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[33140] 【試作】背教者の兄(歴史物・ローマ帝国)
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2012/05/15 20:08
政は頼りになる官が見つかるまでが苦しい

500年近く統治したある王が至った結論。
その結論は、圧倒的な経験から導き出された真理だ。
だから、ゆっくり行こうと彼が言えるのは長命の性だろう。

では、短命極まりなく、彼らからすれば一時に過ぎない50年で

『人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり』

と謳わねばならない人は如何にすべきだろうか?

崩壊していく帝国。

絶え間なく侵入してくる蛮族。
辺境諸候らは、相争い時に蛮族を招き入れさえする。
市民らは土地を捨て、或いは都市を捨て辺境は蚕食されてしまう。

帝都で蠢く宦官と貴族らの政争は、辺境を省みる余地なし。
そこに聖職者が割って入り、止めるどころか宗教上の闘争すら喚起し始める始末。
神官らは生贄を捧げるどころか、賭博と洒脱に走り神殿は荒廃に任されて久しい。

麗しい花々とオリーブに囲まれた静かな離宮。
そこにあってなお、帝国の歪みと軋む音は耳を塞ぎえないほど。
蛮族の侵入や、辺境部での騒乱、或いは大都市での暴動が誰ともなしに囁かれ続ける。

帝国の末端に至るまで整えられた官僚機構は錆びつき、世界に冠たる『帝国』は崩壊の兆しに塗れている。
有能かつ、帝国に真に忠勇なる行政官・軍事官僚の大半は疎まれ、石もて追われてしまう。
単純明快な正義の原理原則は風化し、そこにあるのは曲学阿世の腐臭に満ちた耳触りのよい言葉。

それでいて、帝国の崩壊が緩やかであり喰い留まりえるほどに帝国は世界そのものであった。
否、帝国が世界そのものであり、崩壊は誰にとっても理解し得ない事象である。
彼らが生まれいずる遥か前より帝国は存在し続けてきた。
帝国は、帝国に住まう臣民全てに取ってかつてより存在し、明日もまた確実に存在するものなのだ。

故に、帝国の緩やかな崩壊は常態化してしまえた。
危機にあると認識し得るほどに、火急ではなく、さりとて問題が無いと言えるほどに良好でもなく。
ただ、帝国になにがしかの問題があると人々が酒場で談笑する程度まで矮小化された形で認識されてしまう。

一度定着した問題は大したことが無いと思いこみたい願望。
だが、拭いがたいその願望に覆われることで有能な行政担当者ですら危機にあって本質を解することは叶わなくなる。
世界が崩壊しつつあるという危機感は、帝国が行き詰まっているという誤った認識に矯正されてしまっているのだ。

もしも。

もしも仮に歴史を俯瞰し得るものがこの場にいれば叫んでいただろう。

終わりの始まりだ、と。

暗黒の始まりだと。



その破局の時代。
終わりゆく『世界』と『帝国』において二人の兄弟が生を受ける。
ガルスとユリアヌス。

世界は慟哭を耳にするに違いない。

何故、ガルスより天はユリアヌスを召し上げたのか、と。
何故、天はかくまでも粗暴な輩を解き放たれたのか、と。
何故、一神教の輩共はどこまでも愚かに相争うのか、と。

歴史は敗北者として、ガルスを位置付けている。
彼は、世界を救うべく剣を取り、遂に剣を置くことなく果てた。
彼が救わんと欲した世界と帝国は留めようのない奔流に包まれ草葉の陰に消えている。

彼こそが、彼だけが最後の『ローマ皇帝』であった。
ガルスこそが、ローマ世界を暗黒の中世より救わんと足掻いた『ローマの守護者』であった。
世界史の短い叙述は、わずかにガルスの足掻きを『非キリスト教ローマ帝国のわずかな再興期』と位置付け足早に立ち去る。

たった、たった100年に満たないガルスの成果。
それは、悠久のごとき帝国の歴史を思えば取るに足らない偉業なのかもしれない。
だが、その時代に生きるあらゆる帝国の人間にとっては希望であり、憎悪の対象であったのだ。



(´・ω・`)こんな感じで、『背教者の兄』に転生モノを次回やろうかなぁと考えています。
ばっちゃとか、辻邦生とか、大好きなのでローマ万歳!やりたいだけなんですが。

いい加減、読みにくい文章だとか、癖のある書き方もどげんかせんと。

一応、他にも末期戦絡みでMuv-luvで『ルナティック・ルナリアンのBETA大戦。』
後、愉快なジョゼフ君の『オトラント公爵一代記』

とかも考えてます。

取りあえずは、今書いてる幼女戦記終えてからですが。
ぼちぼち資料やら読んで考えてはいるのですが、まあ、実のところ迷ってます。

お前ならば、これだ!とかいうご意見があればぜひ参考にさせてください。



[33140] 第一話 ガルス、大地に立つ!
Name: カルロ・ゼン◆f40da04c ID:a9244f5b
Date: 2012/06/24 00:30
やあ、初めまして。
単刀直入で申し訳ないけど誰か、ガルスという人物について知っている人はいるかな?
或いは、聞いたことがあるだけでも良いんだ。
どんな人間だとか、何をしたとかじゃなくて、単純に聞いたことがあるだけでいいだけど。




・・・うん、まあ無いんだろうね。

歴史が好きだったし、ローマだって大好きだった自分だって誰それだし。

まあね、言ってしまうとだね。
歴史が好きって言ったって、ウン千年のローマ史の詳細なんて其れこそ大学で専門にやっている教授だって知ってるかどうか。
作家とか史家とか以外で知っている奴がいたら、それは間違いなく趣味人だ。


まして、カエサルとかアウグストゥスとかなら聞いたことがあるかもしれない留まりの日本人だもの。
ガルス?誰、ソレ?というか、どこの人?と言ってしまうのはしょうがないよね。
むしろ知名度があると思っている方がどうかしているよ。

それに、なんだかんで歴史の主人公という者は記憶されるだろうけどその親族まで専門家以外いちいち覚えているわけも無いだろう。
多分だろうけど、よっぽどのモンゴル好きでもない限りチンギスハーンの息子全員言えないだろうし、孫なんて其れこそ絶望的な気がする。
いや、それどころかチンギスハーンの弟でさえ何人知ってますかレベルだよね。

カサルさんとか聞いたことあります?

うん、よしんばカサルさんを知っていたとしよう。
じゃあ、その息子のイェスンゲさんは?
割とまだ有名な部類なんだよ、なにしろ一応勝ち馬に乗れたから族滅は逃れられたし繁栄できたんだ。
立ち位置不明で、気が付けば族滅されていたりする英雄とか偉人の親戚にしては、ハッピーな方じゃない。
そりゃ、確かにヨーロッパを蹂躙しかけたバトゥさんは別格だけどさ。

ああ、話が逸れていた。

要するにさ、お偉いさんの親戚とかって歴史に全然出てこない方が多いじゃない。
でも、立ち位置を一歩間違うと偉大な皇帝陛下の立場を危うくするとかで碌でもない結末が!
大切なことだから、繰り返しておくけど碌でもない結末が!

最悪の中の最悪は、立ち位置間違えなくとも、立ってるだけでぶっ殺されかねないメフメト2世とかセリム1世とかの統治。
うん、本当に危なかったと土地柄を考えれば実感せざるを得ないね。
後何年後に生まれればそうなっていたかは知らないけど、生まれる時代を間違えていたら誕生即粛清とかもありえた。

ブリタニア帝国だって、もうちょっと皇族間の競争はマイルドに違いない。
宮廷闘争というより、完全に内戦前提の皇位継承システムとかぶっちゃけ怖すぎだ。
継承権持ってる連中で、バトロワとか国家でやるもんなの?

物騒すぎるぞイスタンブール。

恐ろしすぎるぞオスマン帝国。



それに比べればね。
まだ、自分の立ち位置も地理的には同じ都だけどまともだと思うよ?
その事に関しては、取り敢えず誰に送ればいいのか知らないけど感謝しても良いくらいだ。

でも、やっぱり親戚の立ち位置が危ないというのは万国共通だよね、特にこの現在進行形で建設の町では。
猛烈な建築ラッシュで、ある意味高度経済成長中の勢いがある素晴らしい街ですね。
こんな街を、地上に作り上げようと決断し得た人間の決断力が、いつ粛清に向かうやら。

ぶっちゃけ、恐怖に駆られて衝動的に叛乱が起きても仕方ないレベル。
誰だって、口を開けば焼き討ち上等の第六天魔王の下では恐怖するしかないのだし。
そんな抑圧された環境で、キンカン頭のナイスガイがプッツン逝くのもむべなるかな。

いや、プッツン行ったら粛清される馬鹿に自分が加わるだけだけど。

だから、もう一度言おう。
誰か、大帝コンスタンティヌス陛下の甥っ子のガルスについて御存じの方はいらっしゃいませんか、と。




もしくは、誰か、今西暦何年か教えてください。
初めまして、フラウィウス・クラウディウス・コンスタンティウス・ガッルスです。
プリーズ、コールミー、ガルス。

一応皇族らしいので権威とか贅沢とか出来るらしいのですが、そこら辺は良いので生命を保障してください。
最低限度の、人間の安全保障を希望します。
あと、できれば文化的な生活もしたいです。

ガルスです。





ガルスの中の人は、こうして恐ろし過ぎる未来に恐怖し慄いていた。
だがその時、ようやく立ち上がれるようになった息子が、突然頭を抱えてのたうち回る姿を報告された父、ユリウスが怪訝にみていた事にガルスは気が付かない。
こうして、訳のわからぬ息子を持った父親もまた首をひねる羽目になっていた。

栗毛を掻き毟り、バシリナ譲りの瞳を回して、子供がぐるぐる唸っているのだ。
はたから見るだけでも、十二分に心配でしかない。

…ついぞガルスの気が付くところではなかったが。

四六時中誰かの眼が見守っているということにガルスは理解が及んでいなかったのだ。
ガルスとしては、十二分に配慮しているつもりだった。
全くもって、配慮のベクトルが違ったという事を彼は知らない。
全て、裏目に出ているという事も理解するまでにはもうしばらく時間を要する。
なにしろ、変に目立たないようにと大人しくしているつもりだったのだ。

まあ、メガロポリス圏で生活していた人間にしてみれば離宮は人が少ないなぁ程度にしか思えない。
よもや、自分のために傍で控えているという事実にガルスが気が付くにはもうしばらく時間を必要とした。

ちなみに。

後日、その事実に気が付いた時、そんな!?と絶叫したことも当然ながら心配性の父の元に報告されている。
ユリウスが心配症というよりもガルスの様子の方が不審といえば不審だったので無理もないのだが。

こうして、ガルスは少々どころではなく精神を父親に心配されながら扶養されていくこととなる。
やはり、母親と触れ合う機会が乏しいからか?しかし、病弱な彼女の体調に障っても…、と父ユリウスの苦悩は深い。
だが、家族との時間を増やそうにもユリウスにはそもそも余暇を捻出することすら難事だった。

なにしろ大帝の命によって、次から次に仕事を抱え込まされる事となるユリウスの負担は増えこそすれ減ることはない。
首都造営を担当し、官僚機構を統率し、さらに帝国の財政を管理するという激務。
加えて、面倒なキリスト教との微妙な関係という頭の痛い問題まで抱えた彼の仕事量は限界だった。

独り立ちし始めた上の息子らに仕事を任せられるようになり、一時は重荷が減ったかと思えることもゼロではない。
だが帝国にはオリンポス山ほど課題が山積しており、有能な行政官に余力があると解れば、遊ばせておくことなど思いもつかなかった。

だが、だからこそ。
ユリウスは懸命に働く。
少しでも、帝国に対する皇族としての責務を果たさんというガルスには絶対に理解し得ない献身的な態度によって。

しかしながら、そんな父親の苦悩や葛藤、それに激務からの疲労困憊といった事情をガルスとんと知らない。
というか、誰だってガキにいちいちそんな事を懇切丁寧に説明するところはないだろう。
ガルスが侍従にでも聞けば、或いは懇切丁寧に説明してくれないこともないだろうがそもそもガルスは自分に従者が付けられていることに気が付いていない。

いや、正確には自分の乳母や教育係以外に自分に関心を払っている使用人というのを概念としていまいち理解できていないのである。
まあガルスにしてみればぼんやりとしいると、自分の少し傍でウロウロしている人間が従者だというのはちょっと理解しにくい。
仕事しているのだろうし、邪魔するのもあれだなぁという中途半端な気遣いを行うのは日本人の性だろうか。

結果的というべきか、当然の帰結というべきか。

ともあれ、そんな訳でガルスにとって父親はいつも胃を抱えて幽鬼の様な表情で彷徨う半生半死の存在だった。
まあ、激務から来る過労で眼にくまを浮かべ、かつストレスで胃を抱えながら死体のように寝台で横たわる姿しかガルスが見ていないからなのだが。
ともあれ、父親の背中からガルスは完全に誤ったメッセージを受け取る事となる。

いや、正確にユリウスの心情を言うならばそれは弟のユリアヌスが生まれる一方で妻であるバシリナが遂に亡くなった事の心労も小さくはない。
だが数年にわたり辺境統治に追われる兄らや、首都整備のために駆けずり回るユリウスの姿を見続けたガルスへは完全に誤ったメッセージを数年にわたり発する事となる。

そう、ガルスが見る限りにおいて宮廷は過酷極まりないところとしか思えなかった。

…誰も彼もが、宮廷に出仕した瞬間に疲れ果てた様な表情でしか帰ってこられなくなるのである。


すなわち、皇族というのは、皇帝の親戚というのは、かくまでも精神を痛めつけられるほど過酷なポジションなのだ、という事である。
なにしろガルスにとって、大帝はきっとブリタニア皇帝の様なやつだというイメージが先入観として存在していた。
皇弟である自分の父ですら、日々恐怖と戦いながらボロボロになって出仕するところだと判断したのだ。



故に、ガルスは健全な精神衛生とストレスフルな宮廷社会回避のために決断する。
断じて、断じて宮廷になど関わる人生を送るまい、と。
このときガルス実に6歳。
実に早すぎる世捨て人希望者の誕生であった。


だが、そこまで決断しハタとガルスは困惑する。

「…どうやって?」

そう、どうやってだろうか?

思わず、口から吐き出した疑問が全て窮状を物語ってやまない。
なにしろ、ガルスは皇族である。
現皇帝の甥っ子にして、おそらく次の皇帝のいとこに当たるだろう。

はっきり言って、継承権やら血縁関係やらが山盛りセットで付いている。
これで、権勢慾でもあれば喜び勇んで血で血を洗う玉座争奪戦に参加できるのだろう。
だが、ガルスにしてみればそんな物騒な玉座に求めるものなど全くない。

はっきり言えば、魅力のかけらも感じない。

小市民的な感覚を引き摺るガルスにしてみれば、そもそも現状に不満が無いのだ。
なにしろ、ガルスの父、ユリウスは身分相応の資産家でもある。
言ってしまえば、ガルスは相続する遺産だけで食っちゃ寝してしまえるだろう。

そう、この世界に相続税や累進課税などというものは、ありがたきかな!一切存在しないのだ。
だから、ガルスにしてみればそこそこの資産があれば高等遊民生活が期待できるのだ。
大都会の喧騒が嫌になれば、所領に引っ込んでニート生活をいくら行っても咎められることすらない。
むしろ、世俗の喧騒を逃れ静謐な環境へ…などと評価される始末である。

政治への野望なり、地位への渇望なりがあれば、いくらでも権勢を追い求めることも一つの道であることはガルスにも理解はできる。
だが、ガルスにしてみれば働かずとも好き勝手に生活できるだけの収入が安堵されているのだ。
何を好き好んで危険な権力闘争なりポジション争いに参入しなければならないのかと真剣に理解しかねている。

「うん、平和が一番だ。」

思わず、そう呟いてしまうほど現状は完璧なのだ。

ガルスにしてみれば、何が悲しくて今の安楽な生活を危険に晒さねばという思いの方が強い。
平均的な日本人にしてみれば、収入が保証され趣味に没入できる上に、好きなようにして良いというのは十二分以上に理想郷だろう。
ここから父達の様にのたうち回るほど過酷な宮廷で、わざわざ地位を得たいと思うほど自虐趣味はガルスとして持ち合わせになかった。

だが、どうやら世間一般の認識というのは異なるらしい。
どうも権勢慾というのは、ガルスが思っている以上に強い衝動の様なのだ。
つまり、麗しき至尊の座におわします皇帝陛下にとって皇族一般というのは潜在的簒奪者候補とのこと。

そうなると、玉座争奪戦になど興味のかけらもないガルスにとって皇族という立場は重荷以外の何物でもない。

彼自身に玉座への興味関心がいくら払底していようとも、彼には玉座に上るだけの血があるのだ。
少なくとも、現皇帝の甥っこという血はあまりにも皇統の中心に近すぎる。
そして、ガルスの意図がどうであろうとも、ガルスの血が皇帝への請求権を持っていることは明白。
なによりガルスには兄弟が3人もいて、上二人は実に優秀だと言う評判を耳にしつつあった。

そう、皇帝にとって有能で有力な競合相手足りえるほどに。

そんな血統であるから、当然拡散される事を皇帝陛下はお望みにならないことだろう。
市井で、奥さんを貰って平和にのんびり暮らしたいと思っても歓迎されるかどうか。
子供が生まれれば、新たな皇族のご誕生という事になるのだから、それはもう現皇帝や、次の皇帝陛下に睨まれればアウトだ。

まず間違いなく、オスマントルコならば良くて鳥の巣入り。
下手をしなくても、たぶん、征服者ことメフメト2世が麗しくも制定し定めもうた法によってぬっ殺されかねない立ち位置である。
マキャベリですら裸足で逃げ出しかねないほど、徹底したマキャベリストとはこれいかに。

ついでにお孫さんのセリム一世さんなんてぶっ飛び具合が半端ではない。
時代が時代なら、ボルジアと親友になってワイン試飲会を開催し、信長さんと一緒にバーニング・フェスティバルやりかねないほど。
どうせ生存競争なら早い方がいいやと父をぬっ殺し、兄弟を地上から排除し、息子に安定した継承を行わせるために自分の長子以外の子供ぬっ殺すとかやらかしているし。
国家理性にも限度があるだろう、と叫びたい。

だが、叫ぶ前に国家理性とやらはそれくらいを統治者に許容しかねないという事の方に今は留意すべきだった。

「詰んでる。…生まれながらにして、自分の人生が詰んでいるとはこれいかに。」

ガルスは苦悩と戦いながら懸命に考える。
資産家のお家に生まれて、優秀な兄をもち、素晴らしい親戚がいると言えば聞こえは良いが。
ひっくり返せば連座粛清フラグが乱立している地雷原のど真ん中である。

「問題は、血と継承権なんだ。世捨て人になるか?…どう考えても、これ幸いと暗殺される気がしてならん。」

実際、ガルスの危惧は誇張されたものではあるが事実だ。
ガルスは、単に現皇帝の甥っこと言うに限らない。
現皇帝の皇弟が息子にして、現皇帝の長男より若い皇族なのである。
無茶苦茶有力な皇族であり、父ユリウスの権威も相まって帝国の藩屏たるか粛清されるかの二択しかありえそうにない。

なにより、聞く限りにおいて父や上の兄らはむちゃくちゃ帝国の有力な統治要員という。
実際には6歳児にいちいち語りかける人間がいる訳ではないのだが、話を聞く限りにおいては権勢を誇っているのは間違いない。
ああ、粛清される理由がさらに増えそうだとガルスにしてみれば思わざるを得ないのだ。

いつ、有能すぎる兄らが理由で連座させられることだろうか。

重すぎる事実に、打ちのめされかけたガルスはそのとき、ふと我に返った。
ガルスは、離宮の自室から一望できる町並みの中に意気高らかに掲げられたソレを眼に入れる。
建設途上の建物だが、その用途は掲げられた十字架で明白な礼拝堂。

そう、キリスト教の礼拝堂だ。

思い起こせば、キリスト教の高位聖職者というのは世捨て人ではあるが生活水準は悪くない。
そう、ベネディクトやシトー、イエズスといった厳格極まりない修道会が誕生するのは中世以降の話。

それだ、とガルスは自分のアイディアへ咄嗟に飛びつく。

なにしろ、大帝はキリスト教を良しとされたお方だ。
死の間際に、洗礼を受けたと言われるほどキリスト教に近い立場の大帝なのだから、聖職者へも好意的だろう。
実際、父の仕事はキリスト教関連の宗教施設を建築監督というものもあった筈だ。

とまれ、ガルスにとって光明が見えてきたと言えるだろう。
出家ならぬ、聖界入りすればいいのだ。
教会に入れば、ともあれ好きなだけ本を読んでごろごろしていても許されるに違いない。

いや、中世の教会と違ってガチの信徒が多いかもしれないがそれはソレだ。
言っちゃなんだが、皇族が聖職者へとなるのだからキリスト教もウェルカムしてくれるに違いない。
なにより、聖職者へなってしまえば皇位継承権も何も無意味になるだろうから血統的な問題も誤魔化せる。

それに、大帝におかれても世俗を捨てたいと申し出る甥っこをぬっ殺そうという動機は減ってくれるに違いない。
或いは学識豊かな聖職者にでもなれば、次代の皇帝陛下も自分をそこまで積極的に害しようとは思わないかもしれぬ。
いや、希望的観測であるかもしれないが。

だが、現状において教会の庇護下に入ってしまえば勝ち組に違いないとガルスは笑う。

それに、だ。
最大の難関である扶養者の問題は、面倒事を任せられる弟がいるのである。
素晴らしきかな、つい先だって生まれたばかりだが弟ユリアヌスの存在は扶養問題も回避させてくれることだろう。

「・・・押し付けるのは悪いが。」

若干、良心が疼くとはいえ、財産の大半を譲って自分は安全な道へ退避するだけなのだ。
彼に問題を押し付けると言う訳ではなく、単純に彼に財産を任せてウィンウィンな関係に持ち込めるならば理想的だろう。
兄達も、面倒をみてくれるかもしれないが。

まあ、言いにくいが年が離れすぎているために少々お金を無心するのは厳しい気がした。
だから、今の内に弟と仲良くなっておけばベストだろう。
ついでに弟をそれとなく教育して立派な人間にしておけば、後でガルスの事も見捨てたりはしないに違いない。

そこまで考えた時、ガルスの心を占めるのは母バシリナが出産後体調を崩して亡くなってしまったことへの悲嘆だった。

つまり、ユリアヌスはこれから甘えたいであろう母親を亡くし、多忙な父の代わりに召使や従者によって面倒を見られるのだ。
母が亡くなってしまったという事に対する歎きは、幼いユリアヌスにとってまだ理解できないものかもしれない。
だが、彼のことを心にかけて事細かに面倒をみてくれる存在が欠けたのはガルスにとって困ったことになりかねなかった。

なにしろ、ガルスが平和裏に高等遊民になるためには弟がしっかりと成長し、その上で彼に養ってもらうだけの良好な関係を構築する必要があるのだ。
母というのは偉大であり、信行が信長に度々許してもらえたのも土田御前のとりなしがあればこそ。
だが、そうでないならば今の内から面倒をみてなるべく良い関係を築いておくに越したことはないだろう、とガルスは判断する。

まあ、それになにより。
この世で初めて自分の隣にいる弟である。
なんだかんだと言いながら、ガルスにとってユリアヌスは可愛い弟なのだ。

損得混じり半分、可愛さ半分でガルスはユリアヌスの面倒を見ることを強く決心する。



こうして、大人しいユリアヌスの傍でガルスがウロウロするという光景が離宮で垣間見られる事となった。
そして、それとなく離宮では弟に構ってほしいガルスという構造で理解される事となる。

もちろんガルスにしてみれば、それとなく弟の傍で面倒をみているつもりなのだが女官らにしてみれば構ってほしげな兄に過ぎない。
なるほど、ガルスにしてみればユリアヌスを見守っているつもりなのだ。
だが、ユリアヌスは頗る温和でかつ辛抱強い性格であり、妙に冒険心を発揮することもない。

時に物事の本質を見抜かんとばかりに、聡明な瞳。
その瞳は、時としてじっと物思いにふけりながら空を眺めることもしばしば。

それ以外には、たまに庭で花びらを拾ったり石を拾ったりする以外には特にどうという事もしないのだ。
ガルスからしてみれば、大変結構なことだと頷きたいほど大人しい弟の性格である。
子守というものは、きっと大変なんだろうと思っていが大したことが無くて安堵しつつも寂しいような気分。
しかし、それを近くからうろつきながら眺めているガルスの姿は如何にも遊び相手に飢えている子供のそれだった。

こうしたガルスの日常を女官らから報告されたユリウスの理解は、ガルスにとっては不本意なことに遊び友達が欲しい子供のそれだった。
なるほど、ガルスは『弟にどう声をかければ良いのか解らずに悩んでいるのだ』と父は単純に理解する。

ユリウスの見たところ、ガルスは比較的おとなしい方ではあるが意外と好奇心が強く、何かと良くわからないところで感嘆したり呻いたりする息子だった。
一方、弟のユリアヌスはとにかく温和で辛抱強く、内気にもみえる息子である。ガルスにしてみれば、声のかけ方が難しいのだろう。
幸いにして、二人とも喧嘩をするという事もなく関係は良好だ。

微笑ましい気持ちで、幼い子らを眺めていたユリウス。だが、彼はある時表情を引き攣らせるような嫌なことに気が付く。

初めは、気のせいかと思い気に留めもしていなかった。
その次は偶然かと思ったが、意識に留めることにしておいた。
そして、三度目にユリウスは嘆息交じりで現実を認めた。

どうやらガルスは十字架とあの忌々しいキリスト教に興味津々らしい。
ただでさえ、最近は大帝とまで讃えられる兄があの怪しげな宗教に肩入れして面倒であると言うのに息子まで…。
しかしながら、現実を嫌々ながらユリウスは認めざるをえなかった。

「父上、キリスト教の信徒の方を、どなたかご存じないですか?」

「…それを聞いて、ガルス、おまえはどうしたいのかな?」

引き攣った表情を浮かべなかったのは、子供に対するユリウスなりの配慮だった。
心中、息子に厄介事をどの侍従なり使用人が吹き込んだのか、と叫びながら彼は辛うじて平静を保つ。

「はい、興味深いと思ったので、話を聞きたいのです。」

あの騒がしく、訳のわからない論争を撒き散らしあちこちで騒乱を招く輩が大方離宮に潜り込んでいたに違いない。
早急に侍従長に命じて、つまみださせなくてはならんなと決意。
同時に、ユリウスは息子の気持ちを他の方向に逸らすべく話題の変更を試みる。

だが、自分の生存フラグがかかっているんだ!と必死なガルスにその思いは通じなかった。
こうして、あの手この手で息子の気持ちを変えようとする父、ユリウスの思いは虚しく頓挫する。

あの連中が、息子たちを誑かすのかと思えば嫌で嫌で堪らないユリウス。
だが、帝国屈指の行政官にして最高位の皇族であるユリウスですら遂に観念せざるをえなくなる。
極力封じ込めていたつもりだったが、甥っ子がキリスト教に関心を持っていると何処からか兄である大帝が聞きつけたのだ。

「良い機会だ。ユリウス、次にエウセビスが来た時に余がガルスに引き合わせてやろう。」

どこか喜ばし気に告げてくる兄の姿に、断ることの不可能さをユリウスも理解せざるを得なかった。
此処に至っては、ユリウスとて遂に観念することにならざるをえない。

こうして。

カエサレア司教、エウセビスは庇護者である大帝コンスタンティヌスより一人の甥を紹介されることになる。




あとがき
言い訳、言い訳させてください。

幼女戦記の方は、資料収集にちょっと手間取った+諸事情で遅れています。でも、しっかりと『ナチ戦争犯罪人を追え』と『エニグマ・コード』と『ナチが愛した二重スパイ』で大戦末期のごたごた感を掴もうと頑張っています。

来週中には、来週中にはきちんと向こうの方を…。
出来たら、良いなァ・・・・・・。

王とか海とかは....自己批判してきます。



[33140] 第二話 巨星落つ!
Name: カルロ・ゼン◆f40da04c ID:f789329c
Date: 2012/11/03 13:07
お久しぶりです、フラウィウス・クラウディウス・コンスタンティウス・ガッルスです。
プリーズ、コールミー、ガルス。

おどろくことなかれ。
これでも、皇族なので権威とか権力とかならばたっぷりあります・・・・・・・偉大な叔父上のところに。
叔父上こと大帝の気分を損ねた瞬間に死亡フラグら乱立する地雷原に立っているとも言います。

その気になれば、地雷原を突破して簒奪できるくらいの立場に立っているので先制予防攻撃が不安です。
積極的自衛権の行使として、皇位継承レースから安全に逃げ出したい毎日。
あと、できれば高等遊民的に引き籠って好き勝手しながら文化的な生活もしたいです。

だから、俗世と縁を切りたいといってみました。
教会に保護してもらえば、ぬっ殺されることはないだろう、と。
でも、叔父上こと大帝コンスタンティヌスが変に気を使ってくれました。

わざわざガチガチの司教様を召喚して、わざわざ甥っ子のための教師にしてくれたのです。
なんと、あの多忙な大帝が、わざわざ自身で教師を選んでくださるという名誉。

期待を裏切ったら怒りを買って粛正フラグですか、泣いて良いですか?


ガルスです…。


「御子は被造物である。そういわれて、殿下はいかがお考えですか?」

異端査問ですか?
何世紀さかのぼって、異端査問ですか?
ここは、コルドバですか?

おかしいなぁ、元ヒスパニア属州がひゃっはーするのはずいぶんと後のはずなんだけどなぁ。
なんで、目の前の司教様間違ったことを言ったら即刻焼いてやるぞ的な視線向けてくるんだろう?
泣きたい。

なにしろ、彼の個人教師を選んだのは皇帝陛下。
それも、英雄とか大帝とか呼ばれる類の皇帝陛下。
ぶっちゃけ、対応を間違うと即座に粛正されそうな皇帝陛下。

そんな人の選んだ先生に詰め込み教育されるわが身の不幸。
若干だが、心ではもう泣いて良いはずだ。
顔面が引きつりそうになりつつも、ガルスは懸命に考える。

御子が被造物って、何ぞ?と。
エウセビス司教の言わんとするところは、何処にありや、と。

だが、捉え方が違うという視点は彼には、ガルスにはない。

宗教のことなぞ、信仰心の欠片もないガルスにとって単なる教養だ。
オブラートに包まずに言えば、ガルスにとっては中二病の亜種だった。
だから、ムー的な何かを読み漁るつもりで知識を漁っていたことが災いする。

「父と子と聖霊は同一、そう教わっていましたが。」

当たり前すぎるほど日本では氾濫していた三位一体説。
その内実がなんであるかなど吟味せず、単なる固有名詞としての『三位一体』説。
ただただ、『そういうもの』だと知っているガルス。

そこに、疑問をはさむほどの知識も必要性もなかった。
所与のものとして、それを知識として与えられるのだ。
故に、彼はそれが確立されるまでに紡がれた言葉を知らない。

だからこそ、彼はそこに込められた言葉の意味を理解していない。
彼は結果を知るのみで、その成立過程を知っているわけではないのだ。

「殿下、それはいわゆる矛盾ではありませんかな?」

ガルスは、教理に微塵も執着していない。
彼にしてみれば、中の人間にしてみればそれは単なる言葉遊び。
論理の類いであり、そのために人生をかけるという類ではない。

彼は、その意味においてどこまでも傍観者にすぎないのだ。
厳密に自意識を検証するならば、ガルスとてこの世界で生き延びるために全力を尽くしてはいる。
例えば、目の前の司教に変な報告を大帝コンスタンティヌス陛下にされないように。

だが、それは完全に受け身の発想だ。
主体的に教理を論じたいわけではない。
なにより、教理そのものに意味があるとは考えたこともないのだ。

ガルスにしてみれば、それはある種の面接である。
つまり、正しい答えが言えるかどうかのテスト。
その認識だからこそ、彼は正解できるかどうかで緊張している。

だから、彼はエウセビスの問いかけを表層でしか理解しえない。
険しい老司教が生涯をかけて探求している真理というものはガルスにとっては無価値なのだ。
まあ、礼儀正しくその思想を尊重することくらいはできるだろう。

だが。

だからこそ。

思想の違いで対立に至り争うという宗教上の論争は彼にとって知識にすぎない。
彼の言葉は、だからこそ信仰を真に抱く人間にとっては耐え難い軽さをもつ。
それでいてガルスの言葉は、何よりも許し難いことに飲み干さざるを得ない『真理』を含む。

「確かに、三つが一つであり、一つが三つというのは理解を超えていること。」

それは、数多の論争の末に導かれた結論だ。
知っている人間であり、構築した人間でないガルスはいわゆる剽窃を行っている。
救いがたいことに、オリジナルが発表される数世紀も前に無意識のうちに。

「なればこそ、凡俗たる我ら信徒は理解するのではなく主を信じるべきではないかと思うのですが。」

彼は、知らないのだ。
アリウス派とアタナシウス派の激しい近親憎悪を。
何より。

教会史の専門家でもない彼が内情を理解しているはずもない。

彼が知っているのは、単純に世界史の教科書に載っている事実だけだ。

「では、殿下。仮に、3つが1つとして受肉することはあり得ますかな?」

「エウセビス司教、私が思うに仮に1つであったとしてもそれは神であり人ではないのですか?」

彼は、ただ、そういうものだと知っている。
それが、いかほどに残酷であろうか?
真理を探究するもの、理想主義者と論じているのは教理を空文として弄ぶ輩なのだ。

「1つの中に、両者が混在すると?」

「父の子であり、父より使わされし御子であればどちらも矛盾せず内在しませんか?」

人の好い老司教が、学識豊かとされる老司教が唸らされる分析。
それでいて、信心深い信徒であるエウセビス司教はガルス殿下の本質を少しばかり察していた。
彼の人は、知的好奇心として、学徒として信仰を考えているということだ。

つまりは、信仰の輩ではなく、信仰に好奇心を抱く若者。
それでいながら、彼は知性を示しているのだ。
それも、教会にとって非常に有益ながらも危険な。

そして、ガルスが単なる子供であればエウセビスにとって彼は面白い対談相手で済んだだろう。
だが、フラウィウス・クラウディウス・コンスタンティウス・ガッルスとは単なる子供ではない。

司教にとって、教会にとって、大帝コンスタンティヌスとの関係は常に難しいかじ取りを迫られている。
彼は所謂ミラノ勅令でもって、ローマ帝国における信教の自由とキリスト教の布教を許可した皇帝だ。
だが、同時に教会に対して積極的に公会議に代表されるように介入してくる皇帝でもある。

それは、教義に対する皇帝の介入を意味するのだ。

いや、まだ、弾圧し迫害されないうえに教会内部のいざこざに口を出す程度ならば。
エウセビスとてここまで危惧を抱かずにはすむだろう。
これまでの大帝の教義への干渉は、あくまでもローマ帝国内部におけるキリスト教諸派の争いを厭うから。
言い換えれば、教会内部の纏まりさえ確保できればそれほど深刻なものとは捉えられないのだ。

だが。

「殿下の、言は興味深い。…学者を目指されるお積りはおありですかな?」

「アテナイで学ぶのは、面白いことではあるだろう。だが、私は俗世よりは聖界に活躍の場を求めたいよ。」

現皇帝の、有力な甥。
フラウィウス・クラウディウス・コンスタンティウス・ガッルスとは、それだけで一つの巨大な力を持ちうる皇族なのだ。
単に信心深いだけの皇族ならば、教会にとって最良の庇護者の一人たりえたかもしれない。
だが、彼は信心深いというよりは知性で教理を学ぶ類の人間。

そして、生半可な学者は論泊できない論理をもって教理を語れるのだ。

そんな皇族を教会に取り入れるということが、どのようなことを意味するか?
事と次第によっては、それは教理の純粋さを保ちえないどころか皇帝の意のままにされかねない。

純粋に信仰を保っている老司教にしてみれば、それはさびしい未来だ。
だからこそ、彼は洗礼の前によく考える様にと促しガルスの入信そのものを先延ばしにしていた。
知識が先行しすぎている若者を教え諭すことが、できるかどうか。

それが、老司教にとっての疑念なればこそだ。

ガルスは知らない。

自分の学識と、身分を売り込めば教会が大歓迎してくれるはずだという思いは完全に的外れだということを。
彼の知っている、想定している教会というのは教会が整備された中世以降のそれ。
言い換えるならば、教会でさえもお金で身分が決められるボルジアの時代とは異質な論理が教会を支配しているのだ。

そして、つい十数年前まで迫害されていたキリスト教。
その純理に対する健気なまでの愛着と、純粋さは彼の想定するところではない。
ついぞ、彼が知りえているのは公会議で司教たちが相争ったという事実だけだ。

つまりは、権力闘争かとガルスが先入観を抱いていたことが事態を悪化させている。
初期キリスト教の教義論争が持つ純粋さと、剥き出しの粗野さというのは彼の知らない世界の話。

故に、教会がガルスという超ド級の問題への対応に頭を抱えて苦慮していることは想像すらつかなかった。





「ユリウス、どう見る?」

「…国境を固めるだけでは不足かと。」

コンスタンティノープルが中枢。
宮中に集まった首脳陣が直面したのはペルシャからの挑戦。

当初は、国境間の紛争程度にすぎないと思われていた事態。
だが、投入されているペルシャ軍の規模が判明するにつれ本格的な武力侵攻であることが明らかとなっていた。
当たり前だが、ローマの国境を侵したペルシャにはしかるべき教訓を垂れてやらねばならない。

そのために、ユリウス以下官吏らは属州長官らを通じて各地に食糧を積み上げ兵を集めている。
各地から集結しつつある軍団兵は、砂塵を巻き上げながら指定された各地で意気高らかに調練に参加。
磨き上げられた武具と、集められた馬匹の量も、大規模な遠征を行うには十二分な規模。

「軍団兵の集結は?」

「4個軍団をニコメディアに。5個軍団を、コンスタンティノープルに集結させました。」

「各地から集めた軍をまとめれば、10万の軍団兵は使用できます。」

重装歩兵を、騎兵を、彼らは十二分に集めている。
必要とあれば、ローマの軍団旗はペルシャに思い知らしめることも行えるのだ。
そして、ローマの国境は侵されている。

和戦どちらにせよ決断が迫られている。
そう、決断だ。

問題は、皇帝その人の決断にある。

いや、厳密に言うならば意志よりも肉体の問題だろう。
隠してはいるものの、年齢からくる衰えというのは武官としては致命的だ。
年若い弟のユリウスが、文官として働くことが激務と感じる歳。

兄幾多の戦場を駆け抜けてきたコンスタンティヌスの肉体は、もはや自身の意志を裏切りあまりにも重い。

本来であれば、彼は誰か親族を派遣すればよいだろう。
或いは、執政官を選抜して軍を預けて派遣してもよい。
それを許すだけの、国力が、システムがローマにはある。

だが、ローマはあまりにも広大でありその防衛に彼はすでに5人もの息子や甥を張り付けていた。
その指揮下に多数の将軍や官吏を付けている以上、コンスタンティヌスは自身で出るしかない。
そもそも、コンスタンティノープルの位置からして帝都そのものが東方への抑えなのだ。

この方面は、彼が、皇帝が担当しなければならない。
なれば、なればこそ。
数年前まで、彼は戦陣にあって蛮族からローマを守り続けていた。

クリスプスさえ、クリスプスさえここに居れば。
そう考え、周囲を見渡しコンスタンティヌス大帝は密かにため息を心中で漏らす。
自らが、陰謀に欺かれ処刑した長男の無実を訴える叫び声。

それが、大帝の心をして蝕む。

本来であれば、彼は帝国の内政に専念し息子らが辺境の守りを盤石にするはずだった。
唯一、彼を輔弼しうる弟のユリウスは帝都の行政機関を統括するだけで限界。
むしろ、曲りなりにも官吏らを取りまとめられているだけで評価に値する激務だろう。

何より、ユリウスは行政官だ。
軍人としての経験は、軍政官としてのものであり野戦の指揮官としてではない。
これは、対ペルシャということを考慮するうえで致命的な経験不足を意味する。

他に彼の手札に残っている息子や甥も、まだあまりにも若すぎた。
辛うじて期待できる手札は、ユリウスの息子、ガルス程度。
しかし、彼とてまだガキだ。

知恵はあるようだが、書生のそれで戦争ができると考えるほどコンスタンティヌスは呆けてもいない。
戦陣に立ち、幾多の戦闘を戦い抜いてきた古強者からすればガルスという若者は単なる雛なのだ。
行く行くは、ローマの安定がために教会内部をガルスという皇族を通じて統治しつつ息子たちに帝国をと思わないでもない。

だが、それとて先の話。
あまりにも先の話ともいえるだろう。

今は、和戦どちらかを決しなければならない時期。

そして、講和しようにも条件闘争すら現状では行えない。
なにより、それはローマのやり方ではなかった。
国境を侵され、和を乞うのはハンニバルのイタリア侵入以来ローマが断固として拒否してきたこと。

ローマ帝国を、ローマを再統一したと自負する大帝にとってそれは譲れない一線。

故に、彼は決断するしかない。

「親征する。ユリウス、手配を。」

「分かりました。ただちに。」

だが、立ち上がった瞬間。
大帝はかすかな違和感を意識せざるを得ない。
それは、彼の肉体からの悲鳴。
しかして、それは数年前から慢性化していた悲鳴でもある。

コンスタンティヌスは、その疼きを意志と頭脳で押し込め立っている

無論、コンスタンティヌスとて健康に気を使わないわけではない。
だが年齢ばかりは、神に等しい大帝とまで称された彼でも如何にもしがたい。
ローマをその双肩に担い続けた彼は、もはや今にも朽ちようとしているのだ。

その自覚を、意志の力で抑え込み立ち続けた皇帝。
故に、彼は限界が近いことを理解しつつも読み違えた。
ティグリス川流域までの遠征。

それは、若かりし頃の彼にはともかく。
今の拮抗状態を辛うじて維持しているだけのコンスタンティヌスの肉体には過酷に過ぎた。

万雷の歓声とともに、フォーラムで見送られながら出陣する軍団。
その威容堂々たる軍団を率いる大帝は、見送る帝都の誰にとって頼もしい存在として見送られて帝都を立つ。
誰もが、栄光の凱旋式を確信しての出兵。

数年前にも、その前にも皇帝はローマを侵す蛮族を撃退し続けていた。
彼は、ローマを幾年にもわたって外敵から守護し続けている。
なればこそ、市民の誰もが皇帝の出陣なれば問題を快刀乱麻の元に解きほぐして解決すると信じて疑わない。

だが、それはコンスタンティノープル市民が大帝を見る最期の機会だった。

出陣した軍団。

それを直卒した皇帝がニコメディアに到着して程なく。
コンスタンティノープルに、皇帝不予の知らせがもたらされる。
愕然としたユリウスが、帝都を出立し駆け付けたとき。

すでに、彼の兄であり同時にローマ世界をその双肩に担ってきた大帝。
ガイウス・フラウィウス・ウァレリウス・コンスタンティヌスはこの世の人ではなかった。








あとがき

こんな時間に更新して大丈夫かって?
問題ない、デスマーチのタスクはやっつけたのさ。
なーにちょっと手ごわかったけど何とかなるさ。
ダイジョウブダイジョウブ。


取りあえず、本作の世界が時代背景を導入的な。
作者、ラテン語できないから三次資料とかに平気で依拠するっていう。
ラテン語どころか、英語も怪しいのよね。
だから、文献理解も適当orz

原始キリスト教教会とか、教義とかまじ勘弁。
洗礼うけるのが、死の間際なのが一般的な情勢とか、原始キリスト教とか泣きたい。 (´;ω;`)
そんな前提知識、勉強してもしても追いつかないorz

日本人に馴染みなさすぎな分野でなんで、こんなの書いているんだろう自分…。いや、溢れるローマへの愛。そう、これは愛に違いない。

本作は、あくまでもフィクション。
コミーだろうが、宗教だろうが、ローマだろうが、議論は歓迎。
でも、フィクションだから一部意図的にいじっていることはご海容ください、切実に。

ガルスとユリアヌスの家族の複雑な異母兄弟とか甥っ子とか端折りすぎ?アリウス派きっちりやらんかボケェ?とかいう突っ込みは、ご容赦ください。

こんな本作ですが、始まります。



[33140] 第三話 帝都、血に染まる!
Name: カルロ・ゼン◆f40da04c ID:f789329c
Date: 2013/01/19 06:33
お久しぶり。


お元気ですか?
フラウィウス・クラウディウス・コンスタンティウス・ガッルスです。
プリーズ、コールミー、ガルス。


ああ、なんかぼんやりして埒の明かないことを思っています。
そこら辺に、ちょっと生まれた時代から大逆行された方はいらっしゃいませんか?
おられましたらば、その中に近代医学を修められたお医者様はいらっしゃらないでしょうか?

ええ聞いてください。見てください。

コンスタンティノープル、マジパネェんです。
いえ、私の父上とやらが陣頭指揮して建設されているコンスタンティノープル。
これは、素晴らしいクオリティといえばクオリティを持っていますね。
まさに、ミラクル。

上下水道整備の、完全なインフラをもつ計画都市!

中世やら中世レベルの文明圏に迷い込んだ転生者(笑)はだいたい大成功するのがテンプレ。

…とは言いますが、そもそも古代ローマは存在がチートというほかにないのです。

公衆衛生がばっちりの古代ローマ文明。
そんなローマにとって、感染症対策に関しては基本的には近代医学抜きで可能な措置は粗方講じてあると言いますか。
粗方予防できる病気は、公衆衛生の整備で解決済みなのです。

ローマ、万歳。
文明的な生活、永久にあれ!

綺麗な水に、恐るべき精密な水道施設を活用した大浴場まで整備されているのがローマン・クオリティ。
日本人だろうとも、満足できるクオリティの大浴場は一見の価値があるといえましょう。
ああ、永遠なれローマ人の温泉好き。
大事なので繰り返しますが、温泉好きよ、永遠なれ!

開発経済学の過激な連中だって、ローマの衛生基準と水には文句のつけようもないでしょう。
さすが、大帝からの信頼を御一身に集める皇弟殿下こと父上、お見事極まりない!
内政(笑)とか、正直笑うほかないほど複雑かつ稠密な整備されたローマよ、汝の敵に災いあれ!

ええ、公衆衛生に関してはなんら問題が無いんです。
ただちょっとまずい事に、近代医学の手配が無いだけでして。
だから、薬剤師さんか、お医者さまがいらっしゃればすぐにでも問題が解決できると思います。

そういう訳なので、もう一度だけ繰り返させてください。

誰か、近代医学について知悉されておられる方はいらっしゃいませんか?
僕は、フラウィウス・クラウディウス・コンスタンティウス・ガッルス。
感染症か何かでのたうちまわって死にかけている転生者(笑)です。

一応皇族らしいので、最高級の蜂蜜やら何やら滋養がある食べ物は、頂けています。
そこら辺はありがたいのですが、どなた様かお医者様を読んでください。
できれば、瀉血至上主義者以外を希望します。
もしくは、瀉血至上主義者をお断りします。


とか思っていると、また吐血至上主義者の群れが。

ああ、頭痛くてヒイヒイ吐き気を催す上に熱が酷く高くて譫言が口から洩れるときに血を抜きに来るアホ止め。

霞んだ視界の端に、きらりと光る刃物。
ああ、奴らは一度熱で魘されるときに瀉血されてみればいいんだ。
ガレノス医学に災いあれ!

何が、古典的名著だ。
学術的価値だのしったこっちゃない。
斬られるか、斬られないかの瀬戸際にある患者にしてみれば知ったこっちゃないぞ。

チェザーレが高熱で魘されて判断能力が落ちて没落したのを笑ったのは正直すまなかった。
マラリアにキニーネない時代は、確かに熱は致命的。

ああ、確かに認めるとも。

熱が高くて、吐き気が酷くて寝台の上で魘されているときに冷静な思考力とか求められても困ると。

「…いったい、何の騒ぎだ?」

取りあえず、よく目が見えなくて申し訳ないけど誰が来たのだろうか?
侍従らにしては、音を立てすぎているので外部の人間だとは思うだが。

そう思いながら、ガルスは頑張って起きてみる努力をする。
わざわざ小礼拝堂の個室に運ばさせて冷たい石畳の上で熱を少しでも飛散させいるのだ。
本音でいれば、のた打ち回っていた所にやってくる医者なんてろくでもないのかもしれない。

特に、ギリシャ系で血を抜きましょうとか言ってくる宮廷医。
だれか、前線で軍団兵の治癒に実績のあったまともな臨床医を下さい。
もしくは、近代医学をおさめたお医者様。

「貴方は誰だ?」

「…礼拝堂に押入ってきた挙句に、死にかけの病人にいうことか?」

倦怠感で思考が乱れに乱れ、熱で判断能力と常識が低下しているガルス。
彼にとっては、単純に意味のない言葉で煩わされるだけで我慢の限界だった。
放っておいてほしいという正直な思いである。

まして、誰だと聞かれれば自分のところに来たわけではないらしいのだ。
常ならば、人違い程度笑ってやり過ごせるだろう。
だが、今は喋ることすら億劫な倦怠感と頭痛に苛まれるさなか。

ガルスとしてはそれ以上会話をしたくないほどである。

放っておいてもらえないか。

言葉にこそ出さないが、ガルスの態度は放っていてほしいと語っていた。
襲いかかってきた頭痛を紛らわすことしか念頭にはないのだ。
頭を抱えると横になると先ほど身を起こすときに除けていた、毛布も既にかぶり直し始めている。

「…離宮に、賊が侵入したための衛兵故にご容赦あれ。」

そのガルスではあるが、さすがに賊と聞いては無視する訳にもいかず億劫ながらも口を開く。

「賊?…よりにもよって、この離宮にか。」

だが、そこにあるのは単に事実を聞いての感想だ。
まあ、ガルスは単なる住人にすぎない。
指揮を執って対策を討つなり、剣を取って賊を追うなりするのとは無縁の身。

だから、ある意味他人事だった。

もちろん、住人としてのガルスにしてみれば不手際もよいところだと思うべきかもしれない。
だが、今のガルスにしてみれば静かにしてもらうことが一番重要。
頭痛でのた打ち回りたいところで、延々会話など拷問に等しい苦行。

「しかり。故に、御身はどなたか伺わせてもらう。」

故に、真面目に職務を遂行していると思しき連中の誰何も億劫でしかない。
そして、ガルスは清貧に甘んじ艱難辛苦を神の試練と考える精神構造とは対極の人間だ。

ダラダラと熱に魘され脂汗を流しながら、心中では盛大に神がいるならば救って見せよと喚き散らしている。
だが、彼の幸運は熱ですり減った体力が罵詈雑言を口から紡ぐだけの気力すらも削り取っていたことだろう。

「ガルスだ。…良ければ、少し寝かせて貰えないだろうか?」

「ガルス殿下におわすか?こんなところに?」

一瞬だけ、こわばる声色。

警戒していれば、そこに込められた困惑と同時に部分的に兵らが身構えることに気が付けただろう。
だが、今のガルスにしてみれば頭の痛みと体の寒気の方が全て。
寝かせてくれというので、精一杯であり半分意識が飛んでいる状態でもあった。

そんな彼にとって、こんなところにどうしているのかと聞かれても困る。

「礼拝堂なんだ、別に誰が寝ていてもいいだろう。」

強いて言えば、石造りの礼拝堂の方がヒンヤリとしていて布団を持ちこんで寝ると割合快適だという事くらいか。
場所が場所なので、一応清潔に保たれているうえに静謐さも確保できるという計算もなくはない。
だが、そもそも自分の住んでいる離宮の礼拝堂である。

だから、ガルスにしてみればもういいだろう?と言いたかった。
りーぶみーあろーん、と。

「殿下!?…ガルス殿下!? どちらにおわしますか!?」

そして、ガルスをどうするかと百人隊長が悩む間にガルスの危機は解決される。





帝都で騒乱が起きていることを悟り、エウセビス司教が案じたのは信徒たちの安全だった。
だが、帝都で決起した兵士たちが皇族らを探し回っていることを悟ったとき。
エウセビス司教は、咄嗟に大帝から教育を委ねられたガルスの身を案じて離宮に駆け込んでいた。

そして、行動を起こした兵士たちがキリスト教徒であったことがエウセビスとガルスに幸いする。
彼らの多くは、エウセビス司教が大帝の信を受ける敬虔な聖職者であることを知っているのだ。
その老司教を敢えて剣でもって押し留めようとする兵士は居なかった。

「………エウセビス司教?何故こちらに!」

「ガリスウ百人隊長!?一体、貴方は何をされているのです!?」

故に、エウセビス司教は礼拝堂で熱にうなされて病臥しているガルスと剣を手に立ち尽くしている知己の百人隊長の姿を目の当たりにすることとなる。

…信心深い老司教にとっては看過なしえない光景であった。


信仰の人とって、信仰の持つ意味は無神論者には理解しえない次元の意味を有する。

例えば、ガルスにとって礼拝堂は単なる物質的存在だ。
涼しくて静謐なので、熱にうなされているときに横になるにはまあ、悪くないか?
罰当たりも甚だしい感覚である。
だが一応、皇族でもあるのだ。
こういう背景で、ガルスは図々しくも離宮の礼拝堂を占有している。

一方で、エウセビス司教にしてみれば礼拝堂とは象徴である。

彼は、キリスト教が禁じられ迫害された時代から信仰を守り抜いてきた信心深い聖職者。
そんなエウセビスにしていれば、礼拝堂とは単なる物質的存在に留まらない存在だ。
籠められた祈りの場としての、礼拝堂という位置づけは神聖なものですらある。

敬虔な信心を持つ人間にとって、侵すべからざる神聖な地として礼拝堂は地上にあるのだ。

祈りの場に対するキリスト教徒の思い入れ。
それは、寺院に対して観光やら年始の参拝程度の認識しか有していないガルスには想像もつかない次元の話として存在する。

ガルスにしてみれば、便が良いからという理由で療養所にしている礼拝堂だ。
しかし、信心深いエウセビス司教にしてみればそこは神聖な信仰の場なのである。

弾圧され続けた信者たちがようやく安寧と共に得られた祈りの場。

だからこそ。

だからこそ、礼拝堂に武器を手に押入ってくる輩というのはエウセビス司教にしてみれば看過しえなかった。

「ここは、大帝が喜捨されたもうた礼拝堂。ここに、武器を手に押し入るとは!」

老司教にしてみれば、その光景は悪夢だ。
キリストの教えを奉じる礼拝堂に、癒しを求めて籠る若者。
その礼拝堂に、同じ教えを奉じる戦士たちが武器でもって押し入り血を流す?

それは、エウセビス司教とて政治を知らないわけではない。
だが、それが彼の信ずる教えを決定的にダメにするという信心は確かに持っていた。
贄とされかねないのが才走り敬虔さとは無縁の皇族であろうとも神学を学んでいる若者であったとしても、である。

「司教猊下、我々は大義に基づいて…」

故に、意識が熱で朦朧としているガルスは運に恵まれていたというべきだろう。

兵士たちが気乗りしないながらも受けていた命令は、離宮に滞在している『ユリアヌス』を何としても仕留めよというもの。
元より、気分の良い任務でないことと、ガルスは直接命令されていた標的でないということが彼らの殺意を削いでいた。

「剣をもって、礼拝堂に押入るのが、信仰と正義に叶うと!?」

なにより、そんなところに礼拝堂で老司教に糾弾されれば剣でもってガルスの命を頂戴しようという使命感は芽生えようがない。
無論、襲撃する論理からすれば『目標の一族』であるガルスとて殺すべき対象の一つであり殺したところで咎められることもないだろう。
しかしながら、元々未来ある若者を殺して来いと命じられたのはローマの兵士たちである。

血に飢えた蛮族ならばいざ知らず、彼らはプロ意識に従ってやむを得ず命令に従っているに過ぎない立場だった。
これが、ローマを蛮族から守るための戦いならば百人隊長も臨機応変な措置を講じるにやぶさかでもなかっただろう。
だが、気乗りしない宮中の陰謀劇のために信仰と良心に悖る行為を喜んでなすだろうか?

「ガリスウ百人隊長!貴方の信ずる神が、これを欲したもうのか!?」

答えは、単純に否、否なのだ。

「…失礼しました、司教猊下。他所を当たりましょう。どうぞ、お気を安らかに。」

乗り気でない任務、想定外の目標。
そして、礼拝堂で殺人をするかという信心との葛藤。

ガリスウ百人隊長は、ローマに忠誠を誓った職業軍人だ。
その彼にしてみれば、それはローマに対する忠誠の義務をはるかに超える事態としか言いようがない。

退くには十分すぎる理由だった。

かくして。

まったく本人は気が付くことのない間に。

ガルスは、人生最大の危機を一つ乗り越えることに成功する。




だが、ガルスの周りの人間はガルス程の悪運には恵まれなかった。

帝国を支え、属州の静謐を保っていた多くの皇族ら。
大帝の葬儀と、それに伴う帝位継承の式典に参列するべく彼らは帝都に集っていた。

彼らにしてみれば、あくまでも一時的に帝都に集い次代の統治へ移行するという手続きの一環。
コンスタンティウス2世と、その兄弟らによる共同統治。
コンスタンティヌス大帝の命により、各地に配属された親族らが属州を防衛するという体制の再確認。

だが、皇帝の親族というのはとかく危険な存在なのだ。
まして先帝に選抜され、地方を委託されるほどに有力ともなれば新皇帝にとっては看過できないほど。
それが、軍権を持ち地方の防衛を担うという事態は猜疑心の強い新帝にとってあまりにも危険だった。

致命的なことに、彼らの多くはいまだローマ古来の異教を奉じているのだ。
そして、彼らの多くは内心で大帝のキリスト教信仰を物狂いとして苦々しく見つめていた。
彼らにしてみれば、ローマ帝国伝統の信仰こそが危機にあって帝国の紐帯を保ち得る唯一の術。

皇帝の神聖化と信仰によって帝国の再編を欲した大帝と、その路線を踏襲したいコンスタンティウス2世。
その新帝にとって、反発する親族という存在とは、即ち相入れようのない存在である。

大帝はその自身の権威によって弟らからなる親族の忠誠を信じられた。
だが、新帝にはあまりに有力かつ、異なる信条の皇族らである。
なまじ、彼らの多くが辺境防衛に張り付けられていたがために誼を通じていないことも大きいだろう。

血脈こそ、近しい彼ら。
だが、疎遠な彼らほど新帝にとって危険な存在もない。
そして、それらが良く横のつながりを保つことを帝都でまざまざと目の当たりにするのだ。
猜疑心と恐怖心、そして大帝の跡を継ぐという責任感からくる重圧。

それらは、新帝に一つの粗暴かつ単純ながらも、ある意味効果的な解決策を選ばせることとなる。

かくして。

葬儀と、新帝即位の式典の余韻が漂う最中。
先帝の崩御は、キリスト教狂いと大帝を罵っていた皇族らの凶手によるものという風評が漂い始める。
その火種は大帝の下で従軍した兵士らと、キリスト教徒らの激発を招く。

こうして先帝の崩御と風評によって動揺し『暴走した』帝都の兵士たちの兇刃に皇族らは悉く倒れるに至る。
ごく僅かな例外として生き残ったのは、ガルスとユリアヌスの兄弟のみ。
そして、その事実は計画を建てたコンスタンティウスですら予期しえない事態であった。

「御位を脅かしかねない脅威は、ほぼ解決いたしました。」

「ほぼ?」

故に、はじめその報をもたらされたとき。

コンスタンティウスは、わずかに眉を顰め誰を仕留め損ねたのかと宦官に視線で問いかけた。
只でさえ、危険の大きな博打だったのだ。
それを首尾よくやり遂げかけているときに、手落ちの報告である。

「ガルスとユリアヌス…二名ほど生き延びておりますが。いかがされますか?」

だが、その愁眉も読み上げられる報告によって開かれることとなる。

「不幸中の幸い、というやつだろうな。」

「…と、申されますと。」

「奴らのことは、少し知っている。」

コンスタンティウスにとって、馴染みのない大半の親族と異なり帝都で暮らしていた従兄弟らだ。
多少の付き合いはあり、その人柄を多少なりとも把握しているだけに事は単純だった。

他の親族とは違い、ガルス・ユリアヌスの両者は政治・軍事の経験が一切ない。
それどころか、唯一年長で微妙な年頃のガルスですらそれらに興味を見せていないことを彼は知っている。
わざわざ、父コンスタンティヌス大帝が、司教を呼んで神学について学ばせてやっていることも、だ。

言い換えれば、ガルスはある種の学問狂いであって政治にはさしたる関心も見せていない存在。
そして、その弟であるユリアヌスとて年端もいかない餓鬼である。
ガルスが、弟に学問を手引きする姿を父がエウセビス司教から聞く場に居合わせたこともあった。

「どちらも、皇位に興味を抱きようもない連中だ。学問でもやらせてやれば、それで満足することだろう。」

はっきりといえば、排除できるに越したことはないだろう。
だが、生かして残しておいても脅威たりえるかと言われれば微妙だった。
血は兎も角として、本人たちの気質からして皇位へ挑んでくるかと言われれば無いだろうとコンスタンティウスは断言できる。

「宜しいのですか?」

「これ以上、しいて流血を欲するのは世間を騒がしすぎる。…弟たちも騒ぎ出しかねない。」

これが、有力で兵をあげかねない親族ならば別だった。
だが、急ぎ首を刎ねねば帝位を脅かすならばともかく。
偶発的な事故で、親族を失った皇帝という建前を崩してまでガルス・ユリアヌスを排除すべきか?

コンスタンティウスにしてみれば、そこまでの脅威は彼らに認めていない。

猜疑心が強いコンスタンティウスだからこそ、宮中と関わり合いにならず学問にうちこみたいというガルスの心情をある程度理解できていた。
早い話が、興味がないことを徹底的にガルスが示し政治から距離を置いていることの意味を理解しえるのだ。
アレは、政治に興味がない以上、自分にとって競合相手たりえない、と。

「余計なことを申し上げました。」

「よい。」

故に、ガルス・ユリアヌスの処遇を確認しにきた宦官に対しコンスタンティウスは手出し無用と指示を出す。
既に流血は収束すべき段階に来ていることを、英邁な大帝の血を引く彼とて悟っているのだ。
余りにも、血塗られた登極は彼にとっても望ましくない。

長期的なリスクと、当面の評判を勘案したコンスタンティウスにとってガルス・ユリアヌスの脅威は微々たるものなのだ。

「では、離宮にて?」

「いや、分けて地方にやれ。」

そして同時に、コンスタンティウスは従兄弟らの意図ではなく血の持つ意味も理解している。
故に、離宮での飼い殺しという選択肢ではなくより明確に封じ込める意図から地方へ移すことを命ず。

「ガルスは、アテネかクレタにでも送ってやれ。」

ガルスは本人の好きなことをやらせつつ、権力から遠ざければよい。
一応、唯一の成人した親族として彼らの後見人として学問を命ずる権利が新帝にはあるのだ。
そして、ガルスがそれとなく上伸していた学問のための転居も渡りに船である。

本人が行きたいというのであれば、政治的にはさして重要でもないアテネかクレタで学問に明け暮れさせてやればよかった。
何ならば、書籍や研究のための雑費を宮廷費から支給してやっても良いくらいである。
学問に専念し、実務から遠ざかってくれるというならば幾らでも学問に専念させてやってよいほどだ。

「…ユリアヌスは、確か祖母が地方にいたな。」

「御意。ビテュニアに、所領がございます。」

そして、その弟はまだ幼い。
学問を指せるというよりは、単純に幽閉して飼い殺しにすれば問題は生じないだろう。
幸い、物の道理をわきまえた祖母がまだ存命だ。

そう、『まだ』である。
確か彼女は、相当の年だった。
そういう人物であれば、後腐れの不安も乏しい。

地方で、中央の政治から切り離して扶育させれば特に問題も起きないだろう。
庇護者となる人間が祖母ということならば、ユリアヌスが長じる頃には寿命も期待できる。
彼の後ろ盾となりうる扶育者が年老いていることは、彼が成人するころには健康を害しても不思議ではないのだ。

故に、ユリアヌスに親しく庇護を与え後援する親族と化す不安は左程もいらないだろうとコンスタンティウスは安心できる。

「結構だ。ならば、そのもとで扶育させよ。監視は怠るな?」

「かしこまりました。ただちに、万事整えましてございます。」



あとがき

随分とご無沙汰ながらも、ガルス復活。

そして、また当分ご無沙汰すると思いますorz

だが、敢えて言いましょう。ガルスがエタ-することはないだろう、と。

(´・ω・`)トラストミー

こんなご時世だからこそ、宗教と人間って意義深いテーマだから頑張って書こうかなぁと。

がんばるお。



[33140] 第四話 皇帝陛下の仕送り
Name: カルロ・ゼン◆f40da04c ID:f789329c
Date: 2013/06/09 15:20
皆様、いかがお過ごしですか?
目の逝ってしまった先生から、ありがたい神学を拝聴していますか?
僕は、拝聴しています。
え?いやいや、寝ていません。断じて。
表向きは、もの凄く関心がありますよと懸命に学んでいる真面目神学生です。

ああ、怠いなと思いながら。

フラウィウス・クラウディウス・コンスタンティウス・ガッルスです。
プリーズ、コールミー、ガルス。

主は、私達の行いを見ておられます?

そういう訳なので、もう一度だけ繰り返させてください。

一応、宦官に監視されていびられているとはいえ皇族らしいのでキリスト教の優秀な教師が個人指導をしてはくれますが、そこら辺は正直役に立たない気がします。
信仰の自由を希望します。

学問とは、もっと自由でなければいけません。
そういう次第で、知る権利を主張したいと思います。
早い話が、検閲良くない。

知識と、信仰はもっと自由で、誰にも邪魔されずにオープンであるべきでしょう。

もしくは、せめてもう少し論理的に会話のできるギリシャの論理学的教養を持ち合わせたキリスト教徒を教師に希望します。
半分狂信者のような教師をつけてもらっても、ちっとも楽しくないです。
僕に必要なのは、頭の柔軟な論理的な教師であって、頭の固い盲目的熱心者の教師ではありません。

でも学ぶしかないとです…、ガルスですた…。

もう、娯楽が乏しすぎて辟易していますガルスです…。
ライオンとか奴隷の剣闘士の殺し合いとか、もうそれだけで、勘弁というところ。
此れ娯楽っていうローマ人、結構血の気が多いのだね。
最近の趣味は、散歩とお茶の代りさがしです。ユリアヌス連れて、呑気に歩き回って、帰宅後テルマエ!
風呂上りに、最近やっと見つけたタンポポ珈琲擬きで一服するのがこの世の楽しみ!

ユリアヌスは舌がお子ちゃまなので、まだわからないのだろうが古代ローマ世界はグルメの世界でもあるのだ。
きっと、同行の士が居るに違いないと遂に自分の研究を編纂して自費出版にこぎつけました。

祖母の家、貧しいわけではないのですけどやっぱり何かと物入りでちょっと節約生活。
ですが、一応仕送りも皇帝陛下からもらっています。
勉強に使うお金は、別途申請すればくれるのでそんなにケチでないのが救いです。
出版費用も、何とか捻出しました。

…すみません、嘘つきました。自費というか、皇費出版の予定です。
エウセビス司教がいらっしゃった折に、出版したいから陛下にお願いしてちょ、と渡しました。
他人の褌で、遊んでいます…ガルスです。



ビテュニアにある祖母の地所で過ごすガルスの日々は予定が狂わない限りはだいたい決まったパターンだ。
朝、朝食を祖母とユリアヌスと共に取って少しばかり談笑。予定が合えば、祖母が人を使う片手間ながら、ユリアヌスと共に家の歴史を教わる。
その後、しばらくしてやってくる家庭教師の司祭から教義について学び、昼食をとる。

午後からは、天気が良ければ趣味の野歩きにユリアヌスと共に出かけ、雨ならば読書室で書見。
時折、新しい書物を買うための歳費を皇帝に願う手紙などを書くぐらいであまり世間との交際は活発でもない。

晩は、その日その日次第だが地所で仕留められた猪や鶏肉の食卓を囲って皇帝が派遣した侍従らと軽く談笑したりする。
食後に一杯引っかけることは稀で、お腹が満ちれば書斎にこもってものを書くか、本を読むか。

はっきり言えば、生活の保障されたニートだ、とガルスは考えている。
弟は思慮深く、年齢差にも関わらず対等に議論できるのでちょっと危ない議論も平気で出来るのがガルスの自慢だ。
ハイキングの際に何事かを考えながら、ぼーっとしているのは、やや心配ではあるが。
祖母は愛情深い人で、ガルスに此方で初めて実感する年配の保護者というところ。

いずれにしても、一挙一動を監視しているコンスタンティノープルが退屈さにまいってしまうほど平凡な日々を送っていた。

本質的に、ガルスは小市民であり血を血で洗う皇位など興味の欠片もないのだ。
都落ちと人は嘆き、同情してくれるのだが、幾ら煌びやかでも地雷原に長居したい訳もない。
だから、地方で宮中陰謀から解き放たれ呑気に田舎暮らしの地方紳士として本人は将来を考えている。

コンスタンティウス2世にとって、だからガルスが生きていようとも安心できるのだ。
宮中の空気に慣れ親しんでいる皇族にとって、『本音』と『建前』の峻別は当然の前提。
ところが、ガルスとユリアヌスだけは『建前』が少ない。

何故か、と勘繰った皇帝にとって衝撃的な驚きだったのは皇位に興味がないというガルスの姿勢。
コンスタンティウス2世という存在には、理解できないことに、彼は皇帝とは苦行であると認識しているのだ。
世界に冠たるローマの玉座!何たる、重責、何たる過酷な日々か!と。

だからこそ、常識では理解しがたいガルスの本質を皇帝の座にあるその人だけは理解できた。
皇帝の座とは孤独で絶えず飛び込んでくる凶報を受け止め続けねばならない壮麗な監獄なのだ。
帝国の歪は日に日に拡大してゆき、属州から飛び込んでくる知らせはことごとくが凶報だ。
父帝が三分割し、兄弟で安寧を保てと言われた末が兄弟同士の疑心暗鬼。

元々、コンスタンティウス2世自身が不安と疑心でもって他の兄弟を見ているのだ。
暗闘は時間の問題であり、その一方で東方のペルシャの問題も山積している。
忌々しいことに、宮中の着飾った雀どもは追従を述べるだけの無能で帝国の難題を解決する役には少しもたたない。
挙句、小汚い手を国庫に突っ込み地方を蚕食してのける。

だからこそ、だからこそ、そんな難題を厭うというガルスの姿勢からは嘘が感じられなかった。
まあ、それでも疑い深く監視をつけ、時折様子を報告させねば安心はできないのだが。

「エウセビス、よく来た。」

「お久しぶりです。皇帝陛下。」

その日、久しぶりに父大帝が信頼していた司教を呼び出した目的もそれだ。
清貧に甘んじる聖職者特有の枯れた木の様な肉体と、穏やかそうな容貌の司教に対しては皇帝自身信を置くに足ると判じている。
少なくとも、敬虔な聖職者というのは皇帝にとってはある程度目的にかなう存在だからだ。
何より、エウセビス司教が信仰を守るために政治に理解があることも皇帝にとってはやり易かった。

だから久闊を叙しつつも、本題は決まっている。

「それで、師として見たガルスとユリアヌスはどうだ?」

「率直に申し上げれば、かなり生真面目なご性分。勉学に、専心しておられます。」

「ほう、では教会は責任を持って引き続き教育を見られるというのだな?」

何が何でも排除しておくべきだった、とまでは言わない。
表向き、あの時あった血まみれの事態は暴発した将兵らが引き起こした事故でなければならないのだ。
動揺している帝国を思えば、世が疑いの目を向けてくるときに、生き残ったガルスとユリアヌスを消すのは無理があった。

同時に、生き残った彼らが災いの種になるのを防がねばならないというコンスタンティウス2世の立場は微妙なものがある。
そんな時に、父大帝がエウセビス司教にガルスの教育を命じていたというのは渡りに船だった。
教会がその教育に責任を持つ、という保証。

皇帝の意を汲んだエウセビス司教は、教育を与えると同時にガルスとユリアヌスの監視にも責任を負っていた。

最も、ガルスにとっては知らぬが幸い、これが理由で彼はアテネに行き損ねている。エウセビス司教の任地に近いという理由でユリアヌスと一緒にビテュニア送りになったのだ。
まあ、ガルスにしてみれば遠くに送られずに済んだ、という事でもあるのだが。

「御意。よきキリスト教徒として、育てております。些か、夜が問題ではありますが。」

最も、当初の懸念とは裏腹にガルスもユリアヌスも何ら問題を感じさせる言動は見せていないのが司教のささやかな安堵の種だ。
幼く事態を理解できないであろうユリアヌスは兎も角、聡明なガルスはどうなるか分からなかった。
が、確かに事態を理解できたにせよガルスは特に反発する姿勢を見せてはいない。

エウセビス司教にとって、今の悩みはガルスの不規則な生活という生活指導と信仰生活のありようという次元だ。
なにしろガルスの中の人の夜の生活は、不規則極まりなかった。古代の平均に比較して、というべきだろうが。

「特にいかがわしいことを為されているわけではありませんが…その、浪費が過ぎるかと。」

近代社会が電球でもって暗闇を掃って以来、夜の帳はもはやその効力を大幅に減じたのだ。
日没が、一日の終わりを意味しない世界の到来。だが、それは電気という文明の結晶が齎した人類史上類まれな生活慣習なのだ。
それ以前において夜というのは、寝るべき時間だった。夜を徹して語らうとしても、それは富貴な人々が酒席を共にしての夜会だ。

だから、乏しい光源にぶちぶちと文句を言い散々ろうそくを用意させて自室で夜遅くまで読書にふけるというのは恐るべき贅沢だ。
ガルスにしろ、ユリアヌスにせよ、公式には皇族であり、身分相応の歳費が用意されているとはいえそれらは年相応に抑えられたものでもある。

その大半を、ガルスはろうそくにぶち込んでいるのだ。
質素を尊び、清貧を良しとする信仰生活からみればあまり望ましくない。

「ああ、報告は読んでいる。本好きとのことだな。大変結構ではないか。」

「…洒脱で真面目な御性格です。ですが、もう少し生活を慎ませるべきではないか、と思うこともございます。」

限られた歳費を全額趣味に注ぎ込んで明かりを煌々とともすガルス。
夜更かしとは、褒められた趣味ではなく厳格な清貧という観点から見れば、それは浪費だ。

政治を理解しているとはいえ、本質的には信仰の人であるエウセビス司教にとってそれは少しばかり目くじらを立ててしまう部分である。

「そこまで、厳格にせよとまでは言わん。司教、余としてはその程度のことで皇族の生活を制約する必要性を見出さん。」

が、コンスタンティウス2世にしてみれば、飼い殺しにするつもりの宮廷費なのだ。

祖母の地所から上がる収入と、それ以外で地方に一翼の勢力を為されても困る、というのが皇帝の本意だ。
だからこその、ある程度に制限された歳費。基本的には何かをしようとすればすぐに足が出る程度の予算。
後は、必要に応じて皇室財務官に請求せよと伝えた底意は、一挙一動を束縛し監視しようという意図の表れだった。

そして、本来は皇族というのはいちいち自分のお小遣いをせびる子供の用に保護者にお金を求めねばならない存在でもない。
故に、身の程を思い知らせつつ監視もできるだろうと考えたコンスタンティウス2世は猜疑心の塊であると同時に同時代の常識に忠実だった。

「勉学に励み、読みたい本のリストをこちらに送ってよこしている。余計なことも考えず、良いことだ。」

「はい、ガルス殿下は陛下のご厚意に甘えてばかりで申し訳ないが、と感謝されておられました。」

まさか、ガルスがコンスタンティウス2世とは月々の仕送りを送ってくれ、しかも本が欲しいと言えば延々買ってくれる物わかりの良いATMと考えているとは夢にも思わないだろう。
なにより、額面価値が変動しやすい銀貨ではなくソリドゥス金貨でたっぷりと送ってくれるところが心憎い、と。

…日本人にしてみれば、学生時代、何か余計な出費を行う際に、親に援助を求めて説明することがあるだろう。
曰く、教科書が、就職活動が、研修旅行が、延々と。
が、ガルスにしてみれば『好きなように勉強しなさい。援助は惜しまないよ』と優しい従兄弟が言ってくれているのだ。
物騒極まりない宮中から、いろいろあったとはいえ逃げ出せた上に、ATMまでゲットしたのだから現状に一応の不満はなかった。
まあ、もちろん父親や兄らを散々ぶっ殺されたという点に対してはさすがに含むところがないでもない。
が、実際のところ肉親という実感が乏しい兄らや、仕事ばかりであまり交流の無かった父のことよりは我が身が可愛かった。

宮中陰謀劇の当事者としてみれば比較的にせよ自分とユリアヌスが助命されたことと、地方に流されたとはいえある程度の生活が保障されていることで一先ず納得できているのだ。

「ふむ、ではやはりそなたの眼から見てもアレは無害か。」

「…あまり良い物言いではありませんが、ガルス殿下が陛下に害為すことを私は想像できません。」

アマゾン代わりに宮廷付騎兵に数多の書籍をデリバリーさせるニート生活を弟と祖母と送るかことには小市民的な満足すら覚えているガルスは、誰がどう見ても現状に満足しているのだ。
散々、反骨心や面従腹背の動きに警戒している皇帝や宮廷の面々が懸念。
それとは裏腹に、騎兵に託される手紙を幾度改めようにも多数の書籍を求める学究的なガルスの姿だけが浮かんでくるのだ。

曰く、最新の神学の議論が知りたい。
曰く、アレクサンドリア大図書館から天文学と幾何学の本を借りたい。ダメなら、写本で。
曰く、アウグスティヌスの新著を送ってほしい。
曰く、天文観測のための機具を一式送られたし。
曰く、論集を出したいので腕の良い書記を何人か写本のために貸してほしい等々。

皇帝に対する隔意というよりも、遠慮のない要求の数々がガルスは兎も角知識に飢えた学究の徒であり、満たされないのは知識欲であるとばかり示している。
実際、浪費しているわけでもなく、それなりの書斎と研究施設を作ろうとあの従兄弟は足掻いているらしいと皇帝が安堵することができるほどだ。

監視を兼ねて多数の書記や、使用人を送ってみれば、わけのわからない研究や神学論争に没頭したガルスがこれ幸いと自分の研究のために扱き使っているという。

「…で?これが、あれが出版したいと言っている原稿か。」

そして、その成果とやらが皇帝の前に恭しく差し出された原稿の塊だ。
一応、監視対象のガルスが書いたという事で念のために検閲が入ってはいる。
問題なさげだ、と宦官や侍従が判断したが・・・コンスタンティウス2世は人の意見を完全に信じたことはない。

自分以外を、どうして信じられよう?

「はい。なんでも、各地で飲まれているものをまとめたものとか。」

「あれがか?ワイン一つも飲まんような奴だったと思ったが、酒に興味があるとは。」

…一体、ガルスは何を考えているのだろうか?

酒を飲めないフリをしていた?
だとすれば、一体なぜ?

表情に出さずとも、沸きあがってくるのは微かな疑心。

「それが、その…草木の煮込んだものの紹介の用です。」

「薬用か?」

つまり、毒と薬の知見を集めている?
その事実だけで、皇帝の際限のない猜疑心が既にざわつく。
薬物に詳しい皇族など、潜在的には余りにも危険だ。

「いえ、その…。」

「何だというのだ?余を毒殺したいとでも言い出したのか?」

冗談めかしたつもりの一言は、しかし皇帝の恐怖と猜疑心からこぼれ出た本音。
コンスタンティウス2世に死んで欲しい人間は、余りも多い。
皇帝とは、食べ物一つとっても怯えながら食べねばならないのだ。

だからこそ、無害と思い込んでいたガルスが毒の知識を求めているのならば看過できない。

「陛下、ガルス殿下は、その、草木の根っこを穿り返し食用にする術を述べられておられます。」

消すか?

そう考え始めた皇帝の思考を遮ったのは、何とも形容しがたい表情でエウセビス司教が口にした言葉だ。

「お前は、何を言っているのだ?」

草木の根っこ?

「はっ、ガルス殿下に置かれましては、タンポポの根っこを煎じて飲む方法と、ヒポクラテスの麦湯の改良について言及されておられます。」

「ヒポクラテス?つまり、薬学ではないのか。」

「確かに、薬学といえば薬学なのでしょうが…ご覧ください。如何に野を駆けまわり、新鮮なタンポポを見つけてサラダにしながら大麦の湯を飲む楽しみという食日記ですぞ。」

…手に取り、読んでみればまさに司教の言うとおりだった。

野を弟と歩き、見かけた野草を掘り返し、根を煎じて湯と共に飲み比べする日々の記録。
曰く、カモミールは万人に飲みやすく、タンポポの根は、趣味の合う人には最適だ、と。
彼の名高いアピキウスの料理書と比較すれば、その貧しさに思わず困窮具合が察せられるほどだろう。

「余は、確かに立場をわきまえさせよとは命じたが…そこまで困窮させろとまでは命じておらんぞ」

思わず、皇帝をして同情させしめてしまうほどに貧弱な食事。
皇族の体面を考えれば、もう少し歳費を増やしてやるべきではないのかと案じてしまうほどの中身。
退出していく司教を他所に、財務官を呼び出し事態の確認を皇帝は命じる。

「畏れながら…そこまで、歳費を絞った覚えはございませんが。」

そして、ひれ伏す財務官の言葉に頭痛を堪える様にして皇帝は呻き声を漏らす。
ガルスが幾ら、夜遅くまで書見する生活を送っていたところで皇族としての歳費がその程度で尽きるはずがない。
監視の連中が気を遣い、ガルスの手にする本を把握させるために読みたい本のリストを送ってよこしているかと考えていたが。

…普段の食事一つとっても、タンポポの根を煎じて幸せを感じるような皇族の食生活などコンスタンティウス2世には想像もつかない。

読んでいて気がついたのは、夜の肉料理も『地所で取れた』ものだ。
買い入れたものではなく、自分の土地で取れたものを食べているということ。
意味するところは、あまりに単純だ。

食費に回す金が足りていない。

「そうか、では、中抜きされていないか調べ直せ。」

「は?…歳費の、でありますか。」

「二度は言わん。早く取り掛かれ。」

余りにも腐敗しきった官僚機構。
頼りになる臣がどこにもなく、かつ宛にならない官吏ばかり。

…偉大なローマは病んで久しい。

だが、そこまで指図してコンスタンティウス2世はふと気が付く。
では度々送ってやった金貨はどうしたのか、と。
書物を買った余りで、食費にでも回せるだろうと。

だから、その指示はほんの思い付きだった。

「ああ、それと、ガルスに金の使い道と残高を報告させろ。」

「はっ、・・・恐れながら、どのようなご意図でしょうか。」

「保護者として、余は従兄弟がしっかりと勉学に励んでいるのか知りたい。それだけだ。」



あとがき
本作がエターするとか言ってた人がいたので、言わせてください。
エターなんてさせないよ、トラストミー(`・ω・´)

そういう訳で次回予告。

ガルス、初恋をする!?ニコメディアでの出会いにご期待ください!



[33140] 第五話 ガルス、ニコメディア離宮に立つ!
Name: カルロ・ゼン◆f40da04c ID:f789329c
Date: 2013/06/23 22:54
奴隷問題って、どこに相談すればよいでしょうか?
やっぱり、国連?
でも、真面目なカナダさんが軍縮委員会をボイコットしたりするくらいに不真面目な組織らしいし如何しましょう?

取りあえず、専門家、専門家が必要です。
ウィリアム・ウィルバーフォースさま、エイブラハム・リンカーンさま、いらっしゃられましたらばお近くの時空管理スタッフまでご連絡ください。
もしくは、読者様の中に、公民権運動の専門家はいらっしゃいませんか?

あ、ご足労願って恐縮ですが左翼と新左翼とプロ市民は地上の楽園にでもご帰還ください。
奴隷問題の専門家が必要なだけで、奴隷経済の専門家は間に合っておりますので。
ああーしらんがなぁ、と泣きたいですが世間的に見れば大奴隷主の一族ですので、自分。

高等なニート生活こと、高等遊民生活に奴隷は絶対に必要不可欠というヘビーな現実に直面し、おやつを遺してしまいました。
自分が食べない余りが彼らの楽しみになっていると知って、さらにへこみます。
とかブラックなことを考えてしまう程度に社会問題を意識してしまいますが皆様いかがお過ごしでしょうか?

申し遅れました、フラウィウス・クラウディウス・コンスタンティウス・ガッルスです。
今日から、祖母の手伝いを兼ねて奴隷の管理方法について勉強することになりました。
というより、祖母的には人を使う術を覚えてほしいらしいです。

で、最初は地所の農園経営のお勉強のはずだったのですが、神学とか、諸々の諸学の勉強も大切だからニコメディアですればよくね?と皇帝陛下がなんか転居許可を出してくれやがりました。
折角だし、俺んち、ニコメディアにもあるからつかいなよ?と皇帝陛下直々のご厚意を賜った次第。

断れるわけもなく、涙が止まりません。
いえ、感涙ですよ?ああーありがたくて、涙が。

プリーズ、コールミー、ガルス。


「どうしてこうなった?」

ニコメディアにある離宮が一角にある豪勢な宴会場で、山積みにされた珍奇な数々の料理。
それらを前にして、都市参事会員らに歓迎されるはずの主賓は只々帰りたいと願っていた。

忘れられがちだが…古代ローマはグルメだ。
が、ちょっとだけ呑気に珍味を楽しめる期間が長すぎた、ともいう。
EUどころか、地中海全域の流通を確立し、各地の珍味を長年享受してきたローマのグルメは良く言えば独特であり、悪く言えばゲテモノ食いに走っているのだ。

クジャクとか、珍奇で、雌豚の外陰部と乳房とか、最高級じゃね?とかいう感覚にガルスは嘔吐をリアルで催す次第である。
なお、食事中に嘔吐のために席を立ったガルスは当然のごとくマナー違反だったかなぁと飲み会で吐いてしまう学生のノリで反省したのだが…ローマはそれもオッケー立ったりする。

「はっはっはっ、殿下も中々の食道楽ですな。」

「こちらの魚などいかがですか?」

「ああ、どうもご丁寧に…って、何です此れは?」

「引っかかりましたな、殿下。Salsum sine salsoですよ。どうです、シェフの見事な一品でありませんかな?」

と笑われてながら、別の珍味という名の何かを口いっぱいに詰め込まれるガルスはもう一度吐くために席を立つはめになった。
で、口を押えながら吐くために案内された一角に駆け込むガルスは何故か同じ方向に都市参事会の幾人かも向かっていることに気が付く。
そして、笑いながら満腹になったので、一度お腹を空にしなくては、等と笑いあっているのだ。

別に、贅沢が嫌いではないがこの贅沢は何か方向性が間違っている気がする、とガルスは否応なく痛感する。
同時に、これがローマ式の飲み会であると悟り、恐怖した。

毎晩こんなものに付き合う宮仕えとか、今はなき父上が顔を真っ青にして呻き声を上げながら家でのた打ち回るはずだ、と。


事の始まりは、ガルスが同人誌を作る程度の軽い気持ちで本を出したいと考えたことだ。
史実のフラウィウス・クラウディウス・コンスタンティウス・ガッルスと異なり、彼は頗る出不精だった。
豪快な運動を好み野を駆けるのを楽しみにする社交的な人間とは真逆である。
が、今のガルスにしてみれば平和に家で麦茶でも飲みながら本を読めれば満ち足りてしまうのだ。
ニコメディアに近い祖母の地所とはいえ、出版には書記や色々な職人が必要だから…とはるばるニコメディア迄陸路を歩くのは億劫で仕方がない。

無論、歴史に名を轟かせた古代ローマの整備され切った街道は舗装された道路という歴史上稀に見るインフラ網を整えてはある。
綻びが目立つとはいえ、小アジアの中枢部が往来が困難に直面するほどにはローマの問題は表には未だ出ていない。
だから歩いて行く気さえあれば、ニコメディアに出向くのはローマ人の感覚ではそうたいしたことではないだろう。
日本人の感覚でいえば、今新宿だけど、今晩は新橋で飲むよー程度である。

が、ガルスにしてみれば地図の上では近いといえ、100キロ近くとは自動車もなく移動するなどちょっと想像もできない距離だった。
もちろん、コンスタンティノープルからビテュニアの地所まで船と陸路で移動してきた経験は酷く憂鬱な記憶となっている。
延々馬車に揺られることなど、最悪の乗り心地で悪夢に等しい記憶だった。
まあ、ガルスが顔を青くしたところで世間的には家族と親族を宮中の不幸な事故で失って落ち込んでいるとみられたので特に気にされなかったが。

とまれ、そんな記憶と印象を抱いているガルスにしてみれば誰かに妨げられない限り一生ビテュニアにある祖母の地所で平和に引き籠る気満々である。
幸い、というべきか祖母の地所で働らいている使用人(含む奴隷)たちは比較的朴訥ながらも農耕には良く長けていた。
ガルスがうろ覚えの怪しい農業知識で何ちゃって内政をする必要もなく、せいぜいが相談に応じて時折推薦状を書いて送ってやればよい程度。
その推薦状にしても、自分のところの地所で使っている使用人の子供を都会の塾や学校にやるときの裏書のようなものだ。
実際のところは推薦する以上責任が付きまとうのだが、ガルスにしてみれば祖母の信頼する使用人という時点であまり難しく考えていない。

そしてちょっと奴隷というヘビーな存在に頭を抱えたりしないでもないのだが、ガルスは努めてその問題からは目をそらすという小市民的対応で深く考えないようにしていた。
だから、という訳でもないのだろうがガルスは余り煩いことを言わず、人使いも粗くないという評判だ。

若様は煩いことは言わず、散策するにしても畑を荒らすこともなく、どちらかと言えば気さくな口と来ている。
地元としても、次代にこういう人ならば揉めたりはしないだろうという事でそれなりにガルスに敬意を払いつつも受け入れてくれていた。

他方、ちょっと面倒なことを頼むときも頼む相手には困らないのがガルスの特殊な環境だ。
ガルスの付き人として皇宮から派遣されてきた連中は、ガルスの動向に非常に関心を寄せている。
秘密にしたい仕事を頼む相手としてみれば最悪なのだろう。
が、特に二心がないガルスにしてみれば、タダで雇えてラッキー程度の扱いなので監視されていることをあまり意識していない。
元々、人に仕えられるということが良く分かっていないので、そんなものか、と気にしていないともいう。
お陰で、皇帝に届く報告には『ガルス殿下に不審な動きは一向に無し』と記されるばかりだ。

時折ユリアヌスとの散歩に出かけるときにしても、外で軽食を摘みたいというピクニック気分で従者を連れ歩くので隠し事などありはしない。
そんなわけで、監視している側にしてみればガルスに真面目に仕えていれば事足りるので肩の力も自然と抜けてしまう。

だから、ガルスにしてみればビテュニアは頗る居心地がよい。
本を出すにしても、何も自分がはるばる100キロ歩いてニコメディアまで歩いてゆくなど思いもしなかった。
小市民ながらも、前世では信じられないプチ贅沢に浸っているガルスは、はっきりと言えば出不精になっているのだ。
が、ガルスは言い訳をひねり出すに苦労はいらない。
億劫な理由を正当化するためにじゃ『皇帝陛下の許可を取らないといけない。』と遠出を自粛していると呟けばよいのだ。

ニコメディアまで出ていきたいのはやまやまだが、此処で勉学に励めと皇帝陛下に言われている以上勝手に出歩くの良くない!…とニートが叫んでいるだけなのだが、筋は通っている。

僕は出向けない、だから、職人と材料を送ってくれ。
厚かましいことこの上ない要望ではあるのだが、如何せん、政治的にはこれが大正解なのだ。
立場をわきまえ、皇帝を憚り、何かするにしても一々皇帝の意を伺う。
専制君主相手には、それが正しい。

エウセビス司教が、原稿をもってコンスタンティノープルまで出向いたのもガルスの立場を理解しているからである。
まさか、当の本人が歩くのメンドクサイ、と考えているとは夢にも考えていない。
老齢である司教さえ、カエサリアから、コンスタンティノープルまで平気で馬車や歩きを含めて旅をするのだ。
眼と鼻の先のニコメディアさえ、車じゃないと遠いなぁと感じるガルスの感覚は理解できない。
だから、ガルスの言葉を額面通りに受け取って、同情までしてしまっていた。
真実を知れば、間違いなくそのねじれた精神を叩き直すべく信仰を叩き込むのだろうが。

…なお、不幸なことにガルスにとってこの結果は非常に高くつくことになる。


「は?ニコメディアに出向いて、よい、と。」

「はい、殿下。陛下は、何も殿下を幽囚とされているわけでもないのにビテュニアに縛り付けるつもりは無いと仰られておられます。」

気を良くした皇帝が、歳費の中抜きと汚職を撲滅しがてらガルスのガス抜きもかねてニコメディアくらい好きに行かせてやると許可を出してくれたのだ。
それも、ご丁寧に皇族なのだから今更ではあるが外出用に馬車まで差し向けてくれていた。

「勉学に励むことを望まれてはおいでです。ですが、偶に外へ出たい気持ちは理解できるので、遠慮はいらない、とのこと。」

「では…、ニコメディアへ?」

「はい、殿下。陛下のご厚意で馬車が手配されております。お出かけの際は、どうぞ、ご自由にお使いまわしください。」

遠路はるばる皇帝の勅令を運んでくる使節が、顔をほころばせ、おめでとうと言わんばかりの笑顔で告げてくれる事実。
早い話が、コンスタンティウス2世がガルスに善意で手配してくれた馬車だ。
…多分、行き先を監視できるとかそういう意向もあるのだろうが。

とはいえ、行きたいけど、皇帝陛下の意を伺う必要が-と言い訳していたガルスにしてみれば最悪だった。
本気にしたらしい皇帝陛下が、わざわざ気を使って馬車を手配させてくれたのである。

これでひきこもりますとか言えば、間違いなく空気が読めない子だ。

「ありがたいことだ。陛下にはよろしくガルスがお礼を申し上げていたと伝えてくれ。遠路、貴殿もご苦労だった。」

「いえ、職務ですので。」

「引き止めるようで申し訳ないが、夕餉を用意させている。宜しければ、ご一緒出来れば幸いだ。」

こうして、皇帝陛下の裁可を経てガルス君は無事にニコメディアへ行くことが叶いました、マル。
そう、行かなければならないのだ、それも一番マシな選択肢でも馬で。

冗談じゃない。
そう叫びたいが、そう叫ぶわけにもいかないのが自分の生まれ。
ガルスは今更ながらに、皇族とはなんと恐ろしく窮屈な身かとつくづく思い知らされる。

具体的には、サスペンションの重要さとかで。

それでも旅路がさして心躍るものではなかった、と言えば嘘になる。
年若いユリアヌスはまだ旅には早いと居残りだが、だからこそ馬車に侍従らがついてくれたおかげで酔い止めも兼ねた会話相手には不自由しない。
オマケに、ちょっとばかり下世話ながらも彼らから、ニコメディアで話題になっている若い乙女たちの踊りの評判を聞きガルスはちょっと見てみたいな、と思ったりもする。

まあ、まだ10代の若造の肉体にしては早熟というべきなのだろうが、綺麗な女性を見たいと思うことぐらいは自然な気分だ。
もちろん地所に帰れば、一族郎党という形に近いクリエンテスらのなかに年若い子もいないではない。
が、パトローネスとしての責務とやらを祖母に叩き込まれている中であまり年若い子とお知り合いになる機会は得られていなかった。

教育上、よろしくないという配慮もあり女奴隷を教育につけるという事をガルスの家は避けているらしい。
まあ、訓練されたナニーではなく、単にギリシャ語の発音が綺麗だからという理由で採用される家庭の女奴隷らなのだ。
おしゃべり好きで、正規の指導者層の教育を受けていない彼女らに将来の指導層を委ねることほど愚かなこともないと神君カエサルの母が示した故事に倣う家は少なくない。
祖母も、愛情を持って自分とユリアヌスをしっかりと育て上げることだけが楽しみらしいので余り失望させたくないなぁとガルスも自重しているのだ。
実際所、どう日々を奴隷に世話されて過ごしていいかも距離感が分からずに戸惑うガルスにしてみれば祖母の方針はありがたいのだが。

でも偶には羽目を外し、古代ローマのクラブではっちゃけても良いじゃない、とガルスも少しばかり浮かれていた。
用事というか、出版のために幾人かの職人に直接指示を出し、ついでに本や羊皮紙を散策する程度の大して目的のない旅行である。
一応、若い一門の務めという訳でニコメディアに居る祖母の知己に手紙を届けることやら、あいさつ回りは有るらしいが。

だから離宮の一角に滞在所を用意してもらい、歓迎の宴まで開いてもらったガルスも最初は浮かれ気分だった。
この、宴会場で延々フォアグラになるじゃないか、と歓待されるまでは。

「…おや、お若い人。ワインが進んでおりませんが、どうされましたかな?」

「いえ、どうも、自分の舌はまだ若造のようで。」

今、頭を占めているのは貴族としては不味いのだろうが、即刻田舎暮らしに逃げ帰りたいという気持ちだけである。
宴会に若い高貴な女性たちも、確かに参加してはいるのだが…なんだろう、ケバい?
あと、脱色しているのだろう髪の匂いに嗅覚が政治的亡命を申請し始める始末。

お酌させましょうか?と笑ってくる参加者に、断りの文句を入れるも所詮若造だ。
老獪な連中の勧め文句を断るに断れず、ガルスは結局各地の珍味とアルコールを散々に浴びるように詰め込まれたる。

結局、翌朝二日酔いでガンガンに痛む頭を押さえて寝台の上でのた打ち回っていた。


「…うげぇ、気持ち悪い」

古代ローマのワインは、一般に希釈される。
まあ、早い話が色々な割りもので割られて飲むのが一般的ということだ。
本来は酔っぱらわないための方策だったのらしいが、今となってはカクテルとして愛用されている。

そして、水差しから水を汲んで飲む干す勢いで空けるガルスは昨晩の酒席でそれは見事に潰された。
彼とて体質的に問題があるわけではないのだが、量が入ば体質など無視して二日酔いは襲ってくる。

疫病にかかった経験こそあれども、基本的には健康優良児であるガルスにしてみれば頭痛でのた打ち回るのは久々の経験だった。
だから、少しばかり元気をなくした体に引き摺られたガルスの心は、いつもならば無視しようと努める自制心を少しだけ失ってしまう。
心の殻が、僅かに揺らいだその時、脂汗を垂らしながら、妙に眩しい太陽に表情を顰めて寝台で横たるガルスの脳裏を占めるのは妙に後ろ向きな思いの数々。

どうして、自分がこんなに悩まねばならないのか。

どうして、自分がこんな経験をしているのか。

負のスパイラルが入りつつあることを自覚していようとも、その自覚がさらに後ろ向きの思いを強めてしまう。


そんな時だ。
普通ならば気にもとめない微かな歌声と賑やかな笑い声が頭に響いて、思わずガルスを苛立たせる。
表通りを行き交う人々だろう。
日も高く登り、ニコメディアの街並みは雑多ながらも活気にあふれているらしい。

自分がどう悩もうと、世は事もなし、という次第だろう。

だからこそ、釈然としない葛藤を内包しながら立ち上がり、なんともなしに騒ぎのする方の窓へと歩み寄る。
そのまま、外を行き交う群衆を見ようと窓を除き予想と違う光景故にガルスは戸惑った。
始めは、人の喧騒故に大通りからか辟易していたガルス。
だが、窓から眺める光景が大通りではなく離宮の一角だと気付くことで勘違いを悟る。

ひらひらと白い布を翻し、踊っているのは若い乙女。
離宮の広場で、幾人かの女官らに囲まれ踊っている彼女は、また此処の住人なのだろうか。
その楽しげな姿を見るにつけ、仮初の離宮の主であるガルスは居た堪れない思いを何故か感じてしまう。

まるで世の中全てが自分の舞台だとばかりに軽やかに彼女は踊っている。
しなやかな手足がクルクルと舞うありさまなど、世界で溺れてもがいている自分の無様さを否応なく思い知らされるのだ。

羨ましかった。
雁字搦めに、束縛されている自分の身分。
奴隷を使う側の皇族とて、所詮立場の奴隷なのだ。

田舎で、祖母と弟と、気のいい地元の人間と、呑気に自然と本の中で暮らしていければと思わないでもない。
だというのに、皇族という名で縛られ、帝都から追われてなお身に纏わり付くしがらみの数々。
押しかかってくる重圧と、祖母の期待。

全てが、全てが忌々しいのだ。

…望んで、望んで皇族として生まれたのではない。
つまらない宮中儀礼や、陰険な宮中での陰謀などこりごりだ。
あの都市参事会の連中にしても、何人が自分を歓迎していることだろう。

…皇帝の従兄弟が、皇帝の命令で滞在しているときに、ご機嫌をとっておき監視も兼ねているのだろうと推測がつく。
それらを思えば、全てが、何もかもが、億劫になるのだ。

だというのに。
どうして、彼女らは。

そこまで、考えかけたとき、ガルスは隣で控えているであろう侍従を大声で呼び出していた。

「ルシウス!ルシウス!」

「…如何なされましたか、ガルス殿下?」

「すまないが、あそこで騒いでいる輩を静かにさせてくれ!半日でよい、半日でよいのだ!」






あとがき
まさか、このペースで更新するはずがないとは誰もが疑っていなかったに違いない(笑)。

一応、原稿担当さんに送ったし、時間あるのだぜひゃっはー。
でも、やらないといけないことも多いのだorz
そんなこんなですが、ちょくちょく更新できればなぁと。

後、エタ-回避のための次回予告。

次回、イリニ。ご期待ください。
そうだ、テオドラさん風味にぼーいみーつがーるやろう。

誤記修正



[33140] 第六話 ガルス、犯罪を裁く!(冤罪)
Name: カルロ・ゼン◆f40da04c ID:f789329c
Date: 2013/06/23 22:57
ニコメディアは古い歴史を古代ローマの時点で誇る、文字通り歴史に名を遺す都市だ。
なのだが、ガルスの頭をよぎったのは動画サイト?という実に不謹慎なレベルにすぎない。
平均的な教科書レベルの知識で分かることには限界も多いということだ。

そして、その教科書が曲者である。
試に紐解けば、出来事が順序良くきっちりと並んでいるのが分かるだろう。
ああ、素晴らしきかな進歩史観!


お陰で、転生に気が付いたときはガルスも一時期血迷って技術チートでウハウハと考えたこともあった。
なにしろ中世どころか、古代だ。
よほど、技術的には未開なのだろうから現代人の知識パネェ!を信じて疑わなかったともいう。
小市民的なネット小説のノリでテンションをダダ上げするという黒歴史もあったりするのだ。

が、悲しいかな。教科書通りに物事が進む方が珍しいのである。

よろしい、缶詰だ、瓶詰だ、保存食でローマの食糧事情を…
De Re Rusticaが、だいたい書いてくれていますた…。
えーなになに、瓶に殺菌したものを詰めて密封してください。空気入れてはいけません?
・・・細菌学もしらないのに、何故こんなことを思いつくのか僕には理解できませんよ。

よろしい、ノーフォーク農法で、ですね…え?どんなのだっけそれ?

取りあえず輪作で…ナイル川って氾濫するに任せているんですか?ああ、ナイルの恵みってやつですかー休耕地?何それ?へー。

ええい、ならば産業革命に必要な蒸気機関だ、あれならお湯を沸かすだけだから自分でも・・・と考えたところ悲しいかな、ヘロンとかいうおじさんが蒸気機関まで開発してマスタ。

よし、じゃあ、暗算が得意な日本人の自慢の一品、算盤を…あ、アバカスっていうんですねコレ。
え?もっと便利なものに興味があるなら、機械で計算できるのもあるよって機械式アナログコンピューター?
な、なんぞそのおーぱーつ。

・・・そうだ、健康問題、健康問題だ。古代ローマは鉛中毒で滅亡したって読んだ気がするし、鉛毒について警告を発しよう!
鉛が健康に悪いとか、常識だろ常考、と偉い学者さんが散々書いてますた。
水道管、鉛だらけだから危なくね?と言ったら鼻で笑われて、「だから、水に接しないようにしてるんじゃないか」とか。
あら?誰だよ!?古代ローマが鉛中毒で滅亡したとかいうトンデモ説を唱えている間抜けは!?

殿下、本を読み見識を深めるのは結構ですが、同時に知識を現実と摺合せなくてはいけませんよって侍従らに笑われたぞちくしょー!!

恐るべし古代ローマ。
ガルスにとって、実に不思議な世界である。
ぶっちゃけ、なんで滅んだんだろうと本気で疑問に思うほどに。

そりゃ、古代に戻れなんていうルネッサンスやるはずだわ、と思うぐらいにローマは半端ない。

だが、素直に感心しつつも戸惑いはどうしても付きまとう。
ガルスにしてみれば、『パラダイム』があまりにも違いすぎるのである。
彼は、キリスト教とはクリスマスでキリストのお誕生日を祝う程度の見方しかキリスト教に抱いていなかった。
だからこそ彼は、古代ローマにおける常識的な考え方を理解しかねている。

まして、彼は皇族という身分を理解できていないのだ。
その立場に伴うふさわしい振る舞い、ということも全く分かっていない。

もちろんガルスが小市民的に人に迷惑を及ぼすまいと心がける上に、基本的にあまり面倒な我儘も口にすることはなかった。
本人の主観としては兎も角、客観的に見ればガルスは物事の道理をわきまえて身を慎んでいる、と判断されてしまう。
皇族が、我儘を言わないのは誰にとっても迷惑ではないからだ。

だから悪意なく普通の振る舞いだとしても、時には他者にとって自分の言動が恐るべき脅威なのだとガルスには理解できていない。
うっかり口にした一言が、どれほど思い権威と権力で裏打ちされているかなど実感したことが一度もなかったのだ。

それ故に、ガルスは二日酔いの際に少しだけ機嫌を損ねたことをすっかり眼が覚めてからは忘れていた。
記憶に残っているのは、なんかそういえば一昨日少し騒がしかったなぁ程度のあやふやなもの。
個人的には、新橋の酔っ払いどもに感じたうるさいぞーという程度の感覚だ。
一々記憶に残るものでもなく、ルシウスに『黙らせろ』と命じたことをガルスは失念してしまっている。
ガルスの中では「だまれー」と酔っ払いに酔っ払いが叫んだ程度の出来事なのだから無理もない。



象と蟻は仲良くできない。
仲良くしたいと思うのは簡単だ。
だが、歩み寄るのは不可能である。

何故ならば、蟻の一歩と象の一歩は歩幅が違いすぎるから。
象に歩み寄られた蟻の運命は、それこそ父なる神のみぞしりたもうというわけだ。
おお、主よ、我らが善良なる蟻と象の友情を祝福したもうことなかれ、という事だろう。

皇族と、宮中の使用人もまた象と蟻に近い。
少なくとも、不快気な表情一つで皇族は使用人を恐怖に突き落せるのだ。



二日酔いから解放され、気分よく朝の柔らかな陽光で目を覚ましたガルス。
馬車の移動も堪えたという事があって、丸一日を寝て過ごしてしまったガルスの脳裏を占めるのはお腹の空腹である。
それはそれは盛大にお腹が空いているのだ。

宴会でフォアグラになるかと思うほど詰め込まれたとはいえ、それはもう一昨日のこと。
人間、食べねばくたばるのだから否応も言えるはずもない。
そして、善きキリスト教徒としては些か宜しからぬことにガルスは自分の空腹感を我慢するという根性は微塵も持ち合わせてはいなかった。

お金があるのに清貧に耐える、というのはマゾだろう、というのが本人の本音である。
それでも相対的にみればガルスの生活ぶりは皇族や貴族に比して『清貧』なのだが。
そういう訳で、果物でもつまむかと寝巻のまま起き上がったガルスは侍従になんか持ってきてくれと頼むつもりだった。

が、気が付けばガルスの目の前には物々しい雰囲気の一団が重々しく控えている。

その場の中心に居るというか、包囲されてひれ伏したのが使用人と思しき老婆。
御婆さん、御年なんだからせめて椅子ぐらい用意してあげなよ、と口をはさむにはさめない程シリアスムード。
不穏さ漂う展開にガルスは後ずさりしかける。

が、自分の寝室の前でずっと待っていたであろう彼らを放置して二度寝できるほど神経が太いわけでもない。
なにより、物々しい武装をした衛士達が老婆を取り囲んで自分の部屋の前に侍っているとなれば鈍感な無視できないだろう。
すわ、何事ぞ?と説明してくれそうなルシウスが平然としていることにガルスは大いに戸惑う事となる。

そして、御起床早々に騒がしてしまうことを丁重に詫びつつも刑の御裁可を願いたいとルシウスから言われて思考が止まる。
刑罰って、なんぞ、とガルスはそれこそ理解しかねていたともいう。
え、なにその普通の仕事してます的な顔と口上は?と人目がなければ訪ねてしまったかもしれない。

「・・・・・・は?」

だが、兎も角口からは疑問がこぼれてしまうのは仕方ないだろう。

「いやいやいや、ちょっと待ってくれ、ルシウス。」

「如何されましたか、殿下?」

お前こそ、どうして僕が変なことを言ったような顔で訝しげに問い返すのだ?
ルシウスよ、君は僕を裁判官とでも考えているのかとガルスは心底から問いたかった。

「なんで、刑罰の裁可を求められる話になっているんだ?」

「殿下がご注意なさった、例の職分を疎かにしていた者どもの咎についてでが。」

まさか、覚えていないという訳にもいかず少しばかり話が見えないということでガルスはやや戸惑いつつも思考をまとめる。
誰かを自分が注意した、ということは多分記憶にないが一言いった事が大げさにとられたのではないか、と。
だとすれば、大げさなことだと呆れつつガルスは騒ぎ立てないでよいとばかりに手を振って否定する。

「よしんば、咎があるとしてもだ、譴責程度で良いのではないのか?」

「寛容のお心は素晴らしいことと存じますが、信賞必罰は絶対です。」

が、にこやかながらも断固たる侍従の言葉でガルスはようやく洒落にならない事態の匂いを嗅ぎつけた。
そもそも、皇帝陛下に使える侍従らが自分に派遣されてきているのは皇帝陛下その人の御意志だ。
そして、彼らは一応自分に忠実に仕えてくれているとしても忠誠を捧げるのはローマ皇帝その人に他ならない。

そう、法律のすべてを意のままに制定したもうインペラトールその人なのだ。

「あえて言うが私はあの使用人らの主ではない。陛下の使用人なのだぞ。」

だからこそ、ガルスは一先ず責任転嫁をATM兼裁判官の皇帝に図ってみた。
皇帝の前での平等とかいっとけば自分が裁くのは越権だと面倒事から逃げられるだろうと。
ガルスにしてみれば、とりあえずこう言っておけば問題ないだろうという何時もの逃げ口上でもある。

皇帝陛下が~、越権が~、管轄が~と。

「殿下の慎みはご立派なものかと存じ上げますが、皇帝陛下に置かれましてはニコメディア離宮の御裁可をガルス殿下にお預けになられておられます。」

「何?ルシウス、私には初耳だぞ、それは。」

「畏れながら、殿下が酔いつぶれておられましたので皇帝代理から託された委任状だけですがこちらに。」

ひったくるように、しかし一応恭しく所謂勅令を受け賜るという態を同時に為す小器用な小技を発揮したガルスが目にしたのは侍従の言葉を裏付けるもの。
延々続いている美辞麗句を省けばシンプルな内容である。
ずばり、『おまえ、ニコメディアの俺んちのボスにするから、そこで好きに学問やってよいぜ。でも、皇族として皇統が侮られるような真似はすんなよ。』だろうか。

寝起きの空腹感も、怠惰な感情も吹っ飛んで大真面目に何度読み直しても、そこに書いてあるのは厳然たる事実として揺るがない。

「…つまり、私は陛下から裁くことを信託されたという事になるのか。」

「御意。殿下の御裁可を。」

侍従にしてみれば、つまり皇帝の意を汲んでガルスに立派な皇族ぶりを発揮させたいという事だろうか。
しかし、ルシウスのことを全部理解しているとまでは言わないが此処まで教条的だったとは思わなかった。

「しかし、ルシウス。知っての通り私は書生で法のことなど素人も同然だ。やはり、専門家にゆだねるべきではないのか。」

「お言葉ですが殿下、事は単純です。殿下の使用人が殿下に無礼を働いたのですから、殿下の胸先一つで如何様にでも。」

しぶとく自分で決する羽目になることの回避を図ろうとするガルスだが、ルシウスの追求は徹底している。
公の場の、公的な議論ではなく、単純に使用人に対する主人の義務を説かれてはガルスとしても煙に巻くにまききれない。

「…じゃあ、ルシウス。君の意見を参考に聞きたいのだが。」

だから、ガルスが判断を人に丸投げしてしまうのは責任を負いたくないという心理が大きい。
まあ、そもそも適切な判決の下し方を知らないというのも大きいのだが。

ガルスから無責任に近い問いかけを受けた侍従だが、それでも彼は少し眉をひそめつつも一先ず助け船を出してくれる。

「では、僭越ながら殿下。使用人の責任者がそこに居りますので弁解の一つでも聞いてやり、しかる後に判じられては如何でしょうか。」

ああ、なるほどその御婆さんはつまり弁護側証人という事ね。
其れにしたって、ずいぶんと厳重でなんか哀れさを催す感じで連行されてきているんだけどどういう事よそれ。
とかガルスが内心で部下の冷たさに呆れつつも、今さらながらに顔を出した罪悪感がちょっとだけ心に響く。

ばーちゃんみたいな老婆を這いつくばらせる自分?
明日から、気まずくてご飯も喉を通らないに違いない。

物々しい雰囲気を醸し出す周囲に飲まれて、口にできなかったけどさすがにこの状態で話をさせるのはヘビーなものが現代人のガルスにはあるのだ。

自分が八つ当たりした挙句、ばあちゃんのような年齢の老婆を這いつくばらせて言い訳してみろと上から目線で問える現代人はあんまりいない。
居るとすれば、まあお友達になりたい人格の持ち主かどうか。個人的には遠慮したいだろう。というか、ガルス的にはドン引きである。

そういう訳で美味しいご飯が喉を通らないのは不味いし、仕方ないよね、と。
ガルスは自分を励まし場の緊迫感に頑張って鈍感さを装いながら口を開く。

「分かった。おい、誰か椅子でも進めて。話ぐらい落ち着いて聞かせてもらいたい。」

そして、対面で向き合い『さあ、話すがよい』と些か尊大な口調の侍従に促された老婆が紡ぐのは懺悔の言葉だった。

「殿下、どうか、どうかお許しを。あの子らは、殿下が離宮に滞在していることすら存じておりませんでした。」

振るえる声と、しわがれた手。
そのどちらもが、彼女が怯えながらも懸命に弁明を行おうとしていることをガルスに感じさせてしまう。
口さがなく言えば、謝罪と恐怖の対象に自分がなっているのだ。

居た堪れないことこの上ない。

「どなた様か、貴人がいらしているのではないかとそれでも察しておくべき立場の者どもではありませんか?」

そして、自分の侍従は若干サディストなのではないかというくらいに穏やかながらもキツイ一言を投げかけているのだ。
なんというか、ガルスに主君としての自覚がなくとも申し訳なさを感じられる程度には気まずい。

「ルシウス殿のお言葉、ご尤もではございます。ですが、ニコメディアの離宮には官吏の皆様の出入りや職務に関連しての宴もすくのうございませぬ」

恐懼した表情の老婆が、それでも口から紡ぐ言葉。

「見習いや、使用人の子供らがそれと知らずに御前で騒ぎ立てたご無礼、平にご容赦ください。」

ほおっておけば地面にひれ伏し、頭を地面に擦り付けて身を震わせながら懇願していたに違いない。
それほどまでに、自分が恐れられていることに若干顔をひきつらせつつもガルスの頭に浮かぶのはどう収拾をつければよいんだ此れ、という事である。

まさか、そこで斧をもって立っている衛士に『古式ゆかしい斬首刑ね』などと気軽にいう訳にもいかんのだ。
そんなことを命じる羽目になった日には、罪悪感できっとつぶれてしまう。

なんか、なんか、良い材料はないのか。
折角の弁護側証人らしいし、ここから何か引き出さんと、本当に自分で処罰の命令を出す羽目になりそうだとかなり真剣になったガルス。

「ところで、なぜ、わざわざあそこで?」

彼の頭をよぎるのは、『動機は?』という推理物のお約束だった。
ぶっちゃけ、『動機』なんぞ罪状の前ではだいたい意味がないという先例主義を彼が知らなかったのは幸いだっただろう。
小市民にとって、縋れるのは『情状酌量』というお情け頂戴的なノリしか思いつかなかったのだから。

「ニコメディア流行の踊りを踊ってみたいと、手の空いた者らが朝餉の後に普段使われていない区画で踊っていたとのことです。」

「つまり…私が此処にいると知らずに誰にも迷惑をかけないだろうと思って遊んだわけか。」

「御意。」

そして、取りあえずという程度ではあるがガルスはなんか同情できそうなポイントを掘り出せたことで安堵できた。
悪意はなかったのだろうし、そもそも機嫌が悪かった自分が当たり散らしたことが大げさになったのだとガルスも察しているのだ。
ぶっちゃけ、自分のやつあたりで人を処罰するとかそんな精神衛生が最悪になりそうで、ついでに言うと暴君的なことはやりたくない。

まあ、そんなものius privatumは気にしないのだが。
なにしろ、私法がカバーするのは公益以外のすべてで、ガルスはこの場における家長的存在なのだ。
その気になれば、死刑や追放刑、あるいは動物刑すら下しうるのである。
知らないとはいえ、ガルスは公的には『帝国の皇族』であり、現皇帝の数少ない血の近い親戚なのだ。
まして、ガルスが本質的に皇位を望んでは居ないだろうと理解している皇帝にしてみれば困窮させるよりはある程度の権威づけを図りたいところ。

だから、まあ、ガルスにとってはいつか直面しないといけないことではあるのだ。

この世界は、古代ローマは、現代人にとっては『平等で公正な世界』ではないのだ、と。
彼は、幸運にも権利と身分を保証される側であり、同時に体制側の一員として畏怖されると同時に恐怖される対象なのだ、と。

目の前でひれ伏す老婆から、学ばざるを得ないのだ。

「ふーむ、如何いたしましょうか殿下。」

「子供のいたずらだろう?汝の隣人を愛せよ、だ。強く咎めたてるのは陛下のご芳情にかなわないであろうし、因果を含んで譴責しておけばよいのではないか。」

取りあえず、厳罰とかじゃなくて軽く叱っておけば?程度と口にするガルス。
だがその時、ガルスの知恵を司る守護天使は珍しく勤勉にもガルスの脳裏に警告を発してくれる。

…皇族から、不興を買って『公式に譴責』された使用人の末路ってどんなものだろうか、と。
ヒトラーとか、スターリンの激怒を浴びた人間が、とりあえず死刑になってないけど、君ならどうするか、と。
そこまで思い付いたとき、ガルスはようやく自分の置かれている『立場』の重みを自覚する。

引き籠って、ATMからお金を金貨で貰って、のんべんだらりとユリアヌスとジャレながら田舎でまったり生活していてなお、地位と血は彼に付きまとうのだ。

「いや、まて。そう、そうだ、あの踊りは見事だった。」

ひらりと、ひらりと。
軽やかに舞っている姿は、見事だった。
心奪われた、と言ってよい。

「多少、そう、多少だ。気分を損ねたとはいえ、あの踊りは見事だ。できれば、機会があるときにでも披露させてみようじゃないか。」

放逐されないような口実。
それを咄嗟に探し当てるためだけに口にしたこと。
だが、それはこの場における『正解』である。

「結構なことでございますな、殿下。もし、お気に召されましたば、傍仕えとして身の回りの世話をさせる者どもとして取り立てるというのは。」

「そうだな、いや、それもそうだ。よし、そうしよう。ルシウス。」

皇族から譴責されたとはいえ、傍仕えというのは大抜擢だ。
ガルスの罪悪感もほどほどに癒され、ついでにこの場も切り抜けられるという一事はガルスにしてみれば望ましい解決策でもある。

「ああ、それが宜しゅうございますな。私どもといたしましても、胸が痛まずに済みます。」

だが、そこでちょっとだけほっとした表情で衛士たちに老婆を連れて帰ってよしと指示していたルシウスの呟きにガルスはようやく気が付く。
そういえば、こいつなんだか自分を誘導するような発言が多くなかったかな?と。

思い出してみれば、判決を下すのはガルスじゃなきゃダメだ、とか。
の割には、厳罰を求めているようで、弁護人をよんでみせたり、とか。
法の厳格さとか、皇族の威厳とか言う割には、あんまり細かいことには口を突っ込んでいないし、と。
それでいて、お情け頂戴のバランスを整えた結論出させてくれたんじゃね?と。

「・・・なあ、ルシウス。」

「はい、なんでしょうか。」

すまし顔で答える侍従の表情。
…ああ、これは、間違いない。

「気が付くのが遅い自分が悪いのだろうけど、君、陛下やおばあ様からとか何か言づけられていないか。」

「と、申しますと?」

「ガルスに皇族の在り方を教えておけ、とか、使用人に使い方ぐらい覚えさせておけ、とか。」

使用人との関係を学んで来いと送り出したのが祖母だ。
そして、わざわざニコメディアの離宮を皇帝陛下が滞在先として手配してくれたことの意味合いを察するにそんな匂い。

「御名答です。殿下。陛下は殿下の生活を御否定為さるおつもりはございませんが、作法は覚えさせるべきだ、と。」

してやったり、という表情のルシウスは侍従としては実に有能な補佐役兼教育係なのだろう。
作法、というか皇族の在り方教育を皇帝陛下はガルスにも施してくれる気らしい。

…田舎にほっといてくださいと言えないのは、ガルスの気が弱いからだろうか。

「殿下のおばあ様からはどうも使用人の使い方に変な躊躇があるので矯正を、とのことでございます。」

まあ、田舎は田舎で地所の人間関係に気を使う羽目になるのだろうが。

「まあ、いいさ、勉強にはなったし反省もしている。もう少し、注意することにするよ。」

「大変宜しいことかと存じ上げます。」

では、後程。
御付の者どもをご紹介させますので、少しばかり使い方に慣れてください。
そう言い残し、いそいそと退室していくルシウスの姿を見遣るガルスの心中に渦巻くのは嵌められたことへのもどかしい感覚だ。

…迂闊なことを口にした自分が悪いのだろうが。

自分とは、結局のところフラウィウス・クラウディウス・コンスタンティウス・ガッルスとは『皇族』が全てなのだろうか。と。





あとがき
Q:ラブコメとか、イリニの予定は?
A:古代ローマ世界の技術水準・身分・内政チート・ご友人獲得の困難さを説明するための緊急導入的な補足説明により延期されました。

Q:なんで、そんな説明が?
A:古代ローマへの溢れる愛が普遍的なものかと盲信してましたorz

Q:まあ、解説あるのは良いとしよう。なに、この更新スパン?
A:平均値を大幅に上回る更新速度ですが何か?

Q:市民カルロ・ゼン、デグさんのラフ画みて、テンションあがって更新すると誓った誓約を忘れたのですか?余暇に何をしていたか言ってみなさい。
A:継承法・王朝内人間関係・蛮族とかの在り方を勉強するために、『The Old Gods』で猛勉強していました!愛してます、パラド!おお、パラドよ、パラド、お前はどうしてパラドなのか?どうして、スウェーデンの会社なのだろうか。

こんな具合で、愛しいパラドにお布施をしてました。スランプ?カルロ・ゼンに甘酸っぱい恋愛ものを書けるとでも?

→取りあえず、今月中に後二回は更新しようと思いますorz

でも、誤字がたくさんですorz



[33140] 第七話 イリニとガルス
Name: カルロ・ゼン◆f40da04c ID:f789329c
Date: 2013/06/23 23:00
学生のお仕事とは学校とか、塾でテキストを使ってお勉強すること。
そんなことを思っていた時期が私にもありました。
古代ローマ、教育方針はOJTなんですね、知りませんでした。

目の前にずらりと並んだ使用人や請願者や、山のように積み上げられた請願書を前に真っ青なんですがどうしましょう。
ついでに言うならば、自分用の傍付きが与えられるそうですがどう接していいのかさっぱり分かりません。

おお、神よ、僕はどうすればいいのでしょうか。
さっさと洗礼を浴び、財産抱えて教会の生臭坊主計画を希望したいです。
でも、洗礼式は厳格な信仰の規範を揺るぎなく確立しなきゃダメっしょとかエウセビス司教がおっしゃっているんですね、頑固者め。

まあ、真面目な聖職者が厳格な信仰の規範を『模範たるべき皇族』に期待しているらしいので無理強いできないのがつらい所。
これって、グータラライフを送って呑気にヴォルフ・ディートリ・フォン・ライテナウさんのようにリアルシムシティやれば満足なんですが。

何が悲しくて、こんなに真面目に勉強せねばいかんのですか?
これって、新人研修という名の雑用係じゃないのかなぁと思い始めました。
そんな僕の名前はフラウィウス・クラウディウス・コンスタンティウス・ガッルスです。

プリーズコールミー、ガルス。



午前中、朝食を食べながら来訪客の請願やら何やらに対応するのは古代ローマ貴族の由緒正しい嗜みである。
それは家門の長にとってないがしろにできないパトローネスとしての義務だ。
引っ切り無しに訪れてくる人々の要望を聞き、力添えをすることで国家がカバーしない細々としたものを補う半分公的な仕事である。
補完性原理に従い、貴族らが自分たちの領域の問題を法に従いつつ解決することが小さな政府のローマを支えてきたといえよう。

が、そんなことはブドウを摘む間もなく引っ切り無しにやってくる依頼や嘆願や面会希望に精根尽き果てたガルスの知ったことではない。

「ルシウス、ルシウスを呼べ!」

事情を一番知っていそうな侍従を呼び出すガルスにしてみれば、自分は別にパトローネスとしての義務はないはずと他人事。
実際、ガルスにしてみれば田舎に引き籠っているガルスがパトローネスとしての義務を負うのは祖母の地所で働いている人々に対してだった。
そりゃ、自分ちで働いている小作人が病気になって今月誰か畑の手入れをする人を紹介してくれとか言われればガルスは手を喜んでかす。
必要なら、ちょっとお見舞いのお金と食べ物を送り、ひょういひょい出向いて手渡しても良いくらいだ。

が、ニコメディアの離宮でやれ軍役が~都市参事会が~などと言われてもガルスにしてみれば『それ、自分に関係あるの?』である。

「お呼びでしょうか、殿下。」

「何かが間違っている気がする!どうして、自分がこんなところでニコメディア離宮に集まる嘆願を処理しているのだ!」

胡散臭い笑顔を張り付け、参上した侍従の顔面にパンチの一つでもぶち込むべきではないかと唸りながら咆哮するガルス。
常日頃、怠けることしか考えていな怠惰な眼も、さぼるためとあれば怒りを携えて大いに鋭くとがるというものだ。

「畏れながら、殿下。殿下はニコメディア離宮に滞在為されている方々の最高位であらせられます。」

「いや、違うだろう其れは。自分は官職についてないんだぞ?総督府の仕事であって、自分は此処に学究のために来ているんだ。」

ガルスにとって、官職とはつまり「仕事」だ。
血とは、一族、親戚、じーちゃん、ばーちゃんと親族の集合体を結びつけるものという認識に近い。
無論、血族に伴う責任やら立場というのは此処暫くニコメディアで教育されているので何となく察してはいる。

察してはいるのだが根本では、政教が一致し、ついでに権力機構と血族が結びつきつつあるローマ末期とずれているのだ。

そりゃ、皇族らしいし、責任がなんかあるのは分かる。
が、ガルスにとって皇族って、なんか手を振っている象徴的な存在という程度の認識はやはり大きいのだ。
ガルスの脳裏にある皇族としてのイメージは、日本での記憶が小さくない。

天皇陛下や皇族が行幸するとき、お話を聞いたり、何か配慮したりすることは知っている。
だから、自分もそれなりに迷惑をかけちゃいかんのだ、とは学んだ。
しかし、ガルスにとって地方の実務ってのは行き先の県知事とか、担当官庁の仕事じゃね?である。

「…さようでございましたらば、一度コンスタンティノープルの方にお伺いを立てさせましょうか?」

侍従にしてみれば、屁理屈をこねてさぼりたがっているようでもあり、道理でもあるようであり、と困るガルスの言い分。
もっとも、侍従らにしてみればガルスの緩やかな監視兼教育が仕事なのだから、ガルスがノンビリと引き籠る分には本来は問題がない。
まあ、皇族が軟禁されているとの世評が立つ方がコンスタンティウス2世などには差し障りがあるのだが…程度問題だろう。

「即刻そうしてくれ。僕は、塾の見学に行ってくるぞ!」

が、ルシウスが心中でどうしたものかと匙を投げかけているとはつゆ知らず。
外に出たい、というか折角なのだから街の観光の一つもやりたい、というガルスはこれ幸いと外出の準備を始める。
金貨と銀貨を財布に詰めて、用意しておいた適当な服を上から纏い、お出かけのお供の本を一つ手にするガルス。

「は?…殿下、その、お待ちください。お出かけになられると?」

「そうだ!そのために、ニコメディア離宮をお借りしているのだから、当然ではないか。」

「では、お供とお足をご用意いたしますので」

「いや、いいよそれは。皇族としてぞろぞろ引き連れて塾に行くとか、どう考えても迷惑じゃないか。」

そして、ちょっとホテルを出て街を観光してみよう程度というガルスの感覚はルシウスの頭痛を酷くするものだった。

「・・・・・・・・・・・・・・・殿下?まさかとは思いますが。」

「ルシウス、私は此処で見聞を深めたいのだ。離宮で学ぶことがないとは言わないが、司教殿すらお越しにならず神学すら学べていない。」

「皇族と言ったところで、自分は無役の気軽な身だし、そこまで大げさにせずともだね。」

「しかしですね、殿下。」

「いろいろあるのは分かるけれども、離宮の中だけでは息も詰まる!若いうちに、様々な経験をしてみてもいいじゃないか。」






…ごめん、ルシウス。僕が悪かった、謝るからこれは勘弁してもらえないだろうか。



「あら、本当にいらっしゃったの?」

差し向かい、それも離宮の裏門近くの日当たりのよい長椅子から立ち上がった彼女の第一声はそれだった。

「ルシウスさん。こちらが、甥御さん?イリニです、初めまして。」

もうすぐ、正午を過ぎようかという時間のニコメディアの町はお昼を食べに行くには最適。
お忍びの街歩きを、という事ですし案内役を付けるので私の甥御という事で楽しんでくるのは如何でしょうか?

そんな侍従の悪巧みに乗った自分の愚かさを呪いつつもガルスは引きつりそうになる表情筋を懸命にほぐしながら名乗り返す。

「ええと、ガルスです。よろしく。」

「はい、こちらこそ。それにしても案内をわざわざ頼まれるなんて、変わっていらっしゃいますね。」

「いやぁ、兄夫婦が過保護で。親戚一同が引きはがしてニコメディアの私のところに送られてきたばかりなのですよ。」

まだ若造と呼ばれる年齢とは言え、青年の街歩きにわざわざ案内をつけてくれと頼まれる側の反応はごくごく常識的に訝しむもの。
冗談ではなく、どうやら本当に甥を引っ立ててきたらしいルシウスの姿を見た少女が困惑気に呟くのは道理だった。

そして、ニコヤカな笑顔でさらりと虚実を混ぜた言葉を吐き出すルシウスも侍従としては大した奴である。

「あら貴方、箱入り?」

「ええと、はい、たぶんそうです。」

が、ガルスにしてみれば酔っぱらって見惚れていた少女が目の前で首を傾げているのである。
ついでに言えば、自分が冤罪に追いやりかけた相手でもある。
苦手意識というか、罪悪感なしに笑顔を直視できない相手を持ってくるルシウスに恨み言の一つも言いたくなる程だ。

正直に言って、ガルスが箱入りだろうと、箱入りでなかろうとここで朗らかに平然と対応できるはずがない。
離宮の裏庭で果物を摘みながら、のんべんだらりと昼寝したいなぁ…と心ここに在らずとガルスは早くも現実逃避を始めたかった。

「別にいいけれど、なにか見たいものとかは?まさか、何もしらないことは…、なんてね。」

「ええと、何があるのでしょうか?」

「…ルシウスさんが、心配なさるわけだわ!あなた、今までどうしてたの?」

腰に手を当て、器用にも呆れたわと天を仰いでみせる少女。
ニヤニヤと笑っているであろう侍従をいつか泣かしてやると心に誓いつつも、ガルスは取りあえず眼前の問題に対応する。
彼は、ひるまない。彼は、媚びない。
そう、ガルスは、勇者なのだ、

「失敬な。本を読んで、偶に使用人と畑を見てと晴耕雨読に努めつつ、弟と…」

いわれなき誹謗中傷に対するガルスの胸を張っての自信満々の返事。
どうだ、と言わんばかりに答えるガルスは自分の生活に誇りすら抱いているのだ。
これがいわゆる高等遊民だ、と。

誰に迷惑をかけるでもなく、強いて言うならば皇帝陛下兼ATMの使用限度額もほどほどに。
一応畑が地元にあるので、生活の資本もばっちりである。
ルシウスの甥っ子、というのは気に入らないにしても、甥っ子としてみれば中々だと自負する生活。

勉学に努め、生活を自分で賄えるというのは自立の証。
心配されるいわれはないのだぞ、と目の前で余計なおせっかいを焼いているであろう少女にガルスは断言してみせる。

「呆れた!あなた知らないの?若いうちは、いろいろな人の話を聞いて、様々な経験をしておくものよ。」

「そんなものなんでしょうか。」

「そうよ。」

が、どうもガルスの返事はイリニの琴線には感銘を与えるどころか真逆の効果を及ぼすらしい。
今一つ、苦手意識が拭えない相手におずおずと、それは違うんじゃないだろうか、と言うにも言えず。

「まあ、イリニ。そういう訳で、うちの親戚やら知己やらも偉く心配しているんだよ。すまんが、少し世間を教えてやってくれ。」

「そうですね。ちょっと、世間知らずにも度合いがありますし、お引き受けします。」



こうして引きずり回される羽目になったガルスだが、実際のところ案内役としてのイリニは実に親切で適任である。
なにしろ年頃の好奇心が強い女の子が、上役の許可を得て街をうろつけるのだ。
本人の行きたいところ、興味のあるところというのはかなりの広範囲である上に、離宮勤めということもありイリニ自身の顔もそれなりに広い。

あちこちで物珍しげに突っ立っているガルスに、それとなく説明を入れられるのはイリニの知見の広さ故にだ。
最も、ガルスにしてみればそんなことはさておき、初めて見る市井の生活に驚きと好奇心を隠せずきょろきょろとしっぱなし。
完全な御のぼりさん状態のガルスであるが、イリニもそれと無く気を付けているのでそれほど悪所に寄らずに済んでいるため大事には至っていない。

大通りや、イリニのよく知る商業区画を案内されるガルスとしてはふーん、と感心してばかりである。
ついでに言うならば、こっそりルシウスが付けた護衛兼監視の面々はガルスの呑気さにやや気を揉んでいるがそれはイリニの知ったことではない。
だから、彼女はちょっと抜けているガルスを引き連れてあちこち見せてやろうと面倒見の良さ故で注意すべき場所を教えてやるのだ。

そんな場所の一つに、キリスト教の教会がある。

別段、イリニ自身がキリスト教徒に含むところが強いわけではないのだが、如何せん、彼らは余り評判がよくないのだ。

「で、ほら、あの人たちには少し注意が必要よ。もちろん、話が通じない人たちじゃないのだけど、自分たちの信仰を特に大切にする人たちだから。」

少し、変わっているのよ。
そう続けようとしたイリニが口を噤むのは、連れてきたガルスの様子が極端に変化したからだ。
目の前で騒いでいるキリスト教徒らの一団を目の当たりにし、凍り付いているガルス。

どこか引きつったような表情に浮かんでいるのは、動揺と困惑。

「あら、ずいぶんと深刻そうにあの人たちを見るのね。」

「…彼らは、キリスト教徒ではないのかい?」

「ええ、そうよ、そう呼ばれる人たちよ。」

キリスト教徒が内外の人々と教義や信仰をめぐって小競り合いを起こすことは良く知られたことだ。
信者同士でなぐり合うという事も、珍しくないためにそれとなく注意が必要でもある。
よく理解していないと思しきガルスに、それとなく注意を促しておこうという彼女の配慮。

イリニは、単に喧嘩やトラブルに巻き込まれないように注意しなさいね、程度の気持ちでガルスを案内したに過ぎない。

「では、彼らは何故…その、なぐり合っているのかな?」

あら、貴方、本当に知らないの?と言わんばかりのため息。
実際に、イリニは困ったものね、と呆れつつも心配する気持ちを覚えるのだ。
田舎の方では、キリスト教徒はまだ珍しいと聞いているのだけど、これほどとは、と。

ガルスをまじまじと見つめ、ドギマギとさせた後でイリニは声を潜めてそっと呟く。

「こう言ってしまうと、簡略化しすぎなのかもしれないけれど、彼らは何時もあんなものよ。」

「は?…博愛、慈愛、寛容が彼らの教義ではないのか?」

「ガルス、貴方ねぇ…。本の読み過ぎよ、世の中、書いてある通りに進む方が珍しいんだわ。」

大丈夫かしら、この人?親戚が集って、心配する訳だわ、これは。
などと他所の苦労を案じながら、イリニはゆっくりと言い含める様にしてガルスに説いておく。

「彼らは、優しいかもしれないわね。でも、彼らは『正しい』人にしか優しくないのよ。」

「イリニ、それはつまり、彼らが博愛の精神を持っていない、ということかな。」

「ガルス、いいかしら。あのね、彼らは、彼らなりに寛容なの。だから、違いが許せないのよ。」

「…どういうことなのか、わからないのだけど。」

良く分かっていないという表情のガルス。まあ、実際この解説は感覚的なものだからちょっと説明が難しい。
だからこそ、イリニにしてみればこのどこか抜けたガルスには念入りに説明しておいたほうが良いだろうと少し考えてから口を開く。

「何と言えばいいのかしら。ほら、私たち離宮にお勤めしている人間って、ちょっとしたルールが中であるのよ。」

「そうだね、いろいろとあるみたいだ。」

「そう。で、私たちは同じ職場で働いているけど、時たま変な人や不向きな人がいるのよ。そういう人はどうするべきかしら?」

「やめてもらえばいいじゃないか。」

何を言っているんだろうか、という表情のガルス。
実際、田舎で人を使っている立場の人間が言うのは簡単だ。
馴染めないようならば、別の仕事に就いてもらえばいいじゃないか、と。

仕事ならば、それで正解。

「ガルスの言うとおりよ、やめてもらえばよいの。でも、キリスト教徒にしてみれば『間違っている人は改めなければいけない』と考えるのよ。」

「うん?」

そう、やめてもらえばいい。
仕事ならば、別にやめてもらったところで首になった人間以外は気に病むこともないのだ。
が、キリスト教徒の世界では『間違い』は『矯正』の対象である。

「信じなきゃいけないのだから、間違ったことを信じている人は、間違いを正さす必要があるの。」

「変な話じゃないか。だから、なぐり合うなんて。」

「それには、賛成。でも、正しい教えを知らない人々、まあ私みたいな人々は兎も角ね。正しい教えを知って、誤る人は許せないんだって。」

そう、イリニにしても別にそんな信仰の違いでお互いを罵り合う必要があるのだろうかというガルスの疑問は分かる。
分かるのだが、もう幾度となくニコメディアではそのキリスト教がらみの小競り合いが起きているのだ。
匙を投げた人々が、キリスト教徒の争いに疲れて放置し始めるようなっているのは別段無理のあることではない。

「そんなことをせずとも、平和に話し合って、お互いどちらが道理か考えればいいではないか。」

「あのね、ガルス。言いたくはないけどあの人たちはそういう教育を受けた人々ではないのよ。」

呑気な意見。
そう、それはガルスやルシウスといった日々の生活に余裕があり議論を楽しめる人々の意見だ。
イリニ自身、祖母から教わった程度の知識にすぎないとしても、弁論術というのは一つの知識だと知っている。

「日々の生活に追われるあの人たちにとって、キリスト教とは唯一縋れる正しきものじゃなきゃいけないの。」

だから、不純物が許せない。

「…私には、わからない。信仰は心の救いであって、他者との争いの道具ではないはずだ。」

「そう考えられる人々ばかりじゃないのよ。貧乏になってしまえば、だれでもそう。」

理解しかねるという表情のガルスは、理屈では正しいのだとイリニは認めないでもない。
でも、イリニは少しだけガルスが理解できていないであろうところを知っているのだ。

「ガルス、貴方は生活に苦しんでいる人の考え方を理解すべきだわ。あの人たち、何時も怯えているのよ。」

「まあ、生活苦は不憫かもしれないけども、怯えている、というのはどういうことだろうか。」

「何時、自分の生活が崩れるのか分からないのよ。景気もよくないし、なにより病気でもしたら大変よ。」

それに、イリニの立場上口にできないことではあるのだが、税金も決して安くはない。
農民たちの生活も楽ではないし、何より都市の労働者や浮浪者というのは行き場がどこにもないのだ。
彼らが漠然とした未来図しか描けないのをイリニは、何度となく見てきた。

仲の良かった一家が、破産して夜逃げしたり財産を差し押さえられるのも嫌になるほど見ている。
そして、ニコメディアはともかく各地から色々と穏やかではない話を耳にしているのだ。
どこそこに盗賊が出始めた、とか、蛮族が入り込んでいるとか、ペルシャが攻めてくるとか。

「あの人たち、どこか怯えているのよ。だから、救いを求める人たちはその救いを揺らがす人が許せない、そんなとこかしら。」

「…イリニ、君は聡明なんだね。」

「あのねぇ、貴方がどっちかといえば呑気過ぎるに違いないわ。少しは、世間の人が悩んでいることも考えてみたら?」

少し、苛立たしげにつぶやいてしまうイリニの心情も無理はない。
誰もがどこかしら、悩んでいる時代に合ってガルスは実に能天気な態度で他人事と言わんばかりに眺めているのだ。
もちろん、ガルスの故郷は田舎にあるのだろう。

「単なる田舎の地主の仕事じゃないよ。そういう事は、偉い人たちの仕事だ。」

だから、他人事で偉い人に任せてしまっている彼の態度は無理があるものではない。
ガルスにしてみれば、別段、本業をおろそかにしなければよいのだろう、と。

「そうかもしれないわね。でも、そういうことに怯えなくてよいあなたがぼーっしているのは、ちょっと不謹慎じゃないかな?」

それでも、イリニは少しだけ腹を立てるのだ。
自分が心配しなくてよいからといって、知らんぷりするのは変だ、と。

「権利と義務の話ならば、十分だよ。」

「まあ、貴方にいっても仕方ないのは確かね。でも、少しは世間の関心も知っておくのも悪くないんじゃない?」

「それについては、君に感謝していますとも。」

勿論、ガルスに説教したように物事というのは道理で済む話じゃないとイリニだってよく理解している。
でもだからこそ、書物に書かれた綺麗事を口にするガルスが他人ごとみたいに言うのはちょっとシャクに触るのだ。

「大変結構。じゃあ、その深刻そうな表情はひっこめてドライフルーツでも奢って貰いたいわね。」



彼女は知らない。
ガルスにとって、彼女の投げかけた言葉の意味を。
重さを。


あとがき
ぱ、ぱ、ぱらど、がすてぃー○で、せーるしてたからって、更新をさぼるような真似をするわけがないじゃないかー。

と、鋼の精神でもって更新。なお次回の更新予定は未定となっておりますがあしからず。

なお、某スレで本作のテーマが不明瞭というご突っ込みを拝見したのでニマニマしたりしてます。

本作は『転生ものとはいえ、普通の人が明確な目的持って行動するとかおかしくね?』という実にシンプルなスタート地点から始まった作品です。色々な凡人なりの葛藤とか。

同時に『宗教・常識・人間関係・内政』などなどの捻じれに現代人がのた打ち回りながら、その世界で生きていくことを目的とした実にカルロ・ゼンの趣味的作品です。

ぶっちゃけ、ローマ好きなのが大きいのですが、ローマ世界に放り込んだ現代人が、滅びゆくローマ世界でどういう風に自分の立ち位置を見つけてのたうちまわるか生きてゆくかを描いていきたいと考えている作品なのでまあ、ちょっとゲテモノとまでは言いませんが、お口にあう、あわない、がある作品かなぁとは自覚しております。

いいじゃない、偶には凡人の異世界転生もので内政チートするでもなく、うじうじと翻弄されたって。

でも、誤字が多いのはご容赦をorz



[33140] 第八話 ガルス、悩める若者になる!
Name: カルロ・ゼン◆f40da04c ID:f789329c
Date: 2013/08/01 17:49
お出かけの時、鉄道が時刻表通りに来ない国は非文明国だと海外で罵った経験はありませんか?
高度に文明的であると歴史上世界中から称賛を集めたはずの古代ローマ帝国。
ですが、時刻表と鉄道が見当たりません。

というか、軍隊は時間区切で4交代制を採用している癖に軍隊以外は割とルーズなんですか、そうですか。

お客様の中に、蒸気機関と製鉄と鉄道インフラの整備に造詣が深い技術者はいらっしゃいませんか?
もしくは、一足とびにガソリンエンジンを専門とされる方でも結構です。
妥協してゴムで車輪をカバーできる場合でもおっけーなのですが…それも駄目ですか?

申し遅れました。
フラウィウス・クラウディウス・コンスタンティウス・ガッルスです。
ニート生活を満喫していると思えば、いつの間にか従兄弟の家業でこき使われていたっぽい中途半端な高等遊民でもあります。
取りあえず、ニコメディア離宮で面倒かつ煩雑な社交をお断りしてニコメディアの街へ脱出しました。
あれだね、離宮に居なければ『地方から勉学にやってきた』単なる学生だもん。
親愛を込めてプリーズ、コールミー、ガルス。




「…お久しぶりです、司教様。」

「殿下もご立派になられましたな。また、語らうことが叶うのは喜びとするところであります。」


…でも誰か、時々注意してくれると嬉しいです。



すくすくと健やかに育ち14歳となったガルス。
誕生日祝いに街にある一軒家を皇帝陛下から下賜されたガルスは離宮から躊躇なく逃げ出していた。

宴会に殺されかける!
嘆願の処理は勘弁!
あと、イリニにいじられるのはなんか苦手だ!
ついでにルシウス。お前一発殴らせろ!

そんなガルスの本音をオブラートに包み、修辞的に表現するのであれば離宮から身を引いた、というべきだろうか。
ニコメディア離宮の滞在許可を与えられた身ながら、社交はちょっと…と渋った従兄弟の殊勝さを皇帝陛下が認めてくれたともいう。

物事は言い様だという典型例だろう。
まあ、世間的にみればガルスは飼い殺しにされている皇族というところ。
なのだが…ガルスに不満がない。

というか、両者にしてみればある意味理想的ですらあった。

皇帝にしてみれば、安全管理ができるという意味で。
ガルスにしてみれば、責任を負わずに身軽になれるという意味で。

そんなわけでローマ世界にて初めての一人暮らし、とやらを行うガルス。
もちろん、初めの頃は新生活への期待で胸を膨らませたもののだ。
が、現在のテンションは実のところ甚だしく微妙であった。

なにしろ本人は電化製品に囲まれるか、使用人がいる生活かのどちらかしか経験していない古代ローマ基準でのボンボンである。
後世でいうところのビザンツ皇族そのものなのだから無理もない。
パンの買い方ひとつ、ニヤニヤ笑っているルシウスの前でイリニに頭を下げて教えを請わねば何もできない始末。

結局、ガルスの一人暮らしは意気込みこそ良いものの盛大に空回りしていた。
お陰様で、『一人では何もできないの貴方?』と自分の精神年齢の半分以下の少女に笑われながら使用人を手配する羽目になるほどだ。
彼女の助言もあり解放奴隷で公職から引退した老夫婦を雇うことで家事を任せられるまではガルスの生活は散々だった。

が、漸く生活が成り立った、と安堵したのもつかの間のこと。
日々の雑事に追われていたガルスが、解放感に浸りながら日々の生活を送り始めたとき、彼はコロリと大事なことを忘れてしまう。
被後見人が眼の行き届いた離宮から出て行った、と知らされた後見人の立場まで忘れていたのだ。


その日、私塾で大いに議論を戦わせゼミ帰りの学生というべき陽気な気分で家に帰ったガルス。
彼を待ち受けていたのは旅装のまま、しかめっ面を浮かべて待ち構えていたエウセビオス司教だった。

初めて迎えた客人は半分くらい棺桶に足を突っ込んでいるのではないか、というぐらい顔面が蒼白。
しかも、自分の神学上の師であり近況報告の手紙をそういえば最近出していない相手でもある。

「いらして下さるのであれば、ご連絡いただければお待たせすることもありませんでしたのに。」

「いえ、殿下もここしばらくお忙しそうでしたので、お邪魔したくなかったのですよ。」

「申し訳ない限りなのですが、慣れないことに追われていたのでしょう。不義理を働くつもりは無かったのですが。」

繰り返しになるが、ガルスは安全に管理できる皇族と見なされたが故に…放置されているのである。

まあガルスにしてみれば、管理せんでええから皇族辞めさせてくれと言いたいところなのだが。
如何せん血統上、ガルスの体に流れる血が問題なので辞めたいからと言って辞められるものでもないらしい。

幸か不幸かガルスが知らないことではあるのだが…ちょんぎってしまうという手はある。
まあ、知ったところでガルスと雖もそんな恐ろしい手術を受けたいとは思わない。
何より、宮廷側にしてみれば皇族を宦官とすることへの諸問題も山積しているのだ。

そんなわけで、ガルスは辞めるに辞められない皇族という生まれの問題にぼちぼちと慎重に付き合わざるを得ないのである。
が、初の一人暮らしとある程度の自由気ままな生活で彼はすっかりそんなことを頭から落してしまっていた。

結果が、目の前で泰然と腰かけながらも良く見れば脂汗を額に滲ませた老司教の家庭訪問となるわけである。

「…ああ、御歳なのですから無理を為さらないでください。どうぞ、座ったままで。」

座っていた椅子から立ち上がろうとするエウセビオス。
彼を手で制しつつ、ガルスは久々の客を迎える主人としての心配りを思い出す。

「何もない我が家ではありますが長椅子ぐらいはあります。せめて、横になってください。」

「主の定めたもうた定命。そう気に病んでもどうしようもありませんよ。」

咄嗟に頭を占めたのは目の前の老司教が疲れ果てているという事実だった。
ご年配の方々には丁寧に…という程度の心配り。
横になってもらえれば、少しは楽になるのではないだろうかという心配りは不器用な申し出だった。

だが、不器用にいたわりの声をかけるガルスに対してエウセビオス司教は綺麗な篤信者の笑みで微笑んでみせる。
彼は政治を解するとはいえどこまでも信ずる者なのだ。
ある意味では、ガルスのニート生活に対して対極に位置する信仰の人である。

天に召される前。
せめて、信仰を守らなければ。
信仰の灯を、宮中の介入から。

「…それで、殿下。学問は如何ですかな?」

今は無き大帝がかつて宗教論争を束ねようと手を出したことは渋々ながら、教理の純化のためと彼も耐えた。
が、それはあくまでも教会が分裂し乱れることを嘆けばこそ。

カエサルのものはカエサルに。
それはよい。

が、カエサルが教会をわが家の一部としようとすることまでは彼には許せない。
だからこそ、エウセビオス司教は先帝時代にガルスを聖界入りさせようとする皇帝の意向に慄いたのである。

「自分には神の教えは難しすぎる、というのが率直な印象です。」

「ほう?」

「聖書を読み、教父たちの本を読むのは私の好むところでありますが世俗のこととなるとどうにも書物通りには。」

才気溢れ、真理をつまらない知識であるかのように口にしていた若者。
彼の口からでる言葉は、しかしエウセビオスにとって完全に予想外の一言だった。

世俗のことへの疑問。

それは、世慣れぬ若者が見せる戸惑いのようでもあり、同時に何か未知のものへの恐怖のようでもある。

「どういうことですかな?」

「私は、キリスト教徒を知っているつもりに過ぎなかったのかもしれません。」

しかし、ガルスが口にするのは『知っているつもり』という一言だ。
確かに、かつて宮中で自分がガルスとやりあったときに既にガルスは教理の目指すところを『知っていた』。

三位一体と信ずることへの言葉。

彼は、それを熱意も信心もなく単なる事実として、知識として語れたのだ。

「司教様は、日々どのような信徒をご覧になられているのでしょうか。」

「司教区の人々のことですかな?」

「ああ、いや、私の先入観が不味かった、というべきなのかもしれません。」

だが、紡がれる言葉は独り言の様であり、同時に知識に対する懐疑に満ち溢れた悩めるもの。

「博愛の精神と、信仰を共にする兄弟たち。私は、それを疑わずに『素晴らしい』ものと敬愛していたのでしょう。」

していた・・・と告げる口調はどこか苦々しく、躊躇いが込められた告白だ。
無自覚の中に、ガルスが漂わせているのはある種の失望に近い。
無論、ガルスにしてみれば別段キリスト教徒の教えに魅力を感じていたわけではないのだが。

「そして、信じるものは幸いだ、と。」

それでも、平均的な現代人の感覚として少しばかりの美化された『信仰の人々』という形には敬意を抱いていたのだ。
変な表現になるかもしれないが、世俗主義の塊である日本でさえ、敬虔な人々というのは基本的にはある程度人格が陶冶されたという印象があるものである。

新興宗教はともかくとして、高僧や老司教という人々が社会的にある程度の経緯を集める世界にとって…宗教を他者の信ずるものと割り切ってもその宗旨の目指すところは善であるとあまり疑わない。

だからこそ、だからこそガルスは初めの頃、中世の教会のような世界でがっつりやっていけるのではないかと考えたのである。
が、その失礼な金で聖職を買おうという発想をひっこめる程度にはエウセビオス司教の敬虔さが眩しかったのだ。

「殿下、失礼ながら私には殿下の仰り様が少しばかり…。」

「失礼を。私はここニコメディアで信徒らがあまり幸せそうでないことに困惑している、というべきでしょう。」

その、ある種の敬虔かつ洗練された司教がキリスト教信者をガルスの中では体現していたのだ。
良きにせよ、悪しきにせよ、キリスト教徒として敬虔な人々は信仰の一つのありようとして信心深いのだ、と。

ため息を漏らすガルスの心情は、建前と現実の乖離へのある種の諦観と失望に近い。

「ご覧になられましたか?彼らは、信仰を共にする兄弟同士で相争いニコメディアで失笑を招いているのです。」

ガルスが目の当たりにした実態は理想とは程遠かった。
イリニが苦笑混じりになぐり合うキリスト教徒たちのことを『間違っていることを許せない人々』と評したこと。
それが今尚頭に残って仕方がない。

「何故、こんなことに?そう考えると、私には神の言葉とは人は理解するに至れるのか、と疑義を感じてしまうのですよ。」

「殿下、真理は一つです。」

「そう、一つのはずなのです。では、何故信徒が別れなければならないのですか?」

ガルスにとって、キリスト教徒というのはせいぜい日曜日に教会に行ってお祈りをする人々だ。
時折チャリティーをやっていて、鍋で募金を募る程度。
後は、宗教改革を招くほどに堕落したある意味金と権力万歳の時代程度だ。

信仰の熱狂と狂奔は…良くも悪くも現代人の感覚を引きずるガルスにしてみれば怪しげな新興宗教のそれとしか見えなかった。

「畏れながら、それは片方が誤っているからでしょう。」

「その通りです。ですが、何故人は過ちを犯してしまうのか。そのための信仰ではないのか、と悩む日々です。」

「…老い先短い身ですが、殿下ならば教義の乱れを正せるのではないかと期待しても?」

「私では無理でしょう。…私は、世間のことを碌に知りもせずに字面に捉われていた人間です。」

だからこそ、ガルスの口からこぼれるのはボヤキだ。
ニートになりたいですと口に出しつつ、出来れば教会に入って呑気に学者やりたいですなどと考えていた彼のささやかな将来計画。
坊さんになれば、そう簡単には粛正劇に巻き込まれることも少ないだろうという安易な考え。
いや、のぶなーがさんみたいに寺丸ごと焼き払う人物が歴史上皆無ではないのだが。

とまれ、聖職者となり信仰の灯を掲げるというのはガルスにとってもはや絶望的なまでにハードルが高いと言わざるをえなかった。

「そうであるべきだ、そうでなければならない、と考えてしまう私では教義を人々の心に行き渡るように説き伏せるのはとても。」

単なる知識で信仰の条文を読み上げたところで、良く言えば敬虔な。悪く言えば、ヤバイベクトルに篤信な連中を説き伏せられるだろうか?
そう考えただけで、ガルスの小さな肝は竦みあがってしまう。
恐ろしい想像だといってよい。なにしろ、新興宗教の熱烈な信徒に何かを説くのだ。
一つ間違えば、制御できない事態に翻弄されるだろう。

「そうですか。ですが、殿下、どうか学問に御励みになってくだされ。」

だが、ガルスのその躊躇をエウセビオスは理解しそこなった。

否、分かるはずがなかった。

ガルスにとって、それは、単なる新興宗教特有の荒々しさに対する戸惑いと、ちょっとした嫌悪感。
自己保身のために、中世の腐敗したキリスト教会で豪遊したいなぁとか考えているガルスの根性など篤信者には想像もできない。
そんなヤバイ連中のなかで、偉くなるのは危なくね?というガルスの躊躇は、敬虔な信者にとっては考えることすらおぞましいことだ。

英邁な若い皇族が、興味のない傍観者として教義を遊ぶのではなく、真摯に畏れ、悩む。
ある意味において、それはキリスト教が広く受け入れられていく中で敬虔な信徒たちが望んだありようなのだ。

そうであってほしいという思い。

そうあるべきだという、教義。

だからこそ、老獪ではあっても本質的には信仰の人であるエウセビオスは見誤らざるをえない。

それ故に、彼は老骨に鞭打って宮中で断言するのだ。
あの方は、ガルス殿下は、敬虔かつ善良なクリスチャンの心を有しています、と。

一方で、思いつめた老司教の思いは結局のところ軽薄な根性のガルスには理解できない。
彼にとって、信仰が全てであるという事は所詮知識の上での認識にすぎないのだ。




だから郊外までエウセビオス司教を見送ったガルスは単に、老人と先生に対する親しみと敬意を払った程度のつもりでしかなかった。
お世話になっている先生が来てくれたので、泊まっていってのんびりと話したかったけれども急ぎの旅なのでお見送り、と。

その帰路に、ガルスは普段あるかない郊外の雑踏で見慣れた顔を見つけてなんともなしに声をかけていた。

「やあ、イリニ。調子はどうだい?」

世話になったこともある知己に出会うのだ。
日本人ならずとも、一声かけるのは自然なことだろう。

だが、声をかけられた側は誰から声をかけられたか理解するや否や思わず自分の頬をつねっていた。

『あら、おかしいわね?痛いわ。』

そういわんばかりに訝しげに眉を顰め、首を傾げ、左右を見渡し、それから改めてガルスの方へ顔を向ける。
そこまでして、ようやくイリニは目の前でぼーっと突っ立っている男性がガルスであると認めた。

「あら、ガルス。以外だわ、貴方…塾と家を往復するだけと思っていたの。ごめんなさい。」

「…いや、普段の生活はアレだけどね。今日は、ちょっとお客人を送ってきた帰りだよ。」

半分、ひきこもりだと自覚があるガルスだが、それは本来社交を喜ぶローマ人にすれば世捨て人レベルなのだ。
本人の自覚と、極々平均的なイリニの感覚は酷く途絶している。
だからこそ、にわかにはイリニにとってガルスがほいほいと出歩いていることが理解できなかったのだが。

「お客人がいらしていたの。地元の方?」

「いや、昔の先生だよ。随分とお年を召されていてね。旅の途中に立ち寄ってくれたんだ。」

が、まあ、ガルスでもお世話になった先生には礼儀を尽くすのでしょう、と。
イリニもまあ、そこまでは理解できたのであまり口をはさむことはやめようと考えた。
何であれ、外を出歩くようになるのは良い兆候であることだ、と。

「あら、ゆっくりしていかれればよいのに。どうしたの?」

「急ぐ旅路らしくてね。顔を見て、少し話しただけで慌ただしく飛んで行かれたよ。」

「それで?貴方は家にとんぼ返り?それとも折角だから外を少し歩くのかしら。」

「ああ、帰るとも。頼んでいたコルメラと博物誌の写本がやっと届いたんだ。もう、わくわくしてしまってね。」

折角なのだから、偶には外を歩くのだろう。
そうならば叔父さんから頼まれている手前、面倒をみてあげようか。
そんな善意からのイリニの質問。

それに対し、ガルスは嬉しそうに。
そして、躊躇なく断言してみせるのだ。
さっさと帰って、新刊を読むんだ、と。

「…あのね、ガルス。貴方、ニコメディアに何をしに来たのかしら。」

「勉強だろう?もちろん、怠けてなんかいないぞ。」

「呆れた!貴方、まだ、理解してないのね!いい機会だから、少し、私に着いてきなさい。」










兄からの手紙が届いたと知らされたとき、ユリアヌスは古典の優雅な論理に親しんでいた時だった。
古代ギリシャ以来、脈々と受け継がれてきた論理と雄弁な言葉。
物語であり、神話であると同時にローマの精神を形作っているそれらの英知。

それらを学び、消化することはユリアヌスにとって掛けがえの無い喜びだ。

同時に人一倍に肉親の情に富むユリアヌスは、ガルスが書いてよこすニコメディアでの近況が気になってもいる。
世界の理と論理を教える古典と違い、ガルスは機知に富みながらもガルスはどこか理解できない視座で物事を見ていた。
兄のそんな一面に気が付いているのは、きっと何も言わない祖母と自分位なのだろう。

どうして、兄は、あれ程までもずれているのだろうか?
そんなことを考えながらも、ユリアヌスは先日の手紙でガルスが一人暮らしの喜びと大変さを祖母に書いてよこしたことを思い出していた。

祖母がアラアラと朗らかに笑いながらあの子も、そんな弱点があったのねと呟いていたことから察するに、どうもガルスは困っているらしい。
今一つ、理解しかねることだが兄は…初めてできた同世代の友人の尻に敷かれているらしいのだ。

「あら、ユリアヌス。ガルスが、貴方にって。」

祖母に感謝の言葉を返しつつ、手渡された羊皮紙を開いたユリアヌスはガルスが珍しくボヤキのような言葉を書き連ねた手紙にちょっと不思議
なものを読んだ気分となっていた。

ニコメディアで名所や有名なところを観光したという近況の概略。
けれども、読み進めていくうちに程なくしてユリアヌスはガルスの手紙に違和感を抱いていた。
まるで、知らせたい近況を書き連ねた驚きの知らせというよりも、不承不承見たものを報告するような書き方。

案内してくれるイリニという人物への謝辞を述べ、ニコメディアで見たものを書いた行間から感じられるのはガルスの戸惑いである。
なまじ変わった兄の感性に付き合ってきたユリアヌスにしてみれば、驚天動地の事態だろう。
なにしろ、あの何を考えているのか時々把握しかねる兄が、ニコメディアという街を見ることに戸惑っているのだ。
これが、異郷の、まったく異なる街ならばいざ知らずである。

「おばあ様、どうも、兄は、その…ニコメディアで戸惑っているようなのですが。」

だから、よほどの奇矯なものでもあるのかとユリアヌスは理解しかねてしまう。
彼の知る限りにおいて、ニコメディアは普通の都市のはずなのだが。

「あらあら、貴方もなのかしらね、ユリアヌス。」

「はい?」

「世間離れし過ぎよ、貴方たち二人とも。もう少し、世事にも気を配りなさい。」


あとがき
①最近、リアルがデスマーチ気味ですが私は元気です。とりあえず、週2更新で行こうと思います。海・オトラント・幼女・ガルス・ルナリアンのどれかを更新します。トラストミー!!(`・ω・´)

②なんか、放置していたのが不味いのかコメント欄に変な広告が沸きました。これって、削除申請すればいいのだろうか(・_・;)

③悩める無責任若者、ガルス君のもやもや感。彼はオリーシュでも、なでぽも実装していないので特に改善の見込みは有りません。凡人だもの、悩んだっていいじゃない。適当な生き方でもいいじゃない。



[33140] 第九話 ガルス、バレル!
Name: カルロ・ゼン◆f40da04c ID:123c5a96
Date: 2013/11/01 21:56

神様、貴方は僕のことが嫌いですか?
僕は、そんなにあなたのことを嫌いじゃなかったんですが、これどーゆーことよ。


「皇帝勅使、ルキウス・コルネリウス・レントゥルス・カウディヌス卿!ご入室されます。」

「フラウィウス・クラウディウス・コンスタンティウス・ガッルス殿下!ご入室されます。」


ねえ、誰かさ、教えてよ。

なんで、そこに、イリニが居るん?
なんで、ここに、僕は居るん?




申し遅れました。
フラウィウス・クラウディウス・コンスタンティウス・ガッルスです。
ニート生活を満喫していると思えば、いつの間にか従兄弟の家業でこき使われていたっぽい中途半端な高等遊民でもあります。
取りあえず、ニコメディア離宮で面倒かつ煩雑な社交をお断りしてニコメディアの街へ脱出しました。
あれだね、離宮に居なければ『地方から勉学にやってきた』単なる学生です。

訂正、帝政のご命令に従い過去形になりました。

親愛を込めてプリーズ、コールミー、ガルス。

いやほんとに。





ガルスは、式典と言うものが大嫌いだ。
堅苦しい秩序だった行事に、思いっきり煩わしいことこの上ない宮中づきあい。
父親が、顔を青くするのも容易に理解できるというものだ。

数日、公邸で歓待の宴に捕まっただけでガルスはもう魂が亡命しかけたほどなのである。
当然の次第ながら、公式の行事に参加するなど面倒くさくてさぼれるものならばさぼっていた。

その逃げっぷりと言えば徹底していてニコメディアの離宮から逃げ出して以来、彼は一度もニコメディアの公的行事には足を運んでいない。

そしてだいたいの場合、ガルスは言い訳の材料に困らなかった。
なにしろガルスは皇族という身分さえ除けば勉強中のそれこそ若者だ。
『若輩者にはふさわしくない』『勉学に励むべきだと考える』『より適任の方々がおられる』の三パターンで逃げられた。

変に権力者たちとアルコール飲んでぽろっと何か言われたり口にしたりで巻き込まれたくなかったという配慮も小さくはない。
お酒の席でうっかりやらかせば、明日には皆が知っているなど飲み会の基本だ。
えらい連中の飲み会で、ヘマしたくないし、疲れるし、面倒じゃね?と。

それが、自分の生活習慣を監視している連中にどう取られるかも知らずにひたすら参加を渋っていたガルス。
一応、ガルスとしては僕無害な皇族で、街でふらふら遊んでいるノー天気な人間ですぞアピールで保険は掛けたつもりだったのだ。
皇族だけど、ほおっておくかぐらいの扱いを希望して。

その結果として確かに、彼は、猜疑深い皇帝の警戒をある程度解きほぐすことには成功していると言えるだろう。
だからニコメディアで学習が許されたともいう。
しかし、ニコメディアでも離宮から速攻逃げ出し街で毎日愉快に暮らしている彼は、皇族の基準としてはありえない程清貧だった。
不幸なことに、それは『身の程をわきまえた皇族』であり、同時に『清貧な学徒』という妙なレッテルをガルスに張り付ける。

少しくらい、『皇帝基準で遊んでいる』方がコンスタンティウス2世も警戒したのだが。

故に、人手が足りていないコンスタンティウス2世はついに決断してしまうのだ。




「…カウディヌス卿、皇帝勅使のあなたが上座にお座りになられるべきだ。というか、並んではいること其の物が不遜ではないのか。」

礼節を保ったまま、有無を言わさず人間を連行できるだろうか?
答えは、今尚、諦め悪く足掻いているガルスが全てだ。

「ガッルス殿下、それは違いますぞ。」

「いや、やはり臣下としての節度というものがある。誰か、式部官をここに!式次第の変更を命じなければ…」

「殿下!彼らをお責め下さいますな。私が、そう命じたのです。」

ニコメディアの自宅。
今日の昼飯はなんだろうかと呑気に私塾から帰ったガルスを待ち受けていたのは立派な使節だった。
有無を言わさず馬車に押し込まれた彼が事態を把握するのは離宮に馬車が到着したその時である。

ガルスの頭が悪かろうと、ずらりと離宮の外まで貴顕を迎える人の群れがあればちょっとした予想位はできるものだ。

それから、離宮の奥で彼を待ち受けていた老人は皇帝勅使と丁重な物腰でガルスに名乗った。
そう、申し付けるのではなく、自分から名乗ったのだ。

カウディヌスと名乗った老人は、名門の出らしく丁重な物腰の中にも良い年の重ね方をした品がどこかみえる人物。
どちらかといえば、陽光の当たる道を歩いてきた後ろめたいことの少ない人生なのだろう。

だからこそ、ガルスは厄介ごとを感じるのだ。
午後のこの時間帯に、朗らかな品の良い使者が無理やりガルスを町から呼び出すとは、と。

そして、不審がるガルスに皇帝勅使が伝えるのは…公式行事へ『主賓』としての参加要望だ。
それはガルスにとってちっとも嬉しくない皇族としての扱いを意味する。
しかも、わざわざコンスタンティノープルからいらした。

それで、せめて皇帝勅使が皇帝の名代なのだからと逃げようと足掻くガルスに止めを刺すのがカウディヌス卿の何気ない一言である。

「カウディヌス卿、貴方が、ですと?」

本来、皇帝勅使とは皇帝の名代だ。
つまり、皇帝その人を除いて誰もが敬意を払わねばならない存在である。
当然ながら、その権威を汚すような行為はあまりほめられたものではないのだ。

…皇帝その人の言葉でもなければ。

「お言葉ですが。殿下、皇帝陛下より、ガッルス殿下を我が身の名代と思え、とのお言葉を賜っております。」

「だが御身は、官職にある老練な使者で私は無為の若輩者だ。やはり、貴方が上席に座られるのが道理だろう。」

暗黙裡に、せめて主賓として入るのはカウディヌス卿が先ではないのかという含み。
差し向けた水だが、しかし、老人の顔に浮かぶのは頑固な若者に対する説き伏せるような老人の顔だ。

「ありがたいお言葉ではありますが、私が陛下のお怒りを被ってしまいます。なにとぞ、この翁の顔を立てると思ってくださいませぬか。」

穏やかながらも、断固とした言葉に込められた意味。
それは、皇帝の意を汲んだ臣下のそれだ。
間違っても、この老人の独断ではありえない。

言い換えれば、この公式の宴は『ガルスの従兄弟であり生殺与奪の権利を握る』皇帝陛下の御意志となる。

「そこまでカウディヌス卿がおっしゃって下さっているのだ。遠慮するのが無礼でなければお受けせざるを得ないのでしょうな。」

ここまで言わせて、断るというのは実際、限られた宮中作法の知識からしても間違いなく失礼だし不自然なのだろう。
だから渋々上席に座らせていただくという姿勢を示しつつもガルスは頗る不安だった。

一体、何を皇帝が言ってくるのだろうか?
やはりATMとして最近、引き出しすぎたからだろうか?
しかし…最近の支出は必要な本を買っただけだし、老神父の健康を祈ってちょびっと教会に寄進しただけだ。

悪いことはしていないはず。たぶん。きっと…。

などなど考えた彼は、何か事情を知っているであろう自分の侍従を眼で探し求めたがどうにも見当たらない。
大方、万事心得た顔で自分が狼狽えるのを見守っているのだろうが…意外なことに自分が狼狽しているのにも関わらずからかう声一つないのだ。


そうして、気が付けば拒みようがない立場に追い込まれたガルスが渋々皇帝勅使さまさまに連行されて歩んだ先。
大勢の宮中の人間がずらりと並んだある種、視線に物理的な圧迫感を覚えるような空間が待ち構えていた。
まあ、その空気にまったく馴染みがないわけではない。
だから、彼は自分の名前が高らかに読み上げられた中で自分の侍従がビクリと視界の隅で固まったのを目ざとく見つけられた。

或いは、気付いてしまったともいうが。
こうして、事態は冒頭に戻るのだ。

…あのさ、神様、どうしてイリニがそこに居るん?



思わず、何も考えることが出来ずにフリーズしたガルスだが、彼の傍を歩く老人は完全に勘違いしていた。
慣れない場に出て、緊張してしまったのだろう、と。

実際、ガルスが殆ど命じられでもしない限りこういった場に出ていないのだから蓋然性の高い推測ではある。
皇帝を始めとした宮中の人間も、僅かながらガルスがそういった『失敗』をすることは案じていたのだ。
だからこそ、老練でなおかつ気配りのできるカウディヌス卿が使者の任に充てられたともいうのだが。

「殿下、どうか、お言葉を。」

老人はぶしつけな下々どもの視線を遮るようにガルスの前へさりげなく歩み寄り、言葉をかける。
緊張のあまり忘れているであろうと、気遣っての一言だ。

「ああ、失礼。カウディヌス卿、やはりあなたが…」

年長者なのだし、と言いかけたガルスも、ようやく先ほどのやり取りを思い出したのだろう。
この場で言い争うことが礼儀にかなわないとでも思ったのかそれと無く深い呼吸を一つすると頷いて見せる。

「すまなんだ、諸君。どうか、楽にしてくれたまえ。」

そうして一歩前へ歩み出した彼は、列席者にどこか怯えたような眼ながら顔を向けると鷹揚に頷いて見せる。
主賓の一言、たったそれだけだが、慣れない若者にはちょっとした経験なのだろう、と老人は考えた。
ガルスのちょっとした戸惑いと緊張を看取ったものがいたにせよ、それぐらいが考え付く推量というものだ。

「では、カウディヌス卿。」

「はい。では、お許しいただければ、殿下、乾杯の音頭を取らせていただきたいのですが。」

後は、慣れた補佐役らの仕事だ。
ガルスにこそ伝えていないものの、カウディヌスらにしてみれば折り込み積みの範疇。
若い世慣れぬ貴族の後見とは、年長者のちょっとした礼儀という程度なのだ。

「もちろんだとも。」

「では、僭越ながら。」

杯を掲げ、ガルスと皇帝の健康を願う乾杯の声。
同時に、杯のぶどう酒が空けられることでそれぞれの喉を潤し、舌の周りを潤滑にならしめる。
場はそれぞれの席において、ぶどう酒の品評や、ちょっとした挨拶へと転じていく。

そういった儀礼的な儀式の後に続くやり取り。
ちょっとした歓迎の言葉を交わし、程よく場を温まった頃合い。
座った人々が、それとなく会話を温め始められる程度に落ち着いた瞬間。

「さて、列席した諸君。」

その雰囲気を見極めたカウディヌスは、洗練された宮廷人らしく品の良いそれでいて良く通る声を張り上げていた。
それだけで、なにごとやあらんと姿勢を正す列席者ら。

元より主賓の一人という認識の大物貴族が口を開くのだ。
年長者でもあり、有力者でもある彼の言葉は、そのままでもそれなりに敬意が払われる。

「お集まりの諸君。私、ルキウス・コルネリウス・レントゥルス・カウディヌスは皇帝勅使として陛下よりのお言葉をお伝えする。」

が、それは別格だ。

皇帝勅使として、という一言。

場は、それだけで完全に静まり返る。

良くも悪くも、誰もが傾聴せざるを得ない存在。
それが、ローマにおける皇帝なのだ。

この場に居合わせた誰もが、当然のこととして拝聴する対象。

帝国を統べるその人の言葉。
ただ、それを伝えるだけの勅使でさえも。
ニコメディアの離宮で宴を楽しんでいる人々の背筋をぴんと伸ばさせうるのだ。

その傾聴の姿勢を取る面々をまんざらでもない表情で確認したカウディヌスはガルスへ向き合う。
そのまま重々しく頷くと一つの手紙を取り出し読み上げる。

「告げる。余、フラビウス・ユリウス・コンスタンティウス・アウグストゥスは我が使者の口を持って以下のことを語らせる。」

読み上げられる皇帝の言葉。
それは、皇帝と言う存在の名において発せられる法律も同然の言葉だ。

「フラウィウス・クラウディウス・コンスタンティウス・ガッルス、我が従兄弟よ。汝の献身をローマは欲す。」

そして、その文面は列席者の誰にも誤解の余地なきものである。
ローマの名において、皇族に、皇帝が、公務への参加を呼び掛けるソレ。

「我が従兄弟ガルスよ、お前の勉学を妨げるは心苦しい。が、ローマは汝の献身を必要とするのだ。軍務に汝を招くことを、許せ。とのことであります。」

告げる言葉は短く、明瞭。
誤解の余地のない言葉。
それは、ガルス、そう、皇帝の従兄弟というガルスに対する親しげな手紙。

詫びつつも、断固たる『皇帝』の要望なのだ。

「…陛下のお言葉、確かに。この身は、ローマのものなれば否応などなく。」

君主の臣下が、それも絶対的な強権を持つ君主の臣下が、ほかに何を言いえようか。

「では、殿下の勉学を妨げる無礼をお許しいただけますな。私は殿下をニコメディアより帝都へお招きせよと命じられております。」

「結構です。…無論、可能ならば今暫し、神学をと願わずにはおれませんが。」

「無論、お気持ちは僭越ながら、察するに余りあります。だからこそ、殿下の高貴な自己犠牲の精神には頭を垂れざるを得ません。」

この光景を見れば、誰が理解しそこなうことがあるだろうか。
そこ存在する男性が、良く知るはずの呑気な顔をぶら下げた男が。
困ったようにいつも浮かべている笑顔を浮かべているガルスが。

あの、ガルスが。

皇族、フラウィウス・クラウディウス・コンスタンティウス・ガッルス殿下なのだ、と。








明日の朝にも馬車を用意いたします。
急なことで、殿下の身の回りの品々も十全にはと詫びるカウディヌスの言葉もガルスの耳を通り抜けるだけだ。

彼の頭を占めるのは殆ど混乱と理解しがたい悔悟の念。

一体、何故、こんなことになってしまったのだろうか?
なんで、学問でもしてろと宮中から遠ざけられたはずの自分が呼び戻されるのだろうか?
そもそも、どうして、イリニに自分の身分がばれることを恐れていたのか?

いや、第一に、何故、自分はこうも落ち着かないのか。

良くも悪くも、ガルスという人間は普通なのだ。
地位の壁を越えた付き合いのできる人間を欠いては、些か精神の均衡が揺らぐ。
誰もが、自分を『皇族』として傅くなど…数日は調子に乗れてもやがてはすぐに孤独にさいなまれる。

弟は良い。
彼は、皇族であるということよりも先に家族なのだから。
そして、祖母もまあ、厳しくて苦手とは言え家族だ。

だが、彼にとって気が付けばかなり窮屈な思いをしていたのである。

そんな訳で、ニコメディアの離宮でアルコールを突っ込まれたおかげで凡人なりにふっきれたガルスは家出する。
まあ、ちょびっとだけだけど冤罪を振ってしまったという罪悪感もトッピングされてはいたりするのだ。
ガルスには、いや、普通の人間には、自分の言動が人を処罰させかねないという一事をとっても神経を使いすぎた。

そんな中で、気の置けない私塾の付き合いがあり、自分を連れ回すイリニが居る生活があったのだ。

「ルシウス!」

だからこそ、何か、言葉で上手く形容できない自分の大切な何かが壊れたことにガルスは悟る。
気が付けば、彼は蒼然とした表情で自分の侍従に叫んでいた。

何故、何故、と。

言葉にされぬ部分は、ほとんど感情のままの発露。

「殿下、私も知らぬことでした。」

「だとしても、せめて、気を使ってくれてもいいだろう!」

前もって、公式の場にイリニを出さない程度、ルシウスならば容易にできる。
仕事を命じ、使いにでも出せばそれこそ宴会にのこのこ顔を出すガルスなど気が付きもしないだろう。

知らなかったにせよ、式部の連中が何かごそごそしている時点でルシウスならば察しえたはずだ。

だろう、筈だ。
そんな言葉を脳裏に浮かべて声を荒げるガルスは、ある意味駄々っ子に近い。


そして、それを眺める自分の侍従がどれだけ頭を内心で抱えているか彼は知らない。


「申し訳ありませんでした。ですが…その、事情が変わってしまっております。」

「うん?」

その、罪の言葉を口にするルシウス。
彼にしてみれば…自覚の欠落を改めて認識させられる思いだった。
実際、機会を捉えては『貴方は御自覚が薄いとはいえ『皇族』なのですぞ』と彼としては促していたつもりなのだ。

もちろん、皇帝陛下にとって脅威たらぬことがまずもって重要なのは言うまでもない。
だからこそ、ガルスが学問に専念することそのものには特に異論をはさむ必要はなかった。
イリニに街を引きずられるガルスを放置しておいたのも、本質的には無害だと判じたからに過ぎない。

だが、今、彼は大いに後悔している。

この人は、この殿下は、何というか、普通すぎるのだ、と。

「殿下、恐れながら殿下は公職に興味をお持ちではありませんでした。だからこそ…と思ったのですが。」

「未だ、微塵も、公職になど着きたくないわ!許されるならば、今すぐにでも家に帰り本でも読んで忘れたい!」

この皇族は、眼前の皇族は少なくとも地位を笠に着ない善良な若者かもしれない。
ルシウスにしても、確かに、ガルスという若者がもつその性根が普通だという事はまあ、悪くは思っていないのだ。
が、悲しいかな、彼は皇族なのだ。

本人が、それをどう理解していようと、どうしようもない程に明瞭な事実。
彼は、ガルスは、このローマにおいて皇帝という存在に最も近しい血族なのだ。

「ですが、陛下がそうお望みです。」

「だから、受けるしかないじゃないか!」

「その通りです。殿下、そして殿下の御立場に相応の地位を。」

分かっているようで、やはり本質では理解できていない言葉。
彼は、皇帝の命令に対して従うことを是とする。
本質において、彼は、皇帝に対して叛意はないのだ。

ただ、どうしようもないことに、彼は、そもそも…叛意を抱けるという発想すらないらしいのである。
自分が皇族であるという事を知らぬわけでもないのだが。

立場を彼は、理解できていない。

「だからと言って、だからと言って…友人とあんな形でだな!」

「ああ、その、ご友人ですね、ええ、そうですね・・」

…あと、酷く鈍感でもあるらしい。

「ルシウス、ともかく、あれでは自分が誤解されてしまう!」

「ええ、ああ、しかし、殿下。誤解と申されましても…。」

「ええい、どうすればよい。何か、考えを出せ!」

やれやれだ。

「殿下、そうまでも仰られるのでしたらばやはり陛下にお願いするしかありません。」

彼は、理解していないのだ。
皇族であるという事を。
その皇族を、皇帝が招聘するという事の重さを。

彼は、ガルスは、皇帝陛下が『必要』とする皇族なのだ。

「ああ、わかった。確かに、そうだ。私はちっとも軍務になんて向いていないからな。」

「ええ、ですので殿下、陛下にご相談為さることです。殿下が申し上げれば、陛下もお考えを翻されるやもしれません。」

翻意など望みえないのだ。

…皇帝陛下が、ガルスを呼び戻すなどたった一つしか理由はないのだから。

陛下には、忠実な臣下ではなく、忠実でかつ無害な皇族が必要な事情が生じたのだろう。
だから、もっとも皇族の中では権に興味を示さないガルスが選ばれたのだ。
学究生活に戻してくれとガルスが泣き言を漏らすことを考慮してなお、選ばれたのだろう。

だが、それ以上はやはり口にするには分が過ぎるのだ。
それ故に、ルシウスは丁重に一礼しつつ内心で嘆息する。

これは、どうしたものだろうか、と。





後書き
最近、ちょっと忙しかったりテンションが変だったりしましたが私は元気です。あとそういえば、ガルスでは書いてませんでしたが、呟き始めました。(@sonzaixです)

ガルスよ、強く生きるのだ…。



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