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[35120] 【こち亀】 「両さん vs TASさん」 の巻
Name: MUMU◆c85b040a ID:35a2442b
Date: 2012/09/30 19:44
なんとなく誰かに書けと言われた気がして書いてみました。

この作品は「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の二次創作です。

TAS(Tools-Assisted Speedrun)を題材としたいくつかのお話を、週一ぐらいで2・3話投稿したいと思います。
追記:当初予定していた分のTASのネタ投稿完了しました。
本家でやらないようなネタを思いついたら随時追加していくかも知れません。


では続けて本文をお楽しみください。



[35120] 「両さん vs TASさん」 の巻 前編
Name: MUMU◆c85b040a ID:35a2442b
Date: 2012/09/14 21:22
両さんvsTASさん、の巻






「馬鹿者!!!!」



大原部長の胴間声が音圧となって爆発し、ガタついた派出所の戸を吹き飛ばし、道路にいた通行人をなぎ倒し、ガードレールをへしゃげさせ、環状七号道路を走っていたフェアレディZをメンコのように回転させつつ跳ね飛ばす。

「お前は勤務中にこんなもので遊びおって!!」
「ぶ、部長、落ち着いて、誤解なんですよ!」

Mの字型に繋がった眉をゆがめて言い訳を始めるのは両津勘吉。警視庁始まって以来の問題児と言われ、書いた始末書は実に10万枚以上。警視庁を不発弾で爆破させたり、豪華客船で勝鬨橋をへし折ったりと数多くの悪伝説を残す人物である。
彼の机にはノートPCが置かれ、その画面上では猿のようなキャラクターが乗ったゴーカートが表示されていた。どうやら勤務時間中にゲームをしていたことを叱責されたものらしい。

「これは趣味ではなく副業なんです。このゲームで全国一位のタイムを出せば賞金が…」
「なお悪いだろうがバカモノ!」

部長はおもむろにノートPCを手に取り、それに繋がるコントローラーも引き抜く。

「すべて没収だ!」
「ひょわ!? 部長それだけは!」

両津は部長に取りすがり、一瞬で目から涙を溢れさせ、30半ばの顔を思い切りゆがめて懇願する。

「お願いします部長~~! それの賞金がないと今月の食費が~!」
「お前など一ヶ月ほど飲まず食わずぐらいで丁度いい!」

そのまま部長は派出所の外へと出て行き、そこへ待たせていたパトカーに乗り込む。

「待たせたな、出してくれ」
「は、はあ…」

もう何度も見ているとはいえ、子供のように地面をのたうって泣く三十路男というのはインパクトのある光景だった。送迎役の巡査はあまり目を合わせないようにして、そそくさと車を出してしまう。
クラウンセダンの低い排気音が遠ざかり、その間ずっと両津は泣きわめいていた。

「せ、先輩…」

さすがに不憫に思って中川が声をかけようとすると、急にがばりと起き上がる。

「うわっ」 
「よし、部長は行ったな」

と、派出所の中へと引き返し、ほとんど自分専用にしている机の引き出しを開け、底板を外す。中には光沢ある赤色のミニノートが隠されていた。

「虎の子のミニノートだけは死守した!」
「そんな所に…」

先ほどまで泣きわめいた面影など微塵もなく、再びノートPCを開き、足元のダンボールから新たなコントロールパッドを取り出して接続する。

「くそっ、せっかくいいタイムが出ていたのにやり直しになってしまった。また最初からだ」
「? そっちのノートにも同じゲーム入れてたんですか?」
「リモートプレイというやつだ。すべてのゲームはこっちのPCにのみインストールしてある。そこから同期を取ってさっき没収されたノートに映像を出力し、こちらの操作も一度引き出しの中のノートを迂回して反映させるのだ! 没収されたほうのノートにはリモートプレイ用のソフトしか入っておらん!」
「手の込んだことを…」
「それにしてもこのゲームのタイムアタックはもう限界だな。現状2位のやつとは2秒以上の差をつけたし、もう抜かれることもないだろ」

画面上では猿の様なキャラがカートを駆り、すさまじい速さでコースを疾走している。なぜか道を走ることが少なく、ヤシの木を駆け上がって他のヤシの木に飛び移ったり、トーテムポールにわざとぶつかって90度ターンしたりといった妙な挙動が多い。

「以前みたいにバグでショートカットが見つかったりするのでは?」

確か以前も同じような挑戦をしていたことを思い出す。警視庁でも有数の武道家であり、ゲーマーでもある左近寺巡査と組んで挑戦したゲーム大会でのことだ。練習中にショートカットを発見したことで優勝を確信した両津は、優勝賞金をあてこんで大会直前まで飲み歩き、同じバグを多数のプレイヤーが発見していたことに気付かず、大会で追い詰められることになったという。

「心配無用」

だが両津はあっさりと断言する。

「明度を調節してポリゴンフレームを見えやすくして、全てのポリゴンの継ぎ目に衝突する作業を行った。現在見つかっているもの以外でバグやショートカット、急加速など妙な挙動が起こる要素は1ミリもない」
「……はあ」
「500時間も使って調べたんだぞ、パーフェクトだ。これで賞金の20万円はわしのものだ」
「間違いなく普通に働いたほうがいいですね…」

よく晴れた昼下がり、いつもどおりの両津と中川がいる派出所の風景である。

「こんにちは」

と、そこで派出所に客が訪れる。ランドセルを背負った小学生である。その目は妙に冷めたものを感じさせる細目で、7:3に分けられた前髪、しっかりと伸びた背筋が礼儀正しさを感じさせる。
よく見ればランドセルの表面は革ではなくFPR樹脂であり、背負いベルトには様々なつなぎ目やスイッチなどが見え、複雑な機構を備えていることが分かる。

「おう、+(プラス)か。久しぶりだな」

電極+(でんきょく ぷらす)という名のこの少年。家電、およびハイテク産業の大手である「スーパー電子工業」の御曹子であり、英才教育を受け小学生ながら株式投資やゲーム開発、およびゲーム開発会社の経営を手がけるスーパー小学生である。父親の開発した製品のモニターになることが多く、その所持品から靴下に至るまでハイテク装備の塊だという。
なぜか両津とは気の合うところがあるのか、ときおり行動を共にしている。

「ランドセルの充電をしたいのですが、500Vのコンセントありますか?」
「あるわけないだろ・・」だみ声を出して突っ込む両津。
「しょうがない、アダプターを使いましょう」

ランドセルの下部からコードが延び、それをコンセントに繋げる。

「ここのコンセント使用してよろしいですか?」
「ああ、構わんぞ。というか500Vでの充電なんてどんな規格なんだ」
「父さんの会社で開発した直・交流兼用急速充電規格ですね。CHAdeMOとの互換性を実現してます」
「CHAdeMOだと!?」

CHAdeMOとは電気自動車の急速充電規格であり、日本独自の仕様として世界への普及が期待されている技術である。最大500V/100アンペアの充電に対応するが、これはエアコンなら数十台分に匹敵する電流量である。

「朝、ランドセルが充電できてないときなどに急速充電があると便利ですからね。わが社のランドセルなら急速充電により16秒でフル充電しますよ。短時間ですがバッテリーが150度ぐらいに熱されるのが欠点ですが」
「あぶねえ・・」
「おや、『ペポサルレーシングforPC』ですか?」

と、そこで机の上のPCに気付いた+が問いかける。

「おう、タイムアタックコンテストに応募しようと思ってな」
「なるほど、僕も現在タイムアタックを模索中なんですよ」
「ほう?」

これです、と電極+は1枚の紙を見せる。

「えーとなになに…? SFCの『スーパーマリンワールド』タイムアタックコンテスト…。優勝賞金は30万ユーロ…」
「ベルギーのソフト開発会社が企画したイベントなのでユーロ建てでの支払いのようですね。開発元の杏仁堂の許諾は受けてないと思いますが…」
「中川、30万ユーロっていくらだ?」
「いま1ユーロが丁度100円ぐらいですから、3000万円ですよ」

3000万円だと!!?? と叫んだ両津の声は、ほとんど爆発音に近かったので全員の耳を聾しただけで誰も聞き取れなかった。

「せ…先輩、声が大きすぎ…」
「これはおいしい! スーパーマリンワールドなら散々やりこんだソフトだ! この1位わしが貰った!!」

両津が美味しい話に飛びつく速度は磁石に対する砂鉄よりも早い。目をらんらんと輝かせ、もう賞金を獲った時のことしか考えていない、という顔をしている。

「両津さん、その大会に挑戦する気ですか?」
「もちろんだ! 悪いな+、賞金はわしが貰うぞ!」
「いえ、挑戦するのは構いませんが、それは普通のプレイによる大会とは趣旨が違いますよ」
「なんだと?」
「それは、TASによるタイムアタックコンテストなんです」

「TAS…だと?」





「TASというのはTools-Assisted Speedrunの略ですね。90年代終わりごろにDooomというゲームにおいて、とあるユーザーがソースコードを改竄することでゲームスピードを遅らせ、また短い区切りでのセーブ&ロードを可能にしたことが発端といわれています」
「するとどうなるんだ?」

派出所の奥にある座敷に移動した三人は、お茶を飲みながら電極+の説明を聞いていた。スーパー小学生というだけあり、ランドセルからは高性能ノートPC、投射型キーボード、8ボタン式レーザーマウスといったものがすぐに出てくる。
画面上ではインターネットを介して動画サイトが開かれ、とあるアクションゲームの画面が表示されていた。悪魔城ドキキャラシリーズのようだが、その登場人物がバックステップ、素振りによる硬直キャンセル、挙動のバグを利用したハイジャンプなどで悪魔城を縦横無尽に突き進んでいく。

「なんだこの変態じみた動きは…」

両津も何度かクリアしているゲームであったし、挙動バグも攻略に利用した記憶があるが、これはほとんど常時それを発動させている。床と天井をジグザグに跳ね回りながら突き進む主人公は凄いのを通り越して少し気持ち悪い。

「もちろん手動操作でこのような動きは不可能です。ゲームの処理速度を限界まで遅らせた上でのフレーム単位での入力、または一定の入力をマクロで組んで操作しなければいけません。また敵に当たらないように、セーブ&ロードを繰り返して出現位置を調整したり、微妙にタイミングをずらして出現する瞬間を変えたりしているんです」
「なぜそんなことをするんだ?」
「一つはこういった動画自体の娯楽性ですね。挙動が面白かったり、あるいはバグを含めた知識が共有されることで、実際の攻略にも役立ったりしますから」
「なるほど」
「もう一つはプログラミング技術への挑戦という点です。最適なタイムを出すためにはゲームを解析し、最適なツールを活用しなければいけないので、そういうのがプログラマーたちの情熱をかき立ててるようですね」

そういえば先ほどのタイムアタックコンテストの主催はソフト開発会社だったことを両津は思い出す。だから大金を出してコンテストを開いたということか。

「そして競技性ですね。TASの動画が投稿されるTAS-VIDEOSや、こういった動画サイトに動画を上げることで、他のTASプレイヤーがより早いタイムを模索し、それによって競い合いの面白さが生まれるようです。TASがあくまでも『実機で可能な操作』だけが認められているのもそのためですね。内部数値やプログラム自体を書き換えるチート行為や、エミュレータの挙動の不備を突いた短縮は原則として認められません」
「うーむ、よく分かった」

両津は何度も首を上下させてうなずく。知ってる漢字はたぶん電極+よりも少ない両津勘吉だが、ゲームやプラモなど、趣味の分野においては驚異的な集中力を示す。

「で、スーパーマリンワールドのTASはどんな感じなんだ?」
「世界で最も有名なシリーズですからね。全世界販売本数は実に2300万本。当然、TASにおいても最も研究が盛んなソフトの一つですよ」

しかし、と電極+は間を置いてから続ける。

「さすがに研究もやりつくした感がありまして…。ほぼ全てのショートカット、バグ利用、特殊な操作によるスピードアップなどは出し尽くされた印象です。ですので、先ほどお見せしたコンテストの告知…。あれは競技会というよりは、新種の蝶を見つけろですとか、500キロで走る車を作れといった、新たな突破口の発見に付けられる懸賞金のようなものなんですね。ご理解いただけましたでしょうか」
「どうでもいいがお前の喋り方って役人みたいだな…」

両津の発言に、中川が心の中で同意する。

「う~~~~む」

両津は腕を組んで眉間にしわを寄せている。格闘ゲームでは全国一位の腕前、他にもレースゲームやスポーツゲームで数多くの優勝を獲得してきた両津だが、さすがにあんな常軌を逸した操作ができるものだろうか?

「先輩、これはさすがにムリですよ。あきらめましょう」

短い足であぐらを組む両津とは対照的に、中川と電極+はきちんと背筋の伸びた正座のままである。

「いや! わしはやるぞ! 3000万を逃してなるものか!!」

押入れを開ける、そこにはゲームの歴史がそのまま入ってるような状態だった。PS3やXbox360のような最新ゲーム機を始め、旧世代機が数十種、金庫のダイヤルのようなものが一つついているだけの、テレビに接続するブロック崩しまである。
SFCとスーパーマリンワールドのソフトを取り出す。あまりホコリがついていないところを見ると時々取り出して遊んでいるようだ。

「ムリだと思いますが…」

あまり表情の乱れない電極+が、少しだけ困った顔になってつぶやいた。







[35120] 「両さん vs TASさん」 の巻 後編
Name: MUMU◆c85b040a ID:35a2442b
Date: 2012/11/19 07:12



「おはよう、先輩は?」
「今日も同じよ、奥でゲームをやってるみたい」

答える麗子は呆れ顔である。
無理も無いな、と中川は思う。これで一週間ぶっ通してプレイしていることになる。よく部長にばれずにいるものだ。
奥座敷の天井裏に巨大ジオラマを作っていたことや、海外製の1/1戦車プラモを組み立てていたこともあったことだし、部長から隠し通す無数のノウハウがあるのかも知れない。

奥の部屋に行く。味噌ラーメンの匂いがするが、またラーメンを食べながらプレイしているようだ。
奥の部屋には両津がいた。ちゃぶ台の上でパッドを握り、部屋の左側に据えられた巨大なブラウン管テレビを凝視している。なぜか部屋の片隅ではメトロノームが揺れていた。

「どうしたんですか? この大きなテレビ」
「電気屋を10件ほど回って見つけてきた。運ぶのに苦労したがな」
「これって…ソニー製のハイビジョンブラウン管テレビじゃないですか。よく手に入りましたね」
「発色も優れているが、遅延が液晶だと数ミリ秒なのに対してブラウン管だと数マイクロ秒だからな、最適な入力のためには必要なのだ」
「このメトロノームは何です?」
「ラグ(遅延)の確認だ。最適に入力されているかどうかを把握できる。画面に敵が多かったり、スコアの数字によってもラグが変化するから大変でな」

さらに部屋を見回せば、壁には模造紙が貼られ、そこにびっしりと攻略チャートらしきものが書き込まれている。殴り書きではなく、まず正確に方眼の升目を描いた上でマップの絵が書かれ、ジャンプするタイミングから敵の出現位置まで全て書き留めてある。操作するタイミングはコンマ以下2ケタ刻みで記入されていた。この操作を全て暗記して実行してるということだろうか。

「コントローラーのボタンも改造しておる。ボタン内部のバネを強力にして電極の位置を高くした。少し強い力で押さねばならんが、連射にはこちらのほうが向いている」

そうやってしばらくプレイを続ける両津。確かに壁に貼られたチャートの通りにマリンが動いている。指の先が見えないような連打が時おり繰り出される。
だが、しばらくすると。

「くそっ、だめだ…」

そう言って、手足を伸ばして背中側にごろんと転がる。

「今のところ最速のTASを参考にしてルートを組んだが…。どうしてもあと0.08秒が縮まらん…。これ以上に正確な操作は人間には不可能だ…」
「むしろよくそこまで迫りましたね…」

しかも、である。あのコンテストの賞金は新たな突破口に対して払われる懸賞金のようなものだという。ならば現行最速のTASに対して同タイムでは駄目なのだろう。そこからさらに縮める必要があるはずだ。

「さすがの先輩でも今回ばかりはムリですね」
「やだ! 絶対に3000万手に入れる!!」

あくまで意地を張る両津。

「このフルハイビジョンブラウン管テレビだけで50万も取られてしまった。それに賞金を当て込んで飲み屋で豪遊してしまってな、すでに後には引けん状況なのだ」
「もう…毎回毎回…」
「入力精度が限界ならルートだ! 何かタイムを縮める方法があるはずだ!!」
「そうはいっても…スーパーマリンワールドの研究はかなり進んでるようですからね。これ以上のタイム短縮となると画期的なバグでも発見されない限り…」
「バグ…」

と、急に両津ががばりと上体を起こし、それだ! と怒鳴る。そして半開きになってた引き戸を突き破って廊下に飛び出す。

「うわっ!」
「こうなったらバグしかない! うおおおおおお!!」

奥座敷から派出所執務スペースへ、そのまま環状七号道路へと飛び出し、風景の果てへと駆けていく両津であった。







「この画面を見たまえ」

どこかの会議室。照明の落とされた部屋には白いスクリーンが浮かび、マリンのゲーム画面が映し出されている。

「ここは『ヨーソローとう コース2』、最初の赤ノロノロが8体並んで出てくる場所だ。この場所である特殊な操作をする。具体的にはノロノロを踏んで甲羅状態にし、少し待てば復活するのを繰り返し、5匹以上のノロノロを重ねる、それをヨッツーで踏む。シンプルだが普通はあまりやらない操作だ」
「はあ……」

会議室に居並ぶのは若手から中年まで10人ほどの人間。みな白衣を着て眼鏡をかけ、不健康そうな顔色をしている。

「すると次の瞬間、いきなり最終面のコッパの間に飛ぶ」
「あっ!?」

確かに画面上では一気にワープしていた。5匹のノロノロを同時に踏んだステージはまだ序盤、コッパを2分ほどで倒しても5分以内にクリアできてしまう。

「今の動画はビデオの編集で作ったものだが、同じようなバグを仕込んだ『スーパーマリンワールド』のソフトを作成してもらいたい。中川財閥の優秀なエンジニアである君たちならできるはずだ。何か質問は?」
「は、はあ…それはまあ、可能でしょうが…」
「何かね?」

両津も白衣を着て、長い指示棒を持っていかめしい顔をしている。
両津の実弟である両津金次郎は、霧ヶ谷建設の息女、霧ヶ谷景子と結婚しているが、霧ヶ谷家が中川家と遠縁に当たるため、両津も中川財閥の遠縁ということになってしまった。そのため両津は家系図とサングラスを駆使して強引に中川財閥に侵入し、その企業力を利用することがある。
今回の被害者である中川ゲームソリューションの開発室長は、額に汗を浮かべながら言葉を述べる。

「その…TASコンテストに応募するのですよね? そのような改造をしたソフトで記録を出しても、コンテストの運営が市販のソフトで検証すればすぐにバレてしまうのでは…」
「心配はいらん。市販のソフトにも同様のバグを仕込めばいい」
「え…。た、大量に作って店舗のものとすり替えるということですか? し、しかし、日本だけでも300万本以上売れたソフトですし、家庭にあるソフトとまで入れ替えるのは…」
「違う。いいか、TASではバージョンや本体の違いによるタイムの短縮は認められている。例えば同じソフトでも時期によってバグを修正したバージョンがあったり、ゲームボーイのソフトならGBAでプレイしたり、SFCの拡張機器であるスーパーゲームボーイでプレイしたりすると、細かい点が変化することがある。その中で最も早くクリアできるものを選ぶことはOKなのだ」
「はあ…?」
「そしてこのスーパーマリンワールドだが、今、店で売ってるのは中古品だけだろう。だがこのソフトはバーチャルコンソールでも発売されている。800wiiポイントだ」
「?」
「杏仁堂のバーチャルコンソールをハッキングして、君たちの開発するバグ版マリンワールドと入れ替える」
「えーーーーーーーーーっ!!!」

両津は開発室長の顔面ににじり寄り、目を見開いて顎を突き出した、モンゴル人力士なみの形相で顔を肉薄させる。

「可能(イエス)か、不可能(ノー)か。それだけ答えてもらおう」
「い…イエス…です…」







「やったぜ! 30万ユーロゲットだ!!」

TASコンテストを主催したベルギー企業の機関紙、そこには確かに優勝者として両津勘吉の名前と、まったく新しいバグが発見されたことが記されていた。

「よかったですね先輩!」

そう素直に喜ぶのは警視庁交通機動隊巡査、本田速人である。バイクに乗っているときは鬼も恐れる「交機の本田」だが、乗っていないときは編み物と少女漫画を愛する無害な男だった。

「まさか…あんなところにバグが隠されてたとは…」

記事を読んでつぶやくのは電極+である。冷や汗を浮かべて信じられないという顔をしている。

「プログラムの構造上、あんなところでいきなりコッパの間に飛ぶわけはないのですが…」
「フッ、ガキの頃からゲーマーだった男のカンが働いたのだよ」

同じ機関紙を読んでいた中川が、ふと顔を向けて発言する。

「先輩、何か仕込んだんですか?」
「!? な、な、何を言うんだ中川!」

机を蹴り飛ばさんばかりの勢いで立ち上がって抗弁する両津。

「ちゃんとコンテストの運営も検証したと書いてあるだろうがここに!! wiiウェア版にそういうバグがあったんだよ!」
「少し前に、先輩がうちの中川ゲームソリューションの開発室と接触したという噂が…」
「しっ、知らん! 彼らにはちゃんと口止め…じゃない! とにかくそんな連中のことは見たこともないぞ!!」
「はあ…」







しかししょせんは急ごしらえのバグであった。
特定の条件でコッパの間に飛ぶ、というフラグは他のプログラムコードとしっかり結びついてしまい、何か特別な動きをするたびにワープ、スコアやタイムの値によってワープ、音楽とSEがかみ合ったらワープ、という風にあらゆる場所でワープが起こるようになってしまった。もはやwiiウェア版のスーパーマリンワールドは、ワープを避けてクリアするほうが難しい、という状況であった。
さすがにおかしいと気付いた杏仁堂法務部は調査を開始。そして一週間ほどで両津勘吉にたどり着いたのであった。







「おはよう、あら? 両ちゃんは今日も休み?」

問う麗子に、中川が答える。

「先輩のハッキングのせいでwiiウェアとバーチャルコンソール全体に被害が及んだからね。杏仁堂とベルギーの企業から訴えられて、賠償金が史上最高の1億ユーロを越えたらしいよ。朝は配管工、昼はビルの解体、夜はボクシングの審判のバイトで寝る暇もないんだって」

派出所の重鎮、大原大二郎はその話を聞きながら、朝の公園を見つめて濃いめの茶を啜るのだった。

「さぞ満足だろうな、マリンと同じバイトができて…」








(第一話 おわり)




[35120] 「豆鉄TAS事情!?」 の巻 前編
Name: MUMU◆c85b040a ID:0cc55bb1
Date: 2012/11/17 09:32
「豆鉄TAS事情!?」 の巻






『グェッヘッヘ! 38だな 274億6000万円を捨ててやるぞ! よろこべ!』
「ぬおっ!?」

壁一面を埋め尽くす144インチプロジェクションテレビが構える部屋で、両津勘吉の叫びがこだまする。

『りょうつ社長 お金が足りません!
どの物件を 売りましょう』

東側の壁一面にはアルメリック、HPDなど海外メーカーのサーフボードが並んでいる。どれも日本の波に合うようにオーダーされた特注品であり、カラーリングや細かな部分のシェイブ(削り)は持ち主が海外に渡り、直接打ち合わせて決定したものだという。
他にもダイビング用のウェットスーツやタンク、ラクロスのラケットにオンライン対応の電子ダーツ、LEDで装飾されたエレキギターに高級アンプ。そして部屋の中央にはエプソン製のフルHDプロジェクターが鎮座していた。

「ちくしょう、また負けた!」
「まだまだ甘いな勘吉」

そう語るのは両津勘吉の祖父にして当年105歳、佃島に住む両津勘兵衛である。もとは長屋に住んでいたが、その土地をあっさり売り払って以降、その敷地に建てられた高層マンションの上層階に住んでいる。その部屋は完全に主の趣味の城と化していた。

「くそっ! わしだけスリの銀次の被害がでかすぎるぞ!」
「当然だ」

落ち着いた調子で答える勘兵衛。立派にたくわえられた八の字の髭と、派手ながらシックな風格を感じさせる水色のアロハシャツがよく調和している。

「スリの銀次は駅マスやカード売り場には出ない。現金を大量に持っているときは赤、青、黄色マスは避けるのが定石だ」
「う、しかしつい目の前に青マスがあると…」
「それにお前は高額物件ばかり買いすぎだ。安くてもイベントで臨時収入があったり、何度も寄れて増資しやすい物件などのほうが価値は高い」
「うーむ…、なるほど」

真珠湾を経験している元軍人だけあり、両津家を代表するほどの道楽者であってもその話しぶりには威厳のようなものが感じられる。孫の顔に指を突きつけ、至らぬ点をこんこんと説き伏せる様はまるで高徳の僧のようでもある。
内容が豆三郎電鉄、通称「豆鉄」についてなのが少し悲しいが。
この「豆鉄」、元々は豆三郎というキャラクターが活躍するRPGのシリーズであったものを、主要キャラをそのままボードゲームに登場させた第一作が好評を呼び、1988年にファミコン版の第一作が発売されて以降、あらゆるハードで20作以上開発された長寿シリーズである。
シリーズを重ねるごとに新たな駅やシステムが登場するマイナーチェンジを繰り返しているが、鉄道を駆使して全国各地を回り、物件を買い集めたり目的地に一等で入って賞金を得たり、時には貧乏神にとりつかれて手痛い被害を受けたり、という点はだいたい共通している。

「カードも重要だな、特に進行系カードは常に2枚以上持っておかねばならん。だから急行周遊などを売ってるカード売り場は必ず把握しておく、カード駅は年数によって出るカードが違うから、それを考慮して利用するのがいいだろうな」
「うーむ、じじいのくせに細かい…」
「お前は目的地ばかり目指すからカードが足りなくなるんだ。特にハワイが目的地のときは要注意だぞ。そこに一位で入ってもすぐ次の目的地に入られたら、ハワイ周辺で貧乏神を抱えて行動することになるからな。先の先を読まねばいかん」
「うーむ、いろいろ考えてるんだな…」
「わしら老人はこういうゲームのほうが好きだ、よくRGCの仲間とプレイしておる」
「105歳で豆鉄を99年プレイしてるのお前ぐらいだぞ…」

RGCとはリョーツ・ゲーム・カンパニーの略であり、両津勘兵衛が仲間を集めて立ち上げたベンチャー系ゲーム会社である。中心となるスタッフの平均年齢は90に迫るほどであるが、業績はきわめて好調で、年商200億を売り上げるという。

「もういいや、そろそろ帰るよ」
「なんだもう帰るのか」
「それにしても、来るたびボードが増えるな、ちゃんと使ってるのかこれ」
「なかなかしっくり来るのがなくてな」

勘兵衛も部屋を見回して言う。

「最近は素材からこだわっておる。現在主流のポリエステルは万能型だし、カーボンやエポキシ樹脂もそれぞれの良さがあるが、研究するうちに南洋の木材も悪くないと思えてきてな。近々新しいブランドを立ち上げようと計画中だ」
「木製サーフボードかよ。懐かしい響きだな」
「50年代に戻ってバルサ材の復権を果たしてみせるぞ。若かりし日のボードの感触を皆に伝えたくてな」
「1950年代ならお前すでに若くないだろ…」
「ほっとけ!」





「それで、また負けちゃったんですか?」
「そうなんだよちくしょう。ああいうゲームはじじいのほうが上手だ」

派出所の昼下がり、いつものように自分の机でプラモを作る両津と、書類整理をする中川というメンバーである。

「このところずっと爺さんの豆鉄に付き合ってるが、どうも敗因がよく分からんのだ。いつのまにかジワジワと差をつけられて、そのうちキング貧乏神にメチャクチャに荒らされて負けるんだ。わしの運はよほど悪いらしい」
「それは違うな、両津くん」

颯爽と登場するのはマドロスパイプをくわえた白髪の紳士である。小ぶりな丸眼鏡や檜皮色のトレンチコートにそこはかとない知性を感じさせる。

「あっ教授、お久しぶりです」

中川がそう挨拶する人物は江崎コロ助。元ケンブリッジ大学の教授であり、中川の恩師でもある。専門は機械工学だが、その知識と技術は多方面に及び、地ビールの生産などを手がけたこともある。

「よお教授じゃないか。それは違うって、豆鉄わかるのか?」
「うむ」

あちこちの国に転任するたびにその国の文化に影響される人物ではあるが、基本は英国紳士を意識することが多く、ゆっくりと落ち着いた話し方をする。

「正月には娘たちが帰ってくるからな。大人数で盛り上がるゲームといえばやはり豆鉄だ。財界人や政治家の中にも愛好者は多いぞ」
「なるほど」
「春子、夏子、秋子、冬子ともあのゲームが好きでな、正月に帰ってきたときは必ずプレイしておる」
「あのゲーム最大4人までだろ、じゃあ教授はやってないんじゃ…」「先輩、しーっ…」

両津の発言を制止する中川。さいわい江崎教授のほうは、まるで秋の空を見つめる詩人のような様子で真夏の空を眺めていたため、細かな発言には気付かなかったようだ。

「察するに、両津くんはほとんど常に目的地に向かっているのではないか?」
「う、当たっている…」
「やはりそうか」
「だって目的地に入るほうが大事だろ。貧乏神だって追い返せるし」
「短期的にはそうだ。それに貧乏神を追い返すというのも重要なポイントだ。豆鉄で最も大事なことは『いかに貧乏神を付けないか』だからな」

議論をする際、相手の言い分を部分的に肯定したり、状況を限定した上でじっくりと諭していく、というスタイルは教授ならではの技術であろうか。大原部長にマンガを認めさせたこともある江崎教授だけに、その話の進め方にはスキがない。

「しかし進行系カードを揃えず突き進んではいずれ必ず息切れするし、いざという時に対応できない。相手の貧乏神がキング貧乏神に進化した瞬間、リニアカードでなすられる、という事態もあるのが豆鉄だ」
「うっ…まさに昨日それを…」
「君のことだから不必要に青マス黄マスに止まり続けてスリの銀次に会ったり…」「うっ」
「高額物件を優先するから物件数が少なくなり、貧乏神にあっさり売られたり…」「うっ」
「進行系を持たずに離島に行くから、そこで貧乏神を抱えて孤立するハメになる」「うぐぐ…」

見事に全部当てられている。気押されるようにのけぞる両津。

「そして北海道あたりの止まりにくい駅が目的地の場合、低い確率の出目に期待をかけて、青筋を立てて奇声を上げながらサイコロを振るのだろう?」
「目に浮かぶようですね…」「うるさい!!」

顔を真っ赤にしつつ、どかんと机を両手で叩く。その弾みで1/8ロールスロイスのプラモデルがばらばらになって散らばった。

「何しにきたんだ一体!」
「うむ、実はその『豆鉄』についてなんだ。あれにはスマートフォン向けのオンライン版が出ていることは知っているかね?」
「『豆鉄おんらいん』だろ、知ってるよ。マップは小さめだしカードは少ないしであまりプレイしてないけどな」
「これには5年間モードで獲得資金を競うスコアアタックモードがあるのだが、その上位十名ほどが999兆9999億9999万円というカウンターストップの金額をたたき出しているんだ」
「5年でカンストかよ!」

資金が100兆を越えるなど、よほどゲームを有利に進めて、他のプレイヤーが補助に回り続けたとしても滅多にありえることではない。両津も99年モードで何度も遊んでいるが、最大でも50兆かそこらだったはずだ。

「どうやらプレイヤーの一部が不正を行っているらしい。私は開発会社から外部顧問として相談を受けることがあるのだが…、メーカー側もあまりにも異常なスコアの上、ハッキングの形跡もつかめないので見当がつかないらしい。――それで不正なら両津くんだろうと思って相談に来たわけだ」
「なぜ不正ならわしなんだ、こら」

しかし…、と両津は少し考え込んでから答える。

「999兆ってことはわざと貧乏神を付けて、大逆転イベントで所持金を4倍にしてるんだろ。それを繰り返すしかないはずだ」

「豆鉄おんらいん」の貧乏神は勝手に物件を売り払ったり、カードを二倍の値段で買ってきたりといった悪行を働くが、そのうちの一つが大逆転パネルというイベントである。これは4×4の16枚のパネルの中から一枚を選び、一枚だけ存在する当たりを引けば所持金が4倍に。しかしそれ以外を引けば所持金が半分になるというイベントである。
計算上、これを行うと所持金が0.56倍になる。つまり稀に勝つ場合があったとしても、回数を重ねれば絶対に損をするイベントである。
中川が暗算し、両津の背中から声をかける。

「先輩、1億から始めたとしても12回勝たなければ999兆はムリですよ」
「大逆転イベントは発生率からして低いのだぞ、5年間モードでとてもそんな回数は…」
「やってるんだよ、これもTASの一種だ」

両津は目を鋭く光らせて言う。

「TAS? あれは確かツールを用いてゲームスピードを遅くしたり、セーブ&ロードを繰り返して乱数を調節することだろう?」

江崎教授が言う。教授の本来の専門分野は機械工学であるため、一般常識としてそのぐらいは知っているということか。

「そうだよ、だから乱数を調節して、自由にイベントを出してるんだ」
「まさか? オンラインゲームならゲームデータはサーバー側で管理してるはずですよ。乱数を調節するにはそれを読み取らないと」

中川が言う。近年ではゲーム機だけでなく、携帯電話やスマートフォンなどにもオンラインゲームが普及しているため、あらゆる分野において深く関わる存在となっていた。もちろん中川にも十分な知識がある。

「やり方は色々あるぞ、『状況再現』という手もある」
「状況再現?」
「もともとRPGなんかでRTA(リアルタイムアタック)のために編み出された手法だ。電源を入れた瞬間からボタンを押しっぱなしにして操作したり、連打装置を使うと同じ入力を寸分の狂いもなく再現することができる。これを利用して都合のいい乱数になるパターンを再現、確実に敵から逃げたりレアなアイテムを手に入れたりできるんだ。入力をマクロで組んでおけばボタン押しっぱなしなんて手を使う必要もない」
「なるほど…」
「あとはツールで乱数を読み取る方法もあるだろう。他にはサイコロの目押しなんかもあるな。豆鉄のサイコロは実は目押しできるんだぞ」
「そうなのかね?」
「オンライン仕様だと家庭用と同じにはいかんだろうがな。それでも方法はあるはずだ。貧乏神に大逆転イベントを出させる乱数を見つけたやつがいるんだろうな。しかも当たりパネルの位置も固定で」

と、そこで中川は帽子のつばを手で持ち、困ったような顔で言う。

「しかし…ただゲームで一位になるためにそこまでしますかね?」
「あ ま い」

これがフキダシなら派出所の半分を埋め尽くすほど存在感のある言い方で、両津が断言する。

「今はオンラインゲームでもツールや不正行為の雨アラレだ。ツールを使って本来は見えない敵のステータスを見たり、本来は入手できないアイテムを強引に入手したりな。「豆鉄おんらいん」の乱数が単純なものなら、調整できる可能性は十分ある」
「最近はそこまでやるんですか…」
「ガキは不正をやりたがるもんだ。わしらがガキの頃も、ベーゴマやメンコで勝つためには手段を選ばなかったぞ。メンコなら裏にロウを塗って飛びにくくしたり、ベーゴマなら鉛を乗せて重くしたりな。相手の体調が悪いときに勝負を挑むなんてこともある。わしなど無敵だったが、カゼひいて40度の熱があるときに学校行ったら朝から晩までベーゴマ勝負を挑まれ続けたぞ。意識がモウロウとなりながら全部勝ったけどな」
「学校に行く時点ですごすぎるんですが…」

木製の校舎をバックに、顔を真っ赤にして荒い息をつきながらベーゴマをする両津少年が目に浮かぶようである。かなり明確にイメージできるのは、目の前の両津巡査長が少年の頃からあまり変わってないからだろうか。

「ともかくセキュリティの強化と乱数テーブルの複雑化だ。まずはそれで対応していくしかないな」
「なるほど…、メーカーに伝えておこう」
「不正をする連中は匿名掲示板とかSNSで情報をやり取りするからな。わしの知る範囲でそういう場所をいくつか教えておこう。まず2ちゃんねるでは…」
「ふーむ、なるほど…」
「さすが先輩だ、こういう問題には頼りになるなあ」

てきぱきと対応策を打ち出して行く両津に、中川も心憎いものを見る笑みを浮かべるのだった。








[35120] 「豆鉄TAS事情!?」 の巻 後編
Name: MUMU◆c85b040a ID:0cc55bb1
Date: 2012/09/22 15:27





「先輩の対策はうまく行ってるみたいですよ、教授がお礼を言ってました」
「そうか、よかったな」

イヤホンでラジオを聴きつつ、競馬新聞を広げながら両津が答える。耳に挟んだ赤鉛筆で予想を記入しつつ、机に置かれたスマートフォンで当日の気象情報などを確認している。競馬の予想は昔ながらのアナログに重きを置きながらも、最新機器も同時に利用しているようだ。

「そういえば、あの豆鉄シリーズは続編の開発がストップしているそうですね」
「そうだな、製作スタッフの都合や、シリーズごとに新しい要素を入れるからゲームバランスの調整が難しいなどの問題もあるが、あの地震も理由の一つだそうだ」
「そうなんですか…」
「地震によってあのあたりもずいぶん様変わりするだろうが…。新しく生まれる産業や名物を取り入れた豆鉄がいつか作られて、それをみんなで楽しめるようになったときが本当の復興だとわしは思う」
「そうですね。そのためにもインチキでオンラインが荒れて欲しくないですね」
「……インチキ、か」

その手がふと止まり、両津の心はいつかの風景を思い出していた。

――あれはいつのことだったろう。
思い出すのは夕焼けの赤と煤煙の匂い。
千住火力発電所、お化け煙突の四本のシルエットに夕方の太陽が閉じ込められ、下町に長い長い煙突の陰が横たわるあの夕焼けの日。

「あっ!」

坊主頭に汚れきった半袖シャツ。Y字パチンコやベーゴマをパンパンに詰め込んで膨れた短ズボン。そんな姿の両津少年の前で、自らのベーゴマが宙を舞っていた。バケツにゴザを張ったリングの上には、彼のものではないベーゴマが一つだけ残される。両津少年の何百試合かぶりの敗北である。
周囲に集まっていた子供たちが、いっせいに驚嘆の声を上げる。

「おかしいぞそのベーゴマ! 回転が遅い割に強すぎる」

両津の悪友、提灯屋の珍吉が見咎める。彼は鉄道マニアであり悪友たちの中でも目端が効くほうだった。

「ちょっと見せろよ!」

同じく悪友、太っちょの豚平がゴザに残ったベーゴマを取り上げる。

「あっ…」

手を伸ばしてそう声を上げるのは、今しがた両津に勝った少年。
名前は何と言っただろうか。覚えてはいないが、いつもは両津たちが遊んでいるのを遠くから見ていて、ベーゴマもたまに付き合わされては負けていたように思う。下町の子にしては気が弱く、色白で体も弱そうで、だから名前も覚えていないのだろうか。

「これ普通のベーゴマじゃないぞ。もっとずっと重い感じがする」
「おい、どうやって作ったんだよこれ!」

豚平がその少年の胸倉を掴んで引き上げる。年の差は2・3歳とはいえ、太っちょの豚平と比べるとかなりの体格差だった。

「う…うん。ベーゴマの真ん中に穴を開けて、その中にハンダを入れたんだ…。ハンダや鉛を乗せるよりも重心が低くなって強いんだ。それで、開いた穴はベーゴマのかけらとニカワで蓋をして…砂鉄をまぶして…」

この頃のベーゴマの素材は鋳鉄だが、これは比重が7.20ほど、対してハンダ合金は10.0前後である。当然重いほうが強いが、鋳鉄のベーゴマを壊さずに穴を開けてハンダを入れる作業だけでも並大抵の苦労ではない上に、コマとしてバランスを保ったまま仕上げるのは奇跡的なことである。おそらくはこの少年も計算ずくでできたことではなく。何度も試行錯誤を繰り返した上で偶然に成功したものだったのだろう。

「ふざけやがって! 無効だこんなもの!」
「あっ、やめて!」

豚平がそのベーゴマを握り、思い切り振りかぶって投げようとする。少年はそれを止めようと腕にすがりつくが、豚平の力に抗えるはずもない。

「おい、待てよ」

と、それを止めたのは勘吉の声だった。豚平の手からベーゴマを取り。それをしげしげと見つめる。

「ふーん…」

と、それをゴザの上にぽんと放る。

「すごいこと考えるなおまえ、負けたよ」
「え…」
「おい勘吉! いいのかよ!?」

豚平と珍吉が慌てて駆け寄ってくる。下町でベーゴマ勝負に負けるということは、すなわちそのベーゴマを取られることを意味する。特に両津少年の使っていたのは百戦錬磨の貴重なベーゴマだけに焦るのももっともだった。

「いいんだよ、ちゃんと調べなかったこっちが悪いんだ」

でもな、とその少年を指差して言う。

「俺もマネして同じベーゴマ作るからな。今度それを使うときは、同じベーゴマで相手になってやるよ」
「う、うん…」
「いいのかよ勘吉! あの『栃ノ海』ってベーゴマ、職人さんの手彫りで売ってないんだろ?」
「うっ……。おっ、男に二言はない!!」

夕暮れに押し潰されるような下町の風景の中で、貴重なベーゴマを勝ち取ったあの少年の笑顔。それは暖かな動物をその腕に抱いたときのような、そんな仄かで柔らかい笑顔だった。
夕日に照らされたあの笑顔だけが、印象に残っていた――。





「――いい顔してやがったな、あいつ…」
「えっ? どうかしましたか?」
「いや…」

想念の檻から引き戻された両津を、中川は首をかしげて見つめていた。

「やあ両津くん」

と、そこに現れるのは江崎教授である。先日と同じトレンチコートにマドロスパイプという完成度の高い姿は一年を通して共通しており、季節の巡りや天候にも影響を受けないように思える。

「よう教授」
「――実は、先日アドバイスを貰った『豆鉄おんらいん』のスコアアタックモードなのだが…。カウンターストップは無くなったものの、まだ異常に高いスコアを出すプレイヤーが何人かいるんだ。どうやらキング貧乏神のサイコロ勝負イベントで高確率で勝てる方法があるらしい」

サイコロ勝負イベントとはキング貧乏神が10個、プレイヤーが5個のサイコロを振り、勝てば大金が得られるが、負ければ所持金の一部を失うというイベントである。この勝率は約0.3%であり、通常なら99年プレイを5・6回繰り返して一回勝てるかどうか、という程度の勝率である。

「また不正行為が見つかってしまったわけですね」と中川。
「うむ、今回はとりあえず乱数テーブルの更新で対応できそうだが…。どうも貧乏神がバグや解析の温床になってるらしい。総資産を競うスコアアタックモードで貧乏神を出す意味も特にないし、いっそのこと、このモードでは出現しないようにしよう、という意見も出てるのだが…」

「――ま、そこまでしなくてもいいんじゃねえか?」

ばさり、と競馬新聞を広げる両津。

「そうかね?」
「もちろんインチキはいかん。……だけどな、ガキってのはいかにインチキをやるか、を楽しんでるところもあるんだよ。ちょっとぐらいの抜け道や隙は、残しておいてやるのが大人の余裕ってもんさ」
「うーむ、そんなものかな…」

「こら!! 両津!!!!」
「げ!? 部長!!」

しんみりとまとまりかける派出所の空気を破壊しながら乱入してくるのは派出所の長、大原大二郎である。手に持っていた書類を思い切り両津の机に叩きつけつつ、頭蓋骨を粉砕するほどの声で怒鳴る。

「何だこの日報は!! どうも内容が妙だと思ったら去年の日報のコピーではないか! 一ヶ月ぶん丸ごとだ!!」
「あっ! いえその、つい面倒で…じゃなくてその月はあのその」
「しかもこの間の交通安全に関するレポートだ! 近所の小学生に500円で書かせただろうが! ネタはあがっているぞ!!」
「なっなぜ金額まで…じゃなくてそれは、部、部長くるしっ」

襟首をつかまれて前後に揺さぶられつつ怒号は続く。

「お前というやつはどうしてインチキばかりするんだ毎回毎回!!」
「部、部長落ち着いて! 話し合いましょう!」

それを見つめる中川と江崎教授は顔を見合わせ、あきれた様子で言葉を交わすのだった。

「やはりインチキばかりしてると天罰がありますね」
「うむ、さすがは両津くんだ、身をもって証明してくれたな」








(第二話 おわり)



[35120] 「両津流? TASタイピング」 の巻 前編
Name: MUMU◆c85b040a ID:0cc55bb1
Date: 2012/10/09 06:08
「両津流? TASタイピング」 の巻







「イチロー、何をやっておるのじゃ?」

神田に店を構える高級寿司店、「超神田寿司」の次女、擬宝珠檸檬(ぎぼし れもん)がそう尋ねる。厚手の湯飲みで玉露をたしなみ、藍色の和座布団に背筋を伸ばして座る姿は幼稚園児とは思えない風格である。

「ちょっとな」

超神田寿司の庭は都心とは思えぬ広さで、ドイツ系の錦鯉が泳ぐ大きな池があり、よく手入れされた広い庭園があり、世代を重ねた松の植木があり、江戸時代からの様々な骨董品を収めた土蔵がある。
両津勘吉は縁側に腰掛けていたが、風流な庭や鯉には全く目もくれずにノートパソコンに向かっていた。画面上では実写取り込みのすし屋の店内が表示されており、職人がカウンターにネタを置いていくたび、画面中央に様々な言葉が表示される。その度に両津の太く毛深い指が勢いよく打ち鳴らされる。

はもの落としの梅肉びたし
hamonootosinobainikubitashi
タイの皮だけ握ります
tainokawadakenigirimasu
ウナギの血には毒がある
unaginochinihadokugaaru
千葉の海でも江戸前です
chibanoumidemoedomaedesu

そんな言葉が凄い速さでタイピングされていく。

「なんだ、またゲームしてるのかよ」

そこに擬宝珠家の長女、擬宝珠纏が現れる。どこかをランニングしてきたらしく、ランニングウェアが汗ばんで上気している。

「あれ、でもそれうちの店内じゃないか?」

ゲーム画面はすべて実写取り込みだったが、その店内は確かに超神田寿司に間違いない。生まれ育った店である、ネタや皿のわずかな特徴も間違えるはずがない。もっと言うなら寿司を握っているのも見知った超神田寿司の職人である。

「そうだよ、超神田寿司のホームページにあるflashゲームじゃないか。知らないのか?」

両津は目元を引き締めて画面に集中しつつ、手もまったく止めずに答える。

「へえ、そうなのか。あたしそういうの分からないからさ」

まだ両津勘吉が住み込みの職人となる以前、超神田寿司のホームページ立ち上げを行ったのが両津である。その後、擬宝珠家の最高権力者であり大女将である擬宝珠夏春都(ぎぼし げぱると)の手によってホームページは改装を重ね、3Dアニメーションするロゴマークや、グルメ関係のニュースと連動するRSS、オンライン予約システム、テキストに埋め込まれたハイパーリンクから飛べる独自の用語辞典など、様々な機能を拡張している。
そのうちの一つがこのタイピングゲームである。

「普通のワードじゃなくて寿司用語や豆知識などをタイピングしていくゲームだ。遊びながら寿司に詳しくなったり、寿司が食べたくなったりするわけだな」
「へえ、いいじゃないか」
「おまけに月間ランキングで一位を取るとすし券が5万円分もらえるんだ、だからこうして頑張っている」
「……結局それかよ」

渋い顔で突っ込む纏。
纏も縁側に座るが、ゲームには興味が無いためパソコンの画面はあまり見ようとしない。手にしたペットボトルの水を威勢よく飲み干すと、喉に一滴の雫が伝い、その煌めきがとても健康的な印象を与えた。
檸檬はというと勘吉の後ろに来ており、興味深げにその画面を覗き込んでいる。どんな繊細な味でも見極める神の舌を持ち、幼稚園児にして擬宝珠家のナンバー2に君臨する檸檬ではあるが、なぜか勘吉にだけは心を許すところがあり、遊びに付き合うときは子供らしい表情も見せる。

「なかなかよい試みじゃのう。それにしてもイチローは早いな、指の動きが見えんぞ」

かつて両津はちょっとした誤解から「浅草一郎」と呼ばれていた時期があり、纏などはもう改めて勘吉と呼んでいるが、檸檬や夏春都などはまだごく自然にイチローと呼んでいた。

「パソコンでゲームをやることが多いからな。速いタイピングもいつのまにか身についた」
「その太い指でよくそんな器用なことできるな」
「ほんとじゃのう。……うーむ、あらためて見ると明太子みたいな指じゃなイチローは……。手の甲もゴツゴツしてて毛深い……毛ガニのようじゃ……」
「ぷっ…」
「や、やかましい!」

改めて指摘されると恥ずかしいこともあるのか、顔を赤くして怒鳴る両津。
それにしても、と両津が話題を変える。

「トップの成績がすごいな、30皿クリアーするのに27秒とはちょっと信じられん。わしでもまだ32秒ぐらいなのに」
「このKOHARU-BAという人かの?」
「そうなんだよ。先月も結局こいつにトップ取られてしまってな」
「……それなんか聞いたことあるな…ばあちゃんが言ってたような…」

うーんと考えに沈む纏。ゲームやらアニメやらに関してまったく縁のない生き様を送っている纏だけに、そっち方面から記憶を引き出すのに時間がかかるようだ。

「そうだ、それたしか日本橋の小春さんだよ。婆ちゃんの友達だ」
「なんだって!?」

世間は狭いとはよく言うが、まさか全国どこからでもアクセスできる寿司屋のflashゲームで、神田と日本橋で1位2位を競っていたとは思わなかった。

「今ちょうど来てるはずだよ、婆ちゃんと茶室にいると思う」
「そうか! よし会ってこよう! タイピングの秘訣を聞き出すぞ!」

両津の行動は早い、そう言い終わった瞬間にはすでにノートパソコンを脇に抱え、茶室の方へ駆け出していた。
和室から大部屋の前を通りすぎ、池を迂回して離れの茶室へ。勢い良く戸を開けると中央に囲炉裏のある四畳半の茶室が広がる。
主人の座る点前座には夏春都、来客側の席にはやや太めの老婦人と、スーツ姿で肩幅の広い男性が着座している。

「あっ! 電極スパーク!」
「なんだ君か」

スーツ姿の男性は電極スパーク。「スーパー電子工業」の社長であり、擬宝珠家とは寿司ロボットを売り込みに来て以来の付き合いである。ノリの効いたスーツを着こなし、度の強そうな角眼鏡をかけた姿に知的な鋭さを感じさせるが、それが茶室の厳格な雰囲気と奇妙に調和している。

「騒々しいね、なんだい」

夏春都はいつものような苦みばしった表情で正座している。もうお茶は終わったのか、湯のみも茶菓子も片付けられ、雑談を交わしていたところのようだ。

「そうだった、小春婆さんってのはあんたか?」
「なんだい、私に用かい?」

そう答える老婦人は濃い緑の着物に灰色の帯という落ち着いた装いで、太めの顔に銀色の片眼鏡をかけている。目の前に煙草盆には同じく銀色のキセルを置いており、それが冷徹なイメージを与えていた。奥歯を噛み締めるような顔立ちは夏春都と同じか、それ以上に堅物そうで気難しそうな印象である。

「そう、婆さんだろ、超神田寿司のflashゲームで毎月トップを取ってるの。ちょっとやってるとこ見せてくれよ」
「ここでかい? いいのかい擬宝珠さん」
「しょうのないやつだね」

夏春都も仕方ないという感じで許諾する。
両津の生まれ育った下町と違い、どうも神田や日本橋の老人は空気が硬い、と両津は感じていた。少年時代に三味線を習っていた婆さんといい、しつけや礼儀に厳しく、常に正座を崩さず凛とした佇まいを維持している。夏春都も元は浅草は両津家の生まれなのだが、本人曰く両津家の女はドイツ系で生真面目なのだという。

「じゃあ頼むよ、上級モードで…と」
「なんだいQWERTY配列かい、DvorakJP配列のほうがいいんだけどね」
「さすがにこだわるな」
「Dvorakが日本に来た1930年頃から使ってるから思い入れがあってね」
「……婆さん、今いくつなんだ??」
「小春さんは102歳だよ」
「げっ!?」

そういえば今年で101歳だか105歳だかになる春夏都の友人であるから、同年代であっても不思議はない。とはいえ102歳とは思わなかった。

(……そんな婆さんがタイピングなんてできるのか?)

と両津も不思議がる。
ノートPCの画面に超神田寿司の店内が表示され、寿司ネタが置かれた瞬間。

ドガガガガガガガガ
ガガガガガガガガガ
ガガガガガガガガガ

「ぬお!?」

まるで全ての指で同時に押してるかのような凄まじい運指である。機銃掃射のような勢いでキーが乱打され、しかもミスタイプを意味する赤い点滅が全くない。

「ふむ26秒かい。ちょっとキーが硬いね、ちゃんと手入れしときなよ」
「……は、早すぎるぞ! どうして婆さんなのにそんな技術を!?」
「失礼なやつだねイチローは」

夏春都が叱りつける。小春婦人は片眼鏡を指で持ち上げ、気難しそうな顔で口を開く。

「知らないのかい、昔はタイピストといえば女の職業だったんだよ」
「あっ! そうか!」

タイプライターが実用的なものになり、ビジネスの場面で使われだしたのが19世紀末ごろ。当初は男性だけが独占していた仕事であったが、次第に女性にも仕事が開放され、彼女たちは有能で活動的な女性の象徴として、女性の社会的地位の向上に大きく貢献したとされる。タイピストの女性は打鍵の正確さや速さがそのまま給料に反映され、当時の職業婦人の中でもかなりの高給取りであったという。

「14歳からこれ一本だからね、タイピスト歴は88年だよ」
「なんと…」

もはや気の遠くなるような年月である。しかも今の言い方だと、始めた年齢に職業歴を足したものが現年齢、つまりいまだ現役ということになる。

「そういえば日本橋といえば兜町だな…証券会社で90年近くバリバリ働いてたわけか…」
「このタイピングゲームはなかなか具合がいいね、字も大きくて見やすいよ」
「ありがとうございます」

と、頭を下げる電極スパーク。

「なんだ、スーパー電子が作ったのか?」
「我が社のソフト開発部門が作ったソフトだ。新技術のモデルとしていろいろ導入している」
「さあ、もういいだろ、出ていきな」

元から茶室でもあるし、大の大人が四人もいるとかなり手狭な印象だった。夏春都はノーと言わせぬ圧力で両津を追いやる。

「わ、わかったよ、ちょっとスパーク、来てくれ」
「なんだ」

スパークを外に連れだす両津。
茶室の外は竹垣で囲まれた細い道であり、よく掃き清められた白い飛び石が続いている。

「あのゲームで一位を取りたいんだ、何か秘訣があるだろ、教えてくれ」
「秘訣というと?」

と、両津は目を細くして渋い顔になり、ふてくされたような様子でつぶやく。

「…ゲームスピードを遅くする方法とかだよ」
「…開発者に聞くかそういう事を…」

だが、とスパークは言う。

「それは無理だな。あれ自体かなり動作を軽くしてあるし、一瞬でも60fpsを割る、つまり速度が遅くなるとスコアが正式なものと認められない仕様になってる」
「そうなのか? じゃあワードを予測するとかはどうだ」
「無理だな、かなり高度な乱数を用いてるし収録ワードは膨大だ。あれにはそういった不正な攻略を防ぐための技術がふんだんに盛り込まれてる。外部ツールによるセーブ&ロードも感知する対策を入れているし、つまりTAS封じだ」
「なんでそんなに気を使うんだ??」
「うむ、今やほとんどのゲームがオンライン要素を持ち、スマートフォンなど通信機器でも気軽にゲームを遊べる時代だ、オンライン要素があるということは競い合うタイプのゲームが多くなるということだな」
「ふむふむ」

スーパー電子産業の社長だけのことはあり、その語り口調は自信に満ちていて淀みがない。すらすらと流麗に言葉が滑りだしてくる。

「その中で問題になるのがツールによる不正行為だ。ネットワークランキングで上位があまりにも不自然なスコアという事例は枚挙にいとまがない。また、全国で数人しかクリアできないような超高難易度のゲームも、ツールで簡単にクリアされては、必死になって練習しているプレイヤーの努力が水の泡だ」
「なるほど」
「ゲームによってはツールの使用に対策をしているものもあるが…企業にとっては余分なコストなだけにあまり積極的でないのが現状だ。そこで我が社はすべてのゲームに応用できるようなツール対策ソフトの開発を行なっている」
「うーむ、いろいろやってるんだな…」
「というわけで不正は不可能だ、あきらめろ」
「いや! わしはあきらめんぞ、なにか方法を見つけてみせる!」

と、太陽に向かって気合を入れる両津。

「というわけで協力しろスパーク」
「えっ!? なんで私が!」
「不正対策をやるにはまず不正の方法を研究しないとダメだろ、わしが何がアイデアを出すからお前のとこの会社で形にするんだ」
「なんでそんなことに協力を!」
「まあいいからいいから」

背中をグイグイと押し、強引に自分のペースに持っていく両津であった。











[35120] 「両津流? TASタイピング」 の巻 後編
Name: MUMU◆c85b040a ID:0cc55bb1
Date: 2012/10/01 09:42




「というわけで試行錯誤の末、完成したのがコレだ!」

いつもの公園前派出所、中川や麗子の見つめる前で取り出すのは、見た目は黒い薄手の手袋のようなものだった。手首の部分に万歩計のような小さな機械がついており、手袋の全体には白い縦のラインが走っている。
電極スパークは派出所の入り口にいて、いつものように堅物そうな顔で佇んでいる。

「見た目は手袋みたいですね」
「『べらんめえ打ちまくり野郎くん』と名付けた」

その手袋は両津の手に合わせて制作されたものとのことで、左右とも手にピタリと吸い付くようにフィットしている。装着すると手首のパーツからピピッという電子音が鳴る。

「どういう機能があるんですか?」
「簡単に言うと人工筋肉だ。手の指を囲うように縦方向に中空のチューブが走っている。この片方にガスを注入するとチューブが膨らみ、指を反対側の方向へ折り曲げるわけだ」
「なるほど、同じ原理の人工筋肉がありますが、それを手袋に応用したわけですね」
「そう。そしてこれは指を曲げようとすると0.02秒でガスが注入され、その0.03秒後に反対側にもガスが注入され指が元に戻る。まあ見ていろ」

と、両津は目の前にノートパソコンを開き、タイピングゲームを起動させる。

ヒュカカカカカカ
カカカカカカカカ
カカカカカカカカ

「早い!」

指の初動から打鍵して元に戻るまでがあまりにも早く、指の付け根から先が完全に消滅しておりまったく見えない。自動ピアノのようにキーだけが沈み込んでいる。

「見ろ、上級ステージをわずか18秒だ!」
「すさまじい…」
「指の動きが全然見えなかったわ」

中川と麗子も冷や汗を浮かべている。

「要するに人体の動きに反応して、それと同じ方向に素早く動くわけだ。これによって打鍵速度が大幅に向上する」
「医療や軍事用に開発されてるパワードスーツと同じ原理ですね…すごい技術だ…」
「練習が必要だが、今では文字を意識するだけでキーがタイプされるほどだ」
「でもちょっとずるい…」
「何を言う!」

両津は目をくわっと見開いて反論する。少し困るような指摘は声と顔の勢いで押し切ろうとするのが両津の常套手段である。

「DDRなど一部の音ゲープレイヤーはサプリを飲んだり、関節にテーピングを巻いたりと肉体的な補助も駆使している! 海外のFPSプレイヤーなどレーシック手術で視力を向上させてる者もいるほどだ! 戦闘機のパイロットなみだぞ!」
「そ、そこまで…」
「今や超一流のプロゲーマーともなれば、スポンサーがついて高給を稼ぐ時代だ! そいつらが指に連射装置を埋め込んだり脳内にチップを埋め込む時代だって遠くはないのだ! 未来のTASは肉体改造を意味する時代が来るぞ!」
「そんなすぐには来ないと思いますが…」
「というわけでわしも時代の流れに乗るべく、こうして新商品を開発しておるのだ」
「え、その手袋売る気なんですか?」
「当たり前だ! もはや超神田寿司のflashゲームなどどうでもいい。この手袋は売れるぞ、間違いない」
「確かにタイピングの速度は上昇したが…」

電極スパークはあまり乗り気でない、という様子である。眼鏡を軽く押さえて悩ましい顔をしている。

「個人の手の形に合わせて特注しなければならないし…電子制御の部品を含めてコストがかかりすぎるのが…」
「心配するな絶対売れる! わしを信じろ!」

素早く電極スパークに駆け寄り、その両肩をしっかりと抑える両津。

「そのためのアピールの手段もちゃんと考えている、これだ」

と、両津はポケットから一枚の紙を取り出す。そこには炎で装飾された字体で「嘆きのタイピング野郎ども」と大きなロゴマークが書かれていた。

「何だこれは? タイピングを競うテレビ番組?」
「その通りだ、全国からタイピング自慢どもが集まって速度を競う企画だ! 親しくしてるプロデューサーに話して企画を通した。そこにわしがスーパー電子代表として参加して優勝するわけだ。すでにスポンサーも何社か見つけている」
「いつの間に…」
「優勝賞金が100万円出るからな、広報部長として8割わしがもらう。それと同時にキャラクター化やグッズ化も計画中だ、万事わしに任せておけ」
「うーむ、しかし開発中のものだし…」

凄まじい根回しの良さと強引な話術で、どんどんと電極スパークを抱き込んでいく両津。中川と麗子はそれを少し離れて見つめ、不安げな顔を浮かべるのだった。

「相変わらずの押しの強さね両ちゃん…」
「放っておくと権利を全部持っていきそうだ…」







『決勝に残ったのはこの4名です!』

巨大なエンターキーの着ぐるみを着て顔と手足だけを露出させた司会者が、センスを片手に紹介する。
決勝に残ったのは事務員歴50年の田中氏、翻訳家歴30年の山本氏、漫画雑誌の編集者竹中氏、そしてスーパー電子産業代表として参加している両津だった。どんな場面でも制服で出場する両津ではあるが、今回は企業の広報部長ということでチノパンにセーターという格好である。いつのまに広報部長になったのかは謎である。

『優勝候補はスーパー電子代表の両津さん! なんと準決勝の辞書まるごと打鍵を10分で終わらせました! 果たしてその脅威のマシンに他の選手は太刀打ちできるのでしょうか!?』

客席から盛大な歓声が上がり、両津も両腕を上げて応じる。喜びの表現とともに、手袋をカメラに向けることも忘れない。
そこにディレクターからカットの声が飛ぶ。

『では10分の休憩ののちに決勝戦です』

――

「楽勝だな、この調子なら優勝はいただきだ」
「大丈夫なのか?」

スーパー電子社長、電極スパークはセコンドとして応援に来ていた。『べらんめえ打ちまくり野郎くん』をメンテナンスしようとするが、触ってみて驚きの声を上げる。

「かなり熱くなってるじゃないか、オーバーワークさせすぎだぞ」
「昨日からテストを含めて80万打鍵ぐらいさせたからな……」
「大丈夫なのかよ勘吉」
「大丈夫だこのぐらい、だいたいなんで纏まで来るんだ」
「まあ発端はウチみたいだし、ばあちゃんが様子みてこいってさ」

手錠を指で回しながらそう答える纏。勤務中にミニパトで寄ったのか、いつものように上着を脱いだ制服姿である。スニーカー履きなのが特徴的だった。
中空チューブや手首の機械を手早く調べていたスパークが冷や汗を浮かべる。

「決勝は棄権した方がいい! マシンが限界だ!」
「ばかを言うな!!」

強く反論する両津。

「ここへ来て調子が悪くなったなどと言ってみろ! 売り上げに響くだろうが! あとは決勝だけだ、なんとか持たせるしかない」
「なんとかと言っても…機械の熱で指の周りの中空チューブが硬化してきてるぞ、このままだと屈腱と伸腱…つまり指の『曲げ』と『戻し』をうまく行えない」
「心配いらん、ガスの注入量を最大にすれば多少の動きの悪さはカバーできる」

おもむろに手首の機械をいじる両津。

「あっ!?」
「この一戦に『べらんめえ打ちまくり野郎くん』の命運と賞金100万円がかかってるんだぞ! スーパー電子の社運を賭けた戦いなのだ、このぐらい何でもない!」
「別に社運は賭かっていないが……」

「決勝に残った方ー、そろそろ収録開始しまーす」

とADが触れ回り、両津も立ち上がる。

「よし、あとは任せろ」
「もう知らんぞ私は……」
「金がかかるとみさかい無いからなあいつ…」

ステージにはドライアイスの煙が立ち込め、大理石や鏡の破片で装飾された長机の上に4つのキーボードが置かれている。七色のスポットライトが踊るようにきらめき、ドラムロールが鳴り響くという、両津の企画だけあってどこか大時代的なバラエティ演出が続く。

『決勝のテーマはこちらです!!』

エンターキー姿の司会者がセンスを振り上げると、巨大なプロジェクターに上着をもろ肌に脱いで肩と胸板を露出させ、長ドスを握りしめた警察官が映る。

『こちら台東区上野動物園前派出所! 連載初期から異様にネームの多い漫画として知られるこの作品の第1巻第1話! 『始末書の山さんの巻』全31ページのすべてのフキダシを打鍵していただきます!』

「よし! 何度も読んだ漫画だ、楽勝だな!」

両津はキーボードの上に手を水平に浮かべて構える。他の参加者もあるいは前傾姿勢になったり、あるいは背を反らして腕をキーボードに立てるように置いたりと様々である。さすがに決勝に残るだけあり、誰もが只者ではない気配を漂わせている。

『スタート!』

和太鼓の音がとどろき、4台のキーボードが一斉に打鍵音を響かせる。玩具箱をガラガラと揺らすような音、あるいは床に大量のパチンコ玉を落とすような音が会場内に響きわたる。

特券10まいかったんだぞ10まい!
tokkenn10maikattanndazo10mai!

なんだてめえら!見せ物じゃねえぞ!
nanndatemeera!misemonojyaneezo!

よろしくお願いします先輩!
yorosikuonegaisimasusennpai!

わしらの年代なんたって花札にかぎるって!
wasiranonenndainanntattehanafudanikagirutte!



『両津選手すごい速さです! すでに20ページ以上打鍵しております!』
「ようし見たか、優勝いただき!」

ぎゃっ!巡査部長なんでまたいっしょに!
gyaltu!Jyunnsabutttttttttttttttttttttttttttttttt

「なんだ!? 指が戻らなくなった!」
『おおっと両津選手ミスタッチです! キーが沈み込んでしまったか!?』

ゴムの手袋に覆われた両津の指先が、カギ型に曲がったままキーを押し続けている。慌てて腕ごとキーボードから遠ざけるも、見れば右手が完全に握りこぶしの状態になったまま固まっていた。すべての中空チューブが指を「曲げろ」の方向に力をかけている。

「くそっあと2ページなのに! このっ、開けというのに…」

まるで接着剤を握りこんだかのようにガッチリと固まっている。ガスの圧力を最大にしているせいで凄い力である。両津はなんとか指を開こうと、右手を顔の前に持ってきて、渾身の力を込めて手を開こうとする。
と、次の瞬間、全ての中空チューブが指を「伸ばせ」の方向に動いた。五本の指が両津の鼻を中心とする五カ所を直撃し、ドバアンというものすごい音が鳴る。

「はう!」

一瞬首が伸びて顔の形が変形し、目があさっての方向を向いて椅子から転げ落ちるほどの衝撃である。そのまま激痛のままに地面を転がる両津。

「ぬおおおおおお顔面爆発~~~!」
「大丈夫か両津くん!」
「バットでサンドバッグを殴るみたいな音だったな……」

壮絶すぎて逆に冷静になった様子で纏がつぶやく。

『両津選手マシントラブルのようです! この間に他の選手もどんどん追い上げる!』
「うぬ! くそ!」

目の前に火花を散らしつつなんとか立ち上がるものの、見れば右手はまた握りこぶしのままで固まっていた。手首の制御機械も白煙を上げているし、もはやまともな動作は不可能だろう。拳でタイプしようにも、またいつ開くか分からない。
一瞬の逡巡ののち、両津の目が決然と開かれる。

「最後の手段だ!」
『こ、これは!』

勢い良く持ち上げられた両津の肘が、狙いあやまたずキーボードの一点に命中する。

『肘でタイピングしています! なんという神ワザ! 信じられません!』

まるで武術のような大胆かつ正確な動きである。骨太な両津の肘が切手サイズのキーを見事に打ち抜いていく。
そして打鍵終了。ファンファーレとともに、巨大なクラッカーから大量の紙吹雪が打ち上げられ、無数のスポットライトが両津を照らす。

『チャンピオンの両津選手! 喜びのコメントまでタイピングしております! さすがです! まだまだ余裕があります!』

調子を上げていく両津の様子を、電極スパークと擬宝珠纏は複雑な表情で見つめるのだった。

「…うーむ、これでは手袋の宣伝にはなりそうもないな…」
「欲が絡むとなんでもできるやつだよ、まったく…」







(第三話 おしまい)




[35120] 「最強? 死神刑事!」 の巻  前編
Name: MUMU◆c85b040a ID:0cc55bb1
Date: 2012/10/20 12:23
「最強? 死神刑事!」 の巻





両津の類人猿を思わせるワイルド全開な顔が画面奥に向かって振りかぶられ、上半身のひねりと足さばきと、太い首のねじりを伴ってぐおおおと風圧を引き連れて振り向かれる。

「特殊刑事課の刑事が来るんですか!!」
「そうだ」

巡査部長の大原大次郎を中心に、中川、麗子、両津が並ぶ派出所の風景である。特殊刑事課と聞いて、一同の中に独特の緊張感が生まれている。

「今回の刑事は、死神刑事(デカ)というらしい」
「うーむ、今回も難しい」

特殊刑事課とは警視庁の内部に存在するエリート集団であり、海パン姿でありながら事件解決率100%を誇る海パン刑事、様々な機能を秘めたタイガー戦車を操るタイガー刑事など、凄腕の刑事が揃っている…という評判ではあるが、両津などには今ひとつ理解しがたい刑事も多い。
なぜか両津は高く評価されており、時おり合同捜査が言い渡されることがある。警視庁内部でも謎の多い部署であるため、今回もコードネームだけが先に通達されていた。

「きっと、飄々としていながらクールに悪を裁く、浮世離れした雰囲気の刑事じゃないかしら」

麗子が発言する。

「伊坂幸太郎の『死神の精度』に出てくる千葉みたいな…」
「絶対違う、そんなやつ出てくるわけない」

両津がばっさりと切り捨てる。次に中川が発言する。

「やはり定番の、黒いローブに大鎌というスタイルでしょうか?」
「いや、少しひねって水木しげる風の死神が出てくると思う。四角いガイコツみたいな顔してるんだが割と好きだった」
「白い死神、と呼ばれたシモ・ヘイヘに憧れてるスナイパーなんてどうでしょうか?」
「ありうるが、葛飾署の後流悟十三とかぶるんじゃないか?」

他にも持ち物の全てに死神のマークが刻まれてるとか、語尾のすべてにデスを付けるだとか、いろいろ説が上がったがどれもピンと来ない。

「ん、なんだ?」

遠く、鳥の羽ばたくような音がする。
それがヘリのローター音と気づくと、音量はあっという間に膨れ上がり、窓から入り口から暴風が吹き込んで派出所の中をめちゃくちゃにかき回す。

「うおっ!?」

書類を巻き上げ中川の帽子が飛び、棚は倒れて椅子が狭い床を暴れまわる。

「外になにかいるぞ!」

派出所の面々が外に出ると、そこには五枚羽根ローターを旋回させ、爆風に近いほどの風圧で派出所を押さえつける戦闘ヘリの姿があった。
20メートルを越える鋼鉄の巨体が派出所の面々に影を落とす。2200馬力のターボシャフトエンジンと、それが生み出す回転翼の風圧は巨人が押さえつけるかのようで、耳を押さえて姿勢を低くしなければ耐えられないほどの騒音である。

「Mi-24Dハインドだ!!」

両津が叫ぶ。プラモで何度も作った機体だったが記憶と寸分の違いもない。ちゃんと12.7ミリ機銃や対地ミサイルポッドも装備されている。

「た、確かにゲリラに恐れられた機体ですね…これが死神の由来なんでしょうか」

やがてハインドは派出所の上に着地する。10トン近い重量に乗られて派出所も辛そうだ。

「出てくるぞ…」

その人物は真上から太陽の照りつける中を、逆光を浴びて黒いシルエットとなって飛び出す。一回転して着地するその人物は黒い長裾の着物、腰には刀。そして白い帯を締めて同じく白無垢の羽織をまとっている、左目の眼帯を押さえながら口を開く。

「私が死神刑事だ!」
「おい! ちょっと待て! こら!!」

両津があわてて発言する。

「何だいきなり」
「ブリーチの死神はまずいだろ!! 同じジャンプの漫画だぞ!」
「別にまずくはない、30周年のコラボ企画で出たこともあるだろ」
「うーむ、それはそうだが…」

複雑な表情をする両津の傍らで、話についていけずに孤立する部長がいた。

「な、何の話だ…?」
「見ろ、部長の理解を超えてしまった。しょうがない、説明しましょう」

両津が仕方ないという顔で説明を始める。部長に物を教える時の両津は面倒くさそうな素振りを見せつつ、どこか優越感をにじませるのが特徴だった。教える内容は最新の電化製品などのこともあるが、大抵は軍事やアニメといったカルト的なものなのだが。

「BLEACHといえば少年ジャンプで連載してる人気マンガですよ。死神の力を手に入れた主人公が悪霊と戦う漫画、と理解してくれれば結構です。死神が黒い着物を来た侍みたいに描写されてるのが特徴で、コミックスは56巻で8000万部近く売りあげてますし、小説やらアニメやらもたくさん出てます。有名ですよ」
「そ、そうか…」

立場上知らなかったとは言いづらいのか、軽く相槌を打つ程度にとどめる部長。

死神刑事は髪をトゲのように放射状に結っており、その先端に小さな鈴を結いつけていた。左目の眼帯といい、あの人物に成り切ってるのは明白である。両津が問いかける。

「その格好は更木剣八ですか?」
「うむ、そうだ」

コスプレの部分を除いてよく観察してみると、青ひげの目立つ50絡みの男だった。よく見ればかなり腹も出ている。アゴは2つに割れていて名刺でも挟めそうなほどで、その割に口が小さくて何やらアンバランスだった。
狼のように凶悪な顔をして、口の端が大きく裂けている原作の更木剣八とはあまり似つかないが、トゲのような髪型と眼帯が特徴的なキャラなので、その部分を忠実に再現すると確かに剣八で押し通されてしまう。

「現在、警察内部にも不祥事や腐敗が目立っている。そこで求められるのが侍のように強く自分を戒め、誘惑に負けぬストイックな精神だ。そこで私は侍の衣装を着用し、自分を律しているのだ」
「それは分かるんですけど、なぜブリーチなんです?」
「海外の受けがいいからだ。あとコスプレショップで衣装が安く買える」
「けっこう打算的な理由だった…」

立場上は警視庁のエリート刑事と巡査部長なので、突っ込む時以外はあまり強く話せないようだった。小声でつぶやくに留める。

「両津はお前か!」
「は、はい」
「月光刑事や革命刑事から君のことはよく聞いている、なかなか有能だそうだな」
「やはりあっちの系統か…」

月光刑事とはセーラームーンの扮装をした刑事、革命刑事とは少女革命ウテナの扮装をした刑事のことである。いずれも50がらみのむさい男たちだったが、露出度の高いきつめの衣装を身につけ、定番の掛け声を叫びつつ悪を討つという刑事だった。
どれほど活躍しても変態のカテゴリーは出ないが。

「君との合同捜査を行いたい、君も死覇装(しはくしょう)に着替えたまえ」

黒い着物の包みと刀を差し出す死神刑事。
なぜか禿頭のカツラも付属していた。



「よく似合ってるぞ」
「衣装はいいんですが、なぜ斑目一角なんです…?」

死神刑事の着ている白い羽織はBLEACHの中でも上級職にある人物が着るもので、両津は黒い着物のみだった。腰には刀を下げている。斑目一角とはやはりBLEACHの登場人物であり、獰猛な面相と剃り上がったスキンヘッドが特徴だった。
しかし両津が着用すると、死神や侍というより時代劇に出てくるゴロツキのようである。

「他の死神だと小道具やらメイクが面倒だからな。斑目ならカツラ一つでなりきれるから分かりやすい」
「刀なんて下げていいんですか? 本物ですよこれ」
「細かいことは気にするな、では行くぞ!」

特殊刑事課に共通する特徴としてマイペースということがある。いつのまにか派出所の壁にハシゴがかけられており、死神刑事は軽快にそれを登っていく。

「先輩、気をつけてください」
「死神にでも祈っといてくれ」

「こら、お前は乗ってはいかん!」

両津もハシゴを登ろうとした矢先、そう怒鳴られる。

「え?」
「ハインドの中は狭い。二人乗ると羽織のたなびく感じが出せない」
「じゃあ私(わたくし)はどうするんです?」
「これを使いたまえ」

と言って死神刑事が頭上から投げるのは、白いコウモリのような、傘状の骨組みに皮を貼って白く塗りあげた道具だった。小手のようなものがついており、革ベルトで手に拘束できるようになっている。

「それは天踏絢(てんとうけん)と言ってソウルソサエティにも二つとない道具だ。霊圧をこめると空を飛ぶ事ができる、手に装着しろ」
「またマニアックなものを…。それに霊圧なんて…」
「…先輩、あまり逆らわないほうが」

中川がそう耳打ちし、両津も訳のわからないままそれを装着する。死神刑事はハインドのエンジンの回転数を上げ、ローターの回転が砂埃を上げ始める。

「つけました刑事どの!」

すぐに、ローター音によってかなりの大声でなくては聞き取れない状況になる。両津がそう叫ぶと上から声が降り注ぐ。

「よし! では行くぞ」
「え!? いや私! 「これ」では飛べませんが!!」
「心配いらん、よく見ろ、その道具とヘリがワイヤーで結ばれている」
「えっ?」

よく見るとキラキラと光る線が見える。それは直径3.5ミリのステンレスナイロンワイヤーであり、白い線なのでコウモリのような大仰な道具と、派出所の壁の色に紛れて気づかなかったようだ。ヘリがふわりと浮き上がる。

「あっ! まさか!?」

ワイヤーがぴんと張られ、次の瞬間両津の体は風船のように浮き上がり、その黒い着物姿はすさまじい上昇力によって一気に小さくなっていく。

「ひいい!? ぎゃあ怖い!! あいててて肩が抜ける~~!」

両津の叫びがあっという間に遠くなっていくのを見つめながら、大原部長は渋い顔でつぶやくのだった。

「…拷問でもあそこまでやらんな」








[35120] 「最強? 死神刑事!」 の巻  後編
Name: MUMU◆c85b040a ID:0cc55bb1
Date: 2012/10/21 21:15




「ちょっと速すぎるぞおい! ぬお! すごい風だ!」

ハインドの巡航速度は270キロに達する、この時も150キロ近くも出ていた。しかも高度がせいぜい数十メートルなので、街路樹はばさばさと揺れて電線がヒュンヒュンと唸りを上げている。台風のような光景である。

「もうちょっと高度を上げないと危ないぞ!」
「パトロール中だからこの高度でいいんだ」

器用にヘリを操縦しながら、死神刑事は周囲を見張っているようだ。時おり機体が左右に振れるので余計に揺れが激しくなる。
顔面に風が打ち付けてくるので、風に負けぬよう腹から声を張り上げる両津。

「しかし死神刑事は具体的に何を捕まえるんです!? 革命刑事なら渋滞の取り締まりとかでしたが!」
「うむ、それだが――」

と、答えかけた時、操縦席の無線機が赤いランプを灯す。

「むっ!」

すぐに受令機を取り、短く応答を交わす死神刑事。そのいかめしい親父顔が鋭い眼光を宿す。

「両津! 任務だ、すぐに現地へ向かうぞ!!」

と、いきなり急旋回をきるハインドD。

「ぬおお!?」

当然、両津の体は振り子のように大きく振られる。
その真正面に迫るマクドナルドのMの文字。高さ30メートルほどの位置にある回転式看板が迫っている。

「あっ、やばい!」

両津はL字腹筋の要領で両足を前に出し、衝突の瞬間を測る。

「でいっ!!」

掛け声とともにMの文字を思い切り蹴り飛ばす、両津の体も時速百数十キロの速度が出てるために真正面から蹴ると危険なので、うまく斜めに力をそらすように蹴り、看板をやり過ごす。

「わはは見たか! 高野拳磁ばりのミサイルキックだ!」

汗をかきつつ看板を後方に見送った両津が前を向くと、
そこには出初め式でハシゴ乗りをやっていた男が、ぎゃああと叫びながら眼前に迫ってるところだった。しかも数十基のハシゴが竹林のように並んでいる。

「ぎょえっ!?」





死神刑事が運転席でいかめしい顔をしている。搭乗口が開け放たれていたが、そこを毛深い腕ががしっと掴み。着物姿の両津勘吉が上がってくる。着物がすでにボロボロで生傷も大量だった。

「なんだ、上がってきたのか」
「無茶言うなよ死んじまうぞ、あいてて」

ハインドはより前傾になり速度を増している。計器類の読み方がわからないが250キロは出てるかもしれない。なぜ自衛隊にスクランブルがかからないのか不思議なほどである。

「任務って、やっぱり死神刑事にも独自の任務があるのですか? 革命刑事が渋滞対策だったみたいに」
「うむ、この官章を見たまえ」

死神刑事は二の腕に巻かれた官章を見せる。それは腕章に、将棋の駒を下向きにしたような隊章を縫いつけたもので、漢数字でニ、それと何やら六枚の花弁を持つ上向きの花が描かれている。両津の知るよしもないことだが、「翁草」というキンポウゲ科の花の意匠だった。

「ん? ニ番隊? たしか更木剣八は十一番隊の隊長では?」
「更木が個人的に好きなキャラなのでな。だが死神刑事の本来の役割は二番隊なのだ」
「たしか二番隊って隠密機動部隊でしょう? 忍者みたいな位置の」
「その通り、死神刑事とは隠密なのだ。その役割とはつまり、特殊刑事課の刑事たち自体を取り締まることにある」
「なんだって!?」
「特殊刑事課には変わり者が多いからな。大きな権限と強力な装備を与えられてるだけに、何かのはずみで市民に迷惑をかけないとも限らん。そういう時に私が呼ばれるわけだ」
「……日常的に迷惑かけてるやつもいる気がします」
「今回は君も知っている男だぞ、浜辺でドルフィン刑事が暴れているらしい。かなり酔っているようだ」
「うーむ、よりによって攻撃力の高いやつが…」

ドルフィン刑事とは海の平和を守る任務を帯びた特殊刑事である。一人乗りの小型潜水艇や、イルカに引かせた水上スキーを駆り、木製のグリップが付いた木槌のような形状のM24柄付き手榴弾、通称ポテトマッシャーを投擲するというバイオレンスな刑事である。
大戦期までしか使われなかった柄付き手榴弾をどこから調達しているのか気になるが、あまり深く考えないほうが無難な気がした。





「なぜだ! なぜだあ!!」

ダルマのように丸々と太った体に桜田門を大きく描いた黒ふんどし、禿頭に載せられたヤシの木と、優雅にくゆらすマドロスパイプ、そして襟元だけに簡略化されたセーラー服、と、いろいろ常識を度外視した姿のドルフィン刑事が暴れている。
彼の顔は鼻までも真っ赤に染まり、足元はふらついていて舌もあまり回っていなかった。足元には飲み干したウイスキーの瓶が2・3本転がっている。
激情した叫びとともに投擲される柄付き手榴弾が縦回転しながら飛び、着地と同時に爆音を上げて炸裂する。火薬を抑えた特注品らしいがそれでも相当な威力である。浜にいたサーファーたちが蜘蛛の子を散らすように逃げている。屋台の残骸のようなものが2・3転がっていた。
そこに降り注ぐローター音、ドルフィン刑事が素早く反応する。砂を蹴立てて屋台や海の家をきしませ、浜辺のレジャーシートやパラソルをまとめて吹き飛ばしながらハインドDがホバリングする。

「むっ! 死神刑事か!」

「両津くん、そこにある拡声器を取ってくれ」
「まず呼びかけだな、分かった」

両津が拡声器を渡すと、死神刑事は搭乗口から身を乗り出し、大声で叫ぶ。

「破道の三十三! 蒼火墜!」スイッチをひねる音。
「あっ!?」

左右のミサイルポッドから火線を引いて弾頭が飛ぶ。それはミリ秒ののちに浜に突き刺さり、地を揺らす轟音とともに十数メートルの砂柱を、海岸線の向こうには水柱を打ち上げていく。確実にビーチの地形が変わるほどの被害である。

「おい!! いきなり撃つのかよ!?」
「まず戦闘力を奪う。大丈夫だ火薬は抑えてある」
「おそろしい…」

さすがは死神刑事というだけはある、仲間の特殊刑事課に対しても全く躊躇がなかった。両津も冷や汗を浮かべつつ突っ込む。

空対地ミサイルの爆炎と砂煙が視界を完全に塞ぎ、一瞬後にそれが晴れかかるとき、
操縦席の目の前に十本近い柄付き手榴弾が舞う。

「あっ!?」

どががががががん、と合計1キロ近いTNT火薬が炸裂し、光と音が浜辺を埋め尽くし、白煙と閃光が遅れてくる黒煙に塗りつぶされ、ようやく晴れた頃には、ほどよくコゲた両津と死神刑事が浜辺に転がる。かろうじて爆発の寸前に脱出したものの、どちらも黒い着物がボロボロになってて半裸に近かった。髪の毛もかなり縮れており、両津の禿頭のカツラはどこかへ消し飛んでいた。
ハインドDはというとローターがよく曲がる歯ブラシのようにひん曲がり、頭から砂地に突き刺さっている。

「うーむ、さすがはドルフィン刑事、見事な反応だ」
「お前らは人に迷惑かけすぎだ!!」

目を回しながらも突っ込む両津。

「そう簡単には捕まってやらんぞ、死神刑事よ!!」

見ればこちらもあちこちコゲて砂まみれになってるものの、まだまだ元気な様子でドルフィン刑事が叫ぶ。その背後では爆圧の直撃を受けたためか、仲間のドルフィン軍団、バンドウイルカたちが波間にプカプカ浮かんでいた。音にやられただけで別に死んではいないようだが。

「こら! ドルフィン刑事!!」
「おや、なんだ両津か」
「何で暴れるんだ、それにそんなに酔っ払いやがって!」
「これが酔わずにいられるか!!」

ドルフィン刑事はその巨体を震わせ、どんどんと砂浜を強く踏み鳴らす。

「横浜がまた最下位だったんだ!」

ずるうっ、と砂をえぐり返しながらコケる両津。短い足が頭の上まで打ち上げられる。

「…仕方ないだろ弱いんだから…。親会社が変わったんだから来年あたりから変化あるかも知れんだろ」
「黙れ! それというのも横浜ファンの応援が足りないからだ!! 浜辺で波と戯れて遊びほうけたり! みなとみらいのイルカショーに夢中になってるからだ!! このドルフィン刑事が天誅を下す!!」
「言いがかりな上にお前が言うと説得力が全然…」
「両津、酔っぱらいに説得してもムダだ」

と、前に出てくる死神刑事。

「大技で決める。破道の九十、黒棺だ」
「おお!」

BLEACHの作品世界における魔法のような術が鬼道と呼ばれ、それは主に攻撃を目的とする破道と、捕獲や通信など様々な用途に使われる縛道の二つに分類される。数字が増えるほどに威力も大きく、扱いは困難となり、作中で登場した中では九十九が最高である。
破道の九十、「黒棺」が具体的にどのような術なのかは明らかでないが。超重力の檻に敵を封じる、というのが近いと思われる。その詠唱の独創性、エフェクトの派手さ、使われた場面の印象深さなどで最も有名なものの一つだった。

「……しかし剣八も斑目も鬼道は苦手じゃなかったのか?」
「細かいことは気にするな。両津くん、相手の注意を引きつけてくれ」
「…なるべく早く頼むぞ」

半ばヤケになって走り出し、ドルフィン部下に向かって声を張り上げる。

「おーいこっちだ! 相手になってやる!!」
「むっ、このドルフィン刑事を挑発するか!」

どこから抜き出すのか柄付き手榴弾をすべての指の間に持ち、一斉に火をつけるドルフィン刑事。死神刑事の方はボロボロになった着物を直し、右手を高く上げて何やら詠唱を始めている。

「とうっ!」

投擲される数個のポテトマッシャー、両津は縦回転して飛翔するそれの着弾点を素早く見極め、急激に方向転換してかわす。一瞬後にその場に伏せ、爆音と爆風が頭上を通り過ぎるとともにまた駆け出す。

「むうっ! 火薬を抑えてあるとはいえ、かわしてのけるとは!」
「柄付き手榴弾は転がらないから爆発点が読みやすいからな! それに砂浜では飛散物がないから威力も半減するぞ!!」

さらにこれはあえて言わなかったが、酔っているせいでかなり手元も怪しくなっている。気が大きくなっている分、投擲する量はかなり多めになっているのも確かだが。

「おのれ、ちょこざいな!!」さらに倍する量を投擲するドルフィン刑事。
「おおっと!!」

逃走経路を塞ぐように扇状にばら撒かれたそれを、あえてドルフィン刑事に向かって走りこむことで回避する両津。

「御用だ!!」「うわ、怖い!!」

一気に跳びかかり、鬼のような形相を剥いてその丸っこい体躯を組み伏せる両津。
と、そこで死神刑事の詠唱が完了する。

「破道の九十、黒棺!!」

ふわりと、両津とドルフィン刑事の頭上に落ちる影。それは雲の影よりも濃く、四角く鋭的な影だった。
両津たちの頭上から、いつのまにそんなものを用意したのか、直径25メートルものヘリウム気球に吊り下げられた鋼鉄製の箱が落ちてくるところだった。それは鉄板を溶接しただけのように見える無骨な箱型で、両津とドルフィン刑事をすっぽりと覆ってそのままどすんと砂浜に鎮座してしまう。

『えっ!? おい何だこれ!?』

鉄の檻に反響して響く両津のだみ声。

「犯人捕獲用ケージだ。その中でおとなしくなるのを待つ」
『おい!? その手榴弾火がついてるぞ!!!』
『手持ちの分にすべて着火してしまった』
『大バカ野郎!!』

その直後に響いたTNT火薬5キロ分もの大爆発を、
鋼鉄製ケージは、しっかりと檻の内部に受け止めたのであった。





「災難でしたね先輩」
「まったくだ、あやうく死ぬところだった、いててて」

鉄人両津も怪我をしないわけではない。密閉空間で大爆発に巻き込まれたため、さすがに入院する羽目になっていた。

全身くまなくコゲた両津の体は包帯でぐるぐる巻きにされ、、右手と左足はギプスで固定されて、顔も包帯やら湿布やらで半分隠れている。これでも常人ではありえないほど軽傷で済んだほうなのだが。

「ドルフィン刑事さんは今日から仕事に復帰ですって」

と麗子。両津を見舞いに来ているため、中川も麗子も私服姿だった。

「う~~む、さすが特殊刑事課、なみたいていのタフさじゃない…」

「なんだ、わりと元気そうだな両津」
「あ! 部長!!」

と、そこへ乱入してくるのは大原部長である。ただ一人制服姿で、何やら風呂敷包みを持っている。

「死神刑事がお前の協力に感謝してたぞ。それにドルフィン刑事もお前に迷惑をかけたと反省していた。二人からの見舞いの品を預かっている」
「えっ、見舞いですか!!」

全身くまなく様々に怪我しているというのに、状態を乗り出して反応する両津。
風呂敷包みを解いて現れた白い箱をもぎ取るように手にとって、勢い良く開ける。

「――な、何だこりゃ!?」
「二人からの手紙もあるぞ、読んでやる」

「『両津へ、以前より特殊刑事課の資金稼ぎのためにフィギュアを売っていたが、今回こち亀と縁の深いバンダイの協力で、「たまごっち とくしゅけいじ」を開発した。うまく育てると様々な「けいじっち」に成長するので頑張って育ててくれ』だそうだ」
「う~~む、商品としては凄いが、成長して革命刑事や月光刑事になったら子供が泣くんじゃないのか…?」

箱いっぱいに詰められたたまごっち型の携帯ゲームを覧て、両津はただただ困惑の顔だけを浮かべるのであった。
そして麗子が小さく呟いて場を締める。

「鳴き声が肉声なのね、海パン刑事の…」






(第四話 おしまい)



[35120] 「特典フィルム活用法?」 の巻 前編
Name: MUMU◆c85b040a ID:0cc55bb1
Date: 2012/11/17 01:09
「特典フィルム活用法?」 の巻








「最近、アニメの映画増えたな」

ほぼ手元しか見えないような暗がりの中で、両津勘吉がそう発言する。

薄暗い部屋である。
シャシャシャとミシンを高速でかけるような音が響いている。
部屋の中央に鎮座する巻取り機には横向きにフィルムが載せられ、映写機を通ったポリエステルフィルムを高速で巻き取っている。
部屋の壁には古いチャンバラ映画のホーロー製看板が飾られ、中央には濃い藍色の座布団、暗い室内に小さな窓が一つだけあり、劇場内で流れるアニメ映画の音と光が漏れてきている。

60年の歴史を持つミニシアター「葛飾キネマ」の映写室は、もう何十年もそうであったかのように手狭で、暗くて、静寂と賑やかさが同居していた。
パトロールのついでに寄った両津は濃い茶を啜りつつ、供されたせんべいをバリバリとかじっている。

「アニメは安定してるからね。見に来る子たちも大人しくて礼儀正しい子が多いし」

そう答えるのは葛飾キネマの主人、70前後の男性で、暗室にこもりきりなせいか鉛筆のように痩せぎすだった。
映写装置がほぼ全自動のものに変わり、映写中のフィルム炎上などという事態も今は昔。映写技師などという資格が失われて久しいが、それでもこの映写室の片隅に、何かを守り続けるかのように映写技師の証書が飾られていた。

「でも最近はシネコンとかいう大型の映画館が増えてね。単館系のアニメもそこでかかるようになって押され気味でねえ」
「確かにな、10いくつの映画館がひとつに入ってるからなあ」

かるく映写室内を見回して両津が言う。

「いっそのこと、この映画館売っぱらっちまったほうがいいんじゃねえのか? マンションでも建てて気楽に暮らしたらどうだ」

さばさばした下町気質の両津だけに、このような思い切った発言にも躊躇がない。悪気がないことは伝わるだけに、主人も気分を害した様子はなかった。

「でもこの年になるまで趣味も持たずにやってきたからねえ。動けるうちはギリギリまで続けていくよ」
「そうか分かった。今度独身寮の連中にも声かけとこう、アニメ好きも多いからな」
「よろしく頼むよ」
「じゃ、わしはもう帰るぞ」

立ち上がり映写室を出ていく両津に、背後から声がかかる。

「今度『11人いる!』のリバイバル上映やるから見に来ておくれよ。年末には『東京ゴッドファーザーズ』もやるからさ」
「わかったわかった」

裏口から外へと出る。外はまだ太陽も高く、目蓋に染み入るような冬の日差しに両津も手を額にかざす。

「わしらがガキのころは三本500円とかのチャンバラ映画を何度も見に行ったもんだが…、考えてみりゃテレビも金持ちの家にしか無かった時代だからな、この娯楽の多い時代によく生き残ってるもんだよ」

あらためて建物を振り返れば、それは両側をカラフルな外観の洋品店に挟まれて、そこだけがヒビだらけの外壁に、タバコ屋のような小じんまりとした券売所、はるか昔に上映されてたものと思われる古びたポスターなど、物悲しくも懐かしい下町の映画館が存在している。そこだけ時間が止まっているかのような眺めである。
現在上映中のポスターを含め、上映予定のものもアニメ作品が多かった。それを見て両津は感慨深げな顔になり、顎に手を当てる。

「アニメか…考えてみりゃチャンバラ映画だってガキが見るもんだからな、ある意味昔から変わってないのかも知れん…。なんとか協力してやらんとな」





「へえ、アニメ映画ですか?」
「そうなんだ、70になる爺さんが一人でやってる映画館でな。アニメ映画の流行で安定してたはずなんだが、ここ最近はまたシネコンに押されてるらしい」

いつもの派出所の風景、書類整理をする中川と、椅子に逆向きに腰掛け、背もたれに腕と首を乗せるように座っている両津の図である。

「まあそんなわけだ、客を呼ぶにはどうしたらいいと思う?」
「うーん、ボクもあまり詳しいわけではないので…。特にミニシアター系の作品は…」
「わしもアニメはそこまで詳しくないからな、こんど本田にでも聞いて…ん?」

両津の耳がぴくりと動く。
途端に椅子を跳ね飛ばして立ち上がり、派出所を飛び出すと同時に腰のホルスターからS&Wを抜き放ち撃鉄を起こす。

「あっ、先輩!?」

その勢いのままにガードレールを飛び越え、手足を縮めて体を前方向に回転させる。その先には低い排気音を響かせながら走り来ていたリンカーン・コンチネンタルの巨大な車体があった。そのボンネットの上に躍り出ると同時にサンダル履きの左足が伸ばされ三点着地の形になる。類人猿並みの握力を持つ右手がボンネットの鉄板を掴み左手の拳銃がフロントガラス越しにドライバーを捉える。

「ヘイストップ!」
「うわっ!!!」

リンカーンの長さ6メートルにも達する車体が前輪ブレーキで激しく制動し、その勢いで後部を思い切り振ってそれは環状七号道路の隣の車線にはみ出し、その車線を走っていたトラックやらタクシーやらはつんのめって停車する。

「バカヤロー!!! なんてことしやがる!!」

中から現れるのは黒服にサングラスというステロタイプなおやくざ衆である。両津はまったく動じずに車を降りて運転席の方へ行く。

「ちょっと御所ヶ原の組長に相談があってな、呼んでくれ」
「なに、てめえいきなり登場して…」

「よい、政、ドアを開けい」
「はっ、親分」

落ち着いた声とともに車を出て、のっそりと腰を伸ばすのは黒い羽織に唐桟縞の袴、きっちりと撫で付けた黒髪と山型の濃い眉。目の下で盛り上がった肉が独特の剣呑な雰囲気をかもすという人物だった。
名前を御所ヶ原金五郎之助左衛門太郎。都内に広大な屋敷を構える御所ヶ原組の組長であり、多くの組員を束ねる人物である。
頭には白黒チェック模様のシルクハットをかぶっていたが、誰一人それに突っ込むものはいなかった。

「むっ、一句できたぞ」
「えっ」

ミリ単位でドキリと動揺する政と、センチ単位で動揺する組員たち。

「めざましく 走る車に 秋ふかし
ふかしたイモなら ゴマかければごちそう」

…………

………………

「てめえら静まるな拍手だ!」
「ほめろお前らこの野郎!」

若頭や政が組員の頭を殴って回り、あわてて喝采を送る組員たち。

「す、すばらしい!」
「最高です親分!」
「はっはっは、そうかせんべい」

組員たちも組長の句をほめることを心得てはいるのだが、そのあまりに多次元的に交錯したセンスは聞くものを硬直させる効果があるかのようだ。

「相変わらずだな」
「いったい何の用だ」
「ちょっと知り合いがやってるミニシアターに協力したくてな。アニメ映画で客を呼ぶ方法を知りたいんだ、何かないか?」
「ふむ、なるほど」

御所ヶ原の組長は、老練のためか元々の性格のためか、感情の起伏をあまり悟らせないところがある。あくまで落ち着いた様子で、淡々と言葉を交している。
派出所の中へと移動し、パイプ椅子に座す組長。若い衆はアーチを描いて入り口に整列しているため、傍目にはとてつもなく奇妙な眺めである。

「客を集めたいなら、やはりリピーターを呼ばねばならん」
「リピーターといっても貧乏なミニシアターだからな…。同じ作品を何ヶ月もかけるのが普通なんだぞ」
「心配いらん、政、あれを」
「へい」

御所ヶ原の組長のもう一つの顔、それが重度のアニメオタクである。その凄さはレーザーディスクを2万枚所持しているとか、番組のスポンサーになって自分を出演させたことがあるとか、そんな数多くの逸話で伝えられている。

政が運んできたのは大振りなスーツケースだった。留め金にかけられた南京錠を外し、さらにスーツケース自体のダイヤル錠も外し、ケースを重々しく開く。

「ずいぶん厳重だな。何だこれは?」
「見ての通り、フィルムだ」

それは確かに映写フィルムのようだった。いわゆる35ミリフィルムと呼ばれる35mm×24mmサイズのフィルムである。しかしミニシアターの映写室で見たように巻き取られてはおらず、4コマ分ほどの長さで切り取られている。劇場映画は秒間24コマほどであるため、4コマではほとんど絵に動きは見られず、同じ絵が4つ並んでいるだけだ。

「最近のアニメ映画では、実際に使用されたフィルムをコマ切れにして特典とすることがある。もちろんもらえるフィルムは毎回違う。これが同じ映画を何度も見に行く理由になるのだ」
「でもただのフィルムだろ?? 集めてどうするんだ?」
「ただのフィルムではない。例えばこれだ」

取り出されたのは何やら透明なプラ板で保護されたフィルム。構図はセーラー服を着た少女の顔の下半分と肩のあたりまでの接写、何やら両肩を押さえられて服が少し乱れ、鎖骨が露出している。

「この『二宮ハルヒの消失』のいわゆる鎖骨フィルムがネットオークションで35万円で落札されたことがある」
「35万だと!!??」

金額を聞いていきなり大声を出す両津。眼とアゴを思いきり開いて顔全体で驚きを表現している。

「最近だと『劇場版 魔法少女マメトカ・マゼル』のあるフィルムが108万円で落札された」
「ひゃっ、108万…」

もはや想像を超えた高額であるが、高額なものに本能的に権威を感じる両津だけに、心なしかフィルムを持つ手が緊張でこわばっている。

「そんな高額はごく一部だ。普通は売れても数千円だな。リピーター特典などで、二回観ると一枚貰える場合が多い」
「なるほど、ちょっとした宝くじだな、うーむ108万とは凄い」

御所ヶ原のケースの中を覗いてみれば、一抱えもあるケースの中にフィルムがぎっしり詰まっている。オークションなどで買い漁るのを嫌っている組長のことであるから、きっと組員総出で映画館に通い詰めて集めたのだろう。組員と、そこに居合わせた他の客に道場を禁じ得ない。

「でもこういうのって昔からあったのか? あまり記憶にないな」
「ネットオークションが盛り上がったのは2007年春の『時をかける小四』のDVDからだな。DVD特典としてついていたフィルムがオークションで盛んに取引された」

しかし、よく見ればケースの中にはもっと古いアニメのフィルムも入っている。

「特典として生フィルムがついたのは宇宙戦艦ヤマトが最初だ。上中下巻3巻セットの豪華本の特典としてついてきた。78年当時で3万円した」
「知ってるぞ、発売当時はわしも卒配すぐでな。高くてとても手が出なかった」
「他にもうる星やつらの同人イベントでフィルムが配られたり、レダの劇場特典でフィルムがついてきたりもしたが、当時はあまり人気はなかった」
「なんでだ?」
「当時はセル画があった。完全に一点物のセル画と比べれば価値は落ちる」
「なるほど」

年季の入ったオタクなだけに臨場感のある語りぶりである。チェック柄のシルクハットも何やら賢そうなアイテムに思えてくるから不思議だ。
ちなみに、現在アニメ作品でセル画を使用しているのは「サザエさん」ただ一作である。2000年代からアニメ制作のデジタル化が進むにつれ、セル画の使われる機会は急速に減少し、当然ファンが手に入れる機会も無くなってしまった。

「要するに特典フィルムがつくような映画は手堅いということだ。リピーターも呼べるからミニシアターには良かろう」
「うむ、よくわかった。そういうのを選んでかけたほうがいいわけだな」
「でも、こういうの集めてどうするんです?」

そう首を傾げながら発言するのは中川である。手元にフィルムを持っているが、何の変哲もないポリエステルフィルムである。薄くて軽くてすぐに曲がってしまいそうに思える。

「……そういえばそうだな? 飾れるようなもんじゃないだろ」
「多くはファイリングして保存するようだが、写真屋に加工してもらってフォトフレームに飾る者もいるようだ」
「ほう」
「基本的にカラーフィルムと同じだ、焼き増しできる」
「…もうちょっと詳しく教えろ」

ずい、と顔を近づけ。なぜか期待したような笑みを浮かべる両津。

「よかろう。まずこのようなフィルムは現像した時と同じ向きと色で映るリバーサルフィルム(ポジフィルム)というもので…」
「…先輩、また何か思いついたのかな?」

帽子のつばを押さえ、やや不安げな表情を見せる中川であった。







[35120] 「特典フィルム活用法?」 の巻 後編
Name: MUMU◆c85b040a ID:0cc55bb1
Date: 2012/11/19 07:10





「えっ、フィルムを使ったグッズですか?」
「うむ、ちょっと見てくれ」

中川と麗子が見つめる前で風呂敷の包みを解く両津。中からは何やらごちゃごちゃとした小物が溢れ出てきて、机の上に雑然と広がる。

「ずいぶんいっぱいあるわね」
「アイデアを出すのは得意だからな」

見れば、どの商品にもアニメ顔の少女がプリントされている。特典のポジフィルムを現像して貼り付けた商品ということだろうか。ラミネート加工して表面に貼り付けているものや、布や紙に転写しているものもあった。

「まずは定番のマグカップだ。劇場で貰ったフィルムをその場で焼き増しして貼り付ける。内側にも貼れるぞ」
「へえ、いいじゃないですか」
「そしてアダルトな魅力の『とっくり』と『おちょこ』、アニメを見ながらこれで一杯。通の楽しみ方だな」
「…ま、まあ最近は大人のファンも多いですから…」
「食べられるセロファンにプリントすれば食品にも使える。色が分かりやすいようにハンペンに貼ってみた」

アニメ顔がぷるぷると揺れている。

「マグロの切り身にも貼れるぞ。刺身にしてしまうとバラバラになってしまうがな、このように」

本当に切り身にアニメ顔が貼られている。魚の油でテカテカと輝いてちょっと美しい。
中川と麗子はというと歯を見せるほど口元を歪めて複雑な表情である。

「食べ物はちょっと不気味ね…」
「そうか? じゃあ別のもあるぞ」

そう言って取り出すのは日本酒の五合ビンである。

「アニメ絵のキャラを印刷した萌え日本酒ってのがブームだろ、それにちなんでビンの表面に貼ればオリジナル萌え日本酒の完成だ」
「飲み物ならいいってものじゃないけど…まあ…これなら…」
「中には5ミリ四方の金箔が混ぜてある、その一枚一枚にも印刷しておる」

見れば確かに金箔の表面に何か印刷してある。黒っぽいフィルムのせいか刻みノリが舞っているようにも見える。

「よく見ると一枚一枚絵柄が違う…スパイがマイクロフィルムを隠すみたいですね…」
「お酒に入れるのは金箔だから映えるのよ、黒いとゴミみたいで気になるわよ」
「そ、そうか…?」

どうも感性の違いで衝突が生まれているようである。あまりにも独特なアイデアが多い両津だけに、その反応も引きだったり戸惑いだったり様々だった。

「こういうのもあるぞ、佃煮の真空パックに印刷してみた」

柴漬けのような赤紫色の佃煮が入った真空パックである。真空処理のため中身の形に合わせてビニールが張り付いているが、そのため顔が完全に顔芸になっている。

「ちょっと表情がわかりにくいんですが…」
「もうちょっとカワイイのはないの?」麗子は不満気である。

「かわいいのか。あるぞ、子供に人気でそうなやつが」
「へえ」
「麗子、ちょっと手を出してみろ」
「何かしら?」

にやりと子供っぽい笑みを見せつつ、両津のごつい手が麗子の手に載せられる。

「カブトムシの背中に印刷し」わさわさ「きゃああああ!!」

カブトムシを取りこぼしつつ後ろのロッカーに激突する麗子。

「こら!! 大切な商品に何する!」
「急にやられたらびっくりするわよ!!!」

可愛らしいアニメ絵と昆虫という組み合わせが独特の奇抜さを生み出している。混沌を内包したクリーチャーを見るようで、麗子などには拒否反応が大きかった。

「ばかもの、こんなのは序の口だ。ウシガエルとかオオトカゲも用意してるぞ」
「絶っ対見せないでよ!!」
「せ、先輩、やはり生き物は難しいですよ。他のはないんですか?」

冷や汗を浮かべつつ話をそらす中川。両津もすぐに応じる。

「じゃあこれなんかどうだ、300ピースのジグソーパズルだ」
「そうそう、こういうのがいいわよ」
「こんなのもあるぞ、自分で作れるオリジナル漫画だ」

それは額縁のような白いフレームであり、内部が漫画のコマのようにワク線で分割されている。さらに下部には丸っぽかったり尖っていたりするフキダシがたくさん配置されていて、それらのフキダシは単体で脱着できるようだ。

「マンガですか?」
「うむ、中のワク線やフキダシはマグネットになっている。こうやって自由に動かして好きなコマ割りを作れる。これに写真サイズに焼き増ししたフィルムを貼れば、自分だけの1ページ漫画にできるわけだ。フキダシはホワイトボードと同じ材質だ、水性マジックなら消して何度も書き直せる」
「それはいいアイデアですね」
「そうだろ、変わったフキダシや書き文字なんかもオプションで販売する。これは売れるぞ。おまけに色んなフィルムが必要だから映画館へのリピーターも増える」

と、そこで中川はふと気づくことがあり、はっとした表情に変わる。

「……先輩、これって例のミニシアターで売るつもりですか?」
「もちろんだ」
「それはまずいですよ。こういうグッズにはライセンス契約というのがありますし…。映画のフィルム1枚1枚にも著作権があるはずで、勝手に加工してグッズ化するのは…」
「違う」

両津が目を見開き、顎をつきだして否定する。

「これはあくまでも客が自分のフィルムを『加工』しているだけだ。つまり完全な私的利用だ。わしは加工の『技術料』を取るだけだ」

まるで顔で中川の上に乗るかのように詰め寄って、胸に指を突きつけつつ力説する両津。もはや力説というより力技である。

「以前、近所のカメラ屋のために『てめえ、じたばたすると写すぞ!』というインスタントカメラを開発したことがあったが、今回そのカメラ屋に協力を依頼した。ミニシアターの横に現像から焼き増しまで行えるDPEスペースを準備しておる。このDPE店はミニシアターとは別店舗扱いだ、何の問題もない」
「パチンコ屋の景品交換所みたいですね…」



「あのミニシアター、その後どうです?」
「ん、あれか」

自分の机に向かいつつ、両津は何やら手作業を続けている。白い手袋をはめ、裁ちバサミのように長く鋭利なハサミで手元のポリエステルフィルムを裁断しているようだ。映画用のものと同じ35ミリフィルムらしい。

「なかなか好調だ。フィルムを目的にコアなマニアが集まってるからな、そいつらが何回も見に来てくれてる。ミニシアターの主人と打ち解けてる客もいるみたいだな」
「へえ、よかったですね」
「うむ」

しゃきん、しゃきんと手際よくフィルムを切ってはより分けているようだ。良いものは透明なクリアファイルに綴じていき、そうでないものは机の脇に貼り付けたゴミ袋に投入していく。

「先輩、何やってるんですか?」
「これか」

手元の作業を止めぬまま答える両津、何やら真剣な眼差しである。フィルムを正確にカットし、その絵柄を選り分ける目つきは何かの職人のようでもある。

「『新世紀オバンゲリヨン劇場版:Q』がもうすぐ公開されるだろ」
「『オバQ』ですか、そうですね」
「フィルムは金になると分かったからな、その『オバ』のフィルムを用意した。例のミニシアターのDPE店舗で子供に売る」
「え? でもフィルムなんて手に入るはずが…」

と、中川がゴミ袋に入っている方のフィルムを何枚か抜き出す。確かに独特の体に吸い付く衣装を着た人物が描かれている。プラグスーツと呼ばれるものだ。元々体のラインを強調するようなスーツではあるが、そのフィルムに描かれている人物はどうも中川の記憶より肉感的で生めかしく、そして露出が激しく。

「うわっ!? 何ですかこれ!!」

と、中川が驚きの声を上げてフィルムを手放す。

「同人の『おげれつ』フィルムだよ。知り合いの同人サークルに頼んでフィルムに印刷してもらった。人気作だからこの手のエロ同人作品がたくさんある」
「こんなの子供に売る気ですか!?」

意外にこういう直球なものに弱いのか、顔を赤らめる中川。

「ばかもの、だからおげれつ部分をより分けて捨ててるんだろうが。スーツを着てるだけのシーンなら本物と大差はない、これを視聴前の小学生を中心に一袋500円で売る」
「本編を見たらすぐにバレると思いますが…」
「まれに未公開フィルムも混ざってます、と言っておけば大丈夫だ。しかし数日でバレるだろうからその後は他の映画館を転々として売りさばく」
「ひれつな……」

「何をやってるんだ、両津」
「ぶっ!」

入り口の影から現れるのは派出所の守護神であり番人、大原大次郎である。

「こ、これは部長、今日は署の方で会議だったのでは!?」
「ちょっと用事ができて戻っただけだ。ん、なんだこのゴミは」

机の端にガムテープで貼り付けられた袋に気づく。両津はあわててそれをちぎり取り、体の後ろに隠した。

「いえ! ちょっと新聞記事の切り抜きを!」
「あやしいな、ちょっとその袋を見せてみろ」
「わたくし、ちょっとパトロールに行ってきます!!」
「あっ、こら!!」

飛ぶような速さで走り去る両津。部長は一瞬追うように手を伸ばしかけたが、自分の用件の方を優先させることにしたようだ。書類棚の方に向かう。

「まったくあいつめ……。中川、この棚に先週の剣道大会の記録があっただろ」
「先週のですか、たしか次長の35ミリで撮影したんでしたね。その机のあたりにありませんか?」
「そうか、これだな。いま葛飾署に方面部長が来ておられてな。わしの試合を見たいと言われたんだ」
「そうですか、この間は決勝で部長が五人抜きで優勝でしたからね」
「うむ、わしとしても会心の試合だった。はは、少し自慢になってしまったな。ではそろそろ戻らねば」
「はい」

部長が送迎のパトカーに戻り、環状七号線を走り去っていく、そしてすぐさま両津も戻ってくる。軽演劇のようにあたふたと入れ替わりの激しい派出所の日常である。

「部長は行ったか?」
「はい、こないだの試合のフィルムを取りに戻ったらしいですよ」
「まったくこの忙しい時に……ん?」

懸命な読者諸氏にはすでに察しのついたことと思うが。
両津は自分の机の異変に気づき、中川のほうを振り向く。

「中川、ここにあった銀色のフィルム缶知らんか?」
「え? それなら部長が持っていきましたが…剣道大会の記録じゃないんですか」
「部長、わしの用意した『おげれつ』フィルムの方を持っていったぞ!?」
「えっ!?」





パトカー仕様のトヨタ・エスティマが環状七号線を赤色灯を光らせながら突進し、派出所の手前でドリフトを効かせて扉から突っ込む。勢い余って右側面でガードレールを突き破り破断面と車体が擦れてガリガリと火花を散らし、派出所内に頭を半分突っ込んで停車したパトカーのフロントガラスが内側から蹴り破られ、鬼のような形相をした大原大次郎が現れる。
その体は陸自仕様の野戦服に包まれ、目を縁取るように黒のラインが引かれている。両肩からたすきがけにガンベルトを巻き、重量38キロのブローニングM2重機関銃をアサルトライフルのように構えつつ踏み込んでくる。発射速度は毎分400から600発、マトモに乱射すれば数分で派出所丸ごと消し去る重火器である。
中川と麗子は壁に張り付くように退くしかなかった。

「両津の大バカ野郎はどこにいる!!!!」
「『映画の世界で生きる』と先ほど出ていきましたが…」







(第五話 おしまい)



[35120] 「思い出の一夜」 の巻 前編
Name: MUMU◆c85b040a ID:0cc55bb1
Date: 2013/02/22 18:13
「思い出の一夜」の巻








「あら、きれいなダイスね」

派出所の紅一点、秋本麗子が摘み上げるのは正六面体のダイスである。木製のようで、何重にもニスを塗った表面は濃い赤銅色に艶めいている。所々に黒いくすみがあるのが渋い味わいを漂わせており、まるで数百年を経た仏像のような味わいである。各面には大文字で漢数字が彫り込まれていた。
麗子はいつものピンクの制服にブロンドの髪をなびかせ、日本人離れした体つきで、てきぱきと書類を整理していた。

「ん、それか。チンチロリンで使ってるやつだ。わしの手作りだぞ」
「そうなの? よくこんなの作るわねえ」
「浅草の実家から紫檀の根付をかっぱらってきて加工してな。どうせひいじいさんの持ち物だから構わんだろ」
「ひどいことするわねえ…」

両津勘吉はというと、小さなプラ板やウレタンを、これまた極小のハサミやペンチで加工しつつ、消しゴムのような大きさの自転車を作っているようだ。後ろの荷台に黄色いカゴを載せた集配用の自転車のようで、時おり虫眼鏡で出来を確認しながら、てきぱきと組み立てていく。すでに机の端には5・6個の自転車が並んでいた。

「まあガキの頃からサイコロは作ってたがな、木彫りだったり銅だったり錫(スズ)だったり色々だよ」
「そんなに前から? 何に使うの?」
「おもに双六だよ。わしの作ったサイコロは人気があってな、木彫りなら10円、銅製だと手間がかかるから50円ぐらいで売ってた。関東一円に売りまくったからたぶん三万個ぐらい作ったな」
「え、じゃあ何十万円ってお金になったの?」
「それでだ、もっと大きな彫刻を売ろうと思って屋久杉の彫刻材を買ったんだよ、100キロのやつ。知り合いの漁師の船で屋久島まで行ったんだ」
「えーーーっ!! 信じられない!」
「当時で30万ぐらいしたかな。現地で直接交渉だよ。彫刻材は買えたんだが、帰り道で船が竜巻に襲われてな、神奈川県の下田沖あたりで甲板に置いてた彫刻材が転がり落ちてしまった。慌てて海に飛び込んだがすごい高波な上に黒潮があってな、船があっという間に見えなくなった。死ぬ気で彫刻材にしがみついてたんだが、水車みたいに体ごとグルグル回ったな」
「そ、それで…どうなったの?」

ごくりと息を呑む麗子。ちょっとしたサイコロの話から1分でえらく話が膨らんだものである。なぜいつのまにか生死の境目にいるのだろうか。

「彫刻材にしがみついたままなんとか一夜耐えてな、晴れ間が出たから北極星を頼りに必死にバタ足だよ。なんとか東京湾まで戻ってきたが、肝心の屋久杉は海水を吸いすぎて、彫刻には使えなくなってしまったんだ、まったく大損だった。それが中1の頃だったかな」
「大損とかそういう話じゃないと思うけど…」

当時から波瀾万丈な生き様である。
ちなみに屋久島に自生する杉の中でも樹齢千年を越えるものを屋久杉と言い、2001年を最後に新たな伐採は行われていない。
そんな話をする間も両津の腕は休みなく動き、小さな自転車をどんどんと組み立てている。

「それより麗子、お茶いれてくれ」
「あ、ええ、待ってて」

台所の方へ向かう麗子、材木にしがみついて荒海に投げ出されるイメージが脳裏にこびりついていた。
時刻はというと夕方の六時である。傾いた日差しが派出所の中に差しこみ、サラリーマン姿の人々が足早に家路を急ぎ、公園で遊び疲れた子どもたちが泥だらけになって帰宅し、どこか遠くから豆腐屋のホーンの音が聞こえる、そんな昭和と現代の境目にあるような、公園前派出所からの眺めであった。

「はい、お茶」
「ああ」
「ねえ、さっきから何作ってるの?」

思わずそう問いかける。いつの間にそんなに増えたのか、両津の机には小さな自転車がずらりと並び、まるで昔の中国のような眺めである。

「ん、これか。商店街の酒屋が今度新装開店するんだよ、そこで配る粗品を作っておる」
「へえ、地域貢献ね、いいじゃない」
「あの酒屋にはツケが山のようにあるからな。これで支払いを半年待ってもらえるんだ、安いもんだ」
「……両ちゃんの場合、趣味と生活が密接に結びついてるのね……」
「それより部長はまだ来ないのか?」

と問う両津。部長がいないからこそこうしてミニチュア作りに精が出せるわけだが、この日は申し送りの時からずっと姿を見ていない。中川もいないので派出所には両津と麗子の二人しかいなかった。

「あら、部長さんなら圭ちゃんと一緒に本庁へ行ってるわよ。明日の朝まで来ないって言ってたじゃない」
「なに! そうなのか!」
「先週からずっと予定されてたわよ、もう。だから応援が必要なときは駅前派出所に連絡……」
「なんだよちくしょう、じゃあマジメにやることなかった」

と言って指を鳴らす両津、おもむろに椅子から立ち上がり、奥の部屋へと向かう。

「あら? 両ちゃん?」
「奥の部屋でミニチュア作ってるからな。ついでに日曜の競馬の予想をせねばいかんのだ」
「もう、困るわよ」
「許せ麗子、男の仕事とは忙しいもんよ。ああそれとお茶とヨウカン持ってきてくれ」
「もう!」



夜半を過ぎ、深夜になると関東一円に黒雲が立ち込めてきた。
それは桶の底を突き破るかのように一気に雨を溢れさせ、大粒の雨がここ公園前派出所にも降り落ちる。それはコンクリートの天井を機銃のように打ち鳴らし、角ばった庇から滝のように流れ落ち、環状七号道路に流れ出してそこを大型トラックが飛沫を上げて走り去っていく。

「えらく降ってきやがったな。まだ台風って時期でもないはずだが……」

百あまりの小人の自転車に囲まれ、両津勘吉が呟く。送電が不安定になっているのか、蛍光灯がちらちらと点滅していた。

「きゃあ! 大変!!」

と、そこへにわかに届く麗子の声。

「む、どうした!」

両津が奥座敷を飛び出すと、台所で戸棚を開け放ち、口に手を当てている麗子がいた。

「食べ物が全然無いのよ!」

がん、と側頭部をカベにぶつける両津。

「そんなことでいちいち騒ぐんじゃない!」
「だって、この雨じゃ外にも出られないし……。そうだ両ちゃん、さっきのヨウカンは?」
「速攻で全部食べちまったよ。まいったな、そうなると小腹が空いてきた」

にわかに焦りの色を浮かべる両津。麗子とともにすべての戸棚や冷蔵庫などを漁ってみるが、即席ラーメンのカケラすら見つからない。

「しょうがない、カッパ着てコンビニまで行ってくるか」
「だめよ! いま両ちゃんに抜けられたら何かあったとき困るもの!」
「ちぇ」

外の雨脚はどんどん激しさを増している。もはや環状七号道路の向こうの家並みすら見えず、道を通る車もなくなってしまった。人も車も見えず、雨音に塗り潰された室内にいると、まるで世界から派出所が切り取られてしまったかのような感覚がある。

「――だいたいこんな雨じゃ、あちこちで被害が出てるんじゃねえのか? 大丈夫なのか」
「ちょっと調べてみるわ…天気情報のアプリで……」

麗子のスマートフォンが操作される。両津は顔をしかめて、まるで消防車に放水されてるような眺めの外を見つめた。

「おかしいわね、柴又や北千住は晴れてるみたい…」
「なんだって!?」

麗子のスマートフォンを見ると、拡大された葛飾周辺の地図があり、亀有を中心とした一部のみ雨傘のマークが出ていて、他はすべて太陽のマークで埋まっている。アプリを使用しているユーザーが自分の周囲の天気を入力し、そのデータを集めて気象分布図に変えるタイプのアプリである。

「この周辺の500メートルぐらいしか降ってないみたいよ。遠くから見ると『ここ』だけが降ってるから、車もみんな迂回してるみたい」
「…だれか天罰でも食らってんじゃねえのか、迷惑な話だ」
「……そ、そうね」

日常が天罰のような両津が言うと無視しにくい発言だったが、麗子もあえてそこには突っ込まなかった。
そして不幸なことは常に唐突に訪れる。
閃光とほとんど同時に雷音がとどろく、一瞬すべての影が消し飛ぶほどの白光が炸裂し、コンマ数秒、時間が飛んだと感じるほどの衝撃、そして派出所の電気がすべて消え、ふいに濃い闇が落ちる。

「きゃあああああっ!!」
「うおっ!」

豪胆な麗子もたまらず近くのものにしがみつく。しがみつかれた冷蔵庫は何も言わず、両津は台所の真ん中で立ち尽くしていた。

「大変、停電よ!」
「麗子、お前なあ、こんな時ぐらいわしにしがみつけ」
「バカなこと言ってないで何とかしてよ!」
「ちょっと待てスマホのライトを……ヒューズは落ちてないぞ。近所の家は電気がついてるから、ここら一帯の停電でもない……。たぶん派出所の外の引き込み線が切れたな、これじゃ素人には手に負えん」

35年の歴史を生き抜いてきた派出所ではあるが、雨漏りに停電に床上浸水と、とかく災害に見舞われる傾向にある。爆発で吹き飛んだことが数回、他にも丸ごと盗まれたり、戦車に押しつぶされたり、なぜか水没したことも一度ある。この派出所もなかなかに波瀾万丈である。

「外に行ってぱぱっと直してきてよ」
「ばか言うな!」
「ねえ真っ暗よ、明かりはないの?」
「そう言われても……ん、そうだ!」

両津は奥座敷へと戻り、散乱している自転車のミニチュアをどかして、畳の一枚を剥がす、果たしてそこから白い土嚢のような袋が出てきた。

「昔、行商のバアさんから買った非常袋だ。あったぞ! ロウソクとカンヅメだ!」




[35120] 「思い出の一夜」 の巻 後編
Name: MUMU◆c85b040a ID:0cc55bb1
Date: 2013/02/22 18:15






「いやあよかった、どうやら人心地ついたな」

派出所の執務スペース、机や床に小皿に載せたロウソクが灯され、ちらちらと揺れる光が両津たちの顔を下から照らし出している。
外の雨もやや治まってきたようで、天井に降りしきる雨音はやや穏やかに、外の黒雲も不気味なうねりは色をひそめ、ただのっぺりとした夜の色に置き換わっていこうとしていた。

「クジラの缶詰って初めて食べたけど、すごく味が濃いのね」
「そうだろう、缶詰一つでどんぶりメシが三杯はいけるぞ」

鯨の缶詰といえば多くは鯨の大和煮という名で知られているが、これは大阪にある大和屋が鯨や小魚の甘露煮を大和煮と呼んで売りだしたことが切っ掛けであり、鯨を砂糖、醤油、生姜で甘辛く煮付けたものである。要は非常にクセの強い食材の味を整え、食材として使うための加工ではあるが、この味の濃さと鼻孔を刺激する強い香気が下町の味として受け入れられ、両津などには馴染みの深い味である。

「こんなのでも昔は贅沢な品だったんだぞ。それにわしの実家は佃煮屋だったからな、メシのおかずが売るほどあったから、わざわざ缶詰を買ってくる機会などなかったんだ」
「そうなの?」
「ああ、それでうちのオフクロがな、地震になった時のためにって、缶詰やらロウソクやらを詰め込んだ袋を納戸の下にしまってたんだよ。入れるときに見たが鯨やサケの缶詰に、当時珍しかったモモ缶まで入っててな、わしはどうしてもそれが食べたかった」

「ふうん……」

缶詰が本格的に普及する切っ掛けとなったのは、大正12年の関東大震災当時、アメリカより送られた非常物資に缶詰が含まれていたためとも言われている。両津の語る少年時代は昭和30年代前後であるが、当時はまだ冷蔵庫の普及率が低く、缶詰は食材としてより保存食材、輸出入のための加工、あるいは非常食としての色合いが強かった。

「それで作戦を練ったんだよ。要するに地震が起きればいいんだな、ってことで近所のガキを100人ぐらい集めてな、ベーゴマ10個ずつやるからって言って協力させて、夜中に思い切りうちの実家を揺らしたんだ。何百年も建ってる家だし、基礎が手抜きだからものすごく揺れたらしいぞ、オヤジが死ぬかと思ったと言ってた」
「すごいことするわね……」
「それで地震だから缶詰食べようって叫びながら袋持ってきてな、オフクロたちの寝床へ行ったら、協力したから俺たちも食わせろって近所のガキが何人か上がり込んでた、それであっさりバレて大目玉だよ。オフクロに死ぬほどひっぱたかれた」
「あたり前よ」

そのぐらいの行動力があればモモ缶ぐらい手に入ったと思うのだが、両津少年のエネルギーは当時から暴走気味だったようである。
麗子はくじらの缶詰をつつき、話に耳を傾けている。

「それでガキ共は帰らせたんだけどよ、オヤジが、勘吉がそんなに食いたがってるならいいじゃねえか、ってオフクロを説得してな。夜中の1時ごろだったが、弟も起こして4人でモモ缶食べたんだよ。今思えばオヤジも食べたかったんだろうな、わはは」
「へえ…」
「いやあ、あのモモ缶はうまかった。シロップが舌がしびれるほど甘くてな、果肉がプルプルしてて、噛むのが勿体ないほどだったよ」
「……」

財閥の令嬢であり、果物などに不自由しなかった麗子にとっては、缶詰一つにそこまでの労力を払うというのは想像しがたい感覚である。フルーツ缶がきっと麗子の想像するよりはるかに高級品の扱いなのだろうし、夜中に家族でひっそりと食べるというのは、どこか背徳感もあり、何かの秘めごとを共有するかのような楽しさもあり、暗がりの中で家族が身を寄せ合う暖かさもある。きっと少年時代の得がたい思い出だったことだろう。
そう言えば今はもう夜半の2時頃である、こうしてロウソクの明かりでカンヅメをつつくというのは、今の両津の話にどこか共通する楽しさがあるかも知しれない、と麗子は密かに思う。

「おっ、そう言えば……確かロッカーの中に…」

と言って両津が持ち出すのは、なんと一升瓶だった。中には液体がなみなみと入っている。

「それ、もしかしてお酒?」
「ああ、酒屋の主人からミニチュアの自転車頼まれたって言っただろ、借金のカタなんだけどタダで作らせるのも悪いからってことでな、酒を一升くれたんだよ」
「お酒なんて…」
「かたいこと言うな。鯨の大和煮なんて酒かメシがないと食えんだろ。ほらお前も一杯飲め」
「……じゃあ、少しだけね」
「おっ話が早いな、わはは、じゃあ麗子の湯のみも持ってこよう」



空になった一升瓶がごろりと転がり、ロッカーにぶつかる。
いったいどこに隠していたのか、他にウイスキーの角瓶や、焼酎の瓶なども転がっていた。
なぜか白ワインのハーフボトルなどもある。

「がっははは! そりゃ傑作だ!!」
「そうでしょう、うふふふ、ふふふ」

普段あまり酔わない麗子ではあるが、その頬は赤く上気し、口元を抑えてくすくす笑っている。彼女は笑い上戸のケがあった。
両津はというと折った割り箸を鼻と下唇に挟み、制服のネクタイを頭に巻いて、頬には赤いサインペンで渦を描いている。麗子の方をバンバンと叩きながら、茶碗に注いだ酒を呷っていた。

「それでねえ……白鳥さんってばその時……」

と、耳打ちする。両津の太いマユが真一文字になり、次にへの字に曲がって、最後に波打つように歪んだ。

「わははははははは!! 腹がよじれる~~~!!」
「うふふふふ、ふふふ、やだもう両ちゃんたら、笑いすぎ」

はあはあと全身に汗をかきつつ、笑顔のままで硬直した顔で両津が息をつく

「いやあ麗子がこんなに話が分かるやつとは思わなかった」
「やあねえ、長い付き合いじゃないの」
「それに酒豪だしな、女にしとくには惜しい、うーむ」

顎に手を当てて両津が言う。

「しかし残念だな、酒も強くて気も強いし、そんなんじゃ吊り合う男がいなくて大変だろ。ボーイフレンドはナヨナヨした男ばっかりだし」

秋本貿易の令嬢であり、極上の美女である麗子のもとには、当然政財界のエリートが集まってくる。しかし本人にあまり深い付き合いをする気がないのか、結婚話がちらついたことはほとんど無いし、父親が山のように持ってくる見合い話もすべて断っているようだ。

「……そうねえ、いざとなったら両ちゃんに貰ってもらおうかしら」
「わはははははは! そりゃ傑作だわははははは」
「――何がおかしいのよ!」

酔っていた勢いなのか、あるいは何かの逆鱗に触れたのか、麗子の両手が厚さ10センチの電話帳を振りかぶり、それを両津の脳天に叩きつけるのに要した時間は、わずか2秒だった。





「う~~~~む」

ぴちょん、ぴちょん、と頬を打つ冷たさがある。
コンクリートの地肌が見えている派出所の天井、そこに生まれた水の染みから水滴がしたたり、それが空中でゴム毬のように揺れながら両津の鼻を直撃した。

「……ぶわっ、なんだこれは!」

一瞬で飛び起きる、途端に脳の中にカナヅチが入っているかのような頭痛がする。水滴の直撃した頬は冷たく、鼻の奥に侵入した僅かな水分がズキズキと鈍痛をもたらす。

「なんだ!? 雨漏りしてるじゃないか!」

周囲を見れば派出所の奥座敷である。
この派出所のボロさは今さら語るべくもないが、コンクリートの劣化なのか、たまに天井にヒビが生まれて雨漏りを起こすことがある。瓦屋根でもあるまいに情けない話だが、どうやら外はまだ雨が続いているようだ。

「おっと、もう朝の7時じゃないか。おかしいな、わしはいつ座敷に来たんだ…?」

なんだか鼻に割り箸を突っ込んでたような記憶があるが、どうも記憶がはっきりしない。自分の身なりをみてみると、ちゃんと制服を着ているし、鏡を見ても服装や顔に乱れたところは全くない。わずかに頭痛がしてる、二日酔いのせいか昨日のことがよく思い出せなかった。
なんだか色々なことがあったような気もするし、すべて夢だったような気もする。そういえば派出所の周囲500メートルだけに雨が降ってるなどという記憶もあるが、これはきっと夢のほうだろう。雨漏りが顔に打ち付けて目覚めたからそんな夢を見たものか。

「落ち着いて思い出そう、えーーーと確か床下からカンヅメを…」
「こら!!! 両津!!!!」
「うわっ!? 部長!」

と、フキダシで両耳を貫通する勢いで現れるのは大原大次郎である。両津は目を思い切り開いて畳の上でのけぞる。

「この大量の酒瓶は何のマネだ! 夜勤中に酒など飲みおって!!」
「あっ!」

大原部長の手には日本酒と焼酎の一升瓶があった。他の雑多な記憶が押しのけられて、危機的状況に対する言い訳がせり上がってくる。

「ち、ちち違うんです部長、麗子がどうしても相談したいことがあるというので、酒でも入っていないと言えないことだ、とのことなのでついっ」
「なんだと? 麗子くん、そうなのか!」

部長に襟首を掴まれたまま首を伸ばせば、そこでは自分用にしている席に麗子が座り、いつものように完璧に整った顔で、金髪を日に透かしている麗子がいた。
だがなぜか彼女はいつもより冷淡な口調で、突き放すように言うのだった。

「いいえ、『そんなんじゃありません』」
「やはりお前一人で飲んでいたな! 麗子くんを巻き込むとはとんでもないやつだ!!」

激昂が蒸気となって後頭部から吹き出し、部長は両津の襟首を前後にブンブン揺するのだった。

「ぶ、部長くるしっ。れ、麗子?! おおい麗子説明してくれ~~~!」
「まったく貴様というやつは……!」



部長の激怒の声を遠く聞きながら、

麗子は密かに舌を出すのだった。







(第6話 おしまい)




[35120] 「両さん夏を売る」 の巻 前編
Name: MUMU◆c85b040a ID:608a9474
Date: 2013/08/25 21:23


「両さん、夏を売る」の巻








「あ……、



い……」



ある真夏の一日。
葛飾区の真上に居座る太陽が、強烈な日差しを放っている。
四角い公園前派出所がドロドロに歪み、ガードレールが水飴のように地面に流れる。そう錯覚するほどの暑さの中で、机に突っ伏したまま溶ける両津勘吉の苦悶の声が漏れている。

「なんという暑さだ…人間の働ける温度じゃねえぞこりゃあ……」

その机にはカップアイスの空き箱がいくつも重ねられ、故障中、の札を貼られた扇風機が地面に倒れている。網状の保護フレームがぐにゃりと歪んでいることから、誰かが腹立ちまぎれに蹴飛ばしたことが伺えた。

「今年は百年に一度の暑さらしいですよ」

書類を整理しつつ発現するのは中川圭一。こちらも制服の襟首を手で引っ張り、帽子を脱いでそれで体を扇いでいる。両津も中川も玉の汗を浮かべており、派出所全体にむっとする熱気が充満している。

「それ毎年言ってんじゃねえのか、このままだと100年後は50度ぐらいになるぞ」
「温暖化とかヒートアイランドとか…色々原因があるので」
「もう限界だ、クーラーつけよう!」

と、実は派出所内に設置されているクーラーを指して両津が叫ぶ。現れたり消えたりしているクーラーだが、今現在は故障もなく現役である。

「ダメですよ、部長から35度以上にならないと点けるな、との厳命ですから」
「もう35度以上ある! いいから点けよう!」
「でも部長が……」
「部長なら今日は会議が…」

「おはよう」
「うわ!?!」

おもむろに登場するのは巡査部長の大原大次郎である。連載35年ともなると登場のタイミングももはや達人の域であろうか。

「ぶ、部長、今日は葛飾署で会議のはずでは?!」
「会議室のクーラーが壊れてな。会議できる状況ではないので来週になった」
「ずるい! 自分ばかり!」

水玉の汗を浮かべた暑苦しい顔で部長を指さし、叫ぶ両津。その声には幼さにも似た必死さが見えている。

「やればいいでしょう会議ぐらい! 扇風機とウチワでしのぎながらやったっていいでしょうが! 公僕たるもの暑さぐらいなんですか!!」
「う、うるさいやつだな…」
「私らはこの炎天下の中扇風機もクーラーも点けずに働いてるんですよ! だいたい冬場はストーブを節約しろだの夏場は冷房を減らせだの厳しすぎる!! 我々が普段どれだけ苦労して……」
「やかましい!!!」
「うわっ!?」

突如として牙をむいて怒り出す部長に、両津は0.5秒でたじろいで身を引く。

「何が厳しいだそもそもお前が扇風機を壊すから悪いんだろうが!!だいたいわしらの若い頃は真夏に何時間も外で立番したものだ!!お前のようにだらしなくアイスやらジュースやら食べ散らかしながら弱音を吐いたりなどしなかったぞ!だいたいお前はすぐ新しいコートを支給しろだの派出所が暑いだの不満ばかりぬかしおってけしからん!!この間もパトロール中に喫茶店でサボっていただろうが!!まったくお前というやつは……!」
「ちょ、ちょっと部長、セリフが詰まってますってば、い、息苦しい」

たっぷり5分ほど全力で怒りをぶちまけつつ、部長はやっと落ち着く。

「まったく」
「あー疲れた、今日の怒りは一段と気合が入ってたな…」
「やはり、部長も暑いのでイライラしてるんでしょうか…」

小声でささやく中川。
怒涛の説教でさらに暑くなったような派出所の中で、両津が控えめに発言する。

「部長、それにしても今日は35度以上ありますよ。クーラーつけましょう」
「まだ34.3度だ」
「? ど、どうしてそんな細かく分かるんです?」
「あれだ」

部長が派出所の外を示して言う。
派出所の前を通るのは環状七号道路である。暑さのあまり道路の左右にかげろうが見える。
そこから30メートルほど離れた道の上、電光掲示式の道路標示板が見えている。

「スピード落とせ」
「前方確認」
「追い越し禁止」

などのメッセージが次々と切り替わる中、5秒ほど本日の天気と気温も表示される。

「8月☓日 晴 34.3度」

「あれが35度以上になったら点けていい、それまではダメだ」
「いつのまにあんなものが……」

部長はそのまま書類棚の前に陣取り、中川と何やら話をしている。

「くそ、この暑さの中、あんなものに生殺与奪を握られてたまるか」

音もなく席を立ち、すいと派出所を出る、そのまま忍者のように壁を伝いながら移動して電光掲示板の根本へ。すいすいとあっという間にポールを登っていく。
そして頂点部分へ。いつもポケットに忍ばせている万能ドライバーが、取り出された瞬間キラリと光った。

「このタイプはおそらく頂点部分に温度計があるはずだ。よーし、これだ。こうやってセンサーの周囲に鏡を置けば……」



「なに! 39度だと!?」
「ええ! 私もさきほど確認して驚いたところです!」

妙に神妙な顔で、武将に注進する侍のようにそう言う両津。
先ほどの電光掲示板はしっかりと39.5度を表示している。

「そんなに暑かったのか、中川、クーラーをつけてくれんか」
「はい」

(よし)

ぐっと拳を握り、顎を前につきだしたような顔で静かに微笑む両津。
ようやく機械から冷気が吹き出し、派出所に一陣の涼をもたらす。
赤い室内が一気に青白くなるかのような感覚があった。

「いよお最高! やはりクーラーは偉大だ。アイスもうまい」
「この暑さで色々影響が出てるようですね」

と、中川が話題を挙げる。

「アイスクリームやビール、それに冷房機器など過去最高の売り上げですよ」
「そういえばわしも今年はよく食べてるな」
「気温が一度上がるごとに消費が5000億から7000億ほど伸びるというデータがありますからね」
「なに!!! 7000億だって!?」

棒アイスを棒ごと噛みちぎりながら吠える両津。値段に驚くあまり椅子を蹴倒して立ち上がる。7000億という数字にリアルに目を血走らせているあたりは流石というべきか。

「だからそういう業界は天気予報に一喜一憂するわけです。猛暑をいち早く予想した企業などは商品を増産したり、逆に冷夏を見込んだ場合は何らかの手を打ったりしているわけですね」
「なるほどなあ」

両津勘吉、ここで顎に手を当て、眉間に深いシワを寄せて考えに沈む。

(……考えてみりゃ暑さなんて気の持ちようだからな…。これは「おいしい」かも知れん)

「ちょっとパトロールに行ってくる」
「え?」



「ああ、確かに今年はよく売れるよ」

大きな寺の前に伸びる直線の参拝道、そこに居並ぶ屋台の一つで、野球帽を後ろ前に被った若者がそう答える。
まだ30手前に見えるが、こう見えて氷屋にわたがし、金魚すくいにリンゴアメなどなど、10軒の屋台を経営するこの参拝道の顔役である。
彼の屋台には昔ながらの鉄製のかき氷器が鎮座し、牛乳のような四角い紙容器のシロップが並んでいる。
今はもう夕方、どの屋台も片付けに入っている時刻である。店主の若者も夏の暑さを肌に色濃く刻みながら、気だるげながらも気さくに話していた。

屋台の脇には台車に載せられてムシロをかけられた切り出し氷が並び、かき氷器の下に敷く新聞紙なども束ねて置かれていた、器はチューリップハットのような幅広の紙製、スプーンは職人の削った竹製。なぜそんな昭和中期のようなかき氷屋が何気なく生き残っているのか、下町の七不思議である。

「だいたい30度ぐらいから売れ行きがよくなって、35度ぐらいが一番よく売れるね、だからオレんとこも天気予報は毎日見てるよ」
「高ければ高いほど売れるんじゃないのか」
「あんまり暑いと今度は外出する人が減るからね、でもイベントの日とかは暑ければ暑いほど売れるけど」
「なるほど」
「両さん氷屋やりたいって本気なの?」
「おう、前に屋台を引いて歩いたこともあるしな、それに昔は縁日やら海の家やらでよくバイトしたぞ。ふわっとした氷ほどカサが増えるから儲かるんだよな、わははは」
「あはは、さすが両さん」

でも、とちらりとラジオを見て野球帽が言う。

「屋台やりたいなら用意はできるけど、残念だけど来週から低気圧来るからね、ちょっと涼しくなるらしいよ」
「なあに、来週も35度になるから心配するな」
「え?」
「じゃあわしの分の屋台頼んだぞ、レンタル代は売り上げから払うから」

と、さっさと去ってしまう両津、
あとに残された野球帽の若者は、頭に疑問符を浮かべたままつぶやいた。

「太陽にミサイルでも打ち込む気かなあ?」





「OK、角度よし、固定よし」

月もない夜、とあるビルの屋上で狙撃用照準器を覗きながら、両津が右手でコールサインを送る。

「OK、スイッチオン」

その脇でノートパソコンを操作するのは迷彩服を着た大柄な男である。全身を堅牢な筋肉で覆っているというだけでなく、その肩の膨らみも背中の盛り上がりも、だいたいは服の内側に仕込んだ無数の銃器によるものだ。
名をボルボ西郷といい、鹿児島で忍者の家に生まれ、NY市警から傭兵へと転職し世界を歴戦、そして下町の交番勤務となったよく分からない人物である。

ビルの屋上の一角に設置された拳銃のような機械が、その先端のレンズを斜め下に向けている。その延長線上にあるのは消火器ほどの大きさの円筒状の機械である。
内部に各種計測器を備え、気温、気圧、日照時間、風速、風向などを常に観測している。それらのデータは即座に気象庁へと転送され、地域の気象データを収集する無人観測施設である。
その正式名は「自動地域気象観測システム(Automated Meteorological Data Acquisition System)」
といい、略称をAMeDASという。

「赤外線はセンサーに当たってないだろうな、台座のほうだぞ」
「大丈夫だ」
「サーモグラフのデータはどうだ」
「うむ、計算通り3.5度ほど高くなっている」

完全なる闇を撮影するサーモカメラからは、その中に立つアメダスと、それが外気温よりやや高温になってることを示す赤い色変化が伺えた。

「よしバッチリ、これでこの観測点は来週も35度だな」
「…こんなことで本当にかき氷が売れるのか??」

と、任務が一段落したことを受けて西郷巡査が疑問を漏らす。

「言っただろうが、暑さなんて気の持ちようだ。これでテレビやラジオが猛暑日だと騒げばみんな本当に暑く感じるもんだ」

赤外線とは端的に言えば光であり、金属部分に照射すればその部分は熱されて温度が上がることとなる。要するにアメダスの機械を何らかの方法で直接熱することで、観測数値をごまかそうというのが両津の計画であった。
赤外線レーザー照準器を、単に対象を温める目的で使うことも前代未聞だろう。

場面は飛んで次の観測点へ。

「次はここだ」
「ふむふむ、芝生の上か」

その観測点は開けた敷地にあり、周囲に屋上まで侵入できるような建物は見当たらなかった。

「こういう場合は芝を刈って防水シートを引く」
「ほう」
「その上に人工芝を貼りなおす、なるべく色が白っぽいやつだ。天然芝に比べれば3度は違う」

言いつつ、てきぱきと作業を続ける両津。

「うーむ顔に似合わずやることがマメだ……」
「さあ次行くぞ、今夜中に葛飾区周辺の観測点は全部回るからな」
「何となく手伝ってしまったが……いいんだろうかこんな事して…」








[35120] 「両さん夏を売る」 の巻 後編
Name: MUMU◆c85b040a ID:608a9474
Date: 2015/03/01 08:34




「あいよ、いらっしゃい!! イチゴミルク一つ! はい了解!!」

しゃかしゃかとハンドルが回転し、白い飛沫を飛ばしつつ鳥の羽のような薄氷が積もっていく。

「はいお待ち! 奥さんもお一つどうです! はい練乳ね!」
「いやあ両さん、景気がいいな」

野球帽の若者がそう話しかけてくる。そちらのタイヤキ屋は今ひとつ伸び悩んでいるようだ、客は氷屋やアイスの屋台に集中している。
ラジオでは葛飾区周辺が猛暑日を記録したことを繰り返し告げている、外出の際は日光を防ごうとか、水分を多めに取ろうとか、そんな内容である。
それを聞いていて、ふと野球帽の若者が首を傾げる。

「でも今日は35度もあるのかな? 天気予報ではそう言ってたけど……」

太陽を見上げて不思議そうな顔をする野球帽。

「先週よりも涼しいと思うけどなあ」
「こらこら、そんな主観で考えたらいかんぞ」

と、なぜかたしなめるような口調の両津。屋台が儲かっているためか、心に余裕があるようだ。

「暑さ寒さなんてのは気の持ちようなんだからな。ラジオの言ってる35度ってのが正しいに決まってるんだ。涼しく感じるからって水を飲まないと熱中症になっちまうぞ」
「うーん、それは確かにそうだけど……」

ちら、と両津の屋台の柱を見る。

「屋台に据え付けられてる温度計だと31度……」
「こ、こら! 変なとこ見るんじゃない!」

汗を飛ばしつつ、その温度計を体で隠す両津。

「それより何か用か!」
「そうそう、今週の日曜は世田谷区のほうで花火大会あるんだよ。稼ぎどきだから両さんもどうかと思って」
「世田谷区か…、ちょうど観測点がある区だな」
「え?」
「いや何でもない、じゃあわしもこの氷屋で行くぞ!」
「両さん、警官の方はいいのかい?」
「構わん、2足のわらじを履きつつ、もっとも儲かることをメインの職業にするのがわしの流儀だ」
「よく公務員できてるなあ…」





「今度は世田谷区か…」
「ぶつくさ言わずに手伝え。もうすぐ着くぞ」

山岳カメラマンのように大量の機器を担ぎつつ両津が言う。西郷巡査はおとなしく後に続いているが、2日続けての深夜作戦にどことなく不安を感じている風であった。元来気の弱い人物なのである。

「こんなインチキしていいのか? 何かの犯罪なんじゃ…」
「これがインチキなら、アメダス自体インチキくさいぞ」

と、持論を語る両津。

「だいたいアメダスの周りだけ芝生にしてる事自体、何かおかしいだろ。ビル街の中でいきなりそこだけ芝生なんだぞ、明らかに温度下がるじゃないか。かと思えばコンクリートのまっただ中に設置してるアメダスもある。これは照り返しがハンパじゃないぞ」
「まあ、そうか……」
「今年、関東最高気温を記録した館林市のアメダスなんかひどいぞ。団地のそばで、駐車場の片隅で、ゴムシートの上に設置してあるんだ。近くの車がエンジンふかしただけで40度越えちまうんだぞ」
「それはそうかも知れないが……」
「おや…」

両津の歩みが止まる。右手でハンドサインを示し、西郷巡査とともに素早く物陰に身を隠す。サバイバルゲーム歴の長い二人のため、咄嗟の連携は抜群である。

「誰かいるぞ」
「何者だ、テロリストか」

がちゃり、
左腕を勢い良く伸ばし、スプリングギミック式の拳銃を飛び出させる西郷。
両津たちと同じく闇色の迷彩服…ではなく、単に黒い服に身を包んだ二人組がアメダスの周囲でごそごそ動き回っている。
両津の指が三本立てられ、二本、一本へと変わり、そしてゼロを示した瞬間二人同時に物陰から飛び出す。

「おい! そこで何してる!」

「あっ、しまった!」



「いやあ、お手柄だったぞ両津」

葛飾署一階のロビーにて、両津をそうねぎらうのは葛飾署の署長である。
肩をポンと叩きつつ、柔和な笑みを浮かべた屯田五目須(とんだ ごめす)は天然パーマと口元の髭が特徴的で、両津の実家に近い下町の住人でもある。その手には今朝の新聞が握られていて、大勢の警官に囲まれつつ両津を褒める。

「本庁の調べによると犯人は若手の投資グループらしい。アイスメーカーなどの株を釣り上げるのが狙いだったらしいな」
「まったくふてえ野郎です! アメダスに直接ヒーターを貼り付けて温度を上げようとするとは!」
「うーむ……両津、なぜ世田谷区にいたんだ、あんな時間に」

と、同席していた大原部長、こちらは今ひとつ信じられないといった顔である。新聞を読みつつ額に汗を浮かべている。

「警官としてのカンが教えてくれたのです! この連日の猛暑に乗じて悪事をはたらく奴がいると! これも警官としての長年の経験と、署長や部長の指導の賜であります!!」
「そ、そうか…」
「うむ、警視総監賞も申請しておかんとな」

と、ふだん不遇なことが多い署長、ニコニコと実に嬉しそうであった。

「署長、気象庁から調査結果が来ました」

そこへメガネを掛けたインテリ風の警官が登場する。

「千代田区の観測点にも何者かが細工をしていたようです。近くのビルに赤外線照射装置があったり、天然芝が人工芝に変えられていたり……」
「何だと、千代田区の観測点にもか」

「…あの、それは実は」

前に出ようとする西郷巡査を、両津の肘がドスンと押し返す。
目を歌舞伎のようにくわっと見開き、他のものに見られないような角度で凄みをきかせる。

「何ビビってるんだよ、黙ってりゃわかりゃしないって」
「し、しかし……」

「それで、偶然近所の有料駐車場のカメラに犯人らしき人物が写ってました」

どきいっ、
と、顔面を上下に引き伸ばすほど驚愕の表情に変わった両津。額から汗をどっと吹き出しつつ狼狽する。

「スマートフォンに映像が入っています、見てみましょう」
「さ、さて本官は勤務があるんだった、派出所に戻らないと」
「ちょっと待て」

その後ろ襟を、部長のごつい手がしっかりと捕まえる。
そしてインテリ風警官のスマートフォンから、二日前の音声がしっかりリピートされたのだった。

『こういう場合は芝を刈って防水シートを引く』
『ほう』
『その上に人工芝を貼りなおす、なるべく色が白っぽいやつだ。天然芝に比べれば3度は違う』




どんどこどこどこ。

ラジカセから太鼓の音が流れている。
上半身裸で腰ミノ姿の両津と西郷は、燃えさかる松明を振り回しながら汗だくになって踊っていた。
力強い南洋の踊りというよりは、暑さでおかしくなった中年の奇行という感じである。二人とも汗が滝のように流れており、直射日光と炎で皮膚がジリジリと熱されている。
葛飾署の駐車場でひたすらにファイヤーダンスを踊る二人を、署長と部長は厳しい顔で睨みつけ、若い婦警たちは悲鳴を上げつつ、しかししっかりと見ているのだった。

どんどこどこどこ

「アメダスを操作するとはとんでもないやつらだ!」
「しっかり反省させねばなりません、これから夏の終わりまで「雨出す」をやらせましょう」

どんどこどこどこ

「ぶ、部長、これはアメダスじゃなくて「雨乞い」ですよ。夏の間ずっとなんて体力もちませんよ~~」
「やはりこういう目にあうのか……」




(第七話 おしまい)





[35120] 「携帯ウェザリング事情」 の巻
Name: MUMU◆c85b040a ID:3dbe96a1
Date: 2014/07/27 21:10


「携帯ウェザリング事情」の巻









「なに、スマホの落し物?」

夏の日差しが差し込む派出所の中で、両津の顔は一段と陰影が濃くなっている。
耳に赤ペンを挿しながら競馬新聞を凝視し、ラジオに繋がれたイヤホンからの競馬中継に神経を尖らせるその顔には殺気にも似た緊張感がある。今週の競馬はかなりの真剣味を要求されているようだ。

「そうなんです、さっき公園で拾ったと子供たちが来て……でも届けを書いてもらう前にどこかへ行ってしまって」

そう報告するのは凄苦残念(すごく ざんねん)。東大卒のエリートであるが、国家試験ではなく警視庁の警察官採用試験を受け、ヒラ巡査として採用された変わり者である。小心者だが頭脳明晰、そして鬼瓦のようないかつい顔面。方向性の異なる特徴が奇妙に同居している。
かつては北条正義(ほうじょう まさよし)という名だったが。両津に改名された経歴がある。

「そのうち落とし主が取りに来るだろ、そのへんに置いて……ん?」

残念のほうをちらりと見る両津は、彼がその手に持つ機種に目を引かれる。

「おや、auのtorque(トルク)じゃないか」
「え?」
「ちょっと見せてみろ」

問い返す残念からスマホを受け取り、しげしげと眺める両津。
そういえば残念の目から見ても普通のスマホとはどこか違っている。
まるで額縁で縁取られたような太い黒枠で囲まれた液晶。下部にはいまどき珍しい物理ボタンがある。背面には大きな横筋の盛り上がりが四本あり、まるで靴底のようだ。
全体的には丸みを帯びており、肉厚でずっしりと重量感を感じるデザインである。薄く軽く、という最近のスマホの印象とはまるで違う。

「やっぱりそうだ。Gショックスマホのtorqueじゃないか。発売されたばかりだぞ、もったいないな」
「Gショック?? 時計なんですか?」

困惑した顔で問いかける残念。しかしその表情の変化は、25年ほど同じ漫画に出ている両津でも少ししか分からない。

「しょうがないな、説明してやろう」

がさごそと、机の下から段ボール箱を取り出す両津。
両津の実家、派出所の奥座敷の押入れと並び、両津勘吉の机もミステリースポットとして名高い。駄菓子から鉄道模型、拳銃の部品まで、何が出てくるか分からぬ奥深さがある。

「携帯が普及しだしたのが1994年ごろだが、2000年に当時のカシオ計算機がそこに参入したんだ。G'zOne(ジーズワン)という機種で対衝撃、防水が特徴だった。これが最初に登場したC303CAだ」

ごとり、とやや大ぶりの携帯電話が置かれる。折りたたみ式ではなく、液晶部分を囲む銀のリングが実に印象的である。

「これが三代目のC409CA、ボタンが四角くなってぐっと無骨さが増した」 ごとり

「G'zOne TYPE-R 折りたたみ式になって丸っこくなった。ここからはCASIO名義だ」 ごとり

「G'zOne W62CA、さまざまな機能が内蔵された名機だ、ここでほぼ完成されたと思う」 ごとり

「G'zOne CA002 W62CAの改良型だ、言うほど改良された印象はなかった」 ごとり

「G'zOne TYPE-X、10周年の記念機種だ、縦に入る盛り上がりのラインがかっこいい」 ごとり

「G'zOne IS11CA G'zOneで初のスマートフォンだ。外見の印象はtorqueとあまり変わらない」 ごとり

「あとこれが……」「ちょ、ちょっと待ってください」

残念が止めに入る。

「な、なんでそんなにケータイいっぱい持ってるんですか??」
「昔は5機種ぐらい同時に使ってたからな……。新機種に買い換えたりしてるうちに溜まってしまった。……うーむ、それにしても並べるといっぱいあるな……」

時代時代で流行には必ず乗るのが両津勘吉である。当時の若者たちと同じく新機種を次から次へと買い換える、そんなバブリーな時期の名残であろう。
ただでさえ通話料などが高額であった時代に、いったい携帯にいくら使っていたものか、想像すると青ざめる思いがする。

「ま、まあそんなことはともかく……こういうタフさを売りに出したケータイのシリーズがあったんだ。ここしばらくは新機種の話がなかったが、2014年の7月25日、その実質的な後継機が京セラから発売された、それがtorqueだ」

なるほど、と残念は思う。確かに落し物のほうのスマホには京セラのロゴが入っている。全体的に甲殻類のような無骨なフォルムの中で、京セラの端正なロゴが知的なアクセントを添えていた。

「しかし、何か変だなこのスマホは……」

しげしげとtorqueを眺める両津。
そのボディは米軍準拠の耐久性を実現している。対衝撃や耐水はもちろん、耐圧、対塩水、耐熱、防塵、対G性能まで備えており、広報用のPVでは自動車に踏ませていたほどである。
が、しかし、どうも発売されたばかりとは思えない。
よく見れば背面には細かな傷が無数に走り、カドのあたりは塗装が剥げてる部分もある。金メッキが施された充電用端子の部分はわずかに腐食していた。
液晶保護フィルムは貼られているものの、それにも白い筋のように傷が走っている。それも上下左右、無数の方向にである。

「えらく傷だらけだぞ、カンケリにでも使われたか?」
「まさか」

と、そのとき、派出所へと接近してくる人物があった。
それは量産品のママチャリである。がに股になりつつかなりの速度で漕いでいる。
そしてがらがらという音が鳴る。
自転車の後部から紐が伸び、その先は十あまりの携帯電話が結ばれている。それが地面とこすれあって跳ね回り、がらがらと鳴る。
それは派出所の前でギギギとブレーキ音を響かせ、後輪を浮かせながら強引に止まる。

「あった!! 僕のケータイ!!」
「うわ、びっくりした!」

と声を上げるのは残念。
ぜい、ぜいと息を荒げながらtorqueを指差すのはヘルメットと肘パッドを装着した若者である。Tシャツのアニメ柄が微笑ましい。

「おまわりさん、そのケータイ僕のです!!」
「こら、ちょっと待て、なんだその引きずってるものは」

ずい、と残念を押しのけつつ出てくる両津。

「え、ただのケータイですが」
「きさま、さてはケータイを虐待するのが趣味の変態だな?」

ぐい、と襟首をつかんで引き寄せる。その顔の迫力たるや暴力団でも泣き出すほどである。

「うわ! ち、違いますよ! ただのウェザリングです!」
「ウェザリングだと?」

ウェザリング

それは「風化」という意味であり、模型の世界の用語である。
プラモデルなどをわざと汚したり、塗装を部分的に剥がすことにより実物に近い質感を与える技法であり、時にはパーツを折ったり、錆びさせたりする加工もウェザリングの一種である。
古くは特撮の世界でも用いられた技法であり、サンダーバードやスターウォーズなどに登場する機械。それにゴジラなどの着ぐるみにも使われた。

「それで? なんでケータイを汚してたんだ」

机に腰掛けて茶をすすりながら、両津が問う。パイプ椅子に座らされた少年は、両手を広げるような身ぶりとともに答える。

「お巡りさん、ケータイを保護ケースに入れて猫の子みたいに扱う、なんてのは昔の話ですよ。今はケータイも使い込んだ感じのほうがカッコいいんですよ」
「そんなものか?」
「そうですよ。ジーンズだってそうでしょう、使い古した感じを出すために石と一緒に洗ったり、ヒザのところ破いたりしたでしょう」

本人はカジュアルな若者でありたいと思っているようだが、語りだすその姿はどうしてもオタクの熱さにしか見えない。

「特にG'zOneはアウトドアで活躍するケータイですからね。より使い込んでいるものほど活動的で野性味あふれるカッコよさがあるんです。大変なんですよ汚すのも、自転車で引きずったり温めた海水に入れたり」
「それにしたって10個も引きずることないだろ、結婚式かと思うぞ」
「ウェザリングの途中で壊れるからですよ。ガラケーのほうは30個も壊すうちにいい感じのが出来ますけど、torqueはまだ数がそろわなくて」
「バチ当たるぞお前……」

と、そこへ再びの来客、
今度は排気音である。どっどっ、と低いうなりとともに派出所の前へ通りかかる。

「おうダンナ、取り調べ中かい」

現れるのは本田速人、交機の本田と呼ばれるバイクの達人である。白バイを駆るその精悍な顔立ちは、古い仁侠映画の人物にも似た凄みがある。
ちなみに残念巡査と同じく、幼少期に本田川崎→本田鈴木→本田ヤマハ→本田本田と改名を繰り返して本田速人になった経歴が最近生まれた。

「おう本田か、ちょっとな」
「こんにちは」

と残念巡査も奥から声をかける。けしてキャラが薄いわけではないが、舞台の隅でじっとしているとまったく目に留まらない、そんな路傍の石のような男である。
ひょいとバイクから降りる本田。
途端に顔の筋肉が弛緩して皺が失われ、くねくねと柳腰になって派出所に入ってくる。
と、そこで机の上に並べられた携帯を見つける本田。

「あら、それW62CAですね」
「なんだ知ってるのか?」
「はい、お父さんの使ってる携帯なんですよ」
「バイク屋のオヤジさんか? ケータイなんか持ってたのか」
「だいぶ前に買ったんですけど、扱いが雑でよく落としてますよ。よく工場の隅にオイルまみれで転がってます」

ハハハ、と笑いつつ汗を飛ばす本田。あまり見知らぬ人の前で話すのは苦手だ、と顔にはっきり書いてある。

「あの、その話もう少し詳しく……」

手を上げるのは、マニアの若者であった。





本田輪業とは南千住の下町にひっそりと存在するバイク店であり、周囲はまさに下町の迷宮。不用意に迷子になれば、両津ですら容易には脱出できないほど道が入り組んでいる。

白バイの後部から飛び降りるのは両津勘吉。後ろには自転車のハンドルに突っ伏し、全身を汗だくに濡らしたマニアの若者が続いている。

「つ、着きましたか……?」
「けっこう根性あるやつだな」

振り返り、感心したように言う本田。
両津はというと先に立ってずんずんと歩いていく。そしてカメラは本田輪業の工場へと切り替わる。

「うおっす」
「おう、両さんか」

過去に何度か来ているが、何度来ても中の様子が1ミリも変化しない店である。気に入った相手にしかバイクを売らない、という頑固な主人のために年に数台しか売れず、工場の隅には過去のカワサキの名車が新品のまま並んでいる。本田輪業という名前とは裏腹に、主人はカワサキしか扱わないというポリシーがある。
その主人、すなわち本田速人の父親である本田改造はいつ来てもバイクをバラしており、今もパーツの散乱する中で骨組みだけのバイクをいじっていた。袖まくりした白いツナギに度の強そうなメガネ、そして職人らしい気難しげな顔、これもいつもと変わらない。

「こ、こんにちは」

両津の背後から現れるのはマニアの若者。まだ服の上半分は汗で濡れている。
その若者を見て本田改造はピクリとこめかみを動かし、つかつかと歩み寄ってくる。

「なんだお前は」
「おっとオヤジさん、ちょっと待ってくれ」

と、両津が手を上げてその動きを制し、後ろに来ていた若者に耳打ちする。

「あのオヤジさんには気をつけろ、若者を見ると反射的に殴ろうとしてくるからな」
「ど、どういう人なんですか」

まあわしにまかせておけ、と言いたげに背中に若者を隠し、口を開く両津。

「オヤジさん、ケータイ持ってるんだろ、ちょっと見せてほしいんだが」
「いきなりだな、そこにあるから勝手に見てくれ」

首で示すが、その先にあるのはブリキのバケツに突っ込まれた大量の工具。
だがよく見れば、黒いオイル汚れに混ざってW62CAの丸っこいラインがのぞいている。

「これか、ずいぶん汚れてるな」
「うわ、すごい!」

と、いきなりテンションを上げる若者。

「この絶妙な塗装の剥げ方! 金属部分のキズの自然さ! G'zOneのロゴマークのかすれ方! どれも完璧ですよ!! しかも目地に詰まったオイルの汚れがたまらない!! うわ、これはもしかして金属粉!? こんな汚し方があったなんて衝撃ですよ!!」
「そ、そうか」
「見てくださいこれ! 古い地図みたいに穴の開いたメッキ!! しかも外周だけ! そうか、地面を転がすだけじゃ全体的にメッキがはげちゃうんだ、よく手に触れる外側だけを剥がしたほうが自然な感じになるのか!」
「でも十字ボタンがぜんぜん磨り減ってないぞ、それはいいのか」

確かに、アプリや文章入力などの操作に使う「回」のような形状の操作キーはまっさらなままである。オイルが染み付いていることは変わらないが。

「あ、それはいいんです。そこが磨り減ってるとアプリばっかりやってる人みたいで逆にカッコ悪いんです」
「お前のさじ加減がよくわからん……」
「あの、おじさん、このケータイ売ってほしいんですけど」
「なんだ? うちはバイク屋だぞ、ケータイ屋じゃねえ」

振り返る本田改造、その目にはピリピリとした空気が漂っている。

「も、もちろん同じケータイも用意しますし、お礼も出します」

ぴく、と両津の顔が動く。

「まあ待て、まず私(わたくし)が話を聞こうじゃないか」

と、若者の服をつかんでずりずりと店の隅にひっぱる両津。
そのまま、店の片隅でなにやら相談を始める。

「わしがオヤジさんと交渉してやろう、いくら出せる」
「お、同じW62CAの新品と――円ぐらいでどうでしょう」
「いまバイク業界も不景気だからな、もうちょい色をつけたほうがいいぞ」
「じゃあ――円ぐらい」
「まだまだ、もう一声」
「――円」
「もう少し」

「ああいう交渉だと先輩は粘るからなあ……」

渋い顔でその様子を眺める本田巡査。
やがて本田改造との交渉も終え、ニコニコ顔の両津がやってくる。

「交渉終了だ、新品のW62CAと500円で売ってあげた」
「ウソばっかり……」

そう呟く本田巡査であったが、そのあきれ顔とは裏腹に、例の若者は実に朗らかな笑顔である。

「あの、ありがとうごさいます。これで理想的なケータイが手に入りました」
「うむ、またいつでも尋ねてきたまえ」
「はい!」

ぺこりと頭を下げ、そちらが自宅の方角なのか、何度も振り向いて礼をしながら自転車で去っていく若者。
頭を下げつつ、その目は手にしたばかりの古びたW62CAに注がれていた。

その背を見送り、両津が呟く。

「……しかし、本物のZ2やニンジャが転がってるこの店でケータイしか目に入らんとは、わしらには信じられん……」
「マニアってそういうものですよ、たぶん……」

「しかしあんなマニアがいるとは奥が深い、これは金になるかも知れん……」





「ケータイの回収だって?」
「そうだ、地域貢献の一環だ」

葛飾署の入り口にて、大勢の警察官を前に演説するのは両津である。

「ケータイはまさに資源の宝庫だ。含まれてる金属は金、銀、銅、パラジウム、そして各種レアメタルなど、どれひとつとっても世界でもっとも優秀な鉱山よりも多く含まれている」

おおー、そうなのか、などと声が上がる。
わかりやすくパネルにまとめてきた図を支持棒で示しつつ、いかめしい顔の両津が続ける。

「資源の再利用はもちろん、ゴミを少なくするという意味でも有意義なことだ。携帯会社や一部の自治体などが回収事業を行っているが、われわれ葛飾署もその手本とならねばいかん。だから職員から携帯を集めるんだ」
「な、なるほど……」

大原部長や次長なども感心したような、似合わない提案に驚くような、複雑な表情でそれを見ている。

「そこ、携帯をほとんど買い換えないおじさん連中は別にいいです」
「うぐ……」

「ねえ、私たちも出さなきゃだめなの?」

葛飾書の婦警たちも困惑気味である。
婦警の中にも両津と相性の良いものもいれば、ネズミや虫のように嫌っているものも少なくない。
相性の悪いグループであり、やたらと衝突しがちな早乙女リカが不満げに言う。

「もちろんだ、特に早乙女リカは山ほどケータイ持ってるだろ、見かけるたびに違う機種だった時期があったぞ」
「よ、よく見てるわね……」
「誰が提出したかわかるように、ケータイには名前を書いた紙を添えてもらうからな」
「個人情報を売る気じゃないでしょうね……?」
「ばかもの、そんなことするわけないだろ。心配なら内部のメモリーカードだけ抜いて出せばいいだろ」
「そ、それならまあ……」

いかにも心外だ、という顔で冷静に否定されると、逆にもう不平の余地がなくなってしまった形となる。
早乙女リカの周りに集まっていた「相性悪い派」の婦警たちも、何か怪しいとは思いつつ抗弁できずにいるのだった。







「先輩、青戸署からも届きましたよ」

公園前派出所の奥座敷。テレビと座卓しかない簡素な室内には、今はいくつかのダンボールが運び込まれている。

そこへ新たなダンボールを抱えて入ってくるのは本田巡査である。中には大昔のカメラなしケータイからPHS、そして新しめのスマホまで、古今東西の携帯電話がいろいろと入っている。

「ご苦労、そこに置いといてくれ」

両津はというとまるで鑑定士のように虫眼鏡を覗き込み、奥座敷の中央で携帯をじっと見ていた。

「ちょっと傷が浅いか……汚れもいまいち、3級だな」

いつのまにか等級制の評価基準ができたらしい。

「本当にそんなもの売れるんですか?」
「こないだの若者は特殊みたいだが、確かに最近、あえてケースをつけずにケータイの汚れを楽しむやつが多いらしい。わざとケータイを汚すブームだって来ないとも限らんからな、いい感じのやつを手元に置いておく。
大半は本当にリサイクルに出すんだから嘘はついておらん」
「それはそうですけど……」

苦い顔で呟く本田。
と、その目が横にすべる。
部屋の片隅に小さなダンボールがあり、そこにもケータイが大量に入っていた。赤やオレンジなど、なにやら暖色系の色が目立つ。

「こっちのは何ですか?」
「それは別口だ」

見れば、ケータイの一つ一つに履歴書のような紙が貼り付けてある。交通課の早乙女リカ、白バイ隊の乙姫奈々、公園前派出所勤務の秋本麗子などの簡単なプロフィールと、顔写真。
両津は手元の作業を続けつつ、独り言のように答える。

「ネットで調べたらその手のマニアが結構見つかってな……婦警の使い古したケータイだとずいぶん高く売れて……」
「ちょっと先輩!? それはまずいですよ!」
「心配するなバレなきゃ大丈夫だ。すでに100万以上の稼ぎになってるんだぞ、やめられるわけが――」「やはりこういう事だったか……」

と、奥座敷前に現れるのは大原部長である。
すでに血管をこきざみに震わせ、奥歯をかみ締めて全力の怒りを蓄えている。

「げっ部長!? きょ、今日は会議のはずでは?!」
「携帯を通話状態にして紛れ込ませておいたんだ、本田くんとの会話はすべて聞いたぞ」
「う、部長とは思えぬテクニカルな技を……」

たじろぐように身を引く両津。
だが一瞬後、開き直るのと焼けくその中間のようなテンションで抗弁する。

「やり方が汚い!! これは盗聴罪だあ! 証拠は無効です部長ーー!!」
「お前の方が1億倍汚いだろうが!!! このバカモノ!!!!」

そして部長の鉄拳が隕石のように降り注ぐ。

ドカバキと盛大な音の向こうから、両津の泣き声が響くのだった。

「許してくださいぶちょ~~! つい出来心で~~!」









「おはようごさいます」

派出所に出勤してきた中川圭一巡査が、その中を見渡して首をかしげる。

「あれ? 先輩はお休みですか?」

大原部長は書類を整理しつつ、何事でもないように答えるのだった。

「あいつならとある作業場で携帯電話を解体しておる……東京の府中刑務所とかいう場所の作業所でな……ま、そのうち帰ってくるだろ……」




北条こと凄苦残念はその様子を見つめ、顔に汗を浮かべて呟くのだった。

「僕の出した携帯も売られてました……麗子さんの写真つけて……」




(完)






[35120] 「時代劇は爆発だ!」 の巻 前編
Name: MUMU◆c85b040a ID:3e194412
Date: 2015/02/27 16:19

「時代劇は爆発だ!」 の巻



夜の荒野にからっ風が吹く。

電柱ほどもあるサボテンが堂々とそびえ、満月の浮かぶ夜空に禿鷹が飛び、
はるか遠くに夜汽車が煙を吐きながら走り。山の向こうに恐竜が闊歩する。

そんな千葉県郊外、大原大次郎邸である。

生け垣を巡らせた広い庭、手入れの行き届いた植木と鯉の泳ぐ池。
階段状の棚には自慢の盆栽が並んでいる。
その邸内。
大原大次郎は正座で碁盤に向きあい、難しい顔をしている。
片手には本を持ち、ぱちりと黒白の石を並べていく。時計の分針がかちりと鳴る。
と、そこで部屋の障子が開かれる。
顔を出すのは大原大次郎の細君、大原良子である。

「あなた、そろそろ始まりますよ」
「う、うむ」

ゆっくりと腰を持ち上げ、細君に連れられるように部屋を移る。着いた先は細君の部屋、こたつの置かれた八畳の客間である。部屋の重心であるこたつの上にはお茶と蜜柑の用意がなされ、大きめのテレビではドラマのオープニングが流れていた。

「今日はどういう話でしたかね」
「……史実なら、野山獄に幽閉されていた吉田松陰が、囚人たちに学問を教えるという話があるんだが、その辺のことが描かれると思う」
「文(ふみ)はどう関わるんですかね」
「さ、さあな……」

濃い目の茶をすすり、やや眉根を寄せる大原大次郎。
画面の中では江戸後期、幕末の物語が始まっていた。





場所は代わり時は移り、環状八号線沿いの亀有公園前派出所である。
大原大次郎は肩からカバンを提げ、テカテカする合成皮革のコート姿で歩を進める。
公園脇を通り派出所の入り口が見えてきた時、中から声が響いてきた。

「え? 先輩も『花燃ゆ』見てるんですか?」

部長の足が止まる。
カメラは切り替わって派出所の中へ。飛行機のプラモを組みつつ、中川の声に応じるのは両津勘吉である。

「いま仲間と幕末もののゲームを作っててな。参考になるかと思って何話か見てみた。中川も見てるのか」
「ええ。それでどうです? 感想は」
「イマイチだな」

ばっさりと袈裟懸けの感想である。
右目には筒状のルーペをはめ、ピンセットで細密部品を組み立てつつ、やや苦みばしった顔で両津が言う。

「だいたい吉田松陰の妹が主役ってのがよく分からん。杉文(すぎ ふみ)なんて聞いたこともないぞ。『吉田松陰』じゃダメなのか」

『花燃ゆ』とは、2015年1月より放送されているNHK大河ドラマである。吉田松陰の妹であり、のちに長州藩士、久坂玄瑞の妻となる杉文を主人公とし、松下村塾や長州藩の歴史を、女性の視点から描くことを主眼としている。
しかし、その初回視聴率は16.7%と、ここ20年の大河ドラマ初回ではもっとも低い数値であり、さらに二話以降も低迷が続いている。
弁護するかのように中川が口を開く。

「幕末ものの場合、一人に焦点を当てると志半ばで死んでしまったりしますからね。吉田松陰もこの後打ち首になりますし…。ですので杉文という主軸を作って、いろいろな人物や事件を追っていく流れだそうですよ」
「それは分かるが…、視聴者も吉田松陰のことしか興味持ってないだろ。文を無理やり吉田松陰の話に絡ませてるだけじゃねえのか」
「まあ……確かに」
「それに二話の時点だと杉文(すぎ ふみ)は10歳ぐらいなんだろ。子役から井上真央にチェンジするの早すぎじゃないのか。早く出したかっただけにしか見えないぞ」
「そうですね」
「吉田松陰といえば10歳で殿様の前で講義するぐらいの天才だったんだろ、もっと小さい頃からきっちりやればいいのに、杉文が見てない部分だからカットするってのはどうなんだ」

「両ちゃん詳しいわね」

と、お茶を差し出しながら話に入ってくるのは秋元カトリーヌ麗子である。ピンクの制服のせいで灰色の派出所も華やいで見える。

「おう、吉田松陰ならよく知ってるからな。確かこういう顔なんだ」

と、手元の紙にさらさらと書いていく。やや面長で鉤鼻。着流しを着てあぐらをかきつつも背筋はしゃんと伸び、目の前の人物に堂々と対峙するかのような、強い意志を感じる顔立ち。有名な構図である。
手元に和綴じの本が置かれているのは教師としての側面を、傍らに脇差しを置いているのは侍としての身分、あるいは直情径行のある情熱的な性格を表現するかのようだ。
覗きこむ中川と麗子が関心したように言う。

「確かにこんな顔だったような」
「よく覚えてるわね」
「教科書でも大きく乗ってたからな」

着物の影を加えたり、細部を書き込みながら両津が話す。

「松陰は子供の頃に叔父さんの養子になったんだけどな、そいつがものすごいスパルタで、勉強を教えてる時にほっぺたを掻いただけでもぶん殴られたそうだぞ」
「そうなの?」
「それで10歳で長州藩の軍学師範になったんだよ。長州藩の軍事演習で参謀を務めたのが13歳だぞ、凄すぎる」
「だから松下村塾にもたくさん人が集まってきたのね」
「え?」

きょとん、と眼を丸くして両津が振り向く。

「吉田松陰って塾の先生だったのか??」
「肝心なところの知識がない……」

中川が渋めの顔芸で突っ込み。
麗子は汗を飛ばしつつ、噛んで含めるように説明する。

「叔父さんの作った松下村塾を松蔭が復活させたのよ。1年ちょっとしか続かなかったけど、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋なんかを輩出したの。塾生じゃなかったけど桂小五郎なんかも吉田松陰の弟子だったのよ」
「うーむ、名前は聞いたことあるな……。あれだっけ、宇宙人と戦って…」
「先輩、それは別の漫画です」

中川も困ったように汗を浮かべる。
そういえば以前も、ペリーや杉田玄白の顔はすらすらと描けるものの、その業績についてはさっぱり知らなかったことを思い出す。
どうも両津勘吉という人物は、歴史のトリビア的な部分だけを覚えている傾向があるようだ。おそらくは少年時代、勉強に熱心でない両津少年のために、面白い話を織り交ぜた授業をしてくれた先生がいたのだろう。以前どこかで聞いた御曲(おまがり)先生という人物だろうか。
しかし興味のあることと無いことの集中力が天地の差であるだけに、そういう脇の部分だけを記憶してしまったのだろうか。

「先輩、『花燃ゆ』のどのあたりが気になりますか」

ドラマの話から離れすぎている、と感じた中川が話題を振る。

「そう『花燃ゆ』だ! だいたいキャッチコピーがおかしいだろ。「幕末男子の育て方」だぞ。内容もホームドラマみたいだし、これで塾の話が始まったら学園ドラマみたいになるのか?」
「まあ、そういう方向性も需要があるのかと…」
「時代劇なのにチャンバラがないのもいかん。だいたい長州藩の話をずっとやるなら新選組とか出てこないだろ、一番おいしいとこやらなくてどうするんだ。……ん」

と、そこで両津勘吉、派出所の外を見る。
ガードレールに小さな鏡が止められている。それは大原部長の接近を察知するために両津が仕掛けた鏡であり、そこにコートを着た中年の警官が映っている。両津の顔がさっと青ざめて脂汗が吹き出す。

「確かに幕末ものは会議や密談のシーンが多いせいで人気がないと言われてますね。内容も難解で登場人物も非常に多くなる傾向が……」
「……い、いや、それはいいんじゃないか、たくさんいたほうが賑やかだし」

両津が顔に縦線を引きつつ話を収めようとする前で、中川と麗子は妙に盛り上がっている。

「登場人物が美形ばかりなのも気になるわ。史実での年齢とかけ離れた俳優も多いもの」
「杉文の言動も現代的すぎてどうかと思うよね。姉や母親のキャラクター性も」
「こ、こらお前ら!! NHKだって頑張って作ってるんだからあまり悪口を」

「おはよう」
「うわ!? ぶ、部長!」

入り時を見計らっていたかのように、ぬっと大原部長が登場する。

「お、おはようございます部長!! ただいま中川と麗子が大河ドラマをけなしていたので説教しておったところです!!」
「えーっ! ずるいわよ両ちゃん」
「お前も一緒になって言っていただろ…」

しかめ面で突っ込む部長。

「す、すいません! 歴史好きの部長の前で大河の悪口を」
「別に怒っておらん」
「……へ??」

ロッカーに向かい、合成皮革のコートを脱ぎながら部長が言う。

「ドラマにどんな感想を持とうが個人の勝手だ。そんなことでヘソを曲げたりせん」

そう言って、そのまま奥の座敷へと消える。

「部長、どうしたんだ? 元気がなさそうだが」
「え? そうですか?」
「間違いない。今までなら大河ドラマの良さについて小一時間語りそうなところなのに」

顎に手を当て、両津の眼光が絞られる。

「…さては、部長も『花燃ゆ』を面白いと思ってないんだな」
「そ、そうですかね?」
「間違いない、きっと奥さんの付き合いでガマンしながら見てるんだ」
「それは想像では…」
「中川、来週の日曜は部長の誕生日だったな」

ふいにそんなことを言う。

「え、ええ、そうですね。プレゼントの黒楽茶碗ならもう用意できてます」
「変更しよう。お前らの力で○○をだな…」
「えーっ! 不可能ですよ!」

目を丸くする中川の肩を掴み、詰め寄る両津。

「大丈夫、君ならできる。麗子も協力しろ」
「一週間じゃムリよ!」
「心配するなわしも協力する、早くできるアイデアを出してやる」
「ですが、予算がかなり…」
「ケチケチするなそのぐらい」

「なんだか騒がしいな……」

その喧騒を遠く聞きながら、奥座敷で部長は短く呟いた。



なお、大原部長の誕生日は話の都合により2月15日となりました。





「誕生日おめでとうございます部長!」

派出所にて、黒楽茶碗の入った桐箱を差し出すのは両津勘吉である。

「いやあ、祝ってもらって悪いな」

その背後、中川と麗子は早口で何かを言い交わしている。

「間に合いそう?」
「何とか…」

「ときに部長、今日は例のドラマの放送日ですね」
「ん?」

と、部長がわずかな硬直を挟んで返答する。

「あ、ああ、『花燃ゆ』のことか。そうだな、今日も家でのんびり…」
「いやいや、テレビ東京でやるやつですよ。部長も楽しみにしてるのかと」
「テレビ東京…?」
「8時からですからね。忘れないように新聞で確認してください」
「??」

「両津が何か言ってたな」

場面はころころと変わり大原邸。こちらは十二畳間のリビングである。黒壇のローテーブルに座し、背筋を立てたまま、新聞を卓上に広げて確認する。

「長編歴史ドラマ『桶狭間の合戦』…?」

桶狭間の合戦と言えば織田信長と今川義元が、現在の愛知県豊明市、当時の名で尾張国桶狭間村の付近で激突した戦いである。それを描いたドラマということだろうか。
興味を引かれ、リモコンを操作する。
それはいきなり始まった。



「狙うは今川の首ただひとーーーーつ!!!!!」



画面には豪雨が降っている。
騎馬を操り、泥を跳ね上げながら駆ける人物は織田信長だろうか。後に続いてすさまじい数の騎馬が駆けている。
雨の中でわずかに東の空が青ざめており、夜明け前だと分かる。

「殿! 今川の本陣は約10万。対して我らは2000にも満ちませぬぞ!」
「今川の首さえ落とせばこちらの勝ちだ! この豪雨に乗じて奇襲をかける!」

「な、なに!? 10万だと!」

驚くのは大原大二郎である。
桶狭間の合戦における今川軍の総兵力は諸説あるが、最も多い説でも5万程度、一般的な説では2万5千と言われている。しかも今川軍は分散しており、直接織田軍と対峙したのは5,6000というところか。「本陣に10万」などというのは明らかに誇張である。
しかし本当に驚いたのはその次だった。
画面上で高台から織田の軍勢が駆け下りていく。その向こうに陣幕を張った陣地が見える。「丸に二つ引」の紋が見えるから今川軍の陣地ということか。そこにおびただしい数の人間がいる。本当に数万人はいるように見える壮大な俯瞰視点である。
篝火に照らされた闇夜に、胴丸だけを身につけた足軽たちが集まって休息している。画面の奥までも埋め尽くす膨大な人数であり、豪華な鎧を身につけた身分のある武将や、農民と見分けがつかないほど見すぼらしい丸木鎧の者、あるいは荷運びなど非戦闘員らしき者など様々な人間が夜の底にうごめいている。見張りに立っている何人かが斜面を駆け下りてくる織田軍に気づいて声を上げる。慌てて兜を取り槍を構える瞬間、その武者たちを馬が蹴倒していく。

「あなた、もう始まってますよ」
「い、いや、今日はこれを見る」

大原良子が顔を出すが、部長はそれどころではないという風に小さく手を振る。

かなり古いイメージの桶狭間である。「信長公記」などによればそもそも桶狭間の合戦は奇襲戦でもないし、夜戦でもない。
信長の奇襲に驚く今川義元は白粉にお歯黒、貴族風の衣装で異様な肥満体という、旧説というより逸話に近い姿をしている。ついでに言うなら誰も名古屋弁を話していない。

しかしその合戦の迫力は凄まじいの一語である。泥を蹴立てて何千もの足軽が逃げ惑い、それを馬上からの槍が貫いていく。森の獣道を逃げていく今川義元を、雨粒を弾けさせつつ騎馬が追跡する。武将同士が槍を構えての一騎打ち、泥をのたうちながらの足軽同士の戦い、陣幕からは炎が上がり、遠くの山城からも火の手が上がっている。ほとんど説明がないが中島砦か鳴海城ということだろうか。
そんな合戦のシーンだけがもう何十分も続いているが、大原部長は茶を啜ることも忘れて食い入っている。





「よしよし、部長、かなり熱心に見てるぞ」

大原邸から200メートルあまり、雑木林を切り開いた空き地で、両津勘吉はモニターを前に白い息を吐く。モニターの中ではやや前傾になった部長が見えている。

「部長にいい誕生日のプレゼントになったな」
「ほんとうに大変でしたよ」

汗をかきつつそう言うのは中川圭一である。彼の背後には巨大な送波用のアンテナが立ち、ジャケットを着た外国人のスタッフが何人かいる。

「ニュージーランドで突貫工事の撮影でしたからね、ある程度はCGと現地エキストラでまかないましたが、日本人の俳優とスタッフも大急ぎで集めましたから」
「そうよ両ちゃん、衣装の手配もぎりぎりで間に合ったんだから」

麗子も同意する。もともと警官業と実家の経営参加を両立させている二人であるが、この一週間の激務にさすがに疲れが出ていた。

「3Dプリンターで作ったとは思えん鎧だ、うーむよくできてる」
「いくつかの鎧は本物ですよ。火縄銃も空砲ですが本物を使ってます」

それはリアリティにこだわるためというより、すべてレプリカで賄うには時間が足りなかったせいもある。
さらに言うならそれを一週間でドラマに仕立て、偽のテレビ欄に差し替えた新聞を用意し、部長の家だけを局所的に電波ジャックする。中川と麗子の協力があっても紙一重の日程であった。唯一の救いは合戦のシーンが極端に多く、城下町や城の内部などのセットが必要なかったことか。

「でもこんなドラマでいいんですか? 現代の桶狭間像とはずいぶん違いますが……」

時間がなかったとはいえ、軍議のシーンすらほとんどない合戦シーンだけの詰め合わせである。ある程度はナレーションで説明され、奇襲や追撃、一騎打ちなど絵的にはバリエーションに飛んでいるが。歴史ドラマの常識からは外れている気がする。

「いいんだよこれで」

と、両津はあっさり言う。

「歴史ものなんかチャンバラがあればいいんだから。老人なんだから刺激を与えたほうが食いつきもいいし」
「そ、そうですかね」

ばっさりとした言葉である。中川も困った顔になる。

「ペラペーラ、ペラペーラ」
「え、どうしたの?」

と、アンテナを操作していた外国人スタッフが発言する。麗子がそちらに顔を向ける。

「ペラペーラ」
「そうなの? でも両ちゃんにも聞いてみないと…」
「どうしたんだ?」
「このドラマ出来がいいから、アメリカに持ち帰って放送してもいいかって」

彼らは麗子がアメリカから呼んだスタッフである。ハリウッドのカメラマンやケーブルテレビの技師など、今回の撮影と電波ジャックには彼らの存在が不可欠だった。
両津はあまり深く考えずに答える。

「別に構わんが…
いいのか? 安く早く作ったものなのに」
「あの、先輩、ものすごーくお金かかってますこれ……」









[35120] 「時代劇は爆発だ!」 の巻 後編
Name: MUMU◆c85b040a ID:3e194412
Date: 2015/02/27 16:21





このドラマがアメリカで爆発的なヒットとなった。

「OK-HAZAMA」と題されミニシアター系映画として公開されたこの作品は、ほとんど説明のないままに合戦に放り出されることが斬新だと解釈され、泥にまみれて騎馬武者が斬り結ぶ迫力、多数のエキストラが乱戦となるスケールの大きさがKUROSAWAの再来と評価された。
同時にYOUTUBEにアップされたメイキング映像も一億回を越えて再生され、新たにシーンを撮り下ろした「NOBUNAGA」がドラマシリーズとして公開された。
これも大ヒットとなり、アメリカを始め世界中で時代劇ブームが起こったのである。





「あのドラマを手がけたのはゴンザレス氏とのことですが!」
「その通り」

無数のフラッシュがまたたき、長机に並んだ大量のマイクの向こうにいるのは両津勘吉である。本庁にばれないように偽名で会見しているようだ。
白いジャケットに袖を通さず羽織り、巨大な丸型サングラスをかけて顎をしゃくれさせている。
隣にはスーツ姿の中川圭一がいて、後頭部に手を当てて戸惑った顔をしている。

「以前から私(わたくし)は日本の時代劇に不満があったのです。
やたら会話のシーンが多い!
チャンバラが少ない!
テーマが暗い!
それに異議を唱えるためにあのドラマを作ったのです」

オオー、という声とともにフラッシュが咲き乱れる。
記者の一人が発言する。

「しかし、OK-HAZAMAは史実と違いすぎるとの批判もありますが」
「こだわってはいかん!」

だん、とテーブルを叩く。

「そもそもの話をしてしまえば水戸黄門だって史実と全然違う! 時代劇で大事なのはチャンバラの迫力だ! そのために派手な演出をするのは何も悪くない!
『天と地と』を見ろ! あの赤と黒の軍勢がものすごい勢いでぶつかり合うシーン。『乱』の原色バリバリの衣装! ああいうハッタリがエンターテイメントには必要なのだ!」

なるほど、とか一理ある、という言葉がちらほら生まれる。

「だから私は『NOBUNAGA』で日本の時代劇を変えるのです。友人の中川くんが全面協力を申し出てくれました」

と、隣にいた中川の肩にずしりと手を置く。
オオーという声とともにフラッシュがまたたく。

「そうだね中川くん」
「は、はあ、まあ…申し出たというか…なりゆき上……」

別の記者が手を挙げる。

「ゴンザレス氏、『NOBUNAGA』は日本でも放送予定とのことですが」
「その通り。信長だけでなく今後もいろんな題材をドラマ化していく予定です。このシリーズの名前は……」
「名前は?」
「大河(おおかわ)ドラマ」

…………

…………

「あ、あのそれは大河ドラマとかぶるのでは」
「失礼な、大河ゴンザレス・ビバムーチョ・ビバノンノン太郎、私の名前です」

本当にそう書かれた名札を指さしつつ答える両津。名前が三行にまたがっていた。





「両津、昨日の『NOBUNAGA』見たか!」

眼に十字の星を浮かべ、キラキラと輝いた顔で尋ねるのは大原部長である。両津は日報に落書きをしながら答える。

「あ、ええ、一応」
「いやあ良かったな! 浮野の戦いも岩倉城の戦いもすごい迫力だった! おお、そういえば制作は中川の会社だったな! いいドラマを作ってくれてありがとう!!」

脇にいた中川の背中をバンバンと叩く。その顔は喜色満面というより、若干ハイになっているように見える。
強く背中を叩かれながら中川も相槌を打つ。

「は、はあ…」
「いやあ来週も楽しみだな!! ちょっと葛飾署に行く用事があるから次長と語らってくる!」

と、そのまま迎えに来ていたパトカーに乗り込み、排気を巻き上げ去っていく。

「部長、ずいぶんハマってるようですね。誰かれかまわずドラマの話を振ってるそうです」
「わしが作ったドラマとも知らずに…」

競馬新聞を広げつつ、少し不平そうな表情を見せる両津。

「ま、NOBUNAGAは来週で終わりだがな」
「え?」
「次は武田信玄だ、もうロケ地の下見も小道具の発注も済んでる」
「いつのまに…」

どうやら既に中川よりも現場を掌握しているらしい。
ですが、と言い置いてから中川が尋ねる。

「まだ浮野の戦いですよ。来週が桶狭間ですが、そこで終わりなんですか?」
「信長が面白いのは桶狭間までだ、とわしの爺さんも言ってた」
「…妙に生々しい発言ですね」
「生まれてから死ぬまでやるなんて時間の無駄だ。面白い部分だけさくっとやるのがいい、武田信玄も全6話で終わるからな」
「この間は逆のこと言ってませんでしたか…?」
「同時に徳川家康、ねずみ小僧、こづれ狼、かげろうお銀と次々にドラマ化していく」
「実在の人物じゃないのがいますが…。それに撮影費用がかなり…」
「そのためにこういう準備を…」
「え、ですがこれは…」

会話が段々と内緒話になっていき、中川の肩を抱き込む両津。それを隣の机にかけていた麗子が見て、小さく呟く。

「なに話してるのかしら?」





時代劇ブームにより、他のテレビ局も歴史ドラマの制作を始めた。
「水戸黄門」や「桃太郎侍」なども再放送され、また歴史をテーマにしたクイズやバラエティ番組も次々と作られた。
そんな中、両津の指揮するゴンザレス&中川ピクチャーズは低予算で次々とドラマを制作。ひたすらチャンバラと爆発、そしてお色気で視聴者を繋ぎとめる作戦に出たのであった。

しかしそんな熱病のようなブームに、ついていけない層も出始めたのである。

「今日は真夜中までギッシリだな…」

新聞に眼を落としながら縁側を進み、目の下にクマを作った部長が呟く。

「ブームなのは分かるが…。最近は時代劇が多くて疲れてきた……。どれもやたらに爆発とチャンバラが多いし…お色気が多いのもあまり…」

ふー、と息を漏らし、額の汗を拭う。

「おや…?」

ふと脇を向けば、客間の方から音が漏れている。中では細君の大原良子がこたつに入り、「花燃ゆ」のテーマソングが流れていた。

「そうか、今日は日曜だったな…」

と、大原大次郎も部屋に入り、こたつ布団に足を潜らせる。

「あら、今日はこっちを見るんですか?」
「だいぶ見逃してしまったな…。いま杉文はどうなっているかな。史実なら小田村伊之助と再婚するあたりか」
「そうですねえ。あれから色々とありましたよ。歴史の影でこんな女性がいたかもしれない、と想像すると楽しくて」
「そ、そうか。じゃあわしも今週からちゃんと見るかな…」





「なにい! 視聴率が落ちてる!?」

中川からの報告を聞き、両津が野太い声で怒鳴る。
両津はなぜか工事現場用の黄色いヘルメットをかぶり、年季の入った革のジャケットを着て腋には丸めた図面を指し、工事現場を監督していた。現場では数百人の作業員が入り乱れ、木材を載せたトラックが土煙を上げて走行する。

「最近は刺激が強すぎて眼が疲れるとか…。何より話のほとんどがチャンバラと爆発なので視聴者が飽きてきたのかと…」
「ならもっと過激にやるぞ! お色気も増やして視聴者を繋ぎ止めろ!」
「ですが予算が膨らむ一方で…」
「だからこのオープンセットを作ってるんだろうが! オープンセットを作れば制作費がグッと安くなる! 一本ずつ丁寧に作るのはやめだ、これからは大量生産の時代だ」
「は、はあ…」

そしてそれは完成した。

北海道の原野に突如出現する、巨大な町並。

中央には原寸サイズの江戸城。

周囲には八百八町を再現し、武家、商家、下町の長屋、そして遊郭までもを再現した広大な眺め。

その大きさは実に47平方キロ。太秦映画村の1000倍、ディズニーランドの100倍、葛飾区の1.5倍という広さである。

超巨大オープンセット兼アミューズメントパーク、『EDOランド』の完成である。


「みなさん!」

タキシードに着替えた大河ゴンザレス(略)こと両津が、多数のマスコミを前に宣言する。

「このオープンセット『EDOランド』が日本映画の革命となるのであります!」

両津の背後には大型プロジェクターがあり、再現された江戸城が映し出されている。簡単な演台の回りに記者が詰めかけていた。

「太秦なんかメじゃない! この超巨大オープンセットで、ゴンザレス&中川ピクチャーズは毎週40本の時代劇を作る予定です!」

前回の記者会見の数倍の人数が、いっせいにフラッシュを浴びせる。

「同時にこのオープンセットはアミューズメントパークとしてもオープンします! 太秦の来場者は年間100万人ですが、このEDOランドは年間2億人は固い!」

オオー、と半ば無責任さすら感じられる軽さでフラッシュが飛ぶ。

「江戸湾も忠実に再現されております! 沖の黒船は遊覧船として乗り込むこともでき、大砲からは花火も打ち出せます。この後も30隻の黒船から、一気に2千発の花火が打ち上がる予定です!」

全身と顔面に力を入れて叫ぶ両津の背後に、髭面のスタッフが来る。

「あの、やはり花火の水平撃ちは危険かと…」
「だから迫力があるんだろうが! 予定通り一斉発射だ!」

すぐさま記者たちに向き直り、腕を大きく振り上げてモニターを示す。

「こちらを御覧ください!」

背後の大型モニターが分割され、青空を背景とした江戸城と、沖合の黒船が映し出される。
満面の笑みで手を振り下ろす両津。

「大江戸ランド、これよりオープン!!」


どーん、と右画面で黒船が火を吹き、


がーん、と左画面の江戸城が欠ける。


両津の顔がさーっと青ざめる。

「命中したぞ!?」記者の声と乱れ飛ぶ悲鳴。

一瞬遅れて振動のような音が届く。見れば八百八町の町並みにも、いくつかポンポンという花火が上がるとともに、モロに着弾および爆発している家がある。
はるか遠くに目を向ければ、炎が一瞬で肥大化して火柱になっている。藁葺きの屋根が実によく燃えているようだ。見れば白い土壁や土蔵も木と紙で作ったハリボテのため、走るような速さで火の手が広がっている。

「お! 落ち着いてください皆さん!」

ひきつった笑みを作りながら宥める両津。
背後では、黒煙で遠くの景色がかすんでいる。

火事だぞ、燃えてる、との叫びがキャーという叫びにかき消されていく。

「これは新作映画、「KUROFUNE」の撮影なんです! 江戸の街が燃えるシーンが大迫力でしょう!?
火はすぐ消えますので安心してください! 撮影ですこれは!」

おりからの強風により、両津の背後で火の手はどんどんと広がるのだった。







ばりぼり。


公園前派出所の奥座敷。
麗子は正座を組んで急須でお茶を入れ、中川圭一は小ビンの中身を炊きたてご飯にふりかけ、ぱくぱくと口に運んでいる。胡乱げな目つきで口中のものを噛み砕く。
そこにアナウンサーの声が流れる。

『先日オープンしたEDOランドですが、突然の大火事によりほぼ焼失しました。火事を消し止めようとしたゴンザレス氏は重体ですが、それ以外に被害者はいない模様です』


ばりぼり


『ゴンザレス&中川ピクチャーズをはじめ、中川財閥関連の株が連日暴落しており……』
「圭ちゃん、頭痛薬はふりかけじゃないのよ」
「もう少し……」


ばりぼり。


ばりぼり。



(終)



[35120] 「いざゆけ! 鉄子の部屋!」 の巻
Name: MUMU◆c85b040a ID:dc404c32
Date: 2015/12/31 23:06

「いざゆけ! 鉄子の部屋!」 の巻




男が歩いている。
腕の振りより前にせりだした太鼓腹、汗で張り付いた黄色のシャツに、濃い緑色のウエストポーチ。鼻の下にはもじゃもじゃの口ひげをたくわえ、頭には横に広いテンガロンハット。
アストンマーチンやヨタ8の走行する環状八号道路の脇を進み、やがて公園前派出所へと至ると、迷いなくそこへ入ってゆく。

数分後



「なんだと!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


両津勘吉の声が派出所を40センチほど飛び上がらせ、公園の立木が横倒しになり、環状八号道路にイナズマのような地割れが突っ走る。

「なにごとですか先輩!?」

奥座敷にいた中川圭一が飛び出してくる。大原部長がロッカーの前で硬直し、麗子もお茶を載せたお盆を抱えて驚きの表情。
そして両津勘吉は、わななくような声で言った。

「わしが! 鉄子の部屋に出るだと!?」
「はい」

小太りの男は番組のプロデューサーだと名乗る。そう言われて見ればせり出した腹も、口ひげも何となくお偉いイメージを連想させるから不思議である。
両津の机の上にはA4の紙束が置かれ、「鉄子の部屋、出演依頼について」云々という文章が走っている。

「すごいじゃないですか先輩!」
「おめでとう両ちゃん! すごいわ」

「そ、そうか、わははは」

最初は動転したものの、賞賛の拍手を浴びて調子を取り戻す両津。

「鉄子の部屋も放送一万回を超えましたし、こち亀も200巻目前ということで、このコラボレーション企画が持ち上がったわけです」
「うむ、なるほど」

びしり、とネクタイを締め直すようなポーズを取る両津。
部長はというとまだ信じられない様子で、苦みばしった声で皮肉を飛ばす。

「こんな放送事故が服を着てるようなやつを出すなんて無謀な、そこらへんのポストや信号機でも出してたほうがマシだ」
「なんてこと言うんですか部長!」
「そんなことありませんよ」

小太りのプロデューサーが口を開く。

「両津さんなら十分に出る資格はあります。何しろ鉄子の部屋と、こち亀はどちらも1976年のスタートですからね」
「なんと!」

両津を含め全員が驚く。

「こち亀は巻数と話数で文句なしのトップ。鉄子の部屋も、放送期間自体はもっと長いものがありますが、放送回数では堂々の世界一ですからね。いわばテレビと漫画の最長寿同士の対談なわけです。歴史的ですよ」
「そういえばギネスに乗ったとか言ってたな」

鉄子の部屋は2015年5月に放送期間が1万回を超えたが、ギネス記録としては2011年。「同一司会者による最多放送回数のテレビ番組」としてギネスを更新している。その時点の回数は8961回である。

「なんか微妙な表現だな? 世界一の長寿番組じゃないのか?」

すぐ上の地の文を見上げながら両津が言う。中川が細かなことを思い出すように腕を組み、下の方にある地の文を見つつ口を開く。

「世界は広いですからね。アメリカにはもっと長寿な番組や、放送回数が多い番組がありますよ」
「ほんとかよ」
「う~む、世界は広い…」

現状、放送回数世界一の番組はアメリカの昼メロである「アズ・ザ・ワールド・ターンズ」、放送回数13800回を超えており世界一である。最長寿となるとCBS放送の「ミート・ザ・プレス」。著名人にインタビューを行うトーク番組だが、50年以上続いており、いまだ現役である。
そうだ、と両津が手を叩く。

「お前たちは出たことないのか? 出演する前に経験者から話を聞いておきたい」
「僕はないですね」
「私も…出たことのある友達ならたくさん知ってるけど」

「部長は…と、あーっと! すいません! テレビに縁のない方にこんな質問を!」
「…大きなお世話だ」

わざとらしい発言に、顔を四角にしかめる部長。

「鉄子の部屋は財界人や政治家はあまり出ないんですよ。主に芸能人や芸術家、伝統工芸の職人の方、市民団体の関係者などが多いですね」

プロデューサーが訥々と説明する。

「政治家が出た例も一応ありますけどね、ミハイル・ゴルバチョフだとか、王族ではエジンバラ公のフィリップ殿下とか」
「そんな名前がポンポン出てくる所がすごい…」

徹子の部屋の37年の歴史において、登場したゲストは実に9,000人に及ぶ。
他のVIPとしては長嶋茂雄、鳥山明、岡本太郎、レディーガガなどなど、そうそうたる顔ぶれである。
改めて、鉄子の部屋というものの大きさに冷や汗を浮かべる思いであった。

「な、なんだか不安になってきたな。そもそも漫画のキャラなんか出るのも前代未聞だろ、わしの声はどうするんだ。ラサールでいいのか、それともドラマの方の」
「あの、先輩、あまりそういうメタなことは……」
「大丈夫ですよ、架空のキャラクターが出た例もありますから」

その質問は想定していたのか、それとも太鼓腹にはやはり経験とやらが詰まっているのか、ディレクターが冷静に答える。

「なんだって?」
「かつてドラえもんが2回、出演しています。最近だと、漫画のキャラではありませんが『相棒』の杉下右京なんかも役名で出演していますよ」
「そうなのか…そのまんま水谷豊として出たらいいと思うが」
「映画の宣伝でしたからね。役柄になりきって出演されていました」

と、そこで部長の方を振り向く両津。

「っというと…、私は警察官として出るんですかね。それとも一般人として」
「ちゃんと制服で出るんだ。どうせろくな服など持ってないんだから」
「そんなイヤミ言うことないでしょうが、もう」
「服装は自由で結構ですよ」
「そういえば、鉄子の部屋は衣装とか打ち合わせしないって本当なの?」

ざわざわと場が騒然としかける中で、麗子が発言する。

「そうです。鉄子さんは一度も同じ衣装を着ていませんが、毎回ゲストのことをよく考えた上で、被らないように気を使ってますよ」
「毎回違うのか、中川のネクタイみたいだな…」
「僕なんかと比べられませんよ。鉄子さんは全身のことですからね」

髪型こそ、かの有名な玉ねぎカットで固定されてはいるが、フォーマルなドレスからシックな和服、時にはコスプレまで披露している。ゲストに向けられるもてなしの精神を感じさせるエピソードであろうか。

「うーむ、わしの知り合いで出たことのありそうなやつと言えば……」

顎を鼻より前にせり出して考える両津。
やがて頭にピンと感嘆符が飛ぶ。

「そうだ、あいつなら…」





下町にひっそりと立つ小さなアパート。周囲には木製の電柱だとか、ロウ石で道に落書きをしている子供などが何気なく存在し、スバル360やフィアット500が時代の感覚を忘れさせる。そんな不思議な眺めであった。
サビの浮いた階段を登って二階へ、大量の新聞が突っ込まれた木製ドアを押し開ける。

「おい、いるか?」
「あっ!?」

のっそりと入ってくる両津を見て、その人物が声を上げる。
鎖骨のあたりまで伸ばしたさらさらの長髪。まだら模様のバンダナは緑と黄色のビビッドな模様のもので、青地に白の水玉模様のパンタロン。黒の革ベルトで吊ったフォークギターなど、この現代から隔絶されたような下町で、さらに大過去から抜け出してきたような男である。

「お、いたか、ここに引っ越したと聞いてな」
「きゅ、急にどうしたんですか?」

この男の名は、チャーリー小林。
かつては歌のベストテンなどにも出演し、誰もが知るヒット曲を持つ歌手であったが、次第に没落し、一発屋と揶揄されながらも再デビューを目指している男である。カセットテープが録音状態で置かれているところを見ると、昔ながらの生録でデモテープを作成していたらしい。

「なんだ、フォークギターの弾き語りになったのか?」
「ええ、グループサウンズとかメタルとか色々やりましたが、初心に戻ってフォークソングで行こうかと」
「おまえ登場時はロック歌手じゃなかったか…?」

そんなことより、とでも言うようにざっくりと話題を切り替える。

「それより小林、鉄子の部屋に出たことあるか?」
「え? ええ、一応、だいぶ前に出ましたけど」
「実はわしも今度出ることになってな、その時のことを聞かせてくれ」
「ええ、いいですけど……」

と、部屋の隅に山積みになっている洗濯物や音楽雑誌などをかき分け、古いVHSテープを取り出す。

「せっかくですから当時のビデオを見ましょう」
「うむ」

ソニー製のデッキに大きめのテープを放り込み、待つことしばし。ややノイズの混ざった画面で、古いテープにありがちな割れ気味の音声で番組が始まる。

「セットが違うな」
「確か今のセットは5代目ですよ。これは4代目の頃です」

そして画面上に鉄子が現れる。
画質が悪いせいか、それともやはり鉄子という人物はどこか特殊なのか、現在とまったく同じ印象の司会者が登場する。独特の艶のある玉ねぎヘアー、赤い唇を半円型に開いた見事なスマイル。そして上の顎関節に力を入れるような声が滔々と流れだす。

「皆様こんにちは黒柳鉄子です 本日のお客様はかつてCMソングで一世を風靡し 現在も地方公演などを中心に音楽活動を続けておられますチャーリー小林さんです どうもこんにちは」
「こ、こんにちは」
「本日は白のタキシードがよくお似合いですね ねえまるで七五三のようですおほほほ いやこんなこと言ったら失礼かしらごめんなさいね」
「あ、いえ、別に…」


「そういえば割と最近出たんだな」
「同じ事務所の人が出る予定だったんですが、カゼひいたとかで…」


「チャーリーさんはご専門はロックでしたかしら? あメタルバンド そういうのもおやりになる? 昔はピロンというあの ドリンク剤でしたかしら そういうののCMソングをおやりになっていたそうで」
「あ、そうです。それがもう大ヒットになりまして」
「わたくしちょっと記憶が すいませんね どんなのでしたかしら ちょっとそのCMやっていただけます?」
「はい、えーと、えっCM?」
「ええそのCMで流れてたと こういうことでよろしいのかしら あっぜひそれ見てみたいですね あ見せていただける? それじゃあお願いしましょうか お客様の方むかれて はいお願いします」
「は…あの、はい、ええと…
だ、だるい、ねむい、かったるい、ピロンを飲むときは今!
ピ~ロン ピロンを飲むときは~」
「あ そこまでで結構です なつかしいですねおほほほ」
「あ、はい…」
「あでもピロンだと今の若い方わかられないかも知れませんね。そうですね私オレンジジュースとかその好きなものでね、オレンジジュースに変えてやっていただけます?」
「えっ」


「ペースを握られてるな」
「緊張してたもので…」


「昔はあれですってねその おほほほ あまり売れなかった時期にほほほ 町中で弾き語りをしていたとかほほほ それであの レコードを手売りされてたんですっておほほほほ」
「そ、そうですね。左右に人形を並べてこう」
「それはお売れになったの」
「いや、あ、あのあまり売れなくて」
「レコードの手売りって珍しいわねおほほほほ あごめんなさいね 下積みといいますかほほほほほほ その売れない時期が長かったと」
「そ、そうですね。売れない時期にはその、色々方向性を模索していまして、テクノポップとか」
「わかりました」
「え」


「なんか爆笑してるぞ…」
「貧乏ネタとか大好物らしいので…」


「チャーリーさんは私ちょっとうかがったんですけど なにか数年前にアフロブームありましたけれど その時にあの それにこう乗っかってみたとか?」
「え、あ、はい」
「それであれですってね 巨大アフロをつけてこれで再デビューだと思ってステージに上がったら 突風が来て飛ばされてしまったってこのお話うかがってよろしいですか?」
「…………え、それあの、オチ…」
「どういうお話なのかしら聞かせていただけます?」
「……え、ええと、こう巨大アフロをつけてス、ステージに」


「オチを先に言われたぞ…」
「テーブルの上に鉄子さんが自分で作ったメモがあるんですけど、その通りに進行するんです。聞く内容とかもだいたい知ってることもあるらしくて……」


「本日のお客様はチャーリー小林さんでした ありがとうございます」
「あ ありがとうございます」
「鉄子の部屋また来週」


……

…………

3コマ分ほどの沈黙の後、両津が言う。

「……惨敗だったな」
「これでも親戚とかは喜んでくれたんですが…」

とにかく終始、鉄子にペースを握られていた印象である。やはり鉄子の部屋というだけあって場を完全に支配されている。それはやはり芸能界の大御所としての貫禄か、81になってもなお衰えぬ滑舌とトーク力のためか。あるいはチャーリー小林が子犬のように緊張していたためか。

「もうちょっとうまく喋ってる部分だけ編集してくれないのか?」
「鉄子の部屋は基本的に編集しないんですよ。番組は録画ですけど、放送する長さだけきっちりノーカットで撮影してるんです」
「そうなのか…。それで毎回ワクに収めるのは凄いな」
「ここ見てください、鉄子さんの前のテーブルにメモ用紙があるでしょう」
「うむ」
「これは鉄子さんの手作りらしいんですけど、ゲスト一人あたり12枚ぐらい用意するらしいんです。その人のプロフィールとか、話す内容とかビッシリ書き込んであるんですよ」
「…使いきれんだろ、12枚も」
「だから最後の方はかなり早口で終わることもあるとか…」

編集をしない、というのは番組スタート時からの鉄子自身の希望だったという。それは編集を前提とすると収録の緊張感が削がれるためであったり、同じ回答でも考え込んだ末であったものか、それとも即答であったのか、その「間」のとり方を正確に伝えられないのでは、との考えがあったと言われている。

「ゲストに関する下調べが半端じゃないんです。作家の人ならデビュー作と大きな賞の受賞作、それと最近の作品と3作は読むとか」
「わしも少女漫画とか小説とか書いてるが、じゃあもう読まれてるかも知れんのか…」

すでに自分のことなど全て把握されてるかもしれない、という感覚がふいに湧き上がり、妙な恐ろしさすら感じられた。忍者に背後を取られたかのような。肝の冷える感覚である。
ちなみに両津勘吉の書いていた漫画「ロボメカ番長」はギャグ4コマ。少女漫画誌「サファイア」に連載してたというだけで、少女漫画を描いてたわけでは決してないが。

「うーむ、そういえばちゃんと見たのもずいぶん久しぶりだったが、やはり並たいていの相手じゃないな……。いっそサバゲーの軍服ルックで行くか、ハッタリを効かせるために」
「視聴者がびっくりしますよそんなの」
「よし、こうなったらわしも本気で対策するぞ。あいつに協力させる」

どこかに電話をかけだす両津を、どこか不安げな視線で見つめる小林。
テレビの中では懐かしいCMが軽快な音楽とともに流れていた。


「何するつもりなのかな……」






「本日は大変ありがとうございました。色々面白い話を聞かせていただきましてほんとに」
「いやあこちらこそ」
「それでは鉄子の部屋、また来週」
「はははどうも」

照れ笑いを浮かべつつ、トークを終える両津勘吉。
ドレッサーが2つ、衣装掛けが一つ置かれただけの簡素なテレビ局の控室である。周囲を白い壁に囲まれ、ドレッサーの隅の方には弁当がいくつか置かれている。
いつもの警官姿で袖まくりをした両津が、ぐっと腕を握る。

「よし、完璧だな」
「もう15回目だぞ、よくやるな」

そう答えるのは広い肩幅にスーツを着こみ、かっちりとしたメガネを掛けた人物。ハイパー電気社長、電極スパークである。

控室には2つの椅子がハの字に並べられ、片方に両津、片方には黒柳鉄子が鎮座している。

「うーむ、それにしてもすごい完成度だ」
「あらそうですかほほほ ありがとうございます」

屈託なく笑い答える鉄子、電極スパークが眼鏡を光らせつつ言う。

「我が社が開発した最新のロボットだからな。会話パターンも鉄子の部屋をはじめ、入手できる限りの全ての出演番組、出版物をすべて入力して構成している」

「最初に見た時はびっくりしましたよ」

そう答えるのは付き添いで来ていた中川である。両津に電極に中川、さらに鉄子までいると、一人用の控室はかなり手狭に思えた。

「まさかロボットを作ってしまうとは」
「もともと、うちの会社で開発していたトークロイドを改造したものだ。人間と会話のできるロボットは注目されてる分野だからな」
「わしもここまでの出来とは思わなかった。メイクが濃いせいもあるが、ちょっと見たぐらいじゃ見分けがつかんぞ」

と、そこで要件を思い出したかのように、中川が話を変える。

「先輩、そういえばちょっと相談が」
「ん、じゃあちょっと休憩にするか、自販機でジュースでも買おう」

控室を出て行く二人。残された電極スパークはというとドレッサーに置かれたノートパソコンに何やら入力し始め、鉄子ロボは入力待ちの状態で、どことなく所在無げに構えている。
ふと、そのたまねぎヘアーに隠れていた耳が何かに反応し、人間よりかなり優秀なセンサーが外の音声を拾う。

――ですので、終わったら
――そりゃもちろんスクラップだよ

――全部ですか
――当然だろ、ちゃんとバラバラにしてスクラップに

瞬間、鉄子ロボの顔がさっと青ざめる。

そこから少し離れた場所、テレビ局の廊下で談笑するのは両津と中川である。

「それにしても本物そっくりなロボットですね。喋り方も完璧でしたよ」
「わしも驚いた。表情とかも完璧だな。そのうち走りだすかもしれんぞ」
「はは、まさか」

「大変だ!! 鉄子ロボが逃げた!」

声とともに中川の目の前を走り去るのはロングドレスの鉄子である。中川がお茶を吹き出しつつ目を飛び出させる。

「先輩! ロボが!」
「なんだって!?」

ロングドレスの裾を水平になびかせ、たまねぎヘアーで天井を削りつつ大股のストライドで疾走している。両津たちも慌てて後を追う。
様々な人間が行き交うテレビ局の廊下を右に左に折れつつ、花輪をひっくり返し、帽子を後ろ前にかぶったADを押しのけ、高齢のアナウンサーが肝をつぶして飛びのく横を鉄子が疾走する。

「うわっ! 鉄子さん!?」
「ひゃあっ!?」

「ちょっと待てこら! 早過ぎるぞあのロボ!!」

廊下が狭く、さらに複雑に折れ曲がっているので追いかけづらい。電極スパークはというと、息を切らせながらその後方を追随している。

「捕まえてくれ! 200億かけたロボットだ!」
「そんなにかけるなバカ!!」

「先輩! あの部屋に逃げたようです!」

中川が示すのは、重厚な観音開きのドアである。
スタジオの入り口らしきその扉を押し開けると、高い天井から吊られたライトの照らす空間。そこに部屋のセットが組まれ、まだ数人しかいないスタジオでカメラが存在感を放っている。
L字型に組まれたソファーとガラステーブル。奥には日本画家、堀文子の手による「アフガンの女王」を始めとして、高名な画家や人形作家の作品がそれとなく置かれている。
そこに、堂々たるたまねぎヘアーの人物が二人。
中川が叫ぶ。

「あっ!? 鉄子さんが二人!?」

「「あらあら驚きましたねこれは こちらロボットでいらっしゃるの?」」

一部のズレもなく響く声。

「「あらまあ私こんなのですか 頭の形もねえそっくりなのかしら 服まで同じにされてらして」」

「こ、こら! ステレオでしゃべるな!」

そこへ息せき切って駆けつける電極スパーク。

「こ、これは驚いた、実物と比べると本当にそっくりだな、私にも見分けがつかん」
「のんきなこと言ってる場合か!」

「「あらもちろん私のほうが本物ですけれど」」
「わ、分かったからちょっと黙ってくれ」

両津をはじめ、頭を抱える一同である。

「おい電極スパーク、あのロボットの見分け方あるだろ、首の後ろにスイッチがあるとか」
「ない、外見は完璧に人間だ、さすがに全裸になれば分かるが…」
「ムチャ言うなよ、あまり乱暴なことはできん」

少し考えてから、さらに幾つか発言する。

「操作できるリモコンとかあるだろ、鉄人28号みたいに」
「ない」
「分かったぞ、磁石を当ててくっついたほうが本物だ」
「金属部品は体内にわずかしか使ってない、それにあまり強力な磁力を当てると壊れるからダメだ」
「そうか、髪はカツラだな、頭に触れば分かる」
「髪は女性の毛髪を最新の人工皮膚に植え付けている。編み方も鉄子さん本人と同じだ、簡単には分からん」

「この野郎! 人間のスパイロボットでも作る気かこいつ!!」
「く、苦しいっ」

もともと短気な両津、走ってきたこともあって顔を真赤にして掴みかかる。
当の鉄子×2はというとケーキの話で盛り上がっていた。

「くそ、わしらは走ってきたから息が上がってるが、ロボットにそんなのがあるわけもないし……ん?」

と、硬直する両津。

「スパーク、ちょっと耳をかせ」
「なんだ一体」
「本物は息をしてるほうだ、胸の動きや顔の部分をよく見てれば分かる」
「ふむ、なるほど、呼吸の動きは再現できるが、普段はオフになってるからな」

その場にいた一同には見分けがつかなかったが、鉄子(偽)の耳がわずかに動く。
そこに内蔵された超高性能の集音マイクが音声を拾い、発言内容を分析して自己の行動に反映させる。
顔面に無数に埋め込まれたモーターがわずかに口元を動かし、体内のバルーンを膨張させて胸を動かす。さらにごく微小のファンが空気を吸い込んだり、送り出したりを反復させる。
そこにじっと注がれる両津の目。

「てめえ御用だ!」

そして鉄子(偽)へと飛びかかる。

「あっ!?  な なぜ私を」
「本物は呼吸が浅いからな! 呼吸してるのがほとんど分からないと有名なんだよ!」
「し しまった!」

そこはやはり高度なソフトであるのか、一瞬にして敗北を理解する。そこらに転がっていたカメラのコードで後ろ手に縛ると、ようやく観念したように項垂れるのであった。

「あの どうかスクラップだけは許していただきたいのですが」

すでに汎用的な会話モードになっているが、まだどこかに鉄子の口調の名残を残しつつ、ロボットが言う。

「ん? 何の話だいったい」
「さっき言ってらしたでしょ この仕事が終わったらバラバラにしてスクラップにされるとか」
「あれは雑誌の話ですよ。先輩が出演することがテレビ雑誌とか新聞に載るから、ちゃんとスクラップしとけって言われただけです」
「なんですって!!」
「なんだ人騒がせな、まったく…」

があんとショックを受けるロボットを、両津はあきれたように見つめるのだった。
そこに背後から現れる人物。テンガロンハットに太鼓腹の男は鉄子の部屋のプロデューサーである。

「おや皆さん、どうしたんです?」
「あ、いや、べ、別になんでも」

何かバツの悪いものを感じたのか、鉄子ロボを隠そうとする両津、だがそのたまねぎヘアーは500メートル先からでも気づかれてしまうだろう。

「えっ、て、鉄子さんが二人」
「いや、これは何でもない、ちょっと練習用にロボットを用意してただけで」
「すばらしい」
「え???」







「みなさんこんにちは 鉄子の部屋今回のゲストはですね なんと私自身に出演していただきました」
「よろしくお願いします 私も本当にねえ いつか自分が出演してみたいと思っていたものでほほほ」



「それで、両ちゃんの次の回にこのロボットが出演したの?」

いつもの派出所の奥座敷、小さなテーブルを中川や麗子らと囲みつつ、テレビには「鉄子の部屋」が流れている。

「くそ、わしの出演が雑誌の表紙を飾るはずだったのに、このロボットに話題を全部持って行かれてしまった」

手に持つのは今週のテレビ雑誌。表紙にはでかでかと「鉄子の部屋、ゲストは鉄子!?」の見出しが踊っている。後の話であるが、この回の視聴率は25%に達し、1981年の三浦友和の出演回を大きく上回っての歴代最高であったとか。

「あの、先輩、これって司会の方の鉄子さんがロボでしたっけ、それともゲストで出てるほうがロボでしたっけ?」
「え? さ、さあ、どっちだったか……」
「直接、会ってても分からないなんて…」

テレビの中では二人の鉄子がトークを弾ませている。
それを派出所の一同は、なにか不思議なものを見るような感覚で見続けるのだった……。



(おしまい)


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