「時代劇は爆発だ!」 の巻
夜の荒野にからっ風が吹く。
電柱ほどもあるサボテンが堂々とそびえ、満月の浮かぶ夜空に禿鷹が飛び、
はるか遠くに夜汽車が煙を吐きながら走り。山の向こうに恐竜が闊歩する。
そんな千葉県郊外、大原大次郎邸である。
生け垣を巡らせた広い庭、手入れの行き届いた植木と鯉の泳ぐ池。
階段状の棚には自慢の盆栽が並んでいる。
その邸内。
大原大次郎は正座で碁盤に向きあい、難しい顔をしている。
片手には本を持ち、ぱちりと黒白の石を並べていく。時計の分針がかちりと鳴る。
と、そこで部屋の障子が開かれる。
顔を出すのは大原大次郎の細君、大原良子である。
「あなた、そろそろ始まりますよ」
「う、うむ」
ゆっくりと腰を持ち上げ、細君に連れられるように部屋を移る。着いた先は細君の部屋、こたつの置かれた八畳の客間である。部屋の重心であるこたつの上にはお茶と蜜柑の用意がなされ、大きめのテレビではドラマのオープニングが流れていた。
「今日はどういう話でしたかね」
「……史実なら、野山獄に幽閉されていた吉田松陰が、囚人たちに学問を教えるという話があるんだが、その辺のことが描かれると思う」
「文(ふみ)はどう関わるんですかね」
「さ、さあな……」
濃い目の茶をすすり、やや眉根を寄せる大原大次郎。
画面の中では江戸後期、幕末の物語が始まっていた。
※
場所は代わり時は移り、環状八号線沿いの亀有公園前派出所である。
大原大次郎は肩からカバンを提げ、テカテカする合成皮革のコート姿で歩を進める。
公園脇を通り派出所の入り口が見えてきた時、中から声が響いてきた。
「え? 先輩も『花燃ゆ』見てるんですか?」
部長の足が止まる。
カメラは切り替わって派出所の中へ。飛行機のプラモを組みつつ、中川の声に応じるのは両津勘吉である。
「いま仲間と幕末もののゲームを作っててな。参考になるかと思って何話か見てみた。中川も見てるのか」
「ええ。それでどうです? 感想は」
「イマイチだな」
ばっさりと袈裟懸けの感想である。
右目には筒状のルーペをはめ、ピンセットで細密部品を組み立てつつ、やや苦みばしった顔で両津が言う。
「だいたい吉田松陰の妹が主役ってのがよく分からん。杉文(すぎ ふみ)なんて聞いたこともないぞ。『吉田松陰』じゃダメなのか」
『花燃ゆ』とは、2015年1月より放送されているNHK大河ドラマである。吉田松陰の妹であり、のちに長州藩士、久坂玄瑞の妻となる杉文を主人公とし、松下村塾や長州藩の歴史を、女性の視点から描くことを主眼としている。
しかし、その初回視聴率は16.7%と、ここ20年の大河ドラマ初回ではもっとも低い数値であり、さらに二話以降も低迷が続いている。
弁護するかのように中川が口を開く。
「幕末ものの場合、一人に焦点を当てると志半ばで死んでしまったりしますからね。吉田松陰もこの後打ち首になりますし…。ですので杉文という主軸を作って、いろいろな人物や事件を追っていく流れだそうですよ」
「それは分かるが…、視聴者も吉田松陰のことしか興味持ってないだろ。文を無理やり吉田松陰の話に絡ませてるだけじゃねえのか」
「まあ……確かに」
「それに二話の時点だと杉文(すぎ ふみ)は10歳ぐらいなんだろ。子役から井上真央にチェンジするの早すぎじゃないのか。早く出したかっただけにしか見えないぞ」
「そうですね」
「吉田松陰といえば10歳で殿様の前で講義するぐらいの天才だったんだろ、もっと小さい頃からきっちりやればいいのに、杉文が見てない部分だからカットするってのはどうなんだ」
「両ちゃん詳しいわね」
と、お茶を差し出しながら話に入ってくるのは秋元カトリーヌ麗子である。ピンクの制服のせいで灰色の派出所も華やいで見える。
「おう、吉田松陰ならよく知ってるからな。確かこういう顔なんだ」
と、手元の紙にさらさらと書いていく。やや面長で鉤鼻。着流しを着てあぐらをかきつつも背筋はしゃんと伸び、目の前の人物に堂々と対峙するかのような、強い意志を感じる顔立ち。有名な構図である。
手元に和綴じの本が置かれているのは教師としての側面を、傍らに脇差しを置いているのは侍としての身分、あるいは直情径行のある情熱的な性格を表現するかのようだ。
覗きこむ中川と麗子が関心したように言う。
「確かにこんな顔だったような」
「よく覚えてるわね」
「教科書でも大きく乗ってたからな」
着物の影を加えたり、細部を書き込みながら両津が話す。
「松陰は子供の頃に叔父さんの養子になったんだけどな、そいつがものすごいスパルタで、勉強を教えてる時にほっぺたを掻いただけでもぶん殴られたそうだぞ」
「そうなの?」
「それで10歳で長州藩の軍学師範になったんだよ。長州藩の軍事演習で参謀を務めたのが13歳だぞ、凄すぎる」
「だから松下村塾にもたくさん人が集まってきたのね」
「え?」
きょとん、と眼を丸くして両津が振り向く。
「吉田松陰って塾の先生だったのか??」
「肝心なところの知識がない……」
中川が渋めの顔芸で突っ込み。
麗子は汗を飛ばしつつ、噛んで含めるように説明する。
「叔父さんの作った松下村塾を松蔭が復活させたのよ。1年ちょっとしか続かなかったけど、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋なんかを輩出したの。塾生じゃなかったけど桂小五郎なんかも吉田松陰の弟子だったのよ」
「うーむ、名前は聞いたことあるな……。あれだっけ、宇宙人と戦って…」
「先輩、それは別の漫画です」
中川も困ったように汗を浮かべる。
そういえば以前も、ペリーや杉田玄白の顔はすらすらと描けるものの、その業績についてはさっぱり知らなかったことを思い出す。
どうも両津勘吉という人物は、歴史のトリビア的な部分だけを覚えている傾向があるようだ。おそらくは少年時代、勉強に熱心でない両津少年のために、面白い話を織り交ぜた授業をしてくれた先生がいたのだろう。以前どこかで聞いた御曲(おまがり)先生という人物だろうか。
しかし興味のあることと無いことの集中力が天地の差であるだけに、そういう脇の部分だけを記憶してしまったのだろうか。
「先輩、『花燃ゆ』のどのあたりが気になりますか」
ドラマの話から離れすぎている、と感じた中川が話題を振る。
「そう『花燃ゆ』だ! だいたいキャッチコピーがおかしいだろ。「幕末男子の育て方」だぞ。内容もホームドラマみたいだし、これで塾の話が始まったら学園ドラマみたいになるのか?」
「まあ、そういう方向性も需要があるのかと…」
「時代劇なのにチャンバラがないのもいかん。だいたい長州藩の話をずっとやるなら新選組とか出てこないだろ、一番おいしいとこやらなくてどうするんだ。……ん」
と、そこで両津勘吉、派出所の外を見る。
ガードレールに小さな鏡が止められている。それは大原部長の接近を察知するために両津が仕掛けた鏡であり、そこにコートを着た中年の警官が映っている。両津の顔がさっと青ざめて脂汗が吹き出す。
「確かに幕末ものは会議や密談のシーンが多いせいで人気がないと言われてますね。内容も難解で登場人物も非常に多くなる傾向が……」
「……い、いや、それはいいんじゃないか、たくさんいたほうが賑やかだし」
両津が顔に縦線を引きつつ話を収めようとする前で、中川と麗子は妙に盛り上がっている。
「登場人物が美形ばかりなのも気になるわ。史実での年齢とかけ離れた俳優も多いもの」
「杉文の言動も現代的すぎてどうかと思うよね。姉や母親のキャラクター性も」
「こ、こらお前ら!! NHKだって頑張って作ってるんだからあまり悪口を」
「おはよう」
「うわ!? ぶ、部長!」
入り時を見計らっていたかのように、ぬっと大原部長が登場する。
「お、おはようございます部長!! ただいま中川と麗子が大河ドラマをけなしていたので説教しておったところです!!」
「えーっ! ずるいわよ両ちゃん」
「お前も一緒になって言っていただろ…」
しかめ面で突っ込む部長。
「す、すいません! 歴史好きの部長の前で大河の悪口を」
「別に怒っておらん」
「……へ??」
ロッカーに向かい、合成皮革のコートを脱ぎながら部長が言う。
「ドラマにどんな感想を持とうが個人の勝手だ。そんなことでヘソを曲げたりせん」
そう言って、そのまま奥の座敷へと消える。
「部長、どうしたんだ? 元気がなさそうだが」
「え? そうですか?」
「間違いない。今までなら大河ドラマの良さについて小一時間語りそうなところなのに」
顎に手を当て、両津の眼光が絞られる。
「…さては、部長も『花燃ゆ』を面白いと思ってないんだな」
「そ、そうですかね?」
「間違いない、きっと奥さんの付き合いでガマンしながら見てるんだ」
「それは想像では…」
「中川、来週の日曜は部長の誕生日だったな」
ふいにそんなことを言う。
「え、ええ、そうですね。プレゼントの黒楽茶碗ならもう用意できてます」
「変更しよう。お前らの力で○○をだな…」
「えーっ! 不可能ですよ!」
目を丸くする中川の肩を掴み、詰め寄る両津。
「大丈夫、君ならできる。麗子も協力しろ」
「一週間じゃムリよ!」
「心配するなわしも協力する、早くできるアイデアを出してやる」
「ですが、予算がかなり…」
「ケチケチするなそのぐらい」
「なんだか騒がしいな……」
その喧騒を遠く聞きながら、奥座敷で部長は短く呟いた。
なお、大原部長の誕生日は話の都合により2月15日となりました。
※
「誕生日おめでとうございます部長!」
派出所にて、黒楽茶碗の入った桐箱を差し出すのは両津勘吉である。
「いやあ、祝ってもらって悪いな」
その背後、中川と麗子は早口で何かを言い交わしている。
「間に合いそう?」
「何とか…」
「ときに部長、今日は例のドラマの放送日ですね」
「ん?」
と、部長がわずかな硬直を挟んで返答する。
「あ、ああ、『花燃ゆ』のことか。そうだな、今日も家でのんびり…」
「いやいや、テレビ東京でやるやつですよ。部長も楽しみにしてるのかと」
「テレビ東京…?」
「8時からですからね。忘れないように新聞で確認してください」
「??」
「両津が何か言ってたな」
場面はころころと変わり大原邸。こちらは十二畳間のリビングである。黒壇のローテーブルに座し、背筋を立てたまま、新聞を卓上に広げて確認する。
「長編歴史ドラマ『桶狭間の合戦』…?」
桶狭間の合戦と言えば織田信長と今川義元が、現在の愛知県豊明市、当時の名で尾張国桶狭間村の付近で激突した戦いである。それを描いたドラマということだろうか。
興味を引かれ、リモコンを操作する。
それはいきなり始まった。
「狙うは今川の首ただひとーーーーつ!!!!!」
画面には豪雨が降っている。
騎馬を操り、泥を跳ね上げながら駆ける人物は織田信長だろうか。後に続いてすさまじい数の騎馬が駆けている。
雨の中でわずかに東の空が青ざめており、夜明け前だと分かる。
「殿! 今川の本陣は約10万。対して我らは2000にも満ちませぬぞ!」
「今川の首さえ落とせばこちらの勝ちだ! この豪雨に乗じて奇襲をかける!」
「な、なに!? 10万だと!」
驚くのは大原大二郎である。
桶狭間の合戦における今川軍の総兵力は諸説あるが、最も多い説でも5万程度、一般的な説では2万5千と言われている。しかも今川軍は分散しており、直接織田軍と対峙したのは5,6000というところか。「本陣に10万」などというのは明らかに誇張である。
しかし本当に驚いたのはその次だった。
画面上で高台から織田の軍勢が駆け下りていく。その向こうに陣幕を張った陣地が見える。「丸に二つ引」の紋が見えるから今川軍の陣地ということか。そこにおびただしい数の人間がいる。本当に数万人はいるように見える壮大な俯瞰視点である。
篝火に照らされた闇夜に、胴丸だけを身につけた足軽たちが集まって休息している。画面の奥までも埋め尽くす膨大な人数であり、豪華な鎧を身につけた身分のある武将や、農民と見分けがつかないほど見すぼらしい丸木鎧の者、あるいは荷運びなど非戦闘員らしき者など様々な人間が夜の底にうごめいている。見張りに立っている何人かが斜面を駆け下りてくる織田軍に気づいて声を上げる。慌てて兜を取り槍を構える瞬間、その武者たちを馬が蹴倒していく。
「あなた、もう始まってますよ」
「い、いや、今日はこれを見る」
大原良子が顔を出すが、部長はそれどころではないという風に小さく手を振る。
かなり古いイメージの桶狭間である。「信長公記」などによればそもそも桶狭間の合戦は奇襲戦でもないし、夜戦でもない。
信長の奇襲に驚く今川義元は白粉にお歯黒、貴族風の衣装で異様な肥満体という、旧説というより逸話に近い姿をしている。ついでに言うなら誰も名古屋弁を話していない。
しかしその合戦の迫力は凄まじいの一語である。泥を蹴立てて何千もの足軽が逃げ惑い、それを馬上からの槍が貫いていく。森の獣道を逃げていく今川義元を、雨粒を弾けさせつつ騎馬が追跡する。武将同士が槍を構えての一騎打ち、泥をのたうちながらの足軽同士の戦い、陣幕からは炎が上がり、遠くの山城からも火の手が上がっている。ほとんど説明がないが中島砦か鳴海城ということだろうか。
そんな合戦のシーンだけがもう何十分も続いているが、大原部長は茶を啜ることも忘れて食い入っている。
※
「よしよし、部長、かなり熱心に見てるぞ」
大原邸から200メートルあまり、雑木林を切り開いた空き地で、両津勘吉はモニターを前に白い息を吐く。モニターの中ではやや前傾になった部長が見えている。
「部長にいい誕生日のプレゼントになったな」
「ほんとうに大変でしたよ」
汗をかきつつそう言うのは中川圭一である。彼の背後には巨大な送波用のアンテナが立ち、ジャケットを着た外国人のスタッフが何人かいる。
「ニュージーランドで突貫工事の撮影でしたからね、ある程度はCGと現地エキストラでまかないましたが、日本人の俳優とスタッフも大急ぎで集めましたから」
「そうよ両ちゃん、衣装の手配もぎりぎりで間に合ったんだから」
麗子も同意する。もともと警官業と実家の経営参加を両立させている二人であるが、この一週間の激務にさすがに疲れが出ていた。
「3Dプリンターで作ったとは思えん鎧だ、うーむよくできてる」
「いくつかの鎧は本物ですよ。火縄銃も空砲ですが本物を使ってます」
それはリアリティにこだわるためというより、すべてレプリカで賄うには時間が足りなかったせいもある。
さらに言うならそれを一週間でドラマに仕立て、偽のテレビ欄に差し替えた新聞を用意し、部長の家だけを局所的に電波ジャックする。中川と麗子の協力があっても紙一重の日程であった。唯一の救いは合戦のシーンが極端に多く、城下町や城の内部などのセットが必要なかったことか。
「でもこんなドラマでいいんですか? 現代の桶狭間像とはずいぶん違いますが……」
時間がなかったとはいえ、軍議のシーンすらほとんどない合戦シーンだけの詰め合わせである。ある程度はナレーションで説明され、奇襲や追撃、一騎打ちなど絵的にはバリエーションに飛んでいるが。歴史ドラマの常識からは外れている気がする。
「いいんだよこれで」
と、両津はあっさり言う。
「歴史ものなんかチャンバラがあればいいんだから。老人なんだから刺激を与えたほうが食いつきもいいし」
「そ、そうですかね」
ばっさりとした言葉である。中川も困った顔になる。
「ペラペーラ、ペラペーラ」
「え、どうしたの?」
と、アンテナを操作していた外国人スタッフが発言する。麗子がそちらに顔を向ける。
「ペラペーラ」
「そうなの? でも両ちゃんにも聞いてみないと…」
「どうしたんだ?」
「このドラマ出来がいいから、アメリカに持ち帰って放送してもいいかって」
彼らは麗子がアメリカから呼んだスタッフである。ハリウッドのカメラマンやケーブルテレビの技師など、今回の撮影と電波ジャックには彼らの存在が不可欠だった。
両津はあまり深く考えずに答える。
「別に構わんが…
いいのか? 安く早く作ったものなのに」
「あの、先輩、ものすごーくお金かかってますこれ……」
※