青いショートの髪のスバル・ナカジマは姉と一緒にある場所へ向かうために空港に居たのだが、好奇心旺盛な彼女は姉と逸れてしまった。
気付いた時には自分がすでに何処に居て、姉が何処に居るのかすらも分からなくなっていた。
しかし、元気が取り柄であるスバルは逆に姉を探してあげようと意気込み、空港の中を走り回っていた。
「はぁ……、はぁ……ギン姉ぇえええええ!!」
メラメラと燃える炎が、その姉の名を叫んだスバルを明かりも消えたその闇の中で照らしていた。
目の前の綺麗だった景色が一瞬の轟音で廃墟と化した。まるで地獄ような錯覚を覚えるほどの凄まじい状況に変わってしまった。
だと言うのにスバルは自分のことよりも、見つからない姉の姿を心配して探し回っていた。
しかし、彼女とてまだ十一歳の子供である。
走れる時間も距離も他の子よりも少し長いというだけであり、さらに足場が崩れている空港の中で背丈の小さい少女が動き回るのはとても苦労が要るものだった。
走りつかれて疲労困憊となったそのスバルは燃え盛る炎や飛び出た瓦礫を避けて、ようやくエントランスへ出た。
まだ見えぬ姉の姿ばかりに目を捉えられていたスバルは足元の小さな段差に気が付かず足を取られて転倒してしまった。
痛む膝と肘と手、そして疲労が溜まりきったその幼い体に力は残っていなかった。だが、彼女は必至に立ち上がろうとしていた。
そんな彼女を神は見捨てたのか、爆発で支柱の折れた女神の像がギギギ、と傾いていた。
先ほどの叫び声か、はたまた転んだ時の小さな衝撃か、何かの拍子に皆を微笑むはずの女神の像がパラパラと残骸を溢しながら着実に傾いていた。
エピソードzero 女神に会った少女の話 ~新暦71年 4月29日~
ガチン、と金属の折れたような音がした。それにより重力に従って女神の像は微笑みながら少女の頭上へ向かって落ちた。
その音に気が付いた少女は必至に逃げようとするがすでに遅かった。
死を覚悟した少女は諦めと呼べる行動には出なかった、ただ何もせずに死ぬことを良しとしなかった。
立ち止まることをせずに、すぐに立ち上がってその場を離れようと右脚を踏み込み――、
「あっ!?」
小さな破片を踏んでしまい、ころんと転んでしまった彼女の上からは女神の像が微笑む。
だが、彼女の横に別の女神が降り立った。微笑みでは無く、真剣な表情で。
その女神の服装は聖骸布のような布きれではなく、凛とした白のバトルドレスを模したバリアジャケット。
「良かった……間に合った。助けに来たよ」
降り立った女神ことなのはは杖状のデバイス『レイジングハート』を向けた。
瞬間、女神の像はいくつもののピンク色のバインド魔法でがっちりと固定され、その場で止まった。
彼女は振り返り、優しそうな顔で少女に声をかけた。
「よく頑張ったね。えらいよ」
「ぅ、あぁ」
その後スバルはなのはに抱き着いて心の奥に秘めていた感情を表に出して泣いた。それをなのはは強く抱きしめることで応えた。
「それじゃ、安全な場所へ――」
ゴトン、と天上の方に引っかかっていた屋上の床が崩れて女神の像の上に落ちた。
それに気づくことができなかったなのはは衝撃の音にびっくりして集中が切れ、崩れ落ちる女神の像の拘束を解いてしまった。
「しまっ――」
なのはは冷静に崩れ落ちる女神の像をもう一度拘束しようとデバイスを向ける。
間に合うか――、と魔法を構築しようと一瞬の静寂が生まれた時だった。遠くで魔法が発動されるのを感じ取った。
落ちてくる女神の像の側頭部を、弾丸のような速度の魔法弾が撃ち抜き、次弾が腹部、脚部を砕いて行った。
なのははプロテクションでその破片を受け止め、杖を頭上に向けるとデバイスはガシュンガシュンとマガジンの中身を消費した。
「一撃で地上まで抜くよ。行くよ、レイジングハートッ!!」
≪All right , My master≫
そして、トリガーである魔法名を言い放つ。
「ディバイーン――バスターッ!!」
ピンク色の閃光が頭上の天上をぶち抜き、空が見えるようになった。なのははスバルを抱えて飛翔した。
その時のスバルの瞳は恐怖ではなく、目の前の自分を救ってくれた白い女神に対しての尊敬の眼差しだった。
「こちら教導隊01。エントランスホール内の要救護者。女の子を一人救助しました」
『ありがとうございます。さすが航空魔導師のエースオブエースですね』
「このまま救助部隊に引き渡した後、すぐに救助活動を続行しますね」
『分かりました、お願いします』
通信を切り、なのははスバルに微笑んだ。
「スバルちゃんだよね? お姉さんはもうすでに保護されてるから安心していいよ」
「…………………………」
スバルは怯えている様子は無く、ただただなのはの顔を見て見惚れるばかりだった。
しかし、それに気づかないなのはの心境は複雑なものだった。
(……もしかして、眠たいのかな? それとも、煙で喉を……!?)
色々な憶測を立てたなのはは、やや速度を速めて、すぐさま救助隊にスバルを手渡した。
手渡されたスバルは名残惜しそうに夜空に飛び行く彼女の背を見送った。
『なのは!?』
「あ、フェイトちゃん。そっちはどう?」
『こっちはもう終わったよ。……ツキが頑張ってくれたから』
『……………………本当はバレない予定だったんだけどなー』
「あははは……」
あの女神像を横から砕いたのは空港に居合わせたツキの魔法弾だったのだ。
彼女は昨日フェイトに会いに来る予定の他に、明日の魔導師ランクCの昇格試験に出るつもりだった。
最初のチケットはすでにフェイトから送られていたので消化しないとまずい。しかも、昇格試験の際には費用は自費。
ならば、フェイトから貰ったチケットを有効利用して空港近くのホテルに一泊してチケット代をケチろうと考えていたのだ。
フェイトから貰った帰り用のチケットはすでに売り飛ばしており、しれっとホテル代を確保していたのである。
彼女の最大の誤算は、フェイト達の計画が一日伸びてしまい、ツキが泊まったホテルの隣の部屋にフェイトとなのはが泊まってしまったこと。
ミッドチルダ北部の飯何処でも回るかーと思い立って、部屋から出る際にちょうど朝食に出かけようとした二人と鉢合わせてしまったのだ。
ツキはすぐさま逃走したが、金の鬼と化したフェイトに即座に御用となり、結局色々とバレてしまったわけだ。
『まさか私に内緒で魔導師試験を受けようとしてたなんて……、しかもFとDクラスの試験もしれっとクリアしてたようだし……』
『うん、さくっとクリアできたぜ』
『ツキ!?』
「まぁまぁ……、フェイトちゃん落ち着いて。おかげで救助効率も上がって、早く対応できたからんだからさ」
『うぅ……』
結局ツキも温泉計画に組み込まれることになり、このまま八神ファミリーと合流することになった。
【同日夜・グラナガン南部温泉宿泊旅館】
「あっはっはっはっは!! そらやられたなフェイトちゃん! あっはっはっはっは、ひぃー、腹痛いわー」
「もうはやてちゃん、わ、悪いわよ、ぷっ、うふふふ」
「テスタロッサ、してやられたな」
「あはははは! だせー!」
「うぅぅ……、そこまで笑わなくてもいいじゃない……」
事情を話し、人数を増やして貰った時の会話である。ツキはそれを見ながらにまにまと笑みを浮かべ、ザフィーラの頭を撫でていた。
ザフィーラは狼型になっているだけで、喋れるし人の姿になることもできるのだが、驚かさないようにとはやてにそれらを禁止されている。
それを知らずにツキは頭を撫で続け、最終的に移動する際の脚としてザフィーラに乗っかって移動するくらい気に入ったらしい。
「好かれたなー、ザフィーラ」
「…………………………ウォン」
「ザフィーラって賢い狼ですよね。私もこんなカッコイイ子欲しいです」
「「「「「「!?」」」」」」
ザフィーラのことを初見で狼と見抜いたことに全員が驚いた。一番驚いたのは見抜かれたザフィーラ当人だった。
散々「わんちゃん」だの「犬っころ」だの「犬」だの言われてきて、ベルカの守護獣としてのプライドが砕かれつつあったのだ。
だが、こうしてきちんとした評価を受け、さらに気に入られていることにザフィーラは嬉しく思い、尻尾が揺れる。
「……よかったなザフィーラ」
「ウォンッ!」
ヴィータの囁きに力強く応えたザフィーラだった。
今回の醍醐味である温泉へと向かう一同。はやてとザフィーラに乗るツキを先頭に歩いて行く。
「そや、ツキちゃんは何時から昇格試験があるんや?」
「明日の午後ですね。ランクCの試験ですからさくっとやって帰る予定だったんですよー。……まさか、お隣だとは思わなんだ」
「あっはっはっは! そうやな! 隣になってもうたんのは不幸だったなぁ!」
「いやまぁ、こちらに混ぜて貰えたので行幸だったかもしれませんけどね。ザフィーラに乗れたんで満足です、はい」
「くくっ、くふふふふっ! あっはっはっはっは!! 今日と明日は乗っててええよ! ええやろザフィーラ」
「ウォンッ」
はやてご機嫌だなー、と後ろでなのはの横のヴィータが呟いた。
無理も無い、とさらに後ろのシグナムが口を続いた。
「主はやては今日までみっちり研修があったそうだからな。相当ストレスが溜まっておられたのだろう」
「私も現在形でストレスが溜まってるけどね……」
「フェイトちゃんの場合は気苦労だけどね」
「まぁテスタロッサ、子を育てる側に立てば、そうなることを分かっていたのだろう?」
「……うん、そうなんだけど……。まぁ、これは後で」
ツキが居るから、とフェイトは口を閉じた。幸いその一言は世間話を白熱させているツキに聞こえることは無かった。
それもそうだね、となのはが久しぶりに入る温泉を楽しみにしつつ呟いた。
「……ねぇ、はやてさん」
「なんや?」
「一枠空けといてくださいね、私も噛みますから」
「……最後までは誰にも言っとらんのになぁ」
「……分かりますよ、お祭りの笛の音が聞こえて来てますから。すごく楽しそうです、是非」
「だからかぁ、フェイトちゃんに黙って魔導師試験受けとんの」
「ええ、そうです。私はね、それに参加したいと思ってます。どれくらいで"止めておきます"か?」
「……せやなぁ、Bくらいでお願いできるか?」
「了解しました。ただでさえ高ランクの方々多いですからね。無駄なリミッターをかけるのは効率が落ちますから」
「……何処まで知ってる?」
人を見定めるような目ではやてはツキを見やる。それにツキは"本来の顔"で応えた。
「何にも知りませんよ。ただ、匂いがするんです。戦いの、闘争の、戦争が始まるキナ臭い匂いがするんです」
妖艶で美しくて冷たい笑みでツキはそう言った。
はやての中でツキのイメージが崩れ去った。目の前に居る少女は普通では無い、でも異常でも無い、と。
言うなれば銀狼。銀の美しい容姿の人の皮を被った狼。
彼女の眼は真紅眼。まるでこれから起きるそれらの最悪の結果を目に映したような、予言者の眼のように見えてしまった。
「……………………まさか」
「いや、知りませんし、分かりません。でも、大切な物を護るためには準備が必要です。優秀な指揮官と、列なす力が必要です。
だからこそ、私が戦陣を切る一番槍になりましょう、と言っているのです。私はそのために生み出された、そう"使われる"べき人間なのですよ」
温泉スペースが見えたので、続きは後で、とツキは歳相応の可愛らしい仕草で口に人差し指を当てた。
はやては驚愕を、ザフィーラはとんでもないことを聞いてしまったと若干狼狽えていた。
その後、温泉に浸かったはやては終始苦い顔で考え事をしていた。視界の中でぱしゃぱしゃと燥ぐ女性達に銀色が混ざっていた。
子供のように、いや、実際に十歳の子供なのだが、先ほどの知られざる一面を見てしまったはやてにはもう歳相応の子供には見えなかった。
シグナムのような武人、いや、彼女にそんな綺麗な芯は見えないから、傭兵と例える方が正しい。
幾多の戦場を越えた傭兵のように振る舞いを隠した彼女の事だけしか頭に残らなかった。
はやてはジェスチャーでツキに一緒に出るように指示し、ツキもそれに応えた。
一足早く浴衣に着替えた二人は旅館のロビーから外に続く散歩道を無言で歩いた。
はやてだけが折り返し地点に存在する休憩用のベンチに座り、対面する形でツキが立つ。
そして、はやてが先に口を開いた。
「なぁ、ツキちゃん。自分のことをどう思っとる?」
「自分……ですか?」
「そうや。私から見たツキちゃんは歳相応の女の子にはもう見えへん。中身も見えん、だから、本人に聞こうと思ってなぁ」
「……なるほど。私のことはどこまで聞いていますか?」
「フェイトちゃんが保護した女の子で、現在Dランクの魔導師で、かなり優秀な子としか分からんなぁ」
「……フェイトさんは私のことを全て伝えているわけでは無いんですね。分かりました。何処から話しましょうか」
「……せやな、なら……。何のために生まれた人間なのか、教えて貰おうか?」
はやてはやや不機嫌そうな顔で尋ねた。
社会的な救いがあっても、被害者自身の救いになっていない世界の在り方が不愉快なのだ。
次元世界(うみ)が、主要地上世界(おか)が、と下らない争いを続け、本来護るべきそれをおざなりにしている管理局の現状に苛立っていた。
管理局の仕事を無償奉仕期間に手伝った際に、はやての心の奥で疑問に思ったことでもある。
うみがおかが、と下らない論争をしているせいで現場に駆けつけるのが遅くなり、肥大する被害を「必要な犠牲」と割り切る腐った思想。
今日の空港火災の際に自分達以外の応援が来たのは空港が廃墟寸前になってからだった。
問い合わせてみれば「確認が遅れた」など、「手が回らなかった」と言い訳する始末。
はやては激怒する方向を自身に変え、その場を収めたが、今も尚彼女の心で燻っていた。
「私は、"人を殺すために人造(うま)れた存在"です」
「――ッ」
ギリッとはやては奥歯を噛み締めた。
こんな小さな子が、自分の存在をそんな風に卑下している。それは、誰のせいと問えば残虐な大人のせいだと答えるだろう。
だが、それを作り出してしまったのはこの世界の全てだ。全て――"人"のせいなのだ。
「ですが、私はそれでも良いと思っています」
「は?」
はやては信じられないと言った顔でツキの顔を見た。ツキは微笑を浮かべており、慈悲に満ちたような顔をしていた。
「悪に優劣をつける人も居ますが、馬鹿げてますよねそんなこと。言葉を覚えた小学生でも分かります」
――悪は等しく悪です。ツキはそう続けて言った。
「起点、過程、結果を見ても結局辿り着くのは"悪"です。悪党に善人な人が居る? 馬鹿馬鹿しい、悪は悪だ。何をしようとも悪だ。
人は皆善人であり、生まれながらの悪人は居ない。なんて説いた人が居るそうですが、私はそうは思いません。
人間は善でも悪でも無く――ただの歯車です。世界を廻すための歯車です。今の世界の在り方が正しかった時なんて」
―― 一度たりとも無い。ツキは冷酷な瞳で、言い切った。
「私の存在価値が人を殺すことであった時に思ったんですよ。どうしてこいつらは命を軽んじれるのかって。
最初は分かりませんでしたが、日が経つ連れて分かりました。簡単なことでしたよ。すっごく簡単なことでした。
"他人"だから、です。自分に一切の関係の無い他人だからこそ、その人自身の価値を見出さないから、軽んじれる。
家畜に喰らわす餌のように、ぽいと投げ捨てることができるのは当たり前の事だったんですよ。
いやまぁ……、結局"私"に軽んじられて死にましたけどね」
「まさか、ツキちゃん……」
「ええ、"殺りました"。私の大事な弟に手を出そうとしましたから、私の当時の逆鱗に触れてみいいいいいいいんな、死んでもらいました。
斬って、潰して、壊して、砕いて、圧し折って、何もかも、一切合財殺し尽くしました。たぶん、フェイトさんも知りませんよ、これ」
「なんで……そんなことをして……何で"グレーで居られる"んや!?」
目の前の少女は普通でも無く、異常でも無く、グレーなゾーンに留まり続けた。
人としての大事な何かを軋ませながらも、グレーゾーンに立ち尽くしているのだ。
本来なら、異常と言うべきだ。しかし、彼女は理性を保っている。普通の人間とそう変わらない容姿に言葉を話している。
これを、普通と言わずに何というのだ。
だから、はやてはグレーと言った。白でも黒でもない。どちらも混ぜられた灰色だと表した。
「何でって……むしろ聞きたいのですが、"たったそれだけのこと"でどうして心を痛めるんですか?」
「な――ッ!?」
訳が解らない、と言った様子でツキは首を傾げた。夜風が冷えてきたはやての肌を撫でる。
「私たち人間が家畜を喰らうように、その程度の認識の人を殺した程度で何故壊れなくちゃいけないんですか?
はやてさん、貴方は肉を喰らう度に食べた家畜の別れを惜しみますか? 米やパンを食べた時に食材となった小麦との別れを惜しみますか?
……他人のことなんて、興味が無いのが人間なんですよ。戦争が起きるのは、他人が怖いから。聞いたことありませんか?」
ツキははやての後ろに回り、そっと抱き着いた。口元が彼女の耳の近くに当たるように。
「何も知らぬ白人の子と黒人の子が出会ったら、ああ、自分とこいつは肌の色が違う。だから、自分とは違う。だから、相手が何を考えているのかが分からず恐怖を覚える。もしも片方にパンがあり、片方にパンが無ければ、たったそれだけで争いの火種になる。
ああ、あいつは自分とは違うんだ。だから消えたって自分には関係無い。じゃぁ、"殺そう"と考える」
――殺してしまえば興味の対象が失せるから。ツキはそう言葉を締めた。
「パンを半分にして、分け合えばええ!」
「人は誰しも思いやりのある優しい人だ、なんてことは無いです。空腹を満たすために、一人で食べるでしょう。生き延びるために、です。
他人当然の奴にくれてやるものなんてない。くれてやる義理が無いし、理由が無い。
道端にホームレスがひもじい思いをしている、可哀想だと同情する人も居るでしょう。でも、誰も救いの手を差し伸ばさない。
ああ、この人は家が無いんだ。なら、私の家をこの人にあげよう。私の金でこの人の家を作ってあげよう」
――馬鹿馬鹿しい。ツキはそう切り捨てた。
「全員が全員、聖人のような優しさを持つわけが無い。相手よりも優れているから自己満足を満たすために施しをくれてやるんですよ。
だから、他人ほど興味の無い対象は存在しません。故に、私の中で他人であった彼らを殺しても、私は謝罪の一つもありません。
……ああ、でも謝罪はしましたね。こんな屑をどうして早く殺さなかったのか、と思った際に実験で亡くなってしまった子供達に、謝罪をしました。
自分がもっと早く動いていれば良かったんです。今ではどうして逆鱗に触れるのを待っていたのか、自分の心が分かりませんね」
それだけ言って、ツキはすっとはやてから離れて後ろの柵へ寄りかかった。
はやては先ほどまでのツキの言葉を噛み締めて、心の中で咀嚼した。彼女のことをよりもっと知るために。
――彼女がこうなってしまった理由を知るために。
「……そうや。そうだったんか。ツキちゃん……あんたぁ――」
長い間咀嚼して、一つの答えを出したはやてが、それを口にする。
「箍を外してもうたんやな」
「――ッ」
「壊れたわけでも、狂ったわけでも無い。ツキちゃんは――」
――人間を止めたんやね。と、はやては泣きながらツキを見た。
「わ、私は人間です。人間でなければ何だと言うのですか!?」
怯えた様子でツキが叫ぶ。まるで、触ってはいけない場所に触れてしまったかのように叫ぶ。
禁忌のパンドラにはやては手をかけた。
「まるで、"悪魔"やね。人間の所業を見て、喜んで騒ぐ悪魔や。
悪魔なら人間に興味が無くても構わない。そそのかして、その人が壊れたり狂ったりしたら笑って、飽きたら次の人へ行けばいい。
そうや。人の心を知っているからこそ、人の心を見過ぎたからこそ、ツキちゃんは殺人鬼になっても何にも思わないんや。
そら、何も思わないわ。だって」
――すでに人を止めたんだから、人に構う必要が無いもんなぁ。はやてはそう、彼女の奥底にあるパンドラの箱に鍵を差し込んだ。
「ああ、そうだったんだ。だから」
――あの子達の声が聞こえたのか。ツキのパンドラの箱が、開かれた。
「私が人を、止めた? だから、人の死に興味を、持たない。ああ、だから、幸せになれたか、なんて、言ったのか。つまり」
――人を止めた感想はどうだ、幸せか? と聞いたのかあの子達は。
ツキは眼を見開いて、膝を地に落とした。
「あ、あああぁぁあああ、ぁぁああぁああああ、ぁああああああああああああああぁあぁぁあああッ!!!」
ツキは自分を抱きしめて慟哭した。がちがちと歯を鳴らして、今まで何にも怯える姿を見せることのなかったツキが泣いた。
今まで「人の事を軽んじれる悪魔のようになれば自分を見失うことは無い」と言う言葉で自分を無自覚の内に騙してきた彼女は、はやての言葉でそれを自覚した。
そのため、今まで何とも思っていなかった"子供達"の幻聴を軽んじた彼女は自分の罪を知ったのだ。
「ごめんな」と歳相応に泣くツキを強く抱きしめて、はやては言った。
「……ツキちゃん、今は泣きぃ。自分の黒いもん全て流して、すっきりしぃ」
――今、幸せ?
涙で滲んだ視界の中、ツキの瞳には月に照らされて微笑む女神の顔と、女神を囲む笑顔の幼い子供達の姿があった。
ツキはこくんと頷いてから、口元を綻ばせながら呟く、その声ははやてにしか聞こえなかった。
はやては満足気に瞳を閉じて、急に重くなった腕の温もりを感じながら、決意した。
(部隊を作ろう。私だけの、何にも縛られない部隊を作ろう。そしたら、世界もちっとは良くなってくれるはずやから)
この決意が、四年後、管理局に新しい地上部隊が生まれることになる最初の一押しになろうとは、誰も知る由も無かった。