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[3446] かささぎの梯(HUNTER×HUNTER)
Name: いづな◆c1592588 ID:83ed9240
Date: 2024/03/25 11:27
故郷を幻影旅団にぶっ潰された主人公の話。
仇取らないと死者の念に殺されそうなので、生き延びるために修行してました。
原作一年前のハンター試験編終了。
現在修行編(弟子)です。

※本作はHUNTER×HUNTER二次創作です。
今から15年以上前に書いていた作品のリメイクになります。
(ハーメルン様でメインで投稿しています。こちらは折に触れて更新していきます~)



[3446] 第一話『弟子入り志願』
Name: いづな◆c1592588 ID:83ed9240
Date: 2018/03/22 09:14
プルルル、プルルル、プルルル――ピッ。

『夜分遅く失礼します。ヘニストさんはいらっしゃいますか? 』
「――いいえ、ヘニストは留守にしてます。急用ですか? 」
『結構急ぎです。伝言、お願いしてもよろしいでしょうか? 』
「ええ、構いません。……どうぞ」
『“君宛の届き物が何故か俺の所に来た。家まで受け取りに来て欲しい”――以上です』
「分かりました。時間と場所はどうしましょうか? 」
『可能な限り早く。場所はフェアリーランドで』
「繰り返します。……“可能な限り早く。場所はフェアリーランドで”ですね? 」
『そうです。よろしくお願いします』
「いえいえ、気になさらないでください」
『それでは、失礼します』
「ご丁寧にどうも」

ガチャッ――プー、プー、プー、プー……ピッ。
ピンク色の丸みを帯びたケータイ電話の通話を切り、少女は流れるような動作で懐へと仕舞い込んだ。
身につけたヒラヒラなドレスと後ろで一つに縛ったフワフワな金髪が、北から吹いてくる静かな風に揺れる。その姿はどこからどう見ても10代の前半にしか見えないが、その立ち振る舞いの動作一つ一つから窺われるのは鍛え抜かれた強さの片鱗。

「――さて、一体誰でしょうね。こんな古びた連絡方法を取る奴は」

そもそもこの連絡方法を知っている人間自体既に1桁にまで減っている。その中で連絡を取りそうな輩は――生憎と思い当たらなかった。

「厄介ごとにならなければいいけど……いや、もうなってたわね」

さてどうしようかしらと考えながら、少女はクルリと振り返った。
……樹を隠すには森の中とはよく言うけれど、本当に良い樹は鬱蒼と生い茂る森の中でも目立つものだ。そして彼女の眼の前で根を張っているその樹は、間違いなくその類だった。
漆黒の空の下。煌く星達に見守られ。満月が注ぐ澄んだ光りを一身に浴びるその姿は、正に自然の芸術だった。幹から枝、そして葉の一枚一枚に至るまで全てにおいて完成していて、いっそ神々しいと形容するのがしっくりくる程。――その根元が一部ボコリと膨れ上がり、ドクンドクンと鼓動している。
――ヴィヴィ・ツリー。子どもを産む樹。
人里離れた人外魔境の地にのみ根付くその樹の幼子を採取する事が、今回の少女の仕事であった。

「成功報酬は惜しいけど、向こうの方が優先順位高いからね……仕方がない。ここは素直に諦めましょうか」

名残惜しそうに、本当に名残惜しそうにその樹を一瞥してから少女は踵を返した。
……振り返らずに歩いていく。段々とペースを上げていく――。

「それにしても、誰だか知らないけど、つまらない用事だったらタダじゃ済まさないわさ」

最後にそう呟いて、少女はその森を後にした。
――その森に新しい生命が姿を現したのは、それから僅か1時間後の事だった。



かささぎの梯
第一話 『弟子入り志願』



近くの街から車で3時間ほど走った所に、その小さな森はあった。
交通の整備は最低限しかされておらず、周囲に人家は1軒もなく人影も2つを除いて見当たらない。幸か不幸か、必然か偶然か。近年各地で行われている大量開発から逃れた相当稀有なその土地は、まさに自然の宝庫だった。
辺りには様々な種類の木々が大量に群生し、必然的にそこを住処とする野生動物が大量にいる。目の前を流れる小さな川にも様々な種類の魚がいて、それらの姿がハッキリと知覚できる程川の流れは透き通っていた。
ここでは人間が闖入者だ。至る所に様々な動物がいて、その澄んだ視線が心地よい。
時は夕刻。帰途に着く多くの鳥が頭上を気持ち良さそうに舞っている。
遥か遠くには沈みかけている太陽。それと同時に月が昇りかけていて、空という舞台で1日も休むことなく開幕されている壮大な劇の幕間。
その最中。太陽の姿を映し真っ赤に染まる川の辺で、イナギは深々と頭を下げた。

「どうか弟子にして下さい」
「そうねぇ。修行期間にもよるけど、最低50億ジェニーだわさね」
「……そんな大金を持ってるとでも? 」

丈夫な白い長袖に動きやすそうなジーンズ、少しくたびれている灰色のジャケットというのがイナギの出立ちであった。そこにボストンバッグとその中身を加えた物が、現在彼の所有している全てである。
金持ちに見える要素は欠片もなく、そして外見はイナギの懐事情を如実に示している。そもそも50億なんて大金を持っていれば、出国する際に貨物船の荷物に紛れるなどという方法を取る筈がなかった。

「ん……うん。財布の中身はとても軽そうね」

対する少女は、イナギの全身をじっくり観察してから朗らかな笑顔で答えを出した。何気に失礼だが、正解であるため文句は言えない。ちなみに不正解だったとしても文句は言えない。

「じゃあ、そういう事で万事解決。またいつか会いましょう」
「ってもうちょっと話を」

聞いてくれても……と、イナギは少女へと手を伸ばす。フリルの付いたスカートをなびかせながら立ち去ろうとしている背中に一歩近づき、その小さな手をがっしり掴んだ。
が、普通に振り払われた。何事もなかったように去っていく少女。
薄く痺れる右手に少時驚くも直ぐ様我に返り、さらに走り寄り掴もうとする――が、今度は触れる事すら出来なかった。まるで後ろにも眼があるみたいに、イナギの手をサッと避ける。
……少々、ムッとした。
再び掴みにいく。しっかり掴む。――振り払われる。
即座に掴み取る。力を入れる。――振り払われる。
好機を見計らう。掴み取る。――振り払われる。
掴む。離れる。掴む。離れる。掴む。躓き引きずられる――。

「何よ、まだ何か用があるっていうの? 」
「もう、ちょっと、早く、止まれよ……」
「……アンタが手を放せば済む問題でしょうが。どうして私がアンタの都合に付き合わなきゃならないのよさ」

そのまま地面を引っ張られること約15m。余りのしつこさと鬱陶しさに少女は立ち止まり、非常に迷惑そうに足元を睨みつけた。……その先には、まるでボロ雑巾のような物体が一つ。自身の頑固さと少女の容赦のなさが織り成した結果である。

「ふん、まぁいいわ。兎に角これ以上ふざけるのは止めなさい……弟子入り志願なんて今時流行りじゃないでしょ。聞いてあげるからさっさと本題に入りなさいよ」

――それに、私の方からもいろいろと言いたい事が……恨みとか辛みとか怒りとかいろいろあんのよ。
そんな言葉と同時に吹き出た殺気は直ぐに消えたけれど、事の重大さ――恨みとか辛みとか怒りとかの大きさを理解させられたイナギはコクコクと頷いた。というか思い当たる節が無い故にそれしか出来ない。

「それで、話ってなんなのよ」
「どうか弟子にして下さい」
「……もしかして喧嘩売ってんの? 」

断じてそんな事はない。流行だかなんだか知らないが、用件はそれだけである。
むしろこの状況を省みるに喧嘩売られてるのは俺の方ではないだろうか。土まみれになった自身の格好を省みて、イナギは深く溜息を吐いた。無論、心の中で。

「……」
「――で? 」

が、物凄く睨まれている。上から見下ろしてくる彼女の視線が物凄く痛い。それどころか右手が物理的に突き刺されたように痛む……イナギの手の甲が物凄く踏まれていた。

「結構痛いんですが」
「――で? 」

グリグリと抉り込む様に踏まれた手の甲が地面に埋まっていく……ってホント痛いなコレ。
さすがにここまでされて穏便な話し合いという訳にも行かないというか行かせるかというか、兎にも角にもイナギはいろいろと考えを改めた。どこの世界でも、舐められたら終わりであるのは変わりないのだから。
スッと、ごくごく自然な動作で踏まれていない左手を動かす。最短距離で彼女の足首に触れ――そのまま全力で振り抜いた。
不完全な体勢だが、そこは体格の差。少女の片足が地面を離れ、体が揺らぐ。同時にイナギは両手を地に突きその反動で一気に起き上がり、その勢いを利用して瞬時に体勢を整えて――

「へぇ、なかなか使えるんじゃないの」

気がついたら、イナギは宙を舞っていた。……何が起こったのかまるで理解出来なかった。辛うじて受身は取ったが、それだけだ。

「よっと」

地面に投げ出されたイナギの上に少女がゆっくりと腰を下ろす。それだけでまったく身動きできなくなる。
愕然としているイナギの首筋に、細く小さな手が添えられた。

「さて、と。それじゃ質問変えるわよ。アンタはこの連絡方法をどこの誰から教えられたのか。……心して、答えなさい」

――嘘ついたら、この首もぐから。
その細い腕のどこから来るのか。ギリと力を込められたその手には、人を簡単に殺せるだけの力が篭っているのが分かった。……そして、イナギはその事実に安堵した。
――師事する相手は、自分より強くなければ話にならない。そして目前の少女が有する実力は、自分の遥か上をいく。

「宝石ハンター、ビスケット=クルーガー。間違い、ないか? 」
「そうだけど。……何よ、アンタ私の顔知らなかったの? 師事しようとする相手の顔も知らないなんてなってないわね」

ま、潔く諦めなさい。心持ち肩をすくめながら話しかける少女に、イナギは不敵な笑みを浮かべた。

「知ってた、さ。けど、実際に見ると、奇妙な感じだ……これじゃあ、誰も、50過ぎだなんて思わな――グッ」

グギリと力がさらに増した。容赦ない締め付けに気道が閉まり、途切れ途切れの軽口が完全に止まる。

「……誰からその事を聞いたか、答えなさい」
「――グッ、ガフッ、ガハッ……」
「答えなさい」

感情が抜け落ちた絶対零度の声音。初めて感じたこれほどまでに強大な殺気。生死を握られた生粋の恐怖。背中越しに感じられるそれらに震えながらも、イナギははっきりとした声でそれに答えた。

「……アラマ=ロード」
「――アラマ、師匠? 」
「そう、だ」

その声から微かに呆然としたような響きを感じた気がしたが、表情を見る事が出来ないイナギにはその真偽を確かめる術はない。
スッと首元の力が緩められる。殺気は余計に大きくなった。

「嘘吐いていたら承知しないわよ」
「……吐けるかこんな状況で」

そこに含まれた真実の匂いを嗅ぎ取って、ビスケはとりあえずその背中から降りる。同時に殺気もある程度霧散させるが、当然警戒は解かない。
ゆっくりと後ろに下がり、3歩の位置で静かに止まる。そこがビスケの最も得意な間合いだった。
イナギもゆっくりと立ち上がり体の状態を確かめる。……締め方が上手だったのか首への影響は全くない。手も皮膚は裂けていたが、骨まで達してはいない。
確認し終えたイナギは、無抵抗の意思を表す為に改めてその場に座り込んだ。

「それで、師匠との関係は? 」
「師匠と弟子」
「――ま、確かにさっきの動きの中に師匠の癖が見え隠れしてたわね」

それは真実だ。指南して貰えば、動きの中に少なからず指導者の癖が組み込まれるのはいわば必然である。

「他人の癖を意図的に真似る事が出来ない訳ではないけども――分かったわ、それは信じてあげましょう」
「……それはよかった」

チラリと向けられた瞳に宿る幼子を見るような光。信用してもらえたのは素直にありがたいのだが、理由が理由なのでいろいろと複雑な気分だ。

「それで師匠の弟子が私に何の用なの? 」
「だから、師事させて欲しい。アラマ爺にいざって時はそうしろと言われて、連絡方法も爺から聞いた」

かなり古いものだが、多分通じるだろうなんて笑いながらだが。しかしそれ以外に当てが全くなかったので、繋がったのが分かった時には小躍りしそうになったりもした。
……それが昨日の事だ。それからまだ丸一日も経過していないけれど、イナギには数ヶ月も前の事のように思われた。

「確かに師匠ならこの連絡方法を知ってるわね、決めたの30年以上前だけど――それよりも言われたって事は、やっぱり生きてたのね、あのはた迷惑なお師匠様は」

そこに含まれている感情は、その科白とは正反対な親愛の情。その物言いにイナギは少々疑問を覚えたが、かなり昔爺に聞いた話を思い出して納得した。
爺は昔――それこそイナギの母親がまだ子どもだった頃に、死に場所を求めるとか何とかだけ書き残して姿を消したらしい。その後世界中を放浪し、何となくライラへやって来て何となく定住する事になったとか言っていた。
それが何の因果かまだ生きとるわいなんて呟いて、突然祝い酒を始めようとした爺を殴ろうとしたのも今となってはひどく懐かしい。
しかし、一応確認してみた。

「爺がどこにいたか知ってるか? 」
「あの師匠が態々教えてくれたと思うの? 」

笑顔が妙に怖かった。あぁ、やっぱり教えて貰ってなかったんだな。何で何も言わずに出てくるかな、あの突発的な思い付きを本気で実行する馬鹿爺は。
だからか。

「……ライラだ。爺はずっとライラにいた」

一先ず結論に至った所で、イナギは兎に角話を先に進める事にした。

「ライラって言うと、あの“氷に閉ざされた国”? 」
「そう、そのライラ。俺が生まれるより前に来たらしいな」
「ちなみにアンタ何歳? 」
「15だ」

ちなみに数えのである。

「それよりも、だ。昨日の事件について知ってる事を教えて欲し」
「ん? 昨日の事件って何さ? 」
「いや、何さって……」

まじまじとビスケを見つめるイナギ。けれど眼がマジだったので、あぁだったら聞き間違いかと耳に手を当ててみるも特に異変は感じない。
言葉が止まり、空気も凍る。出会ってから数分。初めて場に完全な沈黙が訪れるが、ビスケはその空気に気づかない。

「だから昨日の事件って何なのよさ」
「――ちょっと待て。落ち着け俺。そうだよな、ある訳ないよな、まさかハンターが知らないなんてそんな事」
「だから、何をさ」

家路を急ぐ一羽のカラスの鳴き声が妙に大きく聞こえる。再び強く耳を引っ張ってみるも、ドップラー効果による妙に生々しいカァカァ言う鳴き声の余韻がはっきりと認識できた。加えて痛い。
――あぁ、聞き間違いではないらしく、ついでに白昼夢の類でもないと。

「さて、それじゃあ帰るか」
「仕方がないじゃないのよ! ここ1ヶ月は仕事でずっと山奥に篭ってたのよ! あとちょっとで依頼達成って所に緊急の連絡が入って、依頼を途中ですっぽかして全速力でここに来たんだから!! 」

飛行船チャーターするのにいくらかかったと思ってんのよ! と叫ぶビスケに確かに悪い事をしたなと思うが、それだけだ。それ以上にイナギはビスケに対して不安を覚える……だってこの事件(詳しい内容は兎も角、事件の存在)は一般人すら知っているのだから。ハンターという職業に羨望やら憧れを少なからず持っていた身としては、ひどく悲しい物があった。
ちょいちょいとビスケ手招きして、持っていた黒色のボストンバッグから取り出したるは適当に買った今日の夕刊3誌。その一面にでかでかと記されているのは、壊滅的な打撃を受けたという島国・ライラの首都フランシールに関する報道である。
それらを差し出されたビスケはむっつりとした顔で、けれど素直に受け取って立ったまま読み始めた。
――数分経って。一通り読み終えたビスケはパタパタと器用に新聞を折りたたんで、ポイッと脇に投げ捨てる。額の汗を拭う動作をしながら、ふぅと軽い溜息を吐いた。

「……で? 」
「これと、師匠の関係とか、詳しく」
「さて、それじゃあ帰るか」
「あ、繰り返しても面白くないから」

現実逃避くらいさせてくれよ! かなり形振り構っていないイナギの懇願に気づくことなく、ビスケはその表情をフッと真剣な物へと変えた。

「そうねぇ、めくれば――というかハンター専用サイトで調べればある程度詳しい事は直ぐにでも分かるわよ」
「だったら――」

期待と興奮で思わず身を乗り出したイナギを、ビスケは静かに片手で制す。

「それはいつでも出来るわよ。――けど、今はそれ以上に重要な事があるわよさ」
「……何だ? 」

その問いの先にあったのは、先ほどまでとはまるで違うハンターの顔。

「それはね、アナタの話を聞く事よ――話して頂戴。一体そこで何があったのか、どうしてアナタはここにいるのか。知っている事を、全て……」

――心は熱く、ひたすら熱く。されど頭は冷静に。
恐ろしいほど強い意志と大きな知性を孕んだ双眸に見つめられ、自然と浮かんできたアラマ爺の言葉をイナギは振り払う。そして事のあらましを始めから話すべく、傍らにあった大きな石にどかっと腰を下ろした。真剣な面持ちで話を聞くビスケの顔を視界の端で確認してから、ゆっくりと眼を閉じ意識を過去へと向ける。
後から思えば……きっと、この瞬間にイナギははっきりと理解したのだ。
――彼女は師事するのに相応しい人物である、と。

▽▲

「アラマ爺は食客だった。そのくせ国の政治を行う際には常に王の側に控えていて、さらに王族しか出られない筈の宴の席にも同席していた。その宴で初めて爺を見たんだが、あんな人間がいるのかとかいろんな意味で驚いた。酒に酔っ払って王を蹴飛ばして、唖然とする周りを置いて王と二人で陽気に笑いあって……」

イナギの脳裏にまるで水泡の様に沸々と浮かんでくるのは、作られていないたくさんの笑み。自分が尊敬していた人とその友人が笑い合う自然な笑顔。

「やっぱり変わらないわね、師匠は」
「あぁ。変わらないな、爺は」

――うん。本当に、変わらない。
イナギとビスケはほんわかとした暖かい思い出の中へと入り込み、ぬるま湯のように心地よい陽だまりの中でホンワカとしていた。
そうして快い思考の波に暫く浸って……

「――って王族しか? アンタもしかしてライラの王族なの!? 」

我に返ったビスケの叫びでパチンと弾けた。

「……一応、な」

憮然とした表情でイナギは返した。回想を止められたという事以上に、純粋にその質問の内容に対しての不快感による物だ。勿論、その程度で引くビスケではなかったが。

「一応? 」
「王位継承権がぶっちぎりで最下位」

あー……と、同情的な声と視線とが送られてくる。何となく馬鹿にされている気がしないでもなかったが、イナギはそれを思いやりと受け取ることにした。

「いい事なんて数えるほどしかないのに、そのくせ悪いことなら数えられないくらいある。王位継承権を巡った抗争に巻き込まれるどころかモロ狙われるし、しかも遊び半分だし、それでいて護衛をつける金なんかなかったし、実際殺されかけた事は片手の指じゃきかないし。……そこで母親がアラマ爺に頼み込んで、結果幼い子供が1人鍛えられる運びになった」
「師匠がそれでオーケーしたの? あの人押しかけの弟子志願大ッ嫌いだったんだけど」
「熱意に負けたらしいな。お前には勿体無い母親だと何度言われた事か」

しかしその母親はもういない。3年前に病気で逝った。その恩を全然返せなかった事を、きっと俺は死ぬまで後悔し続けるんだろうなとか思ってみたり。
……返すことの出来ない恩は本当に重いものだ。もしかしたら、ビスケはこの思いを何十年も味わってきたのかもしれない。

「で、他の王族連中がここぞとばかりに教えを請うたんだ。けど爺が事の如く断って……それを恨んだ連中が送り込んできた暗殺者には8割くらい殺されかけた」

川が見えたんだなんて遠い眼をして感慨深げに頷くイナギに、ビスケは同情的な表情をさらに深めた。
付け焼刃でない力を上げる為には死線を潜り抜けるのが最上である。それは確かだけれど、殺されない為に師事した事が原因で殺されかけたなんて本末転倒だ。そして何よりアラマ師匠はそれを見越していた気がしてならない。……というか、私の知ってる師匠なら絶対わざとだ。間違いない。
ビスケの頭にアラマ師匠との特訓の日々が蘇ってくる。当時は軽く……いや結構……大分……まぁ、恨みもしたものだ。具体的には本気で闇討ちする程度。今となっては懐かしいばかりだが、今でも納得はしていない。

「王族で良かった事なんて、たまに食べられる美味い食事とセレナと遊べた事くらいだったな。――そういやライラ王族の特異性について知ってるか? 」

当然知ってるだろ? なんて調子で問いかけてみるも――やっぱり返事は返ってこなかった。イナギの中で先程上がりかけたハンターに対するイメージだが、再び下方修正がかかっている。

「……何があったか知らないけどな、ライラの王族は念能力者の自然発現率が高いんだ」

イナギのジトッとした視線から眼を逸らしていたビスケだが、その内容に興味深そうな表情を浮かべた。

「へぇ、便利だわね」
「そうでもないけどな、修行なんて真っ平御免な奴が多いし。中には熱心に研鑽を積む物好きもいるけど」
「アンタみたいな奴の事ね」
「戻すぞ。……それで今から大体半年くらい前、王族の一人が何やら妙なお告げを受けた。曰く“月が6度巡りゆき、7度目の満月の夜。我が国の首都に真の恐怖が具現する”。それを聞いた面々が「そんなもの返り討ちにしてくれる! 」なんていきり立って、国が総力を挙げて戦争の準備だ。そうして」
「そうして当日を迎えて、予言どおりに首都は壊滅した、と。――アラマ師匠が何の手も打たないはずは無いと思うんだけど」

何かを考えるようにして続けたビスケの疑問に対して、イナギは特に深い疑問を覚えずに返す。

「確か1度だけ王にその日は首都を離れるように進言したみたいだが、重臣の大反発にあってそれ以降は何も言わなかったそうだ」

……その言葉にビスケは思い悩んだ。彼女の知っている師匠はどんなに悪い相手でも足掻いて足掻いて最後には勝ちを奪い取る、そんな人だったからだ。
――その神官の念の精度を理解していたのか、師匠の手に余るほどの敵が相手だったのか、他にやるべき事があったのか、単に老いた結果なのか……。けれど、どれにしたって師匠がまったく動かないのはおかしいわさ。
とてつもなく大きな違和感。ビスケの思考を他所に、話は進む。

「結果事件の1週間程前に、題目は「いざという時に王族の血を途絶えさせない為」、本音は「体のいい厄介払い」でどさくさに紛れて国外追放させられた俺は生き残り、アラマ爺に教えられた連絡方法でコンタクトをとって、今に至る。――これが俺の知ってる事件の全てだ」

▽▲

……全てを話し終えたイナギは、石に座ったまま無言でビスケット=クルーガーの言葉を待つ。
暫くの間腕を組んでひたすら何かを考えていた彼女は、3分ほど経ってから顔を上げた。

「それで、結局アンタは何がしたいのさ?」
「力が欲しい、生き延びる為の」
「まるで死期が分かってるような言い方ね……いや、むしろ定められている? 」

即答に返ってきたのは、そんな訝しげな声。ビスケの表情も声音と同じく分からないという顔をしている。……が、その直感は正しい。とても正しかった。

「……念を、かけられたんだ。もし首都が壊滅したらその首謀者を殺さなければならない。さもなくば俺が死ぬっていう念を」

かなり小さかったが、イナギの耳は息を呑む驚きの音を捕らえた。その主であるビスケは、最悪のケースを予想し、尋ねる。

「もしかして、かけた人が死んでしまった……? 」
「頭が固くて真っ先に突っ込んでいきそうな人だったからな。連絡がつかないから確かとは言い難いが、惨状の報告を見るには恐らく死んでるだろう」
「……ご愁傷様としか言い様がないわね」

まったくその通りだった。悲し過ぎて笑うしかなくて、当事者にしてみればある意味喜劇である。笑いしかなくて、救いがない。
……いや、一応救いはあった。

「地獄の中の仏だが、その念能力は能力者が死んでも条件さえ満たせば解除は出来る……らしい」

逆に除念で解除するのはかなり難しいようだ。朦朧とする意識の中で聞いた自慢げな声と黒い笑みを思い出し、イナギは少しだけ落ち込んだ。薬で眠らされている間に仕掛けられるなんてベタすぎる。や、だからといって奇抜な方法だったら落ち込まないのかと言われれば勿論そんな事はないのだが。

「……不幸中の幸いね。それで、襲撃者についての情報はあるの? 」
「ないな。まったくのゼロだ」

それが知りたくてここに来たというのもあるんだが、などというセリフは心に鍵をかけてしっかりと閉まっておいた。

「そして、期間は10年間」
「10年? 」
「そう、それが現時点での俺の絶対的な寿命。事件の首謀者殺せば終わり。それ以外に、実行者の1割が死ぬ度に5年寿命が延びるシステム」

首謀者だけは自身の手で殺さなければならないが、実行者はその限りではない……本当に上手い調整だ。実行者の寿命を待っていたなら被念者は恐らく死に、だからこそ首謀者を殺す為に動かなければいけない。微妙に甘いさじ加減で望みがあるからこそ、生きる事に全力を尽くさざるを得なくなる。
――とても気に入らない話だが、全力で死者の掌で踊ってやろう。俺の生死は俺だけの物だ。
最期に泣き言を言う人生だけは、真っ平御免だったのだ。

▽▲

「――その為に私に師事したいと」
「あぁ。直接手を下さなければ解除されないみたいだからな。なるべく早く、可能な限りの強さが欲しい。そう、全ては――生き延びる為に」

……その言葉を額面どおり受け取っていたなら、面と向かわず手紙や電話でコンタクトしていたなら、私は恐らくその申し出を蹴っただろう。
字面じゃ感情なんて出るわけがないし、眼の前で私をシカと見つめているコイツは、意図しているのかいないのかは知らないが声にも感情をほとんど出さないからだ。それは顔についても同じで、もしかしたら生き延びる為に必要な事だったのかもしれない。
……けれど、猫目色をした彼の目は何よりも多くの事を語っていた。目は口ほどに物を言うとはよく言うが、コイツは大切な事、重要な事を目でひたすら訴えかけてくるのだ。
半透明で蜂蜜のような色をした目を少し覗けば、そこには固い決意と慈愛――誰かを気にかける感情で溢れているのが見て取れた。
それが彼の母親なのか、アラマ師匠か、はたまたセレナというお姫様か、それとも別の誰かなのかは分からない。
分からないが、彼の思いだけは本物だ。伊達に長い事生きている訳じゃない私にはその事が分かった。……いや、分かってしまった。
そもそも待ちに待った、願いに願った師匠の頼みだ。
行方不明になって、死ぬ筈がないと信じつつも彼の死を心のどこかで受け入れた時の思い。――恩を返せなかったという後悔は、この30年間いつも私について回っていた。
そんな師匠がやっと私を頼ってくれたのだ。多分これが最後のチャンスだろう。ここで断ろうというなら、これから先ずっと後悔し続けるのは目に見えている。
その上コイツの目を見て納得もした。少なくともその意思は気に入った。受け入れるのに障害は何もない。

「分かったわさ。他ならぬ師匠の頼みだし、特別に修行をつけてあげる」
「……感謝する」

少し間を空けてから、お礼を言いつつ頭を下げる我が弟子。
……そうそう、弟子になるのならやはり聞いておかなければなるまいて。

「それで、アンタの名前はなんていうの? 」
「――イナギ。イナギ=セラードだ」

イナギ=セラード。……うん、なかなかいい名前じゃないの。

「……それでイナギ、アンタは誰を助けたいのよさ? お母さん? アラマ師匠? それとも――セレナちゃん? 」

心の内を当てられたからだろう。イナギは私の言葉に驚いたような顔をしていたが、最後の名前を聞いた途端、顔が茹蛸のように真っ赤に染まった。必死に口をパクパクさせているが、そこからは何も出てこない。
私はゆっくりと上を向き、紅色に染まる空を見上げた。
その顔に浮かぶのは恐らく喜びの色。8割は師匠への恩返しについて。そして残りの2割は――。

「――当分、退屈はしなさそうよね」

真横から、イナギの絶叫が聞こえた気がした。



[3446] 第二話『二年越しの答え合わせ』
Name: いづな◆c1592588 ID:83ed9240
Date: 2024/03/25 11:26
「……なんか変なの出てきたな」

「不純物が生まれたと。具現化系ね」

 

水で満たしたコップの上に軽くて水に浮く物を浮かべ、そこに対象者が錬を行い変化を見る。

強化系なら水の体積が増え、変化形なら味が変わる。具現化系なら不純物が生まれ、放出系なら水の色が変化する。操作系なら葉が動き、特質系ならばそれ以外の変化が起こる。

――水見式。個人が先天的に有するオーラの特性を見定める術の1つ。

修行の方向性を定めるためビスケが尋ねた際に系統を知らない事が発覚したため、イナギが持っていたコップに傍の小川の水を汲み、落ちていた葉っぱを浮かべて行った物であった。

 

「具現化系か。それってどんなだ? 」

「オーラで物質を具現化するのに特化した系統よ。というかアンタ本当に何も知らないのね」

「爺が座学を重視するとでも? 」

「――あぁ、そういえばそうだったわね」

「念を覚えるのに、どうして俺はいきなり滝つぼに落とされなきゃならなかったんだろうなぁ……」

 

ナチュラルに死に掛けた記憶が複数個、しかも雪国故あと数ヶ月先だったら凍死確定。等々。

触れてはいけない部分に触れてしまったらしく、アラマに対する恨みとか辛みとかが一気に蘇ってきてクククといきなり黒化するイナギ。

それを見て、当時の私はそう見えていたのかとビスケは軽い衝撃を受けていた。

……ビスケにもイナギと同じような経験はある。例えば精孔を開く為に飢えた狼の前に放り出されたとか。

鍛え持った心源流の技を以ってして3匹を撃退したが、直後に足の肉をごっそりと持って行かれ。怪我による出血で死を覚悟した所に兄弟子の1人が助けに来てくれた。

その後アラマ師匠を問い詰めた所、素で「説明が面倒くさかった」とか言われてマジギレした。

結局精孔はその兄弟子に頼み込んで感覚を掴むのを手伝って貰ったのだが……その時の自分が今のイナギそっくりだった気がしないでもない。思い返せば兄弟子の目が妙に優しかった気も……。

万物は流転するというか、歴史は繰り返すというか。

何となくビスケは、又1つ人生の深さを学んだ気がした。全然嬉しくない。

 

「しかも結局それで精孔が半分くらい開いたからな。止め方が分からなくてやばかった所を丁度いいとか呟きながら無理やり開かれて、1週間くらい本気で寝込んだ」

「寝込むだけで済んだの? 」

「オーラが尽きかけて川が見えた辺りで、爺が念を使ってな。寝て回復した後で纏を習った」

「ホント無茶苦茶というかスパルタというか……よくアンタ生きてたわね」

「自分でもそう思う」

 

暗殺対策にと師事したにも拘らず、爺に師事した後の方が死に掛けた回数多いし。

その分その相手は見知らぬ雇われ人から見知った爺に変わった訳だが……あれ? もしかして師事する前の方が楽だった?

 

「……アンタの苦労は分かったけど、それとこれとは別問題よ。詳しく説明してあげるから集中しなさい」

 

ピッと一指し指を立てたビスケは、ともすれば五寸釘と藁人形を求めて出かけていきそうなイナギに声を掛けてから説明を始めた。

 

「1度しか説明しないから本気で覚えなさい。まずこれが六性図よ。6種類に分類されるオーラの系統の関係が示されてるんだわさ」

 

ビスケは傍にあった手ごろな大きさの枝を手にとって、地面にカリカリと六角形を描いた。

その1番上に"強"と書き込み、そこから各頂点に"変"/"放"/"具"/"操"/"特"と書き込んでいく。

 

「上から強化系、変化形、放出系、具現化系、操作系、特質系。自分の系統にあった能力ほど覚えやすく力も強い。逆に自分の系統から離れた能力は習得に時間がかかり力も弱くなる。特質系はそうとも限らないけど、それを除けばコレは絶対の真理よ」

「つまり、具現化系はどうなんだ? 」

「さっきも言ったけど、具現化系はオーラで物質を具現化する能力よ。そして論理上では変化形が80%、強化系と操作系が60%、そして放出系が40%まで習得出来るわさ」

 

あくまで理論上で、真逆の系統は伸びが悪くて時間もかかるからなかなかそこまで鍛えきる人は少ないけどね、と繰り返すビスケ。

理想は山形らしい。

 

「特質系を除く理由は? 」

「覚えようとして覚えられる系統じゃないって事よ。その上他系統から突然変異したりもするから、あまり考えない方がいいわよ」

 

つまり先達が少ないと言う事で……自分が特質系でなくて良かったという所か。イナギは自身が具現化系であった事に一先ず安堵した。

先達が少ないという事は、参考にする手本が少ない事とイコール。

いくら個々によって能力が違うといっても、より高みを目指すならある程度開拓されている道の方が進みやすい。

 

「それで、アンタはどんなことがやりたいの? フィーリングで何か良さそうなのない? 」

「やりたいこと……コレってのは、ないなぁ」

 

目的が目的である以上、戦闘用の念である事は決まっている。

ではあるのだが、そこに"具現化"を絡めるとなると難しい。

加えて応用が利き、弱点も少なく、消費オーラ量も少なく、最大のパフォーマンスを発揮して――等の希望を挙げていくと、もっと難しい。

そして、何よりも大切なインスピレーションというか直感というかが、イナギの頭に全く浮かんでこなかった。

 

「そう。具現化は能力の習得にかなり手間がかかるし、そうホイホイと変更することはできないからね。コレってものが浮かんでくるまで悩んで悩んで悩み抜いて決めなさい。勿論、六性図に合う形でね」

 

聞いて、思わず溜息。

一緒に強化系かせめてその両隣にある変化系か放出系がよかったのだがという思いがポロリと零れたが、直後ビスケに頭をはたかれた。

始めから諦めていてどうするのか、という事らしい。

 

「時間をあげるから、とりあえず考えてみなさいな」

「分かった」

 

そんなこんなで説明は終わり、ビスケは必要な物資を補給しに街へ出かけていった。

それを見送ったイナギはその場で頭を捻っていたが、直ぐにいいアイディアが浮かんでくるはずもなく。

仕方がなしに、そこら辺を散歩しながら考えることにした。

 

ゆっくりと流れる小川に沿って、ゆっくりと歩を進めていく。

清らかな流れと、微笑んでいるかの様な水面。

楚々とした木々から小鳥達が陽気にさえずり、優しく包み込む陽光の抱擁は、まるで光のカーテンのよう。

そんな長閑さに感化された時間は、長く伸ばされた水飴の如くのんびりと歩を進めていく。

――が、いくら遅くても進んでいる事に違いはない訳で。1時間が経過したが、彼の頭にはいい考えがまったく浮かんでいなかった。

そもそもである。具現化などと言われても、全くピンと来ないのだ。

物質を具現化する事にまったく惹かれない。わざわざ作るまでもなく、既存の道具を使った方が早いに決まっている。

それに何よりやりたいことなら既にあるのだ。具現化云々と関連性が皆無だけれど、やりたいことはと聞かれればこれしかない。

兎に角、ビスケに相談してみよう。

イナギはそう結論付け、今来た道を変わらぬ速度で戻っていった。

 

▽▲

 

「で、何か決まった? 」

 

あれからさらに1時間後。ビスケが手ぶらで街から戻ってきた。

怪訝に思ったイナギが尋ねてみると、なんと買った商品をここまで運んでくれるらしい。道路すらほぼ整備されていない、人里離れた森の中までである。

責任者呼んでハンターライセンスちらつかせたら一発だわさ、なんて悪い笑みを浮かべるビスケを見て、イナギにまたもう1つライセンスを得る目的が増えた。

殴られそうなのでビスケには内緒である。

 

「一応、決まりはしたが……」

「何よ、ハッキリしないわねぇ。聞いてあげるからとりあえず言ってみなさい」

「殴り合いだ」

「は? 」

「だから、殴り合い。素手で闘ってる自分しか想像出来ない」

「私の話、聞いてた? 」

「勿論」

 

何ならさっきの説明を一字一句間違えずに説明するか? なんてのたまう馬鹿弟子イナギ。

その言い様に、冗談でないことを理解したビスケはわなわなと震え始め――

 

「どうかしたか? 」

「どうした、じゃないわよさ! 」

 

――大声で吼えた、耳元で。

あまりの声量に三半規管がどうにかなったが、根性で膝を突くのを堪える。

 

「私の話を聞いてたんならどうしてそんな結論になるのよ! 強くなりたいんでしょ! 」

「もちろん」

「肉体強化は強化系の分野で、具現化系は不得意なのよ? 」

「らしいな。けど、何とかなるだろ」

 

自分の系統から離れた能力は、習得に時間がかかり力も弱くなる。

具現化系と強化系はほぼ真逆に位置していて、具現化系による強化系能力の習得率は60%である。つまり強化系を極めた強化系念能力者に、強化系を極めた具現化系能力者は40%及ばないのだ。

しかし、イナギには自信があった。それは心源流拳法に対してであり、それをアラマ爺から認められるまで修めた自分自身に対してである。

彼にとって、念はあくまで『戦闘補助の道具』である。

確かに念の力は驚異ではあるが、こちらが念を知ってさえいればイーブンになる。だから結局勝敗を分けるのは鍛えぬいた肉体と修めた技術であり、念は副次的な要素でしかない。

そんなイナギの認識は、ビスケの懇切丁寧な説明を受けた後でも変わっていなかった。

 

だからこその発言なのだが、ビスケはそう受け取らなかった。

即ち、「念なんてどうだっていい」。

 

「イナギ、立ちなさい」

「……何だ? 」

 

何となく嫌な予感を覚えて、警戒心を顕わにするイナギ。

 

「フ、フフフ。ちょっと道理をわきまえない馬鹿弟子に世間の厳しさっていう物を教え込もうかなってね」

「待て。それって俺か? 」

「それ以外に誰がいるのよ? 」

「――だから困ってるんだけど」

「他でもないアンタよ! 間違いなくアンタの事よ! 」

「馬鹿な! 暗殺者に狙われ続けたこの俺が世間の厳しさを理解していないだと!? 」

「だったら師匠の言葉に対する態度を教え込むまでよ!! 」

 

いや確かにそれを得られることが出来る環境ではなかったが、最低限の配慮は有しているつもりだ。

だからわざわざ教え込まれるほどの物でも――。

何だかんだ言いつつ言われた通りに立ち上がってから考えていたイナギだが、突如1歩後ろに飛び退いた。

それからコンマ数秒空いて通過するビスケの足。

 

「いきなり蹴りとか危ないだろ! 」

「そこで私悪くないですみたいな顔をするな! そして避けるな、師匠命令よ!! 」

「それこそ無茶を言うな! 」

「師匠が白といったらカラスは白くなる物なのよ! 」

「黒いカラスが白くなるかっ」

 

ギャーギャー喚きあいながらのどつきあい。

会話だけだと仲のいい少年と(容姿と声音のみ)少女の微笑ましい戯れでしかないが、現実では手や足が容赦の欠片もなく飛び交っている。

加えてそれを行っているのは心源流を修めて念も覚えている猛者で、さらに2人は無茶苦茶本気であった。

拳のキレは凄まじく、蹴りの速度は恐ろしい程で、体捌きも尋常でない。

ここに一般人がいたとして、何が起こっているか理解できる者は数えるほどしかいないだろう。そういう戯れである。

ドンドゴンという粉砕音が森に響き、周囲の様子は秒単位で変容していく。

そして時が経つにつれイナギの悲鳴の様な絶叫が増え、ついには停戦を呼びかける懇願が入っても戦闘は止まらない。

――ビスケに弟子入りしてから、僅か2日目の出来事であった。

 

 

 

かささぎの梯

第二話 『二年越しの答え合わせ』

 

 

 

アラマ師匠が直々に修行をつけていたので当然なのだが、イナギの心源流拳法の技術はかなり高かった。さらに暗殺者に狙われていたからか、実戦への心構えもどうして中々完成している。

問題は、念能力と純粋な肉体面に関してだった。

前者については、四大行のみ習得。それ以外はアラマ師匠に「それ以上の事はお前にはまだ早いッ! 四大行を習得していれば簡単に殺される事もないだろうから、まぁ頑張れ気合で」と言われていたとの事。

後者はハンター受験者達と同レベル程度はあったのだが、イナギの目標――フランシール壊滅事件の犯人探しとその殺害――を考慮すると、思わず眼を覆いたくなるほど低かった。

しかし、イナギはある意味自分に正直だった。

当面最大の目標である「生き残ること」について、努力を惜しむ気は全く無い。それこそ常人なら裸足で逃げ出すような、血反吐を吐く程の修練を修めたのだ。

その上念に関しては、セラード家の血の後押しがあった。

呑み込みはそれほど早くはないのだが、ある程度まで習得した技能の底上げは驚くほど早い。1週間で練の持続時間を10分以上増加した時にキレそうになったのもいい思い出である。

今なら例えハンターとして危険な事態に直面しても、かなりのレベルまで十分対処できるだろう。

結果としてビスケはそんな確信を抱くまでになっているが、イナギが自分の元にいる間は手を抜く気も抜かせる気もまったくなかった。

 

「ほらほら、ペース落ちてるわよ。はい後66ー、65ー、64ー」

「グッ……やはりコレは無謀だ……! 」

 

腕立て伏せを始めて1時間。

錘は開始時の倍である2トンを優に超えていて、かつ念使用の全面禁止。並のプロハンターとて30分と保たないだろう。

にも関わらず、イナギは今なおそれを続けている。

そんな存在を自分が磨き上げた事が嬉しくて、気が付いたらビスケはそれは楽しそうに宣言していた。

 

「ハイッ、まだ楽そうだから100キロ追加だわさ」

「うグッ」

「じゃあ100ー、99ー! 」

 

そんなこんなで。

――イナギが弟子になってから、はや2年の月日が流れていた。

 

 

世間の厳しさと師匠の残酷さ、そして師匠の言葉の有用性をを身を以って体験した結果、粗大ゴミみたいになったイナギ。

地に倒れ伏す彼にビスケが改めて話したのは、具現化系は単純な力勝負にものすごく弱いという事実である。

なまじっか心源流拳法をそこそこ修めているだけに、単純な力勝負を極めれば何とかなると思い込んでいたらしい弟子の先入観を物理的手段を含めて叩き潰したビスケは、彼に対して課題を与えた。

即ち、勝つ為の戦闘スタイルの確立。それに付随して、系統に合った念能力の集大成"発"の思索。

自分の裁量を越える事態に関しては過・ぎ・る・くらい慎重なイナギの性質を見抜いたビスケは、2年間という時間かけて考えさせることにした。

全ては彼が納得した上で、具現化系に合った能力を考えさせる為。

 

そして今日、その答えを聞くことになっているのであるが……であるが。

眼の前のコイツときたら、そんな事まったく気にしていない様子でせっせと昼食の準備をしている。

……もうちょっとキツく叩きのめしておくべきだったか。

顔を軽く傾ける。

天高くで煌々とまぶしいくらいに輝いている太陽と、頭上一面に広がる雲ひとつない青一色の空。

視界に入れながら、もし今後弟子をとったらもっとスパルタでいこうと固く心に誓うのであった。

 

▽▲

 

食事の用意は、全てイナギの担当だった。

母親が亡くなってから1人で生活していたので、料理はお手の物。

アラマ爺に山中に放り出された事も1度や2度ではない為、サバイバル料理も得意である。

その材料はというと、街まで遠く、また出て行ったとしても財布は空な為、全て採集と狩猟である。

――川から魚。森から山菜と木の実。そして動物。

生活している場所が場所なだけあり、幸い材料はそこらじゅうに溢れていた。

 

本日の昼食は山鳥と山菜の汁物、川魚の焼き物、それに木の実。

それらを手作りした木皿に手際よく盛り付け、匂いに釣られてやって来たビスケと共に食事を始める。

 

「出来はどうだ? 」

「相変わらずいい腕してるけど。それよりも。アンタ、この後の予定覚えてるの? 」

「答え合わせだよな、2年越しの。覚えてるさ」

 

そう、今日は2年越しの答え合わせである。

明確な答えが存在しないとはいえ、余りにも的外れな答えを出せば、あの時以上にボコボコにされるのは目に見えている。

とは言ってもイナギとしては最良の答えであるという確信はあるのだ。

そうそう的外れの答えでもないという自信もある。

問題は眼の前の彼女にそれが認められるか否かであって――

 

「――そうだ。その前に、伝えとかなきゃいけない事があるんだった」

「何よさ」

 

食器を置いて、師の方に向き直る。

突然神妙な顔で居住まいを正したイナギに、ビスケは訝しげな視線を向けた。

 

「俺の寿命の話なんだが」

「はいはい。弟子入りの時で10年だから、あと8年だっけ? 」

 

24歳、意外と時間ないわよさ。なんて焼き魚片手に話すビスケ。

弟子の余命を語るあんまりな態度に微妙な気分になりつつも、粛然とした面持ちで顔を振る。

 

「そう、その寿命なんだけど」

「えぇ」

「なんか、少し伸びたっぽい」

 

――その言葉に、時が、止まった。

どこぞやの宇宙猫よろしく、すんごい目でこっちを見てくるスペースビスケ。

木々の騒めきや鳥の鳴き声が、やけに大きく聞こえる気がする。

 

「誰の、寿命が? 」

「俺の」

「何年伸びたの? 」

「5年」

「いつ? 」

「3日前」

 

つまり、目の前のコイツは3日間も黙ってた訳である。

師匠である私に、そげな重要なことを。

 

「……それ以外に、何か言っておきたいことはある? 」

 

俯いてるから表情は見えないが、僅かに震えるビスケの声音に自らの行く末を悟るイナギ。

あー、やっぱりすぐに言った方が良かったかー。けど"発"の佳境だったしなぁ、今更だけどー。

10秒後の自分を幻視しつつも、そこはハッキリ勇気の一言。

 

「幻影旅団も、結構死ぬんだなって」

「何で、それ黙ってたァーッ!! 」

 

科白を途中でぶった斬って、言葉と共に振り上げられた拳。

そして宙を舞うイナギ。

 

「聞いてても修行の内容変わんないけど! それでも伝えるでしょ普通!! それともワザとか、なんか言いなさいよ!!! 」

 

落ちてきた所で襟元を掴まれて、ガクガクと前後に高速振動。返事をしたくても、物理的に出来ないことを分かって欲しい。

しかし、言葉に出来ない思いなど伝わる筈もなく。

イナギの意識は、答え合わせと関係ないところで、一時途切れることに相なったのだった。

 

▽▲

 

どのくらい時間が経ったのだろうか。

意識が戻ったイナギの目に飛び込んできたのは、綺麗に平らげられた昼食と、とっても怖い顔して座るお師匠様であった。

顎を使って指し示すことで、傍らの切り株に腰掛けるよう無言で促してくる。

 

「で、何で言わなかったのよさ」

 

見たことないくらい、むっすーとした顔である。

とはいえ、別に特別な理由など何もない。

 

「確証が持てなかったから、だな」

「詳しく説明」

「分かった。まず、かけられてる念に余命告知機能がついてたっぽくてさ」

「余命、告知」

「そう。年1で」

 

始めてそれを知ったのは、一昨年のこと。

突然頭の中で響いたラッパの音に続き、念かけたやつの声が聞こえたからである。

 

「『あなたの寿命は後9年です、もっと頑張りましょう』だっけかな。その夜は流石に眠れなかった」

「性格悪い念ねぇ……あれ、けどさっき3日前って言わなかった? あの事件の周年って、2週間以上前じゃない? 」

「そう、その時は8年だった」

 

毎年突きつけられる自分の余命。まだ8年なのか、もう8年なのか。

その時の気持ちを思い出しているのか、苦い笑いを漏らすイナギ。

 

「それが3日前、寝ようとしてたら急にラッパが響いてさ」

「じゃあ、そこで」

「そう。『実行者が1割減りましたので、寿命を5年追加します』だとさ」

 

つまり、現状の余命は13年である。

聞いた時は思わず固まったし、正直今でも100%信じられてる訳ではない。

イナギを念で縛った輩は、正直言って性格は糞だった。実際この念も、薬盛られて無理やりかけられた奴だし。

しかし今思い返すと、勝負ごとでの嘘は一度もなかった気がする。

 

「ただ知った所で、今出来ることは何もないし。"発"に集中する為に一旦忘れてたんだけど、"発"の判断に影響するかもしれないから、一応伝えとこうかなって」

「な、るほどね。事情は分かったわさ。今後は何かあったらすぐ報告しなさいよ。少なくとも修行を受けてる間は」

「分かった、約束するさ」

 

イナギの気持ちを察したのだろう。それで、この話は終わりだった。

その後はビスケのやけ食いで空になった食器類を手際よく片づけつつ、取り置きの木の実で腹を満たして一息ついた後。

思わず眠気に身を任せたくなるような風がそよそよと吹く中、満を持してビスケが切り出した。

 

「それじゃあ勝つ為の戦闘スタイルと、そのための発を聞かせてもらおうかしらね」

 

ついに来た。決戦の時である。

ふんす! と仁王立ちしているビスケに、イナギは先に断りを入れた。

 

「じゃあこれから話すけどさ、途中で話を止めるないでくれよ 」

「当然だわさ。素直に黙って静かに聞かせてもらうわよ」

「……オーラはそうは言ってないみたいだがな」

「あら失礼」

 

とは言いつつも、ビスケの体から迸る凄まじいまでのオーラは変化なし。

とんでもないプレッシャーを感じつつ、イナギもスクッと立ち上がった。

 

「まず始めにだが、俺は正面からの戦いを極めたい。というかいくら戦う姿をイメージしてもやはりそれしか思い浮かばない。思い浮かばない以上、俺にはこの体のみを使った闘いしか出来ない。それが前提条件だ」

 

ピクリとビスケの頬が吊りあがったが、意図的に無視する。

 

「その上で出した結論が――鎧だ」

「鎧、ねぇ。具体的な内容は? 」

「内緒だ」

 

ビスケのこめかみに見事な井桁が出来上がる。

見なかったことにした。

 

「……内容は? 」

「だから、内緒だ」

「冗談? 」

「本気だ」

 

剣呑な目つきで睨まれるが、ここは退けない。

例え師弟といえども、教えてはいけない事はある。そしてこれは確実に後者だ。

自分の命を守る術は、ほいほい教えられる物ではない。

 

「さっきの約束はどこ行ったのよ。師匠の事を信用出来ないって言うの? 」

「信用の問題じゃない」

 

むしろ自分の秘密がばれた時に疑いたくないから、相手を信用しているからこそ伝えたくないとも言える。

……所詮、詭弁でしかないのだけれど。

 

「――創り上げるのは"鎧"。俺に言えるのはそれだけだ」

 

判断は任せる、と宣言して師匠を見つめるイナギ。

そのビスケはというと、彼の視線に気づかない程、深く思考に潜っていた。

考えるのは、想像するのはイナギの能力の全容。彼がその"鎧"を纏って戦っている姿。戦闘スタイルとの適合性。

3分ほど経ってから、ビスケは漸く視線を上げる。

 

「1つだけ聞かせて頂戴。その能力を使って闘ってる自分に違和感は? 」

「ない……とは言えない。けど、これは恐らく慣れと共に消えていく類の物だ。何より考えた能力の中でこれが一番しっくりくる」

 

要は感覚の問題だ。そればっかりは他人にとやかく言われても何ともならない。

すると顎に手を当てて難しい顔をしていたビスケは、ふぅっと大きく息を吐いた。

 

「本当に不思議な性格よね。基本ズボラなのに、ある方面にはとことん神経質。そこまで極端な人間中々いないわよさ」

「命が関われば、誰でもそうなる」

「だとしてもよ、まったく。どうやったらそこまで捻くれるんだか」

「捻くれてるつもりはないんだが」

「自覚もなし、と」

 

情け容赦ないセリフである。しかしイナギには痛くも痒くもない。

だって事実捻くれているから。何言われても全然気になっていない辺りとか特に。

 

「ま、実を言えば、念能力にダメ出しするつもりなんて殆どなかったんだけどね。余りに酷い場合は別だけど、その様子なら多分大丈夫そうだし」

「ちょっと待て、なら俺はこんなに悩まなくても」

「あら、だったら身体とお話しましょうか? 」

 

……あれ、墓穴掘った?

 

「全力で遠慮させてください」

「素直でよろしい」

 

笑顔が爽やかでそこはかとなくむかつくイナギだったが、目先の衝動より明日の命。

石橋は叩いてから先に誰かを渡らせてみるくらいの気概で、彼はごく普通にスルーした。

 

「ま、自分で宣誓や制約、付加する効果は考えておきなさいよ。一応説明はしてあるけど、具現化がどうしても出来なかったら聞きに来なさい」

「あぁ。どうしようもなかったらそうさせてもらう」

「……ま、別にいいけど。ただ後悔だけはしないようにね」

 

イナギは深く頷いた。

念への思いは力になる。だからこそ見限った念を持つ者は、いつかその念に見限られ死ぬ事になるだろうから。

 

そんなイナギの様子に感じ入る所が合ったのか、ビスケはうむうむと頷いている。

しかし突如動作を止めて、あぁそういえばあれがあったかという風にポンと手を叩いて曰く、

 

「そうそう、そういえば卒業試験は私とのタイマンだわさ」

「どっちにしろ俺の能力知られる事になるよな! 」

「だったら使わないことね。そうすれば知られないわよ」

「それは遠まわしに死ねと言ってるのか? 」

「あぁ、きっとお空の向こうでお母さんが手を振ってるわね」

「人の母親使って自殺を促すな! ――いや、他殺か」

「どちらにせよ、下手な能力だといろいろと終わる事になるわよさ」

 

以降紆余曲折を経た結果、抗議は全て却下されたとだけ記しておこう。



[3446] 第三話『いい日旅立ち』
Name: いづな◆c1592588 ID:83ed9240
Date: 2011/01/15 23:11
「――――ッ! 」

信じられない程の拳速。凄まじいまでの拳圧。自分の遥か上を行く技量。
ビスケの本気は知っていたつもりだった。この姿の彼女とやりあうのだって初めてではない。だったら後は発の差……戦闘用に作った自分の念と、それ以外のために作ったビスケの念。それが勝敗を分けると思っていた。何とか勝てると思っていた。
……甘かった。まるで認識が足りなかった。

「どうしたのよ、動きが鈍ってきてるわ」

堅の上からの一撃。全力で出しているにも拘らず、それはいとも容易くガードを抜ける。衝撃は全身へと響く。頭が揺れた。
それでも前へと出る。捻った体を勢いに変え、発――具現化した巨大な拳がビスケを貫く。
吹っ飛んだ彼女に追撃をかけるべく、自分の物を上回る大きな具足を作り出す。コンクリートの床を陥没させ、限界を超える速度で前へと出る。
同時に拳を腰に当て、可能な限りのオーラを貯める。壁にビスケが打ち付けられるのと同時に間合いに入る――肩から具現化した腕が伸び、自身の5倍以上の大きさの拳がビスケに叩き込まれた。
……直後、まるで諭すような声が聞こえた。

「……放つのはいいけど、戻しが遅い。それにまだまだ強度が足りない。もうちょっと経験つまないとこの大きさは無理みたいね? 」
「クッ! 」

咄嗟に伸びた「腕」を戻そうとして、激痛。
具現化した拳が無残にも潰され――瞬間、爆発。
もうもうと破壊されたコンクリートによる噴煙が立ち昇る中、まるで潰されたかのような激痛が襲いくるその右拳を無意識に庇いながら、俺はニヤリと笑みを漏らす。

「不用意に潰すからだ……ま、これで」
「これで、なんだい? 」

耳元から聞こえた声に振り向く――前に後頭部に衝撃。撒き戻されたビデオテープのように、同じ軌跡を描いて、同じ場所に叩きつけられる。
警戒をしていたにも拘らず……まったく捉えられなかった。

「さて、じゃあお返しに一発いっときましょうか」

その声を知覚したのと同時に、迫る拳。
――少なからず心を許しているビスケにフォートレス;繭籠りは使えない。かといってあの拳に込められたオーラの強大さ。アノラック;攻性防壁じゃ破られる……この距離だと、確実に死ぬ――!
考えるよりも先に、体は動いていた。ありったけのオーラを込めて堅を出し、同時に頭部を庇うように両腕を前に出して――

「――死ぬんじゃないよ」

――その上から、凶悪な一撃が叩き込まれた。


だだっ広い、本当に何もない部屋である。
上には眩しくない程度の照明が部屋全体を等しく照らせるようにと配慮して配置されており、室内には観客はおろかそもそも客席といったものが存在していない。
周囲の壁はコンクリートが剥き出しで灰色一色に染まっており、それは天井や床下も同じだった。
壁紙など張られておらず、所々壊れているのが唯一の模様といえばそうである。ステージやロープなどない。観衆すらいない。ここはまさしく決闘場だった。
その部屋の中央で、2人の人間が対峙している。
片方は仁王立ちになっていて、もう片方は荒い息を吐き出しながら地面に座り込んでいた。

「――さて、これで最終試験は終了だわさ。一応及第点を与えられる出来具合さね」
「……さよですか」

本当に疲れたと誇示するような、それでいて安堵の響きを含み、その上少しだけ得意げな雰囲気を纏った溜息が吐き出される。
その動作を行った青年は、その顔にまるで少年のような笑みを微かに浮かべている。
その目には、これ以上ないというくらいの喜びを孕んだ光が宿っていた。



かささぎの梯
第三話 『いい日旅立ち』



「発」の開発からちょうど3ヶ月が経過した今日。
殆ど整備がされておらず、複数の山の縁に沿っての移動ため車で約3時間の道程。それをショートカットに次ぐショートカットによりたった半分の時間でやってきたのは、勝利の女神の名を関するショッピングモール「アテナ」だった。
世界的に有名な企業が複数出資して建設されたそのモールだが、ただ大きいだけではない。一般でないお客様のニーズにも対応できるようにと建てられたその建物には、ちょっとしたお遊びからかなり危険なものまで何十もの秘密が存在する。
そしてイナギとビスケが使用した部屋もその1つ。何が起きようとも見ざる聞かざる、その上有名な企業が出資している施設だけあり公的権力も手出しが出来ない。多少血生臭い噂が流れる、コンクリートで塗り固められた使用用途自由の巨大な一室であった。
――そこを出てから15分。ショッピングモール「アテナ」の一角、衣料品販売を主とする店の中にイナギの姿があった。
その理由は言わずもがな、ビスケにより廃品回収確定な程度にまでボロボロにされた服の代わりを購入するためである。

「……ありがとうございました」

カードで支払いを済ませたイナギにかけられる店員数名の若干警戒するような声。別に買い物に時間をかける性質ではないけれど、今日のそれはいつもに輪を掛けて短い。
気だるげな様子で南国風に統一された店を出たイナギに、その原因から声が掛かった。

「早かったわね……ま、あと5分遅れてたら無理やり引きずっていったけど」
「だろうな。――そして、だからだよ」

――その原因も言わずもがな、やっぱりビスケであった。
早く行くわよついてきなさいと言わんばかりにフリルをあしらった少女趣味なスカートを翻して歩を進めるビスケに、「アテナ」の文字が入った袋を片手にやれやれと肩を竦めながら後に続くイナギ。
その様子は、どこからどう見ても仲のよい兄弟か幼馴染である。

「さて、と。とりあえずホテルかどっか行かなきゃね」
「あぁ。まずはシャワーだな。兎に角汗を流したい」

例の部屋にもシャワー室が設置されているにはされていたのだが、しかしそこからどうにも嫌なオーラが感じられて結局使用を避けた2人だった。加えて何となく、微かに血特有の生臭さがした気がしないでもないが、真相は分からないし分かろうとも思わない。見ざる聞かざるはお互いに、である。

「それに、長時間こんな格好でいるのは勘弁願いたいな」

そう小さく呟いたイナギの井出達はかなり酷いものだった。衣服は勿論、イナギ自身もボロボロである。まるで「自分危ない事してきました」と大声で叫んでいるような物であり、周囲の人たちもそれを察して自発的に道を譲っている。
今はまだいいかもしれないが、あまり長い間この状態でうろついていると職務質問される可能性が高い。無闇にライセンスを振りかざすような事態はあまりよろしくない。

「そうねぇ、下手すれば捕まるものね。私はともかく、アンタは」
「……というかビスケの服は何で破れてないんだ? 」
「特注よ、特注。結構な負荷に耐えられる素材と造りをしてるのよさ」
「なるほど。ま、そうしなきゃ着替え持って歩かなきゃならなくなるしな。妥当な判断か」
「――もしかして、もしかしなくとも喧嘩売ってる? 」
「いやいや、そんなことはないが。それとも心当たりでもあるのか? 」

何となく怒ったら負けな気になり、グッと返答に詰まるビスケ。それを見てニヤリと口元を歪めるイナギ。分水嶺ギリギリの会話だが、まぁいつもの事である。

「――フン。いいわ、覚えてなさい」

そしてビスケが矛を収めるのもいつもの事であった。ちなみにイナギが見極めをミスって殴り合いになる事との比は9:1。イナギが少なくとも月3回はボコられる計算になる。

「……それにしてもあんたの能力だけどさ、どうしてなかなかいいじゃないのよさ。まさか具現化系能力者と無手のガチンコ勝負でそこそこ拮抗するとは思わなかったわよ」

厳密に言えばイナギは「鎧」を装着していたような物なので無手という訳ではないのだが、まぁそこはそれ。
ビスケは己が弟子の成長具合にかなり満足したようで朗らかに笑っているが、それを聞くイナギの顔は喜ぶどころかむしろ冴えない物だった。

「……終始ボコボコにされていた記憶しかないんだが」
「終始って程じゃなかったと思うけど。具腕が爆発した時は正直どうしようかと思ったわよ」
「……それだって今回出す気はなかったんだけどな。何よりも隠さなきゃならない秘密を丸裸にされた気分だ」

言葉尻は軽いが、しかしイナギの内心はかなりブルーである。ビスケのような戦闘に直接関係ない能力なら兎も角、戦闘用の能力はどれほど隠そうとしても過ぎるという事はない。その漏洩はイコール戦闘での死に繋がるのだから。
最もそれは念だけでなく戦闘者の情報全てについて言える事だ。ただ念は基本的に戦闘者が何よりも頼りにするものであり、つまるところ漏洩が致命的であるという傾向が何よりも顕著であるというだけで。
……戦闘行為に及んで、勝てなかった事が何よりの敗北――。
試験の内容を思い出して、イナギはムスッと黙り込んだ。

「そりゃ仕方がないわよ。念はもちろん、心源流拳法にしたって私の方が何倍も先輩なのよ? 何十年という年月の積み重ねのさらに上に行きたいなら、それ以上の年月か、それ以上の修練か、それ以上の才能が必要よ。――幸い、念に関してのアンタの才能はなかなかの物。たった2年でここまで来たんだもの、誇っていいわよ」
「誇張でなく、本当に立っていただけなのにか? 」

まだまだだと首を振るイナギを、ビスケは黙って横目に見ていた。
確かに、イナギの念の才能は“なかなか”。セラード家の血を引くだけあり、10万人に1人という才能を持っている。……が、その程度の才能の持ち主ならハンターを探せばそこそこ居る。
――むしろ注目すべきなのは、武の才能。
彼が生まれつき有するそれは尋常でない。それこそ何千万人に1人というような……そう、言ってしまえば“天賦の才”を与えられているのだ。
己に成せ得ない事を気に病み過ぎるという一見悪しき性質も、ここではプラスに働いた。何故なら練習をすればするだけ結果がついてくるのだから。例えその時に成せ得なくても、直ぐに限界の上限が上がる。留まる事を知らない、先が見えないほどの、可能性。
ビスケとて武の才がないわけではない。どころか、かなりの物を持っている。そこに加え長年の修練。ある意味彼女は、常人には到達不可能な一種の極地にまで辿りついていると言っていい。
だが、イナギのそれはレベルが違った。
ビスケをして嫉妬を覚えさせ、畏怖を感じさせることすらあったイナギの武の才――。

「……まぁいい。目標は、5年以内だな」
「――抜いてみなさいよ。軽く返り討ちにしてあげるわ」

――ビスケは笑う、ひどく陽気に。
5年あれば、現在16であるイナギの肉体も完全になる。今はまだビスケに届かない技術も、センスも、胆力も、何もかもが見違える程成長するだろう。念を使わない純粋な格闘なら、下手をすると本当に5年で負けるかもしれない。
――面白くて、楽しくて。そして、何より嬉しいのだ。
ビスケが辿りついてしまったある境地の、さらにその上を見られるかもしれないという事実が。その境地に辿りつく傑物を育てたという、何よりも誇らしいその愉悦が。

「――あぁ、それにしても楽しかったわよさ、卒業試験」
「……俺は楽しくなかったが」
「ちなみに私は嬉しくすらあったわよ? 」

――アンタの為りうるであろう将来の姿、その片鱗を感じる事が出来て。
……そうですか。そんな万感こもごも;交いた;到ったイナギの呟きすら、今のビスケには極上の美酒に感じられたのだった。

▽▲

近くて、安くて、ある意味美味いと三拍子が揃ってる。そんな良く分からないビスケの主張により、シャワーを存在意義が9割方ニャンニャンという宿泊施設で浴びる事になったが、そこはそれ16と55(の外見は10代前半)。
特に問題が起こる筈もなく交互にシャワーを浴びてすっきりした2人は、「アテナ」の一角にあるとある飲食店の中にいた。時間と、そして何よりおなか具合が主張した結果である。ちなみにビスケは腐るほど持っていて、対照的に腐るものすらないイナギはしかしビスケに無利子無期限で借用する話が既に付いているので、懐事情は蚊帳の外だ。

「すいませーん、追加でカルボナーラ1つ……」
「カルボナーラは2人前で――ついでに海の幸リゾットとアンチョビピザも頼む」

話は変わるが、動くという行為はエネルギーを消費する。それはその動きが激しければ激しいほど増えていくものであり、闘いという行為は最たるものだろう。そしてそれが真剣さを伴うものであれば尚の事。

「あとは……オニオンスープと、フランスパンを3人前」
「はぁ……それでは確認させていただきます」
「いや、別にいいから早く持ってきてくれ」
「……はぁ」

――で、何がいいたいかといえば。
現在、2人は鬼のように腹が減っていた。だから、鬼のように食事をしていた。
その鬼気迫る様子は、お昼時という事で店内にいた客が粗方帰ってしまい店にプチ閑古鳥が鳴き始める程。かといって2人客としては異様な程、具体的には4人がけのテーブル2つに所狭しと並べられているくらい注文するので追い出すことも出来やしない。ある意味最高に性質の悪い客であった。

「……追加でこの白身魚のワイン蒸しを1人前頼む」
「えーと、あの……」
「――なんだ? 」
「いえ、そのぉ……胃薬、買ってきましょうか? 」
「いや、大丈夫だ」
「……はぁ」
「あ、ついでにソーセージの盛り合わせを3つお願い」
「……了解しましたー」

もう店員涙目。そして店の奥で調理している料理人3名も別の意味で涙目。
いくらそう大きくないとはいえ、たった2人で厨房を長時間てんやわんやさせ続けるのは如何なものか。いくらそう大きくないとはいえ、書入れ時に2人しか居ないにも関わらず売り上げが普段の半分近くあるのも如何なものなのかっ!

「注文お願いしていいですかー? 」
「……はいどうぞー」

そしてその店員は、「あぁ、こういう人たちがバイキングや制限時間内に食べ切れたら無料とかいう店を潰すんだろうなぁ」などと投げやりに考えて居たりした。

▽▲

「――あー、しっかり食べたわね。満腹だわさ」
「確かに少し苦しいな。食べ過ぎたか」

30分後。頼んだ品をきっちり片付けた2人は、何故かサービスされたアイスコーヒー片手に寛いでいた。ちなみに店内には少しづつ客が戻りつつあったりする。時間の流れもどこか緩やかだ。

「――そうそう、そういえばそろそろハンター試験が近づいてきてるわさ。もう申し込みは済ませたの? 」
「いや、まだだ」
「なんでよ? 」
「……ライラから追い出された方法が正規のものじゃなかったからな。脱出した時点で行方不明扱いになってるだろうし、それは今も変わってない。そして多分後数年で死亡判定……今後の事を考えると、“イナギ=セラード”は死んでた方がやりやすいからな」

死亡判定されても、真実本人が名乗り出れば判定後でも解除されるだろうしなどと話すイナギに、ビスケはジトッとした目を向けた。

「確かにそっちの方がやりやすいかもしれないし、死亡判定解除も可能だろうけど。……ハンターライセンス取得に、身分証明は別に必要ないわよ」
「――は? 」
「だから、ライセンス取得に身分証明は必要ないのよ。というか取得しさえすれば、ハンターライセンスが最高の身分証明になるし」
「……何か間違ってないか、それ」
「無理を通せば道理が引っ込むのよ」

ちなみに、無理を通し続けてきたのは過去のハンター達であったりする。
――ハンターライセンスというのは、真に奇異なものである。例え死人であろうと……つまり偽名であろうとも社会的に存在しない事になっていても、登録されさえすればそれが公的な存在であると認知されるのだ。
かといってどういうわけか同一人物が再びライセンスを取得する事は出来ないし、さらにそのライセンスカードを他人が使用するのも不可能であるらしい。本当に訳わかんねぇ。

「ちなみに申し込みはハンター試験応募カードか、電脳ネットで簡単に出来るわよ。ま、前者の場合郵送してくるのを受け取るのに住所の記名が必要だけど、後者ならそれすら必要なし」
「……どれだけ無理を通せばそんなに道理が引っ込むんだ」
「一杯よ、物凄くね」

何だか、物凄く疲れた気がしたイナギだった。きっといろいろと間違ってると思う、ハンターライセンスは。
……や、だからこそ取れた時の甘みが大きいんだから問題ないか。問題ないな。問題ない。

「ま、これで問題は解決したわね。それじゃあ近くのネットカフェでも行って、さっさと登録を」
「いや、まだ聞きたい事がある」
「……何よ」

何か予感があるのか、ビスケは物凄く嫌そうな顔をする。そしてその予感は当たっていた。

「ふと思ったんだが、行方不明扱いになってる戸籍の権利って手に入れられないか? 」
「出来るか出来ないかで言ったら答えはイエスだけど……やんないわよ」

機先を制される形になったイナギは、言葉に少し詰まった後ゆっくりと話し始めた。

「ハンターライセンスって、2度取ることは出来ないんだよな? 例え名前を変えたとしても」
「まず不可能ね。ハンター協会を騙しきる事が出来る人なんて存在しないでしょうから」

ハンター協会自体がその不正を黙認した場合は別だけど、とビスケは小さく付け加える。

「俺は、そのライセンスの登録を本名で行いたい。一生使用するかもしれない身分証名称が偽名なんてのは、正直勘弁願いたい。幸い、ハンターライセンスは俺みたいな行方不明扱いの人間でも取れるみたいだしな」
「……アンタ自身とは別の戸籍の方は手に入れたとしてどうすんのよ。言っとくけどその戸籍の顔をアンタの物に返るのは……不可能じゃないけど、無茶苦茶高くつくわよ」

戸籍などに記載されている身体情報の大幅な変更を行う場合、DNA判定を含めた生体データの確認が必須である。そしてDNAを誤魔化すのはどんな人物であれ不可能であり、かといって国際人民データ機構のデータを書き換えるのも不可能(それらすら可能な念能力者がいるかもしれないが、それは度外視する)。
そのため変更しようとした場合、まず協力者(戸籍主)Aを望む顔へと整形させ、それを国際人民データ機構に認知させた上で入れ替わるという過程が必要となる。その上情報変更者は定期的にその確認を余儀なくされるのだ。正直それを成そうと思ったら、並大抵の労力じゃ無理だ。
しかし、イナギはその言葉に首を振った。

「そうじゃない。俺が欲しいのは、例えばパスポートを使用したり物品売買を行うといった一般的な状況で使える“イナギ=セラード”以外の身分だ。そして変わるのは戸籍ではなく、むしろ俺の方」
「アンタ、もしかして……」
「そう、外見を変化させる能力を持ってるんだよ」

結果的に能力を自らばらす事になってしまったが、仕方があるまい。今のイナギにこの手の相談で頼れるのはビスケしかいないのだから。……それに、心のどこかに「ビスケなら」という甘い囁きがないといえば嘘になる。
――その時点でもはや今更か。多分、念能力を使用した闘いで、イナギは一生ビスケに勝つ事など出来ないだろうから。
ふと心の中に生まれた、苦くて同時に甘い考え。しかし表に出す事は許容しない。

「――変わるのは、俺の方だ」
「……一応聞くけど、外見変えられるなら何でもう1度ハンターライセンスをとろうとしないの? 」
「その答えは、さっきビスケが言った通りだな」

――ハンター協会を騙しきる人なんて存在しない。そういう事だ。

「……分かったわよ。取ってあげるわ、その戸籍。で、何か要望はあるの? 」
「背は絶対に俺より高く。後、可能な限りで構わないがその人物の情報が欲しい」
「情報? 」
「あぁ。趣味思考から立ち振る舞い、癖や性癖に到るまで。写真や映像、体の一部なんかもあればいい。何でもいいから、出来る限り多くの物を。……あ、あと犯罪者は止めてくれ」

対象への理解が深ければ深い程、対象をイナギが受け入れていればいる程、誤差が少なくなり消費オーラ量が減少する。現在イナギが欲しているのは長時間変化する“もう1人の自分”とでも言うべき存在なので、情報がどれだけあろうとも多過ぎるという事はなかった。

「任されたわ。どんなに長くても2週間以内で揃うわよ」
「よろしく頼む。――どうしたんだ、そんなにニヤニヤして」
「いや、それよりも聞きたい事があるんだけどさぁ……」

言葉と共に体勢を逸らして背もたれに体を預け、大げさな動作で足と手を組む。その姿はどこのマフィアだと思わず言いたくなるくらいで、見下すような視線が似合う事似合う事。本物でもこうはいくまいというような雰囲気を醸し出している。
……惜しむべきは、それを行っているのが可愛らしいドレスに身を包んだ見た目少女である点か。体面しているイナギは兎も角、傍から見ると遊んでいる可愛らしい少女にしか見えない。

「何よりも肝心な事なんだけど、さ。……アレはどうすんのよ? 」
「晩飯か。久しぶりに肉料理でもどうかな? 」
「違うわよ! その無駄に爽やかそうな笑顔もいらない! 金よ! 戸籍を手に入れるための金の話よッ!! 」

そしてそれも即行で崩れた。イナギから見ても可愛らしい少女にしか見えない。……最も見た目だけであるのだが。

「……まったく、口を開けば金金金と。世の中には金で買えない物もあるというのに」
「生憎戸籍は金で買える物なの!金はどうすんのよ!? 」
「弟子の門出を祝っての餞別とか? 」
「――ふざけんじゃないわよ! 」

ガタッと音をたてて身を乗り出すビスケ。店内の視線が集まるが、特に気にした様子はない。店員の「はやく出てけ」な視線については気づいてすらいない。

「チッ、心が狭い師匠だ。……というわけで、出世払いで1つよろしく頼む」
「誰の心が狭いよ、誰の! 」
「……」
「無言で指し示すなぁっ! 」

フルマラソン出場者みたいに息を荒げるビスケ。相変わらず店内の視線が以下略。店員の「頼むからでてってください」な視線も以下略。

「……兎に角、貸しに追加って事でいいのね? 」

その後ビスケはテーブルに突っ伏して何かを押さえ込むように全身を震わせていたが、ものの数十秒で立ち直る。そしてやっぱりこれもごくごくありふれた日常の一場面なのであった。

「うむ、よろしく頼む」
「なんか偉そうでむかつくわね。――つーか耳そろえて絶対に返しなさいよ」
「任せろ。貨幣価値が下がった時を見計らったり、等価ではない交換で返す気はある」
「普通に返せぇぇええええ!! 」

狭い店内でいきなり始まった殴り合い。室内の備品や人物にまったく触れていない辺りからレベルの高さがうかがえるが、正直無駄すぎる技術の冴えである。
なんかこう、もういろんな意味でダメダメだった。このちっこいのがハンターだと言っても、絶対に誰も信じねぇ。
――お天道様が少し下がり始めたこの時刻。
「アテナ」の一角に、少年と少女が互いを罵り合う、しかしどこか楽しげな声が響き渡っていた。

▽▲

その後、イナギは近くのネットカフェでハンター試験の応募を済ませた。試験会場は「エルベガ」。ヨルビアン大陸の北方、海岸から少し離れた内地に広がる砂漠地帯の真ん中に建設された、ギャンブル都市だった。
ビスケに頼んだ戸籍はきっかり2週間で届いた。名前は「キミト=リッチマン」。身長は今のイナギより10センチほど高い177センチ。犯罪暦など経歴に気に入らない部分も特に無く、変化するのに大よそこれ以上ないと思える条件を満たしていた。
ビスケによる厳しい修行は相変わらず続いていた。しかしその合間に試験の準備や、修行場所を引き払う用意、それにビスケ主催による「ハンター試験徹底合格講座」なる座談会が行われ、やはりいつもとは違うそんな毎日。ふとした事で何気なく感じる寂寥感を気のせいだと切って捨てる、そんな日々。
――光陰はまさに矢の如し。まるで嘘みたいな速さで時間が過ぎていく。
そうして今は既に十二月の後半。ハンター試験の出発前夜。
イナギとビスケは街で買って来た高い酒を開け、2人でハンター試験合格の壮行会の名を借りた酒盛りをしていた。
――話は陽気に、酒は滑らかに、笑い声は朗らかに、酒盛りは続く。
ビスケのハンター試験徹底合格講座最終講義・「ビスケの一口アドバイス総集編」(第2項が「とりあえずぶっとばせ」な時点で真剣に聞くのをやめた。第1項「念能力をみだりに使うな」を聞いた時にまじめな話かと思い姿勢を正した純情を返して欲しい)や、ナビゲーターの場所を教えてくれと願うイナギの懇願などハンター試験に関係のある物から、逆にまったく関係のない馬鹿話まで。
――四方山話は尽きることなく、積もる話に飽きることなく。
この数ヶ月で分かった事だが、楽しい時が過ぎていく速度はとてつもなく早い。当然この酒盛りも例外に漏れず、ふと気が付いた時には既にお開きの時間であった。
そろそろ片付けなきゃならない。ビスケにその旨を告げてからイナギはゆっくりと立ち上がり、周囲に散乱している酒の空き瓶やつまみの包装紙などを次々とゴミ袋に放り込んでいく。
――周囲は闇。拓くは炎。遠くには月と星。聞こえるは木々の囁き。

「――ねぇ」

1人静かに飲んでいたビスケの声が、後ろからイナギの耳へと入る。手を止めずに、声だけで尋ね返した。

「どうした? 」
「私の指導、少しはためになった? 」
「――らしくないな」
「……分かってはいるんだけどね。けど、アンタはアラマ師匠の忘れ形見。師匠に恩を返せなかった私は、彼の最期の頼みを聞く事でしか――アンタに修行をつける事でしか、恩を返せないのよ」

無言のイナギをよそに、ビスケは続ける。

「だから、聞きたいのよ。私の指導が役に立ったのか。……私がアラマ師匠の恩に、私が報えたのかどうか」
「……報えてる、間違いなくな。――だけど、アラマ爺が死んでいると決め付けるのは嘘だろう? 考えても見ろ、あの元気溌剌な爺さんがそう簡単にくたばる筈ないさ」
「――簡単にはくたばらないでしょうね」
「だったら、生きていると思って動けばいい。死体が眼の前に出てきて、それが確実にあの爺のものだと分かるまではな」

それもそうねと、ビスケは苦い笑みを浮かべる。

「最も、俺は眼の前に死体があったって死んでいるとは認めないがな。あの爺さんのことだ、死を超越して立って不思議じゃない。そうだろ? 」

イナギが振り向くと何故かビスケは驚いていた。一拍置いて唐突に笑い出す彼女。
それがどこか楽しくて、気がついたらイナギも一緒になって笑っていた。
深夜、月光と眼の前の焚き火だけが唯一の光源である暗闇の中。
響き渡るのはパチパチと木が爆ぜる音でもなく、梟の鳴き声でもなく、虫たちの合唱でもなく、木々のざわめきでもなく……。
静けさとは程遠い笑い声が、辺り一面を包み込んでいた。

▽▲

――心は、ひどく冷静だった。
2年前のあの日。イナギから話を聞いて直ぐに、私は優秀なハンターを雇ってライラの現地調査とアラマ師匠の安否確認をさせた。
結果は……ある意味予想通りのものだった。
ライラを襲った相手はあの幻影旅団らしいとの事だった。全員が全員強力な念の使い手。あの師匠のことだからきっと大切な人を守ろうとするだろうし、残念な事に旅団の連中は片手間に相手をできるレベルではない。加えて年齢。いくらあのアラマ師匠と言えども、老いには勝てなかった。そういう事だ。
……アラマ師匠は既に亡くなっている可能性が高い。報告書はそう纏められていた。
それを知って、今、私はこうして笑っていた。
私が就いているのはとても難儀な職業だ。親しい者の死などそれほど珍しい事でもない。だからだろうか。その事実を眼前に突きつけられた私は、驚くほど素直にそれを受け入れた。
――同時に、知りたくなった。
今私の眼の前で笑っている弟子が、ハンターとして経験を積み、死に触れ、慣れて。大切な人の死を知らされたら、どのような反応を示すのか知りたくなったのだ。
ハンターとは、とても難儀な職業だ。
そしてその仕事を続けている私自身も相当難儀な人間なのだろう……人の死すら“知りたい”“掴みたい”というハントの対象にしてしまうのだから。
だから、今、私はこうして笑っていた。
静けさとは程遠い笑い声が、辺り一体を包み込んでいた。

▽▲

荷物はとても少なかった。
必要最低限の衣服とサバイバル用七つ道具。財布とそこそこの額のお金。そして暇つぶし用の本を数冊。それらを皮製のボストンバッグに突っ込めば準備完了だ。

「ん、一応念を押しとくけど念能力は無闇矢鱈と使わないように」
「基本使用禁止と自戒しとくから大丈夫だ。危なくなったら躊躇なく使うが」

その言葉に苦笑いしているビスケに対し、イナギは心の中で頭を下げる。
エルベガ行きの航空券を含めた会場までの移動費は勿論、試験の準備をするための金も貸してくれた。戸籍の事といい、修行をつけてくれたことといい、最後の最後まで本当に世話になりっぱなしだ。
ビスケに向けていた顔を上げ、グルリと周囲を見渡す。
思えば、この場所とも2年の付き合いだった。今振り返るとほんの刹那の事のように思えるが、これだけ長い間住んでいればこの場所や周囲の自然に愛着も沸く。日々の糧を恵み寝床を与えてくれたこの土地にも、イナギは心の中で礼を言った。

「とりあえず、どこへ行くかは決まってるんだっけ? 」
「あぁ。まずは近くの空港へ行ってエルベガに飛ぶ。後は野となれ山となれだ」

当然といえば当然なのだが、結局ナビゲーターは教えてもらえなかった。いや、何十年も前の事だからナビゲーター亡くなったと考えているのか、それとも単純に忘れてしまったのかもしれない。
――最後に当たりを一瞥し、グルリと体の向きを変える。
そのまま後ろへ片手を軽く挙げて、一言。

「さて、行ってきますか」
「うむ、行って来い」

腰を手に当て胸を張り。仁王立ちのビスケにそんな言葉で見送られて、イナギはゆっくりと歩を進める。
果たして走らなかったのは、単に日程的に幾分か余裕があったからなのか。それとも心の奥底でこの楽しかった日々に後ろ髪を引かれる思いがあったからなのか。
――けどそれでもいい。懐かしいと思ったなら、またここにくるとしよう。
結局イナギは後ろを振り返らずに、けれど1歩1歩確かめるようにして、その場所が見えなくなるまでゆっくりと歩いていった。



[3446] 第四話『ナビゲーター』
Name: いづな◆c1592588 ID:a820b64f
Date: 2017/12/19 00:51
ビスケと分かれてからはや3日。途中妨害もなく、イナギは無事目的地に辿り着いていた。
イワリーヂ空港。アイジエン大陸の北西に位置する、大陸随一のハブ空港である。年末も近づいたこの季節。道中の浮かれた空気はどこへやら、現在この場所には異様な熱気が漂っていた。
理由はただ一つ、空港に集っている人の群れである。常人とはまた違う険呑な雰囲気を纏った、普通にカテゴライズされなさそうな人の多少。そう、その理由は、間違いなくハンター試験だった。より詳しく述べるなら、試験開始から丁度1週間前の今日に運行予定のエルベガ行きの便である。何故なら、これが現在ハンター試験に間に合う唯一の交通手段であるからだ。
試験に間に合う船便は、とっくに出向済みである。結果、この地域に居るハンター志望者がこの空港に集う事に相成ったのだった。
 
そんな空港で、予約していたチケットを無事発券し終えたイナギは搭乗時間を待っていた。休憩室の一席を確保できたとはいえ、確実に空港のキャパを超えた人波である。時折響く怒声と打撃音にいい加減うんざりし始めた頃、ようやく待ち望んだ館内放送が飛び込んできた。

『12:30発エルベガ方面行きの便の搭乗手続きを開始します。チケットを持っていらっしゃる方は、至急3番ゲートまでいらしてください。繰り返します――』

これは実質ハンター試験受験者の呼び出しに等しい。剣呑な雰囲気を持つ人間が続々と、互いに牽制しながら順々に休憩室を出て行く。

「さて、と。行きますか」

そうして5分後。最後の受験生が部屋を出て行ってからイナギは開いていた本をパタンと閉じたのだった。



かささぎの梯
第四話 『ナビゲーター』



空港に大挙していた受験生の一人として飛行船に乗り込んで3日。イナギはヨルビアン大陸の西北、エルベガを取り囲むロマブ砂漠の上空にいた。
ここまでの道中は特に何も起こらず、強いて言えばそろそろ機内食に飽きてきたかな、くらい。ハンター試験のハの字も感じさせない順調な旅程である。
現在時刻は午後の2時過ぎ。飛行船の窓からは一面見渡す限りの砂世界。到着までもう暫くはかかりそうかな、などと考えていたイナギの耳にあるアナウンスが飛び込んできた。

『皆さま、この度はセントラル航空をご利用くださり誠にありがとうございます。当船は間もなく目的地に到着いたします。着陸の際は揺れが予想されますので、お近くの座席にかけていただくか、手すり等におつかまりください』

深みのある落ち着いた男性の声。飛行船の機長である。この3日間で何度も聞いた彼の声を受けて、しかしその内容が故に受験生各所からは疑問が漏れていた。それもそのはず、エルベガ――ハンター試験会場がある、世界有数のギャンブル都市はまだ見えてこない。
受験生の思いをよそに、飛行船はゆっくりと高度を下げていく。着陸しようとしているのは……砂漠のど真ん中に似つかわしくない、巨大なキノコ型の建造物。金属で作られたそれの高さは優に50メートルは超えて見える。傘の部分は水平な円形。その径は飛行船が4台程縦に並べられそうであった。
そのまま、着陸。きっかり10秒は数えてから、再びのアナウンス。

『長らく大変お待たせ致しました。当船は無事目的地に到着いたしました。ハンター試験会場のエルベガから南に約250キロ、皆様にはここから歩いてエルベガを目指していただきます』

その内容を受け、呆然から戸惑い、そして怒り。受験生の怒号をそよ風のように流し、機長はそのまま話を続ける。

『当飛行船は皆様の下船を確認後、イワリーヂ空港に向けて引き返します。もしご自身で砂漠を抜ける自信がない方は、そのまま船内に残っても結構です。その際お帰りの運賃はいただきませんのでご安心ください――ただし、残られた方は別ルートから試験会場に辿り着けたとしても今年のハンター試験は失格です、とハンター協会から言づけられておりますのでご注意ください』

まぁこの程度で音を上げる方は、ハンターなどなれる筈もない、ということなのでしょう。どうぞ命を大事になさってください。
ふいごのように吹き寄せる機長の声に受験生は煽られ、その熱は増すばかり。

『……ただ、皆さんの言うことも最もです。水・食料何もなく、このロマブ砂漠を200キロ以上歩き続けるのはさすがに厳しい。そのため受験生の皆様に、セントラル航空からプレゼントを用意いたしました。外をご覧ください』

傍らの窓から外を見てみる。無数のコンテナが無秩序に並べてあった。

『中身は必要になであろう、道具・食料・水などが入っています。エルベガまでお連れできないお詫びです、ご自由にご活用ください。早い者勝ちですけどね』

機長はそのまま沈黙。一拍開け、船内の受験生は大挙して下船タラップを駆け下りた。蟻のようにコンテナに群がる。鍵はかかっていないようで、自らの戦利品を主張する声が各所から上がった。
全ての受験生が下りてすぐ、飛行船の入り口が閉まっていく。駆動音を鳴り響かせ、巨体が上がる。地面にできた巨大な影が薄くなったところで、船外の拡声器から再び機長の声。

『現時点での不合格者0名、皆さんの健闘をお祈りします。そして一つ言い忘れましたが――』

物資を漁る受験生の騒めきよりも遥かに大きい声に続き、飛行船から一つのコンテナが放り出される。その先は受験生たちの脇を通り抜け、遥か下の地面へ落ちていく。
落下の衝撃でコンテナが壊れ、中から大量の物資がまき散らされる……前に地面から無数の細長い生き物が飛び出し、コンテナの残骸を覆うように暗褐色の球体が出来上がった。

『――ここはロマブ砂漠の固有種、ミズオイムカデの巣の中心です。彼らは皆渇いています、水そのものの気配を感じ取れるほどに』
『見てわかる通り、成虫の大きさは人と同じくらい。巣に集まっているのは1000匹くらいでしょうか。水と食糧を持って、彼らと戦いながらエルベガを目指すのか。もしくは何も持たずに、飢えや乾きと戦うのか。それは自由です』
『なに、自信がないようでしたら地面に降りなければ大丈夫。皆様がいる着陸場は傘状になっており、ムカデは上まで上がってこれません。ハンター試験の開始日に、セントラル航空が責任をもってお迎えに上がりますよ。それまでの物資も十分にありますしね』

もう受験生たちからは何の声も上がらなかった。蠢いた球が解かれた時にはコンテナの残骸しか残されていなかった。

『最後に一つ、私からのアドバイスです。エルベガはここから真北へ250キロ、急げば3日くらいで着くでしょう。目的地までは、方角を間違えないようコンパスをご確認ください』

以上、皆様の健闘を祈りますなんて言葉を最後に飛行船は動き始め、既に音を上げ帰還を望む一部の受験生を一顧だにせず、その船影は次第に小さくなり、すぐに地平線の果てに消えていったのであった。


▽▲


降船して30分。飛行船の姿が完全に見え無くなった頃、イナギはコンテナの脇で座り込んでいた。
周りの受験生はコンテナを漁り続ける者、怒りを露わにする者、気勢を揚げる者。様々ではあるが、心が折れてしまっている者も少なくないようである。
そんなギブアップ組と間違えられそうな様子の彼であるが、その理由は砂漠の気候であった。

「……だめだ、暑すぎる。死ぬ」

彼は雪深い寒国の生まれであった。冬には港が凍り船の出入りが出来ないほどで、夏であっても20度を超えることはない。富豪の避暑地としても人気のあるその国で生まれ育った彼にとって、今の気候は過酷であった。
ここロマブは世界で一番寒暖差が激しい地域として有名である。今は12月とはいえ、その気温は軽く30度を超えてくる。その空気はひどく乾いており、呼吸する度に体内の水分を奪っていく。
しかもここは地上50メートル。加えて足下はコンクリートである。試しに触ってみたら軽くやけどした。痛い。

「暑すぎて今は動きたくない……涼しくなるまで動かないようにしよう」

纏のお陰でマシになっているとはいえ、苦手なものは苦手なのである。そんな中ではロクに頭も動かない。
暑さと時差への慣らしもかねて、日が沈むまではなるべく日陰にいよう。
そんなこんなで、イナギはコンテナに背を預けてゆっくりと目を閉じたのだった。



そうしておおよそ4時間後。
日が完全に隠れ、俄かに涼しく、いや寒くなりだした頃、イナギはゆっくりと動き出した。
目を開けて、辺りを見回す。コンテナ漁りも既に一通り終わっているようで、寒さ故か不安故か受験生のほとんどは中央部に集まっていた。
コンテナの中に入っていたのだろう、毛布を引っ被っている者が多い。漏れ聞こえる声から察するに、その大半はハンター試験を諦めたようである。

「確かに、あの巨大ムカデ見たら普通は諦めるよな」

普通の人間がムカデに覆われて無事に済むとも思えない。
ま、ライバルが減るに越したことないかなんて考えながら、傍らのコンテナの扉を開けた。
中は暗く、奥まで見通すことはできない。しかしここも例に漏れず探索済みで、大分荒々しく探されたことは分かった。
足元に転がっていたライトを手に取り、中を照らす。水・食料品の類はすべて持ち去られているようだ。

「っと。それ以外は結構残ってるな」

ライトで残った物資を照らしながら、一つ一つ確認していく。
必要なものはすぐに見つかった。

「機長からのアドバイス……コンパスを確認しろって言ってたからな」

通常念を覚えるのはハンター試験合格後である事から分かるように、ハンター試験は非念能力者に合わせた難易度で作られている。念能力者にとってみれば、身体力を問う課題は圧倒的に難易度が低かった。
イナギであればあのムカデの群れを突っ切ってエルベガまで歩いていくことは(暑さ以外は)訳ないが、通常の受験生には半ば不可能である。
つまり非念能力者でもエルベガに辿り着ける道は確実にあり、イナギが怪しんでいたのが最後の船長の言葉だった。

「目的地までは方角を間違えないように、か。パッと見は何の変哲もないコンパスだよな」

手元のライトで照らし、顔を近づける。
よくよく見ると、目盛りは付いているもののあるべき東西南北の表記は存在しなかった。その代わり指針の片側が赤く塗られ、白地で"エルベガ"と刻字されている。
コンパスを持ち、コンテナの外に出て辺りを見渡す。遥か先に小さく、しかし遠洋から望む灯台のようにハッキリと見える光点。北極星の真下にあるあの煌きこそ、エルベガに間違いなかった。
そこで、かすかな違和感。

「――コンパスが、少しずれてる? 」

磁針の延長線上から、エルベガはほんの僅かにずれていた。
イナギはすぐコンテナの中に引き返し、同じコンパスを追加で2つ。等間隔で地面に並べてみる。
すると、その針先はやはり光点からずれており、そしてその全てが同じ方位を示していた。
今イナギがいる位置は、離着場の南端付近であった。エルベガとは逆側である。違和感の正体を確かめるべく、コンパスを持ち北端へ向かう。
ただ真ん中付近には受験生がたむろしているため、離陸場の外縁を進む。そのまま半分ほど進んだ所で、更なる違和感。
先ほどより、1目盛りほど針の傾きが大きくなっていた。傾きにして4度ほど。
つまりこのコンパスは、確かにどこかを指示していた。

「機長が言った目的地は、かなり近いところにあるかもしれない」

ボストンバッグから手帳と筆記具を取り出し、計算することにする。
このキノコ型の離陸場は傘の部分の面積がかなり広く取られており、全長200メートルの飛行船が縦に4台は並べられる。
その半径は400メートル。そして中心と外縁からの角度差が約4度。そこから考えると目的地までの距離は……

「……コンパスの針先、約5キロくらいの所、かな」

砂漠の夜は明るい。空気が澄んでおり、月や星の明かりが辺りを照らしているからだ。
右手の親指と人差し指で小さな円を作り、そこを覗き穴にして針先を見る。5キロほど先には、クジラくらいはありそうなこぶし型の大岩。そしてその上には――

「人型。一人。多分、ナビゲーターだね」

イナギは、ようやくハンター試験会場までの案内人の影を見つけたのだった。



[3446] 第五話 『第一次試験開始①』
Name: いづな◆c1592588 ID:a49ac4e8
Date: 2017/10/06 22:39
ナビゲーターの居場所が分かれば、そこからの話は早かった。
もし普通の受験生であれば、最大の難関となるであろうムカデ対策。恐らくナビゲーターの元に辿り着くため、そこから更に2つ3つ超えなきゃいけない障害があった筈だ。
しかし、そこは念能力者。念能力も使えず、人程度の大きさしかない、ただ水の位置が分かるだけのムカデなど障害になろう筈がない。
イナギは近くのコンテナの中を探して見つけたお茶と缶詰で腹ごしらえを済ませると、一緒に持ってきた縄ばしごを近くのコンテナに括り付けた。長さは十分。コンテナも一人分くらいの体重では少しも動きそうにない。
その結び目を再度確かめると、イナギは軽やかな身のこなしでロマブ砂漠に降り立った。
するとイナギの体内の水分を感じ取ったのだろう。砂中から無数のムカデが飛び出し、我先にとイナギを襲う――前にイナギは念の具足を作り出し、踏み込んで一歩。即座にもう一歩。
流と合わせた高速移動でムカデをふりきり、正面に出てきた奴は具腕で思いっきりぶん殴る。
そうしてかけること僅か4分。優々と大岩の上に辿り着いたイナギの目の前には、鷲の羽根冠を被った壮年の男性がいた。

「ハンター試験のナビゲーター、であってますか」
「確かに」

砂漠の厳しい気候の中を生き抜いてきた年月を感じさせるガッシリとした体躯を持つその男は、表情を一切変えずにゆっくりと頷く。

「我々はカサ族。このロマブ砂漠で生まれ、ロマブ砂漠を知り、ロマブ砂漠で死ぬことを誇りとする一族。私の名前はウルザナ。ハンター協会に雇われたナビゲーターだ」
「それで、俺はあんたの試験に合格したんだろうか」
「ああ。あのムカデ――我々が渇水の魔と呼ぶそれを恐れずに、巣の中心からよくここまでたどり着いた。お前、名前を何という」
「イナギだ」
「イナギというのか。イナギは、我々の定める試練を潜り抜けた。私は、わが一族はイナギを歓迎する。責任を持って試験会場まで送り届けよう」

その後、今回の試練についてを軽く説明される。なんでも、ミズオイムカデの群れの中心から安全な場所まで自力で抜け出してくることは、彼らカサ族の成人の儀式であるらしかった。
それを一人で、軽々と成し遂げた俺は文句なしの合格ということらしい。
その説明を聞いて、ナビゲーターのお眼鏡に適ったことを確認したイナギはホッとため息。
ハンター試験はハンター足る心・技・体を問う試験であるが、やはり正面切って問われる可能性が高いのは体――その強さである。ハンター足るもの誰だって武術の心得があって当然であるからだ。
それ以外についても問われるのだが、極端な話突き抜けた強さがあればなんとかなってしまう傾向が強かった。その点でいうと、念能力者が非念能力者に負けることはほぼありえない。
一方で、そもそもそのハンター試験の会場に辿り着くまでのハンター試験予選は、その心・技を問う傾向が強い。主に戦闘用の発を持つイナギにとって、もしかすると試験会場に辿り着くまでが最も難易度が高い可能性もあった。

「ありがとう。会場に着くまでの短い間だが、よろしくお願いしますね」
「頼まれた。大船に乗った気持ちで、任せてくれ。では早速――」

イナギは外行きの笑顔でニッコリと笑う。
それを受けてもウルザナは表情を変えず、しかし目に優しい光を浮かべながら、大岩の影を指さす。そこには全長5メートルはありそうなトラックがあった。タイヤがでかく、砂漠での走破性は高そうである。
早速、エルベガへの移動だろうか。

「――早速、カサの村へ移動して歓迎の宴だ」

何故に宴か。

「今夜、イナギはカサの儀式を成し遂げた。つまりイナギはカサの男も同然。それを祝う宴だ」

祝わないでどうするのか、と逆に問い返される始末である。
更に詳しく聞くと、通常カサの成人の儀は雨の日に行われるとのこと。そして雨が降れば、ミズオイムカデは地上に出て基本雨雲と一緒に移動する。その間は雨を全身で受けるのに忙しく、アグレッシブに襲ってくるのは極々少数で済むらしい。
その群れの先頭へ回り込み、最後尾の一匹から抜け出るまで群れの中に居続けることが出来て初めてカサ族の男は認められるとのことだった。
余談であるが、そのような習性のためミズオイムカデの巣は雨とともに移動していく。そうして居着いた巣に、雨以外の日カサ族は決して近寄らない。理由は危険過ぎるから。
そんな危険地域を平然と突破してきた男はカサ族の中のカサ族、ということらしい。


「我々カサ族はロマブ砂漠で生まれ、ロマブ砂漠を知り、ロマブ砂漠で死ぬことを誇りとする一族。そしてロマブの砂漠は人に厳しい。それ故に我々は強者を敬うのだ。それゆえの宴だ」
「何となく分かるような分からないような……」
「そして宴を通して一族に強者を取り入れるのだ」

あれ、何か変な風が吹いてきた。

「それは、一緒にお酒を飲むことで強い人の在り様を知るという、精神的なあれでしょうか」
「いや、物理的にだ。気に入れば居着いて欲しいし、気に入った女子がいれば抱いていいぞ」

要するに子種的なあれである。
ちなみに私にもちょうどお前と同じくらいの娘がいてだな、なかなかの器量良しなんだ。何なら飲み始める前にうちに来て娘をファックしてもいいぞ、などと言い出すウルザナ。
キャラ変わりすぎである。

「――抱くのも居着くのも勘弁だけど、歓待してくれるってなら行こうかな」

今日は朝食以降缶詰しか食べてないし、こんなコバラベリーには……案外ちょうどいいかもしれぬ。

「そうだな、既にカサの村には連絡済みだ。今出れば、着く頃にはちょうど準備もできているだろう。楽しみにしているがいい、我らカサ族の宴はロマブ砂漠一である」
「そりゃあ楽しみだな。何が並ぶんだ? 」
「主に肉だな。あとあのムカデも出るぞ」

……それもちょっと勘弁かな、なんて笑いながら、イナギはウルザナと共にトラックへと乗り込んだ。
ハンター試験開始まであと3日間、イナギはこうしてナビゲーターと出会ったのだった。




かささぎの梯
第五話 『第一次試験開始①』




砂漠の朝は早い。そしてカサ族の朝も早い。
本日はハンター試験の開始日。イナギは日の出と共に起こされ、カサ族の皆に別れを惜しまれながら村を出立し、現在ウルザナの運転でエルベガへと向かっていた。
――カサの宴は本当に盛大だった。具体的には、彼と出会ってから昨日までの間、文字通りぶっ続けての宴会であった。
流石にハンター試験前日のため宴は昨晩で終わったが、それがなければ多分もう2日は続いたであろう、そんな盛り上がり方であった。あとちゃんと守り通した。
そして本日、ハンター試験の開始日である。本日の昼12時までに会場に辿り着けなければ、イナギにとっての今年のハンター試験は終了となる。
そんなすこし不安と、それ以上の期待を抱えながらトラックの中で揺られたり跳ねたりすること4時間。
イナギはヨルビアン大陸に来て、初めてエルベガの街に入り込んだ。
目の前に広がるのは摩天楼、そして観光客と思しき人々。ただ何となく活気が少ないようにも思える。

「この街は夜が本番だ。夕方くらいから、本当の姿が出始める。それまではあくび交じりで起きてるに過ぎない」

ウルザナの言葉に「すごい低血圧症なんだな」なんて返しながら、後をついて歩いていく。
既に行先は決まっているようで、彼の足取りに迷いはない。10分ほど歩いてから、大きな噴水のある広場の脇にあるキレイめなホテルの中に入っていた。
そう、普通のホテルである。

「ここが、まさかハンター試験の会場なのか? 」
「そのまさかだ。ここなら誰も応募者が数百万人とも言われてるハンター事件の会場だとは思わないだろ? ――ということらしい」

ハンター協会からナビゲーター頼まれた時に受けた説明によるとだがな、と続けながら、さくさくと中を進んでいく。
エルベガは世界有数のギャンブル都市であり、街の至る所にカジノがある。それはホテルも一緒であり、むしろカジノがホテルを運営していた。
そのためホテルの造りも、すべてギャンブルを意識している。具体的にはロビーがものすごく小さかったり、というかホテルの1階はほとんどカジノがだったり、エレベーターやレストラン等の施設はカジノの奥にあったりした。
本番は夜からとはいえ、そこそこの客で賑わっている。しかし、ハンター受験生らしき人は見当たらない。
不審に思いながらも、イナギは黙って後をついていく。バックギャモンとルーレットの間を抜け、ポーカーでバカ勝ちしてる人の脇を通り、立ち止まったのは通路に併設されたバーの前であった。
カウンターで飲んでる人は一人もいないが、既に開店はしているようでカウンターの奥にバーテンダーはいる。
ウルザナはゴホンと一つ咳をすると、一歩近づいて彼に話しかけた。

「すまない、食事がしたいんだが」
「はい、いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか」
「ローストビーフ」

バーテンダーの眉がぴくりと上がった。

「付け合わせは? 」
「レーズン入りのマッシュポテト」
「かしこまりました、お食事の方は奥の部屋へどうぞ」

ウルザナがピッと指を立てて答えると、バーテンダーはカウンター脇の通路へ手のひらを向けた。
通路へ進むと、いくつも扉が並んでいる。その内の一つが既に開けられており、イナギはウルザナに促されてその部屋へ入った。
何の変哲もない、レストランの個室である。部屋の真ん中には4人掛けのテーブル。促されて椅子に掛けると、すぐに先ほどのバーテンダーが料理を運んできた。ローストビーフである。

「1万人に一人。ここに辿り着くまでの倍率らしい」

そう言いながら、一緒に椅子に掛けていたウルザナは立ち上がり、部屋の扉に手をかける。

「このままここに座ってれば試験会場に着く。カサの試練を通り抜けたイナギなら、ハンター試験は大丈夫だろう。合格したなら、また来い。今度は一週間は飲ませてやる」
「分かった。合格したら、今度は土産もって遊びに行くよ」

楽しみに待っていよう、なんて大仰に頷いて。ウルザナは部屋を出る。
扉が閉められてすぐに、微かな浮遊感がイナギを襲った。恐らくこの部屋はエレベーターのようになっている。方向は、上か。
このホテルは40階建てである。何階で止まるのか知らないが、まだしばらくかかるだろう。
フォークを手に取ってローストビーフを頬張っていると、チンという音とともに部屋が止まった。
扉が開く――そこはむき出しのコンクリートで囲まれたワンフロアであり、そこを埋めるように無数の人間がいた。皆体のどこかに番号が書かれたプレートを付けている。受験生だ。
全身に何百もの目線が突き刺さる。観察されている。視線が離れた。

(飛行船の中の人たちよりは、何段階か上かな)

そんな事を考えながら、傍らにいた豆っぽい顔の男からプレートを受け取る。番号は352番。試験開始時間が迫っていることもあり、完全に後発組である。
受験生の観察を続けながら、胸にプレートを固定する――瞬間。ねっとりとした殺気。獲物を探す蛇の舌のように、全身を弄る血生臭いオーラ。
方向は真横。間近。足を開いて、鞄を落とす。練をしながら、目線をずらして。

「やあ❤︎ 君は使えるんだ、念◆」

手を伸ばせば届く距離に、キツネ目のピエロがいた。
服の上からでも容易に分かる、鍛え抜かれた体躯。全身を覆う凶悪なオーラ。一目でわかる、戦いに狂っている。

「何か用なら、手短にしてくれ」
「そんなに警戒しないでくれよ、ただの挨拶じゃないか♠」
「そこまで不快なオーラ出しといて、挨拶も何もある訳ないだろ」

返しながら、目が離せない。さっきから冷や汗が止まらない。
こいつはヤバい。ここでやり合ったとして、多分勝負にはなる。だけど、勝てる姿が想像できない。
俺の牙ではこの男を倒せない。かといって背中見せて逃げたら嬉々として襲われる気がする。なんでこんな奴がここにいるんだ、逃げ切れるだろうか。

「つれないなぁ◆ 実はボク試験初めてなんだけど、ここに着くまでがすごくタルくってさぁ♣︎ ちょっとは期待してたんだけど、着いても退屈で退屈でしょうがなかったんだ◆ 君でウサ晴らししてもいいんだけど…… 」

ピエロが顔をグイッと寄せる。
熊との対峙みたいなもんだと言い聞かせて、細いその目を見つめ返す。

「うん、いいね❤︎ きみはまだまだ伸びそうだから、今やりあうのは止めとくよ♠ 君も試験初めてなんだろう、ルーキー同士仲良くやろうよ♣︎ 」
「仲良く、したくはない人種だな」
「うん、それ無理❤︎ 後でホームコード教えてよ、5年後くらいにやり合おう◆ 」
「絶対にノゥ」
「あ、でも味見なら今からでも問題ないかな♠ 」
「それも絶対にノゥ」

これ、連絡先渡したら間違いなく粘着される奴である。絶対にホームコード教えねぇ。
渡さなくてもストーカーされる可能性はひとまず横に置いておく。
いつの間にか、嘗め回すようなオーラは収められていた。ホント勘弁してほしい。


その後も変態ピエロに絡まれ続け(名前はヒソカというらしい)、そうこうしてる内に時間だけは刻々と経過していき、部屋の四隅に置かれている時計の短針が、12時を指した。
部屋に鳴り響くけたたましいベルの音。音の方に目をやると、いつの間にか部屋には鉤鼻の男がいた。
年齢は30代前後。長い黒髪を無造作に後ろで一つ縛り。派手な赤色のシャツの上に、黄色のスーツ上下。手には顔を模したタイマーを持っている。

「ただ今をもって、受付時間を終了する。これより、ハンター試験を開始する」

ピン、と空気が張り詰める。男の呼吸すら見逃さないように、全員が彼に集中している。時計の秒針がうるさかった。

「一応確認するが、ハンター試験には大変厳しいものもあり、運が悪かったり実力が乏しかったりすると、怪我したり死んだりする……なんてことを言われて止めるくらいなら、ここには辿り着いてないよな。よし、第一次試験428名全員参加っと」

当たり前の話だが、誰一人帰ろうとはしない。
その様子を見て、男は楽しそうに笑った。

「ここで終わってもらっちゃあ楽しくないからな。俺はギャンブルハンター、一次試験担当のパイゴウだ。これからお前たちには目隠しをしてこのホテルから飛び降りてもらうぜ」

さぁ、ハンター試験の始まりである。



[3446] 第六話 『第一次試験開始②』
Name: いづな◆c1592588 ID:feefa1cb
Date: 2017/12/19 00:49
「――これからお前たちにはこのホテルから飛び降りてもらうぜ」

試験官の言葉を受け、受験生がざわざわと騒ぎ出す。部屋の周囲を見てみるも、窓はなく一面コンクリート。外の景色を見ることはできない。
試験会場へ来た時の浮遊感から、またその時間から、現在ホテルの上層階であることは間違いない。
そんな所から飛び降りて、無事で済むはずがない。受験生の不安を無視して話は進む。

「このホテルはエルベガで最高層。その高さは600メートル。ここが何階なのかにもよるが、落ちたら即死する高さであることは間違いない。だから命綱はくれてやる。ただ、その長さを自分で決めてもらおう」
「自分の決断を信じて飛び降りた者の内、命綱が長かった上位100名を合格とするって寸法だ。二次試験に進みたければ命綱を長くしな。長くしすぎたらお陀仏だけどな」

……この部屋に、若しくは今の会話に。何かヒントがあるのだろうか。少しでも判断材料を増やすため、受験生はパイゴウの話を刻み込む。
本当に飛び降りるとして、命を懸ける根拠が欲しかった。
頭に緑の鉢巻きを巻いた、黒髪の男が手を挙げた。背中には背丈より長い槍。何となく幸薄そうな顔である。

「この部屋には窓がない。長さは、外の景色を見てから判断させてもらえるのだろうか」
「いいや、だめだね。それじゃあ意味がない。この試験で試したいのは、お前たちの勘所と決断力だからな」

パイゴウは集まった受験生をグルリと見渡す。受験生一人一人の資質を推し量るように。

「その2つが欠けてたら、結局長続きしないんだ。持たねぇ奴は死んでくれ。なに、ここエルベガは世界有数のギャンブル都市。一生を賭けて、負けた人間の飛び降りは日常茶飯事だ。もし見極めを間違えても、1時間後にはキレイに片付けられてるさ」

怖い街だろ、日平均が3.8件らしいぞ。なんて受験生に笑いかける試験官。
誰も返事などしないが、欠片も気にする様子はない。

「命綱はクモワシの糸から作られている。強度は折り紙付きだから、ここが最上階だろうと衝撃で切れることはありえない。その部分は気にしなくていいぞ」

クモワシ――マフタツ山に生息する、大型の猛禽類である。陸の獣から卵を守るため谷の間に糸を張り、卵をつるして守っている。そしてその糸は軽く丈夫であり、伸縮性はナイロンの5倍、強度は同じ太さの鋼線の10倍。
試験官の言っていることが本当であれば、縄の切断荷重は気にしなくても大丈夫そうである。

「さて、説明は以上だ。これから1時間以内に長さを決めて、その後全員一斉に飛んでもらう。この砂時計が落ちきる前に、渡されたプレート裏に希望の長さを書いて提出してくれ。ロープは長くて600メートルまで。プレートは通過者のみに返却するぜ」

じゃあ後は1時間悩んで決めてくれ。そう言い放ち、パイゴウは部屋の中央に置いてある革張りのソファにドカッと座った。
その傍らには砂時計が置かれた腰高のテーブルと、郵便ポストのような白色の箱。箱は白地で、真ん中にはハンター協会のマーク。その上部に穴が開いている。時間までにプレートを入れろということだろう。
試験官は、それ以上何も話そうとしない。ひっくり返された時計の砂が、少しずつ零れ落ちている。

「さて、どうするかな」

独り言ちながら、イナギは壁の様子を調べるためにその場から離れる。ピエロが何か話しかけようとしてきたが、完全にシカトである。追いかけてこないみたいだ。セーフ。
そのまま壁に近づき、手を当てる。軽く叩いてみると鈍い音。厚さ30センチくらいはありそうである。
余裕で壊せるけど、やったら多分失格だよな。600メートルの自由落下、衝撃はどんなもんだろうか。
手がかりを求め受験生が四散し部屋の中を探っている中、イナギはそんなことを考えていた。




かささぎの梯
第六話 『第一次試験開始②』




一次試験開始から間もなく、壁側に移動して直ぐ。
イナギが過去の経験から飛び降りの衝撃を想像していると、右肩をトントンと叩かれた。
誰か用だろうか。振り向くと、四角い鼻の小男。ピエロとは別の意味で気持ち悪い笑顔を浮かべている。

「どうやら悩んでるみたいだね 」

何だコイツ、超うさんくさい。

「よっ、オレはトンパ。よろしく」
「何か用でも? 」

手を差し出し握手を求めてくるが、こんな疑わし気な男とよろしくするつもりはない。
両手は露骨にポケットイン。迷惑です、なんて感情を隠さず返すも、怯む様子は一切ない。中々の面の皮の厚さである。

「用って訳でもないんだけど、君はルーキーだよね」
「分かるのか」
「まーね。何しろオレ、10才からもう34回もテスト受けてるから。まぁ試験のベテランから、迷ってる後輩にアドバイスを、と思ってね」

大きなお世話だったかな、とトンパ。ホントに大きなお世話である。

「34回も受けてるから大体の傾向は読めるんだけど、今回みたいな試験官は正直ラッキーだと思うよ。こういうのはギリギリの所を攻めるのが合格のコツさ」
「今回みたいなってのはどういう意味だ? 」
「なんて言うのかな、たまにいるんだよ。受験生の度胸を試す試験官。ハンター足る者、いざという時に踏み込める心の強さがあって当然、ってね」

勘所と決断力って言ってたけど、要するにこれは度胸試しだよ。そう言い切るトンパ。

「そしてそういう試験では、そのほとんどで安全策が取られてたんだ」
「だから今回も安全だという訳か」
「そうだね。今回だったら、例えば地面に衝撃吸収材が用意されてたりとかかな」

だからオススメは600メートル。それで一次試験通過だから楽勝だよ。
上機嫌に笑ってみせるトンパとは対照的に、イナギの不機嫌は急加速だった。
よくまぁ都合のいい話ばっかで、ロープを長くさせようとしている。勝手を知らないルーキーをリタイアさせようというのだろう――が、それは別に構わない。そんな話に惑わされる方が悪い。
何がむかつくって、今の話を周りの連中にも聞かせてること。イナギを新人潰しの出しにしていることだった。

「確かにトンパの言う通りかもしれないな」
「そうだろ? 経験者のアドバイスは聞いとくもんだぜ」

してやったり、とトンパは心の中で笑う。これでまた一人、前途ある若者のあの顔が見れる。野心や希望が永遠に断たれる一瞬の表情。自分の生きがい、程よい刺激。
あとは飛び降りる時に、こいつの側を確保するだけだ。いい顔見せてくれよ、と離れようとして。

「じゃあ俺は行くよ。お互いに試験頑張ろう」
「待ちなよ、折角だから一緒に行こう」
「一緒に? どこに? 」
「当然――試験官のとこだよ」

600メートルがオススメなんだろ。折角だから一緒に出そう、今すぐにさ。
いや、俺はちょっと。そう言うトンパの手を掴み、イナギは試験官の前まで連行する。
パイゴウに断りペンを借りる。自分のプレートに「600」と書き込み、箱の中へ無造作に放り込んだ。提出第一号である。
手の中でペンをひっくり返し、そのままトンパにずいっと差し出す。

「ほら、俺は出したぞ。あんたも出しなよ、600メートル」
「え、いや、ほら俺はもうちょっと考えてから」
「何言ってんだ、度胸試しなんだろ。心の強さ見せてくれよ」
「あ、いや、あの……また後でッ!! 」

差し出されたペンをイナギの腕ごと振り払い、トンパはそそくさと逃げ出した。
ちなみにこのやり取りはかなり目立っている。トンパが新人にやり込められたからだろう、ベテラン組と思しき人間は皆失笑していた。
同時にイナギにむけられる、「こいつ終わったな」という目線。全く失礼な奴らである。
――まぁ、とにかくこれでトンパの発言につられて記入する輩は減るだろう。騙される奴が悪いのは間違いないが、片棒担ぐのは気分が悪かった。

「やあ♥ また会ったね♣︎」
「同じ試験受けてるんだ、そりゃ会うだろうよ」

そんなこんなで、イナギはプレートを提出し終わった。飛び込みまでまだ50分以上ある。有体に言って暇である。
視線にさらされ続けるのも気分が悪かったので、端っこで壁にもたれかかる。何とはなしに他の受験生の行動を観察していると、赤髪ピエロが寄ってきた。
いくら暇でもこいつは願い下げである。イナギは逃げ出した。しかし回り込まれてしまった。

「見てたよ、さっきの寸劇◆ 他の受験生気にかけるんだ♠」
「あの中年小男が気に入らなかっただけだ」

で、何の用だ。問いかけるも、ヒソカは気色悪い表情のままである。

「さっき僕も提出し終わって、暇だったから話に来たんだ♣︎」
「却下。お前と話すことは何もない」
「つれないなぁ♥ まぁいいや、それより本当にロープの長さ600メートルにしたのかい◆」
「だったらなんだよ」

大したことじゃないんだけどさ、とヒソカは続ける。

「そうだとしたら、600メートルの自由落下を切り抜けられる念を持ってるんだろ♠ いきなり見れるとは思ってなかったら、ちょっと興奮してきたんだ♥」

いやぁ、楽しみだな♥なんてゾクゾクしてるヒソカの横でイナギは内心頭を抱えた。
そうだった、こいつがいたんだった。

「どうだろうな、念じゃないかもしれないぞ」
「それはそれで興奮するじゃないか♣︎」

確かに念もなしに高層ホテルからの落下に耐えられるなら、そいつは人間じゃない。
戦闘狂っぽいピエロにしてみたら、そっちの方がご褒美かもしれない。
――早く試験始まってくれないかな。若しくはこいつどっか行ってくれないかな。
執拗に絡んでくるピエロを片手間に、イナギはぼんやりとそんなことを考えていた。





▽▲





それから暫く時間が経って。

「――時間だ」

砂時計の砂が落ちきるのと同時。ここまでソファに座って一切動かなかったパイゴウが、力強く立ち上がった。

「さぁ、各個当たりはつけたか。後は読みと心中するだけだ。心の準備ができた奴から、俺に着いてきてくれ」

そう言ってパイゴウは歩き出す。進行方向にいた受験生が道を開け、その先には当たり前のように一枚の扉があった。
この部屋に入ってから今まで。皿を舐めるように探し回っても気づかなかった扉の出現に、受験生がざわめく。念能力だ。
パイゴウが扉を開けて、その先に消える。追いかけた受験生の前にあったのは、同じくコンクリート造りの部屋であった。
床があり、天井がある。ただし一切の壁がない。手すりがないむき出しのバルコニーのような空間である。
奥行きは5メートルほど。そこで床は突如として終わり、その先には嗅ぎなれた乾いた空気。青空に跨る白い雲。高層ビル立ち並ぶエルベガの街並みがあった。
その奥側、本来欄干があるべき位置に、無数の金属製の突起物。また床に1から始まる番号が連続して書かれている。恐らく受験番号だろう。

「各自、自分の番号の前に立っていてくれ」

ほらさっさと移動してくれ、後が詰まる。そんなパイゴウの言葉を受け、受験生が動き始める。
突起物の前まで来ると、否応なしに分かるその高さ。下を見て、落ちたら確実に死ぬと理解する。危険を感じて足が痺れる。風が強く、放り出されそうだ。
全員が並んだことを確認し、パイゴウが室内に声をかける。ハンター協会の職員だろうか。扉の中からぞろぞろ出てきて、受験生一人一人に長さを確認してから命綱を渡していった。

「クモワシのロープは手元にいったな。片方を床、片方を体に固定してくれ」

イナギはロープを確認する。先端にはフックがついており、これを突起物に固定するようだ。
もう片方は先がライフジャケットのようなものに繋がっていた。正面だけでなく、股下でもホールドするタイプである。
イナギは素早く装着し終わると、静かに足下を眺める。確かに高いが、多分600メートルはなさそうだった。

「さて、準備はいいか。飛び降りるか飛び降りないか、決断は自由だ。退くのもありだが、ハンターになりたい奴は読みと心中してくれ」

顔色を悪くしてる奴。足ががくがくふるえてる奴。余裕そうな顔してる奴。嬉しそうにしてる奴。色々である。
イナギは手足をほぐしながら合図に備える。カウントダウンが始まる。

この高さには見覚えがあった。故郷にいた時である。
修行の一貫として叩き落された滝つぼがそうだ。
あの時と違って、下は水じゃないけれど。
あの時と違って、念の技量が段違い。
――このくらいの高さだったら、多分なんとかなりそうだった。

「第一次試験、開始!!」

声と一緒に、飛び降りる。頬をなでる風を感じながら、下を見る。あっという間に地面が近づく。
ロープの方が長い。当然である。勢いそのまま、念を使う。堅。同時に今出来る最大の具足を両足、陰の状態で作り出す。
足先が地面についた、瞬間。落下に合わせて縮小させる。次いでつま先、すねの外側、ももの外側、背中、肩。体をひねりながら倒れこむ。
衝撃が分散される。無事であった。

上を見上げる。受験生が宙ぶらりんになっている。
横を見る。読みに失敗したんだろう、幾つか生臭い花が咲いていた。

「よし、第一次試験、終了! 飛び降りた者の内、死亡者も含めた上位100名を合格だ! 合格者はレスキューヘリで先に下してやる。プレートを受け取ったら、二次試験会場に向かう飛行船に乗ってくれ!」

それじゃあ俺はこれで。健闘を祈る!なんて声が遥か上方から聞こえてくる。地上まではっきり聞こえるくらいにはバカでかい声だった。
声を受けて先を見ると、ホテル脇の広場に飛行船が止まっている。ハンター協会のマーク付き、これに乗ればいいらしい。
全く用を成さなかったジャケットを脱ぎ捨てる。走り寄ってきたハンター協会職員から、プレートを受け取った。確認するともう乗っててもいいらしい。
そうしてイナギは、近づいてくるピエロから逃げるように、飛行船に向けて歩き出したのだった。


第一次試験。
合格者――100名(内11名死亡)



[3446] 第七話 『二次試験への途上』
Name: いづな◆c1592588 ID:feefa1cb
Date: 2017/12/19 00:50
「あ、あの!すいません!」

飛行船に乗りこみ、次の会場へ向かう途上である。
人が少ない場所を求めて、というか間違ってもピエロにニアミスしない場所を求めて、イナギは船尾にあるベンチに腰掛けていた。
乗船直後に流れたアナウンスによると、二次試験会場までは3時間程かかるらしい。持って来た本もつい先ほど読みきってしまったため、もう寝てしまおうかなんて考えていたイナギは、脇からの高い声にくるりと振り返った。
そこにいたのは背が低い……子ども?

「何か用かい」
「はい! さっきお兄さん、凄かったですね! 飛び降りて無事なんて」

そこにいたのは、12、3歳くらいの少年であった。背は160センチくらいで、髪は茶色。白のワイシャツに、若草色のジャケットを羽織っている。
痩せ型だが、体幹がブレていない。この年齢でハンター試験に参加しているだけあり、しっかり鍛えているようだ。

「そうかい、ありがとうね」
「僕はシュルトと言います。どうやったらそんなに強くなれるのか、お話を伺いたくて」

試験中だと断ろうとして、イナギは悟った。人懐っこい笑顔だが、目には絶対に話を聞かせてもらうという決意の光を湛えている。あ、多分これ簡単に退かない面倒臭い奴だ。
興味があるのは異常な身体能力だろうか。やっぱり生身でバンジーして無事だったら変に思うよな、失敗だったかな、なんて考えるイナギ。無論表情には出さない。

「まぁ、いいけど。試験中だし、手短ならね」
「ありがとうございます!」

そこから、少年――シュルトは食い気味で質問してくる。
普段の修行メニューは。栄養管理はどうしてるのか。何か習っているのか。何故生身で飛び降りて無事だったのか。
答えられることには素直に。隠すべきこと――念能力についてはボカして。一つ一つ丁寧に解答していく。
しかし質問が進むごとに、彼の表情は曇っていく。まるであるかどうかも分からない財宝の僅かな手がかりを、ホラ話の中から求める探検家のように。求めてる答えを得られなくて、落ち込み始めている顔だ。

「どうして、そんなに熱心に聞いてくるんだ?」

今まで質問に応じていただけのイナギ。少年に質問を仕返したのは、ほんの気まぐれであった。

「……僕は、どうしても強くなりたいんです。夢なんです、小さい頃からの」

強さそのものへの憧れ、なのだろうか。改めてシュルトを正面から見つめる。
身なりもしっかりしているし、ハンター試験に参加出来るくらい修行はしてるみたいだが、心に悲壮感はなかった。復讐とかではなさそうだ。
しかし少年は10代前半にしてハンター本試験に参加している。普通の同年代……いや、成人と比べても、確実に「強い」分類にカテゴライズされる。
求めているのは、そんな普通の強さではないのかもしれない。
黙って続きを促していると、シュルトは下げていた顔をキッと上げた。イナギの目を少年から覗き込んでくる。

「僕はミステリーハンター志望。小さい頃に天空闘技場で見た、ネンという不思議な力を使えるようになりたいんです」
「ネン、ねぇ」
「はい。お兄さんはネンの事をご存じなのではないでしょうか」

少年は、自らが求めるハントの手がかりをイナギに見つけたらしい。イナギは直感が正しかったのを悟った。これ、やっぱり面倒臭い奴だった。




かささぎの梯
第七話 『二次試験への途上』




その後、改めて面倒臭さを悟ったイナギは直ぐに逃げようとした。具体的にはトイレだが、しかし回り込まれてしまった。中まで一緒に着いてこられてはどうしようもない。
金魚の糞みたいに着いてくる少年から、無理やり逃げ出すのは流石に不自然である。何か知っていると思われるのは避けたいが、不幸なことに、目的地到着まで時間だけはたっぷりあった。
1時間ほどかけて聞かされた話を纏めると、次のようになる。

シュルトが5歳の頃の事である。父親の趣味でとある場所に連れて行ってもらったらしい。
その場所とは、天空闘技場。地上251階。高さ991m。世界第4位を誇るタワー状の建築物。1日平均4000人の腕自慢が世界中から集まり、その武を競う「野蛮人の聖地」である。
挑戦者は抽選で決まった対戦相手と戦い、勝てば上の階へ進み、負ければ下の階へ下がる。そうして勝ち進んだ一握りの者のみが集うのが、200階以上のクラスである。ここからはあらゆる武器の使用が認められ、死ぬことも珍しくない。このクラス内で4敗する前に10勝した者だけが、21名のフロアマスターに挑戦できるのだ。
彼が父親に連れて行かれたのは、そんな天空闘技場の200階クラス。そこで彼が見たのは、不思議な力を以って競う挑戦者達の戦いであった。
床を砕くほどの拳。目にも留まらぬ瞬間移動。手から放たれる衝撃波。光り輝く複数の刃物。銃弾をものともしない体躯。
衝撃だった、らしい。そして憧れた。あの場に立って、勝ち、フロアマスターになる事が僕の夢で、その力を手に入れるためのハンター試験なんです。そう語る少年の目はキラキラと輝いていた。

「だったら、別にハンターにならなくてもフロアマスターは目指せるんじゃないか」
「目指せますけど、なれませんよ。あの不思議な力――ネンを会得しない限りは」

それだけ普通とは別次元の戦いだったらしい。

「その、ネンだってハンターにならなくても会得できるんじゃないか。天空闘技場の200階挑戦者全員がハンターだった訳じゃないんだろ」
「はい、ハンターじゃない人もいました。だから僕なりに調べたんです。その時戦っていた人と同じ流派を探して、教えてもらったりもしました。強くはなりましたけど、僕が求める強さではありませんでした」
「7年修行して、何の成果も得られなかったので諦めようかとも思いました。ただ、探して行くとやっぱり僕が求める力を使える人は確かにいるんです。そして調べた話をまとめていくと、その力は生まれつきのものではないみたいなんです。僕がそれを身につけられるかは分かりませんけど、でも……」

自分がその力を使えるかは分からないけど、試せることは全て試してからでないと、諦めることも出来ない。
5歳の頃の憧れは、いつしか少年の夢に変わっていた。

「ハンターになれば、ハンター専用のサイトにアクセス出来ます。情報量の多さと信頼度が最高峰のそこになら、きっとネンの情報もあるはずです」
「確かにハンター専用サイトになら、そのネンの情報もあるのかもしれないな」
「お兄さんは、ネンを知らないんでしょうか」
「残念ながらな」

だから他を当たってくれ。暗に伝えるも、イナギの発言を疑っている少年。むしろイナギの返答で疑いを濃くしたようにすら思える。
彼は、何からその判断をしているのだろうか。会話を思い返してみるも、イナギに心当たりはなかった。
まぁ、こういう時に大事なのは言い切る勇気である。

「ミステリーハンター、結構じゃないか。なれるといいな、応援してるよ」
「……分かりました。試験中、突然失礼しました。お兄さんも試験頑張ってください」
「お互いにな」
「はい、ありがとうございます」

それを最後に、イナギはその場をゆるゆると離れていく。言葉とは裏腹に、少年の視線は角を曲がるまで追いすがって来ていた。
諦めない姿勢、大事である。彼には是非このままハンター試験合格まで突っ走って欲しい。何故なら裏ハンター試験に合格するには念の取得が必須。ハンターになった瞬間に少年の目標は完了されるのである。

「年下だし、もしピンチに居合わせたら少し助けてあげるかなぁ」

そしてハンターになれたら、念能力について教えるのも面白いかもしれない。そんな未来を想像しつつ、少年に何となくの懐かしさを感じながら、イナギは空きスペースを求めて船首へ向けて歩き去って行った。






▽▲





飛行船に乗り込んでからおおよそ3時間後。
トンパを見つけて追いかけてみたり(必死の形相で逃げていた)、途中トランプタワーを作っていたヒソカを見つけたので回れ右をしたりしたが(今回は成功した)、特に大きな問題はなく飛行船は予定通り目的地に到着した。
指示に従い一斉に降りた受験生の前に広がっていたのはーーおおよそ普通の人が住んでいるとは思えない廃墟となった都市であった。かつては人で賑わっていた事が想像されるくらいにたくさんの建物があり、しかしその全てが朽ち果てている。
そして人の姿は見当たらない。見えるのは廃墟を取り囲む無数の烏ばかり。不快な鳴き声が響くその都市の中からは、しかし人の気配が感じられた。1人2人ではない。もっとたくさんの粘つくような視線。
そんな廃墟を取り囲むように、赤色の線が地面に描かれている。1メートルほどの太さの線の中には、白塗りで「進入禁止」の文字。
現在時刻は夕方。薄暗くなり始めているにも関わらず、街の明かりは点滅を繰り返す街灯ばかり。
誰かが生唾を飲み込む音がする。不穏な雰囲気出過ぎである。
そんな都市の中から、1人の男が歩いて来る。警戒する受験生達。近づいてくるにつれて、姿が分かる。
帽子をかぶっている長身の男で、白黒の模様が全身に――牛?

「クライムハンターのミザイストムだ。今回二次試験を担当する。よろしく頼む」

よく見ると帽子にも二本角のようなものが付いている。左目の周りは円形に黒くペインティング。そして鼻輪っぽいイヤリング。何だろう、制約か何かなんだろうか。
他の受験生もざわついているが、よく観察するとベテランほど落ち着いているようだ。トンパに至っては外観について一切気にしていない。
やはりビスケを見て分かるように、プロハンターはキャラが濃くないとなれないんだろうか。それともハンターになってからキャラが濃くなるのか。
ニワトリと卵の因果間関係の如く考えてみるも、結論は出ず。兎に角この試験官が特殊なだけだと信じたかった。

「では早速二次試験について説明する。今諸君の目の前にある都市の名前はドロワード。かつて自動車産業で栄えていたが、15年ほど前に財政破たんした。そこを国が買い取り、現在は――巨大な留置場だ」

ただ、この場所に刑務官はいない。捕まった犯罪者も管理されている訳ではない。イナギはこの都市のことをビスケから聞いたことがあった。
かつて存在した死刑制度が廃止されてから、はや数十年。人道的な観点からの撤廃だったが、当時は犯罪者が激増。ハンター協会が最も活躍した時期の1つにあげられるくらい、大小様々な犯罪者が捕まえられた。
捕まえたからには管理する場所が必要になる。その内の一つが、ここ留置都市ドロワードであるらしい。

「ここには犯罪者の内、刑期100年以下の者が送り込まれる。二次試験は、この留置場にぶち込まれた犯罪者を生きたまま捕らえる捕獲ミッションだ。ここの犯罪者どもは全員自らの刑期と残期間が表示される首輪をつけている。その刑期の合計が、そうだな、100年以上になるよう犯罪者を確保出来たものだけが三次試験へ進んでもらう」

ドロワード誕生にはある理由がある。犯罪者増加による国家財政の圧迫である。刑務所を維持する費用・犯罪者を生かしておく費用。死刑制度廃止に伴いやむを得ない場合以外の逮捕時殺害が禁じられた結果、続々と生きて捕らえられる犯罪者が増えていく中で、これらの費用が意外とバカにならなかったらしい。
その為捕らえられた犯罪者の内ドロワード行きになった者は、刑期満了前に都市から出ると爆発する首輪を嵌められて、着の身着のまま送り込まれる。後は毎日ある程度の生活物資を送り込むだけで、基本放置。刑務費用が抑えられる巨大留置場の完成という訳だ。

「犯罪者を裁くのは法で、お前たちではない。殺すのは勝手だが、死人の首輪を持ってきてもカウントはされない。ただ、ここの服役囚は殺すつもりで襲ってくる。殺さず捕らえる自信がない者の棄権は何時でも受け付けるから、遠慮なく申し出てほしい」

ちなみにドロワードへ送り込まれる物資は収監されている服役囚に行きわたる量ではないらしい。刑期満了まで生き延びるためには、他人から奪っていくしかない。
殺すつもりの相手を生きて捕らえる。手傷を負わずに、一方的に。力量差がなければ不可能である。二次試験は純粋な戦闘能力を測るための者であるらしかった。

「捕らえた犯罪者は、俺に引き渡してくれればいい。この飛行船の側にいるから、ここまで連れてきてくれ。試験期間は24時間。試験開始は30分後だ。諸君の奮闘を期待する。以上」

試験時間は24時間。この犯罪者蠢く留置都市で、夜を明かさないといけないらしい。
そこらにいるのを気絶させて、この試験官との間を何往復かすれば二次試験は合格である。それはいいのだが、二次試験合格が確定しても犯罪都市の中に居続けなければならないのだろうか。
質問しようとしたイナギを遮るように、ミザイストムは付け加えた。

「言い忘れていたが、試験終了まで受験生諸君もこの進入禁止ラインの外側へ出ることは禁じる。服役囚の確認も24時間経ってからだ。辞退者以外は、24時間確りとドロワードを堪能してくれ」

居続けないとダメらしい。明日のこの時間まで、100年分の服役囚を捕まえた上で、彼らを管理し、かつ守りきり、この場所まで連れて来なければならないと。
想像するだけで非常に手間だが、まぁ何とかなるとは思う。問題は例のピエロである。
先ほどからオーラの粘り気が増している気がする。目もいっそ糸みたいになっていて、殺しをしたくてウズウズしてるの丸分かりである。
というかさっきからオーラですごい挑発されている。何だよ、今やり合うのは止めたんじゃなかったのかと小一時間。こいつと同じ街で24時間も過ごすのは避けたかったが、頑張って何とか逃げ切るしかない。
開幕と同時に絶でとりあえず振り切れるかなぁ、なんて思いながら、イナギはそっとため息をついたのだった。





[3446] 第八話 『24時間鬼ごっこ』
Name: いづな◆c1592588 ID:feefa1cb
Date: 2017/12/19 00:50
二次試験官ミザイストムの説明が終わり、受験生一同は進入禁止線の外側で試験開始を待っていた。
準備運動してる者。道具を整備する者。本を読んでいる者。各々準備を整えて、後数分で試験開始である。
そして、その中でそこはかとなく殺意をばら撒いている者――言うまでもなくヒソカであった。

「ハンター試験、退屈だね♦︎ 」

この試験中で実用に耐え得るおもちゃだからだろうか、待機時間中ずっとイナギの側から離れてくれない。知るかってなもんであるが、中々そうも言えない状況になってきた。
初めは只飽きた暇だ言ってただけなのだが、段々と感情がマイナスに傾き、現在はメーターが振り切れて殺気をビンビンに撒き散らしている。

「そうか」
「あぁ、暇だね♣︎ 」
「そうかもね」
「君もそうだろう? 」
「そうでもない」
「つれないなぁ❤︎ 」

そしてここ5分くらいはこの繰り返しである。
2人がいるのは進入禁止ラインの後方。この益体も無い会話とヒソカのオーラを警戒してだろう、他の受験生は進入禁止ライン間際に集まっている。

「それにしてもハンター試験、ホントにつまんないなぁ♠︎ もっと面白い受験生いると思ってたのに♦︎ 」
「才能ある奴の青田買いでもしにきたのか?」
「それもあるね♣︎ ただ結局1人しか面白そうな受験生はいなかったけど❤︎ 」

無作為に放っていたヒソカの殺気が、一点に集中する。その矛先はイナギ。構えそうになる身体を必死に押さえつける。

「やっぱりやり合おうよ♠︎ 君も飽き飽きしてるだろ? 」
「願い下げだって言ってるだろ。俺を巻き込むな」
「つれないなぁ……けど」

どんどん嫌なオーラが大きくなる。嫌な汗が滲む。試験開始が待ち遠しい。祈るように試験官を見つめる。

「あぁ、やっぱり我慢できそうにないや❤︎ 」

――何となく、こいつが何が言いたいかは分かる。目的が戦闘であるなら、合意の上で戦うだけが選択肢では無い。
身を守るためにやり返す。自衛も立派な戦闘である。

「君がいくら嫌がっても、僕が襲ったら、やり返さざるを得ないよね♣︎ 」

ミザイストムの手が上がり、二次試験の開始を告げる。それと同時に、イナギは自身が出来うる最高の速度で進入禁止ラインを超えた。
ライン近辺に屯していた受験生を一足で飛び越える。後ろから追ってきているのが分かる。
どうやら興奮しているようで、ヒソカは障害となる受験生を斬り伏せながら追って来る。血風が舞い、悲鳴が上がった。

「本当にアイツ一切の容赦なく殺しやがった」

イナギのように飛び越えるでもなく、立ち塞がる者皆殺しである。そして盾にもならないのか、一瞬止まった気配が凄い速度でイナギを追い始めた。
こういう場合様子見がセオリーであるが、街の中にそのまま突っ込む。何故って後ろのあいつの方が怖い。追いつかれたら死ぬ追いかけっことかホント勘弁である。
イナギは流と具足の体術で。ヒソカは念能力だろうか、一次試験で見せた壁張り付きを利用しながら追って来る。屋根の上走ったり、ターザンしたり。ここが更地ならともかく、障害物が多い街中である。イナギの方が分が悪く、このままいけば程なく追いつかれるに違いない。
追いつかれたら戦いになり、ヒソカが求めてるのは死合である。そしてイナギの実力の方が下であり、まず間違いなく死ぬしかなかった。

ヒソカが襲いかかって来てるのは、自衛されることを期待して。
――どっちにしろ殺されるんだったら、奴の思い通りになんぞしてやらない。
イナギは命を捨てて、死中に活を求めることにした。必死で動かしていた足を止め、出していた具足も消し、纏っていたオーラを引っ込める。
絶。念に対して完全な無抵抗。
ヒソカはイナギの喉にトランプを当てて、それを引くことなく立ち止まった。

「……襲われてるのに絶なんて、舐めてるのかい? 」
「そうじゃない。今の俺がお前に勝てないのは分かるだろ。どっちにしろ殺されるなら、嫌がらせしてやる事に決めたんだ――ただ」

殺されても不思議ではなかったが、ヒソカは止まった。血に飢えてはいるものの、無抵抗を一方的に殺すのが惜しいと思う程度にはイナギの事を評価してくれてるらしい。
ここでヒソカが止まらなかったらお仕舞いであった。しかしイナギはまだ生きている。生き延びるための交渉をする。

「ただ、俺もまだ死にたくない。だから鬼ごっこにしよう。もしこの試験中にお前が俺を捕まえたら、俺は戦って死んでやる。そうじゃなかったら、今ここで俺を殺すのは諦める。そんなゲームだ」

黙ったままのヒソカ。今のイナギはまな板の上の鯉で、生殺与奪はヒソカに委ねられている。
身体中から殺気を迸らせながら。おおよそ人とは思えない形相。周りから音が消えている。しかし目は背けない。熊と同じだ。逃げたら追われる。

「強い奴との戦いに興奮するんだろ、俺はまだまだ強くなるぞ」
「――ククク、分かったよ♠︎ 果実はしっかりと実ってから、今は我慢しておくよ♦︎ 」

パッと、イナギの首からトランプが外れた。首筋を撫でる。傷一つないのが無性にイナギを苛立たせた。

「けど、次合ったら迷わず殺しちゃいそうだ♣︎ 」
「そうかい、好きにしなよ」

そん時は精々足掻かさせてもらうさ。そう言って、目から危ない光が薄れたのを確認してからくるりと振り返る。急ぐな、ゆっくり街の中に歩いていく。
――本当に死ぬかと思った。というかあのままだと死んでた。つまり半分くらい死んでる状態だった。
アイツはヤバ過ぎる。こうなったらこの試験中は勿論、試験後も、ヒソカが俺の存在を忘れるまで逃げ切るしかない。
将来の負担が脳裏をよぎり、しかし頭を振って切り替えた。
とりあえず大事なのは、今生き延びた事実。そして目の前の二次試験である。



かささぎの梯
第八話 『24時間鬼ごっこ』



――そんな命の危機から15分。イナギはヒソカをストーキングしていた。
試験中逃げ続けるのもありだが、まずは情報が欲しい。敵の事を知らずにいるのは怖すぎた。
現在イナギの数十メートル先で、ヒソカは虜囚の群れをトランプ一枚で軽くいなしている。ヒラリヒラリと舞う度に、命が軽く消えていく。数人を残して、服役囚は全滅だ。
その後ヒソカは残した3名の囚人を背中合わせにさせると、呻いている彼らを一まとめにしてそこらの部屋にぶち込んだ。
早速合格要因を満たしたヒソカ。後はイナギのことを探す気満々である。

「これ以上追いかけるのは、危険そうだな」

円を広げながら歩き始めたヒソカを、その場に隠れたまま見送る。視界から消えたのを確認して、イナギは今見た情報を整理し始めた。
絶で隠れながらの観察だった為、オーラを見る事は出来ていない。しかしトランプを使って切りつけていた事、壁に張り付いていた事、最後受験生を何らかの手段で拘束した事を考えると、オーラの性質や形状を変化させているように思える。

「恐らく、変化系かな」

少なくともそちらに偏っている事は間違いなさそうである。イナギはひとまず安堵した。
変化系は、イナギの具現化系と同じくオーラの放出を苦手とする。これが放出・操作系であれば円が広く隠れるのも難しいが、よっぽど運が悪くない限り絶で行動していれば見つかる危険性も少なそうである。
そこまで考えたところで、イナギははたと一つの事実に気がついた。

「このまま隠れて逃げ続けることは出来ても、結局試験終了直前に気づかれるよな……」

何故って集合場所は試験生全員飛行船付近。しかもその時には、最低1名以上のお荷物(服役囚)のおまけつきである。
確実に気づかれるし、そしたら襲われて死ぬし。もし仮に試験官がヒソカを止めてくれたとしても、その間に服役囚に逃げられたら二次試験失格である。

「――これは、1人では難しいかな」

生き延びるにも、合格するにも。誰かしら、協力者が必要である。それも早急に。ヒソカの探索が進む前に、イナギは協力者に後を託して潜伏する必要がある。
ハンター受験が始まってから、出会った相手を思い浮かべる。その中でイナギを裏切らないだけの交渉材料を持った相手は――1人だけいた。
彼を早急に見つけなければ、自分のハンター試験はここで終わる。決意を新たにし、イナギはその場をそっと離れた。



▽▲



――二次試験が始まってから24時間が経った。場所は会場まで運んで来た飛行船近辺。無事条件を満たした受験生が集まって来ている。その数はぱっと見試験開始時の半数を下回っている。その中にヒソカの姿もあった。
傍らには3名の虜囚。彼らを地面に座らせて、恍惚の表情を浮かべながら円を広げてイナギを探している。
そんなヒソカを受験生達は遠巻きに警戒している。奴は二次試験開始時に受験生を20名ほど殺害しているのだ。しかも「早く来なよ。興奮しちゃうだろ 」とか呟いている。警戒してし過ぎることはなかった。
そんな受験生を気にすることなく、時間は刻々と過ぎていく。二次試験官ミザイストムのカウントが始まる。そして終了10秒前、イナギは隠れていた建物の影から飛び出した。全力で飛行船に近づく。オーラを感知して、ヒソカが気づく。イナギにむかって駆け出した。
鬼ごっこ。試験終了の宣告がなされる前に、イナギに触れればヒソカの勝ちである。
二人の距離が詰まる。距離が10メートルを切った所で、イナギは強く地面を踏みしめた。全力で具足を出し、前傾姿勢のまま体が宙を舞う。ヒソカの体勢は変わらない。このまま頭上を通り抜ける頃には、試験が終わる。イナギは勝利を確信した――が、イナギの勢いが止まった。
ヒソカの左手から出たオーラが、イナギの具足に張り付いていた。

「甘いよ」
「――知ってる」

この程度で、このピエロを振り切れるはずはない事は百も承知である。
イナギの足にくっついたオーラを引っ張るヒソカ。その前にイナギは具足を消す。オーラが外れた。頭上を飛び越える。

「ハンター二次試験終了! これ以上の戦闘行為は如何なる理由であれ禁止する! 合格条件を満たした受験生は服役囚を連れて来るように、確認出来た者から飛行船へ戻ってもらう!! 」

イナギが地面に足をつける同時に、ミザイストムの声が響き渡った。
これで鬼ごっこはイナギの勝ちである。が、奴はそんなの無視して襲い掛かってくるかもしれない。イナギは身構えるが、ヒソカは何でもないかのようにイナギへを笑いかけてきた。

「今回は負けちゃったよ❤︎ 」
「……そうだな」
「そんなに警戒しないでよ♣︎ 約束どおり、とりあえず今襲うのは止めとくよ♦︎ 」

だけど、とヒソカは続ける。

「囚人を連れて来てないから、キミ今回は失格だろ? 僕も今回は止めにして、来年キミと一緒に受けなおそうかな♠︎ 」

このままキミがいない試験受けるよりも、そっちの方が楽しそうだろ。今度はかくれんぼでもやろうか、なんて言うヒソカに、イナギはにやりと笑う。

「いやぁ、心配してもらって悪いな。だけど実は不合格じゃないんだ 」
「――イナギさん、いつ来るのかとヒヤヒヤしましたよ! 」

声がしたほうを振り返る。そこには2人の囚人を引き連れた少年――シュルトがいた。飛行船の中で、念能力の教授をせがまれた彼である。

「ああ、悪かったな。ちょっと事情があってギリギリになった」
「見てたから分かりますよ。本当にすごいですね――あ、僕は守ったんですから、ちゃんとイナギさんもお願いしますよ! 」
「分かってる。試験終了後にな」
「今回に限らず、ハンター試験に合格したら、絶対ですよ」
「あぁ、ホント助かったから、ちゃんと守るって」

そう言い合いながら、イナギは彼から一人の囚人を受け取る。捕まえる時に大分脅したので、刑期100年ぴったりの強面がビクついているのはご愛嬌である。

「そういう訳だから、ちゃんと合格規定は満たしてるんだ」
「……協力者がいたんだ。でもよく見つけられたね」

確かに、普通ハンター試験における共闘とはお互いに利を見出せる場合にするものである。しかも受験生同士潜在的なライバルであるため、裏切られる事も珍しくない。
そして今回のケース、協力者――シュルトからすれば、裏切って虜囚を一人逃がせば確実にライバルを蹴り落とせる場面である。
その状況で協力を取り付ける為にイナギが提示したのは、試験合格後念について教える事であった。

「まぁ、色々あってな」
「約束ですよ、約束。僕の夢なんですから! 」

合格出来たらな、とイナギは繰り返す。
――お分かりかと思うが、この取引イナギにとって損は全くない。何故なら最終的にハンター試験に合格する=念を習得するという事であるからだ。
最悪面倒くさくなったら誰かに委ねてしまえば、それで約束は終了である。ただ流石に投げっぱなしは酷いので、一応今の所使えるようになるまで面倒を見るつもりではあるが。予定はあくまで予定であった。
そんな話をしていると、試験官のミザイストムが近づいてくる。呆れた様子で話しかけてきた。

「……お前たち、仲が良いのも結構だが、合格条件を満たしているなら確認させてくれないか」

他の者の確認はもう終わっているらしい。
イナギとシュルトは傍らにいた、ヒソカは離れた所で座り込んでいた囚人を見せる。100年丁度が2人と、計100年以上が1人。無事確認が取れて合格であった。

「よし、3人とも合格だ。次の試験会場へ移動するから、早く飛行船に乗り込んでくれ」

試験官の言葉を受けて飛行船に向けて歩き出した3人。その背後から、思い出したように声がかけられる。

「そうだ、78番。警告だ。お前は囚人と受験生を殺し過ぎだ。これからの試験中にこれ以上犯罪行為を犯した場合、お前を失格とする」

これは今回の286期ハンター試験中ずっと有効だから、覚えて起きたまえ。懐から黄色のカードを取り出して、ヒソカに突きつけて警告する。
一瞬ピクリと身体が動いたものの、ヒソカはそのまま振り返らなかった。

「はいはい、分かりましたよ」
「――以上だ。では三次試験も頑張ってくれ」

ホント申し訳ないけど、自分以外の誰かを殺してさっさとこのピエロ失格になってくれないかな。
イナギはそんな事を思いながら、飛行船に乗り込んだ。


第二次試験。
合格者――27名



[3446] 第九話 『闇の中の攻防』
Name: いづな◆c1592588 ID:feefa1cb
Date: 2017/12/19 00:51
「ほっほっほ、二次試験終了時で27名、今年は試験の難易度が高かったようじゃの」

40階建のビル。ハンター協会本部である。その最上階の一室、協会長室には現在二人の男がいた。
一人はこの部屋の主、ハンター協会長のアイザック=ネテロ。もう一人は会長の信任厚い事務方のマーメン=ビーンズである。
ネテロは椅子に腰掛け、ビーンズは執務机の前。部屋の奥窓からは眩しい西日が差し込んでいた。

「はい。確かに難易度も高いんですが、それだけではないみたいです。ある受験生が他の受験生20名ほどを惨殺したとミザイストムさんから報告が……その影響もあります」
「受験生同士の争いも試験の一部じゃからの。結果的にじゃが、試験で死んでしまっているようではそこまでだったというだけじゃよ。ハンターになってからも格上の相手とぶつかることばっかりじゃからのう」

勿論、悲しい出来事である事には違いないがの、と会長。その顔に悲壮感は全くない。
一方ビーンズは、何かを思い悩むようにゆっくりと口を開いた。

「けど、そんな人がハンターになっては……ただでさえパリストンさんがが副会長に就任してから行方不明者が異様に増えて、協会上層部への信頼が揺らいでるのに」
「それと試験は関係ないわい。それにその20名を殺害した受験生、二次試験通過したんじゃろ。良しにつけ悪しにつけ、見所がなければミザイストムは合格させんわ」
「それは分かりますけど……だとしても、私はやっぱり心配です」

――だって次の試験担当は、正義感が強 いあの人ですから。
ビーンズは、今頃三次試験会場で試験準備を整えている試験官を思い出す。
7年目のビーストハンター。その性格は熱血にして正義漢。自らに正直なのは良い所だが、先ほど二次試験終了の連絡を入れた時は、惨殺した受験生――78番に切れまくっていた。

「何か問題が起こってもそれを解決するのが試験官の務めじゃよ。出来なければ、それもまた力不足だっただけじゃ」
「そうなんですけど、その時に責任を問われるのが会長だから心配してるんですよ! 」
「ほっほっほ。なるようにしかならんわい」

まったくこの人は。ビーンズは諦めたように息を吐いた。出会った頃から何も変わっていない。
これ以上の諫言は無駄だと悟り、ビーンズは次の話題へ移る。

「そういえば、この前ダブルハンターのビスケさんから連絡入ってましたが、覚えてらっしゃいますか」
「はて、なんじゃったかの」

会長への連絡管理もビーンズの仕事である。
一週間くらい前にビスケから今回のハンター試験を弟子が受けると連絡があり、詳しくはメールで送ったから確認しとくようジジイに言っといて! との伝言をそのまま会長に伝えたのにこの体たらくである。
だから何度もホームコードは確認してくださいと言ってるのに、とビーンズはぼやく。既に慣れきった諦めの境地である。

「ビスケさんの弟子が今回のハンター試験受けに来てるとの事です。詳しくはホームコードを確認しといてとのことでしたが……」
「おぉ、そうじゃったの。あやつの弟子が受けに来るのはウイング以来か。しかし奴の時はそんな報告なかったかと思うが、今回の弟子はそんなに不出来なのかの」

ネテロは訝しげに呟く。ビスケはダブルの宝石ハンター、その育成力は協会内でも定評があった。しかも才能を宝石に例え、極上のものしか弟子にしないときている。
そんなビスケが態々弟子のハンター試験受験を報告してきた。その真意を測りかねた。
不思議に思いながら、ネテロは自身のホームコード宛のメッセージを確認する。そして驚きの声を上げた。

「なんと! 今回の弟子はアラマの直弟子なのか! 」

文頭に記されていたのは、弟子の名前。出自。そして自身の弟子ではなく弟弟子である事。
アラマ=ロード。
心源流拳法の師範であり、ネテロの直弟子である。二人の関係は古く、ネテロが修行を終えて直ぐに弟子入りした人間の一人であった。当時はまだまだ若かったが、今ではもう爺さんである。
10年ほど前からはとある国で武術指導をしていたが、そこでのある事件をきっかけに生死不明。ネテロも個人的に調べたのだが、死亡した可能性が高いということ以外は分からなかった。

「あやつ、生きていた――訳ではなく、忘れ形見か」

メッセージを読み進める。イナギがアラマの弟子になったのは事件前で、ネテロの調べと同じくアラマは死亡した可能性が高いと締めくくられている。
若干の落胆。ぬか喜びであった。

「会ってみるか」

それはそれとして、ネテロには弟子の姓に聞き覚えがあった。セラード――アラマが食客として晩年いた国の、そして事件で壊滅したはずの統治者一族の姓である。
何か事情がありそうである。そう思いながら、ネテロはぽつりと呟いた。

「分かりました、ハンター試験合格後に会えるよう手配しておきますね」
「うむ。後は一次、二時試験の詳報を貰おうかの」

面白い男だといいのだが、会うのが楽しみである。
ネテロは背後の窓から眼下を見下ろす。ぽつぽつと街の明かりが灯り始める時間帯。夕闇とのコントラストが綺麗であった。
さて、どうちょっかいかけてやろうかのう。




かささぎの梯
第九話 『闇の中の攻防』




またもや飛行船での移動である。乗り込んでから2時間後、無事目的地に到着したとアナウンスが入った。
念能力について聞き出そうとし続けたシュルトと共に、タラップを降りる。既に日は落ちていて、目の前には鬱蒼とした山林が広がっていた。
飛行船と月明かり以外の光源はない。緑と黒のグラデーション。夜は狩の時間である。無数の獣の息遣いを強く感じた。
進んで入りたい場所ではない。受験生一同この後の試験内容を考えていると、陽気な声が浴びせられた。

「待ってたぜ! 俺は三次試験官のダンベル。早速試験内容を説明するぜ」

野性味溢れる男であった。上半身は獣の皮のベストのみ。深草色のズボンに黒色の地下足袋。髪は灰色で、肩ぐらいまでの長さがあった。

「ここはウッドヴァルトの原生林。他の地域では既に見られなくなった大型動物が多く生息している、密猟者垂涎の自然の宝庫だ。この山の中を駆け抜けて、諸君にはあそこまで辿り着いてもらう!」

その言葉に合わせて、距離にして30キロほど先であろうか。山の中腹でパッと光源が生まれた。

「制限時間は2時間。それまでに辿り着けなければ失格だ。――おいおい、安心するのは少し早いぜ」

確かに闇夜の山中を踏破するのは簡単ではないが、今までの試験に比べれば圧倒的に楽である。何故なら課題は辿り着くこと。如何に大型の動物が生息していても、避けていけばいいだけの話である。
受験生の中に流れていた安心した空気。感じ取って、ダンベルは待ったをかけた。

「そうだよな、ただの夜間マラソンじゃあ試験にならないよな。だから合格者は、今から渡すこいつを傷つけずに持ってこれた者だけだ」

そう言って拳大のケースから取り出したのは、何の変哲も無い橙色の果実である。
突如、受験生を途轍もない飢餓感が襲った。本能を揺さぶるような食欲。その対象は、目の前の果物。それを食べなければ一生収まることがないと思えるほどの、果てしない衝動であった。

「っと。待て待て、お前ら心強く持てよ。これに耐えられなきゃそもそも三次試験受けられないぜ」

今にも跳びかかりそうな受験生を見て、ダンベルはその果実をケースにしまう。すると暴力的な欲求がピタッと止まった。原因は、試験官の手の中にあるそれ。

「この果実の名前はヒトガラシ。精油を万分の1に希釈して最高級の香水なんかに使われてるが、その生育は法律で厳しく制限されている。その理由の一つは、今お前達が味わった通り、ある種麻薬的なその香りだ。この香りは人を含めた大型の哺乳類ほぼ全てに有効であり、嗅いだ者はその果実を食べることしか考えられなくなる」

そして香りを嗅いだ生物による奪い合いが起こるのだが、食べた者にこそ本当の不幸が訪れると試験官は続ける。

「これが生育制限されている二つ目の理由なんだが、食べた者は死ぬんだ。こいつの種は胃の中に根を張り、宿主の栄養を奪い、最終的には宿主自身を栄養として発芽する寄生樹だ」

その繁殖法の危険さから、過去にはその苗木が見つかっただけで山一つが焼かれたこともあるらしい。
そして現在栽培の許可を得るためには、ヒトガラシの樹一本につき建坪500以上の密閉された生育空間、2人以上の有資格者、5000万ゼニー以上の供託金を揃えた上で、使用目的・量の報告義務を負うとのこと。
またこの生育許可、現在は一種の利権と成り果てているため新規参入はほぼ不可能であるらしい。そんな果実をことも無げに用意するプロハンターの凄さたるや、ジャポン人もビックリである。

「お前達にはこれから2時間以内に、襲いかかる誘惑と動物からヒトガラシの実を守り、闇夜の山林を踏破し、目的地まで辿り着いてもらう」

何か質問はあるか。ダンベルの声に、一人の受験生が手を挙げた。

「守るとは、僅かな傷も許されないという事か」
「勿論だ。何かに一口でも齧られた時点で失格だ。――種を抜いたものを渡すから、安心して食べてくれても大丈夫だぜ」

ヒトガラシの種を食べさせるとは、繁殖させる事とイコール。流石に法律に引っかかるからなとダンベルは締めた。
果実を食べても死ぬ事はないと知り、ホッとする受験生が数人。既に心で負けている、耐えるのは難しいだろう。

「そして最後になるが、78番。二次試験でミザイストム試験官に言われてたと思うが、この三次試験においても犯罪行為をしたら即失格だ」
「はいはい、分かってるよ♠︎ 」
「……ならいい。説明は以上だ。俺が合図をしたから、各自ヒトガラシを一つ受け取って目的地に向かってくれ」

ヒソカは飄々とした態度で返す。それに対して、明らかにイラついている試験官。
その年の試験官が「合格」と言えば、悪魔だって合格出来るのがハンター試験だ。逆に言えば、試験官が「合格」と言わなければ悪魔は絶対に合格出来ない。
その苦虫を噛み潰したような顔から、ダンベルは素直にヒソカの合格を出さなそうな気がした。
何となく、この試験は荒れそうである。イナギは一人気合いを入れ直した。





▽▲





三次試験が始まった直後、一悶着あった。
ヒトガラシの誘惑に耐えきれず、実を受け取ったある受験生がその場で食べ出したのだ。それだけでは収まらず、他の受験生用の実も食べようとかなり暴れた。
その受験生より前に受け取っていた者は問題なくスタートを切れた。イナギを含めた数人の受験生はそのゴタゴタに巻き込まれ、数分ではあるが遅れてのスタートになっていた。

「それにしてもヒトガラシか。栽培が制限されるはずだよな」

呟いたイナギの背後から、熊が飛びかかってきた。交わして一撃叩き込む。吹っ飛んだ熊に巻き込まれ、イナギを追っている動物が転がっていく。
が、それを避けてまた多種多量の動物が襲いかかってくる。
この森に入ってから、大凡この繰り返しであった。

「俺も能力がなかったら、衝動の押さえ込みにかなり精神力使ってたよなぁ」

ヒトガラシの香りに対する一番の対策は、その実を完全に密閉できる容器に入れて保管する事だ。しかしそんな準備をしている受験生はおらず、各自手持ちの袋なりで包んだ上で、布地などで鼻栓をしてその影響を抑えようとしていた。
しかしイナギには念能力がある。イナギは全身鎧を具現化して香りを遮断する事で、自身への影響を抑え込んでいた。ちなみに隠してあるので、非念能力者には鎧は見えない。

「それにしても、シュルトがこの香りに抵抗出来ていたのは驚いたなぁ」

始めに試験官がヒトガラシを取り出した時。また試験開始後受け取った時。イナギは各受験生の様子をそれとなく伺っていた。
当然ではあるが、殆どの受験生は大なり小なり影響を受けていた。イナギから見て影響を受けていなかったのは、僅か2名。
まずはヒソカ。元々食欲が薄いのか、それともそれ以上強い欲望を抑え込むことに慣れているのか。特に影響が出ているようには見えなかった。
そしてシュルト。僅かに眉をピクリと歪めただけで、大きく心を動かされた様には見えなかった。息を止めていたとかでもなく、ごく普通に呼吸をしているにも関わらずだ。

「あいつにも、何か事情があるのかもな」

若干5歳で天空闘技場を見に行かせる家庭環境。僅か12歳前後でハンター試験を受けにくる行動力。普通でないことは間違いない。
合格したら、念能力を教える時にはそこら辺も聞き出してみるか。そう決めて、速度を上げようとした所で、微かに悲鳴が聞こえた気がした。
1キロほど先、斜め前方。子供の声であった。丁度今考えていた、シュルトくらいの年齢の。

「……行ってみるか」

少しだけ考え、進路をずらす。
発生源に近づくと、多量の動物が居た。ヒトガラシの香りに誘われて集まってきたのだろう。イナギの方に向かってきたので、いなして避ける。後ろからイナギを追ってきた大群とぶつかり合ってるが、知ったこっちゃない。
そうして抜け切った先には――大きな大きな蜘蛛がいた。八つ目の八本足、黒々とした毛むくじゃらで、牙からは毒液が滴り落ちる。手には一対の鋏。興奮しているようで、カシャカシャと動かして威嚇している。
――バシャグモ。名前の通り、馬車馬の様な体躯の蜘蛛。網を張り、捉えた哺乳類を捕食する、生来の待ち伏せ屋であった。
傍らには体に似合う巨大な蜘蛛の巣。そしてそこに掛かった人間、ミステリーハンター志望のシュルトであった。

「よう、生きてるか」
「……はい。なんとか」

声をかけると、答える声。まだ毒液で麻痺もされていないらしい。本当に囚われたばかりの様だ。
ここで二次試験の借りを返すのもありだろう。そう思いながら、問いかける。

「一人で抜けられそうか? 」
「僕の力では、無理そうですね」

だったら、と続けようとしたイナギを、シュルトの言葉が遮った。

「気にしないで、置いてってください。二次試験の時の見返りで僕が求めたのは、念についての情報です。試験中助けてもらう事じゃない」
「そんな事言ったって、お前。このままいったら蜘蛛の餌だぞ」
「それはお兄さんだって一緒じゃないですか」

どうやらコイツ、一丁前にイナギの心配をしているようである。
それにしても、命がかかった状況なのに思ったよりも頑なである。どうしようかと考えていると、シュルトは続けた。

「僕だって受験生です。覚悟はしてる。それに試験合格には間に合わないかもしれないですが、何とか抜け出して生き延びます」

そんな事出来ない事は分かっているだろうに、こいつはこの状況でニヤリと笑って返して見せた。
――その胆力。この年齢で、あぁ、面白い。
もうあと数十秒で後ろの動物はまた襲って来るだろうし、目の前のバシャグモはいつ飛びかかってきても不思議ではない。
決めた。とりあえず、この場はコイツを助けよう。
具腕を巨大化し、目の前の蜘蛛を全力でぶっ飛ばす。外骨格が割れ、体液が飛び散る。
そのままの勢いで振り返り、背後の大群を具腕で横に薙ぎ払う。これで暫くは大丈夫そうだ。
バシャグモの巣に、囚われてるシュルトにゆっくり近づく。

「あの、どうして」
「いいから黙ってろ」

懐からサバイバルナイフを取り出して、周をする。バシャグモの糸は粘性があり、硬い。しかし形状変化は得意である。さっくりと、バターの様に糸を切りシュルトを助け出した。

「ヒトガラシは無事か。それとも潰れちまったか」
「……いえ、大丈夫です。布で何重にも包んでますし、糸に絡められた時もそこは守ってましたから」

ポンとシュルトは上着のポケットを叩く。
潰れたと言われても何もしてやれないが、取り敢えずまだ合格の目はあるらしい。

「じゃあ、さっさと三次試験合格するか。走れるか?」
「はい、大丈夫です」

元気さをアピールしているのだろう、シュルトはピョンピョンと飛び跳ねてみせる。
絡め取られた時もしっかり受け身は取った様で、確かに身体に異常はなさそうだった。

「よし、じゃあ行くぞ」
「はい。あの、その」
「どうした? 」
「いえ、助けてくれてありがとうございます」
「おう、試験終わったら飯でも奢ってくれ」
「……はい! 分かりました! 」

うん、少年は元気が1番である。
そうして俺達は夜の山地を踏破し、かなり余裕を持って目的地に辿り着いたのであった。





▽▲





光源は山の中のロッジであった。
脇には飛行船の停泊スペースが整備されている。俺たちが辿り着いた時には、ハンター協会の飛行船と、三次試験官のダンベル、二次試験官のミザイストム、そしてヒソカがいた。
多分迫り来る動物は全て殺してきたのだろう、生臭い血の匂いがひたすら不快だった。
そしてそれから暫く経ち、試験開始から2時間が経過。ロッジ入り口のアナログ時計を確認して、ダンベルが宣言する。

「以上、これで三次試験終了だ! 」

この時点でロッジに辿り着いている受験生は僅かに1
3名。しかもその内の3名は、自らその実を食べてしまっていた。
辿り着いてから諸々理由をつけて抗議していたが、当然認められる筈もなく。今は意気消沈して合格者達を恨めしげな目で見てきている。知ったこっちゃなかった。

「これで三次試験も終了か♣︎ 早く移動しちゃおうよ ♦︎ 」

もう飽き飽きだね、なんてヒソカは隠そうともしない。
そんなヒソカを、シュルトはイナギの肩越しに警戒していた。何故ならイナギとシュルトが到着してから、ヒソカは暇つぶしの会話相手としてシュルトも認めたらしい。
そっちの子も中々面白そうな素材だね、なんて熱っぽい目で見つめて絡んでいた。

「では次の試験会場に移動と行きたい所だが――78番、お前はダメだ」
「おやおや、どういうことだい? 僕はしっかりとヒトガラシの実を運んできたのに♠︎ 」

それに対して、ダンベルは被りを振る。

「お前は確かにヒトガラシの実を運んできた。しかしその道中、向かってくる幾多の動物を惨殺した筈だ。そしてその中には殺してはならない、希少な動物が多く含まれていた」

……確かに、そう言われれば試験開始時にこの試験官は言っていた。「ここはウッドヴァルトの原生林。他の地域では既に見られなくなった大型動物が多く生息している、密猟者垂涎の自然の宝庫だ」と。
密猟者垂涎、つまり密猟しなければ手に入らない希少な動物がいるという事だ。そしてヒソカは、犯罪行為をしたら即失格だと念を押されていた。

「確かにお前は強いだろう。だが、俺はお前をハンターと認めない。78番、失格だ」

奇術師の顔が歪んだ。
見ている者に寒気を催す、絶対零度の笑顔であった。



第三次試験。
合格者――9名



[3446] 第十話 『ハンター協会本部にて』
Name: いづな◆c1592588 ID:feefa1cb
Date: 2018/01/27 01:04
一見、ヒソカの表情は穏やかに見えた。丁寧に削って形を整えた、能面のような笑顔であった。
しかし、その下ではドロドロの感情が蠢いている。念が淀んでいる。
そのある種魔的なオーラに呑み込まれ、受験生はヒソカから距離を取る。本能的な体の震えを止められず、目の前の化け物を祈るように見つめるしかなかった。

「凄いオーラだな。人のものとは思えねぇ」

その恐ろしさを理解した上でなのだろうか。三次試験官のダンベルは、僅かに身構えるだけで泰然とし続けている。
手を伸ばし、剣先が半円状に反ったナイフを掴む。そのままそれを回転させ、右手には円状の刃が出来上がった。

「俺の裁定が気に入らねぇ、やるってんなら相手になるぜ」
「失格、失格かぁ、残念だなぁ♦︎ 」

ヒソカは聞いているのかいないのか、試験官の言葉に返すことはない。ただ、獲物に飛び掛かる虎のように身体だけが前傾に傾いていく。
そしてポツリと呟いた。

「――けど、失格だったら、もう我慢する必要もないよね❤︎ 」

そこからの勝負は一瞬だった。
試験官の懐に飛び込んだヒソカの右手が、勢いそのまま顔面を狙う。
ダンベルは辛うじて躱すも、その胸元にはヒソカの能力――粘着性のあるオーラ。
対して、恐らく試験官の発だろう。回転した刃がそれをスパッと綺麗に切断する。変化系か強化系だろう。相性的にはダンベルの方が上かも知れない。
ニヤリと彼の口角が上がる。自らの能力で対応可能、ヒソカ恐るるに足らず。しかし、そんな余裕は秒で切って捨てられた。
目の前に居た筈の、ヒソカの姿がない。
見失った、同時に顔に違和感。視界が赤い、顔が熱い、切られた――

「警告する! 78番、それ以上動くな! 暴力行為も一切認めない」

ヒソカに顔面を二度切られ、悲鳴をあげるダンベル。
ヒソカはそのままトドメを刺そうとして、帯同していた二次試験官、ミザイストムの声が彼を制した。手には見慣れない黄色のカードが1枚。

「ハンター試験における合否の権限は全て担当試験官が握っている。裁定が下された以上、お前は不合格だ。そしてこれ以上の暴力行為は試験外と判断する」
「……これ以上続けるとどうなるのかな♣︎」
「お前を傷害罪で逮捕する。オレは特別捜査権を持つ犯罪ハンターだ」
「ここで戦うのも、魅力的だね❤︎ 」

ヒソカはオーラで挑発するも、ミザイストムの表情は変わらない。凪の日の穏やかな大海のように、オーラは小揺るぎもしなかった。

「試してみるか? 」
「――今はやめとくよ♦︎ まだ他に興味ある相手がいるし、追われると色々面倒そうだ♣︎ 」

そう言ってヒソカはトランプを仕舞う。その顔から狂気の色は薄れていた。

「ということだ。合格者は飛行船に乗り込んでくれ。不合格者はここで終了だ、この後に来る飛行船に乗り込めば近場の街まで送ろう。来るまで待っててくれ」

以上と告げて、三次試験官ダンベルの護送を指示するミザイストム。
他の合格者と共に飛行船に乗り込もうとするイナギに、ヒソカがするっと近寄ってきた。

「君は合格だろ♠︎ ホームコード教えてよ♣︎ 」
「ノーセンキュー 」
「本当につれないなぁ❤︎ 」

まぁいいや、とヒソカは踵を返す。

「また会おうよ♦︎ その時は闘り合おう♠︎ 」

本気で遠慮したいとイナギは心の奥底から思った。
まぁ、これで会うこともそうそうないだろう。




かささぎの梯
第十話 『 ハンター協会本部にて 』




ハンター協会本部ビルの前である。
三次試験後、飛行船に揺られ一足飛びでやってきた受験生一同の前に現れたのは、女性の試験官であった。

「諸君、ご苦労様デス!! ワタクシはキューティー=ビューティーでございマス。カワ美ハンターもさせて頂いておりマスが、今はハンター試験最終試験官としてこの場に立っておりマス。これから最終試験に関して説明させて頂きマス!! 」

化粧が滅茶苦茶分厚い、瓜型の顔をした試験官である。非常に小さく、ビスケと比べて尚小柄であった。あと声が異常に高い。
最終試験官と聞き、受験生が騒めく。ここをクリアすれば、待望のプロハンターである。緊張している者、悠然としている者。誰かがゴクリと生唾を飲み込んだ。

「では説明させて頂きマス!! 今皆様の目の前にあるハンター協会本部の、会長室まで辿り着くことが最終試験デス! ただし受験プレートをお持ちでないと合格とは認められませんので、ご注意下さいマセ。会長室の場所はシークレットですので、ビル内にいる人間に聞いてくださいマセ。アドバイスは、無礼失礼超厳禁!! 中には用があって本部を訪れているプロハンターもいますケド、彼らからうまーく情報を聞き出してくださいマセ」

普通に考えれば、一階ロビーにあるであろう受付で会長室の場所を聞き、エレベーターなり階段なりで向かえば終了である。しかしプロハンターになるための最後の壁が、そんなに低いはずはない。
試験官から追加の説明はない。ということは何かしらの妨害が本部ビル内であり、それを乗り越えて辿り着けということなのだろう。
その上で質問をする受験生と、応える試験官。それらを全部うっちゃって、イナギは試験官の手元に注目していた。
ビスケの修行の結果、イナギにはとりあえず凝で観察する癖がついている。いつも通り行うと、試験官の指先からはオーラで次の文が出されていた。

"352番は、試験開始から5分後にエレベーターに乗って屋上まで来い。さもなくば失格とする"

残っている受験生の中に、イナギ以外にも念が使える者は数人いる。しかし彼らに言及はなく、ただ352番――イナギのみを呼び出す文言。
何か不味いことしでかしただろうか。目線でキューティー試験官に問いかけるも、意図的にだろう、こちらを見ようとしない。
先ほどのヒソカの一件で、試験の合否は全て各担当試験官に委ねられている事はよくよく分かっている。無視して会長室に辿り着いたとして、不合格と言い渡されればそれまでである。つまりイナギに選択肢などない。
ヒソカがいなくなってもこれである。厄介なことにならなければいいなぁ、なんてイナギは一つ溜息をついた。





▽▲





最終試験が始まった。
後を付いて来ようとしたシュルトを絶でまいて、イナギはエレベーターにて屋上に上がる。
20人は乗れそうな大型のそれの中に、現在イナギは一人きり。チンと到着を告げる音に見送られ扉を出たイナギの前にいたのは、スーツ姿の若い男であった。
背丈は180センチ前後だろうか。黄土色の髪に、真っ白な歯。爽やかな笑顔。顔立ちも非常に整っている。
屋上で待っていた彼は、和やかな雰囲気でイナギに話しかけてきた。

「やあ、初めまして、パリストンといいます! 昨年からハンター協会の副会長をやらさせてもらってます。君がビスケット=クルーガーさんの弟子のイナギさんですか? 」

ハンター協会の副会長。超大物であるが、接点は全くない。
何か用なのだろうか。意図が全く分からず、物凄く気持ち悪い。

「そうですけど、パリストン副会長はビスケ師匠を知ってるんですか」
「はい、当然ですよ。ビスケさんは協会内でも有名な方ですから。特に人を育てることにかけては、定評があるんです」

ただ、かなり気分屋で教える人を選んでるみたいですけどね、と残念そうに肩をすくめる。
もっと協会に貢献してくれればいいんですけどねー、ということらしい。

「だから、貴方のことは協会内で結構有名なんですよ。あのビスケさんが、この2年間自らのハントをほとんど行なっていなかった理由としてね」

ビスケの念能力や指導者としての腕を考えると、有名なのは納得である。初めて会った時に吹っかけられたと思っていた50億ゼニー。師事するにあたっての報酬額だが、至極まっとうな数字だった訳だ。
ただ、協会内でそこまで噂になってるとは思っていなかった。まぁ、ダブルハンターが2年も活動を取り止めたとなれば、おかしな話ではない。

「それで、副会長は受験生である私にどんなご用なんでしょうか」
「いやぁ、実はビスケさんをそこまで長期間拘束されたのは、正直ハンター協会にとってもかなり痛手だったんです。だからその原因の君に、協会への貢献を要請したくて来てもらいました」

それから説明されたパリストンの主張を纏めると、次のようになった。
協専ハンターというものがある。協会の斡旋専門、略して協専。ハンター協会が政府や企業から依頼された仕事を専門に請け負うプロハンターの事である。
メリットは、仕事の成否に関わらずリスクや難易度に応じた報酬が与えられる事。そして協会を維持するために、彼らの存在は必要不可欠だと。

「イナギさん、ここまでの試験結果は見させて頂きました。あなたの戦闘力は中堅プロハンターを越えている、素晴らしいものです。賞金首ハンターとしてなら、直ぐにでもやっていけるでしょう。あなたの力、協会のために役立ててくれませんか? 」

あなたの貢献が、あなただけでなくビスケさんの評価にも繋がります。ビスケさんに恩を返す絶好の機会ですよ!
イナギに向かって手を差し出し、一緒に頑張りましょう! と誘ってくるパリストン副会長。
しかし今のイナギにとって、行動を制限されるのは避けたかった。デッドラインまで時間はあるが、故郷壊滅の手がかりが見つかればそちらに注力する事になる。迷惑をかけかねない為、断る以外の選択肢はなかった。

「それは強制でしょうか」
「いえ、勿論そんな事はないですよ」
「であれば有難いお話ですが、協専ハンターになるというのはお断りさせて頂き――」

――そこまで言葉を述べた所で、イナギはパリストンの異常さに気づいた。
目だ。表面上笑っているが、目がガラス玉のように無機質。
こいつ、人を見ていない。人を人と思っていない。飛べない小鳥をつついて遊ぶ、無邪気で残酷な猫の目。

「分かりました。残念ですが、仕方がないですね」

幾秒、或いは幾分だろうか。パリストンの圧に晒されていたイナギだったが、ふっと気配が緩んだ。
不気味さが消える。パリストンは爽やかな声でイナギの背後に向けて呼びかける。
そこにいたのは、二次試験官を務めていた犯罪ハンター、ミザイストムその人であった。

「お待たせしました! ミザイストムさん」
「……待ってない。ただ、おまえが受験生に何か良からぬことをするんじゃないかと心配でな」
「ははは、そんなことする訳ないじゃないですか」

だって僕副会長ですよ。未来の協会員の不利益は、僕の不利益ですから。
そんなパリストンを無視して、ミザイストムはイナギに話しかけてくる。

「352番、気づいてないかもしれないが、試験が始まってから何度か館内放送が流れている。最終試験は後10分で終わるぞ。本来なら屋上にも流れるんだが」
「どうやら屋上のスピーカー、壊れてたみたいですね。ミザイストムさん、ありがとうございます。せっかく最終試験まで来たのに、イナギくんが不合格になる所でした」

そう言って、パリストンは踵を返す。
イナギとミザイストムの間を颯爽と抜けて歩いていく。

「イナギくん、ハンターになったら、是非またお会いしましょう」

通りがけにそんな言葉を残して、パリストンはエレベーターの中に消えていった。

「……悪かったな、ハンター協会のゴタゴタに巻き込んで」

パリストンの乗るエレベーターの扉が閉まったのを確認して、ミザイストムはイナギに話しかけて来た。

「ゴタゴタですか? 」
「そうだ。まだ協会員になってない奴に話すのもあれなんだが、パリストンが副会長になったのは昨年からでな。会長の座をとるために色々暗躍してる。協専ハンター、誘われたんだろ。協専ってのは、要するにパリストンの子飼いハンターのことだ」

ハンター協会も一枚岩ではないってことさ、とミザイストム。
危ない、知らずの内に配下になる言質を与える所だったのか。

「今後もあいつはちょっかいをかけてくるかもしれない。ビスケット=クルーガーの弟子であれば問題ないとは思うが、一応俺のホームコードを渡しておこう。それに君はビスケの肝いりだって噂になってるのは事実だからな。他にもトラブルが寄ってくるかもしれない、何かあったら頼ってくれてもいい」

そういってホームコードが書かれた紙を渡してくるミザイストム。ダブルハンターに伝手ができたのは怪我の巧妙か。イナギもケータイを取り出して、その場でホームコードを送り返した。

「さて、会長室は屋上の一つ下の階になる。もう時間もないだろう、そこまで送っていこう」
「そんな依怙贔屓していいんですか? 」
「なに、迷惑をかけた詫びとでも思ってくれればいいさ」

元々そういう体での試験だしな、なんて呟いたミザイストムに連れられて、イナギは無事会長室に辿り着いたのだった。





▽▲





「イナギさん!」

会長室に入ると、イナギを呼ぶ声がした。同時に駆け寄ってくる少年。シュルトである。

「全然来ないから心配しましたよ、あんだけ大きなこと言っといて本人が失格だなんて笑えませんからね」

前半だけなら可愛い同輩なのだが、クソ生意気である。合格した安堵と興奮からだろうか、普段より幾分かテンションが高かった。

「とにかく合格ですから、約束は守ってくださいね!」
「分かったよ、詳しいことは後でな」
「はい、よろしくお願いします!」

めんどくさげに答えるも、シュルトからは全力で振られる尻尾が見える気がした。どんだけこいつ嬉しいんだ。
そしてシュルトと話し始めた時から、会長の傍にいる犬っぽい女性にそこはかとなくプレッシャーかけられてる。何故なのか。
そうこうしている内に10分が経った。最終試験官のキューティーが一歩前に進み出る。

「皆サマ、お疲れ様でございマス!! ただ今をもちまして、第286期ハンター試験を終了とし、この場にいる7名を最終試験合格といたしマス!! 」
「それでは早速ですが、引き続きハンターライセンスについての説明会に移らせて頂きます。まず、ハンターライセンスをお配りさせて頂きます」

試験開始時にプレートを渡してくれた豆型の小男が、恐らく会長室に辿り着いた順番だろう、合格者全員にライセンスを手渡していく。
サイズはテレフォンカードより一回り大きいくらい。想像していたよりも、何というか大分控えめであった。

「皆さんにお渡ししたこのカードがハンターライセンスです。意外と地味だとお思いでしょうが、その通りです。カード自体は偽造防止のためのあらゆる最高技術が施されている以外は他のものと変わりありませんから。ただし効力は絶大!! まずこのカードで民間人が入国禁止の国の約90パーセントと、立ち入り禁止地域の75パーセントまで入ることが可能になります。公共施設の95パーセントはタダで使用できますし、銀行からの融資も一流企業並みに受けられます。売れば人生7回くらい遊んで暮らせますし、持ってるだけでも一生何不自由なく暮らせるはずです」

何とも素晴らしい許可証である。素晴らしすぎて集まってくる厄介ごとに目を瞑れば、であるが。他人には使用不可なのに欲しがるものが後を絶たないとはビスケの弁。

「それだけに紛失・盗難には十分気をつけて下さい。再発行はいたしません。我々の統計ではハンターに合格した者の5人に一人が一年以内に何らかの形でカードを失っております。プロになられたあなた方の最初の試練は、"カードを守ること"と言っていいでしょう! 」

そして豆男のキメ顔である。多分毎年説明しているんだろう、非常にこなれていた。
続いて協会の規約について、と話は移っていき、30分後。

「――さて、以上で説明を終わります。後はあなた方次第です。試練を乗り越えて、自身の力を信じて、夢に向かって前進して下さい。ここにいる7名を、新しくハンターとして認定致します!! 」

さて、これでプロハンターである。
生き延びる為の第一歩、近づいたことを一先ず喜ぼう。

「では最後に会長、一言お願いします」
「ふむ。さて、これでもうこの建物を出たら諸君らはワシらと同じ! ハンターとして仲間でもあるが、商売敵でもある訳じゃ。ともあれ、次に会うまで諸君らの息災を祈るとしよう」
「以上、解散!! ――あ、イナギさんはこのまま会長室に残ってください」

何だろう。何かやらかしただろうか。



[3446] 第十一話 『天空闘技場へ』
Name: いづな◆c1592588 ID:feefa1cb
Date: 2024/03/25 11:28
だったら僕も残ります! と騒ぐシュルトに、後で必ず連絡するからとホームコードを交換する。

渋々ではあるが納得し、連絡待ってますからね! なんて騒ぎつつ他の面々とともに部屋から出て行った。

会長室に残ったネテロに促され、イナギはエレベーターで屋上へ移動する。停まっていたハンター協会所有の飛行船に乗り込み、辿り着いたのは拓けた荒野であった。

人っ子一人いない、無人の園。ネテロとイナギの2人を降ろし、飛行船は離れて行く。ちなみにここまで一切の説明はない。

 

「あの、いい加減教えて欲しいんですけど。何でこんなとこに連れてこられたんでしょうか 」

 

人を待たせてるんです、なんてイナギを意に介さず、ハンター協会長ネテロは、静かに顎髭を撫でている。

 

「お主、アラマの弟子らしいの」

「……そうですが、それが何か」

「ひょ、アラマからもビスケからも聞いとらんかの。あ奴が儂の直弟子である事をの」

 

ちょっとビックリしている会長。しかしイナギの方がビックリである。

ネテロから見てビスケは孫弟子であり、イナギも同様らしい。ちなみにこれ寝耳に水、完全なる初耳であった。

 

「初めて聞きましたが、ここまで来たことに関係があるのでしょうか」

「ふむ。孫弟子たるお主にはワシと立ち会って貰おうと思っての。弟子の弟子、実力を確かめる責務くらいはあろうて」

「――そんな責務があるかは置いといて、これから会長と立ち会えばいいんですね」

 

その為だけに飛行船動かして、わざわざ人目を避けるなど大仰な話である。

もしかしたら念能力が大っぴらに知られないようにというイナギに対する気遣いなのかもしれないが、到底感謝する気にはなれそうもなかった。

 

「そうじゃの、それで構わんよ。ただ、初めて指導する孫弟子に本気も大人気ないからの、ワシに堅と発を使わせたらお主の勝ちとしよう」

 

一瞬、ネテロの言葉が本気で理解出来なかった。

黙り込んだイナギに、ネテロは澄んだ目を向ける。

 

「ふむ。どうしたんじゃ? 」

「いえ、発はともかく、堅を使わなくて、どうやってやり合うんでしょうか」

 

目の前の爺さんがハンター協会の会長であることは理解している。師匠筋だとは知らなかったが、ビスケから、アラマから聞いた武勇伝もある。更に目の前に立ってその強さは身を以て感じている。この爺さんは強いんだろう。

しかし、堅と発なし。しかも使ったら負け。強化系能力者だとしても、対念能力者戦においてそれはダメだろう。

 

「おぬし程度、そのくらいで十分なんじゃよ」

「……分かりました。ただ、俺は本気でいきますよ」

「ふむ、是非そうして欲しいもんじゃの。後からの言い訳は見苦しいからの」

 

言葉と共に、ネテロが練をする。針で突き刺されるみたいな研磨されたオーラ。アラマやビスケよりもずっと上である。何だ、これは。威圧される。全身が揺れた。

 

「震えておるのう。アラマの教えは、その程度だったのかの」

「――勘違いしないでくださいよ、ネテロ会長」

 

練を見て分かった。本能で理解した。目の前の爺さん、底が見通せない程度には格上である。

その差に、イナギは思わず笑みがこぼれる。負けそうな敵だからこそ、全身全霊で挑む価値があるんじゃないか。

 

「武者震いですよ」

 

人は極めれば、ここまで強くなれるんだと。その一端を感じれる機会、喜ばなくて何とする。

これ以上の言葉は不要。持てる全力で鎧を作り出し、イナギはネテロへ飛びかかっていった。

 

 

そうして僅か10分後。

非常に控えめに表現して、イナギは現在ボロ雑巾であった。

 

「ふむ、威勢いいこと言っとった割にはまだまだじゃの」

 

上から聞こえるネテロの声。返事するのも、面倒くさい。全身が鉛のようで、実際軽く両の手以上骨は折れているだろう。

が、身体は動かなくても首から上は無傷であった。イナギは無理に口角を上げてみせる。

 

「最後、発使っただろ」

「反応も出来なかったくせによく言うわい。使ってやったんじゃよ、この様で勝ちだとしたいなら、自由に持ってけばええわい」

 

ま、思っとったよりも出来たからの、ご褒美じゃ。動けなくとも見れはしたじゃろ、驕らず励めよ。

そんなネテロの言葉を聞いて、イナギは急速に狭まり始めた意識の中で決意する。

ああ、認めよう。今まで出会った全ての人の中で、目の前の爺さんは一番強い。

しかし、その眼差しが気に入らない。孫弟子に対する暖かいそれ、武人として全く敵対して貰えない事実がイナギの心を掻き乱す。

――畜生、次は必ず一泡吹かせてやる。

そう心の源に刻み込んで、イナギの意識はストンと落ちていった。

 

 

 

 

かささぎの梯

第十一話 『天空闘技場へ』

 

 

 

 

フッと浮かび上がって来た意識を手繰り寄せて、イナギはゆっくりと目を開けた。

見慣れない天井。周囲を見ると、病院のベッドである。枕元のナースコールを押すと、看護師が駆けつけて来た。

体温脈拍等のチェックをされながら話を聞く。ここはハンター協会本部併設の病院で、イナギは運ばれて来て3日目になるらしかった。道理でシュルトから鬼のように電話が入っている筈である。

ここで電話をかけて良いものかどうか悩んでいると、ネテロ会長の代理で豆顔の男(ビーンズというらしい)がやって来た。会長は忙しいとの事で、ビスケ宛の手紙を運んで来てくれたらしい。

 

「あ、ここの治療費の持ち合わせが今ないんだが」

「安心してください、協会持ちですよ」

 

それよりも会長が無茶に付き合わせて申し訳ありません、とどこまでも真摯なビーンズ。秘書の鑑である。

その後最後の検診を終え、身体に問題は一切なし。ハンターとして頑張って下さいとビーンズに見送られ、その日の午後にイナギは退院した。あっという間である。

若干その速度感に置いてけぼりにされつつ、ふと思い出してシュルトに連絡をする。

1コールの半分の半分。電話を鳴らして半秒未満で、シュルトの怒鳴り声が飛び込んで来た!

 

「イナギさん、遅いですよ! 3日も電話無視して何やってたんですか!!!」

 

約束破る気ですか!! 地の底まで追い詰めますよ!とえらい怒られた。念能力者になるという夢に素直なのはいい事だが、コイツこんな性格だっただろうか。

 

「もう念能力教えてもらうまで付いて離れませんからね! で、兎に角今まで何やってて、今どこにいるんですか」

「何故かネテロ会長とやり合うことになって、結果今まで意識がなかった。今はハンター協会脇の病院エントランスだ」

「……今病院前なんですね。5分で着きますから、電話このままで一歩たりとも動かないでくださいね」

 

シュルトが黙って数秒後返ってきたのは、移動禁止の指令であった。会長と一戦交えた事には言及せず、しかし着くまで電話を切るなと。

お前は俺の彼女か。

 

そうしてきっかり5分。シュルトは病院前に黒塗りハイヤーで乗りつけてきた。

天空闘技場観戦の件といい、やはりこいついいトコのボンボンなのだろうか。

 

「お待たせしました。そして待たされました」

「ああ、3日間も悪かったな」

「……いいですよ。イナギさんの責任ではなさそうですし、約束守ってくれたんですから」

 

そう言ってシュルトは話題を打ち切った。

どことなくソワソワしてるとこから見るに、今日までの出来事を詳しく聞きたい思いより、早く修行をしたいそれの方が優っているだけっぽい。

 

「で、これからどうするんですか」

「約束は守るから安心してくれ。ただ、その前に連絡入れなきゃいけない人がいるから、少し待ってくれ」

「彼女さんですか?」

「ばっか、俺の師匠だ師匠。50過ぎの婆さんだよ。プロハンターで、協会内でも育成力には定評があるらしいぞ」

 

本人に聞かれたらぶっ飛ばされるが、聞かれないから陰口な訳で。弟子の件報告しとかないと後でこじれそうだしな、なんて言いながら、イナギはビスケに電話をかける。

これで出なけりゃハント中。ホームコードへの伝言になるのだが、幸い3コール程で繋がった。

 

「あら、久しぶりじゃない。どうしたのよ、試験は終わったの? 」

「ああ、試験は無事受かったよ。で、ちょっと相談したいことがあるんだが、今どこにいるんだ」

「前に話した、天空闘技場よ。もしかして協会内で何かあったの? 」

「いや、あったと言えばあったんだが、それは今関係なくて。実は、同期に念を教えることになったんだけど」

 

イナギの言葉に、は? と絶句するビスケ。

随分オイルを挿していない工作機械の様に、ゆっくりとビスケが再起動。ギギギと軋む音が聞こえそうな口調で、話しかけてくる。

 

「念を教えることになったって、誰が?」

「俺が」

「だれに」

「試験で知り合った合格者に」

「――ふざけんじゃないわさ!」

 

そして爆発した。あぁ、この感じ懐かしいな。

 

「あんた今どこにいんのよ? 速攻で天空闘技場まで来なさい! 」

 

寄り道したらタダじゃおかないからね!と言い放ち、ビスケとの通話は一方的に切られた。

少なくないダメージを負った耳を押さえながら、ツーツー鳴るだけのケータイ電話の電源を切る。

あまりの大声に漏れ聞こえていたのだろう、シュルトが乾いた笑いを漏らしていた。

 

「何というか、その。50歳過ぎにしては、随分愉快そうな方ですね」

「見た目も大分愉快だぞ」

 

50過ぎには全く見えないという意味で。中身さえ知らなければぱっと見完全な美少女であった。

 

「そういえば、お前は連絡とか大丈夫なのか? 親とか、お世話になってる人とかさ」

「もう終わってますよ。何せ3日間もありましたからね!」

 

まったく以て藪蛇だった。

 

「それで、この後向かうのは天空闘技場ですか」

「そうだな、寄り道せずに来いってさ。ま、本格的な修行に入る前に顔見せておくのも悪くないだろ」

 

天空闘技場。北の大陸の東端にある、野蛮人の聖地である。

協会ロビーにあるパソコンでめくると、ここから飛行船で3日間ほどとの事。

 

「出発は、今日でも大丈夫か?」

「勿論です。着いたら直ぐに念について教えてもらいますよ! 」

「それについてはおいおいな。大丈夫、約束は守るさ。それに手ほどきくらいは飛行船の中でも出来るしな」

「聞きましたからね、譲りませんよ!」

 

その場で2名分のチケットを手配する。注文完了、受け取りは近くの空港で行えるとの事である。

果たして行った先では、鬼が出るのか蛇が出るのか。若干の不安を抱きながら、イナギはシュルトと共に空港へ一路向かうのであった。

 

 

 

 

 

 

▽▲

 

 

 

 

 

「こォんの、馬鹿弟子がー!! 」

 

そして今、イナギはビスケに吹き飛ばされていた。

直行の飛行船で3日後。現在天空闘技場内の宿泊施設である。

ビスケに連絡をしたところホテルの名前と号室を告げられ、辿り着いた直後の出来事であった。あ、この感じやっぱり懐かしい。

 

「何勝手に念能力教える約束してるのよ! あんた心源流門下である以上、そんな勝手許される訳ないでしょうが! 破門になりたいの!? 」

 

襟元を掴まれ、ガクガクと前後に高速で揺すられる。返事をしたくても物理的に出来ないことを分かって欲しい。

 

「あの、それではイナギさん話せないんじゃ」

 

キッとシュルトを睨みつけ、ビスケの手が止まった。

 

「で、アンタは心源流の門下生希望なの? 」

「いえ、門下生になるつもりはないんですが、念能力を教えてもらう契約をしたので付いて来ました」

 

シュルトの言葉を聞き、ビスケははーっと深いため息。そして座り込んでいるイナギに向き直ると、ビシッと指を突き付けた。

 

「いい、あんたがどんな約束をしたのかは知らないわ。ただ、心源流の門下生は師範代になるまで他人に念能力を教えることは禁じられてるの。そして同門ですらない者に教えるなど以ての外! 心源流に所属する以上、これは守ってもらうわ」

「師範代になれば、教えるのは問題ないのか」

「理論上はね。ただ、師範代になるには師範の許可が必要よ。そして今の私は許可を出すつもりは一切ないわさ」

 

今のアンタにゃまだ早いなんて言われて、重い沈黙がこの場を支配する。特にシュルトにしてみれば、夢への梯子を外されたようなもの、たまったもんじゃないだろう。

イナギにしてみても約束した以上、全力で果たすつもりである。かくなる上は破門になってでも……などという考えがちらりとよぎった時、預かり物の存在を思い出した。

 

「あ、そうだ。ビスケ宛の手紙を預かって来たんだ」

「私宛? 誰からのものよ」

「渡されたのはビーンズさんだけど、多分ネテロ会長からだと思う」

「ジジイから? ……見せてみなさい」

 

嫌な予感しかしないわねとぼやきながら、ビスケは手紙の封を切る。そして読み進めるにつれてワナワナと震えだしたかと思うと、突如キシャーと奇声をあげて手紙を真っ二つに引き破った。

 

「アンタ何勝手にネテロのジジイと戦ってんのよ! 」

「……戦うのにビスケの許可が必要だったのか? 」

「いらないけど! 許可必要ないけど! 」

 

あー、もう。これは八つ当たりよ、なんて言いながら、ビスケは綺麗に裂けた手紙を指し示してくる。

シュルトと2人で覗き込むと、以下のような内容であった。

 

・お前の弟子は、ワシの一撃を一発耐えおったぞ。

・よってイナギの師範代昇格を許可する。

・ちなみに門下でなくても、プロハンターであれば念能力の教授は問題ないからのぉ。

 

要するに、この手紙で先ほどビスケが挙げた懸念点は全て解決していたりした。

ビスケに言わせれば、見事なまでのおちょくりであるらしい。

 

「流石に、私より上のジジイが言ってるのに否やは言えないわさ。それに、丁度いいタイミングといえばそうだったのかもしれないしね」

「何が丁度いいタイミングなんだ? 」

「実はね、私の弟子がつい先日師範代になってから初めての弟子をとったのよ。ココで上を目指しながら修行するらしくて、見極めにやってきてやった所だったの」

 

だらしない奴だからね、弟子を取るなら半端をさせる訳にはいかないから。という事らしい。

 

「ちょうどいいから、アンタも一緒に師範代のイロハ学んできなさい。門下生でないとはいえ、弟子をとるに変わりなし。半端は許さないわさ」

 

3日で叩き込んでやるから覚悟しなさいと意気込むビスケに受け入れる弟子。イエスマム、師匠に弟子は逆らえないのである。

そんな修行が遅れる! と口を挟もうとするシュルトを全力で抑え込む。この状態のビスケに反抗すると、経験上余計に長引く。

 

「それにどうせ修行場所も決まってないんでしょ? ここだったら、ライセンス出せばそれっぽい部屋貸してくれるわよ」

「いや、それについてなんだが実は考えがあってさ」

「あによ、もう目星つけてんの? 半端な考えだったら容赦なくぶっ飛ばすからね」

 

憧れの地である天空闘技場で修業はしない?! そんな馬鹿な!と再び暴れ出すシュルトを再度抑え込む。体格のわりに意外と力強いなコイツ。

そのまま説明を始めようとするイナギを、まぁ待ちなさいとビスケが止めた。

 

「そこらへんはこの後しっかり聞かせてもらうわさ。その前に、アンタの同門を紹介しとくわ。入ってらっしゃい」

 

声を受けて入ってきたのは、メガネをかけた20過ぎの男性。そしてシュルトよりも幼く見える、道着姿の少年であった。

 

「押忍! 自分、ズシといいます! 」

「そして私が心源流拳法師範代のウイングです。どうぞよろしくお願いしま」

「――あ! あなたは!!」

 

ウイングの自己紹介を遮って、シュルトは一歩出て指を突きつける。知り合いなんだろうか。

視線をシュルトに向けたウイングも思い出したようにポンと手を鳴らして、

 

「ああ、確か君は…… 」

「嘘つきクソ野郎じゃないですか! 」

「あの時は世話になった――え? 」

 

ぽかんとしてシュルトを見つめるウイング。お互い知り合いである事は間違いなさそうだが、その評価は多分真反対だった。



[3446] 第十二話 『修行開始‼︎』
Name: いづな◆c1592588 ID:feefa1cb
Date: 2024/03/25 11:28
「あれは僕が7歳。丁度誕生日を迎え、家族での食事を終えた帰りのことでした」

 

嘘つきクソ野郎発言を受け、イナギは驚き、ビスケは笑い、ウイングは口をあんぐり開け、ズシは頭にクエスチョンマークを浮かべた後。

ビスケから事情を聞かれたウイングを制し(「お願いですからあなたは黙っててください」)、シュルトは二人の出会いを話し始めた。

 

「その日は、十数年ぶりの雪でした。生まれて初めての雪に姉と弟とはしゃいで、両親が笑ってたのを覚えています。そんな雪の中、風邪をひく前に家に帰ろうと言われ、車に乗り込んで暫く走った後の事でした」

 

とても楽しい思い出だったのだろう。シュルトは目を閉じ、優しい表情を浮かべている。

年齢を思わせぬ語り口に、口を挟むものは誰一人いない。

 

「自宅の程近く。大きな街路樹にもたれ掛かるように、1人の青年が行き倒れていました。雪の中でこのまま放置したら、死んでしまうかもしれない。僕は助けてあげるよう両親に頼み込み、彼はその晩暖かい宿を得ました。そして翌朝、目覚めた青年が名乗った名前が」

「ウイングだった、と言う訳ね」

「はい。若い頃のクソメガネその人でした」

 

ビスケの合いの手に対し、シュルトはこくりと頷く。

ちなみにここまで、ウイングの方に一切の顔を向けようとはしない。

 

「その頃の僕は、天空闘技場で見た不思議な力――念を手にしたくて必死でした。けどいくら探せど、分かったのはネンという名前だけ。目覚めた青年が武闘家だと知った僕は、一縷の望みをかけて聞きました。するとその人は「ネンを知っている」、と」

「その時の僕の気持ちが分かりますか? 一生分のプレゼントが一晩で届いてもそんなことはないってくらい狂喜して、その青年にネンの教えて欲しいと頼みました。初めは渋っていた青年も、最終的に頷いてくれて、僕はネンの修行を始めました」

 

一同の視線がウイングへと向かう。

気まずげに、けど何も言わずに頬をぽりぽり掻いている。

 

「その青年が言うに、ネンは"燃"と書くそうで。燃とは、心を燃やす"燃"、即ち意志の強さのこと。そして意志の強さを強くする過程の修行を四大行というと」

 

"点"で心を1つに集中し、自己を定め目標を定める。"舌"でその想いを言葉にする。"錬"でその意志を高め、"発"でそれを行動に移す。

門下生でないものに念能力を察知された時、心源流が説く方便そのものである。

心を鍛えることこそが、不思議な力に繋がるのだと。

 

「その中で何より大事なのは、"点"。余分な思いを消し、目的をひたすら見つめるその心の強さであると言われました。――その日から、僕は1日たりとも休まずに"点"を続けました。全てはネンを使えるようになるため、フロアマスターになるという僕の夢に繋がると思って」

「5年、5年ですよ! 正直騙されてるかもしれないと何度も思いました。ただ、僕にはそれしか手がかりがなかった。疑う心を責め、ひたすら続けました。……まぁ、騙されてた訳ですが。そして何がムカつくって、その騙されてた事なんです! 」

 

そこで一度深呼吸。

熱くなった頭を冷ますように大きく頭を振り、けど全然冷ませないまま、シュルトは続ける。

 

「我が家にはある家訓があります。命の恩は命で以って、命の仇は命で以って返すべし。あの晩僕らが通りかからなかったら、その人は死んでたかもしれません。事情があって念を教えられないならそれでいい。けど、その恩を! 僕は! 騙されてた事が、本当に我慢ならないんです!! 」

 

訴えるようなその大声。防音設備が完璧なのだろう、部屋の沈黙が痛い。

自らを語り尽くし息を継いでいるシュルト。声を発する者は誰もいない。

いや、1人いた。

 

「なるほどね、事情は分かったわさ。で、とりあえず――お前の、せいかァーッ!! 」

 

我らがビスケ、その人である。

言葉と共に振り上げられた拳。そして宙を舞うウイング。

どっかで見た光景である。

 

「あんたのせいで会長にはめられたじゃないのよ! こっちはこっちで今後の計画練ってたのに全部パーだわさ、どう責任とるのよ! なんか言いなさいよ! 」

 

襟元を掴まれ、ガクガクと前後に高速で揺すられるメガネ。返事をしたくても物理的に出来ないことを分かって欲しいという顔である。

気持ちは凄く良く分かるが、とばっちりが嫌なので何も言うまい。

 

「師範代、おいたわしいっす……」

 

シュルトが止める訳はなく、イナギも戦線離脱。そして弟子のズシは勢いに負けてただ落涙してるだけ。

つまり、ビスケを止める者は現状誰もいない。結果ひたすらシェイクされるウイング。

何というか、もう無茶苦茶であった。

 

 

 

 

かささぎの梯

第十二話 『修行開始!?』

 

 

 

 

そんなとんでも自己紹介が終わり、ビスケの師範代講習は明日から行うとのこと。

精魂尽き果てたウイングとズシが部屋に帰るのを見送った後、ビスケはパンと一つ手を叩いた。

 

「さて、じゃあ余力がある今の内に聞いておくわよさ。アンタどこで修業するつもりなの? 」

 

余力がある内にって、明日からどれだけ厳しい修行を詰め込まれるんですかね。

湧き上がる不安にそっと蓋をする。そこは明日の自分が頑張ってくれる筈である。

 

「ロマブ砂漠だ。知ってるか? 」

「もちろん。今回の一次試験があった場所でしょ」

 

流石はダブルハンター。事情通である。

 

「その時案内してもらったナビゲーターが、念習得に有用な発を持ってるっぽくてさ。力借りられれば、かなり早く開かせられる」

 

あの一族、大人から子どもまで全員纏っぽいこと出来てたし。

試験中だったから軽く流したが、内心めちゃくちゃ驚いてた。

 

「……本当だったら、そこそこ稀少な珍しい能力ね。分かったら詳しく聞かせなさいよ」

「上手くいったらな。ま、ダメだったら素直にここで修行つけるさ。纏だけなら1ヶ月くらいでモノにできそうだし」

「確かに早そうよね、あの子」

「オーラ、殆ど漏れてないしな」

 

2人が見つめる先には、部屋付きのテレビで流されていた天空闘技場の過去試合に見入るシュルト。

精孔は開いていないが、漏れ出るオーラの殆どがしっかりと留められていた。

これは、間違いなくウィングから教えられた燃を愚直に続けた故のもの。纏のコツは既に身についている。

後は瞑想を通じ、自らのオーラを知覚さえ出来れば自然と開く。それ故の1ヶ月であった。

 

「ま、私の見立てもそんなもんね。それくらいならここで修行してもいい気がするけど」

「上手くいけば半分以下に短縮出来るかもしれないからな。短く出来るならそっちの方がいいさ」

 

な、シュルト。と話を振るも、試合に集中し過ぎて聞いていなかった模様。

 

「すいません。何がですか、イナギさん」

「ロマブ砂漠に行けば念の取得が早められるかもしれないって話」

「イナギさん早く出発しましょう! 」

「お前ブレないよなホント」

 

そりゃもう1分1秒でも早い方がいいです! 僕いつでもタクシー呼べますよ! と既に携帯を取り出しているシュルト。

その熱量にはビスケも苦笑いしている。

 

「念能力は逃げないから、あと数日待ってくれ。ビスケの講習終わったらすぐに出るからさ」

「……はい、分かりました。でも出来るだけ巻いてくださいね。1分1秒でも早く」

「シュルトだっけ、断言するけど残念ながらそれは無理ね。むしろ延長がないように祈ってなさい」

「――イナギさん、死ぬ気で3日で。絶対に終わらせてくださいね」

 

死ぬ気て。とんだ言い草である。

が、シュルトの渇望を利用したのはむしろこちら側。年単位で求め続けたお宝を前に「待て」され続けていると考えれば、酷なことをしているのはイナギの方かもしれない。

うわぁ、頑張ろう――が、それはそれとして腹が減った。明日頑張るために、とりあえず今は飯に行こう。

全ての頑張りは明日以降の自分にぶん投げて、イナギは早速二人を食事に誘うのであった。

 

 

 

 

 

△▼

 

 

 

 

 

地獄のような、ではなくて。まさしく地獄の3日間だった。

何がって、とんでもない修行密度である。過去にビスケの修行を乗り切ったイナギとウイングをして、数時間で半ば屍と化すレベル。

そして文字通り指1本動かせず、オーラが枯渇した所で、容赦なく襲い掛かる"魔法美容師マジカルエステ"のクッキィちゃん。

ビスケの念獣による"桃色吐息ピアノマッサージ"により、僅か30分で体力は全快。体内に満ち溢れる活力をお供に、即修行が再開されるのだ。

ぶっ倒れる前提なので難易度ルナティック。しかも強制コンティニュー付き。

3日目が終わった瞬間、イナギはウイングと肩を抱き合って生の喜びを噛み締めたりした。

もはや2人は戦友である。今度飲みに行きましょう。

 

――そんなこんなで修行は終わり。

ビスケによる師範代お墨付きを得た翌朝、イナギとシュルトはそそくさと天空闘技場を後にする。

最寄りの空港から飛行船に乗り込んで、特に事もなく快適なフライト。

そうして2日後の朝。師弟は熱砂荒ぶ灼熱の地に降り立っていた。

ハンター本戦始まりの地エルベガ。その中心部からすこし離れたところに位置する、ロマブ砂漠唯一の空港である。

 

「いやぁ、ようやく着いたな。長かった」

「僕にはあっという間でした! 進歩を感じられるって素晴らしいですね」

 

飛行船の中でシュルトはひたすら瞑想を行なっていた。

既に何となくオーラを感じ取っているようで、早く続きを! とイナギを急かしている。

――このままいけば、あと数日あれば精孔開くかもな。

並外れた習得速度の裏にある執念に思いを馳せながら、イナギは荷物片手に通路を進む。

そのまま出口を抜け、飛行船から降りた肌を1番に襲うのは熱く乾いた空気。そして容赦なく突き刺す陽光。

数週間ぶりの砂漠の洗礼に、隣で溢れていた満面の喜色がくしゃりと歪んだ。

 

「ぼく、何度来てもこの暑さ慣れないんですよね」

「そりゃそうだ。この暑さが得意な奴は、間違いなくどっか壊れてるよ」

「それにしては、イナギさん余裕そうですね。あれ、念能力者って暑さにも強くなるんでしたっけ」

「ああ、念ってつまりは生命エネルギーだからな。暑さにも寒さにも強く」

「――イナギ、久しぶりだな」

 

イナギのセリフに被さってきたのは、風そよぐ大地のように深みのある声。

空港の到着口から出た二人を出迎えたのは、286期ハンター試験のナビゲーター。カサ族の長、ウルザナであった。

筋骨隆々の体躯に赤銅色の肌。180センチを超す偉丈夫だが、堂々たる羽根冠により更に凄みを増している。

その寡黙さも相まって周囲は自然と距離を取り、まるで巨岩が座しているかのように流れる人波はそこだけ割れていた。

 

「ああ、ウルザナ。出迎えありがとう」

 

これ約束の奴な、とそこそこ大きな手提げ袋をどさりと渡す。中身は天空闘技場で仕入れた上等な蒸留酒が十数本。

ウルザナは繊細な手付きで内から1本取り出すと、指でラベルをなぞり、笑顔に見えなくもない奇妙な表情を浮かべた。

その場で銘柄に目を通すとは流石宴好き集団の長である。

前回別れ際に約束した酒を、ロマブでは珍しいもので統一したのは正解だったらしい。

 

「うむ、これはありがたい。大切に頂こう」

「あの時しっかり会場まで届けてくれたお陰で無事に受かったからな。ホント感謝してる」

「イナギは試練を潜り抜けたカサの男だからな、気にすることはない。が、めでたい事に変わりはない。宴だな」

 

今回は遠慮しなくてもいいのだろう? と日程的なスケジュールをしっかり確認してくるウルザナ。

 

「勿論そのつもりで来ているけど、さ。それよりあの儀式は受けられそうなのか? 」

「全く問題ない。潜り抜ければ認められるし、無理だったら認められない。それだけの話だ。……あぁ、そいつが電話で話してた弟子か」

「そうそう。コイツな」

 

イナギは、シュルトの肩を掴みグイッと一歩前へ押し出す。

空気を読んだシュルトは、ぺこりと一礼。して直ぐに後ろに下がり、イナギに小声で話しかけてきた。

 

「イナギさん、イナギさん。ちょっと僕、全然話が読めないんですが」

 

儀式とか宴とか意味わかんないです、瞑想の続きがしたいんですけど……と、大好きなおもちゃを取り上げられたみたくブーたれるシュルト。

気持ちは分かるが、早く念能力を会得して欲しいのは俺も同じである。

 

「いいから俺を信じろ。このまま瞑想続けるよりも、彼らの力を借りた方が最終的に早く念を覚えられるぞ」

「……分かりました。イナギさんを信じます」

「よし」

「話はもういいか」

 

とりあえず弟子を納得させた所で、ウルザナが顔をヌッと寄せてきた。

 

「とりあえず、カサの集落へ移動だ。お前の到着を今か今かと待ってるからな 」

 

そう言って踵を返し、出口に向かってすたすたと歩いていく。

後ろから表情は見えないが、どことなく浮かれた雰囲気である。彼の軽い足の運びに合わせて歩きながら、イナギはシュルトにこっそり耳打ちした。

 

「いいか、この後彼らの集落に向かう訳だが。着いてから、最低三日はぶっ続けで酒盛りだ。無理に飲む必要はないけど、寝ずに起きとけよ」

「……は? 」

 

酒盛り? しかも丸三日? 理解が追い付かず目を白黒させているシュルトに、イナギはいや違うと訂正する。

 

「最低三日、長けりゃ1週間だ。砂漠に住む一族なんだけど全員おかしいくらい酒飲みなんだ。俺なんかハンター試験直前に飲まされすぎて、ハハハ、下手したら会場に辿り着けなかったかもな」

 

ナビゲーターだったのに狂ってるよな、なんて愉快そうに笑うイナギ。正直何が面白いのか全く分からないです。

この宴会が念能力に繋がるんだろうか。もしかして僕、師事する相手間違えたかなー。

能面のような顔と乾いた笑いをお供にして。

人生の不条理を噛みしめながら、そのままドナドナされていくシュルトであった。



[3446] 第十三話 『カサ族の宴』
Name: いづな◆c1592588 ID:feefa1cb
Date: 2023/09/19 15:53
若い娘達の生命力に富む澄んだ歌声。2種類の打楽器。そして大地踏み鳴らす踊り。

過酷な環境だからこそ、彼らの宴は必ず音楽と共に在る。

 

砂漠を生き抜く困難と覚悟を形にした、夜を見守る月のような歌詞。

そこに合わさる打音。刻みを入れた木片と、駱駝の皮を張った素焼きの陶器。その旋律なき伴奏には反響がない。紡ぐ音色は居留地を抜け、砂漠に染み入り消えていく。

遮るものなき無数の砂は、音すら容赦なく飲み込んでしまう。彼らの音楽を紡げるのは、水満ちて草茂るこのオアシスだけ。

だからこそ彼らは、この歌と楽器、そして踊りに、溢れんばかりの感謝を込めるのだ。

ここだけが自分たちの寄る辺であると。今日を生き延びられた感謝。そして願わくば我らの足音が、大気を目覚めさせ、命つなぐ雨雲となるように、と。

 

「これは……凄いですね」

「そうだろ? 俺も初めて見た時は言葉を失ったよ 」

 

自分たちと異なる価値観。積み重ねた文化が、敬意に値すると魂で理解できる。

彼らの音楽には、確かに何か心を打つものがあった。

 

「この歌も踊りも、すべて彼らの歴史だ。 そこには何か意味がある」

「そう、ですね」

「――つまり、彼らの酒宴も必要なことだぞ。しっかり楽しめよ」

「そう、ですかね? 」

 

え、それ要ります? 僕だけ修行でも全然いいですよ?

そんな言葉が喉から出てくる前に、師弟はそれぞれ手を引かれ人波の中心に運ばれる。

そのまま2人は、歓迎を出汁にした盛大な酒盛りに飲み込まれるのであった。

 

 

 

 

かささぎの梯

第十三話 『カサ族の宴』

 

 

 

 

エルベガ空港でウルザナと合流した後。

2人が乗り込んだピックアップトラックは、スタンドで給油だけ済ませるとすぐに街を後にする。

そして、そのまま揺られる事3時間。

跳ねる車体と一面の砂世界にいい加減飽き始めていた頃、一行はやっと目的地に到着した。

 

辿り着いたのは、まるでその場に似つかわしくない、木々茂り水溢れるオアシスだった。

一面黄色のキャンパスに、ポツンと青緑を垂らしたかのようなミスマッチ。

遠くに広がる砂漠がまるで別世界のように感じられるほど、ここは生命と色に富んでいる。

草木の中央に座すのは、豊富な水量をたたえる綺麗な湖。湖面では深紅に染まった数羽の鳥が羽を広げ、周囲にはバスケットボール大の毛玉が集まって何やらモゾモゾと動いていた。

オアシスの入り口でトラックが止まる。イナギは手荷物を抱えて扉を開ける。

すると目の前には、音を聞きつけて集まってきていたのであろう無数の老若男女。カサ族総出の出迎えである。

 

「え、なんでこんなに人集まってるんですか」

 

奥から降りてきたシュルトが若干引いている。

 

「試験前の宴で仲良くなったからな。そりゃもう人徳の」

「いや、あいつらはイナギが持ってくる酒目当てだ。期待しすぎて全員昨日から全く仕事にならなかった」

 

――そう言われてみれば、確かに視線はイナギではなくその手荷物に集中している。

確かに美味い酒持って行くと言いはしたが、君らどんだけお酒好きなのか。

ただ一つだけ言えるのは……

 

「これ、土産忘れなくてホントに良かったな」

「はい。目が血走っちゃってる人もいますし。忘れた日には暴動でしたかね」

 

少なくとも、修行どころでなくなっていたのは間違いなさそうである。

ほっと胸を撫でおろす先には、受け取ったイナギの手土産を掲げるウルザナと、謎のイナギコールを巻き起こすカサ族。

喜んでくれるのは嬉しいが、せめてこちらを見て欲しい。

 

 

そんなこんなで。

宴の前に、彼らのカサの守り神に奉納する歌と踊りがつつがなく執り行われ。

現在、イナギとシュルトはウルザナの真横に座り、あふれんばかりの料理と酒に舌鼓を打っていた。

供されているのは、今日のためにつぶしたというラクダをメインに、甲殻類らしき揚げ物やパンに汁物など種々限りなく。

味付けは意外と洗練されており、香辛料が効いていて率直に美味い。

 

が、その料理を味わう間もないくらい酒を勧められるのがカサ流である。

先ほどから挨拶に来る人がまったく途切れず、乾杯を受け、返杯を返すという行為を延々と続けている。

隣ではシュルトも酒を勧められ、キッチリと飲み干している。

あれ、お前なんで酒飲んでんの? え、自分の国では16からアルコールOK? そもそもお前12じゃなかったっけ?

 

「うちはちょっと特殊というか家庭の事情で……それに、大体お酒って少し早めに飲み始めません? 」

「うちの国も16からだが、俺が飲み始めたのはキッチリ今年の誕生日からだぞ」

「……4年なんて誤差ですよ誤差」

 

60歳の爺さんが言うならまだ分かるが、お前にとっちゃ人生の1/3だろ。

 

「今日は見逃すが、身体の成長には悪影響だからな。今後俺の弟子である内は禁酒で」

「え゛。ちょっとイナギさん、冗談ですよね。イナギさーん」

 

当然冗談などではなく。

イナギ師訓 第一条:飲酒は成人になってから。が制定された瞬間だった

そんな馬鹿な……と絶望に打ちひしがれる弟子をほっぽり出して、イナギはウルザナの方へ向き直る。

彼は浮かれる一族の様子を温かい目で見ながら、イナギが持ってきた中で一等いい酒をちびちびと楽しんでいた。

 

「イナギ、これは良い酒だな。ロマブにはないが、ロマブの料理によく合う」

「気に入ってくれたなら良かった。また今度来る時に、合いそうなやつ見繕ってくるよ」

 

対して、無言で杯を軽く上げみせるウルザナ。

壮年の風格というか、また一々絵になる奴である。

 

「さて、イナギの弟子に受けさせたいというカサの試練について、酒が回りすぎない内に話しておきたいことがある」

 

確かに前回以上の勢いで宴が盛り上がった場合、中盤以降で言われても覚えてられる自信は全くない。

イナギは座りを直して、ウルザナへ近寄った。

 

「想定よりも雨が早い。6日後だ」

「おぉ、かなり早まったな」

「カサの思し召しだろう。イナギを歓迎しているらしい」

 

ちなみにカサとは、彼らが奉ずる女神の名前らしい。

砂漠の支配者であり、一族に連なるものを助ける守り神。

その名を族名に戴くくらい、遥か昔から根付いた信仰のようだった。

 

「だったら宴が5日間、1日休んで試練ってな具合かな」

「そのことなんだが」

 

話を止め、ウルザナの探るような眼が正面から静かに射抜く。

 

「疑うわけではないが、シュルトといったか。あの弟子は大丈夫なのか? 」

「どういう意味だ? 」

「試練に臨む下地はあるのか、ということだ」

 

カサでも、あの年齢で受ける者は少ないぞ。

そう言う表情は一切変わらないが、どうやら心配してくれているらしかった。

 

――試練。即ち、カサ族成人の儀。

雨と共に移動するロマブ砂漠の固有種「ミズオイムカデ」の行進の、先頭から後尾までを生きて潜り抜けること。

ここで問題なのは、数にして100を優に超える人間大のムカデが、遮るものを強靭な顎で粉砕していく事である。

それは岩であろうと、木であろうと、生物であろうと。当然人とて例外ではない。

更にこのムカデ、水分を感知して襲う習性がある。

雨ならば常ほど鋭敏ではないが、僅かでも負傷し出血したなら群れを成して襲われるだろう。

 

可能な限り気配を消した上で、無数のムカデの間隙を見極め、安全地帯に身を滑り込ませる。少しでも乱れれば、まず死は避けられない。

生半可な者が挑むべきものではないというのは、その通りである。

ではあるのだが。

 

「今回のハンター三次試験は、興奮した獣から隠れつつ、闇夜の森を抜けて目的地を目指す課題だったんだ。その中でシュルトは、獣から一切騒がれることなく1キロは進んだからな」

 

しかも興奮を誘発する果実を持った上で、である。

敗因は、恐らく森という環境に慣れておらずバシャグモの糸を見逃してしまったこと。

そうでなければ自力合格の芽もあったと思える程度には、洗練された隠形だった。

 

「だからこと気配を消す事と、空間把握力については一切心配してないのさ」

「……そうか。ならば止めはしない」

「無理言って悪いな」

 

その言葉だけで信じてくれるウルザナ。本当にありがたい。

自然と下がった頭。気配が頷くのを確認してから、イナギはゆっくり身を起こす。

 

「厄介次いでにもう一つ。シュルトが試練を無事クリアして、こ・い・つ・が差したら、手伝いも頼むぞ」

「その時は、イナギも我々の同胞に指導してくれるんだろう? それはむしろ、こちらがありがとうだな」

 

ハハハと陽気に笑い合う二人。

そんな二人の頭上では、まるで笑うように。綺麗な小傘がクルクルと踊っているのだった。

 

 

 

 

 

△▼

 

 

 

 

 

やんややんやと宴も進み、日は暮れて初日の夜。

遮る雲のない砂漠の夜は存外明るく、しかし寒さは容赦なく攻め立てる。

その冷えを切り開くように始まる、巨大なたき火。

強まる火勢と同様に、カサ族も止まる所を知らないようであった。

 

「シュルト、楽しんでるか? 」

「あ、イナギさん! はい、もうめちゃくちゃ楽しんでます! 」

 

カサ族最高ー!! と酒杯を掲げてみせると、周りの連中が我先に駆け寄り自分の酒杯とぶつけ合う。

彼らのお酒は度数が高いので若干心配していたのだが、本人の言う通りめっちゃ楽しんでいるようで何よりである。

 

「イナギさんイナギさん、なんかこれから余興が始まるみたいですよ」

 

そうシュルトが指し示す先には、色鮮やかな衣装を纏った妙齢の女性たち。

全員が暖色系統のカラフルな組みひもを左手に付け、反対の手には色とりどりの大きな毛玉を載せていた。

一歩前に出た女性の合図で澄んだ歌声が響き、その後水面のように艶やかな踊りが始まる。

その音色と動きに合わせるように静止していた毛玉が動き始め、腕から肩、胸から指先へと流れるように移動していった。

 

「うわー、昼間の歌と踊りもすごかったですけど、僕はこっちの方が好きですね」

「こっちは華やかだよな」

 

話しながらも、その踊りに目を奪われ続けているシュルト。

周囲を見ると若い男どもは大体そんな感じか、もっとアグレッシブに囃し立てている。

その盛り上がりはヒートアップを続け、余りな喧噪具合にシュルトは目をしかめた。

 

「さすがにうるさ過ぎませんか? 」

「そう言ってやるな。踊ってる女性は、みんな左手に華やかな組み紐付けてるだろ? あれは未婚の証なんだ。 で、騒いでる男性も全員未婚だな」

「あー。これって、ある種のお見合いってことですか? 」

「そうさ。それに女性側をよく見てみろ、特定の方向ばかりを見て踊ってる人も多いだろ。あれは女性側からのアピールだな」

「……なんか、半分くらいの人がこっち見てないですか? 」

 

もしかして! と元気に立ち上がったシュルトは、全力で手を振りながらステージに近づいていく。

が、半分くらい進んだところでピタッと止まると、トボトボと肩を落として戻ってきた。

 

「視線、全くこっちに向きませんでした」

「まぁそりゃ、お前成人の儀を通ってないからな」

 

厳しい環境に生きるからこそ、彼らはその個人が持つ実力を重視する。

将来性を評価されることも勿論あるが、成人の儀すらクリアしていない子供が相手にされる訳がなかった。

 

「え、だとするとあの人たちみんなイナギさん目当て? そんな儀式いつ受けたんですか? 」

「ハンター試験の時に流れでな」

「それでそんなにモテるなら、僕も受けたいんですが! 」

「……そう言うと思って、1週間以内には受けられるよう頼んであるぞ」

 

ホントですか! さすがイナギさん!! と喜んでいるシュルト。

その気にさせる手間が省けたのは良かったが、お前、念への気概はどこへいった。それとこれとは別ですかそうですか。

 

「あと一応言っておくが、儀式後に誘惑されても手は出すなよ。子供が出来たら完全に一族の者と見なされる」

「見なされるとどうなるんですか? 」

「子供が成人するまで砂漠から離れられなくなる」

「そりゃ、責任とらないとですもんね」

「いやそれはそうなんだが、離れられないのは物理的な意味だぞ 」

「まさかの軟禁!? 」

 

まぁ操作系の念能力な訳だが。

カサ族怖い。と呟いているシュルトの頭に、イナギはポンっと手を載せた。

 

「そういう訳だから気をつけろよ。具体的には寝入った後とか、夜這いとかそういうの」

「あの、やっぱりぼく遠慮しとくことに」

「ない。これは修行の一環だ」

「ぼく、なんでここに来ちゃったんだろう」

 

性的な襲撃を警戒せねばならず、しかも大当たりなら砂漠監禁。

ペナルティのデカさに遠い目をするシュルト。砂漠が嫌なら是非頑張ってほしい。

そんなことを話している内に踊りは終わり。

料理とお酒に舌鼓を打っている2人のもとに、カサ族の青年が近寄ってきた。

 

「イナギさん。もし可能であれば、前回お見せいただいた演武を今一度見せて頂けませんか? 」

 

心源流の型のことである。

以前の宴の際に余興として披露したのだが、どうやらそれなりに気に入ってもらえていたらしい。

それは嬉しくあるのだが。

 

「うーん、同じってのも芸がないしな……そうだ、シュルトお前何かやって来いよ」

「めっちゃ雑に振りますね! 」

「ほら、確かお前試験でナイフ使ってただろ。的当てとか出来ないのか? 」

「まぁ、得意ですけど」

 

じゃあやって来い、師匠命令だ! なんて背を押した後、それでいいですかね? と御用聞きの青年に確認する。

一瞬戸惑ったものの、それではお願いします! と笑顔で返事してくれた。

 

「分かりましたよ。じゃあすいませんが、何か的になるような果物とかありませんか? 」

「大きさはどのくらいがいいですか? 」

「どんな大きさでも大丈夫ですが、女性が持てるくらいだと盛り上がると思います」

 

そんな会話の後。

果物を取りに行った青年をよそに宴会の中央に向かっていたシュルトは、その途中にいた一人の女の子に話しかけた。

年のころは9歳くらいだろうか。顔立ちが整っている、快活そうな少女である。

 

「急にごめんね。お願いがあるんだけど、ちょっと協力してくれない? 」

「私? なにをすればいいの? 」

「僕と一緒に前に出て、果物を持って立っていて欲しいんだ」

 

青年が持ってきた小ぶりのメロンを3つ受取り、それを女の子に見せる。

分かったわ! と少女は頷くと元気よく立ち上がり、シュルトと連れ立って歩いていく。

が、衆目が囃し立てる前で両手と頭にメロンを乗せられ、シュルトがナイフを取り出すと目に見えて慌て始めた。

 

「ちょっと待って! 私これからそのナイフを投げられるの? 」

「君にじゃなくて、そのメロンにだよ」

「同じことじゃない! 失敗したら死んじゃうわ、他の人に頼んでちょうだい」

 

怖気付き、メロンを投げ出し逃げ出そうとする少女。

シュルトは素早くその手を取って、軽く抱きしめ耳元でささやいた。

 

「あっ」

「大丈夫、僕を信じて欲しい」

 

初めての経験だったのだろう。

一瞬でリンゴみたいに真っ赤になった少女が、小さくコクリと頷く。

その一連の流れを見せられて盛り上がるカサ族。男の野太い歓声と、女性の黄色い悲鳴がこだまする。

そこに混ざる地響きのような怒声。シュルトと同じくらいの年かさの少年たち。そしてその中心で咆哮する30くらいの男性である。

特に男性の様子は凄まじく、涙を流しながらアイヤナ騙されるな、アイヤナァアアアア!!と叫んでは、傍の女性にフライパンで沈められていた。

 

「名前、アイヤナっていうんだね。アイヤナ、怖かったら目を閉じてて」

 

置物のように動かなくなった女の子の両手と頭に再度メロンを載せ、シュルトは20歩ほど離れる。

腰元から数本ナイフを手に取ると、騒ぐ観客を落ち着かせるように両手を宙に挙げた後、無造作に右手を振り下ろした。

右側の果実ど真ん中に突き刺さるナイフ。更にもう一振り。吸い込まれるように左手のメロンに突き刺さる。

人々の盛り上がりと両手への振動から、少女は最後に残るのが頭のみという状況に気づいたらしい。

健気に開けていた瞳を潤わせて、正面の一人だけを見つめている。

そのすがる様な視線に気づいたシュルトは、にっこりとほほ笑んだ。

 

「――信じてくれてありがとう」

 

直後、水平に打ち振るわれる手。放たれるナイフ。

狙いは過たず、少女の10センチ上方。果実のど真ん中に突き刺さった。

 

成功に立ち上がる観客。湧き上がる喝采。

切れ目なく続く賛辞をよそに、シュルトは少女へと近づいて、掴んだその手を一緒に掲げる。

惜しみない拍手はより大きくなり、しばらく鳴り止まないのであった。

 

 

 

 

 

△▼

 

 

 

 

 

その後カサの男性連中にもみくしゃにされ、飲め! と出される酒を全部平らげたシュルト。

若干の疲れが見えつつも、満面の笑顔でイナギの元へ戻ってきた。

 

「イナギさん、見ててくれました? 僕もやるもんでしょう 」

「10m以上離れてズレなくど真ん中。大したもんだな」

「物心ついたころからずっと続けてますからね! 家の男は全員ナイフの扱いを仕込まれるんですが、僕は投げる方が得意なんです 」

 

得意げに教えてくれるシュルト。

場も盛り上がったし、シュルトの腕も見れたし、それはそれでよかったのだが。

 

「非常に良かったが、ちょっとアピールし過ぎたかもしれないな。……お前、確実にロックオンされたぞ」

 

そう言って、親指でクイッと背後を指し示す。

そこには先ほど協力してくれた少女――アイヤナが、ボーッとした顔でシュルトの方を見つめていた。

 

「――あれ、あの子まだ小さいから組み紐してないですよね。だったら問題ないはずじゃ」

「何言ってんだ、お前も子供枠だし、将来性も加味するって言っただろ」

 

左手に組み紐つけてるくらいの女性であれば、相手されないという意味でむしろ安全だったかもしれない。

が、相手は子どもでシュルトも子ども。

一番可能性がある年ごろの所にピンポイントで行って、思いっきり粉掛けて、しかも超好印象を持たれるなんて想像できるか。

 

「夜寝る時はホント気をつけろよ。同衾でもしようものなら、マジでここから帰してもらえなくなるかもしれないぞ」

「そんなぁ、イナギさん助けてください!! 」

「シュルトー、こっち来て一緒にご飯食べよー」

「イナギさああああん」

 

可愛らしい見た目に似つかわしくない強い力で、ズルズルと引きずられていくシュルト。

弟子の前途を思い、思わず合掌するイナギであった。



[3446] 第十四話 『カサ族の試練』
Name: いづな◆c1592588 ID:bee63350
Date: 2023/09/19 15:54
カサの宴は燃えに燃え、本当に5日間休みなく続いた。

飲めや踊れやのどんちゃん騒ぎ。人の尊厳をかなぐり捨てて、文字通り浴びるように飲んだ日々。

記憶も結構頻繁にお出かけをしていて、最終日はほぼほぼ行方不明であった。

 

――そうして、宴が終わって15時間後。

イナギはジリジリと上昇する気温に根負けして、重い目を開け身を起こした。

そこは木の棒を支柱として建てられた、円錐形の天幕であった。恐らくカサの誰かが放り込んでくれたのだろう。

続いて全身を確認するも、衣服に異常はなし。どうやら意識がなくても防衛本能は働いていたらしい。

続いて隣でグースカ寝ているシュルトの確認をするも、どうやらコイツも大丈夫そうだった。

ほっと一息ついて、寝かされていた天幕を抜け出す。すると近くで宴の片付けをしていたウルザナが寄ってきた。

 

「イナギ、起きたか。早かったな」

 

昨日は大分盛り上がったからな、なんて話すウルザナの顔は朗らかである。

周囲のカサ族の人も同様で、ストレス発散になったのか宴前よりイキイキしていた。

 

「片付けもせず寝ててすまなかった」

「客人は容赦なく飲まされるからな。気にするな」

 

休んでていいぞと言われるが、むろんそんな訳にはいかず。

そこから片付けを手伝うこと30分。

まぁ、なんということでしょう! オアシスは綺麗な様相を取り戻していた。

 

「さて、では成人の儀についてだ。雨まではまだ時間があるが、場所が結構先だ。早く出発した方がいいな」

「ならさっさとシュルトを起こして準備」

「おはようございます! さぁ、今日から念の修行ですよね!!」

 

バサっと天幕の帷を分けて、勢いよく出てくるシュルト。

イナギとウルザナは目を見合わせると、同時に無言で頷き合った。

 

「よし確保!!」

「トラックはそこだすぐ出すぞ」

「っていきなりなんですかあああああ」

 

そんなこんなで容赦なくアブダクション。

担がれて連行されるシュルトは、事態が飲み込めないままカサのオアシスから連れ去られるのであった。

 

 

 

 

かささぎの梯

第十四話『カサ族の試練』

 

 

 

 

目の前にあるのは、砂漠のど真ん中に似つかわしくない、巨大なキノコ型の建造物。

金属で作られたそれの高さは優に50メートルは超えており、傘の部分は水平な円形。つまり、ハンター予選の発着場である。

そこから離れること約1キロ。イナギ・シュルト・ウルザナの3人は、大岩の上からそれを眺めていた。

中でも初見のシュルトは、意味が分からない建造物に目を白黒させている。

 

「何ですか、あの変な形の鉄塔。新種のキノコじゃないですよね」

「飛行船の発着場だよ」

 

飛行船? ここに? と見回すシュルトの目に入るのは、熱された砂と岩ばかり。

いや、もう一つあった。

 

「じゃあそこらに散らばる金属の残骸は?」

「ミズオイムカデの食べ残しだな」

 

両方ともハンター予選の名残りである。

 

「え、ムカデ? ミズオイ? 」

「見せた方が早いな。イナギ、コイツをなるべく遠くに投げ込んでくれ。届くか? 」

「誰に言ってるよ。短過ぎるくらいだ」

 

戦慄するシュルトを他所に、ウルザナは蓋を軽く閉めたペットボトルを放ってくる。

受け取り、握りを確かめてから振りかぶって遠投。

透明なそれは太陽の光を反射させながら綺麗な放物線を描いていき、地面にぶつかった衝撃で蓋が外れる。

散らばる水。瞬間、地面から飛び出してくる人型サイズのムカデ。

それが止めどなく次から次へと襲いかかり、あっという間に褐色の球体が出来上がった。

 

「あれがミズオイムカデだ」

「シュルトくん、君にはこれからあの大群の行進の中気配を消し続けてもらいます」

「死にます」

 

そう言い切るシュルトの目からは、既に死んでるんじゃないかってくらい光がなかった。

 

「そもそも、僕なんでそんな事しなきゃならないんですか? 」

「受けたいって言ったじゃないか」

「誰が? 」

「お前が」

「いつ? 」

「宴の最中、カサ族の成人の儀式受けたいって。ほら、クリアするとモテるやつ。ハニトラには気をつけろよって」

 

……あぁ〜、あれね。確かにあったねそんな話も。

その時の会話は、シュルトの脳裏に確かに残っている。が、だれがこんなシビアな試練だと思うのかと小一時間。

 

「やっぱり僕いいです。まだ暫く子どもでいたいです」

「そんなシュルトくんに朗報です」

 

後ずさって逃走も辞さない構えのシュルトに対し、イナギはまぁ待てと声をかける。

 

「この試練、クリアすると念が使えるようになります」

「ありがとうございます試練行ってきます! 」

 

転身して全力で突っ込もうとするシュルト。

流石にそんな状態のままだと本当に死にかねないので、起こりで転ばせて落ち着かせる。

拳骨で短慮を咎めた後で、ウルザナと2人でかくかくしかじか。

 

「なるほど、砂漠に適応する為に水の匂いを感知するムカデですか。だからここにくる前に用を足したし、水も飲ませてくれなかったんですね」

「酒飲んだ後、しかも寝起きだから身体の中カラカラだろ? 」

「はい、もう汗一滴出ないです」

 

ならば、この試練のためのベストコンディションである。

 

「まぁ雨降ってる時は基本大丈夫みたいだからな。あ、流石に触れたら襲ってくるから、mm単位でも掠るなよ」

「それだけ乾いてたら大丈夫だとは思うが、呼気にも気をつけろ。出来れば息はするな」

「何ですかそれ、死んじゃいますよ」

「精々数分だから死にゃしないさ。落ち着いたか? 」

 

はい、とゆっくり頷いてみせるシュルト。

髪はボサボサだし、皮膚はカサカサ。水分が足りなさ過ぎて、肩で息する有様だ。

が、その目だけは爛々と輝いていて。これは大丈夫だとイナギは確信した。

 

「そら、タイミングピタリだ。雨が来たぞ」

 

そう言ってシュルトを担いで岩を降りると、ウルザナに指示されたポイントまで連れて行く。

振り出した雨を感じたのだろう。

2人のすぐ先で、黒光りする無数の甲殻が、砂を割ってゆっくりと出てきてた。

 

 

 

 

 

 

 

▽▲

 

 

 

 

 

 

シュルトは激怒した。

必ずあの邪智暴虐な師を、いつか分からせてやると決意した。

シュルトには念が使えぬ。けれどもそれを騙る悪意には人一倍敏感であった。

 

(これで念に目覚めなければ、絶対に一発入れてやる!! 絶対に!! )

 

正直、水分不足で若干意識が朦朧としていた。

そこに投げられた「念」の言葉にやる気を出して、元気よく返事をしたような気もする。

そこからは急転直下。ぼーっとしながら会話してたら、気づいたら担がれて無理やり立たされる。

――そうしてフッと我に返った時、20m先には死の大群が広がっていた。

 

赤黒い頭部に、テラテラと光る褐色の胴。節からは百を超える脚が飛びており、身体を左右に揺らしながらゆっくりと前へ進む。

天高く掲げられた2本の触角は、雨に触れるたびに微かに揺れている。

しかし彼らの2対の目は、退化しているからだろうか。何かを映す事はなく、何かが浮かぶこともない。

その行進は虚無。プログラムされた機械が歩を進めるように、粛々とその時は近づいてくる。

 

シュルトの左前方にあった巨岩に、先頭の1匹の触角が触れる。それと同時に出来上がる暗褐色の球体。

もぞもぞと暫く蠢いていたが、数秒でスルッと解けて歩みに戻る。残るのはパラパラと舞う無数の砂だけだった。

 

心臓がうるさいくらい鳴っている。

ここまでくれば、もう最後尾を抜けるしかないことは痛いほど理解できた。

 

そして、正面の触角がシュルトを超える。

呼気を抑え、僅かに移動。間隙を見極め、流れる安置に身を滑り込ませる。

彼らは真っすぐ進まない。捻りながら進む為、周囲の空間すべてを知覚する。

気配は抑え、ただ流れに乗る。移動、待機。また移動。5秒10秒先の未来を見極め、ただ冷静にそれをなぞる。

 

あれだけでないと思っていた汗だろうか。雨かもしれない水滴が、シュルトの眉に溜まっていく。

晴れの日であれば、今この瞬間にムカデの中だろう。そんな些事を即座に捨てて、ただ雨の中に紛れて消える。

 

……そのまま、どのくらい経っただろうか。

一瞬だったようにも、永遠にも思える濃縮された時間が過ぎて。

 

「お疲れ様、よく乗り越えたな」

 

頭への軽い衝撃。

ポンっと乗せられた掌の感触で、ふっと意識が浮上する。

ミズオイムカデの群れは遥か後方。シュルトは無事、カサ族の試練をやり遂げていた。

 

「非常にスムーズだったな。良い試練だった」

「だろ、俺の弟子だぞ。そりゃこんくらい朝飯前よ」

 

なっ! とウキウキした顔で微笑みかけられるも、次第に湧いてくる怒りが全身を満たしていき。

 

「まだ……」

「まだ? 」

「まだ、何も教えてもらってないわあああああ!!」

 

思わず本気で殴り掛かるシュルトに、ハハハこ奴めと受け切るイナギ。

その傍らで楽しそうにプカプカ煙管をやるウルザナ。

――そんな彼らを上から見守るように、頭上に浮かぶ3本の小傘。

まるで踊るかのように、クルクルと楽しげに舞っている。

 

これこそが、ロマブに来た目的そのもの。

念の覚醒を促す、カサ族に伝わる徴収型の念能力であった。

 

 

 

 

 

△▼

 

 

 

 

 

――カサ族の長が代々継承している念能力

『砂漠の乙女(デザート・アンブレラ)』

 

砂漠の厳しい環境を生き延びる為に作られた、徴収型・操作系の念能力。その特徴は、カサ族の相互扶助である。

まず小傘を差された者の精孔が閉じている場合、垂れ流しになっているオーラを留めてくれる。疑似的な纏であり、赤子や老人の生存率を飛躍的に高められる。

一方精孔が開いた者からは、オーラの一部を徴収。そのオーラを使い、小傘が差された者全員に"ロマブの生物から餌や敵と看做されない"念を付与しているのだ。

 

試練は全部で11あり、クリアする度に能力が解放されていくらしいのだが、今重要なのはこの第一段階。

つまり擬似的な纏が可能な状態なら、精孔を無理矢理起こしてもオーラが枯渇して死亡する恐れは無くなる。

こじ開けるリスクを極限まで減らせる、とても修行向けの発なのであった。

 

「それで、その疑似的な纏っていうのを僕はいつになったら使えるようになるんでしょうか」

 

説明を聞き終えたシュルトは、実感が湧かないのか訝しげな表情である。

 

「もうなってるぞ。例えば、そうだな。試練前までと比べて、少し涼しくなったと思わないか?」

「……言われてみればそんな気もしますけど」

 

もう昼近いのに凄いだろぉと言うも、それだけなのかと不満気なご様子。あくまで擬似的なものなので、纏と比べると効果は控えめだからなぁ。

このまま無理やり起こしてもいいのだが――シュルトの精孔の開き方を見るに、もしかしたら行けるかも知れない。

 

「よし。シュルト、俺の頭の上に何か見えないか?」

「イナギさんの頭の上ですか? 特に何も……いや、ちょっと待ってください。なんか空間が揺らめいてるような」

 

ビンゴ。いけそうである。

 

「そのまま。その揺らぎに集中してみろ」

「はい。えっと……透明な台風? 何かがゆっくり回ってるような気がします」

「ようしよし。当たらずとも遠からず、だな」

 

やはり、愚直な燃の賜物だろう。想像以上にオーラの知覚が早い。

垂れ流していたオーラが体表に留まった今、見ることを意識しただけで、目の精孔がどんどん開いている。

 

「そう、それが今話したカサ族の小傘だ。拳を一回り大きくしたくらいの傘だな。くるくる元気に回ってる」

 

むむむ、と何もないはずの空間を凝視するシュルト。それを手で遮って、いったん止める。

 

「ちなみにさっき話したように、こいつは既にお前のオーラを留めてくれてる。そっちを意識してみると、何か感じ取れないか?」

「えぇっと、あ、さっきよりもなんか暖かいかも。お風呂入ってるみたいですね」

 

ちょっと集中してみますと言って、目を瞑って意識を内側に向ける。

するとその深さに比例するように、まるで古い角質が剥がれ落ちるみたいに全身の精孔が開かれていく。

立ち上るオーラの勢いが加速度的に増していき、小傘はその勢いでぴょんぴょんと飛び跳ねては頭の上に戻ってきている。

そして5分後。シュルトの精孔は完全に開かれた。

 

「これが、念……」

「その通り。これこそが、お前が何年も夢見ていた"念"で間違いない」

 

シュルトの全身からは、湯気のようにオーラが立ち上っている。

まるでヤカンの注ぎ口から噴き出す蒸気のようなそれは、シュルトの生命エネルギーそのものである。

このまま出し尽くせば疲労困憊は免れず、その状態が続くと生死に関わる。

が、通常霧散して空気中に消えるオーラは、身体から50cmほどの所で、大きく開いた傘地によって押し戻されている。

何やらこの念、イナギの想定を大きく超えて、念習得に有用過ぎる発である。

これが公になったら中々大変なことになるかもしれない、なんて考えが頭に過ぎるも、

 

「――さて、それじゃあ次だが」

 

一新人ハンターが出来ることは何もないので、それは捨て置き先を進める。

感動に水を注されたシュルトはちょっと何か言いたげだったが、一々感動されてたら切りがない。

 

「いいか、今は小傘が代わりに纏を行ってくれているが、それじゃロマブを出たらすぐに生命エネルギーが枯渇するぞ。自分でオーラを留めようと念じながら構えてみろ。

身体から出たオーラが、血液のように全身を巡っていると想像してみろ。目を閉じて頭のてっぺんから右の肩、手足と通り左へ。そして流れがゆっくりととまり、体の周りで揺らいで――」

 

イナギの言葉を受け、その場で目を瞑り自然体で取り組むシュルト。そのオーラの揺らぎを見て、適宜指示していくイナギ。

――そうして30分。

途中コントロールを失って傘が幾度も大きくなりながら、シュルトは何とか安定した纏をマスターした。

 

「ふむ。終わったようだな」

 

ここまでの間、イナギの指導を静かに見続けていたルザナが話しかけてくる。

 

「いきなり修行始めて悪かった」

「いや、興味深かったから気にしないで欲しい。とても良いものを見させてもらった」

 

疲労困憊のシュルトを見る表情と声音から、どうやら本当に感心しているようである。

その顔がクルリと動き、脇のイナギにも注がれる。

 

「シュルトだけではない。お前にとっても初めての教え子なんだろう? 中々堂に入った教え方だったぞ」

 

これならすぐにでも、若い奴らに教えて欲しいくらいだ。

なんて真正面から褒められて、少しばかり面映い。

ポリポリ頬をかきながら、シュルトのついでならまぁと返すと、うむと大きく頷かれた。

 

「しかし、ハンターというのは本当に念に詳しいんだな。 今度来るやつにも期待が持てる」

「――今度来る? ハンターが? 」

 

『カサ族の発は、念習得に有用過ぎる』

先程切って捨てた嫌な予感。取るに足らない筈の会話の奥から、むくりと鎌首をもたげてくる。

 

「あぁ、ハンター試験ナビゲーターの報酬の1つとしてな。 あまり期待してなかったが、中々良い交渉だったようだ」

 

してやったと言わんばかりのウルザナは、全く感じていないそれ。

真綿で首を絞めるような、気づいたら自ら巻かれにいくかのような。

 

「ちなみに、その交渉にはどういう奴が」

「うむ。かなり上の立場だぞ。何と言ったってNo.2だからな」

 

残酷な悪戯。優しい悪意。

ハンター協会本部のビルの上で見た、無邪気で残酷で無機質な双眸は。

 

「イナギも知っているだろう? パリストンと言ったか、アイツの頼みを聞いたのは間違いではなかったな」

 

掴みどころの無い倒錯した愛情が、カサ族を包み込もうとしていた。

 

 

 

 

 

△▼

 

 

 

 

その後、居留地に戻ったイナギ達を待ち受けていたのは、初日同様トラックを取り囲むカサ族だった。

同時に鳴り止まない宴シュプレヒコール。

 

「よろしい、ならば宴だ」

「それはもういい!」

 

え、何言ってんだコイツみたいな目を向けられるも何とか押し留めたイナギは、この酒好きだけは何とかならんものかと溜息をついた。

 

そうして、その日から毎日シュルトを扱く日々が始まる。

時には合間に。時には合同で。カサ族の指南もしながら、弟子への修行は緩めない。

その密度を全て押し込めるように、かつての無念を過去にすべくシュルトは驚異的なスピードで念を会得していく。

その速度たるや、カサ族首脳陣が真面目にハニトラを検討するレベル。

既に四大行は一通り納め、水見式の結果系統は放出系。系統に合致する応用技"円"も既にマスターした。

 

――そうして4ヶ月と少し。

師弟がロマブを出る日がやってきた。

 

「イナギとシュルト。本当に残らないか? 」

「あぁ。悪いがやらなくちゃいけないことがあるからな」

「僕もカサ族の皆さんは好きですが、ここに永住するのはちょっとですね」

 

まだまだ学び足りないので、イナギさんと離れるつもりはないですし、とシュルト。 なおイナギの側も、初めて人に教える事で実力の向上を実感しているため、既に中途半端で放り出す気は失せている。

強さへの貪欲さという点で、何気に似た2人であった。

 

「そうか、ならば仕方ない。無理強いして嫌われては本末転倒だしな。だが、我々はいつでも歓迎する。是非またその道が交わらんことを」

 

優しくも深い眼差しで惜しむウルザナに、思わず感じ入る2人。

その気持ちを知ってか知らずか、2人の肩にゆっくりと手を置いて。

 

「……それで本当に、本当に別れの宴はしないのか? 」

 

今生の別れでもここまで出ないってくらい、先ほどよりもよっぽど深刻なトーンであった。

 

「さすがに長居し過ぎたからな。しないぞ」

「……少しだけでもどうだ? 」

「少しならいいけど、少しじゃ終わらなかったからね! 」

 

なお修行の労を労うと言って始まった宴は、軽く3日続いた。

イナギの断固たる決意に意気消沈しているウルザナは、まるでびしょ濡れでテンション下がった大型犬のようである。

 

――パリストンに対する警告は、現状手詰まりになっていた。

流石というべきか彼の人格的評価は思いの外高く、実力不安もイナギのお陰で解消してしまったが故である。

ただ、何かおかしい様子があれば必ず連絡をする事だけは約束させた。

その時こそ、イナギの人脈が役立つかもしれない。連絡と付け届けは欠かさないようにしよう。

パリストンと敵対してるっぽい牛柄のダブルハンターを思い出しながら、イナギはギュッと携帯を握りしめる。

 

そしてそんな師匠の傍で、シュルトはカサ族の女の子と別れを惜しんでいる。

今回イナギが面倒を見たカサ族の中で一番伸びたその子の名前は、アイヤナ。シュルトの余興に付き合ってくれた、彼にホの字のあの子である。

シュルトのように下積みがないのに迫る成長を見せた彼女の系統は、純粋な強化系。

別れを厭う気持ちからか段々と強まるパワーハグに、シュルトの顔からはゆっくりと笑みが薄れていったりした。いとをかし。

 

――そんなこんなで、カサ族との別れを済まし。

行き同様ウルザナに空港まで送り届けてもらった師弟は、天空闘技場へ向かう飛行船を予約する。

残念ながら直行便は満席。ハンターライセンスを出せば問答無用で乗り込めるのだが、厄介事も引き連れてくるので、その次に早いパドキア共和国経由を2枚購入。

出発まで時間がなかったため駆け足でチェックインした二人は、現在機上の人となっていた。

一面に広がる砂世界があっという間に遠くなり、次第に雲海に隠れて見えなくなる。

そのまま高度が上がり、大きな山脈を越える。食堂で遅めのランチをしていた二人の頭上から、ポンッ破裂音が聞こえてきた。

 

「あれ、何か音が」

「俺の上見てみろ。何か気づかないか? 」

「えぇっと、子傘が、見当たらないですね」

「そうだ。カサ族の発『砂漠の乙女(デザート・アンブレラ)』は強力な念だが、その効力が及ぶのはロマブ砂漠のみ。後で話すが、制約と誓約というやつだな」

 

制約と誓約! と、新しい知識に前のめりになる弟子を落ち着かせる。

小傘が消えた今、しておかなきゃいけない確認があった。

 

「その感じなら大丈夫だと思うが、きちんと纏は出来てるか? 」

「そんなの当り前で……あぁ、なるほど。小傘が消えてオーラ留める念がなくなったからですか」

「その通り。ロマブにいる間は纏を補助してくれるからな。纏が揺らいでるなら、基礎修行やり直しだったが」

 

一応、そのまま"練"や"絶"、"凝"もさせてみるも全く問題なし。

『砂漠の乙女(デザート・アンブレラ)』なしでも、シュルトは四大行をしっかりと修め切っていた。

 

「よし、大丈夫、と。じゃあシュルト、裏ハンター試験合格だな。おめでとう」

「裏ハンター試験? なんですかそれ、僕ってまだハンターじゃなかったんですか」

「そうさ。念法の会得はハンターになる為の最低条件。何故ならプロのハンターには"相応の強さ"が求められるからな。念を身につけない内は、プロハンター見習いといった扱いなのさ」

 

ハンター10ヶ条のうちの1つ、最低限の武の心得。即ち念の習得。それを会得したシュルトは、今初めて真のプロハンターとなった。

って事は、その旨協会に報告しないとな。天空闘技場に戻ったらビスケにしてもらえばいっか。

ついでにパリストンの事も相談しておこう。

 

そんなことをつらつらと思いながら、より一層やる気を出しているシュルトを温かく見守る。

もう眼下に広がるのは、白と青が混ざった空と海の世界。

遮るものは何もなく、目的地へ向けて一直線に進んでいく。

そんなこんなで、二人はじゃれあいながらエルベガを後にするのだった。



[3446] 第十五話 『ウォーフェット一家①』
Name: いづな◆c1592588 ID:bee63350
Date: 2024/03/25 11:26
ロマブを発つ目途が付いた時、イナギはすぐにビスケのホームコードへ連絡していた。約1週間前の事である。

が、それから待てど暮らせどなしのつぶて。イナギに返信が来ることはなく、出立の日を迎えてしまった。

修行場所の確保やシュルトのモチベーションアップ等を兼ねた天空闘技場行きであったが、あわよくばビスケの魔法美容師マジカルエステで、修行効率を高めようとしていた側面も否めない。

その為飛行船に乗り込んですぐウィングに連絡してみた所、返ってきたのは「急なハント入ったって置き手紙残して、この前出て行きましたよ」という答えであった。現実は非情である。

 

「それはそれとして、シュルトの裏試験合格の報告はウィングに頼むか」

「そんな事よりイナギさん! このまま修行しながら一緒に200階目指しましょうよ!! 」

「あ~、金が尽きたらな。尽きたら考えるよ」

 

なお手持ちがホント心許ないので、そんなに先ではない模様。

旅団の情報集収集を考えると先立つものはいくらでも必要であり、高額なファイトマネーは超魅力的である。

とはいえ、情報漏洩が怖すぎるんだよなぁ……。

 

そんなこんなで、予定通りパドキア共和国に到着。そこからは電車で天空闘技場へ向かう。

ここまで一度もライセンスは利用していない為、不埒な輩の襲撃などもなし。闘技場まではかなり距離がある為、途中の町で一泊した事もあり至極快適な道中であった。

――そうして、師弟は再び天空闘技場へと到着した。

二度目だが、何度見ても圧倒される規模である。世界第4位の高層建築物は伊達ではない。

そしてこの日はたまたま週末。魅力的な試合が組まれているのか、とんでもない人出であった。

 

「よし、とりあえずウイングたちの部屋向かうぞ。何号室だっけ 」

「3065だった筈ですが、もう変わってるんじゃないですか」

「んー、かもな。とりあえず連絡入れてみるか」

 

そんな会話をしながら、人混みを縫うようにして正面入り口からメインエントランスへ。

過密さはますます増し、特に中央に設置されている大型モニター付近は団子状態。恐らく人気ある闘士が試合でもしてるんだろう。

ケータイでウイングへの文面を作りながら、何気なく目を向けてみる。

――そこで、イナギはピキッと固まった。

 

「あれ、イナギさん。どうしたんですか、イナギさーん」

「……おいシュルト、お前はアイツの顔に見覚えあるか? あの、今モニターに映ってる」

「どれです? あぁ! あの人ってハンター試験受けてましたよね。確か名前は」

 

え~っと、ちょっと待ってください、今思い出します。

記憶を掘り返すシュルトの後ろで、同じくモニターを見ていた2人の男性の会話が耳に飛び込んでくる。

 

「ゲッ、マジかよしまったー!! 今日死神の試合だったのかよ。チケットとってねー!! 」

「死神? 誰それ」

「お前マジかよ。ほら、今熱いカストロいるじゃん? それを200階初挑戦の時にボコボコにしてた」

「ああ、お前が生で見たって興奮してたアイツか。休みがちな死神ヒソカ 」

「そう! ヒソカですよイナギさ……イナギさーん? 」

 

――あぁ、俺の見間違えじゃなかった。見間違えであってほしかったけど。というか何でアイツここにいるのか。

いやよく考えればあんだけバトルジャンキーなんだからここにいても不思議じゃないけど。むしろなんで考え付かなかったのか自分!

後悔先立たずだが、幸い奴の試合は間もなく始まるようだ。

それが終わる前に、イナギが今すべきことは1つだけ!

 

「シュルト。直ぐにここを離れるぞ」

「え、なんですか急に。せっかく来たのに」

 

というかどこ行くんですかというシュルトだが、イナギの返答は決まっている。

 

「どこへ行くか、だと? それはな、どこでもいい!とりあえず空港、そして別の国へ移動だ!! 」

 

このまま此処にいてみろ、アイツは嗅ぎ付けて必ず来る!

そしたら即バトルの続き。しかも今度こそバーリトゥードなんでもアリの可能性がひっじょうに高い!

 

「事情は後だ、とにかく行くぞ! 」

「ズシ達には会わないんですか? 」

「後で連絡入れておくから」

「えー。せめてヒソカの試合だけでも」

「絶対にノウ!! 行くぞ!! 」

 

渋る弟子には取り合わず、足早に闘技場を出てタクシー乗り場へ。

大丈夫、今はこのイベント目掛けて人が詰めかけている。だからタクシーはすぐに捕まるはず。

ちょっぱやで空港に向かいすぐに飛行船に乗れれば、試合が終わる頃にはこの地とはおさらばだ。よし、逃げ切れる!

シュルトの「ホントに寄らないんですか!? ねぇ、イナギさん! 待ってくださいよ!」という声を背中に聴きながら、イナギは来た道を駆けていくのだった。

 

 

 

 

かささぎの梯

第十五話『ウォーフェット一家①』

 

 

 

 

飛び乗ったタクシーの運転手にライセンス見せた所、こちらが驚くくらいぶっ飛ばしてくれた。途中警官に止められるも、これまたこのライセンスが目に入らぬか! で解決である。癖になりそう。

そうして、最寄りの空港に到着である。

ここで「とにかく早い飛行船に飛び乗る! 」となるのは只の素人。

実は飛行船のチケットは、ちょっとした操作で誰が何処へいつ行くのかが簡単に分かってしまうのである。

そこで重要なのは、チケットを複数とって目的地をバラけさせること。

ヒソカを確実にまく為に、お金と安心をトレードオフ。泣く泣くダミーを3便✖️2人分お買い上げである。

 

「それでイナギさん。どこへ行くんですか」

「それなんだよな。流石にロマブにとんぼ返りするわけにもなぁ」

 

格好がつかないというのもあるが、今回の件で薄い財布が更に薄くなった。本格的に稼がないと不味いが、ロマブでは稼げそうもない。

ビスケと修行したあそこなんかも修行には最適なんだけど、ドがつく田舎だから稼げないんだよなぁ。

しかし、ここで唸り続けてる訳にもいかない。どこに行くかは、運命のサイコロに委ねるしかなさそうである。

何が出るかな、と始めようとしたイナギ。それを止めたのは、何か決意を固めたようなシュルトであった。

 

「――イナギさん。僕、1つ提案があるんですけど」

「なんだ? 」

「目的地、僕の実家とかどうでしょうか」

「ふぅん、場所どこだっけか」

「ソレアリア共和国の端っこ、イオリア島です。アイジエン大陸の北西部なのでちょっと遠いですけど、家でかいですし、土地も余ってるので修行ならいくらでも」

「とすると、ここから2日くらいか」

「そうです」

 

中々悪くない提案である。

 

「んー、けどなー。弟子の家に世話になるってのも、やはり格好がなー」

「……それに実家なら、イナギさんになら儲かる仕事も紹介出来ると思いま」

「よしシュルト君のご実家にお邪魔させて貰おうか。すいませんイオリア島行きの飛行船空きあります? 30分後? じゃあそれ二席予約。現金で」

 

鍛え持った体捌きで人波を縫い、チケットカウンターで即購入。

おそろしく速い移動。弟子でなきゃ見逃しちゃうね。

 

そんなこんなで無事にチケットを買った2人は、そのままスムーズに乗船した。

ダミーが利いたのか念の入れすぎだったのか、ピエロの影も形もない、至極快適な空の旅。

――そうして2日後。

安全なフライトを終えた2人の姿は、ソレアリア共和国はイオリア島の空港にあった。

 

「ここからは、タクシーで行きましょう」

 

シュルトの実家がある街――州都ペルレモまでは、車で30分ほどとの事。

別に走って行ってもいいんだが、と思いながらも、シュルトに誘われるがままにタクシーへと乗り込んだ。

そうして車内。

 

「……」

「……なぁ」

「はい」

「イオリア島もペルレモも初めてなんだけど、どんなとこなんだ? 」

「はい、かつてアイジエン大陸の玄関口と呼ばれた島です」

「……そうか」

「はい」

「……」

「……」

 

以降無言。ロボットか!ってくらい、会話のキャッチボールが、まっっったく、続かない! しかもこれは今に始まったことではなく、ペルレモ行きが決まった時からシュルトはずっとこの調子だった。

何かを考え込んでいて、時折何か話そうとしては、言葉を探して黙り込む。このサイクルをずっと繰り返し。

その内何か言ってくるだろうと思って放っておいたのだが……なんかもう、無理やり聞き出すしかなさそうである。

 

「なぁシュルトや」

「はい」

「何か悩み事でもあるのかい? 」

 

ハッ! とした顔でこちらを見てくるシュルト。

 

「どうして」

「いやそりゃずっと元気なかったら分かるだろ」

 

もしかして普通にしてるつもりだったのか。

だとすると大分重症である。

 

「で、何を思い詰めてるんだ? アドバイスくらいはしてやれるぞ」

「……心配かけたみたいですいません。実は、これから向かう僕の実家についてなんです。イナギさんに伝えておかなきゃならない事があって」

 

そこまで言って、顔の前で手を組んで前屈み。目を合わさないままのシュルト。この期に及んでこんなにも躊躇うとは。何だかこちらまでソワソワしてきた。

実家関連、か。何だろう、実家が殺し屋でそのターゲットが俺だったりするんだろうか。

湧いてきた不安は内に隠して、先を促す。

 

「実は、うちの実家の、職業というか生業がですね。ちょっと特殊というか、ファミリーというか」

 

ファミリーて。

何だ、身構えて完全に損した。

 

「あぁ。マフィアな」

「マから始まる――ってええええ!? 気づいてたんですか!? 」

 

逆に気付いてないと思ってたのが驚きである。

だって普通の家庭は天空闘技場に出入りさせたり、家訓に命の恩とか言わないって。正直匂わしの線を疑ってたくらいだが、それを言わないでいてあげるくらいの優しさは持ち合わせている。

いつからですか!? と騒ぐ弟子を生暖かく見守って、約1分。

次第に落ち着いて、そこからポツポツと漏れ出る安堵の声。何やら実家の家業が理由で師事を無かったことにされるんじゃないかと悩んでたらしい。

あ、運転手さん。騒がしくしてごめんなさいね。

 

「……まぁ、結果オーライです。改めて、十老頭直系組・ウォーフェット家の長男、シュルト=ウォーフェットです。黙っていてすいませんでした」

「お、おぉ。気にすんなよ」

 

ここまで揺れひとつ無かった運転と、イナギの心が少し乱れた。

――十老頭の直系? 結構な大物ですやん。しかもそこの長男ってことは、コイツ組の跡取りじゃない?

……正直、そこまでとは思っとらんかった。

 

胸のつっかえがとれただろう。ここ数日が嘘みたいな饒舌で話しかけてくるシュルトと、対照的に口少なげで頷くばかりのイナギ。

心なしか先ほどより丁寧になった運転は、穏やかな陽光と心地よい海風をかき分けて、2人をペルレモの街まで運んでいくのだった。

 

 

 

 

 

△▼

 

 

 

 

 

ペルレモ。

アイジエン大陸の北西部。ソレアリア共和国領はイオリア島の北部に位置する、イオリア自治州の州都である。

コバルトブルーが美しいイオリア湾と雄大なペルグレノ山に挟まれたその街は、沿岸部以外平地がほぼない傾斜都市であり。

そこに建つ全てのものは山から切り出した石材で作られており、建物から道に至るまでの一切が白で統一されていた。

 

海のコバルトブルーと街の白亜のコントラスト。そこに響くのは、人の営みとウミヅルの鳴き声、そして美しく澄んだ鐘の音。

その歴史から教会建築が盛んなこの街では、至る所に鐘塔が建てられている。

命の誕生に永遠の離別。昔から街の思いを乗せてきた鐘は、今日も聞く者の心を和らげている。

それはイナギとて例外ではなく、車の扉を開けた時に飛び込んできた情景に、思わず息を呑みこんだ。

 

「なんか月並みかもしれないが、そのまま絵になりそうな街だな」

「そう言ってもらえるのが一番嬉しいですよ。自慢の故郷ですから」

 

話しながら、タクシーの精算を済ませて降り立った二人。その場所はシュルトの家ではなく、ペルレモの中心部である。

『まず軽く街を回って、それから家に案内しますね。僕もちょっと落ち着いてから向かいたいですし』

そんなシュルトの言葉に軽く引っかかりつつも、イナギが頷いた結果である。

 

「さて、イナギさん。僕がどこでも案内しますよ! 見たいものとか、行きたい場所とかありますか? 」

「つっても何があるかも分かんないしな。まぁ、強いて言えばちょっと入れたいかなって」

「ご飯ですか? それならおススメがあるんですよ! 酒場を兼ねた大衆レストランですけど海の幸が絶品なんです」

 

案内しますね、こっちです!! と言って歩き始めるシュルト。……街が穏やかなのは、そこまでだった。

タクシーを降りた時から感じていた、若干のざわめき。はじめはよそ者に対する猜疑の目かと思ったが、その全てがシュルトに注がれている。

そしてシュルトが話した途端、遠巻きに見ていた路面店の店主や客、通行人に至るまでが騒めき始める。

 

「おい。おい母ちゃん。あそこにいるのって、シュルト坊ちゃん、じゃないか? 」

「ちょっとアンタ、見間違い何回目よ。そうだったら嬉しいけど……あらホントね。私にもそう見えるわ 」

「おい、頬つねってみてくれしっかり痛いな。とすると、あれ、夢じゃないぞ」

「という事は本物? 本物の坊ちゃん? 」

「おおおおおい、本物だ! ウォーフェットの跡取りが帰ってきた」

「無事だぞ! 良かった、五体満足だ!! 」

「シュルト坊ちゃん! おかえりなさい、おかえりなさい!! 」

 

まるで銀幕のスターがお忍び先で見つかったみたいな盛り上がり。余りの反応に目をパチクリさせてると、その間にも人がどんどん集まってくる。

そうして、その広場にいた人全てが突撃してきたんじゃないかと思えるくらいの人だかりが、シュルトの周りに出来上がった。

そうなると必然的に傍にいたイナギも一緒にもみくちゃにされる。足は踏まれるわ肘は入れられるわ、別にどうってことないけど、悪気がないので性質悪いなこれ。

 

「ちょ、ちょっと皆さん落ち着いて! はい、シュルトです、おかげさまで無事に戻ってきました!! ただ今は師匠に街案内してるとこなので、ちょっと後に、後に!! 」

 

ピタリと、歓声が止まる。

そこで初めてシュルトの傍にいる見慣れない青年に気がついたのか、全ての目が1人に注がれる。軽くホラーである。

イナギの真横にいた、ハンチング帽を被った老人が話しかけてきた。

 

「おい兄ちゃん」

「何でしょう」

「坊ちゃんの言ってる師匠ってアンタのことかい? 」

「はぁ。まぁ、そうですね」

「イナギさんです! ハンター試験で僕の命を救ってくれたんですよ。しかも戦い方まで教えてくれていて、僕の命の恩人です」

 

その老人から向けられていた、舐めつけるような視線。しかしそのシュルトの言葉を聞くと、そんな事なかったみたいにニッと破顔した。

 

「なんでぇ、坊ちゃんの命を救ってくれたのか! 」

「だとすりゃシュルトちゃんだけじゃないよ。ペルレモの恩人だわね」

「よぅし、先生だな! 先生、今日はシュルト坊ちゃんのご帰還と、新たな恩人の歓迎会ですぜ! 」

「皆、カシナーリだ! あの親父も、今日くらいは早めに開けてくれるだろうよ。行くぞ!!」

 

口を挟めない怒涛のムーブである。雰囲気は良くなったけど、また別の意味でちょっと怖い。

人波に囲まれたまま、押し流されるように引きずられていく二人。タイミングを見て、シュルトに顔寄せこそっと耳打ちする。

 

「お前の地元、色々とすごいな」

「そうですか? 」

 

え、何が?と言わんばかりの表情が返ってきた。

おそろしい……想像以上に世間離れしたコ。日常が坊ちゃんだったはず……。

いやまぁ、生まれた時からこんな環境で、しかもプロハンターになった上で夢も叶えた凱旋帰国である。

実家について白状してから何となく地に足が着いてない感じだし、色々重なってるのは分かるのだが。

――これ、念以外も教えにゃあかんなぁ。師として、弟子のズレを正そうと決める。

しかし何を勘違いしたのか、シュルトはポンッと手を叩いて。

 

「大丈夫です! カシナーリ、元々案内しようとしてたとこですよ」

「……あぁ、絶品の海鮮な。そりゃ楽しみだ」

 

ちげーよそうじゃない。

シュルトの満面の笑みを見て、イナギは喉元まで出かかったその言葉を飲み込んだのだった。

 

 

 

 

 

△▼

 

 

 

 

 

オステリア・カシナーリ。

街の住民が夜な夜な詰め掛ける、ペルレモ屈指の人気店である。

年季の入った外観で、気取った所は一切なし。メインの通りから1本入った場所に位置していて、日が暮れると地元の客で溢れかえる様子が目に浮かぶような佇まいである。

が、今はまだ昼過ぎ。営業は夜のみらしく、扉には"準備中"の札が揺れている。

にもかかわらず先ほどのハンチング爺さんが勢いよく乗り込んで行き、直ぐに恰幅が良い男と一緒に戻ってきた。

 

「カポクオーコ! 」

 

弾かれたようにシュルトが前に出て、飛び掛かるように全身で抱きつく。

「よう、イタズラ坊主。よく無事戻ってきたな」

「もちろん! まだまだカシナーリの料理を食べ足りないからね 」

「嬉しいこと言ってくれるじゃないか! 」

 

わしゃわしゃと頭を撫でられて、満更でもない様子のシュルト。

手はそのままに、その男性はイナギに向き直った。

 

「先生、爺から話は聞いたぜ。シュルト坊主の命を救ってくれたんだってな。心から感謝する」

「正直成り行きで助けただけだから、別にそんなに気にしなくてもいいんだけどなぁ」

「なーに言ってやがんだ。先生が思うより坊主の命は重いのさ。なぁ、そうだろ!? 」

 

そうだそうだ! と湧き上がる同意の声。

まぁそれは、ここまでの流れで嫌というほど思い知ったけどさ。

 

「それにしても先生! それをひけらかしもせず、恩にも着せないなんてほんっとうに頭が下がるぜ。俺からせめてのお返しだ! 坊主の恩人からとる金はねえからよ、今日はたらふく食べてってくれ! 」

「早く店開けるだけじゃなく奢り!? おい、明日はペルレモに雪が降るぜ!! 」

「うるせぇ、先生と坊ちゃんだけだ! 他はたっぷりふんだくってやるから覚悟しやがれ! 」

 

そんな殺生な! 嫌なら帰りやがれ! なんて怒鳴り合い。しかしどちらの雰囲気も悪くなく、おそらくいつものコミュニケーション何だろう。

スススッと寄ってきたシュルトに腕を引かれ、小声で話かけられる。

 

「みんな冗談めかしてますけど、本当にレアなんですよ。店を早く開けるのも、こうやって奢るのも。カポクオーコは仕事に誇りを持ってるから」

「そっか。じゃあ、感謝してご相伴に与るとしようか」

 

そんなこんなでカシナーリの扉を潜り、店はあっという間に満員御礼。

キッチンに舞い戻ったカポクオーコが見せる奮迅の働きで、卓について直ぐに全員分の先付けと飲み物が行き渡る。

まだ、昼である。昼ではあるが、食べては歌って飲んでは踊る、無礼講のどんちゃん騒ぎが始まった。

 

「どうだ、先生うめぇだろ!」

「控えめに言って最高だ」

「だってよカポクオーコ! 」

「あ゛ぁ!? なんだって!? 」

「先生がめっちゃ美味いってよ! 」

「そりゃ良かった! 先生、まだまだ出すから胃袋開けといてくれよ!! 」

 

開始早々、簡単に声が通らないほどの盛り上がり。

そんな喧騒の中、イナギは返事もおなざりにカシナーリの味を満喫していた。

舌が肥えてるであろう地元民に人気なだけあって、まず素材が良い。カポクオーコ――料理長の兄弟の1人が漁師で、朝取れた海産物の中で最高のものだけを直接仕入れてるという。

先ほど誰かが言っていたが、「カシナーリ以外の店は、混んでて入れない時に行くもんだ」という言葉も頷ける。控えめに言って最高というのは、大袈裟でもなんでもない純粋な感想だった。

堪能していると、赤ら顔の男がゆらゆらと近寄ってきた。

 

「先生、16は超えてるだろ。イける口かい? 」

 

白ワインのボトルを見せながら、空のワイングラスを差し出してくる。

そういえばイナギの地元と同じく、ソレアリア共和国も16才から飲酒OKな国だったか。

 

「勿論貰うさ。……シュルト、お前はダメだぞ」

「イナギざああああん! 」

「ははっ、さすが先生だ。坊ちゃん、飲まないならその方がいいかもですぜ」

 

脇から伸びてきた手をペシリと叩き落とす。崩れ落ちるシュルトはスルーして、グラスを受け取り注いでもらう。

軽くぶつけ合ったそれを傾けながら、シュルトは店内をグルリと見渡した。

 

キッチンでは、カポクオーコを筆頭に3人の料理人が息の合った連携で澱みなく動いている。

そしてホールスタッフも3人。その中核となっているのは、190cmを超える長身の青年であった。

20代半ばくらいだろうか。丸いサングラスに逆立てた髪。ボーダーのワイシャツを着込み、下は黒のソムリエエプロン。覇気が良く、指示も明快で動きも機敏。見てて気持ちが良いくらいだ。

 

「先生、あの店員のにーちゃんがどうかしたか? 」

 

そんな彼について、イナギが気になったのはその体幹である。両手にグラスやお皿を持ち、店内を足早に駆けているのに驚くくらいブレていない。

呼吸や視線の運びから同門ではなさそうだが、恐らく何か武術を修めている気がする。

 

「いや、いい動きだと思ってな。まぁそれだけさ」

 

まぁ、だからと言ってなんだと言う話である。

10秒ほどその店員をジッと見ていたイナギであるが、訝しげな視線に思考を切り上げた。

 

「で、先生。そろそろ聞かせて欲しいんだけどな」

「ん? 何をだ? 」

「何って、そりゃハンター試験さ!! 」

 

騒がしい店内に響き渡るくらいの大声。その声に、店中の意識がこちらへ向かう。

 

「先生もそうだが、坊ちゃんの活躍についてもぜひ聞かせてもらいてぇ! やっぱりプロハンター試験ともなると、相当過酷なんだろ? 」

「あー、そりゃまぁ、命の危険が普通にあるくらいには過酷さ。あんまり飯時に相応しい話題とも思えないが」

「いやいや、ここでお預けは酷ってもんさ。なぁみんな、聞きてぇよな! 」

 

一斉に頷く飲み助一同。完全に酒の肴にするつもりである。

――仕方がない。刺激が少ない部分だけを切り取って、パパッと話すことにしよう。

そう思い立ち上がろうとしたイナギの肩に、背中から大きな手が置かれる。俺の背後に立つなと言うつもりはないが、あまり友好的では無さそうな力の入れ具合だ。

まさかハンターライセンス狙いの無頼者でもいたのだろうか。

少しだけ警戒して振り返ると、そこに立っていたのは……サングラスをかけた、先ほどの店員さん?

 

「なぁ、すまんがプロハンターさんよ。もしアンタが本当に合格者なら、俺に一つ、ハンター試験のコツってやつをご教授してくれねぇか」

 

是が非でも、詳しい話を聞かせてもらうぜ。

思ってもいなかった人物の気迫に溢れるその様子に、イナギは思わず目を瞬かせたのであった。



[3446] 第十六話 『ウォーフェット一家②』
Name: いづな◆c1592588 ID:bee63350
Date: 2024/03/25 11:26
店の空気は、一瞬で固まった。

 

「おい、レオリオォ!! お前バイト中だろうが! しかもぼっちゃんの恩人に何言ってやがる!! 」

「バイト代から引いといてくれ! ……なぁハンターさん、どうか頼むぜ」

 

カポクオーコに怒鳴り返して、イナギの方に向き直る青年――レオリオ。

狭い店内である。店員の蛮行に言い募ろうとした人は他にもいたが、彼の気迫に負けて声にならない。

結果、店内の客の視線を2人占め。周囲は完全に見守りムードになっていた。

 

「ハンター志望か? 」

「そうだ。来期が初受験でな、どうしてもアドバイスが欲しい」

 

どうかお願いだとは言うものの、押さえつけるように肩に置かれた手は動かない。言質が取れるまで解放するつもりはないらしい。

話しながら、体格と立ち位置、視線と呼吸、立ち振る舞いから、自然とその練度を測る。

――少なくとも、それだけで合格出来る程身体能力が突出している訳ではなさそうだ。1年後は分からないが、現時点では受験生の平均より少し下といったところか。

止めとけ運が悪けりゃ死ぬぞ、と切り捨てるのは簡単なのだが……ここまでの様子を見て、イナギは彼のことが何となく気になっていた。

 

「アドバイスするのは構わないが、まず聞かせろよ。店員さんは何故ハンターになりたいんだ? 」

 

苦虫を噛み潰したような表情と共に、ケッ、面接官気取りかよという呟きが漏れてくる。

 

「……いいさ。せっかくだからな、正直に答えるぜ。金さ!! 金さえあれば何でも手に入るからな。でかい家! いい車! うまい酒! がっぽり稼ぐには、ハンターが一番さ」

 

返ってきたのは、品性のかけらもない欲望の塊。アマチュアのマネーハンターによくある動機である。

だが、その言葉を聞いてもイナギは目の前の男を嫌いにはなれなかった。

 

心源流拳法は、その名の通り精神の鍛錬も求められる。

心の強さ、弱さ。あり様と覚悟、力を発揮するメカニズム。師範代を許されるくらい修行を積んだイナギは、只人よりかは人を見る目があるつもりだ。

その経験からすると、サングラスから覗く青年の目には邪な色が少ない。悪ぶってはいるものの、決意を秘めて強がっている男の色だった。

――友誼を結んでおくのも、悪くないかもな。

 

「気が向いた。出世払いで指南しようか」

「お、おおおうよ! 受かったらいくらでも払うぜ!!」

 

まさか受けて貰えるとは思っていなかったのだろう。どもる彼に背を向けて、さっさと外に向かう。

慌ててついてくるレオリオと、その後ろからぞろぞろと付いてくる店の連中。手にはお酒とグラス。酒の肴にでもするつもりか。誠に酔っ払いの鑑である。

そうして、店前の丸い広場で向き合った。

 

「とはいっても、コツ、コツかぁ」

「おぉ、出し惜しみはなしで頼むぜ」

「ハンター試験の内容って、というか合否か。基準も何もかも試験官次第なんだよな。だから正直、コツなんてものはなくてだな」

 

ぶっちゃけると、シュルトを除く全員がその場でズッコける。

 

「おいおい、そりゃいくらなんでも」

「とはいっても本当なんですよ、おじさん。僕も試験前に大分情報集めましたけど、全く役に立たなかったですし」

 

先ほど語気を荒げはしたが、レオリオのことを気に入っているのだろう。割って入ろうとした店主をシュルトが宥めている。

とはいえ、それで「はいそうですか」と終われないのがレオリオである。その気持ちはよく分かるので、いきり立つ彼を手振りで押し留めて、すぐに先を続けた。

 

「逆に言うとさ。コツがないからこそ、取れる対策は1つだけ。つまり、最低限の肉体と腕っぷしを用意する事だな」

 

観客連中に、何だそんなことかという空気が流れる。つまり彼らは、ハンター試験の事を何も分かっていないという事だ。

さてレオリオは、と。よしよし、険しい表情になっている。

 

「流石に意味は分かるか」

「あぁ。数百万分の一を潜り抜けられる最低限、だよな」

「そうだ。試験は各試験官が重視するものを計られるが、身体能力ありきだからな。足りない奴は簡単に死んでくぞ」

 

まぁ、足りてても死ぬのが怖いとこだけどな。

 

「……俺は、足りてなさそうか? 」

「それを今から見るのさ。得意な得物は? 」

「ナイフだ。折りたたみ式」

「よし。じゃあそれ使ってかかってこいよ。終わりって言うまで続けろよ。あとシュルトはよく見ておくように」

 

じゃ、スタートな。

手を出してチョイチョイと挑発してやるも、レオリオは困った顔して動かない。

 

「なんだ、やる気ないなら止めるぞ」

「いやいやこのナイフ本物だぞ。流石に危ねぇだろ」

「ハッ、お前程度に傷つけられるかよ。もし出来たらプロライセンスあげてもいいぞ。使えはしないが、売れば人生7回遊んで暮らせるくらいの金になる」

 

万が一出来たのなら、本当にあげてもいい。2人の間にはそれくらい隔絶した差があった。

しかし目の前のハンター志望は、馬鹿にされたと思ったようだ。

 

「……そうは言っても刃物だ。当たっちまったらどうすんだよ」

「0に何かけても0だろ。嫌ならやめるか? 」

「だったら怪我しても悪く思うなよ! 」

 

挑発するイナギ目掛けて、懐から跳ね出したナイフを腰だめにレオリオが突進してきた。

なおその目の奥には、害意と忌避感が同居している。コイツ、ハンターよりも医者や教師に向いてるんじゃないかね。

 

「オラっ! 」

「脇が甘いな。握りも」

 

片手を振り上げ、間合いに入ったタイミングでナイフ目掛けて振り下ろす。

握りと構えが甘かった為体勢はそのままだが、ナイフはいとも簡単に手から弾かれる。駄目だなぁ、目が行先を追っている。

 

「ほら終わってないぞ、勝手に止まるな」

 

そのまま半身になっているレオリオの死角に入って、軽く足払い。

身体が宙に浮くも、受け身はしっかりと取ろうとしている。お、そのまま袖を掴もうとしているぞ。反応はよし。意気もよし。

せっかくなので、そのまま掴ませてあげる。ニヤリとした顔が目に入るも。

 

「ま、甘いんだけど」

「うぉおっ!? 」

 

掴まれた袖を起点にし、更に足を蹴り上げる。

すると足が空で踏ん張れないレオリオは、グルンと一回転して地面に叩きつけられた。

 

「どうする? もう終わるか? 」

「まだまだァッ!! 」

 

すぐに跳ね上がり飛びかかってくるレオリオ。その隙を見つけては、また投げる。彼の意志を試すように、起き上がってくる限り、何度も何度も。

――そうして1時間。レオリオは、ついに立てなくなった。

服はズタボロで、全身擦り傷と埃まみれ。石畳の上で大の字になって、ヒューヒューと浅く呼吸だけを繰り返している。

 

「さて、終わった終わった」

「……イナギさん、結構容赦ないんですね」

「そうか? 骨や筋がいかないようにだいぶ気をつけたんだけどな」

 

まぁ確かに思ったよりガッツあったから、想定よりも長引きましたけども? 勢いを利用して投げただけだから力は加えてないし、むしろ折れないようにスピード緩めてたくらいだし。

 

「師匠に言うのもなんですけど、そう言うことじゃないです。この惨状をもう一度よく見てください」

「……惨状? 」

 

言われるがままに周囲を見渡す。

とは言っても、ギャラリーは一方的な展開に飽きたのか、開始早々店内に戻ってしまっている。なのでシュルト以外には、赤く染まった石畳に倒れ伏すレオリオくらいしか。

 

「それ! それですよ! どこの犯行現場かってくらい血が飛び散ってますし血まみれですし! 」

「衝撃を表面で弾けさせただけで、見た目ほど酷くないぞ」

「だから、そういうことじゃないんですって! 」

 

だったらどう言うことだってばよ。修行ってそういうもんでしょ?

あーもー! と髪をガシガシと掻きむしるシュルト。そしてその声を聞きつけたのか、店内から顔だけを突き出す呑兵衛ども。

ただ、あれ、なんかさっきまでの歓待ムードはなく、やべー奴を見る目で見られてる……?

 

「おれ、何かやっちゃいました? 」

「やっちゃいました、じゃなくて明確にやり過ぎてんですよ! 」

 

よー、よー、よー……と路地に木霊する弟子の声。

酔っ払いの激しい頷きが、その余韻と一緒に揺れているのだった。

 

 

 

 

かささぎの梯

第十六話『ウォーフェット一家②』

 

 

 

 

レオリオが動き出したのは、それから15分程経ってからだった。

手足を震わせながら起き上がろうとする様は、まるで仰向けのカメの如し。見かねて渡した店の置き傘を杖にして、三つ足でのたのたと店内へ戻ってきた。

 

「……レオリオ、今日はもう上がれ」

「そ、そうさせてもらうぜ。ハンターさんよ、部屋で着替えてくるからちっと待っててくれぇ」

 

この店は宿屋も営んでいるらしく、その兼ね合いもあって彼は住み込みで働いているらしい。

大丈夫かと声をかけつつ道をあける客の間を、へっ、なんてこたねぇぜ何て軽口を叩いて、牛歩の歩みで通り抜けていく。

そのままよたよたと階段に足をかけ、一歩一歩踏みしめながら階上へと消えていった。

 

「先生さんよ」

 

それを黙って見届けた後、カポクオーコが近寄ってくる。

そこでちょっと言葉を詰まらせた後、複雑な表情で話し始めた。

 

「レオリオだがなぁ、ああ見えて結構鍛えてんだぜ。それをポンポン投げ飛ばしてよ、アンタ本当にすげぇんだな」

「そりゃプロだからな」

「そんな先生から見て、アイツは脈なしかい? あんな見た目だが根は穏やかだからよ、それを見抜いて、諦めさせようとしてたんじゃねぇのか? 」

 

なるほど。何らかの意図をもって、心を折りに行ってると思われてたらしい。

あの程度で、誠に心外である。

 

「いや、普通に指導しただけだ」

「そ、そういうレベルの試験ってことですよ! プロハンター試験はそれくらい難しいんです」

 

コイツマジか、という店主の目を遮るように、前に出てきたシュルトが素早くフォロー。

まぁそれも間違っちゃいないから、黙って頷いておくとする。

 

「素質云々で言ったら、アイツ結構見込みあると思うがな」

「そうなのか」

「あぁ。ただ素質があっても、容赦なく死ぬのがハンター試験だからさ。もし危ない目に合わせたくないなら、止めた方がいいと思うけどな」

 

世界中から毎年数百万人が申し込んで、危険を厭わず数人を掬い取る試験である。

レオリオの事を大分気にかけているようだったので、思わず余計なこと言ってしまった。が、それを聞いて店主はさらに深く俯いてしまう。

 

「……もう止めたさ。絶対に諦めねぇって啖呵切られちまった」

「ま、ありゃ諦めるタマじゃないよな」

 

差し出された蒸留酒を一口呷る。美味い。

机に置いた衝撃でカランと鳴る氷。店内の喧騒が遠い。

 

「アイツは金目当てだって言ってたが」

「それも間違っちゃいねぇけどよ。医者になりてえんだとさ。数年前にアイツの友人が亡くなって、金さえあれば助かる病気だった。助けられなかったそいつの代わりに、無償で同じ病気の子どもを助けるんだとよ」

 

そうか、それがアイツの芯か。

そりゃ邪な色も少ないよな。

 

「個人的な内容だから、聞かなかったことにしとく。シュルト、お前もな」

「分かりました」

「……そうだな、全部俺の独り言。年食うと出ちまう悪い癖だ。ま、もし良かったら気にかけてやってくれや」

「気が向いたらな」

 

あんがとよ。そう言って厨房へ戻っていくカポクオーコ。言いたいことだけ言って去っていく、これまた年食ったおっさんによくある悪癖だ。

ただ、腑に落ちたのも確かである。まんまと思惑通り動いている気もするが、その代金分くらいはしっかりとアドバイスしてやるか。

そんなことを思いながらチビチビやっていると、直にレオリオが戻ってきた。破れかけていた服は全て着替えられており、至る所に包帯がキッチリ巻かれている。血のにじみもなく、流石医者志望。

 

「すまん、大分待たせちまった」

「いんや、興味深い話を聞いてて退屈しなかったよ」

「酔っ払いのか? 話半分に聞いとくのをすすめるぜ」

 

それはそれとして、とレオリオは向かいに座るなり身を乗り出してくる。

 

「プロハンターさんよ」

「イナギだ。プロハンターは2人いるからさ、好きに呼んでくれ」

「分かった、イナギさんと呼ばせてもらうぜ。俺の名前は」

「レオリオ、だろ。あんだけ大声で怒鳴られてりゃ嫌でも覚えるさ」

「グッ、さっきは不躾な態度をとって悪かった。この通りだ」

 

イナギの言葉に、カポクオーコから怒鳴られたあるまじき態度を思い出したらしい。一瞬言葉に詰まったが、素直に頭を下げてきた。

大仰に頷きつつ、シュルトの様子を盗み見る。

ふざけた態度の輩が自分を差し置いて指導される事に思う所があったようだが――相変わらずブスッとはしているものの、少し空気が柔らかくなっていた。

彼の見取り稽古も兼ねていたから、これで少しは話がスムーズになるだろう。

 

「さて、さっきのフィードバックだよな。シュルト、よく見ておくように伝えたが、側から見ていてどうだった? 」

「……鍛錬が圧倒的に足りてない気がしますけど、持久力とか」

 

別にどうでもいいですけどとつまらなさそうにしながらも、しっかり答える弟子。

そしてこれは中々的確な評であった。

 

「その通りだな。あんだけ投げられて酔ってないし、倒れるまで続けるガッツもある。不意のカウンターにも受け身の反応は取れてたし、持って生まれた素質は及第点。問題は、そもそもあれぐらいで倒れたこと。つまりは体力の無さだな」

「そんなにいるのか!? これでも結構鍛えてるんだが」

「足りない。さっきの組み手なら、最低倍の時間は余裕で続けられないと」

 

体力は全ての基本である。

例えばだが、長い距離を走るだけの試験があればそれだけでコイツは不合格だ。

とはいえ、こればっかりは地道な修行を積み重ねるしかないからなぁ。一朝一夕にはいかない部分である。

 

「まぁその対策が出来れば、棒にも箸にもかからないって事はなくなるんじゃないか」

「まず体力だな、分かった」

「……」

「……」

「……他は? 」

「いや、特に」

 

コイツマジかよ、みたいな顔で見てくるレオリオ。失礼な奴である。

 

「始めに言ったけど、本当に試験官次第なんだよ。最低限の基準に達してなかったのが体力で、それ以外は簡単に死なないレベルには達してると思うぞ。強いて言えば、ナイフの使い方をもうちょっと洗練させた方がいいかも、ってとこかな」

「……分かった、まず体力。次にナイフ術だな」

 

若干釈然としない顔をしながらも、ペコリと頭を下げるレオリオ。

……こいつがプロハンターになるハードルは、他の受験生よりも高いだろうな。

彼の動機を聞いて思ったその確信を、イナギは伝える事なく水と一緒に飲み込んだ。

 

――ハンター試験とは、プロハンターによる同胞の選抜である。

同類、同じ穴の狢と言い換えてもいいいが、それは決して能力だけを指さない。

むしろそれ以外の覚悟や決意、動機といった精神性こそが、最後の決め手となってくる。

この内レオリオの動機は、「友人と同じ病を持つ子どもを、無償で治せる医者になること」。

人間としては非常に立派であるし、イナギとしても好ましい。が、彼がプロハンターとして望むものは結局「金」である。

そしてハンターにとって、金さえあれば入手できるものの価値は低い。

そこに、未知に挑む気概が存在しないが故に。

 

ハンターの門戸は誰にでも開かれており、それだけで不合格になる事はあり得ない。

しかし優劣付け難い他の受験者と枠を争うことになった場合、彼の優先度は一段下がることになるだろう。

とはいえこれを伝えた所で、動機なぞ変えられるものでもない。

ならば知らない方が良い。イナギなりの気遣いであった。

 

「よし、それはそれとして今日はもう上がりなんだろ? だったら乾杯だ乾杯! 」

「なにがそれなのかわかんねーが、喜んで受けるぜ! 当然イナギさんの奢りだろ? 」

「いや俺今日タダ酒。カポクオーコ持ちの」

「マジかよおっさん!? なら俺も奢りで」

「うるせぇぞレオリオ! 酒飲む元気あるなら仕事するか? 」

「いや、俺怪我人だから。これは消毒、内側からの」

「あ゛ぁ゛!? 」

「あほ忙しい時にすんませんっした! 乾杯!! 」

 

グラスとグラスが打ち合わされた音が鳴る。

店の賑わいに響いたそれが、盛況に紛れるのと同時に迸る美味いの声。

空になる酒盃。リズミカルに頼むお代わりに飛んでくるボトル。注がれる酒。笑い声と弾む会話。

そうして時は流れ、ペルレモの夜が更けていく。

楽しい時間は早い。気づいた時には夜半を過ぎ、あっという間にお開きになった。

 

「さて、まだ空いてる宿屋ってあるかね」

「なに、決まってねぇのか!? ちょっと待ってろ」

 

いそいそと奥に引っ込んでいくレオリオ。奥でカポクオーコに話をしたかと思うと、鍵を持って戻ってきた。

 

「今晩部屋空いてるから、うち泊まってかねーか」

「あんがとな、助かる」

「ここら辺閉まるのはえーからな。聞いて良かったぜ」

「あ、じゃあ僕も」

「坊主、オメェは家があるんだから帰りな」

 

流れでもう一部屋確保しようとしたシュルトであるが、レオリオの後から付いてきたカポクオーコに阻止された。

 

「……足がないから」

「そう言うと思って呼んどいたぜ。ほら、外で待ってる」

 

入り口を指し示されてぶー垂れてるその頭を、ワシワシっと撫でられる。

 

「先生がここ泊まるんだし、また明日来りゃいいだろうがよ」

「……分かりました。イナギさん、明日の朝一で迎えに来るので、絶対にここで待っててくださいね」

「あいよー」

「近場だからって、どこにも出かけないでくださいね! 」

 

キミ、どれほど師匠を信用していないのか。ハンター試験の後3日間連絡出来なかったのは、俺じゃなくて会長のせいだぞ?

そんなお気持ちはしっかりと仕舞い込んで、なおも言い募るシュルトを宥めて送り出す。

そしてイナギは、カシナーリの小綺麗な部屋で一晩を明かした。

 

――そうして翌朝。

待てども待てども、シュルトがやってくる事はない。

そしてイナギは、カシナーリを追い出されることになった。



[3446] 第十七話 『ウォーフェット一家③』
Name: いづな◆c1592588 ID:bee63350
Date: 2024/03/25 11:25
我ながら飲みに飲んだ一晩だった。

シュルトが実家へドナドナされた後も、引かない人波と満ちる盃。

クローズしてから3度目の乾杯にキレたカポクオーコの怒声が、その日の幕引きとなった。

直ぐに部屋に引っ込み、汗を流して倒れるようにベッドイン。

その後は全て事もなし。目覚ましを掛けずに寝たのもあって、パチリと目覚めたら既に9時過ぎだった。

 

「っかしいな。あいつなら日の出と同時に来ると思ったんだが」

 

久しぶりに読みが外れたかなんて溢しながら、荷物を持って1階へ。

昨晩の宿泊客は自分一人だったのか、ガランとしたフロアにいたのはカポクオーコとレオリオだけだった。

 

「おはよう、寝過ちまった。それにしてもシュルトまだなんだな」

 

話しかけるも返事はなし。厨房で下拵えをするカポクオーコと、帳簿をつけているレオリオ。集中しているのか、二人とも目すら合わない。

カウンターの椅子を引いて、レオリオの並びに腰掛ける。

タンタンと野菜が刻まれ、カリカリと文字が書きつけるリズミカルな環境音。しばらく続いたそれが、図ったようにピタッと止まった。

 

「なぁ、先生さんよ。俺は、いや俺たちは、この街のもんはみんなアンタに感謝してるぜ」

「お、おぉ。急に何だよ」

「あぁ、感謝してる。それは嘘じゃねぇ。だがな、先生。悪いこた言わねぇ、何も言わずに、すぐにこの街から出てってくれ」

「お、おぉ? そりゃシュルトとの待ち合わせが終われば出て行くが……って街? 宿じゃなくて? 」

「街だ」

「何だ急に。待ち合わせは? 」

「坊ちゃんは来ない。いづれ俺が、必ず連絡させる。約束する。だからこの街を離れてくれ」

「イナギさん、頼む」

 

意味が分からずに固まる俺を、無理やり促すレオリオ。全く意味がわからない。

せめて事情を!と訴えるも、襟首に手をかけられた所で抵抗をやめた。

目で何かを訴えるレオリオに、そのまま押し出されるように入り口へ運ばれる。

調理場から出てきたカポクオーコから、朝飯だと押し付けられたサンドイッチと鞄。

同時に扉を勢い良く開き、外へ突き飛ばして大声で怒鳴る。

 

「うるせぇ、いいからとっととこの街から出てけってんだ! これ以上ウォーフェット家に迷惑かけるなら容赦しねえからな!! 」

 

言い放った後、バタンと閉じられる扉。目の前で揺れるcloseのプレートと、甲高く鳴り響くベルの音。

固く閉まったドアの向こうからは、塩撒いとけ塩!という罵声が聞こえてきた。

そして店の前には、裏路地に似つかわしくない結構な人集り。

30人はいるだろうか。しかし1人として目は合わず、ヒソヒソと囁き合っている。

その中で見つけた、知り合いの顔。カシナーリで何度も乾杯した、ハンチング翁。配達だろうか、トマトいっぱいの木箱を持っている。

 

「なぁ、なぁ爺さん。覚えてるだろ、昨日はありがとさん。で、いきなりカシナーリ追い出されたんだけど、なんか知らない? 」

「……」

 

気まず気ではあるものの、まさかの全無視である。

 

「なぁ、爺さん。ホント困ってるんだって。その感じ何かあったんだろ、教えてくれるだけで」

「……ねぇ」

「ねぇ? 」

「話すことは何もねぇ、ってんだ! さっさとペルレモから出ていきやがれ、トマトぶつけんぞ!! 」

「……オーケー、分かった。どうどう、向こう行くからその手は下ろしてくれ。悪かったな」

 

マジでトマト投げる5秒前な爺さん。とりつく島もない。

両手をあげて降伏を示し、黙って路地を後にする。

そのまま表通りへ出たが、状況は変わらない。歩いても歩いても、舌打ちにヒソヒソ声、そして粘い視線だけが纏わりつく。

時には昨日見た顔も目にするが、態とらしく距離を空け、足早にその場から離れ行く。

まるで知り合いであるという事すらなかったことにするように。

 

「ほんにこれ、何があったんだか」

 

人気のない方を選び、街の外れへ。海岸線を歩きながら、思考を進める。

様子から察するに、知らない人たちは忌避感と使命感。昨晩飲んだ人たちは、困惑と申し訳なさも入り混じっていた。

つまり、ペルレモから俺を追い出す事を命じられている?

しかも住民の意志を塗り潰すくらい、かなり強力に。ウォーフェット家は、そこまでの権力を持っている?

 

「……ま、その先はコレ見てからかな」

 

人目が完全になくなった所で、襟元へ手を伸ばす。

帰ってきたのは、くしゃりとした紙の手触り。

 

「恩に着るから、いい情報を頼むぜ。レオリオ」

 

その返事は、胸ぐらを掴まれた時にレオリオが忍ばせたノートの切れ端だけが知っていた。

 

 

 

 

かささぎの梯

第十七話『ウォーフェット一家③』

 

 

 

 

オステリア・カシナーリ。観光客向けではない、地元住民の人気店。

そこの上階に併設されている宿は、客室も少なければ利用客もそれほど多くない。

実際、昨晩の宿泊客は僅か1名である。

 

「掃除、終わったぜ」

 

その一室を手早く片付けたレオリオは、仕込み真っ只中のスタッフ達へ声をかけた。

厨房へ立ち入る事はしない。

手伝うのはやぶさかではないのだが、洗い物以外の出入りを全面的に禁止されている身だ。

 

 

その為、夜営業が始まるまではいつもホールで勉強しているのだが――今日は先約があった。

 

「ちょっと昼、出てくるぜ」

「珍しいな」

「あぁ、ちょっと野暮用がな」

 

調理場の中心で的確な指示を出しているカポクオーコ。

その返事は、いつもと比べて少しだけ覇気がない。

 

「そうか。レオリオ」

「なんだよおやっさん」

「……すまんな。折角のプロハンターとの伝手を」

「気にすんなって。この街の掟は分かってるさ」

 

『ウォーフェット家には逆らうな』

隣町出身のレオリオだが、ペルレモでかの家に従う事の重要さは身に染みて分かっていた。

 

「必要な事は昨日聞いたしな。後はトレーニングを積むだけさ」

「そうか」

「あぁ。じゃ、営業前には戻るぜ」

 

用具入れに掃除道具を叩き込み、ケータイと財布を持つ。

何か問いたげなカポクオーコの視線を振り切って、レオリオはゆっくりと外へ出た。

 

街全体が、何となく落ち着かない空気感を纏っている。

その中を何気ない風を装って、イナギに指定した場所へと向かう。

――10時、一番高い場所にある鐘塔で。

渡せたのは、署名も何もない、ただそれだけのメッセージ。

ペルレモでウォーフェット家に逆らうリスクを犯してでも、カポクオーコに嘘をつき、その信頼を裏切ってでも。

オレの夢を叶えるために、プロハンターに貸しを作れるこの機会を逃すわけにはいかなかった。

 

「まぁ、バレなけりゃいいんだ、バレなけりゃ。その為にゃ、気にして、し過ぎるってことはねぇからな」

 

住民全てが、ウォーフェット家の目であり耳になるこの街では特に。

ぶらぶらと、表通りから裏道へ。逸る気持ちを押さえつけ、次第に勾配がきつくなる坂道を進む。

そうして時間をかけ、10時手前。

住宅地が途切れたその先にある、街が一望出来るその場所に辿り着いた。

 

「街中から外れてるから人も来ねえし、密会にはうってつけってな」

 

建物と同じ、石造りの長い階段を音を鳴らして進む。

そうして最上階。

踊り場から覘いてみるも、良かった。誰もいないようである。

 

「イナギさんも、まだ来てないか。頼むから、後つけられるなんて間抜けな真似はしてくれるなよ」

「誰が間抜けだって?」

「うぉっ!? 」

「ばっか、大声出すなよ。ここまでの努力が水の泡になるだろうが」

 

ビクった体を静かに戻し、恐る恐る頭上を見上げる。

すると鐘の上部に身をひそめるように、イナギさんが天井にぺたりと張り付いていた。

なんだコレ、どうやってるのか全く分からねぇ。

 

「このくらいのとっかかりがあれば、プロハンターなら難なくクリアできるぜ」

「そ、そうか」

 

どうやら石材の僅かな突起物を掴んで、全体重を支えているらしい。

どのくらい待ってたのか知らねーけど、今なお微動だにしてない辺り、プロハンターってすげーぜ。

 

「下から見られるとマズいから、このまま話すぞ」

「あぁ。ちなみに確認だが、誰にも見られてねぇよな」

「当たり前だ。俺は誰にも見られてないよ」

「なら、いいけどよ」

 

街中の住人が見張っていることは既に気づいているだろうに、なぜこうも断言できるのか。

とはいえこの近辺で目撃されていれば、住民総出で探し回っている筈である。

しかしここに来るまでにそんな様子は微塵もなかったし、実際この場にも二人っきりである。

……まぁ、プロハンターとしてのスキルか何かなんだろう。ほんとプロハンターってすげーなおい。

 

「で、詳しく説明してくれるんだろうな」

「あぁ。俺が知る範囲であれば、何でも話すさ」

 

傍から見た時に怪しまれないよう、取り出したケータイを耳に当てながら。

レオリオは、今ペルレモで起こっている事態について話し始めたのだった。

 

 

 

 

 

△▼

 

 

 

 

 

「イナギさん、ウォーフェット家は知ってるよな? 」

「あぁ、シュルトの実家だろ。十老頭直系組で、ペルレモに多大な影響力を持ってる」

「知ってんなら話がはえーな。そこから、明け方通達があったんだ。仇なす輩が今ペルレモに滞在しているってな」

「仇なす、ねぇ」

 

その時知らされたのは、宿泊先とその人物の風体。

身長は170半ば。年齢は20代。やや細身で、黒の短髪。手荷物は黒のボストンバック1つ。

名前はイナギ。職業、プロハンター。宿泊先はオステリア・カシナーリ。

後は『直接手は出さなくていい。会話せず、何も売らず、ただ関わるな』との事。

 

「これに逆らうとペルレモで生きてけないからな。宿泊先も通達されたから匿うわけにもいかねえしよ。だからカポクオーコも、せめてって事で朝飯を押し付けた……ってどうしたよ」

「なぁレオリオ」

「お、おぉ? 」

「オレ、まだ16なんだが」

 

どうしてもスルー出来ない、通達にあったという『年齢は20代』の一文。

何故って受け取り方次第では、見た目年齢アラサーの可能性すらありえる。

――え、まだ10代なのにそんな年上に見られる? 俺老け顔なの?

ある意味忖度なしの外見評に衝撃を受けているイナギに、レオリオは優しいトーンで話しかけた。

 

「あー、20代って言っても前半だと思うし、見た目じゃなく年不相応な雰囲気のせいだと思うぜ。それに、気持ちは分かるぜ。俺も10代に見られたことねーからな」

「……ちなみに何歳? 」

「今年で18」

 

ハハッ、ナイスジョーク。

思わず失笑が漏れそうになるが、イナギは気合いで押し戻した。

何故って、目の前の男レオリオが10代である訳がない。若く見積もっても20代前半、恐らくは半ば過ぎ。一目瞭然である。

にも関わらず、俺と2つしか違わないなんてつまんない嘘ついてまで、俺を慰めようとしてくれている。

――あぁ、なるほど。コイツは見た目に似合わず、本当に気遣いの人なんだなって。

イナギは頭ではなく、魂で理解した。

 

「悪いな、変なこと言わせちまって」

「お、おぉ? 変なこと? 」

「みなまで言うな。分かってる、ありがとな」

 

お礼を言うも、レオリオはどことなく不可解な面持ち。

本当に分かってないようにしか見えない。うーん、役者である。

 

「で、通達はそれだけか? 」

「そうだ。奴らの目的だなんだってのは分からねぇ、スマン」

「……いや、十分だ」

 

今聞いた情報から、幾つか重要なことが類推出来る。

まず、この村八分はシュルトの意志によるものではないということ。

シュルトは俺の年齢を知っているにもかかわらず、通達が"20代"であるからだ。

彼は、ウォーフェット家に俺の事を話してないらしい。

そしてウォーフェット家中に、恐らく念能力者がいるという事。

もしいなければ、四大行に加えて"円"も身につけているシュルトである。さっさと抜け出して、連絡の一つでもよこすだろうから。

 

幸い念・は・最・大・ま・で・溜・ま・っ・て・い・る・ので、そこは問題なし。

また念能力者がいる可能性を、事前に知れたのは本当に有難かった。

 

「後聞きたいのは、そうだな。シュルトがウォーフェット家に捕まっているとして、場所に心当たりはあるか? 」

「あのちみっ子、捕まってんのか」

「多分な」

「んー、だったら普通にウォーフェットのお屋敷じゃねえかな。街の真反対だな」

 

ここだ、とレオリオのケータイに表示された地図を見る。

ペルレモの中心街から車で10分ほどの距離だろうか。小高い丘に位置する、かなり大きな屋敷である。

 

「ちなみに一帯がウォーフェット家の敷地で、周囲は背丈を越える柵で囲われてる。門には銃持った見張りもいるぜ」

「犬は? 」

「確か、ドーベルマンを飼ってたはずだ」

「それじゃあ忍び込むのはちょっと骨か」

 

さて、レオリオのお陰で最低限の事態は理解できた。

詳しい部分、身近に能力者がいるのに念を隠してた理由などは分からない。が、そこら辺は直接聞けばいい。

 

「レオリオありがとな、助かった。お礼と言っちゃあなんだが、力が必要ならいつでも連絡くれ」

「それはありがたいが……イナギさんはこの後なにを? 」

「そりゃあお前、弟子が捕まってるんだ。やることは決まってる」

 

身内に捕まってるだけだから、おれが何をしたところで弟子の安全は保障されている。

となれば、取るべき策はたった一つ。

正面からの家庭訪問。そして、状況次第で拳を交えての話合いである。

 

「どうなってもそっちに迷惑かけないようにはするからさ。お互いカシナーリでしか会ってないって事で」

「あ、あぁ」

「じゃあそういう事で。ほんとサンキューな」

 

その言葉を最後に、イナギからの返事はプツリと途切れた。

そこから何度呼びかけても、聞こえるのはウミヅルの鳴き声ばかり。チラリと上を見上げてみるも、影も形も存在しない。

いったいどうやって。俺が話していたのは本当にイナギさんだったんだろうか。

まるで白昼夢を見たかのような、リアリティがないその感覚。

しかし立ち去った直後にひらひらと落ちてきたホームコードだけが、確かな現実を教えてくれたのだった。

 

 

 

 

 

△▼

 

 

 

 

 

ペルレモの中心部を見下ろすように位置する、ウォーフェット組の邸宅。

その正門は、現在どこか物々しかった。

詰めているのは、マオカラースーツの構成員達。

その数はいつもの倍、両手を優に超えている。

かつ全員の懐が常ならず不自然に膨らんでおり、唯一の接道を睨みつけているその様は、彼らの警戒感を如実に物語っていた。

 

「おい、誰か来る」

「そこのお前、止まれ! 」

 

その内の1人が、遠くから人影が近づいて来るのに気がついた。

視界の先からゆっくりと歩いてきたのは、やや細身の青年。身長は170半ば。黒の短髪。手には黒のボストンバック1つ。

その特徴は、若頭から言われた警戒対象。頭のご長男を誑かしたプロハンター、イナギに間違いなかった。

 

「どうも、プロハンターのイナギといいます。弟子のシュルトに会いにきたので、取り次いでもらえます? 」

「坊ちゃんは会わねぇ。さっさとペルレモから消えな」

「ちょっとだけでいいから、穏便に会わせる気はない? 」

「会わねぇ、ってんだろ! 」

 

同時に、一斉に向けられる銃口。

 

「おぉ、こわいこわい。こっちは丸腰だよ? 」

「うるせぇ、撃たれない内にさっさと失せやがれ! 」

 

両手を差し出して無手をアピールしているが、そんなもの安全の利息にすらなりやしない。

若頭曰く、プロハンターは全員自分と同じ不思議な力の使い手である。

まず拳銃を向けて近づけさせないこと。違和感を覚えたら直ぐに引き金を引くこと。

対峙した距離は30メートルほど。後はこのまま穏便に帰ってもらえれば。

 

「そっか、仕方がない。ここで時間を食うわけにもいかないし、ちょっと眠ってもらおうか」

 

思考が甘えた直後、青年はやれやれと頭をかく。

そしてその両手をズボンのポケットに入れ、そのことを認識した瞬間――顎に衝撃。

俺が感じたのはそれがすべてで。

そこで気絶した俺達が目を覚ますのは、すべてが終わった後だった。



[3446] 第十八話 『ウォーフェット一家④』
Name: いづな◆c1592588 ID:66ad76ed
Date: 2024/03/25 11:25
そもそもが、初めからおかしな状況であった。

今朝起きたら始まっていた、街の住民による唐突な村八分。

レオリオ曰くシュルトの生家であるウォーフェット家の指示らしいが、オレを街から追い出したいのならもっと良いやりようがいくらでもある。

にも関わらず、住民による理不尽な迫害と、彼らを使った一方的な監視。

まるで理解不能な状況を演出する事で、イナギという人間の底を確かめているかのようだった。

 

そして今。

複数の拳銃という暴力を一瞬で無力化したイナギは、彼らには近づこうとはしなかった。

意識を失った彼らを前に警戒を続けたまま、大きな溜息を吐き出した。

 

「なんか、悪いことしてる気になるから嫌なんだよなぁ。念使えない人と戦るのって」

 

独り言にしては幾分大きな声だったが、それに応える声はない。

しかしイナギは何も気にしてないように、再度その場から投げかける。

 

「用があるなら、直接話しません? 」

「……」

「いや、いるのはもう分かってるから」

 

その言葉で観念したのだろう。

拳銃片手に倒れ伏すマフィアの後方。まだ明るいのに何故か松明が灯る鉄柵の裏から、一人の男が姿を現した。

ブランドものだろうか。チャコールブラウンの品ある背広を自然に着こなし、顔には人好きのする朗らかな笑みを浮かべている。

 

「"絶"が、乱れてましたか」

「こいつ等、アンタの部下か? 崩れ落ちた時に、ほんの一瞬だけな」

「まだまだ、修行が足りませんねぇ」

 

あぁ、未熟でお恥ずかしい。そう言って振る頭は、スーツと同じ茶褐色。

長身、手足が長く、痩身とまではいかない均整の取れた体躯。

その身を包む洗練されたオーラは、言葉とは裏腹に彼が習熟した念能力者であることを示してる。

 

「シュルトのお仲間、でいいのか? 」

「はい。ウォーフェット家の若頭、ジルフ=プレナドートと言います」

「そうか、俺はイナギ。シュルトに念を教えてる者だが」

「……はい、はい。よくよく知っています。ハンター試験以降、シュルト坊ちゃんがずっとお世話になっているようで」

 

相変わらず笑みを絶やさないが、念の話題を出した際に少しオーラが揺らいだ。同時に漏れ出る、ごく僅かな殺気。

その時イナギの脳裏に浮かんだのは、念に纏わるシュルトの境遇であった。

彼は7歳からの5年間、ウイングから教わった"燃"を愚直に続けたと言っていた。間近にジルフ=プレナドートという念能力がいたにも関わらずである。

つまり何らかの明確な意図をもって、シュルトには念の存在が秘匿されていた?

 

「――知ってるなら話は早いか。シュルトに会いたいから、ちょっとお邪魔させてもらうよ」

 

まぁそんな疑念はうっちゃっといて、何はさておきシュルトに会うことである。

そんなイナギのつかつかとした歩みに合わせて、ジルフもスッと前に出てきた。

5mほどの距離を空けて、対峙する2人。

 

「ここから先は、立ち入り禁止ですねぇ」

「あー、そりゃ急だもんな。悪かった。だったら、シュルトをここに呼んでもらえないか? 」

「現在、シュルト坊ちゃんは多忙ですので。お引き取り頂ければ」

 

柔らかいもの腰ではあるが、キッパリと謝絶される。

とはいえガキの使いじゃあるまいし、はいそうですかとなる筈もない。

 

「いやいや、取り次いでくれるだけでいいからさ」

「どうかお引き取りを」

「今朝待ち合わせをすっぽかされたのはこっちなんだが」

「お引き取りを」

 

そうして少しだけ粘ってみるが、全く取り付く島がない。

 

……一応シュルトの実家であるし、事態を平和裏に済ませればと思っていた。

だからコイツらの真意が何であれ、シュルトに会えるならとここまで付き合ってきたのである。

にもかかわらず、この期に及んでけんもほろろ。しかも実害0とはいえ、拳銃まで向けられたのだ。

だとすると、これ以上大人しくする必要性は皆無である。

 

「ここまで来たのに、会わせてすらもらえないってか。仕方ない、帰るとするさ」

「ご納得いただいたようで」

「――ちょっくらお邪魔して、シュルトの顔を見てからさ」

 

そのイナギの言葉に、ピシッと、二人の間の空気が軋む音がした。

 

「つまり、私の言葉では納得頂けないと?」

「すぐそこにいるんだからさ。それが嫌なら、さっさと連れて来いよ」

「……あぁ、残念ですね。命の恩には命で以て。穏便に済ませられるなら、越したことはなかったんですが」

 

一度穏便の意味調べてこい!

そう叫ぶイナギの耳に、どこからだろうか。微かに、カタカタと震える無数の音が聞こえ始める。

揺れで金具を外そうとしているような、その鳴動は止まることがない。

むしろ段々と大きさを増していき、最後はピンッと何かが外れた音。

 

「これは、ちょっと予想外だな」

 

その音の出所が明らかになった時、イナギは思わず息を飲んだ。

それは、敷地を囲う巨大な鉄柵に備えられていた数多の松明。

火勢が増し火の塊となったそれらが、まるでジルフに従う忠臣のように広がっていた。

その数、およそ30。

 

「まぁ、腕の1本や2本、なくても生きていますから。ご自身の疑わしい背景と、聞き分けの悪さを恨んでくださいね」

 

そう言って、静かに笑う若頭。

しかしその糸のような目から覗くのは、彼の念能力とは真逆の、猛禽のように冷たい瞳であった。

 

 

 

 

かささぎの梯

第十八話『ウォーフェット一家④』

 

 

 

 

「疑わしい背景って一体」

「話してる暇あるんですか? ちゃんと抵抗してくださいね、死にますよ」

 

そう言って、指揮棒のように指を振るう若頭。

呼応して、炎塊となった松明が一斉にイナギを襲う。

 

「ここ、までの念使いが、いるなんて、聞いてない、よっ、と! 」

 

というかこのレベルの使い手が身内にいるなら、さっさと念教えといてやれよ!!

なんて心の中で八つ当たりしながら、倒れるようにして火の奔流を躱す。

そのまま勢いよく身を捻り、横から回ってきた数本を"習"をしたボストンバックで打ち払った。

 

「――ッ! なかなかいい念の込め具合で! 」

「そちらこそ、流石は心源流の師範代」

 

返事と共に、弧を描いて戻ってくる炎の群れ。

飛び起きたイナギはギリギリまで引きつけてから横に避けつつ、直撃コースのものはバッグの底面を盾とした。

 

「受けましたね。それ、頂きますよ」

「どういう、うおっ!! 」

 

発言の真意を測りかねた瞬間、炎が異様な速度で広がり、バッグ側面に燃え移る。と同時に暴れ始めた為、急いで手を離し飛び退る。

哀れバッグは炎に包まれ、群れの一部として若頭の方へと下がっていった。

 

――物体操作。対象の数と込めている念の量から、操作系で間違いない。

そして底部が燃えたボストンバッグが、若頭の元に飛んで行った事を考えると。

 

「……燃やす事による物体操作、か。中々いい趣味だな」

「お褒めに預かり光栄ですね」

 

いや、褒めてない。純度100%の皮肉である。

 

「正直、私の念は手加減に向いてません。先ほど腕の1本や2本と言いましたが、消し炭になるという意味です。ここで退くなら、これ以上追いませんが」

「そりゃご親切なこって」

 

会話しながらも身構えるが、ジルフは律儀に返答を待つようだ。

その言葉に悩むふりをしつつ、イナギはこの状況について考えを巡らせる。

 

身近に能力者がいるのに、念の存在を知らされていなかったシュルト。

住民に指示して街から追い出そうとし、拳銃は向けられるも結局発砲はされていない事実。

若頭の口から出た、『疑わしい背景』と『穏便に済ませられるなら』の下り。

 

――つまりシュルトが念を覚えた事は、彼らにとって都合が悪かった。

しかしその元凶イナギは、試験中にシュルトの命を救っている。

同時に疑わしい背景もあったが故に、善意と悪意どちらの人か判断つかず、とりあえず穏便に退場願おうとした?

 

「ありがたい話だが、俺には不要だな」

 

そこまで頭を回した所で、イナギは一先ず打ち切った。

 

「……どういうことでしょう? 」

「すまんすまん、分かりにくかったか」

 

結局、上記は全てイナギの想像に過ぎないのだ。

そして彼らが対話を希望してない以上、事態を打開する糸口にはなりえない。

いま必要なのは、まず彼らを話し合いのテーブルにつかせること。

 

「アンタの念、俺との相・性・は・良・い・みたいだからな。格下の滑稽な勧告なんて、聞く必要あるか? 」

 

その為には、こちらが格上だと力を見せつけることである。

 

「その言葉、後悔するなよ」

 

とはいえ、ここまで煽り耐性が低いのは正直想定外だった。

笑顔のまま、盛大に青筋浮かべてブチギレてる若頭。

彼が火群に突撃を命じるのと、俺がポケットに手を入れるのは同時だった。

 

「いけ――ッッ!!? 」

「残念ながら、俺の方が早いんだよなぁ」

 

飛びかかってきた火柱が、パァンという音と共に吹き飛ばされる。

その打撃音は瞬間的に何度も響き、火勢が寸暇に撃ち落とされていく。

 

「――なに、を」

「簡単な話さ」

 

飛んでくる火の速度は、精々自動車程度。

そのくらいなら難なく目で追えるし、俺の拳の方が断然早い。

 

「アンタの火が届く前に、拳で撃ち落とした。それだけだ」

 

すると後はキャパシティの問題なのだが、現在ジルフが操っている火柱は31。

しかしイナギは、その数が倍だとしても捌けるくらいには余裕だった。

この程度、心優しき師範どもアラマ爺とビスケの修行に比べれば、お茶の子さいさいである。

 

「まだです! 例え撃ち落とされても」

「少しでも燃やせれば、ってか? 」

 

そう思ってる時点で、アンタの負けなんだよなぁ。

 

「残念。アンタの炎じゃ俺は燃えないよ」

「何を馬鹿な」

「騙されたと思ってさ、"疑"してみなよ」

 

一体何が、とオーラを目に集めたジルフ。

するとイナギの姿が掻き消え、代わりにに佇むは物々しい全身甲冑。

 

「――"隠"。念の鎧、ですか」

「その通り。で、俺のバッグ、底に板が入っててさ」

 

金属製なんだと言いながら、絶賛燃焼中の鞄を指し示す。

既に燃えて原型は留めてないが、底部は燃えずに残っていた。

 

「火の性質はイジってないんだろ? その程度の火力だったら、ほら、やっぱり相・性・は・良・い・」

「この短時間で、そこまで」

「師の教えが良かった、とでも言っておこうか」

 

などと余裕ぶってはいるものの、イナギの心臓は正直バクバクであった。

何故ならこの『燃やしたものを操る能力』、凶悪の一言に尽きるからだ。

 

まず人間とは、全身の3割程度に負った深さ数mmの熱傷が、致命傷になる生き物である。

それは念能力者も同様で、オーラを纏えば多少強くはなるものの、燃えれば痛いし生死にかかわる。

その上で、この能力で燃えた部分はコントロールを失うのだ。

火を消そうとしても邪魔されるし、その間にも熱傷は広がる。

控えめに言って悪夢である。

 

一方で、その攻撃も操作も燃焼を起点とする。燃やされなければダメージは受けないし、操られることもない。

そして金属の底板が溶けていないという事は、念鎧さえ着てればイナギが燃やされることはない。

相性が良いと言ったのは、そういう意味であった。

 

「まだ終わっては」

「いやいや終わりさ。ここ一帯を焼いてまで続けるなら、話は別だけどさ」

 

とはいえ負け筋はあって、物量差で攻めてイナギを蒸し焼きにすること。

しかしここはウォーフェット家の本拠地なので、当然そんなこと出来る筈もない。

だからここいらで手仕舞いにしよう。

 

「俺はただ、シュルトに事情を聞ければそれでいいんだ。取り次いでさえくれれば、ん? 」

 

その時、イナギは何かが聞こえた気がした。

初めは甲高い鳥の鳴き声。次は、やけに飛ばす車のエンジン音。

丘に吹きつける海風に紛れて、確かに聞こえたハイトーン。

 

――ィィィィィィィィィ

 

発生元は、ウォーフェット家敷地の遥か奥。

同時に緑溢れるなだらかな丘陵を、猛烈な勢いで近づいてくる黒点。

 

「ぃぃぃぃぃぃいぃぃ! 」

 

間もなくそれが声だと分かり、叫びに変じ、指先ほどだった音源がどんどん大きくなっていく。

 

「ぃぃいいいい、ナギ、さぁぁあああああん!! 」

 

小柄な人影が叫んでいたのは、他でもないイナギの名前。

最高速を維持して走り込んで来たのは、半日ぶりに会うシュルトだった。

 

「イナギさん! 」

「お、おお」

「迎えに行けなくてすいませんでした!! 」

 

あまりの気迫に面食らうイナギに向けて、浴びせかけるように頭を下げるシュルト。

 

「ちょっと家のアレコレでですね、僕も初めて聞くことばかりで混乱してて。一応伝言は若頭に頼んだんですけど」

「伝言、ねぇ」

 

チラッと横を見ると、スッと顔を逸らす眼鏡。

あー、なるほど。今朝からの一連の出来事は、本人の預かり知らない所で勝手にやっていた、と。

そんな微妙な空気を感じ取ったのか、シュルトの目が細くなっていく。

 

「あれ、イナギさん。もしかして伝言届かなかったですか? 」

「そうさな、色々あったけど、結果的に会えてるからいいんじゃないか。ねぇ若頭さん」

「はい、そうですね」

 

――おまえ、これ貸し1だかんな。合わせろよ。

そう目で告げると、驚きを瞬時に隠して話に乗ってくるジルフ。

しかし目の前のちみっこは、その程度で逃してはくれないらしい。

 

「色々あった、ですか。分かりました。ちなみにジルフさんに質問なんですけど」

「なんでしょう」

「なんでイナギさんと戦ってたんですか? 」

 

まぁ、そうなるよな。

いきなりの襲来だったので、燃え滓やら何やらはそのままだったし。

 

「ちょっと、坊ちゃんの師として相応しいかをですね」

「若頭」

 

その一言と、微笑み。

今の所イナギには向けられたことがない、言葉と態度の冷たさである。

 

「ちょっと後で、じっくりと、お話ししましょうね」

「……わ、分かりました」

 

この世の終わりとばかりに膝をつくジルフはもう目に入らないようで、シュルトはイナギに向き直った。

 

「すいません、イナギさん。迷惑かけちゃったみたいで」

「いや、それは大丈夫だが。家庭の事情でゴタゴタしてたって聞いたが、何かあったのか? 」

「えぇ、まあ。もう終わった話ではあるんですけどね。付随してお願いもあるので、イナギさんにも知ってもらった方がいいかもしれません」

「分かった、聞かせてもらおうか」

「はい。――とはいえ、立ち話もなんですし、中でお茶でも飲みながらにしましょう! 」

 

ついてきてください、案内しますよ!

相変わらず物理的に落ち込んでいる若頭は放って置かれたまま。

シュルトは飼い主に懐く犬みたいに、とっても人懐っこい笑みを浮かべて話しかけてきた。

 

――うん、コイツはなるべく怒らせないようにしておこう。

そう心のメモ帳に殴り書いて、イナギはシュルトに導かれるまま、ゆるっとウォーフェット家に足を踏み入れたのだった。

 

 

 

 

 

△▼

 

 

 

 

 

通されたのは、邸内にある巨大な応接室。

ソファに腰かけて待っていたのは、筋骨隆々の偉丈夫だった。

 

「おぉ、アンタがイナギさんか! 」

 

年のころは、男盛りの40手前。

日に焼けたボルドーレッドの髪に、オールドダッチスタイルの髭。

見るからに高級そうなスーツは筋肉ではじけ飛びそうになっており、声も見た目同様かなりデカい。

 

「パーパ、紹介前だよ。イナギさん、この人が僕の父、アレキス=ウォーフェット。そしてパーパ、こちらが僕の師匠のイナギさん」

 

アレキス=ウォーフェット。

こちらの姿を見るなり立ち上がった彼こそが、ここペルレモを支配するウォーフェットファミリーの組長であった。

 

「どうも、シュルトに念を教えています、プロハンターのイナギといいます」

「アレキスだ。試験ではシュルトが世話になったみたいだな。命を救ってくれてありがとう」

 

シュルトの紹介に合わせてツカツカと近寄り、握手と同時に頭を下げてくる。

それが異例な対応であるのは、後ろに控えるジルフの慌てぶりから容易に理解できた。

 

「一つ聞きたいんだが、ライバルの命をどうして助けてくれたんだ? 」

「まぁ、子どもを見殺しにするのは忍びないと言いますか。その前の試験で協力し合ったのもあり、自然と」

「なるほど、そういう感じか。ほれ見ろジルフ、いい奴だったじゃねえか!! 」

 

イナギと握手したまま、俺の予想通りだったな! と後ろにいる若頭を笑い飛ばす。

 

「それよりもパーパ、ジルフがイナギさんを襲ってたんだよ! 僕の命の恩人だって伝えたのに 」

「おぉ、それは俺が指示した!」

 

その言葉に、ポカンと父を見上げるシュルト。

俺も完全に同じ気持ちである。一体全体どういうことだってばよ。

 

「敵が多い職業だからな! イナギさんをいい奴だとは思ってたが、イコール味方とは限らねぇ世界だ。シュルト託すなら実力を見る必要もあったし、一石二鳥ってやつだな! 」

 

その後話をまとめると、彼らの中ではイナギの目的について3つの可能性が挙がっていたそうである。

まずシュルトを救った事すら仕込みの、完全なる敵対勢力。

次に、救ったのは善意だが、後々正体を知って利用しようと近づいてきた潜在的敵対勢力。

そして善意の第三者。

 

ジルフは2つ目だと思いつつ1つ目の可能性も捨てきれず、アレキスは2つ目と3つ目で半々くらいと予想。

だから試させてもらった、正直スマンかったという事らしい。

 

「で、どれかは分かったんですか? 」

「正直言うとだな」

「はい」

「まだ確実には分からん」

 

じゃあ何のために試したんだテメー。

 

「だが、1つ目ではないという確信はある」

「そりゃどうして」

「ジルフより強いなら、こんな策を弄する必要ないからな」

 

組内の念能力者は他にもいるが、戦闘力という意味ではジルフに秀でるものはいないらしい。

話しながら、顔先の男と視線が交わる。正面から捉えたその燃えるような目は、想像以上に深く、重く、そして澄んでいる。

 

「シュルトの命を自然と助けたというさっきの台詞に、俺は嘘を感じなかった。それ以外に含む所があったとしても、真にシュルトの命の恩人である事さえ分かったならば」

 

アレキスの顔を見て話す為に、イナギは見上げなければならなかった。

その角度が、下がり、水平、俯角、静かに降りていく。

 

「――息子の命を救ってくださり、本当にありがとうございました」

 

そしてイナギは、自身にはついぞ縁がなかった、形を持った父の愛の姿を見たのであった。



[3446] 第十九話 『ウォーフェット一家⑤』
Name: いづな◆c1592588 ID:bee63350
Date: 2024/03/25 11:24
頭を下げたまま姿勢を変えようとしない、シュルトの父にしてウォーフェット一家 組長・アレキス。

既に十分気持ちは受け取った、と何とか元に戻して、一堂ソファにかけた後。

――納得してもらえるかは分からないが、騒動の経緯だけは説明させて欲しい。

そんな若頭の言葉から、今回の背景は語られ始めた。

 

「そもそも、何故シュルト坊ちゃんに念を秘匿していたか。その理由が全ての原因なんですが」

「マフィアンコミュニティーの取り決めでな、念能力者は組のトップになれねぇ」

 

言葉を引き取ったアレキス組長が、苦々しく先を続ける。

 

「過去の話だが、操作系能力を持つ組長がいてな。ソイツに十老頭の内の一人が操られるという事件があった」

 

十老頭――6大陸10地区をナワバリにしている、マフィアの長達の通称である。

彼らクラスになると基本表には出て来ないのだが、自派閥下部組織のトップを集めた会合などはある。

そして、そこを狙われたらしい。

 

「初耳だな」

「そりゃ、事件後にその組まとめて死んでるからな。十老頭以外で知ってるのって、最古参直系組の幹部以上じゃないか? 」

 

あの、ソレってかなり少ないんじゃないですかね。

シュルトとジルフはやっちまったって空気出してるし、コレ本当に聞いて大丈夫な奴なの?

 

「まぁ時効だろ。俺も爺さんからのまた聞きだし」

「だったら良かった」

「とはいえ広まったら、世の中の筋モン全部敵に回すことになるから気をつけてくれ! 」

 

がっつりヤバい奴じゃねーか! ガハハじゃないって、なに教えてくれてんだテメー!

大口開けて笑う能天気の後ろで、手を合わせて謝る2人。

薄々察してはいたが、なるほどそういう感じの人なのね。

 

「武器なら取り上げりゃいいが、念を取り上げるなんて不可能だろ? だから念能力者は組のトップになれなくなった、という訳だな」

「なる、ほど。で、シュルトにはそのことを教えてなかった」

「成年前だし、流石にな。念を遠ざけとけば、その内諦めると思ったんだが……」

「その程度で止まる情熱ではなかった、と」

「そうだな。息子は想像以上に強く、夢に一途だった」

 

理解出来なかった俺のミスだ。

そう言って項垂れるアレキスに、シュルトは全力で飛びついた。

 

「止めてよパーパ! 悪いのは僕だよ」

「シュルト……」

「それにボスになれなくたって、僕はファミリーだ。念能力者としてウォーフェット一家を、弟を支える。昨日、そう決めたんだ」

「おお、息子よ! 」

「パーパ! 」

 

立ち上がってひしっと隙間なく抱きしめ合う親子。

なんかいい話になってる所悪いが、本人が言う通り悪いのは完全にシュルトである。

 

「寝てる間に同意書押させるのはなぁ……」

「イナギさん、なんか言いましたか」

「いやなんも」

 

ジトっとした目で見てくる様子を見るに、今回のショックからは大分立ち直ってそうである。

今まで後継として育てられてきたのに、その目標が急に消えたんだ。当たり散らしてもおかしくないのに、やはり大物である。

 

「そうだ。2つほど質問いいか? 」

「はい。答えられるものならいくらでも」

 

イチャつく親子を尻目に、若頭へと話しかける。

相変わらずの細目に笑顔。コイツはコイツで、先ほどの戦いを引きずったりはしていないようだ。

組長も見るからに闊達だし、もしかしてウォーフェット一家がそういう気風なのかもな。

 

「戦り合ってる時にアンタが言ってた、"疑わしい背景"についてなんだが」

「ああ、それは」

「嘘つきクソメガネですよ、イナギさん」

「……ウイングのことか? 師範代の」

 

横から会話に飛び入ってくるシュルトの言葉に、思い浮かぶのは1人だけである。

ウイング。プロハンターにして、ビスケを師に持つ心源流拳法師範代。

一緒にビスケの修行地獄の三日間を潜り抜けたことから、年上ながら戦友という間柄ではあるが……しかし何でウイング?

天空闘技場で会ったっきりだし、それ以上の関わりはないぞ。

 

「ほら、僕が燃える方の"燃"で騙された事あったじゃないですか。あの時に、パーパ達が念を教えないように頼んでたらしいんですよね」

「もちろん、洗脳の件は伏せてですけどね。代々のしきたりで、念能力者は一家を継げないから、と」

「そうか。その事実を知ってる輩と同門の人間が、シュルトに念を教えてた。しかも直前に接触してからペルレモに来てる」

 

重く頷く若頭に、思わず両目に手を当て天を仰ぐ。

客観的に見て、めちゃくちゃ怪しいわこれ。

 

「坊ちゃんが念を覚えたタイミングで、その名前が出てきたら流石に、全てが謀なのではないか、と」

「全くそんなことはないんだが、、偶然って怖いな」

「しかしどんな理由であれ、坊ちゃんの命の恩人に、私は……ッ!」

「だから、もう頭は下げなくていいから。そこまで揃ってたら俺だって疑うから」

 

謝罪ループを入り口でケアして、何とか落ち着かせた後。

後悔の涙を拭ったハンカチを仕舞ってから、気まずげにポリポリと頬をかきつつ若頭は尋ねてくる。

 

「……すいません、醜態を。質問は2つでしたよね。もう一つは」

「あー、もう一つ。そう、これは質問というか、お願いというかですね」

 

しかしイナギは、言葉を濁してはっきりと答えない。

喉に引っかかった小骨を取るかの如く、難しい顔して生唾を飲みこむ。

 

今回問題となった、『シュルトを助けたこと』と『シュルトに念を教えたこと』。

現状、これらが偶然の産物であり、善意によるものである理解は既に得られている。

だがしかし。この偶然を奇貨として、彼らを利用しようとしている疑いは依然残ったままであり。

そして今回ペルレモに来る決め手となったのは、『儲かる仕事が紹介出来る』というシュルトの一言なんだよなぁ、って。

 

「この流れで言い出すのは、非常に言いづらいんだけど」

「はい、なんでしょう」

「あの。今、自分本当に金がなくてですね。私めの力が役立てられる事態があれば、どうか割りのいい仕事を割り振ってもらえないかと」

 

そう言って、勢いよく頭を下げる。

あ、見えないけどすごくよく分かる。俺、今すんごい冷たい目を向けられてる。

 

そのまま数秒だか、数十秒高が過ぎ。

 

「――分かりました。ボスに聞いてみないといけませんが、それはまた今度ですね」

 

嘆息と共に漏れ出たその回答に、頭を上げると。

シュルトに力強くキスしようとして、物凄く抵抗されているアレキス組長が目に飛び込んできたのだった。

 

 

 

 

かささぎの梯

第十九話『ウォーフェット一家⑤』

 

 

 

 

その後改めて持たれた話し合いにより、イナギは食客となる事が決まった。

ペルレモにいる間は、衣食住全てがウォーフェット一家持ち。

さらにシュルトの指導料まで提案されたが、金銭ありきで取った場合を除き、弟子の指導に金をもらう程落ちぶれてはいない。

当初の予定通り、儲かる仕事の紹介をお願いすることととした。

 

――そんな形で、はや2ヶ月。

自身とシュルトの修行を本位としつつ、合間々々に念が使えるマフィア数名へ稽古をつける日々。

割の良い依頼はまだ来ないが、組員からは指導料を取っている為、財布がどんどん厚くなっている。

有り体に言えば、考え得る限り最良の環境。

その上で、今イナギが欲するものといえば。

 

「やっぱり、優秀で信頼できる情報屋とのツテだよなぁ」

 

そして、その紹介をウォーフェット一家に頼むか否か。

その判断をする為には、見極める必要がある。彼らと流星街の関係性を。

 

流星街――この世の何を捨てても許される場所。

政治的空白地帯で無人とされるその地域だが、実際の人口は数百万に及ぶ。

そしてビスケから聞いた話だが、幻影旅団とマフィアンコミュニティーはそれぞれ流星街と関わりがあるらしい。

前者は、その出身母体であり。後者は、国際人民データ機構に登録がない存在しない人間の供給元と斡旋先として。

 

では、イナギが図らずとも得た『嫡男の命の恩人』という立場と、流星街との関係の重さ。

イナギの事情を知った時、ウォーフェット一家の天秤はどちらへ傾くのか。そういう意味での見極めであった。

 

「なにぶつぶつ言ってるんですか、イナギ先生。もうすぐ着きますよ」

「先生と一緒って伝えると、何故か予約が取りやすいんですよねぇ……どうやってあの気むずかに気に入られたんスか? 」

「人徳かな。人徳」

 

その為に、その為にである。

連れ立つ連中をあしらいながら、ペルレモの夕日を切り裂いて。その為にイナギは今日も通うのだ。

裏通りにポツンとたたずむ、地元民が愛して止まない屈指の人気店。

我らの故郷、オステリア・カシナーリへ――。

 

自身の修行に、適度な指導。その後の美味い酒肴に飲み仲間。

何だかんだで、ペルレモでの日々を満喫しているイナギであった。

 

 

 

 

 

△▼

 

 

 

 

 

そんな充足した月日を享受するイナギだが、もちろん彼の根っこは少しもブレてはいない。

伸びたとはいえ、彼の寿命は現在13年。全てを忘れるのに、その残りはまだまだ短い。

 

――ウォーフェット組と交流を交わす内に、一つ確信を得られたことがある。

それは、彼らの家訓『命の恩は命で以って』の重要さ。

少なくともイナギが関わる面々にとっては常識であり、下にも置かぬ扱いはそれ故のものである。

恐れているのは、流星街を経由して幻影旅団に情報が流れること。

しかしこの様子であれば、イナギの事情を知ったとして、最低でも見て見ぬふりはしてくれそうであった。

 

そして、彼らと流星街との関わりについてだが。

そもそも流星街の住民足がつかない人間を必要とするのは、その殆どが醜悪なシノギに際してである。

しかしイナギが聞き出した限り、ウォーフェット組のシノギは港湾業務の元締めを主として、興行の手配に外部とのケツモチ。土地持ちな為不動産収入も固い。などなど。

何も真っ当な経済活動であり、イナギの持つマフィア像とは大きくかけ離れていた。

 

なので流星街を必要とする事態はまずないんじゃないか、というのが見立てなのだが。

――とはいえ、結論を急ぐ必要はないよな。斡旋する依頼を受けて、それから最終判断にしよう。

というのが、この穏やかな2ヶ月の流れであった。

 

そして、今日は土曜日。ある晴れた初夏の昼前時。

昨晩のカシナーリでは深酒が過ぎた為、遅めご起床である。

10時を知らせるペルレモの鐘が頭の中にも響く中、幽鬼の足取りでラウンジへと入る。

冷たい水を飲み頭が少しハッキリした所で、屋敷の連中総出でテーブルを取り囲んでいる事に気がついた。

何やら喧々諤々、盛んに議論している。

 

「はよっす。何してんだ? 」

「あ、イナギさん! おはようございます!」

 

イナギの顔を見るなり、わざわざ近寄ってきてペコリと頭を下げるシュルト。ほんに出来た弟子である。

おはようの言葉が続く中手を取られて、人並み割って前へ。

 

「あ、おはようです」

「おぅ」

「おはようございます」

 

人垣で見えなかったが、アレキス組長とジルフ若頭もいた。

椅子にかけている彼らとも挨拶を交わし、ようやっとテーブルの前へと辿り着く。

するとそこには、高級そうな革の箱に収められた見慣れない物が。

どうやら、こいつについて話していたようである。

 

「イナギさん、これ何か分かります? 」

「なにって……人骨? 何かヤバい話だったりする? 」

 

そう、それはまごう事なき人間の骨であった。

何だろう、やっぱりマフィアとは須く暗い野辺を行く連中だったのだろうか。

俺の(勝手な)信頼は裏切られたのだろうか。

 

「ヤバい話? いえ、全然やばくないと思いますよ。実は系列のファミリーから、この骨の正体を知っている人材を探していると言われまして、それで全員で確認を」

「正体? 普通に、成人男性の大腿骨じゃないのか? 」

「違うんですよ。ね、パーパ」

「あぁ、ただの骨だったら苦労しねぇ。おい、出してやれ」

 

アレキスの指示を受けて、白手袋をつけた若い衆が動く。

窪みにきっちり収まっている骨を取り出すと、イナギの方に提示してきた。

 

「素手で触るなよ、大層なお宝らしい」

「分かった」

 

頷いて、顔を近づけて観察する。

収められている時は一見普通の骨だったが、取り出すとその異様な形が明らかになった。

骨の側面、幅広な方に綺麗な穴が1箇所貫いていたのだ。

 

「特殊な症例なのか、文化的な慣習なのか。電脳ネットで調べれば直ぐに分かるんでしょうが、先方から『紹介して欲しいのは、調べるまでもなくこの品について語れる知識を持つ人間だ』と釘を刺されてまして。ここにいる全員分かりませんでしたが、めくる前にみんなで予想して当てよう、と」

 

状況を補足するジルフ若頭。

なるほど。そういう流れね、完全に理解した。

 

「とすると、これが何かは言わない方がいいよな」

「いえいえ、是非イナギさんも参加してください。正解者には金一封出るので」

「俺の金だかな」

「いや、予想とかじゃなくて。そりゃ金くれるなら貰うけどさ」

 

いいのか? と確認すると、会話のズレを感じて押し黙る一同。

全員で目配せした後、代表してシュルトが恐る恐る聞いてくる。

 

「あの、イナギさん。それって、これが何か分かってるって事ですか? 」

「もちろん。後がいいなら答えるの待つけど」

「いいや、今言ってくれていい」

 

調べるがいいか? というアレキス組長の言葉に、急いでノートパソコンを立ち上げる組員。

その起動を横目に見ながら、イナギはむんず、と無造作にその骨を掴み取った。

 

「あ! イナギさん素手だと」

「大丈夫大丈夫、これレプリカだし」

「……レプリカ? 」

「あぁ。ギュドンドンド族の舞闘士バプの大腿骨、の粗悪な偽物。加工は上手いから、門外漢の職人による小遣い稼ぎだろうな」

 

穴の周りを指でなぞりながら、イナギはそう結論づけた。

 

――ギュドンドンド族。

過去の開発で住み処を追われた、とある少数部族。その特徴は、男性が行う身体変工にあった。

身体の至る所に穴を開けた彼らは舞闘士バプと呼ばれ、その大きさ・形状により多様な音を出す事が出来るのである。

そしてその変工は、3歳の割礼と同時に開けた穴を、成長と共に拡張する形で行われる。

その為骨はその強度を保つために、穴の近辺はは僅かに膨らみを帯びていく。例えば空いた穴が2箇所なら、微かに瓢箪型となるのである。

 

改めて、鑑定の品を見てみよう。

今回の骨であるが、1箇所穴が空いた成人男性の大腿骨。穴の内側は滑らかな断面。そこだけみると本物と寸分違わない。

しかしその形状は、丸みを帯びず真っ直ぐストレートである。

加えて、穴が空いてる位置もおかしい。

ギュドンドンド族は、自らが動き空気を穴の中に通す事で、美しい音色を奏でる。つまりその穴は、空気に触れる位置でないといけないのだ。

しかし今回の穴は、人体に配置すると足の付け根付近。かなり股下が短い下着でないと、そもそも隠れてしまう場所であった。

「以上の理由から、この骨はギュドンドンド族のレプリカだと――何でそんなに離れてるんだ? 」

 

理解してるだろうかと周りを見渡すと、身体を反らして一歩下がる面々。

心なしか、その表情もドン引きしているような。

 

「イナギさん……そんなにも詳しいなんて一体……」

 

あー、なるほど。そこに引いてたのね。

代表して問いかけてくるシュルトに、ポリポリと頬を掻きながら。

 

「ちょっと、家庭の事情でね」

 

コレクターという人種は、常に自分の収集成果コレクションを自慢できる理解者を欲している。

そしてイナギには、人体収集家という高尚なご趣味をお持ちの身内がいた。

立場上気軽に理解者と出会えない彼は、自身より立場が圧倒的に下のイナギに無理やり知識を覚えさせ、理解者に仕立て上げたのである。

なお当時は甘んじて受け入れたのだが、それ故に念をかけられる事になるとは、イナギの目をしても見抜けなかった。

 

「一体全体、どんな家庭なんですか……」

「そんなことはどうでもいい! 」

 

一人だけ椅子に座ったままだったアレキス組長が、ガタンという音を響かせて勢いよく立ち上がる。

 

「先生よ、アンタこの手の品に詳しいってことだろ? 」

「まぁ、人並み以上には」

「よし、うってつけの人材だ! しかも先生が求めてた通り、払いもいいときた。こうなりゃ偶然じゃなくて必然! 」

 

イナギは勿論、理解出来てない周囲の全員をほっぽり出して。

猛然とした様子でツカツカと寄ってきた彼は、その勢いのままイナギの両肩に手を置いて一言。

 

「先生、決まりだ! 同系列のファミリーから依頼が来てる。組長の娘っ子の護衛任務、紹介させてもらうぜ! 」

 

――イナギの、ノストラードファミリー派遣が決まった瞬間であった。



[3446] 第二十話 『人体収集家倶楽部①』
Name: いづな◆c1592588 ID:66ad76ed
Date: 2024/04/18 00:45
ノストラードファミリーの本拠地は、深い木立を抜けた先に在った。
唐突に現れる広大な芝地の丘と、それをぐるりと囲う背の高い塀。そして、その中心にポツンとそびえる巨大なお屋敷。
人里離れているという点ではウォーフェットファミリーのそれと同じだが、受ける印象が全く違う。
生活感を感じない、静か過ぎる様相。何故か檻を想起させる、白亜の洋館。
イナギはそんな敷地の入り口に立ち、固く閉ざされている鉄門扉のブザーを鳴らした。

「はい、当家に何か御用でしょうか」
「イナギと言います。ウォーフェットファミリーからの紹介で」
「イナギ様、お待ちしておりました」

庭口にぬっと現れたシワだらけの執事に従い、門を潜る。唸る番犬の間を抜け、エントランスを通って屋敷の中へ。
促されるままに粛々と着いていくと、彼はある扉の前で立ち止まった。

「皆さまがお待ちです。どうぞお入りください」
「分かった」

ガチャリとノブを回して、自然体で部屋の中へ入る。するとそこは、内階段が目を引く吹き抜け構造のラウンジルームだった。
日が差し込む背の高い窓に、複数の本革ソファ。そこに掛ける形で、6人の男がイナギを待ち構えている。人種・年齢はてんでバラバラ。だが、その全員が念能力者だ。
内1人の男が立ち上がり、歩いてイナギに近づいてきた。

「初めまして。イナギといいます。あなたは」
「護衛団リーダーのダルツォルネだ。よろしく」

背丈は180程度。がっしりとした体つきで、角刈り。目の下にサメのエラのような刺青を入れている。
パッと見た感じ、そこそこの実力はありそうである。少なくとも、彼らの中では一番強いのは間違いない。

「早速だが、任務の内容は聞いているかね」
「人体収集家としての知識が必要になるものとだけ」
「そうか。君に当たってもらうのは、とある人物の護衛だ。つまり、相応の実力も必要になるのだが」
「なるほど」
「その点については、紹介者が絶対に問題がないと断言していてね」

上から下まで、じっくりとした視線。イナギが値踏みしたように、彼もイナギの程度を計っているようである。
時計の針が15ばかし時を刻み、それで満足したのか目線が戻ってきた。

「本来であれば、こちらで試させてもらうんだが。だがウォーフェット一家のことは」
「いやいや、それじゃ不安だろ 」
「信用して……何? 」
「俺の"練"見せようか? って言ったのさ」

舐められてると、この後やり辛くなるしな。そんな心の声に替えて。
イナギは自身の全力で、この空間をねじ伏せるつもりで"練"をした。

――"練"を見る。
ハンター用語で、意味は「鍛錬の成果を見せる」事。
つまり文字通り"練"をするだけでは、困惑されるだけである。が、これだけ彼我の差が大きければ、その限りではなかった。
イナギの"練"とほぼ同時に、敏感な2名がその場から飛び退った。花瓶が床に落ち、机が倒れる。
それ以外の面子は、その場で立ち上がるのが精々か。唾を飲む音に、荒い息差し。
そして目の前のダルツォルネはというと、彼もまたその場から動いてはいない。
だがこれは……反応出来なかったのではなく、下がろうとする身体を精神力で押さえ込んだ感じ、だな。
呼気は乱れ顔色も悪いが、恐れて後退りはしなかった、と。
――明確な実力差を察して尚、上役としての態度を崩していないなら。彼を立てるのも、やぶさかではないかな。
そう結論付けて、イナギはフッとオーラを緩めた。

「紹介されたからじゃなく、実力を信用して頂けると嬉しいですね」
「あ、あぁ」
「そして部下になるんですから、相応に扱ってもらって大丈夫ですよ、ダルツォルネさん」
「……分かった、そうしよう」

ダルツォルネを認めたという、イナギの含意を察したのだろう。
少し間を空けてから手を差し出してきたので、受け取る形でにこやかに握手する。
む、この握りと指だこの位置。獲物は片刃の直身かな。

「い、イヒヒッ、良かったですね。ぼ、暴力的な、や、野蛮人にしては話が分かるみたいで」

そんな2人に向けて、パチパチという拍手が唐突にかけられた。
そちらに目を向けると、猿のようなまだら色の長髪を後ろに流した年配の小男だ。何だか凄くビクついているが、それに似つかわしくない挑発的な台詞。
なんだろう、ちょっとテクニカルに喧嘩売られてるんだろうか。
ジッと見つめていると、節くれ立った両手を上げて、降参のポーズ。

「そ、そんな目で見ないでくれよ。ヒヒっ、土下座でも、さ、させる気なのかい? 」

答えず黙っていると、聞き取れないくらい小さい声で何かをモゴモゴ呟いている。

「パッソ」
「ひ、ヒヒっ、何ですかね、リーダー」
「空気読め」

そしてダルツォルネの一言に、すごすごと引き下がっていく。その呆れた声音から察するに、多分ナチュラルにああいう人なんだろう。
あまり関わりたくはないが、側から見てる分には面白いかもしれない。

「……イナギ、チームの紹介は後だ。まずはボスに会ってもらう」
「ボス? 」
「あぁ。ついて来い」

他は待機とだけ告げて、歩き出すダルツォルネ。彼に着いて、部屋を出た所にあるエレベーターへ。
更に馬鹿でかい廊下を進み、階段を降りて、部屋を通り抜け、角を曲がり。
あえて辿り辛くしてるにしてもやり過じゃないかと思い始めた所で、ダルツォルネはピタリと足を止めた。

「念のため確認するが、今回の護衛先では人体収集品への知識が不可欠だ」
「なるほど」

雰囲気的に頷いてはみたものの、人体収集家としての知識を必要とする護衛先?
全くもって意味が分からない。

「そしてその事はボスもご存じでね。だから今日、趣味を同じくする君と会うのをとても楽しみにしている」
「それは光栄な事で」
「……先ほどの"練"で、君の実力はよく分かっている。が、知識に関しては別だ。もし君が期待外れだった場合、我々ではお手上げになる可能性が高い。あのウォーフェットの紹介だからそこも問題ないと思うが、もし自信がないなら、今伝えて欲しい」
「お手上げ? 誰に? 」
「ボスだ」

薄々感じてはいたが、ウォーフェットファミリーの評価滅茶苦茶高くない?
あと念能力者がお手上げになるボスって、どんだけヤベー奴なんだろうか。

「んー、そのボスがどれだけ詳しいかは知らないですが、問われるのはコレクションじゃなくて知識ですよね」
「そうだ」
「だったら大丈夫。その手の話だったら、何日も語れるくらいには仕込まれてるので」
「……分かった。そちらも信用するとしよう」

一先ず納得したのだろう。
話を切り上げたダルツォルネは、目の前にある扉を二度ノックする。
すると、お付きの人だろうか。1分待ってー! という高い声に了承の旨を返し、ドアから一歩離れた。
沈黙が痛いので、せっかくだからと気になっていた事を聞いてみる。

「ちょっと聞きたいんですけど」
「なんだ? 」
「人体に関するアングラ知識が必要な護衛先って、一体何なのか触りだけでも」
「そうだな、何と言えばいいか。所謂――そう、オフ会だな」
「オフ会!? 」

人体収集マニア大集合ってこと? 何その地獄みたいなイベント!?
思わず心の声が漏れ出たのと同時に、ダルツォルネが扉を開ける。
目に飛び込んでくるのは、複数のピンクアーチドレープに、純金のシャンデリア、ワイドキングサイズの天蓋付きベッド。
そしてそこに腰掛けている、薄紅色の髪をした10代後半の少女だった。




かささぎの梯
第二十話『人体収集家倶楽部①』




イナギが今回の依頼を受けたのは、金銭以外にもう一つ理由があった。それは、ノストラードファミリーの鬼札、未来を予知する念能力者の存在である。
未来は未知数。仲良くなって占ってもらえれば、もしかするとフランシール壊滅事件や幻影旅団に繋がる情報が手に入るかもしれない。
その能力者がイナギと同年代の少女だとは思いもよらなかったが、あわよくばの精神で社交性を全開にして臨んだ結果。

「そういえばギュドンドンド族の骨、すぐに分かった? うん、あれは簡単過ぎよね。でも、そもそも本物は持ってないの。私、女性や子どものが可愛くて好きなんだけど、ギュドンドンド族で特殊なのって全員男でしょ? 女性は普通の骨だし、子どものはそんなに穴空いてないし」

入室してから1時間。
挨拶だけのつもりが、盛り上がり過ぎてイナギはまだ部屋の中にいた。

「その点、一角族の頭蓋骨は女子供でも角もあるし、ちょっと小さくて可愛いの。でも私まだ持ってなくて、あなた見たことあったりする? 」
「はい、ありますよ。ただ私が見た事あるのは男性のものなんですよね。女性の方が前頭骨が真っ直ぐ立ち上がっているので、綺麗ですし人気があって珍しいので、もし手に入ったら是非見せて頂きたく」
「へー、そうやって見分けるんだ。勿論いいよー、連絡するね」
「ありがとうございます」

会話を始めて直ぐに理解した事がある。
この女――ネオン=ノストラードは、無知故の純粋さと残酷さが同居している人間である。
こういうタイプは自らを害する悪意には敏感だが、自らを害さない表面的な愛情は問題なく受け取ってくれる。
その為嫌味にならない程度に相手を褒めつつ、興味のツボさえ抑えてやれば。

「私、今一番欲しいのは緋の眼なの。そう、クルタ族の。とっても綺麗で可愛いし、女の人や子どもの目なら言うことなし! 私は写真でしか見たことないんだけど、あなたはある? 」

まぁ、こんなもんである。

「ありますよ。世界七大美色なのも納得するくらい、寒気がする綺麗さでした。ただ、女の人や子供のものを見分けるのは難しいかもですね」
「え、どうして? 」
「眼球の大きさって、男女どちらもほぼ同じなんです。子どもでも、10歳を超えると大人とさほど変わらないですし」
「えー、じゃあ分からないの? 」
「はい。組織を採取するなら別ですけど」
「それって、緋の眼を傷つけるってこと? 」
「そうです」
「なら嫌! 緋の眼を傷つけるなんて無理!! 」
「となるとボスの直感次第ですね。それに、瞳の色に性差はないですし」
「確かにそうかも 」

……客観的に見て、話に合わせられる自分は同じ穴の狢なんだろうなと自戒しつつ。
目の前の│お嬢さん《予知能力者》から《《程よく》》気に入られることに全力を注いでいくと。

「うーん、やっぱり同じ趣味の人と話すのは楽しい! ね、アナタ名前はなんていうの? 」
「イナギと言います。ただ同じ趣味とは言っても、私は知識だけ。コレクターではないのが申し訳なく」
「んー、そうね。話すのも楽しいけど、人のコレクションも見れたらもっと楽しいかも」

とりあえず名前は覚えてもらえたようだし、懐かれ過ぎるのも困ので一旦線を引いておく。
あとこの論旨が通じるという事は、今まで他のコレクターとの接触はなさそうだな。基本的に人体収集癖のある輩なんて、人間的に壊れてる奴ばっかりなのだから。
だからこそ、ネオンはオフ会に過度な期待を抱いているのかもしれない。

「ボス。そろそろ時間が」
「あ、ダルツォルネ。いたの」

最初からずっといましたね。

「ちなみにイナギは、オフ会に参加出来そうですか? 」
「うん、大丈夫だと思うよ。でも、コレクションはどうするの? 」
「それはこちらで準備を。もしボスが気に入れば、コレクションに加えて頂いても」
「あ、じゃあ、私選ぼっかなー。実は今欲しいお宝があって」

ケータイ電話を手に盛り上がり始める主従。
漏れ聞く限り金額の話が出てるんだけど、まぁ金持ってる事持ってる事。
――そんなこんなで、ネオン=ノストラードとの初顔合わせは終了したのであった。



△▼



オフ会――正式名称を、人体収集家倶楽部。
年一開催で33回目を迎えるそれは、人脈作りと承認欲求が同時に満たせるという事で、その界隈では有名な交流会らしい。
その参加資格はただ一つ、「健全な人体収集家であること」のみ。
ただ持ち寄る品が特殊な事もあり、参加出来るのは主催者による事前審査を通過した者のみ。また参加は本人のみで、随伴は一切認められない。
そして審査の結果ネオン=ノストラードは参加OKだったのだが、やはり護衛付きでは認められず。
そこで系列の組に参加者として護衛出来る人材の応援を頼み、白羽の矢が立ったのがイナギという流れだった。

――ネオンとの顔合わせから3日後。イナギは現在、ザバン市にいた。
最寄りのドーレ港からバスで1時間程度、休火山群を後背に持つ中堅都市であり。
過去に起きた凄惨な事件のせいで世界的に悪名を馳せたりしたが、現在は穏やかな晴れ間が似合う地方都市である。
護衛任務の第一ミッションは、倶楽部への参加許可を貰うこと。それも随伴と見做される可能性を鑑み、ネオンとは無関係な形を装って。
その為に、ノストラード手配のコレクションが入ったジュラルミンケースを持って辿り着いたのが。

「ここ、だな」

アイジエン大陸でその名を轟かす、老舗の仕立て屋『テーラー・ツアミ』であった。
メイン通りから1本外れたところに位置しいて、決して大きくはないのだが、創業200年という歴史の重みを感じさせる佇まい。
品が良いオーク樫の重厚な扉には「close」の看板が揺れていたが、事前に聞いていたイナギは気にせずにノッカーを三度鳴らした。

「はい、お待ちしていました。どうぞ」

深くて落ち着きのある声に導かれ、ドアを開ける。

「イナギさん、ですね。人体収集家倶楽部のツアミです」
「ツアミさん! ご高名はかねがね、よろしくお願いします! 」

そこにいたのは、高級感と落ち着きが同居したスーツを着こなす初老の紳士だった。
『テーラー・ツアミ』の7代目であり、人体収集家倶楽部の発起人にして主催者、ティルカ=ツアミその人である。

「想像以上にお若いですね。いや失礼、中々若い方が珍しいものでして」
「いえ、本当にそうなんです。周囲の同年代は、全く分かってくれなくて」
「分かりますよ。それこそが、33年前に私がこの会を起ち上げたきっかけですから」

では、こちらへどうぞ。
そう言って踵を返すツアミを追いかけ、店の一番奥にある階段から地下室へ。
降りた先で通されたのは、アンティーク調にまとめられた十畳くらいの応接部屋。
その扉を潜ったイナギは、その正面の壁に飾られている美術品を見て、思わず息を飲んで見せた。

「全身入墨皮の……なんて見事な! こんな逸品が存在するなんて」
「ありがとう、そう言って頂けると嬉しいですね」

ニッコリと邪気なく笑うツアミ。その後ろの壁に掛かっているのは、全身入墨の昇龍図である。
それも背中側だけではなく、足裏から手指、唇に瞼、頭皮に至るまで。一人の人間を構成する全ての皮膚に龍が彫られている、世界に2つとないレベルの極美品だ。

「しかもあっちは龍皮病患者の皮膚! 僕の手のひらより大きいですし、この棚にあるのは人皮装丁本! しかもこの皮目、条約以降の禁制品じゃないですか! 」
「ハハハ、本当にお目が高いね」

この室内にあるコレクションは、数こそ少ないものの超1級品ばかり。慣れている筈のイナギが内心引くくらいには、えげつない代物のオンパレードだ。
しかしこの部屋に入って、ツアミの目つきが変わっている。コレクションへの反応も、審査の一環なのだろう。
となると、イナギは熱心な人体収集マニアになりきるしかない。心の鎧をしっかりと着込んで、時間を忘れて夢中です! という体で、ヨイショと蘊蓄を惜しみなく垂れ流す。
――そうして10分後、ようやくイナギはツアミに着席を促された。
出された紅茶を、勧めに応じて一口貰う。
喉が潤う心地よさを感じつつ、イナギは改めて居住まいを正した。

「ツアミさん」
「何でしょうか」
「この度は、人体収集家倶楽部に参加したいと急に押しかけてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
「それは別に構いませんよ」
「ありがとうございます」
「――ただ、何故急に参加しようとされたのか、その理由は気になりますがね」

そりゃそうだよなぁ、と内心溜息。
実は今年のオフ会、開催されるのは僅か2週間後なのである。
普通に考えたら来年参加になるタイミングたが、それを「是非、今回から!」 と無理やり押しかけたのだ。
理由は気にして当然である。

「実は昔から参加したかったのですが、納得出来る品が手に入らず。ただ数日前に望外の品が手に入ったので、居ても立っても居られず押しかけてしまいました」
「なるほど。ちなみにイナギさんは、現在お幾つですか? 」
「はい、16歳になります」

何でもないように、普通に答える。
本当なら誤魔化したかったのだが、後ほど身分証明書の提出が必要になるとの事なので、ここは押し切るしかない。

「……分かりました。ではコレクションをお見せ頂けますでしょうか」
「はい、こちらです」

大事に持ってきたジュラルミンケースを膝に置き、ダイヤルを合わせてそっと開ける。
そして中から取り出した|物《ブツ》を、ツアミに見えるようにゆっくり机の上に置いた。

「これは」
「三重歯列の古代キバ族、ミイラの頭部です」

古代キバ族。
食物を精霊が使わした|恵《めぐみ》と考え、それらを身の内に入れる為の口、引いては歯を誇る一族である。
その多少により精霊の寵愛が変わるという価値観から、幼少期に抜ける乳歯を彼らは無理矢理留めおく。
その為一般の古代キバ族は歯が前後に重なって生えているのだが、このミイラは何らかの理由で三重となっていた。

「わざわざミイラにして埋葬されていたことを考えると、相当地位が高かったか、崇拝されていたか」
「古代キバ族は土葬文化ですしね。まず残っている数が少ないですし、その上三重歯列で頭部の完品……これはなかなか」

なかなかどころか、世界でも有数の品である。
これを僅か数日で手に入れるとか、ノストラードは多分札束で殴ったんだろうなって。
その後、イナギの経済的な背景(株式投資で押し通した)に、収集品の入手先やツテ等のアングラ情報を話し合った所で、そろそろと時計を示された。

「え、もうこんな時間! すいません長々と話してしまってと」
「いえ、こちらこそ楽しかったので大丈夫ですよ」
「――それで、倶楽部への参加なんですが」

イナギの言葉に、ツアミはゆっくりと口を開いた。

「まず、前提としてですが。普通はこのタイミングなら、来年以降での参加となります。会場の手配などもありますから」
「はい」
「ですが、君のコレクションとその知識。そして収集品への愛はまさしく本物だと思います」

真摯に語るその様は、ジェントルそのもの。
続きを待つイナギに、彼はニッコリと笑いかけた。

「実は、今回からの新会員にはもう一人若い方がいましてね。当倶楽部は会場立ち入りが会員のみになるのですが、そこが不安で不参加になるかもしれなかったんです」

十中八九ネオンのことだ。

「一人を不安視……女性ですか? 」
「そうなんです。なので、当日彼女のエスコートをしてくれるなら、今回は特別に参加を認める、という事でいかがでしょうか? 」

これならすぐに合流して、自然な形で護衛が出来る。本当に、願ってもない形である。

「はい、淑女のエスコートなら任せてください。その形でぜひお願いします」
「そうですか、ありがとうございます。では2週間後の倶楽部でお会いしましょう」

そうして、二人はその場で固い握手。
そんなこんなで、イナギは人体収集家倶楽部に参加できることに相成ったのだった。


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