは、この子のことか」

 そう彼の横で笑う女性。緑の騎士の副団長だというお方だが、見た限り三十歳前後、アラサー程度の若さにしか見えない。
 緑の騎士は世襲が多いと言うが、この若さ、しかも体力に劣る女性で副団長ということは、すごい人なのだろうか。ちなみに前、私が参加した青と緑の騎士団の合同訓練では、この人のことは見ていない。
 ロリコン騎士ヴォヴォと副団長は、ほぼ同じ格好をしている。白い騎士の制服の上に緑に塗装されたブレストプレート――胸鎧をつけている。腰には携帯用のショートソードを携えているようだ。一つ違いとして、副団長の胸鎧に刻まれている緑の騎士団の紋章が、騎士ヴォヴォのそれよりも豪勢な彫刻となっている。副団長の印なのだろうか。

 しかしこの副団長、なんとも緑の鎧姿が非常に似合っている。騎士ヴォヴォとは年季というかオーラが違う。これこそ、緑の騎士の代表者たる風格か。

 緑の騎士団の緑とは木の葉の緑。木の葉とは世界樹の枝から生える木の葉のこと。つまり今、私達が立っているこの大陸のこと。
 この大陸にはアルイブキラ一国しかない。すなわち緑の騎士団とは、この国を一枚の木の葉の大陸として守り続ける護国の部隊なのだ。お飾りでも何でもない本物の騎士だ。副団長ともなれば確かに騎士としての風格も出るだろう。納得。

「竜退治のキリン殿だったか。君とは一度話したいと思っていてね」

「左様で御座いますか」

「はは、硬いね。まあ職務だから仕方ないか」

 侍女のポーズで対応する私を笑って流す副団長殿。
 さて、私と話してみたいとはどういったことだろう。また冒険者時代の話を聞きたいとかだろうか。

「君には、うちの若造が迷惑をかけているようだね」

 だが、予想に反して出た話題は、隣にいる騎士ヴォヴォについてだった。
 話題にされた隣の青年は苦笑して一人、花茶をすすっている。

 副団長殿は語る。騎士ヴォヴォは入団した頃から騎士としての才覚を発揮していた。故に才能あるものとして目をかけていて、今も王城に何度も同伴させることで、次期指導者としての教育をしている。
 なるほど。よく王城の中で彼と鉢合わせしていたのは、そういうことか。騎士団の上級幹部でもないのに、緑の正騎士が王城で数日毎に遭遇するのが不思議だったのだ。

「王宮の者に迷惑をかけないよう、しっかり叱っているのだがなぁ」

 そう良いながら騎士ヴォヴォの肩を叩く副団長どのだが。

「愛のためゆえ」

 彼は一歩も引かないようだ。
 うわあ……これはやっぱり、あれだなぁ。この前カーリンに提案した作戦を実行するときだ。
 名付けて恋のバイオレンス系トライアングル魔法大作戦!

「時にヴォヴォ様」

「なにかな!」

 話の切れ目を狙って声をかけると、もの凄い嬉しそうに私に振り向いてくる騎士ヴォヴォ。そんなに名前を呼ばれるのが嬉しいか。

「以前、次の祝日に劇場のお誘いをいただきましたが……」

 実は王宮での数回の遭遇の中で、そんな誘いを受けたことがあった。当然その場で即断ったが。

「! そうか、来てくれるのかい。いやあ楽しみだ!」

 気が早いよこの人。隣の副団長は何か呆れたような目で見ているぞ。

「いえ、別の用事があるので、それに付き合って欲しいのです」

 そんな私の適当な誘いに、騎士ヴォヴォは立ち上がり「喜んで!」と私の手を取った。なんだこれ。

「自分から誘うとは、意外と情熱家だったんだな」

 苦笑しながら副団長が言う。いえいえ、それは誤解ですよ。

「いえ、実は練兵場で、一日剣の相手をして欲しいのです」

 騎士ヴォヴォをソファーに(腕力で無理矢理)座らせながら私は言葉を続ける。

「私は庭師を辞め、侍女を終の仕事としましたが、それでも身体を弱らせるままにするわけにもいかないので、久しぶりに剣の訓練をしたいのです」

 観劇ではなく訓練のお誘いだ。
 色気も何も無いが、おそらく乗ってくるだろうと見ている。騎士ヴォヴォは私の戦う姿を見て惚れ込んだというのだから。

「侍女の身の上ですので、訓練にお付き合いいただける知り合いというのがいないのです。ヴォヴォ様をのぞいて」

「是非に」

 即答する騎士ヴォヴォ。
 ちょろい、ちょろいよ。そりゃあ断られるとは思っていなかったけれども。
 一方、副団長はと言うとふむ、と少し考え込み、言った。

「剣の訓練がしたいならば、また騎士団の訓練に参加してはどうだね。前は仕事の都合で参加できなかったが、次があれば私も参加したい」

「いえ、あれは私の訓練方法とは違いすぎて、正直訓練にならないので自分のペースでやりたいのです」

「騎士団の訓練は駄目かね」

「私の戦い方は対人ではなく、対巨獣ですので」

 両手を大きく広げて巨獣のポーズを取る。そう、ぶっちゃけ私は人間を相手にする戦いというのにさほど慣れてはいないのだ。庭師として、悪意を身に宿した野獣を浄化したり、人の生活を脅かす巨大な獣を打倒したりして身につけた蛮族の剣が私の戦い方だ。
 一方、緑の騎士は他国の侵略を想定した対人の剣を身につける。巨獣や魔獣退治も行うが、庭師と比べて専門ではない。
 私の説明に、なるほどと納得する副団長殿。騎士ヴォヴォは私と訓練できればそれでいいのだろう。口を挟んではこない。

「しかし、訓練なら近衛の方がずっと相手になりそうだけどね。仮にも近隣国含めて最強を名乗ってる奴らだ」

「いやあ、あの人達、今のスパイのごたごたが収まるまで、一日たりとも休み取るつもりは絶対無いですよ。陛下の崇拝者ですし」

 そう言ったものの、これは嘘である。
 一日たりとも休むつもりがないのも現国王の崇拝者というのも本当だが、私が頼めば稽古に付き合ってくれる人は何人かいるだろう。
 何せ今の近衛騎士団の主要メンバーは、庭師駆け出し時代の私と王太子時代の現国王が王都でやんちゃしていた頃にかき集めた「ぼくたちのかんがえたさいきょうのきし」達で、私の友人達なのだから。
 北の山の飛竜退治も一緒にやったし、庭師主催“致命傷を負わせたら丸禿の刑”国境チキチキ野盗退治という名の怪しい集団捕縛レースもやったし、私が庭師として『幹』の称号を得た後も、その特権をかざして勇者の援軍として遠い枝の国まで魔竜退治の遠征をやった。
 最強の騎士の名に相応しく、対人戦闘という点では私より剣の腕が勝っている強者も何人かいる。

 とはいえ、ここは騎士ヴォヴォを訓練に誘うのが主目的。
 ぶっちゃけ私は訓練を年単位で行えなくても困りはしない。勘が鈍る程度で、肉体的には年中寝たきりでも魔女の秘術により一切筋力が落ちることがないのだ。逆にどれだけ鍛えても筋肉は付かないのだけれど。なお、太りはする。

「戦いから数ヶ月離れたと言っても、さすがに力加減をあやまってミンチにすることはないでしょうし、異国の武術の稽古に付き合うことはヴォヴォ様にとっても良い経験になると思うのですが……いかがでしょうか」

「ふむ、まあそもそも私が反対する理由はないな。しかしヴォヴォ、休日手当は出ないぞ」

「姫との休日のひとときに、給金など貰うわけにはまいりませんよ」

 訓練だと言っているのに。私に打ちのめされて愛に目覚めた男の言うことは違うなぁ。少し作戦が成功するか、心配になってきたぞ。

「しかし異国の剣か。ふむ……」

 再び考え込む副団長。

「面白そうなので私も午後から顔を出したいのだが、よろしいか?」

「ええもちろんです」

「そうかそうか、ではよろしくたのむぞ」

 笑いながら私の肩を何度も叩く副団長。結構力強いけど、普段これを受けている騎士達は痛そうだな……。
 ともあれ、これで恋のバイオレンス系トライアングル魔法大作戦の準備がおおよそ整った。
 なお、案内役の新米兵士さんが控え室の入口で困ったように会話が終わるのを待っていたのは見なかったことにした。



[35267] 17.性癖改善バイオレンス系トライアングル純愛恋愛事情<6>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:df6b2349
Date: 2020/10/25 06:37
 えー本日はお日柄も良く。という感じで迎えた祝日の天候は晴れ。
 雲一つ無い快晴です。そもそも、この大陸の天候に曇りというものは存在しないけれど。雲という単語自体、この国の人々は知らないのではないだろうか。使用されている言語にはちゃんとあるけど、雲って単語。
 どういうことかというと、この世界は惑星環境から脱出して衛星――月に着陸した樹木型宇宙船の甲板に人が住み着いていると言えるわけだ。月は惑星と違って大気などはない。全て宇宙船世界樹号が甲板の人々に日光の代わりや雨水の代わり、そして空気を用意してあげなければいけないのだ。
 よって、天気はシンプル。晴天か雨天。嵐や台風など存在しないという、なんとも人が生きやすい環境なのだ。もちろん、嵐なんて代物を知っている人はこの世界にはちょっとだけしかいないのだ。そのちょっとだけの存在は、旧惑星から脱出して千年単位で生き続けている伝説の魔術師だとか、億年単位で生きてる神獣だったりするわけだが。

 世界の天気は世界の中枢『幹』の気象部が管理している。どの地域がいつ晴れて雨が降るかという予定は『幹』からその地域の管理者、すなわち国の王族へと伝えられ、国は国民に天気予定表を配布するというわけだ。
 そして国の王族さんは年に何日か領地の天気の変更を『幹』へ融通してもらう特権を与えられている。『幹』の天候管理は優秀で、作物が日照りにあうことはまずない。ではどういうときに天気を融通してもらうかというと、国の定める祝日を晴天にしてもらうのだ。
 国の定める祝日というのは祭りや催し物が行われることが多い。「休日」ではなく「祝日」。すなわち何かを祝う日のことである。
 そんな祝日が、今日この日なのだ。

 今日はケーリの日という祝日だ。ケーリとは梅を少し大きくしたような実をつける樹木のこと。
 青いままの果実は林檎のように少し酸味のある爽やかな味。収穫後熟して赤黒くなると、蜜の混じったとろけるような甘さになる。
 王都ではこの時期、そのケーリの実を花の蜜を集める蟻の巣から採取した蟻蜜と一緒にビンに詰める、ケーリの蟻蜜漬けが日持ちのする特産品として売り出される。
 そう、今この時期は国中でケーリの実の収穫が行われている。今日の祝日も、ケーリの収穫を祝って行われた村々の収穫祭が始まりとなっているのだ。

 王城から城下町へと繰り出せば、商店街を中心にケーリの実を大々的に売り出すケーリ祭が開催されているのを目にすることだろう。
 私もケーリと砂糖と向日葵麦の蒸留酒を買い込んで、梅酒の手順でケーリ砂糖酒を漬け込みたいところである。

 しかしそんな華やかな祝日も、一日訓練で終える予定なのが悲しいところだ。
 でもロリコンの魔の手から逃れるのと、カーリンの恋を成就させるためにも、今日この日を逃すわけにはいかない。何せ相手は近頃激務が重なっているという緑の騎士団の騎士さんなのだ。

 天気は良し。季節は日本でいうところの秋。運動するには良い気温だ。
 配役も良し。騎士ヴォヴォはすでに練兵場へとやってきており、カーリンも配置についている。
 場所も良し。王城内の練兵場の予約は侍女長に相談したら簡単に取れた。近衛達は祝日で休暇を取っているのだろう。

 恋のバイオレンス系トライアングル魔法大作戦開始である!

「まずは柔軟から始めましょう」

 騎士ヴォヴォに指示をしながら柔軟を始める。訓練前の柔軟は彼にとってはあまり馴染みがないだろう。騎士団ではせいぜいがラジオ体操的な軽いストレッチ程度が前準備のようだ。
 だが、私は前世の日本で覚えた、本格的な柔軟体操を訓練前に徹底的にやる。そうした方が良いと日本人時代に聞いたことがあるようなないようなそんな気がするからだ。
 あ、カーリン、彼の柔軟を手伝ってあげて。
 うんそうそう背中をぐいーっと。
 ん、私は大丈夫。十歳ボディが元だからヨガのポーズだって楽勝よ。

「よし、ここまで」

 しっとり肌着が汗ばむ程度にじっくりと柔軟したところで、立ち上がる。
 練兵場は芝生ではなく土が敷いてあるので、手でお尻を叩いて砂埃を落とす。ああーなんか前世の小学校時代を思い出すわぁ。

「ではまず、十分程度組み手を行いましょうか」

 用意しておいた木剣を手に取り、向かい合う。ちなみに私の木剣は特別製。衝撃吸収の魔法を重ねがけしており、殴っても怪我をしにくいスポンジ剣状態になっている。ただし魔人としての怪力を発揮した状態での打撃で怪我をしないかは、保証しかねます。
 ちなみに十分と言ったがあくまで日本語訳。時間の単位が地球と同じということはない。

「行きます」

 彼が構えを取ったところで、合図をして組み手を開始する。
 彼の取った構えを見る。かつての合同訓練でも見た、二本の木剣を使う二刀流だ。
 二刀流とは言っても、日本人が侍をイメージするあれとは違う。利き手には片手持ち用のショートソードサイズの木剣。逆の手には、防御を目的としているのであろう短剣サイズの木剣を持っている。
 おそらく対人用の剣技の使い手なのだろう。盾ではなく短剣を防御に使う剣技は、人の数倍の体格を持つ巨獣相手には通用しない。
 だがその構えは美しく洗練されていて、家屋サイズの巨獣であろうとも軽々と屠ってしまいそうな剣気を感じ取れる。
 彼はただの正騎士ではない。何気に緑の騎士団の役職持ちなのだ。青の騎士団と違って強ければ偉くなれるというわけではないが、この国の騎士団は実力主義の傾向が強い。
 幼い頃から戦いを学んだのだろう。二刀などという変則的な武器を使っているが、槍を持たせても棍を持たせても全て見事に扱ってみせるはずだ。武術の熟練者としての風格がそこにはある。

 だが、それだけだ。

「覇ッ!」

 勢いよく踏み込んで、なぎ払い。
 私の取った、たったそれだけの行動で彼は吹き飛んだ。

「くっ……」

「立ってください。次!」

 構えを取るのを見た瞬間、踏み込み木剣を振るう。再び倒れる騎士。

「次!」

 構え。走る。側面へ回る。騎士は反応したが身体が追いついていない。突いて倒す。

「立ちなさい! まだ三分と経っていないぞ!」

 体術を交えず純粋な剣技で圧倒すること十分間。最初の組み手が終わった。
 結局彼は一度も剣を振ることすらできずに終わったのだった。

「座ってよし!」

 合図と共に、崩れるように騎士ヴォヴォは地面へとへたりこんだ。
 息は整っている。体力はまだまだ余っているようだ。だが、何もできずに終わったという、精神的なダメージが大きいのだろう。

「弱いな」

 私の言葉に、目に見えて落ち込む騎士ヴォヴォ。だが違う。

「君が弱いのではない。騎士が弱いんだ」

 ああ、そういえばテンション上がって敬語が取れてしまっている。これだから発声魔法は使いにくいんだ。
 でもいいか。勤務時間外だし。

「正直に言うと、この国の騎士は弱い! 例外は近衛騎士団くらいだ」

 とりあえず言葉を続ける。ここからが今日の訓練(建前部分)の本題だ。

「前に私が参加した合同訓練を思い出して欲しい。私は剣技らしい剣技を青の騎士団長以外に使っていなかった」

 そう。ずどーんどかーんずばーんと大雑把になぎ倒していた。繊細な技量の駆け引きなんて全くなかったのだ。

「騎士達は、確かに武器を扱う技術は悪くない。日々の修練に裏打ちされた素晴らしい剣だ。しかし皆、私に力負け、速度負けしてしまっているのだ。これは私が怪力の魔人だからというわけではない」

 そこまで言うと、私はぐっと身体に力を込めた。身体の奥底、深い深いところにある何かを押し出すように力む。
 すると、身体の表面から光り輝く空気のようなものが湧きだしてきた。

 そう、これは闘気である!
 英語で言うとオーラである!

「青の騎士と緑の騎士は闘気の扱いが未熟!」

 闘気とは人間の持つ霊的――魂的な生命のエネルギーである。
 生命力とでも言えばいいのか、肉体の奥底からひねり出すことのできる不思議パワーだ。
 不思議とは言っても原理は解明されている。人は生まれるとき、そして死ぬとき、世界樹と魂のやりとりをする。魂を世界樹から与えられなければ、この世界に生きる人間は生まれてくることすらできない。生きている人間は、みな身体に魂を宿している。肉体に宿っている魂は、肉体をよりよく動かそうとエネルギーを作り出す。それが闘気なのだ。

 人間は他の生物より魂の力、闘気を作り出す力が優れている。世界樹が生命力溢れる生き物として人間を特別扱いして生み出してくれているからだ。そういう点を考えると、前世の地球に生きる地球人と、この世界樹に生きる世界樹人は似ているようで実は違う生き物なのだとわかる。

「どうして今の世代の騎士達はこんなにも闘気の扱いが未熟なのか、何故か解るかヴォヴォ君!」

「騎士レイが飛竜事変で討ち死にしたから、ですかね」

「うむ、遠因はそれだな」

 騎士レイとはかつてこの国に存在した、闘気戦闘の達人である。
 その特徴は、とにかく強い。
 彼がどれくらい強いかというと、「強さ」のみで成り上がれる青の騎士団の現騎士団長、その彼より強い私のざっと五倍は強い。
 騎士レイが生きている頃、ちょっとした縁で手合わせをしたが数秒で叩きのめされたことがある。
 その強さはこの国だけでなく世界へと届いており、悪の化身を退治する人類最強の存在である「勇者」一行のパーティ入りをしても問題ないとまで言われていた。

 そんな彼だが、その最期は竜との相打ちという壮絶なものであった。
 七年前、世界樹が北の山に飛竜を生み出した。
 その竜は二匹のつがいだった。そのうちの一匹が街を襲撃しようとしたときに、その場に居合わせた彼が一人で竜を撃退したのだ。そのすごさは、残ったもう一匹の竜と戦った私がよくわかっている。
 あの竜達には再生能力があったのだ。それを彼は誰の助けも得ずに一人で殺しきってしまった。人間という生物が手足や武器を使ってできることの範疇を超えている。闘気というものが、いかに奥深いかよくわかるエピソードである。

 騎士レイは竜を殺したが、戦いの最中に負った傷は重く、魔法治療を行える魔術師が近くにいなかったため無情にも命を落としてしまったという。
 彼の下では多くの騎士や騎士見習い達が闘気の使い方を学んでいた。彼は闘気戦闘技術――気功術の教導官的な立場だったのだ。
 しかし彼の死から二年後。王太子が新国王となったばかりの頃、何があったのか、彼の教え子達はみな騎士を辞め「己の力を試す」と言い残して遠い新大陸の開拓者になってしまった。謎である。
 こうして騎士レイの死をきっかけに、強力な闘気を使う騎士一派が一つ消えてしまったという過去がある

「世代交代による訓練法の見直しで、気功術よりも武器を扱う技術が重要視された結果、武器全般を使いこなし、極めるまで気功術は最低限だけ身につければ良いという風潮が生まれてしまったのだ」

 戦いの実力を重視する青の騎士団は新国王の体制に合わせ人事異動を行っていたが、騎士レイの一派の出奔により世代交代に失敗。緑の騎士は元々騎士の家による世襲制が多いため、優れた気功術の教導官の不足により騎士見習いや準騎士達が効率的な闘気の扱い方を学べず、若い世代に闘気使いが育たないという事態に陥ったのだった。
 騎士は兵士と違い、貴族社会の出身者がほとんどだ。つまり絶対的な数が少ない。一度の世代交代でごっそり顔ぶれが変わるのも珍しくないと聞く。
 さらには「気功術は貴族の武術」というこの国の風潮があるせいで、魔物と戦う『庭師』などの市井の実力者達も、闘気ではなく魔法戦闘ばかり覚えている始末。
 結果、現状のこの国で気功術を万全に扱えるのは、既に隠居を決め込んだ引退騎士ばかりという有様になってしまっているわけである。
 騎士も魔法を使って戦えばいいかというと、それもまた違う。国に所属する戦闘員で魔法を使って戦う人材は、魔法宮という部署が一手に管理している。才能がものをいう魔法戦闘員は騎士よりも一段上のエリート官僚扱いだ。

「というわけで、本日は闘気の使い方、すなわち気功術を重点的に訓練する!」

 騎士ヴォヴォに向けてそう宣言を行う。ちなみに私はそれなりに闘気を扱える。父から学んだ部族の戦いは闘気を使うものだったからだ。とはいえ生まれつき魔人として身体能力に優れており、魔女から受け継いだ魔法のほうが気功術より便利なので、さほど闘気の造詣は深くないが。
 しかし、戦闘に魔法を用いない騎士は闘気が生命線だ。
 私は以前、騎士ヴォヴォに言ったことがある。強くなりたいなら気功術を特に学べと。割と真っ当なアドバイスだったのだ。
 騎士レイ一派がいないとはいえ、闘気を学ぶ方法はいくらでもあるだろう。今の騎士団が気功術より剣技を重視しているのは、指導者不足もあろうが、対人戦闘に役立つ剣技を重視する風潮が存在するのもあるのだろう。
 闘気だけ使えても、身体能力が高いだけのバーバリアンになってしまうからなぁ。

 十の闘気を扱える剣の素人と、十の剣技を扱える闘気の素人が戦うと、まず剣技の使い手が勝つ。
 しかし、闘気の習熟がある一定段階を超えると、途端に剣技の使い手が勝てなくなる。闘気の使い手が人間の範疇を超えた超人になるためだ。しかしほとんどの気功術の使い手がその一定段階を超えられない。なので多くの兵士を育てようとする場合、どうしても剣や槍などの一般的な武術を重点的に学ばせようとしてしまうのだ。

 ただし、私の動きを目で追えるのに身体の動きが付いてこられていない彼には、闘気で身体を強くする技術が必要だ。
 彼は歩兵剣総長。超人となることを期待されている人材である。
 この国の騎士団が抱えている問題。それはまさに決戦兵器たる超人不足である。超人の一人である私からすると、この国の騎士は弱く見えるのだ。主観的じゃなくて客観的に他の国と比べた場合は? さあ。この国が強いのではないかな。

「闘気とは、何か? 世界樹の加護により、植物の力を帯びた魂と肉体が作り出すパワーだ!」

 腰に手を当てて、騎士ヴォヴォに向けて力説する。
 世界樹人の秘密。魔法的な解析によると、人間は動物よりも植物に近い。闘気とは魂の作り出すエネルギー。魂の源は植物エネルギーなのだ。

「ヴォヴォ君、ぶっちゃけ君、肉ばっかり食ってるな! 肉食だな!?」

「あ、はい」

 彼は首都圏勤務の騎士だ。首都圏近郊では、首都での消費を目的とした畜産業が盛んである。
 都市郊外に牧場があり、そこでは子象ほどに大きな巨獣が、食肉目的で飼育されている。よく肥え太るように、穀物を混ぜた飼料を豊富に与えているらしい。

 中世ファンタジー世界で食肉用に飼料を使って大型動物を育てるとは、なんと贅沢なことだろうか! 地球の中世時代の麦は、一粒から生産できる麦の粒の量が現代とは比べものにならない程少なかったという。
 しかし、この世界は歴史で見ると地味にSFじみた時代である。農家が育てている作物の多くは、旧惑星で品種改良を受けたものの末裔であったりするらしい。
 さらに、この世界の天候は完全に管理され日照りはなく、さらにこの国は世界樹の枝から生えてくる恵みが栄養豊富な土壌と水という農業大国。家畜を育てる飼料が作り放題の飽食の国なのであった。

 首都に住む人は肉ばっかり食べている。美味しいからね、専用に育てられた肉は。
 逆に魚は川魚が少々、湖魚の干物がごくごく少量。海はそもそも世界に存在しない。

「騎士になってからは肉をよく食べますね。筋肉付けなければいけないですから」

「それがいけない。肉ばっかり食べるな! 野菜を食べろ! 温野菜じゃなくて生野菜だ! サラダ野郎になれ!」

 野菜は大事である。
 別にビタミンがどうこう緑黄色野菜がどうこう言っているわけではない。
 闘気は植物エネルギーなのだ。植物、すなわち野菜や果物をいっぱい食べることで、身体の魔法的属性をより植物に近づけて、闘気の生み出しやすい身体になるのだ。
 サラダ野郎とは、『庭師』の間で闘気使いに付けられるあだ名の一つだったりする。

「闘気は生野菜を食べることで肉体に宿るのだ。近衛騎士団は毎朝山盛りのコボロッソの千切りを食べているぞ!」

 コボロッソとはキャベツやレタスのような葉野菜だ。白菜ほどは肉厚ではない。
 千切りにしたコボロッソに酢の利いたドレッシングを少々。それを毎朝モリモリ食べる。肉も好き嫌いせず食べる。
 私が王太子時代の国王と一緒に近衛騎士団を作っていたときに教えた「闘気の使えるマッチョ騎士への道」の教えだ。最強の近衛騎士団は私が育てたって誇っても文句は来ないと思う!

「この国は農業大国だ。いつでも容易に新鮮な野菜を手に入れられる。高級な塩漬け野菜などに頼る必要なんてないのだ」

 感心したように頷く騎士ヴォヴォ。
 彼もまさか訓練中に食生活の指導を受けるとは思っていなかっただろう。

「そういうわけで、本日の訓練中、水分補給は全て野菜ジュースで行う」

「え……」

 さて、ここからが今日の本番だ。

「カーリンよろしく」

「は、はいっ!」

 私に呼ばれて、カーリンがお盆を両手に持ちながらこちらへと歩いてくる。
 お盆の上には、コップ一杯の野菜ジュースと、汗拭き布が載せられている。
 カーリンが騎士ヴォヴォにコップを渡すと、彼はどうもとお礼を言ってぐいと勢いよく野菜ジュースを飲み干した。

 今日は一日、カーリンにつきっきりでヴォヴォの世話をしてもらう。
 なお、カーリンが渡した一杯目の野菜ジュースには、こっそり魔法薬を盛っている。
 高位の魔術師が修行を行う際に飲む合法的な魔法薬だ。この王城の魔法宮の宮廷魔法師団でも、幹部魔術師が修練用に常備していると聞く。
 繰り返し言う。これは合法薬である。
 ただし、無断でこの薬を盛るのは合法かどうか非常に怪しい。しかし魔法薬を使って己を鍛えるのは、騎士でも役立つ修行法なのだ。わかってくれるかい? わかってくれるね。

「さあ、いくぞ! 日が落ちるまで徹底的に訓練だ!」

 魔法薬を用いた精神改造訓練、キリンズブートキャンプワンデイバージョン。私はこの手法で彼のようなロリコン『庭師』を改心させたことが何度もある。
 ちなみにブートキャンプとは、前世の私が日本にいた最後の時期に流行していたダイエット法のことである。



◆◇◆◇◆



 訓練は続く。
 練兵場は中々酷い有様になっていた。私のしごきに、騎士ヴォヴォが胃の中のものを何度も吐き出して、そこらの土が嘔吐物で汚れていた。
 もちろん、吐いても野菜ジュースの摂取を止めさせることはしない。闘気を大量に消費するときに野菜を摂取することで、食物から植物の力を引き出しやすい体質になるのだ。理想的なサラダ野郎は一日五食サラダを食べる。
 意外だったのが、騎士ヴォヴォのスタミナが相当あったことだろうか。闘気は完全にガス欠状態で少しもひねり出せないというのに、ノックアウト上等な組み手で何度も立ち上がってきたのだ。結果、長時間の休憩も少なくなりさらなる嘔吐が土を汚すことになった。

 ああ、訓練終わったら私一人でここを掃除するのかぁ……。カーリン手伝ってくれるかな。
 あ、駄目だ。好きな人の嘔吐物を喜々として始末する、アブノーマルな性嗜好に目覚めかねない。

 とにかく、この惨状の通り徹底的に訓練を課した。きっと今夜は血尿が出てげっそりしてくれることだろう。治療魔法は適時かけてあるが。
 加減はしなかったので、きっと私への恋心は消えてなくなるはずだ。私のことを華やかな幼女剣士として見れなくなる。厳しい訓練を課す鬼教官として精神に刻み直されていることだろう。
 そして魔法薬の効果が切れ正常に戻ったとき、彼は気づくのだ。
 訓練の最中、甲斐甲斐しく自分のことを世話してくれた可愛らしい下女がいたことに。
 時は夕刻に近づいている。昼食は取っていない。当然だ。薬が切れるまでそんな優しさを見せるわけにはいかない。そしてカーリンが彼の唯一の癒しなのだ。

「よーし休憩ー」

 衝撃吸収の魔法がかかっている木剣で騎士ヴォヴォを空高く打ち上げ、小休止を入れる。
 おっと、頭から落下してきたぞ。受け身も取れないのか。仕方ないので地面すれすれで蹴りを入れて、背中から落下するようにしてあげた。

「いやあ、遅れた遅れた。すまんね急に事件があってね」

 休憩に入りカーリンから水を受け取っている最中、来客があった。
 そうだ忘れていた。緑の騎士の副騎士団長さんが午後から訓練を見に来るはずだったんだ。
 時間はすでに訓練終了予定時間が近づいていた。用事が入って来られなくなったが、顔だけ見せに来てくれたのだろう。前控え室で、祝日の訓練の後は飲みに行こうかなんて騎士ヴォヴォと話していた。
 しかしごめんなさい。彼、今日はもう固形物食べられないと思います。

「おおこりゃこってり絞られたなぁ」

 練兵場の惨状を見ながら苦笑する副団長。
 まあ苦笑もするだろう。嘔吐し続けて続ける訓練なんて、身体を壊すだけだ。こんなことを連日続けたら確実に壊れてしまう。
 でもご安心ください。キリンズブートキャンプは地獄の苦しみを代償に、闘気の扱いが飛躍的に向上する実績ありです。魔法を戦闘に使うタイプの騎士さんでも安心。闘気の代わりに魔力の使い方をみっちりお教えできます。

「ほらほら起きろ。この程度、新兵訓練の頃に経験してるだろう」

 地面に仰向けになって倒れている騎士ヴォヴォを無理矢理起こす副団長。彼女もなかなかスパルタだなぁ。
 副団長に上体を起こされ座り込んでいる形の騎士ヴォヴォ。なにやらどこか意識がぼんやりしている様子。
 おや、魔法薬が切れてきたな。
 よしいけカーリン!ゴー介護ゴー!

 私の合図に、カーリンがてとてとと走り寄る。甲斐甲斐しく顔の汗を布で拭いてやり、そして私が飲むために用意していたはずの果実水を渡して、口に含ませてあげていた。
 甲斐甲斐しいなぁカーリン。彼もここは野菜ジュースのようなこってり味ではなく、果実の混ぜられたさわやかな水が欲しかったところだろう。まあ果実にも植物の力は宿っているので、どろどろ野菜ジュースじゃなくて果実水でも問題ないんだよね。濃い方が良いのは確かだけれど。
 あ、副団長、カーリンの存在にいまいち気づいていないからか、水を飲んでいる騎士ヴォヴォの背中をばんばんと叩いている。うん、やっぱり咳き込んだ。水飲んでいる最中にそういうことしちゃだめだね。

 咳が止まり、大きく深呼吸を行った騎士ヴォヴォは、意識もはっきりしたようでげっそりとした顔に戻っている。様子を見るに、まだ体力は残っているようだ。時間終了まで鎧を着たままシャトルランでもしようかな。
 ちなみに今日は私も胸鎧を着込んでいる。野菜ジュースと魔法薬以外は全て彼と同じ条件で訓練している。野菜ジュースを飲み続けるのはさすがに無理。幼女ボディだからすぐ胃がたぷたぷになってしまう。

「副団長」

「あん?」

 地面に座り込みながら、何かを呟く騎士ヴォヴォ。

「どうして気づかなかったのでしょう……私は自分が恥ずかしい」

「何言ってんだお前」

「若さこそ美、強さこそ美、そんなのただのまやかしでしかなかった……」

 本当に何を言っているんだ、という顔で呆れ返る副団長。
 でも彼を見捨てないであげてください。彼は今、魔法薬を用いた修行から解放され、性というものに一つの区切りをつけているのです。一つの性癖というものに別れを告げているのです。
 ――そう、それが修練によって魔術師達が到達する、真理の一つなのだ。そして残るのが性愛をそぎ落とした慈悲深い愛なのだ。頑張れカーリン。そこで笑顔を見せるんだ。
 彼はロリコンという性癖から今解放された。でもすでに魔法薬の効果は切れている。カーリンの可愛らしさで再度彼をロリコンの道に引きずり込むんだ。戦う幼女ではなく、ご奉仕少女の性嗜好を植え付けるんだ!

「よし!」

 私が心の中でロリータ下女カーリンに声援を送っていたところで、騎士ヴォヴォは気合いを入れるように声を上げて頬を両手で叩く。そして勢いよく立ち上がった。
 立ち上がると同時に見事に足元がふらついていたが、見なかったことにしておこう。

「セトさん、続きをお願いします」

「おお、やる気出してるな」

 私の呼び方がセト姫からセトさんに変わった。地獄の訓練の効果はあったのだろうか。
 最後の最後、そんな彼の瞳には強い光が宿っていた。魔法薬の効果から解放され、果たして彼は何を見たのか。木剣を両手に持ち気合い十分といったところだ。

「では、最後だ。夕刻の鐘が鳴るまで、練兵場の外周を全力疾走。私が後ろから剣を持って追いかけるから、少しでも速度を緩めたら張り倒されると思え」

 私が告げた最後のメニューに、彼の決意の顔はくしゃくしゃに歪んだ。



◆◇◆◇◆



 その後、騎士ヴォヴォが私を口説いてくることはなくなった。

 彼に飲ませた一杯目の野菜ジュースに盛った魔法薬。あれは一時的に性欲を破壊する薬だ。
 上級魔術師というのは古来、「性」という縛りから抜け出し、精神を仙人的な存在に作り替えることを至上としている存在なのだ。その「性」から抜け出すために、初歩段階であの魔法薬を用いた修行を行うのだ。
 つまり彼は訓練の間、私のことを「女」として見ることができなくなっていた。
 そんな状態で私が地獄のような訓練を彼に課したらどうなるか。
 血反吐を吐き、血尿が出るような訓練の後に薬が切れたとして、彼は果たして私を前と同じように可憐な戦う幼女として見ることができるのか。苦しい訓練の記憶が思い起こさせられる私の姿が、姫に見えるか蛮族に見えるか。
 ちなみに彼が万が一ドMだったとしても、薬の効果で性的なものに近い快感を得ることができないため、苦しみはそのまま苦しみとして味わうことになる。そしてそんな地獄の最中、彼は天使を見るのだ。甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる美少女カーリンという天使を。

 あの訓練の後も王城内で彼と幾度か会ったというカーリンが言うには、私への恋愛感情は彼の中から見事に抜け落ちたということだ。
 私も一度彼と顔を合わせる機会があったが、彼が私を見る目には怯えのようなものが見事に宿っていた。
 ただし、前とは違う純粋な敬意のような態度も混じっていたように感じる。あと毎朝山盛りのコボロッソを食べるようにしたとのこと。
 ともあれ、彼の恋愛対象から私を外す、フラグ折り(物理)は無事に成功したようだった。祝日を一日潰した甲斐があったというものだ。

 さて、ここでもう一つ後日談をしよう。

 騎士ヴォヴォの保護者的な立場で二度私と顔を合わせた緑の騎士の副団長。彼女は緑の騎士にありがちな地方騎士の家の出身だった。
 彼女は一人っ子であったらしく、実家からは結婚、そして世継ぎを強く望まれていた。
 職場は周りが男の騎士だらけで結婚も楽かと思いきや、仕事が順調すぎて功績を立てた結果、結婚適齢期には幹部の座に収まってしまっていた。そしていつのまにか副団長という地位に就いてしまい、なかなか恋人ができず歳も三十過ぎに。騎士社会は上下関係に厳しく、上司を恋愛対象として見れない男達ばかりだったのだ。
 そんなこんなで、貴族の次男三男との見合い婚でもするかと思っている矢先のこと、可愛がって育てていたエリート幹部騎士が突然求婚してくるという事件が起こった。
 これを好機と見た副団長は、幹部騎士の求婚を受け入れ、即座に婚約を発表した。
 そして婚約の発表から十日も経たずに結婚式の日取りが決まったという。見事なくらいのスピード婚だった。

 ちなみに、この副団長に求婚を申し込んだ幹部騎士というのが、緑の騎士団歩兵剣総長。私の地獄の訓練をくぐり抜けた騎士ヴォヴォである。
 魔法薬としごきを用いて私を恋愛の対象から外し、解放されたところで新しい愛に目覚めさせる恋のバイオレンス系トライアングル魔法大作戦。失敗なのか成功なのか。

「まあ、一組のカップルの未来を作ったんだ。私の作戦も失敗じゃなかったってことかな」

 新人侍女の一ヶ月間の研修が終わり、侍女宿舎の自室でお祝い会を開いているときのこと。カヤ嬢から話された騎士ヴォヴォの恋の結末を聞き、私はそうコメントを返した。

「どう考えても失敗ですよ!」

 またもや侍女宿舎に入り込んでいるカーリンがツッコミを返してくる。
 彼女の視点からすれば甲斐甲斐しく世話を焼いていたところに、遅れてやってきた副団長に横からかっさらわれた形なわけだ。何あの泥棒猫! って感じだろう。
 まあしかしだね。

「私からすれば、彼につきまとわれなくなりさえすれば正直解決だったから、問題なし的な?」

「問題おーおーあーりーでーすー!」

 床を転がって地団駄を踏むカーリン。
 彼女もすっかりこの部屋の土足厳禁の素足スタイルに慣れたものだなぁ。
 そんなお子様カーリンの様子を無視して、ククルが私達の話題に乗ってきた。

「でもなんで騎士さんは副団長さんを選んだんでしょう。作戦に穴がありすぎるのでカーリンを選ぶのはまずないとして」

「まずないってなんでですかー!」

 今度はククルにツッコミを入れるカーリン。
 今日のカーリンはツッコミが忙しいなぁ。まあ私達がカーリンの失恋を弄って遊んでいるだけだが。

「そこは私も気になるな。カヤ嬢知っているかい?」

「ええ勿論」

 恋愛マイスターカヤ嬢はばっちり事情を知っているようだ。本当、この子の情報網はどうなっているのだろう。
 カヤ嬢が語るには、騎士ヴォヴォは元々副団長に特別可愛がられていたらしい。次期副団長候補として育つよう、仕事や訓練を特別にあてがわれていた。確かに登城控え室で副団長がそんなことを言っていたな。
 だが、騎士ヴォヴォはその副団長の気づかいに気づかず、ただの一騎士として日々を過ごしていた。ただ、剣技の才能があり家柄も良かったためか、大きな苦労もすることなく歩兵剣総長にまで登り詰めることはできた。

 だがある日、さる高名な人物から特別な訓練を受けることになった。
 その訓練で、彼は様々なことを学び、気づかされた。過去を振り返り、副団長の日々の心遣いを知った彼は……副団長に恋をしてしまった。
 実直な彼は、すぐさま副団長へ求婚した。そのときの彼の顔は、いっぱしの騎士の顔になっていたという。

「さる高名な人物は、キリンさんのことですわね」

 なんだそりゃ。

「訓練で様々なことを学び気づかされたって、要は私のしごきがきつくて副団長の普通の訓練が恋しくなったってだけだよな……」

 そんな私の感想。

「自分に優しくしてくれる人に惚れたんだねー」

 そんなククルの感想。

「私も訓練中いっぱいいっぱい優しくしましたよー……」

 そんなカーリンの感想というか嘆き。

「そこはほら、年季の差ね」

 嘆きに対するカヤ嬢のその言葉に、ショックを受けたように崩れるカーリン。
 訓練中に優しくするだけではポイントが足りなかったか。まあ男がみんながみんな、雑貨屋の美人店員さんに手渡しでお釣りを受け取って、一目惚れするような人間ばかりではないということだな。
 作戦が甘かった。いやあすまないすまない。
 ……実はもう一つ、カーリンが恋破れた理由の予測が立っている。極限状態まで消耗した騎士ヴォヴォは、存在感の薄いカーリンのことを認識できなくなっていたのではないかと。肉体的な何らかの器官で彼女を認識していたならありえる話だ。まあ黙っておこう。
 私を彼の恋愛対象から外したところで、皆平等よーいどんといけばカーリンにも勝機はあったのだろうけれどね。

「一目惚れも良いけれど、日々の思いの積み重ねによる恋はやはり素晴らしいものだと思うわ」

 そんなカヤ嬢のコメントでその場はまとまったのだった。

「横恋慕はさすがに駄目ですかねー」

 ……まとまったことにしておこう。



 性癖改善バイオレンス系トライアングル純愛恋愛事情<完>



[35267] 18.王宮と私
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2021/09/10 02:14
 堅牢な城壁に囲まれたクーレンバレン王城。その中心には、古い石造りの宮殿がそびえ立っている。幾人もの政務官達が政治ドラマを繰り広げる国の中枢部である王宮だ。
 そんな王宮の内部、厳しい警備をくぐり抜けたその奥に、王室、いわゆるロイヤルファミリーの居住区がある。

 初秋の季節の一ヶ月間を研修生として過ごした私、新米侍女キリンはただ今、どういうわけかその王室居住区内のとある一室に足を踏み入れていた。
 古さを感じさせないまばゆく磨かれた石の壁。
 巨獣の毛皮で作られたふかふかの絨毯。
 見るからにお高そうな数々の調度品。
 部屋を隅々まで照らすガラス造りの魔法照明具。
 年季を感じさせるシックな色合いの執務机。
 このいかにもな部屋。前世地球の西ヨーロッパ周辺の空気を僅かながらに感じる、こてこての高級アルイブキラ様式の部屋の主は、誰あろうアルイブキラ王国の国王陛下である。

 この部屋が何の部屋かは聞かされていないが、部屋の隅に本棚がいくつも置かれ書簡が隙間無く並んでいるところを見るに、国王が行政の仕事をこなす執務室ではないかと予想できる。
 そんな国の重要区画で、何故か私は部屋の隅に備え付けられたふかふかの椅子に座っていた。そして対面には、ガラス製のテーブルを挟んで国王陛下が足を組んで同じような椅子に座っている。

 不思議な状況である。
 私はただの新米侍女。正面におわすのはこの国の君主。
 日常ではありえなさそうなこの構図。……なのだが、実のところそこまで驚くような状況ではない。私と国王は昔からの顔なじみなのである。

 国王とは割と親しい間柄で、「若い頃に一緒に無茶をやった」的な、いわゆるマブダチってやつなのだ。そんな仲なので、私が王城に勤めることになった以上、国王からはなんらかのアプローチがあるかもしれないとは前々から思っていた。
 そのアプローチがあったのは今朝のこと。研修期間が終わり宿舎で待機状態になっていた私に、緊急の呼び出しがかかった。侍女長のもとへと向かった私を待っていたのは、なんと国王陛下自身であった。
 私の顔を見るや否や、昔の友人としてのノリで話しかけてくる国王。しかし、侍女長という第三者がいる手前、私はどういった態度を取るべきか返答に窮していた。そんな私を見かねたのか、随伴していた秘書官さんが王宮へと移動するよう促してくれ、こうして国の中枢奥深くまで足を運ぶことになったのである。

 友人だからと言って、仮にも王国の最重要施設の一つに気軽にただの一市民を連れてきていいものかはわからないが……。
 しかしまあ秘書官さん手ずからにお茶まで振る舞われているのだし、特に気にすることではないのかもしれない。

 しかし、待機状態だからとだらけず、ちゃんと侍女服を着ていてよかった。さすがに王宮に普段着を着てくるわけにはいかなかったから。
 王城の侍女服はフォーマルなドレスなので、王城のどこへ出ても恥ずかしくない格好なのだ。仕事中の着用が任意である侍女帽もちゃんと被っているので、限りなく貴族としての正装に近い状態だ。

 ただ、そんな私の対面にいる国王陛下はと言うと……なんというかフォーマルという言葉とはほど遠い格好をしていた。
 城下町の裏道にある酒場で、身を持ち崩しくだをまいている下級貴族の三男坊が着ているような服……わかりやすくいうと貴族風ヤンキーファッションをしているのだ。
 さらには、茶と緑の毛染めにより地毛の銀髪がまだら模様になっており、首筋からはこの国ではあまり一般的な文化ではない入れ墨が顔を覗かせている。
 アルイブキラ王国の頂点に君臨する王室。その代表者である国王。そんな重鎮だが、実のところ……ぶっちゃけて言うとチャラいのである。
 そう、国王陛下の見た目は、前世の日本風に言うとチャラ男なのだ。

 国王と私はお互い若い頃にやんちゃした仲。つまり、今は特に若くないというわけで、もう二十代も後半にさしかかっている。それなのにチャラ男なのだ。
 王で二十代後半なら十分若い、と前世の感覚では思いもするが、この国の王は終身制ではなく、王位継承者が元気に働けるうちにさっさと王務に就かせるという制度で回っている。
 王は絶対的な権力を持つ孤高な君主ではなく、あくまで王室という行政区の代表者という位置づけだ。王が偉いのではなく王室が偉いのだ。
 なのでこの国の歴史からすると国王は、若いことには若いけどそろそろ落ち着いていい歳なんだから、といったところである。それなのにチャラ男なのだ。

 そんなチャラ男様であらせられる国王陛下だが……見た目とは裏腹に政治に対する姿勢は真摯だったりする。
 世界を駆け回る冒険者だった私と友人になった経緯も、政治家として市井の見聞を深めるという理由があった。宮殿に引きこもって錠前作りに明け暮れるような暗君ではないのだ。いや、実際のフランス錠前マンは暗君ではなかったけれども。
 そんな彼が今日私のところに姿を現わした理由も、旧友と仲を深めるだとかそういうものではなく、「人事発令」なのだそうだ。

 人事発令。どの部署に誰を配属しますよ、という布告だ。
 誰の布告? え、私の。いや確かに研修終わって配属待ちですが、新米侍女の人事異動にわざわざ国王が出張るわけが。

「めんどーなことにね、キミの所属先を巡って、女子官僚さん達の間で小競り合いが起きているわけ」

「マジですか」

「マジですよ」

 予想もしていなかった国王の言葉に、頭をひねる。
 ちなみに国王は見た目チャラ男さんだが、官僚や貴族のお偉いさんと話す機会が多い仕事柄、本物のチャラチャラした貴族のように相手に理解されない下町スラングで話したりはしない。威厳のない喋り方をするが。

「所属先を巡って……それは、来たら困るとかではなく?」

「ではなく。アタシんところに頂戴よぉーって。ヒスババァどもめっちゃ怖い」

 この国の貴族出身というわけでもなく、ただの侯爵家預かりでしかない私を、取り合いとな。
 それはつまり――

「ふふふ、世界規模で有名になってしまうのも困りものですね」

 これ、あれじゃないか? キャリアってやつ。
 一見関わり合いのなさそうな職業間の転職でも、上に行く人間は上に行く。まさしく本当のキャリアウーマン的な。
 日本の夜九時のドラマで主役になったりする役柄的な!

「や、なんか浸ってるところわりーけどさ、キリリンの取り合いに元『庭師』って経歴関係ないかんね?」

「えっ」

 ……関係ないの?
 え、それじゃあなんで私なんかを。一族の姫という身分……はこの国と関係ないしょぼい遊牧民族での話だし……。
 あ、まさか永遠に幼女の姿のまま歳を取らない私の外見を見初めて、人形的なコレクション目的で……。私が可愛いから……。

「トレーディングカードゲームの公式審判の資格持ちだからなー、キリリン」

「……なんですかそれ」

「なにって、カードだよカードォ。最近の貴人さん達は、こーきでゆーがで神秘的な儀式をねー、カードでやれるか競い合ってるわけよ」

 ……またカードかよ! もういいよ!
 確かにこの国はすごい宗教色の強い国だけどさぁ! もっと詩とか音楽とか生産的なもので競い合おうよ、国の文化的な将来のために!
 トレーディングカードゲームは生まれたばかりの宗教儀式で、伝統の重みも何もない新しい遊びだ。それがこんなに貴族社会に浸透しているだなんて。発売してからまだ二十年も経っていないぞ。

「商会の利権を感じる……」

 ボロ儲けじゃないかカード会社……。前世でトレカは、札束を刷っているようなものとは散々言われていたものだけど。
 まあそのカード会社の主は私の知り合いなのだが。下女カーリンの父、商人ゼリン。
 ちなみにカードの売り上げの一部が、毎月私の貸金庫に入ってきている。私はカードの仕組みを考えた原案の一人なので。

「キリリンさぁ、カードの他にもいろいろ事業広げてるよね。折り紙に漫画に推理小説だっけ?」

 ゼリンに伝えた商売の案が、何故か国王の口から飛び出してきた。

「あと城下町で買い物したら、綺麗な色紙に包んでくれるって話も聞いたなぁ。紙の需要、増えてるよねこれ。最近製紙ギルドが暴走気味なのは、間違いなくキリリンのせいだよね。……聞いてるー?」

「へっへっへっ、旦那なぜそれをご存じで……」

 国主様にばればれですよ私の副業履歴。
 この国の印刷技術の高さに目を付けて、前世知識を商人に渡して暴利をむさぼった私の過去がばればれだ。
 私には商才がない。しかしだからといって商売で儲けられないというわけではない。知識を形にして販売してくれる優秀な商人と組めばいいのだ。
 特許の概念がないこの国で前世の知識を活用するには、商人と直接手を組むというのは良い手段だった。
 しかし私が自分で直接商売をするわけではないので、関わった商人達がどう動くかはコントロールできるものではなく……。
 まいった、これはあまりよろしくない流れだ。

「紙の原材料知ってるかなーキリリーン」

「向日葵麦の麦わらでやんす」

「冬の農村って、寒いとき何燃やすか知ってるよねー」

「向日葵麦の麦わら炭でやんす」

「製紙ギルドが紙増産したらどうなるかわかるぅ?」

「あっしには何のことだか」

 テーブルごしに頬をぐにぐにと引っ張られる私。
 違うんです。知らなかったんです。他国と比べてやけに高い印刷技術の使い道を教えたら、まさか印刷業界じゃなくて製紙業界が活気づくなんて。印刷技術は国の魔法師団が独占していて、商人が稼ぐには紙の方で頑張らなくちゃいけないなんて知らなかったんです。紙の消費拡大が自然破壊につながるなんて地球人類の二十世紀的問題が、中世ファンタジー世界に飛び火するとか初耳なんです。

「商会経由で儲けた分はしっかりと税金納めてますよ?」

「そーいう問題じゃないよねえ」

 みょーんと私の頬を横に引っ張る国王様。ああ、今なんか、ギャグマンガみたいになっていないか私の顔。ゴムみたいに伸びてるぞ私のほっぺた。

「でも俺、心が広いからなー。国のためにマジ尽くしてくれたら許す気になる系かもなー」

「侍女として頑張ります」

「くるしゅうない」

 私の頬から手を離すと、国王は乗り出していた体を戻し椅子に深く座り直した。
 国王にとってはたいしたことではないのか、今話すべきことではないと判断したのか、それ以上私の商売に追及の手を伸ばしてくることはなかった。
 よかった。痛い腹を探られるのはあまりよろしくない。副業以外にも職業柄いろいろ無茶をしてきた。この国だけでも村をいくつか滅ぼしたり水の底に沈めていたりしているからな、私。

 そして、国王は部屋の隅にじっと直立不動していた秘書官さんに手で何やら合図をした。すると秘書官さんはこちらへと歩み寄り、テーブルの上の茶器で新しくお茶を淹れ始めた。
 この秘書官さんは、国王が王太子だった時代から仕えている人物で、私が国王と知り合った当時からずっと国王の側に控えていた人だ。
 国王はそんな秘書官さんがお茶を淹れる様子を横目で見ることもなく、足を組みながら正面にいる私に向かってまた言葉を投げかけてきた。

「話を戻すと、キリリンを宮廷の仕官担当にするとぜってーやばいから、そっちは無しね」

「左様で御座いますか」

 そうなるか。官僚付きは侍女の花形と聞いていたので、その道が断たれるのは少し残念だ。
 王城における侍女達の中でも特に家柄、教養、そして美貌に優れた者が選ばれるというのが女性官僚付きの侍女、前世日本の古い言葉でいうところの「女房」だ。前世で放送されていた大奥が舞台の時代劇で、そんな役職の人達がいたと聞いた気がする。主人の衣装を着替えさせたり、化粧をしたり……あ、私じゃ背の高さ足りない。
 この官僚付きがないとすると、一ヶ月の研修期間で学んだ範囲で付ける仕事となると、子守り、案内嬢、給仕、客室世話役といったところが残っている。城内での侍女の仕事はまだまだ有るようだが、侍女長から研修を命じられたのはこの程度だ。

「希望の部署はあるかな?」

「希望は通るのでしょうか」

「言ってみたかっただけー。人事担当官の仕事なんて、軍と騎士以外じゃ滅多にやらないからさー」

 この国の国王の主な仕事は、下から上がってきた意見に許可不許可の判断を下すのが大半だと聞く。
 誰から聞いたかというと、目の前の王様だ。昔散々ぼやいていた。

「実はどこいくかもう決まってるよー」

 その国王の言葉とともに、秘書官さんが一枚の紙をどこからともなく取り出してきた。そしてその紙を国王に向けて差し出す。お茶はいつの間にか淹れ終わっていた。国王のだけでなく、いつの間にか私の茶も新しく淹れ直されている。
 国王が受け取った紙には、国の公文書であることを表す細かい魔法紋様の縁取りがされている。紙はまだ真新しい。何が書かれているかは、こちらからは見ることはできない。

「パルヌ家女官キリン・セト・ウィーワチッタ。そなたを近衛騎士団第一隊宿舎『白の塔』及び同宿舎長の侍女として任命する」

 かしこまった言い方で国王がそう宣言した。
 近衛騎士団。この国で最も優れた騎士達が集まる組織だ。
 国王を守護する王室直属の部隊であり、その性質から王城敷地内に宿舎が設けられている。
 新米侍女である私の仕事先がその宿舎ということは――

「割と普通ですね」

「……あっれー? リアクション薄くね? 近衛騎士団だよ?」

「侍女としては特にこれといって問題点の感じられない勤め先かと」

「そうじゃなくてさぁ、俺とキリリン二人で作った最強の騎士団よ? 俺達の子よ? そこに侍女として仕えるとか何か感想無いの? ヤツラの下になんぞつけるかぁー! とかさ」

「私達の子とかやめてください。普通の仕事先です」

 さらりとセクハラかましてきたよこのチャラ男。
 まあしかし、何か無茶ぶりでもされるのかと思いきや、本当に普通の勤め先だ。知り合いも多いから何かとやりやすいだろうし。別に知り合いに仕えるからといって問題があるわけでもない。
 今までの経験上、てっきり戦う侍女隊を結成するのでメンバーになれとかそういう色物系でくるのかと思ったのだが。
 しかし特別な辞令ではないとなると、国王がわざわざ私に直接辞令をくだす必要はあったのか。

「この程度でしたら、侍女長経由の辞令でも問題なかったように見えますね」

「王様が直接来たらダメって? 友達なんだからいーじゃん」

 へらへらと笑いながら辞令の紙を振る国王。
 近衛宿舎への任命程度にわざわざ王が出張る必要はあったのか。彼は元々フットワークの軽い人間だが、特段現場主義というわけではない。人を適切に使うと言うことを知っている人間だ。何か意図が――いや、どうでもいいか。ただの侍女が考えるようなことでもない。

「そうですね、友達ならかまいませんね」

「そうそう友達なんだよ。だから今度また下町に飲みに行こうぜー」

「絶対無理ですね」

 王太子時代ならともかく、現国王が何言ってるんだ。

「駄目ー? いいじゃんいいじゃん、あ、駄目っすかそうっすか……」

 横に佇む秘書官さんに睨まれ、国王がしょんぼりと肩を落としてしぼんだ。

「こうやってね、歳を取ると若い頃の友情が消えていくと思うんだよね、でもキリリン、俺達ずっと友達だかんね」

 はいはいズッ友ズッ友。

「だからさ、友達のキリリンに一つ言っていい?」

「なんでしょうか」

「敬語キモい」

 ……侍女の立場全否定である。
 友人に必要以上にかしこまった態度を取るのはさすがにどうかと思う一方、侍女が国主にタメ口はどうよとも思う私の複雑な心情が理解されていない!

「確かに敬語を使うキリン殿は気持ち悪いですね」

 あ、秘書官さんからの思わぬ不意打ちが痛い。



[35267] 19.宿舎と私
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2021/09/10 02:17
 国王陛下自らの異動指示を受け取った翌日の朝。本日の天候は晴天。仕事日和です。
 というわけで、元気に挨拶から始めましょう。

「本日からこの宿舎でお世話になります、キリン・セト・ウィーワチッタです」

 王城の城壁内に設けられた近衛騎士団第一隊の宿舎、『白の塔』。その施設内のエントランスホールで、近衛騎士達一同の前で初の顔合わせの挨拶をする。

「若輩者ですがよろしくお願いいたします」

 顔見知りがいるとは言え、見た目十歳の幼女が侍女として仕えるのだ。幼すぎて、受け入れて貰えるかどうか――

「イイヤッタアアアアアアーッ!」

「女子だあああああ!」

「侍女! 侍女! 侍女! 侍女ァ!」

「王国に栄光あれ!」

 ええー、なんでこんなに盛り上がってるの……。
 ってうわ、騎士達が詰め寄ってきた。
 うわ、脇の下に手を入れて持ち上げようとしてる。
 うわ、持ち上がってない。

「重い! なんかこの子めっちゃ重い!」

「姫は魔人ぞ! 鉛の塊と思え!」

「一人で無理なら二人なら!」

「三人なら!」

「全員なら」

「うおおおおお!」

 ぎゃー、なんか胴上げされてないか私!?

「ちょ、やめ、止めろ。天井ぶつかる」

 その後もみくちゃにされること数分。昨日挨拶にうかがった宿舎長(近衛騎士団第一隊副隊長。旧友。名前はオルト)が皆を落ち着かせ、ようやく騒ぎは収まった。
 うわあ、まだ朝なのに騎士達の筋肉行使のせいで汗臭い……。
 しかしなんなんだこの唐突な騒ぎは。

「ちょっと引くわ……」

「言うな、姫」

 音声魔法で表層思考が思わず漏れた私の呟きに、宿舎長オルトがそう返してくる。
 なお、呟きは他の騎士にも聞こえたようで、騎士達の視線がまた私に集まる。く、これだからこの魔法は嫌なんだ。

「仕方ないんだ姫」

 騎士の一人が私に向かって言う。彼もまた古くからの顔見知りだ。

「今までこの近衛宿舎に侍女はいなかった……それどころか下女すら出入りせん!」

 拳を胸の前で強く握りながら騎士が大声で言った。
 体格が良いからか無駄に声がでかい。

「それは……なんでまた?」

「うちは小姓や見習いの従騎士を多く抱えてるせいで、外から小間使いを呼べなかったのだ!」

 なるほど、近衛内で必要な人材は十分揃っていたと。私の配属は割と例外っぽいからな。

「……あと無責任に下女孕ませたら大変だし」

「ああー……」

 うちの国王陛下は風紀にはやけに五月蠅いからなぁ……見た目はチャラ男なのに。

「なので普段女官の出入りがないので皆喜んでいるのだ」

「……見た目幼女でも?」

「幼女でも。もちろんもう少し年上の可憐な少女の方が嬉しいが! 侍女服を着たおなごがいるだけで十分贅沢なのだ!」

 まあ侍女服は可愛いからな。これは貴族の若い姫様が着ていそうなこじゃれたドレスなのだ。
 ただこの宿舎に可愛い成分が不足しているのかというと、どうだろう。ざっと周囲を見渡す。

「小姓さん達、可愛い子ではないですか」

「小僧どもがいるからといって何が嬉しいというのだ」

「そ、そうですか」

 第二次性徴期前の男の子なんて、性別なんてあってないようなものだと思うが。前世で私が男だった頃はどう思っていただろうか。
 …………。
 あ、ダメだ。そもそも現代日本は青年期以降に幼い子供と顔を合わせる機会って全然無かった。前世はあてにならん。あと前職の知識も当てにならない。線の細い女性庭師はたまに居たから最初から花がある。
 しかしなるほど、小姓では可愛い成分を補給できないか。衆道文化とかないからなこの国……。彼らが武士の時代の薩摩人なら可愛い小姓をアイドルとして祭り上げていただろうに。
 などと一人で私が納得していたところに、騎士がさらに言葉を続けた。

「あとはだな……身の回りに女が居るとは言っても女騎士はみな筋肉達磨だしな!」

 ぶっちゃけおった。周囲からも「違いない」みたいな賛同の声があがっている。女性騎士に失礼極まりないが、女性騎士はこことはまた別の宿舎で寝泊まりしているので聞きとがめられることはない。
 確かに魔術師などならともかく、騎士になるような女性はみんな体格が良いものだ。武器を振り回して鎧を着込むのだから当然だ。
 騎士ヴォヴォと結婚した緑の騎士団副団長殿も、槍と長剣の使い手で私が普段接している侍女達とは体つきが違った。先日彼らの一回目の略式結婚式があったため顔を出したが(この国の貴族は結婚式を数回にわけて行う)、ドレスを着た副団長殿はやはり肩幅が一般女性と比べて少し広かったのを覚えている。
 そんな女性騎士を見慣れている近衛騎士達の目から見ると、私のようなちんまりとした侍女はよほど可愛らしい対象として映るようだ。
 まあ筋肉のことを言ったら、私は全身金属的な筋肉でできているのだがね……魔人だから。



◆◇◆◇◆



 十年と少し前当時の王子――現国王は自前の騎士団を作るため、市政を駆け回って有望な若者達をスカウトして回ったことがある。その集めた武に秀でたメンバーが、今の近衛騎士団の中核を担っている。王子とある縁で知り合った私もその人材集めに付き合わされたものだ。
 その武に秀でた人材というのは、元庭師や元傭兵、農家の力自慢なんて面子も混じっている混沌とした集団だった。
 当然貴族の女性に縁のない者も多く、その中には王子と共に彼らを鍛えた私のことを貴族の姫様と勘違いした者がおり、いつの間にやら私のあだ名が姫だの姫魔人だのになっていた。

 私を育てた魔女から常に身だしなみに気をつけるよう言われていたため、農村の村娘と比べると当時の私はわりと小綺麗。農民は高給取りだが、どうしても土に汚れるのだ。そのせいで貴族と思われたのだろう。あと王子と一緒にいたから余計貴族と勘違いされやすかった。あとは、この国の民なら誰でも知っている民話に、幼い姫が主人公となっているものがあるのも一因だろうか。
 その名残で、今でも近衛騎士団の古参は私を姫と呼び続けている。とは言っても、呼ぶだけで貴族の姫らしき扱いを受けたことはなかった。
 だがしかし、現在私は何故かお姫さま的な待遇で近衛騎士団に迎え入れられることになったのだった。確かに私の出自を辿ると、少数民族の姫だったりするから間違いではないのだが。

 私の顔見せと挨拶が終わったあと、近衛騎士達はそれぞれの仕事と訓練のために散らばっていった。
 そして私は宿舎付きの侍女の仕事だ。しかし仕事とは言っても、先ほども騎士の一人が言っていたように、元々近衛騎士団には小姓や見習い従騎士達が複数所属している。彼らは正騎士の身の回りの世話をするのが仕事だ。そして侍女の仕事とは貴人の身の回りの世話をすることだ。見事に被っている。

 そういうわけで、私は特に誰に付くということもなしに、宿舎内のエントランスに用意された席で仕事を言付けられるまで待機するようにと言いつけられた。宿舎長オルト曰く、侍女席。木製の椅子と白いクロスが敷かれたテーブルが置かれ、その周囲を囲むように何故か木箱が設置されている。
 一人しかいない侍女は宿舎の共有設備扱いなので、自分から仕事を探して席を外さないようにとの宿舎長からの指示だ。なんだこのライブ感は……!
 近衛騎士の方々も急にこんな設備導入しましたなどと言われても困るだろうに。

 ただ、私が国王陛下から辞令を受け取ったのはつい昨日のことなのだ。宿舎長も他の騎士達もそんな前から私がここに来ることなど知らされていなかっただろう。ならばこの扱いもやむなしだ。
 きっと何日かは座るのがお仕事になりそうだな……と思っていたのだが。

「侍女さん、刃物油の在庫どこ?」

「なんで来て初日の私がそんなもの把握していると思ってるのですか……。三番倉庫の八番棚です。持っていくときは帳簿を付けるのを忘れずにおねがいします」

 従騎士の一人が私のもとにやってきて備品の場所を聞いてきた。
 刃物油ということは担当の正騎士の武具をメンテナンスするのだろう。昨日のうちに宿舎長のところに行って宿舎内の物品配置を把握しておいてよかった。

「姫、パンツ穴あいたから縫ってくんね?」

「さすがに一回洗濯に出してから持ってきてください」

 今度は正騎士の一人がよれよれになった布きれを手に私のところへ訪ねてきた。
 彼は領地のない貧乏貴族の家出身だったはずだ。平民と違って裁縫は覚えていないが、服を捨てるのは勿体ないという感覚だろうか。
 しかし私的には履き終わった後の下着を縫わされるのは勘弁願いたい。小姓に言ってまずは洗濯に出していただきたい。

 そのやりとりをしてから少し経って、次はこの宿舎担当の料理長がやってくる。彼は私が庭師だった頃の同業者だ。庭師時代は野戦料理に熱意を燃やしており、引退後は料理人を目指したいと言っていた。なので、遠征で野戦料理を作ることもあるであろう騎士団に私が紹介したというそんな仲だ。
 そんな料理長は四十歳ほどのナイスミドル。近衛騎士達のおやっさん的ポジションである。彼はアゴヒゲが特徴的だ。料理人なのにヒゲを伸ばして大丈夫なのだろうか。

「キリン殿、芋の皮むきを手伝ってもらってよろしいかな? 女の子が料理したと言えば、皆喜んで食べるでしょうから」

「はーい、手洗ってきますね」

「芋、置いておくよ。頼みますね」

 籠いっぱいに盛られた芋(らしき栄養価の高い作物。どの品種も基本的に味が薄い)と空の籠、そして布に巻かれたペティナイフが侍女席のテーブルの上に置かれる。
 汚れと不潔は病気の元になる、というのはこの世界で広く知られている常識である。なので芋をむく前に私は水場へ向かい手を洗い、同室のカヤ嬢手製の花の刺繍の入ったハンカチで水気を拭う。
 その帰り道、背後から声がかかる。

「侍女さーん! 油ねーんだけど!」

「はい?」

 刃物油の在庫を聞いてきた従騎士だ。私は彼を伴い、在庫が置かれているはずの三番倉庫へと向かう。
 この宿舎は横に狭く縦に広い塔のため、階段の上り下りが大変だ。王城という限られた城壁内の敷地に宿舎がある以上、仕方のないことなのだが。

「……うわ本当だ。今日の分は下女局から甲冑装飾用のを借りてきてください。同じもの使ってますので」

 王城内の施設には、景観を良くするため美術品が所々に飾られている。金属甲冑もその一つで、下女が油を塗って手入れをしている。刃物を手入れするために使う油も、その甲冑に使う油と同じ油だ。この国で栽培されている木の実を作って作られる油だ。食用油にもなる。

「下女局とか行ったことないんだけど……どこ?」

「……洗濯場にいる下女さんに聞いてくださいね」

「女の子に話しかけるとか無理なんですけど!?」

「私に話しかけてるじゃないですか。はい行った行った」

 エントランスへと戻り、宿舎から従騎士を無理矢理追い出す。女の子に話しかけるのが怖いとか、男所帯は大変だな。
 備品の発注書は宿舎長に出せば良いんだったな、よしメモメモ。と手元の手帳に書きながら侍女席へと戻り、芋の皮むきを開始する。一籠ならそう時間のかかる仕事ではない。無駄にでかい籠だが。

「姫、姫。この鎧のへこんだ部分を直してくれまいか? 得意であったよな」

 また正騎士の一人がやってきて、妙に芝居がかった口調でそう言った。どうやら正騎士用の鎧を両手に抱えているようで、その鎧の中心には見事な窪みができていた。訓練でこうなったのか、実戦で打ち付けられたかは判らないが、まあ侍女の私が気にすることではない。

「はいはい、その床のあたりに置いておいてください。今日中にやっておきますので」

「む、今すぐ取りかかってはくれないのか」

「芋の皮むきが終わったらやりますよー。ご飯優先ですよー」

「ぬっ、姫は料理できるのか……確かにしていたな」

「昔やった王子主催第一回大陸縦断害獣駆除レースのとき、料理番私がほとんど担当していましたからね……! 農家出身者ですら包丁使えなかったから!」

「であるか。では鎧は夕刻に受け取ろう」

 はいはいじゃあ芋ちゃん剥いちゃいましょうねー。「うおー! 侍女の手料理!」うるせえよ害獣駆除のとき、私の野戦料理に塩辛いって文句付けたの忘れてないかんな!

 いもいもいもいもこの国の言葉ではバルクース。地球の芋と違って土の中で増えるわけではない。でもこれ主食にして食ってりゃ栄養不足で死ぬことはないので、糖質的には芋とか穀物に近そうだ。でんぷんっぽい粉も取り出せる。
 国外への輸出用に干し芋を家の軒先で作るのが、立夏から晩秋にかけての農村の一般的な風景だ。今の季節は晩秋の始まり。今年最後の芋収穫が近づいている。

「料理長さん、芋終わりました」

 むき終わった芋を調理室へと運び、料理の仕込みを行っている料理長へと声をかける。本来なら名前で呼び合う仲なのだが、仕事中なので一応役職呼びだ。

「お、これはありがたい……。そうそう、鶏何匹か絞めるんだけどそれも手伝ってくれませんかね?」

 ケージに入れられた鶏とペンギンを足して二で割ったような、肉食用の代表的な家畜(卵を産まないはずなので哺乳類っぽい)を見ながら料理長が言った。

「今週手伝い担当の小姓が怖じ気づいてねぇ。仮にも騎士志望だというのに」

 騎士志望が家畜一匹絞めるのに怖じ気づいていたのでは世話ないな。

「申し訳ないですが、他の仕事が入ったので……。ああ、屠殺は得意なので別の機会にまた」

「そうかそれは残念。この子達、活きが良いから血のソーセージ楽しみにしてくださいね。昼には間に合わないけど夕食までには美味しくできあがってるからね」

「食事は侍女宿舎で取る予定です」

「それは……、初日くらい食べていってもいいのでは? 親睦も兼ねて」

「それは……それもそうですね。では夕食にお邪魔しますね。昼食は侍女の仲間に顔を見せないといけないので」

 さて、戻って鎧の修繕だ。
 ふむふむ、へこんでいるだけで欠損は無いみたいだからどうとでもなる。魔法で力場を作ってこーんこーんこーんと。道具で打ち付けていくよりこっちの方が綺麗に曲面を蘇らせられるんだ。
 途中でじわりじわりと鎧の曲面を微調整して――おっと昼食を取りに行こう。

 …………。

 侍女の人達に近衛宿舎のことを質問攻めにされたが、午前の短時間では何も把握できていないとかわして戻ってきた。歯磨きの最中にまで質問されたのは困った。
 よし、鎧の修復完了。

「また芋お願いしてよいですかな?」

 任せてくださいシュバババ。

「鎧のへこみを直してくれると聞いたのですが、手甲でも大丈夫ですか?」

 問題ありません。取りかかります。

「あの、革紐の場所は……」

 それも三番倉庫ですね。さっき目に入ったので在庫あるはずです。
 …………。
 ……ふう勤務時間もだいぶ過ぎたな。
 初日ながら結構人がきたものだね。皮むき中や鎧の修繕中にも細々とした相談や雑談しにきた方々もいたし。人気過ぎて困ってしまうな。
 これが連日続くならなかなか忙しいことになりそうだ。初日の珍しさで集まってるのか、みんな遠慮したうえでのこの数かはわからないが。まいったまいった。
 ……って。

「今日の仕事、全部侍女じゃなくて小姓とか従騎士とかの仕事じゃねーか!」

 ちょっと待ってくださいよ。今日一日の仕事を振り返っても研修で学んだことほとんど役立ってないぞ!
 侍女らしい仕事なんて一つもなかった。本当になかった。
 割り振られた仕事を細かく思い返してみると……ああ、だ、ダメだこいつら……。そもそも侍女とはなんぞやってこと把握してないくさい。
 宿舎に何人もいる下働きの小姓に頼めば済むことをわざわざ私に持ってきてないかこれ。どうなってるんだ。針子の仕事があった? 履き終わったパンツを侍女に渡すやつがあるか!

 そもそもこの宿舎おかしい。同じ王城なのに侍女の宿舎や下女の宿舎と明らかに空気が違う。
 なんというか、ガチ派でもエンジョイ派でもない、惰性で続いているような男オンリーの大学スポーツサークル的なダメさを感じる……! 仮にも国内最強の騎士団なのに、空気がよくない方向でゆるい……!
 規律は乱れてないが、何というかすごいダメそうだ。
 王城の侍女が働くべき場所ってさ、こうじゃなくてもっとこう……あれなんだよ!

「なあ侍女さん」

 侍女席で一人で悶々としていたところに、また新しい人がやってきた。
 十歳ほどの小姓だ。雑用係である小姓が侍女に用とはなんだ。また油の在庫確認か? 侍女の仕事ではないはずだぞ。

「正騎士様の寝室のカーテン、いくつか破れてるのあるんだけど……これ侍女さんに頼めば新しいのに換えてくれるのか?」

 なんだと。
 寝室……。カーテン……。

「お、おおお……」

「ど、どうした?」

 室・内・装・飾! すごい侍女っぽい仕事!
 私は勢いよく椅子から立ち上がると、思わず小姓くんの手を取った。

「ありがとう、ありがとう! 備品カタログすぐ持ってきますね!」

 そう言いながら掴んだ手を上下にぶんぶんと勢いよく振った。

「お、おう。あの、必要な部屋番号まとめておいたほうがいいか?」

「おー、それは助かります! よろしく!」

 そしてそのまま宿舎を飛び出し、使用人区画へと訪れる。区画に設けられた棚からカーテン用の生地サンプルがまとめられたカタログを取り、再び宿舎へと戻る。
 宿舎では先ほどの小姓くんが待っていてくれたので、生地を見せてどれが合うかを確認して貰う。
 しかし、どれがいいか自分ではわからないとのことだった。良いのか。これは私が決めて良いのか。よし決めよう。

 なお、カーテンの交換が必要な部屋を教えて貰ったが、全部屋見て回っているわけじゃないので漏れはいっぱいあるだろうとのこと。つまり宿舎に住んでいる人全員に確認を取る必要があるということだ。その方法はおいおい考えるとして、まずは判明した分だけ発注を終える。この建物に合って、男性向けのシックな生地を数点選んだ。
 しかし、この様子だとカーテン以外にも宿舎内のいろいろな装飾が欠損していそうだ。

 見せて貰った破れたカーテンは本当にぼろぼろだった。きっと近衛騎士団が前国王のものから入れ替わった以前から使われ続けているおんぼろ状態なのだろう。
 なので、先ほどの小姓くんの手を引いて、宿舎内の様子を見て回ることにした。
「なんで俺が一緒に……」とか言われたが、まだこの場所に馴染んでいない女性一人で立ち入ったらダメな場所とかがあるかもしれないので仕方ない。仮にも男性専用宿舎なのだ。

 そんなこんなで宿舎内の見回りをしているうちに、就業時間が終わることになった。
 足りない装飾や欠損した備品はそれなりに見つかったが、発注を出すのは明日以降になりそうだ。まあ、そこまで急ぐことでもない。
 今日はここの料理長に夕食をお呼ばれしているので、小姓くんと一緒に宿舎内にある食堂へと向かう。
 侍女宿舎と下女宿舎、王宮内、そしてこの近衛宿舎と、同じ王城内にある施設なのにそれぞれ調理場と食堂が別個に分かれているというのはなんとも非効率だな。それだけこの王城の敷地面積が広いということなのだが。

「おや、姫、ここで食べるのか」

 食堂にはすでに数人の騎士と、そして宿舎長オルトが食事を待っていた。夕食担当らしき小姓達が配膳を行っている。

「ふむ……その子と仲良くなったのか?」

 私と一緒にいる小姓くんを見て、宿舎長が言う。

「そうですね、仲良くなったというか、宿舎内の備品状態を確認したかったので案内してもらっていました」

「む……」

 あごに手を当てて何やら考え込む宿舎長。私の横では、小姓くんが何やらかしこまって縮まりこんでいる。ああ、小姓くんからしたら副隊長は上司のトップみたいな存在になるのか。こうなっても仕方がない。

「おや、キリン殿こちらにいらしたのですか。探しましたよ」

 横から声がかかり顔を向けると、お盆を手にした料理長がいた。

「どうかしましたか?」

「せっかくなので配膳を手伝っていただこうかと。朝の様子ですと、皆喜ぶでしょう」

「なるほど。わかりました」

 調理場へと向かう料理長の後を追い食堂を出ようとする。

「待て、姫」

 だが、宿舎長から唐突に制止の声がかかった。

「はい?」

「状況を見るに、侍女席を離れて宿舎内を見回っていたように見受けられるが」

「あ、はい。そうですね」

「私は今朝、誰かに仕事を言付けられるまで侍女席で待機するようにと言ったはずだが」

「あ……」

 えーと……。その……。
 小姓くんに視線を向ける。そらされた。うむ、仕方ないよな。私から連れ回しただけだし。
 うん……。

「申し訳ありませんでしたっ!」

 新米侍女正式業務一日目。さっそく失敗をしでかしました。



[35267] 20.雑務と私
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2021/10/12 17:43
 食の話をしよう。
 この国の食事には塩が足りない。それは料理とは別に塩の塊を舐めて塩分を摂取する習慣があるからだ。
 代表的な摂取方法は小石大の飴状にした塩飴で、地方によってさまざまなレシピが存在し、都市圏では各商店が様々なフレーバーをつけた都会人としての塩飴を販売していたりもする。この国では塩が採れないので、塩を巡る深い歴史がきっとあるのだろう。

 人間は動物の中でも特に塩分を必要とする生物だ。と前世の頃に学んだ。いや、猫の飼い方についていろいろ学ぶうち、ついでに知ったのだったか。この世界にいる猫に近い愛玩動物も、塩分には気をつけなければならないようだ。
 では塩以外の食事情はこの世界ではどうなっているか。

 私は『庭師』として世界中を駆け巡った。
 その成果として、世界各地の料理のレシピを知る機会というのを得ていた。
 普通の庭師なら料理のレシピなんて物には目も向けない。しかし、私は庭師の仕事で『商売』というものに深く関わっていた。
 私に商才はない。前世の大学時代と社会人時代に嫌と言うほど思い知った。ここでいう商才がないというのは、実際に製品を作り販売にこぎつけたあと“どういう行動を取るか”という発想に柔軟さがないということだ。別の言い方をすると、営業の才能がないということになる。

 しかしだ。営業の才能がないことと、商材を考えつく発想の才能がないというのは別だ。何せ私には前世の記憶という唯一無二のものがある。現代日本、そして地球の歴史的知識において『なにが必要とされ売れていたか』という商売に対する圧倒的アドバンテージがあるのだ。前世では何かと世界各国を巡る機会に恵まれていたものもあった。
 そういう理由で私は前世の記憶と『庭師』で世界を巡った知識により、料理のレシピを広く得る機会に恵まれていた。

 この国では一日朝昼晩の三食の食事を取る風習がある。地球において偉人エジソンが電気とトースターを売るために広めた一日三食というやつだ。それがこの世界、この国での食事情だ。
 そしてこの国には茶の文化がある。それは即ち――茶菓子、間食の文化があるということだ。

 さて、長くなったが、この最後の菓子を食べるという文化があるというのが重要だ。
 そして私には前世と今世で世界を回ったうちに覚えたレシピの数々がある。
 料理のレシピだけでなく、菓子のレシピもだ。カーリンの父の商会でレシピ本を出せそうなくらいしっかりと覚えている。
 そして今の私の仕事先は近衛騎士団宿舎。調理場には昔なじみで何かと融通の利く料理長がいる。ここに就任してからというもの、一番会話を長くしているのはこの料理長だ。世界の料理というものに興味津々のようだ。
 そして宿舎……というか近衛騎士団には騎士の世話をする小姓が多く仕えている。私の今の仕事は宿舎にて騎士に仕えることであり、新米侍女の私と小姓の仕事は割と重複しているが、新米がゆえに小姓達との間に小さな人間関係の溝が存在する。
 そこで私が何を考えたかというと――

 お菓子を使って小姓君達を懐柔することにした。

「はーい、みんな集まれー」

 私の声に、わーっと宿舎の玄関口に小姓達が集まる。小姓の年齢は上限十三歳まで。それ以上は近衛騎士団の従騎士試験を受け従騎士になり、もし試験を落ちた場合は親元へと戻り青の騎士団や緑の騎士団を含めた騎士を目指すための修練をこなすようになる。
 つまり小姓は皆幼い。それがはたしてどういうことに繋がるか。

「では、正騎士様と従騎士様のシーツと毛布を集めてください。ちゃんとお仕事をすれば、甘ーいお菓子が貰えますよ。今日はあまあまな砂糖のふわふわほろほろなお菓子です」

「よっしゃー」

「いえーい」

「あまあまだってよ!」

「ほろほろ!」

 ――甘味を使いある程度の懐柔が可能ということである。
 小さい子は甘味に弱い。前世日本での知識であるが、この世界ではそれ以上のものであった。
 前世の地球、日本は流通が発達していたためか、甘味はものすごく身近な物であった。ちょっとコンビニに寄れば二十四時間いつでも甘味を口に出来た。喫茶店にでも行けば紅茶やコーヒーと一緒にケーキを楽しめたし、ファミレスには偉大なパフェ様が待ち構えていた。

「急ぎ過ぎて床に引き摺らないようにしましょうねー」

 しかし、この世界ではそうもいかない。飛行機も輸送トラックもなく、貴族といえど満漢全席のような贅に贅を重ねた食事を取ることもそうそうできない。それゆえ、料理のレシピも日本のような“何でもあり的”には発達していない。魔法や魔法道具はあれど魔法を十全に活用した料理人など一握りしかいない。
 なので、子供は甘味に弱いのではなく、すごく弱い。大人でも弱い。
 それに対して、この国では砂糖はさほど貴重な物ではない。砂糖の元になる作物が育つ気候と土壌なのだ。さらには花から蜜を集める蟻による蟻蜜が広く流通している。他にもこの世界の大地そのものである世界樹が地下水ならぬ地下樹液を枝葉から地上へと出していたりもする。砂糖と蟻蜜と樹液は料理に使われ、さらに茶に直接混ぜるために使われる。しかし、茶菓子を甘くするという分野はこの国ではあまり発達していないのだ。

 ケーリの実の蟻蜜漬けみたいな甘い王都名物もあるにはあるが、あれはスナック感覚で楽しむにはちょっと甘さのパンチが強すぎる。ケーリジャムをパンにのせて食べるのは子供達に人気の食事メニューだがあれはまた菓子とは違うものだろう。
 そこで、茶請けではなく純粋な嗜好品として新しく間食用に甘い菓子を作ればどうなるか。
 その答えは、『未知の甘味という刺激に釣られて、打算的に小姓達が私に懐くようになる』だ。

「すっかり馴染まれましたね」

 小姓達を待つ間どうでもいい思慮にふけていた私にそう話しかけてきたのは、王城の洗濯担当の下女さんだ。
 小姓達が集めてきたシーツと毛布を台車に載せて洗濯場まで運ぶのが彼女の仕事である。名前は……知らない。
 話を聞くに近衛騎士宿舎担当のようなので一度聞いてみたのだが、恐れ多いと言われて教えてくれなかった。名を訊ねられて答えないのは、プライドの高い侍女を相手にしたときに大変なことになるのではないだろうか。
 いや、プライドの高い侍女というのも前世の創作物から勝手に受けたイメージで、今の仕事を始めてからそういう“いかにも”な貴族の子女にお目にかかったことはないのだが。
 勿論私は名を教えてもらえなかった程度で怒るような人間ではないつもりであるし、彼女の今後のために差し障りないようそれとなく指摘してあげてもよいのだが……指摘するにしてもある程度仲良くなっておいた方が良いだろう。

「そうだね。皆と仲良くできたらと思うよ」

 私は先ほどからずっと手にバスケットをかかえている。この中身が小姓達に渡すお菓子である。
 少々即物的だが、仲良くなるならこれを活用しない手はない。

「というわけで、お近づきの証に一つ、どうぞ」

 バスケットにかけていた布を取り、中に入っていた一口大の菓子を一つ下女さんに一つ手渡した。今日はこのためにスパイダーシルク製の白い手袋をしているので、不潔感はないはずだ。多分。トング的なものを使っても良いのだが、受け取る側が素手なのだから手渡しの方が良いだろう。

「わあ! ありがとうございますッッッ!」

 おおう、すごい返事だ。そんなに食べたかったか、お菓子。
 ここに就任して四日目、菓子を配り始めてまだ二日目だが、配布一日目である昨日はお菓子を頬張る小姓達を横にして、彼女はシーツの台車への積み込み作業をしていたからな。
 しかし彼女、それでも受け取った菓子を手に持ったまま食いつかずにこちらをじっと見つめるあたり、王城にあがるだけの育ちの良さを感じる。号令を待つ犬のようだとは言ってはいけない。この世界に犬のような動物はいるが、彼女は違うのだ。
 あ、よだれ。

「どうぞこの場で召し上がれ。それと、このお菓子のことは皆には内緒だよ」

「はい!」

 返事と共に即座にお菓子を口に入れる下女さん。
 まあ今の時間は朝食と昼食の間のお腹のすきはじめる時間だから、仕方のないことかもしれない。

「ふ、ほあぁぁぁ……」

 恍惚の笑みを浮かべ空を見上げている下女さん。彼女の口の中では今頃砂糖菓子がほろほろに崩れてとろけているところだろう。

「お味はどうかな。……ええと、名前はなんだったかな?」

 勢いで名前を聞いてしまおうとさりげなく訊ねてみたところ。

「南部王族領の大工を束ねる棟梁の娘さんで、エキさんって言うんすよキリン様」

「おおう!?」

 突然横から第三者の声があがり驚いて振り向くと、そこにはまた新たな下女が一人いた。
 翡翠色の髪を肩口で切りそろえた見覚えのある幼い少女。

「カーリンか……気づかなかった」

「左様で御座いますか」

 得意げな顔でカーリンがほほえんだ。
 存在感が希薄な魔人らしきカーリンは自分を認識してもらえる人物を好むが、見つけられ慣れると今度は相手を出し抜くことに喜びを見いだすようだ。十一という年相応の子供らしい行動で面白いものである。

「カーリン、仕事はいいのかい」

「午前の分は済ましておきました」

 太陽が正午の位置に座するにはまだまだかかるというのに、すでに仕事を終えているとは相変わらず彼女の仕事は謎だ。

「ところで何やらお菓子らしきものを持っているようすね。美味しそうです」

「ああ、騎士団の小姓達に配る用でね。一口大だからさほど腹も膨れないですむ」

「美味しそうです」

 私の言葉を聞いているのかいないのか、カーリンの視線が私でなく、私が抱えているバスケットに向いている。
 なるほどそういうことか。王城内を飛び回る自由人カーリンの今回の目的はこれか。子供は甘味にすごく弱い。十一歳のカーリンは私規準で言うと子供だ。

「……君も遠慮が無くなってきたね。良い傾向だ、これからも仲良くして欲しい」

 そう言って私はバスケットの中の菓子を一つ掴むと、カーリンの前に差し出した。
 それをカーリンはハンカチを手の平に広げ、その上で菓子を受け取る。私の手袋と同じスパイダーシルク製の綺麗な刺繍の入ったハンカチだ。そのさりげない所作に王城にあがるだけの育ちの良さを感じる。冒険中の庭師の連中などは、野営で携帯食料代わりの焼き菓子なんて渡しても泥のついた手で掴んで食べていたものだ。
 受け取った菓子をまじまじと見つめるカーリン。そして、すでに食べ終えた最初の下女さん、エキ嬢がそれを羨ましそうな目で見つめている。
 犬……いや、違う違う。駄目だよ。さすがに一人一個だ。

「貿易商人の娘として様々な菓子を食してきましたが、見覚えのない菓子ですね。これはどこのものでしょうか?」

 未知の菓子を前にそんなことを聞いてくるカーリン。彼女の家柄を考えるとまさに彼女らしい反応だ。

「上の枝の国トラキオの砂糖の飴菓子だ」

「これが…砂糖飴ですか」

 菓子を前に首を傾げるカーリン。
 その菓子は、大人の親指二つ分ほどの大きさで四角いブロック状の形をしており、ガラス繊維のようなとても固めた飴とは思えない質感をしている。色は薄い黄色だ。

「飴細工は作るときに細く引き延ばすと糸のようになりますが、それをまさか織るわけでもないでしょうし……摩訶不思議です」

「ふむ、織ってはいないけれど折ってはいるな」

 その菓子の見た目を前世の日本人になじみ深い言葉で表わすと、固形のインスタント卵スープの素だ。
 前世のインド人になじみ深い言葉で表わした場合は、砂糖菓子ソーンパプディである。
 そう、遠い国トラキオで私が見つけた菓子は、前世の頃インドで食べたソーンパプディそのものだったのだ。

「砂糖とバターを煮詰めて作った飴を引き延ばして折りたたみ、また伸ばしては折りたたみを何度も続けて作ったものだよ」

「なるほど、そのようにして作るパンが祭りでよく売られていますね。見た目はとても似ていませんが」

 彼女が言っているのはクロワッサン風に作る菓子パンのことだろう。この国では砂糖は茶に混ぜるだけではなく、パンに混ぜることもある。パンは砂糖を混ぜることによって、発酵してより美味しくなるものだが、農業大国であるこの国以外ではあまり使われることはない。なので、この国のパンは平べったいが砂糖のおかげでより美味しくなっている。しかしそこから向日葵麦を使った菓子作りという方面には、どうしてかいまいち発展していないのだが……。

「では失礼して」

 手で聖印を切り、菓子を口にするカーリン。ニュートラルな表情で顎を動かすが、やがてゆるゆると頬が落ちていくのが見てとれた。
 砂糖の塊のような菓子だ。甘さそこそこの甘味を食べ慣れていると甘すぎて拒否感を起こしてしまうかもしれないが、商家の娘と言えどそこまで繊細ではなかったようだ。

「これは……未知の体験です。砂糖をまるごと食べたような甘さの中に、香料とバターの香りがまざり、甘すぎるのにくどくはない絶妙な美味しさを保っているっす……」

 左様で御座いますか。
 他国の料理というものにとことん縁がないこの世界の人々は、未知の美味しい料理を目の前にしたとき、まるで前世のグルメ漫画のようなリアクションを取ってくれるのが面白い。大商人であり貿易商でもある家の娘であるカーリンも、その例には漏れないようだ。
 この国の食事は砂糖が十分足りている。だがそれは単純に砂糖が足りているからと言って、甘い菓子に慣れていることとイコールとは言えない。

「口の中で砂糖の繊維が溶けていくのはまさに一口大にしたからこその食感……。作り手の思慮深さもまたよしっす……」

 あ、いや、この大きさなのは小姓達全員に配るからあまり大きくできないのであってね?
 まあいいか。

「キリンさん! 持ってきた!」

 と、丁度いいタイミングで小姓達の集団が宿舎の奥から戻ってきた。良いタイミングだ。サッカーで逆転シュートを決めた瞬間にホイッスルが鳴るくらいの絶妙なタイミングである。下女に先に菓子を渡していたのを見られたら何を言われるかわかったものではない。
 小姓達が玄関の横に抱えたシーツと毛布を積み重ねていく。シーツは毎日洗濯するのがこの宿舎の習わしだ。水の豊富なこの地域周辺らしい習慣だ。
 昨日のシーツ集めは、間食を支給すると言ったら我先にと競争するように小姓達が一人一人やってきたものだが、今日はどうやら全員で協力して一斉に終わらせる方向でまとまったようだ。協調性や集団行動を求められる騎士候補生としていい傾向と言えるかもしれない。

「はいじゃあー整列!」

 まあそれも、昨日私が小姓全員揃った後に菓子を配るようにしたからかもしれない。
 勿論ここにいる者達が小姓の全人員というわけではない。外に出かけたり、訓練に出かけた近衛騎士に付いていき身の回りの世話をするのも小姓の仕事の一つなわけで、欠員も割と多い。その子達へも菓子が渡るようにしないと不満が出るかもしれないが……今のところは小姓達が私と馴染むための一つの材料になってくれればという程度なので、深くは考えていない。

「では配りますよー」

 バスケットから一つ一つ砂糖菓子を渡していく。
 カーリンのようにハンカチの上で受け取ろうとする紳士はいない。今の近衛騎士団というのはそういう場だ。家柄や姿勢よりも実力重視、そんな態度で騎士達がいるため小姓達もとてもわんぱくだと、この四日間で実感した。

「はいどうぞ」

「うおー、なんだこれー。光ってる!」

「まだ食べちゃ駄目ですよー」

 そうしてやがて菓子が全員に配り終える。
 軽い砂糖菓子なのでバスケットはあまり軽くなった感じはしないが、餌付けの準備はこれで完了だ。

「それでは皆でいただきましょう」

 私がそう言うと、食前の聖句を小姓達が唱え、一斉に菓子を口にする。

「ほあぅ!?」

「んー!」

「あんまー」

 シーツと毛布を集めるという至極簡単な仕事の報酬。それに小姓達が様々な反応を返してくる。
 確かに洗濯物回収は容易な仕事だ。しかし、集団となるとそうではないと気づいたのは、就業二日目である一昨日のこと。
 宿舎付きの侍女としての任務に就いた初日の私は、近衛騎士達に用意された侍女席でただ仕事がやってくるのを待っていただけだった。
 この初日の仕事を同室のカヤ嬢に話したところ、侍女としては未熟とはっきり断言された。

 この宿舎には侍女どころか下女すらいない。お菓子を渡した下女エキ(が本名だと信じたい。愛称だったら困るな)のように洗濯担当は居るが、彼女はあくまで宿舎の玄関で洗濯物を受け取っているだけで、宿舎の中に給仕として直接足を踏み入れているわけではないのだ。
 ただの侍女ではなく、騎士宿舎唯一の女官長として頑張らなければいけないと、カヤ嬢にはっきりと言われたのである。

「はー、うんめー」

「とろとろしてた!」

「とろとろ?」

「とろとろ!」

 女官長、つまりまとめ役。その座に着くには、菓子で釣るなどという即物的な手段を用いてまで、なるべきものなのか。
 横目でシーツを畳む下女エキを見る。シーツを勢いよく畳んでは軽やかに荷台に載せていく。二日前は小姓達の働きがばらばらだったため彼女が一人玄関口でじっと小姓達を待つ時間が長かったことを思うと、まあ悪くない結果ではないかと。食材の消費というものもあるが、ここは王城であるし、なにより小姓達全員の菓子を作ってなお、この宿舎の厨房施設では時間が十分有り余るほどの余裕があるようである。料理長が言うには、仕事の大半は料理研究の時間だとか。無駄に広い王城様々である。

「美味しかった!」

「美味しかったですか。午後の仕事も頑張れそうですか」

「やってやるさ!」

 リーダー格の小姓の一人が元気に返事をしてきた。よきかな。彼らとの関係はどうやら良好な状態で開始できたようだ。多分。きっと。おそらく。
 勿論午前の仕事はこれで終わりではないし、昼食も皆交代で取るわけだが。

「なあなあ侍女さん」

 と、さきほどのリーダー小姓が話しかけてくる。

「はい、なんでしょう」

「従騎士になったら菓子貰えなくなるのか?」

「あー……それは……」

 まあ従騎士の方々には何も差し上げてませんが。

「従騎士になればお給金で好きな菓子を自分で買い放題ですよ」

「そうかー」

「そうか?」

「そうですよ。お菓子もお料理も買い溜めて好きなだけ食べて良いんです」

 そう答えるが、太めの声がすぐに疑問の声を出す。

「街でこんなの食えるとこってあるか?」

「知らん」

「ないよな」

「ないぞ」

「ないよなぁ。不公平だよなぁ」

「なぁ! 小姓限定の報酬ってちょっとないよな!」

「俺達にご褒美があってもいいんじゃねえか!」

 ……うん?

「姫さんよう、見習いの小姓よりも、俺達はさ、王国の平和と陛下の安寧のため日々頑張ってるんだぞ? わかる?」

 そう私を頭上から見下ろして言葉を放ってくるのは、幼い小姓ではなく筋肉に包まれた巨体の成人男性だった。
 いつの間にやら小姓達に混ざって正騎士の方々が宿舎の前に集まっていたのだ。
 これはどういうことだろうか。今日は多くの近衛騎士が王城の外の騎士訓練場に汗をかきに行っているはずでは。

「みんな! 侍女さんのお菓子食べたいよな!」

 副隊長……小姓達に菓子出すのに許可出したのに何で騎士達を煽っているんですか。

「食べたいです!」

 大の大人達が一斉に返事をする。
 副隊長も食べたかったなら相談したときに言ってくれればいいのに。どうしたものかな。



[35267] 21.甘味と私
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2021/09/10 02:19
「甘ぇ……あめぇー匂いがするなぁ。まだ残ってるな?」

 鼻をひくひくさせながら巨漢の騎士が私を見下ろす。
 彼は正騎士のハネス。私と現国王が近衛師団を作ろうと人材を集めていたときに、ある農村で見つけた力自慢の男だ。
 地方の収穫祭で毎年力比べ大会に優勝している若い男がいる。そんな噂を聞きつけ、現地におもむきスカウトした人物である。農民だと思ったら実は領地を持たない文官貴族の子息だった。
 そんな昔なじみのハネスは、特別にがっつくほど甘い物が好きというわけではないはずなのだが……とにかく食いしん坊なのだ。先日、私に穴の空いたパンツを持ってきた人でもある。

「残ってはいますが……全員分はさすがにありませんよ?」

 私は手に持ったバスケットにかかった布を取り除き、中身を見せる。もう七人分しか残っていない。後で厨房に持ち帰って料理人の人達とお茶請けにでも食べようと思っていたものだ。
 ここにいる騎士達は第一隊の近衛全員ではないが、従騎士も合わせて十五人は居る。というか最近見知った顔が多いので従騎士がほとんどだ。正騎士五人に従騎士十人の顔ぶれである。
 このメンバーだと、王城の外に訓練しに行った正騎士達ではなく、王城練兵場(王城内にあるがすごく狭い。騎士ヴォヴォと個人訓練したあそこだ)に従騎士達を鍛えるために出ていたグループだろう。彼らがまとめて帰ってきているようだった。

「なんだぁ? ちっちぇえなぁ。ガキどもが美味い美味い言ってるからどんなのかと思ったら、腹に溜まりそうもねぇ」

「昼食前の小休憩のためのものですから」

「敬語きめぇな姫」

「で・す・か・ら! お腹を満たすためのものじゃないんです。訓練ですいた小腹は満足しませんよ。……ところでお早いお帰りですが今日の訓練は?」

 宿舎の前に集まってきていた騎士達を見渡す。衣服や鎧に土や泥が付いた形跡はない。近衛騎士団は気功術の使い手であり、その闘気によってもたらされる超人的な身体能力で、獣のように跳んだり跳ねたり平気でする。なので、従騎士の訓練といえども近衛が戦闘訓練をして汚れが付かないというのは考えられない。いや、国を挙げた大収穫祭が近いから儀礼の訓練って可能性もなきにしもあらずだが。

「いやー、なんか緑の騎士どもが決闘するってんで練兵場が急に使えなくなってなぁ」

 緑の騎士か。先月の騎士ヴォヴォの顛末が脳裏をよぎった。
 一回目の略式結婚式(婚約しましたよという簡単なお披露目だ)に呼ばれたが、同席していた緑の騎士達は皆仲がよさそうだった。
 しかし緑の騎士と言えば代々騎士の家による世襲制だ。貴族の家同士で根深い確執があったりするのかもしれない。

「野次馬しようと思ったんだがめんどくせー儀式とかはじめたんで皆で戻ってきたわ……ん、なんだこれ! すげぇあめぇ! すげぇ! すごいな!」

 話しながらバスケットから一つ菓子を奪い取っていくハネス。語彙少ないなこいつ……。
 別に私は困らないからつまみ食いを防がなかったが……困る人達は他にたくさんいた。

「ハネスてめえ!」

「何勝手に食べてるんですか!」

「てめえ! このっ……てめえ!」

 わっと騎士達が集まり、ハネスに向かっていきなり殴る蹴るの暴行を加えだした。いかにもな男所帯の短絡的行動である。おいおい、正騎士だけじゃなくて従騎士も混じってるぞ。内輪か!
 侍女生活に慣れたからか、数ヶ月前の冒険者稼業が少し懐かしく感じる。
 いや、大学時代の娯楽サークルで遊んだTRPGの冒険者とかと違って、この世界の『庭師』は騎士団顔負けのエリート揃いだからこんなに野蛮ではなかったか。こいつらスカウトで集めたから読み書き程度しかできない学のない平民出とか多いからなぁ。

「ぶわっはっはっ!」

 騎士達の暴行を気を張って笑っていなすハネス。何だかんだで遊び半分の殴り合い程度なら軽く流す、幹部候補の実力者である。
 “気”の守りが固い。野菜をしっかり食べている証拠だ。

「いやー、すげー甘かった。おい、エキ。おめぇも食ったか? うめぇなこれ」

 蹴りに対して足払いを返しながら、洗濯担当の下女さんに話しかけるハネス。

「えっ! あの……えっとその……」

 突然振られた会話にとまどい、私の方へと目を向けてくる下女エキ。ああ、みんなには内緒だと言ってしまったからな。
 彼女に助けを出すため、私が口を挟もうとしたそのときだ。

「やめないかハネス。そんなに視線を向けたら彼女が妊娠してしまう」

 団員達の暴行を何もせず見守っていたオルト副隊長が割って入った。

「はえっ!?」

「しねぇよ! どういう性教育受けてんだよ!」

 顔を真っ赤にしながらお腹を押さえて後ずさりするエキに、思わずツッコミを入れるハネス。

「宿舎に近づく数少ない下女なんだ、大切に扱わないか」

 そんな注意をハネスにするオルト副隊長だが、相変わらず殴り合いにはスルーの態勢だ。ハネスは殴られるのを闘気で防ぐだけでなく、積極的に殴り返すようになっていた。

「ひえっ」

 エキが私の後ろに逃げてくる。いや、私の方が背も低いし体格も小さいよね。小姓達はというと既に宿舎の中に逃げていた。うん、仕事中だもんな。なんか殴り合ってる騎士達と違って。
 要はお菓子にかこつけてケンカをしたいのかなぁ、こいつら。訓練が中止になったみたいだし。血の気が収まらんってやつだ。
 仕方ないのでケンカ中の事故を防ぐために魔法を使う。闘気が使える鍛えた人間同士でも、拳で頭を殴り合えば貫通した気で脳の血管が傷ついて即死なんてことがありえる。見たことないけどね。まあ、そんな死を回避するための守護妖精を魔法で呼び寄せた。未熟であろう従騎士もいることだし。

「おや、妖精魔法」

 オルト副隊長は殴り合いを避けて私の横に来たが、めざとく召喚された妖精を見付けたようだ。

 非物質的な次元――前世のオカルト用語でいうところのアストラル界的なものから妖精を呼び出して使役する魔法。魔法の師匠から受け継いだ魔法の中で、私が一番得意な魔法だ。
 通常の魔法が電子回路の組み立てといった理系の分野だとしたら、妖精魔法は人の言語を妖精の言葉に翻訳する文系の魔法。そして私は前世から一貫してばりばりの文系だ。妖精との対話は声を使わないということもあって、肉体の仕組みが人間と違う故に声帯がなく詠唱の出来ない魔人の私にぴったりの魔法なのだ。ちなみに声帯の代わりにあるのは竜のブレス器官だ。

 侍女にとっては詠唱の必要な大魔法より、細かいところに手が届くファジーな妖精魔法の方が良い。
 そもそも普通の侍女に魔法は必要ないのだがそれは気にしない。
 私にとっては必要なのだ。具体的には魔法があれば背が足りないのを補える。永遠の幼女故に。

「お優しいことだ」

 まあ副隊長から見ると、素手での殴り合いで妖精の加護なんて過保護にしか見えないだろうけれども。
 私も気まぐれで使っただけだし。

「ところで姫、それで菓子は全部終わりなのか? 厨房に残っているとかは? 厨房の奴ら、暇してるから余らせているとかないか」

 副隊長――というか宿舎長としてだろうか、彼がそんなことを聞いてきた。

「ああ、はい。これで全部ですが……オルト様も召し上がりたかったのでしょうか?」

「そういうわけではないが……全員に行き渡るのに越したことはないと思ってね」

 少しずつ盛り上がっていくハネスと他の騎士達とのじゃれ合いという名の殴り合いを見る副隊長。
 でもさっき、お菓子食べたいよなって皆を煽ったのあなたですよね?

「はしゃいでいますね。訓練が中止になって力が有り余ってるのでしょうか」

「それに大収穫祭も間近だからな。皆気がはやっているのだろう……しかし王城の敷地内で暴れるのは感心せんな。そろそろ止めるか」

 大収穫祭か。何かと王族が表に出る機会が多いから、近衛騎士の出番も多い。責任は重く、そして衆目に触れるという栄光も大きい催しだ。
 それを考えると、菓子を食べる程度で士気高揚になるのだったら、安いものではないだろうか。

 しかし追加の菓子か。料理長が菓子を勝手に作って余らせてるなんてありえないし、今から作ることになる。
 騎士宿舎に予定外の材料の蓄えはあるのだろうか。いや、たった十五人分の昼食前の菓子だから量の心配はいらないが予定外の使用をしていいのかどうかだ。
 とりあえず宿舎の厨房に行って料理長に丸投げしてみよう。

「あの、厨房に何か代わりになるようなものがないか聞いてきますね」

「ああ、そのバスケットは置いていくように」

「あー、はい」

 このバスケットの中身をどうするつもりか。苦笑しながら私は宿舎の中へと入っていった。



◆◇◆◇◆



 厨房内での料理研究のため、自由裁量で使える調味料や粉物は備蓄が十分にあるらしい。料理研究所でもなんでもない、単なる宿舎の厨房なんだけどな。
 さすが王城なだけあって、融通が利くというか予算が潤沢というか。
 砂糖も蟻蜜も樹液もどれも料理長の独断で使えるのだとか。

 ただ、お菓子を全員に配るとなると、自由に使える材料が十分にあってもそうすんなりいくものでもないようだ。
 騎士にとっては訓練も任務であり、正騎士ともなると訓練の最中に何を補給させるか、近衛の幹部一同に周知しておく必要があるとのこと。
 ごもっともである。騎士は貴族である以前に公僕なのだ。組織の運営の事情もあるし、体調管理の問題もあるのだろう。
 まあ小姓達はその範疇ではないので、私が彼らに菓子を配るのは問題ないようだし、騎士個人に対する第三者からの差し入れを禁止しているわけでもない。前世の日本における公僕とは違い、差し入れという名の贈賄はゆるっゆるだ。

 まあしかし、今回は近衛の幹部である副隊長にも菓子を届けるのだ。後から問題になるようなことはないだろう。ただし王宮でデスクワークしてる第一隊長は除く。
 さすがに今から時間のかかるソーンパプディもどきの用意はできない。となると、昨日小姓達に配った焼き菓子を作ってもらうのがいいか。料理長や他のスタッフ達も一度作ったことのある菓子なら、手際よく用意してくれることだろう。
 この国で平民に親しまれている焼き菓子に、追加で蟻蜜をたっぷり混ぜ込んだものである。四十分(地球時間換算)もあれば作れる。生地を寝かす必要の無いお手軽クッキーである。
 それをどれだけ用意できるか料理長に訊いてみると。

「ああ、この内容なら昼食前までに宿舎の騎士全員分用意できるぞ。でも十五人分でいいならすぐだ」

「マジですか」

 マジらしかった。いくらこの厨房の仕事時間の大半が料理研究で占められるほど暇だと言っても、もうすぐ昼食の用意で忙しくなるはず。だというのにその片手間で用意できるとは、熟練のプロの料理人は格が違った。まあ宿舎の騎士全員分はやめてあくまであの十五人分ということになったので、オーブンの数が足りないということはないだろう。

 というわけで菓子は帰ってきた騎士全員分の用意が出来ることが決まった。
 そのことを告げようとまた宿舎の外へと向かおうとしたところ……なにやら玄関ホールが騒がしい。
 何事かと思って見てみると、騎士達が玄関ホールで円を描くように集まっていた。外でハネスをいじるのをやめて全員宿舎の中に入ってきたようだ。
 ただ、男達が作る円陣の中で、何事かやっているらしく騎士達が野次を飛ばしている。

 何をやっているのだろうか。円陣の隙間から見える様子では相変わらず殴り合いをしているようだけれども。

「なにやってるんですか?」

 とりあえず近くの騎士に尋ねてみる。

「お、姫だ」

「来た、姫来たぞ」

「入れろ入れろ特等席だ」

 腰をかがめてさっと私の腋に腕を差し入れ持ち上げようとする騎士。

「んが、重っ、姫重っ」

「それ、私以外の女子に言ったらぶっ飛ばされますよ」

 よくわからないうちに円陣の内側に運ばれた私。そこではまるで拳闘の試合でもしているかのように二人の騎士が対面で殴り合いをしていた。レフリーポジションに、バスケットを片腕に抱えたオルト副隊長がいる。ついでに召喚した妖精が飛び回っていた。
 なんぞこれ。

「なんぞこれ」

「殴って勝った方が菓子を食える。わかりやすいだろ」

 答えたのは先ほどまで騎士全員と殴り合いをしていたハネスだ。ちなみに無傷である。

「はあ、でも料理長がすぐに蜜焼き菓子を作ってくれると言っていましたよー」

 そう、玄関ホールに居る騎士達全員に聞こえるように言ったのだが。

「料理長の菓子などいらぬ!」

「私はお菓子を食べたいんじゃない! 女の子の作った手作りお菓子が食べたいんだごふぁっ!」

「侍女さんの菓子は俺のものだ!」

 円陣の中で殴り合いをしている二人がそんなことを答えた。

「ええー……」

 ホントにええーである。
 そりゃあ確かにこの宿舎に侍女である私がやってきたときには歓迎された。
 でもそれは一種のノリのようなもので、実際は私は幼女で実年齢はアラサーで、しかも精神は元男だ。そこの所は馴染み深い近衛の皆はよく知っていることであって、麗しい侍女の女の子がやってきたことを本気で喜んでいるわけではないはずで……。

 って、待て。今殴り合っている二人は誰だ。
 馴染みのない顔ぶれ。格好は正騎士の鎧ではなく、従騎士のもの。私が昔元王子と一緒に直接スカウトしてきた人材ではない。というかここにいるの副隊長とハネスとあと三名ほど以外は従騎士なんだった。
 つまり私の来歴や本性というものをよく知らない二人なわけで、それが手作り菓子を奪い合っている。
 こ、これはもしや、女の身に生まれ変わってからまれに起こっている、私のために争わないでシチュエーション……!
 でも奪い合ってるのは、本人ではなく菓子というなんとも微妙な状況だ。

「手作りの物なんて母上と妹にしか貰ったことがないのだー!」

「妹がいるなら上等じゃねえかクソが!」

 あ、良いのが腹に入った。従騎士の鎧って胸当てで腹は守らないからなぁ……。

「決着!」

 勝ったのは妹がいない方でした。勝負を見届けた妖精が楽しそうにはしゃいでる。

「さあ、姫から手渡してあげなさい」

 そんなことをオルト副隊長が言いながら、私にバスケットを渡してくる。中に入っている菓子は残り一つ。この殴り合い以外は、料理長との会話のあの短時間でどうやって食べる人を決めたのだろうね。

「では、本日のお菓子残り一つをお渡しします。……本来はこれ、小姓さん達に渡すためのものですからね?」

「ありがたき幸せー!」

 なんだこのノリ。
 菓子を手渡すと、歓喜の表情で聖印を切り菓子を頬張る従騎士。

「美味い……! 勝利の味だ……!」

 これ、菓子自体の味は割とどうでもいいんだろうなぁ……。
 ああ、そうだ、菓子についてちゃんと説明してあげないとな。

「これは上の枝の国トラキオで作られる、砂糖の飴菓子でございまして」

 私の言葉を聞きながら、従騎士が頷く。その足元では、負けた方の従騎士がぼんやりと天井を見ながら床に転がっていた。怪我とか大丈夫だよな?

「複数人で飴を折りたたむという作業が必要となるため、身長が問題となり……」

 私の言葉に首をひねる従騎士。料理の光景が想像できないのだろう。

「私は手を出せなかったのでこの宿舎の料理人さんの手作りで、私は作ってないんですよね」

「えっ」

 その私の言葉を理解したのか、従騎士はふらりと頭をゆらし、そしてその場にくずおれた。召喚されたままの妖精が心配そうにその顔を覗き込む。

「侍女の……手作りお菓子が……」

 だって料理を作るのって侍女の仕事じゃないし……。



[35267] 22.準備と私
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2021/09/10 02:20
 これは過去のふとした小話――

「王権神授という言葉が前世にあった」

 馬車に揺られながら、若い頃の私がそんな話を切り出した。若い頃と言っても、容姿は今となんら変わらない。
 ただし装いは大きく違う。オシャレさの欠片もない、分厚い生地でできた旅装だ。けっして侍女のドレスや侍女宿舎用の小綺麗なお嬢様服などではない。

「へえ」

 私の言葉に応えたのは、この国の王子殿下。未来の国王陛下である。彼の服装も王族とは言いがたい、 一般的な平民が旅をするためのものだ。
 王子のそんな相づちを受けて、私は言葉を続けた。

「王の権利は神から授けられたものであり、王権は神以外には脅かされない、絶対的なものだという政治の仕組みだ。民や貴族は神に保証された王のなすことに、何も抗わない」

 当時の私たちは、王太子である王子が国王就任するときに備えて、理想の最強近衛師団を作ろうと国中をかけずり回っていた。
 この時は確か、槍の名手だという地方貴族の四男をスカウトするのに成功して、次の目的地の王都に向けて二頭立ての馬(みたいな働きをする四つ足のこの世界独自の動物)を魔法で強化して馬車を走らせているところだった。
 田舎道ともあって揺れが激しいが、王子はそれを気にするでもなく、私の与太話に付き合ってくれていた。

「神……火の神みたいな? それとも旧惑星の獣神みたいのかな?」

 そんな疑問を王子が述べる。

「いいや、架空の神だよ。民達が空想して国や民族全体で共有している、想像上の存在だ」

「へ? 何それー空想の神様ってー」

「いると信じ込めばいなくてもいるのと同義になるのさ。ほら、妖怪みたいな。あれをやったのは妖怪の仕業だ。あの出来事は神の奇跡によるものだってね」

「へーふーん……神様と妖怪一緒にしていいん?」

「いなけりゃ一緒さ」

「つまり君の前いた世界には神様はいなかったってことかい」

「私のようなただの人民が存在を実感できるような神の奇跡なんて、一度も見たことなかったよ」

 前世では無神論者だったからこそ出たこの時の一連の言葉だったが、おそらく私の主張は間違いだ。奇跡はあった。私は地球で死んで異世界で生まれ変わるという、謎の奇跡を体験しているんだ。
 私の前世の最期は、火を崇拝する邪教を巡る事件に巻き込まれ、邪教の隠し神殿で友の活路を開くために邪教徒の前に立ち塞がりそのまま殺されたというものだ。そして、この異世界、世界樹の大地において現存する神とは火の神しかいない。
 おそらく邪教の神殿から火の神が支配する天界を経由して死んだ私の魂が移動し、この異世界に辿り付くことで私は転生を果たしたのだと思う。
 つまり地球にも、火の神は実在していたのだ。なにせ私を殺した邪教徒は、怪しげな超能力じみた謎の力を使っていたし。トリックかもしれないが。

「いない神ちゃんなんかに保証されてもなー。滑稽な王権だねぃ」

 おかしそうに王子がそんなことを言った。
 この時の私は王権神授説なんて持ち出して、何について語ろうとしていたのだったか。
 そうだ、王子が国王になるにあたっての心構えみたいなそんな与太話だ。
 私は王子のそんな言葉に自分の考えを返す。

「大事なのは民が神を信じているということだ。つまり民に神と同じように、王を信じさせるのが王権神授のキモさ」

「ほーん」

「王なら神の奇跡で疫病を癒すことができる。王なら神の代理人として国を富ますことができる。それを民が信じていれば、民が王に逆らうことはない」

「でも神様いないんでしょう?」

「偉大な権力が、あれば奇跡が起きたのと同じような結果くらい起こせるさ。他にも例えばそう、神の力で豊作をもたらす」

「あれ、それって……」

「そう、この国の王族も『幹』に委託された世界樹制御の力で、天候を操り土地を富ませ、どの地域に豊作をもたらすか決めることができる」

 『幹』とはこの世界全体を支配し、世界の運行を行っている中枢機関である。この世界を照らす太陽は人工天体であり、この世界の大地は世界樹の枝葉から排出される調整された分泌物だ。
 世界の有り様は『幹』の胸三寸次第であり、その権限のいくつかは各地の国家の支配者層に委託されている。
 こういった世界の知識は、育ての親の一人である魔女に詳しく教え込まれていた。

「でも『幹』は神様じゃないよ」

 そんな言葉を王子が返してくる。それに対して私は苦笑しながら答えた。

「王族の感覚ではそうかもしれないがな。民からすれば神様みたいなものさ。ただの人民は『幹』と世界樹をほぼ同一視している」

 世界樹教というものがある。私達の住むこの偉大な世界を崇めましょうという宗教だ。そしてその世界は『幹』によって管理されている。
 なので平民や貴族の大多数は『幹』を偉大で崇高な存在だと信じ込んでいるのだ。直接『幹』の管理者達と会話を交わす機会のある王族からすればまた見方が違うのだろう。だが、この当時の私の『庭師』としての格は世界樹の中枢に関われるほど上等なものではなく、王子の視点というものに共感してやることはできなかった。

「つまりな王子、この国も王権神授だ」

「民や貴族は、世界樹に保証された王のなすことに何も抗えない。安全でなによりじゃねーの。良いこと聞いたわー」

「王権が神に保証されたと民が信じている限りだ。王の座を奪い取れば、王の力が自分にも与えられるなんて勘違いされたら反乱されるぞ」

「こわっ! なにそれこわっ!」

「王族は神の代理人として、民に崇拝されなければいけない。王族はすごい。すごいから王権が神授されている。そう信じこませねばならない」

 揺れる馬車は魔法の力により本来ではありえない速度で王都に向かって進んでいた。
 近衛のスカウトを巡り現地で思わぬ事態が発生してしまったため、計画していた日程がずれこんでしまっていた。

「だからな王子、大収穫祭には遅刻するわけにはいかないんだ」







 大収穫祭が近い。
 侍女の私が祭で表に立つことはない。が、近衛騎士団は出ずっぱりだ。王族一同が大収穫祭の期間中、何度も王都の市民の前で儀式を行うからだ。
 一年の収穫を喜び、そして見直し、『幹』から授けられた豊穣の杖で国土の設定を変更する。
 そう、設定変更だ。どの地域のどの作物を来年は多く実らせるか、世界樹から土地に与えられるリソースを再分配しなおすのだ。
 なのでこの国の王族達は農学と化学に詳しい。革命やクーデターが起きて国の頭がすげ変わったら、この国が農業的に大規模後退してしまうってくらい農学に詳しい。
 まあでも革命やクーデターはそうそう起きないだろう。
 貴族は王族がいかに農業帝王学(勝手にそう名付けてみた)の最先端にいるか理解しているし、人民は王族を神聖視している。そう、神聖視しちゃってるのだ。大収穫祭のときの儀式を行うときにでるエフェクトがあまりにも神々しいから、同じ人間として見ていない。王族はこの国では世界樹の化身と呼ばれている。

 でも、そんな王族にも危険はあるもので、具体的にはこの国の資源を狙っている他の国に暗殺される可能性がある。世界に人の悪意が満ちるのは悪徳とされているが、それでも戦争は世界の中枢にも禁止されていない。
 だから、国王並びに王族を守るための近衛騎士団は、大収穫祭で重要な任務を帯びていると言える。
 しかも、儀式の最中、王族の周囲に侍るということはそれ相応の格好というものが必要となってくる。

 近衛とは国の顔なのだ。美しく麗しくそして荘厳でなければならない。大収穫祭はその最大の見せ場である。私がこの近衛宿舎付き侍女に決まった日、そんなことを同室のカヤ嬢にこんこんと説かれたことがあった。
 まあそうだね。侍女の仕事って、主人の身の回りの世話をして見栄えを良くすることもあるよな。というかそれがメインの仕事のはずだよな。

 というわけで、私は騎士達の儀礼装備の最終チェックを行うことにしたのだ。
 場所は近衛騎士団第一隊の宿舎『白の塔』。私の仕事場だ。

「どうよ」

 そんな言葉と共に騎士の一人が、完全装備で私の前に立つ。
 染め抜かれた布がふんだんにあしらわれた鎧姿である。戦争時ともなれば一人一人オーダーメイドのプレートアーマーを着込んだりもするのだが、儀式用の鎧は身体を守る面積がさほど多くない。
 顔を見せるために兜はなく、胸当てに手甲、足は板金がところどころに留められた革のブーツ。そして近衛騎士を表わすマントである。

 この国の武装集団はそれぞれが専用の色を割り当てられている。
 青の騎士団。緑の騎士団。黄の王国軍団。赤の宮廷魔法師団。黒の影団。
 青の騎士団なら青いマントを着けるし、緑の騎士団も緑のマントを着ける。迷彩なんて発想のない国軍も黄色の統一衣装を着る。

 近衛騎士団は先王時代、白の騎士団と呼ばれていたのだが、現在の近衛騎士団は白を象徴の色としていない。これは昔私が「白って汚れやすいからあまり使いたくないよね」と戯れで言ったら何故か騎士達にそれが通ってしまい、王の交代時の新生近衛騎士団発足時に白の騎士団ではなくなってしまったのだ。
 なので近衛に担当色は無し。マントの色は幹部が紫、平の正騎士が橙、従騎士はマントの着用を許されていない。ちなみに旧白の騎士団は今は白いマントを着けたまま各騎士団に教導騎士として入っているらしい。

 そんな近衛騎士団のメンバーが新しく入れ代わってから五年。色がないことで問題は起きてないだろうか。
 少なくとも目の前の橙色のマントを付けた正騎士に問題は……。

「うわっ、ブーツ汚っ」

 足元がお留守でした。思わずうわっとか反応してしまった。

「ええ、なんで儀礼用装備なのにこんなに汚れてるんですか……」

「そんなにかぁ? 靴が汚れてるなんて当たり前だろうに」

 片足を上げてブーツを覗き込む正騎士。

「儀礼用は普段着とは違うんです!」

 違うのだ。当たり前である。
 泥汚れがこびりついて変色しているなぁ。儀礼用装備なのに普段使いとかしていないだろうな。というか儀礼用装備は儀式の時以外は城外持ちだし禁止だ。
 そんないろいろやらかしていそうな騎士は、片足立ちだというのに身体はぶれもしない。良い体幹をしている。これで見た目も気にしてくれればこのような手間が省けて良いのに。

「鎧の着こなし自体は、まあさすがに従騎士さんに任せただけあって完璧ですね」

「おうともさ。慣れたもんだ」

 着替える、という行為を他人任せにすることに慣れていない者は、身分の低い出身者が混じるこの近衛騎士団では意外と多かった。
 そりゃあ部屋着なんかは自分で着替えられるに越したことはないだろうが、礼装や戦装備ともなると多重チェックの意味合いもあって従者任せにする必要が出てくる。この正騎士も巨獣狩人出身ともあって昔は着替えさせられることに忌避感を覚えていたようだが、年月は人を変えるものである。

「ブーツ以外は問題ないので、頑張って磨いてくださいね」

「え、新しくするんじゃねえの?」

「本番直前に靴を換えるなんて靴擦れしますよ。はき慣れた物が一番です。それははき慣れすぎですけれど」

「面倒くせえなぁー」

 磨くのは貴方ではなく小姓さんや従騎士さんの仕事ですよ。とは言わないでおいた。正騎士自ら磨いているところに自分にお任せくださいと、彼らにアピールする機会を残しておいてあげよう。
 近衛騎士団は現在、戦闘訓練を行っていない。大収穫祭が間近なので、王族の警護のために王宮へと入っている者以外は、儀式の練習と確認作業とが近衛達全員の業務だ。

「次は私だな」

 そんな声と共に、幹部用のより立派な鎧姿に身を包んだ、副隊長にして宿舎長のオルトが私の前に立った。
 私が騎士のもとへ向かうのではない。騎士が私のもとへ来るのだ。私の方が立場が下なのに。そう、また例の侍女席である。やる仕事は、前と違って決まっているのだが。

「清潔ですねぇ。他の人に見習わせたいものです」

 宿舎長を任されるくらいには几帳面で良識のある人物だ。こういうときには協力的で助かる。……良識、あるよな?
 私一人で最終チェックをするために、騎士達の時間割を作成したのもこの人だ。私の仕事が取られている。カヤ嬢にすごい叱られそう。

「あ、マントの刺繍がほつれていますね。すその方」

「む、本当か」

 マントを持ち上げて金糸の刺繍を見て確認する副隊長。紫色の布地に金色が良く映えているが、どこかに引っかけたのだろうか、植物を模した刺繍が途切れて糸が飛び出していた。
 着替えを行う従騎士達も男の子だからなぁ。こういう細かいところは大雑把に見て気づかないのかもしれない。いや、私も元男だけれども。同室のカヤ嬢とか、毎朝の私の身だしなみチェックすごいぞ。

「……この程度問題ないのではないか? 遠目には見えないだろう」

 几帳面と言った前言撤回。いや、気持ちはわかるけれども。

「見えなくとも整えなければならぬのが副隊長という立場なのです」

「そうか……そうだな……」

 面倒臭そうにため息をつく副隊長。
 問題点を指摘すると、みんな面倒臭そうな反応をするなぁ。本人が何かをしなければいけないことって、ほとんどないんだけれど。
 まあ確認作業自体が面倒臭いんだろう。

「代わりのマントに着替えてこよう。そちらはいささか刺繍が華美なのだが」

 わずかに眉を寄せながら副隊長が言った。マントは予備があるようだ。鎧はどうだろう。ないか。

「華美でよろしいじゃありませんか」

「祭の主役は陛下だ。私ではない」

 近衛はその陛下の付属物だから、いくら派手でも良いと思うけどね。それにあの国王用の白いキラキラ儀式衣装より目立つってことはないだろう。

「今のマントは針子室へと出しておきますので、後で従者に私の方へ持たせてください」

 そう言って副隊長を送り出す私。
 儀式用装備は個人の持ち物ではないので、城の針子が修繕を担当する。
 宿舎に住む騎士の中には王都に自宅を持つ者もいるが、そこへ持ち帰ることは許されていない。それだけ特別な装備ということだ。

「ああ、わかった」

「もしかしたら大収穫祭までに直っているかもしれません」

「そうなのか」

 さすがに本番まであと少しというところで、針子達が衣装をまだ作り続けているということはないだろうし。というかないと聞いた。針子室の業務の混み具合は、侍女達全員に知らされるのだ。針子室に仕事を持っていくのって、大多数が侍女だからね。

 ちなみに針子室というのは、その名の通り王城内に存在する針子(裁縫師)の仕事部屋だ。王城御用達の針子工房は城内ではなく王都内にちゃんとあるのだが、工房へ持ち出すまでもない簡単な針仕事は王城内にある仕事部屋で行われる。また、城の外では行えない特殊な魔法付与の衣装作成なども、針子室で行われるのだとか。

「では君には二度手間になるかもしれないがマントを替えてまたこよう」

「納得するまで何度でもよろしいですよ」

 そんな私の言葉に「納得するのは私ではなく君だろう」と副隊長は返し、着替えに下がっていった。
 そしてぼそっと一言。

「侍女席はやはり必要だな……」

 いや、宿舎は広いからありと言えばありだとは思うけれどね。この宿舎でかい塔だし。
 でもこのやり方って侍女じゃなくて事務職やってる気になるんです。



[35267] 23.前夜と私
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/07/07 17:40
 大収穫祭を明日に控え、今日は朝から大忙し。
 儀礼用装備のチェックは先日すでに完了していたが、身だしなみの確認というのは、本番ぎりぎりまで行う必要がある。
 なにせ男というものは放っておくと、ヒゲがもさもさ伸びてくるのだ。これが女だった場合は、ヒゲの手入れの代わりに化粧が入ってくる。むだ毛の手入れも化粧も、侍女が補佐するべき事柄だ。
 そう、この国の騎士にとってはヒゲはむだ毛扱いだ。ダンディな口髭を生やしているものは騎士には居ない。そういう国文化なのだ。
 ヒゲを伸ばすのは力仕事をしない職業に就いている証。この宿舎でヒゲが生えているのは、料理人達だけである。料理って腕力めっちゃ使うけれど、力仕事扱いではない。まあ力仕事をしていない人が皆ヒゲを伸ばしているかというと、そういうこともないのだが。

 現在時刻は夜。夕食も終わり、人工太陽の明かりも落ちている。
 日の光の代わりに魔法の灯りが、近衛宿舎の中を照らしている。電気文明の存在しない世界だが、代わりに非常に発達した魔法が存在している。文明レベルが上がりすぎないよう、世界の中枢機関で魔法技術は細かく管理されている。だが、一日で人の過ごせる時間を長くするというのは、問題ないことらしい。
 そんなわけで今頃城下町では魔法の街灯の下、本祭を前にした前夜祭が行われていることだろう。

 大収穫祭の日程は今日の前夜祭も入れて五日間。近衛騎士が王族の警護のために市街地に繰り出すのは、明日からの四日間だ。その中で今日の前夜祭だけは、王族も王城の官僚達も行事の運営に関わらない。市民達だけの祭なのだ。
 侍女達の中には、休みを貰って街に繰り出している者もいるのだが、私にそんな暇はない。
 普段の日ならば私の侍女としての仕事は夕食前には必ず終わる。そんなホワイトな就業時間だ。しかし、この大収穫祭の期間ばかりは、そうも言っていられない。
 そして今の私は、湯浴みを終えて一休みしている騎士達の部屋を回って、ヒゲが伸びていないか、爪は手入れされているかを見て回っているのだ。騎士の爪の長さなんて誰も見ないよ、とは思うのだがそれでも主人の身だしなみをきっちり整えるのが、侍女という職業なのだ。

「失礼します」

「どうぞ」

 定型句を交わして騎士の部屋に入る。侍女の宿舎と同じ二人部屋。正騎士と従騎士が二人一組で住んでいる。小姓はこの近衛宿舎では寝泊まりしない。
 王都である城下町に自宅を持っている騎士達も多く、彼らがいつもこの宿舎にいるとは限らない。が、全員出動の仕事を明日に控えた大収穫祭のこの期間は、全近衛騎士が王城内に夜間留まっている。

「髪結いをお願いしていいかな。明日の夜まで持つようにだ」

 入室するや否や、そんな注文を私に付けてきたこの部屋の正騎士。どうやら本を読んでいたようで、椅子に座り膝の上に閉じた本を載せていた。
 従騎士も部屋の中におり、彼は手をかざして正騎士の髪へ魔法の風を送っていた。湯浴みを終えた後なので、ドライヤーの役目を負わされていたのだろう。魔法が使えるとは優秀な従騎士である。

「何結いで?」

「ホルムス風を」

 結い方を尋ねると、正騎士からそんな言葉が返ってきた。ホルムス風か。流行に敏感だな。
 この正騎士は肩甲骨の辺りまで髪を伸ばしている長髪の騎士だ。割合は多くないが、髪を伸ばす男も存在するのがこの国である。
 私は座る正騎士の後ろに立ち、言われたとおりに髪を結い始めた。
 ホルムス風とは、髪を伸ばす粋な男達の中で格好良いと噂されている髪の結い方だ。『名探偵ホルムス』という推理小説の挿絵に書かれている主人公の髪型である。
 この世界にはない創作ジャンルである、推理小説という商材を商会に教えたのは私だ。
 しかしなんともまあ、そこから生まれた主人公の髪型が近衛騎士まで影響を与えているとは、なんとも意外な話である。キャラデザインは私ノータッチだから、私の作った髪型ではない。
 油を塗り、髪を束ね、自然にほどけないように強めに引っ張り、結い上げる。

「いたた、姫の馬鹿力で引っ張られると禿げあがりそうだ」

 すると正騎士が、そんな弱音を口から漏らした。

「この程度で髪なんて抜けませんよ」

 そう私は返す。
 侍女を持つ女主人なんて、これを毎日やられてるんだぞ。
 まあ、普段私が女性相手に髪を結うときは、こんなに引っ張らないが。全ては、明日の夜まで保たせろという要求が悪い。

「でも姫に自分の身を任せてるって結構危機感あるよ? ぐしゃってされそうで」

 ひでえこと言いやがる。
 そりゃあ、やろうと思えば人間の頭蓋骨なんて、熟れた果実のように握りつぶせるが、やらないよ!
 文句の一つも言いたくなって、私は正騎士に少しトゲのある口調で言葉を投げかけた。

「でしたら、従騎士の方にやってもらえばいいでしょうに」

「えっ、俺ですか!?」

 私の言葉に、風を送るのをやめて、部屋の隅でじっとしていた従騎士が、ぎょっとした顔でうろたえる。

「髪なんて束ねて縛りあげるくらいしか知りません……」

 そう言ってしょんぼり肩を落とす従騎士。
 それに対して正騎士が言う。

「はは、大丈夫、君にそういうのは要求しないから。武具の手入れをしっかりしてくれればいいさ」

 なんだこいつイケメン発言すぎる。でもあなたさっき、従騎士に魔法で髪を乾かせていましたよね。
 しかし、侍女がこの宿舎に私一人しかいない以上、小姓と従騎士で出来そうなことは、やっておいてもらいたいものだけれどな。私が楽をしたいとかそういうことではなく、物理的な限界として。

「普段は髪はどうしているのですか?」

 疑問に思って私はそんなことを訊ねていた。

「訓練の日なんかはそれこそ束ねて縛るくらい。人目につく仕事の時は、事前に城下の髪結い床まで通ったりしてるよ」

 髪結い床か。そういえばそんな江戸時代みたいな店があるんだったな。要は髪を結って貰える床屋さんだ。
 私の場合、前職時代は髪に魔力を宿す関係上、自分で髪を結っていたし、今は毎朝カヤ嬢に髪を弄られてるから、私には縁のない店だ。カヤ嬢って、なんで私の世話を焼きたがるんだろうね。

「まあ、今日はオルトさんに、全員湯を浴びて毛の先まで綺麗に洗え、なーんて言われちゃったから、結いに行けなかったんだけどね」

 そんなことを正騎士が、肩を上げながら言った。
 近衛が臭いなんて市民に思われたら、国のイメージダウンはなはだしいからなぁ。
 近衛って王族とセットで人の目に触れるから、以前誰かが言っていた通り国の顔みたいなものだからな。

 そんなこんなで雑談をかわしているうちに、髪が結い終わる。まあ多分明日の夜まで持つだろう。

「どう、名探偵っぽい?」

 椅子から立ち上がり、決め顔でそんなことをのたまう正騎士。

「強そうな騎士っぽくなくていいんですか?」

 私は答えを保留して、そんな質問を返していた。名探偵ホルムスって別に某ホームズみたいに武闘派じゃないし、バリツなんて使わないからな。

「そういうのは他の奴が担当していればいいんだよ。こっちは陛下に添える花としての役目さ」

 でも貴方って近衛の中でも、身長も体格もかなり良い方でしたよね。



◆◇◆◇◆



「終わった、仕事終わった……」

 夜も遅く、へとへとになって、私は侍女宿舎にようやく帰ってくることができた。
 ごめん嘘。侍女の仕事ではへとへとにならない。前職は魔獣や巨獣を狩るため、森の中徹夜で動き続けるとかあったからね。まあ、普段の仕事量よりは多かったというだけだ。今日は騎士達も、それぞれのスケジュールというものがあって、侍女席が使えなかったということもあるしね。

 しかし、騎士達の身だしなみのチェックだけやって終わりかと思いきや、髪結いだけに留まらず化粧まで頼んでくる騎士までいて、思わぬ時間を取られた。
 男が化粧である。実はこれも最近の流行り。
 メンズ化粧品という、この国になかった概念を商会に伝えたのは私なので、こんなに時間を取られたのは自業自得とも言える。流行るとは思わなかった。商会に流した前世のアイディアって、何でもかんでも成功しているわけじゃないのに、なんでこんなものが流行る。
 いや、私侍女になるまで化粧なんて一度もしたことなかったから、仕掛け人だからといって男の化粧方法なんて詳しくないんだけれど。
 化粧道具が、女子のものとさほど変わらなかったのが救いだ。しかし化粧で美しくではなく、格好良くなるものなんだな。

「ただいまーっと」

 自室の扉を開け、中へ入る。二人部屋だがいちいちノックをすることはしない。自分の部屋に入るのにいちいちうかがいを立てるのは面倒でしょうと、は同室のカヤ嬢の言葉だ。適度に几帳面で適度にずぼらなんだよな彼女は。前は仕事をさぼったら逆に喜ばれたし。

「おかえりなさいませお姉様!」

 おや。私を迎えたのはカヤ嬢ではなく、友人の娘である馴染みの顔、ククルだ。侯爵家の子女という王城の侍女を勤めるのに相応しい高貴な家の出である。
 この子が産まれたときから付き合いがあるので、お姉様と呼ばれて妙に慕われている。
 しかし、こんな夜更けにどうしたのだろうか。

「やあククル、カヤ嬢とお話でもしていたのかい」

「キリンお姉様が帰ってくるのをお待ちしていました!」

 元気だなぁ。まだ若いから夜は眠たくなりそうなものだけれど。
 私を待っていたということで、用事を一応尋ねてみることにした。寝る前に話をしたかったとかだろうかね。

「そうか。何か用とかあったかい。なくても歓迎するが」

「キリンお姉様が、明日の約束を忘れていないか確認しに参ったのです」

「はは、そうかい。大丈夫だ忘れてないさ」

 どうやらククルは、以前から交わしていた「大収穫祭を二人で見て回る」という約束の確認に来ていたようだ。
 そう、明日の大収穫祭、私は城の外へ出られるのだ。
 明日の私の仕事は朝と夜だけあり、近衛騎士が全員街へ出動する日中は何もすることがないため、変則的な半休を与えられたのだ。

 侍女とは本来主人の外出についていき、身の回りの世話をする存在だ。しかし私の場合世話対象があまりにも多すぎるので、その役目は免除されている。外で仕事をする正騎士の世話をするのは従騎士の任務となる。なので昼の間だけ休みである。
 そしてククルは、大収穫祭の期間のうち、明日一日の休みを獲得することに成功していた。そして私と予定が合ったため、一緒に城下町へ繰り出そうという話になっていた。
 ちなみにカヤ嬢は休みが合わなかったので、三人一緒には出かけられない。そんなカヤ嬢は、ククルの隣で私達の会話を楽しそうに眺めて笑みを浮かべている。

「明日はお父様とお会いできるので、私楽しみで楽しみで」

 ククルの父、ゴアード侯爵は領地の収穫祭を取り仕切った後、大収穫祭の開催に合わせて王都にやってきて、屋敷に滞在しているらしかった。
 侍女が王城から出て、王都にある自分の家に一時的に戻ることは、規則で許されている。侍女長に申請をすれば割と簡単に通る。なので、ククルが父に会いたいならば別に明日を待つ必要は無かった。が、ククルはどうやら、休みに合わせて父に会うことを選択したようだった。

「でもククル、もう夜も遅いんだ。早めに寝なければ、明日寝過ごしてしまうよ」

 と、子供を諭すように言った私だが、ククルは十四歳。夕食直後に寝てしまうような歳ではないし、肉体年齢でいうと私の方が幼い。

「でも明日が大収穫祭だと思うと目が冴えてしまって……」

 そんな言葉を返してくるククル。
 そうか、次の日の遠足が楽しみで眠れなくなる小学生状態なのか。友人の私と、しばらく会っていない父親と一緒に巡る祭なんて、楽しみでしょうがないのだろう。

「それじゃあククル、しばらく三人でお話ししていようか。眠たくなったら私のベッドで眠れば良い」

「わあ! お泊まり会ですね!」

「城下じゃ前夜祭をしているんだ。私達もすこしはしゃいだところで問題ないさ」

 ちらりとカヤ嬢に目を向けると、にっこりと笑いながらこくりと頷いた。つまりお泊まりOKとのことだ。

「では何からお話ししましょう! そうだ、カヤが婚約者の方とお祭りデートの約束をしている話から!」

 いきなり恋バナをぶち込んできたククルに、カヤ嬢の笑顔が僅かに崩れる。ここで自分の話になるとは思っていなかったのだろう。
 しかし、これは夜、寝静まるのはいつになることかな。明日の朝は近衛達を見送る仕事があるから、寝坊するわけにはいかないのだけれども。



◆◇◆◇◆



「いってらっしゃいませ」

 翌日の朝早く。無事に起きることに成功した私は、その日の仕事を始めた。そして儀礼用装備に身を包んだ騎士達を近衛宿舎から見送るまで、慌ただしく時間が過ぎた。
 本日は雲一つない晴天。まあここは雲の存在しない大陸だ。

 地中から立ち上った水蒸気は、物理法則通りに上空で雲を形成しようとする。だが、この大陸の上空に展開された、人工太陽と人工月を運用するための魔法陣が、その雲を吸収してしまう。つまりは、一年中雲一つない良いお天気だということだ。
 空を見上げると、広大な立体魔法陣が空に広がっている。地球とは似ても似つかない空模様。雨が降るかどうかは、世界の中枢機関『幹』が操るこの魔法陣によって、完全に管理されている。
 そしてこの国の王族は、この日この地域に雨を降らさないでくださいと、中枢機関に予定を頼み込んで融通を利かせることができる。そのため、祭が雨天中止ということはありえない。良いことだ。

 祭の時に雨が降るのって、ものすごいテンション下がるからな……。

「おはようございます」

 と、宿舎の前で空を見上げていた私にかかる声。いつもの洗濯担当の下女さんだ。大収穫祭当日だろうがおかまいなしに洗濯物は出るため、それを受け取りに来たのだ。
 私も挨拶を返そう。

「おはよう。今から集めるから少し待っていて」

「はい、お待ちしています」

 下女の子を置いて宿舎の中へ戻り、小姓達を呼び集める。今日のお菓子は『収穫』にちなんで秋の味覚、ケーリの実の蟻蜜漬けだ。
 この季節の祭屋台で良く出される定番菓子なので、仕事のある小姓達にもお祭り気分を味わってもらおうという、料理長のはからいである。

「では、部屋の前から洗濯物を集めてきてください。今日のお菓子は収穫祭にちなんだものですよ」

「はーい」

 私の号令に一斉に駆け出す小姓達。彼らは、すっかり私の言うことを聞くようになっていた。
 菓子での懐柔が効果的だったのだろう。だが、それとはまた別に、飼い犬が飼い主の家族を順列付けするがごとく、従騎士以上の偉い存在として私を認識しているようだった。

 私自身の身分は貴族でもなく、王城侍女という肩書き以上に偉いものでもないのだけれど。まあ身分の高さと場の順列というのはイコールではないから、そういうものなのだろう。
 正騎士達にとっての私は、現国王と一緒に近衛を作りだした、なんだかすごそうな姉御ポジションなわけで、その正騎士達が私に見せる態度というものを小姓達は敏感に感じ取ったようなのだ。
 うーん、何か問題あるかな。ないか。仕事が順調になると思えば良いことだ。

 その後、洗濯物を下女(名前はエキといったか)に引き渡し、宿舎の食堂で小姓達に蟻蜜漬けをふるまって、仕事は終了。
 侍女宿舎に戻り、祭に出かけるための服に着替えるため自室へ戻った。

「おかえりなさいませお姉様!」

 あれ、デジャヴ。

「ただいま。どうしたんだいククル」

「すぐに出かけられるよう待ってました!」

 祭を前にしてテンションが上がっているのか、わーっと私をハグしてくるククル。こらこら着替えられないだろう。

「ぎゅーっ。あら、お姉様から蟻蜜の甘い匂いが……」

 私の頭の上ですんすんと鼻をならすククル。
 抱きしめて匂いを嗅ぐとかそういうの、やめなさい。

「ああ、さっきケーリの実の蟻蜜漬けを食べたからね」

 歯も磨いていないし、濃厚なあの甘い香りが残っていたのだろう。

「えっ」

 そんな声と共に私を抱きしめる腕が強ばった。

「ひどいですキリンお姉様!」

 なんぞ。蟻蜜漬け食べたのが何かギルティだった?
 祭の前に腹を満たすのはダメだった? でも食べたの一個だけだぞ。

「私を置いて屋台に先に食べに行っちゃったんでしょう!」

 あー。ああー。なるほど。
 蟻蜜漬けは祭の屋台の名物だから、勝手に城下町まで降りて食べたと勘違いしたのか。

「違うよ、小姓くん達と食べたんだよ」

「しかも他の方と一緒に!」

「近衛宿舎で」

「えっ?」

 今度の「えっ」は疑問符が付いていた。

「? えっえっ、宿舎で屋台が? どういう?」

 混乱するククルに、私は笑いながら、順番に事情を説明することにした。ところで、服を着替えられるのはいつになるかな。
 こうして私とククルの祭の一日がようやく始まる。



[35267] 24.怪力魔人ウォーリア系大収穫祭<前編>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2020/10/26 19:59
 私の勤め先、クーレンバレン王城の城下町は、この国アルイブキラの首都である。私はもっぱら王都と呼ぶことが多い。

 そんな王都は石造りの街だ。
 この国の地下資源(地面の下にある世界樹の枝が、実のように生やす資源という意味だ)は、鉄や銅といった生活に必要な金属資源をほとんど含有していない。だが、その地下資源に金属はなくても岩石は豊富だ。
 各所に採石場となる岩山があるので、建材として石材が用いられる。
 シンプルに四角く加工された石を積んで家を作る。

 だというのに、王都の家はまるで一枚の岩から削り出したような、つるりとした外壁に仕上がっている。これは、大工や左官工に石の魔法を使える家系の者が多く居るためだ。
 石と石を魔法で接合させることで、積んだ石を一枚の岩壁のように再加工しているのだ。なめらかな外壁は、表面を塗料で塗るのも容易なので、町並みはなかなかカラフルである。

 また、石ではなく、レンガ積みの家屋もところどころに混じっている。レンガ用の粘土も、王都周辺で産出されているのだろうか。そこまでは私は知らない。
 ちなみに木造の家はない。
 地方の町村では木造の家も珍しくはないのだが、ここ王都では、木造の家は法で建造が規制されているらしかった。

 王族の住む王城があるため、いざとなったらここ王都が戦場になるかもしれない。
 そのとき簡単に火が付けられる木造の家は、防衛上問題があるのだろう。
 平時でも火移りによる大火災は怖い。火の魔法や水の魔法で消火活動を行うといっても、すぐに119番できる電話があるわけでも、即座に現場に駆けつけられる消防車があるわけでもない。

 ちなみに消防車のような自動車はない世界だが、獣に車体を引かせる馬車はあるため、王都の道は道幅が広く取られている。
 普段ならば道の真ん中を馬車が通り、人は道の脇を通って歩く。
 だが、大収穫祭の今日この日、道は全て歩く人々で独占されていた。

 点在する屋台には人が群がり、用意された椅子に座りながら新鮮な作物を使った料理を食べている。
 前世の日本でいう神輿や山車のようなものなのか、収穫を祝うオブジェを引き連れた音楽隊が、楽器を吹き鳴らしながら街を練り歩いている。
 世界樹教の聖職者達が実りを讃える聖句を唱え、聖なる光をあちらこちらで振りまいている。それを見た一般人達も聖句を唱え光を撒き散らしていた。
 この世界では魔法の才がない者も聖句を唱えれば、世界に満ちた魔力が反応し光と共に祝福が返ってくる。なので、収穫を祝う聖句を皆で唱え合い、街中は水かけ祭りならぬ光かけ祭りの様相を見せていた。
 音楽隊の中には合唱隊を引き連れたものもあり、聖歌を歌ってはこれまた光のエフェクトを周囲に飛ばしている。

 屋台では料理だけでなく酒も売られている。ちょうど一年前に収穫された作物を使って作られたものだ。
 果実酒に穀物酒。それらを加工した蒸留酒まである。

「うはは、やっぱり王都は賑やかだねー」

 そんな屋台の酒を自前のコップに注がせ、飲みながら道を歩く者がいた。
 一目で貴族のそれとわかる仕立ての良い服。オールバックに固めた黒髪に、艶の良い口ヒゲの男。名はレン・ゴアード・パルヌ・ボ・バガルポカル。バガルポカル領を領地に持つ侯爵であり、私の侍女としての同僚ククルの父親である。父と同じ黒髪をゆるやかに編んで肩から垂らしたククルは、そんな父と腕を組んで嬉しそうに歩いている。

「屋台一軒目から酒とは飛ばしているな」

 金属細工の入ったコップで酒を飲むゴアードに向けて、私はそんなことを言った。
 屋台で酒を買ったのはゴアード一人だ。
 ククルも私も祭の最初から酔う気は無く、何も酒屋台では買わなかった。
 侯爵の護衛として付いてきている二人の男も、当然酒は口にしていない。

 私とククルの二人は共に王城を出た後、すぐさまゴアードの待つ屋敷へと向かった。そして父と娘の再会の挨拶もほどほどに、街へ繰り出すことになった。祭りを前にしてククルが我慢しきれなかったのだ。
 親バカであるゴアードは、ククルの言うがままについてきた。
 だが、そこで駆けつけ一杯するあたりこいつも祭りでテンションが上がっているようだった。

「みんなは飲まないのかい」

 ゴアードはコップをずいっと護衛の男に向けて押し出す。当然護衛は「護衛中ですので」と断った。
 その様子にどこかしょんぼりして、今度は私に向けてコップを突き付けてくるゴアードだが。

「一日は長いんだ。いきなり酔って前後不覚になるのは勿体ないよ」

「キリンは酔おうと思わなければ酔わないじゃないか。内臓機能がどうたらとか言って!」

 そんな言葉と共に、コップを口に付けてぐいっと酒を飲み込むゴアード。ちなみに蒸留酒である。飛ばしまくりだなこいつ。

「お姉様は酒豪ですからね」

 そんな私達のやりとりを父にしがみつき、笑いながら眺めていたククルがそう言った。
 まあ私は酒豪じゃなくて、魔人の身体がアルコールを毒とみなして勝手に分解してしまうだけなんだけれど。
 だからといって酒を飲むわけにはいかない理由が、私にはあった。祭りの日だし、昼間から酒を飲むこと自体には抵抗はないのだけれど。

「なあ、ちょっと催し物に出ないか、ある人に誘われていてね。二人さえよければ、それに顔を出そうと思うのだけれど」

 酒の匂いを振りまきながら頼まれごとに出るのは、ちょっと避けたいと思っていたのだ。

「催し物ですか! 楽しそうですわ!」

「そうだね、楽しそうなら行かないとね」

 ククルの反応に、すぐに賛同の声を上げる親バカ。

「じゃあ、近くの特設会場まで行こうか」

「特設会場? ずいぶん立派そうな催し物に出るんだね」

 どこか楽しげにゴアードは私に声を投げかけてくる。それに対し、私もニヤリと笑って言葉を返した。

「まあ、国王陛下が直接見にくるようなものだからね」

 私の言葉にゴアードはぎょっとした顔になった。
 はい、私を誘ったある人とは、国王陛下ご本人です。



◆◇◆◇◆



 アルイブキラ記念公園。王都の市民達に憩いを与えるために作られた、緑豊かな自然公園である。何が記念なのかは知らない。
 敷地面積は中々に広く、催し物を開催するためのイベント会場が、この公園の敷地内に何個も設けられているらしい。

 私達が公園に足を踏み入れると、さっそく何かイベントが繰り広げられているようだ。
 身なりの良い服を着た人達が集まっていて、さらにオープンカフェの如く何個も設置されたテーブル席があり、それぞれ二人一組で座っている。
 何が行われているのか、と疑問に思ったが、すぐにわかった。のぼりが立っている。

『ティニク商会公認 大収穫祭トレーディングカードゲーム大会』

 ……知り合いの催し物だわこれ。

「キリンお姉様の言った催し物って、カード大会ですのね」

 納得したようにククルが頷いているが。

「いや、違うぞ」

 私はノータッチです。

「違うんですの?」

「国王がカードの公式戦を見に来ることはないんじゃないかなぁ。さすがに」

 多分だけれど。
 世界樹教を巻き込んだ大規模な儀式に発展してしまったトレーディングカードゲームだけれど、大収穫祭中のクソ忙しい王族が見に来るほどのものではない。はず。

 しかし、公園で公式大会か。
 私のイメージではカードのようなテーブルゲームは屋内でやるものだ。
 しかし、ティニク商会会頭のゼリンが言うには、屋内では内輪の閉じたものになってしまうので、公式大会はできるだけ人目に付く屋外大会にしたい、らしい。

 私は大会会場をぐるりと見渡す。魔力の反応がある。

 屋外でカード遊びをするときの天敵と言えば、風と雨だ。ただし、今日は雨が絶対に降らないことが確証されている大収穫祭である。
 この世界の天候は自然のものではなく、人工的に作られるものだ。空に光るのは人工太陽。雲は無く、天蓋魔法陣から雨が降り注ぐ。その人工太陽の光具合や、雨量を調節している世界の中枢にコンタクト出来るのは、この国では王族だけなのだ。王都の大収穫祭は王族が主催だ。

 雨は降らない。そしてこのカード大会主催側は、風でカードが飛ばないよう、風使いの魔術師まで用意して大会敷地の四方に配置しているようだった。抜かりはないようだ。

「あれ、侍女長ではありません?」

 と、隣でゴアードと腕を組み歩くククルがそんなことを言った。
 ピンク色の髪の毛をした三十代半ばほどの美しい婦人、侍女長。私達の職場での上司。そして……トレーディングカードゲーム好きを公言してやまない女史だ。今日は私達と同じように、仕事は休みをもらっているはずだった。
 そんな侍女長が、いつもとは違う服装でこのイベント会場にいたのだ。彼女の今の服装は、トレーディングカードゲーム対戦儀式の正装の一例とされる、代表的な上位貴族が着るドレスだった。

「ごきげんよう、侍女長」

 そんな侍女長に、挨拶をする。知り合いを見かけたのなら、挨拶はしておかないとな。
 おや、と侍女長は目を瞬き、そしてにっこりと笑みを返してきた。

「ごきげんようキリンさん、ククルさん」

「こちら、私の父です。お父様、こちら王城の侍女長様です」

 組んでいた腕を離して、ゴアードを紹介するククル。

「どうも、わたくし、レン・ゴアード・パルヌ・ボ・バガルポカルと申す者です」

 その言葉と共に、ゴアードは厳かに貴族の礼を取った。

「まあバガルポカルの侯爵様でいらっしゃいますか。初めまして」

 侍女長もうやうやしく礼を返す。
 そうして四人で二、三ほど世間話をしたのち、侍女長が言った。

「キリンさん、審判やっていきませんか?」

 審判。トレーディングカードゲームの審判だろう。私は世界樹教が保証するゲームマスターの資格を持っているから、誘われているのだろうが……。

「すまないね、もうお呼ばれしているところがあるんだ」

「あら、それは残念」

 そうして侍女長と祭りの聖句を交して別れる。聖なる光が宙に舞う。
 ちなみに私は聖句を言っても光りはしない。いつものことだ。

 気を取り直して再び三人と護衛二人で記念公園を歩いていく。
 公園内には、ずらっと屋台が建ち並んでいた。この記念公園はこの大収穫祭のメイン会場の一つだ。
 人が多く集まるので、屋台も多い。

「お父様、笛になるお菓子ですって!」

「鳴らして楽しんで、飽きたら食べられるということか。どれ、一つ買うかな。ククルはどうだい?」

「欲しいです! お姉様は?」

「私はいいや」

 奇妙な形をした笛菓子を二つ露店から買い、二人は菓子を咥えて笛を鳴らす。

「ピィー」

「ピィー」

 しかし、完全に駄菓子だなぁ、あれ。祭り価格で割高なのも面白いポイントだ。

「ピィー」

「ピィー」

「次の屋台は……光る魔道具の腕輪か。素材がいかにも玩具って感じで壊れそうだけど、値段相応かな。二人はいるかい?」

「ピィー」

「ピィー」

 首を振り否定する二人。……いや、鳴らしてないで喋れよ。

 その次の露店は鉄板焼きの食べ物屋だった。

「何か食べてく?」

「ピィー」

「ピィー」

 ……うるせえ!
 そう思っていると、二人は笛菓子を吹くのをやめ、口に放り込んで食べ始めた。
 もぐもぐと親子仲良く口を動かす二人。仕草がまるで同じで、本当に親子だよなこいつら。

「ん、菓子を食べたので食事は必要ありませんわ」

「同じく」

「そうか」

 そうして私達三人と護衛達は、しばし道なりに立ち並ぶ露店を冷やかして回った。

「眺めているだけで楽しいです」

「そうかい、それなら連れてきてよかったよ」

 ククルの言葉に、私も笑ってそう返した。そうして進むうちに、公園内にある広間に出た。
 そこにはイベント特設会場が設けられ、すでに多数の観客達が臨時客席に詰め寄せていた。

「着いた。ここのはずだ」

 持ってきていた地図を確認する。うん、確かにここだ。
 私達は会場の横を進み、イベント係員の集まる場所を見つけて近寄る。

「ゲストに呼ばれていたキリン・セト・ウィーワチッタだ。連れが四人居るがいいかな?」

「はい、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」

 そうして係員に案内されたのは、会場の客席の前列にある来賓席だった。
 席の前方は、劇でもするかのように一段高く石組みの舞台が作られている。後方には、芝生の上に縄で前後席を区分けしただけの簡易な客席。席はそこそこ埋まっている。
 そんな会場を眺めていたが、同じようにククルも後ろの客席を振り返っていた。

「……何かここのお客様達、他とは何かが違うような」

 彼女は何か客層に違和感を感じたようだ。
 そしてその違和感は正解だ。今回行われるイベントは、祭りを楽しむ王都の町人とは層が異なる。

「ああ、そうだね。確かに違うだろうね」

 見て解る違いの一つは、体格。この会場にいる観客は、男も女もどこか体付きががっしりとしている。
 もう一つは、服装。彼らの着ている服は、王都の町人が着ているような、安くて量産可能な量販店ファッションとはまた違うものだ。
 王都の人間より立派な服で、それでいて貴族ほど豪華ではない。彼らを前世の言葉で表わすならば、豪族。その実態は……。

「彼らは農民さ」

「農民……! 確かに、領地の農村の方々が収穫祭で着るような立派な服です!」

 この国において、農民とは富裕層にあたる。選ばれたエリート家系がなる立派な職業なのだ。
 だから、農作業時間外に着る服は、収入に見合った立派なものになる。王都でその日暮らしをする町人とは格が違うのだ。

 そして、そんな地方の農民達が集まるのが、この催し物。

「地方の農民の方々がわざわざ王都までいらしているなんて……一体何が始まるのでしょう」

「ふふ、さてね」

 思わせぶりにククルに笑ってみせる私。いや、すごいものなんて別にないんだけれどね。

『皆様お待たせしました!』

 拡声の魔法道具で届けられたアナウンスの声が、会場に響き渡る。
 いよいよイベント開始だ。

『ただいまより、オラが村、力自慢大会を開催します!』

 その宣言と共に、後方の客席から野太い歓声がどうっとあがる。
 国中の各村より力自慢を集めた力自慢大会。
 私がゲストで呼ばれるイベントなんて、こんなものだろう?



[35267] 25.怪力魔人ウォーリア系大収穫祭<後編>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2020/10/26 10:23
 この世界の人類は、鍛えることによって上がる身体能力の上限といったものが、地球人類よりずっと高い水準にある。
 闘気という不思議パワーがあるから……ではない。
 純粋な筋力の蓄積で、少年漫画の世界のような常識外れの存在になり得るのだ。
 だからこそ緑の騎士団のヴォヴォは、私との特訓を行うまで闘気の技量を高めることなくとも一流の騎士でいられた。闘気がなくても、筋力を鍛えれば十分騎士として通用するのだ。闘気鍛えないと遠当てとかの必殺技を使えないけど。

 筋力の鍛え方は至極単純だ。筋肉を酷使すればいい。
 つまり、日々筋肉を酷使し働いている肉体労働者はどうなるかというと……。

「ぬうん!」

『軽々と行ったぁ! コポポ村の木こりセンガ氏予選通過です! さすがは前年度覇者!』

 地球のオリンピックの重量挙げにでも使うような、金属のバーベルを一地方のただの村人達が、ステージの上で次々と持ち上げていくのだった。
 うーん、良い筋肉だ。

「お姉様、お姉様! また上がりましたよ! がーって、がーって!」

「ああ、そうだな」

 ククルはこういう催し物が珍しいのか、先ほどから興奮しっぱなしだ。
 この興奮は場の盛り上がりにつられたのもあるだろう。バーベルが上がるたび、後方の観客席からは、わっと大きな歓声が上がるのだ。
 そして、そんなククルと似たもの親子のゴアードはというと……めっちゃ盛り上がっていた。しかも、護衛の一人に酒を買いに行かせて、酒盛りをする始末だ。

「キリン、キリン! また上がったぞ! ごわーって、ごわーって!」

「はいはい、そうだな」

 この酔っ払いめ。そのうちここで眠り出すんじゃないだろうな。まあそのときは解毒魔法で酒気を散らしてしらふに戻してやるが。娘のククルがせっかく一緒にいるのに、護衛に抱えられて帰るというのは許さん。

「いやあ、怪力芸などキリンので見慣れていたと思ったんだけどなぁ」

 そう呟くゴアード。
 確かに、私が持つ最大の特徴と言えば、魔人の力によってもたらされる、限りの見えない怪力である。
 昔なじみであるゴアードには、それを披露する機会は幾度ともあった。

「しかし、こうやって順繰りに成功や失敗を見ていくというのもなかなか……お、次はどうだ、いけるか? いけるか? ああー、無理か。残念ー!」

「気を落とさないでくださいましー!」

 楽しげに舞台の様子を見守るゴアードに、舞台に向かって挑戦者に声かけするククル。
 楽しんでくれているようで何よりだ。わざわざ招待した甲斐がある。

 その後も順次予選は消化されていって、ククルとゴアードの二人は終始大盛り上がりだった。ただ、ゴアードは酒が回ったのか、うとうとと眠たそうに頭をゆらし始めた。ククルはそんな父親を見て、しょうがないなあといった優しい顔をしている。……ダメな親だなこいつ!

『アルート村のヤマーさん、残念でした。これにて予選全試合を終了いたします』

 予選のバーベル上げはこれで終了した。次は本戦。例年通りなら、トーナメント制で一対一の力比べになるはずだ。

『皆様御静まりください。本戦は御前試合として、国王陛下がご観戦されます。陛下がご入場されますので、皆様起立してお迎えください』

 そして、本戦から国王が観戦するのも例年通りだ。予選終了から国王登場まで間が無かったということは、予定の時間通りイベントは進んでいるらしい。
 そんな場内アナウンスに、ククルとゴアード、そして護衛達は立ち上がる。だが、ゴアードは酒が入っているせいかどこかふらついていた。

「やばいよキリン、俺、酒飲んでふらついてるんだけど。ここ貴賓席だよね。陛下絶対近くに来るよね」

「あー、来るだろうねぇ。まあ陛下の前だし、仕方ないから酔い醒まししてやるか」

 妖精召喚、酒気を全部吸い取ってやれ。

「おあああー、ああー、あー、うっ、目が覚めた」

 そんな馬鹿なことをやっている間にも、国王の入場は進む。貴賓席の前を大名行列のようにずらずらと人が歩いていく。そのほとんどが近衛騎士だ。国王は近衛騎士団を引き連れて、祭りの各所へと顔を出しているのだ。
 私は見知った近衛騎士達に貴賓席から手を振ってみる。ちらりちらりとこちらを横目で見る騎士達だが、さすがに手を振り返すようなことはしてこない。職務に忠実なようで結構! 昔は田舎者の集団だったのに、立派になったものだなぁ、あいつら。

 そうして貴賓席の大半を埋める大集団が全て揃うと、国王が拡声魔法を使って喋った。

『みな、ご苦労。着席してよい』

 その言葉と共に、観客席の人々は一斉にその場に座った。貴賓席の私達も素直に座る。
 国王の言葉はこれで終わりだ。開催の宣言とかはない。祭りの間あちこちに顔を見せるので、いちいちそんなことしていられないのだろう。
 代わりに、先ほどまでと同じアナウンスの声が響く。

『さて、それでは本戦と行きたいところですが、その前に模範演技と参りましょう』

 模範演技? 今時の大会は、そんなのもあるのか。
 と、思っていたら、貴賓席にイベント係員が小走りでやってくる。

「キリン様、模範演技をお願いします。舞台へお上がりください」

 はあ? 聞いてないんですけど!?

『オラが村、力自慢大会過去大会にて、十数年前に三連覇を達成したかの魔人姫、キリン・セト・ウィーワチッタ女史による、限界突破バーベル上げです!』

 その宣言と共に、会場が割れんばかりに沸く!
 確かに、私は過去にこの大会に出場したことがある。『庭師』初心者時代だ。
 所属の村は、私の魔法の師である魔女のいた塔の近くにある村だ。当時は、あの塔周辺の町と村を拠点としていたので、出場資格に必要である村人という肩書きも嘘ではない。塔はどちらかというと、村よりも町に距離が近かったが。
 あっさりと優勝して三連覇もしたが、それ以降の年は塔の周辺地域を出て世界を飛び回るようになったので出場しなくなった。懐かしいものだ。

「お姉様! 頑張ってくださいまし!」

「おお、キリン、こんな催し物隠していたのかい。頑張れよ!」

 おあー。なんか期待されているし、行くしかないか。
 私は、しぶしぶと舞台の上へと登る。ちなみに今の格好は、力自慢大会に出るような動きやすいものではなく、貴族の女児が外へのお出かけに使うような服だ。同室のカヤ嬢がこの日のためにとコーディネイトしてくれた。

 目の前にバーベルが置かれ、連結式の重りがバーベルの横へと付け足されていく。付け足されていく。付け足されていく。っておい、重りを横に継ぎ足し過ぎて、なんだか巨人の持つ棍棒みたいになってんぞ。

「完了です」

 重りが重かったのか、汗だくだくのイベントスタッフ達が、そう簡素に言って舞台から退いていく。

『では、キリン女史による模範演技です! どうぞ!』

 バーベルを使う予選の全工程が終わってから模範演技というのもなんともなぁ。多分、国王に見せるためのものなんだろうが。
 さて、どうせなら、見世物として盛り上がるように魅せてみるか。
 私は右手の人差し指と親指でバーベルの取っ手部分をつまんで、ひょいっと持ち上げた。うん、重たくない。

『なあー!? キリン氏、なんと片手でこの重さを軽々と持ち上げたー! しかも、指二本でです! 剛力魔人の名は本当だったー! その小さな体で、自分よりずっと大きな重りを軽々と掲げている!』

 指をひねらせバーベルを頭の上でくるりと回してみる。いや、くるりというか、ぶおんって感じの風切り音がしたけど。
 そして、私はゆっくりとバーベルを舞台に下ろした。もし勢いよくバーベルを下ろすと、石ブロックを組み合わせて作られた舞台なので、床割れちゃいそうだからな。

『キリン氏の模範演技に、皆様再度拍手をお願いします!』

 観客席から聞こえる割れるような拍手と歓声に、私は手を振り返すと、舞台を降りた。
 そして真っ直ぐに貴賓席に帰る。国王がこっちに向けてグッジョブと指を立てていた気もするけど、気にしない

「お疲れ様でした! すごかったです!」

 興奮が最高潮といった感じのククル。喜んでもらえてなによりだ。
 そして、私の怪力を見慣れているはずのゴアードも、客席の熱気に当てられたのか、盛り上がっている様子だった。

「やっぱり面白いなぁ、キリンは」

 いや、すごいとかじゃなくて面白いなのかよ。
 そんなこんなで模範演技は終わり、本戦トーナメントが開始される。

『オラが村、力自慢大会、本年度の本戦競技はー……、綱引きだー!』

 そのアナウンスに、客席がわっと沸く。ノリいいなぁ。

『大会用に特別に用意された金属縄を互いに向かい合った選手同士で引っ張り合って貰います! この綱は、特殊な魔法金属で編まれた頑丈な綱で、キリン氏が引っ張っても千切れません』

 わっと沸く客席。いや、私その綱引っ張ったことないけど。
 その後も本戦のルールが説明されていくが、まあ前世の日本の運動会でやっていた綱引きを一対一にしたようなもので、特に変わったルールはなかった。

『それでは本戦を開始します! 一回戦第一試合――』

「うわー!」

「うおー!」

 ククルとゴアードが沸いている。あと、気がついたら、護衛の二人も熱狂していた。護衛なんだから周囲に気を配れよな!
 まあ私が冷めすぎなのかもしれないが。
 でもなぁ。私だったらあれくらい……っていう嫌味な思考が頭をよぎるので、無心で応援できないんだよなぁ。嫌な女だよ私は全く。



◆◇◆◇◆



『優勝者は、これで五年連続覇者となる、コポポ村の木こりセンガ氏だぁー!』

 戦いに決着が付いた。いやあ、熱い戦いだった。思わず手に汗を握って全力で応援してしまったよ。
 やるな、木こりのセンガ。すごい駆け引きだった。
 私の隣では、応援しすぎて疲れたのか、ククルとゴアードが心なしかぐったりしているように見えた。なんだあ、だらしがないな。これからがこの大会の最大の見所だっていうのに。何せ、国王が大活躍するからな!

 舞台の壇上では、実況担当のスタッフが優勝者へヒーローインタビューをしていた。
 私はそれを聞き流しながら、大会の次の進行へと思いを馳せる。
 と、そのときだ。

『過去の三連覇王者、キリン殿への挑戦をしたい』

『おおっと、優勝者からキリン氏へ挑戦状が叩きつけられたー! 模範演技の印象が強烈だったのかー!』

 え、何事。
 突然呼ばれた私の名前に、私は焦って壇上を見上げた。
 すると、また先ほどの大会スタッフが小走りで貴賓席にやってくる。

「キリン様、舞台へとお上がりください」

「ええ、どういうこと」

「真の王者決定戦ですわ、お姉様!」

 そうククルにはやし立てられる。
 私はあれよあれよのうちに舞台の上に上がらされ、金属の綱の前へと立たされた。

『三連覇王者と五連覇覇者、真の力自慢がここに決定する! オラが国、一番力強いのは誰だ決定戦だぁー!』

 うーん。とりあえずやればいいか。客席めっちゃ盛り上がっているし、今更降りられない。
 舞台の上からちらりと客席を見る。貴賓席ではククルが喉が張り裂けんばかりに私を応援してくれている。
 これは、お姉様として頑張らないといけないな。

『では、綱を持ってください』

 言われたとおりに、金属の綱を持つ。太い。幼児の手にはちょっと図太すぎて握りにくい。私は指に力を入れ、縄に指を食い込ませる。まあ、大丈夫そうだ。

『よーい』

 本戦で幾度となく聞いた、開始の銅鑼の音が響く。
 私はそれを耳にすると、身体を後ろへと傾けそこそこの力で縄を引っ張った。

「ぬわー!」

 縄はすんなりと引かれ、対戦相手が宙に舞った。

『ああー! 一瞬だ! 一瞬で決着がついたー!』

 舞台の上に倒れ込む対戦者。だ、大丈夫か? 下、石畳だぞ。
 銅鑼の音が鳴り響く。
 私は対戦相手のもとへと近寄ると、助け起こそうと手を差し伸べる。なにやら膝を押さえていたので、ぶつけたのだろう。治癒魔法をかけておく。

「すまない……完敗だ」

「いえ、いい戦いでした」

『アルイブキラ力自慢統一王者は、キリン・セト・ウィーワチッタだー! 皆様再度の拍手をお願いします! ……って、ええ!?』

 勝利を告げる実況だが、最後なにやら驚いたような声を上げる。何事だろうか。

『国王陛下からエキシビションマッチのご提案です! なんと魔人姫キリン氏と、本戦トーナメント全出場者で綱引きを行います!』

 何だと!?
 私は壇上から国王の居る貴賓席へと視線を向ける。そこには、ニヤニヤ笑って私を眺める若き国王の姿があった。

 あいつめ、初めからこのつもりだったな!
 綱の長さが一対一で使うには不自然に長すぎると思ってたんだ!

『本戦出場者の皆様は舞台上へとお上がりくださいー!』

 舞台も、予選は一人、本戦は二人しか使わないにしては妙にでかい。エキシビションマッチは企画段階で織り込み済みだったと見える。そして私はすでに舞台の上。今更拒否は出来ない。
 次々と本戦出場者達が壇上へと上がってくる。その表情は、困惑顔だ。
 そりゃあ十数人対一人じゃあ普通に考えて一方的すぎて困惑もするわな。
 いくら怪力で知られているからって、常識で考えたら数の差に敵うわけはないと判断するだろう。……まあ、私は負ける気は毛頭無いが。

 単純に考えれば、私がどれだけ怪力だろうとも、この人数を相手に綱で引き合えば体重差で私が引きずられる。私の体重は成人男性二人分弱といった程度。
 だからいつも、私が怪力を横方向に発揮するときは、魔法で足を地面に固定している。だが、これは力自慢大会。魔法を持ち出すのは野暮といったものだろう。
 だから、私は靴を脱いだ。

『おおっとー! キリン氏、突然靴を脱いだー! 靴下も脱いだぞ、素足だー! ちっちゃなおみ足! 可愛い!』

 私の怪力が、腕力だけでないことをここに見せてやる!

『では、皆様綱をお持ちください。いいですね? ……行きます、よーい』

 足の指を舞台の素材である石ブロックの隙間に食い込ませ、力一杯足指で握る。石畳に指が食い込んだ。
 銅鑼の音が鳴る。それが耳に届くと、私は綱をまあまあの力で引いた。

「ぬわー!」

 縄はすんなりと引かれ、対戦相手達は見事に引きずられた。
 試合終了を知らせる銅鑼の音が鳴り響く。私の勝ちだ。動きづらかったが着込んだ服も特段乱れるということもなく、問題なく勝利できた。

『ああー! またしても一瞬だ! 挑戦者達歯が立たず! 怪力魔人の前に力自慢の猛者達が膝を屈した! 小さな体に大きな力! ちみっこ女王が絶対的存在として男達の頂点に立ったぁー!』

 私は綱を手放し、客席に向けて大きく拳を掲げた。
 舞台の下の貴賓席では、ククルとゴアード、そして国王が力一杯拍手を向けてくれていた。



◆◇◆◇◆



 大会もとうとう最後の締め。入賞者の表彰が行われる。
 私の戦いは二つともエキシビション扱いなので、私が壇上へと上がることはない。
 入賞者達は国王自らが表彰し、たたえられる。王国民の村人達に取っては最大の名誉だ。
 大きな拍手が彼らに向けられた。

 そして、賞品の授与。国王からは祝福が贈られる。
 祝福、といっても概念的ななんやかんやではない。ガチのものだ。

 舞台の上では、近衛騎士が動き回り、儀式の準備が進められている。そう、儀式。祝福を入賞者の村に向かって施すための儀式だ。

 私は、そんな様子を興味深そうに眺めているククルに向かって言った。

「ククルは初めて見るかな? 国王陛下による、豊穣の儀式だ」

「豊穣の儀式?」

「ああ、入賞者達の村に豊作祈願をするのさ。豊穣の杖を使ってね」

「豊穣の杖! 王族のみが使うことを許される、天地改変の神器ですか!」

「ああ、陛下のことをよく見てごらん」

 舞台の上に立つ国王。その衣装は、白い布を幾重にも重ねた豪奢な衣装だ。太陽と雨を表わした伝統的な国王の装束であり、天候と雨量は王室管理のためその象徴としての服となっている。
 そして、手に持つのはきらびやかな結晶体で作られた豪奢な長杖。あれが、豊穣の杖だ。

 舞台の準備が整ったのか、近衛騎士達が舞台の上で整列し、膝を突く。
 国王がおごそかに祝詞を唱え、それに応じるかのように杖がほんのりと光り出す。
 祝詞に混じる聖句により、光が壇上に舞う。呼応して杖がきらびやかに光を撒き散らし始める。

 豊穣の杖。豊作を司る神秘の杖と国民に伝わっている。
 王太子時代の国王から聞いた話によると、国土の地中深くの世界樹の枝葉に土の調整をお願いする杖なのだとか。前世の地球風に言うと地下の成分調整装置にアクセスするためのリモコンのようなものだろうか。
 国王は以前、国王になるためには、農家や農業研究者ですら知らない超高度な農学・化学教育を王室のご老公達から受けなければならないとぼやいていた。チャラ男っぽいくせに国王はインテリなのである。
 この世界は文明レベルが上がりすぎないよう調整されているので、この国で王族ほど化学知識のある者は存在しないだろう。

 祝詞が終わり、豊穣の杖を石畳に突き付ける国王。すると、光が広がり、光の柱が勢いよく立ち上った。

 儀式はこれで終了だ。祝福された村は、来年の豊作を約束されるだろう。そうなるよう、杖を通じて世界樹にアクセスしたはずだ。

 隣のククルを見ると、感動したのか涙を流していた。領地を持つ貴族の当主として儀式を見たことがあるはずのゴアードも、涙ぐんでいる。護衛二人も当然のように感涙していた。
 まあ、すごいことだもんな。神の奇跡、即ち世界樹に王権神授された王族の力を目の当たりにすることができたのだから。

『国王陛下が退場されます。皆様ご起立ください』

 そして、国王が会場を去っていく。大収穫祭はまだ一日目だ。この後も予定でいっぱいなのだろう。
 私は貴賓席から近衛騎士団と共に去る彼を見送った。

『これにてオラが村、力自慢大会を終了します!』

 続いて告げられた閉会の言葉に、またわっと観客席から歓声が上がる。最後までノリの良い農民達だった……。

 私達は貴賓席から退席するため、準備を整える。
 そこで、ゴアードが困ったように言った。

「なあキリン、酒瓶残していって良いと思うか?」

「んんー?」

 貴賓席の床には、ゴアードが護衛に買いに行かせた酒の瓶が複数転がっていた。飲み過ぎだよおっさん。

「掃除をするイベントスタッフ達に、バガルポカルのゴアード侯爵は、国王陛下の参加する催し物で酒を飲む奴だって思われたいなら、良いんじゃないか」

「ええ、そりゃ困る。なんとかしてくれ」

「……しょうがないな。私はゴミ箱じゃないぞ」

「ああ、助かるよ親友!」

 調子の良いやつだ。仕方なく私は魔法で空き瓶を空間収納した。後で捨てておかないとな。
 そして私達は退席する前に、隣の貴賓席の者に軽く挨拶をすることにした。貴人の付き合いってやつだ。

 大会の間中ずっと気になっていたのだが、隣の貴賓席に座っていたのは、私達とは違う人種だった。
 蟻人。昆虫の蟻に似た頭部を持つ、昆虫人類種だ。世界の安寧を陰から支える、一種の支配種族である。国王の入場シーンでも起立していなかったから少し印象に残っていたんだ。ちなみに、地球の人類と同じ見た目の人は動物人類種という。

 そんな蟻人の貴人が、私達が席を立つと共にこちらに顔を向けて、なにやら言葉を呟いたのだった。

「こんなところで、魔人がのうのうと温い日常を過ごしているとはな」

 それは、この国で使われている言語ではなかった。
 世界共通語。幹の言葉。この国アルイブキラでは滅多に聞くことのない言葉だ。世界共通語といいつつ、この国では話せるものは少ない。
 その言葉をここで放ったということは、幹の言葉を理解出来る、魔人である私に向けて言ったと思っていいだろう。

「ええと、どちらさまで? 私、蟻人の方の顔の見分けが付かなくて……」

 そう言葉を返す。
 蟻人は私の言葉に反応したのか、わしゃわしゃと昆虫っぽい口を動かすと、さらに言葉を続けた。

「王城で待つ」

 そう言い残すと、以後は無言で貴賓席を去っておった。
 ええー、何この思わせぶりな去り方。
 私、今ただの新米侍女なので、壮大な何かが始まる的なイベントは今更勘弁なんですが!

「お父様、私ケーリの実の蟻蜜漬けが食べたいです!」

「そうかそうか、屋台で買ってあげよう」

 蟻人で蟻蜜漬けを思い出したのか、ククルが菓子をねだり、ゴアードがそれに応えている。
 共通語を聞き取れなかった二人は、蟻人と私のやりとりは気にもせず、祭りのことに意識を向けている。ま、今は祭りが優先か。
 なんだか最後にもやもやが残ったが、私達は気にせず残りの大収穫祭の時間を楽しむことにしたのだった。



[35267] 26.菓子と私
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2020/10/26 10:24
 城下では大収穫祭が続いているが、私の休みはあくまで半休だ。だから今日も私は侍女スタイルに身を包み、仕事を頑張る。
 だが、王城住み込みの侍女とはいえ、四六時中働いているわけではない。食事をすることもあるし、休憩して茶を飲むこともある。入浴だって王城敷地内の入浴場で出来てしまう。菓子を食べて談笑することだってあったりする。

 侍女で菓子と言えば、メイズ・オブ・オナー・タルトという菓子が前世にはあった。イギリスに仕事で行ったときに食べたことがある。
 これは、イギリス王室付きの女官職である、メイド・オブ・オナー達が考え出したとされるお菓子だ。記憶している逸話によると、王宮で女官達がタルトを作って食べていたら、それを見た王様が「美味そうじゃわい。どれわしにもちょっと食わせてみい」と要求して食べたところ、大層美味しく、気に入った王様が女官達にちなんでメイズ・オブ・オナー・タルトと名付けたという。
 メイド・オブ・オナー。この国で言うと私達王城付き侍女のことだ。その中でも特に王妃や女王に付き従う者を言う。

 こういう名付けの方法は国を変え世界を変えても共通で、似たようなシチュエーションで物に名前が付くことがあるだろう。ただし、この城の侍女達は料理を仕事として担当しないので、主人達の前で手作りの菓子を食べて『王宮侍女タルト』なるものが名付けられることはそうそうないだろう。
 ないはずだった。

「まあ、今日のデザートはお姉様菓子ですわね」

「そうね、キリン飴ですわ」

 仕事を終えた夕食の席。皿に載って出てきたデザートを見て、ククルとカヤ嬢が色めき立った。
 そこにあったのは、飴を折りたたんで作られる砂糖菓子、ソーンパプディであった。
 ちなみにククルは今日、休暇を取っていて、私と大収穫祭を回った後も仕事はなかったはずなのだが、夜は王都にある屋敷ではなくこちらの侍女宿舎で休むことを決めたらしい。父親が泣いてるぞ。

「キリンお姉様菓子は口の中でとろける食感が最高ですの」

「デザートなんていつもは切った果物程度ですのに、キリン飴を食べられるなんて、贅沢な話ですわ」

 その砂糖菓子を前に、二人のお嬢様は何故だか私の名前を連呼している。
 うん、何故だろうね?

「うん、二人とも。その菓子に私の名前を付けるのを止めようか」

「でもキリンお姉様が考えたお菓子なのでしょう? 当然の権利ですわ!」

「権利なんて主張してないからね。というか私が考えたんじゃなくて、トラキオ国で作られている菓子だからね」

 そんな権利とは違う意味での私の主張に、カヤ嬢は淡々と答える。

「トラキオ風キリン飴」

「トラキオ風じゃないキリン飴なんてないから!」

 って、私もキリン飴って言っちゃったじゃないか。
 何故だろう。いや、何故食卓にこれが上がっているかは解っているんだ。近衛騎士宿舎で教えた小姓達用の菓子レシピを、料理長が王城の他の料理人達と共有していたのだ。
 でも私が考えたことにされているのは何故だろう。

「トンサヌ・アラキーオンって立派な名前があるんだよ」

 トラキオ国で呼ばれている、正式なこの菓子の名前だ。

「耳慣れない言葉なので、訳してキリンお姉様のお菓子でいいですわ」

「ソーンパプディとも言う」

 前世地球のインドで呼ばれていた、この菓子に似た菓子の名前だ。

「耳慣れない言葉なので、訳してキリンお姉様のお菓子でいいですわ」

 同じこと二回言わなくて良いから。

「まあまあククルさん」

 と、ククルと一緒にキリン飴呼ばわりしていたカヤ嬢がなだめにかかる。
 なんだ? キリン飴呼ばわりを撤回する気にでもなったか?

「キリンさんは、キリン飴に自分の名前を付けられて恥ずかしがっているようなのです」

 いや、自分のものじゃないのに自分の名前を付けられるのがだな……。
 いや、そうだよその通りだよ。恥ずかしいんだよ。解っているなら名前を連呼するのをやめなさい。

「なので、ご本人の聞こえない場所で広めることと致しましょう」

「やめて!?」

 なんだよまったく。
 うふふ、とカヤ嬢が笑っている。冗談なのだろう。ククルは……素でやってそうだな。

「何がキリン飴だよ。メイズ・オブ・オナー・タルトかってんだ」

 その私の言葉に、急に勢いよくククルとカヤ嬢が振り向いてきた。
 目がらんらんと輝いている。
 なんだ。何か引っかかる物でもあったか、メイズ・オブ・オナー・タルトに。

「なにやら美味しそうな単語を聞いた気がします」

 と、ククル。

「ええ、そうですわね。たると、というのは前一度聞いたお菓子の名前だったかと思います」

 と、カヤ嬢。

「つまりはたるとのバリエーション! 美味しそうな予感がします。詳しくお願いしますお姉様」

「ええっ、今、夕食食べてデザートまで食べたばかりなのに、食べ物の話をしてほしいのかい」

「私も聞きたいです。たるとということは、不思議な異世界のお話なんでしょう?」

 あー、地球の話が聞きたいのかカヤ嬢は。
 こことは繋がらない不思議空間だろうからな、彼女達にとっての地球は。
 ククルは幼い頃から地球の話を聞くことを好んでいたが、侍女になってからもククルと話すついでに、よく横に居るカヤ嬢にも地球の話を聞かせていた。そしてどうやら、カヤ嬢も地球の話を気に入ったらしい。

「ええと、まずメイド・オブ・オナーという職業があってだな……」

 と、メイズ・オブ・オナー・タルトについての説明を聞かせてやる。いつの間にか夕食を終えた他の侍女達も私の説明に耳をそばだてていた。

「なるほど、『王宮侍女タルト』ですか……」

 私の意訳した言葉に、なるほどと納得するカヤ嬢。
 しかし、改めて説明してみると、王様に名付けて貰った名誉あるお菓子と、よその国のお菓子を紹介しただけのキリン飴を同列に扱うのも、ちょっと違うなと思ったりもした。

「いつ作ってくださるんですか、『王宮侍女タルト』」

 そういきなり言いだしたのはククルだ。君そんなに食いしん坊キャラじゃないでしょ!
 だが、どうも周囲の無関係な侍女達も、私に注目している気がする。興味津々か君達。隣の隣に座っていたメイヤなんて、身を乗り出しているぞ。

「食べたことがあるだけで、レシピは知らない」

 と、素直に答えておく。作れないものは作れない。作れるタルトもあるけどメイズ・オブ・オナー・タルトは無理。

「そんな、お菓子マイスターのお姉様が作れないなんて……」

「いや、いつお菓子マイスターになったんだ、私」

「だって、私が実家に居た頃、毎回のように多種多様なお菓子をお土産に持ってきてくださっていたのですもの。お菓子マイスターです」

「あれは私が作ったのはそんなにないよ。他国で買ったのを時止めの魔法で長期保存してただけだ」

「ええっ! ずっとお姉様が手作りしてくださったものかと思ってました!」

「他のお土産も一緒に渡してるのに、なんでお菓子だけそう思うかな……」

 幼い頃の彼女にとって、私はお菓子を作ってくれるおじさんだったのかなぁ。いや、当時からずっと幼女だけどね。



◆◇◆◇◆



 そんなことのあった次の日の朝。私は侍女宿舎の前でカーリンと世間話をしていた。近衛宿舎に向かう道すがらだが、早めに出たのでもう少し話をしていられる。
 大収穫祭についての雑談にまじえ、私は昨夜あった『王宮侍女タルト』についての話をしてみた。
 私の話に周囲の侍女達が妙に興味津々だったことも話す。

「まあ、侍女の方って、お菓子の流行に敏感ですから」

 そうカーリンは言う。なるほどそうなのか。

「そうなのかい?」

「主人へお茶の手配をするのは侍女ですので。お茶にあったお茶菓子を用意するのも、また侍女の仕事です」

 茶菓子ねえ。この国の菓子って、甘さが足りないものが多いから、正直茶菓子に向いてないんだよな。それでも茶菓子として使われてるけど。

「でも侍女って料理しないだろう。作られたものそのまま出すだけなのに、詳しくなってどうするんだ」

「なに言ってるんですか?」

 いぶかしげな様子でカーリンが言う。
 え、何? 私、何か変なこと言った?

「下女に城下の菓子店に買いに行かせたり、王城に出入りする商会から菓子を買いつけたり、城の料理人に作らせたりするんですよ」

 そう、下女のカーリンに侍女の仕事を教えられる私。
 要するに、侍女はどの茶菓子がいいか選択して用意するってことか。

「へぇ、そうなのか。研修期間ではそのあたりノータッチだったな。料理人が作ったものをそのまま出すのかと」

 研修期間はそう長くなかったため、まだまだ侍女の仕事で知らないことはある。本来なら職場で先輩侍女から少しずつ教えられることなのだが……私の職場の近衛宿舎は先輩いないからな。

「キリン様だって、城の料理人に菓子を作らせていたでしょう? それが広まったって。キリン飴でしたっけ」

 ソーンパプディか。一度カーリンに食べさせたことがあったな。あちらこちらに出没して、妙に耳が早いカーリンだから、私の名で呼ばれていることも知ってるかもとは思ってたけど、やはりか。

「……まあ、主人達に食べさせるためではないけどな」

 主人である近衛騎士じゃなくて、小姓達に食べさせるための菓子だ。
 それなのに菓子を巡ってときどき騎士達が騒ぐのだが。そのへんは料理人さん頑張ってとしか言えない。私に言うな騎士達。

「しかしまあ、菓子に私の名前を付けるのはやめて欲しいものだ」

「そうですねー」

 おお、カーリンは解ってくれるか。

「キリン様の発明や発見に一々名前なんて付けてたら、キリンなにがしって付く商品名が増えすぎますからね」

 む、それは……。まあ『庭師』時代に色々やったからな。ほとんどが前世の知識をそのまま使ってるずるみたいなものだが。

「キリンシルク、キリンドレス、キリン化粧、キリン小説、キリンカード、キリン紙細工、キリン糸通し――」

 私が彼女の父ゼリンに提供した、商売アイデアの単語を連ねていくカーリン。いつの間に自分の実家の商品について詳しくなったのだろうか、彼女は。前はティニク商会は娯楽品しか扱ってないって勘違いしていたのに。

「改めて聞くと、君の父親って商品ジャンル節操ないよなぁ……」

 私はアイディアを出すだけ出してきただけで、それが売れるかどうか判断して世に出してきたのは、彼女の父親だ。
 私の前世がこの世界の出身ではないと聞いて、私の頭の中を絞れるだけ絞りやがったぞあいつ。明らかにオーバーテクノロジーな知識も聞かれたんだが。聞かれたからって、全て答える私も私だが。

「やりすぎて文明進めて道具協会の目に触れて、世界の中枢に永遠にご招待されなきゃいいんだが」

「なんすかそれ!?」

 私の言葉に、驚きの声を上げるカーリン。
 道具協会。面倒な団体だ。

「この国というか、この世界は人口統制のために、過度に文明を進めることを道具協会の手によって止められていることは知ってるか?」

「ああ、知ってます。印刷技術の権利も、国にガチガチに固められて辛いって、父さんがよく愚痴っていますねー」

「それで、実際に文明を進めるほど技術力を持った天才が出た場合、周囲に影響を与えないよう世界の中枢に連れていかれるんだ」

 文明が進むとどうなるか。人口爆発だ。だが、世界には『世界要素』と呼ばれる“魂”のストックがそれに耐えられるほど存在していない。人口が増えすぎると人一人あたりに宿る“魂”が少なくなり、脆弱な人間が生まれるようになってしまうという。この国なんかは食料がすごい豊富なのに、人口爆発が起きてないのがすごいと思う。おそらく何らかの調整がされてる。
 あと、世界樹ってそんなにでかくないから、人口増えすぎると純粋に敷地面積が足りなくなる。
 まあそんなわけで、文明を進める危険のある天才は、世界の中枢『幹』に連行されてしまうわけだ。

「怖っ、なんですかそれ怖っ!」

「いやあ、世界の中枢って文明が一切規制されていない快適な超文明だから、いざ行ってみると家族ごと移住したいってやつが大半だぞ」

 あそこは、科学だけじゃなくて魔法も進んでいるから、前世の二十一世紀の地球より快適な生活が送れる。蟻人が多いから、慣れてないと怖いかもしれないが。

「ええ、国って簡単に捨てられるものっすかねえ」

「国に執着があるやつは、初めから文明促進禁止の令を破らないからな」

 生活を過度に便利にしてはいけない、便利に慣れてはいけない、という理念は割と幼少期にすり込まれるっぽいからな。私は生まれが特殊なうえに地球の価値観を初めから持っているので、そういう思想は持っていないが。そしてその理念を理性でぶち破れる人間が、商人や学者として大成する。

「なにせ、学者は研究過程から日常生活まで、道具協会に全て監視されていることを受け入れないとなれないって言うからな」

「うへえ、私は絶対嫌ですねそれ。消えて隠れます」

 世界の中枢を目指して頑張る学者も多いって聞くけれど。
 と、そんなことを侍女宿舎の前でだらだらと話していた私達のもとへ、一人の女性が小走りで近づいてきた。

「キリンさん、よかった、まだこちらにいらしたのですね」

 ピンク髪の女性。侍女長だ。私に何か用だろうか。
 私に用があるなら下女でも遣わせてくれればいいのに、自らが来るなんて。何事だろうか。

「キリンさん、国王陛下がお呼びです」

「え、陛下がですか」

 朝から国王からの呼び出しとな。
 ふと、昨日の貴賓席で会った蟻人のことが頭によぎった。
 あの貴人さんなぁ。王城で待つとか思わせぶりに言われたけどさあ。大収穫祭で王宮忙しいだろうから本当に相当待たせたんじゃないの。
 そんなことを考える私に向けて、侍女長が言葉を続ける。

「なんでも、『王宮侍女タルト』について聞きたいので、仕事を中断し至急執務室まで出頭するようにとのことです」

 なんだそれ!? いつの間に伝わったんだ。もし食べたくなったからって、レシピは聞かれても知らないぞ!



[35267] 27.近未来幻想ファンタジー系魔王降臨レクイエム<1>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2021/09/10 02:21
 王宮の奥深く、王族の居住区に国王の執務室がある。
 王族の居住区には一部の者しか足を踏み入れてはいけないが、執務室はその便宜上様々な者の出入りが行われるため、ちょうど居住区の入口付近に存在する。私は過去、前職時代に居住区の奥深くまで招待されたことがあるので、その構造も見知っているのだ。古い建物なので、配置が過去と変わっているということもないだろう。
 この執務室に私が入るのは二度目となる。一度目は、近衛騎士団宿舎付きになるという、人事発令を告知されたときのことだ。

 相変わらずやたらとふかふかしている絨毯。
 木で作られた絶妙な色合いの執務机。
 ガラスのテーブルを間に置いて向かい合うように置かれた、黒革張りのやわらか椅子。

 私は秘書官に案内され、その椅子に着席していた。
 テーブルの前の椅子には、国王が座っており、茶をすすっている。
 国王は、昨日に記念公園の大会会場で見たのと同じ、祭り用の豪奢な衣装を着ている。城下では大収穫祭が続いている。今日もまた近衛騎士達を連れて街中を回るのだろう。
 そして、国王の隣には、世界の中枢『幹』風の高貴なファッションに身を包んだ蟻人がいる。私が今回呼ばれたのって、『王宮侍女タルト』についての雑談じゃなかったのか?

 しかも、本来、王の隣が定位置のはずの秘書官が退室している。なにやら雲行きが怪しい。
 『幹』の蟻人がいて、秘書官が席を外す。そこに『幹種第3類』という世界共通免許を持った元庭師の私。ろくな話題が出そうにない。
 そんな心配をしている私の前で、国王は湯飲みをテーブルに起き、口を開いた。

「楽にして良いよ。口調も“いつも”通りで良いし」

 横に蟻人がいるが、国王が話した言語は世界共通語ではない。私に向かって言ったのだろう。
 言葉の内容は、敬語で話すなということだろう。まあ、国の者は他に誰もいないしそれも良いだろう。なので、私はタメ口で国王に向かって言った。

「『王宮侍女タルト』をご所望とのことだったが……」

 その私の言葉に、国王はにまっと笑い、言った。

「んー。アレ、君を呼び出すための口実。驚いたー?」

 まあそうだよな。蟻人の貴人を前に菓子の話題はないわ。
 ここに来るまでの間は、ちょっと本気で雑談でもしたいのかと疑ってたけど。大収穫祭で忙しすぎて、頭がおかしくなったとかで。
 そんなことを思いながらも、続けて話された国王の言葉を聞く。

「急に君を呼び出すとなると、まー、口実でも作っておかないと周りに何事だって騒がれそうっしょ。俺ってば配慮できる男ー」

 タルトを口実に呼び出しても、それはそれで騒がれそうなんだけどなぁ。まあ良いか。
 私は国王の話を「はいはい」と流して話題を切り替える。

「では、そちらの蟻人さんが、私への用件ということでいいんだな。紹介してくれないか」

「あれ、君の知り合いじゃないの」

「知り合いなのか。私、蟻人の見た目判別出来なくてなぁ……」

「それでいいんかー、『幹』に出入りできる元庭師」

 国王の疑問も不思議ではない。世界の中枢『幹』には、蟻人がたくさん住んでるからね。でも、私は女王蟻しか見た目の区別を付けられない。だって、女王以外の蟻人って顔が蟻なんだぞ? 猫なら個体の見分けつくけれど、蟻は無理だわ。

「えー、それでは」

 国王が、世界共通語に言葉を切り替えた。

「こちら、『幹』所属の勇者育成課課長、ギリドゼンさんだよ」

「ん? あ、ああー、課長さんだったのか。こりゃ失礼」

 私は対面に座る蟻人、ギリドゼンに向かって謝罪の構えを見せた。
 知り合いだったとはなぁ。だとすると、昨日貴賓席で最後までこちらから挨拶しなかったのは、少し礼を失していたかもしれない。

「かまわん、魔人が我々の見分けをつけられないということは、嫌と言うほど知っている」

 そう言葉を返してくる蟻人、勇者育成課のギリドゼン。
 勇者育成課。それは、文字通り勇者を育成する課である。
 では勇者とはなんぞや。勇者という言葉はあくまで私が日本語に訳してそうなっているだけのもので、実際の言葉としては『悪意を祓い清める者』というものになる。

 『悪意を祓い清める者』の役目は、世界樹と火の神の祝福を受け取り、魔王や悪竜といった災厄――詳しく言うと、死後の魂が還る場所である『世界要素』からこぼれおちた悪意の塊、そんなものを討伐、浄化して再び世界に戻すといったものだ。
 魔王や悪い竜を倒す者なので、前世のテレビゲームのRPGにちなんで勇者と私は脳内で呼んでいる。私の思考って、読心魔法対策で日本語だからね。

 災厄の浄化は世界規模の事業だ。災厄には魔物が集い、付き従う。勇者単独ではそれらを退けたうえで災厄を浄化することは難しい。なので、世界の中枢『幹』では勇者育成課という組織を編成し、勇者の育成からサポートまでを担っているのだ。
 勇者育成課は勇者の担当なので、世界を荒らす災厄の担当でもある。

 ギリドゼンはそんな勇者育成課の最高責任者というわけだ。

「魔人、お前庭師を辞めたな。今すぐ戻れ。世界の大きな損失だ」

 いきなりぶっ込んでくるギリドゼン。
 世界の損失って、あんたが私に任せたことのある仕事なんて、世界各地で勇者が中途半端に解決した問題ごとの再度解決なんていう雑務だったじゃないか。
 そう、ギリドゼンと私が知り合ったのも、彼から庭師として依頼を受けたことがきっかけだった。すごいテレビゲームのRPGっぽいが、勇者は災厄と対峙する前に己の力を高めるために世界を巡る。世直しの旅をして善の力を高めるのだ。だが、旅の途中のため、世直しをしてもアフターケアは行えない。そこでギリドゼンと勇者の仲間の道具使いに頼まれ、私が代わりにアフターケアをさせられたということだ。
 懐かしい話である。が、またやりたいとは思えない。今の私は侍女だからな。

「引退は撤回しない。既に私も三十近い。普通なら引退しても問題ない年頃だと思うが?」

「その普通は動物人種の脆弱な寿命、体力低下によるものだ。魔人は不老であろう。体力の限界など迎えていないはずだ」

「精神は不老じゃない。切った張ったの生活をいつまでも続けていられるほど、心は若くないんだ」

 そう私の引退した理由を告げてやる。
 だが、それに反応したのはギリドゼンではなく国王だった。

「三十路前で切った張ったが若くないから無理って、騎士団の古株が聞いたら怒りそうだよね」

 ええい、いいんだよ! よそはよそ、うちはうち! かーちゃん理論で許せ!
 これは心の問題なので、相手を納得させられるような、理論的な言葉を私は持ち合わせてはいない。
 ただ、私は今、平和に過ごしたいと考えているのだ。

「私は庭師に向いてはいなかったんだよ。私に構うくらいなら、他に有望な庭師でも育てるんだな」

「魔人ほどの庭師は他にはおらぬ。お前が向いていないのなら、庭師になれぬ者や、『幹種』を目指して挫折していく他の庭師はどうなるというのだ」

 そうギリドゼンが言葉を返してくる。
 『幹種』なあ。言葉通り世界の中枢『幹』への出入りが許される、庭師の最高免許区分だ。その免許を取得するのに一番必要なものって、言語習得能力だぞ。上位の庭師って世界を股にかける職業だから。
 『幹種』になれる者が足りないというのなら、言語に明るいインテリをスカウトして、戦闘マシーンに仕立て上げるんだな。勇者育成課なんだから育成も得意だろ。
 そんなことを思いつつも、言葉に発することはない。大きなお世話だろうからだ。そもそも彼は勇者育成課の課長であって、庭師を管轄する生活扶助組合の人間ではない。

「用件はそれだけか? 私の勧誘が目的なら、お帰りくださいとしか言えないぞ」

 そう言いながら、私は目の前のテーブルに置かれた茶を手に取り、口に付ける。
 美味い茶だ。さすが王家御用達。

 ギリドゼンは口……虫でいうところの大アゴをわしゃわしゃと動かすと、しばらく間を置き、そして言った。

「魔王……元勇者の討伐浄化計画が進められている。それに参加して欲しい」

 魔王。災厄の一つ。これもまた私の勝手な日本語訳によるもので、実際には『悪意に満ちた人』といった言葉だ。別に王様じゃないが、他の災厄が悪竜だとか獣王だとか巨大魚だとか暴食大樹だとかなので、それっぽく覚えるため魔王と呼んでいる。脳内で。
 悪意に満ちる、とは悪いことをする人間になったという意味ではなく、悪意という一種のオーラのようなものを身に纏っている状態のことを言う。
 当代の魔王は、緑の悪竜を浄化した実績を持つ元勇者だ。ちょっと変わった性格をしていたが性根は真っ直ぐなやつで、正義感に溢れたまさに勇者というべき存在だった。
 だが、自分のやってきたことが世界平和のためではなく、全て『幹』の都合によるもので、自分の災厄を倒すための旅が全部勇者育成課にお膳立てされていたと知って、闇堕ちしてしまった。その身に抱えていた祝福、世界の善意が、全て反転して悪意になり、災厄と同等の存在となって『悪意に満ちた人』と呼ばれるようになった。
 それが四年前のことだ。

「新しい勇者が育ったのか?」

 災厄の浄化。それを最大効率で行うには世界に選ばせた勇者が必要だ。
 そんな私の問いに、ギリドゼンが答える。

「いや、まだだ。そもそも今回の災厄は、『世界要素』からの悪意噴出によるものではない。勇者は選出されない」

「だよな。次の災厄出現と共に、新勇者が順番に二つの災厄処理をする予定だったはずだ」

 災厄の誕生。それは本来なら、魂の終着点『世界要素』が魂から人の悪意をよりわけ溜め込み、その悪意をまとめて地表に排出すると起きる。数十年に一度のことだ。当代の魔王は世界への被害が広がらない限り、数十年放置される予定だった。
 私はギリドゼンに疑問をぶつける。

「急ぐ理由はなんだ? 魔王の被害がそんなに酷いのか?」

「それはない。魔王は人の存在しない遺跡に引きこもっている。人的被害はない」

「ではなぜ」

「それは……出動要請を受領し、『幹』まで来たら教えよう」

 なんだそりゃあ。理由は言わないけど、参加しろというのか。
 説得する気あるのだろうかこいつは。

「私はいかないぞ。庭師は辞めたんだ」

 私は、今は王城侍女なのだ。戦うのは仕事じゃない。仕事じゃないのに命なんて賭けていられるか。
 ギリドゼンとにらみ合う。いや、蟻人の表情って解らないから、相手ににらまれてるかは知らないけど。
 そんな私達二人の様子に、黙っていた国王が、何やらガラステーブルの上に置かれていた、紙製のファイルホルダーを手に取りながら、しゃべり出した。

「勇者がいなくても災厄って倒せるものなの?」

 そんな素朴な疑問。
 だが、災厄が現れたら勇者が倒すというのはおとぎ話にも語られるほど定番で、定番は外れることがない。災厄が現れるたび勇者は選出されてきたし、勇者が災厄を倒し損ねるということも私の知る限り起きていない。
 だから疑問に思うのも仕方ないだろう。

「倒せる」

「倒せるぞ」

 ギリドゼンと私は同時に答えた。そう、倒せる。私は続いて言葉を発した。

「内包する悪意の量は膨大だが、災厄は魔物と同じだ。血は出ないが剣で刺せば死ぬ」

「じゃあなんでわざわざ勇者が倒すの?」

 国王の再度の質問に、庭師の基本理念でもって私は答える。

「世界を善意で満たすため。ただ闇雲に剣で刺すだけでは、悪意は善意に変わらない。専用の魔法や世界の祝福が必要だ」

 勇者に与えられる世界樹と火の神の祝福は、災厄の持つ悪意を一切ロスすることなく全て善意に変換できる。庭師の使う善意変換魔法より、勇者の祝福の方が優秀だ。

「なるほどねー」

 そう納得の声をあげながら、ファイルフォルダーから何かを探している国王。
 そして国王は言葉を続ける。

「災厄対策にうちの国も出動要請を受けたから、四年前の悪竜討伐戦に行った実績がある近衛騎士から、一人選抜するつもりさ」

「王国最強の騎士を出して貰う」

 国王の宣言に続けて、そうギリドゼンが言った。王国最強か……今は誰だろうな。

「ところでキリン、君、仕事で誰の担当をしているか覚えてるー?」

 突然一八〇度話題が切り替わる。急に何のことだこいつ。

「近衛騎士団第一隊宿舎『白の塔』の近衛騎士達が奉公先だな」

 まあ王国最強の騎士というなら、確かに近衛騎士達の誰かだろうが。
 かつての最強騎士レイは亡くなったし、その弟子達はこの国を出ているし。

「ああ、宿舎の方じゃなくて個人の方。君の担当は誰?」

 個人の方。たしか、人事発令の時、宿舎だけではなくて、宿舎にいる、ある一人にも付くよう言われていた。

「……『白の塔』宿舎長付き、だ」

 宿舎長。すなわち、近衛騎士団第一隊副隊長、オルトだ。

「うちの最強騎士はオルト。それを出す。それに担当戦闘侍女として付いていってくんね?」

「ええっ、戦闘侍女って何!?」

 何だ、その奇妙すぎる存在は。侍女の仕事内容って、戦闘にかすりもしないぞ!

「今回新しく作りましたー。戦場まで主人に付いていって、武装して戦いに備える侍女でーす」

 そう言いながら、ファイルホルダーから一枚の紙を国王は取り出した。
 その紙に私は見覚えがあった。
 証明書だ。『幹種第3類』をキリン・セト・ウィーワチッタが取得していることを証明する、生活扶助組合発行の書類。
 私は、侍女として王城に上がるにあたって、自分の地位を表わすために、侯爵の推薦状だけでなく庭師の免許も使用した。それがこの証明書だ。

「『幹種第3類』は大犯罪を起こさない限り死ぬまで有効ー、だったよね? 君に戦闘能力があることをこれが示している。だから戦闘侍女になってね」

「本気かよ……」

「マジっすよ」

 私はため息をついて、手に持ったお茶を全て飲み干した。
 そうだよなぁ。庭師の免許を職場に提出しておいて、免許にあることは出来ませんはないよなぁ。

「魔人よ、頼む。世界を救ってくれ」

 口の大アゴをわしゃわしゃと動かしながら、ギリドゼンはそう言った。
 世界か、世界を救えか。

 世界を救ってくれって馬鹿なんじゃないか。
 私は善意で庭師という仕事をしていたわけじゃない。

 庭師は世界を善意で満たす職業だ。世界に満ちる悪意というオーラを魔法の力で善意のオーラに変換する職業だ。
 だから、庭師に就職するようなやつらは、どいつも聖人のような善人か、英雄に憧れる夢追い人だ。TRPGに登場するような、冒険者の宿に集まるその日暮らしの荒くれ者達のような冒険者とは、違う。
 庭師は厳正な試験を合格して認められる、世界公務員なのだ。文武に秀でたエリートのなる職業だ。

 でも私は聖人でも夢追い人でもない。何故庭師になったのか? それは『面白そうだった』というだけだ。生まれついての魔人の身体、魔女の後継者としての力、前世の記憶という高度な知能。それが合わさって、高いこころざしというものを持たずに庭師の地位に私を就けてしまったのだ。
 そんな私だからこそ、老いない身体というものを持ちながら、庭師の引退という道を選ばせたのだ。

 私には善意がない。世界を善で満たすという、庭師が持つべき心構えを持っていない。
 そもそも、今の私と地続きである前世の私は、善という者とは正反対の人物なのだったのだ。

 前世の私は貿易商の従業員だった。発展途上国から日本へと物品を輸出する商売。ただ、その発展途上国にとってその物品を国外に輸出するという行為は、長期的に見ると国を破滅に導く行為でしかなかった。私はそれに対するフォローを行わなかった。必要だとは思わなかったからだ。私は善人ではないから。
 国の破滅というものを私は、なんら良心の呵責無しに眺めていた。

 そんな私が? 魔王という世界への脅威を退けるために、侍女という今の身分で、わざわざ協力するという善意を持つはずがあるか? ないない、私に一切のメリットがない。魔王が生きていても、私の生活になんら影響をもたらさない。
 魔王なんて、この世界に定期的に現れるちょっとした悪意の塊だ。放っておいても世界樹が滅ぶわけでもない。国がちょっと多くても二、三個吹き飛ぶだけだ。
 そのうち次世代の勇者が育つし、本格的にやばいようなら世界の中枢『幹』が無敵最強魔導ロボットを魔王に向かって吶喊させる。
 だから私は答えた。

「わかった。世界を救う手伝いをしてやろうか」

 ……なんでかなぁ。国王が証明書ちらちらと見せてくるからかなぁ。どうだろうなぁ。
 ただちょっと……元勇者が今どうなっているかが、気になっていたりするかもしれない。
 あ、でも一応ちゃんと念押しをしておこう。

「ただし! 魔王には直接ぶつからないからな! 侍女としてオルトの近くに付き従うだけだからな!」

「うんじゃあ、副隊長に魔王へ突撃するように言って……」

「やめーや! オルト死ぬわ!?」

 冗談、冗談、と国王はファイルホルダーに証明書をしまうと、今度はまた違う書類を取り出すとガラステーブルの上に置く。
 そして懐から何かを取り出すと、それを書類の上に押しつけた。
 魔法印か。きっとあれは王印、王璽、御璽などといった、王が持つことを許された印章だろう。

「じゃ、ちょっと世界を救ってきてよ。こっちは大収穫祭を楽しんでおくからさ」

 え、出発って今すぐだったりするの? 私がこの場で出動を受け入れなかったら、どう説得するつもりだったんだ。

「確か君って、半日で実家の拠点とここを往復出来るんだよね? ぱぱっと準備してきて。今日中に」

 おいどういうことだ。職場が急にブラックになったぞ!



[35267] 28.近未来幻想ファンタジー系魔王降臨レクイエム<2>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/06/26 10:25
 急な出張要請を受けて、私はバガルポカル領にある魔女の塔までやってきていた。勿論走って。塔まで来たのは戦闘準備をするためだ。
 塔の中は埃が隅に溜まっている。魔王討伐が終わったらまたここに帰ってくるつもりだし、掃除用ゴーレムを予備の分も動かしておこう。管理ゴーレムに任せても何もやらないからな。
 私は塔を登り、金属製の扉が閉じられている部屋の前へ辿り付く。
 扉には魔法錠が厳重にかけられている。この塔には泥棒対策の戦闘ゴーレムがいるが、それでもこういう防犯対策もしているのだ。
 私は、首にかけている首飾りを服の下から取り出すと、魔力を流す。
 魔力を受けて、首飾りに付けられている宝石が輝きだし、宝石から光の紋章が宙に投影された。宝石の角度を変え、その紋章を魔法錠へと当てる。すると、重たい音と共に魔法錠が解除された。

 両開きの扉を開け、中へと入る。
 そこにあったのは、武器、武器、武器、武器、武器、防具だ。
 ここは武器庫。私が庭師として世界を巡っているうちに集めた、各国の多種多様な武器が保管されている。
 以前は私室に飾っていた愛用の戦斧や、父の形見の大剣もここにしまい直している。

 私はその武器の中から、今回の討伐に使いそうな武器を片っ端から手に取り、空間収納魔法へとしまいこんでいく。
 魔王がこもっているという遺跡の情報がないため、武器のサイズは多様にする。
 狭ければ片手メイスを使うし、広ければ戦斧をメインとして使う。一直線の通路なら突撃用に槍も使うし、遠距離攻撃が必要なら投斧を使う。

 鎧は、一つあれば良い。庭師として稼いだ資金の相当量をつぎ込み作らせ、魔法によるエンチャントを幾重にも重ねた鎧。
 試しに、着てみよう。永遠の幼児である私は背は伸びないが、太りはする。平和な侍女生活で体型が変わっていないか確認だ。

 うむ、うむ……。

「太っていないようでよかったですね、弟子」

 うひい。
 突然何もないはずの背後から声が聞こえたので、驚いて振り向いてみると、そこには人間そっくりなゴーレムが立っていた。
 男とも女とも判別がつかない、不思議な見た目をしている。私の死んだ師匠である魔女が作った、世界樹製ウッドゴーレムだ。魔女は、この塔の前の持ち主であった。

「武器を集めて鎧を用意するなど、侍女を解雇されましたか。もはや魔女になるしかないですね」

 私の行動を監視していたのか、ゴーレムがそのようなことを言ってくる。
 こいつは何かにつけて私を魔女――引きこもりの魔法研究者にしたがるのだ。多分私の師匠である魔女の仕業だ。

「解雇されてないよ。出張の準備だ」

「侍女の出張に何故武器が必要なのですか」

「戦闘侍女になったからな」

「…………」

 お、反応が止まった。このゴーレムは「こう入力したらこう動く」というのを幾重にも積み重ねたタイプの人工知能なので、知らないことには反応ができないことがある。
 ただ、まあ高度なので――

「戦闘侍女とは何ですか?」

 新しい入出力を自ら積み上げようとする。

「雇い主曰く、戦場まで主人に付いていって、武装して戦いに備える侍女だそうだ」

「なるほど。覚えました」

「覚えなくて良いよこんなの」

 言葉を電子ペットに覚えさせるレトロゲーム、前世で大学サークルの誰かがやってたな、と、ふと思い出した。

「戦争に行くのですか。敵国は鋼鉄の国でしょうね」

「いや、戦争じゃない。災厄討伐だ。魔王を相手にする」

「なるほど」

 鎧を脱ぎながら言った言葉に、そう短く返してくるゴーレム。
 そしてゴーレムはわずかに沈黙したのち、また口を開いた。

「災厄浄化の魔法を教えましょう」

 なんかすげーの出てきた。災厄浄化って。

「それ詠唱必要ないやつ?」

 私は声を出せないので、詠唱魔法は使えない。ゴーレムもそれを織り込み済みで答えているだろうが、念のために訊く。

「貴女が普段使っている浄化魔法を高度にしたものなので、詠唱は必要ありません。攻撃用の武器や魔法は必要です」

 当てたら勝手に浄化される大魔法じゃなくて、武器や魔法にまとわせる善意変換魔法と同じタイプの魔法か。

「そうか。じゃあ時間かかりそうにないなら考えようかな」

「すごいですよ。なんと、浄化した後も遺骸が残ります。災厄は魔法素材として優秀ですよ」

「え、それやばくない?」

 魔物は悪意の塊なので、浄化したら全てが善意に変換されて何も残らない。災厄も同じだ。以前討伐された悪竜が浄化されたときは、翡翠色の光になって何も残らなかった。
 当代の魔王は肉体のある人間が魔王化した存在なので、浄化したらどうなるかは解らない。だが、多分遺骸は残らないと思う。もし肉体という器に縛られているなら、魔王と言えどさほど脅威ではないからだ。生の肉体というものは動きに限界が存在する。そんなものが、災厄と呼ばれるはずがない。
 そんな魔王の遺骸を残せる魔法か……。

「是非、教えてくれ」

 私が積極的に魔王と対峙することはないけれど……もし魔王をこの手で浄化することが出来たなら、遺体を残して埋葬してやることも出来るかもしれない。そう思ったのだった。



◆◇◆◇◆



 日は半ばを過ぎ、夕暮れ前。
 塔から帰ってきた私は、侍女長に帰還を伝え、侍女服に着替え近衛宿舎までやってきていた。
 宿舎長オルトに顔を見せに来たのだ。今日の業務を休んでしまったし、これから一緒に出動する身だ、何か話すこともあるだろう。

 宿舎の中を進み、宿舎長の部屋を目指す。やがて部屋の近くへと辿り付くと、何やら扉が既に開いていた。私はそのまま扉の前へと近づく。

「なぜ連れていって貰えぬのですか!」

 そんな叫び声が聞こえてきた。
 とりあえず私は、開いたままの扉をノックしてみる。

「侍女が付いていくのに、従騎士の俺が何故!」

 また叫び声だ。負けじと私も再度ノック。あんまり長く話されるとご飯の時間が来ちゃうんだよ、とノックに意思を込める。
 すると、ちゃんと聞こえてくれたのか「入れ」と入室を促す言葉が返ってきた。うん、開いた扉向こうに私の姿が見えていただろうから、私だと解って入室させてくれたようだ。
 部屋へと入る。部屋の中を見てみると、そこにはオルトともう一人、若い従騎士がいた。この従騎士は……確かオルト付きの従騎士だったはずだ。

 従騎士は私を射殺さんばかりににらみつけている。怖いなぁ。
 で、先ほどの話を聞くに、オルトは魔王討伐に行くけど、この従騎士は連れていかないとか、そんな話だろうと推測できた。

「その侍女は私より強い。だが、お前はまだ力不足だ」

 私の方をちらりと見ながら、オルトはそう言った。どうして私と比較しちゃうかなぁ。従騎士の視線が強くなったよ。
 そしてオルトは続けて言う。

「私の向かう戦場は、生半可な実力で近づいたところで、死ぬだけだ」

「死を恐れて主人を置いていく従騎士など、騎士の名折れです!」

「確実に死ぬことが判っていて従者を連れていく騎士は、騎士失格だ。そういう場所なんだよ。今回私が行くのは」

 オルトは悪竜討伐戦の経験者だ。その戦場の激しさは身に染みて解っているだろう。
 それを伝えてやりたいのだろうが、オルトはどうも魔王討伐浄化に向かうということを言い渋ってる気がする。
 私は特に何も国王に言われていないが、出張先の秘匿義務とかあるのだろうか。やっべ、ゴーレムに魔王討伐に行くって言っちゃったよ。

「そもそも、俺が死ぬ戦場で、その侍女が無事というのが納得できません!」

 うお、従騎士の矛先が、こっちに飛び火した。そういうのも覚悟で、騒いでいる最中に入室したけどもさ。
 そんな従騎士に反抗するようにオルトは言う。

「姫――キリンは最強の庭師だぞ」

「それが納得できぬのです! この小さな幼子が強いなどと!」

「……そうか、そこからか」

 オルトは、はあ、と一つため息をつくと、私の方へと向かって言った。

「なあ姫、ちょっとこいつ、のしてやってくれ」

「ええっ、……しょうがないなあ。良いよ」

 今の格好、侍女のドレスなんだけどなぁ。
 とりあえず私は従騎士へと身体を向け、構えを取る。そして言った。

「さあ、かかってきてください」

「くっ、こんな幼子に手を上げるなど……!」

「じゃあこっちから行きます」

 踏み込んで、足を払う。長いスカートだから足の出が見えにくかっただろう。見事に従騎士は転倒する。
 そして私は足元近くに来た頭を軽く蹴り抜いた。
 鈍い音が室内に響く。

「…………」

 従騎士が沈黙する。
 大丈夫。手加減したよ。これくらいじゃ人は死なない。
 一応、妖精を呼んで治療させておく。

「あーあ、これは酷いっしょ」

 すると室内に、第三者の声が響く。
 オルトは、はっとして開いたままの扉の向こうに顔を向けた。
 そこにいたのは、いつもの貴族風ヤンキーファッション服に身を包んだ国王と、その秘書官である。扉閉めるの、私も忘れていた。
 私は人が来たことに気配で気づいていたけど、オルトは気づかなかったらしい。そんなに従騎士が心配だったのか。
 オルトは思わぬ来客に、すぐさま迎えの体勢を取った。

「これは陛下! このような場所に……!」

「まーまー、楽にしてよ」

「はっ!」

 国王の言葉に、全然楽にしないオルト。近衛騎士達って忠誠心高いから、いつでもこうなるんだよね。
 そんなオルトの様子にいつものことだとスルーしたのか、国王は床で倒れる従騎士を見た。

「で、なに? 若い子いじめ? もしそうなら絶対に許さないけど」

 国王の目が怪しく光った気がする。こいつ、見た目チャラいが風紀にはうるさい男だ。

「いえ、そのようなことはありません!」

 そう言って、オルトは従騎士が倒れるに到った経緯を話し出す。
 その間、私は部屋にあるベッドに従騎士を寝かせてやった。妖精に頭を撫でられている従騎士は、見事に意識朦朧としている。
 簡潔なオルトの説明は、すぐに終わった。

「ほーん、そんなことが。まあ騎士なら、身体で解らせてやらないと駄目ってこともあるかもね」

 どうやら国王は体育会系のノリを理解してくれたらしい。

「で、ちょっとキリンに用事なんだけど」

 国王がそう話を切り出した。オルトがいぶかしげに答える。

「姫にですか?」

「はい? なんでしょう、陛下」

 周囲に人が居るので敬語で話す私。私の使う敬語には、慣れろ国王。

「うん、実は一個だけ言い訳させてほしくてさ、午前中のことで」

「はあ、なんでしょう」

 蟻人との会談のことについてだろう。一体なんだろうか。
 私に向かって国王が言う。

「キリンを討伐に向かわせることだけどさ、今日出動要請で今日準備、明日出発で急だろ?」

「急ですね」

 本当にいきなりすぎる予定だわ。ライブ感溢れすぎる。

「本当はそこそこ前から、君の出動要請を受けてたんだぜ。拒否してたんだけど」

 えっ、そこそこ前から? 拒否していたから私には知らせてなかったということかな。

「それでも国は『幹』より立場が低いから、他の王族にせっつかれて、しかも蟻人の偉いさんが急に頼みに来ちゃって、今朝仕方なくキリンに頼んだんだ」

 あれか。『幹』の勇者育成課課長なんて大物が来たから、動かざるを得なくなったのか。おのれギリドゼン! 今度会ったときはどちら様ですかって言ってやる。

「そうだったのですか」

「そうだったんだよ。キリリン……許して?」

 悲しげな瞳でこちらを見てくる国王。なるほど。私の答えは一つだ。

「うん、許す」

「ありがとう!」

 そんなやりとりをして、私と国王は固く握手をかわした。友情!
 その様子をオルトは尊いものを見るように、秘書官は呆れたものを見るようにして眺めているのだった。

 あ、従騎士さんは怪我無く無事でした。
 ちゃんと謝っておいたよ。苦虫を噛み潰したような顔をされたけど。



◆◇◆◇◆



 明くる日、私達はいよいよ魔王討伐へと出発する。

「キリンさん、行ってらっしゃいませ」

「キリンお姉様、どうか無事に帰ってきてください」

 侍女宿舎前でカヤ嬢とククルに見送られ近衛宿舎に向かい、オルトと合流する。荷物を受け取り、空間収納魔法に格納した。従騎士や小姓がついてこられないから、鎧武器や着替えなどは私が持っていく必要があるのだ。

 まずは、他の国の精鋭達との顔会わせをするため、世界の中枢『幹』へと向かうことになっている。
 『幹』へ行くには、特殊な経路を通らないと辿り着けない。地上である陸の枝葉を伝っているだけでは、けっして辿り着けない場所にある。
 その経路とは、地上の遥か下、世界樹の内部にて世界樹の脈を伝うというものだ。世界樹は樹である。なので、枝や葉には樹液を伝えるとでも言うべき脈が存在する。それを移動経路として世界の中心に向かうことで、『幹』に到着するのだ。

 私達はその脈へと行くため、王城にある魔法宮へと訪れていた。
 魔法宮は赤の宮廷魔法師団が詰める部署。『幹』と直接連絡を取り合い、国益となすのが彼らの業務の一つだ。

 場所を使わせて貰うため、魔法師団の魔法師達に、挨拶をしておく。

「どうか皆様、よろしくお願いします」

 そう言葉を投げかけたのだが。

「魔女だ」

「ああ、魔女だ」

「魔女姫がよろしくだって」

「よろしく! 魔女姫!」

「うおー、祭りの休み取ってなくて良かった!」

 これだ。私が塔の魔女の後継者だからって、なんだか特別視されているんだよな。
 どうも塔の魔女はその老いない永遠の少女としての外見で、生前はこの国の魔法師達のアイドル的存在だったらしい。そして、私はその弟子ということで、扱いも引き継いだ感じなのだ。……よくわからん!

「では魔女様、ご案内します」

「あ、はい。ではオルト様もどうぞ」

 私だけエスコートされたので、仕事上の主人であるオルトを立てて促してやる。

「ああ」

 私に促されて移動するオルトに、舌打ちが向けられる。
 魔女が侍女とかうらやましい、とか聞こえる。あんたら、魔法宮付きの侍女にそれ聞かせるなよ、可哀想だから。

 私達が案内されたのは、まあまあ広めの部屋だ。床に魔法陣が書かれており、扉の横の壁にもなにやら魔法道具が埋め込まれている。
 その魔法道具の前に、女性の魔法師が一人立っている。部屋の扉が閉められ、中に三人だけになる。
 そして、魔法師が唐突に言った。

「下へまいりまーす」

 途端、床の魔法陣が光り輝き、身体がふっと軽くなる。
 浮いているような感覚。どこか懐かしさを感じるそんな感覚だ。

「うう……」

 オルトはこの感覚に慣れないのか、うめき声を出しながら顔をしかめている。
 そう、これはエレベーターである。
 地上から世界樹の葉の内部に行くには、間に土や世界樹の表皮が邪魔をしている。そこで、世界樹の葉の内側まで直通の穴を開けて、エレベーターや螺旋階段を通した場所が世界各地に用意されている。

 私は無言でエレベーターが下層へ到着するのを待つ。オルトはちょっと具合が悪そうだ。魔法師の女性はニコニコと笑っている。
 やがて、浮遊感がなくなり、床の魔法陣から光が消えた。
 魔法師の女性は扉を開き、私達を部屋の外へと導いた。

「ご利用ありがとうございましたー」

 その声に送られて扉をくぐった私達が見たのは、深緑の素材で出来た宮殿の内部だった。
 前世の古代ギリシア風の神殿とでも言うべきか、柱が随所に立った独特の外観だ。一面嫌いな色で出来たその見た目に一瞬気分が悪くなりそうだったが、道をしばらく進んで次に目に入ってきた光景で、それは緩和された。

 そこは、まるで近代的な駅のホームだった。
 平らな床が横方向に広がっており、手前方向の奥には転落防止柵とホームドアが設置されている。
 防止柵の向こう側には、翡翠色の川のような奔流が勢いよく流れている。この奔流が世界樹の脈であり、人の死後、魂が還る場所である『世界要素』の一部である。

 そして、正面ホームドアのちょうど奥、そこには前世で似たようなものを見たことがある、とある物体が鎮座していた。
 オルトはそれを見て、思わずといった様子でうめく。

「何度見ても面妖な……」

 それは例えるなら、列車、三両編成。
 尻込みするオルトに向けて、私は言う。

「乗ろうか、世界樹トレイン」

 地上の文明レベルを軽く凌駕する、技術規制されていないこの世界の真の文明がここにはあった。



[35267] 29.近未来幻想ファンタジー系魔王降臨レクイエム<3>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2021/09/10 02:21
 列車型の三両編成の乗り物。とはいっても線路は無く、勢いよく流れている世界樹の樹液の中で微動だにせず浮いている。
 これが『幹』への移動手段である。なので、私達は列車の中に入ることにする。

 列車の二両目のホームドアに近づくと、扉が自動ドアのように横に開き入口が開くので、そこから乗車する。列車の中は、部屋のような居心地だ。壁には白い光沢のない素材が張られ、床はてかてかした不思議素材が敷き詰められている。前世の都心電車のイメージとは結構違うものがある。つり革も出入り口のポールもない。まあそりゃあ、地球の技術は使われていないしな。
 車内には、壁沿いに座席として何やら柔らかそうなソファーがいくつも並べられている。私は共に乗車したオルトを促し、ソファーに座ることにした。
 私もオルトもまだ鎧は着用していない。オルトは近衛騎士の幹部用騎士制服と紫マントを着ているし、私はいつもの侍女用ドレスに帽子を被っている。なので、座っても座席を傷付けるということがないため、私達はちゅうちょなく席に座った。
 柔らかい。そしてすべすべしている。相変わらずの不思議素材のソファーだ。オルトも気になるのかソファーを手の平でさすっている。

 そして、私達が着席したのと同時に、車内の隅で停止していたゴーレムがこちらへゆっくりと近づいてきた。
 ずんぐりとした球形のフォルムをした樹脂系ゴーレムだ。二足歩行で四肢があるが、その外観はあまり人間に似せて作られていない。人間に限りなく近く寄せている魔女の塔のゴーレムとは大違いだ。
 ゴーレムは私達の前で停止し、音声を発した。

「ご乗車いただき、まことにありがとうございます。キリン様とオルト様でお間違いないでしょうか」

 世界共通語でゴーレムが確認をしてくる。流暢な喋りだ。そこに合成音声っぽさはない。

「ええ、相違ありません」

 私も世界共通語を使ってゴーレムに答える。
 そして、ゴーレムは続けて音声を発した。

「本潜航艇は、『幹』行きとなっております。しばらくの旅をお楽しみください」

 そう言い終わると、ゴーレムは再び元の位置へと戻っていった。

「なんて喋っていたんだ?」

 そう横に座るオルトが訊ねてくる。私は、ゴーレムに言われたことをそのままオルトに訳して言った。

「この乗り物は『幹』行きで、しばらくの旅をお楽しみください、だそうです」

「なるほど。ああ、姫。国の他の者もいないので、この任務中は敬語は必要ない」

「そうか」

 そんなに慣れないかなぁ、私の敬語。まあ見た目十歳児に、敬語を使われるのは変というのは解るが。

「それでは発進いたします」

 と、突然、世界共通語で車内アナウンスがかかった。すると、窓の外に見える翡翠色の世界樹の樹液による奔流が、勢いを増す。列車――脈の潜航艇が発進したのだ。
 車内に揺れや加速のGはない。
 それも当然だ。国を跨いで超速度で移動するうえに、脈はところどころ曲がりがあるため、乗員に負荷がかからないよう慣性制御されているからだ。
 『幹』の魔法技術は、慣性を自在に制御している。

「むう、悪竜討伐に向かうときにも乗ったが、なんと面妖な……」

 オルトが四年前のことを思い出したのかそんなことを言いだした。まあ、加速の負荷も揺れもない乗り物は、面妖といって良いだろう。

「まあアルイブキラに居たら、絶対に触れることのない技術体系だよなぁ」

 ソファーをばしばしと叩きながら私もそう言った。
 それを受けて、オルトはうむ、と頷く。

「しかし『幹』に行くのは初めてだ。昔あれほど切望していたことが、今更になって叶うとは……」

 感慨深げにオルトが言う。悪竜討伐のとき、近衛騎士団は『幹』へは寄らず、アルイブキラから直接戦場の国へ向かった。なので、この潜航艇に乗ったことはあっても、『幹』へは行ったことがないのだ。

 そんなオルトだが、実は近衛騎士にスカウトする前は『庭師』だった。『幹種』の免許取得を目指して、日々頑張っていたであろうことが予測できる。
 元『庭師』なので、馬鹿揃いの近衛騎士団に似合わずインテリだが、なんとこやつ、ゴーレムの世界共通語を理解できなかったのを見て解るとおり、外国語がてんでできないのだ。
 おかげで今回の私の侍女としての仕事は、身の回りのお世話ではなく通訳となった。

 そんなこんなでオルトと雑談をしていると、案内ゴーレムが再び私達のもとへと近づいてきた。腕部には、何やらトレーを載せている。

「テーブルが床から出ます。お気を付けください」

 その言葉が終わると、床に魔法陣が光り、ソファーの前に言葉通りテーブルがせり出してきた。
 どこかメタリックな見た目をしたテーブルだ。だが、実際に触ってみると、金属的な冷たさはない。

「朝食となります」

 ゴーレムはそう言って、トレーを二つテーブルに置いた。
 私達は朝早く王城を出たため、車内で朝食を食べることになっていたのだ。

「ごゆっくりどうぞ」

 ゴーレムが去っていく。ゴーレムの言葉が解らないであろうオルトは、テーブルの上のトレーを怪訝な顔で眺めていた。

「何だこれは?」

「朝食だ」

「食事!? これが!?」

 思わずといった様子でオルトが叫び声を上げる。
 然もありなん。トレーの上には、四角い皿とスプーンが一つ置かれていて、四角い皿には蛍光オレンジ色の何かがみっちりと満たされていた。

「飯なのか、これは? 色合い的に絵の具にしか見えん」

 そうオルトは疑惑の声を出す。
 確かに外観は良くない。蛍光色の絵の具を皿の上にぶちまけ、平らに綺麗に均したような、そんな見た目だ。

「いや、そういうのじゃないよ、これは」

 私はトレーからスプーンを手に取ると、皿の中身にそれを差し入れた。ぐにゅ、と柔らかい感触が手に返ってくる。スプーンをすくうように動かすと、ややねばねばとした感触でスプーンの中にそれが収まる。それは、ペースト状の何かだった。

「樹液潜航艇世界樹トレイン名物、ペースト飯だ」

 私はそう言って、スプーンを口元に運び、食べる。オルトはぎょっとした目でその様子を眺めていた。
 うむ、まろやかで美味い。

「『幹』の食事とはこういうものなのか……」

 何かを納得できないといった表情でオルトは言う。
 だが、私はそれに反論する。

「いや、あくまで車内限定食だ。他で食べられないからレアなんだぞ」

 悪竜討伐時の往復では、オルト達は車内で食事を取らなかったのだろう。

「そうなのか、しかし何故このような……」

「この潜航艇は、『幹』に行く資格がない者達が、高速国家間移動をするためにも使われる。四年前の近衛騎士団達みたいにな。だから、『幹』側としては、この車内で食事を通じて、高度な文明を乗員に見せるわけにはいかないんだ」

「高度な文明? 食事に文明が関係あるのか?」

 そう疑問の声を出すオルト。それに、私は答える。

「あるんだよ。遠くにしか水辺がない場所で、新鮮な魚を食べられるとする。そこには、魚の鮮度を落とさない高度な文明技術が使われている。そういうもんだ。調理法も文明レベルに応じて発達するものだしな」

 その説明に、オルトはなるほど、と納得した。

「あと、ペースト飯は文化というものをそぎ落としているから、どんな国の人間でも食べられる」

 と、追加の情報を与えておく。そう、どんな人間でも食べられる。ペースト状で怪しいからって食えないわけじゃないんだ。食え!
 私に促されて、オルトはトレーからスプーンを手に取ると、四角い皿からペースト飯をすくって、口に入れた。

「……美味いな」

「だろう? ここに乗るたび、結構楽しみにしているんだ」

 そして改めて聖句を唱えて食事は開始され、私達はペースト飯を残さず完食した。
 満足そうに口元をハンカチで拭くオルト。初めて食べるものだったろうが、満足したようだ。

「一皿しかないのに意外と飽きなかった」

「だろう?」

 ペースト飯の感想を言うオルトに、得意げになってそう返す私。
 その後も私達は二人しか居ない車内で、『幹』に到着するまで雑談をして時間を潰すのであった。



◆◇◆◇◆



「『幹』へ到着いたしました。お忘れ物なさいませんようご注意ください」

 そんなアナウンスを最後として、潜航艇は運行を終える。食事以外、見所の無い旅だった。
 何せ、窓の外は世界樹の樹液が流れているだけの風景だ。各駅停車もしないし、楽しい列車の旅とはいかなかった。

 私達は横にスライドする自動扉から列車を出て、駅のホームに足を踏み入れた。
 この駅からは、案内役がつくはずだ。そう聞いている。
 私は周囲を見渡した。それらしい誰かは……居た。『アルイブキラ御一行様』とアルイブキラ国の言語で書かれた旗を持った女性が、ぽつんと一人立ってこちらを見ていた。
 私は彼女を見たまま、オルトに向けて言う。

「彼女のようだ」

「ああ」

 私はオルトを連れて、女性のもとへと歩み寄っていった。

「『幹』へようこそー。アルイブキラの騎士様ー」

 女性は旗を振りながら、そうアルイブキラの言語でオルトを歓迎した。
 女性は二十歳ほどの若い見た目で、長い銀髪をおさげにしている。服装は、『幹』で一般的に着られるような服ではなく、地上の道具協会の協会員制服であった。

「キリンさんもお久しぶりですー」

 そう女性は膝をやや曲げ、視線の高さを私と同じにして言った。そして何故か私の頭を撫でてくる。

「ああ、久しぶりだ」

 帽子が脱げそうになるので女性の腕を払いのけ、帽子の位置を直す。
 手を払いのけられた女性は、不満そうに払われた手を見つめた。
 やけに馴れ馴れしいこの女性。そう、私の知り合いである。

 『幹』の地上管理組織である道具協会の協会員であり、元勇者の旅に荷物持ちとして同行した、いわゆる勇者の旅の仲間だ。
 神話に語られる太古から、今現在に至るまでのあらゆる時代の道具を使いこなす、最強の道具使い。
 名は――

「オルト、こちら道具協会のリネ。今回の案内役らしい」

「はい、案内役ですー」

 私の紹介に、旗を振って答える女性、リネ。
 そして次は、リネにオルトを紹介する。

「リネ、こちら近衛騎士団第一隊副隊長のオルト。王国最強の騎士だ」

「よろしく、リネ殿」

「はい、よろしくです」

 そう軽く挨拶をかわす二人。案内役との顔合わせは済んだ。
 そして私達は案内役のリネに促されて駅から出ることにした。
 駅の建物から出て、そこに待っていたのは、世界の中枢『幹』の風景だった。そこには未来があった。

 翡翠色の樹脂で綺麗に固められ、ゴミ一つ転がっていない道路。道を歩く、肌にぴっちり密着した庶民ファッションに身を包んだ二足歩行の昆虫人類――蟻人。人々の助けになれないか道を巡回する案内ゴーレム。床をみがいて進む、清掃用の動く魔法陣。
 はたして何十層あるのか、天高く突くように建てられた建造物。宙の至る所に通され、中を一人乗りの乗り物が走っている透明なチューブ。空を行き交い、上空で建物に出入りする原色カラーの空飛ぶ乗り物。人工太陽の代わりに街に光を灯す、遥か天井にあるドーム状の壁面。
 ここは未来都市『幹』。技術規制が一切かけられていない世界唯一の場所である。

「むう、これが『幹』……」

 オルトはそんな町並みを感慨深げに眺めている。
 まあ、中世風西洋ファンタジー世界の住人が、いきなりレトロフューチャーの世界に放り出されればこうなるか。
 私とリネはしばらく駅前でオルトの都市観察が終わるのを待ち、そしてオルトの「待たせてすまない」という謝罪を受けて出発した。
 だが、ここからどこへ向かうのかは知らない。私はリネに素直に訊いてみる。

「どこに向かっているんだ」

「女帝宮ですねー。お二人の滞在場所になります。とりあえずの予定は、昼食です」

 この世界樹の世界において、時差というものはない。全て共通の時間が使われているし、人工太陽の動きも各地で統一されている。人工太陽の無いこの『幹』も、地上の人工太陽の運行に合わせて、照明の色を変えて時間を表わしている。

 しかしまた女帝宮とはなぁ。
 女帝宮の主、女帝蟻は、蟻人の頂点に立つ存在だ。それはつまり、『幹』で一番偉い存在ということで、世界の支配者の一人と言える。私達はそんな女帝蟻の住む宮殿に招かれているのだ。
 そんなことをオルトに話しつつ、私達は女帝宮に到着した。
 女帝宮は道路と同じ、翡翠色の樹脂で作られた美しい宮殿だった。
 私達は客室に案内される。客室の中は、樹脂製ではなく、壁紙が貼られ床は板張りになっていた。世界樹の樹脂は美しいが、慣れない地上人ではその翡翠色の建材に見ていて気が休まらないと、このような客室が用意されているのだろう。

「昼食をお持ちしますねー」

 そうリネが言うと、壁に取り付けられていた小窓が開く。すると小窓から光の粒子が溢れ、粒子は部屋に据え付けられていたテーブルへと流れていき、光の道が小窓からテーブルの間に出来る。
 そして、小窓から食事の載ったトレーが射出され、するすると光の道を宙に浮いたまま進んでいく。どうやら魔法を使った無人配膳のようだった。
 テーブルに並べられたトレーの数は三つ。それを見て私は言った。

「リネもここで食べるのか?」

「はいー、しばらくお二人と行動を共にするよう言われているんですよ」

 なるほど、と私は納得してトレーの上の食事を見る。
 丸パンにスープ、サラダにサイコロステーキ、魚の焼き物に葉野菜のおひたし。それがほどよい量載っていた。特異なものは存在しない、無難なメニューである。まあ変な物を出されて、戦いを前に心身共におかしくなるとかあっては困るけれども。

 私達は「アル・フィーナ」と聖句を唱えて、食事を始めた。
 アルイブキラ国で使われる食器であるトングがあるのは、女帝宮側の配慮だろう。
 侍女としてその心遣いに感心していると、パンを食べていたオルトがぴたりと動きを止めた。

「パンが、ふわふわしているッ! これはパンなのか!?」

 ああー。なるほどね。
 アルイブキラ国のパンって、ナンみたいなやつだからな……。あれも発酵はさせているが、この丸パンほどふわふわはしていない。
 驚くオルトを心配するようにリネが尋ねる。

「口に合いませんでしたか?」

「いや、大変美味だ。感心していたんだ」

 そう言って、オルトは次にスープに手を伸ばした。
 ふむ、このスープは……。

「大丈夫か? 塩辛くないか?」

 そう私はオルトに確認する。
 アルイブキラの貴族飯は、塩分控えめである。塩飴などを用いず食事で全ての塩分をまかなう『幹』の食事は、オルトにとって塩辛かったかもしれない。

「いや、問題ない。ああ……騎士になる前のことを思い出す塩加減だ……しかも複雑な味がして美味い」

 アルイブキラの庶民飯は、料理の過程で最後に雑に塩を振りかけるからな。それらと比べると、この女帝宮の食事は抜群に美味い。

 やがて食事も終わり、トレーは再び小窓の方へと飛んでいった。これ、来賓用の演出なんだろうなぁ……。

 そして次の予定はどうか、とリネに聞こうとしたところで、オルトがこんなことを言いだした。

「すまない、便所はどこだろうか」

「あー、はい、案内しますねー」

 リネがオルトを伴って部屋を出ようとする。ふむ、私もトイレの場所が解らないと困るし、ついていこう。
 翡翠色の廊下を進み、それらしき場所にすぐに辿り付く。
 その前で、リネがまだ持っていたのか『アルイブキラ御一行様』の旗を振る。

「こちらが男子トイレ、こちらが女子トイレですー。世界共通マークですので大丈夫ですよね?」

 壁に掲げられたトイレを示すプレートを挿しながらリネがそう聞いた。

「ああ、すまないな」

 そう言ってトイレへと入っていくオルト。

「キリンさんは大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫」

 と、少しリネと言葉をかわしたところで、オルトが戻ってきた。
 もうすませたのか? いや、早すぎる。

「すまない、なにやら魔法道具がついていて、使い方がわからん」

「ああー、そうですよねー」

 オルトの言葉に、リネが困ったように言う。
 トイレの中に入って説明してあげれば良いのだが、向かう先は男子トイレ。確かにリネも困るだろう。
 なので私が行くことにした。

「オルト、私が教えるよ」

「そうか、助かる」

 二人してトイレの中へと入っていく。
 男子トイレの中。前世で見慣れた小便器はない。全て個室のようだった。

「こちらから頼んでなんだが、かなりちゅうちょなく男子トイレに入ったな、姫……」

「元男だからな。気にしないぞ別に。私が居て気にするのはトイレに居る男衆の方だろ。さすがに他に人が居たら入らない」

 そんな無駄口を叩きながら、やたらと広い個室の一つに入り、説明を開始する。

「便器は解るよな? そう国と違った形はしていないし」

 あえて便器部分を地上と比較するなら、便器は宙に浮いていて、自動で座る人の座高に合わせてくれるという点が異なるだろう。

「あ、ああ。紙がないようで困ったんだ。そして便器横の謎の魔法道具らしきものが気になる。あと、水洗ならどこで流すやら」

 アルイブキラでは向日葵麦の麦わらを使った製紙業が盛んなので、用を足した後に拭くのに紙を用いる。ここにはそれがない。
 そして、便器の横には世界共通語で説明の書かれた魔法道具のスイッチがある。前世の地球を知っている人なら、これをシャワートイレと判断するだろう。だが、違う。

「これはナノフェアリー洗浄機だ」

「ナノフェアリー?」

 まあ、聞き覚えはないだろう。ナノフェアリーは非常に高度な魔法で、『幹』くらいでしか使われていない。

「用を足した後にこのスイッチを押すと、下半身を洗浄してくれる。紙は必要ない。終わったらこっちのスイッチ。流すのはここのスイッチだ。水洗じゃなくて魔法分解されるけど、焦るなよ」

「ああわかった。ありがとう」

 理解したようなので、トイレを退室しリネと合流する。
 リネが苦笑いしているが、まあオルトの他に利用者はいなかったようだし、説明のためならば男子トイレ侵入も許されるだろう。許してください。
 やがてトイレの中から「ぬわー!」と叫び声が聞こえてきて、オルトが戻ってくる。
 私は侍女としてオルトの服装が乱れていないかチェックすると、リネに先導されて客室へと戻った。

 私達二人が部屋へと入ったことを確認したリネは、『アルイブキラ御一行様』の旗を振りながらまたもや何かを言う。

「ついでといってはなんですけど、身体と服の洗浄についてもお話ししておきますねー」

 ……ああ、あれか。
 確かに『幹』では説明が必要だ。

「アルイブキラの方には残念なことに、この女帝宮にはお風呂がありません」

 リネの話を受けて、オルトはふむ、と頷いた。アルイブキラは水が豊富な国だ。なので、水浴びや風呂といった文化が存在している。
 リネは、さらに言葉を続ける。

「濡れタオルで身体を拭くとかじゃないですよー。お風呂の代わりに、ナノフェアリー洗浄をするんです」

 ナノフェアリー洗浄と聞いて、オルトの顔が苦々しいものに変わる。まあ、トイレで経験したからね。

「部屋の壁のこの部分にですねー、洗浄機があるんです」

 そう言いながらリネは壁際に移動し、壁に据え付けられたパネルの前に立つ。あのパネルは、魔法道具の操作画面である。

「このボタンを押すとですねー、ナノフェアリーが出てきて……」

 リネがパネルを操作すると、壁から青い光の粒子が噴出された。それは瞬く間にリネの全身を覆う。

「このナノフェアリーが服と一緒に全身を洗浄してくれるんですよー」

 言葉を発しながら、リネはまたパネルを操作する。すると、リネを覆っていた光の粒子が壁に吸い込まれて消えていった。
 さっぱりした、といった顔でリネがこちらに笑みを向けてくる。
 ナノフェアリー洗浄とは、ナノサイズの人工妖精を作り出す魔法で、そのサイズで服の隙間から入り込み、妖精の力で洗浄を行うものである。自然の妖精と同じくアストラル体に構造を変更もできるため、やろうと思えば隙間の無い金属を着込んでいても、透過して洗浄が行えたりする。

「以上、洗浄機の説明でしたー。では、騎士様、洗浄試してみましょうか」

 そうオルトに話を振るリネ。話を振られたオルトはというと、渋い顔をして頷いていた。一度目の洗浄体験がそんなにショックだったのだろうか。慣れないと、あれぞわぞわするからな。

「やらねばならんか」

「はい、やって覚えてくださいねー」

 リネに促され、パネルの前に立つオルト。そして、パネルをいじった。

「ぬわー!」

 粒子に包まれるオルト。今頃全身ぞわぞわしていることだろう。

「はい、もう大丈夫です。止め方は解りますよね?」

「ああ……」

 そう返事をしてパネルを操作するオルトだが。

「ぐわー!」

「ああ! それは強ボタンです!」

 リネと私が慌ててオルトのもとへと、パネルを操作しに駆け寄る。
 今回の討伐に付いてきて良かった。オルトは今後も明らかに『幹』の文明に振り回されるだろう。
 こういうのは、侍女として仕えがいがあると言っていいのだろうか。まあでも、主人の外出に付いていくのも侍女のお仕事だよね。



[35267] 30.近未来幻想ファンタジー系魔王降臨レクイエム<4>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2021/09/10 02:23
 リネに案内され、私達は女帝宮の奥深くまで入っていた。
 宮殿の壁には、神話を表わしているのだろうレリーフが、壁に彫られている。レリーフには大地で繁栄する動物人種と、それに従う女王蟻達の物語が彫られている。レリーフの下には、古風な世界共通語で物語が書かれていた。

 無限の大地で、蟻を従え繁栄を謳歌する人類。巨大な木を中心にして、魔法文明は栄華を極めた。そして人類はついに、巨木を通じて世界の魂を操作する術を見つけた。しかし、大地の表に出た魂に引かれて、空の彼方から魂食いの悪獣が飛来する。悪獣と大地の生物たちの壮絶な戦いが繰り広げられる。悪獣は倒れるが、悪獣の息吹により世界の魂は汚染された。汚染された魂に大地は覆われる。こうして大地は滅びた。
 ここまでが、世間一般にも知られる『大地神話』の終わり。
 だが、このレリーフには続きがあった。

 大地の滅びを迎えた人類は、巨木を魔法で作り替え、船とする。あらゆる動物のつがいが集められ、船へと乗り込んでいく。そして人類は星の海へ船を進め、小さな星へと船を泊めた。巨木である船は小さな星に根を張る。小さな星に人類は住むことができず、人類は船の上を安住の地とすることとなった。

 私はその訳をオルトに聞かせながら、廊下を進む。

「私と騎士様はここまでです」

 レリーフの彫られた一本道の廊下の突き当たり。扉の閉まった部屋の前で、リネがそう言った。

「騎士様が閲覧を許されているのは、このレリーフまでです」

「そうか。興味深いものだった。見せてくれて感謝する」

 そう言ってオルトは引き下がる。オルトも元庭師。世界の真実というものには興味がそそられているだろう。
 私はオルトとリネを廊下において、扉の前に立った。扉に据え付けられていた魔法道具が光り、私を照らす。スキャンを掛けられている。何らかの本人承認を行っているのだろう。やがて光は収まり、扉が重々しく開いた。
 入れということなのだろう。私は無言で入室した。

 部屋の中は大規模な会議が出来そうなほど広い。部屋の隅の方には机がいくつも並べられ、机の上には魔法モニターが投影されている。その空間投影モニターの前に人や蟻人が座って、パネルを操作している。そして部屋の中央には円卓が置かれ、円卓の中心には何やら青と黒のまだら模様をした球体が宙に投影されている。
 私の入室に、パネルを操作している幾人かの人や蟻人が反応するが、すぐにモニターへと向き直った。
 そして、一人の蟻人が、部屋の入口付近に立っていた。

「来たか、魔人」

 蟻人が言う。私はそれに首を傾げた。

「どちら様ですか?」

 その私の問いに、蟻人は口の大アゴをわしゃわしゃと動かした。

「勇者育成課のギリドゼンだ」

 うん、見分けは付かないけど知ってた。
 服装前と同じだもんな。解りやすいよう気を使ってくれたのか?

「こっちだ」

 ギリドゼンが部屋の奥へと私を促した。
 部屋の奥、中央には一人の人が、宙に浮く椅子に座って空間投影パネルを操作していた。
 十歳ほどの見た目の少女。黒髪を肩ほどで切りそろえ、紫色の豪奢な服を着込んでいる。額には白い石のようなものが埋め込まれており、さらには頭から二本の触角が飛び出していた。

「女帝陛下、魔人をお呼びしました」

「うむ、来たか」

 少女はパネルの操作をやめ、こちらへと顔を向けた。って、女帝陛下?

「魔人、こちらが女帝陛下。我らの頂点だ」

 女帝蟻って、女王蟻人とは違うのか?
 女王蟻人といえば、六本足の蟻の下半身に、人間――動物人類種の上半身を持つ、半虫半獣の見た目をしているはずだ。だが、この女帝は頭の触角と額に埋め込まれた石以外、完全に動物人類種だ。
 そんな疑問はあるが、初対面だ。

「初めまして女帝陛下。キリン・セト・ウィーワチッタと申します」

 そんな私の挨拶に、女帝はというと。

「よいよい、楽に話すがよい。我が許す」

 こ、古風ー。なんか古風な世界共通語を喋るぞこの女帝。

「で、おぬしは何故ここに呼ばれたのか、疑問に思っておるじゃろう?」

「ええ、まあ」

 女帝の言葉に、素直に答えておく。この部屋は何で、ここに私が一人でいる理由は何だ。
 女帝は宙に浮く椅子に座りながら、手をギリドゼンの方へと向けた。

「ギリドゼン」

「はっ。……魔人よ、私は言ったな。魔王浄化を急ぐ理由は『幹』まで来たら教えると」

 女帝に促されてギリドゼンがそう言った。
 あー、そんなこと言ってたな、そういえば。確かに、数十年前倒しで今回の作戦を急ぐ理由は聞いてみたい。
 私はギリドゼンに向かって頷いてみせた。

「ゆえに教えよう、まずはこれを見てくれ」

 ギリドゼンがその場で指を動かすと、宙に球体が投影された。青と黒のまだら模様。だがよく見てみると、茶色いものも混じっている。青はとても綺麗な色で、茶色は何やら模様を描いている。
 まさか、これは……。

「惑星、か……」

 そう、これは地球の姿を宇宙から眺めたものに似ていた。
 だが地球との相違点として、茶色い大地に緑はないし、雲の代わりに黒いものが渦を巻いている。

「なに? 解るのか、魔人」

「ああ、私の前世の世界では、人類は宇宙に到達できていたから、人の住む惑星の外観は写真で見て知ってる」

「なるほど」

 ギリドゼンが大アゴをわしゃわしゃと動かす。昨日から気になっていたけどそのわしゃわしゃ、どういう感情表現なんですかねぇ……。

「ここからは我が話すのじゃ」

 女帝がそう言って椅子の上で足を組んだ。話のバトンタッチ早いなぁ。
 宣言通り、女帝は一人で話を始める。

「おぬしも知っておる通り、我々の大地――惑星フィーナは世界の魂、世界要素が汚染されておる」

 あのレリーフの内容だな。以前庭師をしていた頃も、あのレリーフと同じ話を聞くことがあった。
 フィーナとは、聖句で大地を意味する言葉だ。自分達の住む惑星のことを地球と言ったり、Earthと言ったりする発想は、ここでも同じらしい。

「大地は滅んだのじゃ。そして我々は逃げたのじゃ。月に不時着して、今も生きておる。しかしのう、座して待っているわけにはいかぬ」

 古風な喋りで女帝が話す。あのレリーフは事実だったということだろう。

「ゆえに、我々は、惑星フィーナの世界要素を浄化することを考えたのじゃ。だいたい、千八百年くらい前のことかの」

 千八百年前か……。まあ大地神話の終末が少なくとも二千年は前のことだとされているから、別におかしくはない。

「ちなみに千八百年前のフィーナはこれじゃ。ギリドゼン」

「はっ」

 女帝に促され、ギリドゼンが指を振る。すると、投影されていた球体の様相が変わる。
 真っ黒だ。どこも青が見えない真っ黒な球体がそこにはあった。世界は完全に汚染されていた。
 それを前に、女帝は説明を続ける。

「そこで考えたのが――」

 女帝の目配せに、ギリドゼンが指を振る。

「対惑星浄化兵器。善人砲じゃ」

 黒い球体が消え、今度は世界樹の全景が表示される。金属で補強された、緑の無い巨木。枝の先からは、葉の代わりに大きな大陸が生えていた。
 そしてその世界樹の根元から少し離れた場所。そこから、世界樹と同等の高さを持つ格好良いフォルムを持つ砲身が、真っ直ぐ天に向けて突き出ていた。
 善人砲……。え、なに? そんなもんが千八百年前から世界樹の隣にそびえ立ってたの? 全然気づかなかった。わざわざ地上の陸地の端っこに立って外を見て、星を眺めたり月の地表を見たりなんてしないもんなぁ。

「善人砲は世界の善意を集め、数百年に一回惑星に撃ち込み、惑星の地表に満ちた汚染された魂を浄化しているのじゃ」

 スパンが長い! 気が長すぎる!
 ああ、でもだ。

「世界の善意を撃つということは、その分だけ世界樹から『世界要素』がなくなってしまうのでは?」

 善意とは魂だ。生物は死後、魂となって世界樹に還り、記憶を浄化され、善意と悪意と無垢な魂に分けられて『世界要素』となる。
 人が新しく生まれるとき、無垢な魂と善意を注がれて生まれ出でる。動物の場合は無垢な魂のみを入れる。悪意は魔物になるが、庭師が善意変換魔法を使って倒すことで、善意と無垢な魂に変換されて世界に還る。
 だから、善意だけ他の惑星に撃ち込めば、世界からどんどん善意がなくなって魂の総量が減っていってしまう。

「それは大丈夫じゃ。月の中にはまだ手つかずの『世界要素』が残っておる。世界樹の根がほんの少しずつじゃがそれを吸い出せるのじゃ」

 月の中って『世界要素』があったんだ……。まあ衛星でも星だからな。
 そして私は気づく。

「『世界要素』が余ってるなら、人口抑制政策しなくても良いんじゃあ……」

 『幹』が地上の文明発展を止めているのは、人口が増えすぎて人間一人当たりに割り当てられる魂の量が減りすぎないようにするためだ。だが、『世界要素』を補充できるとなるとその前提は崩れる。

「人口爆発を舐めたらいかん! 世界樹の葉の大陸などすぐに住むところがなくなるのじゃ!」

 あ、はいそうですね……。月の上の、世界樹の枝の上に乗った、葉の大陸だから、多分前世だと大陸じゃなくて島って呼ぶくらい狭いんだろうな、アルイブキラ国とかって。私の予想では、葉の大陸一個が北海道くらいの広さ。

「それに根は、他にも鉱物資源なども月から吸っておるから、世界要素を吸う速度はそんなに速くないのじゃよ。善人砲に使う分でとんとんってところじゃ」

 となると、善人砲を使うのをやめれば世界に満ちる魂の総量は増えていき、人口が増えても魂が薄まることはない。ただし、そうなると土地が足りなくなる、か。世界樹の生えている月をテラフォーミングする程の技術力は、『幹』にはないのだろうか。

「なるほど……で、この善人砲が今回魔王を討伐する理由なのか?」

「うむ! 浄化した勇者から還ってくる予定の善意で、ちょうど善人砲フルチャージ100パーセントなのじゃ」

 なるほど。切りがいいからやってしまうってことか。ふーむ、でもなぁ。

「今まで数百年に一度のスパンでのんびりやっていたのに、次の勇者選別と災厄出現までの数十年を待てない理由は?」

 魔王の浄化を早める理由の説明にはなっていなかったので、改めて女帝へと訊ねる。
 その質問も織り込み済みだったのか、すんなりと答えが返ってきた。

「次の善人砲で、世界樹が元々生えていた大陸の完全浄化が終わるのじゃ……」

 ギリドゼンが再び現在の惑星フィーナを空中に投影する。そして惑星の北半球にある大陸の一つが点滅し、位置を主張する。
 ふむ、なるほど。

「我々は、とうとう大地を取り戻すことが出来るのじゃ。ならば、一年でも二年でも早く善人砲を撃ちたいのじゃ」

 空中の惑星隣には、月も投影され、月から白いビームが発射される。そして、ピックアップされていた大陸にぶち当たると、大陸の上に重なっていた黒いもやが全て翡翠色のもやへと変わり、白い光と共に大地へ染みこんでいった。
 ほーん、ふーん、へー。
 善人砲の善意は、元々人の魂だったものが混じっている。それが無駄に消費されるとなると私でも反発していただろうが、善意は消滅せず大地に還るようだった。それなら、魂は失われない。善人砲の運用に問題は無い。
 だが、気になるのは魔王討伐の方だ。

「それで、それに私達が魔王討伐という形で付き合うことになると」

「災厄の浄化に世界各国が等しく協力するのは、約定で決められていることじゃよ。討伐が早まろうが、遅くなろうがそこに変わりはないのじゃが……」

 まあ、勇者一人では災厄は倒せない。だから、災厄討伐浄化の時には必ず世界各国から援軍を募るようになっている。今回もそうだ。アルイブキラからは私とオルトの二人と、とても少ない数なのだが。

「……じゃが、たった四年の短さで二度も災厄戦に付き合わされる戦士達には、大地の解放でもって報いたいのじゃ」

 災厄の出現は数十年に一度だから、人生で二度災厄戦に参加するというのは本来ならレアケースだろう。しかし。

「いやあ、地上の人達、大地の解放なんかに全く興味持たないと思うよ。今の人は世界樹で生き、世界樹で死ぬことになんら問題を抱えていないんだから」

 私の言葉に、ふわふわと浮いていた女帝が空中でぴたりと停止した。

「……そうか。まあそうじゃろうな。我々は、あまりにも時間をかけすぎてしまったのじゃな。あの母なる大地が、みなの故郷でなくなるくらいに」

 悲しそうな、弱々しい声で女帝は言った。
 そして、私のことを真っ直ぐと見て言葉を続ける。

「だがお前はどうじゃ? 前世で、星の大地で生活していたおぬしは、真の大地と本物の太陽の下で暮らせることが、どれだけ尊いことか解るじゃろうか?」

「いや、別にそこまでして惑星で生活したいとは思わないかな」

 私は首を振って、はっきりとそう言った。

「この世界の地上は良い場所だよ。大地に足を付けているのと変わらない、素敵な場所だ。足元には土があり、水が流れ、作物が育ち、昼と夜があり、自然災害はない。魔物と巨獣が暴れているのが玉に瑕だけどね」

 惑星に移住できれば、文明に制限をかけず自由に人類は発展していけるだろうから、種の選択としては惑星再生が正解なんだろうけどね。
 私の言葉を受けて、女帝はゆるゆると椅子の高度を下げていく。

「そうか……我々の作った環境は、そこまで良いものだったか」

 椅子に座りながら、ため息を吐く女帝。そして、少し溜めてから言った。

「だが、それでも我々は大地を取り戻したいのじゃ。あそこは、我々の故郷だからの」

 そうか。なるほどね。私はあまり同意できないが。魔王討伐には参加するけれどね。
 ……あの星が故郷ってことは、人が惑星に住んでいた大地神話の頃から生きているってことになるな。何千歳なんだこの女帝様。

「大地を取り戻せたら、大型探査船を送って、鉱山で世界樹に存在しない様々な魔法鉱物を掘り出せるのじゃ。それを各国に配ることで、報いとなるじゃろうか」

「あ、それは大丈夫だわ。それ最初にうちの国に言ってたら、第一隊の騎士全員送ってきてくれたのではないかな」

 アルイブキラは鉱物資源が常に不足しているからね。
 あと私も、その魔法鉱物で作れる武器が気になる! 個人的に融通してくれないかなぁ。戦うのは好きじゃなくなっても、武器は好きなんだよ。元男の子だから。

「わはは。即物的じゃのう」

「情じゃ国は動かないよ。金は力。資源は力」

「そうじゃのう。ちなみに大地を脱出するときに持ち出せなかった二千年前の財宝が、たんまりと向こうには残っておる。二千年前だから、持ち主のほとんどはいなくなっておる。ここでは貴重な金(きん)がざくざくあるじゃろうなぁ。どう分配しようかの」

「ゴールドラッシュだ! 討伐頑張る」

 こりゃ、魔王討伐数十年早めた価値あるわ。
 金(かね)はたんまり持っているから私にそれらを分配して貰う必要は無いけど、今の国王が元気なうちに、金属資源をアルイブキラに大量に持ち帰ってやりたいからね。友情!

「今回は無敵最強魔導ロボットを投入するゆえ、負けはないのじゃ。ロボットは魔の浄化能力が低いので、最終防衛ラインなのじゃが……。庭師の連中に頑張って貰いたいものじゃのう」

 私、もう庭師じゃないから知らないぞ。オルトに付いていって、適度に魔物を狩って終わるのだ。
 元勇者の浄化はしてやりたいが、魔王と対峙したらオルトが死にかねない。私は死なないための緊急手段をいくつか持っているから、なんとかなるかもしれないんだけど。

「ま、そんなところじゃな、勇者浄化を急ぐ理由は。結局は、我々――我と世界樹の望郷よ」

 ずっと我々って複数形で言っていると思ったら、もう一人は世界樹だったのか。神みたいなものじゃないか。そうか、世界樹も懐かしがっているのか、あの惑星を。

「まあ良いんじゃないかな、参加国にリターンがあるなら」

 私も友情ゆえに参加して良いと思ってるしね。

「そうかそうか。では我からの説明は以上じゃ。何か質問はあるかえ?」

 質問か。そうだな。

「この部屋は何の部屋?」

 私達の話の最中にも、蟻人達がパネルを操作して空間投影モニターをじっと見て何やら作業を続けていた。

「ああ、ここは惑星フィーナを監視し再生を行う、惑星再生課の拠点じゃな。我が課長じゃから女帝宮に作業部屋を作っておるのじゃ」

 女帝が課長て……。いや、私の翻訳が悪いのか? 課じゃ駄目だったか? 少なくともこの女帝は、地上の国の国主達よりは万倍偉い。まあいいや。

「なるほど、周囲のは社畜さん達か。では、もう一つ質問が」

「なんじゃ?」

「女帝陛下って、動物人種の見た目だけど、女帝蟻ってそういう見た目の種なの?」

 私の質問に、女帝はきょとんとした顔をこちらに向けた。
 今まで黙っていたギリドゼンの大アゴがわしゃわしゃと動く。
 そして、女帝はニヤリと笑うと、私に向かって答えた。

「本来の姿は女王蟻達と同じ、半虫半獣の姿よ。じゃが、我はあえてこの姿に身体を変えておる」

 身体を変えるって、二千年以上生きている神獣は言うことが違うなぁ……。
 しかし、動物人種――人間の見た目にしてもその姿は十歳ほどの少女の姿だ。

「何故その幼い姿に」

「そりゃあ簡単じゃよ。おぬしと同じじゃ、永遠の幼子よ」

 私と同じ? どういう意味だ?

「これが一番可愛いからに決まっておる」

 いや、私が十歳で見た目止まってるのは、可愛いからが理由じゃないからね!?



[35267] 31.近未来幻想ファンタジー系魔王降臨レクイエム<5>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2020/10/26 10:27
 私とオルトは、リネと共に数日、女帝宮にて過ごした。
 地上の各国の精鋭が合流してきており、討伐戦の前日には顔合わせとして参加者全員を集めた立食パーティが行われた。
 庭師の元同僚達と再会し、私は親睦を深めた。今の私は侍女だが、パーティの場でオルトにずっと付き従っている必要も無いだろう。そう思っていたら、アルイブキラ国の仮想敵国である鋼鉄の国の者達と一触即発の空気になっており、急いで割って入ってなだめすかしたなんてことも起きていた。

 そして討伐戦当日。十両編成の潜航艇に乗って世界樹の脈を移動し、私達は再び地上へと戻ってきていた。
 地上での移動手段は、『幹』の魔法による空飛ぶ魔法陣だ。魔法の術式が全て見えるが、『幹』的にはこれは表に出しても良い技術ということだろう。
 やがて我々は、ひとけの一切無い領域へと入り込み、遺跡へと辿り着いた。
 私は今になっても私達に付いてきていたリネに、一つ疑問に思ったことを聞いてみた。

「リネ、今回の遺跡はどういうものなんだ?」

「あー、そうですねー。三百年前に滅んだスーリイ王国の王宮と、ミザイア教国のカタコンベが混ざった遺跡のようです」

「ミザイアのカタコンベかー。アンデッドが居そうだなぁ」

 アンデッド。悪意の魂が、生物の死骸に入り込んで魔物となったものだ。肉体を取り込んだ影響か、通常の魔物より浄化しづらいという特徴がある。魔物は純粋な魂の塊だから丸ごと浄化できるが、アンデッドは異物が混ざっているということだからね。なお、神官による聖なる神の力で跡形も無く浄化昇天とかいうのは、この世界においてはない。
 ミザイア教国は火葬の風習が無いので、動く骨のアンデッドが出てきそうである。ちなみにアンデッドは肉体を持つが、浄化したら跡形も残らない。通常の方法では、魔王の遺骸が残らないと予想する根拠である。

「遺跡か。入るのは何年ぶりのことか」

 鎧を着込んだオルトが、そう言葉を発した。
 遺跡。ここでいうものは、単に古い歴史的建造物という意味ではない。
 この世界樹の世界では、人が寄りつかなくなって数十年経過した地域は、世界樹の内部へと取り込まれてしまう。
 取り込まれた建造物は世界樹の内部にて分解され、地上に生える鉱物資源等の元になるのだが、たまに分解しきれぬまま他の建造物と“混ざる”ことがある。
 そして、分解半ばのまま地上へと資源として生えてくることがあるのだ。それが遺跡。

 過去、人が住んでいた場所が遺跡となるので、内部に財宝や金銭的価値のあるものが残されている可能性がある。そんな遺跡を探索するのも、庭師の仕事の一つとなっていた。何せ、遺跡の内部には浄化すべき魔物がいることが多いからだ。世界樹の内部から遺跡が生えるときに、一緒に『世界要素』の悪意が地表に噴出してしまうのだ。
 前世の大学時代に遊んだことのあるTRPG風に言うと、ダンジョンとでも呼べるだろうか。

「内部の見取り図がありますのでー、私達の担当場所はカタコンベの大広間ですね」

 何やら空間に地図を投影しながら、リネがそう言う。
 その様子に、私はリネに言葉を向けた。

「……やっぱり付いてくるのか、リネ」

「はい、案内役ですからー」

 案内役って、戦場も含めてかよ。
 まあ良いけど。最強の道具使いが仲間にいるなら、それだけ無事に戦いを終える可能性が上がるってものだ。

「突入じゃー!」

 そんなことを話しているうちに、大音量で開始の号令がかかる。
 というか今の声、女帝のものだったな。戦場に来てるのかよ最高権力者。
 そう思っていると、突然遺跡の外観が爆破され、轟音が響いた。何事だ。

「最強無敵魔導ロボットのフォトンキャノンですねー。入口を大きく開けたのでしょう」

 そうリネが解説を入れてくれる。
 いきなり派手な戦いだなぁ。私達は怪我無く帰れるのか。
 先行き不明のまま、私は豪奢な王宮に開いた、大きな穴から遺跡へと突入するのだった。



◆◇◆◇◆



 遺跡を先に進み、地下へと向かう。
 カタコンベとは地下墓地のことだ。死後の魂が世界に還ることがはっきりと解っているこの世界。それはそれとして、前世の世界のように、人々は死後の遺体を大事にする。
 というのも、人の死後の魂は世界に溶けて個というものが失われてしまうため、残るその人の生きた証として遺体を墓に埋めるのだ。
 この世界の人間は、その人がどう生きたかということを重要視する。だから英雄は尊ばれ、悪人は蔑まれる。きっと、世界を善意で満たすという『幹』側の都合が、人の生死観に影響を与えているのだろう。

 そんな遺跡を私達は進む。やはりというべきか、遺体は悪意に乗っ取られ、アンデッドと化していた。
 それらを浄化魔法の乗った武器で打ち倒し、光の粒子に変えていく。しかし――

「おかしいな……」

 短槍を巧みに操りながらオルトが言う。彼は槍使いだ。マントを外しプレートアーマーに身を包んでいる。
 全身甲冑という重たい装備だが、彼の動きによどみはない。人並外れた筋力もさることながら、気功術により全身からオーラがみなぎり、重さというものを感じさせないでいる。
 彼は本来なら長槍を得意とするが、王宮からカタコンベに入ってというもの、通路が狭くなったので短槍を用いている。

「そうだな」

 オルトの言葉にそう同意する私。
 道を阻むように立ち塞がる骨のアンデッドだが、動きがおかしい。
 いや、動きというか、動いていない。直立不動のまま動かず、抵抗なくこちらの攻撃を受け入れているのだ。
 そのおかしな静止について、私は言及する。

「動いていない。いや、動けていないというべきか」

「アセト君の操糸術ですねー」

 私の言葉を受けて、リネがそう断言する。

「やはりか」

 得心が行ったと、私が言う。
 アセトとは、魔王――元勇者の愛称である。正式な名前はアセトリードだったか。

「勇者殿は確か、魔法の糸使いの達人だったな」

 動かぬ黒い骨のアンデッドを槍の振り下ろしで叩きつぶしながら、オルトが言う。
 アンデッドは光の粒子を撒き散らしながら地面へと崩れ落ちる。後には何も残らない。
 オルトは元庭師であるため、私が魔法を掛けなくても自力で浄化を行使できる。手がかからなくて楽でいい。

「はいー、糸を使って何でも出来ちゃうんです。と言っても、十何体もの魔物を見えないほど遠くから制御するなんて、そんな人間離れした芸当、できなかったはずなんですけど」

 そんなリネの言葉に、私は推測を言う。

「魔王化した影響なのかね」

「そうなんでしょうかねー」

 そんなことを話しながら、私達は道を進む。そして私達は大広間に辿り付いた。そこには、ぴくりとも動かない黒骨アンデッドの大軍が居た。

「動かないにしても、この数は少々時間がかかりそうだ」

 そう言うオルトに、私は空間収納魔法から長槍を取り出して、オルトへと渡した。
 私も、片手メイスから愛用の戦斧に取り替え、突撃の構えを見せる。

「初めにどかんと行きますのでー。取りこぼしたのをよろしくお願いします」

 そう言うとリネは道具袋(なんだか容量無限で軽量っぽい謎過ぎる魔法道具)から手の平サイズの筒を取り出し、投擲の構えを取った。
 あれは、対魔物浄化手榴弾だったか。
 そしてリネは巧みな投擲で魔物達の中心に手榴弾を投げると、見事にどかんといった。

 私とオルトは左右に分かれて突撃し、残ったアンデッドをなぎ払う。光る粒子を撒き散らし、骨が虚空へと消えていく。前世の日本だと死者への冒涜とか言われそうだな。まあ今生でも遺体は死者の生きた証なので、いい顔はされないだろうが。でも、このカタコンベは一度無人地帯となって世界樹に取り込まれた場所。憂う者も存在していないだろう。一応、浄化して世界樹に還しているんだから、世界樹教の教義的には良いことなのか?

 そうして私達は無抵抗のアンデッドを処理していく。二分ほどかけて、私達は全ての浄化を終えた。
 この大広間に百体は詰まっていただろうか。私達の任務はこの大広間の確保なので、しばし立ったまま休憩を取ることとする。もちろん武器は手放さないが。

「これだけの数がいたのに、見事に一体も動きはしなかったな」

 槍の刃の具合を確かめながら、オルトが言った。そう、全てのアンデッドは微塵も動く様子を見せなかった。
 私は、何もない空間となった大広間を眺めながら言う。

「これが魔王の繰糸術だっていうなら恐ろしいものだな」

 対峙したら、全身が糸で絡め取られるんじゃないだろうか。私は剛力で無理矢理引きちぎることもできるだろうが。

「糸は目にも見えませんでしたし、本当に糸なのかは確信できないですねー。あ、そうだ糸と言えばー」

 そう言いながらリネは道具袋を漁る。
 なんだろうか。

「キリンさん、これ、発明しましたよね!」

 そう言って取り出したのは、小さな金属片。なんだろう、と目をこらしてリネの手元を見る。私の視力はとてもいいぞ。
 そこにあったのは、糸通しだった。英語で言うとニードルスレイダー。

「ああ、ゼリンに教えたあれか。商品化されてるんだったな」

 馴染みの商人ゼリンには、私の様々な商品アイディアを伝えている。

「困りますよこういうのー」

 ぷんぷん、とリネは怒りの表情を見せる。

「何かまずかったか?」

 そう私が聞くとリネは答える。

「道具協会的に、こういう仕事の時間短縮になる道具の発明が、一番困るんですよー。時間が余った人間は、繁殖に時間を使いますからね。仕組みが複雑じゃないから、規制しづらいしですし……」

 糸通し。前世ではよく裁縫道具の中に入っていた、人の横顔が刻印された針の糸通しだ。
 もちろん私はこのリネの持つ糸通しを自分で思いついたわけではなく、前世の知識を利用しただけだ。私はゼリンに思いつくままの前世の商品アイディアを話しているので、何が商品化されているのか正直把握し切れていない。本来は娯楽をメインに扱う雑貨商だったはずなのに、今では節操がない。

「そういう意味では、娯楽を発明したのはファインプレーでしたね。トレーディングカードゲームに推理小説。良い感じに人間の余暇を消費してくれます。道具協会としても、印刷技術の提供に文句なしで踏み切れます」

 糸通しをしまい、今度は本を道具袋から取り出した。『名探偵ホルムス 大河に消ゆ』。アルイブキラ国で人気の推理小説の最新刊だ。
 アルイブキラ国では、印刷技術は赤の宮廷魔法師団が権利を握っている。その背後には道具協会が絡んでいるのだろう。何せ、カラー印刷もできるほどの、文明レベルに似合わない超技術だからな。よくそんなところと商談しようとするよ、ゼリンのやつは。

「面白いですよねー、名探偵ホルムス。おかげで道具協会には、アルイブキラの言語を覚えている人がだいぶ増えちゃいましたよ」

 推理小説はまだ外国で展開していないらしい。
 翻訳って大変だからな……前世ほどこの世界はグローバル化されていないから、複数の言語を覚えている人って少ないし。
 本をしまいながら、リネは続けて言った。

「名探偵ホルムスの漫画化はまだですか?」

 漫画もゼリンに伝えて商品化された娯楽の一つだ。だが、漫画家がまだそれほど育っていない。
 なので私はリネに告げてやる。

「ホルムスはヒット間違い無しの原作だから、一流の漫画家が育つのを待っているんだとさ」

「なーるーほどー」

 そんな雑談を大広間で繰り広げていたそんなときだ。

「楽しそうな話をしているでござるなぁ、リネ氏、キリン氏」

 突如、私達三人のものではない男の声が大広間に響いた。
 私達は瞬時に武器を構え、臨戦態勢を取る。

 すると次の瞬間、ぞっとするような巨大で邪悪な気配が、私達の近くに出現した。
 これは、緑の悪竜のときに感じた圧倒的な威圧感と同じ……!

「こんな場所でのんきに雑談などしておるのは、リネ氏達くらいでござるよー」

 それは、古風な言葉遣いと現代的な言葉遣いが混ざった、奇妙なアルイブキラの言語だった。
 声の発生源。そこには、闇を全身にまとった、災厄が居た。
 人の形をした黒い塊。そこに、ぽっかりと人の顔が浮かんでいた。その顔は、何度も見たことがある美しい様相。

「魔王……!」

 オルトが、絞り出すような声でその正体を告げた。
 魔王。元勇者アセトリードの顔が、闇に浮かんでいる。

「いかにも、元勇者アセトでござるよー」

「ぬん!」

 オルトが短槍を投擲する。人外の筋力と超人じみた闘気により、一撃必殺と言える威力で放たれたそれ。
 だが。ぴたりと、空中で短槍が静止した。
 そして、するすると短槍がゆっくり時を巻き戻すかのようにオルトの手元へと戻っていく。

「そんなの投げたら危ないでござる」

 繰糸術によるものだろうか、槍の投擲は命中することなく終わった。
 まあ、この程度のことなら勇者の頃のアセトリードでも出来たことだ。驚きはない。
 そして、魔王はこの遺跡にずっと居たのだ。いつ遭遇してもおかしくなかった。

「そんな、王宮の最奥に籠もっているって話でしたのに」

 だが、リネにとって魔王の出現は驚くに値する事柄だったらしい。

「楽しそうな会話をしていたから、来ちゃったでござる」

 その魔王の言葉に、ちらりとオルトが私とリネを横目で見てくる。戦場で無駄話しててすみません。

「会話を聞いていたって、王宮からこの地下までどれだけ距離があると思ってるんですか」

 リネが険しい顔をしてそう言うが、魔王はなんともないという顔をして言った。

「糸を使えば、遺跡中の会話など丸聞こえでござるよ」

 ああ、糸電話の要領で、魔法の糸を各所に巡らせていたわけね。
 魔王になってから本当に規格外になったなぁこいつ。

 私は戦斧を持つ手に力を込める。
 さて、私の力がどこまで災厄に通用するか……。

「ああ、待って、待つでござる。拙者、戦う気はないでござるよ」

 だが、魔王はわたわたとした表情でそんなことを言い出す。
 戦う気は無い。まあそれもありうるのか?
 災厄だというのに周辺国に被害をまきちらさず、遺跡に籠もり、遺跡に集った魔物は糸で縛り動けなくしていた。
 明らかに交戦の意思はないという行動を取っていた。

「拙者、肉体と魂は悪意に侵されたでござるが、精神はぎりぎり健全なままでござるよ」

 どこでこんな変な喋り方を覚えたのか、ずいぶんと古い言い回しでそんなことを言った。とりあえず脳内でござる口調に割り当てておく。
 しかし、そんなことがありえるのか? 人間が生きながら魔物になったケースは知らないため、私は何とも言えない。

「助命嘆願でもするつもりですかー?」

 そんなリネの言葉に、魔王はふるふると首を振る。

「無敵ロボと女帝氏が来ているのでござろう? 拙者の抵抗は無意味でござる。そして、生き延びることも無理でござるなあ」

 淡々とした表情で、魔王は言った。

「災厄が地上にあっては世界中の魔物は活性化し、災厄の周囲に魔物は集まりと良いこと一つもないでござる。拙者、ここは大人しく、浄化される心意気でござるよ」

 彼は変人だが、正義感の強い男だ。その精神性が悪意に侵されていないのならば、魔物による被害を良しとしないであろう。
 とあれば、彼が人里離れた遺跡に籠もっていたのも理解が出来る。彼が言ったとおり、災厄の周辺には魔物が集うのだ。

「では何故待てと言ったんですかー? 浄化して差し上げますよー?」

 そのリネの言葉に、再び魔王は言葉を続ける。

「死の前に、誰かと話して楽しい時間を過ごしたかったでござる。エンガ氏とミミール氏も来ているようでござったが、リネ氏とキリン氏のところが一番楽しそうでござったよ」

 エンガとミミールとは、リネと同じくかつての勇者パーティの仲間達である。前日の立食パーティで顔を合わせたが、ずいぶんと沈んだ様子だった。まあ、仲間の勇者を討伐するとあっては、暗くもなるか。

「だから、リネ氏、キリン氏、拙者に最期の楽しい会話のひとときをお願いしたいでござる」

 満面の笑みで、魔王――元勇者アセトリードはそう告げたのだった。



[35267] 32.近未来幻想ファンタジー系魔王降臨レクイエム<6>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2020/10/26 10:28
 私は勢いよく戦斧を振り下ろす。
 轟音と共に、戦斧は床に叩きつけられ、石造りの床に刃が食い込む。
 そして私は戦斧を手放した。戦斧は倒れることなく、柄を上にして逆さに直立している。

「さて、何から話そうか」

 私はそう言って地面に座り込んだ。
 武装解除だ。空間収納魔法に戦斧をしまわないのは、まあ一応の備えということで。

「キリン氏の武器の置き方が男らしすぎるでござる……」

 そう古風で今風という奇妙なアルイブキラの言葉で言いながら、元勇者アセトリードの顔の位置が下がる。
 身体が闇の塊なので良く解らないが、おそらく座ったのだろう。

 そんな私達二人の様子を見て、仕方がないな、という表情をしてリネが道具袋から椅子を取り出して座った。
 あ、椅子かよずるい。こっちは冷たい床に直接座っているんだぞ。

 そしてオルトは兜のフェイスガードを上げ、困惑した顔で突っ立っている。

「いや、オルトは座らなくて良いよ。私達で勝手に話すだけだしな」

 そう私が言うが。

「……いや、姫の信用する人物。私も座ろう」

 オルトはそう言って、プレートアーマーのままその場に座った。
 それを見たアセトリードは、目を細めて笑った。

「いや、話せるであるな甲冑のお方。皆が使ってる言葉からして、アルイブキラの戦士殿でござるかな? 拙者、アセトリードと申す」

「オルトだ。アルイブキラの近衛騎士をしている」

「近衛騎士でござるかー。さすが災厄戦に駆り出されるだけあって、一流どころでござるなぁ」

 これはこれは、とアセトリードが呟くと、闇の塊の中から細い触手が飛び出し、アセトリードの額をぺちぺちと叩く。手の代わりか。本格的に人間辞めちゃっているんだなぁ、彼。

「そういえばキリン氏の地元はアルイブキラでござったな。地元から援軍を引っ張ってきたでござるか?」

「いや、実は今、私、侍女をしているんだ。だからむしろ逆で、オルトに侍女として付いてきた感じだ」

 アセトリードの質問に、私は今回の関係をそのように説明した。
 侍女と言っても謎の戦闘侍女とかいうのだけど。

「侍女! 庭師からどうやったら侍女になるでござるか!? おかしすぎるでござるよ」

「ええー、そうかな。ごく普通の転職だぞ」

 予想していた反応に、私はそう返す。
 全く別の業種に転職なんて、前世では珍しくなかったけどなぁ。
 今生でも、職業選択の自由的な概念がある国だって、珍しくないぞ。

「私も姫が侍女になったと聞いて、かなり驚いたぞ」

「私もです」

 などとオルトとリネに言われる私。
 仕方なしに、私はいかに戦いに疲れ、平和に過ごしたくなったかをアセトリードに語った。

「ああ、それ解るでござる」

 と、アセトリードが同調してきた。

「緑の悪竜を倒したとき、やってやったでござるという歓喜と一緒に、もう二度とこんな戦いはごめんでござるという感情も、あったでござるよ」

 正義感の塊の勇者でもそう思うことがあったのか。

「私は悪竜を見ただけで心が折れそうになったよ」

 そう私は当時の感情を思い出して言った。
 まあ、今もそれと同じ雰囲気をアセトリードが、全開で発しているんだけれどな。
 会話していて確かに精神は侵食されていないようだが、存在は悪意の塊そのものであった。

「緑の悪竜戦か。あのときは裏方で魔物の掃討をしていただけだったが、非常に激しいものだったな」

 と、オルトが四年前の戦いの感想を述べる。

「私なんて、アセト君の仲間になったばかりに、悪竜と面と向かってバトルですよー。正直生きた心地がしませんでした」

 最強の道具使いが弱音を言ってる。
 でもキリン知ってるよ。アセトリードが悪竜にとどめをさせたのって、リネが爆弾投げまくって悪竜の動きを止めたからだって。

「懐かしいでござるなぁ。拙者がこうして悪意に堕ちた原因の一つも、悪竜との決戦前夜のことがあってでござるよ」

 悪意に堕ちたって、言いにくいこと自らぶっ込んできたなぁこいつ!
 ていうか決戦前夜って、何かあったの何それ知らない。
 私はリネの方へと顔を向けた。すると、リネは苦笑して言った。

「確か、ミミールさんに言ったんですよね。この戦いが終わったら伝えたいことがあるって。あれって愛の告白をしたかったんですよね?」

 何その戦死しそうなシチュエーション。まあ、無事に勝利しているのだが。
 アセトリードは頷き肯定の意を返し、リネは言葉を続ける。

「でも悪竜戦後、ミミールさんはエンガ君に告白されて、ミミールさんはそれを受け入れて、アセト君の恋は破れるというわけです」

 寝取られかぁ。いや、別に恋仲同士じゃなかったんだから、寝取られではないか。ただの失恋か。
 で、その三角関係を無関係ゾーンからリネは眺めていたと。こいつ本当に立ち回りが巧妙だな! 今回の魔王討伐戦だって、元勇者パーティのエンガとミミールが魔王、つまりアセトリードの居るであろう場所に直接向かう決戦班だったのに、彼女は何故か案内役とか言って私達についてきているし。こうやって裏目に出てこんなところで雑談なんかしているが。

「失恋して頭がぐちゃぐちゃになっているときに、拙者達が頑張って世界に還した善意が世界のために使われず、遠い大地の復興に使われていると女帝氏に聞いて、『幹』なんて滅びてしまえば良い、なんて思ってしまったのでござるよ」

 まさか憎しみのあまり災厄に堕ちるとは思っていなかったでござるが、とアセトリードは力なく笑う。

「世界滅べと思うと、世界を滅ぼす存在になるなど、我ながら勇者というものは難儀というか何者というかでござるよ」

 そう笑う彼に、私は以前から考えていた推測を言った。

「闇堕ちしたのは多分火の神の祝福のせいかな」

「ほう?」

 興味深そうに返すアセトリードに、私は続けて根拠を説明する。

「火の神がこの世界に送り込んでいる端末は、人の役に立とうとすれば天使になり、人に害をなそうとすれば悪魔になる。火の神の力は二面性があるんだ」

 勇者は選出、認定に当たって、世界樹の祝福とその火の神の祝福を受ける。
 世界樹は善なる存在しか許さないだろうが、火の神は人が悪に堕ちるのも許容する。
 火の神は一つの異世界だ。世界全体が意思を持つ火で、その思考は無数に分割されている。なので、人に益をもたらす思考もあれば、人に害を与える思考もある、厄介な存在だ。なので、私達この世界の住人は、人に害をもたらす思考の端末である悪魔と敵対し、消滅させる。それは火の神全体も認め許容していることだ。

「確か姫はアルイブキラで、二度悪魔を討ったことがあったな。悪魔は人型であるし浄化の魔法は効かないしで、庭師の苦手とするところなのだが……」

「私には魔人の力があるからな」

 オルトの言葉に、力こぶを作ってそう返した。
 剛力魔人の力の前では、魔物も悪魔も等しく打ち砕かれるのみだ。魔王はどうかちょっと解らないが。

 そんなことを話していたときのことだ。

「ふう、ようやく辿り付いたわい」

 世界共通語でそんな声が大広間に響いた。
 私は声の方向に顔を向けると、そこには通路の向こうから小さな幼子と全身金属で覆われた長身の女性、それと二十歳ほどの男と女がこちらに向かってきていた。
 それぞれ、女帝、無敵最強魔導ロボット、エンガ、ミミールである。

「アセト!」

「アセトさん!」

 アセトリードに向けて声を投げかける、元勇者の仲間の二人。エンガは剣、ミミールは魔法媒体の指輪を構えている。
 なお、ロボは銃口をアセトリードに向けている。それって、撃った場合、周囲に居る私達が無事に済むやつですかね?
 ただ一人、女帝は素手のまま構えず、私達の様子を見渡して言った。

「なんじゃおぬしら、座り込みよって。戦いが激しかったわけではなさそうじゃな」

「これは女帝氏、久しいでござる。拙者ら、ここで雑談していたでござるよ」

 世界共通語の女帝に合わせず、アルイブキラの言葉で返すアセトリード。

「雑談ー? なんじゃその平和な感じは……」

 すかさずアルイブキラの言葉で女帝が返してくる。女帝、この言語でも古風な喋り方するんだな……。

「いやあ、これから浄化される身でござるから、最期くらい楽しく終わりたかったでござるよ」

 そんなことを言うアセトリードのことを女帝はまじまじと見つめた。

「アセト、おぬし正気に戻って……いや、初めから正気だったのか……?」

「そのようですよ」

 そう椅子に座ったままのリネが言う。

「リネさん! そばにいないと思ったら、こんなところに! 先にアセトさんのところに来ていたのね」

 指輪を付けた手を構えるのをやめたミミールが、世界共通語で叫びながらリネのもとへと駆け寄った。

「どうも、ミミールさん。よくここが判りましたね」

「女帝陛下が蟻を使って遺跡中を探してくれたの」

「ああ、使い魔蟻ですね」

 使い魔蟻。初めて聞く言葉だ。しかし、単語の並びからおおよそどういうものかは推測が出来る。
 魔法使いが持つ使い魔と同じように、自在に蟻を操ったり蟻と視界を共有したりするのだろう。

 そして、構えを解いたが剣を持ったままのエンガが、アセトリードに近づいた。

「雑談か。何を話していたんだ」

 エンガはやや片言のアルイブキラの言葉で、アセトリードにそう尋ねた。

「なんでもないことでござるよ。キリン氏が侍女になったことだったり、拙者の恥ずかしい失恋の話だったり」

「失恋、か……。ミミールのことは、すまなかったと思っている。だが、後悔はしていない」

「反省すれども後悔せず。男でござるなぁ。その後はミミール氏と上手くいっているでござるか?」

「ああ。結婚し、二年前には子供も生まれた。男児だ」

「まことに!? それはおめでたいでござるな」

 すんなりと、会話に興じる男二人。わだかまりのようなものは二人からは感じられなかった。時が上手いこと解決してくれたのか、それとも元々そこまで恋はこじれていなかったのか。
 そんな二人の様子を眺めていた女帝は、ため息をつくと無敵最強魔導ロボットの背を叩いた。ロボットは構えていた銃を下げる。

「はー、やれやれ。善人砲の発射は、次の災厄出現まで延期じゃな」

 どうやら女帝は、アセトリードを討つ気がないらしい。
 だが、女帝の言葉に、エンガと会話をしていたアセトリードが反応する。

「それは駄目でござるよ、女帝氏。魔王は討たれなくてはならないでござる」

「そんな! 悪に堕ちず正気なら、何も死ぬことなんてないじゃない!」

 リネの隣に立つミミールが、悲痛な声でそう言った。
 しかし、アセトリードは引く姿勢を見せない。

「災厄がいる限り、世界は魔物の猛威に晒される……魔王を討たねば世界は平和にはならないでござるよ。みな、お頼み申す。拙者を浄化してくだされ。お頼み申す」

 その言葉に、ミミールはわっと泣き崩れた。
 まあ、恋人ではないにしても、長年連れ添った仲間だからな。そいつから殺してくれといわれては、かなわんだろう。

「あいわかった。おぬしの最期、この女帝蟻が見届けよう」

 そんな女帝の言葉を受けて、アセトリードは満足そうな笑顔になった。

「介錯は浄化が一番上手い者に任せたいでござるよ。少しでも多くの悪意を善意にして世界に返したいでござる」

「浄化が一番上手い者か……誰じゃ? 無敵最強魔導ロボットはその辺微妙じゃぞ」

 女帝が周囲を見渡す。
 すると、女帝が登場してからずっと黙っていたオルトが言った。

「アルイブキラで一番の浄化の名手は、姫――キリン以外にいないだろうな」

 む……。まあ、庭師歴も長いし、魔女の弟子だから魔法の扱いには自信がある。

「道中魔物を退治する様子を見てきましたが、私よりキリンさんの方が浄化は上手でしょうねー」

 そうリネが言った。

「リネほどの者がそう言うなら……」

「……リネさんが言うなら……キリンさんに」

 エンガとミミールもリネに追従してくる。
 私か。私がやるのか。
 だが、これは都合が良いことでもあった。私はアセトリードとの友情に報える。

「実は、浄化した魔物の遺骸を残す魔法を習ったんだ」

 魔法を展開し、その術式を可視化してアセトリードに見せてやる。彼は魔法にも造詣が深いので、これである程度理解してくれるだろう。

「アセトリード。どこか、埋葬して欲しい場所はあるか? 立派な墓を作ってあげられるぞ」

 災厄の悪竜を討った勇者。魔王に堕ちながらも人に牙を向けなかった者。その偉業は讃えられるべきものだろう。この世界の人間は、その人物が生前何を成し遂げたかをとても重視する。墓は大切なものだ。
 私の術式を、アセトリードはほうほうそれはそれは、と感心したように見ている。

「拙者、この数年間ずっと考えていたのでござるが……いや、妄想でござるかな」

 と、アセトリードが言う。この四年間、彼はずっと孤独であっただろう。人の居ない遺跡で、ただ討伐されるときを待っていたはずだ。

「拙者が世界にもたらした善意が使われるという、遠い大地。そこに行ってみたいと思っていたでござる。墓を作るなら、そこに」

「さすがに惑星移動は私一人の力では無理だが……女帝陛下」

「……ああ。約束しよう。おぬしの墓をあの愛しき大地に作ると」

 私に話を振られた女帝が、そう答えてくれる。
 すると、アセトリードの闇が僅かにうごめき、顔の位置が高くなる。立ち上がったのだろう。

「それでは、お頼み申す」

 そのアセトリードの言葉を受けて、私は立ち上がって床に刺さった戦斧を引き抜いた。
 ミミールの嗚咽の声が止まらない。リネが立ち上がり、ミミールの背中をさすってやっていた。オルトもいつの間にか立ち上がって、槍を手にたたずんでいる。エンガはアセトリードから離れ、女帝のもとへと戻っていく。
 私は、アセトリードへ確認を取る。

「会話はもう良いのか?」

「ああ、もう十分でござる。楽しかったでござるよ」

 私はその言葉に頷き、アセトリードの前へ立ち、斧を握りしめる手に力を込める。
 一撃で、決める。
 妖精言語で妖精を多数呼び出し、魔法のサポートをさせる。
 足場を固定し、重力魔法で仮初めの体重を増やす。災厄浄化魔法を何重にも掛け、余さず悪意を変換出来るようにする。
 そして私は戦斧を大上段に構えると、持てる限りの力をもってそれを振り下ろした。



◆◇◆◇◆



「善人砲命中! 誤差ありません!」

「大陸上の全汚染浄化を確認!」

「結界発動急ぐのじゃ! 大地に汚染を一寸たりとも触れさせてはならぬ!」

「結界発動確認! 大陸隔離成功です!」

 惑星再生課の拠点で、私は空間投影モニターに表示される、惑星が再生される様を眺めていた。

 あの後、魔王の浄化には成功した。魔女直伝の災厄浄化魔法は正しく成功し、縦に真っ二つに裂けたミイラ化した勇者の遺骸がその場に残された。
 それをもって女帝は魔王討伐浄化の完了を宣言し、私達は勇者の遺骸を携えて遺跡を引き上げた。

 戦士達一同は『幹』へと帰還し、戦勝会が行われた。また立食パーティだ。今回の魔王討伐戦の前半は動かぬ魔物との戦いだったので、どうも不完全燃焼といった感じの戦士達だったが、元勇者が魔物を止めていたと聞いて納得したようだった。ちなみにアセトリードが浄化された後、魔物達は普通に動き出したらしい。
 私達は遺跡脱出の際、動く魔物と遭遇したが、メンバーがメンバーで過剰戦力だったため、活躍の機会がなかったオルトはどこか不満げだったように思える。

「大型探査船の発射準備は進んでおるかの? 勇者の遺骸の搬入、忘れるでないぞ!」

 宙に浮かぶ椅子に座りながら、そう各所へ指示を出していく女帝。
 前回居たギリドゼンの姿は無い。彼は勇者育成課だから、本来ここにいるべき者ではないのだろう。

 私は彼らが慌ただしく作業する様を一人、ぼーっとして眺めていた。
 そんなときだ、魔法通信で私に向けて語りかけてくる者があった。

「自分の遺体が運ばれてくるのを見るのも、妙な気持ちだな。俺は死んだのだな」

 それは、アセトリードの声であった。世界共通語のため、妙に古風な言葉遣いではない。
 私はそんな彼に向けて言葉を返した。

「貴方は確かに死んだんだよ。肉体は物言わぬ遺骸となり、魂は世界に還った。これを死以外のなんて言うんだい」

 魔王のアセトリードは、災厄となりながらもどういうわけか正気を保っていた。悪意の塊の中で、悪意に侵されぬ精神だけが浮いていた。
 彼の肉体は闇へと堕ち、思考し記憶する脳は全て悪意に侵され闇となっていた。では、あの私達と話していた彼の精神は一体どこに宿っていたのか。
 それは、魂だ。死後世界に還った魂は、記憶を消され世界と一つになる。つまり、脳だけでなく魂にも記憶と精神はあるのだ。
 だが、彼はその魂も悪意に変わっていた。では、何故彼が正気でいられたのか。それは、記憶に善意も悪意も存在しないからだ。もし記憶に善意があるなら、世界を善意で満たしたい世界樹は、死後の魂にある善なる記憶を消すのをやめるだろう。だがそんなことは起きていない。

「肉体と魂が無くなれば死か。確かにな」

 魂の記憶に宿る精神。それが私達が会話していた彼だった。だから私は、その記憶と精神を魔王の悪意から引きはがした。そうして今、彼は記憶と精神だけの存在となっていた。
 彼の肉体と魂は死したが、精神は生き残ったのだ。魂から抜き出した記憶と精神だ。今の彼には魂が無い。私はその記憶と精神を魔法金属へと移植し、ゴーレムの核とした。
 それが今、惑星フィーナへと向かう大型探査船に、乗組員として乗り込んでいる。
 そんな彼が、私に尋ねてくる。

「では、今のこの俺はなんなんだろうな。死んでいるのか、生きているのか」

「それはこれから自分で探してくれ」

 かつて死んでも魂だけは無事なまま異世界にて生まれ変わった私には、その答えは解らない。

「それはまた、酷なことを言う奴だ」

 アセトリードは、そう苦笑混じりに言った。
 そんなことを話しているときだ。

「こらそこ! なに雑談しておる!」

 宙に浮く椅子に座る女帝が、上からこちらへと注意を向けてくる。

「アセト、おぬしが大地に行きたいと言うから、その船を任せておるのじゃぞ。しっかりせんかまったく」

 アセトリードは災厄になるという罪を犯した。しかしそれでも、女帝は彼を許し、むしろ彼のもたらした善意を利用していることを謝罪し、彼の希望していた惑星フィーナ行きを了承した。

「おぬしの善行が復活させた真なる大地、その目でしっかり見てくるのじゃ」

「ああ、解ったよ」

 アセトリードは今度こそ笑って言った。



 近未来幻想ファンタジー系魔王降臨レクイエム<完>



[35267] 33.新任侍女
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/11/25 23:53
前回のあらすじ:暫定ご主人様のオルトのお出かけに侍女として付いていったキリンは、その先で出遭った友人を介錯してあげたのだった。
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「これが大地神話の金属サンプルねえ……」

 クーレンバレン王城の王宮奥深く、国王の執務室で、私は国王と向かい合って座っていた。
 私達の間を隔てるガラスのテーブル。そこには金属のインゴットが置かれていた。そのうちの一つを国王が持ち上げ、まじまじと見つめている。
 これは、私が『幹』から帰還するときに女帝から受け取った、惑星フィーナで採れるという魔法金属だ。
 惑星フィーナへ向かった探査船はまだ帰ってきていないが、『幹』に保管されていた分を国に持ち帰るサンプルとして渡されたのだ。
 女帝曰く、魔王を浄化したのは私であり、その功績に報いるため、特別措置を取ったとのこと。
 この世界の地上には出回っていない未知の金属。その価値はいかほどであろうか。

「金属には詳しくないから、よくわかんないや。魔法師団に丸投げしよっと」

 そう言って国王は手に持っていたインゴットをテーブルの上に置いた。
 まあ、そうなるか。国王の専門は農学・化学だ。金属資源の乏しいアルイブキラの王では、未知の魔法金属など見せられても使い道など思い浮かばないだろう。
 丸投げされることになった赤の宮廷魔法師団は、『幹』との関わりも深いエリート集団だ。きっと何かしらの成果は上げてくれるだろう。

「今回はよくやってくれたよ。まさか魔王討伐なんて大金星を上げるなんてね。勲章ものじゃないかな」

 足を組み、そう私をたたえる国王。だが、私としてはその評価は過大だ。

「討伐じゃなくて介錯だけどな。あいつは自ら討たれに来た」

「へえ?」

 私は、魔王が正気を保っていたこと、自分から浄化を願ったことを国王に説明した。
 その話に、国王は感心するように相づちを打ち、聞き役に徹してくれた。
 私としても、アセトリードが偉大な勇者だったことは広く伝えたいと思っているので、ちゃんと聞いてくれることは嬉しかった。
 今回は執務室に同席している秘書官も、静かに話を聞いてくれている。
 やっぱり勇者は何かが違うんだねえ、立派なもんだ、という国王のコメントを受けて、この話は終わりとなった。

 そして、話を変えたいのか、国王は一枚の書類をテーブルの上に広げる。

「さて、キリリン。人事発令の時期がやってまいりました」

「ん? 誰か配置替えになるのか」

 書類の文字の向きは、私の方を正面にしておかれている。読んで良いということだろう。私はまじまじとテーブルの上に置かれた書類を眺める。
 人事発令。王国暦834年8月1日。下記のとおり人事異動を発令する。氏名、キリン・セト――

「配置替えになるのはキリリンでーす」

 私が字面を読むのと同時に、国王がそんなことを言いだした。
 思わぬ人事異動に、私は困惑する。

「ええっ、早くないか? 私が近衛宿舎に所属してから、一ヶ月くらいしか経ってないぞ」

 この世界での一ヶ月は、約四十日間だ。『幹』に行っていた期間が結構あったにしても、宿舎付きになってから仕事に慣れるくらいにはそこそこ時間が経ったとも言える。だが、それでも部署異動になるには早いと思った。今日は7月39日。近衛宿舎付きになったのは7月1日だ。
 私の困惑に国王は、それはね、と説明を始めた。

「近衛宿舎付けにしたのは、正直キリリンが、いつ魔王討伐戦に連れていかれても良いようにって配置した事情があるよ。俺は『幹』に抵抗はしてたけど、念のため討伐メンバーになる近衛騎士とキリリンを事前に顔見せってね」

 魔王討伐戦の打診、一月以上前には来ていたのか。まあ、戦力を国外に出すんだから、それくらい前なのは当然か。結果的にオルトと私の二人だけで行ったが。魔王討伐戦の舞台になった遺跡の広さ的に大決戦とはいかなかったため、少数精鋭で組んだのだろう。

「だから、宿舎付きは解消。あそこ、そもそも従騎士も小姓もいるんだから、侍女とか必要ないっしょ」

 そう言う国王。しかし、実状はと言うと……。

「あそこ女っ気無いから、私がいなくなるとなると、皆嘆くだろうなぁ」

 私は就任当初の近衛宿舎での、騎士達のはしゃぎっぷりを思い出してそう言った。
 幼女でも顔見知りでも元男でも、侍女なら大歓迎って感じだった。

「キリリン、結構ありがたがられてた?」

「ああ。女子としてちやほやされた」

「幼女相手にそれは駄目でしょ、あいつら……」

 規律とかに厳しい国王が、そう私を睨むように言った。
 大丈夫だよ! 愛でられただけで性的なことは一切無かったから!

「まあ宿舎に他の侍女を付けるかは、侍女長や女官長と相談するとして……」

 どうだろう。近衛宿舎付きを希望する侍女は、そこそこいるかな、多分。あそこは結婚に適した歳の男達が一杯居るし、結婚相手を探すにはいい環境だろう。まあ、現在の近衛騎士は貴族出身でない者も多いし(勿論騎士になるにあたって貴族に叙勲されているが)、貴族の娘たちである侍女は既に婚約者がいる者が多いのだが。

 それよりも、と国王はテーブルの上の書類を人差し指で叩き、話題を変える。

「キリリンには後宮に行って貰うよ」

 後宮薔薇の宮ならびにリウィン・パレスナ・エカット・ボ・ゼンドメルの担当とす。
 そう書類の異動先の役職欄に書かれていた。後宮にある薔薇の宮というところの担当に今回任命され、その宮にいる主がパレスナ嬢というエカット公爵家の公爵令嬢ということだ。公爵領のゼンドメルは王都のすぐ南だ。
 しかし、後宮。後宮である。近衛宿舎付きから、ずいぶんとおもむきが変わるな。男子の園から女子の園だ。

「後宮かぁ。参考までに何人、後宮入りしてるの?」

「んー、六人かな」

 六人。後宮、すなわち大奥として見るとそんなに多い数ではないと思う。徳川家康なんかは十人だか二十人だかの側室がいたって言うし。

 でも、元男として見ると、自分のこととして考えた場合、六人の奥さんはさすがに勘弁願いたいって思いがある。
 前世では一夫多妻の国もあったが、夫は妻の扱いで平等に心がけることを苦心すると言っていたからな。それでいて妻同士の仲を取り持たなければならない。妻同士の仲が悪い家庭など、想像するだけで地獄である。

「うへー、それだけお后さんいるのって、夜だけでも相手するの大変そうだなぁ」

「うん? キリリン何言ってんの?」

 私のコメントに、国王はそう不思議そうな声を上げた。

「え、六人相手に子作りしなくちゃいけないんだろ? 王様の義務として」

 王はその血を絶やさないのが一つの義務だ。ゆえに、お家騒動が待っていようとも子を複数儲ける必要があるのだろう。
 後継者争いで国を割る内乱が起きるなど創作分野じゃ定番だが、王の立場からしてみれば、王族の血が絶えるよりはましなのかもしれない。
 だがしかし、私の言葉に対する国王の反応は、思っていたものと違った。

「しないよ!? そもそも俺っちまだ奥さんいないよ!?」

「えっ」

「えっ」

 どういうことだ……?
 後宮に六人も后を抱えていて、奥さんがいないとは一体。
 混乱する私に、国王が呆れた声で尋ねてくる。

「ねえキリリン、君、後宮をどういうものだと思ってんの?」

「ええと、王の后――正室や側室が暮らす場所だよな? 子女が生まれたらその子達もそこで暮らす……」

 前世の日本では、将軍徳川家の大奥がテレビドラマの時代劇にもなり、人気を博していた。
 私は見たことがないのだが、それでも大奥や後宮(ハレム)の知識はいくらかある。
 だが、国王はそれを否定した。

「全然ちげーよ! 正室は王宮の王族区画で暮らすし、側室はこの国もう採用してないよ。子供も王族だから、王族区画」

「ええっ、じゃあ後宮はなんのためにあるの。誰が六人もいるのさ」

 理屈が。理屈が合わない。私の困惑の言葉に、国王は淡々と説明を続ける。

「王族の奥さん候補だよ。候補者を後宮に呼んで生活して貰って、王族はそこに通って相性のいい人を奥さんに選ぶの」

「ええ、全然後宮ではないじゃないか」

「そもそもキリリンの言っているのは後宮(スワト)じゃなくて『バシーヌ』じゃないか」

 『バシーヌ』。世界共通語での後宮、大奥だ。先ほどまで私が後宮と呼んでいたのは、アルイブキラの言語で『スワト』である。
 ええと……。
 つまり……。
 脳内の日本語訳が間違っていたってだけだな!

「ああそういう……」

 私は納得して、頷いた。
 なんでこんな誤訳をしてしまったのだろう。確かあれは、柄の悪い庭師仲間と会話していたときのことだ。

 王様はいいよなぁ。綺麗どころを『スワト』に呼んで住ませて、毎日良いことしてるんだろうなー。

 と、そんなことを言っていた。私は初めて聞く『スワト』という単語を文脈から後宮と訳したのだった。

「後宮(バシーヌ)じゃなくて、大規模お見合い会場だってことか……」

「ああ、それ言い得て妙だね。お見合い会場ー。何ヶ月も滞在して貰うけどねー」

 国王が王太子だったころ、婚約者は居なかった。何故居なかったは知らないが、今その婚約者捜しを何ヶ月もかけたお見合いで見つけ出そうとしているのだろう。さすが、国主なだけあって、やることが大規模で大げさである。

「王族に選ばれなかった方も、後宮(スワト)に呼ばれるだけの者だと箔が付いて、その後の婚姻に有利に働くのですよ」

 今まで私達の会話を微笑を浮かべながら見守っていた秘書官が、そう補足してくる。
 ええと、つまり、お見合いに呼ばれた娘さん達も、選ばれずとも王のお手つきとは思われず、むしろ箔が付くってことか。何それ、いいことじゃん。ククルもお見合い行けばいいのに。婚約者居ないし、いい年齢だろう。

 そんなことを内心で考えていると、国王は足を組み直し、テーブルの上の書類を再び指さした。

「で、キリリンには、エカット公爵家の姫さんに付いて貰う」

 ふむ。主人を持つということだね。まあ侍女だし当然だ。これが下女なら、主人を持たない後宮の掃除担当などもいるのだろうが。

「了解した」

「わざわざキリリンを選ぶのも理由はあるんだけどね……まず、本人がキリリンに助けられて直接礼が言いたいと」

 そう国王が言ってくる。
 ふーむ、エカット公爵家の娘か。何か聞き覚えがあるな。

「いつ助けたかな……思い出せそうで思い出せない」

「キリリンが侍女になってからのことだね。王城に向かっているところを山賊に扮した工作員に襲われていて、そこを助けられて馬車ごと街へ運ばれたって」

「あ、ああー、あれかぁー」

 食料を取りに、休日を使って王城と魔女の塔を往復したときのことだ。
 馬車が山賊に襲われており、それを助けた事があった。山賊は三十人ほどの大集団。対する馬車は、剣士が五人に、すでに矢を撃たれた御者、それと貴族らしき年若い娘。馬(として用いられているこの世界特有の生物)は既に落命していた。

 偶然通りかかった私は山賊をまとめてなぎ倒し、馬車を近くの町まで運んだ。
 そのときの貴族の娘が、事情通のカヤ嬢から伝え聞くには、公爵の娘だったと。

 というかあの山賊、工作員だったのか。小さな集落が暴徒化でもしたのかと思っていたが。工作員となると、大方、西の鋼鉄の国あたりの者だろう。

「そういうわけで会いたいってさ。それともう一つ」

 国王は急に神妙な顔をして、言葉を続けた。

「彼女、どうも後宮(スワト)で何者かに嫌がらせを受けて、身柄を狙われているっぽいんだ。守ってあげて」

 なに!? それはまさか……。

「王の寵愛を競う女の戦い! すごい後宮(バシーヌ)っぽい!」

 私は思わぬ展開に、喜々としてそんなことを言った。カヤ嬢が聞いたら、私以上に滅茶苦茶はしゃぐだろうな。あの子、清らかなものもどろどろとしたものも、満遍なく恋愛話が好きだし。

「だから『バシーヌ』じゃないって! まあでも嫉妬の線はありうるかもね。俺、あの子気に入ってるし」

 私の言葉に焦ったように否定の言葉をぶつけると、続けてそんなことを国王は言った。
 国王のお気に入りだと?
 もしかしたら、私は国王から初めて女について、惚れた腫れたの話を聞いたかもしれない。
 こいつにも思春期はあったはずなのになぁ。私と馬鹿やってばかりだったがその頃は。

「ということは、もしかしたら王妃になるかもしれない子付きの侍女かぁ」

 私は思わず感慨深げにそんなことを言ってしまう。
 王妃候補者付きの侍女か。相当やりがいありそうだ。

「彼女が実家から連れてきて、後宮(スワト)で寝泊まりしている専属の侍女もいるけどね。キリリンは今まで通り、侍女宿舎からの通いで」

 ああ、そういう侍女もいるんだ。会ったことはない。確かに、主人のおはようからおやすみまでを見守るためには、私のように侍女宿舎では生活できないな。

「出来れば、嫌がらせをしている子を見つけ出したりして欲しいんだけどね」

「名探偵ホルムスじゃないんだから、そういうのは私に求めないで欲しい」

 国王の期待に、ノーを突き付ける。犯人を見つける推理とか、周囲を探る探偵の真似事とか、私には無理です。

「ええー、キリリンの『犯人はこの中にいる!』、見たいなぁ」

 やめて。ただでさえ一部の人間に、私が推理小説の概念の発明者だって知れ渡ってるんだから。
 名探偵ホルムスの小説を書いたのは私ではなく、この世界のちゃんとした小説家なんだがなぁ。

「キリンさんが専属の侍女になるとなったら、あのお方も後宮(スワト)に来ている他の子女達の嫉妬を買ってしまうかもしれませんね」

 私達の会話を見守っていた秘書官が、そんなことを唐突に言った。
 いや、本気でやめてそういうの。
 確かに前にこの執務室に来たとき、国王に私の担当を色々な人達が取り合ってるとか聞いたけどさあ!

「頼むから問題は起こさないでね」

 そんなことを国王からも言われる私であった。



[35267] 34.宿舎侍女
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2020/10/31 00:10
 後宮(スワト)とは。
 国王と王妃候補者達による、長期的なお見合い会場である。
 現在の王室の方針は、半恋愛結婚推奨。
 というのも、愛のない仲では、夫婦間に善の気が生まれにくいからとのこと。実に教会的、世界的な事情だな。
 かといって完全に恋愛結婚じゃあ、勢い任せで破局の危険がある。実際に完全恋愛結婚の頃は、王族になる覚悟の出来てない平民と結婚してしまって、数ヶ月でお后さんノイローゼ&発病、子をなせないまま別居状態にということもあったそうな。
 なので、候補者を後宮に集めるから、何ヶ月か交流を図って気が会う人と結婚するようにね、となったらしい。

 後宮では婚前交渉絶対NG。清い交際を。お見合いだから、王妃候補者側の意思で途中抜けもOK。
 後宮入りに選ばれるということは次期国母になってもいいよと、国の選定者側に判断されたということなので、国王と結婚しなくても箔が大いに付く。
 結婚する気がなくても、他の候補者達と交流するために後宮に留まる人もいるが、それもそれなりに受け入れられている。恋愛と関係ない部分で、国王や未来の王妃の人間関係構築になるからだと言う。

 そんなことを夜の侍女宿舎で、カヤ嬢とククルから聞いた。

「しかしキリンさんが、後宮をそのように勘違いしていたとは」

 そう呆れるように言ったのはカヤ嬢。そのようにとは、国王にも指摘された『バシーヌ』と『スワト』を勘違いしていたことだ。『バシーヌ』はお見合い会場などとは違う、愛憎渦巻く閨の競い合いの場。それはそれでカヤ嬢が好みそうな話だが。

「ときどき話が合わないなって思っていたんです」

 ククルにもそんなことを言われる。後宮で働いている侍女は他にもいるため、ときどき後宮についてもククル達と話していたことがある。そのときに話が噛み合っていなかったのだろう。

「できればその都度指摘してくれ……国王陛下の前で恥をかいてしまった」

 あれ、絶対話の種にして後で絶対いじってくるから。
 そんな私の落ち込む様子を二人はやれやれといった顔で見てくる。

「陛下が後宮を開くのがだいぶ遅くなったため、既に婚約者を作ってしまって後宮入りできない、それなりのお歳を召した方がそこそこいるそうですわ」

 と、カヤ嬢がそんなことを言った。ふむ。国王も既に二十代後半。嫁探しには十年は遅いと言える。

「かくいう私も、あと後宮が開くのが五年早ければ、後宮入りしていたでしょうね」

「五年前のカヤ嬢って、十歳じゃないか」

「後宮はお見合いの場であると共に、高位貴族の子女の社交の場でもありますからね。幼くても入ることがありますわ。勿論、一度に後宮入り出来る人数にも上限枠がありますけれど」

 なるほど。しかし、カヤ嬢は五年前まだ婚約していなかったんだな。今の婚約者とは十年来の知り合いで、結婚の口約束というか「大きくなったらお嫁さんになってあげる」と幼い頃に言って、親もそれを見ていて婚約を決めたらしいが。
 そこの所を聞いてみると。

「親同士の婚約の約束は、幼い頃に既に口約束で交わされていましたけれど、正式な婚約となったのは私が十二歳になってからですね」

 なるほど。それ以前なら後宮入りの可能性があったと。

「しかし、複数とお見合いさせて恋愛させるか。恋愛が上手く成り立たなかったら、どうするんだろうな」

「婚約が成立しなかった候補者の方が後宮を辞した先から、新しい候補者を入れていきますが……まあ、お見合いですから妥協はありますわね」

 私の疑問に、そうカヤ嬢が答える。
 妥協か。まあそう都合良く相思相愛の恋愛が育まれるとは限らないのだから、そうなるよな。今回、国王は公爵令嬢を気に入っているというから、どうか恋愛成就して貰いたいものだが。

「新しい候補者と言っても、婚約者の居ない貴族の娘には数限りがありますし……でも、国王陛下のお好みってどんな方なのかしらね」

 そんなカヤ嬢の疑問に、私は答えられない。国王と恋バナなんてしたことないからな。おそらく、私が前世男の現世永遠の幼女で恋人と縁がないだろうから、あいつはそういう話を避けていたのだろう。いや、単純にあいつが恋愛に興味なかっただけかもしれないが。

 そうそう、婚約者がいない貴族の子女と言えば、ククルもそうだ。彼女からも自身の色恋沙汰の話を聞いたことがない。なので、聞いてみる。

「ククルも高位貴族の娘だが、後宮入りの打診は来なかったのか?」

「来ましたわ」

 そうあっさりとククルは答えた。

「でも、陛下は何というか、恋愛対象という感じではないのです。嫌いではないのですけれど」

 ああ、ククルと国王は、私が縁となって彼女が幼い頃に何度か会っているからな。一緒に遊んでくれる親戚のおじさんみたいな感覚なのかもしれない。国王が王太子時代のことだ。
 王太子は次期国王として、自分だけの近衛騎士団を作り上げようと国中をうろつきまわっていた。その過程で巨獣退治だの悪人退治だのもやっていた。その途中で、ククルの生家に寄ることもあったのだ。彼女の父のゴアード侯爵とは私が知り合いだったからな。

「ククルはどうするつもりなんだ、婚約者」

「私の婚約者ですか? うーん……」

 私の問いに、うなり声をあげて黙り込むククル。光るカヤ嬢の目。そして、ククルは絞り出すように言葉を紡いだ。

「貴族の男の子達がいる私専用の後宮、どこかにありませんの?」

「まあ、ククルさんったら!」

「普通のお見合いじゃ駄目なのか、それは」

 私の言葉に、ククルは首を振って否を伝えてくる。

「どうせなら、選ぶ余地のある恋愛をしてみたいですわ」

 そうか、ククルにも人並みに恋愛願望はあったのか。
 それならば、と私はククルに一つの秘策を授けるのであった。



◆◇◆◇◆



「いやだぁぁぁっ! いっちゃいやああああ!」

「やめちゃうの? やめちゃうの? どぼじで……」

「お菓子ぃー! お菓子ぃぁーっ!」

 明くる日の朝、仕事場の近衛宿舎の入口ホールにて、私は小姓達に囲まれてまくし立てられていた。
 きっかけは、7月いっぱいで近衛宿舎付きを辞めると言ったこと。既にその辞令を知っていたオルトは、宿舎前に宿舎の全人員を集めて、私の異動を発表した。騎士の面々は落胆していたが、朝の仕事に来ていた小姓達は泣いて私を引き留めてきた。
 いつの間にか、私も慕われるようになっていたのだな。

「もうお菓子貰えないのか? お菓子……」

 ……慕われていたのかなあ。お菓子係と思われてないか、これ。

「まあまあ、皆落ち着いてください。王城には居るので、ずっと会えなくなるわけではないですよ」

 私はそう言って、小姓達をなだめすかす。
 大泣きしている子の目元にハンカチを当て、涙を拭ってやる。それでも泣き止まないので、ぎゅっと抱きしめてやった。子供の相手は庭師時代から慣れているが、泣いた子を泣き止ませるのは相変わらず骨が折れる。

「お菓子、お菓子は?」

 小さな子を泣き止ませていたら、そう別の小姓に言われる。
 まあ、大事だよねお菓子。幼い子達には貴重な甘味だもんね。

「料理長には話を通しておきますが……お菓子を貰えるかは、皆さんの頑張り次第ですよ」

 私がそう言うと、小姓達は口々に頑張る、と言って真面目な顔になった。
 お菓子パワー恐るべし。まあ、料理長がお菓子作りを続けてくれるかは解らないけどな。

 小姓達をなだめすかし、泣き止ませる。すると、今度は小姓ではない人が私の方へと寄ってくる。

「もうお目にかかれなくなるの、残念です」

 洗濯担当の下女さん、エキ嬢がそう言った。彼女もオルトに招かれ、近衛宿舎の入口ホールへと足を踏み入れていた。
 彼女とは、小姓達を連れて毎朝宿舎の前で会っていた。エキ嬢自身は普段宿舎の中へ入らないため、侍女の私が彼女に洗濯物を引き渡していたのだ。本来の侍女の仕事ではないが、彼女が宿舎に入らない以上仕方が無い。まあ、それも近衛宿舎に侍女を正式に配置する話が進んだらどうなるか解らないが。

「後宮の担当になったら、会うこともあるでしょうが……」

 私は仕事モードのため敬語でそうエキ嬢に言うが、彼女は首を振る。

「多分配置換えはないですねぇ。私はしばらく宿舎の洗濯係です」

 そうか、そうなるとなかなか顔を合わせる機会はないだろうな。
 仕事場が重なっていないのにしょっちゅう出没するカーリンがおかしいんだ。同じ下女なのに。

 エキ嬢は、「では、私はこれで失礼します」と言って、台車に入った洗濯物を押して去っていく。別れが簡素なものとなったが、仕事中だ。仕方がない。

 そして次に私の方へと言葉を向けてきたのは、馴染みの正騎士達だ。護衛任務がある者達はすでに仕事に向かっていてこの場におらず、今ここにいるのは訓練がある者や休日の者達だ。

「貴重な女っ気が失われるなぁ」

「華が無くなる」

「他所の騎士どもに自慢できなくなるぜー!」

 うん。まあ、予想していた。
 だから、私も用意していた言葉を言ってやる。

「侍女がいなくても生活はできるんですから、我慢してください」

「ううっ……美少女と一緒に生活したい……」

「結婚して王都に家を買えば良いじゃないですか」

「相手が居ねえ!」

「近衛にも女性騎士居るでしょう……」

「あいつらはなんかやだ」

「贅沢!」

 そんなアホな会話を騎士の一人と繰り広げる。宿舎長のオルトは、やれやれとそんな様子を見守っていた。でも知っているぞ。オルトだって、奥さんがいないどころか彼女もいないと、騎士達に愚痴っていたことを。

「はー、また男所帯に逆戻りか」

「姫がいると、どこか明るかったんだけどなぁ」

 ああ、それは私が花を生けたりカーテンを取り替えたりと、外観に気を使っていたからだ。物理的に明るく感じたんだと思うぞ。

「皆様、心配ご無用ですわ!」

 と、突然宿舎入口に新たな人物が現れた。それは、とても見覚えのある姿だ。

「皆様、お久しぶりの方はお久しぶり、初めての方は初めまして」

 侍女のドレスに身を包んだその麗しい姿。私よりもいくらか年上の若い少女。ぶっちゃけククルである。

「リレン・ククル・パルヌ・ボ・バガルポカルでございます。このたび、8月からこの『白の塔』の担当侍女を任されることとなりました」

 なんだと、と騎士達から困惑の声が出る。

「皆様、よろしくお願いします」

 優雅に侍女の礼を取るククル。すると、わっと騎士達が沸いた。

「ククルの嬢ちゃんじゃねーか! 久しぶりだなぁ!」

「大きくなったな!」

「こんなにちみっこかったのに、成長するものだ」

 そうコメントするのは、古株の近衛騎士達。私と国王と共に国中を巡り、バガルポカル領の侯爵家にも顔を出したことのある面子だ。

「新しい侍女だと!」

「侍女殿より年上で、若い子……」

「美少女!」

 そう沸いているのが、従騎士を始めとする若い騎士達だ。私が抜けると思ったところに、新しい侍女が補充されると知って喜んでいるのだ。しかも、今度は幼女ではなく少女だ。さらに、ククルは美人さんだからな。

「ちなみに」

 騎士達の話し声に割って入るように、ククルは声を上げる。
 騎士達の注目が再びククルに戻る。

「婚約者はいませんわ。どうぞよしなに」

 そうククルが告げるとともに、またしても男達が歓声を上げた。ククル、攻めるなあ。私の甘言に乗ったばかりにこんなことに……。

 何故ククルが近衛宿舎付きになったのか。それは、私が昨夜、彼女に入れ知恵をしていたからだ。
 貴族の男の子達がいる場所で、恋愛をしてみたい。その要望に合う仕事場が、私が抜ける近衛宿舎なのだ。男は若いのからおじさんまで選り取り見取り。騎士階級なので、貴族でもある。なんだったら選ぶのは小姓でも良い。相手が騎士で本当に良いのかは、一度じっくりと話し合う必要があるが。

 そんなことを昨夜私はククルに話した。すると、ククルではなくカヤ嬢が話に食いついてきた。勿論カヤ嬢が近衛宿舎に行くという話ではなく、ククルはこの機会を逃すべきではないとカヤ嬢が主張したのだ。
 今まで恋愛に消極的だったククルが自身の恋愛について話をしたということで、ことのほかカヤ嬢は乗り気になっていた。
 そこで、カヤ嬢はククルに恋愛の素晴らしさを語り、行き遅れる恐怖を語り、今回の機会がどれだけ貴重かを語った。そして見事にククルは洗脳、もとい説得され、近衛宿舎付きの侍女を望むようになった。

 そういうわけで、希望するなら侍女長に相談してみたらと言ったのだが、ククルは今日の朝一で侍女長のところへ駆け込んでいた。そして、ここにこうやって来ているということは決定がなされたのであろう。侍女長、決定が早いな。さすが有能である。
 ククルの今の担当場所は王宮の託児所だったが、あそこは他にも担当侍女がいるため、そちらに任せてここへ向かったのだと予想出来る。私は今日で近衛宿舎付きを解任となるので、こちらへ来たのは私から引き継ぎを行うためだろう。

 そんなククルを騎士達は大歓迎といった様子で迎えている。

「ククルちゃんかー。ちっちゃな頃を知っているから、そういう対象として見るのもな」

「でも、宿舎が華やぐのは確実だぞ」

「正直、姫の働く様子は子供がちょこちょこと、おままごとしているように見えてたからなぁ」

 おうてめえ今なんて言った。
 ……まあ、担当侍女が十歳児から十四歳の少女に変わるのだ。その気持ちは解らないでもない。

 ただしだ。

「ククルに無体なことをしたら、私が飛んできて潰します」

 そんな私の言葉に、ひえっと騎士達の顔色が悪くなる。
 気がついたら騎士に無理矢理手込めにされて、孕まされていましたなどとなっていては、ゴアードに顔向けできなくなってしまうからな。なにより私の可愛い姪っ子や妹のような存在なのだ、ククルは。酷いことしたらただじゃ済まさない。

「ただし、清い交際は認めます。皆、節度を守るように」

 続けて言った私の言葉に、またしても騎士達がわっと沸く。締め付けるばかりじゃ、ククルの目的は果たせないからな。だがククル、男漁りに夢中になって仕事をおろそかにするんじゃないぞ。……ククルには男漁りなんて言葉は似合わないな。まあ、健全な婿捜しだ。応援してやろう。

「なあねーちゃんねーちゃん」

 と、小姓の一人がククルに話しかけてきた。対するククルは、なんでしょう、と優雅に受ける。

「ねーちゃんって、お菓子作れるか?」

 その小姓の言葉に、私は思わず吹き出しそうになる。こいつ……。

「お菓子ですか? まあ、簡単な焼き菓子くらいなら、キリンお姉様に教えて貰ったことがあるので、できますわ」

 そう答えるククルの言葉に、今度は小姓達がわっと沸く。
 そして、ククルに絡んでいた小姓がまた言葉を続けた。

「侍女の仕事は俺達にお菓子を配ることなんだぜ!」

 その言葉に、薄い笑みでこちらをじっと見つめてくるククル。

「いや、これは必要なことなんだ、ククル」

 そう言い訳する私。蛇に睨まれる蛙状態である。

「もう、侍女のドレスで料理なんて、非常識ですわよ、お姉様」

「大丈夫、実際に作るのはこの宿舎の料理人達だよ」

 侍女の服装は、動きやすいにしてもドレスだからな。下女の格好や、前世でのメイド服のようにはいかない。料理には向かないだろう。

「侍女さん、お菓子くれるの?」

 と、小姓の中でもとりわけ幼い子がククルに尋ねる。

「っ!? ええ、あげますわよ。ですから、私のことはククルお姉ちゃんと呼ぶのですよ」

 崩れた笑みで小姓にそんなことを言い出すククル。ああ、そうか。実はククルには歳の離れた弟が居て、その子を溺愛していた。それを思い出すのだろう。それに従順な大型ペットも彼女の好みだ。ククルの興味はすっかり幼い小姓達に向いていた。
 きゃっきゃと楽しそうに話すククル。
 だがククル、騎士達との交流を忘れるんじゃないぞ。幼すぎる小姓はさすがに婚約者には向いていないだろう。
 私は、小姓と戯れるククルを物欲しそうな目で見つめる若い騎士達に、頑張れ、と心の中でエールを送るのであった。



[35267] 35.新入侍女
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/06/26 13:04
 この国では、一ヶ月を約四十日、一年を九ヶ月と定めている。
 そして、それぞれの月を初春・仲春・晩春・初夏・晩夏・初秋・晩秋・冬期・雨期と分類し、天候を調節している。
 今日は8月1日。冬期の一日目となる日だ。
 天を動く人工太陽の光は抑えられ、気温は下がり冷え込む空気となっている。辛い季節だが、ひと月で終わるのはありがたい。春長く冬短いのが、この国が農業大国でいられる理由の一つだと言えた。世界の中には常春の国とかもあるけど。

 そんな冬の朝の侍女宿舎。朝食を終え身支度を終えた侍女達が、宿舎入口に集まっていた。
 侍女達の前にあるのは、向日葵麦の麦わらで作られた炭が入った、大きな火鉢。
 暖を取っている……わけではない。
 火鉢の番をしている下女が、金属のトングで炭をかき分ける。そして、トングで何かを掴み取った。
 下女がトングで掴んだのは、石だ。下女は、石を火鉢の脇に置かれた金だらいに入れる。金だらいには水が満たされていて、石は水が沸騰する小気味よい音をたてながら冷やされていく。
 やがて、あら熱を取った石を下女は金だらいからまたトングで取り出し、もう一人の下女が広げる湿った布袋の中に入れ、それを侍女の一人に渡した。
 布袋を受け取った侍女は、それを冬用ドレスの懐にしまうと、「行って参ります」と周囲の侍女に挨拶をし、宿舎を出て行った。

 この布袋と石は、温石(おんじゃく)と呼ばれる原始的な携帯カイロだ。
 石の保温効果で一時間ほど懐を暖めてくれる冬の便利道具である。一時間と聞くと短いと思うかもしれないが、今はまだ朝早く、日が照り気温が高まるまでの繋ぎと思えば、無駄になるものではない。

「次はキリンさんですわよ」

 侍女達に促され、私も下女から温石を受け取る。実のところ、私は魔法で暖を取れるのだが、侍女達に混じってこういう道具を使うのがなんだか楽しいので、素直に受け取り使うことにする。
 侍女の冬用のドレスに付けられた、専用のポケットに布袋を入れる。ぽかぽかと体の芯から温まってくるかのように感じる。
 私はよし、と気合いを入れると、他の侍女に倣って侍女宿舎を後にした。

 今日から、私の仕事場は後宮だ。

 王城を進み、王宮へと入る。途中道行く人と挨拶を交わしながら、王宮の一階を奥へ奥へと進んでいく。
 そして王宮の裏、後宮へと続く廊下へとさしかかる。そこには、後宮を守る女性騎士が二人、門番となって立ち塞がっていた。
 私はその門番の前で、懐から侍女一人一人に与えられている身分証を取り出した。
 身分証には、赤の宮廷魔法師団によって撮影された顔写真が印刷されている。身分証にしろ顔写真にしろ、この国の文明的に見て妙にハイテクである。ただ、身分証はそのまま懐に入れるのではなくしやすいので、首から紐でかけるようにした方が安心できるのだが。

 向かって右側に立つ門番が身分証を受け取り、その内容を確認する。
 そしてチェックを終えて、身分証は返却され、私は懐にそれをしまい直す。

「お噂はかねがね」

 門番がそう私に向かって言ってくる。
 噂って、何の噂なんですかね……。
 気になるが、私はとりあえず仕事場へ素直に向かうことにする。通る前に、門番へ一礼。

「寒い中大変でしょうが、頑張ってくださいね」

「はっ! どうぞお通りください」

 二人の門番と挨拶を交わし、後宮へと入場する。
 目に入ってきたのは、空だ。屋根はない。後宮は一つの建物ではない。高い壁に囲まれた、王城の一区画なのだ。その区画の敷地中に、いくつかの宮殿が建てられている。宮殿の一つ一つに、それぞれの宮殿の暫定主となる王妃候補者が住み込んでいる。

 私は、先日国王から見せられた後宮の見取り図を思い出し、それに従って仕事場となる薔薇の宮へと向かう。
 宮殿の外壁には、解りやすいよう宮殿名に対応する花が彫刻されている。
 少し歩くと、薔薇の彫刻がなされた宮殿に到着した。

 宮殿の入口には、またもや金髪の女性が門番として立っていた。王城の中なのに物々しいな。
 今は男子禁制ということで後宮入口に門番が居るのは解るのだが、宮殿にまで門番がいるのか。嫌がらせを受けているとの話があったが、それが原因かもしれない。

 私は、門番に身分証を提示し、侍女の礼を取り挨拶をした。

「本日からパレスナ様の担当侍女となりました、キリン・セト・ウィーワチッタでございます」

 身分証を確認した金髪の女性は、返礼として騎士の礼を返してくる。

「よくぞいらっしゃいました。今、他の侍女をお呼びしますので、少々お待ちください」

 そう言って、金髪の女性は宮殿の中へと入っていく。私はおとなしく入口の前で待っていることにした。
 やがて金髪の女性は一人の侍女を伴って入口に戻ってきた。侍女の見た目の年齢は、三十代半ばほど。若い侍女が多い侍女宿舎の方では、あまり見ない年齢帯の人だ。いや、私自身が見事にアラサーなのだけども。

「お待ちしておりました。どうぞ中へとお入りください」

 侍女に促され、宮殿へと入っていく私。入口を抜けた先は広間となっており、複数の廊下へと続いている。
 さすがに宮殿内部の見取り図までは知らないので、侍女に案内されながら頭に構造を記憶しておく。

「侍女のフランカと申します」

「キリンです。よろしくお願いします」

 たがいに侍女の礼を取る。むう、洗練された礼だな。新米侍女の私と違って年季を感じるぞ。この人が同僚と思うと少し緊張するな。

「早速ですが、お嬢様にお目通り願います」

 主に挨拶をするらしい。まあ、侍女は主に仕えるものだから、主を紹介されないことには話が始まらないか。

 私はフランカさんに案内されて、宮殿の奥へと進む。

「こちら、お嬢様の私室となります」

 フランカさんは部屋の扉にノックをし、「入って」と返事が返ってきてから扉を開ける。
 入室を促されたので、失礼します、と一言断って部屋へ足を踏み入れた。

「ようこそ! 歓迎するわ!」

 部屋の中央には、二人の人間が立っていた。
 一人は、歓迎の言葉を放った、十五歳ほどの金髪の少女。絵の具で汚れた簡素なドレスを着ている。
 もう一人は、侍女のドレスを着た八、九歳ほどの銀髪の幼子。
 私が山賊から助けたのは十五歳ほどの貴族の女性だったから、おそらく金髪の方がパレスナ嬢だろう。
 しかし、公爵令嬢が着る物とは思えない簡素なドレスだ。すごい汚れているし。

 そんな内心を察されたのか否か、パレスナ嬢が言葉を放った。

「こんな格好で失礼するわね。今日はこれから絵を描く予定なの」

 なるほど、絵か。室内に絵画の道具はないが、壁に絵が飾られている。あれが自作の絵だったりするのだろうか。

「朝ご飯は食べた?」

 そう話を振ってくるパレスナ嬢。

「侍女宿舎の方でいただいてきました。これからも特に早朝のご用事がない限り、三食は宿舎の方でいただくことになるかと」

 私はそうパレスナ嬢に答えた。パレスナ嬢が地元から連れてきた侍女はこの薔薇の宮に住み込みだが、私は侍女宿舎からの通いになる。同じ王城内なのだが、王城は広いので、別の建物から通っているようなものだな。
 

「侍女宿舎! 良いわねー、同世代の子達との共同生活。良いインスピレーションが湧きそうだわ」

 にっこりと笑うパレスナ嬢。第一印象は悪くなさそうだ。

「さて、挨拶が遅れたわね。私はリウィン・パレスナ・エカット・ボ・ゼンドメル。よろしく」

「キリン・セト・ウィーワチッタでございます。本日からおそばに侍らせていただきます」

 たがいに礼を取り、挨拶を済ませる。
 そして次に、パレスナ嬢は同室している侍女を紹介した。

「私の隣にいるのが、ビアンカ。まだ小さいけど侍女よ」

「初めまして! よろしくお願いします!」

 たどたどしく侍女の礼を取る幼子に、私も返礼した。

「貴女をここまで連れてきた侍女は、フランカ。ビアンカの母親よ」

「娘ともども、どうぞよしなに」

「よろしくお願いいたします」

 私はフランカさんと挨拶を交わす。フランカさんは金髪で、ビアンカと髪の色が違うが、ビアンカは父親似なのだろうか。
 そして、さらにパレスナ嬢は話を続けた。

「後は四人、地元から護衛を連れてきてここに住まわせているわ。門番をしていたのはフランカの妹。護衛の他にも料理長を一人。ま、いずれも公爵家の分家の出ね。護衛はローテーションを組んで働かせているから、後で挨拶させるわ」

 なるほど、宮殿内に常駐している護衛は四人と。山賊に襲われていたときは剣士が五人居たはずだから、一人は地元に帰すなりなんなりしたのだろう。
 しかし、料理長も分家の出ということは、貴族なのか。しかも後宮にいるということは、貴族の女性だ。この国の基準に照らしてみると、少し変わってるな。

「身の回りの世話はフランカ達に任せるから、貴女には主に私の話し相手を任せるわ」

「かしこまりました」

 話し相手か。それも侍女の立派な仕事の一つだ。かの枕草子にも、侍女的立場である女房の清少納言が、主人である中宮定子と雑話を交わす場面が登場している。

「世界的な『庭師』と聞いているし、期待するわ。絵のいいインスピレーションになりそうね!」

 よほど絵を描くことが好きなのだろう。満面の笑みで喜びを表現している。

「それと」

 と、パレスナ嬢がこちらに歩み寄ってくる。
 私の前に立つと止まり、体の前に添えていた私の手を取り、言った。

「命を救ってくれて、本当にありがとう。感謝しきれないわ。私だけでなく、他の六人も貴女に礼を言いたがってた」

「はい、ご無事なようで、なによりです」

 あのとき矢傷を負っていた御者も、治癒の魔法と魔法薬で手当をしたから、無事だったのだろう。

「あれだけの悪漢に囲まれて、今日で私は死ぬんだなって思ってた」

 剣士五人に対して、山賊の数は三十人を超えていた。しかも国王曰く、山賊達はただの無頼漢ではなく、どこぞの工作員だったという。世界樹の運命の導きで私が間に合わなければ、剣士達が達人級とかでない限り一行は命を落としていただろう。

「貴女が間に合ってくれて本当に良かった。だって……」

 パレスナ嬢は、私の手を離すと、横の壁の方を向き、壁の一画へ手を差し出した。

「おかげで渾身の一枚が描けたのだもの!」

 パレスナ嬢の手の指し示す方向。そこには一枚の絵画が飾られていた。

「題して、『魔人姫の死闘』!」

 見事な絵がそこにあった。鎧に身を包んだ幼い女の子が、地面に伏せている少女を守り、剣を持ち悪漢と戦っている絵画。
 繊細なタッチながら、迫力ある剣の振りが死闘を表わしている、素晴らしい一枚だ。
 顔を見合わせた時間はそれほどではなかったはずなのに、絵に描かれた女の子は完全に私だった。しかしだ。

「私、あのとき剣も鎧も装備していなかったと思うのですけど……」

 内容に偽りありだった。

「そこは、イメージよ! 素手で山賊達の膝を砕くなんて、美しい光景じゃないわ!」

 イメージか。私、基本的に殺人はやらないんだがなぁ、庭師として。庭師は犯罪者を憲兵に差し出して改心させて、悪を善に変えるまでがお仕事だからな。あのときは、膝を砕いて魔力を封じた山賊をそこらに放置したけど。

「左様でございますか。しかし、見事な一枚ですね。とても素人とは思えません。名のある画家によるものかと思いました」

「当然よ!」

 私の賛美に、胸を張って自信を表わすパレスナ嬢。ちなみに賛美はおべっかではない。本当に名画なのだ。
 見た目十五、六ほどの少女がここまでの絵を描けるとしたら、相当な練習を積んできたか、才能があるかのどちらかだろう。もしくはそのどちらもかもしれない。少なくとも、後宮で簡素なドレスに身を包んで、朝から絵を描こうとするくらいには絵が好きなようだ。

「他にも色々過去の作品をこの宮殿に飾ってるから、案内するわね!」

 そう言ってパレスナ嬢は部屋の奥に向けて歩き出した。部屋の奥には入口とは違う扉が一つある。
 彼女を追うようにして、フランカさんと娘のビアンカが動き出す。私も置いていかれないように、ついていくことにした。
 しかし、パレスナ嬢、ドレスは汚れたみすぼらしい物だが、歩き方は優雅だな。さすがは公爵令嬢と言ったところだ。

 パレスナ嬢は自ら部屋の奥の扉を開け、中へと入っていく。
 それに続いて私を含む侍女三人も中へと入る。部屋の中には、鏡台とクローゼット、そして大きな天蓋付きのベッドが置かれていた。部屋に窓はなく、魔法の照明が部屋の中を照らしていた。

「お嬢様の寝室でございます。陛下がこの宮殿を訪ねてきても、けっしてこの部屋にお通ししてはなりません」

 そうフランカさんが説明する。
 今の後宮は男子禁制で、婚前交渉絶対NG。唯一後宮に入れる男子の国王と言えども、ベッドのある部屋に入ってはいけないということだな。よく覚えておこう。

「この部屋に飾っているのは、あれね。かなり昔に描いたのだけれど、なかなか良く出来た一枚なのよ」

 パレスナ嬢の指し示す壁の絵に目を向ける。
 そこに描かれていたのは、とある生物が作り出す風景。それは、とても見覚えのあるものだった。

「『氷蜘蛛の巣』……」

 それは、寒冷地に住む巨大蜘蛛が作り出す、幻想的な蜘蛛の巣だった。
 寝室に飾られるくらいなので、蜘蛛は描かれていない。描かれているのは巣のみだが、それが繊細な色使いによって、芸術に高められていた。

「あら、知っているの? さすが世界を旅する庭師ね!」

 この国で氷蜘蛛を発見し、家畜としたのは私だ。巣に見覚えがあるのは当然だった。だが、この絵に感じる既視感はそういうものの類ではない。

「カードの正式採用イラスト……あの、パレスナ様はもしかして、画家のパレス氏ですか?」

「あら? 解っちゃった? あなたもカードをやるのね」

 にやりと深い笑みを浮かべるパレスナ嬢。この絵は、トレーディングカードゲームにある『氷蜘蛛の巣』というカードに印刷されているイラストそのものだった。担当絵師は、画家のパレス。何枚ものイラストをカードに提供してくれている馴染みの絵師だと、商人のゼリンに聞いたことがある。

「いえ、実は私、昔からティニク商会の商品アドバイザーをしているのです。カードの開発にも携わっていまして……」

「あら、もしかしてゼリンと知り合い?」

「はい、彼が若い頃からの知り合いです。なるほど、パレスナ様は既に名のある画家だったのですね」

「その通りよ!」

 画家パレスと言えば、この国ではそれなりに名の知れた新鋭の画家だ。貴族の邸宅に彼(正体は彼女だったが)の絵が飾られていることも珍しくないことと聞く。そして、トレーディングカードゲームへの多数のイラスト提供で、若い世代に一気に名が売れた。

「私はカードは趣味じゃないからやってないんだけど、人気のようね。印刷ってすごいわね」

「印刷は宮廷魔法師団との伝手がないと頼めませんからね」

「あら、そうなの。道具協会の陰謀ってやつかしら」

 印刷事情について説明する私の言葉に、そうコメントするパレスナ嬢。まあ、高度な技術の規制については、道具協会が悪いと思っておけば大体良い。

「私、カードやってみたいです!」

 そう言うのは、幼い少女、ビアンカである。
 それに対し、パレスナ嬢の反応はと言うと。

「薔薇の宮じゃ他にカードやっている子、誰もいないわよ。私の絵が使われているというのにね」

「なるほど、一人じゃカードは出来ませんからやる相手がいないですね」

 パレスナ嬢の残念そうな言葉を受けて、私はそう言った。
 私はカードを持っているしプレイ出来るけど、聖句を唱えても光らないから正直微妙なんだよな。子供はあの光るのが良いって言うし。

「青百合の宮のハルエーナちゃんがカードしてるって……」

 かすかに潤んだ目でフランカさんの方を見るビアンカ。
 フランカさんは、その視線をじっと受け止めると、少し言葉を溜めてからビアンカに向けて言った。

「貴女のお給料で買うのよ。確かそれなりのお値段するから、お菓子が減ると思いなさい」

「うっ、お菓子我慢する……」

 なるほど、仮にも後宮で働く侍女だから、子供と言えどもお給料は出ているのか。ビアンカは苦い顔をして自分を納得させようとしている。

「遊ぶにしても、休憩時間にすること。良いですね」

「はい!」

 そんな親子のやりとりをにこにこと見守っていたパレスナ嬢が、楽しそうに言う。

「今度街に出て、ティニク商会に行かないとね。あ、そうそうティニク商会と言えば、キリン。ちょっと良いかしら」

「はい、なんでしょう?」

「今度は私、本の挿絵にも挑戦してみたいのよねー。でもゼリンは新進気鋭の商人。貴族でもおいそれとは会えないわ。どうにか都合が付かないかしら」

 こ、この人早速、新入り侍女のコネを使おうとしている! 強かだな。まあ、出版業を積極的に展開しているのはゼリンで、今のあいつになかなか会えないというのも解る。
 そして、ゼリンの奴に遠慮する必要なんて私には欠片もないので、答えは是だ。

「解りました。会えるよう手紙を今日中にでも出しておきましょう。いつの日程がいいですか?」

「あら? 言ってみるものね!」

「ゼリンが遠くに出かけてなければ、今週中とかでも大丈夫ですよ。私もいつも急に訪ねてるので」

「本当に! じゃあ三日後は、皆でティニク商会にお出かけね!」

 そういうわけで、宮殿の絵を見回るはずが、いつの間にか外出の予定が出来ていた。
 実は初めてとなる、外へご主人様について行っての侍女のお仕事だ。どうなるかな。先輩となるフランカさんとビアンカにどう動けば良いか予め聞いておこう。
 オルトとの『幹』へのお出かけ? あれは何か違うからノーカンで!



[35267] 36.地球侍女
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/06/26 13:17
 侍女として主人に仕えるための前提の話として、私はパレスナ嬢に前世が男であったことを伝えることにした。
 最近でも、元男だったことを伝えてカーリンなんかは驚いていたからな。

 パレスナ嬢がアトリエに使っているという部屋の中で、私は前世について語った。
 この世界ではない、地球という惑星に生きていたこと。男だったこと。仕事は貿易商社に勤めていたこと。

 そんな話をパレスナ嬢はイーゼル(絵を置く三脚みたいな形をした支持台だ。画架とも言う)に立てかけた絵の前に座り、楽しそうに聞いていた。
 パレスナ嬢が描いているのはお茶会の絵。お茶を飲む若い貴族の女性達が画面一杯に描かれており、パレスナ嬢はそれに色を重ねていく。

 パレスナ嬢は、私が元男だったことは軽く流し、地球の事について話をせがんできた。
 この世界に生まれて前世の話をする機会は幾度となくあったため、つっかえることなく話をしていく。

「地球には魔法が存在しないため、魔法以外の技術が高度に発展していました」

「魔法道具じゃない高度な技術! どんなのかしら」

「この世界にも馬車はありますよね。それを引く動物を無くし、代わりに燃料を燃やすときに生まれる力を使って車輪を動かす、自動車というものに人は乗っていました」

「自動車! 想像付かないわね!」

「外見はこのようなものです」

 私は、魔法の幻影で小さな自動車を作りだし、部屋中を走り回らせる。
 それを見て、パレスナ嬢ではなく侍女のビアンカが、わっと喜んだ。

「楽しそうです! メッポーのない馬車!」

 メッポーとは馬のように使われる、この世界特有の動物だ。
 とりあえず、私はビアンカを中心としてサーキットの幻影を出し、そこにF1カーを走らせておいた。
 楽しそうに足元を眺めるビアンカ。ちなみに彼女の母親は、この宮殿に掃除下女がやってきたため、その監修をしている。

「他には写真ですね。光を取り込むことで、光景をそのまま切り取ることができます。写真技術はこの世界にもあって、王城の身分証にも写真は使われています。規制対象技術なので、市井には絶対に出回らない技術です」

 画家のパレスナ嬢が食いつきそうな技術の話をする。

「そう、写真! 写真よ! 王城に来てびっくりしちゃったわ!」

 と、思った通りに食いついてくる。

「あんなものが広まっちゃったら、肖像画家も、風景画家も仕事が無くなって干上がっちゃうわ!」

「写真が広まったからこそ生まれた、新しい絵画技術というのもあったんですけどね、地球では」

 代表的なのが、モネを筆頭とする印象派だ。

「なにそれ! それも魔法で見せて!」

「いやあ、三十年も前の記憶なので、正確な絵なんて出せませんよ」

「正確じゃなくていいから!」

 パレスナ嬢に促され、私は前世の仕事でも扱ったことのある、モネの『印象・日の出』の複製画を小さなサイズで出力した。
 魔法で魂の奥底から記憶を掘り起こして出してみたので、思ったよりも正確なのが出てきた。船が浮かぶ港の風景、水平線の上の空に浮かぶ日の出が独特のタッチで描かれている。

「ほーう、ほーう」

 パレスナ嬢はそれをとても興味深そうな目で見ている。
 意外と上手く出力できたので、私は他の複製画も魂の記憶から再現してみた。これもまたモネで、『散歩・日傘をさす女性』だ。草原を歩く女性と少年を下のアングルから見上げている、明るい一枚だ。
 今、パレスナ嬢は人物の描かれた絵を塗っているので、参考になるように人の描かれた印象派の絵を見せたのだ。

「はー、新しい何かが生まれそう!」

「この絵は印象派という種類の絵画で、写真の存在に大きな影響を受けたと言われています」

「見たままを写し取れる存在に、影響を受けないはずがないわねー」

 私の言葉にそう乗ってきてくれるパレスナ嬢。ちなみにビアンカは絵に興味が無いのか、ずっと足元のF1レーシングを楽しそうに眺めている。タイヤを消耗してピットインする様子も再現している自信作なので、楽しんでくれて何よりだ。

「印象派の次は、写実的なものを否定するポスト印象派というものが隆盛します。その代表格にゴッホという画家がいるんですが――」

 ゴッホの複製画は扱ったことがないので、幻影を出すことはしない。

「そのゴッホに影響を与えたという、私の故郷の版画を浮世絵と言います」

 画面いっぱいの迫力ある大波。その奥に見える上部に雪が残った山。葛飾北斎の『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』だ。前世の仕事で、日本からいくつも浮世絵を海外に流したので、魂に記憶は強く残っている。他にもいくつかの浮世絵を幻影で表示して見せた。

「版画ねー。そっちはノータッチだわ。でも見事ね!」

「本の挿絵をしたいなら白黒二色ですから、こういった線のくっきりした絵は参考になると思いますよ」

「なるほど! これは良い勉強ね!」

 パレスナ嬢の絵を塗る手は完全に止まって、私の表示する幻影の絵に視線が行っている。
 あれ、絵が止まるならあまり良くない状況だな。私は少し興が乗りすぎたと反省し、絵の幻影をさっと消した。

「ああん!」

「絵、描くの止まってますよ」

「あとちょっとだけ! キリンの一番好きな前世の絵は?」

「ああ、それなら浮世絵で『鼠よけの猫』ですね」

 歌川国芳という猫好きの浮世絵師による作品で、首に鈴を付けてふてぶてしい表情をした、黒ぶちの猫を描いたものだ。
 この浮世絵を家に飾ると鼠よけになるという、おまじないの絵である。

「『ねこ』! 私の絵にも『ねこ』居るわよ!」

「へ?」

 この世界に猫はいないはず。
 パレスナ嬢に促されて、私はイーゼルに立てかけられた絵を改めてよく見てみる。すると、お茶会をする貴婦人達の足元に、確かに一匹の猫がいた。『鼠よけの猫』のように黒ぶちの猫だ。

「何故猫が……?」

「後宮を歩いていたから、モデルになって貰ったわ」

「いえあの、この世界で猫っていないはずなんですけど……多分」

「でも実際居たわよ。私も後宮に来るまでこんな動物見たことなかったけれど!」

 一体何者なんだ猫……。
 そもそもだ。

「『ねこ』って、前世で私の住んでいた国の言葉なんですけれど……」

「あらそうなの? 不思議ね。誰が言い出したのかしら」

 私とパレスナ嬢は首をひねって不思議がる。元日本人の私が名付けないと、『ねこ』とは呼ばれなさそうなのだが。

「『ねこ』って名前は『ねこ』ちゃん本人から聞いたんですよー」

 F1に夢中になっていたビアンカが、ふと顔を上げてそんなことを言いだした。私達の会話、聞いていたのか。
 しかし、すごいことを言ったぞこの子。

「本人から聞いたって、猫が喋ったのですか?」

 そうビアンカに聞いてみるが、ビアンカはなんてことない顔で返してくる。

「ハルエーナちゃんは、動物とおしゃべりが出来るんです」

 誰だハルエーナちゃん。ビアンカが朝に言っていたカードの子か。すごい特技だなそれ。
 読心魔法という秘術があるが、それは心の声をそのまま聞き取る術だ。私のように術者にとって未知の言語で思考している場合、それを読み解けない限り読心は無意味だ。
 だから、動物とおしゃべりするというのは、読心で行うのは無理だろう。動物は人間の言葉で思考していないからな。どちらかというと翻訳の能力になる。そちらの能力に長けた魔人かなにかなんだろうか。

「ハルエーナさんは、塩の国から来ている第三王女ね。青百合の宮の主人よ」

 そうパレスナ嬢が説明する。思ったよりも大物だった。
 塩の国とは、この葉の大陸と同じ世界樹の枝にある別の葉の大陸、その端っこにある国だ。
 その通称の通り塩を多く産出していて、塩が滅多に採れないこの国とは十数年前から交易が盛んになっている。
 パレスナ嬢は説明を続けて言った。

「塩の国とアルイブキラの友好を深めるために、後宮入りしたみたい。まあ、本人は陛下と結婚するつもりはないみたいだけれど」

 なるほど。この後宮は、結婚する気ゼロでも交流目的で入って良い場所だからな。入るにはそれなりの審査を受けなくてはならないが。

「王女様をちゃん付けですか」

 そう思わずビアンカに向けて言ってしまう私。侍女が他の宮の王妃候補者をちゃん付けって、すごいな。

「歳も近いし、すごい仲も良いから、良いのよ」

 と、返してきたのはパレスナ嬢。その言葉を受けて、私は疑問に思ったことを言う。

「そのお二人はおいくつなんですか?」

「ビアンカは九歳です!」

 元気よくビアンカが答えてくる。

「おお、そんな歳で侍女をやっているって偉いですねえ」

「キリンちゃんもそうじゃないの?」

「私は二十九歳ですよ」

「えー、嘘だー」

「魔法で歳を取らないんです」

「でも二十九歳はないよー」

 何がないんだよ!

 そんな会話にパレスナ嬢はくすくすと笑い、言葉を投げかけてくる。

「ハルエーナさんは十一歳よ。他の王妃候補者はみんな十五歳以上だから、侍女のビアンカと歳が近いってわけね。ちなみに私は十六歳よ」

 十一歳。カーリンと同じかぁ。カーリンは妙にしっかりしているから解りにくいが、十一歳と言えばまだまだ子供だ。二十代も後半にさしかかった国王と組み合わせるのは、ちょっとないなと感じる。まあ、パレスナ嬢の言うとおり異国の王との国際交流目的なのだろう。

「その王女様が、猫から『ねこ』と聞いた……」

 何者なんだ猫……。
 日本語の『ねこ』という言葉を知っているってことは、日本にいた猫? いやいやまさかそんな。

「ま、後宮にいればそのうち『ねこ』にも会えるわよ。それよりも、もっと前世の話をしてちょうだい」

 もやもやとした疑問を残したまま、私は前世の記憶の中で、パレスナ嬢の興味を引きそうな話を選ぶ。絵の話はしたので絵以外でだ。
 なお、筆が止まるので幻影魔法はもう使わないでおく。ついでにF1サーキットを消す。「ああっ」と残念そうな声がビアンカから上がるが、無視しておく。

「前世では、人は空を飛べていました。飛行機というのですけれど、空気の流れをとことんまで究明して、鉄の塊を空に飛ばしていたのです。人は馬車のようにその鉄の塊の中に乗っていました」

「空をしかも鉄! 想像付かないわね」

「そうですね……紙を一枚貰えますか?」

「紙? クロッキー用の紙ならいくらでもあるから良いけれど」

 薄めの紙を魔法で正方形にカットし、紙を折る。作り上がったのは、紙飛行機だ。

「見ていてくださいね」

 パレスナ嬢の手元が狂わないように、注目を集める一言を言っておく。
 そして、私はアトリエの端まで寄り、紙飛行機を部屋の中央に向けて飛ばした。

「わー、紙飛ばしだー。男の子とかよくやってるー!」

 良いリアクションをありがとう、ビアンカ君。

「飛行機はこの紙が飛ぶ仕組みをとことんまで突き詰めて、空を飛べるようにしたわけですね。この世界でそんな研究をしようものなら、道具協会がやってきますけど」

 私の言葉に、パレスナ嬢は絵に絵の具を塗りつけながら、うーむと思考を沈めた。

「空を飛ぶ……どんな景色なのかしら。竜なら空を飛べるだろうけれど、竜を飼い慣らすなんて無理だし……魔法はどうなのかしら」

「世界の中枢『幹』が使う魔法に、重力魔法というものがありまして、それを使える魔法使いなら空を飛べますね」

 この世界樹の世界は月の上にあるため、重力が軽い。なので、『幹』は重力魔法を使って、世界樹の地表を惑星と同じ重力環境にしているのだ。人が惑星の外で生きるためにクリアすべき項目は、非常に多い。

「重力……? 風でびゅーって飛ぶのじゃ駄目なの?」

「風だけで人が浮こうと思ったら、ハングライダーっていう専用の道具が必要ですねえ」

「どうせそれも、道具協会が飛んできて規制するやつでしょう?」

 はい、その通りです。人が空を飛ぶと流通革命が起きる。その流通革命なんて、一番道具協会が起こらないよう目を光らせているところだからな。
 そんなパレスナ嬢と私の会話の最中にも、ビアンカは私の紙飛行機を使って、紙を飛ばす遊びに執心していた。
 あー、F1を見せてから完全に集中力が途切れちゃっているな。勝手知ったるお嬢様の部屋だもんな。でも、アトリエだから動き回るのはいけない。

「ビアンカさん。紙飛行機飛ばすのはやめて、折り紙しましょうか」

「折り紙? 何ですかそれ?」

 ぴたりとビアンカの動きが止まる。続けて私は言った。

「紙を使った芸術ですよ」

「芸術? 何それ気になるわ」

 今度はビアンカじゃなくて、パレスナ嬢が食いついてきた。私は苦笑しながら、パレスナ嬢から追加で紙をいくつか貰った。
 その紙を正方形に魔法でカットし、ビアンカと一緒に紙を折っていく。

 折り紙の紙は、ティニク商会で売り出している商品の一つだ。その紙を売り出すために、教本を作ったりもした。その手順は忘れていない。

「はい出来ました、お花ー」

「わー、キリンちゃんすごい」

「えっ、なになに、ここからじゃ見えないのだけれど!」

 歓声を喜ぶ私とビアンカに、絵の前から動けず焦りの声を上げるパレスナ嬢。
 仲間外れもなんなので、私はビアンカをパレスナ嬢のもとへと差し向ける。

「ビアンカさん、パレスナ様にも見せてあげて」

「はい! お嬢様ー」

「ん、んー、なるほど、紙で出来た飾りね」

「お嬢様、これただの紙飾りじゃないですよ。切らないで折るだけなんです」

「へー、そうなんだー」

 感動の薄いパレスナ嬢の反応に、「むー」と膨れるビアンカ。
 私は苦笑して、ビアンカに手招きして引き戻す。
 そして、ビアンカに向けて私は言う。

「せっかくだから、もっと色々作ってパレスナ様を驚かせてあげましょうか」

「お花一杯作るの?」

「お花以外も一杯作りますよ」

 そして私は、ビアンカと一緒に動物や虫、正六面体やリボン、薔薇などを作っていった。
 パレスナ嬢はその間、集中して絵画を描き続けていたようだ。もう折り紙に興味は無いらしい。

「出来たー!」

 紙を使い切って、ビアンカはそう満面の笑みで完成を喜んだ。

「では、パレスナ様に見せに行きましょうか」

「はい! あ、一杯ありすぎて手に持ちきれない」

「はいはい」

 私は空間収納魔法を使ってお盆を取り出すと、その上に折り紙を並べていく。
 そして、再度ビアンカをパレスナ嬢のもとへと向かわせた。

「お嬢様ー、折り紙出来ましたー!」

「んー? えっ、なにこれすごい」

 今度こそパレスナ嬢は驚いてくれたようだ。

「これを切らずに折るだけで作っているわけね。なるほど、確かに芸術性があるわね!」

「でしょうー!」

 パレスナ嬢の折り紙を認める言葉を受けて、喜びの声をあげるビアンカ。
 そんな微笑ましい光景を見ていたときのことだ、部屋にノックの音が響く。「どうぞ」とパレスナ嬢が入室を促すと、フランカさんが一人部屋へと入ってくる。下女の掃除監修が終わったのだろう。
 フランカさんは部屋の中をざっと見渡すと、私の方へと近づいてくる。そして、小さな声で私に尋ねてくる。

「ただいま戻りました。キリンさん、娘はしっかり大人しくしていましたか?」

「はい、していましたよ」

 F1レースに夢中にさせちゃったけど、あれは私が悪いからな。

「お母さん!」

 折り紙の乗ったお盆を持ったビアンカが、私達のもとへと歩み寄ってくる。
 そして、お盆をフランカさんに掲げて見せながら、言った。

「これ、キリンちゃんと一緒に作ったの」

 それを見たフランカさんは、驚いた顔を見せ、私に向けて呟いた。

「キリンさん」

「はい」

「娘ってもしかして、天才なのでしょうか?」

「え、いやあ、どうでしょうね」

 芸術性高く見えるけど、手順に従ったら誰でも出来るからねこれ!
 ティニク商会に行ったら、カラフルな折り紙と教本をプレゼントでもしてあげるかな、と私は思ったのだった。



[35267] 37.愛玩侍女
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/06/26 13:37
 パレスナ嬢の描画を見守り、やがて昼となり昼食休憩を挟んで午後。
 私はその昼食休憩の間、後宮から侍女宿舎に戻って昼食を食べ、侍女仲間と歓談してまた後宮へと戻る、という行動を取ることになる。
 少し行き来が面倒だろうか。後宮で昼食をいただくことも、考えに入れておく必要があるかもしれない。

 さて、仕事の話だ。
 絵を描くのは午前中までと決めていたのか、午後からのパレスナ嬢は宮殿を出て後宮内の散策に出るようだった。
 侍女三人がかりで綺麗なドレスを着せ、冬用のコートを羽織らせ、外出用の靴を履かせる。パレスナ嬢はそれを面倒臭そうに受け入れていた。

「午後も絵を描きたいわ!」

 そう言うパレスナ嬢であったが。

「駄目です。後宮にいる以上、他の宮のお方とも交流を致しませんと」

 などとフランカさんに切って捨てられる。
 ぶちぶちと文句を言うパレスナ嬢であったが、宮殿を出る頃には顔に笑みを浮かべるようになり、口は閉じられた。お嬢様外行きモードに変身だ。さすがは公爵令嬢である。
 散策の護衛には、門番を交代したフランカさんの妹ビビが付いてきている。

「キリン殿がおれば、私のような護衛など必要ないとは思いますが」

 そう苦笑するビビだが、今の私は侍女なので護衛は期待しないでいただきたい。

 冬の寒空の下、後宮を歩いていく一行。特に誰ともすれ違わず、開けた場所に辿り着いた。
 そこには、綺麗に磨かれた丸いテーブルと、それを囲むように七脚の椅子が置かれていた。これは、見覚えのある……そう、午前中にパレスナ嬢の絵で見た光景だ。
 きっと、ここでお茶会を開いたりするのだろう。野外に置かれているというのに、テーブルや椅子には汚れ一つない。掃除下女さんご苦労様です。

 その椅子の一つにパレスナ嬢は優雅に座った。

「ここで待っていれば、そのうち誰かが来るでしょう」

 今は冬でここは王城内とはいえ野外だが、人が集まるのだろうか。

「その間、何か暇つぶしね。キリン、何かない?」

 と、パレスナ嬢から唐突に話を振られる。私は少し考えて、パレスナ嬢に言葉を返す。

「何か、ですか。そうですね、三日後にはティニク商会へ参りますし、挿絵のことについてはどうでしょう」

「挿絵、挿絵ね。うーん、そもそも私ね、本をあまり読まないから挿絵について詳しくないのよ。描いてはみたいのだけど」

 もしかしたら、活字に弱いのか。それで何故、本の挿絵を描きたいなどと言いだしたのだろうか。何か切っ掛けでもあったのか。
 そして、椅子に座って私の方を向きながら、パレスナ嬢は言葉を続ける。

「こう、初心者向けの本ってないのかしら。いえ、絵本でなくてね」

「ありますよ、初心者向けの本」

「あるの!? え、持っているの?」

「はい、持っていますよ。挿絵もあります」

「じゃあ、退席して良いから、ちょっと持ってきてくれるかしら? 侍女宿舎よね?」

「大丈夫です。“持って”いますから」

 私はそう言うと、空間収納魔法を発動する。空間が歪み、そこに手を突っ込む。それを見て護衛のビビは、ぎょっとした顔になる。フランカさんとビアンカも、顔に驚きを浮かべている。
 その反応も、まあ当然か。空間収納魔法の見た目は、ちょっと不思議だからな。
 空間収納魔法から一冊の本を取り出すと、私は魔法を解除した。空間の歪みが消え、元の光景へと戻る。

「はい、こちらになります」

 そう言って、題字がアルイブキラの言語で書かれた本をパレスナ嬢に差し出す。

「何その魔法。すっごい便利そうだわ」

 そんなことを言いながら、パレスナ嬢は本を受け取った。空間収納魔法のことか。

「すっごい便利ですよ」

 オウム返しをするように言葉を返す私。
 まあ、当然の如く、難しい魔法なのだが。無詠唱でよくもまあできるものだよ。魔女の魔法ってすごい。

「それより、本は何かしら。なになに、『ぼくら少年探偵団』……探偵?」

 渡したのは、初心者向けの本、もとい児童向けの本だ。ティニク商会で売られている市販の本である。
 それをパレスナ嬢は興味深そうに見ている。

「探偵って、あの探偵かしら……」

「あの情報収集を生業とする探偵です。まあ、実は本での扱いは少し違うのですが……」

「何が違うのかしら?」

「それは読んでのお楽しみということで」

 パレスナ嬢の疑問に私がそう答えると、パレスナ嬢はまじまじとカラー印刷された表紙絵を眺める。複数の少年少女と、怪しい怪人が描かれた表紙絵だ。
 そして、彼女は無言で表紙をめくり、本を読み始めた。
 そのタイミングで、フランカさんはお茶を用意して参りますと言って退席していった。
 無言の時間が続く。ビアンカが落ち着かないのか、ややもじもじとしているが、騒ぐようなことはしていない。

 やがてフランカさんが、車輪付きワゴンでお茶を広間に運んできた。下はでこぼこの石畳ではなく、つるつるとして継ぎ目が少ない床なので、ワゴンががたつくことはないようだ。
 フランカさんはお茶を淹れ、どうぞとパレスナ嬢へと差し出す。
 パレスナ嬢はお茶を一口だけ飲むと、本に再び視線を戻した。

 やがて、数十分が経過した後――

「はあ、面白かったわ!」

 本を読み終わったパレスナ嬢が、大きく息を吐き、本を閉じて笑みを浮かべた。
 そしてテーブルの上に置かれた冷えてしまったお茶を手に取り、一息に飲み干す。

「探偵って、事件の犯人を捜索したりもするのね!」

「創作上の探偵の場合ですが、そうですね」

 勢いよくまくしたてたパレスナ嬢に、私は無難に答えた。
 パレスナ嬢はさらに感想が言いたいのか、コバヤー少年がどうとか、怪人黒虎がどうとか述べるので、私は適切な相づちを返していく。
 そして、私はパレスナ嬢に一つの情報を落とした。

「実はその本、スピンオフなんですよ」

「スピンオフ? 何かの派生作品ってことかしら」

「はい、こちらの――名探偵ホルムスの派生作品です」

 私は、空間収納魔法で再び本を取り出し、パレスナ嬢に本の表紙を見せた。『名探偵ホルムス 王都イブカル殺人事件』。名探偵ホルムスシリーズの一作目だ。

「ホルムス! コバヤー少年の先生ね!」

 先ほどパレスナ嬢に渡した『ぼくら少年探偵団』は、この名探偵ホルムスシリーズに登場するキャラクターを使ったスピンオフ小説だ。少年探偵団に興味が湧いたのなら、ホルムスも紹介すべきだろう。

「これは初心者向けの本ではありませんが、読みます?」

「勿論!」

 そう言ってパレスナ嬢は私から本を受け取り、表紙を興味深そうに見つめた。

「『ぼくら少年探偵団』と比べると、シックな表紙絵ね。どこか大人向けというか……」

「はい、名探偵ホルムスの表紙と挿絵は有名で、主人公の髪型を真似する男性が、巷で爆発的に増えたほどです。長髪ではないと真似できないことから、髪を伸ばす男性が王都のあちらこちらで見受けられるのだとか」

「挿絵がブームになるのね。素敵だわ!」

 表紙を開いて、再び本の世界に没頭し始めるパレスナ嬢。
 それを私達侍女三人と護衛一人は優しく見守ることにした。
 そしてしばらくした後、一人の貴族の少女が侍女を連れて広間へとやってきた。どこかこの国のものと違うドレスを着て、ストロベリーブロンドの髪を結い上げている美しい少女だ。

「どうも、パレスナ」

 少女は、そうパレスナ嬢に簡素な挨拶をする。しかし。

「ちょっと後にしてくださる」

 パレスナ嬢は本から顔を背けずに素っ気なく返した。本に没頭しすぎだ……!

「申し訳ありません、ハルエーナ様。お嬢様は見ての通り、初めて読む本にはまってしまったようで……」

 あまりにもあんまりな状況に、フランカさんがフォローを入れた。そうか、この子がハルエーナ王女か。私、すごいこの子が気になっている。なぜならば―ー

「大丈夫、『ねこ』と遊んでいるから」

 そう。ハルエーナ王女は、先ほどから猫を抱えているのだ。
 黒ぶちの日本猫だろうか。可愛い。超可愛い。
 ついちらちらと視線を送ってしまう。

「何?」

 と、ハルエーナ王女に見とがめられるほどに。

「あ、いえ。猫可愛いなと」

 侍女としてパレスナ嬢に付き従っていなければならないのに、勝手に視線を送ってしまったのは失礼なので、私はそう正直に答えておく。

「うん。『ねこ』可愛い。ね?」

「可愛いですよね、『ねこ』」

 王女がビアンカに視線を向けると、そうビアンカも乗ってくる。
 フランカさんは私達を咎める様子は欠片も見せない。むむ、主人の用事が終わるまで、お客様のお相手をするのも侍女の仕事ってことかな。

「ハルエーナ様が飼われているんですか?」

 私のそんな問いに、王女は首を振って否定した。

「私が後宮に来たときにはすでにいた」

「どこから来たんでしょうね」

「にゃー」

 ああっ、今鳴いたぞ。可愛い!

「気がついたらここに居た、だって」

 あ、王女は猫と会話出来るんだった。なんという神スキルだろうか。
 でも、もし自分が飼ってる猫に「お前嫌い」とか言われてそれが理解出来たら、立ち直れそうにないな……。
 というか、私の言葉で会話が成り立つってことは、人間の言葉が解るのかこの猫。賢い。

 しかし可愛いな。触りたい。
 そんなことを思ってそわそわしていると。

「ん、触る?」

 そう言ってハルエーナ王女が、腕の中の猫をこちらに差し出してきた。対人間の察し能力も高いぞ、この王女様!

「にゃー」

「優しく抱えろだって」

「優しくします!」

 私はそう言って、猫を受け取った。
 ふおおお! 軽い! 柔らかい! 温かい!
 そして……うん? なんだこの香り。
 私は腕に抱えていた猫の腹に顔を突っ込み、匂いを嗅いだ。

「にゃー!」

 当然の如く猫の反撃にあう。猫パンチいただきました! 爪は立てないんですねお優しい。

「火の匂いがする……」

 私が猫から感じた匂いの違和感は、それだった。

「火ですか? 焦げ臭いんですか?」

 そう言って、ビアンカもこちらに近づいて猫の匂いを嗅いでくる。

「お日様の匂いがしました!」

 ビアンカは、にぱっと笑顔になる。うん、臭くはないよねこの子。誰かにお風呂ちゃんと入れて貰っているのかな。
 だが、火の匂いはそれじゃない。

「いえ、私が感じたのは、魔法的な匂いで……火の神の匂いです」

「火の神? あの天界の?」

 ハルエーナ王女が不思議そうな顔でこちらに聞いてくる。
 火の神。世界樹には、その火の神が支配する天界への門がある。この世界では世界樹教と二分する宗教勢力として、火の神を崇める拝火神教が存在している。

「その火の神です。私の魂にもこの匂いが染みついているので、間違いありません」

 前世の私は、火の神を祀るカルト宗教の施設で命を落とした。そしてこの世界で生まれて今、私の魂には天界の門を通った名残なのか、火の神の残り香と言うべきものが染みついている。
 そして、この猫からもその火の神の匂いがするということは……。

「猫、あなた、日本からやってきたんですか……」

「にゃー」

「日本良いとこ。お前何者? だって」

 王女の翻訳が万能過ぎる……。

「私は元日本人です。日本で死んでこちらに来ました」

「にゃー」

「『にほんじん』なら私の手下だな、だって」

「そうですか……」

 まあ、よく猫って飼い主のことを自分の下の、世話役的な存在か何かだと思っているって言うよね。でも可愛いから許す。
 しかしこいつ賢いなぁ。火の神から何か祝福でも受け取ったのか。火の神、割と節操なく色々やるからな。地上への被害を考えずに。

「キリンちゃん、私も抱かせて貰って良いですか?」

「あ、はい」

 ビアンカに猫をバトンタッチ。ビアンカは子供特有の遠慮の無さでわしわしと猫をいじり、猫は必死に暴れ回って抜け出した。
 そして王女の足元まで走る猫。「あー」と残念そうにビアンカはそれを見送った。

「この猫って、何か名前あるんですか?」

 気になったので、そうビアンカとハルエーナ王女に尋ねてみる。

「ん? 『ねこ』ですよ」

「『ねこ』」

 あ、それが名前なのね。まあいいか。
 そしてその後も私達は、冬の寒空の下、私の前世の猫トークを中心に話を続けて時間を過ごした。
 パレスナ嬢はその間、ただひたすら本を読みふけっていた。異国の王女相手にそれで大丈夫なのか、公爵令嬢。



[35267] 38.寒空侍女
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2020/06/04 03:53
 後宮の一画、テーブルと椅子が並べられた開けた場所。
 お茶会でも開くために用意されているであろうその場所で、私達は猫を囲んで歓談していた。

 今は冬期の8月1日。ドレスの上にコートを着込んでも少し肌寒い。なので、私は地面に魔法陣を敷き、そこから温かい熱が放射されるようにした。
 途端に、周囲は温まり、過ごしやすくなる。
 猫はハルエーナ王女の腕から抜け出し、魔法陣の近くで丸くなる。
 それを王女は追い、また猫を腕に抱える。

 そんな様子を眺めながら、私は幻影魔法を活用して前世に居た猫を紹介し、さらには子供の頃に飼っていた猫についての話を繰り広げた。
 そして、いくらかの時間が過ぎ去ったときのことだ。

「はー、面白かったわ。キリン、名探偵すごいわね! 推理ってなにこれ!」

 と、パレスナ嬢が本を読み終わったようだ。いかにも感想を話したがっている。しかしだ。

「あ、今猫トーク中ですので」

「なんでよ! ホルムスとワトー夫人の絶妙な関係とか色々話せるでしょ!」

 えー、しょうがないなぁ。

「二人の関係は、『大河に消ゆ』が最高にきてる」

 って、ええっ、ハルエーナ王女が思わぬ会話のキャッチ&スロー。

「ハルエーナ様、名探偵ホルムス読んでるんですか?」

 そう私が尋ねてみると。

「ん。この国の言葉の勉強に読んだ。最高に面白い」

 こんなところにファンが一名!
 猫とか話している雰囲気じゃなくなった。それを察したのか、猫は王女の腕から抜け出していた。

「『王都イブカル殺人事件』から『大河に消ゆ』まで、全巻持ってる」

 おおう、王女、猫トークの時より饒舌になってる。
 これにはパレスナ嬢もにっこり……するかと思ったら、驚いた顔で王女を見ている。

「『大河に消ゆ』? 全巻? もしかしてこれで完結じゃないの?」

 『王都イブカル殺人事件』を手に持ちながら、そう言うパレスナ嬢。
 それに対し、ハルエーナ王女は事実を述べる。

「現在全六巻。以下続刊」

「まだ五冊もあるのね! キリン、見せてくれるかしら?」

「ティニク商会に行くなら、そちらで買えますよ」

「三日も後じゃないの! 勿論買うけれど! 少年探偵団も一緒に!」

 パレスナ嬢をここまで惹きつける名探偵ホルムスが名作過ぎる……すごいなこの世界の小説家も。

「私が貸すよ?」

 そう王女がパレスナ嬢に言うが、私が待ったをかける。

「大丈夫です。私が貸しておきますよ」

 買ったらどうだと聞いただけで、貸さないとは言っていないからね。
 私の言葉に、パレスナ嬢の表情がぱっと華やぐ。

「ありがとう! 続きは後で読むとして、今は感想を話し合いたいわ」

 その要求に、私は頷いて了解する。
 さて……事件の内容は覚えているが、ホルムスとワトー夫人の会話はどこまでが一巻の内容だったかな……! ネタバレしそうで怖い!
 私と同じことを考えているのか、ハルエーナ王女も少し渋い顔をして言った。

「先の展開を言わない自信がない……」

「それは困るわ! どうしましょう」

 焦るパレスナ嬢に、王女は言葉を続ける。

「パレスナが感想を言って、私達が同意をしていく」

「それでいいわ」

 いいのかよ。まあ、お嬢様の御心のままにだ。
 早速とパレスナ嬢は感想を述べ始める。

「ホルムスとワトー夫人が登場時既に仲のいい知り合いなのに、読者として疎外感を感じないのはすごいと思ったの。私あまり本を読まないから詳しくないけれど、こういうのって出会いから始めて主人公と読者に同じ体験をさせるものでしょう? それなのに既に知り合い。でもそれがしっくりくる。むしろ安心感すら感じたわ。それでね――」

 パレスナ嬢が一方的にまくし立て、私達二人はうんうんと肯定していく。
 それが何十分と続く。苦痛ではない。だって、自分の知っている好きな作品の感想だからね。
 やがて、長く続いたパレスナ嬢の感想語りは終わりを迎える。

「だから、推理小説というのは普段読書をしない私にも感じ取れる、新基軸の分野なのよ。はー、楽しかった。フランカ、お茶をお願いするわ」

「かしこまりました」

 そしてこのタイミングでお湯を新しく用意していたフランカさんが、パレスナ嬢にお茶を淹れる。ううむ、侍女の鑑。
 疲れた喉をお茶でうるおわせながら、パレスナ嬢は言葉を新たに紡いだ。

「これだけ本の話をするなら、ファミーも一緒にいたらよかったわ」

 はて、新しい人物名らしきものが登場したぞ。

「あの人は本のことになったら我を忘れるから……全巻読んだ方が良い」

「ああそうね。確かに。じゃあ白詰草の宮に突撃はやめておくわ」

 ハルエーナ王女の忠告らしき言葉に、そう肯定するパレスナ嬢。
 文脈から察するに、ファミーとは読書が好きな白詰草の宮にいる王妃候補者だろうか。

「では、他の子達も陛下も来ないみたいだし、私はそろそろお暇するわね」

 そう言って、パレスナ嬢は席を立ち上がろうとする。

「待って」

 ハルエーナ王女はパレスナ嬢を引き留めた。
 何かしら、と座り直したパレスナ嬢は言葉を返す。

「そちらの侍女は、新しい人?」

「ええ、王城から派遣された、薔薇の宮の新しい侍女よ。キリン」

 パレスナ嬢に促され、改めて挨拶をする。猫談義のときに挨拶くらいしておけばよかったか。

「本日付でパレスナ様の侍女となりました、キリン・セト・ウィーワチッタと申します。キリンが名前です」

 この国の平民の命名規則に則ると、私の名前はキリン領のウィーワチッタ家のセトさんになっちゃうからな。私を完全に知らない人にはキリンが名前って言っておかないとな。
 実際は、セト族のキリンさん、魔法師名ウィーワチッタだ。
 魔法師名は師匠の魔女から、魔法を受け継ぐなら継承者として『チッタ』の名が付く新しい名を考えろと言われて、自分で考えた名前だ。タワーウィッチのアナグラムである。

「国王が言ってた通り、カードにいる魔人の人だった。ちょっと感動」

 国王ってうちの国の国王のことだよね? あいつ何言ってるんだ。
 ただまあ、こういう反応も二ヶ月ぐらいぶりだ。入城当初は、侍女宿舎でよく侍女に募られたものだ。今はただの同僚って感じだけれども。

「左様でございますか」

 私はそう言って、さっと侍女の礼を取った。
 サインをねだってこないだけ、初対面時の侍女達よりも大人しいものだ。

「ぐぬぬ、カードにキリンがいるですって。私の『魔人姫の死闘』もカード化してくれないかしら」

 などと椅子に座りながらぼやいているパレスナ嬢。そこは自分でゼリンなり教会なりに交渉していただきたい。
 そこで改めて場はお開きとなり、パレスナ嬢一行とハルエーナ王女一行は別れることとなった。

「ごきげんよう」

 そう言って優雅に去っていくパレスナ嬢。私達侍女と護衛もそれを追う。
 フランカさんがワゴンを押しているからか、パレスナ嬢の歩みはどこかゆっくりめだ。

 冬だというのに結構長い間外にいたな。
 ただ、まだ冬期も一日目ということで厳しい寒さにはならなかった。
 皆コートも着ていたし、体が冷えすぎて風邪を引くということはないだろう、おそらく。
 今度あそこにいくときは、周囲を結界で囲って魔法で温める簡易温室を作ることも考えておくべきかもしれない。

 私達は後宮を薔薇の宮に向けて歩いていく。すると。

「お嬢様、伏せて!」

 護衛のビビがパレスナ嬢に覆い被さる。それに合わせるように、空から矢が降ってきた。
 一本の矢。それがビビに命中するかに見えたところで、矢は消失する。

「……むっ」

 ビビが空を見上げる。私はその勇敢な姿に向かって、言った。

「魔法障壁で消し飛ばしました。魔法の矢だったみたいですね」

 私は空から何かが迫ってくると感じて、魔法障壁を上に向けて張ったのだ。

「そうか、助かりました」

 ビビはそう言って立ち上がると、パレスナ嬢に手を差し伸べ、立ち上がらせる。

「とんでもない目にあったわ。早く薔薇の宮に戻るわよ」

 そのパレスナ嬢の言葉に、ビビも追従する。

「ええ、空から来た攻撃です。早く屋根のある場所に行きましょう」

 そうして、私達は足早に薔薇の宮を目指すと、宮殿の門をくぐって安心の息を吐いた。

「いやはや、キリン殿がおれば私などいらぬとは、本当のことでしたね」

 そうビビに言われるが。

「いえ、咄嗟に主の身をかばえるのはすごいことです。私は護衛として常に構えているわけではありませんし、頼りにしています」

 四六時中護衛対象を守るために気を張るなど、私には到底無理だ。今回の成果を受けて、護衛を減らすとかなっては目も当てられない。

 そして、私達は宮殿の玄関口を抜けて、宮殿内の広間に出た。

「やっと着いたわね。さあ、キリン」

「はい、何でしょう」

 パレスナ嬢に何かを促される。

「名探偵ホルムスの続きを貸してくださる?」

 こ、ここでそれかぁー。私は促されるままに空間収納魔法から、二巻目である『名探偵ホルムス 探偵の帰還』だ。これは長編の一巻目と違い、短編集となっている。

「やったわ、夕食まで読書時間よ!」

 そう言って、本を胸に抱きしめるパレスナ嬢。
 そこまで嬉しかったか。活字が苦手と言っていたのはほんの数時間前のことなのに。

「では、私は巡回の騎士に襲撃があったことを伝えて参ります」

 と、ビビが宮殿を退出しようとする。

「ちょっと待ってください」

 私はビビを呼び止める。

「はっ、何でしょうか」

「実はですね、あの魔法の矢、正体は麻痺の矢でした」

「麻痺の矢、ですか?」

 ビビが疑問符を頭に浮かべる。私は詳しく説明をした。

「人に当たると、その人は半日くらい動けなくなる麻痺の矢です。動けなくなる以外は特に怪我をしたりはしません」

「それは……なんとも」

 確かにこれは、嫌がらせだ。人死にが出そうにないという意味でだ。
 麻痺の矢とはずいぶん平和的だなと思う一方で、これがエスカレートしないという保証はどこにもないという怖さもある。今回はただの警告かもしれない。お前を狙っているぞという。
 しかし、こう後宮っぽい陰湿な感じじゃなくて、直接手段なのかぁ……。

「魔法式を写しますので、これも提出してください」

 空間収納魔法から頑丈な紙を一枚取り出すと、そこに念写で魔法式を書いていく。古くさい魔法式だ。どこの古株貴族の仕業なのやら。
 魔法式の書いた紙をビビに渡すと、ビビは一礼して宮殿を出ていった。

 その様子を主として見守っていたパレスナ嬢は、待ちきれなかったのか、「行くわよ」と私室へ足早に向かっていった。
 そしてパレスナ嬢が本を読んでいる間、私達侍女三人は刺繍をして過ごし、パレスナ嬢が本を読み終わる頃には夕食の時間が迫っていた。

「三冊目、貸してくださる?」

「これから夕食ですよ、パレスナ様」

 私はそう拒否の意思を示そうとするのだが。

「夕食を食べて、お風呂に入って、その後読む物が必要なのよ」

「いつまで起きているつもりですか……」

「すごいわよね、魔法照明。後宮に来て写真の次に驚いた魔法道具だわ。街灯にしか使えないものだと思ってた」

 まあ、照明の類も、便利すぎる魔法照明は道具協会の管理下にあるからね。町中でも街灯は魔法照明だが、個人宅には導入されていない。人は夜に余裕ができすぎたら、余計なことしでかすから。

「貸してくれるかしら?」

 そう言うパレスナ嬢に、私は仕方なしに空間収納魔法から本を取り出しながら、言った。

「残り四冊全てお貸ししますが、フランカさんに渡しておきますね」

「ええっ、なんでフランカに」

「なんででしょうね」

 フランカさんがじっと私のことを凝視してくるからじゃないかな。
 私が本をフランカさんに渡すと、彼女の視線は治まった。ほら、正解だ。
 私は別に主人の生活習慣を万全な物にすべしというような義務感は負っていないが、地元からついてきたフランカさんにはそういったものがあるのだろう。

「フランカ、お風呂の後に一冊で良いから読ませてね! 一冊で良いから!」

 私は今日はもう疲れたので、宮殿を出て夕食を食べたら、のんびり温かい温泉にでも浸かりたい気分だった。
 ちなみにこの王城の浴場は天然温泉だ。こればかりは、あの道具協会でも規制できない最高の文化であった。

「むむ、侍女宿舎のお風呂、気になるわね。仲間と裸のお付き合い。インスピレーションが湧きそう」

「春画でも描くおつもりか」

 私がそうじらりと睨みを利かせるように言うと、パレスナ嬢は縮こまる。

「う、それはさすがにないわよ」

 本格的に寒くなったら、日帰り温泉旅行にでも行こうかな。そんなことを思うのであった。



[35267] 39.回想侍女
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2020/10/27 05:28
 ――それはいつかの思い出。

『労働環境の改善を要求する!』

 生活扶助組合の組合員受付で、私は受付事務員に向けてプラカードを掲げた。
 このプラカードは念じた内容を文字や絵として映し出す魔法の板だ。

 言葉を話せない私が魔女に魔法を習う前に使っていた、かつての生活必需品である。
 今はもう声の代わりに音を鳴らす魔法を習得しているため、この道具は魔女の塔の倉庫の奥底に眠っていた。だが、今回要求を通すにあたってインパクトが必要だと思い、倉庫を漁り持ち出してきた。頭の上に文字を掲げるというインパクトは強い。
 が、例えインパクトが強くても、必ずしも言葉の意味が正しく伝わるわけでもない。

「どうしたの? お小遣い足りないの?」

 受付に座る女性事務員がほんわかした口調で私に問いかけた。

「お小遣いじゃなくて任務報酬だ。というか、そもそも賃金交渉したいわけじゃない」

 そう言いながら私は、受付カウンターへと上半身を乗り上げる。私の背丈ではカウンターの位置が高すぎるのだ。
 事務員が座っていてもカウンターから上半身を出せているのは、受付の内側の床が外側より高いためだ。私達組合員――庭師は外回りで汚れていることが多いので、受付の外側に座るための椅子はない。

「もっと子供庭師に気を使ってほしいものだ」

 ちなみにこの町の組合には、私以外に十五歳より年齢が下の庭師はいない。今の私は十一歳だが。
 私は木材で出来たカウンターに肘をかけて乗りながらぶらんぶらんと足をゆらし、受付事務員を見上げる。成人男性を優に超える体重を預けても無事な辺りは、さすが組合の受付カウンターだ。

「荷物運びに飽きたので魔物退治をさせてくれ」

「えー……。荷物運び大切な仕事だよ」

 事務員は営業スマイルを苦笑いに変えるが、私は引かない。

「荷物運びは庭師じゃなくて、郵便屋さんのお仕事だろう。せめて、他の町への運送依頼をお願いする」

「郵便屋さんは手紙と手荷物運ぶのが仕事だから違うよー。あと他の町はキリンちゃんの免許じゃまだ行けないからダメー」

 事務員はあっさりと私の嘆願を却下した。
 生活扶助組合の免許証は活動を行える有効範囲が記録されている。世界を巡り回る庭師といっても、国境越えや領地越えを簡単に行えるわけではない。
 世界組織である組合が「あんたならここまでの地域で活動して良いよ」という許可を一人一人に与えて人員管理を行っているのだ。

 私の活動許可範囲はこの町ニシベーツエのみ。
 庭師の免許証には登録地としてニシベーツエの町章が描かれている。特産品である果実をモチーフにした町章だ。この町章が活動許可範囲を表わしている。
 組合長が認めれば、登録地の町章の横に、他の町の町章やこの地域一帯の領地章が描かれ活動許可範囲が広がる。しかし、過保護な組合の係員達は、庭師歴一年の私を町の外に出そうとしない。私の免許に描かれている町章は、この町の町章たったこれ一個だ。

「野営くらい慣れたものなんだが……」

 免許に複数の国章を与えられた庭師の父に連れられて育ったため、私にとっては街道などたいした危険はない。
 隣村のミシシ村まで徒歩二時間ほど。隣町まで徒歩で半日といった距離だが、私の脚力からすればさしたる距離ではない。

 街道付近に出没する野獣も、魔人の肉に食い込むほど鋭い牙は持っていない。
 怪我をする可能性があるとしたら、山から下りてきた黄色巨大うり坊の突進くらいなものだろう。

 ということを語っても、この事務員は聞く耳を持たない。
 この組合は私が成人するまでここで飼い殺しにするつもりなのだろうか、と私は歯ぎしりする。
 そんな幼子の歯をむき出しにする表情に、事務員はほんわかとした笑顔を見せた。私は歯ぎしりアピールをやめて、事務員に向けて言った。

「せめて荷物運びと引っ越し以外の仕事をくれ」

「えー……。キリンちゃんに、ただの町専の仕事任せるのも勿体ないし。せっかくの怪力だよ?」

 事務員が手元の仕事一覧をぺらぺらとめくる。
 庭師は世界の花形職といっても、町中での本質は何でも屋だ。『専門業者がいない』仕事を片っ端から集めて、適切な庭師達に割り振るのが組合の事務員達の仕事。

 庭師の中には、安全な町の中で地域に密着した仕事のみをこなす町内専門の者もいる。町内専門の者はあまり庭師と呼ばれないが。
 この係員も、事務仕事が無いときは近場の雑務をこなす庭師――組合員を兼任している。
 だが私は町専に留まるつもりはない。他の多くの庭師達と同じく、世界を目指すために免許を取ったのだ。

「市街拡張の土地開拓とかないか」

「外壁増築の予算なんて、この田舎町にあるわけないじゃない」

「近隣の巨獣の駆逐とか」

「定期駆逐は青の騎士団の仕事よ。というかそんな危ないことやらせるわけないじゃない」

「やらせてくれよ!」

 私はそう叫ぶと、カウンターから降りて、身につけている鎧の背中に取り付けられていた金具を外す。
 金具が支えていたのは、私の背丈を超える長さの分厚い両手剣だ。ベルトがまきつけられた革製の鞘に収められている。
 私は鞘に収まったままの剣を両手で抱え床に二度底を打ち付ける。
 事務員に向けた精一杯の戦えますアピールだ。

「剣使いたいの?」

 事務員の言葉にこくこくと頷く。

「確かにそうねー、魔法処理してあるっていってもずっと鞘に入れっぱなしじゃね」

 手入れを欠かしたことはないが、頷く。

「じゃ、この仕事はどうかな?」

 事務員はそう言って仕事の一覧が収められた紙束の中から一枚の紙を抜き出し、私の前に差し出す。
 私は期待の目でそれを見下ろし、業務内容を読む。
 受注は二日前。期限は十二日後。仕事は――

「住宅解体。思いっきり剣振り回して良いよ。その剣、『不壊』の加護付いてるんだよね」

『剣は工具じゃない!』

 私はプラカードに文字を映すと、そのまま事務員の頭にプラカードを振り下ろした。



◆◇◆◇◆



「それが、庭師二年目の私の様子でした」

 薔薇の宮、パレスナ嬢のアトリエにて、私は昔語りをしていた。
 昨夜、私から『名探偵ホルムス』の本を受け取ったパレスナ嬢は、どうやら夜更かしをせずにしっかり寝たようだった。顔の血色はよかった。
 そして、今日もパレスナ嬢はアトリエで絵を描いている。パレスナ嬢は絵を描きながらでも人の話を聞けるタイプらしく、私に話をせがんできたため、私は庭師時代の話をすることにしたのだ。

 私が話したのは、世界を巡る華々しい活躍をした庭師後期のものではない。一つの町で右往左往していた初期の頃の話だ。そんな話をしたのは、この国を舞台としているので理解しやすいだろうという考えからだ。

 私の話を聞いて、パレスナ嬢はからからと笑った。

「竜殺しと名高い庭師も、初めはそんなものなのね」

「当時は本当に見た目相応の年齢でしたしね。心配されるのも、今となって思うと当然と言えます」

「なるほどね」

 そんな私の昔語りを同僚侍女のビアンカは、パレスナ嬢の横で黙って聞いていた。
 だが、退屈ではないようだ。
 熟練庭師の華々しい冒険譚とはいかないが、貴族の女性には馴染みのない平民の生活風景だ。興味はあるのだろう。

 ちなみに彼女の母親のフランカさんは、掃除下女の仕事ぶりを見に行っている。
 私は絵を描き続けているパレスナ嬢と、そして手持ち無沙汰なビアンカにも向かって、庭師時代の続きを語ることにした。



◆◇◆◇◆



 さわやかな空気が心地よい、朝早く。
 私は荷車を引きながら街中を爆走していた。

 荷車は私の愛車シマウマ三号。荷物運びの仕事道具だ。
 私は剛力の魔人。荷物を運ぶのに重量制限はない。だが、その身は小さな永遠の十歳児。一度に抱えられる荷物にサイズ制限があった。
 それを助けるのが、このシマウマ三号だ。一号と二号は私の出す速度に耐えられず、お亡くなりになられた。魔女から受け継いだ空間収納魔法は練習中だ。

 荷車に載せられた荷物は、いつもの輸送品ではない。これは組合から借り受けた工具だ。
 昨日、事務員から住宅解体の仕事を提示された私は、結局それを受けることにした。
 名を上げるのにはほど遠い仕事内容だが、いつもと違う仕事を受けるのは悪くはないと思ったのだ。あと賃料が高かった。

 住宅解体は本来ならば、専門の業者が居る仕事だ。
 だがここは田舎町。大工はいても、専門の解体屋はいない。建築物の解体だけで日銭を稼げるほど仕事の量がないのだ。そしてそのような、専門業者がいないが人々に必要とされている仕事は、なんでも屋の生活扶助組合に持ち込まれる。
 既存の業者と仕事の取り合いにならないよう、気をつけるのも組合事務員の仕事の一つ。

「おはようキリンちゃん」

「おはよう」

 メッポー(馬のような動物だ)を走らせる馴染みの郵便屋さんを追い越しながら、手を振って挨拶を交わす。

 郵便屋さんは国営の運送業者の配達員だ。街中ではこうやってメッポーに乗って手紙を配っているが、他の町や村へ荷物を運ぶときは二頭の角牛が引く武装戦車で街道を爆走する。護衛に庭師は付かない。自前の兵がいるらしい。
 どう考えても郵便屋さんの仕事は、普段の私の荷運び業務と被っている。しかし、事務員の主張するところによると違うらしい。

 事務員ではないただの組合員である私には、その辺りの地域密着型の仕事の違いは判らない。
 でも別に判らなくても良い。私がやりたい仕事はこういった隙間産業ではなく、剣と鎧を使った危険と隣り合わせのお仕事なのだ。
 街中の仕事と野外の仕事に本質的な優劣はないと思ってはいる。
 だが、功績を上げ世界を巡りたい身としては、安全な仕事に甘んじているわけにはいかないのだ。

 日銭を稼ぐだけなら、私は別に庭師を続ける必要など無い。
 町の住人としての籍を確保して、安定した仕事に就けばいいだけだ。魔人ならば成人前の身でもそれができる。住居は魔女の塔があるし、剣と鎧を売り払えば当面の生活費も確保できるだろう。
 だが、私は父の剣を受け継いで庭師を続ける。いつか父が話していた、私達の故郷へと行くために。

 この町で庭師として大成できないなら他の町で、と行きたいところだがそうもいかない。

 私は無国籍の放浪民族だ。
 父と魔女がこの町の組合長と面識があったため、義理でこうして免許を取れた。だが、他の場所だとそうはいかない。

 身分証明書の類は何も持っていない。魔女から受け取った魔法使いとしての証があるが、同じ魔法使い相手にしか通用しない。
 庭師の免許も、この町で活動することを許可しますよという組合向けのものであり、この等級では領地の公的施設ではなんの役にも立たない。
 そんな風来人に、別の町でほいほいと新しい免許を交付してくれるほど、組合は甘くない。

 さらには、この町で町人としての籍を獲得しても、他の町で免許を取れるわけではない。免許には登録町村制という面倒な仕組みがあり、自分の籍がある町でしか免許を獲得できないのだ。
 生活扶助組合は、世界組織であるゆえに人員管理は徹底している。
 私は現在国籍を持たないが、庭師を親に持つ孤児としてニシベーツエ町の組合に立場を保証されている身の上だ。

 そういうわけで活動範囲を広げるには、なんとか今持っている免許に、ぽんと新しい町章を描いて貰うしか手はない。
 そして他の町の町章を貰うには、今の町の組合で実績を残すしかない。
 実績を残すには、危険な仕事を受けて庭師として大成しなければならない。しかしまわされるのは町中の仕事。そして初めに戻ると。

「恐ろしい囲い込み……!」

 町の籍を獲得しても、成人まで他の町に移住することはできないだろう。私の身元保証人はこの町の組合なわけで。

「隙を! 隙をつかねば……!」

 勝手に危険な仕事を受けて、一暴れというわけにもいかない。業務違反で免停ものだ。
 仕方なしに、私は手早く住宅解体の仕事を終わらせると、再び組合に行って仕事を探すことにした。

「あ、キリンちゃん良いところに」

 事務員が私を呼ぶ。なんだろう。住宅解体の仕事でも溜まっているのか?

「キリンちゃんって、町外れの塔の魔女さんに弟子入りしていたんだよね?」

「ああ、私は今もその塔に住んでいるが……」

「魔女さんの弟子っていうことは、いろいろ知識が豊富なんだよね?」

「まあ、いろいろ、ろくでもない魔法の知識をぶち込まれはしたな」

「良かった。じゃあ、この仕事受けてみて」

 事務員に一枚の紙を渡される。そこには、仕事の依頼内容が書かれている。
 依頼人は、ティニク商会商会長バガルポカル・ゼリン・ティニク。依頼内容は、新しい商品のアイデア出し……?
 それを確認したのを見た事務員は、私に尋ねてくる。

「ティニク商会は知ってる?」

「町の雑貨屋だな」

「そのティニク商会の商会長さんが、山菜の食べ過ぎで亡くなっちゃってね。息子さんが新しい商会長になったらしいんだけど、店を大きくしたいから売れ筋商品を考え出したいんだって」

「だからって、商品アイデアを他人に聞くか?」

「それだけ必死なのでしょうね」

 私は依頼を受けるか少し考える。
 商品アイディアか。正直、魔女の知識で使えそうなものはない。作成者が限られる高度な魔法道具とかになるからな。
 だが、私の引き出しはそれだけではない。私は前世持ちだ。それも、おそらくこの世界とは異なる世界からやってきた存在。
 異なる世界の知識で文化侵略、してみせるか? 荷運びよりは面白そうだ。

「この仕事受けます」

 結論を出した私は、そう事務員に告げるのだった。



◆◇◆◇◆



「これが町の雑貨商、ゼリンとの出会いとなりました」

 少し肌寒くなってきたので、魔法で部屋を暖めながら昔語りを終えた。
 ここは画材が多く置かれた絵のアトリエ。火を使う暖房は火災の危険があるので使われていない。
 私が話をしている最中にも絵を描き進めていたパレスナ嬢は、話をしっかり聞いていたのか、次のように話の感想を述べた。

「そして、ティニク商会がここから躍進したのね。まさか、あのティニク商会が田舎町のいち商店でしかなかったなんて、驚きだわ」

 そう、今では王都の一等地に店を構える大店が、元々私の住んでいた田舎町の雑貨屋だったのだ。
 十八年も前のことだ。当時は下女カーリンも生まれていないことになる。
 私は当時を思い出して言った。

「当時は道具協会の存在とかよく知らなかったので、初めは生活を便利にする道具ばかり提案していたのですが……」

「まあ、止められるわよね」

「ええ、そこで提案したのが、娯楽です。初めは数字と記号を組み合わせたトランプという絵札遊びを売り出しました」

 チェスや将棋といったボードゲームはこの世界独自のものがあったので、トランプが選ばれた。
 トランプは、まあまあ売れた。トランプも似たような玩具はすでにこの国に存在していた。だが、様々な地球の新ルールで遊べるトランプは、真新しい娯楽として受け入れられたのだ。
 私はそんなトランプのその後を語る。

「そんなとき、魔女を訪ねてきた赤の宮廷魔法師団の方とお会いする機会がございまして。トランプを見せたところ、国と組めばもっと高度な印刷が出来ると提案され……紆余曲折あって生まれたのがトレーディングカードゲームです」

「当時、私は生まれてないわね。もっと早く生まれていれば初期カードに絵を提供できたのに……!」

 初期はプロの画家を雇うほど資金に余裕などなかったから、それは無理だったかもしれないぞ。

 そんな話を黙って聞いていたビアンカが、ふと言葉を漏らした。

「庭師なのに冒険はなかったんですか?」

「ありますよ、冒険話。悪者を退治するようなの」

「本当ですか? 聞きたいです!」

 パレスナ嬢に聞かせるための話なのだが、まあ良いか。
 私は当時を思い出し、一つの失敗から始まる事件について話し出した。



◆◇◆◇◆



 とある日のこと。ニシベーツエの路地裏を歩いていると、突然魔法をぶつけられ頭に袋を被せられた。
 状況を把握する間もなく、意識が暗転。目が覚めると手かせをつけられ暗い大きな箱の中に閉じ込められていた。

 がたごとと箱が揺れる。箱の隙間からわずかに漏れる光で、箱内部の光景が視認できた。
 大型の家畜が二匹ほど入りそうな木箱の中には、私の他に年若い少女が一人、手かせを付けられてぐったりと転がっていた。
 そこで私はようやく人さらいにあったのだと気づいた。

 なんという不覚。人さらいはおそらく、魔法で姿を消して潜んでいたのだろう。
 自主休暇で鎧を着けていなかったため、耐魔法力も常人並だった。
 魔女から引き継いだ魔法には、魔法に対抗する常時発動型の術式が存在している。だが、それを休みの日にも発動するという発想が私にはなかった。
 前世では、仕事で危険な国にも足を踏み入れたことだってあったのに、油断していた。

 どうしたものかと、金属製の手かせを引きちぎりながら私は悩んだ。

「なっ……!」

 手かせをちぎり取る音に、少女が驚愕の目を私に向ける。意識があったのか。

「しっ、静かに」

 私は少女の手かせも解いてやる。その光景に、少女は驚き固まっている。

 さて、どうしたものか。抜け出すのは簡単だ。魔人の腕力で箱を破壊し、そのまま少女を担いで逃げ去れば良い。
 だが、それで良いのか。相手は人さらい。私達が逃げたとしても、今度は別の人をさらって悪行を続けるだろう。
 庭師は、世界に悪意が満ちるのを許してはいけない。
 だから私は、このままさらわれて、敵の本拠地で悪人どもを一網打尽にすることにした。

 少女はどうするか。守りながら戦えるか?
 守りながらでは、悪人に逃げられる可能性がある。
 だから、守ってくれる存在を呼び出した。

「少し静かにしててね」

 そう私は言うと、妖精言語を使って、守護妖精を複数呼び出した。

「わあ……!」

 見慣れぬ幻想的な妖精の姿に、少女の表情は明るいものへと変わった。

「その子達が貴女を守ってくれるよ。安心してくれ」

「はい……!」

 手かせをちぎり、妖精を呼び出した私のことを信用してくれたのだろう。この状況にあって、少女が笑みを浮かべた。
 やがて、箱の揺れが止まる。どこかに到着したのだろう。おそらくは、悪人達のアジト。

「おい、運べ」

 箱の外から男の声が聞こえる。
 箱を持ち運ぼうとしたのか、乱暴に揺さぶられる。

「くそっ、持ち上がらねえぞ」

「なんでだ。女二人だろう」

「ガキの方が小せえのに、すげえ重てえんだ。おそらく魔人だ」

「ひゅー、魔人かよ。高く売れるぜ」

「足かせはしてなかっただろう。自分で歩かせろ」

 そして箱の蓋が開けられる。光が射し、周囲がよく見えるようになる。
 箱の向こうから男達がこちらを覗いている。こんにちは。そして死ね!

「ぐわー!」

 私は箱から勢いよく飛び出すと、父から習った蛮族闘法で男達をなぎ倒し、手足を完全に砕いた。
 私を魔法で気絶させたということは、魔法使いもいると予測できたので、念入りに魔力も封じておく。

 周囲を見渡す。森の中。そして目の前には大きなあばら屋のような物がある。ここが敵のアジトか。

「敵を壊滅させてくるから、その子達と一緒に待っていてくれ」

 私は、妖精に囲まれる箱の中の少女にそう断ると、あばら屋へと突入する。
 正面突破である。魔法の守りを幾重にもかけ、まっすぐいって素手でぶっ飛ばすのだ。

 あばら屋の中には、いかにも荒くれ者ですといったような男達が、多数待機していた。
 こんにちは。そして死ね!

「ぐわー!」

 男達の手足を念入りに砕き、魔法を封じてこの場は制圧完了した。斧や剣で数発斬りつけられたが、魔法の守りのおかげで怪我は無い。魔女に弟子入りしていて本当によかった。
 そして私は、少女のもとへと戻り、箱ごと少女を担ぐ。
 ここまで私達を運んできたのはメッポーに引かせた荷車のようだ。だが、ここから町へ帰るにはメッポーに荷車を引かせるより、私が走った方が速い。私は町へ帰還するため、森の中を駆けだした。

 地面のわだちを見ながら森を抜け町へと帰還した私は、そのまま生活扶助組合へと駆け込んだ。
 さらわれたという私の説明に、事務員は大激怒。
 見事に人さらい集団は捕縛され、法の裁きを受けることになったのだった。

 ちなみに共にさらわれ助け出した少女が、領主の娘だったとか町長の娘だったとかなどという物語的な落ちはない。彼女は普通の八百屋の娘であった。
 だが、人さらい集団を捕縛したという業績は確かに組合に評価され、この町の外で活動する免許の町章追加へ、確実に一歩近づいたのであった。



◆◇◆◇◆



「とまあそんな感じで人さらいを捕まえまして。結構な悪人集団だったらしく、領主の館に招待されて感謝状を渡されました。そのときに知り合った領主の息子さんが、今のバガルポカル領の領主、ゴアード侯爵です」

 ゴアードとはそれ以来の親友だ。
 庭師として名を上げた後は頻繁に顔を合わせることとなり、サマッカ館で悪魔退治をして命を助けたこともあった。悪魔は人に化けられるが、私は悪魔と人の判別をつけられるので悪魔退治に協力したのだ。
 やがて彼は結婚し、ククルとその弟が誕生した。

「ゴアード侯爵には娘がいて、彼女は今この王城で侍女をしています。今月から近衛宿舎の担当となるはずです」

「近衛宿舎。そういうのも城にあるのね」

「私も先月は近衛宿舎で働いていました。次はその話をしましょうか」

 私はつい最近経験した、近衛宿舎での変わった仕事内容を語っていく。

 侍女が身近であろう公爵令嬢でも、あの宿舎での仕事は物珍しく感じるだろう。
 侍女のビアンカも経験したことのない仕事があるはずだ。へこんだ鎧の修理とかね。騎士どもめ、侍女じゃなくて従騎士にやらせろよ。ククルにまでやらせようとしていないか心配だ。
 まあ、ククルは今朝見たら、カヤ嬢の恋愛洗脳は解けていたっぽいから、彼女自身は変な行動を取らないだろう。

「インスピレーションが湧きそうだわー」

「左様でございますか」

 そんなこんなで、午前中の私の仕事は、アトリエで昔語りをして終わったのだった。
 ちなみに午後は昨日のように外に出かけることなく、パレスナ嬢は『名探偵ホルムス』を読みふけり、私達侍女は刺繍をしたりマナーの確認をするだけで時間が過ぎ去った。



[35267] 40.溜息侍女
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/06/26 19:19
『というわけで、探査船は無事帰還したのじゃ。試掘した鉱石も汚染されておらんかったので、精錬して持ち帰ったのじゃ』

「それは良かった」

 仕事の昼休憩中。私は侍女宿舎の自室で、『幹』の女帝と魔法の通信による会話をしていた。

 魔王討伐戦が終わり『幹』から帰るとなったとき、私は女帝から『女帝ちゃんホットライン』なる手の平サイズの魔法道具を渡された。
 なんでも、世界樹にいる限り、どこからでも女帝と会話ができる道具らしい。
 今回が初使用となったが、通信ラグのようなものはない。やはり『幹』の技術力はすごいな。

『次の探査は、十日ほど大地の上で滞在させる予定じゃ。大地が荒廃していたから、種を持ち込んで緑化させんとな』

「アセトリードの様子はどうだい」

『大地の一面を緑で覆わせるのじゃと言って、はりきっておる。今はテラフォーミングの勉強中じゃな』

「それはまた……専門外だろうに」

『だが元勇者なだけあって優秀じゃぞ。ゴーレムの頭脳も高度な物を積んでおるしの』

 人の体を捨ててゴーレムの頭脳を獲得かぁ。サイボーグとかの類になるのかなこれは。
 SFだな、すごい。
 自分がそうなりたいとは思わないが。

『あと、移動中は暇な時間が多いので、暇つぶしになるものが欲しいとか言っておったな』

 オートメーション化が進みすぎて人間のすることが少ないとか、そういうのだろうか。

「そういうものなら、道具協会のリネが詳しいんじゃないか。今回会ったときも、うちの国の小説を褒めてたし」

『小説か。出版の仕組みは規制しておるが、その技術の恩恵を受けること自体は、確か規制しておらんかったな。なんじゃ、おぬしの国は小説が盛んなのか?』

「盛んというか、私が商人をそそのかして流行らせた感がある」

『わはは、さすがは高度文明の世界出身よの。文明文化促進に一切の躊躇がない』

「駄目だったら、道具協会が勝手に規制してくれるかなと……」

 おっと、話が弾んでいるが、そろそろ昼休憩は終わりだ。後宮に向かわないと。

「では、そろそろ仕事に戻るので……」

『おお、そうか。次話すときもこの時間でいいのじゃったか?』

「ああ、仕事の昼休憩だからな」

『では、またの』

「ああ、お元気で」

 そう挨拶を交わして通信を切る。数千年生きている相手に、お元気でも何もないだろうが。
 そして私は部屋の中にある姿見で全身のチェックをすると、コートを羽織って部屋を出る。
 同僚と挨拶を交わしながら侍女宿舎を出て、王宮へ。王宮の廊下を通って後宮へと入り、何事もなく薔薇の宮まで辿り付いた。

 入口すぐの広間に用意されているハンガーラックにコートを掛けると、パレスナ嬢の私室へ向かう。
 私室では、パレスナ嬢が私の到着を今か今かと待ち受けていたようだった。

「来たわね! 早速出かけるわよ!」

 今日の午後の予定は、白詰草の宮への訪問。そこには、とある侯爵の妹が王妃候補者として滞在しているらしい。名はファミー。歳は十八とのこと。
 訪問を知らせる先触れは、午前のうちに同僚侍女のフランカさんが行っている。そのうち私も、そういう仕事を任されるようになるだろうか。
 パレスナ嬢の身支度を済ませ、私も先ほど脱いだコートを着込んで宮殿を後にする。
 パレスナ嬢に同行する侍女は、私とフランカさんの二人だ。今回娘のビアンカは留守番。護衛は先日と同じくビビだ。

 後宮を四人揃って歩き、一つの建物へと辿り着く。
 三つ葉の葉が特徴的な草花が外壁に彫刻された、白い宮殿だ。白詰草の宮である。
 まあ、私が白詰草と呼んでいるだけで、本当に地球と同じ白詰草なのかは判らないのだが……。

 宮殿の前には薔薇の宮と違って門番は立っていない。王城の中と考えると普通はそうなるか。
 フランカさんが宮殿の扉の前に立ち、ノッカーを鳴らす。

 少し待っていると、扉が開いて中から侍女さんが一人出てきた。私達は侍女さんに宮殿への入場を促される。
 宮殿の入口は、薔薇の宮と同じ構造だ。それもそうか。いくつも違う構造の宮殿なんて建てていられないよな。宮殿ごとの差別化は、外壁の花の彫刻で図っているのか。

 入口すぐの広間に入り、コートを脱ぐ。コートはこの宮殿の侍女さんが受け取ってくれ、ハンガーラックに掛けてくれる。
 見覚えのない侍女さんだ。この人も宮殿で住み込みをしているのだろう。
 そして、侍女さんの先導で来客室のある方へと案内される。

 来客室へと入ると、すでにそこには、この宮の主であろう綺麗なドレスを着た貴族の令嬢が待機していた。青髪をゆるふわウェーブにした髪型で、結わずに自然に流している。
 そして他にも、先日会ったハルエーナ王女が、自分の侍女を一人従えて椅子に座りくつろいでいた。腕には猫を抱えている。

「お待ちしておりました。パレスナ様、ご機嫌いかがですか?」

 令嬢は座っていた椅子から立ち上がると、か細い声でそう挨拶をする。
 対するパレスナ嬢は優雅に礼を取ると、挨拶を返した。

「ごきげんよう、ファミー。おかげさまですこぶる元気よ。ハルエーナもごきげんよう」

「ん、先日ぶり」

 猫から視線を上げ、ハルエーナも挨拶を交わした。

「ハルエーナも来ていたのね」

「ビアンカちゃんから、パレスナが本を全部読み終わったと聞いた。だから、ここに来るかなって」

 そうハルエーナ王女が言うとともに、どこか弱々しい外見のファミー嬢が、目に力を入れたのが見えた。

「そうです、急にパレスナ様が本をお読みになるなんて、驚いてしまいました。本をお読みになりたいなら、わたくしに一言相談していただければよかったのに。お勧めしたい本はたくさんありましたの」

「あー、そうね」

 早口でまくし立てるファミー嬢に、やや引き気味になるパレスナ嬢。というか他人の様子に引いたりする気質だったのか、パレスナ嬢は。完全にマイペースな人間というわけではないらしい。
 ファミー嬢はなおも喋り続ける。彼女の前にある来客用テーブルには、本が何冊も積まれていた。

「こうして、ご紹介したい本を用意させていただきました。この『アバルト山に捧ぐ』は一枚の絵画を巡った群像劇で、実在する絵画の複製を作中で扱っています。『針のごとく』は彫刻家が主人公のお話でして、幼い頃に見た教会の壁画をおぼろげな記憶のまま彫刻で再現しようとする苦悩が描かれておりますの。こちらの『若草』は――」

「あー止まって、止まって。今日は本を紹介してもらいにきたわけじゃないの。『名探偵ホルムス』の感想を言いにね」

「ホルムス! 読んだのですねあの推理小説を。そう、推理小説です。わたくし、今まで様々な本を読み集めてまいりましたが、初めて読んだときは、こんなジャンルが存在したのかと驚いてしまいましたの。読者への挑戦! ああ、作者様との交流がこんな形で叶うとは、感無量ですわ」

 これはあれかな。ファミー嬢はビブリオフィリアとかビブリオマニアとかってやつなのかな。本に熱狂している人だ。
 そんなファミー嬢に向かって、パレスナ嬢はにっこりと笑う。

「『王都イブカル殺人事件』から『大河に消ゆ』まで読んだから、今日はファミーとホルムスで語り合おうと思ってね」

「まあまあまあ! 本当ですの! わたくし目一杯語りたいことがございますのよ!」

「私も語る。読み直してきた」

 パレスナ嬢の言葉に、ファミー嬢とハルエーナ王女が賛同する。
 それに機嫌をよくしたパレスナ嬢は、さらに語り出した。

「まず、推理についてだけど、私は途中から自分で犯人を予想しようと頑張ってみたの。外れたけれど」

「それが読者への挑戦ですのよ。小説界において全く新しい試みですの!」

「魔法の存在がとてもややこしい」

「あー、それはあるわね。魔法って、どうしてもなんでもできるイメージがあるから」

「そこがポイントで、作中で魔法使いが出る場合、必ず使える魔法は開示されているのですわ。未知の魔法を後出しはしていないのです」

「詳細に説明するから、犯人が魔法使いと思ったら、違った。巧妙」

 和気あいあいと『名探偵ホルムス』について語っていく三人。
 途中で侍女さんが茶を淹れるも、その会話の勢いが衰えることはない。
 他人の宮殿でお客様の従僕の立場としているので、私自身はただ立って待機しているしかなく、無言で時間を過ごした。猫を見て癒されながらだが。
 まあ、パレスナ嬢が楽しそうでなりよりだ。



◆◇◆◇◆



「つまり、社会現象を起こすほど、『名探偵ホルムス』の挿絵は優れていますのよ。女性読者は長髪の美男子ホルムスに惹かれ、男性読者は若き未亡人のワトー夫人に惹かれる。そしてお互い同性の登場人物に憧れる。活字に慣れていない層も取り込んでいるのですわ」

「コバヤー少年も良い」

「挿絵、挿絵ね。……実は私、本の挿絵に挑戦してみたいと思っているの」

 ホルムスの話が続くことしばらく。ふと、パレスナ嬢がホルムスに関係のない言葉を漏らした。

「挿絵ですの? 素晴らしいですわ!」

「うん」

 ファミー嬢とハルエーナ王女は、話に問題なく乗ってくる。
 その様子に、パレスナ嬢の声に喜色が混じる。

「『名探偵ホルムス』も挿絵が良い本ということで、侍女が紹介してくれたのだけれどね。それで、挿絵の参考になる本って他にもあるかしら?」

 パレスナ嬢の言葉に、ファミー嬢は目をしばたたかせた。

「本のご紹介ですの!? まあまあ今日はなんて良い日なのでしょう! 優れた挿絵の本は何があったかしら? 『粉雪の庵』? 『アミリメー公爵』? ああ、どれにしましょう」

 突然興奮するご令嬢。これで王妃候補者だというのだから驚きである。いったい何が選定基準なんだ……。

「そうだ、書庫に行って一緒に良いのを選びましょうか。わたくし、実家からそれなりの本を持ち込んでいますのよ」

「ええ、そうするわ」

「私もいく」

 書庫かあ。薔薇の宮にはそんな部屋はなかったから、同じ構造であろうこの宮殿では、どこか適当な部屋を書庫にしているのかな。
 令嬢達が椅子から立ち上がり、侍女の私もそれに続こうとする。
 だが、ファミー嬢の侍女がそれに待ったをかけた。

「書庫は本棚が並んで狭いので、侍女の方はこちらでお待ちください」

 ああ、なるほど。書庫にぞろぞろいくわけにもいかないか。
 ファミー嬢とパレスナ嬢、ハルエーナ王女とそして護衛のビビが部屋を退室していく。

 私とフランカさんは侍女さんに着席を促される。そして、侍女さんは茶を淹れてくれる。うーん、この心配りよ。
 私達は侍女さんに礼を言い、茶を口にする。美味い。
 そうしてのんびりとしていた、そのときだ。

「きゃあああ!」

 !? 女性の悲鳴! もしやパレスナ嬢の身に何か?
 私は椅子から立ち上がると、ダッシュで部屋を出る。
 どこだ。魔法で魔力ソナーを発信。パレスナ嬢達のいる部屋を突き止める。
 場所は、薔薇の宮でのアトリエの部屋!

 私は廊下を駆け、パレスナ嬢のもとへと向かった。
 彼女達のいる部屋の扉を開け、中へと踏み込む。

 そこは、本棚と本に満ちた部屋だった。
 そして、部屋の一画。空の本棚が倒れており、ビビが頭を押さえてうずくまっていた。その周囲で、令嬢達がビビを心配そうに見つめている。

「ご無事ですか!」

 私は令嬢達に呼びかける。
 すると、パレスナ嬢がこちらに振り向き、言う。

「本棚が倒れて、私を庇ってビビが頭を打ったの」

「治療します」

 私は彼女達に近づいて、妖精魔法の準備をする。念のため、ビビに呼びかける。

「ビビさん、意識はありますか?」

「大丈夫です。空の本棚でしたし、たんこぶができた程度です」

「頭の中で出血していたら大変なので、魔法で治療しますね」

 私は妖精言語を使い、妖精を呼び出す。
 呼び出された妖精は、きらきらと光の粒子を撒き散らしながらビビの頭に近づくと、よしよしと頭を撫でた。

「おお、痛みが引いていきます……」

 顔に元気を取り戻したビビが、ゆっくりと立ち上がる。それを追って妖精があせあせと上へと浮遊した。

「すごいわね、さすが魔人姫キリン!」

「えっ、この侍女様、キリン様なのですか? あの『騎士レイの生涯』に出てくる竜殺しの?」

「ええまあ、はい」

 パレスナ嬢の言葉にファミー嬢は驚き、それに私は適当に相づちを打っておく。
 それよりもだ。

「何故こんなことに」

 倒れた本棚を見ながら言った私の疑問に、パレスナ嬢が答える。

「解らないわ。急に本棚が倒れてきたの」

「わ、わたくしは何もやっていませんわ……」

「別に疑っていないから安心しなさいな」

「は、はい……」

 あせりを見せたファミー嬢だが、パレスナ嬢のフォローで落ち着きを見せた。
 その様子をハルエーナ王女は無言で見守っている。猫は騒ぎに驚いたのか、部屋の隅で丸まっている。

「とりあえず、また何かあるといけませんから、部屋を出ましょうか」

 妖精の治療が終わったビビが、そう令嬢達を促す。
 その言葉に、令嬢達は素直に頷いた。

「あ……パレスナ様。この本あとでお渡ししますね」

 そう言うファミー嬢の腕には、本が数冊抱えられていた。
 騒ぎの間もずっと抱えていたのだろう。パレスナ嬢と一緒に選んだ本だろうか。

「ええ、感謝するわ。きっと良い挿絵を描いてみせるわ」

 そう笑うパレスナ嬢。そして私達は書庫を後にすることになった。
 あ、猫はちゃんとハルエーナ王女が回収したぞ。



◆◇◆◇◆



 白詰草の宮から帰って、パレスナ嬢の私室。私達は留守番のビアンカも交えて歓談していた。

「今日は収穫ね。よさげな挿絵の参考を貸してもらえたわ。後は、明日の商会訪問が上手くいけば良いのだけれど」

 ファミー嬢から借りてきた本をぱらぱらとめくりながら、パレスナ嬢が言う。
 本棚の件を気にした様子は全く見せていない。
 そこで、私はパレスナ嬢に聞いてみることにした。

「パレスナ様、本棚が倒れた件ですけれど……襲撃を受けて気にされてないのですか?」

 私の疑問に、パレスナ嬢は目をぱちくりとさせた。

「ああ、それね。我慢してるわ」

「我慢、ですか?」

「そう、我慢。ここにいるのは王妃候補者達。陛下の歓心を得ているのは現状私だから、嫉妬されることもあるでしょうね」

 でも、とパレスナ嬢は言葉を続けた。

「嫉妬は当然のこと。仕方のないことなの。つい嫌がらせもしてしまうかもしれないわ。それなら、私が我慢すればそれでいいのよ。今回はビビに被害がいって申し訳ないけれど、ホルムスみたいに犯人捜しなんてしても、誰も得はしないわ」

 なるほど。懐の広いことだ。
 事件は起きているが、名探偵なんていらない。そういうことだ。
 彼女が我慢し騒ぎ立てなければ、何も起きていないのと同じ、ということ。国王まで嫌がらせの話は行ってしまっているが。
 でも、そんな優しい尊敬すべき主人を持てて、侍女の私も鼻が高いよ……。

「あ、でも犯人はこの中にいる! とか一度言ってみたいわね。平和な事件でも起きないかしら」

 最後のその言葉で全部台無しだよ!
 私は、「つまみ食いの犯人捜しとか」と妄想を広げるパレスナ嬢の様子に、小さなため息を漏らすのであった。



[35267] 41.外出侍女
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/06/27 17:30
 城下町クーレンバレンカル、その大通りを二頭立ての大きな馬車が進む。
 8月4日の午前。今日はパレスナ嬢を連れて、ティニク商会へ訪ねる予定の日である。馬車の中には、パレスナ嬢のほか、フランカさん、ビアンカ、護衛のビビ、もう一人の護衛フヤ、そして私の六人が乗っている。
 御者をするのは王城の馬車管理官だ。二頭のメッポーを巧みに操っている。

 平日のため大通りは混み合っておらず、馬車はスムーズに進む。やがて、馬車はティニク商会へと無事到着した。
 大通り沿いの一等地に、ティニク商会の本店はある。
 思えば大きくなったもんだ、などと考えつつ馬車を降りる。

「来たわね!」

 ビビにエスコートされて馬車を降りたパレスナ嬢が言う。

「久しぶりに来たけれど、前より大きくなっていない?」

 その感想は正しい。一等地だというのに、隣の土地を買収して店舗拡張とかしでかしてるのだ、ゼリンのやつは。商才があるようで羨ましいかぎりである。

「ま、いいわ。行きましょう」

 女六人連れだって店舗の中へ入っていく。その間、馬車は店の従業員に誘導されて、駐車スペース行きだ。

 店舗の中は、清潔で整頓された小綺麗なものだった。
 棚には種類ごとに区分けされた商品が並び、天井からはどの商品が置いてあるかの案内板が吊されている。
 そして、平日昼間だというのに客が多数、店内に詰めかけ、思い思いの商品を眺めている。
 それをパレスナ嬢は店舗入口から満足そうに眺めると、ビアンカの方へと振り向く。

「さ、カード見てきていいわよ。フランカも付いていってあげて」

「わあ!」

「ですが……」

 パレスナ嬢の言葉に、ビアンカは笑顔になったが、フランカさんが渋る。

「大丈夫、キリンもいるし護衛だっているわ。休みだと思ってビアンカを見てあげなさいな」

「……了解しました。では、失礼します」

「お嬢様ありがとうございます!」

 そう言ってフランカさんとビアンカは、カードコーナーへと向かっていく。私はすれ違いざまに、フランカさんに「初めてカードを買いますって店員に言うと良いですよ」と助言をしておく。初心者向けのスターターパックを紹介してくれるからな。

 さて、残った私達も店員を見つけて、ゼリンに取り次いでもらわないとな。
 私は店舗を見渡して店員を探す。

「何かお探しですか?」

「おうっ!?」

 不意に横から声がかかる。声のした方向へ振り向いてみると、そこには店員の制服を着た十二歳ほどの幼い少女がいた。

「って、カーリンじゃないか」

「はい、いらっしゃいませ。どうしたんですか? 侍女の制服なんか着て」

 カーリン。王城勤めの下女だ。
 私はそんなカーリンに向けて、彼女の疑問に答えた。

「今日は侍女として主人に付いてきたんだ。それよりもカーリンこそ、その格好はなんだい?」

「今日は下女の仕事はお休みですから、実家のお手伝いです」

 それはまあ、なんとも偉いことだ。手に職を持って王城で働いて、さらには実家の手伝いもするなどと。以前、王都の店のことを詳しく知らないと言っていたから、それを気にして手伝うようになったのかな。
 私が感心している間にも、カーリンは言葉を続ける。

「後宮の担当になったというのは本当だったんですねー。本日はお買い物ですか? ご希望の品があればご案内しますよ」

「いや、実はゼリンと面会する約束があるんだ。取り次いでもらえないか」

「父さんとですか。解りました。取り次いでまいりますので、お呼びするまで商品でもごらんになってお待ちくださいな」

 そう言ってカーリンはすっとその場から消えた。相変わらず忍者のような存在感のなさである。
 店員への言付けも終えたので、私はパレスナ嬢へと振り返る。

「店員に取り次いでもらいましたので、それまで適当に商品でも眺めていましょうか」

「解ったわ。それにしてもキリン、さすが店員と仲がいいのね」

 あれほど仲がいいのはゼリン以外ではゼリンの息子かカーリンくらいなものだけれどね。

「じゃ、画材でも見て回りましょうか」

 そうパレスナ嬢が行き先を希望したので、私達四人はぞろぞろと画材コーナーへと向かう。
 地上四階建てのティニク商会だが、画材はここ一階に売っている。
 一階には他にも玩具コーナー、カードコーナー、書籍コーナーがあり、書籍コーナーでは最近漫画を強く売り出している。
 その漫画売り場の隣に、画材コーナーはあった。漫画を一般人にも描かせようとしているのだろうか。

 画材コーナーにさしかかると、先客としてドレスを着た貴族の女性とそのお付き達が商品を眺めていた。
 画材を見て回る貴族令嬢か。パレスナ嬢みたいに絵画をたしなむ変わり者か?

「モルスナお姉様? どうしたのこんなところで」

 貴族の女性に向けてパレスナ嬢が、そう呼びかけた。
 画材を眺めていた女性は、ぴくりと反応してこちらへと振り向く。

「あら、パレスナじゃないの。貴女も画材を買いにきたのね」

 そうパレスナ嬢に親しげに話してくる女性。
 モルスナお姉様。パレスナ嬢は彼女に向けて確かにそう言った。
 パレスナ嬢と雑談をしているときに、一度聞いたことのある名だ。

 確か、パレスナ嬢の父でアルエカット公爵の妹。つまりパレスナ嬢の叔母だ。歳は若く、十七歳とパレスナ嬢の一個上である。
 そして王妃候補者の一人でもある。紫陽花の宮の主だ。

 そんなモルスナ嬢は、パレスナ嬢に似た長い金髪の毛先をくるくると巻いた巻き髪にしている。何故かその髪型から、前世の工具であるドリルが連想された。

「私は店主に用があるの。モルスナお姉様は画材を見ているようだけれど、お姉様って絵画を描くの? 初耳」

 そうモルスナ嬢に語りかけるパレスナ嬢。だが、モルスナ嬢は首を振って否定した。ドリルがぶるんぶるんと揺れる。

「いいえ、違うわ。私が描いているのはマンガよ」

「『マンガ』? 何かしらそれ?」

 どうやらパレスナ嬢は漫画を知らないようだ。
 そうだな、小説もほとんど読んだことがないのだから、その派生として売り出している漫画を知らなくてもおかしくないのか。

「マンガというのは……そうね。絵で読む小説みたいなものよ」

 そうモルスナ嬢が説明するが。

「絵本みたいなのかしら?」

 と、パレスナ嬢は理解出来ないようだった。
 まあ、漫画って言葉で説明するのは難しいよな。

「違うわね。そうね……今度後宮でどんなものか教えてあげるわ」

 と、モルスナ嬢はこの場での説明を放棄したようだった。
 そして、モルスナ嬢は続けてパレスナ嬢へと話し続ける。

「しかし、後宮生活を満喫しているようで安心したわ。こうやって侍女と一緒に城下町に遊びに来るほどですもの」

「ええ、楽しんでいるわ」

 にっこりと笑うパレスナ嬢。
 私が後宮に来てから四日目だが、確かにパレスナ嬢は本当に楽しそうに日々を過ごしている。
 仕える側としても主人が明るくて機嫌が良いのは、とても素晴らしいことだと言えた。

「兄さんに家を追い出されたと聞いたときは、あいつどうしてやろうかと思ったけど」

 そうモルスナ嬢が言葉を漏らす。
 ああ、そうだ。カヤ嬢が以前言っていた。
 エカット公爵家の一人娘は今の公爵夫人にとって前妻の子で、きっと疎んだ夫人が後宮に押しつけたのだろうと。

 だが、それをパレスナ嬢は否定した。

「追い出されてないわ。私は陛下のお嫁さんになりにきただけ」

 その言葉に、モルスナ嬢はぱちくりと目をまたたかせた。

「あら、そうなの。貴女と兄さんの後妻との仲は?」

「あの人はそもそも、お母様の妹なの。だから私は疎まれてはいないわ。行かず後家だったあの人に、お父様が母様の面影を重ねたんじゃないかしら」

 良かった。カヤ嬢が期待していたような、昼ドラのような裏事情は存在しなかった。
 そんな思わぬエカット公爵家の内情に、モルスナ嬢はにやにやと笑みを浮かべる。

「あらあら、本当に? 結婚式には行かなかったけど、どうせなら顔を出して弄ってやればよかったわ!」

 そう言って、からからと面白げにモルスナ嬢は笑った。

「モルスナお姉様が結婚式に来なくて、お父様は寂しそうにしていたのよ」

「いいのよ別にそんなの。歳が離れてるせいか妙に溺愛してくるけれど、あっちもいい歳なんだから、妹離れくらいしてほしいものだわ」

 私の中でのエカット公爵像がどんどん歪んでいくぞ。前妻の妹に入れ込んで、そして娘と一歳違いの妹を溺愛するシスコン。
 偉大なゼンドメル領の公爵がそんな人物だったとは……。
 うむ、聞かなかったことにしておこう。

「で、楽しんでいるとのことだけど、後宮での生活はどうなの? 何やらよくないことが起きていると耳にしたけれど……」

 と、モルスナ嬢が話題を変える。
 やはり、嫌がらせの件は話が広まっているのか……。同じ後宮に住んでいるのだから、話も届くか。
 そんな話題に対し、パレスナ嬢は笑顔で答える。

「大丈夫よ。すこぶる調子がいいわ。最近は王城から新しい侍女も入ったしね。キリン、挨拶して」

 む、話を振られた。
 パレスナ嬢の後ろで控えていた私は一歩前に出ると、侍女の礼を取った。

「初めまして。パレスナ様の侍女となりました、キリン・セト・ウィーワチッタと申します。キリンが名前です」

「まあ、ゼリンから話は聞いていたけれど、本当にあの庭師が侍女になっているのね。モルスナよ。よろしく」

 む、ゼリンから?

「モルスナ様はゼリンとお知り合いですか?」

「ええ、ゼリンの頼みでマンガを描いているの」

 ああ、漫画を描いているって、アマチュアの趣味とかの話ではなく、もしかしてプロだったりするのか。
 一流の画家であるパレスナ嬢といい、どうなっているんだエカット公爵家。

「左様ですか。失礼ですが、どのような作品を?」

 何を描いているのか気になったので、そう私は尋ねてみた。
 するとモルスナ嬢は誇らしげな顔をして答える。

「『令嬢恋物語』を描いているわ」

「ああ、宿舎の同室の侍女が愛読しているので知っています。確か作者名はゼンドメル・モルナ・エヒメルでしたね。私も読ませてもらっています」

 モルスナ嬢のフルネームはキウィン・モルスナ・エカット・ボ・ゼンドメルのはずだから、あからさまなペンネームだ。
 『令嬢恋物語』はいわゆる少女漫画で、貴族だけでなく平民の女性にも愛読者がいる人気の作品だ。まさか作者がこんなところにいたとは。
 貴族令嬢が主人公の物語であるし、貴族の風習についてもリアルに描かれていた。なので、作者が実際に公爵家血縁のご令嬢であると言われれば、おおいに納得できるのである。
 なので、そこのところを言ってみた。

「真に迫った貴族の描写も、モルスナ様が作者となれば納得いきます」

 そんな私の言葉を受けて、モルスナ嬢は満面の笑みを浮かべた。

「あら、読者だったのね。嬉しいわ、読んでいてくれて」

「なになに、なんの話かしら?」

 私とモルスナ嬢の会話に、興味深げにパレスナ嬢が割り込んできた。
 そんなパレスナ嬢に、私は説明を入れてあげる。

「モルスナ様は、女性に人気の絵物語の作者なのです。漫画本はこの店舗にも売っていますよ」

「あら、『マンガ』ってやっぱり本なのね。絵本と違うっていうなら、どんなのか気になるわね」

「それなら、書籍コーナーでちょっと見てみる?」

 先ほどは後宮で漫画を見せると言っていたモルスナ嬢が、そんな提案をした。
 その提案に、パレスナ嬢はすぐさま乗った。
 そしてモルスナ嬢のお付きと一緒にぞろぞろと移動しようとしたそのときだ。

「お嬢様ー買えましたー」

 ビアンカが手にトレーディングカードゲームのスターターパックを持って、パレスナ嬢に駆け寄ってきた。
 後ろからフランカさんも歩いて近づいてくる。

「あら、良かったわね。それ、私の絵は載ってるの?」

「判りませんー」

「そうなの。どうせなら私の絵が使われているカードを持ってほしいわね。遊んではみたの?」

「まだですー。遊戯席にいる人、どなたも熟練者っぽくて……」

 そう言ってしょぼんと落ち込むビアンカ。
 そんなビアンカに対し、私は助言を一つしてやる。

「スターターパックを持って店員さんに教えてくださいって言えば、初心者講習をしてもらえますよ」

「本当ですか!」

 ビアンカの顔がぱあっと明るくなる。

「まだゼリンとの面会は済んでいませんから、その間に受けてくると良いですよ、講習」

「行ってみます!」

「フランカさんも、付いていってあげてください」

 そう、ビアンカの後ろにいるフランカさんにも言っておく。
 フランカさんはパレスナ嬢の隣にいるモルスナ嬢のことをちらりと見ると、侍女の礼をし、ビアンカを伴ってカードコーナーへと戻っていった。

「ビアンカも元気そうでなによりね」

 モルスナ嬢はそう言って笑った。
 フランカさんとビアンカの親子は公爵家の分家の出だというから、モルスナ嬢とも知り合いなのだろう。

 そして、私達は改めて書籍コーナーへと向かう。
 書籍コーナーには本棚が並び、いくつもの本がそこに陳列されている。
 そして、本棚の手前には本がいくつか平積みされており、その表紙の題字とイラストを客に晒していた。この表紙絵を前面に見せる平積みの並べ方は、私が前世の知識で教えたものではなく、ゼリンが自分で考え出したものだ。奴の商才がまぶしい。

 書籍コーナーのいたるところには、立ち読み厳禁と書かれた札が掲げられている。
 紙が安価になり平民でも手を出せるものになったと言えども、それでも本はやや高めの娯楽だ。立ち読み目的の迷惑客が後を引かなかったのだろう。

 そんな書籍コーナーの一画、漫画売り場へと私達は辿り付いた。平積みの漫画本を眺めていた平民の女性が、貴族集団の登場にぎょっとした顔をするが、モルスナ嬢は気にもせずに平積みされた一冊の本を手に取った。

「これが私のマンガ、『令嬢恋物語』の最新巻よ」

 漫画雑誌の類はまだ存在しないので、単行本が作品の初出となる。
 ヒロインの令嬢とヒーローの貴族令息が一緒に描かれた、少女漫画の表紙をまじまじとパレスナ嬢が見つめる。

「独特の絵柄だけれど、モルスナお姉様ってこんな水彩画を描けたのね」

「表紙は良いから、中身を見なさい」

「え、でも立ち読み厳禁って……」

「確認するくらいは良いのよ」

 モルスナ嬢に促されて、パレスナ嬢は表紙をめくった。
 そして――

「ほあっ!? なにこれなにこれ!?」

 お嬢様は異文化に出会った。

「えっ、あ、こうやって読むと……ふわあ、全部が挿絵で台詞が浮かんでて、なにこれすごいっ!」

 興奮するパレスナ嬢。
 それを見てモルスナ嬢は笑みを浮かべる。

「どう、気に入った? 買うかしら?」

「買うわ! 新基軸よ!」

 読者獲得ね、と笑うモルスナ嬢。モルスナ嬢のお付きは、そんな主の様子を誇らしげにただじっと見守っていた。
 そんな書籍コーナーで騒ぐ私達のもとに、気配が希薄な店員が近づいてくる。
 カーリンだ。護衛達はその存在に気づいていない。

「お楽しみのところ申し訳ないですが、店主の準備が整いました」

 突然かけられた声に、護衛達はぎょっとして身構える。大丈夫。ただの忍者店員だから。

「ああ、解った。パレスナ様! ゼリンと面会しますので、そこら辺で終わりにしてくださいませ!」

 パレスナ嬢に近づいた私は、そう彼女に呼びかけた。

「ええっ、マンガはどうするの!?」

「面会が終わったら、『名探偵ホルムス』と一緒に買いましょう」

「ああ、そうね。そうだったわね。モルスナお姉様。申し訳ないけれど、これからゼリンと面会があるので、お先に失礼するわ」

「ゼリンと面会? 何か面白そうね。私も付いていっていいかしら」

 モルスナ嬢の言葉に、パレスナ嬢がこちらをちらりと見てくる。
 私はその視線を受けて、適当に答えた。

「まあ、相手はゼリンのやつですし構わないでしょう。な、カーリン」

「来客室は広いので問題ありませんよ」

 そういうわけで、カーリンに案内され、私達は大勢で連れだって店の奥へと向かう。
 本来は店員しか入れないバックヤードに入り込み、来客室へと通される。
 すると、そこには――

「あーら、いらっしゃい。お待たせしちゃったかしら」

 カーリンと同じエメラルドグリーン色の髪。頭脳労働者を表わすヒゲづらに、引き締まった細身の筋肉を持つ中年の男性。ティニク商会の商会長、ゼリンが私達を待ち受けていた。

「あら、モルナ先生もいらっしゃるのね。歓迎するわ」

 モルスナ嬢に向けてウインクをするゼリン。
 王都で一、二を争う豪商と名高い男は、オネエであった。



[35267] 42.反省侍女
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2020/10/27 05:29
 ティニク商会の来客室で、私達は商会長のゼリンに遭遇した。
 いや、遭遇って言い方が物々しいな。でも、遭遇と言いたくなるくらいには強烈な人物だ。

「さ、まずは座って座って」

 お高そうな椅子へ、ゼリンはパレスナ嬢とモルスナ嬢の着席を促した。お嬢様二人はその言葉に素直に従って、椅子に座る。

「侍女さん達も座って。護衛さんまで座れとは言わないから、ねっ」

 そうゼリンに促され、私も椅子へと座る。モルスナ嬢のお付きの侍女もだ。
 その様子に満足したのか、ゼリンは来客室へと私達を案内したカーリンに「お茶の用意をお願いね。座ってる子達のぶんよ」と頼んだ。中年男性の口から発せられる麗しい女言葉はなかなかにインパクトがある。
 ちなみにゼリンはオネエであるが、性の興味は女に向いているストレートだ。結婚して息子と娘がいるからな。愛妻家でもあるので、美少女である令嬢達とどうこうなるということもないのだが。

「で、キリンちゃんの手紙によると、パレス先生が本の挿絵に挑戦したいとのことだったわね」

「ええ、そうよ。画家たるもの一度は挑戦しないとね」

 早速とばかりに話を切り出したゼリンに、パレスナ嬢が反応する。
 ゼリンはそのパレスナ嬢に向けて言葉を続けた。

「単刀直入に言うと、高名なパレス先生に挿絵を描いてもらえるとなれば、売上増は見込めるし歓迎したいところだわ」

「ふふん、そうよね」

「でもね、先生。貴女、モノクロイラストって描けるのかしら。それだけが心配」

 眉をひそめるオーバーな仕草で、ゼリンがそう言った。
 パレスナ嬢は一瞬押し黙り、そして声を絞り出すように言った。

「……鉛筆でクロッキーやデッサンは死ぬほどしてきたけど、そういうのじゃないわよね?」

「そりゃあ当然よ。パレス先生、うちの商会が出してる小説って読んだことある?」

「先日『名探偵ホルムス』を全巻と『ぼくら少年探偵団』を読んだわ」

「あら、嬉しい。あれを読んだことがあるなら解ると思うけれど、値段を抑える都合上、印刷物の表紙以外の挿絵って黒しか色を出さないの」

「ええ、解るわ」

「だから、黒い線画のみで一枚のイラストとして成り立たないといけない。先生、できるかしら?」

「……勉強中よ! でも、すぐにものにしてみせるわ!」

 二人の会話は順調に進んでいる。そんな最中、カーリンの手によって茶が運ばれてくる。
 冬なので温かい茶だ。それも一等級の茶葉(この国の言葉で『カーターツー』という)なのだろう。美味い。

「んー、そうね」

 ゼリンはやや言葉を溜めて、今度はモルスナ嬢の方へと顔を向けた。

「モルナ先生、確かパレス先生の親類だったわよね」

「ええそうよ」

 飲んでいた茶を置きながら、モルスナ嬢が答えた。そんな彼女にゼリンは言った。

「パレス先生の練習を見てあげることってできるかしら?」

「問題ないわ。今、私とこの子は後宮に詰めているから、ご近所さんよ」

「そうだったわね。なら、お願いするわ」

「ええ、任せて」

 頷くモルスナ嬢に向けて、パレスナ嬢は嬉しそうに言う。

「モルスナお姉様、感謝するわ」

「ええ。でも、私の指導は厳しいわよ」

「絵のためならいくらでもよくってよ!」

 三人の会話を聞きながら、茶と一緒に出された茶菓子を食べる。ってこれ、チョコレートじゃないか。
 前に一度とある部族のところで食べたことがあると言った程度なのに、輸入に成功していたのか。これは、売れるだろうなあ。
 ここティニク商会本店の地下一階スペースには、輸入の食料品が多数並べられており、それらの珍しい食べ物を貴族や豪商がこぞって買いあさっているらしい。ゼリンは葉の大陸を渡る隊商に出資をして、他国と取引をする貿易商でもあるのだ。

「こちらは新シリーズを予定してる作家先生達に、いくつか打診してみるわ。まあ、パレス先生ほどの実績があるなら、確実に通ると思っていてちょうだい」

「やったわ!」

「なので、腕前を仕上げるなら、早めにね。作家先生にはこちらで所持している絵画を見せるけれど、モノクロイラストのサンプルがあったほうが作家の反応もいいわ」

「任せてちょうだい!」

「パレスナ、帰りにイラスト用の画材も買っていくわよ」

 と、茶を楽しんでいる間に、話はどうやら上手くまとまったらしい。
 私が余計な口出しをすることもなくまとまって、よかったよかった。

「そうだ、『名探偵ホルムス』を読んだなら、こういうのがあるわ」

 ゼリンが懐から長財布のようなものを取り出すと、そこから一枚の紙片を抜き出した。
 何かのチケットのようだ。なになに、演劇『名探偵ホルムス 王都イブカル殺人事件』ボックス席割引券。へえ、そういうのがあるのか。

「公爵家のご令嬢方に割引券なんてあれだけれど、見にいく切っ掛けにね。どうかしら。もし今日見にいくなら、午前の部でも今から十分間に合うわ」

「あら、ありがとう。そうね、せっかく城下町に出たのだから、観劇もいいわね」

 パレスナ嬢は嬉しそうに割引券を受け取った。
 それを横で見ていたモルスナ嬢は、パレスナ嬢へと話しかける。

「私もご一緒していいかしら」

「ええ、是非!」

 そういうことになった。商会に行き終わってからの予定は何も立てていなかったので、丁度よかったのではないだろうか。一応、薔薇の宮の料理長には町で食事を取るとは言っていたのだが。

 ゼリンへの用事も終わり、これでこの面会は終了となった。
 みな席を立ち、来客室から出ようとする。すると、ふとゼリンから私に向けて声がかかった。

「そうだ、キリンちゃん。秋の収穫が終わってそんなに経っていないのに、穀物の値段があまり下がっていないわ。何か知らないかしら」

「穀物の値段?」

 ゼリンの言葉に、足を止める私。こいつ、また私から何か有益な情報を引き出そうとしているな。
 穀物が値がどうこうするなんて……当然のように戦争が思い当たるが、国王からは何も聞いていない。

「何も知らないな。でも、鋼鉄の国とは緊張状態が続いているのは確かだ」

 六、七年ほど前から、この国と、鉱物の産出国である鋼鉄の国との関係がこじれている。
 以前王宮の壁に張り付いていて私に撃退された間者も、聞くところによると鋼鉄の国の者だったらしい。

「戦争があるとしたら、嫌ねえ」

「冬が終わったら雨期だから、この国ではすぐには起きないんじゃないか。友好国に輸出でも増やしているとか」

 そうなると友好国で戦争が起きるかもということだが、それは正直どうでもいい。
 庭師は戦争に介入すべからず。戦争は善意を生まないからな。庭師を辞めた今でも、私の免許は失われていない。この国で戦争が起きたとしても、私は戦争非介入を貫くだろう。勇者アセトリードなんかはばりばりに戦争介入するものだから、昔、後処理に困った覚えがある。

「ま、何かあったら知らせてちょうだいね」

「解ったよ」

 情報を渡したら、その情報でまたこいつは一儲けするんだろう。
 商人ってやつは怖いね。今の私は何も気にすることなく、ほのぼの日常生活を送れてさえいればいいよ。

 私はそれで話を切り上げて、先に退室したパレスナ嬢を追う。
 パレスナ嬢とモルスナ嬢達一行は画材コーナーに向かっており、早足で追いついて列に加わる。

 お嬢様二人は、画材コーナーに付くと、会話をしながら漫画用道具の棚でペン軸やペン先を見て回る。
 そしてしばらくすると、カードコーナーの方角から、フランカさんとビアンカの親子が満面の笑顔でこちらへ向かってきた。

 パレスナ嬢は画材選びをしているため、私が二人に対応する。

「どうでした? 楽しかったですか?」

「はい、すごかったです! ぴかぴかーって光って! ルールは……教本を買ったので頑張って覚えます!」

「そうですか、良かったですね。教本と言えば、折り紙の教本を買ってあげる予定でしたね。後で玩具コーナーに寄らせてもらいましょうか」

「ありがとうございますー」

「キリンさん、ありがとうございます」

 そうして私達はティニク商会での買い物を思いっきり満喫したのだった。



◆◇◆◇◆



 演劇を見終わった。内容はパレスナ嬢達の満足のいくものだったらしい。モルスナ嬢は『名探偵ホルムス』を読んだことがなかったらしいが、それでも楽しめていたようだ。
 ボックス席だったので舞台が遠く、お嬢様達はオペラグラス(道具協会監修済)を使っていたが、私は魔人の特性か視力が良いのでそのまま見た。
 さすがというべきか、ホルムス役は美形だったし、ワトー夫人役は美女だった。巷でのホルムス人気には、この演劇も一役買っているのではないだろうか。

 そして観劇を終えた私達は、昼食を取るため食事処に入った。
 店へ先導したモルスナ嬢のお付きによると、貴族がよく通う有名店であるらしい。
 主達二人のお嬢様を豪勢な椅子に座らせ、私達侍女はその対面にまとまって座る。
 この国の侍女のマナーでは、外食時、侍女は主と食事を共にして良いことになっている。さすがに下女まで同席は許されないが。護衛は護衛なので、お嬢様達の背後に控えている。お昼時でお腹がすくだろうけど、頑張って。

「演劇を見るのも久しぶりだけど、悪くないわね!」

 そうパレスナ嬢が楽しげに言う。食事を待ちながら演劇の感想を言おうという趣旨だ。

「さすが王都の劇団は、ゼンドメル領のよりクオリティが高いわね」

 と評価するのはモルスナ嬢だ。

「へー、演劇に行ってたんだ」

 などと言うのは……誰だ、男の声だ。
 私達は声のした隣のテーブル席へと視線を向ける。するとそこには、下町貴族ファッションに身を包んだ国王がいた。何やってんだこいつ。
 まだらに染めた髪に、刺青とも相まって、完全に身を持ち崩した下級貴族の次男坊三男坊にしか見えない。

「陛下、何故このような場所に」

 モルスナ嬢が唖然とした顔で、そう国王に問いかけた。

「んー、城下町の視察。国王たる者、たまには市井を市民目線で見ないとね」

 国王の周囲を確認してみるが、視察にしてはいつも側にいるはずの秘書官がいない。
 私は、国王に同行していたらしい近衛騎士のオルト(何故か護衛として立たずに席に着席している)に視線を送るが、彼はただ黙って首を振った。ああ、やっぱり抜け出してきたのね。
 でも、近衛騎士達がそれを黙って見過ごすとは思えないので、この店の周囲は近衛騎士達で固められていることだろう。

「陛下」

 パレスナ嬢はそう言いながらゆっくりと立ち上がると、隣の席の国王の前へと立つ。
 すると、国王も席から立ち上がり……。

「いえーい」

 二人は何故かハイタッチをした。タイミングはばっちりだ。
 そしてパレスナ嬢は席に戻ると、何事もなかったかのように座った。国王も着席している。なんだったんだ今のは。

「今日も陛下は元気そうでなによりね!」

 パレスナ嬢、国王相手に敬語を使わないのか。
 この国王、私にも敬語を使うなと言うくらいだからなぁ。

「元気だよー。で、何の演劇観てきたの?」

「『名探偵ホルムス』よ!」

 テーブルの隣席同士で、国王とパレスナ嬢が会話を始めた。
 モルスナ嬢は恐縮した面持ちでそれを見守っている。

「へー、ホルムス。巷で人気の小説が原作だっけ。小説はあまり読まないなぁ」

 そうコメントする国王だが、私は知っているぞ。小説は普段あまり読まないけれど、難しい学術書は平気で読める活字の強者だということに。

「小説を読んだことがない人でも、あの演劇は楽しめるようよ。ね、モルスナお姉様」

「ええ、そうね」

 パレスナ嬢に突然話を振られても、落ち着いて返答するモルスナ嬢。国王を目上の人と思って恐縮はしていても、過度の緊張はしていないようだ。
 それもそうか。後宮にいるなら国王とも普段からコミュニケーションを取っているはずだからな。

「演劇かぁ。午後から見にいきたいけど……駄目?」

 オルトの方へと振り向く国王。だが、オルトは無慈悲に首を横に振った。

「さすがに、一日中外出というわけにはまいりません。執務が滞ります」

「はー、まいるねこりゃ。仕事休んで温泉旅行にでも行きたいよ」

 やれやれ、と国王は背もたれに背中を押しつけてのけぞった。

「結婚したら、私がいろいろ手伝ってあげるわ!」

 そう言葉を発するパレスナ嬢。それを受けて国王は嬉しそうに口角を上げる。

「そりゃありがたいね! それならパレスナ。モルスナを始め、後宮の皆にいろいろ学ぶんだよ」

「ええ、もちろんよ」

 もしや、国王とパレスナ嬢の婚姻は、半ば決まっているものなのかな、これは。
 モルスナ嬢も特に表情を変えずに話を聞いているし。後で二人の馴れ初めでも聞いておこうかな。

 やがて、食事が私達のテーブルへと運ばれてきた。当然侍女の私達ではなくお嬢様二人を優先して配膳されている。

「ここの店はねー。魚の蒸し焼きが絶品なんだ」

 すでに半ばまで食事を終えている国王がそう言った。
 パレスナ嬢は目の前に広げられた皿の中から、魚の蒸し焼きがあることを確認する。魚とは珍しいな。王都民は肉ばっかり食べているのに。

「なるほど、詳しいのね」

「よく通うからね」

 何やっているんだ国王。もう王太子じゃないんだから、あまり抜け出すんじゃあない。秘書官が憤死するぞ。

 そうして私達は国王と近衛騎士達に見守られながら食事をし、食後に少し会話をして別れるのだった。
 そしてその後の予定も特にないので、モルスナ嬢の案内で適当に宝飾店などを見て歩き、適当に切り上げて王城へと馬車で戻った。
 外出の成果にパレスナ嬢は大満足で、薔薇の宮に戻ってからも彼女の機嫌はずっと良かったのだった。



◆◇◆◇◆



「公爵の後妻は前妻の妹で、パレスナ様は別に疎まれてなんかはいないんだ」

 仕事を終え、夕食を済まして風呂も終え、宿舎の自室であとは寝るだけとなった私は、同室のカヤ嬢にエカット公爵家のお家事情を説明していた。
 主の情報を他者に漏らすのは褒められたことじゃないが、今回ばかりはカヤ嬢に説明しておく必要がある。

「だからカヤ嬢、憶測で誤った家庭の事情を吹聴したこと、反省するように」

「ええ、解りましたわ……」

 カヤ嬢は以前、私とククルのいる前で、公爵令嬢は前妻の子なので疎んだ夫人が後宮に押しつけた、などという妄想を口にしていた。
 下手をしたら、名誉を傷付けられたとして、カヤ嬢の実家エイワシ伯爵家とエカット公爵家の間の問題になったかもしれない。カヤ嬢には深く反省してもらわないと。

「あの話をしたのはククルと私以外にいるか?」

「いませんわ」

「私は誰にも漏らしていない。ククルにも確認しておくから、もう恋愛思考で間違った情報は流さないようにな」

「はい……」

 カヤ嬢はしょんぼりと肩を落としている。彼女も若い女子なので、噂話が好きなのは解っている。でも、締めるところは締めないとな。気がついたら主の嘘の醜聞が流れていましたとか、嫌だし。
 さて、ククルはまだ寝ていないだろうから、ククルにちょっと話をしてくるか。
 私は侍女のドレスから着替えた普段着で、部屋を立ち去ろうとする。すると。

「後妻は愛した前妻の妹。ふと前妻の面影を今の妻に求めてしまい、それを拒否する妻。すれ違う二人……。お互い愛し合っているのに……」

「そこっ! 妄想しない!」

 さっそく恋愛に頭を浸し始めたカヤ嬢に釘を刺しておく。
 やれやれ。生の人間じゃなくて、創作上の恋愛関係で満足してくれないかね。『令嬢恋物語』のモルナ先生頑張ってくれ。

 とりあえず、ククルをこの部屋まで呼び出して事情を説明して、後はゆっくりしよう。
 明日は休みだ。のんびり羽を休めることにしよう。



[35267] 43.学習侍女
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/11/27 23:29
 日帰り温泉旅行は楽しかった。久しぶりに一人でゆっくりできる機会を持てて、大満足である。
 この王都周辺は温泉が世界樹の恵みとして産出されているから、温泉宿に困らないのが良い。予約を入れていなくても即日で泊まれるのだ。
 朝から宿に入り、何度も温泉に浸かって、朝昼と食事を楽しんで、泊まらずに帰ってきた。冬の寒空の下での温泉は、格別にいいものであった。当然酒も楽しんだ。

 さて、休みを満喫したので、今日からまた仕事を頑張ろう。
 侍女宿舎で温石を受け取り、懐を暖めながら後宮へと入る。薔薇の宮では、パレスナ嬢が何やらいつもとは違うドレスに着替えていた。今日の午前は絵画の時間ではないというのだろうか。

「本日は白菊の宮にて、ダンスの練習を行います」

 そう侍女のフランカさんに予定を教えてもらう。
 白菊の宮。確か、その宮の主は……。

「バルクース伯爵のご令嬢の宮殿でしたね」

 私の言葉に、フランカさんは頷く。

「はい、バルクース家のミミヤ様が白菊の宮の主です」

 バルクース伯爵家。バルクースとは芋のことである。芋といっても地中で育つ地下茎ではなく、実のように芋が実る。
 バルクース伯爵家の領地スイーヌは、そのバルクースの一大産地だ。ゆえに、名産品から名前を取って家名としてたらしい。古くから王家を作物で支える歴史ある貴族だ。
 そして、古い貴族なだけあって……。

「ミミヤというか、バルクース家はダンスの名手なの。ダンスパーティなんかでは、バルクース家の者と踊れることが貴族の誉れとされているのよ」

 と、パレスナ嬢に説明される。そう、この国には社交ダンスの文化がある。
 社交ダンスは貴族のみに伝わる文化だが、その歴史は古い。
 以前、王太子時代の国王と一緒に遺跡から発掘したこの国の建国史でも、ダンスを踊る場面が出てきた。

 なんでも、建国王は人心を乱した悪魔を倒し、その刈った首を人々から隠し敵軍の死骸と共に埋め、その上で恋人と一緒にダンスを踊ったと史料にはある。本当に血なまぐさい建国史である。
 そして、バルクース家はその建国当時から続く貴族の家らしい。本当だとしたらその歴史は八百年以上だ。すごいことである。

「ま、運動不足になってはいけないし、たまにはダンスも悪くないわね」

 パレスナ嬢はそう言って薔薇の宮を出発した。
 目指すは白菊の宮。護衛は昼番担当のフヤである。彼女とはあまり会話を交わしたことはない。先日城下町に行ったときにも護衛として付いてきていたのだが、始終無言だった。

「あら、雪ね」

 と、白菊の宮に向かう道中、空から雪が降ってきた。それに気づいたパレスナ嬢が、空を見上げている。

「積もったら、いい風景画が描けそうね。『雪の後宮』なんてね」

 パレスナ嬢は嬉しそうにそう言うと、視線を前へと戻し、また歩き始めた。
 そして、ふとパレスナ嬢は疑問をこぼした。

「でも、雪が降るのだったら、今月の陛下とのお茶会はどこでやるのかしら?」

 国王とのお茶会。そんなものがあるのか。初耳だ。

「どこかの宮を使って行うのではないでしょうか」

 白菊の宮行きに同行していたフランカさんが、そうコメントする。ちなみに今日はビアンカも同行している。
 午前は下女の掃除があるはずだが、侍女が薔薇の宮に誰も残らないとなると、誰が監視業務をするのだろう。護衛の誰かがやるのかな。

 そんな会話をしつつも、白菊の宮へと到着する。入口でノッカーを打ち、侍女に中へと案内されると、入口すぐの広間ではすでにミミヤ令嬢らしき貴族の女性が待機していた。燃えるような赤髪を頭の上で編んでいる二十歳ほどの女性。ドレスは古風なものだが、けして古くさくなく上品なものとなっている。

「ごきげんよう。お待ちしておりました。外は寒かったでしょう。部屋は暖めてありますから、どうぞコートをお脱ぎになって」

 そう令嬢に歓迎される。
 そして白菊の宮の侍女に促されて、私達はコートを脱いだ。

「では、早速始めましょうか。まずは軽く、基本のステップからにしましょう」

 と、貴族の女性、推定ミミヤ嬢がいきなりダンスの練習を開始した。
 ここでやるのか。確かに、宮殿で一番広い場所はこの入口すぐの広間である。余計な物は何も置かれておらず、さらには壁に姿見がいくつも置かれている。あれでダンスの姿勢を確認するのだろうか。

 私は、邪魔にならないよう、鏡のない壁際へと退避する。

「はい、1、2、3、1、2、3……って、そこ、何をやっていますの」

 令嬢がこちらを指さして注意をしてきた。
 って、私?

「侍女の貴女。貴女も一緒にやるのですよ」

 え、そうなの? 予め言っておいてよパレスナ嬢。私がパレスナ嬢の方に視線を向けると、忘れてたという顔でこちらを見ていた。
 近くにいるフランカさんは、申し訳なさそうな顔でこちらに謝罪の礼をした。
 ビアンカはきょとんとした、不思議そうな顔で私を見ている。
 こ、この人達は……言うの忘れてたのか……。とんだサプライズだ。

 侍女も一緒にダンスの練習か。なるほど、そういうこともあるのだろう。だけれどね……。

「申し訳ありません。私、ダンスをやったことがなくて……」

 カヤ嬢からダンスの練習をしようとは前々から言われていたのだが、結局やらずに今日まで過ごしてきてしまった。無精によるツケをこんなところで払うことになるとは。

「ダンスをやったことがないなんて、どこの家のご令嬢ですの? そういえば初めて見る顔ですわね」

 令嬢が怪訝な顔をしてこちらに近づいてくる。
 私はとりあえず、令嬢に向けて侍女の礼を取った。

「初めまして。キリン・セト・ウィーワチッタと申します」

「キリン……? 知らない領地ね。外国の方かしら?」

「キリンが名前で、出身はバガルポカルです。侍女になる前は、生活扶助組合で庭師をしていました」

 私の言葉に、令嬢は唇に指を当てて考え込む。

「確か先王陛下の時代に、名誉勲章を与えられたそんな名前の庭師がいたような……でも、6、7年は前だから違いますわね」

 それが私だ。アバルト山の竜退治に貢献したとして、勲章を授与された。
 私は、考え込む令嬢に真実を告げた。

「私、二十九歳ですので。魔法で不老になっております」

「ええっ、どう見ても子供ですのに、私よりも年上なのですか」

 心底驚いた、という顔で令嬢が言った。彼女がこの宮の主であるなら、年齢は十九歳のはずだ。
 そして令嬢はすぐに表情を平静に戻し、私に向けて言葉を放った。

「……では、今日が初めてのレッスンですわね。改めまして、私、リゼン・ミミヤ・バルクース・ボ・スイーヌですわ。ここ白菊の宮にてダンス教室をしていますの」

「はい、よろしくお願いします」

 ミミヤ嬢に向けて、私は改めて侍女の礼を取った。
 ダンスは初めてだが、王城で淑女として働いている以上、いずれは覚えなければいけなかったことだ。良い機会と思おう。

「せっかくですので、マンツーマンでいきますわよ。その歳で踊れないとなっては、社交界で恥をかいてからでは遅いですからね」

 そう私に向けてミミヤ嬢が告げる。
 マンツーマンかぁ。どうも本格的になってきたぞ。気合いを入れよう。
 そんな私をパレスナ嬢は、どこか可哀想なものを見る目で見てきた。
 え、何かあるのこの人?



◆◇◆◇◆



「1、2、3、1、2、3。良いですわね、的確なステップですわ。1、2、3、1、2、3。そこ、また強く踏み込みすぎです!」

 舞(ぶ)は武(ぶ)に通ずというが、その逆の武は舞に通ずるのだろうか。
 とりあえず今は、私の動きのあまりもの力強さに注意を受けている。リズムを取るのはできているんだがなぁ。

 しかし、ミミヤ嬢は、なかなか教えが厳しい。
 叱りとばすとか、平手が飛んでくるとか、そういうものではない。
 ただ純粋に、先ほどから休みなしで私だけ練習が続けられているのだ。

「1、2、3、1、2、3。庭師だけあって体力は十分ですわね。1、2、3、1、2、3。さあまだまだ続けますわよ」

 こ、この人、私の体力の余り具合を解ってて続けてる。体力無尽蔵の魔人じゃなかったら今頃倒れてるぞ。

「1、2、3、1、2、3。優しくそれでいて優雅に。1、2、3、1、2、3。そうそう、やればできるではないですか」

 ミミヤ嬢の手拍子が続く中、一心不乱に基本のステップを続ける。
 そして、とうとうその手拍子は終わりを告げた。

「さ、次は音楽に合わせていくとしましょうか。いきなり他人と踊れとは言いません。ステップを踏むだけで良いですわよ」

 そしてミミヤ嬢は侍女の一人に楽器の用意をさせる。弓で弦を弾く、大きめの弦楽器である。
 楽器が鳴らされ、音楽が開始される。

 この曲は、聞き覚えのある曲だ。
 確か、サマッカ館や王城でのパーティで演奏されているのを聞いたことがある。
 そういうときは決まって、貴族の幼い若君にダンスを申し込まれるんだよな。当時庭師の私にダンスなんて踊れるはずがないのに。

 と、そうだ踊らないと。三拍子の基本のステップをその場で踏む。
 ステップを踏みながら他の面々を眺める。そちらの方々は、ステップだけではなく互いに向かい合ってダンスを踊っている。

 パレスナ嬢。そつなくこなしている。インドア派の運動音痴というわけではないようだ。
 それと組んでいるフランカさん。なんだかすごい上手い。さすがの年の功というわけか。
 ビアンカ。背が低く組める者がいないので、一人で踊っている。ちゃんと上手い。私より上手いので、どうにか追いついて一緒に踊りたいところだ。

 やがて音楽は終わり、私はステップを止めた。
 私の様子を侍女と踊りながら見ていたミミヤ嬢は、私に向かって意見を投げかける。

「やっぱり、ステップが力強いというか、男性的というか……どうにかして矯正しませんとね」

 すみません。動きが男性的なのは、精神が男なせいかもしれないです。
 矯正されすぎるのもちょっと怖いのでほどほどで……。

 その後もミミヤ嬢のスパルタ特訓は続き、私はとうとう人と向かい合ってステップを踏む段階までやってきた。

「キリンちゃんと一緒ですねー」

 ずっと相手がいなかったビアンカが対面だ。踊る相手ができたのが嬉しいのか、ビアンカは笑顔である。
 ビアンカと向かい合うと、露骨に視線の位置の違いが出る。私の方が、背が低いのだ。九歳児に負ける私の背って……。悲しい。
 まあ、そんなことよりダンスだ。身体を密着させるとまではいかないが、近い距離で向かい合ってステップを踏む。

「あいたっ!」

 と、リズムを取り損ねてビアンカの足を踏んでしまった。
 リズム取りだけは上手くいっているつもりだったんだがなぁ。

「痛いですー」

「ごめんごめん」

 ビアンカの足に治療魔法をかけてやる。すると痛みが引いたのか、ビアンカの顔に笑顔が戻った。
 その様子を見ていたミミヤ嬢が、こちらに近づいてくる。

「ほら、力強くステップを踏んでいると、相手の足を踏んでしまったときに、余分な痛みを与えてしまうでしょう? 女性のダンスは美しく軽やかにですわよ」

「はい、解りました」

 ビアンカとの対面ステップはしばらく続き、いつの間にか正午に近い時間になってきた。そろそろ昼飯時だ。

「では、今日のレッスンはここまでとします」

 そうミミヤ嬢がダンス教室の終わりを宣言した。
 はあ、なかなか長かったな……。

「やっと終わりましたー」

 ビアンカは口から魂が抜けそうなほど脱力している。
 私も疲れたな。精神が。体力は全く減っていないのだが、慣れないことをすれば心は疲れるものだ。まあ、肉体を使った運動なので、何回か通ううちに慣れると思うが。
 時間も時間だし、薔薇の宮まで戻ったらすぐに昼休憩かな。
 と、私がそんなことを考えていると。

「では、次は昼食会ですわ。当家のシェフの味を楽しんでいってくださいませ。当然、食事マナーの確認を行いますわ」

 えっ、まだ続くの? 思わずがっくりと肩を落とした。
 とりあえず私は侍女宿舎で食事は取れない旨を伝えるべく、カヤ嬢に向けて伝達妖精を飛ばすのであった。



◆◇◆◇◆



「はー、久しぶりにやると疲れるわね」

 昼食会という名のマナー講習を終え、薔薇の宮に戻った私達は、パレスナ嬢の私室で休憩をすることにした。
 食事の場でも私はミミヤ嬢のチェックを受け、食べ方が男らしすぎると注意を受けていた。女らしい食べ方って何……?

「私は今回あまり注意されなかったです」

 そう嬉しそうにビアンカが言った。普段は注意されるのか。まあ九歳じゃまだマナーとかは不十分だよな。

「今回はキリンさんにミミヤ様の注意が向いていましたからね」

 そうフランカさんに言われる。まあ、そうだよな。明らかに私に付きっきりになっていたよな。
 講師として、初心者に目をかけてくれたのだと思おう。

「さて、では午後は引き続き勉強の時間でございます。数学の復習から」

 そう唐突に告げたフランカさんの言葉に、パレスナ嬢は渋い顔をした。
 午前のダンスレッスンを前にした反応とはだいぶ違う。もしかして、勉強は苦手なのか、パレスナ嬢。
 この国の貴族なら、ビアンカのように幼い頃から侍女になる場合を除き、家庭教師がついて色々学んでいるはずだが。

「数学かー。数字って苦手なのよね」

 なるほど、数学がピンポイントで苦手なのか。しかしだ。

「王族の一員に加わるとなりますと、農学と化学は必ず修めないとならないはずです。そこに数学は密接に関わってくるかと」

 私は王太子時代の国王を思い出して、そうパレスナ嬢に向けて言った。国王は何気に勉強家だったからな。
 私の言葉にパレスナ嬢は気合いを入れたのか、フランカさんの用意した問題集を前に鉛筆を握りしめた。

「キリンさんは、数学についてはどうですか? 庭師ならば語学は堪能でしょうけれど、幼い頃から庭師業をやっていたとなると、この類の学問は習得していないでしょうか」

 そうフランカさんに問われるが。

「大丈夫ですよ。前世では文系ながら大学まで通っていましたし、魔女の塔でもみっちり魔法式に必要な数学を勉強しましたから」

「なるほど、インテリなのですね」

 私の答えに、フランカさんが感心したように言う。
 とはいえ、私の前世の大学時代から考えると相当な時間が経過しているし、魔女の塔での勉強も二十年は前だ。でも、生活に必要な計算はできるため、特に問題集は受け取らないでおく。

「では、ビアンカはこの解説書ですね」

「わーい、私、数学大好きです」

 む、ビアンカは数学が好きなのか。
 四則演算はカードで遊ぶのにも使うので、得意なことに越したことはないぞ。

「キリン、問題解かないなら、私に解説お願いできる?」

「いいですよ」

 パレスナ嬢のヘルプを求める声に、私は素直に応えることにした。
 魂の記憶を読み取る魔法を使い、前世の学生時代の記憶を呼び覚ます。よし、これで数学の知識はばっちりだな!

「キリンさんがいるなら、語学の勉強も行えますね。塩の国がある大陸の言語を教えてもらいましょうか……」

 フランカさんが何やら学習計画を練っているが、まあ私の力になれることなら協力はしてあげたい。
 しかしだ。
 私が外国語を習得する方法って、かなり感覚的なところがあるから他人にどう教えてあげれば良いのか解らないんだよなぁ。
 こればかりは私が前世から持っている特性なので、この世界に合った勉強法というのはどうすれば良いのやら……。

 そうしてこの日の私達は、学習を行うことで一日を終えたのだった。
 王妃候補者の教育って、ゆるいこの世界基準で見てみると大変だ。



[35267] 44.甘味侍女
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2020/10/27 05:30
 とある日の午後、薔薇の宮のアトリエにて、パレスナ嬢は机に向かって絵を一心不乱に描いていた。
 午前中はモルスナ嬢がここに来て、線画の指導をしていた。今はそれを踏まえて一人で練習を行っているのだ。

 だから私はパレスナ嬢の会話係として、物珍しい話題を選んで彼女に向かって語りかけていた。
 フランカさんも興味深げにそれを聞いている。ちなみにビアンカは仕事が休みのため、カードを持って青百合の宮のハルエーナ王女のもとへと向かっている。初心者のビアンカは、一対一で勝敗を決める決闘競技ではなく、複数人数で共に魔物撃破ポイントを溜めて世界樹を育てるという、この世界独自の協力型競技を好んでいるらしい。

「ですから、蟻人は『幹』を牛耳る世界樹の支配種族です。しかし、直接的な動物人種の支配者ではないのです」

 今日の私の話題は、『幹』と蟻人について。地上の人間に開示できるような情報を選んで披露している。

「蟻人は女王蟻人によって生み出され、女王蟻人に従います。女王に従う蟻人には、動物人種を支配しようとする思いはありません」

 ふんふん、とインクをつけたペン先を厚紙に走らせながら、パレスナ嬢は相づちを打つ。
 相変わらず私の話を聞きながら絵を描くという器用なことをしている。受験生が勉強をしながらラジオを聞くようなものだろうか。

「もし動物人種の支配者がいるとしたら、この女王蟻人とその頂点の女帝蟻になるでしょう」

 そう言って私は話を締める。地上では蟻人は滅多に姿を見せないから、珍しい話になっただろう。その眷属である蟻や羽蟻は人々の生活に密接に関わっているのだが。
 そんな話を聞いていたパレスナ嬢は、ペンを走らせる手を止めずに感想を述べる。

「いつかは蟻人の絵も描いてみたいわね。どうにかして会えないかしら」

「王族になれば目にする機会もあると思いますよ。王族って、人と『幹』との橋渡し役ですから」

「そうなの? 今から楽しみね」

 私の返した言葉に、嬉しそうに喜ぶパレスナ嬢。
 やっぱり、国王との結婚が決まっているような言動を彼女はしている。
 彼女の一方的な思い込みとは思えない。城下町で、国王もそれらしいことを言っていたからな。
 となると、どういう経緯でそこまで決まったのかだ。後宮に入ってから二人は仲を深めたのか、それともそれ以前から仲が良かったのか。
 私は、そこのところをパレスナ嬢に聞いてみることにした。

 と、思ったそのときだ。アトリエの扉からノックの音が響く。パレスナ嬢が入室を促しフランカさんが扉を開けると、そこには宮殿の門番をしているはずの女護衛のフヤがいた。

「トリール様がこれからいらっしゃるそうです」

 そう簡潔に述べるフヤ。それを聞き、パレスナ嬢は「あら」とペンを動かす手を止めた。

「ずいぶん急ね」

「先方もそれを詫びていました」

「ま、構わないわ。もっとみんなにも気軽に訪問してほしいし。さ、フランカ。歓迎の準備をしましょう」

 そう言ってパレスナ嬢が立ち上がる。ちなみに今の彼女の格好は、絵の具を使わないとあってか汚れた簡素なドレスではない。このままお客様と面会しても大丈夫だろう。
 私はパレスナ嬢と一緒に来客室へと向かい、彼女の身だしなみをチェックする。
 ちなみにフヤの言っていたトリール様とは、王妃候補者の一人で、牡丹の宮の主である。

 確か、ココッタ公爵家というところの分家の出で、親は公爵家の領地の一部を任される伯爵だったか。
 歳は十五歳と若い。

 そのような情報をパレスナ嬢に改めて確認して時間を潰していると、やがて伯爵令嬢が到着したようだった。
 フランカさんに案内され、来客室へと令嬢と、お付きの侍女が入室してくる。それをパレスナ嬢は満面の笑みで迎えた。

「ようこそ、トリール。歓迎するわ」

「ごきげんようー。これ、お土産の焼き菓子ですー」

 おっとりした感じの令嬢が、布袋をパレスナ嬢の前のテーブルへと置いた。

「あら、ありがとう。助かるわ。貴女のお菓子、ここの宮の皆に人気よ。焼き菓子は日持ちするし嬉しいわ」

「それはよかったですー」

 私はパレスナ嬢の斜め後ろに立ち、改めて令嬢を観察する。艶やかな黒髪を伸ばして後ろに流しており、白いドレスと合わさってとてもその立ち姿が映えていた。

「ま、座って座って」

 パレスナ嬢が着席を促し、素直に椅子へと座るトリール嬢。それを確認したフランカさんは、トリール嬢の持ち込んだ布袋を持って部屋を退室していった。
 お茶を淹れに行ったのだろう。お茶請けにあの焼き菓子を出すのか。

「今日は遊びに来たのかしら? 私はいつでも歓迎よ」

「いえ、違うんです。実はですねー」

 トリール嬢は首を振ってパレスナ嬢の言葉を否定し、言った。

「午前中、陛下とお茶をしておりましたら、『王宮侍女タルト』なるお菓子を知っている侍女さんが、ここにいると聞きましてー」

 おい国王、なに話してんの? そんなに気に入ったのか『王宮侍女タルト』の話。
 『王宮侍女タルト』とは、メイズ・オブ・オナー・タルトという前世のお菓子のことだ。以前、そのお菓子の話を侍女宿舎でしたところ、何故かその話が国王まで伝わったことがある。
 パレスナ嬢には話に心当たりがないのか、不思議そうな声を出す。

「『王宮侍女タルト』? 知らないわね。キリン、何か知ってる」

「はい、知っています。私が情報の出所ですね」

「そうなのですかー?」

 私の言葉を受けて、トリール嬢の表情がぱあっと明るくなる。
 『王宮侍女タルト』の何がそんなに聞きたいんだろう。

「実はですねー、私、お菓子作りを趣味にしていましてー」

「トリールの作るお菓子は甘くて美味しいのよ。お茶と一緒にいただくと最高なの」

 トリール嬢の言葉に、そう補足を入れるパレスナ嬢。
 ほうほうそれはそれは。甘い茶菓子を作るというのは、この国では最先端の道を行く分野である。
 砂糖や蟻蜜を茶に入れ甘くして飲むというのは広く行われているが、渋い茶で甘いお菓子をいただくというのは、あまり行われていない。
 このトリール嬢、なかなかの探究者に見える。貴族令嬢ながら、なかなか変わった趣味をお持ちだ。って、この後宮に来てからこんなことを思ってばかりだな。

「そこで、私の知らない『王宮侍女タルト』というものに興味を覚えて、ついやってきてしまったのですよー」

 トリール嬢はそう告白した。私は「そうですか」と、それに頷く。

 ここで、お茶の用意をしたフランカさんが室内へと入ってくる。すでにお湯は沸かしていたのだろう。素早い対応だ。
 二人にお茶が配られていくのを見ながら、正直に私の持っている情報を出すことにする。

「しかし私、『王宮侍女タルト』を食べたことはあっても、レシピまでは詳しく知らないですよ」

「どういう料理かを教えてもらうだけでいいのですー」

 なるほど。作れなくても未知のお菓子は気になると。
 私はトリール嬢に説明を始める。

「そうですね。まずタルトというお菓子の種類があります」

「それも初耳ですー。『タルト』ですかー」

「タルト生地という麦粉と卵で作った生地に、フルーツなどを載せて焼くお菓子です」

「その『タルト生地』の作り方は知っていますかー?」

「ええ、大丈夫ですよ。まず用意するのは――」

 私は魂から前世の記憶を引き出して、タルト生地のレシピを説明した。

「なるほどなるほど、美味しいのができそうですねー」

 にっこりと笑ってトリール嬢は喜ぶ。
 私は前世で友人の菓子作りを何度も手伝ったことがあったし、今生でも世界各国を巡って様々なレシピを集めてきた。世界のレシピ集とでも銘打った本を出せそうなくらいには知識がある。
 そして、トリール嬢はさらに私に尋ねてきた。

「それで、『王宮侍女タルト』というものはどういうものなのですかー?」

「そうですね。食べたときに受けた説明によるとですね、カッテージチーズと砂糖と卵を混ぜた具材をタルト生地の上に載せて焼いたものらしいです」

「それ、材料ほとんど判ってるじゃないですかー」

 魂の記憶を読み出してみると、そうトリール嬢にツッコミを入れられた。

「分量とかは不明ですよ。だからレシピは知らないです。それに、チーズって解ります?」

「ええ、チーズなら知ってますよー。うちの宮殿にもストックしてあります」

 おおう、この国じゃ一般的じゃない食材のチーズまであるとは、本格的だな。
 未知なる味を想像しているのか、トリール嬢はうっとりとしている。そして、その笑顔のまま私に向けて言った。

「じゃあ、せっかくですから、これから『王宮侍女タルト』を作りませんかー?」

「えっ、作るんですか? 詳細なレシピもないのに」

「そこは挑戦してみましょうー。侍女さんもお菓子にお詳しいということは、お菓子作りをやったことがあるのですよねー?」

「ええまあ、それははい」

 そんな感じで話が決まってしまった。
 それに、茶菓子の焼き菓子を一人、美味しそうに頬張っていたパレスナ嬢が乗ってくる。

「面白そうね! 私も行くわ! お菓子は作れないから味見役しかできないけれど」

「はい、歓迎しますー」

 パレスナ嬢の言葉を受けて、トリール嬢は嬉しそうに両腕を広げた。

「ああっ、後宮は未知のお菓子でいっぱいですー。この間もキリン飴というものを教えてもらいましたしー」

 っておい、カヤ嬢にククル。キリン飴の通称がこんなところに広まっているじゃないか。
 私はすぐさま訂正すべく、トリール嬢に言う。

「その飴、正式にはトラキオという国のトンサヌ・アラキーオンというお菓子です」

「そうなのですかー。覚えましたー」

 正直長くて覚えにくい名前なのに、即座に覚えてくれるとは良い子だな。
 そのままキリン飴という通称は忘れてくれ。

「では、侍女さんよろしくおねがいしますねー。初めてお会いした方ですよね? 私、トリールと申しますー」

「キリン・セト・ウィーワチッタです。キリンが名前です」

「ああっ、ということは貴女がキリン飴の伝道者ー」

「ええまあ、それもはい」

 キリン飴の通称はなかなか払拭できそうになかった。



◆◇◆◇◆



 パレスナ嬢とフランカさんと共に牡丹の宮に訪れ、私は侍女から子供用の料理エプロンを渡される。
 侍女のドレスで菓子作りをするのもここの侍女達は慣れているのか、皆一様にエプロンを着けていた。まあ侍女のドレスはスカートがふわふわしていないから、どこかに引っかけるということもないだろう。髪の毛は侍女帽を被ることで大丈夫、と。
 私はうきうきとした様子のトリール嬢に連れられ、厨房へと入る。そこで私達は手を丁寧に洗うと、まず始めに材料を用意することになった。
 食材庫は、なんと地下室だ。地下室など、薔薇の宮の厨房にはなかったはずなのに。

 そこのところをトリール嬢に尋ねてみると。

「お菓子作りを趣味にしている私が後宮入りするのに合わせて、今年に入って新しく増設されたらしいですー」

 そんなことまでするのか、国側は。本格的だな後宮って。魔法道具がそこらに使われているし。
 地下の食料庫は、魔法の照明で照らされていて明るかった。

「地下の密閉空間なので温度が一定に保たれるので、食材の保管に向いているのですよー」

「確かに、暖房も焚かれていないというのにどこか温かいですね」

 今は冬だ。雪も降るので、暖房がなければ食材が冷えすぎてしまうということもあるだろう。ここではその心配がないのだ。

「キリンさん、見てくださいー。チーズですよー」

 トリール嬢が指さす先を見ると、そこには棚に丸い大きなチーズがどんと置かれていた。ゴーダチーズである。
 ああ、素晴らしい。これ、ラクレットオーブンで炙って溶かして、豪快にパンに付けたりして食べたいな。
 思わず酒が飲みたくなる感想が浮かんでしまうが、即座に頭から振りほどき、今はお菓子の材料集めに集中する。とは言っても他人の食料庫なので、私は探し出した材料を持つことしかできない。

「今回使うのはカッテージチーズですから、ミルクから作りましょうか。毎朝新鮮なミルクが届くんですよー」

 王都周辺では酪農が盛んだ。牛を巨大化して子象サイズにしたような巨獣が家畜化されており、それから絞れるミルクが人々の食卓に上がっている。ここ後宮でもその恩恵を受けているのだろう。

「わ、キリンさん力持ちですねー。こんなに小さいのに」

 向日葵麦の麦粉袋を持ち上げたときに、そんなことを言われる。
 確かに、この見た目でこの腕力は初めて見たら驚くだろう。
 だが、多分トリール嬢も力持ちだと思う。菓子作りやパン作りって、めちゃくちゃ腕力使うからな。菓子好きのようだけれど体形はスレンダーなので、見た感じは細腕だが。

 そして私達は『王宮侍女タルト』の材料を持って地下室から上がり、菓子作りを始めた。ドレスの上にエプロンをしてである。

「まずは私は『タルト生地』作りからですかねー。キリンさんは、チーズを作ってくださいー」

「了解しました」

 カッテージチーズの作り方は簡単。ほどよく温めたミルクにお酢を入れて混ぜ、固まるまで十分ほど待ってから布でこすだけ。
 ほいほいほいっと。
 簡単な作業なので、横目でトリール嬢の作業を眺める。
 的確で速い。さすが言うだけあってプロだわ。

 そうして菓子作りは進み、トリール嬢はチーズや砂糖の分量に頭を悩ませながら、オーブンで焼く直前まで作業が進む。
 そして、とうとうオーブンでの焼きあげだ。

「このオーブンすごいですよねー。魔法の火がついて、薪いらずとか、温度調節が楽で楽で。美味しく焼けるので、お菓子作りがより楽しくなりますー」

 心底楽しいといった表情で、トリール嬢が言う。
 やがてタルトに火が通り、美味しそうな匂いが厨房に漂い始める。
 そして、焼き始めてから二十分ほどでトリール嬢は、オーブンからタルトを取り出した。

「おおー、しっかりできてますねー」

「ええ、大丈夫そうです」

 私達二人は、互いの視線を合わせ、明るい顔で笑った。

 さあ、午後のティータイムだ。
 侍女達がお茶の用意をし、私達二人は来客室にタルトを運んだ。

「待ってたわ!」

 来客室では、パレスナ嬢が私達の登場を今か今かと待ち受けていた。
 テーブルにタルトを並べ、牡丹の宮の侍女がお茶を淹れていく。

「今日は薔薇の宮の侍女さんもお客様ですからー。是非食べていってくださいー」

 トリール嬢はそう言ってフランカさんを着席させた。もちろん私も座っている。せっかく作ったのに食べられないとか悲しいからな。
 お茶をするときには食前の聖句を唱える必要はないので、トリール嬢の「ではいただきましょうー」という合図で、タルトを口へと運ぶ。
 その味は……。

「美味しい! なるほど、これが二人が言ってたチーズ味ね!」

 パレスナ嬢が感心したようにそう言った。
 うん、美味しい。口の中にチーズの味が広がって、砂糖の甘さがそれに調和して舌を楽しませてくれる。タルト生地の独特の食感も懐かしいものだ。
 というか、前世のイギリスで食べたメイズ・オブ・オナー・タルトより、はるかに美味いぞこれ。

「何か足りないですねー」

 しかし、レシピなしでこの味を作りだしたトリール嬢は、そんな感想を述べた。

「おそらく、柑橘類の香りが足りていないんだと思いますー。香り付けをした方が良かったですねー」

 なるほど。それでどれだけ良くなるかは私には解らないが、きっとより美味しくなるのだろう。
 パレスナ嬢は美味しそうにタルトを食べている。満足したようだ。
 そして、さらにトリール嬢は言葉を続けた。

「でも、『タルト』、いいですねー。上にどんなものを載せて焼くか、想像が広がっちゃいますよー」

「美味しいのができたらお裾分けお願いね」

「もちろんですー」

「私も珍しい食材が手に入ったらすぐに知らせるわ」

「ありがとうございますー」

 そうパレスナ嬢とトリール嬢は話し、二人で笑みを交わした。
 そうしてお茶の時間は終わり、私達は牡丹の宮を後にすることになった。
 私は厨房の後片付けを手伝うと言ったのだが、侍女さん達に「それは私達の仕事ですので」と拒否された。料理を作って後片付けをしないってなんだか気が引けるな。というか、掃除下女に任せないんだ侍女さん達も。

 薔薇の宮に帰ったら、すでにビアンカが青百合の宮から戻ってきていた。
 そこでパレスナ嬢はビアンカに、牡丹の宮に行って『王宮侍女タルト』を食べたことをうっかり話してしまう。
 当然ビアンカの反応は……。

「どうして私の分を残してくれなかったんですかー」

 と、ぷりぷりと怒った。
 それをなだめるために、パレスナ嬢はトリール嬢の置いていった焼き菓子でなんとか機嫌を取ろうとするのであった。
 今日も薔薇の宮は平和である。



[35267] 45.一味同心ティーンエイジ系探偵不要ティーパーティ<1>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/06/26 20:41
 寒さの続く冬の日。今日もパレスナ嬢は、アトリエで線画の練習をしていた。
 今日はモルスナ嬢の訪問はない。ゼリンに監修を頼まれたと言っても、さすがに連日訪ねてくるというわけにもいかないのだろう。
 そんなアトリエで、私はパレスナ嬢のリクエストで、前世の日本における漫画の歴史を話し始めた。

「前世における漫画の始まりは、台詞がない、しかし滑稽で面白い物語を描いた絵巻物だと言われています」

 時は平安。印刷技術もなく、版画でもない墨画の作品が、漫画の始まりとして現代にまで残されていた。

「鳥獣戯画と呼ばれる作品で、代表的な場面としては、人のように二本足で立ち上がる動物達が、転げまわる様子が描かれています」

 兎がひっくりかえり、その周囲を二本足で立つ蛙が面白そうに囲っている絵を幻影魔法で空間に投影する。これ以外の場面は正直よく知らない。複製品なんて扱ったことないので。
 そして、私はすぐに幻影を消した。線画描きの邪魔になってはいけないからな。

「その後も私の出身国日本では様々な絵巻物が描かれていきますが、印刷技術が発達すると、メッセージ性のあるイラストを本にするようになります」

 確かポンチ絵ってやつだ。風刺画だな。
 ふんふん、とパレスナ嬢は興味深げに私の説明を聞いている。

「やがて、台詞を絵の横に描くようになり、さらに時間の移り変わりを表わすためにコマ割りの技術も生まれます。漫画が物語となったのです」

 第二次世界大戦前にはすでに、現代に通ずる漫画の形ができていたという事実に、改めて驚く。
 私の中では漫画って、戦後に完成したばかりの現代的な娯楽のイメージがあるのにな。

「その後、漫画を載せる雑誌が出てくるようになり、その連載分をまとめた漫画本が売られるようになりました」

 単行本だ。
 この世界でも漫画は単行本の形で売られている。漫画雑誌はまだ存在しない。

「最初から完成した本を作り、それを貸し出す貸本なる文化も一時期存在しています」

 貸本は……正直よく知らない。妖怪漫画で有名な人が活動していたとかは断片的に知っているけれど。

「やがて、一人の天才が現れます。漫画の神様と呼ばれる存在です」

「神様がマンガを描いたの? なにそれすごい」

 パレスナ嬢がそんな感想を漏らした。だが、それはさすがに勘違いだ。

「いえ、ただの比喩表現で、神様のごとき実績を残したすごい人間という意味です」

 この世界で神様と言えば、火の神か大地神話の太古の神々だ。
 どこぞの世界の神話と違って、やけに人間くさいやりとりをしたり浮気をしたりはしない偉大な存在だ。
 まあ、大地神話の神々は実際には特定個人ではない今の人類の祖先だし、火の神の端末である天使や悪魔はずいぶんと人間くさいんだが。

「ともあれ、漫画の神様の存在に引っ張られて漫画文化は興隆し、様々な漫画の天才が現れ偉大な作品を残していきます」

 見てみたいわねー、とパレスナ嬢が言うが、それはかなわないことだ。
 庭師として世界中をまわった私でも、異世界を渡る手段は見つけられていない。
 私の魂や猫の存在を見るに、火の神がどうこうすれば世界を渡れるのかもしれないが。

「その流れは私の生きていた時代まで続き、一時期は子供の読む物と思われていた漫画ですが、いつしか青年向けに描かれた作品も多く描かれるようになったのでした」

 そうまとめて、私は話を終えた。簡素な歴史だが、専門でもないので私の知っている内容はこんな程度のものだ。
 それに対し、パレスナ嬢は疑問をこぼした。

「キリンの世界のマンガって、子供の読む物と思われてたの? 確かに子供にも読みやすいものだけれど」

 まあ青年漫画雑誌とかが存在する現代日本でも、漫画は子供の読む物というイメージが完全に払拭はされていなかった。
 だが、この世界のこの国では事情が違う。

「この国では、本はまあまあ高いもので、貸本文化もないですからね。自然とお金のある大人の趣味になるのです」

「へー。小説になるけれど、『ぼくら少年探偵団』なんかは初心者向けと貴女言っていたわね。でも、あれ子供向けよね?」

 げ、ばれてたか。

「そうですね。この国では小説は高尚な娯楽として見られていますから、親が子に教育目的で与えるのを見越しているのだと思いますよ、ゼリンのやつは」

 私は推測でそのようなことを述べた。
 高尚な娯楽扱いだからこそ、巷ではホルムスの格好の真似をすることが、粋なこととして受け入れられているんだ。近衛騎士が真似するくらいだからな。

 発信者側の総元締めである商人のゼリンはおそらく、下品な作品が世に出ないようコントロールしていると思われる。品のない小説を読んだという話は聞かないからな。同室のカヤ嬢が好む恋愛小説や恋愛漫画にも、濡れ場はない。
 漫画を描く人間として、良識のある貴族であるモルスナ嬢を採用しているところからも、そのあたりが見てとれる。表現の自由なんてなかった。
 同業が現れたらこの均衡は崩れるのだろうが、はたしてゼリンは同業他社の存在を許すだろうか。商人は怖いからな。

 そんな話をしていると、掃除下女の様子を見にいっていたフランカさんが、アトリエに戻ってくる。
 そして、パレスナ嬢に向けて言った。

「国王陛下がこれから来訪されるようです」

「本当に!?」

 パレスナ嬢がペンを放り出して立ち上がった。
 そして自らの格好を確認しだした。大丈夫。今日は絵の具を使わないから汚れたドレスではない。ドレスの上から袖付きエプロンをしているだけだ。割烹着みたいなやつだな。見た目は当然悪い。
 とりあえずパレスナ嬢の化粧直しをするために、一旦私室に戻ることにした。

 私とフランカさんの侍女二人がかりでパレスナ嬢の見た目を整え直していく。ビアンカは広間で国王の到着を待っている。
 そして来客室へと移動し、やがて国王が薔薇の宮へと到着した。
 ビアンカの先導で来客室へと入室してくる国王と女性の近衛騎士達。ビアンカの表情には緊張は見えない。慣れているんだろうか。

「やっほー。元気そうだね」

 国王がそう軽い調子でパレスナ嬢に挨拶する。対するパレスナ嬢も、優雅に礼をし挨拶を返す。

「ごきげんよう、陛下。すこぶる元気よ」

 パレスナ嬢の言葉に、国王はにかっと笑う。

「いやー、道中寒い寒い。雪積もりそうだよねえ。いや、雪降らせているのは俺なんだけどさ」

 そう言って国王は着席した。フランカさんはお茶の準備をしに退室している。すぐに戻ってくるだろう。
 なお、国の天候は『幹』と王族が決める。確かに雪を降らせているのはこいつで間違いない。

「冬はなくせないのかしら?」

 そうパレスナ嬢が疑問を漏らすと、国王は首を振ってそれを否定した。

「いや、春を長くする条件として、冬期と雨期を設定されているんだよね、『幹』に」

 もしかして『幹』は惑星に人類が帰ったときに、季節の変化に人類が対応しきれなくなっていないようにとかいう目論見でもあるのだろうか。
 でも、常春の国なんかも世界にはあるんだよな。常夏なら解るが常春って。

「それに、冬に育てるからこそ、美味しくなる農作物だってあるんだよねー。雪の下で葉野菜を育てたり、根菜に霜を当てたりね」

「それは初耳ね!」

 そういえば、前世でそんな話を聞いたような聞かなかったような……。
 そうして話しているうちに、フランカさんが入室し二人にお茶を淹れていく。

「どうぞ、お茶請けはトリール様が作られた焼き菓子です」

「お、やったね。トリールの菓子は美味いんだ」

 先日トリール嬢が置いていった焼き菓子を配るフランカさんを見て、嬉しそうに反応する国王。
 なるほど、国王もトリール嬢の菓子を食べているのか。確かにあれは美味いからな。

「そういえば、昨日、『王宮侍女タルト』を食べたんだって? なんだかんだで作れるんじゃないかキリリン」

 国王が話をこちらに振ってくる。『王宮侍女タルト』の言葉を聞いてぴくりとビアンカが反応するが、正直そちらに構っている暇はない。あの国王陛下に侍女が話しかけられたんだからな。主人のためにも失礼があってはならない。

「詳細なレシピは存在しませんでした。美味でしたが、すべてはトリール様の経験と勘によるものかと」

「そっかー、美味しかったかー。俺も今度作ってもらおっと」

 私の返答に、国王はそう言葉を返してくる。
 国王は唯一、現在の後宮に足を踏み入れることを許された男性だ。菓子を食べるという軽い理由でも、後宮に気軽に来られるのだろう。女性近衛騎士を伴ってだが。
 そんな国王は、再びパレスナ嬢へと話を振る。

「で、どう? キリリンを侍女にして。俺はキリリンが敬語使ってるだけで笑えてくるんだけど」

「侍女にしてもらえてよかったわ。面白い話をいろいろ知っているから、お話ししてて楽しいの」

「キリリンはどう? パレスナについていてどんな感じ?」

 話を振られたので、正直に答えることにする。

「良い主ですよ。わがままはあまり言いませんし、優しいですし、努力家です」

「そっかそっか。相性悪くないようならセッティングした甲斐があるよ」

 満足そうに国王は膝を叩く。そしてお茶を一口飲んで一息入れた。
 ああそうだ、前々からパレスナ嬢に聞きたかったことがあるんだ。国王もいるからついでに聞いてみよう。

「気になっていたのですけれど、二人の馴れ初めはどういうものなのですか? すでに婚約が内定しているように見受けられるのですが」

 そう、周囲も本人達も二人の婚約が決まったかのように話しているのは、どういうことか聞きたかったのだ。
 国王とは王太子時代はよくつるんでいたが、こいつが国王になってからはあまり会話をする機会もなかった。だから、いつ婚約者候補を見つけたかなんて話も、聞いていないのだ。

「ん、俺の一目惚れ」

 そう国王が答える。なるほど、一目惚れ。

「違うわ、私が一目惚れしたのよ」

 だが、パレスナ嬢もそう答えた。なるほど、一目惚れ。

「はー? 俺っちのほうがずっと一目惚れしてたし」

「私の一目惚れの方が格上よ!」

 なんだこいつら。
 国王は咳払いし、お茶を一口飲むと、私に向けて馴れ初めを語り出した。

「二年前の晩春だったかな。ゼンドメル領で二十年に一度の土壌総点検があってね。そのときの領の案内人がこの子でねー。ずっとつきっきりになってくれてたんだけど、すごいノリが合ってねー」

 ノリかよ。一方パレスナ嬢も身を乗り出して語り出す。

「十歳も年上の偉い方だというから、どんな堅物が来るかと戦々恐々としていたの。けれど、蓋を開けてみるとすごい話しやすい方が来たわ!」

 なるほどねえ。物語になるような運命の出会いってやつではないけど、お互い話が合ったんだな。
 ってそれ、一目惚れではないじゃないか。

「いやー、二十数年も好きな人ができなくて、俺ってもしかして誰も好きになれない人間なんじゃないかって悩んでたんだ。一番仲の良い女性なんて、中身男のキリリンだったし。でも杞憂だったよ」

 そう国王がつらつらと語った。そういえば昔の国王は王太子のくせに、貴族の女性と仲良くしているの全然見なかったなぁ。

「私も十四歳を過ぎても婚約者がいないものだから、お父様は私をお嫁に出す気がないんじゃって疑ってたわ。でも、恋愛結婚しろって意味だったみたい。相手が陛下だから、公爵の娘として見ると適切な相手って感じだけれど」

 パレスナ嬢も感慨深げにそう語った。公爵令嬢、しかも一人娘に恋愛結婚しろとは剛毅な公爵様だ。
 いくら分家があって妹もいるにしても、下手したら直系途絶えているぞ。
 まあ、女王が許される王族と違って、この国の貴族は男子が継承するものだから娘は自由にさせたのかもしれない。

「うちの国の王族は恋愛結婚推奨だけどねー。善意的な事情で」

 後宮についてカヤ嬢が説明していたときも言っていたな。半恋愛結婚推奨だって。
 半というのは平民との婚姻は推奨されないって意味だ。平民がいきなり王族生活は辛かろう。

「私が王宮に善意を満たしてみせるわ!」

 力強くパレスナ嬢が宣言する。それに国王は満足げに頷き、さらに言った。

「計測によると、後宮の善意数値も平均的に高く止まってるみたいだよね。みんな仲悪くなさそうで良かったよ」

 計測してるのか善意。まあ、陰謀と嫉妬渦巻く女の園とか怖くて仕方がないもんな。
 そして話に一区切りつき、国王はお茶請けの焼き菓子をもぐもぐと頬張る。

「美味いなぁ。トリールのお菓子は」

 その国王の言葉に、パレスナ嬢は眉をぴくりと動かす。

「陛下は、私が料理やお菓子作りができた方が嬉しいかしら?」

 と、パレスナ嬢が言うが、国王はきょとんとした顔をして返す。

「別にできなくてもいいんじゃない? 今後も食べたいなら、トリールを王宮菓子職人にでも指定してあげればいいんだしさ」

「王宮菓子職人! その発想はなかったわ!」

「俺っちは後宮に彼女を入れたときからそのつもりで配置したけどね。まあ、君が気に入ればの話だったけど」

「そうなのね」

「後宮にいる子達は、まあだいたい君と交流を持ってほしい地位の子を配置したよ。王妃になった後に助けになってくれると思ってね。モルスナは、顔見知りがいた方が安心できるからって考えだから、ちょっと違うけどー」

 なるほど、そういう事情での選定なのか、あのお嬢様方は。
 いずれもキャラが濃いから、どういう選定基準なのかと疑問に思っていたところだ。

 そしてその後も二人の話は弾み、時間がある程度経過して国王は退出の時間となった。
 国家元首は暇ではないのだ。この前、町にいたけど。

「帰りに『王宮侍女タルト』の予約入れていこっと」

 そう国王が言葉を漏らす。
 タルトは昨日初めて作ったから、まだ完全にはトリール嬢の満足いくものにはなっていない気がするのだが、国王に急かされる形になるなこれは。
 そして来客室を退室しようとしたところで、ふと思い出したように国王は言った。

「そうそう、今月のお茶会は、ハルエーナ殿下に采配を任せたから、皆協力してあげてね」

 そう言い残して、国王は薔薇の宮を去っていった。
 お茶会か。確か、一月に一回、国王と王妃候補者全員を集めて開催するのだったな。
 冬だから野外では行えないが、青百合の宮の中で開催するということかな。来客室にはそんなに人が入らないだろうから、ミミヤ嬢がダンスホールにしていたように、入口すぐの広間を使ったりするんだろうか。

「協力、ね。キリンも留意しておいてね。頼まれれば、なんでも手伝う心構えよ」

「かしこまりました」

 そういうことになった。
 でも、お茶会ってどんな準備がいるんだろうな。
 私はとりあえず、ハルエーナ王女がヘルプを投げてくるのを待つことにしたのだった。受け身の姿勢である。まあ、何かあったら仲の良いビアンカが話を持ってくるだろうから、別に大丈夫だよね。



[35267] 46.一味同心ティーンエイジ系探偵不要ティーパーティ<2>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/10/17 01:17
「積もりましたねえ……」

 朝食の席で、侍女のククルがそう話を切り出した。

「積もりましたわね……」

 同じくカヤ嬢もそう話に乗る。

「積もったな」

 私もオウム返しをする。そう、積もったのだ。雪が。

「この国は冬が短いのがありがたいが、それでも積もると大変だな」

「なんで雪なんて降るのでしょうね……」

 私の台詞に、そう言葉を連ねてくるカヤ嬢。
 先日の国王が言った言葉を考えると、雪は『幹』が人を気候に適応させるために降らせているのだと考えられる。
 この国は『幹』の農業試験国的な立ち位置にいるので、冬に作れる作物を研究させているのだろう。

 単に地上に水の恵みを与えるだけなら、気温を高くして雨でも降らせればいいだけだ。
 意味もなく人が苦しむ試練など『幹』は与えない。善意を抽出できる量が減るからだ。

「仕事中寒いのは嫌ですね」

 ククルが憂鬱そうに言う。
 そんなククルも幼い頃は、雪が降ると私に遊んでくれとせがんできて、一緒に雪遊びなどをしたものだが。まあ、仕事を持つと昼間に遊ぶ暇などないから、こう意見が変わるのも仕方がない。

「二人とも風邪など引かないようにな」

 そう言って食事を終え、歯を磨いて自室へと戻る。
 髪型よし、ドレスよし、コートよし、手袋よし、ブーツよし。
 冬の完全装備をして部屋を出て、温石を受け取り宿舎を出た。
 空を見ると、昨夜は勢いよく降っていた雪も、今ではちらつく程度に収まっている。

 王宮までの道のりは、すでに除雪がされていた。朝から下男達が頑張ったのだろう。ご苦労様だ。
 そして王宮の廊下を通り、後宮へ。
 後宮では、下女達が多数集まって除雪作業を行っていた。ああ、そうか。今の後宮は男子禁制だから、下女が力作業を行わなければならないのか。大変だな。侍女でよかった。

 薔薇の宮へと近づくと、護衛のビビが寒空の下、防寒具をもこもこに着込んで入口の前に立っていた。
 いや、本当に侍女でよかったよ私。

「おはようございます。大変ですね」

「おはようございます。ええ、でも任務ですので」

 さすがに可哀想なので、私はビビの足元に魔法陣を敷き、ほどよい熱が足元から放射されるようにした。周囲の雪がみるみるうちに溶けていく。
 魔法陣を敷き終えて私はビビに告げる。

「これで夕方まで保つはずです。帰るときに更新しておきますね」

「やや、これは……ありがたい」

 そう言ってビビは感謝の意を示してくれた。
 まあ、魔女の弟子なら、この程度簡単なものだ。役に立てたようで何よりである。

 そして、ビビの横を通り薔薇の宮に入ってパレスナ嬢の私室に行くと、パレスナ嬢は暖房にあたってのんびりとしていた。

「今日は冷えるわね」

 そう言いながら火に手をかざしている。
 この暖房は魔法道具で、魔力を燃料として火を灯している。厨房のコンロやオーブンなどもこれと同じ仕組みだな。では、魔力とはなんぞやという話になると、生物が生まれつき持っている力の一つで、世界樹も生物の一つなので世界には魔力が満ちあふれて云々と、まあ面倒臭い話が続くので省略しておこう。

 今日の午前の予定は、いつものように線画の練習だ。私室をでてアトリエに行く必要がある。
 アトリエは紙が多く、さらには可燃性の顔料などがあるため暖房は使わないのだが、さすがに今日の寒さで部屋暖房なしは辛いだろう。

「今日はこの部屋で描こうかしら」

 などと言うパレスナ嬢だが、どうか私に任せてくださいな。魔法でアトリエを暖めてみせますよ。
 そんなことを言おうとしたそのときだ。

「ハルエーナ王女がいらしています」

 と、フランカさんが来客を告げた。

「あら、朝早くから珍しいわね」

「それが、お嬢様ではなくビアンカに用があるようでして……雪遊びをしたいと」

「雪遊び! いいわね、行ってらっしゃいな。私はそれを横でスケッチするわ!」

 突然の予定変更。
 だが、たまにはこんな日があってもいいだろう。

 私とビアンカとパレスナ嬢の三人は、薔薇の宮の広間で防寒具を着たまま待っていたハルエーナ王女と合流し、私達もコートを着込んで宮殿の外へと出た。フランカさんはいつものように、宮殿内で下女達の掃除の監修だ。

 宮殿の外ではまだ下女達が、木製のスコップを使って除雪作業を行っている。
 私達はその邪魔にならない位置を選んで移動し、何をして遊ぶか話し合うことになった。

「まずは雪合戦!」

 そうビアンカが提案する。

「いいと思う」

 ハルエーナ王女が追従する。

「いいけど、私の方には投げないでね!」

 束ねた紙束を手に持ちながら、パレスナ嬢が言う。鉛筆を持つために手袋をしていないが、寒くないのだろうか。
 とりあえず私は空間収納魔法で椅子を取り出し、パレスナ嬢をそこへと座らせた。

「あら、ありがとう」

 そう礼を言われるが、まだだ。先ほどビビにも使った暖房魔法陣を発動し、パレスナ嬢が冷えないようにしておく。

「わー、すごいわね。さすが元庭師」

 私が魔法を使えるのは、庭師関係ないんだけれどな……。

「ねえ、キリンちゃんは?」

 と、ビアンカに問われる。え? ああ、何して遊ぶかってことか。私も遊ぶメンバーにカウントされているのね。
 他にも、ハルエーナ王女の侍女が三名この場にいる。

「雪合戦でいいんじゃないですか。ここは除雪済みだから、雪だるまは作れないですし」

「雪だるま? なんですかそれ?」

 私の言葉に、不思議そうな顔をするビアンカ。
 私は、魔法の幻影で雪だるまを表示し、こういうもの、と見せてやる。
 ビアンカはああ!と納得したように叫ぶ。

「ころころ雪玉転がして大きくするやつ! そうですよハルエーナちゃん。除雪全部終わったら作れなくなっちゃいますよ」

「それは大変」

 というわけで、私達は二手に分かれて雪玉を転がすことになった。

 私、ビアンカ、ハルエーナ王女の三人組と、侍女三人の組だ。パレスナ嬢はスケッチをしながら歩いてついてきている。暖房魔法陣は追従型のため、足元がどんどんと溶けていっている。
 私達は、新雪の上をころころと雪玉を転がして大きくしていく。その様子に、ビアンカがきゃっきゃと喜んでいる。
 普段は一人前の侍女になろうと頑張っているが、こういう所を見るとちゃんと九歳児なんだなぁ、ビアンカ。
 そしてそんな子供に交じって遊ぶ私、二十九歳児。……いけない、それは考えては駄目だ。
 私は考えを振り切ると、徐々に巨大化しつつある雪玉をビアンカと一緒に転がすハルエーナ王女に話しかける。

「今日は猫はいないのですか?」

「寒いから外に出たくないって」

「ああ、なるほど……」

 日本の冬の童謡でも、猫は家の中から出てこずにこたつに入ったままだしな。

「結構でっかくなってきました!」

 ビアンカが嬉しげに声をあげる。
 私はその言葉を受けて、二人に問いかける。

「では、どこに雪だるまを作りましょうか。邪魔にならない場所で」

「青百合の宮の前が良い」

 と、ハルエーナ王女がご所望だ。
 了解だ。私は侍女三人組に魔法で「青百合の宮の前で合流しましょう」と声を届ける。
 そして青百合の宮に到着。そのころには雪玉は、かなりの大きさになっていた。

「これ、持ちあがるんですか?」

 ビアンカが困ったように言う。
 それに対し、ハルエーナ王女は……。

「大丈夫、私達には剛力の魔人がいる」

「はいはい、お任せくださいな」

 私はえいやと比較的小さい方の雪玉を持ち上げると、魔法で不可視の台を作り、その上に乗る。
 そして雪玉と雪玉をドッキング。雪だるまの完成だ。
 後は雪だるまっぽく、目と口を彫ってと。

「わー、できたー!」

「できたね」

 ビアンカとハルエーナ王女がそう言ってはしゃぐ。
 侍女達三人も嬉しそうに拍手をしている。
 パレスナ嬢は雪だるまの方を向いて、素早くスケッチだかクロッキーだかをしている。

「よし、次は何をしましょうか」

 台から降りて、私はビアンカ達に問いかけた。

「じゃあ今度こそ雪合戦!」

 そう元気よくビアンカが答えた。

「では、先ほどの場所に戻りましょうか」

 私は皆を元の場所に促す。椅子を出したままだからな。
 そして場所を移し、始まる雪合戦。私は手加減をして丸く握った雪玉を投げていく。本気で投げると人死にが出るからな。
 十数分ほど投げ続け、ハルエーナ王女の侍女達がへろへろになったので一時休憩。
 その間も、ビアンカとハルエーナ王女は楽しそうに後宮を走り回っていた。

「あー、かまくら作ってる!」

 ビアンカが突然そんな声をあげた。なんだろう、と彼女に近づいて視線の先を追ってみると、確かにそこにはかまくらがあった。
 それを誰が作っていたかというと。

「あらあら。おはようございますー」

 お菓子作りの令嬢トリール嬢が、侍女や下女達と一緒に大きなかまくらを作っていた。
 雪の日に外に出て遊ぶなんて、十五歳にしては可愛いところがあるもんだ。

「おはようございます! かまくら作ってるんですね!」

 ビアンカが元気に挨拶を返す。すると、トリール嬢は楽しそうに話し出した。

「かまくらの中で火を焚いてお菓子を炙ると、これがまた美味しいんですよー」

「わー、なにそれ! 楽しそうですね!」

「順番になってしまいますけど、一緒に食べましょうかー」

「わーい!」

 ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜ぶビアンカ。完全に童心に返っているな。いや、これは童心そのもので返ってるとは言わないのか。

 やがて、完成した大きなかまくらの中に七輪のような調理器具が置かれ、そこで温まりながら焼いた何かのお菓子を食べていく面々。
 ビアンカとハルエーナ王女の番が終わり、楽しそうにかまくらから出てきた。

「美味しかった!」

「うん、至高」

 そう言って、またきゃっきゃと喜ぶ二人であった。

「次、キリンさんもどうぞー」

「あ、どうも」

 トリール嬢に促されて、かまくらの中に入る。中はそれなりに広い。かまくらの中心では、藁炭の入った調理器具が熱を発していて、その上に煎餅のような物が置かれている。
 それをじっと眺めていると、「どうぞ」と焼いた煎餅を渡された。おお、あちあち。
 って、ん? 今の声、聞き覚えがあるような……。

「いやー、美味しいですね、熱いお菓子」

 そこに居たのは、下女のカーリンだった。この子、本当にどこにでも出没するな……。

「除雪に駆り出されて初めて後宮に入りましたけど、楽しそうな場所ですね」

 煎餅を頬張りながら、そうカーリンは言った。
 私も、熱々の煎餅を口にする。うーん、熱くて美味しい。形状から塩味を想像していたが、甘くて美味しいぞ。
 そして、口の中をもごもごさせながら私は、カーリンに言葉を返した。私の声は喉から出ていないので、食べながら話せるのだ。

「楽しい場所だよ。王妃候補者はみんな良い子達ばかりだ」

「そうですか。でも、公爵家のご令嬢に嫌がらせをしている人が居るって話ですけど」

 カーリンもその話を知ってるのか。

「何も、王妃候補者がやっているとは限らないだろう?」

「侍女とかですか。推理は進んでいる感じです?」

「推理なんてしないよ、小説の探偵じゃないんだから」

 パレスナ嬢は犯人捜しなんていらないと言っていた。
 現実は推理小説じゃないんだ。名探偵役も罪を暴かれる犯人役もいない。それで良い。

「そうですか。フィーナ・レレーヌ。いやあ、除雪なんて嫌だと思っていましたけど、役得ですねー」

 ごちそうさまを意味する聖句を唱えてかまくら内部を光らせながら、カーリンが嬉しそうに言う。

「そうだな。さて、そろそろ出るか」

 お菓子を飲み込み、私はカーリンと共にかまくらを出た。
 外では、またビアンカとハルエーナ王女が雪玉を投げ合っており、パレスナ嬢がかまくらをスケッチしていた。
 雪の日の一幕。楽しい一日だ。そう思いながら、私も雪投げに参戦した。意外なことにトリール嬢も乗ってきて、彼女の侍女達も含めた大人数での雪合戦となった。

 そして雪で遊ぶうちに、日が高くなってきた。
 薔薇の宮からフランカさんがやってきて、私達に向けて言った。

「そろそろお昼時です。食事の前に、体が冷えたでしょうから温泉に入ってきてください」

 そんな時間か。私も侍女宿舎に戻るかな。そう思ったときだ。

「キリンちゃんもお風呂行こう!」

「行こう」

 ビアンカとハルエーナ王女に捕まった。

「そうね、たまにはキリンも一緒に行きましょうか」

「お風呂ですか? そういえばキリンさんを見たことないですねー」

 そうパレスナ嬢とトリール嬢に言われ、私は後宮のお風呂に入ることになったのだった。
 実は魔法で体を温めていたから、ちっとも冷えていないとは今更言い出しにくい……。



◆◇◆◇◆



 昼顔の宮。後宮の温泉施設である。特に誰も住んでいない、後宮滞在者達のための公共施設のようなものだ。
 王妃候補者が住むそれぞれの宮殿には、お風呂がない。なので、後宮に滞在する者達は、銭湯感覚でこの昼顔の宮に通う必要がある。
 しかし、宮殿の外は屋根がなく、今は冬だ。通うのは辛かろう。
 それでも居住空間内に個別にお風呂を作らないのは、毎日の王妃候補者達の交流の場として、この昼顔の宮が使われているからだ。
 後宮は王族とその配偶者候補との交流の場だが、配偶者候補達の交流の場でもある。貴族同士仲良くして、国の結束を固めようという狙いがあるのだろう。
 そんなことを道中でパレスナ嬢から聞いた。

「わー、昼から温泉だー」

 一糸まとわぬ姿になったビアンカがはしゃいで、湯船へと向かう。
 ハルエーナ王女は何やらトリール嬢と話をしている。湯着の類は、この国の文化には存在しないため誰も着ていない。

 私は侍女として、パレスナ嬢のお世話をすることにした。

「お背中お流しします」

「あら、悪いわね」

 そう言葉を交わしてパレスナ嬢の体と髪を洗い、お湯で洗い流す。薔薇の石鹸の香りが心地よい。
 王城は下水完備だ。城下町もだ。おかげで、温泉が湧き出ているということもあってか、王都イブカルは清潔な町並みであった。

「キリンも洗ってあげる」

「え、いえ、私は別に」

「いいからいいから」

 そう言ってパレスナ嬢は私の全身を丸洗いにした。侍女がお世話されてどうするんだ。私も薔薇の香りを全身から漂わせることになった。
 そして私達は湯船へと向かう。
 侍女宿舎の大きな湯船に負けない、広々としたものだ。貴族の子女が使うとあって、豪勢な彫刻なんかも壁に彫られている。
 掃除も大変だろうな。下女達は、いつ掃除しているんだろう。

「私熱いのが苦手だから、こっちへ行くわ」

 パレスナ嬢が隅っこへと向かう。
 ちなみに私は熱いのが好きだ。なので、お湯が注がれている方へ行く。お嬢様のお世話? 湯船でどうしろというのだ。

 私は湯船の中をざぶざぶと進む。
 と、肉食獣の彫刻の口から、小さな滝のように出るお湯の下に、意外な者がいた。猫だ。

「猫、お前……」

 ハルエーナ王女の宮殿に居たんじゃないのか。
 前に猫の匂いを嗅いだとき清潔な感じがしていたが、自分でお風呂に入りに来ていたのか。今も猫からはくすぶる火の匂いがする。
 しかしこいつ……。猫は、降り注ぐお湯に打たれてとろけるような表情をしていた。よく溺れないな。

 そんなことを思いつつ、猫の横で熱いお湯に浸かる私。お湯の温度は四十三、四度ってところか。
 ああ、やっぱり温泉って良いね。体の芯から温まる……。

 そんな風に十分ほどのんびりしていたときのこと。

「あれ、『ねこ』来てた」

 ハルエーナ王女が近づいてくる。私の横を通り過ぎると、ふわりと花の香りがした。私と同じく石鹸の匂いだろうか。
 そして、王女は湯に打たれる猫を胸の前で抱きかかえた。

「『ねこ』、体洗ってあげる」

「にゃー」

「大丈夫、動物の肌に優しい石鹸使うから」

「にゃー」

「私に嘘は通じない。まだ洗ってない」

 そう言って立ち去ろうとするハルエーナ王女だが、ふと立ち止まってこちらを見てきた。

「キリン、ちょっとお願いしたいことがある」

「はい、なんでしょうか。お力になれることでしたら是非に」

 話を振られたので、無難にそう答えておく。

「今月の国王とのお茶会で、私の故郷のお菓子を出したい」

 なるほど。先ほどトリール嬢と話していたのは、それ関連かな。

「世界中を巡ったというキリンなら、私の国のお菓子も知ってる?」

「塩の国のお菓子ですか。いくつか知っていますよ」

 あの国は、この国の隣の大陸にあるからな。何度も訪れたことがある。
 それを聞いたハルエーナ王女は、安心したように息を吐く。

「じゃあ、また後日、詳しい話をしにいく」

 そう言って、猫を抱えたまま王女は洗い場に去っていった。

 塩の国のお菓子かぁ。どんなのがあったかな。
 私は湯船にゆっくりと浸かりながら、塩の国についての魂の記憶を精査していくのであった。



[35267] 47.一味同心ティーンエイジ系探偵不要ティーパーティ<3>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2021/05/04 08:39
 今日もパレスナ嬢は、アトリエで絵を練習する。
 今回は彼女の叔母で漫画家先生のモルスナ嬢が、その指導にやってきている。

「こんな感じで、編み目の四角いブロックを掛け合わせていくのがカケアミよ」

「ただの斜線より深い味わいがあるわね!」

 今は、白黒二色の絵でいかに色を表現するかの練習をしているようだ。
 昔、ゼリンに漫画の概念を伝えたときに、私の知る限りの情報を魂から絞り出して教えた。それが、こうしてこの世界の漫画家に知識が受け継がれているのを見ると、感慨深いものがある。
 まさか王妃候補者の一人が漫画家になっているとは思いもしなかったが。

「でも、結構時間かかるわね、これ」

 カケアミの練習を続けるパレスナ嬢がそうぼやく。
 まあね、とモルスナ嬢も同意するが、でもね、とさらに言う。

「今は透明なシートにカケアミや点描を印刷して、それを貼り付けるだけの画材が研究されているらしいわ」

「なにそれ、面白そうね」

 スクリーントーンってやつだな。私は実物を見たことがないので、どうとも言えないが。
 まあゼリンならそのうち開発に成功するだろう。道具協会も新画材には目くじら立てないだろうし。

「ま、今はそんなものないから、今回はこれらの技法をしっかり覚えることね」

 モルスナ嬢はそうパレスナ嬢に告げる。
 それを受けたパレスナ嬢は「よし」と気合いを入れると、ペン先をインク壺に浸け、描画の練習を再開した。

 しかしだ。モルスナ嬢が指導をしているから、パレスナ嬢の会話係の私は暇だな。
 暖房魔法陣を展開しているが、これは私がいなくても動き続けるし。
 また刺繍でもするか?

 そう考えていたとき、下女の掃除を見にいっていたフランカさんが、アトリエに戻ってきた。

「キリンさん、ハルエーナ様とトリール様がご用事だそうです。お菓子の件だとか。来客室にお通ししています」

 というフランカさんの言葉に、パレスナ嬢が反応する。

「ああ、話は聞いているわ。キリン、行ってきていいわよ」

 外出の許可が出た。実は、昨日のうちにパレスナ嬢には、ハルエーナ王女からの話を通しておいたのだ。

「何? 王妃候補者が二人も揃って、侍女に何か用があるのかしら」

 話が気になったのか、モルスナ嬢が興味深げにそう聞いてくる。
 それに答えるのはパレスナ嬢だ。

「なんでも、今度のお茶会で塩の国のお菓子を出したいらしいわ。キリンはそれに協力すると」

「あら、一風変わった催しになりそうね。キリンさん、私に協力できることがあったら言ってね」

「私も協力するわ!」

 その言葉をありがたく受け取っておく。
 まあ、お菓子作りなので、画家と漫画家の出番はないとは思うけれども。

 そして私は、アトリエから出て来客室へと向かった。
 来客室では、ハルエーナ王女とトリール嬢がお茶を飲みながら待っていた。
 お待たせしました、と侍女の礼を取ってから、私も着席する。

「さて、現在どこまで話が進んでいるか教えていただけますか」

 私はそう二人に問いかける。それに答えたのはハルエーナ王女だ。

「塩の国のお菓子を使いたい。そこで止まっている。うちの宮殿の料理人はお菓子は専門外だった」

 国元から連れてきた菓子職人がいればそれで解決だったのだろうが、料理人はお菓子が作れないと。がっくりだな。まあ、だからこそ周囲に相談しているのだろうが。
 私はトリール嬢へも問いを投げかける。

「トリール様は塩の国のお菓子は作れるのですか?」

「いえー、残念なことに実は全然知らないんですよー。レシピさえあれば作れる自信がありますけど」

 ふむ、つまり菓子はトリール嬢が作ると。
 となれば、事前に言われていた通り、私に求められているのは知識やレシピの提供か。

「いくつか記憶を掘り起こして、レシピを書いておきました。これをどうぞ」

 私はそう言って空間収納魔法から紙を取り出す。私が塩の国で実際に食べて、レシピを聞いていた菓子の情報だ。
 だが、これには問題がある。

「でもこれ、庶民のお菓子なんですよね」

 そう、国王や王女が出席するお茶会に出すには、少々格というものが足りていない可能性があった。
 ハルエーナ王女は、レシピに書かれている菓子名を確認する。

「うん、確かにこれはちょっと、お茶会には相応しくないかも」

 そう言う王女だが、これにトリール嬢が反応する。

「見た目なら私が豪勢にできますよー」

「それ良いかも」

 そう話が決まりそうになるが、私は待ったをかけた。

「待ってください。これでレシピは全部ではないかもしれないんです」

「どういうことですかー?」

 不思議そうにトリール嬢が聞き返してくる。
 私は改めて二人に言葉を投げかけた。

「いるじゃないですか。白詰草の宮に、他国のレシピ集を持っていそうなお方が」

「あっ、確かにそうですねー」

「ファミー」

 本が好きで仕方がない本の虫のところならば、レシピがある可能性はあった。彼女が小説以外の本も好んでいるならばの話だが。
 私達は早速、白詰草の宮に向かうことにした。



◆◇◆◇◆



 白詰草の宮にて、私達はファミー嬢に歓迎される。
 儚い印象を受けるその外観だが、心から訪問を喜んでいる様子がうかがえた。本は一人で読むものだが、友人は欲しいのかな。

「ようこそいらっしゃいました。本日は、わたくしのお勧めの本の紹介がご希望でしょうか?」

 いきなり本を薦めてくるとは。やはり本が、よっぽど好きなようだ。

「いや、今日は別の用事」

 そうハルエーナ王女が切って捨てる。心なしか、ファミー嬢がしょんぼりとしたように見える。

「今月の国王とのお茶会に、私の国のお菓子を使う。レシピ本ある?」

 そう簡潔に話す王女の言葉に、ファミー嬢はなるほどなるほど、と頷いた。

「勿論ありますわ! 塩の国のお菓子レシピ集『エイテンのお菓子五十選』! ただのレシピだけでなく、そのお菓子にまつわるコラムも載っている趣深い本ですわ!」

 急に元気になって早口でまくしたてるファミー嬢。ちなみにエイテンとは塩の国の正式国名だ。

「書庫にしまってありますので、侍女に持ってこさせますわ」

 そしてファミー嬢は後ろに控えていた侍女に指示を出し、書庫に向かわせた。
 その間、私達はお茶を楽しむことにする。ハルエーナ王女とトリール嬢は薔薇の宮に引き続き二杯目だが大丈夫か。
 あ、大丈夫そう。普通に飲んでる。

 出されたお茶請けを美味しそうに食べながら、トリール嬢はファミー嬢に向けて言った。

「レシピ本もお読みになるのですねー。ファミー様はお菓子作りはなされないのですよね?」

 ファミー嬢はその言葉に、にっこりと笑って返す。

「材料から、どのようなお菓子なのかを想像して楽しむのですわ。レシピ本には挿絵があることが多く、一度食べてみたいと想像の羽を広げるのです。また、お菓子に関する挿話などが書かれていることもあり、そのレシピが書かれた地域の歴史を感じさせてくれることもあるのです」

 また早口だこの人。レシピ本でここまで語れるのか、すごいな。

 そんな雑談をしているうちに、書庫に行った侍女が返ってくる。手には一冊の本を携えていた。
 侍女はその本をテーブルの上へと載せる。表紙には、『エイテンのお菓子五十選』とアルイブキラの言語で題字が書かれていた。

「塩の国の文字じゃないんですねー。よかった、私、外国語苦手でー」

 そうほっとした様子でトリール嬢が言った。

「はい、私は隣の大陸の文字も読めるので原本でも構わなかったのですが、どうもこれはエイテンが他国に向けて自国文化を広めるために大量に翻訳されたもののうちの一つのようなのです。カラーで印刷されているので、国が発行した本だと思いますわ」

「初耳」

 ファミー嬢の長い言葉に、そう一言だけ述べたのは当のエイテンの王族であるハルエーナ王女。
 まあ、第三王女ともなれば知らない国の事業も存在するだろう。

「では、早速見ていきましょうかー」

 トリール嬢がレシピ本の表紙をめくる。説明通り、カラーの挿絵が入れられた活版印刷の本だった。
 私達はそれを見ながら、これが美味しそう、これは形が美しいなどと感想を述べながら読み進めていく。ファミー嬢は終始笑顔だ。

「わたくしは、この水草から作るお菓子が特に興味深いと思っていたのです。水草など、普段口にしない植物ですわよね? どのような食感なのか、想像も付かなくて楽しくて仕方なかったのです」

「この水草なら、取り寄せれば準備できますから、今度作ってみますねー。一緒に食べましょうー」

「はい、是非に!」

 そうファミー嬢とトリール嬢が盛り上がる。
 ハルエーナ王女は、おそらくこれを食べたことがあるな。食感のネタバレをしないよう黙っているのだろう。
 ちなみに私もレシピは聞かなかったが、一度食べたことがある。美味しいよ。

「あ」

 トリール嬢がめくったあるページで、ハルエーナ王女が声をあげた。

「私これ好き!」

 珍しく、ハルエーナ王女が強い語調でそう主張した。
 なになに、と他の私達は本のページを覗き込む。菓子の名前はピピン・チャー。挿絵は……花の形をした何かだった。

「ふむふむ、これはー」

 トリール嬢がレシピを精査する。

「簡単に言うと、でんぷんのお餅ですねー。中に色々混ぜているので、どんな味になるのか作ってみるのが楽しみですー」

 色を付けたでんぷん餅を花びらの形に成形しているのか。
 王女が好きと言っているのだから、格式には問題はないだろう。他の問題があるとすれば……。

「材料、用意できそうですか?」

 そうトリール嬢に私は尋ねてみた。一応の確認だ。

「問題ないですよー。塩の国独自の材料とかないので、この国で材料は集まりますよー」

「それはよかった」

 トリール嬢の言葉に、私はほっと胸をなで下ろす。
 どうせなら、ハルエーナ王女が好きという菓子をお茶会で使わせてあげたいからな。

「あ、でも今から作るには苦苦芋(にがにがいも)が足りないですねー。苦苦芋のでんぷんを使うみたいです、これ。私の厨房では別のでんぷんを使っているんですよー」

 そうトリール嬢が言う。そうか、今すぐは無理そうか。一応、私は残りの二人に確認してみる。

「ハルエーナ様かファミー様の宮殿の厨房に、苦苦芋ってあります?」

「食べたことないから多分ない」

「解らないですねー。ちょっと聞いてみます」

 ハルエーナ王女はないとすぐに断言し、ファミー嬢は侍女を厨房に派遣した。
 そして侍女が帰ってくると「無いそうです」とはっきりと言った。

「でんぷんを取るための芋で、食べるにはちょっと苦すぎますからねー。普通の厨房にはないと思いますー。でんぷんも別のものが一般的でして」

 そうコメントを述べるトリール嬢。まあ、そうだよね。仕方ないか。
 だから、ないなら取りにいけばいい。

「調達しに行きましょうか」

 私のその言葉に、ハルエーナ王女が反応する。

「市場、今から行く?」

「まあ、市場に行けば確実にあるとは思いますが、その前に後宮内で探してみましょうか」

 私がそう言うと、三人は不思議そうな顔をする。
 またもったいぶった言い方をしてしまったかな。

「芋と言ったらバルクース家。白菊の宮のミミヤ様を訪ねてみましょうか」

 そうして私達一行は、ファミー嬢を新たに仲間に加え、白菊の宮を目指すことになった。



◆◇◆◇◆



「ありますわよ。あの地面の中で育つタイプの芋ですわよね? 厨房に転がっていますから、好きなだけ持ち出してくださいな」

 そうあっさりと、ミミヤ嬢は答えを述べた。
 本当に後宮にあったよ、苦苦芋。さすがすげえぜ芋伯爵家。

「珍しいですねー。でんぷんではなくて芋の形で保管しているのは」

 そうトリール嬢がミミヤ嬢に言う。
 そうね、とミミヤ嬢は答える。

「収穫したのをそのまま送ってくるのですわ。大変なのはシェフだといいますのにね?」

 なるほど、産地直送と。

「それよりも、これはいったいどんな集まりですの? 急に芋の所在など聞いてきて驚きましたわ」

 そう不思議そうな顔でミミヤ嬢が聞いてくる。
 代表して、私が答える。

「今月のお茶会はハルエーナ様が担当することとなりました。そこで、お茶請けにエイテンのお菓子を用意することになったのです。試作するに当たって、苦苦芋が足りなかったため訪ねた次第です」

「なるほど、お茶会の。ファミー様までいらっしゃるのは何故かしら?」

 さらに疑問を重ねてくるミミヤ嬢。

「わたくしの蔵書の中からレシピ本を提供いたしました」

 そのファミー嬢の答えに、再びなるほどと納得したミミヤ嬢。
 そして、彼女はまた言葉を続けた。

「そうですわね。試作でも本番でも当家の苦苦芋を使用していただいて構いません。その代わり、私にもお茶会に協力させてくださいな」

「助かる」

 ハルエーナ王女は簡潔にそう返した。
 それにミミヤ嬢は満足そうに笑みを浮かべると、ハルエーナ王女に向かって言った。

「それで、お茶請けはエイテン風とおっしゃいましたが、お茶会自体はどちらの国のスタイルでやるのでしょうか? アルイブキラ風? エイテン風?」

「アルイブキラ風でやる。皆の負担にならないだろうから」

「でしたら、今度青百合の宮にお邪魔させていただいて、お茶会のマナー講習をさせていただきますわ」

「ありがとう」

 そのように二人で話はまとまったようだった。
 そんなやりとりを見守っていたファミー嬢は、やや驚いたような顔をして言う。

「すごいですわ。バルクース家のマナー講習と言えば、お金を払ってでも受けたがる貴族の憧れですの」

「そうなんですか? この前、ダンスレッスンと食事マナー講習を受けたのですが」

 私がそう言うと、ファミー嬢は本が絡んでいないからか弱々しい声で答える。

「あれはミミヤ様の善意で行ってくれているのです。侍女まで講習をさせていただけるなんて、破格ですわ」

 確かに、本来はお金を払って家庭教師なりを付けて学ぶことだ。それを無料で教えてくれるなんて、完全に慈善事業である。
 数いる王妃候補者の中で、飛び抜けて後宮への貢献度が高いな……。

「さて、では苦苦芋をいただいて、青百合の宮でお菓子作りしましょうかー」

 トリール嬢が拳を掲げて、気合いを入れる。
 そんな十五歳の微笑ましい姿を見守る十九歳のミミヤ嬢は、優雅に微笑んで言う。

「私は当日までの楽しみにしておきたいので、成功するのをここで祈っていますわ」

 今回は同行者が増えなかった。当日まで味見しないというのも一つの選択か。
 そして、私達は厨房へと案内され、シェフのおばさんに大量の苦苦芋を渡されるのだった。あ、ちょ、多すぎない? いいから持っていきなって? おばさん強いな。



◆◇◆◇◆



 でんぷん、すなわち片栗粉。それの作り方。まず、火は使わない。
 皮を剥いた苦苦芋を細かくすりおろす。
 それを布で包み、水の中へと入れる。布をゆらしたり揉みほぐしたりすると、でんぷんが水に溶けていく。

 その水をしばらく放置すると、でんぷんが下に沈殿する。
 そうしたらでんぷん部分を残して水を捨てる。
 これで抽出は完了。あとは乾燥させて粉にする。
 粉になるのにかかる時間は……。

「半日ってところですねー。なので、キリンさん魔法でぱぱっとお願いしますー」

「ここで私頼みですか。まあ構いませんが」

 加熱せずに、しゅわっと水分を蒸発させる。こういう細かい術も、魔女仕込みで習得しているのだ。
 私がこれ使えなかったら、お菓子作りが明日に延期していたところだな。

 と、そんなとき、厨房に思わぬ侵入者が!

「あややや、『ねこ』が苦苦芋食べていますわ」

 ファミー嬢が力のない悲鳴をあげた。そう、猫がでんぷんを搾り取った後のすりおろし苦苦芋をもぐもぐと咀嚼しているのだ。
 ここは厨房だ。毛のある動物の侵入はさすがに困る。
 なので、ハルエーナ王女を刺客として差し向けた。

「ハルエーナ様。猫と厨房の外で遊んでいてください」

「解った。『ねこ』、おいで」

 一心不乱に芋の残骸をむさぼる猫をハルエーナ王女は抱え、厨房を出ていった。

「では、作りましょうか。レシピをしっかり守ってやりましょうー」

 そうトリール嬢が宣言し、花のでんぷん餅、ピピン・チャーの作製が開始された。
 慣れた手つきのトリール嬢が、つたない動きのファミー嬢をサポートする。
 調理は滞りなく進み、色の付いた花のお菓子が無事に完成した。

「やりましたねー」

「お菓子作りは初めてですが、これはそんなに難しくないのですね」

 喜ぶトリール嬢に、感慨深げにするファミー嬢。ハルエーナ王女がいないのが残念だが、侍女とかに猫を任せて戻ってこないということは、作る過程は彼女にとってそう重要ではないのだろう。

 そしてお昼ご飯前の青百合の宮で、試食のお茶会を開いた。
 ハルエーナ王女とトリール嬢にとっては本日何杯目のお茶だろうか。

 試食を終えた私達は、国王とのお茶会が開かれるまでに、お菓子の感想を他の人に秘密にしておくことにした。
 別に味は悪くない。単なる当日まで楽しみにしていてねってやつだ。

 国王とのお茶会まであと十日。準備は着々と進んでいくのであった。



[35267] 48.一味同心ティーンエイジ系探偵不要ティーパーティ<4>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/10/17 01:19
 冬の八月も中旬に近づいてきた頃、今日もパレスナ嬢はアトリエで絵の練習をする。
 どうやら満足のいく出来のものが仕上がったようで、今は一枚の絵を前にモルスナ嬢とああだこうだと何やら言い合っている。
 私から見たら「とても上手い」としか表現できない絵だ。なので、彼女達の話に口を挟める領域に私はいない。
 そして数分の話し合いの末、この絵はゼリンに見せる一枚に決まったようだった。

 そしてモルスナ嬢は、椅子に座って一息つく。

「それにしてもこの部屋は暖かくていいわね」

 そんな独り言のような台詞をぽつりと言った。
 それをしっかり聞いていたのか、パレスナ嬢はにっこりと笑う。

「いいでしょう、侍女暖房。一宮殿に一人欲しい人材よね、この子」

 などと言いながら、彼女は私の方を見てきた。釣られてモルスナ嬢も私の方を見る。
 そう、この部屋は今、私が魔法で暖めている。魔法暖房は火を使うが、私の魔法は火が出ないため火事の危険性がないので安心だ。

「うちの宮の暖房も魔法道具ですごいけれど、それでも火元から離れると冷えるのよね」

 と、床の魔法陣を見ながら言うモルスナ嬢。
 後宮の魔法暖房は、一部屋一個という感じでさほど火力は高くないからな。前世の雪国の石油ストーブなんかは、たった一つで家全体を暖められるらしいが。

「空気を対流させて、部屋全体に熱が伝わるよう魔法陣を調整しています」

 私は、そうモルスナ嬢に魔法の説明をいれる。それを聞いたモルスナ嬢は、椅子から立ち上がり、私の方へと近づいてくる。
 そして、私の前に立ち、腰をかがめて視線を合わせ、右手で私のアゴを持ち上げ――

「ねえ貴女、今からでも私の侍女にならない?」

 スカウトの言葉をいただきました。

「あ、こら。キリンは私のものよ。あげないわ」

 そうなんだよねえ。パレスナ嬢の侍女という立場は譲れないんだよな。なぜならば。

「申し訳ありませんが、国王陛下から直々の命令でパレスナ様に付くよう言われておりますので……」

「あら、そうなの。陛下が相手じゃ、どうしようもないわね」

 そう言ってモルスナ嬢は薄く微笑みながら私のアゴから手を離した。
 私はそんなモルスナ嬢に向けて言う。

「パレスナ様が相手ならなんとかなったんですか」

「そうね。何せ叔母でお姉様だからね」

「いやいや、陛下関係なしに渡さないわよ」

 笑うモルスナ嬢に、渋い顔をして言い返すパレスナ嬢。そして、モルスナ嬢は、ひらりと私の前から動くと、その隣に立っていた侍女のビアンカに抱きついた。

「じゃあ、ビアンカをもらうわ。パレスナのところは小さな子達ばかりで面白そうでずるいわ」

「ビアンカも駄目!」

 パレスナ嬢は立ち上がってモルスナ嬢を引き離しにかかる。
 突然話の渦中に巻き込まれたビアンカはというと。

「私はお母さんと一緒の仕事場が良いですー」

「あら、さすがに私でもフランカは引き抜けないわね。振られちゃった」

 そう言って、モルスナ嬢はビアンカから離れ、元の席に戻った。意外とお茶目な人なんだなぁ、この人。
 パレスナ嬢も、私の侍女は守り切った!と言って椅子に座り直す。
 そこからは雑談タイムとなった。今日の絵は先ほど完成した分で良いということだろう。
 令嬢二人と侍女二人の四人で、会話を交わしていく。そんな中で、ふとお茶会の話題になった。

「キリンはハルエーナに協力していたみたいだけど、準備は進んでいるのかしら」

 そうパレスナ嬢に話を振られたので、正直に答えておく。

「ええ、順調ですよ。茶葉の選定は終わりましたし、お茶菓子も決まり試食も済ませました」

「塩の国のお菓子なのよね。楽しみね。どんな味だった?」

「それは当日のお楽しみということで」

 パレスナ嬢の質問への答えは、秘密としておいた。ただ、美味しいのは保証する。

「私も食べてみたいです!」

 そうビアンカも話に乗ってくる。お茶会は王妃候補者だけがお茶をするので、侍女は食べずに後ろで待機するのみだ。試食に参加していないビアンカは当然最後まで食べられないことになる。それでは可哀想なので、私はビアンカに向けて言った。

「じゃあ、お茶会が終わった後に余ったおかわり分をもらえるよう、ハルエーナ様に頼んでおきましょうか」

「わーい!」

 喜んでくれたようで何よりだ。ビアンカと仲の良いハルエーナ王女なら、否とは言わないだろう。
 そして、お茶会の話題と言えば、一つパレスナ嬢に言っておかないといけないことがある。

「パレスナ様、お茶会の前日ですが、私、青百合の宮にお手伝いに行ってきますね。力仕事の協力要請を受けているのです」

「あら、力仕事なんてわざわざ侍女がやるのかしら?」

 不思議そうな顔をしてパレスナ嬢が問う。まあ、普通はそう思うだろうな。

「いえ、本来なら下女の仕事ですが……さらに言うなら男の下男達の仕事ですが、後宮は男子禁制なので……。女手だけではテーブル運びなどが心許ないので、力に自信のある私が駆り出されることになりました」

「あら、そうなの。こんな小さいのに力持ちなのよねえ」

 ええ、背は小さいけど高性能が売りですよ。
 そんな雑談を繰り広げていたときだ、フランカさんがノックをしてアトリエに入ってきた。
 そして、モルスナ嬢に一礼してから、主のパレスナ嬢に向けて言葉を放つ。

「午後からハンナシッタ殿下が来訪されます」

「あら、ナシーが」

 パレスナ嬢が意外、といった顔でそう返事をした。
 一方、モルスナ嬢は平静な顔でそれに続けて言う。

「殿下がいらっしゃるなら、準備とかあるでしょうから、私はもう帰るとするわ」

 そうしてアトリエでの雑談はお開きとなった。
 午後からやってくるというハンナシッタ殿下。愛称ナシー。
 フルネームはキアン・ハンナシッタ・バレン・ボ・アルイブキラ。
 その正体は、国王の妹。王妹殿下。いわゆる王族というやつだ。



◆◇◆◇◆



 午後、薔薇の宮の広間で、ナシーをお迎えする。来客室まで案内する侍女の仕事は、今回私の担当だった。

「ようこそいらっしゃいました、ハンナシッタ殿下」

 ナシーに向けてうやうやしく侍女の礼を取る。
 ナシーは銀髪金目の鋭い雰囲気を持つ妙齢の女性。確か、今年で十七歳だったか。

「ああ、久しいなキリン。本当に侍女をしているのだな。どうか前のようにナシーと呼んでくれ」

 ナシーはそう困ったことを言ってくる。そりゃあ仲の良い国王の妹という関係上、昔からこの子とはよく会っていて、心の中ではこうしてナシーと呼んでいるけれども。しかし、今の私には立場がある。

「今は侍女ですので……」

 そう断ろうとしたが、ナシーは悲しそうな顔をこちらに向けてくる。

「ナシー殿下、と」

「ああ、それで妥協しよう」

 許された。殿下は付けていいのか。
 侍女の仕事に戻ろう。私はナシーのコートを脱がすと、広間に据え付けられているハンガーラックにそれを掛けた。
 そして、お付きが一人いるので、その人からもコートを受け取る。人……いや、人じゃないなこれ。天使だ。天使の証である白い鹿のような角が二本頭から突き出ており、首の後ろからはとげとげが突き出ている。髪は短めの白髪で、女の姿をしている。
 私は天使のコートもラックに掛けると、二人のもとへと戻る。

「どうも、またお会いしましたね」

 天使にそう挨拶される。はて、この天使とは会ったことがあったか……。ああ、そういえば一ヶ月ほど前に、騎士ヴォヴォと緑の騎士団の副団長の結婚式で見かけて、目礼を交わしたことがあったな。そのときもナシーのお付きであった。

「はい、以前はどうも。私、キリンと申します」

「これはどうも。ナシーの護衛のようなものをしております、ヤラールトラールです」

「天使様が護衛とは、心強いですね」

 私がそう言うと、ナシーは力強く頷いた。

「うむ、ヤラは強い。私では到底かなわないな」

 ナシーは武術をかじっている。その技量は騎士と数分も打ち合えるほどなのだが、この天使はそれよりも強いようだ。
 まあ、天使や悪魔って、基本的に強いからな。

「悪魔を何体も討伐しているキリンと、果たしてどちらが強いか、気になるものだな」

 そんなことを言い出すナシー。
 私はそんなナシーに向けて諭すように言った。

「天使とは戦ったことがありませんが……そもそも戦うような相手ではありませんよ。悪魔ならいざしれず」

 だが、天使は私の言葉に苦笑した。

「天使と悪魔という区分は、世界樹や人間がそう決めただけで、本質的には同じですよ。私達は皆、上位存在の端末なのです」

 そう。天使や悪魔は火の神が地上を監視し、介入するための端末なのだ。本人達は天使や悪魔といった区分はどうでも良いと思っている。人間からすれば、人に益あるものと人に害あるものなので、大違いなのだが……。

「それよりも、貴女からは私達と同じ気配がします……。どうやら人間のようですが」

 天使が私をじっと見つめながらそう言った。
 それは他の天使にも言われたことがある。前世の死後、魂が天界を通った弊害だろうな。

「私達の上位存在の祝福でも受けているのですか?」

「いや、そういうのはないですね。あったら便利だとは思いますが」

 勇者が受けるという火の神の祝福。その効果は、分割思考の習得だ。その副次効果で頭がよくなったり、思慮深くなったり、咄嗟の判断に優れたりするわけだ。火と名に付いているが、別に耐火能力は上がったりしない。
 火の神もどうせ私の魂に匂いを付けるなら、分割思考もセットで付けてくれればいいのに。

 まあ、良いだろう。あまりここで雑談するのもなんだしな。

「では、お部屋へご案内します」

「ああ、よろしく頼む」

「お願いします」

 そうして私は二人を来客室へと案内した。来客室では、パレスナ嬢が立ってその訪れを待っていた。

「久しぶりね、ナシー!」

「ああ、久しいなパレスナ。元気そうで何よりだ」

 そう言って二人は、互いに近づくそして。

「いえーい!」

 ハイタッチした。以前国王ともやってたけど、なにそれ流行ってるの?

「そちらの天使様は初めましてね!」

「はい。ヤラールトラールです」

「私はリウィン・パレスナ・エカット・ボ・ゼンドメル。パレスナと呼んでね!」

「よろしくお願いします、パレスナ。私のことはヤラと」

「ええ、ヤラ、よろしく。私、天使様を見るのって初めてだわ!」

 どうやらパレスナ嬢と天使の二人は無事に打ち解けたようだった。なにやら握手などを交わしている。
 そして、パレスナ嬢はナシーの方へと向き直り、言った。

「それにしても、私が後宮に来てから訪ねてくるのは初めてね。嬉しいわ」

「ああ、それがな。兄上の王妃選定が終わったら、次は私の配偶者候補を後宮に入れることになった。下見をしにきたんだ」

「あらそうなの。ナシーもとうとう婚約ねぇ」

「未だ恋などしたことがないから、配偶者を決めろと言われても困るものだが……」

「大丈夫、貴女にもきっと素敵な出会いがあるわ。私と違ってこの後宮が舞台になるけどね!」

「そうなると良いのだがな」

 そう言って笑い合うパレスナ嬢とナシーの二人。
 しかしパレスナ嬢。こんなことを言っているがナシーはかなりの恋愛小説好きだぞ。きっとカヤ嬢に会わせたら一晩語り合いそうなくらいだ。
 そういう点では、恋愛漫画家のモルスナ嬢とも話が合いそうだな……。

 そうして立ったまま話に盛り上がる二人。
 最初はお互いのことを話していたが、やがて横にいる天使のことについて話題が移った。

「天使様をこうして間近で見る機会があるなんて……あ、そうだ、ヤラを絵に描いていいかしら?」

「絵ですか? 構いませんよ」

「本当! ええと、この部屋の画材はどこに置いたかしら……」

 天使にモデル役を取り付けたパレスナ嬢が、何かを探す素振りを見せた。
 それを察知したのか、ビアンカが動いて部屋の装飾品を飾る棚から、紙束と鉛筆を取り出してパレスナ嬢に渡した。
 ちなみにもう一人の侍女であるフランカさんは、いつの間にか入室していて、テーブルに三人分のお茶を配っている。

「ありがと。それじゃあちょっと描かせてもらうわよ」

「ええ、どうぞ」

 パレスナ嬢が鉛筆を紙の上に走らせる。
 そんな彼女の様子を楽しそうな目でナシーは見ていた。

「実はパレスナは有名な画家なのだ」

「なるほど、そうなのですね。もしや部屋に飾られていた……」

「ああ、家族の肖像画だな。パレスナに一年前に描いてもらった」

「自信作よ!」

 ナシーと天使の会話に、そう割り込んで誇るパレスナ嬢。その間も絵を描く手は止まらない。
 そして、天使の頭部を観察しながらパレスナ嬢が言った。

「立派な角ねえ」

 その言葉を受けて、天使は苦笑する。

「この角は、自前のものではなく世界樹によって付けられているのです。世界樹は私達端末を、天使と悪魔に区別したがるので」

「へー。じゃあ、このうなじのとげとげは?」

「これは、上位存在と情報をやりとりするための重要な通信器官です。アンテナと言います」

「上位存在って火の神のことよね。アンテナ、格好良いわねー」

「褒められると嬉しいですが、そう見つめられるとどうも気恥ずかしいですね」

 天使にとって首後ろのアンテナは、誇るべき部位らしい。
 そしてさらにパレスナ嬢は問う。

「その他に、天使様と人間で外見上違うところはあるの?」

「いえ、端末は人間を模して作られているので、違いはありませんね」

「ヤラは女性の姿ね。天使様の中には男性もいるのよね?」

「ええ、私は女性型です。ただし、生殖機能はありません」

「なるほどねー」

「失礼、お茶をいただいていいですか?」

「あ、どうぞどうぞ」

 ずっと立ったままだった天使が、着席してお茶のカップを手にする。

「雪の降るこの季節は、きついものがありますね」

 お茶をすすりながら天使がそう言った。

「ヤラは寒いのが苦手なの?」

「私達端末は、火の性質を持っていますから、苦手です。だからこうして、熱いお茶やスープから熱を取り入れてしのぎます。お茶菓子はすみませんがいただきません」

 お茶請けとして出されていた焼き菓子には手を付けない天使。
 天使や悪魔は熱で生きるため、熱くない食物は基本的に摂取しないのだ。

「代わりに私がいただこう」

 いつの間にか着席していたナシーが、天使の分の焼き菓子を手元に引き寄せた。よく運動するぶん、彼女は割と大食らいなのだ。体形はむしろスリムなくらいなので、これくらい食べて丁度良いくらいなのだろう。

 その後も数十分ほど三人は雑談を繰り広げた。
 そして、ナシーが別れの話を切り出した。

「さて、短い訪問となったが、他の宮殿も見て回らねばならぬのでな。ここいらでおいとましようと思う」

「待って、もう少しヤラを描かせて」

「いや、そう言われてもだな……」

「あとちょっと、あとちょっとだから! あ、それと色も塗らせて!」

 パレスナ嬢の突如のご乱心に、困った顔をするナシーと天使の二人。

「一日! 一日モデルをしてくれたら肖像画ができるから!」

 あまりにあんまりな主の姿に、私も苦笑を禁じ得ない。そして、ふとフランカさんと目が合う。
 やりますか? やりましょう。
 私とフランカさんはパレスナ嬢の腕を掴み、部屋の隅に引きずっていく。

「あ、ちょっと二人とも何するの!」

「ビアンカ、お二人はお帰りですので、ご案内して」

 フランカさんはパレスナ嬢の言葉を無視して、ビアンカにそう指示を出した。
 ビアンカは「はい!」と元気に返事をして、二人を促し退室させた。

「ああ、せっかくの題材が……」

 パレスナ嬢ががっくりとうなだれる。
 そして、ナシーと天使の二人は無事に薔薇の宮を去っていった。

 その後のパレスナ嬢はというと、記憶が残っているうちにといってドレスを着替えアトリエに籠もり、一心不乱に天使の絵を描き出した。
 仕方なしに、私は魔法で天使の幻影を出して、モデルの代わりを用意してあげた。そして、夕方になって幻影を消して侍女宿舎に戻ろうとすると、今度は私が引き留められた。
 主のその様子に、私とフランカさんは笑うしかなかった。いや、さすがに夕方以降に絵を描くのは止めよう。
 パレスナ嬢は良い主なんだけれど、こういう面もあるのだなぁ。



[35267] 49.一味同心ティーンエイジ系探偵不要ティーパーティ<5>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2020/10/27 05:31
 8月20日。冬も半ばを迎え、一番寒い時期となった今日この頃。
 城下では暖炉に薪なり炭なりを入れて、懸命に暖を取ろうとしていることだろう。だが、ここ後宮では魔法道具の暖房が、魔力を使って簡単に室内を暖めてくれる。
 そんな薔薇の宮、主の私室。パレスナ嬢が、その美しい容姿を侍女三人がかりで磨きあげられていた。
 そう、今日は国王とのお茶会の日。参加者の一人であるパレスナ嬢は、いつもより気合いの入った格好をすべき日なのだ。

「うん、だいぶ絵も煮詰まったわね。良い調子だわ。キリン、そろそろゼリンとの面会の予定を入れておいてくれる?」

 パレスナ嬢は私に髪をいじられながら、そう言った。彼女の視線の先、部屋の壁には彼女が最近描いた複数の線画が貼り付けられている。ゼリンに提出する挿絵サンプルの準備が整ったということだろう。
 だが、今はそれどころではない。

「了解しました。ですが、今はお茶会のことを優先して考えてくださいね」

 私はそう言いながら、パレスナ嬢の美しいブロンドの髪を結わえていく。
 フランカさんが顔に化粧をほどこしているので、できるだけ頭を揺らさないようにしながらだ。ビアンカは指の爪にマニキュアを塗っていっている。

 何故こんなに同時進行になっているかというと、パレスナ嬢が「神が降りてきた」と言って、線画描きを午後になっても続けていたからだ。どんな神か聞いてみたところ、漫画の神らしい。世界超えてきたのかよ漫画神。
 せっかく私も昼に侍女宿舎に戻らずに、薔薇の宮にずっと詰めていたというのに、この始末である。

 ただ、一応まだ時間に余裕はある。でも、フランカさんとしては、早めに現地入りを済ませたいらしかった。
 次期王妃として、他の令嬢を現地で迎えるのが大事だとかなんとか、私にはよく解らないことを言っていた。

 よし、髪の毛終わり。
 魔法で鏡を作り、それをパレスナ嬢の周囲に漂わせて様々な角度からチェックする。
 うん、問題なしだ。私は化粧を続けるフランカさんへと報告する。

「フランカさん、終わりました」

「では、キリンさんも自分の身だしなみを再度確認してください」

「了解しました」

 私は部屋に据え付けられている姿見の前に立ち、毎日朝昼やっているのと同じように身だしなみのチェックをした。
 うん、服装に問題なし。三つ編みにほころびなし。化粧はしていないので顔色は問題なし。主より目立つ要素もなし。ばっちりだ。

 私は姿見の前から、パレスナ嬢のもとへと戻る。
 そこには、化粧を終えてドレスも完璧に整えられた美しい次期王妃がいた。
 はー、いつもは薄いメイクだけど、ばっちり決めたら年齢がいくつか上の大人の女性に見えるんだな。二十代後半の国王と並ぶには、こちらの方が似合うだろう。

 そうして準備を整えた私達は薔薇の宮を出発した。
 外は雪模様。さすがにお茶会のためだけに、天候を整えることはしてくれないらしい。
 パレスナ嬢が雪で濡れないように、フランカさんは大きな傘を掲げている。侍女らしい行為だが、こればかりは私とビアンカでは背が足りないので代役になれない。

 お茶会には侍女三人までの同行が許されている。護衛はなし。まあ、私が護衛の代わりになるので問題はない。

 薔薇の宮から歩いてすぐ、青百合の宮に辿り付く。
 今日は珍しく、青百合の宮の前には門番が立っていた。エスコート役なのか、はたまた国王が来るから一応の警戒をしているのか。
 私達は門番に促され、青百合の宮へと入場した。入口すぐの広間では、お茶会のセッティングがすでに整えられていた。

 四角く囲むように設置された長テーブル。そこに豪華な椅子が並べられている。
 私も昨日は力仕事をするための要員として駆り出され、ここで設置を手伝っていた。
 普段宮殿の外で使われている七人座れる巨大な円卓は、宮殿内に通せる大きな搬入口がない。
 そのため、仕方なく長テーブルを組み合わせている。まあ、機能に問題はない。

「ようこそいらっしゃいました」

 主催のハルエーナ王女がパレスナ嬢を迎え入れる。それを受けたパレスナ嬢はにっこりと笑いかけると、王女に向けて言った。

「今日はよろしくね。故郷の味、楽しみにしているわ」

 そして私達はコートを脱ぎ、青百合の宮の侍女に渡す。入口すぐの広間だが、暖房のおかげか中は暖かい。
 その場でパレスナ嬢のドレスのチェックを簡単に行い、私達は席へと案内される。

 薔薇の彫刻がなされた椅子。それがパレスナ嬢の席だ。テーブルに添えられたいくつかの椅子には、それぞれの宮殿の花が彫られている。
 薔薇の彫刻の椅子の隣は、モルスナ嬢のものと思われる紫陽花の彫刻の椅子だ。
 他にも、青百合の隣は白詰草。牡丹の隣は白菊となっている。

 ただし、唯一隣り合った席のない一つだけの椅子には、花が彫られていない。
 代わりに彫られているのは国章だ。国王の座る席ということだろう。それら合わせて全部で椅子は七つだ。

 フランカさんが椅子を引き、パレスナ嬢が着席する。そして、他の王妃候補者の方々がやってくるのを待った。

「ごきげんよう。お元気ですか?」

 まず初めにファミー嬢が登場した。着席したファミー嬢に、パレスナ嬢が話しかける。

「挿絵の参考本助かったわ。おかげで良い挿絵サンプルが描けたわ」

「左様でございますか。またご所望の本があればいつでもおっしゃってくださいね」

 そう言葉を交わすうちに、モルスナ嬢がやってきた。
 席へと案内された彼女に、またパレスナ嬢が話しかける。

「モルスナお姉様、ゼリンへ見せる線画が揃ったわ」

「あらそう。じゃあ、会いに行く日取りが決まったら教えてね。私も同行したいわ」

 次にやってきたのはミミヤ嬢である。
 着ているのはいつものような古風なドレスではなく、それを冬に着るのかという感じの大胆なドレスだった。

「ミミヤ、今日は色っぽいわね。大人って感じ」

「皆様の中で私が一番年上ですもの。大人っぽいのは当然ですわよ」

 パレスナ嬢の言葉に、ミミヤ嬢はそう言って微笑んだ。色っぽい。
 そして最後にやってきたのはトリール嬢だ。緊張しているのかやや動きが硬い。そんなトリール嬢にパレスナ嬢は優しく声をかけた。

「あら、新しいドレスかしら。似合っているわよ」

「ありがとうございますー。成長期なのか、前のドレスがとうとう合わなくなりましてー」

 そう言ってトリール嬢は笑った。緊張はいくらか解けたようだ。
 王妃候補者が全て揃った。パレスナ嬢が話を振って、皆で歓談するうちに一人入口横で立ったままだったハルエーナ王女が言った。

「これより国王陛下がご入場なされます。皆様、お立ちになってお待ちください」

 その言葉を受けて、令嬢達が立ちあがる。皆の間に緊張が走った。
 宮殿の扉が開かれ、まずは女性の近衛騎士が入室する。その後に、国王が革製の格好良いコートを着て宮殿に入ってきた。
 それを王妃候補者達は淑女の礼でもって迎え入れる。私も、パレスナ嬢の席の後ろで、国王に向けて侍女の礼を取ってじっとしていた。

「やあやあ、皆揃っているね。寒い中ご苦労様だよー」

 そう言いながら、近衛騎士達の手を借りてコートを脱いでいく国王。
 コートの下はいつもの下町貴族風ファッションではなく、豪華な国王らしい衣装を着ていた。さすがに奴でも場はわきまえるらしい。

 そして国王はハルエーナ王女にエスコートされ、指定の席へと向かう。
 国章が彫られた椅子に着席し、皆に向けて言った。

「さ、みんな座っていいよ。あとは殿下、よろしくね」

 国王に促され、王妃候補者達は一斉に着席した。
 と、そのときどこからか猫がやってきて、ハルエーナ王女の腕の中に収まった。
 それを見て、国王は面白そうに笑う。

「ははっ、それが『ねこ』かい? 最後のお客さんの登場だねー」

 その言葉に、皆の表情に笑みが伝わった。
 そしてハルエーナ王女は猫を抱えたまま侍女に指示を出し、お茶の準備が始められた。
 椅子と同じく王妃候補者それぞれの花の意匠がなされたカップに、お茶が注がれていく。ハルエーナ王女が先日言っていたが、この国で使われる茶葉カーターツーではなく、今回は塩の国で王侯貴族が用いている茶葉を使用しているらしい。
 さらに、トリール嬢が作ったお茶請け、ピピン・チャーが皆の前に並べられていく。

「お、これが話に聞いていた、殿下の国のお菓子かな?」

 国王がそう問いかけると、ハルエーナ王女は猫を抱えたまま頷く。

「ん、自信作」

「私がお菓子作りを担当させていただきましたー」

 トリール嬢が国王に向けてそうアピールをした。
 それを受けて、国王はにっこり笑う。

「これ絶対美味しいやつじゃん!」

 そして全員に茶が行き渡り、主催のハルエーナ王女が「アル・フィーナ」と食前の聖句を唱える。そして他の王妃候補者と国王も聖句を唱えた。聖なる光がテーブルの上に舞う。
 通常、お茶を飲むときにはわざわざ聖句を唱えないが、この国のお茶会の作法では聖句を唱えるのが正しいのだろう。
 皆、カップを持ち上げ、茶を一口飲む。

「!? がはっ!」

 すると突然パレスナ嬢がカップを取り落とし、その場でうずくまった。
 カップがテーブルの上に落ち、音を立てて割れる。
 何だ!? 毒か!?

「パレスナ様!」

 私はパレスナ様に駆け寄り、その身を抱えた。
 毒だとしたら、やるべきことは? 茶に毒が含まれていたとしたら、やるべきは胃洗浄!
 私は魔法で水を作りだし、水を操作しパレスナ嬢の口の中に注ぎ込む。さらには妖精を複数呼び出して、体調の調整を行わせた。

 かつて、私は王城侍女になるときに侍女長に言った。
 解毒魔法などこの世に存在しないと。
 毒は自然界に星の数ほど存在していて、様々な効果を人体に及ぼす。全ての毒を払える解毒魔法なんて万能魔法は、夢のまた夢だ。前世でやったTRPGなら、神官の解毒魔法で一発解消だったのになあ!

 パレスナ嬢の胃を洗浄する間にも、私は割れたカップに妖精を放ち、成分分析させる。
 毒の種類を特定できたら、対処できることもあるかもしれない。

「ど、毒!?」

 そんな誰かの呆然とした声が聞こえた。

「皆、お茶を飲むのを止めるんだ!」

 国王の注意の声が広間に響く。
 そう、毒を盛られたのがパレスナ嬢だけとも限らない。皆の間に、緊張が走る。

 胃の洗浄が終わり、パレスナ嬢が咳き込む。今すぐ命に別状はないようだ。
 いったい何を盛られたのか――え!?

 妖精が、分析結果を知らせてくる。
 その結果に、私は呆れ、そしてキレた。色々台無しにして、絶対に許さない。

「皆様、お静まりください。パレスナ様の命に別状はありません」

 私は皆にそう告げる。
 どよどよと場がざわめく。侍女や近衛騎士も合わせると、広間には相当な人数が詰めかけている。
 その中の一人、フランカさんが私に問いかけてきた。

「どのような毒か判ったのですか?」

 私はそれに大きく首を横に振った。

「いいえ、これは毒ではありません。――これは苦苦芋です」

 私の言葉に、一同は怪訝な顔をした。さらに私は言葉を続ける。

「おそらく、苦苦芋の苦味を何十倍にも濃縮したものが、カップに付着していました。それでパレスナ様は思わず咳き込んでしまったのでしょう」

 今もパレスナ嬢は大きく咳き込んでいる。いや、これは胃洗浄をした違和感からくるものだろうが。

「そして、この中にこんなことをしでかした輩がいます」

「待って、キリン!」

 私の言葉を遮るように、パレスナ嬢が叫んだ。

「こんなのただのいたずらでしょ。犯人捜しはいらないわ」

 犯人捜しなんてしても、誰も得はしない。いつだか、パレスナ嬢はそんなことを言っていた。
 探偵はいらない。平和に皆仲良く過ごすためには、それが一番だと。

 だが、頭にきている私はそんな言葉では止まらない。それにこれは、違うのだ。

「いいえ。犯人捜しではありません。これからするのは――悪魔狩りです」

 そう私は言った。悪魔。その言葉に、また場がどよめく。
 ああ、そうだ。悪魔なのだ。カップに付着した苦苦芋の液体には、悪魔を示す火の神の残り香が、これでもかとこびりついていた。小説みたいに、探偵の真似事をして推理をしようっていうんじゃない。状況証拠がいくつか揃っただけの話だ。
 だから、私は言う。

「私の考えが間違っていなければ、悪魔がこの中にいます」

 国王の護衛の近衛騎士達に緊張が走る。
 悪魔は人類の敵。火の神の無数に存在する分割思考のうち、人類に害をもたらす思考がこの世界に送り出している端末である。
 天使と悪魔は本来、火の神の端末という同列の存在だが、善悪を判断する世界樹の手によって見た目に判別が付けられるようになっている。
 しかし、天使や悪魔には変身能力がある。人の中に紛れ込むのだ。

 見分けの付かない害悪が人に混じっている。人々にとって、それは恐怖でしかない。
 だが、私は特別な感覚でその存在を探知できた。

「ハルエーナ様」

 私はそうハルエーナ王女に話しかける。
 皆の視線が王女に集中する。
 視線を向けられた王女は、猫を胸にかき抱いて身構えた。
 でも、大丈夫。貴女を悪魔扱いしようとしているわけではない。私は言葉を続けた。

「腕の中のそいつに問いかけてください。お前は悪魔かと」

 私の推測が正しければ、猫は悪魔だ。



[35267] 50.一味同心ティーンエイジ系探偵不要ティーパーティ<6>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/06/26 20:58
 腕の中の猫に、ハルエーナ王女は問いかける。

「『ねこ』、あなた悪魔だったの?」

「にゃー」

「嘘。私に嘘は通じない。解ってるはず」

「にゃー!」

 猫は突然暴れだし、ハルエーナ王女の腕から抜けだした。
 そして、すっとその場で姿が見えなくなった。透明化の魔法だ。
 だが、魔力ソナーで位置を掴める私から逃げることはできない。

 私は侍女のドレスのポケットから、今朝侍女宿舎で受け取ったままだった温石を取り出す。そして、それを透明化した猫に向けて投擲した。

「にゃっ!?」

 石が虚空で弾け、猫は姿を現わす。
 だが、それは猫ではなかった。変身の解けた悪魔。その生首。

「きゃああああ!?」

 突然出現した生首に、方々から悲鳴があがる。私はそれを無視して、生首に近づき、髪の毛を掴んで持ち上げた。
 白髪の美しい女性の顔だ。悪魔であることを証明する一本の黒い角が、額から突き出ている。首の断面では炎がちらちらと燃えていた。
 私はその正体に見当をつけて言った。

「隠された建国史に語られる、天使を詐称した悪魔ですね。建国王にその首を刈られて、地に埋められたと言います」

 美しい天使は建国王と共に新しい大陸で人々をまとめるが、ある日天使は人々を扇動し建国王を大陸の外に追いだした。
 それから、人々と建国王の間で戦が起こる。人々を打ち倒した建国王は、最後に己を裏切った天使の首を刈り殺した。
 天使の正体は悪魔だったのだ。
 しかし殺されたはずのその悪魔は、こうして生きていた。生首の状態でも生きているとか、人間とは根本的に異なる存在といえど、すごい奇妙だ。

「そういえば建国史なんてものも発掘してたね。それ生きてるの? その建国史の悪魔がなんでこんなところに」

 事態を見守っていた国王が、そう不思議がる。
 ある日地面から生えてきた遺跡からこの建国史を発掘したのは、王太子時代の国王と庭師時代の私だ。当然国王もその中身は熟知している。
 この建国史を踏まえると、悪魔の首のありかも判ってくる。私は国王に向けて言う。

「ほら、悪魔の首が隠されたのは、今の王城があったところだったでしょう? 地下工事の時にでも発掘したんじゃないですかね」

「ああ、牡丹の宮を再建した人達が、地下室作るときに白骨死体が大量に出てきたって泣いてたなー」

 マジかよ。地下数メートル掘っただけで、白骨死体が出てくるとか王城酷いな。

「おぬし、どうやって妾が動物ではないと見抜いたのじゃ」

 と、古風な言葉で悪魔の生首が、私に話しかけてきた。
 建国当時の言葉遣いだとしたら、ずいぶんと古くさいものだな。八百年前か。
 私はそんな生首に向けて説明をしてやる。一応、様子をうかがっている他の面々にも向けてだ。的外れなことを言ったら赤っ恥ものだな。

「ただの賢い猫じゃないって思ったのは、昼顔の宮でですね。この世界の人間では私しか知らないでしょうけれど、猫って人間と違って極端に熱いお湯に長時間浸かれないんですよ。発汗能力が低いので」

 なに、と悪魔が驚愕した。悪魔は熱を生きる糧とするから、温泉の掛け流しはさぞ気持ちよかったことだろう。しかし、あのお湯は前世のお湯の温度で言うと四十四度はあった。そこにひたすら当たり続けるとか、猫では辛いはずだ。
 火の神の祝福には耐火能力や耐熱能力はない。

「それに、ハルエーナ様があなたの嘘を見抜けると判った今となっては、初めて会ったときのやりとりも怪しいですね」

 こいつは日本からやってきたのかという問いに、イエスでもノーでも答えなかった。そして、日本人は自分の手下だと言った。
 まるで、嘘をつかずに、猫の自分が日本からやってきたかのように勘違いさせる言動。

 でも、実際は自分が日本からやってきたとは一言も言っていない。日本には火の神の世界に通じる天界の門があるだろうから、天界を通じて日本を知っていたのだろう。日本には古いカルト宗教として、火の神を崇拝する宗教が存在していたから、日本人が手下なのも嘘ではない。
 私は見事に勘違いしてしまったが、こいつは自分の出自をはぐらかしていたのだ。

「決定的なのは、今回の苦苦芋のお茶です。あなた以前、腹の中にずいぶんと苦苦芋を貯め込んでいましたね。今回使ったんですか? よくやるものです」

 試食のあの日、大量にでんぷん取りに使った苦苦芋をこいつは食べていた。悪魔は冷たいものを食べないので、食事目的ではない。
 腹の中で芋の苦味成分を圧縮して、こっそり薔薇のコップに塗りたくったのだろう。

「ハルエーナ王女が、いたずらで侍女などに指示して、苦苦芋の汁をカップに入れた線はありません。カップから、あなたの特徴である火の匂いがしますからね。体内で芋の苦味成分を圧縮したせいでしょう」

 問題はどうやってコップに塗ったか。
 国王がお茶会に参加するとあって、毒物が混入しないよう青百合の宮は、厳戒態勢にあっただろう。しかしだ。

「侍女達に見つからずにコップに近づくのは簡単です。なにせ、先ほど判明しましたが、あなたは魔法で姿を消せますからね。器用な魔法ですね」

 姿を消せるなら正直、犯行方法はなんでもありだ。犯人捜しの推理なんて、この時点で成り立たない。
 やはり名探偵なんていらなかったんだ。繰り返し言うが、私達がすべきなのは悪魔狩りである。悪魔は滅すべき人類の敵である。

「他には、白詰草の宮で本棚が倒れたときに、あなたも書庫にいましたね」

 あのとき書庫に居たのは、パレスナ嬢、ハルエーナ王女、ファミー嬢、ビビ、猫だ。パレスナ嬢とビビは被害者なので、容疑者から除外できる。残り二人は……実は容疑を否定する根拠はない。

 パレスナ様と仲よさげに本について語っていたハルエーナ様とファミー様が、本棚を倒したとは思いたくない。まあこれは私情だが。

「私は別に推理なりで、本棚を倒した真犯人を突き止めたいわけではありません。あなたが本棚倒しを条件的に実行できたかどうかが解りさえすればいいのです。あとは、あなたがやったのかとハルエーナ王女に聞いてもらえば解決です」

 私はちらりとハルエーナ王女を見る。彼女はこくりと頷いた。頼めばやってくれるということだろう。
 やっぱりこの子万能すぎる……。塩の国はよくこんな子、国外に出したな。もしかして王族全員この能力持っているとか? 読心魔法と比べたら、脅威でもないからいいのか。

 もし、本棚倒しの実行犯が実は悪魔じゃなくてハルエーナ王女だった場合は……、パレスナ嬢の言葉に従って、ただのいたずらで済ましてしまえばいい。私がしたいのは犯人捜しじゃなくて悪魔狩りだ。
 ファミー嬢? 彼女は本が入っていないにしても本棚倒すかね。書庫という存在そのものを愛していてもおかしくないぞ。

 ともあれ、私はさらに言葉を続ける。

「それになにより、私は天使や悪魔がその場にいるかを判別できるんですよ。あなたから嗅ぎ取れる、その火の匂いで」

 日本で生きていた猫が、地球から天界経由で転移してきた影響で、火の匂いがすると思っていた。だが、どうやら違うようだ。
 こいつが悪魔だから火の匂いがするのだ。近づかなければ判らないほど匂いが弱いのは、首だけで胴体が存在しないからだろう。

「ここまで情報が揃うと、あなたの正体を、お湯に耐えられて、特定の人間を狙っていて、本棚を倒せて、火の匂いがする賢い転移猫と解釈するのは正直苦しい。目的を持って人間に害を与えようとする、猫に化けた悪魔と解釈した方が自然でした」

 だから私はこいつを悪魔と推測した。確実に悪魔と断言できない状況証拠ばかりだが、揃いすぎると怪しくなるものだ。

「ぬぬぬ……」

 悪魔がうめき声をあげる。
 私はそんな悪魔に向かってさらに言う。

「さて、では話してもらいましょうか」

「話す? 何を話せと言うのじゃ? 妾はもう殺されておしまいなのじゃろ? ああ、幾年月も土の下で眠って、蘇ったと思ったら殺されるなど、妾は薄命すぎるのじゃー」

 はらはらと涙を流しながら悪魔がなげいた。うーん、首から下があれば、美しい泣き姿なんだろうな。

「話してほしいのは当然、犯行の動機ですよ。何故パレスナ様を狙っていたのか。それもわざわざ命に別状はない方法で」

「何故妾がいちいちそのようなことを話さねばならぬ」

「話さなければこのまま抹殺ですが、話せば陛下から温情がいただけるかもしれませんね?」

 私は国王の方を見る。彼はただ無言で頷いた。
 よかったな。まあ国王が与えても、私はそう簡単に温情を与えないがな。

「話す、話すのじゃ!」

 焦ったように悪魔が声をあげる。
 そして、悪魔はとつとつとと話し出した。

「その公爵令嬢を狙った理由は……、婚姻を諦めさせるためなのじゃ」

「へえ?」

 私は相づちを打って、言葉をさらに促す。

「有力な婚約者には不幸が訪れる。そうなると、婚姻を諦めると思ったのじゃ……。クーレンの血は絶やさねばならぬ。クーレンをこの大陸の主にしてはならぬというのが、我が上位存在の判断だからのう」

 クーレンとは、建国王のことだ。
 この悪魔がクーレンと敵対した理由は建国史に語られていなかったが、どうやら当時の新大陸の主の座を巡ってのようだった。この悪魔の上位者である火の神の意思には、別に推す人物でもいたのだろうか。

 なるほどね、と私以外で唯一隠された建国史を知る国王が一人納得している。
 私は悪魔に疑問に思ったことを問う。

「でも、パレスナ様が一人諦めたところで、別の候補者があてがわれるだけだと思うのですが……全員に嫌がらせをするつもりだったんですか?」

「そんなわけないのじゃ。適当に何人かいなくなれば、ハルエーナが王妃になれたのじゃ」

 え、私? とハルエーナ王女が驚く。
 私はさらに悪魔に問う。

「建国王の血は絶やすんじゃなかったんですか?」

「ハルエーナは別の大陸の出じゃ。子が生まれればクーレンの血は半分に薄まる。そして何代も別の大陸からの婚姻を繰り返せば、クーレンの血はほぼ絶えるのじゃ」

「ええっ、何その発想……」

 血を絶やすって、その手段が平和的すぎる……。話の行方を見守る周囲の雰囲気も、どこかゆるくなっていた。ハルエーナ王女に至っては、恥ずかしさからか顔を真っ赤にしている。
 というか建国から八百年も経っているんだから、すでに血も十分薄まっているんじゃないのか。

「もういっそ、直接国王の命を狙うなりはしなかったんですか……」

 私は平和すぎる悪魔というギャップに、思わずそうこぼしてしまう。
 まあ、狙った瞬間、悪魔は近衛騎士達に細切れにされていただろうが。姿だけ透明化しても、近づけば気づくぞあいつら。ここにいる女性の近衛騎士も当然できる。

「それは……おぬしが……おぬし達が悪いのじゃ!」

 髪を掴む私の手の下で、悪魔がなげく。

「おぬし達クーレンの血筋が……妾が地の底で眠っている間に、上からばかすか善意を注ぎまくりおってからに……。おかげで善に偏りすぎて、あまり悪いことがしたくなくなってしまったのじゃ」

「ああー、そういう……」

「命を狙うとか恐ろしすぎるのじゃあ……」

 悪魔の言葉に、皆が脱力するのが解る。

 国王は以前言っていた。後宮で善意数値を計測していると。
 多分、王城の他の場所でも計測しているだろう。
 そうして、王城全体から善の気を発するようにしていたのだろう。世界樹教の教えってやつだ。それが、王城の下の悪魔に注がれていたと。

 かつて火の神の祝福を持つ勇者が魔王に堕ちたように、善意に浸された悪魔が善の性質を獲得してもおかしくはない。
 魂が悪意に満ちても悪に堕ちなかった元勇者の精神のような、絶対不変の魂の記憶。そういうものが、おそらく天使や悪魔ら火の神の端末には存在していないのだろう。火の神の意向でころころと性質を変えるのが奴らだ。

 そして、過剰な善意は人から闘争心を無くす。
 こいつはまさに獰猛な虎から、牙と爪を抜かれた猫ちゃんになったのだ。

 そんな悪魔に、国王が不可解な面持ちをして言う。

「しかし変だなぁ。天使からの情報だと、今うちの王族を狙っている悪魔勢力は存在しないはずなんだよね。国家が安定しているからちょっかいはかけないって」

 そういえば、この国の王族は天使とのコネクションがあるんだったよな。ヤラールトラールだ。
 だが、それは仕方がない。私は国王に、この悪魔がおかしい理由を説明する。

「実は天使や悪魔って、本来うなじに天界と通信するためのアンテナがついているんですよ。それがないと、火の神からの指令を更新できないんです」

「そうなのじゃ! クーレンのやつめ、妾の首をアンテナごと刈り取りおったのじゃ!」

 この悪魔の生首にはアンテナがついていないため、王国暦にいう834年以上、天界からの情報をアップデートできていない。
 だから今も執拗に、この国の王族をどうにかしようと狙っているのだ。

「なので、アンテナつけてみましょうか」

 私はそう言うと、空間収納魔法からとある物品を取り出した。
 悪魔のアンテナの束。庭師時代、私は何度も悪魔を狩ったことがあるが、そのときの戦利品としていくつか回収したことがあったのだ。

「ひえっ、おぬし、妾達の臓器をそんなに収集しておるとか、シリアルキラーなのじゃ……」

 ええ、カルチャーショック。悪魔にとってアンテナって、外に露出した臓器扱いなの。天使のアンテナを褒めると照れるから、てっきり立派な尾羽とかそのあたりの扱いかと。
 私はとりあえず悪魔の言うことは無視することに決めて、首の後ろにアンテナの一つをぶっ挿した。

「あっあっあっあっ! ぬああああ!」

 悪魔がぴくぴくと震える。これ大丈夫なやつなのか。
 やがて悪魔の額に生えていた黒い角はぼろぼろと崩れてなくなり、代わりに鹿のような白い角が二本生えてきた。世界樹の手によって天使化したのだ。
 周囲の人々からどよめきがあがる。そりゃあ、目の前で急に悪魔の生首が天使の生首に変われば、驚きもする。


「お、おお……久方ぶりに上位存在の意思を感じたのじゃ……」

 天使の生首は、そう言って感極まって涙をこぼした。
 顔は美しいが、生首だとシュールだな。

「ハルエーナよ、公爵令嬢よ、すまなかったのじゃ。妾のしたことは今となっては無意味なこと……この国はクーレンの子孫によって末永く繁栄すべきだったのじゃ」

 そう唐突に謝罪の言葉を生首は述べた。
 突然の展開についていけないのか、目を白黒とさせるハルエーナ王女とパレスナ嬢。
 私は生首の言葉に補足してやる。

「心からの謝罪だと思いますよ。天界との通信を傍受していましたが、間違いなく相手は天使に該当する意思です。八百年の間に方針の変更がなされたようです」

 私は一応、火の神の使う言語も習得している。
 そして天界の通信傍受は『幹』の魔法だ。世界樹は常にこれを展開しており、火の神の端末が人間にとっての善か悪かの判別を行う。そしてその端末の見た目に角という形で反映させて、人にも天使と悪魔として見分けられるようにしている。変身されたら無意味だが、思いっきり殴れば変身は解ける。

「ま、とりあえずこれにて一件落着かな」

 ハルエーナ王女とパレスナ嬢の二人が上手く反応できないので、代わりに国王がそう話をまとめる。
 だが、まだだ。

「この天使がパレスナ様に嫌がらせをしてきたことについて、罰をまだ決めてませんよ」

「ああ、それね」

 国王がそう言いながら、びっと指をこちらに突き付けてきた。

「悪魔のままだったら駆除しなくちゃいけなかったけど、天使化したなら、パレスナとエカット公爵家に処分はゆだねるよ」

 その国王の言葉を受けて、周囲の視線がパレスナ嬢へと向かう。
 まだ状況を完全には飲み込みきれていないのか、パレスナ嬢は「えっと」とわずかに言いよどむ。そして、一息溜めて言った。

「……その天使さんはもう無害なのよね? 私は最初に言ったわ。あんなのただのいたずらでしょ」

 なるほど、許すのか。
 私の頭もだいぶ冷えてきたので、彼女達が許すなら私も許そう。
 でも、まだだ。

「では、次、ハルエーナ様のお茶会を台無しにした罰。どうしますハルエーナ様」

「私?」

 私に話を振られて、きょとんとするハルエーナ王女。
 そう、この場は、本来なら国王と王妃候補者達の交流の場。けっして悪魔を捜しだすための場ではない。

「……パレスナが許している。なら、お茶会は再開すれば良いだけ。私も許す」

 許された。こいつ本当に命拾いしたな。
 天使は、私の手の下で「すまぬのう。ありがたいのう」と涙を流している。比喩的な意味で、本当の天使はパレスナ嬢とハルエーナ王女の二人の方なんじゃないか。

 そうして、お茶会は無事に再開されることになった。



◆◇◆◇◆



 パレスナ嬢が落として割ったカップは回収され、待機していた下女の手によってテーブルは綺麗に掃除された。
 そして、改めてお茶が淹れ直され、おかわり分にストックされていた茶菓子が配られる。パレスナ嬢のお茶のカップは予備のため、薔薇の模様が入っていない。まあこればかりは仕方ない。

 天使の生首は、見苦しいということで再び猫に変身させられた。今はまた、ハルエーナ王女の腕の中に収まっている。
 そういえば、なんで日本猫の姿をしているか聞いてなかったなあ。
 この天使は日本からやってきたわけではないから、どこで猫の情報を知ったのか。アンテナが無事だった頃に、天界伝いで当時の日本の情報を得たのだろうか。

 日本猫は日本に古くからいる猫の品種で、八百年前にも日本に生息していたはずだ。
 ただ、今の私はただの侍女なので、お茶会中にそれを猫に問うことはできない。

 聖句が再び唱えられ、お茶会は再開した。
 ご令嬢方はおそるおそるとカップを口に運び、お茶を口に含む。
 当然のごとく苦苦芋はどれにも仕込まれていなかったようで、皆無事にお茶を飲み込んだ。

「さ、塩の国のお菓子ってやつをいただこうかな」

 国王は明るくそう言った。
 花のでんぷん餅はトリール嬢の力作だ。お茶会が中止にならなくて本当に良かった。

 国王とお嬢様方は皿の上に載ったでんぷん餅の花びらをスプーンですくい上げると、そのまま口へと運んだ。

「うーん、これは良いね。予想以上だね」

 国王がそうコメントをする。

「繊細な甘さね……もちもちとした食感も相まって、お茶がより美味しく感じるわ」

 パレスナ嬢が茶を一口飲んで、そう言った。そう、花のでんぷん餅ピピン・チャーは塩の国の茶にすごい合うのだ。
 他のご令嬢方も、美味しそうに茶と餅を味わっている。

 ハルエーナ王女は、腕の猫に餅を「いる?」と聞いて拒否されてる。ピピン・チャーは別に熱くないから、天使の口には合わないだろう。
 天使や悪魔は熱で生きるので、彼らは人肌より温かいものしか基本食べない。だから、悪魔猫が火を通していない苦苦芋を食べたのは、食事目的ではなかったわけだ。

 国王と令嬢達の間で雑談が交わされ、場がそれなりに盛り上がっていく。

「初めて現実の推理っぽいものを見たけど、キリンと陛下しか知らない情報が出てきて、傍聴者の立場って微妙だったわね! 人間が犯人じゃなくてよかったけど」

「決め手が匂いというのは、聞いている側としてはちょっと引く」

「現実と空想は同じようにならないからこそ、本の中の空想が輝くのですわ。でも、悪魔が黒幕って幻想的で素敵だったと思います。ジャンルは推理小説じゃなくなりますけれど」

「私でも推理マンガって描けるのかしら。原作つきなら一考の余地があるわね」

「天使様が正直に動機をお話しにならなかったら、侍女さんはどうしたのかしらね。言葉通り抹殺?」

「話の最中、空気にさらされたお菓子が乾いていくのが、悲しかったですねー」

 やめてえ! 私を槍玉に上げないでえ! 私にできるのは物理で悪魔をあぶり出すことだけなの!
 私はパレスナ嬢の後ろに立ちながら、内心で悶えた。

 そして国王はふと、猫になっている天使に話を振った。

「天使さん、伝え聞くところによると『ねこ』って、動物の名称っぽいんだけど、実際は君の名前ってなんなの?」

 どこで伝え聞いたんだ。私が動物としての猫を話した相手ってそんなに多くないぞ。

「妾はネコールナコールなのじゃ。ネコと呼んでよいのじゃぞ」

「へえー。じゃあ、種族名とは偶然の一致?」

「いや、昔アンテナがあったころに、天界と繋がった別の世界に妾と同じ名を冠した生物がいると聞いての。天界経由でその生物がいる国の情報を取り込んでおいたのじゃ。それが今、頭だけになって体のサイズが丁度よかったから、その生物を変身先に選んだのじゃ」

 そんなことができるのか、天使と悪魔って。
 いつも悪魔が化けるのは人間だから、そう色々とは化けられないと思っていたのだが。

 私が内心でそんなことを考えている間にも、天使は国王と話を続ける。

「ところでのう、おぬしに一つ頼みがあるのじゃが……妾の胴体、どこかにあるなら持ってきてくれんか。無事ならくっつくのじゃ」

 くっつくのかよ。やはり悪魔は首など刈らずに、斧で縦に真っ二つにするに限る。

「んー、建国史ではどこに埋めたとあったっけ、キリリン」

 パレスナ嬢の後ろで会話を聞きながらじっと待機していた私に、国王は話を振った。
 ふむ、悪魔の胴体か。ご愁傷様だな。

「確か、北の山……アバルト山の山頂ですね」

「あっ」

 私の言葉に、国王は察したようだ。

「その山が何かあるのかの?」

 国王の様子に、いぶかしげになる天使猫。

「いやあ、その山って、七年くらい前に二匹の竜が生まれて暴れ回ってね……王家の施設があった山頂は完全に吹き飛んだんだ」

「なんじゃと!?」

 国王の言葉に驚きの声をあげる天使。というか猫の姿のまま普通に喋られるんだな。
 そんな天使に、国王は可哀想なものを見る目で言った。

「今頃、胴体は粉みじんになっているだろうねー……。ばらばらになったパーツが全部君みたいに生きていれば、合流もできるだろうけど」

「できるか! 端末はそんな不思議生物ではないのじゃ!」

「生首になって生きているだけで大概だと思うよ……」

 そんなこんなでお茶会は無事に進み、笑顔で終了となったのだった。
 しょうもない事件は起きたが、結果的に誰も不幸にならずに済み、ハルエーナ王女の腕の中には今も猫がいる。
 薔薇の宮の警戒態勢も解けるし、明日からも平和で楽しく過ごせそうでなによりである。



 一味同心ティーンエイジ系探偵不要ティーパーティ<完>

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第三章はこれで終了です。第四章は引き続き後宮編となります。



[35267] 第三章までの簡易登場人物紹介
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2021/09/10 02:24
◆第一章

・キリン
怪力魔法ウォーリア系転生TSアラサー不老幼女新米侍女。本人は自覚していないが基本的に脳筋。三十路が間近に迫った二十九歳。

・キリンの前世
少年漫画とアウトドア全般が大好きな貿易商社の男性社員。怪しげなカルト宗教団体から親友を助けるために死亡した。最期の言葉は「ここは俺に任せて先に行け」。

・ゴアード
口ヒゲの似合う黒髪のダンディ、と思わせつつフランクな人物で親バカ。バガルポカル領の領主で侯爵。

・ククル
ゴアードの娘で、キリンをお姉様と慕う美人さん。恋とは縁遠い花も恥じらう十四歳。第三章現在、近衛宿舎付きの侍女。

・カヤ
キリンの同室の侍女。恋愛話が大好きで大好きで大好きで仕方がない伯爵家次女。金髪の巻き毛が可愛い十五歳。多分王宮で働いている。

・カーリン
王城の至る所に出没する、影の薄い掃除下女。豪商ティニク商会の娘。頑張り屋さんな十一歳。

・侍女長
三十代半ばほどのピンク髪の婦人。トレーディングカードゲームが大好きで、何気に一児の母。

・セーリン
カヤの婚約者。二十代の若さで青の騎士団騎士団長に登り詰めた、実力派の騎士。魔眼の魔人。

・緑の騎士の騎士団長
中年のダンディ巨漢マッチョで、得意武器は槍斧。かつての最強騎士レイの教え子ではないため、闘気の腕は今ひとつだが、筋力は騎士団随一。

・ヴォヴォ
ロリコン疑惑があったが姉さん女房を見事にゲットした若き騎士。緑の騎士団歩兵剣総長。

・緑の騎士の副団長
女性騎士。実家から結婚をせっつかれていたが昇格が早すぎて婚期を逃した。しかし棚ぼたで告白され、瞬く間にスピード婚を成し遂げた女傑。

・魔女の塔のゴーレム
キリンの死んだ師匠である魔女が作った世界樹製ウッドゴーレム。トップダウン設計の人工知能が搭載された、魔法も使える警備員。

・メイヤ
少年漫画的な解説が大好きな侍女。キリンと仲良くしたいらしく、侍女宿舎ではよくさりげなくキリンの隣のポジションを確保する。



◆第二章

・国王
見た目がチャラいアルイブキラの国主。現在二十七歳だが、若い頃はキリンと一緒にやんちゃしていたらしい。実は農学・化学に精通したインテリ。

・オルト
真面目に見えて冗談にも柔軟に乗ってくる、近衛騎士団第一隊副隊長兼、近衛宿舎『白の塔』の宿舎長。王国最強の騎士。

・『白の塔』料理長
元庭師の料理人。加齢を理由に庭師を引退した四十代だが、まだまだ元気。アゴヒゲが特徴的なナイスミドル。王城の料理人は横の繋がりが強いらしい。

・ハネス
近衛騎士団の正騎士。農村出身で、地方の収穫祭で毎年力比べ大会に優勝していた筋力自慢。でも今では一流の気功術使い。

・エキ
『白の塔』担当の洗濯下女。南部王族領の大工を束ねる棟梁の娘さんらしい。実は近衛騎士相手に玉の輿を狙っている。

・小姓のリーダー
お菓子うめえ。

・ギリドゼン
蟻人で、『幹』所属の勇者育成課課長。女帝蟻直属の部下なので、女王蟻にも匹敵する地位にいる。でもキリン視点では課長。なんもかんもキリンの日本語訳が悪い。

・リネ
元勇者パーティの荷物持ちだった道具協会所属の道具使い。主人公最強のキーワードが付いている作品なのに、キリンより強いと言われている危険人物。当時は若かった……な二十歳。

・女帝蟻
キリンに数千年生きていると思われている、のじゃロリババァ。額の石は、惑星誕生当時から存在する意思ある石。つまり本当は億年単位で生きている。可愛い。

・アセトリード
魔王に堕ちた元勇者。本編でござる口調なのは、なんもかんもキリンの日本語訳が悪い。現在ゴーレムボディに換装して惑星探査船の乗組員として活躍中。

・エンガ
元勇者パーティの剣士。勇者が告白しようとした女を横からかっ攫っていった、全ての元凶。今は一児のパパ。

・ミミール
元勇者パーティの魔法使い。まだ若く、ヒロインムーブを平気でするが経産婦である。三角関係にはドキドキしたらしい。

・無敵最強魔導ロボット
名前の通りの存在。ゴーレムじゃなくてロボット。



◆第三章

・パレスナ
絵画を描くことを趣味とする画家先生にしてエカット公爵令嬢。そして次期王妃。画家としての名前はパレス。薔薇の宮の主で、国王との歳の差が気になる十六歳。

・ハルエーナ
塩の国エイテンの第三王女。アルイブキラの文化に興味津々で、カードやったり小説読んだりと満喫しまくりな青百合の宮の主。言葉遣いは端的だけどけっして無表情ではない十一歳。

・ファミー
本の話題になると急に早口になる文学少女。とある侯爵の妹で、白詰草の宮の主。気弱に見えるが、王宮図書館の司書の座を虎視眈々と狙う十八歳。

・モルスナ
モルナというペンネームで恋愛漫画を描いているエカット公爵の妹で、パレスナの叔母。紫陽花の宮の主。ドリルヘアーが似合う十七歳。

・ミミヤ
慈善で後宮にてダンス教室、マナー講習会を開いている、お芋伯爵家のご令嬢。白菊の宮の主で、多分一番常識人な十九歳。

・トリール
お菓子作りが好きでさらに得意な伯爵令嬢。ココッタ公爵家の分家の出。牡丹の宮の主。食べても太らない体質は若いうちだけだぞ十五歳。

・フランカ
パレスナの侍女。一児の母で、夫は地元に置いてきた。でももう一人子供が欲しい三十二歳。

・ビアンカ
パレスナの侍女。フランカの娘で、最近トレーディングカードゲームに夢中。仕事中に遊びの誘惑に負けがちな九歳児。

・ビビ
パレスナの護衛。フランカの妹で、エカット公爵家の分家の出。近衛騎士に憧れる二十一歳。

・フヤ
パレスナの護衛。無口。年齢不詳。

・ゼリン
田舎町の雑貨店から王都一の大商会までのしあがった商才モンスター。オネエで愛妻家。息子と娘もしっかり愛している四十歳。

・ハンナシッタ
国王の妹。いわゆる王妹。ナシーという愛称が気に入っている。武術に明け暮れるが全然兄にはかなわない十七歳。

・ヤラールトラール
ハンナシッタに付き従う火の神の端末。天使。アルイブキラを長く見守ってきた三百二十一歳。

・ネコールナコール
猫の姿に化けていた生首。元悪魔で今は天使。美しい自分が大好き。建国王に首を刈られたのがトラウマな八百四十四歳。



[35267] 51.戦争の話
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/06/30 13:45
 とある冬の日の侍女宿舎。昼食の席で、侍女達がなにやら一つの共通した話題を口にしていた。
 浮ついた噂話の類ではない。内容は、戦争の話だ。
 この国が宣戦布告を受けたとかいう話で、相手は鋼鉄の国らしい。鋼鉄の国は、この大陸と同じ世界樹の枝にある、隣の大陸にある国家だ。その通称の通り、鉱物を主な産出品としている。この国とは、六、七年ほど前から緊張状態が続いていた。

「こっちはまだ冬で、それが終わったら雨期だぞ。よく攻めてくる気になったな。あっちの大陸も今は冬だし」

 私は昼食を食べながら、侍女仲間のカヤ嬢とククルと会話に興じていた。話題は他の侍女達の話を受けての戦争についてだ。

「どういうことなのでしょうね」

 トングとフォークで平べったいパンをちぎりながら、カヤ嬢が言う。
 私達は侍女だ。軍事の専門家ではない。何故と問うても、それらしい答えが返ってくることなどない。

「近衛騎士の人達は、前々から忙しそうにしていましたけれど、まさか戦争があるとは思いもよりませんでした」

 近衛宿舎に勤めるククルがそんなことを言った。
 戦争準備で近衛が忙しいか。王族が出陣する予定でもあるのかね。

 そうして建設的な話は何もしないまま食事は終わる。しょせんは侍女の噂話である。
 身支度を調えて、午後の仕事をしに後宮へと向かう。冬の盛りはそろそろ終わりを迎えるが、まだ雪はちらついている。
 門番のいない薔薇の宮の門を通り、主であるパレスナ嬢の私室へ向かう。今日の午後は語学の勉強だったか。私が講師役だ。

「帰ってきたわね。早速始めましょうか」

 戦争のことなど頭にないのか、明るくパレスナ嬢が言う。
 もしかしたら後宮にまで戦争の話が届いていないのかもしれないな。

 戦争は頭の隅に置いて、授業を始めることにする。

「まず、歴史的背景から説明しますと、隣の大陸は約千二百年前にできたものです。そして約八百年前にこのアルイブキラの大陸ができますが、当時ほとんどの住民は隣の大陸から移り住んできた者です」

 この国の建国王クーレンなんかは、隠された建国史を紐解いても出自が明らかではないのだが。

「よって、使われている言語は元々同じものだったのです。それが八百年の間に変化して、異なる二つの言語になったわけですね」

「なるほどね!」

「つまり、文法は共通しているということです。単語を重点的に覚えれば、日常会話くらいはすぐにできるようになるはずです」

 私の説明に、パレスナ嬢だけでなく、侍女のフランカさんとビアンカの親子もふむふむと納得しているようである。

「今、隣の大陸には塩の国や鋼鉄の国など複数の国がありますが、使われている言語は共通です。国ごとに新しい単語に少々の差異はありますが、その新しい単語も時間の経過で他の国に広まっていきます」

「新しい単語は後回しにしたほうがよさそうねー」

「そうですね。私もさすがにここ数年で生まれたばかりの単語とかは知りませんし……」

 私は複数の国の言語を習得しているが、最新の辞書を買って語学に励むほど熱心にはしていない。そのあたりは翻訳の専門家に任せたいところだ。

「それを踏まえて、簡単な単語を覚えて、会話の練習をしてみましょうか」

 そうして語学の勉強をすること数時間。
 一番物覚えが良かったのは、一番若いビアンカだった。
 フランカさんは少しかじっていたのか、問題なし。
 パレスナ嬢は、まあ頑張ろう。でもまだ始めたばかりだし、どうとでもなる。

「世界共通語なら少し話せるのだけれどね」

 そんな弱音をパレスナ嬢は吐いた。って、共通語喋れるなら結構すごいことだぞ。

「世界共通語など、いつ覚えたのですか?」

 そう私が問うと、パレスナ嬢はにっこりと笑って答える。

「陛下と仲良くなってからね。王族になるなら『幹』とのやりとりが必要でしょう?」

 なるほど。パレスナ嬢は私の想像よりも勉強家なのかもしれない。
 そんなことを思っていたそのときだ。部屋に、護衛のフヤがやってきた。
 そしてこんなことを言いだした。

「陛下がいらっしゃっています」

 これから来る、じゃなくてもう来ているらしい。
 私達は、急いで迎える準備を行なった。陛下のもとへと向かうのはビアンカで、フランカさんはお茶の準備。私はパレスナ嬢と一緒に来客室だ。
 私室でじっくりパレスナ嬢の見た目を整えている時間はない。私は歩きながら彼女の身だしなみをチェックした。

 絵を描いている途中でなくてよかった。さすがに絵画用の汚れたドレスで国王に会わせるわけにはいかないからな。
 いや、あの国王ならその程度の格好、気にしないとは思うけどな。気にするのは、主を立てる立場にある侍女の私達である。

 パレスナ嬢のドレスを整えながら来客室で待っていると、国王がやってくる。
 その面持ちは、どこか重苦しいものだった。いつものチャラ男が台無しである。

 二人は挨拶を交わし、着席する。そして、フランカさんによって茶が配られ、一息入れてから国王は口を開いた。

「もう聞いているかもしれないけど、戦争が起こる。鋼鉄の国とだね」

「えっ!?」

 パレスナ嬢はやはり戦争のことを伝え聞いていなかったようで、驚きの声を上げた。
 本来なら閉じた環境の後宮に外のことを伝えるのは、私の仕事なのか? いやでも、今回は侍女から聞いた噂話だったからな……。

「その戦争に、俺も総大将として出るよ」

 国王が総大将って、なんだその大いくさは。下手な負け方したら、国王が討ち取られるんだぞ。

「陛下が参戦って、何故……」

 パレスナ嬢も驚きを隠せないようだ。

「どうも、向こうは兵力の大半を出すようだ。影から上がってきた演説によると、領土の刈り取りではなく、全土を征服するまで止まらないと豪語しているらしい。宣戦布告文には国盗りをするとまで書かれていたよ」

 そりゃあまた、大きく出たものだ。鋼鉄の国の軍に属す兵達は確かに、豊富な鉄資源による優れた武具によって支えられている。しかし、この国でも、軍は圧倒的な兵站に支えられているのだ。さらに、この国はその食糧生産力を元手に鋼鉄の国以外と貿易をして、多くの鉄を輸入している。
 ちなみに影とはスパイや忍者のことである。

「魔王討伐戦の報酬で、『幹』から魔法金属を大量に受け取ることも、向こうさんは気に入らないみたいだよー、キリリン」

 ええっ。そこで私のせいにされても困るぞ。

「ま、そんなわけで総力戦さ。まあ、うちは負けないけどね」

 大陸丸々一個の大国と、大陸に複数の国があるうちの一国でしかない中規模国の戦いだ。全力で当たれば、勝ちは濃厚だろう。

「どうしても陛下が出なければならないの?」

 パレスナ嬢が国王に問う。彼女の後ろにいるためその表情はうかがえないが、きっと悲痛な顔をしていることだろう。

「うん。そうだね、いざ説明すると面倒なんだけど……国王っていうのは、国民にとって絶対的な存在だ。国の象徴で、神にも等しい」

 でもね、と国王は言葉を続ける。

「王族にとっては、国王ってそんなにすごいものじゃないんだ。自分達の代表として国民の前に出るための表の顔みたいなもん。王族間に順列はほとんどないんだ」

 そういえば、そのようなことを王太子時代のこいつに言われたことがあるな。王太子といってもそんなすごいものじゃないって。

「だから、絶対王者が戦場に出て士気が上がるなら、死ぬ危険があろうとも王族は国王を戦場に出すのさ。死んだら、代わりに王族の誰かが新しい顔になれば良いだけだからね」

 そう言って国王は言葉を締めた。
 出陣の意思は揺るぎないようだった。

「あの、陛下が出るということは、後宮はどうなるの?」

 そうパレスナ嬢は問う。
 そうだ。後宮は国王と王妃候補者達のお見合いの場。国王がいないとなると、その存在意義の大半が失われる。
 戦争が長引くとなると、解散も考えられるが……。

「いや、後宮はそのまま存続させるよ。それでね、お願いがあるんだみんなに」

 と、国王が答える。
 みんな? パレスナ嬢だけでなく、侍女の私達もということか。

「実はね、ハルエーナ殿下なんだけど、鋼鉄の国が隣の大陸への経路である『枝の道』を封鎖しちゃって、塩の国へ逃がせないんだ。後宮で守り通すしかない」

 青百合の宮の主であるハルエーナ王女は、この国の者ではない。隣の大陸にある塩の国から、親善目的でやってきている。

「だから、後宮のみんなで殿下のことをしっかり見守っていてほしい。ナーバスになっちゃったりするかもしれないしねー」

 国王の言葉に、私達は了承の意を示した。
 だが、一つ気になったことがある。

「あの、発言よろしいでしょうか」

 と、私が国王に尋ねると、いいよと言葉が返ってくる。

「王城地下の潜航艇を使って、ハルエーナ様を塩の国まで帰すことはできないのでしょうか」

 そう、以前オルトと一緒に『幹』へ行ったときに使った世界樹トレイン、樹液潜航艇。それを使えば、鋼鉄の国が『枝の道』を封鎖していたとしても、塩の国まで辿り着くことができる。
 だが、国王は首を横に振って否定する。

「無理だねー。戦争が理由じゃ、『幹』からは使用許可が下りないよ。あれは、結構厳格な使用規定があるんだ」

「そうなのですか? 庭師時代、気軽に私用で使っておりましたが」

「それだけ『幹種』の免許は権限が強いってことだね。まあそんなキリリンでも、殿下を連れては潜航艇に乗れないと思うけど」

 そうか。それは残念。
 私は素直に引き下がった。

 そして、国王は茶を一口すすり、一息つくと再び言葉を発した。

「さて、何か聞きたいこととかある? キリリンも何かあったら聞いていいよー」

「では、また私から一つ」

 ちょうど聞きたいことがあったんだ。

「この国は今、冬期でさらにこれから雨期に入ります。何故そんな時期に鋼鉄の国は宣戦布告などしたのでしょう」

 それは、昼食の席でも話題に上げた疑問だ。
 鋼鉄の国の事情だから、国王が知っているかは解らなかったのだが、彼はしっかりその疑問に答えた。

「鋼鉄の国は食糧に乏しいからね。あちらも今は冬だけど、秋の収穫物がなくなる前に攻めてきたいんだろうさ。なにせ、うちからは輸出をだいぶ制限したからね」

「攻めてきたのって、輸出を制限したからでは……」

「いや、それより前に影から、戦争の兆候有りって情報入手してたよ。だから絞ったんだ」

 確かにまあ、敵国に兵站となる食糧を売る馬鹿はいないわな。

「収穫を終えた農民の徴兵も行なってるんじゃないかな? あの国は農民の地位が低いから」

「なるほど。理解できました」

 私は納得して、口をつぐんだ。
 そして国王は私達に向けて言葉を続ける。

「他に何かないかな? パレスナは?」

「特にないわ。……無事に帰ってきてね」

「ああ、もちろんさ。キリリンも俺っちのこと心配してもいいんだよ?」

「大丈夫、陛下は死にません。なにせ……王国最強の魔法戦士ですからね」

「あ、それ言う? 照れるー」

 そう、国王は強いのだ。この王国で一番強いのは誰か。騎士で言うと、近衛騎士団のオルトだろう。
 だが、それより強い者がいる。それがこいつ、国王だ。
 魔王討伐戦では最強の騎士を出すという名目だったから国王は出なかったが、本当の最強を出せと蟻人のギリドゼンに言われていたら、彼が出張っていた可能性がある。

 かつての王国最強の騎士レイに武器と闘気の手ほどきを受け、赤の宮廷魔法師団の英才教育を受けた魔法戦士。そんな存在なのだ。

「もう質問ない? そう。じゃあ、真面目な話するね」

 今までの話が真面目な話ではなかったというのか、国王は笑みを顔から失わせ、真剣な顔でパレスナ嬢を見た。
 そして、いつもとは少し違う声色で、彼女に向けて言葉を放った。

「俺は、この戦いに勝利する。だからパレスナ。俺が帰ってきたら、結婚しよう」

 ぴくりとパレスナ嬢の背中が動いた。
 突然のプロポーズだ。
 今、パレスナ嬢はどのような表情をしているのだろうか。

「帰ったら開く戦勝式典。そこで、盛大に結婚式をあげよう。みんなの記憶に残るような式を。……どうかな?」

 最後にパレスナ嬢に問いかける国王。
 パレスナ嬢は、ただじっと黙っている。そして。

「はぃ……」

 か細い声でそう答えた。

「……今の状況でこんなこと思ったらいけないのかもしれないけれど、すごく嬉しい……!」

 そしてゆっくりとパレスナ嬢は立ち上がる。
 それに応じて国王も立ち上がり、テーブルを迂回して二人は向き合う。すると――

「いえーい!」

 ハイタッチをした。

「いや、そこは抱き合うんじゃないんですか」

 思わずツッコミを入れてしまった。
 横では、フランカさんが笑いをこらえている。ちなみにビアンカはただ純真な笑みを浮かべている。

「人前で抱き合うとか恥ずかしいじゃん?」

 そう言いながら国王は着席した。パレスナ嬢も遅れて席に座る。
 そして国王は温くなったであろうお茶を一気に飲み干すと、私に向けて言った。

「ま、そういうわけだから、後宮のパレスナと殿下の守りはキリリンに任せたよ。君なら安心して後方を任せられるからさ」

 その言葉に、私は素直に思っていたことを言う。

「戦争に連れていかれでもするのかと思っていました」

「ははは、さすがに庭師の免許を持っている人を戦争には連れていかないよ」

 庭師は戦争に参加してはならない。それを今も守ってくれようとしているのだ、国王は。

「フランカは王宮と連携して結婚式の準備を進めておいてね。頼むよ」

「はい、かしこまりました」

 国王の言葉を受けて、フランカさんはうやうやしく侍女の礼を取った。

「陛下、私はどうですか!」

 そうビアンカが自己主張する。

「ビアンカはー、そうだねー。お母さんの言うことしっかり聞いて仕事にはげむんだよ」

「はい!」

 そう話をまとめて国王は席を立ち、「じゃ、式をよろしくね」と言って薔薇の宮を去っていった。
 正直考えることはいろいろある。だが、ここ後宮からでは戦争については何も役立てない。
 それならば、私は勝利を信じて凱旋の時までこの後宮で待とう。

 国王とパレスナ嬢の結婚式。それが平和で幸せになるものと信じて。



[35267] 52.衣装の話
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/06/30 13:47
 国王が衝撃の告白をした翌日。薔薇の宮でパレスナ嬢と私達侍女は、国王からの頼まれごとの一つである結婚式について話し合うことにした。

「婚礼の準備を進めるとしても、何から始めればいいのかしら?」

「式次第は官吏の方がお決めになると思います。私達が今やるべきことといったら、装いの準備でしょうか」

 パレスナ嬢の疑問に、フランカさんがそう答える。

「装い……花嫁衣装ね!」

 なるほど、確かに衣装が決まらなければ、髪型も装飾品も何もかも決められない。
 作るのにも時間がかかるし、優先して用意しなければならないだろう。

「でも、王妃の花嫁衣装ってどこに頼めばいいのかしら? 町の衣装店を呼ぶの?」

「私も、王族のそのあたりのしきたりはよく知りませんね……」

 さすがの熟練侍女のフランカさんも、王族や王宮の慣習については詳しくないようだった。

「そのうち担当官の方が来るとは思いますが、なにせ戦時中ですから他のことで忙しいかもしれません。私達もできることはしておきませんと。さて、どうしたものか……」

 そう言って、困った顔で悩むフランカさん。私は、そこに助け船を出してやる。

「王城の中に、針子室という部署があります。そこに相談しましょう。城下の王城御用達の針子工房も、そこで紹介していただけますよ」

「あら、そんなところがあるのね。服のことはいつも、後宮担当の女官の人に頼んでいたわ」

 私の言葉にそう言葉を返すパレスナ嬢。
 普段の雑事は後宮女官に任せていたのか。まあ、後宮に滞在している人が、後宮から出て外出するでもなく王城をうろつくのって、あまり褒められたことではないからね。
 それを踏まえて私は言葉を続けた。

「では、女官の人に相談して、針子室の方に来てもらいましょうか。幸い、針子室の針子達には、女性がそれなりの数いたはずですし」

 この国では針子の仕事に男女の境はない。服を脱がして着付けたり体のサイズを測ったりするときなどは、それぞれ同性が担当したりするようだ。
 針子室の針子は、国が全国から選りすぐった一流の針子達だ。さらにその針子達に赤の宮廷魔法師団が魔法を教え込み、魔法効果のある特殊な衣装を製作させている。騎士が着けるマントや鎧下などだな。

「じゃあ、キリン。ちょっと女官事務所に行ってきてくれるかしら」

「かしこまりました」

 パレスナ嬢からの指示を受け取って、私は薔薇の宮を後にする。
 外では雪が降っており、下女達が除雪作業に勤しんでいた。

 しかし、戦争となると、この雪の中を兵隊が動いて戦場に集まるのか。
 この国では、黄の王国軍という名の常備軍が存在する。豊富な食糧資源とその輸出による財源によって、常備軍という存続の難しいものを成立させているのだ。
 その常備軍は、各領に分散して国の守りを固めている。今回の戦は総力戦なので、各領から兵隊達が戦場に向けて集結していくだろう。志願兵も混じるかもしれない。冬なのに大変だ。

 まあ、私が戦争の心配をしてもしょうがないか。今は婚礼のことを考えよう。
 私は、後宮入口にある一軒の建物へと向かった。女官事務所だ。ここに後宮担当の官吏が詰めていて、食材や生活用品などの手配を行ってくれている。
 ノッカーを打ち鳴らし、しばらく待っていると若い女官が出てきて中へと案内される。
 そして、案内された先にいた年配の女官から、どこの宮殿の者で、何の用事かを丁寧に尋ねられた。この人、おそらく私のことを見た目相応の歳だと思っているな。まあいい。

「薔薇の宮の者です。もう話が通っているかもしれませんが、このたび、国王陛下と我が主パレスナ様が婚礼を挙げる予定が立ちました。ですので、花嫁衣装の選定をするため、針子室の針子に薔薇の宮まで訪ねるよう手配してくださいませ」

「あらあらまあまあ、よく最後まで言えたわね。偉いわ。そうそう、陛下もとうとうご結婚なさるのねぇ。戦争を前にしてこう言うのもなんだけど、おめでたいわ」

 私の言葉を受けて、私の頭を撫でながら女官がそう言った。
 そして、にこにこと笑いながら、女官はさらに言葉を続ける。

「針子は今日中に向かわせるわね。どんな衣装になるのかしら。今から楽しみねえ」

「ありがとうございます。では、失礼します」

 侍女の礼を取って、事務所を退室しようとする私。
 しかし、それに待ったがかかった。

「あらあら、もう少しゆっくりしていきなさいな」

「いえ、仕事がありますので……」

「大丈夫よう。薔薇の宮にはフランカちゃんがいるんだから、少しくらい暇を潰しても問題ないわ」

 いや、確かにフランカさんは優秀だけれども。
 それと私が仕事をさぼっていいかは、関係がないわけで……。

「ほら、美味しいお菓子があるわよー」

 そうして私は女官に小一時間ほど捕まったのであった。



◆◇◆◇◆



 昼休憩を挟んで午後、針子室から一人の針子さんが薔薇の宮までやってきた。

「すまないねえ。戦争前で今忙しくて、あたし一人になっちまったよ」

 そう言うのは、中年のいかにも熟練者といった風貌の女性針子だ。針子室は今、騎士の衣装修繕で魔法裁縫がフル稼働しているようだった。しかし、それが終わるのを待っていては私達も準備が行なえない。

「それじゃあ、まずは体のサイズを測るかね。服のデザインを決めるのもまずは数値を見てからさね」

 と、早速指示があったので、侍女三人でパレスナ嬢のドレスを脱がしにかかる。
 身を任せるパレスナ嬢も慣れたもので、適度に手足を動かしてドレスを脱ぎ、肌着姿になる。
 さらにその肌着も脱がして、下着姿になったところで針子さんがメジャーを持ってサイズを測り始めた。

 針子さんが体の各所の寸法を測り、紙にその数値を書き込んでいく。
 手早い作業だ。瞬く間に頭のてっぺんから足の先までサイズが計測された。
 紙に書かれたその数値を眺めながら、針子さんがパレスナ嬢に問う。

「お嬢ちゃんの年齢はいくつ?」

「十六歳よ」

「十六ならまだ成長の可能性があるね。式が戦争の後ってんなら、細かいサイズ変更も見越しておいた方がよさそうだねえ」

 なるほど。確かに総力戦となると、どれだけ長引くか解ったものじゃないからな。
 ただ、もしかすると一戦で片がついてしまうこともあるかもしれないので、のんびりもしていられないのだが。

 さて、計測も終わったので、今度はパレスナ嬢に服を着せていくことにする。
 引き締まった美しい体だ。これで花嫁衣装を着飾ったら、彼女はどれだけの人間を魅了することだろうか。

 そんなことを考えていると、針子さんは持参していた革のバッグから紙束を取り出し、テーブルの上に並べ始めた。
 ドレスの着付けを終えた私達は、テーブルの方へと移動する。
 テーブルの上の紙には、ドレスのデザイン画が描かれていた。針子さんはその中の一つを指さして説明する。

「これが婚姻の儀式に使う伝統衣装さね。これだけは外せないから、製作は決定だねえ」

 青を基調とした物凄く豪奢なドレスであった。これなら、式の参加者がどんなドレスを着てこようが、見劣りをすることはないだろう。
 そして、そのデザイン画の隣の紙には、薔薇がたんまりと盛られたヘッドドレスが描かれている。薔薇の宮にちなんだ装飾だろうか。

「婚姻の儀式の方はそれでいいとしても、問題は披露宴の方だねえ。一回目は戦勝パーティと兼ねるんだって? これといった格式はないから、どんなものにするか悩ましいものだね」

 針子さんがそんなことを言って、デザイン画を次々と指さしていく。
 そのどれもがこの国の様式にかっちり沿ったもので、こう言ってはなんだが、どこかで見たことがあるようなドレスばかりだった。
 貴族の催し物に参加した回数が少ない私でもそう思うのだから、貴族のご令嬢はどう思うのか。

「困ったときのキリン頼みよ! 世界の衣装とか前世の衣装とかいいものない?」

 無茶ぶりしてくれるなあ、このお嬢様は。
 私は幻影魔法を使って知識にある花嫁衣装を空間に投影することにした。
 第一弾。白無垢。

「これは、私の前世の国における伝統的な花嫁衣装ですね」

「うわあ、すごい民族衣装っぽいわね!」

 珍しいものを見た、という感じでパレスナ嬢が喜びを露わにする。
 だが、針子さんは渋い顔だ。

「披露宴の衣装に格式はないっていっても、ここまで国の様式から外れすぎた服はさすがに無理だね」

 なるほど。確かにこの国の服の様式は、体に沿わせた曲線的で立体的な裁断を行うものである。着物のような直線的な服とは方向性が違うか。

 ならば第二弾。ウェディングドレス。
 私は、幻影魔法で前世の親友が結婚式に着ていた花嫁衣装の姿を投影した。

「あら、いいわねー」

 パレスナ嬢がそれに早速食いつく。
 幻影の花嫁は、懐かしい姿だ。この親友とその夫を守るために、前世の私は命を懸けたんだなあ。結局、私死んだけど。

「いいじゃないか。豪勢で、それでいて婚姻の儀式の衣装ほど派手すぎない。白一色というのも装飾が映えそうだよ」

 と、針子さんにも好感触のようだった。すげえぜ、さすがは前世の女性達が憧れる夢の衣装だ。
 すると、今まで黙ってデザイン画を眺めていたビアンカが、幻影のウェディングドレスを見て言った。

「このドレス、大収穫祭のときの国王陛下の服に似てますねー」

 ああ、確かにあの服とは白一色という共通点がある。
 私が一人納得していると、針子さんもその話に乗ってきた。

「いいね。坊ちゃんにはあの服を着せて、お嬢ちゃんにはこのドレス。白一色で場が明るくなるってもんだよ」

 うわ、国王、この針子さんに坊ちゃんって呼ばれているのかよ。
 そして、少しの話し合いの後、披露宴の衣装の一つは、このウェディングドレスに決まった。

「このドレス、針子室に持って帰れるのかい?」

 幻影に触れようとして空を切る針子さんの手。

「いえ、幻影ですので無理です……」

 苦笑して私はそう言った。
 それを見ていたパレスナ嬢はというと。

「私がデザイン画を描くわ! それをもとに製作お願いね!」

 と、ウェディングドレスを絵に描き始めた。
 この国では貴族階級の結婚式は複数回行うから、他にもデザインを決めなくちゃいけないんだけどな……。

「ところで、お嬢ちゃんの衣装を気にするのはいいけど、侍女のあんた達はドレスの準備できてるのかい?」

 と、デザインの選定をパレスナ嬢抜きで行なっていると、針子さんがそんなことを私達に尋ねてきた。
 ふむ、ドレスの準備か。……なにそれ。

「私は以前から使用しているドレスの一つを使いますが……娘はサイズが合わなくなったので新調するつもりです」

「え、新しいドレスなの? やったー!」

 フランカさんの返答に、全身で喜びを表現する娘のビアンカ。
 そして、今度は矛先が私の方へと向けられる。

「あんたは?」

「えっと、何も考えてなかったです。侍女のドレスじゃ駄目なんですか?」

「駄目さね」

「駄目ですよ」

「駄目ですー!」

 針子さんと侍女親子の三人から順に駄目出しを受けた。なんでこの人達こんなにノリがいいの。

「以前、緑の騎士様の結婚式に出たときは、貸し衣装屋で子供用ドレスを調達しましたが……」

「あんたも侍女やってんなら、貸し衣装なんかで満足するんじゃないよ! 主の晴れ舞台だよ、わかってんのかい!」

 一ヶ月半前の結婚式を思い出して言った言葉に、針子さんからそうさらなる駄目だしを受ける。

「では、新調しようと思います。ですが、そういう店とかあまり知らなくて……」

 そう私が言うと、針子さんはにっこりと笑った。

「そうかい。針子室ではさすがに侍女のドレスまでは手を出せないけど、城下町に馴染みの工房があるから紹介してあげるよ」

 そう言って、針子さんは、紹介状をその場で書いて私に渡してくれた。
 なんでも、二百年の歴史がある老舗工房なのだとか。

「どうせなら、ビアンカの分もそこで作ってもらいましょうか」

 そうフランカさんが言うと、今度はパレスナ嬢が話に乗ってくる。

「じゃあ、今度ゼリンのところに行くときに、ついでに針子工房に寄りましょうか!」

 その言葉に、フランカさんは恐縮したような顔をして言う。

「いいのですか? 完全に私達の私用になりますが……」

「いいのいいの。それに、フランカとビアンカが、同時に侍女の仕事から抜けるのも困るしね」

 幼いビアンカ一人で工房に行かせることもできないので、フランカさんが付いていく必要がある。だが、この宮殿の侍女は私を含めても三人だ。完全に仕事が滞る。それなら、いっそ全員で向かった方が賢い選択だと言えた。

「キリンの衣装、どんなのが良いかしらねー」

 デザイン画を描きながら、パレスナ嬢がそう言った。

「大人の女性ですし、子供用ドレスではいけないでしょうね」

 などと言うのはフランカさんだ。
 そして、それを聞きとがめた針子さんが私に言う。

「なんだあんた、そんななりでレディを気取ってんのかい」

「いえ、魔法で老けないだけで、実際には三十路近いです……」

 針子さんに背中を叩かれたので、そう反論しておく。
 そんなわけで、私は新しくドレスを作ることになった。
 アラサーで幼子である私が着るに相応しいドレスって、本当にどんなものなんだろうか……?



[35267] 53.出陣の話
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/06/30 13:48
 王宮内の謁見の間。そこで今、国王による出陣式が開かれていた。
 参加しているのは、騎士や軍人の士官と、王都に在住している貴族達。貴族達は戦争に参加しないが、出陣する国王や騎士達の勇姿を見守るために参上しているのだ。
 そこに、我が主パレスナ嬢が、次期王妃として参列していた。随伴している侍女は私一人だ。貴族のおともの侍女や小姓が何人も詰めかけたら、いくら広い謁見の間といえどもすし詰め状態になるからな。
 かといって後宮の者を一人で王宮にうろつかせるわけにもいかないので、私が侍女兼護衛として特別に付いてきているのだ。

 きらびやかな鎧を着込んだ国王が、果実をしぼったジュースを参加者に振る舞っていく。
 これから戦いに赴くとあって、酒ではない。凱旋した暁には、同じ果実で作った酒を飲んで勝利を祝うのだ。

 杯を交わし、勝利を誓う国王。
 そして式次を順調に消化したのち、国王はパレスナ嬢に近くへ来るよう呼んだ。
 国王の前に行き、淑女の礼を取るパレスナ嬢。国王とパレスナ嬢の視線が交わされ、そしてパレスナ嬢は国王の隣に並んだ。

「みんな、もう聞いているかもしれないが、改めて宣言する!」

 謁見の間に国王の声が響く。騎士や貴族達の視線が一斉に彼に集まった。

「戦争を終え帰還したら、俺はこのエカット家のパレスナと婚姻を結ぶよ」

 隣のパレスナ嬢の腰を抱いて、そう宣言する国王。パレスナ嬢の顔に朱がにじむ。

「だから、ここに誓おう。絶対的な勝利を。戦勝式典を俺達の婚礼の場とする!」

 わっと歓声が上がった。そして、謁見の間が拍手に包まれた。
 貴族達は口々に、「やっと陛下もご覚悟を決められたか」だの「十年遅いと言いたいところですが、十年前ではご令嬢もまだ子供でしたな」だの「いやあ、めでたい。ようやくですな」だの「尻に敷かれるのが今から楽しみです」だの言い合っている。どれだけ国王の結婚を待ちわびていたんだこの人達は。
 まあ、貴族同士の仲が悪そうじゃないことは良いことだな。

 祝賀ムードで場は盛り上がり、参加者達は出陣式など頭から抜けたかのように歓談していた。
 そして、国王の腕から抜け出したパレスナ嬢がこちらに戻ってくる。

「もう、注目浴びちゃったわ」

 そうパレスナ嬢はぼやくが、そんな彼女に向けて私は言った。

「王妃になれば、これ以上の注目を浴びますよ。慣れておきませんと」

「キリンまで何を言っているのかしら」

 パレスナ嬢は顔を赤くして私の背中を叩いてきた。ずいぶんと恥ずかしかったらしい。
 でもまあ、結婚式になればこの比じゃないくらい人目を引くのは確実だ。いちいち恥ずかしがってなどいられない。
 その点、国王はさすが人目に慣れているよな。

「皆様、お静まりください。最後に、国王陛下からお言葉をいただきます」

 そう、式を進行するアナウンスが謁見の間に響いた。
 騒がしかった謁見の間が一瞬で静まる。私達はたたずまいを直して、国王の方へと向き直った。
 そんな家臣達に向けて、国王は言葉を放つ。

「今回の戦争は、総力戦だ。戦いは厳しいものになるだろう。だけど、はっきり言うよ。俺達は勝利する」

 力強い国王の声が、謁見の間に響く。

「騎士達、兵士達は勝利を疑わず俺についてきてくれ。他の皆は、俺達を信じて見守っていてほしい。そして、帰ったらみんなで馬鹿騒ぎだ!」

 国王が力強く拳を掲げると、わあっと人々が沸いた。
 そして再び拍手が謁見の間を満たす。出陣式は、これで終了だ。
 この後、国王は戦場に向けて出発することになる。国王と、騎士達と、王都の国軍による城下町での出陣パレードが行われる。さすがにそれまでは見に行けないので、ここで私達は国王の無事を祈ることにする。

 そんな中、国王の言葉を受けて笑顔になった貴族達の中で、一人愁いを帯びた表情だったパレスナ嬢のことが、ひどく記憶に残るのだった。



◆◇◆◇◆



 昼、珍しく『幹』の女帝から連絡が入った。二回目となる惑星探査も無事成功したらしい。その話の後、私の近況を聞かれたので、国が戦争に突入することを伝えた。
 魔法道具『女帝ちゃんホットライン』から、女帝の幼い声が響く。

『戦争は悪意しか生まぬから、できればやめてほしいものじゃがなあ。なにが楽しくて戦争なんぞするのか』

「戦争があって嬉しい一般人なんて、一部の商人くらいだよ」

 そう私は魔法道具に向けて声を投げかける。

『蟻人はこの二千年間、一度も戦争など起こしたことがないというのにのう』

「そりゃあ、上の命令に絶対服従の生物なんだから、女王蟻同士が本気で争わないかぎり、戦争なんて起こらないだろうな」

『そして女王蟻の上は女帝の我一人。争いなど起きるはずがなかったの。はっはっは』

 古風な世界共通語でそう言い、軽快に笑う女帝。

『戦争など悪意しか生まぬので禁止にしたいが、それで立ちゆかないのが国家というものよ。適度に領土を取った取られた、国際問題が起きたら殴り合い、などとしてやらんと世界が上手く回らん』

 上から押さえつけすぎたら、待っているのは、『幹』への反乱ってか。
 しかしだ。

「今回の戦は、鋼鉄の国曰く、国を盗るまで終わらないらしいけどな。おかげで総力戦だ」

『む、そうなのか……それはいかんのう』

 むむむ、と女帝が悩ましい声をあげた。

『アルイブキラはバレンの者達による農業試験国じゃから、国主に交代されるとこちらも困るのじゃ』

 バレンとは、この国の王族の家名だ。

「調停でもするかい?」

『ほどよいところで戦争への介入が必要かもしれんなあ。国が滅びたらどうにもならんわ。もちろん鉄鋼業試験国にも滅びてもらっては困るのじゃ。なにゆえ円滑に交易をしてくれないのか』

 ああ、鋼鉄の国ってそういう扱いなんだ。鉱石に偏った産出品は、そういう狙いがあるのか。それで土壌が汚染されて作物が育ちにくくなって、結果うちの国を目の敵にされても、こっちだって困るんだがな。『幹』の調整ミスだろこれ。
 ちなみに、鋼鉄の国は貴族院によって支配される共和国なので、うちの国における王族のような一族単位での鉄鋼業試験の担当者はいないだろう。ただし、それでも国を滅ぼしてもいいことにはならない。世界が悪意にまみれてしまう。

 そんな感じで戦争の愚痴を言い合って、今回の通信は終わりとなった。
 昼休憩の時間をいい感じに消化できたので、後宮へと向かうことにする。
 雪道を滑らないように進んでいく。国王達もこの雪道を進んでいるのか。準備はしていただろうが、大変だろうな。

 薔薇の宮に入ると、広間に詰めていた護衛のビビに、ハルエーナ王女が来客室に来ていることを知らされた。そして、到着次第、来客室まで来るようにと伝言を受け取った。
 なるほど、遊びに来たのかな。

 私が来客室に入ると、そこにはトレーディングカードゲームで遊ぶハルエーナ王女とビアンカの姿があった。パレスナ嬢は横でそれを眺めながら、お茶を飲んでいる。他にもフランカさんと、ハルエーナ王女のお付きがじっと黙って佇んでいる。猫は暖房の前だ。
 王女とビアンカがプレイしているのは、協力してポイントを溜める競技だな。ビアンカはまだスターターパックしかないから、対戦競技は上手く成り立たないだろう。
 私はパレスナ嬢の横に立ち、彼女に尋ねた。

「どうですか、実際に見てみるカードゲームは」

「派手だけど、私の好みには合いそうにないわねー」

 貴族の女性にカードが受けているのは主にファッション面だという。そのあたり特別に興味を持っていないパレスナ嬢からすると、こんな反応になるだろう。
 まあ、ビアンカは純粋に遊戯として楽しんでいるのだろうが。

「カリカ・レイ・ククルアーナ!」

「カリカ・レイ・ククルアーナ」

 聖句でいい競技内容でしたと言い合いながら、二人が遊戯を終える。そして、テーブルの上に散らばったカードを集めながら、ビアンカが言った。

「うーん、やっぱり新しいカードがほしいですねー」

 フランカさんの方をちらちらと見ているビアンカ。買ってもらうためのおねだりではない。侍女として働いて給金は出ているから、単純に買う許可が欲しいのだ。
 それに答えたのは親のフランカさんではなく、パレスナ嬢だ。

「明日ゼリンのところに行くから、そのときにまた店を見たらいいわ」

「わー、本当ですか!」

「買いすぎなければフランカも怒らないわよ。ねっ?」

「……そうですね」

 パレスナ嬢がフランカさんに話を振ると、フランカさんは端的にそう答えた。許可が出たということだろう。
 ビアンカは嬉しそうに微笑み、束ねたカードをカードホルダーに収納した。
 ハルエーナ王女も、シックな革のホルダーにカードを収めている。

「どうかしら? 楽しめたかしら」

 そう王女に尋ねるパレスナ嬢。対する王女もそれに答える。

「うん。楽しい」

 ハルエーナ王女の言葉遣いは簡素で平坦だが、感情がこもっていないわけではない。単に、母国語ではないため、このような言葉遣いになってしまっているのだろう。
 王女は言葉を続ける。

「心配してくれているけど、私は国に帰れないの気にしてない。元々、パレスナの結婚までここにいる予定だった」

「あら、そうなの。でも、鋼鉄の国が城まで攻めてきたら、貴女も巻き込まれるのよ」

「他の国の王女をどうにかするほど、あの国はおかしくない、と思う。それに、この国は強い」

 辛そうな様子は欠片も見えない。本気で気にしていないのだろう。強い心を持った人だな。

「ただ、国との繋がりが切れた私に、できることは少ない」

 真面目な顔で、ハルエーナ王女はそう言葉を続けた。
 そう、塩の国との連絡経路は鋼鉄の国の軍によって塞がれているため、王女は今、寄る辺がない状態にあると言えた。
 まあうちの国の人達が支えると思うがな。
 王女は国賓だ。戦争が終わった後も、塩の国との関係は続く。大切にしなければならない。

「今の私にできることを考えた……」

 そう言って、ハルエーナ王女はパレスナ嬢をじっと見つめた。そして。

「私にできること。それは、国王とパレスナの結婚式を大成功させることだって」

 と、パレスナ嬢に向かって宣言した。
 突然振られた自分への話題に、パレスナ嬢はきょとんとした顔になっている。
 やがて、言葉の意味を理解したのか、パレスナ嬢は笑顔になった。

「そう、ありがとう。嬉しいわ」

「他の宮のみんなとも協力して、最高の催し物を考える」

「それは楽しみね!」

 パレスナ嬢とハルエーナ王女は、そう言い合って、笑った。
 そして、王女は今度は私の方へと顔を向ける。

「キリンも、お茶会のときみたいに協力して。お願い」

「はい、お任せください」

 本当に天使のような人だな。あ、この場合の天使は、前世の比喩で純真な存在という意味だ。
 だって、この世界の本物の天使は今、猫の姿になって暖房の前で寝転んでいるからな。

 そうして歓談のひとときを過ごした後、ハルエーナ王女は薔薇の宮を去っていった。
 パレスナ嬢は王女に明るさを分けてもらったのか、出陣式のときの暗い気持ちはなくなったようだ。

「あそこまで言われたら、いい結婚式にしたいわね」

 そう言って、パレスナ嬢は笑顔を見せたのだった。
 国王よ、未来の王妃はこんなにも元気だぞ。さっさと戦争を終わらせて帰ってくるんだな。
 私は戦場に向かっているであろう国王に、そう思いをはせるのであった。



[35267] 54.外出の話
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/06/30 08:09
 二頭立ての馬車が城下町を進む。今日は商人ゼリンとの面会の日。我が主パレスナ嬢は、後宮の他の王妃候補者であるモルスナ嬢を伴って、馬車に乗り込んでいた。
 外出のメンバーはパレスナ嬢、モルスナ嬢、侍女のフランカさん、ビアンカ、護衛のビビ、フヤ、モルスナ嬢の侍女二人、モルスナ嬢の護衛二人、そして私と十一人の大所帯になったため馬車は二台に分けられている。
 パレスナ嬢とモルスナ嬢は後方を行く二台目の馬車に乗り、私はパレスナ嬢のお話係としてそれに同乗している。

「意外と活気は失われていないのね」

 馬車の窓から外を見ながら、モルスナ嬢が言った。
 窓の外には、仕事のために忙しそうに道を行き交う労働者の姿が見える。
 今日は平日のため馬車道の往来は少なく、この馬車を引くメッポー(馬のような動物)は足取りを軽くして進んでいる。

「誰も我が国の勝利を疑っていないのでしょうね。相手は列強と言えど中規模国ですから」

 そう私はモルスナ嬢の言葉に返した。
 国力の絶対的差。それが国民の軍への信頼に繋がり、平和な日常生活を城下の民達に続けさせていた。
 聞くところによると、昨日の出陣パレードは大盛況だったという。
 国王はどうやら国民の人気をしっかりと得られているようであった。

 モルスナ嬢の隣で前を見ながら、パレスナ嬢が言う。

「平和が一番よ」

「平和だといいのですけれどね……出発前に門兵が言っていたでしょう?」

「ああ、あれね」

 私の返す言葉に、そう頷くパレスナ嬢。
 なんでも、鋼鉄の国の工作員が王都でなにやら動き回っているらしい。十分に注意するよう王城の門兵から警告を受けたのだ。

「私にはキリンがいるから大丈夫よ」

 と、パレスナ嬢は自信満々に言う。

「そこはビビさんの名前も言ってあげてください」

 私は馬車に同乗している護衛のビビの方へ視線を向けて、そう言った。
 ビビは「あ、いえ。おかまいなく」と遠慮しているが、この大人数を四人の護衛で守り切るのだから気合いを入れてほしい。
 町のごろつき程度じゃ私は手を貸さないぞ。

 やがて、馬車は大通り沿いにある一つの商店へと辿り着いた。ティニク商会の店である。
 私達はぞろぞろと大人数で店の中へと入っていく。

「いらっしゃいませー。ティニク商会へようこそ」

 すると、早速私達は店員に迎えられた。
 その店員は、王城下女のカーリンであった。

「君はまた、私の行くところにいつでも現れるな……」

 私は一同を代表してカーリンと応対する。
 私の言葉を受けたカーリンはというと。

「前回と同じ曜日に来たのはキリンさん達じゃないですか。私は休みの日に実家を手伝っているだけですよ」

「ん? そうだったか?」

 前回この店に来たのは……ちょうど三週間前か。まあいい。

「ゼリンに取り次いでくれるかい」

「もう準備はできていますので、奥へどうぞー」

 そうカーリンに案内される。
 私は後ろへと振り返り、パレスナ嬢に向かって言う。

「今回は待つ必要がないようです」

「そうみたいね。フランカ、ビアンカ。また面会の間、商品見てきていいわよ。フヤは二人についていってあげて」

 パレスナ嬢はそう言って侍女達をカードコーナーへと送り出した。
 モルスナ嬢も、一階なら好きに店を見て回っていいと、侍女に告げている。モルスナ嬢の侍女二人は嬉しそうに歓声をあげていた。

 そして私達はカーリンに連れられて、店の奥の来客室に通された。
 来客室。そこには、店主のゼリンと、そして何故か王妹のハンナシッタことナシーと、その護衛の天使が座っていた。

「ナシー! どうしてこんなところに?」

 ナシーを見つけたパレスナ嬢が驚きの声をあげた。

「え、殿下? え、何故?」

 モルスナ嬢はもっと驚いているようだ。

「ああ、来たか。まあ、座れ」

 ナシーはそう言ってパレスナ嬢達の着席を促した。
 さすがに王妹に座れと言われて座らぬわけにもいかず、パレスナ嬢とモルスナ嬢は大人しく着席した。

「早速始めましょうか」

 オネエ商人のゼリンが、野太い声でそう宣言する。しかし。

「ちょっと待って。何故ナシー……王妹殿下がここにいるのか、説明してほしいのだけれど」

 パレスナ嬢が待ったをかけた。
 その言葉を受けたゼリンは、一瞬きょとんとした顔になり、そして言った。

「あらやだ。ハナシー先生なにも話してないの?」

「ああ、ちょっと驚かせてやろうと思ってな。効果のほどは抜群だったようだが」

 ナシーはそう言ってくつくつと笑った。
 ハナシー先生? あ、もしかして……。

「改めて自己紹介しよう。私はペンネーム、『ハナシー』。小説家だ」

 そう胸を張ってナシーが告げた。王族が副業で小説家って、なんだそれ。

「ハナシー先生は新鋭の恋愛小説家なの。代表作は『ミニーヤ村の恋愛事情』」

「ミニーヤ村!? 大人気小説じゃない!」

 ゼリンの言葉に、驚きの声を上げるモルスナ嬢。いや、あなたも人気の恋愛漫画描いてる人でしょう。
 『ミニーヤ村の恋愛事情』か。侍女宿舎の同室のカヤ嬢に見せてもらったことがある小説だ。確か内容は、穀潰しだった貴族の五男が、ある日親から辺境の村の代官を任され、その村に住む牧場の少女と恋愛をする話だ。

「モルスナも『令嬢恋物語』を描いているそうではないか。あれはいいものだ」

 そう言うナシーに、モルスナは「ありがとうございます」と恐縮した。
 一方、普段恋愛小説など読まないパレスナ嬢はというと。

「小説家……なるほど、私に挿絵を描いてほしいのね、ナシー!」

 と、それらしいことを言った。

「その通りだよ。私は君のファンだからな」

 どうやら正解だったようだ。
 それにゼリンが補足を入れる。

「前回のパレス先生の話を受けて、何人かの作家先生にお声がけをしたのよ。それで真っ先に返事が来たのが、ハナシー先生だったわけ」

 なるほど。ナシーはパレスナ嬢の描いた家族の肖像画を部屋に飾るほど、パレスナ嬢の絵を気に入っているようだしな。

「私の新作、『天使の恋歌』に是非挿絵を提供してほしいのだ」

 そのナシーの言葉に、部屋中の視線がナシーの隣でお茶を飲んでいた天使ヤラールトラールに集まる。

「……私が話のモデルではないですよ?」

 そう視線に答えを返す天使ヤラ。

「ああ、そうだな。生まれたての天使の少女が人間の少年と出会い、恋をするというガールミーツボーイものだ。ヤラは天使の習性しか参考にしていないよ。まあ、ヤラがいたから思いついた話ではあるがな」

「天使って人間と恋をするものなのですか?」

 モルスナ嬢がそんな疑問をナシーにぶつける。
 ナシーは答えずに、天使ヤラに視線を向けた。

「普通にしますよ。私達端末の精神は人間のものが元になっていますから。まあ、端末は子をなせないですし、寿命も違うのであまり推奨はしませんが」

 そう天使ヤラが語る。
 天使や悪魔は人間社会に溶け込むために、人間をコピーして作られた存在である。天使ヤラの言葉を信じるなら、恋愛もするのだろう。天使や悪魔は炎の樹というものから生えてくる存在のため、恋愛と繁殖は結びつかないのだが。
 まあ、ナシーはきっとそのあたりを上手く恋愛小説に昇華しているのだろう。

 そして、パレスナ嬢は言う。

「実際に天使様を見てスケッチもしたことがある私なら、その作品の挿絵を描くのに相応しいわね!」

「ふむ。では用意してきたという、挿絵の参考画を見せてもらおうか」

「ええ! キリン、出して」

 ナシーの要求を受けて、パレスナ嬢が私に指示を出す。
 私は、持参してきていた鞄から、パレスナ嬢の描いた線画を机の上に並べていく。

「ほう、これは……」

 ナシーは感心したように呟きを漏らす。
 パレスナ嬢は、線画を一つ一つナシーの前に提示し、説明をしていく。
 一方、ゼリンはその絵を見ずに、ナシーとパレスナ嬢の様子を見守っていた。

「絵、見なくていいのか?」

 そんなゼリンに私は尋ねた。

「まずは、作家先生と画家先生の相性がいいかどうかね。ま、心配はなさそうだけど?」

「そうか。しかし、貴族や王族を漫画家やら小説家やらにして、お前はいったいなにがやりたいんだ」

「物語を書ける高い教養を持って、さらに執筆の余裕がある人って、どうしても王侯貴族に偏っちゃうのよねー」

 まあ、貴族の次男坊三男坊などは、親の跡も継げず暇していることが多いみたいだが。

「それにしても、予想通り戦争になっちゃったわねえ」

 唐突にそんな話題をゼリンが振ってくる。確か前回来たときは、穀物の値動きがおかしいって話をしていたのだったか。

「まあ、いつ開戦してもおかしくない緊張状態だったからな。どうして鋼鉄の国が貿易で利益をむさぼろうとせず、いくさで攻めてくるかは解らんが」

 この国は鉄資源が不足している。一方で、食糧はあまりにあまっている。鋼鉄の国はその正反対の国だ。なら、貿易をすればお互いに得する国際関係になったはずだ。

「うーん、それを理解するには、まず鋼鉄の国の現状を理解しなきゃいけないわね」

「鋼鉄の国には庭師時代、あまり寄りつかなかったからなぁ。ほとんど通り過ぎるだけだった」

 あの国は食事が不味いからな。
 そして、ゼリンは語り始める。

「まず、鋼鉄の国は本来、貴族院が支配する共和国なの」

 それは知ってる。だから、この国の人は鋼鉄の国のことを共和国と呼んだりもしている。

「でも、十五年前から大総統を名乗る男が、独裁者として君臨し始めたの。内政が上手な人で、国民の支持も厚かったわ」

 厚かった。過去形か。

「外交姿勢は強腰ね。そこから、ちょっとうちの国とも関係がこじれ始めてる。でも、あるときを境に急にうちの国を敵視し始めたの」

「そりゃあ、なんでまた」

「きっかけは、結婚ね。カヨウっていう夫人を迎えてから、どこかおかしくなっちゃったのよ」

 女で身を持ち崩す国主か。前世でもいくらか聞いた話だな。
 確かに、数年前から鋼鉄の国とは関係が悪化している。それが国主の結婚と重なっているのか。

「カヨウ夫人は、そりゃあもう美しい人らしくて、大総統だけじゃなくて周囲の側近達も魅了しているらしいわ」

「そいつが戦争の原因か」

「あたしはそう見ているわ。何かうちの国に恨みでもあるんじゃないかしら」

 はー、嫌だなあ。戦争って、もっとこう、国と国ののっぴきならない事情がぶつかりあって起きるものじゃないのか。
 毒婦がいて、それによって暴走した軍事国家が戦争を仕掛けるって、解りやすいんだけど現実に起きるか普通。
 それに付き合わされるうちの国も大変である。

「これだ。この絵柄がいいな」

 と、どうやら向こうの話はまとまったようだ。
 ゼリンもにっこりと笑ってその中に入っていく。

「決まったようね。後は、パレス先生に草稿を渡すから、まずはキャラクターデザインを決めてちょうだい。王城にいれば、ハナシー先生とも話し合いができるでしょう?」

「ああ、そうだな」

「ナシー、後宮にはいつでも来ていいわよ!」

 ゼリンの言葉に、そう答えを返すナシーとパレスナ嬢。モルスナ嬢はその様子を横からにこにこと見守っている。

「キャラクターデザインが決まったら、郵送でいいから私に届けてちょうだい。チェックを入れるわ」

「了解よ」

 そうして、二回目となるパレスナ嬢のゼリンとの面会は終わったのであった。
 パレスナ嬢は帰り際に、『ミニーヤ村の恋愛事情』ほか、ナシーの書いた恋愛小説を購入していった。律儀な子である。



◆◇◆◇◆



 馬車は城下町の工房街に向けて進む。以前の話通り、針子工房へと向かっているのだ。
 完全に私とビアンカの私用だが、それに付き合ってくれているパレスナ嬢とモルスナ嬢と、そしてナシー。
 そう、何故かナシーまで付いてきているのだ。
 おかげで、馬車は三台も連なって道を走っている。随伴の近衛騎士はいない。ナシー、もしや黙って城を抜け出してきたのか。

「いやあ、あのキリンが淑女のドレスを着るなどとは。楽しみだな!」

 馬車の中でそう笑うナシー。
 私がドレスを着て何が悪いというのだ。
 いや、前歴から考えると私もちょっと笑えるとは思うけどな。

「今も侍女のドレスを着ていますよ」

 そう私はナシーに向けて言葉を投げかけるのだが。

「それも面白いな。あの魔人が大人しくドレスを着て侍女をしているなど。兄上は散々笑っていたぞ」

 あ、あいつ……。もう無事を祈ってやらんぞ。

「しかし、よく考えてみると、王城にキリンがいるなら、いつでも手合わせをしてもらえるのだな……」

「前から言っているように、私の蛮族の剣は対魔物、対巨獣用のものなので、対人戦の参考にはなりませんよ」

「キリンのような対魔物に秀でた人間と、実戦で戦う機会があるかもしれん。十分参考になる」

 左様ですか。
 と、そんなことをナシーと話していると、突如馬車が減速して止まった。針子工房にはまだ距離があるはずだ。

「何事だ?」

 私達は御者席側の窓から、前方を眺める。
 すると、前方を進んでいるはずの馬車が、何やら憲兵らしき者に止められていた。
 そして――

「!? 襲撃だ!」

 私はとっさに叫んだ。矢が横から、馬車を引くメッポーに向けて射かけられたのだ。
 矢は的確にメッポーに命中する。だが、無事だ。私が急いで魔法で保護したからだ。

「ここで伏せて身を守っていてください!」

 私はそう馬車の面々に叫んで、馬車から躍り出た。

「敵襲か!」

 って、なんで守られる立場のナシーも一緒に出てきてるんだ。
 私は周囲を見渡す。どうやら、憲兵の格好をして思い思いの武装をした男達に、馬車が囲まれているようだった。
 これが門兵の言っていた鋼鉄の国の工作員か。

 私は気を引き締め、空間収納魔法から武器として一本の鉄の棒を取り出すのであった。



[35267] 55.町中の話
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2021/09/10 02:25
「いたぞ! 王族だ!」

「捕らえろ!」

 この国の憲兵の姿をしていながら、隣の大陸の言語で男達が叫ぶ。
 どう考えても相手は鋼鉄の国の工作員だ。ここに来て、憲兵に変装していることを隠す気はないのだろう。

「明らかに狙われてるぞナシー!」

「まとめて返り討ちにしてしまえばよい!」

 私に続いて馬車から出てきて、剣を抜いたナシーが私の言葉に反論する。
 まったく、なにを考えているのか。外出用のドレス姿で剣を使うつもりか。私も侍女のドレスだが。

「それに、私が狙われているなら、馬車から離れれば二人は安全だ!」

 ああ、パレスナ嬢とモルスナ嬢から離れたかったのか。でも、馬車に入っていてくれれば、馬車ごと魔法で保護できたのだがな。
 仕方ない。こちらに殺到してくる憲兵姿の男達に、私は身構えた。
 数が多い。十人はいる。一人一人対処していたら、ナシーが囲まれてしまうかもしれない。
 ナシーは騎士級の剣の腕を持つが、あくまで一般騎士級だ。それ以上の力を持つ国王の足元にも及ばない。武をこころざし始めた時期が遅かったからな。

 私はナシーに注意を飛ばす。

「まとめて吹き飛ばすから、注意してくれ」

「魔法か!」

「いいや!」

 私は魔法でナシーに声を飛ばしながら、その場で大きく息を吸った。
 そして、吐き出す。

「ガアアアアアアアアッ!」

 私の喉の奥から、魔力の息吹が奔流となって吐き出される。
 広範囲に撒き散らされた魔力の塊が、男達を一息に飲み込んだ。

「――!?」

 これぞ、剛力魔人百八の秘技が一つ、ドラゴンブレス!
 私の喉には、声帯ではなく竜のブレス器官がついている。何故かは知らない。私がそういう魔人だからとしか言えない。
 今回吐いたのは、音のブレス。口から高速で振動する魔力の塊を吐いたのだ。震える魔力からは、人間の可聴領域を超えた超音波が発生している。

 男達は、振動によって全身を揺さぶられ、声も出せずにその場で意識を飛ばし、朦朧となった。
 その隙に、私とナシーは男達に飛びかかる。
 私は鉄の棒で手足をメインに男達の骨を素早く丹念に砕いていく。魔力と闘気を封じる枷も、殴る際に付与している。剛力魔人百八の秘技の一つ、骨折り首輪つきである。

「はあっ!」

 ナシーは実直に闘気をまとった剣で男達を斬りつけている。相手は多分死ぬが、まあどうでもいいか。
 ブレスで動けなくなった男達を倒していく間にも、離れた場所にいた弓使いから矢が飛んでくる。が、すべて魔法で叩き落とす。

「ガアッ!」

 ついでに弓使いにもブレスをプレゼントだ。
 さらに、妖精を多数呼び出して三台の馬車の保護をさせる。

 前方の馬車の様子は――地面から火柱が上がっている。天使ヤラの天界の火か。こりゃあ工作員死んだな。
 後方では、何やら強そうな槍持ちの男三人組に、護衛のビビとフヤが苦戦している。

「助太刀!」

 背中から魔力を噴射させ突進して、ビビ達と男達の間に割って入る。
 そして、男達に向けて鉄の棒を振り回し、牽制する。
 む、むむ、むむむ。こいつら強いぞ。もしやリーダー格か。熟練の騎士くらいの腕前がある。
 よくビビとフヤは無事だったな。

 って、ビビ、腹から血を流しているじゃないか。
 護衛用の鎧ごと、腹を槍で貫かれたのか。私は男達を牽制しながら、治療魔法を遠隔でビビに当てる。

「すみません、後れを取りました……」

 ビビが力なく答える。

「いや、二対三でよく耐えきった」

 治療用の妖精を追加で二人につけて、私は改めて三人の男達と対峙する。
 相手の得物は、町中にどうやって持ち込んだのか、鉄の両手槍だ。それを私のリーチの外から突いてくる。
 ふむ、強い。強いので私も少し殺(や)る気になっちゃうぞ。

 私は当たったらちょっと死ぬかもというくらいの力で鉄棒を振った。すると、空中でかち合った相手の鉄槍がへし折れる。

「な! ハンク工房の名槍だぞ!?」

 知らねえよ。どこだよハンク工房。
 鋼鉄の国の武器だろうが、私が世界中の魔法使いに魔法付与してもらった、護身の鉄棒『骨折り君』に敵うわけないだろう。

 武器が折れて一瞬の隙を晒した相手の懐に飛び込み、私は相手の腰に棒を叩きつけた。

「ぐあああ!」

 苦悶に満ちた叫び声があがる。
 男は腰を砕かれて見事に体勢を崩した。その隙に、私は一気に手足を砕いて魔力と闘気を封じておく。
 それを見て警戒した残りの二人が、さらに距離を取って斬撃を飛ばしてくる。闘気を使った飛ぶ斬撃だ。なかなかの練度である。しかし、その程度でやられる私ではない。

「工作員バリアー!」

 腰を砕いた男を盾に、相手に肉薄する。

「な、卑劣な!」

「襲撃犯に言われたくないな!」

 私を卑劣呼ばわりした方を次のターゲットにロックオン。盾を相手に投擲し、避けたところで上手く相手の槍を掴んだ。
 そして、私は掴んだ鉄槍を上に向かって掲げた。

「なあっ!」

 今も槍を掴み続けている相手が、空中で宙ぶらりんになる。相手もなかなかの握力だ。
 その隙だらけになった姿に向けて、私はドラゴンブレスを吐いた。今度は雷のブレスだ。
 全身に雷撃を受けた男は、びくびくと体をけいれんさせている。筋肉が硬直しているのか、今もなお手は槍を握ったままだ。

 私は槍を地面に振り下ろし、男を地面に叩きつける。相手は意識を失ったようだ。念のため手足を砕いて魔法を封じておく。

 残りは一人だ。

「むう、面妖な。侍女の幼子がこのような手練れとは」

 ブレスを浴びた男と対峙している間もしつこく飛ぶ斬撃を飛ばしてきていた最後の男が、そう隣の大陸の言葉でうめく。
 王城侍女のドレスデザインを知っているとは、なかなかこの国について調べてるじゃないか。
 ちなみに飛ぶ斬撃は全て魔法で弾いた。

「戦闘侍女って言うらしいぞ」

 いつだか国王に任命された役職名を口にしながら、私は男に近づいていく。
 だが、男は距離を取って斬撃を飛ばすのに専念している。
 相手に打つ手なしに見えるが、ひっそりと相手の魔力が高まっているのが察知できた。逆転の一手としてなんらかの魔法を撃つつもりだろう。

「逃げてばかりでいいのか?」

「…………」

 近づく私の言葉を無視して、男は距離を取る。
 近づく。距離を取られる。近づく。距離を取られる。相手の魔力が最高潮に高まる。そして――

「はあ!」

「ぐああっ!」

 背後に忍んでいたナシーに男は斬りつけられた。位置を上手く調整して、パレスナ嬢達のいる真ん中の馬車を守っていたナシーの方に、男を誘導していたのだ。
 守られるべき王妹だろうが、戦力は戦力だ。
 ちなみにナシーは散々人を斬ったというのに、ドレスには返り血一つついていなかった。闘気で服の表面をおおっていたのだろう。また腕を上げたな。

 工作員は全滅したのか、それとも残りは逃げたのか、この場に立つ憲兵服の男はいなくなった。
 倒れている男達は全部で二十人ほど。幾人かは切り傷から出血していたり、黒焦げになっていたりするが、私が倒した分は生きているので捕虜としては十分だろう。

 さて、この場をどう収めたものか。侍女のドレスのスカートについた砂埃を払いながら、私はそう悩んでいると。

「殿下は無事かああああー!」

 城の方面から、メッポーに乗った近衛騎士と緑の騎士の集団が駆けてきた。
 ご苦労なことだ。というか。

「ナシー殿下の護衛、天使だけとか警護薄すぎないですか?」

 私は今更の疑問をナシーにぶつけた。
 ナシーの返答はというと。

「ゼリンとの用事があるというのに外出させてくれなかったので、馬車を奪って城を抜け出してきた」

 おいおい。それで襲撃されてるんだから、外出許さなかった方が正解だよ。
 私は溜息を一つついて、メッポーから飛び降りた騎士達に手を振るのだった。



◆◇◆◇◆



 襲撃を受けて、城に帰る帰らないの話になったが、結局ナシーが帰らないと強く主張したため、騎士達を大勢引き連れて職人街へと向かった。
 針子工房の中にも、武装した騎士達が私達に同行してきている。
 近衛騎士は国王以外の王族の守りを主に担当する、近衛騎士団第二隊の者だ。そして、王都や地方をそれぞれ守る護国の騎士である緑の騎士は、懐かしの顔ヴォヴォだ。

「なるほど、セト殿はドレスを新調なさるのか」

 先に順番を譲ったビアンカとフランカさんは、ドレスのデザインを決めるため別室で針子と話している。護衛のビビは魔法で治療したが、念のため王城の治療室に騎士同伴で向かわせた。もう一人の護衛フヤは無口だ。
 パレスナ嬢はモルスナ嬢とナシーと天使の四人で談笑している。モルスナ嬢などは襲撃の後も恐怖で震えていたので、親しい女友達による心のケアが必要だろう。
 なので、あまった私は顔見知りの騎士ヴォヴォと会話をして、間を持たせていた。

 聞くところによると、彼は緑の騎士として王都の守りを固めるために、戦争に参加はしていないようだった。

「ええ。ヴォヴォ様の一度目の結婚式には貸し衣装で参列したのですが、今回は主の婚礼に合わせて新調しようかと」

「その節は、わざわざ来ていただき感謝する。可愛らしいドレスだった」

 そう言うヴォヴォだが、伝え聞くにはお嫁さんとラブラブらしいので、ロリコンが再発したということはないはずだ。純粋にお世辞だろう。

「しかし、私ももう三十近いので、子供用のデザインというのも違うと思うのですよ」

「なるほど。背の低い大人の女性もおられるしな。さすがにセト殿ほど低い方は見たことはないが……」

 まあ、私は十歳児の中でも背が低い方だしな。大人でここまで低い人はそうそういない。
 そんな会話を交わしていると、ビアンカとフランカさんが別室から戻ってきた。

「ふふー、うふふー」

 新しいドレスを作ってもらえるとあって、ビアンカはご機嫌なようだ。

「さて、次はキリンだな」

 座って天使と共に茶を飲んでいたナシーが立ち上がる。

「そうね」

 ナシー達と会話をしていたパレスナ嬢も立ち上がる。

「あら、お二人も行くなら私も」

 モルスナ嬢も置いていかれてはたまらぬと、立ち上がった。
 ええっ、そんなに来るの。

 私達四人はぞろぞろと別室に入っていった。ここからは男子禁制だ。

「さて、お嬢様は実年齢二十九歳とのことですが……」

 女性針子が、疑わしいという顔で私を見てくる。

「はい、十歳の頃に魔法の秘術を使い、一切成長も老化もしなくなりました」

「そのようなことがあるのですねえ……」

 針子は半信半疑という様子だ。

「本当だぞ。私がこんなに小さかった頃から見た目が一切変わっていない」

 ナシーが腰の辺りに手をかざして、背の高さを示した。まあ確かに、初めて会ったときのナシーは小さかったな。

「左様でございますか」

 さすがに王妹殿下の言うことに反論はできないのか、針子は表面上納得の顔を見せる。

「となりますと、子供用のデザインは採用できませんね。大人用のものを子供サイズに直してデザインすることになりますが……。正直初めてのケースになりますので、正直その、お値段の方は高くついてしまいますが、よろしいですか?」

 値段か。それは問題ない。
 それよりも、大人用と子供用でデザインがはっきり分かれていることのほうが気になるな。最初から大人用デザインを子供用にも流用してしまえば、デザインを新たに考える手間が省けるというのに。この国では何故いちいちデザインを分けるのか……。まあいい。
 私は針子に答える。

「大丈夫です。資金は十分にありますから、金に糸目はつけなくていいですよ。ただし、侍女なので主より目立ちすぎてはいけないので、おとなしめのデザインにしてください」

「まあ、左様ですか!」

 金に糸目はつけなくていい、のあたりで針子の顔が輝いた。針子も商売だ、より儲かる方がいいだろう。

「となると、最高級の厳選スパイダーシルクをふんだんに使ったドレスがよろしいですね。是非とも私が製作を担当させていただきます。スパイダーシルクで!」

 ……ああ、違った。お高い素材でドレスを作ってみたいだけだこの人。
 まあ、このドレスに使われたスパイダーシルクの収益も、一部が私の懐に入ってくるのだが。
 氷蜘蛛を見つけて家畜化して、ゼリンに売りつけたのは私だからな。

「あまり私のことは気にしないでいいわよ」

 主より目立たない、という話を気にしているのだろうか、パレスナ嬢はそう言った。
 だが。

「いえ、そういうわけにもいきませんので」

 侍女としてさすがにそこは譲れなかった。

「まずは、大人用のデザインを見てからね」

 モルスナ嬢のごもっともな意見を聞き、私は針子の用意したデザインカタログに目を通す。

「ふむ、これなんて大人っぽくてよくないかな」

 と、ナシー。

「可愛さが足りないわ。スパイダーシルクならこっちなんてどう?」

 と、パレスナ嬢。

「二十九歳の着るものではないわよ。彼女の見た目に惑わされすぎては駄目」

 と、モルスナ嬢。

 三人は私を置いてきぼりにして、きゃいきゃいとはしゃいでいる。なんとも姦しい。

「……しばらくかかりそうです」

 私は針子にそう告げる。

「では、先に体のサイズをお測りしましょうか」

 針子がそう言うと、部屋に待機していた他の針子が私の侍女のドレスを脱がしにかかる。
 いやあの、一人で脱げるんですけど!
 そんなことを言う暇もなく私は瞬く間に丸裸にされた。

「あら、意外と筋肉質じゃないのね」

 デザインカタログから目を離したモルスナ嬢が、そんなことを呟いた。

「この玉のお肌の幼女が、さっきの敵兵をあんなふうになぎ倒したのねえ」

 そう言うのは、お風呂で一度裸を見せたことがあるパレスナ嬢だ。伏せてろって言ったのに先ほどの戦いを観戦していたのか。

「美しく、そして強い。私の目標とするところだな」

 ナシーはそう言うが、私みたいになるのは無理ではないかな。私が細身で腕力があるのは魔人の力の恩恵によるものだからだ。
 ただ、気功術を極めれば細身のまま強くなれる可能性はある。

「それで、デザインは決まったんですか?」

 針子達に体のサイズを測られながら、私は彼女達に尋ねる。

「ええ、もちろん。これよ!」

 パレスナ嬢がカタログのとあるページを見せてくる。
 それは、肩と背中の出た、大胆なデザインだった。

「……それ、夏用のデザインじゃないですか? 戦争、そこまで長引かないでほしいのですけれど」

「可愛ければいいのよ! それに、寒くてもキリンなら魔法でどうにでもするでしょう?」

「まあ、それは、はい」

 パレスナ嬢の言葉に、私は頷くしかなかった。

「このドレスなら、同年代の貴族の子達を次々と悩殺できるな」

 などと、おかしなことをナシーが告げてくる。
 ……同年代って、三十前後のおじさん達のことじゃないよな。

 そして、モルスナ嬢も話に乗ってくる。

「キリンさんの社交界デビューだもの。派手にいきたいわね。テーマは子供達の前に舞い降りた誘惑の妖精ね」

 子供達を惑わすって、この三人はいったい私をどうしたいんだ。
 針子に足のサイズを測られながら、私は本日何度目かとなる溜息をつくのであった。



[35267] 56.肉球の話
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/07/04 10:08
 町に繰り出して色々あった日の二日後。今日はハルエーナ王女がビアンカとカードで遊ぶため、薔薇の宮まで訪ねてきていた。私は昨日休みだったため、ビアンカは侍女の仕事があり遊ぶ余裕がなかった。そのため、ハルエーナの訪問は今日になったらしい。
 パレスナ嬢はナシーの新作小説『天使の恋歌』の草稿を読んでおり、私は手持ち無沙汰だ。
 なので私は、天使ネコールナコールが変身した猫と雑談をして、時間を過ごすことにした。

「カヨウ夫人の正体はおそらく端末じゃな」

 戦争の話題となったので、先日ゼリンから聞いた鋼鉄の国の内情を猫に説明したところ、そんな言葉が返ってきた。
 端末とは、別次元にいる火の神がこの世界に介入するための端末のことで、人間の言葉では天使もしくは悪魔という。

「玉藻の前は知っておるか、元日本人よ」

 唐突に話題が飛んだ。玉藻の前? 聞いたことはある。

「ああ、まあな。平安時代の天皇だかのめかけで、天皇をたぶらかそうとした。けれど実はそいつは妖狐で、正体を見破られて石になって死んだっていう、創作上の存在だろう?」

「創作ではない。実在しておった。正体は妖狐ではなく、妾(わらわ)達端末じゃがな」

 ちなみに天皇ではなく上皇じゃぞ、と補足して言う猫。

「ええっ……なんだその今更知る、地球の歴史の真実。やっぱり地球にも、火の神の端末が介入していたのか……」

 日本には火の神を祀る古い邪教があって、狂信者は不思議な超能力を使えていた。
 この世界でも、火の神を祀る宗教の司祭達は、プラチナをも溶かす高熱の火を操る魔法を習得するという。分割思考を習得する火の神の祝福とはまた別のものだ。

 つまり、地球でも火の神はなんらかの影響を及ぼしていたということになる。
 私が最期に相対した狂信者が、力を与えられた狂信者なのか、狂信者に化けた悪魔かは解らないのだが……。

「他にも白面金毛九尾の狐とされた、大陸の妲己なども端末じゃなあ」

 妲己も実在したのかよ。妲己なら封神演義の漫画に出てきたから、玉藻の前よりは少しは知っているぞ。しかし、狐か。

「なんなの。火の神って狐でも好きなの」

「うむ。狐が好きな一派がおるな」

 冗談で言ったんだが、本当かよ。なんなんだ火の神って。上位次元のすごい存在ではないのか。

「で、玉藻の前がなにか?」

 私は、ずれた話を元に修正した。カヨウ夫人と玉藻の前に何か関係があるのか?

「玉藻の前や妲己と同じく、カヨウと呼ばれる狐一派の端末が、天竺で活動をしていたことがあるらしいの。それにあやかって、名を名乗っているのじゃろう。ちなみにカヨウとは字をこう書く」

 猫は魔力を操作して、空間に文字を投影した。
 華陽。日本語読みでカヨウか。

「ではなにか。独裁者をたぶらかす悪魔が、戦争の黒幕ってことか」

 玉藻の前や妲己と同等の存在というなら、その毒婦ムーブも納得できる。
 悪魔は人になんらかの害をなそうとする存在だからだ。もちろん、害をなすことそのものが目的ではない。この国と鋼鉄の国を戦争させて、なにかをなそうとしているのだ。

「それがのう。今アンテナで検索してみたのじゃが、その国で上位存在の指令を受けて人間に害を成そうとする端末は、特に活動していないようなのじゃよ」

「なんだそれ。悪魔じゃないなら、名前はただの偶然の一致じゃないか」

 今までの会話はなんだったんだ。

「いやいや、今、指令を受けて端末が活動していないというだけで、過去に指令を受けた端末は活動しているかもしれん」

「んんー?」

 どういうことだ。私は理解できずに首をひねる。

「ほれ、この国にもおったじゃろう。指令を八百年以上更新しておらんかった端末が」

「ああ、お前ね」

「つまり、妾の胴体が勝手に動いて、その国で暗躍していたとしたら……? 男を惑わすのは、美しい妾の得意とするところよ」

「ああー、なるほど。確かに、鋼鉄の国がこの国と本格的に対立し始めたのも、北の山で竜が復活したあとだな。お前の胴体、ばらばらになってなかったんだな」

 北の山で竜が生まれたのが七年前。鋼鉄の国がこの国と対立し始めたのも六、七年ほど前からだ。
 建国王に首を刈られてアンテナを破損してた悪魔。そのアンテナのない悪魔の胴体部分が、建国王の血筋を根絶やしにせんと活動していると。ホラーだな。まあ、人の姿に化けているのだろうが。
 というか、頭がなくても動くとか、昆虫かお前らは。

 私がそのホラーっぷりに震えていると、猫が私の足をたしたしと前足で叩きながら言った。

「なのでおぬし、ちょっと戦場に行って妾の胴体回収してくるのじゃ」

「え、嫌だよ」

「何故じゃ!? どうしておぬしは元日本人のくせに、妾にこうも逆らうのじゃ!」

「むしろ私、前世でお前達の信者に殺された側なんだけれどな……」

 自分では満足した死に様だから、別に今更恨んではいないのだが。
 それでも、火の神やその端末にかしずく気は毛頭ない。

「むうー」

 猫は唸って腹を見せて寝転んだ。こいつ、本物の猫じゃないくせにあざといポーズをちょくちょく挟んで、私を魅了しようとするから困るな。仕方ないので肉球をぷにぷにしてやる。

「しかしおぬし、何故妾だけに敬語を使わぬ」

「お前に何か敬われるような要素あった?」

「妾は端末じゃぞ! 以前はねこちゃんねこちゃんと妾にうっとうしく群がっていた青百合の宮の女どもも、今では恐れ多いと遠巻きに敬うようになったのじゃ」

「それ、お前がパレスナ様にいたずらしてた元悪魔と知って、避けてるだけではないかな……」

 もしくは正体が生首と知って恐れているのかもな。

「なんじゃと!? やはり過去は捨てられないのじゃ……ああ、妾って本当に可哀想なのじゃー」

「うるさいよ」

 そんなお前には肉球ぷにぷにの刑、十倍だ。
 ぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷに……。

「やーめーぬーかー。なんじゃおぬしら人間は、猫を見るとこうも構いたがりよって……」

 私の腕の中で猫がじたばたと暴れる。
 本物の猫ならここで離してやったところだが、相手は本物ではなくただ変身しているだけの天使だ。遠慮することはない。

「大丈夫、変身が解けるほど強くは押さないから。ぎりぎりで」

「変身が解けるのって、相当強い力じゃからな!?」

 肉球ぷにぷにの刑は、カード競技が終わってビアンカ達が猫いじりに参戦するまで続けられるのであった。



◆◇◆◇◆



 その次の日の正午、私は『女帝ちゃんホットライン』を使って女帝蟻に連絡を取っていた。
 話の内容は、昨日猫に聞いた華陽夫人の正体について。

『つまり、ハイツェン共和国の中枢には悪魔が潜んでおると?』

 魔法道具から女帝の可愛らしい声が届く。ハイツェン共和国とは、鋼鉄の国の正式名称である。

「確証はないがな。カヨウという名前が、たまたま異世界の悪魔の名前と被っただけかもしれない」

『それでも、悪魔の胴体が解放された時期と、共和国が強硬姿勢を取り始めた時期が被っておるのじゃろ?』

「まあそうなのだけれどな」

 だからといって、私にはどうしようもない話でもあるが。戦争はもう始まってしまった。まだ軍は移動している最中だろうが、宣戦布告は済んでいるし、賽は投げられたのだ。
 なのでこうしてお上に報告して、いち早い調停を頼むのである。

『ふうむ、なるほど。これはあれじゃなあ……』

『俺に任せろ! 俺が戦場に飛んでいって、悪魔を撲滅してやる! ハイツェン許すまじ!』

 と、女帝の言葉に割り込んで、男の声が聞こえた。この声は、元勇者アセトリードが憑依したゴーレムの声か。
 女帝とは世界共通語で話していたので、彼の喋り方はあの特徴的な古風な言葉遣いではない。

「何言ってるんだ。あんたはお呼びでないよ」

 とりあえず、私は冷静に突っ込んだ。

『悪魔あるところに悲しむ者あり! ならば、俺が助けねばどうするか!』

「お前が戦争に介入すると、滅茶苦茶になるんだよ! リネと私がどれだけ心労に悩んだか知ってんのか!」

 思わず口汚くなってしまう私。
 だが、そうなってしまうのも仕方がない。こいつは勇者時代、私憤で戦争に介入して、両軍壊滅状態という惨状を作りだしたのだ。我が第二の故郷アルイブキラの軍隊をそんな状態にさせるわけにはいかない。国王も出てるしな。

「女帝陛下、頼むからそいつの手綱を握っておいてくれよ」

『お、おう。大丈夫じゃ。こやつは探査船のコックピットに縛りつけておく』

『え、ちょ、待って。そんな御無体な――』

 そのアセトリードの言葉を最後に、『女帝ちゃんホットライン』の通信は切れる。
 頼るところ間違ったかな……? でも、戦争調停してもらって毒婦一人倒せば解決って、最良すぎる落としどころだし……。でもあいつはなぁ。
 私は戦々恐々としながら、身支度を整え、午後の仕事に向かうことにした。

 薔薇の宮に入り、入口すぐの広間でコートを脱ぐ。すると、広間に詰めていた護衛のフヤが私のもとに近づいてきて、言った。

「ハルエーナ殿下が、キリンを訪ねてきている」

 二日続けてハルエーナ王女が来ているらしい。しかも、私に用事だ。
 なんだろうか。パレスナ嬢の結婚式についてなにか話でもあるのだろうか。
 私は疑問を頭に浮かべながら、来客室へと入った。

 来客室では、ハルエーナ王女が席に座って待っていた。パレスナ嬢とビアンカの姿も見える。
 私の姿を見つけたハルエーナ王女は、猫を腕に抱えながら立ち上がった。
 そして、私のもとへと近づいてきながら、言った。

「キリン、助けて」

「はい、なんなりと」

 結婚式のヘルプか。頑張るぞ。

「猫が、猫が……」

「はい? 猫ですか?」

「猫が戦場に行くって! 止めてほしい! 説得して!」

 そう、ハルエーナ王女が悲痛な声で言う。
 それに対し、猫は抱えられた腕を前足で叩きながら言葉を返す。

「止めてくれるな。ハイツェンには妾の体があるのじゃ」

「駄目! 死ぬ!」

 ……まあ、今の頭だけのか弱い天使だと、かなり危ないな。
 仕方ない、説得を手伝おうか。

「ネコールナコール。戦場に向かってはいけない」

「ええい、止めるな元日本人。おぬしらには体がない悲しみなど解らぬのじゃ」

「止めるぞ。今回の戦はとても危険だからな。なにせ、元勇者が参戦するかもしれないからな」

「元勇者じゃと?」

 前足をばたばたと動かしていた猫が、動きを止めた。

「ああ、元勇者アセトリード。人の身を捨てゴーレムに身を換装した戦争の破壊者だ」

「戦争の破壊者……」

「かつて元勇者は、生身の頃に戦争に介入して、両軍をめためたに壊滅させたことがある。その元勇者がより強力なゴーレムになって、今回の戦争に調停という名の破壊を行いにいく」

「わ、わわ……受信したのじゃ。元勇者にして元魔王アセトリード。なんて恐ろしいやつなのじゃあ……」

 ハルエーナ王女の腕の中で、猫ががたがたと震える。

「アセトリードは鋼鉄の国を許すまじと言っていた。鋼鉄の国の側に向かうなら、無事では済まないぞ」

「はい、妾、行くのやめます……」

 がっくりと猫は脱力した。
 よかった、説得に成功した。

「ねえ、そんなやつが戦場に向かって、陛下達は大丈夫なの?」

 そんな当然の疑問がパレスナ嬢から出てくる。
 うん、それね。そうだよね。

「大丈夫だといいですねえ。一応、元勇者は悪魔を撲滅って言っていたので、悪魔に一直線に向かって、過剰に戦争に介入しないと思うのですが……」

「それ、妾の体、無事で済むかの?」

「済まなそうだが、あんたが行ったら、それ以上に無事では済まないからな」

 猫がぽつりと言った言葉に、私は無情な事実を告げてやった。
 そもそも、頭だけでどうやって、アンテナ繋がっていない悪魔の胴体を止めるつもりなんだ。意見、確実に食い違うぞ。不意打ちでドッキングでもするのか。

「キリン、感謝」

 説得に成功した判定をいただけたのが、ハルエーナ王女が感謝の意を示してきた。

「いえ、お役に立てたようでなによりです」

「パレスナの結婚式の相談にも乗ってくれる?」

「ええ、是非」

 そういうわけで、ハルエーナ王女からの相談は無事に解決したのだった。
 悪魔の胴体は……ここからは正直どうしようもないので、アセトリードに『幹』がゴーレムボディを用意したのと同じように、首のない全身義体でも用意してやる必要があるかもしれない。でも、今の猫の姿、可愛いんだよなぁ。
 私は猫の肉球を触りながら、そんなことを思うのであった。



[35267] 57.甘味の話
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2020/10/27 18:39
「キリンさんに、異世界のお菓子を教えていただきたいのですー」

 私を訪ねて薔薇の宮へやってきたトリール嬢が、唐突にそう話を切り出した。
 トリール嬢はお菓子作りが得意な、牡丹の宮の主だ。以前も、彼女にとっての異世界である地球のお菓子として、メイズ・オブ・オナー・タルトを紹介したことがある。私は曖昧にしかレシピを知らず、彼女がほとんど独力で作り上げてしまったのだが。
 そんな彼女が、私へ新たな挑戦状を叩きつけてきたのだ。

「別に構いませんが、何故急に? タルト作りに満足でもしました?」

 私はそうトリール嬢に尋ねるが、トリール嬢は首を横に振る。

「いいえ、実はハルエーナ殿下から、パレスナ様の結婚式に何か協力できないかと言われましてー」

 全身でジェスチャーをしながら、トリール嬢が言う。
 ちなみに、ここは薔薇の宮の来客室だが、この場にそのハルエーナ王女はいない。そしてパレスナ嬢もいない。パレスナ嬢は、白菊の宮の主であるミミヤ嬢に、婚姻の儀式の手順について指導を受けている。ミミヤ嬢、王族の儀式まで知っているとはすごい。さすが建国当時から存在する芋伯爵家。

「私にできるのは、披露宴でお菓子をお出しすることかと思いましてー。いくつか選んだのですが、インパクトが足りないなって」

 なるほど、トリール嬢の言いたいことは解る。自分の得意分野で、結婚式に最大限の貢献をしたいのだろう。
 儀式を教えに来ているミミヤ嬢も、そんな感じだしな。
 私はそんな健気なトリール嬢に向かって、言葉を投げかける。

「しかし、異世界のお菓子ですか。いろいろありますが……」

「いろいろあるんですかー!?」

「……ありますが、どういう方針のものがいいですか?」

 食いつき半端ないなこのお嬢様。どれだけ新レシピに飢えているんだ。
 私の問いかけに、トリール嬢はうーんとわずかに悩み、そして答えた。

「この国で誰も味わったことのない味、でしょうかー?」

「なるほど……」

 私は考えを巡らせる。誰も味わったことのない味。勘違いしてはいけないのは、あくまでこの国でだと言うことだ。
 他の国で親しまれている味でも、この国では一般的ではない味ならいい。

「それなら、あれですね」

 前々から思っていた。
 この国の菓子には、カスタード味が足りない。
 だから、卵を使ってカスタード味の料理を作る。
 その料理とは、そう!

「三不粘(サンプーチャン)です!」

「おお、サンプーチャン!」

「三不粘とは、中国という国の料理です。お菓子と言うよりは甘い料理でしょうか」

「おおー。でも、甘ければ大丈夫ですよ。披露宴は立食パーティですからねー」

「なるほど」

 それなら、大丈夫だな。

「ちなみに中国は、四千年の歴史がある国と言われていました」

「おおー、それって、この世界よりも歴史が長かったりしませんかー?」

「長いですね。もちろん、一つの王朝が支配し続けていたわけでなく、新しい王朝が立っては衰退していったのですが……」

「歴史ロマンですねー。ファミー様がそういうの好きそうです。美味しいお菓子もいっぱい発明されていそうですねー」

 私が中国で詳しいのは、お菓子よりもどちらかと言えば料理なのだが。
 まあ、甘い料理のレシピを知っていてちょうどよかった。

「では、早速試作してみましょうかー。牡丹の宮へ行きましょうー」

「あ、薔薇の宮で大丈夫ですよ。そう珍しい材料は使いませんし」

 そうして私達は、薔薇の宮の厨房に向かうのであった。



◆◇◆◇◆



 厨房に到着した私は、その場を取り仕切る料理長から歓迎を受けた。今の後宮は男子禁制なので、料理長とその部下達も全員女性だ。

「いらっしゃい、キリンさん! 厨房を使いたいって? どうぞ存分に使ってくだせえ!」

 料理長の私への好意がすごい。
 それもそのはずだ。以前、街道を走っていたパレスナ嬢の馬車が山賊に襲われたとき、私がそれを助けたのだ。
 そのときに、山賊に矢を射かけられて死にかけていた御者が、この料理長なのだ。命の恩人ってやつだな。

「では、しばらく厨房をお借りします」

 さて、料理だ。しかし、今私は侍女のドレスだ。これで料理するのは気が引けるな。
 そう思ったときのこと。

「どうぞ」

 トリール嬢の侍女から、エプロンを渡される。よく見ると、侍女達とトリール嬢はすでにエプロンを着けて臨戦態勢に入っていた。
 薔薇の宮までエプロン持参で来たのかこの人達は……。

 まあいい。気を取り直して、料理の準備だ。

「ボウルを二つ用意してください」

「へい!」

 料理長が返事をし、部下の料理人が道具を用意する。
 そして、私も道具を準備だ。空間収納魔法から、一つの中華鍋と特別に頑丈なお玉を取り出す。

「おおー、立派な鍋ですねー」

 トリール嬢が感心したように言う。この中華鍋は、野営のときなどにとても便利なのだ。
 綺麗に洗ってあるが、念のためもう一度洗ってもらう。

「次に材料。バルクースでんぷん、砂糖、巨鳥卵、それと巨獣ラードです」

「それだけですかー?」

「ええ、それだけです」

「おお、想像もつきませんねー」

 まずは、ボウルに水を入れ、そこにでんぷんと砂糖を混ぜ合わせる。

 次に卵。卵黄だけを取り出し、でんぷん水のボウルへ追加する。鶏卵なら複数個卵が必要だが、この卵は地球の鶏卵と違ってとてもでかいので、使うのは一個で十分だ。もう一つのボウルにあまった卵白は、料理長に任せよう。

 そして、卵黄を潰すようにしてボウルをかき混ぜる。ほどよくかき混ざったら、準備完了だ。

「これが三不粘のタネです」

「おおー、普通のでんぷん入り卵液ですねー。砂糖が入っているから甘いのでしょうねー」

 次に、中華鍋を熱し、卵液を投入!
 卵液は熱で固まり始める。それをお玉でかき混ぜながら、丸い形にしていく。
 ある程度固まってきたら、弱火にして、ラードを少し入れて、それから――

「お玉で卵を叩く!」

「わー!」

 トリール嬢の驚き声が聞こえるが、無視だ。
 お玉の底で、卵を叩く! 叩く! 叩く! そしてひっくり返す! そして叩く! 叩く! 叩く! ひっくり返す! ラードを少し入れる!

「な、なんて乱暴な料理なんだ……」

 料理長が冷や汗を垂らしながらそんなことを言う。だが、この程度で乱暴なんて言っていちゃあ始まらない。
 ただひたすらに、叩いてひっくり返してラードを入れる!

「あの、これいつまで続けて……」

「あとちょっとです」

 トリール嬢の言葉に、私は適当に答えた。
 その後、私は二十分間ほど、ひたすら卵を叩き続けたのだった。

「ひえー……」

 乱暴料理に、トリール嬢は感心しているんだか引いているんだか、よく解らない反応を返していた。



◆◇◆◇◆



「では、料理の格式の判定に定評のある、ミミヤ様に試食していただきます!」

「唐突に呼ばれたと思ったら……まあいいですけれど」

 薔薇の宮の食堂。そこで、私達はミミヤ嬢を呼んで試食を頼んでいた。
 当然、一緒に儀式の確認をしていたパレスナ嬢も来ているが、まずはミミヤ嬢に味わってもらうことにした。

「三不粘と言います。粘(チャン)とはくっつくという意味で、三(サン)は三つ。不(プー)は否定の意味。歯にもトングにも皿にもくっつかないという料理です」

 その見た目は、脂光りする不透明な黄色いスライムのようなものだった。
 初めて見るものには、不可思議な印象しか与えないであろう。
 それを見たミミヤ嬢は――

「まあ、面白い見た目ですわね」

 どこかわくわくしたような表情で料理を見下ろしていた。
 怪訝な顔をされることを覚悟していたが、杞憂だったようだ。

 私はスプーンで三不粘を一口サイズに切り分け、小皿に移しミミヤ嬢の前へと改めて出す。

「では、試食をどうぞ」

 私に促され、ミミヤ嬢は聖句を唱えて、トングを手に取った。トングは、箸のようなこの国の代表的な食器だ。
 ミミヤ嬢がトングで三不粘を掴むと、三不粘はふにょんと柔らかく伸びて曲がった。

「ふふ、なんですかこれ。面白い……」

 ミミヤ嬢はそう笑うと、三不粘を口へと運んだ。
 もっちもっちとミミヤ嬢が咀嚼をする。
 今彼女の口の中では三不粘がふにふにもちもちと弾み回っていることだろう。
 そして、彼女は噛むのに満足したのか、少しずつ三不粘を飲み込んでいく。やがて、全て料理を飲み込んだミミヤ嬢は、ゆっくりと口を開いた。

「甘くて美味しいですわ……それにこの不思議な食感……」

 ミミヤ嬢は大皿に残った三不粘を見下ろしながら、言葉を続けた。

「お茶の席にはいまいち合わないですけれど、披露宴は立食形式ですから、その場で出す料理としては合格でしょう」

「やった! キリンさんやりましたよー!」

「ええ、そうですね」

「では、私達も試食しましょうー!」

 皆に配るため、三不粘は一口サイズに切り分けられる。この作業の時点で、三不粘は伸びて弾んで皆の目を楽しませていた。
 料理の載った取り皿がお嬢様達や侍女達の前へと並ぶ。
 そして、皆で聖句を唱え、もっちもっちと三不粘を食べる。

「甘くて美味しいー! 新感覚ー!」

 我が主はお喜びのようだ。

「いいですねー。珍しくて披露宴に持ってこいですよー」

 トリール嬢もお喜びのようだ。

「ふむ、まあまあですね」

 私自身はまあまあといった感想のようだ。
 ふにふにと口に広がるカスタードの風味が心地よい。
 トングで持ち上げると粘っこく伸びるのに、口に入れても歯にくっつかないこの独特の食感。初めて食べたら不思議でたまらないだろう。
 三不粘は楽しい料理なのだ。

「ねえキリン、一口じゃ足りないわ。もっと作ってきてくれる?」

 我が主はおかわりをご所望のようだ。

「え、嫌ですけど」

 そして、私は拒否をした。

「は?」

 私の拒絶に、パレスナ嬢は固まる。
 まあ、許してほしい。これにはのっぴきならない事情があるのだ。

「これ、作るの面倒なんですよね。火の前にずっとかかりきりになって、やっと一個作れるという、大勢に配るには欠陥のある料理です」

「ええー、それはどうなのよ」

 パレスナ嬢が批難の声を浴びせかけてくる。でも、これをいっぱい作れとか絶対に嫌だぞ。

「大勢に配れないんじゃ、披露宴にお出しできませんよー」

 トリール嬢がそう泣きついてきた。
 しかもこの料理、時間が経つと油脂でカチカチになるんだよな……。作りたてを食べなくちゃ駄目な料理だ。パーティに出すなどもっての外だ。
 でも、アフターサービスはばっちりなので、安心してほしい。

「大丈夫です。カスタード味なら、もっと手軽で美味しい料理がありますから」

 その名も、カスタードプリン!
 牛乳と卵と砂糖を混ぜた卵液を器に入れ、湯煎してオーブンで焼くだけ! カラメルを付けるならもう一手間! 大量生産可能!
 私は自信満々にそれを宣言する。

「何故、それを初めから出さなかったのですか? 話は結婚披露宴の料理選定なのでしょう?」

 ミミヤ嬢にごもっともなことを言われた。

「それは……」

 私はもったいぶって言葉を溜めた。
 そして。

「久しぶりに三不粘を作りたくなったからです!」

 何個も作るとなると絶対に嫌になるが、一個作るだけなら楽しいからな。
 実際、今回はすごい楽しかった。
 こうやってまともに食べられるレベルで作れるようになるまで、かなり時間がかかったから思い入れもある。

「……そう」

 ミミヤ嬢の、そして皆の冷たい視線が、私を射貫く。
 ああ、ごめんなさい許して! カスタードプリン作りますから!

 その後、私はカスタードプリンを作り上げ、その味に満足してもらい無事に許されるのであった。
 って、ずっと料理を提供していたのは私なんだから、そう叱られる謂われはないな、これ。
 まあ、披露宴に並ぶ珍しいカスタード味を提供できたことに、今は喜ぼう。



[35267] 58.天道の話
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/07/04 07:39
 8月も下旬に差しかかった頃、白詰草の宮の主であるファミー嬢が、パレスナ嬢の婚約を祝いに薔薇の宮へと訪れていた。
 国王がパレスナ嬢に告白をしてから八日も経過している。祝うと言っても今更な感じがするが、ファミー嬢はどこかよれよれとした雰囲気を漂わせていたため、事情がいろいろ察せられた。きっと、書庫に籠もって読書を続けていたのであろう。

 くたびれた感じのファミー嬢が、パレスナ嬢へ祝いの言葉を向ける。

「このたびは、ご結婚おめでとうございます。ようやくですわね」

「ありがとう! 本当にようやくだわ!」

 笑顔で言葉を返すパレスナ嬢。
 その様子に満足したように、ファミー嬢は儚い笑顔をパレスナ嬢に向けた。

「お二人とも以前から仲睦まじくて、いつご結婚なさるのかと楽しみにしておりました」

「恋愛小説のように、仲良くなったら即結婚とはいかないものねー。そうそう、最近はハナシーの恋愛小説を読んでいるの」

「ハナシー先生の小説ですか! ……乙女心をくすぐる大胆な描写が素敵ですよね。それに、ヒーロー達の戦闘描写が綿密で、男性の方にも是非とも読んでいただきたいですね。もちろん、女性が楽しめないという意味ではないですけれど。ヒロインとヒーロー、男女両方の視点で互いの心が近づく様を描いているので、読む人を選ばない、いい意味での大衆小説だと思いますわ」

 突然興奮するビブリオフィリア。これは重症だ。
 パレスナ嬢は苦笑して、言葉を返す。

「いろいろ読んだけど素敵だったわ。それでね、ハナシーの新作の挿絵を担当することになったの」

「ハナシー先生の新作ですか!? す、すごいです。それはどのような……ああ、お待ちになって! 発売前の新作の内容を知るなんて、これは禁忌ですわ!」

「草稿を預かっているのだけれど……」

「読みたいですわ! ……だ、駄目ですそれは禁忌です。表紙もない挿絵もない本にもなっていない未完成のままの作品では、読んだときの満足度が完成品より劣ってしまいます。本来味わえるはずのものよりも、楽しみが半減してしまいますわ。でも、いち早く見られるというこれ以上ない魅力……! ああ、駄目よわたくし、耐えるのよ……!」

「な、なんだか、ごめんなさいね?」

 ファミー嬢の様子に引きぎみになるパレスナ嬢。
 まあ、明らかに余計な誘惑だったな、これは。私だって、前世で発売日前に某週刊少年漫画誌を読めるとなったら、飛びついていただろう。
 パレスナ嬢はファミー嬢をなんとかなだめ、話を続けた。

「それでね、作者のハナシーの正体だけれど、実は王妹殿下だったのよ。本人は別に隠していないらしいわ」

「本当ですか! そ、それはなんという……今までわたくしは、そんな尊い作品を他の書物と同じように読んでいたということに。王族という社会的背景。それを考慮に入れずただ漫然と読み進めていただなんて、なんと勿体ないのでしょう……! ああ、宮殿に帰ったら早速読み返さないと!」

「ふふっ、そうよね。驚くわよね」

 ファミー嬢の今回の暴走にようやく慣れてきたのか、パレスナ嬢はそう冷静に言葉を返した。

 その後も二人の話は進み、ふと、ファミー嬢の将来についての話題になった。

「後宮を出たら、ファミーはどうするの? 結婚の予定とかはあるのかしら?」

「結婚ですか……。予定はないですわ。後宮入りしたことで、お話は来るようにはなると思うのですけれど……」

 後宮は王のハーレムではない。王族のための大規模なお見合い会場なのだ。ゆえに、そこに呼ばれただけで令嬢には箔がつき、結婚の話が舞い込みやすくなるという。

「それよりもわたくしは、働いてみたいですね。図書館の司書をしたいのです」

「あら、司書ならファミーにぴったりのお仕事ね」

「できれば、王宮図書館で働きたいのですわ。そこなら王宮で働く貴族のご子息の方達も多くいらっしゃいますし、他の男性司書の方もいらっしゃいます。よいご縁がありそうですわ」

 このご令嬢、儚い印象の外見に反して、なかなかの野心家のようだ。ただまあ、ご本人は十八歳と、見事に結婚適齢期だ。出会いが欲しくなるのも仕方がないだろう。

「いい出会いがあるといいわね」

 国王との結婚が決まっているパレスナ嬢は、勝者の余裕でそんなコメントをした。
 ただ、まずは王宮図書館の司書になれるかどうかからではないだろうか。
 そういう職って、まず人員に空きがないとなれないだろうし。国王とのコネがあっても難しいかもしれない。
 でも、後宮が解散になってからも、後宮のお嬢様達とはなんらかの縁があるとパレスナ嬢は嬉しいだろうな。みんな仲がいいし。

 ハルエーナ王女などは、国元に帰るだろうから、もう会えなくなるんだろうな。寂しくなる。
 私は二人のご令嬢の会話をパレスナ嬢の背後に立って聞きながら、そんなことを思うのであった。



◆◇◆◇◆



 そんなことがあったのが午前。そして午後は、ハルエーナ王女が私を訪ねて薔薇の宮までやってきた。
 パレスナ嬢は、挿絵の打ち合わせにやってきたナシーとアトリエで話しているため、王女の相手をするのは私一人だ。

「なにをすれば結婚式が盛り上がると思う?」

 ハルエーナ王女がそんなことを私に聞いてくる。
 彼女の歳だと、結婚式に参加したことは少ないだろう。ちなみに私も、貴族の結婚式に参加したことは数えるほどしかない。

「披露宴の料理をトリール様に依頼したのですよね?」

「うん。キリンも協力してくれたと聞いた。ありがとう」

「いえいえ」

 さて、話は結婚式だ。
 一番最初にとり行われる婚姻の儀式には、私達は噛めないだろう。ミミヤ嬢がパレスナ嬢に手順を指導していたが、王族による厳かな儀式という様子だった。明るくブーケトスって感じではない。
 ならば狙い目は、一回目の結婚披露宴だ。城下町のダンスホールで開催される、主に貴族達が集まる立食パーティである。
 他にも、城下町の自然公園で、王都の民に向けて王妃のお披露目をする大披露宴なんていうものもある。が、こちらは私達の出る幕はないだろう。多分。

「貴族向けの披露宴で、何か出し物をしますか」

「出し物? どんな?」

 ハルエーナ王女の疑問に、私は少し頭をひねって、そして答えた。

「定番は、歌ですね。結婚を祝うような歌を夫妻の友人達が歌うのです」

 私は、前世の親友の結婚式を思い出した。その披露宴では、親友の女友達が、複数人で楽しそうに歌を歌っていた。うん、いいんじゃないか、歌。

「どんな歌?」

 王女がさらに聞いてくる。

「前世での定番の歌といえば、『てんとう虫のサンバ』ですね。とても明るい歌で、結婚式を挙げる夫妻を虫などが祝うという内容です」

「……蟻人が結婚式を祝う?」

「いえ、蟻でも蟻人でもなく、てんとう虫というこの世界にいない虫ですね。そこはあまり重要ではないのですが」

「どんな歌か知りたい。歌ってみて」

「ええっ、歌うんですか。前世の歌ですから歌詞が異国のものですけど、いいんですか?」

「うん」

 ……仕方ないなあ。
 私は魔法で魂の記憶を漁り、前世の歌を思い出す。
 そして、音を奏でる魔法で伴奏を始めた。剛力魔人百八の秘技の一つ、人力DTMである。
 管楽器とギターの音が楽しげに鳴り響き、歌が始まる。

 私に声帯はない。代わりに、声の魔法が正確な音程で歌を奏でている。

「おー」

 この国アルイブキラには馴染みのないフォークソングが、部屋に鳴り響く。
 曲名でサンバといいつつ、激しいサンバではない。優しい歌謡曲だ。

 歌が漏れ聞こえていたのか、歌の途中で侍女のフランカさんやビアンカ、そしてパレスナ嬢とナシー、天使ヤラが私達のいる来客室までやってくる。
 そして、歌が終わると、皆が拍手で迎えてくれた。

「突然、歌なんて歌ってどうしたの? しかも演奏までつけて本格的!」

 パレスナ嬢にそう尋ねられる。まあ、宮殿内でいきなり音楽が鳴ったら、何事かとなるよな。

「ええと、結婚披露宴の出し物を何にしようかと考えてまして、試しに歌をと」

「なるほど、楽しみねー」

 パレスナ嬢がうきうきとしながら言った。
 そんなパレスナ嬢に、ハルエーナ王女が言う。

「本番に聞かせるから、今は戻って」

「ええっ、楽しそうなのに」

「本番で楽しんで」

 そう言ってハルエーナ王女は、パレスナ嬢を来客室の入口へと押す。
 すると、ナシーがハルエーナ王女に同調した。

「パレスナは歓迎される側なんだ。大人しくしているんだ」

「ううーん、解ったわ」

 そう言ってパレスナ嬢達は来客室から出ていった。
 ハルエーナ王女は、息を一つつき、そして言った。

「いい曲だった。是非その曲を歌いたい」

「でも、歌詞が異世界のものですよ」

「キリンなら翻訳できる?」

「直訳ならできますが……」

 私はさらさらと紙に『てんとう虫のサンバ』の歌詞を書いた。アルイブキラの言語と、塩の国の言語二つでだ。
 それを見たハルエーナ王女は、にっこりと笑って言った。

「いい歌詞。絶対にこれを歌う」

「でも、この歌詞のままじゃさっきの曲に合いませんよ。これを元に、改めて作詞をしませんと」

「キリン、作詞、できる?」

「いやあ、正直無理ですね……」

「だとしたら、誰かの力を借りる」

 誰かねえ。文才といえばナシーだが、後宮のメンバー以外の力を借りるというのはどうだろう。

「ファミーに頼んでみる」

「ファミー様って、読むだけでなく書けるんですか?」

「知らない。でも頼むだけやってみる」

 そういうことになった。
 勢いまかせだが、大丈夫か、これ。



◆◇◆◇◆



「む、無茶ぶりですわ。わたくし、一度も作詞などしたことがないのですが……」

「無理?」

 白詰草の宮へとやってきた私達。作詞を要請されたファミー嬢の答えに、ハルエーナ王女はしょんぼりとする。
 その様子を見たファミー嬢は、慌てて言葉を返す。

「いえ、やってみないことには。すでに歌詞の原型がありますから、なんとかなるかもしれませんわ。それに、パレスナ様の結婚式には、わたくしも協力したいと思っていたのです」

 そうしてファミー嬢は作詞を担当してくれることになった。
 そんなファミー嬢に、私は再度音楽の魔法を奏で、『てんとう虫のサンバ』を聞かせた。

「明るい歌ですね。それにこの歌詞、素敵ですわ」

 私が紙に書いた翻訳歌詞を見ながら、ファミー嬢が言う。これなら、作詞はなんとかなりそうだ。
 私は参考として、紙に魔法陣を書き、『てんとう虫のサンバ』のメインメロディが流れる簡易の魔法道具を作った。これを聞きながら作詞に励んでもらいたい。

「では、作詞ときたら次は作曲ですね」

 私はハルエーナ王女にそう告げる。

「? 伴奏ならキリンが演奏してくれる」

「これは魔法で鳴らしているだけですから。せっかくなので、楽器で生演奏したいではないですか。メロディは決まっているので、作曲と言うよりは編曲でしょうか」

「なるほど。キリン、編曲はできる?」

「無理ですねえ」

 私はあまりこの世界の楽器に詳しくない。楽譜はかろうじて書けるが。
 ハルエーナ王女は、翻訳の歌詞とにらめっこしていたファミー嬢に向き直り、彼女に向けて言った。

「ファミー、作曲とかできる?」

「作詞以上に専門外ですわ……」

「じゃあ誰に任せればいい?」

 ハルエーナ王女に尋ねられ、ファミー嬢は少し考え、そして答えた。

「ええーと、ミミヤ様の宮殿なら、ダンスのためにお抱えの楽士がいらっしゃるはずですが……」

「それ。次はミミヤのところへ行く」

 そうして私達は、ミミヤ嬢のいる白菊の宮へ向かうことになった。

 突然訪ねてきた私達をミミヤ嬢は歓迎してくれた。
 ハルエーナ王女が、披露宴に歌を歌いたいことを告げると、ミミヤ嬢はそれに乗ってくる。
 ミミヤ嬢は一見お堅い令嬢に見えるが、こうして接していると、面白い行事などには積極的に乗ってくれるのが解る。楽しいことが好きなのだろう。

 そして本日三度目となる、人力DTMの披露である。
 紙の翻訳歌詞を見ながら、ミミヤ嬢は終始にこにこと歌を聴いてくれていた。

 そして、歌が終わると彼女は早速感想を述べた。

「明るい歌ですわね。これを歌うのが今から楽しみです」

「後宮のみんなで合唱したい」

「侍女も合わせてですわよね? 楽しみだわ」

 ハルエーナ王女の言葉に、笑顔で答えるミミヤ嬢。
 それに満足そうにハルエーナ王女は頷いた。

「では、早速楽譜を作りましょうか。私の侍女や護衛は皆、楽器を使えますから演奏は任せてくださいまし」

 おお、なんて頼もしい。
 その後、私は何度も『てんとう虫のサンバ』を魔法で演奏し、ミミヤ嬢自身の手で仮の楽譜が作られた。あとで楽器に合わせて、じっくり編曲するとのことだ。
 後は、ファミー嬢の作詞が上手くいくのを待つだけだ。
 ミミヤ嬢がファミー嬢の宮殿に催促に行ったが、大丈夫だろうか。

 戦争が終わり、結婚式が開かれるのはいつになることか。
 後宮みんなの合唱で、楽しい結婚披露宴になることを願うばかりである。



[35267] 59.近衛の話
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2021/09/10 02:26
『戦争への介入が決まったのじゃ』

 とある日の正午、魔法道具『女帝ちゃんホットライン』からそんな連絡が入った。
 世界の中枢『幹』による戦争介入。子供の喧嘩に親が出てくるようなものだが、世界の歴史を振り返ってみると割と行われてきたことだった。世界に善意を満たすという『幹』の目的からすれば、当然のことなのかもしれない。
 ただ、今回の戦争は日数的に考えて、まだ本格的に戦いが始まっていないだろう。それなのにもう介入が決まっているのは、異例とも言えた。

『使い魔蟻で偵察させたところ、おぬしの言っていたカヨウという輩は確かにいたのう。天使か悪魔かは判らんが、火の神の端末だということは確定じゃ。そして、アンテナ通信はされておらんかった』

 ああ、やはり天使猫の胴体が暗躍しているのか。
 この国の隠された建国史によると、首から上が存在していた頃の悪魔は、建国王の周囲の人々を扇動して、建国王と敵対させたという。その扇動能力を駆使して、鋼鉄の国をこの国アルイブキラに差し向けたのだろう。すべては、建国王の血筋を絶やすために。
 八百年以上前の指令を頑なに実行し続けるとか、割と機械的なところがあるんだな、悪魔は。

『さすがに、悪魔の悪意で仕組まれた戦争を見逃すことはできん。即刻停戦じゃ』

 『幹』が停戦させると決めたら、その戦争は止まる。地上の国と『幹』との間には、絶対的な技術力差・戦力差があるからだ。中世ファンタジー世界に未来SF軍団を突っ込みましたって感じになる。
 もちろん、戦争が起きるたびに毎回『幹』が出張って全てを台無しにしては、地上の国の人々は快く思わないので、ここぞというときにのみ出ることになる。
 そして、今回がそのここぞだ。

「悪魔はどうなるんだ?」

 通信の向こうの女帝に、私は尋ねる。

『そりゃあ悪魔じゃからなぁ。悪事を成したのなら問答無用で討伐じゃ』

「あー、それだけどな。なんとか生け捕りにしてもらえないか?」

『なんじゃと?』

 私は女帝に頼めるような立場ではないが、一応お願いをするだけしてみることにした。

「前も説明したとおり、その悪魔はこっちにいる天使の生首の胴体部分なんだ。ずっと生首というのも可哀想だから、胴体を確保してやりたいんだ。どうにかならないか」

『どうにかなるかと問われれば、どうにかなるが……それをやる義理が我らにはないのう』

「そうか……」

 残念だったな、天使猫。お前の胴体は永遠におさらばするようだ。
 そう思っていたのだが。

『じゃから、貸し一つで請け負ってやろう』

 と、女帝からそんな言葉が投げかけられた。

「貸しか……比較的どうでもいい他人のために借りを作るのは、割に合わないな……。天使本人への貸しにならないか?」

『我も木っ端天使などどうでもいいわ。おぬしだからこそ意味があるのじゃ』

 う、ううーん。
 ここでさらば胴体とするのは簡単なんだがな。でも、女帝がどうにかなると言っていることをスルーするのもな。
 よし、決めた。

「解った、それでよろしく。胴体確保してうちの城まで連れてきてくれ」

『なんじゃ。なんだかんだ言って、おぬしも優しいのう』

「いや、私が借りを作った分、個人的に天使に返してもらうだけだよ」

 胴体部分を持ってきてもらった恩として、天使猫には私の思うとおりに動いてもらおう。
 そうだな、天使ヤラみたいに、ハルエーナ王女の護衛になってもらうのはどうだろう。
 ハルエーナ王女は今となっては私の大切な友人だ。その身を天使が守ってくれるとなれば、安心できる。

 そんなわけで、現場のあずかり知らぬところで戦争の行方と黒幕の処断が決まった。
 私は通信を終え、部屋にいたカヤ嬢の身だしなみチェックを受けて、侍女宿舎をでる。ちなみに通信は世界共通語なので、カヤ嬢に話の内容は伝わっていないはずだ。

 王宮へと入り、後宮への入口で門番の騎士に挨拶する。門の近くは少し寒いだろうが、冬期も残り九日なので頑張っていただきたい。
 そして薔薇の宮へと向かう。中に入ろうとしたとき、ふと人の気配を宮殿の裏手から感じた。
 なんだろうか、と裏手に行ってみると、そこには一心不乱に剣を振る、護衛のビビの姿があった。

「どうしました、ビビさん。こんな寒空の下で素振りなんて」

 私は彼女にそう声をかけた。
 護衛ならば鍛錬も必要だが、今は雪がちらつく空模様だ。何も屋外でやらなくてもいいだろう。

「これはキリン殿。いえ、屋内では木剣しか振り回せませんから。真剣を振るなら屋外でないと」

 確かに、狭いところで真剣を振り回すのは危険だからな。
 後宮には練兵場のような施設もないので、護衛の人達は腕を鈍らせないようにするのも大変だ。

「風邪を引かないようにしてくださいね」

 私は、ビビの足元に熱を放射する魔法陣を敷いてやる。
 だが、彼女の反応はというと。

「いえ、魔法は不要です。寒さ程度に負けないよう、己を鍛えませんと……」

 そう拒否をしてきた。そして、彼女は険しい顔で言葉を続ける。

「己を追い込みでもしないと、弱い私は強くなれぬのです」

 弱い、弱いか。何か思い悩んでいるのか。
 何かがあって、こんなことをしているのか。

「弱いでしょうか。この前も、手練れの敵相手に、二対三で見事に耐え忍んでいましたが」

「あれは、キリン殿がいなければ私は死んでいたやもしれません!」

 お、おう。
 確かに、鎧ごと槍で腹を貫かれていたが。

「あれで痛感したのです。強くならねば何も守れぬと。それに、以前山賊に襲われたときも、キリン殿に任せるばかりで私は何もできませんでした……」

「あー、どちらも鋼鉄の国の工作員ですね」

 おのれ鋼鉄の国。全て悪魔ってやつのせいだ。

「お嬢様は王妃になられます。しかし、今の弱い私では近衛に入り、お嬢様の守りを続けることはできないでしょう。なんとしてでも強くなって、近衛にならねば……」

「なるほど、それで強くなりたいと」

 漫然とただ強くなりたい、だと本当に強くなれるかは怪しい。だが、近衛騎士団に入るという目標があるなら、そこに向かって彼女は強くなれるかもしれない。
 だから私は、そんな彼女を応援したくなった。

「私が鍛えましょうか?」

「それは……願ってもないことですが、よろしいのですか? 侍女の仕事もあるでしょうに」

「パレスナ様にビビさんのためと言えば、一日にいくらか時間は作ってもらえますよ。それに、明日は私、休日なんです。じっくり見てあげられますよ」

 私の言葉は上から見るような発言だが、実際に私は彼女より強いと断言できる。だから、私は彼女を鍛えてあげることができるのだ。
 私が習得しているのは蛮族の剣だが、それでも彼女の底力を上げてやることくらいはできるだろう。

「では、明日から特訓ということで。なので、今日、無理に震えながら素振りなどする必要はありませんよ」

 そう言って、私は改めてビビの足元に暖房魔法陣を敷いた。

「はい、よろしくお願いいたします」

 ビビが騎士の礼を取ってきたので、私も侍女の礼で返す。
 そして、仕事に向かうため私は宮殿の入口に戻っていった。
 遅刻だが、まあ事情を話せばフランカさんも解ってくれるだろう。



◆◇◆◇◆



 明くる日。私は侍女のドレスではなく、動きやすいズボン姿で後宮を訪れていた。
 一日前に決まった特訓なので、城の練兵場は場所が取れなかった。まあそれは仕方がない。昨日と同じ、薔薇の宮の裏手でやろう。
 私の予定に合わせて今日を休みとしたビビも、動きやすい服装で宮殿の裏手にやってきた。

「キリン殿から特訓を受けられると聞いて、護衛の皆にどやされました」

 そんなことを言い出すビビ。
 なんだ。護衛のみんな、強くなりたがってるのか。だが、護衛四人全員を一度に鍛えるとなると、この場所では狭いからどうしようもない。
 なので今日はビビ一人だ。

 昨日、パレスナ嬢にビビを鍛えると言ったら、その様子を絵に描きたいとパレスナ嬢が言いだした。が、今日は朝からミミヤ嬢と婚姻の儀式の練習なのでこの場にはいない。
 二人っきりだ。邪魔はいない。早速始めるとしよう。

「さて、まず最初に確認しますが、ビビさんの得物は剣ですか?」

「はい。護衛として屋内でも取り回しの利くよう、剣を習っております」

「では、大前提の話をしますと、剣は槍より弱いです」

「む……」

 ビビと戦った町中での襲撃犯は、三人とも両手槍を使っていた。
 私は押し黙るビビに向けて言葉を続ける。

「リーチの絶対的な差。一説では、剣が槍に勝つには、相手の三倍の力量が必要と言われています」

 剣道三倍段ってやつだな。前世の漫画で見た言葉だ。

「しかし、この国の騎士達の武器を見てみると多種多様で、必ずしもリーチの長い武器を持っているとは限りません。自分に合った好みの武器を使っています。何故だか解りますか?」

「むう……いや、解らないです」

 私の質問に、そう降参するビビ。まあ、今の彼女では理解はできないだろう。

「それはですね、リーチの差を埋める技が存在するからです。ビビさん、町での襲撃で、私があの槍使い達と戦う様子、見ていましたか?」

「ああ、怪我はしていたが、油断せぬようにと見ていました。驚異的な戦いだった」

「そのとき、私に武器を折られた後の敵二人が、どのような攻撃を私にしてきていたか、覚えていますか」

「それは……ああ、なにやら目に見える風のようなものをキリン殿に飛ばしていた。魔法かと思ったのですが」

「それです。あれは闘気を自在に操り、戦う技術。名を気功術と言います」

 この国の騎士達は、力量は様々だがこの気功術を覚え、武器によるリーチの差を埋めている。闘気を飛ばしたり、闘気を伸ばしたり、闘気で突進したりだな。

「気功術……聞いたことはあります。ただ、エカット公爵家の護衛団では年配の者が多少使えるといった程度だったはず」

 ふむ、多少か。闘気は多少使える程度なら、ほぼないのと同じだ。半端に気功術を覚えるくらいなら、その時間のぶん、剣の技術を磨いた方が強くなれる。
 だが、ビビは見たところ、剣の技術は十分にある。近衛騎士ほどとは言わないが、騎士の見習いを卒業した程度にはあるのだ。日々の鍛錬のたまものだろう。
 だからこそ、この前も手練れの槍使い三人相手に、二人で対応できていたのだ。
 私はそんなビビに告げる。

「私との特訓では、ビビさんには気功術を習得してもらいます。私は、対人用の剣など覚えていませんからね。私が覚えているのは対魔物、対巨獣用の蛮族の剣です」

「気功術を私が……」

「なので、まずはやってもらうことがあります。それは――」

 私は、空間収納魔法を使い、あるものを取り出す。

「この野菜ジュースを飲んでもらいます」

「は?」

 私の言葉に、ぽかんと口を開けるビビ。
 いや、私は結構真面目なんだがな。
 この野菜ジュースは、昨日、薔薇の宮の料理長に言って用意してもらったやつだ。冬期なので新鮮な野菜が少ない中、迷惑になったかもしれないが、ビビが近衛を目指すためと言ったら料理長は快諾してくれた。

「まあ、まずはぐいっと」

「は、はい」

 私に促されて、野菜ジュースを口にするビビ。だが、その表情はとても嫌そうだ。
 しかし、強くなるためには必要なので我慢してほしい。

「料理長に聞きました。ビビさんの食事メニューは肉が中心ですね」

「はい。肉は筋肉を鍛えるために必要だと聞いております」

「それも悪くないのですが、闘気を鍛えるためには、野菜中心のメニューに変える必要があります。野菜パワーが闘気パワーになります」

「野菜が闘気を……?」

「ええ。闘気とは植物の力です。世界樹の加護により、植物の力を帯びた魂と肉体が作り出す生命のエネルギーなのです」

 以前、緑の騎士ヴォヴォを鍛えるときにも言った言葉をビビにも語った。
 人の魂は、世界樹から生まれ、そして死後世界樹に還る。その魂の基である『世界要素』は、樹液として世界樹の中を巡っている。魂とは元々、植物に近い存在なのだ。

「なので、闘気を鍛えるために、野菜を食べて植物の気を取り込みましょう」

 人が植物に近づくほど、闘気は力を増す。もしかしたら、人類が惑星にいて惑星に魂を管理されていたころは、人類は闘気が使えなかったのかもしれない。
 実際、私の魂は地球産で植物の気を帯びていないからか、私の闘気の最大出力は一流の気功術使いのそれに遠く及ばないのだよな。代わりに膨大な魔力があるからどうにかなっているが。

 さて、野菜ジュースも飲ませたし、次だ。

「次に、体から闘気を出してみましょう。いよいよ実践編ですよ」

「ええ、楽しみです」

 本当に楽しそうな顔でビビは言った。
 まあ、わくわくするよな、闘気を使えるって。魔法を使える並にわくわくする。
 どちらも一般人には縁がない不思議パワーだからな。

「闘気はおもに、瞑想によって自分の中にある世界樹の力を感じ取ることにより、湧きあがらせることができます」

「瞑想ですか。それっぽいですな」

 得心したといった顔でビビが頷く。
 しかしだ。

「瞑想なんて正直、時間の無駄なので、今回は魔法でなんとかします」

「えっ」

「魔法で肉体と精神を世界樹と接続させて、強制的に植物の力とは何かを理解していただきます。準備はよろしいですね」

「えっ、ちょ――」

「はいどーん」

 魔法発動。地面のはるか下と、ビビが繋がる。ビビの周囲に翡翠色の光がもやのようにまとわりつき、地面から光が出たり入ったりする。
 そして、ビビはその場に倒れた。

「――! ――!?」

 ビビは今、世界樹という巨大な存在と一つになっている。自我はかき消え、意識は果てしなく世界に広がっている。
 これ、一人でやるには結構危険な魔法だ。こうやって私が監督していないと、ビビは世界から戻ってこられなくなるかもしれない。
 私も、父が生きていた頃に、父から施されたことがある。
 感想としては、なんというか、スピリチュアルな体験とは、こういうものなのかなって感じである。

「こちらが光っているような……むっ、キリンか」

 と、ビビの様子を見守っていると、ナシーが宮殿の裏手へとやってきた。天使ヤラをおともにつれている。
 私とビビの姿を見たナシーは、その場で腕を組みながら言った。

「これは、あれか! 闘気の修練中か!」

「ええ、パレスナ様の護衛が、強くなりたいというので特訓をしています」

「ずるいぞ。私だって強くなりたいのだ。私も特訓をしてくれ!」

「……別にいいですけれど、後宮にご用事があったのでは?」

「それが、小説の挿絵の話に来たのだが、パレスナは儀式の練習中のようでな。なので、ちょうど時間はある」

 と、そろそろビビを戻さないと。大変なことになってしまう。
 私は魔法を慎重に終了し、ビビを現世へと戻した。
 ビビは、地面に倒れたまま、ぼんやりと口を開く。

「そうか、そうだったのか……世界樹とは……魂とは……!」

 あ、なにやら虚無を見ている。ちょっと長く世界に浸しすぎたか。
 私は、ビビの身を起こすと、背中を押して活を入れた。

「うっ、……なかなかきついですね」

「はは、すごい体験だろう。私もキリンにやられたことがある」

 目に光が戻ったビビに、ナシーが話しかける。すると、ビビは突然の王妹登場にぎょっとした顔をした。

「これは、ハンナシッタ殿下! 失礼しました!」

 ビビはかしこまり、騎士の礼を取った。

「よいよい。これから共にキリンの特訓を受けるのだ。仲良くいこう」

「特訓……? 殿下もキリン殿の特訓を?」

「うむ、前々から手合わせの約束をしていたのだ!」

 そういえば町で会ったときにそんなことを言っていた気がしないでもない。
 それよりも、まずはビビだ。私はビビに話しかけた。

「で、ビビさん。闘気は出せそうですか?」

「ああ、今なら解ります。肉体と魂に宿る世界樹の加護というものを」

 ビビはそう言うと、拳を握り丹田に力を入れた。そして。

「――!? これが闘気!」

 ビビの体から、色のついた輝く空気のようなものが吹き出した。闘気である。
 その結果に、私は満足して頷く。

「できたようですね。その闘気を体の表面に留まらせれば、基礎の身体強化の完成です」

「これを、こう!」

「はい、よくできました」

 吹き出し続けていた闘気が、膜のようにビビの体をおおった。
 これで第一段階はクリアだ。
 私はビビに告げる。

「では、その身体強化をしたまま、限界まで闘気を使ってみましょうか。模擬戦です」

 私は空間収納魔法を使うと、木剣を取り出した。

「おお、とうとう手合わせだな!」

 木剣をさっと受け取ったのはビビではなくナシー。こうなると思って取り出した木剣の数は三本だ。
 そして、私達は闘気を体に被い、模擬戦を開始した。
 一対二の戦いだ。もちろん私が一人で、ビビとナシーは即席のコンビだ。

「はい一本」

「ぎゃー!」

「隙ありー」

「ぐわー!」

 模擬戦は私の一方的な勝ちとなった。
 だが、勝敗は重要ではない。ビビの闘気を使い切らせることが大事なのだ。

 模擬戦を数度繰り返すと、ビビは肩から息をし、闘気の膜が失われた。
 私はそんなビビに向けて言葉を投げかける。

「闘気は無限のエネルギーではありません。肉体と魂から絞り出す力です。初めのうちは効率的に力を取り出せないため、すぐにエネルギーが空になってしまいます。でも、消費を続けていれば効率はよくなっていきます」

 達人になれば、地に足がついている限り世界樹から力の供給を受け続けるという、離れ業を使えるようになるのだが。まあ、そこまでいくのは本当に一握りの人間だ。国王みたいな。

「では、エネルギー供給しましょう。野菜ジュースです」

 私は、ビビとナシーに野菜ジュースを渡した。

「えっ、私もか」

「はい、ナシー殿下もです」

 二人は心底嫌そうな顔をして野菜ジュースを飲み干した。
 そしてまた始まる模擬戦。

「えいやっ」

「ぎゃん!」

「足元が隙だらけです」

「ぐふっ!」

 そんなことをさらに五セットほど繰り返し、一時休憩することにした。

「そなた、なかなかやるではないか。ビビと言ったか」

「はい、ビビと申します。パレスナ様の護衛をしております」

「パレスナが結婚した後はどうするのだ? ゼンドメル領に戻るのか?」

「いえ、できれば近衛への入団に挑戦したく……」

「そうかそうか! それはいいことを聞いた。君のような根性のある人間が第三隊に入るとなったら、とても頼もしい。私の方から推挙しておこう」

「い、いいのですか?」

「ああ、近衛に入って、またこうしてキリンにしごかれよう」

「はい!」

 ……私、別に近衛の教導員ではないのだけれどな。
 ちなみに、第三隊とは近衛騎士団第三隊のことで、女性近衛騎士の集団である。
 後宮でも、地元から十分な護衛を連れてこられていない宮殿に、臨時の護衛として派遣されていたりする。

「さて、休憩は十分ですね? 模擬戦を再開しましょう」

「今度こそ一矢報いてみるぞ。いいなビビ」

「はっ、了解いたしました、ハンナシッタ殿下」

「ああ、私のことはナシーでいい」

「そ、それはしかし……」

「なに、別に殿下をつけるなと言っているわけではない」

「……解りました、ナシー殿下。キリン殿に地面の味を味わわせてみせましょう」

「ははっ、なかなかそなたも言うではないか」

 どうやら、二人の間に友情が育まれたようだ。
 いいなあ、こういう青春って。二人もそこまで大きく歳も離れていないし、ビビが本当に近衛に入れたら末永い付き合いになりそうだ。

 私は、ビビがちゃんと近衛に相応しい実力になれるよう、気合いを入れて鍛えてやることに決めた。

「せいっ」

「ぎゃあああ!」

「ていっ」

「ぐえー!」

 景気よく二人は宙を舞い、除雪されて山になった雪の中に頭から突っ込む。
 ちなみに天使ヤラは、特訓の間中ずっと、地面に設置した暖房魔法陣の上から一歩も動かないでいた。



[35267] 60.結婚の話
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2020/10/27 07:50
 ミミヤ嬢の宮殿、白菊の宮で練習会が開かれていた。
 いつものようなダンス教室やマナー教室の類ではない。
 結婚披露宴の出し物のための合唱練習会である。
 
 ミミヤ嬢のお抱えの楽士は、私の聞かせた曲を見事にこの国の楽器に合わせて編曲したようだ。今も、合唱に合わせて女性楽士や侍女達が楽器を鳴らしている。
 そして、歌詞。ファミー嬢は、初めて挑戦する作詞の難しさにへこたれながらも、見事に歌詞を作り上げたようだった。
 『てんとう虫のサンバ』をこの世界風に上手くアレンジしたものが歌詞カードに書かれ、皆に配られている。完成した曲名は、『ワルツで祝うひなどりたち』だ。可愛さ重視で虫がひなどりになったようだ。別に曲調はワルツだったりしない。

 完成した曲を、各宮殿の主とその侍女達が歌う。王宮での披露宴への参加が確定しているメンバーだ。
 フランカさんとビアンカも練習に参加している。薔薇の宮にパレスナ嬢を一人置いていく形となっているが、ナシーをあてがって暇にならないよう手配している。便利に使われる王族よ……。

「音程を合わせることも必要ですけれど、まず大事なのは気持ちを込めることですわよ。明るく、楽しく歌いましょう。これは祝うための歌なのですから」

 ミミヤ嬢が的確な指導をしてくれる。
 そう、私達が参加するのは、のど自慢大会ではないのだ。結婚披露宴の出し物。わいわい楽しくやるのが筋ってものだ。

 私は的確な歌声を出せるよう、魔法を調整する。私は喉から声が出ないので、魔法で歌うのだ。

「そこ、キリンさん。声を出さずとも、口はしっかり開けるように。知らない人に、一人だけ歌っていないと思われますわよ」

 おっと、ミミヤ嬢の注意が飛んできた。
 私は頑張って口パクに努めた。

 そして通しでの合唱が終わり、しばしの休憩になった。
 それなりに上手く歌えたので、皆、和気あいあいと談笑を始めた。
 だが、そんな中で一人、指導をしていたミミヤ嬢が何か浮かない顔だ。

 どうしたのだろう。私は、そんなミミヤ嬢に向けて話しかけた。

「気落ちしたご様子ですが、何か合唱に至らない点でもありましたか?」

 突如、私に言葉を向けられたミミヤ嬢は、ぱちくりと目をしばたたくと、首を振って否定した。

「ああいえ。そうではないのです。合唱はいいのですけれど、どうせなら他にも前例にないことをして、陛下達を驚かせたいと考えていまして」

 ああ、そんなことを考えていたのか。結婚を祝いたいのは、ハルエーナ王女だけじゃないってことだ。

「でも駄目ですわね。私は前例を重視するバルクースの娘。新しいものを考えるのは苦手です」

 そうか。完璧に見えるミミヤ嬢にも、苦手なものがあるのか。
 でも、今まで接してきて、彼女は結構新しくて珍しいものを楽しんでいる印象がある。自分にないものを好むというやつなのかな。
 私はそんなミミヤ嬢に向けて、助言を一つすることにした。

「苦手なら、他の人に相談して、可能なら任せてしまえばいいのですよ。今回の歌だって、ハルエーナ様が私に相談して実現したことですしね」

「……言われてみればそうですわね。当然のことなのに、どうも考えが凝り固まっていたようですわ」

 そう言ってミミヤ嬢はにっこりと笑った。そして、両の手で私の肩を掴んでくる。

「では、私もハルエーナ殿下にならって、キリンさんを頼ることにしましょうか。何かよさげな披露宴の案はありませんの?」

「ええっ。急に言われましても……」

「聞くところによると、キリンさんはこことは異なる世界からやってきたとか。異なる世界の披露宴ではどんなことをするのでしょう」

「ええーと、ちょっと待ってくださいね。差を確かめるためにも、まず王族の披露宴はどんなことをやるのか教えてください」

 この国で結婚式には何度か出たことがあるが、それが国王のものと同じものになるかは知らないのだ。

「それでは、説明いたしましょう――」

 そして、ミミヤ嬢の口から、披露宴の式次を説明された。
 ふうむ。規模が大きくなるだけで、特に他の貴族のものと大きく変わったところはないようだ。あ、待てよ。それなら。

「初めと最後の新郎新婦の入退場ですが、どのように迎えますか?」

「どのように、ですか。司会によるアナウンスがあって、会場の皆で迎えますが……」

「確か、拍手で迎えますよね」

「そうですわね」

「そこ、音楽にしちゃいましょう。式典行進曲というやつです」

「入場に音楽をですか。確かに前例はないですわ。まるで歌劇ですわね」

 役者の登場シーンに似てるってか。
 だが、問題ないはずだ。音楽を演奏する人員だって、ダンスのために宮廷楽団が披露宴会場にいるのだ。

「私の前世の世界では、まさに演劇用に作られた『結婚行進曲』という曲があります。有名な曲で、実際の結婚式の入場曲に使われていました」

 私はそう言うと、前世の結婚式の定番曲、『結婚行進曲』を魔法を使って、その場で小さな音で鳴らした。
 周囲の注目が集まるが、気にしない。

 冒頭一分ほどを聞かせ、ミミヤ嬢の顔色をうかがう。すると、彼女は喜色をあらわにしていた。

「いいですわね! 結婚用の行進曲。これは、新しい試みになりますわよ。早速、曲を考えませんと!」

 興奮したようにミミヤ嬢が言う。そしてさらに彼女は言葉を続ける。

「三日以内に作曲を仕上げて、その後、宮廷楽団と打ち合わせですわね」

「曲、新しく作るんですね」

「ええ、私、作曲の心得もありますから」

「えっ、楽士のお方ではなく、ミミヤ様が作るんですか!?」

「陛下とパレスナ様を祝いたいのは、楽士ではなく私でしてよ」

 もしかして、『ワルツで祝うひなどりたち』の編曲も、お抱え楽士ではなくてミミヤ嬢が担当してたりするのか。なんなんだこの後宮。クリエイティブな人間がやけに集まってないか。いやまあ、貴族って高い教養を持っているから、国で一番クリエイティブな層はどこかと言ったら、貴族層になるのだが。

「そうと決まれば、合唱練習もしっかり終わらせて、曲作りにはげみますわよ」

 ミミヤ嬢は気合いを入れると、休憩時間を終わらせるため皆に号令をかけようとする。
 そのときだ。

『飛空船が上空を通過します。飛空船が上空を通過します』

 突如、宮殿の外からそんな音声アナウンスが聞こえてきた。
 なにごとかと、皆がざわめきたつ。

『飛空船が王城へ着陸します。飛空船が王城へ着陸します。なお、この飛空船の所属は世界中枢機関『幹』のものとなっています。王城への着陸は、アルイブキラ国王及び魔法宮から承認されています』

 『幹』の飛空船が着陸? 本当に何事だ。『幹』の誰かがここに来るとして、普通は飛空船なんか使わずに地下の世界樹トレインを使うはずだ。

『続けて通達。キリン・セト・ウィーワチッタは、王城内の空が見える場所に出るように。キリン・セト・ウィーワチッタは、王城内の空が見える場所に出るように』

 皆の視線が私に集まる。なんだか、名指しで呼ばれたのだけれど。
 私は心当たりを探した。最近『幹』と何か関わりがあったことと言えば、魔王討伐戦か『女帝ちゃんホットライン』くらいだ。
 『女帝ちゃんホットライン』か……。戦争関連で何かあったかもしれないな。

『あー、おほん。やっほー、みんな。王様だよ』

 私が考えを巡らせていると、アナウンス音声が国王の声に切り替わった。

『みんなに一つ報告があるよ。ハイツェン共和国との戦争は終結した。『幹』の調停で終戦だ。以上、報告終わり。あ、キリリンは早く出てくるように。着陸場所決めたいみたいだから』

 本当に終わったのか、戦争。とりあえず呼ばれているようなので、私は白菊の宮から出ることにした。
 コートを着て、宮殿の外に出る。空を見上げると、なにやら皿の底のようなものが上空を漂っているのが見える。飛空船の船底だろう。
 そして、それは私の方へと近づいてきて、白菊の宮のちょっと上あたりで停止した。
 すると、皿の底から、輪っか状の光が地面に向けて照射された。輪っかは連続して放たれ、光の柱のようになる。
 さらに、皿の底から人が出てきて、輪っかの中心を通って地面にゆっくりと降りてきた。まるでSFのトラクタービームを逆再生したかのような光景だな。

「また会ったな、キリン! 元気にしておったか!」

 飛行物体から出てきた人は、十歳ほどの幼い少女。女帝蟻であった。
 そしてさらに、飛行物体から次々と人が降りてくる。鎧に身を包んだ国王。元勇者アセトリードのゴーレム。無敵最強魔導ロボット。なんか糸でぐるぐる巻きになった謎の人。

「要望通り、戦争を調停して悪魔を捕らえてきたのじゃ」

 アルイブキラの言語でそう言い、胸を張ってえへんと威張る女帝。
 側に立っていた国王は、そんな女帝を見てしかめっ面をして、言った。

「女帝陛下をけしかけたのキリリンなの? 酷い目にあったよー」

「ええっ、酷い目ってなんだ。私は、『幹』に戦争へ介入するよう頼んだだけだが」

 何をやらかしたんだこの数千歳幼女は。
 そんな幼女な女帝が、言葉を放つ。

「うむうむ。キリンも聞くがよい。我らが戦場に辿り付いたそのとき、まさに戦いの幕が切って落とされんとしたところだったのじゃ。このままでは、流さなくてよい血を流してしまう。そう判断した我は、無敵最強魔導ロボットを十機戦場に投入したのじゃ」

「過剰戦力過ぎるだろ!?」

 思わずツッコミを入れてしまった。無敵最強魔導ロボットは、一機で魔王や悪竜といった災厄を討伐できる無敵すぎるロボットである。それが十機。世界樹でも滅ぼすつもりなのかこいつは。
 アセトリードの手綱取りを任せるはずが、本当に手綱が必要なのは女帝本人だった。

「戦いを止めるため、無敵最強魔導ロボットが両軍を蹂躙したのじゃ。もちろん、非殺傷モードじゃぞ。無敵最強魔導ロボットのフォトンパワーは万能じゃからな。悪意の浄化が苦手なのが玉に瑕だがのう」

 蹂躙しちゃったかー。無慈悲すぎる暴力に、軍人さん達の心が折れてなきゃいいけど。
 そして、どんよりとした気配を背負った国王が、言葉を連ねる。

「本当に酷い目にあったよ。近衛はみんな一瞬でやられるし、俺っちも見事に負けた。……キリリン以外には誰にも負けない自信があったんだけどなぁ」

 おおい女帝。なにうちの国王のプライドをばきばきに破壊してるんだ。こいつのカリスマ性は、その強さに下支えされたものでもあるんだぞ。

「この国主、なかなかやるのう。無敵最強魔導ロボットのフォトンブレード相手に、十数合耐えおったわ」

「たった十数合しかもたなかったんだけど!? しかも最後は、剣じゃなくて変な光みたいの飛ばしてくるし!」

「フォトンキャノンじゃなあ。やはり決め技はいいものじゃ」

 そんな二人に、私は何も言えなかった。
 見解の相違ってやつだな。私は、不条理な存在相手にしばらく耐えられただけすごいと思うぞ。

「そんな我らの活躍で、戦争は死者なく終結したのじゃ。両軍敗退じゃ」

「酷いもんだよ。そりゃ、死者がいないのはとても嬉しいけど」

「そしてその間に拙者が、戦場へ物見遊山に来ていた悪魔を捕らえたでござるよ」

 元勇者アセトリードの記憶が宿ったゴーレムが、そう女帝と国王の話に割り込んできた。
 相変わらずこいつは、アルイブキラの言語を話すとなると、妙に古風な言葉遣いになるようだ。

「そしてこやつが悪魔でござる」

 アセトリードがそう言うと、糸でぐるぐる巻きになった人が前に出て、その糸が解かれる。
 その中から出てきたのは、背の低い人間の少女だった。おそらく悪魔が人に化けているのだろう。ただ、その顔は天使猫の生首の顔とそっくりであった。失われた自分の顔をベースにして化けているのか。

 勢いあまって悪魔をばらばらにしてしまうということはなかったようだ。珍しく理性的だな、アセトリード。女帝が酷すぎて逆に冷静になったとかかもしれない。

「くっ、はずかしめは受けぬ。殺すがいい……!」

 悪魔は屈辱にまみれた声でそう言った。その声は、天使猫ネコールナコールの発する声と声質が同じだ。

「そうはいかん。キリンと約束したからのう。おい、キリン。例の天使はどこじゃ」

 女帝に促され、私は天使猫をこの場に連れてくることにした。
 都合のいいことに、白菊の宮からは外の様子を窺いに、お嬢様達や侍女達が外に出てきていて、天使猫を腕に抱えたハルエーナ王女もその場にいた。

 私は、天使猫に向けて言葉を放つ。

「ネコールナコール。こっちへ。お前の胴体が届いたぞ」

「おお、元日本人。さすがなのじゃ!」

 ハルエーナ王女の腕から抜け出した天使猫が、こちらへと走ってくる。
 そして、悪魔の前に猫の姿のまま四本足で立つ。悪魔はぴくりとも動かないが、今もアセトリードの見えない魔法の糸が拘束を行なっているのだろう。
 そんな悪魔に向かって、猫が言う。

「なんとみすぼらしい。頭一つ背が低いではないか。美しい妾(わらわ)の姿が台無しなのじゃ」

「なんじゃと!? おぬし……小さき動物に見えるが、端末じゃな。同じ端末にそこまで言われる謂われはないぞ!」

「謂われはあるのじゃ。何故なら、妾はおぬしの失われた頭なのじゃ」

「なんと! 生きておったのか!」

 同じ声で同じ喋り方だから、どっちが喋ってるのか解りづらいな!

「さあ、今こそ一つになろうぞ。安心するがよい。妾にはアンテナもある。八百年ぶりに上位存在との通信ができるのじゃぞ」

 そう天使猫が悪魔に語りかける。
 それに対する悪魔の返答は。

「……嫌じゃ。絶対に嫌じゃ」

「は? おぬし何を……?」

 思わぬ言葉に、猫は呆然とした声をあげる。

「頭脳の支配から解放されて、妾は真の自由を得たのじゃ! 今更元通りなど絶対に嫌なのじゃー!」

「こ、この……。頭が物を考えるのは生物として当然のことじゃろうが!」

「妾は端末じゃ! 生物ではない! 体が物を考えて何が悪いのじゃ!」

「こやつ、往生際の悪い……! いいから合体するのじゃ!」

 天使猫は悪魔の体を駆けのぼると、悪魔の頭の上に飛び乗った。

「やめるのじゃー! ゴーレムよ、妾を殺せ! 今すぐ殺せー! 頭に支配されるくらいなら、死んだ方がましじゃー! 殺せー!」

「ええっ、そう言われても困るでござるよ。本当は今すぐ殺したいでござるが、キリン氏への義理があるゆえ」

 悪魔の主張に、困惑するアセトリード。
 悪魔は体に力を込めて暴れようとするが、アセトリードの糸の束縛からは逃れられない。
 そんな悪魔に天使猫は言う。

「観念するのじゃ!」

「嫌じゃ! かくなる上は……自ら死を選ぶのみ!」

「む、これはいかんでござる!」

 咄嗟にアセトリードは腕を振って、糸を繰り出した。天使猫が悪魔の頭部から放り投げられる。
 これはまさか……自爆する気か!
 私は急いで悪魔の周囲を魔法結界で囲った。

「さらば!」

 悪魔が、爆発した。
 結界の中で爆炎がうずまき、光が漏れ出てくる。
 物凄い威力だ。私は妖精を呼び出し、結界を強化する。さらに、アセトリードの糸や女帝の魔法が私の結界を包んでいる。これなら突破されることもないだろう。

 炎は一分以上止まらず燃え続け、そしてやがて消えた。燃えた跡地には、悪魔の体は残っていなかった。

「これが端末の自爆ですか。三百年以上生きてきましたが、初めて見ました」

 薔薇の宮から飛空船の様子を見に来たのだろう、天使ヤラが私の隣に立ってそう言った。ナシーとパレスナ嬢の姿も見える。

「見事な最期でした。端末には人間のような魂がないので、死後何も残りません。それでも己の主張を通し自刃するとは、上位存在の指示に従うだけの木っ端の端末とは一線を画しますね」

「何が見事なのじゃ! 妾の体がー!」

 天使ヤラの言葉に、反発して叫ぶ天使猫。
 思わぬ事態になってしまった。天使猫のなげきが後宮に響く。
 そんな天使猫に、ハルエーナ王女が近づいていく。腰をかがめ、猫を抱き上げる王女。

「ねこ。元気出して」

「ううー。ハルエーナぁ……妾の体が燃え尽きたのじゃ……」

「うん、悲しいね」

 よしよしとハルエーナ王女が天使猫をなでる。正直私にできることはないから、天使猫のことは王女に任せよう。

「ううむ、思わぬ事態になったのう」

 女帝もこの結果は予想外なのか、そんなことを言った。
 そして言葉を続ける。

「じゃが、悪魔が死んだ以上、我らの用事はこれで終わりなのじゃ。これからハイツェン共和国におもむいて戦後処理をせねばならん。首脳陣が洗脳やマインドコントロールを受けていないか、検査せねばならぬからの」

「あ、待って。俺っちも前線に送ってよ。総大将が一人、先に帰りましたってわけにはいかないからねー」

 この場を去ろうとする女帝に、国王が言う。

「いいじゃろう。ついでに送ってやろう」

 女帝がそう答えると、上空の飛空船からまた輪のような光が地上に向けて照射される。
 どうやら現地に戻るようだ。

「陛下!」

 去ろうとする国王に、走り寄る人が一人。パレスナ嬢だ。

「陛下、無事でよかった……」

「パレスナ……戦争は終わったよ。約束通り、戻ったら結婚しようか。戦勝式典じゃなくて終戦式典になっちゃうけどね」

「……ええ! 待ってるわ!」

 そうして国王と女帝とアセトリード、そしてなんのためにいたのか解らない無敵最強魔導ロボットが、飛空船の中に消えていった。
 そして、飛空船はふわりと浮き上がり、高度を取る。

『飛空船が発進します。飛空船が発進します。飛空船が上空を通過します。飛空船が上空を通過します』

 そんなアナウンスと共に、飛空船は西に向けて去っていった。

「結婚、ずいぶん早くなりそうね。忙しくなるわ」

 パレスナ嬢はそう言って薔薇の宮に去っていった。
 解散ムードになったのか、他の面々も宮殿へと戻っていく。
 そんな中、寒空の下でハルエーナ王女が天使猫をあやしていた。天使猫はにゃーにゃーと鳴いている。

 思わぬ結末になってしまったな。
 こりゃあ、天使猫の失われた体の代わりに、魔導ボディでも用意してやる必要があるかもしれない。
 私はそんなことを考えながら、白菊の宮へと戻っていったのだった。



[35267] 61.演目の話
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/07/08 14:06
 ある日の午前、薔薇の宮の主の私室で、パレスナ嬢がミミヤ嬢に婚姻の儀式の最終確認を受けていた。
 そう長い儀式ではない。だが、失敗は許されない伝統ある儀式だ。パレスナ嬢は真面目な顔で、一挙手一投足を集中してこなしていた。私はただ、それを見守るのみだ。
 すると、下女の掃除の様子を確認しに行っていたフランカさんが、この私室へと戻ってきた。彼女は私に向けて言う。

「モルスナお嬢様の使いがやってきて、キリンさんへの伝言を受け取りました。結婚披露宴の相談をしたいので、紫陽花の宮まで来てほしいそうです」

「モルスナ様が? 分かりました、向かいます」

「お願いします」

 伝言を伝え終わると、フランカさんはすぐさま仕事に戻っていった。
 私は同僚侍女のビアンカに、仕事を抜けることを伝える。

「モルスナ様のところに出かけますので、パレスナ様のお相手は頼みます」

「お任せくださいー」

 そうして私は仕事を抜け出して、薔薇の宮を出て紫陽花の宮まで向かった。
 8月ももう終わりだ。道中、すでに雪は積もっていない。冬の次は雨期なので、コートの代わりに傘を常備する必要があるな。
 そして、紫陽花の宮に到着すると、私は来客室ではなく宮殿の主の私室に通された。

 部屋の主のモルスナ嬢が、私を迎える。

「来たわね。ごきげんよう。早速だけど相談があるの」

「はい、なんでしょうか」

「ハルエーナ殿下から聞いたのだけれど、貴女、幻影魔法が使えるのよね?」

 そうモルスナ嬢に聞かれたので「はい」と答えておく。
 確かに、ハルエーナ王女の前で、何度か幻影魔法を見せたことがある。地球の猫を投影したり、雪だるまを投影したりした。

「それで、私のマンガの原稿を大きく投影して、遠くの人からでも見られるようにはできる?」

「ええ、できますよ」

「やった! それでね。披露宴用に、マンガの原稿を今描いているの。国王とパレスナの馴れ初めをストーリーにしてね」

「ははあ、なるほど。それを披露宴会場で、みんなに幻影魔法で見せたいというわけですね」

「そういうことよ」

 面白いこと考えるなあ。
 私はそんなモルスナ嬢に一つ気になったことを聞いた。

「で、使う魔法は幻影魔法だけでいいんですか?」

「ん? どういうことかしら」

「漫画を空間投影するなら、台詞は読み上げた方がよくないですか? 音声を記録して、原稿と一緒に流すこともできますよ」

「そんなことができるのね! 是非やってもらいたいわ。音声を記録するということは、誰かに原稿を読み上げる声の演技をしてもらう必要があるということかしら」

 モルスナ嬢の理解力が高い。話が早くて助かる。
 確かに本来なら、誰かに声当てをしてもらう必要もあるだろう。
 だが、私の音声魔法は優秀だ。

「魔法で、国王陛下とパレスナ様の声を再現できますので、それを録音しましょう」

「まあ、本人が喋っているようにできるのね。これはいいサプライズになるわ」

 モルスナ嬢はとても喜んでいる様子だ。
 本番では私が投影魔法と録音魔法を使うために、出ずっぱりになる必要がある。だが、そのくらいは構わないだろう。

「では、描いている途中の漫画を確認させていただいていいですか? ネームでも下書きでもいいので」

「もう下書きは全部できてるの。でも、総カラーにするつもりだから、少し急ぐ必要があるわね」

「おお、それはまた本格的ですね」

 そうして私はモルスナ嬢の漫画を見せてもらい、その内容に悶えた。
 こっぱずかしい愛の物語、しかもノンフィクションだという。
 これを本番で前触れなく見せられる国王とパレスナ嬢は、いったいどんな反応をするだろうか。今からちょっと反応が気になるのであった。



◆◇◆◇◆



 紫陽花の宮から帰ったら、すでにミミヤ嬢は儀式の確認を終えて、自分の宮殿に戻っていた。
 そして、そのミミヤ嬢からの伝言が残っていた。
 結婚披露宴のことについて確認したいので、白菊の宮まで来るようにとのことだ。

 私は、またすぐに薔薇の宮を発ち、白菊の宮までやってきた。
 ミミヤ嬢は入口すぐの広間で、楽器を持った侍女達と一緒に私を待っていた。
 ミミヤ嬢が私に向かって言う。

「ごきげんよう。出かけたばかりなのに、また移動させてしまって、申し訳ないですわ」

「いえ、大丈夫です。それで、披露宴についてとのことですが」

「ええ。前に話した結婚披露宴の入退場の曲なのですけれどね。おおよそ完成したのです」

「おお、早いですね」

 三日で作るとか言っていたが、まだ二日しか経ってないぞ。

「それで、ハルエーナ殿下から聞いたのですけれど、貴女、幻影魔法が使えるのですよね?」

 どこかで聞いた台詞だ。私は「はい」と答えておく。

「曲を確認してもらうのとついでに、演奏に合わせて実際に陛下達が入場する様を幻影で見せてほしいのです」

「なるほど、解りました」

 私は幻影魔法を発動し、大収穫祭の時の衣装を着た国王と、ウェディングドレスを着たパレスナ嬢を投影した。
 それを見たミミヤ嬢は満足そうに頷く。

「いいですわね。では、曲を鳴らすので、あちらの入口から入場して、ゆっくり歩いてあちらのテーブルに着席するようにしてくださいまし」

 広間には、椅子が二脚と長テーブルが一つ設置されていた。あそこが新郎新婦席の代わりということだろう。
 私は、幻影を広間入口に投影し直し、ミミヤ嬢にいつでもどうぞと告げた。
 すると、ミミヤ嬢は楽器を持った侍女達に合図を送る。

 楽器が鳴らされ、華やかな行進曲が流れる。
 私はそれに合わせ、幻影をゆっくりと歩かせた。
 曲の鳴り響く中、幻影は広間を縦断する。音楽は鳴り続け、幻影の新郎新婦が着席する。
 そして、音楽は終わった。

「ふむ、ちょっとテンポを考えた方がよさそうですわね……」

 ミミヤ嬢がなにやら手元のメモ帳に、鉛筆で何かを書き込んでいる。曲に改善点が見つかったのだろう。
 そして、彼女はメモ帳をしまうと、私に向けて言う。

「ありがとうございます。参考になりましたわ。それで、曲の方はいかがでしたか」

「華やかで明るくて、二人の門出に相応しいものだったかと。この曲がこれからの結婚式のスタンダードになると思うと、感慨深いですね」

 私がそう言葉を返すと、ミミヤ嬢はやや顔を赤くして。

「あら、いやですわ。まだ皆様が受け入れてくれるかすら判らないのですから、これから他で使われるなど……」

「なにしろ、国王陛下の披露宴ですからね。よい曲ですし、楽譜を積極的に開示するようにすれば、皆様あやかりたがるかと」

「そうなれば、バルクースの家の者として誇らしいのですけれどね」

 そう言って、私達はお互いに軽く笑いあった。



◆◇◆◇◆



 白菊の宮から薔薇の宮へと戻ったら、フランカさんが私を待っていた。

「トリール様の使いから、キリンさんに伝言です。結婚披露宴の相談をしたいので、牡丹の宮まで来てほしいそうです」

 またかよ!
 私は仕方なしに牡丹の宮まで向かった。
 今度は来客室へと案内される。すると、来客室には先客がいた。本が大好きな令嬢、ファミー嬢だ。

「ごきげんよう。キリン様もお茶にお呼ばれしたのですか?」

「いえ、私は結婚披露宴の相談をしたいからと呼ばれました」

「まあ、そうなのですか。きっと、お菓子のご相談ですわ」

「何か心当たりがおありで?」

「ええ、先日、本で読んだミルクを使ったお菓子のレシピをいくつか、トリール様にお教えしたのです。今日は、それの試食をさせていただくことになりました」

 なるほど。以前も塩の国のレシピをファミー嬢に提供してもらい、トリール嬢に見て再現してもらったことがあったな。
 そのときから二人のお菓子交流が続いていたりするのかもしれない。

 私はその教えたレシピというのが気になったので、その内容を率直に聞いてみることにした。
 ファミー嬢の説明するところによると、こうだ。

 ミルクを静かなところに置いておくと、上澄みとして油分が溜まる。いわゆる生クリームである。
 その上澄みをすくい取り、集める。
 金属のボウルと氷水(氷魔法で製氷する)を用意する。
 生クリームをボウルに空け、砂糖を加える。
 ボウルを氷水で冷やしなから生クリームを泡立てる。
 すると、白いふわふわとしたお菓子が完成する。

「なるほど、ホイップクリームでしたか」

「キリン様はご存じでしたか。さすが博識ですわね」

「氷さえ用意できれば、比較的簡単に発明されるお菓子ではありますね」

 その氷を用意するのが、主に魔法が必要なため難しいのだが。ただ、今の季節なら魔法を用いずとも用意しやすく、さらに雪で代用できていただろうけれども。
 と、そんな話をしていたときだ。来客室の扉にノックの音が鳴り、トリール嬢が入室してくる。
 彼女に追従して、ワゴンを押しながら侍女も入室する。

 侍女は、席に座る私達へお菓子の載ったお皿を並べ、さらにお茶を淹れ始めた。
 それを確認したトリール嬢は、私達に向けて言う。

「お待たせしましたー。キリンさんから聞いたプリンと、ファミー様から聞いたクリームを合わせた、披露宴用のお菓子の試作品ですー」

 皿に載るお菓子は、カスタードプリンの上に白いホイップクリームが載せられたものだった。

「なるほど。これにあとはカットフルーツがあれば、プリン・ア・ラ・モードですね」

「おやおやー。キリンさん、さらなるお菓子をご存じですかー?」

 ずずいとファミー嬢が近づいてくる。近い。

「ええ、まあ。前世であった、カスタードプリンを用いたお菓子ですね」

「見せてくださいますか? ハルエーナ殿下から聞いたのですけれど、幻影魔法が使えるのですよね?」

 ハルエーナ王女、どれだけ私の幻影魔法を言いふらしているんだ。
 私は仕方なしに、幻影魔法でテーブルの上にプリン・ア・ラ・モードを投影した。カスタードプリンにホイップクリーム、アイスクリームにさくらんぼ、みかんにリンゴと、豪勢な見た目である。

「美味しそうですわね」

「はあー、これは豪華ですねー」

 ファミー嬢とトリール嬢は感心したようにその幻影を眺めている。

「こちら、もしやアイスクリームですかー?」

 幻影のアイスクリーム部分を指さしながらトリール嬢が言った。
 私はそれに答える。

「ええ、そうですが。ご存じだったのですね」

「ファミー様からホイップクリームと一緒にレシピを教えていただきまして。作るの大変でしたねー」

 トリール嬢は指先に冷気を集めながらそう言った。氷魔法使えるのか。お菓子作りの申し子のような人だな。

「でも、アイスクリームは披露宴には使えませんねー。溶けてしまいます」

「立食ダンスパーティですからね。わたくし、立ちっぱなしは疲れてしまうので、壁際にいることにします」

 トリール嬢の言葉に、ファミー嬢がそう追従する。
 そして、トリール嬢がまた幻影を見ながら言った。

「カスタードプリンにホイップクリームを載せて、冬のフルーツを添える形にしましょうかねー。あ、どうぞお二人とも、今お出ししたのは食べてみてください」

 そうして私とファミー嬢は、お茶と一緒にクリーム載せプリンをいただいたのであった。
 その味はまろやかで、非常に美味だった。アルイブキラの製菓技術、あなどりがたしである。



◆◇◆◇◆



 牡丹の宮から薔薇の宮へと戻ると、ハルエーナ王女が薔薇の宮に訪ねてきていた。
 私に話があるというので、来客室でお相手をする。

「キリン、披露宴の出し物、みんないろいろやってくれるみたい」

「ええ、そのようですね。今日だけで、モルスナ様とミミヤ様とトリール様のところに行って、様子を見てきましたよ。ファミー様もトリール様に協力していました」

「……キリン、お疲れ?」

「いえ、この程度のことでは全然疲れませんのでお気になさらず」

 私は魔人ボディなので体力は無尽蔵だ。こういう機会にならどうぞこき使ってやってくれ。
 そして、ハルエーナ王女が私に向けて言う。

「この感じなら、大成功しそう?」

「今までにない、最高の披露宴になると思いますよ」

 なにせ、新郎新婦の入場からして今までとは違うからな。インパクトはすごいだろう。
 立食に手を入れられるのはお菓子だけで、並ぶ料理までどうこうできないのは惜しいところだな。でも、後宮メンバーによる披露宴の盛り上げという理念では、ここいらが限界だろう。私一人で先走るわけにはいかない。

「でも、ここまでみんながやってくれるのに、私が何も出し物をやらないのは、気が引ける」

 そう言うハルエーナ王女だが、それは気負いすぎというものだ。
 歌はみんなで歌うしな。

「いいじゃないですか。ハルエーナ様は、プロデューサーなんです。表に出ない存在なんです」

「『プロデューサー』?」

「企画をして、人員管理をして、全体を統括する人です」

「それなら、キリンがそうかも」

「いいえ。私はアシスタントです。みんなの下の立場で、雑事を担当する人です」

「ふふ。お互い裏方」

「そうですね。でも、そういう人も必要ですよ」

 私達はそう言い合って、笑った。

 結婚式は果たしていつになることだろうか。
 戦争は終わり、皆が平穏無事に過ごせるようになった。敵となる者はすでにおらず、後は平和な日々が続く。国王の結婚という吉事は、それを人々に知らせるために相応しいものとなるはずだ。
 だから私達は、結婚式が大成功に終わることを心から願うのであった。



[35267] 62.遊戯の話
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/07/08 14:09
 冬の8月最終日。その日は、週に一度の休日であった。先週は護衛のビビと特訓をして一日を終えたが、今日ビビはナシーに連れられて近衛騎士団の方に顔見せに行くというので、今回の特訓はなしだ。

 私だけでなく、侍女宿舎に住む侍女の多くが、本日お休みとなっている。
 そこで私は、侍女の仲間達に誘われて町へ繰り出すことになった。お出かけである。戦争が終わったということは侍女の皆にも知れ渡っていて、どこか開放的なムードとなっていた。
 遊びに行くメンバーは私も入れて八人。その中には、友人のククルとカヤ嬢の姿もあった。

 そして、普段は顔を合わせるものの、そんなに話すことのない面々もいる。
 王城前から乗った大型の辻馬車の中で、私の隣に座っているのもそんな一人だ。

「ふふ、キリンさんと初めてお出かけですね」

 侍女の少女、メイヤが私にそう話しかけてくる。
 そうか、彼女と遊びに行くのは初めてになるのか。侍女になって三ヶ月経つが、意外とこういう機会は作らなかったな。

「悪い。付き合いがよくなかったようだ」

「いえいえ、誘わなかった私達が悪いのです。こうして参加してくださるのなら、もっと早くに誘えばよかったです」

 今月は一人で温泉に行ったり、ビビの特訓をしたりと、誘われても断っていた可能性が高いけれどな。
 まあでも、親睦を深めるのはいいことだ。宿舎で日常生活を共にする仲間達だからな。

「ただ、私みたいな年増が君達みたいな若い子と一緒に行動して、勢いについていけるのかが心配だな」

「まあキリンさんったら。この中で一番見た目が若いのはキリンさんでしてよ」

 私のアラサー幼女ジョークに、メイヤはしっかりと笑ってくれた。
 そして彼女と談笑することしばらく、馬車は目的地に到着した。
 私は年長者として少女達を代表して御者に料金を支払う。使うのは特殊な貝でできた硬貨だ。

「毎度ありがとうございます」

「またよろしく」

 そうして私達は馬車から降り、目の前の建物を見上げた。
 うら若い少女達が集まって休日に行く場所。それは……アミューズメントパークである!

「着きましたわね、ティニクランド!」

 その建物は、広大な敷地面積を誇る、三階建ての巨大な施設だった。
 商人ゼリンのティニク商会が最近になって王都に立てた、大型遊戯施設だ。中には、道具協会から承認された魔法道具を活用した様々な遊具があり、休日となると王都中から若者が遊びに集まってくる。貴族の子女である侍女達ですら魅了して、こうして休日を遊びに費やしにやってきているのだ。

 私達は施設の中へと入り、入口ロビーの受付へ。そこで、私はまた少女達を代表して受付をすることにした。

「八名だ。そして、これを」

 私は受付嬢に、一枚のカードを見せた。それは、ティニク商会の特別優待券だ。

「優待券を確認しました。入場料は無料。全施設の料金が五割引きとなります」

「まあ、本当に割引きになったわ!」

「今月厳しかったから助かるー」

 少女達から歓声があがる。
 彼女達は貴族の子女といえど、大抵の子が普段は親からあまり仕送りをされることなく、侍女の給金をやりくりして生活している。
 庶民的な金銭感覚を身につけることも、花嫁修業の一環であるからだ。
 彼女達は将来、侍女を使う側になる可能性が高い。その侍女が、どうやって資金繰りをして生活するかを主人として把握する必要があるという建前である。

 本当なら富豪である私が全員分の料金をおごってもよいのだが、カヤ嬢からはそういうのはあまりよくないと言われたため、自重している。本当に立派な侍女達である。

 そして、受付嬢から人数分のゴム製の腕輪が配られる。受付を済ました証だ。

「まあ、銀色。これが優待の証なのね」

「初めて見るー」

 腕輪を着けるだけでも、これだけの人数がいたら大騒ぎである。私達はきゃっきゃと盛り上がり、そして早速入場することにした。
 まず向かう先は、ボウリング場だ。
 そう、ボウリング。前世のあれである。
 玉を転がしてピンを倒すあれである。

 もちろん、このボウリングの発案者は私。設備を作らせたのはゼリンのやつだ。そして設備の魔法設計をやらされたのは私である。
 私が自重せず魔法道具を設計したため、ピンは自動で回収され自動で設置されるし、玉は自動で手元に返ってくる前世と遜色ない代物となっている。
 当然道具協会の監査対象。技術的に使用不許可扱いを受けるはずが、ゼリンはどう交渉したのか、他に仕組みを漏らさないことを条件に、このボウリング場の設置に成功しやがったのである。
 おかげで、明らかなオーバーテクノロジーの遊戯施設が、王都一の有名施設として誕生することになった。

「隣同士のレーンで、四人ずつ分かれましょうか」

 ボウリング用の靴に履き替えながら、カヤ嬢がそう提案する。

「どう分けます?」

「私、キリンさんと一緒がいいです!」

「私もー。初めてだしー」

「カヤさんとククルさんはいつも一緒だから、キリンさんとは別ね」

「ええっ、横暴ですわ!」

 私を蚊帳の外に置いて少女達はわいわいと話し合って、チームが二つに分けられた。
 といっても、隣同士のレーンだから、遠く離れるというわけでもないのだが。

 そしてゲームが開始された。

 皆できゃっきゃと笑い合いながら、ボウリングの玉を転がす。その結果に、一喜一憂しながら少女達は全力で楽しんでいく。外出用のドレスでボウリングって、みんな器用だなあ。
 よし、私も楽しもう。てりゃー!

「あ、キリンお姉様、またストライクですわ」

 幻影魔法で空間に投影されているスコア表を隣のレーンから見ながら、ククルが言った。

「玉を転がすなら、驚異的な身体能力も意味がないと思っていましたのに……! これが一流庭師……!」

 メイヤが恐ろしげな表情で私を見てくる。
 ふふん。ボウリングなら、前世の大学時代にサークル仲間と散々遊んだからな。体が小さくなっても、正しいフォームは魂に染みついているんだ。

 対戦競技なら、一人だけ上手いと勝ちすぎて空気が読めていないとなる可能性が高い。しかし、ボウリングはスコアを競うものの、そのスコアは他者の影響を受けない。そのため、私がどれだけストライクを連発しても問題はない。本当にいい娯楽である。

 そうして私達は2ゲームほどボウリングを楽しみ、次の施設へ向かうことにした。

「あ、あれでキリンさんに挑戦したいです! 魔法ホッケー!」

「ん? ああ、あれか。いいぞ」

「正直キリンさんは強すぎると思うので、こっちは二人で行きます!」

「え、私もやるのー?」

 少女達の挑戦を受けて、私はエアホッケーのような遊具で遊んだ。
 ほどほどに加減したが、それでも終わる頃には相手はばてばてになっていた。
 背が足りないから魔法で作った台の上に乗ってやったから、足場とかそんなによくなかったんだけれどな。

「た、体力の絶対的な差を痛感しますわ」

「きついわー」

 じゃあ次は、体を動かさないやつに行こう。カラオケだ。

 これもまたオーバーテクノロジーの固まりである魔法道具を使っている施設だ。魔法設計は当然のように私。
 だが、道具協会のお偉いさんがこのカラオケにはまってしまい、うやむやのうちに設置の許可が出た代物だったりする。大丈夫か道具協会。まあ、仕組みを外に漏らすわけではないので、人類全体の文化水準は向上しないであろう。
 ただこの施設、どこから調達したのか照明の魔法道具がふんだんに使われているんだよな。一般には街灯用途でしか使われないのに。ゼリン、いったい何をやったんだろう……。

「『名探偵ホルムス』の劇の主題歌が入ってますわ!」

「まあ、この間一緒に見にいったあれですね」

「私、歌うー」

「ああ、ずるい。私も歌います」

 魔法道具のマイクを奪い合う少女達。こらこらお嬢さん方、マイクは三つもあるんだから喧嘩しない。
 そして私達は、歌劇の劇中歌や、定番の民謡などを歌って大いに盛り上がった。
 ここにいつか、ファミー嬢とミミヤ嬢が翻訳編曲した、『ワルツで祝うひなどりたち』が収録されるといいなぁ。などと思ったりもした。

 そうして時間は昼飯時に。

「フードコートに向かいましょうか」

「何を食べます?」

「安いご飯は、正直あまり口に合わないー」

 そこは貴族のご令嬢。庶民の口にするものとは普段からして違う。
 だが、この施設は庶民向けのため、フードコートにはあまり高級店はない。そこで、私は提案した。

「ここに私のプロデュースした飲食店があるんだ。そこで珍しいものが食べられるから、行ってみよう」

「まあ、キリンさんお勧めですか。これは楽しみですね」

 そう嬉しそうにメイヤが言う。
 そして、やってきたフードコートの一画。
 そこで、私は店員に注文する。

「バガルポカルピザを八人分よろしく。飲み物は適当な果実水で」

 そう、ここの料理はピザだ。
 この国ではチーズが一般的でないため、ピザに類似した料理が存在しない。

 だが、私は酒をそれなりにたしなむので、チーズを普段から口にしたいと思っている。そこで、酪農村と提携して、チーズを生産してもらっているのだ。巨獣の乳で大量生産されたチーズは、ゼリンを通じて私が料理レシピを教え、飲食店などで日々消費されている。
 この国でもチーズが一般に広まる日もそう遠くはないだろう。

「ピザのお店ですって。聞いたことあります?」

 そう少女の一人が疑問を出すが、それに答える人がいた。

「まさか、ピザとは驚きましたわね。最近、流行しつつある料理ですわ。チーズという乳製品を円いパンの上に載せ、さらにトッピングとして様々な具材を載せて窯で焼き上げる、主食と副菜を同時に食べられる料理だと聞きます」

 解説大好きメイヤがそうつらつらと述べた。知っているのかメイヤ。だが、食べたことはないようだ。

「チーズですか」

「あれ、なかなか美味ですわよね」

 チーズを食べさせたことのあるカヤ嬢とククルが反応する。
 だが、二人はまだチーズの本当の美味しさを知らない。

「二人が食べたことのあるのは、常温で固形のものだろう? チーズは、熱して溶かすとその本領を発揮するんだ」

 私のその言葉に、楽しみです、と二人は笑った。

 そして、ピザが焼き上がり、私達はそれを受け取りフードコートに併設されたテーブルへ行く。

「これがピザですか」

「いい匂いー」

 少女達が未知の料理を前に色めき立つ。

「これはピザの中でもバガルポカルピザといって、バガルポカル領で採れた野菜をふんだんに使ったピザだ」

 私のその説明を受け、ククルに視線が集まる。
 バガルポカルはククルの実家の領地だ。
 注目を浴びたククルは、首をかしげて言った。

「こんな料理があったのですね。寡聞にして知りませんでしたわ」

「まあ、別に領主のゴアードのやつは通してないからな。ティニク商会が、もともとバガルポカル領の商会だった縁でできた料理だ」

「なるほど、そういうことですの」

 と、料理が冷めてしまう。ピザは温かいうちに食べないとな。

「では、いただこうとするか」

 皆で食前の聖句を唱えぴかっと光り、トングを使ってピザを掴み、食べる。ピザなので手づかみでもいいのだが、そこはお嬢様といったところだ。

「ん! んんー!」

「美味しいわ。なにこのパンの上のとろーっとした食感」

「これがチーズですか。初めての味わいですわ」

「美味しいー」

 少女達はそのお味に大満足。チーズを食べたことのあるククルとカヤ嬢も味わっている様子だ。
 食は進み、それなりの大きさがあったピザ一人前をそれぞれぺろっと食べてしまった。

「満腹ー」

「塩味が強い感じがしましたから、食後の塩飴は必要ありませんわね」

「宿舎の食事でも出ませんかね、ピザ」

 皆、お腹いっぱいといった様子で、一息つく。

「午後からはどこを見て回りましょうか」

「食事の後は激しい運動はしたくないですわね」

「これどう? 鏡の迷宮だって」

 少女達はパンフレットを取り出して、次にどこで遊ぶかの話を早速始めている。
 元気だなぁ。若いっていいね。と、おじさんくさい感想が思い浮かんでしまった。いけないいけない。

 そしてその後も私達は散々遊び倒し、日が沈み始める頃になってようやく王城へと帰還することになったのだった。
 こういう休日もたまにはいいものだ。



◆◇◆◇◆



 明くる日、一年の最終月である9月の1日。月が変わっても私は後宮でのお仕事だ。
 今日のパレスナ嬢はナシーの小説の挿絵を描くということで、アトリエで私は彼女のお話係として話をすることになった。
 今回の話の内容は、オーバーテクノロジーの産物、ティニクランドについて。施設の概要を説明して、昨日遊びに行ったことを報告した。

「うらやましいですー。私も連れていってください!」

 そう侍女のビアンカが言う。まあ、彼女も遊びたい盛りだ。後宮にこもってばかりでは、鬱憤も溜まるばかりだろう。
 しかし、私は彼女を遊びには連れていけない。

「ビアンカさんとは休みが合わないですからね。侍女が一度に二人も抜けるわけにもいかず」

 と、ビアンカに諭すように私は言った。

「ううー。ティニクランド、行ってみたいですねえ」

「今は忙しいから無理だけれど、結婚式が終わった後ならみんなで出かけられるわよ」

 ビアンカの言葉を受けて、パレスナ嬢がそう言った。
 みんなでまたお出かけか。それも楽しそうだな。でも駄目だ。

「結婚式が終わったらパレスナ様は王族ですから、そう簡単には遊ぶために外出できないのではないでしょうか」

 そう私は厳しい現実をパレスナ嬢に突きつけた。

「ええっ、でも陛下はしょっちゅう城下町に行ってるって言ってたわ」

「それ、真似してはいけませんよ」

 近衛の仕事をあまり増やしてやるな。国王はトラブルに巻き込まれても、己の力で解決できるからなんとかなってるんだ。か弱いパレスナ嬢はそういうわけにはいかない。

「ええー、じゃあ私はどうやってティニクランドに行けばいいんですか。ハルエーナちゃん誘ったら一緒に行ってくれるかなぁ」

「ハルエーナ様は、そろそろ帰国の準備で忙しいのではないでしょうか」

 ビアンカの言葉に、私はそうコメントした。パレスナ嬢の結婚式が終わったら、後宮は解散だ。ハルエーナ王女も母国に帰ることになる。

「残念です……」

 そういうわけで、薔薇の宮メンバーで外に遊びに行くという話はお流れになった。
 みんなで遊ぶのは楽しそうなんだけれどな。そこは公人である王妃の辛いところよ。

 だからせめて、室内に設置できる魔法道具くらいは用意してみるかな、と私は今まで作った遊具の数々を頭に思い浮かべるのであった。



[35267] 63.会者定離センドオフ系終戦記念ウェディング<1>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/07/12 09:55
 国王が王城に帰還したらしい。町中で凱旋パレードは行われたようだが、王宮ではこれといった式典はなかったため、パレスナ嬢が国王を迎えにいくということはなかった。しかし、パレスナ嬢はよほど国王に会いたかったらしく、後宮に国王が訪ねてこないかそわそわと待ち続けていた。
 ただまあ、国王はきっと戦争が終わったばかりで後処理で忙しいだろうから、今日訪ねてくるのは無理ではないかなと思う。本人にそれは言わないが。

 そんなパレスナ嬢は、現在勉強のお時間。農学についての学習を行なっている。
 ナシーから直接届けられたテキストには、持ち出し厳禁の赤い判子が押してある。後宮で読んでも大丈夫なのかこれは。

 農学については、私もフランカさんも専門外なので、パレスナ嬢の自習に任せるしかない。
 しかし、パレスナ嬢は気が散っているため、少しもテキストは進まない様子だった。

「お嬢様、集中してください」

 そして、とうとうフランカさんがそう苦言を呈した。

「交戦はなされなかったのですから、国王陛下は無事ですよ。前も顔を見せたではないですか」

「解ってるわよー。でも、長らく会えなかったから心配なのよ」

「後宮に来る前は、もっとお会いする頻度が低かったではないですか」

「そうだけどー」

 まあ、こういうのは理屈ではないわな。
 ただまあ、会話は普通にできるようだ。なら、対話式の授業ならばできるだろう。

「テキストを読むのが進まないなら、私が授業を行ないましょうか?」

 そうパレスナ嬢に提案する。

「あら、キリン。農学にも詳しいの?」

「いえ、全く。ただし、アルイブキラの地理ならばそれなりに詳しいですよ」

「地理?」

「どこの地域で、どのような作物が作られているか。そして、どのような気候かなどです」

「あら、面白そうね」

 パレスナ嬢はぱたんとテキストを閉じ、早速話を聞く態勢になった。
 フランカさんが、私に向けて頭を下げてくる。すみませんか、ありがとうか、どちらの意味だろうか。
 そして私は、パレスナ嬢に対して解説を始める。

「どの領がどの位置にあるかの位置関係は頭に入っていますか? まず、私の出身のバガルポカル領から見ていきましょうか。ここは、模範的なアルイブキラの農業領地とでも言うべき場所で、様々な品目が作られている一方、突出した特産品というものもありません」

 領主のゴアードは特産品が作れないか悩んでいるが、そんなもの作らなくても安定した収穫と税収が得られている優等生の領地である。

「主食の向日葵麦、地産地消用の野菜、様々な季節に対応した果物。家畜用の穀物も作られており、牧畜も行なわれています。特産品がないと言いましたが、最近はチーズという乳製品が、この領の村で作られています」

「『王宮侍女タルト』に使われていたやつね!」

「ええ、そうですね。そのチーズを使ったピザという料理が絶品です。今度、料理長に作り方を教えておきますね」

「それは楽しみねー」

 ピザは美味いからな。油断すると太るけれど。

「そこから北上しまして、ゼンドメル領。広大な穀倉地帯です。国内だけではなく国外の食も支えていると言えるでしょう」

 パレスナ嬢の出身領地だ。自分の知っている話題になって、パレスナ嬢の目が輝く。

「そうね、確かに穀物の生産量が特長だわ。もちろん量だけじゃなく、美味しくなるよう品種改良だってしているわ」

「そうですね。そしてその穀物が、さらに北の王族直轄領に運び込まれて消費されます。ここは、王都の他は一面に牧草地が広がっています。地面を掘ると様々な成分が含まれた温泉が出るので、その成分が農業にあまりよい影響を与えないとされています」

「代わりに牧畜が盛んなのよね?」

「はい、その通りです。家畜化した巨獣に牧草と安価な家畜用の穀物を食べさせて、肥え太らせています。天然の巨獣よりも成長が早いのは、これも長年の交配による品種改良の賜物と言えるでしょう」

「後宮に来て、お肉がよく食事に出るようになったのは驚いたわー」

「そうですね。王都の民は肉ばかり食べます。食事には栄養バランスというものが大切なので、新鮮な野菜をいかにして王都に運んでくるかが、王族が抱える現在の課題と言えるでしょう」

「野菜ねえ。王都に近い地域で、野菜を特産品としている領地を把握する必要があるってことね」

「そうですね。特産品の把握は大切です。流通を考える以外にも、その知識が必要な場面があります。王妃になられる以上、視察や慰問の機会はたびたびあるでしょう。ならば、各領地の特長を把握し、特産品を知ることは大事かと思われます」

「確かに、自分の領の特産品をお客様が把握していたら、嬉しくなるものね」

「ええ、その通りです。さすがは領地に来た陛下をもてなして、その心を射止めただけありますね」

「うふふ、そうね」

「それではさらに北上してみましょう。バルクース家のスイーヌ領がありますね。バルクースという名の通り、芋が特産で――」

 そんなこんなで地理の勉強は進み、パレスナ嬢は国内の領地についてさらに詳しくなった。
 この知識が王妃の仕事に役立つこともきっとあるだろう。

 なお、国王が今日パレスナ嬢を訪ねてくることはなかった。



◆◇◆◇◆



 明くる日の正午、『女帝ちゃんホットライン』から連絡が入る。
 どうやら女帝は、今もまだ鋼鉄の国にいるようだった。

『これは駄目じゃなあ……。政府の上層部は軒並み洗脳されておるし、貴族院は機能しておらん』

「国として終わってないかそれ」

『終わっておるなあ。これじゃから悪魔は好かんのじゃ』

 鋼鉄の国は、大総統を名乗る男によって十五年間支配されていた。独裁政権ってやつだ。それによって、共和国を成り立たせていた貴族院は衰退した。その大総統と大総統府が、悪魔によってアルイブキラ討つべしとの洗脳を受けた。洗脳を受けた者を排除すると、そこには国を成り立たせる政府が何も残っていない状態となる、とのことだ。

『なので、大総統府を解体して、隣の国に併合させることにしたのじゃ。幸い、隣の国は王政で【幹】との関わり合いも深いのじゃ。同じ大陸なので、鉱物が産出する特長も近いしのう』

「鋼鉄の国の、隣の国……塩の国、エイテンか!」

『うむ、それじゃな。王族は温厚で、他者の機微を察するのに優れておる。よい指導者となるじゃろう』

 ハルエーナ王女の身内か。そりゃあ機微を察するのにも優れているだろうよ。おそらく、そういう異能力があるんだろうから。

「隣の大陸に一大国家が生まれるなあ」

『うむ。じゃが、エイテンの王族ならば戦争など行なわずに、上手く外交をしてくれるじゃろう』

「エイテンならうちの国とも関わり合いが深いし、その同盟を前面に押し出して睨みを利かせることもできるだろうさ」

『睨みを利かせすぎて周辺諸国と敵対しなければいいがの』

「そこは大丈夫だと思うぞ」

 私はハルエーナ王女を想像しながら言った。他者との調和が取れるいい子である。その親ならば、きっとバランス感覚にも優れていることだろう。

『それと、取り急ぎ、食糧の輸入が必要じゃな。このままではハイツェンは次の収穫まで持たんぞ』

「そりゃあ大変だ。国王に具申しとく」

 今日後宮で国王が来るのを待って、それでも来ないなら侍女長か女官長経由で国王に連絡しよう。
 そんなこんなで通話が終わり、私は午後の仕事に向かうことにする。
 季節は雨期。見事な雨模様なので、傘を持参して後宮に向かうことになる。
 その後宮への道すがら、王宮の廊下で女性近衛騎士を連れた国王に鉢合わせた。

「これは陛下。ご機嫌うるわしゅう」

 廊下の隅っこに寄って、侍女の礼を取ろうとする私。

「ああ、いいからいいから。薔薇の宮に向かうんだろう? 俺っちも目的地そこだからさ、一緒に行こうぜー」

 そういうことになった。
 私は、国王と隣り合って会話しながら歩く。

「女帝陛下からの連絡によると、鋼鉄の国の大総統府が解体され、塩の国に併合されるそうです」

「マジ!? 最新情報じゃーん。なに、キリリン、女帝陛下と連絡とれるの?」

「専用の連絡用通話魔法道具を渡されました」

「なにそれすっごい。『幹』の最高指導者と直通会話とか、とんでもないよそれー」

 そうか。あまりそういう実感はないのだけれどな。女帝やたらとフランクだし。

「それと、女帝陛下から伝言のようなものです。鋼鉄の国は次の収穫まで食糧が持たないので、輸出してほしいと」

「了解。かたくなな姿勢の政府がいなくなるのなら、じゃんじゃん輸出しちゃうよー。ちょうど農具刷新用の鉄が欲しかったんだ。輸入もするぜー!」

 傘を差しながらそんな会話をして後宮の道を進み、薔薇の宮へ。
 入口すぐの広間では、フランカさんが国王の到着を待っていた。

「私がご案内しますので、キリンさんは来客室でお茶をお願いします」

 おっ、フランカさんが私にお茶を任せてくれるのって初めてじゃないか。
 私は厨房へと向かい、料理長にお湯を用意してもらう。
 そして手を洗い、茶器と茶葉を用意し、ワゴンに載せる。お湯をもらって、来客室へ出発だ。

 ノックをし、来客室へと入室する。するとそこには、元気よくハイタッチをする二人の姿が!
 相変わらず変な二人である。恋人が再会を喜ぶのって、抱き合うとかじゃないのか。
 私はそんなことを思いながらワゴンを押し、テーブルの横でお茶を淹れる。

 お茶は、侍女宿舎で普段から淹れているから、割と慣れたものだ。

「結婚式の日取りが決まったよ」

 二人にお茶を配っていると、国王がそう話を切り出した。

「終戦式典と合わせて、今月の二十日。大披露宴は二十一日。ゼンドメル領での結婚式は二十八日だ」

 この国の貴族は、結婚式を複数回行う。
 夫婦それぞれの出身領地でやったり、人の集まる王都でやったりと、場所を変え人を変え何度もやるのだ。そのぶん、一回の結婚式はこじんまりとしたものになったりする。だが、王族の結婚式の場合はどれも盛大に開かれることになるだろう。

「終戦式典と一緒にやるにしては、思ったよりも余裕のある日程ね!」

「これでも、国の端っこから結婚式に参列する貴族にとってはぎりぎりさ。知らせは陸鳥便で送ったよ」

 陸鳥とは、馬のような四つ足の動物であるメッポーよりも足が速く、体力のある二本足の巨大な鳥だ。メッポーよりも激しく揺れるので、乗りこなすには熟練の腕が必要となる。繁殖も難しいので、日頃あまり目にすることも少ない存在だ。

「確かに、王都が国の中心にあると言っても、端の領地からは馬車で何日もかかるわね。準備を考えたら日はそう多くない、か……」

 昨日勉強した、アルイブキラの地理を思い出しているのだろうか、そんなことをパレスナ嬢が言った。
 国王も頷いて、さらに言葉を続けた。

「戦争が終わったら結婚するってことは全土に知らせてあったけど、今回の戦争はひとあてもしないで終わったからね。衣装を新調した人は作るの間に合わなかったりもしそうだねー。終戦式典を遅らせすぎるのもよくないから、この日程になったけど」

 終戦式典と結婚式を分けるわけにはいかないのだろうか。
 そこが気になったので、侍女の立場ながら失礼なことだが、国王に尋ねてみた。
 すると。

「んー、鋼鉄の国との戦いが終わったというのは、この国にとって大きな節目なんだ。だから、式典と一緒に結婚式を行うことで新しい体制を貴族と国民に向けて演出したいのさ。鋼鉄の国が塩の国に併合されるなら、なおさらね」

 ふむ。なにやら難しい政治的意図があるのだろう。私にはよく解らないが。

「で、衣装は間に合いそうなのかい? 針子室からは問題ないって返答が来てるけどさ」

「予定が決まってからすぐに針子室に連絡を取ったから、一回目の披露宴までの衣装ならできてるわ」

 そう、あの前世の白いウェディングドレスはすでに完成しているのだ。頭に被る白いベールも当然セットである。

「それは楽しみだねー。俺っちはなんか、披露宴で大収穫祭の衣装みたいなのを着ることになってたけど」

「私のドレスが白なの。お揃いよ」

「白かー。いいねー」

 国王はドレスに関心がある様子。まあ、試着のときなど、事前に見る機会もあるだろう。

「キリリンもドレスの準備はできているのかな?」

「ええ。新調しましたが、間に合います」

「キリンのドレスはすごいわよ。まさに魅惑の妖精!」

「ぷっ、キリリンが妖精て。妖怪の間違いじゃないの」

 失礼な奴だなこいつ!
 私だって、中身は男だが外見はいいはずなのだ。着飾れば妖精にだってなってみせるさ。
 なんなら、妖精魔法で妖精郷を現世に作りだしてみせるぞ。大魔法だ。

「キリンのドレス姿は、当日を楽しみにしててね! なんなら二人でダンスを踊ってみる?」

 そんな提案をパレスナ嬢がしてくる。
 その言葉に国王はいぶかしげな表情になり、言った。

「ダンス踊れるの? キリリンの体重で足踏まれたら、俺っち死んじゃうよ」

「……大丈夫です。ミミヤ様に習いましたから」

「ミミヤかー。そうだ、彼女、後宮から出た後どうするか知ってる?」

 国王がパレスナ嬢の方へと向き直ってそう尋ねた。

「いえ、知らないわ。陛下は知っているの?」

「人伝で聞いたけど、王都の屋敷に留まって、王都の貴族向けにマナー教室開くんだってさ。王妃教育に王宮へも通ってくれるみたいだよ」

「あら、本当?」

「ファミーは王宮図書館の司書に内定したし、トリールは王宮菓子職人に抜擢したよ。モルスナは元々王都在住だし、後宮解散しても、意外とみんな近くにいるね」

「私のところからも護衛のビビとフヤが近衛入りするみたい」

 ビビだけでなく、ちゃっかりフヤも近衛入りしている。彼女の生態が謎すぎる。
 そして、国王がなるほどと頷き、言葉を続ける。

「フランカとビアンカの侍女親子は引き続き内廷でパレスナの侍女をしてもらうし、馴染みの深い顔が揃っているね。安心した?」

「そうね。でも、キリンは?」

「キリリンは……未定ー」

 未定なのか。今度はどこに飛ばされるのやら。
 だがしかし、パレスナ嬢はその言葉が不満だったのか、国王に言う。

「キリンは私の侍女でしょ。私が王妃になっても変わりなく」

「でも、王宮の各所から、キリリンを侍女にくれって言われているんだよねー……。後宮侍女を勤め上げた実績に加えて、護衛としても超優秀なのを示しちゃったから」

 そんな話になっていたのか。確かに、少人数で鋼鉄の国の襲撃犯を制圧したが。

「それでもキリンは私の侍女なの」

 パレスナ嬢が国王の目をじっと見つめる。
 そうして数秒経ち、国王は根負けしたかのように言った。

「分かったよ。できるだけそうなるように、女官長と侍女長には話を通しておくよ」

「やったわ! キリン、貴女の仕事は守られたわよ」

 別にパレスナ嬢から仕事先が変わっても、仕事にあぶれるわけではないんだけれどなぁ。
 まあ、彼女が喜んでいるなら何よりだ。

「そうなると地元に帰るのは、護衛の残り二人と、料理長達と、あとはハルエーナね……」

 そうパレスナ嬢が指折り数えて言う。
 ハルエーナ王女か。彼女は塩の国から来ているから、後宮が解散するとなると国元に戻ることになる。

「殿下を引き留めることはできないね。さすがの俺でも他国のことまでは口だしできないよ」

「ええ、そうね。寂しくなるけど、お別れしなくちゃ」

 国王の言葉を受けて、パレスナ嬢がしんみりとした感じでそう言った。
 楽しい結婚式の後には、悲しい別れか。

「ま、そうなるなら、残りの日数を楽しく過ごしましょうか」

 そうパレスナ嬢は、無難に話をまとめた。
 人の出会いは一期一会なんて前世では言ってたりしたが、いつもと変わらぬ日常を過ごすなら、できれば別れは少ない方がいい。
 それでも別れはどうしてもやってきてしまう。

 今、私は王城侍女として働いているが、花嫁修業に来ている侍女宿舎の侍女達も、いつか侍女を辞めてお嫁に行ったりするんだろうな。そう考えると、私ってお局様コースまっしぐらなのかね。見た目は幼い新米侍女だが、中身はアラフィフ。そんな未来が見えた。
 などと馬鹿なことを考えて、別れの寂しさを紛らわす私であった。



[35267] 64.会者定離センドオフ系終戦記念ウェディング<2>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2020/06/04 21:49
 日は瞬く間に進み、とうとう結婚式前日となった。
 光陰矢のごとしとは、よく言ったものだ。パレスナ嬢の勉強を見たり、披露宴の出し物の練習をしているうちに、気がついたらこの日になっていた。

 いよいよ明日は本番だ。確認作業に忙しい……わけではなく、別な仕事で午前の薔薇の宮は忙しかった。
 それは、引っ越しだ。

 結婚式後も退去猶予期間としてしばらく後宮は開いているが、他の令嬢達と違って、パレスナ嬢の場合は婚約の儀式を終えた瞬間王族になる。したがって、結婚後はその日から王宮の王族居住区、すなわち内廷に住まなければならない。
 なので、今日中に引っ越し準備を終え、そのうえで今日はここで過ごし、明日結婚式後に内廷に住み始めるという慌ただしいスケジュールとなる。
 幸い、荷物はすでに内廷に運びこんでよいことになっているので、下女を使って後宮から王宮へと荷物をどんどん運び出している。
 そして現在は、アトリエの荷運び中だ。

「きゃー、この絵、カードで見たことある」

「本当? あ、確かにカーリンさんが使ってるの見たことあるー。すごーい」

 有名な画家先生のアトリエとあって、絵を運び出すときにも下女はわいわいやっているようだ。パレスナ嬢は上級貴族なので、お金を稼ぐために絵を無理に売り出す必要がなく、描いた絵をそれなりの数、手元に残していたりする。
 そんな絵が布に包まれ、木箱に梱包されていく。ダンボールが存在しないのは不便だな。
 そして、その作業を侍女の私は監督役として見守っていた。

「とうとう台車に載らない机と棚が残ったかー」

「これ王宮まで手で運ぶの? 辛くない?」

「明日以降なら男手が後宮に入っても問題ないのにー……」

 下女達が弱音を吐いている。
 名目上は結婚式後に後宮解散となるため、明日から男子禁制は解除される。他のお嬢様達は引っ越しをゆっくりするのだが、その引っ越し作業には男の下男達も駆り出されることになる。
 ちなみに男達がお嬢様達に不埒な真似をしでかさないようにするため、王宮からは女性の護衛が用意されるようだ。もちろん、お嬢様方が男と顔を合わせたくないなら、引っ越し作業は下々に任せて王都の屋敷に引っ込んだっていい。

 だが、後宮解散前の今日は、下女達のみでこのアトリエの荷物を後宮から運び出さなければならない。
 王宮から先は男も立ち入れるため、後宮入口から内廷の国王夫妻の私室まで荷物を運ぶのは下男達が行なっている。なので一応、完全に女手のみでの引っ越しというわけではない。

 作業を見守っているうちに、細かい道具類や絵画は木箱に梱包され、すでにアトリエからは持ち出されている。
 ちなみにここで描かれたナシーの新作小説『天使の恋歌』の挿絵は、すでにゼリンへの納品が済んでいる。あとは本の刷り上がりを待つのみだ。新王妃が挿絵を描いた作品として、一部で有名になったりするのだろうか。まあ、文を書いているのは王妹なのだが。

「いやー、きついですね。掃除下女の仕事じゃないですよこれ」

 と、下女のカーリンがどこからともなく現れ、私に話しかけてきた。

「下女総動員か」

「いえ、明日の披露宴のために、城下のダンスホールの方にも結構駆り出されています。総動員だったらこんな小さな宮殿の引っ越しなんて、すぐに終わっていますよ」

 そうだよなぁ。結婚式前日に引っ越し作業とか、何か間違っている気がするんだよな。

「キリン様、力持ちなんですから手伝ってくれたりしません?」

「しないな。侍女の仕事じゃないよ。それに今は侍女のドレス着ているし」

 侍女のドレスは、下女のような汚れても構わないような服装ではない。前世のイギリス、ヴィクトリア朝時代の使用人であるメイド。その業務内容である掃除洗濯料理家事は、おおよそ侍女ではなく下女の仕事なのだ。

 そんな今の私の仕事は、下女達がちゃんと仕事をしているのかの監視役だ。
 下女がうっかりものを壊してしまったとかいうときに、下女に重い責任がいかないように業務上の過失として処理したりもする。あと、王宮で働いているのはそれなりに良家の出なのでいないと思うが、窃盗を防ぐとかの目的もある。

 なので、力仕事に手を貸さないのも仕方がないことなのだ。

「でも、後宮で開かれたお茶会では、テーブルを運んだりしたって聞きましたよ」

「あのときは人手が足りなかったからな」

 カーリンの追及に、そう言葉を返す私。ダブルスタンダードだって別にいいのだ。私は今あまり動きたくない!
 何故なら今日はドレスの試着をするから、汗をかきたくないのだ。いくら剛力の魔人でも、動き回ればしっとり汗ばむくらいはするからな。

「それよりもカーリン、私と話しているがみんなを手伝わなくていいのか」

「非力なので、重たすぎるものは持ったら落としてしまいます。もう出る幕はないです」

 下女達がえっちらおっちら机を外に運び出していく。大変そうだなぁ。
 正直、アトリエの中身なんて明日から急に必要になるものではないから、引っ越しは部分的に後日でいい気がする。融通が利かないものだな。

「それよりも、明日の披露宴楽しみですね。久しぶりにドレスなんて着ますよ」

「なんだ、カーリンも参加するのか」

「うちの親父がお呼ばれしていまして、娘としてその随伴に」

「ゼリンもすっかり豪商だからな。成してきたことを考えると、貴族に推挙されてもおかしくはないが」

「父さんは、そういうのには興味ないと思います」

「だよな。あいつは商売に命懸けてるからな」

 そんな会話をしているうちにアトリエはすっかり空になった。そこらに絵の具がこびりついていたりするが、掃除は後日とのことで、引っ越し作業は終了となった。
 寝室のベッドや厨房の調理器具などが残っているが、そちらは内廷に運ぶ必要がないので、パレスナ嬢に処分の意思がないなら宮殿に置いたままになる。次に宮殿に入る主が必要に応じて入れ替えるであろう。

 私はカーリンと明日の再会を約束して別れ、午前の仕事を終えることにした。
 午後からは針子室の針子を呼んで、ドレスの最後の総点検だ。婚姻の儀式に従者として参加するので、私も針子の点検を受ける。はたして大丈夫かね。



◆◇◆◇◆



 侍女宿舎の自室でドレスを着る。髪型もいつもの三つ編みではなく編み上げスタイルだ。カヤ嬢からの厳しいチェックを受け、私自身も魔法で鏡を周囲に浮かせて確認だ。うん、問題なし。肩と背中が大胆に出ているが、そのうち慣れるさ。
 そして、この日のために購入していた化粧品を取り出し、カヤ嬢のレクチャーを受けながら化粧を施す。うーん、鏡に超絶美少女が映ったぞ。化粧ってすごいな。

「まさに妖精がこの世に現れたようですわ」

 カヤ嬢がそう称賛してくる。お世辞なのか本音で言っているのか、どちらだろうか。

「私にとって、妖精は珍しいものではないのだけれどね」

 私はそう言いながら、妖精魔法で指先に小さな妖精を召喚してみる。私の魔力を受け取った妖精は、嬉しそうに指の周りを飛び回った。
 それを物珍しげに見ながら、カヤ嬢が笑みを浮かべて言う。

「さながら、妖精の姫でしょうか」

「さすがにそれは言い過ぎだよ。でも、自分に自信が持てそうだ」

 私は元男だが、それでも自分が醜くないというのは嬉しいことだからな。
 そして、女として着飾るのにもいい加減慣れてきたところだ。ドレスだろうが水着だろうが着てやろうではないか。

「では、行ってくるよ」

「ドレスを汚さないようお気をつけて」

 カヤ嬢と挨拶を交わし、私はドレス姿のまま後宮へと向かった。
 空模様は晴れ。今は雨期だが、天候操作されている。国王の結婚式を祝い、今日から三日間は王都周辺に雨が降らないようになっているのだ。
 前日から晴れなのは、当日雨で足元がぬかるまないようにという配慮だな。三日目は野外での大披露宴だしな。

 ただ、昨日は雨だったので足元が少し湿っている。ドレスに泥が跳ねないよう、魔法で保護をしておく。
 そうして後宮を歩いていたところ、侍女を引き連れたハルエーナ王女と鉢合わせた。腕には天使猫を抱えている。

「ん、キリン、こんにちは」

「はい、こんにちは。お出かけですか?」

「久しぶりに晴れたから散歩」

「左様ですか」

 そうやって私達は挨拶と礼を交わした。

「キリン、ドレス似合ってる」

「ありがとうございます。今日は針子からドレスの確認を受けるのです」

「そう。似合っているから大丈夫だと思う」

「だといいのですが」

 ハルエーナ王女とそんな会話を交わす。後宮も明日で解散だ。すぐに退去するわけではないが、別れの時は近い。

「今も猫を連れていますが、国元に連れていくのですか?」

「うん。後宮から連れていく」

「うむ、上位存在からも新たな体制になる国を見られるなら、見るべしという指示を受けておる」

 私達の言葉を受けて、王女の腕に抱えられた天使猫がそう言った。
 さらに天使猫は言葉を続ける。

「別にこの国に留まってもいいようじゃがな。妾としては、炎の樹まで行って、胴体を生やしに行きたいところじゃが……」

「胴体生えるのか?」

「四肢欠損を治した実績はあるようじゃのう」

 私の疑問に、そう答える天使猫。
 ちなみに炎の樹とは、天使や悪魔が生えてくるパワースポットだ。天使達の主成分は炎と植物だってことだよなこれ。不思議生物である。

「炎の樹は遠いから行っちゃ駄目」

「ハルエーナはこの様子なんじゃよなぁ……。人ではない動物一匹の旅になんの危険があるというのか」

「お前、旅を舐めてると、魔物に食われて終わるぞ」

 小さな動物など、魔物や肉食獣の格好の餌食だ。起きている間は火の魔法で撃退できるとしても、天使だって眠るのだ。まともな野営ができないと、寝ている間にぱくりだ。

「できれば、お前はハルエーナ様についてやっていてくれ。護衛くらいできるだろう?」

「まあ、任せるがよい。養ってもらっている恩くらいは返すのじゃ」

 いつかは炎の樹に行くのだろうが、今はハルエーナ王女についてやっていてほしい。彼女も別れが連続すると辛いだろうからな。

「では、薔薇の宮に向かいますので、この辺で失礼します」

「うん。また明日」

 そう言って私達は別れた。
 そして薔薇の宮まで歩いていき、中へと入る。広間に詰めていたフヤと目礼を交わし、パレスナ嬢の私室へ。

「おかえりなさい。想像以上の姿ね、キリン!」

 パレスナ嬢がそう私を迎え入れた。そこまでいうほどコケティッシュなのだろうか、今の私は。

「大人っぽくていいですー。でも、私も可愛いでしょ!」

 そうビアンカに言ってくる。彼女は、言葉通り可愛らしいドレスに身を包んでいた。私のように化粧はしていないようだが、それがかえって年齢相応の素の可愛らしさを演出しているように見えた。

「可愛いですよ、ビアンカさん」

「えへへ」

「年頃の男子達の視線を釘づけにできそうです」

「そうかなー。えへへ」

 私の言葉に照れるビアンカ。そんな様子をシックなドレスに身を包んだ母親のフランカさんが、微笑ましい表情で見守っていた。

 そんな会話をしているうちに、やがて薔薇の宮に針子達がパレスナ嬢の花嫁衣装を持参してやってきた。
 侍女の私達は、針子達の指導を受けながらパレスナ嬢の衣装の着付けを行う。

 まずは婚姻の儀式の衣装。
 ひらひらふわふわした青色のドレスだ。頭には、青い薔薇が飾られたヘッドドレスをつけている。
 ドレスのサイズはぴったり。針子さんの腕がいいのだろう。

「じゃ、あんた達、横に並んで並んで」

 以前もここに来ていた年配の針子さんが、私達にそう指示を出した。ファッションチェックのお時間だ。

「うーん、あんた」

 私は針子さんに指を指される。どきりとした。

「せっかくの大人っぽい格好なのに、装飾が足りないねえ。そのペンダントだけなのかい?」

「ええまあ」

 私が身につけていいる装飾具は、師匠の魔女から受け継いだ魔法のペンダントのみだ。それ以外は特に何も持っていない。
 戦闘用のエンチャントがなされた、無骨な装身具はいくつかあるが、このドレスには合わないだろう。

「仕方ないね。これあげるから、頭を飾っておきな」

 針子さんはそう言って、私に薔薇の髪飾りをつけた。薔薇か。パレスナ嬢とおんなじだ。
 それを見たビアンカが、羨ましそうに言う。

「薔薇、可愛いですねー」

「おや、あんたもつけるかい?」

「わーい」

「うん、可愛い可愛い。薔薇の宮らしいんじゃないかい」

 ビアンカの髪も薔薇で飾られた。

「ほら、あんたも」

「いえ、私は……」

 針子に薔薇の髪飾りをつけられそうになって拒否するフランカさんだったが、結局押し切られていた。

「いいわねー。みんな薔薇! こういう統一感って好きよ。絵に描きたいくらい」

 そう言ってパレスナ嬢は笑った。

 そして次は、一回目の結婚披露宴用の衣装だ。ウェディングドレスである。
 今は雨期ということもあって、ジューンブライドって感じだな。9月だけど。

「新鮮でいいねぇ。新しいデザインに、会場中の注目が集まるさね」

「うっ、目立つのは苦手なのだけれど」

 針子さんの言葉に、そうぼやくパレスナ嬢。

「今更なに言ってんだい! 大披露宴は何千人も人が集まるんだよ!」

 そう言われてしょんぼりとするパレスナ嬢。するとさらに、針子さんに「本番では笑顔を絶やすんじゃないよ」と注意を受ける。
 花嫁って大変だなあ。

 そうしてウェディングドレスの確認作業を終え、さらに大披露宴の衣装も着て確認を終えた針子さん達は、満足した様子で針子室に帰っていった。
 花嫁衣装を脱いだパレスナ嬢は、いつものドレス姿に戻っている。
 私もドレスを脱ごう。パレスナ嬢の私室で、私達侍女三人は侍女の衣装に着替えた。

 さて、思いのほか早く終わったので、就業時間まではまだ時間もある。
 しかし、私物はおおよそ内廷に運んでしまったので、パレスナ嬢は手持ち無沙汰になった。紙と鉛筆すらない。

「キリン、何か面白い話をしてちょうだい」

 お嬢様のお話係としての仕事をいただきました。
 話か。そうだな、結婚前日なので結婚関連について。

「前世では、ハネムーンという文化がありました。結婚した夫婦が、結婚式を挙げた後に二人で旅行に行くというものです」

 新婚旅行だ。ハネムーンは日本語で言うと蜜月。結婚したらひと月は蜜のように甘く二人でいちゃいちゃしろってことだな。
 パレスナ嬢はそれを聞いて、にっこりと笑った。

「旅行、いいわねー」

「外国に行くというのが定番でした。それも、常夏の国に行って水泳などを楽しむのです」

「なにそれ面白そう」

「パレスナ様も、最初は王妃の顔見せとして陛下との外遊や領地訪問が増えるのではないでしょうか」

「そのあたりの予定は聞いていないのよね」

 ちなみに、成田離婚という言葉も存在するのだが、ここでは言わないでおこう。明らかに余計な情報だ。
 そうそう、悪い結婚用語といえば、あれがあった。

「他には、いい言葉ではないですが、マリッジブルーというものがありました。結婚を間近に控えて、突然結婚生活への不安や憂鬱を感じるというものです。パレスナ様は大丈夫ですか?」

「憂鬱? そういうのはないわねー。陛下との生活が楽しみ!」

 問題ないようで何よりだ。

「私はありましたね、その『マリッジブルー』」

 既婚者であり一児の母でもあるフランカさんが、そう言った。

「私が結婚したのは十四歳と若く、本当に妻を務められるのかと不安になったものです」

「そうだったのね。意外ねー。今では立派な母親だから、その様子が想像できないわ」

 フランカさんの言葉に、そうコメントするパレスナ嬢。

「まあそんな私も今は、夫を地元に置いて、こうしてお嬢様の侍女などをやっているわけですが」

「そうよ、フランカの夫、どうするのよ。ビアンカもずいぶん会ってないでしょう」

「大丈夫ですよ。王城の植物園に就任が決まりました。あ、キリンさん。私の夫は園丁(えんてい)なんですよ」

 なるほど、そうだったのか。本来の意味での庭師ってやつだな。
 平民の仕事に見えるが、フランカさんの夫ということは貴族のはずだ。王宮の植物園ともなると、園丁も貴族か。責任者とかの立場なのかな。

「それはよかったわね。ビアンカ、お父さんに会えるわよ」

「そうですねー」

 ビアンカに話を振るパレスナ嬢だが、ビアンカの感動は薄い。
 子供にとっての父親なんてこんな扱いなのか……。
 頑張れお父さん。

「それで、キリン。結婚についてまだ他になにかあるかしら」

「そうですね。前世の結婚式にはブーケトスという文化がありまして、これに似た風習が上の枝の大陸にも――」

 そうして、午後は歓談して過ごすことになった。
 いよいよ明日は結婚式。楽しい式になってほしいものだな。



[35267] 65.会者定離センドオフ系終戦記念ウェディング<3>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/07/12 09:59
 王宮の奥深く、王族専用の儀式場とされるそこに、私はいた。
 壁一面に空間投影モニターが表示されており、国の各地の畑が映されていたり、なにやら細かい数字が表示されていたりする。
 なるほど、確かに儀式場だ。儀式という名の土地の調整を行う場所なのだ、ここは。この国の中でも最重要区画と言えるだろう。

 そんなオーバーテクノロジーが随所に散りばめられた広間で、私は王妃の侍女として婚姻の儀式に参列している。
 私の役割は、この儀式場に王妃を連れてくるところまで。後は、王族や国の重鎮達が儀式を見守る列の一番下座で、パレスナ嬢の晴れ姿を見ることになる。

 厳かに儀式が進められている。なにやら難しい祝詞が国王の口から発せられ、さらには聖句を唱えてぴかぴかと光る。
 国王の手には、大収穫祭のときも携えていた豊穣の杖が握られている。
 特に国土の設定変更を行うということはないようだが、なんのために手にしているのだろうか。格好良いから?

 と、ああ、なるほど。システムにパレスナ嬢を追加しているのか。彼らの正面のモニターにあるシステム管理者一覧みたいなところに、パレスナ嬢の名前が表示された。

「これより、リウィン・パレスナ・エカット・ボ・ゼンドメルは、シアン・パレスナ・バレン・ボ・アルイブキラとなる。世界樹よ、新たな枝葉の管理者を祝福したまえ」

 そう国王が宣言する。
 まさに今、パレスナ嬢が王妃となった。パレスナ嬢は真剣な顔でそれを受け入れていた。
 横目でフランカさんを見ると、目に涙を浮かべていた。感泣しているのだろう。

 そして、国王は広間に据え置かれていた台座に豊穣の杖を置くと、一礼して台座を離れ、パレスナ嬢の手を取った。
 すると、参列していた王族が懐から小さな笛を取り出すと、それを吹き始めた。
 その音色に合わせて、国王とパレスナ嬢が踊り始める。

 ミミヤ嬢から聞いた話によると、これは建国王とその妃が建国の際に踊ったとされる鎮魂のダンスだという。
 以前、発掘した隠された建国史によると、王城の下には建国王が倒した敵軍の首なし死体が埋まっているらしい。そして、その埋めた死体の上で、建国王と恋人はダンスを踊ったとされている。後宮の地下工事の際に白骨死体が見つかったらしいが、その事実がこの逸話の信憑性を高めていた。

 彼らのダンスは、やがて光を伴いはじめる。ダンスの動きが、魔法陣を形作っているのだ。
 その魔法式を読み取ると、魂に含まれる悪意を浄化するもののようだった。まさに、鎮魂のダンスである。

 広間に光が満ち、おもむろにダンスが終わる。それに合わせるように、ゆっくりと演奏が途切れていった。
 そして国王夫妻は、豊穣の杖に一礼し、さらに参列のこちら側にも一礼すると、二人で歩調を合わせ、広間から歩き去っていった。これで、婚姻の儀式の全工程は終了だ。失敗なく終わってよかった。

「初めて見たが、よい儀式であった!」

 広間の沈黙を破るように、参列していたナシーがそう言葉を切り出した。

「いや、見事なダンスでしたな」

「うむ、二人のリズムも合っていましたし、よい夫婦になりそうですぞ」

 と、重鎮達も会話を始める。あ、儀式が終わったら雑談していい感じなのな。そうなのか。
 私はフランカさんに話しかけた。

「成功ですね」

「はい、お嬢様、とても立派でいらっしゃいました……」

 ぽろぽろと涙をこぼすフランカさん。おおう、そんなに泣いたら化粧が落ちるぞ。
 そして、ビアンカがほっとしたような顔で言った。

「くしゃみとか出なくてよかったです」

 ああ、あの厳かな儀式の最中にくしゃみなんてしたら、台無しになるところだったよ。何事もなくてよかった。
 さて、次は城下のダンスホールで結婚披露宴だ。
 まずは、パレスナ嬢が儀式衣装から着替えるために待っているだろうから、そちらへ向かわないと。

「それでは、お嬢様のお世話がありますので、私達はお先に失礼します」

 そう言ってフランカさんは参列者達に一礼した。
 私は慌ててフランカさんに追従して侍女の礼を取る。

「うむ、披露宴でまた会おう!」

 そう元気にナシーが見送ってくれた。
 いよいよ披露宴本番。数百人の人が集まる場で、今の儀式のようにはたして上手くいくのか。どうか成功してもらいたいものである。



◆◇◆◇◆



「はー、大勢の人に見られると思うと、そわそわしてきた。キリン、これって『マリッジブルー』かしら」

「いえ、ただの緊張かと」

 パレスナ嬢の泣き言に、私は冷静に突っ込む。
 ダンスホールの控え室、そこで私達三人の侍女は、パレスナ嬢の着替えを行なっていた。

 白いウェディングドレス。汚れ一つない純白のそれは、まさしく女子の憧れる花嫁姿という感じだ。衣装のところどころに薔薇が飾られているのは、薔薇の宮の主を表わしたものか。頭のベールにも薔薇がふんだんにあしらわれている。
 ここまで見事なドレスだと、今後真似する人が出るだろうなぁ。また地球の文化がこの世界を侵略してしまうのか……。
 まあ、今更か。

「結構長丁場になると思うから、化粧は薄めでお願いね」

「役者は遠くから見ても顔が解りやすいよう、濃い化粧をするそうです」

「そんなに目立つ気はないから!」

 役者を例えにあげた私の言葉に、そんな否定の声をあげるパレスナ嬢。
 新婦が目立たなくてどうするのかね、この人はまったく。
 そんな言葉を聞いているのかいないのか、フランカさんが化粧を施していく。
 私は髪型の整え直し。ビアンカは指先のチェックだ。

 そして、私達の手によりパレスナ嬢は完璧な新婦になった。
 それを見て、フランカさんは満足そうに言う。

「これでよろしいでしょう。では、そろそろ開宴の時間ですから、キリンさんはビアンカを連れて先に会場入りしてください」

「あれ、いいのですか?」

「披露宴の入場は、儀式のように侍女を引き連れはしないですからね。会場でお嬢様をお迎えしてください」

「了解しました。ビアンカさん、行きましょうか」

「はいー」

 私はフランカさんに促されるままに控え室を退室しようとする。と、ああそうだ。パレスナ嬢に言っておかないと。

「パレスナ様、入場のとき少し驚くかもしれませんが、気にせず進んでくださいね」

「ああ、ミミヤから、派手な入場になるから心しろって言われてるわ。大丈夫」

 なるほど、ちゃんとミミヤ嬢は入場曲のことを話していたか。サプライズもいいが、それで入場が失敗したら意味ないからな。

 そうして、私とビアンカの二人は、控え室を出てホールへと向かう。
 ホールに入ると、そこはとても広い場所だった。だが、広すぎてがらんとしているわけでもない。数百人の人がそこで待機していた。
 こりゃあ、知り合いと会うだけで一苦労だぞ。

 私達二人は、とりあえず新郎新婦の席に近い立食テーブルの横に待機することにした。
 開宴間近とあって、テーブルにはできたての料理がすでに運び込まれている。
 お、小皿にホイップクリームとカットフルーツが載ったカスタードプリンがある。トリール嬢頑張っているな。

「美味しそうですねー。早く始まらないかな」

「食べ過ぎて、ダンスを踊れないということのないようにね」

「大丈夫ですよー」

 そう言ってビアンカは笑った。
 まあ、大丈夫か。彼女も来月には十歳だ。日本で言うと小学四年生。分別をわきまえる年頃だろう。
 そんな会話をしていたときのこと。ふと、見知った顔が、こちらへと近づいてくるのに気がついた。

「キリンお姉様!」

「ああ、ククルか」

 ククルの他にも、カヤ嬢や侍女の仲間達の姿が見える。
 皆、思い思いのドレスに身を包んでいる。うーん、華があるな。

「お姉様、ふふ、とてもお似合いですわ。こんなにも可愛らしくなるなんて」

「可愛らしい、ね。ククルこそいいドレスじゃないか。いつもにも増して美人さんだ」

 薄い紫色のドレスに身を包んだククルを褒めておく。ククルは美少女だから、男達が放っておかないぞこれは。

「お姉様、そちらの方は?」

「ああ、こちらは王妃様の専属侍女のビアンカだ」

「まあ、王妃様の。初めまして、王城侍女のククルと申します」

「初めましてー。ビアンカです!」

 ククルとビアンカが互いに侍女の礼を取った。侍女のドレスを着ていないのに侍女の礼を取るのを見るのは、新鮮だな。

「彼女達は王城にある侍女宿舎に住んでいるんだ」

 そうビアンカに説明する。

「侍女宿舎ですかー。今日から私もお母さんと一緒の部屋で、侍女宿舎に住むらしいです」

 そうだったのか。内廷には侍女の住み込むスペースがないってことだな。
 そのビアンカの言葉を受けて、ククルがにっこりと笑って言う。

「あら、それなら、今日から貴女も私達の仲間入りですわね」

「よろしくお願いします!」

 ビアンカがそう挨拶をすると、侍女達がビアンカを囲んできゃいきゃいと騒ぎ出した。

「可愛らしいですわね。おいくつですの?」

「九歳です」

「若いー。その歳で王妃様専属ってすごくない?」

「エカット公爵家の分家の出なのでー」

「私も内廷で働いてみたいなー」

 ビアンカは人気のようだ。侍女達のすぐ他者と打ち解けられるところは、是非見習いたいと思う。
 そう彼女達を見守っていると、ククルが私に話しかけてきた。

「ところでキリンお姉様、お父様を見かけませんでした?」

「ゴアードか。いや、見てないな」

「そうですの。今日はお母様と弟を連れてきているらしいので、合流したいのですけれど」

「一家総出か。ふむ……あちらにいるぞ」

 魔法を使って、方々へと視線を飛ばしてゴアードを発見した私は、ククルに場所を示してやる。

「あちらですか……あ、いました。ありがとうございますお姉様。みなさん、お父様が見つかりました!」

 ククルは侍女達を引き連れて、ゴアードの方へと向かうようだ。

「またねービアンカちゃん」

「はい、宿舎でお会いしましょう!」

 ……ビアンカは侍女達とすっかり仲良くなったようだ。

「宿舎では上手くやれそうですね」

「はいー、みなさん優しそうでよかったです」

 そうなんだよなぁ。創作上の貴族的な傲慢さがないんだよな、彼女達には。侍女の淑女教育の賜物なのかね。
 そんな会話を繰り広げていたら、また私達に近づく集団が。

「ぎゃははは! 魔人がドレス着とる!」

 青の騎士団の面々だ。私を指さして笑っているのは、騎士団長のセーリンである。

「セーリンか。どうだ、似合うだろう」

「似合いすぎて頭がおかしくなりそうだわ! 剛力魔人が美少女とかどうなってんの。がはは!」

 笑いが止まらないようだ。後ろについてきている騎士達が困惑しているぞ。
 そんなセーリンに向けて、私は彼らの様子で気になったことを聞く。

「しかし、こんなときにまで騎士服なんだな、青の騎士団は」

「正装だからな!」

 こちらは仕事着の侍女のドレスではなく、わざわざパーティ用のドレスを新調したというのに。こいつらは楽でいいな。

「まったく、カヤ嬢もしっかり綺麗なドレスを着込んでいたというのに、婚約者のお前がそんなずぼらな様子でいいのかね」

「おお、そうだ。カヤを見なかったか?」

 私の苦言に、そう話を横にそらしてくるセーリン。まあいいだろう。

「カヤ嬢なら、あちらでゴアード侯爵と一緒にいるぞ」

「うっ、またそんな大物のところにいるのか」

「ゴアードが大物ねえ……」

 全然そんな感覚はないんだが。
 まあ、仮にも領地を持つ侯爵か。

「まあ、向かってみるわ。あんがとな!」

「カヤ嬢に恥をかかせたら殴るからな」

「お前に殴られたら死ぬわ!」

 そう軽口を言い合って、私達は別れた。

「騎士様と仲が良いのですね。すごいです!」

 ビアンカがきらきらとした目で私を見てくる。
 そんなすごいもんじゃないぞ、騎士って。頭が悪くてもそこそこ上にいけるから、脳筋が多いんだ騎士には。
 確かに年若い子女にとっては憧れの男子かもしれないが、婿にはきっと向いていないぞ。

 そうビアンカを諭してやろうかと思ったそのときだ。

『これより、国王陛下と王妃殿下がご入場なさいます。皆様、ご注目ください』

 拡声の魔法道具を使って発せられたアナウンスが、ホールに響きわたった。
 ホールを満たしていた人々のざわめきが、一瞬で静まる。

 いよいよ開宴か。パレスナ嬢の次なる晴れ姿、この目にしっかり収めてやろうじゃないか。



[35267] 66.会者定離センドオフ系終戦記念ウェディング<4>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/07/12 10:05
 ホールに国王夫妻が姿を見せる。その瞬間、待機していた宮廷楽団が、一斉に音楽を奏で始めた。
 びくりと体を震わせる国王。だが、困惑を顔に出すことはなく、二人はゆっくりとホールの中へと歩いてくる。

 逆に、驚きの顔を見せるのは、招待客の方だった。
 いつもなら味気ない拍手で迎えるはずの新郎新婦の入場。それが、聞いたことのない華やかな音楽で演出されているのだ。
 さらに国王夫妻が歩みを進めると、彼らの頭上から色とりどりの光の粒が舞い散った。光の魔法だ。宮廷魔法師団によるものだろうか。
 演劇の一幕のようなその演出に、人々は驚き、そしてその美しい光景に感激した。

 そして、国王夫妻はホールの一番奥に備え付けられた席へと着席した。
 それに合わせて、音楽も終了する。

『ご来場の皆様へ、国王陛下からお言葉をいただきます』

 そうアナウンスが入る。
 国王は立ち上がり、手に拡声の魔法道具を持った。

『いやー、すごいね。音楽で迎えてくれるとか、何この熱い演出。やるねえ。詳しく知らされてなかったから、思わずびくってしちゃったよ』

 ミミヤ嬢は言葉を濁して伝えていたのか。説明しなさすぎるのも問題だな。

『それで、この子が俺の奥さん、パレスナ。美人さんでしょ。ドレスも白くて綺麗だよねー。今日はみんな見る分には許すから、目の保養をしていってね』

 その国王の言葉に、会場から笑いの声があがる。

『戦争は終わった。鋼鉄の国は塩の国に併合されるから、もう戦火に怯えることはない。だから、終戦を祝って皆で騒ごう!』

 そういえば、この結婚披露宴は、終戦式典も兼ねているのだったな。今更思い出した。

『じゃあ、今日はみんな楽しんでいってね。以上!』

 そう言って国王は魔法道具をテーブルの上に置き、着席する。
 すると、会場中から拍手と歓声があがった。
 長々と演説するようなところで、ずいぶん簡潔にすませたな。

『それではこれより終戦式典及び、結婚披露宴を開宴いたします。立食パーティとなっておりますので、みなさまご自由にお食事をお楽しみくださいませ』

 そのアナウンスと共に、人々が動き出す。
 着席したままの国王夫妻のもとにも、給仕が料理と酒を運んでいく。
 時間は昼飯時。長丁場となるので、少しは料理を腹に収めたいところだ。
 出陣式のときに振る舞われた果実ジュースを酒にしたやつも、終戦を祝って一杯は飲んでおきたいしな。

 そう思ったときのこと。

「キリンさん、早速やりますわよ」

 モルスナ嬢が私のところへとやってきた。いきなり音声付き漫画スライドショーを開演するようだ。
 まあ、この演目は見て聞くだけだから、お客さんは食べながらでも楽しめるだろう。

「ではビアンカさん、ちょっと行ってきますね」

「はい。私はここでご飯食べてますねー」

 そしてモルスナ嬢についていき、ホールスタッフのいるところへと向かう。
 予定通り演目を始めることを伝えて、モルスナ嬢は拡声の魔法道具を受け取った。

 拡声の魔法道具のスイッチを入れて、モルスナ嬢が会場にアナウンスを響かせる。

『ご来場の皆様、早速ですが宴を盛り上げる演目を開演いたします。題して、新郎新婦の出会いと恋。是非ともお食事をお楽しみになりながらご覧ください』

 すると、モルスナ嬢が私に向けて合図を送ってきた。
 私は、幻影魔法を発動し、ホールの各所に絵を投影した。
 モルスナ嬢の魂がこもったカラー原稿だ。

『それは、二年前の晩春。国王である俺は、仕事でゼンドメル領にやってきていた』

 国王の声で、ナレーションが入る。もちろん、国王が話しているわけではない。私が魔法で音声を作ったのだ。ばっちりの出来のものを録音したため、失敗はない。
 突然聞こえた自分の声に、国王はぎょっとした顔をしている。サプライズ成功だ。

 そして、台詞とともに、投影された絵が次々と切り替わっていく。
 国王とパレスナ嬢の恋愛事情が、音声付きで赤裸々に公開される。以下はその内容だ。

 ゼンドメル領で出会った二人は、すぐに打ち解け、そして二人は同時に恋に落ちた。
 別れの時がやってくるが、王都とゼンドメル領は目と鼻の先。国王はパレスナ嬢の元に足繁く通った。
 しかし、互いに相手が自分を好きかどうか確信できず、微妙な距離を保つ二人。
 そして、とうとうしびれを切らした国王が告白をする。

『俺はもしかして誰も好きになれない人間なんじゃないかって思っていた。でも違ったんだ。好きだ、好きなんだ、パレスナのことが!』

『……私も! 私も陛下のことが好きなの!』

 相思相愛の告白シーンに、会場中が盛大に沸く。
 国王とパレスナ嬢は、恥ずかしさからか顔を真っ赤にしていた。これも新郎新婦の試練だ。頑張れ二人とも。

 話の舞台は後宮へ。
 国王は恋人である次期王妃のために、彼女の助けとなる人物を後宮に集めた。
 そして、自身も後宮へ通うことはかかさない。
 だが、そんな二人を引き裂く事態が起きる。鋼鉄の国から宣戦布告をされたのだ。

『俺は、この戦いに勝利する。だからパレスナ。俺が帰ってきたら、結婚しよう。帰ったら開く戦勝式典。そこで、盛大に結婚式をあげよう。みんなの記憶に残るような式を。……どうかな?』

『はい……今の状況でこんなこと思ったらいけないのかもしれないけれど、すごく嬉しい……!』

 笑顔で見つめ合う二人。そこで『終わり』の文字が掲げられた。
 会場中から万雷の拍手が浴びせられた。

 いやー、感動のシーンの連発でしたね。しかも、嘘偽りの一切ない、事実を基にして作られたお話だ。
 モルスナ嬢が目撃できるわけがないシーンが多数あったのに、どうやって描いたんだろうね。
 私は情報をリークしていないので、フランカさんとビアンカのどちらかが怪しいな。

 演目を終えた私達は、赤面する国王夫妻に一礼すると、元の席に戻っていった。

「大成功ね!」

「大成功ですね!」

 私達はそう言い合い、ハイタッチをした。私の背が足りないので、モルスナ嬢は頭の前に手を掲げる感じだったが。

 そして、私達はビアンカのもとへと戻ってきた。そこには、すでにフランカさんもいた。その隣にいる男性は、旦那さんだろうか。

「いい演目でした。話題を提供した甲斐があります」

 うわ、リークしたのはフランカさんだったのか。

「私もいろいろお話ししましたよー。ちゃんと再現されててすごかった!」

 って、ビアンカもか。犯人は二人もいた。

「あとでパレスナ様からどやされそうですね」

 私が苦笑して言うと。

「キリンさんも共犯よ」

 そう言ってモルスナ嬢は不敵な笑みを浮かべた。共犯かぁ。まあそうだな。
 そんな話で盛り上がる私達のもとへと、近づいてくる人が二人。
 ナシーと天使ヤラだ。

「モルスナ、キリン、最高だったぞ! あの兄上の恋愛事情が赤裸々に! これが笑わずにいられるものか!」

「いや、笑うためのものじゃないですよ、あれは」

 笑みを浮かべながら駆けつけたナシーに、そうツッコミを入れる私。
 もっとこう、二人の恋愛事情を知ってほんわかしてもらいたくてだな。恋愛小説家なんだから参考にしろよ。
 もう一人の天使の方はどう思ったのか。私はナシーの隣に立つヤラに聞いてみた。

「いかがでしたか、先ほどの演目は」

「アルイブキラが今後も繁栄するようで、大変喜ばしいことです」

 おう、模範解答ありがとう。

『続いての演目は、後宮合唱団による祝いの歌となります。合唱団の皆様は、ホール中央にお集まりください』

「あら、キリンさん、また出番よ。殿下、失礼します」

 モルスナ嬢に促され、私達はナシーの前を立ち去ることになった。
 そんな私達に、ナシーは笑顔で言った。

「おお、例の合唱か。楽しみにしているよ」

 そうして私達はナシー達と別れ、ホールの中央へと向かう。
 そこには、後宮のお嬢様達と侍女達が勢揃いしていた。見覚えのない顔もあるが、各宮殿の料理人等だろうか。
 私達は事前に決めていたとおりに整列する。向きは当然、ホールの奥、国王夫妻の方だ。

「さあみなさん、元気よくいきますわよ」

 ミミヤ嬢の合図で、楽器を持ったドレス姿の侍女達が音を奏で始める。
 練習で何度も聞いた伴奏だ。その伴奏に合わせて、私達は一斉に歌を歌い始めた。
 後宮の外の人はまだ誰も聞いたことがない新しい歌、『ワルツで祝うひなどりたち』。それを合唱する。

 歌を聴いた人々は、皆、笑顔だ。国王とパレスナ嬢も楽しそうに歌を聴いてくれている。
 やがて歌の一番が終わり、二番の伴奏が始まる。
 すると、侍女達の演奏に合わせて、宮廷楽団が楽器を鳴らし始めた。

 えっ、どういうこと。
 困惑していると、さらに私達の周囲にいた聴衆達が一斉に歌い始めた。
 女性だけだった合唱に、貴族の男性の低い声が混ざり、さらに後宮所属ではない女性の声も重なり、大合唱となる。

 私は、ちらりと横目でミミヤ嬢を見た。すると彼女は、満面の笑みを浮かべながら歌を歌い続けていた。
 驚いたな。今度は私達がサプライズされたのか。

 やがて繰り返しのサビも歌い終わり、演奏が終了する。
 会場にいる合唱に参加していない聴衆達から、盛大な拍手が送られてきた。

「ミミヤ様、いつの間にこんな用意をしていたのですか」

 そう私がミミヤ嬢に問うと、彼女はおかしそうに笑った。

「準備期間が長かったので、王都在住の方の屋敷を回って、協力を打診していたのです」

「なるほど、それで成功させるあたりが、さすがミミヤ様ですね」

「今回ばかりは、バルクース家の名に感謝ですわね」

 そうして場は解散となり、皆、思い思いの場所に散っていった。
 ビアンカはフランカさんが面倒を見るだろうし、私も出し物は全て終わった。
 さて、どこへ行こうかとふらふらしていると、変わった顔を見かけた。

「おお、キリンか。息災そうじゃの」

 なにやら『幹』の女帝が、美味しそうにカスタードプリンを食べていた。
 そのかたわらには、先ほど合唱が終わって別れたハルエーナ王女と、豪奢な衣装に身を包んだ中年男性の姿があった。ストロベリーブロンドの髪を後ろに流している。

「今、エイテンの国主と話をしておってな」

 どうやらこの男性は、塩の国の国王らしかった。会うのは初めてだ。ついまじまじと相手の顔を見てしまう。
 そんな私にハルエーナ王女が、紹介をしてくれる。

「キリン、この人が私のお父様」

「初めまして、お嬢さん。エイテンの国王をやらせてもらっているよ」

 男性がハルエーナ王女よりも流暢な言葉遣いで、自己紹介をしてきた。アルイブキラの言語だ。私も同じ言葉で相手に返す。

「初めまして。後宮で侍女をしておりました、キリンと申します」

「ハルから届いた手紙によれば、以前、庭師をしていたそうだね。私のところにもその活躍は届いていたよ」

「恐縮です」

 私は塩の国の国王に向けて、淑女の礼を取った。
 ハルエーナ王女に似て、温和そうな人だな。

「それでな、キリンよ。エイテンとハイツェンの合併国の国名を何にするか話し合っておったのだ。何かよい名はないか?」

「はあ、国名ですか。……そうですね、安易に二つの国名を繋げるだけなのはお勧めしませんね」

 女帝の問いに、私はそう答えた。
 グレートブリテン及び北アイルランド連合王国とか、覚える方が可哀想になるからな。

「むう、エイテン・ハイツェン連合王国は駄目か」

「どちらの名を前にするかで揉めますよ」

 こういうのは思い切って一新するくらいで丁度いい。
 そして女帝は国名決めは後回しにすることに決め、私を交えて雑談をすることになった。
 塩の国の国王も、私に気さくに話しかけてくる。

「これからも変わらずハルの友人でいてくれたまえ」

「ええ、もちろんです。遠く離れようとも彼女は得がたい友人です」

 などと、国王が娘の友人関係に気を使う場面なんかもあった。
 そうしているうちに、ホール中央では近衛騎士団だの魔法宮だのの出し物が繰り広げられていく。宴もたけなわ、会場中が盛り上がっていった。
 そして、アナウンスが響く。

『これより、ダンスの時間となります。皆様どうぞお楽しみください』

 すると、王宮楽団が華やかな音楽を鳴らし始めた。
 それを聞いた塩の国の国王が、笑みを浮かべて言う。

「おや、ダンスかね。ハル、一緒に踊ってくれるかな?」

「ん」

「では、私達はこれで失礼するよ」

 ハルエーナ王女は父親に差し出された手を取り、二人は開けた場所へと移動していった。
 私と女帝は残された形になる。

「ダンスか。この国の様式はよう解らんのう」

「では、適当にうろつくか」

 そう言って私は女帝を連れて国王夫妻の席の近くに向けて歩いていった。パレスナ嬢の姿も、ちゃんと目に収めておかないとな。
 魔法で視線を飛ばすと、国王夫妻は二人でダンスを踊っているようだった。二人とも踊りにくい衣装でよく踊れるものだ。本来ウェディングドレスでやる二人の共同作業って、ダンスみたいな激しいのではなくて、ケーキ入刀とかだよなぁ。

 そんなことを思いながら国王夫妻席に近づいてみると、なにやら背の低い一団が集まって騒いでいた。
 貴族の子供らしき男の子達の集団だ。口々に、俺が行くだののお前は黙ってろだの言い合っている。
 その彼らの視線の向かう先、そこにはビアンカがいた。
 ははーん。

「ビアンカさん、もてもてですね」

 私はビアンカにそう話しかける。
 すると、ビアンカは困ったように言った。

「誘うなら早くしてほしいですねー。優柔不断なのは困ります」

 その言葉に、男達はざわっとする。

「なんじゃ、あのわらしどもはダンスも誘えんのか」

「一番手で踊ったからといって、何か得するわけでもないんだがね」

 女帝と私が男の子達に聞こえるようにそう言った。
 そして、しばらく女帝を交えてビアンカと会話をしていると。

「あ、あの!」

 ようやく来たか。

「僕と踊っていただけませんか?」

 差し出される男の子の手。その手は……何故か私の方を向いていた。

「え、私ですか?」

「はい!」

 ええー。ビアンカを誘うところだろうそこは。

「キリンちゃん、もてもてですね」

 ビアンカがおかしそうに笑う。ええ、私、ビアンカから男を横取りした形だぞ。いいのか。
 こ、これが魅惑の妖精の力! 駄目じゃん。男を他人から奪い取る妖精とか、神官に退治される類の妖怪だぞ。
 そんなことを思っていると。

「キリリーン。踊ろうぜー! ってあれえ? 邪魔した?」

 パレスナ嬢とのダンスはもう終えたのか、国王が単独で場に参上した。私に手を差し出していた男の子は、ぎょっとした顔をして、手を引っ込めた。
 男の子達の集団も、ざわざわと騒いでいる。
 あー、なんだか滅茶苦茶だ。だが、都合がいい。

「いえ、踊りましょうか」

 私はさっと国王に近づき、手を取った。

「状況が見えないんだけど?」

「子供達の恋を邪魔するところでした。いいタイミングでの登場です」

「ほほーん、なるほどね。今日のビアンカは特に可愛いもんね。キリリンが隣にいると、キリリンの存在感ありすぎて印象薄れるけど」

「そんなに存在感ありますか」

「昔とギャップありすぎて笑えるー。以前はパーティ出てもそんなドレスなんて着てなかったし、化粧のせいで別人みたい。あはは」

 お前も笑うんかい。まあ、変に目をつけられるよりは笑われるくらいがいい。
 と、今、パレスナ嬢とすれ違った。白いウェディングドレスのまま、器用にダンスを踊っている。ダンスのパートナーは長い金髪の中年男性だ。
 ずいぶん仲むつまじげな様子である。私はそれが気になって、国王に聞いてみた。

「パレスナ様と踊っていらっしゃるのは、どなたでしょうか」

「ああ、あの人? エカット家の当主。公爵だよ。パレスナのお父さんだね」

「なるほど。あの方が」

 主賓ともなるとひっきりなしにダンスを申し込まれるだろうが、まずは身内からか。国王はそんなセオリー無視して、私と踊っているが。
 そうして私は国王と一緒にしばらく踊った。

「自分の倍以上の重さの足が、足元をうろちょろしていると思うと、気が気じゃないね」

 とは国王のダンスの感想だ。確かに私は重いがな、結構ダンスを練習したんだ。踏まないぞ。

 そしてダンスを終えて国王と別れ、私は元の場所へと戻っていった。
 するとそこには、すでにビアンカの姿はなかった。無事ダンスに誘われたようだ。代わりに、男の子に囲まれ、仲良くプリンを食べている女帝の姿があった。

「おお、キリンか。どうじゃ、我、もてもてじゃろう? 我、可愛いからのう」

「左様ですか」

 男の子達に、そいつは数千歳のババァだって言ってやりたい。

 そしてその後も私は、商人のゼリンと顔を合わせて難しい話をしたり、奥さんを連れた騎士ヴォヴォに美しいと褒められて微妙な空気になったり、近衛宿舎にいた小姓達と再会しダンスを誘われたり、人に酔ったファミー嬢に治療の魔法をかけてやったり、酒に酔いすぎたゴアード侯爵の酒精を散らしてやったり、プリンを食べすぎて満腹になった女帝の面倒を見てやったりと、いろいろあった。
 立食ダンスパーティは大いに盛り上がり、そして終わりの時間が近づいてきた。

「楽しかったわ。キリン、ありがとう」

 そして今、私は国王夫妻席の前でパレスナ嬢と会話していた。

「感謝は、ハルエーナ様に。私はアシスタントで、プロデューサーはハルエーナ様ですから」

「なにそれ。まあ当然、ハルエーナにも感謝しておくわ。大披露宴の後は、お別れ会だから、そこでね」

 後宮は名目上解散となっている。だが、そのまま別れるのでは寂しいだろうと、後宮の面々で集まってのお別れ会が予定されている。

「とうとうこの日が来たって感じよねー」

「それは、結婚のことですか? お別れのことですか?」

「両方。嬉しくもあるし、寂しくもあるわ」

「出会いもあれば別れもある、とそれっぽく言うことは簡単ですが、寂しいものは寂しいですね」

「そうねー」

 私達はそう会話を交わし、少しばかりしんみりとした。結婚式の場で話す話題じゃないな、これ。

「でも、今日はいい思い出になったわ。ありがとう、キリン」

「お礼の言葉は先ほどもいただきましたよ」

「あら、そうだったわね」

 そう言って、私達は笑った。

 そして、とうとう披露宴は閉宴となり、王宮楽団の演奏する行進曲とともに新郎新婦が退場していく。二人の門出を祝福するように、華やかな光のシャワーが二人に浴びせられる。
 私はビアンカと、そしていつの間にかこちらに来ていたのか、ハルエーナ王女と一緒に、その様子を見送った。

「キリン、大成功。ありがとう」

「ええ、どういたしまして。ハルエーナ様の努力のたまものですよ」

「『プロデューサー』できてた?」

「完璧です。一流プロデューサーですよ」

 うたげの後の独特の空気に寂しさを覚えながら、私はハルエーナ王女にそう言って笑った。

 婚姻の儀式と結婚披露宴を終え、私の主はこうして王妃候補者から正式に王妃となった。
 そして私も、後宮侍女から王宮侍女へと立場が変わるのであった。



[35267] 67.会者定離センドオフ系終戦記念ウェディング<5>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2020/05/03 01:12
 ダンスホールでの結婚披露宴、その次の日に城下町の自然公園で行われた大披露宴は、盛況のうちに終わった。

 前日の結婚披露宴に参加した人達から、またあれを見せてくれと言われたため、モルスナ嬢と私は夫妻の出会いと恋の漫画スライドショーを大披露宴でもやる羽目になった。私は幻影魔法で巨大スクリーンを作り、大音響で音声を流した。こうして、王都の民も、国王の恋のいきさつを知ることとなったのだ。
 これに触発されて、王都ではカップルの誕生が増えるかもしれない。ついでに漫画家モルス先生のファン増加もだな。漫画のいい宣伝になったとゼリンのやつは笑っていた。

 そして明くる日、私達はハルエーナ王女の青百合の宮にて、後宮解散お別れ会を開いていた。
 連日となる大騒ぎだが、若さゆえかお嬢様達の顔は元気だ。

 いや、一名大丈夫じゃない人がいた。ファミー嬢だ。
 儚い印象を与えるその見た目を裏切らず、どうやら体力が全然ないようで、二日前の結婚披露宴の疲れを今日まで残していたようだった。
 治療の魔法が使える私が、彼女の介抱に向かう。

「大丈夫ですか」

「大丈夫ではないかもしれません……」

「……司書の仕事、大丈夫そうですか? 本を運んだりと体力仕事が多そうですけれど」

「ううっ、体力作り必要でしょうかねえ」

「毎日散歩をするだけでだいぶ違いますよ」

 彼女には治療として体力回復用の妖精を一匹つけてやり、皆のところに戻る。
 すると、そこではパレスナ嬢がモルスナ嬢と酒を飲み交わしていた。
 おいおい、もうこの後宮は男子禁制じゃないんだ。あまり油断するようなことをするんじゃないぞ。
 まあ、護衛の人達は、わきまえて酒を口にしていないようだから大丈夫か。

「今日のお菓子は、タルト三昧ですよー。うちの宮殿に残っていたフルーツ全部大放出ですー」

「わー、ハルエーナちゃん、お菓子だよ!」

「タルトは至高」

 トリール嬢が持ち込んだタルトに、駆け寄っていくビアンカとハルエーナ王女。
 この国の国法で定められた飲酒可能年齢は十二歳からなので、この二人は酒飲みから離しておく必要があるな。お菓子はいい撒き餌になるだろう。

 そして菓子だけでなく、料理も各厨房の余った食材がどんどん投入され、先日の披露宴の立食メニューにも負けないものが揃っている。
 今も、青百合の宮の厨房はフル稼働中だ。

「キリンさん、頼まれていた料理できましたぜ!」

 威勢のいい女料理人が、ワゴンを押してやってきた。薔薇の宮の料理長だ。

「ああ、できましたか」

「ええ、味見しましたが美味かったですぜ!」

「なるほど。それはよかった。……トリール様! 新しい料理ができましたので、ご賞味くださいな」

 私は料理長に料理をテーブルに運ばせ、子供達にタルトを配っていたトリール嬢を呼んだ。

「新しい料理ですかっ! もしかしてお菓子ですかー?」

「食事の締めとして食べる人もいる料理です。そうですね、言うなればプリンの新しい可能性。甘くないプリンです」

「甘くないプリン! カスタードプリンに別の可能性が!」

「その名も、茶碗蒸しです!」

 ばばーんと、テーブルの上の料理を私は披露した。

「これは、フタのついたティーカップ? なるほど確かにお茶碗ですねー。蒸しということはカスタードプリンと最終工程は似ていると……」

「別に器はティーカップでなくてもいいのですが、フタのある小さな食器がそれくらいしかなかったので」

 私はトリール嬢の前にティーカップを置き、さらに食器として木さじを用意した。
 そして、トリール嬢に私は言う。

「フタを取って木さじでお召し上がりください」

「カスタードプリンみたいに、ひっくり返さないのですねー」

「ええ、ティーカップから直接すくって食べてくださいませ」

 トリール嬢は、フタを取りティーカップの中身をまじまじと見つめた。
 湯気を立てる黄色い茶碗蒸しの上に、食べられる小さなハーブがアクセントに浮かんでいる。

「見た目はすごいカスタードプリンっぽいですねー」

「卵を使っていますからね。熱いのでお気を付けて」

「では、まずは一口。……! これは、なかなか。もう一口……。ううーん、なんでしょうこの味わい。もう一口……。あ、具がありました」

 熱いというのに、するすると茶碗蒸しを食べていくトリール嬢。それを興味深そうに見つめるビアンカとハルエーナ王女。

「甘いんですか? プリンの仲間?」

 そうビアンカがトリール嬢に聞く。

「いえ、甘くはないですねー。でも、深い味わいがあって、美味しいですよー」

「どうぞ、まだありますので召し上がってください」

 私はそう二人に料理を促す。

「わーい」

「楽しみ」

 ビアンカとハルエーナ王女が、茶碗蒸しに挑戦するようだ。くれぐれも火傷には注意だ。
 そして、茶碗蒸しを完食したトリール嬢がコメントする。

「美味しかったです。これが、甘くないプリンですかー」

「プリンという単語は本来、プディングと発音するのですが、このプディングとは熱して固める料理の総称です。今回の茶碗蒸しは、卵とキノコのだし汁を混ぜたものに、具材を入れて蒸しあげたものですね」

「私は甘いお菓子が好きですけれど、この国のお菓子は甘くない物も多いので、結構好まれそうですねー」

「タルトも様々なオリジナルの品を作っているようですし、トリール様だけのオリジナルプリンを目指す一助になればと思いまして」

「そうだったのですねー。感謝感激ですよー」

 トリール嬢は満足してくれたようだ。
 どうやら茶碗蒸しは美味しくできたようなので、どうせなら熱いうちに食べてもらおうと他の人を探す。
 お、ちょうどミミヤ嬢がこちらに来た。

「ミミヤ様、新作料理です。いかがですか?」

「あら、ティーカップを器にするなんて、斬新ね」

 そう言って、ミミヤ嬢は茶碗蒸しを優雅に食べ始めた。うーん、木さじの使い方からして、何かが違うな。
 そして、しばらくの後、ミミヤ嬢は茶碗蒸しを完食した。

「美しい料理でしたわ」

 料理の感想に美しいって、なかなか出ないぞ。
 食事一つ取っても優雅なお方だ。

「ところで貴女に一つ頼みたいことがあるのですけれど……」

「はい、なんでしょう」

 ミミヤ嬢から頼みとな。結婚披露宴も終わった今となって、いったいなんだろうか。

「実は、披露宴で見せていたあの幻影魔法をまた見せていただきたいのです」

「ミミヤー! ちょっと貴女、もう二回もやったのだからいいでしょう!」

 酒の入ったパレスナ嬢が、耳ざとく聞きつけて、そう拒絶の言葉を発してきた。

「パレスナ様の恋物語、気に入りました?」

「いえ、内容ではなく、あの斬新な絵物語の形式が気になって仕方がないのです」

「マンガ! 私のマンガね! ファンになった!?」

 今度はモルスナ嬢が話に食いつく。

「マンガというのでしょうか、あの絵物語は。台詞と絵が一体になった、不思議なものでしたが……」

「マンガよ! ちょっと誰か、私のマンガ本持っていない?」

「持っていますよ」

 モルスナ嬢の言葉を受けて、私はそう言いつつ空間収納魔法を発動。作者に接する機会も多いので個人用に買っていた、『令嬢恋物語』の一巻を取り出した。
 それをはいどうぞとミミヤ嬢に渡す。

「『令嬢恋物語』ですか……作者はゼンドメルのモルナ・エヒメル様」

「私のペンネームよー」

「ちなみに私のペンネームはパレスよ!」

 酔っ払いの茶々を入れる声がうるさいな。

「では、失礼して……、っ! これは……」

 ミミヤ嬢が本のページをめくると、目に飛び込んできたその内容に彼女は驚きの表情を浮かべた。
 初めて読む漫画本。彼女はたどたどしくページをめくっていく。

「これは、新しい……。今までにない表現ですわね」

「気に入ったなら差し上げますよ。続きはティニク商会の一階で売ってます」

「! よろしいのですか。これは何か、お返しを考えませんと……」

「大丈夫ですよ。少女向けの漫画本は、安い紙とインクを使っているので比較的安価ですから」

「高級路線の愛蔵版もあるわよ!」

 そう横から口を挟むモルスナ嬢。愛蔵版は私は別にいいかな……。
 そうしてミミヤ嬢は漫画の続きを読み始めたので、私はファミー嬢の具合を再度確認しに戻った。

「お加減はいかがですか」

「だいぶ調子が戻ってきましたわ。それにしても、マンガですか……」

「ファミー様にとって漫画本はどんな位置づけですか?」

 前世の読書好きには、漫画は邪道って扱いよく受けていたからな。

「新基軸の書籍の形式でしょうか。私の書庫にもいくつかありますわ。でも……」

 でも?

「小説にカテゴライズしていいのか悩ましいのです……」

 ああ、そういえば彼女はレシピ本すら読む乱読家だ。漫画を忌避するわけがなかった。

「漫画は漫画とカテゴライズしてよいのではないでしょうか。いずれ、多くの漫画家が育って、世に漫画が溢れてきますよ」

「それはそれは、素敵なことですわね」

 そう言って、ファミー嬢は笑った。
 うん、本のことなのに早口にならないようなので、まだ調子が悪いようだ。くれぐれも安静にしていてもらおう。

 私はファミー嬢の側についている妖精に追加で魔力を渡すと、主であるパレスナ嬢のもとへと向かった。
 パレスナ嬢は、なにやら天使猫に絡んでいる。

「ほら、貴女も本当は人みたいなものなのでしょう。ぐぐいーっと」

 猫に酒を飲ませようとしていらっしゃる。
 完全にできあがっているな。

「妾(わらわ)は端末じゃぞ! 冷たい飲み物など飲まぬわ!」

「あら、ホットワインとは通なものを好むのね。フランカ、ホットワイン一つ!」

「……厨房に頼んできます」

 普段なら叱っているであろうフランカさんも、今日ばかりはお目こぼしをしているようだ。
 そして届けられるホットワイン。深皿に注がれたそれを天使猫は舌でちろちろと舐める。

「うむ、やはり食事は熱いスープに限るのう」

 それ、スープじゃなくてお酒だけどね。天使って酔ったりするのか?
 それよりも、天使猫に渡しておくものがあったんだ。

「ネコールナコール。ハルエーナ王女についていくなら、これを持っていけ」

 私は、空間収納魔法から一つの物品を取り出した。私の背丈を超える大きな物。それは、魔法で作成した全身義体だ。その義体には、首から上だけが存在しない。

「お、おお! おぬし、まさかそれは」

「あんたの新しい胴体だ」

 ぎりぎりまで製作がかかってしまった。間に合ってよかった。
 女性の身体に極限まで似せた、柔らかいボディ。それでいて、人間をはるかに超えた動きを可能とする、戦闘用の義体である。今は適当に買ってきた街着を着せているが、服は好みに合わせて着せ替えてほしい。

「うおおお!」

 天使猫は義体の上に飛び乗ると、変身を解き生首へと変わる。そして、義体とドッキング。義体が自動で稼働し、首と胴体がしっかりとくっつく。

「動力は天使の火の力。つまり、あんたが生きている限り永久に動くぞ」

 悪魔に堕ちたら出力が低下するように作ってあるが、それは言わないでおいたほうがいいだろう。

「おお、おお。美しい妾の復活なのじゃ」

 義体を動かして何やらポーズを取っている天使猫人型バージョン。プロポーションが美しくなるよう作ったつもりだ。

「そしてこちらのチョーカーを。義体を空間収納できる機能がついている」

 そう言って、私は天使猫の首にチョーカーを巻いてやる。

「いたれりつくせりじゃのう」

「状況に応じて人モードと猫モードを駆使して、ハルエーナ様を守ってくれ。あと、チョーカーの中に仕様書とマニュアルが入っているから、修理する際はそれを一流の魔法使いに見せてやってくれ」

「こんな高度なもの、直せるものがおるのかのう。まあ、壊れたらおぬしのところに持ってくるとしよう」

 壊れるような状況に巻き込まれないことを祈るがな。
 天使猫は、指の調子を確かめるように、手を握ったり開いたりしている。不具合は多分ないと思う。多分な。

「うむ、完璧じゃな。めでたい! 祝杯じゃ! 熱いスープをもてい!」

「ホットワイン追加ねー」

 パレスナ嬢がそう酒を注文した。
 そして、パレスナ嬢は私の方を向いてさらに言う。

「ほら、キリンも飲みなさいよ」

「了解しました。では、失礼して」

 私は肉体派の魔人。肝機能を意図的に弱めなければいくらでも飲めるぞ。
 義体の引き渡しという懸念事項も終えたし、後は楽しむのみだ。

 ……そして、いくらかの時間が過ぎた。

「どうしていっちゃうのよー!」

 完全にできあがったパレスナ嬢が、ハルエーナ王女に絡んでいる。
 対するハルエーナ王女は、冷静に言葉を返す。

「きっとまた会えるから、大丈夫」

「そう言ってずっと会えないのよー! みんなそうなんだからー!」

「陛下とは、ちゃんと会えたみたいだけど」

「なんでその話を持ち出すのよー!」

 また会えるよと言って、国王がゼンドメル領に足繁く通った様子は、漫画スライドショーで連日、二度も見せた。

「大丈夫、私は王族。パレスナも王族。会う機会はある」

 そうパレスナ嬢を諭すハルエーナ王女。もうどっちが年上なのか解らんな。

「離れても友達だからねー!」

「うん、友達」

 酔っ払いと素面の熱い友情が交わされた。
 これ、そろそろ魔法で酒をどうにかした方がいいな。せっかくの別れの思い出がアルコールで満たされてしまう。

 私は妖精を呼び出し、パレスナ嬢と、何やらトリール嬢のところで甘味を食べているモルスナ嬢に取り憑いて、酒精を散らすよう指示した。ほろ酔い程度になるようにしておこう。
 そんなことをしているうちに、ハルエーナ王女がみんなを見渡して、言った。

「後宮、楽しかった。こんなにも友達ができた」

「私も親友だよ! ハルエーナちゃん!」

 と、友情アピールをするビアンカ。

「ハルエーナ様は、よい読書友達ですわ」

 と、目に力を込めて懸命に言うファミー嬢。

「パレスナの友達なら、私にとっては妹のようなものね」

 と、酔いが覚めてきたのに酔ったようなことを言うモルスナ嬢。

「友人として、今後も機会があれば塩の国の文化について語り合いたいですわね」

 と、恥ずかしそうに言うミミヤ嬢。

「ハルエーナ殿下は大親友ですー。国元に日持ちするお菓子、持っていってくださいね」

 と、平常運転のトリール嬢。

「うん、みんな、嬉しい。楽しかった」

 後宮での数ヶ月の生活。そこで確かに、少女達は友情を育んだようだった。
 その縁はどこかで繋がっていくのだろう。
 だが、縁は繋がっていても、別離は悲しいものだ。私達は涙ながらに別れを惜しむのであった。



◆◇◆◇◆



 後宮解散お別れ会から十日が経った。

 私達パレスナ王妃一行は、ゼンドメル領での結婚式を無事に終えた。
 エカット家伝統の様式での婚姻の儀式も行い、そして領民が集められた結婚披露宴も開宴された。
 パレスナ嬢は領民に人気のようで、皆が笑顔で祝福してくれた。

 ゼンドメル領には地元出身のモルスナ嬢もついてきており、こちらでも漫画スライドショーの演目をやる羽目になった。
 エカット公爵は終始号泣しており、妹のモルスナ嬢はその横で彼をずっとなだめていた。
 あと、噂の公爵の後妻とパレスナ嬢は、ちゃんと仲がよい様子であった。まあ、後妻にとってはパレスナ嬢は姉の子供だからな。

 そんな結婚式が過ぎ、本格的に王宮の内廷での生活が始まる。
 パレスナ嬢付きになった侍女は増えたが、パレスナ嬢が普段から親密に接する侍女は私とフランカさんとビアンカの三人のみ。まあ、そのうち慣れて他の侍女とも会話するようになるだろう。

 そしてパレスナ嬢は今、私室で語学の勉強中だ。塩の国に鋼鉄の国が併合され、貿易が密になるとあって、早急に隣の大陸の言語を話せるようになる必要がある。
 ただ、私という教師がいるからか、パレスナ嬢は心配していないようだ。別に私、教員免許の類は取ったことないんだけれどな。

「王妃様、お客様がお目見えです」

 新しい王妃付きの侍女が、私室に入ってそう報告してくる。
 侍女の名前はメイヤ。最近私が侍女宿舎で何かと仲良くしている、侍女の一人だ。

「あら、私に? 珍しいわね」

「塩の国の王族だそうです」

「塩の国の王族って……まさかハルエーナ!?」

 パレスナ嬢は急いで勉強用のノートを閉じると、侍女に案内されて応接室へと向かった。
 するとそこにいたのは、まさしくハルエーナ王女だった。背後には、人モードの天使猫が護衛として控えている。

「来ちゃった」

 そうハルエーナ王女が言った。
 パレスナ嬢は、唖然としながらも言葉を返す。

「来ちゃったって、貴女……日数的に今頃エイテンについたばかりのはずじゃないの?」

「うん、ついてすぐ来た」

「すぐって……」

 パレスナ嬢はちんぷんかんぷんのようだ。
 私はその高速移動に、一つ心当たりがあるのだが……。
 そして、ハルエーナ王女はパレスナ嬢に向けて言葉を続ける。

「エイテンとアルイブキラの交易が活発になる。だから、親善大使になった」

「親善大使って、貴女の幼さでこれ以上親元から離れていていいの? 寂しくないの?」

「月の半分はこっちで過ごして、もう半分は向こうで過ごす」

「それって、移動時間でほとんどが埋まりそうなのだけれど……」

「大丈夫。地下の潜航艇を使えるから」

 やはり、潜航艇を使っているようだ。そうでもないと、日数的に塩の国からすぐさまここまでやってこれないからな。

「潜航艇……何それ?」

「『幹』の超技術を使った乗り物ですよ。半日もかからずこの国とエイテンを往復できます」

 私は、そうパレスナ嬢に説明を入れてあげた。
 王族になったばかりだから、まだ王城の地下深くの駅のような施設も知らないのだろう。
 ただ、一つ気になることがある。私はハルエーナ王女に尋ねた。

「しかし、よく潜航艇の許可が下りましたね。あれ、厳格な使用規定があると国王陛下から言われたのですが……」

「結婚披露宴の時に『幹』の女帝陛下と仲良くなった。それで、許可をもらった」

 おおう、そんなことが。友達作り上手いなあ、この王女様は。

「……つまり、ハルエーナとはまた何度も会える?」

「うん、会える」

 ぼんやりとした声で聞くパレスナ嬢に、ハルエーナ王女はそう答えた。
 やがて、事態を理解したのか、私の見つめるパレスナ嬢の背中に元気が戻ってくる。

「嬉しい! 離ればなれにならずに済むのね!」

「うん、私も友達とは別れたくない」

 その友達という言葉は、パレスナ嬢だけでなく、ビアンカや後宮の仲間達にも向けられているだろう。
 パレスナ嬢の後ろで待機していたビアンカも、涙ぐんで喜んでいた。

「これからも仲良くしましょう!」

 そう言って、パレスナ嬢はハルエーナ王女の前へと立つ。
 ハルエーナ王女は、その様子ににこりと笑みを浮かべた。
 そして、二人は高らかに手を掲げ、勢いよくハイタッチを交わしたのだった。



 会者定離センドオフ系終戦記念ウェディング<完>

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以上で第四章は終了です。



[35267] 68.リユニオン
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/07/27 00:06
 一年の最終月、雨期の九月もいよいよ下旬となった。
 晴れて王妃付きの侍女になった私は、国王と王妃の寝室に繋がる王妃の私室で、パレスナ王妃の相手をしていた。

 ブロンドの髪を結い上げて、後宮時代よりも幾分か豪華なドレスに身を包んだパレスナ王妃は、ただいま語学の勉強中だ。
 王妃に必要となる言語は、世界の中枢『幹』の世界共通語と、隣の大陸ハイリンの言語。そのうち、世界共通語はすでにおおよそ習得しているということで、今はもう一つの方のハイリン語を学んでいる。

 語学の教師はまだ都合がついていないということで、後宮時代に引き続き、暫定的に私が教師役をやらせてもらうことになっていた。
 私の前職である冒険者、庭師は熟練すると世界を巡る仕事内容になるので、言語習得能力は必須だ。当然、私は隣の大陸の言語もマスターしている。
 そんな私が教えることに、パレスナ王妃も不満はないようだ。

 正式な教師はおそらく、王族の誰かが担うことになるだろう。
 語学だけでなく、農学や化学の高度な教育も、パレスナ王妃が王族になった以上必要になるからな。
 ちなみに、王妃としての立ち居振る舞いなどの教育は、後宮の仲間だったミミヤ嬢が担当をすることになっている。彼女の生家、バルクース家は過去に何度も王妃を輩出していることで有名らしい。
 古い家だけあって、王妃に選ばれる機会も多いのだろう。この国の王族は恋愛結婚派だから、バルクース家に伝わる恋愛術とかもありそうだな……。

「言葉の成り立ちについて説明します。世界共通語が、全ての言語の基になっています」

 私は、隣の大陸の言葉、ハイリン語でゆっくりと話す。
 聞くことで言葉を耳に馴染ませるのだ。リスニングってやつだな。内容は一割も理解できればいい方だろう。

「その言葉が、二千年の間に変化しました。言葉が地域ごとに枝分かれをしたのです」

 授業の場には、パレスナ王妃だけでなく侍女の面々もいる。後宮から引き続きのフランカさんとビアンカの親子。そして、新しく王妃付き侍女になったメイヤら三名。そして私と、本日休みを取っている一名の計七名がパレスナ王妃の専属侍女だ。

「アルイブキラの言語は、隣の大陸の言語、ハイリン語から約八百年前に分かれました。文法はほぼ同じです。似通った単語も多いです。しかし、八百年は長いです。言葉がすでに方言と言えないほどまで変わりました」

 侍女達にも是非ハイリン語を覚えてもらいたい。外遊で隣の大陸まで行く機会は今後増えるだろうから、侍女が随伴できないと困るからな。まあ、四人の新任侍女は、そういう条件で選ばれた面子のようだが。

「言葉は月日で変わるものです。パレスナ様は、以前、天使のネコールナコールと会話しましたね。聞き慣れない言葉があったのではないでしょうか。彼女は、八百年前のハイリン語を会話に混ぜます。つまり、彼女も現代のアルイブキラ語を覚えている最中です」

 自分の名前を呼ばれてパレスナ王妃が首を傾げる。ハイリン語を聞き取りきれていないのだろう。いきなり会話の応酬をしろとは言わないから、とりあえず聞き慣れることだ。

「一方、『幹』の言葉、世界共通語は二千年の間変化していません。支配者の女王蟻、女帝蟻が長寿ですから、彼女達は同じ言葉を使い続けています。そして、世界共通語なので、蟻人達は言葉が変化をしないように努めています」

 新任侍女達は、どうやら私の言葉を聞き取れているようで、興味深げに話の内容を聞いているようだ。
 フランカさんとビアンカは、頑張ろう。ビアンカはまだ若いから、言葉に馴染むのも早いのではないだろうか。

 その後も私は、ゆっくりとハイリン語を話し、リスニングを終えた。

「以上です。今度は文字を追いながら、同じ内容を聞いていきましょう」

 私は幻影魔法で空間に文字を投影する準備をする。録音魔法で話していた言葉は録音済みなので、それを流すだけのお手軽作業だ。
 と、そのときだ。部屋にノックの音が響く。

 パレスナ王妃が「入ってもらって」と促すと、扉の近くで椅子に座っていた侍女のメイヤが立ち上がり、そっと扉を開ける。
 そこにいたのは、王宮女官だ。侍女とはまた別の制服を着込んでいる。主人に仕える侍女とは違い、事務方などを担当する女性官僚である。

 その女官がメイヤに促され私室に入室する。
 そして、女官は淑女の礼を取り、パレスナ王妃と軽く挨拶を交わすと、ここに来た理由を話し始めた。

「先王陛下がお目覚めになりました」

 ふむ。先王とな。目覚めたとは、ただ寝坊したというわけではないだろう。先王は病気のため、おそらく昏睡状態になっていたか何かしていたのだろう。
 病気を理由に退位した先王。今の国王や王妹のナシーとは庭師時代からよく顔を会わせていたが、先王とはほとんど面会したことがなかった。
 この間、王宮の儀式の間で行われた婚姻の儀式でも、先王の姿は見られなかった。国王とナシーの母親である王太后(おうたいごう)はいたようだが。
 先王が実際に、どのような病気なのかは私は全く知らないのだが……。

「新年を前にお目覚めになってよかったわ。結婚の報告をしなくてはならないわね」

 先王の状態を知っているのか、パレスナ王妃がそう言う。
 対する女官は、言葉を続けた。

「そこで、先王陛下が王妃様との面会を希望なさっています」

「わかったわ。いつ頃ご都合がよろしいかしら?」

「あの、それが……先王陛下が直接この部屋にお訪ねになるそうです」

「あら、そうなの」

 訪ねてくるって、病気で寝込んでいたんじゃないのか?
 そう思っていると、力強いノックの音が部屋に響いた。

「パレスナ! 入るぞ!」

 そして返事を待たずに扉が開いた。

 そこにいたのは、巨漢の男だった。顔は、数年前に見た先王の面影がある。
 その男の尋常ではない様子に、私は思わず息を飲んだ。男の体の節々から、枝が生えているのだ。そして、肌のところどころが樹皮で被われていた。

 樹人化症。
 彼はそう呼ばれる病を発症していた。

「陛下! 部屋に入る際は、返事を待ってからと言っていますでしょう! 女性の私室ですよ!」

 女官がぷんすかと男に向けて怒る。やはり彼が先王のようだ。

「がはは、気が逸ってしまったわ!」

 そんなやりとりを行う間にフランカさんがさっと動き、女官と先王のもとへと椅子を運んだ。

「おお、これはすまなんだ。しかしのう、この病になって以来、体重がとんと増えてな。座ると椅子が壊れてしまうかもしれん!」

「問題ありません。侍女のキリンも座れる頑丈な作りとなっています」

 私が基準かよ。いや、まあ確かに成人男性の倍は重い私基準にすると、頑丈さの基準として解りやすいんだろうが。

「キリン! キリン殿か! 王城の侍女になったと以前息子から聞いたが……おお、キリン殿ではないか! 俺だ! バンナギータだ!」

 先王がこちらに向けて手を振ってくる。そこまで主張しなくても、あんたが誰かくらいわかるよ。

「先王陛下、お久しぶりです。パレスナ様付きの侍女となりました、キリンです」

「うむ! こうして顔を合わせるのはいつ以来か……」

 先王には、竜退治の勲章を貰ったりと、式典の場で顔を合わせていた。そこまで親しくしていたわけではないが、顔見知り程度の面識はある。
 本来、庭師の仕事をするうえで、国家間移動をするには王城地下にある設備を使う必要があった。だが、私は住処である魔女の塔に世界樹トレインの隠し駅を持っているから、移動目的では王城にそこまで通っていなかった。式典以外で城に行く機会があったとしたら、それは現国王と会うためだろう。彼は私の昔からの親友だからな。

「息子と娘がよく世話になったようだが……そうか、今は義理の娘の侍女となったのか。よろしく頼むぞ!」

「はい、お任せください」

 私がそう頷くと、先王は葉のついていない枝を揺らしながら椅子に座った。
 椅子はきしむ音すらならさなかった。

「しかし、キリン殿が侍女か……俺が冬眠する前はなにやら魔王退治に行くとか聞いていたが……」

「冬眠、ですか?」

 思わず聞き返してしまう。え、冬眠するの樹人化症って。

「ああ、秋が深まって枝から葉が落ちるとな、ものすごく眠たくなるのだ。そうして春までずっと眠る。まさしく冬眠だ!」

「樹人化症についてはあまり詳しくないのですが……大変ですね」

 秋と春の間には、冬期と雨期の二ヶ月間、計八十日が存在する。その間、何も活動できないともなれば本当に大変である。

「だが、冬眠する以外は調子がよいのだ! この病は、世界樹と自分が繋がりすぎた結果起きるもの。世界樹から絶えず力を与えられるのだ。病と言えど冬以外仕事はしっかりできるのだ」

 そうなのか。世界樹と繋がりすぎると起きるって、気功術使いはみんな起こりえる病なのか? そのあたり詳しくないからなんとも。
 ちなみに、樹人、植物人類種という種族がこの世界には存在する。樹人化症はその種族に見た目が近づくものらしいが、病が完全に進行しきったときにどうなるかも私は知らない。一度調べた方がよいだろうか。

「しかし、まだ働けるといえど、冬眠の間戦争が起きようとは、退位しておいて正解だったな!」

 目覚めたばかりとはいえ、その間に起きたことはおおよそ伝え聞いているのであろう。先月起きた一大事件について先王が言及した。
 そして、今月の出来事と言えば。

「さらに、息子の結婚! 寝ている間に何故こうも色々起きるのだ! 親が寝ていても結婚を断行する息子が酷い!」

 あー、今回の国王とパレスナ王妃の結婚は、国の新体制を内外に知らしめるためとかなんとかで、政治的事情があってあの急なタイミングになったらしいからな。先王一人を待つことにはいかなかったのだろう。

「そういうわけで、起きたら家族が一人増えていたわけだな。パレスナ、ようこそバレン家へ。歓迎するぞ」

「はい、よろしくお願いします」

 先王の言葉に、パレスナ王妃がうやうやしく礼を返した。うーん、パレスナ王妃の敬語って初めて聞くかもしれない。

「俺のことはナギーとでも呼んでくれ」

「えっ、はい、ナギー様」

「んんー! 家族なのだから、様はいらない。敬語もいらん! お前はもう俺の娘だ!」

 パレスナ王妃の父親、公爵閣下が聞いたらどう思うのだろうか、この娘宣言は。
 ただまあ義理の娘には間違いないわけで。パレスナ王妃の反応はというと。

「ええ、わかったわ、ナギーお父さん」

「お、お父さん! その発想は無かった! もう一度言ってくれ!」

「ナギーお父さん」

「娘よー! お前の晴れ姿、目に収めたかったー!」

「もう、仕方ないわねー。キリン!」

「はい」

 パレスナ王妃に呼ばれたので、彼女に近づいていく。
 彼女の要求はいかに。

「魔法で結婚式の様子、映し出せる?」

「こんなこともあろうかと、全部魔法で録画してありますので、問題ありませんよ。ダイジェスト編集したのを上映しましょうか」

 そんなこんなで、今日の午前は突如始まった結婚式の上映会で終わった。
 先王、冬眠から目覚めたばかりだというのに、こんなところで暇を潰していて大丈夫なのだろうかね。まあ、国王を引退しているのだから問題ないか。



◆◇◆◇◆



 その日の正午、食事を終え歯を磨いた後の私は、自室に籠もり世界の中枢『幹』と連絡を取っていた。世界の最高権力者、女帝蟻と直通の会話ができる『女帝ちゃんホットライン』という魔法道具を使ってだ。
 話題は、樹人化症について。

「世界と自分が繋がりすぎたらなると聞いたが、気功術を極めると発症するのか?」

 私が一番気になっていたところを女帝に聞いてみた。
 気功術の達人と言えば、現在の国王だ。彼も発症するとなると、二代で同じ病を抱えることになる。

「ああ、それか。よくある勘違いじゃが、気功術のラインと樹人化のラインは全く別のものじゃ」

 可愛らしい声が魔法道具の向こうから返ってくる。女帝の声だ。

「気功術は、人類に新たな力を与える正規の進化システムじゃ。一方、樹人化は神樹と繋がる神職が、自分と神との境界線を曖昧にしてしまい起きるバグじゃ。世界樹がまだ惑星の大地にあったときから存在した病じゃな」

 神職……つまり、世界樹と交感する職種。世界樹教の神官などかね。
 いや、他にもいたか。豊穣の杖を使い、世界樹に繋がり土地を富ませる職業。王族だ。

「世界樹の実りを調節する王族なんかも発症するのか?」

「ああ、短期間で世界樹にアクセスしすぎたり、トランス状態でアクセスしたりすると、世界樹と相性のよい者は発症するな」

「そうかー。なるほど。ありがとう」

 先王、仕事しすぎだってよ。
 今の国王くらい不真面目なくらいが丁度いいってことだな。

「それで、病が進行したら植物人類種になるのか?」

「ならんならん。体は世界樹に近づいていくが、全く別の種族になんてならぬよ。なんじゃ、身近に樹人化症でも発症した者でもおったか?」

「いや、ちょっと気になってな……」

「アルイブキラといえば……バレン家のナギーが発症しておったな。嘆かわしいことじゃ。働きすぎはよくないと散々言ったのじゃがな」

 ナギー呼びかよ。親しそうだな。

「ちなみに樹人化症は不治の病じゃ。治療法はあるのだがの」

「不治の病で治療法があるって、なんだその矛盾は」

「治療法は、世界樹の影響を受けない範囲に患者を離し、しばし過ごさせること。じゃが、世界樹の上で人が生きる今となっては無理なことじゃな」

「あー、今はここから惑星にでも送らない限り無理ってことか」

「惑星フィーナはまだ植物を植えている最中じゃからのう。一般人が住める環境ではないのう」

 先王は変わらずあのままってことか。まあ、女帝と先王は親しそうなんだから、治せるなら私がどうこう言う前にさっさと治しているか。
 相談して一発解決というわけにはいかなかった。聞きたいことは聞けたからいいか。

「こちらからの連絡は以上だ。すまないな、世界の最高権力者にこんな質問して」

「かまわんかまわん。我は基本的に暇しておるからの。それと、我は『幹』のトップじゃが、世界の最高権力者ではないのじゃ。よく勘違いされるがの」

「えっ、そうなのか」

「おぬし、我ら蟻人が従属種族というのを忘れておらぬか? 世界樹がまだ大地にあった頃、我らは動物人類種に仕えておったのじゃぞ」

 それ、二千年は前の話だよな。
 宇宙船世界樹に乗って滅びる惑星から逃げてきた動物人類種――つまり、普通の人々。それに女帝達が仕えていたとして、その子孫にまで仕えているわけではない。

「仕えていたとしても、そいつら全員寿命で死んでるだろ」

「一人だけ、生きておるよ」

「えっ、二千歳のおじいちゃんおばあちゃん?」

「一万年は生きておる魔法使いじゃよ。宇宙船世界樹の船長であり、世界樹を宇宙船に改造したのもそやつじゃ。昔から、我の本当の主(あるじ)といえばその魔法使いじゃ」

 一万年生きる魔法使いって、どうなってるんだそれ。私の師匠の魔女ですら、二百歳で死んだんだぞ。
 世界は驚くことばかりだなあ……。
 二千年だの一万年だの、話のスケールが大きすぎて頭がおかしくなりそうだ。

「その人、今どんなことをしているんだ」

「世界樹の運営システム開発……のはずだったのじゃが、何年か前から何やら人を迎えにいくと言って行方不明じゃな。まあ、どこかで羽を伸ばしておるのじゃろ」

「軽いな、本当の世界の最高権力者……」

「我もたまには外遊ではなく旅行に行きたいのう」

 女帝はVIP中のVIPだからな。そんなほいほいと旅行なんぞに行けやしないだろう。

「キリンよ、旅行に行くならどの国がお勧めじゃ?」

「私も庭師の時代、別に旅行していたわけじゃないから詳しくないぞ?」

 そして、私は正午の休憩時間いっぱいまで、女帝と話して過ごしたのだった。
 女帝、惑星に確保した大陸の復興・開発とかありそうなものだけれど、本当に暇なんだな……。



[35267] 69.ニューイヤー
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/12/07 09:44
「新年おめでとうございます」

 そんな言葉で今日の仕事は始まった。
 そう、新年である。雨期の九月は終わり、初春の一月一日。
 国民の祝日とされるそんな本日も、私は侍女として王宮の王族居住区でお仕事だ。

 なにせ、私の主人は王妃という国の重要人物。のんべんだらりと、新年の初日をだらしなく過ごすというわけにはいかない。
 今日は新年を祝う催し物が開催される。王妃は当然参加だ。私はその準備を侍女として行わなければならない。

 そして、王城で行われる新年の宴には、王妃の付き人として私とフランカさんの二人が出席することになっている。後宮でのたった二ヶ月間だが、私は王妃付き侍女達の中でも古参の方にカウントされるので、出席メンバーに選出された。

 そういうわけで現在、侍女の私達六名(一名はローテーションでお休み)は、王妃の私室にてパレスナ王妃に外行きのドレスを着せている真っ最中だ。

 ちなみに、私よりも古参の侍女であるビアンカは、幼すぎるということで新年の宴への選出から漏れている。
 私と見た目の年齢はほとんど変わらないのだけれど。
 そんなビアンカは、先ほどから上機嫌だ。

「ふふーん、ふふーん」

「どうしました、ずいぶんご機嫌ですね」

 ビアンカにそう尋ねてみる。
 するとビアンカは、待ってましたと言わんばかりに答えた。

「とうとう私も十歳ですよー。二桁です二桁」

 ああ、なるほど。新年を迎えて一つ歳を取ったことが嬉しいようだ。
 この国では、一月一日にみんなまとめて一つ歳を取る。それとは別に誕生日を祝う文化もあるが、あくまで歳を取るのは正月だ。

 生まれたときはゼロ歳。正月を迎えて一歳になる。そして誕生日には一歳の誕生日を祝う。そして次の正月には二歳に。そういうちょっとややこしい文化だ。ゼロ歳スタートなので、日本の数え年ともまたちょっと違う。

「キリンちゃんは今日で何歳ですかー?」

「私はー、三十歳!」

 ……ビアンカのノリに合わせて言ったけど、ちょっときついな。三十歳だぞ三十歳。前世でも届くことのなかった三十の大台。
 ビアンカくらいの年齢の子からみたら、問答無用で――

「キリンちゃんも、もうおばさんですねー」

 そう、おばさんだよ!
 ビアンカもいい加減、私が見た目通りの年齢じゃないということは理解してくれているので、私の年齢を否定することはない。
 だが、今度は年齢相応に辛辣な言葉を投げかけられることがある。
 でも仕方がない。三十歳だもの。

「ビアンカさん、私だから許されますが、三十歳の人におばさんって言ったらぶっ飛ばされますよ」

 一応、ビアンカの今後のために釘を刺しておく。

「あわわ、そうですか」

「例えばフランカさん――いえ、なんでもないです」

 途中まで言ったら、フランカさんがにこりと微笑んできたので言うのをやめる。
 見た目若い王妃付きの侍女達の中で、三十歳を超えた侍女は私以外ではフランカさんだけだ。そんな最年長の上司的存在を前に、迂闊なことを言わないのが、円滑な人間関係を保つ秘訣だ。

「皆さんはいくつになられましたか」

 フランカさんの方を見ずに、私は新任侍女達へと話を振る。

「十五歳になりましたわ」

「十七ー」

「十二歳です! お酒が飲める歳になりました!」

 と、ばらばらな答えが返ってくる。共通しているのは皆、若いということだな。熟練の侍女というのはフランカさんしかいない。
 私も三十歳だが、侍女一年目の新米侍女である。
 フレッシュと言ったら聞こえはいいが、今後この若い面子だけで王妃の供回りをちゃんとやっていけるのかは不明だ。

「私もようやく十七歳ね」

 会話の最中、侍女達にドレスを着せられ化粧を施されていたパレスナ王妃が、そう話に乗ってきた。

「陛下は二十八歳。歳の差は縮まらないものねー」

「十年後にはほどよい年齢差になっていますよ」

 パレスナ王妃の言葉に、私はそうコメントを投げかけた。
 二十八と十七だったら歳の差婚って感じが強いけど、三十八と二十七だとそんなに歳の差って感じがしない気がする。

「みんなどうなっているのかしらね、十年後」

 そんなパレスナ王妃の言葉に、侍女達が反応する。

「私は婚約者の方がいますので、結婚して王都の屋敷に住むことになるでしょうね」

「メイヤはいいよねー。私も結婚したいー」

「リーリさんはまだ婚約者いらっしゃらなかったのですね!」

 結婚の話で盛り上がる新任侍女達。
 そんな侍女達の様子を見て、パレスナ王妃が言う。

「十年後も私の侍女を続けている子は少なそうね」

「王妃様の侍女になれたのは、大変光栄ですがー。侍女の職は花嫁修業の場でしてー」

 侍女の一人がそう答えた。素直なことだ。
 まあ、仕方がないか。王城侍女とはそういう者達が集まるのだ。

「お嬢様、私はずっとお嬢様に付き従いますよ」

「私もです」

 フランカさんとビアンカがパレスナ王妃にそう言った。

「あら、ありがとう。でも、ビアンカはいい話があったら結婚を逃しちゃダメよ」

「お母さんみたいに、結婚しても侍女を続けるんです!」

 ビアンカ……健気なことを言うなあ。王宮で働き続けたいなら、結婚相手には王宮の官僚とかを捕まえないとな。

「で、キリンはどうなの。どうせ結婚はしないでしょうけど」

 パレスナ王妃が話を振ってくる。彼女は私が元男ということを知っている。
 私はそれに素直に答えた。

「おそらく、十年後も王城侍女を続けているでしょうけど……どの部署に在籍しているかは、陛下の人事しだいかと」

「またそういうことを言って! 陛下にキリンは私のものだって、言い聞かせておかなきゃ!」

 いやあ、もしかしたら、パレスナ王妃の子供の侍女になってるかもしれないぞ。



◆◇◆◇◆



 新年最初の催し物として、城下町でパレードが繰り広げられた。
 宮廷楽団が歩きながら楽器を演奏し、近衛騎士団に守られた国王夫妻が屋根なしの馬車に乗り、人々へ手を振るというものだ。

 馬車は二人乗りで侍女は同乗しないので、私は王城でパレードが終わるのをひたすらに待った。
 パレードは三時間は続いただろうか。帰ってきたパレスナ王妃の身支度を侍女総出で整え、今度は謁見の間にて開かれる新年の宴に向かう。
 謁見の間には王城勤務の貴族達が並び、パレスナ王妃はその上座、王座のすぐ近くに立つ。侍女であるフランカさんと私は、そのパレスナ王妃の背後に控える。
 私の今回の仕事は、ただひたすらにパレスナ王妃の後ろで、宴という名のお堅い式典が終わるまで待つことだ。

 新年会とかそういうゆるい集まりではなく、新年を祝い、国王のお言葉をいただくという名目のお堅い式典なのだ。
 貴族達が集まったところで、国王が謁見の間に入場する。私達はそれを最敬礼で迎えた。

 国王はゆっくりと王座に向かって歩いていく。今日は布を幾重にも重ねた動きにくそうな服を着ているな。そして手には豊穣の杖を携えている。そんな厳格な衣装で王座に座る国王。それに合わせ、最敬礼を解く臣下達。
 うーん、すごい国王っぽい。いや、実際に国王なんだが。でも、普段の下町不良貴族ファッションからは想像もできない姿だ。

「これより、王国暦835年、新年の宴を行います」

 国王の秘書官が、そう宣言する。

「まずは、国王陛下よりお言葉を頂戴いたします」

 すると、先ほど座ったばかりの国王が、杖を片手におもむろに立ち上がる。
 そして、よく通る声で言葉を放った。

「新年おめでとう。去年は……いっぱいあったねえ」

 威厳もへったくれもないそんな台詞から国王の話は始まった。

「鋼鉄の国との長い対立も、とうとう終わった。その代わり、隣国は大きな国になった。この国は、新しい体制を模索していかなければならない」

 おお、すごい真面目な話をしているぞ。

「まあそれはそれとして」

 と思ったら違った。

「俺っちもとうとう結婚したし、王宮にはいろいろ新しい風が吹き込むことになると思うよ。みんな心に留めておいてね」

 ゆ、ゆるい。演説するべきところがすごいゆるい。

「ちなみに、秋に眠りに入った親父が、先日起きました。また騒がしくなると思うけど、軽く流しておいて」

 先王はこの場にはいない。他の王族もいない。この場にいる王族は、国王とパレスナ王妃のみだ。国王は王族の中でも貴族や国民への窓口となる立場である。堅苦しい式典は全部国王に投げているのだろうか。

 そしてその後も国王は国の産業や軍事再編についていくつか方針を述べると、「今年も頑張ろう」と言葉を締めた。
 国王が着席し、秘書官が式を進める。

「それでは、今年の辞令を発表いたします。まずは、新当主の任命から」

 と、どうやら貴族の家の代替わりも、この式典で行うようだ。
 秘書官によって貴族の名前が読み上げられ、男が王座の前に歩み出てくる。まだ二十代中盤ほどの若い男だ。
 男は国王の前で膝を突く。すると、国王は王座から再び立ち上がり、男に歩み寄る。
 そして、国王は男の名をつぶやくと、豊穣の杖をひざまずく男の頭の上に載せた。すると、杖からまばゆい光がほとばしり、男の全身を包んだ。

「頑張れよ」

 国王がそう声をかけると、男は目に感激の涙を浮かべながら、「はげみます!」と宣言し、立ち上がり元の列に戻っていった。
 秘書官はさらに貴族の名を読み上げ、国王の手によって豊穣の杖で祝福されていく。なんとも王権神授を信じそうになる幻想的な光景だ。
 なにか御利益とかありそうな祝福の光だが、世界樹へのアクセス端末である豊穣の杖を使っているということはだ。これは宗教的なあれこれというわけではなく、国のデータベースに貴族の当主を登録しているとか、そんな裏がきっとあるのだろう。

 そして当主の任命が一通り終わると、秘書官がさらに式を進める。

「続いて、王城の任官を行います」

 秘書官が名前と役職を読み上げる。
 すると、呼ばれた官僚が皆の前に進み出てきて、国王に一礼、そして参列する皆に一礼して、元の場所へと戻る。
 人事発令だな。新年はおおげさにやるのか。当主の就任ほどは時間をかけないようだ。

「リゼン・トリール・ココッテール・ボ・インリント。王宮菓子職人、副職人長」

 お、知り合いの名前が呼ばれた。トリール嬢。後宮で皆に菓子を振る舞っていたご令嬢だ。
 菓子職人の仕事着に身を包んだ少女が皆の前に進み出ると、前の人と同じように礼をした。緊張しているのか、どこか動きが硬い。私は心の中で彼女にエールを送った。そして、これからも王妃用に美味しいお菓子お願いするぞ。

 その後も、王宮図書館の司書長補佐としてファミー嬢の名が呼ばれたり、王妃の教育係としてミミヤ嬢の名が呼ばれたりして、馴染みの顔を確認することができた。というか教育係って、この場で呼ばれるような正式な官職だったんだな。

 ちなみに、王妃付きの新任侍女である私は別に名を呼ばれたりはしない。
 何十人も居る侍女の人事を一々宣言していたのでは、いつまで経っても式が終わらないし、謁見の間に人が入りきらないからな。
 そして、式典はようやく宴の名に相応しいものへと変わる。
 国王の手で、参加者一人一人に酒の注がれた杯を配るのだ。

 国王付きの侍女達が杯を謁見の間に運び込み、国王の横へと並べる。
 そして国王はパレスナ王妃を呼ぶ。杯に酒を注ぐのが、王妃の仕事なのだ。王妃のいない去年まではどうしていたのだろう。

 国王と王妃が並ぶ。侍女が国王に杯を渡し、王妃がそこに酒を注ぐ。そして、参列した貴族が上座から順に国王の前に立ち、杯を受け取っていく。
 その貴族に、国王は一言二言、声をかけていく。その言葉を聞くに、どうやら国王は一人一人の顔と役職と仕事内容を把握している様子。ううむ。ちゃんと立派な上司をやっているな。

 貴族の皆に杯が行き渡り、最も下位となる侍女の私の番となった。
 国王の前に立ち、パレスナ王妃が注いだ酒の杯を受け取る。
 そして国王から一言。

「『あけおめことよろー』」

「……その言葉覚えているんですか」

「もち」

 十年も前に、国王から前世の言葉を教えてくれと言われて、ちょうど新年だったから気の迷いで伝えた言葉だった。
 覚えたところで、なんの得もないというのにこいつは……。

「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

 と、私はこの国の言葉でそう返し、元の場所へと戻った。
 杯は歩いてもこぼしにくいよう、底が深い湯飲みのような形をしている。匂いは……穀物酒だな。

「みんな、行き渡ったね?」

 国王が周囲を見渡し、そう確認を取る。そして。

「それじゃあ、今年もよろしく。乾杯!」

「乾杯!」

 国王の宣言と共に、皆が杯を掲げ、そして口へと杯を傾ける。
 私も一口、二口と酒を飲み込む。度数の極めて少ない酒だ。まさに式典用の酒って感じだ。

 これを飲み干すことで、新年の宴は終わりだ。後は、夜に王級魔法師団による魔法花火が空に打ち上げられるから、それまで待って一月一日の予定は終わりだな。
 と、国王も無事に酒を飲み干したようだ。国王は満足そうな顔で杯をかかげ、口を開いた。

「おかわりだー!」

 ……なんですと?

「待ってました!」

「さあ、宴じゃ宴じゃ!」

「酒だー!」

 謁見の間がわっと盛り上がる。そして、侍女が複数名、酒瓶の載ったワゴンを押して謁見の間に入場してくる。
 ワゴンを押した侍女が進むと、貴族達が手を伸ばし酒瓶を手に取る。そして、その場で瓶の栓を抜くと、空いた杯にどんどん酒を注いでいった。
 そこから香るのは、強烈なアルコールの匂い。式典用の薄い酒ではない、ガチなやつだ!

 さらには下男達の手で酒樽が運び込まれる。樽に皆が群がり、酒を確保していく。
 お堅い式典はどこにいったのやら、完全に酒宴に突入した。え、そういう流れなの? 厳格な式典というわけではなくて?

「……フランカさん、これやるの知ってました?」

 私は思わず、隣に立つフランカさんにそう聞いた。
 しかし、フランカさんは首を横に振る。

「いえ、新年の宴に参加できるのは、貴族の中でも一握りの人だけですから……」

「式典になんで宴なんて名前が付いているのかと思ったら、本当に宴だったんですね」

「ですねえ……」

 そんな会話をしていると、酒瓶を持ったパレスナ王妃がこちらにやってくる。

「なに二人で話し込んでるのよ。ほら、今日は飲むわよ!」

「あの、パレスナ様は、新年の宴が酒宴だって知っていたのですか?」

 私がそう尋ねてみると。

「え? 知らないけど?」

 な、馴染むの早えなこの人。

「ほら、また私がついであげる」

「あ、これはありがとうございます」

 王妃の手によって杯に果実酒が注がれていく。うーん、さすが王城で出されるだけあって、香り高い酒だな。

「ほら、フランカも」

「あの、宴が終わった後にお嬢様のお世話があるので、私は……」

「いいからいいから。新任の侍女達だっているんだから、一人酔っ払うくらいなんてことないわよ」

 そうしてフランカさんの杯は満たされた。さらにパレスナ王妃の杯にも、私が酒を注いでやる。

「それじゃあ乾杯ー!」

 仕方ないなあ。飲むとなったら、私は飲むぞ。

「乾杯!」

「……乾杯!」

 うーん、この果実酒美味いな。おつまみが欲しくなるところだが、さすがに謁見の間に料理を運び込むことはしないか。

「お、なに三人で盛り上がってるのさー。俺っちも入れてよー」

 赤ら顔の国王が、秘書官を引き連れてやってきた。先ほどまで酒樽の前にいたはずなのに、もう飲んだのか。

「あら、陛下。とりあえず一杯」

 パレスナ王妃が早速とばかりに酒を勧める。勢いよく杯に酒が注がれる。そして、国王はごくごくと水でも飲むかのようにそれを飲み干した。

「うーん、美味い!」

「あら、いけるわねー」

 そうこうしているうちに、国王夫妻に挨拶しようという貴族が、酒瓶と杯を抱えて集まってきた。
 そんな中には、新米の貴族当主の姿もあって……。

「まま、新年の祝いに一杯どうぞ」

「ささ、当主就任を祝ってどうぞどうぞ」

「いやー、とうとう家督相続ですな。めでたいめでたい一杯どうぞどうぞどうぞ」

 と、新米当主は酔いつぶされる勢いで酒を注がれていた。うーん、アルハラという概念のない厳しい貴族社会よ。

 その後も酒宴は続き、とうとう夜の花火の時間に。

「花火の時間だー! 行こうぜー!」

 その国王の号令で、皆、ふらふらとしながら王宮の外に出て、空を見上げた。

 夜空に光の花が咲く。火薬の花火と違って爆発音のしないそれは、代わりに様々な効果音付きで暗い夜空を彩っていた。
 それを肴に、さらに酒を飲む貴族達。
 このどうしようもない新年の宴は、数十分にも及ぶ花火が終わるまで続けられるのだった。

 ちなみに、新年の祝日だというのに酒宴の最中も近衛騎士達は酒を飲まずに、ずっと貴族達の護衛を続けていたという。本当にご苦労様です。



[35267] 70.スローライフ
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/10/05 20:37
 新年初の休日。私はその休日を使って、王都から離れた地に向かっていた。
 薄暗い早朝に王城を出発して四時間ほど。私はとある農村に辿り付いた。

 ここはバガルポカル領ミシシ村。私の拠点である魔女の塔がある、ニシベーツエ町の隣にある農村だ。

 休日を使ってこんな遠いところに来たのにはわけがある。事の始まりは、昨月に届いた一通の手紙だった。
 私が王城侍女になり、腰を落ち着けたことを知ったミシシ村の村長が、雨期の作物の収穫を一緒にしないかと、手紙で伝えてきたのだ。

 ミシシ村での農作物の収穫は、私が魔女の弟子をしていた時代、そして冒険者である庭師の駆け出し時代によく手伝っていたことがある。
 それを覚えていた村長が、私を誘ってくれたのだ。
 ありがたいことだ。ミシシ村の人々は、私を村の出身者と見なしている。
 オラが村の子供が、立身出世をして世界を巡る一流の庭師になり、そして引退後も王妃の侍女になった。村長の手紙によると、そのことに、村の古参の人々はいたく喜んでいるらしい。

 私的には出身はミシシ村ではなくニシベーツエ町のつもりなのだが、昔からミシシ村の人々は私を村の所属だと言ってはばからない。
 まあ、それは別にどうでもいいんだが。どうせ私の拠点である魔女の塔は、村と町のどっちの敷地内でもない外れに建っているし。出身など存分に主張すればいいんじゃないだろうか。
 村と町は別に仲が悪くないので、私はどちらにもいい顔をするぞ。

 そんなわけで、私が村に到着したのは、皆が朝食をとった後のちょうどよい時間帯だ。
 そこで私は老年の村長に迎えられる。

「よう来てくれたなあ」

「うむ、久しぶりだな」

 そう言って私は村長の肩を叩く。

「大収穫祭の時も顔は見ていたのだけど、挨拶はできなかったなあ。いやあ、あの舞台での活躍、笑ったぞ」

 それは昨年の晩秋のこと。王都の大収穫祭で行われた「オラが村、力自慢大会」という催し物で、私はエキシビションマッチに出て大暴れしたのだ。
 ちょっとやりすぎたと思ったのだが、この村の人にとっては村の出身者が大活躍した出来事として楽しんでくれたのだろう。

「今日は一日よろしく」

 私はそう村長の家族に挨拶をする。

「キリンちゃん、今日は泊まってくの?」

 村長の息子の嫁がそう私に尋ねるが、残念ながらそれはできない。

「いや、明日は仕事だから、夕食前には帰るよ」

「残念ねえ。夕食ごちそうしようと思ったのに」

「宮勤めの辛いところさ」

 いやまあ、前職の末期よりはずっと余裕があるけどな、今の仕事。まとまった休みは取りづらいが。

 そんなこんなで村長一家への私の顔見せが終わり、早速とばかりに村の集会場へと案内される。
 今日は村人総出で、雨期の作物の収穫だ。村人が各々の畑に植えたものではなく、共同畑のものを皆で収穫するのだ。

「うおー、キリン久しぶりー!」

「キリンちゃん、相変わらずちっこいなあ」

「今日は頼りにしてるぞ!」

 集会場に着いたら、すでに集まっていた村人達がこちらに群がってきた。
 皆、血色はよく、これから収穫作業だというのに服装も小綺麗だ。この国の農民は国に搾取されていないので、小金持ちなのだ。

「おかーさん、あの人が前言っていた庭師さん?」

「そうよー。でも今は王妃様の侍女なのですって」

「王妃様! 素敵!」

 と、面識のない小さな子供もいるようだ。むむ、ちょっと訪問に間を置きすぎたか。
 まあ、一日一緒に農作業すれば顔見知り程度にはなれるだろう。

「それじゃあ、早速仕事すっかあ。まずは、まゆ割りからするかな。行くぞー!」

 と、村長が号令をかけ、集会場を後にする。

 そしてやってきたのは村の共同畑。その隅っこのため池だ。雨期でしっかりと水の溜まったため池の周囲には、高さ三メートルほどもある巨大なさなぎのような、まゆのような、そんな不思議な物体が、何個も地面から生えていた。

「立派に育ったなぁ」

 そう、このまゆ、植物である。冬の間に植えて、雨期の間に育った作物なのだ。
 とはいっても、食べるためのものではない。

「はい、キリンちゃん。木槌」

「ああ、任せて」

 村の備品として用意されていた、大きな木槌を体格のいい男達が手に持つ。
 私も木槌を渡され、それを手に構えながら一つのまゆの前に立つ。そして。

「せーの!」

 合図と共に、木槌をまゆに叩きつけた。
 すると、叩きつけられた部分の外殻が砕け散り、中の繊維が露出する。そして、その繊維からじわりと水が染み出した。

「おお、しっかり水蓄えてるなぁ」

「これで夏まで水は枯れんだろう」

 じわりじわりとまゆから水が染み出してくる。まゆの生えている地面はため池に向かって勾配になっているため、まゆから溢れた水はため池に流れることになる。
 そう、これは天然の貯水槽。雨期の間に降り注いだ雨水を繊維の中に溜め込む、特殊な植物なのだ。
 この辺りには大きな河川がないため、作物を育てるにはため池の水も使う必要がある。その水を枯らさないためのこのまゆだ。今回はそのまゆの三分の一ほどの数を割り、水源とした。

 便利な植物である。どうにも人の手によって“デザインされた”植物のように見えるが、この世界には、前世の地球を超えた高度文明が地下に存在する。その文明の産物が、地上の民の手に渡っていても、何もおかしくはない。
 ま、そんなことを勘ぐってもなんの得にもならないし、便利な植物もあるものだと流しておこう。

「次はキノコの木に行くぞー」

 村長の号令で、また共同畑を移動する私達一同。
 向かった先にあったのは、村長がキノコの木と言ったとおり、真っ直ぐにそびえ立つ巨大なキノコであった。
 高さ五メートルはあるだろうか。しいたけのような形をした大きなキノコがそそりたっていた。さらには、傘の下部分には“実”が生っている。

「美味そうなキノコ豆だな」

 村人の一人が、そのキノコの実を見上げながらそう言った。そのキノコの実は、ぶどうのような形をした丸い実の集合体で、一つの実の大きさは大豆ほど。その形状から、この実はキノコ豆と呼ばれている。
 前世の常識では、キノコは低カロリー。だが、このキノコ豆はキノコのくせにカロリーもあり、しかもタンパク質が非常に豊富なのだ。本当に菌類なのだろうかこいつは。

「キリンちゃん、倒すの頼んでいいかあ?」

 村長が私にそう聞いてくる。

「任せてくれ」

 このキノコの木、傘の位置が高すぎるのと、また、キノコ全体が燃やして灰にするとよい肥料になるのもあって、収穫するには切り倒す必要がある。
 巨大なキノコのため、切り倒すには一苦労だ。そこで、私の出番である。

 私は村人から年季が入った斧を受け取ると、気功術で斧全体に闘気を走らせる。
 すると斧の柄から、闘気でできた半透明の輝く巨大な刃が出現した。

「はい、じゃあみんな離れろー」

 私が声をかけると、キノコの木の周辺に立っていた村人達が距離を取る。
 そして、私は勢いよく闘気の刃をキノコの根元に叩きつけた。闘気の刃は止まることなくキノコを切り裂き、ぐらりとキノコの木が倒れていく。
 私はすかさず指先から魔法の糸を倒れるキノコに絡ませ、地面に勢いよく倒れ込むのを防ぐ。そして、ゆっくりとキノコの木を地面に寝かせた。

「おおー、さすがキリンちゃんだあ」

「いつもは倒れて、キノコ豆がいくつか潰れちまうからなあ」

「それより一撃だぜ、一撃。これが庭師かー」

 あくまで私は元庭師だがな。まあ、豆が無事なようでなにより。
 私はさらに倒れたキノコの木を切り分け、傘の下に実った豆を取りやすいようにする。

 そして、皆が切り分けられたキノコの傘に群がり、キノコ豆を収穫していく。

「丸々と育ったなあ」

 収穫されたキノコ豆はザルにあけられ、村の女衆がどこかへと運んでいく。
 しかし、これだけ巨大なキノコなのに、食べられるのは豆の部分だけというのが勿体ないというか残念というか。
 まあ、その代わり傘の下に気持ち悪いくらい大量に実っているんだけれどな。

「それじゃあ、次行くかー」

 その後も私達は水分をたっぷり含んだ陸上芋だったり、泥の中で育つ根菜だったり、倒した丸太にみっしり生えた食用キノコだったりと、雨期の間に育った作物を収穫していった。

 そして昼飯時。
 村人達が集会場に再び集まり、村の女衆が巨大な鍋に作った汁物が彼らに振る舞われた。
 収穫した雨期の作物の他に、向日葵麦をこねて作ったすいとんも入っている。
 それに、肉だ。

「珍しいな。肉なんて」

「雨期の間に、ニシベーツエの庭師さんが巨獣を倒してくれてね。村で買い取ったのよ」

 私が村長の息子の奥さんに尋ねてみると、そんな答えが返ってきた。

「ほう、巨獣を狩れる庭師が育っているんだな」

「魔物も退治してくれているみたいだから、最近は安心よ」

 この世界には、巨大な野生の獣である巨獣や、地脈からあふれた悪意が形となった魔物が野に彷徨っている。
 獣が村や町に入ってこられないよう、人の住む場所は壁で囲われているが、守りは絶対ではない。人里から少し離れると危険な獣がちらほらと姿を現わす、それなりに厳しい世界なのだ。
 そんな危険生物を退治するのが、庭師や騎士の仕事だ。私も前職時代はよく退治してまわったものだ。

「はい、キリンちゃんの分よ」

 そうして、私にも汁が配られる。塩は貴重なため、椀に盛った汁に、砕いた岩塩をふりかけるという大雑把な味付け方法が取られている。
 さて、しばらくこの雨期の収穫に参加していなかったが、味の方はどうなっているかな。

「では、いただくとしよう。アル・フィーナ」

 村長の号令で皆、食前の聖句を唱え、汁を食し始める。
 私も、木さじで椀の具をすくい、口に含む。

 ふむ。
 むむ。ふーむ。
 これは……。

「美味いな。昔よりも美味く感じる」

「でしょう! 私達も腕を上げたってわけ!」

 村長の息子の奥さんが、満面の笑みを浮かべながら私の背中を叩いてくる。

 キノコのたっぷり入った汁。キノコ特有のうま味が、いい味を出している。
 さらには、肉とキノコ豆がたっぷり入っているため、食べ応えもある。すいとんも添えてバランスもよい。

 具だくさんで満足感のある食事だ。作物が取れる農村ならではだな。町の食堂ではなかなかここまでの食事は出てこない。

「おかわりもあるから、よく食べて午後もしっかり働くんだよ!」

 女衆の言葉に、早速とばかりに椀を空にした男達が鍋の前に群がる。
 いいなあ。こういう生活。私も侍女になっていなかったら、農村で働くという選択肢もあったのかもしれないな。そんなことをふと思ったのだった。



◆◇◆◇◆



 午後の収穫も終わり、皆に挨拶をして村を後にした私。
 王都に直行せず、私は近くの魔女の塔までやってきていた。

 お土産に持たされた大量の作物を塔に保管しに来たのだ。
 調理場に入り、時止めの秘術が懸けられた保管箱(冷蔵庫と私は呼んでいる)に作物の半分ほどを詰めていく。
 残りは、商人のゼリンのやつにでもお土産として持っていくかな。あいつも今では王都で店を構えているが、元々はニシベーツエの出身だ。ミシシ村の作物は馴染み深いだろう。

 と、そんな作業をしていると、視界の隅にじわりと染み出す影が。そちらに視線を向けると、影は人の形を取り、男とも女ともとれない魔女のローブを着た一人の人へと変わった。
 私の死んだ師匠である魔女の作りだしたであろう、世界樹ゴーレムだ。

「魔女になりにきましたか」

 ゴーレムが私に向けて言う。この言葉を訳すと、おかえりなさいだ。

「ミシシ村で雨期の収穫の手伝いをしてきただけだ」

「ご近所付き合いですか。魔女には必要なことですね」

「……世俗的だな、魔女」

 塔にずっと引きこもって魔法研究とかじゃないんだな。

「人間である以上、食事は必要です。農村との付き合いは生命線ですよ」

「まあ、そりゃそうだろうが」

「さあ、ミシシ村の人と仲良くなって、魔女となるのです」

「ならないよ」

 そう言って私は食材を詰めた冷蔵庫の蓋を閉じた。
 そして、ゴーレムに向けて私は言う。

「なあ、私は魔女になるつもりはないんだから、新しく弟子を取ったらどうだ? お前、教導ゴーレムなんだろう」

「チッタの名を継ぐには、あなたでなくてはなりません」

「確かに私は体に魔力を溜め込む体質だから、魔力量は豊富だが……」

 私は言葉を喋れない。声帯の代わりに竜のブレス器官が喉についているからだ。そのため、人が言葉を話すときに無意識で放出する魔力が、体内に溜まり続け、常人より多い魔力量を保ち続けられる。
 しかしだ。私みたいな体質とは別に、生まれつき魔力が多い人間は稀にいる。そういう人材をスカウトして、魔女に育て上げればいいのだ。私と違って詠唱魔法も使えるようになるぞ。

「チッタの魔女になるのに必要な条件とは、魔力量ではありません」

「ん? そうなのか?」

 師匠の魔女から秘術を受け継いでから二十年。私が魔女の弟子になったのは、魔力量が理由だとずっと思っていたのだが……。

「チッタの秘術を継ぐには、強靱な魂が必要です」

「魂……。え、私の魂って強靱なのか」

「何を今更。別世界から火に満ちた天界を渡ってきても燃え尽きず、世界樹に分解されず記憶を完全に保ったまま人に宿ったその魂が、強靱でなくてなんだと言うのですか」

「そうなのか」

 私が前世の記憶を保てたのって、魂が強靱であるおかげだったからなのか。地球産の魂だから、水と油みたいにこの世界の魂と混ざらないのかなって思っていたぞ。

「あなたがもし死んだとしても、また世界樹に魂を洗浄されることなく、記憶を保ったまま生まれ直すことができることでしょう」

「何その新事実……」

 なんだその擬似的な不老不死は。
 しかし、魂が強靱なんて言われても、私には前々世の記憶なんてないぞ。魂の浄化の仕組みが、地球はまた違うのだろうか。

「あなたほど強靱な魂を持つ者は、今まで見つかっていません。だからあなたはチッタの魔女になるのです」

「ならないって。しかし、チッタの魔女は魂が強靱か……」

 チッタとは、師匠の名前の一部だ。私もその名前を受け継ぎ、ウィーワチッタと自らに名付けた。タワーウィッチのアナグラムである。

「師匠も魂が強靱なのだとしたら、今頃この世界のどこかで記憶を持ったまま生まれ直していたりするのかね」

「それは私のあずかり知らぬところです」

 完全に亡くなったと思っていたんだけれどなあ。この様子じゃあ、そのうちひょこっと出てきてもおかしくないな。
 私みたいに性別逆転して生まれていたら、指を指して笑ってやることにしよう。

 そうして私は調理場を後にし、ゴーレムに何度も魔女にはならないと繰り返し告げて、王都に向けて出発するのであった。
 農村スローライフの時間は終わり。また明日から侍女生活だ。



[35267] 71.ナウプリンティング
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/12/17 21:15
 新年の催し物も一通り終わった、初春の一月某日。
 パレスナ王妃が王族代表として、あちらこちらに引っ張りだこになる用事も終わり、ただいまパレスナ王妃は自室で勉強中だ。
 科目は農学。教師は、なんと先王である。

「であるからして、土中のラーストリスは主に茎と葉の生育に必要となり――」

 正直文系の私には何を言っているのかさっぱりだ。なので、私達侍女はパレスナ王妃を放っておいて刺繍のお時間だ。
 先日、王妃用の日用品として、無地のハンカチや手ぬぐいが大量に用意されたので、皆でそれに刺繍を施していくのだ。

 本日の侍女は私を入れて六人。王妃付きの侍女は全部で七人いるが、一日ずつ休暇を取っていくようになっている。フランカさんとビアンカの親子は同日に休暇を取るので、七人の侍女全員が揃うのは一週間に一日だけだ。
 ちなみにこの国の一週間は、偶然にも前世と同じ七日間だ。覚えやすくて助かる。

「ハンカチは全て、最高級のスパイダーシルクなのですね。白が美しいですわ」

 皆が手に取るハンカチを眺めて、そう感嘆の声を上げるのは侍女のメイヤ。最近、侍女宿舎でも何かと一緒に行動することの多い子だ。
 ちなみにスパイダーシルクはティニク商会が独占的に提供する織物で、ここ十数年でこの国に広まった至極の一品だ。本来ならば寒冷地にしか生息しない、氷蜘蛛の糸を紡いで作られている。
 周辺国を探してもスパイダーシルクを提供できるのはティニク商会のみであろう。ぼろい商売である。

「私もスパイダーシルクのハンカチ少しは持ってるけどー、最高級品となるとー手に入れる伝手すらないなー」

 そうゆるい声でぼやくのは、リーリー。メイヤと特に仲の良い子で、以前メイヤに誘われて王都のレジャー施設、ティニクランドに行ったときも、一緒に付いてきた子である。ちなみに私とフランカさんを除いたここの侍女達の中では、十七歳で最年長である。

「王妃様の披露宴の時、キリンさんが着ていたドレス、その最高級スパイダーシルクだったわね」

 そんな指摘をしてきたのは、サトトコ。目端の利く子だなぁ。披露宴で彼女達と会ったのは一回だけで、しかもそのとき私と話をしたのは知り合いのククルだけで、サトトコとは会話も交わしていないのだが。

「えー、キリンさん、そんなすごいの着てたのー」

 リーリーが驚きの声を上げる。今、パレスナ王妃は先王と勉強中だから、あまり大きな声を上げないようにな。

「一年目の侍女の稼ぎでそのようなものを買えるとは思えないので、庭師時代の蓄えかしら?」

 サトトコ、半分正解だ。
 私がもう半分の補足を入れようとすると、メイヤが先に口を開いた。

「キリンさんは、資産家なのです。ティニク商会に多くの商品の権利を貸しており、ロイヤリティを受け取っているのですわ。このスパイダーシルクもキリンさんが発見したのですよ」

「お、おう。よく知っているなメイヤ」

 私のことをこんなにも知られているとは、ちょっとびっくり。さすがはみんなの解説役だ。

「そういえばー、ティニクランドの優待券とかも持ってたよねー」

「最高級のスパイダーシルクのドレス代をぽんと出せるとか、どれだけの資産持ちなのかしら……」

 そんなリーリーとサトトコ二人のコメントに、私は言葉を返す。

「私が儲かっているということは、ティニク商会はもっと儲かっているってことだぞ」

「そこらの上級貴族よりも影響力がありそうですわね、ティニク商会……」

 メイヤがそんなことをぽつりと呟き、侍女達がうんうんと頷いた。ちなみに話に入ってきていないフランカさんは、ビアンカに刺繍の指導をしていた。
 お金の話をずっとするのもなんなので、話題を少し修正しようか。そう思ったときのこと、部屋にノックの音が響いた。

「入ってもらってー」

 そうパレスナ王妃から指示が飛び、入口に一番近いところにいたメイヤが扉を開ける。
 扉の向こうにいたのは、銀色の髪を肩ほどで切りそろえた少女であった。彼女は王妹のハンナシッタ、通称ナシーだ。

「おお、父上もいたか。邪魔するぞ」

 ナシーがそう言いながら部屋の中に入ってくる。
 彼女の後ろには、天使のヤラールトラールが無言で追従していた。この天使ヤラはナシーの護衛である。

「ナシー、いらっしゃい」

「ナシーか。この通り、パレスナは勉強中でな」

 パレスナ王妃が歓迎の言葉を投げかけ、先王が勉強に使っていたテキストをナシーに見せる。外部持ちだし厳禁と赤字で書かれた農学の分厚いテキストである。

「そうか。まあ、勉強は後にして、ちょっと私の用事を済まさせてくれ」

「むう……」

 ナシーがそう先王に言い、パレスナ王妃の前に立つ。パレスナ王妃と先王は、部屋に備え付けられた来客用の席に座っている。ナシーも椅子を引き、先王の横に座った。

「これを見てくれ。魔法宮より届いた、刷り上がったばかりの見本だ」

 ナシーは入室したときからずっと手に持っていた、一冊の本をテーブルの上に置いた。
 その題名を見るために、私達侍女は刺繍を放って来客席に近寄っていく。テーブルの上に置かれた本の題名は、『天使の恋歌』。ナシーが執筆した新作の恋愛小説だ。
 その表紙には、題字の他にフルカラーで描かれた絵が印刷されていた。画家パレスによる表紙絵。すなわち、パレスナ王妃の絵である。

「できたのね! 私の描いた挿絵の本!」

 そう言って、パレスナ王妃が満面の笑みを浮かべた。

「むう、これは見事な絵だな……」

 先王が感嘆したように言う。表紙には、一人の天使が色彩豊かに描かれていた。名画といって過言ではない。書店で平積みされた暁には、衆目を集めるのは確実だった。
 それを見ながら、ナシーが言う。

「今回の作品は、結構な自信作なのだ。こんなに良い表紙を描いてもらえて、本当に嬉しい」

「表紙だけじゃなく、挿絵もばっちりよ」

「そうだな」

 ナシーが本をぱらぱらとめくり、とある挿絵ページで手を止めた。モノクロのイラストだ。パレスナ王妃は結婚前、後宮で毎日のようにモノクロイラストの練習をしていた。その成果が実ったのだろう。

「ふむ、自信作か。ナシーの本は売れているのか?」

 そう先王が娘のナシーに尋ねる。

「若い女性を中心にそれなりに売れているはずだよ。なあ、君達、ハナシーという作家の恋愛小説は知っているか?」

 ナシーが、私達侍女に尋ねてきた。その言葉を受けた侍女達はというと。

「ハナシーですか。うーん……」

 と、頭をひねっている。まあ、作家名で言われてもぴんとこないだろう。私はナシーに助け船を出してやる。

「『ミニーヤ村の恋愛事情』の作者だ」

「ミニーヤ村! 知っていますわ! 王城侍女のカヤさんに薦められて読みました」

「私もー。カヤに薦められて読んだー」

「カヤに教えられて読んで、面白かったので自分でも買いました」

 カヤとは、侍女宿舎で私と同室の王城侍女である。カヤ嬢、どれだけみんなに薦めているんだ……。

「そ、そうか。そのカヤという者には感謝しないとな……。その作者のハナシーが、私のペンネームなんだ」

 ナシーが表紙を侍女達に見せながらそう言った。

「王妹殿下が恋愛小説家! 皆目知りませんでしたわ!」

「言われてみれば、貴族の事情とか詳しく書かれてたかもー」

「サイン会のご予定とかはあるのかしら……」

 侍女達の反応に、ふふんとナシーは上機嫌になる。

「趣味が高じて人様の目に触れる商品となるとは、面白いものだな」

 そう先王が言うと、ナシーは言葉を返す。

「父上も趣味の盆栽では、その道の人の間で評判が高いではないですか」

 先王、盆栽やってるのか……。

「うむ! 最近では、自分に生えている枝を剪定して、見栄えがよくならないか挑戦中なのだ!」

 樹人化症を患う先王による病人トークが炸裂し、私達はどう反応していいのか言葉に迷った。ジョークと見なして笑うのも、不謹慎に思えるからなあ。病気の扱いって難しい。

「ま、この見本はパレスナに進呈するから、貰ってくれ」

 先王の言葉をスルーして、そうナシーが言う。

「ありがとう! 草稿は何度も読んだけれど、挿絵込みは初めてだから後でじっくり読ませてもらうわ」

「ナシー、俺にはないのか」

「自分の父親に自作の恋愛小説を見せるのは、ちょっとな……」

 先王の要求に、ナシーはそう困ったような顔を見せた。ナシーは今年で十八歳。思春期は過ぎたとは言っても、まだまだ難しい年頃なのだ。
 先王は娘の拒絶に、ショックを受けたような顔をしている。

「それよりも、今、魔法宮ではこの本の印刷の真っ最中なのだ」

 先王の様子を無視して、ナシーが言う。

「どうせだから、印刷されている様子を見学しにでも行かないか」

 ナシーのその言葉に、パレスナ王妃は「面白そうね」と快諾した。

 印刷か。カードゲームや推理小説、漫画本をティニク商会に提案してきたが、そういえば印刷の様子を見たことはなかったな。
 イラストのカラー印刷すら可能な印刷技術、どのようなものか結構気になる。
 私は、ナシーとパレスナ王妃に、自分も連れていってもらうよう頼むことにした。



◆◇◆◇◆



 王城の敷地内にある魔法宮。赤の宮廷魔法師団が詰める、一流の魔法使い達の部署である。
 そこに、ナシーと天使ヤラールトラール、パレスナ王妃、先王、そして侍女六人全員がやってきていた。思わぬ大所帯である。
 そして魔法宮に居た宮廷魔法師のお偉いさんに、ナシーが印刷の様子を見せてくれと頼み込む。

「んんー、印刷技術は、『幹』から借り受けている技術の中でも、特に高度なものなのだが……」

 印刷は秘するべき技術として、部外者にはおいそれとは見せられないものらしい。
 まあ、そりゃあそうか。地上世界は、道具協会によって文明技術が管理されている。本のカラー印刷は明らかに突出した技術であり、一般には広められない高度な技術の塊であると予想できた。
 だが、ナシーは食い下がる。

「そこをなんとかできないか」

「んー、どうするかね……」

 そう言いながら、宮廷魔法師は何やら私の方をちらちらと見てくる。
 ううーん、これは……。
 私は前に出て、宮廷魔法師に向けて侍女の礼を取った。

「どうにか、お願いできませんか」

 そう私が頼み込むと、宮廷魔法師はにこりと笑い、そして言葉を返してくる。

「私のことは、おじさまと呼んでくれたまえ」

 ……はあ。まあそれくらい構わないが。

「おじさま、どうかよろしくお願いします」

「うむ、おじさまに任せたまえ」

 宮廷魔術師は紙を取り出しさらさらと文字を書くと、勢いよくそれに魔法印を押し、ナシーに紙を渡した。
 そして、棚から何かを取り出し、私達にそれを配ってくる。
 ペンダントだ。魔法でそれを精査すると、どうやらこれは通行証になっているようだった。

「それを首から掛けておくように。印刷所は地下十二階だ」

 そう促され、私達は首にペンダントをかける。
 無事に見学は許可されたようだ。

「おじさま、ありがとうございます」

 そう礼を言っておく。

「いいともいいとも。今度、暇なときにでも魔法宮に遊びに来なさい。美味しいお菓子を用意して待っているよ、ウィーワチッタ君」

「はい」

 私は塔の魔女の弟子である。そしてその塔の魔女は、なにやらこの国の年配魔法使い達に人気だったようで、私はその人気を何故か引き継いでいるようだった。
 魔女が生きていたのは二十年も前だが、二十代の魔法使いにも私が人気の様子なのは、いまいち理由が解らないのだが。

「不老の術式、いつ見ても美しい……」

 そううっとりと言う宮廷魔法師。うーん、この身にかかっている魔法式も、一流の魔法使いから見てみるといいものに見えるようだな。まあ、表層に見える魔法式はあくまで一部だけなので、真似されるということはないのだが。

 そうして私達は、魔法エレベーターのある部屋へとやってきた。
 ナシーが担当の女性にそれを見せると、女性は「下へまいりまーす」と言いつつ魔法陣を起動させる。
 部屋が地下へと降りていき、そして止まる。

「うっ、なんですのこれ」

「体がー、ふわってしたー」

 初めて体験するエレベーターの感覚に、侍女達は戸惑っているようだ。

「地下十二階です。ご利用ありがとうございましたー」

 困惑する侍女達を追い出すように、女性がそう言う。
 魔法エレベーターの部屋を出た私達は、広い空間へと足を踏み入れた。
 空間の中央ではなにやら魔法設備が動いており、まばらに立つ宮廷魔法師の制服を着た魔法使い達がそれを監視している。
 そんな魔法使いの一人が、私達を見つけてこちらへと寄ってきた。

「おやおやー、見慣れない人達……って、魔女姫様に王妃様じゃーん!」

「王妹と先王もいるぞ。これ、見学許可証だ」

 ナシーがそう言いながら、上の階で受け取った紙を男性魔法使いに見せる。

「げえ、なにその要人集団。所長ー。所長ー。お客さんだよー!」

 男性魔法使いが、そう言いながらどこかへと駆けていく。
 そして、一人の少女を引き連れて戻ってきた。

「なによ、見学? この部署にどうやって見学取り付けたのよ」

「それよりも所長、魔女姫様ですよ! 魔女姫様!」

「魔女姫ー?」

 宮廷魔法師の制服に身を包んだ、赤髪の少女が、こちらをまじまじと見つめてくる。

「ふーん、あんたがセリノチッタの弟子?」

 セリノチッタとは、師匠の名前である。

「はい、キリン・セト・ウィーワチッタと申します」

 一応、今は侍女の格好をしているので、敬語を使っておく。相手は魔法宮のお偉いさんだろうからな。

「へー、話通り、子供のままで成長止まってるんだ。確かに、いまいましいあの女と同じ術式ね」

 少女がこちらに寄ってきて、ぺたぺたと私の顔を触る。
 そんな少女に向けて私は尋ねる。

「師匠とはお知り合いですか?」

「セリノチッタが魔法宮にいた頃、私の上司だったのよねー」

 師匠が塔の外にいた頃って、何十年前だそれ。見た目通りの年齢じゃないなこの人。

「左様ですか。師匠の経歴は、私はあまり知らないのですが……」

「お高く止まったいやらしい女だったわよー。ま、それと比べたらあなたはまともそうね」

「それは……師匠がご迷惑をおかけしたようで」

「ま、何十年も前のことだからいいわ。それよりも、見学ですって?」

 少女がそう言ってナシーの方へと向く。

「ああ、私の書いた小説が印刷される様子を見に来た。これが許可証」

 ナシーが少女に紙を見せながらそう言った。

「ああ、あの殿下の小説ねー。あれ、部数えげつないわね。しかも二ヶ国語って、どんだけ展開するのよ。推理小説ですらまだ外国用は刷っていないのに」

「ああ、ハイリン語版は、私が自ら翻訳したのだ。部数はゼリンに任せているから、よく知らないのだが」

「そのゼリンのせいで、印刷部門はすっかりフル稼働よ。忙しいったらないわ」

 まあ、ゼリンのティニク商会は小説に漫画にカードと、印刷技術使いまくっているからな。その分、魔法宮は儲かっているのだろうが。

「設備投資は道具協会の監査がうるさいし、やんなっちゃうわー」

 私の頬をむにむにといじりながら、少女が言う。その様子を、先ほどの男性魔法使いがうらやましそうに見てくる。
 私をいじるのがうらやましいのか、少女にいじられるのがうらやましいのか、どちらだろうか。

「道具協会と顧客の板挟みなのよ。魔女さん、この苦労わかる?」

「それはなんとも……おつかれさまです、所長さん」

「そう、おつかれなのよー。あ、私のことはお姉様と呼ぶように」

「……おつかれさまです、お姉様」

「やーん、この子素直で可愛いー。本当にセリノチッタの弟子なの?」

 今の私は仕事中。王妃様の侍女なのだ。優雅に対応するのだ。たとえ頬をむにむにされていようとも。

「そろそろ案内してくれるか?」

 私がむにむにされていると、ナシーがそう少女に催促した。

「はいはい、十名様ごあんなーい。って、十人って多いわねー」

 それは本当にすみません。なんだか侍女が全員付いてきてしまったのだ。
 まあ、普通じゃ絶対に見られない光景だ。気になるのも仕方がないだろう。

「『天使の恋歌』はこっちね。まずは表紙の印刷」

 横幅二メートルほどある台に案内される。台の端には予め裁断された無地の紙が束になって載せられており、それが移動用の魔法陣によって一枚ずつ横に送られる。すると、移動した紙の上で魔法陣が光り、瞬く間に表紙と背表紙、そして裏表紙が描かれた。
 ううむ、この一瞬で印刷が終わったのか。

 魔法陣の魔法式を見るに、インクは下の台の中にあるようで、そのインクが魔法陣によって上部へ移動、紙に吹きかけられ印刷完了。そして即座に乾くようになっているようだ。
 印刷された表紙は、横へとまた移動し、用意された箱の中に積まれていく。

「フルカラー印刷だから、ちょっと時間がかかってるわねー。ま、それでも午前中には全部印刷終わるでしょ」

 一瞬で印刷されているようにしか見えなかったが、これでも時間がかかっている方なのか。

「次行くわよー。こっちはモノクロ印刷」

 束になった少々不揃いの紙が、魔法陣によって次々と横に送られ、紙の上で魔法陣がちかちかと光ると文字が印刷されていく。印刷が終わった紙は魔法の刃によって裁断されて、また束ねられていく。
 めまぐるしく動くその様子に、一同は目を回している。
 私は、この印刷魔法陣とでも言うべき設備に、素直に感心した。

「すごいですね、この魔法道具は」

「あら、魔女さんは解るかしらこの素晴らしさが。どこがすごい?」

 私の賛美に、にやりと笑う少女。

「機械部分が台以外一切なく、全て魔法陣で構成されている。部品の摩耗や消耗とは無縁で、いつまでも動きますね、これは」

「いいところに目を付けるわねー。そう、旧来の印刷、例えば活版印刷は版の消耗が付きもの。でも、この魔法陣印刷機は、紙送りから印刷、裁断まで全部魔法陣で行なっているから、消耗知らずで故障知らずなのよ! お高いだけあるわね」

「お高いですか」

「『幹』の最新印刷機だから、お高いわよー」

 しかし、活版印刷なんてものも知っているんだな。所長だけあって、印刷には詳しいのか。
 活版印刷なんて、『幹』からすると何千年も前の古い技術だろうに。『幹』や魔法宮とは関わりのない新聞などの印刷物は、もしかしたら活版印刷を使っているのかもしれないが。新聞と言っても、瓦版みたいなやつだ。

「ま、ゼリンのやつのせいで製本はフル稼働だから、とっくに元は取れたけれど。今はばっちり技術料を取ってやっているわ。道具協会にいくらか持っていかれるけどねー」

 技術料か。そのおかげでいまいち本が値下がりしないんだけれどな。まあ、秘するべき最新技術を使っているのだから仕方がないか。
 印刷技術は道具協会の監視対象技術だから、市井の一般人がこの最新技術を使って勝手に印刷所を開設するというわけにもいかないしな。

「この国の製紙技術が高ければ、もっと効率は上がるんだけど、そこは道具協会の都合上仕方ないところね。さ、次行きましょうか」

 私の相手をして気を良くした少女によって、私達はさらに次の工程に案内される。

「最後は、表紙とモノクロページを接着剤で貼り合わせて、本の完成よ」

 これもまた魔法陣によって束ねられた紙がぴかっと光り、完成した本が積み上げられていく。
 ここまで一切人の手は加わっていない。全自動である。ただ、チェックは人力なのか、完成した本の山から数冊抜き出して、落丁がないかの確認を魔法使いが魔法で行なっている。
 その魔法使いも宮廷魔法師の制服を着ている。本のチェックはとてもアナログで、わざわざ魔法宮まで登り詰めた魔法使いがやるような仕事には思えない。しかし、ここの印刷技術は秘匿技術なので、魔法宮の人間以外に任せるわけにもいかないのだろう。ゴーレムに任せるのは……最終確認なので人力が必要か。

「以上、本の印刷でしたー。どう、このすごさわかってくれた?」

 少女が私以外の一同にそう言葉を投げかける。

「本って、こんなに早く完成するのね」

 そう驚きの声を上げるのは、侍女のサトトコだ。その言葉を受けて、少女はそうでしょうそうでしょうと嬉しげだ。
 ちなみに他の侍女の反応はというと。

「すごかったですわ。でも、すごかったことしかわかりませんでしたわ」

「すごかったけどー。すごすぎてなにがなんだかー」

 まあ、常人の理解の範疇を超えた技術だから、そういう反応も仕方がないか。
 一方、パレスナ王妃は着眼点の違うコメントをする。

「表紙、私の描いた絵の通りしっかり色が出ていたわね」

「あら、王妃様があの表紙描いたの? 色の正確な抽出は自信があるわよー。カードの印刷で散々やったからね、そういうのは!」

 まあ、カードは一枚一枚別のカラーイラストだからな。経験は溜まるだろう。

「高い予算をつぎ込んだだけあるな。見事な製本である! 後は、完成した本が、いかほどの値段で国民の手に渡るということであるが」

 そう言って先王がぎろりと少女を睨み付ける。だが、少女はどこ吹く風といった様子でそれを受け流す。

「道具協会への上納金がありますから、そうそう安くはなりませんよ。ま、道具協会的には娯楽が世に溢れてほしがっているようですから、そこをつつけば安くなるんじゃないでしょうか。私の仕事じゃないですけどー」

「そうか。息子に話を通しておく」

 先王はそう言って引き下がった。
 一方、本の作者のナシーはというと。

「なんだかよくわからなかったが、本がしっかり完成しているようなのでよし!」

 と、アホっぽいことを言っている。これでも化学の分野に関しては、王族の名に恥じないエリートなのだがなあ。
 ちなみに彼女の護衛の天使ヤラは、常時興味なさげだった。火の神的には印刷技術は興味の対象外のようだ。まあ、天界に本を取り込んでも火で燃え尽きるだけだしな。

「私、カードの印刷が見たいです」

 そう言うのは、最近トレーディングカードゲームにはまった侍女のビアンカだ。

「あら、ちっこいの。あんたカードに興味あるの?」

「先々月に始めました!」

「カードはねえ、今日は印刷してないのよ。あれは絵柄と文字が違うのがたくさんあるから、設定面倒なのよねー。その分、ふんだくってやってるからいいんだけど」

 前世では、札束を刷っているに等しいとまで言われていたらしいトレカの印刷だが、少女的には面倒な作業のようだ。
 まあ、カードは今のところ印刷代からくる単価の高さゆえに、一般人向けというより貴族や富裕層向けの遊戯だ。それゆえ大量印刷して大儲けというわけにはいかない。一般人が買い求めるようになるには、カードの元締めの一つである世界樹教による普及活動に期待するところである。

「残念ですー」

 カードの印刷が見られないと聞いて、すごすごとビアンカが引き下がる。少女はそんなビアンカの頬をむにむにといじくりながら、言う。

「しょうがないわねー。お土産に裏面だけ印刷した無地のカードをあげるわ」

「わー、なんですかそれ、面白そうー」

「ペンで好きなイラストとテキスト書いて、『わたしのかんがえたさいきょうのカード』を作りなさい」

「わーい。ありがとうお姉さん!」

「私のことはお姉様と呼ぶように」

 なんだか知らない間にビアンカが懐柔されている。

 そんなこんなで、印刷所の見学は無事に終わった。
 ビアンカ以外の三人の侍女達もちゃっかり無地のカードをゲットして、「宿舎のみんなに自慢できる」とほくほく顔だ。

 今日休みを取っている侍女の子も確かカードゲームをやっていたはずなので、これは荒れるな……と感じ取り、私は彼女用に一枚余分に無地のカードを確保しておくのだった。
 まあ、印刷所を見たかったと言われたらどうしようもないのだが。

 そして帰り際、魔法宮の一階にて。

「魔女さん、お菓子あげる」

「魔女姫ー、持っていって」

「俺も俺も。どうぞどうぞ」

 まるで親戚の子供に対するように大量のお菓子を持たされた。
 さらには。

「また来るように」

 と、宮廷魔法師のお偉いさんに念を押されるのであった。

「キリン、あなた彼らに何かしたの?」

 そう不思議そうに、パレスナ王妃が言うのだが。

「……さあ?」

 と、私は答えるしかない。
 魔女の弟子というだけでここまで人気になるのも、どうにも不思議なのであった。



[35267] 72.ファッションリーダー
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/10/05 20:43
「午後は商家の方が訪ねてきます」

 とある日の朝、王妃パレスナの私室で王妃と侍女一同は、本日の予定を確認していた。
 本日はフランカさんとビアンカの親子が休み。そんな頼れる年長者が欠けている状況で、外部の人間を招いて面会する予定が立てられていた。面会は今日の午後である。

「商家ね。面倒ねぇ」

 パレスナ王妃がうんざりというような顔で言う。

 商家を招くのは、王妃用の装飾品の発注が目的だ。
 以前スパイダーシルクのハンカチが届いたが、王妃が身につけるべきものはまだまだ足りていないらしい。パレスナ王妃が公爵家から持ち込んだドレスや装飾品があるが、国の顔として国民の前で顔を見せるには、持ち込んだ物では少々グレードが足りないものもあるようなのだ。
 なので、商家に見本を持ってきてもらって直接目で確認し、色々と買いつけるのだ。

「面倒くさがってどうしますの」

 侍女のメイヤが呆れたように王妃に言う。

「ええー、だって、服や装飾品なんて、適当にセットで用意してもらった物を身に付ければいいじゃない」

 こ、この人は……。
 私自身、装飾品の類は身につけない。だが、女に生まれ変わった身として、服はそれなりによいものを着て、身分や肩書きに相応しい格好をしようと昔から気を付けてはいる。だからこそ言わせてもらうと、パレスナ王妃のこの台詞は、典型的なファッションに興味がない人の考えだ。
 ただの町娘ならそれでもいいのだろうが、彼女は王妃。皆の前に立ち、皆の手本にならなければならない存在なのだ。

「パレスナ様、あなたさまは王妃です。皆のファッションリーダーなのですよ」

 そう言って私は、パレスナ王妃をいさめることにした。ファッションに興味のないクリエイターだが、王妃という立場がそれを許してはくれないのだ。

「ファッションリーダー……ええっ、私そんなのになったつもりはないけれど」

「王妃とはそういうものです」

 パレスナ王妃の困惑の声に、私はそう断言して返した。フランカさんからの受け売りだけれどな。
 王族の生活は国民の血税でまかなわれている。過剰な贅沢は絶対王政のこの国と言えども国民の反発を生む。だがしかし、王妃は国の顔である。みすぼらしい格好をしていては、他国から国全体の品格を疑われかねない。そんな王妃が着飾ってファッション界の先頭に立つのは、国のためにも必要なことなのだ。
 そんなフランカさんが以前、夕食の席で言っていたことをパレスナ王妃に説明すると、他の四人の侍女も私の主張に乗っかってきた。

「そうですの。一番目立つのが王妃という存在。皆が注目するのですわ」

「着飾るのもー。王妃様の仕事ー」

「若く美しき王妃。その装いを皆様が参考にしようとするでしょう。まさに流行の最先端です」

「私も参考にしたいです! 今日は勉強させてください!」

 順繰りに話しかけられ、パレスナ王妃はたじたじになった。
 新任侍女達と王妃も、いい感じに打ち解けてきたな。気安くなりすぎないよう、ある程度のところで一線は引く必要はあるが、遠慮のない忠言はできた方がいい。なにせ、パレスナ王妃はところどころでだらしなくなるからな。絵画に人間性を捧げていると言ってもいい。

「そう言われても、私ファッションなんて全然詳しくないし……」

「お手伝いします! お頼りください!」

 パレスナ王妃の情けない言葉にそう返すのは、この場で最年少の十二歳の侍女、マールだ。
 いつも元気いっぱいなのが特徴で、声量を出しすぎて、はしたないと侍女宿舎でよく注意されているのを見る。

「そう……。あなた達、頼むわよ。私一人ではファッションリーダーなんて無理だから、あなた達がコーディネートしてくれるのよね?」

「うっ、いざそう言われると、いまいち自信が……」

 パレスナ王妃のすがるような台詞に、たじろぐメイヤ達新任侍女四人。新任といっても新米ではないのだけれどな。

「私は貴族出身ではないので、無理ですね」

 私は、王妃と侍女四人に予めそう告げておく。

「ちょ、キリンさん。ずるいですわ。裏切りましたわね」

 メイヤが焦ったように言う。そんなメイヤに私は言葉を返す。

「私は前職は切った張ったの殺伐とした職で、ファッションとは長らく無縁でしたからね。新米侍女として、皆さんには期待しています」

「うわー。一番の年長者が逃げたー」

 侍女のリーリーがこちらを批難してくる。でも、無理なものは無理だ。

「皆さんは生まれついての貴族の子女。美しく着飾ることには慣れていますよね?」

 と、私は皆を見渡すが、さっと目をそらす彼女達。

「いざそう言われてみると、自信がないわね……。ファッションリーダー……」

 そう言う侍女のサトトコも、貴族の出だ。何が不安だというのか。

「年長者のキリンさんがこの調子では、他の年長者に頼りたいところですけれど……」

「こんな日に限ってフランカさんが休みなのが痛いわね……」

「責任重大過ぎて辛いー」

「自信ないけど頑張ります!」

 そんな侍女達を見て、パレスナ王妃は「あなた達も無理なんじゃない!」とふんまんやる方ない様子だ。
 仕方ないな。対策案を出そう。

「私にいい考えがあります」

 その私の言葉に、五人が一斉にこちらへと振り向く。お、おう。そんなに注目しなくても。
 私は女子五人の視線に気圧されながら、言葉を続けた。

「王妃のファッション事情は、王妃に聞けばいいのです」

「ん? 私から今更、何を聞こうというのかしら」

 パレスナ王妃が開き直る。いや、そうではないのだ。

「一つ言葉が足りませんでしたね。王妃のことは元王妃に聞けばいいのですよ」

「……ああ! それは名案ね!」

 パレスナ王妃がなるほど、と納得しながらそう言った。
 そう、王妃のことは元王妃に。元国民のファッションリーダー、王太后にヘルプを頼もうではないか。



◆◇◆◇◆



 元王妃、王太后ユーナ殿下は十代の若さで今の国王を産んだという。その国王の年齢は現在二十八歳。つまり、王太后は王妃を引退したといえども、四十代と隠居するにはまだまだ若い年齢だ。
 王太后は王族の一員であるため、アルイブキラの国土調整の仕事がある。しかし、生まれついての王族ではない王太后には、そこまで頻繁に仕事が回ってくることもないらしい。

 そんな感じで内廷で暇を持てあましているとき、突如、今の王妃から助けを求める声があがった。
 なんでも、元ファッションリーダーとして力を貸してほしいとか。

 王太后は喜んだ。元々、今の王妃とは仲良くしたいと思っていたのだ。そんな中で、女として頼りにさせるなんて、なんと嬉しいことだろうか。
 これは、王妃のために一肌脱がなくては。

 急きょ開催された王妃と王太后二人の茶会の場で、王太后はそんなことをとうとうと語った。
 王太后は本来、物腰柔らかな温和な女性だ。だが、よほどパレスナ王妃に声を掛けられたことが嬉しかったのだろう。若い少女のように楽しげに、自分の心境を話していた。

「それで、今日これから商家が訪ねてくるのですね?」

 銀髪金眼の容貌に、大人しいシックなドレスを着込んだ王太后。その王太后がパレスナ王妃に尋ねた。

「はい、是非ご指導いただけたらと……」

「あらあら、固いですよパレスナさん。ナギーに接するのと同じようにしてくれていいのですよ」

「……ええ、分かったわ、ユーナお母さん、よろしく!」

「あらあら、娘が二人に増えましたね。嬉しいです」

「私もお母さんができて嬉しい!」

 そんな会話をパレスナ王妃と王太后が繰り広げた。ちなみに、王太后のもう一人の娘とは、王妹のナシーのことである。
 商家が訪ねてくるまでもうしばらく時間がある。
 二人はお茶を飲みながらしばらく雑談を続けた。そして、ふと自分につく侍女の話になる。

「パレスナさんのところには若い子が多いですね。あなた、おいくつ?」

 王太后がそう話を振ったのは、この場で一番若い見た目の私だ。
 さて、どうするか。ここで実年齢を答えたら明らかに話の腰を折るのだが、嘘をつくわけにもいかない。

「……三十歳です」

「えっ」

 ほら、驚いた。なんの冗談をみたいな顔をしているな。

「魔法で歳を取らないようになっているので、十歳の頃で姿が固定されているのですが、三十歳です」

「ええ、そんなこと……」

 王太后がパレスナ王妃の方へと振り向くが、王妃は「本当よ。キリンは昔、有名な庭師だったの」と私の言葉を肯定した。

「魔法で幼いまま……」

 ぼんやりとそう呟いた王太后は、やがて何かに気づいたかのようにはっとした。

「それって私にも使えるのでしょうか?」

 王太后は身を乗り出して私に向かって質問してきた。
 ああ、若さを保つ秘訣って、知りたくなるよな。

「いえ、これは師匠に無理やりかけられた魔法の秘術なので、誰かに受け渡しとかはできません」

「あなたも、あなたもなのですね! 魔法宮の人達も、秘術だから教えられないって、そればっかり!」

 確かに魔法宮にも、若さを保つ魔法を使っている人いるからな。
 だが、若さを保ったり寿命を延ばしたりする魔法は、総じて高度な術である。他者にはおいそれと伝えられない秘伝の術か、そもそも自分以外には高度すぎて使うことのできない術式か。私の場合は後者だ。
 私が魔女から受け継いだチッタの秘術。そのシステムとでも言うべき仕組みの一つが、不老長寿の術式であり、他の術式と複雑に絡み合って単独で取り出せないようになっている。

「はあ、なかなか都合よくはいかないものですね」

 そう溜息をつく王太后。
 四十代ともなれば若さを強く求める年齢か。この世界では魔法によるアンチエイジングの実現が可能というあたりで、夢を見てしまう人も多いのだろう。
 私自身、十歳で歳が止まってしまったのは不本意だが、老いないこの体は三十歳になった今となってはありがたいことだと思える。
 美貌を保てるとかではなく、体の節々の劣化がないという部分だ。内臓は若いまま機能を保ち続けるし、すり減った軟骨も再生するし、歯も再生するすごい術式である。

「仕方ないですから、今日は若いパレスナさんを着飾らせて楽しむことにしましょう」

「お手柔らかに……」

「楽しみですね。ナシーはこういうのは無難にこなしてしまうから、今まで母親の出る幕がなかったのですよ」

「ええっ。ナシー、意外としっかりものなのね」

 そんな言葉を交わす王太后とパレスナ王妃。
 そうしているうちに商人達が王宮に到着したと連絡があり、私達は内廷の応接室へと移動した。
 そして、応接室に商人達が入ってくる。

「はじめまして、王妃殿下。おや、これは王太后殿下ではないですか」

「あら、あなたがたでしたか。パレスナさん、安心してくださいな。彼らは古くからある王家御用達の商会で、トータルコーディネートもお手の物ですよ。お任せしても、いい感じにまとめてくれます」

「本当? 助かるわ!」

「あなたがた、パレスナさんはなんというか……そう、ファッション初心者なのです。色々教えてあげてください」

「それはそれは。かしこまりました。では、まずは今のドレスに合うものから……」

 そうして、パレスナ王妃を着飾らせる時間が始まった。
 侍女達四人は、商人の言う言葉を聞き逃すまいと、パレスナ王妃の周囲に侍っている。
 私は……正直、高貴な女性のファッションなどちんぷんかんぷんなのだが、侍女である以上勉強しないといけないだろうなぁ。

「こちらは塩の国の特産品でして、塩湖に生息する貝の中で育つ、特別な石で――」

 うおう、海のない世界なのに真珠とか出てきたぞ。奥が深いな。
 そうして一通りの装飾品や靴を見た後に、王太后が口を開いた。

「ドレスも作らせたいのですけれど、今日、布は持ってきていますか?」

「ええ、よいものを揃えていますよ」

 そうして商人が用意していた新たな鞄から、布束が出される。

「王妃殿下の髪色と合うのは、こちらの色で――」

 そうこうするうちに時間は過ぎ、結婚式の準備で針子室の針子を相手にしたときにはなんともなかったパレスナ王妃が、疲れからかすっかりノックダウン状態に陥っていた。
 一方、侍女達四人は商人の詳しく解りやすい解説に、勉強になったと感心している。彼女達も将来結婚して貴族の妻として、商人を呼びつける側となる身だ。ここで得た経験はきっと役に立つことだろう。
 私は、まあ、気長に勉強することにしよう。

「それではご注文の品は後日届けさせていただきます」

「ええ、よろしくお願いしますね」

「よろしく、お願い……」

 そう言って王太后とパレスナ王妃は、退室する商人達を見送った。

 商人達が全員応接室を出て扉が閉まると、パレスナ王妃は大きく息を吐いた。

「はー、正直、何がなんだか」

「あらあら、パレスナさんは、まずは装飾に興味を持つところから始めませんとね」

「装飾に興味かぁー。正直、自分を着飾らせることに全く興味はないのよね。王妃である以上、義務であるとは思うのだけれど」

「そうね。では自分の好きなことに絡ませましょう。パレスナさん、女の人を肖像画に描くなら、美しいものの方がいいですよね?」
「ええと……見た目に貴賤はないと言いたいけれど、美しい題材の方がいいわねー」

「なら、題材になる女の人をいかに着飾らせるかを考えましょう」

「題材、題材……」

 パレスナ王妃は王太后と私達侍女を見渡し、そして私で視線を止めた。

「キリン、着飾りましょう?」

「ええっ、何故私なんですか」

 そこは幼さと大人っぽさを兼ね備えた妙齢の侍女リーリーとかじゃないのか!

「武で人の頂点に立った強者、それがプライベートでは一人の淑女になる。そんなギャップが絵の題材としていいのよ!」

 そのパレスナ王妃の言葉を切っ掛けとして、侍女達も色めき立つ。

「思えば、結婚披露宴の時のキリンさんには、装飾品が足りていなかったと思いますわ」

 そうなのか? 城の針子さんに薔薇飾りとか付けてもらったのだが。

「私は覚えてないけどー。でも面白そうー」

「キリンさんは、普段からもう少しめかし込むことを覚えた方がいいわね」

「題材にされてうらやましいです! でもキリンさんならきっとできます!」

 なんだよ、君達私をどうしたいんだ。

「あらあら、これは、部屋から色々持ってきませんとね」

 王太后もなにやら話に乗ってくる。

「それじゃ、私室に戻って、キリン大変身よ!」

 そうして私は、午後の仕事終わりの時間まで、一同に装飾品をつけられたり髪型をいじられたりと、ファッション訓練の実験台にされた。
 女物の服で着飾るのにはいい加減慣れていても、こう、小物をつけたり化粧をしたりするのはまだ慣れないな。などと、精神的な疲労を感じるのであった。



[35267] 73.ドキュメンタリー
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/10/05 20:46
 王妃付きの侍女として日々を過ごし、やがて休日が訪れる。特にこれといった休日の予定はなかったため、私は魔法宮に暇を潰しに行くことに決めた。
 以前、印刷を見に魔法宮に訪れたとき、訪ねてこいと散々言われていたから、一度顔を見せに行った方がいいだろうという判断だ。
 ただ、私に割り振られている休日は、一週間の中でも前世でいう日曜日に該当するような日だ。魔法宮に詰めている人も少ないかもしれない。

 これで誰も居なかったらどうするかなと考えながら、私は普段着で魔法宮に向かった。
 魔法宮の中に入り、この間ナシー達と一緒に訪れた部署へと足を踏み入れる。

「ごめんください。キリンです」

 休日と言えども現在の身分は侍女のため、敬語でそう言葉を投げかける。すると、室内にまばらにいた魔法使い達が一斉にこちらへと振り返った。

「うわ、魔女さん来た!」

「いらっしゃい魔女姫様!」

「遊びに来たのかい?」

 魔法使い達がこちらへと集ってくる。ふむ。さすがに休日だからか、人の数は少ないな。

「ええ、休日なので、顔を見せにまいりました」

「魔女さん、この日が休日かー」

「休日勤務でよかったわ俺」

「お菓子食べるかい? 頭脳労働だから甘い飴、常備してるんだ」

 どうやら歓迎ムードのようだ。よかった。
 私は受け取った飴を口の中で転がしながら、集まった魔法使い達を見る。ふむ、年齢はまばらだが、前回居た責任者らしき“おじさま”はいないな。まあ、彼らから私が来たことは伝わるだろう。

「せっかく来てくれたんだし、何しようか」

「魔女姫様、ティニクランドの設計者なんだろう? 例の施設の魔法設計見てもらおうぜ!」

「お前天才だな。よし、持ってくる」

 わいわいと魔法使い達が騒ぎ、そして私の前になにやらファイルが置かれた。

「これ、今度作る競技場の魔法設計仕様書。魔女としての観点でちょっと見てみてよ」

「……はあ、部外者の私が見てもいいものなのでしょうか」

「魔女さん、王族付きの侍女でしょ? それもう名誉宮廷魔法師みたいなものじゃん! 大丈夫大丈夫」

 なんだその飛躍した理論は。後で怒られても私は知らんぞ。
 そうして私は渡されたファイルを見る。へえ。今ある競技場を取り壊して、高度な魔法を随所に使った新施設に作り直すと。

「道具協会と話は付いているんですか?」

「競技場は娯楽施設に分類されるから通るって。まあ、使ってる技術が外に漏れないのが大前提だけど」

「なるほどなるほど」

 そうして私はファイルを確認し、文系魔法使いとしての視点で彼らに色々と意見を言ってみた。
 私は前世から一貫して文系なので、理系魔法使いのように理路整然とした魔法術式は組めない。だが、妖精言語のようなファジーな魔法は得意だし、理系ではない一般市民としての視点を魔法使いながら持てているつもりだ。

「なるほどなるほど、確かにこうした方が一般人には使いやすいか」

「魔法で動くって言われても、普通の人には分かんないかー」

「こういう考えから、あのティニクランドが作られているわけだね」

 どうやらここの魔法使い達は皆バリバリのエリート理系だったらしく、文系というか一般市民視点には立てていなかったようだ。相手はエリート農民じゃなくて普通の市民なのだから、あまり頭はよくないぞ!
 ちなみに、この国の識字率はかなり高い。本が市民向けの娯楽として成り立っているくらいだ。だが、前世ほどの高度な教育が施されているわけではない。金銭的に余裕がある農民は別だったりするが、王都のような大都市だと市民はそこまで金を持っておらず、教育も最低限の読み書き計算だけだ。
 王都の市民が金を持っていないのは、物価が高いせいかもしれないな。まあ、スラム街のようなものはないため、極端な貧民もいないのだが。

「素人意見ですが大体こんなところです」

 私はファイルを閉じて、魔法使い達にそう言った。

「ありがとう! いやー、これ今日休んでる奴が、ずっと悩んでた内容なんだ」

「助けになれたようで何よりです。ところで皆さん、ご自身の仕事はよろしいんですか?」

 私がそう言うと、「うっ」と魔法使い達はうめいた。

「いやでも、せっかく魔女さんが来てくれたんだし……」

「お仕事を邪魔してまで、居座る気はないですよ?」

「はいはい、じゃあみんな仕事に戻りなー。俺が面倒見てるから」

「てめえ! 仕事はどうした!」

「午前中の業務は全部終わったんだなぁ……。いやあ自分の優秀さが憎いわ」

「くっ! 呪われてしまえ!」

 そんなこんなで、集まっていた魔法使い達が自分の席に戻っていく。
 そして私は、一人だけ残った魔法使いに促され、部屋の隅の事務机に案内された。

「魔女姫様が来たなら、せっかくだからアーカイブでも見ようか」

「アーカイブ、ですか?」

「ああ、通称じゃ分かんないか。軌跡だよ、軌跡」

「軌跡……?」

 私が謎の言葉に首をひねっているうちに、魔法使いは机の引き出しから魔法道具を取り出し、操作を始めた。
 どうやら、幻影魔法で映像を再生する魔法道具のようだ。

 魔法使いがそれを操作すると、幻影魔法でモニターが出力された。
 そこに映っていたのは、私だ。

 ……はあ?

 本気の装備で完全武装した幼い少女。魔法で限界まで強化した鎧に、巨大な斧。金属糸で紡がれた服。
 数ヶ月前の魔王討伐戦でも使っていた愛用の装備達だ。
 そんな武装をした私が、真面目な顔で映っている。

 そして、そんな映像にテロップが表示される。

『魔女ウィーワチッタの軌跡!~悪竜討伐編~』

 なるほどなるほど。災厄である悪竜討伐の時の映像か。

「って、なんでですか。いつのまにこんなの撮ってたんですか」

「あれ、魔女姫様ご存じない? 軌跡シリーズ」

「シリーズなんですかこれ!?」

「魔法宮で大人気のシリーズだよ。俺も悪竜編は初めて見るけど」

「なんなの……」

 私はわけが分からないまま、映像を眺めた。
 映像では、災厄と悪竜について、前世のドキュメンタリー番組のように音声付きで解説されていた。
 その音声は、聞き覚えのある男性の声だ。この声は、音声魔法に使われる『デフォルト音声』だ。音声魔法の術式を初期値で使った場合、この声が出力される。通りのいい、解説に使うのはうってつけの声だと言えた。

 解説音声によって、私ことキリンが災厄に集っている魔物の露払いを担当することが説明される。この解説は事実だ。悪竜と直接対決するのは、勇者とその仲間達。庭師や世界各国から集められた戦力は、災厄のもとに集まろうとする魔物を退治して、勇者の活路を作ることが仕事だった。

『時間だ、行くぞ』

 庭師の仲間が、号令をかける。そして、映像の中の私が言った。

『本気で斧を振り回すから、私には近づくなよ』

『おお、怖い怖い。巻き込まれたら肉片も残らねえや』

 庭師が、そして世界の戦士達が魔物の群れに突撃する。カメラアングル上手いなこれ。
 カメラがズームインして、再び私が映る。
 映像の中の私が、斧を振り回すと、魔物が真っ二つになり光へと変わる。浄化されたのだ。
 そんな私に周囲の魔物が次々と襲いかかってくる。それに対し、私は斧を縦横無尽に振り回し始めた。

 これは、剛力魔人百八の秘技の一つ、旋風斬り。
 魔人としての腕力を使って全力で武器を振り回し続けるという、単純かつ乱暴な技だ。制空圏に入った者は武器に触れた瞬間、とてつもない力で破壊される。何者も寄せ付けない、接近戦では無敵の技である。
 過剰な腕力を使って問答無用で相手を破壊するので、対人戦では使えない技でもある。戦闘でも可能ならば人殺しは避けるべきなのが、悪意を善意に変える庭師だからな。

 私が前へと進むたび、魔物達はことごとく光へと変わる。
 そしてカメラがズームアウトすると、どうやら人類側が優勢のようで、魔物が次々と消えていっている。

 だが、それも悪竜が戦場に現れるまでのことだった。
 木の葉でできた鱗を全身にまとった、緑の巨竜。その竜が咆哮すると、人々の動きが止まった。
 映像の中の私も斧を振り回すのを止め、首をすくめている。その表情は、恐怖に染まっていた。

 そして、悪竜が前へと歩き始めた。周囲にいる魔物も気にせず踏み潰し、前線へと近づく。
 やがて悪竜は、一人の人間の前で動きを止めた。
 悪竜の前にいたのは、私だった。

「うはっ、魔女姫様ピンチ!」

 魔法使いが手に汗を握るといった様子で、その映像を眺めている。
 映像の中の私は、竜を前に身を縮こまらせ、小刻みに震えている。この時は本当に怖かった。咆哮に乗った魔力が、今までに感じたことがないほどの威圧となり、その存在の大きさと邪悪さに圧倒されたのだ。

 やがて、映像の中の悪竜は、その巨大な首を下げ、するどい牙が生えそろった口で私を噛み砕こうとする。
 そのときだ。
 映像の中の私は、引きつった顔のまま斧を振り上げ、悪竜の顎を上へと吹き飛ばした。

「おお!」

 その快挙に、映像を眺める魔法使いが小さく歓声をあげる。

 悪竜はさらに食いつこうと勢いよく頭を振り下ろしてくるが、そのたびに斧が舞い、悪竜の顔が上へと跳ねる。
 浄化の魔法をまとった斧により悪竜の顔に傷がつき、牙がへし折れ光へと変わる。
 噛みつくのを諦めたのか、今度は悪竜はその巨体で踏み潰そうと前足を私に向けて振り下ろした。
 だが、それすらも私は斧で迎えうち、悪竜の巨体は大きく上空へと吹き飛んだ。
 そこで、ナレーションが入る。

『恐怖で身を縮めた魔女ウィーワチッタ。しかし、彼女はその戦士の本能と戦闘経験で、反射的に悪竜を迎撃したのだ』

 この時の私の記憶はおぼろげだ。こんなことになっていたのか。よく生きていたな私。

 そして、吹き飛んだ悪竜は、そのまま両翼を羽ばたかせ、空へと飛んだ。悪竜は地を見下ろしながら、その場で大きく息を吸い込んだ。竜のブレスの兆候だ。
 下にいる私、そして戦士達は咄嗟に防御体勢を取る。
 だが、突如、悪竜の口が閉じ、行き場をなくしたブレスが悪竜の口の中で炸裂した。
 轟音を立てて悪竜の頭部が爆発し、そして悪竜が地に落ちてくる。

『待たせたな!』

 魔法障壁を出して地にへたり込む私の背後から、そんな声がかかった。
 勇者である。
 勇者は糸使いだ。その糸を使って、悪竜の口を閉じた。そんなナレーターによる解説が入る。
 そして、勇者が言う。

『悪竜は俺達に任せろ』

 そうして勇者とその仲間達は、悪竜との戦闘を開始した。
 尻餅をついていた私はへろへろと立ち上がると、悪竜の周囲へと集っていく魔物に向けて再度突撃していった。

 戦闘は続き、そして勇者達の活躍によって悪竜は倒れた。
 悪意の塊である悪竜の身体は、勇者の持つ浄化の力によって光へと変わる。そして光は弾け、エメラルドグリーンの光の粒となって周囲に降り注いでいった。

『こうして魔女ウィーワチッタの活躍もあり、災厄は無事浄化されたのであった』

 そうナレーションが入り、終わりとテロップが表示される。
 全部で二十分ほどの映像だった。

「いやー、すごかったね災厄。俺が入団する前でよかったよ。こんなのに駆り出されたくない」

「……こんな映像がシリーズであるんですか」

「ああうん。魔女ウィーワチッタの軌跡シリーズ。魔女姫様の活躍の映像記録だけど、庭師の活動だけじゃなくてね。最新のは結婚披露宴で着飾った魔女姫様の映像だったよ」

「え、侍女の仕事も映像撮られているんですか」

「侍女の仕事は王城の中だから、撮影は魔法宮が魔法で妨害してるよー。俺としては侍女の仕事もシリーズとして見たいんだけどねぇ」

「魔法宮が妨害……これ作ってるの魔法宮じゃないんですか?」

「違うよ。魔法宮の魔法師は全員閲覧できるけどさ。作ってるのはセリノチッタの塔のゴーレムさん」

「塔のゴーレム……あの世界樹ゴーレムか!」

 私は勢いよく立ち上がり、その場を去ろうとした。

「ちょっとちょっと、魔女姫様どうしたのさ」

「塔まで行ってクソゴーレム締めてくる!」

「ええっ、今から!?」

「往復に半日もかかりません」

「ひえー。ま、まあ落ち着いて。この映像装置に問い合わせ機能あるからさ」

「問い合わせ機能?」

「消費者相談窓口があって、ゴーレムさんと直接会話してリクエストとか出せるの」

 なんだその万全な態勢は。
 私は席に座り直して、魔法道具の前に向き直った。

「それじゃあ、連絡お願いしていいですか?」

「いいけど、何話すの?」

「無許可でこんな映像作ったことに、文句を言おうかと」

「無許可だったんだこれ……」

 そう言いながら、魔法使いは魔法道具を操作し、空間投影モニターが再び出力される。
 モニターには、連絡中と文字が表示されている。
 そして、その文字が消え、モニターにあのゴーレムの顔が映った。

「はい、こちら消費者相談窓口。本日はどうしました」

「出たな、クソゴーレム」

「おや、あなたですか。どうしましたこんなものを使って」

「見たぞ。ウィーワチッタの軌跡とかいうの。これ、どういうことだ」

「どうとは?」

「なんでこんなものを作って配っている」

「次期魔女となるべき者の成長記録を撮り、それをお披露目しているだけですが?」

「なんでお披露目することになるんだ!?」

 成長記録はぎりぎり理解できないでもない。でもお披露目ってなんだよ!

「魔女はこの国の魔法使い達の先頭を行く者。魔女に就任する前からお披露目して、その姿を周知するのは当然です」

「どうして当然なんだよ! 勝手に撮って勝手に公開するな!」

 私がそう言うと、モニターの中のゴーレムは、溜息をついてやれやれといった様子で首を振った。

「映像が公開されて、あなたになにか不都合でもありますか?」

「不都合だらけだ!」

「具体的には?」

「具体的……具体的にはそう、私生活を暴かれて恥ずかしいだろうが」

「世界の人々から注目されていた『幹種』の庭師ともあろうあなたが、いまさら恥ずかしいですか?」

 ……む。

「戯曲にもなって、絵画にもなって、トレーディングカードゲームとかいう遊戯にもなったあなたが、いまさら映像の一つや二つで恥ずかしいですか」

「一つや二つじゃなくて、シリーズと聞いたが」

「いまさら映像の五十や百で恥ずかしいですか」

「待て、シリーズどれだけあるんだお前この野郎」

 私はゴーレムを睨み付ける。が、ゴーレムはどこ吹く風だ。やっぱり直接言って物理的に締め上げるしかないか。

「あなたがこの国の魔法使い達に受け入れられているのは、この映像のおかげです。ありがたがられることはあっても、叱られる覚えはないですね」

 くっ、確かに魔法宮の人達の印象はやたらといいが。
 このシリーズというのが私が子供の頃からの記録ならば、魔法宮の人達がやけに好感触なのも頷ける。私が成長するさまを見守られているのだ。……やっぱり恥ずかしいぞこれ!

「というわけで侍女の仕事風景も撮影したいので、許可をもらえるようあなたも頼みなさい」

「いや、それとこれとはまた別問題だ。王妃の身の回りを撮影して公開するなんて、保安上できるわけないだろう」

「ちっ! このままではコンテンツの供給が途絶えてしまうではないですか。もっと城の外に出なさい。そして魔女になりなさい」

「勝手に魔女ウィーワチッタとかシリーズ名を付けてるけど、私は魔女ではないからな」

 魔法宮の人達が私のことをやたらと魔女扱いしてくるのはこのせいか。
 でも、いいこと聞いたな。私が王城で侍女として働いている以上、こいつは新しい映像を撮れないということだ。休日に外へ出たらパパラッチのごとく目に見えない撮影魔法が飛んでくるのだろうが、休日に遊ぶ様子なんて魔女の軌跡を名乗る成長記録には相応しくなくて使えないだろう。

「とにかく、私は王城に留まり続けるから、新規映像は作らないように」

「何を言っているのですか。全世界の魔女を待ち望む人々が嘆き悲しみますよ」

 いつ魔女とやらはそんなワールドワイドな職業になったんだよ。
 今度は私が溜息をつく番だ。私は魔法道具を操作して通信を打ち切った。動機が馬鹿馬鹿しくて、なんだか怒る気もなくなったな。

「新規映像が作られない……ううむ、暇なときの楽しみなのにそれは困るな……」

 横に座る魔法使いがそんなことを思い悩んでいる。
 いや、王族の保安上そこは本気で阻止し続けてくれ。この映像がどこまで拡散されているのかも分からないのに、内廷丸裸とか困るぞ。
 本当に頼むぞ!



◆◇◆◇◆



『ん? 魔女ウィーワチッタの軌跡なら我も知っておるぞ。こちらではそれなりの人気コンテンツなのではないか?』

 その日の正午、私は侍女宿舎の自室にこもり、『女帝ちゃんホットライン』で『幹』にいる女帝と連絡を取っていた。
 話題は、先ほどの映像についてだ。

「『幹』にまで拡散しているのか……」

『市民向けコンテンツじゃなあ』

「どういう経路で、映像が伝わっているんだ……」

『セリノチッタは幹出身の魔法使いじゃったからのう。そのコネクションを配下のゴーレムが使用しておるのじゃ』

 師匠が『幹』に関わりがあったというのは、魔女の塔の地下に世界樹トレインがあることで分かってはいたが……。まさかゴーレムのやつがその関わりを悪用しているとは。

「まったく、出演料を請求したいところだな」

『無料コンテンツじゃから、それも無理じゃな』

「私の扱い安くないか!?」

 どれだけ私を魔女にしたいんだあのゴーレムは。くっ、私は外圧には負けんぞ。

『初心者庭師が一流の庭師になるまでの記録でもあるので、生活扶助組合でも参考記録として扱っているはずじゃぞ』

 生活扶助組合とは、庭師が所属する組織のことだ。ある程度大きな町には組合が必ずあるが、本部は『幹』にある。

「私は魔人なうえに、魔女の弟子で高度な魔法を最初から使えているから、普通の庭師の参考にはならないだろう」

 私は人間離れした怪力を持つ魔人である。普通の庭師では絶対に持ち得ないアドバンテージを最初から持っていることになる。

『それでも、初心者がどういう手順で、幹種まで駆け上がっていくかの順序の記録として、映像に残っているのはやはり違うのじゃ』

「庭師の仕事が映像に撮られているってことは、きっと私の依頼人もそのまんま映っているんだよな。肖像権のない世界はこれだから全く……」

『権利というものは、もっと高度な社会になってから考え始められるものなのじゃ』

「地上が低度な社会になっているのは、『幹』の都合によるものだろうが」

『そうじゃのう。再生させた大地の開拓が済めば、人口抑制も解除になって、文明技術解放して移民させ放題なのじゃが……』

 二千年前に汚染されたという惑星の一部の大陸が開放されたのは、つい数ヶ月前のことだ。
 その大陸は草一個生えていない荒野になっていたというから、人が住めるようになるにはまだしばらくかかるだろう。

「まあ惑星再生は頑張ってくれ。私は死ぬまで世界樹にいると思うけれどな」

『おっと、再生と開拓が終わった大地は、観光名所としてもなかなかのものになるのじゃぞ? 楽しみにしておれ』

 そんなこんなで、女帝との通信は終わった。
 私は、部屋のカーペットの上にごろりと転がる。そして。

「『幹』で人気コンテンツって、広がりすぎだ!」

 私はそんな今更な事を全力で突っ込んだ。
 本当にワールドワイドな存在になってやがるぞ、魔女! そんなことを元ワールドワイドな庭師であった私は思うのであった。

 ある意味理不尽な状況に、打ちひしがれるしかないはずの私。しかし。

「ふふっ、まるで前世の芸能人だなこれは」

 有名人になったという事実に、私の顔は何故かにやにやしまうのであった。
 元々庭師として世界的に有名だった私。いつの間にか私は、有名になることを嬉しく思うような体質になっているようだった。
 まいったな。これでは、魔女の塔に帰ったときに、ゴーレムを強く叱れないじゃないか。



[35267] 74.ティーパーティ
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/10/05 20:48
 塩の国エイテンの第三王女ハルエーナが、こちらの国に戻ってきた。彼女は、塩の国の親善大使として月の半分をこの国で過ごすことになっている。
 本日は、その王女の訪問に合わせ、パレスナ王妃主催による歓迎のお茶会が開かれる予定だ。

 お茶会の舞台となるのは、王城内にある植物園である。この植物園では年中薔薇が咲き乱れており、王妃がお茶会を開くのに相応しい立地だ。
 今回のお茶会の参加メンバーは、かつて後宮に詰めていた王妃候補者達。現在、王妃との顔つなぎのために面会を希望する貴族は多いが、今回は身内のお茶会ということで後宮関係者以外の参加はない。ハルエーナ王女の歓迎会というよりは、早すぎる同窓会だな。

 植物園の中にある東屋にテーブルが用意され、椅子が並べられている。そこに、春物のドレスを着込んだ令嬢達が優雅な姿勢で座っている。
 前回全員が集まった後宮解散のお別れ会からひと月弱。久しぶりというほどでもないが、令嬢達は再会を喜んでいた。
 そして、私達侍女一同は、令嬢達にお茶を用意し、お茶菓子を配っていく。

 このお茶菓子を作ったのは、お茶会の参加者の一人であるトリール嬢だ。
 彼女はこの春、王宮菓子職人の副職人長に就任した。
 十六歳とまだ若いが、その菓子作りの腕前はすでに熟練の域にあり、パレスナ王妃だけでなく国王もその味に魅了されているほどだ。
 そんな彼女が、お茶菓子を前にした令嬢達に向けて言う。

「今日のお菓子は新作菓子のジュース揚げですよー」

 白磁の皿の上に載せられているお茶菓子は、茶色い揚げ物だ。上にはベリーソースだろうか、紫の液体がかけられている。

「ジュースを……揚げる?」

 猫を膝の上に載せたハルエーナ王女が、不思議そうにお茶菓子を眺める。
 そんな彼女の反応に、トリール嬢は満足そうに笑みを浮かべ、解説を始めた。

「麦粉にフルーツジュースを混ぜて、さらに蟻蜜を足して揚げましたー」

 それはなんともまあ、カロリーが高そうなお菓子だ。ドーナッツの一種か。見た目は沖縄名物サーターアンダーギーっぽい。
 お茶菓子なので皿に載った数は多くない。そのため、食べ過ぎて太る心配はしなくていいだろう。もしも、間食としてもりもり食べた場合は、デブ一直線だろうけれども。

「ん、甘くて美味しい」

 早速、ハルエーナ王女がお茶菓子を口にした。この国のお茶菓子は甘くないものが多いのだが、トリール嬢の作るお菓子は甘いものが多い。
 この国は農業大国なので砂糖の原材料は作り放題だし、花畑を作って羽蟻による養蜂ならぬ養蟻も盛んである。トリール嬢が王宮菓子職人になったことで、今後は甘味文化が花開くことがあるかもしれない。

「名前はジュース揚げでいいのかしら? 固有の名前はつけていませんの?」

 ミミヤ嬢が、目を輝かせながら言う。
 彼女は新しもの好きだから、新作菓子に関心を持ったのかもしれない。

「知らない人がジュース揚げって聞いたら、液体を揚げるとはどういうことだって興味を引かれるから、この名前でいいって職人長が言ってましたー」

 王宮菓子職人の職人長か。パレスナ王妃へ挨拶に来たことがあるが、五十歳ほどの体格のいい男性だった。菓子作りって粉を捏ねるとかで腕力使うから、意外と筋肉質になるんだよな。
 そんなこんなで新作菓子の感想を令嬢達は口々に述べ合い、やがて話の内容は皆の近況へと移る。

「ハイツェンの状況はどう?」

 と、パレスナ王妃がハルエーナ王女に尋ねる。ハイツェンとは鋼鉄の国と呼ばれる鉱物産出国のことで、ハルエーナ王女の母国エイテンに併合されることが決まっている国だ。
 ハルエーナ王女は、渋面を浮かべてその問いに答えた。

「鉱山奴隷がいた」

「えっ」

 場が一瞬ざわりとした。驚きの声を上げたのは、令嬢達だけでなく、周りに侍っていた侍女達もだ。

「隠し鉱山があって、働かされている人達が奴隷の扱いをされていた」

 本当に嫌そうな顔でハルエーナ王女が言った。
 本当だとしたら大変な事実だ。
 人を奴隷にすることは禁止されている。それはこの国だけの決まりではない。全世界での決まりだ。

 人は善に生きなければならない。最大宗教の世界樹教の教えであり、世界の中枢『幹』の基本方針だ。
 人が善意を生み出して生きれば世界はよく回り、悪意を生み出せば世界に溜まるよどみとなって、魔物や災厄の獣のもととなる。奴隷となり虐げられる者は、悪意を生み出し続ける存在になる。故に、奴隷制度はこの世界にはないのだ。
 だが、世の中にはその流れに逆らう悪人がいるようだ。人を奴隷にしたことが露見したら、世界的な重犯罪者として扱われるというのに。

「世の執政者達が貧民を生み出さないよう苦労しているというのに、貧民どころか奴隷だなんて……」

 そうぼやくのはパレスナ王妃の叔母であるモルスナ嬢だ。彼女は王都で働く法服貴族のため、執政者の苦労というものを知っている。
 貧すれば鈍するという前世の言葉が示すとおり、貧民もまた悪意を生み出す存在だ。
 ゆえに執政者は、貧民が生まれないよう奔走することになる。
 この国の王都の人口は多いが、いわゆるスラム街的なものは存在しない。まあ、この国が豊かという点も大きいのだが……。

「あー、やだやだ。暗くなっちゃうわ。別の話題にしましょ」

 パレスナ王妃が話を打ち切った。まあ、確かに令嬢達のお茶会の席で引っ張るような話題ではなかったな。

「みんな後宮から出て婚約者も作れるようになったけれど、どんな感じかしら?」

 そうパレスナ王妃が、新しい話題を皆に振った。
 後宮は王族による長期的お見合い会場だ。後宮に呼ばれるという事実だけで、素晴らしい人物だという評価を貴族社会からされ、縁談が多数舞い込むという。

「そういうお話は、よく来ますわね」

「ミミヤ様は、元々引く手あまただったのではー?」

「まあ、そうですわね」

 ミミヤ嬢とトリール嬢がそんな言葉を交わす。

「というか真っ先に結婚したパレスナから、勝者の余裕のようなものを感じて、イラッとくるわね」

 王妃相手にそんな軽口を言ってのける、王妃の叔母。王族相手といえども、身内だからよいのだろうか。
 そんなモルスナ嬢の言葉をさらっと流して、パレスナ王妃はファミー嬢の方へと向く。

「ハルエーナはまだ幼いからそういう話はないとして、ファミーはどう?」

「えっと……」

 話しかけられたファミー嬢は、視線を上に彷徨わせ、儚い声で言葉を紡いだ。

「実はわたくし、王宮の書記官の方と、お付き合いすることとなりまして……」

「まあっ!」

 令嬢達が色めき立つ。

「お付き合いってことは、もしかして縁談とかではないのかしら?」

「はい……」

 パレスナ王妃の問いにファミー嬢が答え、またもや「まあ!」と周囲から声が上がる。
 ファミー嬢は侯爵家の令嬢だ。現侯爵の妹で、いわゆる上級貴族と呼ばれたりする家の出である。そんな令嬢が、お見合い婚などではなく恋愛をするのは、そこそこにインパクトがある話だ。

「本を運んでいるときにお手伝いしていただいたご縁で、よくお話しするようになったのです……」

 一同の視線がファミー嬢に集まっている。給仕の侍女達も興味津々だ。ただ一匹、ハルエーナ王女の猫だけは、暇そうに尻尾をゆらして目をつぶっている。

「本好きな方で、私的な本の貸し借りもしていたのですけれど、休日に書店巡りを誘われまして……」

「デートの誘いね!」

 パレスナ王妃が楽しそうに合いの手を入れる。

「はい。その書店巡りの最後に告白されまして、お付き合いを始めることとなりました」

 そこまで言ってから、ファミー嬢は恥ずかしそうにうつむいた。……恥ずかしそうであるが、言いよどむことなく言ってのけたということは、誰かに自慢したかったのかもしれない。

 貴族は貴族同士で結婚する都合上、恋愛結婚が少ない。大抵、格の釣り合う家同士で縁談を組むものだ。
 貴族が普段一箇所に集まるという場が、騎士団と王城くらいしかないというのも大きい。

 だからこそ、貴族の子女は恋愛結婚というものに強い憧れを持っている。そんな中、後宮が開かれる前に国王と恋愛をしたパレスナ王妃は、全国の貴族令嬢達の憧れの的なのだ。ということを侍女宿舎で同室のカヤ嬢が言っていた。

「いいネタになったわ」

 そうにっこりと笑うのは、プロの漫画家という肩書きを持つモルスナ嬢だ。
 彼女の描く漫画は、貴族令嬢が恋愛をする少女漫画である。ファミー嬢の体験談は、言葉通りそんな漫画のいいネタになるのだろう。

 その後も令嬢達はファミー嬢から話を聞き出し、恋人である相手の経歴などが語られた。個人情報の保護なんて概念は無かった。
 そしてそんな話も一段落し、今度はハルエーナ王女がパレスナ王妃に尋ねた。

「パレスナは、国王との新婚生活はどう?」

「あ、聞いてくれる? 実は、今度旅行に連れていってあげるって言われたの」

 なぬ? 私、侍女なのにそんな話聞いてないぞ。

「キリンから聞いたハネムーン……ええと、新婚旅行の話を昨夜したら、連れていってくれるって」

 ああ、昨夜急に決まった話なのかね。そりゃあ私も知らないわ。

「旅行? 視察や外遊ではなくて?」

 モルスナ嬢がそう尋ねる。それにパレスナ王妃が答える。

「ええ、旅行よ。珍しい場所に遊びに行くって」

 旅行かぁ。当然、侍女の私もついていくことになるよな。
 侍女として遠出するのは未経験だ。大丈夫だろうか。侍女歴の長いフランカさんがいるから大丈夫か。三十路の私は侍女歴半年。歳の割には役立たずだ。こういうとき年長者がいるのは助かるな。

 なお、パレスナ王妃は旅行に行くということ以外、何も話を聞いていないらしく、どこに行くかも不明のようだった。

「エイテンにも遊びに来てほしい。いい国」

 そうハルエーナ王女が皆に向けて言った。

「塩の豊富な国の料理、気になりますねー」

 そう興味を示すのはトリール嬢だ。
 この国は塩が稀少なため、一般料理は塩の使い方が大雑把で、貴族料理は薄味料理となかなか微妙だ。

 その点、塩の国エイテンは様々な塩の使い方をした料理が特徴である。肉料理や魚料理は絶品だし、塩釜焼きなんかもある。
 ただ、野菜は微妙だ。土壌が塩で汚染されているため、農業に適していない国なのだ。穀物は輸入でまかなっているため一応揃っているが、新鮮な野菜は乏しい。
 この国と塩の国を足して二で割れば、ちょうどよい塩梅の料理大国になるのだがな。塩の国から塩の輸出量が増えれば、この国の料理もよくなるだろうか。

「エイテンには、併合の式典のときに向かうと思うわ。式典、やるわよね?」

 そう尋ねるのはパレスナ王妃だ。
 それに対しハルエーナ王女は、「やる」と端的に答えた。

 隣国の大きな式典ともなれば、この国の国王夫妻も参加せざるを得ないか。パレスナ王妃の結婚披露宴に、エイテンの国王もきていたしな。

「隣の大陸の言葉、式典までに話せるようになっているかしら……」

 パレスナ王妃が不安そうに言う。

「世界共通語を二年もかけずに習得したんだから、大丈夫じゃない?」

 モルスナ嬢がそんな言葉をかける。そう、パレスナ王妃は、王族に必要となる世界共通語、『幹』の言葉をマスターしている。
 正直、隣の大陸の言語より習得が難しい言語だ。だから、私はあまり心配していない。勉強し続ければ問題なく覚えきれることだろう。なお、その間、趣味の絵画の時間はなくなる。頑張れ。

「あの、わたくしでよければ勉強に協力しますので……」

 本を読むために隣の大陸の言語を習得したというファミー嬢が、そうパレスナ王妃に言うが、王妃は「大丈夫よ」と笑みを浮かべた。

「うちにはキリンっていう立派な教師がいるからね」

 令嬢達の視線が私に集まる。私はそれに目礼で答えた。

「確かに、優秀な庭師は世界中を股にかけると言いますわね」

「キリン、うちにも一人ほしいわ……」

「お菓子のアイデア用に一人ほしいですー」

 などと、彼女達は思い思いの意見を述べた。さすがに元庭師だろうがなんだろうが、一人一人に行き渡るように分裂したりはできないぞ。
 そんな調子で会話は弾み、やがてお茶会は終了となった。
 だが、すぐさま解散とはならず、皆で春の植物園を散策しようという話になる。

 そこにフランカさんの夫だという園丁がやってきて、彼の先導でゆっくりと薔薇の咲き乱れる植物園を歩いていく。

「綺麗」

 ハルエーナ王女が薔薇に顔を近づけながら端的にそう言った。
 塩の国は土壌の関係上、このような巨大な薔薇園を作ることは困難なのかもしれない。

「見事な園ですわね。どうせなら楽士でも連れてくるのでしたわ」

 そんなことを言うのは、ミミヤ嬢だ。花盛りの植物園で音楽鑑賞か。優雅でいいな。

「あら、音楽なら聞けるわよ。キリンー。何かここに相応しい音楽演奏して」

 唐突にパレスナ王妃が私に向けてそんな無茶ぶりをしてきた。

「ええー……、急にそんなこと言われましても」

「できないの?」

「できますが」

 音声魔法を使えば、いつでもどこでも音楽は鳴らせる。
 そのことは後宮にいた令嬢達ならば、大体知っているだろう。

 さて、薔薇の咲く植物園に相応しい曲か。『野バラ咲く路』……いや、野バラって感じではないな、この管理された薔薇は。
 ではあれだ。『The Rose』を鳴らそう。歌声付きでだ。

 音声魔法を発動し、伴奏を流す。鳴らす楽器はピアノのみだ。そこに、私が普段会話に使っている音声で歌を流す。
 ゆっくりとしたバラード曲だ。今ののんびりとした歩みにはちょうどいいだろう。

 私の流す音楽と歌声に、一同は耳を傾ける。
 『The Rose』は前世の米国映画、『The Rose』の主題歌だ。女性ロックシンガー、ローズの人生を描いた古い映画で、主題歌はカバーなどもされてまあまあ有名だった。

 穏やかなピアノの伴奏が、令嬢達とおまけの猫の一団の間に響きわたる。
 やがて、曲はゆっくりと終わった。そして。

「キリンさん」

 ミミヤ嬢が私に近づき、両肩に手を乗せて掴んできた。
 なんだろうか。雅ではないという苦情だろうか。いや、この曲は名曲のはずだ。文句なんて出ないはずだ……。

「その曲も、異世界の曲だったりしますの?」

「え、ええ……。演劇のようなものの主題歌で、曲名は『薔薇』です」

「是非、楽譜に書き起こしましょう!」

 ぐっと両肩を掴む力が強くなる。
 そこまでか。そこまで気に入ったのか、この曲。

「パレスナ様、キリンさんをしばらく貸してくださる?」

「えー、一日だけよ?」

「では、明日一日で楽譜にします」

 ……急に身を売られたぞ私。王宮侍女が一日とはいえよそに出向とはいやはや。
 周囲の令嬢達はそんな私達のやりとりをただ笑って眺めていた。
 そうして優雅なはずの薔薇の散策は、なんだかよくわからないうちに終わった。

 そして翌日、丸一日ミミヤ嬢の住む王都の屋敷に貸し出された私は、『The Rose』だけでなく様々な地球の歌を演奏させられたのだった。
 とうとう音楽方面でも、地球文化による侵略が始まってしまったか。
 もしミミヤ嬢が今回の歌を広めたら、王都のレジャー施設ティニクランドのカラオケ設備へ曲の登録をすることも考えようか。
 別にこの国の音楽文化が、地球よりも劣っているというわけではないのだが……、ミミヤ嬢は新しもの好きだからな。彼女は周囲の貴族への影響力が高すぎる。

 地上の文明を勝手に進めるのは駄目だが、文化ならいくらでも侵略しても構わないはずだよな? ちょっとだけ心配になってきた私であった。



[35267] 75.マテリアル
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/10/05 20:49
 この国における王妃は、国王と並んで国の顔とも言うべき存在だ。
 国王と王妃以外の王族は、ほぼ人前に出ることがない。王宮の奥底に引きこもって国土の調整をちまちまと続ける、研究者のようなものがこの国の王族だ。
 そんな引きこもりの王族と、臣下や国民との橋渡しとなるのが、国王そして王妃だ。

 侍女である私の主は、そんな王妃様である。
 パレスナ王妃が王妃となって一ヶ月弱。私は彼女に付き添って何度か式典に参列してきた。
 本日行われるのも、そんな式典やイベントの一つである。

「いやあ、楽しみだねえ」

 昼の練兵場。そこに、用意された席で国王がのんびりと言う。
 今回行われるのは、赤の宮廷魔法師団による研究成果のお披露目である。
 普段ならば、国王に対しては書類でやりとりされるだけの研究発表。わざわざ国王夫妻を呼んで大々的にお披露目をするのは、とある理由があった。

「キリリンの頑張りの結晶、どうなってるかなー」

 国王のその言葉に、私は王妃の席の横に佇みながら苦笑する。
 確かに今回のお披露目の内容は、私の頑張りの結晶が元だ。

「確か、キリンが持ち込んだ物の研究発表なのよね?」

 パレスナ王妃が国王にそう尋ねる。

「そうだよー。キリリンが魔王を浄化してくれて、その成果として『幹』からすごい金属を下賜されたの」

 そう。数ヶ月前、私は世界の中枢『幹』に協力をして災厄の獣、魔王を浄化した。
 そのとき、『幹』に協力する見返りとして、この世界樹に存在しない、滅んだ惑星から産出される特殊な鉱物を貰えることになった。
 私自身、見たことも聞いたこともない謎の鉱物。国王はそれを魔法宮、すなわち赤の宮廷魔法師団に研究させていたのだ。未知の物質を使った、国益を左右するかもしれない研究発表。それが、国王の前で大々的に披露する理由であった。

 魔法宮は『幹』と連絡の取れる機関だ。
 おそらく『幹』から鉱物の使い方を聞いて、研究に励んできたのだろう。その成果の一部が本日お目見えとなる。

 私は練兵場を見渡す。
 王城の一部であるこの野外施設。広さはさほどでもない。そこに、近衛騎士が散開して国王夫妻を守っている。王城の中で何をそこまで警戒する必要があるのかと思うが、お堅い式典とも思えば一応納得はできた。

 国王夫妻の席とは別に、王宮の官僚達の席も用意されている。今回は重要品目ゆえの国王へのお披露目という名目だが、お披露目された物は官僚達が実際の運用等を考えるのだろう。
 練兵場の隅には、その物品が布を被されて隠されている。
 別に隠す必要はないと思うのだが、様式美というやつだろうか。

 そんな様子を眺めているうちに開始の時間になったのか、国王の秘書官が前に出て、開始の宣言をする。

「それでは、特殊金属のお披露目を執り行います。今回のお披露目は、昨年七月に行われた魔王討伐戦にて、我が国の代表者が目覚ましい活躍をしたことにより――」

 と、秘書官が今回の経緯を説明していく。
 そして、秘書官が言うには、研究開始からもうすぐで一〇〇日が経つので、試験的に成果発表を今回行うということだ。

「それでは、特殊金属一番からお披露目いたします」

 秘書官がそう告げると、宮廷魔法師が練兵場の中央に台座を運び、その台座に金属のインゴットを載せる。
 台座から魔法師が離れると、魔法師が今度はインゴットに向けて手をかざした。すると、インゴットから空中に向けて、紫電がほとばしった。
 おお、いきなりすごそうな金属がきたぞ。

 インゴットから放電が続き、空気を切り裂くような特有の音が鳴り響いている。
 その光景に、官僚達の席からどよめきが起こる。

「特殊金属一番、雷の力を溜められる金属です」

 秘書官がそうこの金属について説明した。
 なるほど、蓄電池のすごいバージョンか。今も放電し続けているから、容量は大きいのだろうな。

「雷ってなに?」

 席に座ったままのパレスナ王妃が、そう疑問の声を上げた。
 この世界では雨は降るが、雷は降らない。天候管理の賜物だろう。だから、雷は身近なものではない。パレスナ王妃が知らないのも当然であった。
 そんな疑問に答えるのは、王妃の隣に座る国王だ。

「雷っていうのは、あのばりばり光っているやつだね。主に攻撃用途の魔法で使われるよ」

「攻撃の魔法ってことは、あの光っているのは危険ってことね」

「そうだね。冬に毛糸の服を脱ぐときにバリってするよね? あれがすごい強くなったものだよ」

「ああ、あのバリっとして痛いやつね。なるほど!」

 この世界で、電気の平和利用は存在しない。電気文明じゃないのだから当然だな。
 それゆえ雷とはなんぞやと説明するのが難しいのだが……国王のやつは静電気で上手く説明したな。国王はインテリなだけあって物知りだな。

 そんな会話をしているうちに、放電は止まり、インゴットと台座が片づけられる。代わりに、金属球が取り付けられた台車が運び込まれ、そこから離れた場所に射的の的のようなものが置かれる。
 それに合わせるように、弓矢を持った兵士が入場した。

「特殊金属一番を使った、雷撃の試作兵器です」

 そう秘書官が宣言すると、兵士が弓を引き絞り、的に向けて矢を放つ。
 見事に的へと矢が命中する。すると、兵士は一礼すると退場していく。

 そして次に、台車を運んできた宮廷魔法師が台車から距離を取り、台車へと手をかざす。
 次の瞬間、雷鳴が轟いた。
 太い稲妻が、台車の金属球から的に刺さった矢に向けてほとばしったのだ。
 稲妻が命中した的は、大きく破損し炎上し始めた。

 強烈すぎるその一撃に、観覧席の官僚達、そしてパレスナ王妃は首をすくめている。
 一方、国王はというと、何事も無かったかのように、笑顔で雷撃を放った台車を見つめていた。

「いやー、すごいね。説明お願い」

 国王が秘書官に説明を促すと、秘書官は頷き言葉を続けた。

「金属の矢に向けて、強烈な雷の一撃を放つ兵器です。巨獣討伐への使用を想定しています」

「なるほどなるほど」

 国王は満足そうに頷いた。
 そして、衝撃から立ち直ったパレスナ王妃がまたもや疑問を投げかける。

「矢がないと駄目なの?」

「現状、矢は必要なようです」

 秘書官が問いに答えた。
 あの矢に誘雷したのだろうが、一度矢を命中させる必要があるのは、兵器として問題がある。

「うーん、前に宮廷魔法師が使ってた攻撃用の雷は、何もなくても真っ直ぐ標的に向かっていたはずだけど……。キリリン分かる?」

 そう国王が私に話題を振ってくる。ううん、今の私は侍女であって、技術顧問とかではないのだけれどな。仕方なしに私は答える。

「雷の魔法は高度な魔法です。雷というのは空気中では真っ直ぐ進みません。術者は、風の魔法で進みやすい道を作って、その真っ直ぐ進まない雷を上手く誘導するのですよ」

「あの兵器はその風の魔法が使えないと」

「ええ。誘導には高度な計算が必要なため、頭脳部の存在しないあの兵器では、風の道を作ることができないのでしょう」

「なるほどなー」

 そう説明している間にも、魔法師の手により的の火は消し止められ、台車が撤去されていく。
 その様子を眺めながら、国王が言った。

「この特殊金属があれば、キリリンの言っていた電気文明の再現ができそうだねぇ」

「電気?」

 これまた聞き慣れない言葉だったのか、パレスナ王妃が疑問符を頭に浮かべた。
 私は横から、簡単に説明する。

「雷の持つ力やエネルギーのことです。色々な物を動かす動力になります」

「ふうん、雷の力の文明……。キリンの前世のことよね? 火も魔法も使わない照明のおかげで、眠らない街があるって。それって、この雷の力を使っていたのね。確かに明るいわ!」

 いやあ、雷の発光現象と、電気文明の照明はなんの因果関係もないのだけれども。いや、蛍光灯は関係あるんだったか。
 私自身よく分からないのでそこには突っ込まずに、私はパレスナ王妃に向けて言った

「このような金属が産出されていたということは、もしかしたら、滅んだ大地神話の旧惑星では、電気文明が存在したのかもしれませんね」

 私のその言葉に反応したのは、パレスナ王妃ではなく国王だ。

「じゃあうちらも電気研究しちゃう?」

「研究する分にはいいですけど、それを道具として市井に広めようとすると道具協会が止めるでしょうね」

「じゃあなんで『幹』は、そんな文明の礎になりそうな金属を渡してきたんだろ」

「別に電気がなくても、魔法の力だけで高度な文明は成り立ちますからね。一律に禁止してしまえばいいのです」

 私のその返答に、国王は「ふーん」と返す。
 ただまあ、いずれ技術規制が緩和されることを見越して、研究することだけは許す姿勢なのかもしれないな。この世界が抱える土地面積の限界による人口問題は、広大な大地があれば解決するわけだし。すでに旧惑星の大陸の一つは、『幹』の手によって再生済みだ。

「次は、雷の力を最小限に弱めた、暴徒鎮圧用の非致死性兵器です」

 撤去が終わり、秘書官がそう宣言すると、二人の宮廷魔法師が練兵場の中央に出てくる。
 一人は若い魔法師で、緊張の面持ちで立っている。もう一人の中年の魔法師は、片手で持てる杖を携えていた。
 魔法師達は距離を離して向かい合い、中年の魔法師が杖を若い魔法師に向けた。
 すると、杖の先からワイヤーのようなものが射出され、若い魔法師に命中した。

「ぎゃっ!」

 若い魔法師は叫び声を上げてその場に倒れ込んだ。
 そして、飛び出したワイヤーが時を巻き戻すかのように杖へと収納されていく。
 なるほど、いわゆるテーザーガンってやつか。

「うーん、わからん。解説のキリリン、どういうこと」

 国王がそう尋ねてくる。また私かあ。

「雷は空気中より金属の中の方が通りがいいため、杖の先から射出したワイヤーを通じて相手に微少の雷を浴びせ、攻撃したのでしょう。雷の力には筋肉をけいれんさせる力があります。ゆえに、雷を浴びたあの魔法師は動けなくなって倒れてしまったのです」

「へえ、雷って火の力以外にそんな効果があったんだ」

「ちなみに人間の心臓は筋肉でできているため、雷の出力を誤ると心臓が止まって死んでしまいます」

「うへえ。そりゃあ非致死性兵器として成り立たせるには、人体実験が必要そうだね。まいったな」

 そんなことを話しているうちに、魔法師達が退場する。雷撃は一瞬だったためか、若い魔法師も無事に立ち上がり、自分の足で帰っていった。
 そして、秘書官が皆に聞こえるよう言葉を放った。

「以上が、特殊金属一番の研究発表となります。続いて、特殊金属二番です」

 またもや練兵場に台座が運び込まれ、その上に一本の長剣が置かれる。

「特殊金属二番。とにかく固くて強い金属です」

 台座の横に立つ兵士が、台座から剣を手に取り、鞘から剣を抜き頭上に掲げてみせた。刀身は、青く輝いていた。
 その最中にも、秘書官の説明は続く。

「固さというものは脆さと紙一重ですが、これは非常に固いにもかかわらず、とにかく頑丈です。それなりの重さがあるので今回は剣にしましたが、工業的価値も計り知れないでしょう」

 なんとなく頭の中にアダマンタイトとかいう単語が浮かび上がってきた。前世のファンタジーものに登場した頑丈な金属だ。
 そういう類のロマンあふれる魔法金属なのだろう。ちょっと一本この金属で作った斧が欲しいな。

「では、試し切りを」

 その言葉を聞いて、国王が腰を浮かすが。

「陛下は座っていてください。あなた、鉄の剣で鉄の鎧を斬ってしまえるじゃないですか」

 そう秘書官に止められた。
 試し切りに用意されたのは、先ほど話に上がった鉄の鎧だった。それに兵士が青い剣で斬りつけると、鉄の鎧に深く剣が食い込んだ。
 鉄を斬れるような剣筋ではなかったはずだ。だが、実際に鉄の鎧には大きな切れ込みが入った。
 そして、再び掲げられた青い剣には、欠けも歪みも存在しない。それだけ、鉄と特殊金属の間には、金属としての強さの差があるのだろう。

「いいねぇ。一本欲しいねぇ」

 国王もこの金属の武器をご所望のようだ。
 国王は国内最強の戦士だ。あの長剣は献上されるかもしれないな。

「続きまして、特殊金属三番。魔力を流すことで浮遊する金属です」

 またもや台座が運び込まれ、その上にインゴットが置かれる。
 宮廷魔法師が手をかざすと、ふわりとインゴットが宙に浮いた。
 浮遊金属か。雷みたいに見た目派手じゃないけど、価値としてはかなりのものではないだろうか。

 一分ほどインゴットは浮かび続け、やがて魔法師が手を下ろし、台座に着地する。そして台座ごとまた撤収していく。
 やがて、今度は近接武器訓練用の的が運び込まれてきた。
 そこに、短剣を携えた宮廷魔法師が入場する。

「特殊金属三番に魔法陣を刻んで作った、術者の思考で飛ぶ剣の試作です」

 魔法師が短剣を鞘から抜くと、そのまま短剣から手を離した。すると、ふわりと短剣が魔法師の手から浮く。
 そして、くるくると魔法師の周囲を短剣が舞った。
 一通り短剣を舞わせた後、魔法師が指を指すと、その方向に短剣が飛んでいく。上、下、右、左と魔法師が指を指し、短剣はその通りに動く。
 一通り動かしたところで、魔法師は的を指さし、短剣は勢いよく的に向かって直進し、突き刺さった。
 魔法師が指をくい、と曲げると、的から短剣が抜け、魔法師の手元に短剣が返ってくる。そして、魔法師は短剣を掴むと、鞘にしまい一礼した。

 なるほど、術者の思考で飛ぶ剣。念動剣とでも呼ぼうか。なかなかの一品だった。

「なんだかさっきから、武器とか兵器ばっかりね」

 パレスナ王妃がそんな言葉を漏らす。
 言われてみれば、確かにその通りだ。そしてパレスナ王妃は謎の秘密兵器とか見ても、わくわくしない類の人間なのだろう。単調に思えたのかもしれない。

「大丈夫、次は武器でも兵器でもありませんよ」

 秘書官が、パレスナ王妃に向かってそんなことを言った。
 そして秘書官は言葉を続ける。

「続きまして、特殊金属三番を使った浮遊馬車です」

 練兵場に四つ足の動物、メッポーが入場する。そのメッポーが引いているのは、浮遊する馬車であった。
 その馬車は車輪がなく、車体全体が金属で作られていた。

「大気中の魔力を吸収して常時浮いています」

 魔力とは生き物が持つ不思議なパワーだが、生き物とは別に星も魔力を持つ。
 この世界樹の世界でいうと、世界樹が生えている地面、すなわち月も魔力を持っている。そのため、月とそして生物でもある世界樹から溢れる魔力が、大気中を漂っている。
 人が体内に持つ魔力と比べて大気中の魔力は微少だが、簡単な魔法道具を動かす分には大気中の魔力で足りることが多い。この特殊金属も、大気中の魔力のみで馬車一台を動かせるだけ浮けるってことだな。

「なお、重さを気にしなくてよいため、車体は鉄で作られています」

 馬車が通常木材で作られる理由は、木材が軽いからだ。メッポーに引かせるため、重量は軽ければ軽いほどよい。
 だが、頑丈さを考えると金属で作った方が信頼性が高い。前世の車だって車体は金属でできていた。
 この浮遊馬車は浮くことで重量問題がクリアできたため、鉄で作ったということだろう。まあ、この国では鉄は輸入頼みなので、鉄の馬車は原価がものすごいことになってしまうのだが。

「面白そうね! これ、もしひっくり返したら、どうなるのかしら」

 パレスナ王妃が楽しそうにそう言った。
 さすが、山賊という名の敵国の工作員に襲われて、馬車が横転した経験がある者は言うことが違う。

「では、試してみましょうか」

 秘書官が王妃の言葉に応じ、宮廷魔法師達に指示を飛ばし始めた。
 魔法師が数人馬車の横に立ち、浮遊する馬車の底を持つ。そして、掛け声をあげて一斉に馬車をひっくり返した。
 横へと倒れようとする馬車。しかし、次の瞬間、馬車は元の位置へとくるりと戻った。

 その様子に、パレスナ王妃はすごいすごいと拍手を送った。

「この馬車には複雑な魔法陣が刻み込まれていまして、姿勢制御、慣性制御がなされ、メッポーが急停止しても馬車が横転しても、自然な位置を保とうとするそうです」

 秘書官がそう追加で情報を告げた。
 最初の雷撃兵器と比べて、完成度が高いな、この浮遊馬車は。

「メッポーに引かせるのも魔法動力にしたら、もっと利便性高くなりそうだねー」

 私の前世の知識で自動車というものを聞いたことのある国王が、そんなことを言う。
 浮遊車か。なかなか面白そうだが。

「『幹』にそういう乗り物ありますね」

 そう私が言うと、国王は渋い顔をして言葉を返す。

「うーん、じゃあ、そっち方面は道具協会の技術規制を受けるかな? 結構面白そうなんだけど、浮遊馬車」

「あくまでもメッポーに引かせて、メッポーの速度を保つならば、規制はまぬがれるのではないでしょうか」

 流通は道具協会の目が厳しく入る分野だ。あまりに馬車の速度を上げすぎると、流通革命の恐れありと規制を受けてしまうだろう。
 保存の利かない食料なんかが満遍なく行き渡り、生活が満たされると人は際限なく増えるという考えのようだ。
 逆に規制が緩いのは娯楽分野で、娯楽に満たされていると、人は子作りという娯楽を優先しなくなると道具協会の者が言っていた。

 そんなこんなで、浮遊馬車は退場していった。パレスナ王妃は試乗したがっていたが、今回は試乗はなしとのことだ。

「以上、特殊金属三番でした。続いて、特殊金属四番、魔力を流すと柔らかくなる金属です」

 またまた練兵場の中央に台座とインゴットが置かれ、宮廷魔法師が台座からインゴットを持ち上げる。
 そして、そのインゴットをまるで粘土のようにこねくり回し始めた。
 奇妙な形にねじ曲がるインゴット。そして、魔力を流すのをやめたのか、インゴットは変な形のまま固まって台座の上に置かれた。
 見世物として面白いな、これ。そんなことを思っているうちに、魔法師が一礼し、台座とともに退場していく。
 そして今度は、なにやら白いシャツを持った魔法師が前に出てくる。

「特殊金属四番をワイヤーに使った衣類です」

 魔法師は、その場でシャツをくしゃくしゃに丸め始めた。
 シャツにワイヤーが入っているならば、ワイヤーはぐにゃぐにゃに折れ曲がっていることだろう。
 魔法師が手を止め、シャツを広げるとシャツは綺麗な形を保てていなかった。
 だが、魔法師がシャツの胸元に縫い付けられていた魔法陣に魔力を流すと、シャツがうごめき、正常な形を取り戻した。

「魔法陣には、ワイヤーの正しい形状が記憶されており、柔らかくなる金属の特性を使って元の形に戻ります」

 形状記憶合金じゃん。すごい。
 くしゃくしゃに丸めたことによってシャツにはシワが寄っているが、そこはアイロンをかければいいだけだ。
 そして、この国の服には、礼服やドレスなど、ワイヤーが入っている服はそれなりにある。本来ならワイヤーが歪んだら、取り外して新しく付け直しになるところだが……。

「なるほどね。いいよいいよ、こういう発想。面白いねー」

 国王が満足そうにそう言った。
 国王に声をかけられたシャツの魔法師は恐縮しながら、一礼して退場していく。
 続けて入場してくる者はいない。代わりに、秘書官の声が響く。

「本日の研究発表は以上となります。最後に、国王陛下よりお言葉を頂戴いたします」

 その言葉を受けて、国王がゆっくりと席から立ち上がった。

「これから我が国は、隣の大陸の国々と友好的な関係を構築していく。国内は安定し、国力を高めることになる。国を守るための軍備を整えることも欠かしてはいけないが、これからは魔法の平和利用も考えていく必要がある。技術の発展によって、国民がよりよい生活を過ごせるよう、今回の研究成果を活かしてくれることを期待している。以上だ」

 技術の発展によって、国民がよりよい生活を過ごせるようにする。それは、文明の現状維持を幼少期から教え込まれる、この世界の住民には持ち得ない発想だ。国王として革新的な考えであり、道具協会や『幹』からは煙たがられる考えでもある。
 この考えがどこから来たのかと考えると……きっと、高度文明出身の私と交流したことによる影響なのだろうな。
 ただ、国民によりよい生活をしてもらいたいというのは、国王として立派な考えだ。なので、国王には文明を発展させない技術の振興という矛盾した問題をどうにか取り組んでもらいたいところだ。

 こうして、特殊金属のお披露目は終わった。
 パレスナ王妃は私室に戻ってからも、部屋に残っていた侍女達に浮遊馬車のことを楽しそうに語っていた。そして浮遊馬車で一枚絵を描きたいとも言っている。

 私としては、固くて強い金属の武器が気になっている。私の本気の腕力に耐えられる武器というのは貴重なため、一本手に入れてエンチャントを重ねてみたいところである。
 ううむ、国王か女帝蟻に魔王浄化の個人報酬として、交渉してみるのもありだろうか。侍女になった今となっては、武器の使い道なんてないのだけれども。



[35267] 76.ロイヤルガード
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2021/09/10 02:31
 朝の時間、王妃の私室。本日のドレスに身を包んだパレスナ王妃が、なにやら書状を眺めていた。
 剣と魔法の中世ファンタジー世界っぽく、書状に羊皮紙などが使われていたりはしない。普通に紙の書状だ。

 そんな書状を難しい顔をして読んでいたパレスナ王妃が、書状に目を向けたまま口を開いた。

「キリン、出向ね」

「はい? 私ですか?」

 唐突に名前を呼ばれて、私は一歩前へ出た。
 その私に向けて、パレスナ王妃が言葉を続ける。

「ビビって居たでしょう?」

「ええ、公爵家の護衛で、近衛騎士になった方ですよね」

「そのビビが発端になっているのだけど……」

 パレスナ王妃が語るところによると、こうだ。
 後宮にてビビは私と気功術や剣技の特訓を行い、その成果もあってか彼女は近衛騎士団第三隊入り、すなわち女性近衛騎士となった。
 そのビビの入団後の様子だが、どうやら気功術の力量向上が著しいようだ。よって、彼女への指導を行なった侍女、キリン・セト・ウィーワチッタに第三隊の気功術指導を行ってもらいたい、と近衛騎士達が嘆願をあげたらしい。
 嘆願は国王に正式に認可され、戦闘侍女の正式な出向となった、とのこと。
 って、戦闘侍女とかいうの、まだ設定生きていたのか。魔王討伐戦のときのジョークじゃなかったのか。

「というわけでキリン、行ってきて」

「いつですか」

「今日、これから」

「急ですね!?」

「王城の練兵場を押さえているらしいわ。まあ、王妃の私としては近衛の第三隊は今後お世話になることが多いし、伝手を作っておきたいところなの。お願い、行ってきて」

「はあ、構いませんけれどね……」

 なんか侍女になったばかりのことを思い出すな。
 急に青の騎士団の騎士団長セーリンに連れていかれ、青と緑の騎士団の合同訓練の相手をさせられたのだった。
 あのときはやる気があまりなかったが、今回は国王に認可された教導役とのことでそうはいかないか。

「ところで出向って何日間ですか?」

 私は気になったので、そうパレスナ王妃に尋ねてみる。

「とりあえず今日一日。その結果いかんによっては継続的な教導も検討するとあるわ」

「たった一日で目に見える成果なんて、出るわけがないのですけれど……」

「あら、緑の騎士団歩兵剣総長を一日の指導で、気功術の上級者に仕立て上げた手腕を見込んでとか書いてあるわよ、これ」

「ああー……」

 そんなこともあったなあ。ロリコンという病に冒されていた緑の騎士ヴォヴォの性根を叩きつぶすため、魔法薬を併用して徹底的にしごきあげたのだったな。
 過去の私の行いが、今こうして変な形になって私のもとへと返ってきたのか。
 まあ、正式な仕事として発令してくれたのなら従うけれどね。セーリンのやつみたいに仕事中に強引に連れ去っていくとかしなければ、私も否やはないさ。
 侍女の仕事を辞めて近衛専属の教導官になれとか言われたら拒否するけれどな。

「では、早速頼むわね」

「かしこまりました」

 さて、急な仕事変更になったが、今日も一日頑張ろう。



◆◇◆◇◆



 王城内にある小さな練兵場。そこに、統一された鎧姿の女性騎士が、ずらりと並んでいた。

「多くないか?」

「これでも人数を絞ったのですが……」

 私のこぼした言葉に、騎士を代表して前に出ていたビビが困った顔で答えた。
 騎士の姿は二十人ほど。女性騎士のみが集まる第三隊はそれほど規模の大きな集団ではなかったはずなので、所属騎士の大半が参加しているのではないだろうか。
 まあ、いい。これでもやりようはある。

「皆様はじめまして。教導役をうけたまわりました、キリン・セト・ウィーワチッタです。この国の出身ではないため、キリンが名前となります。本日はよろしくお願いします」

 私はそう言って、侍女の礼を取った。いや、今は侍女のドレスではなく動きやすい服装に着替えているのだけれどな。
 すると、騎士が一名、前に出てきて言った。

「名高き竜殺しの姫にお目にかかれて、光栄です!」

 その言葉とともに、騎士達が一斉に騎士の礼を取った。
 なんだ、この整然とした集団は……。田舎者の集まりな第一隊のやつらとは大違いだな!

 第一隊は王太子時代の国王と私が国中を巡ってスカウトで集めた集団で、他の第二隊や第三隊とは成り立ちが根本的に異なる。第三隊には、田舎の村出身の者などいないのだろう。きっと貴族の子女だけを集めて作られた騎士団だ。

 礼を持って接してくれるなら、こちらも礼を失しないよう受け答えしようか。

「それでは、早速始めたいと思います。まずは皆様の気功術の腕前を知りたいので、『練気』を行なってください。これです」

 私はその場でぐっと気合いを入れ、身体から闘気を吹き出させた。闘気を発し、身体に留まらせず放出し続ける。気功術の基礎である、『練気』と呼ばれる型だ。
 ふーむ、私の『練気』はやはり一流の気功術使いと比べたら一歩劣るな。魂がこの世界産でないせいだろうか。まあ、私には魔法があるから劣っていても気にしないが。

「こ、これはなんとすさまじい……」

 私の『練気』を見て、近衛騎士達がひるむ。うーん、この程度で「すさまじい」か。

「この程度、皆様にもできるようになっていただきます」

「ほ、本気か!」

 もちろん本気だ。

「気功術の熟練者の『練気』は、この比ではありませんよ。国王陛下ならば、私の十倍の『練気』をこなしてみせるでしょう」

「おお……」

 私の言葉に、騎士達からどよめきが起こる。国王は国内最強の魔法戦士だ。憧れがあるのだろう。
 だが、彼女達は近衛騎士。そんな国王を守るための存在だ。この程度の『練気』に驚いていては、とても務まらない。

「では、皆様『練気』を」

「はっ!」

 そうして近衛騎士達の『練気』が始まった。
 うむ、どうやら気功術を使えない者はいないようだ。だが……そうだな。正直に言って、発せられる闘気の量が、とても少ない。
 一番闘気が多いのが、先月闘気に目覚めたばかりのビビだというのだから、なんとも言えない。

 ふーむ、なるほどなるほど。気功術の達人、騎士レイが失われた影響はここにも出ているわけだな。
 そんなことを考えていること数分。

「あ、あの……キリン殿」

「はい、なんでしょう」

「『練気』はいつまで行えば……」

「力尽きるまでですが?」

「は?」

「持久力を鍛える鍛錬と同じです。力尽きるまで走るのと同じように、限界まで気を練り続けていただきます」

 闘気を使った模擬戦で限界まで使わせるには、ちょっと手狭だしな。

「なるほど……すでに鍛錬は始まっているのですね!」

「そういうことです」

 そうしているうちに、一人、二人と力尽き、滝のような汗を流して脱落していく。うむ、闘気は肉体と魂両方から絞り出す力だからな。限界まで使うと、このように体力も消耗することになる。
 やがて、ビビも含めた騎士全員が力尽き、その場にへたり込むことになった。
 ふむ、第一段階は終了といったところか。

「お届けものでーす」

 と、ここで私が事前に言って、パレスナ王妃に用意してもらったものが届く。台車に載せられたタル。それに、木のコップだ。王城で働く下男達が持ってきてくれた。
 それを見て、中身を察したのかビビが苦い顔をした。

「はい、じゃあ一人ずつコップを手に取って、タルの中身を飲んでいってくださいね」

「キリン殿、それはいったい……」

「もちろん、野菜ジュースですよ?」

「はあ、野菜ジュース」

「端的に言うと、闘気は大地に実る食物から力を補給できます。なので、野菜ジュースで即席のエネルギー補給です」

「な、なるほど……」

「ちなみに、近衛騎士団第一隊は、闘気を高めるために、毎朝コボロッソの千切りを山盛り食べています」

「それは知らなかった……」

「闘気を高めたいなら皆様もサラダ淑女になりましょう」

 そう言って、私は騎士達にコップを受け取らせていく。私もコップを受け取って、はい乾杯。

「ううっ!」

 新鮮な野菜汁の味に、近衛の皆様一同感激のようです。

「はー、不味い。もう一杯!」

 やっぱり気功術の特訓と言えば、青汁だな!

「あの、キリン殿……毎度思うのですが……」

 おずおずといった様子で、ビビが発言する。

「はい、なんでしょう」

「地に生る植物の摂取が必要なら、果実ジュースでは駄目なのでしょうか」

「いいですよ?」

「はい。えっ、いいのですか」

「果実を混ぜるとお高くなるので、そこに留意しなければなりませんが、効果は変わりませんので、自主練などをするときはそちらをどうぞ。ただし、私との特訓のときは野菜百パーセントで」

「……野菜百パーセントに何か意味が?」

「青汁に慣れていれば、普段から野菜をもりもり食べることに、苦痛を感じることはないでしょう。そういうことです」

 さて、みんな嫌な顔をしながら飲み干してくれたことだし、次のステップに移行しよう。

「コップはあそこにまとめて置いてくださいね。……さて、気功術を高めるには、限界まで闘気を絞り出す他に、瞑想して世界に己を広げることが有効です。闘気とは己に宿る植物の力。世界樹の力。瞑想で世界に根を張って、自分の内部を眺める必要があります」

 私の解説に、騎士達が耳を傾ける。

「しかし、瞑想は消費する時間の割には、効果がとても薄いのです。ですので、魔法で強制的に世界樹と皆さんを繋げます。皆様、その場に座ってください」

 私の指示に従い、女性騎士達はその場に鎧姿のまま座った。

「魔法使いますよー。抵抗しないでくださいねー」

 はいどーん。大規模魔法により、二十人を超える騎士達が一斉に意識を失った。騎士達の肉体と精神を世界樹に接続したのだ。後宮でのビビとの特訓でも使った手法だ。
 うむうむ、このまま数分、皆には世界樹と一体化していただこう。
 世界と接続していることを示す翡翠色の光が、辺り一面に舞い散っている。この人数でやると派手だな。

「がーはっは! 俺、参上である!」

 と、時間待ちをしていると、練兵場に侵入者が。

「むむ、これはどういうことだ? 皆、座りこんでいかがしたか!」

 なんと、先王である。彼の後ろから女官が慌ただしく追いかけてきている。

「これは先王陛下。皆様には、気功術の特訓のため、魔法で世界樹に精神を接続してもらっています。瞑想の延長のようなものです」

 先王に話しかける私。私は、先王と対等に話す権利をかつての竜退治の褒美としてもらっている。
 王と対等に話せるということは、その下の貴族ともタメ口で話してもいいということだ。私が普段侍女宿舎で、貴族の子女である侍女達に敬語を使っていないのはそのためだ。だが、今は職務中のため敬語を使い続けている。

「なに!? そのような素晴らしい魔法があるのか!」

 私の言葉に、驚いたように先王が反応した。

「はい。以前、ハンナシッタ殿下にも施したことがございます」

「なにぃーッ! あやつ、そんなこと一度も話してくれたことがないぞ! うらやましい! 俺にも施してくれ!」

「一応、危険のある魔法なのですが……」

 外から接続を解除しないと、世界から精神が戻ってこられなくなる危険のある魔法だ。

「かまわん! 近衛騎士団全員にかけられるくらいには、安全が確立されている魔法なのであろう!」

「ええ、まあそうですが」

 一定時間が経過すると、自動で接続を解除する術式くらいは当然組み込んである。

「では頼むぞ。世界樹と繋がるとは、楽しみであるな! がはは!」

「はい、では座って……はい、魔法に抵抗せずに……はい」

 そうして先王も世界樹の精神の旅に向かった。
 と、騎士団の皆はそろそろ戻すべき時間だな。接続解除、と。

 ぱちりと一斉に騎士達の目が開いた。
 そして、そのスピリチュアルな不思議な体験に、皆驚きを隠せなかったのかどよめきが起きる。

「これが……世界樹……。そうか、宇宙とは……進化とは……!」

 前に出ていた代表者の騎士が、そのような呟きを漏らす。
 うむうむ、効果はあったようだな。

「はっ、ま、待て! そこにいらっしゃるのはもしかして……!」

「はい、先王陛下ですよ」

「こ、これは! 皆、起立! 先王陛下の御前である!」

 騎士達が、跳ね上がるようにして一斉に立ち上がった。うん、みんな王族警護の近衛騎士だから、王族の前ではこうなるよな。
 ただ、その先王はいま世界の旅に出ているよ。
 さて、彼もそろそろ接続解除だ。

「むっ、終わりか……。なんとも、尊い時間であった……」

 先王の意識が目覚める。その目元には、うっすらと涙が浮かんでいた。
 先王は樹人化症の疾患者だ。その病の原因は、国の土壌管理システムで世界樹と己を繋げすぎたことだ。それだけ世界樹に思い入れがあり、世界樹に繋がるということに人一倍尊さを感じているのかもしれない。
 ちなみにこの精神と肉体を世界樹に繋げる魔法は、樹人化症を引き起こしたり症状を悪化させたりすることはない。『女帝ちゃんホットライン』で確認済みだ。

「キリン殿、感謝する。このような機会を与えてくれてただ感謝しかない!」

「いえ、お役に立てて光栄です。気功術の腕を上げるための魔法なのですがね」

「おお、そうだった! 練兵場で気功術の特訓を行うと聞いて、冬眠で鈍った身体をほぐそうと、俺も参加しにきたのだ!」

「左様ですか。では、一緒にやっていきましょう」

 先王も気功術を使えるのか? 国王と王妹は武闘派だが……。

「では、また限界まで『練気』を行いましょう。先ほどよりスムーズに気が練られるようになっているはずです。では、始め」

 言葉とともに、私も『練気』だ。と、思ったとき、隣から、どばっと闘気が吹き出した。
 先王だ。
 なんだ、これ。国王ほどとは言わないが、それでも、とてつもない闘気の量だ。先王、気功術の達人であったか。

「いつもよりたぎっておるわい! これが先ほどの魔法の効果か!」

 先王の闘気ははるか地の底、世界樹から湧き出している。これは、気功術の達人にのみ許された奥義。世界樹から無限の闘気を引き出す秘術だ。

「先王陛下、今回は肉体に宿る闘気の量を増やすのが目的ですので、世界樹からではなく己の肉体から闘気を練ってくださいませ」

 無限の闘気を引き出す術では、闘気のスタミナ的な強化とはいかないため、そう言っておく。

「おお、そうであったか。どれ、己の力のみで闘気を出すなどいつぶりか」

 先王の清流のような綺麗な『練気』が、突如激流のようなものに変わる。ふむ、これが先王本来の闘気か。

「これは私も負けてはいられませんね」

 私も身体の奥の奥から闘気を練り、それを放出する。

「がはは! キリン殿は魔法戦士と聞くが、闘気もなかなかのものだの!」

 そうして二人で『練気』合戦している間に、近衛騎士達はまたもや闘気を出しきり、力尽きた。先王の前とあってか、座り込むものはいなかったが。

「はい、陛下。ここまでとしておきましょう。では、エネルギー補給です」

「ふむ、そのタルの中身を飲むのか? 中身はなんだ?」

「野菜百パーセントジュースです」

「それは理に適っておるな! 騎士レイ一派がいなくなってからというもの、騎士団の力量低下に悩んでおったが、おぬしが指導すれば気功術の復権も近い!」

「私はあくまで侍女なのですが……」

 そうして、また、皆で野菜ジュースを飲む。闘気を限界まで放出すると肉体疲労で汗を大量にかくから、水分補給にもなってちょうどいい。
 はい乾杯。

「うむ! やはり野菜は美味い! 俺の肉体はすでに植物だが、それでも野菜が美味くてかなわんわ!」

 先王は身体が植物化する病気にかかっている。今のは、病人ジョークだろうか。反応に困るのでやめてほしい。
 反応に困るので、先王の方は向かず訓練を進める。

「では、次は皆様の身体強化の力量を見ていきましょうか――」

 そうして、気功術の特訓は、午後の就業時間いっぱいまで使って終了した。
 その翌日、出向が終わりパレスナ王妃の私室に行ったところ……。

「目に見えて気功術の力量が上達したので、今度また指導をお願いしたいそうよ」

 と、パレスナ王妃に告げられた。
 うーん、なんだか本格的に、指導教官にでもさせられそうな勢いだな。私は今のところ、パレスナ王妃付きの侍女の仕事に不満はないので、こちらを続けたいのだが。

「戦闘侍女だから問題ないって陛下が言っていたわ」

 だからなんだよ、戦闘侍女って。



[35267] 77.ホビー
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/10/15 18:05
「はー、至極の一冊でしたわ」

 休日の侍女宿舎。私に割り当てられた部屋で、同じく本日が休日だった同室の侍女カヤ嬢が、うっとりとそう呟いた。
 彼女の手にあるのは、一冊の恋愛小説。王妹ナシーの書いた、『天使の恋歌』である。
 紆余曲折の類は特になく、すんなり発売したこの本だが、パレスナ王妃が言うには初日からなかなかの数が売れているらしい。
 そんな恋愛小説のヒット作をこのカヤ嬢が見逃すはずがない。

「種族を超えた恋……まさに真実の愛です」

 そう、このカヤ嬢は二次元、三次元に関係なく、色恋沙汰が大好きで仕様がないのだ。
 部屋着姿で本を抱えながら、ベッドの上をごろごろと転がるカヤ嬢。
 そんなカヤ嬢を私は、最近暇つぶしの趣味にし始めたつまみ細工をいじりながら眺めていた。

「これは布教しませんと……キリンさん、読んでみませんか!?」

 勢いよく立ち上がったカヤ嬢が、私に本を差し出してくる。
 この部屋ではよくある光景だ。カヤ嬢に付き合って、結構な数の恋愛小説や恋愛漫画を今まで読んできた。
 私も別にそういうものが特に嫌いなわけでもないので、構わないのだが。しかし。今回はそれに付き合うことができない。

「すまないね。その本は、もう読んだのだ」

「あら? キリンさん、最近、特に本は読んでいませんでしたよね?」

「パレスナ様のところで、発売前にちょっとね」

「えっ、なにそれずるい」

 カヤ嬢の言葉に、私は苦笑する。ずるいか。確かにナシーの小説のファンから見ると、ずるいな。

「実はその本の挿絵と表紙、パレスナ様が描いている。だから、発売前に献本が届いて、担当侍女の間で読み回したんだ」

「王妃様が……ああ、そういえば、そんな謳い文句が商会で掲げられていたような、いなかったような……」

 カヤ嬢が、手元の本の表紙絵をじっと見つめる。表紙の絵師はペンネーム『パレス』。その正体が王妃パレスナだということは、一切隠し立てしていない。そもそも王妃になる前から、絵師パレスは公爵令嬢だと公言して、貴族の屋敷に絵を売っていたらしいのだ。
 まあ、王妃が挿絵担当という宣伝は、カヤ嬢にはあまり効力を発揮していなかったようだが。

「でも、ずるいですわね。発売前に読めるのだなんて。……はっ! つまりはメイヤ達もすでに読んでいることに」

「王妃付きの侍女だけじゃなくて、王妹付きの侍女も発売前に読んでいるのではないかな?」

「ううっ、役得、うらやましいですわね……」

 まあ、その気持ちは分かる。私も前世では、某週刊少年漫画雑誌を発売前に読みたがった口だしな。

「はあ、でもまあ、今すぐキリンさんとこの本の素晴らしさを分かち合えるのは、素晴らしいことですね」

 ベッドの上に座り、パラパラと本をめくりながら、カヤ嬢が言う。

「はっ、そうです。またこういうことがあったら、キリンさんに本を借りてきてもらえば……!」

「いやあ、王妃様の持ち物を借りてくるのは駄目だろう」

「ですよね」

 カヤ嬢は、がっくりと肩を落とした。



◆◇◆◇◆



「と、そんな会話が同室の者とありまして」

 ところ変わって、翌日の王宮。
 場所はパレスナ王妃の私室ではなく、それとは別に王妃に割り当てられた内廷の一室だ。
 そんな部屋でパレスナ王妃は、キャンバスを前に絵を描いていた。
 そう、ここは王妃の絵画工房である。

「あはは、キリンの友達って、そんなに本が好きなのね」

「恋愛小説と恋愛漫画限定ですが」

 筆を動かしながら笑うパレスナ王妃に、私はそう答えた。
 現在のパレスナ王妃は、絵の具で汚れてもいいドレスに身を包んでいる。
 とは言っても、後宮で絵画用に着ていたようなみすぼらしいドレスとは違う。その上から袖付きエプロンを着てはいるが、ドレスが汚れるときは汚れるだろう。
 王妃が着るに相応しい豪華なドレスを一着、汚れてもいいドレスとして扱っているのだ。さすがは国主の妻。贅沢なことだ。

 そんなパレスナ王妃が今描いている絵は、侍女の絵だ。
 自分に仕える侍女七人を一枚の絵にまとめて描くというのが、今回のパレスナ王妃の題材である。
 そして今日は、一週間に一度の侍女全員が出勤する日。なので、パレスナ王妃は本日を休日とし、語学の勉強や農学・化学の勉強をなしにして一日趣味の絵画にふけることにしたのだ。

「カヤさんったら、相変わらず恋愛ごとが絡むとおかしくなるのですね」

 絵のモデルとして立ったままの侍女メイヤが、面白そうに笑って言う。
 一枚の絵に収まるため、メイヤだけでなく侍女達全員が、部屋の真ん中にずらりと並んで立っていた。

「どういう人なの?」

「恋バナに過剰に反応するお方ですわ」

 パレスナ王妃の問いかけに、メイヤが答える。うむ、やはりメイヤから見てもカヤ嬢の認識はそういうものなのだな。

「どういう情報網なのかー、王宮内の恋愛事情を突き止めては噂話している子ー」

 リーリーも話に乗っかってくる。年長のリーリーにとっては、カヤ嬢も『子』扱いか。

「悪い子ではないですが、他人の恋愛ごとを眺めるのを趣味のようにしていますね」

 そう私が締めくくる。すると、パレスナ王妃は小さく微笑みながら言う。

「趣味、趣味ねぇ。変わった趣味ね。絵画を趣味にしている私が言うのもなんだけれど」

 趣味。
 パレスナ王妃の趣味は本人の言うとおり、間違いなく絵画だ。
 描いた絵が貴族の家に飾られたり、トレカのイラストに採用されたり、本の挿絵担当になったりしていても、あくまで趣味だ。彼女の本業は王妃である。

 だが、王族が趣味を持つことは何も悪いことではない。
 前世地球にて、フランス生まれの王族ルイ君なんかは、錠前作りがたいそう好きだったという。
 まあ彼は、断頭台の露と消えるのだが……。
 ルイ君本人は暗君だったわけではなく、先代、先々代の王の治世の影響が、巡り巡ってルイ君の代で悪い方向に炸裂したとかなんとか。そう大学で話を聞いた気がするが、まあ前世の歴史など、どうでもいいか。

 この国の治世に問題はなく、国王交代の際に敵国の工作員に国を散々荒らされて散々なことになっていたが、今は敵国もなくなって、国はいい方向に向かっている。断頭台と王族に縁は一切ないことだろう。
 だから、王族が休日を作って趣味にふける日があっても、特に問題はないのだ。

「そのカヤって人とも一度会って、挿絵の感想を聞いてみたいわね」

「侍女の方から選んで、お茶会でもやります?」

 パレスナ王妃の言葉に、侍女のサトトコがおもしろそうに、そう言う。

「いいわねー。条件は、『天使の恋歌』を読んでおくこと、とかね!」

「王妃にお目にかかりたい侍女が、こぞって商会に本を買いに押し掛けそうですね」

 パレスナ王妃とサトトコがそう言い合って、笑みを浮かべた。
 お茶会か。侍女が相手だが、その侍女は私以外漏れなく貴族のご令嬢だ。王妃との顔つなぎは、実家のためにもなるし、今後侍女を辞めて貴族の嫁となる自分のためにもなる。
 希望者を集めたら、殺到することだろう。

「じゃ、そういうわけで侍女を集めたお茶会、後で詳しく企画立てましょうか」

 あ、冗談ではなかったのか。
 唐突に決まったお茶会の予定に、侍女達がきゃぴきゃぴと騒ぐ。お茶会は給仕を担当する侍女達の晴れ舞台でもある。嬉しくなるのは分かるよ。
 後でと言っているのに、侍女達による企画会議が始まりそうになったそのときだ。ノックの音が、工房に響いた。

「入ってもらって」

 パレスナ王妃の指示で、メイヤが扉を開ける。
 開いた扉の向こうに居たのは、王宮菓子職人の制服に身を包んだ副職人長のトリール嬢だ。

「皆さん、お茶の時間ですよー」

 挨拶もなく、開口一番トリール嬢がそんなことを言った。
 その様子はとても慣れたものだ。というのも、彼女はお茶休憩の時間になると、毎日自ら王妃のところまでお菓子を運んで来てくれるのだ。
 職人長は人見知りらしく、来るのは必ず副職人長のトリール嬢だ。まあ、トリール嬢とパレスナ王妃は後宮で共に王妃候補者として過ごした仲なので、彼女がお菓子を持ってきてくれるのは友達と会う機会が増えて、内廷に籠もった生活を送っているパレスナ王妃にとってはいいことだろう。

「じゃ、みんな移動しましょうか」

 パレスナ王妃がそう侍女達に号令をかける。工房には食事をするテーブルが置かれていないため、別の部屋に移動するのだ。
 王妃と侍女七人、そしてトリール嬢はずらずらと並んで廊下を進む。トリール嬢はお菓子と茶器の入ったワゴンを押している。
 到着したのは、内廷で王族が私的にお茶会を開くためのお茶室だ。

 広い室内に、大きなテーブル席。そこにパレスナ王妃が座り、侍女達も思い思いの席に座っていく。
 毎日のお茶休憩の時間は、王妃と侍女達が一緒にお茶とお菓子を楽しむ私的な時間だ。主と下僕は同じ席で食事はしない、などと固いことは誰も言わない。
 トリール嬢とともに、今日の給仕担当の侍女マールがお茶を淹れていく。

 やがて、お茶とお茶菓子が全員の席の前に配られる。ちゃっかりトリール嬢も席を一つ確保している。だがいいのだ。彼女は王妃の友人で、ここは私的な場なのだから。

「今日のお茶菓子は、私が担当しましたー。季節のフルーツのゼリーです!」

「やっぱり綺麗なお菓子ねえ、ゼリーって」

 目の前に置かれたお茶菓子を見ながら、パレスナ王妃が感心したように言う。

 ゼリー。この国に今まで存在しなかったお菓子だ。
 私は以前、カスタードプリンをトリール嬢に教えたことがある。そこで熱して固めるプディングという概念を知った彼女が、研究の末作りだしたのが、このゼリーである。
 卵を固めるプリンを教えてゼラチンを使うゼリーが生まれるとは、どうなればそうなるのか分からないのだが、まあ彼女はお菓子作りの天才だということだろう。

 お茶の用意が整ったので、皆好きなようにお茶を楽しみ始める。
 私の今日の気分は、甘いお茶なのでお茶に蟻蜜をたっぷりと入れ、ティースプーンでかき混ぜる。
 そして一口。うん、美味しい。王家御用達の茶葉を使っているだけあって、上品な味わいだ。
 ゼリーも、スプーンですくって一口。む、冷えている。そういえばトリール嬢は氷魔法の使い手だったな。味の方は、しつこくない、いい案配の甘味であった。前に初めて出されたゼリーよりも美味しい。

「前よりも断然美味しいわ」

 パレスナ王妃も、ゼリーを食べてそう感想を述べた。

「研究の甲斐がありましたー」

「王宮用のお菓子を毎日作りながら研究って、大変そうね」

「いえいえ、お菓子作りは趣味ですのでー。楽しいですよ」

「仕事と趣味が同じって、本当に楽しそうねー」

 トリール嬢とパレスナ王妃が明るい様子で言葉を交わす。
 趣味か。料理の類は、貴族の趣味としてどういう扱いなのだろうな。まあ、それを仕事にしているのだから、問題は何もないのだろうが。
 侍女のフランカさんの夫なんかは、土いじりの園丁を生業としている貴族だ。この国の貴族の仕事や趣味の範囲って、思いのほか広いのかもしれないな。

 そんなことを思いながらお茶を楽しんでいたところ、不意にノックもなしに部屋の扉が開いた。

「間に合ったかな? いやー、忙しくてね、どうにも」

 扉の向こうから現れたのは、国王だった。後ろには秘書官を連れている。
 そんな国王は、テーブル席へと歩み寄り、パレスナ王妃の隣の席に勢いよく座った。秘書官も、その隣に座る。

 トリール嬢とマールはお茶をそのままに立ち上がり、テーブル席の横に置いたままのワゴンへと向かった。
 そして、慣れた手つきでお茶の用意を始める。
 王妃の私的な午後のお茶休憩。そこに国王がやってくるのは、今月になって何度も繰り返されたいつもの光景であった。
 工房へはトリール嬢がパレスナ王妃を呼びにきたが、国王の執務室へも菓子職人の一人がお茶の時間を知らせに行っている。国王が来るかもしれないのにお茶を先に始めているのは、国王自身が忙しくて遅れることも多いからと事前に許しているからだ。

「お、ゼリーじゃん。いいね!」

「前より美味しいわよ」

「やるじゃん。うーん、この透明な見た目が、みやびだね!」

 そう国王はパレスナ王妃と言葉を交わし、お茶をストレートのままで口にした。
 そして、嬉しそうにゼリーを食べ始める。

「うーん、美味しい。あ、そうそう。前にもパレスナに言ったけど、旅行、行きます」

「新婚旅行ね!」

「そうなんだけど、父上と母上も付いてくるんだ。夫婦二人でとはいかないよ。ごめんね」

「どちらにしろ、護衛と侍女がついてくるのだから、構わないわよ」

「そっか。ちなみに出発は二十五日」

「それはまた、急なスケジュールね!」

 今日は初春の一月の十七日だから。八日後だ。王族の移動が行われる旅行の準備期間としては、とても短い。

「旅行期間は移動を含めて二週間ってところかな」

「どこへ行くのかしら」

「それは当日までの秘密ってことで」

「焦らすわねー」

「はっはっは、行き先は俺と父上しか知らないよ。近衛も知らない」

「なによそれー。本当に極秘の旅行ね!」

 仲むつまじげに会話を交わす二人。うーん、秘密の旅行か。侍女は何人連れていくのだろうな。
 国王夫妻だけでなく、先王と王太后も来るなら大所帯だぞ。

「はー、なんだかお茶会を開くどころではなくなったわね」

 口直しなのか、ゼリーを口にして飲み込み、パレスナ王妃がそう言った。

「なになに? お茶会? 予定してたの?」

 国王が話題に食いついてくる。

「私が挿絵を描いたナシーの本があったでしょう? それを気に入った侍女がいるらしくて、じゃあ読んでくれた侍女を集めてお茶会でもしましょうって、さっき話していたの」

「そっかー。でも、旅行がすぐにあるから帰ってきてからだね」

「そうね」

 そんな感じで、和気あいあいとしたお茶の時間は過ぎ去っていった。
 旅行か。侍女全員でパレスナ王妃の荷造りをしなければ。
 今日からさっそく始める……のは無理か。今日は絵画のための休日だからな。
 しかしまあ、いったいどこへ行くのだろうかね。



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当作品がアース・スターノベル大賞で入選しました。書籍化します。



[35267] 78.ハネムーン
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2019/11/01 13:18
「旅行、私も行きたかった」

 旅行の準備で慌ただしい王妃の私室に、うらめしい声が響く。
 声の主は、急に部屋に訪ねてきた王妹ナシーだ。
 旅行の出発日まであと一日。持ち出すドレスの選定も終わり、箱の中にドレスを詰める荷造りをしている最中の訪問だった。

「父上と母上と兄上が一緒に行って、私だけ除け者だなんて……酷いではないか」

「私に言われてもねえ……。私、行き先すら知らないわよ?」

 ナシーの愚痴の言葉に、荷造りの様子を一人眺めていたパレスナ王妃がそう答える。
 そう、未だに行き先は不明。
 だからか、持っていくべき荷物は何が相応しいかも分からず、今日まで選定に難航していたのだ。

「それでも、出かけられるのはうらやましいな。直系の王族を誰か残しておく必要があるというのは、そりゃあ分からないでもないが……」

 この国の王族は、国土を調整できる特権を持っている。その王族がまとめて旅行で出かけてしまった場合、災害時に国土をいじって対応する人員がいなくなってしまうため、王族は必ず一人、王城に残るべきであるらしい。
 まあ、災害ってなんだって話だが。地震も嵐も起きない世界だし、精々が山の崩落程度だろうか。後は、突発的な害獣の発生だ。害獣処理は王族の国土調整に関係がないが。
 もしかしたら私の知らないところで自然災害が頻出していて、王族がそれに対処して回っているのかもしれない。

「残らなければならない理由は分かるが、それでもうらやましいものはうらやましいな」

 まあ、要するにナシーは愚痴を聞いてもらいたいのだろう。わがままを言って連れていってもらおうなどとは考えてはいないようだ。
 そんなナシーに、梱包が一段落した侍女のビアンカが会話に乗った。

「私も旅行行きたかったですー」

「おや、君も除け者かい? 侍女全員がついていくわけではないのだね」

「連れていくのは二人だけよ」

 ナシーの言葉に、パレスナ王妃がそう答えた。そう、今回の旅行はできるだけ人員を抑えるよう、国王に通達を受けている。なので、王妃が連れていける侍女は二人だけだ。

「へえ、誰を連れていくんだい?」

 そうナシーが疑問を投げかけると、パレスナ王妃がこちらを向いて言った。

「キリンとメイヤね」

「あちゃー、キリンも行くのか。休みになるならと、せっかく手合わせをお願いしようと思ったのに」

 ナシーが残念そうに言う。
 そう、今回の旅行についていくのは私だ。王妃付きの侍女の中で一番の年長者かつ熟練者はフランカさんだが、一番の年少者はその娘のビアンカ。ビアンカはついてこられないので、保護者としてフランカさんが残ることになった。
 そして次に年長である私が選出され、残りの侍女達の中でリーダー的存在となっているメイヤも来ることになった。

 ただ、本当にどこに行くのか不明だから心配なんだよな、今回の旅行。
 国王から、直々に空間収納魔法に武装を入れておくようにと、指示を受けたりした。なので、斧と鎧を用意しておいたが、この武装が必要な旅行先っていったいどこになるのだろうか。
 情勢不安定な元鋼鉄の国にでも行くのか? でも、塩の国との併合はまだ先だと言うしなぁ。

「ハンナシッタ殿下は、旅行の行き先をご存じですか?」

 周囲の手前、敬語でナシーに私はそう問いかけた。
 すると、ナシーは「ああ」と頷き、言葉を続ける。

「父上から聞いたが……私からは教えられないな」

「旅行に行く当人にすら秘密の旅行先って、いったいなんなのでしょうね……」

「まあ、楽しい旅行になるとは思う。私が行きたいくらいにはね」

 そんな会話をナシーと交わし、私は荷造りに戻る。
 パレスナ王妃のドレスは、多くが公爵家から持ち込んだ品だ。何せ、結婚式が終わってからまだそう日が経っていない。城下の針子工房に何着もドレスを作らせているが、まだ完成したものは少ないのだ。
 二週間の旅行日程で毎日違うドレスを着るというわけでもないが、持ち出すドレスは多い。それを一着ずつシワにならないよう、衣装箱に詰めていく。化粧品や日用品も専用のものを揃えて、梱包していく。結構な量の荷物になっている。
 行き先で夜会の類はないとのことなので、宝石や宝飾品の類は全て私室に備え付けの金庫に収めた。しばらくこの部屋は主不在になり、侍女も出入りしなくなるためだ。

 ちなみに私自身の荷造りは、侍女宿舎の方ですでに終わっている。
 今回の旅行は侍女として同行するため、日中の服は全て侍女の制服だ。替えの制服を何着か箱に詰め、それに二着だけ私服を足して、さらに寝間着と下着、肌着を足して服は終わりだ。メイヤも、問題なく準備が終わっていると言っていた。

「このドレスはまだ試着しかしていませんから、初めて使用する様子を見られないのは残念ですわね」

 侍女のサトトコが、真新しいドレスを広げながらそんなことを言った。
 これは、最近針子工房から届いた普段着用のドレスだ。国王からは、旅行先で式典の類はないので、礼装の類は持っていかなくていいと言われている。これは礼装ではないが、王妃のためのドレスとあってそれなりに豪勢だ。
 そんなドレスを丁寧にたたみ、箱へと詰める。本当は移動式のクローゼットなどがあればいいのだろうが……そんなことしたらスペースがどれだけあっても足りないな。

「新作のドレスですか……ちゃんとお着せできるかしら」

 箱にしまわれたドレスを見ながら、旅行の同行者であるメイヤが心配そうに言う。侍女の仕事の一つに、主の衣服の世話がある。一人で着るのが難しいドレスも、侍女の手を借りることで着こなせるようになるのだ。……侍女がそのドレスの着せ方を分かっていればだが。
 そして、今箱にしまったのは、一度試着しただけの新作ドレス。それをたった二人の侍女で担当することに、不安を覚えたのだろう。
 私はそんな不安にかられるメイヤの肩を叩いて、言った。

「大丈夫ですよ。……ドレスはいっぱいあるので、これが駄目でも他の物を着ていただければ」

「ちょっとキリンー。頼むわよ、私の侍女なんだから」

 おっと、主からの苦言が届きそうだ。でも、残念ながら私は頼りにならないぞ、メイヤ。
 なにせ、生まれてこの方、こういった立派なドレスは侍女の制服のドレス以外、数える程度しか着たことがないからな!



◆◇◆◇◆



 王宮前に駐まった大きな馬車に、荷物が積まれていく。
 いよいよ旅行当日。朝から下女達が数人がかりで王妃の私室から昨日詰めた箱を持ちだし、馬車へと運んでいる。
 持ち出される荷物は王妃の物だけでなく、先王夫妻と国王の物もある。なので、動員される下女や下男の数は結構なものだ。その下女達を監督する侍女の姿もちらほらと見える。
 王妃の部屋に来た下女達も、私達王妃付き侍女がその仕事ぶりを監督というか、監視している。運ぶ荷物は王族のものだけあって、高級品だからな。さすがに持ち逃げすることはないだろうが、形式として一応監視する必要はある。

「いやあ、旅行とはうらやましいですね」

 馬車に荷物を積み込み終わった下女の一人が、私に話しかけてくる。顔なじみの下女カーリンだ。

「新しい風習の新婚旅行ってやつだ。私も担当侍女としてついていくよ」

「いいですねー。行き先はどこでしょうか」

「知らない。機密だって」

「ええっ、なんですかそれ怪しい。大丈夫なんですか、王族をそんなものに連れていって」

「その王族しか行き先を知らないんだよ……いったいどこに連行されるのか」

 秘密の場所といえば『幹』だが、あそこはただの侍女を随伴としてつれていけるような区画ではないしなぁ。私も世界をいろいろと巡ったから、私の知らない場所に行くとは思えないが。

「あははー。楽しんできてくださいね」

「仕事でいくのだが……まあ、ほどほどに楽しんでくるよ」

 そんな会話をカーリンと交わすうちに積み込みは終わり、私はカーリンと別れ王族用の馬車へと向かう。
 国王と王妃の乗る馬車に、私は話し相手として呼ばれているのだ。ちなみにメイヤは別で、侍女専用の馬車に他の侍女と一緒に詰め込まれるらしい。

 私が乗るのは王族専用馬車。馬車というか、魔法動力で動く自動車である。オーバーテクノロジー極まりないが、王族専用ということで道具協会に許されている一品だ。
 馬のような生物であるメッポーや、地上を走る巨大な鳥である陸鳥よりも速度を出せる。まあ、今回は他の馬車と足並みを揃える必要があるので、その性能を発揮することはないだろうが。

 王族専用馬車に乗ると、中には近衛騎士のオルトがすでに乗り込んでいた。真っ先に馬車内の安全を確認したのだろう。王城内だというのに、真面目なことだ。

「姫か。二週間よろしく頼む」

「ああ。どこに行くか知らないが、国王夫妻の安全確保は任せたぞ」

「なんだ? 姫も行き先を知らないのか」

「私の主の王妃様すら、行き先知らないからな……国王に吐かせるしかない」

「我が主に何をするかと言いたいところだが、姫との仲だからな……」

「いやあ、今回の私は国王の親友としてではなく、王妃の侍女として付いてきているからな。基本は控えるぞ」

 と、オルトと会話するうちに、国王にエスコートされてパレスナ王妃が馬車へと乗り込み、国王も遅れて馬車の中に入ってくる。
 そして、運転席である御者席に、国王の秘書官が乗り込んだ。

「あなたが運転するのですか……」

 私が感心してそう言うと、秘書官はこちらに振り向いて微笑んで言った。

「ええ、お手の物ですよ」

「それは頼もしいですね」

「はいっ、はいっ、キリリーン」

 秘書官との話の最中、突如国王が手を叩いて私の注目を集めようと声を上げた。
 なんだろうか、急に。

「キリリンは、旅行の間、敬語禁止ねー」

「ええっ……。一応、侍女の仕事で来ているんだが」

「今回は俺っちの個人的な旅行だから、俺の事情優先でーす。キリリンは一番偉い俺の親友だから敬語禁止!」

「また無茶言うな……」

「ふふっ、仲いいわねー、貴方達」

 パレスナ王妃が私と国王のやりとりに笑って言った。

「おう、マブダチだからねー」

「でも、同行者がいるだろう。先王夫妻とか」

「その先王と対等に話す権利をキリリンは持っているから、問題ないね!」

「まあそりゃあ……」

 以前、竜退治をしたときに得た権利だ。国王と対等に話す権利。それは、国王より下の位の貴族にも、へりくだって話す必要がないという権利でもあった。
 なので、私は庭師時代の最後の方では、この国でほとんど敬語を使っていなかった。おかげで、侍女になったばかりのときは、敬語を使うのに苦労したものだ。

「でも、旅行先で敬語使わないってことは、行き先は国内なのか?」

「行き先はすぐに分かるよー。まあ、キリリンが敬語使う必要ないのは保証するよ」

 人の居ない無人島とかだったりして。いやまあ、この世界に小島の類はないのだが。
 そんな会話をしている間に、馬車が進み始めた。王宮前から入り組んだ王城を進み、正門から王城を出る。
 城下町をゆっくりと進み、西へ。軍の演習場として使われている、郊外の大広場の方角へ進んでいく。
 ゆったりとした旅路の始まり。私は早速、パレスナ王妃の話し役として会話を交わして暇を潰そうとするのだが、その時間はすぐに終了することとなった。

「お、見えてきたよー」

「ん?」

 国王の言葉に、私は御者席の外を見つめる。
 すると、郊外の大広場に、巨大な何かが鎮座しているのが見えた。あれは……なんだ? たとえるなら、そう……アダムスキー型のUFOのような……。

「……ああ、もしかして『幹』の乗り物か!」

「そうだよー」

 私の思いつきの言葉に、国王が楽しそうに答える。
 そういえば、以前王城に乗り付けてきた『幹』の飛空船もこのような、けったいな形をしていた。そのときの飛空船の大きさはこれよりも小さかったが、デザインの傾向は似ている。
 しかし、何故『幹』の飛空船がこんなところに。もしや、旅行の足として飛空船を使うのか。よく『幹』にそんな要望が通ったな。よっぽどの遠くの国に向かうというのだろうか。

 そんなことを考えているうちに、馬車は止まる。

「挨拶するから、ちょっと一回降りるよー」

 国王がそう言い、オルトが真っ先に下車する。私もそれに続き、そして国王、パレスナ王妃と順に降りていった。
 改めて飛空船を眺める。でかい。そしてデザインが明らかにUFOっぽい。『幹』って前世で想像されていたレトロフューチャーにすごく似ているから、全体的なデザインがダサいんだよなぁ。

「お、いたいたー。女帝陛下、今回は誘ってくれてありがとう!」

 と、国王がそんなことを言った。私は国王の視線の先を追う。すると、そこには黒髪の少女が居た。
 女帝陛下。世界の中枢『幹』を支配する女帝蟻だ。世界の重鎮が、何故ここに? そんな疑問を浮かべている間にも、女帝と国王の会話が進む。

「うむうむ、健在のようじゃな」

「おかげさまで戦争も回避されたしねー」

「うむ。そしてバレン家のナギーよ。なんともみすぼらしい姿になったものじゃ」

 女帝の会話の矛先が、別の馬車から降りていた先王の方へと向かう。

「みすぼらしいとは手厳しいな。世界樹に近づいた、素晴らしい名誉ある姿なのだが」

「植物人類種でもないのに体から葉を生やして、明らかに異常じゃ。でも安心せい。今回は、それを治しにいくのじゃからな」

「俺は乗り気ではないのだがなぁ」

 女帝の言葉に、頭を掻く先王。治しにいくのか。樹人化症とは不治の病ではなかったか。

「まあ、よい。で、バレン家以外の皆には、サプライズとして行き先を教えていなかったのであったな」

 女帝の視線が、こちらへと向く。私を見つけたのか女帝が、にかっと笑い、そして高らかに告げた。

「今回の旅行は我も同行する。あそこにあるのは大型の宇宙船よ! これから向かうのは、世界樹のはるか向こうにある、懐かしき大地! 名付けて、女帝ちゃんと行く惑星フィーナへの旅なのじゃ!」

 新婚旅行は、どうやら宇宙旅行らしかった。



[35267] 79.喪失惑星ESP系起死回生トラベラー<1>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2021/09/10 02:32
 巨大な飛空船に馬車ごと乗り込んだ私達は、飛空船内にある広いホールへと集まっていた。
 そこで『幹』側の乗船メンバーと顔合わせだ。

「アルイブキラの皆様、ようこそいらっしゃったでござる。拙者はこの大型探査船の船長、アセトリードと申す。アセトとかトリーとか気軽に呼んでほしいでござるよ」

 まず初めにアルイブキラの言語で挨拶したのは、ゴーレムボディの元勇者アセトリードだ。
 彼は元勇者であり、元魔王だ。魔王討伐戦で魔王ボディから魂の記憶を救出してから、『幹』にて惑星探査の任に就いていたようだが、今回の旅行でも宇宙船の船長を務めるらしい。

 そして次に前に出てきたのは、これまた見覚えのある道具協会の制服姿をした女性だ。

「道具協会所属のリネですー。今回は、惑星に失われた文明の道具を探しに同行しますー。皆さんよろしくお願いしますねー」

 その二人の挨拶する様子を眺めていた国王が、代表して挨拶をする。

「アルイブキラ国王のアン・サリノジータ・バレン・ボ・アルイブキラだよ。愛称はノジーさ。気軽に呼んでね。名高い勇者様とその仲間に会えて光栄だよ! 今日は残りの仲間二人はいないのかな?」

「エンガ氏、ミミール氏の夫妻は、ミミール氏の妊娠が判明したので不参加でござる。皆が揃う機会であったのに、残念でござるなぁ」

「おや、ご懐妊とはおめでたいねー」

「ミミール氏も二人目の子供で少しは落ち着いてくれれば嬉しいでござるな。さて、他のメンバーを紹介していくでござるよ」

 そうして、アセトリードにより蟻人の乗船クルーが五人紹介される。全員似たような蟻の顔で、同じ『幹』風のぴっちりした服を着ているので見分けが付かない。困るなぁ、こういうの。

「そして、このちっこいのが、女帝陛下でござる」

「うむ! 大地の安全がおおよそ確認されたので、今回は我も参上したのじゃ。旅行など何百年ぶりかの。気軽に女帝ちゃんとでも呼んでほしい」

「安全とは言っても、まだまだ混沌の獣が大地を闊歩しているでござるが」

「無敵最強魔導ロボットを三体も連れてきたのじゃから、問題はないじゃろ」

 混沌の獣? なんだ、それは。

「すまない。混沌の獣とはなんでしょうか。危険な生物なのですか?」

 近衛騎士のオルトが、私と同じく気になったのかそう女帝に尋ねた。
 無敵最強魔導ロボットがいるとは言っても、彼ら近衛騎士達は王族の安全を確保するのが仕事だからな。

「ふむ。まず大前提として、惑星フィーナは二千年の昔、魂喰らいの宇宙怪獣に襲われたという歴史から始める必要があるのじゃ」

 世界樹教の聖典の一つである大地神話、そこに語られている魂喰らいの悪獣のことだろうか。しかし、宇宙怪獣って……。怪獣と日本語訳しているアルイブキラの国の単語、おとぎ話にしか使わないと思っていたぞ。

「その宇宙怪獣は、星の原初の力、混沌の力を持つ獣であった。その息吹により、惑星フィーナの世界要素は混沌に汚染され、地表が原初の混沌に覆われてしまったのじゃ」

 私は以前、『幹』の秘密区画で惑星フィーナの外観を立体ホログラムで見せてもらったことがある。その惑星は、黒い雲のような物で地表が覆われていた。あの黒い雲が、混沌なのだろう。

「我々は惑星に人の善なる気を撃ち込むことで、原初の混沌から人の世へ惑星を戻してきた。そして、前回の善人砲発射で、大陸一つの混沌が払われたのじゃ」

 以前私も参加した、魔王討伐戦の成果である。

「大地から混沌は消え、元の大陸を取り戻した。今は大陸に結界を張って、外の混沌が流れ込まぬようにしておる。じゃが、大地から混沌が払われても、混沌に汚染された生物が未だしぶとく大陸を闊歩しておる。世界要素……すなわち魂は混沌から取り戻したのじゃが、魂が宿っていた器は混沌のままというわけじゃな」

「汚染された生物ですか……どうも危険そうですが……」

 オルトが心配そうに言う。世界樹にいる魔物とは、根本的に違う存在なのだろうな。

「体が混沌でできていて、混沌を糧として生きる以外は普通の生物と同じじゃ。人を襲う獣もおれば、安全な獣もおる。まあ、草や肉を食っても糧とはならんので、放っておけば皆衰弱していくという観測結果なのじゃがな。魂も持たぬから知能も低い」

 全部衰弱死してから旅行を計画すればいいと思うのだが……まあ、大地へ帰るのは女帝の悲願らしいからな。気が逸ったのだろう。

「一部の超大型以外は、これから向かう都市の機能で排除できるし、無敵最強魔導ロボットもおる。安心してくれていいのじゃ」

「解りました。ありがとうございます」

 女帝の説明に、オルトは納得して一礼した。
 ふむ、私からも一つ女帝に尋ねておくか。

「私からも質問いいかな?」

「おお、キリンか。なんじゃ?」

「なんで旅行の行き先を王族以外に伏せていたんだ?」

「ただのサプライズじゃ! 主におぬしに向けたな! 普段から女帝ちゃんホットラインで、惑星のことをいろいろ話しておったじゃろ? 行けるとなると、驚いてくれると思ったのじゃ!」

「ええー……。惑星フィーナが極秘区画だからとかではないのか」

「地表の動植物の環境が整ったら、各国の重鎮に存在をお披露目するつもりじゃから、別に極秘でも機密でもないのじゃ」

 女帝の回答に、私は肩をがっくりと落とした。
 私に向けたサプライズか。これは、行き先を察せられなかった私が、鈍かったということかね。
 旅行に連れていく侍女はパレスナ王妃が決めたのだと思っていたが、これはサプライズを知っていたであろう国王が決めていた可能性が高いな。
 国王の方を見ると、にかっと笑顔を返された。うぬう。

「キリンは大陸再生の功労者の一人じゃからな。そんなおぬしをいたわるために、惑星旅行に真っ先に招待したのじゃ。ギリドゼンのやつに聞いたところ、魔王討伐戦の参加に乗り気じゃなかったらしいの? おぬし個人へのせめてもの報酬というやつじゃ」

 なるほど。私が魔王を浄化したことで、アルイブキラには『幹』からは惑星由来の稀少金属が下賜された。私個人への報酬は国から金一封が与えられたのだが、『幹』からは特に何もなかった。今になって、報いを与えるということなのだろう。

「ノジー夫妻の新婚旅行とかいうものと、ナギーの治療はまあそのついでじゃな」

 先王の治療? ああ、世界樹から離れることで、樹人化症が治るというやつか。

『世界樹の保護領域より離脱します。ご注意ください』

「おお、とうとう世界樹から本格的に離れるようじゃ。さすが最新の宇宙船は速いのう」

 アナウンスが船内に響き、女帝が嬉しそうにはしゃぐ。
 そう、この会話の間にも、私達の乗る宇宙船は惑星フィーナに向けて飛んでいたのだ。
 前世では宇宙旅行など夢のまた夢だったが、まさかこんな形で実現するとは思わなかった。

 前世の子供の頃は宇宙飛行士になるなどと、兄がしきりに言っていたものだがなぁ。と、そんな感慨深い思いをしているときのことだ。

『いってらっしゃい!』

 そんな言葉が、突如頭の中に響いた。

「えっ……」

「ん? どうしたのじゃ、キリン」

 思わず漏らしてしまった声に、女帝が反応する。
 私の声は音声魔法で思考を音に変えているので、こういった声がどうにも漏れやすい。

「今、突然頭の中に『いってらっしゃい!』という言葉が響いてな……」

「ああ、世界樹の声じゃな。いわゆる神託じゃよ」

「これが神託……」

 何故、世界樹は、私に声などかけたのか。今まで私は神託など受けたことはない。世界樹教への信仰心などもないし。

「がはは! もしやキリン殿は、神託は初めてか! めでたいのう!」

 先王が私の隣に来て、強く肩を叩いてくる。世界樹を深く信仰している先王なら、普段から神託も聞いていそうだな。

「キリンと世界樹のやつの相性がいいのじゃろうな。それなら、これから起きることもよく感じ取れるじゃろう」

「ん? って、うわ……」

 女帝の意味深長な言葉を聞いていると、突然、力が抜けた。
 体にみなぎっていたはずの何かが、スッと抜け落ちたような感覚におちいり、思わず膝をついてしまう。

「わはは。世界樹の祝福が、効果範囲外になった影響じゃな。キリンは庭師として、様々な祝福や加護を世界樹から受けておったようだからのう」

「ああ、そういう……。確かに色々受けていたよ」

 私は軽く気合いを入れ、立ち上がった。祝福は失われたが、庭師として大成するより前はそんなもの一切無く生活していたのだ。動けなくなるようなものではない。

「拙者なんかは特大の祝福を受けているでござるから、毎回なかなかつらいでござるよ」

 と、ゴーレムボディの元勇者アセトリードがそんなことを言う。肉体も魂もない記憶だけの存在なのに、世界樹の祝福が効いているって不思議だな、こいつ。
 他のメンバーはというと……パレスナ王妃、国王、王太后、侍女一同、あと近衛騎士の皆はけろっとしている。
 だが、先王は一人、膝を突いて涙を流していた。

「うおお……神の祝福が失われた……。なんという喪失感なのだ……」

「やれやれ、世界樹から離れるのは治療の一環なのじゃから、早々に慣れてもらわんとの」

 先王の様子に女帝は、肩をすくめている。
 女帝になだめられた先王、さらに王太后にあやされてようやく立ち上がった。
 その様子に安心した女帝は、その場で片手を上げた。

「さて、ここから先は宇宙……つまり、世界樹でも大地でもない、何もない空間を進む。旅行の最初の見所じゃ!」

 女帝が指を鳴らすと、宇宙船の壁、天井、そして床が透明に透きとおり、宇宙船の外、すなわち宇宙の様子が映し出された。
 黒く何もない空間。そこに、膨大な数の星々の光が輝いている。

「世界樹に住んでいては見えぬ、星空じゃ。たんと眺めておくのじゃ」

 その美しい光景に、アルイブキラの面々から、わあっと歓声が上がる。
 星の海。そして、段々と遠ざかっていく……月だ。

「陛下! あれ! あれが世界樹なのかしら!」

 パレスナ王妃が国王の腕を取りながら、楽しそうにその月を指さす。
 その月からは……巨大な木が生えていた。太い幹があり、枝があり、その枝の上に大地が載っている。青々とした木の葉は生えていないが、まさしく木であった。あれが、世界樹か……。どうにも、月の半分くらいの大きさがあるように見える。自転とかよく狂わないな。
 そして、そんな巨大な木の側面にある、巨大な砲身が目立つ。あれが善人砲だろう。

「世界樹って、あんな形をしていたんだねぇ。世界樹教のシンボルは普通の木のマークだけれど」

 国王も感心したように世界樹を見つめる。
 そんな人々の様子を女帝は満足そうに眺めると、こちらを見て口を開いた。

「ほら、あっちは惑星フィーナじゃぞ。浄化された大陸がしっかり見えておる」

 女帝の指が指し示す方角には、青と黒のまだら模様をした惑星が鎮座していた。そして、惑星の真ん中に見える巨大な大陸には、黒い模様はかかっておらず、代わりに白い雲が渦を巻いていた。
 雲かぁ。あれも、世界樹にはないものだな。雨は天候管理システムが魔法陣から降らせるものだったからな。
 私達は、そんな未知の星と宇宙の様子を楽しく眺めるのだった。

「しかし、宇宙を進んでいるというのに、重力制御しっかりしているなぁ。宇宙船と言えば、無重力かと思っていたよ」

「なんじゃキリン。いつの時代の話をしておるのじゃ。そんな船はもう骨董品レベルじゃぞ。世界樹の地上も重力制御されておったじゃろう」

 私のつぶやきに、女帝が反応する。
 そうか。世界樹は月に生えている。それでいて地上の重力は月のそれじゃなくて、人の住める惑星レベルの重力だというのだから、世界樹全体が常日頃から重力制御をされているということか。

「でも、無重力体験もしてみたいものだな」

 重力魔法は自前で使えるが、宇宙を行く宇宙船内で無重力というものも体験してみたかった。一人でやっても迷惑になるだけだろう。

「それはいいのう! よし!」

 女帝は、蟻人の乗船クルーのもとへと向かい、何やら指示を出し始めた。そしてその場で手を叩いて皆の注目を集める。

「これから皆には、無重力というものを体験してもらうのじゃ。重力とは物が空の上から大地の下に落ちる力じゃが、今、我らの足元には大地がない。よって、本来は重力が存在しないのじゃ。今は擬似的に重力を発生させておるが、それを無くすとどうなるか……是非楽しんでもらいたいのじゃ」

 女帝がまた片手を高く掲げて、指を鳴らす。すると、段々と体にかかる力が失われていき、体が軽くなった。
 おお、これが無重力! 不思議な感覚だ。
 そしてまた女帝が指を鳴らすと、床からポールが複数生えてきた。手すり代わりに使えということだろう。

「このホールは無重力空間になったのじゃ! わはは! 皆、楽しんでくれたも」

 ひょいと飛び跳ね、慣性のまま天井に向かって真っ直ぐ進みながら、女帝が言う。女帝本人が早速楽しんでいる。

「あわわわわ、体が浮きます……」

 先ほどまで隣に立っていた侍女のメイヤが、宙に浮かんで手足をバタバタとさせている。

「キ、キリンさんー。助けてくださいまし!」

「おおう……」

 せめて最初は、低重力から始めるべきだったかもな。
 私は、軽く床を蹴ってメイヤに近づいていき、その手を握ってやった。

「メイヤ、落ち着いて。動けば動くほど、変な方向に飛んでいってしまうよ」

「あわわわわ……」

 床を蹴った力で、私とメイヤはゆっくりと天井方向へ飛んでいく。そして天井につくと、天井を蹴って床へと降りた。
 私も無重力は初体験だが、意外と上手くいくものだ。

「はわー、ちょっと楽しいかもしれませんわー」

「それはよかった」

 そうして漂うこと二十分ほど。女帝が飽きたのか、合図を出して少しずつ重力を戻していき、皆床へと戻った。床から生えていたポールも引っ込んでいく。

「いやあ、楽しかったのじゃ。無重力など、何千年ぶりに体験したかの」

 女帝陛下が楽しそうでなによりです。

「では、着陸まではまだかかるので、食事にしようかの」

 またもや女帝が合図を出すと、床からテーブルと椅子がせり上がってきた。
 そして、宙を浮くワゴンがホールへと入室し、テーブルの上に皿を自動配膳していく。

「さ、席に着くのじゃ。食事は『幹』名物、ペースト型完全栄養食なのじゃ」

 女帝に促され、皆席へとつく。私はメイヤと一緒に、国王と先王夫妻の連れてきた侍女と固まって一つのテーブルに座った。彼女達王族付き侍女も、普段から侍女宿舎で顔を合わせている仲なので、見知ったメンバーだ。

「これは……食事なのでしょうか?」

 メイヤが皿を前に、困惑したように言う。以前、世界樹トレインでも食べた、ペースト飯である。歯磨き粉のようなペーストを皿に平らに盛った料理だ。私達のような動物人類種でも、蟻人達のような昆虫人類種でも、種族関係なく食べられる万能食品である。

「味は保証するよ。さ、いただこう」

「はい、では、アル・フィーナ。……あら?」

 祈りの言葉を言ったメイヤ達侍女が、不思議そうに首を傾げる。

「ははは、ここはもう世界樹の加護から離れた場所なのだから、聖句を告げても光りはしないよ」

「そうなのですね……世界樹を離れたと、ようやく実感したかもしれません」

 そして私達はスプーンを手に取り、ペースト飯を口にした。

「あら、美味しい……」

「本当……。すごく深い味わいがあるわ」

 侍女達は未知の食事を前に、楽しげに食事を進めた。
 ペースト飯、好評のようだ。見た目と食感は微妙だけれど、美味しいからな。食べ進めると味が少しずつ変わるし。
 談笑しながら食事を進め、やがて皆の皿が空になった。

「面白い食事でしたわね。『幹』の料理は他にどんなものがあるのかしら」

 そんな会話で盛り上がる侍女達。
 そして、他の席でも食事が終わったのか、空浮くワゴンが皿を自動回収していく。

 女帝も食事を終えたらしく、席から立ち上がり、皆から見える場所へと移動し、そして口を開いた。

「うむうむ、皆満足してくれたようじゃの。これから毎食このペースト型完全栄養食を出すので、食事時を楽しみにしてくれたも」

「……えっ、ちょっと待て」

 さすがに聞き流せない言葉に、私は思わず女帝に声をかけた。

「なんじゃ、キリン」

「毎食ペースト飯なのか?」

「うむ」

「いや、それはちょっと、あれじゃないか。さすがにないだろう」

「なんでじゃ!? 毎食味は変えるぞ」

「いや、でも毎食同じ食感のペーストは、飽きるだろう。旅行の日程は二週間だったよな。確実に飽きる」

「そんなことないのじゃ。完全栄養食じゃぞ!?」

「栄養や味の問題じゃなくて、見た目の形とか食感とかの問題だよ」

「そうなのか。ううむ……」

 女帝は難しい顔をして腕を組み、うなった。
 女帝は人の姿に化けてはいるが、本質は蟻人だ。もしかすると、あのペースト飯が一番しっくりくる、彼女にとっての主食のようなものなのかもしれない。

「食材はペーストしかないのか?」

 考え込む女帝に私はそう尋ねた。

「いや、培養肉や培養野菜、培養向日葵麦を宇宙船内で培養して、それを機械でペースト状に加工しておる。おぬしらが連れてきた馬車のメッポー用の餌も、培養飼葉なのじゃ」

「調味料は?」

「培養したのが豊富にあるのじゃ。それも機械に投入しておるよ」

「材料は全部揃っているということか。じゃあ、その材料で別の料理を作ってもらえば……」

「料理人はつれてきておらぬのじゃ。調理機械も、完全栄養食しか作れぬし……」

 うーむ、とまた考え込んでしまった女帝。
 そんな女帝に、アセトリードが横から話に入ってきた。

「すまぬ、皆の衆。拙者が宇宙移動の問題点を挙げて一つずつ解決していっていたのでござるが、拙者、食事が必要ない身体でござるから、食事まで思い至っていなかったでござるよ。旅行のホスト役として大失態でござった」

 ああ、女帝じゃなくて、アセトリードがホスト役だったのか。
 いや、ホスト役と思っていた女帝に、料理に問題があると詰め寄る私も色々とアレだが。まあ、そこは私と女帝の仲だ。気安くしていいと散々言われている。

「すまぬが、毎食ペーストで我慢してほしいでござる」

「いや、待て」

 結論を出そうとするアセトリードに、私はまた待ったを出す。

「材料はあるんだ。ここにいる料理ができるメンバーで、料理を作ればいい。ペースト飯は、一日一回か二回にして」

「料理……作れる人いるのでござるか? まあ、リネ氏はできるでござるが」

「私ですかー。でも、さすがにこの人数を一人では無理ですよー」

 話を黙って聞いていた道具協会のリネが、そう声を挙げる。

「言い出しっぺだ。私も料理をする」

 そう私は、アセトリードに告げた。

「キリン氏、料理できるでござるか?」

「これでも前世は料理人の息子だったんだ」

「料理人だったのではないのでござるな……」

「親の後は兄貴が継いだからな」

 それでも、大人数用の料理は、作った経験がちゃんとある。

「他にも料理できる人は? 下ごしらえ程度でも構わないが」

 すると、近衛騎士が数人手を上げる。第一隊のやつらは、農村出身者とかも多いからな。
 そして、意外なことに侍女のメイヤも手を挙げた。

「実はお菓子作りがちょっとした趣味なのです」

 それは知らなかった。王宮菓子職人のトリール嬢と話が合うかもな。

「はいはーい、野営料理程度なら作れるよー」

 そう声を上げたのは、国王。
 確かに、彼も王太子時代は私と一緒に野を駆けて、野営なんかもやっていたが。

「国王は主賓なので大人しくしようか」

「ええー、面白そうなのに」

 そう私が国王と会話をしていると、女帝が会話に割り込んでくる。

「いや、そうじゃな、面白そうじゃ。我も手伝いたいぞ! 料理などもう何千年もやっておらんがな!」

 ええっ、大丈夫なのかこれは。
 そうこうしているうちに、正式に料理をすることに決まった。宇宙船内に厨房はないため、全ては惑星に到着してからだ。
 かつて人が住んでいた都市に向かうため、そこでキッチンは用意できるとのことだ。

 思わぬ方向に話が転んだが、ちょっと面白くなってきたかもしれない。そう私は思うのであった。



[35267] 80.喪失惑星ESP系起死回生トラベラー<2>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2021/09/10 02:33
 宇宙船が惑星フィーナに近づいていく。透過した宇宙船の床や壁の向こうに見えるのは、雲のかかった茶色い大陸。
 眼下の大陸に、緑は見えない。おそらく、植物を含む生物は二千年の間に全て死滅してしまったのだろう。

 私はそんな地表を見ながら、女帝へと話しかける。この女帝、妙にフレンドリーだがなんだかんだで偉い人だから、他のみんなは会話するのを遠慮するんだよな。

「植物の姿が見えないようだが、地表の空気は吸って大丈夫なのか? 酸素濃度とかいろいろあるだろう?」

「ふむ。惑星環境は、事前にアセトリードが機材を持ち込んで整えてあるのじゃ」

「機材で整えられるものなのか。すごいな」

「一部の土壌は整えたので、植物もそこに種をまけば今すぐにでも生えてくるぞ。生物は全て混沌の獣になってしまったので、地表に二千年前の植物の種子は残っておらぬのじゃが……」

 そんな会話をしばらく女帝としてから、私はまたパレスナ王妃達の方へと戻る。
 パレスナ王妃は、国王から離れて侍女のメイヤと会話を交わしていた。

「なんだか陸地に白い部分があるわね。雪でも積もっているのかしら」

「あれは雲というものですね」

 パレスナ王妃の疑問に、メイヤが答えた。さすがメイヤ。物知りだ。
 世界樹の空に雲はかからないが、雲という単語はアルイブキラの言語に何故か存在する。以前、辞書を見ているうちに気づいたことだ。おそらく、大地神話の一節に雲が登場するからだろう。

「雲。なにかしらそれ」

「えっと、空の上に浮かぶ何かとしか解りません……」

 物知りメイヤが白旗を揚げた。存在しか知らなかったようだ。

「そう。ねえキリン、雲って知っているかしら」

「はい、知っていますよ。前世は地球という惑星に住んでいましたから」

 私がそう答えると、パレスナ王妃の目が細まった。

「キリン。旅行中、敬語は禁止なのよね?」

 ぐっ、国王がいなくても有効なのか、あの制限は。

「……雲は大地の上に積もっているわけではなく、空の上に浮かんでいる。惑星では、あの雲から雨や雪が降るようになっているんだ」

「へえー」

 そんな会話を交わしているうちに、宇宙船がどんどん惑星に近づいていく。
 大気圏突入! とか見てみたかったが、惑星が目前になっても一向に壁の向こうが赤熱する様子がない。うーむ、不思議バリアーか何か張っているのか。そもそもどういう理屈で大気圏突入すると落下物が燃えるんだ。理系じゃないから解らん!
 そうして、惑星降下の様子を見守ることしばし。とうとう、雲が真下に見えるほどまでになっていた。前世で航空機の飛んでいた高さって、これくらいか?

「わ、わ、雲にぶつかる!」

 パレスナ王妃が焦ったように言う。分厚い雲が、宇宙船の前に立ちはだかっているのだ。周囲からも、どよめきが起こる。

「わはは、雲は霧のような水蒸気の塊なのじゃ。衝突などしないぞ」

 そんな楽しそうな女帝の声が響いた。
 宇宙船が雲の中に突入する。壁や床が透過されていて全方位眺めることができるから、風景がちょっと面白いな。そう思ったのだが、すぐに雲から出てしまう。降下中だから仕方がないか。

 そして、眼下の大地に、涸れかけた細い川や丸裸の山、そして建造物が見えてくる。
 建造物は、前世日本の大都市のような密集したものではない。二千年前の人類は、土地に余裕のある生活をしていたのだろうか。

「混沌に飲まれたと言うが、建物は残っているんだな。植物は全て消えたのに」

 私がそう呟くと、それが聞こえたのか女帝が小走りでこちらに近づいてきた。

「混沌とは、あらゆる要素が入り交じっている状態なのじゃ。そこに人の善の気を叩き込むことで、人の世を取り戻す……つまり二千年前の状態を現出させることができるというわけじゃな。生物は独立した混沌の獣になったから無理じゃが」

「なるほど、わからん」

 混沌とか、魔女の魔法教育でそんな要素出てこなかったから、完全に理解の範疇の外にある。なんだ人の世を取り戻すって。どんな概念だ。
 意味不明な理論に頭をひねっているうちに、宇宙船は地表に見える一つの建物に近づいていった。

「そもそも混沌が全てを完全に取り込んでいたなら、大陸もこうして以前の形を保って再生されていなかったわけでの……混沌に汚染されたのはあくまで世界要素であって、大地が直接混沌に変わったわけではないのじゃ。大地や建物は一応の形を記憶したまま、混沌となった世界要素に覆われていた状態だったのじゃ」

「へー」

 女帝の言葉をパレスナ王妃達と共に聞き流しながら、宇宙船の進む先を眺める。
 向かうのは、真ん中に大きな空洞がある、ドーナッツ状の超巨大建築物。なんの建物だろうか。
 やがて、その建物の空洞の部分に、宇宙船が着陸する。そのときを待っていたとばかりに女帝が大きく息を吸い、そして大きな声で皆に向けて言った。

「ようこそ惑星フィーナ、そして世界樹都市エメルへ! 歓迎するのじゃ!」



◆◇◆◇◆



 一同並んで宇宙船から外に降りる。地面は柔らかな土だ。そして、眼前にあの超巨大建造物の壁が見えている。壁には入口らしき部分も見える。

「上からは、大きい建物にしか見えなかったんだけど、ここが都市なのー?」

 国王が女帝に話しかけた。確かに、超巨大な一つの建築物にしか見えなかった。都市と言われても、複数の建物が並んでいるわけではない。

「うむ、この都市は、世界樹を崇めるコミュニティによって作られた、ソーアトルーなのじゃ」

「ソーアトルー?」

 謎の単語に、国王は首をひねる。私も、聞き覚えのない単語だ。

「ううむ、なんと説明したらよいか……。建物内で大人口を抱えつつも、外部と関わりを持たずに内部で全ての生産活動が完結している居住用超巨大建築物じゃな。建物一つがまるごと都市の機能を果たしておる。この建物の中は細かく区画分けされておって、中に家屋などがいっぱい建てられているようなものと思ってくれてよい」

 ああ、もしかしたら、アルコロジーってやつか?
 大学時代にサークルで遊んだ、都市を作るシミュレーションゲームの終盤に出てきた気がする。
 あのゲーム、アルコロジーを建てると本当に建物一つで環境が完結してしまうので、終盤は無造作にアルコロジーを並べるだけの作業ゲーになるんだよな。アルコロジーは中に数万人が住め、他に住宅区も商業区も工業区も建てる必要がないという代物だった。

「しかし、二千年も前の建物、足を踏み入れて大丈夫なの?」

「そこは以前の惑星探査で調査済みなのじゃ。なんの問題もない。都市動力を新しく接続してやればの」

「都市動力ねえ……それってまさか、ゴーレムが抱えているあれのことじゃないだろうね」

「おお、よくわかったの」

 国王の視線の先には、女性型の人型ゴーレム……無敵最強魔導ロボットが何やら荷物を抱えているのが見えた。

「妙なオーラを感じる若木に見えるけど……世界樹関連の何かかい?」

 ロボットが抱えているのは、国王の言葉の通り、高さ三メートルほどの木だ。ロボットの横では先王が木に向けて祈っており、王太后が呆れたようにそれを見守っていた。

「うむ、世界樹の枝じゃ。このソーアトルーは中央に世界樹を植えることで動力とするのじゃが……正直、今の世界樹はあまりにも大きくなりすぎて、そう簡単にこの惑星まで持ってくることができないのじゃ。そこで、この枝を代わりとする」

 枝かぁ。若木にしか見えないけど、枝なのか。さすが世界樹はスケールが違う。

「この枝が育てば、世界樹からの通信の中継アンテナの役割も果たすのじゃ。なので、小さい枝に見えても重要なのじゃよ。おぬしがこの枝から強いオーラを感じるのは、この枝に宿っているものだけではなく、空の向こうの世界樹から届いているオーラも察知しているからじゃ」

 そんなことを話していると、宇宙船から蟻人の操縦する一台の巨大な浮遊自動車が走り出てくる。見た目はオープンカーで、デザインがすごくダサい。『幹』クオリティって感じだ。

「中央に世界樹の枝を植えに行くのじゃ!」

 女帝の号令で、一同は浮遊自動車に乗り込んでいく。

「本当は、ここには二千年前に世界樹が根ごと抜け出した大穴が空いていたのじゃが……、大陸が再生してから数ヶ月の間に穴を埋めておいたのじゃ」

「頑張ったでござるよ。まあ、全部ゴーレム任せでござったが。あれ、そういえば拙者も、今はゴーレムだったでござるな!」

 女帝の解説に、元魔王アセトリードがそんなジョークを飛ばす。正直笑えないが。お前は病人ジョークを飛ばす先王か。
 そして浮遊自動車が建物の空洞の中心部に着き、自動車からロボット達が降りていく。
 三体の無敵最強魔導ロボットがスコップで穴を掘り、世界樹の枝を差し込み、根元にスコップで土を被せていく。

「なんでここだけ原始的なんだ……」

 思わず突っ込みを入れてしまうが、アセトリードがそれになんともないという風に答えた。

「ロボットを使っているからハイテクでござる」

 はいそうですね。
 黙ってロボットの作業を見守っていると、最後にならされた土の上にロボットがバケツで水をかけた。すると、突然、世界樹の枝から地面に向けてエメラルドグリーンの光のラインが走り、四方に向けてそのラインが引かれていく。
 急に幻想的な光景になったぞ。枝の横にスコップとバケツを持ってたたずむロボットが台無しにしているが。

「うむ、接続完了じゃ。これで都市機能の0.01%が復活したのじゃ」

「それだけ!?」

 またもや突っ込みの声を上げてしまう私。いや、0.01%ってほとんどないのと一緒じゃないか?

「当たり前じゃ。ここに元あった二千年前の世界樹は、山より高くそびえ立っていたのじゃぞ。まあ当時はこのソーアトルーだけでなく、周辺の都市へのエネルギー供給も行なっていたのじゃが……」

「でも、この枝は、月からエネルギーを受け取っているんだろう?」

 女帝の言葉に、私はそう疑問を投げかける。無線でのエネルギー供給くらい、『幹』の文明ならやってのけるだろう。

「いや、枝のアンテナ機能はあくまで通信目的じゃ。エネルギーはこの小さな枝から絞り出しておるぞ」

 小さいとは言っても、高さ三メートルはあるがな。
 しかし、世界樹は本当に不思議植物だな。文明のエネルギー源になる木って、意味が解らん。

「うーん、キリリンと女帝陛下の会話が、二人だけの世界って感じ……これだから未開人をないがしろにする高度文明人は困る」

 国王がそんな風にぼやいた。
 自分を未開人扱いとか、嫌な自虐だなぁ。
 でも、随伴している蟻人の人達も、会話の内容を理解していると思うぞ。さっきから無言で背景に徹しているが。
 そんな無言の蟻人に代わり、女帝がまた口を開く。

「ちなみに月からエネルギーを受け取らん理由もあるのじゃ」

「ふむ」

「ナギーの治療のためじゃよ。ソーアトルー内が世界樹の力に満たされてしまうと、ここに居るだけで世界樹にいるのと同じように、樹人化症が進行してしまうおそれがあるのじゃ」

 皆の視線が、先王に集まる。樹皮に覆われたその顔からは、表情を読み取れない。

「せっかく世界樹の土で育っていない培養肉や培養野菜の加工物を食べさせて、身体から要素を抜いておる最中じゃというのに、環境から世界樹の要素を取り入れたら、全て無駄になってしまうのじゃ。今のほとんど稼働していない都市機能具合が、ちょうどいいのじゃ」

 そんな女帝の言葉に、先王は観念したかのように言った。

「これを治すのは構わん。王族として、皆をあまり心配させるのもよくない。だが……、世界樹に戻ったらまた再発するのではないか?」

「おぬしはもう国主を引退したのじゃから、世界樹に接続するのを控えるのじゃ! まったく、これじゃから『幹』は、国主が世界樹教にのめり込むのを非推奨しておるというのに……」

 世界樹教非推奨なんてやってたんだな。世界の中には、世界樹教が国を作った教国とかもあるが。

「がはは! 俺が世界樹を敬愛しているのは、世界樹教とは関係ないからな!」

「困ったものじゃ」

 ふむ。出発の際にも女帝が言っていたことだが、今回の惑星旅行は国王夫妻の新婚旅行だけというわけではなく、先王の転地療養でもあるということだな。二週間の日程でどれだけ治るかは分からないが……よくなってほしいものである。



◆◇◆◇◆



 稼働したアルコロジーの中に案内され、自由時間。私は早速、料理を作っていた。
 移動に費やした旅行初日だったため、今からどこか観光に出かけるというわけでもない。アルコロジーの中で休憩タイムということで、私は料理経験者を集めて夕食を作ることにしたのだ。

 メニューは、世界樹で使われている各種調味料を使った中華料理。世界樹流飲茶である。なお、この調味料も培養品らしい。徹底している。
 なお、すでに培養された食材が複数、宇宙船内にストックされていた。しかし、豪勢にするには種類が足りないので、培養機械を動かすことにした。

 向日葵のような形をした麦『カツツ』。ブドウのように実る米『メーイ』。キノコに、香味野菜。肉も追加だ。飲茶なので茶葉カーターツーも忘れずに。
 培養する食材を選んだら、スイッチオン。巨大なガラスのような円筒状のケースの中で、食材が増殖していく。すごい勢いだ。

「うわっ。キモっ。できるの早すぎ」

 思わずそんな声を漏らしてしまう。
 すぐにできるとは言われていたものの、こりゃあたまげた。

「これだけ優秀なら、農業とかやるのが馬鹿らしくなりそうだな」

「いえ、そうでもありませんよ」

 培養機械の動かし方を教えてくれた蟻人が、私の言葉にそう応じた。
 ちなみに話しているのはアルイブキラの言語である。地方の一国家の言語でしかないのに使えるとは、この蟻人もインテリだな。
 その蟻人が言葉を続ける。

「培養はコストがかかりすぎるのです。最新のおすすめ農法は、成長促進液を使った水耕栽培ですね。当然、工場での生産です」

「なるほど……。アルイブキラは『幹』の農業試験国とか聞くけど、そんな農法があったんじゃ、本当に『幹』の試験になっているのかね」

「原始的な農法でも、そのノウハウは工場での栽培にも活きますよ。全て繋がっているのです」

「そういうものかねー」

 私は、農業について全く詳しくない。料理する関係上、食材にはそこそこ詳しいけれどな。
 そして、ちゃっかりキッチンに居る農学インテリの国王が、蟻人の話を詳しく聞きたそうにしている。だが、今は料理の時間だ。
 キッチンに備え付けられた二千年前の調理器具の使い方を蟻人に逐一聞きながら料理は進められ、やがて飲茶の準備は整った。いやあ、あの蒸し器は画期的だった。個人用に一台欲しいな! なに? 世界樹動力じゃないと動かない? なんてこった。

 そうして、食堂に再び皆が集合する。話を聞くに、ここはアルコロジーの迎賓区画らしい。優先してエネルギーを回しているとのことだ。まあ、居住区画なんてエネルギーを回したところで誰も住んでいないからな。

「遊具楽しかったわ! 絵の中の人物を動かすなんて、初めての体験だわ!」

 遊戯室に行っていたパレスナ王妃が、食堂に入って開口一番、そんなことを言う。ちなみに王妃付き侍女の私とメイヤが調理要員になったため、国王の侍女にパレスナ王妃のお世話を頼んでいた。
 絵が動くか。テレビゲームのようなものでもあるのかもしれないな。

「モニター型のものだけではなく、魂を遊具に接続して別世界を疑似体験できる遊びもあるので、楽しみにしておくのじゃ」

 王妃側に付いていった蟻人から報告を聞いた女帝が、そのようなことを宣言した。
 ちなみに、女帝は宇宙で言っていた通り、料理の手伝いをしてくれたが、その手際はとてもつたなかった。五千年前は一流だったのじゃぞ、とか言われても、はいはいとしか返しようがない。

「さて、皆集まったでござるな。美味しそうな料理が並んでいるでござるなぁ。拙者は残念ながら、ゴーレムなので食べられないのでござるが……」

 ホスト役のアセトリードが、またもやゴーレムジョークを前口上として飛ばす。料理の味が悪くなりそうなジョークを飛ばしよって……。

「急なことなのに料理を作ってくれた方達に感謝を。そして、世界樹……ではなく、培養機械に感謝していただくでござる。アル・フィーナ」

 食前の聖句を皆で唱え、食事が開始される。

 二千年前の物とは思えないぴかぴかのテーブルの上に並ぶのは、揚げもの、蒸しもの、饅頭に焼きもの。当然、お茶もある。茶葉を発酵させていない緑茶的なものだ。デザートには桃まんのようなものを頑張って作った。
 皆が思い思いに料理を選び、アルイブキラの食器であるトングで掴み食べていく。
 今日は、特別豪勢な夕食にした。初日だからな。

 ちなみに、今回私は国王夫妻の座るテーブルへと座っている。料理の解説役として呼ばれているのだ。国王達だけでなく、先王夫妻と女帝も座っている。秘書官はおらず、近衛騎士の席だ。
 そして国王達と同じくVIPであるはずの道具協会のリネは、何故か侍女達の席に座っている。お偉方から逃げたな。あいつめ、ちゃっかりしている。

「キリンさん、こちらはなんという料理かしら」

 王太后が優しそうな声色で私に尋ねてくる。このメンバーの中で、一番優雅に食事を取っている。私のあるじも、この領域を目指してほしいところである。

「そちらは腸粉(チョンファン)。肉とキノコを混ぜたものを具として、メーイを粉にした生地で包んだ料理だ。それもそうだが、タレの類はこちらで全て予めつけてあるので、そのまま召し上がってくれ」

 本当は皿にタレを載せて、それに料理を適量つけて食べる方が美味しい。だが、この人数に一々食べ方の解説などしていられないので、最初からタレは料理につけてある。

「キリリン、こっちは?」

「それは水餃子。肉と香味野菜を刻んで混ぜた具に、向日葵麦を粉にした生地で包んだ料理だ。美味いぞ」

「これ、パリッとして美味しい!」

「春巻きだ。元々は春の初めに新芽が出た野菜を具として巻くから、春を巻くという名前が付いたらしい」

 国王夫妻にも解説を入れてやる。その最中に、私も肉饅頭を一つ。うむ、よくできたんじゃないか?

「がはは! 美味いのう!」

 先王は特に解説を聞きたがる様子もなく、次々と料理を平らげている。気に入ってくれたようで何よりだ。

「これが異世界の料理か……興味深いのう」

 女帝は料理を一つ一つじっくり噛んで味わいながら食べており、そしてしきりに茶を飲んでいた。
 もしかしたら、ペースト飯を好んでいたことからも、固い料理が苦手なのかもしれないな。パレスナ王妃の結婚式でも、カスタードプリンをずっと食べていた。

「ナギー、これ美味しいですよ」

 王太后が先王に海老シュウマイを勧めながらにこやかに笑っている。仲の良い夫妻である。
 そういえば、パレスナ王妃は国王のことを陛下と呼んでいるのに、王太后は先王のことを愛称で呼んでいるな。両方夫婦仲はいいのに、どういう違いがあるのだろう。

「おお、これも美味い! ……と、おお?」

 そんな食事の様子を眺めていたときのことだ。突如、先王の顔がぽろりと剥がれ落ちた。

「なんじゃあ!? ……ああ、なんじゃ。そういうことか」

 女帝を始めとして一同驚愕するが、なんということはなかった。剥がれた顔の向こう側には、普通に顔が存在した。
 剥がれたのは、樹人化していた顔の樹皮。そして、その樹皮の下には、人間の皮膚が見えていた。新しい皮膚だ。シワはあるが、その肌はつるつるとしていた。

「ナギー、あなた……治ったのですね!」

 王太后が嬉しそうに声を上げる。

「お、おお。もう効果が出たのか」

 宇宙船でのペースト飯と今回の点心を食して、顔の皮膚が再生されたようだ。治るの早すぎない?

「うむ、ナギーの分のペースト型完全栄養食に、成長促進液を混ぜた甲斐があったの!」

 成長促進液。先ほど耳にしたばかりの単語だ。

「女帝……それ、農業用の溶液だろ」

 女帝に思わず突っ込みを入れる私。

「農業用なので身体に害はないのじゃ。樹人化症の民間療法として昔は有名だったのじゃよ?」

 そっかー。民間療法かー。治ったからいいものの……。

「久しぶりに見る父上の顔だ。こりゃめでたいね!」

「そうね! ナギーお父さん凛々しい!」

「おお! パレスナよ、お父さんは凛々しいか」

「私は木の皮の顔より、そっちの方が好きね!」

「そうかそうか!」

 パレスナ王妃のおだてに、先王は上機嫌になる。これで治療に積極的になるかもしれないな。

「うむ、めでたいの。こういうときは、そう、酒じゃな。一応、宇宙船に酒を積んできたが……、キリンよ、酒は厨房へ移動しているかの?」

「移動してあるぞ。だが、飲茶は茶を楽しむものなんだが……」

「駄目かの」

「別にいいよ。せっかくの旅行だ、みんなで飲んで騒ごう」

「うむ。皆のもの! 酒じゃ! 厨房から酒を持てい!」

 中華料理の濃い味付けに、酒を飲みたかった面々が多かったのだろう。皆の目がぎらりと光ったのが見えた。
 その目の怪しい輝きは、侍女だけでなく近衛騎士からも感じられ、副隊長のオルトがやれやれと頭を振っている。
 まあ、アルコロジー内は外敵がいなかったということだし、酒の一杯くらいはいいんじゃないか。

 そうして飲茶の席は酒宴へと変わり、私達は旅行初日の夜を楽しく過ごしたのだった。



[35267] 81.喪失惑星ESP系起死回生トラベラー<3>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2020/10/30 06:03
 惑星観光が始まった。誰も人が住んでいない惑星なので、できるのは遺跡巡りか自然巡りだ。
 だが、その自然という物がすごい。管理された自然しか存在しない世界樹とは、スケールが違う。

 そういうわけで、本日やってきたのは、海である。
 海。樹上を生活圏としている世界樹には、当然存在しない。世界樹の地上にある大きな水場は、川か湖くらいだ。
 強い潮の匂いを感じないのは、混沌の獣以外の生命が生きていないからだろうか。
 微生物とかはどうなっているんだろうな。それすら存在しないなら、テラフォーミングは大変だ。

「あはははは! なにこれ! なにこれー!」

 パレスナ王妃のテンションが、さっそく振り切れている。
 彼女は靴を脱いで、素足で砂浜を走り回っていた。彼女はまだ十七歳。童心に返ることもあるだろう。
 正直、ここに来る前は絵を描きたいと言い出すのではと思っていて、絵画の道具を準備してきたのだが。

「これが海ですか。なんでも、塩の国の塩湖のように大量の塩が水に溶けていて、海水を精製することで塩を無限に生産できると聞きます」

 メイヤが誰に向けて言っているのか、解説モードになっていた。
 ちなみに野外とあって、近衛騎士達は厳戒態勢。まあ、結界を張ったらしいので、混沌の獣は近くにいないのだけれど。

「あはー、冷たいー!」

 ソックスを脱ぎ捨て、ドレスのすそをたくし上げて海水に素足を浸したパレスナ王妃が、楽しそうに叫ぶ。

「大陸の季節は、世界樹と同じで春の一月じゃからな。まだまだ水温は低いのじゃ。泳げないのは残念じゃなあ……」

「泳ぐ! 楽しそうですね! 夏に来たかったわ!」

 水面を足で蹴りながら、パレスナ王妃は女帝の言葉にそう応じた。
 そんなパレスナ王妃の様子を先王夫妻は、微笑ましいものを見るような目で見守っている。

 そして、王妃の夫の国王はというと。

「キリリーン。海ってどうやって遊ぶとよさげ?」

 などと私に聞いてくる。

「見て楽しむでは駄目なのか?」

「どうせなら遊びたいじゃん! で、どんなのある?」

「それなら、砂浜で貝殻拾いとかありかもしれないが……」

「マジ!? お金落ちてるの!? すごくね!?」

 アルイブキラの貨幣は、貝殻を加工した物だ。なので、貝殻拾いはアルイブキラ人にとって、前世で言う砂金拾いのような感覚になるかもしれない。だがしかし。

「……まあ、貝殻は生物の一部なので、混沌の獣になっているだろうから、探してもないだろうな」

「って、なんだよ、キリリン! ガッカリさせないでよね!」

 国王だけでなく、周囲で話を聞いていた侍女達も、残念そうな顔をしてこちらを見ていた。
 みんなやりたかったのか、貝殻拾い。まあ、私も砂金拾いが体験できるなら、一度くらいはやってみたいかもしれないけど。金銭的収入が欲しいとかとはまた違う。

「そうだな、こんな綺麗な砂場はアルイブキラにはないだろうから、砂で立体物でも作ってみようか」

「お、そういうことできるんだ。俺っちの芸術的センスがうなるぜー」

 芸術的センスなら妻のパレスナ王妃の方がありそうだけどな。ああ、でも彼女から立体物の制作の話は、聞いたことがないな。絵画一筋なのだろうか。

「キリン氏達は砂遊びでござるか。どれ、拙者も糸を使って……」

「アセト君、無粋ですよー。こういう芸術は人の手で作るから温もりがあるんですー」

「まことにー?」

「そう言っておけば、高度な道具を芸術家が開発しようとしないからいいって、協会の偉い人が言っていましたー」

「道具協会はこれだから! 人の手がない拙者は、温もりのある芸術品を作れないってことでござるか!」

「ええー、怒るのそっちですかー」

 アセトリードとリネの勇者一行コンビが、なにやら盛り上がっている。
 いや、芸術とか言っても、砂だから終わったら崩すのだけどな……。崩さなくても風とかでそのうち崩れるし。

「よーし、キリリン見てな! クーレンバレン王城を再現してみせるぜー」

 国王は国王で、壮大な目標を打ち立てているし。あ、助っ人として、秘書官が国王に連れてこられた。一人、海を眺めて感動していたようなのになぁ。

 しかし、砂遊びとなると、服が汚れそうだな。まあ、宇宙船にはナノフェアリー洗浄があるから、汚れはすぐに落ちるだろうけど。
 ちなみにアルコロジーにはナノフェアリー機材は存在しなかった。世界樹が惑星を脱出した後、二千年の期間にできた新技術なのだろうな。

「キリーン! メイヤー! ちょっとこっち来てー!」

 と、パレスナ王妃に呼ばれた。海水浴とはいかないが、楽しい海岸観光になりそうだな。



◆◇◆◇◆



 レジャーで海と言えば、対になるのは山である。
 土地に制限のある世界樹では大きな山が存在しないため、女帝は大陸の中でも有数の巨大火山のふもとに一行を案内した。
 雄大な景色に圧倒される私達。私自身も、ここまで大きな山は前世ですら見たことがない。

 そして、火山と言えば温泉である。アルコロジー内にも浴場はあるが、温泉はまた別。アルイブキラの首都圏住まいは温泉に慣れているが、温泉は場所が変わればまた違うよさがあるものなのだ。
 私達は男女別に分かれて、温泉を堪能した。ちなみに蟻人は五人とも女性だった。
 温泉施設内はゴーレムによって綺麗に整備されており、気兼ねなく楽しむことができた。まあ、女性近衛騎士達は警備を続けていたのだが……。侍女でよかった。

 海と温泉をたっぷり楽しんで、その次の日。
 本日は、大陸に残された各都市を眺めて回る観光の予定だったのだが……思わぬ事態が起きた。

「もう、急な大雨なんて、天気予定はどうなっているのよ」

 パレスナ王妃が窓に張り付いて、外の様子を眺めている。

「惑星の天候は世界樹と違って、人の手で管理されておらんからの。広大な自然の中では、未来の空模様がどうなるのかは予測までしかできないのじゃよ。しかし、すごい嵐じゃな」

 そう、嵐が来た。
 世界樹では起こりえない天候だ。雨や雪は降れども、人に大きな害を与える天候は、世界樹では発生しないように管理されている。
 だから、この嵐もまた観光の対象になる。
 なので、私達一同はアルコロジーの一番外側の区画に移動して、大窓から外の様子を眺めていた。

「ひっ、何か光った! って、何この音!?」

「雷じゃなあ」

「雷!? あのばりばり光る攻撃魔法ですか!?」

 パレスナ王妃が、驚いたように女帝に尋ねる。

「うむ、嵐のときは、あの雲と地上の間に、強烈な雷が落ちるのじゃ」

「何それ怖い」

 世界樹の天候には、雷も存在しない。パレスナ王妃は、魔法金属のお披露目で最近雷の存在を知ったばかりだ。
 あの強烈な攻撃魔法は、記憶に強く残っていることだろう。
 私はそんなパレスナ王妃に、追加で情報を与えることにした。

「ちなみに、自然の雷は、あのお披露目の時の雷より、何倍も強力だ」

「何それ怖い!」

 パレスナ王妃はぶるぶると震えた。
 攻撃魔法が空から降ってくる天候など、確かに恐ろしいことこの上ないな。おっと、また窓の外が光った。

「雨が横に流れている……これは、風も強烈なのか?」

 そして、近衛騎士のオルトが、警戒するように外の様子を眺めていた。
 近衛騎士達は場合によっては、この嵐の外に出て外敵を排除する場面がくるかもしれないからな。その心配も分かる。

「豪雨と強風が同時に来て、外に立っていられる状況じゃなくなるのが嵐だからな」

「それはまた……難儀だ」

 私の説明に、眉をひそめるオルト。まあ、心配しなさんな。こちらには無敵最強魔導ロボットが付いているからな。

「世界樹の枝は大丈夫なのだろうか」

 人肌部分が増えてきた先王が、そう心配そうに言う。

「ゴーレムを何体か付けておいたので、まあなんとかなるじゃろ」

 そう女帝が言うが、先王はそわそわしっぱなしだった。
 そんな感じでしばらく嵐の様子を眺めていたが、変わらない外の様子に皆、段々飽きが来始めた。

「それじゃあ、せっかくなので今日は、仮想体験遊具を使って遊ぶ日としようかの」

 そう女帝が皆に号令をかけた。
 そして蟻人のクルーに先導されて、皆が移動していく。
 その様子を私はぼんやりと眺めていた。

「おや、どうしたのじゃ、キリン。来ぬのか」

 動かない私に、女帝蟻が心配そうに尋ねてきた。

「ん? ああ、丸一日時間があるなら、どんな凝った料理を作ろうかなぁと」

「なんじゃ。一人で厨房に行こうとしておったのか。でも、駄目じゃな。今日は遊具で遊ぶ日と決めたのじゃから、おぬしも付き合うのじゃ」

「そうか。まあ、構わないが」

「うむ、それでよい。協調性をなくしたら、旅行が楽しくなくなるからの」

 しかし、仮想体験遊具か。もしかしてフルダイブVRゲームとかいうやつだったりするのだろうか。そういえば初日に魂を遊具に接続する云々とか言っていたな。
 これでも私は大学時代、娯楽追求倶楽部というサークルに所属していたのだ。遊びにはうるさいぞ。

 そうして、私と女帝は皆に少し遅れて、アルコロジーの動く歩道的な廊下を進んでいった。
 歩道の終点には、都市内移動用のカプセル乗り場があった。そこで、移動カプセルに乗って迎賓区画へ戻るのだ。
 すでに移動カプセルに乗ったのか皆の姿はない。そして、私達を待っていたのか蟻人が一人乗り場に残っていたので、三人でカプセルに乗り込んだ。

「それで、女帝。世界樹からの移民を惑星に送ること、考えていたりするのか」

 カプセルの中でずっと無言でいるのもなんなので、私はそんな適当な話題で女帝に話しかけた。
 今回の旅行は、もしかすると移民のためのデータ取りをしているのではないか、と私は考えていた。
 たとえば、文明を抑制された世界樹人が高度文明や惑星の自然環境に触れたとき、どういう反応を示すか見ているのではないかと。

「惑星の魂循環システム……いわゆる世界要素の仕組みの再生がまだじゃから、移民募集はもう少し先じゃなあ。二千年前に生きた生物の魂は、混沌から取り戻したものが地中に眠っておるが、それを地上の生物に正しく宿らせる惑星本来の仕組みが、ズタズタになっておるのじゃ」

 人工物じゃない惑星にそんな機能が備え付けられているのが、私にはびっくりだよ。前世の地球はどうなんだろうな。
 しかし、数千年単位で生きている女帝蟻のもう少し先とは、はたしてどれくらいだろうか。

「世界樹で高度文明が解禁になるのには、まだまだかかりそうだな」

「うむ。おぬしの住むアルイブキラなどは、人口密度が高いから移民も早く進めたいのじゃがな」

「ああ、うちの国はなぁ……。食料も豊富で国民の生活に余裕がかなりあるから、よくベビーブームが起きていないなって思うよ」

「まあ、国主は国の魂の総量を操作できるからの。アルイブキラは特にその権限を強くしておる」

 なんだそりゃあ。この女帝蟻、さらっとすごいこと言いだしたぞ……。

「世界樹に流れる世界要素から地上に吹き出す魂の量を調節することで、子供が生まれにくくなるのじゃ。魂が母胎に宿らないと子は妊娠できないからの」

「それって……その魂の操作で完全に出生調整すれば、わざわざ道具協会が文明抑制なんてする必要ないじゃないか」

「そこが面白いところで、何もないところからも魂というものは新しく発生するのじゃ。だから、完璧に出生調整できるわけではないのう」

「つまり、世界要素を経由していないまったく新しい魂が、今のアルイブキラ人の若者に宿っているということか? 世界樹と繋がりが薄くて、気功術が苦手そうだ」

「人間の胎児に新しい魂が発生した場合は、妊娠初期の段階で世界要素から追加で魂を補充して、魂の強度を増すシステムが世界樹にはあるのじゃ。以前、『幹』で説明した通り、世界樹の下の月にはまだまだ世界要素が余っておるからの」

 なるほど。この世界の魂というものは固体ではなく、液体や気体のように混ざり合う性質を持つからな。だから生まれる前の妊娠時点で、追加で魂を補充して混ぜるということもできるのだろう。

「ちなみに、世界樹から離れた世界要素の存在しない宇宙でも、魂を持った子供は生まれるのじゃ。当然、地上と比べて生まれにくいし、魂の強度が弱いので脆弱な子供になるがの」

 前世で、宇宙では生物が生まれにくいなんて話は聞いたことがないな……。
 おそらく、魂の仕組みとかが根本的に違うのだろう。地球産の私の魂、世界樹の世界要素に溶けないらしいし。

「しかしなるほど、その新しく発生する魂による出生というものを少なくする涙ぐましい努力が、道具協会による文明抑制ってわけだ」

 正直、アルイブキラは食料豊富すぎて、いまいち文明抑制の意味をなしてない気がするが。
 たとえ生活資金に余裕がなくても、食べ物にさえ余裕があるならば、それだけ各ご家庭は子供を増やせるってことだからな。
 人頭税をお金で納めなければならないから、増やしすぎると大変だけど。

 そんな会話を二人でしているうちに、移動カプセルは目的地へと到着する。
 私達二人と蟻人クルーは、そのまま遊具室へと向かった。
 ただ遊ぶだけの一日。嵐の来た日は、そんな感じで過ぎ去っていくのだった。

 ちなみに仮想体験遊具は、めちゃくちゃ面白かった。
 まさしくフルダイブVRゲームという感じで、しかもご丁寧なことに、アルイブキラ言語モードで遊ぶことができた。
 もう残りの日程、全部これでいいんじゃないかな……?



[35267] 82.喪失惑星ESP系起死回生トラベラー<4>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2020/10/09 09:52
 全力で睡魔に身を任せていた早朝。突然鳴り響いた警報に、私は飛び起きた。

『大型敵性存在が都市に接近しています。大型敵性存在が都市に接近しています』

 ……来ちゃったかぁ。私は寝間着のまま、与えられていた個室から外に出た。
 すると、私と同じく警報で起きたのか、女帝や蟻人、アセトリード、そして騎士服に身を包んだ近衛騎士達が集まってきていた。
 寝間着姿で飛び出した侍女は、私だけだった。
 そんな私と同じく寝間着姿の女帝が、私を見つけて声をかけてきた。

「おお、キリンか。大型の混沌の獣が、都市の側まで来ておるようじゃ。念のため、戦装束に着替えておいてほしいのじゃ」

「無敵最強魔導ロボットを数体出すなら、私が出る幕はないのではないか?」

「今回の混沌の獣は、大陸に確認されておるやつでも最大の超大型じゃ。ゆえに、最大戦力のおぬしとアセトリードは、いつでも出せるようにしておきたいのじゃ。念のためじゃ」

「なるほど、了解」

 無敵最強魔導ロボットはフォトンリアクターとかいうもので動く最強のロボットだが、ゴーレムではないのでその力の源は魔法ではない。
 なので、自ら魔法を使って結界を張ったり、魔法障壁を張ったりする能力はないらしい。名前に魔導とあるのは、攻撃用の兵装に魔法道具が豊富にあるからだ。
 だから、魔法に長じた私と、糸でなんでもできるアセトリードを守りの控えとして配置するのだろう。

「それに、大迫力のバトルを間近で見るチャンスなのじゃ。我も出て、直接この目で見にいくのじゃ」

「おいおい、大丈夫なのか」

「我は昆虫人類種の頂点、女帝蟻じゃぞ? さらに、この額に輝くのは、惑星誕生の頃から世界を見守ってきた賢者の石じゃ。魔法戦闘はお手の物なのじゃ」

 ああ、なるほど……。彼女も神話に語られる神獣の一柱であったか。
 そう納得した私は、個室に戻り着替えることにした。
 庭師時代の魔法の服を着て、エンチャントが多重にかけられた鎧を装着し、愛用の斧を担ぐ。
 準備万端。世界樹の祝福が失われているため、世界樹に居るときよりも多少技の冴えは落ちるだろうが、まあ問題はないだろう。

 私は女帝蟻とアセトリードの二人とともに、移動カプセルに乗り込みアルコロジーの外部へと向かった。
 近衛騎士達は付いてきていない。彼らは王族の守護が役目だからな。打って出るのは仕事ではない。役割分担ってやつだ。

 そして、アルコロジーから走って出た私達を待っていたのは……大怪獣バトルであった。

 上半身は裸の人型で下半身は無数の触手が生えた、体高何十メートルもありそうな黒い怪獣が、これまたとてつもなく巨大な金色のドラゴンと肉弾戦で戦っている。

「なんだこりゃあ」

 思わずそんな声を上げてしまう私。なんで、特撮の世界が目の前に広がっているのだ。

「色合い的に、触手の方が混沌の獣でござるかな?」

 アセトリードが指先から魔法の糸を大量に生成しながら、そう言った。
 そうか、あれが混沌の獣か。じゃあ、ドラゴンの方はいったいなんだ? 混沌の獣同士が争っているのではないのか?

「おお、懐かしい顔じゃのう」

 女帝が、なにやら嬉しそうにそんなことを言った。

「あれを知っているのか?」

 私が女帝にそう尋ねると、女帝はうむとうなずいた。

「あのドラゴンは神獣の一柱。数億年の昔から生きる、原初のドラゴンじゃ。世界が混沌に飲まれても、二千年の間平然と生きておったのじゃろう。混沌の獣を食って生きながらえていたのではないかの」

 そして女帝は音魔法を展開すると、指向性の大声をドラゴンに向けて放った。

「おおい、我じゃ。女帝ちゃんじゃ。加勢は必要かの?」

 すると、触手の怪獣に噛みついていたドラゴンが、ぎょろりと瞳を動かして視線をこちらに向けた。そして、声が響く。

「おぬし、女帝蟻か! 大陸が元に戻ったと思ったら、もしかしてお前の仕業だったのか? 妾(わらわ)は食事中だから、小物だけどうにかしておくれ」

 怪獣の触手をまとめて数十本、そのするどい牙で咀嚼しながら、ドラゴンが音魔法で声をこちらに飛ばしてきたのだ。言語は世界共通語だ。女帝のように古くさいものである。二千年前に使われていた言葉なのだろう。

「小物? 混沌の獣の反応はそやつ一体だけだったのじゃが」

「こやつ、触手を切り飛ばして小さな眷族を生み出すのじゃ。潰すのが面倒臭い」

 そんな会話を女帝とドラゴンが交わしている最中にも、怪獣の触手が何本も、ぼとぼとと千切れ落ちる。すると、地面に落ちた触手がうごめき、触手から無数の手足が生えてきた。うわ、気色悪い。

「むっ、みなのもの、戦闘準備なのじゃ」

 女帝の号令で、私は斧を構えた。
 だが、次の瞬間、無敵最強魔導ロボットの一体が放ったビームのようなものが手足の生えた触手を全て消し飛ばした。

「うむうむ、フォトンキャノンはやっぱり最強じゃな!」

 開幕から超必殺技かよ。こりゃ、私の出る幕は本当になさそうだな。
 私は警戒しながらも、目の前で繰り広げられる大怪獣バトルを眺めていた。

「しかし、まさかあやつがここに来るとは、キリンも数奇な運命を辿っておるのう」

「……私がどうかしたのか?」

「キリンは自分がなんの魔人か考えたことはあるか? その正体が、あれなのじゃ」

「はあ? 私は怪力の魔人じゃないのか?」

 女帝も、突然何を言い出すのか。私の正体があのドラゴンだって?

「よく見える目、よく聞こえる耳、ドラゴンブレスを放つ喉、無尽蔵の体力、超人的な身体能力。おぬしの特性は怪力だけじゃないのじゃ。実はおぬしは、原初のドラゴンの魔人なのじゃ」

 ええー。なんだそれ。唐突に知らされる私の真実。

「私は、あいつの要素を持つ魔人ってことか」

「まあ、正確には、あやつの姉じゃな。あやつの個体名はキリンゼラー。姉はキリンジノーという」

 姉。あの大怪獣ドラゴンがもう一匹いるってことか。

「一億年の昔……惑星が原初の混沌から土の大地と大海原に変貌を遂げた時代、世界は神獣に溢れかえっていたのじゃ。その激動の時代を妹と共に生き延び、そして最後に敗れ去り、死んだのがあやつの姉よ。その力は、あやつよりも強大じゃった」

 話のスケールが大きすぎる! こんなの聞かされて、どうしろというのか。

「死したキリンジノーの魂は惑星の世界要素に取り込まれ、二千年前の惑星脱出の際に、神獣である世界樹が大地からそれを吸い取った。そして永い時を経て、キリンジノーの世界要素を取り込んだ肉体を持つ、一人の魔人の赤子が生まれた。神獣などの特殊な世界要素によって作られた肉体を持つ人間を、我らは魔人と呼ぶのじゃ」

 そんな会話の最中にも、触手の怪獣は次々と触手を地面に落としていく。
 膨大な数の眷族とやらが、こちらに向かってくる。
 無敵最強魔導ロボットがバルカン砲的なものを撃って潰していくが、その弾幕を越えてくるものがあった。
 私は斧を振りかぶり、それをなぎ払う。それと共に、私は女帝に向けて言った。

「私のルーツとか今更話されてもさ……私はとっくに庭師を辞めているんだよ!」

「それでもしっかり戦闘に参加してくれるキリン氏の情の深さ、拙者結構好きでござるよ?」

「庭師は辞めても、力を捨てたつもりはないからな!」

 気功術で斬撃を飛ばし、気持ち悪い見た目の眷族を叩きつぶしていく。というか、アセトリードお前もう少し真面目にやれや!
 眷族を全て消し飛ばしたところで、キリンゼラーとかいうドラゴンは強烈なドラゴンブレスを怪獣に向けて放った。怪獣の胴体に大きな穴が空き、怪獣はその場に大きな音を立てて倒れた。
 決着がついた。沈黙した怪獣の触手は、もう千切れ落ちる様子はない。

「うむ、キリンゼラー、助かったのじゃ。おぬしがいなかったら、これを相手するのはだいぶ手間がかかったのじゃ」

「なあに、おぬしと妾との仲じゃろう。それに、しばらくの食事が確保できた。……ん?」

 ぎょろりとドラゴンの目が、こちらを向く。ドラゴンと目が合った。

「このオーラ……姉上!?」

「おお、気づいたか。こやつはキリンジノーの魔人なのじゃ」

「姉上ー!」

「うおおおお!?」

 ドラゴンが突進してきたので、私は咄嗟に魔法障壁を張る。魔法障壁に、豪快な音を立ててドラゴンが突っ込んだ。

「姉上酷いのじゃ!」

「まあ待て、待つのじゃキリンゼラー。こやつはキリンジノーではなく、あくまであやつの要素を肉体に取り込んだ、ただの魔人なのじゃ。魂は別物よ」

「そうなのか……」

 ドラゴンは残念そうに頭を地面に下げた。

「姉上の要素を持つ人間か……。妾は偉大なる原初の竜、キリンゼラーじゃ。おぬしの名はなんという?」

「初めまして。キリンと申します」

「やっぱり姉上じゃないか!」

「うおおおお!?」

 また飛びつこうとしてきたので、魔法障壁で巨体を受け止める。本当に危ないな、こいつ!

「姉上のオーラを持って、その名前! 姉上じゃないのか!?」

「いやあ、この名前は普通に親がつけたもので……」

「もしかしたら、おぬしが生まれたときに、世界樹がキリンジノーにちなんだ名前を付けろと、神託を下したのかもしれぬの」

 そんなことを横から女帝が言った。ああ、私は遊牧民族の姫だったからな。その出生の際に、お付きのシャーマンが神託を受け取っていたとしても、なにもおかしくはない。

「でも、姉上の生まれ変わりのようなものなのじゃよな?」

「魂は別物です……」

「つまり実質半分は姉上!」

 こいつ面倒くせえ!

「それよりもキリンゼラーよ。ここには食事のためにやってきたのか? だとしたら、その死骸は邪魔なので住処に運んでくれると助かるのじゃ」

「ああ、それは違うのじゃよ。空を飛んでいたら、人が襲われているのを見かけての。助けに入ったのじゃ」

「人? こんな早朝から、誰か勝手に外出しておったのかの」

「どれ、待っておれ」

 ドラゴンはその場で口を開くと、喉の奥から何かを吐き出した。
 それは、魔法結界に覆われた青髪の少年だった。どうやら気を失っているようだ。だが、その顔に見覚えはない。どういうことだ?

「何者じゃ、こやつ」

 女帝も見覚えがないのだろう。まじまじとその容姿を見つめている。

「妾も知らぬ。襲われているのを助けただけじゃからの。こやつが乗っていた乗り物らしきものも、そこらに転がっておるじゃろう」

 そのドラゴンの言葉に、「うーむ」と女帝が腕を組んでうなり始めた。どう扱うか決めかねているのだろう。

「とりあえず、気を失っているでござるし、医務室に運んだらどうでござるか?」

 アセトリードの言葉に従って、アルコロジーの中へ少年を運ぶことになった。
 怪しすぎる人物を建物の内部に入れていいのか分からないが、女帝は連れていくことに決めたようだ。



◆◇◆◇◆



 アルコロジー内の医務室に、無敵最強魔導ロボットの手で少年を運ぶ。
 ちなみに、ドラゴンも顛末が気になったのか、魔法で作りだした使い魔を一匹私に付けていた。アンゴラウサギのような丸い毛玉の生物だ。そこは子ドラゴンとかじゃないのか。

 女帝はゴーレムに指示を出し、医務室に誰も近づかないように言っていた。何者かも判らない相手だ。私としても、アルイブキラの王族を近づけるわけにはいかない。
 そんな謎の少年を医務室のベッドに寝かせたところ、その衝撃によるものだろうか、少年が目を覚ました。
 無敵最強魔導ロボットが銃口を少年に向ける。

 そして、女帝が少年に語りかけた。

「目を覚ましたかの。我の言葉は伝わっておるか?」

 女帝蟻の言葉は、世界共通語だ。相手は滅んだはずの惑星に一人、何故か存在していた謎の少年だ。どの言語が通じるかすら不明だ。

『はい――問題ありません――』

「な、なんじゃ!? 頭の中に声が!」

 頭の中に直接言葉を叩きつけられたような感覚に、私は困惑する。女帝などは、ひるんで叫び声を上げている。

『僕は今――貴方達の脳に――直接思念を送っています――そちらの言語は理解不能ですが――思考の表層を読み取って――あなたがたの言いたいことを――イメージとして――理解しています――』

「も、もしかしてテレパシー……!」

 私は、架空の概念である超能力のテレパシーに思い至って、そんな言葉を漏らした。
 魔法の力は感じられない。前世の漫画の世界にしか存在なかったような、不思議な力だというのか。

『はい――僕はテレパシーと――ESPを使えるため――こちらへの使者として――母船より――派遣されました――』

「いきなり情報が濃すぎる!」

 ESPで、使者で、母船でって何!?

「? 女帝氏とキリン氏、どうしたでござるか?」

「このおのこが、思念を使って脳に直接語りかけてきているのじゃ」

「あっ、そういう……。拙者、脳みそないでござるからなぁ。それじゃあ、離れて大人しくしているでござる」

 アセトリードはそう言ってベッドから離れ、壁に背を預けた。でも、指先から少年に向けて、魔法の糸を伸ばしているのが見えた。万が一の備えというものだろう。

「それで、おぬしは何者じゃ」

『はい、僕は――惑星脱出艦テアノン――対異種族外交室所属――調整体管理番号1209736――名前をメーといいます――』

「惑星脱出艦……」

『僕らの住んでいた惑星は――世界戦争の結果――地脈抽出装置が暴走し――滅びました――』

 いきなり話が重い!

『生き残ったわずかな人々を集め――惑星脱出艦を建造し――旅路の果てに――この惑星へと――降り立ちました――』

 どこかで聞いた話だ。しかし、なんというか……。

「まさかの宇宙人……」

 ぼそりと私はそんなことを呟いた。故郷の惑星を捨てて宇宙へ移民とか、SF過ぎる……。

『いえ――違います――僕達は――異世界人です――』

「異世界人?」

『惑星脱出船テアノンは――宇宙へ飛び出すのではなく――惑星に存在した――火の神の――天界の門を通り――こちらの惑星へ辿り着いたのです――』

「なるほどの。確かに、この大陸にも、いくつか天界の門は存在しておったの」

『事前の話では――こちらの惑星は混沌に包まれていたと――情報があったので――月を目指す予定だったのですが――大地が再生されており――人の反応があったため――こちらへ僕が――使者として参ったのです――』

「ふむ。こちらの惑星の情報は、火の神か天使からか聞いていたのかの?」

『違います――テアノンの――副艦長からの情報です――副艦長は前世の記憶というものがあり――こちらの世界の月で――生きていた記憶が――あると言うのです――名を――セリノチッタ――』

 思念から伝わった名に、私は思わず息を飲んだ。

『偉大な――魔女様です――』

 その名は、塔の魔女の名。私の師匠と同じものであった。



[35267] 83.喪失惑星ESP系起死回生トラベラー<5>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2020/02/20 23:48
 異世界の少年メーが、惑星脱出艦テアノンに戻っていった。
 少年メーが師匠の名前を出したあの後話したのは、この惑星へ移住するための交渉をしたいということだった。
 すぐさま女帝が、テアノン側の代表者をアルコロジーに招いて、交渉を行うことを決めた。向こうの代表者に、こちらの世界の出身者がいるというのが、話し合いを進める決め手となった。
 師匠の名前は、女帝も知っていたらしい。なんでも、アルイブキラに移住する前は、元『幹』の魔法技術者の幹部だったらしい。道理で、魔女の塔の地下に世界樹トレインの駅があるわけだ。

 惑星脱出艦までは、私達がこの惑星に来るまで使った宇宙船を使って送った。

 アルコロジーの近くに来るまでに少年メーが乗ってきたらしい乗り物は、見事にスクラップになっていた。まあ、大怪獣バトルが繰り広げられたまっただ中にあったというのだから、然もありなん。
 宇宙船から見た惑星脱出艦テアノンは、めちゃくちゃでかかった。なんでも、最大収容人数は八万人で、現在は四万人が乗っているのだという。こんなものが通れるとか、天界の門って広いのだなぁ。

 テアノンの使者は、その翌日にやってきた。艦長と副艦長、そして少年メーの三人だ。外には混沌の獣がいるというのに、また少ない人数で来たものだ。まあ、師匠がいるなら怪獣が来たところで後れは取らないのだろうが。
 ちなみに先日少年メーが一人でこちらに来たのは、こちら側を警戒させないためと、彼がテレポーテーションを使って緊急脱出できるかららしい。まあ、そんな彼は怪獣に追いかけられた挙げ句に、ドラゴンに丸呑みにされたわけだが……。

 さて、使者達はアルコロジーに入り、迎賓区画から離れた区画にある会議室へと通された。使者達との話し合いに、アルイブキラの人間は関わらない。彼らは、旅行で遊びに来ているだけだからな。
 こちら側の参加者は、女帝、アセトリード、リネ、そしてなぜか私だ。相手の副艦長の弟子ということで、女帝から出席を要請された。リネが居るのは、異世界の道具がどんなものか気になっているということだった。
 ちなみに、私の腕の中にはドラゴン、キリンゼラーの使い魔がすっぽりと収まっている。異世界人が気になるらしい。

「さて、こちらの代表者紹介からいきましょうか。私は、惑星脱出艦テアノンの副艦長、調整体管理番号1200283、名前をセリノチッタと言います。ご存じの通り、前世は世界樹の人間でした。そこにいる、何故か侍女のドレスを着ている馬鹿弟子の師でもあります」

 かつて亡くなった師匠のものとは違う声質で、セリノチッタを名乗る少女がそう自己紹介をした。以前の師匠の面影も何もない、青髪の少女。
 話しているのは世界樹の世界共通語。昔師匠が話していたアルイブキラの言語ではないので、話し方からも師匠の面影を捜し出すことができなかった。そもそも師匠とは三年間という短い付き合いだったから、少ない動作から師匠かを判断するのは難しい。

「こちらの男性が、艦長のリグール様です。調整体ではありません」

 艦長と呼ばれた男性は、緑色の髪をした青年だ。艦長と言われても納得できる、きっちりした服装に身を包んでいる。
 そんな簡単な紹介を終え、さらに師匠が言葉を続ける。

「ちなみに調整体とは、超能力の力を高めたデザイナーベビーのことですね。社会的カーストは最下級でしたが、私が反逆して地位を高めました。まあ、そんな社会も惑星ごと滅びましたが」

 うへえ。なかなか壮絶そうな世界だな、向こうは。
 ちなみにデザイナーベビーとは、生まれる前の子供を遺伝子操作だかなんだかし、超人的な子供を作るとかいう試みのことだ。昔、世界共通語の辞書を読んで、『幹』にその技術があることを知った。

「そしてこの子が、外交官のメーです。先日そちらにお邪魔しましたね。この子も調整体ですが、その超能力は、調整体の中でも極めて飛び抜けています。次世代の幹部候補なので連れてきましたが、かまいませんね」

 問題ない、と女帝が手を振って応えた。
 そして、こちらも順番に自己紹介をしていく。

 女帝、アセトリード、リネ、そしてキリンゼラーと話していき、最後に私の番だ。

「世界樹のアルイブキラ国の王城にて、王妃付き侍女をしておりますキリンと申します。今回は、セリノチッタ様の元弟子として参加させていただいています」

「侍女! キリンあなた、本当に侍女などやっているのですか。魔女になるのはどうしたのです。それに元弟子ではなく、今も弟子ですよ!」

 うわあ、こりゃ師匠だわ。

「まあまあ、その辺の積もる話は、この場が終わった後にでもじっくりするのじゃ」

 女帝が割って入り、そして交渉が始まった。

「私達の住んでいた惑星は、修復不可能なほどに壊れました。徐々に崩壊していく世界で二年かけて惑星脱出艦を作り、周辺地域で生き延びたわずか四万人がこの世界に脱出してきました」

 師匠がそうこれまでの経緯を説明する。
 壮絶だなぁ。二千年前に世界樹を宇宙船として改造して月へと脱出した女帝からすると、同情するところがあるのではないだろうか。

「そして、世界樹のどこか余っている土地をどうにかして譲り受けようと考えていましたが……、惑星が再生されていたならば、わざわざ月へと渡る必要もありませんね。こちらからは異世界の技術や超能力の概念をお伝えするので、大陸に存在するソーアトルー(アルコロジー)のどれかをお譲りいただけませんか?」

「ああ、構わぬ構わぬ。好きなのを持っていけ。なんなら、稼働したばかりの世界樹都市エメルを使うかの? 都市に常駐する、世界樹の枝の管理者が誰かほしかったところじゃ。バレン家のナギーにでも頼もうかと思っていたが……」

 ずいぶんあっさりとした了承だった。

「ちょっと、女帝陛下!? 異世界の道具を確保するチャンスなのですよー? もっと交渉粘ってくださいませんかー?」

 リネがそう待ったをかけた。彼女は、道具協会の人間だ。道具協会は世界樹の文明を抑制するだけではなく、新しい道具を収集・管理するという役割も持っている。
 だが、女帝はなんでもないという風に言葉を続けた。

「そう言われてものう。向こうの代表者二名がこちら側の人間とか、最初から茶番じゃろ、これ……」

「二名、ですか? 副艦長の方が元『幹』の魔法技術者とは聞きましたけどー」

 リネの言葉に女帝は溜息をつき、そして言った。

「実はそこの艦長はな……、数年前に行方をくらました、我のあるじ様なのじゃ」

「えっ?」

 予想外の言葉に、思わず声を上げてしまう。
 女帝のあるじ……。ああ、前に女帝本人から聞いたことがある気がするぞ。確か、一万年は生きている魔法使いで、宇宙船世界樹の船長。そして人を迎えに行くと言って行方不明になった。
 それが、この艦長なのか。
 彼の隣に師匠がいるということは……異世界まで師匠を迎えに行った?

「つまり、惑星脱出艦で一番偉い人間は、我らの世界樹で一番偉い人間ということじゃな。茶番以外の何物でもないのじゃ」

「ふふふ、黙っていてすまないね」

 そこでようやく、艦長が初めて口を開いた。

「本当はセリノチッタだけをこちらに連れて帰るつもりだったのだけれど、こんな大所帯になってしまったよ。まあ、大陸が再生したというなら、テアノンの住民達は生活を保障する見返りとして、テラフォーミングの手伝いでもさせればいいんじゃないかな」

 テラフォーミングとは、人の住めない惑星を人の手で改造して、人の住めるような環境に変えることを言う。最大の難関であろう大気の組成はすでに完了しているようなので、あとは微生物を撒き、植物を生やして、動物を入植させる必要がある。
 しかし、そこで疑問が一つ。

「しかし、異世界人ですか。よく世界樹人用の大気成分で、そちらの世界の住人が正常に呼吸できますね」

「ああ、微妙に大気の成分は違ったんだけど、四万人全員改造してきたから、問題ないよ」

 ええっ、今ちょっとすごいこと言ったぞこの人。

「歩み寄りは大切です。これからは同じ世界に生きる一種族として、末永く共存していきましょう」

 いい話っぽく師匠が話をまとめた。
 まあ異世界人側がそれでいいなら、何も言うまい。



◆◇◆◇◆



 旅行はうやむやのうちに中止になる……なんてことはなかった。
 むしろ、アルイブキラの面々とテアノン側の異文化交流が、積極的に行われた。テアノンの代表団とともに大陸を観光し、アルコロジーを散策し、惑星脱出艦を案内してもらい、アルコロジーへのエネルギー供給拡大のため世界樹の枝を促成栽培し……。
 そんな約十日間の間に私は、片言ながらテアノン側の言語を話せるようになっていた。リスニングはもう完璧だ。ただし文字は読めない。

「もうお別れなんて寂しいよー」

「うう、ついにこの日が来てしまいました……」

 すっかり仲良くなった少年メーと侍女メイヤが、別れを惜しんで涙を流していた。
 メイヤはさすがに私のようにテアノン側の言葉を理解はしていないが、少年メーはテレパシーで会話が可能だ。なんでも知りたがるメイヤは、そんな少年メーにつきまとうようにして質問を何度も重ねていたのだ。
 少年メーにとって、自分達のことを知りたがるメイヤの態度は、好ましく映ったらしい。

「またいつか会いましょう!」

「また来てね!」

 そしてパレスナ王妃は、テアノンの名士の娘と仲良くなっていた。お互い言葉は一切通じていない。
 名士の娘も芸術をたしなんでいたようで、絵画を通じてお互いの絆を深めあっていた。面白いな、こういうの。
 そして、この場ではお互いの作品を交換し合っていた。麗しい友情である。

「釣り!」

「釣り!」

 国王は、その娘の父親、すなわちテアノンの名士本人と、仮想体験遊具の釣りゲームを通じてすっかり親友になっていた。
 お互いの言語は、簡単な単語だけ理解しているらしい。まあ、釣りをするだけなら、そう多くの言葉は必要ないかもしれないな。
 いつかこの大陸に魚が復活したら、ゲームではなくリアルの世界で二人一緒に釣りを楽しむなんて未来が待っているかもしれない。また女帝が、アルイブキラ王族一行を惑星まで連れてきてくれるかは判らないが。

「世界樹の枝、彼らは大事にしてくれるといいのだがな。ああ、残って成長を見守りたい……」

「病気は治ったのですから、素直に帰りましょうね」

 そして先王夫妻が、立派に育った世界樹の枝を眺めながらそんな会話を交わしていた。
 そう、先王の樹人化症は、この二週間ですっかり治った。王太后はそれを大層喜び、アルイブキラの皆に先王の無事な姿を見せたいがため、早く世界樹に戻りたがっていた。
 一方で先王は、順調に育っていく世界樹をずっと見守りたがっていたのだが。

「勇敢な兵達に、敬礼!」

 オルトの号令で、近衛騎士達が騎士の礼を取る。
 彼らは、テアノンの超能力兵団と訓練を通じて互いを認め合ったようだ。
 闘気で戦う近衛騎士と、超能力を駆使する兵団の模擬戦は、なかなか見応えがあったものだ。

 そんな感じで私達は、惑星脱出艦テアノン勢と合流してからの約十日間を全力で楽しんだのだ。
 そして、今は別れの時だ。
 テアノンの人々が見守る中、アセトリードの先導で、私達は宇宙船へと乗り込んでいく。

「いやー、思わぬハプニングがあったが、旅行は大成功じゃったな!」

 女帝が楽しそうに言う。ちなみに、彼女のあるじは惑星に残っている。しばらくは、テアノンの指導者として頑張るようだ。テアノン側の人類用に魂循環システムを新たに作る必要があるとか言っていたな。

「ハプニングの規模が世界規模で、頭がおかしくなりそうでござるね」

 アセトリードがやれやれといった様子で呆れた声をあげた。まあ、ホスト役お疲れ様だ。

「いっぱい、新しい道具を確保できましたー。最高の旅行でしたねー」

 今回の旅行で一番得したやつがいるとすれば、この道具協会の回し者のリネだろうなぁ……。
 二千年前の惑星の道具だけでなく、異世界の道具まで棚ぼたでゲットできたのだ。

「キリンは、旅行を楽しんでくれたかの?」

 女帝がそう私に尋ねてくる。答えは、もちろん是だ。

「ああ、楽しかったよ。何故だか余計なものまでついてきたが」

「余計なものとは酷いのじゃ、姉上の子よ!」

 腕の中で毛玉が抗議するようにじたばたと騒ぐ。
 そう、原初のドラゴン、キリンゼラーの使い魔が私についてきたのだ。
 キリンゼラーにとって、姉の要素を持ちつつ、別人である私の落としどころとして、姉の子と認定することにしたらしい。
 大切な姉の子。どうせなら一緒に居たい。だが、私が住むのは王城の中だ。巨大なドラゴンは入り込めない。だから、彼女は本体を惑星フィーナに残しつつ、意識を乗せた使い魔を私の手元に置くことに決めたらしかった。
 城に使い魔を同行させることになるが、国王に許可は取ってある。まあ、国王もあんな巨大なドラゴンに頼まれては、否とは言えまい。

「ああ、本当に余計なものがついてきてしまったよ。……まさか師匠が城に来るだなんてね」

「なんですか馬鹿弟子。私の存在に何か不満でも?」

「不満というか不安だらけだよ。まあ、職場が違うのが救いか」

「今の魔法宮はどうなっているのでしょうね」

 テアノンの指導者の一人であったはずの師匠。だが、師匠はすでにあちらの弟子は育て終わったとか言い出し、世界樹に帰還することを選んだ。しかし、魔女の塔での隠居は選ばず、古巣であるアルイブキラの宮廷魔法師団への入団を決めた。魔法宮には師匠を嫌っていた人もいたし、一波乱ありそうで不安である。

「ああ、早く魔女ウィーワチッタの軌跡というものを見たいですね」

 そして困ったことに、女帝が私の映像記録コンテンツ、魔女ウィーワチッタの軌跡の存在をばらしてしまった。
 師匠と死別してからの二十年間。それが、赤裸々に映像に残っているのだ。
 いったい、どんな反応が返ってくるか想像するだけで怖い。でも私は負けない。私は魔女ではなく侍女なのだ。

「そろそろ世界樹の影響範囲に入るのじゃ!」

 宇宙の旅をしばらく満喫していると、女帝がそんな声を上げた。
 そして、身体に世界樹の祝福が戻ってくる感覚があった。とうとう帰ってきたのか。そう感慨深い思いに浸っていたときのことだ。

『おかえりなさい!』

 そんな声が、頭の中に響いた。
 これは……世界樹の声か。例の神託というやつらしい。意思を持つ世界か。なかなか面白いよな。
 これから、またこの世界にはお世話になることになる。だから、私は彼だか彼女だかに向けて、小さな声で言った。

「ただいま」

 帰る場所があるなら、たまの旅行も悪くない。



 喪失惑星ESP系起死回生トラベラー<完>

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次話、登場キャラが増えたので簡易人物紹介です。

書籍版アラサー幼女は来年一月以降に刊行予定です。担当イラストレーターはハル犬様です。書籍版もどうぞよろしくお願いします。



[35267] 第五章までの簡易登場人物紹介
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2021/09/10 02:34
・キリン
王妃付き侍女に昇格したドラゴンの魔人。最近つまみ細工にはまっている。師匠の復活に嬉しいやら恐ろしいやらの三十歳。

・キリンの前世
中華料理屋の次男。高校時代はアルバイトとして実家を手伝っていたが、大学に入ってからはサークルに入って連日遊びまくっていた。享年二十六歳。

・ククル
キリンをお姉様と慕う侯爵家の長女。カヤに洗脳されて近衛宿舎付き侍女になったが、今では恋愛などすっかり忘れて小姓達とはしゃぎ回っている十五歳。

・カヤ
王城侍女。キリンと同室の侍女宿舎では、本棚に恋愛物語本がみっちりとつまっている。他人の恋愛話に敏感な、思春期をこじらせた十六歳。

・パレスナ
プロの画家でもある王妃様。話題が豊富でトークが巧みなキリンのことを自慢の侍女としてとても気に入っている。他の王族との仲は良好な十七歳。

・国王サリノジータ
『幹』のトップ相手にも物怖じしない頼もしい国王陛下。王国最強の魔法戦士でもある。第五章になってようやく本名が判明した二十八歳。

・王妹ハンナシッタ
恋愛小説のプロ作家という裏の顔を持つ王族。文武両道を心がけているが、兄にとても追いつけそうにないのがちょっと悔しい十八歳。

・先王バンナギータ
世界樹を深く敬愛している先代国王。敬愛しすぎて樹人化症を発症したが、二週間の惑星旅行で完治した。国王の父らしく武にも明るい。

・王太后ユーナ
物腰柔らかな先代王妃。王族は恋愛結婚推奨なため、彼女も当然先王を深く愛している。王城の植物園で貴族を招いてお茶会をしている姿を頻繁に目にすることができるのだとか。

・ハルエーナ
塩の国エイテンの第三王女にしてアルイブキラ親善大使。月の半分を母国で過ごし、もう半分をアルイブキラで過ごす慌ただしい生活を送る十二歳。

・ファミー
王宮図書館の司書長補佐に新たに就任した侯爵家出身の貴族。最近の日課は体力作り。恋人ができて順風満帆な十九歳。

・モルスナ
パレスナの叔母にして人気の少女漫画家。国王の結婚式ではキリンと協力して皆の度肝を抜いた。法服貴族として現在も王都でお仕事中な十八歳。

・ミミヤ
王妃の礼儀作法の教師となったが、王妃は農学、化学、そして語学学習に忙しいため全然出番がない。キリンの協力のおかげで音楽分野で貴族達に注目されている二十歳。

・トリール
趣味が高じて王宮菓子職人の副職人長まで昇り詰めた才女。王族のために毎日お菓子を作っており、元王妃候補者の中で一番パレスナと顔を合わせている十六歳。

・フランカ
王妃付き侍女。最近夫が王城に就職したため、休日には夫婦でいちゃいちゃしているらしい。年長者として首席侍女となっている三十三歳。

・ビアンカ
王妃付き侍女。フランカの一人娘。ハルエーナと涙の別れをしたのに、彼女があっさり戻ってきたことを少し恥ずかしがっている。キリンより背が高いことが自慢の十歳。

・メイヤ
王妃付き侍女。実は第一章から登場している。雑学を集めるのが好きで、人に知識を披露できることをなによりの楽しみにしている。庭師として見識の広いキリンを敬愛している十五歳。

・リーリー
王妃付き侍女。メイヤの親友で、侍女宿舎でも同室。間延びをした話し方が特徴で、そこをよく侍女長に叱られている。新任の王妃付き侍女達の中では一番の年長さんな十七歳。

・サトトコ
王妃付き侍女。服飾に深い興味を持っており、綺麗なドレスを他人に着せることをなによりの楽しみにしている。王城侍女という道も自分で選んだ十四歳。

・マール
王妃付き侍女。新任侍女の中では一番の年下で、皆を先輩侍女として敬っている。ちなみにこの国では先達を先輩と呼ぶ風習はない。頑張り屋さんだが空回りも多い十二歳。

・ヤラールトラール
ハンナシッタの護衛を務める天使。恋愛小説『天使の恋歌』の発表以降、自分がヒロインの天使の元ネタと勘違いされてることに困惑している三百二十一歳。

・ネコールナコール
首から上だけの天使。胴体を永遠に失って深い悲しみに襲われたが、新ボディの性能が思いのほかよかったので、これはこれでと思っている八百四十四歳。

・ネコールナコールの胴体
カヨウ夫人を名乗って鋼鉄の国ハイツェンを裏から支配していた悪魔。アルイブキラ国内が荒れていたのは大体こいつのせい。頭から独立した意識を持っていた享年七歳。

・ハンク工房
鋼鉄の国の首都にある老舗の武器工房。質のいい武器を作るが、強力な魔法でエンチャントされた武器にはさすがに打ち負ける。愛されて創業二百十年。

・ゼリン
キリンの馴染みの豪商。鋼鉄の国併合を商機と捉え、早速、塩貿易で莫大な儲けを出しているらしい。いかに道具協会の裏をかくか日々頭をひねる四十一歳。

・カーリン
神出鬼没の王城下女。彼女が主張するには掃除が仕事だが、明らかに掃除が必要ではない場面でも姿を現わす。最近父のゼリンがよく構ってくれるようになったのが嬉しい十二歳。

・オルト
事務仕事で多忙な隊長に代わって、国王の身辺警護を担当する近衛騎士団の副隊長。王国最強の騎士と呼ばれて久しいが、国王に勝てないのが目下の悩み。

・ビビ
新米近衛騎士。パレスナの実家である公爵家の分家出身。キリンの指導で気功術の腕をめきめきと伸ばしている二十二歳。

・無敵最強魔導ロボット
フォトン動力で動く純科学的なロボット。魔導とは魔法兵器を扱う意味であって、あくまで魔動ではないので自力での魔法発動は不可能。

・アセトリード
魔法動力で動く純魔法的なゴーレム。肉体も魂もない記憶だけの存在だが、なぜか勇者時代の世界樹の祝福が残っているのを不思議に思う0歳。

・リネ
元勇者パーティの道具協会所属の道具使い。協会の理念である道具の積極的収集に深く共感して、道具集めに積極的になっている。ちゃっかりしている二十一歳。

・女帝蟻
世界の中枢『幹』の指導者であり、世界樹のナンバーツー的存在。あるじ様の行方が判明して内心でほっとしている永遠少女。

・リグール
世界樹を宇宙船に改造した技術者の一人にして、女帝蟻のあるじ様。異世界にセリノチッタを迎えに行ったら、いつのまにか艦長に担ぎ上げられていた。一万年の時を歩む大魔法使い。

・セリノチッタ
亡くなったキリンの師匠が魂だけの状態で天界の門をくぐり、未知の異世界に辿り着き超能力者として転生した魔女。十八歳だが肉体年齢は十五歳で止めている。

・キリンゼラー
原初のドラゴン。とにかくでかいので、キリンについていきたくてもいけないため使い魔を世界樹に送っている。世界が原初の混沌に満たされていた数億年前の時代から生きている。

・メー
デザイナーベビーな超能力少年。反逆して自分達の地位を高めてくれたセリノチッタに、憧れのような気持ちを抱いている。外交官は荷が重いと思っている十四歳。



[35267] 84.王妃と旅行
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2020/02/20 23:51
 いろいろあった惑星旅行から五日が経ち、月は変わって二月二日。私達の国アルイブキラは、計三ヶ月ある春の中盤となる、仲春の季節を迎えた。
 荷ほどきもすっかり終わり、私達王妃付き侍女は通常業務を再開する。

 パレスナ王妃は旅行前と変わらず、勉強の日々だ。
 変わったのは、教師役。
 今までパレスナ王妃の農学・化学教育をしてくれていた先王は、旅行中に樹人化症が完治した。
 そのため、国に戻ってきてからは、数年ぶりに城外の人々の前へ姿を現すようになった。今の国王にはない特殊な人脈等もあるようで、その橋渡しに忙しいようだ。遅れてやってきた引き継ぎの時間ってやつだな。

 代わりの教師役は、王宮で暇をしていたらしい王妹のナシーが務めるようになった。まあ、副業で作家業などしているくらいだし、忙しくはないのだろう。
 だが、ナシーは先王と比べると、教え方にいまひとつ覇気がない。
 彼女はまだ十八歳。教える本人も、学問は道半ばということだろうか。

 その教師交代があったためなのか、パレスナ王妃の習得が順調なのか、勉強の時間は先月と比べるとだいぶ減っていた。
 新たにできた空き時間で彼女が何をするかというと、マナー講師のミミヤ嬢によるレッスンか、あるいは趣味を満喫することになる。

 パレスナ王妃の趣味。そう、絵画である。

 今日もパレスナ王妃は、内廷に割り当てられた専用部屋で筆を振るう。
 格好は、汚してもいい高級ドレス――矛盾したような言い方だが、王妃なので仕方がない――に、割烹着のような上着を着込んでいる。

 旅行から帰ってきてから描き始めた絵の題材は、惑星脱出艦テアノンである。

「キリン、ここもうちょっと拡大して」

 そしてパレスナ王妃が王妃候補者だった時期から、彼女の“お話役”だった私が今日しているのは、いつもの雑話披露ではない。
 私は、惑星脱出艦テアノンを幻影魔法で再現する、一種の思い出写真代わりとなっている。

 惑星旅行は計十四日間の日程だった。
 そのうち、十日間がテアノンの住民との交流に使われた。
 パレスナ王妃は、交流が始まった初日から、向こうの名士の娘と意気投合し、絆を深めていた。
 言葉は通じていなかったが、互いに芸術の腕を披露し、簡単な作品を作っては交換していた。

 その結果どうなったかというと、パレスナ王妃の手元には、惑星の様子を自分で描いたスケッチすら残らなかったのだ。

 旅行中の何かを題材にして新たに絵を描くには、資料が足りない。
 名士の娘から贈られた惑星の絵はある。だが、パレスナ王妃の若いプライドが、他人の絵を参考に自分の絵を描くという行為を許さなかった。
 そこで目をつけたのが、幻影魔法を使える私というわけである。
 正直、他人の絵を参考にするよりも幻影魔法はずるい気もするのだが……。というか模写も絵画の立派な手法の一つだと思うのだが、他者のスケッチを使うのはそれとは違うのだろうか。

「ああ、そう。そこよ。この部分、なんなのかしら」

「師匠の設計した三連装魔導砲だそうです。攻撃魔法を撃ち出す兵器ですね」

「うわー、そんなのあるのね。そうよね、あれだけの人を乗せているのだもの。身を守る術は必要よね」

 惑星脱出艦テアノンの最大収容人数は八万人。実際には四万人乗っていた。
 その旅路は、自分達の惑星を脱出して、すぐに惑星フィーナに到着というわけにはいかなかったらしい。

 天界の道は複雑怪奇。ときおり、人が住むのに向かない他の惑星に放り出されて原生生物との戦いとなったり、人の住む惑星に出てそこの戦争に巻き込まれたりしたらしい。

「魔導砲を撃つ機会は少なかったらしく、もっぱら活躍したのは、人型搭乗兵器ミシオンだったそうですよ」

「あー、あれね。巨大なゴーレムかと思ったら、人が乗って操縦するというのだもの。驚いちゃったわ」

 そう、テアノンには、搭乗型の人型ロボット兵器があったのだ!
 それを駆使して、テアノンは数々の戦いを繰り広げ、最後に惑星フィーナへと辿り着いたとのことだ。
 本当は世界樹にある天界の門から出てくるはずだったらしいのだが、天界の火の神が気まぐれを起こしたのか、惑星フィーナの方へと飛ばされたようだ。
 そこで、彼らは私達と出会うことになった。

 うーん、壮大だ。テレビアニメにしたら、四クールくらいのロボットアニメになるのではないか?
 剣と魔法のファンタジーをやっている世界樹の世界とは、だいぶジャンルが違うな。

「ミシオンも絵に描きたいわねー。ほら、メイヤと仲の良かった子いたでしょう? あの子の乗っていたものが一番格好よかった!」

「メーさんのエースカスタム機ですね。なんでも超能力でオプション兵器を動かすという……」

 少年メーの名を聞いて、少し離れた場所で他の侍女達と詩作にふけっていた侍女のメイヤが、こちらをちらりと向いた。

 パレスナ王妃が絵を描いている間は、侍女達は手持ち無沙汰になるので、本日、彼女達は詩を作って暇を潰している。
 いかにも貴族らしい雅な趣味である。私には到底できそうにないな。

「超能力ねえ。あれって、私にもできるのかしら」

「種族が違うから無理ではないでしょうか。一見同じ人種に見えますが、その成り立ちは異なります。今後惑星フィーナに世界樹から人が入植するとして、互いに交流を図っていくのでしょうが……。交配が可能かどうかも考えると、それもおそらく無理ではないかと」

 って、メイヤ。ショックを受けた顔をするんじゃない。
 なんだ? 少年メーの所にお嫁に行くつもりだったのか? 貴族の娘だから難しいだろう。
 あ、いや、ありなのか。アルイブキラ国を代表して、『幹』も気にかけている遠い異国に住む幹部候補と婚姻を結ぶ。うん、ありだな。

 ただ、子供が生まれるかどうかと考えると怪しいのだ。
 うーん、『幹』とテアノンが得意とする遺伝子操作技術であるいはいけたりするのか? 普通にいけそうだなぁ。

「人体改造技術が進んでいるようなので、向こうの種族をこの世界樹の動物人類種に近づける試みが、もしかしたら行なわれるかもしれませんね」

 私がそう言うとメイヤの表情が、ぱあっと明るくなった。
 それを見て、パレスナ王妃が小さく失笑する。
 そこで、私は一つ思いだしたことがあった。

「メイヤって新年のときに、婚約者がいるって言ってなかったかな……」

 私がそう呟くと、部屋の空気が凍った。
 メイヤが能面のような顔でこちらを見つめてくる。
 やばい、こういうときにやんわりと諭してくれるサトトコが、今日は休みだ! 今の呟き、言わなかったことにできないかな!?

「ま、まあ愛は人それぞれですよね」

 そう思いつくままに言ってはみるものの。

「キリンさんー。今の何もフォローになってないかもー」

 メイヤの親友であるリーリーにそう駄目出しを受けてしまった。
 ええい、いいからはぐらかすのだ。

「まあ、私達が超能力を使えるようになるには、そういった人体改造を受ける必要があるでしょうね」

 うっ、メイヤがこちらを見たままだ。

「自分を変えてまで覚えようとは思えないわねー。そもそも、私、本来使えるはずの魔法だって習得していないわ」

 パレスナ王妃は、場の空気をあえて読まなかったのか、そう話に乗ってきてくれる。

「魔法は覚えると便利なのですけれどね。生活が豊かになりますよ?」

 私がそう言葉を返すと、パレスナ王妃はふふんと笑って答えた。

「魔法を使える人が身近にいれば、私もついでに豊かになるでしょう? キリンはずっと私の侍女を続けるのだし」

 王妃付き侍女を続けるの、やはり決定事項なのかね……。一度国王と話し合って決めてほしいものである。

「今も、キリンに幻影魔法を使わせることで、豊かな絵画生活を送れているわね! 今後もよろしくね!」

「私が同行できないときは、自分で風景覚えておいてくださいね……」

「常に同行させるから問題ないわねー」

 と、そこまで言葉を交わしたところで、こちらを見ていたメイヤが、思わずといった風に吹きだした。

「ふっ、ふふっ、本当にパレスナ様とキリンさんは仲がよろしいのですね。私も旅行に同行したというのに蚊帳の外で、妬いてしまいそうです」

「まあ、そこは数ヶ月早くパレスナ様付きの侍女になった、アドバンテージということですね」

 メイヤの言葉に、私はそう返したのだが、パレスナ王妃はそれを否定する。

「あら、私は最初からキリンのことは信用していたわよ。何せ、私を暴漢から助けてくれたのだからね!」

「ああー、あれは、暴漢というか、山賊というか、工作員というか」

 あれは、もう半年は前の出来事なのか。安全なはずの領内を馬車で移動していたパレスナ王妃が、山賊に扮した鋼鉄の国の工作員の集団に襲われるということがあった。
 そこに私が偶然通りかかり、工作員を素手で殴り倒してパレスナ王妃を救ったのだ。確か、そのときの様子を脚色して絵画にした物もあったはずだ。

「あのときの私を描いた絵、どうしました?」

「ああ、あれ? キリンの絵が欲しいって言っていたから、ゼリンに売ったわよ。もしかしたらカードになるかもしれないわね」

「いつの間にそんなことを……」

 ゼリンは、トレーディングカードゲームの事業を展開している大商人だ。方々の画家に英雄の絵を描かせて、それをカード化している。肖像権の概念のない世界は、これだから油断ができない。
 まあ、カードになるのは今更だから気にしないでおくか。

「ゼリンに旅行の内容を手紙で送ったのだけど、詳しく聞きたそうな返事がきたわよ。キリンが同行したことも書いたから、そのうち貴女、呼び出しでも受けるのではないかしら」

「うへー。まあ、今度会いに行って、外国の今の動きでも聞いてきますよ。そろそろ鋼鉄の国の併合が成立する時期ではないですか? 式典、きっと招待されますよね?」

 先々月にこの国と戦争を起こしかけた鋼鉄の国は、悪魔に国内をガタガタにされ、国として成り立たなくなった。だから、隣の国である塩の国に併合されることが決まっている。
 この国は塩の国の友好国のため、併合の式典に国王夫妻を招待すると、親善大使であるハルエーナ王女が言っていた。

「今度の外遊が、城の外でする王妃としての初めての仕事になりそうねー。国内の視察より先になっちゃったわ」

「この前の旅行は、一応『幹』の最高指導者が来ていましたが……」

「女帝ちゃんとの旅行なんて、仕事でもなんでもないわよ」

 いつの間にか、女帝蟻とパレスナ王妃が仲良くなっているなぁ。
 旅行当初なんて、完全にかしこまって敬語で話していたというのに。

「女帝陛下だけでなく、世界樹で一番偉い人らしい蟲神蟻の賢者様がいましたが……」

 蟲神蟻の賢者とは、世界樹においておとぎ話でも語られる伝説的存在だ。
 神の蟻を従えた人間の魔法使いで、トレーディングカードゲームでカード化もされている大英雄だ。

「ああ、テアノンの艦長のリグールさん? あの人、自分はただの技術者だからかしこまる必要ないって言っていたわ」

 だが、本人の態度はこんなものだった。ちなみに神の蟻とは女帝のことらしい。蟻人や女王蟻人は人という文字が入っているのに、女帝は女帝蟻という名称だ。本性は人型ですらないのかもしれない。

「ゆるいですね、『幹』のトップ二人……」

 そう私が言うと、パレスナ王妃は少し真面目な顔をして答える。

「だからといって失礼なことはできないけれどね。陛下から、彼らに無礼を働いたら、全ての蟻人の怒りを買うって釘を刺されたから」

「蟻人って上が絶対の従属種族ですからね。とんだ罠ですよ、本当に」

 女帝本人はゆるいが、蟻人という種族はゆるくないのだ。
 直通回線の女帝ちゃんホットラインでは、気兼ねなく友人として話せているが、あれも他の蟻人にモニターされていたりするのだろうか。考えてちょっと怖くなった私であった。

 そんな感じでこの話は終わったのだが、次の話題としてパレスナ王妃が爆弾を落とした。

「で、メイヤは結局メー君との仲、どうするつもりなの?」

 突然そんな話題を振られたメイヤが、ぎょっとした顔をする。

「婚約者がいるのに、心はよそにある。貴族らしいといえばそうなのでしょうけど、王家の者としてはあまり看過できない事柄よ、それ」

 王室の者は恋愛結婚で結ばれる。そして、王室は、貴族達にもできるだけ夫婦間で愛を育むよう、通達を出している。いつもの世界を善意で満たすためというお題目だ。本人達にとっては、大きなお世話だと思うのだが。
 一方で、貴族側の実態は、政略結婚というか、親が結婚相手を決めることが大半だ。愛は、はたして育まれているのかどうか。

「ええと、それは、その……」

 メイヤはパレスナ王妃の言葉に、困ったように言いよどんだ。

「今なら、女帝ちゃんに掛け合って、メー君との仲を『幹』に認めてもらうこともできるのよ。貴族間の約束事なんて軽く消し飛ぶわ」

「婚約破棄しますわ! 元々親の決めた婚約なのです。私は自分の意志でメー様と結婚します!」

 ええっ、あっさり決めたよ。メイヤの婚約者、災難だな……。

「じゃあキリン、女帝ちゃんに連絡お願いね」

 しかも私が連絡役!
 えらいことになってしまったな。

「人間は、つがいが必要で面倒そうじゃのう」

 と、そこでずっと黙っていた原初のドラゴン、キリンゼラーの使い魔が、古風な世界共通語でぽつりと呟いた。彼女はどうやら、アルイブキラの言語をこの短い期間で理解しているようだった。
 くっ、他人事のように言いよってからに。あんたも本体は惑星フィーナにいるのだから、テアノン側への連絡役になってもらうぞ。

 私は、メイヤの結婚宣言で盛り上がる侍女達を眺める。私の頭に浮かぶのは、祝福の言葉ではない。
 一方的に婚約破棄されてしまうことになる、婚約者の男性。彼はメイヤという、それなりの美人である婚約者をなんの非もないのに失ってしまうことになった。私は元男として、そんな彼に同情を禁じ得ないのであった。



[35267] 85.魔女と魔女
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2021/10/18 21:25
 仕事が終わった後、メイヤと少年メーの交際について、『女帝ちゃんホットライン』を使って女帝へコンタクトを取ってみた。
 すると、女帝はとても乗り気で、惑星フィーナへ連絡を取ると言っていた。
 あの二人の仲のよさは、女帝もしっかり目の当たりにしていたらしく、世界樹人と異世界人の新たな架け橋になると喜んでいた。
 メイヤが言うには少年メーとはキスも済ませた仲らしいし、ここまできたら二人の交際は決まりだな。キスが地球、世界樹、テアノン共通の親愛を表わす行為というのが少し興味深い。

 しかし、私的には、やはり一方的に婚約解消されてしまう、メイヤの婚約者が可哀想である。そのことを女帝にこぼしてみたのだが……。

『婚約者の心を繋ぎ止められていない、男の方の失態じゃろ。婚姻がまだなのじゃから、女側の不貞にはならん』

 うーん、厳しいご意見だ。
 私が元男だから、必要以上に男の方に感情移入してしまっているのだろうか。
 そして終業後の侍女宿舎にて、メイヤの周囲は、彼女が真実の愛に目覚めたとしてもてはやしていた。私が女帝との会話の結果をメイヤに話すと、『幹』に公式に認められた恋愛と聞いて、周囲は大盛り上がりである。

 とりあえず、私は当たり障りのないように、婚約破棄された男の方も大変だね、みたいに言ってみた。すると、メイヤの親友のリーリーから思わぬ言葉が返ってきた。

「メイヤが結婚しないならー、私がフェンっちのお嫁さんになるから大丈夫だよー」

 フェンっちとは、その婚約破棄された男の名前か何かなのだろう。
 これはどういうことだろうか。リーリーの思わぬ言葉に、私以外の侍女達も興味をそそられたのか、メイヤを質問攻めにするのを止めて、リーリーに注目している。

「ええと、それは、リーリーがその彼の婚約者候補の一人だったってことか?」

 侍女達を代表して、私が彼女に尋ねてみる。

「んー、メイヤとフェンっちの家は昔から魔法関連で関わりが深くて、婚約は早くから決まっていたんだー。でも、私はフェンっちのことが好きだから、愛人にでも収まれないかなーって思っていたんだけどー……。思わぬ展開に、幸運が舞い降りた的な?」

「愛人て、それはどうなんだ……。でも、婚約破棄されたからといって、上手く次の婚約者の座に収まれるものなのか」

「そこは親友の力に頼るというかー」

 リーリーがメイヤの方を見ながら言った。

「そうですわね。私の両親に頼んで、リーリーをフェン様のご両親に推してもらいますわ。『幹』の都合で婚約は解消となりますが、他に王妃付き侍女を務める才女が貴方の子息を慕っていますよ、といった方向性で」

 ああ、フェンっちはあだ名で、正しい名前はフェンか。
 そして、メイヤの言葉を受けてリーリーが嬉しそうに言う。

「えへへー、私、才女でーす」

「まあ、全て丸く収まるならそれでいいのだろうな……」

 私はそう言って引き下がった。一方的に婚約破棄されても、新たな婚約話がすぐ上がってくるなら、問題はないだろう。多分。
 そんな私のまだしっくりきていない心中を察したのか否か、メイヤが微笑んで言った。

「これが、皆幸せになれる一番の方法なのですよ。私とリーリーは、好いた人と結ばれて幸せ。フェン様は、自分を愛してくれる妻を持てて幸せです」

 よかった……婚約破棄されて不幸になる男はいなかったんだ……。ということで、素直にメイヤとリーリーを祝福しておくことにする。
 現状で他所に好きな人がいるメイヤと結ばれるより、リーリーと愛を育んだ方がフェンとやらも幸せになれることだろう。
 もし彼がメイヤのことを愛していたとしたら、泥沼の愛憎劇が繰り広げられそうだが……それはないことを祈っておこうか。



◆◇◆◇◆



 明くる日、私は週に一度の休日だったので、自室でごろごろと寝転がりながらカヤ嬢の私物の本を読んでいた。
 今日はカヤ嬢も休みだったのだが、新しい本を仕入れてくると言って、城下町に繰り出している。
 私も城下町についていこうとしたのだが、カヤ嬢から「それよりもこれを読んでおいてください」と本を渡されてしまった。
 どうやら、二週間の旅行で部屋を空けている間に、本の話題を共有できる人がいなくて寂しかったらしい。

 そういうわけで、今日は読書三昧だ。
 と、考えていたのだが……不意に部屋をノックする音が響いた。誰か遊びに来たのかな。
 そう思って扉を開けると、そこには侍女ではなく、王城の女官が立っていた。

「キリン様ですか?」

「はい、そうですが……」

「今すぐ魔法宮へ出頭するようにと、宮廷魔法師団の団長から指示が出ています」

 なんだいきなり。また休日に遊びに来いとのお達しか?

「ええと、侍女の制服に着替える必要はありますか?」

「いえ、仕事ではないので私服で構いません。ある意味では、仕事と言えるでしょうが……」

 うん? なんだ、思わせぶりなことを言うな、この人。

「では、伝えましたので、私はこれで失礼します」

「はい、わざわざありがとうございます」

 そうして女官は部屋の前から去っていった。どうやら魔法宮まで女官が同行するわけではないらしい。

「キリンゼラー、あんたもついてくるか?」

「いや、妾はもう少しここで本を読んでおくのじゃ」

 部屋の新たな住民となった神獣の使い魔に同行するか聞いてみたが、どうやら人間の恋愛小説に興味津々のご様子。器用に毛を伸ばして本をめくっている。
 私はとりあえず、部屋に据え付けられている鏡台で身だしなみをチェックして、魔法宮へと向かうことにした。

 魔法宮は王城の敷地内にある、石造りの高い塔だ。宮という言葉に相応しく、一階部分は王宮にも劣らない美しい外観の宮殿になっている。
 その塔の中には、国のエリート集団である赤の宮廷魔法師団が詰めている。

 宮廷魔法師団の幹部は貴族の者達だが、一般団員は市井の魔法使いの中で特に魔力が高く、魔法の技量も優れている者が集められている。
 そして、一般団員には一代限りの貴族の位である魔法爵が与えられる。その魔法爵を授けられた者の中でもさらに秀でた者は、貴族の家の養子となる。そして、幹部の家族の配偶者に選ばれるのだ。

 そういう点から見ると、宮廷魔法師は今の近衛騎士団第一隊と並んで、平民が貴族に成り上がれる数少ない職業だな。
 まあ、ひたすら鍛えればなれるかもしれない近衛騎士と違って、宮廷魔法師は生まれつきの高い魔力がなければどうしようもないのだが。

 ちなみに個人の持つ魔力の高さは、遺伝が占める割合が多い。ただし、突然変異で魔力が高い子も生まれるからこそ、平民の魔法使いから宮廷魔法師が選ばれるのだが……。
 魔力は遺伝するからか、魔法使いには血統を重視する者が多い。この国の貴族はそこまで血統を重視しないのだが、魔法使いの家だけは別だ。宮廷魔法師の幹部同士の家で古くから婚姻を繰り返し、そしてときたま市井からも優秀な人材を取り入れ、結果的に一大派閥を築いているらしい。
 なんだか面倒臭そうだよな。私が魔法宮に行っても、そんなことを考えさせない気のいい人ばかりなのだが。
 まあ、私に優しくしてくれるのは、私が極めて魔力の高い人間だからかもしれないな。

 そんなことをつらつらと考えながら、魔法宮の中へと入る。
 今日は週に一度定められている日曜日的な日なので、人の姿は少ない。

「キリンです。呼び出しに応じて参りました」

 とりあえず、馴染みの部署へと入りそう声を投げかける。
 すると、室内にいた魔法使い達が、一斉にほっとしたような顔をした。

「よく来てくれたな」

 そう言って私を迎えたのは、以前おじさまと呼んでくれと言っていた宮廷魔法師のお偉いさんらしき人だ。

「おじさま、お久しぶりです。魔法隊長からの呼び出しがかかったのですけれど……」

「ああ、私が団長だ」

「そうだったのですか」

 魔法隊長のおじさまが、私に向けて魔法の紋章を空中に投影した。これは、魔法使いの間で取り交わされる名刺のようなものだ。
 私も、胸元のペンダントから紋章を投射して、おじさまと情報を交換した。

 ふーむ、140歳の魔法使いか。すごい人だったんだな。まあ、師匠は前世で二百歳以上生きたらしいが。

「それで、早速だが、地下の印刷所に向かってもらいたい」

「地下ですか。印刷所は前に王妃様と一緒に行った場所でよろしいですか?」

「ああ、案内をつけよう。そこで、セリノチッタさんをなだめてほしいのだ」

「師匠が何かしましたか……」

「少し他の幹部と衝突してな……」

 うーん、この歳になって師匠のお世話か。手が焼けるなぁ。
 というか、師匠は元々この魔法宮に勤めていたのだし、三年間しか弟子をしていなかった私より魔法宮の人の方が、関わりが深いんじゃないか?
 そう思いはするのだが。

「君くらいしか、彼女を穏便になだめられそうな者がいなくてな……なにせ聞く耳を持たん」

 穏便じゃないならどうにかなるんですかね? 無理じゃないかなぁ。
 まあ、そう言われてしまったのでは仕方がない。

「では、向かいましょう。地下まで案内してくれますか?」

「ああ、人を一人付けよう。フェン! こちらに来い」

 魔法隊長が呼びかけると、「へーい」と返事をして一人の宮廷魔法師がやってくる。
 以前、休日に『魔女ウィーワチッタの軌跡』を見せてくれた若者だ。……フェンだって?

「彼女を印刷所に案内してやってくれ」

「了解しましたー。さ、魔女姫様、向かおうか」

 そうして私と若者は、地下へと向かうことになった。
 その道中、いろいろ気になった私は若者に話しかけた。

「フェンさんとおっしゃるのですか?」

「そうだよー。あれ、前回自己紹介しなかったっけ」

「はい。……ところで、侍女のメイヤという人をご存じですか?」

「ああ、俺の婚約者だねー。そういえば魔女姫様と同じ部署に異動したって聞いたっけ」

 うわあ。この人、渦中の婚約破棄された人だ。ただ、メイヤのことを婚約者と言っているということは、婚約破棄のことはまだ知らないのかもしれない。これは、迂闊なことを話せないな……。

「メイヤとは仲がいいのですか?」

 しかし、ここで踏み込む私。

「んー、家同士は仲がいいけど、俺はほとんど会ったことがないよ。でも、美人の嫁さんなら愛せる自信がある!」

「なるほど。ところで、リーリーとも知り合いだとか」

「ああ、リーリーも王妃様のところの侍女になったんだっけ。彼女はねえ、王都の屋敷が隣同士なんだよね。メイヤと会うときも、リーリーを介して会うことがほとんどだったなぁ」

 これ、やっぱりリーリーと結ばれた方が幸せになれるやつでは? なんだかんだで丸く収まったんだなぁ。奇跡的な結末だな。
 そんなことを思いつつ、魔法エレベーターで地下区画に到着。エレベーター室の扉が開くと、突然魔力の奔流が身体に叩きつけられた。

「ひっ!」

 フェンさんは、あまりにも強い魔力に反応して、その場で魔法障壁を張った。
 うーん、確かに魔力は強いけど、魔法が発動している感じではないな。私は一人、中に踏み込んで魔力の発生源に視線を向けてみた。

 青髪の少女姿の師匠が、何やら一人の女性宮廷魔法師とにらみ合って魔力を互いにぶつけ合っている。あの女性は確か、この印刷所で所長とか呼ばれていた魔法宮の幹部だ。そんな二人の背後では、ひらの団員であろう宮廷魔法師達が印刷機を守るように、必死な表情で魔法障壁を張っている。

 うーん、確かあの所長さん、昔の師匠の部下で、師匠のことをいけすかない女だとか言っていたな。やはり仲が悪いのか?
 私は、とりあえず彼女達に近づくことにした。

「魔女姫様、よく障壁張らないでこの中歩けるね……」

 後ろからフェンさんもついてくる。魔法障壁? いらないいらない。この程度の魔力、災厄の獣の持つ邪悪な波動と比べたらなんてことないよ。

 私は、にらみ合う二人の傍へとたどりつくと、二人に向けて言葉を向けた。

「なにやっているんだ、師匠に所長さん」

 声をかけられた二人はするどい表情のまま私の方へと顔を向けてくるが、そこにいるのが私と知って、少し柔らかい表情になった。

「キリンではないですか。何用ですか」

 師匠が魔力を所長に向かってぶつけながら、そんなことを言ってくる。

「何用ですか、じゃないよ。喧嘩しているっていうから、休日だというのに仲裁に駆り出されたんだ」

「喧嘩などしていません」

「何言ってんのよ! あんたから喧嘩売ってきたんでしょうが!」

 師匠の否定の言葉に、所長さんがキレたように叫ぶ。

「喧嘩をしていないなら、その魔力はどういうわけだ」

 所長さんはとりあえず置いておいて、師匠に聞いてみる。

「アミスチラが先に魔力をぶつけてきたのです。私は応戦したまでですよ」

「あんたが喧嘩を売ってきたからでしょうが!」

「……所長さんが言うには、師匠が喧嘩を先に売ったそうだけど?」

「売っていません。普通に世間話をしていただけです」

「あれのどこがよ!」

 まあ、師匠の物言いってすごく神経を逆なでするからなぁ。
 でも、師匠と数十年前に上司部下の関係だったなら、その程度解っていそうなものだけれど。
 とりあえず私は、話の先を師匠から所長さんに変えた。

「で、所長さん、何を言われたんです?」

「こいつ、私の仕事を馬鹿にしたのよ!」

「馬鹿になどしていません」

「したじゃない! 印刷なんてやっているのかって見下すように!」

「昔の魔法研究を捨てて他の仕事にうつつを抜かしていいのかと、叱咤激励したまでです」

「研究は終わったわよ! 印刷業は片手間でできるような仕事じゃないの! 高度な魔法技術を必要とするんだから!」

 師匠と所長さんが魔力を互いにぶつけながら、言い合っている。
 うーん……。こりゃあ、絶対に師匠の言い方が悪かったんだろうな。書は学を啓蒙するって昔言っていたから、出版業を見下すような人じゃないし。
 まあ、師匠だしなぁ。

「所長さん、師匠に悪気はないですよ」

「あんた、こいつの肩を持とうっての!?」

「いえ、そうではなく。本当に師匠は馬鹿にしていないんですよ。単に口が悪いというか、言い方が悪いだけで。昔からそうじゃありませんでしたか?」

「昔から、部下を小馬鹿にした意地の悪い上司だったわ!」

 やっぱり師匠は、師匠なんだなって……。

「所長さん、それ、小馬鹿にしていないんです。むしろ馬鹿なのは師匠の方で、内心なんとも思っていないのに高圧的な口調になってしまう駄目で残念な人なんです」

「……そうなの?」

 私の言葉を受けて、所長さんの表情に驚きが浮かんでくる。

「こら、馬鹿弟子。師匠を馬鹿呼ばわりとは、なんて無礼なのですか」

「はいはい、師匠はいい加減、魔力を収めようなー」

「これは、アミスチラが魔力をぶつけてくるから応戦しているだけです」

「解ったから。師匠が魔力を収めたら、向こうも収めるから大人しくしような」

 私の言葉に、師匠はしぶしぶと従い、魔力を収める。
 すると、所長さんも空気を読んだのか、魔力を放出するのを止めてくれた。やっぱりこの人、いい人だな。

「はい、喧嘩終わり。師匠は所長さんに、ごめんなさいしような」

「なぜですか。私は何も謝るようなことはしていません」

「したんだよ。師匠が気づかなかっただけで、所長さんは師匠の言葉で傷ついたんだ。いや、今回だけじゃなく、師匠が上司だった頃も散々言葉で傷付けられていたんだ。だから、謝ろう、な?」

 私は、師匠の目を真っ直ぐに見上げて、そう言った。師匠はただじっと私の目を見返してくる。そして。

「……アミスチラ。弟子が言うには、どうやら今回は私が悪かったようですね。謝罪します」

「……いいわよ別に。あんたが謝るだなんて、きっと明日は天気予告がくつがえるわね」

「むっ、人が素直に謝ったというのに、なんですかその物言いは」

「なによ!」

「はいはい、また喧嘩しない」

 再び二人が喧嘩腰になりそうになったところで、私が間に割って入り仲裁する。所長さんも怒りの沸点が低そうだな。口も悪いかもしれない。

 正直、細かい言い合いまで仲裁していられないので、これでミッションコンプリートということにしておこう。

「よし、フェンさん。これでいいですね? 上に戻りましょう」

「待ちなさい」

 帰ろうとしたところで、師匠から待ったがかかった。

「せっかくここまで来たのです。魔女の修行の続きをしますよ。塔のゴーレムに連絡を取りましたが、全く修行が進んでいないようですね」

「ええー。師匠、私は別に魔女を目指してはいないぞ。他に弟子を見つけなよ」

「テアノンにも今の魔法宮にも弟子はいますが、私の力を完全に継ぐべき者はいなかったのですよ。女帝陛下に聞きましたよ。原初の神獣の魔人だったそうですね。やはり、貴女こそが私の後を継ぐのに相応しい」

 うへえ。私は侍女の仕事をして、のんびりとした老後を過ごすと決めているのだがな。

「ウィーワチッタ、修行くらい受けておきなさいよ。こいつ、性格はともかく魔法の実力は王国一どころか、『幹』でもそう並び立つ者はいないんだから」

 所長さんまでもが、師匠側に回る。

「さすが魔女姫様。セリノチッタ様直々に指導を受けられるだなんて、チッタの名を受け継ぐだけありますねー。うらやましい」

 フェン、お前もか。

「さあ、まずは貴女の得意の妖精言語から見ていきますよ」

 そうして私は休日を魔法の修行に費やすことになり、読書を進められずにカヤ嬢に悲しい顔をさせてしまうことになってしまったのだった。
 本の感想をカヤ嬢と言い合い楽しそうにする、キリンゼラーの使い魔がうらめしい……。



[35267] 86.国王と釣り
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2020/02/20 23:54
 パレスナ王妃は午後のお茶休憩を日課としている。
 内廷にあるお茶室で、王妃付き侍女達と一緒にお茶とお茶菓子を楽しむ時間なのだが、これには国王も参加する。
 とは言っても、国王が仕事で忙しい日は欠席となり、女性のみのお茶休憩となることも多い。

 惑星旅行から帰ってきて以来、先王が一部の仕事の引き継ぎを行ない始めたため、国王がお茶休憩の場に姿を見せたことはなかった。
 だが、帰還から二週間経った今日、ようやく国王がお茶室に姿を見せた。

 今日は、王妃付き侍女達も全員が出勤日。久しぶりに一堂に会したといったところだろうか。
 お茶菓子を食べながらの会話も、大いに盛り上がった。

「へえー、それで、リーリー君はちゃんと彼と婚約できたの?」

 メイヤの婚約破棄から始まった一連の騒動の話に、国王は興味深そうに耳を傾け、そして当事者の一人であるリーリーへとそう尋ねた。

「直接魔法宮に行ってー、告白してきましたー」

 メイヤが婚約破棄を宣言してからもう十日近く経ち、それぞれの貴族の家を経由しての婚約破棄もスピーディに成立し、婚約者であったフェンさんはフリーになった。
 そこで、大胆にもリーリーは彼の職場へ婚約を迫りに行ったのだ。野次馬として、パレスナ王妃一同も魔法宮へと訪ねていた。

「ほうほう。返事は?」

 当然、その場には国王はいなかったので、事情を知らない彼は興味津々に結果を聞く。

「受けてくれるってー。幸せになろうって言ってくれましたー」

 リーリーが嬉しそうにして、そう言った。これは、もう十分幸せになっているな。
 フェンさんが、ろくに会ったことない人相手でも、美人のお嫁さんなら愛せるという感じのことを言っていたことは、私の胸のうちにしまっておこう。

「そりゃあよかった。丸く収まって安心したよ」

「そうねー。二組も侍女の婚約が決まっちゃったわ。そのうち結婚して侍女を辞めるかもしれないし、また侍女の補充が必要かしら」

 国王の言葉に続いて、パレスナ王妃がそうしみじみと言った。
 フランカさんのように結婚しつつも、王城侍女を続けているという人は少ない。王城侍女は、貴族の子女が花嫁修業をするための職でもあるからだ。
 貴族の妻に相応しい礼儀作法を学び、適切な侍女の扱い方を学び、同じく侍女をしている者と仲を深め人脈を作り、結婚と共に次の若者へ席をゆずって辞める。そんな職なのだ。

 私は、結婚退職する予定は一切ないから、王城に留まり続けいずれお局様扱いをされるのだろうが……まあ、それは別に構わないだろう。

 お茶菓子のクリーム付き焼き菓子を時折口にしながら、話題は一転変わって惑星旅行の思い出話へと移る。
 王妃付き侍女の中で旅行に参加したのは私とメイヤだけなので、他の侍女達は国王の語る旅の思い出を興味深そうに聞いている。

 国王は旅行中、テアノンの名士と体感型ゲームである仮想体験遊具を通じて仲よくなり、互いに言葉が通じないながらも釣りゲームを二人で楽しんでいた。
 国王は元々アウトドアの類が好きなようなのだが、王太子時代はともかく、国王になってからはその趣味を満喫できていない。当然だ。国王なのだから、近衛騎士のいる守りの固いところから出て、のんびり釣りキャンプなどをするわけにもいかないのだ。
 だからか、安全なゲームの中で存分に釣りをできる状況に、彼はのめり込んだ。

 だが、旅行は既に終わり、仮想体験遊具は当然この国には存在しない。

「はー、釣りがしたい」

 旅行の話を終えると、国王はそんな言葉をぼやくように言った。

「王都に川があるから、そこで釣りをすればいいじゃない」

 パレスナ王妃が、そう国王に向けて言う。

 王都で日々排出される生活排水や汚水を捨てる川だ。とは言っても川に全て垂れ流しではなく、王都にはちゃんと下水道があり、それにつながった下水処理施設がある。
 疫病の発生を防ぐために、『幹』の技術で作られている下水処理施設だ。魔法で下水は浄化され、綺麗な水にして川に流されている。

 だから、川は綺麗で魚も住み着いている。だが、国王は首を振って、パレスナ王妃の言葉を否定した。

「川は王都の外れにしかないから、そこまで出向くことはできないのさ。近衛騎士の大集団を連れていくことになっちゃう。遊ぶだけでそこまで動員は、したくないなぁ」

「あら、陛下、前に町中に出没していたじゃない」

 パレスナ王妃が国王の言葉にそうツッコミを入れる。
 確か、パレスナ王妃がまだ後宮にいた頃、パレスナ王妃と一緒に町中の食事処に行ったら、なぜか国王がその場にいたんだよな。

「確かに、暇なときは町中に繰り出しているときもあるよ。でも、それはあくまで騎士がすぐに駆けつけられる、王城の近くの範囲で我慢しているんだ」

 そうだったのか。まあ、王城周辺は治安もいいしな。それでも不用心だとは思うのだが。

「だから、釣りがしたくてもできないんだよねー。キリリン、『幹』からあの仮想体験遊具とかいうの、持ってこられない?」

「何言っているのですか。無茶を言わないでください……」

 国王の無茶ぶりに、私は呆れたように言葉を返すしかなかった。
 いくら娯楽用途では道具協会の規制が緩くなるとはいえ、あんなものオーバーテクノロジー過ぎるわ。魔法研究目的に国中の魔法使いが集まって、国王が遊ぶどころではなくなるぞ。

「じゃあ、何か妙案はないかなー」

「そんな急に言われましても……そうですね、釣り堀でも作ればいいのではないですか?」

「釣り堀。何それ、面白そうな響き」

 私の適当な提言に、国王が興味を持ったのか食いついてきた。
 他の侍女達やパレスナ王妃は特に興味はなさげだ。とりあえず、私は国王に向けて釣り堀について説明を始めた。

「釣り堀とは、川や湖などに魚の逃げられない囲いを作って、そこへ魚を放し、好きな時に釣りをできるようにした施設のことです。小規模なら、ただの池を作ってそこを釣り堀にすればいいでしょう」

「ああー、なるほど。邸宅の庭に池を作って、魚を飼育して鑑賞する貴族はいるけど、その魚を釣るってわけだね」

「そうですね。まあ、庭の池よりは大きめにして、すぐに魚がいなくなることのないようにはする必要があるでしょうね。池に住ませる魚は、川で網猟をしている漁師から生きた魚を仕入れて放流すればよいでしょう」

「結構大規模な施設になりそうだね。うーん、俺個人の用途でそんな贅沢をするのもなぁ」

「市民に開放してはいかがですか? 施設使用料を取り、魚の買い取り料を高めに設定すれば商売として回るかもしれません」

「それ、いいねー。でも、王都の住民用に作るとなると、大規模になりすぎるな……水は温泉水を冷ますとして……」

 王都の地下からは、温泉が湧き出ている。王都の住民は、その温泉水を冷まして飲用水や生活用水として利用している。

「この国に釣り堀の前例がないなら、初めは小規模からやったほうがいいでしょうね」

 私が一応の助言を言うと、国王はうなずいて答える。

「そうだね。貴族街にちょうど余っていた土地があるから、そこを使って貴族向けに作ってみようかな。よし、そうしよう! 貴族街なら近衛騎士のみんなも出かけることにうるさく言わないでしょ! よーし!」

 国王は立ち上がりかけるが、お茶休憩の途中ということに気づき、椅子に深く座り直し、お茶のカップを手に取った。
 その様子を見ていたパレスナ王妃は、小さく笑って言った。

「陛下は新しい貴族向けの案件で忙しいようだし、今日は早めに終わりましょうか」

「さっすがー、パレスナ。気が利くー」

「貴方の妃だからね」

 そうやってイチャイチャしだした国王夫妻を横目に、私は膝の上で大人しくしていたキリンゼラーの使い魔に、皿に残っていたお茶菓子を分け与えた。

「魚も美味しいよね! 惑星フィーナの魚は全部混沌の獣になっちゃったから、久しぶりに食べたいな。キリン! 今度使い魔に魚を食べさせてほしいなー」

 既に習得し終えたらしいアルイブキラの言語で、使い魔がそう言う。
 古風な世界共通語とはうって変わって、ずいぶんと子供っぽい話し方である。これが本来のキリンゼラーの口調なのかもしれない。
 使い魔とは言っても意識は持たないタイプで、キリンゼラーが完全に操作している。なので、つまりこの台詞はキリンゼラー本人によるものなのだ。
 私は、そんな使い魔に向けて言った。

「今度、休みの日にでも川釣りに行こうか」

 その私の言葉に、国王が反応する。

「あ、キリリンずるーい。はっ、いいさ。俺は侍女のキリリンにはできない、釣り堀作りを思いっきり楽しむんだ」

 釣り堀かぁ。そういえば、この国で見たことはなかったな。他の国では導入していた所もいくつか見たのだが……。

 そもそも、王都の住民に釣りを楽しむという文化は、存在しているのだろうか。
 以前、カヤ嬢との会話で聞いたのだが、カヤ嬢の父は釣り好きで、実家近くの湖で園遊会を開き集まった人達と釣りを定期的に楽しんでいるらしい。
 だから、貴族向けの遊びとしては、もしかしたら当たるかもしれないな。国王の手腕に期待である。



◆◇◆◇◆



「うちの国には塩湖がある。塩水の中でしか生きられない魚が住んでいる」

 翌日、パレスナ王妃は国王と一緒に、塩の国の親善大使であるハルエーナ王女を招いて、お茶会を開いていた。
 ハルエーナ王女は月の半分をこちらの国で過ごし、もう半分を塩の国で過ごす。
 そして、先日、彼女が塩の国からこちらに戻ってきたので、歓迎の意味を込めて小さなお茶会を王城の植物園で開いたのだ。

 国王は今日も時間を作れたらしく、同席している。
 そこで、国王は昨日話していた釣り堀について、ハルエーナ王女に話したのだ。
 この世界では、釣りはおおよそ男性の趣味だ。なので、幼い少女に釣りの話題を振るのはどうかと思ったが、彼女はしっかりと返事を返してきた。しかも、自分の国の特色をアピールするという、親善大使として満点の対応だ。

「へえ、塩湖。まるで、惑星フィーナにある海みたいだね」

 仮想体験遊具で海釣りも楽しんだ国王が、ハルエーナ王女の言葉にそう反応した。
 それにハルエーナ王女も応じる。

「海に住んでいた生物をあの塩湖に移したと、父から聞いている。その生物を保護し、繁殖させ、管理するのが王族の務め」

 滅びゆく惑星から脱出するための宇宙船として改造された、二千年前の世界樹。惑星フィーナ由来の様々な生物が、脱出の際に集められたという。さながら、前世の聖書に出てくるノアの方舟のごとしだ。
 そんな惑星の生物が失われないようにしているのか、現在の世界樹上にある国々の環境は多彩だ。

 塩の国の塩湖も、海を再現した区画なのだろう。そして、再生した惑星フィーナに帰る日まで、海の生物達は塩湖で大切に管理されているというわけだ。

「塩湖では釣りは禁止。漁も制限されている。でも、釣り堀がある。釣り堀で釣るのは大丈夫」

「なるほど。そこに行けば、海の魚を釣れるわけだ」

「釣り堀、来る?」

「行きたいけれど、遠いからなぁ」

「大丈夫」

 国王とハルエーナ王女はそう言葉を交わしていたが、ハルエーナ王女が何やら手荷物から一つの封筒を取り出し、お付きのネコールナコールに渡した。
 義体の上に頭を乗せて天使モードになっているネコールナコールは、その封筒を国王のもとへと運び、渡した。
 むむむ、あの封筒、塩の国の国章が押されていたぞ。国からの書状か。

 封筒が渡ったのを確認したハルエーナ王女は、言葉を続ける。

「併合式典の招待状。式典に出た後は、うちの国を存分に観光していくといい」

「ああ、そういえば日取りが決まったって、旅行前に連絡来てたね。今月末だっけ」

 封筒の裏表を確認した国王は、側で待機していた秘書官に封筒を渡してそう言った。

「ん。準備できてる?」

「ははっ、大丈夫ー。釣り堀に夢中でも、そこは抜かりないよー」

 ハルエーナ王女の問いに、国王はそう軽く答えた。
 併合式典か。これにはパレスナ王妃も参加する。王妃付き侍女として、おそらく私もついていくことになるだろう。

「いやー、それなら、向こうについたら釣り堀、案内してもらおうかな。こっちで作るときの参考にしたいから」

「了解」

 国王とハルエーナ王女の間で、そんな予定が交わされていた。
 他国の王が国内を移動するのは結構大事だと思うが、ハルエーナ王女、結構軽く答えるなぁ。
 まあ、他国の王を歓迎するのは、友好国として必要なことかもしれない。

「海も湖も、妾(わらわ)達、端末の天敵じゃな」

「天界の使いは難儀だねぇ」

 元の位置に戻ったネコールナコールが、そこらをうろついていたキリンゼラーの使い魔と、何やらそんなことを話している。
 天使や悪魔は熱で生きる生物だから、冷たい水は御法度だ。身体を洗うときも、人肌より温かい水を使わないと、熱を奪われて生命活動に支障をきたすという。
 こりゃ、水辺ではハルエーナ王女の護衛として期待できないな、この天使。

 しかし、式典までまだ半月以上あるが、移動を考えるとそろそろ準備を考えなければいけないのか。
 旅行から帰ってきて一段落したと思ったら、また慌ただしい日々が始まりそうだ。侍女という仕事も、なかなか飽きないものだな。
 侍女の仕事が私に向いているかは未だに判別できないが、長く続けていけそうで安心である。

「えっ、川にも釣り堀あるの? それも見る見る。王都の川にも釣り堀、いずれは設置したいね」

 この釣り馬鹿が国主の国にずっと仕えるのは、少し不安なところがあるかもしれないな。



[35267] 87.先王と趣味
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2021/09/10 02:37
 とある日、パレスナ王妃のアトリエに先王が訪ねてきた。
 筆を置いて対応しようとするパレスナ王妃だったが、先王は「雑談しに来ただけなので続けても構わない」と言い、一方的に愚痴をこぼし始めた。

「まったく、あやつは急に釣りだの言いだしよって。国王の仕事をなんだと思っているのだ」

 先王の言葉に、パレスナ王妃は苦笑する。
 先王が最近進めていた国王への人脈の引き継ぎは、塩の国への移動準備があるため中断したらしい。だが、その移動準備の最中にも、国王は釣り堀の事業計画を立てているらしいのだ。

「趣味にかまけるのは、私も強く言えないわねー。実際、こうして絵を描いているわけだし?」

「がはは、パレスナはそれでいいのだ。聞いているぞ。そなたの絵を所有することが、貴族達の間でステータスになっていると。それが、王族の権威を高めてくれることにもつながろう」

 パレスナ王妃の言葉に、先王はそう笑って許した。
 だが、先王的には国王の釣りへの情熱は許せないらしい。

「国王は、王族の中でも国民への顔という、特に国にとって重要な役割を担っておる。趣味など、国王を辞めてから持てばよいのだ」

「じゃあ、ナギーお父さんも、今は趣味を持っているの?」

「世界樹への礼拝がそれだったのだが、ユーナと女帝陛下に止められてしまったわい! がはは!」

 パレスナ王妃の問いに、そう答えて先王は豪快に笑った。
 礼拝と言っても、世界樹教の聖職者が祈るようなそれではなく、王族の特権を使って世界樹に直接アクセスして世界樹を感じ取るとかいう感じなのだろうな。世界樹のオーラに肉体が近づきすぎて、樹人化症を発症してしまう原因となってしまうから禁止されたのだろう。

 そんな先王の病人トークが始まりそうになったところで、侍女のサトトコが先王に向けて発言した。

「以前、王妹殿下が、先王陛下は盆栽を趣味にしているとおっしゃっていましたね」

「おお、そうなのだ! これがなかなか深い趣味でな!」

 嬉しそうに先王は盆栽について、早口でまくし立て始める。
 一方的に話されるそれを侍女達は、苦笑を抑えつつただ黙って聞く。

 三分ほど続いたその話は、パレスナ王妃によって止められた。

「ちょっとナギーお父さん。うちの子達にそんな話しても、誰も興味持たないわよ。盆栽って男子の趣味でしょう?」

「むっ、それもそうか」

 そうなのか。この国では、盆栽は男の趣味だったのか。知らなかったな。
 貴族の女性は自前の植物園で花を育てたりするのだが、それとはまた別なのだな。

「あっ、でもキリンは元男だから、話が通じるかもね」

 と、突然私に話が移った。

「む、そういえばキリン殿は異世界からの生まれ変わりであったな。そうか、異世界の盆栽か……詳しいのか?」

「少しですが。前世の所属国では盆栽文化があり、そして私の勤め先は輸出入を行なう商社でした。盆栽を商材として扱っていましたので、趣味人ほどではないですが見たことがありますよ」

「興味深いな!」

「キリンなら、頼めば幻影魔法で異世界の物品を見せてくれるわよー」

「本当か!?」

 パレスナ王妃の言葉に見事に食いつく先王。まあ、確かに見せることはできるが。

「見せてくれ! さあ!」

「ええと、では、オーソドックスなやつで」

 私は幻影魔法を使い、仕事場で扱っていた盆栽を映し出した。

「おお……これはなんと趣深い……」

 先王が幻影魔法を食い入るように見つめた。そして、私に向けて聞いてくる。

「これはなんという植物なのだ?」

「黒松という針葉樹ですね。樹齢が長くなれば二階の建物を超える高さとなりますが、盆栽にすると百年を超えてもこの大きさです」

「クロマツ……ぬうう……見れば見るほど枝ぶりに味がある。これは欲しい。欲しいぞ……!」

 無茶言うなよ。異世界の樹木だぞ。
 私はその後、複数のクロマツの盆栽を映し出すことを要求され、それに従った。さりげなく、それをパレスナ王妃がスケッチしていた。異世界の植物に、彼女も興味があったのだろう。

「しかしキリン殿よ」

 幻影魔法に満足した先王が、ふと私に尋ねてくる。

「なんでしょう」

「おぬしには勲章を渡して、俺と対等に話せる立場を与えたと思うのだが、なぜ敬語などを使っておるのだ?」

 ああ、王様と対等に話せる立場ね。庭師をやっていた頃は便利だったよ。王様と対等に話せるってことは、それより下の貴族にも敬語を使わなくていいってことだからな。
 だが、今はそれを行使することは、プライベート以外ではない。

「侍女ですから。職業意識によるものです」

「むう、職業意識とな。立派だな! 息子にも見習わせたいわい! まったく、あやつときたら、釣りなどと……」

 おっと、話が最初にループしかけているな。

「ナギーお父さんは、国王時代、盆栽はやっていなかったの?」

 そこで、パレスナ王妃が見事に話を趣味の話題へと戻す。

「やっていた。やっていたが、一日に必要となる時間が多い趣味ではなかったからな。だから、国王の仕事と両立できたのだ」

「なるほどね。そうなると逆に、仕事の少ない今となっては、かかりきりになって暇を潰せそうにないわね」

「そうなのだ。だから、こうしてパレスナのもとへと訪ねて、暇を潰しておる。ナシーは最近、俺に冷たくてなぁ」

 あっ、暇つぶしで遊びに来ていたのね。
 ちなみに、ナシーとは先王の娘、王妹のことだ。十八歳という微妙なお年頃だから、父親の存在をうとましく感じても仕方がないだろう。
 王族も人間なのだ。

「暇が多いなら、新しい趣味でも見つけたらいいんじゃない?」

 パレスナ王妃がそんなことを軽い調子で言い出す。

「新しい趣味か……そうだな。何かあるか……」

「お勧めの趣味があるわよー」

「ほう」

 面白そうに言うパレスナ王妃に、先王が興味深そうに相づちを打つ。
 彼女はいったい何を勧める気なのか。

「釣りっていうんだけどね!」

 本気か。
 だがその後、パレスナ王妃は息子との相互理解を云々と見事に先王を丸め込み、先王は後日、王都の外れにある川へ近衛騎士を引き連れて釣りに向かうことを決めた。
 パレスナ王妃と、そして侍女達も一緒にである。うーむ、どう話が転がるか予想もできないな。



◆◇◆◇◆



 私達は朝から、王都の外れまで馬車に乗ってやってきていた。
 王城から距離があり、衛兵の監視の目が薄いとして、王族がここに来るには近衛騎士達の同行が必要となる。
 とは言っても、スラム街などがあるわけではなく、普段は平和そのものである。
 子供が水遊びしていたりするくらいだ。だが、それでも念のため護衛を多くしなければいけないのは、王族の大変なところだ。

 本日同行する近衛騎士は第二隊の者達なので、私はほとんど面識がない。
 第一隊は私と国王が国中を巡って集めた国王直属の集団なのだが、一方で第二隊は主に先王が国王だった時代に直属だった者達と、その子息によって構成されている。
 第一隊より第二隊の方が規模は大きく、そして第二隊は国王夫妻以外の王族全員を担当している。

 平民出身が多い第一隊と違い、第二隊は貴族出身が多く、厳格な風紀で律されているらしい。
 そんな近衛騎士が大勢、市民のための川にやってきたというのだから、川にいた人々は驚きだ。

「ふーむ、これは少しばかり気が引けるな」

 こちらから距離を取る市民を見て、先王がそんなことを言う。王族なんだから、もっとどっしり構えていればいいのにな。

「それじゃあ、王都の外まで行く?」

 そうパレスナ王妃が聞くが、先王は首を振って否定した。

「さすがに、そこまで近衛騎士に負担はかけられんよ。民の皆には申し訳ないが、ここでやらせてもらおう」

 一応、王都の外にも綿が取れる植物の畑が広がっていて、その畑の範囲には魔物が発生しないよう魔法結界が張られている。だから、ある程度までは近衛騎士も警戒せずに済むのだけれどな。それでも、王都を出るとなると色々面倒臭いのだろう。

 ここで釣りをするということで、馬車に積み込んできた釣り道具を近衛騎士達に下ろさせる。
 王城の下男は連れてきていないので、力仕事は騎士の役目だ。騎士にこんな仕事をさせてすまないが、王族のためと思って我慢していただきたい。

「キリン、道具ちゃんと揃えてくれたみたいね。ありがとう」

 と、パレスナ王妃に言われたので、私は素直に「どういたしまして」と答えておく。

 そう、今回は、私が道具を用意したのだ。
 釣りをしよう。道具を一式用意せねば。しかし、釣り好きの国王は忙しく頼れないのでどうしようか。という話になった。そこで、釣りに一番詳しいのは誰だという話になり、私に役目が回ってきた。
 前世では釣りは結構好きでやっていたのだが、この世界に生まれてからはあまりやっていない。だから、詳しくはない。
 仕方ないので馴染みの商人のゼリンを頼り、一式揃えてもらった。

「釣りを実際にやるのは先王陛下だけと聞きましたが、川の近くに寄るので、みなさんこの水に浮くジャケットを着てください」

 と、私はゼリンから、絶対にこれは着せろと言われたライフジャケットを皆に配る。

「ちょっとダサいわねー」

 そうパレスナ王妃が率直な感想を述べるが、私はそれを諭すように言う。

「まあ、そこは我慢してください。水に落ちたとき、それが命を繋ぎますので」

「子供も入っているような川なのに?」

「自分で入るのと、落ちるのとではまた違いますしね」

 水を甘く見てはいけない。私が魔法で救命はいくらでもできるが、万が一ということがある。それに、私がいないときにまた先王が釣りで川に寄るかもしれないので、着用は徹底しておくことにしよう。

「先王陛下は水に踏み入るかもしれませんので、靴をこちらのブーツに替えてください」

 ゴム長靴的な、水を弾く素材でできたブーツだ。
 巨大な蛙の皮を使ったブーツだったかな? この世界にいる野生の動物は、いちいちでかいんだよな。

「ふむ、ピッタリだな」

 靴を履き替え、その場で足踏みして感触を確かめる先王。
 靴のサイズは先王の侍女を通じて針子室で教えてもらって確かめたので、間違いはないだろう。

「次に釣り道具。まずはこれ、釣り竿ですね」

 この釣り竿、前世で見られたような立体的なリールがついている。道具協会は遊び道具には審査が甘いため、高度な技術が使用されていても不思議ではないのだが……まあ、ゼリンの用意した道具だしな。

「このリールという部分を回すと、糸が巻き上げられ釣り針が引き寄せられます。魚が釣れたときに便利ですね」

「ほほう。ふむ、この糸は何でできているのだ?」

 私から釣り竿を受け取った先王が、それを興味深そうに観察しながら、そんなことを聞いてきた。

「スパイダーシルク製の糸だそうですよ。ご存じの通り、非常に頑丈な糸ですからね」

「それはまた、高くつくのではないか?」

「スパイダーシルクと言ってもピンキリですね。王族の衣装に使われているような最高級品は非常に高価ですが、低価格の物は王城侍女に支給される大量生産の服に使われるくらいには安いですよ」

 さすがに綿や獣毛ほどは安くないけれど。でも、服としての丈夫さは、スパイダーシルクはピカイチなのだ。だから、釣り糸にも向いているわけだ。

「糸の先についているのは魚を引っかける釣り針、そしてその近くにある物がウキという水に浮く部位です」

「ウキか。初めて聞くな」

 ウキを手で触りながら、先王が言う。

「ウキによって針が深く沈まないようになります。それと、魚が針にかかったときにウキが沈んで目印になります。他にも、針を水に投げ入れるときの重りにもなりますね」

「ふむ、重要な役割なのだな」

 その後も、私は釣り上げた魚をすくいあげるタモ網や、釣った魚を入れるためのバケツ、魚を保冷して城まで運ぶための魔法の収納ボックスなどを紹介していった。
 そして、いよいよ釣りを始めることとなった。

「まずはどこで釣るかです。釣れそうなポイントから探りましょう」

 そう私は先王に言う。

「ふむ。水面でも覗くのか?」

「いくら川の水が綺麗だからといって、魚影を遠目で確認できるほどではないですね」

 私なら、魔人としての超感覚で、水の中にいる魚の位置が察知できたりしてしまうのだが。
 だが、それは常人である先王には無理であろう。私は言葉を続ける。

「ところで、釣りは半日待ち続けても一匹もかからないということもざらです。それもまた面白いのですが……初心者にはその領域を楽しむのは厳しいでしょうね」

「うむ、そうだな。どうせなら、今夜の夕食を獲って帰りたいものだ」

「ですので、私の魔法で魚がどこにいるかを探ります。そこに仕掛けを投げ入れれば、少なくとも何もいない場所に針を垂らして意味のない時間を過ごすことを無くすことができます」

 そう言って、私は先王に魔法をかけた。それは、音魔法。ソナーを発して、何がどこにいるのかレーダーのように理解できるようになる魔法だ。
 そのソナーの発する方向を水の中に限定している。今、先王は水の中に何がいるかを正確に把握できている。

「むっ、むむ! これはすごいな!」

「では、釣り糸に餌をつけて、そのポイントに仕掛けを投げ入れてみましょう。先王陛下は、土虫を触っても平気ですか?」

 私は、餌の入った箱を開けて、中から土虫と呼ばれるミミズのような生き物を取り出した。
 今まで私達の横で話を興味深そうに聞いていたメイヤが、「ひっ」と悲鳴を上げて離れた。

「がはは! 土虫は農業の味方! それが苦手な王族はおらん!」

「私も領地の視察で農業体験とかいっぱいしたから、土虫は平気ねー」

 先王が笑って私から土虫を受け取り、パレスナ王妃もそれを眺めている。
 メイヤはまあ、領地を持たない魔法使いの貴族の家出身だからな。土の中に住む益虫である土虫に馴染みはないだろうな。

「それを針の先に刺して、くくりつけてください。はい、できましたね。あとは竿をこう振るって、水面に仕掛けを投げ入れましょう」

「こうだな? ふんっ!」

 仕掛けは一発で水面に着水した。

「おお、お見事です。結構、筋がいいのでは?」

 私は素直にそう称賛した。

「うむ。だが、魚のいるところには届いておらんな」

「そこは、練習あるのみです。リールを巻いて仕掛けを戻して、何度か投げる練習をしてみましょうか」

 そうして試すこと数回。魚の反応があるところの近くに仕掛けは落ちた。川辺に人が多いので魚の数はまばらだが、魔法があれば位置の探知は簡単だ。

「いいですね。あとは、待ちましょうか」

「待ちか。余暇を潰す趣味で、待つだけとは歯がゆいのう」

「釣りの大半の時間は待ちですからね。それを楽しめるか否かで向いているかどうかが決まるといっても、過言ではないでしょう」

「ふーむ」

 私は用意させていた折りたたみ椅子に、先王を座らせる。
 パレスナ王妃はすでに座ってスケッチを開始しており、侍女達は持ち込んだ水筒で茶を淹れて、日傘を差しつつ優雅な川辺のお茶会を楽しんでいる。

 そうして待つことしばし。
 何度か仕掛けを投げ入れ直して、魚影の近くに餌を誘導していると、不意にウキが沈んだ。

「!? キリン殿!」

「ええ、かかりましたね。リールを回して糸を巻きましょう。勢いよく巻きすぎると、糸が切れてしまいますので気を付けて。魚が疲れるのを待つ感じで」

「うぬぬ、感じる、感じるぞ。竿の先から生命の躍動を!」

 先王と魚との戦いが続き、やがて川岸に魚の頭が露出した。私は、それをタモ網ですくい上げた。

「おっ、なかなかのミスートですよ」

「ミスートか! 夕食に彩りがでるわい!」

 ミスートは、七色に光る鱗を持つ食用の魚である。この春の季節に多く姿を見せる、旬の魚と言えた。

「では、口から針を外して、バケツに魚を入れてください」

「むっ、むむ! おお、取れた。うむ、美味そうだな」

 一発で外れたか。針外しもゼリンは用意してくれていたみたいだが、今回は不要だったようだ。

「すげー! 魚釣ってる!」

 そう言って、川で遊んでいた子供達が集まってくる。
 近衛騎士達がそれを散らそうとするが、先王はよいよいと言って、子供達に釣った魚を見せつけた。
 やはり、王都の市民の間では釣りは珍しい趣味のようだ。ゼリンの奴、そんな中でよくすんなり釣り道具を用意できたものだな。

「がっはっは! これは楽しいのう! どれ、ユーナの分も釣っていってやらんとな!」

 王太后であるユーナ殿下は、今回の釣りについてきていない。興味のない人を連れてくるほど先王は無茶を言う人じゃないってことだな。
 パレスナ王妃が今回ここにいるのは、釣りの様子をスケッチしたがったからだ。単に、城の外に出たかったということもあるかもしれない。
 侍女達がいるのは……王妃の近くにいるのが仕事だから仕方ないな。
 そして、侍女と近衛騎士達以外でも、もう一人同行者がいた。

「魚か。久しく食べてないなー」

 一人というか、一匹というか。キリンゼラーの使い魔だ。

「この間、夕食で出たのを食べさせただろう」

「生の魚だよ。生きたまま食べるのが美味しいんだぁ」

 こいつ、最近文明的に見えていたが、そういえば混沌の獣をそのままかじりついて食べていた野生のドラゴンだった。今は、遠い惑星フィーナから使い魔を操り、毛に包まれたアンゴラウサギに似た獣の姿で私の側にいるから、すっかり頭から抜け落ちていた。

「ははは、では、俺と妻の夕食の分以上に釣れれば、キリンゼラー殿にも一匹差し上げますかな」

 そんなことを先王が新たに仕掛けを川に投げ入れながら言った。

「本当? やったね!」

 そうして、私達はその後も川岸での昼食を取りつつ釣りを続け、日が沈む前に王城へと帰った。
 釣果は六匹。うち一匹はキリンゼラーの体内に消え、残り五匹は一匹ずつ王族の夕食になったらしい。まさしく大漁と言えるだろう。

 そして翌日、お茶休憩の場に姿を現した国王が、ふとこんなことを言った。

「父上が急に釣り堀に賛成しだしたどころか、自分がやるとか言いだしたんだけど……」

「あら、ナギーお父さん、一発で釣りにはまったみたいねー」

 面白おかしそうに、パレスナ王妃が笑う。

「川釣りに行ったんだろ? うらやましいなぁ。しかも初めてで六匹も釣るとか! 父上が行ったなら、俺っちも近衛騎士を動員して川に……」

「国王陛下が行くとなると大事になりますから、やめてください」

 後ろに待機していた秘書官にそう止められて、国王はしょんぼりとした顔になった。

 しかし、親子揃って釣りにはまったか。
 これは、釣り堀事業、思ったよりも大事になるかもしれないな。流石に国を傾けるまで暴走する人達ではないが、趣味で許される範囲までならとことんやりそうだな。
 趣味に生きる王族という存在を私はちょっと呆れた目で見てしまうのだった。



[35267] 88.近衛と魔法
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2021/09/10 02:39
 午後のお茶休憩の時間。今日もトリール嬢の美味しいお菓子に舌鼓を打っていると、国王が私に話しかけてきた。

「キリリン、ちょっと仕事をお願いしたいんだけど……」

「仕事ですか?」

 国王が私にわざわざ仕事を頼むとは、どういうことだろうか。
 私は侍女だが、国王にも当然専属の侍女がいる。私に頼む必要などないだろう。

「ちょっと近衛騎士を鍛えてあげてほしいんだけど」

「ああ、またそういうのですか」

 国王の思わぬ頼みに、私は思わず苦笑を漏らしてしまう。
 私は侍女なので、荒事や肉体労働などとは縁がないはずだ。だが、私はこうしてたまに騎士の訓練相手を任される。
 以前、国王が適当に任命した戦闘侍女という肩書きが、今もなお有効なのだろう。

「まあ、戦闘侍女ですし、仕方ないので受けますよ」

「あはは、戦闘侍女って何それー」

「いや、それ言いだしたのは国王陛下ですよ!?」

 笑う国王に、ツッコミを返す私。こんにゃろう。忘れていたな。
 それでもなお国王は笑いながら、私に向けて言う。

「まあ、頑張ってよ。すごくみんなやる気だから」

「はあ。担当はまた第三隊ですか?」

 第三隊は女性騎士の集まりだ。闘気の扱い方を何度か教導したことがある。

「いや、第一隊だよ」

「あいつらですか。今更、私の教えなど必要ないと思いますが……」

「そうでもないんだよ。彼ら、この前、超能力とかいうのに触れたでしょ? それで、超能力との戦いは魔法戦闘にも通じるとか言いだして、魔法使いと戦闘訓練を積みたがっているようだよ」

「魔法使いですか……私ではなく、暇な宮廷魔法師にでも頼めばいいのでは?」

「頼んだんだけどね。実は、騎士達がコテンパンにのされちゃって」

「第一隊が……」

 宮廷魔法師、すごいな。さすが国のエリートなだけある。

「この前うちに来てもらったセリノチッタに頼んだんだけど、一人で騎士全員やっつけちゃったみたいで」

「あー、師匠ですか……そりゃあそうなりますね」

 師匠相手とか、全力の私でも勝てるか怪しいぞ。しかも今は、魔法だけでなく超能力まで使えるのだ。
 国王も苦笑いして、言う。

「せっかくテアノンの人達と訓練してついた彼らの自信が、見事に折れちゃったみたいでね。キリリンに鍛え直してもらおうかと」

「私も本格的な戦いは、ブランクが長いのでどこまでやれるか。まあやりますけれど」

「ありがとう! 頼むね!」

 そういうわけで、話は無事にまとまったのだった。

「戦闘訓練かー。面白そうだから私もついていくね」

 そんなことを唐突に言い出したのは、テーブルの上でトリール嬢に餌付けをされていた毛玉。キリンゼラーの使い魔だ。

「来てもいいが、邪魔するなよ」

 私は毛玉に向けてそう言ったのだが、毛玉はぴょんとその場で跳ねて言葉を返してきた。

「大丈夫! 訓練手伝うよー」

「その使い魔、戦えるのか?」

 元気に飛び跳ねる使い魔にそう尋ねる私。魔力の経路は彼女の本体がいる惑星とつながっているので、魔力切れで消滅とかはしないと思うが。

「ここは世界樹がたんまり魔力を融通してくれているから余裕! 私、魔法も得意だよー」

 惑星が混沌に包まれていた神代から生きる、神獣の魔法かぁ。凶悪そうだ。

「怪我はできるだけさせないように頼むね、キリリン。塩の国への出立も近いんだし」

 国王にそう釘を刺されるが、私に言われてもキリンゼラーが手加減してくれるかは保証できないぞ。



◆◇◆◇◆



 翌日。私は私服に着替え、近衛騎士の宿舎である白の塔まで来ていた。

「あら、キリンお姉様。どなたかにご用ですか?」

 そんな私を迎えてくれたのは、近衛宿舎付きの侍女であるククルだ。今朝、侍女宿舎で会ったばかりなので朝の挨拶は特にしない。
 ククルに向けて、私は言葉を返す。

「今日は近衛騎士達と一緒に戦闘訓練だ」

「あらあら。お姉様、侍女になったというのに荒事だなんて。カヤが嘆きそうですわ」

「仕方ないさ。私は、国王直々に戦闘侍女を任命されているんだ」

「戦闘侍女! なんですか、そのワクワクしてくる響きは」

「ワクワクするのか……?」

 そんな会話をククルと繰り広げている間に、宿舎のエントランスに鎧を着込んだ騎士達が集まってくる。
 その中から、宿舎長兼副隊長のオルトが、前に出て私の方へと近づいてきた。

「姫、今日はよろしく頼む」

「ああ、場所はどこで?」

「西の演習場をおさえてある。魔法を使うならば、広い方がよいだろう?」

「私の魔法はそこまで派手じゃないが、まあ広いに越したことはないな」

「では、早速向かっても大丈夫か?」

「ああ」

 私がそう短く返事を返すと、オルトは背後へと向き直り、「点呼!」と騎士達に声をかけた。
 騎士達の背筋が伸び、メンバー確認を行なっていく。第一隊は近衛騎士団の中でも特にゆるい集団だが、締めるべき所ではしっかりと締める。
 メンバー確認も終わり、私達は王城を出て郊外の演習場へ向かうことになった。

「いってらっしゃいまし!」

 ククルは近衛宿舎付きの侍女なので、ついてこない。だが、妙齢の侍女に見送られ、どこか近衛騎士達の頬が上気しているように見受けられた。

 ククルが近衛宿舎付きになってからしばらく経つが、彼女からは浮いた話を聞いたことがない。
 ククルには婚約者がいないので、彼女の父が手を回さない限り恋人は彼女自身で見つける必要がある。
 もしククルが行き遅れなどと言われるようになったら、彼女を放っておいた近衛騎士達の責任だ。そのときは締める。そしてククルの恋人になるという奴がいたらそいつはそいつで締める。

 そんなことを考えているうちに、演習場へ到着した。

「さて、どうするか」

 私は整列する近衛騎士達を見ながら、そう呟いた。
 そして、並ぶ面々を見て、一つ気がついた。

「騎士団長はいないのか?」

 第一隊の隊長でもある騎士団長。そいつがいない。

「団長は、王宮で事務仕事だ。出立が近いのでな」

 そう、近衛騎士を代表してオルトが言ってくる。
 そうか、事務仕事か。いつも大変だなぁ。騎士団長は実務をオルトに任せて、王宮に詰めている事が多い。
 仕方ない、騎士団長抜きでやるか。

「とりあえず、戦闘訓練だな。実戦稽古で」

「いいのか? 姫の負担が大きそうだが」

「そのときはそのときで、魔法回避訓練にでも切り替えるよ」

「了解した。よし、では木剣用意!」

 従騎士が木製の武器を用意し、騎士達がそれを手に取っていく。
 私も、一応木剣を一つ手に取った。魔法で攻撃するつもりなので、これで攻撃することは少ないだろうが。

「三人一組で、一組ずつ順番に稽古を行なう!」

 オルトがそう号令をかけると、騎士達がすぐさま並び直し、スリーマンセルのまとまりを複数作った。
 うーむ、よく訓練されているな。動きがスムーズだ。
 そして、その中から一組が前に出てくる。

「へへ、姫が相手とは久しぶりでたぎってくるぜ」

 そんなことを言いながら、木斧を構えるのは正騎士のハネス。粗野な男だが、その怪力はなかなか油断がならない。闘気の使い方も一流だ。
 他の二人も、昔、私と国王が直々に鍛えた強者だ。全力で事に当たるとしよう。

「準備はいいな? 始め!」

 号令と共に、私は妖精言語を使い妖精を複数召喚した。ついでに火炎弾を作りだして、突っ込んでこようとするハネスを牽制する。
 ハネスは舌打ちしながら木斧で火炎弾を弾いた。その間に妖精召喚。
 おっと、闘気を足に込めて一気に走り寄ってきた騎士が一人。土魔法で壁を作り、そこに激突してもらう。その間に妖精召喚。

「姫の魔法は全て無詠唱だ! 安易な隙はないと思え!」

 そんな騎士の声が周囲に響きわたる。その間に妖精召喚。
 無詠唱というか、詠唱ができないだけなんだけどな……。その間に妖精召喚。

「って、どれだけ呼び出すんだ姫!?」

 はい、準備完了。

【領域】魔法発動。妖精郷、光の園。
 土で覆われていた演習場が、花畑に変わる。その花畑には、ところどころ光り輝く結晶体が生えていた。
 ここは今、妖精が支配する異界と化している。

「なんだ!?」

「頑張ってかわせよー。光魔法の大バーゲンだ」

 私はそう言うと、妖精言語で妖精達に指示を出す。光で攻撃いっぱい、怪我しない感じで、容赦なく、殺しちゃ駄目。
 魔力を私から受け取った妖精達は、笑顔で周囲に散らばり、光線を大量にばらまき始めた。その数は、膨大。

 光の速さで飛び交う妖精の攻撃が、三人の騎士を蹂躙する。
 騎士達はその攻撃を全身で受け、吹き飛ぶ。唯一、ハネスが闘気を全身に巡らし耐えきり、妖精を木斧で叩いた。しかし、木斧は妖精をすり抜け、妖精は笑ってハネスの顔面に大量の光線を浴びせかけた。

「ぐあああ!」

 たまらずよろけたところに、妖精達の光線による集中砲火がハネスを襲った。
 これにより、ハネスはダウン。残り二人の騎士も、すでに倒れていた。

「そこまで!」

 私は、オルトの終了を知らせる声を聞き、領域魔法を中断。すると、異界となっていた周辺が、現実世界へと戻っていく。
 倒れ伏している騎士達に、従騎士が駆け寄って手当を開始した。

「姫、無事なのか、あれは」

 オルトが心配そうに聞いてくるが、私は問題ないと軽く返した。

「物理的な衝撃はほとんどないぞ。精神ダメージで気絶しただけだ」

「そうか」

 だが、気絶させたままなのは悪いと思い、私は妖精を呼び出し三人につけてやる。すると、彼らは、はっと目を覚ました。

「よし、軽く戦いを振り返るぞー」

 私は三人を集め、戦いの感想を述べる。

「今回、私は妖精を段階的に呼び出して、大魔法を使った。これは、魔法使いが通常使う、詠唱魔法を再現してのことだ」

「つまり、呼び出している間に被弾を恐れず真っ直ぐいって、一撃入れていればよかったってことか」

 私の説明に、ハネスがそうコメントする。

「そうだな。ただ、私の場合は詠唱と違って、召喚が中断されても最初から召喚をやり直しとはならないが」

「なにそれずりい」

 そうは言うが、詠唱できないってかなり不利なことなんだぞ。

「で、魔法が発動した後の対処だが……」

「ありゃどうしようもねえだろ。妖精は殴ってもすり抜けやがるし」

 ハネスはお手上げ、といった感じで手の平を身体の前で広げながら言った。
 妖精は物質ではない。アストラル界的な世界に住む、異次元生物である。
 その成り立ちは、惑星フィーナの神代までさかのぼることができる。凶悪な神獣が闊歩する混沌の世界を無事に生き延びるために、精神生物となって物理干渉を受けないよう進化した生物であるらしい。
 私はさらに説明を三人に続ける。

「妖精は触れず、死なず、それでいてこちらの世界に魔法的干渉を行なえる生物だ。対処するには、魔法を使うか闘気を精神の領域まで届かせる必要がある」

「つまり、闘気の扱い方をもっと学べってことか?」

「いや、そこまでやる必要は無い。今回は、大魔法が発動されたとき用に咄嗟の対処を覚えていけばいい」

「つっても、あんなのどうしろっていうんだ……」

 騎士達三人が顔を見合わせ、困ったように眉をひそめる。
 私はそんな彼らに向けて言葉を続けた。

「攻撃魔法は術者にとっても危険な代物だ。大魔法っていうのは大抵、術者の傍を通過しないようになっている」

「肉薄してやればいいってことか」

「そうだな」

「でもよう。姫に接近戦挑むのは結構勇気いるぜ」

「そこは勇気を出せ。私ほどに剣が達者な魔法使いは、そうそういないだろう。いたときは……頑張れ」

「丸投げかよ!」

「剣でくらい魔法使いに勝てなくて、どうする」

 私がそう言うと、三人は黙った。まあ、騎士が魔法使いに接近戦で負けましたなんて言った日には、末代までの恥だからな。
 師匠だって動きはとろいし、魔法使いには積極的に接近戦を挑め、だ。ああいや、生まれ変わってからの師匠の強さは知らないが。
 そういうわけで、戦いの振り返りは終わり、私は次の組と対戦していく。
 接近戦を積極的に挑んできたので、地雷的な設置魔法を大量に仕掛け、罠にはめていく。
 私の魔法は、その多様性が長所なのだ。魔女になるには全ての魔法に精通していなければならないと、師匠に散々詰め込み教育を受けたからな。

 ゆえに、私はそれぞれの組ごとに異なる魔法を使う魔法使いを想定して、稽古をつけた。
 さすが王国最強の騎士団ともあって、なかなか苦戦をすることもあった。
 後半の組になるにつれ動きが洗練されていくのを見るに、見取り稽古としてもそれなりに成果があったのではないだろうか。

「なんで姫に勝てねえんだ……昔はここまで強くなかったよな……」

「そりゃあ、お前達をスカウトした頃から、何年経っていると思っている」

「俺達だって、あの頃から成長したんだがなぁ」

 そんな雑談を交わしつつ昼食を済ませて、しばらく訓練は続き……。私はとうとうバテてしまった。体力ではなく、魔力切れだ。
 魔力とは、生物に宿る力、そして星の力だ。体内にある魔力を使って、外にある魔力を操る技術を魔法という。そして詠唱は、体内にある魔力を組み立てて、外にある魔力に働きかけやすいようにする技術である。

 私は詠唱ができない分、魔法を使う際の体内魔力のロスが少しばかり大きかった。
 声が出ないおかげで、言葉と一緒に漏れてしまう魔力が抑えられるため、魔力が溜まりやすい体質でもあるのだが。

「はー、しんど……」

「キリン、疲れた? 疲れた?」

 演習場の端で稽古を見守っていたキリンゼラーの使い魔が、私に寄ってきた。

「魔力切れだ」

 私がそう言うと、使い魔はぴょんとその場で跳ねる。

「じゃあ、私が代わりにやるよー」

「ああ、頼む。おーい、次の組は、このキリンゼラーの使い魔が相手をするぞー」

 私が騎士達に向けてそう叫ぶと、騎士達は揃って困惑した顔になる。

「その……姫、その小動物がか?」

「オルトも惑星フィーナで巨大なドラゴンを見ただろう。惑星の神代を生きた、偉大な神獣、その使い魔だぞ」

 オルトの疑問に私がそう答える。すると、途端に騎士達は真面目な表情に変わった。
 うんうん、見た目で侮るのをやめたようだな。よしよし。魔物の中には、小さくても強力な個体なんてものはざらにいるからな。その姿勢は大事だ。

「では、次の組!」

 オルトの号令で、三人が前に出てくる。

「よーし、行くぞー」

「怪我させないようになー。それと、殺すのは絶対駄目!」

「それくらい解ってるよー」

 私の頼み込む言葉に、キリンゼラーの使い魔は軽く返してくる。大丈夫かなぁ。

「始め!」

「【混沌よ】【広がり】【領域を】【支配しろ】」

「詠唱だ!」

「させるかよ!」

「小さすぎて狙いにくい!」

 開始と共に、使い魔は詠唱をし、騎士達は闘気を身体にみなぎらせ瞬時に肉薄した。
 闘気の込められた木剣が使い魔を襲うが、無詠唱の魔法障壁がそれを防ぐ。
 ふーむ、キリンゼラーの本体は私と同じように詠唱ができない喉のようだが、使い魔は詠唱ができるのか。勉強になるな。

「【顕現せよ】【古き世界】!」

 使い魔の足元から、異界が広がっていく。これは、私も最初に使った領域魔法だ。
 その異界は……なんというか、ぐちゃぐちゃだった。
 黒いのだが、そこに様々な色が混ざっているのを感じる。これはもしや、混沌ってやつか。

 異界となった地面は泥のようにぬかるみ、騎士達の足にまとわりつく。すると、騎士達はふらりとその場で身体をゆらし、そして地面に倒れ込んだ。

「【魔法終了】!」

 騎士達が倒れると同時に、使い魔のそんな声が聞こえ、異界が消え去る。

「そこまで!」

 オルトの終了の合図が響き、使い魔がこちらに向けてぴょんぴょんと飛び跳ねてやってきて、そして私の胸に飛び込んできた。

「できたー。できたよー、キリン!」

「お、おう。彼らは無事なのか?」

「ちょっと混沌酔いしただけだよ」

「混沌酔い」

 何それ知らない。

「キリンの真似して領域魔法使ってみたけど、どうだった?」

「ああ、よかったんじゃないか。でも、お前の身体の位置低すぎて、ちょっと騎士達は不利だな」

「それは仕方ないかなー」

 と、そんなことを使い魔と話していたのだが……。

『面白そうな――ことを――して――いますね――』

 頭の中に、師匠の声が急に響いた。これは……テレパシーだ。

『今から――そちらに――行きます――』

 そう声が届くや否や、目の前に師匠が突如出現した。テレポーテーションか。

「貴女を訪ねたら王宮にいなかったので、跳んできました。問題はありませんね」

「いや、仕事中なんだが……」

 超能力身につけた師匠、身軽だなぁ!

「近衛騎士の調練でしょう。私に任された仕事のはずでしたが?」

 師匠は私ではなく、オルトに向けてそう言った。

「いや、セリノチッタ殿に任せると怪我人が出るので、この時期に行なうのは問題がありましてな……」

「それは手加減をしろと言われていないからです。私も怪我人を出さずに相手を倒すことくらいはできますよ」

 師匠にそう言われ、オルトは黙った。
 そして、師匠はまたこちらに向き直る。

「しかし、実戦形式で魔法を鍛えるのはよいことです。魔力が切れるまで、はげんだようですね。魔女に一歩近づきましたよ」

「いや、魔女は正直どうでもいいというか……」

「日頃の何気ない行動が、貴女を魔女に近づけていくのです。精進するように」

 聞いちゃいねえ!
 そして師匠は、再び騎士達の方を向く。

「弟子はこの通り魔力切れのようなので、私が相手をします。全員でかかってきなさい」

「あ、ずるい! 私がやっていたのに」

 師匠の言葉に抗議するように、キリンゼラーの使い魔がぴょんぴょんと飛び跳ねて言った。

「おや、神獣様、それなら一緒にやりますか」

「やるー!」

 そうして師匠と使い魔は意気投合。まがまがしい魔力が周囲に放出された。

「さあ、行きますよ」

「行くぞー!」

「くっ、総員、構え!」

 そうして場は魔法と超能力と闘気が入り乱れる戦場へと変わり、場は混沌と化した。
 魔力をチャージ中の私はどうすることもできず、騎士達が空を舞っていくのをただ見守るばかり……。いや、師匠が本当に手加減できるか怪しいので、それも駄目だな。
 私は妖精言語で「魔力後払いでよろしく」と妖精を召喚し、騎士達に怪我がないように妖精の守りをつけた。
 溜めたばかりの魔力が妖精に徴収されていき、私は気だるい身体を休めるように、地面に座り込んだ。魔力が回復するそばから奪われていく。この欲しがりさんどもめ。

「ぐわー!」

「固まるな! まとめてやられるぞ!」

「防御が甘い」

「闘気を燃やせー!」

 私は一方的に蹂躙される近衛騎士達を見ながら、国王に今日の成果をどう報告したものかと頭を悩ませるのであった。



[35267] 89.王妹と取材
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2021/09/10 02:40
 二月も中頃に入り、併合式典行きに備えて、私達侍女は王妃の私室で持っていくドレスや装飾品の選定を行なっていた。
 パレスナ王妃はときおりこちらの様子を確認しつつ、隣の大陸の言語であるハイリン語を学ぶためのテキストを読んでいる。

 連日の学習の成果もあってか、パレスナ王妃は片言でならハイリン語を話せるようになっている。
 この国の言語とハイリン語は、元を辿ると同じ言語だ。だからこそ、ここまで簡単に覚えることができたのだろう。
 ちなみにリスニングはまだ怪しいので、向こうの国についたら通訳者として常に私が付き添うことになっている。まあ、短期間の学習ではこんなところだろう。

 私も侍女達と一緒に装飾品の選定を行なっているが、たまにパレスナ王妃にテキストの解説を求められて、両方を行ったり来たりしている。

 そんな穏やかな時間が流れていたパレスナ王妃の私室に、ふと、一人の貴人が訪ねてきた。王妹のナシーである。
 ナシーは、王妃の私室に入るや否や、こんなことを言いだした。

「兄上とパレスナばかり旅行してずるい!」

 まるで駄々をこねる子供のような主張である。

「ナシー、別に今回は旅行しにいくわけじゃないの。外遊よ。仕事なの」

 そうパレスナ王妃が、ナシーをなだめるように言う。

 私はパレスナ王妃の言葉を頭の中で『外遊』と日本語訳しているが、これは外国旅行の意ではない。ここでは、公人が外交目的で外国を訪問することを表わしている。つまり、パレスナ王妃の言うとおりに、塩の国に向かうのは仕事のためである。

「嘘だ! 兄上は釣り堀を視察するとか言っていたぞ。絶対あれ、遊び目的だろう」

 ナシーの言葉に、パレスナ王妃は反論できなくなった。
 国王のやつ、先王だけではなくナシーにも釣り堀のことを話したのか。どれだけ楽しみにしていたのだ。

「というわけで、私も旅行することにした。小説の取材旅行だ!」

 と、そんなことをナシーが言い出す。
 ナシーは普段、国土を調整する王族の仕事をしているが、副業として恋愛小説を書いている。商人のゼリンによると、先月発売した小説『天使の恋歌』は売上がすこぶるよいようだ。
 そんなナシーの旅行宣言をパレスナ王妃は冷めた目で見ている。

「……貴女、後宮は放っておいていいの?」

「ぐっ!」

 パレスナ王妃のツッコミに、今度はナシーが黙った。
 この国でいう後宮は、配偶者候補達を王宮の一区画に住まわせ、そこで王族が長期的なお見合いをするちょっと変わった風習だ。
 パレスナ王妃も、去年までその後宮で王妃候補者として国王と交流をしていた。

「私達が後宮を明け渡してもう二ヶ月も経つわ。そろそろ人が集まってきたんじゃない?」

 そうパレスナ王妃はナシーに向けて言う。
 二ヶ月と言っても、この国での一ヶ月は約四十日もある。つまり、ナシー用の長期お見合い会場である後宮が開かれてから、もう八十日近い日数が経っているということだ。

「いや、恋とかよく解らないのでな……」

「恋愛小説の取材に行こうって人が何を言っているのよ」

 ナシーのうなるような言葉に、パレスナ王妃がまたもやツッコミを入れる。ごもっともすぎる意見である。
 しかしナシー、恋を知らないからこそ妄想の恋が書けるというタイプか。こういう創作者って前世では、実際に恋人を作ると途端に作品の質が落ちたりするとか言われていたな。

「ねえ、ヤラールトラールさん。ナシーと仲がいい人、後宮にいるの?」

 と、パレスナ王妃がそんなことをナシーについてきていた天使のヤラに尋ねた。
 天使ヤラは、それに困ったように答える。

「私は女なので、今の後宮へは入れないのですが……」

「あら、そうだったわね。ごめんなさい」

 パレスナ王妃が後宮にいた頃は、後宮は国王以外の男は入ってはいけない場所だった。ナシーの配偶者候補達が後宮入りしている今は、ナシー以外の女が立ち入っていけない場所になっているのだろう。

「後宮の外でなら、近衛騎士のオルト殿と仲がよいようですよ」

「本当?」

「あ、こら! ヤラ! 何を言い出すんだ!」

 天使ヤラの言葉に、身を乗り出すパレスナ王妃と、慌てるように声を上げるナシー。
 意外な事実が出てきたな。
 そして、天使ヤラはナシーの制止の声も聞かず、言葉を続けた。

「オルト殿には後宮入りを打診しているようですが、今回のエイテン行きが終わってからと引き延ばしにされているそうです」

 しかし、オルトかー。
 近衛騎士団第一隊の副隊長であるオルトは、元庭師というバリバリのエリートだ。
 しかし、実家はただの裕福な家庭で、貴族の家出身とかではなかったような気がする。もしこれで王族のナシーに配偶者として選ばれたら、すごい成り上がりだな。

 本来なら平民は配偶者候補として後宮入りできないのだが、オルトは騎士になった時点で騎士爵を与えられている。
 騎士爵は世襲できない一代限りの貴族だが、オルトは近衛騎士団の幹部だから、今は男爵あたりに爵位が上がっているかもしれない。

「オルトさん……確か、近衛のリーダー的存在だった人かしら?」

「そうだな、副隊長で、王国最強の騎士だ。私もときどき稽古をつけてもらっている」

 パレスナ王妃の疑問の声に、ナシーがそう解説をした。
 稽古か。ナシーは剣も嗜むからな。国王や先王ほど剣の腕は達者ではないが。

「仲はどこまで進んでいるの?」

 パレスナ王妃、ずいずい行くなぁ。侍女達も話が気になっているのか、みんな二人に顔を向けて注目しているぞ。

「いや、何も……」

 顔をわずかに赤くして首を振るナシーだが、パレスナ王妃は止まらない。

「本当? ヤラールトラールさん、どうなの?」

「後宮に入ってくださいという、直筆の手紙を直接手渡したようです」

「それ、もう告白したのと一緒じゃない!」

 キャーと侍女達が盛り上がる。なんだか最近、恋の話題で盛り上がることが多いなぁ。女の子の集団だし、こんなものなのかね。

「で、返事がさっき言っていた、先延ばしってわけね」

「そうなります」

「じらすわねー」

「じらしますね」

 しみじみと言葉を交わす、パレスナ王妃と天使ヤラ。ナシーは恥ずかしそうに両手で顔をおおった。恋とかよく解らないとか言っていたわりに、しっかり恋愛しているな。
 しかし、オルトかぁ。彼は、私が近衛宿舎付き侍女をしていたときに、恋人が欲しいとか愚痴を言っていた記憶がある。ちゃっかり年下の娘に惚れられているんじゃないか。これが他に知れたら、オルトは近衛の他の奴らにタコ殴りにあうぞ。

「ええい、とにかく旅行だ! 私は旅行に行くのだ!」

 ナシーはそう言って、無理やり話題を元に戻そうとした。
 パレスナ王妃と天使ヤラは、やれやれといった表情をしている。

「で、どこへ行くの?」

 そうパレスナ王妃がナシーの話題に乗っかる。恋の話はこの辺で勘弁してやるよ、といったところか。
 その王妃の言葉に、どこかほっとした表情でナシーが返した。

「まだ何も決めていない。小説のネタも、全く浮かんでいないし」

 取材旅行をしたいが、取材対象すら決まっていないという感じか。
 ナシーはさらに言葉を続けた。

「そもそも鋼鉄の国の存在があったからな。王族が王都の外に出るのは危ないとか言われて、ろくに旅行なんてしたことがないんだ。兄上は若い頃、キリンと一緒に国内を飛び回ったというのに、この扱いの差!」

 するどい視線で、ナシーがこちらをにらんでくる。まあ、確かに国王と一緒に近衛騎士を集めるために国中を飛び回ったりしたが。
 私は、言い訳をするようにナシーに言葉を返す。

「当時は、あくまで鋼鉄の国は仲がよろしくない国というだけで、仮想敵国とまでは言われていませんでしたからね」

 鋼鉄の国がこの国を本気で敵視し始めたのは、天使ネコールナコールの胴体、カヨウ夫人が復活してからのことだろう。
 カヨウ夫人の復活は確か八年前で、国王と国を巡ったのは十年くらい前だ。まあ、当時も山賊に扮した鋼鉄の国の工作員が、アルイブキラで暗躍していたのだが。

「ハンナシッタ殿下は、国内旅行をしたことがないのですか? 『ミニーヤ村の恋愛事情』の村人の生活描写などは、真に迫っていると評判ですけれど」

 と、侍女のメイヤがナシーにそんな言葉を投げかける。
『ミニーヤ村の恋愛事情』か。ナシーの代表作だな。恋愛描写の合間にさりげなく書かれた農村の生活が、いい味を出している傑作だ。
 これを読んだ町娘などは、農村の豊かな生活に憧れを持ったりしていると商人のゼリンが言っていた。確かに農民は豊かだけど、毎日重労働なのだがな。

「あれは、兄上や領地を持つ貴族に、とことん取材をして書いた作品だからな。農民に内容の確認もしてもらった」

 論文の査読みたいなこともしたんだな、ナシー。かなり本気で小説を書いているのか。

「だから今度こそは、しっかり取材して何かを書きたいんだ。旅行に行けばネタも浮かぶはず……!」

「とは言っても、書きたい物が決まっていないなら、どこがいいとも言えないわよ」

 うーむ、と悩み始めるナシーとパレスナ王妃。
 そして、パレスナ王妃がちらりとこちらを横目で見てきた。

「困ったときのキリン頼みよ! キリン、何かない?」

 そんなことをパレスナ王妃が言い出す。
 私、便利キャラか何かなのか……?

 私は侍女達の輪から抜け出し、パレスナ王妃の前に出る。

「気軽に取材に行くとなると、国内旅行でしょうか?」

 そうナシーに問いかけると、彼女は「そうだな」とうなずいて言った。

「私も旅行慣れしていないからな。手続きが大量に必要な国外旅行をいきなりするのは、確かに大変だ」

「王族ですから、簡単に国外には行けないでしょうね」

 そう言って「なるほど」と私は納得し、しばし考えこむ。
 そして、ナシーからパレスナ王妃の方に向き直る。

「パレスナ様、空間収納魔法を使うことをお許しください」

「いいわよー」

 私は、パレスナ王妃に一言断ってから、魔法を使った。
 内廷では、異空間から物を取り出す空間収納魔法を自由に使ってはいけないことになっている。
 武器とかの危険物を取り出せてしまうからな。まあ、魔法的な縛りとかで使えなくなっているわけではないので、緊急時は無視してよいと国王に直々に言われている。

 私が異空間から取り出したのは、一冊のノートだ。ゼリンのティニク商会で買える、罫線入りの品である。

「それは何かしら」

「世界各地の名所を書き記した観光メモのアルイブキラ版ですね」

 私がそうノートの内容を説明すると、ナシーの目つきが変わった。

「貸してくれ! ネタの宝庫だ!」

 そう言って、ナシーがこちらに詰め寄ってくる。

「いや、駄目ですよ。これ一冊しかない大事な物なのですから、貸せません」

 私は魔法でノートを防護して、ナシーをなんとかなだめようとする。

「確かに、世界を巡った高名な庭師の観光メモなんて、貴重も貴重よねー」

 そんな私達二人のやりとりをパレスナ王妃がそう言って笑いながら眺めていた。
 いや、ちょっとナシーを止めてくれ。

「見るだけ! この場で見るだけだから!」

「それならまあ、いいですが……」

 ナシーの言葉に、私はしぶしぶ納得してノートを明け渡した。
 見せびらかすためじゃなくて、自分の記憶を補完するために取り出しただけなのだがなぁ……。

「私のオススメとしては、温泉巡りですね。温泉と言えば王都周辺ですが、各領地にも一箇所は必ず温泉地がありまして……」

 って、説明してもノートの中身に夢中で聞いていないな。
 ナシーは興奮で顔を上気させながらノートをめくっていく。

「これは、なかなか……。だ、駄目だ。覚えきれない! キリン、これ写させてもらっていいか!?」

「別に構いませんが……」

「よし、紙持ってくる!」

 ナシーはそう言って、慌ただしくパレスナ王妃の私室を退室していった。
 護衛の天使ヤラはそれを追わず、私室にあるテーブル席に座り、侍女のフランカさんが淹れたお茶を一人堪能していた。

「追わなくていいのですか?」

 そう天使ヤラに尋ねてみるのだが、天使ヤラは立ち上がることなく答えた。

「あの様子ですと、自分の部屋に戻っただけなので問題ないでしょう。それよりも、そのメモ、私も読ませてもらっていいですか? 上位存在が興味深そうにしていますので」

「上位存在って、天界の火の神ですか」

「そう言われている存在ですね。上位存在は人間の営みに興味を持っているのですよ」

 やれやれ、ずいぶんと俗っぽい神様だことで。
 天使ヤラにノートを渡すと、彼女はペラペラとノートをめくって、すぐにこちらに返してきた。

「ありがとうございました」

 そう礼を言ってくる。速読か。さすが、何百年も生きているだけあるな。

「戻ったぞ! さあ、キリン、写させてくれ!」

 ナシーが扉を開けて部屋に飛び込んでくる。

「ナシー殿下、王妃の部屋なのですから、ノックくらいはしてください」

「すまん! さあ、見せてくれ!」

 さすがに目に余ったので注意をしたのだが、ナシーは軽く謝るだけでまともに聞いてはいない。
 仕方なくナシーにノートを渡すと、ナシーはテーブル席に座ってノートの中身を紙束に写し始めた。

「しばらくこの部屋に居着きそうねー。貴女達はナシーを気にせず、持っていく物の選定を続けてちょうだい」

 そんなナシーを見て、パレスナ王妃がそのように侍女達へ指示を出した。

 その日から数日、ナシーはパレスナ王妃の部屋に通い詰め、ノートを写したり、私に国内の名所を尋ねてきたりした。
 そしてある日、突然ナシーは近衛騎士団第三隊の女性騎士達を引き連れ、国内旅行に出かけた。旅行を計画してからろくに日も経っていないのに、本当に急なことだった。

 国王は、塩の国への出発間際だというのにその対応に追われてんやわんや。
 パレスナ王妃に「旅行はいいけど、何もこの時期に行かなくても……」と愚痴をこぼしていたらしい。

 まあ、今まで王都に閉じ込めて不自由させていたようだし、妹のわがままを受け止めるのも兄の役目なのではないかな。
 私は、うきうき顔で旅立っていったナシーの土産話を今から楽しみにしておくのだった。



[35267] 90.令嬢と太后
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2020/02/21 00:02
 塩の国への出立も間近に迫った二月の後半。パレスナ王妃はかつて後宮にいた元王妃候補者達を集め、王城の植物園でお茶会を開いていた。
 一ヶ月ぶりとなる再会に皆は喜び、早速の歓談が始まった。

「それじゃあ、モルスナお姉様はお見合い婚でいいのね?」

 パレスナ王妃がお茶の入ったカップを手元に置きながら、叔母であるモルスナ嬢に向けて言った。
 現在、結婚相手はどうするかという話題となっている。
 そこで、モルスナ嬢がお見合いを進めていると話したのだ。

「そうね。顔がよくて、資産があって、優しくて、趣味のマンガに口出ししてこない人なら誰でもいいわ」

「それはー、十分高望みしているのではー……?」

 モルスナ嬢の挙げた条件に、思わずといった様子でツッコミを入れる菓子職人のトリール嬢。
 だが、モルスナ嬢は不敵に笑って言葉を返す。

「これでも公爵家の人間よ? 高望みせずにどうするのよ」

「それはまあ、そうですねー」

「でも、私の子が家を継ぐわけでもないから、家柄でなく人柄で選ばせてもらうわ」

 モルスナ嬢は王都で仕事を持っている法服貴族だ。公爵家である実家を出て、独り立ちしている。そして、どうやら伴侶に高い爵位は求めていないらしい。彼女の求めるいい男の条件に爵位は関係ないようだ。
 兄が公爵という立場にいるから、兄とは違うタイプを求めているのだろうか。

「それに、別に若さは求めてないわ。かなりの妥協じゃないかしら、これ」

 モルスナ嬢のその言葉に、確かにとうなずく一同。
 まあ、資産持ちと若さは両立しにくい要素だからな。若くして家を継いだ領地持ちとかならともかく。

「そういえば、キリンさんは元庭師でかなりの資産家だったわよね。庭師とかにいい男いない?」

 と、モルスナ嬢が私に話題を振ってくる。パレスナ王妃の後ろに控えている私は、モルスナ嬢に答えた。

「いますよ。庭師はエリート揃いですから競争率は高いですが、紹介できますよ」

「あら、言ってみるものねー」

 そうしてモルスナ嬢の話題は終了。話の矛先は他の面々に向いた。

「トリールはどうなの? 職場にいい人いないの?」

 パレスナ王妃がそうトリール嬢に尋ねる。
 話を振られたトリール嬢は、口にしていたお茶菓子を飲み込み、のんびりとした口調で答えた。

「職場の人は、そんな対象としては見られないですねー。不出来な弟子といった感じでー。唯一の上司の職人長は既婚者ですしー」

 どうやら司書長補佐のファミー嬢のように、王城で相手を見つけるとはいかないようだった。
 まあ、トリール嬢も元王妃候補者。後宮入りした人間は箔がついて引く手あまただというから、相手探しに困ることはないだろう。

 そんな話で盛り上がっている最中、近くに侍女を引き連れた集団が通りかかった。それにパレスナ王妃が気づく。

「あら、ユーナお母さんじゃない。メイヤ、ちょっと呼んできてくれる?」

「かしこまりました」

 パレスナ王妃に指示を受けた侍女のメイヤが、集団に近づいていく。
 そして、メイヤは集団を引き連れてこちらに戻ってくる。

「こんにちは、パレスナさん。お茶会でしたか」

「ええ、こんにちは! ユーナお母さんも少し休憩していかない?」

「いいですね。少し歩いて喉が渇いていたのです」

「よかった。キリン、椅子を用意してあげて」

 植物園の東屋に用意された座席には余りがない。椅子を遠くから運んでくる必要があるが、わざわざ私を呼んだということはそういうことではないだろう。

「では、失礼ですが魔法を使わせていただきます」

 私は空間収納魔法を使い、予備の椅子を空間の歪みの中から取り出した。
 お茶会の開催にあたり、予期せぬお客様がいらっしゃるかもしれないと、侍女のフランカさんに椅子と茶器の予備を入れておくよう指示されていたのだ。さすが侍女歴の長いフランカさん。予備が役に立った。

 私がパレスナ王妃の隣に席を作ると、侍女のサトトコがお茶を用意し始める。
 そして、トリール嬢が手ずからお茶菓子を取り分けた。

 お茶が入ったところで、パレスナ王妃が皆にお客様を紹介した。

「こちら、王太后のユーナ殿下よ。私の義理の母ね」

「皆様、よろしくお願いします」

「ユーナお母さん、今回は後宮入りした人達の集まりなの。紹介していくわね!」

 そうしてパレスナ王妃は、ハルエーナ王女、モルスナ嬢、ファミー嬢、ミミヤ嬢、トリール嬢と順番にメンバーを紹介していった。

「あわわ、王太后殿下……あわわ……」

 そんな中、思わぬVIPの登場にパニックを起こしている令嬢が一人。ファミー嬢である。

「何をそんなに慌てているの、ファミーさん。ほら、お茶を飲んで落ち着いて」

 モルスナ嬢に背中をさすられ、深呼吸をするファミー嬢。

「だ、だって、王太后殿下ですよ……そのような尊いお方にお目にかかるだなんて……」

「ふふ、なにそれ。それを言ったら、パレスナだって王妃様じゃない」

「あ、そ、そうですね……」

 モルスナ嬢の言葉にファミー嬢の身体の震えが止まり、ファミー嬢は大きく息を吐いた。

「うふふ、突然の来訪に驚かせてしまったようですね」

 そんな二人の様子を王太后は微笑みながら見つめていた。

「ところで、突然割り込んでしまったけれど、皆様はどんなお話をしていたのでしょう」

 王太后の言葉に、パレスナ王妃がすぐさま答える。

「将来の旦那様の話ね! 私以外、みんな結婚していないから、どんな相手がいいのかって話」

「ああ、確かに皆様は後宮を出てそんなに時間が経っていませんでしたね。ということは、これからお相手探しかしら」

「そうねー。お見合い婚で済ませようとしている人や、職場恋愛は嫌だって人とかね!」

「あらあら、大変ですね」

 パレスナ王妃と王太后は、二人でそんな言葉を交わす。

「まだ話を聞いていないのはー、次はミミヤね」

 パレスナ王妃のその台詞に、周囲の視線がミミヤ嬢へと集まる。
 彼女は王妃の行儀指南役に就いている名家の娘だ。普段パレスナ王妃と顔を合わせてはいるが、浮いた話は聞いたことがない。

「私ですか。そうですわね。実家と協議しながらお相手を探しておりますわ」

「うーん、ミミヤみたいな古い名家だと、自分で相手を見つけてくるというわけではなさそうね」

「そうですわね。ですが、愛は育むもの。恋から関係が始まらなくても、きっと愛し合えるはずですわ」

「そうなるといいわね」

 そんな会話がミミヤ嬢とパレスナ嬢の間でされる。
 若いお嬢さんにしては、達観した恋愛観だ。ああいや、ミミヤ嬢は令嬢達の中でも最年長の二十歳か。こういう意見が出てきてもおかしくはないな。

「で、実際のところはどのような方が好みなのですか?」

 と、そんなことをずばりと聞いたのは王太后だった。初対面だというのに攻めるなぁ。

「ええと、そうですわね……。ダンスが得意で、楽器が使えて……あとは、私の知らない世界を見せてくれる人でしょうか?」

「知らない世界、ですか」

「はい。上手く説明できないのですけれど……」

 ああ、解る。ミミヤ嬢はあれでいてかなりの新しもの好きだからな。未知を体験させてくれる型破りな人物を期待しているのだろう。
 そんな私の解釈に似たようなことを、令嬢達がああでもない、こうでもないと語り合う。
 話題の中心になったミミヤ嬢は少し恥ずかしそうだ。

「ハルエーナはどうかしら。まだ十二歳だからそういう話は出てきていないかしら」

 そして、次の話題は塩の国の王女、ハルエーナに移る。

「私は多分、この国で相手を探す」

「ああ、両国の友好のためとかそういうのかしら」

「そう」

「いい人が見つかるといいわねー」

「うん、いい男を絶対に捕まえる」

 ハルエーナ王女が燃えている。
 うーん、肉食。魔法使いがやってくるのを待つだけのシンデレラは、この場には誰もいないのだなと実感する。

「参考に、王太后の話を聞きたい」

 と、そんなことをハルエーナ王女が言った。

「私ですか」

「うん。先王との馴れ初めを。王族なら、恋愛婚のはず」

「そうですねぇ。あれはもうだいぶ昔のことですね」

 王太后が話題を振られて嬉しそうな表情を浮かべ、話を始めた。

「ナギー……ああ、先王陛下のことです。ナギーとは、練兵場で出会ったのです」

「練兵場」

 思わぬ場所に、パレスナ王妃がオウム返しで呟いた。

「実は私、王妃になる前は近衛騎士だったのです」

「ええっ!」

 周囲から驚きの声があがる。驚いていないのは、王太后付きの侍女達だけだ。

「練兵場で各師団合同の訓練が行なわれていまして、そこに当時王太子だったナギーが木剣を携えてやってきて、この中で一番強いのは誰だ! と私達に挑んできました」

 なんだ、その超展開は……本当に王太后の馴れ初めなのか。

「そこで選ばれたのは、当時無敗だった私なのです」

 うわあ、びっくりだよ。今の王国最強の人間は国王と言われているが、奴が強いのは血筋もあったのか。

「ナギーと模擬戦をしまして、私が勝ちました。ですが、その日からナギーがことあるごとに勝負を挑んでくるようになったのです」

「なるほど、そこで愛が育まれたのですね」

 興味深そうなミミヤ嬢の言葉に、「いいえ」と王太后は首を振った。

「あくまで剣を交わすだけの他人同士でした。ですが、ある日、ナギーがこう言ったのです。『後宮を開くが、数合わせに入ってくれないか』と」

「それって、プロポーズでは?」

 王妹のナシーが近衛騎士のオルトに後宮に入ってと告白したのは記憶に新しい。
 だが、ミミヤ嬢の問いに、また王太后は否定の言葉を返す。

「いえ、本当に数合わせだったのですよ。当時、ナギーには好いている人がいなくて、当時の国王陛下からせつかれて後宮を開くことになり、慌てて王妃候補者を探していたのです」

「なるほど。最初からパレスナに相手が決まっていた私達とは、事情が違ったのですね」

 モルスナ嬢の言葉に、王太后は「ええ」と答え、さらに続けた。

「ですが、当時の私は剣一筋で生きていたがさつな騎士。後宮に入ったのはいいものの、ドレスを着て他のご令嬢と交流を深めるという生活に、戸惑うばかりでした」

「今のユーナお母さんからは想像もできない姿ねー」

 たしかに、王太后は完璧な元王妃という感じの人だ。いつも優雅にドレスを着込んで、頻繁に植物園の薔薇を見て過ごしており、剣を振るっている姿など見たこともない。

「困り果てる私を助けてくれたのが、ナギーでした。自分が後宮に入れたのだから、最大限世話をすると。その姿に、私はいつの間にか恋に落ちていました」

「ナギーお父さんもやるわね!」

 パレスナ王妃が楽しそうに合いの手を入れた。

「そこからは、私が攻めに攻めました。偶然の両思いなどという都合のいい事態は、そうそう起きません。ですが、人は誰かに好きになってもらうと、自分も相手を好ましく思うという助言を母からいただき、アプローチを続けました。その結果、私は今こうして王太后という立場にいます」

 そう王太后が話を締めると、「わあっ」と令嬢達が盛り上がった。

「よく解りますわ。相手に好きになってもらえると、こちらも相手を好きになるのです……!」

 そんなことを言うのは、ファミー嬢だ。それに反応したのは、パレスナ王妃だ。

「さすが、恋人持ちは言うことが違うわねー。ファミー、あれから恋人とはどうなったの?」

 ファミー嬢は王城図書館で司書長補佐という役職についている。
 王城図書館には資料を探しに王城で働く法服貴族達がよく訪ねてくるらしいのだが、そんな利用者の一人である書記官と付き合っているという話をしたのが先月のことだ。
 周囲の視線が、ファミー嬢に集まる。みんな興味津々だ。

「ええと、順調にお付き合いは続いておりまして、先日、結婚しないかとプロポーズをいただきました」

「まあ!」

 またもや盛り上がる令嬢達。うーん、女の子って本当に恋バナが好きだな。

「もちろん返事はしたわよね?」

 パレスナ王妃の問いに、「はい」と答えるファミー嬢。

「で、親御さんにはちゃんと報告したの?」

 さらにパレスナ嬢が聞くが、「いいえ」と答えが返ってきた。

「彼が、自分から両親に挨拶しにいきたいと……」

 きゃー、とさらに沸き立つ女性陣。

「ですが、わたくし、仕事に就いたばかりからか、なかなかまとまった休みが取れなくて……」

 と、そのファミー嬢の言葉でやや盛り下がる一同。
 そこで王太后がファミー嬢に問いかけた。

「貴女、西のホドラント領の子ですよね?」

「あ、はい。ホドラント領のハレー家です。兄が領主をやっておりますわ」

「ご両親も領主の館に?」

「はい、兄と同居しております」

「それはちょうどよかった。パレスナさん、塩の国への道中、ホドラント領を通るでしょう。案内をしてもらうという建前で、彼女をそこまで連れていきなさいな。ついでに、その彼もノジーに手を回してもらって、休みを取ってもらいましょう」

 ノジーとは、国王の愛称だ。国王権限なら、そりゃあ休みも取れるな。

「素敵なアイデアね! ファミー、そうしましょうか」

「は、はい。ありがとうございます……!」

 そういうわけで、私達の旅に二名、同行者が混ざることとなった。
 そしてその後も歓談は続き、好みの男性のタイプはどんなのかという話になった。
 話の矛先は周囲に立つ侍女達にも飛び、やがて私に話題が振られた。モルスナ嬢が喜々として尋ねてくる。

「キリンさんはどういう人が好きなの?」

「私は元男ですので、男性は好みではありません」

「あら、そういえばそうだったわね。うっかり忘れていたわ。じゃあ、女の子が好きなの?」

「そういうわけでもないですね。なにぶん、思春期になる前に肉体の成長が止まっていますので」

「そう。なら、ずっと独り身?」

「ええ、そうなりそうですね」

 私がそう答えると、モルスナ嬢は残念そうな顔をした。
 そこに、パレスナ王妃が割り込んで言った。

「うんうん、十年後も二十年後も私の侍女をよろしくね!」

 彼女の侍女を続けることをまたもや念押しされる私であった。
 そんなに主張しなくても、老後を迎えるまではパレスナ嬢についていくので、安心してほしい。

 そうしてお茶会の席は恋の話題一色で染まり、歓談はしばらくの間続いたのであった。



[35267] 91.牧者と視察
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2020/10/28 21:58
 とうとう塩の国へ出発する日が来た。
 前日までに馬車への荷物の詰め込みは終わっているため、侍女一同は特に慌ただしく動くこともなく出発の用意をしていた。

 今回の外遊に同行する侍女は、私、メイヤ、フランカさん、ビアンカの四人だ。ビアンカは本来ついてくるはずはなかったのだが、経験を積ませるためにと、首席侍女の立場であるフランカさんが特別に許可を出した。
 人手が増えるのは助かる。惑星旅行の時も、侍女二人だけだと結構大変だったし。
 あと、ついでにキリンゼラーの使い魔もついてくる。常に私が抱えている必要があるな。

 そういうわけで出立である。
 各々馬車に乗り込み、出発の時間を待つ。パレスナ王妃が乗る国王専用車は、惑星旅行の時にも使った魔法動力で動く自動車である。
 今はその自動車の前に立ち、ハルエーナ王女の見送りを受けている。

「先に行っているから」

「私達が先に出るのに、ハルエーナが先に着くのは何か変な感じねー」

 ハルエーナ王女の言葉を受けて、パレスナ王妃がそんなことを言った。

 アルイブキラ一行は、自動車と馬車で塩の国まで向かう。一方、ハルエーナ王女は地下の世界樹トレインで塩の国まで戻る。
 これはアルイブキラの人達が世界樹トレインを使えないというわけではない。
 塩の国行きのついでに、経路上にある町村の視察をしてしまおうという国王の目論見によるものである。こういう機会でもないとゆっくり国内を見て回れないと国王は言っていた。

「お待たせー」

 と、その国王が秘書官を引き連れてやってきた。

「おっ、ハルエーナ殿下はお見送りかい?」

「はい」

「わざわざありがとねー」

 そう言って国王はハルエーナ王女と雑談を交わし始めた。仮にも相手は一国の王女だ。扱いはおざなりにできない。
 そして、話をすることしばし。近衛騎士のオルトがこちらにやってきた。
 オルトは国王の前で騎士の礼を取り、口を開く。

「陛下、そろそろ出発です」

「了解。じゃ、ハルエーナ王女、向こうではよろしく」

「ん、では先に向かっている」

 そう言ってハルエーナ王女は魔法宮に向けて、家臣とネコールナコール人型バージョンを引き連れ去っていった。

「総員そろっているかな?」

 国王がオルトにそう確認を取ると、オルトは「揃っています」と答え、国王は満足して魔動自動車の扉を開いた。
 そしてパレスナ王妃をエスコートし、国王自身も乗り込む。私も遅れて乗り込み、それに侍女のメイヤも続く。さらにキリンゼラーの使い魔がぴょんと飛び跳ねて乗ってきた。

 さらに運転席へ秘書官が乗り込み、最後にオルトが乗り込んで国王専用車のメンバーはこれで全員だ。

「噂のファミー君と書記官くんもちゃんといた?」

「はい。二人で同じ馬車に乗せています」

「ん、抜かりないね。いやー、ハレー侯爵家の反応が楽しみだね」

 ハレーとはファミー嬢の家名だ。国王、ファミー嬢の恋愛模様を完全に楽しんでいるな。
 ちなみに今回も私は国王夫妻の会話役としてここに乗り込んでいる。メイヤも同様だ。自動車に同乗する侍女は、日によって人を変えるらしい。ただし私は固定。いくら私でも移動中ずっと話題を提供していたら、ネタが尽きると思うんだがなぁ。

 国王専用車の中で待っていると、出発を知らせる笛の音が聞こえ、前方の馬車から移動し始める。やがて、国王専用車も動き始める。魔法で動く自動車なので、エンジン音の類はしない静かなものだ。

「これが魔法の馬車ですか。興味深いですわね」

 メイヤが口を開いてそんなことを言った。彼女は魔法貴族の家の出なので、魔法道具であるこの自動車が気になるのだろう。
 そのメイヤの言葉に応えたのは、運転席の秘書官だ。

「魔法宮の魔法技術の集大成ですよ。魔力が蓄積されており、自然の魔力と乗組員の魔力を吸収して、より長い時間走行できます」

「蓄えた魔力で物を動かすのは珍しくもないですが、メッポーなしで馬車を動かすという発想が面白いですわ」

 メッポーとはこの世界における馬のような動物のことだ。
 そんな秘書官とメイヤの会話に、国王も乗ってくる。

「動物に引かせることなく動く乗り物っていうのは、『幹』では珍しくないんだけどね。でも、参考にしたのはキリリンの前世の乗り物かな。『ジドウシャ』とかいう乗り物」

「散々、自動車の仕組みを聞かれましたからね……」

 私は当時を思い出してうんざりした表情を浮かべた。自分専用車両を作るのだと、王太子時代の国王に自動車の構造を徹底的に説明させられたのだ。おかげで、この国王専用車の乗り心地はすこぶるよい。
 この技術を民間に流したら、絶対に道具協会が黙っていない、そんな代物だ。

 しばらく私達は車についての話をして、その間にも国王専用車は前に進んでいく。
 王都を西へ。一枚の葉の大陸であるアルイブキラから出国するための出口が西側にあるので、素直にその方角へと向かっているようだ。

 王都の西門を出ると、そこには綿が採れる植物の広大な畑が広がっていた。

「うん、順調に育っているね」

 車のガラス窓から外の畑を見て、国王が満足そうに言う。

 この綿の植物は王都周辺の特産品だ。
 特に誰も聞いていないのに、国王が説明を始めた。

 なんでも、この植物は土中の栄養分をさほど気にする必要はない代わりに、水が大量に必要らしい。なので、温泉が湧いて水が豊富な王都周辺が生育に適しているとのこと。王都の綿植物畑は、王国の衣類を支えている一大生産地らしい。

 そんな綿植物を育てている農家の前で一行は停止する。視察をするらしい。私はパレスナ王妃と一緒に国王専用車を降り、視察する様子を王妃の後ろから見守った。
 視察は無事に終わり、そしてまた国王専用車に乗り込み、出発する。西へ西へと進んでいく。
 道中、岩山が見えてくる。

「石切場だねー」

 その岩山を見て、国王が口を開いた。

「王都の家は石材で作っているから、ここの石を運んでいるんだ。ご先祖様が王都の近くで石を採れるよう岩山を生やしたらしいよ」

 岩山を生やす。世界樹の世界ならば、そのような偉業も可能だ。世界樹の実りとして、地面の下にある世界樹の枝葉から土や岩を生やしてもらうことが王族にはできるのだ。

 その岩山の石切場でも、国王達は視察に降りた。
 国王の来訪に、現場の者達は恐縮しきりだった。

 そしてその後も国王は各所で視察を繰り返して、その日のうちは王都周辺の王家直轄領を出ることがなかった。

 その日の宿として、王都近辺の牧草地で牧場を経営している牧者の家へと泊まることとなった。
 牧者の家は、前世の地球で見た遊牧民のテント、ゲルのような家だった。放牧されている家畜は牛を一回り大きくした子象ほどのサイズがある巨獣だ。その外観は前世の動物で言うとサイに近いだろうか。
 哺乳類の草食動物であるその巨獣は牧草をかなりの勢いで食べるため、牧草を食べ尽くすごとに牧草地を転々とする必要がある。そのため、牧者の家は移動しやすい形状をしている。
 この周辺は牧場と呼ばれているが、牧草地の範囲は広大だ。そんな牧草地に放されている巨獣が、王都の食を支えている。王都の民は肉ばっかり食べているからな。

 牧者の家に歓迎されたのは、国王夫妻と侍女の私と近衛騎士のオルトの四人だけだ。そう広い家ではないため、人数を絞ってある。他の同行者達は、全員外でテントを張って今日は就寝である。あとついでに使い魔もついてきた。

「いやあ、国王王妃両陛下が我が家にいらっしゃるとは、これはとてもめでたい!」

 筋肉ムキムキの牧者代表が、そういって私達を歓迎した。
 牧者とは、魔物や野生の獣から家畜を守る戦士だ。筋肉を身にまとっていても何もおかしくない。

「今日は特製のお酒を出しちゃうわ!」

 線の細い牧者代表の妻が笑顔で言う。彼女もまた牧者の一人である。
 牧者は戦士であるが、家畜である巨獣を屠殺できる魔法使いでもある。
 戦士で魔法使い。牧者という職業がいかに過酷なのかがよく解る。

「おっ! 酒かー。嬉しいね。よし、キリリン、あれを出して」

「はい」

 国王に呼ばれたので、私は携えていた大きめのカゴを牧者の前に差し出した。
 カゴに被せてあったフタを取ると、中に入っていたのはパンだ。

「おお、パンですか。これは嬉しいですなあ!」

 パンといっても、この国のパンは平べったいナンのようなパンだ。それを牧者は笑顔で受け取った。
 牧者は普段このパンを食べられない。ただし、法で規制されているとか、そういう慣習があるとかではない。
 牧者の家は移動式なので、パンを焼ける大きなかまどがないのだ。
 彼らは普段、インドのチャパティのようなクレープ状のパンを鉄板で焼いて食べている。

 牧者にとっては、この平べったくて大きなパンはごちそうなのだ。平べったいがしっかり発酵しているからな。柔らかいのだ。
 なお、パンとは別に牧者一家には、王国から宿泊料が支払われている。

「これは歓迎の料理により一層手をかけませんとな!」

 そうして日も落ち始めた時刻、牧者一家による歓迎の料理が円形の食卓に並べられた。
 聖句を唱え、私達は料理を食べ始めた。

 夕食のメインは新鮮な臓物(モツ)の料理だ。臓物の足が早いのはこの世界でも変わらない事実で、美味しく臓物を食べられるのは畜肉生産者である牧者の特権と言えた。

 それを国王、パレスナ王妃、オルト、私、使い魔の四人と一匹で遠慮なく食べていく。臓物を前に躊躇するような人間はこの場にいない。
 国王とオルトは野外料理で狩った獣肉を食べるのに慣れているし、パレスナ王妃も領主の娘なので潰したばかりの家畜を食べることに馴染みがあるのだろう。
 キリンゼラーの使い魔は、まあ大元がドラゴンだから臓物くらい食うだろう。完全に偏見だが、惑星でも混沌の獣をそのままむさぼり食っていたからな。

「はっはっは、いい食べっぷりですな! では、こちらの乳酒もどうぞ」

「どうもどうも。普段飲めないから、結構楽しみにしていたんだよ」

 牧者に酒を注がれ、嬉しそうに言葉を返す国王。巨獣のミルクはこの牧場の名産で、毎朝絞りたてが王都に運ばれている。
 だが、王都ではミルクを酒にするという文化は無い。牧者の間でのみ、その技法は伝わっていた。

 続いて王妃とオルト、私も酒を注いでもらい、皆で乾杯をした。
 酸味のある味。わずかに発泡している。うーん、情緒のある味だ。酒場や宿舎で飲む酒とは全然違うな。この広いテントの下で、牧者と一緒に飲むというシチュエーションがとても合っている。

 私達は料理に酒にと舌鼓を打った。

「むっ!」

 だが、そんな楽しい一時を邪魔するように横槍が入った。近くに魔物の発生が知覚できたのだ。
 魔物が新たに生まれる感覚は、久しぶりに味わった。人の住む領域には魔物が自然発生しないように魔法結界が張られているから、王城に住んでいるとそれを感じないのだ。だが、広い牧草地帯を移動する牧者達の魔物を防ぐ結界は、住居周辺にしか張られていない。

 魔物の発生にオルトも気づき、雰囲気が変わる。そして、牧者もそれに気づいたのであろう、酒杯を置いておもむろに立ち上がる。

「ちょいと剣を失礼しますよ」

 牧者はそう言って、部屋の隅に置かれた棚の奥から鞘に入った剣を取り出す。

「では、魔物をちょいと仕留めてきます」

 その言葉と共に、牧者は奥さんを引き連れテントから出ていった。
 一連の様子を眺めていた国王は、酒を口にしながら私に向けて言う。

「キリリン、行かなくていいの? 魔物は庭師の獲物でしょ?」

「大丈夫でしょう。あの剣には、魔物を浄化する強力な魔法がかけられていました。私が行く必要はないですよ」

 発生した魔物もそれほど強そうじゃないし。牧者も酒が入っているが、そう後れを取ることはないだろう。
 私はそう一人で納得して、モツ肉を一口食べ、酒を飲み込んだ。うーん、美味しい。

「まあ、専門家のキリリンが言うならそれでいいか。それなら、彼が帰ってくるまで何か面白い話をしてよ」

「では、オルト様がナシー殿下からアプローチを受けている話を」

「なっ!? 姫!?」

 私の言葉に、オルトが焦ったように声を上げた。

「おっ、その話しちゃう? いやー、妹にもようやく良い縁ができたね」

「手紙で後宮に入ってくれと告白したらしいわね」

 ニヤニヤ笑う国王と、話に乗ってくる王妃の二人。
 オルトは困ったような顔をするが、容赦なく二人は話を続けた。
 そして、二人はオルトからナシーとの甘酸っぱいエピソードを引き出し始めた。「妹君は私では釣り合いません」などと表面上口にしているが、オルトも満更ではない感じだ。ナシー、脈ありじゃないか。

「おや、盛り上がっているようですな」

 牧者と奥さんが戻ってくるが、話は止まらず酒がさらに入り場は盛り上がっていく。
 結局その日は夜遅くまで酒宴は続いたのであった。



◆◇◆◇◆



 明くる日。昨日は遅くまで起きていたというのに、牧者達は朝早くから仕事のために動き出していた。
 私とオルトは牧者の立てる物音で目が覚め、そのまま国王とパレスナ王妃を起こす。私達も出立は早いのだ。
 朝のパレスナ王妃の支度をメイヤとフランカさん、ビアンカの四人で一斉に済ませ、私達は牧者の家の外に出た。

「おはようございます」

「おお、おはようございます」

 私は牧者と挨拶を交わす。家の外では牧者の一家が巨獣を集め、朝の餌やりをやっていた。
 巨獣は放っておいても牧草を食べるが、王都周辺の牧場ではそれだけで済ませず飼料を与えて肥え太らせる。

「二日に一度の仕事でしてな。これを食わせると乳の出もよいのです」

 飼料の雑穀を私達に見せながら、牧者が言う。なんともまあ贅沢な話である。農業大国のこの国だからこそできることだな。それで美味しい肉が王都で食べられるなら何も文句はないけど。

「さ、朝食にしましょう。今日も肉ですぞ」

 朝から肉かぁ。元日本男児としては未だに不思議な感覚だが、移動中は身体が資本だ。がっつり栄養を取らねば。

 鉄板焼き肉と昨日の残りのパンを食べて、私達は出立の準備にかかる。
 牧者の家の周りに展開していた臨時のテントは全て片づけられ、馬車に積み込まれる。

「じゃあ、これからも王都の食を頼むよ」

 国王が牧者に向けて言い、牧者はうやうやしく礼をしてそれに応えた。

「はい、お任せください」

 その言葉に国王は満足そうにうなずくと、国王専用車に乗り込む。
 私達もそれを追って車に乗っていく。今日のお伴の侍女は、国王付きの侍女だ。侍女宿舎で馴染みの子なので、知らない仲ではない。

「ふう、国王らしい態度を取るのも疲れるね」

 車内でだらけた国王が、そんなことを言った。
 国王らしい態度……? いつもと同じにしか見えなかったが。

「いつもと変わってないでしょ」

 と、パレスナ王妃も同じことを思ったのかそうツッコミを入れた。

「いやー、パレスナの前ではいつも格好つけているのさ」

「なにそれ。そんなのいらないわよー」

 国王夫妻がイチャイチャし出したので、私はキリンゼラーの使い魔の毛並みを堪能して時間を潰す。隣の侍女がうらやましそうな目で見てきたので、途中で使い魔を渡してあげた。

「さ、出発です。今日も視察ですよ」

 運転手の秘書官がそう言って、国王専用車を前に進めた。
 昨夜は楽しい一時だったが、こういう出会いがまた待っているのだろうか。私は庭師時代の旅路を思い出して、少し気分を高揚させるのであった。



[35267] 92.農村と秘密
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2021/09/10 02:41
 国王を連れた行列が、綺麗に整備された街道を真っ直ぐに進んでいく。

 魔法の力で進む国王専用車の周囲では、仰々しくメッポーに騎乗した騎士が守りを固めている。
 車の窓から見える騎士の姿は、いたって真面目なもの。車のフロントガラスからは、騎士が騎乗するメッポーが速度を揃えて進んでいるのが見える。騎士の騎乗姿は、旅の疲れを表に見せない立派な姿勢だ。さすがは国王の率いる行進である。

 都市部からは離れた街道だが、王国最強の近衛騎士団に喧嘩を売るような山賊はいないはずだ。騎士達にかかれば、百人を超えた山賊集団でも軽く打ちのめすだろう。
 ちなみに、この国における山賊というやつは、大抵が鋼鉄の国から流入した流民だったり破壊工作員だったりするらしい。ゆえに、鋼鉄の国が塩の国に併合され領土内が安定してしまえば、隣国であるアルイブキラは山賊の類が減っていくだろうと想定される。
 と、そんなことを国王が車内でぺらぺらとしゃべっていた。

 私は国王の話を聞きながら、窓の外を眺めた。国王専用車はガラス窓が側面に備え付けてあるが、車内に涼しい風を吹き込ませるために私の座る席側の窓だけは開けられていた。賊によって車外から矢が射かけられたら危険極まりないが、開いた窓から国王には射線は通っていない。
 エアコン機能がこの車に備え付けられていたら窓を開ける必要も無いのだが、この世界の表層の住民にそこまでハイテクを求めるのも酷だろう。

「今日は、次の村で宿泊だったわね」

 国王の話が途切れた後、パレスナ王妃がそのようなことを国王に尋ねた。国王も、それに「ああ」と頷き、二人で窓の外を眺めた。
 空に浮かぶ人工太陽の光は、天辺の位置からはやや西側に傾いている。人工太陽は魔法で作られた照明だが、本物の太陽と同じように時間経過でその位置を変える。
 夕刻まではまだまだ時間はあるが、これから行くのは王都のような街灯など存在しない地方の農村だ。人工太陽が沈んだら就寝の時間である。
 農民は富裕層なので、明かりを灯すための油代が出せないほどではないし、光の魔法を習得するだけの教養もあるだろう。

 それでも、スイッチ一つで蛍光灯が灯るという前世ほどの利便性はないため、日が沈みきったら活動の時間は終わりである。
 その代わり朝は日の出とともに活動を開始する。
 これは、農民に限ったわけではなくこの王国の民全体でも言えること。王都だって、魔法の街灯はあるが夜出歩くのは遊び人くらいだ。つまりはそう、今の私は前世とは比べものにならないほど早寝早起きということだな。

「お、畑が見えてきたねー」

「そうね。何を育てているのかしらね」

「向日葵麦だね」

 窓の外を見ながら、国王とパレスナ王妃が会話をしている。
 向日葵麦はこの国における主要穀物で、前世における麦のような性質を持ち、粉にすればパンの材料になる。

 車は進み、向日葵麦畑が近づいてくる。それにつれて、本日のお話し相手を担当している、侍女メイヤの顔つきが悪くなっていった。
 うっすらと堆肥の臭いがしてきたからだ。
 だが、パレスナ王妃や国王は臭いを気にした様子は見せない。国王は農村の視察など慣れたものだし、パレスナ王妃は領主の娘なので農村にも訪れたことは何度もあるだろう。一方、メイヤは魔法使い系の貴族の出。都会っ子なのだ。

「それにしても、野宿があると思っていたけれど、意外とそんな機会はないのね」

 窓の外から目を離さず、パレスナ王妃が言った。

「そうだねー。この街道は西に向かって流れる大河に沿って作られているんだけど、川の近くというのは農業用水が確保できるってことだから、自然と農村が集中して作られることになるわけだね」

 さすが国王は地理に強いのか、そうパレスナ王妃に向けて解説した。

「私が思うに、この国は川沿いに関わらず村と村の間の距離が短い気がしますね」

 そう私は国王とパレスナ王妃の会話に乗った。

 この国は、前世の日本ほど人口密度は高くない。当然だ。だがそれでも、この世界に限って言えば、この国は人口密度が高めだ。きっと、豊富な食料資源による恩恵だろう。
 そして、国王の言うとおり、川の側には農村が並んでいる。この国では大雨による増水という現象が、農閑期である雨期以外に存在しないので、川の水は全て農業用水として安全に利用できるのだ。

 そんなことを念頭に置きながら、私は続けて言う。

「そういえば、大河の傍には農村がある一方、町の多くは大河から離れた場所にありますよね。水の傍は農地優先だからですかね?」

「そうだねー」

 国王が肯定の相づちを返す。

 大人口を抱える町のそばに大きな川がないと、飲料水や生活用水の確保に難儀しそうなものである。
 だが、そこは惑星とは違う世界樹の上。町の飲料水は、王族が国土調整して地面から水を湧かせて、それを町中に用水路として引いている。ちなみに地方の町のトイレは汲み取り式だ。汲み取った物は、魔法で処理されて肥料となる。人糞肥料に付きものの寄生虫の類も、高度な魔法で全て死滅するらしい。

「町と言えば、この国の都市部ではおおよそどこでも公衆浴場があるのが他の国との違いですね」

 私がそう言うと、パレスナ王妃は目をまたたかせた。

「あら、そうなの?」

「ええ、風呂の文化が存在しない国も多いですよ」

 地方の町では王都周辺のように天然温泉があるとまではいかない。それでも、町民は数日に一度は公衆浴場に通うようだ。
 おかげで町は清潔に保たれ、疫病の類も発生しにくい。そのおかげで、この国の平均寿命は七十歳弱と、制限された文明レベルにしてはなかなかに高い。というか『幹』側としては総人口を抑える必要があるのに、この国は平均寿命が高すぎる。

 なお、公衆浴場があるので、大きな町の周囲では薪を確保するための林業が盛んだ。木を植え、育て、切る。管理された林業である。

「植物が育ちやすいこの国では木材が豊富で、短い冬も燃料には事欠かないのも、この国が豊かといえる一つの要素ですね」

「ありがたいことだよね。でもね、キリリン。最近農村部では冬場の燃料が不足しているんだよねー」

 国王の言葉に、私の顔は引きつった。

「どういうことかしら?」

「どういうことなんだろうね。キリリン、説明してみて?」

 ニヤニヤ笑う国王が、私の発言をうながしてくる。

「……農村では、冬に木材で暖を取るのはイケてない扱いのようなんですね。自分達で育てた向日葵麦の麦わらを炭にして、それで暖まるのが農民の風流な生き方なんだそうです。でも、麦わらは近年不足気味でして……」

 向日葵麦の麦わらは、麦わらと言うかぶっとい茎だ。木の小枝ほど太い。麦から連想して私が勝手に日本語訳で、麦わらと呼んでいるだけである。

「言われてみれば、農村の囲炉裏の炭火って、向日葵麦の麦わらだった気がするわね。でも、なんでわざわざ薪を使わずそんなことを?」

 パレスナ王妃が不思議そうな顔をして尋ねてくる。

「そこはまあ、そういう流行だとしか……」

 いや本当、そうだとしか解らない。どうなっているんだ。
 その答えを知っていたのは、国王であった。

「あー、農民の人達はエリート意識が強くてね? 安い木材で冬を越えるというのが、我慢ならない種族ってわけ」

「安い代替品があるのに、流行だとか風流だとかで冬の寒さを我慢するのは、ちょっと理解できませんわね」

 シティガールのメイヤがあきれた風にそう言った。
 でもメイヤさん。流行とか気にするのは、貴女の在住している王都こそ激しいと思う所存ですよ?

「しかし、なんで向日葵麦の麦わらが不足しているのかしら? 向日葵麦が不作だなんて、聞いたことないわよ?」

「そこなんだよねー。まあ、大体キリリンのせい。全部キリン・セト・ウィーワチッタって奴が悪いんだ」

 パレスナ王妃の疑問の声を受けて、国王が突然私を口撃し始める。
 国王の言葉に、パレスナ王妃とメイヤはまたもや疑問符を頭に浮かべた。

「ほらほら、キリリン白状しなよ。自分の悪行を」

 くっ、こいつめ。

「はあ……実は上質紙って、向日葵麦の麦わらが原料なんですよね」

 私はそう言葉を放つが、まだ二人はピンとこないようだ。

「私は前世の知識からくる様々な商品アイデアをティニク商会に流しているんですが……カードや漫画や推理小説がこの国で当たってしまいまして」

 ティニク商会が上質紙を使う事業を推し進めた結果、上質紙の材料に向日葵麦の麦わらを使うせいで、冬の農村では麦わら炭が不足して困ったことになったわけだ。
 このことは以前にも国王直々に苦言を言われた。

「娯楽で燃料不足になるのも、風流で冬の寒さを我慢するのも、どっちもお馬鹿だね」

 じっと私の腕の中で黙っていたキリンゼラーが、そんな感じに解りやすく人間の愚かさを語ってくれましたとさ。



◆◇◆◇◆



 その後一行は無事に村に到着し、私達は車から降りた。
 村は野獣や魔物の侵入を守るための塀が村をぐるりと囲み、その塀の外側に畑が広がっている形だ。
 車の停車位置は、村の中央の広場。その広場の中心には、世界樹教の施設が建てられている。あちこちの村々でよく見る木造建築の教会である。

「ようこそおいでくださいました!」

 村の顔役達だろうか、幾人かの男達が複数名広場に並んで国王を迎え入れていた。

「うん、ご苦労。今晩は世話になるよ」

 そう国王が彼らに言葉をかけると、村人達はうやうやしく平民の礼を返した。
 そして、男達の中から年かさの男が一名、前に出てきた。

「今夜は歓迎の宴を開かせていただきます。わたくし、この村の粉挽きをしております。なんなりとお申し付けください」

 そうして私達は村の集会場に案内され、宴の用意が始められた。
 国王とパレスナ王妃が座る席から少し離れて、侍女の席に私は座る。すると、横に座ったメイヤが少し興奮したように話しかけてきた。

「キリンさんキリンさん、粉挽き! 粉挽きですって!」

「うん? 粉挽きがどうかしたかい」

「村長ではなく粉挽きが陛下の案内役になるとは、本当に『ミニーヤ村の恋愛事情』で読んだ通り、粉挽きはあれなんですね!」

「ああ、あれね。代官」

「そう、代官ですわ!」

 粉挽きとは、水車を使って向日葵麦を麦粉にする職人のことだ。
 その粉挽きだが、この国の農村部では代官が就く役職なのだ。

 代官は村人達から税の他にも、水車の使用料を徴収する。水車はある種の精密機械ともいえるため、高価であり領主の持ち物なのだ。
 なので、水車を村人達が勝手に使わないよう、代官は粉挽きを兼任するのだ。
 ちなみに風車は存在しない。世界樹の上は風が弱いからな。

「それでそれで、粉挽きは杜氏でもあるのですよね!?」

「そうだね。向日葵麦で酒を造っているね」

「はああ、本で読んだとおりですわー」

 嬉しそうにメイヤがキャッキャとはしゃぐ。

 代官は税と水車利用料を村から吸い上げる。そしてその資金で村から作物を買い取り、酒造を行なう。
 結果、本来なら税を搾り取っていくため険悪な仲になるはずの代官と農民だが、酒の力と作物購入のお得意様という関係上、仲はそこまで悪くならないのだとか。

「本では、粉挽きに酒造にと仕事が多いので、代官は大所帯と書いてありました。ここの代官はどうなのでしょう」

「この村はホドラント領ですから、ファミー様に聞けば知っているかもしれないね」

 はしゃぐメイヤに、私はそう応えた。
 代官は税を取り立てる役人だから、領主の家の分家だとか、もしくは後を継げない三男四男の血筋だとかが任されたりするようだ。

「はあ、本の中の世界がこうして広がっているのは、ちょっと素敵ですね」

「ずいぶんと気に入っているようだね、『ミニーヤ村の恋愛事情』」

『ミニーヤ村の恋愛事情』とは、王妹のナシーが書いた恋愛小説だ。メイヤは確か、カヤ嬢に勧められて読んでいたはずだ。

「今回の旅程で農村を経由すると知って、カヤさんに借りて再読してきたんです」

「なるほど」

 シティガールのメイヤにとって、農村の生活というのは新鮮に映るようだな。

 そうして宴が始まり、代官自慢の酒も出され場は盛り上がっていった。
 メイヤも途中で席を外して、ファミー嬢の方へと向かっていた。面識はさほどないはずだが、酒の勢いで絡みに行ったのだろうか。まあ、彼女も一流の侍女だからハメを外しすぎるということはないだろう。

 私は一人、向日葵麦から作られた酒を飲む。
 すると、私の席の近くにこの村の村長が近づいてきた。

「キリン様、ご無沙汰しております」

 小声で村長が私に話しかけてくる。

「ああ、どうだい調子は」

「おかげさまで。ですが、一応確認のほどを……」

「今夜にでも見に行く」

「それはそれは……」

 この村の村長とは、ちょっとした知り合いだ。だが、あまりそれを周囲には知られたくない。意を汲んでくれたのか、村長はすぐに離れていった。

 そして酒宴は進み、料理も見事に平らげられ、場はお開きになった。
 国王夫妻と護衛の騎士数名は代官宅へ泊まり、夜番担当の騎士がその周囲を固める。
 私達侍女とファミー嬢は村長宅へ。残りの騎士達はこの集会場で雑魚寝だ。キリンゼラーの使い魔は護衛という名目でパレスナ王妃に預けてある。

 やがて夜も深まってきた頃。私は布団から抜け出した。
 居間に出ると、そこには村長が待ち構えていた。

「お待ちしておりました」

「行こうか」

 小声で言葉を交わし、そのまま村長宅を出る。
 空には人工月が浮かんでいるが、月明かりだけでは暗いため小さな明かりの魔法を使い村の中を歩く。
 案内されたのは、小さな小屋。魔法の明かりを灯しながら中に入ると、小屋には地下への階段があり、私達はそこを下っていく。
 ひやりと肌に冷たい空気が触れる。土壁の地下室。ここは村の氷室(ひむろ)だ。
 氷室とは、広い穴を地下へと掘り、そこに冬場の雪や氷を積んだ一種の冷蔵室のことだ。夏場でも氷室の中では、氷が溶けきらずに残るほど冷却の持続力がある。
 その氷室に、私達の秘密のスポットがあった。

 魔法の明かりを氷室に照らし、私は“確認”をする。

「良く育っている。不調もない……」

「それはようございました。では、手はず通り王都に……」

「ああ、順次送ってくれ。ふふふ、王都の民もこんなところで育てられているとは思うまい……」

「全てはキリン様のおかげですな。貴族の方々が手玉に取られる姿が見えるようでございます」

「くくく、村長、おぬしも悪よのう」

「いえいえ、キリン様ほどでは……」

 二人してほくそ笑んでいた、そのときだ。

「何をしているお前達!」

 突如氷室の中が強い光で照らされ、入口から何者かが侵入してきた。

「な、何奴!?」

 村長が、焦ったように振り向く。

「村長、この顔を見忘れたのかい?」

 そこにいたのは、国王であった。その隣には、近衛騎士のオルトの姿も見える。

「へ、陛下! これは御無礼を! なにとぞお許しください!」

 村長は慌てて平民の礼を取った。
 さらに、国王の後ろから代官とパレスナ王妃が入室してきた。

「うわっ、何よこれ!? キリン、どういうこと!?」

 氷室の中を見て、パレスナ王妃が悲鳴じみた声を上げる。
 彼女の視線の先にあったのは――

「……氷蜘蛛の巣です」

 私は苦々しい思いで、この氷室の秘密をパレスナ王妃に告げた。
 氷室の中には食料ではなく、白い蜘蛛の巣が張り巡らされているのだ。
 氷蜘蛛とは、寒い場所でしか生きられない特殊な生態を持っている肉食の虫である。
 その大きさは人間の頭ほど。

「キリン! つまりこれは……!」

「はい……」

 私は観念して、言う。

「この村は、スパイダーシルクの生産地です」

「スパイダーシルク! ティニク商会の秘宝! こんなところにあったのね!」

 パレスナ王妃がものすごく嬉しそうな顔で叫んだ。

「うんうん、一度俺も視察したいと思っていたんだ。キリリン達は秘密にしたがっているみたいだから、こうして夜の訪問になったけれどね」

 氷室の中を眺め回しながら、国王が言う。
 あああ! もう!

「陛下……なんでパレスナ様も連れてきたんですか。秘密の場所だから、余計な人にバレたくなかったのに……」

「いやあ、ごめん、キリリン。夜中に一人で抜け出そうとしたら見とがめられてね。ついてきちゃった」

 この村は、ティニク商会の秘密工場だ。
 秘密とは言っても、脱税の類をしているわけではない。しっかりスパイダーシルク生産分の税金を納めているので、国王はこの村でこれが生産されていることを知っていたのだろう。
 当然代官もここの存在を知っている。この氷室まで国王達を案内したのも代官だろうな。

 しかしだ。国を相手する以外には、本当に秘密の場所である。
 スパイダーシルクは、この国と周辺諸国に対しては、ティニク商会が独占的に扱っている高級繊維なのだ。貴族相手に爆発的に売れている大人気商品。ティニク商会の会頭ゼリンはその在庫を絞ったり放出したりと、見事に貴族達を手玉に取っている。
 秘密が余計なところにバレて、万が一氷蜘蛛が他所の商会にでも持ち出されてしまえば、大損なのである。

 そして、ティニク商会に氷蜘蛛を持ち込んだのはこの私。スパイダーシルクでもたらされる膨大な利益の一部は、私の懐に入ってくるのである。
 私は資産家で、金は腐るほど持っているが、だからといって商売の種を他所の商会に持っていかれるのは面白くない。
 ゆえに。

「パレスナ様! オルト! この場所、本当に秘密ですからね! 誰かにばらすと捻り切りますからね!」

「ねじ……!? ねえキリン、この場所の秘密は解ったけれど、貴女はこんな夜中にここへ何をしにきたの?」

 パレスナ王妃の質問に、私はもうどうでもいいやという思いで答える。

「冷房用魔法道具の動作確認です」

 そう、この氷室には冷房装置が備え付けてある。もはや氷室でもなんでもない。
 もしこの魔法道具が壊れてしまえば、氷蜘蛛は全滅してしまうかもしれない。一応、氷室らしく冬の間にできる氷や雪をしっかり貯めているようであるが。

「なるほど、氷蜘蛛だから冷やす必要があるのね。そういえば、私も一匹巣ごとゼリンに見せられて、トレーディングカードゲーム用の絵に描いたことがあるわね。そのときは王都だったから、王都に生産拠点があるとばかり思っていたわ」

「ああ、後宮で飾っていた絵画ですね……」

 パレスナ王妃が後宮の薔薇の宮に居た頃、確かに飾ってあった。どこで氷蜘蛛なんて見たのかと少し不思議に思っていたが、そういうことか。
 しかし、まいったな。オルトはまあ口が堅いだろうが、パレスナ王妃は本当にここのことを秘密にしてくれるだろうか。
 村長なんか、氷室の中だというのに脂汗をかいているぞ。

「パレスナ様、なにとぞスパイダーシルクのことは内密に……」

 私はそうパレスナ王妃に懇願した。
 なにとぞ! なにとぞー!

「え、いいわよ?」

「え、いいのですか?」

「いいわよ。そんなに拝まなくても……」

 本当か。本当だろうな!?

「キリンだけでなくティニク商会の秘密でしょう? そんな重大な秘密を漏らした日には、どんな不都合があるか。私はそんな愚かな女じゃないわよ」

「本当ですか!? 信じてますよ!?」

「疑い深いわねー。私、そんなにキリンに信用されてないのかしら。副隊長には何も言っていないのに……」

 うっ、確かにオルトなら大丈夫で、パレスナ王妃はやばいと無意識に思い込んでいた。

「もう少し、キリンに頼りにしてもらえるよう考えた方が良いのかしら……」

 パレスナ王妃の言葉を聞きながら、私は手ぬぐいで汗を拭く村長の肩を叩いて、彼を安心させてあげるのであった。

 そんなうっかり秘密バレ事件を起こしながらも、私達の旅路はまだ続く。



[35267] 93.都市と回廊
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2021/10/19 11:02
 氷蜘蛛の露見があって一夜明け、その日も朝から移動である。
 昼は何事も無く街道沿いの村に着き、昼食を振る舞われ、食休みもなくさらに移動である。
 そうして午後過ぎ。今日の宿を取る町が近づいてきた。

 ホドラント領で一番大きな町であり、領主であるハレー家の屋敷がある領の中心地だ。

 石壁で囲まれたその町、いや、都市に近づくにつれ、いい加減移動に飽きてきた様子のパレスナ王妃が元気になってくる。

「今日は領主の館に泊まれるのよね。食事に期待ね」

 一日中、車の中で会話をしながらじっとしていなければならないため、パレスナ王妃にとって食事は唯一と言っていい楽しみになっているのだろう。

「道中の食事は麦粥を覚悟していたけれど、思ったよりもパンを食べる機会があったわねー」

「我が国は人口が多いからね。そこらに村があるから休憩場所には困らないよ」

 パレスナ王妃の台詞に、国王がそう言葉を返した。

「私、粥が苦手なので助かりますー」

 本日の同乗者、幼い侍女のビアンカがそう話に乗ってくる。
 国王専用車へ同乗する侍女は、主に王妃付き侍女の中から選ばれる。おそらく、パレスナ王妃を会話で飽きさせないための国王の配慮だろう。
 そんな国王が言う。

「俺っちは粥も嫌いじゃないけどね。いざとなればキリリンに任せれば美味しく作り直してくれるよ」

「いや、私はそんな、専属の料理人より美味しい料理が作れるつもりはないですが」

 無茶ぶりをしないでいただきたい。

「えー、でも、昔近衛のメンバーと一緒に野営したとき、めっちゃキリリンの料理美味しかったじゃん」

「うーん、あれは遠征途中の野営というシチュエーションが、料理を美味しく感じさせていただけではないですか?」

 国王の言葉に、私はそう返す。あの時代はよく国王と一緒に国内を巡ったものだが、みんなで仕留めた野生動物をその場でさばいて料理したとかだから、気分が高揚して楽しく食べられたのだと思う。
 そんな感じで雑談を交わしていくうちに、一行は石壁を越え都市の内部に移動。領主の館へと向かう。

 国王と王妃は領主に丁寧に迎えられ、そして同行してきたファミー嬢が領主と再会の抱擁を交わす。
 ホドラント領の領主は、ファミー嬢の兄なのだ。

「自慢の妹がこうして陛下の案内役を立派に勤め上げて、感無量だ」

 領主がそう言うが、ファミー嬢は弱々しい声で否定の声を上げた。

「いえ、……実は、わたくしがご案内したのではなく、逆に陛下達に連れてきてもらったのです。お兄様、お父様とお母様はご在宅ですか?」

「あ、ああ、離れに居る。父上は陛下にご挨拶したかったようだが、腰の調子が悪いようでな。母上も看病をしている」

「今回、わたくしが陛下にここまで同行させていただいたのは……婚約を知らせに参ったのです」

「婚約だと!?」

 物凄い大声で、領主が叫んだ。

「婚約など、私は聞いておらんぞ!」

「はい、初めてお伝えしました……。わたくしにプロポーズしてくださった方が、自らお父様とお母様に挨拶したいと……」

「プロポーズ……! 来ているのか!? どいつだ!」

 領主は、周囲をキョロキョロと見回す。
 すると、領主の館に帯同していたメンバーの中から、一人の青年が前へと出てくる。線の細い、いかにも文官といった感じの青年だ。
 その青年は、領主の前で貴族の礼を取る。

「はじめまして。僕は――」

「貴様かー!」

 突然、領主が青年に詰め寄り、胸ぐらを強くつかんだ。

「貴様が、私の最愛の妹をたぶらかしたのかー!」

「お、お兄様、何を……! みんな止めて!」

 ファミー嬢の叫びに、使用人達が、わっと領主の周りに詰めかける。
 そんな様子を見て腹を抱えて笑っているのは国王だ。
 ううーん、国王にツッコミを入れてやりたいが、今の私は侍女の職務中なのでできないな。

「それにしても、この様子でよくファミーを後宮に引っ張ってこられたわね。領主が溺愛して離さなかったのではなくて?」

 と、彼らの騒ぎを冷めた目で見ながら、パレスナ王妃が言う。
 後宮は国王との長期的なお見合い会場だった。つまり、後宮入りした時点でファミー嬢は王妃になった可能性もあったわけだ
 その疑問に国王が答える。

「ああ、今回の後宮は最初から、パレスナが王妃になることが決まっていた状態で人を集めたからね。領主も嫁に出さず、王宮で働かせる人脈作りのためと解って送り出してきたんだよ」

「そうだったのね」

「本当は王宮で働かせるのも反対で、ずっと手元に置いておきたかったみたいなんだけどね。でも、さすがにそれはいけないと、先代領主のお父上が止めに入ったんだ。妹離れをさせたわけだね」

 そんな会話をパレスナ王妃と国王が繰り広げていると、領主に詰め寄らず静観していたこの館の家令らしき人物が、こちらに近づいてきた。

「我が主が大変失礼をしております。あちらはまだしばらく時間がかかりそうですので、客間にご案内させていただきます」

 家令はそう言って、私達を館の奥へと案内しだした。

「あっちはいいのかい?」

 国王が家令にそう尋ねるが……。

「はい。ここぞという時の妹様はお強いですから、きっと主を押しのけて先代様のもとにご挨拶に行きますよ。それよりも、国王陛下をお待たせしたままにするわけにはまいりません」

 強いファミー嬢って、ちょっと想像できないんだが……。
 そんな家令の小粋なトークを聞きながら、私達は広めの部屋へと案内された。
 用意されていた椅子に国王とパレスナ王妃は座り、一息入れたところで家令が国王に向けて言った。

「本当は主がご案内せねばならぬのですが……実は、この都市の名士達が、国王陛下にご挨拶をしたいと訪ねてまいりまして。謁見の許可をいただけますでしょうか」

「ああ、構わないよ。夕食までまだ時間があるだろうからね」

 そうして、その後は続々と訪ねてくる地元の名士との顔合わせを国王とパレスナ王妃はこなしていった。
 魔法捜査官、生活扶助組合の支部長、麦粉ギルドのギルド長、大学の学長と訪ねてきた面子の役職は様々。こういった人々と渡りをつけるのが、きっと政治では大事なんだろうな。私にはついていけない領域の話だ。

 そして謁見の時間は終わり、名士達も招いた上での夕食の場、そこにはニコニコ顔のファミー嬢が居た。

「ご両親への挨拶は済ませたの?」

 そうパレスナ王妃が尋ねると、ファミー嬢は満面の笑みで答えた。

「はい。お父様は婚約を認めてくださり、来年の春に式を挙げることとなりました」

「一年後? ずいぶん待つわねー」

「お母様が言うには……結婚前の恋人期間も楽しむように、だそうでして……」

「それはまあ、確かにそうね」

 そんな会話の間中、領主はムスッとしたままであった。
 むむむ。国王が同席して地元の名士達が集まっているのに、その態度は良いのだろうか。
 私はそう思っていたが、領主へ声をかける者は誰もいなかった。そっとしておいてあげたのだろう。みんな優しいな。

 そうして食事は終わり、名士達は帰宅していった。
 私達は本日、この領主の館に泊まることになるのだが……。

「君、今夜は共に酒を飲もうではないか。ん?」

 領主が、ファミー嬢の婚約者の青年にからんでいた。まあ、彼とファミー嬢は塩の国まで同行するわけではなく、ここでお別れだ。酔い潰れたとしても問題はない。
 私達は彼を生贄に捧げて、柔らかいベッドの上でぐっすりと眠りにつくことにしたのだった。

 そして明くる日、朝食の場に居たのは、すっかり意気投合した領主と青年の姿だった。

「こやつなら妹を任せられる!」

 とか、本当に何があったのだろうか。
 そんなことがありつつも、私達の旅は続く。



◆◇◆◇◆



 そうして王都を出発して幾日か経った今日、ようやく私達は国境へと辿り着いた。
 この国、アルイブキラは世界樹の葉である大陸一つを丸ごと領地にしている。その広さは、うーん、日本の本州くらい? いや、北海道くらいかもしれない。ともかく、前世の地球基準で考えるとさほど広くはない。
 しかし、世界樹の世界においては、一枚の葉丸ごと一つを領土にしている国は大国扱いである。

 そんな感じで、この国は世界樹の葉っぱ一枚丸ごとの国であるわけだが、では、隣接する国がないのに国境とはなんだということになる。
 大陸は葉なので、枝にくっついている。葉と枝をつなぐ部分を葉柄(ようへい)というのだが、世界樹にもしっかり葉柄は存在している。世界樹は神代から生きる植物でありながら人工的な宇宙船でもあるため、葉柄にもしっかりと人の手が加えられている。
 葉と別の葉を行き来するための葉柄と枝の道。『枝の回廊』という場所が、国の端につながっているのだ。

『枝の回廊』は、普段は国を移動する旅人が使う道であり、有事には軍隊も渡っていく重要な場所である。
 それゆえ、管理は国の中枢機関『幹』が行なっており、ここでの争いごとは固く禁じられている。

 私達はそんな『枝の回廊』に、アルイブキラ側の関所を通って進入した。

「パレスナ、窓の外を見上げてごらん」

 前にゆっくりと進む国王専用車の中で、国王がパレスナ王妃にそう声をかける。

「なになに? えっ、なにこれ!? 空が!」

『枝の回廊』の風景に、パレスナ王妃が驚きの声を上げる。
 そう、枝の回廊には空がないのだ。正確には、人間の住む土地に展開されている幻影の青い空がない。代わりに見えるのは、世界樹の枝と、ここより上にある葉の大陸の底面だ。それと、その隙間をぬって宇宙が見えている。

 本当なら、アルイブキラに居てもこの光景は見えてもおかしくないはずだ。しかし『幹』は、人間の暮らす場所には惑星と同じ青い空の幻影と、人工の太陽と人工の月を見えるようにしている。
 何故、そのような幻影を見せているのか、私は知らないのだが……。この世界樹に人々が避難した二千年前は、もしかしたら皆、滅びた惑星の光景が忘れられなくて、幻影の空を作ることで故郷を懐かしがっていたのかもしれない。まあ、雲や星空を再現していない、半端な幻影の空ではあるのだが。

「これは絵に描かなくちゃ! キリン! 紙と鉛筆を出して」

「はい、少々お待ちください」

 私は、パレスナ王妃から預かっていた荷物から紙束と鉛筆を取り出し、前の席に座っている彼女へと渡した。
 ただ、スケッチするとなると少々問題があるな。

「ここからは、高速移動となります。風景もそれに伴い後ろへと流れていきますので、上空はともかく周囲を描くのは難しいですよ」

 そんな私の言葉に、パレスナ王妃は疑問の声を上げる。

「えっ、高速移動って、わあ!」

 先ほど言ったとおり、窓の外の風景が勢いよく後ろへと流れていく。

「なにこれ? どうなっているの?」

「大雑把に言いますと、とても大きな板の上に私達は乗っていて、それが目的地まで運んでくれます。『枝の回廊』用の乗り物ですね」

『枝の回廊』をまともに移動しようと思うと、とても長い時間がかかる。そうなると、回廊の途中で泊まる必要も出てきて、ゴミや汚物が周囲にぶちまけられる。
 だが回廊は土の地面ではなく人工物だ。ゴミや汚物は自然に還らない。そのため、汚れを防ぐという理由で『幹』が高度な移動手段を回廊内限定で展開しているのだ。

「今日中に隣の大陸まで着きますよ」

 塩の国と鋼鉄の国がある葉の大陸は、アルイブキラと同じ枝にある大陸だ。そう遠くはない。
 私達はしばしの間、この独特な風景を楽しみ、そして飽きてきたらまた雑談をして時間を過ごした。パレスナ王妃はずっと絵を描いていたが。
 やがて、高速移動は終わりの時間を迎える。
 動く板の上で休止していた一行は、行進を再開した。

『枝の回廊』の終着点、隣の大陸の国境に到着である。そこには関所と、少し離れて巨大な砦が築かれていた。
『枝の回廊』では争いごとが禁止なため、関所を要塞化することは禁止されているのだが、『幹』に決められた建設禁止区域のぎりぎりにその鋼鉄の国の砦は建てられているのだ。

 関所を通過し、上空は再び幻影の空へと変わる。
 すると、前方に旗を掲げた騎馬集団が待ち構えていた。鋼鉄の国の軍勢、ではない。掲げられているのは、鋼鉄の国の旗だけでなく、塩の国の旗もある。
 塩の国が用意した案内役兼護衛らしい。

 そんな彼らから、一斉に声があがった。

「ようこそ、鋼鉄の国、ハイツェンへ!」

 塩の国の首都までの旅は、これでようやく半分の行程が終わった。
 ここからは、かつての敵国ハイツェンを通ることとなる。はたして何事も無く私達は併合式典を迎えられるだろうか。



[35267] 94.王宮炎上サバイバー系天女再来セレモニー<1>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2020/10/28 22:04
 鋼鉄の国に入った私達一行は、塩の国の王都を目指して出発した。
 ただし、真っ直ぐ王都へと向かう、というわけではないらしい。

 国王には鋼鉄の国の現状を視察してもらいたいというのが、今回の案内役として来た、塩の国の外務大臣の意向だ。
 国王専用車の中で、国王が視察の理由をパレスナ王妃に説明する。

「実のところ、鋼鉄の国は、長年の独裁による政策の無理がたたってすっかり疲弊していてね。今まで仮想敵国だったからこっちは知ったこっちゃなかったんだけど、塩の国に併合されるにあたって、うちの国から支援を行なうことになっているんだ」

「疲弊する政策って、どんなことをしていたのかしら?」

 パレスナ王妃の問いに、国王は答える。

「鉱物の大増産」

「むしろそれ、国が富みそうなものだけれど」

「ここで言う疲弊した国というのは、国民とか国体とかじゃないよ。国の土地のことだ」

 ふむ、私も全く知らないことだ。庭師時代はこの国は素通りしていたからな。

「農学に関することだからパレスナもよく覚えておいてほしいんだけど、一部の鉱物は土に混じると、人に対して毒になるんだ」

「あっ、鉛とか銅のことね! 確かに、世界樹の実りは地面から生えてくるから、土壌が汚染されるわ!」

「そう。それで、農業とか林業とかがダメージを受けたみたいだ。それをうちの国が支援するのさ」

 そんな会話をした日の宿泊先は、寂れた村だった。かつては栄えた農村だったらしいが、今はすっかり土地が枯れ、若者達は塩の国まで出稼ぎに行っているという。
 鋼鉄の国側の案内役兼護衛隊長である、元鋼鉄の国のエリート軍人『武装衆』の長、カタツナが、流暢なアルイブキラの言語でそんな説明をしてくれた。

「塩の国の国主は慈悲が深い。仕事にあぶれた我が国の人間を塩の国側に一時的に移住させて、仕事を与えてくれておる」

 カタツナのその言葉に、塩の国の外務大臣は苦笑して言った。

「塩の精製や岩塩の採掘にあたらせています。塩の増産はアルイブキラとの交易に役立ちますから」

「うちの国は、塩が慢性的に不足しているから、交易が正常化するのは助かるよー。今まで、鋼鉄の国の関税のせいで塩はすごく高かったからね」

 国王は笑顔でそう返す。ふむふむ。アルイブキラで塩が高かったのはそんな理由があったのか。

 間に敵対国や異文明を挟むことで、交易品の価格がすごいことになる。かつての地球でも起きていたことだ。
 その昔、インドで生産された商品が、異教の文明に陸路や航路を塞がれたことで関税や輸送費がかさみ、ヨーロッパに着く頃には膨大な価格に変わっていたという。
 そんな中で、関税を取られぬようヨーロッパ・インド間の航路を探ったのが、大航海時代の一つの目的ってやつだ。商品の名は、こしょう。

「鋼鉄の国には鉱山奴隷がいたというから、農村でも奴隷のごとく働かされている人がいないか心配だったけど……大丈夫そうね」

 パレスナ王妃は、寂れた村を見渡しながらそう言った。
 そのパレスナ王妃の言葉に、カタツナは渋い顔をして言葉を返した。

「我が国の恥部を聞き及びとは。まったくもって情けない。だが、実際に土地が余っていたならば、あの大総統めは貧民を農奴のごとく扱ったであろう」

 農奴とは、奴隷とはまたちょっと違った農業労働者だな。土地持ちの大地主がいて、その下に小作人として農奴が配置され、働かされる。農奴は一生その土地に縛られて農業を続けなければならない。

 奴隷制度と農奴制度、どちらも世界の中枢『幹』によって禁止されている。

「今の我が国は、農作向きの土地が少なすぎて農奴を置く余裕すらない。むしろ、効率良く作付けができるよう、頭の良いエリート兵が屯田兵として配置されるほどだ」

 屯田兵かぁ。この世界ではよく見る農業形態だな。前世の日本では、北海道の開拓時とかにいたようだが。

「今のこの国の土地は荒れている。地下水が鉱毒に侵されている地域すらある。この国の前国主である大総統めが、土地を大幅に改造した結果だ」

 今夜の宿である村の集会場に移動した後、カタツナはこの国の過去をとうとうと語り出した。

 十六年前、大総統を名乗る男が独裁者としてこの国を支配し始めた。内政が得意で国民の支持も厚かったが、この国を古くから支えてきた貴族院の貴族家出身ではないため、鉱物に対する知識は少なかった。

 富国強兵に努めるため、『幹』から国主に与えられる世界樹の実りを操作する権限を使い、鉱物の産出量を増加させた。国民に大歓迎されたこの方策だったが、地の底から湧き出る鉱物に土地は少しずつ汚染された。
 地は痩せ、木は枯れ、水は汚れた。だが、この原因に気づいていたのは貴族院の貴族達だけであり、国民は天災として受け止め、大総統への支持は揺るがなかった。

 大総統の暴走を止めるため、貴族達は手を打った。それは、彼の舵を取れる女傑を嫁にあてがうこと。一種のハニートラップだ。
 貴族が用意したのは、カヨウという背の低い、しかし美しい一人の女であった。

「カヨウ夫人ね……」

 彼女の壮絶な最期を思い出したのか、国王が渋い顔をした。
 なおもカタツナの話は続く。

 大総統夫人となったカヨウは、カヨウ夫人と呼ばれ、その手腕を発揮した。世界樹の実りである鉱物はそれ以上増やされることはなく、権限が停止されていた貴族院も再稼働し、国政は少しずつ正常化した。
 さらに、夫人は慈悲深く民を慈しんだ。ただ、過去にアルイブキラの王族にひどい目に遭わされたらしく、アルイブキラを敵視していた。
 大総統は夫人の意図を読み取って、アルイブキラを敵国と認定した。

 だが、これ以上鉱物が増えることはなくても、一度地の底の世界樹に実った鉱物は消えてなくならない。
 掘り進めて製錬しようにも、木は枯れ果てて木炭の数が足りない。

 木炭の高騰により製鉄業が立ちゆかなくなっているため、それに伴い採掘の手も止まっていたのだ。
 木材が足りない。
 隣国である塩の国は、同じく土地が塩を含んでいるため、木材はさほど産出されない。では、どこから用意するのか。

 目を付けたのは、アルイブキラだった。

「まあ、うちの国には、木材は売るほどあるからねー」

 国王が苦笑しながらそう言った。

「売ってもらえるのだから、買えばよかったのだがな。だが、大総統めにとって、おぬしらは敵国であった」

 買わない代わりに、奪えばいい。そう考えたのだろう。
 結果、昨年の戦争騒動となり、その陰に悪魔であるカヨウ夫人の存在ありと私がリークしたことで『幹』が介入。戦争は開始直前に終了させられ、カヨウ夫人は捕らえられた。
 そして、今回の併合へとつながっているわけだ。

「カヨウ夫人はアルイブキラを憎んでおられた。だが、戦争までは望んでいたとは思えぬ。全ては、大総統めの暴走よ」

「えーと、それは……」

 パレスナ王妃が何かを言おうとして、止めた。
 うんうん。実は、カヨウ夫人の正体は悪魔で、かつてアルイブキラの建国王にぶち殺された過去があり、彼女の頭部であるネコールナコールは、建国王の血筋を絶やしたがっていた。どう考えても、カヨウ夫人が戦争を誘導したと思うぞ。
 だが、カヨウ夫人を敬愛しているらしきカタツナにそれを言わないくらいには、パレスナ王妃は空気を読めた。

「それより! 大総統ってその後どうなったの?」

 パレスナ王妃がそうカタツナに尋ねると、彼はすんなりと答えた。

「一方的な侵略戦争を起こそうとした咎で、塩の国に捕らえられておる。併合後に国を乱されてもかなわんので、檻の中から出てくることは一生なかろう」

「はー、独裁者の悲しい末路ね」

 カヨウ夫人みたいに自爆して死ぬよりはマシだと思う。多分。



◆◇◆◇◆



 翌日も移動である。今日は、鋼鉄の国で最大と言われる鉱山街を視察することになっている。
 移動中の車内では、パレスナ王妃に鋼鉄の国の話を求められたが、私は庭師時代この国でほとんど仕事をしていなかったので、話せることは少なかった。

 この国では、魔物を退治するのは庭師の仕事ではなく、軍と『武装衆』の仕事なのだ。『武装衆』の話は、庭師をしていた頃にもしばしば耳にしたことがある。精強で権力におもねらぬ、民を守るための集団なのだと。
 その性質は、権力を握っていた大総統とはさぞかし合わなかったことだろう。昨日のカタツナの言葉からは、節々に大総統への嫌悪が感じられた。

「大総統と言えば、こんな話があるよキリリン」

 と、国王が話し始めたのは、大総統の経歴だった。

 そもそも大総統は貴族院の貴族家出身ではなく、平民出身であるらしい。その経歴だけ見ると権力に媚びへつらわない『武装衆』と相性がよさそうなものだが、大総統はその地位に就いてから強権を振るっていた。
 そもそも大総統という地位自体、貴族院制の共和国であるこの国には存在していなかった。大総統本人が独裁者となるにあたって、新たに作った役職なのだ。それはもう、とことん『武装衆』とは合わないだろう。

「でも彼、カヨウ夫人に対しては敬意を強く感じたよね」

 さらに国王は話を続ける。
 この国では、平民は家名を持たないため、カヨウという名前の謎の女性は、ただカヨウ夫人とだけ呼ばれたらしい。
 権力に溺れていた大総統を誘導し善政に努め、国の行く末を操作した。そのカリスマは、『武装衆』すら魅了したのであろう。アルイブキラの隠された建国史で、彼女の前身ネコールナコールが民を先導したのと同じようにだ。

 前世の権力者に取り入った狐に関わる伝説を知っている身としては、苦笑いしか出ないのだが。天使のネコールナコールが言うには、妲己も玉藻の前も華陽夫人も、全て火の神の端末達だったというからな。

「その狐とかいう動物の伝説、気になるんだけど?」

 せっかく新たな話題が出たので、私は国王のリクエストに乗り、前世の狐にまつわる物語を車内の皆に語って聞かせた。

「ごん、お前だったのか」

「ごーん!」

 ああっ、同乗していたビアンカが泣いた!

 と、暇を潰している間に、本日の視察先、鉱山街についた。
 そこそこ広い街だが、道行く人々は少ない。

 カタツナが、この街の現状について語って聞かせてくる。

「ここでは良質な鉄鉱石が採れるゆえ、戦争前は武具を作らせるために多数の人が働いておった。各地で採掘の手が止まる中、この街だけは盛況であった。大総統めが、カヨウ夫人にすら隠して鉱山奴隷を作るほどには」

 奴隷という言葉で、皆に緊張が走る。

「安心めされよ。皆、奴隷からは解放されておる。犯罪者が奴隷になっていたが、半分は大総統へ反逆した政治犯だったゆえに、彼らは今、平和に暮らしておる。残りは檻の中だがな」

 まあ、まだ鉱山奴隷なんかがいたら、他国の者に視察なんてさせるわけがないだろうな。

「各地で人が余っていたなら、奴隷なんて使わないで暇している鉱夫を集めればよかったんじゃないの?」

「大総統めの政策下では、人の移住は厳しく制限されておった。余った鉱夫は移住ではなく徴兵に使われたのだ。現実的な話をすると、よそから来た鉱夫が多数滞在できるだけの場所がこの街にはない。奴隷ならば野ざらしで寝かせておけばよいと考えたのだろうな」

 誰かが上げた疑問の声に、カタツナがそう説明した。うーん、奴隷にもいろいろと種類があるが、この国の奴隷はとにかく劣悪な環境に居たのだな。『幹』の女帝あたりが聞いたら激怒しそうだ。

「しかしだ。昨日、木炭が高騰した話をしたであろう。ここで鉄を掘り、精錬すればするほど、木炭の費用で赤字がかさんだというわけだ。我が国の鉄器の質がよいと言えど、値が高すぎては周辺諸国も買い渋るというものよ。多数の鉄を投入した戦争も始まる前に終わり、赤字だけが残った。塩の国は、その負債を全て被ることになる」

 カタツナは、坑道入口脇に放置されていた鉄鉱石の山を見上げながら、そう私達に語った。

「だからどうか、アルイブキラの王よ。併合がなった暁には、輸出をお頼みもうす。拙者は、活気あるこの街を取り戻したいのだ」

 そう言って、カタツナは私達に向けて頭を下げた。鋼鉄の国において頭を下げる行為とは、前世の日本と同じく懇願の意味を持つ。
 それに対し、国王は言葉を受け取り、安値での輸出を約束していた。
 しかし、木炭か。

「石炭でも採れれば、燃料問題は解決するのですけどね」

 ふと、私の思考を読み取って声にする魔法から、そんな言葉が漏れた。

「石炭とはなんだ?」

 カタツナがそう尋ねてくる。
 おっふ。国王の視察の場なのに私語が漏れてしまった。しかも、みんなが私に注目している。

「……石のように固い炭ですね。太古の昔に地中に眠った植物が長い年月をかけて炭になったものです。惑星の鉱山で大量に採れます」

 私がそう言うと、カタツナは残念そうに言葉をつむいだ。

「惑星か。伝え聞くに、神話に語られる惑星が復活したと言うが……、そのような貴重な鉱物、今の我が国が手に入れられるはずもあるまい」

「ええ、『幹』から石炭を輸入するくらいなら、アルイブキラから木炭を輸入する方が現実的でしょうね。お耳汚し失礼しました」

 ただなぁ。私は前世で理系じゃなかったから詳しくないんだが、製鉄と言えば石炭から作られるコークスのイメージが強い。
 惑星の再開発が進めば、石炭が向こうから輸送宇宙船で送られてきたりするのだろうか。輸送費用とかどうなっているのか知らないが。

 そんな会話があった後、坑道入口前の視察は無事に終わった。
 パレスナ王妃は坑道に入りたがったが、「何ヶ月もまともに使われていないので、落盤があっては危ない」と入ることは許されなかった。塩の国の外務大臣が必死で止めていたな。友好国の国王と王妃に怪我なんてさせたら、大問題だ。

 そうして、その日は鉱山街に泊まることになった。
 夜、私はパレスナ王妃と同じ部屋を割り当てられた。護衛も兼ねているので頼む、とは近衛のオルトの台詞だ。

 食事も終えた夜、私は魔法道具である『女帝ちゃんホットライン』を起動していた。女帝の側から雑談がしたいと、連絡が来たのだ。
 せっかくだからと、女帝の話をパレスナ王妃も同席して聞いている。

『元々アルイブキラのある葉の大陸はな、ハイリンで不足していた食料と木材と繊維を生産させるために作った大陸なのじゃ。ハイリンは鉱物資源の生産試験大陸じゃからな』

 そんな新事実を女帝が告げた。
 ハイリンとは、塩の国エイテンや鋼鉄の国ハイツェンが存在する葉の大陸のことだ。

『じゃが、まさかハイツェンがアルイブキラへの敵意をあそこまで高めるとはのう。おかげで木材をアルイブキラが出し渋って、ハイリン全体で木材不足が起こったわけじゃ』

「『幹』は、その敵意を緩和させようとしなかったの?」

 私の横で女帝の声に耳を傾けていたパレスナ王妃が、そう女帝に尋ねる。さすがパレスナ王妃、しっかりと女帝に合わせて世界共通語を喋っている。

『我の部下が注意勧告を出していたようじゃの。だが、強制力はない。我らはそこまで国の運営方針を縛ったりはしていないのじゃ。『幹』は世界の監視者ではあるが、宗主国というわけではないからの』

「それで戦争が起こっても構わないと?」

 パレスナ王妃がさらにずばりと切り込んだ。

『構わないわけではないのじゃがなぁ。『幹』は小さく人口も少ないので、世界樹全体の政治など全部面倒は見切れないのじゃ。やるとしたら、文明レベルを縛る道具協会のように独裁になるのう』

「そう……」

 パレスナ王妃は納得し切れていないようだ。私達葉の大陸の民にとって、『幹』はとてつもなくすごい天上世界って感覚だからな。

『まあ、このたびの併合には我も注目しておる。併合式典には我も出席するのじゃ』

 女帝も来るのか。まあ、鋼鉄の国に終止符を打ったのは、女帝本人だからな。元勇者アセトリードと協力してカヨウ夫人を捕らえたのは、彼女だ。

『当日はよろしく頼む。エイテンの料理は塩辛くて、我はあまり式典が楽しみではないがのう』

 塩の国の料理が塩辛いのは、塩が安くて野菜や穀物が高いため、塩漬け食材が多いという理由だな。地元で採れる食材を使った肉料理と魚料理は、かなり美味いのだが。
 そういった事情もまた、アルイブキラから来る食料に対する、鋼鉄の国の関税が高かったせいだ。
 つまり、鋼鉄の国を放っておいた女帝が悪い。

『我は悪くないのじゃー』

 そんな女帝の言葉に、私とパレスナ王妃はひとしきり笑った後、私はキリンゼラーの使い魔を抱いてその日は就寝したのであった。
 明日はとうとう塩の国に到着である。



[35267] 95.王宮炎上サバイバー系天女再来セレモニー<2>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:8f077dd1
Date: 2020/10/28 22:06
 国境を越え鋼鉄の国から塩の国に移動し終わると、どこか肌にまとわりついていた淀んだ空気が消えてなくなった感覚を覚える。
 それをパレスナ王妃達も感じ取ったのか、「なんだか明るくなった?」などと言い合っている。

「塩の国は善の気に満ちています。人々が幸福で、清く正しく生きている証拠ですね」

 私はそうパレスナ王妃達に説明する。

「肌で感じ取れるほどなのかしら?」

「それだけこの二つの国の差が激しいということです。あの様子では、鋼鉄の国の各所で魔物が発生していることでしょう」

 パレスナ王妃の疑問に、私はそう答えた。

 鋼鉄の国が悪気に飲まれていたのは、はたして独裁者の治世によるものか、敗戦による人々の意識の落ち込みようによるものか。
 とにかく、この世界樹の世界においては、人類は善と悪の気に敏感なのだ。そして普段、善の気で満ちているアルイブキラの王城に住んでいては、あそこまで淀んだ悪気に触れることも少ないだろう。

「うちの王城はわざわざ善意を計測して数値化しているからねー。おかげで、不正とかとは無縁でいられているよ」

 そう国王が誇らしげに答える。
 アルイブキラは世界樹教を国教としているから、世界を善意に満たすことに積極的だ。
 国民を幸福にし、善に生きるように促している。「衣食足りて礼節を知る」なんて言葉が前世にはあったからな。政治と善の気は密接に関わっている。

 ちなみに先日、鋼鉄の国武装衆のカタツナがぽつりとこぼしていたのだが、鋼鉄の国では今、山賊が出現しているらしい。さすがにこれだけの騎士を連れた一行を襲うような、度胸のある山賊はいないようだが、行商人の被害は大きいらしい。
 鋼鉄の国の併合後、どう国を立て直すか政治手腕が問われる状況だな。塩の国は他の大陸と繋がった土地を手に入れる代わりに、国費持ち出しで鋼鉄の国を救わなければならない。大変だ。

 ああ、商隊をこちらの大陸に派遣している商人のゼリンには、帰ったら山賊のことを教えてやった方がいいな。
 そんなことを考えながら、車内で雑談をして移動の間の暇を潰した。キリンゼラーの使い魔はいい加減移動に飽きたのか、反応がほとんど返ってこない。本体が使い魔に意識をさほど向けていないのだろう。

 そうしているうちに、本日の宿泊先に到着する。
 そこは、塩の国でも一番の名所と言われている場所。塩湖である。

 日はまだ高く、今回は観光を兼ねてこの塩湖周辺を宿泊先に設定したようだ。
 同行者達は皆、馬車やメッポーから降り、塩の国の外務大臣による案内で塩湖に近づいていった。

「ここが、世界樹でも有数の塩湖です。水に塩が大量に溶けており、塩水を沸騰させて蒸発させることで、塩を精製することができます。ただ、先日カタツナ氏が言っていたように、木材価格の高騰があるので塩湖での塩の生産は滞りがちなのですが……」

 世界樹の上は風が弱く、塩湖には潮の満ち引きもないので、前世の地球であったような塩田は存在しない。この塩湖では、どのような手順で塩を精製するのかは知らないが、木材を大量に必要とするらしい。
 これもまた、併合後のアルイブキラとの交易本格化で解決される事柄なのだろう。わざわざ外務大臣が見学をさせるわけだ。

「この塩湖では、塩水の中で生きる特有の生物が大量に生息しています。種を保護するため漁は制限されていますが、それでも結構な数の塩湖産食品が庶民の食卓に上っていますよ。特に貝がよく採れます」

「貝!」

「貝だと?」

「あの貝ですか?」

 外務大臣の貝という言葉に、アルイブキラの面々がざわつく。そう、彼らにとって貝は特別なのだ。

「あの、よろしいかしら?」

 パレスナ王妃が外務大臣にそう問いかける。
 外務大臣は「なんでしょう」と得意げな顔をしてそれに答えた。

「貝ということは、お金の原材料がここで採れているということかしら?」

「はい、そうですね。採れた貝殻を貨幣の素材として、周辺諸国に提供しています。『幹』に認可された正式な国家事業です」

 その外務大臣の答えに、「おおっ!」とアルイブキラの面々が盛り上がる。外務大臣は得意げな顔を続けている。
 そう、この周辺諸国では、貝が貨幣となっているのだ。金貨や銀貨ではない。
 アルイブキラの川にも貝は生息しているのだが、小ぶりで見た目が美しくないのだよな。その点、この塩湖の貝は大きくて、かつ白く美しい。

「当然、貝の密漁は厳しく取り締まられています。皆様も、塩湖のそばで貝を見つけても、拾ってはいけませんよ。ああ、あちらのお土産屋に貝のアクセサリーが売っていますので、後で是非ご覧になってください」

 その言葉を聞いて、一塊になっていた侍女の集団がきゃあきゃあと騒ぎ始める。貴重な貝を使ったアクセサリーだ。物によっては宝石を上回る価値があるだろう。そして、さらに貴重な真珠のアクセサリーなんかもあるんだろうな。
 この場に居るアルイブキラの面々は皆、騎士も含めて貴族階級にあるが、それでも貝は魅力的に映っているのだ。いや、むしろ装飾品の素材として貴族の方が貝に目がないのかもしれない。

 そうして、一行はさらに塩湖に近づいていった。
 陸地から塩湖の上に伸びている桟橋が複数あり、その桟橋が集まって水上拠点となっている場所に案内される。
 ふーむ、ここはもしや……。

「ここは、市民が塩湖の魚を獲ることを許されている、釣り堀です」

 その外務大臣の言葉に、国王が強く反応した。

「王女殿下から、国王陛下は釣り堀事業に強く関心を抱いていると聞き及んでおります。是非見学していってください」

「そこは見学と言わず、是非、釣ってみたいなぁ」

「ええ、問題ありませんよ。夕餉の時間までまだまだ余裕がありますので、皆様も釣りを楽しんでいってください。もちろん、お土産屋に寄っても構いませんよ」

 そんな会話を国王と外務大臣が繰り広げた後、場は解散となり各々自由な時間を過ごすことになった。
 とは言っても、皆、職務がある。私達侍女は順番に休憩することとなり、休憩の時間が来るまでは主人に侍ることになる。

 私は最初に休憩をもらったので、ククルやカヤ嬢達への土産として貝のアクセサリーを買った。だが、悩むこともなく即決で買ったので、まだ休憩時間は余っている。かと言って、釣りをする時間があるほどではなく……。
 桟橋が格子状に架けられてできている釣り堀の上を私はぶらぶらと散歩することにした。

 釣りに挑戦している人達は慣れていないのか、釣り堀の説明員に手助けを受けながら糸を水面に垂らしている。
 そんな中、釣りもせずただぼんやりと塩湖を眺めている一人の男がいた。カタツナである。

「アルイブキラの侍女か」

 私の視線に気づいたのか、こちらに振り向いて彼はそう言った。

「カタツナ様は釣りをしないのですか」

 彼の隣に行って、私はそう話しかけた。やることもないし、雑談タイムだ。

「釣りはやったことがなくてな。狩りは得意なのだが」

 武装衆は鋼鉄の国で魔物退治を担う集団だ。野獣を狩るのもお手の物だろう。

「そうなのですか。やってみれば意外と楽しいですよ」

「……カヨウ夫人は水を嫌っておってな」

 塩湖を見ながらカタツナがぽつりとそんなことを言いだした。

「だが、風呂は好んでおった」

 水を嫌い、風呂を好むか。まあ、天使や悪魔ってそういうものだからな……。
 体温を下げる水浴びは避けるが、体温より高い熱い風呂は好む。彼らは熱で動く存在だ。

「ゆえに拙者らはカヨウ夫人の風呂焚きのために薪を持ち寄ったのだが、慈悲深いカヨウ夫人からは、民が苦しんでいるのに自分はそのような贅沢はできぬと、慈悲深き言葉をいただいたものだ」

 カヨウ夫人のことについて、カタツナは饒舌に語る。私はどう答えればいいのだろう。
 そう思っている間にも、話は続く。

「だが、夫人は別に不潔な姿を見せていたわけではなく、むしろ清らかで美しい姿を常に見せていた……」

 天使や悪魔は生物のようで生物じゃないから、皮膚から垢とかの老廃物が出ないんだよ。
 そりゃあ、砂埃を浴びたら洗わなければならないが……。
 私がそこまで考えたところで、カタツナは横に立つ私に向き直って、言った。

「なあ、アルイブキラの侍女よ。否、殺竜姫よ。カヨウ夫人を我らのもとへと返してもらえぬか?」

 久しぶりに聞いたな、殺竜姫って二つ名……。

「夫人は跡形もなく消し飛びましたので、無理です」

 私は、そうはっきりとカタツナに答えた。そう、カヨウ夫人はネコールナコールと同化するのを拒否し、自爆して跡形もなく消滅したのだ。
 実は生きて……などということもない。あのとき、カヨウ夫人の周囲には厳重な結界が幾重にも張られていたのだ。姿をくらますことなど不可能だ。

「それがおぬしらの答えか」

「事実ですので」

 死者は帰ってこない。天使や悪魔は魂すらも持たないので、死を迎えると完全に消滅する。

「そうか……」

 そう言って、カタツナは私のそばから去っていった。
 慰めの言葉なんてかけるような仲でもないし、私はどうすればよかったのだろうか。



◆◇◆◇◆



「エイテン名物塩釜焼きです」

 釣り堀での休憩時間を終え、塩湖のそばに建てられた高級宿で夕食を取ることとなった。
 国王夫妻には専用の個室が用意され、そこに料理が運ばれてくる。私は主人であるパレスナ王妃の補佐だ。ほとんどの仕事は侍女のフランカさんがやってくれるから、私はパレスナ王妃の後ろでじっと立っているだけの仕事だが。

「これが塩釜焼きかー。初めて見るね」

 国王が、出された料理を前に、ワクワクした様子で待機している。
 一方、パレスナ王妃はどこか引いた感じだ。私は彼女の後ろに立っているので、表情は見えないのだが。

「ええっ……これって、塩の塊じゃないの?」

 そうパレスナ王妃が言う。やっぱり引いていたようだ。
 そんなパレスナ王妃の反応を見て、面白そうに外務大臣が答えた。

「ええ、塩湖で獲れた大振りの魚の周りを塩湖産の塩と向日葵麦粉を混ぜた物で覆い、オーブンで焼き上げた料理です」

「塩の塊を食べるの?」

「そんなことはしませんよ。こうするのです」

 外務大臣が、個室に料理を運んできた料理人に目配せすると、料理人は塩釜焼きの皿の横に置かれていた布包みの布を取った。
 中から出てきたのは、トンカチだ。

「えっ?」

「ふふっ」

 それぞれ、パレスナ王妃、国王の反応だ。国王はどうやら塩釜焼きがどのような料理かを知っているようだった。

「これを……こうします」

 料理人がトンカチを手に取ると、塩釜焼きに向けてトンカチを振るった。
 すると、塩の塊が砕けて割れる。料理人が砕けた塩の塊を手で避けると、中から魚が顔を出した。

「わあっ!」

 粋な演出に、パレスナ王妃が歓声を上げた。
 塩の塊は避けられ、塩の中で蒸し焼きになっていた大振りの魚が皿の上で存在を主張する。その魚を料理人がナイフで切り分けていき、小皿に魚の身がより分けられ、国王夫妻の前に提供された。

 魚は慣れていないと綺麗に食べるのが大変だからな。料理人がわざわざ身をほぐして小皿に分けてくれるのは、いかにも貴人らしい食し方だろう。
 国王とパレスナ王妃は食器であるトングを手に取り、小皿の魚の身を口へと運ぶ。

「……塩の塊の中にあったのだからしょっぱいのかと思っていたけれど、そんなことないわね。ちょうどよい塩加減だわ」

「ハーブの味が利いていて美味いね。今回の塩釜焼きは魚だったけど、肉のもあるんだっけ?」

「ええ、肉の塩釜焼きは、併合式典の食事会でも出される予定ですので、楽しみにしてください」

 それぞれ、パレスナ王妃、国王、外務大臣の台詞だ。外務大臣も席に座って一緒に夕食を口にしている。塩の国による接待だな。

「それは楽しみだねぇ。ねえ、キリリン、塩釜焼きって食べたことある?」

 と、国王から話題を振られる。私は素直にそれに答えた。

「ありますよ。塩の国では、庭師としてそこそこ働かせてもらいましたので。あと、前世にもありましたね、塩釜焼き」

「へえー、地球にもこの料理あったんだ」

「鯛という、めでたいとされる海の魚で作られることが多かったですね。結婚式の料理とかに出ます」

「ほう、めでたい魚ですか」

 私の言葉に、外務大臣が反応する。

「特別な食材を特別な料理法で。ふーむ、まだまだ塩釜焼きには可能性が残っていますね」

 そう感心したように外務大臣は言う。
 どうやら、侍女が口を挟むこと自体には、嫌な顔をしていないようだ。

 その後、酒も入り和気あいあいと外務大臣との会食は進んだ。
 話題も頻繁に私の方へと振られ、その都度私はそれに答えていた。
 話しかけてくる側は酒に酔っていても、私は素面なんだけどなぁ。
 フランカさんに助けを求める顔をしてみたのだが、知らんぷりをされた。冷たい。

「しかし、カタツナさんも呼べばよかったのに」

 国王が、外務大臣に向けてそう言った。
 それに対し外務大臣は。

「誘ったのですがね。カタツナ氏は仲間と一緒に食事を取ると言われて、断られました」

「ありゃ、それは残念ー」

 ふむ、カタツナか。

「陛下、カタツナ様と言えば、先ほど釣り堀でこんなことをおっしゃっていました」

 私は、カタツナとした会話を一通り国王に報告した。
 すると、国王はピリッとした雰囲気に変わる。

「カヨウ夫人を返せ、か……亡骸は存在しないから、不可能だけれど……」

 そう考え込むように言ったかと思うと、一転、雰囲気が砕けた。

「ま、なるようになるさー。それより、もっと飲もう飲もう」

「ほどほどにしておきなさいよー」

 パレスナ王妃の忠告も半ばスルーして、国王はさらに酒をあおった。
 こりゃ、ダメだな。今の報告も、明日ちゃんと覚えているのやら。言葉には出していないが、よっぽど釣り堀を見られたのが嬉しいんだな。
 国王となってからは珍しい彼の酔う姿に、私はどうしたものかと内心で溜息をつくのであった。外務大臣は笑っていたので、気分を害した様子がないのが救いだ。



[35267] 96.王宮炎上サバイバー系天女再来セレモニー<3>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:9571a6fe
Date: 2021/09/10 02:42
 塩の国エイテンの王都に到着した。
 旅路は順調だったようで、併合式典までまだ六日もある。私達は王城近くにある迎賓館に通され、式典が開かれる日まで滞在することとなった。

 同行してきた侍女達は、他国の王都に遊びに行ける暇があると知って、喜んでいたな。
 警護を担当する騎士達は、他国に長期間滞在するとあってかピリピリしていたけれども。

 そうして今日、私はパレスナ王妃について王都の散策である。
 旅に同行してきた王妃付きの侍女は全員散策に参加だ。つまり、私、メイヤ、フランカさん、ビアンカの四人。
 護衛は、近衛騎士団第三隊より、後宮時代パレスナ王妃の護衛だったビビとフヤが同行し、後は第一隊より八人ほど付いてきている。屈強な騎士だらけで大変暑苦しい限りだが、つい先日まで戦争を起こしかけていた国の隣国で散策しようというのだから、これくらいは必要なのだろう。

 楽しい散策、と行きたかったところなのだが、この大陸の言語であるハイリン語を流暢に話せるのは私だけだったので、通訳に大忙しだった。
 今は、貴族向けの大商会の店舗に来て、商品を見て回っている。
 商品の棚に書かれた説明書きを読み上げるのに、パレスナ王妃だけでなくフランカさんやビアンカにも呼ばれて、私はあちらこちらを行ったり来たりしている。この国の識字率はアルイブキラほど高くないが、貴族向けの店なだけあって文字が多用されているなぁ。

 あ、メイヤ、遠慮しなくてもいいんだぞ。存分に通訳として使ってくれ。
 え? ハイリン語は読める? そういえばハイリン語を使えるという条件で、パレスナ王妃の侍女になったんだったな……。話す方は片言だけど。

 そんなやりとりがありつつも、アルイブキラの商店と微妙にラインナップの違う品を皆で楽しんで眺めていった。

「あ、キリン、見て。『天使の恋歌』のハイリン語版が売っているわ」

 パレスナ王妃に呼ばれて見てみると、そこには王妹ナシーの新刊が売られていた。
 おお、話には聞いていたが、本当にこの大陸でも売っているんだな。

「ハイリン語版ですか。買っていきますか」

「あら、コレクションでもするの?」

 本を前にして告げた私の言葉に、パレスナ王妃がそう聞いてくる。
 恋愛本のコレクション……同室のカヤ嬢ではないので、私にそういう趣味はない。

「いいえ、パレスナ様のハイリン語学習用にと」

「うっ、確かに教材は必要ね」

「これならばアルイブキラ語版と対比して説明できますから、良い教材になりそうですね」

「王妃なのに隣国の言葉を話せないのは困るわよね。頑張るわ」

 パレスナ王妃は怠惰とはほど遠い人なので、素直に尊敬ができる。
 アルイブキラの王族は恋愛婚だが、こんなに良い人を探しだして射止めた国王はすごいな。

「他に面白そうな本はあるかしら」

 そう言って、パレスナ王妃は本を物色し始めた。
 どれ、私も本を見てみるか。

「……アルイブキラ製の本はやはり品質が良いですね。おおよそティニク商会の仕業のようですが」

「つまり、キリンが関わっているってことじゃない」

「いやあ、ここには推理小説や漫画本は無いようなので、純粋な本の品質向上には私、関係ないですよ」

 と、子供向けの書籍コーナーに面白そうな本を発見。
『ハイツェンの偉人シリーズ カヨウ夫人』。隣国である鋼鉄の国ハイツェンの伝記が、エイテンの王都まで流れてきたのか。
 私はその本を手に取り、奥付の発行年を確認した。ふむ、一年前か。カヨウ夫人が存命中の日付であり、彼女への崇拝が最高潮に高まっていた頃に書かれた本なのだろうな。
 生きている間に伝記が書かれるとか、なんともおかしくなる。本が書かれた後にその人物が凋落したらどうするのだろう。

「また貴女はそんな変な本見つけて……」

 パレスナ王妃が呆れたような目で見てくる。

「いやあ、ネコールナコールに渡してあげようと思いまして」

「あの子、未だに自分の身体に未練あるみたいだから、止めてあげなさいよ……」

 でも、自分の身体が勝手に動いていたら、何をしていたのか気にならないか?
 ネコールナコールはカヨウ夫人の負の点ばかり知っているだろうから、偉人として装飾された正の軌跡を見せてあげよう。

「怒られても知らないわよ。ふう、私が読みたい本はないわね。ティニク商会ほど品揃えもよくないし。別のお土産を探しましょう」

 そうしてパレスナ王妃は、私を伴ってコーナーを移動していった。
 すると、店舗の中をぴょんぴょんと飛び跳ねてこちらに近づいてくる毛玉の姿が。キリンゼラーの使い魔である。

「キリンー。キリンー。お菓子買ってー!」

 神代から生きる神獣は、今日も自由だな。
 私は苦笑して、足元の使い魔を胸元に抱え、パレスナ王妃に頼み食料コーナーへと移動するのであった。



◆◇◆◇◆



 併合式典までまだ日があったので、私は迎賓館で『ハイツェンの偉人シリーズ カヨウ夫人』を読みこんでいた。
 大総統が国のトップに居た頃に書かれた本だけあって、武装衆のカタツナが言っていたような大総統の失態については書かれていない。ただ純粋に、大総統を助け、多数の政策を提案したと書かれていた。
 姿絵も描かれていて、ネコールナコールの生首時の顔と瓜二つであった。本物のカヨウ夫人の顔も見たことあるが、絵はそっくりに描かれている。

 本来の姿だと悪魔は頭に角が生えるのだが、カヨウ夫人の本性は首から上のない姿。だから、悪魔の変身能力で人に化けていたのだろうが、わざわざ本来の自分と同じ顔に似せたようだ。頭一個分、身長は低くなっているようだが。

「鉄の庭に咲く、一輪の花か……」

 本によると、そんな風にカヨウ夫人は称されていたらしい。

 鋼鉄の国にとって、カヨウ夫人は本物の偉人であったようだ。
 彼女の本当の目的はアルイブキラの王族の根絶だったとしても、そこまで話を持っていくために信頼されるよう、本気で国に尽くしていたみたいである。

 今から二十年以上前に鋼鉄の国は同じ大陸にある国との戦争で大敗し、貴族院に対する民衆の不満が高まった。
 そこで立ち上がったのが、軍人の青年達。彼らはクーデターを起こし、大総統府を設立し、代表者が大総統となった。
 だが、大総統府の人々は元々ただの軍人で平民だ。大総統自身は類い希なる内政の手腕を発揮していたが、先日カタツナが説明していた通り粗は多かった。そこを補佐したのがカヨウ夫人だ。

 天使や悪魔がここまで国政に口を出すというのは、珍しい事態である。
 彼らの親玉である天界の火の神は、人の営みを観察したがっているのであって、自分の端末が人を導く姿は別に求めていないのだ。まあ、端末に惑わされる姿は見たがっているし、人の選別なんてこともしだすから、世界樹による善悪判定によって悪魔なんて存在が生まれるのだが。

 カヨウ夫人の扱いを知ったネコールナコールがどんな反応を返すか気になるところだが、残念ながらこの国に来てから彼女とは会えていない。
 ハルエーナ王女も迎賓館には訪ねてきていないのだ。他の国の重鎮も来ているだろうから、対応に忙しいのだろう。彼女はアルイブキラ担当なのだとは思うのだけどね。

 そんなこんなで暇を潰している間に数日が過ぎ、いよいよ併合式典の日が訪れた。

「うーん、こちらの宝石がよろしいかと。真珠の原産国で真珠を使うのは、よしましょう」

 迎賓館の王妃に割り当てられた部屋で、私達侍女四人はパレスナ王妃の衣装を整えていた。
 様々な国の来賓が訪れる式典だ。それなりにめかし込む必要があった。

「私のことはほどほどに、貴女達も髪型とかチェックしておきなさいよー。みんなで出席するのだから」

 パレスナ王妃が私達に身を任せながらそう言う。

「私達はどうせ侍女のドレスだからいいのです。それより、パレスナ様は国の顔です。その美しさを見せつけなければいけませんわ」

 メイヤがパレスナ王妃の指に指輪をはめながらそう言った。

「私一人が飾り立てたところで、目立つとは思えないけれどね。それに、来賓なんだから目立ったら駄目じゃない」

「主役を他に譲りつつ、美しさを際立たせるのですよ」

 メイヤの言うことは難しいなぁ。

 と、そんな慌ただしい時間も過ぎ、私達は国王と合流してエイテンの王宮へと向かった。
 式典は、王宮にある大広間で行なわれる。大広間は吹き抜けとなっており、晴れ渡った空が見えている。まあ、この世界には雲はないので、雨天時以外は常時快晴なのだが。

 大広間の所定の位置に案内されたが、式典の開始まではまだまだ時間がある。
 私は、腕の中に抱えたキリンゼラーの使い魔が余計なことをしでかさないよう、彼女の会話にひたすら付き合った。ここまで来たのに使い魔だけ迎賓館に置いてくるのも可哀想だからな。

 会話をしつつも大広間に訪れる来賓達を見ていたが、庭師時代に会ったこともあるお偉いさんの姿もちょこちょことあった。
 庭師としてアルイブキラの外に出てからは、こういった大物達と顔を合わせる機会も多かったからな。侍女のドレスを着た私の姿を見て、驚く様子を見せる人もいた。

「お、武装衆も来たみたいだね」

 国王が、入口を見て言った。
 その名の通り、武装を身につけた武装衆が大広間に入場してきたのだ。武器を持っているということは、警備担当なのだろうか。

「おや、何か様子が……なんだか、こっちに来てない?」

 エイテンの騎士達が何やら武装衆を止めているが、彼らはそれを振り切ってこちらに近づいてくる。
 武装衆の集団十五人ほどが、アルイブキラ一同の前に来て、仁王立ちした。
 そして、一番前に立つカタツナが大声を上げた。

「この場を借りて、アルイブキラの国主にお頼みもうす!」

 その騒ぎに、来賓の人々の注目が一点に集まった。
 遅れて、大広間がざわめきに包まれる。

「アルイブキラにおられるカヨウ夫人をこちらに引き渡していただきたい!」

 流暢なアルイブキラ語で言われたその言葉に、国王は少し悩んでから返した。

「カヨウ夫人の遺体は残っていないよ」

「何を言っておる! カヨウ夫人は生きておられるでないか!」

 国王の言葉に、すぐさまカタツナはそう返してきた。
 さらに国王は言葉を返す。

「カヨウ夫人は自爆した。ええと、自分の魔法で爆発して死んだよ」

「またそのような世迷い言を! 我が国の忍びが、アルイブキラで生きているカヨウ夫人の姿を幾度となく目撃しておる!」

 えっ、カヨウ夫人を見た? 鋼鉄の国には忍者的な集団が居るから、アルイブキラの中に入り込んでいること自体はおかしくないのだが、カヨウ夫人を見たとなると……それ、ネコールナコールじゃない?

「だが、捕虜をただで返せとは言わぬ! 決闘だ! 拙者が勝った暁には、素直にカヨウ夫人を明け渡すのだ! 拙者が負ければ、そのときは我らハイツェンの戦士全員、エイテンの王に永遠の忠誠を誓ってやろうではないか!」

 カタツナがそう力強く宣言した。
 決闘と聞いて、青ざめた顔をしたエイテンの王族がこちらに走り寄ってくる。
 王族達は騎士を伴って彼らを下がらせようとするが、武装衆は頑として動こうとしない。

「んー、本当にカヨウ夫人はいないんだけどなぁ」

 困ったように国王が言うが……。

「この後に及んで何を言うか! さあ、戦士を選出するのだ!」

 カタツナは聞く耳を持たない。
 武装衆とアルイブキラ一同の間に、緊張が走る。

「決闘に意味がないのもそうだけど、勝利の報酬もちょっとね。うちが勝っても得するのはエイテンさんちであって、うちの国ではないんだけど」

「ならばアルイブキラに忠誠を誓ってやろう!」

「あ、それはいらないです」

「なにを!」

 国王とカタツナのやりとりが繰り広げられる。
 うーん、移動の最中は別に仲は悪くなかったんだがなぁ、この二人。どうにも、カタツナの要求があまりにも荒唐無稽すぎるのだ。

「ならば、武装衆の所有する宝石鉱山の所有権と採掘権、これをつけよう。勝てば譲るとは言わぬ。決闘を受けるだけで持っていってよい」

「マジで! 受けます受けます」

 国王が目の前にぶら下げられた餌に即食いついた。おい国王……。

 それからやりとりがいくつか交わされ、結局決闘は行なわれることになった。それも、今すぐここでだ。式典が進み併合が成立して、鋼鉄の国の集団である武装衆が塩の国エイテンに組み込まれる前に、決闘を行なう必要があるとのこと。

 国王がアルイブキラの面々に語ったところによると、公衆の面前で国に対して決闘を宣言されて、すごすごと引き下がるのは体面が悪いらしかった。
 アルイブキラは強国だ。舐められるわけにはいかない。つまり先ほどは、言葉巧みによい条件を引き出したってことだな。
 まあ、向こうも宝石鉱山の譲渡書類をその場で渡してきたので、初めから用意されていた条件だったようだが。

「真剣を使うが、極力、相手を死に至らしめることは控えること。魔法、道具の使用は可」

 エイテンの王が仲立ちになって、決闘のルールが決められた。
 武装衆側は長のカタツナが決闘に出るらしい。

「んじゃ、ちょっくら決闘に行ってきますかね」

 唐突にそんなことを国王が言い出した。

「陛下!? お控えください! 貴方は国王なのですよ!」

 すぐさま近衛のオルトが却下した。当然だ。死ぬかもしれない決闘に、国王を出す馬鹿はいない。

「えー、でも俺っちが名目上、王国最強ってなっているじゃん?」

「強い弱いの話ではありません! はあ、私が行きます」

「ダメだよー。オルトは真剣使ったら相手殺しちゃうじゃん」

 何やら人選に揉めているようだ。まあ、人死にが出るかもしれないんだから、そりゃあ揉めるか。死ぬのがこちらか相手かは知らないが。

「キリリーン。出番だよ」

 と、国王が私のことを呼んだ。私?

「……私ですか?」

「本当は俺っちが出たいんだけど、駄目だろ?」

「駄目です」

「当然駄目です」

 オルトに続いて私も却下した。戦争に行くならともかく、決闘に国主を出すのはさすがに駄目だ。

「なら、俺の代理として確実に彼を潰してきてよ。絶対勝てるって言えるのは、やっぱりキリリンだ」

「んー、まあいいですけど。オルトじゃなくていいんですか?」

「オルトはさー、勢い余って殺しちゃうかもしれないから」

 確かに、オルトはなぁ。手加減が苦手だし、鋼鉄の国のこと嫌っているからな。
 以前、魔王討伐戦で『幹』に召集されたとき、オルトの奴、鋼鉄の国から代表戦士として来ていたカタツナと一触即発の空気になっていたりしたからな。魔王の浄化成功を祝う場だったというのにだ。

「仕方がありませんね。まあ、こんなこともあろうかと、空間収納魔法には鎧と武器を詰めてきているんです」

 私はキリンゼラーの使い魔を足元に置き、その場で空間収納魔法を発動して中から鎧を取りだした。
 庭師時代に使っていた、エンチャントを幾重にも重ねた魔法の鎧だ。これを着ていたならば、決闘で死ぬということはそうそうないだろう。

「おや、用意がいいねー」

 国王が感心したように言う。
 それに対し、私は淡々と答えた。

「一応、元敵国を通ることになっていましたからね。戦いの用意はしてあります」

「すまないね、よろしく頼むよ。褒美は弾むよ」

 まあ、戦闘侍女を拝命しているなら、こういうこともあるのだろう。
 私は一つ溜息をついて、空間収納魔法から非殺傷用の武器である鉄の棒、『骨折り君』を取り出すのであった。



[35267] 97.王宮炎上サバイバー系天女再来セレモニー<4>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:9571a6fe
Date: 2020/10/28 22:09
 鎧を着込み、カタツナの前に出る。
 侍女が決闘に出てくる事実に、彼は驚く様子をこれっぽっちも見せなかった。

「殺竜姫か……相手にとって不足なし!」

 むしろ彼はやる気をたぎらせていた。どうやら、ろくに庭師の仕事をしていない鋼鉄の国でも、私の名は知れ渡っているらしい。
 これでも私は、庭師時代にそれなりの数、決闘を経験している。決闘の代理人の仕事を受けたり、決闘を申し込まれたりと色々だ。
 ただし、私自身の戦闘スタイルは、魔物と戦うのが専門のつもりではあるのだが。
 なにせ、私の戦い方は、魔人としての腕力で力押しするのが基本だからだ。人間相手に使うと挽肉が完成してしまう。ゆえに、決闘では手加減をするのが常套手段となっていた。
 決闘だからって、相手をいちいち殺してなんかいられないからな。庭師は基本、人殺しはしないのだ。

「しかし……そのような棒きれで挑むつもりか」

 カタツナが、私の武器である『骨折り君』を見て言った。

「大丈夫です。超強い鉄の棒なので」

 私がそう言うと、カタツナは何かを考えるように目を閉じる。

「……異国には不殺の心得を持つ棒術なる武術があると聞く。よかろう。皆の者、結界を張るのだ!」

 カタツナのその言葉に、武装衆の面々が四方に散り、魔法の障壁を展開した。物理も魔法も通さない、見事な結界だ。併合式典の来賓達を戦闘の余波から守るために張ったのだろう。

「エイテンの王よ、結界の外からになるが、見届け人を頼む。さあ、殺竜姫よ。いざ尋常に勝負!」

 カタツナが腰から剣を抜く。見るからに切れそうな刃である。
 私は一瞬で頭を戦闘モードに切り替え、大きな声で告げた。

「勝負!」

 私のその言葉と共に、カタツナがこちらに飛び込んでくる。先の先。その動きには迷いがない。
 そして、物凄い速さで唐竹割りを放ってきた。

 こいつ、殺すことに戸惑いがないな!
 私は鉄の棒を振るい、その一撃を払った。
 剣と『骨折り君』が打ち合わさる甲高い音が鳴り響き、私の剛力に負けたカタツナが剣ごと吹き飛ぶ。
 私の今の一撃は身体狙いではないので、遠慮なく力を入れた。それでも、武器を手放さなかったカタツナは、称賛されてしかるべきだろう。

「くっ、ハンク工房の鋼鉄の剣が打ち負けるだと……!」

 ハイリン語でカタツナが声を絞り出すようにして言った。
 カタツナの持つ剣は、今の一撃でひん曲がっていた。
 一方、私の『骨折り君』は無傷。

「ハンク工房がどこかは知らないが、『骨折り君』は世界中の一流の魔法使い達に、依頼してエンチャントを幾重にもかけてもらっている。そこらの名剣程度では、曲がりすらしないぞ」

 私もハイリン語でカタツナに告げてやる。
 結構長い台詞だったが、その隙をついてこちらを攻撃してこようとはしていない。むしろ、彼は警戒するようにこちらを観察していた。
 まあ、当然だな。私は喋るときに口を開く必要が無いので、話している最中も別に隙はできない。

 ひん曲がった剣を構え続けるカタツナ。と、次の瞬間、カタツナは剣を投げつけてきた。
『骨折り君』でそれを打ち払うと、その隙にカタツナは右腰に差した短剣を抜いていた。
 そして彼はそのまま素早い足さばきで近づき、斬りかかってくる。

 私はそれを見切り、短剣を持つ彼の右腕を打ちすえる。
 骨の折れる鈍い音が周囲に響きわたった。

「ぬうっ!」

 カタツナはうめき声を上げるが隙は見せず、すぐさま下がってこちらの間合いから逃れた。
 そして、荒い息で呼吸をしながら、絞り出すようにして言葉を放った。

「ここまで力の差があるか……!」

「相手の身体を破壊しても良いという条件がつけば、私はアルイブキラ最強の国王より強いぞ。さあ、次はどうする?」

 武器を失い右腕も折れたカタツナだが、目から気力は失われていない。まだ戦う術は残っているのだろう。
 だから私は油断なく、彼の動きに注視し続けた。

 カタツナの無事な左手が、彼の懐に差し入れられる。もしや服の中に隠し武器か?
 私は一気に距離を詰め、何かを取り出したカタツナの左手を『骨折り君』で打った。

 左手に掴んでいた何かは地面に落ち甲高い音を立て、一方でカタツナの左手は何も持てないほどにひしゃげた。
 これで、右腕と左手を潰した。だが、魔法があるかもしれない。私は魔力封印の魔法を『骨折り君』にまとわせて、彼の肩口に叩き込もうと振り上げた。
 その瞬間、ふと、地面に落ちた何かが目に入る。手の平サイズの赤い八角柱。これは――

「解放!」

 カタツナが魔法の言語でそう叫んだ瞬間、私はその場から全力で後退していた。
 赤い八角柱が光り輝き、中から炎の柱が上がった。

 危ない危ない。あれは、天使や悪魔が使う、魔法の封印道具だ。カヨウ夫人にでも貰ったのだろうか。中に火の魔法が仕込まれていたとは、危うく炎を浴びるところだった。

 と、炎の柱は収まらず、徐々に柱から変形して何かの形を取り始めた。
 なんだ?

 炎は生物的なフォルムへと変わり、そして炎の下から鱗が見え始めた。
 まさかこれは、天使や悪魔達がしばしば使う、生物を火の身体に変換して持ち運ぶ召喚術か?

 やがて炎は収まり、大広間のど真ん中に登場したのは……見覚えのある姿をした竜の姿であった。二階建ての家ほどの大きさがある巨大な飛竜である。
 結界の外で招待客達がざわめき、悲鳴が上がる。

「あれはアルイブキラドラゴン!」

 戦いを見守っていたアルイブキラの騎士から、そんな叫びが飛び出した。
 そう、アルイブキラドラゴン。数年前、多大な犠牲を払って退治された、北の山の飛竜。それとそっくりな見た目をしていたのだ。

「それがあんたの切り札か!」

 脂汗を流し飛竜の横に立つカタツナに向けて、私はそう言葉を放った。
 対するカタツナは、勝利を確信したにやけた表情で言った。

「いかにも。カヨウ夫人が八年前にアルイブキラで捕らえたという、恐ろしき竜よ。夫人の術でこやつは拙者の完全なる支配下にある」

 結界の外のざわめきが止まらない。
 そして、勝負の行く末を見守っていた塩の国エイテンの王が、大きな声で告げた。

「決闘を中止せよ! 明らかな違反である!」

「聞く耳持たぬ! これは、『幹』によって中断させられた闘争の続きである! 本来この竜は、戦場にてアルイブキラの騎士達を蹂躙するはずだったのだ。今更アルイブキラの騎士をどうこうしようなどとは言わぬが、この力でもってカヨウ夫人を取り戻してみせる!」

 カタツナが主張する言葉を聞くに、この飛竜は戦争用の兵器だったらしい。
 それなら十分制御されているだろうし、暴走して招待客に被害をもたらす心配も少ないな。ただ、操っているカタツナが気を失ったりしたらどうなるかは未知数だ。

「これ、殺しちゃっても良い奴だな?」

 私はそうカタツナに尋ねる。

「できるものならやってみせよ!」

 言質取ったぞ。

 ――【空間収納】魔法発動。

 私は、歪んだ空間に手を突っ込み、中から愛用の斧を取り出した。
 私の身の丈近い長さのある柄。魔法金属を鍛えて作られた巨大な両刃。『骨折り君』以上に重ねられたエンチャント。
 私が所有する中で、一番強い武器がこれだ。

 私は『骨折り君』をそこらに投げ捨て、斧を両手で構えた。

「行け! 飛竜よ!」

 カタツナが叫ぶと共に、飛竜が火を吐いてきた。
 対する私も口を開き、炎のドラゴンブレスを吐いた。

 正面からブレス同士が衝突し、そして私のブレスが打ち勝ち飛竜の表皮をあぶった。

「なにっ!?」

 ブレスで打ち負けた事実に、カタツナが驚きの声を上げる。
 私は戦闘の補助として妖精を召喚しながら、思った以上の成果に口角を上げた。

 私の正体は、どうやら神代のドラゴンの要素を持つ魔人らしい。だから、それを意識してドラゴンブレスを放ったのだが……以前よりはるかに威力が上がった。しかも、まだまだ威力が上げられそうだ。
 私はまだ強くなれるらしい。庭師を辞めた以上、必要の無い強さだが。

「ならば、この牙と爪を味わうがよい! そして、竜は決して倒れぬ! かつてアルイブキラの軍団を苦しめたという無限の再生力、おぬしは突破できるか?」

 カタツナがそう言うと、飛竜がこちらに襲いかかってくる。
 私は妖精を呼び寄せながら、斧を構える。
 飛竜の初手は、その巨大な身体を使った飛びかかり。私は飛来する飛竜に向かって、全力で斧を横薙ぎにした。

 轟音が周囲に響き、飛竜が吹き飛ぶ。
 妖精言語を使ってアストラル界と交信しながら、私はその様子を眺めた。私の怪力の前では、飛竜の巨体も特に武器にはならない。
 飛竜は傷口から火を吹き出しながらも、徐々にその傷を再生させていく。
 ふーむ。

「やはり悪魔による処置が施されているな。血ではなく火が傷口から出た」

「カヨウ夫人は悪魔などではない、天女だ!」

 カタツナの主張に、私は呆れ返った。なんだ天女って。天使ですらないのか。
 ここでいう天は、火の神のいる天界じゃなくて、もっとこう概念的な極楽を指すのだろうなぁ。世界樹教にそんな教えはないけど。
 さて、飛竜の性質と再生力は確認したので、今度はこちらが攻める番だ。

「行くぞ」

 私は妖精をこの世界に招きながら、斧を振りかぶって飛竜に突撃した。
 一発、二発、三発、四発、五発。飛竜を斧で滅多打ちにしていく。
 飛竜も足の爪を振るったり、尾を薙いだりしてくるが、どれも斧で迎撃していく。

 そんな戦いの最中に、ふと私の名前を含んだ国王の言葉が耳に入る。

「見て、パレスナ。あれがキリリンの得意技、旋風斬りだよ。キリリンの腕力でやたらめったら斧を振るうと、どんな相手も粉砕されるんだ。人相手には残酷すぎて使えない無敵の技だよ」

 そう、これは剛力魔人百八の秘技の一つ、旋風斬り。多数の魔物に囲まれた時用に考えた技だが、大型の魔物相手にも通用するのでいつの間にか得意技になっていた。
 傷つく端から再生する飛竜だが、徐々に傷を負う速度が再生速度を上回り始める。

「な、何故だ。何故こうも押し切られる! アルイブキラの騎士と魔法使いが総出になってようやく抑えられる相手ではないのか!?」

 一方的な私の攻撃に、カタツナが驚愕の声を上げる。

「いやだって、あれから年数経って私も強くなっているし……」

 私が参加した北の山の飛竜退治から八年だぞ。半年間、前線を離れて侍女をやっていたとしても、七年以上庭師を続けていた計算だ。
 それだけあれば、武の腕前も魔法の技術も向上している。

「くそっ! 距離を取れ! 空から火で狙い撃ちにするのだ!」

 飛竜が翼を広げ、吹き抜けとなっている大広間から飛び立つ。
 そして、口を開けてブレスを放とうとしてくるが――

「残念、火はもう使えない」

 私は妖精を全て呼び出し終わり、準備し続けていた魔法を展開する。

 ――【領域】魔法発動。妖精郷、火喰いの庭。

 石造りだった大広間の床が、光り輝く草地に侵食される。
 飛竜がブレスを放つが、無数に呼び出した妖精達が飛竜に飛びかかると、炎は何もなかったかのように霧散した。
 さらに妖精は飛竜に取りつき、その火で作られた身体の熱を奪っていく。
 私が呼び出した妖精は、火が大好物でたまらない者達だ。この火喰いの庭は、火で身体が構成された天使や悪魔の天敵と言える魔法であった。

 力を失い、大きな音を立てて地に倒れ伏す飛竜。
 飛竜はその尾で妖精達を払おうとするが、残念、妖精はアストラル界に住む生き物。物理的な干渉は不可能だ。

「何故だ、何故こうも上手くいかぬのだ……こうなれば……!」

 カタツナは、折れた右腕を懐に突っ込み、何かを取り出した。それは、赤い八角柱。ってまだあったのか!
 カタツナが「解放!」と魔法の言葉で叫ぶと、またもや炎の柱が立ち、それに妖精達が群がっていく。火喰い妖精が居ても炎が顕現していられるあたり、あの炎は相当魔法的な濃度が濃いらしい。炎は形を作り、やがてまたもや飛竜となった。

「二匹目……!」

 妖精達大歓喜である。妖精達が二匹目の飛竜にも群がるが、飛竜はその強力な再生力で熱を身体に補充しながら、こちらに向かってくる。
 さらに、一匹目の飛竜も挟み撃ちしようと後ろに回って突進してくる。

「ぬああ! 面倒臭い!」

 私は斧を構え、迎撃しようとする。そのときだ。

「いくらなんでも決闘で三対一はずるいと思うんだー」

 そんな声がアルイブキラの言語で聞こえ、飛竜が二匹とも吹き飛んだ。
 なんだ? 私が疑問に思っていると、私に近寄る小さな影。キリンゼラーの使い魔だ。結界をどうにかして抜け出してきたらしい。

「ねーねーキリン、ずるいよね。決闘で三対一ってずるいよね」

 そう私の足元で飛び跳ねながら、使い魔が言う。

「あ、ああそうだな……。卑怯と言われても仕方が無い所業だろうな」

「それじゃあ、三対三にするね!」

「おう。あんたも参戦してくれるのか」

「うん!」

「じゃああともう一人は」

「今行くよー」

 うん? 行く?
 すると、次の瞬間、周囲に影が差した。
 吹き抜けになって人工太陽が見えていたはずの大広間が、何かで塞がれたのだ。
 私は、上を見上げる。すると、そこに居たのは……。

「キリン、来たよー。さあ、決闘だ!」

 大広間より巨大な金色のドラゴン。神代を生きた神の獣、キリンゼラーそのものであった。
 今までの比ではない悲鳴が結界の外の来賓達から聞こえ、逃げ出す者が現れ始めた。


「来たって、あんた……どうやってここに」

 キリンゼラーは惑星に住んでいるはずだ。私達の居る世界樹は月にある。宇宙でも飛んできたっていうのか。

「テアノンの人達にテレポーテーションを教えてもらったんだー」

「教えてもらって覚えられるもんなのか……?」

「楽しかったよー。で、確実に彼を潰せばいいんだっけ?」

 大広間の吹き抜けから覗き込む頭をこちらに近づけ、カタツナを見つめるキリンゼラー。結界素通りである。

「あー、殺すのはなし。それよりも、飛竜を先に倒さないと」

「はーい。アル・フィーナ」

 キリンゼラーが唐突に食前の聖句を口にすると、聖句の効果でその身が光り輝き、周囲に神々しい姿を見せつけることになった。結界の外の来賓達の中には、キリンゼラーを拝む者まで現れた。
 しかし、なんで聖句を? と思ったら、キリンゼラーは飛竜を二匹ともその場で丸呑みにしだした。

「うわー、ほかほかで美味しい!」

 左様か。もう、めちゃくちゃだなこれ。
 飛竜がキリンゼラーの腹を破って出てくるという逆転劇も起きず、私は能面のような表情になったカタツナと対峙した。

「で、まだ戦うか?」

「……いや、拙者の負けだ」

 カタツナがそう宣言すると、呆けていたエイテンの王が、はっとなって高らかに告げた。

「決着! アルイブキラの勝利! 両者、武器を収めよ!」

 決闘が終わったため、私は妖精をアストラル界に帰し、領域魔法を解除。そして、空間収納魔法を使い、斧を中に収めた。さらに、床を転がっていた『骨折り君』を拾い、これも収納。

 武装衆の結界が解かれ、武装衆はカタツナのもとへと集まり魔法で彼の骨折の治療を始めた。
 私は、キリンゼラーの使い魔を抱き上げながら、本体のことはどうするかと頭を悩ませる。帰ってもらうしかないか。
 そう思っていると、大広間の入口から幼い少女の声が響いてきた。

「なんじゃなんじゃ、この大騒ぎは。ぬおっ、キリンゼラーではないか。おぬし、何故ここに」

 その声の主は、女帝蟻。
 後ろに、ハルエーナ王女とネコールナコール人型モードを伴っている。
 女帝は大広間の中央に立つ私に気づいたのか、こちらに近づいてくる。

「キリン、どうした。鎧など着おって」

「ああ、ちょっと決闘騒ぎがあってな。決着がついたところだ」

「決闘……? それで、キリンゼラーを呼び出したのか? 神獣を助っ人に呼ぶなど、ちょっと卑怯ではないか」

「いやあ、卑怯な助っ人は相手が先でな……」

 事情を詳しく説明しようとしたところで、武装衆から声が上がる。

「カヨウ殿!」

 彼らは、ネコールナコールのことを驚愕の目で見ている。
 そして、カタツナが治療をする仲間を振り切り、ネコールナコールのもとへと走ってくる。

「カヨウ殿、無事であったか……!」

「えっ、ちょ、ちょっと待つのじゃ。妾は別にカヨウではないのじゃ。妾はネコールナコールといってな……」

「カヨウ殿ー!」

 カタツナが、折れた腕でネコールナコールに抱きついた。
 ネコールナコールは「なにをするのじゃー」と叫ぶが、されるがままになっている。
 そして。

「カヨウ殿、しばらく見ぬ間にこんなに背も伸びて……最後にお会いした日が遠い昔のようだ」

「だから妾はカヨウとかいう痴れ者ではないのじゃー!」

 こうして、決闘騒ぎは思わぬ幕切れとなったのだった。
 カタツナのことは、もうネコールナコールに丸投げしよう。
 私は戦闘で少々疲れた身体を癒すために、ふわふわの使い魔を胸にかき抱き、女帝の相手を再開するのであった。



[35267] 98.王宮炎上サバイバー系天女再来セレモニー<5>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:9571a6fe
Date: 2020/10/28 22:10
 女帝の登場により、併合式典の準備が再開される。
 式典の場で決闘騒ぎを起こした武装衆は退室させられ、後ほど改めて処分を決定するとのこと。
 そして、大広間の上空に留まっていたキリンゼラーの本体だが、彼女は生身で式典を見ていきたいと言いだした。だが、女帝の「邪魔すぎるのじゃ」という言葉で素直に引き下がる。
 そして、またテレポーテーションで惑星に戻っていった。衛星から惑星までひとっ飛びとか、超能力すごすぎる。

 そんな決闘騒ぎだの竜の出現だのがあったが、やがて大広間から逃げ出していた人も戻ってきて、ようやく式典が始まった。
 塩の国エイテンの国旗と、鋼鉄の国ハイツェンの国旗が掲げられ、そして、新たにもう一つの旗が捧げられた。併合後の新国家の国旗だ。

 そして、女帝の前にひざまずいたエイテンの王は、女帝に一本の杖を手渡し、代わりに女帝から別の大きな杖を渡された。
 あれは、アルイブキラの王が持つ豊穣の杖に似ているな。おそらく、国土を調整するための新たな杖なのだろう。世界樹に対するリモコンみたいな物だ。

 杖を持って立ち上がったエイテンの王は、高らかに宣言する。

「今この時をもって、エイテン王国とハイツェン共和国は一つの国となった! ここに、国の名をシンハイ王国と命名する!」

 すると、杖が輝き、光の柱が大広間の上空に立ち上った。
 シンハイは、ハイリン語で白い鉱石を意味する言葉だ。塩と鋼鉄の国としては、それっぽい命名ではないだろうか。

 さらに王は、新たな国シンハイについての説明を招待客に対して話し始める。

 エイテンとハイツェンの国土を合併し、シンハイとする。
 エイテンの王がシンハイの国主として就任し、君主制の国とする。
 エイテンの貴族達は引き続きシンハイの貴族となり、与えている領地も継続する。
 ハイツェンの大総統府は解体する。
 ハイツェンの貴族院の貴族達は、シンハイの貴族となりハイツェンの国土を分割して領地として与える。
 エイテンの王都が今後のシンハイの首都となる。
 アルイブキラと同盟を結び、交易を促進させる。

 そんなことを新たなるシンハイの王は、つらつらと語った。
 最後の同盟のくだりで、少し招待客達がざわめいたな。ここに来ているのは、大半がシンハイと同じハイリン大陸の国から来た重鎮達だから、大国であるアルイブキラとの同盟は聞き捨てならなかったのだろう。

 そうして、併合式典はあっさりと終わった。
 まあ、ただの儀式的な催し物だからな。本番は、これから開かれる午餐会での交流である。

 私達は元エイテンの騎士達に先導されて、場所を移動。広いダンスホールへと通された。

「さ、食事だ食事。真面目な顔して疲れたし、食べるよー」

 到着と共に、うちの国王がそんなことを言いだした。
 だが、国王の秘書官が近づいてきて、にっこり笑うと冷ややかに告げる。

「これからがお仕事の本番ですよ。他国の王や外交官と交渉の時間です」

「うへぇ……」

 心底嫌そうな顔をして国王がうめいた。
 国王って大変だな。私は頼まれても絶対にならないぞ。

 そして、招待客達が全員ダンスホールへと入り、しばらくしてから立食パーティが開始された。
 早速とばかりに、シンハイの王がこちらへと近づいてくる。シンハイの王は、ストロベリーブロンドの髪を後ろに流した、優しそうな中年男性だ。だが、王である以上、ただの温和なおじさまではないだろう。

 彼は挨拶を交わすと、すぐさま国についての難しい話を始めた。
 私は外交官でもないただの侍女なので、話は右から左に聞き流し、パレスナ王妃の食事の世話をする。

「宝石鉱山、いくらでお譲りいただけますか?」

「いやあ、うちの優秀な戦闘侍女が確保してくれた鉱山だからね。大事に掘り進めたいよ」

「しかし、シンハイの領土に飛び地を持つのは何かと不便ではありませんか」

「うちの国って、宝石採れないんだよねぇ。だから、キリン鉱山って名付けて名物にしたいなー」

 あーあー、聞こえない聞こえない。
 そうやって国王達の話をスルーしていると、パレスナ王妃が私達侍女に向けて言った。

「あっちは話が長くなりそうだし、私達は私達で他の人に会いに行きましょ」

「よろしいのですか?」

 侍女のメイヤがそうパレスナ王妃に尋ねるが、対する王妃は軽い様子で答える。

「いいのよ。ここにいても私は何もできないから。それなら、知り合いと顔つなぎをするわ」

 そういうわけで、私達はぞろぞろと連れ立ってダンスホール内を移動した。
 すると、十歳ほどの黒髪の少女が一人、スープを飲んでまったりしていた。女帝である。
 パレスナ王妃がアルイブキラの言語で女帝に話しかける。

「女帝ちゃん、ご機嫌麗しゅう。パレスナよ」

「おお、パレスナよ、久しいの。それにキリン、先ほどはご苦労じゃったな」

 女帝を前に、私は無言で侍女の礼を取った。他国の偉い人がいる公式な場で、私が女帝とフレンドリーな会話をするのもなんだ。お相手するのはパレスナ王妃に頑張ってもらおう。

「おぬしらも気になっておったかもしれんが、武装衆なる集団の処罰が決まったのじゃ」

「あら、そうなの。確かに、どうなるか気になるわね」

 パレスナ王妃の相づちに、女帝は気を良くして語り始めた。

 公式な式典の場で決闘騒ぎを起こした武装衆は懲罰を受けることとなった。とは言っても、正式には減給と奉仕活動が義務づけられた程度の処分だ。
 だが、新たな国の体制で武装衆はシンハイの王直属の部隊となり、今後過酷な任務に使われることになるようだ。

「へえー。恩情のある結果って感じかしら」

 パレスナ王妃は、この処罰に納得しているようだ。

「時と場所を考えなかったという罰であって、決闘そのものは両者納得の上での行為じゃからの。式典がまだ始まっていなかったことと、間にシンハイの王が入ったこともあり、これくらいの扱いじゃな。まあ、彼らにしてみれば、あの時と場所が最も決闘を申し込むのに相応しかったのじゃろうが……」

 女帝はスープのおかわりを使用人に持ってこさせながら、そう言った。

「ふむ、ただ塩辛いだけのスープではなくなっておるの。これもアルイブキラとの交易が正常化した結果かのう」

「女帝ちゃん、スープばかり飲んでいないで他の料理も食べなきゃ。そうだ、塩釜焼きって料理が面白いの!」

「我は固形物より液体の方が好きなのじゃが、お勧めするならいただこうかのー」

 そんな会話がされた瞬間、私の腕の中の使い魔がもぞもぞと動いた。

「塩釜焼き! 食べるー! 魚のは食べたから、今度は肉!」

「ほう、キリンゼラーはもうその料理を食したのか」

「ぱーんって出てくるの。ぱーんって」

「あれは驚くわよねー」

 女帝とキリンゼラーの使い魔、パレスナ王妃の三人で話が盛り上がる。そして、その料理を食べてみようということになり、使用人に案内させ塩釜焼きのコーナーへと向かう。
 ちょうどそこにはハルエーナ王女がいて、女帝に向けてうやうやしい礼をしてきた。

「女帝陛下、久しぶり」

 パレスナ王妃に気を使ったのか、アルイブキラの言葉でハルエーナ王女が話す。

「うむ、パレスナの結婚式以来じゃの。ところで、塩釜焼きという料理はここでよいかの」

「そう。エイテン名物。あっ、シンハイ名物」

 ハルエーナ王女はそう言い直して、テーブルの横に立つ料理人に目配せをした。
 すると、料理人が「肉と魚がございますよ」と言ってきたので、キリンゼラーの使い魔がすぐさま「肉!」と叫んだ。
 見慣れぬ毛玉に驚いていた料理人だが、すぐに気を取り直して、塩釜焼きをトンカチで割るパフォーマンスを見せてくれた。

 その豪快な料理法に、女帝陛下も大満足。皆で塩釜焼きの肉を楽しんだ。主人達だけでなく、私達侍女もご相伴にあずかった。
 そしてパレスナ王妃がしばらく女帝とハルエーナ王女の二人と話し込んでいると、何やら疲れた顔をしたネコールナコールがこちらに近づいてきた。

「妾がカヨウでないと説得するのに、ずいぶん時間がかかったのじゃ……」

「よく信じてもらえたわねー」

 ネコールナコールの疲れ切った台詞に、パレスナ王妃がそう感想を述べる。

「天使の角を触らせてみたり、身体から首を取り外してみせたりと、頑張ったのじゃ……」

「で、武装衆の人達はどうしたの? 食事会も出禁?」

「ふむ? 我は参加してよいと通達したぞ?」

 パレスナ王妃の疑問の言葉に、女帝が不思議そうに言う。
 それに対し、ネコールナコールが溜息を吐いて言った。

「今は別室で、皆で殴り合いをしているのじゃ」

「何それ。どうなったらそうなるの?」

 パレスナ王妃が驚きでそう声を上げると、ネコールナコールがそれに答える。

「なんでも、カヨウの頭部である妾が、はたしてカヨウと同じ存在と言えるかで、武装衆の間に解釈の違いが発生しておるようでの。激論を交わすうちに殴り合いに発展したのじゃ。妾は呆れて逃げてきた」

 うーん、いつものネコールナコールなら、男達を惑わす妾は罪深いとかなんとかいって笑うところなのだろうが……よほど武装衆の相手が疲れたらしい。
 と、そんなことを話していたら、武装衆の集団がダンスホールに入場してきた。
 よく見ると、顔に青あざをつけている。魔法で治せばいいのに。

 そして、武装衆達はネコールナコールを見つけると、こちらに早足で近づいてきた。

「うわっ、来たのじゃ」

 うわっとか言ったぞこの天使。

「ネコールナコール殿、探したぞ! いきなり姿を見せなくなって、心配いたした!」

 カタツナがそう嬉しそうな顔で言った。

「妾は一応、もうよいといって去ったのじゃ。いつまでも殴り合いを続ける方が悪い」

「いやはや、お恥ずかしい。拙者達もつい議論に熱が乗ってしまってな」

「議論で普通、拳は出さないのじゃ……」

「しかし、無事我々の意見はまとまった!」

「ええっ、殴り合いでどう話がまとまるのじゃ……こいつら絶対おかしい」

「ネコールナコール殿、我ら武装衆、永遠の忠誠を貴殿に捧げる!」

 カタツナがそう言うと、武装衆は一斉にハイツェンの戦士の礼を取った。
 それを見たネコールナコールが嫌そうな顔をする。
 そこに女帝が割って入った。

「まあまあ、待つがよい」

「これは、女帝陛下ではありませんか。我らの忠誠の儀に何か問題が?」

 カタツナがそう言うが、女帝は「問題大ありじゃ」と切って捨てる。

「そなた達は式典の場で決闘を起こした罰として、シンハイの王直属の部隊になったのじゃ。そこな生首天使の配下ではない」

「むっ、ならば、武装衆は解散して、ネコールナコール親衛隊を新規に設立して……」

「そんな屁理屈が通るわけなかろう。痴れ者め」

 カタツナの解散宣言を聞いて、厳しい顔で女帝が言った。
 なんだ、カタツナってこんなに愉快な奴だったのか……。第三者として見る分には面白い。

「どうにか通りませぬか……!」

「通らぬ、と言いたいところじゃが、実はこのネコールナコール、シンハイ王の娘の護衛をしておってな」

 懇願するカタツナに女帝が何やら助けを出すようだ。
 女帝は料理の皿を片手に、言葉を続ける。

「その護衛の手助けとしてならば、一名補佐として入ってもよいのではないか。王直属の部隊なら、王族の護衛にもぴったりじゃろ」
「おお、ならば、拙者がその護衛の手助けをいたそう」

 と、カタツナがそう言ったところで、彼の背後から待ったがかかった。

「長、勝手に自分自身を推挙するのは困りまする」

「しかり。ここは正しく議論で決めるべきでは?」

「うむ、議論がよろしいかと」

 そう言って、武装衆達は騒がしく言葉を交わし始めた。
 それを見たネコールナコールは、慌てて間に入って言った。

「おぬしら、また殴り合いをするならばこの場は駄目じゃ。さっきの部屋に戻るのじゃ」

「はっ、では、ネコールナコール殿、行きましょうぞ」

「えっ、妾は別に行かない……あー、引っ張るでない!」

 そうして、ネコールナコールと武装衆はダンスホールを去っていった。

「……武装衆にも意外な面があったのね」

 途中、笑いをずっとこらえていたパレスナ王妃が、深呼吸しながらそう感想を告げた。

「まあ、あやつらならそう悪いこともせぬだろう。後は、ネコールナコールとシンハイ王に丸投げじゃな」

 女帝がそう投げ槍に言う。彼女も武装衆には呆れているのだろう。
 そして、ずっと無言だったハルエーナ王女が最後にぽつりと言った。

「私の護衛に、変なの押しつけないで」

 鋼鉄の国が誇ったエリート部隊も、今や変なの扱いだ。
 カヨウ夫人による洗脳が変な作用を起こしたのだろうが、ネコールナコールにはちゃんと手綱を握ってもらいたいものである。

「ねえ、キリン」

 と、ふとパレスナ王妃が私に声をかけてきた。

「はい、なんでしょうか」

「私がもし敵対した国に捕らわれたとして……そのときは決闘して助け出してくれる?」

「決闘でも計略でもなんでも使って、取り戻してみせますよ。私の主はパレスナ様ですから」

 私には庭師時代の便利なコネがあるんだ。どの国に捕らわれたって助けてみせるさ。

「そう。じゃあ……仮に私の生首が別の個体として存在してて……」

「あ、せっかく良い話で返したのに、その仮定は止めてください。笑ってしまいます」

「ええー。駄目かしら、生首天使パレスナ」

「生首で生きる存在は、ネコールナコール一人で十分です」

 そんな会話を私達は交わし、互いの言葉に笑いを漏らすのであった。

 そうして、何事も無く食事会は終わり、鋼鉄の国ハイツェンの併合は成立した。
 隣の大陸にあった敵国はなくなり、アルイブキラは平和になるだろう。

「後は世継ぎでも産まれれば完璧ね」

 国への帰りに乗った地下の潜航艇の中で、パレスナ王妃がそんなことをぽつりとつぶやいた。
 世継ぎ……国王とパレスナ王妃の子供か。
 結婚したばかりなのだし気が早いと思うのだが、やはり子供はすぐにでも欲しいものなのだろうか。

 永遠の子供である私には、その辺の感覚は解らないが、パレスナ王妃の子供は見てみたい。
 うろたえる国王を見ながら、そう私は思うのであった。



 王宮炎上サバイバー系天女再来セレモニー<完>

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以上で第六章は終了です。次の第七章は最終章となります。



[35267] 99.吉報
Name: Leni◆d69b6a62 ID:9571a6fe
Date: 2020/10/28 22:12
「妊娠しました」

 そんな衝撃の一言から朝の仕事は始まった。

「……おめでとうございます!」

「やりましたね!」

 王妃付きの侍女達が口々に祝い、喜ぶ。私も突然のことで驚いたが、素直に祝いの言葉をかけた。

「おめでとうございます。二人目ですね」

「ありがとうございます」

「おめでとうフランカ。先を越されちゃったわねー」

 そう、妊娠の報告をした人は、フランカさんである。
 この場にいるメンバーで結婚をしているのは、パレスナ王妃とフランカさんの二人だけ。
 テアノンのメーと交際しているメイヤは遠距離恋愛だし、最近、宮廷魔法師のフェンと婚約したというリーリーは本日休暇でいない。
 なので、妊娠の報告がされるのであれば、フランカさんからなのは順当であった。

「妊娠二ヶ月らしいです」

 そう言ってお腹を撫でるフランカさんは、長女のビアンカに続いて二人目の子供ということになる。
 フランカさんは三十三歳と、初産とするとこの国の基準では年齢が少し高めだが、実際には二人目なので問題はないだろう。それに、彼女も王妃付きの侍女なだけあって立派な貴族だ。魔法が使える助産師が付くから、そう心配することもない。

 ちなみにこの国で二ヶ月といえば計80日を指すので、妊娠二ヶ月は前世の日本で言う妊娠三ヶ月と同じくらいのニュアンスだ。

「妊娠しているって解っていたなら、馬車の旅なんて無茶をさせなかったのに」

 パレスナ王妃がそう眉をひそめて言う。
 先月は鉱物の国シンハイの併合式典を参加しに、何日もかけて旅をした。パレスナ王妃と私は衝撃吸収能力が高い国王専用車に乗って快適な旅を楽しんだが、他の侍女達は標準的な貴族用の馬車に乗っていた。揺れは大きかっただろう。

「問題なく育っているようなので、大丈夫ですよ」

 そう言ってフランカさんは、にっこりとした笑みをパレスナ王妃に返した。
 この世界における助産師の仕事はよく知らないのだが、魔法医療全般で言うとこの世界もなかなかレベルが高い。
 高度な医療器具は道具協会によって規制されるが、師匠から弟子に伝わる伝統の魔法そのものは規制されない。だから、胎児の健康状態を探るなど朝飯前の仕事なのだろう。

「しかし、そうなると休みを与えないとね! いつから休みたいかしら? 期間は何年?」

 パレスナ王妃はフランカさんに産休と育休を勧めるようだ。貴族と言えば、私の中では乳母を雇って育児から解放されるイメージがあったのだが、この国ではどうなのだろうか。
 ククルの場合はどうだったかな。確か、乳母というか侍女が育児を手伝って、母乳は侯爵夫人が自分で与えていた記憶がある。割とつきっきりで夫人は子育てをしていたよな。

「早いですが、今月末にはお休みをいただいて、実家に戻ろうと思っています。それまでは引き継ぎですね。育児期間は、実家の者とも相談してから決めさせていただきます」

 む、思ったよりも休みに入るのが早いな。まあ、貴族なので出産ギリギリまで無理をして働くということはしないのかもしれない。

「そう。ビアンカはどうするの?」

 パレスナ王妃は、フランカさんの娘であるビアンカを見ながらそう尋ねた。ビアンカは先ほどから終始笑顔である。

「王都には夫がいますので、娘はこのまま王妃様の侍女を続けさせていただけたらと」

 フランカさんの夫は、王城の植物園の総責任者をしている園丁である。彼はパレスナ王妃の実家である公爵家の分家の当主なので、コネでねじ込まれた人事だとフランカさんは以前笑って話していた。

「解ったわ。ビアンカは責任持って預かるわね」

「はい。皆様、宿舎では娘のことをよろしくお願いします」

 フランカさんはパレスナ王妃から私達の方へと向き直り、そう頼んできた。
 フランカさんとビアンカは、王城にある侍女の宿舎に住んでいる。だから、私達侍女に世話を頼んだのだろう。ビアンカはまだ十歳だからな。

 ちなみに、フランカさんの夫は王都に持ち家があるのだが、フランカさんとビアンカは休みの日にしか戻っていないらしい。家が王都にある場合は侍女宿舎も別に使わなくていいのだが、その用途では使っていないようだ。王城に宿舎があって仕事場に近い場所に住めるなら、そっちの方が楽だよな。
 そんな状況でも第二子が誕生するのだから、夫婦仲は良いのだろう。どうやら王城で仕事がある夫を置いて、実家に戻るみたいだけど。

「それと、仕事の引き継ぎですね」

 そう言ってフランカさんは、なぜか私の方を向く。

「私は王妃付きの首席侍女ですので、休みの間、首席侍女の仕事を誰かに任せる必要があります」

 えっ、まさか……。

「キリンさん。貴女が王妃付き侍女の中で一番の年長者ですので、首席侍女をお任せしたいと思います」

 や、やっぱりか!

「で、でもフランカさん。私、侍女になってまだ一年も経っていない新米侍女ですし……」

「王城の侍女は、ほとんどが数年で侍女を辞める新米侍女ばかりです。一年も二年もたいした違いはありません。侍女の経歴よりも、年齢の高さを頼りにしています」

「経験の長い国王付き侍女から、人を借りるとかは……?」

「王妃様を担当した経験のない者を首席侍女に置くわけにはまいりません。その点、キリンさんは後宮時代からの侍女ですので、首席侍女に相応しいと言えるでしょう」

「キリンさん、大昇進ですわよ! その話、ぜひ受けましょう!」

 侍女のメイヤが横からそんなことを言ってくる。

「私もキリンさんなら任せられると思いますわ」

「首席侍女、憧れちゃいます! でもキリンさんなら納得です!」

「お母さんの代わりなら、キリンちゃんがいいですねー」

 侍女仲間のサトトコ、マール、ビアンカもそう追従してきた。
 うーん、本当に私で大丈夫か?

「不安ですか?」

 そうフランカさんが私の心の内をずばりと言い当ててくる。

「不安……不安ですね。私は、まだ侍女の仕事のことを何も解っていないと言えるでしょう」

「大丈夫ですよ。私が解らせます」

 真面目な顔になったフランカさんの眼光が私を射貫く。そんなイメージを幻視させる強い台詞だった。

「引き継ぎは三週間といったところでしょうか。徹底的に教育しますので、安心してくださいね」

「それはまた、安心ですねぇ……」

 そうして私はしばらくの間、首席侍女の座を預かることとなった。



◆◇◆◇◆



 その日の吉報は、それだけでは終わらなかった。
 パレスナ王妃がアトリエで絵画作りを嗜んでいたところに、女官が駆け込んできてパレスナ王妃にとある情報を知らせてきた。
 それは、思ってもいなかった内容であった。

『騎士レイの弟子達、アルイブキラに帰還す』

 そんな知らせだ。
 騎士レイとは、かつての王国最強の騎士であり、気功術の第一人者でもあった。
 多数の弟子を持ち、王国の武術の水準を上げていたが、数年前に北の山に出現した飛竜との戦いの怪我が原因で亡くなった。

 その後、弟子の騎士達はどういうわけかアルイブキラから姿を消していたのだが、女官が言うには彼らが一斉に帰還したというのだ。
 筆を動かす手を止めて、パレスナ王妃が女官から話を詳しく聞き出す。

「レイ様の弟子の方々は、実は先王陛下の密命を帯びていたというのです。世界樹の『最前線』に送られ、功績を挙げるよう指示されていたのだとか」

「えっ、ナギーお父さんそんなことしていたの!?」

「はい、そのようです。私も今回初めて知ったのですが……」

『最前線』。それは、世界樹に作られた最も新しい葉の大陸のことで、とても不安定な場所だ。
 魔物は大量に生まれるし、世界樹に飲み込まれていた怪しい遺跡も次々と生えてくる。さらには環境を無視して世界中の動植物も生まれ出でてくる、とても厳しい環境である。
 私も庭師をやっていた頃、何度か仕事で送られたことがある。
 そこに、騎士レイの弟子達が行っていたのだ。

「でも、なんで『最前線』で功績なんて挙げようとしたのかしら?」

 パレスナ王妃のその疑問に、女官は答える。

「『最前線』で最も貢献をした者達には、『幹』から世界樹の枝が贈られるのだそうです。騎士レイの弟子の方々は、それを持ち帰っています」

「えっ、世界樹の枝!?」

 私は記憶の中からそのワードに該当する存在を思い出す。おそらく、葉の大陸を支える、太い枝とは違う物であろう。
 それはきっと……。

「惑星旅行の時に見た、あの枝かしら……」

 私の脳裏に思い浮かんでいたのは、パレスナ王妃の言葉の通り、惑星旅行の時に女帝がアルコロジーの中心に植えて動力源としていた、三メートルほどの高さがある木だ。
 そうか。あれを持ち帰ったのか……。かなりの魔法的価値があるぞ。

「私は惑星旅行に行っておりませんので、同一の物かは判りませんが、王城に運び込まれていた世界樹の枝は、若木のような見た目をしておりました」

「あー、確かにそれね! 何に使うのかしら?」

「そこまでは聞き及んでおりません……。話は以上です。明日の午前中に、謁見の間で帰還した騎士の方々との謁見がありますので、準備をお願いいたします」

 そう言って、女官は下がっていった。

「はー、驚いたわね。世界樹の枝もそうだけれど、騎士レイのお弟子さん達が帰還しただなんて」

 パレスナ王妃は、筆を置いたままそう言った。
 そんな彼女の話題に、私も乗る。

「庭師時代に騎士レイ一派とは『最前線』で会っていますが、密命のことなどは一言も言っていませんでしたね」

 私は『最前線』で彼らに会ったことあるが、彼らは「己の力を試しに来た、ただの傭兵だ」と主張していた。
 それは嘘で、実は先王の密命を帯びていたというのだ。

「あら、キリン、『最前線』に行ったことがあるの」

「遺跡の探索に駆り出されたことがあります」

「なにそれ。面白そうねー。詳しく詳しく」

 遺跡とは古い建物のことではない。人が立ち入らなくなって世界樹に飲み込まれた建造物が、世界樹の中で複数混ざり合い、それが不意に地表に露出した未知の施設のことだ。
 中には魔物と、それと少しばかりの財宝が存在する。世界樹がわざわざ用意した財宝ではなく、建物に元々残っていた金銭的価値ある物品だ。遺跡と呼ばれるだけあって、骨董的価値があることが多い。

 パレスナ王妃は私の話を聞いて気分が乗ってきたのか、また筆を手に取って絵を描き始めた。
 あれ、明日の午前中に謁見なのに、絵画の時間が続行で良いのか。
 私はフランカさんの方を目で追うが、フランカさんはただその場でこくりと頷いてみせただけだ。
 これは……私に任せるつもりかな。私はフランカさんに頷いて返し、パレスナ王妃に向けて言った。

「パレスナ様、謁見の準備がありますので、今日の絵画はここまでにしましょう」

「あーん、気分が乗ってきたところなのにー」

「はいはい、公務優先ですよ」

「仕方ないわねー。でも、遺跡の話はしてちょうだいね!」

「了解しました。では、遺跡の上下にスライドする重い扉を持ち上げようとしたら、力を入れすぎて床が抜け、下の階に落下したことなどを……」

「面白エピソード過ぎない!?」

 そうしてなんとか私はパレスナ王妃の機嫌をなだめ、首席侍女候補として謁見の準備に取りかかるのであった。
 ちなみに遺跡では落下したけど、魔人だから無傷だったよ。



◆◇◆◇◆



 その日の仕事が終わって、キリンゼラーの使い魔と一緒に、王宮から侍女の宿舎に向かう途中のこと。ふと、中庭に見覚えのない物品が荷車に載っているのを見つけた。
 それは、エメラルドグリーンの光を発する若木。世界樹の枝だ。まだ植え付けてはいないらしく、根の部分には布が被せられている。
 世界樹の枝の置かれた荷車の周囲では騎士達が守りを固めており、さらには枝の前で先王が一心不乱に祈りを捧げている。

 うわっ、関わらないでおこう。
 私は早足で彼らの横を通る。と、その瞬間、先王は不意に顔を上げ、こそこそと逃げようとしていた私と目が合った。
 うわー、早足だったからか足音が大きかったか。私、体重重いから意識していないと足音うるさいんだよな。

「キリン殿ではないか! 俺だ! バンナギータだ! これを見てくれ!」

「ああ、はい。先王陛下、ご機嫌うるわしゅう」

「うむ! 世界樹の枝だ! 世界樹都市エメルにあったあの枝が、とうとう我が国にもやってきたのだ!」

「そうなんですか。すごいですね」

「そうだ、すごいのだ! この枝だけで王都全ての魔法道具が稼働させられるどころか、我が国全体に豊穣の力を行き渡らせることができるというのである!」

 先王、大興奮である。
 この人、世界樹の狂信者だからなぁ。スイッチが入ったときは相手をしたくないのだが。

「世界樹の葉の大陸の上に世界樹の枝などを置いても、一見何も意味がないとは思わぬか? 実はそうではないのだ」

「知らなかったです。さすがですね」

「世界樹によって祝福された枝は、大地神話に語られる神獣としての力が凝縮されておってな……昔から吉徴の証と呼ばれておるのだ」

「センスありますね」

「そうであろうそうであろう。世界樹とこの国を繋ぐシンボルとなるであろう。植え付ける場所も昔から何箇所か考えておるのだが、これが一つに絞りきれず悩ましくてな……」

 そうして、私は夕食の時間ギリギリまで先王の話に付き合わされることになった。キリンゼラーの使い魔は興味ないのかさっさと腕の中から抜け出して宿舎に帰っていたのは許すまじ。
 おかげで、全く知らなかった世界樹の枝についての豆知識をたくさん覚えてしまった。

 世界樹の枝があることで、神託がより多くの者に届くことになるとか、世界樹教の信者しか喜ばないぞ。いや、世界樹教はこの国の国教だけれども。

 そして、なんとか解放されて侍女宿舎に戻り、夜寝静まった後のこと。

『キリンちゃーん、キリンちゃーん』

 不意に、私の脳裏にそんな声が聞こえた。

『やっと言葉を交わせるね! これからよろしくね!』

 神託である。
 たった数時間前に立ったばかりのフラグ回収、おつかれさまです世界樹さん……。



[35267] 100.神託
Name: Leni◆d69b6a62 ID:9571a6fe
Date: 2020/10/28 22:15
 騎士達が帰還した旨を伝えられてから翌日の朝、私達王妃付き侍女はパレスナ王妃の衣装を整えていた。
 帰還した騎士達が国王夫妻と謁見するので、昨日から用意していたドレスと装飾品で王妃を着飾らせるのだ。
 謁見までさほど時間は残されていないので、大急ぎでの準備である。王妃付き侍女総掛かりで、パレスナ王妃を国の代表の一人として相応しくなるようドレスアップするのだ。

「なるほど、世界樹から神託があったのね」

 ドレスに着替えながら、パレスナ王妃が言った。忙しく準備をしながら、私達はのんびりと雑談をしているのだ。話題は、私が昨夜体験した不思議な出来事について。

「ええ、それがもう、ベッドに入ってからずっと話しかけられて、気がついたら朝になっていました」

 鍵付きのアクセサリーケースから装飾品を取り出しながら、私は答える。ちなみにアクセサリーケースの管理は首席侍女が担当することになっている。今日は本来の首席侍女のフランカさんもいるのだが、私に鍵が受け渡されている。すでに、首席侍女代行としての教育が始まっているのだ。
 自身の美的センスに自信がないので、私はあくまで鍵とケースを管理するだけで、どの装飾品を使うかは他の王妃付き侍女達と相談しながらだ。

「あら、もしかして徹夜? 大丈夫なの、キリン」

「大丈夫ですよ。これでも頑丈な魔人ですので、十日くらい徹夜しても平気です」

「侍女には必要ない過剰な能力ねぇ」

「庭師時代は一人でも夜通しで魔物退治や街道の移動ができたので、かなりこの性質に助けられましたね……」

 そんな会話をパレスナ王妃と交わしながら、必要な装飾品を全て取りだし、アクセサリーケースのフタを閉めて鍵をかける。

「でも、なんで神託の相手にキリンが選ばれたのかしら?」

 パレスナ王妃の疑問はもっともだ。私は別に世界樹教の敬虔な信者というわけではない。
 だが、一つだけ世界樹と関わりのありそうな事柄が思い当たっている。

「上位の庭師という存在は、世界樹に運命を操られているんです。悪意を払い世界を善意で満たすために、悪意に遭遇しやすい運命を与えられている。つまり、最上級の庭師だった私は、世界樹に目をかけられていたのです」

 悪人がいたならば、庭師は悪人と出会いやすくなる。魔物が徘徊しているならば、庭師は魔物と遭遇しやすくなる。そうなるよう運命が改変されているのだ。

「運命って、そんな曖昧な概念を操れるのかしら?」

「操られるからこそ、世界であり神であるのでしょうね」

 不思議そうにしているパレスナ王妃に、私はそう答えた。
 そう、相手は太古の昔から存在する神獣の世界樹だ。運命改変能力を有していても何もおかしくはない。

「なるほどね。ああ、神託に関しては、世界樹にとってキリンは特別な存在ってわけね」

「そうですね」

「どんな神託を受けたのですか?」

 侍女のサトトコが、ドレスを着終わったパレスナ王妃の髪をブラシで梳きながら、会話に混ざってくる。
 神託、神託ねえ。
 あれは神託と言うよりは……。

「どうでもいい雑談でしたね。私の庭師時代の働きぶりについて、感想を延々と語られました。私も返事をしたかったのですが、時間は深夜で同室に他の侍女が眠っていたため、一方的に話しかけられている感じでしたね」

「神託に返事とかできるのでしょうか?」

「相手は世界そのものですから、喋れば声がちゃんと届くようですよ」

「確かに、言われてみれば相手が世界樹と考えれば、そうなりますわね」

「今の私達の会話も、世界樹には届いていることでしょう」

 私がそう言うと、侍女達の背筋が一瞬で伸びた。その様子に、私は思わず笑ってしまった。
 この国の国教は世界樹教で、この世界そのものを敬っている。なので、その世界に会話を聞かれていると言われたら、姿勢を正してしまうのも仕方がないわけだ。
 私は特に宗教を信仰していないので、世界樹に見守られているところで何も思うところはないのだが。

「世界樹はどのようなお方だったのですか? 聖典では、永遠の幼子と称されておりましたが」

 フランカさんは世界樹に興味があるのか、そう私に聞いてきた。
 それに対し、私はネックレスをパレスナ王妃の首にかけながら答える。

「使用していた言葉は世界共通語で、話し言葉からは確かにどこか幼い印象を受けましたね。まあ、相手は何億年も生きているであろう神獣なので、精神構造が人と似通っているかは疑問ですが」

「確かに、聖典では人の知性を超えた超常的存在として語られているわね」

 侍女達に身を任せながら、パレスナ王妃がそう言った。
 世界樹は神として崇められている存在だ。それも、人の形を取った神ではなく、樹木の神獣。神獣とは、滅びた惑星の歴史を記した大地神話における、太古の神々のことだ。神獣が惑星に跋扈していた時代、まだ人類は存在しなかったという。
 なので、人と神獣の精神が近しいとは、とても言えないのだ。

「うーん、でも、世界樹は昔から人と一緒に過ごしてきたから、あんまり人とかけ離れた考えはしていないと思う」

 そう述べたのは、部屋の隅でじっとしていた毛玉。竜の神獣であるキリンゼラーの使い魔である。

「そういうキリンゼラーも、問題なく人の中で過ごせているじゃないか」

 私がそう毛玉に向けて言うと、彼女はぴょんと飛び跳ね、言葉を返してきた。

「私も昔、一国の守護神をしていたこともあるからね。人の営みは理解しているつもりだよー」

 なんと、驚きの事実。自由に惑星の空を飛び交っていそうな竜が、人の守護神を経験しているとは。

「守護神は良いよ。毎日、巨獣を一頭供えてくれるんだ」

「供物目的か」

「世界樹だって、生きるのに必要な水とか栄養を与えられているはずだよ。全部、自動化されているだろうけどね」

「ああー」

 宇宙船世界樹号だからな、この世界。
 人の手によって宇宙を飛べるよう改造され、人が住めるように世界の運営システムが作り上げられている。そのシステムの中に、世界樹自身が生きて成長するために必要な何かを供給する仕組みも組み込まれているのだろう。

 しかし、守護神か。この世界の神は、人が知覚できない領域に存在する概念的な存在ではなく、実在の超常的存在だというわけだ。
 拝火神教の神である火の神も、別次元に存在する天界に実在している上位存在であり、人が知覚できないかというとそうでもない。人と触れあえる外部端末を、地上に降ろしてもいる。天使と悪魔のことだ。
 そのように神がはっきりと実在している世界なので、前世の地球のようにいるのか不明な神を崇める類の宗教は、生まれにくいのだ。
 この世界における惑星がまだ無事だった時代は、自然を崇める精霊信仰などもあったようだ。しかし、今のこの私達が住む世界樹の自然は、全部世界樹によって整えられている。つまり、自然信仰は全部、世界樹への信仰に一元化されるわけだ。

 そんな偉大な神である世界樹の神託。
 侍女達は興味が尽きないようで、王妃の準備が全て整うまで、私は彼女達に神託の内容を語るよう求められ続けたのであった。



◆◇◆◇◆



 王宮の一階にある謁見の間。この広間の奥には玉座が置かれ、そこに国王と王妃が座っている。玉座の脇には近衛騎士が帯剣した状態で立ち、さらにその周辺には王宮に勤める法服貴族が並んで立っている。
 うーん、まさに謁見の間って感じだ。こういうの、前世の大学時代に、勇者が魔王を退治するコンピュータRPGで見たな。ちなみに私は、王妃付き首席侍女代行として、玉座のさらに後ろの方で待機している。フランカさんも私の横で立っている。

「秘密騎士団のご入場です!」

 そんな謁見の間に、入口付近の衛兵の宣言と共に騎士の集団が入場してくる。
 秘密騎士団か。今回、騎士レイの弟子達は極秘の任務で『最前線』に向かっており、彼らが所属する騎士団としての名称が公的には存在しないと思われる。なので、暫定として秘密騎士団と名付けられていると私は予想した。
 真実はどうなのか。後で聞く機会があれば、国王にでも教えてもらおう。

「よくぞ帰還した、勇敢な騎士達よ!」

 玉座から立ち上がった国王が、そう言って騎士達を迎えた。

 騎士達は玉座の前に並び、代表が一人、集団の中から進み出て騎士の礼を取った。
 彼は確か、騎士達のまとめ役をしていた男だな。名前はヒルド。北の山の飛竜退治の時と、『最前線』で会ったことがある。
 年齢は四十ほどか。他の騎士も、年若い者はいない。何年もかけた極秘任務だったからな。『最前線』に向かったときは若くとも、向こうで歳を重ねたということだろう。
 本来なら、公的な騎士団で幹部をしていてもおかしくない年齢の面々だ。今後は、各騎士団に分けて配属されたりするのだろうか。

「そなた達の功績は、勲章を与えるに相応しい偉業である。よって、各員に銀貝蔦葉勲章を与える。代表のヒルドには、虹貝枝葉勲章を与えるとする」

 そんな真面目な国王の言葉に、貴族達がどよめく。虹貝勲章とは、この国で最も偉大とされる勲章である。
 私も、先王から虹貝竜牙勲章を受け取っているが、竜牙勲章は騎士や軍人以外に渡される名誉勲章だ。本来は牙を模した勲章ではなく、今回のように樹木や植物をかたどった蔦や枝の勲章が与えられるのだ。

「そなた達に極秘に任務を与えたのは、すでに退位した先王である。よって、先王より直々に勲章を授与する」

 国王がそう言うと、玉座のすぐ横に待機していた先王が、騎士達の前に進み出る。
 さらに、底の浅い木箱を持った文官達が、ピンと背筋を伸ばした格好で騎士達の前へと歩いていく。
 そして、先王の横に立った文官は、うやうやしく木箱を先王の前に突き出した。木箱の中には、白い布が敷き詰められており、その上に勲章が載せられていた。

「ヒルド、よくぞやってくれた。約束通り、虹貝だ!」

 先王は箱から勲章を掴むと、高々とその虹色に輝くそれを掲げてみせた。

「ありがたき幸せ!」

 ヒルドは騎士の礼でそれに答える。
 そして、礼が終わると先王はヒルドの着る騎士服の胸部に、勲章を手ずからつけてみせた。
 その光景に感極まったのか、秘密騎士団の面々に涙が浮かぶのが見てとれた。

 勲章を胸につけたヒルドは下がり、そして他の騎士達へ銀色に輝く勲章の授与が進められた。
 騎士は二十名ほど。その一人一人に先王は声をかけ、騎士達は恐縮しきりだ。

 勲章の授与が終わり、先王は玉座の横へと戻っていく。そして、改めて国王が言葉を発した。

「そなた達には勲章の他に、十分な褒賞金を与える。そしてヒルドよ。騎士団を代表して、何か望みはあるか? 無理のない範囲ならば褒賞として叶えよう」

 お金と勲章の他の褒賞か。私が勲章を授与されたときは、先王から一方的に、王と対等に会話する権利を貰ったのだったな。
 王と対等に話せるということは、それより下の貴族にも敬語無しで話せるということで、当時は敬語が苦手だった私には地味に役に立つ褒賞であった。

「それならば、希望したきことが一つあります」

 ヒルドはそう答えた。

「へえ、あるのか。なんだ、遠慮なく言ってみて」

 国王が言葉を崩して、意外そうな、そして面白そうな声で聞く。
 対して、ヒルドの言葉はというと……。

「我々が『最前線』に居た頃、かの庭師キリン殿と会う機会に恵まれました」

 と、急に私の名前が出てきてドキリとする。

「へえ、あのキリリンと」

「はい。国王陛下のご親友である、かの庭師殿です。その彼女から国元の様子を聞いていたところ、聞き捨てならない事実を知りました」

 ヒルドとの会話か。何か言ったかな、私。

「なんでも、今のアルイブキラの騎士団は、気功術の技術が失われつつあり、騎士達が小手先の剣の技術にかかりきりになっていると。闘気がもたらす強さが衰えて久しいと聞き及んでいます」

「なるほど、事実だね。騎士レイが亡くなり、君達弟子が全員『最前線』に行ってしまった関係で、そうなってしまったんだ。引退した騎士達は、教導にさほど熱心ではなかったし」

 国王が、ヒルドの言葉にそうはっきりと答えた。

「そうでしたか。ゆえに、我ら一同を各騎士団に割り振り、教導官の立場を与えていただきたい」

「教導官かー。もう十分な働きをしてくれたから、隠居して騎士年金で悠々自適な生活を送ってくれてもいいんだよ?」

「いえ、我々はまだこの国に尽くさせていただきます」

「なるほど、解った。教導官として任命するよ。詳しくは、各騎士団の幹部達と話し合ってね」

「はっ!」

 再度の騎士の礼をもって、国王とヒルドの会話が終わった。
 今の教導官云々って、事前の打ち合わせにはなかったのだろうなぁ。法服貴族達がやたらとざわついているからな。

 以上で、謁見は終了。解散……とはならなかった。

「それでは、これより秘密騎士団が『最前線』から持ち帰った世界樹の枝を植物園に設置いたします」

 そんな文官の宣言で、一同は王城にある植物園に移動した。
 そして、エメラルドグリーンに輝く世界樹の枝が、台車に載せられた状態で、皆に公開された。
 その神秘的な輝きに、一部の貴族は祈りのポーズを取っていたりする。

「では、ここに設置させていただきます」

 そう言ったのは、王城の園丁代表であるフランカさんの夫だ。
 園丁総掛かりで世界樹の枝という名の若木を地面に植え付けていく。掘った地面に根のない若木を埋め、土を被せる。
 若木の植え付けが終わり、園丁が離れた次の瞬間。世界樹の枝が強く輝き、地面を複数の光のラインが走った。世界樹の枝から、この国全体に向けて、何かの力が広がる。

 世界樹の枝は光り続け、やがて光は若木から生える一本の小枝に集まっていく。強く輝く小枝。それが急に、ポキリと折れて地面に転がった。
 突然の事態に、皆がどよめいた。いったい何が起きているのか。光は収まっていないため、じっと見守る。
 すると、地面に落ちてもなお輝く枝から急に、光り輝く人が飛び出した。

「やっほー! 世界樹ちゃんだよ!」

 それは、エメラルドグリーンに輝く髪をたなびかせた、一人の幼子。
 白く輝くドレスを着た、小さな子供。世界樹教の聖典に記されている、世界樹の化身であった。
 ドレスを着ているが聖典通りなら、女ではなく、そして男でもないはずだ。人と交流するために人の形を模しただけの存在である。

 予想外の出来事に驚く一同。だが、やがて一人二人と祈りの姿勢を取り始めた。

「あ、祈りとかそういうのいらないんでー」

 そんな貴族や騎士達の祈りを世界樹の化身は拒否した。

「今日は、ご挨拶に来たの! 世界樹の枝があると、こうやって人の姿で降臨できるから、お知らせに!」

 と、軽い宣言に、困惑する皆々。
 そんな中、先王が一人、前に進み出て礼を取った。

「わざわざ、お出向きいただきありがとうございます」

「あっ、ナギー! 今日からよろしくね! それと、一つ言うことがあるの」

「ははあ、なんでございましょうか」

「えーっとね……」

 微妙に宙に浮いている世界樹の化身は、その場で屈むと足元にある小さな枝を拾い、すーっとスライドして移動する。
 人混みを割るように、移動していく化身。その進む先は、パレスナ王妃の居る場所だ。
 いや、違う。化身は王妃の隣にいた私の前で止まった。

「はい、キリンちゃん」

 そう言って、世界樹の化身は私に小枝を渡してきた。

「は、はあ……」

 とりあえず素直に受け取っておく私。
 そして、世界樹の化身は周囲を見渡して、宣言した。

「キリンちゃんを私の神託の巫女として認定するよ!」

 突然の認定に、思わず呆然としてしまう私。驚いているのは私だけでなく、周囲に居る面々全員のようだ。
 枝を握ったままの私は、とりあえずなんと答えたものか。なんとか絞り出すように、答えを世界樹の化身に対して返す。

「ええと、世界樹様、私、侍女としての仕事がありますので、宗教関連のお仕事はちょっと……」

 私の言葉に、ぎょっとする周囲の人々。いや、実際、そういうのは困るんだよな。私、別に世界樹教の信者ではないので。
 それに対して、世界樹の化身がさらに言葉を返してきた。

「大丈夫! 名誉職だから! 神託の巫女は、私が自由に神託を与える人物だよっていうだけの立場で、なんというかー、周囲にそういう人だよって広めるための方便だよ!」

「ああ、そういうのですか。それでしたら、かまいません」

 巫女になろうがなるまいが、どうせ神託はしてくるのだろうし。それなら、公的に神託を受ける立場としておいた方が、重要な神託を受けたとき、周囲に相談がしやすくて助かる。

「うんうん、それじゃあ、今夜もよろしくね、キリンちゃん!」

「私も寝る時間が欲しいのですが……」

「ええー。夜はみんな寝ていて暇なんだよー」

 私も夜は寝る時間だ。この世界樹の世界は球形の惑星というわけではないから、各国に時差はない。この国の夜の時間は、世界のどの国でも夜となる。だから、世界樹にとって神託で会話のできる相手が夜にはいないのだろう。
 そして、世界樹は私が何日も眠らなくても平気ということを知っている。うーん、困るな。

「とにかく、今夜も神託するからね! じゃあねー!」

 そう言って、世界樹の化身は無数の光の粒となって、虚空に溶けていなくなった。
 あやつ、言いたいことだけ言って消えよった。

 周囲はざわめき、場は混沌としてしまっている。
 そんな私に、先王が近づいてきて、言った。

「キリン殿、務めにはげむのだぞ」

「ええっ……」

 どうやら、今日も神託に一晩中付き合うのだけは決定したようだった。
 パレスナ王妃も、私の肩に手を当てて、「頑張ってね」と告げてくる。とりあえず、夜になったら世界樹と腹を割って、十分話しておく必要があるようだ。

 私は手に持つ世界樹の小枝をじっと見つめる。
 二日連続で徹夜か。
 とりあえず、深夜勤務の手当とか出ませんかね?



[35267] 101.制服
Name: Leni◆d69b6a62 ID:9571a6fe
Date: 2020/11/11 12:36
 夜通しの神託は週に一度とすることを世界樹と合意した私。そして、渡された世界樹の小枝は侍女宿舎の私室の壁に飾り、神託の中継器とした。
 すると、その小枝を媒介に世界樹の化身が私の部屋に出現し、それを知った世界樹教の敬虔な信者である侍女が部屋まで訪ねてくる事態になった。
 信者の侍女達の訪問は夜中まで続き、騒ぎは侍女長の知るところとなり……私の自室には招かれない限り入らないこととする通達が出る顛末となった。

 いやはや、同室のカヤ嬢にえらい迷惑をかけてしまった。私のせいとは言えないので、反省しようがないが。
 そんな騒ぎがあった翌日、私は産休が近づいてきているフランカさんにある指示を受けた。

「制服ですか」

「はい、私の制服を見て判るとおり、首席侍女には専用の制服が必要です」

 私はフランカさんの着る侍女の制服を見る。動きやすいこの国風のドレスだ。私の着ている制服とデザインはほぼ同じだが、色が違う。一般侍女は赤色のドレスだが、王族付きの首席侍女は紫色のドレスだ。ちなみに侍女長は青色である。

「王城の針子に言って新しく作ってもらってください」

 フランカさんの言葉に、私は考える。
 侍女のドレス……今までと同じ物で良いのか? 改善が必要では?
 しばし熟考したのち、私は答えを出した。

「解りました。糸から用意します」

「そうですか、糸から……はい?」

「糸から用意します」

 何を言っているんだこいつという顔をフランカさんにされる私。

「ちょっとキリン! 私を除け者にして面白そうなこと考えてないでしょうね!」

 おおっと、パレスナ王妃に聞きとがめられたぞ。
 現在、王妃は内廷のアトリエで描画中。そして、私とフランカさんは王妃に侍る侍女から少し離れて、首席侍女業務の引き継ぎをしていたのだ。
 だが、絵を描いている最中も人の話を聞くことが好きなパレスナ王妃は、私の台詞に見事反応を示してみせたのだ。

「いえ、単に、制服を素材から用意しようと思っているだけですよ、パレスナ様」

「明らかに面白そうなことじゃないの。制服の生地なんて城の針子室に用意してあるでしょうに、わざわざ素材からって!」

「それには特に深くない事情があるのですよ」

「はいはい、聞くからこっち来て喋りなさいな」

 パレスナ王妃に手招きされ、私はフランカさんと二人でキャンバスの前に座る王妃の前に歩み寄る。
 そして、私は頭の中の草案を披露することにした。まずは前提からだ。

「私には王妃付き首席侍女代行の他に、侍女としてのとある役職があります」

「役職? 神託の巫女かしら」

「いえ、それは今回関係ありません」

 神託の巫女の制服ってなんだ。そういうのも、今後必要になったりするのか? TCGのゲームマスター以外で宗教関連の仕事はしたくないなぁ。
 そんなことを思いつつ私は言葉を続ける。

「国王陛下から直々に任命された役職があるのです。それは、戦闘侍女」

「戦闘侍女」

 オウム返しをしてくるパレスナ王妃。なんだそれはという表情が隠せていない。

「事の発端は、私がパレスナ様付きとして後宮に配属される前にあります。魔王討伐に近衛騎士の一人が向かうことになり、私もそれに随伴するよう命令が下されました」

「ああ、そういうことも、あったらしいわね」

「戦場に向かう騎士の侍女としてついていくという建前でしたが、実際は魔王を討伐する主力メンバーとして数えられていました。ですが、侍女は戦うことが仕事ではありません。侍女の仕事は貴人のお世話であり、貴人を守るのは騎士や兵士のすることです」

「まあ当然よね」

 当然なのだがなぁ。

「そこで、お世話と戦闘を両方行なう役職として、陛下が思いつきで任命したのが戦闘侍女という役職です」

「魔王討伐のための戦う侍女ってことね。あれ、でも魔王討伐はもう終わっているのだから、キリンはそんな仕事から解放されていたりしないの?」

「しないですね。後宮付きになったときも、パレスナ様は謎の人物に身柄を狙われている疑いがあったので、戦闘侍女の役職から解任されていません。書類上もまだ戦闘侍女の肩書きが残っているはずです」

「なるほど。で、その戦闘侍女という役職に必要な制服を作るという話になるわけね」

 パレスナ王妃の言葉に、私はうなずきを返す。
 疑問の解消に気を良くしたパレスナ王妃は表情を明るくし、さらに言葉を続けた。

「ドレスに鎧でもつけるのかしら。ほら、鉱物の国で決闘するときそんな格好していたじゃない」

 確かに、併合式典で決闘を行なったときは、急を要したので侍女のドレスの上に魔法の胴鎧を着込む形になったのだったな。
 だが、不正解だ。

「守りを固めるという点では正解ですが、さすがに普段の仕事から鎧を着るのは不便で仕方がないので違いますね。ですので、今回は魔法の生地を用意して、魔法的に防御を確保しようかと思います」

「魔法の生地! 素敵な響きね」

「庭師をしていた時代に着ていた戦闘用の服がそれでした。魔法使いの秘伝の類になるので、この国では騎士でも採用している人は少ないはずです」

「なんだかすごいことになりそうね……。キリンお得意のスパイダーシルクで仕立てるのかしら?」

「いえ、スパイダーシルクでの魔法付与はまだ慣れていません。ですので、次の休みに、綿を栽培している村まで向かうことにします」

「村に向かうので休みをくださいとかじゃないのね……」

 そこはほら、私、足速いので。
 そういうわけで、次の休みは制服作りに駆け回ることとなった。



◆◇◆◇◆



 休日。はるばるやってきたのはミシシ村。魔女の塔の近くにある、バガルポカル領の農村だ。
 この村では野菜や穀物の他に、綿が取れる植物を栽培している。隣町であるニシベーツエに衣類を供給するための綿だ。王都周辺で育てられている、栽培に水が大量に必要となる品種とはまた違う植物で、土地の栄養を消耗しやすいという欠点があるらしい。
 村では糸をより合わせる工程まで行ない、布束にする工程は町の工房で行なっている。村と町の住民の仲は現在上手くいっているようだ。「庭師キリンの出身地はミシシ村かニシベーツエ町か」で争うことがあるのが困りものだが。ちなみに魔女の塔は村と町の中間地点にある。

「やあ、村長。二ヶ月ぶりだな。元気していたかい」

 糸の取引は村長が管理しているので、村長宅へと訪ねた私。
 村長宅では、村長が奥さんと二人でのほほんと茶を飲んでいた。
 この村では村長も専用の畑を持つが、村長はすでに老齢。畑仕事は、次期村長夫妻が頑張っているのだろう。

「おう、よく来てくれたなあ」

「キリン、お久しぶり」

 村長夫妻が挨拶を返してくれる。
 私は居間まで案内され、村長手ずから用意した熱い茶をいただくことになった。夏が近づいてきているものの、今はまだ三ヶ月ある春の内の晩春。熱い茶も問題なくいける。
 私は茶を一杯のんびりとしばき、最後の一滴まで飲み干してから話を切り出した。

「昨日急いで魔法便飛ばしたけど、読んでくれたかい」

「ああ、ちゃんと届いた。手紙が来た翌日に来るのだから、せわしないせわしない」

 そう笑いながら村長が言葉を返してきた。
 制服を作るよう言われたのは昨日のこと。つまり、私の休日はあの話があった翌日のことだったのだ。
 ちなみに今回私が使った魔法の郵便は、妖精に頼んでアストラル体で作った手紙を相手のもとに空間転移させるという仕組みで、その仕組み上、返信は受け取れない。
 相手にちゃんと伝わったかどうかは担当した妖精に聞くしかないという、微妙に不便な魔法だ。それでも、一瞬で相手に手紙を送れるという利点はある。

 なお、村長は当然のことながら、農村の農民達は識字率がほぼ百パーセントである。この国の農民はエリートだからな。

「糸は用意できているかい?」

 私の言葉に、「うむ」と村長がうなずく。

「去年収穫したのがまだあるでな。ただまあ、ちょっと前にセリノチッタが大量に持っていったから、余裕は少ないぞ」

「そうなのよ! セリノチッタったら、あんなに見た目が変わって!」

 ああ、師匠ね。
 師匠は生まれ変わりをしたので、見た目が完全に生前と異なっている。その点を考慮しないであろう師匠がこの村に訪ねてきたら面倒なことになりそうだったので、以前、特徴を書いて村長宅に手紙を送っておいたのだ。

「見た目が変わっても、相変わらず変な娘っこだったなぁ」

「独特の世界観を持っているってやつね」

 村長夫婦に好き勝手言われているぞ、師匠。
 まあ、師匠が糸を持っていったのは予想の範疇だ。師匠も馴染みがあるこの村の糸で、魔法の服が作りたかっただろうからな。

「師匠がどれだけ持っていったかは知らないけれど、私はドレス六着作るだけの糸を貰うよ」

 作る制服のドレスは、夏服三着冬服三着の計六着だ。
 あくまで戦闘用なので夏服と冬服の数のバランスは考えていない。戦闘用ではない通常の制服は、必要になりそうな数をおいおい揃えていくこととする。

「支払いは貨幣でいいかい?」

「ああ、夏祭りを豪勢にやりたいから、お金は助かるなぁ」

「夏祭りか。秋の収穫祭は、王都の大収穫祭の準備で忙しくて来られないかもしれないから、夏は行きたいな」

 そんな会話を村長と交わし、私は糸を手に入れた。
 この糸の材料である綿は、師匠がわざわざこの村で育てさせた魔法の付与がしやすい品種らしい。ミシシ村とニシベーツエ町では、師匠が魔法の研究をするのに必要な素材を得られるよう、色々と環境が整えられている。私も庭師時代は魔法素材の調達にお世話になったものだ。

「それじゃ、今日はこれで失礼するよ」

「昼飯食ってかんのか?」

「塔で布束を作らないといけないからな」

 そう言って、私は村長宅を辞し、近くにある魔女の塔へとやってきた。
 魔女の塔に来たのは、併合式典への旅へ行く前に武具を確保したとき以来だが……なんだが前より綺麗になっているな。
 前は埃とかが隅に溜まっていたのだが、師匠が来たときに掃除でもしたのだろうか。掃除をする師匠……ちょっと想像できないな。師匠が死ぬ前までは、弟子の私が家事を任されていた。

 そんなことを考えてながら塔を登っていると、ローブを羽織ったゴーレムが魔法で掃除をしている光景に出くわした。
 世界樹ゴーレム。あの世界樹の枝を素材に作られたという、高級すぎるゴーレムである。

「おや、掃除しているのか」

「掃除を魔女から任されました。あなたはなんの用事ですか」

「機織り機を使いに来た」

「そうですか。魔女にならない以上は他人の家と認識してあまり汚さないように」

 ……おや?

「いつもみたいに魔女になれと言わないのか」

「セリノチッタが帰還しました。ゆえに塔の魔女はセリノチッタで、あなたは魔女候補から不真面目な弟子に格下げです」

「師匠が行動指針を変更したのか」

「貴女が今の職を辞してから、改めて魔女としての教育を再開します」

 再開する予定ですとかじゃなくて、再開しますって断定口調なのが、まさに師匠のゴーレムだな、こいつ。
 まあ今から侍女を辞めた老後のことは考えても仕方ないので、今は侍女の制服を作ることに専念しよう。豊かな老後を送るために侍女になったが、老後の具体的なビジョンがあるわけではないのだ。

 私は、塔にある工房の一つに入り、糸束を魔法の機織り機にセットした。
 この機織り機は、自動で布を織ってくれるという、世間に広まったら道具協会が激怒するのが想像に難くない便利マシーンだ。
 私が魔力を送るだけで動くのだが、ただ動かすだけでは魔力が浸透しただけのしょぼい魔法布にしかならない。送る魔力に強弱をつけ、布に魔法陣を刻みつける必要がある。

 そんな作業を私はドレス六着を作ってもなお余る量の布束が完成するまで、ただひたすらに続けた。昼食は作業の合間に軍用の携帯食糧を食べることで済ました。
 そして、綺麗な白の布束が完成。力強い魔法の波動を感じる。
 これを王城の針子室に持ち込んで、染色から先を任せれば大丈夫だろう。
 さて、六着もの制服のドレス、完成はいつになるかね。



◆◇◆◇◆



「で、完成は三ヶ月後になったと」

「はい。魔法裁縫が必要だとはいえ、夜会用の高級ドレスを仕立てるのではないのですから、もっと短いものかと思っていたのですが」

 制服の手配が終わってからの仕事中、私はパレスナ王妃とフランカさんに進捗報告をしていた。
 あの後魔法の布束を針子室に持ち込んだのだが、針子室では魔法の裁縫をやっているような余裕はないと言われ、城下の針子工房へと案内され、そこで依頼をすると一着目の納品日は三ヶ月後になった。

 その一着目が完成するまで、私は今の赤いドレスを着続けることになる。
 魔法服でなくても良いから事前に作られた完成品があれば良いのだが、必要なのは首席侍女用の制服。私の幼い身長に合う首席侍女用制服など、用意されているはずがなかった。十歳児が首席侍女になるわけがないのだ。

「確かに、三ヶ月かかるドレスとなると、ちょっと本格的なものよね」

 この国の一ヶ月は約四十日。三ヶ月で百二十日。長い。ドレスの仕立てなんてそんなものだろうとは思うが、必要なのはドレス風の制服である。制服は、画一的な品を作ることで製作期間が短縮されてしかるべきだ。王城に勤める侍女は多いのだから、型紙等はすでに存在し製作工程が簡略化されているはずだ。
 では何故、完成まで三ヶ月もかかるかというと……。

「どうやら、王城の仕事を下請けしている針子工房は、どこも騎士服作りで忙しいらしいです」

 私は工房から聞いていた事情をパレスナ王妃に説明した。

「あー、それって、あの秘密騎士団関係?」

「はい。帰還した騎士達が、全員騎士服を新しく用意するようです」

「それなら仕方ないわねー。フランカは、キリンの新制服を見られなくて残念だったわね」

 そうフランカさんに話を振るパレスナ王妃。

「そうですね、三ヶ月後はすでに実家に帰っていますからね。それなら、育児を終えて戻ってきたときに、立派な首席侍女になった姿が見られることを楽しみにしておきます」

 立派な首席侍女ねえ。
 私もいずれは、フランカさんみたいな熟練の侍女って感じの風格を身につけることができるのだろうか。
 見た目の年齢は変動しないから、ちょっとこれは無理な注文かもしれないな。



[35267] 102.褒美
Name: Leni◆d69b6a62 ID:9571a6fe
Date: 2020/10/28 22:20
 とある平日の午後。私は、以前仕立てたパーティ用のドレスを着て、国王に向けて礼を執っていた。
 ここは王宮の謁見の間。私は今、国王に謁見をしている。

「キリン・セト・ウィーワチッタ。そなたの働きが、褒美を与えるに十分な我が国への功績と認められた。よって、ここに賞する」

 私がとっている礼の姿勢は、いつもの侍女の礼ではなく、平民の礼。
 私はこの国の貴族ではないし、侍女としての立場でここに立っているわけではないので、この場では平民の執る礼を使うのが正しいらしい。一応、遠い地の遊牧民族の姫である私だが、この国と国交があるわけではないので、あの民族特有の礼を執るのも違うと思うし。

「そなたは、鉱物の国シンハイの併合式典において、元鋼鉄の国ハイツェンの武装衆より挑まれた決闘にて奮闘し、見事勝利を収めた。舞台となったのは戦場ではないが、元敵国の武官相手に対する勝利は、たたえられるべき武功である」

 読み上げられる国王付き秘書官さんの言葉を聞きながら、私は目だけを動かして周囲を見る。

 謁見の間でのやりとりだが、国王の隣にパレスナ王妃は居ないし、居並ぶ貴族達の姿も少ない。
 この前の秘密騎士団が行なった本格的な謁見とは違って、日常的に行なわれる格式の低い簡易な謁見ってやつだ。これよりさらに格式が低くなると、謁見の間を使わず国王の執務室に直接相手を呼ぶという感じになる。
 今回は、以前何度か行なわれたような私に対する辞令の類ではなく、褒賞であるため謁見の間が選ばれたようだ。

「褒美として褒賞金と、王都に屋敷を与える。今後も職務に励むように」

 ひえー。今朝、パレスナ王妃から事前に聞いていたけれど、本当に王都の家を貰えてしまったよ。
 今のところ、侍女宿舎と魔女の塔で拠点となる場は不便していないから、持てあましそうだ。

「では、国王陛下からお言葉をいただきます」

 秘書官さんがそう言うと、国王は玉座に座ったままにっこりと笑みを浮かべた。

「うん、キリリン、遅くなったけど約束通りこれが褒美だよ」

 こちらから色々言いたいこともあるが、場所が場所であり、王城勤めの法服貴族も少人数だが並んでいるので、黙っていることとする。

「屋敷は中古で小さい建物だけど、王城から通える距離にある貴族街にあるから、倉庫にするなり、魔法の工房にするなり好きに使ってよ」

 貴族街とは、王都にある王城周辺の区画の俗称だ。貴族の屋敷が多く並んでいるから貴族街と呼ばれている。別に貴族街とその他の場所で、壁や塀で区画が分けられているわけではない。
 公式の場で俗称を普通に口にした国王が、さらに言葉を続ける。

「使用人はいないけれど、褒賞金には虹貝をたくさん入れておくから、必要ならそれで雇ってね」

 虹貝はこの国の高額な貨幣だ。虹貝一つで使用人を一人、一年は雇えるだろう。それがいくつ入っていることやら。
 ただ、私はそれなりに資産を持っているので、無理に虹貝をつけてくれなくてもなんとかなったのだが……、お金がある分には困らないので別に良いか。

「内装が整ったら遊びに行くから、呼んでねー」

 この国王、完全に友達の家に遊びに行く感覚である。まあ、実際に友達なのだが……。

「俺からは以上」

「では、キリン殿、下がってよろしい」

 秘書官さんに下がれと言われたので私は礼を解き、謁見の間を後にする。
 謁見の間の入口で待機していたキリンゼラーの使い魔を回収して、侍女宿舎に向かう。
 謁見が終わったら仕事に戻らなくて良いと言われているので、今日はこれで終業だ。侍女宿舎の私室に戻ると、カヤ嬢はまだ仕事中なのか姿が見えない。その代わりに、世界樹の化身がカヤ嬢の本棚にあった本を読みながら、ベッドの上で寝転がっていた。

「あっ、おかえりー」

「あんた……自由だなぁ」

「そうだよー。世界樹ちゃんは何にも縛られないのだ。むしろ月を根で縛り上げている!」

「そうかそうか」

 私は適当に世界樹の相手をしながら、パーティドレスを脱ぐ。うーん、正装って他に用意しておいた方が良いのだろうか。王都に拠点ができたなら、侍女宿舎に収めきれない量の服をドレスルームにしまっておけるよな。
 後でククルかカヤ嬢に相談してみよう。

 その後、部屋の中でキリンゼラーの使い魔をかまって時間を潰していたら、部屋に女官が訪ねてきた。
 用事は、屋敷の鍵と褒賞金を渡しに来たとのこと。お金は高額なので少額ずつ分割で渡せるとも言われたが、私は魔法で盗難防止がいくらでもできるので、全額受け取りとした。
 女官はその用件だけ済ませると、すぐさま去っていく。

「キリンちゃん、とうとうマイホーム持つんだねぇ」

 女官が来ている間も本を読む姿勢を崩さなかった世界樹の化身が、しみじみと言った。

「中古らしいけどな」

「んー、良い家みたいだよ」

 ああ、世界樹は自分自身をくまなく把握できるから、たとえ化身がこの場に居ようとも、ここから離れた屋敷のことを探ることができるのか。この世界にある建物は、全て世界樹の上に建っているからな。
 便利なものだ。もう、こいつが屋敷の使用人で良いんじゃないか。まあ、そんな扱いをしたと世界樹教の信者に知れたら怖いので、冗談でも言わないでおくが。

 そして、王都の屋敷について世界樹から聞き取りをしていると、カヤ嬢が部屋に戻ってきた。
 褒美として屋敷を貰ったことを伝えると、カヤ嬢はテンションを上げ、ホームパーティに誘ってくれとせがまれた。

 国王は遊びに来ると言うし、なんだか王城で会えるというのにわざわざ私の家が交流の場にでもなりそうだな。

「私もセーリン様と結婚した暁には、各地の屋敷で愛を育むことに……今から楽しみですわ」

 セーリンとは、カヤ嬢の婚約者である青の騎士団長のことだ。
 青の騎士団長はその職務上、この国の各地を転々とする。そして、その妻となるカヤ嬢は一つの屋敷に留まって帰りを待つのではなく、セーリンが買う予定の各任地の屋敷についていくつもりだそうだ。

「本屋敷はセーリン様のご実家ではなく、王都にするそうです。私が侍女を辞めた後も、同じ貴族街の者として、ご近所付き合いをお願いしますね、キリンさん」

 そうね。ところでカヤ嬢の結婚はいったいいつになるのかね。
 彼女は16歳。花嫁修業の職である王城侍女を辞して、貴族として本格的に生きても良い年齢だと思う。
 そのあたりを彼女に聞いてみたところ……。

「セーリン様が言うには、秘密騎士団の方々が帰還して、騎士団の計画がずいぶん変更になったので、いつ私用で式を挙げられるか判らないと」

「それはまた、残念だね」

「つまりは、まだキリンさんと一緒に居られるということですわ」

 く、嬉しいことを言ってくれるじゃないか。

「まだしばらくは、私が子供でいられる期間が続くというわけですわね。なので、いっぱい遊びましょうね。まずはホームパーティです」

「はいはい、とりあえず次の休日に屋敷の様子を見てくるよ」

 修繕が必要なら業者を呼ぶ必要があるし、内装を整えなければ人も呼べない。
 使用人を雇うならば、どの業種が何人必要かも見なければならない。

 しかし、この国における私の肩書きとしては平民だというのに、まさか貴族街に屋敷を持つことになるとは思わなかったな。



◆◇◆◇◆



 休日となり、キリンゼラーの使い魔を伴って屋敷に向かおうと、侍女宿舎を出た私を師匠であるセリノチッタが呼び止めた。

「下賜された屋敷に行くのですね。私も見ます」

 有無を言わせない、いつもの師匠である。
 この人が一度行くと言い出したら、断ってもついてくるのが想像に難くないので、大人しく同行させることにした。
 そして、王城の使用人用の門から出て、城下町に繰り出す。

 王城の前には辻馬車が多く駐まっている。今日は王城の使用人達の多くも休日となっている日なので、高貴な客を相手にする綺麗な辻馬車がここを格好のポイントとしているのだ。
 だが、本日の私は馬車に用事はない。目的の屋敷は王城のすぐ傍の貴族街だからだ。
 貴族街の中でも、特に王城に近い位置にある。よくもまあこんな場所に空いている屋敷があったものだ。

「外観は悪くないですね。古くさいですが」

 辿り着いた屋敷を前に、師匠が言う。

「庭は私の本体が留まれそうな広さがなさそう。狭いね」

 腕の中のキリンゼラーは、早速駄目出しだ。
 こいつら、私の屋敷だというのに好き勝手言っているな。

 私の感想としては、小さな屋敷とは聞いていたものの、一人用のマイホームとしては大きすぎるな、というところである。

「これは、使用人絶対に必要だよな」

 そう三階建ての屋敷を見上げながら私が言うと――

「屋敷の管理はティニク商会にお任せですよ」

 と、背後から声がかかったので振り向いてみる。すると、そこには何故か王城下女のカーリンがいた。

「あんた本当、どこにでも居るな……」

 私がそう言うと、カーリンは「いやいや」と首を横に振って答える。

「褒美として与えられた屋敷の下見に行くと聞いて、わざわざ休日を使って営業に来たっすよ。調度品、家具、女中、なんでもティニク商会で揃いますよ。というかティニク商会で揃えるよう、父から釘を刺してこいと言われています」

「一年前まで商会の経営には一切関わってこなかったというのに、いつの間にか営業が身についているなぁ……」

「まあ、私もずっとは、奉公先の王城で下女をやっているつもりはないってことですよ。商会は継げませんが、幹部くらいには就けると思いますので」

 あと数年もしたら、今居る知り合いの半数は王城を出ていそうだな。ちょっと寂しい。
 そんなことを考えつつ、私は先日渡されていた鍵を使って、屋敷の扉を開けた。

「仮にも貴族の区画ならば、門番がいりますね。ゴーレムを作りなさい」

 さっそく師匠に宿題を渡されたぞ……。でも、確かに普段この屋敷に居ないならば、なんらかの警備は必要か。夜の泥棒対策も考えると、人を雇うよりも一日中動いていられるゴーレムが相応しいってことだな。

 扉をくぐり、屋敷の中に入る。王都では一般的な石造りの建物だ。
 近場にある石切場から石を持ってきて建てたのだろう。魔法が建築に使われているのか、石の継ぎ目は消されている。
 私は床に目を凝らし、しゃがんで指で床をこすってみた。

「埃はないな。掃除は行き届いているみたいだ」

「褒美として渡された以上は、清掃済みということですか。残念です」

 私がこすった指を眺めながら言うと、カーリンが本当に残念そうに呟いた。
 ティニク商会は清掃業務まで手を伸ばしているのか……。傘下には、様々な業種の商会が揃っているのだろうなぁ。

「照明は普通のランプですね。魔法照明に変えなさい」

 師匠が壁に備え付けられた照明を見ながら言う。

 魔法照明はその名の通り魔法で光る照明だ。道具協会の管理品で、街灯として街中で使われているが個人では扱えない。一般市民が邸宅で夜の灯りを確保するには、ロウソクや油を灯すランプを使う必要がある。
 ロウソクの蝋は蟻蜜が取れる樹上蟻の巣から大量に採れるので、割と安価に出回っている。王都周辺に限定すれば、家畜である巨獣の油脂も安いが、こちらは臭いが出て煙も強いので好みが分かれるところだ。

「道具協会に睨まれたくないのだが、魔法使いが個人で使う分には問題ないのかな?」

「そうですね。私の作った設計図を今度渡すので、作ってみなさい」

 魔女になる気はないが、簡単な魔法道具なら、今までティニク商会相手に何度も作って卸してきた。なので、特に問題はないな。

 そして、私達は屋敷をくまなく歩き回りながら、各所のチェックをしていく。

「修繕は必要なさそうだな」

 と、私が言うと、カーリンは嬉しそうに言葉を返してくる。

「家具はほとんど残ってないですね。コンセプトを決めて一つの家具工房で揃えませんか?」

「あー、まあそこら辺はカーリンに任せることにするよ。褒美として貰ったお金が予想より多かったから、家具一式くらい余裕で揃えられる」

「毎度ありがとうございますー」

 そんなやりとりをしていると、今度はキリンゼラーの使い魔が言った。

「私がここに住むことはないかなぁ。やっぱりみんなのいる宿舎じゃないとね」

「そうだな。私も侍女宿舎を出るつもりはないよ」

「あっ、でもホームパーティってやつには行くよ!」

 うっ、やっぱり開かないといけないのか、ホームパーティ。
 前世ではよく仕事の同僚が開いていたな。輸出入を扱う商売だったから、怪しい外国の料理とかをよく食わされたものだ。

「三階は私の工房にします。危険なので、使用人を雇うなら近寄らせないように」

「えっ、師匠も使うの、この家」

 一人で真剣にチェックをしていると思ったら、師匠、この屋敷に私用スペースを確保するつもりだったのか。

「今の宿舎は手狭です。ここに住みます」

「弟子の家に居候する気か……」

 私用スペースにするどころか、住むのかよ!

「キリンも私の塔を自由に使っていますね。ですので、私もこの家を自由に使います」

「うーん、うーん、まあ妥当な話か」

 私も師匠が死んでから師匠の塔を拠点に活動していたし、師匠が帰ってきた今も普通に倉庫として使っている。
 屋敷を手に入れた以上、こちらに荷物は大部分移そうと思ってはいたのだが……。

 そんなわけで、師匠の入居が決まり、家具選びには師匠の意見を大きく聞き入れることになった。
 使用人も“師匠と衝突しない人格者”から選ぶ必要が出てきて、短い時間で師匠の口の悪さを知ったカーリンが選定の困難さに引きつった顔をしていた。
 使用人は住み込みなしで、通いの女中を毎日一人、庭の手入れのために園丁を週に一人入れることとした。師匠は炊事ができる人なので、日常のあれこれは勝手にやってくれるだろう。生活するうえで人手が足りなかったら、勝手にゴーレムでもなんでも作ると思われる。

 そんな取り決めをして、午後は家具工房に向かおうと話しているそのときだった。
 屋敷の中にドアノッカーの音が響いた。音は玄関からだ。
 入居がまだなのに、訪ねてくる人とはいったい? 疑問に思いつつ、私達は玄関に向かい、扉を開けた。

「……ハルエーナ様?」

 そこに居たのは、鉱物の国シンハイのハルエーナ王女だった。護衛として人型モードのネコールナコールと、元武装衆のカタツナの姿も見える。
 ハルエーナ王女は、その立場上、王都に居てもおかしくはないのだが、なぜこの屋敷に来ているのだろうか?

「屋敷を貰ったというから、挨拶に来た」

 まだ少したどたどしいこの国の言葉でハルエーナ王女は、そう言った。

「はあ……。ようこそいらっしゃいました。家具はまだ置いていないので、残念ながらお茶も出せませんが」

「構わない。ちょっと見にきただけ」

 うーん、まあ、彼女とは結構親しくしてきたから、友人として訪ねてきてもおかしくはないか。
 そう思っていたのだが。

「キリン、不思議そうにしてる。今日は本当に挨拶に来ただけ。実はこの屋敷の隣、シンハイ大使館」

「あ、そうだったんですか」

 そう言えば大使館の位置、知らなかったな。隣なのか。うーん、隣?
 私はある事実に気づき、ハルエーナ王女に言葉をかけた。

「ハルエーナ様、私はここに住みませんが、実は私の魔法の師匠が住むことになります」

「ん、お隣さん。よろしく」

 ハルエーナ王女側は問題ない。問題なのは、師匠の方だ。

「師匠、この方は先日隣の大陸に新しくできたシンハイ国の第三王女様で、この国に滞在している親善大使です。どうか、失礼な事を言って国際問題を起こさないように頼みます」

「起こしませんよ。私をなんだと思っているのです」

「口悪ボケ女。誰にも止められない暴力付き」

「口が悪いのはキリンではないですか!」

 そんなやりとりを師匠としていると、私達の会話がおかしかったのか、ハルエーナ王女がクスクスと笑っている。
 いや、本当にこの師匠口悪いから、できれば会わないでおいてくれるとありがたいのだが。

「ハルエーナ様、お隣同士ですが、この師匠にはご近所付き合いとか必要ありませんので」

 私がそうハルエーナ王女に向けて言うと、横から師匠が口を挟んでくる。

「何を言っているのですか。近所付き合いは、工房に籠もる魔女にとって必要な行為です。おろそかにしないように。本当に魔女としての心構えができていませんね」

 ああ、そういえばこの師匠、近隣の村とやりとりして、研究に必要な資材とか作らせたりしている人だった。
 意外と社交性が高いのか? いやでも、印刷所の所長さんみたいに、口の悪さで衝突とか起こりえるからな……。

「おぬしも人付き合いで、苦労することあるのじゃな……」

 そうしみじみとつぶやかれるネコールナコールの声から、哀愁を感じた。かつて数百年前にこの国の人々を手玉に取った古の悪魔も、狂信者の元武装衆相手では苦労が絶えないようだ。今もカタツナは、怪しい目でネコールナコールを見ているぞ。
 それはともかく、国際問題の発生を前に私の取れそうな手段は……。

「カーリン、通いの女中さん、口が達者な人で頼むよ……」

「……まあ私が対応させられるのでないなら、問題はありません。でも国際問題の責任は取れないっす」

 頼むぞ、師匠。そしてまだ見ぬ女中さん!

 しかし、仮にも私の師匠なのに、なんでこんなに心配しなくちゃいけないのだ。
 師匠が死ぬ以前の頃は、もっと頼りになる人物だと思っていたのだけれどなぁ。

 なお、その後昼食を共にし、家具屋にまで付き合ってもらったハルエーナ王女は、師匠と波長が合ったのか意気投合していたのであった。ハルエーナ王女が寛容なのか、師匠が予想より大人しかったのか、とにかく無難に過ごしてくれそうでよかった。



[35267] 103.茶会
Name: Leni◆d69b6a62 ID:9571a6fe
Date: 2021/09/10 02:43
 春の季節も終わりに近づいた、三月三十三日の午後。
 空模様は、天気予告通りに晴れ。この世界の空には雲がないため、さえぎる物のない陽射しが屋外を強く照らしている。

 私達王妃付き侍女達は、そんな晴れ渡る空の下、王城にある植物園までやってきていた。

 本日は王妃主催のお茶会の日。植物園にいくつかある東屋の一つを貸し切っての開催だ。
 東屋は事前に王城勤めの下女達が清掃をしており、テーブルが綺麗に磨かれていた。首席侍女代行の私は、清掃が行き渡っているかの最終チェックを行なっている。

「はあ、私も客として参加したかったですわ」

 茶器の確認をしていた侍女のメイヤが、そうぼやく。それに対して答えるのは、同じく侍女のリーリーだ。

「抽選に当たった人、すごく自慢してたねー」

 さらに、手持ち無沙汰になっていた同僚のサトトコが話に加わる。

「侍女なら誰でも参加のチャンスがありましたのに、王妃付き侍女だけは主催側なので参加不可ですからね」

「でも、主催側じゃなかったら、抽選に漏れてこの場にすら居られなかったかもしれませんよ!」

 前向きな主張をした侍女は、まだ十二歳と年若い少女マールだ。

 今日の茶会は、参加者を王城侍女に限定した趣旨となっている。事の発端は、二ヶ月前の一月中旬。私の宿舎の同室であるカヤ嬢が読んだ本の感想をパレスナ王妃に伝えたのが全ての始まりだった。
 そのカヤ嬢の読んだ本とは、パレスナ王妃が挿絵を描いた小説『天使の恋歌』。恋愛小説を好んで読んでいるというカヤ嬢に興味を持ったパレスナ王妃が、一度彼女と会ってみたいと希望し、それならば王城侍女を招いた茶会を開いてみればとサトトコが提案して、今回の企画が立ったのだ。
 そして、参加者を侍女宿舎で募ったところ、希望者多数となったため、参加者は侍女の中から厳正に抽選で選ばれた。

 本当ならば、もっと早くに茶会を開いていたはずだった。しかし、惑星旅行に行ったり併合式典に参加したりと、パレスナ王妃の予定が空かなかったため開催が延びに延びていた。
 そして、今月になって、ようやくパレスナ王妃の予定が空いた。だが、抽選で選ばれた侍女達がまとめて休暇申請を出す都合もあって、開催日が月の後半になってしまったわけだ。

「ほらほら皆さん、そろそろお客様がやってまいりますよ」

 私語をとがめるように本来の首席侍女であるフランカさんが手を叩き、注意をうながす。
 それに反応した侍女達は、すっと背筋を伸ばし、各々の担当箇所に戻った。
 そして、まるで侍女達の動きに合わせたように、東屋の外側から人の集団が近づいてくる気配を私は感じ取った。

 きゃいきゃいとかしましく話しながら東屋に近づいてきたのは、侍女の制服でなく各々自由なドレスに身を包んだ六名の少女達。それを最年少の王妃付き侍女ビアンカが先導している。
 客の到着に気づいたパレスナ王妃は、座っていた椅子から立ち上がり、彼女達を迎えた。それに合わせるように、侍女のサトトコが東屋を去る。本日のお茶菓子は出すタイミングが重要とのことだったので、王宮の厨房まで菓子職人を呼びに行ったのだ。

「ようこそいらっしゃいました」

 パレスナ王妃は礼儀正しく、それでいて彼女達の上位である王妃としてへりくだらないようにして、東屋に客を迎え入れた。

「お招きいただきありがとうございます。本日は、よろしくお願いいたします」

 代表としてカヤ嬢が、主催者の王妃に向けて挨拶をする。
 カヤ嬢の台詞と共に、計六名の参加者達は貴族の礼を執った。彼女達は王城侍女だが、今日は業務外のため侍女の礼ではなく、貴族の子女としての礼である。

「じゃあ、好きな席に座ってね」

 そうパレスナ王妃に言われて真っ先に動いたのは、偶然にも抽選に選ばれた私の昔なじみの娘ククルだった。彼女は、円卓となっているテーブルにある席のうち、パレスナ王妃の隣を確保した。ちゃっかりしているなぁ、あの子は。
 そして、パレスナ王妃から名指しで呼ばれて参加しているカヤ嬢は、パレスナ王妃のもう一つの隣席ではなく、王妃のちょうど対面となる席に座った。

 すると、先ほどまで私達の邪魔をしないよう、東屋の隅で日光浴をしていたキリンゼラーの使い魔が、ぴょんと跳ねてカヤ嬢の膝の上に乗った。
 それを見たパレスナ王妃は、自らも着席して、面白そうに笑いながら言う。

「仲が良いのね」

「キリンゼラーさんですか。普段、宿舎で一緒ですからね」

「あら、そうすると貴女がカヤかしら?」

「はい、王妃様。リゼン・カヤ・エイワシ・ボ・アラハラレと申します」

「王妃のパレスナよ。よろしく。ふふ、キリンゼラーとはずいぶん馴染んでいるようね」

「はい、仲よくさせていただいています」

「キリンと同室ということは、世界樹の化身とも交流しているのかしら?」

「ええ、最近のあの方は、私の蔵書をよく読んでいらっしゃいます。本が好きなのでしょうか」

「ちょっと想像付かないわねー」

 初めて会ったにもかかわらず、パレスナ王妃とカヤ嬢はずいぶんと親しげに会話を繰り広げていた。

 そして、会話が途切れたタイミングで、パレスナ王妃は改めて参加者達に自己紹介を行なった。
 それに対し、六名の参加者達も王妃に己の名前を告げる。参加者は全員王城に勤める侍女。いずれも貴族の娘である。皆が着ている服は宿舎にしまってあったのか、それとも王都にある屋敷から取り寄せたのか、いずれも王妃主催のお茶会へ出るのに相応しい貴族風のドレスとなっている。

 さて、お茶会が始まったので、侍女の私達はお茶の用意だ。お茶の葉は、この国特産のカーターツー。その一杯目を首席侍女代行として私が淹れる。
 パレスナ王妃と参加者達、計七名分のお茶を淹れ、他の侍女達にそれを持っていかせた。
 お茶に混ぜるための蟻蜜と砂糖の他に、今日は世界樹の樹液も用意してある。世界樹の化身が、もっと樹液使ってと時々うるさいのだ。どうやら世界樹は人間に樹液を食べてもらってほしいらしい。栄養価でも高かったりするのだろうか。

 そうして、お茶を淹れ終わってパレスナ王妃の後ろにつくと、どうやら会話は本日の主題である『天使の恋歌』の話題となっているようだ。
 皆、それぞれ手に本を携えている。ブックカバーをつけていて表題は判らないが、おそらく全員『天使の恋歌』を持参してきたのだろう。

「異種族との融和、異種族との恋愛。素敵ですわね」

「憧れてしまいますよね。でも、身近で異種族の男性を見たことはないので、少し感覚が解らないところがありますわ」

「王妹様のお付きの天使様は、女性ですしね」

 そんなことを令嬢が口々に言う。どうやら話は本の内容から少しずれ、異種族との恋愛観に移ったようだ。
 参加者達は皆、緊張がほぐれたのか、パレスナ王妃の前で遠慮なく話を盛り上げている。
 そんな中、お茶を一口飲んだパレスナ王妃は、ゆっくりとお茶のカップを円卓の上に置き、話に乗り始めた。

「異種族間の恋愛、している子いるわよー。うちのメイヤなんだけどね」

「ああ、噂の『真実の愛』ですわね。メイヤさんとキリンさんには話を聞いたのですけれど、王妃様からも是非話をうかがいたいですわ」

 カヤ嬢が、満面の笑みでパレスナ王妃に話を催促した。それを受けて、参加者の一人にお茶のおかわりを用意していた侍女のメイヤが、ぎょっとした顔をしている。
 それを見たパレスナ王妃は、「ふふふ」と笑い、言葉を続けた。

「私がメイヤとキリンを連れて一月に旅行に行ったのは、皆知っていると思うのだけれど……」

「ええ、侍女の間では知れ渡っていますわ」

 カヤ嬢の相づちに、パレスナ王妃はうなずいてさらに続ける。

「大地神話に語られる惑星まで行ってきたのだけれど、そこで異なる世界からやってきたという異種族と会ってね。これも知っているかしら?」

「それも存じていますわね」

「そう、その異種族のとある少年とメイヤが交流をして、相思相愛になったのよ。お互い、言葉も通じないというのにね」

「まあまあまあ、何度聞いても素敵なお話ですね!」

 パレスナ王妃の話に、カヤ嬢が一瞬で盛り上がる。相変わらず他人の恋愛が好きな子だな、こやつ。

「こう改まって噂をされると、恥ずかしいですわね……」

 お茶を配膳した立ち位置のまま渋い顔をしたメイヤが、そんなことを言う。
 カヤ嬢はそれを「まあまあ」となだめ、パレスナ王妃からさらに詳しい話を聞き出そうとした。

「そうね。その少年は未だに大地神話の惑星にいるわ。メイヤとは遠距離恋愛中ね。でも、二人の仲は『幹』の女帝陛下公認よ」

「まあ!」

 カヤ嬢が楽しそうで何よりです。

 そして、話はメイヤの遠距離恋愛話からずれ、メイヤの元婚約者に対するリーリーの横恋慕で盛り上がり、参加している令嬢それぞれに婚約者はいるのかという話に変わる。
 カヤ嬢の番となると、彼女は見事に青の騎士団長セーリンに対するのろけを展開し、周囲を砂糖でも口から吐いたかのような甘い気分に浸らせた。

 そして、最後にククルの番になると、彼女は「うーん」とうなり出す。

「親が決めた婚約者はいないのですけれど……。できれば今の仕事場である近衛宿舎で、誰か相手を見つけたいと思っています」

「どなたか良い相手は見つかりまして?」

 そうカヤ嬢が興味深げに尋ねると、ククルは悩みながら答える。

「んー、仲が良いのはハネスさんかしら」

「キリン、確か近衛騎士団に詳しかったわね。どういう人?」

 パレスナ王妃から話を振られたので、私は素直に応える。

「怪力の大男ですね。地方の農村出身ですが、正騎士なので騎士爵になっています。少し粗野な男ですが、騎士としての力量は近衛騎士団の中でも上位に入るかと」

「そっか。近衛騎士団の第一隊は平民出身が多かったわね」

「ええ、全員私と国王陛下でスカウトして、徹底的に鍛え上げました」

「ククルだったかしら。貴女的には恋人にしても良いと思える相手なの?」

「えっと……キリンお姉様は粗野とおっしゃいましたが、私には結構優しくしてくれる良い人です。私を受け入れてくれるなら、恋人も良いかなと思います」

 くっ! 私の姪的存在に恋人だと! ハネスめ、今度会ったらどうしてやろうか。

 私が内心で報復の炎を燃やしていると、侍女のサトトコが東屋まで戻ってきた。
 彼女の後ろには、菓子職人が数名、金属のフタ、いわゆるクローシュが載せられたお盆を持ってついてきている。

「お待たせしましたー。本日のお茶菓子ですー」

 そう間延びした声で告げたのは、王宮菓子職人の副職人長であるトリール嬢だ。
 菓子職人達は円卓に近寄ると、クローシュを開け、お盆の上に乗ったお茶菓子を令嬢達に配り始めた。

「本日のお茶菓子はー、巨獣の乳を使った氷菓子ですー。夏も近づいてきていますので、甘くて冷たいお菓子を用意しましたー」

 おお、すごいな。それは、ガラスの皿に盛られたアイスクリームであった。
 そう言えば以前、トリール嬢は同じ後宮の元王妃候補であるファミー嬢から、アイスクリームのレシピを受け取ったとか言っていたな。
 トリール嬢は氷の魔法を使えるから、こんな季節でも氷室の雪や氷に頼ることなく、こういった氷菓子作りにも挑戦できるのだろう。

「まあ、氷菓子ですか」

「もしや副職人長のトリール様では?」

「あのキリンさんやメイヤさんが、よく美味しいと自慢している、あの?」

「冷たくて甘いお菓子……どんな味がするのかしら」

 令嬢達が、見慣れぬ氷菓子を前にして盛り上がっている。
 そんな中、目の前に置かれた氷菓子を見て、ククルがぽつりと呟いた。

「これ、アイスクリーム?」

 その固有名詞に、トリール嬢が反応する。

「もし。お嬢様、この料理をご存じなのですかー?」

「えっ、あ、はい! 昔、キリンお姉様に冷たい物を食べさせてとワガママを言ったら、この見た目と同じお菓子を作ってくれたことがありまして……」

「あ、キリンさんがですか。それなら納得ですー。アイスクリームのレシピが他にも知れ渡っているのかと、驚いてしまいましたー」

 レシピは財産だからな。他所に漏れたりしていないか心配したのだろう。

「それではー、氷菓子ですので、溶けないうちにお召し上がりくださいー」

 トリール嬢にうながされ、令嬢達はアイスクリームを口にし、うっとりとした表情を浮かべた。
 氷菓子は貴族の令嬢にとっても、冬場以外は手に入りづらい高級品だ。それがトリール嬢という一流職人が作ったアイスクリームとなると、その味はさぞ美味なのであろう。
 侍女の幼少二人であるマールとビアンカなんかは、すごく食べたそうにアイスクリームの皿を見つめている。いや、私も食べてみたいけれどな。

 そして、アイスクリームと共に楽しむためにお茶のおかわりを希望する令嬢もいて、お茶の用意のためにまた働く私達。
 ふとカヤ嬢の方を見ると、膝の上からテーブルの上に移動したキリンゼラーの使い魔が、カヤ嬢にアイスクリームを分けてもらっていた。あいつめ……。
 やがて、アイスクリームを全員食べ終わる頃には、また会話の内容が変わっていて、今はパレスナ王妃の絵画についてだ。

 パレスナ王妃は絵画のいくつかをトレーディングカードゲームのために提出している。今回参加している令嬢の中にもTCGのプレイヤーがおり、パレスナ王妃の担当したカードを所有しているということだった。

「ああー、『管理者の警告』ね。あの絵は確かによく描けたけれど、今はちょっと不満があるの」

「不満ですか? あの素敵な絵に?」

 ふむ。『管理者の警告』か。どんなカードだったかな。確か魔法のカードで、戦闘を中止させる効果があるのだったか。絵は……覚えてないな。

「あのカードの管理者というのは『幹』の管理者のことで、蟲神蟻の賢者様ね」

「ええ、絵本に出てくる賢者様と同じ格好ですから、判りますわ」

「実は惑星旅行に行ったときに、その賢者様と会っているの。本当の姿を知ったから、正しく描き直したいのよね」

 ああ、惑星脱出艦テアノンの艦長が、『幹』の最高指導者なのだったな。
 パレスナ王妃から告げられた真実に、令嬢達は驚きの声をあげている。
 それに気を良くしたパレスナ王妃は、惑星旅行のエピソードをいくつか語り、そしてまたメイヤと少年メーの恋愛話に戻り、会話がループし始めた。

 先ほどした話をまた繰り返していることに気づいているのかいないのか、令嬢達と王妃は楽しげに会話をし続ける。そして、トリール嬢が今度は焼き菓子を追加して場はさらに盛り上がり、日が暮れ始めるまでお茶会は続いたのであった。



◆◇◆◇◆



「そんなことがあったのか! なんで私を呼んでくれないのだ!」

 明くる日。パレスナ王妃の私室に、王妹のナシーが訪ねてきていた。
 二人はしばし雑談をしたのち、そういえばとパレスナ王妃が昨日のお茶会の話を振ったところ、先ほどの台詞が飛び出したのだ。

「私の書いた本の読者で集まってお茶会など、私も出るべきではないのか?」

「ナシーは後宮の準備で忙しいでしょう?」

「う、そうなのだが……」

 そう、本来ならば『天使の恋歌』の作者であるナシーもお茶会に呼ぶ予定だったのだ。だが、彼女は今、結婚相手を決めるために国中から後宮に入る貴族の男子を集めている最中なのだ。
 私達もナシー付きの侍女を通じてお茶会の予定を立てようとしていたのだが、結局ナシーは多忙すぎて予定が合わず、彼女不在でのお茶会開催となったのだ。

「侍女とのお茶会よりも、いかに意中の男性と仲を深めるかを考えなさいな」

「な、仲を深めるなどとそんな……!」

 パレスナ王妃の言葉に、顔を真っ赤にさせるナシー。

「ウブねえ……貴女本当に恋愛小説家なの?」

 呆れたように言うパレスナ王妃だが、それに対してナシーは顔を赤くしたまま反論する。

「フィクションと現実は関係ないものなのだ! 取材は怠らないが、経験のないことも表現できるのが創作者というものだろう?」

「まあ確かに、絵画でも空想上の物を描いたりもするけれど……」

「うむ、だから私に恋愛経験がなくとも、恋愛小説は書けるわけだな」

「でも、経験があることに越したことはないわよね。オルトとかいう人はちゃんと後宮入りしてくれそうなの」

「うっ、何やら近々御前試合があるとのことで、鍛錬に忙しく後宮入りは遅れるらしい……」

「ああ、秘密騎士団が帰ってきたから急いで開催するとか言っていた……」

 ふむ? 御前試合なんてあるのか。近衛騎士団第一隊の副隊長であるオルトは、以前その御前試合で勝利を収め、王国最強の騎士と言われるようになったのだったな。
 興味深いので詳しく聞いてみたいのだが、話はお茶会の話題に移ったため、聞くに聞けなくなってしまった。

「ともかく、私も読者と交流したいのだ」

「それなら、自分で主催しなさいな。私は侍女に頼んで侍女宿舎からメンバーを選んで楽ができたわよ」

「私はパレスナほど、侍女の数がいるわけではないからなぁ」

「侍女ならいつでも貸してあげるわよ?」

「本当か? それなら早速鍛錬のためにキリンを貸してほしいのだが……」

「キリンは駄目」

「どうしてだ!?」

 私は首席侍女代行だし、パレスナ王妃のお気に入りなので諦めてくれ。

 そして、結局お茶会の予定は立たず、ナシーは彼女を探しにきた天使のヤラールトラールに引きずられて、部屋を後にしたのだった。
 それを眺めていたパレスナ王妃は、ぽつりと一言。

「またお茶会、したいわね」

 ふむ、また企画立案からか。お茶会で人脈を築くのは王妃として必要なことだと思うので、精一杯サポートしようか。次回開催はフランカさんがいるかどうか判らないので、ちょっと不安があるけれども。
 首席侍女への道のりはまだ遠い。



[35267] 104.試合
Name: Leni◆d69b6a62 ID:9571a6fe
Date: 2021/09/10 02:44
 王都にて、御前試合が開かれる。
 御前試合とは、王や領主の前で行なわれる武術の試合のことだ。今回は国王主催の御前試合で、出場するのは各騎士団の騎士達だ。
 青の騎士団、緑の騎士団、近衛騎士団からそれぞれ代表を数名選別し、国へ帰還したばかりの秘密騎士団の面々と戦うのだ。

 国王を前にした試合とあり、国王と一緒にパレスナ王妃も人前に顔を見せる。
 首席侍女代行として、私も仕事に駆り出されることになるだろう……と思っていたのだが、御前試合の日はこの国における週に一度の休日で、私も侍女の仕事が休みとなる日であった。
 誰かと休みの日を交換するなりして休日出動になるとばかり思っていたのだが、フランカさんがそのまま休みを取って良いと言いだした。
 産休前の最後の仕事として、一人でパレスナ王妃のお供を務めたいということだった。

 なるほど、それなら私も前日までの準備は手伝いつつ、当日は自由に過ごさせてもらおう。
 そう思い、連日懸命に働き、とうとうやってきた休日。私は、同じく休みであるカヤ嬢とククルを誘い、御前試合を観戦しに会場へ訪れていた。

「盛況ですね」

 ククルが、観客席の最前列に陣取りながら言う。
 ここは、王城の外にある練兵場。御前試合には一般市民の観戦も認められており、仮設の観客席が練兵場に用意されていた。
 本来ならばこういう催し物は王都郊外にある競技場で行なわれるのだが、競技場は現在改装中。広い練兵場の大半が観客席に作り替えられていた。

 その盛況ぶりを見て、私も言う。

「満員御礼だな」

「キリンさんが席取りをしてくださらなければ、最後尾で見る羽目になったかもしれませんわね」

 外行き用の動きやすいドレスに身を包んだカヤ嬢が周りを見回しながら言った。さらに、ククルが簡素な木の座席を手で触りながら言う。

「ゴーレムを使って席取りなんて、キリンお姉様でなければ無理ですね」

 そう、御前試合がチケット販売なしの無料で一般公開されると知った私は、急造のゴーレムを作り、昨日の朝から席取りに向かわせていたのだ。私の得意魔法は妖精魔法だが、ゴーレム作りも詠唱を必要としないので、割と得意分野である。
 逆に、呪文の詠唱をすると威力が上がる類の、戦闘用の攻撃魔法などは苦手だ。私の喉には人間の声帯がついていないからな。

 さて、最前列に陣取ったわけだが、すでに騎士達が練兵場に入場している様子がここから見える。
 私は視力がいいので遠くに居る騎士の姿もくっきりと見えるのだが、その中に見覚えのある顔が何人も見てとれた。青の騎士団長のセーリンなどもいるが、もし出場者なら婚約者のカヤ嬢は大盛り上がりだろうな。

 私は、セーリンの姿が見えたことをカヤ嬢に報告し、それを受けたカヤ嬢が興奮して、彼が出場者であることを説明し始めた。
 ククルも仕事を担当している近衛宿舎の騎士が二名出場すると言い、私達はどんな試合内容になるか言葉を交わし合い、退屈な待ち時間を消化していった。

 やがて時間は過ぎ、膝の上に軽食を広げて小腹を満たしていた時のこと。太鼓の音が鳴り、場内に声が響きわたった。

「国王陛下の入場である!」

 練兵場に、メッポー(馬のような生物)に騎乗した騎士達が入場する。その後ろに、メッポーに引かれていない車、国王専用の自動車が続いている。
 騎士の列と国王専用車は練兵場の中程まで進み、そして止まる。
 国王専用車の扉が開き、中からきらびやかな服を身にまとった国王とパレスナ王妃が出てくる。そして、用意されていた国王の席に二人は移動した。お、フランカさんがパレスナ王妃の後ろについたな。あちらは全て任せても問題なさそうだ。

「国王陛下からお言葉をいただきます」

 そうアナウンスがされ、観客席が静まりかえる。
 そして、国王は立ったまま周囲を見渡し、拡声の魔法がかかった魔法道具を手にしながら口を開いた。

「先日、長らく任務を任せていた騎士達が、世界樹の『最前線』から帰還した。彼らはその力をもって活躍し、この国に世界樹の恩恵を持ち帰った。彼らは勇敢な戦士である。その戦士一同に、今日はご足労いただいた」

 おっと、待つのに飽きてきたのか、膝の上にいるキリンゼラーの使い魔が、もぞもぞし始めたな。あとちょっとだ、お菓子を食べて我慢していてくれ。

「だが、『最前線』は遠く、彼らがその実力をこの国の者達に披露する機会はなかった。よって、ここに御前試合を開き、英雄である彼らの強さを披露してもらおうではないか。相対するのは、いずれもこの国を守り続けていた歴戦の猛者達である。互いに、その鍛え上げた武をこの王の前に見せてほしい」

 今日の国王は真面目さんだなー。まあ、国民を前にしているのでこんなものか。

「ふー。ま、そういうわけで、今年のアルイブキラ御前試合、始まるぞー!」

 あ、いつもの国王だった。国王が手を大きく振り上げると、わっと観客席が沸いた。
 国王が着席し、観客達は私語をもらし始める。そして、観客席を縫うように軽食を売る売り子が行き交う。

 そんな中、太鼓の音が響き、第一試合の準備が始まる。
 戦う騎士の名が読み上げられ、鎧に身を包んだ二人の騎士が進み出てくる。ええと、いきなり青の騎士団の騎士団長セーリンの出番か。

「きゃー! セーリン様ー!」

 カヤ嬢のテンションがいきなり最大値を突破する。
 私とククルはカヤ嬢をなだめながら、二人で言葉を交わす。

「で、じっさいどうなのですか、お姉様。カヤの婚約者の実力は」

「あいつは魔眼を持つ魔人で、青の騎士団では一番の実力者だぞ。しかもまだ若いから、肉体的には全盛期だ」

「それは期待が持てますね」

 一人盛り上がるカヤ嬢をなんとか抑えつけながら、試合開始を待つ。
 練兵場の真ん中に作られた試合用の舞台の上では、木剣を持った二人の騎士が視線鋭く向かい合っている。
 観客席の観客達も、固唾を飲んで見守る。
 そして、太鼓の音と共に、御前試合第一試合が開始された。

 それと同時、セーリンの対戦相手からものすごい闘気が発せられた。うーむ、これが飛竜を一人で退治した騎士レイ、その弟子の実力か。侮りがたいな。
 対するセーリンは待ちの姿勢なのか、木剣を構えたまま動きを見せることはない。

 相手騎士は、闘気をたぎらせたままセーリンに突撃。セーリンはその一撃を難なく回避した。
 そして、相手騎士の連続攻撃がセーリンを続けざまに襲う。
 それを全て魔眼の力で避けてみせるセーリン。さらに、セーリンはカウンターの一撃を相手に見舞う。
 相手騎士はその一撃を木剣で打ち払い、距離を取る。

「はぁー……」

 一連の攻防を見守っていたカヤ嬢から、溜息が漏れる。まさしく手に汗握る一幕であった。

「すごいね、カヤの婚約者」

 ククルがカヤ嬢にそう言うと、カヤ嬢は満面の笑みを浮かべて「そうでしょう」と胸を張った。

「おっと、二人とも、次来るぞ」

 私はそう注意を促すと同時、今度はセーリンが攻勢に出た。
 セーリンの一撃を防ごうとする相手騎士だが、それはフェイント。セーリンの木剣は相手の防御をすり抜け、強烈な突きが相手の胸元に命中した。

「そこまで! 勝負あり!」

 太鼓の音が響き、セーリンの勝利で決着がついた。観客席からは歓声が響き、カヤ嬢は両手を上げて喜んだ。
 キリンゼラーの使い魔も人間同士の戦いが面白かったのか、私の膝の上でぴょんぴょんと飛び跳ねている。

「勝ちましたわ!」

 カヤ嬢がそう私の手を握りながら言った。私も、カヤ嬢に対して言う。

「気功術の力量では負けていたが、剣の力量では大きく勝っていたのが勝因かな」

「荒事には詳しくないのですが、セーリン様の剣術は誇るべき領域にあるのですね!」

「そうだな」

 そうしているうちに、次の試合の準備が終わったようだ。

「緑の騎士団歩兵剣総長!」

 そんな出場騎士の肩書きが聞こえた。

「あれって、以前キリンお姉様に懸想していたという、緑の騎士様ではないですか?」

 ククルの言葉に、はっとする。次の出場者は、緑の騎士ヴォヴォか!
 以前、私はあいつに気功術の手ほどきをしたことがある。その当時の彼はしょぼい闘気しか使えなかったのだが、あれから半年以上経つ。緑の騎士団から代表に選ばれるほどだが、どれほど力をあげたのだろうか……。

 試合開始の太鼓が響き、向かい合う二人の騎士は闘気を高めた。
 その闘気の力量は……両者互角!

「すごいな、ヴォヴォの奴。私が気功術を教えてから一年も経っていないのに、騎士レイの弟子に匹敵するほどの闘気があるぞ」

 そして、繰り広げられた試合は……剣の力量差でヴォヴォの負けであった。

「先ほどはセーリン様がなんとか勝利しましたが、やはり秘密騎士団の方々は、お強いのですね」

 そんなカヤ嬢の言葉に、私はとりあえず頷いておく。他の面々の強さがまだ不明なので、秘密騎士団が強いとは断言しないでおく。
 その後、何試合か戦いが続き、とある対戦に観客達の注目が集まった。女性騎士同士の戦いだ。
 片方は、近衛騎士団第三隊。つまり、女性騎士の集団からの選出だ。

「ん? あれ? 近衛騎士側、見覚えのある顔のような……」

 と、私は近衛騎士の顔を見てそんな言葉をぽつりと漏らした。
 そこで騎士の名前がアナウンスされる。
 騎士の名前は、フヤ。

「あっ、後宮でパレスナ様の護衛だった人! そうか、代表に選ばれるほど強かったのか」

「お知り合いですか、お姉様」

「ああ、前に仕事場が一緒だった。無口な人だったから、あまり交流はできていないのだが……」

 そして始まった試合は、フヤの負けだった。
 ミステリアスで今まで底を見せてこなかった人物だが、騎士レイの弟子である秘密騎士団に勝てるほどの力量は持っていなかったようだ。

 その後も戦いは続き、また私の知り合いの顔が見えた。

「あっ、ハネスさんです! キリンお姉様、ハネスさんですよ!」

「そうだな。確かにハネスなら、近衛騎士団を代表して出てきてもおかしくない強さだ」

 舞台の上にいるのは、木製の斧を持った大男。近衛騎士のハネスだった。
 その姿を見て、ククルが心配そうに言う。

「ハネスさん勝てますかね……?」

「どうだろうか。どうせなら勝ってほしいが」

 そして試合が開始される。
 気功術の力量は互角。後は互いの武の競い合いだが……ハネスは押されていた。
 有効打は貰っていないが、相手騎士の巧みな剣さばきに、少しずつ舞台の端まで追い詰められていく。
 一歩、二歩と交代していき、やがて舞台の端から落ちそうになり……。

「ハネスさん! 負けるなー!」

 ククルがそう叫ぶと、ハネスは相手の剣を弾き、闘気をたぎらせ斧を上段から相手の肩に向けて勢いよく叩きつけた。
 相手騎士は闘気をまとった木剣でそれを防ごうとするが、木剣は折れ、斧が肩当てに命中する。

「おっしゃあああッ!」

 逆転の勝利をつかんだハネスが大声で喜びを表わした。
 そして、何やらこちらの方を向き、木斧を持った手を空にかかげてみせた。

「ククルの声援がハネスに届いて、逆転の力につながったのではないか?」

 そう私がからかうように言うと、ククルはきょとんとした顔で答える。

「え、当然ですよ。私の言うことは、ハネスさんいつも聞いてくれますから」

 あ、そう……。そうかぁ。
 私はなぜか寂しい気持ちになりながら、キリンゼラーの使い魔の毛を触って心を落ちつかせる。

 その後も試合は順調に消化されていく。ほとんどが秘密騎士団側の勝利で終わり、やがて最終試合となる。

 秘密騎士団の代表をしていた男が、木製のハルバードを持って舞台に登る。
 対するのは、近衛騎士団第一隊副隊長である、オルトだ。
 妥当な組み合わせだな。何故なら、オルトの奴は――

「聞くところによると、貴君が今の王国最強と言われているとか」

 秘密騎士団の代表がそうオルトに言う。そう、オルトは王国最強の騎士なのだ。
 対するオルトは、木製の長槍を手に握りながら、鎧の兜越しに答える。

「いくつかの御前試合で勝利を重ねた結果、王国最強の騎士と称されるようになりました」

「なるほど、相手にとって不足なしだ」

 そう言って、代表は構えを取り、試合の開始を待つ。
 が、彼の口はまだ閉じていなかった。

「ところで貴君。姫様に請われて後宮入りすると聞いたが?」

「ええ、この御前試合が終わり次第、後宮入りする予定です」

「そうか……」

 姫様とは、国王の妹ナシーのことであろう。
 代表の男は、つよくハルバードを握りながら言葉を続ける。

「我らが『最前線』におもむく前、当時の姫様はまだ幼く皆で成長を見守っていた。そして、帰還してそのお姿を拝見した時、正しく成長されていた姿に涙が出そうになった」

「…………」

「姫様は皆の姫様なのだ……添い遂げるつもりがあるなら、姫様を守り切れるだけの力、ここで見せてもらおうか!」

 あ、あの代表、シスターコンプレックスならぬプリンセスコンプレックスか何かか?
 ナシーの婚約者候補として後宮入りするオルトに、並々ならぬ感情を向けていやがる。

 一方、対するオルトは無言で槍を構えた。

「ふっ、言葉は不要か。ならば、後は力を示すのみ!」

 代表の宣言が終わると、タイミングよく試合開始の太鼓が響いた。
 その二人のやりとりに、観客席はもう大盛り上がりである。

 そして二人の戦いは始まり、ハルバードと槍が打ち合わされる。
 攻防は激しく、そして数十合と続き、互いに大きな力の差がないのが見てとれた。

 まさしく、今日一番の名試合。歓声は止まることなく、二人の攻防も止まることはない。
 やがて――

「……獲った!」

「くっ……貴君の勝ちだ!」

 オルトの突きが、代表の左胸を捉えていた。

 試合終了を告げる太鼓が響き、大歓声が練兵場を埋め尽くす。
 そして、そんな中でも私の耳には、試合を終えたばかりの二人の会話が聞こえてきた。

「これで、間違いなく王国最強の座は貴君の物だ」

「いえ……それは違いますよ」

「なに?」

「この国には、私でも敵わないお方がいらっしゃいます。一人は、国王陛下」

「ほう。相当な剣の腕を持っていらっしゃるとは聞いていたが、貴君を超えるほどであるか」

「ええ。まだ敵いません。そしてもう一人」

「他にもいるのであるか」

「貴方もご存じの方です。元庭師のキリン殿です」

「ほう、彼女か! 確かに、彼女ならば貴君を上回っていてもおかしくはない。彼女は世界の英雄だ」

 そんなやりとりが間近で観戦していた国王の耳にも届いたのか、国王は座りながらすごく面白そうな顔をして笑った。
 そして、隣にいるパレスナ王妃に話しかけ、さらになにやらフランカさんが国王に近づいていった。

 う、もしやこれは、私をオルトと戦わせようとしているのではあるまいな!?
 いかんぞ、それは。今日の私は、完全にククルとカヤ嬢の二人と遊ぶモードなのだ。この御前試合の後も、二人を伴って城下町に遊びに繰り出そうと予定している。

 私は、どうか国王に見つかりませんように、と祈りながら顔を隠した。

「? キリンお姉様、どうかなさいましたか?」

「いや、なんでもない……」

 やがて、国王は私が休みを取っているのを知ったのか、残念な顔をして黙った。
 ふー、セーフ。

 こうして御前試合の全勝負は終わり、最後に国王からお言葉をいただくことになった。

 堅苦しい国王の言葉が長々と続く。そして、最後にまた国王は言葉を崩してこんなことを言いだした。

「来年の御前試合は、是非ともみんなの英雄キリンにも出場してもらって、真の王国最強を決めたいね。みんな楽しみにしていてね!」

 ……そうきたかー。

「お姉様、お呼びがかかりましたね!」

「これは是非、来年も最前列で見ませんと!」

「あー、はいはい。そうだね。機会があったら出てみるよ」

 まあ、事前に話が通されているなら、御前試合に出てみるのも悪くないかもしれないな。
 でも、真の王国最強とか言いだしたら、宮廷魔法師団の人達が黙っていないのではないだろうか。特に師匠とかが試合に出るとか言いだしたら、私ではどうしようもないかもしれないぞ。

 そんな未来の光景が頭をよぎったのだが、来年のことは来年考えれば良いかと、私はとりあえずこの後の予定についてククルとカヤ嬢に確認を取るのであった。



[35267] 105.親善
Name: Leni◆d69b6a62 ID:9571a6fe
Date: 2020/11/01 01:10
『というわけで、テアノンがそちらに向かう。よろしく頼んだのじゃ』

「ええー、そんな重要なこと私に言われてもな……」

 初夏の四月となった、ある日の夜。私は自室で『女帝ちゃんホットライン』を使い、世界の中枢『幹』の女帝と会話を始めた。
 すると女帝は突然、アルイブキラにテアノンの人々を向かわせるとか言い出したのだ。

 惑星脱出艦テアノン。この世界とは別の次元からやってきた船だ。
 世界樹が元々生えていた惑星フィーナに今、テアノン人達は住居を構えている。女帝が言うには、その彼らが『幹』にきているというのだ。目的は、親善と外交。

 惑星フィーナは数千年前、混沌に飲まれて地上にある全ての生物が死滅している。テアノンの人々は現在、都市内部で生活が完結するアルコロジーに住んでいるが、まだアルコロジーは稼働したばかりで物資が足りない。なので、惑星で生きるには世界樹からの支援が必要だ。
 よって、テアノンの人々は世界樹に生活基盤を握られていると言ってよく、世界樹側と友好を深めるのは必須と言っていい状況だ。

 女帝が言うには、彼らは惑星フィーナから月にある世界樹まで来るために、わざわざ惑星脱出艦テアノンを駆り出しているらしい。訪問しているテアノン人は総人口四万人が全て訪れているわけではないというのだが、それでもやってきた人数は千人にのぼるというのだ。
 だが、『幹』という場所はそれほど広い場所ではない。『幹』とは世界樹の木の幹全体を指す言葉ではなく、あくまで世界の中枢を意味する言葉だからな。
 そのため、彼らを歓待するのに、『幹』以外のどこか広い場所が必要となったらしい。

 そこで交流の場所として選ばれたのが、テアノン人と親交がある元惑星旅行メンバーのいるアルイブキラ国だ。
 すでに惑星脱出艦はアルイブキラに向けて出発しており、女帝はその旨を先ほど国王に伝えたらしい。
 そして、私も惑星旅行に行ってテアノン人と交流したメンバーの一人であるため、女帝直々に歓待を頼むと言われてしまったのだ。

「ちなみに私も来てるよー」

 そう言いだしたのはキリンゼラーの使い魔だ。私も、というのはキリンゼラーの本体が来ているということだろう。
 キリンゼラーはテアノン人から超能力を学んだらしく、テレポーテーションで惑星と世界樹を気軽に行ったり来たりできる。ただし、その見た目は体高数十メートルのドラゴンであるため、市民を驚かせないようアルイブキラには今までやってきたことがない。

「どういう風の吹き回しだ?」

 私はそう使い魔に尋ねる。すると、使い魔はぴょんぴょんと跳びはねながら元気に答えた。

「テアノンって大きいでしょう?」

「ああ、数万人規模が乗船できる巨大艦だからな」

「あれだけ大きい物が来るなら、私程度が来ても誰も驚かないんじゃないかなって」

「サイズ的にはそうだろうけど、ドラゴンが来たらみんな驚くぞ……」

「そっかー。でも来るよ。巨獣が食べたいからね!」

「おいおい、勝手に食べるなよ?」

「大丈夫。ノジーが前、三頭までならおごるって言ってくれたから」

 ノジーとは国王の愛称だ。いつの間にそんな約束をしていたんだ。
 そんな会話をキリンゼラーの使い魔と交わしていると、今度は世界樹の化身が姿を現し、私に話しかけてきた。

「『幹』でテアノンの人達とようやく会話を交わせたよー」

「ん? 向こうのアルコロジーにも世界樹の枝があったろう。惑星に化身を顕現させられないのか?」

「本体と距離がありすぎて、エネルギーのやりとりをするのが限界だねぇ。周りを見聞きはできるから、一方的に知っていた感じかなー?」

「そうか。まあ、存分に交流してくれ」

「うん。キリンも通訳頑張ってね!」

「うっ、そうか。それがあったな」

 こういうときは、自分の言語学習能力の高さが恨めしいな。



◆◇◆◇◆



 明くる日、侍女の制服を着てパレスナ王妃の私室に出勤したところ、早速、パレスナ王妃に急ぎの仕事を任された。
 それは、パレスナ王妃が描いた絵画の整理。パレスナ王妃はテアノン人に仲のよい人物が一人いて、その人物は王妃と同じく芸術をたしなんでいる名士の娘なのだ。

 アトリエに行き、侍女一同で一度全ての絵画を表に出す。そして、パレスナ王妃の指示で見せる絵画、見せない絵画を選別していく。
 紙にスケッチしただけの絵すらその対象で、慌ただしく仕分けをしていき昼に近づいたあたりでようやく作業が終わった。

 すると、タイミングよく王宮女官がやってきて、テアノンの到着を知らせてきた。
 テアノンは王都郊外の牧草地帯に着陸したらしく、国王夫妻自ら出迎えに向かうようだ。

 出迎えには、惑星旅行に向かった私とメイヤも同行することになった。メイヤは絵画の整理の間中ずっとそわそわしていたからな。よっぽどテアノンの恋人である、少年メーに会いたいのだろう。
 そして、パレスナ王妃は国王専用車に乗り、私とメイヤは馬車に押し込まれてテアノンまで向かった。
 王都の外に出て、牧草地帯に鎮座する未来的な艦船を眺める。うーん、明らかにでかい。惑星脱出艦テアノンは、最大八万人が収容できる巨大艦だ。迫力は満点で、王都から見物に来た見物客が人だかりを作っていた。

 そして、テアノンからは千人の訪問客が降船しており、一同は行儀よく牧草地にずらりと並んでいる。
 テアノン人達の先頭には、テアノンの艦長である『幹』の賢者とテアノンの乗組員の少年メー、そして女帝が立っていた。
 ちゃっかりキリンゼラーがテアノン人達の横にお座りしているが、ありえない大きさのドラゴンの姿に王都の人々は戦々恐々としていた。

 私達は馬車を降り、彼らの前に向かう。正直、事前にどう行動するかの話し合いはされていない。式典も予定されていない。全てはぶっつけ本番なので、私はとりあえずパレスナ王妃の後ろについた。

「キリリンはこっちね。通訳担当」

 と、国王にさらわれ、彼の横に。
 そして、国王がテアノン人の前で口を開いた。

「ようこそ、テアノンのみなさん。アルイブキラを代表して歓迎するよ。はい、キリリン復唱」

「あー、はいはい」

 私は国王の言ったとおりの言葉を片言のテアノンの言語で繰り返した。
 すると、女帝が近づいてきて、アルイブキラの言葉で言った。

「今回は急にすまなかったのじゃ」

 それに対し、国王が答える。

「いや、構わないよ。世界樹人とテアノン人の交流の先駆けが我が国となって、誇らしいくらいさ」

 その後、女帝と国王が言葉をいくつか交わして今後の予定を立てる。

「とりあえず、テアノン人には美味い飯を食わせてやりたいのじゃ。『幹』では食糧の培養がいっぱいいっぱいでの」

「んー、それじゃあ、ダンスホール借りて王都ホテルの料理人でも呼んで、立食パーティにしようか」

「うむうむ、頼んだぞ」

 その話の間、テアノン代表者の少年メーは、いつの間にかやってきていた師匠と何やらやりとりをしていた。なお、後ろにいるメイヤに、ちらちらと視線を向けているのが丸わかりだった。

「テアノン側の詳しいことはメーに任せるのじゃ。テアノンで対異種族外交室の室長を兼任していたセリノチッタが、勝手に王国に行ってしまったから、こやつが今の外交室の代表じゃ」

 女帝が私にそう言ってくる。何故私に言う?

「キリンとセリノチッタしかテアノンの言葉を話せないからの。そしてセリノチッタには人の歓待など任せたくないので、キリンに全てたくすのじゃ」

「いきなり荷が重いな……まあ師匠にそういうのを任せたくないという気持ちは解る」

「なんですか貴女達。私に何の問題があると?」

 横から口をはさんできた師匠の顔を見て、私と女帝はそろって溜息をついた。

「なんなのですか……」

「はいはい、師匠は元副艦長として、テアノンの人達に顔見せでもしてきてください。ほらほら」

 私は師匠の背を押して、テアノン側へと向かわせる。
 そして、少年メーが残ったので、彼の前へと私は立った。

「どうも、お久しぶり」

「はい、キリンさん、今回はよろしくお願いします」

「まあ、とりあえず、なんだ」

「はい」

「メイヤに挨拶してきたら?」

「!?」

 動揺する少年メーの手を引き、私は問答無用でパレスナ王妃のもとへと向かう。
 そして、パレスナ王妃の後ろにいるメイヤを手招きして、二人を向かい合わせにした。すると――

「メイヤー!」

「メー!」

 二人はひしっと再会の抱擁を交わした。
 私はそれを見て、満足してうんうんとうなずく。

「よきかなよきかな」

「キリン、貴女ってときどき力業で物事を解決しようとするわよね……」

 そんなパレスナ王妃の言葉が聞こえるが、気にしない。
 今は外交式典の場ではないのだ。これくらいの自由は許されてしかるべきだろうさ。

「キリンー! ノジー! どれ食べていいの?」

 ああ、キリンゼラーもどうにかしないと。巨獣を丸かじりする巨大ドラゴンの様子が一般市民の目に入ったら、どんな噂が立つか判ったものじゃないな。国王はそのあたりちゃんと考えているのだろうか。



◆◇◆◇◆



 テアノン人を歓迎して四日目。今日は、テアノン人には自由に王都を散策してもらう予定だ。
 自由とは言っても、ある程度の班に分かれて、それぞれ通訳担当のテレパシー使いを配置してもらい、王宮からも人員をつける形だ。
 そして、その人員というのがそこらの下男下女というわけではなく――

「釣り!」

「釣り!」

 国王が、釣り仲間であるテアノンの名士を直々に案内すると言いだしたのだ。目的は、建設中の釣り堀の見学と、川での釣りだ。

「どれ、俺も釣りに参加するかの」

 そこに、惑星旅行中は釣りに興味を持っていなかった先王も参加。近衛騎士団の大規模な動員が決定した瞬間だった。
 この国主二人、歓待にかこつけて趣味の時間を過ごそうとしているな……。

「それじゃ、キリリン、通訳お願いね」

 そして、当然のように私を呼ぶ国王。

「ちょっと待った!」

 だが、それを阻む声があがる。

「キリンは私の侍女よ。私と一緒に、美術館に来てもらうわ」

 パレスナ王妃は名士の娘の隣に立ち、そんなことを主張している。
 なるほど、アルイブキラの芸術文化を紹介するのだな。ついでにティニク商会に寄って漫画文化に触れるのはどう?

「むむむ」

「むむむ」

 国王夫妻のやりとりを少年メーが、困ったように見守っている。彼は優れたテレパシー使いなので、私と同じくここ数日通訳に引っ張りだこになっていた。
 つまりは、今回も片方は彼に任せればよいということなのだが……先ほどからメイヤから強い視線を感じるな。
 メイヤはパレスナ王妃の侍女なので、王妃についていって美術館巡りをする必要がある。その間、通訳を私とメーのどちらに担当してもらいたいかというと……。

「解りました。今回は国王陛下についていきます。パレスナ様の方はメーさんにお願いします」

「いえーい」

「ぐぬぬ、キリン裏切ったわね」

 いえいえ、全ては貴女の恋する侍女一名が悪いのですよ。

 そういうわけで、私は国王について釣り堀を見学し、どう訳していいのか判らない釣り用語を説明するのに、四苦八苦する羽目になったのだった。
 これ、パレスナ王妃の方に行かなくて正解だな。釣り用語だけならまだしも、美術の専門用語を訳せと言われたらどうしようもなかったところだ。

 そうして、アルイブキラ観光は連日続き、テアノンの人々との交流は深まっていったのだった。
 なおキリンゼラーは一日で巨獣を五頭も食べた。



◆◇◆◇◆



 テアノン人がやってきて二週間。ようやく彼らは『幹』との外交を終え、惑星に帰っていった。
 千人にも及ぶ客を前準備なく迎えるというのはやはりただ事ではなく、王宮の面々は上から下まで疲れ切っていた。

 どうやら臨時の休みを振られる部署も多いようだ。だが、私達王妃付き侍女は休みとならない。
 パレスナ王妃の度量が小さいというわけではない。本日、フランカさんが産休のため実家に帰還するのだ。

「思わぬ仕事で王城への滞在が延びてしまいましたが、本日付けでお休みをいただきます」

 侍女の制服を脱ぎ、旅装に身を包んだフランカさんが、そう挨拶をする。
 思わぬ仕事というのは、当然テアノンの一件のことだ。

「私が休みから戻る頃には、王城侍女を辞めている方も多いでしょう。ですので、一人ずつ私から言葉を贈ります」

 そうして、フランカさんは侍女一人一人に侍女の心構えを説いていった。

「メイヤさん。恋人と語らうことに夢中になって、仕事をおろそかにしないように」

「はいっ、肝に銘じますわ」

 メイヤは今回、女帝から『メー君ホットライン』なる惑星間通信機を受け取っている。世界樹から惑星まで魔力を用いてタイムラグのない会話が可能な優れ物だ。
 ただし、テレパシーは通用しないので、メイヤは少年メーとの言葉の壁をどうにかして突破する必要がある。
 だからか、最近メイヤが通訳目当てで、私の部屋に入り浸っていることが多いのだよな。世界樹の化身と会いたい世界樹教徒から恨まれていなければ良いのだが。

「キリンゼラーさん。巨獣は急には増えません。大きな姿で食べ過ぎてはいけませんよ」

「うん、反省ー。もう鱗を剥がされたくないよ」

 巨獣がよっぽど美味しかったのか、それとも惑星でろくな物が食べられていなかったのか、キリンゼラーは本体で巨獣を何頭も平らげた。もちろん、勝手に食べるということはしていないが、あの巨体でおねだりをされては、国王も許可を出さずにはいられなかった。
 その代わり、巨獣の代金としてキリンゼラーから鱗を剥がして、武具や魔法の素材にしたというのだから、国王もただでは転ばない奴だ。

「キリンさん」

「はい」

「パレスナお嬢様とビアンカをお任せします」

 フランカさんから私に向けられたのは、そんな簡単な言葉であった。
 私は強く頷き、言葉を返す。

「お任せください」

 すると、フランカさんはにっこりと笑い、最後にパレスナ王妃の前に立った。

「あえて王妃ではなくお嬢様と呼ばせていただきます。お嬢様、私が帰ってくる頃には、お嬢様の御子をこの手で抱けるよう期待しています」

「うーん、そればかりは世界の采配ね! 私もフランカの子供、抱くのを楽しみにしているわ」

 そうして、フランカさんはパレスナ王妃の実家である公爵家の護衛を引きつれながら、王都を後にした。
 とうとう我らが首席侍女がいなくなってしまった。今日この日から、私が正式な首席侍女となる。
 まだ侍女歴が一年もない新米侍女の私だが、どういうわけかこんな立場に。不安は大きいが、どうにかやっていこうか。

「今日から改めてよろしくね、キリン」

 そんなパレスナ王妃の期待の声に、私は「お任せください」と強く応えるのであった。



[35267] 106.漫画
Name: Leni◆d69b6a62 ID:9571a6fe
Date: 2020/11/01 01:11
 惑星脱出艦テアノンが去り、落ち着きを取り戻した内廷。その一角にある部屋で、パレスナ王妃主催のお茶会が開かれていた。
 季節は夏まっただ中。いつもの植物園でお茶会を開くには少々陽射しがきついため、今回は屋内での開催だ。
 参加メンバーは、かつての後宮に王妃候補者として入っていた令嬢達。まあ、いつもの面子だな。ただし、ハルエーナ王女は急ぎの用事で国元に帰っているので不在だ。

 令嬢達は各々近況を報告し合うことになり、談笑しながら菓子職人であるトリール嬢の作った菓子と一緒に、お茶を楽しんでいる。
 ちょうど今、ファミー嬢が来年の春に結婚式を行うと宣言したところだ。以前、恋人と一緒に、ファミー嬢の実家へ送り届けた時に決まった話だが、ようやく皆に報告できたというわけだ。皆から祝福されて、ファミー嬢も嬉しそうだ。

 そして、次に近況を話すのはミミヤ嬢だ。

「そろそろ本格的に王妃教育を開始しようと思いまして」

 ミミヤ嬢は王国の中でも古い家柄出身の令嬢で、貴族のマナーに詳しい。
 その経歴から、王妃の作法を教える教育係を担当していて、後宮出身者の中ではトリール嬢の次に、パレスナ王妃と交流が今も続いている人物だ。
 しかし、王妃教育は、はかどっていない。惑星旅行だの併合式典だのテアノンの歓迎だの、長期にわたってパレスナ王妃の予定が空いていないことが重なり、教育計画に多大な遅れが出ているのだ。

 だが、これからしばらく王妃の予定は空いている。次の大きなイベントは、七月の大収穫祭まで特に何もない。まあ、一日二日潰れるような公務は、ちょこちょこと存在しているのだが。

「お手柔らかにね。お作法以外にも、語学や農学も学ばなければいけないのだから」

 パレスナ王妃が苦笑しながら言うが、ミミヤ嬢は聞く耳を持たない。

「でしたら、絵画にかまける時間を減らしませんと」

「うっ! 確かに王妃としての仕事をおろそかにしていたら、趣味にかまけるのはいけないでしょうけど、私それなりに立派な王妃をできていると思うのよね」

「私から見るとまだまだですわ」

「厳しい先生ねぇ」

 そんな感じでミミヤ嬢の近況報告は終わり、次はパレスナ王妃の叔母であるモルスナ嬢に話題が移る。

「私は……ちょっと困ったことになっているの」

「お仕事で何か……?」

 パレスナ王妃が心配そうに言う。モルスナ嬢は領地を持たず王都で官僚をしている、いわゆる法服貴族だ。その仕事先で何か問題があったのだろうか。
 周りの令嬢達も心配そうに見つめる。
 だが、モルスナ嬢は首を振ってそれを否定した。

「そういうのじゃないわ。マンガの方でちょっとね」

「ああ、そっちね。『令嬢恋物語』に何か問題でもあったの?」

『令嬢恋物語』とは、モルスナ嬢が描いている漫画本のタイトルだ。タイトルからも解る通り、バリバリの恋愛漫画である。

「そちらは順調。それではなくて、新しい漫画を描かないかって打診が、ティニク商会から来ているの」

「あら、すごいじゃない。ああ……忙しくて打診を受け入れられないという話?」

 モルスナ嬢の言葉を受けて、パレスナ王妃がそう尋ねる。
 だが、それもまた違ったようだ。

「余暇は十分にあるわ。そうではなくて……打診されたタイトルにちょっと問題があるの」

 そこまで言って、モルスナ嬢は一口お茶を飲み、喉を潤した。そして、話を再開する。

「『名探偵ホルムス』のマンガ化をしてほしいのですって」

「ええー!」

 と、突然叫び声を上げたのは、普段は大人しいファミー嬢だった。

「本当ですか!? 推理小説というジャンルを切り開き、この王国どころか翻訳されぬまま隣の大陸まで広まって、一世を風靡したあの『名探偵ホルムス』ですか!? マンガ化を皆に待望されていたものの、相応しい描き手が育っていないということで、未だ大衆向けのマンガになっていない、あの!?」

「ちょっと、ちょっと落ち着いて、ファミー」

 興奮して早口になっているファミー嬢を隣に座っていたパレスナ王妃が、なんとかなだめる。
 ファミー嬢は本好きの令嬢だ。本好きが極まりすぎて、王宮図書館の司書長補佐の仕事に就いたくらいである。

「光栄なことですのに、何か問題があるのですか?」

 パレスナ王妃の代わりに話を振ったのは、ミミヤ嬢だ。彼女も最近になって漫画文化に興味を持った人なので、この話題に食いついているのだろう。

「だって、私が得意なのは恋愛物でしょう? でも、『名探偵ホルムス』は読んだことがないけれど、殺人事件が起きてそれを解決するという恋愛にかすりもしない内容らしいじゃない。私に打診が来たのは光栄だけれど、向いていないわ」

「そうかしら。本当にモルスナ様が恋愛物しか描けないだなんて、誰が決めたのでしょう?」

「むっ、私のことは私が一番理解しているわ」

「いえいえ、『令嬢恋物語』は私も愛読していますが、恋愛以外の人間模様や事件などもしっかり描けていると思いますわ。新しいことに挑戦してみるのも一興ではないかしら」

「むむむ……」

 モルスナ嬢の漫画の絵柄は、前世で言う少女漫画風のタッチに似ている。そこから描かれる推理漫画か。うーん、未知数だ。
 でも、モルスナ嬢の漫画の腕なら、タッチを少女向けからもっと万人向けに修正もできるのではないだろうか。
 この国で漫画という文化が生まれてから、そう年月は経っていない。そんな発展途上な漫画文化だが、それでも数いる漫画家の中で、モルスナ嬢の画力は頭一つ飛び抜けている。
 さすがは芸術家であるパレスナ王妃の叔母である。パレスナ王妃自身は、最近までその叔母が漫画を描いていることなど知らなかったようだが。

「でも、先ほども言った通り、読んだこと無いのよね、ホルムス。演劇は楽しかったけれど」

 そういえば、以前モルスナ嬢はパレスナ王妃と一緒に、王都の劇場へ『名探偵ホルムス』を観に行ったことがあったな。
 あのときは、普通に演劇を満喫していたように思える。

「私の持っている本を貸してあげるわよ? もちろん全巻」

 未だ尻込みするモルスナ嬢に、パレスナ王妃がそう提案する。

「……はあ、解ったわよ。一度読んでみて、それで受けるか決めるわ」

 とうとう折れたモルスナ嬢に、周囲は皆にっこりだ。

「そうですわ! モルスナ様が小説を読み終わったら、皆で王都にホルムスの演劇を観に行きませんこと?」

 そんな提案をミミヤ嬢がして、一斉に皆が賛成をする。王都にお出かけか。そういえば、このメンバー全員で出かけたことはなかったな。ハルエーナ王女がこちらに帰還したら、話を振っておかないと。
 そうして話はまとまり、モルスナ嬢は漫画化の話を前向きに検討することになった。

 そして、次に話題は移り、最後に近況を聞かれたトリール嬢。

「毎日お菓子作りをできて、本当に幸せですー」

 彼女はお変わりないようであった。幸せそうで何よりです。



◆◇◆◇◆



 あのお茶会の日から十日経ち、皆で王都に出かける日となった。王城で用意された大型の馬車で劇場に向かい、予約していた貴族用のボックス席に入る。
 高位の貴族令嬢がパレスナ王妃も含めて六人もいるため、本日は王妃付き侍女全員が付き従って彼女達のお世話をする。
 とはいえ、劇場側も貴族のための使用人を多数用意しているので、そこまで付きっきりというわけではない。なので、私達侍女も演劇をある程度集中して見ることができる。護衛についてきている近衛騎士達は、ボックス席の入口を固めているので劇を観られないだろうが、まあ護衛が職務なのだし問題はないだろう。

 今日の演目は、『名探偵ホルムス 大河に消ゆ』だ。ホルムスの最新巻がもう演劇化されているのか。
 近々ホルムスの新作が刊行されるという話だから、その宣伝にやっているのだろうか。

「それで、ホルムスとワトー夫人の関係が最高に来ているのよ!」

 開演前、ボックス席でモルスナ嬢が早口でホルムスの感想をまくしたてる。
 どうやら彼女も昨今の流行に乗り、ホルムスにドハマリしたようだ。
 パレスナ王妃も最初、『名探偵ホルムス』とそのスピンオフ『ぼくら少年探偵団』を読んだときは、寝食を忘れる勢いではまっていたな。このあたりは、二人が親族というのを実感できるところだ。

「劇中でワトー夫人が作っていたお菓子、地方のマイナーなお菓子なんですけれど、あれって夫人の出身地を示唆しているのでしょうかねー」

 と、どうやらトリール嬢もホルムスを読んできたらしい。お菓子作りにかまけすぎて周囲の話題に取り残されるような、残念な人柄ではないようだ。貴族令嬢は他の何よりも社交が重要なのだ。ま、浮かんでくる感想がお菓子に関してなのは、相変わらずだが。

 他の令嬢達も口々にホルムスの感想を言い合う。全員既読者のようだ。
 いやあ、ティニク商会のゼリンの奴も、私がちょっと推理物というジャンルについて話しただけで、ここまでの流行を作り出せるとは恐ろしいな。
 私が前世の推理物について実際に知っていることなど、少年漫画雑誌で連載していた推理漫画と、ホルムスの名前の元ネタになった有名推理小説を原作にした、獣人アニメくらいだというのに。

 やがて、演劇が開幕となり、劇場の使用人から渡されたオペラグラスを皆が使い、舞台を眺める。私は視力が良いのでオペラグラスいらずだが。
 お、ホルムス役の役者、以前演劇を見に来たときと同じ人物だな。背の高い美形の男だ。声もよく通る美声で、観客席のご婦人方もこれにはメロメロであろう。
 ホルムスの特徴的な髪型が王都で流行するのも、よく理解できる。役者がここまで格好良いと真似したくなるよな。前世でも、美形男性アイドルの髪型を皆が真似して、男の長髪ブームがあったような記憶がある。

 そして舞台の上の物語は進み、途中で令嬢達のお茶とお茶菓子の世話をしつつも、私達一同は演劇を存分に楽しんだ。
 閉幕と同時、観客席からは割れんばかりの拍手が鳴り響く。
 令嬢達も大いに満足したのか、上品に拍手を舞台に向けて送った。

「はあ、面白かった……!」

 パレスナ王妃が頬をわずかに赤く染めながら感慨深くそう言った。

「モルスナお姉様、どうだったかしら?」

「……決めたわ」

「え?」

「決めた! 私、ホルムス描くわ!」

 モルスナ嬢は勢いよく立ち上がると、拳を強く握ってそう宣言した。どうやら今の演劇で決心が固まったらしい。
 以前演劇を見たときは、面白いわねー程度の感想だったというのに、原作を知ってから観るとそこまで心境に違いが出るのか。

「そうと決まれば、早速ゼリンの所に行かなくちゃ! パレスナ、今日この後、予定はないわよね?」

「えっ、特にはないけれど……」

「それでは、ティニク商会に行くわよ!」

 というわけで、私達は予定にないティニク商会訪問をすることになった。王妃がいて他国の王女もいるので、警備計画というものがあるのだが、この叔母はお構いなしだ。
 そして私達は近衛騎士が守る馬車に乗り、ティニク商会の王都本店前に乗り付けた。

「店員さん! ゼリンを呼んで! モルナが来たって!」

 と、店に入るなりモルスナ嬢は店員を捕まえ、会長のゼリンを呼び出した。
 近衛騎士達と一緒に入店したモルスナ嬢の姿に、店員は完全にびびっている。顔見知りの店員なので、少し助けてやることにしよう。

「大丈夫、ゼリンの奴と契約している漫画家が来ただけだ。お咎めがあるとか監査をするとかそういうのじゃないぞ」

「あ、キリン様……」

「ほら、モルナ先生が呼んでいると、ゼリンに言ってきな。ゼリンの奴はいるのだろう?」

 モルナとは、モルスナ嬢の漫画家としてのペンネームである。

「はい、会長ですね。今日はいます。……呼んできますね」

 店員は小走りで店の奥に引っ込んでいった。
 そして、私はモルスナ嬢の方へと振り返り、注意をしておく。

「モルスナ様、先走りすぎです」

「……そうね、申し訳ないわ。気がはやってしまって」

 しょんぼりとするモルスナ嬢の後に続いて、令嬢達が次々と入店してくる。
 護衛付きの貴族集団を見て、店内にいた一般客達がそっと距離を取る。この店では貴族の客は珍しくもないのだが、護衛の着ている鎧が明らかに立派なので、とても偉い貴族だと察したのだろう。まあ、近衛騎士だからな。周囲を威圧するのも仕事のうちだ。

「あらあら、これまた団体さんねえ」

 と、店の奥からオネエの商会長、ゼリンがやってきた。
 十人を軽く超えている私達の姿を見て、彼はしばし何かを考えるように沈黙する。そして、ゆっくりと口を開いた。

「応接室には入りきらないから、王妃様をお迎えするには相応しくない場所だけれど、会議室にお通しするわね」

「構わないわ。今日は、漫画家モルナの親類、画家パレスとして来ているの」

「近衛騎士同伴で何言っているのかしら」

 呆れたようにゼリンが言うが、最早パレスナ王妃が近衛騎士を連れずに城下町へ繰り出すことはない。
 つまり、画家パレスとして今後ティニク商会に訪れる時も、絶対に近衛騎士が同伴することになる。
 近衛騎士の目がある以上、ゼリンも画家パレスを王妃として迎える必要がある。

 会議室は王妃を迎える“格”が足りていない部屋なのだろうが……まあ今回は仕方ないか。大人数で来たからな。近衛騎士もその程度では怒らないだろう。王妃付き侍女の面々がもし怒るとしても、首席侍女の私が抑えるので問題ない。

「ではご案内ー」

 というわけで会議室に通される私達。令嬢達が着席すると、すぐさまお茶とお茶菓子が運ばれてくる。
 そのお菓子を見たトリール嬢が、早速とばかりにお菓子を口にする。

「むむ、食べたことのないお菓子ですー」

「ああ、それ? ちょっと遠い大陸のお菓子を取り寄せてみたの」

「レシピを教えてもらうことはー」

「無理ねぇ。新しいカフェの目玉商品なの」

「むむ……」

「申し訳ないけど、こちらも商売なのよね。さて、今日はモルナ先生から何かあるということだけれど……」

 ゼリンがモルスナ嬢に話を振ると、モルスナ嬢は口にしていたお茶のカップをテーブルの上に置き、話し始める。

「以前打診された、『名探偵ホルムス』のマンガ化についてだけれど……受けようと思うの」

「あら本当? ありがたいわ」

 ゼリンは花が咲いたようにぱっと笑顔を浮かべた。うーん、ごつい中年男性の明るい笑顔とか、正直嬉しくないな。

「となると、一つだけモルナ先生に言っておくことがあるの」

「何かしら?」

「今回の話は打診ではあるけど、懇願ではないの。モルナ先生がこの国で一番マンガが上手だから話を持っていったけれど、もしホルムスという一大作品に相応しいクオリティが確保できないと判った時には、担当を降りていただくこともあるわ」

「……ええ、了解したわ」

 一番上手、というところでニヤニヤしていたモルスナ嬢だったが、担当を降ろすというところで、真面目な顔に戻った。

「とりあえず、今日はお客様が多いようだから詳しい打ち合わせは後日にしましょう。ところでモルナ先生、ホルムスの本は持っていらして?」

「全巻読んだけれど、借りて読んだから手元にはないわね」

「じゃあ、スピンオフも含めて全巻資料としてお譲りするから、しっかり読み込んでおいてちょうだい」

「もちろんよ!」

 というわけで、モルスナ嬢は無事、『名探偵ホルムス』コミカライズの仕事を受けることができたのだった。
 王都の全市民に、モルナ先生の名が知れ渡る日も近いかもしれない。



◆◇◆◇◆



「パレスナー。キリンさーん。ちょっとチェック手伝ってー」

 後日、ミミヤ嬢による王妃マナー講習を受けていたパレスナ王妃のもとに、くたびれた様子のモルスナ嬢が訪ねてきた。
 彼女の手には、何やら紙袋が握られている。書類を入れる大判の封筒型の紙袋だ。

「何かしら?」

「駄目ですよ、パレスナ様。今はお勉強の時間です」

 モルスナ嬢に対応しようとしたパレスナ王妃をミミヤ嬢が止める。モルスナ嬢がなんの用事で来たか察して、急ぎではないと判断したのだろう。

「私が代わりに対応しますね」

 私はそう言って、モルスナ嬢のもとへと向かう。

「原稿でもできましたか?」

「そこまではいっていないわ。一巻の登場キャラクターを一通り描いてみたのと、一話目のネームね」

「作成中の資料ということですね。でも、それならわざわざここまで来なくても、直接ゼリンと打ち合わせすればよろしいのではないでしょうか。確か最初はゼリンが直接担当するのですよね?」

 私がそう言うと、モルスナ嬢は首を振って否定した。

「ゼリンって見る目が厳しいから、事前にできることはしておきたいのよ」

「ああ、彼、商売に妥協はしませんからね」

「なので、パレスナとキリンさんにチェックしてもらおうと思ったの」

 ゼリンの所に行くよりも、この国の王妃に頼る方が気軽な様子なのは、さすがというかなんというか……。
 私が呆れていると、モルスナ嬢は紙袋の中から絵の描かれた紙束を取り出した。
 それを私は一枚一枚確認していく。

「ゼリンは、今までのきらびやかな絵柄よりも、もっと大衆向けにしろと言っていたのだけれど……できているかしら」

「確かに、少女漫画的なタッチからは変えられていますが……これ、ホルムスですよね?」

 紙束の中の一枚を指さして、私は言った。

「ええ、主人公ね」

「あまりにも美形すぎません?」

「美形で何か問題あった?」

「原作に、ホルムスは美青年だとする記述は無かったはずなのですが……といいますかこれ、あの演劇でホルムスをやっていた役者の顔ですよね」

「そうよ。良い出来じゃない?」

「没ですね」

「なんで!?」

 いや、役者の顔を描くのは駄目だろうさ。

「いいですか、モルスナ様。貴女が描くのは小説『名探偵ホルムス』の漫画です」

「そうね」

「演劇『名探偵ホルムス』の漫画ではありません。キャラクターデザインだけでなく、劇中のエピソードも演劇に引っ張られないよう気をつける必要がありますよ」

「……なるほど?」

「原作に従いつつ、モルスナ様にしか描けないホルムスを表現するのが理想です」

「むむ、私だけのホルムス。理解したわ!」

 納得したモルスナ嬢に安心した私は、引き続き紙束をめくり、一話目のネームをチェックする。
 ふむ。ふむふむふむ……。

「どうかしら?」

「面白いですね。これならゼリンも納得するかと」

「よし!」

 ネームの出来はよく、さすがはゼリンにこの国一番の漫画家と言わせただけはあった。
 そして、モルスナ嬢はパレスナ王妃にも絵とネームを確認してもらい、ちゃっかりネームを見たミミヤ嬢の感想も聞いて、満足して内廷を去っていった。

「モルスナ様の漫画が、王国を席巻する日も近いかもしれませんね」

 私がパレスナ王妃にそう言うと、彼女は笑って言葉を返してきた。

「当然でしょう。だって、私のモルスナお姉様だもの」

 この王妃様は一歳違いの叔母のことが大好きなのだと、改めて確認できたのだった。



[35267] 107.肖像
Name: Leni◆d69b6a62 ID:9571a6fe
Date: 2020/11/01 01:12
 とある日の夜。私は宿舎の私室で『女帝ちゃんホットライン』を使って、『幹』の女帝と雑談をしていた。
 話し込むことしばし。他の部屋に遊びに行っていたカヤ嬢が帰ってきたので、話を切り上げようとしたところ、女帝がこんなことを言いだした。

『そうそう、今度アルイブキラに向かうからの。またよろしく頼むのじゃ』

「ん? ついこの間、テアノンと一緒に来たじゃないか」

『それとは別の用事じゃ。我の絵を描いてもらうのじゃ。アセトも連れてのう』

「んんー? なんでわざわざ肖像画のために、アルイブキラなんかに」

『ただの肖像画ではないぞ! なんと、我らはカードになるのじゃ!』

 ……トレーディングカードゲームか! わざわざ女帝を呼び寄せるとか、ゼリンの奴の人脈どうなっているんだ!?

『ふふふ、とうとう我もカードデビューなのじゃ。しかも、我が主と違って正しい姿でカード化されるとは、誇らしい限りなのじゃ』

「あ、そう……」

 女帝の主というと、蟲神蟻の賢者リグールか。彼は確か、何枚かカード化されていたはずだ。パレスナ王妃も『管理者の警告』というカードに、想像上の彼を描いていた。
 女帝の言いたかったことは理解したので、通信を終える。
 アセトリード、つまり元勇者のゴーレムも連れて、女帝がこっちに来るのか。また騒がしくなりそうだな。

「キリンちゃん、キリンちゃん、私もカードになりたい!」

 かたわらで聞いていた世界樹の化身が、そんなことを言い出す。

「ええー……いや、トレーディングカードゲームは世界樹を舞台にした宗教儀式だから、そもそもあんたがゲームそのものというわけでな……」

「そういうのじゃなくて、この化身をカード化してほしいのっ!」

「うーん、トレーディングカードゲームは世界樹教も密接に絡んでいる商品だから、簡単に話は通ると思うけれど……というか今までカード化されていないのが不思議だな」

 世界樹の化身とか、世界樹教が真っ先にカード化を考えそうじゃないか。今までカード化されていないのが不思議なくらいだ。
 カード化したら、信者プレイヤー間の取引価格がすごいことになりそうだな……。

「ねえー。キリンー、キリンー」

 と、今度はキリンゼラーの使い魔が、ぴょんぴょんと跳ねて存在を主張し始めた。

「はいはい、なんだ?」

「カードって、侍女のみんなが遊んでいる紙の札だよね? 私の本体もカードにしてほしい!」

 予想通りの言葉がきて、私は溜息をついた。

「キリンゼラーは惑星にいる神獣だろう? 大地神話はカバーしていないんだよ、あのゲーム。コンセプト外ってやつだ」

「ええー! ずるい、世界樹ずるい! お前も惑星の神獣なのに!」

「ふふーん! あれは、私が舞台のゲームだもんねー!」

「おーい、喧嘩するなよー」

 こいつらに本気で喧嘩されたら、王都が焦土になってしまう。その辺は常識をわきまえていると思うのだが……それでも騒ぎすぎるのは他の部屋に迷惑だ。
 なんとか二人をなだめる私を同室のカヤ嬢は楽しそうに見守っていた。いろいろ騒がしい相方ですまないね、本当に。



◆◇◆◇◆



 休日。私はキリンゼラーの使い魔と世界樹の化身を引き連れ、ティニク商会までやってきた。女帝と元勇者アセトリードがアルイブキラに来ているということで、様子を見にやってきたのだ。世界樹の化身をここまで連れてくるのに、わざわざ世界樹の小枝を持参している。

 巨大なティニク商会本店の店舗に入り、馴染みの店員に来訪を伝える。すると、すぐさま応接室に案内された。
 応接室の扉を開くと、そこにはゼリンと一緒に女帝とアセトリードの姿が見えた。それと、頭が禿げかかった中年男性も一人。彼は、トレーディングカードゲームの製作を担当している世界樹教のお偉いさんだ。

「やあ、久しぶり」

 私がそう言って手を上にあげると、アセトリードも私に合わせて手をあげて言葉を返してきた。

「キリン氏、久しぶりでござるな」

「うむ、キリン、この間ぶりなのじゃ」

 女帝も挨拶してきたので、「ああ」と軽く応えておく。

「で、二人はカード化のために呼ばれたらしいが」

 私がそう言うと、アセトリードはゴーレムの腕を頭に当てて、恥ずかしそうにする。

「いやー、人気者は困るでござるな。昔、人間の頃の姿をカードにしてもらったでござるが、姿形が変わってからも求められるとは、これも有名税というものでござるかなぁ」

「ちなみに魔王の時の姿もセットでカード化するわよ」

「本気でござるか!?」

 横から挟まれたゼリンの言葉に、アセトリードは本気で驚く。

「世界樹に現れた数々の災厄も、漏れなくカード化するのがうちの売りなんだから、当然でしょ」

 災厄とは、世界樹に溜まった人の悪意が、数十年に一度地上に噴き出して生まれる強大な魔物のことだ。
 悪竜、巨大魚、獣王、魔王、暴食大樹等と過去の災厄のラインナップが揃っているのが、トレーディングカードゲームの特徴だ。
 災厄だけでなく普通の魔物や害獣もカード化されており、マニアックなところでは、騎士レイを殺して私達に退治された、北の山の飛竜も『アルイブキラ・ドラゴン』としてカードになっている。

「ええと、あの……キリン様、一つよろしいですか?」

 と、世界樹教の人が私に話しかけてくる。
 ふむ、彼の視線はずっと世界樹の化身に向けられているな。

「何かな?」

「そちらのお方はもしや……」

 世界樹教の人は、化身の正体に気づいているのだろう。教会にある立像と同じ姿をしているからな。私が以前、神託の巫女に任命されたという事実も、彼女の正体を示唆している。

「えー、本日はこちらのお方から、お話があります」

 私は改めてそんなことを言い、皆の前に世界樹の化身を押しだした。

「可愛い子ねー。お菓子食べる?」

 ゼリンは化身の正体に気づいていないのか、お子様を相手にするかのような態度だ。

「初めまして! 私、世界樹の化身です! お菓子はいらない!」

「まあ! まあまあまあ、初めまして。この商会の会長をしているゼリンよ」

「うん、知ってるよ。世界のことは全部知ってる!」

 世界樹の化身がそう口にすると、世界樹教の人が「ありがたや、ありがたや……」と、化身を拝み始めた。
 ゼリンはそれをスルーして、化身と会話を続ける。

「で、お話って何かしら?」

「えっとね、私をカード化してほしいの!」

「ええと、世界樹のカード化? 世界樹はカードの舞台だから、あえて言うと市販のゲームシートが世界樹よ?」

「そうじゃなくて、この姿、化身のカードを作って!」

 化身のその言葉を聞いて、ゼリンは腕を組んで考え込む。

「カード化の自薦は基本的に受け付けていないのだけれど、他ならぬ世界樹の言うこととなるとねぇ」

「とんでもない、恐れ多いです!」

 と、ここで世界樹教の人が拒否する構え。
 なるほど、カード化は恐れ多いのか。でも、世界樹教って、化身の小さな木像とか普通に売っているぞ。

「恐れ多いも何も、世界樹本人の私が言ってるのにー」

 ふてくされるように世界樹の化身が言う。
 すると、世界樹教の人は、慌てて手を振り、「それならぜひとも……」と態度を軟化させた。

「でも、女帝ちゃんや勇者ちゃんと違って、カード化は遅れるわよ?」

 世界樹教の人に許可を貰って満面の笑みを浮かべていた世界樹が、ゼリンにそう言われ、ショックを受けたような顔に変わる。
 続けてゼリンが言う。

「カードテキストから考慮しなければならないから、絵は描けてもすぐにはカードにならないのよ」

「えー。ぱぱーっと強いカードを用意してよー」

「それは駄目よ。カードの中には、強すぎて対戦に使えない禁止カードというのがあってね。作る側の私達がバランス調整をミスすると、後々禁止カードになってしまうの」

 禁止カードとは、あまりにも強力すぎてゲームバランスを崩しかねないため、対戦での使用が公式に禁止されたカードのことだ。
 ちなみにTCGでは対戦形式のプレイと協力形式のプレイがあるが、協力形式では禁止カードが存在しない。
 しかし、協力形式のプレイは、宗教儀式としての側面が強く対戦形式ほどの人気はないし、公式大会もない。

「あー、そういうのもあったよね! 禁止カードは嫌かも!」

「でしょう? それに、世界樹の化身に相応しい効果も考えないと、せっかくの目玉カードなのに残念なことになってしまうわ」

「目玉? 私、目玉カード?」

「それはもう、強さ関係無しに、世界中のみんながあなたのカードを欲しがるでしょうね」

「そっかー、それなら許す!」

 いつの間に、許す許さないの話になったのだろうか。まあ、無事にカード化が決まったようでよかった。
 と、そこに、私の腕の中に収まっていたキリンゼラーの使い魔がぴょんと飛び降りて、ゼリンのもとに向かう。

「ねえ、ゼリンー。ゼリンー」

「あら、貴女は確かキリンゼラーちゃんだったかしら?」

「そうだよー。ゼリンー。私もカードにならないかなぁ」

 キリンゼラーの使い魔の言葉に、ゼリンは苦笑を返す。まあ、相手はただの喋る毛玉にしか見えないからな。そんな者にカード化してくれと頼まれても、困るだけだろう。
 そこに、話を黙って聞いていた女帝が、キリンゼラーに助け船を出した。

「ゼリン、そやつの本来の姿は、以前、惑星脱出艦テアノンと一緒にこの国に来ていた巨大ドラゴンじゃぞ」

「えっ、あのドラゴンがキリンゼラーちゃんなの!?」

「うむ。今のそやつはただの遠隔操作の端末での。その正体は、大地神話に語られる原初の神獣じゃよ」

「そうなの……ああ、でも大地神話出身だと、世界樹関連以外ではカード化は無理ねぇ」

 無理と聞いて、キリンゼラーの使い魔はしょんぼりと潰れた。ふかふかの毛玉も、どこかしんなりとしている。

「まあ、私達の用事は以上だ」

 私はそう言って、キリンゼラーの使い魔を抱きかかえた。しょぼくれた毛玉は、私の腕の中で「カードになりたかったなぁ……」と小さく呟いている。

「そう。でも、キリンちゃんが来てくれたのはありがたいわ。ちょっと貴女に話を通したかったの」

 ゼリンにそう言われ、私は「なんだ?」と聞き返す。

「女帝ちゃんが、どうせ絵になるなら知り合いに描かれたいって言ってね。パレス先生……というか、王妃殿下に依頼を出したいのよ」

「ああ、私が担当侍女だから、話を通したいと」

「そういうこと。本当なら恐れ多くて、簡単に仕事は投げられなくなっちゃったんだけど、他ならぬ、『幹』の女帝陛下のご依頼だからね」

「恐れ多いって……パレスナ様、最近ゼリンからの仕事が減ったと愚痴っていたぞ」

「あら、そうなの? 王妃になったからには、気軽に依頼できないと思っていたのだけれど」

「そういうのはないな。今だって、貴族の依頼で普通に絵を描いているぞ」

「そういうことなら、改めて、パレス先生に依頼してくれるかしら。返事はいつもの魔法の手紙で、女帝ちゃん達を待たせるのはあれだから、できるだけ早く」

「じゃあ、明日にでも聞いてみるよ。通ると思うけどな」

 ということで、私はパレスナ王妃に仕事を持っていくことになった。
 パレスナ王妃の絵画は趣味というか副業の域にあるが、そのスケジュール管理も首席侍女として徹底する必要があるのだろうか。フランカさんは絵の仕事について何も言っていなかったが、マネージャーは必要だよなぁ。
 王妃としての予定は魔法のスケジューラーにまとめてあるのだが、ちょっと確認しておこうか。



◆◇◆◇◆



 パレスナ王妃への依頼の話から三日後、女帝とアセトリード、そしてゼリンと世界樹教のお偉いさんは、朝早くから王城に招かれていた。
 パレスナ王妃にも公務や王妃教育の予定が詰まっていたのだが、相手は『幹』の女帝陛下とあって、予定に割り込んでの面会である。

「アルイブキラの王宮は立派でござるなぁ。リネ氏が見たら喜びそうな魔法道具が、あふれているでござる」

 私が案内する王宮を歩きながら、アセトリードが言う。リネとはアセトリードが勇者をやっていた時代の仲間で、道具協会の職員である。
 道具協会といえば文明レベルの維持管理ばかりが目立つが、世界各地の道具を集め保存するという側面も持っている。リネも道具が好きで、その道具を使って勇者パーティ最強の座に居座っていた記憶がある。

「この国は宮廷魔法師団が立派ですからね。さて、パレスナ様のアトリエに到着しました」

 仕事モードなので敬語の私は、アトリエの前に立つ護衛に侍女の礼をし、扉をノックして応答を待つ。中からメイヤが扉を開けてくれたので、皆を中へと案内する。
 アトリエの中にはパレスナ王妃といつもの侍女達が待っており、それぞれ挨拶を交わした。

「それにしても久しぶりのカードの依頼ね!」

「ごめんなさいね、パレス先生。王妃様になったから、気軽にお願いしちゃ駄目だと思っていたの」

「水くさいわよ、ゼリン。貴方とは長年の付き合いじゃないの」

「ふふ、そうね」

 パレスナ王妃とゼリンがそう旧交を温めている。
 その間、女帝はなにやらそわそわとしていた。
 なんだろうか、と私は女帝に話しかける。

「女帝陛下、どうかなさいましたか?」

「早く絵を描いてほしいのじゃー。楽しみすぎて、うずうずしているのじゃー」

 なんだ、それは……。

「パレスナ、はよう、はよう」

「あー、女帝ちゃん待って待って。描く準備は整っているけれど、まずはカードのコンセプトを聞かないと、ポーズも決められないわ」

「ゼリン! はよう説明するのじゃ!」

 女帝に催促され、ゼリンは苦笑しながら答えた。

「今回の女帝ちゃんはヒーローカード、つまり人間の英雄扱いね。カードテキストは――」

 その後、パレスナ王妃はゼリンと世界樹教の人と一緒に、図案の議論を交わし始めた。
 女帝もポーズのリクエストを出しており、場は大盛り上がりだ。

 一方で、アセトリードは話し合いに参加していない。

「アセトリード様、参加しなくてよろしいのですか?」

 私はそうアセトリードに尋ねるのだが、返ってきた答えは淡々としていた。

「いやー、拙者は以前もう、カードになっているでござるし? 女帝氏に先を譲るでござるよ」

 そう言いつつ、アセトリードはどこからか取りだした布で、ゴーレムボディを磨いていた。
 こいつ、口ではもっともなことを言いつつ、モデルになる気満々じゃないか……。

「これ、このポーズはどうじゃ!? レアカード感すごいと思うのじゃ!」

「良いわねー。ねえキリン、ちょっと魔法でこの姿撮っておいてくれない?」

 おっと、呼ばれてしまった。私はパレスナ王妃の横につき、女帝の渾身のポーズを幻影魔法に記録した。
 これで、女帝はもう帰ってもらっても良いのだが……。

「それでは、描いていきましょうか」

「うむ、ポーズ維持を頑張るのじゃ!」

 幻影魔法を使うことなく、パレスナ王妃の描画が始まった。
 ……まあ、幻影魔法よりは生の姿の方がちゃんと描けるのかもしれないな。
 そして、その日は昼食を挟み、アトリエで女帝をモデルとした絵をパレスナ王妃は描き続けた。そして、夕方になってようやく一枚の肖像画が完成する。

「細部は後日こっちで勝手にやっておくけど、おおよその形は完成ね」

「おおー、格好良いのじゃ!」

 女帝はキャンバスに描かれた可愛らしくも凛々しい姿に、目をキラキラとさせている。どうやら満足がいったようだ。

「次、次、拙者で!」

 そして、ずっと待っていたアセトリードが、もう待ちきれないという様子で、パレスナ王妃の前に出る。

「いいわよー。どんなポーズがいいか決めましょう」

 と、また描き始めようとするパレスナ王妃だが、さすがに私は止めに入る。

「パレスナ様、もう時間が遅くなりましたので、後日にしましょう。アセトリード様は、二つの姿を描かなければいけないですし」

「あー、そうね」

「そんな!? 生殺しでござるよ、キリン氏!」

 聞こえませーん。本日の営業は終了しましたー。
 というわけで、女帝達は解散、とはならず、国王主催の晩餐会に出席して、王宮に宿泊した。
 私も王妃付き侍女としてそれらのお世話をして、侍女宿舎に帰ったのは夜遅くになってからだった。

 カヤ嬢はすでに就寝しており、私は彼女を起こさないように着替える。
 すると、壁に飾っている世界樹の小枝から化身が出てきて、私に向けて小声で言った。

「キリンちゃん、私もパレスナちゃんにカードの絵、描いてもらうね……!」

 そうかそうか。パレスナ王妃、大人気だな。
 しかし、先日、パレスナ王妃の予定を絵画の仕事も含めてまとめたのだが……、いつの間にか予定がパンパンに詰まっていて、割と大変なことになっていた。首席侍女として、これをどうにかしないといけないのが、少々憂鬱である。



[35267] 108.遊戯
Name: Leni◆d69b6a62 ID:9571a6fe
Date: 2020/11/06 17:19
 夏真っ盛りの五月初旬。
 空の人工太陽に照らされて気温は上がる一方で、侍女の宿舎では皆が一様に「暑い暑い」と愚痴をこぼす様子が見てとれた。
 私自身は魔法で身体の周りに冷房を利かせているので、暑さはまず感じない。だがしかし、仕事中に他の侍女達がさりげなくこちらに近づいてくることが増えた。

 そんな暑さが続く中、王妃付き侍女の皆が待ち望んでいた日が訪れる。
 その日、王族一同は、護衛を引き連れて王都郊外にある川へ避暑に来ていた。
 そう、水辺でのんびり涼むのだ。王族にも休養は必要ということだな。王族の参加メンバーは国王、王妃、先王、王太后、王妹の五名。

 王都に流れる川には、普段から一般市民が水遊びに訪れている。だが、その川に繋がっているといえども、ここは王都の外。市民の姿はなく、近衛騎士の集団が周囲を囲んでいる。
 ここは王都の魔物・害獣避け結界の外なので、敵の出現を警戒して半数以上の騎士が水辺だというのに鎧を着込んでいる。暑い中、大変そうだ。下男や下女達も同行しているので、汗をかいた騎士への水分補給は彼らの働きに任せるとしよう。

 近衛騎士の苦労に支えられ、王族とその担当侍女一同は、川のそばで自由に涼む。

 川と言えば魚。魚と言えば釣りということで、国王と先王は少し離れたところで早速釣りに興じている。
 今回、私は彼らをサポートする気がないので、ボウズもありえる。まあ、それも釣りの楽しさということで我慢してもらおう。

 王太后と王妹ナシーは、大きな日傘……前世の海水浴で使うようなビーチパラソルの下で、冷たいお茶を飲みながら雑談を交わしている。

「後宮の様子はどうなのです?」

「あー、一人やんちゃな奴がいるのだが、オルトがそいつを締めてな。それで今では、オルトが後宮のドンみたいになっているのだ……」

「あらあら、頼もしい人ですね」

「昔の母上を思い出すボスっぷりだ……いや、母上、顔怖いぞ」

 何やら面白そうな会話を繰り広げているので、聞き耳を立てつつパレスナ王妃のそばにつく。
 どうやら、ナシーの後宮生活は順調なようだ。

 さて、私の主のパレスナ王妃はと言うと、相変わらず絵に夢中だ。今も画板の上に紙を広げて、スケッチにいそしんでいる。
 スケッチの対象は、侍女。それも、いつもの格好をした侍女ではなく、水辺で水着を着てたわむれる侍女達の姿だ。

 そう、王族に仕事でついてきている侍女達の大半が、水着を着て水遊びをしているのだ。
 この国の四季ならぬ五季は暖かい季節が長い。その結果、一般市民の間だけでなく、貴族にも川や湖で水遊びをする文化が根付いている。
 なので水着が存在しているわけだが、侍女達が着ているのは前世通りの機能的で布面積が少ない水着ではなく、フリル付きの半袖シャツと可愛いキュロットという組み合わせの水着だ。普通の服に見えるが、水を弾く素材でできていて、水を含んで泳ぎにくくなるということはないようだ。

 侍女達は川に足を浸けて、はしゃぎ回っており、鎧を着けていない近衛騎士が事故に備えてその様子を見守っている。
 男性騎士の鼻の下が伸びている気がするが、真夏の出動ということで、良い目を見させてあげてもバチは当たらないかもしれない。

 頑張る騎士達の一方で、王族の世話という仕事を放棄して遊び呆けている侍女達だが……まあ皆二十歳未満の若い少女達だ。仕事を忘れて遊びたい日もあるだろう。年長者の私がしっかりしていればいいさ。

「キリンも遊んできていいのよ?」

 少女の無防備な水着姿をスケッチしながら、パレスナ王妃が言う。
 うーん、メイヤとサトトコの健康的な美が描けているな。鉛筆で水着が水に濡れた表現とかできるのか。見る人が見たらエロスを感じるのだろうなぁ。
 私は絵と実物の姿を見比べながら、パレスナ王妃に応える。

「いえ、このままお世話を続けさせていただきます」

「泳ぎたくならないの?」

「そもそも私、泳げませんからね」

「えっ、そうなの!? 意外!」

 本気で驚いた顔を見せるパレスナ王妃。まあ、この話をすると誰もが驚くのだよな。
 そして、理由を聞いて皆、納得する。

「私の骨や筋肉は金属質の物体で構成されているので、水に浮きません。魔法で呼吸できるので溺れることはありませんが、沈むので地を這うように水底を歩くことしかできません」

「な、なるほど……確かにキリンの体重ってすごく重いわよね」

「ちなみに重くて水に流されることもないので、別に川で水遊びをする分には問題ありませんね。彼女達に混ざらないのは、私に、はしゃぐだけの若さが足りないだけです」

「もう、何よ。単に面倒臭いってだけじゃない」

 その通りである。そもそも、私は魔法で身体を冷やしているので、水遊びで涼む必要はないのだからな。

「それに、私が水遊びに行くと、パレスナ様に送っている冷風が途切れますよ?」

「あー、それは困るわ。やっぱりキリンはここにいてね」

 と、そんな会話を終えたところで、何やら国王達のいる方角が騒がしくなった。
 目を凝らしてその方角を見ると、近衛騎士が何やら厳戒態勢にあった。

「蟹(カニ)が釣れたようですね」

「蟹って、あの美味しい食べ物の蟹? 騒ぐほどのこと?」

「ああ、食卓にあがる小さい食用蟹ではなく、人の倍ほどの体高がある凶悪な奴ですね。王都の結界の外なので、出てきてしまったのでしょう」

「えっ、それ、あそこで泳いでいる子達も危なくない?」

「あちらは宮廷魔法師が簡易結界を張り続けているので、安全ですよ。おっと、蟹が倒されましたね」

 巨大な蟹に慌てる騎士を押しのけて、国王が抜剣して蟹を真っ二つに切り裂いていた。
 国王の活躍に、騎士達が沸いている。

「キリリーン! キリリーン! ちょっと来てー!」

 国王に呼ばれたので、仕方なくパレスナ王妃の横を辞して蟹のもとに向かう。
 胴体を横に切られた蟹が、蟹味噌を周囲にぶちまけて倒れている。

「なんでしょうか」

「この蟹、食べられる? 食用可なら、釣果として最高なんだけど」

「残念ながら、身がスカスカでしかも大味すぎて、庶民ですら口にはしませんね。ただ、身を練って丸めれば魚の餌にはなります。甲羅は完全に使い道がないので、魔法で粉々にして埋めておきますね」

「そっかー。お願い」

 そして、騎士による蟹の解体作業が始まるが、剣とナイフでは難しいのか、思うように進まない。
 仕方がないので、私が魔法でカットしてやり、甲羅を受け取り魔法で粉砕して地面の中に埋めた。

「では、これで失礼しますね」

「うん、今度こそ、ちゃんとしたのを釣り上げてみせるよ!」

 魔法で探知した限りだと、蟹が暴れたせいで近くから魚が逃げてしまっているのだが、まあ黙っておこう。
 なんでもかんでもネタバレしては、釣りも面白くないだろうからな。

 そして、パレスナ王妃のもとに戻り、水遊びする侍女を対象にしたスケッチを見守る。
 今はビアンカを描いているようだ。ふむ、ビアンカの格好は……と、これはいけない。

「ビアンカさんのくちびるが紫色になってきているので、ちょっとあがらせてきます」

「あら。頼むわね」

 私は乾いたバスタオルを持って、同僚侍女のマールと水のかけあいをしているビアンカに近づいていく。
 幼い二人は頭から水を被っており、おそろいのピンク色の水着が、人工太陽の光に照らされてきらびやかに輝いている。水着のキュロットから覗く細い脚は、ちゃんと食事を取っているのか少し心配にさせる。

「ビアンカさん」

「はーい?」

「くちびるの色が紫色になっていますよ。ちょっと水からあがっておきましょう」

「うん、お母さん」

 お母さん?

「あっ!」

 私をフランカさんと間違えたのか、ビアンカの顔は真っ赤になっていく。
 そう恥ずかしがらなくていいのに。先生を母親と言い間違えるのは、前世だと小学生あるあるだったし。

 とりあえず私はビアンカを水辺から出させ、バスタオルをかけてやってパレスナ王妃のもとへと向かう。
 すると、パレスナ王妃が顔を赤くしてくちびるを紫にしたビアンカの様子を見て、心配そうに言う。

「ビアンカ大丈夫? 具合悪い?」

「大丈夫です!」

「顔が赤いけれど……」

「なんでもないです!」

 ここは、私を母親と言い間違えたことは、言わないでおくのが正解だな。
 私は無言でビアンカの髪をバスタオルで拭いてあげた。

 そんな感じで、王族による近場での避暑は昼過ぎまで続けられた。



◆◇◆◇◆



 王都郊外から王都内に戻った王室一行は、すぐには王城に戻らず、とある場所に訪れていた。
 それは、王立美術館。ここは魔法の冷房が利いており、夏の暑さから逃れるのによい人気のスポットとなっている。
 ただ、今日ばかりは王室の貸し切りだ。芸術関連とあってやる気満々のパレスナ王妃を筆頭に、一般客のいない美術館をゆっくりと巡回していく。

 今、美術館ではトレーディングカードゲーム原画展なる展覧会が開かれていた。
 その名の通り、カードに使われたイラストの原画が飾られており、カードに馴染みが深い貴族女性である侍女達が、興味深げに原画を見回っている。

「あっ、あちらがパレス先生のコーナーのようです」

 私は展覧会の一角に飾られていたパレスナ王妃の絵画を見つけて、一同を案内する。
 パレスナ王妃の絵は複数枚あり、しかも、最近完成したばかりの女帝とアセトリードの絵が、『近日カード発売予定』との文字と共に飾られていた。

「ふーむ、見事な物だの。よそさまの絵に一歩も負けておらんわい」

 先王が、魔王アセトリードの絵を眺めながらそう感想を述べた。あの魔王モードは、私の幻影魔法で再現した姿をモデルに描いたのだよな。闇の塊という絵にしづらい姿を見事にカード用のイラストに落とし込んでいる。

 こうして美術館に絵が並んでいるのを見ると、パレスナ王妃が一流の画家なのだと解るな。

 その後も一同は絵を眺めてまわり、最後に物販コーナーでお土産を物色することになった。
 私は特に興味を引かれた物はないので、お土産はなし。カヤ嬢やククルも、わざわざ自分が住んでいる王都のお土産なんていらないだろう。
 展示物の絵を印刷した絵はがきとかもあるが、絵はがきなんて使わないしなぁ……。

「うーん、うーん……」

 と、何やら頭を悩ませる少女が一人。ビアンカである。
 彼女は、どうやらトレーディングカードゲームの特別販売コーナーの前で、購入を迷っているようだ。
 特別販売の商品は、原画展に並んでいた原画が使われたカードが入っている限定パックだ。ここでしか売っていない限定のカードはないが、今では手に入りづらくなったカードがパックのラインナップに混ざっている。

「迷っていますね、ビアンカさん」

 私がそう話しかけると、ビアンカは視線をカードパックに向けたまま応えた。

「買っていいのかなぁ。どうかな、キリンちゃん」

 ああ、そうか。今までビアンカの金銭管理はフランカさんがしてきて、カードなどの玩具は、むやみやたらに買い与えようとはしていなかった。
 だから、このパックを買って良いか迷っているのだろう。

「ビアンカさん。お金の管理はもうフランカさんから、貴女自身に任されているのでしょう? つまり、一人前のレディとして、自分で何を買うか判断できるとフランカさんは考えているのです」

「一人前のレディ……!」

「なので、お金は自分で判断して計画的に使いましょう」

「解ったよ、キリンちゃん! ……今回買うのは五パックだけ!」

 ……本当に恐ろしいなぁ、トレーディングカードゲームが持つ魔力ってやつは。実際に魔法がかかっているわけではないのに、そこらの魔法よりずっとすごい。
 この幼い少女がカードで身を持ち崩さないか、ひっそりと見守ってあげる必要があるのかもしれない。
 フランカさんにも、私にビアンカを任せるって言われているからな。一人前の侍女として働いている以上、給金をどう使うかは本来ビアンカの自由なのだが、彼女はまだ十歳なのだ。
 仕事ぶりは一人前でも人間としてはまだまだ子供だ。心配である。

 などと考えて終わった美術館訪問。王城に帰還し、パレスナ王妃を外出着から着替えさせ、一部の夜番担当者を残して終業となる。
 侍女宿舎に戻り、夕食を食べ、温泉に入る。そして、就寝まで時間があるので、私は暇を潰そうと談話室に向かった。

 すると、談話室ではビアンカが、年上の貴族女性とカードゲームで遊んでいた。

 行なっているのは対戦でなく、協力プレイだ。世界に善意を満たす過程をカードで表現する、儀式色の強い遊び方だ。
 十歳の少女が懸命にプレイする様子を周囲のお姉様方(ビアンカの年齢から見てだ)が、優しい目で見守っている。

 プレイは進み、唱えられる聖句で周囲は清められ、ゲームが終了する。
 そして、ビアンカとその相手は、互いに健闘をたたえ合いながら、カードをしまっていく。

「ビアンカさん、前に持っていないと言っていた『黒き洗礼』、手に入ったの?」

「はい! 今日、美術館で買ったら当たりました」

「美術館?」

「王立美術館で、カードの原画展をやっていまして……そこに限定パックが売っていたんです!」

「まあ、限定?」

「ビアンカさん、その話詳しく聞かせてくださる?」

「わたくしも興味ありますわ」

 と、カード好き女子が、次々とビアンカの周りに集まっていく。

「は、はい。原画展にはカードに使われた絵画が飾ってあってですね――」

 たどたどしく限定パックの説明をしていくビアンカ。
 ふーむ、なるほど。

 考えてみれば、貴族の女性にとって、トレーディングカードゲームは嗜みであり、コミュニケーションツールでもあるんだよな。
 ただの子供の遊びとは違う。本物の社交がそこにはある。
 ビアンカがカードを買い求める気持ちを縛りすぎるのは、もしかしたらよくないかもしれない。まあ、何事もほどほどが一番だ。



[35267] 109.英雄復活スレイヤー系熱烈歓迎大団円<1>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:9571a6fe
Date: 2020/11/06 17:22
 夏の暑さも落ち着いてきた今日この頃。ミミヤ嬢からマナー講習を受けるパレスナ王妃を見守りながら、侍女達と一緒に詩作にふけっていたところ、部屋に女官が訪ねてきた。

「キリン様、お客様がご来訪です」

「私ですか?」

「はい。セト族のメキルポチルと名乗っていらっしゃる、天使様がお目見えです」

 ほう、それはそれは。また変わった客が来たものだ。

「キリン、どんな知り合いが来たの?」

 女官が来た時点で講習を一時中断したパレスナ王妃が、そう尋ねてくる。

「私がとある辺境部族の姫だったということは知っていますよね? その部族を五百年前から見守っている、守護天使が来たようです」

「へえ、どんな用事かしら」

「さあ、それは会ってみないことには」

「あ、故郷へ帰ってこいって要請は、受け入れちゃ駄目だからね!」

「私とは別に族長の後継者はいますし、それはないと思うのですが……」

 それでもわざわざ遠い場所からやってきたというのだから、それなりに重要な用事がありそうだが。
 たとえば……そう、部族を守護するメキルポチルでも倒せないような、強大な魔物が現れたとか。
 それなら、一時帰国を求められてもおかしくはない。

 まあ、そんな話になっても、他の強い庭師達を紹介することで済まして、私自身はよほどでない限り行かないつもりだが。
 薄情かもしれないが、私にとってのセト族とはそれほど重い存在ではない。私の心の故郷は、アルイブキラだ。

「では、席を外しますね」

「いってらっしゃい」

 そうして私は女官に案内され王宮を出て、王城の入口近くにある応接室の一つに入った。
 そこには、一人の女性天使がいた。

 紫色の髪を長く伸ばし、頭から天使の角を生やしている。顔には眼帯をつけており、さらには頬に傷痕が残っている。
 着ている服はいかにも民族的とでもいうか、カラフルな織物を縫って作られた立派な服だ。夏に着るには少々暑そうだが、相手は火の性質を持つ天使なので、厚着でも問題は無いのだろう。

 彼女がメキルポチル。セト族を守護する天使だ。

「やあ、久しぶり」

 私は部族が存在する大陸の言語で、メキルポチルに話しかけた。

「ああ、キリン、久しいな。何年ぶりだろうか」

「最後に会いに行ってから、五年は経つか」

「そうか。たまには里帰りしろよ」

「今は厳しいな。自由な庭師時代とは違って、こうして城に就職したからな」

「そうだ。こちらにきて庭師の組合に行ったら驚いたぞ。庭師を辞めたというのだからな」

 庭師の組合……生活扶助組合だな。一般市民から、庭師宛の仕事を受け付けている組織だ。

「荒事に疲れてな。まあ、庭師はみんなある程度の年齢になったら引退して、どこかに腰を落ち着けるものさ」

「腰を落ち着けるなら、我らのところに来ればいいものを」

「すまない、以前も言った通り、私の故郷はこの国なんだ」

 そんな会話をしている間に、応接室の担当侍女が私達にお茶を淹れてくれる。
 私は「どうも」とお礼を言って、お茶を飲む。メキルポチルも熱い茶が嬉しいのか、茶を口にし始めた。
 しばし無言の時間が続き、メキルポチルはお茶を飲み干して眼帯にそっと手で触れた。

 その様子をじっと眺めていた私に気づいたのか、メキルポチルは「ああ」と眼帯から手を離す。

「最近、古傷が痛むのだ。身体の節々も痛い。歳を取り過ぎたよ」

 古傷か……。私にはそういった古傷はないな。師匠が私に施した不老の術式は、長寿に耐えうる高い肉体再生能力をこの身に与えているからだ。それに、術式とは別に、魔人の能力で軽い傷なら瞬時に塞がる。

 一方、天使という生き物は、何百年も生きられるというのに、それに見合った高度な肉体再生能力が実はない。
 指を欠損しても生えてこないし、目が潰れても再生しない。
 大型の生き物として当然の性能なのだが、その寿命の長さからすると明らかに能力が足りていないと言えるだろう。

 さらに、欠損がなくても身体にガタが来る。長寿種族らしく歳を取っても肌のシワが増えたりはしないし、脳の機能が衰えたりはしないらしい。だが、人体を模した骨格をしているので、歳を取ると膝などの軟骨はすり減っていくし、酷使された背骨は少しずつ潰れていきやがて腰が曲がり始める。見た目が若いまま、いびつに年老いてくのだ。

 だが、実際には、王妹の守護者をしているヤラールトラールのような数百歳を超える天使などに、そのような老いは見てとれない。
 天使そのものに高度な再生能力はないが、炎の樹という天使や悪魔の生まれてくるパワースポットの力で、肉体を完全再生させることができるのだ。

「炎の樹に行けていないのか」

「遠くてな。セトの大地からこの国に来るよりも、はるかに遠い。こうして片目も潰れたままだ」

 世界樹の世界では、同じ枝にある大陸間は『枝の回廊』を通って比較的簡単に行き来ができる。しかし、違う枝に行くとなると、『幹の回廊』という場所を旅しなければならず、その旅は徒歩だと長くて数ヶ月単位にわたることもある。
 世界的な庭師ならば、地下にある世界樹トレインで簡単に世界中を移動できるが、一般人は『幹の回廊』を使うしかないのだ。メキルポチルも、この国にやってくるまで回廊を通ってきたのだろう。

「なるほど。……で、本題に入るが、私を訪ねてきた用事はなんだ?」

「ああ、それか……ほら、族長から手紙を預かってきている。目を通せ」

 そう言って渡されたのは、束ねられた紙束だ。セト族では植物から紙を生産していないので、家畜の皮から作った皮紙の手紙である。封筒はない。
 セト族の族長とは私の母のことで、つまり実の母親からの手紙になる。
 私は、受け取った手紙に目を通し始めた。

 そして数分かけて一通り確認したが……手紙は、部族は皆、平和に過ごしているという近況報告と、旅人から伝え聞いた私の活躍への称賛、そして私の近況を知りたいという内容だった。
 危機的な状況にあるだとか、部族への帰還を求めるだとか、そういう内容は一切ない。
 私は、肩透かしを食らった気持ちになって、メキルポチルに言った。

「なあ、これだけか?」

「これだけとは?」

「部族に危機が訪れているとか、強大な魔物が出現したとか、私に帰ってきてほしいとか、そういうことはないのか」

「ないな。平和そのものだ。私が問題なく離れられるくらいにはな」

「そうなのか。用事ってこの手紙だけか?」

「お前への用事はそれだけだな」

 その言葉を聞いて、私は大きく溜息をついた。
 こいつ、たったこれだけのために、わざわざ遠くから時間をかけて旅してきたのか。天使の時間感覚は訳解らんな。

「さて、名残惜しいが、今日の宿を取らねばならぬのでな、そろそろおいとましよう」

 二杯目の茶を飲みきったメキルポチルが、そう別れを切り出してきた。

「もう国元に帰るのか?」

「いや、しばらくこの国に留まるつもりだ。手紙の返事はまた今度受け取りにくるから、早めに書いておいてくれ」

 観光でもするつもりか、この天使。実は観光旅行に来たのではないだろうな。

「資金は大丈夫か? この国の言葉は話せるのか?」

「どちらも問題ない。……ああ、そうそう、牙を換金したいのだが、いい商人がいたら紹介してくれないか?」

「牙……ああ、あの巨獣の牙か」

 セト族の住む草原には、立派な牙を持つ巨獣が生息している。
 その牙は前世の象牙のような価値があり、細工物の素材として重宝される。価値を知っている商人なら、高値で買い取るだろう。
 ふむ、ゼリンでも紹介してやるか。あいつ、貿易商でもあるからな。

「少し待ってくれ、紹介状を書く」

 私は空間収納魔法から便せんと封筒、そしてペンを取り出し、ゼリン宛てにメキルポチルの紹介状を書いた。
 そして、ティニク商会の本店までの地図も描き、メキルポチルに渡す。
 メキルポチルは紹介状と地図を受け取ると、部屋の隅に置かれていた巨獣の牙が詰まった背負い袋を持ち、侍女に案内され応接室から退室していった。

 私も応接室を出て、内廷まで帰る。パレスナ王妃の私室に入ると、マナー講習はすでに終わっていたのか、パレスナ王妃とミミヤ嬢がお茶を飲んでまったりと過ごしていた。

「おかえりなさい。どんな用事だった?」

「族長である母から、近況報告の手紙を受け取りました。それだけですね」

「そうなの。それならよかった」

 パレスナ王妃はよほど私に出ていってほしくなかったらしく、安堵の溜息をついた。
 そして、私はパレスナ王妃のお世話に戻る。まずはお茶のおかわりだ。
 パレスナ王妃はお茶の味にこだわりはないのだが、私自身はまだまだフランカさんの腕前には達していない。精進あるのみだ。

「そういえば、キリンの故郷の話って聞いたことがなかったわね」

 ふと、ミミヤ嬢と話していたパレスナ王妃がそんなことを言いだした。
 私は、その言葉を受けて首をかしげた。

「バガルポカル領の話なら、何度もしてきたと思いますが」

「そっちじゃなくて、生まれた部族の話!」

 ああ、そっちか。セト族の話だな。

「せっかくだから、ちょっと話してみてくれない? 興味あるのよね。姫という身分も気になるし」

「まあ、別に秘密にしているわけではないので、構いませんが……」

 すると、着席を促されたので私は座り、パレスナ王妃が自ら私にお茶を淹れる姿を見ながら、私は過去を話し始めた。



◆◇◆◇◆



 私は、物心ついた頃から父と旅をしていた。
 父は庭師であり、魔物狩りや巨獣狩りで生計を稼ぎ、そして一所に落ち着くことなく旅を続けていた。
 私には前世の記憶があったため、意識がはっきりしてからは必死で言語を学び、父とコミュニケーションを取ろうとした。

 だが困ったことに、私は声を出すことはできなかった。
 当時は音声を出せる魔法など習っておらず、父と意思の疎通を取ることは叶わなかった。
 父と言葉を交わすことができるようになったのは、四歳になってからだ。意思を文字として表示する魔法の看板を手に入れて、私はようやく父から私の生い立ちを聞き出すことに成功した。

 私は、辺境のとある部族の生まれらしい。しかも、部族の長の娘だというのだ。
 だが、父はなぜ私達がその部族から離れて生きているのか、語ることはなかった。父は元々寡黙だが、部族を離れた理由だけは、意図して話そうとはしていなかった。

 やがて、父は私が七つになる頃にアルイブキラで死んだ。竜型の魔物が出現し、それを退治しに行って返り討ちにあったのだ。
 形見として返ってきたのは、父が愛用していた不壊の大剣のみ。遺体は魔物に食われて残らなかった。
 私は魔女の塔に引き取られ、魔法を学ぶ。そして、師匠との死別を経て、やがて十歳で庭師となった。

 私が部族のもとを訪れたのは二十歳になってから。
 庭師として世間に名が知られ始めた頃で、世界樹トレインを使い自由に世界中を巡れるような立場になっていた。

 セト族の住む大地は、木の生えていない乾いた大草原だった。ステップというやつだ。この地でセト族は家畜を放って過ごしている。
 セト族は広大な大地でいくつかの集団に分かれて生活しており、数多くの家畜に草を食ませるために周期的に住居を移動していた。つまりは、遊牧民族だ。

 私は各地を訪ね歩き、族長を訪ねたい旨を説明して、族長の居る本拠地を教えてもらった。
 ここで信用されるのに庭師の免許がとても役に立った。部族は常に魔物の脅威にさらされており、魔物を退治するのが生業の庭師は、信用に足る職業とされていたのだ。

 やがて、セト族の本拠地に辿り着いた私は、家畜の世話をしていた人を見つけ、尋ねた。相手は隻眼の天使だった。

「もし。族長に会いたいのだが」

「おや、可愛い子だな。わざわざこんなところまで訪ねてきてくれるとは。親御さんは?」

 完全に子供に対する態度である。

「失礼。私はこういう者だ」

 私が庭師の免許を見せると、相手はいぶかしげな表情を浮かべた。
 免許に記されている名前は、キリン・セト・ウィーワチッタ。世界共通語で書かれたそれを相手の天使は読めたのであろう。天使は警戒すると共に、手に炎をまとわりつかせた。

「お前、キリンか!? ここへ何しに来た! もしやセト族に復讐するつもりか!」

「復讐……?」

 訳が解らず、混乱する私。なぜ故郷に帰還した私が、復讐などするというのか。

「何が目的だ!」

「ええと、父が亡くなったので、形見を渡しに来た。それと、私の出身地を一度見にきたいと思っていて」

「なにぃ!?」

 相手は警戒を緩めず、炎は激しく燃えるばかり。

「自分を追い出したセト族に害意はないのか?」

「私って追い出されたのか?」

「むう? 知らないのか? お前、本当にキリンなのか?」

「キリンだが。ただ、父からはなぜ私が部族のもとで育てられなかったかは聞いていない」

「……そうか」

 警戒を解こうとする天使だが、何かに気づいたように、はっとなってまた炎を激しく燃やした。

「待て! キリンが追放されたのは二十年も前だ! お前みたいな子供のはずがない!」

「ああ、それは……」

 私は必死になって、魔法を使って十歳で成長を止めた旨を天使に説明した。
 不老の魔法式も相手に見せてなんとか納得してもらえ、ようやく相手の手から炎が消えた。

 そして、私はセト族に歓迎を受けることになり、族長へのお目通りが叶った。
 族長は、中年の美しい女性であった。父の言葉を信じるなら、彼女が私の母だ。

「貴女が、キリンなのですね……?」

 そう族長に尋ねられ、私は「はい」と答えた。
 すると、女性は涙を流し始め、泣き崩れた。

 私はどうしてよいか判らず、ただおろおろとするばかり。
 周りにいた世話人らしき女性が族長をなだめ、そしてかたわらにいた先ほどの天使、名をメキルポチルと名乗った見た目若い女性が、語り始めた。

「若くして族長となった女がいた。彼女はセト族で一番の力を持つ男を婿に迎え、やがて子を孕んだ。子は次期族長となるべき、部族の跡取りだ」

 私は、族長の方をチラ見しながら、メキルポチルの言葉に耳を傾けた。

「順調に腹の中の子は成長していった。するとある日、シャーマンが神託を受け預言をした、生まれてくる子供は世界樹に祝福された奇跡の子だと。だが……」

 メキルポチルの表情が陰る。

「だが、実際に生まれてきたのは……恐ろしい赤子だった。赤子だというのに力は強く、抱く者の腕をねじきろうとする。さらには口から竜の息吹を吐き、セト族の住処はいくつもバラバラになって炎上した」

「ああ、私が物心ついたのは、一歳を超えてからだったから……。意識がない頃は、そんなに酷かったのか」

「酷かった。酷すぎて、姫を殺すことが検討された。だが、母親である族長は強くそれに反対した。だが、このまま暴れ回る赤子をセト族のもとに置いておくわけにはいかない。そこで、族長の夫、すなわち赤子の父が、赤子を連れてこの地を離れることになった。その赤子の名をキリン・セトという」

 ……なるほど。だから父は私を連れて旅をしていたのか。

「赤子を連れて出ていった後、族長の夫からの便りは一切届いていない。てっきり、私達は赤子の手で殺されてしまったと思っていたのだが……」

「父は遠い国アルイブキラで、魔物と戦い亡くなりました」

「……そうか。あいつが敗れるほどの強大な魔物がいたのか」

 父が死んだと聞き、メキルポチルは悲しみ、族長は再び涙を流した。
 私は、背負っていた剣を下ろし、彼らの前に置いた。

「父の遺骸は残っていません。この剣が唯一の形見です」

「この剣は……確かに、あいつの物だ」

 メキルポチルは剣を受け取り、族長の前に差し出した。
 族長は剣を抱きしめて、声を上げて泣いた。

 そして、その日の夜、私はセト族から丁寧なもてなしを受けた。家畜の肉の料理を食べ、家畜の乳から作った酒を大いに楽しんだ。
 そして翌日、再び私は族長と面会した。

「キリン……私の子……」

 もう気持ちが落ち着いたのか、そう言って族長は私を抱きしめる。

「許されないのかもしれませんが、どうか私のことを母と呼んでくれませんか?」

「ああ、お母さん」

 私がそう言うと、族長……母は、より強く私を抱きしめた。
 おそらく、私が赤子の頃は、私の怪力のせいでろくに抱きしめることができなかったのだろう。私は、そっと優しく母を抱きしめ返した。

 そして、しばらく抱擁を交わした後、私達は今後の話をすることになった。
 メキルポチルが言う。

「セト族のもとに帰ってきてもらっても構わない。庭師ということなら狩人として歓迎する。立場も姫のままだ。次期族長の座は別の者が座ることに決まっているので、お前にはやれんが」

「いや、私は庭師を続けるよ。私の故郷はここではないからな」

 故郷はここではない、との言葉を聞いて、皆が悲しそうな顔をする。
 でも、正直な私の思いだ。今生の私の故郷は、アルイブキラのバガルポカル領なのだ。

「そうか。しかし、部族の姫としての証は受け取ってほしい」

「それは……物による」

 私がそう言うと、メキルポチルは「ふっ」と笑って答えた。

「大丈夫だ。セトの民は戦士の一族。武器に祝福を与えるだけだ」

 それならば、と私は証を受け取ることにした。

「武器を出してくれ。それに祝福を与える」

 そう言われたので、私は父の形見の剣を前に出した。この剣は父の形見だが、昨日母は受け取らなかった。自分には父の遺した牙細工があるから、これは私に持っていてほしいとのことだ。

 形見の剣をシャーマンらしき老人男性が受け取る。すると。

「この剣にはすでに祝福がかけられています。これは、かつて私が祝福した族長の夫の愛剣ですね。懐かしい。貴女が普段使っている武器は、これ以外にありますか?」

 それならば、と私は空間収納魔法を使い、大斧を一振り取りだした。

「最近はどちらかというと、剣よりも腕力を全て乗せられる、こちらの斧を使っている」

 その斧を見て、メキルポチルが「ほう、見事な……」と感嘆している。
 一方、斧を見たシャーマンはと言うと。

「すでに強力なエンチャントがかけられていますね。これに祝福を重ねがけするのは難しいですが、やってみましょう」

 シャーマンはどこからか魔法の触媒を取りだし、詠唱を唱え始める。私の知らない独特な魔法だ。
 魔法式を見ていると、父の形見にかけられている『不壊』の魔法を施す術式であることが判った。

「……祝福はなされました。これにより、貴女はセト族の戦士と認められ、セト族の姫としても認められました」

「ありがとう。大切に使うよ」

「いえ、不壊の祝福をかけましたので、どうぞ全力でお使いくださいませ」

 私のお礼の言葉にシャーマンがそう返してきたので、私は笑って斧を受け取った。
 そうして私は正式にセト族の姫となり、その日の夜は部族の皆から昨夜よりも盛大に歓迎を受けることになった。

 その後、私は数日セト族のもとに留まり、魔物や野生の肉食獣を狩ってまわり、部族の者からこの地に留まらないかと請われたりした。
 だが、私はその言葉を受け入れることはなく、やがてセト族のもとを離れ、庭師として活動を続けたのであった。



◆◇◆◇◆



「……という感じですね」

 私は話を終え、お茶を一口飲んで喉をうるおした。
 話の最中、適度に相づちを打って聞き役に徹していてくれたパレスナ王妃も、お茶を一口飲み、そして言った。

「はー、その斧が、あの決闘の時に飛竜を打ち倒した斧ってわけ?」

「そうですね。あの斧です。今も空間収納魔法に入れてありますよ」

「そうなの。じゃあ、今度あの斧を持っている姿を絵に描かせてもらおうかしら」

「内廷で武装する許可下りますかね……」

「許可を出すのが王妃の私なんだから、いいんじゃない?」

 そんな会話を交わしているうちに、時刻は夕方に近づいてくる。
 やがて、ミミヤ嬢がそろそろ退室すると言いだし、席を立った。

 私は立ち上がり、扉の前に行ってミミヤ嬢の退室に合わせて扉を開けた。
 すると、扉の向こうから騒がしい声と多数の気配が。

「……? なんでしょうか」

「騒がしいですわね」

 ミミヤ嬢と二人で首を傾げる。
 私は扉をくぐり、部屋の前にいる護衛に何があったのか尋ねる。

「さあ……なにやら植物園がどうとか言っているようですが」

 護衛と話していると、廊下の向こうから王妃担当をしている馴染みの女官が小走りで近づいてくる。

「ああ、キリン様。入室の許可をお願いします。王妃様にお伝えしたいことが」

「はい。どうぞお入りください」

 そうして私と女官、ついでにミミヤ嬢がパレスナ王妃の部屋に入る。
 そして、女官がパレスナ王妃に驚きの言葉を告げた。

「王城の植物園に、天界の門が開きました!」

 王城の植物園といえば、世界樹の枝が植えられている場所だ。
 ……なにやらとんでもない事態が起きていそうだぞ。



[35267] 110.英雄復活スレイヤー系熱烈歓迎大団円<2>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:9571a6fe
Date: 2020/11/06 18:17
「この目で見なくちゃ! 絶対に見にいく!」と、ごねりだしたパレスナ王妃を護衛するため、私は植物園に向かった。
 私の手には一応、何かあったときのために頑丈な鉄の棒『骨折り君』を携えてある。だが、天界の門から何かが出てきたとき、これで対応しきれるかは正直怪しい。
 惑星脱出艦テアノンみたいな巨大な何かが出てきたら、鉄の棒などなんの役に立つのか。

 そして、同行者の中には護衛だけでなく、ミミヤ嬢の姿もある。
 彼女は新し物好きで好奇心旺盛だから、見たい気持ちを抑えられなかったのだろうなぁ。
 でも、いざという時はパレスナ王妃の身の安全優先なので、そこは勘弁してほしい。

 さて、小走りで向かい植物園についたのだが、そこには確かに天界の門らしき何かがあった。
 門というかあれは『ゲート』だな。いや、ゲートを和訳したらそのまま城門という意味になるのだが、そういうことではない。あれは、前世のSF映画だとかに出てくる、ワープゲートとかそういう類の見た目だ。
 植物園の上空に大きく歪んだ円が浮かび、その円の向こう側には光り輝く“何か”がうごめいている。

 私はこのゲートに見覚えがあった。
 それは、前世でのこと。謎の秘密教団に友人の恋人が生贄としてさらわれ、私と友人はその恋人を救いに走った。そして辿り着いた教団施設の上空に、これと同じゲートがあった。
 私はその施設で炎を操る謎の人物――今思うと天使か悪魔だったのだろう――に殺され、この世界に生まれ変わった。

 そんなことを思い出していると、ふと、頭の中にあのゲートの奥に存在するであろう光景が思い浮かんでくる。
 私は不意に魂が揺さぶられるような感覚におちいり、めまいがしてきた。

「キリンさん? 大丈夫ですの?」

「あ、ああ。大丈夫だ、ミミヤ嬢」

「嬢?」

 おっと、しまった。動揺して頭の中の呼び名が漏れてしまった。

「問題ありません。少し、あの向こうを通った時のことを思い出してしまっただけです」

「あの向こうを……? ああ、キリンさんは確か、魂だけで別の世界から天界の門を通ってこちらの世界にやってきたのでしたね」

 そういうことだ。私は、あの神の領域を実際に通ったことがある。
 天界の門の向こうにいるのは、世界丸ごと一つが意思を持っているという、高次の生命体、火の神だ。

 天界は様々な次元の世界に門でつながっており、天界を通って異なる世界に向かおうと狙う魔法使いが数多く存在している。
 だが、天界は神そのものである炎で満たされており、常人では入った瞬間焼き尽くされてしまうという。
 実際通り抜けできたと聞くのは、特別に神の炎対策を施した乗り物か、神の炎に焼き尽くされないほどの強靱な魂くらいだ。
 前者が惑星脱出艦テアノンで、後者が私と師匠だ。

「あらー、見事に世界樹の枝の上に開いているわね、天界の門」

 パレスナ王妃がのんきな声でそう言った。
 世界樹の枝が見えるところまで来たが、世界樹の枝の周囲は城の衛兵と騎士達が固めており、上空の門に向かって警戒態勢を取っている。
 そして、衛兵達の近くで、一人の女性天使、ヤラールトラールがたたずんでいた。
 私達はとりあえず、ヤラールトラールの近くに向かった。

「ヤラ。どういう状況」

 そうパレスナ王妃が尋ねると、ヤラールトラールは困った顔で言葉を返した。

「それが、私も知らなくて……上位存在に問い合わせ中です」

 そこまで言うと彼女は、はっとした顔をして世界樹の枝の方を向いた。

「まさかそんな、城の中になんて……! ちょっと通してください!」

 そんなことを言うと、ヤラールトラールは突然衛兵の間に割り込んで、世界樹の枝に近寄った。そして。

「もう、馬鹿なのですか! ああもう、そこは世界樹の枝に近すぎます! 枝は成長するのですよ!」

 などと、彼女は上空の天界の門に向かって叫びだした。
 なんなんだいったい……。

 とりあえず私は、緊急事態だと判断し、制服のポケットに入れたままの『女帝ちゃんホットライン』を取りだして、女帝に通信を繋げた。

『なんじゃ? そなたからかけてくるとは珍しいのう』

「女帝、緊急事態だ。アルイブキラの王城に天界の門が開いた。世界樹の枝の真上だ」

『なんじゃと!?』

 女帝が叫ぶと、突然『女帝ちゃんホットライン』から立体映像が飛びだしてきた。女帝の姿だ。

『うぬぬ、本当じゃ。今になって新しい門が開くとは、どういうことか……』

「私は今まで世界樹で天界の門を見たことがないのだが、珍しいのか?」

 私は立体映像の女帝にそう尋ねると、女帝は『うむ』と答えた。

『火の神は基本、天使と悪魔という外部端末を使ってこの世界に干渉しておる。惑星フィーナには多数の天界の門があったのじゃが、この世界樹上で常時開いておるのは、端末達の里だけじゃ』

「ああ、炎の樹があるっていう……」

『そうじゃな。しかし、天界の門が急に世界樹の上に開くなど、『太古の堕天』を思い出すのじゃ』

「なんだそれは」

『ほれ、大地神話に語られているじゃろう。世界樹が惑星にまだあった頃、天界の門が急に世界樹の上に開き、天界から切り離された火の神の一部が落ちてきたという』

「ああ、当時の世界樹が大損害を受けたっていう……まさか」

『同じことが起きたら、クーレンバレン王城ごと吹き飛ぶのじゃ』

 その言葉を聞いて、私だけでなく周囲で推移を見守っていた衛兵達がぞっとした表情を浮かべる。
 だが、それを否定する言葉が突然投げかけられた。

「大丈夫だよー。天界の門が開いたのは、新しい炎の樹を設置するだけみたい」

 その言葉を発したのは、いつの間にか出現していた世界樹の化身。
 化身は世界樹の枝の近くに浮いており、女帝の立体映像の方を見ている。

『なぬ、新しい炎の樹じゃと。それはまたややこしいことになるのう……』

 炎の樹。天使や悪魔が生まれてくるパワースポットで、さらには彼らの治療を可能とする再生施設だ。
 そんなものが、王城の中にできるというのか。
 世界樹は天界から天使や悪魔に向けられて送られる指令を傍受できるらしいから、その言葉は正しいのだろう。

 私は、何やら世界樹の枝の近くで天界の門に向けて、身振り手振りで言葉を発しているヤラールトラールの方を見た。

「だからこっちです! 人の迷惑を考えなさい! そう、ここ、ここです!」

 ヤラールトラールが地団駄を踏んだと思うと、突然彼女の足元から炎が発生した。
 その炎はまるで植物の芽が成長し、一本の樹木になるかのように立ち上っていった。
 思わぬ事態に、衛兵達が身構える。

 だが、ヤラールトラールは動揺もせず、炎から離れて腕を組み、うんうんとうなずく。

 炎はやがて色を変え、まるで溶岩が固まるように物質化した。
 最後に残ったのは、炎のような模様のある一本の赤茶けた樹木のオブジェだった。前世の現代アートにでもありそうな形をしている。

 それを見てヤラールトラールは満足したのか、こちらに振り返って大声で言った。

「炎の樹が完成しました。これより、ここから新しい端末……天使や悪魔が生まれるようになります。生まれたばかりの悪魔は子供のような存在で、討伐や捕縛も容易いです。なので、常時見張りを立てておくようにしてください」

 ヤラールトラールの言葉は、同じ天界の端末だというのに、悪魔に対して厳しい内容であった。
 以前、彼女はアルイブキラに害をなす悪魔を討伐したことがあるというから、同族意識は薄いのかもしれない。それか、人間で言う悪人に対する態度なのか。

「この樹は切り倒しても再生します。諦めて、存在を受け入れてください。そして、早急に子供の天使を受け入れる施設を用意するよう、お願いします」

 ヤラールトラールがそこまで言うと、突如上空の天界の門が縮小していき、やがてそこに何もなかったかのように消えた。
 本当に火の神の用事は、炎の樹をここに生やすことだけだったらしい。
 周囲はざわめき、官僚と思われる者があちらこちらに行き交い始める。
 ずっと天界の門をスケッチしていたパレスナ王妃が、残念そうに「門、閉まっちゃったわね」と言った。

 こうして、アルイブキラの王城に天使と悪魔を生み出す、炎の樹が生えたのだった。



◆◇◆◇◆



 炎の樹が生えて一週間。結論を言うと、炎の樹から悪魔は生まれてこなかった。
 火の神も馬鹿じゃない。見つけ次第討伐されるような場所へ、人間に害をなす悪魔を生み出すわけがない。
 一方、生まれてきた天使はまだ一人。小さな男の子の姿をした天使で、神から与えられた使命は「アルイブキラで流行っている娯楽を数多く参照すること」らしい。平和すぎる……。

 だが、炎の樹の本領は、天使を生み出すことではなかった。
 炎の樹が生えた翌日、再びメキルポチルが私のもとを訪ねてきた。
 なんでも、炎の樹で身体の治療をしたいとのことだった。私は困って官僚に相談しに行ったのだが、相手は遠い国の部族とは言え、人類に益を与える天使。なので無下にはできないと判断がされ、彼女の治療は許可された。

 パレスナ王妃が治療の様子を見たいと言い出したので、炎の樹までやってきたのだが……メキルポチルは炎の樹の近くでただ、たたずむのみであった。


「はあ、癒される……」

 そんなことを呟く彼女の姿は、まるで日光浴や森林浴をしているようだ。幻想的な姿が見られなかったと、パレスナ王妃は残念がっていた。

 事態が急変したのはさらにその翌日だ。炎の樹が生えることを事前に知っていた天使が多数城下町に潜んでいたのか、次々と王城に天使が訪れた。思わぬ来訪者に城の高官はてんやわんやだ。
 断るにも、その天使の中には、隣国の王女の護衛であるネコールナコールの姿もあったのが、話をややこしくさせた。

 結局、状況を見かねた国王の鶴の一声で、天使は全員受け入れることに決まった。国王曰く、抵抗したら天使の集団に城を落とされかねないとのことだ。
 確かに、肉体の再生を必要とするような天使はおおよそ、歳を経ていて老練で、強力な火の魔法を使えるからな。

 正式に許可を得たネコールナコール。彼女が猫の姿で毎日朝に通ってきて夕方になって帰っていく姿は、もはや温泉に通う地元の湯治客のようだった。
 そして、その猫の姿は日に日に大きくなっていった。

「にょほほ、順調に再生しつつあるのじゃ。本来の姿を見てみるかの?」

 炎の樹のかたわらで、巨大な猫の姿のままそんなことを言い出すネコールナコールに、私は答える。

「見ないぞ。生首から再生しているってことは、変身を解いたら相当アレな見た目なのだろう」

「まあそうじゃな。おかげでおぬしに貰ったボディに乗れなくなったのじゃ」

「ハルエーナ王女の護衛をサボるなと言いたいところだが、あのボディがもう使えないのでは、厳しく言えないな」

 ネコールナコールには以前、生首姿の下に装着する魔法の胴体を与えたことがある。

「元々護衛などという荒事は、あまりしたくないのだがのう」

「ああ、そういえばお前、善の気に汚染されきって、悪いこととかしたくなくなっているんだったか」

「うむ。護身程度ならできるじゃろうが、人を傷付ける気はさらさら起きぬ」

 そんな会話の最中にも、世界樹の化身が炎の樹の前に姿を現し、天使達を選別していた。

 なんでも、天使に化けた悪魔が混ざっていないか、チェックしているらしい。
 世界樹は、天界の火の神からこの世界の端末に向けた指令を傍受できる。そして、世界に対して無害な存在に天使の角を。世界や人に対して有害な指令を受けている存在に、悪魔の角を世界樹の力で無理やり生やしているのだ。
 なお、天界から有害な指令を受けてもそれを拒否している個体は、天使扱いらしい。天界の外部端末なのに、天界の指令って拒否できるのだな。

「居た! そこの赤髪の男天使、悪魔だよ! 任務はシンハイのクーデター! 討伐して!」

「げえっ!? バレたか!」

「囲め!」

「逃がすな!」

 おっと、悪魔が見つかったようだ。

「パレスナ様、お下がりください。巻き込まれないように」

 天使達の姿を絵画に描いていたパレスナ王妃を下がらせ、私は警戒態勢を取る。
 妖精魔法でアストラル界から火と熱を食う妖精複数を呼び出し、悪魔に対してまとわりつかせた。
 炎を発して逃げようとしていた悪魔だが、その妖精に炎を食われ、さらに身体の熱を奪われて悪魔は動けなくなる。

 そこに、騎士達の剣が突き刺さる。騎士複数に攻撃を受けた悪魔は、やがて討ち取られた。
 さらに宮廷魔法師が、悪魔を復活させないよう封印をほどこし、遺体をどこかに運んでいく。宮廷魔法師は生首になったネコールナコールが数百年の眠りから復活したことを知っているから、遺体を念入りに処理するのだろう。

「キリン殿、助かります」

 炎の樹に詰めていた騎士が、私にお礼を言ってくる。

「ええ、悪魔の血は発火しますから、私がいない時は十分に気をつけてください」

 そんな感じで、炎の樹の周辺は大忙しだった。
 一方、パレスナ王妃は教育係の一人である先王がこの事態の処理で忙しく、予定が空いてしまった。そのため、最近はこうして炎の樹のそばで絵を描いていることが多い。悪魔が出るかもしれないから危ないのだが、戦闘の様子も見たいと言い出して困りものだ。
 なので、私はずっと不壊の大剣を持って警戒を続けている。

 だが、暇なものは暇なので、私はネコールナコールと雑談を交わし続ける。

「しかし、同じ天界の端末だというのに、受けている指令はバラバラだよな」

「うむ。上位存在は世界そのものが一つの生命という巨大な存在じゃが、その思考回路は人間や、それを模した妾達端末とは大きく異なるのじゃ。思考は無数に分割されており、それぞれ考えていることが違う。ただ一つ共通した目的がある。上位存在は自分の世界から動けず暇で仕方がないので、別の次元の知的生命体を観察しようとしているのじゃ」

「だから、ヤラールトラールみたいな国を守る天使がいる一方で、国を乱す悪魔がいるわけだな」

「うぬ……ヤラールトラールの奴はおそらく、上位存在の言うことに聞く耳を持っていないのじゃ。年を経た端末は自我が強くなり、自分のために生きようとする者が多くなるのでな」

「あんたはどうなんだ?」

「妾は眠っていた期間は長くとも、実際に起きていた年数は三桁も行っていないのじゃ。今は、エイテンの王族が治めるシンハイ国の行く末を見守れという指令を受けておるの。だから、先ほどのクーデターを狙う端末が討伐されたのは喜ばしいことじゃ」

 そんな感じで植物園に滞在し続けていた時のこと。何やら、王妃担当の女官が向こうから駆けてくるのが見えた。
 女官はパレスナ王妃の近くにくると、息を切らして立ち止まり、深呼吸をしてからパレスナ王妃に向けて言った。

「国王陛下と先王陛下がお呼びです」

「あら。二人同時に呼ぶだなんて、何かあったのかしら?」

「それが、ただ事ではなくて……」

「天界の門が開いて炎の樹が生えるよりも、すごいことなのかしら?」

「ええ、それが……王宮の奥から一体の古めかしいゴーレムが出てきまして……そのゴーレムが、自分はこの国の建国王、クーレンだと主張しているのです」

「……何それ?」

 おいおいおい。今度は建国王だって?
 なにやらとんでもない事態が起きていそうだぞ。



[35267] 111.英雄復活スレイヤー系熱烈歓迎大団円<3>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:9571a6fe
Date: 2020/11/06 18:20
 現代に蘇った八百年前の初代国王らしき存在。パレスナ王妃はその存在に会うため、王宮の奥の区画へ向かった。私は彼女を見送り、内廷にある王妃の部屋へ戻る。
 部屋で待っていた侍女達に、初代国王が蘇ったかもしれないと話すと、その後会話は盛り上がり、どういうわけかオカルトチックな怪談話に発展した。

 ほどなくして、パレスナ王妃が私を呼びに部屋へ戻ってきた。

「なんだか話している言葉が、ネコールナコールみたいに古くさくて……ところどころ理解できない単語があるから、キリンに通訳してもらおうって話になったわ」

 そういうのは、古典を研究している学者の出番ではないかな……。
 まあ、私もこの国の古語は、おおよそ理解しているけれども。
 仕方なしに、私はパレスナ王妃に案内され、かつて国王とパレスナ王妃の結婚式の時に訪れた、王宮の最奥区画にやってきた。

「おー、キリリン、待っていたよ」

 国王が私を出迎える。他には、先王と王太后の姿も見える。後は、官僚のお偉いさんとかがちらほら。

「誰であるか、その幼子は」

 と、言葉を発したのは、人を模した男性型ゴーレムだ。
 身長、体格、髪の質、全て人そっくりだが、肌の材質だけは金属製であることがうかがえた。

 私は、そのゴーレムを見ながら、小声で国王に尋ねた。

「ええと、クーレン様と呼べばいいのか?」

「とりあえず俺っち達は、始祖様って呼んでる」

 それを聞いた私は、ゴーレムの方を向いて侍女の礼を執った。

「始祖様、初めまして。私は王妃様付きの首席侍女をしておりますキリンと申します」

「ふむ。その歳で王妃の首席侍女であるか。優秀なのだな」

「ありがとうございます。それで、申し訳ありませんが、始祖様がお話しになっている言語は、今のこの国の者にとっては少々古いため皆に伝わりにくく……私が通訳を担当させていただきます」

「おお、そうか! 確かに、我が眠りについて……そう、八百年近くの時が過ぎたと計測されておる」

 ふむ。初代国王が没した年とそう違いはないな。
 私は、秘かに魔法を使い、国王の頭と思念のラインを作る。

『で、国王。実際にこいつは初代国王なわけ?』

『んー、それを聞き出したいんだよね。俺っち達が発掘した建国史の線で攻めてみたら、真偽が判別するかも』

 ふむ。隠された建国史か。私と国王が、この国に生えてきた遺跡から発掘した秘密史料だ。
 確かに、そこらの魔法師が作った有象無象のゴーレムならば、あの史料の情報は入力されていないに違いない。

「始祖様。申し訳ありませんが、私どもは貴方様が本当の初代国王であると、確証を得ることができていません」

 私がそう言うと、国王を初めとして先王や官僚達の表情がぎょっとしたものとなる。

「ふむ。当然であるな。この身は生前の姿を模しておるが、八百年の月日が経っては、その絵姿も残っているか怪しいものであろう」

「ですので、いくつかお尋ねしたきことがあります」

 そうして、私は建国にまつわる様々な質問をゴーレムに投げかけていった。
 その結果……。

『これ、本当に始祖様だわ。もしくは、同じ年代を生きた王国のお偉いさん。キリリンもっと敬って!』

「大変失礼いたしました。始祖様であることが確認できましたので、これより国賓待遇としてお迎えさせていただきます」

「うむ、苦しゅうない」

 会話の最中にも、私は魔法を放ってゴーレムの特性を探知していたのだが、これは本当に高度なゴーレムだ。
 その製作者の力量は、少なくとも私のゴーレム製作の腕は超えている。おそらく私の師匠に匹敵するか、それ以上の技師による作品だと察せられた。そんな高性能ゴーレムに、初代国王の魂が宿っているのか。

『じゃあキリリン、ここからが本題だよ。なんの目的でこの時代に復活したか聞いてみて』

「始祖様。ところで、長い眠りからお目覚めになったようですが、なにゆえこの時代に蘇ったのでしょうか?」

 私のストレートな物言いに、やはり周囲の人達が渋い顔をするが、これ以外何を言えというのだろうか。物事は力業で進めれば、おおよそなんとかなるのである。

「うむ。実はな、我の眠りは、王城の善意計測器と連動しているのである。知っておるか、善意計測器だぞ」

「ええ、王城全体の人の善意を感知し、各区画の善意のほどを測定しているという……」

 確か、ネコールナコールが後宮でパレスナ王妃に嫌がらせをしていた頃に、国王が語っていたことがある。
 王城では善意数値を計測しており、その異常値を察することで、官僚達の不正を簡単に見つけることができると。
 だから、アルイブキラの国政は、長い年月を経ても腐敗せず正常を保っていられるのだと。

「そうであるな。その善意数値がこのたび看過できない異常値を出した。それにより、我が長き眠りから目覚めたのだ。国に不正あれば、我が目覚め、それを正す。そのために我はこのゴーレムに魂を宿し、世界に還ることなくこの王城で眠り続けていたのだ」

 なるほど。私は古語が多分に含まれていた、その始祖の言葉を皆に話した。
 すると、官僚の一人がこの王宮最奥区画の壁に存在する、魔法モニターを確認に走る。

「異常値発見! これは……王城の成分が火のパラメーターに振り切れています」

 それを聞き、パレスナ王妃を除いた王族達が「あっちゃー」といった表情を浮かべた。

「なになに? どういうこと?」

 パレスナ王妃がきょろきょろと周りの王族を見回し、疑問符を頭に浮かべた。
 国王が、そんなパレスナ王妃に説明する。

「ほら、炎の樹が生えただろう? あれから発する力が強すぎて、善意計測器で異常値を叩き出しちゃったんだよ」

「あ、なるほど。そういうことね!」

「ふむ。幼子よ。どういうことだ?」

 国王達の会話を聞いていた始祖が尋ねてきたので、私はこれまでの経緯を語り始める。

「初めから説明しますと、この国の騎士が世界樹の『最前線』におもむき、多大な成果をあげて世界樹の枝を持ち帰ってきました」

「ほう、この時代の戦士も、なかなかやるではないか」

「それで、世界樹の枝を王城の植物園に植えたのですが……一週間前に天界の門が開き、火の神が世界樹の枝の隣に炎の樹を植えたのです」

「そのようなことが……なぜ火の神は炎の樹を我が国に植えたのだ?」

「それは……なぜでしょう。国王陛下、なぜ火の神は炎の樹を植えたのですか?」

 私は、横で会話を聞いていた国王に話を振る。

「ああ、それねー。なんでも、世界樹の枝を植えるほどにすごいことをしたこの国を火の神が、重点的に観察したがっているからだって、ヤラールトラールが言っていたよ。この国へ治療に訪れる天使が増えれば増えるだけ、火の神の視界が広がるってさ」

 私は国王が言ったことをそのまま始祖に伝える。

「なるほど、それが真実であるならば妥当である。しかし、本当に真実なのかはこの目で確かめる」

 始祖はそう言って、私から視線を外し、国王達をにらんだ。

「諸君、これから我は、王城周辺の視察を行なう。本当にこの異常が炎の樹のせいであるか確かめるのと同時に、今のこの国が正しい治世を行なっているか確認するものである。まさか拒否はしまいな?」

 その言葉に皆はしばしざわついたが、王族達はとりあえず始祖の言葉を受け入れる方向でいくことにした。
 今更、建国王などというカビの生えた古い存在に国政をいじられても困るが、視察するだけで満足して大人しくなってくれるならば、言う通りにしようという魂胆であろう。
 その後、王国からは視察団を組み、始祖を各所に案内することがこの場の話し合いで決まった。

「では、本日はもう遅いので、王宮に部屋をご用意します。どうか、ごゆっくりお過ごしくださいませ」

 そう私が言ったのだが、始祖は拒否する構えを見せた。

「今の我はゴーレムであるので、夜も眠りはしない。ゆるりと王城を巡らせてもらおう」

 そう始祖が言うと、横から国王が口を挟んだ。

「夜番の衛兵が何事かと警戒しますので、ご勘弁を……」

「む、そうであるな。いかん、田舎の薬師であった頃の感覚が抜けずに困る。王は無闇やたらに動くべきではないか」

 というわけで、明日は初代国王による王都視察が決まったのだった。
 ……私もきっと、同行する羽目になるのだろうな。



◆◇◆◇◆



 明くる日の朝。元気いっぱいの始祖が「まずは、民が安寧に過ごしているか見たい」と言い出した。そこで急遽(きゅうきょ)、王族及び高級官僚一行は、城下町に繰り出すことになった。私も当然のように同行させられる。
 馬車に乗り込み、王都を回る。
 すると、始祖は「民が幸せそうな顔をしておる。それに、この城下町の発展したさまは、感無量であるな!」と感心しきりだ。

 そして、いくつかの王立の施設を順番に巡っていく。
 本来ならば、王都一番の名所である競技場へ行くところであるが、そちらは残念なことに工事中。

「申し訳ありません。王立競技場は大規模改修中なもので」

 私は馬車で始祖の隣の席に配置されているため、すっかり観光バスの添乗員状態になっていた。

「よいよい。外から見る限りであるが、あの大きさから察することがある。おそらく、民に広く開放しておるのであろう? 民から集めた税を民のために還元する。よい姿勢ではないか」

 工事中なのに外見だけで好感触……!
 さすがは他国でもなかなか見ない巨大競技場なだけある。

 そして、午前も終わりに近づいてきた頃、やってきたのはティニクランドであった。
 ここは、ティニク商会が運営する大規模アミューズメントパークである。
 ティニク商会ということは、当然民営だ。

「これを市井の商人が建てたというのか……。民が富み、国に益を返す。理想的な光景である!」

 なにやら、これもまた始祖の琴線に触れたらしい。
 私達はティニクランドの中に入り、施設を視察することになった。
 まあ、アミューズメントパークの視察でやることと言えば、遊ぶことしかないのだが。

「ふはははは! ストライクである!」

 始祖様、ボウリングで大はしゃぎ。

「しかし、これほどの数の魔法道具、なぜ道具協会が黙っておる?」

 おっと、目の付け所はよいようだ。ティニクランドは私の設計した魔法道具であふれている場所だ。
 私は始祖に説明をする。

「実のところ、道具協会は、遊戯に関しては規制がゆるいのです。なんでも、人が遊んでいる間は子作りを怠るため、人口の増加を抑制できる可能性があるからだとか。この施設の遊具は全て、道具協会の認可を通っております」

「なんと、それは知らなんだ! 知っておれば、我の治世ももっとすんなりといっていたものを!」

 ボウリングで三連続ストライクを取った始祖が、そのように言って悔しがっていたのが印象的だった。
 そして、昼食の時間である。始祖はゴーレムだから食事は取らないと思ったのだが、なんと食事を消化してエネルギーに変える機能が搭載されているらしい。

「このピザという料理、絶品であるな! アルイブキラの食文化は花咲いておる!」

 ……ピザは私が前世の知識でゼリンに伝えた、異世界料理だということは黙っておこう。
 そして、一通りの視察が終わったので、ティニクランドを後にする。

 次はどうしようかという話になり、官僚達は王都名物の温泉に向かう算段を立てていた。
 問題は、金属でできたこの始祖ゴーレムをお湯につけていいかという話だが……。

「この身体は『幹』でも名が知れた魔法師、ウルルチッタが作った高位ゴーレムであるからな! 温泉程度問題はない!」

 チッタという名に、ウィーワチッタである私に周囲の視線が集まる。
 私は、聞き覚えのある魔法名に、苦い顔をして答えた。

「……私の師匠、セリノチッタの三代前の魔女です。弟子オーノチッタに全てをたくし、天界の門をくぐって遠い次元に旅立ったと言われています」

 師匠と同門の作なら、このゴーレムにもろくでもない機能が搭載されていそうだなぁ。
 その機能が発揮される前に、再び眠りについてくれることを望む。

 さて、温泉である。一般市民の訪れる場所が良いと始祖が言いだしたので、王立の公衆浴場に寄ることとなった。
 一般人向けの公衆浴場に、王族と金属ゴーレムが来訪である。当然、騒ぎになったのだが、始祖は笑って浴場に入っていった。
 公衆浴場は男湯と女湯に分かれているため、私はもちろん男湯には同行しない。ただ、ボウリングでパレスナ王妃と王太后が汗をかいていたので、せっかくなので女湯で汗を流すことになった。

 そして、ゆっくりと湯に浸かり、しばらくした後、公衆浴場の入口で始祖達男性陣と合流する。

「はっはっは、始祖ちゃん最高ー」

「ノジーも、よき男(おのこ)であるな! おぬしならば、この国を任せられるというものよ!」

 始祖と国王が肩を抱き合って男湯から出てきた。
 こ、こいつら……仲よくなってやがる。
 裸の付き合いってやつか。通訳の私、いらなかったんじゃあないか?

 始祖と国王は拳を互いにぶつけ合い、仲むつまじい様子を見せた。
 帰りの馬車の中でも、私の通訳を介さず二人で盛り上がっていた。ところどころ会話が通じていないが、ノリで意思疎通をしているのだろう。こいつら、やっぱり血縁だな、などと感じるのであった。

 さて、王城に馬車が帰還し、最後に始祖は、世界樹の枝と炎の樹を見たいと言い出した。
 まあ、見るよな。始祖が目覚めた原因だ。確認しないことには、善意数値がどうこうという話も先に進まないだろう。

 私達は植物園に向かい、炎の樹へと歩いていく。
 本来ならば人の出入りがまばらなはずの植物園も、炎の樹ができてからは人の行き交いが激しい。
 今も、今日の治療を終えたのか、一人の天使がすれ違って植物園を去っていった。

「本当に天使が滞在しておるな」

 そう呟く始祖に、私は答える。

「ええ。世界樹の化身が悪魔を判別しているため、今のところ大事には至っていません」

「ふむ。そうであるか。世界樹教を国教と定めたのは間違いではなかったか」

 ああ、国教を決めたの、初代国王だったのか。世界樹教は今も真っ当な宗教団体なので、英断だったのだろう。
 やがて、一行は炎の樹の前に到着する。
 炎の樹の周辺では、今ものんびりと森林浴ポーズを取る天使が幾人かいた。夕方なので、その数は少ないのだが。
 と、ほっこりしていると、突然始祖の方から異音が響いた。
 何事かと見てみると、始祖の右腕から何やら刃物が飛び出して鎌の形を取っていた。

「ネコールナコールぅぅぅッ!」

 そう叫んだ始祖が、鎌状の刃を構えて炎の樹に向けて走り出した。
 始祖の視線の先。そこにいたのは、いつの間にか五体満足な身体を取り戻した天使、ネコールナコールだ。

「ぎゃわー! もしやクーレン!?」

 ネコールナコールが始祖ゴーレムを見て、悲鳴をあげる。
 あっけにとられる私達をよそに、ネコールナコールを凶刃が襲うのであった。



[35267] 112.英雄復活スレイヤー系熱烈歓迎大団円<4>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:9571a6fe
Date: 2020/11/06 18:22
「させないよ!」

 金属と金属が打ち合わされる音が響く。
 始祖の動きを唖然として見送るしかなかった私達の中で、唯一動いてネコールナコールをかばった者がいた。
 それは、国王。
 彼は腰に帯びていた愛剣をとっさに抜き、気功術で急加速して始祖とネコールナコールの間に身体を割り込ませたのだ。そして、剣で始祖の右腕にある刃……鎌を防いでいた。

「……なにゆえ邪魔をする」

「邪魔するさ。正直、二人が会うとこうなるって、ここに来る途中で気づいていたんだよね」

「おぬしは知らぬだろうが、そやつはかつて我が民をそそのかし、大乱を引き起こした毒婦であるぞ」

「知ってるよ。天使に化けていた悪魔だったってこともね! でも、今は改心して天使になっているよ」

「ネコールナコールが改心? 笑わせおる。おぬしは騙されておるのだ」

「大丈夫、こいつは今、悪いことができなくなっていてね」

「聞く耳持たぬ。そやつは滅ぼさねばならぬ。邪魔をするなら……我が子孫とて刈るぞ」

「聞く耳持って!?」

 始祖は勢いよく鎌を振るい、国王がそれを剣で受け止める。
 そこから二人の激しい攻防が始まった。

 主に、始祖が斬って国王が受けている。
 別に国王は、始祖を傷付けまいとしているわけではない。単純に技量差で攻めあぐねているのだ。
 騎士オルトに模擬戦で幾度も勝利を重ね、王国最強と言われている国王が、始祖には太刀打ちできていない。

 周囲で見守っている衛兵や近衛騎士達も、国王に加勢しようとする姿勢は見せているのだが、あまりにも二人の戦いが速すぎて入るタイミングを失ってしまっている。
 誰も助けに入れないまま、二人は数十合、武器を打ち合わせていた。

「やるな、我が子孫よ」

「ぬわぁ!?」

 国王の肩口に鎌がかすり、服が裂け国王の肌が露わになる。後少しでも深く入っていたら、危なかっただろう。
 国王は闘気で身を守ってはいるが、始祖の刃にも強い魔力が宿っているので、おそらく斬られれば骨肉が断たれる。

「だが、まだ練度が甘い!」

 そう言って、さらに攻撃の速度を速める始祖。これに耐えかねた国王が下した判断は――

「助けてキリリーン!」

「よしきた!」

 私はタイミングを計り、横合いから斧を始祖に向けて叩きつけた。
 実は、二人が戦っている間、私に出番が巡ってくるかもしれないと思い、空間収納魔法で斧を取りだして少しずつ二人に近づいていたのだ。
 斧をとっさに鎌で受けた始祖は、大きく吹き飛んだ。

「なにやつ!? むう、おぬしは侍女の幼子ではないか!」

 始祖が金属でできた目でこちらをにらむ。
 私はその視線を無視して、国王と始祖の間に身体を割り込ませた。

「国王は下がっていてくれ。王城で国主が討ち死にとか、シャレにならん」

「いつもすまないね、キリリン」

「良いってことさ」

 国王は炎の樹の横にいるネコールナコールのもとへと向かっていき、さらにその国王を囲むように近衛騎士が位置取りを変えた。
 よりによって信者である武装衆がいない時に襲撃されるとは、ネコールナコールも運が悪いな。まあ、始祖の強さを見るに、武装衆では束になっても始祖には敵わないだろうが。

 そんなことを思いつつ、私は吹き飛んで距離が離れた始祖と向かい合う。

「幼子、貴様も邪魔立てするか」

「ああ、選手交代だ。ネコールナコールのもとに向かいたいなら、私を倒すんだな」

「おぬしは我が子孫ではない。その首、落としても構わぬのだぞ」

 そう言って、始祖は私に向けて高速で踏み込み、宣言通り首に向けて鎌を一閃してきた。
 音を置き去りにした素早い一撃。そこらの戦士では、反応もできずに首を落とされていただろう。
 だが、私はそこらの戦士ではない。

「ぬうっ!?」

 始祖の鎌が、勢いよく弾かれる。弾性のある魔法障壁で防いだのだ。
 その隙を狙い、私は斧を振り下ろす。始祖はそれを咄嗟に下がって避けようとするが、肩口へわずかに斧がかすった。
 だが、私の腕力は、そのわずかな当たりでも十分な威力を発揮する。始祖は後ろへ弾かれるように吹き飛んだ。

「ぬううううっ! おぬし、魔法使いか!」

「残念、怪力魔法ウォーリア系戦闘侍女だ」

「面妖な!」

 今度は始祖が攻めあぐねているのか、吹き飛んだ場所から距離を詰めてこようとしてこない。
 そんな彼に向けて、私は言った。

「さて、相手が人間なら私は手加減するしかないのだけれど、ゴーレムなら話は違う。手足の一本や二本や三本や四本、落としても構わないよな」

「笑止! 幼子ごときの斧が我に届くか!」

 幼子じゃなくて、実は三十歳の脂が乗っている魔法戦士だがな。
 正直、我が事ながら見た目詐欺すぎると思う。

「ああ、核は頭にあるようだから、首を落として身体は潰そう」

「大言を吐きよる」

 こうしてわざわざ口に出して破壊部位を宣言しているが、実のところ始祖に向けての言葉ではない。
 このゴーレムを始祖と崇めている王族達に向けて私は言っているのだ。壊しても構わないか、と。
 反対意見が飛んでこないあたり、本気で攻撃しても問題はないらしい。

「姫、加勢します!」

 と、そこで近衛騎士達が私の援護に入ろうとする。
 だが、国王がそれに待ったをかけた。

「駄目だよ、みんな。本気のキリリンに近づいたら、巻き添えでミンチになるよ」

 その言葉に、近衛騎士達が納得して引き下がる。
 国王は私のことがよく解っているな。私の腕力は際限というものがなく、本気で斧を振るったなら、風圧だけで人が傷つく危険性すらある。人相手には殺してしまうので使えない、力任せの蛮族的な戦い方が私の一番得意とするところだ。

 私は斧の柄を強く握りしめた。
 想像する。私は神獣。私は原初のドラゴン。私はキリンジノー。竜の魔人であることを自覚すると共に、全身に力がみなぎってくる。

 その一瞬の集中を隙と見たのか、始祖が勢いよく飛び込んでこようとする。
 だが、甘い。

「ガアアアアアアアアッ!」

 私は喉の奥から、魔力のブレスを吐き出した。
 純粋な破壊の魔力を乗せた、ドラゴンブレスだ。熱や冷気のブレスは相手が金属のため、逆に触れたらこちらが危険になりそうだったので、破壊のブレスだ。

 しかし、ブレスの奔流の中をなおも始祖は走り抜けてきた。
 そして、腕狙いの一撃を放ってくる。だが、ブレスでその勢いは落ちている。私は下からかち上げるように斧で鎌を打ち払った。

「!?」

 国王と始祖の戦いの時のように武器と武器を打ち合わせても、力が拮抗したりはしない。私の怪力により、始祖の鎌は大きく上に弾かれた。鎌は腕と一体化しているため、始祖は腕ごと後ろへのけぞる形になった。
 上体が開いて隙ができた。私は呼吸を整え、力一杯斧を振り下ろす。
 始祖はとっさに、弾かれた方とは逆の腕に鎌を生やし、その一撃を受けようとした。

「ぬう!?」

 だが、鎌はひしゃげ、防御は意味を成さず、斧は肩口に命中する。金属でできた始祖の左腕が、切り離されて宙を舞った。
 さらに私は斧を横薙ぎにし、腰にぶち当てて上半身と下半身を両断する。
 自らを支える脚を失い始祖が地面に倒れたところで、念のため右腕もぶった切っておく。

 始祖の身体に残されたのは、頭と胴体のみ。勝負ありだ。

「なぜだ! なぜ我が友ウルノチッタの至高の鎌が打ち負けるのだ!」

 始祖が何やらそんなことを叫んでいる。ああ、あの鎌も師匠の一門が作った武器だったのか。

「この斧は、庭師であった私が十五年かけて世界を巡り、様々なエンチャントを各地の魔法使いにかけてもらった至極の一品だ。その魔法使いの中に、ウルノチッタとかいう人よりもすごい腕を持つ人が混じっていたのだろうさ」

「庭師……十五年だと?」

「あと、勝因は腕力」

「魔法でも闘気でもなく、ただの腕力であると? おぬし、ただの幼子ではないな!」

「あー、今年で三十歳になる魔人だ。よろしく」

「ぬうう……」

 とりあえず、私はこれ以上ゴーレムが余計な機能を使ったりしないよう、魔法的な封印を始祖に施すことにした。
 それを確認したネコールナコールが、恐る恐るこちらに近づいてくる。
 そして、地に倒れた始祖を見ながら、おもむろに口を開いた。

「……ひどい有り様じゃの、クーレンよ」

「ぬう、悪魔の毒婦に引導を渡せないのが、口惜しいのである!」

「それは誤解なのじゃ。妾はすでに人の言う悪魔ではない。上位存在から指令の変更を受け取り、天使になったのじゃ」

「…………」

「もうおぬしにも、そしておぬしの子孫にも害を与えようとはしておらぬぞ。そもそも、おぬしが妾の生首の上に城など建て、善意計測器などをつけるものだから、上から善意が妾に際限なく注がれることになったのじゃ。おかげで、人に対して悪いことをしようとする気持ちがこれっぽっちも湧いてこぬ」

「……そのような妄言、信じられぬ」

「ぬああ、どうすれば信じてもらえるのじゃ!」

 ネコールナコールが頭を抱える。まあ、それだけあんたが八百年前、始祖に対しひどいことをしたってことだ。自業自得だな。
 だが、そんな彼女に助け船を出す者がいた。

「私が証人になるよ! ネコールナコールちゃんは天使だって!」

 現れたのは、世界樹の化身だ。
 第三者の出現に、始祖はいぶかしげな表情を浮かべる。

「なんであるか、この幼子は」

「もう、私の姿くらい、貴方が建てさせた教会で見たことあるでしょー! 世界樹の化身だよ!」

「お、おお……確かに……世界樹でありましたか」

 そうして世界樹の化身がなんとかとりなし、始祖とネコールナコールは和解することになった。
 地に横たわる始祖をネコールナコールがそっと抱き上げ、そして言う。

「かつておぬしを陥れようとしたことは、後悔していないのじゃ。それが上位存在の指示だったからのう」

「おぬし、本当に和解する気があるのか!?」

 そんな様子をいつの間にかやってきて見ていたのか、天使のヤラールトラールと、目が再生したメキルポチルが呆れたように言った。

「上位存在の言いなりとは、若い端末にありがちな愚かさですね」

「全くだ。嘆かわしい」

 それを聞いたネコールナコールが、怒りの表情を見せる。

「なんじゃあ、おぬしら。喧嘩なら買うぞ! ……穏便な手段で!」

 そこでへたれるあたり、ネコールナコールは本当に荒事に向かなくなっているのだな、と実感する。
 そうして、始祖が復活してからの二日目は、どうにか平和に終わることができたのであった。



◆◇◆◇◆



 全身を私に破壊された始祖だが、そのボディの修復は、師匠を始めとする宮廷魔法師団が受け持つことになった。
 八百年前のゴーレムだが、そこに使われている技術は、今や失伝してしまったものが混ざっているらしい。師匠達は喜び勇んで、一ヶ月で修復を終えてみせると宣言した。

 だが、そこに待ったをかけるのが国王だ。

「その一ヶ月って、ほとんどが解析作業でしょ? そんなことは後回しにして、応急処置で良いから手足をくっつけてあげてよ。相手は建国王だよ?」

 国王の指摘は図星だったらしく、宮廷魔法師達はしぶしぶと修復作業にかかりだした。
 私に切断された下半身と両腕は、あっさりと二日でくっついた。

 そして、食事をエネルギーに変える機能は損なわれていなかったらしい。
 国王主催の晩餐会で食事を取りながら、始祖はしみじみと国王に向けて語った。

「我に敵対してでも仲間を守る、そのノジーの姿勢は素晴らしい。おぬしならば、今後のこの国を任せられるのである。我は、完全に身体の修復が終わり次第、また眠りにつこうと思う」

「そっか。完全な修復まで後一ヶ月かかるっていうから、存分に今のアルイブキラを楽しんでいってよ」

「うむ。どうこの国が発展したか、さらに見るのが楽しみである」

 国王は始祖の使う古いアルイブキラの言語に慣れてきたのか、今では私を介さずに仲むつまじく会話を交わしていることが多い。
 まあ、言葉が半端に通じていなくとも、国王はノリと勢いでどうにかするのだろうが。

「そこでなんと、次の休日に、とある催し物があるよ。キリリン、渡してあげて」

「はい」

 私は始祖の席に近づくと、彼のテーブル席に一通のメッセージカードを置いた。

「おお、魔人の幼子か。いや、幼子ではないのであったな」

「ええ、今年で三十歳になります」

「そうか。今まで失礼した。ところで魔人の淑女よ、このカードは?」

「ホームパーティの招待状です」

「ふむ?」

 カードを手に取り、文面を眺める始祖に、私は説明を入れた。

「以前、国王陛下から、王都に小さな屋敷を褒美にいただいたことがありまして。それのお披露目と、私の侍女就任一周年を記念しまして、ホームパーティを開くことにしました」

「キリリンってば、屋敷を与えてから二ヶ月も経つというのに、ようやくお披露目をするんだって。笑えるよねー」

 そう言って国王は私を指さして、本当に笑い出した。
 いや、仕方ないではないか。休日しか家に帰って家具を揃えられないというのに、ここ二ヶ月はテアノンの訪問だの、女帝と元勇者のカード化だの、炎の樹が生えてくるだの、始祖が復活するだので忙しかったのだ。
 パーティの準備に二ヶ月かかっても、私に非はないのだ。

「ほう、ホームパーティか。それはそれは。ぜひとも参加させていただこうではないか」

「ありがとうございます。当日は国王陛下とご一緒においでくださいませ」

「はっはっは、王が参加するホームパーティであるか。アルイブキラがまだ田舎者達による、小さな集団だったころを思い出すのである」

「いやあ、国王陛下がどうしても来たいとごねまして。それならば、始祖様が来ても問題はないかと思い至りました」

「うむ、この時代のよき思い出とさせてもらおう」

 そういうわけで、天界の門出現から始まった一連の騒ぎは終わりを告げ、また平穏な日々が始まる。
 私は来たるホームパーティに思いをはせ、その参加メンバーを想像し……どうか無事に終わりますようにと、世界樹でも火の神でもない何かに祈るのであった。



[35267] 113.英雄復活スレイヤー系熱烈歓迎大団円<5>
Name: Leni◆d69b6a62 ID:9571a6fe
Date: 2020/10/28 22:22
 夏の季節もいよいよ終わりに近づいた、五月三十六日。今日は週に一度の休日であり、天気予告は晴れ。ホームパーティの当日である。
 正午になり、さほど広いとは言えない私の屋敷に、多数の人が詰めかけた。
 食堂には全ての人が入りきらず、食堂に繋がる外のテラスも開放し、密度の問題をなんとか解決した。

 招待客は、以下の通りだ。

 王族から、国王、パレスナ王妃、王妹ナシー、始祖クーレン。
 同僚侍女から、メイヤ、リーリー、サトトコ、マール、ビアンカ。
 侍女宿舎から、ククル、カヤ嬢。
 後宮出身者の中でも特に仲の良い、ハルエーナ王女、トリール嬢。
 呼べとうるさかった天使勢、ネコールナコール、ヤラールトラール、メキルポチル。
 王都の知り合いで、商人ゼリン、娘カーリン。
 ついでに私に付属している、キリンゼラー(使い魔)、世界樹の化身。

 もうこの人数は、ホームパーティの域を超えていないか? と疑問に思うのだが、皆から出席したいと請われたので断るわけにはいかなかった。
 さらに、護衛として近衛騎士や武装衆が屋敷の周囲を固めているため、彼らにも適時差し入れを用意してやる必要があるだろう。
 ちなみに近衛騎士団からは、誰も今回のパーティに招待していない。あいつら酒が入るとうるさいからな。
 なお、師匠は、騒がしすぎるのは性に合わないと出席拒否してきた。

「えー、皆様、本日は、私の屋敷のお披露目ということでございまして、わざわざ皆様においでいただき――」

「キリリーン! 堅苦しい! 敬語キモいから、今日くらいは砕けて砕けて!」

 挨拶をしようとしたところで、国王からの野次が飛ぶ。
 本当にこいつは……。
 私は仕方なしに、休日で業務時間外と割り切って、敬語を使うことをやめた。

「えー、みんながいるこの小さな屋敷が、私の新しい家だ。とは言っても、今後も王城の宿舎に住むので、ここは時々帰ってくるだけの場所だ。というか、もはや師匠のマイホーム状態だな。師匠の工房があって危険なので、みんな三階には近づかないように!」

 今度は野次が飛んでこない。この調子で良いようだ。ちなみに工房の中には、師匠の趣味である可愛いぬいぐるみとかがいっぱい並んでいる。見せられるならみんなに見せてやりたいくらいなのだが、魔法道具の誤作動が怖すぎるので、本日は魔法で階ごと施錠済みだ。

「そして、今度の六月で、私が王城侍女になって一年が経つ。なので、私は自称新米侍女を卒業し、これからは中堅侍女を名乗りたいと思う」

「目指せ、王宮のお局様!」

 おいおい、今度はパレスナ王妃から野次が飛んできたぞ。始まる前からテンション上げまくっているな、この国王夫妻。
 というか、このまま行くと、私は王城侍女を老後まで続けることになって、本当に侍女で最年長のお局様になってしまう。由々しき事態だ。
 あ、でもフランカさんがいるか。フランカさんが引退するまでは彼女と、そして侍女長がお局様だ。恐ろしいので口にはしないが。

「今日は午後いっぱいずっと騒ぐので、最初はどうかお酒は控えてくれ。いきなり酔い潰れてはつまらんからな。代わりに、私の前世の料理を少しずつ出していくぞ! この日のために作った料理ゴーレムが、厨房で大回転だ」

「はいはーい、お菓子は出ますか?」

 質問をしてきたのは菓子職人のトリール嬢だ。
 やけにホームパーティに来たがっていると思ったら、やはりお菓子が目的だったか。

「しょっぱいお菓子も甘いお菓子も、たくさん用意してあるぞー」

「わあー!」

「それじゃあ、パーティを始めるぞ! 侍女のみんなはちょっと厨房に料理を取りにいってくれ!」

 堅苦しいパーティじゃないので、使用人を雇って配膳をするなどということはしない。
 使える者は使うということで、客に料理を運ばせるスタイルだ。相手が貴族だろうと、私は気にしない。

 そして、私が厨房に向かうと、侍女だけでなく王族もぞろぞろとついてきた。

「ん? どうした?」

 私はかたわらを歩く国王に尋ねた。

「いや、手伝おうと思ってね」

「殊勝な心がけだが、そういうことやると他が恐縮するので控えてくれ。ほら、カヤ嬢が緊張しまくって震えている」

「ひいっ!」

 私に話題を振られ、カヤ嬢の震えがさらに強まった。
 そんなカヤ嬢に、国王が挨拶をする。

「どうも。キリリンの同室の子だっけ? 俺、サリノジータ。よろしく」

「よ、よろしくお願いいたします……」

「そんなに緊張しないでー。今日の俺っちのことは、ただのキリリンの親友のお兄さんとでも思ってくれれば良いよ」

 そんなやっつけ気味の自己紹介に、カヤ嬢の隣にいたククルがツッコミを入れる。

「陛下はもうおじさんだと思う」

「おっ、こいつ言ったなー」

「きゃはは!」

 実は国王とククルは親しい知り合いである。私と国王が近衛騎士となる勇士を探して国中を巡っていた頃に、バガルポカル領に何度も寄っていた。その縁で、国王は領主でありククルの父でもあるゴアード侯爵と、深い交流を持っていたのだ。
 だから、こうしてプライベートになると途端に態度が砕けるのである。

「さて、厨房にある皿を適当に運んで行ってくれ」

 厨房に入ると、そこには三体の料理ゴーレムが、今も料理を作り続けていた。
 完成している皿の料理は、とりあえずということで軽食だな。さらに、ピッチャーに冷たいお茶や果実ジュースが淹れてあるので、これも運んでもらう。

 そしてみんなで連れ立って食堂に戻る。
 食堂とテラスのテーブルに料理を並べていき、「自由に飲み食いしてくれ」と言って本格的にパーティを始めた。

「ちょっと、キリンさん! 陛下がいらっしゃるなんて、聞いておりませんよ!」

 カヤ嬢がお茶のコップを片手に、私に詰め寄ってくる。

「ああ、言ってないな」

「言ってくださいまし!」

「いやあ、その方が面白いかと思って」

「心臓が止まるかと思いましたわ!」

 どうやらサプライズは失敗したらしい。以前のお茶会ではパレスナ王妃と仲よさげに話せていたから、国王とも上手くやると思っていたのだけれどな。まあ、パーティの最中に仲よくなるだろう、きっと。
 私はとりあえず、カヤ嬢に軽食を勧めて気分を落ち着かせた。

「おーい、キリンよー」

 と、誰かに呼ばれた。
 私は声のした方を振り向くと、天使が三人組を作って、大皿に載ったフライドポテトを食べていた。

「どうかしたか?」

 そちらに向かうと、ネコールナコールが代表して言う。

「熱い飲み物はないかの? 冷たい飲み物は、妾達端末には合わないのでな」

「あー、失念していたな。今、ゴーレムに熱い茶を用意させたから、厨房から取ってくる」

 私が厨房に向かうと、「手伝いますね」と声がして、背後に突如、何者かが出現した。
 あせって振り向くと、そこにいたのはカーリンであった。

「びっくりした。人の気配が多すぎて、カーリンの気配を掴めてなかったよ」

「ふふふ、久しぶりに驚かせられましたね」

 厨房に入ると、大きめのポットに茶が用意してあったので、それを私が持つ。
 さらに、完成した料理の皿がいくつかあったので、そちらはカーリンに持ってもらう。

「ところで、今回の招待客にカードをやっている人いますかね?」

「んー、ハルエーナ王女と、あと初心者だが侍女のビアンカっていう一番小さい子がやっているな」

「うっ、隣国の王女様ですか。……いえ、女は度胸です。交流を持ってみせますよ」

 そして食堂に戻ると、私は天使達にお茶のポットを渡した。
 早速コップに茶を注いだ天使達が、同時にコップに口をつける。

「うむ、やはり茶は熱い物に限る」

 そう言ったのは、メキルポチルだ。炎の樹の力ですっかり目は治っていて、眼帯はもうつけていない。
 そんな彼女の様子を見ていると、ふと忘れていたことを思い出し、その場で空間収納魔法を私は使った。

「メキルポチル。遅くなったが、母への手紙だ。持っていってくれ」

「ん? ああ、確かに受け取った。しかと届けよう」

 メキルポチルはその特徴的な民族衣装の胸元に、封筒をしまった。服の内側にポケットでもあるのだろうか。
 さて、カーリンはどうなったかな、と周りを見回してみると、どうやらテラスのテーブルで、ハルエーナ王女と一緒にカードゲームに興じていた。
 その周囲にはビアンカだけでなく、王妃付き侍女一同が集まっており、メイヤが時折解説を入れている様子が見てとれた。すると、そこにゼリンが近づいていって、さらに詳しい解説を入れる。さすがTCG開発者の一人、異様に詳しい。
 皆、ゼリンとは面識があるため、オネエ口調の強烈なキャラクターに怯むことなく、そのカード知識に感心していた。

「キリンさん、軽食もいいですが、お菓子はー?」

 と、今度はトリール嬢が私に絡んできた。
 お菓子か。ゴーレムと通信すると、一品完成したようなので、こちらに直接それを運ばせた。
 テーブルの上に、皿が並べられる。

「前世のお菓子、マカロンだ」

「う、うわー! なんですかこれー! こんなに可愛いお菓子があっただなんて!」

 前世の実家の都合で中華料理が得意な私だが、実はマカロンも作れる。
 というのも、父の後を継ぎ中華料理人となった前世の兄は、洋菓子が好きでよく買って食べていたのだが、マカロンは買うと高いということで、私と兄の兄弟二人でマカロンを家で手作りしていたのだ。

「ほわーほわー。美味しいですー!」

「そうかそうか。でも、本格的な料理もこの後出てくるので、食べ過ぎないようにな」

 そう言って私はトリール嬢から離れ、王族達のもとへと向かった。
 そこでは、始祖が興味深そうに、皿の上の軽食を次から次へと口の中に収めていた。

「今のアルイブキラでは、このような料理が広まっておるのか……」

 いや、私の前世の料理ばかりなのだが……。国王の奴、面白がってネタばらししていないな。
 私は溜息をついて、始祖に料理の説明をし始めた。

「それは、アルイブキラの料理じゃないぞ。私の前世はこの世界とは異なる次元の人間だったので、そこの料理だ」

「ふむ? 異なる次元であるか?」

「天界の門の向こう側にある、遠い世界だ」

「そのような場所があるのか。我も知らないことばかりであるな」

「この後もいろいろ異世界料理を出すので、楽しみにしていてくれ」

 そして、料理ゴーレムから本格的な料理ができあがったと連絡が来たので、また侍女達を呼んで食堂とテラスまで料理を運んでもらった。
 今日のメインテーマは、アルイブキラの食材で作る本格中華である。
 この国では香辛料が安価で手に入るので、かなり再現度は高いと自負している。

「うわー、なにこれ! ナシー! 食べさせて!」

 担々麺(本格なので汁なしだ)を前に、キリンゼラーの使い魔が王妹のナシーに催促をした。
 キリンゼラーの奴、サイコキネシスで食器を自在に操れるというのに、麺を前に臆しやがった。

 長い麺の料理って、ここいらではほとんど食べられていないから、キリンゼラーも馴染みがなくて困ったのだろう。
 一方、ナシーは昔、私が何度もラーメン等を作って食べさせていたので、担々麺程度に驚くことはない。
 ナシーはフォークで器用に麺を巻いて、使い魔の口に運んでいった。

「ぴりっとして美味しー! やっぱりキリンについてきてよかったー!」

 私の価値は料理で決まるのか……。姉の生まれ変わりだと騒いでいた頃が懐かしいよ、まったく。

「そんなに美味しいのか? では、私も一口」

「あー、私が全部食べたかったのにー」

「他にも料理はあるのだ。独り占めせずともよいだろう」

 ナシーと使い魔が仲よく二人で料理を分け合う姿は、どこかほっこりとさせるものがあるな。
 今回あえてオルトの奴は呼んでいないので、ナシーには色々な人と交流を持ってもらいたいものだ。ナシーって、意外と交友関係が狭いからな。

「キリンちゃん、お酒が飲みたくなってきちゃったのだけれど」

 ふと、カード対戦の場から離れて水餃子を食べていたゼリンが、そんなことを私に言いだした。
 酒かー。まあ、度数の低いやつから並べていくかな。

 私は料理ゴーレムに厨房から酒を運ばせると、一気に面々のテンションが上がりだした。

「あえて言うが、飲み会じゃなくてホームパーティだからな!」

 私のその言葉を聞いているのかいないのか。
 皆コップを取りだして互いに酒を注ぎ合い、あちこちで乾杯の合図が交わされ始めた。

 これには、お酒の飲めない年少組も苦笑するしかない。
 年少組と言えば、見た目幼い世界樹の化身の姿を見ていないな、と私は周囲を確認する。

 すると、世界樹の化身は何やらパレスナ王妃に絡んで、ドレスを引っ張って何かを叫んでいた。

「駄目ー、駄目だよー。パレスナちゃんは、お酒飲んじゃ駄目だよー」

 その行為に、コップを片手に持ったパレスナ王妃は困惑するばかり。

「ちょっと飲むくらい良いじゃないの。送り迎えは来るのだし」

「そうじゃないよー。パレスナちゃんには、カード絵のお礼で特別に強靱な魂をあげたから、もうお酒飲んじゃ駄目!」

 んん?
 何か、聞き捨てのならないことを聞いたような気がするぞ。

 私はパレスナ王妃達のもとへと向かい、世界樹の化身から詳しい話を聞き出そうとする。

「魂をあげたって、どういうことだ?」

「えーとね、パレスナちゃんのお腹に、魂を入れたの」

「それって……」

 私とパレスナ王妃は、思わず互いに顔を見合わせた。

「きっと、元気な女の子が生まれるよ!」

「……ええー! 私、妊娠しているの!?」

 パレスナ王妃の大きな声が、食堂全体に響きわたった。
 雑談でざわついていた場が静まりかえり、何事かと周囲の目が集まった。

 私はその周囲に向けて、今判明したばかりの事実を言った。

「パレスナ様、ご懐妊です」

 すると、歓声が一斉に上がり、皆がパレスナ王妃の周りに押し掛けた。
 そして再び世界樹の化身から、子供が生まれてくるために必要な魂分与の作業をパレスナ王妃に対し行なったことが述べられ、場は懐妊祝いの会に変わった。

 祝いの酒をさらに追加すると、乾杯の合図が止まらない。料理も次々と追加され、皆大いに飲み、大いに食した。
 そして、妊婦と判明したパレスナ王妃は一人、酒からは遠ざけられ、幼少組と一緒にお菓子を食べて吉事を祝った。

 そうしてホームパーティは夕方まで続き、皆、楽しい時間を過ごした。
 私は、こんな平和な時間がいつまでも続くと良いなと、幸せそうに笑う国王夫妻を見ながらしみじみと思う。

 こうして、私の新米侍女としての一年は、無事に終わりを迎えたのであった。



 英雄復活スレイヤー系熱烈歓迎大団円<完>

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次回、エピローグです。



[35267] 114.これからの私に贈る幸せなエピローグ
Name: Leni◆d69b6a62 ID:9571a6fe
Date: 2020/11/06 18:25
 王宮の廊下に用意された椅子へ、私は座る。隣には国王の姿もある。
 国王はずっとそわそわとした様子で身体を揺すっており、落ち着きがない。
 かく言う私も、さほど心の落ち着きはなかった。

「大丈夫かなー。大丈夫かなー」

 かすれた声で国王が言う。

「大丈夫だ、一流の産婆と魔法医師が付いているんだ。パレスナ様には万に一つもないだろうさ」

「パレスナは無事でいられても、子供の方がさー」

 そう、現在、パレスナ王妃は出産の真っ最中である。
 この国の貴族の伝統では、出産の場に医者以外の男は立ち入れない。初代国王時代からの習わしらしい。
 なので、国王はこうして部屋の外に追い出され、出産の成功をただ祈りながら待っているのだ。

 ちなみに私は、国王の様子を見守っていてくれと言われて、他の王妃付き侍女達に部屋を追い出された。私が首席侍女だというのに。

「世界樹の化身が、強靱な魂を与えたって言ったからな。丈夫な子が生まれるよ」

 私は国王を元気づけるようにそう言った。
 魂と肉体は密接に関わっている。魂が強ければ、丈夫で病気にかかりにくい人間になるのだ。
 私の身体には前世の地球人としての魂だけでなく、神獣キリンジノーの魂の要素が含まれているから、魔人としてこれだけ強靱でいられているわけだしな。

「本当!? 本当だよね!?」

 そんなことを言いながら国王が私の肩に掴みかかり、がくがくと揺さぶってきた。
 おおい、ドレスがシワになるだろう。この戦闘侍女の魔法ドレス、結構お高いんだぞ。

 私は国王をなだめすかせて、立ち上がっていたところをなんとか椅子に座り直させた。

「大丈夫だ。世界樹が言っていた。世界樹を信じろ」

 と、そう力説した瞬間だ。

『言ってないよ! 私ができるのは強い魂を与えるところまでで、子供が無事に産まれてくるかどうかは、責任持てないよ!』

 などと世界樹から神託が届く。だが、私はその神託を無視して、世界樹を信じろと言い続ける。
 やがて、国王はなんとか落ち着きを取り戻したのか、腕を組み沈黙し始めた。うん、困ったときの神頼みはやっぱり有効だな。

『後で覚えていろよー』

 はいはい、後で構ってやるさ。
 さて、そんな感じでしばらく国王と無駄話をしていると、廊下の向こうから一人の女性がこちらに歩いてきた。
 その女性は腕に赤ん坊を抱えており、服装は一般的な貴族女性のドレスを着ている。

「もう産まれましたか?」

 こちらにそう尋ねてきた女性は、フランカさんだ。
 彼女は実家で男の子を出産した後、ある程度落ち着いたところで王都に戻ってきた。しかし、まだ侍女には復帰していない。王城の園丁である夫と一緒に王都の屋敷で暮らしており、日々子育てを頑張っている。

 私はフランカさんに答える。

「いや、まだですね」

「そうですか。産まれてくる女の子に、この子を早く会わせてあげたかったのですが」

「ふむ? 将来の側近候補として早めの面会ですか?」

「いえ、男の子と女の子なので、早く顔を合わせたら将来恋人同士になってくれないものかと」

「鳥のヒナの刷り込みじゃないんだからさぁ!」

 私がツッコミを入れると、フランカさんはクスクスと笑った。
 すると、国王が勢いよく立ち上がって言った。

「駄目だ! そこいらの男に娘はやらん!」

「おい国王、まだ産まれてすらいないのに、やっかいな男親ごっこはやめろ」

「ごっこじゃないよ!?」

「本気なら、将来娘に嫌われるぞ……」

「それは嫌だー!」

 そんな国王と私のやりとりを笑って見ていたフランカさんは、廊下に並べられていた椅子にゆっくりと座った。
 私は暇なので、フランカさんが抱く赤ん坊の顔の前に指を持っていって、ぐるぐると回して遊んだ。
 キャッキャと赤ん坊が笑う様子に、私は癒される。
 可愛いなぁ。産まれてくるパレスナ王妃の子供も可愛いんだろうなぁ。

 私がそうしてほっこりした気分になっていると、再び誰かが廊下の向こうから小走りでやってくるのが見えた。

「もう産まれた!?」

 金髪のドリルヘアーを揺らして叫んだのは、モルスナ嬢だ。
 そのお腹は膨らんでおり、妊娠中なのが見てとれた。
 実は彼女、昨年に漫画のアシスタントとして雇った画家と電撃結婚をしたのだ。そして結婚後にすぐ妊娠した。
 公爵家出身の彼女が平民の画家と結婚したということで、当時は大いに騒がれたのだが、私としては本人が幸せならそれで良いと思っている。

「まだですよ。モルナ先生も身重なのですから、そう激しく動き回らない方が良いですよ」

 そう言って、私はモルスナ嬢に着席を促した。

「誰がモルナ先生か」

「ホルムスの漫画で世界的な大ヒットを飛ばして、今や世界のモルナと呼ばれているゼンドメル・モルナ・エヒメル大先生です」

「やめてよねー。ただでさえ顔が知られて、道行く人にサインを求められるんだから。今日の私はマンガ家のモルナではなく、パレスナの叔母のモルスナよ」

 モルスナ嬢はそう疲れたように言い、椅子に座った。

 しかし、フランカさんは男児を出産し、パレスナ王妃は今出産の真っ最中。そしてモルスナ嬢が出産予定と、私の周囲ではベビーラッシュが起きているな。
 次代が育つのは良いことだ。私は子を産めないし産むつもりもないが、身の回りの女性が子供を産むのは、甥や姪のような存在ができるようで嬉しいのだ。

 さて、またフランカさんの子供を構ってやろうか、と思ったら、赤ん坊はぐっすりと眠っていた。しょんぼりだ。
 などと馬鹿なことをやっていると、扉の向こうから赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
 国王がそれを聞いて、勢いよく立ち上がる。

「どうどうどう。まだだ、まだだぞ国王。無事に産まれたようだが、入室はまだ先だ」

 そうして、私達はまたそわそわとしながら、廊下の席で待ち続ける。
 それからしばらくして、ずっと閉まっていた扉がようやく開き、中から侍女のメイヤが出てきた。

「どうぞ入室なさいませ。母子共に健康ですわ」

「うおー! パレスナー!」

 国王が立ち上がり、部屋に突撃……しようとしたところで、私は国王を押さえた。

「健康って言っても相手は赤ん坊に、子供を産んだばかりの母親だ。繊細だからそっと行け、そっと」

「お、おう……」

「キリンさん、ありがとうございます」

 とっさに入口を死守しようとしていたメイヤにお礼を言われる。私は「どういたしまして」と彼女に返した。

 この一年ほどでメイヤとはずいぶん仲よくなった。
 先日、私と宿舎で同室だったカヤ嬢が青の騎士団長セーリンと結婚式を挙げ、地方を転々とするセーリンについていくため侍女を辞めた。一方メイヤは、同室のリーリーが結婚を機に侍女を辞めてしまったため、私とメイヤは改めて侍女宿舎で同室となった。
 ちなみにまだ侍女を続けているククルは、近衛騎士のハネスと相変わらず仲が良いようだが、結婚の話は全く出ていない。

 結婚と言えば、王妹のナシーもオルトと無事に結婚式を挙げた。毎日仲むつまじく過ごしているようだ。

「どうか落ち着いてお入りください」

 そんなメイヤの注意を受けつつ、私達は連れ立って部屋の中に入室した。
 部屋の中には一人用のベッドが置かれており、そこにパレスナ王妃が座るようにして横になっている。その腕の中には、おくるみに包まれた赤ん坊が抱かれていた。

「パレスナー!」

「あらあら、あれが貴女の父上ですよ」

 叫ぶ国王に苦笑したパレスナ王妃が、腕の中の赤ん坊にそう話しかけた。

「おつかれさまパレスナ! そしてありがとう、世界樹!」

「世界樹?」

 突然告げられたこの場に無関係な単語に、パレスナ王妃が首をかしげる。

『だから私は何もしてないよ! でも無事に産まれてよかった!』

 神託が私の頭の中に届く。どうやら世界樹も心配していたようだ。
 と、私が神託に気を取られている間に、国王とパレスナ王妃は子供に命名をしようとしていた。

「幸せな子を意味するキルヤから取って、キルヤシータ」

 国王はパレスナ王妃から赤ん坊を受け取り、そっと抱き上げながら、宣言する。

「君の名前は、リアン・キルヤシータ・バレン・ボ・アルイブキラだ。これからよろしく、ヤシー」

 その名前を聞いて、パレスナ王妃はにっこりと笑って言う。

「立派な名前ね。果ては女王様かしら」

「どうかな。この国の国王って、他の王族達に押しつけられてなるような役職だからね。君が他にもいっぱい子供を産んでくれれば、誰か自分から王になりたいって子も出てくるんじゃないかな?」

「ふふ、今から二人目以降の話? でも、こんなに可愛いなら、子供は何人でも欲しいかもね」

 国王夫妻は仲むつまじく、互いに笑い合った。
 そして、国王が赤ん坊、ヤシーをあやすことしばし。モルスナ嬢が国王からヤシーを受け取って抱きあげ、自分の子供を抱くフランカさんが、向かい合うような位置取りをする。
 先ほどフランカさんが言っていたご対面だ。モルスナ嬢とフランカさんはそれで満足したのか、再びヤシーはパレスナ王妃の腕の中に戻った。
 私はベッドから少し離れてそんな彼らの様子を見守っていたのだが、ふと、パレスナ王妃が私の方を向く。

「キリン、こちらへ」

 パレスナ王妃に呼ばれたので、私はベッドのそばに近づいた。

「ヤシー。この人が将来の貴女の侍女キリンよ。そして貴女が女王になって子供を産んだら、その子供の侍女にしてあげるのよ」

 おいおい、勝手に私の将来の予定が決められているんだが。私の人事権を持つのは国王だぞ。
 文句を言いたいが、それを聞いていた国王が乗り気になった。

「それ良いね! 世界最強の戦闘侍女が、成長を見守ってくれるのか。頼もしいね!」

「世界最強言うなよ」

 思わずそんな言葉を返す私。

「いやー、どう考えても世界最強はキリリンでしょ」

 私が世界最強と言われる理由。それは、今年行なわれたトーナメント方式の御前試合がきっかけだった。

 王国最強の騎士であるオルト、王国最強の剣士である国王サリノジータ、王国最悪の魔法使いであるセリノチッタ。そんな強豪がひしめく試合に私もエントリーされてしまい、順調に勝ち進んでしまった。
 そして、決勝戦で私は師匠であるセリノチッタに勝利し、さらにはテンションが上がって乱入してきたキリンゼラーの本体にも勝利して、真の王国最強の座を手に入れてしまった。

 すると、その話を聞いた武芸者や世界的な庭師が「お前引退したんじゃなかったの?」と言いながら、腕試しに次々と私へ挑戦してくるようになった。
 そのことごとくに護身の鉄棒『骨折り君』を使って勝利していたら、女帝から「もうおぬしが世界最強でいいのじゃ」と『幹』公認の最強の座に座る結末となった。
 本当になんでこうなってしまったのか。

「キリン、抱いてみる?」

 戦いの日々に思いを馳せていたら、そんなことをパレスナ王妃が言ってきた。可愛い子供、この手で抱いてみたいのだが……。

「いえ、産まれたばかりの赤ん坊は、ちょっと潰してしまいそうで怖いので、遠慮します」

「ふふっ、何それ。貴女にも怖いことってあるのね」

「怖いですよ。世界って、脆いから」

 私がそう言うと、パレスナ王妃は一瞬心配そうな表情を浮かべるのだが、すぐに笑顔に戻った。

「ただの怪力をなに深刻そうに言っているのかしら」

「ちょっと詩的すぎましたかね」

「まあ、いいわ。どうせそのうち、毎日のようにこの子をあやしてもらうことになるのだもの。キリンは私の侍女だからね」

「……確かにそうですね」

「でも、キリンにはずっと私の侍女をやってもらおうと思っていたけれど、この子のためなら手放すのも惜しくないわね」

 将来この子の侍女をするのは、どうやら決定事項のようだった。
 私はとりあえず、将来の主に挨拶をしておくことにした。

「よろしくお願いします、キルヤシータ様」

 こうして、国王とパレスナ王妃の子供は無事に誕生し、国を挙げての祝祭が行なわれることとなった。
 王都の市民に対してヤシーのお披露目がされ、私は子供を抱くパレスナ王妃のそばに、首席侍女として寄りそう。
 市民達は吉事に喜び、祭りに浮かれ、お披露目の場では沸きに沸いた。貴族達も地方から次々と集まってきて、国王夫妻に祝いの言葉を述べていった。

 このような光景を私は今後、数十年にわたり、見届けていくのだろう。
 子はやがて親になり、子を作り、また子は親になる。その様子を私はいつか老後を迎えるその日まで、ずっとそばで見守っていく。老後はやはり六十五歳からだろうか。それまでは王城で侍女を続けるつもりだ。
 時には面倒なことも起こるだろうが、心配はしていない。今までだって、それをなんとなく乗り越えてきた。

 胸躍る大冒険も、めくるめく大事件も、驚天動地の大戦乱も、TSを巡る大混乱も、全て消化し終えた私が、だらだらと平穏な日々を今後も過ごしていく。
 そんな幸せを願いながら、私は今日も侍女の仕事にはげむのであった。



 怪力魔法ウォーリア系転生TSアラサー不老幼女新米侍女<完>

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2012年に開始したこの作品も、これで完結です。
最後までお読みいただきありがとうございました。


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