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[33928] Einmal mehr ~もう一度~(新世紀エヴァンゲリオン・習作)チラ裏より
Name: うにうに◆b1370127 ID:71ba60e9
Date: 2012/07/17 23:45
Einmal(アインマル) mehr(メア)です。

本作品は、新世紀エヴァンゲリオンの二次創作です。

アスカとシンジが、赤い世界から帰ってきて子供時代からやり直します。
ちなみにアスカ(のキャラ)が壊れるので注意。
設定はアニメとマンガを混ぜた逆行?エヴァです。
自由気ままに書こうと思います。

よろしかったら、おつきあいお願いします。
ご意見ご感想募集中です。

この作品は、以前から小説家になろうのノクターンに投稿しています。
今の所18禁描写はありませんので、ご安心ください。
そう言った描写を追加する場合は、XXX板に移ります。

ストックは第8話で終了です。
これからはゆっくりと更新しようと思います。



[33928] プロローグ アスカ
Name: うにうに◆b1370127 ID:71ba60e9
Date: 2012/07/08 06:58
 白い蜥蜴があたしに群がって来た。

    イヤ  イヤ

 あたしの弐号機カラダを貪り喰らって行く。

  イヤ    イヤ    イヤ

 ママがあたしを助けようとしてくれているのが分かる。

   イタイ イタイ  イタイヨ

 でも、弐号機ママにあたしを助ける力は残っていなかった。

      タスケテ  タスケテ

 喰われる苦痛に気が狂い、咀嚼される痛みで正気に戻される。

    タスケテ     タスケテヨ  ダレカ

 その苦痛の中で、誰かがあたしを呼んでいるのが分かった。

   タスケテ   タスケテヨ    シンジ

 痛みに声を出す事も出来ない。

   シヌノハイヤ  シヌノハイヤ      コロサナイデ

 生きたいと言う気持ちが、あたしの体を突き動かした。

  コロシテヤル   コロシテヤル  コロシテヤル

 猛りで痛みを誤魔化し、殺意を糧にして敵に手を伸ばす。

 しかしそんな最後の抵抗は、無数の槍に吹き飛ばされた。

 視界は黒く塗りつぶされ、音もあたしから遠ざかって行った。喰われる感覚も他人事のように感じなくなって行き、やがて何も感じる事が出来なくなる。

 意識が闇に呑まれる瞬間に……

 あたしは死ぬんだなと……

 他人事の様に思った。



 ただ……。

 誰かがあたしを必死に呼んでいた。

 けれど、それに応えられない事が

 ……酷く

 ……酷く悲しかった。



 でも、寂しくは無かった。

 今度はママが一緒だったから。









 どれくらいの時間が経ったのだろう? すごく幸せで……すごく嫌な夢を見た。

 その時、何の前触れも無くあたしを包む闇が薄れた。

 かすれた視界に映ったのは、あたしの最も近くに居た男の子の泣き顔だった。

 口の中に広がっているのは、今ではすっかり慣れてしまった血の味だ。

 ……LCL。

 シンジが口移しで、あたしに無理やり嚥下させていた。

 状況が呑みこめず、とにかくバカシンジを殴ろうとしたが、あたしの体はピクリとも動かなかった。

 体が全く言う事を聞かない事に、あたしの意識は混乱した。しかしあたしの体は、その混乱を表現する事を一切許さなかった。



 ……時間が経てば嫌でも混乱は収まる。

 冷静になったあたしは、今が如何言った状況なのか知りたかった。しかし体が全く動かない現状に、無力感ばかりが圧し掛かって来る。

(今……今 如何なっているのか知りたい!!)

 あたしの心が悲鳴を上げる。すると頭の中に欲しい情報が流れ込んで来た。

(何故!?)

 そう思えば“原因はシンジに無理やり飲まされたLCLだ”と、すぐに頭の中に浮かんだ。

(細かい事は良い!! とにかく今は状況を知ることよ!!)

 すると先ほどの続きが流れ込んで来た。かなりの量の情報があったが、それを落ち着いて咀嚼して行く。

(そ そんな!! 嘘よ!!)

 今生きている人間は、あたしと隣で蹲っているシンジだけだったのだ。

 ……サード・インパクト。

 あたし達は世界を守る事が出来なかった。

 その事実は、あたしを絶望の淵に追いやるのに十分だった。衝動的に死にたいとも思ったが、死ぬにもそれを実行する手段が無かった。何せあたしの意志では、指先一つ動かす事が出来ないのだから。



 また時間があたしを冷静にしてくれた。

 隣に居るシンジが話しかけて来るようだが、あたしの鈍った聴覚では碌に聞きとる事は出来なかった。聞き返したり「もっと大きな声で喋りなさいよ!!」と、言ってやりたかったが、相変わらずあたしの体は意思と分断されたかのように動かなかった。

 でも、急ぐ事は無いのかもしれない。あたしの体が回復すれば、話をする事は出来るのだから。

 それに、もう焦る必要もない。もうこの世界には、あたしとシンジしかいないから……あたしからシンジを盗る人は居ないのだから。



 何度LCLを咀嚼させられただろう? 頭に流れ込んだ知識は、昔エヴァに乗るのに無駄と断じ切り捨てた物ばかりだった。

 身動き一つ取れないあたしにとって、シンジに呑まされるLCLが唯一の楽しみとなっていた。

 しかしそれはあたしにとって、かなりキツイ事実もふくまれていた。それはLCLを飲まされた直後は、五感がわずかに回復すると言う事だった。何か見えると思ったら、いつもシンジの顔が目の前にあるのだ。更に唇を重ねている感触まで感じるのだ。これは正直かなり恥ずかしい。……不思議と嫌ではないが。



 そんな時間を過ごす内に、あたしは“シンジの事を知りたい”と強く思う様になった。

 以前のあたしなら、そんな考えを持つ事自体プライドが許さなかっただろう。だけど全てを失ったあたしにとって、あれほど縋っていたプライドは残っていなかった。その事に心の中で自嘲する。

 そしてあたしは、LCLからシンジの情報を集め始めた。時にLCLを通して、シンジ自身からも情報を取得する事が出来た。

 あたしは全ての情報を集め一気に咀嚼する事で、まるで走馬灯のようにシンジの半生を擬似体験する事を思いついた。ただ、より身近に、よりリアルに、より深くシンジを理解する為の、ちょっとした思い付きだったのだけど……。この事を大いに後悔する羽目になるとは思わなかった。



 シンジは、父・碇ゲンドウと母・碇ユイの間に生を受けた。

 両親が多忙だった所為で多少寂しい思いをしていたが、裕福だったし母の愛情や父の不器用な愛情を受け、すくすくと成長して行った。

 しかし、そんな幸せな生活も母・碇ユイが後のエヴァンゲリオン初号機に取り込まれる事で、終わりを迎える。

 目も前でエヴァに母親が取り込まれる光景は、幼いシンジにとってトラウマになるに十分すぎる光景だった。以後水に強い恐怖心を感じるようになり、まともに風呂にも入れない状態になってしまった。

 そんな状態のシンジを放置し、父・碇ゲンドウは妻のサルベージ出来る可能性にすがってしまう。しかしそのサルベージも失敗し、シンジは伯父夫婦の家に預けられる事になる。父・碇ゲンドウは法外な養育費を振り込んでいたが、厄介なトラウマを抱えたシンジを疎むようになり、一年と持たずにシンジを放置する様になる。

 この状況で子供シンジを虐げている噂が立つと、伯父夫婦はシンジを“妻殺しの男の息子”と断じ、そんな子供を無理やり預からされているとほのめかした。そうなれば、シンジが家・近所・学校から孤立するのは当然と言えるだろう。

 近くに住んでいた老教師が生活をフォローしなければ、シンジは死んでいたかもしれない。いや、きっと死んでいただろう。

 シンジが老教師を先生と言って慕うようになり、老教師もシンジを気に入り世話を焼く様になった。そして5歳になる頃には、老教師の家に入り浸る様になる。気晴らしにと老教師に勧められ、チェロを始めたのもこの時だった。

 老教師はシンジに向き合い、トラウマの克服や生活面のサポートに尽力した。その甲斐あってか、数年で(流石に泳げはしない物の)普通に生活するのに問題ない状態にまで回復した。

 しかしこれが、ただでさえ上手く行っていない伯父夫婦との関係に止めを刺す結果となる。庭に勉強部屋と言う名の物置を作り、シンジにそこで寝泊まりする事を強要して家から追い出したのだ。……正直この伯父夫婦には殺意を覚える。

 やがてシンジは14歳になり、父・碇ゲンドウから運命の手紙を受け取る事になる。

 親子とは思えない会話から半ば無理やりエヴァに乗せられ、左腕を折られる痛みと右目を貫かれる痛みを味あわされる。訓練どころか覚悟する暇さえもらえず、そんな目に遭わされたシンジに、あたしは同情を禁じ得なかった。同じ体験をしたエヴァのパイロットとして、その異常さと痛みは誰よりも理解出来ると思う。

 ミサトは保護者として、必死にシンジと向かい合おうとしていた。最初は父親に複雑な感情を持つ者として、傷の舐め合いの様な家族ごっこだったのかもしれない。そこにあたしも加わり、必死に本物の家族としてやって行こうとしていた。

 加持さんはシンジに、昔の自分と弟を重ねていた。自分の様に“後悔する事が無い様に”と助言をしていたが、それが結果としてシンジを戦場に縛り付け、サード・インパクトにつながったのは悲劇としか言えないだろう。あたしにとって、それは悲しい事実だった。

 鈴原達との出会いも、あたしにとっては衝撃だった。仲の良い姿しか知らなかったあたしには、初対面で校舎裏に呼び出されて殴られたなど信じられなかった。更に戦場にノコノコ出て来て邪魔をされ、命の危険にさらされたのに許してしまうシンジも、あたしには信じられなかった。

 そしてファーストとの関係は、あたしにとって胸が痛い物だった。最初は父・碇ゲンドウと仲良くしているファーストへの嫉妬から始まった。しかし、自分以上に何もないファーストに“如何にかしてあげたい”と言う気持ちから“如何にも出来ない”と言う無力感が生まれた。その無力感は無意識の内に、強い仲間意識へと変わり、やがて慕情へと変化して行った。だから自身の命を軽視するファーストに、本気で涙する事が出来たのだ。ファーストも自身を見てくれるシンジに気付けたのだろう。

 そして問題のあたしだ。第一印象はとことん悪かったのは仕方が無いだろう。それが変わり始めたのは、タンデムで弐号機に乗った時だろう。初の実戦に緊張し虚勢を張っているを、生意気にも見抜かれていた。次の分裂使徒の時には、あたしが寝言で「ママ……どうして死んじゃったの……?」と言ったのを聞かれていた。母親を早くに失った者同士と言う事で、ファースト以上の共感と仲間意識を持っていた。あたしの弱さも垣間見たシンジは、優しくしてくれていた。でもあたしは、その優しさに気付けず反発してしまった。

 ……そして霧島マナ。シンジにとって初恋の人。ナルシストな彼女は、自分の感情を素直に口にするタイプだった。素直じゃないあたしと違って、シンジにその好意をストレートにぶつけた。しかし結果は最悪と言って良かった。彼女は元々スパイとして、シンジを籠絡する為に近づいていたのだ。更に過酷なトライデントの操縦で、内臓を痛め長く生きられなかったし、苦楽を共にした仲間を見捨てる事も出来なかった。シンジはそれを知った上で受け入れようとしたが、最後には仲間と共にN2爆雷で消え去ってしまった。

 しかし悲劇は終わる事は無かった。使徒に三号機エヴァを乗っ取られ、自らの意思に反し親友トウジをその手にかけた。それでも帰って来たシンジは、あたし達を守る為にエヴァに取り込まれた。

 兄として導いてくれた加持さんの死。

 壊れてしまったあたしアスカ

 目の前で死んだファースト。そして、目の前で崩れて行くたくさんのファーストに似た何か。

 壊れかけた自分を支えてくれたカヲルを、今度は自らの意思でその手にかけた。

 心を閉ざした自分シンジを助ける為に、ミサトが死んだ。

 そして愚図愚図している内に、あたしアスカを助ける事は出来なかった。

 シンジの心は壊れ、人類補完計画と言う名のサード・インパクトが起こった。

 全てがLCLに溶けて行く中で、あたしと一つになりたいという気持ちと、一つになりたくないと言う意思の板挟みにされる。

 それでもあたし達は誘惑を断ち切り、LCLの海から帰って来れたのは本当に良かった。あたしは完全な人の細胞の一つになり果てるのは、ごめんだからだ。



 最初は冷静で居られたが、最後の方はあまりの事態に何も考えられなくなっていた。何時の間にか、追体験から事実認識に変わっていた。もしそのまま追体験を続けて居たら、あたしの脆弱な心は壊れていただろう。

(シンジはあたしより、もっと辛い目にあって来たんだ)

 それがあたしの素直な感想だった。

(次はあたしがシンジを助けてあげないと……)

 そう思っても、あたしはシンジを抱きしめてあげる事も声をかけるてあげる事も出来なかった。つくづく動かない体が疎ましい。

 それと……、シンジとあたしがLCLに溶け一つになりかけた時、互いに傷つけあい拒絶し合う事によりATフィールドを維持した。その方法が、あたしが“罵り突き飛ばし”で、シンジが“あたしの首を絞める”と言うのは複雑だった。もっと別の方法は無かったのだろうか?



 それから少し経った時、あたしは嬉しい発見をした。LCLを摂取した直後ではないのに、目がわずかに見えるのだ。それは五感が回復し始めている事を指していた。

(……もうすぐシンジを抱きしめてあげられるかもしれない)

 そんな希望をあたしは持つ事が出来た。

 しかしあたしの希望が叶うより、シンジが耐えられなくなる方が先だった。

 シンジはあたしの首を手で締め始めたのだ。だが、手には全く力が入っておらず本気でない事は明らかだ。そしてその顔は、懇願の色を帯びていた。

 ……今ならシンジが何を考えているか良く分かる。拒絶でも敵意でも良いから、あたしに反応してほしかったのか ……あるいは、あたしの首を絞める事がLCLの海からの脱出した時の様に、現状を好転させる鍵となると思ったのかもしれない。

(今どうにかしないと、あたしのシンジが壊れてしまう)

 何かしようにも、あたしの体は言う事を聞いてくれなかった。

(ふざけるな!! あたしは惣流・アスカ・ラングレーだ!!)

 あたしは動かない体を、意思の力だけで強引に動かそうとする。やがて体が反応し、強烈な嘔吐感に襲われたが無視した。

 キモチワルイ  キモチワルイ    タスケテ

 心の悲鳴を無理やり押しのけ、体に残っている力を全て使い手を動かすと、あたしはシンジの頬を優しくなでる事が出来た。手を動かすので精一杯で、上手く微笑く事が出来たのかは分からない。

 シンジが歓喜の涙を浮かべ、あたしの体の上で泣き始めた。……あたしはやったのだ。あたしは満足感と達成感に満たされていたが、先程から感じる嘔吐感は耐えがたい物になっていた。

(うぅ……気持悪いから、シンジに背中を摩ってもらおう)

 そう思い口を開いたのを、あたしは後悔する事となる。


「キモチワルイ……」


 そこであたしの口は止まってしまった。続きの“から背中をさすって”が言えなかったのだ。そしてあたしは自分の状態を理解する。そう、“体に残った命を使い果たしてしまった”のだ。体が動いてくれたのは、まさに蝋燭の灯が消える瞬間だった。

  チガウ チガウノ  アタシガイイタカッタノハ

 結果としてあたしは、シンジに希望を与えた上でそれを奪ったのだ。それはただ絶望を与えるより、はるかに残酷な事だろう。

   チガウ チガウ  チガウ チガウ

 シンジの顔が絶望に染まり、あたしから離れて行ってしまった。

  イカナイデ  オイテイカナイデ

 ヒトリハイヤ   シヌノハイヤ

   アタシヲミテ  アタシヲユルシテ

  アタシヲ……  アタシヲ……


(あたしを一人にしないで!!)

 ……あたしの心の悲鳴は、シンジに最後まで届く事は無かった。






 届かないなら……、せめてあたしのココロだけでも一緒に……。



[33928] プロローグ シンジ
Name: うにうに◆b1370127 ID:71ba60e9
Date: 2012/07/08 13:42
 僕は誰も助ける事が出来なかった。エヴァのパイロットになって、ようやく自分の居場所を見つけたと思ったのに、全てが僕を裏切って行った様な気がした。エヴァに乗れば、大切な人達を守れると思ってたのに。現実は……



 トウジが死に……


 アスカが壊れ……


 綾波を助けられなくて……


 そして……


 カヲル君を殺した。


 その絶望の前に全てを拒絶していた僕は……


 ミサトさんを死なせ……


 アスカを見殺しにした。


 そのあげく、世界さえ滅ぼしてしまった。



 すべての生き物が解け、LCLの海に還元されたサード・インパクト。

 その中で僕はアスカと出会う事が出来た。おそらくだけど、同じコピー・ロンギヌスの槍にエヴァを通して貫かれた事で、リンクの様な物が出来ていたのかもしれない。

 僕はLCLの海の中で、アスカを求めながらもお互い傷つけ拒絶し合った。

 結果として帰って来れたのは、僕とアスカだけだった。

 どうして僕とアスカだけが帰ってこれたのか考えてみた。

 それは僕が、エヴァの中の擬似LCLの海から帰って来た経験があったからだろう。あの時、僕を外へと導いてくれたミサトさんの声……泣き声は、今でもハッキリと思い出す事が出来る。

 そして何より……アスカと傷つけ拒絶し合った事が、ATフィールドを形成する切っ掛けになったのが要因だと思う。

 最後の戦いの時に受けた傷も残っていたので、LCLから引き出した医療知識と弐号機のエントリープラグの残骸から取り出した医療キットを使い僕が治療した。

 しかし帰って来たアスカは、全く動く事が無かった。……その原因は、LCLから引き出した知識をもってしても全く分からなかった。



 だから僕は待つことしかできなかった。



 僕は今のアスカを、LCLの海に浸すのは危険と判断した。LCLの海には、人類の膨大な経験と知識が詰まっているからだ。その経験と知識をただ漠然と吸収すれば、人間の脳は耐えられない。それは例えるなら、コップにダムの放水で水を注ぐようなものだ。

 かと言って、アスカをこのまま放置すれば、餓死するのは目に見えている。他に摂取できる物が無いなら、LCLに頼らざる得ない。

 僕は妥協案として、LCLを少しずつ飲ませる事にした。

 しかし、僕の手からアスカの口に注いだLCLは、口の端から全て流れ出てしまった。

 外からの刺激に対して反応しているので、心が壊れた時のアスカに逆戻りしただけかもしれない。

(今のアスカは、物を呑みこもうと言う意思が無いんだ)

 そうなると栄養摂取には点滴が一番最適だが、そんな物はここには有ろうはずも無い。ならば今実行可能な方法は、喉の奥にLCLを流し込み反射的に嚥下させるしかない。それには……。

(口移しかないか。……後で殴られるかもしれないな)

 自嘲気味にそう考えたが、それを切望している自分に溜息が出た。

 そうして始まったのは、アスカを生かし続ける為だけの生活だった。



 話しかけても、反応してくれないアスカ。

 思い出話しをしても、ただ空を見つめ続けるアスカ。

 手を握っても、握り返しも払いのけもしないアスカ。

 LCLを呑ませる時に、変な所を触っても何も言わないアスカ。

 悪口を言っているのに、言い返してこないアスカ。

 何度も唇を奪われているのに、反撃してこないアスカ。



 アスカが回復するより早く、僕の心が限界に来たのだろう。次第にアスカの首を絞めてやりたい衝動に駆られるようになった。首を絞めるという行為は、僕とアスカにとって“受け入れて欲しいけど拒絶して欲しい”と言う強いメッセージの様な物だ。

 これはアスカが子供の頃に、母親から首を絞められたトラウマに由来する。一緒に死んで欲しいと言う母の願いに“一緒に死んであげたい”と言う気持ちと“死ぬのは嫌”と言う気持ちの板挟みになった。この最大級のトラウマが、LCLの海から帰還する原動力になったのだ。

 アスカが反応してくれるかもしれない。その誘惑に僕はついに負けてしまった。



 アスカの首に手をかけ、少しずつ力を強くしていく……心算だった。

 わずかに力を込めた所で、僕はそれ以上の事は出来なくなってしまった。

 考えてみれば当然だろう。僕はアスカに応えてもらいたいだけで、死んで欲しいわけではないのだから……。

 しかし、わずかな期待からアスカの首から手を放せなくなっていた。

 浅ましいとは、この事を言うのだろう。



 どれくらいそうしていただろう? 不意に頬を撫でられる感触がした。

 しかしその感触をもたらしたのが、アスカの手である事がすぐに認識できなかった。アスカの表情が全く変わっていなかったからだ。そして僕の頬を一撫でしたアスカの右手は、そのまま力尽きるように砂浜に放り出された。

 僕はアスカが反応してくれた事が、何より嬉しかった。そしてその反応が、僕を肯定し受け入れてくれる物だった事に嬉し涙がこみ上げ、情けない事にアスカの上で号泣してしまった。

 ……そして


「キモチワルイ」


「……え?」

 アスカの視線が、泣きじゃくる僕の顔を捕えていた。

 そして、アスカの体温が急速に失われていくのを知ってしまった。

(……アスカ。そんなに僕の事が憎かったの?)

 その瞬間、アスカが僕をどう思っていたか知ってしまった。一度優しく頬を撫で、僕に希望を持たせて直後全てをひっくり返したのだ。一度希望を与える事により、僕の絶望と孤独を何倍にも大きくしたのだ。しかも、自身の命まで使って……。

 僕はもうアスカの側に居る事は出来なかった。



 どれくらい歩いただろう? アスカの居る砂浜から、ひたすら真っ直ぐ歩き続けた。

 不眠不休で歩き続けた為、足は棒の様になっているし空腹も辛かった。そして何より耐えがたいのは、喉の渇きだった。通りかかった廃墟には、スーパーやコンビニらしきものもあったので、喉の渇きをどうにかしようと思えばできた。しかし僕は、それらを無視して歩き続けた。



 そして僕は、小高い山の頂上で倒れた。

(……僕はここで死ぬんだな)

 漠然とそう思った。

「こんな事なら、LCLの海から帰って来なければ良かった」

 そんな後悔の言葉が僕の口から洩れた。



 どれ位そうしていただろう。視界が霞んでいき、いよいよ終わりと思った時に空から何かが降りて来るのが見えた。

 それが何なのか分からないまま、僕の視界は暗転した。



 気が付くと僕は砂浜に寝ていた。アスカと居た砂浜とは別の砂浜の様だ。

 すぐ隣には、コアが剥き出しの初号機が居た。

「何で初号機が?」

 僕の呟きに反応するように、初号機が僕に手を伸ばして来た。手は僕の手前で、掌を上にするように差し出された。

「この上に乗れって言うの?」

 驚いた事に、初号機は僕の言葉に反応して頷いた。

「初号機が……母さんが僕を助けたの?」

 再び頷く初号機。

「なんで……何で僕なんかを助けたんだよ!!」

 僕はたまらず初号機に怒鳴りつけていた。あのまま死ねれば楽になれたという思考が、僕の頭を支配していた。

 なおも抗議の声を上げる僕に、初号機は差し出した手を浮かせそのまま砂浜に叩きつけた。

 ドスンと言う地味で重い音と共に、僕の口から「ひぃ」という情けない悲鳴が漏れる。(先程まであんなに死にたいと思っていたのに、情けない話だと後になった思った)

 そして初号機は、差し出した手を更に僕に近づけた。

「手の上に乗ればいいの?」

 三度みたび頷く初号機に、これ以上逆らう気力を無くした僕は、大人しく掌の上に乗る。……が、すぐに後悔する事となった。

「わあああぁぁぁぁああぁぁーーーー!!」

 初号機は僕が乗った掌を、自身のコアに叩きつけたのだ。コアにぶつかる瞬間は本気で死ぬかと思ったが、コアはまるで水の様に僕を迎え入れ、僕の体はコアに吸収された。



「シンジ。起きなさい。シンジ」

 誰かが僕を起こそうとしている。

「シンジ。いい加減に起きなさい」

 誰だか分からないけど、お願いだからもう少し寝かせて欲しい。

「シンジ!! 起きなさい!!」

「は はい!!」

 目を覚ました場所は、ある意味懐かしい場所だった。

「ここは、以前初号機に取り込まれた場所か……」

 そう呟くと目の前に誰かが居るのに気付いた。

「か 母さん!!」

 そこに居たのは、以前初号機に取り込まれた時に出会った母さんの姿だった。

「シンジ。……私は情けないわ」

「か 母さん!?」

 そこから母さんの盛大な愚痴が始まった。

 僕の女関係を中心に話が展開し、綾波やマナ……特にアスカの事を言われた時は耳が痛かった。でも、父さんの事まで言及された時は、正直勘弁してほしかった。(……父さん。よりにもよって初号機かあさんの目の前で、リツコさんをレイプするなんて……)しかも関係を持ったのが、リツコさんだけでなく、そのお母さんまで……。おかげで父さんが嫌いになれたよ。とばっちりと言う意味も含めて。

 「ヘタレ!!」や「甲斐性無し!!」等と散々言われた後に、一呼吸間をおいて母さんの表情が真剣なものになった。

「私は世間から天才と言われて来たわ。でも……」

 そこからの母さんの話は、正直言って長かった。

 懸賞金付きの死海文書の一節を解き明かし、ゼーレと言うバックボーンが出来た事。

 ゼーレからの依頼で、死海文書の解読を行った事。

 最初は預言書など馬鹿にしていたが、死海文書に記されていたセカンド・インパクトが起こった事。

 使徒の襲来を予測して、汎用決戦兵器 人造人間エヴァンゲリオンの開発に尽力した事。

 父さんと母さんの当初の目的は、使徒によるサード・インパクトで人類が滅びるのを回避する事だった。(注 使徒とリリスの接触でもサード・インパクトは発生する)

 母さんがエヴァに取り込まれ、父さんは歪んでしまった。その歪みに冬月副司令も巻き込まれてしまう。

 父さんが周りの者全てを道具とし、結果ゼーレが望むサード・インパクトが起こってしまった。

「母さんは父さんを憎んでいるの?」

 僕が母さんの話の間を利用しそう聞くと、意外な事に母さんは首を横に振り否定した。

「なんで? 父さんは母さんを裏切ったんだよ」

「私はゲンドウさんのそう言う弱いところも好きだったから」

 ……のろけられた。どうやら、ほかの女に手を出した事自体は怒っていないようだ。(信じられない)

「私はゲンドウさんにとって、死んだ人間だったから。

 ……許さないけど(ボソッ)」

 ……怖かった。(母さんって怒らせると怖い人だったんだ)

 母さんはそこでいったん話を切り、改めて口を開いた。表情は先程にも増して真剣だ。険しささえうかがえる。

「シンジはキョウコさんの娘さんとLCLの海から帰って来たわ。二人が“不完全な人間としての幸せ”を示せば、その幸せを求める人達がLCLの海から帰って来たかもしれないの。だから……」

「僕とアスカの所為で、あそこから誰も帰って来ないと言うの!!」

 僕の悲鳴に近い言葉に、母さんは一度眼を閉じ間を取ると話を続けた。

「シンジとキョウコさんの……シンジとアスカちゃんが、LCLの海から帰ってこれた事が既に奇跡なの。そして二人が幸せになり、それに触発されてLCLに海から人が帰ってくる事も奇跡よ」

 母さんは僕の目を見ながら、言い聞かせるように続けた。

「……でも、奇跡は二度も続かなかった」

 そこで母さんが首を横に振り。

「二度も続かないから奇跡と言うの」

 母さんの言葉は、僕にとって何の救いにもならなかった。僕にとってLCLの海から帰って来た事は、救いでも奇跡でもなく絶望だったからだ。アスカの最後の言葉を思い出し、知らず知らずのうちに涙があふれて来た。

 すると母さんは僕の前でしゃがみ、僕の頬を両手で固定すると半ば無理やり視線を合わる。

「私は本当は、死んだ人間としてこの世界に返ってくる気は無かったの。ただ一人の死者として、シンジとアスカちゃんの子供……更にその子供達を、永遠に見守り続けようと思っていたの。その証として永遠に生きたい。何十億年たって地球や太陽がなくなって、一人ぽっちになってどんなにさびしかったとしても、ヒトが存在した証として生き続けたい。私の存在は、人の強さを証明する物だと思ったから」

 何かとんでもない事を言っているような気がするのは、気のせいだろうか?

「母さんは遺跡にでもなるつもりだったの?」

 思わずそう聞くと、母さんは嬉しそうに頷いた。

「そうよ。私はもう死者なんだから、子孫を見守り眠りに着くのが当り前じゃない。遺跡で見つかるミイラみたいなものよ。まあ、人類史上初の生きた遺跡だけどね」

 まるで名誉なことの様に言う母さんに、僕は違和感を覚えた。

「母さん。父さんの事は本当い良かったの?」

 すると母さんは、これまでまっすぐ僕を見ていた視線を初めてそらした。僕は先程の仕返しとばかりに、母さんの頬をつかみ僕の方を向かせた。

 ……そこにあったのは、僕の良く知る目だった。不安と寂しさで怯えるような目、……鏡で良く見る僕の目だった。

「だって、今更私に居場所なんて……」

 今初めて気付いた。僕は母さんに似ていたんだ。

「それに、りっちゃんの扱いに頭来て……つい、初号機でゲンドウさんを齧っちゃたし」

(過激すぎるよ!! 僕は絶対母さんを怒らせないようにしよう)

 この話題は危険と判断した僕は、話題を変えることにした。

「ところで母さんは、僕を助ける為に空から降りて来てくれたの?」

 わざとらしくなってしまったが、話題を変えたかったのは母さんも同じらしく頷いてくれた。

「それもあるけど、それだけじゃないわ」

 そう言うと母さんは僕の頬から手を放し、立ち上がると説明を始めた。何時の間にか、ホワイトボードが出現していた。(この世界って便利なんだな)

「サード・インパクトの終わりは、シンジとアスカちゃんが幸せになって、それに触発された人達が現実世界に帰って来たら終了だったの。自覚しているか分からないけど、それがシンジの描いたサード・インパクトよ」

「違う!! アスカは僕を憎んで……」

「違わないわ!! 本当にアスカちゃんがシンジを憎んでいるなら、LCLの海から二人とも帰って来れないか、シンジだけ帰って来たはずよ」

 母さんの反論に、僕は黙ってしまった。そこには“本当にそうなら良いな”と言う、浅ましい希望があった。(僕は最低だ)

「先ほども言った通り、そこには二つの奇跡が必要だったの。ここで重要になるのは、貴方達に触発されて一人目が帰って来れるかどうかよ。これは“一人帰ってくれば、二人目が……”と言う様に、連鎖するからなの。まあ、赤信号みんなで渡れば怖くない理論ね。もし誰も帰って来れないなら、私は人類に失望していたわ」

 ホワイトボードには、左の“LCLの海”と書いた所から右の“現実”と書かれた所に矢印がひかれた。矢印の上には、物凄く下手な絵で信号?と人?らしき物が書かれている。(母さんって絵が下手だったんだ。しかも下手の横好きっぽい。それとも、前衛芸術のつもりなのかな?)

「でも現実は、一つ目の奇跡は成功したけど二つ目の奇跡を起こす前に、僅かなすれ違いで頓挫してしまったの。だから、サード・インパクトの終わりを考えなけ……って、シンジ!!聞いてる!?」

 僕が失礼な事を考えているのを感じ取ったのか、母さんが怖い顔で聞いて来た。僕は必死に顔を縦に振り肯定する。

「まあ、良いわ。とにかく、LCLも劣化するの。LCLが濁り腐れば、中に取り残された魂も存在出来ず消えて無くなるでしょうね。そうなれば、この星は生命が存在出来ない死の星となるでしょうね」

 僕には母さんが何を言っているのか、良く分からなかった。

「なら、依り代としての権利が残っているシンジが、サード・インパクトを完結させる必要があるの。どんな願いでも、大抵の物はかなえられるわ」

 混乱する僕に、母さんは優しく話しかけて来た。母さんの言葉が、まるで悪魔の囁きの様に聞こえた。

「LCLの海から皆に帰って来て欲しいという願いは、先の失敗により不可能となってしまったけれど、その気になれば神様になってLCLから新しい人類を作り出すことも可能よ」

 続く母さんの言葉に、僕の気持は一気に萎え冷静になった。おそらく母さんは、僕に生きがいの様な物を提示したいのだろう。

「ミサトさん、リツコさん、父さん、綾波、トウジ、委員長、アスカ、加持さん、マナ、カヲルくん。……僕は皆に笑顔でいて欲しかったんだ。だから、どんなに辛くても……逃げ出しても、エヴァに乗り続けたんだと思う」

「やり直したいの?」

 母さんの言葉に僕は頷く。しかし、母さんは首を横に振った。

「やり直しは不可能よ。依り代の力を使っても、時を戻す事は出来ないわ」

 母さんの言葉に、僕は泣きたくなった。それ以外の望みなど僕には無かったのだから。

「でも、別の意味でその願いはかなえられるかもしれない」

 母さんは僕の目を、まっすぐ見ながら説明を続ける。

「“繰り返し存在する宇宙”って言葉を知ってる? その極小版をこの星で行うの。私達が生きた世界を“シンジ生まれるまで”完全に再現すれば、別の可能性を見る事は出来るわ」

 母さんがそこでいったん言葉を切って、僕に言い聞かせるように次の言葉を発した。

「でもそれは、この世界が滅びた後に生まれるかもしれない命を否定する事よ。だからそれを受け入れて、それでも前を見れる独善家になりなさい。それがこの方法を実行する上で、私が出す絶対条件よ」

 母さんの目は何処までも真剣だった。

 僕は母さんの言葉に躊躇したが、結局頷いていた。






 母さんが“独善家になれ”と言った言葉の“本当の意味”に気付いたのは、全てが始まった後の事だった。



[33928] 第1話 もう一度出会いたい
Name: うにうに◆b1370127 ID:71ba60e9
Date: 2012/07/08 14:55
 気が付くと惣流・アスカ・ラングレーは横になっていた。

「ここは……」

 そう呟きながら起き上がる。邪魔なタオルケットを払いのけ、起き上がるとボーっとする頭を左右に振って無理やり覚醒させる。

「あたしは……」

 ベッドから抜け出して周りを見ると、そこは知らないはずなのに見覚えの有るような気がする不思議な部屋だった。自分の置かれている現状が分からず、アスカは混乱した。

「何か、やたらと目線が低い様な……」

 カーテンのかかった窓から、日の光が確認出来た。更に見回すと置時計があり、早朝である事が分かった。そこでアスカは言い様の無い違和感を感じた。知らないはずの部屋なのに、何処に何があるかハッキリと分かるのだ。

「何か……変だ」

 とにかく全てに違和感があるのだ。やたらと低い目線。知らない部屋のはずなのに、知っている。

(もし本当にあたしが知っている通りなら、クローゼットの戸の裏が鏡があるはず)

 アスカはクローゼットの前へ行き、そのままクローゼットを開いた。

(……あった。やっぱり気のせいじゃない)

 “あたしはこの部屋を知っている”と確信したが、次の瞬間に全ての疑問が吹き飛ばされた。

 鏡に2~3歳位の金髪の女の子が移っていたのだ。

 それが自分である事に気付くと、全ての疑問が氷解した。

(時間がまき戻ってる!?)

 この部屋は10年以上前に、アスカが母と一緒に住んでいた家なのだ。見覚えが無いはずが無い。

(如何言う事なの!? いや、そうか夢……)

 なんて都合が良い夢なのだろう。2~3歳の頃と言えば、アスカの人生で一番幸せだった頃だ。(惣流・アスカ・ラングレーが最後に縋るのは、幸せだった頃の夢か……)自身の情けなさに、アスカは自嘲した。

(どうせなら最後まで騙してよ)

 そう思いながらクローゼットを閉じると、閉じた手に痛みが走った。クローゼットを閉じた手を挟んでしまったのだ。

(痛っ……。えっ? 痛い? えっ!? ちょっ 待って、これ夢じゃないの?)

 あまりの事態に混乱した頭を必死に落ち着かせようとするが、自分の記憶と現実のどちらを信じれば良いか分からずへたり込んでしまった。

 その時ドアが開き、一人の女性が入って来た。

「ママ!!」

 女性の名前は、惣流・キョウコ・ツェッペリン。アスカを産んだ母親である。

「どうしたの? アスカちゃん」

 娘の様子が変な事に気付いたのだろう。キョウコはアスカの側に寄り心配そうにアスカの顔を覗き込んだ。

「何でもないの。ちょっと怖い夢を見ただけ」

 娘が嘘を吐いているのが分かったのだろう。キョウコは目を細めるが、怖い夢を見ただけと言い張るアスカに今は聞かない事にしたようだ。

「そう。朝ご飯出来ているから食べましょう」

 そう言うとキョウコは、寝室から出て行った。

「ありがとう。ママ」

 小さな声で呟くと、アスカは朝食を食べる為にキョウコの後を追った。



 それから一週間、アスカは何事もなく過ごす事が出来た。キョウコはアスカの微妙な態度に違和感を感じていたようだが、深くは追求してこなかった。アスカにとって、それは何よりありがたい事だった。

 落ち着いたアスカは、現実を現実として認める事が出来た。そして悩んだのは、自分の中に在る記憶の事だった。このままただの夢として忘れ、普通に生きていく事は出来なくはない。

 しかし、サード・インパクトを経験した記憶は、このまま何もしないでにいる事を許さなかった。そこでアスカは、現状で集められる情報を全て集めて、今の自分に何が出来るか検証する事にした。

 残念ながらキョウコには、アスカを預けられる知り合いはドイツに存在しなかった。そこでキョウコは、アスカを仕事の間ゲヒルンドイツ研究所が管轄する託児所に預けるのだ。これは、シングルマザーな上に周りのサポートを期待できないキョウコにとって、仕方が無い選択なのだろう。逆にキョウコが休みの日は、アスカにベッタリくっ付いて居るので全く身動きが取れない。

 正直言ってこの状況では、情報収集をするチャンス等あった物ではない。それ以前に3歳に満たない子供が聞き込みをしても、機密情報等手に入る訳が無い。ゲヒルンの研究所に侵入すると言うのもナンセンスだ。

 こうなると情報を収集するには、ネットを使用するしかない。しかしアスカが今欲しい情報がネット上に転がっているはずもなく、自然とその手段はハッキング等の非合法な手段に限定されてしまった。

 しかし、それを行うにも端末は必要である。キョウコの端末を無断で……と言う手もあるが、キョウコ相手に隠し通せるとは思えない。

(小型でもノートパソコンを持てば、ママにばれるのは時間の問題ね。せめてPDAでも手に入れば……)

 まさしく無い物ねだりである。

 だが逆に端末さえ手に入れば、アスカはかなりの情報を取得できる。あの赤い世界でアスカは、LCLからPC関連知識を大量に取得していたのだ。おそらく今のアスカは、知識だけなら世界トップクラスのハッカーと言って良いだろう。そして端末がどんなにボロでも、マギが完成すれば開発者コードや裏コードを使って秘密裏にバックアップを得られるから関係ないのだ。まさに電子の海では敵なし(予定)である。

(仕方が無い。廃品を拾って来て自分で組むか)

 そうは思ってみたものの、今のアスカに廃品を手に入れる伝手等あるはずもなく、時間ばかりが無為に過ぎる事となる。何度もキョウコに事情を話して協力を仰ごうと思ったが、結局勇気が出せずに言い出せなかった。



 無力感に苛まれるアスカは、日に日に元気が無くなって行った。そんなアスカを心配するのは、母であるキョウコだけだった。キョウコはアスカに元気がない原因は、人間関係(日本人の血が混じるアスカへの差別)であると推察していた。そしてそんなアスカを心配したキョウコの一言が、アスカの現状を打開する事となった。

「アスカちゃん。ママと一緒に日本へ行かない?」

 それは夕食の際に出た何気ない一言だった。

「えっ? 日本?(如何言う事だろう? 前はこんな事言わなかったのに)」

 キョウコにとって日本は、生まれ故郷となる土地である。アスカからすれば、娘に故郷を見せておきたいと思うのも理解できる。しかしアスカがいくら考えても、このような変化を起こす要因は見当たらなかった。それと同時に……。

(このまま日本へ行けば、エヴァとの接触実験を回避できるかも)

 そんな打算がアスカの中に働き始めた。

「実は日本にあるゲヒルン箱根研究所で、ママの友達が事故にあって手伝いが欲しいと言って来たの」

(シンジのママかな?)

 アスカは直感的にそう思った。アスカの記憶た正しければ碇ユイの死亡届けが出されたのは、初号機からのサルベージが失敗した2004年末……つまり今年だ。サルベージの準備期間を考えれば、時期的には一致する。

 しかし、キョウコはドイツ支部のマギ設置とエヴァ弐号機開発の事実上のリーダーである。ドイツ支部司令が許可を出すとは思えない。

「ママのお仕事は良いの?」

 心配になったアスカがそう聞くと、キョウコは笑いながら答えた。

「ママね。上の人とちょっとあってね。その時に丁度日本から応援要請があったの。私が行くって言ったら、良いよって言ってくれたのよ」

 キョウコの顔は笑顔だったが、端々から怒りが染み出していた。

(上の人と喧嘩でもしたのかな?)

 アスカはそう思ったが、詳しくは聞かない事にした。……怖いし。

「アスカちゃんは読み書きは無理だけど、ドイツ語より日本語の方が上手く喋れるから言葉は平気よ。一応予定では、一月とちょっと向こうに居る事になるわ」

 キョウコは嬉しそうに語って居たが、最後にボソッと「そのまま移動になれば良いのに」と漏らしたのをアスカは聞き逃さなかった。

 アスカ自身もキョウコの漏らした言葉に心から同意していた。日本人の血が混じるキョウコやアスカは、普段から白い目で見られていたからだ。加えて大学卒業まで日本に居たキョウコは、お世辞にもドイツ語が上手いとは言えない。(そんなキョウコに育てられた為、アスカも基本が日本語だ。更に、ドイツ語の発音がイマイチな上にそれが癖になっている)更にキョウコは研究者として、ドイツ支部の誰よりも優秀だった為に嫉妬されていた。

 そんな状況だから、嫌がらせを受けたのも一度や二度ではない。子供なら喧嘩の強さである程度黙らせる事が出来るが、大人の世界はそうはいかない。アスカは母親の苦労を察しながらも、労いの声をかける事が出来なかった。

「それでいつ日本へ行くの?」

「来週よ♪」

 ずいぶんと急な話だが、アスカは(シンジと会えるかもしれない)と考え幸せな気分に浸っていた。娘の嬉しそうな顔を見て、キョウコは一度頷くと口を開いた。

「翻訳機能とGPS機能の付いた高機能携帯端末を買ってあげるわね。……そこまで行くと、携帯より通信機能付きのPDAの方が良いかしら?」

「えっ?」

「大丈夫よ。使い方は教えてあげるから」

 キョウコの言葉は、今のアスカにとって福音だった。普通は3歳にもなっていない子供にPDAなど持たせる訳が無い。東方の三賢者の異名を持つキョウコは、ある意味ぶっ飛んでいた。



 飛行機に揺られて11時間。交通費はゲヒルンもち(どんな手を使ったのか、アスカの分も出させた)だったので、ファーストクラスで日本へやって来た。

「流石にファーストクラスでも11時間は辛いわね。アスカちゃんは大丈夫かな?」

 久々に日本の土を踏めたからか、キョウコのテンションは非常に高い。

「うん。大丈夫だよ」(シンジと会える♪ シンジと会える♪ シンジと会える♪)

 何気に親子そろってテンションが高くなっていた。

「さぁ!! 箱根研究所へ行くわよ」

Jaヤー!!」(注 Jaは、はいと言う意味です)

 煽るキョウコに、アスカは両手を上げて応える。

「先ずは足を確保するわ。……突撃!!」

 キョウコが空港の前に止まっていたタクシーを指さしアスカに突撃を指示する。

Jaヤー!!アスカ!!吶喊とっかんします!!」

 普段(精神年齢14歳)のアスカなら、先ず間違いなく「そんな恥ずかしいこと出来るわけないでしょ!!」と言いそうなものだが、今のアスカ(見た目3歳)はテンションが振り切っているので些細な事は気にしない。後部座席のドアが開いていたタクシーに、ジャンピングヘッドスライディングで乗り込む。

「アスカ。吶喊なんて難しい言葉良く知ってたわね」

「私だってちゃんと勉強しているのよ」

 そう言って笑い合う親子に、タクシーの運転手が苦笑いを浮かべていたが、ここは御愛嬌と言う事で勘弁してあげて欲しい。



 ゲヒルン箱根研究所に到着すると、真っ先に所長室に通された。

「惣流君。忙しい中良く来てくれた。ありがとう」

「冬月先生。お久しぶりです。この子が娘のアスカです」

 所長室で二人に声をかけて来たのは冬月だった。懐かしそうに挨拶するキョウコを見ながら、アスカは紹介されたので、とりあえず「惣流・アスカ・ラングレーです。はじめまして」と挨拶しておいた。アスカの挨拶に「はい。はじめまして。私は冬月コウゾウだよ」と冬月が挨拶を返している時に(冬月副司令若いな~。流石に10年の月日は長いか)等と頭の中では考えていたが。

「所長の碇は、実験室の方へ行っている。もうすぐ帰ってくると思うよ」

 そう言った冬月の言葉に、キョウコが気にしないように言ったところで所長室の扉が開いた。

「すまない。遅くなった」

 謝罪しながら入室して来たのは、眼鏡をかけた人相の悪いおじさんだった。

「六分儀所長……いえ、今はユイと結婚して碇所長でしたね。お久しぶりです。この子が娘のアスカです」

 アスカは冬月の時と同じように、愛想良く自己紹介したが内心では(うわっ……ヒゲが無い。しかも人相悪さは変わらないじゃない)とか考えていた。

 ゲンドウの挨拶は「碇ゲンドウだ」と、ぶっきらぼうに言っただけだった。冬月が「子供に位もう少し愛想良くしろ」等と言って、大人達だけで盛り上がっていたが、不意にゲンドウがアスカに視線を向け「確かうちのシンジと同い年だったな……」と呟いた。

 アスカはゲンドウの呟きに(ちゃ~んす)と心の中で笑っていた。

「私と同い年の子が居るの!? 会ってみたい!!」

 笑顔でそう言ってのけるアスカに、冬月が気まずそうに答える。

「いや、実はシンジ君は今病院に……」

(病院? 追体験したシンジの記憶ではそんな事あったかな?)

 とは思っても、アスカはここで引き下がる訳には行かない。

「病院? 入院してるの? 私御見舞い行く」

 見た目が何も知らない幼児なのを利用した攻撃に、冬月とキョウコが目をそらした。キョウコの様子に(ママは事情を知っている)とアスカは判断したが、問い詰める前にゲンドウが口を開いた。

「シンジが良くなれば会える。その時は仲良くしてやって欲しい」

 ぶっきらぼうだが優しいその言葉に、目の前の男があの碇司令と同一人物とはとても信じられなかった。

 その時、唖然としているアスカが、ゲンドウに怯えていると思ったのだろう。冬月が割って入って来た。

「まあ、惣流君もアスカちゃんも今日は移動で疲れただろう。詳しい話は明日にでもしよう。住居の方はこちらで用意してある」

 そう言って冬月は、数枚の紙をキョウコに渡した。

「君達が滞在する部屋は、一枚目の資料に載っている。不明な点があれば……」

 冬月はそのまま一通りの説明を済ませてしまう。質問が無いのを確認すると、キョウコとアスカはそのまま所長室から出されてしまった。

 相変わらず唖然として居るアスカに対し、キョウコはくすくすと笑いを漏らしていた。それは所長室の扉から、冬月とゲンドウのやり取りが聞こえるのが原因からだろう。

 冬月が「あんな小さな子を脅してどうするんだ!!」と怒鳴れば、ゲンドウが「そんな心算はない」と言い返し、冬月に「自分の顔を自覚しろ!!」と怒られる。それからは延々と冬月の説教が続いているようだ。

 キョウコはひとしきり笑うと、アスカの手を引いて今日から寝泊まりする部屋へ向かった。

「さすがに疲れたし、今日は早めにお休みしましょう」

「……うん」

 落ち着きを取り戻した二人に、長旅の疲れは流石に辛かったようだ。もっとも、キョウコはベッドが恋しくて仕方がなかったようだが、アスカの方はシンジをどうやって探すか考えていた。



 キョウコは次の日から研究所に出勤するようになった。当然キョウコの仕事中は、アスカは託児所に預けられる事になる。アスカは隙を見つけてPDAを使いハッキングを敢行。シンジの居場所を病室まで特定した。

 幸い託児所と病院の距離が近く、3歳に満たないアスカの足でも問題なく行き来可能だった。

 こうなると問題は、見つからずに託児所を抜け出し戻って来れるかだ。むしろこちらの方がアスカは苦労した。

「まったく。シンジの居場所は初日に把握できたのに……。ばれずに抜け出せるルートと時間帯を見つけるまで、5日もかかるとは思わなかったわ」

 一人で愚痴を言うアスカだが、これほどの短時間でそこまで調べ上げたのは驚嘆に値する事だ。それはドイツ人クォーターのアスカを珍しがる子供達に囲まれ、なかなか身動きが取れなかったのが理由だった。

「ったく。珍獣じゃあるまいし」

 再び愚痴を口にするアスカだったが、その口元には笑みを隠せずに居た。既に託児所から抜け出し、シンジが入院している病院が目の前にあるからだ。

 アスカは病院の正面から堂々と入って行く。出会った医者や看護婦には、笑顔で挨拶をしてやる。こういう時コソコソすると、かえって怪しまれて捕まってしまうからだ。それでもこの見た目(3歳位の子供)の所為で、捕まる可能性は十分にあったが……。

 一度看護婦に声をかけられて焦ったが、何とか病室の前に到着する事が出来た。

「ようやく会えるね……シンジ」

 思わずそう呟き、シンジの病室に入る。

 扉を閉じて病室を見回した瞬間に、心が壊れた自分の姿がフラッシュバックした。

(これって、あの時見たシンジの記憶!? 何で今更!?)

 自身への問い掛けの答えは、すぐ目の前にあった。ベッドの上で横になるシンジの目は、ただ虚空を見つめるばかり。当然そこに生者特有の光は無く、時々思い出したように瞬きをする以外の動きは無かった。

「な なんで……」

 アスカは思わずそう呟いていた。アスカが見たシンジの記憶には、ここまで酷い状態になる事は無かったのだ。

(ま まさか……)

 アスカは一瞬浮かんだ考えを、必死に否定した。それは今まで、あえて考えない様にしていた事だからだ。

(シンジも……なの?)

 その考えに行きつくと同時に、アスカは靴を脱ぎベッドに上がるとシンジに馬乗りになり上体を前に傾ける。それは上下が逆になっているが、あの赤い世界でシンジがアスカの首を絞めた時と同じ体勢だった。だがアスカの手は、シンジの首に行かず頭を固定すると強引に目線を合わせた。

「……シンジ」

 アスカは僅かな反応も見逃さない様に瞳の奥を覗き込む。

「ア ……アス カ」

 アスカはシンジの口から自分の名前が出る事により、自分の疑念が正しかった事を知った。この事実に大きな絶望感と、それを遥かに上回る歓喜がアスカの心を満たしていた。

(あぁ……そっか。あたしはシンジに、あたしの綺麗な所だけ見て……知って欲しかったんだ。でも、あたしがシンジを好きなのは、あたしの醜く弱い部分も受け入れてくれるからなんだ。今更ね。それにあたしは、シンジをシンジの代わりにしようとしていた。……最低)

 アスカがそんな事を考えていると、シンジの瞳に感情が浮かび上がって来た。その感情が、怯え・恐怖・拒絶の類であると見抜いたアスカは、悲鳴を上げられる前にシンジの口を自分の口でふさいだ。

「んっんん~~~~!!」

 アスカを跳ね退けようとするシンジの体を、全身の力を使って無理やり押さえつける。悲鳴の一つも上げられれば、すぐにでも看護婦が来る。下手をすれば、それで二度とシンジに会えなくなってしまうからだ。



 時間にすれば数分ほどだったろう。アスカにとっては、服や髪を引っ張られるかなり辛い時間だった。

(バッチリ決めて来た髪と服が……)

 泣きたい気分になったアスカだが、今はシンジが大人しくなった事の方が重要だ。ここは誤解を解く所だが、下手に言い繕うと逆にシンジの態度が硬化しかねないとアスカは考えていた。

「キモチワルイ……」

 シンジの体がビクッと震え、体が硬くなったのが分かった。

「……から背中をさすって」

「えっ!?」

 アスカが選択したのは、ストレートに言葉の続きを言う事だった。シンジにもその気持ちは伝わったようだ。

「そ それって……本当?」

「嘘言ってどうするのよ」

 そう言いながらも、アスカはつい目をそらしてしまった。アスカは自分の顔が赤くなっているのが、なんとなく分かったのだろう。と言うか、自分を見つめるシンジの目に負けたとも言う。

「アスカ」

 シンジはアスカの頬に両手を添えて自分の方を向かせ……。

「アスカ。……好きだよ。愛してる」

 瞬間湯沸かし器。今のアスカを例えるにこれ以上相応しい言葉は無いだろう。顔や耳どころか、手まで真っ赤になって湯気を吹いて、混乱で目がグルグルしているように見える。

「なっなななななな なに なに言ってんのよ!?」

 そんなアスカの様子に、シンジは軽く微笑むと……。

「あいかわらず可愛いなアスカは……」

 シンジがそう言った瞬間に、アスカはまるで冷水を浴びせられたかのように静かになった。

「……加持 さ  ん」

 アスカが確認するように呟くと、シンジは悪戯が成功した子供の様な顔で頷いた。

 するとアスカが、突然能面のような無表情になった。

「シンジ。……加持さんの人生を追体験したの?」

 シンジが「良く分かったね」と、今度は驚いたような表情で頷く。

「ミサトの体は気持ち良かった? 他にも、たくさん女を抱いたんでしょうね……」

 アスカは変わらず無表情だが、たちのぼる怒気は洒落になって無かった。

 ここでシンジの弁明をするなら、女性と関係を持つような場面は脳への受け入れを拒否していた。(理由は追体験時に、隣に母親が居たから)だからアスカが怒る様な部分は追体験して居ないのだ。当然その事は必死に説明するのだが、アスカの怒りは(からかわれた分は)収まらず殴られ気絶した。

 シンジが気絶している間に、アスカのPDAからアラームが鳴った。

「時間か……。シンジ!! 明日も来るから、その時は覚悟してなさいよ!!」

 そう言い残し、アスカは託児所に帰って行った。






 しかし、アスカはこの時知らなかった。何故シンジが、あれほど心に深いダメージを負っていたのかを……。



[33928] 第2話 悲劇の選択
Name: うにうに◆b1370127 ID:71ba60e9
Date: 2012/07/09 23:16
 シンジと再会を果たしたアスカは、ひたすら上機嫌だった。半分からかいとは言え、“好きだよ。愛してる”と意中の人に言ってもらえたのだ。そしてその言葉が、嘘や冗談ではなく本気の言葉であると、アスカには何故か分かった。まあ、それが分かったからこそ、あの反応なのだが。

 託児所にキョウコが迎えに来た際、アスカの上機嫌ぶりに「如何したの?」と聞いても、アスカは「何でもな~い♪」と返していた。部屋に帰っても、枕を抱いて二へェ~と笑いながらベッドの上で左右に転がり続けるアスカに、キョウコが本気で病院に連れて行こうか迷ったのは仕方がないだろう。

 しかし、そんなアスカの幸せな時間も次の日には終わりを迎える事になる。

 喜び勇んでシンジの病室のドアを開くと、アスカは固まる羽目になった。

「……シンジ。如何したの?」

 アスカには、そう声を出すのが精いっぱいだった。

「入って、ドア閉めてよ」

「……あっ」

 シンジの様子は、昨日と変わらない笑顔に見えた。しかしアスカは、僅かな拒絶と否定の視線を敏感に感じ取っていた。何とかドアを閉める事は出来たが、それから先は如何すれば良いか分からずに固まってしまった。

「アスカ。如何したの?」

 シンジの優しい声音に隠れた冷たさが、アスカの胸に突き刺さる。アスカの頭は、何故シンジがこのような態度を取るか分からず混乱した。そんなアスカの様子に気付いたシンジは、内心で(失敗したな)と思いつつ続けた。

「アスカ。とても大事な話があるんだ」

 シンジがそう口にしたが、アスカは動く事が出来なかった。

「あたし。シンジに嫌われる様な事……」

「してないよ」

 シンジはアスカが言い終わる前に、優しくハッキリと否定した。

「ウソよ……だって……」

「してないって言ってるだろ」

 僅かに語気を強めるシンジに、アスカはそれ以上聞く事が出来なかった。

「こっちに来て椅子に座ってよ」

 アスカはシンジに逆らう事が出来ずに、大人しく椅子に座る。

「アスカのママをネルフ……ゲヒルンドイツ研究所から、安全に退職させる方法を考えよう」

 シンジの話は、アスカも考え計画している事だった。しかし、話の内容とシンジの態度は結び付かない。だからアスカはシンジを問いただしたい気持ちを抑え、今は話に集中する事にした。

「理想を言わせてもらえば、ドイツ研究所の方からアスカのママを首にしてくれる事だけど……」

 そう言いながら、シンジはアスカに確認する様な視線を向ける。

「うん。難しいのは分かってる。……エヴァ弐号機の製造に加えて、マギクローン設置にママは外す事が出来ない人材だから」

 アスカの答えにシンジは頷く。

「LCLで得た情報にズレは無いか。その上で如何するかだけど……」

 そう呟いて思考の海に身を乗り出そうとするシンジを、アスカが「……手なら考えてあるわ」と言って引き戻した。

「ママが日本人とドイツ人のハーフなのは知ってるわね」

 シンジが頷く。

「ゲヒルンドイツ研究所には、半ネオナチの純血主義者や白人至上主義者が多いの。当然、外国人や有色人種……その混血は何かしら嫌な思いをしている。その中で最も嫌な思いをしているのが、あたしのママなの。特にプライドの高い研究者は、日本から呼ばれたママが気に入らなかったのね。まあ、その人達から見ればママは“自分達の実力不足の象徴”とも言えたから当然だけど。……そう言った不満を抑える為に、ドイツ研究所の所長が取った手段は、ママの研究や働きを正当に評価しない事だったわ。ママがエヴァ弐号機の製造とマギクローン設置の責任者でないのは、その所為なの。……まあ、そのおかげで日本に来れたのだけど」

 アスカが苦笑する。

「ドイツ研究所はママが居なくなると、エヴァ弐号機とマギクローンの計画が頓挫はしないまでも遅延は確実よ。露骨な事が出来ない分、陰険な嫌がらせは多かったみたい。ママは負けん気が強かったから、そう言う奴らを実力で黙らせたの」

(流石アスカのママだ。アスカそっくり)

「……今、あたしとママがそっくりだと思ったでしょう」

 アスカに睨まれて、シンジは「ごめん」と言いながら苦笑いをした。そこには、アスカが僅かに感じた拒否・否定・冷たさは無かった。

(良かった。いつものシンジだ)

「……まあ、良いわ。と・に・か・く、そんな状況で“所長が隠れてママの正当な評価をしてる”と、研究所に流すと如何なると思う? 捏造した証拠付きで」

 途端にシンジの眉間に皺がより難しい顔になる。

「それって、実行可能なの? すぐにばれない?」

「出来ない事なんて言わないわよ。LCLの海から得た知識のおかげで、今のあたしは“超”が付くほどの天才ハッカーなんだから。それくらいは、簡単に出来るわ」

(それが言いたかったんだな。……天才ハッカーって、響きも良いし。でも、今のアスカが言うと、犯罪者臭い気がするのは気のせいだろうか?)

「……って、なによ!!その疑惑の目は!!」

 調子を取り戻して来たアスカは、シンジの疑惑の目を一蹴した。

「カイゼル髭の変態セクハラ所長(キョウコ談)とドイツ人・白人所員を対立させるのが目的よ。……所長も白人だから、裏切り者扱いでしょうね。更に、怪文書・怪メールで対立を煽りまくるわ」

 得意げにそう言いながら、ボソッと「今ならママは日本に居るから安全だし」と言うのは如何だろう?

「……そうなれば所長は何らかの釈明をするわ。その釈明にママの解雇を約束する文書を混ぜるの。更に、ドイツ研究所の依頼に偽装した上で、あたし達の家を引き払い家具を含む全てを日本に送りつけさせるわ。解雇を言い渡すメールと共にね。……本当はメールじゃなく辞令を偽装したいけど、そこまでやると流石にバレる可能性が高いから出来ないわ」

 そこまでやれば、キョウコの存在はドイツ研究所にとって内部分裂の火種になるだろう。普通に考えれば、キョウコを無理に呼び戻そうとしないはずだし、キョウコもドイツに戻りたいとは思わないだろう。ドイツ研究所には、かなりの計画遅延が予想されるが……。

「……容赦無いな。でも、それでアスカのお母さんの接触実験を確実に阻止出来るかな? それにそれって、弐号機以降の実戦配備が遅れるって事じゃ……」

 と、シンジが不安要素を口にすると、アスカが更に続けた。

「ママも日本に居れば、無理に実力を誇示する理由は無いから大丈夫よ。弐号機の製造については、ドイツの方で意地でも完成させるわ。エヴァ製造の重要工程の素体培養ノウハウは、既に箱根研究所が完成させてるから間に合わないと言う事は無いはずよ。後は装甲……拘束具のデザインを如何するかの違いだけよ。製造遅延によりドイツ研究所の顔がつぶれても、大勢に影響が出るとは思えないわ。実際に前のエヴァの武装も、第3使徒襲来後に慌てて用意したみたいだし。本部とドイツ支部の不仲は今更だしね」

 得意げに語るアスカに対して、シンジは落ち着いてアスカの意見を検討していた。

 シンジはLCLから弐号機の接触実験の真相を取得していた。キョウコは弐号機の接触実験を危険と断じ、実験自体の凍結・中止を申請していた。それを疎ましく思ったドイツ研究所上層部が、アスカを人質に取りキョウコを無理やり接触実験の実験体にしたのだ。結果的に、その反発心とキョウコの強い精神力が災いし“肉体は無事だったがココロが引き裂かれ、その大部分が取りこまれる”と言う、中途半端な事態を招く。だからキョウコとアスカに関しては、日本に来れば問題無いはずである。

(この話はアスカに黙っていた方が良いか。……暴走されても困るし。それより問題は、アスカのママの代わりに誰が人柱になるか?だな。こちらに関しては、諦めるしかないか……)

 零号機・初号機と弐号機以降は、素体の素が第2使徒リリスか第1使徒アダムかの違いがあるが、培養方法に違いは無い。また、弐号機の完成を諦めると言う選択肢は、ドイツ研究所……ゼーレにとって絶対にありえない話だ。ならばアスカが言う様に、多少遅れても絶対に完成させるだろう。影響が出るとすれば拘束具だが、時期を考えれば弐号機の拘束具のデザインにキョウコは関与していないだろう。弐号機の完成が遅れれば、参号機以降の拘束具にデータをフィードバックが出来なくなり、機体性能を劣化させる事が出来るかもしれない。特に量産型の性能ダウンは、最後の戦いを楽にしてくれるだろう。

(……それに、ドイツ研究所上層部に同情の余地は無い)

 結論が出たシンジは、口を開いた。

「ついでにドイツ研究所の所長には、全部終わった後にスキャンダルで退場してもらおう。そうすれば余計な捜査は避けられるはずだから」

 シンジはそう言いながら、アスカに目で“出来る?”と聞くと、アスカは戸惑う事無く頷いた。

「うん。これでアスカのお母さんの事は問題ないね」

 そう言いながらシンジは、アスカの方を見た。その目は真剣そのものだ。その目を見たアスカは、今までの話が前座にすぎない事を悟った。

「これでアスカは、日本でエヴァと関わらずに生きていけると思う。後の事は全て僕に任せてくれれば良いから」

「……えっ!?」

 実際にこの計画が成功すれば、キョウコはドイツ研究所を辞す事になっても、箱根研究所……後のネルフ本部に引き留められ勤める可能性が高い。そうなればアスカは箱根……後の第3東京市に住む事になり、使徒襲来時に第3新東京市立第壱中学校でシンジと再会する事になるだろう。

「……それって、あたしにだけ逃げろってこと?」

 シンジは「そうなるね」と、戸惑いも無く頷いた。

「あんたに全て押し付けて、あたしだけ逃げろって言うの?」

 再び頷くシンジ。

「……どうして……どうして、そう言う事言うの?」

「アスカは十分頑張ったじゃないか。……もうこれ以上傷つく事は無いよ。……いや、傷ついて欲しくない」

 シンジの言葉は、強い意志と決意に満ちていた。

「だから……」

「止めて!! 聞きたくない!!」

「アスカに15歳の誕生日を迎えさせてみせるから……」

「イヤ!! イヤ!! イヤ!! イヤ!! キキタクナイ!!」

「アスカはエヴァに……僕に関わらずに生きて欲しい」

 それはシンジの拒絶の言葉だった。ついにアスカは、病室を飛び出す。その頬には大粒の涙が流れていた。

 今アスカの前に立ちはだかっているのは、必死に見ない様にして居た事。……再びエヴァに乗るには“自らの母親を生贄にしなければならない”と言う、どうしようもない現実だった。そして当然、シンジがアスカを突き放したのにも理由ある。シンジは今後、依り代候補として生きて行かなければならない。そして依り代は、心が壊れている必要があるのだ。もしアスカとの関係が明るみに出れば、シンジの心を壊す道具としてアスカが使われる。シンジにとって、それは絶対に許容出来ない事だった。

「如何してこうなっちゃったのかな」

 一人病室に残されたシンジは、ベッドに体を放り出すように横になると呟いた。

「ケチの付け始めは、この世界に一緒に来たはずの母さんが居なくなってから……か」

 この再現された世界に来た時に、シンジのココロとキオクをこの世界のシンジと融合させたのは、赤い世界で再会したユイである。そしてその後ユイは、シンジの体の中で休眠状態になり、シンジが覚醒したらこの世界の自分の中に移動し、取り込まれた初号機の中でこの世界の自分と融合する。その後、魂を二つに割き(元々二つ分の魂だから可能な芸当)サルベージの成功を演出しながら帰還する予定だった。後は適当な理由を付けて、シンジをファースト・チルドレンとして登録し使徒を全て迎撃する。ユイはゲンドウ・冬月に協力をさせ、ゼーレの考えるサード・インパクトを防ぐ。

 これが、シンジとユイが書いたシナリオだった。最初にシンジは、綾波の存在を消し去るこのシナリオに難色を示した。しかし母親ユイが、自信たっぷりに「今度は私がレイを生むわ」と言い切ったので、最後にはシンジもこのシナリオに賛成したのだ。

 しかしそのシナリオも、覚醒したシンジの体内にユイの魂が居なかった事で頓挫する。

 そして何も出来ない内に、この世界のユイはエヴァへと取り込まれてしまった。

「変える為に、この世界を作ったのに……何も変えられてない」

 シンジにとって、この事実は毒以外の何物でもなかった。



 託児所にアスカを迎えに来たキョウコは、アスカの様子に愕然とした。朝はあれほど幸せそうだったアスカが、十時間足らずで廃人の様な有様なのだ。問い詰めても、朝までと同様に「何でもない」と繰り返すばかりで、託児所の所員を問い詰めても原因は分からずじまいだった。

 部屋に帰って来るとアスカは、早々に着替えてベッドの上でタオルケットを被り亀になってしまった。

「ほら!! アスカちゃんが前から欲しがっていた……」「イラナイ」

「アスカちゃんの大好きなハンバー……」「ショクヨクナイ」

「アスカちゃん。箱根って、温泉が……」「ネムイ(ボソッ)」

 …………

 ……

 キョウコはそんなアスカと会話しようと試みたが、取り付く島も無いとはこの事だ。全て一言で切って捨てられてしまった。困り果てたキョウコは、作戦を練るために寝室から一時撤退する事にした。寝室から出て大きくため息を吐くと、そのままキョウコは頭を抱えてしまった。頭の中では(如何しよう?)と言う思いが錯綜し、終いには日本に来た事を後悔し始めた。

 と、その時。寝室の中から、アスカの嗚咽が漏れて来た。その声の中に、「シンジ」という原因らしき少年の名前があった。その名前は、ドイツに居た時からアスカが時々口から漏らす名前だった。

(シンジ? 託児所にそんな名前の子いたかしら? ……いえ、ユイさんの息子の名前が確か)

 とにかく、その“シンジ”と言う人物の正体を突き止めなければならないと判断したキョウコは、該当する人物をパソコンで調べ始めた。

 先ず最初に調べたのが、同じ託児所に預けられた子供だ。しかしその中に、該当する子供は存在しなかった。いや、正確には一人該当者が存在したが、その子供は一月近く前から入院していて欠席していた。

(……この子じゃないか。あれ? この子)

 入院している子は、キョウコの親友であるユイの子供だったのだ。ちょっと調べてみると、託児所の近くの病院に入院しているようだ。

(どの道アスカとは面識がないはず。……この子は関係無いか)

 この場はそう結論付けると、調査範囲を所員や出入り業者……果ては、近隣に住む住人にまで広げた。しかし、該当者らしき人物は、ユイの子供のシンジ以外に居なかった。

(ユイさんの子供だとしても、アスカちゃんとの接点が無いのよね)

 そう考えながら、キョウコはパソコンの前で「う~ん」と唸り声を上げた。その時キョウコの目に付いたのは、アスカに買ってあげだPDAだった。アスカはPDAを肌身離さず持ち歩き、お風呂の時以外は絶対に放そうとしなかった。それが無雑作に居間に放り出してあったのだ。

(アスカちゃんには、それほどショックな事があったと言う事か)

 そう思い、キョウコは何気なくアスカのPDAを起動した。アスカの年なら“親に見られて困る様なデータは無いだろう”と思っての気軽な行動だった。

(あら? アスカちゃん、結構使いこなしてるのね。フリーソフトとか、結構ダウンロードしてるわ。大丈夫とは思うけど、残り容量はどうなっているのかしら?)

 そう思い使用状況をみると、容量はギリギリだった。

(あれ? 何処にこれだけの容量を使っているのかしら?)

 そう思って調べても、該当するような大容量のデータは発見出来なかった。それどころか、実際の使用容量が確認出来る使用量の倍を超えていたのだ。いよいよ心配になったキョウコは、自分のノートパソコンとPDAを連結して詳しく調べ始めた。

(!!隠しフォルダ!? ……しかもパスワードが設定してある)

 本格的に心配になったキョウコは、隠しフォルダの中身を見ようとするが強力なプロテクトが掛けられていて、東方の三賢者の一角であるキョウコでさえ中身を盗み見る事が出来なかった。

(どうなってるのよ!?……いや、ちょっと待ってよ)

 ふと引っかかる物があったキョウコは、パスワードに“Shinji”と打ち込んでみた。するとプロテクトが解除され、キョウコのノートパソコンに隠しフォルダの中身が表示された。

「アスカちゃん意外と単純ね♪ ……って、なっ 何よこれ!?」

 隠しフォルダから飛び出してきたデータは、“ママのドイツ研究所退職計画”・“ママ退職によるエヴァ弐号機開発遅延予想”・“ダミーGPS情報ソフト”等々、目を疑う様なタイトルが多数出て来たのだ。ためしに中身を開いてみると、ゲヒルンの機密情報が満載である。

「う ウソでしょ」

 そう思いながら隠しフォルダの中身を見ていくと、件のシンジが碇シンジである事を示す資料が出て来た。託児所から碇シンジの病室までの、人に見つからないルートをシュミレートするソフトだ。

(これで、アスカが言って居た“シンジ”は“碇シンジ”に間違いないか……)

 キョウコはアスカを問い詰めたい衝動を抑えて、アスカの隠しフォルダのデータを自分のノートパソコンにコピーすると、PDAとノートパソコンの電源を落とした。

(おそらく、あの状態のアスカを問い詰めても無駄ね。犯罪の臭いもするし、アスカがシンジ君をかばい碌な話を聞けない可能性が高いか……。有無を言わせずに、シンジ君と同時に話を聞くのが一番か……)

 キョウコはそう結論付けると、早速シンジに会いに行く計画を立て始めた。



 キョウコがシンジに会いに行くチャンスは、意外にも早くやって来た。泣き疲れて眠ってしまったアスカが、高熱を出してしまったのだ。キョウコはアスカの体調を口実に、ゲヒルンに午前休を電話で連絡しアスカを連れてシンジが入院している病院へ向かった。

「ママ。あたし大丈夫だから、病院へ行かなくても良いよ。お仕事行っても大丈夫だよ」

 アスカはしきりにそう訴えるが、いつも弱っている時は必要以上にキョウコにべったりのアスカである。更に言えば、病院もそれほど苦手と言う訳ではない。注射や薬など嫌な事もあるが、それを我慢すれば大好きなママが褒めてくれるからだ。

 病院で治療(注射)を受け薬を貰うと、キョウコはアスカをおぶったままシンジの病室へ向かった。

「何でそっちへ行くの?」

 キョウコが向かって居る場所に気付いたのか、アスカが不安そうな声を上げる。

「ママ。早く帰ろう。お仕事もあるし。……ねぇ。ママ」

 キョウコがシンジの病室がある階でエレベーターを降りると、明らかにアスカの顔がこわばった。

(何でママが、シンジの事を知ってるの? ……そうか!! PDAの中身を見られたんだ!!)

「ヤダ イキタクナイ カエロウ」

 原因に思い当たったアスカは、必死に引き返すようにキョウコに訴えるが、その願いは受け入れられる事無くシンジの病室の前に着いてしまった。

「カエロウ カエロウ ネェ……ママ。カエロウ」

 アスカは高熱で弱った体に鞭を打って訴えるが、キョウコはその願いを無視してシンジの病室に入室した。

「……誰ですか?」

 最初は知らない人間が入って来た事に、シンジは警戒をした。しかし直ぐにアスカが居る事に気付き、怪訝な顔を浮かべる。

「私は、惣流・キョウコ・ツェッペリン。分かっていると思うけど、アスカの母親よ」

 シンジは再びアスカに視線を向けると、すぐにキョウコに視線を戻した。

「碇シンジです。母がお世話になってます。……それと、アスカは大丈夫ですか?」

「大丈夫よ。ただの風邪だから。治療もしっかりしたから、一晩休めば元気になるわ」

 シンジは「そうですか」と、ホッとした表情をし、キョウコに向かい合う。だがその目は、チラチラと心配そうにアスカを見ていた。一方のアスカは、シンジと視線を合わせない様にうつむいて黙りこんでしまった。

(……失恋ではないのかしら? ぱっと見、シンジ君もアスカにベタ惚れに見えるけど)

 とりあえずアスカを椅子に下ろして、キョウコは自分のノートパソコンを取り出しアスカの隠しフォルダのデータを表示してシンジの前に突き出した。

「これはどういう事か説明してくれる?」

「!!!?」

 ノートパソコンに表示されたデータを見たシンジは、思わず顔を引き攣らせアスカの方を見る。その視線を受けてアスカは、うつむいて縮こまった体を更に縮こまらせた。

(何をやって居るんだ僕は、アスカを責めても意味が無いじゃないか)

 シンジは自責の念を額を軽く叩く事で打ち払い、再びキョウコに視線を向ける。そしてシンジをまっすぐ見るキョウコの視線に(誤魔化しは通用しないし、正直に言う事で誠意を見せてべきだな。……だけど、信じてくれるかどうかは賭けになるか。それとアスカの事だな)と、頭の中で考えてから口を開いた。

「長い話になります。アスカが辛そうなので、僕のベッドに寝かせましょう」

 シンジは手早くベッドを明け、アスカを横にし自分のタオルケットをかけると、そのまま自分の椅子を部屋の隅に取りに行った。テキパキとしたその動きに、キョウコは手伝う機を逃しに立ちつくしてしまった。椅子を取って来ると、シンジはアスカの顔を覗き込む。

「アスカ。これから如何するかは、キョウコさんを含め三人で話し合って決めようね」

 アスカが小さく「うん」と返事をした。

「僕も昨日は配慮が足りなかったよ。本当に、ごめん」

「うん。気にしないで。シンジがあたしを思って言ってくれた事は分かってるから」

 シンジの一言で、アスカの顔に笑顔が戻った。

「ありがとう。……飲み物はリンゴジュースしか無いのですが、二人ともそれで良いですか?」

「うん」「あ はい」

 シンジはコップとペットボトルに入ったリンゴジュースを用意し始めた。ちなみにキョウコは、シンジのタオルケットに包まった自身の愛娘の表情は、全力で見なかった事にした。3歳児がする表情じゃ無かったし。と言うか、タオルケットに顔を埋めてにおいを嗅ぎ二へ二へ笑うのは止めて欲しい。

 そうこうして居る内に飲み物も用意され、長い時間話す準備がすっかり整った。

「とても信じられないような話なのですが……」

 ………………

 …………

 ……

 シンジは、己が知る全てをキョウコに伝えた。更にキョウコの質問に答えていると、かなりの時間が経ってしまった。一区切りした所で、キョウコが時間を確認すると、午後の出勤時間ギリギリになっていた。

「悪いんだけど。この続きは私の仕事が終わってからにしましょう。……アスカちゃんは、薬が効いて来たのか寝ちゃったわね」

「アスカはここで寝かせておきましょう。食事の方も、僕の方で用意しますので」

 シンジの正体を聞いたキョウコは、その申し出に甘える事にした。傍から見ると一般常識のかけらもない会話である。






 アスカが目覚めてからは、昨日の態度の負い目もあり逆らえず、シンジはアスカの可愛い我儘(はい、あ~ん等)に困らされることになる。仕事を終えたキョウコが見たのは、(羞恥心で)疲れてグッタリしているシンジと、物凄く上機嫌なアスカの姿だった。



[33928] 第3話 迫る別れ
Name: うにうに◆b1370127 ID:71ba60e9
Date: 2012/07/08 17:02
 シンジとアスカのサード・インパクト阻止の話し合いは、新たにキョウコが加わる事になった。驚いた事にキョウコは、アッサリとシンジとアスカの話を信じ協力を約束したのだ。流石に戸惑ったシンジは、キョウコに何故こんな荒唐無稽な話を信じてくれるのか聞いた。

「目の前の事実を事実と認め、それを分析して対応するのが科学者の仕事よ。盲信も不味いけど、目の前に事実が信じられなくなったら科学者失格。私は科学者失格には、なりたくないわ」

(キョウコさんにとって、僕達の言葉を信じる事は盲信ではない……か。それより……)

 真顔で答えたキョウコに、頼もしさを感じると共にシンジは言い知れぬ不安を感じていた。だって、その直後にとっても良い笑顔(見た者を底冷えする様な笑顔で)で笑ってたんだもん。それを見たシンジとアスカは、((……マッドだ))と言う共通の見解に達した。キョウコの質問が十年後(2015年)の科学技術関係に偏っていたのが、その証明になるだろう。更にシンジとアスカがLCLから得た知識で、キョウコの質問に答えられたのが、この状況に拍車をかけた。

「……いつものママじゃない」

 これが科学技術関係の話をする時のアスカの口癖になった。と言うか、キョウコがアスカに見せない様にしていた“科学者としての顔”を、隠す気が無くなったとも言う。この時だけは、完全に母親と言う立場を捨ててます。それで良いのでしょうか?キョウコさん。それと、ウサギのぬいぐるみではなく、本物のウサギが(モルモットの代わりに)出てきそうな勢いなので、出来ればその笑いも止めて欲しいと思うシンジとアスカであった。

 そんなこんなで、キョウコに全て話してから3日が経った。シンジも回復した事から退院が決定し、どんな手を使ったのか(ユイ救出サルベージ計画で)忙しいゲンドウに変わり、キョウコが一時的に預かる事になったのだ。

「一体どのような手と使って僕の身柄を確保したのですか?」

 その聞き方はどうかと思うが、シンジが思わずそう聞いたのは仕方が無いだろう。しかしキョウコの返答は、とても良い(マッドな)笑顔だった。その笑顔を見たシンジは、それ以上何も聞けなくなった。……怖いし。

 まあ、それは置いておくとして、最近キョウコから出るようになった意見が問題になっている。

「私が弐号機に入るわ」

 キョウコがこれを口にする度に、アスカが下を向き黙ってしまうが決して悪い手ではないのだ。以前の様に魂が千切られると当然サルベージは不可能だ。しかし、意図的に弐号機に取り込まれると言うなら魂が千切られる心配は無い。ここで重要になって来るのがサルベージ計画の成否だが、サルベージには取り込まれた人間の強い意志が必要になる。つまり、取り込まれた人間に迷いがあればサルベージ計画は絶対に成功しないと言う事だ。

 碇ユイを例に挙げれば、取り込まれた初号機からのサルベージは失敗に終わった。これは、エヴァンゲリオンのシンクロシステムを理解してしまい“動かすには人柱(パイロットの近親者。特に実の母親が理想的)が必要”と、知ってしまったのが原因だ。

 当然、実の息子がパイロットにされるのは、彼女にとって気分が良い事ではない。しかし、自分が外に出てエヴァが動かなくなってしう事で、戦いに負け使徒とリリスによるサード・インパクトが起こってしまう。それは、ユイが最も恐れている“子供たちの未来を潰してしまう事”だ。また、それを承知でエヴァから出たとしても、自分の代わりに他の誰かが人柱にされるのは確実だ。ユイにとっては、それも容認出来ない事だった。それが迷いとなり、出ると言う強い意志を打ち消す事になる。それが結果として、エヴァの拘束を振りほどけない原因になっていた。

 しかし逆を言えば、全ての決着さえ付ければ迷いを払拭ふっしょく出来ると言う事だ。つまり、サード・インパクトを防ぎ全てに決着をつければ、サルベージが成功する見込みは十分にあるのだ。この場合怖いのは“中途半端に成功”して魂が引き裂かれてしまう事であるが、今度はLCLから知識を得たシンジとアスカが居る。決して分の悪い話ではない。

 アスカもそれは分かっているのだが、前に受けたトラウマがアスカの気持ちを沈ませていた。シンジとキョウコもそれは承知しているので、アスカを元気付けようとしたが、なかなか良い結果を出す事は出来なかった。

 ……しかしキョウコは、何故自分からエヴァに入ると言い出したのだろう?



 時間はシンジの退院日までさかのぼる。

 この日、キョウコとアスカが2人でシンジを迎えに来た。ゲンドウはユイのサルベージ計画で忙しい所為で、その場には顔を出せなかった。分かって居たとは言え、その事実はシンジの心を沈ませる。しかしキョウコとアスカの2人は、嬉しさのあまり笑顔を抑えられなかった。キョウコは科学技術の話を家でもユックリできる事(シンジが居ない所でその話をするとアスカが露骨ろこつに嫌がる)に、アスカは単純に意中の人と臨時とはいえ同棲できる事に……と、笑顔の原因はまるで違ったが……。

「今日から3週間位になると思うけど、その間よろしくね」

「よろしくお願いします」

 キョウコが借りてる部屋の前で、改めて挨拶をするシンジとキョウコだが、アスカは病院からシンジの手を握ったまま心が別の世界に飛び立ったままだった。ぽ~っとして居ないで早く帰ってきてほしい。そんなアスカの様子にキョウコは微笑ましく思っていたが、シンジが僅かに顔を顰めたのに2人は気づかなかった。

 キョウコの作った夕食を終えて、サード・インパクト阻止の話し合いが始まる。

 しかし、サード・インパクト阻止の話し合いと言っても、その大筋は前回に習う事で既に決まっている。

 使徒と量産型エヴァを全て撃退する事で、ゼーレの狙うサード・インパクトは防げる。前回は弐号機のみで量産型に対応する事となったが、経験を積んだシンジなら十分な戦力を残す事が可能だ。

 一方でゲンドウが狙うサード・インパクトは、綾波レイと向かい合いコミュニケーションを取れば勝手に失敗してくれる。これはゲンドウとレイの間に、表に出て来ない不和があるからだ。

 その不和とは、ゲンドウにとってレイが計画の為の道具でしかない事と、ゲンドウがレイを通してユイを見ている事だ。道具として扱われる事しか知らないレイは、対等な人間として接してくれる存在が居る事で、その不満を発露させる事が出来る。それにレイは、感情を知らない所為で表現こそ出来ないが、自分を通して自分で無い誰かを見ているゲンドウに不満を持っていた。

 一度不満が噴き出してしまえば、その時点でゲンドウには如何する事も出来なくなる。そのレイを殺して次のレイを使えば良いと思うかもしれないが、そうすると(死の記憶を除く)知識だけが受け継がれ、感情……特に愛着や執着と呼ばれる物がリセットされてしまう。それはレイをゲンドウに繋ぎ止めていた最後の糸を切るのと同義だ。(実際に前回は、不満が噴き出す段階まで行って居ないのに、リセットされる事によりレイがゲンドウを見限った)

 要するに、下手に大きなアクションは起こさず、前回を踏襲する事で大きな流れは変えない事にしたのだ。その上で、手の届く範囲の人を助ける。これが、何の力も後ろ盾もないシンジにとって、最大限に出来る事と言って良かった。

 シンジは「慎重さが求められ油断はできないが、絶対に成功する」と、断言した。

 その大筋を認めた上で、キョウコとアスカがシンジの話から不明な点や不安点を質問する。そこから問題点を抽出し、その解決策とリスクをついて話し合う。

 その中で大きな問題となって来るのが、使徒や量産型エヴァに勝てるか?と言う物だった。何故今更そんな話が出て来るのかと言うと、弐号機とそのパイロットが如何なるか分からない現状では、戦力として数えて良いか分からないからだ。いや、むしろ戦力として数えるのは危険だろう。足を引っ張られる事や、敵に回る可能性も考慮しておいた方が良い。

「弐号機が参戦する第6使徒ガキエル以降はみんな不安だけど、特に不安なのが第7使徒のイスラフェルね」

「大丈夫です。ユニゾンなら綾波が居ますから。第5使徒戦で、零号機の損傷を抑えれば問題ありません」

 顔を顰めるアスカを無視して、そう断言したシンジだが大きな不安があった。

 エヴァの基本性能は、素体の培養にどれだけ金と手間をかけられたかで決まる。プロトタイプ(生産実験機唯一の成功例)の零号機と採算度外視のテストタイプである初号機では、基本(素体)性能があまりにも違いすぎるのだ。パイロット同士のユニゾンが完璧でも……いや、パイロット同士のユニゾンが完璧だからこそ、機体の基本(素体)性能差が致命傷になりかねない。

 更に言えば、弐号機は世界初のプロダクションモデルと言われているが、実態はアダム型エヴァのテスト(プロト?)タイプで初号機程ではないが採算度外視の一点物である。その為弐号機は基本(素体)性能が高い上に当時のシンクロ率はアスカの方が高かったので、基本(素体)性能差を覆し弐号機の方が実性能が高く、ユニゾンに必要な機体性能のバランスはギリギリ取れていた。

 無論今のシンジとアスカなら前回の経験からユニゾンは完璧だし、機体性能もパイロットによるシンクロ率の調整で高いレベルでそろえる事が出来る。そして何よりアスカは、量産型9機相手に単独で互角以上に渡り合った実績がある。アスカが弐号機のパイロットになってくれれば、戦力的な不安を全て消し去る事が出来るのだ。

 そしてアスカは、その事を誰よりも理解していた。それでもアスカは、キョウコに「弐号機に入って」とは口が裂けても言えなかった。アスカは戦えない悔しさとシンジへの申し訳無さで、泣きそうになるのを必死に堪えていた。シンジはアスカの内心に気付いてはいたが、無関係で居て欲しいので沈黙を守った。

 そしてキョウコは、シンジとアスカの沈黙の意味に気付き、自分がこれから如何するべきか真剣に悩む事になった。そしてその答えは、意外にもすぐに出た。

 その答えは、自ら弐号機に入ると言う物だった。

 キョウコが今ドイツから逃げ出しても、ゲヒルン(後のネルフ)と無関係になるのは不可能だ。中途半端に関わるなら、中心人物になってしまった方が安全である。それはアスカがチルドレンになれば、安全は保障されると考えたからだ。

「キョウコさん。弐号機に自ら入るなんて、馬鹿な事を言わないでくださいね」

「え?」

 シンジの言葉にアスカは、間の抜けた声を上げる事しか出来なかった。

 キョウコはその考えを一切表情に出して居なかったが、シンジは出された答えを知って居たかのようにその答えを否定する。キョウコとシンジはそのまま睨み合いを始める。

「あら? 私が考えている事が分かるのかしら?」

「キョウコさんは、母さんの親友でアスカの母親ですからね。この状況で何を考えているか、なんとなく分かりますよ」

 そう言い切るシンジだが、実際はキョウコの雰囲気が変わった事に気付いただけである。そもそもシンジは、キョウコを仲間にした時点で“キョウコならそう考える”と予測していた。そしてその選択が、アスカの事をどれだけ傷つけるかも……。

「……僕はこれから“妻殺しの男の息子”として、生きていく事になります」

 十分に間を取ってから喋り始めたシンジに、キョウコは沈黙を余儀なくされた。

「これは依り代候補として、最後の戦いに参加するのに必要な事です。これは依り代の心が壊れていないと、ゼーレの望みを叶える事が出来ないからです。それはアスカも同様で、エヴァのパイロットになれば、心が壊れ易いようにマインド・コントロールされます。あいつ等はアスカに“一番じゃないと駄目”“エヴァ以外は何もない”と、思いこませます。……前回はその一環として、魂が裂かれたキョウコさんを首つり自殺に見せかけ殺し、その死体をアスカに発見させました」

「「……ッ!!」」

 キョウコとアスカが絶句して固まる。特にアスカは、前回のキョウコの死が仕組まれた事だとは思っても居なかったのだ。

「……それ。本当なの?」

 絞り出すように聞くアスカに、シンジは黙って小さく……だがハッキリと頷いた。

「アスカがエヴァのパイロットになれば、依り代候補として同等のトラウマを植え付けられます。……それでも、アスカをエヴァのパイロットにしたいと思いますか?」

 真実と言う名の毒を食らわされたアスカは黙りこみ、キョウコもシンジのこの言葉には反論出来なかった。

「……ふぅ。今日の話し合いはこれまでにして、続きは明日にしましょう。僕は別室で休ませていただきます」

 今日は、これ以上話をするのは無理と判断したシンジは、早々に切り上げて別室に引っ込んでしまった。残されたキョウコは頭を抱え、アスカは下を向き顔を上げる事が出来なかった。



 翌朝キョウコとアスカは、寝室に届く良い匂いで目が覚めた。シンジに言われた事が衝撃的だった所為で、なかなか寝付く事が出来なかった。当然、スッキリとした眼ざめとは行かなかっが、そのおかげで二人が話し合う時間をタップリとれたのは皮肉としか言いようが無い。

 そしてその話し合いで、キョウコとアスカの方針を統一できたのは大きな収穫だろう。

 キョウコはボーっとした頭を振り、ベッドから抜け出して時計を確認する。

(……もうこんな時間か)

 ギリギリ遅刻ではないが、化粧(スッピンで会社ゲヒルンへ行けない)をする時間を考えれば、悠長に朝食を作っていては厳しい時間帯だ。当然シャワーを浴びる時間も同様だ。

(今日の朝食は、コンビニのおにぎりで我慢かな)

 そんな事を考えながらベッドを確認すると、アスカが辛そうに上半身を起こした所だった。寝起きと寝不足のコンボで、アスカの顔はかなり酷い事になっている。だが、昨日の話し合いの成果かその顔に悲壮感は無い。それがキョウコには嬉しかった。

「ほら!! アスカちゃん!! その顔でシンジ君の前に出るの!?」

 キョウコはそう言いながら、アスカの目の前に手鏡を突き付けた。

「うぅ~~~~。……ッ!! 顔洗って来る」

 のそのそとベッドから抜け出して来たアスカが、洗面所へ向かおうと寝室のドアの前に移動した所で、何故かUターンしてベッドの中に入りタオルケットを頭から被ってしまった。

 娘の突然の奇行に首を捻ろうとした所で、トントンと寝室のドアをノックされた。

「はい」

 返事をすると「失礼します」と、声をかけ入って来たのはシンジだった。手には蒸しタオルが握られている。

「おはようございます」

「……おはよう」

 キョウコとシンジは朝の挨拶を交わしたが、アスカは寝たふりをして無視したままである。シンジが目線をベッドに向けると溜息を吐いた。どうやら、アスカが起きている事に気付いているようだ。

「これを使ってください。朝食の準備はしておきますので、早く準備して出て来てくださいね。……アスカ。お風呂の籠にバスタオルを用意してあるから」

 シンジは蒸しタオルをキョウコに押し付けると、そのまま寝室から出て行ってしまった。シンジの退出と同時に、アスカがベッドから起き出し、変えの下着と服を引っ張り出すと、そのまま寝室を出て行く。どうやらキョウコが化粧に時間をかけている間に、サッとシャワーを浴びて来るつもりのようだ。

(奇行の原因はシンジ君が寝室に来るのを察知したからね。シンジ君の接近をどうやって察知したのかしら?)

 ……15分後。

「アスカ。はい。牛乳とコップ。パックから直に呑むのは止めてね」

「わ 分かってるわよ」

 化粧を終えてリビングへ来たキョウコが見たのは、家族ふうふの様な会話を交わすシンジとアスカだった。シンジに注意され、頬を膨らませている自身の娘を可愛いと感じてしまったのは、親馬鹿だからだろうか?

 朝からいちゃつく娘夫婦は放っておいて、朝食に目を向けると……。

 トースト二枚に各種ジャムやバター・マーガリン。ソーセージ二本・厚めに切ったハム二枚・薄く切ったチーズ・スクランブルエッグ。オニオンスープ。レタス・きゅうり・トマト・パプリカを使ったサラダ。デザートのヨーグルト。

 これが三人分用意してあった。盛り付け方もしっかりしていて、ちゃんとしたホテルの朝食を見ている様な気分にさせられる。

(……これ。本当にシンジ君が用意したのだろうか?)

「ママ。早く食べないと遅刻するわ」

 何時の間にか席に付いていたアスカが、現実逃避していたキョウコを再起動させる。

「お飲み物は、牛乳・オレンジジュース・アイスコーヒーを取り揃えておりますが、どれにいたしますか?」

 シンジの口調と動作は、どこかの高級レストランのウェイターのそれだ。3歳位の子供がすると妙にシュールに見える。

「こーひーで」

「か かしこまりました」

 キョウコの裏返った声で返事をしたので、シンジは若干焦ったようだが最後までウェイターを演じ切った。キョウコはシンジに、突っ込みを入れたくなる衝動を必死に抑える。すぐ近くでアスカがクスクス笑っているが、(子供のジョーク!!子供のジョーク!!子供のジョーク)と自分に言い聞かせ心を落ち着かせた。

 アスカがキョウコより早く来た際に、食卓を見たアスカが「どっかのレストランの朝食みたい」と言ったのが今回のシンジの対応の原因だ。その言葉にシンジが悪乗りし、ウェイターのマネをしただけである。シンジやアスカからすれば、キョウコがこんな反応をするのは想定外だったと言える。その為、実子のアスカは遠慮なく笑い、予想外の反応にシンジは焦ったのである。

「折角シンジ君が作ってくれたのだから早く食べましょう。……時間も無いし」

「そうですね。遅刻してしまいます」

 その場の空気をはらう様にキョウコは食事を始めようとし、それにシンジが同意して頷いた。アスカだけは未だにクスクス笑っていたが……。

 しかし食事を始めると、キョウコは黙りこんでしまった。実際は感動で動けなくなっているだけなのだが、それが分からないシンジは「あの……美味しくありませんか?」等と聞いてしまうありさまである。キョウコは「美味しいわよ」と答えるので精いっぱいだったが、内心では(……3歳の子供に料理で負けた)と泣いていたりする。料理にもそこそこ自信があったキョウコにとって、3歳の子供に負けたのはショックだろう。

(特にこのオニオンスープが素晴らしいわ。簡単な物ほど本当に美味しく作るのは難しいのに……)

 まさにキョウコ撃沈である。しかしそんなキョウコを余所に……。

「まあまあね」

 等と感想をこぼすアスカ。しかしその頬は緩み切っているので、本当は如何思っているかはまる分かりである。しかし、それに気付かないシンジは……。

「本物のコンソメみたいに本格的な物じゃないし、コンソメの素を使ったのは良いとして時間が無かったから煮込み時間を妥協したから。まあ、こんなものか」

 等と怖ろしい事を口から漏らした。このオニオンスープは、かなり妥協した物らしい。妥協しなければどんだけ美味しい物を作れると言うのだろうか? まあ、この辺はLCLから吸収した知識なので、シンジの純粋な実力とは言えないのだが……。

 とりあえずキョウコは、自身の心の平穏の為にアスカを犠牲にする事にした。……決して、先程笑われた仕返しではない。と、本人だけは思っていたが。

「アスカちゃん。美味しかったら、美味しいって言ってあげないとダメよ」

「あ あたしは別に……」

 直ぐに反論しようとしたアスカだが、キョウコと目を合わせられず視線を泳がせ、シンジと目が合うと顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。如何すれば良いか分からないシンジは微笑みかけてみたが、アスカは顔を更に赤くして怒った表情を作ると「フンッ」と、そっぽを向いてしまった。

(我が娘ながら、反応が予想通り過ぎて……いや、これはこれで良いのか。可愛いし)

 キョウコがそんな事を考えていると、不意にキョウコとシンジと目が合った。するとシンジは真剣な表情になり、軽くキョウコに頭を下げ手から微笑んだ。キョウコも笑顔で応じたが、その顔は直ぐに真剣な物となった。

「シンジ君。私とアスカの方針は、私が弐号機に入る方向で決まったわ。私はユイが背負っている物から逃げ出すのは嫌だし、それを他人に押し付けるのはもっと嫌なの。子供達の……アスカの未来を繋ぐ為なら、私は命をかけるわ。でもアスカに重荷を背負わせたいわけじゃないの。だから、アスカがエヴァのパイロットになっても依り代候補にならない方法を考えるわ」

「不可能な場合は?」

 シンジが冷徹に聞き返す。アスカはキョウコが今後の方針の話を始めた時点で、下を向いて顔を上げようとはしなかった。

「私は惣流・キョウコ・ツェッペリンよ。必ずその方法を見つけるわ」

 出来ると信じ切った自信に満ち溢れた目だ。その目を見たシンジは、出会ったばかりのアスカを思い出した。

「分かりました。僕も協力します」

 気付いたらシンジはそう答えていた。殆ど条件反射と言っても良いだろう。(僕はかなりアスカに毒されてるな)等と思い自嘲気味に笑っていると、アスカの方から嫌な気配が漂って来た。シンジがアスカの方を見ると……怖い。ブツブツと“あたしのママに色目使って”とか“シンジのくせに シンジのくせに”とかヤンデレさん見たいなことを呟いてます。

(……見なかった事にしよう)

 シンジは現実逃避をする事にしたようだ。



 この日は何故か何時もより少し早い時間に、キョウコがアスカとシンジを迎えに来た。しかし、仕事を早く切り上げられたにしては、キョウコの顔色は良いとは言えなかった。それに何かを感じ取ったシンジとアスカは、無言で頷き合うとキョウコを引っ張って早々に帰宅する。

「ママ!! いったい何があったの!?」

 問い詰める様な勢いで、アスカがキョウコに話しかける。キョウコは多少逡巡しゅんじゅんした様だが、やがて意を決したように話し始めた。

「ドイツのエヴァ弐号機素体培養棟で、爆発事故が起きたみたいなの」

 苦々しい表情で語るキョウコに、シンジとアスカの表情が引き攣る。

「詳しい事はまだ分からないけど、その事故で多数の死傷者が出たみたい。その中には私の後輩も……」

「ママ。ママのノートパソコン借りるわよ」

 アスカはそう宣言すると、ノートパソコンと自分のPDAを接続し、ノートパソコンからネットワークに接続。ドイツのゲヒルン研究所に侵入を開始した。そしてノートパソコンのディスプレイに、次々に情報が流れていく。

「ドイツ研究所はかなり混乱しているみたいね。楽に侵入出来たわ」

 キョウコはノートパソコンのディスプレイを食い入るように見ている。そして……

「そんな!!」

「如何したんですか!?」「如何したの!?」

 突然大きな声を上げたキョウコに、シンジとアスカの問いが重なった。

「私が作った弐号機製造スケジュールが、大幅に短縮されている。……無茶よ!! こんなスケジュール。それに素体培養マニュアルも……、私が作った安全性を重視した物から変更されてる」

 データを見ながら漏れたキョウコの呟きに、シンジとアスカもドイツで何があったか大体把握出来た。キョウコが居ぬ間に実績を作ろうとした馬鹿共(研究員)が、無茶をして事故を起こしたのだ。

「アスカ。変更前後のスケジュールとマニュアルを抑えられる?」

「出来るけど如何して?」

 首を傾げるアスカだったが、シンジの目を見て直ぐに意図を把握したようだ。

「そうか!! あの馬鹿共が、この事故の原因をママに押し付ける可能性があるんだ」

 アスカの言葉に、キョウコの体がこわばる。

「そう言う事なら、取得したデータを内部告発に見せかけて他の研究所に送り付けるわ」

 アスカが手際良くノートパソコンを操作する。

「被害状況の方も出来るだけ調べるわ」

「お願い。アスカちゃん」

「分かってる」

 それっきり誰も喋らなくなり、部屋にはアスカがパソコンを操作する音だけが響いていた。






 全ての情報がそろった頃には、夕食の時間はとっくに過ぎていた。今更夕食の気分ではなかったが、何もお腹に入れないのは体に良くないので、シンジが朝の残りのオニオンスープからオニオングラタンスープをでっち上げ、後はいくつかのフルーツで済ませた。

「おそらく数日中に、キョウコさんはドイツに呼び戻されるね」

 シンジの問い掛けに、キョウコとアスカは眉間に皺を寄せ溜息を吐くことしかできなかった。



[33928] 第4話 再会の約束
Name: うにうに◆b1370127 ID:71ba60e9
Date: 2012/07/09 23:35
 アスカ達の今後の方針が決まったので、三人の話し合いは如何すればアスカの安全を確保出来るかに焦点が絞られた。やはり難しいのは、キョウコがエヴァに取り込まれた後の話だ。

「やっぱり最初は、ゲヒルンと関係を持たないのが一番だと思うの……」

「それって、エヴァのパイロットになるのを拒否すると言う事ですか?」

「少なくともドイツには、アスカちゃんを置いておけないわ。ゲヒルンが特務機関ネルフになれば、適格者として強制的に徴集されるだろうし。ゲヒルンやネルフに籍を置けば、強制的にドイツに連行されマインドコントロールされるのがオチよ」

「でもそれだと、そのままパイロットとしれ除外されるか、適格者を欲する人達に攫われる可能性もあるんじゃないの? 身の安全を考えれば、ゲヒルンに所属した方が安全だと思うけど……」

「体が無事でも、心を壊されたら意味がないだろ」

「……でも」

 と、こんな感じで話は全然進んでいない。この状況で唯一の救いは、アスカが行った事故の内部告発(偽)で、日本とドイツの間にキョウコの所属の取り合いが発生している事だ。おかげでドイツに帰る日程は、今の所は未定となっている。

「お腹が空いては良い案も出ないでしょう。夕食の準備をして来ます」

 シンジがそう言うと、アスカとキョウコは「お願いね~」と笑顔で送り出す。この二人は完全にシンジに餌付けされています。と言うか、家事の殆どがシンジ頼みになっています。それで良いのですか?キョウコさん。



 夕食後に話し合いが再開されるが……

「私がエヴァに取り込まれた時に、アスカちゃんがドイツに居るのは危険ね」

「あたしはママの接触実験の時、日本に居れば良いの?」

「そうね。ママの実家に居れば暫くは安全だわ。アスカのお婆ちゃんも健在だし」

「えっ? あたしママ以外に肉親居たの?」

 本気で驚くアスカに、額に手を当ててため息をつくキョウコ。本来ならキョウコの心が壊れた(中途半端にエヴァに取り込まれた)時点で、アスカは(接触実験失敗サンプルでなければキョウコも)祖母に連絡が行き引き取られるはずである。キョウコやアスカが疎まれているなら尚更だが、現実はそうはならなかった。祖母への連絡を意図的に止め、アスカをエヴァのパイロットにしたと言う事は、初めからキョウコが取り込まれる事を知っていた事になる。

 つまり“キョウコを人柱にする為にエヴァの接触実験を強行した”と言う事だ。キョウコの魂が引き裂かれ心が壊れた状態で戻って来たのは、ゼーレにとって僥倖と言えるだろう。特大のトラウマを植え付けれた事もあるが、アスカに心が壊れたキョウコを見せつけ心理的に追い詰め、マインド・コントロールを容易にしたからだ。

 こうなると、アスカをドイツに居させるのは絶対に駄目だ。そして、一般人としてガードも付けずに居させるのはもっと不味い事になる。この結論に達した3人は、更に状況が悪くなった事に頭を抱える羽目になる。

「ガードを付ける為に、アスカちゃんをネルフ本部所属にするとして……」

「何かアスカがドイツに行けない理由でもあれば……」

 キョウコとシンジの視線がアスカに集中するが、良い案が出ないアスカは頭を抱えるばかりである。そして暫く考え込んだキョウコが、新しい意見を出した。

「いっその事、ゲンドウさんをこちら側に引き込むと言うのはどう?」

「それは駄目です」

 その意見をシンジは即座に否定した。

「何故?」

 キョウコは思わず聞き返す。相応の理由が無ければ納得出来ない。

「僕も初めはそう思ってました。しかし母さんと話し合った時に言われたんです」

 シンジはいったんそこで話を切り、心を落ち着かせるように深呼吸すると話し始めた。

「父さんは仲間に引き込むには、野心家すぎると母さんは言ってました。今回行われた母さんの接触実験も、原因は父さんに有ると母さんは言ってました。母さん自らが被検体になる事で、父さんが安易に実験を強行しないようにしたそうです。もちろん母さんが被検体になったのは、それだけが理由ではありません。しかし、ストッパーとなる人間が居ない場合は、父さんを仲間に入れるのは避けなさいと言われています」

 自らの野心で妻を失ったゲンドウは罪悪感から行動を開始し、その罪悪感はやがて狂気へと変わって行く。大切な者を無くす悲しみは分かるが、それで狂気に囚われるのは無くした者への冒涜だとシンジは考える。

「冬月先生は?」

「駄目です。冬月副司令は正義感は強いですが、それ以上に誘惑に弱いのです。父さんのストッパーとしては、残念ながら全くの役立たずです」

 バッサリと切って捨てるシンジに、キョウコは何も言う事が出来なかった。冬月はネルフ副司令として、ゲンドウの計画に加担していた。残念ながら弁護の余地は無い。

「でも、アスカちゃんの安全を確保するなら、ネルフに所属した上で派閥を利用するしかないわ」

 キョウコの発言に、少し考えてからシンジも頷いた。

「と言っても、アスカを依り代にする旨みが無い派閥は存在しないです。そう言った意味では父さんの派閥が一番マシです。依り代としてのアスカは邪魔でしかありませから。それでもゼーレの信用を得る為の生贄にされますね」

「……イケニエ」

 アスカが暗い顔で呟いたが、キョウコとシンジには何も言えなかった。代わりに如何すれば暗い未来を回避できるか、必死に頭の回転率を上げる。そこでシンジはもう一つの可能性を思いついた。

「むしろ利用するのは、エヴァのシンクロシステムかな?」

「如何言う事?」「何か良い案でも思いついた?」

 アスカとキョウコが、シンジの言葉に期待を膨らませる。

「ドイツに関わるとシンクロ出来ないとか?」

 アスカとキョウコの目が、「なに言ってんだコイツ」と言っている。

「まあ、要するにアスカにドイツアレルギーになってもらって、ドイツと聞くだけでシンクロ率がゼロになるとか……」

 シンジが言いたい事がなんとなく分かったのか、キョウコは考え込んでしまった。アスカも難しい顔をしている。

「そうするには、あたしがドイツを徹底的に嫌いになる事件が必要ね」

「……それなら何とかなるかもしれない」

 アスカの呟きに、キョウコが答える。

「私が接触実験を強要される映像を、全支部に公開するの。私が必死に説得すれば、あちらは今回もアスカを害すると脅迫して来るはずよ。そしてその映像をアスカが見た形にするの。アスカがドイツは……いえ、“ドイツ支部はママのかたき”って考えていると思わせるの」

 キョウコの言に、シンジは頷き……

「チルドレンになる条件に、“ドイツの研究者との接触が無い事”と“ドイツへの出向が無い事”を盛り込む訳ですね。日本からの出国も拒む方向で、話を持って行った方が良さそうですね」

「更に言えば、シンクロテストでドイツに関わらせる気配がしただけで、シンクロ率をガタ落ちにするのよ。……アスカ。出来る?」

「出来るわ。それに精神的に弱い所を見せておけば、依り代候補として改めてマインド・コントロールが必要と思われないかもしれないし」

 アスカの答えに、キョウコは満足そうに頷き「ドイツ研究所の信用を失墜させて、面子も徹底的に潰して……」と、とっても良い笑顔で計画を立て始めました。……怖い。とりあえずキョウコさんの事は置いておいて。

「ドイツ研究所を叩き潰して、弐号機を使徒戦争開戦前に本部へ運びこめれば……」

「いえ、多分それは無理よ。ゼーレはゲンドウさんを警戒しているのでしょう。ならば、ドイツ研究所を潰しても日本以外の研究所。……おそらくアメリカに運び込まれるわ」

 キョウコの言葉に、シンジとアスカは納得したように頷く。

「ゲンドウさんも仲間ではなく、協力者として利用するなら問題無いでしょう。アスカやシンジ君から聞いた未来の知識から、研究論文を書いて私が弐号機に入ったと同時に日本から発表してもらうわ。ドイツ研究所で全て却下された様に偽装してね」

 容赦無しだ。そんな事をすればドイツ研究所の所長は、研究データの隠匿でゼーレからも裏切り者として見られる。ドイツ研究所に打撃を与えた上に自分達の立場も良くなるので、ゲンドウも断る理由は無いだろう。ドイツ研究所の評価低下は、被害者のアスカの立場を相対的に良くする。今回アスカは、扱いが難しいピーキーなパイロットとして評価が低くなるので、それは歓迎するべき事だ。

「後はアスカの実力を見せつければ良い」

 シンジがそう言うと、アスカとキョウコが頷いた。アスカはゲンドウにとって、優秀な戦いのコマとなれば良いのだ。……手放すのが惜しいと思えるほどに。そうすればアスカの安全は、向こうから転がりこんで来る。

「よし。それで行きましょう」

 アスカの安全を確保する目処が立ったので、アスカとキョウコも嬉しそうだ。後は問題点の洗い出しと、その解決法を話し合い煮詰めるだけだ。三人は時間が許す限り話し合った。



 それから数日が経ち、シンジとアスカはキョウコが借りた部屋で、これから生き残る為に自己の強化をする訓練をしていた。時間が惜しいので、託児所へは行っていない。

 訓練と言っても、運動するわけでも勉強をする訳でもない。知識はLCLの海から取得した物で当面は十分なので、効率良く肉体を鍛える為の物だ。しかしシンジとアスカは、お互いに目を閉じて手を突き出し掌を合わせているだけで何もしていない。

「アスカ。ATフィールドは感じ取れた?」

「……うん。なんとなくだけど」

 アスカは肯定したが、煮え切らない返答だった。

「じゃあ、ATフィールドの波長を変えて行くから読み取ってみて」

 シンジはそう言うと、精神を集中させた。

「えっと……悲しんでる? 喜んでる。お 怒ってる。楽しい? ひっ!!」

 突然怯えた様にアスカがシンジから離れた。

「うん。完璧みたいだね。悲しい。喜び。怒り。楽しい。の喜怒哀楽。そして最後が殺意……殺気だよ」

 答えたシンジに対して、アスカは恨みがましい目でシンジを見る。

「ごめん。殺気は戦闘において重要なファクターだから、試さない訳には行かなかったんだ」

 シンジの説明にアスカは口をへの字にするが、理解はしているようだ。納得しているかどうかは別だが……。

「詳しく説明すると、人間を形作っているのはLCLとATフィールドなのはアスカも分かっていると思う」

 アスカが「LCLの海に一度解けたからね」と頷く。

「ATフィールドの出力は一定ではないんだ。そして、どんなに悪い状態になっても人間がいきなりLCLになってしまう事は無い。これは人間がATフィールドの出力に余裕を持たせているからなんだ。ATフィールドは心の力なのに、心が壊れて完璧な廃人になっても……死んでさえLCLにならない事から、その余力は相当な物だと分かると思う。適当な数値を例にすると、人間のATフィールド出力を10とし変動限界値を5とすれば5~15に変動する。仮に肉体の維持に必要な出力を2~3とすれば、普通に考えて7~8の余裕がある。その余剰ATフィールドは体外に放射されるんだ。それがさっきアスカが感じた物の正体だよ」

 アスカはシンジの説明を噛み砕き、理解すると頷いた。

「さっき僕が体外に放射されるATフィールドを調整して、アスカに感情を感じさせたのは分かる?」

「うん。でもそれって、私達も生身でATフィールドを張れるってこと?」

 アスカの質問にシンジは首を横に振った。

「10cm四方のATフィールドを張るのに、さっきの出力例で言うと、20は必要になると考えた方が良い。体がLCL化して死ぬのを覚悟すれば、銃弾一発位ならはじき返せるかもね」

「それじゃあ、ATフィールドを操作しても意味無いじゃない」

 今度もシンジは首を横に振った。

「放射されるATフィールドに敏感になれば、気配の察知や相手の感情を読み取るのに使えるよ。視線なんかも感じ取れる。俗に言う第六感って言う奴だけど。逆に意識的にATフィールドの放射を防げば、気配を消す事が出来るし相手に感情を読まれないように出来る」

 アスカは納得して頷くが、シンジの話はこれでは終わらない。

「体を維持しているのもATフィールドだ。これを調整すれば、ある程度体の形を変える事が出来る。それには集中力が必要で、体を変化させながらの戦闘は不可能だと思うし、腕を増やしたりと言った体の型を大きく変える事も出来ないと思う」

「意味無いじゃない!!」

「そんなこと無いよ。小さな傷なら瞬時に治せるし、大きな怪我もかなり早く回復できる。(マナの内臓も回復出来る)それに、体内のATフィールドを調整すれば、体の成長を誘導できる。……アスカなら知ってると思うけど、人間の筋肉には白い速筋・赤い遅筋・ピンクの中間筋があるんだ。体内のATフィールドに干渉すれば、この筋肉の比率を調整して成長する事が可能なんだ。中間筋の比率を高くして行けば、持久力と瞬発力を同時に手に入れられる。……それにこんな事も出来る」

 そう言うとシンジは、アスカの手を取って自分の胸に押し付けた。アスカが「な なにするのよ」と真っ赤になって騒いでいるが、シンジは綺麗に無視した。

「僕の心臓の鼓動が分かる?」

 アスカは「うぅ~~~~」と、真っ赤になって唸りながらも頷いた。

 トクン トクン トクン ・・・ トクン トクン

「あれ?」

「心臓を鼓動一回分だけ止めたんだ」

「そんな危険なことしないでよ!!」

「ごめん。これが一番分かりやすいと思って」

 怒ったアスカがシンジを威嚇するが、シンジは一度謝っただけですぐに説明に戻ろうとする。

「許さない。今晩のおかずハンバーグにして」

「……分かったよ」

「良し。なら許す」

 アスカが満面の笑みを浮かべるが、シンジは内心でため息を吐きながら説明を続ける。

「まあ、訓練を積めば生理現象も調整出来るって事だよ。そしてそれは任意に、人間のリミッターを解除する事が出来ると言う事だ」

 シンジが説明している事は、何気に凄い事なのだがアスカにはもっと重要な事実があった。

(それって生理が来ない様に調整が出来るってことじゃない。毎月来る悪夢を回避できるなんて最高♪ シンジとする時の避妊具も必要無いから、その分のお金浮くし。逆に赤ちゃんが欲しければ、高確率で作れるはずだし。それに成長を調整できるなら、腰回りに付くはずの肉を胸に付けたり……)

 何気に凄い事を考えているのだが、本人が自覚していないので良しとしておこう。と言うか、自覚したら絶対に暴れる。

「アスカ。聞いてるの?」

「聞いてる♪聞いてる♪」

 シンジは疑いの目を向けるが、これ以上問い詰める気は無い様だ。と言うか、物凄く良くなったアスカの機嫌をわざわざ損ねる必要は無い。

「さっきの説明でも分かると思うけど、僕達にはかなりのアドバンテージがある。だけどこれは、超一流と言われている人間が無意識にやって居る事なんだ。決して過信出来る事じゃないと覚えておいて欲しい。それに訓練をしなくて良い訳じゃないし、成長を調整するなら食事にも気を使わないと効果が出ないからね。好き嫌いは駄目だよ」

 アスカが「うへぇ~」と、嫌そうな顔をする。

「先ずは、放射されるATフィールドの調整からやってみよう」

「分かったわ」

 二人はもう一度掌を合わせ、目を閉じ集中する。最低でも基本さえ覚えておけば、ドイツに帰る事になっても訓練を続けられるし応用の研究も出来る。キョウコの処遇が如何なるか分からない現状では、急いで基本を覚えた方が良いだろう。

 この訓練は当初、エヴァ搭乗時のATフィールドを操る感覚を忘れないようにするのが目的だった。しかし、直ぐにユイが幅広い可能性に気付き、シンジとユイが研究を重ねた結果これほどの応用性を持つに至ったのだ。

「母さんの魂は、何処へ行ってしまったんだろう?」

 ユイを思い出したシンジは、ついそんな事を呟く。

「ほら。シンジ。訓練を続けるわよ」

 そんなシンジに、アスカは訓練の続きを促す事しか出来なかった。



 それから2週間が過ぎ、とうとうキョウコが如何なるかが決定した。足の引っ張り合いに業を煮やしたゼーレが介入して来たのだ。こうなるとゲンドウもゼーレの意向には逆らえず、キョウコはドイツに帰還する事になった。

「出発は3日後に決定したわ」

 キョウコが説明を始めてから、アスカはずっと脹れっ面だ。分かっていた事とは言え、面白くない物は面白くないのだ。

「アスカちゃんの訓練は如何なの?」

 内心でキョウコは、アスカの訓練が羨ましいと考えていた。キョウコが訓練の概要を聞いた時に真っ先に思いついたのが、テロメアへの干渉だった。LCLの補給か代替物が有れば、不老が実現出来るかもしれない。全てが終わり弐号機から出たら、真っ先にこの研究をしようと心に決めていた。

 アスカがそっぽを向いたままなので、シンジが代わりに口を開いた。

「流石にアスカは僕と違って覚えが良いですよ。基本はもう覚えました。後は自主訓練だけで何とかなります」

 シンジが言いきると、キョウコは頷く。

「ありがとう。それとこれは、私からシンジ君へのプレゼントよ」

 そう言ってキョウコがシンジに渡したのは、アスカと同じ型のPDAだった。

「良いのですか?」

 シンジが思わずそう聞くと、キョウコは笑顔で頷いた。ここで遠慮するのも失礼だろう。

「ありがとうございます」

 これで何年かはアスカと連絡が取れる。しかしどんなに大事に使っても、PDAには寿命がある。運が良ければ再会するまで持つだろうが、シンジのこれからの環境を考えれば、買い換える事は出来ない可能性が高い。当然キョウコもそれは理解している。せめてPDAが使える間だけでも、二人の接点を作っておきたいと言うキョウコの気遣いだ。

「明後日のディナーは、特別豪勢に行きましょう。父さんから預かったお金もだいぶ残ってますし」

 俗に言うお別れパーティーと言う奴だ。しかしシンジは、意図的に“お別れ”と言う言葉を使わなかった。これからの事を考えると、その言葉を安易に使いたくなかったからだ。ちなみにそっぽを向いていたアスカは、チラチラとこちらを覗き込んでいる。おそらくメニューにリクエストがあるが、この状況では言い出し辛いのだろう。

「お料理期待しているわよ」

「はい。本物のコンソメスープをごちそうしますよ」

 笑顔で答えるシンジだが、アスカをこれ以上放置するとへそを曲げられそうだ。

「アスカもメニューのリクエストがあれば早めに言ってよ」

「分かったわ」

 アスカはそう返事して、またそっぽを向いてしまった。



 次の日、シンジはパーティーの準備を始めたので、アスカの訓練にずっと付いている事が出来なかった。

 アスカ自身も仕込に手間と時間が掛かる料理をリクエストしてしまったので、その事で文句は言えないのだが、あと少ししか時間が無いのだからそばに居て欲しいと言う思いがあった。

「ねぇ。シンジ。ここなんだけど……」

「うん。そこは……」

「シンジ。ATフィールドに対する考察なんだけど……」

「ここの考察は……」

「ATフィールドのイメージは……」

「イメージは自分に合う物が一番だと思う。ちなみに、僕の場合は……」

「ATフィールドなんだけど、壁を作り出す物・体外に放射される物・体を維持用する物と種類が……」

「そうだね。紛らわしいから別個で名前を付けようか。具体的には……」

 …………

 ……

 と言った具合に、事あるごとにシンジに聞きに来るのだ。構って欲しいのがまる分かりである。

 シンジも流石に今回はアスカの気持ちに気付き優しく対応していたが、アスカの方は聞きに行くネタが無くなり困り果ててしまった。

「うぅ~。何か無いかな」

 ATフィールドの力は、体の内から発生する力である。アスカは自分の体内に探索の手を伸ばし、何か不明な点が無いか探し始める。

「あれ?」

 その時アスカは、自分の中に違和感の様な物があるのに気付いた。気になったアスカが深く深く探ってみると、そこには自分では無い誰かが居るのだ。

 それに気付いたアスカが感じたのは、強い恐怖だった。考えてみて欲しい。セキュリティが万全だと思っていた自分の部屋に、気付いたら正体不明の人間が居た様な物だ。いや、それよりももっと酷い。相手は自分の内に居る為、逃げる事が絶対に出来ない状況なのだ。これで怖がるなと言う方が無理だろう。

「し シンジ!! シンジ!! 助けてシンジ!!」

「如何したの!? アスカ!!」

 パニックを起こしたアスカは、シンジに泣きついた。シンジもアスカの尋常じゃない様子に驚く。

「シンジ。あたし……あたし、怖い。怖いよシンジ」

 シンジはアスカを落ち着かせようと、強く抱きしめ頭を撫でてやる。

「大丈夫。大丈夫だから落ち着いて」



 どれ位そうしていただろう。ようやくアスカが落ち着きを取り戻した。

「アスカ。何があったの?」

 何時までもそうして居られないので、シンジから切り出した。

「あたしの  あたしの中に、知らない人が居るの……」

 アスカが喋った言葉に、シンジは戦慄した。真っ先に思い浮かんだ可能性が使徒だったからだ。微生物状の使徒や粘菌状の使徒も居たのだ。そう言った使徒が、人間を乗っ取ろうとしたら如何なるだろう。もしかしたら、渚カヲルはそれに最も近い使徒だったのかもしれない。そう思い至った瞬間、親友カヲルを握りつぶした感覚が蘇った。

「くっ……。とにかく、アスカの中に居る奴の正体を確かめよう。(もし使徒なら、アスカの中から僕の中に移す。……絶対にだ)」

 恐怖に怯えたアスカは、シンジの悲壮な覚悟に気付く事無く頷いた。そして二人は、抱き合った姿勢のままでアスカの中に居るモノを探り始める。

(イロウルか? バルディエルか? それともダブリスか? 別の何かか? ……中に居るのは何だ)

 アスカの中を探り始めたシンジは、直ぐにそれを見つける事が出来た。もう一度心を落ち着かせ、その正体を慎重に探る。

(嫌な感じはしないな。むしろ温かい感じがする。それに、どこか懐かしい……)

 そしてシンジはその正体に至った。それと同時にアスカの中に居た者を、シンジは自身の中に取り込んだ。

「っ!! な 何してるのよ!!」

 あわてたのはアスカだ。アスカも自身の中に居た者の正体に、使徒と言う候補を上げていた。もしアスカの中に居た者が使徒なら、シンジが如何なるかなど想像もしたくない。

「大丈夫だよ。アスカ」

 シンジが微笑むが……

「大丈夫な訳無いでしょう!!」

 アスカはシンジの襟を掴み、思いっきりにシェイクする。事実確認だけに止めたとは言え、追体験で知った渚カヲルの事が頭をよぎりアスカの目から涙が零れていた。もしそうなら、アスカは自身の手でシンジを……。そんな思いが、アスカから冷静さを奪っていた。

「なんで……なんで、そんなことするのよ!!」

「あ ア あす アスカ おち おちつ いて……」

 この日、キョウコの部屋にシンジの悲鳴とアスカの盛大な泣き声がずっと響いていた。



 アスカが大泣きしてから、2回夜が明けた。

 今日はキョウコとアスカがドイツへ帰る日だ。

 見送りはゲンドウ達の都合で、キョウコが借りた部屋の前となった。見送りメンバーは、ゲンドウ、冬月、赤木ナオコ他2人の同僚含めた5人に、シンジを加えた6人だ。

「キョウコくん。本当に世話になったね」

「ユイの為にありがとう」

「あなたが帰ってしまうのは残念だわ」

「お世話になりました。今度は出向ではなく、日本に異動になりたいですね」

 大人達は和やかに別れの挨拶をしている。これから2人は、タクシーで空港へ行きドイツ行きの飛行機に乗る事になる。

「アスカ。またね」

「うん。またね」

 シンジとアスカの別れの挨拶は、この“またね”と言う言葉に全ての思いが凝縮されていた。

 アスカ達がタクシーに乗り込み、動き出したタクシーをじっと見つめるシンジ。やがて角を曲がり見えなくなっても、タクシーが消えた角を見詰めたままだった。

「そろそろ行くぞ。シンジ」

「うん」

 ゲンドウに促されて、シンジは歩き始めた。






 ……また会おうね。アスカ。



[33928] 第5話 セカンド・チルドレン誕生
Name: うにうに◆b1370127 ID:71ba60e9
Date: 2012/07/08 23:28
 ドイツへ帰る飛行機の中で、アスカは頭を悩ませていた。と言っても、悩んでる内容はシンジの事ではない。

 サード・インパクトを防ぐ確率を上げる方法についてだ。そして、例の訓練は努力した分は確実に自分に帰って来る。

(そうよ。あたしの力が強くなればなるほど、勝率が上がるのよ。[注 建前] それに、綺麗になればなるほどシンジが……[注 本音])

 思考に余計なノイズが入ったが、ドイツに帰ったら託児所には行かず訓練とキョウコの手伝いに専念する事にした。

 精神年齢的に辛い(前回のアスカ分14歳+シンジの追体験分14歳で28歳である。ある意味、使徒戦時のミサトと同年代と言って良い)のもあるが、何より辛いのは、クォーターであるアスカに対する蔑視の風潮だった。

 託児所には多くの子供が居るが、その親達の中には半ネオナチの純血主義者や白人至上主義者が少なからず居るのだ。そんな親達に影響された子供は、アスカに嫌悪感を抱くのは当然の流れと言って良かった。前回のアスカは、こう言った者達を腕っ節で黙らせていた。少しやり過ぎてキョウコに迷惑をかけた事もあったが、今回はそれでは済まない可能性がある。今のアスカは軍隊格闘術を身につけている上に、例の訓練により筋力が劇的に上がって行くのだ。ただの子供相手に加減を間違えれば、怪我では済まない可能性がある。

(ただでさえ嫌な思いをするのに、気を使わなければいけないなんて冗談じゃない)

 しかしアスカは、この事をキョウコに言うのに抵抗があった。いくら言葉で取り繕っても、キョウコに「あたし託児所で孤立して居るから行かない」とは言えなかったのだ。単純に心配をかけたくなかったのもあるが、それを口にするのは、弱音を吐くようでアスカのプライドが許さなかった。

(それじゃぁ、あたしが可哀想なみたいじゃない!! 何か言い訳考えないと……)

 アスカは帰りの飛行機で、そんな事ばかり考えていた。



 帰宅後の片づけがあらかた終わり、紅茶を飲み一服している時にアスカは切り出した。

「ママ。お話があるの」

「何? アスカちゃん」

「あたし。託児所に行かずに、シンジに教えてもらった訓練に集中したいの。サード・インパクトを防ぐには、それが一番だと思うの」

 キョウコはカップをソーサーに置くと、アスカの顔を真剣な表情で見つめた。

「自衛の為に訓練をしたいの。……それに、3~4歳位の子供に混じるのは辛いわ」

 キョウコの返答が無いので、アスカは更に言葉を付け加えた。しかしキョウコは、黙ってアスカを見つめたままだ。

「あたし。託児所の……」

「良いわよ」

 次の言葉を言いきる前にキョウコは許可を出した。アスカは喜んでいるが、キョウコは一度大きなため息を吐く。

(アスカのプライドと羞恥心では、羞恥心に軍配が上がったか。シンジ君も苦労するわ)

 例の訓練の話を聞いたキョウコにとって、今回アスカが言い出した内容は十分に予想出来る事だった。と言うか、嬉しそうにシンジの名前を口にしながら、例の訓練が美容と体型に及ぼす影響を話題にしていれば、ばれるのは当たり前である。

 そこでキョウコはアスカの優先順位を知る為に、すぐに許可を出さずに沈黙を守った。そしてアスカはキョウコの狙い通り、自分にとって如何でも良い物から心情を晒した。

 アスカが人に知られても良いと思っている順番は、サード・インパクトを防ぐと言う建前。己の安全を確保すると言う建前。年齢差によるストレスと言う本音。キョウコに孤立して居る事を秘密にし、心労増加を防ぐやせ我慢プライド(バレバレだが、本人は隠しているつもり)。そしてシンジへの思い(羞恥心)の五つだ。

(……なら、私が矯正すれば良いか。シンジ君はお婿さんに欲しいし)

 キョウコが出した結論は、今後アスカにとんでもない苦労を強いる事になる。

「とりあえず今年の高等学校卒業程度認定試験に合格してもらうわ」

「え?」

「大学は出ておかないとね~♪ 私がエヴァに入る前に……」

 何でそうなるのだろう? と言うか、アスカの年齢的に良いのか?

 不思議そうにして居るアスカにキョウコが続ける。

「シンジ君にとって、前回のアスカちゃんが基準よ。何か一つでも劣っている事があったら、シンジ君ガッカリするんじゃないかな?」

「!!」

 この言葉だけで、アスカは完全にキョウコの術中にはまってしまった。掌の上である。

「それに、家事が出来ない娘と家事が出来る娘。シンジ君はどっちが好みかな~♪」

 反論できないアスカに、キョウコは続ける。

「シンジ君って、愛情に飢えているみたいに感じるのよね。ちょっと優しくされたらコロッて行っちゃうタイプね」

 アスカにとっては身に覚えがあり過ぎる話だ。

「それに、ストレートに好意を示すタイプに弱いんじゃないかしら。あなたの為にお弁当作って来たの……みたいな」

 アスカの頭の中に浮かんだのは、霧島マナが高笑いしながらシンジを攫って行くイメージ映像だった。そこに何時の間にかレイも加わっている。ちなみに、シンジがアスカに助けを求めるように手を伸ばしているのは、アスカの脳内の仕様である。

「ユイさんに似て顔立ちも整ってるし、きっとモテル男に……」

(性格が明るくなったけで絶対にもてるのに、更に優れた頭脳と高い運動能力も追加されたら……。霧島マナやファーストだけでも頭が痛いのに、これ以上余計なのが増えるなんて嫌よ!!)

 頭を抱えるアスカに「如何するのかな?」と、とっても良い笑顔のキョウコさん。

「……家事を教えてください」

 そう答えたアスカは、泣きべそをかいていた事をここに付け加えておく。やりすぎですキョウコさん。

(素直になれるように調教……もとい、頑張って教育しなきゃね♪)

 ……アスカが母親に敗北した瞬間だった。

 後日「地味な格好をして絶対にもてない様にしろ。頭の良さと運動能力も隠せ。一回告白されるたびに一発殴る」と言う内容のメールがシンジに届いたのは余談である。



 次の日の夕食は、キョウコとアスカの合作となった。

 アスカは前回も含めて、まともな料理は片手で足りるほどしか作った事は無い。しかし、包丁捌き・味付け・盛り付け・テーブルメイキングと手慣れていて、とても初心者とは思えない。

 何故このような事が出来るのだろう?

 原因はアスカがシンジの人生を追体験した事だ。前回のシンジの経験は、アスカの中にしっかりと根付いている。

「前回アスカちゃんも家事しっかりしてたみたいね。掃除・洗濯・料理と全部人並み以上に出来るなんてすごいわ。私が教える必要なんて無いじゃない」

 キョウコは上機嫌だが、アスカは笑うに笑えなかった。この家事技術は、アスカが命令してシンジに覚えさせた物だからだ。

「冷めないうちに食べましょうか」

「うん」

 流石に親子だけあって、アスカとキョウコの味覚は似ていた。キョウコは「美味しい。それに、私好みの味だわ」と満足そうに料理を口に運んでいる。アスカがシンジに好みの味を覚えさせたのだから当然だ。しかしこれはアスカ好みの味であって、決してシンジが好んだ味ではない。

(そっか。あたし、シンジの好きな味も知らないのか)

 その事実に気付いた途端。先程まであんなに美味しく感じた料理が、味気ない物に変わってしまった。

「料理の腕はシンジにかなわないし、この味はあたしが好きな味であって、シンジが好きな味じゃない」

 愚痴の様な物がアスカから漏れた。

「なら、料理の腕を磨きなさい。食べる時のシンジ君の顔を見ていれば、味の好みなんて(愛があれば)すぐに分かるわ。料理の本や栄養学の本を、今度買ってきてあげるから」

「うん」

 キョウコの慰めにアスカは素直に頷いた。しかしこの時キョウコが(これで楽が出来るわ♪)等と考えていたのは秘密である。



 この後アスカは、家事・訓練・キョウコの手伝い・勉強にと、大変な日々を送る事になる。アスカの年齢を考えれば、台所に立つにも背が足りないし、洗濯物を干すのも一苦労……と言うか危ない。(何度かベランダから落ちそうになった。キョウコが止めても意地になったアスカは聞かない)

 確かに苦労も多いが、前回と比べ“忙しくも充実した日々だ”とアスカは断言出来た。

 一方でエヴァ弐号機の開発は、4か月ほど完全にストップしてしまった。馬鹿共が責任逃れが原因だ。内部告発(偽)で資料が出回っているので、いくら隠蔽しても無駄なのだが、それでも事故原因を不明とし喰らい下がったのだ。その所為で4ヶ月間は、エヴァ弐号機素体培養棟の移転や再建の検討すら出来なかった。業を煮やしたゼーレが介入して来なければ、開発遅延が何処まで行ったか想像も出来ない。

 今回の事故で馬鹿共の発言力が一気に低下し、ある程度キョウコの主動で作業を進められるようになったのは皮肉な話だ。この状況でキョウコは、アスカに弐号機の素体性能のアップと接触実験の時期を2~3年遅らせると約束した。

 こうなるとキョウコに暇などあるはずもなく、帰りがどんどん遅くなって行った。アスカは家事や仕事の手伝いだけでなく、共同でゲンドウ経由で発表する論文や研究書を書いたり、たまに取れた休日に一緒に出かけ気分転換させる等、アスカなりにキョウコを支えた。

 キョウコの重要性を認識したゼーレに護衛をつけられた事を除けば、割りと楽しい日々を送っている。護衛自体は逆恨みによる襲撃を防ぐ為の物なので、歓迎すべき事なのだが鬱陶しい事に変わりは無い。

 しかしキョウコの立場向上は、今まで蔑視の視線を向けて来る者達が手の平を返しへりくだって来る状況も作った。

「アスカちゃん」

 アスカの買い物の途中で、突然声をかけられ振り向くと……

「誰?」

 全く知らない人から声をかけられるのだ。

「僕は君のお母さんの同僚で……」

 アスカを通じて、キョウコに取り居る気満々である。そんな奴に付き合う必要は無い。

「ごめんなさい。ママから知らない人に話しかけられても、応じちゃダメって言われてるので……」

「あっ 待って……」

 こんなやり取りを、うんざりするほど繰り返す羽目になった。

 キョウコはこの手の男を絶対に相手にしない。その理由はキョウコの元夫の話になる。

 彼の目的はキョウコの頭脳と技術力(特許)を手に入れるの事だった。キョウコがドイツに来たばかりの頃は、理不尽な差別に晒され弱り切っていた。そこに優しく接して来たのが彼だった。「騙されたと気付いてからの夫婦生活は地獄だった」と、キョウコは語った。

 離婚を申し出れば、条件に「技術や特許(離婚後の収入の一部)を寄越せ」と言って来たのだ。しかしキョウコが裁判を起こしても、周りに味方が居ないので勝てない。この状況で最悪なのは、逆に訴えられ慰謝料を請求される事だが、向こうも世間体を気にして裁判にはならなかった。

 絶対的優位性を確保した元夫は、終いには浮気相手と子供を作り認知した。子供を欲して居たキョウコにとって、これは耐えがたい屈辱だった。そこに、親友のユイが懐妊したという知らせが来た。年下の親友に先を越された事で焦りの様な物が生じるが、夫との間に子供を作るなんて冗談じゃない。そう考えたキョウコは、精子バンクから精子を買いアスカを身ごもった。

 しかし何が幸いするか分からないものである。アスカの存在が世間体に与える影響を恐れた元夫が、無条件で離婚を承諾したのだ。

 キョウコの話を思い出し、アスカは怒りが再燃する。

(なんでドイツには、こんな男しか居ないのよ!!)

 アスカがそう思うのも当然だろう。

 大抵の人間は今の様に無視すれば良いし、しつこくからんで来る奴は護衛が追い払ってくれる。しかしアスカ達には、強行手段に出る人間がいつ出て来るか分からない不安があった。

 特に4歳で高等学校卒業程度認定試験に合格し、5歳でトップレベルの大学に合格した後はこの状況に拍車がかかった。

 アスカの存在をマスコミが嗅ぎ付け、取材を申し込んで来たのだ。アスカが有名になれば、キョウコの同僚の様なにわかではなく、真性のネオナチ純血主義者や白人至上主義者に目を付けられる事になりかねない。

 キョウコが丁重に断り、アスカの年齢を理由に記事にしない様に要請したが、それでも暴走する馬鹿の所為でアスカの存在はドイツで有名になってしまった。

 誘拐されそうになったのも一度や二度では無い。もし護衛が居なかったらと思うとゾッとする。

 色々とトラブルの種になるアスカだが、アスカの頭脳は(企業や研究所では)非常に魅力的なのは確かだ。あの訓練の恩恵で身体能力も劇的に成長し、元から良い容姿もアスカの理想に影響され更に磨きがかかっている。頭脳明晰・容姿端麗・スポーツ万能・家事万能・太陽のような性格と5拍子揃っていれば、アスカの魅力に気付く男が出て来るのも無理は無い。アスカは相手にしなかったが、7歳になる頃にはそんな男がかなり増えていた。

 企業家にはアスカと同じ年頃の子供を紹介しようとする者も出て来る。2~3回しか話した事が無い(自称)親友や、家が割と近く何度か挨拶を交わしただけの(自称)幼馴染が大量に出て来たのは有名税だろう。しかし……

「子供大学生の惣流・アスカ・ラングレーって、俺に気があるんだぜ」

「マジかよ」

「マジ マジ。俺が飯食ってる時に、他が空いてるのにわざわざ俺と相席するんだぜ」

 ……ビキィ

(私が食堂で食べる時は、10人用の丸テーブルで食べていたから相席もしたでしょうよ。いつもあたしの他に、5~6人いたから……)

 アスカは弁当を作らなかった時は、食堂に出入りする様になっていた。栄養バランスの事もあるが、シンジの金銭感覚に影響された事が主な原因だ。

 相手の顔を確認し、記憶の糸をたどると……。

(確かに相席をした事があったわね。あたしが覚えている限りで2~3回)

「で、付き合ってやるのか?」

「俺はロリコンじゃねーよ」

 ……ビキッビキィ!!

「ははははっ。そりゃそうだ。あんな生意気なガキじゃ誰も相手しねーよ」

 ……プツン!!(これは無いわ)

 男3人で話しているが、誰もアスカに聞かれている事に気付いていない。ただでさえ(自称)恋人が湧くようになって、イライラして居たのにこれだ。アスカがキレたのも仕方が無いだろう。

 後日。人目が無い場所に1人ずつ呼び出し、顔を見られない様に不意打ちで気絶させる。そして顔に油性ペンで落書きし放置した。アスカの名前を最初に出した馬鹿は、両肩脱臼のおまけ付きである。当然証拠は残さない。ついでに財布から慰謝料も徴集する。……鬼だ。

 それからアスカは「あたし日本にステディなフィアンセが居るの」と、触れ回る様になった。

(あたしの恋人は、シンジだけだっつーの!!)

 一番上がって欲しくない攻撃力が、格段に上がって居るアスカだった。シンジ君の命が危ぶまれる。

 シンジへ送るメールは、一週間ほど愚痴の文章で埋め尽くされる事になった。



 大学に入学してもう直ぐ2年が経とうとしているこの日、とうとうキョウコが話題を切り出して来た。

「アスカちゃん。大学の方は如何なってる?」

「卒業に必要な単位は確保済みよ。卒論も教授に預けてあるから、もう日本に行っても卒業出来るわ」

 キョウコは満足そうに頷くと、飛行機のチケットを取り出した。

「1週間後の日本行きのチケットよ。お婆ちゃんには話してあるし、万が一の時はゲンドウさんに後見人になってもらう様に話はしてあるわ……」

 それから連絡方法や荷物等、細かい事で見落としが無いか確認して行く。

「……後は何か確認する事はあったかしら?」

 アスカは黙って首を横に振る。そして、そのままキョウコに抱きついた。

「アスカちゃん。行って来るわ」

「うん。あたしが迎えに行くから待っててね」

「ええ。待ってるわ」

 キョウコはアスカに笑顔で答えた。



 アスカは日本に渡り、キョウコの母であるサクヤの元に身を寄せた。

 義務教育なので小学校には1回だけ顔を出したが、煩わしすぎてアスカは初日でもう行かないと決めた。クラスのリーダー格に「俺の女にしてやるよー」と言われた時は、良く手が出なかった物だ。

 サクヤは足が弱くなっていて、一人で出歩く事が困難な体だった。介護ヘルパーが来てくれているが、決して十分とは言えない。そしてATフィールドの訓練を重ねたアスカは……

(サクヤお婆ちゃんは、もう永くない)

 死相を見てしまった。

(前回はお婆ちゃんの存在さえ知らなかった。こんなに弱っているお婆ちゃんに、ママの死はどれだけ堪えたんだろう? あたしも親不孝者だと思ったけど、ママも大概ね。せめて今回は、あたしが一緒に居てあげないと……)

 アスカは心の中でそう決意した。

 接触実験が行われたのは、それから2週間後の事だった。それと同時に、ゲンドウがキョウコの名前で論文と研究データを一部残し発表した。その中には、接触実験の危険性を訴える物があった。一部の未発表論文と研究データは、ゼーレに提出しアスカの安全を確保するのに使った。内容はシンクロシステムの概要だ。(パイロットの精神状態がモロに結果に結びつく事と、洗脳や薬物はシンクロ率を極端に下げるから出来ないと記した)却下偽装も完璧である。

 ドイツ研究所の所長は“彼女は実験が成功する事に絶対的な自信があった。だから自ら実験体に名乗り出た”として、論文と研究データは別の誰かの物で偽物だと反論する。論文と研究データが5年以上先を見越した物である事から、その反論に説得力が無いとされた。しかしドイツ研究所所長は、実験の同意書を盾に自分達に非が無いと喰らい下がる。そこで止めとして、ドイツ研究所所長に脅されるキョウコの映像データを全ての研究所に流した。

 おかげさまで、ドイツ研究所は大混乱である。本来なら関わった者全員を首にする所だが、研究の機密性からそれは不可能だ。そいつ等が如何なったかは、アスカには関係無いし興味も無かった。

 キョウコの葬式は、サルベージ出来る可能性があるので行わなかった。

 それから直ぐに、エヴァンゲリオンのパイロットのオファーが来たがアスカは断った。しかし、しつこい誘いを不快に感じ邪険に扱ったのが不味かった。ドイツ人研究者の一人が家に押し掛けて来て、警察沙汰になりかけたのだ。身の危険を感じたサクヤとアスカは、すぐにゲンドウに連絡して助けを求めた。

 次に交渉に来たのは冬月だった。

 面識があると言う事で、アスカは明らかに態度を軟化させた。キョウコとアスカから(前回の話を除く)事情を聴いているサクヤは、今回は何も言わなかった。

「アスカ君には、是非セカンド・チルドレンになってほしい」

 長い前口上が終わり、ようやく本題に入ってくれた。

「いえ。お断りします」

 アスカが毅然とした態度で返事をすると、冬月は困った顔になる。

「アスカ君が乗ってくれないと、世界が滅びてしまうかもしれないのだよ」

 なおも説得しようとする冬月に、アスカは黙ってデータディスクを渡した。

「これは?」

「お帰りになった後、見ていただければ分かります」

 中身はドイツ研究所の所長が、キョウコを脅迫してる時の映像データだ。これを帰った後に見た冬月は、頭を抱える羽目になった。

 それからもゲヒルンとの交渉は、月一回のペースで行われた。しかし

(……おかしいわね)

 アスカは内心でそう思わずに居られなかった。ドイツ研究所からのアプローチが、予想より弱すぎるのだ。このままアスカがゲヒルンに登録すると、その手柄はゲンドウ……ひいては日本の物になる。それだけならば、日本とドイツの間で密約がある可能性も考えられる。しかし、これだけ日本にアドバンテージを取られているドイツ研究所が、大人しくこの状況に甘んじているだろうか?

 疑問を持ったアスカは、ドイツ研究所の動向を探る為にハッキングを仕掛けたが、有力なデータを探り当てる事は出来なかった。

(ママのIDが使えないと、こんなものなのかな)

 マギクローンへの侵入は果たせたが、分かったのはドイツがアスカ獲得に動いていない事だけだった。裏取引をしたような形跡もない。

 アスカ以外の適格者が見つかった?

 ありえない。キョウコの血縁で健在なのは、サクヤとアスカだけだ。

 弐号機にキョウコ以外の魂をインストールした?

 これも無い。他の魂をインストールするには、キョウコをサルベージする必要がある。

 コアを乗せ換えた?

 技術的に不可能だ。また、マギクローンにそのような履歴は無かなかった。

 他のエヴァを作っている?

 資金的に不可能だ。こちらも、マギクローンに痕跡は無かった。念の為に他の研究所も確認したが、こちらも同様だった。

(弐号機はあたし以外に動かせないはず。なのに何故あたしを放っておくの?)

 アスカは訳が分からず、頭を抱えてしまった。現状では不確定要素が多すぎる。

(ネルフになってからと考えていたけど、予定を早めてゲヒルンに入るしかないか)

 しかしその結論は、サクヤを見捨てる事を意味する。

(お婆ちゃんを放っておくの?)

 アスカが一緒に居る事により、生き甲斐を得たサクヤは元気になり死相も大分薄くなった。しかし消えた訳ではないのだ。アスカには、再び生き甲斐を失ったサクヤが如何なるかは分からない。アスカの中に葛藤が生まれ、そしてその答えが出ずに悩む事になる。

 そしてサクヤは、そんなアスカに気付いていた。アスカが悩み始めて数日後に、サクヤが切り出したのだ。

「アスカちゃん」

「なに?」

「ゲヒルンに行きたいんでしょう?」

 サクヤの指摘にアスカは身を固くする。

「行って来なさい」

「!! でも!!」

「行きなさい。行かないとアスカちゃんは後悔するわ」

 答えられないアスカにサクヤは続ける。

「あたしとキョウコは、喧嘩別れしていたのよ」

「えっ」

「キョウコは昔からお爺ちゃんそっくりで、頑固で妥協出来ない娘だったから。ドイツ行きの話が出た時に、あたしが無理に反対した所為で家を飛び出しちゃったのよ」

 キョウコの意外な一面を知ったアスカは驚くが、すぐにマッドな姿を思い出し納得する。

「それが突然子供が出来たって、4歳位の子供を連れて来るんだもん。それも2人も……。お婆ちゃんビックリしちゃったわ」

 ゲヒルンの休日を利用して、シンジとアスカを連れてサクヤに会いに行った時の話だ。アスカは我が母ながら、申し訳無いと言う気持ちになる。

「でも、あの子が母親の顔してるの見たら、何にも言えなくなっちゃったわ。……それとね。今のアスカちゃんは、ドイツ行きを言い出す前のキョウコと同じ顔をしているわ。……それに、必要なんでしょう?」

「……うん」

「なら行きなさい。後悔だけはしちゃダメよ」

 アスカは黙って頷くことしかできなかった。



 再び交渉に訪れた冬月は、また頭を抱える羽目になった。

「……以上の条件を呑んでくれれば、セカンド・チルドレンになっても良いです」

「一つ目のドイツへの出向の拒否は無理だよ。エヴァンゲリオン弐号機はドイツにあるのだから」

「ママに聞きました。エヴァンゲリオンは、遅かれ早かれ箱根に配備されるって……。何故今ではダメなんですか?」

 冬月も世界を救う為の戦いで、利権に溺れた大人達が足を引っ張り合っているとは言えなかった。

「しかし、国外への出向を全面的に拒否すると言うのは……」

「お婆ちゃんが居ますから。それにマギがあるので、日本の設備で出来ない実験は無いと聞いています」

「……むぅ。しかしそうなると、増員が必要だからドイツ人研究者の接触を禁ずると言うのは……」

「冬月先生は、あたしに“ママのかたきのモルモットになれ”と言うのですか? それだけは何があっても絶対・・に嫌です」

 思いっきり絶対を強調する。

「すまないが、私の一存では約束出来ない。一度帰って検討しても良いかね?」

「はい」

 ガックリと肩を落とした冬月の後ろ姿は、思い切り憐みを誘った。

(少しやり過ぎたかしら?)

 少し申し訳なく思うアスカだった。






 一週間後にゲンドウの署名入りで、条件を呑む旨を綴った文書がアスカに届いた。

 こうして今回も、セカンド・チルドレン 惣流・アスカ・ラングレーが誕生したのだ。



[33928] 第6話 ドイツへ
Name: うにうに◆b1370127 ID:71ba60e9
Date: 2012/07/09 23:19
 アスカは今、後の第三東京市へと来ていた。ゲンドウ達にセカンド・チルドレン着任の挨拶をする為だ。

 今アスカが居るのは、ジオフロントへ向かう車の中だ。そして外の様子を眺めながら、アスカはポツリと呟いた。

「結構活気があるのね」

 アスカがそう思ったのも当然だろう。今の箱根は第三東京市になる為に、ゲヒルン関連会社と道路の建築ラッシュで湧いているのだ。キョウコと日本に来た時は開発が始まる前だったので当然だが、前回の使徒戦争時には疎開で閑散としていたので余計そう感じるだろう。

(今がいくら活気があっても、使徒が来たら如何なるんだろう)

 前回見た破壊されつくした第三東京市を思い出し、今必死に建物を建造して居る人達に複雑な思いを抱く。

(いや。あたし達がこの町を守れば良いんだ)

 アスカは首を振って、余計な考えを打ち消し決意を新たにした。

 建築中の建物や人を見ている内に、車は目的の場所へ到着した。そこは前回アスカが良く利用したゲートだが、まだ作りかけでセキュリティと呼べるような物は無いに等しかった。その様子に機密は大丈夫なのか少し不安になる。

 車を近くの駐車場に停めると、運転手兼護衛が「こちらです」と簡素な言葉を吐く。

 その態度に辟易としながらも、アスカは文句も言わずに頷いた。この手の男には、何を言っても無駄だと知っているからだ。

 未だ工事中のゲート脇にある通用口を通り、簡素なエレベーターでジオフロントへ降りる。

(あれ?)

 エレベーターから見えるジオフロントに違和感を感じ首をひねる。少し考えると、違和感の正体は直ぐに分かった。

(工事の規模が大きすぎるんだ。明らかにあたしが知らない建物を作ってる)

 アスカの記憶には、建物が取り壊されたような跡も無かったし、景観を気にして建物跡を除去する余裕があったとは思えない。つまり前回と比べて、本部の建物が増えていると言う事だ。

 不思議に思っていると、エレベーターは停止しそのまま地下通路へと案内される。

 ……そこからの移動距離が長かった。おそらくエレベーターやエスカレーターと言った設備が完成していない所為だろう。いい加減文句の一つも言ってやろうと思った所で、ようやく目的の場所へ到着した。

「セカンド・チルドレンをお連れしました」

 護衛の一人がインターホンで連絡をすると、直ぐ近くのドアがプシュっと言う音と共にスライドした。

「中で碇所長がお待ちです」

 研究員らしき黒髪の女性が出て来て、続きを案内してくれるようだ。ここまで連れて来てくれた護衛は、一緒に入って来る気配は無かった。どうやら彼らはここまでのようだ。彼らの態度に息苦しさを感じていたアスカは、その事にホッとした。

「本当に子供なのね」

 女性研究員が、アスカを見ながら小さくで呟いた。以前のアスカらなこの一言で腹を立てていただろうが、今は不思議なほど何も感じなかった。それよりもアスカの関心は、この女性研究員に注がれていた。何処かで会った様な気がしたからだ。

「あたしは惣流・アスカ・ラングレーです。あなたは?」

 案内を始めた女性研究員に聞いた。初対面の相手に高慢な態度を取らない様にするのは、アスカが最近覚えた処世術だ。

「あら。ごめんなさい。自己紹介がまだだったわね。私は赤木リツコよ。よろしくね」

「はい。よろしくお願いします」

(金髪じゃないじゃない。若いし煙草タバコの臭いもしない。分厚ケバい化粧もして無いから分からなかったわ)

 内心で物凄く失礼な事を考えていたのは、御愛嬌と言う事で……。

「赤木って事は、ナオコさんの……」

「娘よ。それから母さんと紛らわしいから、私の事はリツコで良いわ」

 初対面の振りをするのは、正直に言って疲れる。これから一緒にやって行くなら、猫を被っていても仕方が無いとアスカは判断した。

「OK リツコ。あたしの事はアスカで良いわ」

 リツコはアスカの態度の豹変に呆気にとられた物の直ぐに平静を取り戻す。

「あら。その年でずいぶん大きな猫を被っていたのね」

「変な奴等が群がって来るような生活を続けてたからね。礼儀正しくしておかないと、向こうに絡んで来る理由にされるのよ」

「私には良いのかしら」

「チルドレンとしてやって行くなら、ナオコの娘とは永い付き合いになるでしょう。そんな相手に誤魔化し続ける事も出来ないし、そんな事に労力を割くなんて馬鹿げてるわ」

 アスカが素気なく言うと、リツコは笑顔になった。

「資料を見る限り『子供らしくない』と思っていたけれど、あてにならない物ね。普通にしてもらっていた方が好感が持てるわ」

 リツコがそう言った所で目的地に到着した。

「ここが所長室よ。所長は悪人面だから驚かない様にね」

 リツコが悪戯っぽく言うと、インターフォンを取りアスカを連れて来た事を伝える。と同時に、ドアがスライドして開いた。

「入れ」

 促されて入室すると、そこにはアスカが良く知る髭とサングラスの碇指令(今は所長)が居た。冬月とナオコも一緒に居る。

「セカンド・チルドレンに着任した惣流・アスカ・ラングレーです。よろしくお願いします」

 碇所長の前に行き宣言する。

「期待している」

 ……その一言で会話が終わってしまった。

「アスカ君のこれからについては、私の方から指示するよ」

 フォローに入ったのは冬月だった。赤木親子は苦笑いするばかりである。

「アスカ君の配属先は松代になる。詳しい話は、護衛兼世話役を付けるからその人に聞くと良い」

「はい(本部じゃないの? 何故?)」

 不思議に思っていると、すぐに原因らしき物に思い至った。

「あの」

「何かね」

「冬月先生からは、ここにファースト・チルドレンが居ると聞いています。彼女とは会えないのですか? 同じチルドレンとして、顔を会わせておきたいのですが……」

 アスカがゲンドウに向かってそう聞くと、答えたのは冬月だった。

「ファースト・チルドレンの綾波レイは、アルビノで生まれつき体が弱くてね。今治療の為にここを離れているのだよ。何処に居るかは機密だから教えてあげる事は出来ない」

 冬月の答えに、アスカは自分の出した答えが正しいと直感した。

(ファーストに余計な感情が芽生えない様に、同年代のあたしと接触させたくないのね。あたしが松代に移されるのも、それが理由か。ひょっとしたら、クローニング中の素体成長が追いつかなくて、あたしと同年代に見えないだけかもしれないけど……)

 そんな事を考えながらも、アスカはその決定に助かったと思っていた。それは松代の方がサクヤの家に近いからである。流石に毎日とは言わないが、松代からなら頻繁に帰る事が出来るだろう。

「それは残念です。彼女の体が良くなったら、是非会ってみたいです」

「分かった。約束するよ」

 そこで会話が打ち切られ、アスカは退出する事になった。

「所長の人相の悪さにびっくりしたでしょう」

 所長室を出ると、リツコがアスカに話しかけて来た。

「ええ、あの髭面にはびっくりしたわ。初対面だったら悲鳴上げてたかもしれないわね。それに『期待している』って、一言だけじゃべって、後はピクリとも動かないんだもん。なんか……趣味の悪い置き物みたいだった。代わりに信楽焼しがらきやきたぬきを置いといても、誰も気づかないんじゃない?」

 アスカがそう言うと、リツコは噴き出した。その場を想像したのだろう。

 何故ここで信楽焼の狸が出て来たかと言うと、サクヤの家の近くにある古い店の前に飾ってあったからである。その所為で今のアスカの認識は、日本の伝統的な置物=信楽焼の狸だったりするのだ。

 リツコの笑いが治まると、リツコと最初に会った場所に移動した。

「それではアスカの事をよろしくお願いします」

 目の前に居るのは、来る時にアスカを護衛していた人達だ。

「上の町にホテルを用意してありますので、今日はそちらに一泊し明日松代へ移動します」

 その一言に、アスカの気分は落ち込んだ。

(こいつらが護衛な上に、またあの距離を歩くのか)

 そんなアスカの心情を知ってか知らずか、リツコは笑顔で手を振っていた。



 松代での訓練は、アスカがドイツに居た時と変わらない物だった。違う事と言えば、エヴァ弐号機を確保出来なかったので、シンクロ実験と操縦訓練がシミュレーターである事くらいだろう。

 シンクロ実験は、ドイツから提供されたデータが滅茶苦茶な物だった為、今のアスカでも起動指数を確保するのがやっとだった。

 しかし、そんな無茶苦茶なデータで起動指数を確保したアスカを、再び手に入れようとする動きが出て来た。計画通りドイツ行きの話が出る度に、シンクロ室を0%付近まで下げた甲斐もあって、ゲンドウからドイツ行きの命令が出る事は無かった。しかしその所為で、アスカの護衛の数は大幅に増員され、サクヤにまで護衛が付く事になってしまった。

 何故アスカ獲得の動きが止まっていたかは、未だに分からずじまいである。その一方で分かった事もある。ジオフロント内部の建物が増えていた原因についてだ。

 前回は箱根の第三東京市がネルフ本部になっていたが、事実上の本部はドイツ支部が担っていた。しかしドイツ研究所の相次ぐ不祥事で、他国の研究所から反感の声が上がり、ドイツ研究所(後のネルフドイツ支部)の規模縮小が決定されたのだ。その分の予算を獲得したのが、日本ゲンドウだっただけの話である。これでネルフが発足した時には、名実共に第三東京市が本部となるだろう。

 そうこうしている内に時間ばかりが過ぎ、何も出来ないまま2010年を迎えてしまった。正史通りゲヒルンが解体され、特務機関ネルフが結成された。

 そして何も進展が無いまま、更に二年の歳月が経過してしまう。使徒襲来まであと三年しか無い。アスカはこの状況に焦りを覚えていたが、焦っていたのはアスカだけでは無かった。

 突然冬月がアスカを訪ねて来たのである。

「アスカ君。久しぶりだね」

「冬月先生。いえ、冬月副司令。お久しぶりです」

「そんなに畏まらなくても良いよ」

 笑顔でそう言った冬月だったが、その表情には硬さがあった。冬月がアスカを訪ねて来ると言う事は、何らかの話があると見て間違いないだろう。そして現状を考えれば、話の内容は大体想像がつく。

「今日訪ねて来たのは、アスカ君にお願いがあってね……」

 切り出し辛そうにしている冬月に、アスカは確信をもったが黙って聞く事にした。“察しが良すぎる子供は気持ち悪いだけ”と言うのが理由だ。

「その……約束を破る様で、気が引けるのだが」

 これから言われる事が分かっているのに、アスカは不思議そうに首をかしげた。自分のわざとらしさに苦笑が漏れそうになる。

「……ドイツに行って欲しいのだ」

 その言葉を聞いたアスカは、心の中で(やっぱり)と溜息を吐いた。しかし簡単に了承する訳には行かない。簡単に了承したら他の約束も軽んじられ、下手をしたらモルモットにされかねないからだ。

「チルドレンになる際の約束は?」

「分かってる。それは重々承知しているのだ」

「じゃあ……」

「弐号機の受け渡しは、ドイツ支部がかたくなに拒否しているのだ。加えて国連の偉い人たちが、現状で起動不可能な決戦兵器に疑問の声を上げているのだよ。このままではネルフの存亡自体が危ういのだ。聞き分けて欲しい」

(国連の偉い人=ゼーレメンバーか。流石の碇司令も出資元には逆らえきれないと言う事ね)

「お断りします」

「そこを何とか」

 喰らい下がろうとする冬月だが、次のアスカの言葉で黙らざる負えなかった。

「……何故ネルフは、ドイツ支部だけ特別扱いをするのですか?」

「そ それは……」

 冬月も委員会ゼーレの事は口に出せない。更に言えば、世界の命運がかかったこの状況で、子供アスカが譲歩して見せたのに、“大人の下らない意地と利権を捨てられない事が理由”とは言えなかった。

 だから今の冬月は、頭を下げる事しか出来ない。そんな冬月の様子に、アスカも同情的になってしまった。

「……考えさせてください」

 アスカは思わずそう答えてしまった。



 冬月の来訪から一月で、アスカのドイツ行きが決定してしまった。滞在期間は一週間の予定だ。

 アスカが冬月に同情してしまったのもあるが、一番の理由は“弐号機は如何なっているか?”と“ドイツが裏で何を行っているか?”を、確かめるのが目的である。それはアスカが“安全な日本では、これ以上何も分からない”と、見切りをつけたと言う事だ。

 正直に言えば、アスカもドイツ行きに危険を感じて居ない訳ではない。しかし不確定要素を増やしたくないアスカは、危険を冒してでも確かめるべきと判断したのだ。

(虎穴に入らずんば、虎子を得ず……ってね)

 ドイツに行くにあたり、アスカは優秀な護衛を冬月にお願いした。その際に“信用出来る事”“腕の良さ”“同性である事”“一緒に居て息苦しくない事”と言う条件を提示した。

 その結果、ドイツに行く一週間前に派遣されて来たのが……

「もう朝よ!!起きなさい!!」

 アスカは自分の部屋に転がり込んできた護衛を、叩き起こそうとする。しかし、返礼として飛んで来たのは拳だった。

「って!!イタッ!!何すんのよ!!」

 怒ったアスカが殴って起こそうとすると、今度は蹴りによるカウンターだ。その蹴りを腹に受けて、アスカは部屋の中で縦に一回転する羽目になる。

「痛いわね~」(注 一般人なら痛いじゃ済みません。病院行きです。と言うか、下手すりゃ死ぬ)

 起き上がったアスカが見たのは、未だスヤスヤと眠る護衛の姿だった。あの体勢からあの蹴りを打っておいて、起きていないと言うのだから不条理である。と言うか、前回シンジが生きていた事が不思議でならない。

「ん~~ むにゃむにゃ」

 ……イラァ

「禁酒(ボソッ)」

 眠っているはずの護衛がピクンと反応をした。

「財布没収。YEBISUビール廃棄」

 ようやく起き上がった護衛を無視して、アスカは台所へと向かう。目的はアスカの冷蔵庫スペース半分を牛耳っているブツだ。

「お願い!! アスカ大明神様!! それだけは許して~ん」

 冷蔵庫の目前で捕まり、縋り付かれてしまった。

「チィ」

 アスカは護衛に思いっきり舌打ちをしてやる。そのままフローリングの床に護衛を正座させ、お説教開始である。

(シンジはこんな奴の面倒を、よく見てたわね。加持さんも趣味が悪すぎよ)

「聞いてるのミサト!!」

「はい!!」

 ここ最近毎日の様に繰り広げられる光景である。

「明日はドイツに出発だって言うのに、準備とかは大丈夫なんでしょうね」

「パ~ペキよん」

 アスカは本当に大丈夫なのか心配でならない。

 葛城ミサトが何故ここに居るか?と言うと、ドイツ支部の規模縮小が原因だった。前回は軍属を経験した後、ドイツ第三支部に配属になっていたが、今回は直接本部に配属になったらしい。心配したリツコ(金髪ヘビースモーカー化済み)が、忙しい仕事の合間を縫って様子を見に来たのは流石にアスカも驚いた。……ちなみに加持は、ドイツ支部に配属になった様だ。

 アスカはニコニコしているミサトに、溜息しか出なかった。



 そしていよいよアスカがドイツに行く日が来た。同行するのは、ミサトを始めとする数人の護衛だ。

「では、行ってまいります」

 見送りに来た冬月にミサトが挨拶をしている。そこには普段家で見せる様なグウタラな態度は微塵も無い。

「うむ。気を付けてな。セカンド・チルドレンの事は頼んだよ」

 アスカも適当に挨拶をすませ、サッサと飛行機に乗り込む。飛行機は順調にスケジュールをこなし、無事にドイツに到着する事が出来た。

「空港にドイツ支部の案内役が、迎えに来ているはずだけど……」

 ミサトが周りを見渡しながら、それらしい人を探している。アスカは他の護衛に囲まれ、身動きが取れない状態だった。その時ミサトが居る逆方向から、一人の男がアスカ達に近づいて来た。男はネルフの身分証を提示しながら、口に人差し指を当て静かにと言うポーズを取る。

 護衛達は困惑の色を見せたが、事前の資料で男の顔を知っていたので男の指示通り言葉を発しなかった。そして男は死角からミサトの後ろに移動すると、そのままミサトに抱きついた。

「誰か探しているのかい?」

 慌てて男を振り払うミサトだが、男の顔を確認すると途端に顔を引き攣らせる。

「ななななんで、あんたがここに居るのヨッ!?」

 動揺するミサトだったが、男は溜息を吐き額に手を当てる。

「相変わらず資料を読まないんだな。俺がドイツでの案内役だって、事前に送っておいた資料に載ってただろ」

 男とミサトのやり取りに、護衛達は呆れた様な表情をしていた。アスカはそのやり取りが、涙が出そうなほど懐かしく感じていたが……。

「事前に送った資料で知っているとは思うけど、俺の名前は加持リョウジだ」

 未だ抗議を続けるミサトを無視して、加持はアスカ達に自己紹介を始めた。軽薄な口調に騙されそうになるが、加持は周りへの警戒を一瞬たりとも解いていない。他にも数人程護衛が付いている事が、今のアスカには分かった。おそらく加持の同僚達だろう。

 加持が案内役なのは偶然ではない。アスカが案内役兼護衛に、日本人を指定したからだ。ドイツ支部に勤める日本人で、護衛をこなせるのは加持だけである。他にもアスカと接触する護衛や研究員は、人格・思想共に留意するよう条件を付けた。

 実際に加持とドイツ側の護衛は、簡単なサインでやり取りをしているが、その表情を見る限り関係は良好の様だ。

 その事に内心ホッとしたアスカは、何気なく加持に近づき右手を差し出した。

「惣流・アスカ・ラングレーです。よろしくお願いします」

「君が噂のセカンド・チルドレンだね。よろしくな」

 加持はアスカの右手を握り握手をする。しかし、その親しみにあふれた所作と物言いに反して、加持の目には品定めをするのうな気配がした。アスカはその事に、少なからずショックを受ける。

「ちょっとアスカ!! そんなのの手を握ったら、妊娠させられるわよ!!」

 ミサトのあんまりな言い様に、流石のアスカも顔が引き攣った。アスカの護衛達も素早く加持からアスカを引き離す。

「おいおい誤解だよ」

 必死に弁明しようとする加持だが、護衛達だけでなく周りの客まで避難の視線を加持に向けて居る。

「(ちょっと目立ち過ぎた。空港の警備員が来ると面倒だ)く 車を用意してあるんだ。ここで立ち話は他の人達の迷惑になるから……」

 この場での弁明は目立つだけと判断したのか、加持が慌てて移動を促す。ミサトも一矢報いて落ち着いたのか、目立ち過ぎた事に気付いた様だ。他の護衛達に指示を出し始めた。

 弐号機があるドイツ第三支部に向かう途中、加持が「観たい物はあるか?」と、観光の意思があるか聞いて来たが、以前住んでいたからと丁重に断った。その代わり“久しぶりに故郷の料理が食べたい”と、食事のお願いだけはしておく。そのお願いに加持は快く頷いていた。

 これから一週間滞在するホテルにチェックインすると、アスカはデータディスクを手に黄昏て居た。

「結局渡せなかったな」

 アスカはデータディスクを手で弄ぶ。先程会った時の加持の目が、如何しても忘れられないのだ。

(まだチャンスはあるし、急ぐ事も無いか……。実験が始まる明日からは、護衛の加持さんとは嫌でも顔を会わせるし……)

 そう思い直した所で、バスルームから音が漏れて来た。

「ん? ミサトが出て来るわね」

 アスカはデータディスクを隠すと、本を読んでるふりをする。

「アスカ~。出たわよ。次、入っちゃいなさい」

「は~い」

 アスカは本を閉じると、タオルや下着を用意し始める。ミサトは備え付けの冷蔵庫から、ビールを引っ張り出している所だ。

「夕食前にそんなの飲んでると太るわよ」

「気にしない。気にしな~い。本場に来たんだから、ちゃんと味わっておかないとね~」

「もう」

 そこに備え付けの電話が鳴った。

「はい」

 ビールを片手に持ったミサトが出たので、アスカはそのままバスルームに入る事にする。

「ぬぁんですって!!」

 それをミサトの叫び声で中断させられた。

「セカンド・チルドレンは、今ホテル入りしたがかりなのよ!! それにそう言う事は事前に……」

 ミサトが電話の相手に抗議を始める。

「……ッ!! 分かりました」

 ミサトは悔しそうに電話を切ると、アスカの方に向き直る。

「アスカ。いきなりだけど出頭命令よ。今すぐ実験を始めるってさ」

「何よそれ!!」

「明らかに嫌がらせね。やってくれるわ」

 ミサトは口惜しそうにしながらも、加持に連絡を入れる。

「すまない。口頭でスケジュールを言われた時点で、こうなる事は予想するべきだった」

「悪いのはあちらでしょう。あなたが謝る必要はないわ」

 迎えに来た加持は、直ぐに頭を下げて謝罪した。ポーズではなく本当にすまなそうにする加持に、ミサトも文句を言えない様だ。アスカの前で、加持をフォローしている。

 アスカの方も怒る気は無い、むしろ負い目があるのはアスカの方と言って良かった。ドイツ研究所側の嫌がらせである事は分かっていたし、日本人に恨みを持つ原因を作ったのは、他ならぬアスカとキョウコだからだ。

「気にしないで。あいつ等がどんな奴等かは、あたしも良く知ってるから」

「……すまない」

 アスカが怒っていない事をアピールすると、加持はもう一度すまなそうに頭を下げた。

 支部に到着すると、アスカ達の目の前で加持は槍玉に挙げられた。研究員のリーダーらしき白人の男に「この程度の仕事も出来ないのか?」とか「これだから日本人は」とか、好き放題言われている。加持の同僚を含む護衛達は、そんな研究員達に嫌悪感を露わにしていた。

 どうやら研究員に関しては、アスカの条件は無視された様だ。

「セカンド・チルドレンも、着替えもせずにボーっとしているんじゃない。」

 突然アスカに矛先が向いた。更衣室の場所も知らされてないし、プラグスーツも渡されていない現状で如何しろと言うのだろうか? 文句の一つも言ってやろうと思った時に、加持の同僚が「更衣室はこっちです」と、アスカの手を引いた。更に護衛の1人が「夕食を取れなかったからせめて」と、缶のコーンポタージュを買ってくれたのは、アスカにとって嬉しい事だった。

 日独の護衛が協力して、研究員バカ共が余計な事をしない様に見張ってくれたので、その後は特に不快な思いをせずに弐号機に乗り込む事が出来た。

 エントリープラグの中がLCLに満たされ、シンクロをスタートさせる。

(ママ。いるんでしょう? ママ)

 弐号機の中でアスカは呼びかける。

(アスカちゃん? 今度は本物よね?)

 返事は直ぐに帰って来た。確りと声を認識出来るのは、シンジに教えられた訓練の賜物だろう。

 しかしキョウコの第一声は、アスカに取って見過ごせない物だった。

(本物って如何言う事なのママ?)

 アスカが問いかけると、キョウコはわずかに間をおいて答え始めた。

(アスカちゃんに似た感じのと、アスカちゃんにそっくりながシンクロしようとして来たの。直ぐに偽物だと気付いて、シンクロしない様にしたんだけど、なんとなくシンクロしちゃうのよね)

 シンクロは深層心理が関係しているので、完全にコントロール出来る訳ではない。と言う事は、キョウコの母親としての本能に訴えかける物を持っていると言う事だろう。それよりも……

(似た感じの娘とそっくりな娘って事は、ママにシンクロ出来た人が2人も居るって事?)

 キョウコから肯定の意が伝わって来たアスカは、予想外の事態に頭が痛くなって来た。1人でもあり得ないのに2人だ。

(シンクロ率はどれくらい出てるの?)

(初回の気付かなかった時は、40%位出たと思う。気付いてからは一度も起動指数に達していないわ)

 その事実にアスカは、ガックリと項垂れた。

(それよりアスカちゃん)

(何?)

 アスカは不機嫌に聞き返してしまった。

(そんな邪険にしないで、ママとお話ししましょう。誰も相手にしてくれないから寂しいのよ)

(しょうが無いわね)

 アスカはそう答えつつも、久しぶりにキョウコと話が出来てうれしかった。






 アスカにとってシンクロ実験は、久しぶりに会った母親キョウコと話が出来る時間となった。ドイツで一番安らげる時は、前回同様に弐号機とシンクロしている時だと言うのは皮肉な話だった。



[33928] 第7話 一人じゃない
Name: うにうに◆b1370127 ID:71ba60e9
Date: 2012/07/09 17:03
 夕食をコーンポタージュ缶一本で済ませ、そのままエントリープラグの中に入る事になったアスカが解放されたのは、翌日の午前10時になってからだった。軽く16時間拘束されていた事になる。流石に空腹ではあったが、キョウコと話せたので実験中はそれほど気にならなかった。

(……お腹すいた)

「アスカ。お疲れさま。凄いシンクロ率が出てたわよ」

 着替え中のアスカに話しかけて来たのはミサトだった。

「どれくらい出てたの?」

 最初はキョウコと話をしようと思い、かなり高めのシンクロ率を出した事は自覚している。余り高すぎるのも不味いと思い、その後はキョウコと話が出来る最低限のシンクロ率を模索し維持した。例の偽アスカが最初に高い数字(40%)を出し、その後起動指数を確保出来なくなった事から、シンクロ率が低下しても怪しまれないと踏んだのだ。

「最初の方は80%台も出てたのよ。その後も変動を続けて、最終的には62%位で落ち着いたわ」

「(不味いわね。思ったよりシンクロ率が高い)そんなに出てたの?」

 アスカは白々しく驚いて見せた。

「あいつら驚いてたわよ~。いい気味だわ」

 上機嫌なミサトに、アスカは(研究員バカ共の鼻を明かせたなら良いか)と思う事にした。それよりもアスカの歳で徹夜はかなり堪えるし、何よりお腹がすいた。何か食べて早めに休んでおかないと、次はどんな嫌がらせを受けるか分からないのだ。対応出来ずに怪我でもしたら馬鹿みたいだ。

「流石に疲れたでしょう。早くホテルに帰って休みだ方が良いわ」

「そうね。でも、その前に何か食べたいわ。加持さんに何かおごってもらいましょうよ」

「それ良いわね」

 アスカの提案にミサトが乗り、加持に携帯をかけ始めた。しかし、想定通りには行かない物である。

「セカンド・チルドレン。何処へ行く?」

 更衣室を出て来た所で、アスカにネルフの制服を着た軍人(一尉の階級章を付けている)の男が話しかけて来た。ミサトは携帯を手早く切ると、アスカと男の間に割り込んだ。

「セカンド・チルドレンは、シンクロ実験が終わったのでホテルに帰って休ませる所です」

 それを聞いた男は、眉間にしわを寄せる。

「何勝手な事をしようとしている。人類の未来を背負っている自覚はあるのか? セカンド・チルドレンはこれから訓練だ」

 男の物言いに、アスカとミサトは唖然となる。

(勝手なのはどっちよ。こっちは移動後に食事も抜きで実験させられ疲れてるのに)

 頭に来たアスカは、文句の一つも言ってやろうとミサトの陰から出ようとする。しかしそれは、ミサトに止められてしまった。

「セカンド・チルドレンは、移動や実験が重なって碌に休んでいません。無理をさせて実験の能率が落ちたら如何するのですか? それに怪我をさせた場合は、それこそ人類の未来に暗雲を落とす事になると思いますが……」

 ミサトが正論をぶつけるが、男は不愉快そうに顔を顰める。しかしミサトが付けている階級章を見ると、途端にうすら笑いを浮かべた。

「私の階級は一尉だ。君の階級は二尉に見えるのだが、階級が上の者に対するの口のきき方がなっていないのではないかね」

 軍での階級とは絶対的な物である。反論出来ないミサトの顔が悔しそうに歪む。

「何事ですか?」

 そこに加持をはじめとする日独の護衛達が合流して来た。

「ふむ。加持三尉・・か」

 相手は三尉と言う所を強調して来た。階級をかさに着た何処までも嫌な奴である。

「こちらが好意で、セカンド・チルドレンの訓練をする。と、言っているのだがね」

 勝ち誇った笑みを受けべる男に対して、加持は一瞬だけ眉間にしわが寄った。他の護衛達も似た様な反応をしている。

「しかしセカンド・チルドレンは、移動と実験の影響で消耗し……」

「この私が訓練をしてやる。と、言っているのだよ」

 加持がミサトと同じ内容の抗議をしようとしたが、階級を盾に切って捨てられた。それにニタニタと笑いながら……

「セカンド・チルドレンに付いている優秀な護衛は、訓練の重要性も理解できないのかな?」

 等とのたまったのだ。無茶苦茶である。そこには日本人蔑視と言うだけでは、説明できない何かが在った。

「それでは準備をして訓練所へ来たまえ」

 そう言って笑いながら去って行った。そこで口を開いたのは加持だった。

「あいつの言う事は聞かなくて良いぞ。少し早いが昼飯を食って、アスカを休ませないとな」

 アスカやミサトを始めとする日本側は、優先すべき命令(実験と護衛)があるので問題ないだろう。嫌がらせをされたとしても、一週間我慢すれば日本に帰れるので解放される。しかし加持とその同僚達の立場を考えれば、そうも言ってはいられない。

「ちょっとこっちに来なさい」

「これは強引なお誘いだな」

「いいから来る」

 ミサトが加持を引っ張って、アスカから距離を取った。アスカに聞かせたくない話をするようだ。通路の角を曲がった所で話すようだが、そのくらいの距離では小声で喋っても今のアスカには聞こえる。

「私達は良いけど、そっちは大丈夫なんでしょうね」

「大丈夫か駄目かで言えば、駄目だな」

「あっ んぐぅ……」

 加持は叫び声を上げそうになったミサトの口を、素早く手で押さえた。

「落ち着け。葛城。アスカに聞こえる」

 ミサトが落ち着いたのを見計らって、加持はミサトの口から手を放した。

「アスカの母親である惣流博士の話は知っているか?」

 ミサトは怪訝けげんな表情をしながらも頷いた。

「彼女の活躍でドイツ支部は規模縮小を余儀なくされた。それ自体は自業自得だが、その影響で支部内の外国人蔑視の風潮が強まったんだ。アスカも大学以外の学校に行って無かったようだし、こっちに居る頃は相当辛い思いをしたんだろうな」

「……それって」

「別に惣流博士を恨んじゃいないよ。むしろ彼女の事は尊敬すらしている。だが、ここの上層部は彼女の事を恨んでる」

「そうでしょうね」

「結果として外国人……特に、日本人を弾圧した人間が出世する空気が出来上がっているんだ。さっきの男が絡んで来たのも、上へのポイント稼ぎが目的だろう。……つまり」

「つまり?」

「何をしても俺の立場は変わらない。と、言う事さ」

 おどける加持に対して、ミサトは渋い顔をした。

「なんであんたは、そんな所に居るのよ」

「いろいろ事情があってな。……ちなみに他の奴等(護衛)は、今回限りで他支部から呼んだ応援だよ」

「私が聞きたいのは……」

「さあ、アスカが待ってるぞ」

「ち ちょっと。待ちなさいよ」

 加持は“話は終わりだ”と言わんばかりに、アスカ達の所に戻る。

「食事のリクエストはあるのかな?」

 ミサトはまだ聞きたい事があったようだが、アスカの前で話せる内容では無いので黙った。



 加持が案内してくれたのは、ホテルの近くにある小さな食堂だった。店に入ったのは、加持、アスカ、ミサトの三人だけで、他の護衛には店の外を固めてもらっている。

 店自体は“ドイツ版おふくろの味”と言った感じで、懐かしいと感じさせてくれる味がアスカには嬉しかった。空腹だったことも手伝って、ついつい食べ過ぎてしまったほどである。アットホームな雰囲気も、ギスギスした支部の空気を体感した後だと物凄く嬉しく感じる。

「リョウジが誰とも付き合わないのを不思議に思ってたら、こう言う事だったのね」

 加持が会計をしている時に、店のおばさんが加持をからかいだした。おばさんの目線の先には、護衛達に食事が終了した事を知らせに行くミサトが居た。

「おいおい、勘弁してくれよ」

 口では困った様な事を言っているが、加持の表情は柔らかかった。

(あたしが知ってる加持さんだ)

 その表情を見たアスカは、迷いの様な物が吹っ切れた。

「ごちそうさま。美味しかったわ」

 上機嫌で礼を言うアスカに、加持は満足そうに頷いた。

「それで加持さんは、ミサトと付き合ってるの?」

「アスカもか……」

 加持は困ったような表情をするが、悪い気はしていない様だ。

「残念ながら付き合ってない」

「ミサトは加持さんの事が好きみたいだけど……。それにお互い好きなら、付き合うべきだと思うわ」

 加持は本当に困ったような表情をした。だが次のアスカの言葉で、その表情が凍りつく事になる。

「お互い幸せになってはいけない人間とか思ってる? 弟さんの事とか……」

「そ それを  どこで……」

 驚愕で言葉が出ない加持の前に、アスカは一枚のデータディスクを取り出した。

「加持さんが信用できそうなら渡してくれって頼まれたの」

 加持は誰に?と聞こうとしたが、その前にアスカに止められてしまった。人差し指を唇にあてて秘密のポーズをするアスカは、小悪魔の様に見える。

(この歳で……。末恐ろしいな)

 アスカの背景ぜんせを知らない加持は、アスカの将来が不安になるのだった。



 アスカ達をホテルに送った加持は、家に戻りデータディスクの中身を確認した。

 その内容は加持を震撼させるに十分な物だった。マルドゥック機関の正体からエヴァのシンクロの秘密まで、今の加持ではとても知りえない事が満載されていたのである。当然、死海文書やセカンド・インパクトの真相等、加持が今知ると危険な深い闇の部分は伏せられていた。

「俺を引き込みたいとあるが ……どこまで信用して良いか」

 残念ながら今の加持には、この情報の信憑性を判断出来ない。それは加持が“判断基準とすべきデータ”さえ持っていない事が理由である。そんな自分を引き込もうとする理由が、加持には分からないのだ。

「しかし」

 そう呟きながら、最初に開いたテキストデータを見る。そこには“こちら側に付いて欲しい。情報の信憑性を疑うなら、返事は最低限確認してからでも構わない。もしこちら側に付いてくれるなら、セカンド・インパクトの真相を教える”とあった。

「如何するか? な」

 加持はノートパソコンの前で、頭を抱える羽目になった。

 一方でアスカもホテルで頭を抱えていた。ミサトは睡眠を取る事になっているアスカに気を使い隣の部屋で待機して居る。

「なんでマギクローンにデータが無いのよ」

 エヴァの実験にマギは必須なのに経歴が一切無いのだ。考えられるのは実験にマギを一切使用していないか、使用した後に徹底的に痕跡を消しているかだ。必然的に前者は考え辛いので、答えは後者と言う事になる。例の2人に、そこまでして隠さなければならない秘密が在ると言う事だ。

(弐号機が運び出されたような形跡は無いから……)

 アスカはそう呟きながら、支部内の入退出記録を引っ張り出した。そしてその中から、条件に合いそうな人物を探す。

(先ずは年齢で……)

 入退出記録のリストから、15歳以上の人間を除外する。それだけでリスト上の人数は3人まで減った。

(1人は渚カヲル。……こいつか)

 弐号機とシンクロ出来た時点で、ある程度予想は出来ていた。しかし、もう1人は誰なのだろう?

 しかしアスカの中に引っかかる物があった。

(あれ? ママの口ぶりだと、弐号機では無くママにシンクロしたって…… あいつは弐号機にシンクロ出来てもママにはシンクロ出来ないはず)

 浮んだ疑問に首をかしげながらも、残り2人のデータを呼び出す。そこでアスカは固まる羽目になった。

「式波・アスカ・ラングレー って誰よ」

 思わず声を出してしまったアスカを誰も責められないだろう。式波・アスカ・ラングレーは、ファミリーネームと経歴が全て消去済みになっている以外は、顔・血液型・生年月日まで全てアスカと一致したのだ。

 アスカは式波の治療データからDNA情報を盗み出し、自身のDNA情報と照らし合わせる。結果は……

(同一人物……か。となると、この子は私のクローン?)

 そう思った所で、アスカは首を横に振り否定した。

(あたしがセカンド・チルドレンに選出された時期を考えると、クローン培養が間に合うとは思えない)

 そうなると、ますます式波・アスカ・ラングレーの正体が分からない。アスカはその正体を暴こうと思考を巡らせたが、思い当たる事が無かったので保留するしかなかった。

(最後の1人は、真希波・マリ・イラストリアス……か)

 こちらも経歴は全て消去されていた。アスカと比べると1~2歳上に見えるが、生年月日上はアスカより3ヶ月遅れた2002年3月31日となっている。

(……怪しい)

 アスカは真希波と自分のDAN情報を照らし合わせてみた。すると他人と言うには、高すぎる一致率が出て来る。不審に感じたアスカは、キョウコのDNA情報を引っ張り出し照らし合わせた。その結果出て来た結論は……

(父親こそ違うけど、DNA上はママの娘で間違いない)

 アスカは訳が分からない結果に、頭を抱えてうなる羽目になった。

(式波や真希波って、いったい何なのよ)

 この事実を放置できないと判断したアスカは、徹底的に調べる事にした。

 …………

 ……

 しかし調べても調べても、有力な情報が見つからない。

 溜息を吐き、だらしなく椅子によりかかると天井を見つめる。そこでいったん落ち着こうと思い、そのまま目を閉じると現状を一つ一つ分析し始める。そこでアスカの中に閃くものがあった。

(真希波って子があたしの妹なら、ゼーレはどうやってママの卵子を手に入れたんだろう?)

 その疑問に答えを出すべく侵入したのは、キョウコから体外受精を請け負った業者のコンピューターだった。そして過去の出荷記録を呼び出し、キョウコの顧客IDから検索をかける。

(HITしたのは3件か…… 当たりね)

 キョウコから聞いた話では、体外受精による着床は1回で成功した(採卵に成功した卵子が2個だけだったので、運が良かったと言っていた)ので出荷履歴はアスカの1件のみのはずである。

(卵子は2個だけなのに出荷が3件と言う事は、1個は何らかのトラブルで2個に分かれてしまったと言う事ね。その卵子があたしであり、式波・アスカ・ラングレーと言う訳ね)

 アスカは自分以外の2件の出荷先を調べ、今度は出荷先のコンピューターに侵入する。

(LCLを使った人工子宮の研究。見つけた)

 盗み出したデータによると、人工子宮実験の被検体として(アスカが着床に成功した為)不要になったキョウコの受精卵を使ったようである。これは別の思惑として、優秀な頭脳を持つキョウコの遺伝子を確保しておきたかったと言うのもあるらしい。そしてこの事が知れ渡れば、余計なスキャンダルを追加する羽目になる。ドイツ支部にとって、これ以上のスキャンダルは避けたいだろう。

(そっか、あたしには妹が居たんだ。それも2人も)

 マリの方が年上に見えるのは、父方側の遺伝子か培養層に居た期間が長かったのが原因だろう。(注 生年月日からアスカが判断。前者は認めたくない)その所為かスタイルでは負けている。しかし一卵性双生児である式波と自分を比べ、色々な部分で勝っているのがアスカは嬉しかった。

(シンジの特訓のおかげね♪ ……って!!待って!! そんな子が居るなら、如何してLCLの海で出会わなかったの!?)

 双子と言えば、ただでさえ引かれあう物である。そんな存在がLCLの海に居れば気付かないはずが無い。

 サード・インパクト時に生きていれば、必ずLCLの海に溶けたはずである。それは死んでいても同様で、ガフの部屋に居た魂は全てLCLの海に注がれたはずだ。つまり前回は、式波・アスカ・ラングレーが存在しなかった事になる。

(シンジが言うには、ユイさんは“セカンド・インパクトまで忠実に再現する”と言っていたらしい。大きな差異が生まれるとすれば、あたしやシンジが行動を開始してからになる。バタフライ効果を考えても、あたし達が目覚める前に大きな差異が出来るものなの?)

 しかしこの2人が前回存在しなかったのは確かなのだ。もし存在したとしたら、世界から消えた事になる。そんな事はあり得ないと結論を下そうとした時に、アスカの中に引っかかる物があった。

 そしてその引っかかった事を必死に手繰り寄せると、アスカの頭の中に一つの疑念が浮かび上がった。

(ディラックの海だ!! あの中ならサード・インパクトの影響を受けないし、魂がガフの部屋にたどり着けない。……かもしれない)

 前回アスカは4号機のパイロットが誰か気にした事が無かった。式波がパイロットか、真希波がパイロットで式波が見学に来ていたか……。あくまで仮定の話だが、そう考えれば辻褄が合うのも確かなのだ。だが、そんなの話をいくら積み上げても意味は無い。現実にアスカの妹に当たる人間が2人いる事が問題なのだ。

(データを見る限り、2人がドイツ支部を出た形跡は無い)

 現状のドイツ支部の状況を考えれば、この2人が如何言う扱いを受けているか想像に難くない。今はセカンド・チルドレンの予備として、最低限度の安全は保障されているが、そのタガが外れたら如何なるか分からない。やはり1番怖いのは、2人の立場がセカンド・チルドレンの予備から依り代に移行した場合だろう。

 アスカがチルドレンとして本格的に活動を開始すれば、2人をチルドレンの予備として置いておく旨味は無くなる。また、今のアスカはチルドレンとして優秀すぎるので、使徒撃退後はゼーレにとって邪魔になる。アスカを暗殺し2人のどちらかを依り代にするのが、ゼーレにとってベストな選択と言えるだろう。

(……このままあたし達の計画が進めば、2人が依り代にされるのは火を見るより明らかね)

 セカンド・チルドレンの予備なら高いシンクロ率を出す為に、2人の精神を追い詰めるような真似は出来ないが、依り代として考えれば逆に追い詰め心を壊す必要がある。そう、今まで目の前にしながら手を出せなかったかたきの娘に、手を出す大義名分が与えられるのだ。まして2人は、キョウコの血を継いでいるだけあって美人である。

(……考えたくもない)

 しかし今のアスカに、ユックリと対策を考えている暇はない。アスカはチルドレンとしての優秀さを、既に知らしめてしまったのだ。その所為で2人は、出来そこないのレッテルを貼られただろう。まだ猶予は在るだろうが、この支部の状況を考えれば末端の暴走もあり得る。そしてアスカの頭の中には、見捨てると言う選択肢は無かった。

(……覚悟を決めるしかないか)

 そう結論を出したアスカは、携帯を取り出すと加持の番号をプッシュした。

「加持さん。今すぐホテルまで来てほしいの」

 アスカの声は真剣そのものだったが、加持はその真意が分からず頭を抱えるのだった。



 夕方に再びホテルを訪ねた加持は、隣の部屋に居るミサトに声をかけ一緒にアスカが居る部屋に行く。

「アスカ。加持が呼ばれたとか言ってるんだけど。本当に呼んだの?」

 加持への信頼が全くないミサトの言葉に、勘弁してくれと加持は苦笑いをする。

「うん。呼んだわ。お願いしたい事があってね」

 アスカは加持とミサトを、部屋に招き入れる。

「ちょっとアスカ。寝なくて大丈夫なの?」

 アスカの顔を確認したミサトは、思わず声を上げだ。アスカの顔には、薄らとではあるが隈が出来ていた。帰った後に一睡もしていないのは明らかだ。

「今は横になっても寝れないから」

 そう言ったアスカは、加持とミサトに着席を促す。しかしアスカの態度に困惑した加持とミサトは、なかなか席に着こうとしなかった。アスカはそんな2人をとがめる事無く、ノートパソコンをテーブルに置くとディスプレイを開く。

「先ずはこの2人の情報を見て……」

 アスカにそう言われて冷静さを取り戻したのか、加持が席に着きノートパソコンを覗き込む。そしてミサトもそれにならった。

「え? アスカの個人情報? いえ でも式波って? それに経歴が……」

 ミサトが困惑の声を上げるが、加持は黙ったままだった。

「この2人はあたしの妹達よ」

「え? 妹? そんな話し聞いてないわよ」

 1人困惑するミサトを放っておいて、アスカは加持の目をじっと見たまま話を続けた。

「加持さんに渡したデータディスクの内容は、あたしも知っているわ。加持さんは情報源について知りたいでしょうが『それは残念ながら現段階ではお話しする事は出来ません』……と、言うはずだったけど、状況は変ったの」

 そう言って、アスカはノートパソコンに手を置いた。

「式波・アスカ・ラングレーとあたしは、一卵性の双子よ。そして、真希波・マリ・イラストリアスは父親違いの妹」

「如何言う事だ?」

 加持は冷静に返す。

「ママは精子バンクから精子を買って、体外受精を試みたわ。その際1回で受精卵の着床に成功し、あたしを身籠った。残ったのは、何らかのトラブルで2つに分かれてしまった受精卵の片割れと、日の目を見なかったもう一つの卵子よ。それをゼーレが手に入れたの」

 加持はアスカの口から出た“ゼーレ”と言う言葉に眉をひそめる。

「そして別口で研究されていた“人工子宮”のサンプルにされたの。LCLを利用した人工子宮の実験は成功し、この2人はこの世に生を受ける事になったわ。本来ならモルモットとしてその生を終えるはずだった。だけど……」

「モルモットって!!」

 思わず叫んだミサトを、加持が制止しアスカに続きを促す。

「ママが……惣流・キョウコ・ツェッペリンがエヴァ弐号機に取り込まれ、その子供がエヴァ弐号機を動かす。……チルドレンとしての資格を得たの」

 今度のミサトは、顔をしかめるだけだった。前回と違いネルフ内では、キョウコが弐号機に取り込まれたのは周知の事実となっていた。その子供がチルドレンとして選ばれた時点で、ミサトもある程度は予想していたのだろう。

「この2人の立場は、モルモットからチルドレン候補に格上げされたの。それを面白くないと思う人達もいるわ。しかもママと直接の接点が無かった2人は、シンクロこそ可能だったけど起動指数は確保出来ない。その所為で2人は出来そこない扱いよ。そんな状況であたしが出したシンクロ率は……」

 加持とミサトの二人は、アスカが何を頼みたいか分かったのだろう。黙り込み難しい顔をした。

「あたしの中に妹達を見捨てる選択肢は無いわ。協力してくれるのなら、あたしが用意できる最大の報酬を約束します」

 アスカは、最後の部分だけ丁寧に言い軽く頭を下げた。軽くとは言え頭を下げる等、前回のアスカでは考えられない事だ。

「具体的には何がもらえるのかな?」

「加持!!」

 加持の物言いは、助けを求める10歳の子供に対するモノではない。ミサトが怒り立ち上がろうとするが、その前にアスカの口が動いた。

「セカンド・インパクトの真相。加持さんには真実を……ミサトには本当のかたきを……」

 ミサトは立ち上がろうとした姿勢のままで硬直する。そんなミサトを放置して、アスカと加持の話は進む。

「アスカにあのデータディスクを託した人は、それで納得するのかな?」

「はい」

 アスカは自信を持って頷いた。

「その人は誰なんだい?」

「……碇 ユイよ」

 アスカが口にした名前は、加持やミサトにとって予想外の人物の名前だった。



「ちょっと何やってんのよ!!」

「五月蠅い!!ガキは黙ってろ!! また殴られたいのか!?」

「な なによ……」

 スピーカー越しに行われているアスカと実験主任の口論は、実験主任の“殴る”というキーワードで終わってしまった。その光景を傍で見ている加持とミサトは、盛大に溜息を吐きたい気分になった。しかし、このまま黙っている訳には行かない。

「落ち着いてください。ようやく実働試験にこぎつけたのですから。それに何度も言っていますが、パイロットの精神を追い詰めるのは、シンクロ率や実際の動作に悪影響が出てしまいます。最悪の場合は、暴走もあり得ると言う事を忘れないでください。目に余るようだと……分かってますね」

 ミサトが取り成しと軽い脅しを入れると、実験主任は舌打ちをして部下に指示をし始めた。アスカのドイツ滞在は今日で終わりとなる。そこで、実戦レベルの動作実験を行う事になったのだ。この実験でドイツ支部は、唯一実戦可能なエヴァを保有していると大々的に喧伝する心算つもりのようだ。国連の高官やゼーレ関係者が、多数見学に来ている。

「葛城。俺は2人を迎えに行く。ここは頼んだぞ」

 加持がミサトに耳打ちして、実験室を出て行く。加持が出て暫くすると、またアスカと実験主任が口論を始めた。

「このやり取りは、見学者達に筒抜けなのにな。……アスカも良くやる」

 自分が施した細工を思い出し、加持は小さく笑い目的地に向かって歩く。

 あの話し合いの翌日、アスカはドイツ支部の人間を挑発して一度手を上げさせた。その後も挑発を繰り返し、手を上げられそうになると黙るようにしたのだ。これで見学者達に“ドイツ支部はセカンド・チルドレンに暴力をふるっている”“日本の警告をドイツ支部が軽視している”と印象付けた。

 ギスギスした雰囲気のまま実験は始まり、スケジュールを消化して行く。そしてタイミングを見計らい、アスカは弐号機を転倒させた。

「何をやっている!!」

 苛立たしげに叫ぶ実験主任。

「五月蠅いわね!! まともに整備してないんじゃない!!」

「また殴られたいのか!?」

 何時もならここで黙るのだが、もう我慢する必要が無い。

「自分達のミスを棚に上げて、好き勝手言ってるんじゃないわよ!! この無能!!」

 今までのお返しとばかり、思いっきり罵ってやる。アスカの意思に反応して、エヴァが動かないようにするのに注意が必要な位だ。

「ガキが生意気な!! 停止信号だ!! 今すぐ弐号機から引きずり出せ!!」

「止めてください!!」

「五月蠅い!!」

 ミサトの制止を振り切り、作業員が弐号機に取り付く。

「イヤーーーー!!」

 その時アスカの悲鳴がスピーカーから流れる。それと同時に……

「エヴァが再起動しました!!」

「何だと!! もう1度停止信号を出せ!!」

「やっています!! アンビリカルケーブルの切断も受け付けません!!」

「バカな!!」

 エントリープラグ内で錯乱するアスカの悲鳴が流れる中、実験室はパニックになる。そのパニックに乗じ、ミサトが支部内の緊急避難警報を入れた。

「何をしている!!」

「支部内の人間を避難させないと、犠牲者が増えます」

 ここで発生した支部内の混乱を利用し、加持が2人を逃がす作戦だ。エヴァの停止信号は、キョウコの協力で無効化出来る。アンビリカルケーブルの切断不能と逃走経路の確保は、加持の仕事だ。ミサトはアスカの不当な待遇を、本部だけでなく他支部にまでリークした。アスカは入退出記録の削除とマギ内に残った証拠データの消去と偽造を担当した。

 後はアスカが人死にが出ない様に適当に暴れ、2人が逃げ延びた頃合いを見て暴走を停止させれば終了である。

 ……が、上手く行かない事は間々ままある物である。

「LCLの濃度を限界まで上げろ!! パイロットを気絶させれば、暴走は収まる!!」

「まっ!! 待ちな……」

 ミサトが止める間も無くアスカは気絶させられる。と、同時に弐号機の動きが止まった。

 この時、ミサトの頭の中に“失敗”という言葉が浮かんだ。

「勝手に緊急避難警報を出した責任は取ってくれるんだろうね」

 実験主任が、吐き捨てる様にミサトに問いかけて来る。

「……くっ」

 ミサトの顔が苦虫を噛み潰したように歪むが、すぐにそれどころでは無くなった。

「エヴァ。再び再起動しました!!」

「何だと!!」

 全員の視線がモニターに移ると同時に、エヴァ弐号機が咆哮を上げた。先程の暴走はアスカのコントロール下にある偽の暴走(もがき苦しむ様な動き)だった。が、今度の暴走は違う。アスカを傷つけられた事によりキョウコがキレたのだ。

「避難するわよ!! ……早く!!」

 危険を本能的に感じ取ったミサトが叫んだ。






 暴走した弐号機は、支部を半分以上壊した所でようやく止まった。マギクローンも深刻なダメージを受けたので、今後支部としての体裁が保てるかもあやしい状態だ。死者や行方不明者を多数出してしまったが、見学者達の証言に加え証拠として上げられた実験室の状況が決め手となり、今回の被害はドイツ支部側の責任となった。

 ゲンドウが弐号機の引き渡しを求めたが、ゼーレがそれを許さずアメリカ支部に運び込まれる事になった。

 いろいろと無茶苦茶になってしまったが、式波と真希波の2人は無事逃げ延びる事が出来た。そして、残っていた入退出記録(アスカ偽造済み)から2人の生存が絶望視され、追手が掛からなかったのは今回唯一の幸運だろう。

 加持は日本へ転属になった。今はミサトと一緒にアスカの護衛をしている。

 そして今日、別ルートで日本に向かっていた式波・アスカ・ラングレーと真希波・マリ・イラストリアスの2人が到着するのだ。飛行機から降りて来た2人を確認すると……

「始めまして。あたしがあなた達のお姉ちゃんよ」

 アスカは満面の笑みを浮かべて言い放った。



[33928] 第8話 電車を降りたら
Name: うにうに◆b1370127 ID:71ba60e9
Date: 2012/07/09 18:26
 暗い部屋に男の声が響く。しかし、その部屋に人の気配は全くなかった。代わりに在るのは、SEELE 01 SOUND ONLYと発光する赤字が刻まれた黒い塊。俗に言うモノリスと言われる物だ。同じモノが五つ存在し、番号が01~05と振られている。

「この報告書は、信じたくないね」

 力無い男の声が響く。

「事実は事実だ。認めねばならん」

 諌める声にも力はない。

「ドイツ支部は何を考えておるのだ」

「あそこはもう駄目だ。惣流博士の一件から、彼女の研究データを否定する事しか考えられなくなっている。その証拠に何一つ成果が出せていないではないか」

 侮蔑を含む声が響く。

「そうは言っても切り捨てる訳には行かん。それに何一つ成果が出せてないのは、表向きの話だけだ。人類補完計画に必要な研究では、一定の成果を上げている」

「それも遅れているがね。……だがまあ、確かに切り捨てる訳には行かんか」

 その言葉が響くと同時に、場を沈黙が支配した。

「それよりも今回の被害についてだ」

 議題は参加者にとって鬱になりそうな物が続く。

「……この被害額。国がいくつ傾くか」

「国連はもう予算を出さぬだろうな」

「ここは我々が私費を投じるしかあるまい」

「それだけでは足りんだろう。表向きの権限だけ剥奪し、周りの不満を解消せねばな」

 ドイツ支部は、ゲヒルン時代に起こした培養棟爆発事故で世界からの信用を失った。そこに追い打ちをかける様に、惣流博士を脅迫し実験体モルモットにして殺害した事が発覚してしまった。他支部の研究者達からは、“惣流博士は人類にとって必要な人だった”や“体面の為に彼女を殺す等、愚かな行為以外の何物でもない”と言う声も出たが、過激な物だと“人類の敵は使徒では無く、彼女を殺したドイツ支部だ”と言う物まであった。

 その不満を抑えていたのが、人類補完委員会でありゼーレの存在だった。しかし今回の一件で、その不満は国連にまで広がり彼らにも抑えきれなくなって来た。ここで“ドイツ支部再建の予算を出せ”と言っても反発は必至だろう。下手をすれば彼らの計画はここで瓦解する事になる。

「セカンド・チルドレンの処遇も問題だ。あれを放置しても良いのかね」

「下手に手を出すべきではない。今回の一件で“セカンドチルドレンに一切の非が無い”と言うのが、世界共通の認識だ。処罰しようとしても、国連や他支部からの反発が予想される。人類救済を理由にしても、日本から連れ出すのは難しいだろう。碇もガードを増員したようだしな」

 ネルフ職員の多くは“人類の未来を守る”と言う、使命感からネルフに志願している。そんな職員達が“本来守るべき子供に戦わせる事”を快く思うはずが無い。“人類を守る為”と自分に言い聞かせ、妥協しているのだ。そんな状況で“子供を守らずに見栄や利権を優先する者”に対して非難が集中するのは避けられない。

 それに拍車をかけたのが、キョウコやアスカに同情的になった職員の誰か(実際はアスカの犯行)が内部情報をリークし始めた事だ。事情が公になれば、アスカを見る者達の目も同情的になる。そこで子供のアスカが“人類の為に”と私情を押さえ、セカンド・チルドレンになれば支持されるも当然だ。

 しかし委員会は、アスカがセカンド・チルドレンになる条件をたやすく無視した。そればかりかドイツ支部は日本の警告を無視し、アスカを虐待してエヴァを暴走させる。同時にドイツ支部は、自分達の無能さ(まともに整備や調整も出来ない)も公表する羽目になった。もはや言い逃れのしようが無い。

「セカンド・チルドレンに関しては如何し様も無い。だが、今回の件で一番の被害は……」

「依り代候補を失った事か?」

「ああ。これで依り代に使えるのは、碇の息子とセカンド・チルドレンだけだ。全ての依り代候補を、碇が抑えている事になる」

 新しいエヴァを作り人柱を立てれば、新しい依り代を作る事は出来る。しかし維持費の関係で、新しいエヴァを造らないと言うのが国連の方針だ。造る事が決定しても、惣流博士が提唱した汎用コア(魂のデジタル化とコアへのインストール)の事は国連上層部に知れている。自分達で造ると言う手もあるが、今から人材や物資を確保するのは不可能だし何より資金が足りない。

「不利……ですな」

「不利は承知の上。碇も独自の目的があるようだが、目的の途中までは我等と道を同じくしている。碇には存分に働かせ、我等が上手く修正すれば良い」

「今は泳がせておくと?」

「それしかあるまい」

「それまでに碇の力を、どれだけ削げるかが計画の成否を分けるな」

 そこから細かい話し合いに突入し、会議が終わったのは数時間後だった。モノリスに刻まれた赤文字の明かりが次々に消え……

「碇め。このままでは終わらんぞ」

 最後に残ったモノリスが、明りを消す寸前にそう呟いた。



 時間は加持が本部に着任した時まで遡る。

 式波と真希波を信頼出来る仲間に預けた加持は、気絶したアスカの護衛としてミサト達と共に日本の本部まで来ていた。そこで上層部に経緯を報告すると、そのまま日本勤務が言い渡された。

 また気絶したアスカを、その日の内に日本に護送した事をゲンドウが高く評価(ドイツに残しておくと、逆恨みした職員に命を狙われかねない)し、目が覚めたアスカからの希望もあって、加持は晴れてセカンド・チルドレン専属護衛として着任する事になった。

「これからは同僚だからよろしくな」

 笑顔で言う加持に、ミサトはそっぽを向くことしか出来なかった。目を覚ましたアスカは、そんな二人を見て懐かしい気持ちになって居たのは秘密である。

 着任の挨拶を終わらせ、アスカをホテルへ送り届けた加持はミサトとバーで合流した。

「よっ。葛城。遅かったな」

「私はあんたと違って暇じゃないのよ」

 皮肉を言うミサトに、加持は苦笑いをしてミサトのカクテルを追加注文する。

「もう5年になるのか……」

「そうね」

 感慨深そうに言う加持に、ミサトが素直に頷いた。2人は言葉少なに昔の話を始める。そして話題がリツコの事になると、ミサトがしんみりした雰囲気を取り払うように聞いた。

「そう言えば、リツコの所には挨拶に行ったの?」

「何かの実験で、ターミナル・ドグマに籠っているらしい。今日は会えなかったよ。明日・明後日にはアスカの護衛で、松代に行かなきゃならないからな。下手をしたら、暫く挨拶に行けないかもしれない」

 加持が少し大げさに、残念と言うリアクションを取った。

「リツコの事もそうだけど、家の若い子に手を出さないでよね」

「おいおい。俺がそんな軽い男に見えるかい?」

「見えるから言ってるんでしょ」

 にべも無く言うミサトに、加持はやれやれと言うリアクションをする。

「話は変わるけどな……」

「何よ」

「葛城はアスカの事をどう思ってる?」

「アスカ? ん~。年の割にしっかりしているとか?」

 そう軽く答えたミサトに、加持は真剣な表情で首を横に振った。

「葛城。始めてアスカに会った時どう思った?」

 加持の態度に、ミサトもふざけるのを止め真剣な表情になる。

「……違和感は有ったわ」

「違和感?」

「ほんの一瞬だけど、私を見たアスカが……なんかこう。笑ったのよ。泣きそうで、辛そうで、それでも嬉しそうに。例えるなら、もう会えないと思ってた人と再会出来たように」

 ミサトは心の中で、もう会えない人=死んでしまった人と結び付けて居た。自分がもし父親と再会出来たら、あんな顔をするかもしれないと思い自嘲する。

 一方で、ミサトの直感に一定の信頼を置いている加持は、ミサトの言葉をよく吟味する為に考え込む。

「変よね。アスカに会った事なんか無いはずなのにね。あの時は見間違いかと思ったけど……」

「恐らくそれは見間違いじゃない。俺も初見の時に、葛城と似た事を感じた。反射的にその違和感を探ろうとしたら、凄く悲しそうな顔をされたよ」

 ミサトの加持を見る視線が、非難する物へと変わる。

「勘弁しれくれ。反省はしている。例の情報を受け取ってから、アスカは誰かを通して俺達の事を知っていると考えるようにしていた。だが葛城の話を聞いて確信した。アスカは俺達の事を直接知っている。知っていなければ、あんな顔は出来ない」

「アスカが私達を騙していると?」

「いや。それは無い。俺には、あんな顔をするアスカが敵とは思えない」

 その意見に賛成なのか、ミサトは僅かに頷くと残りのカクテルをあおった。そして追加のカクテルを頼む。

「そうね。だからと言って、誰かに利用されてる。って言うのも無いでしょうし」

「そうだな」

 ミサトと加持が思い浮かべたのは、碇ユイを名乗る正体不明の人物だ。加持はドイツ支部崩壊のどさくさでデータを盗み出し、アスカから受け取ったデータは十分に信憑性がある物と判断していた。だから尚更彼女(彼?)の正体が分からない。

「兎に角、アスカが嘘を吐いていないのは確かだと思う。だが、全てを語っていない」

「でも……アスカは敵じゃないわ」

「……ああ。俺もそう思う」

 そこで2人の会話は途切れた。



 そして時間は、空港に2人を迎えに行った時に戻る。

 飛行機から降りて来た式波・アスカ・ラングレーと真希波・マリ・イラストリアスを確認したアスカは……

「始めまして。あたしがあなた達のお姉ちゃんよ」

 アスカは満面の笑みを浮かべて言い放った。

 だがアスカに返って来たのは、怯えと敵意の視線だった。その事にアスカは驚愕する。

 式波が震えながらも前に立ち、真希波が必死にその後ろに体を隠す。まるで母猫が、犬相手に子猫を守るようなしぐさだ。特に式波は自分と同じ顔のアスカを異常に警戒し、それが真希波の怯えや不安を増幅させていた。

 アスカは何と声をかけて良いか分からず、固まってしまう。

「何をやっているんだ?」

 そうこうしている内に、加持がアスカに話しかけて来た。2人を連れて来た人は、何時の間にか居なくなっていた。

「……うん。それが」

 言い淀むアスカ。

「ここに長居するのは良くない。積もる話は車の中でしよう」

 加持がそう言って促すと、2人は黙って従う。しかしその表情からは、警戒心しか感じなかった。それを見たアスカは、酷く悲しい気分になる。

 加持に先導され車にたどり着いたアスカ達は、後部座席に3人そろって座る事になった。しかしアスカと2人の間には、微妙な距離感がある。その事に悲しくなったアスカだが、焦って距離を詰めようとすれば失敗するのは目に見えている。

 結局次の言葉をかける間もなく発進し、車の中は嫌な沈黙に支配された。加持もどう声をかけて良いか迷っている様子だ。

 そして怯えた真希波が、式波に抱きつき直そうとした時にそれは起こった。

「つぅ」

「あっ。ごめんなさい」

 式波の口から声が漏れ、真希波がすまなそうに謝ったのだ。式波は何も言わず真希波を抱きしめる事で答えた。それを見たアスカは2人が怯えるのも構わず近寄り、式波の服の腹の部分をめくった。

 式波の腹には青痣があった。それも複数。多少薄くなっているとは言え、白い肌に青黒い|痕(あと)は異常に目立つ。二人の態度と青痣から、何が有ったか想像するのは容易たやすい。

「加持さん」

「ど どうした? アスカ」

 加持が動揺するのも無理はないだろう。アスカから放たれているのは、一流と呼ばれる者が発する殺気だ。間違っても子供アスカが発する事が出来るような物じゃない。

「空港に戻って」

 アスカは怒りのあまり、二人が怯えている事にさえ気付けない。

「戻って、どうするんだ?」

「ちょっと、エヴァを取りにアメリカまで行くの」

 笑顔でそう答えるアスカに、修羅場を潜り抜け鍛えられた加持の勘が警報を鳴らす。ここでアスカを空港に連れて行ったら、絶対に何かとんでもない事が起こる。と……

 必死にアスカをなだめる理由ネタを探す加持の目に入ったのは、ガタガタと怯える式波と真希波だった。

「アスカ。2人が怯えているぞ」

「!?」

 加持の目論見は成功し、アスカは落ち着きを取り戻した。

(うぅ~。やっちゃった)

 結果だけを見れば2人を怯えさせただけだ。その事に気付いたアスカは、怒りに我を忘れた事を恥じ入るばかりである。

(ここは2人を落ち着かせる為に距離をとって……)

 そこまで考えたアスカは、それを否定する様に首を横に振った。

(ここで距離を取ったらダメだ。我を忘れたとは言え、もう踏み込んだんだから。このままじゃ警戒されただけで終わっちゃう)

 意を決したアスカは、そのまま2人を抱きしめた。その瞬間2人の肩が跳ねるが、幸か不幸か2人は抵抗出来なかった。もし抵抗すれば、痛い目にうと学んでいたから。

 緊張から固まっていた2人も、少しすれば自身の状況を確かめる余裕は出て来る。

 ……自分を優しく包み込む温かい何か。聞こえて来るのは、トクン……トクン……と言う鼓動。そこには過去に2人が経験した事が無い、不思議な安心感があった。

「良い匂い」

 先に陥落したのは真希波の方だった。自分を守ってくれる式波と似てる。と言うのが大きいのだろう。

 式波は“真希波を守って来たプライドと言う鎧”で、自らを守っていた。それを失うという不安が、素直に甘えると言う欲求を抑えこむ。その不安を見抜いたアスカは、労わる様に頭を撫で……

「良く頑張ったわね」

 と、声をかけた。それだけで式波の鎧は砕け散り、アスカに抱きつくと派手に泣き始めてしまった。

(やっぱり、あたしとこの娘は双子だわ)

 式波の頭を撫でながら、アスカはそんな事を考えていた。



「ただいま~」

 玄関からの声に、ミサトはソファーから立ちあがる。

「邪魔するぞ」

「お帰りなさい」

 加持が来る事は分かっていたので、ミサトは“歓迎していません”と睨むだけだった。しかし直ぐにそれ所じゃ無くなる。加持の後ろに隠れる2人の少女に気付いたからだ。

「ちょっと加持。こっちに来なさい」

 2人を怯えさせない様に、声と表情を抑えながら加持を空き部屋に引きずり込む。

「なんであの2人を連れて来たのよ」

「怒るなよ葛城」

「怒って無いわよ」

 言い合い?を始めるミサトと加持を放っておいて、アスカは2人をリビングまで引っ張って行く。痴話喧嘩は子供に聞かせるモノじゃない。

「さあ、買い置きの食材もたっぷり有るから、何か美味しい物でも作って……」

 キッチンを見たアスカの動きが、ビキッと固まる事になった。コンロにアスカの身に覚えが無い鍋が鎮座していたからだ。それにこの臭い。(匂い自体は普通だが、あえて臭いと表現する)

 それだけならまた良い。包丁やまな板を使った跡や、野菜の切れ端に市販のカレールーが見えてしまった。

嫌!! これ以上キッチンに近づきたくない。レトルトでアレなのに……)

 鍋を見るアスカの目は、生物兵器を見るそれだ。

(犠牲になった食材には申し訳ないけど……)

 ミサトが戻って来ない内に、カレー鍋を取り落とし床にぶちまける事が決定した。しかし、意を決して一歩踏み出そうとしたアスカを、悲しい現実が襲った。

「この匂いって、もしかしてカレー?」

「うん♪ ドイツ支部に来る前に、一度だけ食べた事があるあれだよ」

 今まで2人は、どんな悲惨な食生活を送っていたのだろう?

 そんな2人の言葉に罪悪感を覚え、動きを止めてしまったのが致命的だった。鍋の前に移動し手を伸ばした瞬間、ミサトと加持が戻って来てしまったのだ。

「あぁ。アスカ。帰って来てから作るのは大変だと思ったから、私が特製カレーを作ってあげたわよん」

(余計な事するな!! ミサトの料理は、食材への冒涜よ!!)

 今思っている事を口に出来れば、どれほど良いだろう。しかしそれを口にした時に待っているのは、生物兵器を口に無理やり投下される未来だけだ。それに今のアスカは、まだミサトの料理を口にした事が無い……事になっている。色々な意味で、拒否は躊躇われる。

 そして打開策が打てないまま、目の前に生物兵器が出されてしまった。アスカの目には、無邪気に喜ぶ式波と真希波が痛々しく映った。加持も若干だが顔色が悪い。

 その後どうなったかは、はばかれるので各自の想像にお任せする。

 結果だけ言わせてもらえば、加持は「破壊力が上がってる」と呟き、2人はカレーがトラウマになり暫く食べられなくなった。アスカは公式にミサトの料理を毒認定し、キッチンに無断で侵入したら“チルドレン毒殺容疑”で制裁すると宣言した。

 この反応に納得していないのは、味音痴のミサトだけだった。



 ミサトカレーパニック事件から次の日、加持は本部のゲンドウの元へ来ていた。

 そして、自分がここへ来る事になった原因を思い出していた。

 …………

 式波と真希波の2人は、本来ならアスカに会う事無く加持の知り合いに預けられるはずだった。アスカが空港に行ったのは、加持とミサトが“折角助けた妹なのだから、一目会いたいだろう”と、アスカに気を使ったからだ。

 それを変える切っ掛けになったのは、アスカの言葉だった。

「この子達を放っておけない。加持さん。如何にか出来ない?」

 アスカの目は、絶対に妹達と離れないと語っていた。

 加持も危ない橋を渡るのは避けたいが、如何にかしてやりたいと言う気持ちは確かにあった。それはこの場にミサト(アスカの在宅を偽装する為に家に残った)が居ても同様だっただろう。いや、ミサトが居ればむしろ煽ったか……

「難しいぞ?」

 加持の知り合いは、世話はしてくれるだろうが親身になり切れないだろう。かと言って、アスカは監視されているので、多少は誤魔化せても一緒に住む事など出来ない。アスカ以外に肉親の温もりを与えてくれそうな人物は、サクヤ位しか思いつかないが、こちらも護衛が居る所為で難しい。

「如何してもと言うなら、サクヤさんの所だが……」

 2人の生存がゼーレに知れれば、どんな手を使っても攫いに来るだろう。ゲンドウにしても、2人の存在は邪魔でしか無い。

「サクヤって誰?」

「あたし達のお婆ちゃんよ」

 式波が聞いて来たので、反射的にアスカが応える。2人はまだ身内が居た事に目を輝かせているが、アスカはそれ所ではない。

「……こんなのはどうだ?」

 加持の提案を聞くと、アスカは暫く考え込んでから頷いた。

 …………

(さて、これからが勝負だな)

 何故か笑いがこみ上げてくる。

「入りたまえ」

 スピーカーから入室を許可する音声が響く。

「失礼します」

 部屋に入ると、デスクに座るゲンドウと、その後ろに冬月が立って居た。

「加持三尉。この報告書にある情報は間違いないかね?」

 最初に口を開いたのは、冬月だった。

「はい。ドイツ支部の事件で逆恨みをした者達が、セカンド・チルドレンへの報復として、祖母である惣流サクヤの命を狙っています」

 冬月は渋い顔をしたが、ゲンドウは相変わらず微動だにしない。

「日本に入られる前に手は打っていますが、完全に防げるかは分かりません。念の為に彼女を保護し、匿うのが妥当と考えます」

「今の護衛では足りないのかね?」

 冬月が確認して来るが、加持は首を横に振った。

「残念ながら日本に入られたら、顔と住所が知れている現状で防ぐのは難しいです。また、護衛の増員も現実的ではありません」

 加持がそう言い切ると、ここで初めてゲンドウが口を開いた。

「許可する」

「ありがとうございます」

 予想より簡単に許可が下りた事に驚いたが、加持は顔に出さなかった。

 もちろんゲンドウが何の理由も無く許可などしない。現在ネルフ本部は、悲劇のヒロインであるセカンド・チルドレンを守るナイトとして、高い評価を国連や他支部から受けている。そのおかげで予算も取りやすくなり、他支部との取引も円滑に進められるようになっているのだ。(以前の予算取得や取引は、成果と威圧感でゴリ押しに近かったので、とても円滑には進められなかった)

 ここでサクヤの護衛に手を抜くのは、セカンド・チルドレンを守らない(ナイトの地位を手放す)と喧伝するような物だ。手に入れた優位性を、わざわざ手放す事はない。それにドイツ支部の惨状を見て、イメージの大切さを学んだと言うのもある。

「では、惣流サクヤには我々が用意した家に隠れ住んでもらいます。細かい事は全て我々警備部に任せてもらっても……」

「問題無い」

 ゲンドウの言質を取れた事に、加持は内心でホッとした。後はサクヤ、式波、真希波の三人を一緒に住まわせて、警備の人間を加持の息がかかった者にすれば良い。注意しなければならないのは、アスカが3人に会いに行く時くらいだろう。

「ありがとうございます」

 礼を言って指令室を辞すると、加持は携帯を取り出しミサトの番号をプッシュする。

「葛城か? 指令から許可を貰った。早急に話を進めてくれ」

 それだけ言って電話を切ると、加持は伸びをして廊下を歩き始めた。「これから大変だ」と、愚痴をこぼしながら……。

 数日で3人を同居させる事は出来た。式波は、惣流・アスナ・ラングレー。真希波は、惣流・マリ・イラストリアス。と言う名前で戸籍登録された。今の戸籍上は他人と言う事になっているが、ある処理をすると3人が姉妹になる様に加持が細工をした。余談だが、2人の素性を聞き一緒に住めると知ったサクヤは、物凄く喜んでいた。

 これでアスカの周りで起きていた問題で、大きな物は全て解決した。後は3年後の使徒襲来を待つだけである。






 人の少ない電車の中で、ボロボロのPDAを弄っていた少年が苦笑いを浮かべた。前髪で目元が隠れ、少し伸びた髪は後ろでまとめられている。奇しくも少年の髪型は、加持リョウジと同じ物だった。着ているのは、どこかの中学の制服の様だ。

「アメリカか。行くの相当嫌だったんだろうな」

 最新のメールを見て、そんな事を口にする。メールの送り主は、現在アメリカに行っている様だ。メールの中身は“また約束を破られた”等の愚痴の言葉で埋め尽くされていた。

「あっちに到着しても直ぐには会えないか……」

 言葉に反して、余り残念そうな表情をしていない。むしろ少し安心した様な印象を受ける。

「アスカも大変だ」

 そう呟いた少年の正体は、碇シンジだった。前回はスッキリとした印象だったのに、今回の彼は少しだらしない印象を受ける。体は相変わらず細いが、筋肉はそれなりに付いている。しかし程良い脂肪に包まれているので、筋肉が目立つ事はない。

(どっちにしろ猶予が出来たって事だよな)

 シンジはそんな事を考えていた。その理由は少し理不尽とも言えるだろう。

 シンジが住む第二東京市は、松代と第三東京市の間にある。アスカは本部に何度か出頭しているので、ニアミスした事があるのだ。普通なら気付かず終わるのだろうが、それでも2人は3回程お互い顔を確認していた。ATフィールドの訓練を積んで、お互いの存在を感じれる2人だから出来る芸当だろう。当然アスカは移動中なので、電車や車に乗っている。対してシンジは徒歩だった。

 そして、こうなる。

 今日はシンジの顔が見れて嬉しい。と言う訳で上機嫌になり、夕食のおかずがランクアップしYEBISUビール追加が許される。ミサト大喜び。(子供シンジの行動範囲の関係で、ニアミスしたのは全てミサトと同居を始めた後だった)

 シンジとアスカは、偶然とは言えお互いの顔を見れた事を喜ぶメールを送り合う。しかしそこで好きな人の顔をもっと見て居たいと言うのは、アスカにとって当然の言い分と言えよう。もっと顔を合わせる時間を延ばせないかと言う話題になる。

 しかし現実的に考えて、乗り物と徒歩では移動スピードが違いすぎる。全力で走っても、高が知れているのだ。そしてシンジとアスカの関係は、まだネルフに知られる訳には行かない。そうすると“お互い我慢しよう”と言う結論に達するのは当然だった。

 しかし理性がそう判断しても、感情は割り切れ無い。結果としてアスカは、最低でも1週間は不機嫌になる。そのイライラが、夕食のメニューとYEBISUビールの本数に直撃するのだ。ミサト涙目である。

 そこでアスカの中に“ちょっと位は良いじゃない”と言う気持ちが出て来たのを、誰も責める事は出来ないだろう。アスカの中で、その“ちょっと”がエスカレートしていなければの話だが……。

 そしてごく最近に有った3回目で、とうとうアスカが切れたのだ。シンジは「ちょっと位は良いじゃない」と言うアスカをなだめる為に、再会した時にお詫びと誠意を見せるように約束させられてしまった。(シンジにとっては)理不尽ここに極まれりである。ちなみにキスは、ちょっと位に入らないと思う。

 シンジの中でハードルはかなり高くなっているが、冷静になったアスカは自分の理不尽さに後悔していて、こちらも悩んでいたりする。

 シンジが頭を抱えている内に、電車は進み目的地に到着した。余裕を持って移動したので、多少時間に余裕がある。

(確か特別非常事態宣言が出されるのは、12時30分からだったよな。流石にゆっくり昼食を取る余裕は無いかな?)

「悩んでても仕方が無いから、ミサトさんには悪いけど歩いてジオフロントに入ろう。昼食はコンビニでおにぎりでも買って食べれば良いや」

 シンジはそう呟くと、ジオフロントのゲートに向かって歩き始めた。



[33928] 第9話 使徒襲来!?
Name: うにうに◆b1370127 ID:71ba60e9
Date: 2012/10/26 16:51
 駅を出発したシンジは、前回の記憶を頼りにゲートに向かって歩いていた。ゲート内に在るモノレールに乗れば、セントラルドグマ手前まで一気に行けるからである。

「……まいったな」

 少し困った様にシンジは呟いた。それも仕方が無いだろう。ネルフ本部へ割り振られた予算が増えた事により、地上の地理が以前と違ってしまっているのだ。構造上の問題からゲートの場所が変わら無かったが、たどり着けるのか不安だろう。

 建物や施設が当てにならないので、山の地形から現在地を何度も確認する。ゲートに到着する前に12時30分を過ぎ、非常事態宣言が出てしまったのも痛い。その所為で、道を聞ける人が居なくなってしまったのだ。

(アスカからゲートの位置は変わって無いと聞いていたから油断した。こんな事なら、待ち合わせの駅で待った方が良かったかな?)

 そんな事を考え始めた所で、ようやく目的のゲートを見つける事が出来た。

「……良かった」

 シンジはそう呟くと、ゲート前に移動しセキュリティーカードをスリットに通す。ロックはあっさりと外れ、シンジは中に入る事が出来た。

 モノレール乗り場には、数人のネルフ職員が居た。

「次のモノレールでラストだぞ」

「何とか間に合った。乗り遅れたらシェルター行きだったな」

「ああ。夜勤+残業明けで、ベッドに入ってと思ったら非常招集だからな。下手したら乗り遅れてた」

「もしそうなったら、何のためにネルフに入ったか分からいぞ」

 表面上は笑っているが、目は笑っていなかった。これから人類の命運をかけた戦いが始まると、自覚しているからだろう。

「あ あの。すみません」

 シンジが話しかけると、職員達の目が不審者を見る物へと変わる。当然と言えば当然の反応だ。

「ここはネルフ関係者しか入れないはずだけど」

「僕は碇シンジって言います」

「……碇?」

「父に……。碇ゲンドウに呼ばれて来たんですけど、非常事態宣言が出て連絡がつかなくなってしまって。何とか自力でここまで来たんですが……」

 シンジはそう言いながら、ゲンドウから来た“来い”とだけ書かれた手紙と仮のセキュリティーカードを提示した。それを見た職員は、手紙の内容にドン引きしている。ちなみにミサトからの手紙は、集合場所と時間の関係上この場に居るのが不自然なので出せない。

「何とか父に連絡はとれませんか? 駄目なら、葛城ミサトさんと言う人でも良いです」

 シンジがそう言うと、(手紙を見なかった事にした)職員達は「碇ゲンドウって指令の事で間違いないよな?」とか「葛城ミサトと言えば、戦術作戦部の?」等と口にし困った様な仕草をした。当然だろう。今のシンジは怪しいと言えば怪しいが、子供であるし何より2人に連絡を取りたいと言ったのだ。親なら実子の声が分からないと言う事は無いだろうし、最悪監視カメラで顔は確認出来る。それに不当に忍び込んだなら、連絡と言う言葉は絶対に出て来ない。……つまり目の前の子供は指令の実子であり、仮とは言えセキュリティーカードは本物と言う事になる。

「……如何する?」

「いや、如何すると言われても……」

 本来なら、この場でゲンドウかミサトに連絡をするのが筋なのだろうが、非常事態宣言の影響で連絡方法が本部に移動し内線電話をするしか無い。しかし、この非常時に子供を本部に連れて行くと言うのも憚れる。そして彼等が迷っている間に、モノレールが来てしまった。

「シンジ君。悪いのだけど、すぐに近くのシェルターに……」

 職員の一人が、シンジを近くのシェルターに行かせようとする。ある意味当然の判断なのだろうが、それを止めたのは意外にも同じ職員だった。

「いや、シンジ君は一緒にモノレールに乗ってくれ。これに乗ればお父さんの所へ行ける」

 少し離れた位置に居た年配の職員が、突然割り込んで来たのだ。

「い いえ、しかし……」

「早く乗らないと、乗り遅れてしまうよ」

 その言葉を受け、全員がモノレールに乗り込む。シンジにシェルターへ行くよう言っていた職員が、年配の職員に小声で話しかける。

「良いんですか?」

「……あの子は、3人目かもしれん」

 そう呟いた年配の職員の声には、苦々しい自責の念がにじみ出て居た。それを聞いた職員達は、下を向いて黙るしかない。

 弐号機とそのパイロットの件から、エヴァに取り込まれた者の子供がチルドレンになると言う噂は在った。そしてシンジの母親である碇ユイが、エヴァに取り込まれたと言う話を知っていれば、シンジが新しいチルドレンかもしれないと言う疑念を持つのは当然だろう。

 そしてこの状況は、シンジにとって都合が良かった。あのままシェルターに行かされそうな場合は、シンジの方からセントラルドグマに連れて行かざるを得ない状況を、作り出さなければならなかったからだ。今の状況を考えれば、余計な疑念を持たれるような行動は避けたい。

 モノレールは順調に進み、セントラルドグマの入り口に到着する。年配の職員がゲート備え付けの電話を取ると、番号をプッシュした。そして電話口で少し話すと、受話器をシンジの前に差し出す。

「もしもし」

 シンジが受話器を受け取り、声をかけると……

「もしもし。私はネルフ本部戦術作戦部作戦局第一課の葛城ミサトよ。碇シンジ君で間違いないわね?」

「はい」

 返事をしながら、シンジは近くにある監視カメラの方を見た。これで顔は確認出来ただろう。ついでに電話をかけてくれた職員に、軽く頭を下げておく。年配の職員は、気にするなとジェスチャーを返してくれた。

「待ち合わせ場所と時間が違うみたいだけど……」

「すみません。早く父に会って済ませてしまいたい事があったので、気持がはやってしまいました。ご迷惑でしたか?」

 シンジがそう言うと、ミサトも強くは言えなかった。今の状況を考えると、ミサトは待ち合わせ場所に間に合わなかったからだ。不審は不審だが、シンジの行動はありがたいと言っても良い位である。

「気にしなくても良いわ。それより、ごめんなさい。今ちょっと立て込んじゃってて。……手が空き次第迎えに行くから、ちょっちそこで待っててね」

「分かりました」

 シンジは電話を切ると、既に職員達は居なくなっていた。周りを確認すると、近くにベンチがあったので腰掛ける。そして目を閉じると手を胸に当てた。

(母さん。とうとう始まるよ)

 シンジがそう念じると、心臓以外の何かが返事をするようにトクンと鼓動する。いや、したように感じた。それはシンジの中に居る者の肯定のサインだ。アスカの中に居てシンジの中へと移ったモノの正体は、シンジの母である碇ユイの魂だった。

「ふぅ~」

 シンジは大きく息をくと、途中のコンビニで買ったおにぎりとお茶を取り出し食べ始める。シンジの頭の中には、これから上手くやれるかと言う不安でいっぱいだった。

(使徒との戦いも不安だけど、父さんと母さんの関係を一度清算しなきゃいけないからな。打ち合わせ通り上手く演技が出来れば良いけど。父さんとリツコさんの関係が無ければ、ここまでこじれる様な事は無かったのに……)

 シンジの不安(と言うか愚痴?)が伝わったのだろう。シンジの中に居るユイが、励ます様に鼓動を打った。

(分かってるよ。母さん。……父さんと母さんがやり直すのかは分からないけど、一度けじめをつけなきゃならないのは分かってる)

 ユイに語りかけると言うよりは、自分に言い聞かせる様な雰囲気だった。



 シンジが食事を終えて20分と少し経った頃に、ようやくミサトが迎えに来た。

「シンジ君。お待たせ。私が……」

 そこでミサトの口は止まってしまった。

(この子は、アスカと……)

 シンジと目が合った瞬間に、アスカと初めて会った時の光景がフラッシュバックした。アスカもそうだったが、シンジも複雑な感情を隠しきる事が出来なかったのだ。

「あっ 葛城さん。ですよね? 直接会うのは初めてですね。碇シンジです」

「え ええ。そうね。私が葛城ミサトよ。ミサトで良いわ」

 何とかそう口にしたミサトだったが、動揺は完全に治まってはいなかった。事前に資料を見た限り、性格は全然違うはずなのに……何処か加持を連想させる少年だった。加持はミサトにとって、ある意味最も苦手な人物とも言える。接し辛いと思うのは仕方が無いだろう。そこに最も頭が上がらない人物アスカにまで似てるとなれば、動揺の一つもして当たり前だ。いっそ天敵認定してしまいたい位である。

「父とはもう会えるのですか?」

「ええ。案内するわ」

 今回のミサトは迷う事無く、ボート乗り場に到着する事が出来た。アスカの護衛として何度も本部に顔を出していたのが原因だろう。むしろ今回ミサトが苦心しているのは、シンジとの会話の方だった。ゲンドウからの“来い”とだけ書かれた手紙から、父親の事について少し話し気まずさは多少マシになったが、それ以上の話題が無く会話が途切れてしまった。

 一方でシンジの方も、ミサトとコミュニケーションを取るのは避ける様にしていた。アスカからミサトが加持と上手く行っていると、連絡を貰っていたからだ。また同居する事になれば、加持とミサトの交友を邪魔する事になってしまう。それはアスカも同意見で、お互いミサトの家には住まないと事前に約束をしていた。シンジの本音を言わせてもらえば、馬に蹴られて死にたくないと言う奴だ。……最もアスカの本音は別の所にあるは言うまでも無いが。

 そうこうしている内に、ミサトが運転するボートが初号機の格納庫に到着した。そこには部下に指示を飛ばすリツコが居た。

「あら? ミサト。早かったわね」

 少し驚いた様な表情をしているリツコだったが、シンジはそれ所では無かった。エヴァンゲリオン初号機が目の前に在ったからだ。シンジにとっては辛い戦いを共にした相棒であり、最も強い絆の象徴であり、戦いに引きずり込んだ元凶であり、ある意味母その物でもある。複雑な感情を抱くと言う意味では、ミサトのそれを上回ると言って良い。言葉が出ないのも仕方が無いだろう。

「あら? どうやら驚かせてしまった様ね」

 リツコの声には、何処か残念そうな感情が見て取れる。前回の様にいきなり明りを点けて、インパクトを持たせたかったのだろう。そして複雑な感情から黙り込んでしまったシンジの反応を、驚きのあまり絶句していると勘違いした様だ。……だがミサトは、それを見逃してはいなかった。

「ロボットに見えるでしょうけど、これは厳密に言うとロボットでは無いわ。人の造り出した究極の汎用決戦兵器!!」

 初号機を見ながら説明を始めたリツコは、そこでシンジに向き直り言葉を続ける。

「人造人間エヴァンゲリオン」

 そこでいったん切り、再び初号機の方に向き直ると「我々人類最後の切り札。これはその初号機よ……」と付け足した。

「あの……貴方は?」

 シンジがそう口にすると、リツコの眉がピクリと反応した。どうやらリツコは、シンジの反応が最初の一瞬以外薄いのが不満の様だ。

「あら? 自己紹介がまだだったわね。あたしは技術一課E計画担当博士 赤木リツコよ」

 リツコの自己紹介にシンジは、「碇シンジです」と簡素な返事を返しただけだった。そして更に説明を続けようとするリツコをさえぎって、シンジは自分の要求を口にする。

「僕に関係の無い話はもう良いです。それよりも父に会って、早く済ませてしまいたい事があるのですが……」

 リツコの眉間に皺が寄った。どうやら相当ご立腹の様だ。

「あのね。シンジ君……」

 リツコがシンジの立場を口にしようとした時、ケージが揺れた。

「地震!?」

「いえ、国連軍がNN地雷を使ったんだわ」

 驚いたシンジに、ミサトが律義に状況を教える。シンジが本当に驚いた理由は、思ったより揺れた事だったのは秘密である。

 揺れが治まると、リツコは計器類に破損や異常が無いかチェックする様に部下に指示し始めた。ミサトとシンジは、やる事が無く立ち尽くすしか無い。

「ミサトさん。ここに居ると邪魔になりますから、別の場所へ移動しましょう」

「あぁ。えっと。シンジ君のお父さんとの待ち合わせ場所が、ココだったりして……」

 気まずく立ち尽くす羽目になるミサトとシンジ。何とか話題を探すミサトだったが……

「何故僕はここに案内されたのですか? こんな機密だらけの場所に……いくら指令の息子とは言え、気軽に見せて良い物では無いでしょう?」

 先にシンジが、核心に迫る事を聞いてしまった。しかしこれは、ミサトの口から言うべき事ではない。

「えっと。それはシンジ君のお父さんが来て説明してくれるから……」

 この時のミサトは、そう言ってお茶を濁すのが精一杯だった。

「分かりました」

 ミサトとシンジは隅っこに移動して、黙って待つ事しか出来なかった。



 5分弱。ゲンドウが到着するまで、ミサトとシンジが待った時間だ。最もミサトとシンジは、1時間は待たされた気分である。これ程居心地の悪い時間は、なかなか経験出来ないだろう。

「久しぶりだな」

 ゲンドウが現れたのはケージの上方の窓で、高低差は10メートル近くあった。しかも姿はガラス越しで、声もスピーカー越しである。前回はそれ所じゃ無かったが、冷静に見るとゲンドウの対応は息子に対する物じゃない。その事にシンジ(+ユイ)が、反感を持つのは当然と言って良かった。

「シンジ。私が今から言う事を良く聞け」

 淡々と語るゲンドウに、シンジの反感は大きくなる一方だ。それにゲンドウは気付いていない。

「このエヴァンゲリオンには、お前が乗るのだ。そして“使徒”と闘うのだ」

 ミサトは予想出来て居たのか、今回は口を挟まなかった。リツコが横から使徒についての説明を始めたが、シンジは適当に聞き流しゲンドウを睨みつる。ここに来てシンジの反応が、予想を大きく外れて居る事にゲンドウとリツコはようやく気付いた。

「シンジ?」

 ゲンドウが訝しげにシンジに声をかける。

「そろそろふざけるのは止めてくれないかな」

「ふざけてなどいない。お前がこれに乗って戦うのだ」

 声は平静を保っていたが、ゲンドウは内心かなり焦っていた。

「母さんの事があったのに、僕がこれに乗れると本気で思ってるの?」

「!? シンジ。まさか覚えて……」

「覚えてるに決まってるだろう。あの後毎日の様に、母さんが苦しみながら溶けて行く姿を夢に見たよ」

 ゲンドウは絶句するしかない。それが本当なら、シンジはエヴァとシンクロ出来ないからだ。心理的な事がシンクロ率に影響する以上、シンジはエヴァをこれ以上無いと言う位に拒絶するだろう。そしてミサトは(エヴァを見た時の表情はそれが原因か)と、納得もしていた。勘違いだが……。

「母さんを……自分の妻をモルモットにした狂人が、偉そうな事を言わないでほしいね」

 シンジの蔑みの視線がゲンドウに突き刺さる。

「ち 違う!? 私はユイの事を……」

「芝居はもう良いって言ってるだろう!!」

 それ以上言わせない方が良いだろう。誰の為とは言わないが。そしてシンジは、更なる爆弾を落とす。

「やっとの思いでエヴァから出て来た母さんに、お前は何をした!!」

「し シンジ? おまえは何を……」

 呆然とそう口にするゲンドウだが、シンジはそれ以上言わせない。

「母さんは目覚めたら、お前や僕が隣に居てくれると信じてたんだぞ!!」

 もはや周りに居る誰もが、シンジの言葉について行けなくなっていた。

「それなのに目覚めた場所は、日本ですらなかった!! お前がゼーレとか言う奴等に、母さんを売り渡したんだろう!!」

 叫んで乱れた息を整えているシンジに、ミサトが話しかけた。ゲンドウとリツコは思考が完全に停止していて、その余裕が全く無かったからだ。

「シンジ君“も”碇ユイ博士と会ったの?」

「はい。“も”って言う事は、ミサトさんも母さんに会ったんですね。何処でですか?」

 ミサトが確認すると、シンジは戸惑う事無く頷いた。そしてミサトを共犯者に仕立て上げようとする。

「ドイツで……」

「あぁ。アスカを助ける為に協力してくれたネルフ職員って、ミサトさんの事だったんですか」

 ミサトが余計な事を言う前に、シンジはその発言を潰した。ここまで来たら、アスナやマリの事をゲンドウに隠す意味も無いのでを平気で付けて居る。そしてシンジが“アスナとマリの事を知っている”と気付いたミサトは、シンジと自称碇ユイが無関係でない事を確信した。

「……ええ。直接は会えなかったけどね(これはいよいよ“碇ユイ”本人である可能性が出て来たわ)」

 ミサトが補足した事により、“ユイがエヴァから脱出している”と言う証人としては成立しなくなった。もともとちゃんと確認すれば、アスカを通して名前だけ聞いたとバレてしまうから意味は無いのだが、この場を混乱させ迷いや疑念を抱かせるには十分に効果がある。当然戯言として片付けられない様に、ダメ押しとなるモノをシンジは用意している。

「まあ、どの道初号機こいつの中に、母さんの魂が入っていないのなら……」

 シンジがそこで言葉を止めると、ゲンドウやリツコを含むネルフ職員全員の顔色が変わった。もしも今言った事が事実なら、シンジは適格者チルドレンとしての資格を失っている事になる。そうでなくとも、シンジはエヴァを拒絶しシンクロが出来ないのだ。汎用コアを準備するのも、誰かをコアにインストールするのも間に合わない。第3使徒サキエルはもう目の前に居るのだから。

 今ゲンドウに出来る事と言えば、重傷を負っているファースト・チルドレンのレイを出撃させる事くらいだろう。

「冬月。レイをこっちによこせ」

「使えるのかね?」

「他に手段は無い」

 ゲンドウの口調に力は無かった。シンジが言った事の真偽は気になるが、今が絶望的な状況である事に変わりないからだ。

 ゲンドウの指示を聞いたリツコは「初号機のシステムをレイに書き換えて。起動させるわよ!!」と指示を飛ばし始めるが、こちらの声にも力は無い。

「今のレイでは……」

 ミサトが辛そうに呟くが、誰一人としてそれに応える者は居なかった。やがて研究員に支えられながら、綾波レイがケージに入って来る。前回と比べて出撃が無かった分怪我は軽い様だが、痛々しい姿に変わりは無かった。

「その子を“使徒”とか言う奴と戦わせるの? 怪我してるじゃないか」

「まだ居たのか!! 邪魔だ!! 帰れ!!」

 シンジがそう言うと、ゲンドウが怒りにまかせ怒鳴り散らした。

 それを無視して……

「何故母さんがエヴァから出てこれたのか?」

 と、シンジが大きな声で言うと、ゲンドウが再び怒鳴ろうと大きく息を吸った。

「魂が無いエヴァは魂を求める。だからエヴァは、最初にシンクロした人間を取り込んでしまうんだ。初号機は母さんが、弐号機はキョウコさんが犠牲になった」

 続くシンジの言葉に、ゲンドウが黙りリツコの指示が止まった。

「でも何事も例外はある。初号機の中には、その元となったモノの魂の一部があった。母さんはその一部と接触し、それを一つの魂へと育て上げた。より自身に近い魂を得たエヴァは、母さんの魂に執着しなくなり外に出る事が出来た」

 この場に居る全員が、シンジの次の言葉を待つ。

「母さんが育てた魂は、母さんの魂の情報を多分に写し取っている。ある意味その魂と僕は、兄弟と言えるだろうね」

 そこまで言うと、リツコは何が言いたいか理解した様だ。

「つまりシンジ君もエヴァを動かせる」

 シンジが言った事が全て本当なら動かせるだろう。嘘だったとしても、ユイの魂が初号機の中にあれば動かせる。前者ならば、ある意味ゲンドウの目的は達せられている事になるし、自分から言い出したと言う事はシンクロ出来ないと言う事も無いだろう。ならば重症のレイより、訓練を受けて居ないシンジの方が幾分マシだ。後者ならば当初の予定通り計画が進むだけだ。シンジに余計な事を教えた者を、徹底的に調べなければならないが……

「シンジ!! 乗れ!!」

 ゲンドウが高圧的に言い放ったが、シンジは冷ややかな視線をゲンドウに向けるだけだった。嫌な沈黙に包まれながら時間だけが過ぎて行く。

 …………

 ……

 先に沈黙を破ったのは、シンジの方だった。一度眼をつぶると、大きな溜息を吐く。

「条件が三つあります」

「……言ってみろ」

「一つ。危険な任務に当たるのだから、相応の報酬を頂きます。受け渡しや金額は、そちらの規定通りで良いです」

 ゲンドウは黙って頷く。

「二つ。僕はあなたと親子である事が耐えられません。親権の放棄に同意してください」

 渋い顔をしたが、今度もゲンドウは頷いた。

「三つ。母さんとの離婚に同意してください」

「ふざけるな!!」

 三つ目には、流石のゲンドウも同意出来なかった。感情的になり怒鳴ってしまう。組織のトップとして、あってはならない姿だ。

「母さんから離婚届は預かって来ています。母さんが記入すべき所は、全て記入し拇印を押してあります。親権放棄の同意書も母さんが作ってくれました。こちらも必要事項の記入と、拇印もしくは捺印をお願いします」

 事務的に言い切るシンジ。しかしゲンドウは、拇印の所で反応した。拇印……つまり指紋を確認出来るのだ。サインから筆跡鑑定も出来るだろう。

 ちなみにサインは、シンジとユイと入れ替わり書いた本物である。拇印もATフィールドの応用で、指をユイ化して押した本物だ。(その気になれば、完全には無理だが全身をユイ化出来る)これがシンジとユイが用意したダメ押しだ。

「僕がエヴァに乗るのは今回限りです。次回以降にも乗って欲しいなら交渉は受け付けますが、今回の条件が履行されないなら……」

 シンジの目は、二度と乗らないと語っていた。約束を履行しなければ、交渉のテーブルに着く事さえ出来ないだろう。冷静さを取り戻したゲンドウは、それを敏感に感じ取った。そして今は何が最善か考えると、必然的にシンジを乗せるしかない。シンジが出した条件を如何するかは、後で決めて対応すれば良いだろう。いざとなれば約束を反故にすれば良いし、次の使徒が来る頃にはレイの怪我もある程度回復しているだろう。

「分かった。条件を呑もう」

 ゲンドウはそれだけ言うと、スピーカーのスイッチを切った。

「シンジ君。エヴァに乗る為の説明をするわ」

 リツコがシンジに話しかけるが、シンジは首を横に振った。

「母さんからレクチャーは受けて居ます。ヘッドセットだけください。あっ、着替える時間があるならプラグスーツも……」

 次々とシンジの口から飛び出すエヴァ関連用語に、リツコは顔が引き攣るのを必死に我慢した。

「プラグスーツはまだ未調整なの。今回はヘッドセットだけで出て」

「分かりました。財布や貴重品はお預けしますので、着替えだけは用意しておいてください」

 シンジはそう返事をすると、インターフェース・ヘッドセットと財布や貴重品・機械類(PDA内の情報は、知られて困る様な物は入っていない。アスカとやり取りしたメールも、見られても問題無い様に気を付けている)を交換し、そのまま初号機の方へ歩き出す。その姿にリツコとミサトは、シンジが本当にエヴァに乗るのが初めてなのか分からなくなってしまった。



 指令室に移動したミサトが、シンジに指示を出して行く。

「本来なら簡単な動作チェックや練習をしたかったんだけど、敵が目前に迫っている以上そんな余裕はないわ。こちらの武装はプログレッシブナイフしか無いから、戦闘は必然的に接近戦になるわ。距離を取ると目から出る光線で狙い撃ちにされるから、絶対に離れない様にして」

 動作確認や練習もしていないのに、いきなり格闘戦をしろと言うのがどれだけ無茶な話かミサトも理解している。理解していてもそう命令するしかない自分に、絶望的な気分になる。しかしそれを顔に出さずに、少しでも勝率を上げようと思考をめぐらせる。

 LCLの注水が終わり、シンクロもスタートしている。リツコとマヤが、シンジが叩きだしたシンクロ率に目を白黒させているが、今のミサトにはそれを気にする余裕は無い。

「上の街の被害を抑えたいから、射出場所は敵が街に入る前にその後を取るわ。出撃と同時に戦闘開始だから注意して」

「はい」

 シンジは返事をすると、再びエヴァのシンクロに集中する。

(シンジ。お待たせ)

(母さん。上手く行ったの?)

(ええ。この世界の私と融合して、分身をエヴァの中に残して来たわ。計画通りよ。シンジの方はどう?)

(うん。確認した。シンクロ率はいくらでも調節可能だよ。アスカと前に話した通り、60%位で安定させるつもり。あと初号機は、アンチATフィールドも使えるみたいだ。これが有れば、使徒の死体回収を阻止できるよ)

 使徒の死体(サンプル)を回収させると、4号機が完成するのを早めてしまう。結果的に3号機は日本に運ばれ、シンジのクラスメイトが犠牲になるだろう。それに4号機は“S2機関の搭載実験機”でもあるので、量産機の製造を遅らせ性能を落とせるかもしれない。

「シンジ君。行くわよ」

「はい」

 ユイと対話している内に、どうやら発進の準備が整った様だ。

「発進!!」

 ミサトの号令と共に、シンジの体に強いGが掛かる。そして初号機は、以前と違い山間の射出口に初号機が射出される。しかし、目の前に第3使徒サキエルが待ち構えてる居る事実は変わらなかった。

最終安全装置解除!! エヴァンゲリオン初号機リフト・オフ!!(クゥ。こちらの動きを察知していたか。待ち伏せされたわネ……)」

 ミサトの顔に冷や汗が伝う。

「シンジ君。先ずは……」

「行きます」

「えっ。ちょっ 待ちなさいっ!!」

 ミサトが止めるのも聞かず、シンジはサキエルに向かってエヴァを走らせる。そして、左手を前に突き出し右拳を振りかぶった。そんな初号機に向けて、本能的に危機を感じ取ったのか、サキエルはATフィールドを展開させる。

 初号機の左手とサキエルのATフィールドがぶつかり、初号機の足は止まってしまった。

「「絶対領域ATフィールド!!」」

 ミサトとリツコの悲鳴が重なった。

「やはり使徒も持っていたんだわ!! フィールドをはってるか……」

 リツコの言葉は、そこで止められる事になる。初号機が振り抜いた右手が、敵のATフィールドを貫通し赤い光球コアを殴り飛ばす。しかしサキエルは、吹き飛ぶ事無く赤い液体となって消えてしまった。

「えっ!?」

 その声は誰の物だったのだろう? あまりにもあっけない幕切れに、指令室に居る人間は誰一人として自分達の勝利を認識出来なかった。

「使徒殲滅しました。帰投の指示をください」

 シンジの通信により一部の職員に勝ったと言う認識が生まれるが、大半の職員達は未だ呆然としたままだった。

「パターン青は?」

「っ 消滅しています」

 ミサトが確認すると、その声に正気を取り戻した青葉が答える。

「ガイドを出すから、それにしたがって。マヤちゃん。お願い」

「分かりました」

「……はっ はい」

 シンジが即座に了承し、遅れて再起動したマヤが返事をする。第3使徒サキエル戦は、あまりにもあっけなく終ってしまった。





 悠然と帰投する初号機を、ゲンドウと冬月は呆然と見つめていた。

「如何するのだ?」

 初号機に乗ったシンジの力を見てしまっては、今更シンジを戦力から外すと言う選択肢は取れない。と言うか、周りがそれを許さないだろう。

「も 問題な い」

 ゲンドウにはそう呻くことしか出来なかった。



[33928] 第10話 初心者兄妹の出会い
Name: うにうに◆b1370127 ID:71ba60e9
Date: 2012/10/26 17:36
 使徒を殲滅し帰投したシンジが最初に行ったのは、ある意味先程の使徒戦よりもキツイ事だった。

(……久しぶりと言うのもあるけど、何度やっても慣れないや)

 心の中で愚痴りながら、肺の中に残ったLCLを口から吐き出す。肺を口より高い位置にしないといけない為、尻を上げ頭を低くするその姿はまるで土下座をしているようだ。神に懺悔しているようにも見える。

(血の臭いがキツイ)

 永い時間LCLに浸かっていた所為で鼻がバカになっているのだが、過去の経験から如何しても血の臭いを意識してしまう。

 LCLを全て吐き出して立ち上がったシンジは、エントリープラグから出ると大きく深呼吸をする。そのままにしているとLCLが乾いてしまうので、近くに居た作業員にシャワー室の場所を聞くと駆け込む。そしてシンジと入れ違いになる形で、ミサトとリツコがケージに飛び込んで来た。

「シンジ君は?」

「シャワー室です」

 ミサトの質問に、シンジにシャワー室の場所を教えた作業員が答える。それを聞いたリツコが、悔しげに舌打ちした。エヴァンゲリオンに関しては、リツコでさえも“分からない事の方が多い”と言わざるを得ない代物なのだ。シンジの口から飛び出した“エヴァに関連する知識”から、リツコもユイ生存の信憑性を認め始めていた。そしてシンジから“自分の知らない情報”を、引き出せるかもと期待してしまったのだ。そうでなくとも“先程の使徒をどうやって倒したのか?”等、聞きたい事は山ほどある。

「仕方が無いわね」

 リツコはそう呟くと、部下達に初号機のチェックを指示し始めた。はやる気持ちはあるが、シンジが居なくなる訳ではない。そう自分に言い聞かせ、今は出来る事をする事にしたようだ。

 一方でミサトは、預かっていたシンジの私物や着替えを持って来たのだが、シャワー室まで突入するのは如何かと思い躊躇する。普段のミサトならその位の事は気にしないのだが、シンジに持ってしまった苦手意識が原因だろう。

(どの道着替えを渡さなきゃ、シンジ君は出て来れないじゃない)

 そう思ったミサトだったが、結局近くに居た作業員(男性)に着替えだけ持って行くように頼み、シャワー室の前でシンジが出て来るのを待つ事にした。結果的にそうしたのは正解と言える。もしそのまま突入していたら、LCLで濡れた服と悪戦苦闘するシンジ(半裸)と遭遇し、その関係が更に気まずい事になっていたからだ。

 本来のミサトの立場なら、この程度の些事(着替えを届ける)にたずさわる必要はない。むしろ今頃戦闘の後始末に追われているはずである。苦手意識を持ってしまった相手に、進んで世話を焼くような性格でも無い。なのに何故ミサトはここに居るのだろうか?

 その答えを一言で言えば“アスカという実績があるから”である。

 結果だけ言わせてもらえば、ミサトは気難しいセカンド・チルドレンに同居(監視・監督)を了承させ、ドイツ行きで不安定になっていた彼女の精神を安定させた……事になっている。実は前の世界でも(アスカの精神を安定させたと言う意味で)、ドイツで似た様な評価を受けていた。これはミサトの人徳と言って良かったが、前回と比べその評価は比べ物にならない位に高くなっている。その実績を評価したゲンドウが、サード・チルドレンの監視・監督も任せるのは、ある意味で当然の流れと言って良かった。(その所為で、ミサトの今の階級は三佐だったりする)

 そして監視・監督をするには、ある程度相手とのコミュニケーションを取り信頼を得るのも必要……と言う訳である。

 残念ながらミサトの実績は、アスカ側に一方的に面識があったから話がトントン拍子で進んだだけで、在りもしない実績を評価され難しい仕事を回されたミサトは実に不幸と言える。そのあおりを食らい、残業が増える日向の不幸はミサトの比ではないが……。

 そう言う訳でシャワー室の前でシンジを待って居たミサトだが、シンジはなかなか出てこなかった。あまりに遅いので心配になり、外から声をかけても反応が無い。そしてミサトが、シャワー室への突入を考え始めたろ頃にようやくシンジは出て来た。その恰好は、ネルフ付属の病院着だ。

「はい。シンジ君。預かっていた物を返すわね。時間がかかったみたいだけど……」

「すみません」

「あっ。攻めてる訳じゃあないのよ。心配になって何度か外から声をかけただけだから」

「すみません。気付きませんでした」

 ミサトは純粋に心配して言っているだけなのだが、シンジは謝るばかりである。

「何かあったの?」

 本格的に心配になったミサトが、もう一度聞くとシンジは言いにくそうに口を開いた。

「……血の臭いが、落ちない気がして」

「ッ!? ごめんなさい」

 辛そうにうつむき両手を見るシンジは、先のふてぶてしい印象とは打って変わって実に弱々しい物だった。シンジの落ち着きぶりから、彼がまだ“14歳の少年”である事を、ミサトは失念していたのだ。シンジの精神年齢を考えれば、ある意味仕方が無い事なのだが、ミサトの自己嫌悪は計り知れない。そうで無くともシンジに関わるのは、監視・監督をすると言う(ミサトにとっては)後ろめたい理由なのだ。

「ミサトさんが謝る事なんて無いですよ。それより、早く父に会って済ませてしまいたい事があるのですが……」

「それは大丈夫よ。指令は直ぐに会ってくれるそうよ。ついて来て」

「はい」

「……何処へ行くの」

 シンジは素直にミサトの後ろに続いたが、リツコに呼び止められてしまう。

「指令の所よ。シンジ君が早く済ませてしまいたい事があるんですって」

「なら、あたしも行くわ。ちょっと待ってて」

 リツコはそう言うと「……後はマニュアル通りにお願い。先にあたしから指令に報告しておくから、報告書の作成はお願いね」と指示を出す。そして部下と2~3何かを確認すると、ミサトとシンジの所に戻って来た。

「お待たせ。さぁ、行きましょう」

 笑顔で言うリツコの目は、確実にシンジをロックオンしていた。その目が身に覚えがあったモノだったので、シンジの顔が引きつるのも仕方が無いだろう。

(これは放っておくと、根掘り葉掘り聞かれる。……いや、問い詰められる)

 キョウコと語り尽くした悪夢再びである。そしてシンジも何時ボロが出るか分からない状況で、色々と聞かれたくなかった。だからあらかじめ釘を刺しておこうと思うのも仕方が無いだろう。

「シンジ君にちょっと聞きた……」

「エヴァに関する事は、僕では良く分からないので母に直接聞いてください」

 そう突き放すと、リツコの表情が何とも言えない複雑な物になる。恋敵であり嫌いな人間でもあるが、一科学者としては尊敬しているからだろう。

「会えるの?」

「父の真意次第ですね。場合によっては、母さんもここに来てネルフに協力する事になると思いますから」

 シンジがそう言うと、リツコは下を向いて黙ってしまった。(これならもう問い詰められる事もないだろう)と判断したシンジは、ミサトに移動を促した。



 ミサト、リツコ、シンジの順に並び、ゲンドウが待つ指令室へ向かって歩いている。時々ミサトが振り向き、シンジがちゃんと付いて来ているか確認しているが、その表情は暗いとしか言いようが無かった。

(リツコ。お願いだから何か喋ってよ~)

 ミサトがリツコと一緒にケージに来たのは、シンジと2人では間が持たないと判断したからだ。そして上手く行けば、リツコを交えた会話から“シンジと信頼関係を作る取っ掛かりがつかめるかも”と言う、淡い期待もあった。だがリツコはミサトの期待を裏切り、下を向いて黙りこんでしまう。機械音しか聞こえないこの状況は、ミサトにとって苦行以外の何物でもなかった。

 移動していれば、いつかは目的地に到着する物である。幾つかの角を曲がると、ようやく指令室のドアが見えて来た。

(やっと着いた~)

 目的の場所に到着したが、ミサトは泣きたい気分になっていた。自分の職務上、シンジと仲良くなるのは必須と言える。その取っ掛かりが全く見えないのだから、当然と言えば当然である。そんな考えを振り払い、インターフォンを取る。

「指令。サード・チルドレンを連れて来ました」

「入れ」

 返事が来ると同時に、プシュッと音を立ててドアがスライドする。

「シンジ君。お父さんが中で待っているわ」

「はい。失礼します」

 返事をすると、シンジは指令室へ入る。指令室には、指を組み口元を隠すいつものスタイルで座るゲンドウが居た。薄暗くサングラスもかけているので、その表情を読み取る事は困難を極める。それに加え、ネルフと言う巨大組織のトップと言うだけあって、かなりの威圧感を放っていた。大抵の人間は、この場に居るだけで及び腰になり、まともに交渉等出来ないだろう。

 この光景を、冬月がゲンドウの斜め後ろで(大人げない)等と思っている。続いて入室して来たミサトとリツコも、同じ感想を抱いただろう。そこに親子として、関係を修復しようと言う意思は一片もない。しかし組織として見ると、否定しきれない部分もあるのだ。

 ゲンドウは未だ方針を変更しておらず、シンジを息子としてではなく部下……コマとして扱う心算でいる。そこはダメと言わざるを得ないが、公私の分別を付けるのは当たり前だろう。そして先のシンジの態度から、扱いやすいとはとても言えない。上司が部下に舐められていては、組織が立ち行かなくなってしまうからだ。

 しかしシンジは、そんなもの関係ないと言わんばかりに前に出て、ミサトから返してもらったカバンから封筒を取り出す。

「母さんから預かって来た、離婚届と親権放棄同意書です」

 シンジがデスクの上に封筒を置くと、ゲンドウは組んだ指をほどき封筒を取ると中身を取り出す。そして中身の書類を確認すると。

「……ユイの字だ」

 ゲンドウがそう口から洩らすと、冬月が思わずと言った体で書類を後ろから覗き込む。

「拇印の他にも母さんが書類を作ったので、そこらじゅうに母さんの指紋が付いているはずですよ」

 シンジが皮肉をこめて言うと、ゲンドウの眉間に皺が寄った。

「シンジ。ユイは……」

「母さんはエヴァの外に出ています。あなたが本当に無実と言うなら、母さんと会う機会もあるでしょう」

 シンジがそう言うと、ゲンドウは書類を置き額に手を当て溜息を吐く。そして手をデスクの上に置くと……。

「私は無実だ。疑うにしても、離婚届は確認が取れてからで良いだろう」

 ゲンドウは“今はシンジの言葉を信じた事にして話をする”と、決めた様だ。ぶっきら棒にそう言い放つが、シンジは首を横に振る。

「何故だ? 私がユイを誰かに渡すなどありえない」

 ゲンドウの語気が若干強まった。だが次のシンジの言葉で、黙らされる事になる。

「離婚届はそれとは別件です。一応、母さんからの伝言ですが……『私とやり直すにしても、新しい恋人と生きて行くにしても、ちゃんとケジメは付けましょう』だそうです」

 ゲンドウが絶句して固まる。周りの反応も似た様な物だ。それを無視してシンジは続ける。

「母さんは相手の事を知っているみたいですが、僕も詳しい話は聞けませんでした。……怖かったので」

 この話題が出た時のユイを思い出し、背筋が寒くなったが、それを振り切る様にシンジは続ける。

「たとえ貴方が無実だとしても、ケジメを付けると言う意味で僕もこの離婚に賛成です。そしてエヴァに乗る条件として提示したので、この約束が履行されなければ、エヴァに乗る交渉は今後一切受け付けません。例え人類を救う為であったとしても、約束を破る人とは交渉の余地はありませんから」

 シンジはそこまで言うと、最後に「まあ、これはそれ以前の問題ですが」と、止めに付け加えた。

 ここまで言われたら、ゲンドウに反論の余地は無い。

「……分かった」

 ゲンドウが同意すると、シンジは小さく頷いた。

「それから、今後もエヴァに乗るとしたら、僕もこの町に住む事になんですよね」

「ああ」

「なら、この場で住む場所の要望……と言うか、条件を言わせてもらいます」

「言ってみろ」

 ゲンドウが促すと、シンジは頷き条件を言い始めた。

「当然身の危険が付きまとうので、セキュリティーが高い物件である事です。それから貴方達が本当に無実なら、母さんもここに来て一緒に住む事になります。そして一緒に住むのは、母さん一人だけじゃないんですよ」

「ど 如何言う事だ?」「如何言う事な んだね」

 ゲンドウだけでなく冬月も、我慢出来ずに口を開いた。

「それはあなた達には関係ないでしょう。人数は最大で8人まで想定しておいてください」

 この8人と言うのは、シンジ、ユイ、レイ、アスカ、アスナ、マリ、キョウコ、サクヤの8人だ。……この中でサクヤだけが、如何なるか分からない。彼女は最近体調を崩し、入院しているからだ。おそらくもう永くは無いだろう。むしろここまで持ったのが驚異的と言える。アスカがアメリカ行きを嫌がった本当の理由は、彼女だったりする。海上での使徒戦を控えている以上、弐号機の受け取りの為にアスカの出向は当然と受け入れていたのだが、体調がおもわしくないサクヤが心配だったのだ。シンジへのメールには書かれていなかったが、その端々にサクヤを心配する様な所が見られた。

 それは置いておくとして、この言葉を信じるならゲンドウは要望通りの部屋を用意するしかない。その程度の条件等ネルフにとって無いに等しいし、この条件を無視してシンジを一人部屋に放り込めば、ユイがゲンドウを有罪無罪を判定する時に悪影響が出かねない。ゲンドウが“どうせ調べられれば、証拠などいくらでも出て来る。ならば条件通りの部屋を用意するのは無駄だ”と、判断したと取られかねないからだ。

 ユイのエヴァ脱出が真実味を帯びてきた以上、ここはポーズでも条件を飲まなければならない。

「分かった。なるべく早く用意さる」

 チルドレンの住居には、色々と条件が必要になって来る。セキュリティー面も重要になって来るが、護衛のしやすさや、場合によっては狙撃も注意しなければならない。その条件が満たされた物件は、現状で手配できる部屋は2~3人住むのでやっとの物ばかりだ。8人もの大人数となると、これから用意しなければならなくなる。流石に“直ぐに”とは言えないだろう。シンジもそれは承知しているので頷いた。

「それほど急がなくても大丈夫ですが、時間がかかる様なら仮部屋は2LDK以上の物をお願いします」

 一人暮らしをするなら1LDKもあれば十分だ。それなのにシンジが2LDKをお願いしたと言う事は、近い内に8人の中の1人が第三東京市に来てシンジと一緒に住むと言う事だ。それに気付いたゲンドウが、誰が来るのか気になるのは当然だろう。そして思考が“もしユイなら……”と行きつくのは当然の流れと言える。

「僕のですよ」

 しかしその思考をシンジは打ち砕いた。

「い いもう と ……だと」

 ここで言う妹とは、綾波レイの事だったりする。

「流石に放っておけないので、一緒に住むのは問題無いですよね」

「……ああ」

「許可は貰えますよね?」

「ああ」

 呆然としているゲンドウに、念を押し言質を取っておく。

「シンジ君。妹とは如何言う事かね?」

 ここで冬月が割っては居て来たので、ミスリードを誘発する様な事を言っておく。

「妹なのだから、妹としか言いようが無いのですが。それにそれが何を意味するのか、指令なら分かるのではないですか?」

 こう言われて普通に考えると、如何言う事を想像するだろう? 当然“シンジの妹=ユイの次の子供”と考えるだろう。そしてユイは、エヴァ脱出直後に監禁されている。そしてゲンドウ自身が、リツコを取り込むために何をしたのか……。

「ま まさか……」「……バカな」

 ゲンドウが思わず立ち上がるが、それ以上は何も出来ずに止まってしまった。そこにあるのは……混乱、焦燥、絶望と言ったたぐいの物だ。それは表情や手の振るえからも感じ取る事が出きる。冬月も察する事は出来たのだろう。ゲンドウ程ではないが、似た様な反応をしている。

 シンジの言葉の真偽を疑っている段階ならば、ここまでの反応を見せる事は無い。既に信憑性の高さは認めて……いや、半ば真実だと確信していたと言っても良いだろう。シンジを陰から操っている者が居るとしたら、その情報量と組織力から考えてゼーレ以外の可能性は皆無だ。にも拘らずシンジが取った行動は、ゲンドウとゼーレを敵対させるような節がある。ゼーレが資金を出し、ゲンドウがサード・インパクトの為の技術力を提供する。この協力関係は未だ続いているが、継続を望んでいるのはゼーレの方だ。協力関係の解消は、確かにゲンドウにとっても痛手だが他の資金提供者を探せば済むのだから。

 シンジはチラッとリツコの顔を確認したが、その表情は複雑な心境がありありと浮かびあがっていた。一方ミサトの方は、リツコと似たような表情をしているが、こちらは嫌悪感の方が強く出ている。

 これでこの場で話すべき事は終わりだ。そう考えたシンジは、退出する事にした。

「……では、僕はこれで失礼します」

 シンジがそう言って指令室を出て行くと、慌ててミサトが後を追う。指令室に残された者達は、痛い沈黙に支配された。

 それを最初に破ったのは、ゲンドウだった。

「この書類の指紋を調べてくれ」

 封筒をリツコの方へ差し出す。

「分かりました」

 ゲンドウはあり得ないと思いつつも、この書類や封筒に付着している指紋が、ユイの物と一致しない事を願わずにはいられなかった。



 シンジが来た道を逆にたどる事で、出入り口を目指していた。地上と同様に以前と道が変わっていて、迷ってしまうと判断したからだ。

(本当にあれで良かったのかな?)

 歩きながらそんな事を考えてしまう。今のところ上手く行っているのだが、それが返ってシンジを思い悩ませる結果となっていた。本来ならそこに良心を挟む余地は無いのだが、シンジの性格ではそれも仕方が無いのだろう。そんなシンジを、ユイがトクンっと鼓動を打ち内側から慰める。

「シンジ君。待って」

 そこにミサトが追いついて来た。ネルフ本部は現代のTV局同様に、対テロ対策でわざと複雑な造りをしている。慣れない人間が歩けば、迷って当たり前なのだ。そんな所を、子供シンジ一人で歩かせる訳には行かない。

「何ですか?」

「ここは複雑な造りをしているし、まだ正式にネルフに所属していないシンジ君を一人で歩かせる訳には行かないの」

「そうですか」

「そうなのよん」

 冗談っぽく軽く答えたミサトだったが、内心では“如何しよう?”と言う言葉でいっぱいだった。先程の様な気不味い雰囲気を避けるために、必死に話題を探すが都合良く出て来るはずもない。そんなミサトを救ったのは意外にもシンジだった。

「そう言えば、出撃前に会った怪我した女の子。あの子がファースト・チルドレンなんですよね」

「あ え ええ。その通りよ。綾波レイと言って、シンジ君と同い年ね」

「同じエヴァを動かせる者として、差し支えなければ彼女と会って話をしたいのですが」

「あら? シンジ君はレイが気になるの? レイは綺麗だからねぇ。シンジ君も男の子ね」

「そんなんじゃないですよ」

 苦笑いしながらシンジが答える。最初は驚いたミサトだったが、話し始めるといつもの調子を取り戻し始めた。

「まあ、本来ならリツコの簡単な診断を受けてもらいたいのだけど……。今はリツコも手が放せないでしょうし、その前にレイと会ってしまうのも良いかもしれないわね」

「診断ですか?」

「念の為と言う奴よ。それとその診断結果によって、プラグ内の環境を微調整するって聞いたわ。少しでもパイロットの負担を減らす為にね。まあ、最適な調整をするには、何度も検査と調整を繰り返さなきゃいけないんだけどね」

 ミサトの口からスラスラと説明が出て来る。前回のミサトからは考えられない事だが、これもアスカの教育の賜物と言えるだろう。

「リツコさんも忙しいみたいですし、そんな時間あるのですか?」

「今レイが居る所はネルフ付属の病院なのよ。シンジ君の診断もそこでやるから、リツコの準備が出来るまでにちょちょいとね。準備が出来次第、連絡するように言っておけば問題ないわ」

 そう言うとミサトは、携帯を取り出しリツコに連絡を入れてから歩き始めた。



 シンジとミサトはレイの病室の前に来ていた。ミサトはシンジが“14歳の少年”である事を再認識した上に、レイの話題を取っ掛かりにする事が出来たので、何時もの調子を取り戻していた。

「ここがレイの病室よん。可愛いからって、手を出しちゃダメよ」

「出しませんよ」

 何時もの調子に戻ったミサトに巻き込まれ、シンジは前回の様なやり取りをするようになっていた。シンジは必要以上に仲良くならないようにと心がけていたが、ミサトが発するからかう様な言葉が、その警戒をすり抜けて来るので途中でバカらしくなってしまったのだ。この辺はミサトの人徳と言えるだろう。

「レイ。入るわよ」

 シンジはミサトに続き病室に入って行く。

(眠っているのかな?)

 シンジはベッドに横になっているレイを見てそう思ったが、レイの目は直ぐに開きミサトの方へ動いた。

「辛いでしょうからそのままで良いわ。今日は私達の仲間になってくれる子を紹介しに来たの」

「そう」

 ミサトの説明に簡素な言葉を返すレイだったが、ここでシンジがミサトに突っ込みを入れる。

「……ミサトさん。“予定”と言う言葉は抜けています」

「細かい事は良いじゃない」

 何時までもそんなやり取りをしていると時間が無くなってしまうので、シンジはミサトの前に出て自分の顔が見やすい様にベッドの上に上体を傾ける。

「始めまして。と言うのは、出撃前にも会っているからちょっと変かな? サード・チルドレンになる“予定”の碇シンジです」

「知ってるわ。指令の息子でしょう」

 レイの赤い瞳が、シンジを真っ直ぐに見つめる。前回のシンジは、そこに感情を見出す事は出来なかった。しかし今のシンジは違う。その視線の中に、嫉妬等の暗い感情があるのに気付き微笑んでしまった。

(綾波。やっぱり君は人形なんかじゃないよ)

「何を笑っているの?」

「いや、何となく……ね」

「そう」

 シンジは、つい笑みをこぼしてしまった事を反省する。

「とりあえず交渉の方が上手く行けば、僕も同じチルドレンとして登録されるから。その時はよろしくね。綾波レイさん」

 シンジが今言うべき事を言い終わりレイの反応を待ったが、レイはただシンジを見つめ返すだけでこれと言った反応を見せなかった。

(分かってはいたけど、これは手ごわいな)

 シンジが浮かべていた笑みが、苦笑いへと変化してしまったのは仕方が無いだろう。そしてシンジは“今はこれ以上踏み込むべきでない”と判断し、上体を起こすとミサトの方へ向き直った。

「とりあえず挨拶も済みましたし、今日これぐらいにしておきます」

「そうね。レイも疲れているでしょうしこれ位にしておきましょう」

 ミサトが同意すると、シンジは病室から出て行く。そして病室から出る際に……。

「それじゃあ、綾波。また明日」

 と、レイに声をかけた。返事はやはり帰って来なかった。廊下に出ると、ミサトがやけにニヤニヤしている。彼女の事をよく知る人間なら、考えている事等一目瞭然だろう。まあ、この場にアスカが居れば(ミサト、シンジ共に)制裁確定だが……。

「シンちゃんはレイ見たいのが好みなんだ~」

 からかう様にミサトが口にしたが、これに関してはシンジにも非はあるだろう。シンジとレイの関係を知らずに、先程のやり取りを見ていればそう思うのも無理は無い。

「それはありませんよ。一応彼女いますし……」

「まぁ。シンちゃん二股!!

 アスカが聞いたら大惨事になる様な事を、気軽に口にしないでもらいたい物である。ミサトとシンジが殴られるのは当然として、一緒に住んでいる頃なら最低一週間は財布没収の上にビール禁止だろう。シンジはこの場にアスカがいない事を、心から感謝したい気分だった。

 ……ちなみにシンジも、一応を付けた所為で2~3発追加で殴られるのは間違い無いだろう。

 結局その日は、リツコに診断が終わりホテルに送ってもらうまで、ミサトにからかわれ続けるはめになった。ミサトよ……お前はどこぞのおばちゃんか?

(疲れた。……これでアスカの事がばれたらどうなるんだろう)

 予想される暗い未来に、泣きたい気分でホテルのベッドに沈むシンジの姿があった。






 次の日の早朝。リツコは指令室に報告に来ていた。その場にはゲンドウだけでなく冬月もいる。

「指紋の検査結果が出ました」

 そう口にしたリツコに対して、ゲンドウは何も口に出来なかった。

「……結果は如何だったのかね」

 そんなゲンドウに代わり、冬月が先を促すように口を開く。

「検出された指紋は、碇ユイの物と一致しました。また、封筒や書類の指紋の数・付き方・分布状況から、マギは碇ユイが作業した確率が非常に高いと回答しています」

「なんて事だ」

 ゲンドウのすぐ後ろで、冬月が片手で額をあてた。

「……そうか」

 ゲンドウは冬月に少し遅れて、そう呟くと頭を抱えてしまった。



[33928] 第11話 初心者兄妹の始まり
Name: うにうに◆b1370127 ID:d88cc23f
Date: 2014/03/12 20:30
 一週間と少しの時間が流れた。シンジはあれから毎日、綾波レイの病室を訪れてる。

「綾波。居る?」

 ドアをノックする。

「……入るよ」

 返事は期待していないので、少し待ってから病室へと入る。以前の様なハプニングは無いと分かっているので、シンジも割と気楽に病室の扉を開く事が出来る。何故かと言うと、怪我の所為でまだ一人で着替えられないし、当然一人で体を拭く事も出来ないからだ。補助の為に他の誰かが居れば、その人から返事が返って来る。

 病室に入ると案の定ベッドに横になったレイが居た。入って来たシンジをじっと見つめている。

(以前の僕ならこの視線に耐えられずに逃げ出していたな)

 もう同じ事を何度考えたか分からない。それでもシンジは、そう思わずにはいられなかった。

 苦笑いが漏れそうになるのを堪えて、もう定位置と言えるベッド脇の椅子に座る。

「体に違和感はある?」

 シンジがそう聞くと、レイは僅かに首を左右に振る。それを確認したシンジは大きく頷くと、持っていた袋からリンゴと果物ナイフに皿を取り出して黙って剥き始めた。レイは何も言わずにそれを見つめ続ける。

 無言のままシャリシャリと、リンゴを剥く音が病室に流れる。

「……何故あなたは毎日ここに来るの?」

 暫くすると、レイがそんな事を呟いた。それは相手シンジが居るはずなのに、まるで独り言の様に病室に響く。

 シンジからの返事は直ぐに返って来ない。この質問をレイが口にしたのは今回が初めてではない。昨日・一昨日と、これで三回目になる。リンゴを剥きながら暫く間をおいたシンジは……

「秘密。……綾波は何でだと思う?」

 そう切り返し、まともに質問に応えなかった。同じ答えを三度も繰り返したので、レイの視線が僅かに非難する物へと変わる。

「綾波は何故か考えたの?」

 シンジは手を止める事無く続けた。これは一昨日からしている質問である。この質問に一昨日レイは首を横に振り、昨日と今日は頷いた。

「考えても分からないなら、情報が足りないのかもしれないね」

 これは昨日も口にした言葉。病室にはパソコンや電話・携帯等の情報末端は無いので、必然的に情報を集めるには人に聞かなければならなくなる。シンジはレイに自分で考える様に仕向け、分からなければ人に聞くように誘導しているのだ。そして人と会話させる事により、コミュニケーション能力を向上させるのが狙いだ。贅沢を言えばその必要性も認識させたいが、それは流石に欲張り過ぎだろう。

 要するに自分に興味を持たせながら、レイのリハビリも同時にしてしまおうと言う訳である。

 ……だが、その聞く人選に関しては、如何にもならなかったようである。

「赤木博士と葛城三佐に聞いたわ」

 リツコなら上手くお茶を濁して逃げただろうが、ミサトの方はレイに何を吹き込んだかシンジは手に取るように分かった。

「貴方は私と付き合いたいの?」

「違うよ(やっぱり。アスカに殺されるから止めて欲しい!!)」

 内心はともかく、平静に否定する事が出来た。もしミサトの名を聞く前に今のセリフを言われたら、動揺して手を切ったいたかもしれない。シンジはそこで初めてリンゴの皮剥きを中断し、レイの方を見ると口を開いた。

「綾波は答えを言わない僕を、意地悪だと思っただろう? もし付き合いたい……恋人になりたいと思っているなら、自分を良く見せたいと思うから違うね」

 後に喧嘩の火種になるのは嫌なので、やんわりと否定しておく。

「男の子は好きな女の子に意地悪する。と、葛城三佐は言っていたわ」

(あの人は何が何でもそっちの方向に話を持って行きたいのか!?)

 シンジは内心で悪態を吐きながら、これ以上答えを伸ばすのは良くないと判断した。だが問題は“話をどの様に切り出すか?”だ。この話はレイの“デリケートな部分”まで踏み込まなければならないので、下手に拒絶されると取り返しがつかない。

「綾波はその答えで合っていると思う?」

「…………」

 レイから返事が返って来なかったので、この話題を終わらせ本題に入る事にしたシンジ。

「どうや「分からないわ」……そっか」

 話を切り出しそこねたシンジは、視線を戻しリンゴの皮剥きを再開させた。再び病室はシャリシャリと言うリンゴを剥く音に支配される。

 やがてリンゴの皮をむき終わると、更に並べられたリンゴを指しシンジがレイに質問をする。

「これって、ウサギに見える?(何を言ってるんだ僕は!!)」

 皿の上に並んだリンゴは、V字に残した皮を耳に見立てた俗に言う“リンゴのウサギさんカット”と言う切り方をされていた。

「うさぎ?」

 そう呟きながら、僅かに首をかしげる。レイの視線は、リンゴでは無くシンジの方を向いていた事から、恐らくウサギ自体を知らないのだろう。

 そう思ったシンジは「少し調べれば、ウサギの写真は直ぐに見れると思うよ。耳が長くてふさふさな動物だよ」と言いながら、爪楊枝をウサギの眉間に刺し二羽ほど一角ウサギに進化させる。そして皿をレイの手が届く範囲に置くと、シンジは黙ってリンゴを食べ始めた。

 一見平静に見えるシンジだが、次の言葉を如何するか必死に考えていたりする。

 だがなかなかタイミングがつかめずに、八羽に切り分けられたウサギリンゴが、次々とシンジの口の中に消えて行く。一羽消えるごとに、レイの視線に含まれる非難の色が濃くなる。それを気にしつつも、シンジは最後のウサギに手を伸ばした。しかし、シンジの手は空をきる事になる。寸前にレイが、皿ごと取ったからだ。

「食べるの?」

 シンジがそう聞くと、レイは困った様に目を泳がせた。皿を取ったのは、なかば反射的な行動だったのだろう。だがレイは、自分が何故そんな事をしたのか分からなかったのだ。

(僕が言い出せないせいで、不安にさせちゃったかな?)

 固まってしまったレイを見て反省をする。そしてこれ以上は不味いと思ったシンジは、意を決して話し始める事にした。

「綾波と僕の関係って何だと思う?」

「えっ?」

 突然の話題変更に、レイは呆然とするしか無かった。しかしシンジは構わず続ける。

 ……と言うより、踏ん切りがつかない自分に“ここで話を止めると、今日はもう話せない。下手をすれば、以前の様に言葉を交わす事無く……”と自身に言い聞かせ、半ば勢いのみだったりするのだが。

「知り合い? 同僚? 友人? 色々あるけど、綾波は何が相応だと思う?」

「……」

 シンジの問いにレイは答える事が出来ない。いや、話について行けないと言った方が良いか。

「第三者が客観的に見れば、同僚と言う事になるんだろうね。好意的に見れば、共に使徒と闘う仲間……かな。同じチルドレンだしね」

 シンジはレイの反応を注視しながら話を続ける。

「でも、僕にとっての正解は違う。……いや、どれも正解だから違うと言う訳じゃないね。それでも一番重要な答えじゃ無い」

 一瞬の躊躇。

「兄が入院中の妹の所に見舞いに来るのは当たり前だろう?」

 シンジは最後まで言い切った。

「えっ?」

 行き成り兄だと言われても、レイは戸惑うだけだろう。だがシンジは、あえてここで言う事にした。レイは感情が薄い……踏み込んで言えば、長年封印された影響で退化し麻痺してしまっているので、最初に理屈から攻めるべきだと判断したのだ。かなり強引ではあるが、最初に“そう言う物だ”と押し切り、手っ取り早く人と人の触れ合いを体験させてしまおうと言う訳である。

「綾波は、僕の母親の名前を知ってる?」

「……碇ユイ博士でしょう」

 突然の話題が変わった事で数瞬遅れたが、レイは迷う事無く返事をした。普通は重要な話をしている時に、今の様に突然話題を変えられたら戸惑うはずである。しかし良くも悪くも話題変更に付いて来れたのは、レイの感情が薄い所為だろう。その事にシンジは、苦笑いが出そうになる。

「そう。正解。じゃあ、綾波にとって、父親や母親と言える人は?」

「居ないわ。そんな人」

 素っ気ない返答が帰って来たが、レイの眉間にわずかに皺が寄ったのをシンジは見過ごさなかった。

「本当にそう言える? 綾波の遺伝子提供者は誰なの?」

 この質問に、レイは目を見開いた。そして次に現れたのは、強い警戒心だ。しかしシンジは、そんな事はお構いなしで話しを続ける。

「詳しい話は知らないけど、その片方は僕の母さんなのは知ってるよ。そして母さんは、綾波を認知すると言ったんだ。だから綾波は僕の妹になるわけ」

 何でもない事の様にシンジは言っているが、内心はとても穏やかでいられる話題ではない。ボロを出さない様に必死だ。

「条件がそろえば、母さんもここで暮らす事になるからね。詳しい話を聞きたければ、その時に聞くと良いよ」

 そう言うだけ言うと、シンジは立ち上がり後片付けを始める。レイ黙って俯いたままだ。やがてシンジの片付けも終わり、部屋を出て行く準備が整った。病室の扉に手をかけ、「それじゃ……」と退室の挨拶を言いかけた所でレイの口が動いた。

「私に兄弟は居ないわ」

 それは明確な拒絶だった。

「そう……か」

 シンジもこうなる可能性はあると覚悟はしていた。だが実際に拒絶されてみると、かなりクルモノがあった。心が折れそうだ。だけど、ここで諦める選択肢は存在しない。シンジは(想定の範囲内……範囲内だ)と自身に言い聞かせながら病室から出て行った。

 レイはそんなシンジの背中を、眉一つ動かさずに見ていた。

 この時切羽詰まったシンジは、偶然にも「また明日」と言う挨拶をし忘れた。しかし図らずも現実になってしまったのは、ある意味で当然の結果とも言えるだろう。



 シンジが正式に、サード・チルドレンに就任する事となった。

 離婚届が受理された事も確認され、ゲンドウの姓は六分儀に戻った。それにより半ば強引にネルフ加入の書類にサインをさせられ、即座に受理されてしまう。想定していた流れとは言え、有無を言わせぬ勢いで話を進められるのは、シンジにとって気分が良い物では無かった。

 そして、契約してしまった以上、ネルフへの協力を断る事は出来ない。待っていたのは、エヴァに対する知識のすり合わせであった。と言っても実情は、長時間リツコに拘束され理詰めで知識を吐かされる尋問に近かったが……。それが終われば、エヴァ用の設備をシンジ用に調整する作業が延々と続く事になる。それだけでは終わらず、次はシンジの実力測定と訓練だ。これはシンジと言う戦力を、正確に把握したいと言う意図がある。

 それらをようやく終えたと思ったら、次は転校と引っ越しが待っている。やはりと言うべきか、シンジの条件に合う物件を直ぐに用意できなかったので、引っ越し先は3LDKのマンションがあてがわれた。早ければ一月……遅くても二月で、本命の物件を用意すると約束された。

(家具は下手に買わない方が良いかな?)

 前回は第4使徒が来る前に学校に顔を出せたが、今回は使徒の方が早く来る事になりそうだ。当然レイも退院して、既に学校に行っている。

(学校と言えば、トウジと会った時に、感情を隠しきれるか心配だな)

 シンジはミサトや初号機と対峙した時に、感情を隠しきれなかった事を思い出した。そして初対面として、上手く対応する方法を考えてしまう。

(いや、違う。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃ……)

 そう。今問題になっているのは、レイの事だ。レイの口から飛び出した拒絶の言葉に、シンジの心は大きく揺さぶられた。それだけならまだ何とかなっただろうが、間が悪いと言うか何と言うか、タイミング悪くサード・チルドレン就任で会えない状況に陥ってしまう。そして気がつけば、10日もレイと会って居なかったのだ。

 普通なら本部の廊下で偶然会う事もあるはずなのだが、それも起こらなかった。それには当然裏がある。シンジが言う妹がレイの事だと知り警戒したゲンドウが、レイのスケジュールを調整して、二人が顔を会わせない様に手をまわしたのだ。これはシンジも十分に予想していた事態である。

 当然対応策は考えてあるが、こうも間が空くと気不味くて顔を合わせ辛い事この上ない。そんなつもりじゃなかった、と言う言訳は今更だろう。

(とりあえず、やる事はやっておかないと……)

 このまま放っておいても、状況が好転する事は決してない。それが分かっているシンジは、行動を開始する事にした。とにかくレイと顔を会わせなければ話にならないので、先ずはゲンドウの方から如何にかしておかなければならないのだ。

 そうしてシンジは、セントラルドグマへと向かった。



 ドン!!

 指令室には無言で机をたたくゲンドウの姿があった。

「いか……六分儀。落ち着け」

 窘める様に声をかけたのは冬月だ。今は部下達も居なくなり、指令室に居るのはこの二人だけだ。

「分かっている」

 不機嫌そうに答えるゲンドウに、冬月は「何処がだ?」と言う突っ込みを呑みこんだ。冬月もゲンドウが苛立つ気持ちが、分からない訳ではないからだ。

 二人の最終目標は、再び碇ユイと会う事にある。それを本来ありえない所でチラつかされれば、動揺しても当たり前と言えるだろう。そしてそれを信じて誰かの策謀だった場合は、今まで積み重ねて来た物を全て失いかねないのだ。しかしその逆は、……考えたくもない。

 ドン!!

「諜報部からは、まだ情報が上がって来ないのか!?」

 ゲンドウが再び拳を机に叩きつけ、その口からは半ば叫ぶような声が漏れる。ネルフの諜報部は、ユイに手がかりでさえ見つけられていないのが現状だ。そもそも存在しない物を探させている時点で、全く意味がないのだがゲンドウと冬月はそれを知らない。そして焦りと無力感だけが募る。

 その原因となるのが、ゼーレに諜報部の力で負けている事だ。ネルフが掴める情報は、ゼーレに筒抜けと考えて良いだろう。ユイがエヴァ脱出が本当ならば、奪われてしまう可能性が高いのだ。加えてゼーレの諜報部が活発に動いているとなれば、焦りばかりが募るのは当然と言えるだろう。(ゼーレ諜報部の活性化は、ネルフ諜報部が動きが原因)

「ユイ君のエヴァ脱出は、本当にあると思うのか?」

 そこで根本的な問題を冬月が口にした。

「…………」

 だが、ゲンドウの答えは沈黙だった。

「今の所、手がかりはシンジ君の証言と書類だけだろう」

 ゲンドウからの反論は未だ無い。冬月から言わせれば、シンジの証言はとても信じられない物だった。書類に残ったユイの指紋(マギの分析で偽装が否定される)が無ければ、一笑に付していただろう。

「やはり可能性としては、他の組織の……」

「いや。まて。冬月」

 ここで、ようやくゲンドウが口を開いた。

「何だね?」

「ユイは初号機の外に居る。……かもしれんのだ」

 先程の荒々しさから一転して、弱々しく言葉を口にするゲンドウに冬月は何も言えなくなってしまった。

(今まであれほど冷徹になれた男が、こうまで変わってしまうか。これは……)

 この様な状態になっても、ゲンドウはネルフのトップとして失策は犯していない。シンジが他の組織に就いていた時の対策も十分に取っているし、指令としての業務に影響は出していない。しかし、それも時間の問題に思えて来る。だが、ネルフにとってゲンドウは、とても変えの効く人材では無い。代理等を立てて一時的に対応する事は可能だが、有事の際にどうしても対応が遅れる事になる。その隙をゼーレが見逃すはずがないのだ。

 そこまで考え、ゲンドウを立ち直らせる案を練り始めた所で電話が鳴った。

「私だ」

 次の瞬間には、ゲンドウが受話器を取っていた。その余りの速さに、呆気に取られてしまう冬月。事実の断定……ないし、少なくとも進展の連絡であってくれと願わずにはいられなかった。

 だが、少し様子が変だ。

「……誰だ?」

 ゲンドウが訝しげに呟く。不審に感じた冬月は、相手方の声を拾おうと受話器に耳を近づける。しかし受話口からは、何ひとつとして音が拾えない。

「くだらん悪戯なら……」

 そう言って電話を切ろうとしたゲンドウの動きが、ようやく発せられた相手の声で止まる。

「ゲンドウさん」

 それに対するゲンドウと冬月の反応は劇的だった。

「ユイ!? ユイなのか!?」「ユイ君か!?」

 ゲンドウはこれでもかと言う程受話口を耳に押し当て、僅かでもその声を聞き逃すまいとする。冬月も受話器をひったくらんばかりの勢いで、受話器に……ゲンドウに張り付く。その見苦しい光景を他人ぶかに晒さずに済んだのは、当人達に取って(威厳的に意味で)幸運としか言えないだろう。

「不思議ね。何年も経っているのに、お久しぶりって気がしないわ」

「ユイ」「ユイ君」

「それだけ必死だったからかもしれないわね」

 ゲンドウが感極まった様に何度も頷く。冬月も似た様な感じだ。

「ユイ。何処に居るのだ? 迎えに行こう」

 それはゲンドウにとって、ある意味で当然の言葉だったのだろう。こうなると少しでも早く会いたいと思うのは、当然と言えば当然だ。

「ごめんなさい。それは無理よ」

「ユイ?」

 ゲンドウの声に、不審が混じる。

「……灯台もと暗し、今はドイツに居るわ」

「なっ!?」

「ここからアメリカを経由して、そちらに向かう予定よ。早ければ一月ひとつき、遅くても二月ふたつき以内に日本に入れると思うわ」

 この時間は純粋にユイの肉体を用意する為の物なのだが、居場所を聞いたゲンドウは気が気ではない。如何にかならないかと声を出そうとするが、それもユイが続けた言葉で止められる事になる。

「本当なら、もっと早く行けるはずだったのだけど。私の事は漏れて居ないはずなのに、何故かゼーレ諜報部の警戒が厳しくなっていて……」

 ユイの言葉に、ゲンドウの表情が歪む。冬月も似たような表情だ。ゼーレが何故警戒を強化したか、その理由にようやく気がついたのだ。自分がその原因ともなれば、ゲンドウも言い訳は出来ない。

 冷水を浴びせられる。今のゲンドウの心情はまさにそれだったが、引き換えにいつもの冷静さを取り戻す事が出来た。

「……ユイ。すまない。おそらくネルフとゼーレの主導権争いが原因だ」

 ぬけぬけと、そう言ってのける。

「すまん」

 もう一度謝るが、そこにどんな意図があるかユイにはなんとなく分かった。そう。冷静になったゲンドウ達は、何よりも受話器の向こう側に居る人間が本当に碇ユイであるか確かめたいのだ。

「少しだけなら時間もありますし、お話しましょうか」

「!?」

 ユイの言葉にゲンドウは、自分の真意を見透かされた事に気付く。

「私がゲンドウさんと初めてあった頃に……」

 そう言ってユイは昔の話を始める。その話の流れは、偽物ではありえない。偽物なら徹底的に避ける話題だからだ。

「そうだったな。所で冬月先生を始めて家に呼んだ時は……」

「いえ。そんな事無かったわよ? 家に呼んだと言えば……」

 引っかけにも引っかからない。それ所かゲンドウでさえ忘れて居た様な何気ないエピソードが、相手から次々と飛び出して来る。

「聞いているのですか? ゲンドウさん?」

「あ ああ」

 その口調。その言葉使い。それらが科学者としてでなく、妻としてゲンドウに見せていた物だった。当然、記録として残っているはずがない。

「まだ、私がエヴァの外に居ると信じられない?」

 信じたい。いや、もう既に信じてしまっている。

 そんな気持ちがゲンドウの中であふれる。しかし同時に、今まで自分がどれだけ手を汚して来たかも思い出してしまう。そう。既にユイがエヴァの外に居る事を確信しつつも、何処かでそれを信じたくない自分が居る事にゲンドウは驚いた。

「ユイ。私は……」

「分かっているわ。未だに私がエヴァの外に出ている事が信じられないのでしょう? いえ。この場合は、確信していても信じたくない……かしら?」

「…………」

 ゲンドウは言葉を返す事が出来なかった。冬月も話に割り込む事が出来ない。

「ハッキリ言って、私はゲンドウさんが許せないと思っている。同時にゲンドウさんをそこまで追い込んだのは、私であると自覚しているわ。なら、私達は償って行くべきよ。……ナオコさんの事も。……りっちゃんの事も。……シンジとレイの事も。皆に……」

 もはやゲンドウにはぐうの音も出ない状況だった。

「だか<b>『Pi~~~~』b>……もう、時間切れね」

 ユイの話が、突然のピープ音の様な物に遮られる。そして、続く残念そうなユイの声。

「ユイ?」

「これ以上はゼーレ気付かれるから、これ位にしましょう。続きは会って直接話しましょう」

「ユイ!? まっ……」「ユイ君!?」

 ゲンドウ達が止めるのも聞かず、回線は切られてしまった。そして受話器を置くと、そのまま椅子に座り机の上で頭を抱えてしまう。

「碇? 如何するのだ?」

 同じく余裕の無い冬月は、六分儀と呼ぶのも忘れ声をかける。だがゲンドウは、その声に応えない。……いや、応えるだけの余裕がない。

 …………

 ……………………

 嫌な沈黙が続くが、冬月は大人しく待った。そして考える。

 ゲンドウがどれだけ非道な事をしてきたかは、加担こそしていないが全く知らない訳ではない。いや……それを見過ごして来た事は、加担して来たと言っても良いだろう。そう言った意味では、自分も同罪だと思っている。

 ならば、補佐すべき副司令としてではなく……

「冬月」

「何だね?」

「私は間違って来たのか?」

「……分からん。だが、間違え続ける訳には行かんぞ」

「ああ。……そうだな」

 そこでようやく、ゲンドウも何かが吹っ切れた様だ。何時もの態度に戻ると、再び受話器を手に取った。



 受話器を置くと、シンジは大きくため息を吐いた。

「あんなので本当に大丈夫なのかな?」

 そんな疑問がシンジの口から洩れる。だがそれを否定するように、シンジの中でユイが脈打った。だが、シンジの表情が変わらない。

(母さんは自信があるみたいだけど、如何考えても逆効果にしか……)

 そこで、もう一度力強くユイが脈打つ。

(どの道、もうやってしまった物は仕方がないか)

 そう結論して、この話を終わらせる事にした。不服そうにもう一度ユイが脈打つが、それを無視する事にしたシンジ。

 今回ユイ化してゲンドウに電話した理由は、シンジとレイの隔離を如何にかするのが目的であるが、ネルフにユイの受け入れ態勢を作らせる意味の方が強い。一~二カ月後にユイの肉体が完成し、ゲンドウと顔を合わせれば目的は達成されるからだ。今の電話はシンジにとって(上手く行けばそれを早められるかも……)程度の物だったのだ。

 気落ちする様な事でもない。と、シンジは割り切り手を動かす。今シンジが居るターミナルドグマの小部屋だが、壁のパネルが外され、そこから幾つものコードが露出し電極が取り付けられている。その電極は小さなボックスを介し、シンジの携帯末端に繋がっていた。電極を取り外しボックスをしまうと、元通りパネルを取り付ける。

「これで良し」

 そう呟くと、小部屋を出て廊下を歩き始める。目的地はリリスが磔にされている部屋だ。そして拍子抜けするほどに、あっさりと目的の場所に着いた。そこには下半身が無い巨大な人型が磔にされている。第二使徒リリスだ。

(こんなに簡単に……。本当に大丈夫なのかな?)

 その事に関してシンジは、セキュリティー面での不安を感じてしまう。だが、基地内の全てを統括しているマギを、秘密裏に味方につけているのだから、これは当然と言える。むしろここは、この状況を作り出してくれた者達(アスカとキョウコ)へ感謝する所だろう。

「母さん。行くよ」

 シンジはそう呟くと、ポケットからカッターを取り出し、自分の左手人差し指を傷つける。そしてその傷口から染み出した赤い血が、一滴LCLの海に滴り落ちた。それと同時に、自身の中に居た温もりの消失がシンジの心に襲いかかる。その余りに大きな喪失感は、シンジに膝をつかせるまでに至った。

(こんな姿を見られたら、アスカにマザコンとか言われちゃうな)

 そんな冗談とも本気ともつかない事を思い、シンジは自身を奮い立たせて立ち上がる。

 そしてLCLの水面を見ると、薄らとユイの姿が映りそれが湖面に沈む様に消えて行った。これから時間をかけて、LCLから必要な成分を吸収してユイの体を再構成するのだ。時間がかかる作業だが、これをやらない訳には行かないのだ。

(一ヶ月と少しか、……時間がかかるけど仕方がないね)

 実を言うと、時間をかけない方法が無いわけではないのだ。隠蔽を一切考慮しなければ、短時間……それこそ数分でユイの肉体を再構成する事は可能である。しかしそれには、シンジだけでなくエヴァ……初号機のバックアップが必要だった。他にもレイの予備の肉体を使う案もあったが、これは肉体年齢が(14歳に)変わってしまう事や、短時間とは言えリリスの魂ネットワークに接触する危険(取りこまれる危険あり。また、レイにどのような影響が出るか予想できない)と精神的な問題(ユイが「娘の体を乗っ取るのを嫌」と言った)から却下された。

 シンジは一度深呼吸をして心を落ち着かせると、水面に軽く手を振りネルフを出る為に歩き始めた。



 綾波レイは、夕日に染まったまりを一人歩く。時々地図に視線を落とし、現在位置を確認する為に周りを見渡す。どうやら自分が正しい道を進んでいるか、少なからず不安がある様だ。歩くのに支障は無い様だが、袖等から包帯が見え隠れしている。一般人がそれに気付けば、心配して声をかけてしまうだろう。それは護衛達も例外ではないが、決して護衛対象に近づく事は無い。

 レイも黒服(護衛)の存在は気付いているが、彼女にとってはいつもの事だ。彼等が心配している等、気付きもしない。それなら“道案内を申し出てやれよ”とも思うが、彼等を責める訳にも行かない。ネルフのチルドレン護衛マニュアルで、対象との接触を禁止しているからだ。この場合、対象に危機が迫るか道を大きく外れなければ接触が許されない。

 これはゲンドウの教育方針が、隔離路線(自我封殺)だったからだ。当初は護衛達もこの路線に反発があった様だが、アスカの護衛が始まってからはその反発も消えている。これはあからさまな護衛を、アスカが嫌がったからである。おまけにゲンドウが雇った心理学者が、チルドレンのストレスになると後押しすれば彼等も黙るしかない。まあ、前回はその反発も出なかったのだから、ネルフの環境は改善したと言えるだろう。

 そうこうしている内に、レイが目的地に到着する。そこは何の変哲もないマンションだった。

 マンション入り口のセキュリティを通過し、エレベーターで目的の階へと向かう。このマンションに張り付いている護衛が居るので、外で護衛していた者達は居なくなっている。近くに護衛用の詰所があるので、そこで待機しているはずだ。

 目的の部屋に到着すると、鍵を使いロックを解除する。靴を脱いでリビングに入ると、レイはそこで立ち尽くす羽目になった。

 資料によるとレイより先に1人住んでいるのだが、部屋の主がまだ帰って来ていないのだ。いくら隔離路線の教育を受けていたと言っても、持ち主に断りなく部屋の物を弄ってはいけない事くらいは知っている。

 そしてレイは、何故自分がこんな所に居るのか思い返し始めた。

 …………

 指令からの呼び出しは、綾波レイにとって良くある事だった。何時もと同じ、他人を介した無機質な呼び出し。

「ファースト・チルドレン 綾波レイ。出頭しました」

 教えられた挨拶をして顔を上げると、レイは僅かな違和感を覚えた。いや、気付いた。

 何時もと変わらない立ち位置。何時もと変わらない態度。……そのはずなのに、ゲンドウが纏う雰囲気だけが違った。

 以前は観察する様な眼で……しかし時々、何処かやさしい目でレイを見ていたのだ。だからレイは、それにすがってきた。その優しい目をしていた時に、自分では無い誰かを見ていたとしても。

 彼女にはそれしか無かったから。だから気付かない。気付けない。気付こうとしない。……はずだったのに。何故か突然、欲しかった物が目の前に在ったのだ。ある意味で、気付きたくなかった事を突き付けられた様な物だ。冷静でいられる訳がない。

「……指令?」

 そう声を出すのが精いっぱいだった。取り乱さなかったのが不思議な位だ。そしてまた嫌な事に気付く。今ゲンドウが自身に向けている物を、つい最近に経験していた事に……

 サード・チルドレン 指令の息子 碇シンジ。

「どうかしたのか? レイ」

「いえ。……なんでもありません」

 反射的にそう答えてしまう。心配そうに声をかけて来るゲンドウの余りの変化に、目の前に居る人物が本物か疑いたくなる。

「なら良い」

 そう言ってゲンドウがレイに提示したのは、数枚の紙……資料と地図だった。

「今日からここに住め」

「分かりました」

 半ば条件反射で了承するレイ。それが彼女に取って当たり前の事である。その事にゲンドウは自己嫌悪を感じていたが、何も言えず顔には出さなかった。当然だが、会話が続くはずもない。

「……以上だ」

「失礼します」

 結局互いに何も言えないまま、レイは退出する事になった。

 …………

 回想を終えたレイは、改めて部屋を……リビングを見渡す。小奇麗に片付けられていて、家具等は備え付けの物の様だ。よく掃除されていて清潔感はあるが、住宅展示場みたいで生活感が無い。キッチンや個室を覗けば印象はガラリと変わるのだが、今は気にしなくても良いだろう。

 すると玄関の方から、ガチャリと言う音が鳴った。部屋の主が帰って来たようだ。

「鍵が…… それに靴? 誰かいるの?」

 玄関のカギが開いていた事に不審そうな声を、そして玄関の靴に気が付き疑問の声を上げる。そしてリビングに入って来た所で、レイを視界に捕え固まった。

「ここに住めって。命令」

 レイがそう言うと、部屋の主……シンジの混乱は更に加速する。

「え? えぇ!? なんで? 如何して?」

 シンジから見れば、予想外も良い所だ。ユイが確信していたから(そんな事もあるかもしれない)程度に考えていたが、まさかその日の内にレイと同居する事になるとは思っても居なかったのだ。ここまで来ると、ゲンドウがレイをスパイとして送り込んだのではないかと勘繰りたくなって来る。

 当然そんな混乱した頭では、ただでさえ注意が必要なレイとの会話が出来るはずもない。

「……と とりあえず、夕食の準備をしようか。綾波は座って待っていて」

 頭が真っ白になったシンジは、逃げるようにキッチン台の陰に隠れた。


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