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[33133] エムゼロEX 【エム×ゼロ ifアフター】
Name: スウォン◆63d0d705 ID:f55bda92
Date: 2013/03/22 20:42
       プロローグ   分岐点〈ターニング・ポイント〉

 

 私立聖凪高校。
一見普通の私立学校にすぎないその施設の正体は、超常的な力である魔法を扱う人材を育てるための魔法学校である。

 そんな聖凪高校の新たな物語が始まる場所は生徒会魔法執行部A校舎分室。
二学期最初のビッグイベントである文化祭が幕を閉じてしばらく経ったある日のこと。
そこには魔法執行部支部長・永井龍堂と一年生唯一の執行部員「だった」九澄大賀、そしてその他6人の一年生たちが集まっていた。

「この6名が新たに本年度一年生の魔法執行部員に決まった。
 みんなよろしく頼む」

永井が下級生たちに向けて挨拶すると、九澄のクラスメートである柊愛花を筆頭に元気な返事が帰ってきた。

「こちらこそよろしくお願いします!」

満足気に頷く永井が言葉を続ける。

「これで九澄と合わせて全7名、例年に比べて多めだが決していい加減な選考を行ったわけではないつもりだ。
 みな執行部員としての自覚を持って精進してほしい。
 特に九澄、お前は一年生執行部のリーダー的存在として責任が増すことになるがしっかりやってくれよ」

「お、おう、任せてくれよ、ハハハ……」

引きつったような笑みを浮かべる九澄。
一見自信なさ気な彼がリーダーとして指名されたのはもちろん支部長の気まぐれやえこひいきではない。
九澄大賀とは怪物一年生の名。
彼は一年生にして魔法プレートの最高峰"ゴールドプレート"の持ち主であり、
二年生を差し置いてA校舎最強の生徒とみなされている人物なのだ。
だが人々は九澄の正体をまだ知らない。
それを知るのはごく一部の数人だけである。

(ちくしょー、わかっていたこととはいえ、これでますます苦労が増えるぜ……
 ま、柊が正式な部員になれたのは嬉しいけどよ)

九澄が想い人である愛花に目をやると、愛花は九澄に向けてニッコリと微笑んだ。
それだけで九澄の頬は緩んでしまう。
そして先ほどまでの憂鬱はどこへやら、こいつのことだけは絶対に守ってやるぜとあらためて決意するのだった。

「でもみんなすごい人達でプレッシャーだな」

「そんなことはないさ。力を合わせて頑張ろうよ」

 弱音を吐く愛花を励まし握手を求めたのは九澄ではなく、小柄な優男大門高彦。
魔法に関して、更に学業成績においても一年生屈指の実力者であり、九澄を強くライバル視する男だ。
彼が九澄を敵とみなすのはもちろん九澄が持つ(と思われている)魔法の実力ゆえ。
そして実はもう一つ大きな理由があるのだが、それは後に語られることだろう。

(んぐぐ……大門が選ばれるのは順当とはいえ……何か複雑だ)

固く握手する愛花と大門を見て九澄はもどかしい気持ちになる。
「優等生つながり」「将棋好きつながり」といった接点を持つ二人がこれ以上仲良くなることを九澄は恐れていた。
だったら先に告白すればいいと思われるかもしれないが、
とある重大な秘密を持つ九澄はどうしてもそこに踏み込めないでいた。
その秘密こそ九澄がゴールドプレートを持ち今日この場にいる理由なのである。


*****


「ふふふ、これからも頑張って下さいね」

九澄を優しく励ましたのは聖凪高校校長の花先音芽〈はなさきおとめ〉。
九澄は執行部室を出た後校長室を訪れていた。
どこの学校でもそうだが一般生徒が校長室に立ち入ることなど多くはない。
だが九澄にとってここは学校内におけるある種の憩いの場になっていた。
なぜなら"ここでは真実を隠す必要がない"からだ。

真実。
すなわち九澄大賀はゴールドプレートなど持ってはいないということ。
それは偽物〈イミテーション〉であり、九澄のプレートの真の姿は魔法を使うことのできないM0〈エムゼロ〉プレートだということ。
魔法学校である聖凪高校始まって以来の「一切魔法を使えない生徒」それが九澄大賀なのだ。
彼が偽りのゴールドプレートホルダーとして学校内の人々を騙してこれたのは、
ひとえに校長である花先、担任にして魔法主任の(ついでに愛花の父親でもある)柊賢二郎、
そして大賀に命を救われて以来彼を強く慕っている小さな魔法生物ルーシーらの協力のたまものである。
加えて言えば花先と柊にとって九澄の正体がバレることは自分たちの立場をも一気に危うくする、いわば一蓮托生の関係だったりもする。
だがそうなった理由を話すと長くなるのでここではやめておこう。

「ダイジョーブだよ! 大賀にはあたしがついてるもん!」

元気よく拳に力を込めたのはルーシー。
九澄には手のひらサイズの美少女に見える彼女の正体は猛毒の魔法植物マンドレイクだ。
少し前まではそこらへんを裸でふわふわ飛び回っていたのだが、愛花と一年F組の女子生徒・観月尚美に見つかって以来お人形用の服を色々と着回している。
自分が見せたい相手以外から姿を消すことのできる彼女の存在は九澄にとって大きな助けとなってきた。

「相変わらずお気楽だよなーお前は」

苦笑いを浮かべる九澄。
とはいえ九澄とルーシーはお互いにとっての恩人であり戦友のようなもの。
これからもルーシーがそばにいると考えると少しは気が楽になるというのが本音だった。

「ま、これからもよろしくなルーシー」

「うん!」

そんな二人(一人と一体?)の様子を微笑ましく見つめる校長。
彼女は密かにある決意を固めていた。

「じゃ、校長センセ! 今日はサイナラ!」

部屋を出ていった九澄を見送った校長は回想にふける。
全ては偶然だった。
彼が入学したことも、M0プレートを持つようになったことも。
そして今彼は自身の教師歴の中でも最も面白い生徒の一人になりつつある。
彼に普通の魔法プレートを与えることは簡単だ。
だがそれは九澄大賀という特異な素材を平凡な料理に変えてしまう結果になりはしないか。
それは惜しい。もったいない。
そう結論に至った校長は手元の電話機に手を伸ばす。

「……ええ、九澄くんを尾輪理高校に留学させるというあの話、やはり断らせてください。
 彼には新たな道を切り開いて欲しいのです。
 M0の専門家という前例のない道を」

こうして九澄の人生は、本人の知らぬ間にひとつの大きな分岐点を超えたのだった。
かつて描かれた結末とは異なるもう一つのエムゼロの物語。
九澄大賀の行く先に何が待っているのか、まだ誰も知らない。






=====================

という訳で懐かしきエム×ゼロのSSです。
プロローグの通り、原作最終エピソードにおける九澄転校話をなかったことにしてifアフターを描きます。
原作では前校長が現校長に相談せずに転校の話を進めますが、もし相談していたらこうなっていたかもしれませんよね。
のんびり進めていきたいので気楽にお付き合いください。
原作では名無しのまま終わったあの人達などに加え、オリキャラも登場することをご了承ください。



[33133] 第一話
Name: スウォン◆63d0d705 ID:f55bda92
Date: 2012/05/14 18:35
          第一話 レッドラインの攻防


 九澄大賀は頭を抱えていた。視線の先にあるのは先程の授業で返却された数学の小テスト。
見事全ての問題に×が付けられた真っ赤な答案だ。

「こ……これはマズい、マズ過ぎる……」

「どうしたの九澄くん?」

「うわっ!?」

背後から突然声をかけられ九澄は全身をこわばらせた。
声の主は自分の好きな女の子だというのにだ。

「あっ、小テストの点が悪かったんだね。仕方ないよ、今回難しかったんだもん。
 あたしも3つも間違えちゃったし」

その少女、セミロングの艶やかな黒髪がトレードマークの柊愛花は苦笑を浮かべる。

「み、3つか。ははは、それなら別にいいんじゃないかなあ……」

「九澄くんはどうだったの? 答案見せてよ」

「あっ、待て……」

一瞬の反応の遅れで答案は愛花の手に渡った。途端少女の整った顔がひきつる。

「九澄くん、これは……これはダメだよ……」

「い、いや~最近執行部の仕事が忙しくってな~。
 大丈夫だって、中間テストじゃしっかりやるからよ!」

どこぞの政府発表のように全く根拠のない九澄の安全宣言を聞いて愛花は眉をひそめる。

「九澄くん、わかってる? 魔法執行部員が定期テストで一つでも赤点を取ると退部になるってこと……」

「あ、ああもちろん当然……って退部ぅぅぅぅぅぅ!!!!???」

教室中に響き渡る声で九澄は悲鳴を上げた。あまりの驚きに目玉が飛び出しかけている。

「やっぱり知らなかったんだね……」

がっくりと肩を落とす愛花に対し九澄は口をパクパクさせて冷や汗を流しまくっていた。

「それだけ執行部は責任の重い仕事だってことだよ。学生の本分をおろそかにしちゃダメなの。
 九澄くん、危ないのは数学だけなの? 他の教科は?」

目を泳がせながら最近授業についていけない科目を思い出す九澄。

「い、いや~強いて言うなら古文と英語と世界史と化学がヤバめかな……」

「それってほとんど全部じゃない!?」

「ははは、なんとかなるって、なんとか……
 柊ーーーー!!! 助けてくれーーーー!!!」

九澄は恥も外聞もなく愛花に抱きつき懇願した。
愛花の可愛らしい顔が真っ赤に染まる。

「ちょ、九澄くん離れて! わかったから! 協力するから!」

慌てながらも九澄にされるがままのその様子を、愛花の友人である久美やミッチョンがニヤニヤしながら眺めていたことは言うまでもない。
あ、ついでに「モテネーズ」こと伊勢やら提本やらが恨めしげに睨んでいたことも当然である。


####


「……で、なんでお前がここにいるんだよ?」

放課後の図書室で丸いテーブルを囲んでいるのは九澄、愛花ともう一人、一年F組の観月尚美だった。
赤みがかった茶髪のショートカットとメリハリのあるスタイル、ややキツめながらも綺麗な顔立ちが印象的なこの美少女は、一学期のとある出来事以来九澄や愛花と何かと関わりを持っている。

「なによ、あたしがいたら迷惑っだって言うわけ?」

「い、いや、迷惑ってんじゃねーけどよ」

(トホホ……柊と二人っきりで勉強できると思ったんだがな……ま、しゃーねーか)

「尚ッチにはあたしから頼んで来てもらったの♪ あたし一人だと大変そうだったから」

ねーっと微笑みかける愛花に観月も笑みを返す。
この二人いつの間にこんなに仲良くなったのやらと九澄は疑問に思う。
こうして他の男子に見られると殺意を抱かれそうな両手に花状態での勉強会が始まった。

「あのね~何度言ったらわかるのよ! ここはこうやって解くの!」

勉強会が始まって一時間ほど。観月はかなりイラついているようだった。
何しろこの九澄という男、基礎が全くできていない。
よほどテキトーに授業を聞いていなければこうはならないだろう。

「まあまあ尚ッチ。慌てずゆっくりやっていこうよ。ね?」

「す、すまねえ柊」
(くーっ、やっぱ柊は優しいぜ)

勉強よりも愛花に萌えることに夢中になっている九澄。もはや救いがたい。
そしてそんな自分を観月が睨みつけていることにももちろん気付いていなかった。


そんなこんなで初日の勉強会が終わったが成果は惨憺たる有様だった。

「はっきり言ってあんた、もう間違いなく退部ね、退部。
 とても全科目赤点ラインクリアなんて出来やしないわ」

呆れ顔で吐き捨てる観月。おちょくっているのではなく本音100%というのがまた耳に痛い。
愛花はまあまあと観月をなだめる。

「そ、そこまでいうことないだろ!」

と反論する九澄だったが、正直自分でも観月の言ってることのほうが正しいということは自覚していた。
これならブラックプレート獲得のための試練のほうがいくらか楽だったような気さえする。

「ま、執行部クビになったら仕方ないからうちの薬品部で引き取ってあげてもいいわよ。
 今一年生あたししかいないから雑用としちゃ役に立つだろうし」

「ぐぐぐ……見てろ、絶対にクリアーしてやるからな」

決意を語る九澄だったが、澄まし顔の観月の頬がほんのり赤くなっていたことにこの鈍感な男が気付くはずもない。
にも関わらず

「でもよ観月、俺すっげー感謝してんだぜ。
 執行部員でも同じクラスでもねーお前がここまで協力してくれんの、マジありがてーんだ。
 ワリイけど明日からも頼めねーかな?」

なんていうセリフがポッと出てくるわけだが。

「ななな、何よ!
 あたしはただ愛花一人じゃ大変そうだから仕方なく……べ、別にあんたのためなんかじゃないんだからね!!」

もはやほんのりなどというレベルではなく、焼けた石炭のように顔を紅潮させる観月。

「いやまあそれは知ってるけど……」

「だから仕方なく明日からも付き合ってあげるわよ!
 ……あ! 付き合うってそういう意味じゃないんだから勘違いしないでよね!」

「何言ってんのかよく分かんねーんだけど……」

「べ、別にわかんなくていいわよ!
 じゃあサヨナラ!!」

ウサイン・ボルトもかくやというようなスピードで観月は図書室を飛び出して行ってしまった。
後に残された九澄と愛花はポカンと開けっ放しの扉を眺める。

「尚ッチ、九澄くんの前だとなんか慌ただしいなあ……
 男の子に接するのに慣れてないのかな?」

この子も相当鈍い。


####


 月日が立つのは速い。特にやらなければいけないことが山積みしている時は。
運命の中間テストまで残り5日。校則により一般の部活動は休止され、執行部でも持ち回りで一日につき一人のメンバーのみが活動を担うこの時期、
九澄は他の部員に頭を下げてその担当を飛ばしてもらい毎日図書館に通っていた。
貴重な戦力を失う訳にはいかない他の執行部員たちも苦笑いで九澄に激を飛ばしていた。
しかし。

「だめだーーーーー終わらねーーーーー!!!!!
 あと5日じゃとても無理だーーーーーー!!!!!」

九澄は絶叫した。
というか泣き叫んだ。
なんとか数学だけはモノになった。
英語も間に合いそうな気がする。
だが他の科目まではとても無理だ。
明らかに時間が足りない。
一学期の定期テストはヤマ勘と一夜漬けだけで乗り切った強運力技男も、ここまでツケが溜まっては如何ともしがたい。

「……かくなる上は職員室に侵入して問題を盗みだすとか……」

「……あんた、それやったら退部どころか退学よ……」

質の悪い酔っぱらいを見るような目で九澄の戯言を切り捨てる観月。
一週間以上に渡ってこの無計画男に「仕方なく」付き合ってきた観月から見てもやはり状況は絶望的である。
逆に観月自身は噛み砕いて人に物を教えるという経験が貴重な糧となり、明らかに学力がアップしていたのだが。

「ま、もうしょうがないんじゃない? 諦めて薬品部〈ウチ〉に来ればいいじゃない」

頬を染める観月だったが、九澄は頭を抱えてぶつぶつと嘆くばかり。

「こ、この男は……」

いっそひっぱたいてやろうかと観月が拳を固めると、図書室の扉がガラリと開き元気な声が飛び出してきた。

「九澄くん!! 見つかったよ!!」

声の主である愛花は突っ伏している九澄に駆け寄り、涙目男の肩を掴んで激しく揺らした。
九澄の頭がブンブンと勢い良く往復する。

「ひ、柊……何が見つかったって?」

「愛花、今日は用事があったんじゃないの?」

「えへへ……実は九澄くんに役立つ魔法があるんじゃないかって探してたんだ」

照れくさそうな美少女の笑顔に九澄は一撃でノックアウトされた。

(柊がこんなにも俺のことを想ってくれていたなんて!
 こ、これはまさか結婚……?)

タキシードを着た自分とウェディングドレスに身を包んだ愛花。
教会の鐘が鳴り響き柊父がハンカチを噛むシーンが一瞬で九澄の脳を駆け抜けた。
発想がキモい。
おまけに涙腺が決壊しなんとも奇抜な顔になってしまっている。

「ひ……柊ぃぃぃぃぃぃ!!」

「あ、ちょ、九澄くん、抱きつかないで」

心なしか愛花の抵抗が弱い。
本人に変わって九澄を引き剥がしたのは鬼の形相の観月だった。

「なに変態かましてんのよこのセクハラ男!!!」

アゴ先に痛烈な右フックをかましようやく九澄の動きが止まる。

「す、すまん……つい興奮して……」

「あんたは発情期のケダモノかっ!!」

「ま、まあまあ尚ッチ。九澄くんも悪気があったわけじゃないんだし……」

被害者である愛花にそう言われると観月としてもそれ以上強くは出れない。

「まあいいわ。それで愛花、役立つ魔法って何?
 まさか勉強しなくてもテストで満点が取れる魔法とか?」

「そんなのじゃないってば、もう。
 そういうズルイ魔法じゃなくて、結構リスクというか、負担が大きい方法なんだけど……」

「俺はどんな障害があっても必ずやり遂げてみせるぜ、柊」

無駄にカッコ良く表情を決める九澄。
すかさず観月のツッコミが飛ぶ。

「なら普段からちゃんと勉強してなさいよ」

ごもっともすぎる。

「これ、眠らずの輪っていう魔法アイテムなんだけど、その名の通りこれをつけてる間は眠らなくてもいいの。
 と言うより眠れなくなるって言ったほうが正しいのかな?
 テストまで5日間、これをつけてればだいぶ勉強時間が増やせるよね」

「おおお! そりゃすげえ!」

「で、負担っていうのは?」

興奮する九澄と冷静な観月。

「うん、やっぱり体にとって睡眠ってとっても大事なんだって。
 だからつけてる時は良くても、外したら反動でものすごーーーく辛いらしいよ。
 だからっていつまでもつけてると脳がおかしくなっちゃって最後は死んじゃうんだとか」

「け、結構ヘビーなリスクね、それ……」

「お、おう……」

二人して後ずさる九澄と観月。

「でも九澄くんなら体力も根性もあるから5日間……テスト最終日まで含めると8日間か、
 それぐらいなら多分大丈夫だろうって、これを貸してくれた魔法アイテム部の友達が言ってたよ」

「多分、ね……あんまり気が進まない方法だなあ……」

「九澄くん! 他に方法あるの!?」

珍しくちょっと怖い表情の愛花に九澄はたじろぐ。
無論他の道などあるはずもなかった。

「よ、よし、やろう! やってくれ!!」

それじゃあと愛花が両手で輪を持ち、背伸びして九澄の頭にそれをはめる。
九澄の頭部はちょうど西遊記の孫悟空のような見た目となった。

「うーん、特に何も変わってないような気が……」

「それは今は眠くないからでしょ?
 ほら、時間を惜しんで勉強始めなきゃ!」

かくして九澄の8日間不眠不休勉強大作戦が始まった。
詳細は省くが極めて熾烈な日々であったということは書き記しておこう。


####


時間を少し巻き戻して、愛花が眠らずの輪を借りた直後の魔法アイテム部。

「ねえ知恵、さっき柊さんに貸したあの眠らなくてもいい輪っかっての?
 なんであんな良い物貸しちゃったのよ。
 あたしが使いたいぐらいだったのに」

「ああ、あれ偽物」

「へ?」

「そりゃそんな物があったらあたしだってテスト前には使いたいって。
 でもそんなアイテム聞いたこともないし、あったとしても危険だから生徒には教えてくれないんじゃないかなあ?」

「そ、そうなの……」

「あれはホントは自己暗示力を強化する効果があるの。
 要するに思い込みの力が強くなるのね。
 ホラ九澄くんって今時珍しい熱血系だから、ああいうのよく効くんじゃないっかなーって」

「つまり九澄くんって思い込みの力だけで徹夜で勉強し続けるんだ……」

「ま、彼頑丈そうだしなんとかなるんじゃないっかなーっと」

「怖っ。あんた怖っ」

「えへへーそれほどでも」

「褒めとらんわ」


 こうして地獄のような日々が過ぎテストの結果が発表された。
ミイラのように衰弱した九澄は全科目赤点ラインクリアの報を受け、「プラトーンの叫び」をあげ失神し、3日間ぶっ通しで眠り続けたという。
以来九澄が極力まじめに授業を受けるようになったことは言うまでもない。







===================




第一話、完。
原作では何故か殆ど触れられることのなかった学業試験の話でした。
九澄は入試の成績は最低レベルだったと原作第二話で書かれているので、きっと聖凪に入ってからも勉強で苦労しているはずだと思います。
 



[33133] 第二話
Name: スウォン◆63d0d705 ID:f55bda92
Date: 2012/05/15 18:06
      第二話 愛と涙のカラオケルーム



「えー、約一名非常~ぉに危うい方がいましたが、一年生執行部員全員が無事に中間テストを切り抜けられたことをお祝いしたいと思います」

マイクを持って演説しているのは一年生魔法執行部員にして一年D組のリーダー的存在である竹谷和成。
一学期のクラスマッチで"キング"役を務めたことからもわかるように、仕切りがうまく人望のある男だ。
竹谷のジョークでカラオケルームが笑いに包まれる中、九澄だけが苦い顔をしていた。

「なんか腹の立つ言い方だな……」

「まあまあ」

自分をなだめる愛花が実は一番楽しんでいることに九澄はちょこっと傷つく。
彼女が隣に座っていることに関してはかなり嬉しいのではあるが。
竹谷のスピーチは続く。

「えー、思えば一年生執行部が正式発足して以来、仕事に慣れるためにドタバタしたり中間テストがあったりで
なかなかこういう機会がありませんでした。
 今日はこの七人で、日頃の激務を忘れてパーッと盛り上がって親睦を深めていきましょう。
 まあ堅苦しい挨拶はこれぐらいにしてエントリーナンバー一番竹谷和成、歌います!」

 九澄と他六名の一年生執行部員はテストの数日後、カラオケボックスに集まっていた。
ちなみに九澄はこの日の朝久しぶりに目覚めたばかりである。

「うーん、俺は何を歌おう……」

竹谷がなかなか達者に歌う中、九澄は腕を組んで曲目リストとにらめっこしていた。
伊勢や津川あたりとのカラオケならそれこそなんでもありで、アニメソングやエロナンバーを合唱して盛り上がったりできるのだが、執行部員の面々とはまだそこまで打ち解けていない。
考えてみれば人生の中でも女子あり(姉除く)のカラオケは初めてではないか。
しかもその中の一人は想い人の愛花である。意識しないはずがない。

(ここは柊への気持ちを込めてラブソングを……いやいきなりそれは露骨すぎるか……?
 ていうか柊はどんな曲が好きなんだ……?)

 九澄がウンウン唸っている中マイクは「C組の氷の才女」(命名・伊勢カオル)こと氷川今日子の手に渡った。
学業成績では愛花を上回ってC組トップ、学年全体でも大門らと並んでトップクラスという秀才だ。
魔法の実力は上の下といったところだがその頭脳を買われて執行部入りし、事務担当として期待されている。

(へー、結構綺麗な声だし歌上手いな)

と九澄は感心した。とっつきづらい女子という印象だったがこうして見るとなかなか魅力的な女の子に思える。
実際クラスでも隠れ美人だと評判なのだが、毒舌家でクールな性格のため男子には敬遠されがちなのだ。
本人はうざい男どもに関わらなくて済むと素知らぬ顔なのだが。

「すごーい、今日子さんすっごく上手だね!」

歌が終わると愛花が氷川の手を両手で握って絶賛した。
一年執行部で二人きりの女子、おまけに同じクラスということで愛花は氷川を慕っている。
執行部入りの前はさほど仲がいいという程でもなかった二人だが、今では姉妹のようにも見えるなと九澄は思った。
いつもの様に無表情な氷川でも心なしか照れているように見えなくもない。
しかしそんなことより愛花が可愛いと九澄は性懲りもなく思った。

(考えてみりゃ柊の親友は三国にしろ乾にしろ子供の頃からの付き合いなんだよな。
 高校で出会った観月や氷川と仲良くなるのは柊にとっても良い事なんだろうな、うん)

 マイクは三人目の影沼の手に渡った。九澄はひたすら曲目リストをにらみ続け、影沼が歌い終える頃ようやく自分の曲を入力した。

「それじゃあ次はあたしの番だね。あんまり自信ないけど……みなさん聞いてください」

愛花がマイクを握った。
九澄は全身全霊を傾け愛花の歌声を胸に刻みつける。
最初の一声が流れた瞬間九澄の耳に電流が走った。

(こ、これが柊の歌声……可愛い! いやこれは可愛いなんてもんじゃない……天使! 天使の旋律!!)

実際愛花の歌唱力は平々凡々といったところで、惚れてる男でもなければ特に感激するようなものでもないが、九澄にとってそんなことはどうでも良い。
地球上のどんな歌姫も愛花という名の妖精には敵わないと九澄は確信した。
愛花が歌い終える頃九澄はほとんど逝きかけていた。
自分が歌う前に燃え尽きる勢いである。
なんとか精神を立て直しマイクを受け取った九澄。

「心を込めて歌います!」
(特に柊、聞いてくれ俺の愛の歌を!)

特に書くべきこともない凡庸さなので省略。
ちなみに愛花は笑顔で拍手していたが、他の男子が歌った時と全く変わらない反応であったことは付記しておく。

 ラストを飾るのは大門である。

「実はカラオケって初めてなんだ」

「そりゃ意外だな」

今時そんな高校生がいるのかと九澄は思った。
おおかた勉強と将棋ばかりやっていたんだろう、この優等生め。

「まあ君よりは上手く歌える自信があるけどね」

当然とばかりに胸を張る大門。

「ほ、ほおお……?」

九澄が青筋を立てて大門を睨みつける。大門は大門で一歩も引かずに睨み返す。

「はいはい、二人とも仲良くする!」

この二人が愛花に逆らえるはずもなくあっという間に場は収まった。

「まったくもう、どうして九澄くんと大門くんって仲良くできないんだろう」

多分柊さんが原因だと思うよ、という影沼のつぶやきは誰も聞いていなかった。

(お手並み拝見といこうじゃねーか、大門)

九澄が身構える。
だが大門の歌が始まった瞬間、その場の誰もが凍りついた。
下手だ。下手すぎる。音程がズレまくっていてもはや原曲がわからない。

(な、なんつー音痴だ……そのへんの小学生のほうがよっぽどうまいぞ。
 つーかなんだそのご満悦な表情は、お前それが上手いと思っているのか?)

どこか遠くを見つめながら自信たっぷりに一曲歌い上げた大門。
紅白歌合戦の大トリ歌手もかくやという堂々たる風格であった。
しばらく沈黙が場を支配する。
心優しい愛花が拍手し始めると、竹谷と影沼が遠慮気味にそれに続いた。

(勝った……歌では俺の圧勝だ! お前なんかに柊は渡さねーぜ)

他は大半負けているのだが。

 カラオケ大会はその後さらに二巡続いた。
大門の音痴は相変わらずだったが、本人のあまりの威風堂々とした態度を前に誰もそれを指摘できずにいた。
九澄のラブソングは相変わらず全然愛花に伝わっていなかった。
九澄は愛花が歌うたびに感激していた。

「ふう、そろそろ時間じゃないか?」

九澄が尋ねると竹谷が時計を確認する。

「いや、後一周ぐらいはできそうだぜ」

「ええ、もうあんまレパートリーないんだけどな……」

九澄としてはもう後は愛花のワンマンショーでもいいぐらいなのだが、そういうわけにもいくまい。
まだ何かいい曲あったっけと記憶を検索していると、大門が身を乗り出した。

「みんな、せっかくだから最後は点数を競わないか?」

一瞬場が固まる。
何を言ってるんだこいつは。

「こういうカラオケパーティーでは、採点を競って最下位だと罰ゲームがあったりするんだろう? 一度やってみたかったんだよ。」

他ならぬ大門からの提案に一同言葉を失う。
それ、負けるのお前じゃん。

「大門君、悪いこと言わないけどその発言、取り消すことをお勧めするわ」

氷川が極力優しく言葉を選ぶ。普段の彼女には見られない配慮だ。

「いや、やろうぜ」

九澄が賛成する。
大門に恥をかかせる願ってもないチャンスなのだ。黙って引き下がれるはずがない。

「へえ、君が乗り気とはありがたい。ここで一丁白黒つけようじゃないか」

大門もその気だ。
周囲はやや引き気味である。

「男に二言はないな?」

九澄が念を押す。

「もちろんさ」

大門はうなずく。

「罰ゲームは全員一枚ずつ紙に書いて中が見えないように折りたたむ。負けた奴はその中から一枚選んで実行する。これでいいだろ」

九澄が悪役っぽく笑う。

「面白い、何が出てくるか開けるまでわからないというわけだ」

大門が不敵に笑みを浮かべる。
決戦の火蓋が切って落とされた。
九澄は内心喝采を叫んでいた。

(勝てる! 負けるはずがねえ!
 こうなった以上罰ゲームは完全に大門に標的を絞らねえと……。
 何が最も大門にダメージを与えられる?
 唐辛子の一気食い? 公園の池で裸泳ぎ? 書店でエロ本のタイトルを読み上げて購入?
 いや駄目だ、そういうイジメじみた罰ゲームは書いた人間の品性が疑われちまう。柊に嫌われちゃ元も子もねえ。
 つまり一見非道じゃない行為なのに精神的に辛い行為、大門の急所を突く命令、それはなんだ?)

 九澄の脳裏に閃光が閃いた。

(これだ。これしかねえ!)

『好きな異性の名前を言う』

(古典的にして単純、そして破壊的。まさに罰ゲーム・オブ・罰ゲーム!
 俺は大門が誰を好きなのか知っている。
 なんてったって俺も同じ女に惚れているんだからよ。
 最初は単なる思い過ごしかとも思ったけど、あいつらが執行部入りしてから疑惑は確信に変わった……!
 明らかに柊のことを気にかける大門。柊にだけ特別優しい大門。
 やたらと将棋の話を柊に振って二人だけの話題を作ろうとする大門。
 もう間違いねえ。今や奴は俺の最大の敵だ!)

そして現時点で愛花が大門を特に異性として意識していないということも九澄は確信していた。
自分に対してもそうだというのが悲しい所ではあったが……。
いずれにせよ、その状態で他の人間が見ている前での公開告白などできるはずがない。
適当にアイドルの名前でも挙げて誤魔化すしかないだろう。
その誤魔化したという引け目が、今後大門を愛花に対していくらか消極的にさせてしまうだろう。
これぞ大門高彦の急所を突く命令!

(ヘヘ……完璧な計画だ。なんだか自分が夜神月になった気がするぜ)

九澄が新世界の神を思わせる邪悪な笑みを浮かべていると、なにやら愛花が自分を呼んでいるのに気付いた。

「九澄くん! 曲始まってるよ!」

「え……ええっ!?」

 全ては九澄自身の失態だった。考え事に熱中するあまり上の空で適当に曲を選び、その曲が始まったことにさえ気づかなかったのだ。

「やべっ……、今どこの部分だっ……? ええとええと……」

瞬間的にパニックになった九澄がきちんと歌い始めるには少々時間がかかった上、連鎖的にあちこちでボロが出る始末だった。
機械採点というのは残酷である。こちらの事情などいちいち勘案してくれはしない。

 46点……!
            絶望的数字……!
     敗北……!
  ざわ……!     ざわ……!

(いやまだだっ! まだ大門の結果は出ちゃいねえ!
 あいつならきっとこれ以下の点数を出してくれるはず!)

だが女神は微笑まなかった……!
大門高彦、50点……!
九澄大賀、敗北……! 圧倒的敗北……! 取り返しのつかない敗北……!

「失礼な機械だな、この僕が50点だなんて。
 まあ九澄に勝てたから良しとするか……」

大門はあくまで点数に納得いっていないようだった。
だが九澄にそこに突っ込む余裕などあろうはずもない。
死んだように打ちひしがれる男がそこにいた。
他のメンバーが46点以下の数字を出すはずもなくあっさりと九澄の最下位が決まる。
ちなみに優勝は氷川今日子の93点。

「ま、勝負は勝負。罰ゲームを選んでもらおうじゃないか」

大門が九澄を見下し不敵に笑う。
勝者の余裕に満ちた悠然たる佇まいだった。
50点だけど。

九澄は頭を切り替える他なかった。

(とにかく楽な罰ゲームを選ぶしかねえ……
 多分柊なら優しいことを……そう、コーラ一気飲みとか書いてくれてるはずだ……。
 そうでなくとも俺の書いたやつだけは引けねえ……ここで告白とかできっこねえ……。
 どれだ……俺の書いたやつはどれだ……?)

 紙の区別などつかなかった。どれも同じメモ用紙を使い同じ四つ折りにしてシャッフルしているのだ。
それこそ魔法でも使わないと判別できそうにない。
無論ここは魔法特区ではないし、第一魔法特区の中でもどうせ九澄は魔法が使えない。
頼るべきは己の運と勘しかないのだ。
ままよと右端の紙に狙いを定め、引く。開く。

(俺の運よ……応えろっ!!)




   『好きな異性の名前を言う』




 今日は九澄の厄日だった。

「ええっと……どうしても言わないと駄目かな……」

「今さら何を言ってるんだ君は。男に二言はないんだろう?」

「ですよねー」

九澄は苦し紛れに笑う。
その背中には冷や汗がだらだら流れ、頬はヒクついていた。

(どうするどうする……いっそここで告白……)

九澄が左側をちらりと見ると、黙ってこちらを見ている愛花と目線が合った。

(だーーーーっっ!!! できっこねーーーーっ!!!)

やっぱり誤魔化そうと決意した九澄。
本来ならばここで人気のアイドルの名前でも出しておくのだろう。
だがパニック状態の九澄はとにかく一番最初に浮かんだ名前を出してしまった。

「俺が好きなのは…………ルーシーだ!」

場内沈黙。ぽかん。
数秒間の無音地帯。

「ルーシーって……誰?」

最初に口を開いたのは竹谷だった。

「海外の女優か誰かかい?」

大門が続く。

(やべっ! つい勢いでルーシーって言っちまった……!
 でもこいつらにあいつのこと話す訳にはいかないし……仕方ねえ、適当に言っとこう)

「ははは、実はそうなんだよ。いやーすげえ美人でさー思わずファンになっちまったよ」

得意の作り話を並べる九澄。
いつの間にかルーシーはコメディドラマでデビューし今や演技派として人気急上昇中のニューヨーク出身若手女優ということになっていた。
どうにかこの場を切り抜けた九澄は安堵の溜息を付く。
だがその時愛花から白い目で見られていたことには気づかなかった。


####


翌日、いつも通りに登校した九澄の前に、体から憤怒のオーラを醸し出している少女が立ち塞がった。
整った顔立ちが鬼の形相になっているその様子を見て九澄はたじろぐ。

「み……観月……?」

「変態! ロリコン!! ペドフェリア!!! いっぺん死んで生まれ変われ!」

それだけ叫んで観月は顔をぐしゃぐしゃにして走り去っていった。
唖然とする九澄の前に今度は愛花が現れる。

「あのね、九澄君……昨日一晩中考えたんだけど……やっぱりルーシーちゃんを恋愛対象にするのって良くないと思うの。
 その……思春期の男の子って色々複雑なんだと思うけど……出来れば人間の女の子に興味持ってほしいなって……」

「ま、待ってくれ柊! あれは……」

「あたしにできることがあったら協力するから! じゃあね!」

愛花は脱兎のごとく駆け出した。
九澄は小さくなっていく愛花の背中を涙目で見送るのみ。

「違うんだ柊! 
 誤解なんだ!!
 ちくしょう、カラオケなんて大っっ嫌いだーーーーーーーっっ!!!!」



[33133] 第三話
Name: スウォン◆63d0d705 ID:f55bda92
Date: 2012/05/16 18:38
        第三話 いつかこの日の思い出を



その日はまったくもって平和な朝だった。
きっといつも通りの日常が始まるのだろうという九澄の期待は、聖凪の敷地に入った途端裏切られることになる。
何事なのか、黒山の人だかりが校舎の前にできていた。

「なんだなんだ?」

九澄は手近にいたスケボーバンダナこと津川に声をかける。

「あっ九澄! あそこにすっげー可愛い子が来てるんだよ! 転校生じゃねーかな?」

「転校生?」

九澄が人ごみをかき分ける。
その中心には髪の長い女子生徒の後ろ姿があった。
聖凪の制服に身を包み、腰の下まで届くきらめくような金髪を持ったその少女が不意にこちらを振り向く。
その瞬間九澄は目を見開き絶句した。

「大賀ーーーー!!」

突然突進するような勢いで少女が九澄に飛びついてきたので、そのまま九澄は尻餅をつき押し倒されたような格好になってしまう。
女の子特有の柔らかい感触と甘酸っぱい香りが九澄を包んだ。

「お、お前まさか……」

少女は大きな赤い瞳をキラキラと輝かせる。

「そうだよ! ルーシーだよ大賀!」

「なぬーーーーー!!!???」

マンドレイクにして手乗りサイズの美少女ルーシー。
彼女が人間のサイズになって九澄の前に現れたのだ。
突然すぎる事態に九澄は顔を真っ赤にしてうろたえることしかできない。
しかも目の前の彼女は単に大きくなっただけでなく、外見そのものも中学生相当だった以前から超高校生級に進化を遂げ大変な美少女となっていた。
いかに九澄が愛花一筋といっても、こんなS級美少女に抱きつかれて平静ではいられない。

「九澄ぃ~こりゃ一体全体どういうことだ!」

伊勢が号泣しながら九澄を問い詰める。
そう言われても九澄にも説明できるはずがない。

「いや……うーん参ったな……。
 おいルーシー! ちょっとこっち来い!」

「きゃっ♪」

大賀は身を起こして強引にルーシーの手を引っ張り走りだした。
人ごみを押しのけ脱兎のごとく駆けていく二人の背中に伊勢が叫ぶ。

「おい九澄どこ行くんだよ!」

「わりーな! 一時間目は遅れるって先生に言っといてくれ!」

後には茫然とする数十人の生徒が残された。


####


校長室。

「なるほど、それは珍しいことが起こりましたね」

「そんな呑気な話じゃねーよ校長先生! なんでこんなことになってるんだ!?」

「それはルーシー本人に聞いてみないと」

「ルーシー!」

マンドレイクの美少女は困ったように微笑んだ。

「それがあたしにもよくわからないんだ」

「なぬっ?」

ルーシーは目をつむり、自分の胸の上に手を置いて嬉しそうに微笑む。

「毎日願っていたの。人間になって大賀のそばにいれたらなあ……って。
 今日目が覚めたら校庭の芝生の上にいて……」

ゆっくりとまぶたを開くルーシー。

「こうなってたんだ」

ルーシーが頬を染めて九澄を見つめると、九澄も釣られて顔を赤くしてしまう。
顔立ちそのものは以前とさほど変わっていないが、ぐっと大人っぽくなった上に人間サイズになったことで受ける印象が全く違っていた。
好み抜きの客観的な美人度でいえば、最愛の愛花ですら敵わないだろう。

(って、なにルーシー相手に見とれてんだ俺は!)

九澄は体ごと顔を逸らして唇を噛む。
片想いとはいえ、九澄にとって愛花以外の女性に目を奪われるのは浮気しているも同然なのだ。

「もーっ! 大賀ってば照れないでよーっ♪」

「ば、ばかっ! くっつなルーシー!!」

あらあらうふふと校長が目の前の青春ドラマを楽しんでいると、九澄がルーシーに抱きつかれながら机を叩いてきた。

「校長先生!」

「あら、どうしたのかしら九澄くん」

汗をたらす九澄に対し校長はのほほんと悠長に構えている。

「どうすりゃいいのかわからねえよ……」

「あら簡単ですよ。成り行きに任せてしまえば良いのです」

「いいっ!?」

校長はいつも通りニコニコと微笑んでいる。

「何事も経験、特に若い時分は経験こそが金銀財宝にも勝る財産となるのです。
 その上で自ら道を選びなさい。
 ルーシー、あなたはどうしたいのですか?」

ルーシーは九澄の首に抱きついたまま天井を見上げ、んーとしばらく考えこむ。
そして顔を赤らめながら遠慮がちにつぶやいた。

「あたしは……大賀と同じクラスに入りたいな……」

「もちろん結構ですよ」

校長は全く迷わず首を縦に振った。驚いたのは九澄だ。

「こ、校長先生! そんなことしていいの!?」

「構いませんよ。柊先生には私から説明しておきましょう。
 今から二人で教室に向かいなさい」

「やったー! 校長先生大好き!」

今度は校長に飛びつくルーシーと裏腹に、九澄はこの先何が起こるのかと不安を感じた。

(だけどルーシーのやつ、くっついた感触はあったかくて柔らかくて……
 ……本人が喜んでるならまあいいかもな……)


####


「アメリカから来ました、ルーシー・ドレイクです! みんなよろしくね♪」

うおおおおおおおお!!! とクラスの男子が一斉に雄叫びを上げる。
女子も大半が「綺麗!」「カワイイ!」「お人形さんみたい!」と、感嘆の声を上げた。
そんな中、ひとり愛花だけは呆気にとられていた。

「ルーシーちゃん……ウソ……」

間違いない、彼女だ。
どうやって大きくなったのかわからないが、マンドレイクのルーシー本人に間違いない。
愛花は自分がなぜこんなにも不安定な気持ちになるのかわからなかった。
どうしてルーシーと目を合わせることができないのかもわからなかった。
ただうつむいて顔を背けることしかできなかった。

壇上の柊が大きく咳払いをして教室を静める。

「あー、じゃあ最後列に席を用意しといたから、あそこに座ってくれルーシー」

柊が空席を指差すと、ルーシーは目をキラキラさせて柊の方を向いた。

「柊センセー! あたし大賀の隣の席がいいなー」

「む、そうか……じゃあ津川、お前が後ろに行け」

「はいいっ!?」

津川がガタンと立ち上がる。

「ちょ、先生、そりゃ強引じゃないですか?」

「津川駿、今学期の魔法成績Dマイナス……と」

「だーーわかりました! 移動します!」

渋々荷物をまとめて後ろに移動した津川に代わってルーシーが席に着いた。
隣の大賀を向いてにっこりと微笑むルーシーを見て愛花はますます平静ではいられなくなる。
あと少しで泣いてしまいそうな気さえした。

一体この気持はなんなんだろう。
愛花にとってルーシーは大切な友達だ。
彼女が人間ではないことは知っていても、本当の友達だと思っていた。
なのになぜ自分は、彼女が人間として現れたことにうろたえているのだろう。
なぜ九澄くんに笑いかけるその姿を見るのが辛いのだろう。
なぜ。

教科書を持っていないという理由で、ルーシーは授業中ずっと九澄の脇にぴったりくっついていた。
男子一同の嫉妬の視線を一身に浴びながらも九澄はそれどころではなく、ルーシーの甘い香りや色っぽい唇や見えそうで見えない胸の谷間から意識を逸らすのに必死だった。

(ちくしょう、柊父の企んでいることが手に取るようにわかるぜ……)

九澄は歯ぎしりした。
親バカ極まりない柊父は、自分とルーシーをくっつけることで娘から引き離そうとしているのだろう。
あの野郎の笑いをこらえる姿が目に見えるようだ。
しかしそんなこすい策略に乗る訳にはいかない。
俺の本命はあくまでただ一人なのだ。
でもルーシーってやわらけーな……いやいや。

どうにかこうにか一限目を終えると、クラス中の生徒達がどっとルーシーのもとに集まってきた。
皆口々に疑問を口にする。
一番の関心事はもちろん九澄との関係だ。

「ねえねえ、二人ともやたら親しいけどどういう関係?」

ルーシーはポッと頬を染めて自分の体を抱くように腕を組む。
その姿はちょっとそこらではお目にかかれないほど可憐でセクシーだった。

「大賀はね……あたしにとってこの世で一番大事な人。
 大賀のためならあたし、どんなことだってできるんだ」

きゃああああああああ!! と女子から歓声が上がる。
「九澄くんってば隅に置けない!」「いやらしー! でも素敵!」とはしゃぎまくる女子たちを尻目に九澄は頭を抱えた。
モテネーズこと伊勢や提本は「憎しみで人が殺せたら……」と血涙を流していた。


「なあ愛花。これでいいのか?」

三国久美が親友の愛花に尋ねる。

「……え?」

久美の目には愛花の顔は生気を失っているように見えた。

「九澄のことだよ。このままだとあの転校生に持ってかれちまうよ?」

「そ、そんな……いいとか悪いとか、それは九澄くんの問題だよ」

無理に笑顔を作る愛花を見て久美は無性に腹が立ってしまう。
なんなんだあの男は。あれだけ柊柊言っときながらこの有様か。
一発ぶん殴ってやらないととても気が済まない。
久美が拳を固めると、それを察したもう一人の親友・ミッチョンこと乾深千夜が久美を睨みつけ、無言でたしなめた。

(だけどさミッチョン!)

(いいから)

友を想う気持ちはミッチョンとて同じだ。
だけどこれは愛花自身がどうにかしなければいけないこと、周りがでしゃばっていはいけないと彼女は思っている。
少し背中を押してあげるぐらいなら、いいかもしれないけれど。

「あ、あたしは平気だよ久美。……ごめん、ちょっと体調悪いみたいだから風に当たってくるね」

愛花は無理に笑って立ち上がり、不安定な足取りで教室の外に向かう。
声をかけられないまま愛花を見送った久美は、キッと表情を引き締めて教室中央の人ごみを押しのける。

「九澄!!」

言うが早いか久美は九澄の襟首を掴み強引に引っ張り上げる。
座っていた九澄が目を丸くして久美に向きあった。

「三国……?」

久美は怖いぐらいに真剣な表情で九澄を睨みつける。

「九澄! 今すぐ愛花を追いかけろ!」

「柊を? 柊がどうかしたのか?」

久美はその問いには答えず、九澄の尻を得意の空手で思い切り蹴りあげた。
バシッという気持ちのいい打撃音が教室に響き渡る。

「だおっ!!??」

「いいから行けっ!!」

「お、おうっ!」

尻を抑えながら九澄は教室外に駆け出していった。
ルーシーを含め残された皆はぽかんとしている。
ミッチョンは一人大きく溜息をついた。

「まったく……」

「このくらいでちょうどいいのよ、あいつらにはね」

久美は呆れる親友にニカッと笑いかけた。


####


「柊!」

廊下を歩いていると突然後ろから声をかけられて愛花はビクッと震えた。
振り向くとそこには今一番会いたくない人物がいた。

「九澄くん……」

「えっと……柊どうかしたのか? なんか具合悪そうだけど」

心配そうな九澄の顔を見て、愛花はなぜか無性に腹が立ってしまう。
考えるより先に言葉が口から飛び出す。

「九澄くんには関係ないよ」

違う。

「あたしなんかほっといて、ルーシーちゃんと仲良くしてあげたら?」

こんなことが言いたいんじゃない。

「カラオケの時、好きな人はルーシーちゃんだって言ったよね。
 おめでとう、これで想いが叶ったね」

あたしは何を言ってるんだろう。
あたしは。

「違う!!」

九澄が叫んだ。
九澄は愛花の両肩を掴み、真剣に愛花の目を見据えた。

「俺の……」

「俺が本当に好きなのは……」

「好きなのは……!」

愛花の鼓動が早まる。
全身の温度が上がる。
息ができない。
時間が止まってしまったように。

「おま」

「九澄ぃいいいいいいい!!!」

誰かの叫び声とともに突然九澄が何かに引っ張られ、後ろにすっ飛んでいった。
愛花はなんの反応もできず固まったままだった。

「なっ……てめえ柊父! なんのつもりだオイ!」

「それはこっちのセリフだ! 掃除用具室の備品になりたいかオラ!!」

遠くで誰かが口論していた。
愛花の耳にはその音が届いていたが、脳はそれを聞いていなかった。
ただ呆然と、何も考えられず、その場に立ち尽くしていた。


####


昼休み。
九澄はルーシーと二人で食堂にいた。

「はい、あ~ん♪」

「できるかっ!」

フォークにポテトを刺したルーシー(箸は使えないらしい)のアプローチを、九澄は顔を赤らめながら拒絶する。
二人は相変わらず周囲から注目を浴びまくっていた。
今やルーシーの転入は一年生全員に知れ渡り、休み時間ごとに見物人が押し寄せる状況だ。
当然九澄に嫉妬する人間も際限なく増え続けている。
もはやいつ誰かの呪い魔法で九澄の心臓が停止しても不思議ではないともっぱらの噂だった。
(もちろん生徒にそんな危険な魔法は扱えないが……。)
一方でF組のとある女子生徒が卒倒して保健室に運ばれたという情報は九澄の耳には届いていなかった。

「もうっ、大賀ってばもっと楽しそうにしてよ~」

「それどころじゃないっつーの……」

九澄の気分はドン底だった。
さっきは思わず告白しそうになって親バカ教師に妨害されてしまったが、冷静に考えればあれだけきっぱり脈を断たれたのに成功していたはずがない。

(ルーシーちゃんと仲良くね、か……。トホホ……失恋決定だな俺……)

思えばこの学校に入った目的も、本物のゴールドプレート目指して魔法ポイントを集めようと決めた理由も、全ては柊愛花のためだった。
彼女の笑顔が見たい、彼女の夢を叶えてあげたい、そして願わくば彼女と一緒に……。

(終わったな、全部)

この先どうしようかと九澄は考えていた。
さすがに二度目の高校中退はマズイが、かといって今までどおり執行部の激務を続ける気にはなれない。
いっそ執行部だけ辞めて、手持ちの魔法ポイントでとっととアイアンあたりのプレートを取得して普通の生徒になろうか、そんな考えが頭をよぎる。

「大賀ってば!」

気がつくとわずか5センチ先にルーシーの顔が迫っていた。

「うわっ!」

九澄は思わずのけぞってしまう。

「もう、ぼうっとしないでよ大賀」

「わ、わりい……」

謝る九澄に対しルーシーは悲しい顔を浮かべる。

「やっぱり、あたしなんかじゃダメ?」

「……え?」

「あたしなんかじゃ愛花の代わりになれない?」

さっきまでのハイテンションが嘘のようにルーシーの目から元気が消えていた。

「……ルーシー……」

「あたしは大賀のためならなんだってできるよ。大賀はこの世で一番大切なひとだもん。
 ……だけど、大賀は愛花のことが好きだもんね。
 あたしじゃ代わりになれないって、知ってるから……」

「……代わりじゃない」

九澄は静かに、だけどきっぱりとルーシーの言葉を遮った。

「え?」

何か喋ろうと考えていたわけではない。
ただ自然に言葉が溢れだす。

「お前は柊の代わりじゃない。誰だってそうだ。誰もあいつの代わりにはなれない……。
 けどよルーシー。お前の代わりだってどこにもいないんだぜ?」

ルーシーは口を中途半端に開いたまま九澄を見つめている。

「お前はいつだって俺の味方だった。いつだって俺を元気づけてくれた。
 お前は俺の大切な……そう、仲間だ」

これが本心。現時点での偽らざる九澄の心だ。

「仲間……」

「今はまだお前のこと異性としてとか、そんな風には見れねえけどさ。
 でも俺はお前に会えて本当に良かったと思ってんだ。だから……」

九澄が優しく微笑む。

「ありがとな、ルーシー」

「大賀……」

ルーシーの頬が真っ赤に染まる。
小さかった頃にはなかった、自分の心臓の鼓動が聞こえる。

あたし、ドキドキしてる。
ルーシーは気付いた。

ああそうか。そういうことなんだ。

好き。

そばにいれたらいいとか、幸せになってくれたらいいとかじゃないんだ。

大好き。

あたしがあなたを幸せにしてあげたい。他の誰かじゃなくて、あたしがあなたを。

ねえ大賀。

「目をつぶって」

あなたのイチバンになりたい。

「え?」

「いいから!」

「お、おい……」

ルーシーは愛しい人の愛しい顔を両手で挟んだ。
この想い、伝わりますように。
彼女はそっと顔を近づけ、二人のシルエットが重なった。


その瞬間、ルーシーの体がまばゆく輝いた。
光は食堂どころか校舎さえも溢れて広がり、やがて聖凪すべてを包んだ。
ルーシーの体は光のなかに溶けていった。


####


「……」

「…………」

「……目が覚めたか?」

「あ……」

そこは見覚えのある景色だった。
少し前、大賀と二人でここを訪れたことがある。
目の前で宙に浮かんでいる、上半身しかない少年のような男もその時に会った人物だ。
色白の中学生のような見た目に反して御年102歳、聖凪高校の設立者である花先音弥その人である。

「キスの瞬間に魔法は解ける。古典的だがロマンチックなルールだろう」

「そっか……あなたがあたしに夢を見せてくれたんだね」

ルーシーは自分の姿かたちを確認する。
正真正銘、いつも通りのマンドレイクの体だった。
すべては目の前の魔法使いが見せてくれた幻だったということか。

「夢じゃないぞ、すべては現実に起こったことだ。
 もっとも魔法が解けると同時に、ボクとお前以外の全員からこの日の記憶は消えてしまったけどな」

「そっか……」

ルーシーは自分の胸に手を当てる。
もう心臓はない。
なのにまだドキドキしている気がする。

「あたし、やっとわかったよ。自分の本当の気持ちが。
 ありがとね、おじいさん」

ルーシーが微笑むと音弥は照れくさそうに笑った。

「やれやれ、孫を持つってのはこんな気分だったのかもな」

ルーシーは空に浮き上がって精一杯の笑顔で音弥に手を振る。

「あたし、いつか絶対大賀のイチバンになってみせるよ!
 だから……またね!」

空の向こうに消えて行くルーシーを見届けながら音弥は感傷的な気分に浸っていた。
最初は単なる暇つぶしのつもりだった。
ヒトに恋するマンドレイクというレアクリーチャーに束の間の幸せを。
まさか自分がこうまで感情移入してしまうとは思わなかった。

あんなにも人間を愛する魔法生物を見たことはない。
あんなにも魔法生物に愛される人間もいない。
たとえ彼らが結ばれなかったとしても、願わくば彼女の命に幸福があらんことを。

「まったく、長生きはするもんだ」


####


昼休みが終わって5限目のチャイムが鳴ると同時に津川は教室に戻ってきた。
大急ぎで『教室の最後尾にある自分の席』に座ろうとする……あれ? 俺の机どこ行った?

「なにキョロキョロしてんだ津川。お前の席は九澄の隣だろ」

田島に言われて津川はハッと我に帰る。
そりゃそうだ、なんで俺こんなところを探してるんだろう。

席についてふと隣を見ると、九澄がぼうっとしていた。
えらく気の抜けた表情だ。

「どうしたんだよ九澄」

「ん? いや……別に何もねーんだけど……なんとなく何かあったような……なかったような……」

(相変わらずたまにわけわかんねーこと言い出すなこいつ……)

同じ時九澄の横顔を見ている人物がもう一人いた。
見ている、と言うよりは見とれていると言ったほうが正しいかもしれない。

「んー? どうしたのよ愛花ー、九澄のことじ~っと見つめちゃって~」

「えっ!?」

愛花がドキリとして振り向くと、そこにはニヤニヤと怪しい笑みを浮かべる久美がいた。
愛花はなぜか無性に焦ってしまう。

「九澄がそんなに気になるのぉ~?」

「ち、違うよ。もう久美ってば……。
 ただ……」

「ただ?」

愛花はもじもじと手を動かして小声でつぶやく。

「今日の九澄くん、いつもよりかっこいいかもって……」

「ほほお~~!」

久美がニヤニヤ笑いをさらに増幅させグイッと身を乗り出す。

「ち、違うってば! そういう意味じゃないよー!」


####


その日はまったくもって平和な放課後だった。
九澄は執行部の日課として校内をパトロール中だ。

「大賀ーーー!」

聞き慣れた声がやってくる方を向くと、手乗りサイズの少女が手を振って飛んで来た。

「よおルーシー。どこ行ってたんだ?」

「えへへ~、秘密♪」

ルーシーは人差し指を唇に当てて上目遣いでウィンクした。
その仕草の不意打ち的な可愛らしさに九澄はドキリとしてしまう。

(あ、あれ? 俺なんでルーシーにドキドキしてんだ……?)

気恥ずかしくなった九澄はルーシーから顔を逸らす。

「あっちょっと大賀、待ってよぉー」

ルーシーは顔を赤らめて足早に立ち去ろうとする九澄を追いかけ、耳元でそっとささやいた。

「ねえ大賀」








「大好きだよ♪」



[33133] 第四話
Name: スウォン◆63d0d705 ID:f55bda92
Date: 2012/05/23 00:10
    第四話 生徒会魔法執行部部長・“ウィザード”夏目琉



生徒会魔法執行部部長。
それこそが聖凪学園で最も恐れられている役職の名である。

「三年生訪問?」

永井の呼び出しに応じ二年生部室に集まった執行部一年生一同は、支部長からの命令に目を丸くした。

「そうだ。お前達が入部して以来、何かと忙しくてそんな暇がなかったんだがな」

永井が九澄の背を叩いた。
聖凪高校では一・二年生校舎と三年生校舎がはっきり分かれている。
通常生徒が別の校舎を訪れることはないため、同じ執行部といえど一年生が三年生と顔を合わせることはない。
しかし慣例では一年生執行部は正式発足後すみやかに三年生のもとを訪問し、交流の機会を持つことになっている。
その折に先輩方からのありがたーい経験談や説教を聞くという趣向である。

「ついさっき連絡があって、すぐにお前らを寄越してくれとのことなんだ。
 まあ急な話だがどうせいつかはやることだ。仕事は俺達二年に任せて行ってきてくれ」

三年生校舎までの2キロほどの道のりを九澄たち七人が歩いていた。

「っにしても急だよな。相変わらず人使い荒いぜ執行部はよ」

九澄が苦い顔をしてぼやく。

「そう言うな。せっかく普段会えない先輩に会える機会なんだ。
 彼らはこの学校で最強クラスの実力者なんだよ」

大門の足取りは軽かった。魔法の腕を磨くことに誰よりも熱心な彼にとって、噂でしか知らない三年生の実力を見れる機会など願ってもないことだ。
ぜひいくつか得意魔法を披露してもらおうと小柄なエリート一年生は考えていた。

「あたしも楽しみだな。きっと凄い人達なんだろうな」

愛花が大門の言葉に頷くと、九澄は途端に歯ぎしりした。

三年生校舎の見た目はいたって普通だった。
何人かはなにか凄いものを想像していたのでがっかりしていたが、九澄は最初から乗り気でなかった。
前に三年生執行部の滑塚という男に腕試しを挑まれて以来、彼らと関わりたくなかったからだ。
もし勝負を挑まれたりしたらなんと言ってごまかそうかと九澄は悩んでいた。
約束の正面玄関前にたどり着くと、どこからともなく女性の声が聞こえてくる。

「はいはいみなさーん、こっちについてきてねー」

声の主は宙に浮いているクマのぬいぐるみだった。
手招きしてどこぞに飛んでいくイマイチ可愛くないぬいぐるみに驚く者はもちろんここにはいない。
三年生にとってはお菓子でも食べつつケータイをいじりながらでも使えるような魔法だろう。
ぬいぐるみに招かれた場所は校舎の中ではなく、そこから少し離れた場所にある建物だった。
そこは簡素な小さい体育館といった面持ちでさほど広くは見えなかったが、中に入ると校庭に匹敵する大きさだった。
野球の試合ぐらいなら難なくできそうな面積と天井の高さだ。

「魔法空間……」

影沼のつぶやきは誰も聞いていなかった。
広さだけではない、その空間特有の妙な空気に圧迫されていたのだ。
その空間の中央で二人の男が向かい合っている。
短髪の男は今にも掴みかかりそうな険悪な表情。
長髪の男はどこ吹く風とばかりに余裕の表情だ。

「やっと来たねボーヤたち。もっとチャッチャとして欲しかったんだけど」

ぬいぐるみが飛んでいった先には四人の生徒が集まっていた。
その中には九澄が知っている顔もある。
額の広い大柄な男、以前九澄に挑んできた滑塚亘だ。
彼の隣でぬいぐるみを肩に乗せているのは抜群のスタイルを誇る美少女。

「彼らが……三年生執行部」

大門は気圧されていた。
ただ立っているだけの彼らから、静かにして強烈なプレッシャーを感じる。
間違い無く今の自分では歯が立たない一流の魔法使いたち。
大門は固く握った拳が汗でにじむのを感じ、微笑んだ。
彼らが期待通りの強者だったことがたまらなく嬉しかった。

「はじめまして先輩方。大門高彦といいます」

「あっテメー自分だけ! おねーさま、俺竹谷和成!
 カズ君って呼んでくださーい♪」

竹谷は四人の中でもひときわ目立つ美少女に擦り寄る。
その鼻の下は見事に伸びきっていた。

「なんつーみっともねー奴……」

九澄が口をぽかんと開ける。
竹谷は真剣な顔で九澄に振り向いた。

「お前このお方を知らんのか! 俺は一目でわかったぞ、この方が執行部副部長、時田リサさんであるということが!」

「時田……?」

その名前には聞き覚えがあった。たしか伊勢あたりがよく口にしていたような。

「"Gの時田"か!」

九澄の頭にイナズマが走る。
一年生最強バスト、禁断のGカップ。何もせずとも名が売れるB組のリーサルウェポン時田マコ。
愛花以外の女性に興味がない九澄でも、何度か彼女に目を奪われたことがあることは否定出来ない事実である。
そして目の前の美女は、信じられないことに時田マコ以上のスタイルの持ち主だった。
爆弾級のバストにきゅっとくびれたウエスト、群を抜いて長い脚、小さな形良い頭と大きな灰色の眼。
こんな人類が実在するのかと思ってしまうほどずば抜けた肢体だ。

「立っているだけで罪、歩く姿は犯罪級!
 彼女こそは聖凪のビーナス、時田リサ様なのだ!」

力の限り彼女を称える竹谷は、オープンスケベ男の伊勢とは違う意味で危ない奴に見えた。
当の時田は余裕の笑みを浮かべつつ、人差し指を立ててウインクする。

「ありがとうカズ君。でも妹はウブだから乱暴しちゃ駄目よー?」

「んモチロンですっ!!」

だめだこいつ。九澄はおもいっきりそう思った。

「挨拶はもういいだろ一年ども」

喧騒をさえぎる堂々とした声の主は空間中央に立っている長髪の男だった。
全員の視線がその男に集まる。
男は九澄と目を合わせ、ニヤリと笑う。
得体のしれない寒気が九澄の背に走った。

(あ……あいつは……)

「九澄くん?」

愛花が声をかけるが、九澄は男から目を逸らすことができなかった。
冷たい汗が九澄の背中を流れる。

「ヘヘ……自己紹介されなくてもわかっちまった……。
 あいつだけ他の連中と明らかに違うじゃねえか」

九澄は冷や汗をかきながら苦笑していた。
ここにいる三年生全員怪物クラス、だが目の前のこの男はその中でも群を抜く怪物の中の怪物、怪物の王。
ケンカ慣れした九澄に備わった、強者を見ぬく勘が最大音量で警報を鳴らす。
これほどの威圧感を姉の胡玖葉以外から感じたことはない。

「つまりあいつが三年生最強の男、執行部長ってわけだ」

「いい目をしてるじゃないか九澄大賀。
 伊達にゴールドプレートは持っちゃいないな」

男が口の端を吊り上げる。

「へっ……プレートの色なんかで本当の強さはわかんねえよ」
(帰りて~~!)

九澄は心底そう思った。
そのやり取りを見て時田リサが微笑む。

「夏目くん、嬉しそーじゃない。待ち望んだ恋人に会えた気分ってやつぅ?」

「茶化すな時田」

「あはは、ごめんごめん。……さて一年生諸君、お察しの通り彼がウチの部長。
 魔法執行部部長・夏目琉〈なつめりゅう〉、通称"ウィザード"。
 聖凪高校全生徒八〇〇人の頂点に立つ男よ」

一年生全員がつばを飲み込んだ。
すると夏目と向き合っている短髪の男が口を挟む。

「くっだらねーお話はもう済んだかよ?」

「ああ、始めようか」

夏目が不敵に笑って右手を伸ばし、指先をクイクイと曲げ挑発した。

「いつでも来いよ、『挑戦者』」

男が顔を歪めてプレートを握る。
そして何事かを叫んだ。

「始まったか……」

滑塚がつぶやく。
一年生は皆戸惑っていた。竹谷が時田に訪ねる。

「リサさん、これは一体何なんですか?」

「挑戦者よ、久しぶりのね」

時田は楽しそうだった。

「三年生執行部って結構暇なのよ。夏目くんが強すぎて、だーれも逆らえないんだもん。揉め事なんか起こせないの。
 でも時々ああやって命知らずの挑戦者が現れるわけで、それに応えるのも執行部長の仕事みたいなもんね。
 夏目くんはね、こういうイベントを何よりも楽しみにしてるのよ」

挑戦者の背後の影から巨大な物体が浮き上がる。
それは身の丈四メートルはあろうかという漆黒の物体になった。

「影を実体化したんだ!」

影沼がここぞとばかりに解説する。
ここで目立たなければ次はいつになることか。

驚くべきことに影は召喚主である挑戦者自身を飲み込んだ。
すると影は人型に変わっていき、ついには明確な形に定まる。
中世ヨーロッパチックな鎧姿に巨大な剣。それはまさに漆黒の騎士と呼ぶべき存在だった。

「凄い……この距離でも凄まじい魔法力を感じる……。
 あの大きな影で自分を包み、最強の鎧に変えたんだ。いわば戦闘ロボットに乗り込んだようなもの……」

影沼次郎、渾身の解説。
しかし誰も聞いていなかった。声が小さいんだから仕方がない。
時田が言葉を続ける。

「君達を今日呼んだのはこのバトルを見せたかったらなのよ。
 夏目くんが君達に知って欲しがっているの。『頂点の高さ』ってやつをね。
 あたしはめんどいからさっさと終わらせてよーって頼んだんだけど、人使いが荒いんだよねー彼」

頂点は未だ一歩も動かないままだった。
漆黒の騎士が一気に距離を詰め、大剣を振り下ろす。
夏目はギリギリのタイミングで横に跳ね、かわした。
剣は床に激突して轟音とともに数メートルの亀裂を生み、振動が九澄たちをも揺らす。
夏目は口笛をヒュウと鳴らし着地した。


「大した威力だ。まともに食らっちゃ命が危ないな」

「ならどうする!」

騎士が叫んだ。
夏目は余裕の態度で頭をポリポリとかく。

「この魔法力、お前にしちゃでか過ぎる。
 それにこのいびつな魔力圧……魔法力加算〈アディション〉か」

騎士の動きが一瞬止まる。
表情のない仮面が一瞬うろたえたように見えた。

「なぜ分かった……!?」

「なんだ当たりだったのか? そういう時は適当にとぼけとけよ」

夏目が首を振る。やれやれと言っているかのような仕草だ。

「アディション……ってなんだ?」

九澄が滑塚に尋ねた。

「魔法プレートに他人の魔法力を上乗せすることさ。
 うまくすりゃ本来の限界の倍以上の力を持たせられる。
 だがそのかわり不安定でコントロールは困難、おまけにあっという間にMPを使い果たしちまう諸刃の剣だ。
 ……ま、本来一対一の魔法バトルじゃ禁じ手だよ」

禁じ手という言葉を使った滑塚の口調に怒りはこもっていなかった。

(確信してるんだ、あの部長はそれでも負けねえってことを)

騎士が縦に横に剣を振るう。
夏目はそれを羽が生えているかのような軽やかな動きでかわし続ける。

「何人に協力してもらった? 三人ってとこか?
 だがアディションを使った魔法プレートはあっという間にバランスを失うことぐらいは知っているはずだ。
 このまま攻撃を避け続けるだけでお前は勝手に崩れちまう。
 だろう?」

「そんな勝ち方をしてみやがれ、学校中にてめえが腰抜けチキン野郎だと言いふらしてやる!
 てめえが最強を名乗るなら勝ち方ってもんがあるだろう! ウィザードさんよ!!」

「なるほど、最初からそうやって挑発することで、俺に真っ向勝負を受けさせるつもりだったってわけか」

夏目は余裕の笑みを保ち続ける。

「卑怯だと言いたいか?」

「まさか」

夏目の動きが止まった。
直立したまままっすぐに騎士を見上げる。
釣られて騎士も一瞬静止する。

「一手やろう」

「あぁ?」

夏目の切れ長の目が獲物を狙う蛇のように大きく開かれ、不気味な威圧感が観戦者にまで届く。

「一手好きなように打たせてやる。それで俺を、殺〈と〉れ」

「なっ……!」

「俺を、殺れ」

直立不動のまま、なんの迷いもない声でそう言い切った。

「ふざけるなあぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」

それは一瞬のことだった。
足元のウィザードに向けて、騎士が真上から大剣を振り下ろす。
大剣が最高のタイミングで夏目を捉えたかのように見えた瞬間、轟音とともに砕け散ったのは剣のほうだった。
夏目が何かアクションを起こしたようには見えない。彼はただ立ったまま。

「!?」

何が起こったのか誰にもわからなかった。
夏目は悠然と騎士を見上げ、騎士は剣を振り切った体勢のまま動きを止めている。

(呆然としているんだ)

表情が読めなくともその動揺は確実に観戦者たちに伝わっていた。

「残酷なやつだ……」

滑塚がぼやく。
直後、夏目は左手の手のひらをまっすぐ突き出した。

「雷砲」

ウィザードが本の題名を読むような淡々とした声で魔法を唱える。
直後、騎士の全身を特大の電撃が包んだ。
おびただしい発光が観戦者たちの視界を奪う。
数秒後、九澄がようやく目を開いた頃、騎士の鎧は音を立てて崩れ始めた。
破片が地面に溶けて元の影に戻っていき、最後には生身の挑戦者だけが残される。
男は地面に両膝をつき拳を震わせた。

「ちくしょう……!」

「まあいい線は行っていたがな。
 健闘は讃えてやるさ」

夏目が男を見下ろす。
慰めでもリップサービスでもなく、王者の余裕から出る発言だった。

「ちくしょうちくしょうちくしょう!!
 あんなに努力したのに……アディションまで使ったのに……!
 なぜだ! どうしてこんなに違う!」

男は地面を叩き、うめく。
その顔はぐしゃぐしゃに歪み、肩も声も震えていた。

「俺とお前の、何が違うってんだ……!」

誰も何も言えなかった。
夏目も周りの面々も。
ややあって男は立ち上がり、闇雲に走り去るようにして部屋を後にした。
皆がそれを黙って見送り、男が見えなくなった後ようやく時田が口を開く。

「さて! 今日も我らが夏目くんの圧勝だったね!」

滑塚がうなずく。

「やる前からわかっていたことだけどな」

九澄たち一年生は皆呆然としていた。
今目前で繰り広げられた戦い、それは彼らの知る魔法バトルのレベルというものを遥かに凌駕していたのだから無理はない。
特にあの恐ろしい相手に本気を出したようにも見えない夏目の強さは底が知れなかった。
違いすぎる。遠すぎる。

「おやおや、一年生のみんなにはちょーっと刺激が強すぎたかな?」

時田が腕を組んで苦笑する。そして九澄の方を向きその大きな瞳を輝かせた。

「でも一人だけ違う感想を持った人がいるんじゃない?
 九澄大賀くん」

「いいっ!?」

九澄に視線が集まる。
誰もが認める一年生最強の男はこれを見て何を思ったのか。
九澄はぎこちない笑みを浮かべて頭をかいた。

「ま、まあさすが三年生の執行部長だとは思ったかな。
 他の連中とはちょっとばかし違うなーっと」

「ふっ、ちょっとばかし、か……」

スラリとした長身に程よく引き締まった筋肉、端正な顔立ちにサラサラの長髪。
ウィザードの名に恥じない風格と威厳を持つ男が嬉しそうに目を細める。

「さすがはゴールドプレート、俺を相手にしても負けるつもりはないというわけか」

「い、いや、勝ちとか負けとか、別に勝負なんて馬鹿らしいだろ」
(勝てるかーーーーー!!)

九澄の心の声を聴くものはもちろんいない。

「なるほど、力を誇示したがらないという話は本当だったか」

夏目は滑塚に目を向ける。

「滑塚はお前に関してこう言った。サシなら俺より上かもしれない……と。
 俺のまともな相手がいなくなってから随分経つ。
 お前なら俺を楽しませてくれると思っているんだがな」

「だ、だから俺は魔法をケンカの道具になんかする気はねえし!
 俺にとって魔法は、みんなが幸せになるための夢の道具なんだ!」

九澄が力強く拳を突き出す。
夏目はそれを見て声を上げて笑いだした。

「はっはっは! 初めてだよお前みたいな奴は!
 気に入ったぞ九澄大賀! お前に任せときゃあっちの執行部は安心だろうな!」

「な、なんかあんなに嬉しそうな夏目は初めて見るな……」

滑塚が戸惑ったように声を漏らす。

「九澄くんらしいな、ああいう自分の強さを絶対にひけらかさないところ」

愛花が嬉しそうにそうつぶやいたのを聞いて、大門の眉間にシワが寄った。

「くっくっく、だがな九澄。俺は予感がするんだ。
 近いうちにお前と一戦交えることになるような予感がな……」

縁起でもない。

「その時を楽しみにしているぜ、怪物一年生」

(か、関わりたくね~っ)

九澄は心底さっさと帰りたかった。
結局このあと一年生ズは三年生の部室に招かれお茶と自慢話を振舞われたあと帰路についた。
帰り道の途中で竹谷がつぶやいた、「凄かったなー」という感想が全てだった。


*****


夏目に敗れた男は校庭の影で校舎にもたれ座り込んでいた。
敗北したこと以上に、まるで通用しなかったという事実が男を打ちのめしていた。
打倒夏目を目指した1年以上の努力はまったくの無駄だったのだ。
生気の抜けた顔でぼんやりと地面を見つめる男の前に、別の男が歩み寄ってきた。
背の高い、無駄なく鍛えあげられた体と鋭い目を持つ狼のような男。

「死んだような顔してるじゃねえか。
 結果は俺の言ったとおりだったみてえだな」

「……俺を笑いに来たのか」

「それだけでもねえ。いまどき奴に挑むだけでも大した度胸だって褒めてやろうと思ったのさ」

「……お前はどうする気なんだ。
 口先だけで最後まで逃げ続けるのか?」

「そう焦るんじゃねえよ。物事には時期ってものがある。
 だがとうとうその時が近づいてきてるのさ……」

狼のような男が大きな口を歪めてニヤリと笑う。
一切の不安を感じさせない自信に満ちた笑み。

「近いうちお前に……いや全校生徒に見せてやるさ。
 "ウィザード"が敗北にまみれる瞬間ってやつをな」



[33133] 第五話
Name: スウォン◆63d0d705 ID:95955b57
Date: 2012/06/05 03:14
   第五話 林間学校〈1〉


雲ひとつない快晴、青々とした美しい自然。
涼やかな秋風が吹く爽やかな山中、リュックサックを背負い体操着で整列する生徒達の中で九澄大賀は一人冷や汗を流していた。

(まずい、例によってまたなんの対策も取らずに来てしまった……)

今日は聖凪校外行事の林間学校。
九澄たち一年生全員が、地元から遠く離れた霧崎山の麓に集められていた。
表向きは普通の林間学校ということになっており、生徒達にも前日までそう知らされていたが、通常校外に持ち出し禁止の魔法プレートを全員が持たされたことからもこれがただの平和な山登りなどではないことは明々白々。
なんで事前に教えてくれなかったんだよと柊父を問い詰めたいところだが、どうせ適当にあしらわれるのは目に見えている。
その柊父が生徒達の前で演説をぶっていた。

「もうみんなわかっていると思うが、ここは普通の山ではない。
 聖凪と同じく魔法特区の一つだ」

やっぱりな……という声があちこちから漏れる。

「とはいえ魔法磁場の強さは聖凪の半分以下。場所によってはもっと薄いところもあるだろう。
 つまり普段通りのつもりで魔法を使っても効果は低いということだ。
 逆に言えばそれだけ知恵と判断力、そして効率の良い魔法の使い方が試されるということになる。
 ……などと言ってはみたが、クラスマッチと同じく成績には関係のないただのイベントだ。
 あまり気負わなくていいぞ」

生徒達にほっとしたような空気が流れる中、柊父の隣に立っていた大木"大先生"がマイクを受け取った。
二人の身長差は40センチ近くはありそうだ。もちろん小さいのは"大先生"である。

「ただし! 上位の班には素晴らしいご褒美が、そして最下位の班にはちょっとした罰ゲームを用意しているぞ。
 ま、覚悟しておくんだな、ハッハッハ」

罰ゲーム、と聞いて九澄の脳裏に先日の忌まわしい悪夢が蘇る。
あの時は愛花の誤解が解けるのに数日はかかって死にそうな気分になったものだ。
とはいえ、班ごとの行動ならC組で最も優秀な九澄班(第6班)が学年最下位になどなるはずがない。
今回は楽勝だなと九澄は胸をなでおろした。
すると再び柊父がマイクを持つ。

「さて、バスの中で皆に配ったカードがあると思うが、それを見てくれ」

確かにここまでの道中どういうわけかすべての生徒に無地の白いカードが配られていた。
九澄がズボンのポケットに仕舞っておいたそれを取り出すと、そこには「17」という数字が浮かび上がっている。
なんだこれと訝しんでいるのは他の生徒も同じのようで、見れば人によってバラバラの数字がカードに浮かんでいるようだった。

「今日の目的の一つはクラスの垣根を超えた交流を持ってもらうことだ。
 そこで同じ数字の持ち主とその場で班を組んでもらう。いつもの班行動とは違うドラマが生まれるわけだな」

(いいっ!? それじゃあ誰と組むことになるのかわからないのかよ!)

ぶっちゃけ愛花と組めさえすればそれでよかった九澄にとっては手痛いルールだ。
この上もし小石川などと組むことになったらギスギスして班行動どころではない気がする。
グチグチ言っても仕方がないので運を天に任せる他ないが。

「その札を天にかざすと数字が宙に浮きだして遠くからでも見えるようになる。
 それを見て自分と同じ番号の持ち主を見つけて班を組んでくれ。各班の人数は三名だ」

試しにカードを頭上に掲げてみれば、なるほど「17」の数字が立体ホログラムのように飛び出して浮かび上がった。
周囲を見回して同じ17番を探す九澄。ちなみにやっぱりというか愛花は違う番号だった。

「お、17番見っけ! おーい、こっちこっち!」

手を振って人ごみをかき分けて数字の下に駆け寄る九澄。
そこにいたのは意外な人物だった。

「く、九澄!?」

「お、なんだ観月か」

どういうわけか観月は九澄の顔を見た途端耳まで真っ赤にして汗を流す。

「なななな、なんであんたが同じ班なのよ!」

「なんでっつわれても……単なるくじ運だろ。
 そんなに嫌なら誰かと代わろうか?」

すると観月は九澄の視界を覆うほど接近してつばを飛ばした。

「べべべべ別に変わらなくてもいーわよ!
 あんたが他の女の子に迷惑かけたら大変だから、しっかり『あたしが』見張っておきゃなきゃいけないでしょ!」

『あたしが』にアクセントをおいてまくし立てる観月の様子を見て、九澄は(俺嫌われてんのかな)と首をかしげた。

「それはそうとあと一人はどこだ?」

九澄があたりを見渡すと、背後にちょこんと小さな女子が立っていた。

「あのー、私だと思います」

黒髪ショートに丸メガネ、小柄で童顔な女子生徒が右手を遠慮がちに上げている。
その手の中の札からは17番の文字が浮かびあがっていた。

「おお、おめーがそうか! ……ごめん、名前なんだっけ?」

執行部員の習性として学年中の生徒の顔を大体覚えている九澄だが、こういう地味系の女子は穴だったりする。
見たことがある気はしても名前までは出てこない。

「……A組の初貝です」

ぎりぎり聞こえる程度のか細い声でその少女、初貝真由はそう答えた。

「ハツガイな。俺はC組の九澄」

「知ってます」

初貝は当たり前の事を言わせるなとばかりに九澄の言葉を遮って観月の前に歩み寄った。

「観月さん、よろしく」

「ど、どうも。よろしく……」

無視されたも同然の九澄はぽつんと突っ立ったままだった。

(……と……とっつきづらそうな奴だな……)


####


オリエンテーリング。
それが今回の林間学校におけるメインイベントである。
ルールは非常にシンプルで、山中に置かれたいくつかのチェックポイントを通過して帰還する、その速さを競う競技だ。
多くの学校で課外活動の一環として行われているので知名度は高いが、本来はグループでおしゃべりなどしつつゆっくり歩くものではなく、オリンピック採用をも目指しているハードなスポーツだったりする。
当然意地の悪い聖凪教師陣がお気楽ハイキングを推奨するはずもなく、地図を渡された生徒達は一様に目を丸くした。

「先生、これ、まともな道がほとんどないのでは?」

F組の大門が手を上げて質問する。彼の隣に立っているのは九澄にとってお馴染みの黒髪セミロングの女の子。

(ひ、柊が大門と同じ組にいるゥゥゥゥ!!!???)

眼球が飛び出んばかりに驚愕する九澄を気にかけるのはずっと彼を見つめている観月以外にはおらず、柊父が淡々と質問に答える。

「ほとんどというか、全くないな。なにせ私有地だ。誰も整備するものなどおらん。
 とはいえ別にそこまで険しい山でもない。地図とコンパスをしっかり見ながら焦らずじっくり進めば危険はないはずだ。 
 よしんば『何か』あってもお前達には魔法もあることだしな」

柊父がわずかに口の端をつり上げる。勘の良い者なら彼ら教師たちが何らかの「障害」を用意していることに気付いただろう。
無論九澄はそれどころではなかったが。

(大門の奴、くだらねーことしやがったらコロス……!)

ほとんど涙目になりながら遠方の優男を睨みつける九澄であった。


####


「い、いやー。山の空気は気持ちいいよなあ!」

「……」

「……」

「虫の声を聴くと心が洗われるようだぜ!」

「……」

「……」

(か、会話が成立しない……)

山に入ってから30分あまり。九澄は森の中でテンションダダ下がり中だった。
ほぼ初対面の初貝と会話が弾まないのは仕方がないが、親しいはずの観月までほとんどだんまりというのはどういうことか。
見れば彼女はなぜか口をへの字に曲げ頬を赤くしてうつむいている。
もしや。

「風邪引いてるのか観月?」

「べ、別に引いてないわよ! 全然平気よ!」

一応元気のようだ。
いつもながらよくわからん奴だと九澄は肩をすくめた。

(あーもう! せっかく九澄と距離を縮めるチャンスなのにあたしってば何してるのよ!)

観月は自分の不器用さを恨んでいた。
神がくれたこのチャンス、無駄にしてなるものかと思いつつも、いざ何か言おうとすると固まってしまうのだ。
どうする。どうすればいい。
観月の頭脳はいつになくフル回転していた。
――例えば九澄がこんな風に話かけてきたとする。

(今日の観月……いつもより綺麗だぜ)

(あ……ダメよ九澄……初貝さんが見てるのに……)

(気にするな、今俺の瞳にはお前しか映っちゃいないさ)

そして九澄の唇が観月に迫り……

「カヒーーーーーーーー!!!!」

そこまで考えたところで観月の頭が沸騰した。

「や、やっぱりよく分かんねーやつ……」

九澄がポカンとしていると、背後から突然声をかけられる。

「あのー九澄君」

「うおっ!?」

ビクリとした九澄だったが、振り返ればなんのことはない。初貝だ。

「な、なんだ……いきなり話しかけてくるからビビった……」

初貝は九澄の失礼な言葉には反応せずマイペースで話を続ける。

「今あたしたちどのあたりにいるんですか?」

「あー、もうちょっとで一つ目のチェックポイントのはずだぜ。
 そこまで行ったらちょっと休もうか?」

九澄は地図を広げながら答える。
ようやく会話が成立したのが少し嬉しい。

「あたしなら大丈夫です。あまり他の班に遅れたくありませんし」

「そ、そう……」

淡々と前に進む初貝の無表情を見て、やっぱりこの子話しづらいと九澄は思った。
とはいえあまり遅くなりたくはないというのは事実だ。
罰ゲームというのは内容がなんであれゴメンである。
しかも今回、班ごとに異なるチェックポイントが指定されているため他の班の動向はわからない。
なんとも意地の悪いレースなのだ。

(せめてルーシーを連れてくりゃ良かったな……
 でもまさかこういう趣向のイベントだとは思わなかったからな)

いないものはしょうがない。
かくなる上はとにかく地道に進むのみ。
しばらく無言のまま歩いていると、森を抜けた先にチェックポイントらしき魔法玉が見えてきた。
ちょうど崖の下の日陰になっている場所だ。

「ちょうどいいや。ちょっとだけ腰下ろしていこうぜ」

九澄が日陰にある石の上に座り込むと、観月はしばらくためらったあと九澄のすぐ隣に座った。
それこそ手を伸ばせば肩を抱くこともできる距離だ。
九澄が真横の美少女をちっとも意識せずリュックから取り出したペットボトルの水を飲んでいると、なにやら強力な視線を感じた。

「……なんでこっち見てんだ?」

「べ、別になんでもないわよ」

「ふーん」

「……」

「……あのさ、お前今日俺のこと無視してね?」

九澄が迷いがちにそう尋ねるのを見て観月の血管が浮き出る。
なんだこの男は。本当になんにも気付いていないのか。
なんであたしがこんな男に振り回されないといけないんだろう?
観月は自分のわかりにくい行動は棚に上げて怒りを湧き立たせる。
だがそれでも、この眼の前の男の邪気のない瞳に見つめられると観月はそれ以上何も言えないのだった。

「そ、そういえば初貝さんどこ行ったんだろー?(棒)」

それは話題を変えるために無理にひねり出した一言だったが、実際初貝はいつの間にかいなくなっていた。
自分の言葉でようやくそれに気付いた観月は辺りを見回すが、小柄なショートボブの女の子などどこにも見当たらない。

「あれ? そういえばいねえな。まさか一人で先に行っちまったのか……?」

九澄も何も把握していないようだった。
これはまずい状況だ。班が揃っていないとチェックポイントの認証ができない。
そもそもこんなまともな道もない、おまけにどこにトラップがあるかもわからない山を、女の子一人で単独行動するなど危険すぎる。

「ま、まずいよこれ! 探しに行ったほうがいいんじゃ……!」

観月が腰を浮かせると、九澄が勢い良く立ち上がる。

「俺が行く! 観月はここで待っていてくれ! 全員バラバラに動いちゃもっとマズイ!」

「う、うん!」

九澄の真剣な表情と力強い言葉に観月は首を縦に振るしかなかった。

(あーあ、結局あたし九澄のこういう責任感が強くてちょっと強引なところに惚れちゃってるのよね)

腰を再び降ろしながら観月は溜息をついた。
惚れた弱みというやつはまったくどうしようもないのだ。
だが九澄が捜索を開始することはなかった。
ちょうどその時森の中から女性の悲鳴が聞こえたからだ。

「た、助けてーーー!」

叫びながら森から飛び出してきたのは初貝真由その人だった。
九澄たちの手前で膝に手をつきゼエゼエと息を切らせる。

「お、おい、どこに行ってたんだ。何があった?」

初貝が答えるより早く、今度は森の中から不気味な轟音が響いた。
何かが壊れるような大きな音に続いて一本の木がめきめきと唸り、ゆっくりと倒れた。
森の中から現れたのは、大型のヒグマほどもあろうかという見慣れない生物。

それは地球で知られているどんな動物とも違っていた。
サイを思わせるツノに虎のような牙。
ゴリラのような毛皮に覆われた二本足の猛獣。
いや、猛獣というよりも。

「モンスター……!」

観月が声を震わせる。

「お、おい、モンスターってまさか……!」

九澄の言葉に初貝が答える。

「……聖凪においては、人間に危害を加える恐れありとされる魔法生物のことを指します。
 あのモンスターは前に図書室の図鑑で見ました。
 確か……危険レベル5の"シーバン"」

「レ、レベル5って……そんなの一年生に倒せるわけないじゃない!!」

一年生の魔法力ならレベル2を倒せれば上出来だ。
以前の魔法授業で教師の一人がそう言っていた。
そもそも一年生は本格的な戦闘を経験することはないとも。
なのにレベル5のモンスターなど想像もつかない。

「そう……私達ではとても歯が立ちません。だけど……」

九澄は背中に2つの視線を感じ寒気を覚えた。
とてつもなくまずい事態になっている。

(九澄なら……!!)

観月はスーパーヒーローを見るような目で九澄の背中を見つめる。
九澄は全身から冷や汗が流れるのを感じた。

(どーすんだよこれ……!)


####


一昔前のロックギタリストの様な容姿に似合ってるんだかいないんだかわからないドクロのバンダナ。
いろんな意味で特徴的な魔法執行部1・2年生支部・支部長永井龍堂は、椅子に座って一枚の紙を凝視していた。

「……本気でこんな企画を通すつもりなのか?」

彼の前に座っている女子生徒が頬を緩める。

「もちろん」

何をアタリマエのことを、と言わんばかりのきっぱりとした返答。
永井は上目で女子生徒の表情を確認する。
栗色ショートのややクセのある髪に紅いメガネをかけた少女が楽しそうに微笑んでいる。

「根回しと準備は全部こっちで受け持つから、永井くんはなんにもしないで結構よ。
 ただ邪魔をしないでいてくれればいいだけ。
 自分がこの件に関われないことに文句なんて無いでしょう?
 こういうの興味なさそうだもんね」

永井は苦々しく舌を打つ。

「俺は良くても不愉快に思う者はいるだろう。
 特に伊勢の奴は絶対に納得しないはずだ」

「お構いなく。それもこちらの問題だから。
 じゃ、そういうことでヨロシク」

席を立つ華奢な女子を永井は声で静止した。

「待て、本当にあいつがこんな話に乗ると思っているのか?
 あいつが魔法をケンカの道具にしないことぐらいは知っているはずだ。
 魔法をむやみやたらに使いたがらないということも。
 まして全校生徒の見る前で力を誇示したりはしないだろう」
 
女子生徒は振り返らずに答えた。

「ま、人には色々事情はあるんでしょうけど……永井君、君だって見たいでしょ?
 九澄くんの本当の実力をさ」

永井には否定できなかった。
むしろ確かにそれが自分の本音なのだろうと感じてしまった。
認めざるをえないのだ、この企画はあまりに魅力的に見えるということを。

「永井君は誰が勝つと思う……?
 三年生の巨星たち?、怪物一年生九澄大賀? それとも……」

永井はゴクリとつばを飲み込んだ。




[33133] 第六話
Name: スウォン◆63d0d705 ID:95955b57
Date: 2012/06/19 17:02
     第六話 林間学校〈2〉


百草紀理子。
聖凪高校の数学教師兼魔法教師であり、男子生徒からの人気はダントツナンバーワンのセクシー女教師である。
現在24才。大学3回生の時に浮気性の彼氏と別れて以来男日照りが続いているらしい。
曰く、「聖凪の男にはろくなのがいない」とのこと。
「柊先生なんてどうかしら。今独身でしょう?」と問いかけた先輩教師に「ああいうナルっぽいのは好みじゃないの」と返すあたり中々の強者だ。
彼女にとって鼻の下を伸ばしつつ慕ってくる男子生徒などまだまだガキでしかないが、時には生徒に魅力の片鱗を感じることもないわけではない。
特に怪物一年生と恐れられる九澄大賀は、噂とは違って素直で可愛らしいところもあるし男前な一面もある。
もう少し年が近かったらあるいはちょっと好きになってたかもしれないわねと酒の席で口を滑らせたこともあった。
そんな彼女の好みのタイプは本人曰く「誠実で頼り甲斐があってユーモアもある人」というなんとも普通すぎてコメントに困るもの。
それを聞いた大木先生が、それなら自分がと名乗り出てガン無視されたことはここだけの秘密である。

さてそんな彼女の本日の仕事は林間学校での監視員。
各地のチェックポイントに置かれた魔法玉から送られてくる生徒達の情報をモニターで逐一チェックし、何かあれば巡回中の他の教師に連絡するという地味だが大切な役回りだ。
先程もB1チェックポイント付近で生徒同士が揉め事を起こしているという報告を、その近くにいる柊先生に送ったばかり。
しかしそんな彼女にトラブルが起こる。
腹痛である。
高速ダッシュでトイレに駆け込んだ彼女がそこから脱出するのは当分後の事になる。
そのためにE2チェックポイントにおいて進行中の重大な事態について彼女が感知することはなかった。

(うーん、スタート前に生徒からもらったお菓子が悪かったのかしら……?)

百草は整った顔を歪ませながら、自分にチョコレート菓子を分けてくれた地味な感じの女子生徒の顔を思い出すのだった。


####


九澄大賀は震えていた。
怖い。
怖い。
怖い。
目の前には地球の様々な猛獣のパーツを混ぜ込んで生み出したような、いかにも恐ろしいモンスターがいる。
同じ魔法生物といってもルーシーとは子猫とライオンほどにも違う。
シーバンとかいうその怪物は危険度5だそうだがそれは一体どういう数字なのか。
空手や柔道の五段よりも強いのか。
はたまたインペルダウンのレベル5囚人よりも強いのか。
SMAPの5人が一斉にかかれば何とか倒せるかもしれない。
などと現実逃避していた瞬間、シーバンがその一本角を突きつけ突進してきた。
九澄が間一髪でそれを交わすと、シーバンは勢い余って背後の崖に衝突し轟音を立てる。

「よっしゃ! 自爆しやがった!」

九澄は思わぬ秒殺にガッツポーズを決める。この勢いなら少なくとも失神は間違いなしだ。

「ふ~っ、脅かしやがって。だがこの九澄様に挑んだことをせいぜい後悔……し……」

シーバンが起き上がって九澄を再び睨みつける。
まったくの無傷。逆に崖の方は大きくえぐれていた。
もしあんなのを食らったら。

(し……死んでしまう……比喩とかじゃなくてマジで死ぬ)

観月は固唾を飲んで九澄を見守っていた。
初貝は観月に尋ねる。

「九澄くんは、大丈夫なんですか?」

「大丈夫よ、あいつなら絶対大丈夫」

「信じてるんですね」

観月は一瞬ためらったが、薄く微笑んではっきりと頷いた。

「うん……信じてる」

(あんたは……あんたはこんな時でもきっと……)

観月の思いが届いたのか否か、いずれにせよ九澄は覚悟を決めた。
拳を握りしめ、目の前の獣を睨みつける。
動物相手にガン飛ばしが効くとは思えない。だがビビって目を逸らせば確実に殺られる。
九澄は喧嘩慣れした男の本能としてそれを知っていた。

(腹くくるしかねぇか……)

今使える魔法はたった一つ。ブラックプレートに保存した一発のみだ。
幸いにもそれは攻撃魔法、うまくすればあるいは。

(と、その前に……)

「観月! 初貝! ここは俺に任せててめえらはさっさとに逃げろ!」

シーバンから目を離さないまま九澄が叫ぶ。

「なっ……! あんた一人だけ置いて逃げるなんてできるわけないでしょ!」

「うるせー! 女はさっさと逃げろっつってんだ!」

「女々ってあんたはいつもそうやって……!」

観月の抗議に耳を貸さず、九澄は声のトーンを丸めた。

「それによ……俺は、お前には怪我してほしくねーんだ……お前にゃいつでもそーやってガヤガヤ元気でいてほしいしな……」

「なっ……」

観月は自分の体温が一気に上がったのを感じた。

「だから……頼む」

背を見せたまま真摯に話す九澄に、観月は何も言い返せなかった。

(なによ馬鹿……あんたにそう言われたら、あたしはそうするしかないじゃない……)

「絶対勝ちなさいよ馬鹿!」

九澄は振り返らず、親指を立てて「OK」のサインを作った。
観月は初貝の手を引っ張り走りだした。
振り返ることなく森の中をかき分けていく。

(九澄が負けるとは思えない。だけど先生たちを見つけて知らせないと……!)

(きっと観月なら先生たちを見つけて知らせてくれるはず……!)

九澄は観月の行動を正確に把握していた。
なんだかんだで数ヶ月の付き合いだ。それにあいつってよくわからんけどわかりやすいし。
などと本人が聞いたら殴られそうなことを考える。

(さてと……最低でも時間は稼がねーとな……)

九澄が目の前のモンスターを抑えられているのはひとえに眼力のおかげだった。
だがその睨み合いも永遠には続かない。
間違いなくもうすぐ奴は飛びかかってくる。
ならばどうする。

九澄大賀なら――
            こうする。

「へっ、いいのかよ? 俺はこう見えてもゴールドプレートの持ち主なんだぜ?」

「グアアアアアアアアアアッ!!!!!!」

唸りを上げながら突進してきた巨体。
九澄はそれを再びギリギリで交わし、体をひねりながら距離を取る。
シーバンは再び崖に激突し、なに食わぬ顔でまた九澄に向きあう。

「そ、そうか……人間じゃねーからこんなハッタリは通じねーのか……って当たり前にも程があんな」

なぜだろう。
恐怖心がほとんどのはずなのに、かすかにそれだけでない感情の昂りをかすかに感じる。
こんな時にこんなボケをかませることを考えると、怖すぎてどうかしてしまったのかもしれないと考え、自嘲気味に笑う九澄。

(くそったれ、震えが止まらねえ……なのに……ちょっと楽しくなってきやがった……。
 腹ァ……くくってみっか……)

九澄にはひとつのアイディアがあった。
今自分に実行しうるほとんど唯一の攻撃手段。

(失敗したら死ぬかもな……ちくしょう、なるようになりやがれ!)

九澄はカッと目を見開き、怪物を睨みつけ自ら駆け出した。
全身のパワーを総動員した本気の突進だ。
一瞬シーバンの動きが止まった隙を九澄は見逃さなかった。
両手で怪物の大きな口の内側を掴み、120%の力でその口を一気にこじ開ける。
それはまさしく火事場の馬鹿力と呼ぶにふさわしい本気以上の腕力だった。

(どんな頑丈な体でも……ここは弱点だろ!!!)

「オープン!!!!! 声震砲(ボイスワープ)!!!!!!」

九澄は怪物の口を覗きこむように顔を突っ込み、ありったけの大声を叩きつけた。
魔法力で増強されたその音は一本に収束し、大砲のようなビームとなって怪物の口内に炸裂した。
轟音とともに九澄は反動で吹っ飛ばされ、尻餅をついて転がった。
顔や尻に痛みが走るが今はそれどころではない。
九澄が顔を上げた時、怪物は口から煙を吐き出しながらピクリとも動かず倒れていた。

「いよっしゃーー!! 大成功!!」

思わずガッツポーズする九澄。

「へっへっへ、人間様をナメるとこうなるんだっての」

仰向けで倒れている怪物に軽やかな足取りで近づき、念のため見開かれたままの目をよく観察する。 

「よしよし、完全に飛んじまってるぜ。ブラックプレートと柊の魔法様々だな……」

九澄は知らなかった。
野生の猛獣の生命力と、その危険度を。
安心してシーバンから目を離したその刹那だった。

衝撃。
痛みを感知するより先に、弾けるように吹っ飛ぶ。
崖に激突し、側頭部を強打し、落下。
地に屈し、そこで初めて九澄は脇腹の強烈な痛みを知る。
痛み?
違う、そんな生易しいものではない。
全身がバラバラになったかのような激痛。

(生きてやがった……!)

完全な油断だった。
九澄はあそこですぐに逃げるべきだったのだ。
ダメージのある今のシーバンに追いつかれることはほぼなかっただろう。
だが全ては一瞬で暗転した。
怪物は口から煙と血を漏らしながら血走った目で九澄を睨みつける。
手負いの獣だけが持つ、真の憤怒と激情の目。

「ガアアァアァァアゥオアアア!!!!!」

咆哮。

「ち……ちくしょう……」

嘆き。

(死ぬ)
 (死ぬ)   (死ぬ)
(死ぬ) (死ぬ)   (死ぬ)
  (死ぬ)       (死ぬ)
       (死ぬ)

    (死ぬ)


    (嫌だ!)

(こんなところで死ぬのは嫌だ! 俺はまだあいつに何も言ってねえ……)

(まだ何もしてやれてねえ!!)

九澄は立ち上がる。
恐らく肋骨は折れた。
呼吸が地獄のように苦しい。
それでも。

「来いよ」

もう逃げることは不可能だ。
走れたとしても数メートル。
だとするれば出来ることは一つしかない。
九澄は頭上を見上げた。
高さ10メートルを超える崖。
それが二度に渡るシーバンの激突で大きくえぐれ、グラグラと不安定な状態になっている。

(俺にもし運が残っているなら……)

「来いっ!!」

歪な叫びとともに血反吐をまき散らしながらシーバンが飛び出した。

まだ動くな、待て。待て。待て。
紙一重の、千載一遇のタイミングを。
ほんの一秒あまりの時間が九澄には十数秒にも感じられた。
槍のような角が眼前に迫る。

今!

九澄は身をかがめ斜め前方に飛び出した。
シーバンの爪が九澄の背を掠める。
九澄は、勢い良く地面に転がり、怪物は轟音とともに崖にめり込んだ。
だがまだこれだけでは致命傷にならない。
九澄はうつ伏せの状態から半身を起こし空を見上げる。
度重なる衝撃で、切り立った崖の上方はこの上なく不安定になっていた。
あと少し。
あと少しで。
来い。来い。来い。

「崩れろおおおおおおおおお!!!!」

それは山の神の気まぐれか、それとも岩をも通す信念の賜物か。
九澄の叫びに呼応するように崖の上方に一直線の亀裂が走った。
シーバンがようやく身を起こした時、そいつはまだ自分に迫った事態に気付いていなかった。
上方の轟音。
怪物は上を見上げる。
その時既に数メートル級の大岩がまっすぐ怪物のもとに迫っていた。


####


「なんだ今の音は!?」

大木が叫んだ。
小柄な男性教師の後ろを走る観月は言い知れぬ不安を感じる。
大丈夫。
九澄が負けるはずがない。
危険レベル5は確かに恐ろしいが、ゴールドプレートの持ち主にとって敵ではない。
先生はそう断言した。
ならばなぜ、自分はこんなにも恐れているのだろう?
観月に答えはなかった。

「九澄ぃぃぃぃ!!!」

現場にたどり着いた観月が見たものは、崩れた崖と土砂の山、そしてそこからほんの数十センチの距離で倒れている、頭と背中から血を流した九澄の姿だった。
観月の心臓が止まりそうになる。
少女はほとんどパニック状態で九澄に駆け寄った。

「九澄! 九澄! ねえ目覚めなさいよこの馬鹿! 九澄!!」

直後、聞き慣れた声がかすれるような大きさで耳に届いた。

「……うっせえな……耳元でキャンキャン叫ぶなよ……」

九澄が目を開く。
また観月の呼吸が止まった。

「……ま、そっちの方がお前らしいけどな……」

そうつぶやいて九澄は笑った。
観月はボロボロと涙を流し、目の前の馬鹿に覆いかぶさった。馬鹿、馬鹿と何度も繰り返した。
大木は照れるように頬をかいて青春やってる男に声をかけた。

「……で、どうなんだ九澄、怪我の具合は」

「あー、結構キツイっすねー。大先生、回復魔法使える?」

「俺にできるのは応急処置レベルだ。今保健の門脇先生が向かって来ている。
 彼女ならこの程度の怪我はなんでもない」

「じゃあまあ応急処置だけでも先に頼むよ大先生」

大木は苦笑した。
こんな口が叩けるのなら安心だろう。
――ちょいとばかしムカつくが。

(……しかし九澄がレベル5程度を相手にこんな重症を負うか……?
 魔法の実力が高くとも戦闘には不慣れということか……? 
 あるいは歳相応に油断でもしたんだろう)

大木はわずかな疑問を感じたが深く考えることなく納得した。
まずは傷ついた生徒を治療することが教師の役目だと承知しているからだ。
だがその時、同様の疑問をより深く抱いた者がいた。


####


夜。
観月は九澄が一人安静にしている個室を訪れた。
九澄は布団で寝転びながらテレビを見ていた。

「よお観月! なんだお前一人で来たのか。
 さっきまで柊とかC組とか執行部の連中が来てたのによ。
 ああそんなことより今日はありがとうな。
 お前のおかげで助かったぜ」

九澄はいつものように屈託なく笑う。
何も変わった様子はない。
ただ体のあちこちに包帯が巻かれていた。
観月は九澄の枕元に座り込む。

「体の具合はどうなの……?」

「大したことねーよ。保健の先生の回復魔法ってすげーんだぜ。
 傷口なんてあっつー間に塞がっちまってよ。
 この包帯はまあ念の為ってやつさ。2、3日でとれるらしいぜ」

自分の頭に巻かれた包帯を指さしてヘラヘラと笑う九澄を見て観月の胸にまた不安が広がった。
いつもと変わらない、だからこそ何かがおかしかった。

「……どうして……あんな奴相手に死にかけたの……」

「は? 死にかけてねーよ! ピンピンしてんだろーが!」

「嘘! 門脇先生が言ってたよ! もう少し到着が遅れていたら危険だったかもしれないって!
 内蔵が損傷していなかったのは奇跡みたいなもんだって!
 あんたならあんな奴……もっと簡単にやっつけられたんじゃないの……?」

「そ、そりゃあお前……ちょっと油断しちまっただけだよ……」

これも嘘だ。
観月は確信した。
確かに大木先生や柊先生も同じ油断という見解を述べていた。
だが観月達を逃した時点で九澄は完全なシリアス戦闘モード、100%の臨戦状態だったはずだ。
あそこからどうやって油断するというのか。
仮に一瞬の気の緩みでいいのを食らってしまったとして、それでも相手を倒したあとそれなりの魔法力は残っていたはずだ。
ならばなぜ自分で回復魔法を使わなかったのか。
仮にたまたま回復魔法をインストールしていなかったとして、他に何かあるはずじゃないのか。
なぜ自分たちが駆けつけるまでただ倒れていたのか。
観月には疑問だらけだった。
今回だけではない。
以前から九澄大賀は謎だらけだった。
何かがおかしい。
何かがその疑問を一本の線につなげる気がする。
でも何が?

まさか。

その時観月の背筋にゾクリと悪寒が走る。

「分かった……とにかくゆっくり休んでいなさいよ……」

「ああ、ありがとな」

観月はゆっくりと腰を上げ、部屋を後にした。
廊下に出てから観月はブンブンと首を横に振った。

(違う……そんなわけない……そんな事絶対にありえない……
 なのにあたしは……あたしは……
 恐ろしい想像をしてしまっている……)


####


同じ頃柊父は現場の調査を終えていた。
モンスターが埋まっているという土砂の下には、血らしき汚れが残っていただけで肝心の死体はなかった。
魔法生物といっても死んだら煙のように消え去るわけではない。
ルーシーが死んだらただの枯れたマンドレイクになるように、このモンスターも死体が残るはずなのだ。
それがないということは逃げたか、もしくは、より可能性の高いケースとして、何者かが「回収」したということだ。
もしもあのモンスターが、何者かが召喚魔法で呼び出したものならば、死ねば術者の召喚アイテムに自動的に回収される。
そもそもこの山にあんなモンスターは生息していないことを合わせて考えれば結論はただひとつ。
奴は誰かが意図的に放った。
その目的は、九澄の命?

それとも――



[33133] 第七話
Name: スウォン◆63d0d705 ID:95955b57
Date: 2012/06/21 16:11
   第七話 回り出す歯車


生徒会本会議室と表札に書かれた部屋で、窓際に立って外の風景を眺める女子生徒がいた。
栗色のショートヘアが陽光に照らされ、紅色のセルフレーム眼鏡がキラリと光るその女子生徒は後ろ手を組んだまま目を細める。

「これから……忙しくなるなぁ……」

校庭からは生徒達の喧騒が届いてくる。

「書類は整ったよ、悠理さん」

後ろから声をかけてきたのは中性的な顔立ちの美少年。
その隣に立つのは彼と瓜二つと言っていいほどよく似ている美少女だ。
容姿といい儚げな雰囲気といい、性別と髪の長さ以外はクローン人間のような二人組だった。

「じゃあ行こうか」

悠理と呼ばれた女子生徒は二人に微笑みかけ、歩き出す。
二人は悠理の後ろに並んで付き従った。


####


大きな事件があった林間学校の翌週の月曜日。
執行部は今日も忙しかった。
場面は魔法執行部一学年分室。
やれE組で魔法を使ったケンカをしているだの、やれ体育館で誰かの魔法が暴走しているだの、放課後わずか1時間足らずで4件ものトラブルを処理したため皆疲れてぐったりとしている。
書類を淡々と処理する事務担当の氷川と、空き時間を利用して読書にふける大門以外はだらだらと休憩していた。

「今日子さん、あたしも手伝おうか?」

「構わないわ。私は外では働いていないから」

氷川は手を止めることも顔を上げることもなくきっぱりと断る。

「そんなの気にしなくていいのに……」

愛花から見ると氷川との間にはまだ一枚壁があるように思えてならなかった。
もちろん執行部員になる前と比べれば格段に打ち解けているのだが、久美やミッチョンほど親しくなるにはしばらく時間がかかりそうだ。

(よーし、今度久美達と遊びに行く時に今日子さんも誘っちゃお!
 それにそろそろ『今日子ちゃん』って呼びたいし……いや、『キョウちゃん』の方がいいかな?)

愛花はああでもないこうでもないと考えを巡らせた。
ちなみにその頃竹谷は熱心にケータイをいじっていて、影沼はどこにいるのかわからなかった。
いや実際には教室の片隅で体を休めていたのだが。

「みんなだらしがないぞ。執行部員がこうもだらけていたのでは部の信用が落ちる」

大門は特に九澄に目線を送る。
九澄はウチワを仰ぎながら反論する。

「そんな事言ったって俺は毎日体張って働いているだろ。
 まして俺は病み上がりだぞ。お前こそもっとガッツリ働け」

「君こそもっと魔法を多用すれば楽ができるだろう」

「う、うるせえ。俺は魔法に頼るのは嫌いなんだよ」

嫌いも何も九澄は魔法が使えないので体力仕事になるのは当然である。
それでも周囲を誤魔化せているのは生来の機転の良さとハッタリ力のたまものであろう。
二人が相も変わらず険悪なムードになった時、不意に分室の扉が開いた。

「君達が魔法執行部の一年生かい?」

凛とした口調でそう尋ねたのはメガネをかけた女子生徒だった。
華奢な痩身に端正で精悍な顔立ち。異性より同性からモテそうなボーイッシュタイプの美少女である。
ネクタイに2本のストライプが入っているところからして二年生に間違いない。
九澄は彼女の顔になんとなく見覚えがあった。それもごく最近どこかで見かけたような。
彼女の後ろにはこれまた美形の女子生徒がいた。
こちらのほうが清楚っぽくて男子からは人気がありそうだ。
しかしその隣にほとんど同じ顔の男子生徒がいるのはどういうことだろうか。

「そうですけど、何か御用ですか?」

愛花が前に出て応対する。
女子生徒はふうんと一瞥して部室の中を見渡す。

「いい部屋だね。さすが執行部、いいところを使っている」

「あの……ご御用件は……」

女子生徒は頭をポリポリとかいて苦笑する。

「うーん、その反応からして私が誰か知らない? 誰一人? 参ったなあ、みんな私の演説聞いてたんじゃないの?」

「あ……」

愛花は何かを思い出したかのように目を見開く。
九澄にはなんのことかさっぱりわからなかったが、大門は違うようだった。

「そうか、この前新しく生徒会長になった望月悠理〈もちづきゆうり〉さんですね?」

「当ったりー。なんだ、知ってる人いるじゃん」

悠理は笑顔で人差し指を立てる。
さっきまでより幾分雰囲気が軽くなった。
九澄はようやく合点する。

「新しい生徒会長? あー、そういえばこないだ女子の先輩が集会で就任演説してたような気がするな。全然聞いてなかったけど」

「これだもんな……」

九澄のとぼけた発言に大門が呆れて手で顔を覆う。
しかし九澄の認識の浅さも無理はなかった。
この聖凪高校では生徒会長の地位、というより存在感はかなり小さい。
なぜなら形式上は生徒会内部の一組織となっている魔法執行部の立場が非常に強いからだ。
ほぼ制限なく校内で魔法を使用でき、一般生徒の取り締まりを担う魔法執行部。
それに対して、地味なデスクワークがメインの生徒会本会はどうしても印象が薄く、あまり存在自体意識されていない。
おかげで毎年立候補者がなかなか出てこず、内申書アップを餌に教師が探しまわってどうにか一人見つけるという事例が多いのだ。
そういうわけだから今年も立候補者は望月一人しかおらず、無投票当選であっさりと就任が決まった。
新会長の名前が浸透しないのも当然と言える。
ただし例年と大きく違うのは、彼女は極めて積極的にこの職に就いたということだった。

「というわけで、二年E組望月悠理。以後ヨロシク」

ニカッと笑う望月に愛花はペコリとお辞儀を返す。

「あ、よろしくお願いします。
 えっと……それで御用件は……」

「そうそう、今日ここに来たのはひとつ重大なことを伝えるため。
 1年C組九澄大河君にね」

望月は九澄を向いて目を細める。

「お、俺?」

自分を指差す九澄に周囲の視線が集まる。

「そう、君」

望月は九澄の前にすっと近づき、もう少しで顔が触れそうな距離で微笑みかけた。

「九澄くん、君に一年生代表として大会に出て欲しいの」

「大会?」

望月の顔があまりに近いので微妙にのけぞる九澄。

「そ、大会。聖凪最強の生徒を決める魔法トーナメント。
 その名もズバリ"聖凪杯"」

「な……!!」

分室がざわめく。
九澄は思わず周りの反応をきょろきょろと見渡したが、皆一様に目を丸くしている。
ただし望月の後ろの二人は退屈そうだった。

「……そんなイベントがあるとは聞いたことがありませんが」

大門が尋ねる。

「そりゃそうよ。あたしがついこないだ発案したんだもん」

あっけらかんと答える生徒会長に大門は呆気にとられてしまった。
どうもこの人、全体的に軽い。
中学時代に同じく生徒会長を務めた大門としては役職のイメージに合わない人物に思えた。

「そんなわけだから九澄くんは一年生代表!
 異論のある人は九澄くんにタイマン挑んで勝っておいてちょうだい。
 参戦期限は今週中、大会本番は再来週の週末よ」

「ちょっと待ったーーーー!!!
 異議あり異議あり!!!」

異論を申し出たのは他ならぬ九澄大賀その人だった。
まあ当然である。

「なんで?」

望月が首をかしげる。

「だからつまり……俺は魔法をそーいう使い方はしねえんだよ!
 他人と力を競ったり見せびらかしたり、そーいうのは性に合わないんだって!」

ここで譲る訳にはいかないから九澄も必死だ。
今の九澄ならガンジーばりの非暴力主義者を名乗れそうである。
だがそんな九澄の言葉を遮ったのは身内の声だった。

「納得いかないな」

九澄が振り返るとそこには憮然とした面をした大門がいた。

「君はいつもそうだ。
 タク……小石川と戦った時も、僕と戦った時も、執行部の仕事でも。
 いつも理屈をつけては魔法を使いたがらない。
 そうかと思えば以前横暴に振る舞って力を誇示したことがあったな」

大門が言っているのは前校長が九澄の体を借りて自分の魔法を使った時のことである。
もちろんその真相を知っている者がこの場にいるはずもない。
九澄自身ですらそんな事があったとは知らないのだ。

「僕は正直君を信用出来ない。
 この上、上級生達との真剣勝負から逃げるというのならそんな奴とこの先組みたくはない」

「お、おい、何もそこまで言うこたねーだろーが!」

大門は真顔で九澄を見据えている。
下手なごまかしは通用しそうになかった。
言葉に詰まった九澄は話し相手を変えることにする。

「柊はどう思う?
 別にそんなお遊びのバトル大会なんて出なくてもいいと思うだろ?」

愛花は腕を組んでしばらく考え込み、それからパッと明るい表情を浮かべた。

「あたしはやっぱり見てみたいな!
 九澄くんが上級生の人達と本気で戦うところ!」

「んがっ!」

そんな太陽のような笑顔で言われると九澄には何も言い返せない。

「決まりだね」

大門が勝手に決定を宣言した。
九澄が大門を睨みつけると、今度は望月が口を挟む。

「それに考えてもご覧よ九澄君。
 君が執行部として上手くやっていけてるのはゴールドプレートの威光があればこそ。
 もし君が負けるリスクのあるバトルからは逃げるチキン野郎だなんて評判が広まっちゃったら、
 何かと面倒な事になっちゃうんじゃない?」

九澄は言葉に詰まる。
確かにその通りなのだ。
ハッタリを効かせるためには畏怖と敬意の念を持たれなければならない。
チキン野郎という称号は、ニワトリには悪いが最悪とさえ言える。
極端な話出場して即負けたほうが後で評判を取り戻すのは楽かもしれない。
どうせ相手は三年生のトップクラスばかりのはずなのだから。
だがそれでもあまりにも惨めな負け方は許されないはずだ。
自分に果たしていい試合が出来るのだろうか?
果たして出場を選ぶべきなのだろうか?

「少し……考えさせてくれ……」

それがここでの結論だった。

「そうね、いい返事を期待してるよ。今週中にね」

望月は踵を返し、手を振りながら後ろの二人とともに教室を後にした。
九澄はその背中を黙って見送った。
固く握られた拳はじわっと汗ばんでいる。

まただ。

九澄はこの違和感を知っていた。
明らかなピンチなのに、怖いのに、心のどこかにこの事態を楽しんでいる自分がいるのだ。

(俺……危険に慣れて麻痺しちまってるのかもな……)

九澄はそう考えて自嘲気味に笑う。

「ワリいみんな。ちょっとやることがあるから先に上がるわ」

手を振る九澄に愛花が声をかける。

「九澄くん、この話どうするの?」

「そいつは後のお楽しみだぜ」

白い歯を見せてニカッと笑う九澄の自信に溢れた態度を見れば答えは明らかだった。
とうとう本気で戦う九澄大賀が見れるのだ。
愛花は心臓の鼓動が早まるのを感じた。

「じゃあな! また明日!」

九澄はさっそうと部屋を後にする。
後ろ手で扉を閉め、カッと目を見開いた。
全身に力が入る。
そうだ、何を恐れている。こうなればやるべきことはただひとつではないか。
九澄は全速力で駆け出した。



「ドラえもーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!!!!!」

――校長室に向かって。


####


「おやどうしました九澄君。というかドラえもんって……」

「大賀ーーー! なんか久しぶりな気分だね!」

迎えてくれた校長とルーシーを顔を見て九澄は深く息をついた。
やはりここはいい。気楽だ。

「ねえ大賀! この新しい服どう? 似合う?」

ルーシーは喫茶店のウェイトレス風のオレンジ色の衣装をひるがえしクルクルと回転する。
いわゆるメイド服ほど媚びておらず健康的でかつ可愛らしい服だ。
しかしスカートは短い。

「そんな事より校長! 大変なんだよ!」

「そ、そんな事って……」

ガーンという音がルーシーの脳裏に響き渡った。
そんな乙女心には全然気付かず九澄は御年83才の貴婦人に詰め寄る。
九澄の説明は慌てすぎて要領を得なかったが、校長はいくつか質問した上で話の全体像を掴んだ。

「なるほどそういうことですか……それは中々面倒なことになりましたね」

校長は席を立ち窓の外を見下ろす。

「いやそんなのんびり構えてる場合じゃないんだって!」

「どうしてそれが深刻な事態なのですか?」

「どうしてって……そりゃ出たら秒殺食らうに決まってるから……。
 何より、俺が本当のゴールドプレートの持ち主じゃないってわかったらまずいっしょ!」

校長が九澄に向き直り楽しそうに微笑む。

「私はそうは思いません。
 九澄くん、私はあなたを買っているんですよ」

冗談を言っている風ではなかった。

「確かに『今日の』あなたではとても対応できないでしょう。
 でも『三週間後の』あなたならわかりません。
 もし本気で策を練ったのであればね。
 それに九澄くん、あなたは少しもわくわくしないのですか?」

「……え?」

「あなたには既に見えてきているはずです。
 エムゼロの真価、実力、本当の強さが。
 それを試すのにこれ以上の場はないでしょう?」

「それは……確かに……」

一理はあった。
夏休みに初めてエムゼロ修行を行なって以来、何かが掴めそうな気がしていた。
まだはっきりとは見えていない。
だけどそれはすぐ近くにあるような気がするのだ。

「けど……時間が足りねえよ……」

歯ぎしりする九澄に校長は微笑みかける。

「やれるだけやってみたらいいじゃありませんか。
 もしどうしても間に合わないと思ったのなら、その時は私が欠場のための事情を作ってあげますよ。
 ……ま、そうならないことを期待していますがね」

「校長先生……」

九澄は拳を固く握った。
何かできそうな気がした。
いや、やらなければいけない。
この先エムゼロを持ち続けるのなら、どこかで壁を壊さなければいけないのだ。

(探してみるか……俺の……俺だけのエムゼロでの戦い方を)



[33133] 第八話
Name: スウォン◆63d0d705 ID:95955b57
Date: 2012/06/29 15:22
    第八話 三年生最悪の問題児


柊愛花と三国久美、乾深千夜は小学校時代からの親友だ。
見た目の印象も趣味も性格も随分違う三人だが、今でも不思議と気が合って、何かと一緒に行動している。
高校で全員同じクラスになった偶然をこの上なく喜び合ったのは言うまでもない。
その三人は今、古びた安物のソファーに並んで座っていた。
そして三人とも、特に愛花は緊張した面持ちで体を固くしている。
愛花の目の前のソファー(これもずいぶん古い)には初めて会う二人の人物が座っていた。
片方は鋭い目つきの男子。こちらを値踏みするかのように余裕の笑みを浮かべている。
片方は無表情の女子。背筋をピンと伸ばして座ったまま微動だにしない。
愛花はどんなふうに話を切り出そうか迷っていた。

(そもそもなんでここに来たんだっけ……?)


####


「へーっ、聖凪最強を決める大会ね」

新任の生徒会長が大きなニュースを執行部分室にもたらした翌日の休み時間、愛花は久美とミッチョンにそのことを話した。
ミッチョンはさほど興味が無さそうだったが、やはりというか、久美の方は随分と関心が強いようだった。

「ちぇっ、あたしも三年生ならきっと出てたのにな。
 今のあたしじゃどう転んでも勝ち目ないけどさ」

久美が大げさに溜息をつく。

「悔しいけど一年生代表が九澄で決まりってのは仕方ないもんな……。
 あー、絶対いつかはあいつに勝ってやる」

「久美って九澄くんのことライバルだと思ってるの?」

愛花がキョトンとした顔をする。

「そりゃそうさ、身近にあんないい目標がいるんだから。
 マッチョになるのが嫌で空手やめたけど、ここじゃ魔法を磨けば強くなれるんだ。
 やる気出ちゃうよ」

久美が握り拳を作り笑みを浮かべる。その表情からは彼女の本気がにじみ出ていた。

「そっかー。頑張ってね久美。応援してるから」

「ほほ~う……」

途端に久美の表情がニヤニヤと意地の悪い笑みに変わる。
同じ笑顔でもさっきまでより断然品がない。

「愛花はさ~、あたしと九澄がバトルしたらどっちの味方をするのかなぁ~?」

久美が愛花にズイッと近寄って邪な顔で親友を観察する。
気がつけばミッチョンも久美と同じ顔でニヤついていた。
愛花の顔がカッと熱くなる。

「……そ、それはもちろん久美だよ。あたし達親友じゃない」

「ほんとにぃ~~~?」

「も、もう! どうしてそんな事聞くのよ~!」

愛花が目を回しているのを見て、久美とミッチョンは今日はこのぐらいにしといたろとばかりに一息ついた。

「ま、そん時はそん時考えればいいんじゃない?」

「う、うん……」

言われて愛花は、十年来の親友と一番親しい異性の友人とが本気で対決している画を思い浮かべる。
たとえそれがスポーツの試合のような恨みっこなしのバトルであったとしても、なんとなく心が裂かれるような嫌な気分がした。
できればそんな事にはなってほしくないと純粋な少女は思った。

「でもそういえば……」

愛花は話題を変えることにした。

「九澄くん、本当に大丈夫かな。
 三年生のすごい人達が出てくるんだよ。大怪我とかしなきゃいいけど……」

「へーえ、九澄でもやっぱり楽に勝てる試合じゃなさそうなの?」

「うん、こないだ三年生の執行部部長の人に会ったんだけど……凄かったよ。
 あたしなんかのレベルじゃ九澄くんとどっちが強いとか言えないぐらい……」

愛花の脳裏に"ウィザード"と呼ばれる執行部長夏目琉の見せた強さが蘇る。
自分では永遠に届かないだろうとさえ思えた圧倒的な力。
九澄大賀なら勝てるのだろうか?
断言できる材料はなかった。

「なるほどねえ。さすがは三年生、一年生にやすやすと優勝はやらないってわけだ」

久美が腕を組んでウンウンとうなずく。
そしてふと何かを思い出したように「あ」とつぶやいた。

「そういえば魔法格闘部の先輩が言ってたな……。
 三年生にもう一人、凄い強者がいるって」

「すごいツワモノ?」

「そうそう、先輩たちが口をそろえて言ってたのよ。
 『奴には絶対に手を出すな』『奴は三年生最悪の問題児だ』って……」

「へー、そんな人がいるんだ……」

愛花にしてみれば聖凪の生徒は基本的に良い人ばかりという印象だ。
ちょっと粗暴っぽくて苦手なタイプの人はいても、絵に描いたような『問題児』がいるという印象はない。
だから女子校育ちで男子に免疫がなかった愛花でも男子たちと仲良くなれているのだ。
まして三年生でそんな風に恐れられる人物がいるとは意外だった。

「きっとそいつも大会に出てくるんだろうなー。
 それでさ、執行部長だったら勝つ時もきっとスマートに終わらせてくれるだろうけど、
 そんな危ないやつに負けたら必要以上にボコボコにされちゃったりして……」

「ちょ、怖いこと言わないでよ久美……」

「あはは! でも実際ありえるかもよ。ねえ、一度偵察してみない?」

久美が目を輝かせる。

「え?」

「だから、九澄と戦うのがどういう連中なのか、いっちょ調べてやるってのはどうよ?」

愛花は目を丸くした。

「そ、そんなの危ないよ!」

久美はあっけらかんと愛花の反論を受け流す。

「ダイジョーブダイジョーブ。『校内新聞作るから取材させてくださーい』とでも言えばいいのよ。
 まさか取材に来た下級生に暴力振るうなんてことはないでしょ?」

「それは……そうかもしれないけど……」

「それに、いい情報掴んであげたら九澄のやつ愛花にめっちゃ感謝してくれるかもよー?」

「く、九澄くんが……? うーん……」

久美は戸惑う愛花が考えをまとめるのを待たず、一気にまくしたてる。

「よし決まりっ! じゃああたしは魔法格闘部の先輩に色々聞いてくるから、今日の放課後は空けといてよ!」

言うが早いか久美は愛花の肩をポンポン叩いて、有無を言わせず決着をつけてしまった。
同時にチャイムが鳴ったのでその場はそれで解散となった。


####


そして放課後、あれよあれよという間に愛花たち三人は三年生校舎の中の小さな一室で並んで座っていた。
眼前には一組の男女がこちらに向い合って座っている。
その中の一人が噂の問題児、新宮一真〈しんぐうかずま〉だった。
鋭い目つき、大きな口、逆立った短髪と隙のない雰囲気がどこか野生の猛獣――例えるなら虎か狼のような――を思わせる男。
私立進学校であるがゆえに育ちの良い生徒の多い聖凪の中では明らかに異質な存在だ。
相手がこちらに敵対心を向けているわけではない。
単にゆったり構えてこちらの言葉を待っているだけだ。
なのに愛花は言葉に出来ない威圧感を感じていた。
そのプレッシャーは執行部長のそれともまた違う、生々しいむき出しの感覚だった。
愛花はたまらず右隣の親友に助けを求める。

「久美……。代わりに何かしゃべって……」

愛花の泣き出しそうな顔を見ると久美とて拒否はできない。
やれやれと首を振って言葉を切り出すことにした。

「えー……っと、新宮先輩。例の大会については知ってますか?」

新宮が白い歯を見せて口の端をつり上げる。

「ああもちろんだ、最高の機会だよ。
 全校生徒の前で俺の最強を証明できるんだからな。
 ……この時を待っていた」

その笑みは普段勇ましい久美でも腰が引けてしまうほど禍々しいものだった。
この男はなにかヤバイ。久美はそう直感しゴクリとつばを飲む。

「つまり……優勝は自分だと」

「当然だろう。下馬評は間違いなく夏目の野郎に集中するだろうが、勝つのは俺だ。
 皆が見ることになる。"ウィザード"が惨めに敗れる瞬間をな」

ハッタリではないと久美は感じ取った。
聖凪高校の歴史の中でも指折りの天才、傑物と謳われる夏目琉に対して100%勝つつもりでいるのだ。
並の実力で持てる自信ではない。
あらためて目の前の男の力量を推し量った久美が次の質問に移ろうとした時、不意に新宮が立ち上がった。

「と、俺としたことが来客に茶も出さないのは失礼だったな。
 ちょっと待っててくれ」

新宮は返事も聞かず部屋の奥に置いてあるポットに向かって歩いていった。

(えーっ、客にお茶入れるタイプなの?)

リズムを狂わされた久美はふともう一人の部屋の住人である女子生徒に目を留める。
黒髪ロングのポニーテール、細面の長身女性。
彼女は相変わらず背筋をピンと伸ばし座ったままだった。
無言、無表情。眼球すら動かさない。
よく観察すればたまにまばたきをしていることと、呼吸に合わせてわずかに胸が上下していることがわかる。
それがなければ人形かと見まごうほどその人物は静止していた。

「あの人全然しゃべんないよね……」

とミッチョンが呟く。
あんたに言われたかないよと久美は心の中で突っ込んだ。
その時脳裏にふと疑問が浮かぶ。

(たしか先輩たちはこの人が新宮一真の彼女だって言っていた……。
 といっても、無口でおとなしいこの人を召使いみたいに従えていい気になってる酷い野郎だって……。
 でもそれならなぜ、男の方が客に茶を入れてこの人は座ったままなんだろう?
 どうもこの二人の関係はよくわからないな……)

久美があれやこれやと考えているうちに、当の新宮がお盆に五つの湯のみを載せて帰ってきた。
三人は差し出された緑茶を「あ、どうも」などと会釈しながら受け取る。
「彼女」は相変わらず無言のまま、「彼氏」を一べつすることもなく手だけを動かしてお盆の上から湯のみを取った。
「彼氏」の方も「彼女」の態度を気にする素振りも見せず腰を下ろして茶をすすった。

「さて、他に聞きたいことは?」

新宮が湯のみを置いて口を開いた。

「あのー、この部屋って先輩たちだけが使ってるんですか?」

今回質問したのは愛花の方だった。

「ああ、おれと沙耶……沙耶ってのはこいつのことな。
 ちょうどいい空き部屋があったから使ってんのさ。
 っつっても不法占拠じゃねえぞ。部活用ってことになっている。
 部の名前は確か……あー……なんだっけかな。まあどうでもいいだろそんな細かいことは。
 次」

なんだそれ、と久美は呆気にとられた。
その話は先輩から聞いてはいたが、いざ本人の口から聞いてみるとますますいい加減極まりない話だ。
なぜ教師たちや執行部はこんなことを見逃しているのだろう?
だがそれをここで聞いてもまともな答えは望み薄に思われた。
愛花も同じ考えだったのだろう。すぐに次の質問を尋ねた。

「えーっと、それじゃ……一年生の九澄大賀くんについて。
 新宮先輩はどう思いますか?」

「クズミ……?」

新宮が眉をひそめる。とぼけている風ではない。
まさか本当に知らないのかと久美は驚く。

「あの……ゴールドプレートを持っている一年生です」

愛花が遠慮がちに答える。

「ああそいつのことか」

新宮はソファーの背もたれにドカッともたれかかった。

「別に興味ねえよ。俺の標的は夏目琉だけだ。
 他の奴なんざ相手にしちゃいねえ」

久美はその適当な態度にイラッと来てしまう。

「そんな余裕かましてていいんですか?
 先輩はまだゴールドプレートじゃないって聞きましたけど?」

それは挑発とも取れる嫌味な言い方だった。
愛花が慌てて久美をなだめる。
新宮は再びあの禍々しい笑みを浮かべた。

「ククク……プレートの色なんざで強さは決まりゃしねえよ。
 プレートの"格上"なんざ俺は何人も倒してきたんだ。
 奴が本当にゴールドプレートの持ち主だとしても……いや、"だからこそ"俺が負けるはずがねえ」

久美には新宮が言っていることの意味が全くわからなかった。
九澄がゴールドプレート"だからこそ"負けるはずがない? 何を言ってるんだこいつは?

「プレートの力にかまけた雑魚は脆いもんさ。付け入る隙なんざいくらでもある。
 恥かくだけだから出るのはやめとけとお友達に伝えときな」

さすがにカチンと来た久美が何か言ってやろうと思った途端、勢い良く立ち上がったのは愛花だった。

「どうしてそんな事が分かるんですか!?
 九澄くんは雑魚なんかじゃありません! きっとあなたにも勝ってみせます!」

「ちょ、愛花……」

ミッチョンが愛花をなだめようとするが、愛花は本気で新宮を睨みつけていた。
実力ではどう転んでも勝てない相手に全く引いていない。
新宮はヒュウ、と口を鳴らす。

「ククク、こんな可愛い子にここまで想われてるたぁ、結構な幸せモンじゃねえかそいつは。
 まあ思ってた通り、取材とは名ばかりの偵察だったってわけだ」

「あ、いやあその……」

図星を突かれた久美は冷や汗をかく。
だが愛花は動じていない。

「あなたは九澄くんの凄さを知らないだけです。
 馬鹿にしたことは取り消してください」

「やれやれ、こんなのは格闘技じゃお馴染みのマイクパフォーマンスとでも受け取って欲しいもんだがな……。
 だがまあ、そこまで言うならちょいと試してみるか」

「試す?」

久美が眉をひそめる。

「おい、そいつは一年何組だ?」

「C組ですけど……それが?」と愛花。

「そいつが最強を決める大会に出るに相応しいレベルかどうか……俺がこの手で確かめてやろうって言ってるのさ。
 悪い話じゃねえだろう?」

新宮は膝に手を置いてすっと立ち上がる。
そして隣の彼女に視線を落とし右手を伸ばした。

「思い立ったが吉日、だ」

女子生徒は視線を動かさないまま立ち上がって新宮の手を取り、何事か小声で呟いた。
直後、赤みがかったもやが一瞬で二人を包み込む。
新宮は愛花と目を合わせ明るく左手を振った。

「じゃあな」

バフッと空気が弾けるような音がした。
もやが瞬間的に周囲に広がって消えるのと同時に目の前の二人も消えていた。

「あっ……!」

愛花が身を乗り出すが、もうそこには誰も居ない。
テレポート、それも二人分を一瞬で。かなりハイレベルな魔法力なしには不可能だ。

「あの人九澄くんとバトルしに行ったんだ!
 早く九澄くんに伝えないと……!」

「いやー間に合うわけないっしょ……」と久美。

「無駄無駄」とミッチョン。

「うう~そんな冷たいこと言わないでよ~」

先ほどまでの強気はどこへやら、愛花は泣きそうな顔になっていた。


####


「あーあ、最近心も体も寒いなー……」

「俺達にゃクリスマスもバレンタインも無縁のお寒い冬がもうすぐやってくるのさ……」

「言うなよそんな事は……」

一年C組の教室で伊勢、堤本、田島の三人はダラダラとだべっていた。
モテネーズ定例会議という名の単なる傷の舐め合いである。

「いっそモテる努力なんてやめてよ、他の手を使うってのはどうだ?」

伊勢が声を弾ませる。

「なんだ他の手って……」

「どうせろくでもないことだろ」

「魔法だよ魔法! 召喚魔法とかさ~、きっとなんかあるはずだぜ! 理想の女の子を呼び出す魔法がよ!」

伊勢の力説に二人は溜息をつく。

「アホくさ……」

「諦めんなよ! どうしてそこで諦めるんだそこで! もっと熱くなれよ! ネバーギブアップ!」

「まじうざい」

田島がバッサリと切り捨てる。

「俺は諦めねえぞ! 理想の女の子と付き合えるその日まで……!」

伊勢は何やら両手を前方に突き出し力を込めて念じ始めた。
プレートにインストールしていない魔法は使えないとか、そういう常識はこの男には通用しない。

「黒髪ロングの清楚な美少女よ! 俺の魂に応えて……いでよ!」

その時だった。
伊勢の目の前で、ボンッという音と共に突然赤いもやが広がったかと思うと、そこから人間が現れたのだ。
それも黒髪ロングの女性が。
伊勢はあまりに突然の出来事に言葉を失った。
だがこれは現実だ。
天に想いが届いたのだ!
伊勢の理性は消し飛び、自分が召喚した女に猛犬のように飛びついた。
女の腰に抱きつき感涙にむせび泣く。

「うお~~もう離さね~~!!! 
 俺が召喚したんだ! これは俺んだ~~~!!!」

女は無反応、無表情。ビー玉のような温度のない目で伊勢を見下ろす。
伊勢はそんなことは気にも留めず涙を滝のように流した。
その時伊勢の肩を誰かが掴んだ。
伊勢は無視しようとしたが、そいつは骨が折れそうなほど強烈な握力で握ってきたので激痛のあまり思わず振り向いてしまう。
そこには悪魔のような恐ろしいオーラを纏った男がいた。
本物の殺意。
一瞬で伊勢のタマが縮み上がる。

「失せろクソガキ」

男は眉一つ動かさず静かにそう言った。
それだけで伊勢は失神した。




[33133] 第九話
Name: スウォン◆63d0d705 ID:95955b57
Date: 2012/07/01 15:41
  第九話 九澄大賀vs新宮一真


三年生最悪の問題児と名高い新宮一真と、その彼女と言われる紀川沙耶〈きのかわさや〉は一年生校舎の廊下を並んで歩いていた。
新宮が懐かしそうにあちこちを見渡す一方で紀川は鉄面皮のままである。
二人が廊下に出ているのはC組にいた何人かの男子から九澄大賀は執行部分室にいると聞いたからだ。

「それにしてもあの男はイカれていたな。
 目の前にテレポートしてきた奴を自分が召喚したなんて思うかね?」

紀川は答えない。
そのうち二人は目的地に辿り着いた。

「さて、ここが分室とやらか……。
 去年まではこんなもんなかったってのに、連中ますます増長してやがる」

新宮が不愉快そうに吐き捨て、ノックもなしに勢い良くドアを開けた。
中にいた数人の視線が二人に注がれる。

「九澄大賀っての、どいつだ」

書類に目を通していた氷川は突然の闖入者に呆気にとられた。
見覚えのない二人、ネクタイのストライプからして三年生。
以前会った執行部の三年生とは明らかに別人。
ならばこの二人は誰だ?

「九澄は今、外で仕事中ですが」

努めて冷静に振る舞う。
相手の意図が読めない以上それを引き出さなければ。氷川はそう判断していた。

「なんだタライ回しかよ。
 ここで待ってりゃ帰ってくるのか?」

「ええ、恐らく」

「じゃあ待たせてもらうぜ」

「あの……九澄に何か?」

「答える義務はねえな」

「じゃあせめて名前ぐらいは教えて下さい」

「……新宮一真」

その名を呼んだのは本人ではなかった。
氷川の背後、か細い男の声。

「……え?」

振り返るとそこには影沼がいた。
普段温和なその男が怖い顔で新宮を睨みつけている。

「へえ、俺を知ってるのかい」

「……有名人ですから」

「そいつは光栄だ。……と、そう怖い顔すんなよ。
 お前にゃ用はねえ」

氷川は影沼の不自然な態度をいぶかしんだ。
相手のほうは影沼を知らないようだが、何かあったのだろうか。

「おい、あの人なんなんだ?」

竹谷が影沼に尋ねる。

「狂犬、鉄腕などとも呼ばれている三年生の問題児。
 打倒執行部長夏目琉を公言している男」

「打倒執行部長……? あんたあのバケモンをぶっ倒すつもりってことか!?」

竹谷の問いに新宮は不敵な笑みで返した。

「ははは……さすが三年生は半端じゃねえな。
 九澄はこんな連中と張り合うってことか」

「俺がどうかしたか?」

「「!!!」」

部屋の入口、二人の三年生の後ろに九澄がひょっこりと現れた。

「九澄!」

「へえ……こいつか」

新宮が九澄に顔を向けニヤリと笑う。
九澄はキョトンとした顔で目の前の見知らぬ男を観察した。
背丈は自分よりはっきりと高い。180前半はあるだろう。
そして制服の上からでもわかる均整のとれた筋肉。決して必要以上に太いわけではないが、絞りこまれ鍛えあげられている。
何より獲物を狙う猛獣のような眼と纏う空気が、他の誰とも異質だった。
その時新宮の目つきが一瞬変わる。
殺気。
刹那、九澄はゾクリとするような危険を感じ反射的に後ろに飛び退く。
無意識のうちに冷や汗が流れ拳が握られていた。

「お前……なんだ……?」

「へえ、勘の良い奴だ。なるほど頭でっかちの雑魚ではないらしい」

新宮は九澄に対して半身に立ちゆらりと力を抜いて「構え」た。

「怪物一年生なんだろ? ちょいと喧嘩しようぜ」

「ちょ……! おれと魔法バトルするつもりかよ!?」

「ああ」

(冗談じゃねー!! 昨日の今日でまだ全然レベルアップしてねーんだぞ!
 今ここで戦えるわけがねえ!)

落ち着け、今まで何度も似たようなことはあった。
九澄は自分に言い聞かせる。
ここは落ち着いて戦いを回避する。それしかない。

「やめとけよ、反省文じゃ済まねえぜ?」

「そいつは俺がとっ捕まったらの話だろう?」

「……そういう過信は良くねえぜ。それによ、俺は喧嘩のために魔法は使わねえんだ。
 どうしてもバトルがしたいならいっそ素手で受けてやろうか? ……なーんてな」

その提案の言葉は本心から出たものではない。
なるべく会話を引き伸ばして煙に巻くための駆け引きだ。
だが新宮は何がツボにはまったのか、腹を抱えて大笑いしだした。
その不可思議な姿に九澄も他の執行部員も呆気にとられてしまう。

「はっはっは! こいつはいい! 喧嘩なら素手でやろうぜってか!」

「な、何がおかしいんだよ」

新宮は笑いを止め、嬉しそうな顔で上着の内側に手を突っ込んだ。

「何もおかしくねえさ……お前の言う通りだ」

上着の内ポケットから新宮が出したものは紛れもなく魔法プレートだった。
九澄は魔法発動に備え身構えるが、新宮はあろうことかそれを無造作に後ろに放り投げてしまう。

「男と男の喧嘩に、こんなもんは不要だ」

投げられたプレートを紀川が無言で受け止めるのと新宮が九澄に向かって飛び出すのはほとんど同時だった。
大げさに振りかぶっての右ストレート、とっさに九澄はそれを左手で弾こうとする。
だが直後左のボディブローが九澄の脇腹に刺さる。

(――フェイント!)

一瞬呼吸が止まりわずかに背を曲げた九澄の顔面目掛けて打ち下ろすような右。
九澄は腰をかがめ左に跳躍してそれをかわす。
空振りでも背筋が凍る様な強打。

(こいつ――強え!!)

単に体格があって運動神経もいいというだけのレベルではない。
明らかに格闘技や武術の修練を積んだ動き。
新宮は間髪入れずに九澄を追い、息つく間もないほどの連打を浴びせる。
左、左、右、左、右。
九澄は必死でそれらを捌きつつ横にかわそうとするが、新宮は九澄の動きを読んでいるかのような足運びで間合いを支配する。
壁を背にしている九澄には後ろへの逃げ場はない。
顔面への被弾だけは防ぐ九澄だが腹や腕に鈍い痛みが走る。

(すげえ連打だ、しかも速え、カウンター撃つ暇もねえ!
 ……いや待て、さっきからこいつの攻撃はパンチばかり……フォームから見てもこいつはボクサーか!)

九澄は一瞬左のパンチを打ち返す仕草をする。
だがそれはフェイントだった。

(ボクサーなら脚への攻撃は受けられねえだろう!)

姉から学んだ空手の動き、その基本技にして強力無比な技の一つ、左の下段回し蹴り(ローキック)。
帯は持たずとも有段者に劣らない力を持つ九澄のその鋭い蹴りは、しかし新宮が右脚を軽く上げたことで簡単にカットされてしまう。

「甘えよ」

九澄の顔面が跳ね上がる。
一瞬視線が下に寄っていた九澄には、それが何の攻撃なのかわからなかった。
上のガードを固め追撃に備えた九澄に対し、新宮は鋭く距離を詰め、膝蹴り。
みぞおちに衝撃が走り九澄がうめき声を上げる。
腰が落ち、胃液が逆流し肺が悲鳴を上げる。
みぞおちとは呼吸の要である横隔膜がある場所なのだ。
そのまま倒れてもおかしくないほどの苦しみの中で、九澄はしかし歯を食いしばって膝に力を入れる。
相手より背の低い自分が更に低い姿勢になっているこの状況。
膝蹴りが当たるほど距離が詰まっているこの状況。
それは反撃のチャンスだった。

頭。

もっともシンプルで強固な攻撃。
九澄の頭頂部が新宮の顔を跳ね上げた。
金属バットで大木を叩いたような乾いた打撃音とともに新宮が大きく後退する。
体勢を崩し鼻から血を流す新宮に九澄は追撃の打拳。
全力を込めた右拳は、それを受けようとした相手の手の平ごと顔面を撃ちぬいた。
新宮が腰を落とし後退する。

「すっ、すっげえ……!」

竹谷が唸った。
格闘技に縁がない彼にとって目の前の殴り合いは別次元だった。
魔法なしでもこれほど激しい戦いができるものなのか。
ひょっとすると自分は魔法なしの彼らにも負けるのではないか……?
そんな考えが頭をよぎる。

(いける、一気にケリを付けてやる!)

九澄が距離を詰める。
中腰になっている新宮の頭に狙いをすまし左の回し蹴り。
当たれば一気に戦いを終わらせる完璧な蹴り。
だが止まる。
新宮の両腕ブロック。
逆に九澄の体勢が崩れる。
そこから鞭をしならせるような左の裏拳が九澄の眼上を叩き、鈍い痛みを与える。
直後、両者が同時に斜め後方に跳び数メートルの距離が開いた。
九澄は肩で息をしながらも構えを崩さず相手を見据える。
戦いを見守る執行部員たちは皆息を呑んだ。

「……二人共なんて動きしやがる……」

「どうりで九澄が魔法を使わなくても充分やっていけるわけね……」

竹谷も氷川も驚きを隠せなかった。
影沼は口を固く結んだまま冷や汗を流していた。

「やるじゃねえかホントに……。
 正直言ってこんな楽しい戦いになるとは思ってなかったぜ」

新宮が鼻血を手で拭いつつ口の端をつり上げる。

「何が楽しいだ……こんな無意味な喧嘩痛いだけだっつーの……」

九澄は喧嘩そのものを楽しむタイプでは全くない。
強くなった理由も環境(主に姉)による要因が非常に大きいといえる。
だが目の前の相手は明らかに殴り合いを楽しんでいた。

「まだ燃え足りねえだろう……?」

新宮が禍々しい笑みを浮かべる。
瞬間九澄の背にゾクリとした悪寒が走る。
直後新宮は九澄に向かって一気に踏み込んだ。

「それじゃあちょいとギア上げていくぜ!!」

左のジャブ、いやジャブと呼ぶにはあまりにも重く、強い。その連打。
一切の予備動作無しに打ち込まれるそれらが九澄の顔面と腹を次々に叩いた。
叩いた。
叩いた。
更に左のミドルキック。
ガードの上からでも腹まで突き抜ける衝撃に九澄の顔が歪む。

(こいつ……今まで本気じゃなかったのかよ!)

明らかに攻撃の重さが一段上がっていた。
九澄がサイドに距離を取ろうと踏み込みかけた瞬間、大外からの右フックが九澄の顎を打ち抜く。
脳が揺れる感覚。全身に痺れが走り、膝から力が失われる。
倒れる。
駄目だ。
倒れない。
倒れない!

九澄は無我夢中で新宮の胴体に抱きついていた。
タックルにも似た体勢だが、ただ倒れないためにすがりついただけだ。
新宮は肘を上げて落とし九澄の背中に突き刺す。
九澄はうめき声を上げながら両腕の力を緩めない。
今突き放されれば確実にやられる。
体が回復するまで、せめてあと10秒。
九澄は自由の効かない脚で精一杯踏み込み、自分の体ごと新宮を壁に打ちつけた。
鈍い音が響き新宮が口を歪める。
だが直後に新宮は腕を九澄の首に巻き付けヘッドロックのような体勢を作り一気に力を込め絞り上げた。
首への激痛で一瞬九澄の力が弱った瞬間を逃さず、九澄を振りほどき放り投げた。

「はあっ! はあっ!」

九澄は構え直しながらも大きく呼吸を乱す。
さっきとは疲労とダメージの量がまるで違う。
それほどあの右フックの一撃は強烈だった。

(くそうどうする……このままじゃあ……)

九澄に弱気が生じたその時だった。

「こらあ!! お前らそこで何してる!!」

声の主を見ればそれはこちらに駆け寄ってくる小男、大木先生だった。
その後ろには百草先生もいる。

「無許可で魔法バトルをするなとどれほど言ったら……!
 これだから生徒だけには任せておけんのだ!」

怒り心頭の大木は、しかし新宮と目が合うやギョッと顔を引きつらせた。

「お、お前は新宮……!
 なんでお前がここにいる、三年生はこっちの校舎に来るなと言われているはずだ……」

新宮は戦闘モードを解き余裕の表情で肩をすくめる。

「固いこと言わんでくださいよ、去年まで通っていた校舎じゃないすか。
 ていうか大先生、ますます縮んだんじゃないすか?」

「う、うるさい。お前がでかくなっただけだ……」

腰が引けている大木を見て九澄は違和感を覚える。

(なんだ? 大先生、もしかしてビビッてんのか?)

怪訝に思ったのは百草も同様のようで、大木を見下ろしながら眉をひそめている。

「あの……大木先生……」

「と、とにかく! 一年の校舎で魔法バトルなど許さんと言ってるんだ!」

「魔法は一切使ってないすよ。素手でやりあってただけっすから」

「ええいどっちでも同じだ! とっとと帰れ!!」

「へいへい、それじゃあ大先生の顔を立てておきましょうかね」

新宮は分室の入り口でずっと直立不動のまま成り行きを見ていた紀川に歩み寄る。

「つーわけだ。帰ろうぜ」

紀川は注視しなければわからないほどほんのわずかに頷き、新宮の肩に手を置いた。

「ああそうだ九澄。お前の力は認めてやる。
 次にやりあうときはお互いに魔法アリ、出し惜しみはナシだぜ」

新宮は嬉しそうに笑って拳を突き出した。
二人は赤いもやに包まれ、消えた。
場にはしばらく沈黙が漂ったが、百草がそれを破って九澄に駆け寄った。

「大丈夫なの、九澄くん?」

「あ、ああ。平気だよ、センセ」

「すっげえ喧嘩だったんだぜ。プロの格闘技みて~にハイレベルな互角の攻防でよ……」

竹谷が素人丸出しのフォームでパンチやキックを再現した。

「互角……ね……」

そう呟いた九澄の膝がガクンと曲がり、床に手がついた。
顔は苦痛に歪み口からは血がにじんでいる。

「ちょっと、九澄くん?」

「平気だって……自分で保健室行くからさ」

九澄はよろよろと立ち上がり歩き出した。
全身に痛みが残り、体重が倍になったかのような感覚だった。
人の視線から外れた階段の踊場まで辿り着いたところで歩みが止まる。
大木と話している時の新宮のひょうひょうとした様子が頭をよぎった。

(あの野郎まだ余裕で力を残してやがった……。
 あのまま続けていたら間違いなく……ちくしょう、聖凪にあんな奴がいたなんてな。
 無駄にバケモン揃いだぜここは……)

窓の外はどんよりと雨雲が広がり、今にも降り出しそうだった。
赤く腫れ上がった拳を強く握る。
ギリギリと歯を食いしばり、知らぬ間に下を向いていた顔を前に上げる。

(強く……ならねえと……。
 大会に出ようと出まいと関係ねえ。
 あんな奴らがいるこの学校に居続けたいのなら……)

そしていつか本物のゴールドプレートを手にして柊の夢を叶えるために。
九澄は力強く地面を踏みしめ歩き出した。



[33133] 第十話
Name: スウォン◆63d0d705 ID:95955b57
Date: 2012/07/10 23:12
  第十話 名探偵観月?


観月尚美はリビングのソファーに寝転がってTVのチャンネルを次々切り替えていた。地上波、BS、CS、どの番組にもまるで興味が沸かない。というより今の観月を惹きつけるのはどんな名作映画や爆笑バラエティにも不可能なミッションだ。
心ここにあらず。
観月にとって目の前の液晶画面が映し出すどんな映像も素人が描いた出来の悪いパラパラ漫画に過ぎなかった。

「あんた最近悩み事があるでしょ」

背後から突然聞こえた声に反応して観月はガバッと身を起こした。

「お姉ちゃん」

パンツ一丁にバスタオルを首からかけただけの、あんまりといえばあんまりな風呂あがりスタイル。父親が単身赴任中で女しかいない観月家だからこそ可能な姿で姉が立っていた。

「なになに、例のカレの事で悩んでんの?」

観月の顔がカッと熱くなる。

「べ、別に九澄のことなんか気にしてないわよ!」

「そうそう、その九澄君。そろそろキスぐらいは済ませたわけ?」

「キ、キキキキキ……」

観月の顔はいよいよ焼けた鉄のように真っ赤に染まる。姉はその様子を見て大げさに溜息をついた。

「その様子じゃ進展なしみたいね。まったく、男一人落とすのにいつまでかかってんのよ情けない。とてもあたしの妹とは思えないわ」

「お、お姉ちゃんみたいにはなりたくないわよ!」

姉は顔立ちこそ妹によく似ているが性格は随分違う。少なくとも尚美は、自分が大学生になったとしてもヘソにピアスをつけたり髪の毛をメッシュ染めしたり財布にコンドームを常備するようになるとは思っていない。とはいえ姉のことが嫌いなわけでもない。姉は昔からいつも尚美には優しかった。同時に少々お節介でもあった。

「いい、男なんてもんはちょっと色目を使ってやればホイホイってついてくんのよ。所詮は猿よ猿。あんた可愛いんだから女の武器を使えばいいって言ってんの」

「だ、だから、九澄のことじゃないって言ってるでしょ! もう! 関係ないからあっち行っててよ!」

やれやれとでも言いたげに姉は肩をすくめた。男嫌いだった妹がようやく色気づいたと思ったらこの調子だ。いっそ九澄とやらに連絡をとって妹を強引に押し倒せとでも言ってやろうかなどとロクでもないことを考えていると、その妹がうつむきながらボソボソとしゃべりはじめた。

「あ、あのさあ……お姉ちゃんは、もし好きな人が嘘ついてるかもって思ったらどうする?」

「なになに? 浮気してるって話?」

姉が目を輝かせる。

「い、いや、浮気とかそういうのじゃなくて……」

「よねえ。付き合ってもいないのに浮気はできないもんねえ」

「だからその……一度疑わしく思ったら何もかも疑わしく思えてきて……何を信じたらいいのかわからなくて……でも本人には聞きたくなくて……その……ええっと……」

「尚美……あんた……」

姉が真剣な顔で尚美ににじり寄る。次の瞬間姉は勢い良く妹を抱きしめた。

「可愛い~~~!!」

「???」

何が姉のツボにはまったのか尚美にはまるでわからなかった。

「あんたもとうとうそういうことに悩むようなったのね! お姉ちゃん嬉しい!」

「へ、変なことで喜ばないでよ!」

「だってー、あんたの年にはあたしは15人ぐらいはケーケン済みだったのに、あんたってばそういうの全然ウブなんだもん。お姉ちゃんとしては心配になっちゃうわよ」

「じじじじじ、15人……? 高一で……?」

想像を絶する数字に尚美の思考が固まる。

「いーい尚美、サイコーの解決方法を教えてあげる」

「サイコーの解決法……?」

姉は満点の笑顔とともに力強く言い切った。

「エッチすればいいのよ! エッチすれば男の本性なんてまるわかりなんだから!」

「できるかーーーーー!!!!」

尚美は絶叫した。

「あ、でも避妊だけはちゃんとしときなさいよ。いやーこないだ生理が遅れた時は怖くて怖くて……」

「もういいからあっち行って! お姉ちゃんのバカ!」

姉を振りほどきクッションを思い切り投げつける。姉はそれを受け止めて「初体験の感想は聞かせてねー」と笑いながら軽やかに去って行った。残された尚美はドサリとソファーに倒れこむ。酷く疲れた。

「はあーっ、お姉ちゃんは全然役に立たないし、どうすればいいんだろう」

自分一人ではいくら考えても答えが出そうにない。かといって魔法を知らない人間に相談しても時間の無駄だ。かといって聖凪の誰かに相談するとしても、「九澄大賀は魔法が使えないのでは?」なんて誰に言っても信じてもらえそうにない。いや待て、そもそも九澄は魔法が使えないという疑問は正しいのか? 

観月は九澄が魔法を使ったことがあることを知っている。例えば彼と初めて出会った日、ホーレンゲ草を取りに行った洞窟でのこと。九澄は地図もない複雑な洞窟の中で最奥部までの道順を難なく見つけ出し、トラップもことごとく見破ってみせた。魔法もなしにそんな事は――

(違う……不可能じゃない!)

ルーシー。九澄はあの洞窟でマンドレイクの少女ルーシーと出会っていた。ルーシーはあの洞窟の住人だ。彼女の助力があれば洞窟の構造など全て筒抜けだったのではないか? だとすれば九澄がルーシーのことを徹底的に隠していたことも説明がつく。文化祭の時に愛花と自分に見つかっていなければ、九澄は今も彼女の存在をひた隠しにしていただろう。

クラスマッチはどうだ? 自分と小石川に囲まれた時、九澄は魔法を一切使うことなく機転と駆け引きでその場を制してみせた。その時自分は九澄との器の違いを思い知ったが、もし九澄が魔法を使えないのだとしたらあの行動こそ九澄が取れる唯一の手段だったことになる。気味が悪いほど辻褄が合ってしまうのだ。だが一つ問題がある。大門との一騎打ちになった時、九澄は大門の攻撃を何らかの防御魔法で防いだのだという。大門本人がそう言っていたのだからこれは間違いないはずだ。この一点を持って疑惑は否定されたと言えるのではないか――

(いいえ、騙されたらダメよ!)

その時大門が使ったのは遠距離からの弓による射撃だ。九澄が具体的に何をしたのか大門にもわかっていない。その上九澄は自分が攻撃する際にはやはり魔法を使わず素手で風船を割って勝利したのだそうだ。実に怪しい。疑惑解消と言うには早すぎるではないか。

(とはいえ……)

観月は溜息をついた。いくら理屈をこねまわしたところでこの仮説には大きな欠陥があるのだ。

(あたしはこの目で九澄の魔法を見ちゃってるのよね……)

割と最近、九澄が学校の廊下で大暴れしたことがある。小石川を一蹴し大門もまとめて説教臭いことを言ったあげく――

(あ、あたしを抱きかかえて……お、おおお、お姫様抱っこ……)

観月はその時の感触をいつでも鮮明に思い出すことができた。そのたびに全身がぽうっと熱くなり切ない気分になる。いつしか観月の手は自分の股間へと伸びていき――

(って、そんなことしないわよ!!)

観月は首を振って我に返った。

話はそこで終わらない。あの男は様子を見に来た柊先生に向かってあろうことかタメ口を聞き、お前呼ばわりで命令、そして当然即怒りのボルテージを上げた先生に対し、あの男は何やらスゴイ魔法を使って自分の力を誇示してみせた。その結果なんと先生は途端に大人しくなり、九澄をどこか、確か校長室だったか、言われるがままの場所に連れて行ったのである。柊先生ですら本気の九澄には逆らえない。その噂は一瞬で広まり、九澄に挑もうとする者はますますいなくなった。この事件がある以上九澄は魔法を使えないなどという説は単なる戯言にすぎない。だが観月はどうしても納得しきれなかった。

(そう……あの時の九澄はどこか……というか何もかもが変だった……あいつがあたしを意味なく抱き上げたりする? 挑発のために魔法を使ったりする? 自分のことを「ボク」って呼んだりする? あの時はああいう強気な九澄もいいかもって思ったけど……やっぱり絶対に変!)

今思えばあの時の九澄は別人だったのではないか。柊先生が逆らえなかったのもその正体に気付いたからではないか。つまり、柊先生より偉い誰かだと。

(でもそれも変……そんな人がどうして九澄に化ける必要があるんだろう。それ以前に、あれはやっぱり九澄……あたしがあいつの顔を見間違えるわけがない……あれが九澄なのは間違いない……だけどやっぱりおかしい……九澄なのに九澄じゃない……それってどういうこと……?)

頭が痛くなってきた。もとよりあれこれと考えるのは得意ではない。熱いコーヒーでも飲もう。そう考えて観月が立ち上がったその時、それは聞こえた。

『この二重人格野郎!!』

観月ははっと振り返る。テレビの中で厚化粧の女優がそう叫んで男をなじっていた。テレビドラマのワンシーンだ。

(二重……人格……?)

ドラマの中でその言葉は主役の男の裏表ある性格のことを指していた。だが観月の脳裏にその言葉の別の意味が浮かび上がる。ジキルとハイド。本当の意味での二重人格。全く異なる2つの自我が一人の人間の中に存在すること。

(もしかしてこれって……!)


####


翌日の放課後。

「あたしに相談?」

観月に話しかけられた氷川今日子は眉一つ動かさず答えた。観月は薬品部の仕事上頻繁に執行部に出入りしているので顔見知りではあったが、ほとんど話をしたことはない。そういう人から相談を持ちかけられれば面食らうのは当然だ。氷川は感情を顔に出さないタイプだったが、多少なりとも驚いていることはポカンと開いた口から見て取れる。

「う、うん……時間あるかな……?」

観月は遠慮がちに尋ねる。

「悪いけど執行部の仕事と、それが終わったら塾があるから……だけどどうしてあたしなの?」

氷川は当然の疑問を発した。相談事ならもっと仲の良い友人を選ぶのが普通だろう。まさか友達がいないというわけでもあるまい。

「えっと……つまり相談の内容ってのが問題で……ある人のことを良く知ってて、口が堅くて頭も良い人っていうのが氷川さんしか思いつかなくて……」

氷川は九澄と同じ執行部員でクラスも同じC組。当然何かと接点は多いだろう。もちろんもう一人該当する人物がいるが、こと九澄のことに関してその人物に相談するのは絶対に避けたかった。なんというか、とにかく嫌だった。

「もしかして九澄くんの話?」

「えっ!?」

観月の心臓が跳ね上がる。その様子を見て氷川はふんふんと一人納得した。

「ど……どうして九澄のことだって……」

「いや、とある情報筋からあなたが九澄くんのことを好きだって聞いてね。それでもしかしたらと思ったんだけど」

「と、とある情報筋って……」

「ああ気にしないで、そんなに噂が広まってるってわけじゃないから。そういうのに目ざといゴシップ男がうちのクラスにいるってだけの話。たまたま九澄の話になった時に聞いたんだけど、あんまりそういうのを言いふらすなとは言っておいたわ」

どこか遠くで伊勢カオルがくしゃみをした。

「で、恋愛相談だったらあたしは不適格だと思うけど」

「ち、違うの。そういうのじゃないのよ。なんて言ったらいいのか……とにかくもっと違う話。こう……複雑で信じがたい話、頭おかしいんじゃないのって言われるような話なんだけど……」

氷川はしばらく考えこんでからふむ、と前置きした。

「そういうことならあたしより適格な相手が一人」

「え?」

「男子でも良ければ」

氷川が上げた人物の名を観月は知らなかった。男子というのも観月にとってはハードルが高かったが、氷川が適格と言うのだからともあれ一度会ってみることにした。今はとにかく話を聞いてくれる人間が欲しかった。


####


「そろそろ来ると思ってたよ」

生徒会本会議室。生徒会長である望月悠理が机に肘をついたまま微笑んだ。目の前に立っているのは見るからに不機嫌な感情をにじませた男。

「てめーに話がある」

「そんな怖い顔しないでよ、男前が台無しじゃない」

望月がおどける。男の額に血管が浮かぶ。

「ふざけたマネもいい加減にしやがれっつってんだ」

静かな、しかしただならぬ怒りのこもった低い声。並の者ならそれだけで縮み上がってしまうかもしれない。しかし望月はますます嬉しそうに目を細めた。

「まあまあ落ち着こうよ。話ならお茶でも飲みながらゆっくりとさ。そう思わない? 伊勢くん」

伊勢聡史。一年C組伊勢カオルの兄にして、二年生屈指の実力者と言われる一匹狼。彼は一人『敵陣』の中にいた。会長席に座る望月と、机越しに彼女と向かい合う伊勢、そしてその伊勢を後ろから見張る会長補佐の二人。ちょうど伊勢一人を二等辺三角形の陣で囲む形になっている。もちろん伊勢はそれを承知で対決姿勢をあらわにしていた。

「茶はいらねー。てめーの出した茶なんざ、何が入ってるかわかったもんじゃねーからな」

「あーらら、信用されてないなあ、あたし」

「んな事ァどうでもいい。例の聖凪杯とかいうふざけたイベントのことだ。なぜてめーが二年生の代表になっている!?」

伊勢は大会告知のチラシを机の上に叩きつけた。その隅に小さく、二年生代表望月悠理と書いてある。

「二年生最強っつったら俺か永井だろうが!! てめーの出る幕じゃねーよ! ていうかてめー主催者側じゃねーか!!」

伊勢が一気にまくし立てた。まさに怒り心頭といった面持ちだ。

「そりゃあまあワールドカップの開催国枠みたいなもんで。それに永井くんは同意してくれたよ? 伊勢くんだってこんなイベントにどうしても出たいってわけじゃないんでしょ?」

「大会自体はどうでもいいがてめーの好き勝手にされるのは我慢できねーんだよ」

「なんと立派なご意見」

望月が肩をすくめる。一切緊張感を感じさせないその態度にいよいよ伊勢のフラストレーションがグツグツと煮え立つ。伊勢は相手のペースに乗せられないために大きく深呼吸し、それから天井を指さした。

「ゴチャゴチャ口論しても埒が明かねーな。屋上に来い、白黒つけよーじゃねーか」

「あたしが? 伊勢くんと? なーに、愛の告白?」

望月はわざとらしく両手で顔を覆ってキャ~照れる~などとはしゃいでみせた。

「なわけねーだろ!!! バトルでケリつけようっつってんだ!!!」

伊勢は机を思い切り叩く。かなりの轟音が響いたが望月はまるで動じずニヤニヤと伊勢を見上げた。

「確かに"力"では伊勢くんのほうが上でしょうね。でも、勝てないよ。"力"じゃあ勝てないよ。三年生や九澄くんにはもちろん、あたしにも、後ろの二人にもね」

「ああ?」

伊勢は首をひねって背後に立つ二人を睨みつける。瓜二つの美形顔を持つ双子の男女。二年生では名の知れた巴ツインズだ。どちらが兄だか姉だか伊勢は知らないが。

「俺や永井よりお前やこの二人の方が強えって言いたいのか?」

伊勢にとっては到底認めがたい発言だった。巴ツインズが有名なのはあくまでその特徴的な外見のため。魔法の実力が高いなどという話は聞いたことがない。望月悠理にしても、生徒会長という肩書き以上の何かがあるとは思われていない。あくまで彼女の得意分野は頭脳労働のはずだった。一方で伊勢や永井は平均レベルの二年生相手なら4、5人まとめて倒せるだけの力を持っている。この3人を同時に相手にしても決して不利ではないと伊勢は確信していた。

「強いってのとはちょっと違うかな……"強い"のは伊勢くん。でも"戦って勝つ"のはあたし達。猛獣がずっと非力な人間に狩られるようにね」

望月はさも当然の事実を述べているまでといった風にサラリと言ってのける。伊勢の頭の中で何かが切れた。

「……ここまでムカついたのは永井の帽子にコケにされた時以来だぜ……。おい、とにかく屋上に上がれ。まとめてスクラップにしてやる」

「三対一じゃちょっとこっちに有利すぎるなあ。こうしようよ、伊勢くんはその二人と戦う。巴ツインズは二人で一人。二対一で君が勝ったらあたしはおとなしく出場権を譲るよ」

「ハ……こんな時まで人任せたァてめーらしいこった。おい、てめーらはそれでいいのか?」

伊勢は双子の方を向いて尋ねる。

「一向に構わないよ」と巴♂。

「ええ、凄く楽しみ」と巴♀。

表情や手の動きまで不気味にシンクロしている。伊勢はそれを見て顔を引きつらせた。こんな気持ち悪い連中にこれ以上付き合っていられない。秒殺だ。中学時代から喧嘩慣れしている伊勢は即座にファイトプランを固めた。打倒九澄のために磨き上げた新魔法、それで即終わらせる。

望月は伊勢の背中を見送りながら携帯の受信メールをチェックした。先ほど受け取ったばかりの短文メールを読んだ望月はクスリと笑い、片方の耳にイヤホンをはめた。



[33133] 第十一話
Name: スウォン◆63d0d705 ID:95955b57
Date: 2012/07/17 18:39
  第十一話  伊勢聡史vs巴ツインズ


執行部に黒髪ロングの男子がいるということなど観月は知らなかった。しかも九澄と同じC組。顔を見たことぐらいはあるはずだが、よほど影が薄いのか、単に観月が九澄しか見ていなかっただけか。多分両方だろう。二人は氷川に仲介してもらい学校の図書室で落ち合った。その男子は暗い雰囲気ながら人畜無害な印象を受けたので観月はほっと胸をなでおろした。もし小石川のような粗暴な男だったら即座に立ち去っていたところだ。

「九澄のことで話があるんだって?」

「うん……その……すごくおかしな話なんだけど……単なる妄想と思われるかもしれないけど……聞いてほしいの。そして出来れば意見を聞かせてほしい。もちろん誰にもこのことを喋らないって約束で」

その男子、影沼次郎はしばらく考えてからこう切り出した。

「それって九澄が魔法を使いたがらないことと関係があるの?」

「どうしてわかったの!?」

観月は思わずガタンと立ち上がった。影沼は目を丸くしたが、口を手で覆って話を再開する。

「僕もそのことについては考えていたんだ。九澄の強さの秘密が知りたくて……彼を観察していたらふと気がついた。彼は滅多に魔法を使わない……。九澄が魔法の濫用を嫌っているのは誰でも知っている。だけど身近で観察すればするほど、少しずつだけど確実に、不自然に思えてきた……」

影沼は慎重に言葉を選んでいるようだった。少し目を泳がせてから核心に触れる。

「もしかしたら彼は魔法を使わないのではなく、使えない理由があるのかもしれない」

観月はゴクリとつばを飲み込んだ。自分と同じ考えに至った人間が存在したことが、驚きであると同時に安堵の気持ちもあった。少なくとも自分だけがイカれているというわけではないのだ。

――その時影沼は話を続けながら机の下で携帯を操作していた。観月がそれに気付くことはなかった。

「だけどこの仮説には致命的な欠陥があるんだ。彼は現に魔法を使ったことがある。僕や他のクラスメイトの目の前で。この事実はどうしたって動かせないものだ。『使える』のに『使えない』、そんなことが果たしてあり得るものだろうか。僕にはこの矛盾を解く鮮やかなアイディアなんてない。だけど一つ考えていることがある。それは彼のゴールドプレートは完全なものではなく何らかの制限があるのではないか? ということなんだ。例えば一日一度しか使えない。例えばMPが非常に少ない。例えば特定の条件を満たした時にしか発動しない……。一年生である彼にゴールドプレートを与えるなら、むしろそうした制約がある方が自然ではないかと僕は考えた」

観月は知らないが、影沼にとってこれは一日の平均会話量に匹敵するほどの長文である。しかし彼女はそんな事よりも話の内容に引き込まれた。自分では至らなかった考察を含んでいるのだから無理もない。そして同時に影沼が持たない情報を観月は持っていた。

「あの……その『特定の条件』について、ひとつ考えがあるの。それについてどう思うか聞かせて欲しい」

観月は一文一文頭を整理しながらゆっくりと話し始めた。


####


校舎の屋上は魔法バトルのメッカである。もちろん校則では禁止行為と定められているが、揉め事を力で解決するならこの場所というのが聖凪高校に古くから伝わる伝統なのだ。その場所で伊勢聡史は巴ツインズと対峙していたが、彼の視線は双子の後ろでイヤフォンに気を取られている望月悠理に向いていた。

「……おいこら、これから決闘だってのに、一体何聞いてんだてめーは」

「えーっ、あたしが戦うわけじゃないんだし、別にいいじゃない。これからいい所なんだけどな」

「下らねーこと言ってんじゃねえ。まともに観戦する気がないならとっとと失せろ」

望月はやれやれと肩をすくめてイヤフォンを外しポケットに仕舞った。それから前方の双子に目配せする。

「ルールは……まあなんでもいいか。あんまり大怪我させないようにしてね」

「うん」「わかった」

双子が同時にうなずく。伊勢はまたしてもイラッとしたが、腹の中は既に冷静だった。伊達に場数を踏んではいない。

「もう始まってるんだよな」

伊勢はポケットからアクセサリーのシルバーチェインを出し、それを巨大化した。伊勢の最も得意とする魔法、入学当初からの十八番、それが物体強化魔法を施した鎖による攻撃である。通常、物体強化魔法は対象物を限定しないが、それに対する愛着や馴染みが強い物ほど効果は大きくなる。津川のスケボーがわかりやすい例だ。伊勢にとって、中学時代から愛用しているシルバーチェインはまさにうってつけの武器だった。

(だがここまでは従来通り……ここからが対九澄用スペシャルだ!)

巨大化した鎖がみるみる形状を変えていく。それはあたかも樹木の成長を数秒に圧縮しているかのような急激な変化だった。瞬く間に鎖は四本に枝分かれしそれぞれが独自の意思を持つかのように動き出す。

(四つ首の龍〈フォーヘッズドラゴン〉、それがこの技に俺が与えた名!! 竜の首に見立てたそれぞれの鎖を自在に操り、あらゆる角度から同時に攻撃する!! 九澄は謎の防御魔法によって魔法を消去する! だがこの技は予測不能!! 反応不能!! 全方位から襲い来る四本の首を同時に消すことなどできやしねえ!!! そして一方でこの魔法は対複数戦においても最高の武器!!)

伊勢は左右の腕を交差する形に振り下ろす。四本の鎖が弾かれたように一斉に飛び出し巴ツインズに襲いかかる。双子はギリギリのタイミングでそれぞれ左右に跳びそれらを躱す。

「甘え!!!」

鎖は二本づつに分かれ双子に迫る。双子は二人同時に魔法プレートを構えた。何らかの防御魔法を使おうとしているのだ。

「そんな小細工は通用しねーぞ!!」

鎖の先端部は直径一メートルはある金属の塊だ。まともに食らえば悶絶と打撲は免れない。並外れた頑丈さを誇る九澄でさえ一撃で大ダメージを負ったのだ。だが巴♂はその鎖が目前に迫った瞬間、薄く微笑んだ。

ガキンという大きな衝突音。伊勢の耳が痛む。だがそれ以上に目の前の光景に伊勢は目を見開いた。
防がれている。
二首の龍は巴♂の魔法シールドによって完全に弾かれていた。伊勢は咄嗟に逆方向に目を向ける。全く同じ現象。巴♀の目の前でヒビの入った鎖が舞っていた。

「凄い凄い」「だけどこの程度じゃあ」「僕達の防御は」「破れない」

(馬鹿な……!!)

四本が二本になったところでそのパワーは並の二年生レベルの全力を凌駕する。それを単なる魔法シールドで完璧に弾くなど。相手の魔法力の方が上ならともかく、二人共プレートの格ははっきりと伊勢より下なのだ。だが伊勢は、その時双子のプレートが微かに見慣れない光を放っていたことに気付かなかった。

(くっ……そんなはずはねえ!!)

伊勢は手を掲げて鎖を呼び戻す。四本の鎖は伊勢の頭上でらせん状に高速回転し、融合、一本の巨大な鎖に変化する。

(四本同時に操るのはまだ訓練不足だったか? 気付かねーうちに一つ一つのパワーが計算より落ちていたのかもしれねーな……この際フルパワーの一撃で一人ずつ叩き潰してやる!!)

鎖の先端は二メートルを越す金属球に変化する。生身で食らえば即死しかねない程の強大なパワーがそこには宿っていた。それは伊勢が腕を振り下ろすと同時に大砲のような勢いで巴♂に迫る。
巴♂は避けようとはしなかった。両手を前に突き出し、その前方にプレートを浮かせる。明らかに防御魔法で真向から受け止める構えだ。失敗すればただの怪我ではすまない。

(正気か!? パワーの違いぐらいわかってんだろう!?)

伊勢は勢いを弱める気はなかった。それがバトル。たとえ負けて重体になったとしてもそれは弱い者の責任。
鎖の先端と巴♂のプレートが衝突する。耳を裂かんばかりの轟音。
その直後伊勢が見た物は、制御を失って無残に宙を舞う己の武器の成れの果て。

(馬鹿……な……)

(俺の全力の一撃が……)

(二年かけて磨き上げた……俺の最強の技が……)

伊勢が茫然自失となっていたのはほんの一瞬だった。
なぜなら伊勢の背中を、鋭い激痛が襲ったからだ。苦痛に顔を歪めながらなんとか後ろを向いた伊勢が見た物は、巴♀の小憎らしい微笑。隙だらけだった伊勢の背中には魔法で強化されたボールペンが刺さっていた。

「後ろが」「がら空きだよ」

「う……うおおおおおおっ!!!」

伊勢は鎖のコントロールを取り戻し、全力で振り回す。ヒビ割れたとはいえまだ大きなパワーを持つそれを、しかし巴♀もまた簡単に弾いてしまう。同時に再び背中への衝撃。伊勢はバランスを崩し膝をつく。

(俺が……こんな奴らにいい様にあしらわれているってのかよ!!)

まだ新しい魔法を使うだけのMPは残っている。だが伊勢の精神は既に冷静さを失っていた。通用しない。パワーで自分より劣るはずの相手に、戦術以前の力勝負で負けている。その事実はあまりに深刻だった。
ツインズが同時に遠距離攻撃魔法を放つ。複数の角度から襲い来る防御不能の攻撃。伊勢がやろうとしていたことを今相手にやられていた。伊勢は地面を転がりかろうじてそれらを躱す。更になんとか不利な立ち位置から逃れようとするが、ツインズは正確に伊勢を挟み撃ちにするポジションを保ちつつ攻撃を続ける。フェイントと、死角からの本命攻撃。あるいはフェイントと見せかけての正面攻撃。すべての行動が滑らかに繋がる合理的な組み立て。明らかに連携戦闘の訓練を積んだ動きだ。そのような相手に対して伊勢は対処のための知識も経験も持たない。聖凪の授業において魔法による連携を専門的に学習することはないのだ。

(こいつら……なんのサインもなしに完璧なチームプレイをやりやがる。今までに俺が倒してきた相手とはコンビネーションの練度が全く違う!)

鎖を体の周囲で回転させ、動的な盾のように使い致命傷を防ぐ伊勢だったが、体のあちこちに浅い生傷が刻み込まれていく。誰の目にもジリ貧は明らかだった。その様子を眺める望月は楽しそうに目を細める。

(ふふ……双子ならではの完璧なコンビプレイ、それだけでもあの二人は厄介極まりない……。だけど彼らの強さにはもうひとつ"からくり"がある……。プレートのレベル差を埋め合わせて余りあるその"からくり"がわからない限り……あなたに勝ち目はないわよ、伊勢くん)

追い詰められた伊勢の、それでも恐怖を押し込め闘争心を絞り出そうとする必死の表情を見て望月はゾクゾクとした嗜虐心を覚えた。

(ああ……こんな事ならあたしが傷めつけてあげれば良かった……ねえ伊勢くん、それで終わり? 違うでしょう、伊勢くん?)

(クソッタレ、このままじゃ……ここで、こんな所で負けるっていうのかよ!?)

「負けられねえ……!」

痛みで力が抜けそうになった脚に活を入れ、踏み込む。睨みつける相手は余裕綽々の巴♂。再び鎖に限界近い魔法力を注ぎ込み、振りかぶる。

「ブッ!! コロ!!! ス!!!!」

咆哮。鎖を、投げる。
刹那、伊勢の両足が重力を失う。伊勢が思い切り踏み込んだその瞬間を狙って、巴♀が背後から脚を払ったのだ。武器は魔法によって強化延長されたスカーフ。完璧な不意打ち、伊勢は受け身を取ることもできず豪快に転ぶ。

「これで」「決まりだね」

双子が同時に上空へと小石を投げる。2つの小石は伊勢の真上で巨大化し、真っ直ぐに落下していく。

「クソッ……タレ……」

   (もう間に合わない)
               (下敷き)
       (敗北)
 (惨めに)
          (負け)

暗転。

ズズンという重い轟音が響き、静寂が戻ると共に双子が戦闘状態を解いた。完全なる勝利。このあと必要なのは伊勢の治療だけ。
だが望月は双子とは違う場所を向いていた。

その視線の先で、一人の男が肩に一人の男を抱えていた。

「ケッ……てめーに助けられるたァ人生最悪の一日だぜ……」

伊勢がぼやいた。伊勢を抱えるは長髪にバンダナ姿の優男。

「相変わらずだなお前は……礼ぐらいはちゃんと言え」

永井龍堂。
伊勢聡史のかつての仲間にして現ライバル。そして魔法執行部支部長を勤める男がそこにいた。永井は真っ直ぐに望月を見据える。

「"これ"は明白な校則違反だ……生徒会長であっても例外ではない。わかっているよな」

望月は少しもたじろがずにクスリと笑う。

「そうね……とっ捕まえてみる?」

「そうさせてもらう」

「そうは」「いかない」

双子が立ち塞がる。

「……っておい永井。とっとと降ろしやがれ」

そう言うと伊勢は永井を自分で振りほどいた。永井は伊勢を心配そうに見やる。一つ一つの怪我は深くないが、痛々しいほど多数の傷が体のあちこちに残っていたのだ。

「怪我は大丈夫なのか?」

「こんなもん全然大したことねーよ。だいたい何だてめー、俺がこんだけ苦戦した相手に一人で勝つつもりかオイ!」

「……それが支部長としての俺の勤めだ」

伊勢の血管がピクピクと浮き立つ。

「そういうスカした態度が気に入らねーつってんだよ俺は!!」

伊勢は永井の襟を掴みまくし立てた。永井は眉間にシワを寄せ苦々しい表情で伊勢から目を逸らす。

「……お前はそれでいいのか?」

「あァ?」

「前に言ったはずだ……お前はまだ執行部の一員だと。それがまたこんな所で喧嘩をして……いつまで一人で突っ張っているんだ」

「…………!!」

「俺は……俺の任務を果たす。それがどんなに困難であろうとも……それが俺の仕事であり、俺の誇りだ」

永井は伊勢に背を向け、双子と望月を見据え一歩前に踏み出した。その背中にかつての、実力に見合わずいつも自信無さげに振舞っていた頃の面影はない。

「だがお前がそれを理解できないというのなら……大人しく退がっていろ」

「……待てよオイ!!」

伊勢が永井の肩を掴んだ。

「いつもいつもそうやって格好つけて一人で背負い込みやがって……! 俺が一番気に入らねーのはあのクソ女なんかじゃねー! てめーなんだよ!」

伊勢の唇はわずかに震えていた。言いたいことは腐るほどある。だが言葉にならなかった。唯一つ、今言うべきことがあった。

「今回だけだ……! 今回だけはてめーに手を貸してやる!」

「ああ……そうしてくれると助かる」

永井は安心したようにつぶやく。

「ケッ……」

伊勢は肩を掴んでいた手を放り出し、ポケットに両手を突っ込んで永井の横に踏み出た。
永井龍堂と伊勢聡史、二年生最強と謳われる二人が並び立つ。かつて一年生の間で無敵コンビと呼ばれたデュオの一年ぶりの復活劇。事情を知る者なら何かを感じずにはいられない光景だ。
いつしか伊勢の体からは疲労とダメージが消え去っていた。ただ怒りと闘志だけがみなぎる。永井もまた、これまでになく血が滾るのを感じていた。

「秒殺で行くぞ!!」

伊勢が叫んだ。

「おう!!」

永井が応えた。
双子は微笑を崩さないが、その頬に冷や汗が流れる。

第二ラウンド、伊勢聡史・永井龍堂vs巴ツインズ、開幕。



[33133] 第十二話
Name: スウォン◆63d0d705 ID:95955b57
Date: 2012/08/09 00:45
  第十二話 コンビネーション


「さて……どうカタをつける?」

伊勢聡史がポケットに両手を突っ込みながら首を鳴らす。彼の横に並ぶ永井龍堂は浅く腰を落とし戦闘態勢に入った。

「遊ぶつもりはない……フルパワーで一気に終わらせる」

元より永井は戦いを楽しむような男ではない。魔法執行部の責務は圧倒的な力でもって校内の揉め事を迅速に制圧することであり、永井はそれに最も長けた男だ。だが二年生最強と謳われる二人と対峙する双子はなおも落ち着いたままだった。

「聞いたかい? フルパワーで一気に……だってさ」

「この期に及んで何も学習していない……。がっかりさせてくれるね」

双子は同じ仕草でクスクスと笑う。伊勢は赤色混じりの唾を吐き捨てた。

「気色悪い奴らだぜ……」

「あまりいきり立つな。冷静さを失いがちなのがお前の弱点だ」

永井の忠告は伊勢のプライドをやみくもに刺激するものだったが、今の伊勢は落ち着いていた。理由ははっきりしている。負ける気がしないのだ。永井との決着は目の前のウザい三人を叩き潰してからでいい。静かな、しかし強力な闘志が伊勢の腹の奥で沸々と煮えたぎっていた。

「頼むぞロッキー……!」

永井が呟く。

《待ちくたびれたぜえええええええ!!!!》

永井の声に応えたのは低く不気味な叫び声。永井の帽子に描かれたドクロが一気に膨れ上がる。飛び出した頭骨からめきめきと体が生えていき、死神のように禍々しい姿にへと変わっていく。永井の、ひいては二年生全生徒における最強魔法ロッキーホラーショウ。消費MP、パワー、いずれも二年生の枠を超えた恐るべきレベルの大魔法だ。永井はこの強力魔法を使うために日常的に思考の一部をロッキーに「喰わせて」いる。ロッキーは術者の心を「喰う」ことで、魔法が発動していない平時においても独自の自我を保ち、知恵と知識を自ら身に付ける。リスクは決して小さくないが、口下手な永井にとってロッキーが時として勝手に喋って相手を威圧してくれるのは有用ではあった。もっとも最近はもっぱらロッキーには喋らせていなかったが。

「いざ間近で見ると」「すごい魔法だね」「怖い怖い」

ちっとも怖がっているようには見えない双子がそれぞれ斜め前方に飛び出す。伊勢と永井を挟み込むポジションを取るつもりだ。

「そううまく行かせるかよ……!」

伊勢は再び鎖を巨大化させ、自分から見てより近い巴♀に投げつけた。ほぼ同時にロッキーが巴♂を襲う。永井伊勢コンビの暗黙の作戦は双子を分断しそれぞれが各個撃破することだった。個々の魔法力では完全にこちらが上。タイマン×2に持ち込めば負ける道理はない。
その時永井は違和感に気付いた。巴♂が笑っている。完全にこちらの出方を読んだ上で勝ちを確信している顔。なぜ。
ロッキーの腕が巴♂に向かって振り下ろされる。ロッキーはその重そうな外見とは裏腹に動きの速さも半端ではない。絶対に躱せないタイミング。
瞬間、巴♂が加速した。ロッキーの手は空を切り地面にめり込む。永井がめまぐるしく動く巴♂を目で追おうとするが、その速さは常人の動体視力を超えていた。

「く……追え! ロッキー!」

《こいつチョコマカしやがってええええええ!!!!》

ロッキーが叫びと共に飛び出すが、牛が鳥を追い回すかのような機動力の違い故に全く捉えることができない。彼我のスピード差は歴然だった。

(なんだ……こいつの動きは……?)

重大な違和感。スピードに特化した魔法――例えば強化したスケボーに乗るなど――を使えば、このレベルの速さも実現可能だ。だが伊勢の魔法を真っ向から弾き返すパワーとこれだけのスピードを兼ね備えるとはどういうことなのか。一体どうやってこれほどの魔法力を得ているのか。

(まさかこれは……いや、今はそんな事を考えている場合ではない)

永井は迷いを押し込めながらロッキーに指示を出し、相手をコーナーに追い詰める作戦を選択する。相手が動く場所を先読みし、そこを塞ぐ。そして逃げようのない袋小路へ追い込んでいく。速さで劣るなら劣るなりの戦い方を。永井のキャリアに裏打ちされた戦術。

「いける……もうすぐ!」

永井の拳に力がこもる。だがその瞬間永井は後ろからの衝撃に吹き飛ばされてしまう。

「うおっ!!??」

かろうじて受身をとり転げまわる永井。この痛みには覚えがあった。これは敵の攻撃というよりも。

「てめー! 俺の鎖の行く道を塞いでんじゃねーよ!!」

ちっとも悪びれていない顔で伊勢が悪態をつく。そう、今のは伊勢の攻撃の巻き添えを食らったのだ。

「く……っ。いいところだったのにお前は……」

永井も言葉を返す。一瞬二人は睨み合うが、すぐにそれどころではないと思い直して背を向けあう。

「こいつら二人共ハエみてーにちょこまか動きまわりやがって……! 攻撃が当たりやしねー」

伊勢が歯ぎしりした。永井と伊勢を囲う形になったツインズは更に速度を速めて周囲を高速回転しだす。

「まったく最悪のコンビだね」「連携も何もなっちゃいない」「こちらはいよいよ」「本領発揮と行こうか」

ただ同じ場所を回っているだけではない。時には上を飛び、時には内側に切り込みながら攻撃を加える。高速にして立体的な縦横無尽のコンビネーション。今まで二人が戦ってきたどんな相手とも異なる戦術。

「やべーぞ、こいつはさっきと同じパターンだ……。奴らこのままチクチク刺し続けて俺らを根負けさせるつもりだぜ」

「歓迎しがたい展開だな……」

二人はそれぞれがジリジリと退がりほとんど背中をくっ付け合う体勢になる。ロッキーはもちろんまだ召喚されたままだが、もはやこれほどスピード差が広がると攻撃を仕掛けることも困難だ。こちらから動けば確実にその隙を突かれてしまう。だが永井は、不利を自覚しながらも冷静に戦局を分析し、ついにツインズの強さの秘密に思い当たった。ほのかに見慣れない光を帯びる双子の魔法プレート。それが決め手だった。

「やはりそうか……。聞け伊勢、奴らの強さの鍵は"シンクロナイズドプレートメカニクス"だ」

「シンクロ……? なんだそりゃ水泳か?」

伊勢は眉をしかめながら飛んでくる攻撃を鎖で弾き返し、"ついでに"永井に向かって来た攻撃も弾いてやる。高速移動のためか、いくぶん双子の攻撃精度は雑になっていた。

「シンクロナイズドプレートメカニクス。早い話、2つのプレートの魔法力の波長を合わせ、シンクロさせることで大幅に力を増す技術。知らなくとも無理は無い。授業で習うような話ではないからな」

それは支部長の嗜みとして図書室から借りたマニアックな魔導書を読むことの多い永井だからこそ知っている知識だった。

「そいつを使えば魔法力を何倍にも高められるってことか?」

「理論上はな……だが現実にそれを実行する難度は生半可ではない。まずシンクロを起こすほど魔法力の波長を合わせること自体が困難。まして絶えず状況が変化し続ける実戦で高倍率の共鳴を起こし続けることはほとんど不可能だと言ってもいい。簡単にできるなら教科書にも乗っているさ」

「だが奴らにはそれが出来る……双子だから」

「そうだ……それもただの双子ではない。恐らくあの二人は、幼い頃から行住坐臥あらゆる行動をシンクロさせることを日常としている。その目的まではわからないが、それが魔法において絶大な効力を発揮しているんだ。一対一なら平凡な力量でも、二対二ならあの双子に勝てる者は三年生にすら滅多にいまい」

深刻な話を他人ごとのように冷静に話す永井だが、その表情に余裕はない。

「じゃあ俺らに勝ち目はないってことなのかよ!?」

「なんとかしてあの二人の思考やテンションにズレを生じさせることが出来ればシンクロは崩せる。だがその方法まではわからん」

「相変わらず肝心なところで役に立たねーやつだ……!」

伊勢は再び鎖に最大出力の魔力を注ぎ、通常の倍以上の大きさへと変化させる。明らかに防御や駆け引きを度外視した攻撃偏重の体勢。永井の頬に冷や汗が流れる。

「馬鹿野郎、また同じ失敗を……!」

「俺に指図するんじゃねえ!!!」

永井が慌てて伊勢の肩を掴み、双子が勝利を確信してニヤついたその瞬間、伊勢の鎖は真下に向かって振り下ろされた。地面への攻撃。爆発的な轟音。瞬間、大きな亀裂が伊勢を中心として全方向に広がる。

「え……!?」

高速で移動する物体は急には止まれない。その上双子は空に浮いているわけではなく、あくまで地面を走っている。その地面に大きな亀裂が走ればどうなるか。巴♂は亀裂に足を取られ、勢い良く宙を舞った。伊勢の顔が妖しく歪む。

「今だ永井! やれ!!」

伊勢の鎖は地面に刺さったまま。ここから鎖を戻して攻撃するよりも、永井に攻撃させたほうが明らかに早い。それをあらかじめ計算に入れた上での指示。自分が指図されるのは嫌でも他人には指図する、それが伊勢聡史!

「す、すまん! 足を取られた」

永井は転んでいた。その左足は見事に亀裂にハマっている。

「~~~~~ッッ……!! これだからてめーはドンくせーんだ……!」

巴♂が着地する。一方巴♀はちょうど伊勢と永井を挟んで反対側の位置でプレートを構えていた。

「ははは、いい不意打ちだったけど所詮君達はそこまでだよ! さあ、次で終わらせてやる!」

「そうでもねえ……」

伊勢は未だ鎖を地面に打ちつけた時の体勢のまま下を向いていた。その伊勢の、ギリギリ髪で隠れていない口の端が釣り上がる。直後、巴♀の背中をゾクリとした悪寒が走ったのと、その足元の地面がひび割れ「何か」が飛び出してきたのはほとんど同時だった。
鎖。
先ほど地面に突き刺さった伊勢の鎖が、巴♀の真下から現れたのだ。当然防御魔法を発動する暇もなく、瞬く間に可憐な少女の全身が鎖に絡め取られる。少女の顔が苦悶に歪む。

「ぐ……!」

「しまった……最初からそっちが目的だったのか!」

巴♂は動揺を隠せない。片方の動きが封じられてしまえばこれまでのような連携攻撃は不可能だ。永井はようやく脚を亀裂から引っこ抜き、伊勢と並んで巴♂を正面に見据え立った。

「やれやれ……そういう事ならちゃんと言え、伊勢」

「てめーに話したら向こうにバレちまうじゃねえか。さあ、さっさと終わらせろ」

「言われるまでもない……!」

ロッキーが更に膨れ上がる。伊勢と同様、小細工抜きのフルパワー攻撃の構え。だが巴♂は冷や汗を流しながらも再び笑みを浮かべる。

「ははは……何か忘れているんじゃないか? この状態でも僕達のプレートのシンクロは崩れていない……。つまり正面切ってのパワー勝負でも君達には負けないってことさ!」

だがそれに対し伊勢が中指を突き立てた。

「じゃあ受けきってみろ……チョコマカ逃げ回らずに正面からな」

「ふん……望むところだ!」

肝心の、攻撃する自分を放っておいて盛り上がる二人に永井はちょっと微妙な気分になりながらもロッキーに全魔力を注ぎ終える。これで勝てなければ力ではどうやっても勝てない。

「頼んだぞ……相棒!」

《任せろってんだああああああああ!!!》

ロッキーが高く宙に浮き上がる。相手を見下ろす位置から最高のスピードで突進するつもりなのだ。だがいざ飛び出そうとする瞬間、ロッキーの右腕に何かが巻き付いた。
再び鎖である。

「伊勢……?」

伊勢は左手に握った鎖で巴♀を拘束し、残った右手からもう一本の鎖を伸ばしてロッキーの右腕に巻きつけていた。

「フン! これで負けたら俺のプライドもコケにされちまうからな。てめーのあの貧相な骸骨だけには任せておけねーよ」

「言ってくれる……」

永井が微かに笑う。鎖は今や西洋鎧の手甲のように、ロッキーの腕を力強く覆っていた。これは理に適っている、と永井は思った。巴ツインズのようにプレートをシンクロさせるのは高度すぎる技だが、単に個々の魔法を組み合わせて補強するだけなら授業でも習う応用技術の範疇だ。とはいえ普通なら連携のための訓練を一切していない永井・伊勢コンビにぶっつけ本番で出来ることではない。だが不思議と永井は失敗する気がしなかった。むしろさっきまで感じていたプレッシャーがぐんと軽くなったかのようだ。これもまたコンビネーションの一つの形だろう。

「行くぞ伊勢……」

「とっととしろ」

《おおおおおおおおおっっっっらああ!!!!》

ロッキーが弾けるように飛び出した。斜め下の少年に向かって、矢のような速度で。巴♂はプレートを両手でロッキーに向かって突き出し、最高出力のシールドを発生させる。

(くっ……落ち着け僕が負けるはずがない……僕達のパワーがあんな小手先の技で超えられるわけがない……あいつらは急造コンビ、犬猿の仲、僕達のシンクロの真似事なんてできるはずがないんだ僕達はあいつらと僕達は違うんだ嘘だ負けるなんて嘘だ嘘だ負けるなんて嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘……)

シールドが砕けた。
ロッキーの拳が華奢な少年を撃ち抜き、少年はきりもみしながら宙を舞った。

(………………)

(…………)

(……)





伊勢は鎖に束縛されたままの巴♀の方を振り返り、興味無さげに言った。

「続けるか?」

少女は首を横に振る。

「いいえ……あたしたちの負けよ」

直後、鎖がフッと消え伊勢の手の平の小さなアクセサリーに戻った。永井が大きく息をつく。

「あーらら……この展開は予想してなかったなー」

望月がのんきな声でそう呟いた。とてもショックを受けているようには見えない。望月は倒れた巴♂に近づき、引っ張り起こす。少年は少し顔を歪めたが自分の足で立つことができた。

「まあ体のダメージは大したことないみたいね。さすがいい防御魔法使っているだけあるじゃない。ちょっと治療すりゃすぐ治るでしょ」

「済まない、悠理さん」

「ハイハイ」

「さあ茶番は終いだ」

伊勢が望月の目の前にズイッと割りこんだ。男子の中でも体格が良いだけに、この二人の間に立つと頭一つ分近くサイズが違う。

「例の大会の出場は考え直すんだよな」

「はい? なんで?」

「なんでっててめー、俺が勝ったら……」

「それは伊勢くん一人で勝ったらの話でしょ。助っ人アリだなんて聞いてないよ」

「ぐ……!」

「それとも伊勢くん、約束反故にしておねだりしちゃうようなプライドのない人だったの?」

「て、てめー……!」

伊勢の血管がプチプチと切れる。だがいつの間にかロッキーを仕舞っていた永井が伊勢の肩に手を置く。

「諦めろ伊勢。こういう相手だ」

「ち……!」

「それはそうと望月さん、校則違反は校則違反だ。反省文は書いてもらう」

望月は耳の穴をほじりながらやる気無さそうに返事をする。

「ああ反省文ね。会議室に百枚ぐらいストック置いてあるから、適当に三枚見繕って持ってってよ」

「…………!!!」

今度は永井の顔が歪む。

「諦めろ永井。こういう女だ」

そして伊勢がなだめる。

「ま、伊勢くんが壊した校舎の修復はこっちで受け持つからさ。それでトントンでしょ?」

「ち……口の回るやつだ。行こうぜ永井。こんなヤツ相手にするだけ時間の無駄だ」

伊勢が踵を返し歩き出す。永井はまだ望月を睨んだままだった。

「一つだけ教えてくれ望月さん。あの聖凪杯という大会、君は一体何が目的なんだ?」

望月は薄い笑みを動かさない。

「あの大会は君が企画し、先生たちに掛けあって開催許可を得たと聞いている。その上自分でも出場するつもりとなると……何か裏の意図があるはずだ、必ず」

「さあね……もしそんな物があったとして、聞かれてそうよと教えるわけないじゃない」

「だろうな」

永井もまた踵を返した。

「だがこれだけは言っておく。もし君の企みが、聖凪高校や学園生に危害を及ぼすものだった時は……俺達執行部が力ずくでもそれを止める」

「勝手に俺を含めんじゃねーよ……」

伊勢のボヤキを無視して永井は歩き出す。夕日に照らされる二人の男の背中はなんとも力強いものだった。
二人が扉の向こうに去って行ったのを確認した望月は、赤い空を眺めながらケータイをいじって誰かに電話をかける。

「ああもしもし? あたしだけど、ごめんちょっと邪魔が入っていいところから聞けなかったんだ。簡単にまとめてくれない? …………ふーん、ふんふん……。あはは、二重人格? それ面白いなあ、いい発想してるよその子! よっぽど九澄くんの事が好きなんだろうねえ……。ごくろーさん、これからも何かいい情報あったらよろしくね。
 ……影沼くん」



[33133] 第十三話
Name: スウォン◆63d0d705 ID:b51596ef
Date: 2013/01/03 17:57
  第十三話 前奏


「あたしと組手がしたいって~?」

ミニマムボディにウェーブがかった明るい茶色のロングヘアー。立てばロリっコ座ればペット、歩く姿は小学生。自称セクシー美女の十九歳・九澄胡玖葉はアイスを頬張りながら弟の土下座を見下ろしていた。彼女にとっては無駄に成長しやがった弟(別に男子として特に大きいわけではない)を遥か見上げるようになって久しいだけにフレッシュな経験だ。というかなぜ自分が土下座などされなければいけないのかまるで見当がつかない。

「頼む姉ちゃん! こんなの姉ちゃんしか頼める奴が居ねえんだ!」

弟の顔つきは100%マジだった。からかっている風でも酔っているわけでもない。

「なによ、誰かにいじめられたってんなら姉ちゃんがやっつけてあげるわよ?」

「そんなんじゃねえよ。これは俺が俺自身の手でやらなきゃいけねえことなんだ。頼む! 手ェ貸してくれ!!」

胡玖葉は強い。40キロに満たない体重にして、磨き上げられた空手の腕前は日本屈指であろう。そこらのケンカ自慢よりはっきりと格上の大賀をして太刀打ちできた試しがないほどの力量だ。そして大賀が特定の武道や格闘技を学ばずして現在のレベルにまで至った理由でもある。――主に姉からの護身のために。

「……ま、いいけどさ。あんたが本気で来るつもりなら、下手な手加減は出来ないわよ?」

胡玖葉の背に殺気が宿る。九澄にとってトラウマの一語では語り尽くせない惨劇の数々。

「あー、いや、殺されたくはねーわけだけど……」

「男に二言はないわよね! 覚悟しなさいおらああっ!!!!」

秋深まる快晴の週末、九澄大賀、絶体絶命。


####


「あきれた奴だ。こんな短い間隔でまた来るとはな。……というかその顔は何なんだ?」

"少年"は――見た目少年の、その実100歳を超える大魔法使いは――目の前に堂々と立つ男を見下ろしていた。下半身のない魔法体となって久しい花咲音也はどんな大男でも上から見るのが常態だったが、そもそも彼は滅多に人と会うことがない。普段の彼は聖凪の奥深く閉じられた穴蔵で学園の行く末を見守る、守護者という名のひきこもりである。彼を睨みつけるのは、なぜか顔を腫れ上がらせ絆創膏をベタベタと貼った聖凪生徒。昨日か一昨日辺りに誰かと殴り合いの喧嘩でもしたかのような有様だ。

「時間がねー。おめーに協力してもらいてーことがある」

その男――九澄大賀は半分塞がった右目で聖凪の創立者を睨み上げた。

「馬鹿につける薬はないとはこのことだな……。レベル1の試験で死にかけだったお前が次のレベルに進めるとでも? おいルーシー、お前からも言ってやれ。お前なんざ女の尻でも追いかけ回していたほうがお似合いだとな」

「大賀はバカじゃないもん!」

大賀の肩に乗っている魔法生物ルーシーは目を吊り上げて反論する。

「大賀が大丈夫だって言ったんだもん。絶対に大丈夫だもん!」

音也はやれやれと溜息をつく。ルーシーは彼にとっても可愛い孫娘のような存在だが、少々聞き分けがないのが困りものだ。

「だがいずれにしても次の試験でお前の協力は禁止だ。前回クリアできたのは完全にお前の助けのおかげだからな。二度と特別扱いはせん」

「えー! あたしは大賀のパートナーなんだもん、一緒に行くのーーーー!」

「わりいルーシー。今回は俺に任せてくれねーか?」

ルーシーは頬を膨らませて不満を示すが、九澄は済まなそうに会釈して歩を進める。

「別に今回はブラックプレートのレベルアップのために来たわけじゃねー。そこのジジイは普通の魔法だって普通に……いやハンパねーレベルで使えるだろーからな。ちょいと手合わせしてもらいに来たんだ」

「ほー……いい度胸と言えばいい度胸だ。どちらかと言えば大馬鹿者と呼ぶべきだろうがな。……いいさ、ボクも暇だからな。付き合ってやるよ」

音也は薄く微笑んで右手を高く掲げる。

「ただしボク自身に戦ってもらえるなどと自惚れてもらっては困るな……。お前の相手はこいつだ」

音也の後方、何もない空間が渦を巻く。何かがその渦の中心からせり出し、一気にその姿を表した。猛牛の頭に巨人の肉体。神話の怪物、ミノタウロス。轟音を立て地面に降り立つ。ルーシーは反射的に大河の背に隠れた。

「はっきり言ってどうなっても知らんぞ……三年生の上位クラスでも手に余るほどの魔法力を込めて召喚したんだからな」

音也にとってこれは少々タチの悪いジョークのつもりだった。まともな神経を持つならば到底敵わないレベルなのはひと目で分かる。九澄がビビって腰を抜かすか許しを請うならすぐに引っ込めてやるつもりだった。だからまさか、何の躊躇も見せず正面から突っ込んでいくなど想像は出来なかった。

(馬鹿な……! 自殺する気か!?)

「おおおおおおおおおおっっっ!!!!」

大賀は雄叫びを上げ一直線に疾走った。恐れる物など何もないかのように。蛮勇少年と怪物、二体が交差したその瞬間、乾いた打撃音が響き渡った。

「ひでぶっ……っ!」

九澄はミノタウロスの裏拳を食らって――裏拳というよりハエを払うかのような無造作な動きだったのだが――トラックに跳ねられた小学生のように吹っ飛び、5、6回転してようやく静止した。膝をガクガク揺らしながら立ち上がった九澄は手の甲で鼻血を拭き取り「中々やるじゃねーか」とうそぶいた。

「あ……あいつやっぱり底なしのうつけ者だ……。て……天下一の大馬鹿野郎だ……」

音也が声を震わせる。今回ばかりはさしものルーシーも音也に反論しようがなかった。

「ヘヘへ……ぶっちゃけ逃げたくて逃げたくてしょーがねーんだけどよ……」

九澄が足を肩幅に広げだらりと腕を垂らす。その目は全く死んでいない。

「なーんか、見えてきたんだよな……」

「あとちょっと……」

「あとちょっとでよ……」

「掴めそーなんだよな……」

九澄が笑った。それはとうとう彼がイカれてしまったからなのか。それとも。

(ボクにはもう……わからん!)

だが音也は更にここから信じがたいものを目撃するのだった。


####


聖凪杯を間近に控えた平日、その時間は平常の国語の授業中だったのだが、生徒たちの視線は普通に座って授業を受ける九澄大賀に集中していた。理由は簡単、まるで数十人からリンチでも受けたかのようにズタボロの状態だったからである。

「ちょ……九澄のやつ、日に日にボロボロになっていってないか?」

誰も久美の言葉を否定できるわけがない。明らかにそうなのだから。しかし当の本人が何でもない気にするなの一点張りではそれ以上踏み込むことも出来ない。この状況に最も心を痛めているのが柊愛花その人だった。

「ねえ九澄くん……お願いだから本当のこと言ってよ」

休み時間になって愛花は人気のない廊下で九澄に問いただした。「魔法修行中の怪我」「こないだ階段から落ちた」そんな話で納得ができるものか。

「いやーははは、マジ大したことないんだって。こう見えてめっちゃ軽傷だからさ」

九澄は自分の手で腫れに濡れタオルを当てながら笑う。

「嘘! 嘘だよねそんなの! いくらあたしでもそんなのに騙されないよ!」

愛花が目をうるませる。想い人にこんな顔をされて無視できるほど九澄はクールな男ではない。まいったなあとボヤいて愛花の肩に手を置いた。

「なあ柊。俺は今までお前にたくさん嘘をついてきたんだ。多分これからも……つき続けると思う。だけどもし……もしこんな俺で良ければ……ちょっとだけ信じていてくれねーかな」

「え……? それってどういうこと……?」

九澄が何の話をしているのか愛花にはまるでわからなかった。ルーシーのことを隠していたことだろうか。いやもっと大事なことのような気がする。

「俺……いつか一段落したら、柊に話したいことがある。今は言えないんだけど、すごく大事な事なんだ。だからそれまで……ちょっとだけ待ってて欲しい」

九澄はそう言っていたずらっぽく笑った。

「今回はマジで大丈夫だからさ、きっと」

愛花は泣きそうになるのをこらえ、微笑んだ。

「ずるいなあ……。九澄くんにそう言われたら、あたしは信じるしかないじゃない」

愛花は九澄の顔の腫れにそっと手を伸ばす。

「そのかわり約束して。危ない無茶はしないって……。それと、たまにはあたしにも頼ってほしいな」

愛花の指先から暖かい光がこぼれる。小さなろうそくのようなその光に照らされると、九澄が引きずっていた痛みが少しだけ和らぐ。

「これって回復魔法か……?」

「最近覚えたの。まだほんの初歩の初歩、軽い痛み止めに傷薬が混ざったようなものだけど……」

いや、これは世界一の回復魔法だ。九澄は本気でそう思った。まるで全身から力が湧いてくるようだ。

「ありがとな、柊。マジで」

二人はお互いを見つめ合い、微笑みあった。


####


「ったく、また娘をたぶらかしやがって……」

不機嫌をあらわにしながらタバコを吹かしているのは愛花の父親である柊賢二郎。言うまでもなく親バカである。

「たぶらかしてねーっつーの。大体おめーの方こそちったー協力しろよな。こちとら絶体絶命のピンチだってのによ」

九澄は壁に背をもたれながらぼやく。頭の上にはルーシーが乗っている。

「そう言う割には危機感のない顔だな。何か掴んだのか?」

「まーな」

迷いのない答え。柊父は少し意表を突かれわずかに目を丸くする。

「そうか……。ま、俺もただボヤッとしていたわけじゃない。例の大会をなんとか中止に出来ないものかと手を探ってみたんだが……」

柊父にとっても現状は好ましいとは言えない。九澄と彼はある意味で一蓮托生、九澄が本当は魔法を使えないことがバレてしまうと巡り巡ってほぼ自動的に自分のクビが飛ぶ。運を天に任せるより聖凪杯自体を取り止めさせてしまったほうが都合がいいことは確かなのだ。

「いけそうなのか?」

九澄が身を乗り出す。

「それがどうにもうまくない。校長は知ってのとおり放任状態だし、俺の危機にも呑気なもんだ。そして普段なら止める立場になるはずの教頭も、どういうわけか今回は妙に乗り気なんだ。おかげで教頭派の教員にも賛成派が広まる始末でな……」

「おいおいそれでもあんたが反対に回れば影響力あんだろ。おめー魔法主任かなんかじゃなかったのか?」

「俺は反対できん……。今から22年前、ここ聖凪で全く同じ発想のバトル大会が開かれた。ある男は最初乗り気ではなかったが、持ち前の才能とセンスのお陰で結果的に優勝に輝いた……。それが俺だ」

「お前かよ!!」

九澄は思わず突っ込む。堅物に見えて実はこの男結構ヤンチャだったということなのか。

「あくまで周囲に請われて仕方なく出場したんだ。優勝したのは天賦の才のせいだったのだから仕方なかろう」

全く悪びれないどころかむしろ得意げな柊父。

「こんな時まで自慢を挟むか……」

「いいか九澄、大会本番は強力な結界の中で行われる。俺からの手助けは一切できん。ヤバイと思ったら即棄権しろ」

「わかってるよそんなことは……。でもやる前から無理だ無謀だって決めつけて欲しくはねーな」

九澄がなぜそんなに自信有り気なのか柊父にはわからなかった。尋ねても答えてはくれないのだ。

「無駄かもしれんがその自信に一応期待はしておく。くれぐれも下手は打つなよ」

九澄は歯を見せて頷いた。


####


九澄の母梢加は専業主婦である。手のかかる姉弟の子育てを一手に担ってきた彼女は、単身赴任中の夫の元から一週間ぶりに我が家に帰宅した。昔はやんちゃなわが子達を置いて家を空けるなど考えられなかったが、もう二人共いい年なんだから大丈夫よねえと気楽に考えていたのだ。なんといっても一番面倒な子だった大賀が進学校に進んでぐっと大人っぽくなったのだから、その安心は過信ではないはずだった。それが帰宅して最初に目にしたのが長女の顔の腫れだったのだから気が気ではない。明らかに誰かに殴られたかのような傷跡だった。

「こ……胡玖葉! どうしたのその顔! まさか昔みたいにオトナの人と喧嘩でも……?」

「もう、平気だよおかーさん! ちょっと一発いいのもらっただけだから! 空手やってればそ~いうこともあるよ」

「まったくもう、いい加減空手なんてやめなさいって言ってるのに……。それにしても胡玖葉、あなたどうしてそんなに機嫌がいいの?」

鼻歌交じりに食器を洗う胡玖葉は、母親を心配させないために演技しているというよりは本当に機嫌がいいようにしか見えなかった。

「んー? いや別に……あいつももう昔みたいな泣虫小僧じゃないんだなあって……」

ちょっと寂しいけどね、と胡玖葉は口の中で呟いた。母の頭にハテナが浮かぶ。

(あんたが何するつもりかはわかんないけど……あたしは応援してるからね、大賀。ま、まだまだあたしの方が強いけど)


####


「やれやれ……つくづく訳のわからん奴だ」

花咲音也は戦いの跡を眺めていた。あちこちの床に割れ目やヒビが残っている。九澄の血の跡すらある。

「ねーねー! やっぱり大賀って凄いでしょ?」

ゴキゲンなルーシーに話しかけられ音也は天を仰いだ。

「あんなのはとても戦略とは言えない。一歩間違えていれば大事になっていたかもしれないんだ、甘く見るな」

アヒルみたいに口を尖らせるルーシー。だが……と音也は視線を落とす。

「音芽が何かを感じるわけだ。確かに珍味だよ、奴は」

音也は目を閉じて微笑む。この穴蔵にこもって数十年、いい加減刺激のない生活にも飽きてきた頃だ。暇つぶしとしてはあんなに面白い男はそうはいない。

「聖凪杯ね……。つまらんことを考える奴もいたもんだ。あんな曲芸で勝とうとするのはもっと馬鹿だが……」

「奴なら何かやれるかもな」

外出する良い機会ができた。その事に関しては礼を言っても良い。音也はそう思った。



[33133] 第十四話
Name: スウォン◆63d0d705 ID:2d35a717
Date: 2013/03/24 00:11
  第十四話 開会


ここは魔法空間内部に作られた聖凪杯特別会場。中心に位置する闘技場には大きな魔法陣が描かれている。それは外部からの干渉を防ぐと共に観客を守る結界を作るためのものだ。同時にその結界の中において通常より濃い魔法磁場を生むことで、後腐れのない全力の勝負を演出するための仕掛けでもあった。

「あっ、尚っち! ねえねえ尚っちも一緒に見ようよー!」

観客席をウロウロしていた愛花は、親友が一人で座っているのを発見し元気に声をかけた。もうすぐ始まるスペシャルイベントの開始に向け聖凪高校のほぼ全生徒が会場のあちこちに散っている。愛花は久美やミッチョンと共に九澄応援のための一番見やすい席を探していたところだった。

「あ……愛花」

こちらに気付いた観月だったが、その表情は冴えない。最近観月と顔を会わせていなかった愛花は首をかしげる。

「どーしたの尚っち、元気ないね」

「んーん、そんなことないよ、気にしないで。みんなで九澄の応援?」

「うん! ね、みんなで一緒に応援しよ?」

観月は微妙な笑顔を作り遠慮がちに頷いて同意を示した。愛花はその様子を見てやっぱり何かあると思ったが、すぐには突っ込まずニコニコしながら観月の隣に腰掛けた。 悩みがあるならじっくり聞いてあげればいいのだ。久美、ミッチョンも順番に腰を下ろす。開会式開始までもうあとほんのわずかだ。

聖凪高校の歴史は半世紀を超える。その長い歴史の中で過去に数度、ある好奇心が答えを得たことがある。「最強の魔法使いは誰なのか」――それは魔法に青春を捧げ魔法に情熱を費やした若者達にとって、ある意味では当然の疑問だ。その観点から見れば最強を決める大会が開かれること自体は何ら驚くべきことではない。ただし頭の硬い教師陣を説得し、ルールや安全対策を整え大会を実行に移すことは、社会経験の乏しい高校生にとって決して易しい事業ではなかった。故に過去何度も企画倒れに終わってきたというのが実情なのだ。

『じゃあなんで今回はこうすんなり実現したんでしょうか?』

マイク越しに利発そうな女子生徒が問いを投げかける。実況担当である彼女に答えるのは他ならぬ聖凪高校魔法主任、柊賢二郎。鋭い目がどっしりと構えていて何やら妙な迫力がある。

『それだけ皆が知りたがっているということだろう。稀代の天才と謳われる夏目琉や、怪物一年生と呼ばれる異色の新星九澄大賀……。あるいは他にも我こそは と思う者がいることだろう。22年前、俺や幾人かの生徒が"誰が一番強いのか"という話題の中心となってバトル大会による決着を必要としたように、今年も同じことが起こったのだ。それだけの人材が集まったということだろう』

その他に要因があるとすれば、教頭をはじめ普段はこうしたイベントにいい顔をしない教師達がなぜか賛成に回ったことだ。しかし柊父はどう説明したらいいのかわからなかったので言及しなかった。

『なるほど……。確かに今大会のレベルは過去のどの時代においても実現し得なかったかもしれないという声もありますしね』

『それが正しいかどうかは今日明らかになるだろう。まあそうは言っても俺より強い奴はいないだろうがな』

実況の女子は「アンタ教師だろ」というツッコミをグッと飲み込んで前を向き直した。

『……さあっ! 時間がやって参りました! みなさん盛大な拍手でお迎えください!!』

会場のボルテージが一気に上がる。中央に描かれた魔法陣、そこに7つの黒い穴が空いた。

 

 
    『全選手入場!!!!!!』

 

 
穴の一つ一つから次々と人間が現れる。魔法大会ならではの演出である。

『一年生にして黄金のプレート!! 先輩共よ俺にひれ伏せ!! 怪物一年生、九澄大賀!!!』

一番手に入場した九澄の拳は固く握られ、その内側からは汗がじんわりとにじんでいる。九澄は周囲の観客たちを軽く見渡しつばを飲み込んだ。三年生からの反応は静かなものだったが一年生からの声援は絶大だ。

『肩書きは生徒会長、そして今日は聖凪のジャンヌ・ダルクだ!! 二年生代表望月悠理!!!』

実質的な主催者の1人でもある彼女に緊張の色は一切感じられない。涼しい顔で手を振ってオーディエンスにアピールしている。

『執行部のプライドは絶対譲らん!! 誇り高き捕獲人〈スナッチャー〉滑塚亘!!!』

腕を組んで仁王立ちする滑塚の風格はかなりのものだ。毎朝磨いているという噂もある自慢のデコがキラリと光る。

『ダークホースとは呼ばせない!! エリートどもの仮面を剥いでみせよう兜天元!!!』

女子ほどの小柄な体格に健康が心配になるほどの痩せ身の男。およそ闘争には似つかわしくない非体育会系の容姿ながら眼光はギラギラと輝いている。

『ウィザードの首は俺が獲る!! 誰にも邪魔はさせない!! 鉄腕の新宮一真!!!』

素手の格闘なら間違いなく絶対的本命になる男。ただ立っているだけで闘志と闘力の充実ぶりが客席にまで伝わる。

『マジックワングランプリ優勝者が二冠を狙う!! 完全王者は我の手に!! 幻影〈ファントム〉・浅沼耀司!!!』

にこやかに振る舞い自然体で立つ。全参加者中最もリラックスしているようにも見受けられる長身の青年の自信の礎はいかばかりか。

『さあいよいよ登場です!! 生ける伝説の力量がついにベールを脱ぐ!! 執行部部長・大魔術師〈ウィザード〉・夏目琉!!!』

三年生から上る一際大きな歓声に両手を上げて答える"稀代の天才"。その伝説の浸透ぶりは尋常では無いのだ。もちろん同じ校舎で一年間を共にした二年生にも彼の名声は轟いている。

『並び立ちました聖凪最高の7人! この7人が今日ここで最強の座をかけて争います! 皆様どうかその目でこの一大カーニバルを目撃してください!』

再び大きな歓声が巻き起こった。

「なあ、なんでトーナメントなのに7人なんだ? 普通8人にするだろ?」

観客席では伊勢兄が永井に疑問を投げかけていた。

「夏目部長はシード選手なんだ。あの人は一回戦を戦わない」

「なるほどな……。まあ確かにそれ相応のレベルではあるけどよ」

伊勢の脳裏に、かつて夏目によってあっさりとねじ伏せられた屈辱が蘇る。執行部に入ったばかりの頃に調子に乗って勝負を挑んだ時の話だ。それまでに上級生との魔法バトルに勝った経験があることもあって己の力量を過信していた伊勢は、あの時初めて完全なる敗北の味というものを知ったのだ。

「やっぱ本命はあの人か、永井」

「揺るがないな。望月が何を企んでいたとしても一対一ではどうにもならないだろうし、他の三年生だって部長と比べるのは可哀想だ。あえて言うなら……やはり九澄が鍵だろう」

「やれやれ、あの小僧も高く買われたもんだ。俺は奴とのケリが付いたとは思ってねーがな」

あの時、あの九澄とのバトルの時は気分が萎えたこともあって自分から勝負を放棄したが、以来伊勢は打倒九澄を常に頭の隅に置いてきた。絶対に勝てない相手だとは思っていない。九澄はもはや上積みのないゴールドプレート。対して自分にはまだまだレベルアップの余地があるはずだ。

「フ……その負けん気の強さは尊敬するよ」

永井が嬉しそうに頬を緩めた。

「ねえねえ、あの二人えらく打ち解けてんじゃない?」

並んで立つ伊勢と永井の様子を見て、執行部副支部長の宇和井玲が部員の沼田ハルカに耳打ちした。春の一件以来伊勢と永井の対立そのものは終わっているが、昔のように友人に戻ったわけではないことを知っている彼らからするとちょっと驚くべき光景だ。あの雰囲気じゃ学校帰りに二人でハンバーガーショップに寄っていてもおかしくないんじゃないかという風に見える。

「きっと色々あったんだよ」

ハルカは目を細めながら二年生最強コンビを眺める。宇和井の目にはその表情が心なしか恍惚としているかのように映った。

「美少年同士の対立と和解……いいわぁ……」

宇和井は親友の危ない目つきにちょっと引いた。


####


九澄の出番はいきなりやってくる。一回戦第一試合。ただしその前に会場では前座として軽音部のバンド演奏(魔法によるロックフェスばりの演出付き)が行われていた。

「本当に大丈夫なんだろうな、九澄」

試合直前の控え室で柔軟体操をする九澄に対し柊父が疑問の声を投げかける。柊父にしてみれば九澄の優勝など望むべくもない。それよりいかに惜しい戦いを演出してさっさと敗退するか、それが重要だった。ちなみに今この部屋には彼ら二人を除いて人間は誰もいない。(マンドレイクならいるが)

「たとえ無様に破れても、俺が解説者として舌を尽くしてお前の株がなるべく下がらんようにはする。だがそれも負け方次第だ。なんとか言い訳の通用する程度の散りっぷりを見せてもらいたいもんだな」

「大賀は負けないもん!」

「ったく、相変わらず信用ねーな、俺」

九澄が背筋をストレッチしながらぼやく。その表情から奇妙な余裕と自信が感じられて柊父は戸惑う。先日もそうだった。いったいこの男は何を考えているのだろう?

「ま、なるようになるってこった」

九澄は歯を見せて笑う。控え室のドアがノックされる。時間が来た。

「行こうぜ、ルーシー」

「うん!」

ルーシーが九澄の方に乗り、姿を消す。これで九澄以外の人間には誰も彼女を視認できなくなる。試合においてある意味きわめて有用な魔法アイテムとして機能することだろう。ただし彼女の助力がある程度で勝てるものなのか、はなはだ疑わしいというのが柊父の見立てではあったが。

 

####


『さあそれではいよいよ試合が始まります! 西より入場者九澄大賀!』

九澄が会場に姿を現す。観客席の一年生の集まる一帯からひときわ大きな歓声が上がる。

「九澄ーーー!! ぶっとばせーーー!!!」

「九澄君頑張ってねーーー!!」

九澄は彼らの方には振り向かず拳を固く握りながら歩みを進める。間近で観察しているルーシーには九澄の動きの違和感がはっきりと感じられた。

「ねえ大賀……ひょっとして緊張してる?」

「あー……ま、一応な。相手だって得体が知れねーしな……」

九澄はまっすぐ正面を見据える。相手の顔からは一切の緊張は感じとれない。まさに余裕のたたずまいだ。

「お手柔らかにね。九澄大賀君」

彼女が握手を求め、九澄はそれに応じた。

(女子の手ってつくづくちっせーし細いし柔らかいよなー)とどうでもいいことが九澄の頭に浮かぶ。しかし一切の油断は出来ない。ある意味ではこれほど動きの読めない相手は他にいないのだから。彼女が三年生でないことなど、そもそも魔法を使えない九澄にとってなんの慰めになろうか?

『一回戦第一試合、九澄大賀vs望月悠理、始めっ!!!』

九澄は合図と同時に腰を落とし臨戦態勢に入った。その鋭い凶悪な眼光(ガンタレとも言う)は並のヤンキー程度なら即座に臆してしまうだろう。もっとも、目の前の相手がこれでビビるとは微塵も思っていなかったが。

「ふーん、すぐに飛びかかってくると思ったけどそうでもないんだね。それじゃああたしから行こうかな」

望月がゆっくりと右手を九澄に向ける。女子高生らしくよくケアされた手の平がピンと広げられ、本人の目が怪しく光る。その時だった。九澄が無造作に腕を振ったのは。

ステン。

まさにそうとしか形容の出来ない「コケ」。望月は肩口から地面にぶつかり目を白黒させた。九澄はただ数メートル前方で腕を振っただけ。一見すると何の魔法も発動したようには見えない。だが望月は間違いなく何かに「足を取られた」。観客はまだ静かだ。九澄が何をやったのか気づいている者はいない。というか九澄にとってはそんなやつがいてくれては大問題なのだが。

望月が九澄の動きを監視しながらゆっくりと立ち上がる。汚れのついた肩を払い「ふむ」と口を真一文字に結ぶ。先ほどまでの笑顔はない。

ストン。

またしてもだった。望月は全く無抵抗のままその場で転んだ。今度は尻が地面とキスをする。観客席のそこかしこからクスクスと笑いが漏れるが、皆もう気付いていた。九澄は確実に「何か」をやっている。

「おめー、降参するなら今のうちだぜ」

九澄が望月を見下ろす。あえて言うなら、そう、ゴミを見るような目で。九澄大賀はサディストではない。しかしハッタリを効かせるためにはそのように振る舞わねばならない時があることを彼はよく知っている。相手の手の内が全くわからない時、ダメージを受けずとも何度も転ばされたりすれば必ずいくばくかの恐怖心が芽生える。そこに重苦しいプレッシャーをかければ少なくとも平静ではいられないはずだ。相手のメンタルを乱すこと、それは九澄にとって勝利の第一方程式である。

(さっすが大賀、演技力抜群ね!)

マンドレイクの美少女が望月のかたわらでほくそ笑む。懸命なる読者諸氏はもうお気付きだろう。彼女ルーシーこそが望月を転倒させた犯人である。着せ替え人形ぐらいのサイズしかないルーシーとはいえ、普通に突っ立っているだけの細身の女子高生を転ばせることなど雑作もない。何せ相手はこちらのことなど全く見えていないのだから。うまくいけばこのままコロコロ転がしまくっているだけで勝手に戦意喪失してギブアップしてくれるのではないか。そんな風にルーシーは楽観していた。

「ふー、やっぱり簡単にはいかないか」

望月は地面にペタンと座り込んだまま自重気味に笑う。九澄は微塵も警戒を解いていない。先日のことだ。支部長の永井から彼女には気を付けろと入念に忠告された。魔法力はそれほどでもないはずだが、どんな手を隠しているかは一切わからないと。それを聞いている以上この程度の優勢では少しも気を緩められるはずがない。

「ま、あたしとしても本番で遊んでられるとは思ってなかったけどさ。でも……失敗したよ、九澄君。あたしの仕掛けに気付いてなかったでしょ」

「仕掛け……?」

九澄が眉をひそめる。

「うん、足元」

途端九澄の足元で何かが膨れ上がる。それは九澄が反応するより早く足をとらえ一瞬にして両脚に巻き付き、更に胴体と腕までもを封じた。

「……! こいつは……!」

緑色のツタのような植物。それが九澄を何重にも縛り動きを完璧に封じてみせる。観客席からオオーッという声が上がる一方でルーシーが顔色を失う。望月は余裕たっぷりに立ち上がり、尻のホコリを払った。

「なんてことはない、ただの魔力の影響で強化されたツタなんだけどね。その種をこっそり君の足元に飛ばしておいたんだ。ほら最初に右手を君に向けたでしょ? あの時左手でこう、指を弾いて飛ばしたの。ま、初歩的な手品だよね」

この手の魔法植物の種子は聖凪高校の敷地内ならさほど苦労なく手に入る。それを九澄の足元に飛ばしたのもごく単純なトリックだ。九澄は自分がやるべきことを逆にやられたという事実に驚くしかなかった。ただしその種子を開花させるには多少なりとも魔法力が必要である以上、九澄には使えない戦術ではあったのだが。

「さて……あたしとしては無駄な魔法力は一ミリも使いたくないからさ。すぐに始めさせてもらうよ、あたしの切り札……」

「ぐ……!」

九澄は全身に力を込めるが、ツタは地面にしっかりと根を張りピクリとも動かない。ある実験によれば大型トラックを釣り上げることも出来ると言われている魔法植物だ。人間の力でどうこうできるはずもない。もちろんルーシーの助力程度ではどうしようもないことはわかりきっていた。

(どどど、どーしよう? 大賀がやられちゃう!)

パニクるルーシーの横で望月は懐からペンと分厚いノートを取り出した。一見すると魔法アイテムのたぐいには全く見えないそれらの道具は、実は本当に単なる筆記用具である。駅前のタジマ文具で購入、計420円。だがそれらは明らかに望月の魔力を帯びていた。

「この魔法はやたらめったら条件が厳しくてさ……。発動中に相手に動かれたらダメだとか、魔法の効果をちゃんと相手に説明しないといけないとか、面倒な制約が多いんだよね。その上魔法力の消費量もあたしの手には余るほど大きい……。だからあたしは考えたの。こういう大会を開いて、普通より強力な魔法磁場の中で試合を行うことにすれば魔法力の問題は一気に解決するんじゃないかなあ……って」

(な……何言ってんだこいつ……?)

それはまるでこの大会自体が「この瞬間」のために仕組まれたかのような発言だった。教師達と交渉し出場メンバーを集めあらゆる面倒事を引き受けたのは、生徒会長にして大会主催者である目の前の彼女。その目的がつまるところたった一つ、強い魔法磁場のもとで九澄と正対し何らかの魔法を仕掛けることだというのか。

『ええっと、どうやら両選手何事かしゃべっているようですが、いかんせん結界の内側、もう少し大きな声で話してくれないとよく聞こえませんね。それにしても望月選手、あのペンとノートで何をするつもりなんでしょうか?』

実況担当を含め観戦者は皆戸惑っていた。その困惑は解説席の柊父にとっても同様だ。あの魔法がなんなのか、喉まで出かかっているのに思い出せない。

「じゃあいくよ……。といってもちっとも痛くないから心配しないでね」

ペンとノートを包んでいたオーラが更に巨大化しきらめく。その魔法を知っている者は観客席の生徒達には皆無だった。決して生徒に教えるような代物ではないタチの悪い魔法。柊父はようやくその正体に思い当たり青ざめる。

(冗談じゃない……! ボロボロに負けるほうがまだマシだ。こいつは正真正銘最悪の魔法じゃないか!!)

ペンを包んでいるのと同じ色のオーラが九澄を覆い、望月の唇が妖しく動く。

「対象者の記憶、経歴、黒歴史、その他あらゆる個人情報を本人が忘れていることまで含め一切合切ノートに書き記す!!! それがこの魔法 "完全なる人物百科〈ペルソナルペディア〉"!!!」

「な……なんだってーーー!!??」

九澄は両目が飛び出さんばかりに驚愕した。



[33133] 第十五話
Name: スウォン◆63d0d705 ID:b51596ef
Date: 2013/03/26 22:07
  第十五話 霧中


九澄大賀には夢がある。いつの日か本物のゴールドプレートを手にし、想い人の願いを叶えてあげたいという夢が。その夢のためならどんな困難でも乗り越えてやるという決意を握り締めている。
九澄大賀には秘密がある。秘密ぐらい誰でも持っていて当たり前だが、九澄の場合その秘密の重要レベルが他の高校生の比ではない。バレれば確実に自分はこの学校における籍を失い、記憶も消されて路上に放り出されるだろう。幾人かの巻き添えとともに。

今、その秘密と夢がまとめて散ろうとしていた。

「対象者の記憶、経歴、黒歴史、その他あらゆる個人情報を本人が忘れていることまで含め一切合切ノートに書き記す!!! それがこの魔法 "完全なる人物百科〈ペルソナルペディア〉"!!!」

「な……なんだってーーー!!??」

一体誰が想像しただろう。「最強を決める」という名目で開かれたこの大会に、全く違う目的で参加している者がいたことを。唯一つ、九澄大賀の秘密を暴きたくて参加している者がいたというその事実を。
柊父が顔を歪め机を両手で叩く。その必死の形相に実況女子がたじろぐ。

(なんとかしろ……! なんでもいいからなんとかしろ、九澄!!)

解説担当としての中立性など気にしている場合ではない。九澄の秘密が白日の元に晒されれば、彼もまた失職するのだ。
九澄は全身に力を込めてツタを千切ろうとしながら叫ぶ。

「てめー……最初っからそれが目的だったのか!?」

今や望月のペンはそのオーラが導くままにノートの上を走り始めていた。手でペンを動かしているのではない。ペンのほうが手を引っ張っているのだ。

「うん、まあね。キミの情報はプロテクトが堅くてさ……どうしても知りたいことがわからなかったんだ。だったらこれが一番早くて確実でしょ?」

「そんなこと知ってどうしようってんだ!」

「さあね、後のことなんてそれから考えればいいじゃない。あたしの勘じゃキミの秘密はこの聖凪高校そのものの秘密と密接に関わっている……違う? もしその通りなら、あたしの夢が一歩実現に近づく」

「夢……だと……?」

望月は涼しげに微笑むだけでそれ以上答えようとはしなかった。そのやり取りのさなか、ノートのページが手に触れることなくひとりでにめくられる。一枚のページが埋まってしまったのだろう。もはや九澄には一刻の猶予もなかった。

(クソッタレ……なるべく温存しときたかったが、そうも言ってられねえ……!)

瞬間的に体を脱力し、精神を集中させる。そして大きく吸い込んだ息を吐くと同時に一気に力を込めた。

(エムゼロ、全開だ!!)

一瞬、九澄の全身がかすかに発光した。その光はペルソナルペディアの対象者を覆うオーラに比べればはるかに微弱だったため、外部の目からは全く捉えることが出来なかった。だがその直後九澄の体を覆っていた太いツタがみるみる細くなり、同時に望月のペンがピタリと静止する。ペルソナルペディアの自動筆記がストップしたのだ。望月の目が見開かれる。

「え……?」

九澄が自分を弱々しく縛るツタを引き千切り、望月に向かって突進してくるまではほとんど一瞬だった。スピードが違う、腕力が違う。既に魔法力を使いきった望月に抵抗する手段はなかった。

「おらあっ!!」

九澄は電光石火の早業でノートを奪い、即座に距離を取ってそれを力ずくで破いた。破いたものをまた破き、やがて原型がなくなるまで破いてから一部をポケットに突っ込んだ。九澄は冷や汗をダラダラと流し肩で息をしながら勝ち誇った。

「ハァ……ハァ……。これでお前のくだらねー計画もおじゃんだな……」

望月はぽかんと口を開けながら突っ立っていた。そして大きく溜息をついて顔に手を当てた。

「あらら……失敗かぁ」

「これに懲りたら他人の秘密を暴こうなんてくだらねー事考えるんじゃねーぜ。誰にだって人に言えないことぐらいあるんだからよ」

九澄はキメ顔を作り直し望月をビシっと指差す。動揺の跡など欠片も感じさせない堂々たる態度。こういうのは最後の締めが重要なのだ。ついでにルーシーも誰にも気付かれることなく同じポーズで勝ち誇っていた。九澄以上に誇らしげな顔である。
望月は肩をすくめると、観念したように両手を上げて大きく息をついた。

「ま、しょうがないか。じゃあ降参」

「へ?」

望月のサバサバした態度に九澄は呆気にとられてしまう。あれだけの手間暇をかけてこんなややこしいことした割に諦めが早すぎるように思えた。

「審判さーーん! 聞いてるーー? 今の魔法であたしの魔法力空っぽになっちゃんでーー! ギブアップしまーーーーす!!」

『え……? あ……えっと……決っ着ーーーーく!! 勝者、九澄大賀!!』

観客全員がポカンとする中、九澄の勝利が公式に宣言された。もはや結果は揺るがない。何もかもが唐突だった。望月がペンとノートを出して何事か書き始め、九澄がそのノートを奪って破き、そしたら望月が降参した。一体この勝負は何だったのか? あるいは望月の喋った魔法の内容が観客に聞こえていたならもう少し反応が違ったかもしれない。だが実際には結界に阻まれ、魔法名すら観客には聞きとれなかった。つまり一連の出来事の実態は全く伝わっていないのだ。

「……わ、わからん……。彼女は何を企んでいたんだ……?」

目の前の事態が理解できないのはもちろん"二年生最強"永井龍堂も同じだった。何やらとんでもない陰謀が張り巡らされているとまで考えたのは単なる自分の妄想だったのだろうか?

「……あいつは昔から全く意味不明だ……」

永井の隣、伊勢聡史が吐き捨てた。

その頃九澄を応援する女子達も首を傾げていた。

「うーん、なんかよくわからん結果だったな。ま、相手の切り札を一発で破った九澄がスゲーってことかね?」

久美がポリポリと頭を掻く。ミッチョンは顎に手をあててううむと唸っている。

「きっとそうだよ。あの人も二年生代表なんだからきっとすごい魔法だったんだと思うよ」

愛花だけは素直に九澄を称える。実に嬉しそうな笑顔だ。一方観月は無言のまま硬い表情でじっと九澄を見続けていた。
男子勢の反応は現金なものである。

「なんかよくわかんねーけどさっすが九澄! 余裕の勝利だぜ! そのまま優勝しちまえよ九澄ぃー!!」

「うおおおおC組バンザーーーイ!」

伊勢弟が元気よくエールを送り、そこに津川やら堤本やらも加わってC組男子はお祭り騒ぎだった。いつの間にやら「われらが一年C組九澄大賀」「九澄絶対優勝」などという垂れ幕まで広げられている。浮かれた行動には違いないが、C組の団結力と九澄の好感度をよく表していた。

九澄、望月はそれぞれ逆方向の出口に戻って行く。はしゃいで頭上を飛び回るルーシーとクラスメートのどんちゃん騒ぎに苦笑しながら九澄は思案した。

(ふう……なんとか無事妨害できたけどほんとにこれで一件落着だったのか……? 肝心なところがバレてなきゃいいんだけど……本人が失敗って言ってたし、あの様子じゃ大丈夫っぽいかな。一回戦で"切り札"使わずに済んだし、まあ悪くない結果かもな)


####


「どうやら失敗したようだな。大口を叩いていた割にはあっけないものだ」

「そう言わないでくださいよ。それなりに収穫はあったんですから」

控え室へと続く廊下、他の誰からも見えない場所で望月は、壁にもたれて立つある男と会話していた。男はメガネをかけた大柄な中年だ。

「収穫……? ほう、なんだそれは」

「それをここで喋ったら面白くないじゃないですか。それに調べなきゃいけないことも出来ましたから、結論を出せるのはしばらくしてからですね」

「……勝手なことを……」

「ま、今日はこの大会の結果を見届けましょうよ。九澄くんならもしかしたら……あなたの教え子を食っちゃうかもしれませんよ、教頭先生」

「ありえん話だ……誰も奴には勝てん。私の"最高傑作"にはな」

教頭先生と呼ばれた男。聖凪高校の重鎮・鏡昭司は無表情のまま眼光を光らせた。


####


『さあ気を取り直して行きましょう第二試合!! 東より執行部の"捕獲人〈スナッチャー〉"滑塚亘!!』

滑塚がゆっくりと歩みを進める。表情は読みづらいがそれはこの男にとっていつものこと。彼はこの一回戦を圧勝し、二回戦で九澄にリベンジすることを誓っていた。

「おおーっ、いつもより頭が光ってるぞ! 奴は本気だ!」「後光が差してるぜ滑塚ーー!」

「うっせえ!!」

級友からの遠慮のないヤジに思わず突っ込む滑塚。

(落ち着け俺……。一回戦は問題じゃねえ、問題なのは次の九澄だ。いまいちよくわからん試合だったが奴はあっさりと勝利した……。それでこそ俺が狙うに相応しい男だ)

滑塚は大きく深呼吸し、眼の前に現れた対戦者を睨みつける。短身矮躯、悪く言うならチビモヤシ。どう見ても強そうには見えない地味な外見だ。かつては同じクラスだった滑塚はある程度この相手の力量を把握している。それなりに実力があるのは確かだが自分が負ける相手ではない――それが滑塚の見立てだった。

(秒殺で決めてやる!!)

身構える滑塚に対し、対戦相手は眉間にシワを寄せて睨み返す。闘志が溢れているというよりはむしろ苦虫を噛み潰したような苦い表情だった。

「気に入らねえよなぁ、一年のくせにゴールドプレートだなんてよ……。ズリィんだよなぁ……てめぇら執行部は……」

「はあ?」

「いつもそうだ……。いつもいつもてめぇら執行部ばっかり贔屓されやがってよ……ウゼェんだよてめぇら……マジウゼェんだ……」

男の表情がいよいよ醜く歪みだす。滑塚はそのただならぬ様子に眉をひそめるが、気圧されないためにも強い態度で応じる。

「……執行部に不満があるなら別の機会に言えよ。ここはお前の不満を書き連ねるネットの掲示板じゃねーぞ?」

「ヒヒヒ……ウゼェ……マジウゼェ……」

(こいつこんな変な奴だったか……?)

その悪態といいい表情の醜さといい滑塚の記憶にある元クラスメートとは似ても似つかない。まるで悪霊にでも取り憑かれているかのようだ。

(冗談じゃねえ、こんなのにまともに付き合ってられるか。ムカつくがとっとと終わらせてやる)

滑塚は拳を固く握り静かに息を吸った。

『滑塚亘vs兜天元、始めっ!!!』

合図が響くのと滑塚が右腕を突き出したのとはほとんど同時だった。滑塚はその場を一歩も動かず空中を「掴む」。途端、5メートル以上離れた位置にいる兜が「吊り上げ」られた。その顔面には人間の手の跡がくっきり見える。離れた対象物を自在に掴むことのできる滑塚の十八番"魔手〈マジックハンド〉"。ただそれだけのシンプルな効力ながら、掴まれた側にはどうすることもできない極めて強力な捕縛魔法である。

『おおっと滑塚選手、いきなりのマジックハンドです! しかも禁断の顔面掴み! これは痛い! 早くも勝負あったか―!?』

本来温厚で冷静な滑塚が相手を不必要に傷つけるような魔法を使うことはまずない。だが滑塚の細目からは彼らしくない程の殺気がみなぎっていた。対する兜は無抵抗のままダラリと吊り上がっている。

「おれが『ウゼェ』ならお前は『キメェ』だ……。せめて選ばせてやる。このまま何も出来ず吊られたままか一思いに地面にぶつけられるか、どっちがいい」

滑塚がいつになく好戦的な姿勢を見せる。本来の彼の性格にはそぐわない乱暴さだが、それだけ目の前の相手の奇妙な態度が気味悪かったのだと言える。だがもし滑塚が一切の遊びを見せず『秒殺』を決めていたなら――そしてそれは十分に可能なことであった――その後の展開は違っていたはずだった。

「ヒヒヒ……ククク……ハッハッハ!」

掴まれ吊り上げられたままの兜が笑う。腹の底から、おかしくてたまらないという風に。

「何がおかしい!」

「てめぇの単細胞ぶりが、さ」

その時だった。爆発のような轟音と突風が滑塚を襲ったのは。滑塚はとっさに顔面をカバーするが、体ごと吹き飛ばされ十数メートル後方に転がる。即座に起き上がった滑塚が見たものは、黒い炎のような不気味なオーラに包まれ空中で静止する兜の姿だった。

「な……なんだこいつは……!?」

滑塚の背中を冷たい汗が流れる。単に自分の得意魔法を振りほどかれたというだけではない。目の前で起きている現象は三年生執行部員である自分でさえ全く見たことがない異常なものなのだ。

「サイコーの気分だ……! 力が溢れてくる……! 俺はお前ら以上の力を手に入れたんだ……!!」

「なんだと……?」

黒い炎が徐々に収縮し、兜の本体を守るように固体に形成されていく。その姿はまるで腹の中に人間を住まわせるドクロの魔人。奇々怪々なる死の運び屋。観客が一斉にざわめき出す。

「お、おい……あいつあんな魔法使えたのか?」

「知らねーよ! 見たことねーし!」

「それよりなんて不気味な姿だ……絶対にあんなのとやり合いたくねーぜ」

そんな中、伊勢兄は隣の永井に疑問を投げかけた。

「おいありゃあ……お前のロッキーと同じ魔法じゃねえのか?」

「いや、似ているが違う……。あんな魔法は知らない……」

永井は青ざめた顔で首を横に振り、自分のバンダナを手で押さえる。

「震えている……」

「震えてる? 誰がだ?」

「ロッキーが震えているんだ!」

伊勢は永井が冗談を言っているのかと思った。



[33133] 第十六話
Name: スウォン◆63d0d705 ID:b51596ef
Date: 2013/04/04 14:55
  第十六話 掌の中の誇り


九澄大賀は控え室のモニターを食い入る様に見つめていた。今やっている試合の勝者が次の自分の対戦相手になるのだから当然だ。選手の一人は自分とも多少縁のある滑塚亘。三年生の優秀な執行部員であり、この試合における下馬評では明らかに有利なはずだった。だがその相手、兜天元が奇妙な魔法を発動したことで空気が一変する。兜は宙に浮き、その体は不気味な黒い炎に包まれている。炎はやがて4,5メートルほどの大きさの骸骨のような姿に成形されていき、兜を腹の中に抱えているような形になった。その中心で兜はニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮べている。

「なんだあの魔法……? 骸骨っぽいところなんか支部長のロッキーにちょっと似てるけど、もっとタチが悪そうだよな」

九澄は自分の肩にちょこんと乗るルーシーに声をかけた。ルーシーは「うえーんこわいよー」などと九澄の頭に抱きつく。本気で怯えているというよりも、女の子がホラー映画を見ながら彼氏に抱きついているような光景だ。その時後ろから突然声をかけられ九澄はビクッと震えてしまう。

「やれやれ、危機感が足りないなお前らは」

九澄が振り向いた先にいたのは筋骨隆々の大男。角ばった濃い顔立ちが不敵にたたずんでいる。それは九澄がよく知っている顔だった。

「こ、小石川?」

九澄は「しまった」と冷や汗を流す。ひょっとしてルーシーとの会話を聞かれてしまったのではないか。愛花や観月ならともかく、自分を敵視しているこの男に彼女のことを知られたくはない。

「ななななななななんの用だよオメー」

小石川はクスリと微笑んだ。

「そう焦るな、ボクだよ。花咲音也だ」

「へ?」

九澄は目の前の「小石川のような男」の発言に呆気に取られる。花先音也とは今は幽霊のような姿で地下の施設に引きこもっている聖凪高校前校長の名だ。

「感謝しろ、お前の醜態が見たかったんでわざわざ足を運んできてやったんだ。この男は学校の外れで黄昏れていたんでちょっと体を借りさせてもらったのさ。本来の姿でこの辺りをうろつくといちいち面倒なんでな」

「体を借りたって……じゃあ小石川はどうなっちまったんだ?」

「この男の精神なら今は眠ってもらっている。事が済んだら何が起きたのか全くわからないまま目覚めるというわけだ。お前の秘密がバレる心配はないから安心していいぞ」

「このジジイが一番タチわりーな……」

九澄は胸を撫でおろしつつも目の前の音弥 in 小石川のゴーイングマイウェイっぷりに顔をひきつらせる。敵に回すとロクな事にはならないことだけは確かだ。

「そんなことよりあの魔法、お前はどう思う?」

音弥はモニターに視線を移し、深刻さのカケラもない気軽さで九澄に問いかける。九澄はしばらく沈黙してから無表情でつぶやいた。

「……リアルじゃない」

音弥は片眉を釣り上げて九澄を見下ろす。

「わかるのか?」

「いや……うーん……なんとなく。似たようなのは前に見たことあるからよ」

「ふーん……。まんざら恥を晒しにこの祭りに来た訳じゃなさそうだな」

音弥(小石川ver.)は頬をゆるめてモニターに視線を戻す。

「ま、どこのどいつの差し金かは知らないが……お手並み拝見といこうかね」


####


滑塚亘は全身から汗を流していた。目の前で対峙すればこのドス黒いドクロの巨人のヤバさはヒシヒシと伝わってくる。少しでも気を抜けばたちまちのうちに腰を抜かしてしまうだろう。

「だからって……ビビってられっかよ!」

先手必勝。十八番のマジックハンドで本体である兜本人を直接狙う。だが黒い炎が壁となりどうしても中の本体を掴むことができない。遠隔系の魔法に対する耐性があるということだ。とはいえここまでは予想通り。

(それだけで勝ったつもりになってんじゃねえぞ!)

腰を落とし戦闘態勢に入る。黒い細目に闘志が宿る。滑塚は燃えたぎっていた。ここで自分が負ければ執行部そのものがコケにされる。そんなことを認めるわけにはいかない。

上。

滑塚が飛び退いたのは判断というよりほとんど反射だった。直後に骸骨の腕が地面に叩きつけられる。轟音が巻き起こり闘技場の床に亀裂が走る。巨体に見合わぬスピード。滑塚の背筋が凍る。

(まともに食らったらマジでヤベーな……)

執行部の捕獲人を見下ろしながら兜が不気味に笑う。

「ヒヒヒ、どうしたよ執行部? 逃げ回るしかできねえみたいだな……」

「ケッ……好き勝手言いやがって。言っとくが執行部ってのはおめーが思ってるほどお気楽な商売じゃねえんだ。体を張って学園の平和と安全を守るってことがどんなに大変かわからねーか?」

「知らねえよ……。俺が知ってるのはてめーらは気に入らねーってことだけだ!」

兜が駆け出す。骸骨の巨人が地面を蹴り猛然と滑塚に迫っていく。その時滑塚が選択した手段は、やはり自分が最も頼りにする最高の魔法、最高の相棒である"魔手〈マジックハンド〉"だった。

(できれば"この戦法"は切り札として取っておきたかったが……そうも言ってられねーようだな!)

息を一気に吸い込み、一気に吐く。実戦ではぶっつけ本番に近い。だが、やるしかない。
そうさ、俺はやれる。
俺にはできる。
さあ。
今!

兜が巨人の腕を力任せに振り下ろす。滑塚が自分の体を切るように水平に右腕を振る。
交差。
直後、巨人は反転しながら宙を舞っていた。一拍置いて巨人が地面に墜落し、鈍い音が響きわたった。
観客一同が目を丸くする。

『おおっとこれは何が起きたんだーーー!!?? 絶体絶命に思われた滑塚選手、兜選手をひっくり返してしまったーーーーー!!!』

「おおー! なんかすげーぞー!!」

滑塚は大きく息を吐き、きびすを返して眼下の巨人を見据える。巨人はしばらくじっとしていたが、ややあってゆっくりと体を起こした。巨人の腹の中で兜はその顔をますます醜悪に歪めていた。滑塚は半身になって全身の力を抜き、空を見上げた。魔法空間特有の真っ白な空。熱くもなく寒くもなく暗くもまぶしくもないこの平坦な世界で、滑塚は自分の心臓の鼓動に耳を澄ます。

(たかぶっているんだな、俺は……)

黒いドクロの巨人が迫る。今度はさっき以上のスピードだ。観客席からひきつったような悲鳴が上がる。
その強靭な手が滑塚を押しつぶそうとしたその瞬間、滑塚の体が居合い抜きのように動き、一閃。
またしても巨人の躰は放物線を描いた。ドスンという響きとともに巨人が地面とぶつかり合う。
滑塚は冷酷な目で巨人を見下ろした。

「お前は大きな勘違いをしている……。俺達執行部は贔屓やインチキで強くなったわけじゃない。大きな力を手に入れたらすぐに力に溺れてしまうお前ような奴にはわからんことだろうがな」

(俺には何の才能もなかった――)

巨人が再び起き上がる。今度は立ち上がるのではなく、四つん這いの姿勢から一気に跳びかかる。
ぐるん。
どすん。
同じ事が三度起きた。
観客は俄然沸きあがった。よくわからないが凄いことをやっている。これが執行部の実力かと。もはや会場中が滑塚の味方になりつつあった。

「こいつは一体……?」

伊勢が身を乗り出す。元執行部だけに滑塚の能力はよく知っていたが、目の前の現象はその知識だけでは理解できない。"魔手〈マジックハンド〉"は確かに向かってくる相手を手で触れることなく投げ飛ばすことも出来る魔法だ。だがあれほどの体格差、パワー差がある相手をただ掴んで投げるなどということがはたして可能なのだろうか?

「そうか、滑塚さんはただ単に魔法で掴んで投げているわけじゃない……。柔術や合気道の技術を組み合わせているんだ」

「なんだって?」

永井の言葉に伊勢は眉をひそめる。

「どんな巨体だって、動けばそこに必ず隙が生じる。相手の重心や力の方向を見抜き、瞬間的に力を加えて崩し、払う。あるいは相手の勢いを利用して投げる。直接手を触れずに魔法の手でやっているとはいえ、これは正に武術だ。といってもあの人は元々そういう武道の心得があったわけじゃない。あれはむしろ、自分の魔法を活かすために磨きぬいた技だということだ……」

「確かにマジックハンドとそういう技術を組み合わせればどんなデカブツだって投げ飛ばせるかも知れねえが……。信じられねえよ。武道の素人がそこまで辿り着けるか?」

「現実を見ろ、現にあの人はそれをやってのけているんだ!」

言ってるそばから、地響きとともに巨人がまた背中から落下した。
滑塚の頭は澄みわたっていた。もはやどこにも恐怖心はない。あの骸骨がどんな風に襲いかかってきても100%投げられる。その確信があった。自信とはコンビニで買えるような気軽なものではなく、己が地道に積んできた修練にこそ宿る。滑塚はそれを体現しつつあった。

(俺が聖凪に入った時、俺は誰よりも魔法が使えなかった。授業に付いて行くのも苦痛だった。退学だって考えたさ――)

(魔法のセンスがまるでなかった俺は、たったひとつの単純な魔法に活路を見出した。俺が初めてまともに習得した魔法――俺の相棒、"魔手〈マジックハンド〉”)

(俺にはこれしかなかった。ただ『掴むだけ』の曲芸みたいな魔法。俺はこれを磨くしかなかった。どんなにバカにされようと、笑われようと――)

――なあ滑塚、お前も執行部に入らないか?

――馬鹿言わないでくださいよ先輩、俺みたいな落ちこぼれがあんなエリート集団で何が出来るんですか

――馬鹿を言ってるのはお前のほうさ。お前のその魔法、執行部のためにあるようなものじゃないか

――だけど俺にはこれしか出来ません

――かもな。だがお前は"誰よりも上手く"それが出来る。それで充分さ

――それにお前は最高の努力家だ。お前は決して慢心で傲慢になったりはしないだろう? それが執行部員にとって一番大事なことなのさ

――自分を信じてみろ、滑塚。執行部はお前を歓迎する

(俺は見つけた。自分の居場所、自分の力を活かす場所。あれ以来俺は誓った。俺は俺にできることをやる。何があろうとも――)

(俺はこの居場所を守る。そして執行部員としてこの学校の平和を守る。それが先輩たちへの恩返し、後輩たちへと遺せるもの――)

(執行部には本物の天才がいた。俺はいつか、あの天才にだって勝ってみせると誓った。努力が天才を上回ることだってあると証明するために――)

(だから――)

(だから――!!)

「お前なんざに……負けちゃいられねえんだよォッッッッ!!!!」

投げる。
投げる。
投げる。
投げる。
投げる。
投げる。
何度でも。
投げる。
投げる。

どれほど続いただろう。延々と繰り返された攻防の果てに、滑塚の体力に僅かな乱れが生じ始めた。それは人間が決して避ける事の出来ない「疲れ」という名の制約。失速と呼ぶには余りにかすかなほころび。
この戦いにおいて、それは致命的だった。

――どん。

人身事故と同じ音。
巨人の腕が滑塚を叩き飛ばした。
宙を舞い、一回転、二回転。背中から落下。流血と全身打撲。脳震盪。
たった一度の失敗が、全てをぶち壊した。

『な、滑塚選手、凄まじい飛距離を吹っ飛んでしまいました! 見るからにダメージは甚大です! これはもう……勝負あったのではないでしょうか!!?』

実況が叫ぶ。誰にもその言葉を否定出来ないほど、滑塚は見るからに酷く傷ついていた。闘技場の隅で医療班が突入の準備を整える。彼らが結界内に入ればそれと同時に試合は終了する。
震えながら、満身創痍の男が立ち上がった。今にも崩れ落ちそうなおぼつかない動きで、うつろな目で。フラフラと、フラフラと、ただ終わることを拒否するかのように。

「負け……られねえ……。こんな……ところで……」

もはや兜は走らなかった。滑塚のダメージを値踏みしながらゆっくりと歩を進める。その姿は処刑台の囚人に向かって歩く執行人と何ら変わらなかった。

「シネ」

兜が楽しそうにつぶやいた。
巨人の腕が、ぜんまい仕掛けの速さで大きく振り上げられる。

「ちく……しょう……」

もはや滑塚の腕はぴくりとも動かなかった。どうにもならない。それでもなお、負けたくなかった。負けを認めたくなかった。

(ごめん――先輩――)

『勝負ありっっっ!!!!!』

巨人の腕が振り下ろされるより前に決着が宣言された。安全を最優先した当然の処置。
同時に滑塚が崩れ落ち、膝をつく。彼は失神していた。
兜はとどめを刺せなかった不満からか、勝ったとは思えない憮然とした顔で魔法を解き、一言も発さず歩いて退場していった。医療班に囲まれる滑塚を一瞥することは決してなかった。
観客席はずっと凍りついたままだった。


####


「……お、俺次あんなのとやるの……?」

九澄が震え声で顔をひきつらせる。それを見ていた小石川――じゃなくて音弥は鼻で笑って九澄を見下した。

「ああそうだ。チビったか?」

「チビらねーよ!」

「大賀ならあんなのラクショーだもん!」

ルーシーが眉を吊り上げて割り込む。

「それも根拠全くねーけどな……」

九澄は溜息をついたが、すぐに顔を引き締めてモニターに視線を戻した。

「まああんなのとゼッテーやりたくねーけどよ、本当なら」

九澄は汗を垂らしながら苦笑する。

「なんとかするっきゃねーよな、実際」

その顔は本気で怯えているという風に見えるものではなかった。



[33133] 第十七話
Name: スウォン◆63d0d705 ID:b51596ef
Date: 2013/04/10 19:49
  第十七話 一回戦終了、そして


『全校生徒の期待と共に開かれたこの大会! 一回戦第一試合では怪物一年生九澄大賀が無傷の楽勝! 第二試合では伏兵兜天元が魔法執行部の滑塚亘を剛力でもって粉砕してみせました!』

第二試合である意味「ドン引き」した観客を温め直すために実況が声を張る。

『そして続くは第三試合! この試合の勝者があの執行部長・夏目琉へと挑戦する大注目の一戦です!』

浅沼耀司は控え室で体を伸ばし準備運動に念を入れていた。しかし表情は落ち着き払っており、そのリラックスした様子からは一切の緊張は伺えない。

「勝算? やだなあ、勝算なしに参加はしないよ。」

浅沼は燦々とした爽やかな笑顔で新聞部のインタビューに答える。

「確かに夏目くんは本物の天才だよね。けど才能で勝ってる人がいつも勝つんじゃあ世の中面白くないでしょ。ま、僕だって努力と根性で売っていくタイプでもないけどさ……そうだね、あえて言うなら傾向と対策、それが鍵なんじゃないかなあ」

「つまりどんな奴にも弱点はあるし、それを突く方法は存在するってこと。そこを理解せずにただ闇雲に頑張ったって結果はついてこないよね」

「うん、そう。夏目くんを打ち破る算段はもうついている。100%勝てるとまでは言わないけどね。そこはね、信用してくれていいよ」

「え? 新宮くんについて? あはは、彼みたいな奴は嫌いじゃないよ。前時代的でさあ、なんか見てて面白いよね。けど彼ほど弱点がわかりやすい人もいないでしょ実際」

「うん、新宮くんがどう戦うかに関してはもうみんな知ってるからさ。彼への対策を立てるのは中一の計算問題を解くより易しいことだったよ」

「色々シミュレーションしてみたけど……どう考えても、僕の勝ち以外はありえないかな」

浅沼はそこまで話した所で係員の呼び出しに応え話を終えた。そしてちょっと買い物に行ってくるとでもいうような自然な足取りで闘技場へと出て行った。

『東より入場は浅沼耀司!!』

闘技場の中央近くまでやって来た浅沼は、腰に手を当てて観客席をゆったりと見回した。なるほど、確かに一年生まで含めたほぼ全校生徒と一部の教員までもがこの大会を観戦している。愛しの百草先生までいるではないか。

「やっぱやる気出ちゃうよな―これ」

自然と頬がゆるむのを抑えられない。自分はこんなにも魔法バトルが好きだったのかと少しばかりの驚きもある。悪い気分ではなかった。

(やっぱり聖凪はいい……評価されるのは自分の能力だけ。だれも僕の"家"のことなんか気にはしない)

浅沼は古い町の名士と呼ばれる家に生まれた。跡継ぎとして大事に育てられた彼は町の誰からも特別扱いされた。小学校や中学校では教師ですら彼にへりくだり媚を売った。彼らは浅沼耀司本人を尊敬していたのではなく、ただ彼の"家"を恐れていただけだ。彼にはそれが我慢ならなかった。
父の勧めを蹴り自ら聖凪への進学を選んだのは、少しでも自分の町から離れた遠くの高校に通いたかったからだ。入学してからそこが魔法学校だと知り己の幸運に感謝した。ここでは誰も彼の家柄など気にしない。大事なのは魔法の実力だけ。本当の実力主義の世界だ。それこそ浅沼の求めていたものだった。ここで自分がどれほど救われたか、他人に話してもわかるまい。浅沼は学校そのものを人生の恩人だと思っている。

(今日は聖凪に恩返しをする日だ。最高の試合を観てもらうことで)

浅沼の前に新宮一真が歩みを進めてきた。思った通りその顔からは並々ならぬ自信が溢れている。

『西より新宮一真!! パワーの"鉄腕"と変幻自在の"幻影"!! 全くタイプの異なる二人の凄腕がここで激突します!!』

浅沼は新宮を足先から頭までじっくりと観察する。身長、体重、コンディション全て事前の下調べ通り。何も問題はない。そう結論づけた。

『始めっ!!』

合図と当時に新宮が足を肩幅に広げ若干姿勢を低くする。そして両手を腰の高さに構え眼をカッと見開く。一気に爆風のような風が新宮の周囲に広がり、浅沼がわずかによろめいた。
風が収まったあとには先程と変わらぬ姿の新宮の姿。いや、そこには微妙な、しかし確かな変化があった。全身がかすかに赤っぽく変色し、各所の血管がわずかに浮き出ている。そしてただでさえ鋭い眼光は、今にも獲物を狩ろうとする獣のようにギラついていた。

「やれやれ……君はつくづくワンパターンだな。またパワーが上がっているようだけど、いつまでもそんな単純な手でやっていけるほど世の中甘かぺ

浅沼の言葉が終わるより早く、新宮の拳が顔面を撃ち抜いた。浅沼はそのまま十数メートル吹っ飛び轟音とともに壁に激突した。

『き、強~~~~~烈ぅぅぅぅぅ!! 新宮選手の鉄拳がいきなり炸裂したァァァァ!!! 早くも勝負あったかァァァァァ!!!???』

伊勢も永井もこれには唖然とするしかない。

「は、はええ……なんてスピード、そしてパワーだ……。ひょっとしてさっきの骸骨よりもパワーあるんじゃねえか?」

「さあな……そこまではわからんが、俺達が知っている頃のパワーよりも数段上なのは間違いない。どうやらあれ一本で頂点を獲るつもりらしいな」

「"身体強化魔法〈パワー・レインフォース〉"……か……。ある意味イカれてやがるぜ、あんなやり方で勝ち抜くつもりだなんてよ」

一方控え室の九澄もこれには目を丸くするしかなかった。

「なんだありゃ、魔法なのか? ただ殴っただけじゃねーか……」

小石川ボディーの音弥が口の端を吊り上げる。

「その殴っただけというのが大問題だ。何のヒネリもない原始的な身体強化魔法、まさに最も単純で最も扱いづらいバカ専用魔法だ。それ一本をあのレベルまで極めた男などそうはいまい」

「え? 単純にパワーアップできるならめっちゃ扱いやすいじゃねーか。なんでみんな使わねーんだ?」

「世の中そう甘くないぞ。単純で習得しやすく、しかも強力……そんな魔法がノーリスクで存在すると思うか? あの魔法の最大の欠陥は、何より自分の体への負荷が尋常ではないということだ。大きなパワーを発揮するほど反動で体はガタガタになる。最悪壊れてしまいかねないんだよ。まあ普通はそこまでの出力を出せるようになる前に、欠陥に気付いてとっとと捨ててしまうけどな」

「じゃああいつはそんな反動承知でやってるってことか」

「それだけじゃないぜ。そもそも人間ってのはいきなり身体能力が何十倍になったとしてもそれをうまく扱えるはずがないんだ。走るために地面を蹴るのだって、無意識にできるのは自分のパワーを自分で把握しているからさ。突然スーパーマンになったところで自分のパワーに振り回されてまともに動けやしないんだよ、普通だったらな」

「ってことはあいつは……」

「ああ、反動による苦痛なんて百も承知で何度もあの魔法を使い、自分の体を酷使してあのパワーを活かす技術を身につけたってとこだろう。まったく、清々しいほどの馬鹿にしか出来んことだ」

九澄の脳裏に、以前新宮に素のケンカで圧倒された記憶が蘇る。あの時は驚いたが、それほどの過酷な訓練を積んでいる男ならあの強さも当然ではないか。
九澄はモニターに視線を戻す。浅沼は砂煙の中。しかしあのパンチを食らって平気だとはとても思えない。

「!!」

しかし浅沼は砂煙の中から悠々と現れた。その綺麗な顔には傷ひとつついていない。表情は余裕そのものだった。

「やれやれ、だからおめでたいと言ってるんだ。いくら強力なパワーがあっても、手口がバレている以上対処法なんていくらでもある」

浅沼は人差し指を立てて自分の優位を講釈する。

「言っておいてやろう。君の"鉄腕"じゃあどうやっても僕には勝てない。痛みすら与えられないよ」

微笑む浅沼。新宮はというとさほどショックを受けているという風でもなく、口を真一文字に結んだままゆっくりと浅沼に近づいていく。まったくもって無防備に、普通に歩いて接近する両者の姿に会場中が息を呑む。
顔と顔とが30センチほどの至近距離。
先に動いたのはやはり新宮だった。
ボディブロー。
浅沼の背中が拳の形に盛り上がる程の一撃。
さらに同じ腕で顔面へのアッパーカット。
浅沼の頭がまず吹っ飛んで首がぐいーんと伸び、あとから引っ張られるように体も飛んでいって地面に落下した。

(((……なんだ今の?)))

会場中の皆の頭に浮かんだ疑問。たしかに強烈なパンチだった。しかし今の浅沼の吹っ飛び方は明らかにおかしくないか。だってほら、「首が伸びた」。
数秒の間を置いて浅沼が平気な顔で起き上がる。新宮は呆れたように眉をひそめた。

「このパクリ野郎が」

「パクリ野郎とは心外だな。これは僕の『完全オリジナル魔法』だよ。第一キミの戦法こそオリジナリティのカケラもないじゃないか」

浅沼は両手で自分の頬を掴み、引っ張った。するとそれは引っ張られるままぐいーんと伸び、顔の面積が四倍ほどになる。

「"全身をゴムのように柔軟に"変化させることで"あらゆる打撃、衝撃を無効化する"身体変化魔法……その名も『ラバー・ラバー』!!!」

どん!!! という効果音を背負って浅沼が胸を張った。

『パ、パクリだーーーーーーーー!!!!』

実況が悲鳴のように叫んだ。

『これはちょっと色んな意味でマズイんではないでしょうか!!?? いえしかし、新宮選手にとっては極めて厄介な戦法であるということは間違いありません!!』

浅沼は雑音など無視して半身になり拳を構える。

「そしてここからが僕の素晴らしい『オリジナル戦術』の真骨頂……! ラバー・ラバー……」

「銃〈ピストル〉!!!」

「ぶ!!」

浅沼が拳を突き出した瞬間、その腕が一気に伸び新宮の顔を撃ち抜いた。
新宮はとっさにバランスを取ってダウンを回避する。しかしその頬には拳の跡がはっきり見て取れた。

「と」「ラバー・ラバー・スタンプ!!!」

蹴り上げると同時にその脚が伸び、足の裏が新宮の顔面にめり込む。

「バズーカ!!!」

両腕を同時に後ろに伸ばし、走って新宮に接近。至近距離で一気に腕を縮めその反動で胴を撃ち抜く。これまでで最大の打撃音が響き渡った。

「ラバー・ラバー……、銃乱打〈ガトリング〉!!!!」

腕がいくつにも見えるほどの高速のパンチ連打。新宮は全身に拳を浴びまっすぐ後方に吹っ飛んだ。そのまま仰向けで地面を数メートル滑り静止する。

「ふっ」

どや顔の浅沼。顔面蒼白の実況と観客。何やら見てはいけないものを見てしまったかのようなこの凍りついた雰囲気ときたら。

『き、決まったァァァァァ浅沼選手の連続攻撃!! さしもの新宮選手も深刻なダメージは免れないか!!??』

気を取り直して力強く仕事を再会する実況。正にプロ。(高校生だけど)
しかし新宮、さほど痛手を負ったふうでもなく泰然と立ち上がる。少々打たれた跡は残っていたが、ダメージがあるようにはとても見えない。

「しょせんパクリはパクリか。本家のパワーはまるでねえな」

小馬鹿にしたように笑う新宮。一方の浅沼も別にショックを受けているわけではないようだった。

「なるほど、さすがにこれだけで倒れてくれるはずもないか。ま、いずれにしても君が僕にダメージを与えるすべはない。逆に僕は他にもまだまだ君を負かすために使える魔法がある。勝敗の行方は火を見るより明らかだよ」

厳然たる事実。浅沼に新宮の攻撃は効かない。それはパワーの量が問題なのではなく根本的な相性の問題だ。である以上どう転んでも新宮に勝ち目はない。

「フン」

新宮が踏み込み、一気に距離を詰める。一瞬全身の力を抜く。全く回避行動を取らない浅沼に対し裏拳のようなモーションで右腕を鋭く振り、空を切る。

「……? 止まっている相手にも当てられないのかい?」

浅沼が鼻で笑う。だがその直後、その頬から一筋の鮮血が垂れ落ちる。

「!?」

一拍遅れてそれに気付いた浅沼は唇を震わせ自分の頬を撫でる。指に付着した赤い液体は間違いなく自分の血であり、自分の顔の傷から流れているものだった。浅沼の目はこれ以上ないというほど驚愕で見開かれている。

「そ、そんなバカな……」

「別に大したことはやってねえよ。ゴムってのは斬撃には弱いんだろ?」

新宮は手の平をヒラヒラさせおどける。そしてもう一度脱力してムチのように体をしならせ、腕を振る。腕先が見ないほどの瞬速。今度は浅沼の肩口が斬れた。

「…………ッ!!」

今や浅沼の全身から汗が吹き出していた。先程までの余裕はどこにもない。

「そうか、手刀だ! 手で"殴る"のではなく"斬る"……あの人らしいやり方だ」

永井が唸る。伊勢は脂汗を流し「その手があったか……!」と驚愕していた。

「さてと……まだやるか?」

獲物を前に舌なめずりする獣のように笑う新宮。

「い、いや……やめとく」

浅沼は引きつり笑いながら両手を中途半端に上げあっさりと降参した。

『決っちゃーーーーーーく!!!!』


####


『九澄大賀! 兜天元! 新宮一真! 夏目琉! 以上にて準決勝に進出する4名の顔ぶれとなりました!! 準決勝は午後一時にスタートしますのでそれまで休憩時間と致します!』

実況のアナウンスとともに生徒たちが続々と席を立ちバラバラに動いていった。学食やパン購買は大混雑するだろう。柊愛花は友人たちに話しかけ、九澄のところへ激励に行こうと提案した。観月だけは少し渋ったような顔をしたが、結局はその場の4人全員で控え室へ向かうことになった。
愛花たちが九澄の控え室の前に着いた時、既にC組団体ご一行と一年生執行部の面々が部屋を占拠していた。

「九澄ィィィ! 絶対優勝しろよォォォ!」

「分かったからくっつくなっつ~の!!」

なぜか伊勢弟が九澄に抱きついて当の九澄に頭を押しのけられている。お馴染みのメンバーがその光景を見ながら笑っていた。愛花も釣られて笑顔になる。なぜ部屋の片隅に小石川がいるのかはよくわからなかったが。

「九澄が優勝したらC組が聖凪優勝ってことだよな?」

「ばっかオメーそりゃ九澄1人だけだろ最強なのは」

「でもよー準決勝の相手は手強そうだぜ」

「ヘーキへーキ!! あんなデカブツ九澄ならラクショーよ! な?」

(勝手なことばかり言ってんじゃねー!)

九澄はほとんど涙目になりながら周りの勝手な盛り上がりに頭を痛めていた。本当は次の相手への対策をじっくり練りたかったのだがこれではそれどころではない。

(まあ大体やることは決まってんだけどよ……)

どうせ自分の取りうる作戦などほとんど選択肢はない。今から不意打ちに行くのでもなければ、あとはせいぜい細かい手順を考えるぐらいだが、そんなものはいくら詰めても現場の状況でいくらでも動いてしまうものだ。結局のところベストコンディションで臨む以外にやるべきことなど今はないのかも知れなかった。

「そら、愛花、愛花」

愛花は後ろから声をかけられ振り返る。すると久美とミッチョンがニヤニヤと下卑た笑みを浮かべていた。

「あれ持ってるんでしょ~? 渡してあげなよ~」

「ちょ、ちょっと、いきなりなんなの」

「あれれ~持ってないの~? それじゃあそのバッグはなんなのかなぁ~?」

久美とミッチョンはますます意地悪そうに笑いをこらえる。愛花をからかうのが楽しくてたまらないといった様子だ。

「うう……わかったってば……」

愛花は顔を赤くして遠慮がちに人混みをかき分けていく。持ち前の押しの弱さのおかげで少々時間がかかったがなんとか九澄の前まで辿り着いた。

「あ、あの~九澄くん」

九澄が振り返ると、愛花がちょこんと立っていた。何やら照れているような、遠慮しているような伏し目がちの直立姿勢で、小さなカバンを両手で下げている。すると愛花はそのカバンをサッと九澄の目の前に差し出した。

「お、お弁当作ってきたの。良かったら……どうぞ」

「お お お弁当!!??」

それはまさしく輝いていた。九澄にとってこの地球上に並び立つもののない究極の料理、それが愛花の手作り弁当である。これに比べたらどこぞの美食親父の至高のメニューなどカスにすぎない。なんちゅうもんを、なんちゅうもんを作ってくれたんや……。

「そ、その……試合前にあんまり食べないほうがいいんなら別にいいんだけど……ほら、クラスマッチの時喜んでくれたからつい」

「うおおおおおマジありがとな柊!!! 全部食うから!! 今食うから!!」

九澄は感涙にうちひしがれた。最近こういう嬉しいイベントが全然なかったから感動もひとしおである。周囲では大門が引きつった顔で歯ぎしりし、それ以外の連中はヒューヒューなどと二人をはやし立てていたが、九澄がそれを気にするはずもなかった。

「あれ、そういえば観月さんどこ行ったんだろ」

最初にそのことに気付いたのは久美だった。一緒にこの部屋に来たはずなのにいつの間にか見当たらない。

「さあ……トイレかなんかなんじゃ」

ミッチョンが冷静に答える。確かにそれぐらいしかふらりといなくなる理由がない。久美は「ならいっか」と納得した。


####


(駄目……やっぱりあんな化け物に九澄が勝てるわけない……! 絶対にボロボロにやられちゃう!)

観月は廊下を駆けていた。居ても立ってもいられなかった。あの控え室にいるのは辛すぎる。あんな作り笑顔の九澄を見るのは。

(あいつきっと無理をしてるんだ……みんなを不安がらせないために……いつもいつもそうやって一人で抱え込んでいたんだ……!)

観月は九澄の秘密の核心に辿り着いたわけではない。しかし彼が実は魔法を自由に使えないということはほとんど確信していた。二重人格なのかそれとも何か他の条件があるのか、はっきりしたことは分からないが、いずれにせよ普段のあれはある種のハッタリなのだ。一回戦、九澄は自分からは魔法を一切使わず相手の魔法を破って降参させてみせた。あんな手を使ったのはきっと他に方法がなかったからだ。恐らくなんらかの魔法アイテムか何かを使ってその場を切り抜けたに違いない。

(だけど次は駄目……! あんな化け物、工夫してどうこうなるなんて相手じゃない……! ヘタしたら……ヘタしたら最悪……。嫌! 考えたくない!)

今にも涙がこぼれてきそうだった。どうしてあいつは何も話してくれないのか。あたしなら力になってあげられるのに。九澄の秘密ならなんだって守ってあげるのに。

(本当は分かってる……。あいつはあたしのことなんて全然意識してないってこと……。まるっきりあたしの空回りだってこと……)

(だけど……それでもあたしはあいつを守りたい! あいつを守るためならあたしは……あたしはなんだって出来る!)

観月は廊下の隅の控え室に飛び込む。そこは九澄の部屋ではない。部屋の扉には『兜天元』と書かれている。
部屋の片隅に一人で座っていた兜が観月を睨み上げる。その青白い顔と濁りきった目つき、ひび割れた唇はおよそ健康な人間のものではなかった。
観月は一瞬怖気づくが、すぐにつばを飲み込み拳を握る。そしてかすれるような声で叫んだ。

「あたし、なんでもします……! だから次の試合、棄権してください!!!」



[33133] 第十八話
Name: スウォン◆63d0d705 ID:b51596ef
Date: 2013/04/30 23:32
  第十八話 仕組まれた告白


観月の前に痩せこけた男がのろのろと近づく。その目は瞳孔が開き、その肌はカサカサに荒れ果て、その足取りは今にも倒れそうなほど不確かだ。男は観月の目の前まで接近すると、その感情の読めない爬虫類のような不気味な目でジロジロと全身を観察する。観月の背筋に寒気が走る。背丈は観月と変わらないほど小柄な男――兜は眉をひそめ口を歪めた。

「なんでもするから棄権しろ? どういう意味だ?」

「そ、そのままの意味です。次の試合、九澄大賀とは戦わずに棄権してください」

観月は兜と目を合わせないように部屋の隅を見ながら返答する。その声は完全にこわばりひきつっていたが、なんとか最後までしゃべりきることができた。兜はその様子を見て腹から声をすすり出すように笑う。

「ヒ、ヒ、ヒ、えらく好かれてんだなああのガキは……。てめえあいつのオンナか?」

「そ、そんなんじゃありません! ただの友達です!」

「友達ぃぃい? そんなもんのためにそこまでするわけがねえだろうに……。健気だねぇ恋する乙女は」

観月の顔がかあっと熱くなる。認めたくない事実。それでももう自分の中で答えは出ていた。そのとおり、ただの友達ならここまでするはずがない。今や観月にとって、九澄の無事は自分の身より大事なのだった。

「だがてめえみてえな可愛いオンナを好きにできるってのは悪い条件じゃねえな……」

兜が目を細める。観月は唇を目一杯噛んで恐怖と動悸を抑えこむ。今にも呼吸が暴れ狂いそうだった。脚は震え、視界が定まりなくグラグラと揺れ始める。

「その辺にしておけ」

背後から男の声が聞こえたのは突然だった。兜は目を見開き顔を歪める。

「あぁ!?」

兜は明らかに観月の背後のその男を睨みつけていた。観月は脚の震えを抑えこみ、息を殺しながら後ろを振り向く。そこにいたのは観月にとって馴染みがあるとは言えない顔だった。

「てめえには関係ねえだろ、夏目……!」

夏目と呼ばれた男が余裕の笑みを浮かべる。

「関係無くはない。お前と九澄の勝者が決勝で俺と戦うんだからな。それにここは俺の控え室のすぐ隣だ。気付かないわけがないだろう?」

魔法執行部部長夏目琉。兜とは全てにおいて対照的な、長身で堂々たる体躯と精悍な容姿を持つ好青年がそこにいた。

「俺の首が欲しいんだろう? だったら余計なお遊びは止めておけ。第一、執行部長の立場としても聖凪の敷地を三文ポルノの舞台にされてもらっては困るな」

「ち……! 教師どものイヌが調子づきやがって……!」

兜の顔が醜悪に歪む。あからさまな憎しみと殺意を隠そうともしていない。だが対峙する夏目はあくまで冷静だった。

「調子づいているのはどちらだろうね。滑塚に勝ったぐらいで執行部に勝ったなどと思わないことだ。そう、この俺に勝つまではな」

「ククク……! いいぜ、九澄を血祭りにあげたら次はてめえの番だ……!! 滑塚みてえに優しく扱ってもらうと思うなよ……!」

醜く笑う兜と余裕のたたずまいの夏目。二人の会話は完全に観月をスルーして進んでいた。観月は居ても立ってもいられず夏目に詰め寄る。

「あ……あの……!」

「さあ君もこんな場所はとっとと立ち去るんだ。こんな腐った奴と同じ空間にいたら君のような美人まで腐ってしまうからね」

「きゃ……!」

突然夏目は観月の手首を掴み強引に引っ張った。そしてそのまま観月を連れて控え室を去ってしまう。跡には苦々しく立ち尽くす兜だけが残された。

「あ、あの、離してください!」

通路をずいぶん進んだ後で観月は夏目の手を強引に振り払った。そして足を止め夏目を睨み上げる。

「どうして邪魔をするんですか……!?」

「邪魔? 俺は君を助けたんだよ?」

夏目が肩をすくめる。

「だけどあたしが……あたしがああしなかったら九澄は……」

「なるほど……彼も随分と愛されたものだな。つまるところ君は彼が奴に勝てないと思っているわけだ。しかし君は知っているのかい? 彼の本当の実力を」

「あ、あなたは知っているんですか!?」

九澄は魔法を使えない。少なくとも自由には使えない。それが観月の結論だ。あるいは執行部長ともなればその事実を知っているのだろうか。それとも自分の知らないもっと大きな秘密が九澄にはあって、それを知っているということなのだろうか。
だが夏目の答えはあまりに意外なものだった。

「知らないね。彼のことなど俺は何も知らない」

「え……?」

観月は呆気にとられる。

「彼がどんな魔法を使いどれほどの力量を持っているか……俺は何も調べていないし、調べようとも思わない。彼が兜に勝てるのかどうかなんて全く予想する気はないよ」

「そんな……同じ執行部なのに……」

「俺が知っているのは彼が怪物一年生と呼ばれているということと、前にうちの滑塚に勝ったということぐらいだ。だがそれだけわかっていれば相応のやり手だと理解するには充分だろう? 本当の実力は俺自身が確かめるさ。もし彼が決勝まで上がってこれたらね」

夏目は観月に顔を近づけ、その艶やかな茶髪をそっとかき分ける。観月は夏目の突然の行動に驚いてしまい何の抵抗もできない。

「だから余計な邪魔をしてくれちゃ困るんだ……。彼と兜、どっちが勝つかなんて俺は知らない。だがこれだけは言える。強いほうが勝つ、勝ったほうが強い。どちらも同じ事だ。勝ったほうが最強の挑戦者として俺に挑む。俺を、楽しませてくれる」

さらりとそう言ってのける夏目の冷たい目。瞬間、観月はビクリと全身をこわばらせる。

「楽しま……? まさか、それだけのために……?」

「他に何がある? 彼が兜を倒した時、初めて彼は俺に挑むにふさわしい資格を得るんだ。なのに不戦勝なんかじゃつまらないじゃないか」

その時観月には、この彫刻じみた端正な顔立ちの執行部長があの不気味な男と変わらないぐらい――あるいはそれ以上に得体の知れない存在に思えた。

「で、でも九澄は……」

観月が言い終わるより先に夏目が観月の頭を両手でそっと挟む。まるで口づけの準備をするかのように。そして薄く微笑む夏目の目がかすかに紅く光ったことに観月は気付かなかった。

「さあ、『君はここに来たことなど忘れるんだ』そして『心置きなく九澄大賀を激励してやりなさい』それから……そうだな、こうしよう。『彼に君の想いを伝えてあげなさい』きっと彼も喜んでくれるだろう」

一つ一つの言葉が急速に観月の心に広がっていく。まるで言霊が精神を塗り替えていくかのように。

「九澄に……あたしの気持ちを……」

観月の瞳からは光が失われ、ただ夏目の瞳の紅い光だけをぼんやり映す。

「そう、いい子だ……」

観月はその場にずっと立ち尽くしていた。目も口も半端に開かれたまま全身ピクリとも動かない、抜け殻のような少女がそこにいた。どれほどそうしていただろう。暗くも明るくもない曖昧な光の世界の中から、不意に観月は我に返った。

(あ、あれ……? あたしこんな所で何してるんだろう……?)

そこは控え室がある会場通路の真ん中。周囲には誰も居ない。観月は頭を振って両手で頬を叩くが、意識ははっきりとしているのに頭の中はひどく乱雑になっている。

(ええっと確か九澄の控え室を飛び出して……それからどうしたんだっけ……?)

九澄、その単語を思い出した途端に頬が熱くなる。胸の鼓動が加速していく。

(そうだ……あたしはあいつを激励してあげるんだ……。そして……そして、告白するんだ、あたしの本当の気持ちを)

目の前で両の拳を握る。もう迷わない。

(あたしは、九澄が、好き)


####


「九澄選手、時間ですよ」

係員の二年生に呼び出され、九澄はスッと立ち上がった。そして自分を取り囲んでいた友人たちに目配せする。

「ぶちかましてやれよ九澄ーー!」

「負けたら承知しないかんねー!」

(ったく、みんな人の気苦労も知らねーで勝手ばっか言いやがってよ)

九澄は心のなかで悪態をつきながら頬を緩める。

(悪くねーよな、こういうのも)

一歩一歩足を進める。心拍が否応なしに高まっていく。
これは恐怖か? もちろんそうだ。
それとも高揚か? それも正しい。
戦うこと自体は好きではない。中学時代はケンカ屋などと呼ばれたが、しょせん身に降る火の粉を払っていただけだ。自分から殴り合いがしたくて仕掛けていったことなど一度もない。だが自分は今、己の力を試そうとしている。それも失敗すれば大怪我は免れない状況で。明らかに昔の自分とはどこか変わってしまっている。
だけどそんな自分を無邪気に応援する級友達の声を聞いていると、自分が今もまだ自分のままだと実感できる。九澄はこの曖昧な心境に不思議な心地よさを感じつつあった。

(それに、柊だって応援してくれてるんだからな)

想い人が自分のそばについているというだけで、なんだって出来そうな気がしてくる。結局男という生き物はそういうものなのかもしれない。
通路の先に闘技場の風景が広がる。もう少しで戦いの地に入る。その時九澄の目に、通路の出口前で逆光に照らされている人影が写った。

「観月?」

九澄にとって馴染み深い少女がそこにいた。近づいてみれば彼女は何やら頬を赤く染め、こちらをチラチラと見ながらもじもじと胸元で指を動かしている。何か言いたいことがあるけど言いづらい、そんな雰囲気だ。九澄はそれを見て無意識に微笑む。

「おめーも応援しに来てくれたのか? マジサンキューな」

「バ、バカ! 別にお礼なんて言ってくれなくていいわよ! す、す、好きでやってることだし」

観月はいかにも彼女らしい剣幕でまくし立てソッポを向く。そんないつも通りの仕草を見て九澄の緊張がすうっと緩んだ。

「なんか俺って、観月のそ~いう照れてるとこ見るの結構好きだな」

「なななななななな何言ってるのよ! べべべべべべ別にそんなこと言われたって嬉しくなんか……」

そこまで言ったところで観月が言葉に詰まる。そして顔をプイとそらして小さくつぶやいた。

「う、嬉しいわよ、バカ」

今や観月の顔はトマトもかくやとばかりに赤く染まりきっていた。九澄はクスリと笑って「ありがとな」とささやいた。

「じゃあ俺……」

九澄は軽く手を振って観月の前を横切る。
その時だった。背後から何かがドシンとぶつかり、九澄の胸をぎゅっと抱きしめてきたのだ。その力は万力のように強く、それでいてその感触はマシュマロのように柔らかい。

「み、観月!?」

九澄の声は裏返っていた。観月はますます力を強めて九澄に一歩も進ませない。首を曲げてなんとか後ろを向くと、観月は九澄の背中に顔をうずめていて、その赤茶色の艶やかな髪だけが見えていた。その光景を理解するとやおら背中に感じる二つの柔らかい膨らみの感触をリアルに意識してしまう。

「どどど、どうしたんだよ観月」

観月は震えるようなか細い声で答える。

「勝たなくてもいい……負けてもいい……だから無茶はしないで……無事に帰ってきて……」

「観月……」

「あたしは……あたしはあんたのことが、好きだから」

「へっ!?」

観月がばっと九澄から離れる。九澄は思わず体ごと後ろを向き、半身で目を逸らしている観月と向き合う。観月は九澄をチラリと見るなりズカズカ接近して九澄の背中を突き押した。

「返事は後で聞かせなさいよね!! ほら、さっさと行く!」

「お、おう!?」

その勢いで通路の外に出てしまう九澄。歓声が一気に膨れ上がり、一年C組の集まる一角からは鳴り物まで響き出す。

「み、観月……俺……」

九澄が後ろを向いた時、もう観月は背を向けて走り去っていた。小さくなっていく観月の背中を見つめながら九澄は心臓が今まで以上にバクバクに脈打っていることに気づく。

(おいおいおいおいおいおいマジで!? 観月が!? そんなそぶり全然なかったじゃねーかよ!?)

呆然としている九澄を見て、さっきからずっと黙って成り行きを見ていたルーシーがはあ~っと溜め息をつく。

「大賀ってばドンカンすぎー。尚っちがかわいそー」

「ええええお前知ってたのかよ!!??」

「ほらほら今はあたしとイチャイチャしている場合じゃないでしょ! アイツをなんとかしないと!」

ルーシーは九澄の背後を指差す。そちらを向けばそこには小柄で不気味な雰囲気の男、兜天元が立っていた。

「お、おう……観月のことはとりあえず後だな……」
(いやいやいやいやそんなこと言ってる場合か!? どうすんの俺!? どうすんの!!??)


####


観月は通路の隅にいた愛花に目を留めた。どうやら先程の一部始終を見られてしまっていたようだ。口を半端に開けたまま呆然と立ち尽くしている。観月は愛花の目前に近づいて笑顔を作る。

「応援……してくれるよね」

「う……、うん」

ああ、あたしはなんてずるいんだろう。愛花の気持ちを知っていて、しかも本人がそれをはっきり自覚していないことまで知っていてこんな卑怯なことを聞いている。きっと友達思いで優しい愛花ならうんと答えてくれると思ったから。そして一度そう答えてしまえばその言葉が彼女の枷になるから。

(あたし……本当に卑怯者だ……)

それでもいい。誰かが言った、恋と戦争ではどんな手段も許されると。観月はそうすると決めた。


####


愛花は自分がなぜこんなに動揺しているのかわからなった。男嫌いだったはずの親友が恋をするのは素敵なことだ。ましてその相手が信頼出来る人なら尚更だ。きっと九澄くんなら尚っちを幸せにしてくれるし、九澄くんだって尚っちみたいな素敵な女の子が彼女なら嬉しいはずだ。それはとても素晴らしいことだし、応援すべきことのはずだ。

ならばなぜ、自分はこんなにもショックを受けているのだろう?


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