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[33839] もしも五年前に聖杯戦争が起きていたら【Fate/stay night IF】
Name: 迂闊◆81a9ff2f ID:09ce0331
Date: 2012/07/09 19:56

後悔だらけの人生だった。
他人から見ればそうは思われないかもしれないが、彼にはいつだって後悔しかなかった。
後悔を埋めるために強さを得て先に進み、戦いを続けて、得られたのはいつも新しい後悔だけだった。
いくつもの後悔を積み重ねてその全てを覆しうる奇跡を望み、そうして彼の人生に残されたものは後悔だけとなった。
それを覆す方法も、意思も、能力すらも失った男は、後悔を抱えたまま朽ちていくだけの存在となり……皮肉なことに平穏を得た。
だが、

「初めまして、シロウのお父様」

後悔に目を背け、平穏な日常の中でただ死を待つのみであった男の残骸。
その前に平穏な五年分の日々の後悔が現れぬと、どうして言えようか。

「理由があって遠くよりフユキの地に参りました、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンと申します」

そうして、一月を待たずして土に返るはずだった男――衛宮切嗣は、その生における最大の後悔へと、対面した。


□2月1日『1 プロローグ』


古めかしい日本家屋の廊下に、日の光が降り注ぐ。
昼を過ぎた一日のうちで最も強烈な陽光とはいえ、それが冬のものとあっては幾分頼りない。
だが、そんな弱々しい日差しすらも耐え難い、とばかりにゆらゆらと歩く男が一人。
ボサボサの頭に、枯れたような肌、諦観のただよう瞳を持ち、作務衣に身を包んだ男。
かつて理想に身を焼き尽くされた愚かな男の抜け殻、名を衛宮切嗣を言った。

「やあ大河ちゃん、早いね」
「もうお昼過ぎですよー、って起きても大丈夫なの切嗣さん?」

彼の肉体は五年前に理想と共に焼き尽くされ、30代の半ばとは思えぬほどに衰えている。
もはや起きていることすら苦痛ではあるが、それでもどうにか青年期の男性らしく日々を過ごす切嗣。
義理の息子が作り置きしておいてくれた食事を取りに居間へと出向いた彼を出迎えたのは、一人の女性だった。
彼女の名は藤村大河。 切嗣とも義理の息子とも血の繋がりはないが、それでも家族の一員と言っていい存在。
出会った頃は後ろで纏めていた茶の髪を背中に流し、幾分か落ち着いた雰囲気を感じさせなくも無いが、それは見た目だけの事。
大学の休暇中に帰ってはきたものの、冬木の虎と呼ばれた女傑っぷりは健在だと、よく義理の息子は切嗣に愚痴っている。
実際、目の前にいる大河は女性というよりは少女と呼んだほうがしっくりくるぐらいのエネルギーを放っているのだ。

「うん、僕は食事は居間で食べたい人間だからね」
「うーん、士郎が大丈夫って言ってたけど、本当なのね」
「はは、心配させてごめんよ、っと今日は鮭か」
「って、やだあたしったら! すぐに並べるから切嗣さんは座っててー!」

もっとも、実は切嗣自身は噂にたがわぬ姿というものを目にした事は無い。
義理の息子、士郎と道場で鍛えているときに多少の大人げなさを感じなくもないが、姉ぶった少女というのはあんなものだろう。
食事を並べる動作に多少の荒っぽさを感じなくもないが、元気がないよりはいいだろう。
大河の厚意に甘えつつ、手を合わせてから箸を取る切嗣。 
士郎は何も言わないが、最近の白米は食べやすいように柔らかめに炊かれている。
あれやこれやと世話を焼きたがる大河に茶と蜜柑を進め席に着かせ、大学での近況などに耳を傾ける。
大河はやたらと切嗣に喋りたがるが、切嗣としても大河の話を聞くのは嫌いではない。
士郎と二人の食事に文句などないが、やはり女性がいると華がある。 咲きすぎではあるが。

「ふう、ご馳走さまでした」

箸を置き、手を合わせる。 用意してくれた士郎と、目の前の大河に対して。
片付けもやるという大河をやんわりと断りつつ、皿を流しに運ぶ。
たかだか数百グラムの重さを手に強く感じるが、それでもまだ少しは大丈夫だろう。

「それにしても士郎も薄情よねー、ご飯だけ用意してどっかに行っちゃうなんてさ」
「はは、僕としては世話をしてくれるよりも外で遊んでくれた方が嬉しいよ、男の子は元気が一番さ」
「んー、それは確かにそーなんですけどー」
「大河ちゃんだって、弟分には家事よりも運動をしていてほしいだろう?」
「むー」

ぶー、と口を3の字にしつつ、卓袱台に耳をつける大河。
活発なのはいいが、敬愛する切嗣を放っておかれるのも困る。
実際のところあの弟分がそんな無碍な扱いなどできる筈も無いことは理解しているが、それはそれでなんとなく面白くない。

「でもほんの十分くらいの差だったのに……男には逃げちゃいけない事があるんだー、だなんて大げさな」
「少し前から仲良くしている子がいるみたいなんだ。 天敵みたいに言ってるけど、その子の事を喋る時は顔が輝いているね」
「あー、悪魔みたいな相手と決闘の待ち合わせとか言ってたわねー、詳しく聞いたら女の子らしいから悪魔とか言うなって矯正しといたけど」
「へぇ、女の子だったのか。 かわいい子だといいけどなぁ」
「あー、切嗣さん何考えてるの! 大体女の子とか言ってもあれですからね、士郎に痣作っちゃうような悪魔なんですからね!」

二回に分けてようやく流しに食器を運び終わる。
流しの上には何種類かの容器が並んではいるが、切嗣は石鹸と食器用洗剤以外は触る事を禁止されている。
スポンジを手に取り、蛇口を捻る。

「痣? 朝見た時はそんなもの見えなかったけどなぁ」
「あー、ええ。 顔じゃなくって手の甲に大っきなのがあったんですよー。 一体どうすればあんなとこに痣が出来るのやら」
「……っ!?」

ガシャン
僅かな、動揺。
水気が多かった事もあり、切嗣の手から茶碗が零れ落ちる。
幸いな事にシンクに落ちたので傷は付いていないが。

「って切嗣さん大丈夫ー? やっぱり私がやろーか?」
「い、いや大丈夫だよ」

内心の動揺を表に出さないようにしつつ、大慌てで片付けを続ける。
そのような事がある筈が無い。 思考の大部分で否定しながらも、悪い予感が消えない。

「で、その痣っていうのはどういうのだったんだい?」
「んーと、右手の甲に筆で書いたみたいにまっすぐに赤いのが出来てて。 
 本人は全く身に覚えが無いとか痛くもないとか言ってたけど一応包帯を巻いておきましたよ」
「…………そうかい、それは、ありがとう」

片付けを終えて、居間に戻る。
知らず、顔が強張っている。

「って何か怖い顔してますけど、何か心当たりでもあるんですか、切嗣さん?」
「あ、ハハ……いやまさか。 ただ士郎が僕に隠してたことがショックなだけだよ」

万に一つも無いであろう最悪の予感を強引に振り払い、適当に大河を誤魔化す。
予感を振り払おうとリモコンに手を伸ばし……すぐさま後悔することになる。

『では次のニュースです。 昨夜未明、冬木市○○町で△△さんの一家が殺害された事件で……』
「あー、これ怖いですよねー。 少し前に起きた事件と同一犯じゃないか、なんてテレビは無責任に煽っちゃって」
「昨夜、未明…………同一犯だって?」
「あ、テレビがそう言っているだけですよ。 一部じゃあ五年前の再来だー、なんて」

大河がテレビの文句を続けるが、切嗣の耳には届かない。
確かに数日前にも一家惨殺事件が起きていた。 痛ましい事だとは思ったがその時はただの事件だと聞き流していた。
だが、警察の捜査にも関わらず何の進展も見せず、今また同じような事件が冬木市で起きた。

『現場からは犯人の指紋はおろか足跡すら発見できず、痕跡をたどる事は困難と』
「……嫌な、事件だね」
「全くですねー、まあこんな時は逆に人の多い場所の方が安全かと思って士郎の外出は許しましたけど」

その後も食い入るようにニュースを見続けたが、結局切嗣の不安を解消してくれるような情報は流れなかった。


□interlude - 『1-1』


少年にとって、その現実はあまりにも受け入れ難いものであった。
共産主義者でも自由主義者でもないしその意味すら知らない少年ではあるが、それでも彼には理想があった。
皆が皆、平和に笑って暮らせる場所、それが欲しかったというのに。

――どうしてこのような状況に至ったのか、実のところその全てを少年は把握してはいなかった。
ただ、気が付いた時にはもうどうしようもないくらいに世界は歪んでいて。
それをどうにかできるだけの力量を持つ者の手に、委ねざるを得なかった。
そうして始まったのは、暴君による治世。
時には力で、時には女の武器で、確実かつ磐石に世界を構築する王。
一見すれば公平で、だがその法とは王の下にあるものでしかない、歪んだ世界。
だからこそ少年は、王へと挑んだ。
王の法によって救われることの無い小数を救う、そんな存在として――

「公園はみんなのものなんだよ!」

赤い髪の少年が吼える。
赤というよりは鉄錆色とでも言うべき髪色に、どこかに浮世感のある黄土の瞳。
まだあどけなさの残る幼顔に精一杯の真剣さを込めながら、少年、衛宮士郎は宿敵と向かい合う。

「そう、その通りね。 でも、だからこそ遊ぶのにも秩序が必要なのよ」

対峙するのは黒い髪を両サイドに纏めた気の強そうな少女。
はっきりとした意思の輝く緑の瞳に、満面に自信を蓄えた可愛らしい顔。
小さな世界(公園)とはいえ其を統べる王は、その法をもって王権に挑む賊と対峙する。



……
………


「勝負あり、ですね。 お姉さんの勝利です」
「ふん、まあこんなものね」
「くっ……」

戦いはすみやかに終わった。

士郎に味方はいない。
自由気ままに遊びたい、という意思は持っているものの、それでも士郎とともに少女に歯向かおうとするものなどいない。
多少の不自由さを享受したとしても、仁義無き縄張り争いを繰り広げる理不尽さにくらべれば遥かにマシだから。
そして、女の子に手を上げるなどもっての他という思考の士郎にとって、少女の土俵である舌戦に挑むなど死地と同義語でしかなかった。
戦力の差ははっきりしている。 
強い、王はあまりにも強い。
滑り台の上に陣取り、金髪の腹心と百の配下を従えた王は、タイガーよりもなお可愛く、冬木の虎よりもなお理不尽だ。
士郎は、理不尽な現実の前に膝を折ろうとする寸前であった。

「あきらめちゃうの?」

だが、その士郎を押しとどめる声があった。
高く澄んだ、まだ幼児期のものとすら思える、透明な声が。

「戦っていたんでしょ、正義の味方として。 それをあきらめちゃうの?」

正義の味方なんて、そんな風に名乗った事は無かった。
そういうものがとても素晴らしいものだと思い、そうなりたいと思っていても、口にした事はなかった。
だが、こうして見知らぬ少女の口から零れたその言葉に、惹かれた。 焦がれた。
衛宮士郎は、正義の味方になりたいのだと、そう理解できたほどに。

「ちょっと、貴女転校生? 別に挨拶しろとは言わないけど、普通に遊びたいならそいつのバカはあんまり聞かないほうがいいわよ」

突如として現れた来訪者に、王は手袋を付けたままの手でもって問いを投げかける。
悪辣ではあるが狭量ではない彼女としては、わずかながらの打算と善意でもって、少女に忠告する。

「ううん、私はお兄ちゃんと遊ぶ」
「はぁ? どういうことよ」
「だからぁ、私はお兄ちゃんと遊ぶ、応援する。
 貴女の言う事が但しいのはわかるけど、それでもお兄ちゃんの言う事も正しいの、だから私はお兄ちゃんの味方をするね」

理解できない、という顔で王は再びまじまじと少女を眺める。
士郎も、その時初めてその少女の顔を眼にする。
長い、雪のような銀の髪と、赤い瞳と、紫で統一された長い衣服。
士郎たちよりも幾分か年下であろうその面貌は、王に勝るとも劣らぬ可愛らしさ。
忽然とした現われ方とあいまって、士郎にはまるで雪の精か何かのようにすら思えた。

「ほら、お兄ちゃん。 男の子なんでしょ、女の子を待たせるものじゃないわよ」
「ああ、そう、だな」

士郎は、立ち上がる。
別に誰かに理解して欲しかったわけではないが、それでも誰かが見ていてくれる事は、嬉しかった。
その事が励みとなり、力となった。
だから、士郎は立ち上がる。

「ふん、まあいいわ。 再び返り討ちにしてあげる!」
「あはは、その意気ですよ、お姉さん。 裁くに値する賊は、手ずから誅するものです」

無邪気な笑みを浮かべる金髪の腹心の声援を受け、王も気勢を新たにする。
法を布く王と、理不尽に挑む正義の味方。
その戦いが、再び幕を切って落とされた。



……
………


まあ、結果的には士郎に勝ち目などなかった訳だが。
言葉の勝負は差がありすぎると銀の少女は訴えたが、かといって殴り合いなど出来る筈もないので急遽行われた十番勝負。
かけっこは愚か腕相撲すらも敗北した士郎は、辛うじて的当てのみ勝利を拾えただけの惨敗。
この分では殴り合いでも勝ち目など無かったのだろう、おそらくは。

「負けちゃったね」
「ああ、折角応援してくれたってのに、すまない」
「ううん、いいの。 ……格好良かったよ、お兄ちゃん」

勝敗そのものはさほど気にした風でもなく、少女は士郎に微笑みかける。
実際のところ、10番勝負は盛りに盛り上がった。
最初は連敗する士郎をあざ笑い、哀れむ空気ではあったが、それでも最後まで諦めない士郎には、いつしか声援が投げかけられた。
それどころか、無慈悲な王に対する不満のようなものさえ感じられたのだ、これは実質の勝利と言ってもいいだろう。
全ては、この少女が齎したものだ。

「ありがとうな、俺は衛宮士郎、君は?」
「私は、イリヤ。 本当はもっと長いんだけどイリヤでいいよ、し…ロウ?」
「違う、それじゃ死蝋だ、士郎だよ、シロウ」
「シ…ろぅ、シェロ……シロウ、うん、こうかな、日本語って難しいね」

なんとなく自由解散の流れとなった公園で、今更ながらに士郎は自己紹介をする。
たどたどしく士郎の名を口に乗せる少女は微笑ましい。

「そういえば、右手の包帯が解けてるよ、シロウ」
「ん、あれ? 本当だ」

出掛けに姉貴分に指摘されていた事実を、少女に指摘されて思い出す。
元々痛みもないので忘れていたどころか勝負の際に思いっきり使用していたが、そういえば右手には妙な痣が出来ていたのだった。

「私が巻きなおしてあげるね」
「いや、いいよ。 これぐらい自分で出来る」
「いいからいいから。 赤くって、なんか微妙に綺麗な痣だね、シロウ」
「んー、どうやって出来たのかよく覚えて無いんだけどな」

士郎の右手を取り、痣に手を触れながらも丁寧に包帯を巻き上げるイリヤ。
年下とはいえ女の子の手に触れた事で士郎の頬が僅かに赤く染まるが、そのことにイリヤは気づかない。
彼女はじっとその痣を見ながら、まるで何かを隠すかのように、笑みを強めたのだった。


□interlude out


「へぇ、イリヤの名前ってそんなに長いのか、よくスラスラと言えるな」
「ふふ、シロウはイリヤって呼んでいいよ、特別にね」

ちょこんとスカートの裾を摘み、可愛らしくお辞儀をした少女と、それに驚く士郎。
言葉が、無い。
大河が切嗣の様子が微妙におかしいと感じつつも、用事もあってか帰宅して後、切嗣は不安な時間を過ごしていた。
無理をすれば迎えに行けないことはないが、もしそれで何もなければ士郎にどれだけの心配を掛けることか。
そのような事を悩みつつ、やはり出かけようと思った矢先の帰宅。
安堵とともに玄関に向かった切嗣の眼前には、想像すらしなかった光景が広がっていたのだから。

「へー、これがシロウのお家なんだ。 ニホンの家って本当に木と土で出来てるんだね」
「ああ、まあこういう家は最近珍しいんだけどな。
 っとただいまじいさん。 いきなりで悪いんだけどこの子はイリヤ、今度この辺りに引っ越して来たらしいんだ。
 見ての通り外国の子でウチみたいな日本家屋は珍しいらしいから見せてあげたいんだけど」
「…………っ」

言葉が、無い。
何の障害も無く、無邪気に会話する義理の息子と……実の娘。 
そんな、ありえない筈の光景が。
ありえてくれたのならどんなに幸福で、

「イ………」
「どうしたの、『シロウのお父さま』 顔色が悪そうだけど?」

だからこそあってはならない光景がそこにはあったのだから。

「あ、ほんとだ。 大丈夫か爺さん? 何ならまた別の日にしてもらうけど」
「うん、残念だけど仕方ないかな? 私ならいつまでも待ってられるよ?」

無邪気に、微笑む。
いつか見たその時のまま、両親の帰りを待つ娘のように。
『待っている』と。

「い、いや、大丈夫だ。 上がってもらいなさい」

断れる筈が、無かった。
例え死の床に伏していたとしても、帰らせるなどという事はありえない。
衛宮切嗣が、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンを無碍に扱うなどという事はありえない。

「シロウ、確か道場に大河ちゃんから頂いたお菓子が供えてあったろう、折角だから出してあげなさい」
「ん、ああそれはいいな、めずらしく気が利いてるな、爺さん」

切嗣の提案に何の疑問も抱かず、士郎は案内してきたイリヤを置いて居間を離れる。
これで…………何の気を利かせる必要も無くなった。

「爺さん、なんて呼ばせてるんだ、キリツグ」
「あ、ああ。 僕が呼ばせた訳じゃないんだけど、いつの間にかね」
「ふふ、仕方ないんじゃないかな。 だってキリツグは本当にお爺さんみたいだもん。
 そんなんじゃあお母様が悲しむよ、旦那様にはカッコいいところを見せて貰わないとね」

無邪気に、笑う。
記憶の中にある表情そのままに、僅かに成長させて。
無邪気なだけだったはずの幼女の笑みは、いつの間にか少女の微笑みへと変化していた。

「イリヤ、君は」
「イリヤスフィール」

その微笑みが、凍りつく。
緩まった口元も頬もそのままに、ただ瞳の奥底のみが冬の吹雪へと。
切嗣を拒絶した冬の森を感じさせる冷たさをもって。

「シロウは特別だって、そう言ったよね。 いきなり愛称で呼ぶなんてレディに対して失礼なんじゃないかな」
「あ、ああ、そうだったね。 …………ごめん」
「ふふ、いいよ。 だってイリヤの友達のお父様だもの、礼を逸した事は見逃してあげる」

イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは、衛宮切嗣を拒絶する。
貼り付けたような微笑みで、感情を見せぬ天使のような表情で。
その奥に秘めたありとあらゆる感情を表に出さぬまま、五年越しに再会した実の父親を拒絶する。

「…………」

だから、切嗣は何も言えなくなった。
元々娘に対して強く出れる父親ではなかったが、それ以上に彼にはイリヤに負い目がある。
イリヤの側から拒絶された以上、衛宮切嗣が口に出せる言葉など、存在するはずもない。
ただ、イリヤの視線からは逃げぬように努力しつつ、沈黙を守るのみ。

「あ、士郎に会ったのは偶然だよ? 話に聞いていただけ。
 でも一目でわかっちゃったな、キリツグにそっくりだもんねあの子、顔以外」
「……ああ、僕としては少し、複雑なんだけどね」

にこやかに続けるイリヤだが、その言葉の一つ一つに見えぬ棘が生えている。
血のつながりが無いというだけで、実の子より父に近い、義理の息子。
実の娘を捨てて、どことも知れぬ子を育てる男親。
そして、母の面影はあれど、父親に似たところの無い娘。

「でもびっくりしたなぁ。 たまたま義理の家族に会えるなんてね。
 両親なんていなくてもちゃんと成長してるって事をお父様に見せに来ただけなのに。
 折角の晴れの舞台ですもの。 一応お父様にも立派な姿を見せておこうかな、ってね」
「イリヤ」
「…………」
「……ス、フィール……」

弁解の言葉も、謝罪するべき事柄も、山ほどある。
だが、その全てを吹き飛ばす真冬の冷たさを、イリヤは放ち続けている。
だから、切嗣は最も問うべき事を問う事にした。

「……聖杯戦争は、60年周期の筈だ」
「うん、本来はね。 でも誰かさんが願いを叶えずに聖杯を破壊したから、随分と早まったみたい」

イリヤスフィールの父親としてではなく、魔術師・衛宮切嗣として口を開ける事柄へと。
アインツベルンの城から出る事の無い筈の娘が、こうして冬木の地まで出向いて来得る事態を。
もはや忌まわしさしか感じられない、その魔術儀式の名を、問うた。

「……馬鹿なっ!!」
「そんな事言われても事実は事実だからしょうがないでしょ。
 大聖杯は起動し、既に四騎のサーヴァントが現界を果たしている。
 前哨戦とかも起きているみたいだよ? イリヤはここに来たのが初めてだけど」

あの地獄が、災厄が、再び巻き起ころうとしている。
しかもその戦いに、己が命よりも大事であった娘が参加するというのだ。
そして、もう一人。

「そのついでに、裏切り者の様子も見に行ってもいいって言われたのだけど……まさかそこに他のマスター候補までいるとは思わなかったかな」
「…………っ」

その地獄から救い出せた唯一の存在、衛宮士郎までもが巻き込まれるというのか。
嫌な予感は、最悪の形でもって当たってしまった。
せめてイリヤに確認される前であれば何らかの手を施せたかもしれないが、今となっては手遅れだ。
イリヤに、あるいは他のマスターにも視認されてしまっているかもしれない。
子供だからと、候補にすぎないからと見逃してくれる相手など、いるはずもない。

「イリヤ、おねがいだ! 士郎だけは」
「これってお母様の導きかな? たとえ本物じゃなくても家族を殺すような人に、罰を与えるための」
「それは、だけど……僕は、イリヤを、アイリを」
「その名前を呼ばないで!!」

瞬間、イリヤの顔色が変わると共に、切嗣は何かによって言葉を奪われた。
懇願にすぎないとはいえ、それでも己の命程度ならは差し出す覚悟を。
弁解などできる筈もなく、それでも己の内にある言葉を。
その全てを、少女は憤激でもって拒絶した。

(サー、ヴァン……ト)

一瞬遅れて、切嗣は己の肉体を襲った衝撃の正体を理解する。
切嗣の肉体は、巨大な灰色の手によって、空中に持ち上げられていたのだ。
握り締められているせいで身体が動かせず、全貌は把握できないが、成人男性の胴体を片手で握りしめられる生物など、普通ではない。
触れている手から感じられるのは濃密な魔力の塊であり、それは間違いなく聖杯戦争に呼び出されたサーヴァントに他ならない。
そして、サーヴァントを連れているということは、イリヤこそが今代のアインツベルンのマスターである、ということだ。

「他所の家の人が愛称で呼ぶのは失礼だって、言ったよね。
 それに、キリツグがお母様の名前を口に出すなんて、許さない」

可愛らしい顔の全てに怒りを込めて。
愛らしささえ感じられる表情に精一杯の憎しみを乗せて。
イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは初めて、父親へと感情を露にした。

「そう、裏切り者に、部外者に口を出す権利なんて無い。
 私は、聖杯戦争に勝ち抜くためにフユキに来たのだもの」
「イリ……ヤ、それじゃあ、やはり……」
「うん、当然でしょう、キリツグ」

切嗣の苦悩を最大限に感じているためか、最早呼び名などに注意せず、続ける。
灰色の従者を従えた雪の少女は、たった一人の聴客に一例すると、まるで舞台に上がる役者のように、口を開いた。

「私はイリヤスフィール・フォンアインツベルン。
 ユーブスタクハイトの手によりアイルスフィール・フォン・アインツベルンより鋳造された、黄金の杯の系譜。
 始まりの御三家、アインツベルンのマスターとして聖杯戦争を勝ち抜き、アインツベルンの悲願を達成する者」

かつて、衛宮切嗣とアイリスフィール・フォンアインツベルンが最も恐れた事態を。
何を犠牲にしてでも回避したかった、事柄を。
その愛らしい唇から、述べた。

「此度の、第五回目の聖杯戦争における、聖杯の器。 その完成形」

再びスカートを摘み、一礼し、従者を下がらせる。
魔力供給を解かれたサーヴァントの腕は溶けるように消え、その痕跡すら見受けられない。
支えるもののなくなった切嗣は空中から畳の上に落下し咳き込むが、そんなものなど舞台には関係ない。

「シロウは良い子だし、殺したくないんだけど。 仕方ないよね、聖杯を得るためには何でも犠牲にしないと」

ふと、慌しい足音が聞こえる。
切嗣の落下した物音を聞いて、この家にいるもう一人の人物が駆け込んでくるのだろう。
イリヤは、あくまで知り合いの肉親を心配する娘として、切嗣に駆け寄る。

「今ここで潰しちゃうのは簡単だけど、チャンスを上げるね。 
 あと三騎、できるだけ早く呼び出さないと、シロウが死んじゃうよ?」

イリヤにはここで戦う意思は無いし、切嗣も士郎を関わらせる意思などない。
彼女は、誘っているのだ。 最早戦える肉体ではない実の父を、戦場へと。
かつて強く愛し、今はそれ以上に憎しみ焦がれる男を、己の手で打ち滅ぼすために。

「待っててねキリツグ。 シロウだけは、私がこの手で引き裂いてあげるから」

――そうして父親は、五年ぶりに娘の本当の笑顔を目にしたのだった。



えーと、初めて投稿させて頂きます。
タイトルそのまま、色々あって五年早く第五次聖杯戦争が起きていたら、というお話です。
一応続きは書いています。 完結できたら、いいなぁ。

作法とかよくわからないのですがこんな感じでいいのだろうか……。

※追記(7/09) 誤字修正、並びにコメントで指摘されました聖杯戦争の周期について訂正しました。



[33839] もしも五年前に聖杯戦争が起きていたら【Fate/stay night IF】ー2
Name: 迂闊◆81a9ff2f ID:db90a587
Date: 2012/09/22 23:53
 「――――――告げる」

月明かりのみが照らす闇の中、枯れた男の声が鳴り響く。
背筋は伸び、右手は前に。 形は違えどそれは祈りの姿のようで。
何かに祈るように、何かに命ずるように、男は言葉を続ける。

 「―――告げる。
  汝の身は我の下に、我が命運は汝の剣に」 

それは、紛れもなく祈り。
魔術師という、神に祈るなどという言葉とは最も縁遠い存在が、祈る。
神ではなく、別の何か。 己を戦いへと参ずる資格を願い請う、祈り。

 「聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのなら―――」

とうに枯れ果てたその身でも、何かを成し得るように。
失ってばかりであったその生の最後に、もう二度と何かを失わぬように。
もはや縋りつく奇跡の杯はすらも無いというのに、それでも祈りの声をあげる。

あと一度、己の身と引き換えにしてでも、奇跡を掴み取るために。


□2月1日『2 契約』 


古風な和風家屋の庭にたたずむ、薄暗い土蔵。
小さな窓より差し込む欠けた月以外の光源も無く、静かに眠り続ける道具達に囲まれた空間。
その中央、床に直接描かれた魔法陣の前で、男は祈り続ける。

 「誓いを此処に。
  我は常世総ての善と成る者、
  我は常世総ての悪を敷く者」

全ては、今一度戦いに赴くために。
そのために必要な、起こりうる奇跡を起こすために。
戦争に用いる従者たる武器、サーヴァントを呼び出すために。

 「汝三大の言霊を纏う七天、
  抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

祝詞は、捧げられた。
それは、聖杯戦争への参加を誓う文言。
たった一つの聖杯を、七人の魔術師が従者と共に奪い合う儀式。
その為の従者を呼び出すという、魔術師であるならさして難しくもない魔術行使。

だが……

「やはり……ダメなのか」

男――切嗣は、かろうじて保っていた膝を折る。

魔方陣には、何の気配もない。
魔力の接続によって生じる光も、
召還の余波によって吹き荒れるマナの大嵐も、何も、起こりえない。

「そんなに、僕を拒むというのか……アイリ……」

力なく地に着いていた指を、握りしめる。
すでに三度、召還の儀式をとりおこなった。
触媒として陣の中央に士郎の血を入れた小瓶を置いて二度。
その触媒が原因であると考え、何も無しにもう一度、だが聖杯は応えない。

「僕が裁かれるのは当然だ……だが士郎は、それにイリヤだって……」

前回の戦争に参加した身でありながら、今日まで現れることのない令呪。
才能さえあれば、素人であっても可能であるはずの召喚の、失敗。
どう考えても、聖杯自体が切嗣の参戦を拒んでいるとしか思えない。
聖杯からすれば、前回完成寸前において自らを破壊した相手を拒むなど当然のことかもしれない。
だが、切嗣にはそんな考えは微塵も浮かばない、彼はただ、聖杯の一部となった彼の妻、アイリスフィールの意思であるようにか思えなかった。
幻とはいえ最愛であったはずの自分と娘を殺し見知らぬ世界を選んだ夫が、どことも知れぬ義理の子を救いたい、などという願いを許容するはずもない。

「アイリ……」

弱弱しく、懇願するように呟く切嗣。
涙は流れない、そんなものを流す資格は無いし、元より五年前に流しつくしているのだから。
窓から差し込む月明かりに照らされたその姿は、まるで神に願い己が身を投げ出す隠者のようであった。

無論、隠者の前に奇跡など起きないように、切嗣の身にも何も起き得なかったが。



……
………


近頃の殺人事件のせいか、街頭が照らす夜の町には人影すら無い。
ただ、押し入られることに恐怖する家々の明かりが、頼りなく夜を飾りつけている。

「…………」

そんな夜の街を、衛宮切嗣は無言で歩く。
もう着る事など無いと感じていた草臥れた黒のスーツに身を包み、ロングコートにその身を隠すように。
結局、衛宮切嗣は畳の上で死ぬよりも、戦場で倒れるほうが相応しいということだろうか。

(士郎……ちゃんと朝まで眠ってくれるといいが)

今夜の召喚を前に、切嗣は士郎に簡単な眠りの魔術を使用していた。
初歩の魔術でもあるし、本来なら失敗することなど無いが、今の切嗣では完璧な自信など持ちようがない。
士郎が目を覚まし切嗣の不在を知れば、当然のように切嗣を探しに外へでるだろう。 大河の実家である藤村組にも連絡が行くかもしれない。
だが、そういった心配をかけることを省みず、切嗣は外に出る。
全ては、己が戦いに赴く為に。

半ばの諦めと共に、士郎に召喚させるということも、考えた。 
それを避けるために、こうして逃げ出すようにに夜の町を彷徨っているが、それが恐らく無駄だろうどこかで思っている。

(まさか、あの騎士道精神とやらを当てにするしかないなんて、な)

士郎によって呼び出されるサーヴァントは、間違いなく彼の騎士王――アルトリア・ペンドラゴン。
理解したいとも思えないが、あの王の俗に言う高潔な人柄とやらは切嗣にも想像が付きやすい。
衛宮切嗣とは致命的に相性の悪い相手ではあるが、それでも何の力も無い幼子を戦場に出すとなれば主変えにも賛同するだろう。
だがそれは、可能であるなら避けたい事態だ。 切嗣と彼の王とでは破綻が目に見えているというのもあるが、それはどうでもいい。

(士郎、君は何も知らなくていい……)

召喚を行うということは、すなわち士郎に全てを話さなければいけないということだ。
それはつまりあの五年前の大火災も、士郎が全てを失うことになったあの惨劇についても伝えるということだ。
最悪の場合、士郎自身が戦いに参加するなどと言い出しかねない。 それを腕ずくで止められるほどの力は、切嗣には残されていない。
魔術を用いるにしても、魔術を道具と見なし、不要な魔術など収めていない切嗣には、マスター権をどうにかする技能など無い。
変更は士郎自身の意思によって、聖杯より配布されている三画の絶対命令権、令呪によってなされねばならない。

聖杯戦争の監督役である教会の人間ならそういった技能もあるだろうが、彼らは前回はこの地の名門たる遠坂家に肩入れしていた。
今の教会の主が何者かは知る由もないが、頼ろうという発想など、切嗣には生まれなかった。
つまるところ、士郎の不参加は召喚されるであろう彼女の騎士道精神のみが頼りということになる。
それに頼るというのは、切嗣としてはいささか以上に躊躇せざるを得ない事柄であった。



……
………


「……少し、辛いか?」

焦る気持ちを押さえながら普通の成人男性よりも遅い歩みでもって小一時間。 長い石段を前に一人ごちる。
切嗣の住む深山町は冬木市の中では郊外に位置するのだが、そこよりさらに西に進んだ町外れ、そこに一つの山寺・円蔵山柳堂寺が存在する。
この辺り一帯を檀家とする柳堂寺は山中の地形を利用した広大な寺ではあるが、そんな事はどうでもいい。
問題は、この山は内部に聖杯戦争の根源とも言える魔術装置・大聖杯を抱える、冬木市最大の霊地だということだ。
素人のマスターが何処とも知れぬ地でも行える召喚の儀式、場所そのものには大した意味などないのだろうが、それでも万一ということはある。

「はっ……はっ……」

半ば以上諦めの境地にありながらも、切嗣は山門に至る長い石段を上る。
息が切れ、視界が歪み、足取りが乱れる。
死を間近に控えた身体を手すりに預けながら、それでも一歩一歩上り続ける。
それは、あるいは神にその身を捧げる、生命最後の儀式のありかたにも見て取れた。

「…………?」

『それ』が、いつからそこに居たのかは、切嗣には定かではない。
恐らくは、切嗣がこの石段を上るよりも前から、そこにあったのだろう。

「これ……は」

女がいた。
恐らくは、女なのだろう。 黒い何かがそこにいた。
石段の端に蹲り、倒れ伏す、黒い長衣を纏った、女がそこにいた。

「…………ぅ」
「……サー、ヴァント?」

疑問系になってしまったのも、無理は無い。
サーヴァントとは、歴史に名を残すような英雄、英傑が死後に信仰へと昇華した存在、英霊を現世へと呼び覚ましたものだ。
直接的な戦闘能力に優れない、キャスター(魔術師)やアサシン(暗殺者)の英霊でも、切嗣のような現代の魔術師では太刀打ちできない存在。
そのサーヴァントが、そうであると思えないほどに、弱りきっていたのだから。

「……ふ……ふ、最後まで……ついてない、わね……」
「……お前は……」

高い、意外なほどに透明な声が漏れる。
彼女が普通の女ではないことは、切嗣でなくとも判っただろう。
どこの国のものとも知れぬフード付きの衣装と、そこからはみ出る薄紫の髪。
そしてその全てに付着した、夥しい量の赤い血液。 
そんな彼女は、切嗣よりもさらに死に近い場所に、居るようだった。

「マスターを、失った、のか?」
「ふ、ふふ……」

自己紹介など必要ない。 最初の言葉だけでお互いの立ち位置は理解できている。
長衣に隠れて細かくは判別できないが、女は何処かに怪我を負っているようではない。
それでも血に塗れ、死に掛かっているということは、その血は彼女のものではなく、それでいて彼女の存在には致命的な相手のもの。
すなわち、彼女のマスターのものとしか考えられない。

「失った、ね……ふふ、ふ……」

女は、何か面白い言葉でも聞いたかのように、嗤いを強くする。
それを受けて、切嗣はかすかに身構える。
見た目からすれば、キャスターかアサシン、あるいはライダー(騎乗兵)というところだろうか。
当人の戦闘能力はそれほど高そうに見えないが、それでも自暴自棄で切嗣に襲い掛かってくるという事も考えられる。

「ええ、確かにこの手で始末したとしても、失った事には変わりない、わね」

だが、彼女は切嗣など見てはいなかった。
彼女はただ、酷く滑稽な事柄だとばかりに、己の現状を口にした。

「愚かな男。
 実力も何も無いのに、自尊心だけは一人前で、それでいて臆病な、男。
 最弱と称されるクラスを引いた事を嘆き、その相手でも自分では足元にも及ばない事に憤り、仕舞いには他の参加者が相果てることを夢見てやり過ごそうとした男。
 あんなのをマスターだなんて、呼びたくもないわね。 だから、殺してあげたのよ」
「…………」

マスター殺し。
主よりも従者のが遥かに優れている聖杯戦争において、当初から危惧されていた事態ではある。
それを防ぐ為に令呪が存在するが、奸智に長けたサーヴァントならば巧妙に主を葬る事も不可能ではないだろう。
彼女の言葉を信じるなら、彼女はキャスター。 戦闘力は低くとも、知識面では最も強力なクラスだ。
前回のキャスターは宝具に特化した狂人だったが、彼女は話を聞く限りは全うに魔術に秀でた存在のようだ。

(キャスター……か)

そこまで考えたところで、静かに切嗣は両手を挙げた。
抵抗の意思が無いことを示すジェスチャーのようにも見えるが、掌の向きが逆だ。

「どういう……あああ、そういうこと。
 …………貴方、正気かしら? 私は今自分のマスターを殺したと言った筈だけど」
「ああ、本気さ。僕としては、お前のようなサーヴァントの方が、理解しやすい」

切嗣が見せたのは、手の甲。 正確にはそこに何もないということ。
それはつまり、切嗣はマスターではないということで、キャスターはその意味を正確に理解した。
切嗣は、聖杯戦争について知っているが、現在サーヴァントは居ない。 そしてそれを示すということは、キャスターとの契約を望んでいるということだ。

「僕は、前回の聖杯戦争のマスターだった」
「…それで?」
「前回、最後までは残ったのだけど、聖杯を手にすることは出来なかった。
 ただ、誰も手に入れられないように破壊してしまったのが、まずかったらしい。 
 此度の聖杯戦争で、僕は令呪を授からなかった」

あくまで余裕そうに、肩をすくめながら理由を告げる。
他にもう一つ、切嗣にはキャスターとの契約を望む理由があったが、それを口に出しはしない。
切嗣はあくまで、自分がマスターとして申し分の無い相手であると、キャスターに示すのみ。
非常に危険な相手ではあるが、それでもあの騎士王などとは比べ物にならない程に、ある可能性を感じさせる存在。

「どうする? 僕としては君が望ましいが、それでもまだ他にチャンスが無い訳じゃない。
 君のほうはどうやらそうではないようだけど」
「ふふっ、最低ね……貴方。 私なんかより余程魔女の名に相応しいわよ」

嫌悪に顔を歪めながらも、それでもキャスターは手を伸ばす。
切嗣の見立ての通りキャスターには猶予など幾ばくもなく、この機を逃せば後は消滅するのみだろう。
あるいは未だ名も知らぬ切嗣への意趣返しにこのまま消滅してやろうかという考えも浮かぶが、それを実行したりはしない。
彼女は魔術師として合理的な思考を逃しはしないし、それに幾つかこの契約を望む理由もあった。

契約の祝詞を捧げる。
召喚のそれと半ばまで共通し、最後のみ僅かに異なる文言。
呼べども応えぬ輝ける杯と王にではなく、己が願いに応える魔女へと捧げる祈り。
そう、それは、己の魂と引き換えに呼び出す、悪魔への祈りに似ていた。

 「―――我に従え! ならばこの命運、汝が剣に預けよう……!」

こうして彼を、運命は見捨てなかった。
いや、見逃さなかったというべきだろうか。
黄金の器のようにも見える欠けた月は、ただ静かにその光景を照らしていた。


□interlude - 『1-2』


面白く、なかった。
黒の髪を両側に纏めた少女は、可愛らしい顔を不満げに膨らませながら歩いていた。

「まあまあ、お姉さんはきちんと秩序を示せましたし、民衆に与える座興と考えればいいですよ。
 あのお兄さんはまた来そうですが、他の誰かが無秩序に挑むなんてことはもう無い、そう考えればあれも必要な事でした」

口に出しては居ないが、少女の考えていることなどお見通しということなのだろうか。
隣を歩く金の髪と赤い瞳の少年が、わかっているとばかりに声を掛ける。
二人は別に近所に住んでいるという訳ではなく、ただ少年は少女の知り合いの被保護者であり、少年の言伝でその知り合いの家に向かっている最中なのだ。

「……そんなこと、わかってるわよ」

励まし、或いは諌めの言葉を受けても、少女の機嫌が直ることはない。
そもそも、いま向かっている知り合いというのが、少女にとって出来るのなら会いたくない相手なのだ。
実際、普段は適当に用事を付けて呼び出しをすっぽかしているのだが、今回はとある事情によりそうもいかない。
それが理解出来ているからこそ、少女は尚のこと不機嫌なのだ。

「それでも、気に入らないものは気に入らないのよ。
 何よあいつ、他はなんでもかんでもあんなに下手っぴだってのに、なんで的当てだけあんなに上手いのよ!
 あの転校生が『やったね、お兄ちゃん』とか言って抱きついて、次の瞬間公園中が大拍手よ! 何で公平な勝負なのに私が悪役になってるのよ!」

だからという訳ではないが、少女の怒りはこれからの事ではなく、先ほどの出来事に向いていた。
不愉快であり、不快感しか感じない未来に比べれば、同じ不愉快でもどこか清清しいもののほうがマシであるから。

「悪役になってしまうのは、力有る者の義務というところですよ。
 お兄さんと同様の尊敬と、それを遥かに上回る畏敬を得た。 それでいいじゃないですか」

年長者、あるいは先駆者が後達を諭すように、少年はなだめる。
その言葉に、少女はわずかながらに怒りを静める。

(ホント、コイツは何であの教会にいるのかしらね……)

少年の保護者の名は言峰綺礼と言い、少女にとっては信じがたい事に、教会で神父などをやっている。
神父としては非の打ち所もない人格者であると評判だが、それでも少女はどうにも好きになれない『何か』を感じるのだ。
それに対してこの少年、五年前に起きた災害に際して孤児となり、言峰教会に一時的に引き取られたはずだが、いつの間にかそこに住み着いてしまった。
実の年齢は知らないが、時たま綺礼が長期に渡り教会を離れる際、その留守を完璧以上に守り続けている。
育ての恩といえばそれまでだが、綺礼とそこまで長く居られる人間というのが、少し信じがたい。

(まあ、コイツの事もよくわからないと言えばそれまでなんだけど)

実のところ少女は、少年の名前すら知らない。
気がついた時には知り合っており、その後も何だかんだと有能な腹心扱いしてきたため、気がついた時には聞けなくなっていたのだ。
まあそれを言えば公園で挑んできた少年含みあの場で顔を名前が一致するのは半分にも満たないのだが、さすがに腹心の名前も知らないとは今更言い出せる筈もない。

そんな特に取りとめの無い事を話しながら、二人は深山町から東、未遠川に掛かる冬木大橋を越え、冬木市の中心部である新都へと到達する。
目指す言峰教会は新都の中心地から少し外れた、小高い丘の上にある。
その丘を登る少女の足取りが、少しずつ重たいものになりながらも、数分、小さいながらも立派な教会へとたどり着く。

「ではお姉さん、また今度。 キレイの話はちゃんと聞いてあげてくださいね」
「あ、うん。 じゃあね」

肩を叩きつつ告げて、少年は少女に子供らしい別れを告げる。
正門たる大扉は信徒の為に開かれているのであり、そこで暮らす者の為ではない。
できれば着いてきて欲しいと思いつつも、呼び出しの理由が判っている少女はその言葉を飲み込む。
そう、ここから先は、『普通の人間が』踏み入るべき場所ではない。

「ふぅ……。 来たわよ、綺礼!」

一息、腹に力を込めた後、両の手でしっかりと扉を押す。
精一杯の虚勢と言ってしまえばそれまでだが、最初から気後れしていて渡り合える相手ではない。
用件はわかっているが、その事には触れない。 何故なら、その用件は少女にとっては歓迎しかねるものだから。

「…………?」

返事を待たず、少女は勝手知ったる礼拝堂の中を進む…………わずかに、違和感を覚えながら。
待ち伏せているかと思っていたが、それが無いことに拍子抜けした。 それも、ある。
だが普段どおり、主の相応しくない名前に恥じぬように掃き清められた礼拝堂に、何か妙なものを感じる。
それが何であるのか、少女にはわからない。 彼女はただ、首を僅かに傾げるのみ。

「来たか、凛」
「……っ! 性格悪いわよ、あんた」

その違和感は、聞きなれた男の声により霧散する。
低く、重厚でありながら、聞くものをどこか不安にさせる太い声。
そちらに顔を向けずとも判る、少女――遠坂凛にとっては見慣れた黒衣の男。
金髪の少年の保護者であり、不愉快ではあるが凛の後見人でもある、言峰教会の主、言峰綺礼。
彼はいつものように年齢よりも五歳は上に見える顔に、薄い笑みを浮かべながら凛を出迎えた。

「さて、わざわざ足を運んだ。 ということは遂に納得してくれたのかな?」
「まさか、逆よ逆。 正式に参加することを決めたからここに来たのよ」

言っている本人が欠片も信じていない言葉を綺礼が口にし、負けじと凛が返す。
元より凛は綺礼の元には極力近寄りたいと思っていないが、今はそれに加えて一つの争点が存在している。
凛は可愛らしい顔に精一杯の敵意と真剣さを載せながら綺礼を睨み付け、綺礼はそれを子猫の威嚇であるとばかりに受け止める。

「凛、兄弟子として最後の忠告だ。 今回は諦めたまえ」
「っ!」

だが次の瞬間、綺礼は凛もここ数年記憶に無いほどに真剣な顔つきになり、告げた。
その言葉に気圧される凛。 強がっていても、両者の力関係にはまだ大きな差がある。
凛の師、父親である遠坂時臣に師事する以前から一人前であった綺礼と、未だ成人にも遠い凛。
兄妹弟子であり、後見人という立場をも上乗せし、綺礼は凛に忠告する。

「……令呪は私の手に現れたわ。 私は遠坂の魔術師として、聖杯戦争に参加する義務がある」
「それは君の手柄ではない。 君の先祖が結んだ盟約による権利、いわば七光りにすぎんよ」

手袋を脱ぎ捨て、手の甲にある重なった円のような赤い痣を見せ付けるが、綺礼は取り合わない。
少女の手にあるのは紛れもなく聖杯戦争の参加資格たる令呪であるが、それが実力によるもの、とは凛自身が信じ切れていない。
遠坂の家は聖杯戦争という仕組みを作り出した『始まりの御三家』の一つであり、それゆえに聖杯戦争への優先参加権が与えられている。
当主であった時臣無き今、遠坂家の魔術師は凛しかおらず、それゆえに与えられたものにすぎないと、綺礼は切り捨てる。

「参加を決めたとは言っても、未だサーヴァントを持たぬ身。 今から取りやめても何の不都合もあるまい」
「……召喚の儀式は、今晩にだってやれるわ」

責め立てるのではなく、ただ事実のみを淡々と告げる。
凛自身も、その程度のことは最初から理解出来ているのだ。
彼女はただ、己の意地を拙い理論で武装しているにすぎない。

「……君の令呪は、お父上のものによく似ている」
「?」
「そう、時臣師でさえも、命を落としたのだぞ」
「っ!!」

と、そこで綺礼は関係なさそうな言葉を発する。
父親に似ていると言われた事への戸惑いと喜びで僅かに弛緩した凛に、特大の一撃を打ち込む。
ある意味禁句となっていた事実を、その名とともに、口にした。

「非の打ち所の無い魔術師であった時臣師は、考えうる限り最強のサーヴァントを従えて聖杯戦争へと臨まれた。
 だがそんな時臣師でさえも聖杯に届かず、非才な私はその死を見届ける事しかできなかった。
 そんな戦場で、この国の法はおろか魔術の世界でおいても成人にも満たないお前が、何をする」
「…………」

綺礼はいつもの薄い笑みに顔を戻し、諭すように言葉を紡ぐ。
凛は、言葉どころか顔を上げることもできない。

「遠坂の魔術師と言ったな凛よ。 だが魔術師とは、根源を目指す者。
 その為の法を綿々と紡ぎ続けてきた、家門の歴史そのものを背負う存在だ。
 お前が死ねば、時臣師の、遠坂六代の悲願は全て無かったものになる。
 それを守るのは、遠坂以前に魔術師として最低限の義務だ。 それをお前は破る気か」

兄弟子とはいえ、本来は魔術師の敵対者である、教会の神父に魔術師について諭される。
これほどの屈辱もそうはあるまい。 ましてや、その全てが正しいとなればだ。

「…………ょ」
「む?」
「それでも、よ!」

だが、凛は折れない。
伏せていた顔は綺礼を正面から見つめ、その瞳には決意の色を込め。

「聖杯を手にするのは、遠坂の魔術師としての義務!
 私は、遠坂の魔術師として全ての義務を果たすのよ!」

自分は、死にはしない。
遠坂の名に恥じぬ魔術師として、必ず聖杯を手に入れると。
遠坂凛が、遠坂時臣の名を出されて、尻尾を巻いて逃げることなど出来ないと。

「ふむ…………」
「…………」

綺礼は、その言葉を聞きながらも特に表情は変えない。
元より、大人しく聞き入れるような妹弟子だとも思ってはいないだろうが、それでも平静すぎる表情だ。
その態度に凛は思わず身構えるが、それはある意味では遅すぎた。

「こう、言っているが。 君はどう思うかね?」
「不可能とは言いません。 私とて未だ未熟な身、己の勝利を確信する理由などありませんから」
「えっ!?」

綺礼が、何事でもないかのように、凛ではない誰かへと語り掛ける。
その誰かは、凛が今の今まで存在にすら気づかなかった誰かは、綺礼の横手にある柱の隅から日常会話のように答える。

「あと五年、いえ三年もあれば良い魔術師となるでしょう。 それでも負ける気はしませんが」
「概ね同感だが、戦闘面で君と比べるのは少々酷というものだろう。
 ああ凛、紹介が遅れてすまない。 彼女はバゼット・フラガ・マクレミッツ。
 魔術協会を通じ此度の聖杯戦争へ参加することになった、優秀な魔術師にして、封印指定の執行者だよ」
「バゼットです、宜しく凛さん。
 綺礼とは以前に僅かばかりの縁があり、同じ協会に属する魔術師として貴女と引き合わせて頂きました」

(どんな縁よ!!)

何の言葉も返せず、ただ綺礼とバゼットをにらみつけながら、凛は心の中で呟く。 心臓は早鐘のように脈打ち、背には冷たい汗が流れている。

無表情な赤い短髪に耳には特徴的な雫状の飾り、紺のスーツと黒手袋に身を包んだすらりとした人物。 
ともすれば男のようにも見えるが、左頬に泣き黒子のある端正な顔つきが、彼女が男装の麗人であると告げている。
封印指定の執行者、それは魔術師にとっては聖堂教会の代行者と並ぶ、最大の疫病神に他ならない。
封印指定という、魔術師にとっては最高の名誉かつ最悪の厄介事を、実力を持って執り行う死神。
すなわち力尽くで、封印指定という余人には執り行えない魔術を用いれるという実力者を、倒し得る存在だ。
それが、魔術師全ての天敵であるはずの代行者である言峰綺礼と知り合いなどと、悪い冗談としか思えない。

「さて凛、わかっているだろうが、バゼットにその気があればお前の聖杯戦争はここで終わっていた。
 時臣師に従っていた頃の私にも及ぶ戦闘能力に加え、既にサーヴァントすら召喚し終えている。
 未だ未熟の身にありながら召喚すら済ませぬお前とは、雲泥の差というものだな」
「う……」

綺礼の言葉に、凛は何の反論も口に出来ない。
凛がこの場を訪れてから今まで、全てにおいて綺礼は正しい。
拙い理論も、幼い義務感も、せめてもの激情すらも悉く粉砕された。 

「…………」
「まだ、聞かぬか」

それでも凛は敗北を認めない。
もはや凛にあるのはちっぽけな意地だけだ。
ただ敗北だけは認めまいと、顔を伏せずに目に力を込め、綺礼の顔を正面から見続ける意思の力。

「おいおい、そのくらいにしといてやれよ」
「きゃあ!?」

それに意味があったのかなかったのかはわからないが、少なくとも一つの事象が起こりはした。
突如として聞こえた男の声とともに凛の頭の上に大きな手が乗せられ、彼女は思わず年相応の声を上げる

「ランサー、挨拶も無しに少女を驚かすのは趣味が悪いですよ」
「んー? 気に入ったガキを撫でるなんざ当然の事だろ、この嬢ちゃんはマスターと同じくらいいい女になるぜ。
 俺はランサーだ、短い間だろうがマスター共々よろしくな、嬢ちゃん」

咄嗟に振り払おうとするが、どういうわけか叶わず、軽快な声と共に毎日櫛を入れている頭をわしわしとされてしまう。
頭を撫でられるのなど五年ぶりだが、凛の記憶にはついぞありえないほど力の入った乱暴な手つきであった。

「ランサー、まだ決まったわけではありませんよ」
「だってよ、この嬢ちゃん入ってきた時には俺たちの気配を何となくだが感じてたぜ?
 今回の場合はそこの野郎の声かけたタイミングが意地悪すぎだ。 違和感を理解する前にそこから意識を逸らしやがって。
 まあそういうの事もあるとは覚えておくべきだが、ギリギリ合格点。 マスターもそう思うだろ?」
「そうですね、確固たる参加の意思を見せた上で、私たちを僅かでも察するのが、協力者として最低限の基準。
 あらかじめ綺礼と示し合わせていた条件は、問題無く果たせたというべきでしょう」

どうにか振り解こうとする凛を楽しげにあしらいながら、ランサーと呼ばれた男、いやサーヴァントはバゼットに返す。
バゼットは、幾分かランサーに不満げではありながらも、その言葉を趣向するが、どちらも凛の目には入らない。
ランサーに抵抗しつつも、凛の脳裏を占めていたのは、たった一つの事柄。

「そう怖い顔をするな凛。 これは、せめてもの親心だと思ってくれたまえ」
「……親心?」

そう言いながら笑みを強める、兄弟子や後見人と認めたく無い男の、最低最悪な精神性についてのみ。
ようするにこの男は、凛の参加を既に決定事項とし他者にも協力を頼みながらも、その関門の難度を考えうる限りの方策でもって上げにかかったのだ。
その嫌がらせによって凛が参加を取りやめ、事前の根回しやら監督役としての公平性といった諸々が全て犠牲になったとしても構わないとの心積もりで。

「長い付き合いだ、お前が言っても聞かないことくらいわかっていたとも。
 悩んでいた最中に彼女から連絡を貰ってね、旧知の誼で妹弟子への協力を請うたところ、条件付きだが了承して貰えた。
 彼女は戦闘に秀でた魔術師としての、言ってみれば箔付けとしてこの戦争に参加しており、聖杯に託す望みは持ち合わせていない。
 地の利に長けたセカンドオーナーであり、実力性格ともに事前に知ることの出来る協力者が出来るというのは、彼女としても望むところだ。
 無論、最終的にはお互いのサーヴァントでもって雌雄を決する必要はあるだろうが、それでも君が無為に命を落とす危険は格段に減るだろう」
「ああ、そう。 ありがたすぎて涙が出るわね」

そして何よりも、凛としてはこの協力関係を受けるしかない、という事だ。
己が未熟であるとは凛自身がわかっているし、バゼットの戦闘能力は到底抗えるものではないとも察せる。
ランサー(槍兵)のサーヴァントも、軽薄そうな言動とは裏腹に非常に高い能力を所持しているようだ。
サーヴァントだけならあるいは上回る可能性も無いでもないが、その能力にのみ頼り聖杯を得るなど凛の自尊心が許さない。

「難しい事言ってんなぁ。 大人なんてのは決心付けたガキの背中押してやりゃあいいんだよ。
 俺が初めて戦場出たのは嬢ちゃんよりも幼い頃だし、逆にそれくらいのガキと戦った事もある、戦いってのはそういうもんだろ」
「貴方と一緒にするのが間違いです、ランサー。
 協力関係そのものは承知しましたが、それでも綺礼の言葉の正しさは貴女にもわかりますね、凛さん」
「ええ、わかっているわよ。 宜しく、バゼットさん」

凛をからかうのに飽きたのか、ランサーが瞬時にバゼットの隣にまで移動する。
軽薄そうな表情だが、それでも隠しきれぬ精悍さと獰猛さを持った赤い瞳に、後ろで纏めた青い髪。
動きを妨げぬような造りでありながらも全身を包む、同じく青の鎧に、バゼットのものと同型に見える雫状の耳飾り。
お互いがお互いを認め合った理想的な主従に対し、凛は並びうるものを何一つ持っていない。
それでも、凛はあくまで対等であるように、応える。 それが遠坂凛が遠坂凛たる矜持なのだから。

「…………」

握手があるわけでもなく、話し合いはそこで終わる。
その光景を無言で見つめ続ける言峰綺礼は、ただ僅かに笑みを深くしたのだった。


□interlude out

前回は書き忘れましたが、誤字、脱字、妙な点等ございましたら遠慮なく指摘お願いしますー。



[33839] もしも五年前に聖杯戦争が起きていたら【Fate/stay night IF】ー3
Name: 迂闊◆81a9ff2f ID:24e5a60b
Date: 2012/10/20 23:25

何故、と嘆く。

どうして、と問いかける。

結ばれたのは、自身の意志ではなかった。
ある男が栄光を得るための道具として、用意された妻。
お互いの意志による婚姻ではなかったとしても、全てを捨て、夫に尽くしてきた伴侶。

それを、価値が無い物として放り出す夫。

いかな言葉を尽くそうが、夫は妻を振り返りはしない。
全てを失った女は、悲しみにくれながら一人、彷徨い歩く。
もはや帰る場所もなく、忌み嫌われた存在として、己自身を含む全てを呪いながら。


□2月2日『3 マスターとサーヴァント』


「…………リ」

手を、伸ばす。
届かぬ何かを掴みとるように。
届かぬ誰かを、ひき留めるように。
何処とも知れぬ景色の中、衛宮切嗣は、その女性に手を伸ばし、声を放つ。

「………………イリ!!」

叫び、その手を強引に握ろうとした瞬間、切嗣の目に映る世界は彩りを変える。
その手は虚空を握り締め、知らぬ間に掛かっていたらしい布団が肌の上を滑り落ちる。

(…………夢か)

息を乱し、身を起こした切嗣の前にあったのは、見知らぬ、だがそれでも里の知れる景色であった。
木目調の天井に飾り気の無い障子、多少高級そうな落ち着いた色彩の襖。 どう見ても日本のそれだ。
そしてその景色の端に、すごく見覚えのある、
切嗣へと迫りくる、
肩辺りまである茶の髪の……

「切嗣さぁーーーーーーーーーん!!」
「ぐふぉ!」

元気のありすぎる女性、藤村大河。
飛びつかれた瞬間、意識が再び消えうせそうになるもどうにか踏みとどまる。
女性とはいえ、鍛えているため平均よりも重い××㎏の砲弾を何とか受け止めきった。
それはここ数ヶ月の切嗣の肉体からすれば、奇跡と言ってもいい快挙であった。

「おお、気づかれましたか切嗣氏。 心配しましたぞ」
「そうだよ、すっごく心配したんだよ切嗣さぁ~~ん!!」
「とりあえず離れられよ大河君、その勢いで締め上げ続けてはまた意識を失いかねん」

周囲などはばからずに涙目になりながら、切嗣の身体をギリギリと抱きしめる大河。
状況の掴めぬまま、普段より多少の活力を感じる肉体でどうにか耐えていると、大河の隣にいる坊主頭に作務衣の男性が見かねて助け舟を出した。

「お、おはよう大河ちゃん。 それに君は確か柳洞寺の……零観君、ということは」
「左様。 ここは当寺、柳洞寺の客間。 切嗣氏は昨夜、当寺の参道にて倒れておられたのですぞ。
 早めに発見出来たのは幸いな事、これも御仏の導きですかなぁ」

はっはっはっと豪快に笑う零観だが、普段から細められている目の奥は笑っていない。
ただでさえ大河曰く無茶は出来ない身体だというのに、それが物騒な時期の夜中に外出した事への非難が、込められている。

(返す言葉も無いな……)

大河を宥めてくれている零観に、目で礼をする。
数多い大河の友人の内、実家の名で僅かに記憶していた程度の相手だが、知人としては心強い部類の人間なのだろう。
そんな事を考える切嗣に対し、零観はにこやかに笑いながら目線を切嗣の隣、大河よりもさらに奥へと向ける。

「?」

つられてそちらに目をやると、そこには仏頂面をした、赤毛の少年が正座していた。
彼はまだ幼さの残る顔に精一杯の不機嫌さと怒りを乗せながら、切嗣を静かに見つめていた。
さーっと、切嗣の顔から血の色が引き、背中に嫌な汗が流れ、自然と表情は苦笑いへと固定される。

「や、やあ。 おはよう、士郎」
「……おはよう、爺さん」

とりあえず、と切嗣はぎこちなく朝の挨拶をする。 挨拶は基本なのだから。
士郎もきちんと挨拶を返す。 挨拶は基本なのだから。

「え……っと」

何となくだが目を逸らす切嗣。 彼は子供が苦手である。
いや、子供自体は嫌いではないのだが、怒っている子供の対処が甚だ不得手である。
嫌われても構わない相手であるなら無視するのだが、士郎相手にそういうわけにもいかない。
大河はいまだ零観に宥められているし、その零観は静観の構え、それでもどうにか助けを求めて部屋の中に目を走らせ……一人の女性と、目が合った。

「っ!!」
「おはようございます、でいいのかしら」

見覚えのない顔から、確かに聞いたことのある声が発せられる。
一部が編みこまれた長い薄紫の髪と、同色の瞳で飾られた白い面貌。
金で縁取られた濃い紫の衣服を身にまとい、静かな表情をした、女性。

「おお、紹介が遅れましたな。
 そちらの女性はキャスター殿、冬木の地に来られたばかりで道に迷っていた所、参道で倒れている切嗣氏を発見されたそうで。
 右も左もわからず、たまたま当寺を頼ろうとされたのは切嗣氏には幸いなことでしたな」
「……ああ、それは、ありがとう。 助かったよ」

フードではなく素顔を見せているが、昨晩に切嗣と契約したサーヴァント・キャスター当人に間違いなかった。
そのキャスターがどういうわけか堂々と一般人に姿を晒しながら、あまり興味無さそうに部屋の隅で正座をしている。

「それで、どうして夜中に出歩いたりなんかしたんだ」
「そうよ切嗣さん!! 夜中にいきなり零観君から電話が掛かって来るんだもん!
 私もうびっくりしちゃって、慌ててのんきに寝てた士郎を叩き起こしてここまで来たんですからねっ!!」
「…………」

キャスターを問い詰めようと考えた切嗣だが、士郎と大河によってそれは妨げられる。
ちらりとキャスターに目をやるが、静観する構えなのか無機質な視線を返すだけ。
心の中で僅かに舌打ちしつつ、猛る大河と静かな士郎に切嗣は短い沈黙で返す。

「ほんとうに、ごめん」

そして、一言詫びる。
確かな感情を込めながらも、それ以上の問いかけは頑なに拒否する。
大河によって吹き飛ばされていた現実は、既に帰ってきたのだから。

「え、あ、えっと~……」
「……爺さん」
「ふむ、まあ今はお互いそのくらいにしておいてはどうかな。
 士郎君はそろそろ学校があるし、大河君ももう少し落ち着かねばかえって切嗣氏に負担を掛けることになる。
 朝餉を用意しよう、倒れたのならば尚更食事はきちんと取らねばと思うが」
「ああ、お願いしていいのかな」
「無論です、大河君も手伝ってくれるかな」

二人はまだ不満そうではあったが、切嗣にはこれ以上話を続ける意志は無い。
反射的に答えたが、切嗣は実際ここ数ヶ月で記憶に無いくらいに空腹を感じていた。
不満そうな大河と共に部屋を去る零観に色々と感謝しつつ、既に学校の準備をしてきていたらしい士郎を見送る。

「言っとくけど、怒ってるからな、俺」
「ああ、ごめんよ、士郎」

実際、大河と士郎には非常に申し訳ないと思っているが、それでも事情の説明は出来ない。
活発な少年らしく廊下を走り、同級生らしい少年と挨拶する声を遠くに聞きながら、切嗣はこの部屋に残った唯一の人物へと向き直る。

「どういう、つもりだ」
「それは私が聞きたいわね。 脅迫じみた契約だけして、そのまま気絶したマスターさん。
 当座の資金も行く当ても何も無いのだもの、公共機関を頼らなかっただけ感謝して欲しいわね。
 たまたまマスターの事を知っていたのは幸運だったわね。 私も消滅も免れたし、御仏の導きとやらを少しは信じてもいい気分ね」

切嗣は先ほどまでとはうってかわった鋭い眼差しを放つが、向けられた方は気にもしない。
神々は嫌いだけど、とどこまでが本気とも知れぬ軽口で話を締め、まだ湯気の立ち込める湯飲みを傾ける。
きちんと揃えた正座も両手で持つ湯飲みも見た目に似合わぬ事甚だしいが、それでもその立ち振る舞いにはぎこちなさは無い。

(気絶……?)

言われて、切嗣は自身の記憶がキャスターと出会い、契約した時点で途絶えていることに気付く。
切嗣は単に一般人の前に姿を現した事を問うたのだが、どうやらそんな単純な状態でもないようだ。

「単純に、貴方の肉体が限界を超えたというだけのことよ。 そんな体で、よくもまああれだけの虚勢を張れたものね。
 生きるのにも事欠く状態で、サーヴァントなんていう魂喰らいと契約すれば、どうなるか想像もつかなかったというの?」

切嗣の困惑を見て取り、呆れと僅かの見下しを込めてキャスターは告げる。
そこには二回連続ではずれを引いたのかもしれないという事柄への苛立ちも混じっている。
それを敏感に感じ取りながら、切嗣は心の中で自戒する。 
昔の切嗣ならば、置きぬけに気を抜く事も、間抜けな質問をすることも無かっただろう。
どうやら、肉体のみならず精神のほうも大分ガタが来ていたらしいと、改めて己の衰えを自覚する。

(これでは、駄目だな)

気絶したことで切嗣の現状は既にキャスターに知られていると思って間違いない。
令呪の無い契約ということを踏まえ、契約前に言葉で築いた優位は崩れてしまった。
それどころか、既に替わりになるマスター候補を目にしている事を考えれば、切嗣を切り捨てる可能性すらある。

「……お前は、僕の身体を治せたということなのか?」

だからこそ、切嗣はあえて強く、本題へ繋がる話題をキャスターへ問うた。
ここで下手に出れば、切嗣にはもう浮上する機会は無い。 利用だけされて切り捨てられるだけだろう。
現状から考えれば、目を覚ましてから感じる様々な肉体の好調はキャスターによるものとしか考えられない。
切嗣の予想以上に拾い物だったということだろう。

「ふぅん……ええ、そのまま野垂れ死にさせてもよかったのだけど、また他のマスターを探すのも面倒でしたからね。
 貴方の肉体を蝕む原因をある程度は押さえ込み、機能停止寸前だった各種器官を一時的に活性化させたわ。
 契約したのが私のように魔術を得手とするサーヴァントでなければ、再び目を覚ますこともなかったでしょう。
 けれどね、」
「…………」

切嗣の言葉に多少表情を改め、キャスターはよどみなく答える。
切嗣の考えとは裏腹に、キャスター自身には今のところ切嗣を切り捨てる意志はあまり無かった。
マスターの替えは見つかっているが、サーヴァントの立場からすれば令呪の無いマスターというのは悪い物ではない。
昨晩の会話の内容や気絶している間に調べた肉体の状態などからも、かなりの価値は見込めていた。
無論、どのように扱うかについては切嗣の考えた通りであり、だからこそキャスターは試すように言葉を一度切り、

「貴方の肉体はもう直りようが無いわ。 どこであんなモノに浸かったのか知らないけど、あれを完全に取り除くのは不可能よ。
 加えて全身の器官も負担により衰弱、いえ老衰に近い状態。 持ってこの戦争の終わりまでという所かしらね」

その事実を告げた。
あらゆる虚飾を剥ぎ取る確実な死の予告であり、生を望むのであれば一連托生という事実。

「そうか、礼を言うよ」

それを、何でもない事のように答える。
その答えには流石にキャスターも僅かに表情を変える。
どちらにせよ長くなかった事は確かだが、それでもその答えは普通ではない。

(……少なくとも、快癒を望んで参戦したということではないようね)

己の寿命と引き換えに、戦える肉体を取り戻したことに対する感謝。 すなわち命と引き換えにするほどの望みを抱いているということ。
それはつまり、必要とあればキャスターも平然と切り捨てられるということである。
危険ではあるが、それに見合う有能さと聖杯戦争を勝ち抜く意志があるというのは、悪くはない。

「それで、アレは何なのかしら?」

そのような目算を頭の中でしつつ、目はしかと切嗣を見据えながら、僅かに強めた語気でキャスターは問う。
元より信頼など欠片もない主従関係ではあるが、これに答えなければその名目すら遠からず破局を迎えるというほどに真剣に。

(さすがは魔術師のサーヴァント、という事か)

令呪の無い切嗣にとってそれは脱落と同義語ではあり厄介なことではあるが、同時に魔術以外の優秀さも十分に感じられた。
切嗣の性質を理解し余計な駆け引きなどせず、己が最も聞くべきである事柄を正確に理解している。
やはりと言うべきか、英雄譚の騎士様などよりもよほど頼りになる相手と言えるだろう。
だがそれは逆に言えば、切嗣の思惑を覆す可能性もあるということだが。

「それをあえて聞くということは、ほとんど理解してるのだろう?」
「……貴方の肉体の状態から逆算すると、貴方がアレを受けたのは恐らく数年前。
 そして、あんなサーヴァントにすら手に負えないモノを用意できるだけの代物となると、答えは一つ」
「ああ、その答えは間違ってない。 あの呪いは聖杯から、聖杯へ捧げられた願いから生じたものだ」

慎重に言葉を選びながら、切嗣は答える。
答えないという選択肢をとらずとも、言葉を誤れば同じ結果になると確信しながら。
と、そこで切嗣は視線をキャスターから外し、何も無い方向へと向ける。

「少し長い話になるから、食事の後にしようか。 大事な所で邪魔されたくないだろう?」
「……いいでしょう。 無駄な魔術を使う手間も省けますからね、マスター」

切嗣より一拍遅れてキャスターも気づく。 
遠くから、大河の声と足音が聞こえてくる。 そうなれば話どころではない。
本来食事すら満足に取れないマスターと、食事など必要ないサーヴァントは揃って僅かな時間、朝食を待った。

 

……
………


「……騒がしいお嬢さんね」

やはり似合わぬ白地に藍の湯飲みを傾けながら、多少疲れたようにキャスターは感想を述べる。
箸に慣れぬキャスターにあれこれと世話を焼きたがる大河に、さしものサーヴァントも少々面食らっているようだ。
本来は、倒れた切嗣の世話をしたかったのだろうが、あいにくと普段以上に元気だったので、そのとばっちりが行った形なのだろう。
そういった事実を理解していたが、それを切嗣が口に出すことはなかった。

そうして食事を終え、大河と零観は再び去っていった。
ほぼ間違いなく、キャスターが何かしらの魔術による人避けを行っているのだろう。
この分ならば、どう見てもカタギに見えない藤村組の知り合いが謎の外人女性と夜中に出会った、という噂も無闇に広まる事は無い。
キャスターの戦闘能力は不明だが、真っ当な魔術師ということを考えれば正面からの戦闘は不得手だろう。 切嗣自身の戦術も含めて防諜は最重要だ。

「さて、まずは自己紹介といこうか。 僕は衛宮切嗣。
 最初に言ったように、前回の聖杯戦争に参加したマスターであり、本来なら勝者だったと言っていいはずだ」

アーチャー(弓兵)のサーヴァントは健在であったが、マスターである言峰綺礼はその手で撃ち殺した。
ライダーやバーサーカー(狂戦士)のマスターの顛末は切嗣の知る由も無いが、聖杯が顕現した時点でサーヴァントの脱落は間違いない。
最後まで残ったマスターを勝者と呼ぶならば、それが切嗣であることは疑いようもない。

「…………」
「始まりの御三家については知ってるかい? 僕はそのうちの一つ、アインツベルンに雇われたマスターだった。
 そのアインツベルンが毎回負う役割として、聖杯の器を用意するというものがある」

切嗣としてはキャスターの真名を聞いておきたかった所であるが、気づかなかったのか答える気がないのか先を促されるのみ。
絶対に必要な事柄でもなかったので、切嗣は話を続ける。 聖杯の呪いを肯定しないサーヴァントというだけで今は十分である。

「聖杯戦争の勝者に聖杯が与えられるというのは表向きの話、実際は聖杯の完成まで器を確保したものがその願いを遂げられるという訳だ。
 僕は確かに聖杯戦争に勝利したが、実際は途中で器を奪われ、願いを叶えられなかった敗残者さ」

嘘を言わないように注意しながら、慎重に真実ではない事柄を告げる。
どこぞの騎士王ならば口八丁で言いくるめられる自信があるが、この相手はそうもいかない。
切嗣に告げていないだけで、虚偽を感知する魔術程度ならば平然と用いているだろう。
嘘が無いからとて全てを信じはしないだろうが、表向きには疑う余地のない物語を作らねばならない。

「……アレは、貴方の願いによって生じたのではないというのね」
「断じて違う。 アレが、あんな呪いが僕の願いの筈がない。 
 奴が何を考えてあんな願いを肯定したのか知らないし、知りたくもない。
 僕に出来たのは奴を殺し、呪いが溢れぬようにサーヴァントに聖杯を破壊させる事だけだった。
 ……疑うなら、呪いを願えぬように強制(ギアス)の魔術を結んでも構わない」

確認するようなキャスターの問いに多少語気を強めながら、切嗣は答える。
実際に願う事がない以上、強制の魔術を結んだ所で何の不都合も無いし、それが切嗣の目的の迷彩となるなら望む所である。

「……いえ、確認しただけよ、マスター。
 けれど、そうなると重要なのは器の確保ということね」
「ああ、聖杯戦争の勝者に聖杯が与えられるというのは表向きの宣伝にすぎない。
 他にも御三家のマスターのみが知る秘密が幾つかあり、それが彼らの優位性に繋がっている」
「そう……」

(踏む込んではこないか)

半ば予想出来た事ではあるが、キャスターは魔術の行使には興味を示さず、その後に続いた聖杯戦争の裏の事情について僅かに思案するだけ。
無論、この場で全ての真実を明かす気など切嗣には無かった。 特に聖杯の完成に必要なモノを知られる事は死と同義語である。
だが、明かして構わない事柄は幾つかあり、それらを交渉の材料にすることで令呪が無い分を補うという方策もあったのだが、キャスターはそこには踏み込んではこなかった。
手札を温存できるのはいいが、それがどの程度の価値になるかわからないのは痛手でもある。

(まぁいいや)

温存しすぎて腐らせるのは下策である以上、切嗣の側から小出しにしていくしかない。
このキャスターならば、金の卵を産むかもしれない鶏を確かめもせずに殺す事はあるまい。
後は鶏の側が卵を産むタイミングを調整すればいいだけの話である。

「そういう訳だから、僕たちはまず聖杯を取りに行く。 他のマスター達は勝手に争わせておけばいい。
 傍観して弱るのを待つという手もあるが、器を見失う可能性もある以上、最初に確保しておいたほうがいい。
 幸いというべきか今代のアインツベルンとは接触済みだ。 長い銀髪に紫のコートの幼い娘だが何か知っているか?」

イリヤ本人によれば切嗣に会いに来た以外の行動は起こしていないはずだが、一応切嗣は問う。
あくまで敵対するマスターの一人であり、その中で重視するべき相手であるという形で。
キャスターは細い顎に手をあてて僅かに考えるが、やがて静かに首を横に振った。

「そのマスターは一度も確認していないわ。 マスター不明な紫の髪に眼帯の女サーヴァントを使い魔が視認した事があるけれど」
「……それは恐らく無関係だ。 彼女のサーヴァントは灰色の皮膚を持つ巨漢だった。
 腕しか見えなかったが、僕の胴体を握れるほどの巨大さ。 クラスは不明だがまずアサシンとは思えない」

アインツベルンはその自尊心から協力者を持つことは殆どない。
切嗣のような例外もあるが、その切嗣を裏切り者と断罪している以上、身内以外の者を用意するとは考えにくい。
ならば、正攻法で勝利できるように、イリヤのサーヴァントは見た目通りに直接戦闘に秀でた英霊であると考えるべきだろう。
そういった事を口に出さずに切嗣は思考するが、同時にキャスターも何事かを考えている。

「何か心当たりでも?」
「いいえ、気のせいでしょう。
 私が視認した女もクラスが不明だけど、高い俊敏と長い髪や露出の多い装備からすると三騎士よりもライダーかアサシンというところかしら。
 それともう一体。 こちらも無関係だと思うけどランサーと一度交戦したわ。 と言っても逃げただけだけど。
 何の準備も無く相手にするのはかなり厳しい相手な上に、マスターもまだ若いけど中々戦闘に秀でた魔術師のようだったわよ」

キャスターの考えを気にしつつも、それらのサーヴァントとマスターの情報を記憶していく。
切嗣の現状では役に立たないほうが望ましい代物であるが、そういうわけにもいかない。
むしろ可能であるなら、全てのマスターと対峙することすら切嗣は望んでいるが、それを告げる気はない。

「覚えておくよ、だが当面は何を置いても器の確保に動くが……キャスター、率直に聞くが君はどんな状態だ?」
「……戦闘そのものは一応は可能ね。 もっとも今の状態で再びランサーに遭遇したら逃げる事も出来ないでしょうけど。
 マスターの肉体の活性化に伴って私へ補充される魔力も増えているから、数日経てば遭遇を恐れない程度には回復するわ」
  
マスターという楔を失い、自前の魔力も使い尽くしていたキャスターではあるが、新たなマスターを得た事で魔力は順調に回復している。
それでも、一度空になったサーヴァントという容器を再び満たすのには相応の時間が必要となる。
元より積極的に攻勢に出るのには不向きなクラスだが、しばらくは受けに回るしかない、という現状をキャスターは告げた。

「僕の肉体の状態は? 君の処置はどのくらい持つ?」
「処置自体は最後まで持つでしょうけど、どのくらい動けるかはマスター自身に確認してもらう以外に無いわ。
 魔術的な物はともかく年齢的な衰えも考えると劣化している事は確かだけど。 私の魔術で強化すれば補えない事もないでしょうけど」
「それはいい、僕には自前の魔術がある」

だが、切嗣はそのキャスターの現状分析を聞き流す。
元より切嗣にとってサーヴァントとは戦力の一つでしかなく、イリヤもいる現状で悠長に待っている時間などない。

「……マスターが私以上に魔術を用いれる自信があるとでも?」

そのような思考から軽く流した切師であったが、それはどうもキャスターのプライドを刺激したようだ。
魔術同士が干渉することを考えると、キャスターの強化がある間は切嗣は自身に魔術を施せない為、使い慣れた方を当然のように選択した。
だが、切嗣の魔術が特殊なものであると知らないキャスターは、己の力量を軽んじられていると受け取っていた。

「……固有時制御・二倍速」

無視するわけにもいかず、何年かぶりに魔術を発動させる。
慣らしということで腕を軽く振り、高速で指を曲げ伸ばしする。

「固有時結界……いえ、制御という所かしら。 珍しい魔術を使うのね。
 それなら確かに単純な強化よりも使い勝手はいいかしら。 非礼を詫びておくわ、マスター」

切嗣の持つ印象からすれば多少意外な事に、キャスターは素直に関心し、詫びる。
だが、切嗣の意識はそれよりも己の状態の方に意識が向いていた。

(……魔術は問題なく使えた。 けど、身体の方は……)

筋力や技巧よりも技術と器用さを主とする切嗣にとっては、腕よりも指先の動きの方が大事なのだが、そちらにかなりの衰えを感じる。
実際に試してみなければわからないが、愛用のコンテンダーの装填に掛かる時間は2秒どころではないだろう。
一瞬が勝敗を分ける戦場に赴くには、準備不足もよいところだろう。

「……いや、名も知らないとはいえ魔術師のサーヴァントに対して失礼だった。
 僕の魔術を見ただけで看過するとは、君は相当優れた魔術師のようだけど」

少々、いやかなりあからさまではあるが、切嗣はキャスターに真名を問う。
魔術師としての能力は十分に把握できたが、それでも真名を把握出来ているか否かで取れる手はかなり変わってくる。
現状、出来ることははなんであれ貪欲に行うしかない。 実際、関心しているのも事実なのだから。

「私はコルキスの王女メディア、別に知られて困る真名でもないわ」

そういった切嗣の思惑を特に気にした風でもなく、至極あっさりとキャスターは答えた。
――裏切りの魔女メディア、女神の意志により祖国を裏切り、弟を手に掛けた稀代の魔術師。
数多の英雄集いしアルゴー船においてさえ、その名を轟かせた神代の魔女――
切嗣からすればどこぞの騎士王などよりはよほど相性の良い相手だろう、本来ならば。
だが、逸話から考えれば優秀であると同時に危険すぎる。 それこそ切嗣の思惑すら覆しかねない程に。

「……神代の魔術師か、宝具は?」
「これよ、知ってるでしょう? アルゴー船の求めた宝、コルキスの至宝たる黄金の羊毛。まあ、使えないのだけど。」
「…………使えない?」

内心を悟られぬように無難かつ必要な質問を被せたが、返ってきた答えに思わず詰まる。
キャスターのクラスならば切り札である宝具はそれほど重視されないが、流石に使えないという答えは想定外だった。

「本来は毛皮を守る竜を召喚する効果があるのだけど、キャスターのクラスに収まっている今の私にその能力はないわ。
 あるいはライダーのクラスで召喚されていたなら不完全ながらも使えたのかもしれないけど、生前に獣に騎乗した記憶は無いからどちらにしろ無理な話ね。
 欲しければ貸してあげるわよ? 一応宝具だから丈夫な毛皮としてなら使えるわ」

キャスターの手に現れた、目も眩む輝きを放つ黄金の羊毛。 それが放つ神秘は宝具のものとしか思えない。
多少納得のいかない面もあるが、コルキスのメディアと言われて他に浮かぶ宝具も無い。
実際に黄金の羊毛を持っている以上、メディア以外の魔術師の名も思い浮かばない。

「いや、いい。 ……だがそれだと現状では正攻法で、特に三騎士を相手にするのは難しいか」
「……ええ、対峙した感想を言えばランサーを正面から倒すとなると相当の準備が必要なのは確か。
 セイバー(剣士)やアーチャーも同程度の対魔力を所持しているのであれば、かなり魔力を溜め込む必要があるわね」

戦場を引っ繰り返し得る切り札が存在しないのならば、キャスターは持ち前の魔術のみで戦う事になる。
だが、三騎士とも呼ばれるセイバー、ランサー、アーチャーのサーヴァントは、クラス特性として高い対魔力を所持している。
呼ばれる英霊によって差はあれど、いずれも正統派であるキャスターが正面から挑むのはいささか以上に厳しい相手には違いない。

「その必要は無い。
 いや、もちろん戦力を蓄える事自体は大切だけど、君がサーヴァントの足止めが出来る程度まで回復すれば、後は僕がマスターを仕留める」

キャスター当人はそれでも時間を掛ければ不可能では無いという判断をしたが、切嗣はその方針を真っ向から否定する。
切嗣の思惑としては、あまり時間を掛けられないというのと、そもそもサーヴァントの戦闘力を頼りにしていない理由から。

「……私を見くびっているのかしら?」
「まさか、サーヴァントの相手はサーヴァントにしか出来ない事くらい理解してるさ。
 でも、サーヴァントを倒さなくても勝利する手段があり、しかもその方が合理的なのは間違いないだろ?」
「それは……、ええ、そうね……」

プライドを多少傷つけられたキャスターが僅かに声を低くするが、切嗣は構わず答える。
英霊として己の力量に自信はあれど、同時に魔術師としての合理性を持つが故に、キャスターは一応の納得を見せる。
キャスター自身もマスターを狙う事も視野には入れており、面白くなくともそちらの方が遥かに勝率が良いことは理解できているのだから。

「実際に僕は前回の聖杯戦争で3人のマスターを仕留めている。
 引退状態だったから準備は比べるべくもないが、長年魔術師を殺してきた経験と、切り札は健在だ。
 マスターを引きずり出し、サーヴァントを引き離せれば後はどうにかする」

衛宮切嗣はかつて魔術師殺しとまで呼ばれた魔術師専門の暗殺者であり、それ故にアインツベルンに迎えられた経歴を持つ。
サーヴァントがいかに強力であろうと、それを現界させているのが生身の魔術師である以上、その殺害に長けた切嗣に勝るマスターなど存在しなかった。
5年の歳月で協会とのパイプも武器の調達ルートも失ってしまったが、切嗣が魔術師殺しと呼ばれたのは、多少優秀な魔術回路の性能でも近代兵器の力でもなく、意識の問題だ。

「……けれど、」

と、そこで一度言葉を切る。
魔術をあくまで己の持つ手段の一つとして認識する考え方と、必要ならば冷徹に命を天秤に掛けられる精神性。
その二つは切嗣にとって当然の事柄であり、それを持ち続けている以上は再度の勝利を約束されている。

「アインツベルンのマスターは、可能な限り無傷で捕らえる必要がある」

そう、持ち続けられるのならば、だが。

「……理由を聞かせてもらえるかしら?」
「殺すだけでは聖杯は手に入らない。 マスターには器の在り処を吐かせる必要がある。
 器そのものは宝具級の攻撃で壊れてしまうから、隠し持っている可能性も考えると無傷の方が望ましいということだ」

もっともらしい偽りの理由を、すらすらと並べる。 
器の在り処など、切嗣は十年以上前から知っている。 アインツベルンのマスターを殺さない理由は、そんなものではない。
そんな程度の理由しかないのならば、何一つ思い悩む必要など無かったというのに。

「……納得できないか?」
「別に。 納得はしてあげる、けど貴方は自分の言っていることが判っているのかしら?」
「…………わかって、いるとも」

士郎を守る為だとしても、衛宮切嗣がイリヤスフィール・フォン・アインツベルンを殺せる筈がない。
傷一つ負わせるどころか、今現在聖杯戦争に参加しているという事実だけでどうにかなってしまいそうだというのに。

「そう、それでは、私のマスターはどういうお考えなのかしら?
 恐らくは直接戦闘に長けたサーヴァントを相手に、未だ全快にはほど遠い私に勝利しろと。
 こちらは宝具も無く、マスターを狙うことすら許されず正面から戦いを挑めと、そう仰いたいのかしら」
「なら、もう一騎サーヴァントがいれば、どうだ?」

それを知られる訳にはいかない相手は、表情を消し、淡々と喋る。
切嗣の力量から無意味に無理難題を言う事は無いと理解して、どういう答えを出すのか待つキャスター。
その表情が、今度こそ無色な物へと変化する。

「……ええ、それならば確かに可能でしょう。 それで?」
「聖杯に関しては僕はもう一騎よりも君を優先する、という約束だけはしておくよ」

もう一騎のサーヴァント、その言葉が意味する所は明白だ。
七騎しか存在し得ないサーヴァントの内の二騎を得る。 そのアドバンテージは計り知れない。
だがそれは、サーヴァントの側からすればあまり望ましい事柄という訳ではない。 何しろ聖杯を得られるのは一人なのだから。
だから、切嗣は言質を取られる事を、あるいは何らかの契約を結ばされる事を承知で説得に掛かる。

「………………」
「言ってなかったが、アインツベルンはまず間違いなく僕を優先的に狙ってくる。
 恐らく君の回復が間に合わない以上、打てる手は打っておくべきだ」

キャスターは沈黙で答える。 彼女とてその手が非常に有効だと理解しているし、実行可能である事も先刻承知している。
だが同時に不要なリスクを負う事も間違いない為に、沈黙。 そこに、切嗣は畳み掛ける。 この手はキャスターの協力無しには打てないのだから。
実際、イリヤは何を差し置いても切嗣を狙ってくるだろう。 土地勘の無いイリヤ相手なら士郎を連れて隠れるという手もあるが、それではイリヤを守れない。

「……『誓える』、のね?」
「ああ、君ならこの程度の契約は簡単だろう?
 一応文面の確認はさせてもらうが、後でちゃんとするよ」

元より聖杯を完成させる気など無い以上、何を誓っても構わない。
聖杯戦争を勝ち抜いた所で、聖杯とは名ばかりの呪いが手に入るだけであり、しかも器となったイリヤの命が失われる。
ならば、聖杯など完成させなければいい。

(過去にも、時間切れの例はある)

聖杯戦争の期間は二週間前後。 それを過ぎれば聖杯は完成しない。
ならば、他のマスターの戦闘能力を奪った上で、サーヴァントを生存させればいい。
切嗣自身は最後にキャスターに殺されるかもしれないが、もう一騎の方は騎士道とやらで士郎とイリヤの身は守るだろう。


士郎とイリヤを守れるのであれば、聖杯戦争の終了と同時に終わる命など、惜しくも何ともない。


□interlude - 『2-1』


「ところでよ、何であの嬢ちゃんと組もうなんて思ったんだ?」

冬木市郊外に借り受けた洋館で目を覚まし、身支度を整えたバゼットに、そんな声が掛けられた。
寝起きだというのに服装含めて少しも緩んだ様子などなく、いつでも戦場に赴ける装い。
先ほどまで身を休めていたソファー含め酷く荒れ果てた洋館には似つかわしくない姿であった。

「何故とは? 
 貴方が先に賛成したから、私としても反対する理由がなかったのですが」
「違う違うそうじゃねぇよ。 そりゃあの嬢ちゃんならオレには文句なんかねえさ。
 そうじゃなくて、何であのヤロウの言う協力者なんて話に乗ったんだ?」

ランサーが、心底嫌そうな顔をしながら問いかける。
確かに、遠坂凛と組むという状況の前提条件として、バゼット自身があのヤロウこと言峰綺礼の提案を聞き入れたということがある。
遠坂凛は優れた才能を持っているが、現時点では敵に回した所で何の問題も見受けられない程度の相手でしかない。

「綺礼が言う相手なら、顔を合わせておいて損は無いと思ったからです。
 一度戦場で出会っただけですが、彼の力量については信用していますから」
「あー、確かにアイツがかなりのモンだってのはよくわかる。 でもよ、アイツの言う事を素直に聞くのはどうかと思うぜ?」

バゼットの返答に対し、絶対、何か裏がある、とランサーは吐き捨てる。
数多の戦歴を持ち、人の領域からはみ出した魔女より魔術と魔槍を授かった英雄の本能が、警告している。
アレは、味方であっても決して心を許してはいけない相手であると。

「彼のことが嫌いですか?」
「……好きにはなれないタイプだな。 ああいう手合いには気を許さないほうがいい」

バゼットの内心に配慮し言葉を選びつつ、かなり真剣な顔でランサーは告げる。
それは警告と共に、己のマスターを心の底から案じている言葉でもあった。

「ええ、まあ私とてそんな無条件で信頼できるような相手とは思っていません。
 ですが、それを心に命じておけば、彼ほど信用できる力量と経験の持ち主は得がたいものです」

と、そこでバゼットは少し慌てたように述べる。

「あ、もちろん今はランサーを頼りにしていますよ。
 ただ、やはり初めて足を踏み入れる地ということもあり、現地のツテはあったほうが」
「あー、まあ大体わかったぜ……」

僅かに頬を赤く染め、鉄面皮を崩しながら口早に告げる。
そこにいるのは冷徹な執行者ではなく、年相応の表情を見せる少女そのものだ。

(オレを含めてあんまりいい趣味じゃねぇな……)

本人が自覚しているか知らないし聞く気もないが、これは憧れを抱いている表情だ。
一歩間違えれば簡単に淡い恋へと変り行く、未だ成人に至らぬ少女の憧憬。
見るからに免疫の無さそうなバゼットには対処の難しい代物だろう。

「まあ、とにかくアイツにはあんまり心許すなよ? ありゃ必要と思ったら後ろからバッサリいく男だぜ」
「大丈夫ですよ、貴方に言われるまでもない。
 たまたま利害の一致から一時手を組んだだけで本来は敵同士。 向く方向を合わせても背中を預ける気などありません」

ランサーは、そんなバゼットの言葉に多少の不安を禁じえなかった。
力量はともかく、精神面では結構隙が多いマスターなのだとは思っていたが、想像以上であった。

(そういう女は嫌いじゃあねぇんだが……まあ、あのヤロウはマスターじゃないから大丈夫だとは思うがな……)

そういう部分も女の魅力としては良いのだが、戦士としてはいささかの不安を感じさせる。

「さて、出ますよランサー。
 おおよその地理の把握は昨日までに済ませましたし、今日は魔術の痕跡を当たるとしましょう」
「はいよ。 出来たら他の三騎士とやりあいたいもんだぜ」

そんなランサーには気づかず、数分で支度を終えるバゼット。
心中を口に出さず、軽口を叩きながらその背中に付くランサー。

若き戦士とそれを見守る先達。
理想的な相棒と呼べる主従は、未だ昇りきらぬ日の下、町へと繰り出した。


□interlude out


どれだけ時間掛かっているのだろう……読んでくださってる方々、大変に申し訳ありませんでした。
誤字、脱字、妙な点等ございましたら遠慮なく指摘お願いしますー。

しかしどこぞの騎士王さんが怒り狂いそうなほどの会話量、なぜこうなった。

※誤字修正(10/20)



[33839] もしも五年前に聖杯戦争が起きていたら【Fate/stay night IF】ー4
Name: 迂闊◆81a9ff2f ID:24e5a60b
Date: 2012/10/20 23:23

束縛術式:対象――衛宮切嗣
衛宮の刻印が命ず:下記条件の成就を前提とし:誓約は戒律となりて例外なく対象を縛るもの也:
:誓約:

衛宮家五代継承者、矩賢の息子たる切嗣に対し、冬木市で執り行われる第五次聖杯戦争において、コルキスのメディア以外のサーヴァントを対象とした、聖杯の譲渡、あるいはその助力を永久に禁則とする。

:条件:

衛宮切嗣の息子たる衛宮士郎の令呪を用いたサーヴァントの召喚、並びに令呪の一角を衛宮切嗣へと譲渡する。


□2月2日『4 召喚』


「そんなに睨まなくても、何もしないわよ」

多少あきれたような声でキャスターが言う。
その言葉を聞いて、切嗣は初めて自分がキャスターを、正確に言えば彼女のいる方向を真剣に見つめていた事に気が付いた。
自己強制証文の文面の推敲をしていた筈だが、一体いつからそちらに視線を向けていたのか切嗣には定かでない。

「いや、そんな心配はしていないさ」

その言葉が的外れと言わんばかりに肩をすくめ、寄りかかっていた敷居の柱へと体重をかけ直すが、視線は僅かに弱めただけで外すことは無い。
ただ漠然と、それほど重要な事ではないように振舞いながら、衛宮切嗣は座っているキャスターと、その傍で寝ている義理の息子、衛宮士郎を見つめていた。

「そう……」

その言葉を信じた訳ではないだろうが、キャスターは士郎へと視線を戻す。
切嗣に配慮してか直接手を触れるようなことはせず、時々手を翳したりしながら、思考を続ける。
最も、その配慮に切嗣は気づけない。 あまり自覚は無いが、彼は世間一般の物差しで言えばかなり重度の部類に属する親馬鹿である。
義理とはいえ最愛の息子を、契約したとはいえ全く信用していない魔女に預けるなど、本来は殺されたって御免である。

「けど、そちらから話しかけてくれたならいい機会だ、後どれくらい時間が掛かりそうだい?」

そういった理由も含めて、それほど急ぐ訳でもないのに切嗣は時間を問うた。
外は既に暗くなって久しいものの、付近の家々からは未だ煌々とした明かりが溢れている程度の時間。
士郎が眠っているのはキャスターに頼んだ諸々の調査の為に魔術を用いたからであり、魔術師にとっての活動時間は寧ろこれからである。

「そうね、令呪の移植というだけなら問題なく行えるでしょうけど……」

そんな切嗣の心理は特に気にせず、至極あっさりとキャスターは述べる。
士郎の令呪の移植、これは新しいサーヴァントを召喚するのに必要であると同時に、士郎が聖杯戦争に巻き込まれる可能性を絶つ、切嗣としては必須といっていい事柄だ。
幸いこれはそう難しい魔術ではないので、切嗣としてはあまり危惧してはいなかったのだが、意外な事にキャスターは僅かに言いよどむ。

「何か問題が?」
「これが問題になるかは断言できないのだけれど……この子の手に現れているのは正確には令呪ではなくて、その予約権みたいなもののようね。
 といっても召喚は出来るし、摘出して召喚を行えば令呪も問題なく手に入るでしょうけど、その後にこの子が自力でサーヴァントの召喚する、という可能性があるわ」

キャスターは、多少表情を険しくして答える。
状況は問題なく読み解けたが、断言できないという状況が彼女の口を多少重くしている。
当然の話ではあるが、切嗣は状況を複雑、かつ危険にする士郎による召喚に踏み切る気など最初からなかった。
だからこそ、士郎の持つ令呪を自身に移植し、キャスターの補助の下に新しいサーヴァントを召喚しようと試みたのだが…。

「そんなことがありえるのか? 令呪を失ったマスターが新たに聖杯から令呪を授かるなんて」
「……私も全てを理解できている訳ではないのだけれど、マスターの例を見るように聖杯にはある程度の意思というか法則があるわ。
 仮にサーヴァントが七騎揃う前に令呪を奪われ敗退したマスターがいたとして、その明確な敗者が再度の召喚したとしても聖杯は応えないでしょう。
 けれどこの子は特別。 参加そのものが強制では無いのに、優先的に参加する権利だけを受けとっている状態であり、仮にその権利を失ってもそれは敗退とは見なされず、その後も他の参加候補者と同列に扱われる可能性があるわ」

切嗣も含め正当な魔術師であれば聖杯戦争の開始と共に令呪を授かり、その後に召喚するというのが普通だが、過去には異なる手順で召喚したという例も存在する。
人数が満たない場合、数合わせとして魔術の素養を産まれ持っただけの一般人が偶然に召喚し、同時に令呪を授かる。 それこそ切嗣が殺した前回のキャスターのマスター、雨生龍之介のように。
現在どれくらいの魔術師が冬木にいるのか切嗣に知るよしも無いが、聖杯戦争の開催に支障をきたすような数であるなら、再び士郎にお鉢が回ってくる可能性がある、ということになる。

「まあその辺りは適当に暗示を掛けるなりして、一時的に魔術に近づけなければいいのだけれど、絶対ではないわ。
 確実を期するのなら、この子に召喚をさせた後に、自分の意志で契約を破棄させるべきね。
 まあ、その場合だと私が出来る事はほとんど無いのだけれど」

切嗣にとっては意外な事に、キャスターは多少悔しそうな表情を見せながら提案した。
こと魔術において、確実性に欠ける事柄を口にしなければいけないということが彼女には苦痛であり、だからこそ魔術的な側面においては完璧な方法を提案せずにはいられなかったのだ。

「いや、やはり今のうちに摘出してくれるか」

そんなキャスターの提案を、切嗣はあっさりと切り捨てる。
魔術的には完璧であろうと、リスクの量を考えればそのような手を取れる筈もない。

「説得する自信が無いのかしら?」
「騎士道なんてものを馬鹿正直に信じている王様だ。 戦えない子供を殺し合いに放り込むなんて行為は本人が御免だろうから、契約の破棄は簡単な筈だ。
 だがアレは聖杯をどうしても欲しがっている。 そのまま僕らの下に付くことを良しとはしない可能性がすごく高い。
 そのまま消えてくれるならいいが、下手に新しいマスターを得られでもしたら、恐らく僕らではどうしようもない程度の強さも持っている」

多少困ったように肩を竦めながら、切嗣は補足する。
士郎の事だけならともかく、イリヤの事も考えればもう一騎のサーヴァントは必要不可欠である。
まして、その相手はほぼ間違いなく強力な対魔力を持つセイバーのクラスで召喚されると考えれば、従いきれないという事は避けたい。

「士郎については数日間、魔術そのものに関わらせなければ大丈夫だろう。
 強情ではあるけど、それくらいなら強く言わなくても納得してくれるだろう」
「そう、それならいいのだけれど」

確実を期するのならば、キャスターに魔術の記憶そのものを数日間消させる事だが、そこまで本格的な魔術の行使を許す気はない。
学校が終われば直接帰ってくるように簡単に暗示してあるので、今はそれで十分だろう。

「それに付随する事柄として、この子の中にあるという触媒を取り出すというのも無理よ。
 どうやってこんな代物を手に入れたのか知らないけれど、人体に溶け込んだ宝具に干渉するのは本来の持ち主でもなければ不可能。
 まあその相手をこれから呼ぶのだから、そちらは直ぐに解決する問題だけど」
「そうか、まあそれはいい」

元々そちらはそれほど期待していた訳ではないので、切嗣は至極あっさりと答える。
五年前、死に瀕していた士郎を救う為に、切嗣はサーヴァントの召喚に用いた触媒を肉体に埋め込んだ。
1500年前から変わらぬ輝きを持ちつづけていた、現存する宝具。 そこに秘められた強大な神秘は、切嗣には手の施しようのなかった士郎の肉体を癒した。
だが、それが此度の聖杯戦争において士郎が選ばれた原因になったのではないか、と切嗣は考えてた。
だからこそ、この期に取り除いておきたかったのだが、そうも上手くはいかないらしい。

「そしてもう一つ、マスターが再び召喚を行うというのは不可能ね」

だがそこで、キャスターは切嗣の予想していなかった言葉を述べた。
それを告げるキャスターは、僅かにだが笑みを浮かべていた。

「なぜだ?」
「マスターが此度の聖杯戦争で未だに召喚を行っていなくても、既に私と契約しているのは事実。
 一人のマスターが複数のサーヴァントと契約する事だけなら可能かもしれないけど、召喚の方は恐らく聖杯が応えないわ」
「……それで?」

切嗣は特に反論せずに、キャスターに先を促す。
それを言い出すのならば、もっと早くに言うタイミングは存在していた。
今それを言うということは、何かそれに続く内容があるということだろう。

「坊やに召喚させないなら、取り得る手段は一つ。
 未だ召喚を執り行っていない魔術師、つまり私がサーヴァントを召喚するという方法よ」
「…………」

切嗣は何も答えず、表情も変えない。
激しく動揺している内心を、悟られないように注意して。

(やってくれるなっ……! )

キャスターが召喚を行えるというのは、まず事実だろう。
それに対し切嗣に令呪を移植したところで召喚が不可能であるという事柄は、事実であろうとなかろうと、切嗣に打つ手が無い。
仮にそれが偽りであったとしても、令呪の移植はキャスターに頼るしか無い上に、召喚の方もキャスターの助力無しには不可能である。
つまり切嗣には、確実性に掛けることを承知で士郎に召喚させるか、リスクを承知でキャスターに召喚させるしかない、ということになる。

そして、取るべき選択肢は最初から決定している。
どれほどリスクが低かろうと、確実性に欠ける手を取る理由など無い。
ただでさえキャスターの側に傾いている力関係が、更に傾きを強めるとしてもそうするしかない。
そういう切嗣の性格と思考を読みとったからこそ、キャスターはこのタイミングで切り札を持ち出してきたのだろう。

「……令呪の、一角」
「高いわね」

だからこそ、切嗣はこの状況を利用することにした。
この交渉において切嗣は詰んでいるが、だからといって交渉そのものをご破算にされてはキャスターもいずれ詰む。
キャスター自身が聖杯戦争を勝ち抜く為に、ある程度切嗣に対して譲歩する必要も存在している。

「さっきも言ったように、彼女は聖杯を非常に欲している。
 最悪、僕さえいなければ君と自分でマスターとサーヴァントとして、聖杯を分け合える位に考える可能性もないとは言えない」
「ああ、心配の無いように言っておきますが、サーヴァントを繋ぎ止める為の楔の役割はマスターにやって貰います。
 ただ魔力の供給を行うのは私、つまり実質的には私たち二人がマスターという形になるかしらね」

実際にそんな行動に出るような悪知恵は無いだろうと考えつつも、切嗣は呼び出されるサーヴァントを引き合いに出す。
そこには暗にキャスター自身がそういう行動に出るという可能性も指摘したのだが、彼女はそれを軽々と受け流す。
マスターが二人と言えば聞こえはいいが、その関係は家と家主と入居者のようなもの。 家の側に住まれるのを拒む権利などない。

「なら尚更だ。 僕は彼女のマスターとして前回勝利した。
 一角とはいえ令呪があるなら、どんな相手であれ遅れを取ることは無い。
 あるいは君に用いるかもしれないが、それは全てこの戦争を勝ち取る為に必要だからだ」

事実でもないことを、欠片も信じていない言葉で告げる。
令呪を用いるのはあくまで呼び出される相手に対してであり、キャスターに用いることは無いと。
 
「ふぅん、まあいいわ。 それならさっき推敲していた自己強制証文にでも追加しておいて頂戴。
 ここはマスターの経験を尊重しましょう。 この戦争を勝ち抜いたという、ね」

どの程度反論する気があったのか不明であるが、割とあっさりとキャスターは引いた。
その表情から真意は読み取れないが、あるいは彼女とてその辺りが落とし所と見ていたのかもしれない。
令呪によってキャスターを害することが出来ないという取り決めがされるならば、総合的な優位性は変わらないのだから。

「―――αρ……」

切嗣には到底理解出来ない発音の言葉を発しながら、キャスターは士郎の右手に触れる。
さすがというべきか、眠っている士郎の表情には何の変化も見られない。
僅かな苦痛さえ生じていないという事だろう。

「―――ερ……」

そして、士郎の右手の甲から激しい光が生じ、次の瞬間には元あった赤い線ごと消えうせる。
それと同時に、士郎の右手に触れていたキャスターの右手に、同じ色の線が現れる。

「あら、よく出来ているのね」

と、そこでキャスターは己の手の甲を見つつ僅かに感嘆の声を上げる。
何のことかと切嗣が目をやると、そこにあったのは士郎の手にあった赤い一本の線とは異なる、絡み合った複雑な赤い文様。
キャスターという強大な魔術師の手に移った事で、聖杯は本物の令呪を寄越したということだろう。

「運がいいわねマスター。 召喚した後に移譲する予定だったけど、これなら今すぐ渡せるわ。
 これで召喚されたサーヴァントが何らかの口を挟んでくる可能性は無くなったわね」

予定外の事ではあるが、確かに僥倖ではある。
呼び出される相手がどんな感情を抱こうと切嗣が知った事ではないが、それでもどういう態度を取るかは十分に予想出来る。
子供じみた感情の発露が減るというのは、無いよりはマシである。

「…………」

特には答えず、切嗣は丸めた羊皮紙をキャスターへと差し出す。
そっけない切嗣の態度には構わず、キャスターはそれを開き、さっと目を走らせる。

「随分細かい条件ね?」
「戦局によっては、君にある程度の被害が行くことを承知で令呪を切る事も考えられる。
 取れる可能な限り選択肢は多いほうがいい」
「別に責めてはいないわ。
 ここで無条件の制約をしてくるようなマスターなんて、こちらから願い下げですもの」

無感情に答える切嗣にあっさりと返しながら、キャスターは右手を差し出す。
ともすればダンスの誘いのようにも見えるが、そんな無邪気なものでは断じてない。
それでも、切嗣は敷居の柱から身を離し、それに応えるように右手を前にやる。

「―――……」

特に何か唱えたわけでもないのに、キャスターの令呪に変化が生じる。
赤い文様の一部が黒ずみ、代わりに切嗣の右手にキャスターの物とは異なる文様が現れる。
十字の形をしたそれは、キャスターのものよりも黒ずんでいる部分の割合が大きい。

「さて、これで条件の半分は済んだわね。
 もう一つについてはどうするの? 別にこの場所でもいいけれど、念の為坊やから離れたほうがいいのではなくて?」
「以前に用意した魔方陣が土蔵にある、案内しよう」

言われるまでもなく承知済みと、切嗣は廊下に出る。
気まぐれに吹いた夜風に、昨日までの冷たさは感じなかった。


□interlude - 『2-2』


「何か不機嫌そうですね、お姉さん」
「うっさい、大体何であんたが私の家にいるのよ」
「キレイのお使いに来て、お姉さんに入れて貰ったからに決まってるじゃないですか」

あははーと笑う金髪の少年に、凛はぐぬぬと悔しげに返すしかない。
それでも、用意した紅茶を乱暴に置く事はない。 遠坂たるもの、あくまで優雅に対応しなければ。
そもそも紅茶を入れてあげる必要があったのかなどとも思い返すが、一応客として来ているのだから仕方ない。

「うん、美味しい。 冬木では新都の喫茶店かお姉さんか、という所ですね」
「何処の事か知らないけど、そんな所に行ってるの、アンタ?」
「ああ、もちろんキレイと一緒にですけどね。 今度案内しましょうか? エスコートしますよ」
「結構よ。 同じ評価を貰えるならそのお金で茶葉を買ったほうが無駄にならないもの」

毎回感じていることだが、服装が活発そうな割に、金髪が紅茶を飲んでいる光景は、遠坂家の居間の装いも相まって実に絵になる。
作法もきちんとしているので、入れる甲斐自体はあると凛は思っている。 少なくとも、どこぞの後見人よりは百倍マシだろうか。
お世辞かもしれないが、店で飲むものと並び称されて嫌な気分を抱くこともない。

「うーん、どうにもお姉さんは妙な所で庶民じみていますね。 そういうものは比較するべき事柄では無いですよ」
「うっさい、子供の頃から贅沢を身につけると碌な事にならないって昔から言うでしょうが」
「真に高貴な振る舞いは、子供の頃から磨きあげていくものでもありますけどね」

言いながら、その言葉に相応しい優雅さでもって、カップを傾ける。
言っている本人が子供、それも孤児だというのに、その言葉を咎めようという気すら何故か起きない。
ただ、口の減らない弟分という程度の感情しか、凛の意識には浮かんでこなかった。

「それで、やはりあれですか? お兄さんが今日は来なかった事を気にしてるんですか?」
「はぁ? 誰があんな奴の事なんか」
「お兄さんの性格からして、昨日の今日で来ないという事は無い筈。 となれば当然昨日のあの子と……」
「だから、私はアイツの事なんか気にしてないってば!」

多少悪そうな表情を浮かべながら、金髪は話を蒸し返す。
その内容自体は凛にとってはかなりの部分で的外れではあるが、それでも軽く返すことには失敗する。
金髪の話の誘導が巧みである事もあるが、僅かな部分とはいえ当たっていたというのが原因だろう。
からかいを受け流せず、それによって凛のボルテージは上昇していく。

「ああもう! 用事が済んだのならとっとと帰りなさいよ! ただでさえ最近物騒なんだから」
「あはは、ごめんなさいお姉さん。 あと気が進まないのはわかりますけど、そもそも用事はまだ済んでませんよ」

凛の口撃を無邪気そうな笑顔でやり過ごし、金髪は多少表情を真面目にする。
実際のところ、確かに用事は済んでいない。 言峰綺礼からのお使いと聞いただけで、凛が後回しにしたからだ。
どのような内容なのかは不明だが、それを聞く事で凛の不機嫌の理由がさらに膨らむことは目に見えている。
紅茶でも飲んでどうにか落ち着いた所でと考えていたのだが、すっかりペースを狂わされてしまった。

「まあ、言伝だけですし大した事では無いと思いますよ? 僕にはさっぱり理解できない内容ですけど」
「ふん……、まあとりあえず言ってみなさい。 覚悟は出来ているから」
「えーとですね。 『二、三日待て、お父上の残した縁の品が存在する』だそうです。 ……意味、わかります?」
「……さあね」

怪訝そうな顔で尋ねる金髪に、適当に返す凛。
だが、その腹の中は煮えくり返らんばかりであった。

(あ、の、クソ神父~~~!!)

言葉の意味は当然判る。 凛の父である時臣が残していた、英霊召喚の為の触媒が存在しているという事だろう。
その内容だけならば凛からすれば非常に歓迎するべきものなのだが、そこには隠し切れない悪意が見え隠れしている。
そういうものがあるというのならば、昨日出会った時に直接言えばいい。 わざわざ金髪を使いによこす必要などない。
それをわざわざこういう手順にしたという事は、凛が存在しない触媒を求めて必死で家捜しすることを期待していたという事だ。
実際、昨日帰宅後から明け方近くまで家中をひっくり返しており、強力な宝石を見つけた他は、当然収穫は無い。
そして、言伝という形を取ることで、凛には怒りを吐き出す相手すら存在しないという訳だ。

「……まあ、確かに聞いたわ。 だからアンタはさっさと帰りなさい」
「あ、出来れば紅茶をもう一杯」
「…………」
「と思いましたが、やっぱり失礼しますね」

何やら寝言を言っている金髪を一睨みで退かせる。
もはや凛の中にあるのは綺礼への恨み言と、数日後に手に入る触媒についてのみ。
一瞬、綺礼への嫌がらせで触媒無しの召喚に踏み切ろうかという案も浮かぶが、それを残したのが時臣であるという事実の前に踏みとどまる。
そうした思考を繰り広げる凛には、最早金髪の事など目に映っていなかった。

だからこそ、凛は彼がいつ居間を出て行ったのかも、どのような表情を浮かべていたのかも、気づかなかった。


□interlude out


「散らかっているけど、まだ此方のほうが理解しやすい建物ね」

切嗣に案内されてやってきた土蔵の内部に無遠慮に目をやりながら、そっとキャスターは呟く。
キャスターからすれば木と紙で出来た家などというものは知識としてはあっても理解の範囲外であり、石や土の多い土蔵のほうが建造物としてはわかりやすい。
そんなキャスターの反応には特に構わず、今では士郎の工房と言ってもいい場所の床を、靴で払っていく。

「…………」

多少わかりにくくなっているが、魔方陣の構造に問題ありそうな欠落は見当たらない。
何かしら問題があったとしても、キャスターのサーヴァントが見つけるだろう。
切嗣は言葉を発する事なく、魔方陣の中央に触媒として用意した小瓶を置く。

「マスターは私の隣に立つように。 何か特別な行動をする必要は無いわ」

そう言いながら、キャスターは切嗣が横に立つのを待たずに目を閉じ、右手を軽く翳す。
月明かりのみが照らす闇の中、薄紫の髪の下の白い面貌はまるで月の女神のようで。
未だ人と神の間が近しかったころの、神秘そのもの姿をそこに示す。


 「――――――告げる」


空気が、変わる。


 「――――告げる。
  汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
  聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」


それは、紛れも無い言葉。 
響く女の声は、どこか神々すら抱かせる言葉。
人の歴史が失った、発せられるだけで世界を変革するという、言葉。
古びた土蔵は、言葉が発せられる度に人と神が交わる即席の聖地へ姿を変えていく。


 「誓いを此処に。
  我は常世総ての善と成る者、
  我は常世総ての悪を敷く者。


目に見えるほどの、濃密な魔力の渦。
それによって巻き起こされる、目を開けていられないほどの竜巻。
腕で顔を庇いながらも、切嗣は二度目となるその光景をしかと見つめる。


  汝三大の言霊を纏う七天、
  抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」


光を放つ魔方陣と、そこに形を成していく金色のエーテル塊。
全てが、五年前に見た光景に酷似している。
その場所が荘厳な大聖堂ではなく、古びた土蔵の中であろうと、
儀式を執り行っているのが切嗣ではなかろうと、
起こる現象は、一つの事柄を除いて変わらない。


「お前は…………」

違うのは、たった一つ。
魔方陣の中心に現れた存在が、切嗣の記憶にあるよりも大柄であること。
青と銀を基調とした清楚な服装ではなく、赤と黒の無骨な装いであること。
編み上げた金の髪の下にある幼くも凛々しい顔立ちではなく、尖った銀の髪の下にある目を見開いていること。
人影の性別が女ではなく男、それも似ても似つかない相手であるということ。

「…………誰だ」

呆然と、切嗣は問いかける。
マスターの困惑から状況を悟ったキャスターに構う事無く。
奇しくも、呼び出されたの相手と同じような表情を浮かべながら、呟いた。



やはり凄く時間がかかってしまいました。 読んでくださっておられる方々、真に申し訳ありません。
誤字、脱字、妙な点等ございましたら遠慮なく指摘お願いしますー。

切嗣の戦いはこれからだ!


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