そこは、一つの地獄だった。
砂漠に囲まれた国を、更に囲む異形の集団。
その集団はただただ全体が黒く、シルエットだけは人に近い形をしており、所謂顔の部分の中心地にある二つの瞳は紅く不気味な瞳を放っていた。
その異形の化け物は何も言わず、何の感情も出さず、ただその歩みを進めていた。
数えるのが馬鹿馬鹿しくなるほどの軍勢が、一つの国を四方から囲んでいる。
彼らの狙いは、『命』。
それだけである。金銀財宝や土地、もしくは人の支配など、そんなものは眼中にない。
ただこの世界の命を。人の。動物の。植物の。魔族の。
ありとあらえる『生』を奪いに来た、正しく異物。
その目的は不明。出生も不明。正体も不明。
数年前からこの世界に現れて、その圧倒的な物量で、全ての生物の命を脅かして来た。
分かっている事は、この集団はただ生命を蹂躙するだけの存在で、『普通の生物』では到底敵わない様な戦闘力を備えており、そして。
『圧倒的な物量』と評したその数も、この世界に残すのはここに居る集団だけ、と言う事。
「世界を飲み込め! 天の果て、大地の終わり、海の底、全てこの手中にあり!」
どこからともなく、朗々とした少女の声が聞こえる。
だけども、異形の集団には、聞こえなかった様に(事実、聞こえているか分からない)、進軍を続ける。
何事もなかったように、ただ憮然とあるいは悠然と、その歩みを進めていく。
彼らには感情がない。躊躇いがない。慈悲がない。恐怖もない。
――――だからこそ、彼らはこの『詠唱』の危険性が分からなかった。
「吼えろ、ヨルムンガンド! 全を一に、灼熱の彼方へ!」
世界が、赤に染まる。
「ムスペルへイム!」
赤が炎に変わり、炎が異形を包む。黒が赤になり、赤は灰になった。
途切れることない灼熱がうねり、異形の焼き尽くしていく。
しかし彼らは声を上げず、無言で朽ちて行く。その「魔法」の射程から逃れた後続も、仲間がやられたことも顧みず、何事もなかったように歩み続ける。
かつて同族だった焼け落ちた灰を、何の抵抗もなく踏みしめ、そして彼らは前進を止めない。
これこれが彼らの強みであり、また。
それこそが、彼らの敗因だった。
――砂漠の国、『ガルウォーク』、西の門。
「マリちゃんの開幕ぶっぱキタぁあああああああああああ! ひょーぅ!」
「マジぱねぇ! マリちゃんのムスペルへイムマジぱねぇ! けききききき!」
「マリちゃんマジ大魔導師! あひゃーぉ!」
「マリちゃんパネェ! ガチパネェ! にっひゃひゃひゃひゃ!」
「マリちゃんマジヨルムンガンド! かかかかかかかか!」
「マリちゃんペロペロ! ひっぎゃあああああああああ!」
六人の男女が、明らかに何かヤバイ薬をキメたテンションで、一人の黒いローブを纏った小柄な少女に言った。
言われた少女は肩で息をし、手に抱える自身の身長程ある杖を抱きかかえ、その額に汗を滲ませながらも、やりきったような顔で頷いた。
「う、うん……こ、これでかなり、数を減らせたと思う……」
「休みなよ、マリ。あれだけの魔法を使ったんだ。アンタは十分やったよ」
少女、マリを労う様に、鎧に身を固めた女性がマリの肩を抱いた。
マリは彼女に向き直り、そして笑顔を見せる。
「ありがとう、マモリちゃん……」
「礼はいいって。アタシはアンタの『ガーディアン』なんだからさ」
「マモリちゃん……」
二人は互いに笑みを見せあい、そして目線を合わせた。
マリが着ているローブが砂漠に吹く風に揺られ、マモリが纏った鎧が太陽の光を反射する。
そんな絵になりそうな美しい情景は、しかしこの場では『格好の餌』でしかなかった。
「ひょーぅ! 二人はラブラブってかぁ!?」
「けききききき! 見せ付けてくれんじゃねぇーかよぅ!」
「あひゃーぉ! あんたらガチ? ガチなのぉ!?」
「にっひゃひゃひゃひゃ! ゴホッ、ゲホッ……にっひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」
「かかかかかかか! おいおいおいおい! ついにこのクラスからカップル登場かぁー!?」
「マリちゃんペロペロ」
六人の男女は、別に狂っていない。
これが平常である。いつものことである。
しかしいつものことと言えど、散々好き勝手言われたマリはその顔を真っ赤にし、マモリは額に青筋を出し、叫ぶ。
「うっせーんだよぉおお! このチンピラーズがぁ! つか、さっきからマリをペロペロしようとしているのは誰だぁああああああああああ!」
「あ、それタロウ」
「タロウだな」
「ああ、タロウだね」
「タロウだよね」
「どう見てもタロウだよな」
「スズキタロウ以外にいないよな」
叫ぶマモリに対し、急激にテンションを落とした六人が、真面目な顔をして言った。
その言葉の先には、彼らから少し距離を置いて自身の愛剣を磨き男が居た。
彼、タロウはその剣を磨いていた手を止め、自身を指差す。
「え……、お、俺……?」
「スズキぃいいいいいいいいいい? アンタ、いい度胸じゃないのぉおおおおお? お? お? あん? ぶっ潰されたいのぉ!?」
「ち、ちが、って言うか明らかに俺じゃないだろぉ!?」
「くるぁああああああああああああ!」
「お、おおおおおおおおおおおおお!?」
激昂したマモリは担いでいた巨大な盾を構え、タロウに突進する。
そんな謎の展開に、勿論濡れ衣を着せられたタロウは、それでも咄嗟に剣を構え、驚異的なタイミングで見事にマモリの突撃を流した。
「ひょーぅ! ぅやるじゃねぇぇぇえかぁ、タロウよぉ!」
「けきききききき! おいおいマモリぃ! アイギスで突進するんじゃねーよぉ!」
「それそう言う武器じゃねーからぁ! あひゃーぉ!」
「盾で突進とか神器の無駄使い過ぎるでしょぉおおおぉおお! にっひゃひゃひゃひゃひゃ!」
「かかかかかかか! タロウも良くあの突撃を弾けたよなぁ!」
「まぁマモリはそもそも攻撃しねーからなぁ! ひっぎゃあああああああああ!」
「唸れ、アイギスぅうううううう!」
「ア、アイギスを攻撃に唸らせちゃ駄目だろうがよぉ! くそぉおおお! 弾けぇええええええ!」
笑う六人の男女に、咆哮を上げながら突進をかますマモリ。そして必死にそれを捌くタロウ。
これもまたいつもの日常である。そして、これを止めるのは。
「えいっ!」
『あばばばばばばばばばばばば!』
そう可愛らしく杖を振るったのは、マリだった。
だが文字面だけ見ればなんとも微笑ましいが、結果は彼女の持つ杖から放たれた雷撃による、死屍累々だった。
「ひょ、ひょーぅ……」
「け、けききき……」
「あ、あひょーぉ……」
「に、にひゃ……」
「か、か、かかか……」
「ぺ、ペロペ、ひぎゃ……」
「な、なんで俺までぇ……」
「ふぅ、流石はマリね。アイギスがなかったらやばかったわ」
一人だけ難を逃れたのは、神の盾を持つマモリだ。
アイギスの正しい使い方だった。味方の攻撃に対して使っている、と言うことに目を瞑ればだが。
「みんな、真面目にやってよぉ!」
『い、いえっさー……』
「俺、悪くねぇよぉ……」
「流石はマリね」
何が流石なのか。
「さ、気を取り直して、と」
「ま、マモリちゃん、ちょっと、苦しいかなって……」
マリを手元に抱き寄せながら、マモリは改めてそう言った。
その時のマリの苦言は聞こえなかった。世の中には決して聞こえない声があるのだ。あるったらあるのだ。
「行きなさいよ、チンピラーズ、タロウ。せっかくマリが数を減らしたんだから、今がチャンスよ」
「っておいおい。マジかよぉ。俺らだけぇ!?」
「せめて委員長ズか、ツインエースを待とうぜぇ!?」
「そうそう! それかネクロトリオか、ユッキーか、コージでもいいから呼んでよぉ!」
「マモリは戦わないし、マリちゃんはほとんど打ち止めだしぃ、私たちとタロウだけじゃキツイよぉ!」
「ミウは呼べないのは分かっていたけどよぉ、ガチで俺たちだけかよぉ!?」
「アタッカーも、援護もなし、か……」
「メイも居ないし、これはマジでキツイぞ……」
マモリの進言にそれぞれ愚痴を溢す彼ら。
――――マモリとて、それは分かっていた。
六人の男女も、タロウも、実力は確かだ。加え、今はマリの大魔法により敵の異形は消耗している。
しかしそれでも、相手の数は脅威だった。
そもそも、『東門』を除けば、他の二門は千近い軍勢が異形を相手取っているのだ。
対し、ここ、西門を守る人数は九人。更に、マリは先程の魔法で魔力を消費しており、マモリは護衛に特化しているので、倒すことには向いてない。
そして、先程彼らが名を上げた11人の仲間は、今西門には不在だ。彼らはそれぞれ別の門の援護に向かっている。そしてそれらが落ち着いたら西門に合流する手筈になっているが、未だその連絡は来ない。他の門も苦戦を強いられているようだ。
だが、それでもやらなきゃいけないのだ。
自分たちが西門を任せられたのは、任せられる実力があるからだ。
もっと言えば、彼らしかいないのだ。あの異形の化け物を、少人数で食い止められるのは。
苦しい状況だと言うのは、マモリも良く分かっている。
しかし、ここは彼ら7人になんとかして貰うしかないのだ。
「みんな、聞い……」
「みんな、行って」
マモリが心を鬼にして彼らを死地へ向かわそうと決意した時、彼女の腕に収まっていたマリが静かな声でそう言った。
砂漠に吹く熱い風にそぐわない、冷たく、だけど熱砂よりも遥かに暖かい想いが篭っていた。
マリはぎゅっと杖を強く抱きしめながら、そしてその目を潤ませて、言う。
「信じている。私たちは、みんなは、最強だって! 誰にも、何にも負けないって! 私、信じているから! だから……!」
「……そーこまで言われたら、よぉ」
「ああ」
「そーね」
「ふふ、マリちゃんも言うようになったねー」
「期待されちゃあ、なぁ」
「答えない訳にはいかねぇーよなぁ!」
「……やるか!」
三人の男女が、剣を上に構えた。
彼らは騎士。高潔でもなければ、気高くもない。
だけれど、騎士だ。誇りは守らない、要らない騎士。
彼らが守るのは仲間の命と信頼、そして笑顔だ。
――――他に、何の価値がある?
「チンピラーズA、秋瀬 健とエクスカリバーMK3」
「チンピラーズA、市井 敦とガラティーンレプリカ」
「チンピラーズA、樋口 胡桃とアロンダイト改」
――――笑顔以外の表情に、価値はないのだから!
『“突撃騎士団”、推して参るッ!』
次いで、別の三人の男女が剣を構えた。
その剣は、先程の男女が掲げた剣に比べ禍々しさが宿ったものだった。
彼らは騎士ではなかった。騎士になれない剣士だった。彼らが持つ剣は、呪われているのだ。
だけれども、彼らはそれでも誓いを違えたことはなかった。
それは、生きること。生き延びること。
それは、戦うこと。戦い抜くこと。
――――魔剣だろうが、なんだろうが。
「チンピラーズB、照井 恵子とストームブリンガー白」
「チンピラーズB、長野 一樹とティルヴィングVER5.0」
「チンピラーズB、千代田 義嗣とダインスレイブ弐式」
――――勝てばっ! 守れればっ! それでいいっ!
『“特攻魔剣団”、吶喊するッ!』
そして、残る一人の男がやれやれと首を横に振った。
彼は、先の六人に比べると、聊か気迫に欠けていた。
昔から、彼はそうだった。闘志が少なく覇気が薄い。
だけれども、彼はそれでもここの連中と変わりない心を持っていた。
なにがなんでもやりとげる鋼鉄の魂を持っていた。狂った心意を持っていた。
――――ここにマトモなやつなんて、誰もいないのだ。
「魔法剣士、鈴木 太郎と量産型レーヴァテイン」
――――マトモである意味なんて、とっくにないのだから!
「“炎剣”、出るぞッ!」
そんな七人を見て、ともすればいよいよを持って『死ぬ』かもしれない七人を見て、マリは更に瞳に潤ませた。そんな彼女を、マモリが心配そうに見つめた。
だけれど、マリは泣かなかった。涙を精神力で引っ込めた。
ここで必要なのは泣き顔ではなく、笑顔なのだ。
かつて、ここに来たばかりの彼女は泣いてばかりだった。
だが、今は違う。世界最強クラスの魔力を身に宿し、そして、世界最強の『クラスメート達』と共に居るのだから。
マリは地獄に向かう友の為に、杖を大きく掲げた。
――――だって、マリは。
「魔導師、江口 真理とヨルムンガンド」
――――みんなを、信じているから。
「“終わりの蛇”が命じます。……勝ってッ!」
『おおともよぉ!」
彼女の祈りの言葉は、確かに彼らに届き、そして士気は最高潮だ。
(強く、強くなったね……マリ……)
かつて泣いてばかりで、そしてかつて『嫌い』だった彼女の様子をみて、マモリは感慨深く頷いた。
だけど今のマリは誰より強く、そして誰より優しい。この世界に来て一番変わったのはマリだろう、と彼女は胸を張って言えるし、他の仲間達もまた、一も二もなく賛同してくれるだろう。
ならば、今、彼女の親友を名乗る自分が遅れては駄目だろう。
――――彼女は盾。鉄壁で無敵の盾。
「ガーディアン、岸 まもりとアイギス」
――――何事も防ぐ、神の盾。
「“守護神”は此処に居る、ふふ、無理だったらこっちに回してもいいよ?」
悪戯そうに、シニカルに笑う彼女に、七人は凶悪に笑い、吼える。
「上等だコラァ! ひょーぅ!」
「あんまし俺らなめんなよぉおお! けききききき!」
「目に物見せてやるからぁ! あひょーぉ!」
「あんたらはそこでくつろいでなっ! にゃひゃひゃひゃひゃ!」
「っしゃーこらぁ! っくぜぇええええええええ! かかかかかかか!」
「ひっぎゃああああああああああああああああああああああああああ!」
「うしっ、行くぜお前ら!」
「え、なんでタロウが仕切んの……?」
「ないわー」
「マジないわー」
「空気読めてないわー」
「引くわー」
「あーあ」
「流石スズキ、KYね、マリ」
「え、え、あ、……う、うん?」
「イジメ良くない!」
このクラスにイジメはなかった。