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[32471] 魔法の世界の魔術し!(ネギま!×Fate)
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:2edec970
Date: 2012/03/28 09:21

――鉄を打つ音が聞こえる。
 どこからともなく響く鉄の音。
 近いのか、遠いのか。
 規則的に、断続的に、絶え間なく、休むことなく。
 繰り返し、繰り返し。
 響く、響く、響く。
 まるで、どこかに誘うように、導くように。
 只、漂う自分はその誘いに導かれるままに……


◆◇―――◇◆
 

 ふと、目が覚めた。
 なにか長い、とても長い夢を見ていた気がする……
 ただ、それがどんな夢だったか思い出そうにも、夢は既に霧のように霞んでしまい、思い起こすのは難しい。得てして夢とはそんな物だろう。
 とりあえず、横たわったままの体を頭を振りながら起こす。
 ふう、と一息吐き出し、落ち着いたところで周囲を見回す。
 で、

「……ここ、どこさ?」
 
 見渡す限り木、木、木。
 既に夜なのであろう、辺りは薄暗く、その全容は見渡せない。
 ……しかし何だって、一切合財、微塵も、ミジンコの毛ほども記憶に無い場所に寝転がっていますか、俺は。

「……む」

 いかん、イカン。
 こういう時こそ平常心でありますヨ?
 『ヨ?』とか、軽くパニくる自分を無理矢理なだめ、一から順にゆっくりと記憶を掘り起こす。

 赤い炎に彩られた世界。
 そこから救ってくれた、自称魔法使い。
 『衛宮』の苗字。
 新しい日々。
 新しい家族、切嗣、藤ねえとの出会い。
 楽しい時間と空間。
 そして、永遠の別れ。
 正義の味方になると決めた瞬間。
 ガムシャラに走り続ける毎日。
 新しく妹分ができた日。

 ……うん、覚えている。
 掛け替えの無い日々。
 それはこの、『衛宮士郎』の魂に刻まれた思い出だ。
 でも、まだここに居る理由には至っていない。
 更に記憶を探る。

 心臓を穿つ紅い棘。
 そして、

 月夜に浮かぶ金砂の出会い。

 ああ、これだけは幾ら時を経ても色褪せず浮かぶ情景だ。
 そして――、
 
「……って、あれ?」

 ……おかしい、その後の記憶が曖昧だ。
 もっと、深く深く思い出そうとする。

『貴方が、私の鞘だったのですね』
『士郎を真人間にして、思いっきりハッピーにするのが私の野望なんだから』
『じゃあお花見とかしたいです、わたし』
『ええ。わたしはお姉ちゃんだもん。なら、弟を守らなくっちゃ』
『前から思っていたけど……貴方ロックスターみたい』
『では背中合わせで行きましょう。……何というか、いま貴方の顔を見たらひっぱたいてしまいそうなので』

「――ッガ!?」

 瞬間、頭をハンマーで殴られたかのように頭痛が走った。
 ……なんだ、今の記憶は?
 脳裏に走った映像が、幻想か現実かはっきりしない。
 それが最近のことなのか、遠い昔の出来事なのか???
 ただ、そんな出来事があったという記憶だけははっきりと残っている。
 順序がおかしいのか、混乱した頭で整理しようとしてもうまくいかない。
 けれど途切れ途切れの記憶がその後も思い浮かぶ。

 休むことなく、皆が笑える場所を求めて走り続けた。
 傷つき倒れる身体、這いずってでも先に進もうとする心。
 向けられる笑顔に力を貰った、向けられる敵意に心で泣いた。
 信じた者に救われた、信じた者に裏切られた。
 助けたい人を助けた、助けたい人を殺した。
 生命の足し引き、生命の天秤。
 綺麗な物が好きだった。醜いものは悲しかった。
 終わらない旅、止まることを知らない足取り。
 ――それでも、いつかきっと。
 
「――っ」

 眩暈がした。
 記憶の濁流に飲み込まれそうになる前に、強引に蓋を閉める。
 頭がフラフラで、上手く動かないせいか立ち位置を見失いそうになる。

「……仕方ない、とりあえず曖昧なことは後にして、現状把握を優先しよう」
 
 ひとり呟いて立ち上り自身の戦力を把握する。
 創造理念、基本骨子、構成材質、製作技術、憑依経験、蓄積年月の再現による物質投影。
 魔術理論、世界卵による心象世界の具現。
 魂に刻まれた『世界図』をめくり返す固有結界。
 今まで幾多の死線を潜り抜けて来た戦闘技術、経験、肉体強度。
 ――修正、肉体寸法の変化に伴う戦闘技術に変更あり。

「……は?」
 
 自身に掛けた肉体走査の魔術の内容に思わす首を傾げる。
 肉体寸法の変化ってなにさ?
 改めて自分の身体を観察する。
 とりあえず格好は私服で、これといった外傷も無い。
 拳をギュっと握り締め感触を確認。
 そういえばなんか違和感がある。
 リーチが短いようなそうでもないような……
 視線が低いようなそうでもないような……
 元々の身長がどれ位か思い出せないがなんか違和感を感じる。

「うん、まあ、――大したこと無いか」

 と、一人納得する。
 フフフ、『あの』遠坂に付き合ってると、体が多少伸び縮みした程度でいちいち驚いていたらこっちの精神がもたんのデスヨ?
 遠坂と書いてトラブルメイクラッシャーと心の中でルビっているのはナイショだ。
 その心は、自分でトラブル作るにしても、他人のトラブルにしても更に大きくさせて、更に更に派手に解決するという遠目に見てる分には鮮やかなヤツという事だ。当時者としては実にたまったもんではないのである。
 ちなみに、『ルビっている』という部分も遠坂さん家の凛ちゃんのご幼少時の輝かしい思い出(トラウマとも言う)と微妙に掛かっているのがポイントだ。
 これを口走ると何処からとも無くガンドと絶招が飛んできそうなので中の大事なところにしまっておく事にする。うん、そうしよう。

「さて……っと」
 
 傍らに転がっていた自分のであろうバックを背負い、改めて周囲を見渡し、側にあった大きな樹を見上げる。
 それを”一足跳び”でテッペンに飛び上がる。
 その瞬間、肌寒い風が頬を撫でた。
 吐く息は白く、空気は乾燥している。
 季節は恐らく冬。
 空気が澄み切った夜空を見上げれば、輝く大きな満月。
 月は好きだ、アイツを思い出させてくれる。
 周辺は森のようだが、遠くには街の明かりがキラキラ煌いて見える。
 ソレを確認し、眼球に強化の魔力を叩き込み様子を探った。

「ここは……西洋――か?」
 
 あの建築様式の町並みはいかにも西洋なのだが、イマイチ自信が持てない。
 その原因が、

「なんだ? あの馬鹿でかい樹は?」

 あんな大きな樹が街中に生えている国なんて俺は知らない。
 いや、俺が知らないだけであるのかも知れないが、少なくとも俺の記憶には該当が無い。
 にしてもでかい。つーかでかい。ものごっついでかい。
 遠目に見て他の建造物と比較してみるが、まるでパースが狂ってるように感じる。

「――はあ、本当、どこなんだってんだよ、ココは」

 全く見覚えのない光景に思わずため息を漏らし、樹から飛び降り地面に降り立つ。

「何にしても、ココでこうやってても何も変わらないか……」

 肩に下げたバックを背負い直し、先ほど確認した町明かりを目指して歩を進める。
 さて、鬼が出るか蛇がでるか……どちらにしても厄介なことに巻き込まれた感は拭えない。
 サクサクと森の中を見回しながら歩き出す。
 そこへ――、

「――良い月夜だ。こんな夜に忍び込もうなどと言う不届き者には罰を与えねばなるまい。なあ、侵入者?」

 金糸のような長い髪を風に遊ばせる、人形の様に美しい少女が月の光に濡れて佇んでいたのだった。


◆◇―――◇◆


「ふう、いい月夜だ」

 窓枠に腰掛けながら日本酒の入ったお猪口を傾ける。
 今宵は満月。
 例え魔力が封印されていようとも、この身は闇の眷属たる吸血鬼。月が満ちる夜は多少なりとも力を取り戻す。
 気分も若干高揚しているのが自分でも分かる。
 ああ、本当に良い気分だ。
 冬の澄んだ空気のおかげで一層美しく夜空に浮かぶ満月。それだけで他の肴など不要というものだ。

「……む」
 
 しかし、そこで違和感を感じとる。

「――マスター」

 側に控えていた従者たる茶々丸も感じとったようだ。

「――ああ、分かっている。ちっ、侵入者だ」

 無粋な輩め、この美しい月夜を愛でる雅を解さぬか。
 せっかくの気分が台無しだ。

「これもおかしな封印のせいだ。――ったくメンドーな」

 タカミチが一々魔法界からの呼び出しに応じているからそのしわ寄せが私にくるんだ。
 まあ、明日にはタカミチも帰って来るらしいので、とりあえずは今夜までであろうと高をくくっていたのだが……最後の最後でコレだ。

「マスター、お供します」
「ああ、今日は構わん。力もある程度戻っているし、なにより――風情の欠片も持ち合わせておらん不逞の輩には私が直々に手を下さねば気がすまん」
「――YES、マスター」

 茶々丸を下がらせ一人で侵入者の元へと向かう。
 そうして家を出ること数分、それは思いのほか簡単に発見できた。
 侵入して来た者は隠れる気はないのか、周囲をしきりに気にはしているものの、気配をまるで隠す事無く町の方向へと向かって歩を進めていた。
 
「……なんだ、まだガキではないか」
 
 木々の隙間から月明かりに照らされ、その姿が露になる。
 まず目に付いたのが鉄が錆びたかの様な赤みのある髪。
 年の頃は15~18位といったところか。背は余り高くはないが無駄の無い体つきをしている。
 だが、バックを肩から下げ、枯れ葉を踏みしめて歩く姿は、侵入者というよりはどこかの旅人が道に迷っているかの様に見える。
 ……こんな緊張感も無さそうなヤツに月見を邪魔されたのか。――馬鹿馬鹿しい。さっさと、追っ払って月見の続きをするとしよう。

「――いい月夜だ。こんな夜に忍び込もうなどと言う不届き者には罰を与えねばなるまい。なあ、侵入者?」

 コレが――『衛宮士郎』という男との、最初の出会いだった。




[32471] 第2話  黄金の少女
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2012/03/31 09:21
 月明かりに照らされて踊る黄金の髪に思わず目を奪われる。
 年のころは10歳くらいだろうか、目の前の少女は不機嫌そうにこちらを睨み付けている。ただ、その不機嫌そうな顔を差し引いたとしても随分と綺麗な子だ。
 黒を基調とした、丈の短いスカートから伸びる素足はまるで雪のよう。
 桁違いに整った目鼻立ちは幼いと言えども、美しいと表現してもなんらおかしくは無いだろう。

 ――まあ、それはそれとして、いきなり侵入者扱いはあんまりではなかろうか?
 確かに、ここが誰かの、それこそ、この目の前の少女の家の私有地だったとしたらその表現も間違っちゃいないんだろうし、俺の方に非があるんだろう。
 だが、こんな夜更けに小さな女の子が一人で出歩くというのもなんだか釈然としない話だ。
 先ほど見た限りでは、この付近に民家らしき建物は見えなかった。
 もしや、この子も迷子かなんかなのだろうか。
 この不機嫌そうな感じも、迷子になって心細い所に偶々オレと出会い、怯えて逆に強く出てしまったとか。
 ああ、だとしたらこっちが無言のままと言うのも不安だろう。ここはなんとかして安心させてあげると言うのが年長者としての務めだろう。
 よし、まずは———、

「えっと……こんばんは。こんな夜更けにどうしたんだ? 君も迷子かなんかか?」

 うむ、我ながら完璧なファーストコンタクトだ。目線を合わせ、屈む様にして笑顔で語りかける。
 
「――――」

 む、反応なし。なかなか警戒心の強いお子様らしい。まあ、こんな所で見ず知らずの男に出会ったのだから、その警戒心も当然と言えば当然か。
 ならばと、バックに入っていたお菓子袋から飴を取り出し、食べるかな? なんて考えながら差し出してみる。
 よし、コレで可愛らしい笑顔で――、

「………………(ピキッ)」

 お、おや? なにやら笑顔は笑顔でもなにか種類が違う笑顔のような?
 なんて言うか、俺の周りでもこういう嫌な風に笑うヤツいるよなー、とかそんなの。

「――おい、貴様」
「ん?」

 反応有りか? 妙に迫力のある笑顔はそのままだが。
 
「要するに貴様は――この私をコケにしている訳だな?」

 ――反応はあっても、とても嫌な方向に反応してくれました。
 それはそれはものすごい笑顔で笑いかけてくれる。
 まあ、青筋が浮かんでいる辺りでその意味は真逆になっているっぽいが。

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック――」

 目の前の少女から奇妙な呟きが聞こえた。
 なんだろうとその言葉の意味を考えようと頭を捻らせていると、少女は懐から試験管のようなものを取り出し、ソレを放り投げた。
 すると次の瞬間――、

『氷爆』 

 その一言で周囲の空気が瞬時に変わり、冷気を帯びた。
 状況の変化はそれだけでは止まらず、空気中に大量の氷が発生し、それが爆砕する。

「なっ――!?」

 まるで雪崩のようだ。
 一瞬にして視界が白く埋め尽くされる。
 いや、驚いているのはそんな事では無い。

「――魔術師!?」

 そう、これは間違いなく魔術行使。
 ならばこの子は魔術師……それも一瞬でこのような魔術を使う事ができるほど高位の魔術師だと言う事だ。
 しかし、

「……威力が低い?」

 詠唱速度は速いが威力が奇妙な程低い。
 コレなら!

「――投影開始(トレース・オン)」

 眼前に盾を敷く。
 なんの魔力付加も無い只大きいだけの鉄の盾だ。
 眼前に展開した鉄の大盾は雪の爆発から俺を完全に守りきり、その全てを受け止めていた。
 だが、盾の影に隠れて吹雪が止まるのを待ちつつ、ちょっと後悔。

「ぐあ……鉄が冷えて、冷たさで手が痛い……ッ」

 盾を支えている手の冷たいこと冷たいこと。
 凍傷になったらどうすんだ、とか考えつつ、やたらと余裕がある自分に気づく。
 何だろうと頭を捻るとすぐ答えに当たりついた。

「――ああ、そうか。殺気がまるでないんだ」

 そう、突き刺すような殺気がまるでない。
 確かにこの吹雪もまともに喰らえば凍えはするだろうが、命に係わるような威力ではない。悪くて雪に埋もれて身動きが取れなくなる程度だろうか。
 すなわちそれ等が意味する事は、彼女の目的は俺の捕獲、拘束であって、抹殺ではないと言う事だ。
 ならば話し合う余地は十分に筈だ。
 それなら、と吹雪が弱まってきたのを見計らって盾の影からヒョッコリと頭だけ出す。

「――貴様、その馬鹿でかい盾をどこからだした?」

突然現れた盾に鋭い視線が向けられる。

「それはいきなり攻撃を仕掛けてくる物騒なようなヤツには教えられないな……それより一つ聞いていいか?」
「――フン、なんだ。命乞いなら聞かんぞ」

 ハン、と鼻で笑うように見下した目線を向けられる。
 うむ、なんでか知らんがその仕草が妙に様になっている。
 ――でも、小さい頃からそんな仕草が似合うようになるのはどうかと思う。
 そんな事では碌な大人にならないぞ?
 主に、赤いのとか赤いのとか赤いのとか。あ、あと金ぴかとか。
 ――ではなく。

「ああ、そんなんじゃないよ。俺が聞きたいのはな――」

 顔の前で手をパタパタ振りながら言葉に溜めを作り、会話に間を持たせる。
 ――そう俺はこれが言いたかったんだ。
 今、万感の想いを込めて言葉に乗せよう。
 そして紡がれる言葉は――、


「――チョコレートの方が好みっだったか?」


 ブチン、と何かが切れる音が目の前の少女からしたような気がする。
 俺、思うんだ。実際そんな音が人からしたらかなり危険だって。
 いつか突然倒れないかこの子の将来が心配です。

「――つまり、貴様の遺言はそれで良い訳だな?」

 おおう、キリキリと目尻が釣りあがる釣りあがる。
 どうやら俺は押してはいけない赤いボタンを押してしまった模様。
 怒髪天を突くといった具合で爆発寸前っぽい。

 ――うん、わざと押したんだけどな。

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック! 来たれ氷精、大気に満ちよ! 白夜の国の凍土と氷河をッ!!」

 詠唱を謳い上げる幼い魔術師。
 俺の周囲の気温が一瞬で下がるのがわかる。
 もう一瞬後には発動するであろう魔術。
 しかし、
 
 ――俺はこの瞬間を待っていた!!

『――壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)』
『――凍る大地』

 ほんの一瞬だけ速く魔術を起動させる。
 瞬間――、

「なっ!?」

 盾から一気に純粋な魔力へと変換、更に意図的に魔力の流れを暴走させて小規模の爆発を起こす。
 爆発により巻き起こった爆音と閃光は、周囲をそれこそ光速で白く染め上げた。
 咄嗟の出来事に一瞬だけ立ち竦む少女。
 一瞬。確かにそれは一瞬だけだっただろう。
 だが。
 
「――そこまでだ」
 
 十分だった。
 背後に回りこみ、少女の首筋に凶器を押し付けるには、十分な時間だった。


◆◇—————————◇◆


『――壊れた幻想(ブロークンファンタズム)』
『――凍る大地』

(重ねられただとッ!?)
 
 それは予想外の出来事だった。
 確かに油断していただろう、相手を軽く見ていた事も間違いない。挑発され、頭に血が上っていたのも事実だ。 
 だが、まさかこちらの呼吸が読まれているとは思わなかった。
 
(しかしそのような無詠唱呪文など押し切ってくれる――!)
 
 無詠唱呪文。
 それは本来必要な手順を省略し、簡易的な言霊だけで魔法を発動させる方法だ。
 だが、当然必要な術式を省いてしまっている分、どうしても威力は下がるし放てる魔法も限られてくる。
 そのような魔法ならば打ち勝てる。
 ソレを踏まえての判断だったし、その判断は決して間違ったものでもないと後で考えても断言できる。
 だが起きたのは――、

「なっ!?」

 それは光の洪水だった。
 あふれ出す光の洪水と爆音が周囲を飲み込んだ。
 皮肉にも自身の魔法で生み出した氷の結晶が、光を乱反射させ光量が数段増し、その眩しさに一瞬目が眩んでしまった。
 そして――、

「――そこまでだ」

 背後に人の気配。
 そして首筋に当てられる鋭利な刃物の冷たい感触。ピタリと皮膚に押し当てられているソレは確実に頚動脈を狙っている。
 
「――ッ」
 
 その感触に思わずゴクリと喉を鳴らす。
 少しでも動けば容赦しないという意志表示だろう。

「――まさか、この私が背後を取られるとはな」

 身動きせずに声だけを上げる。
 いかな私とて魔力を封じられた状態の今では、満月の今夜であろうと首を落とされては助からんだろう。

「……詠唱完了に合わせて閃光術を使用。それだけではなく、その瞬間に発動した私の魔法すら利用しての目眩まし。そして跳躍し背後を奪う……か」

 あの一瞬でこれほどのことを実行するとは……
 状況判断、戦略、観察力、応用力、実行力、そしてそれを可能とする身体能力。
 これらは一朝一夕で身に付く事ではない。
 更に鍛錬だけではとてもじゃないが身に付く芸当ではない。
 実戦……本当の意味での戦い。それはすなわち数多くの殺し合いを潜り抜けて来た証だ。

(――この男、恐ろしく戦場慣れしている)

「……動くな。いくつか質問に答えろ。――なぜ攻撃してきた?」
「フン、貴様が結界を突破して侵入してきたからに決まっているだろうが」
「違う。俺は気が付いたらあそこにいたんだ」
「だったら寝ている間に空から落ちてきたとでも言うのか? ハ、馬鹿らしい」

 表面上は冷静さを装いなんとか会話をしているが、頭の中では脱出の手段を必死になって考える。
 『糸』を使えば……いや、駄目だ。この男の手練手管を考えれば指先のちょっとした動きすら見落としはしないだろう。出来るかもしれないがそれは余りにも危険過ぎる。
 茶々丸を連れて来なかった事が悔やまれる。

「――二つ目。ここに居る魔術師は君だけか?」
「……『魔術師』? ……ああ、魔法使いならうじゃうじゃいるさ。そういう場所だからな」
「――『魔法使い』がうじゃうじゃいるだって? ……なら君もその中の一人か」
「そうともさ。もっとも、魔力を封じられた身ではあるがな」
「――」

 背後で何事か考える気配を見せる男。しかし、幾ばくも油断は見られない。
 マズイ、マズイ、マズイ!
 気持ちばかりが焦る。
 なんとか時間を引き延ばすか、茶々丸に知らせる事ができなければこのまま終わってしまう!
 真祖たる私がなんという体たらく――、

「最後の質問だ。――君は悪人か?」
「…………は?」

 けれど、そんな焦りなど瞬時に吹き飛んでしまう。
 それは余りにも予想外の質問が来たからだ。
 だってそうだろう? 敵対している者に対して善悪の所在を問う間抜けがどこにいる。
 そんな突拍子もない問いかけに思わず興が乗る。

「――ハッ! 何を言い出すかと思えばそんな事か。『悪』か……だと? ああ、私は悪だともさ! ここにいる他の魔法使いの連中は皆良い子ちゃんばかりの集団だがな、私は間違いなく『大悪』さ!! 幾人もの人間の血を啜り、血祭りに挙げてきた血の道を歩む者さ。『人形使い』『闇の福音』『不死の魔使い』――私に勝る『悪』などそういないさ!! ――さあ、私を殺すか人間!」

 自分は『悪』であると謳い挙げる。
 それこそが自分に架した罰。
 それこそが自分に架した罪。
 ――それこそが自分が背負うべき十字架。
 
「――そっか」

 しかし男はそれを切欠にしたかの如く、気の抜けた返事と共にあっさりと首筋から刃をどけた。

 ――訳が分からない。
 何故殺さない?
 生かしておいてもこの男に益は無いはずだ。
 ましてや『悪』だと認めた私に情けなどいらないはず。
 いや、むしろ殺しておいたほうが世の為とも言えるだろう。
 それとも温情でも掛けられたか。
 見た目は只の幼い少女のこの身。
 ――軽く見られたか、この私が……
 腹立たしい。
 怒りの余り後ろを振り返る事もできない。

「貴様――なぜ殺さない? 私は大虐の罪人、貴様如きに情けを掛けられる謂われはないぞッ!?」

 腹立たしい、腹立たしい、腹立たしい!!!
 命を握られ、それをあっさりと無価値だと放り出されたのが腹立たしい!
 ――良かろう。ならば私が貴様の命を貰い、

「――君はさ、悪人なんかじゃない。きっと」

 そんな私の激情を余所に、男はあっさりと、それでいて穏やかな声で言葉を吐く。

「――なん、だと?」
「あ、いや……上手くは言えないんだけどさ、君はきっとそんなんじゃない。さっきの攻撃にしたって別に俺を殺そうとはしてなかったみたいだし……」
「……たったそれだけの事でか?」
「勿論それだけじゃないんだけど……ああ、くそッ、なんて言えば良いんだろうな……その事もあるんだけど、君はさっき自分で自分の事を『悪』だって認めただろ? それは即ち、自分のしてきた事が悪い事だと理解している証拠だ。悪い事だと自覚しながらも、その事を続けなきゃどうしようもなかったと認めている証拠だ。そんな君だ、人を殺してきたって君は言ったけど、そこにはきっと理由があるはずだ。――殺したくて殺したんじゃない。そうしなきゃきっと生きていけなかった……そんな気がする」
「――何故……そう、思う?」
 
 どうしてだろう。
 目の前の男の言葉を聞いていると、先ほどまでの激情が嘘のように穏やかになっていくのが分かる。

「……改めて聞かれると答えに困るし、理屈じゃないんだけどさ。あえて言うなら――自分を自分で悪人だって言える人に、本当に悪い人はいない……そんな気がする」
「――――」

 それこそ何の証拠も無いけどな、と付け足す男。
 その余りにも穏やかな声に思わず振り返り、男の顔を見つめる。

 ――深い瞳だと思った。
 
 真っ直ぐで、厳しくて、悲しくて……それでも優しい瞳だと。
 ……不思議な感じだ。
 この男を身近に感じてしまう。
 先ほどまで戦っていた事すら忘れて。
 心が穏やかになっている。

 不意にパキン、という枯れた音がした。
 よく見れば男は細くて黒い棒状の物を持っていた。
 それは――、

「――ポッキー?」

 そう、それは棒状のスティック菓子にチョコレートをコーティングした定番のおやつ(ビター味)。
 ――それをモグモグ食べていた。

「――貴様、もしやさっきの刃物は……」
「え? ……刃物? いや、流石に女の子に刃物を向けるのはちょっと……な」

 とか言いつつ、またパキッといい音をさせてモグモグと食べる。
 ――つまり、あれか?
 私はこの菓子を突きつけられて脅されていたというのか?
 ――この、『人形使い』『闇の福音』『不死の魔法使い』と恐れられたこの私がか?

「――っ」

 なんたる無様、この私が、私が、――私が!

「――ククク……フハ! アハハハハハハハハハっ!!!」

 ――面白い!
 ここまでコケにされればいっそ気持ちいい!

「ククク……面白い! 面白いぞ人間!! ――気に入った。我が名はエヴァンジェリン。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。――貴様の名を聞こう、人間」

 男は少し面食らった様に呆けた後、

「――俺は士郎。衛宮士郎だ」

 微笑んで、そう応えるのであった。




[32471] 第3話  こんにちは異世界
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2012/03/31 09:25
「――すると何か? 貴様は本当にただ迷い込んだだけだと言うのか?」
「だから最初に言っただろ、気が付いたらここに居たって」
「馬鹿か貴様は。そのような話、普通は信じられるわけが無かろう」
「……だよな。うん、自分で言っておいてアレだけど俺もそう思う」
「まあ、詳しい話はゆっくり聞かせてもらおうではないか……ほれ、着いたぞ。入れ」

 そんな会話をしながら扉を開ける。
 所変わって、思いっきり爆笑されたエヴァンジェリンに、詳しい話を聞きたいと言うことで連れてこられた場所は森の中にあった一軒家。
 先程木の上から確認した時に気が付けなかったのは家の明かりが付いていなかったからの様だ。

「――へえ、いい雰囲気の所だな」
 
 扉を開け、思わず素直な感想が口から出た。
 いわゆるログハウスである。
 いくつもの丸太が重なり合って構築されている温かみのある家だ。
 家の中にはたくさんの人形やらぬいぐるみやらがあるが、それはこの子の年齢を考えれば微笑ましく思える。

「お帰りなさいませ、マスター。――そちらの方は?」

 そんな風にキョロキョロと辺りを観察していると、奥の方から声が聞こえた。
 親族の方だろうか。――でもマスターって?

「ああ茶々丸、今帰った。こいつは……まあ、只の迷子だ、気にするな」
「……迷子って」

 些か気に入らないが事実なので反論のしようがない。

「了解しました」
「ええと、初めまして。俺は衛宮士郎。ちょっと道に迷ってしまいまして……迷惑だとは思いましたが、お邪魔しています」
「――こちらこそ、ようこそいらっしゃいました。挨拶が遅れました、私は絡繰茶々丸と申します。以後お見知りおきを」

 深々と礼をする茶々丸という女の子。
 礼儀正しい子だなあと感心していると、

「――ん?」

 耳になんか細長い金属でできたセンサーのような物が付いている。
 アクセサリーだろうか?

「茶々丸、日本茶を二つ淹れてきてくれ。コイツには色々聞きたいこともあるからな」
「YES、マスター」

 恭しく礼をして下がる茶々丸。
 俺はそんな彼女の背中を見ながら、エヴァンジェリンへと疑問に思った事を問いかけた。
 
「なあ、マスターって……姉妹じゃないのか?」
「ん? ああ、茶々丸の事か。アイツは私の従者だよ。とりあえず座って待っていろ」
「……へえ?」

 従者ねぇ……ってことはエヴァンジェリンはお嬢様ってことか。
 まあ、納得っていえば納得かもしれない。
 俺の周りの知り合いもお嬢様っていえばこんな感じだし。
 どんな感じとは言わないけど。誰がとか言えないけど。

「……で、俺に聞きたいことがあるって言うのは良いんだが、俺も色々聞きたいことがあるんだけど」
「構わんさ。どうせ時間はあるんだしな」
「そっか。なら悪いんだけど俺から質問してもいいか?」
「好きにしろ」
「……それじゃあ聞くけどココってどこだ?」
「……麻帆良学園都市だ。それすら分からなかったのか?」
「だからホントに気が付いたらココに居たんだって――って、『学園』? ……ここ日本なのか?」
「なにを今更……って、ちょっと待て! 貴様、そんな基本的な所からなのか!?」

 バン、と机を叩いて睨まれる。
 ……いや、だって、なあ?

「だって西洋の建築様式の町並みだし、君だって金髪だしどう見てもヨーロッパとか思うだろ? 普通」
「――まあ確かに客観的に見れば確かにそうなのかもしれんが……しかし貴様は日本人だろう? 麻帆良学園都市の名前くらい耳にした事はないのか? かなり有名なはずだがな」
「……む」

 そう言われても困る。
 いくら頭を捻ろうがそんな名前は出てこないのだ。

「悪い、やっぱり知らないみたいだ。どうにもさっきから記憶があやふやで、覚えていない事も多いんだけどさ。そのせいだと思うんだけど……でも、おかしいな……情報とか知識とかその辺はそのままあるから知っていれば覚えている筈なんだけど……」
「ふむ、そうか。細かい事は別にいいさ。それより私からも聞きたいんだが――」
「ああ、いいよ。今言った通り記憶がイマイチはっきりしなくてもいいんなら答えるよ」
「では……衛宮士郎とかいったな? それは偽名か?」
「いや、本名だけど」
「ふむ……ならば次の質問だ。貴様は私を狙って来たのではないのか?」
「――は? なんだって俺が君を狙うのさ?」
「――違うのなら構わん。私の名前を狙った賞金稼ぎかとも思ったんだがな。懸賞金は取り下げられても私を倒したとなれば一気に名が売れるからな……しかしそれも検討違いか……」
「まあ、俺も君みたいな長い名前の知り合いはいるけど、聞いた事もないし、狙うとかそんなのは無いからな……」

 長い名前だったら知り合いに結構いるけど、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルという名前に心当たりはなかった。
 そんな感想から、俺はなんと無しにそんな言葉を口にしたのだが、
 
「――待て。貴様、私の名前を知らんだと?」
「へ?」

 けれど彼女はさも意外な物を見るようにして驚いた。
 お互いコイツナニユッテンノって感じで放心する。

「――妙だな。私の名前を知らないだと?」
「全くの初耳だけど……」

 何だ、この子って有名人だったりするんだろうか?
 そんな有名人を知らない俺が悪いのか、なんか妙に迫力ある視線で睨まれても知らないものは知らないので困るのだが。
 ……しかし拙い、早くも粗相をしでかしてしまっただろうか、俺。

「貴様は魔法使い……だよな?」
「いや、魔術師だけど……」
「…………」
「…………」
「――ん?」
「――む?」

 なんか話が噛み合っている様で噛み合ってない?

「……さっきも言っていたが、なんだその魔術師というのは。貴様流の拘りか何かか?」
「や、魔法使いは名乗らないだろ? 普通」
「――」
「――」

 ……まただ、何かがずれている。
 なんだろうこの感じ。
 お互い、過程は合っているのに、前提を決定的に間違えて話しているような、そんな違和感。

「……どうやら話に些か食い違いがあるようだな」
「みたいだな……」
「貴様の母国は日本で間違いないな?」
「ああ、それは確かだ」
「出身は?」
「冬木市ってとこだけど――」
「――そのような地名は存在しません」
「え?」

 背後から聞こえた声に振り返ると、先ほどの茶々丸と言う女の子がお盆に湯のみを載せて立っていた。
 いや、それよりもこの子は今なんと言ったか?
 ――冬木市が存在しないと言わなかったか?

「存在しない? 茶々丸それは確かか」
「はい。日本に『冬木市』という地名は存在しません」
「――冬木が存在しない?」

 待て、一体どういう事だ?
 ここは確かに日本だと言う。
 しかし存在しない冬木の町。

「――――まさか」

 存在しない町。
 存在する学園都市。
 己を魔法使いと呼ぶ少女。
 魔術師という呼び方に疑問を違和感を抱く少女。
 数少ない情報ながら、回答が頭の中でカシャカシャと音を立ててパズルのように組みあがっていく。
 
「……まさか」
 
 しかし、けど、でも、まさか。
 そんな否定文が頭を埋め尽くすが、どうしても結論はある一つの回答を導き出していた。
 その結論は、

「――――異世界?」


◆◇―――◇◆


「――――異世界?」

 そんな呟きが目の前の男から聞こえた。

「なに、異世界だと?」

 そんな突飛な発言に、思わず呆れかけるが……

(いや、むしろその方が話の辻褄はあうのか?)

 微妙にずれる会話。
 存在しない町。
 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの名前を知らない男。
 先ほどの戦闘が全力とは思えない事から、実力の底はまるで見えては来ないが、恐らくは戦闘能力AA+のタカミチすら凌駕しかねないほどの手練手管を見るに、かなりの実力者の可能性が高い。
 そんな男が全くの無名という事実。

「――なるほど、異世界か。それは予想外だったがあり得ないことではないな」
「いや、けど!」
「なに、類似点は多いようだが全く同じ世界というわけでもなさそうだ。違いを挙げていけばすぐにわかるだろうさ」
「……そう、だな。じゃあまず確認なんだけど」
 
 そうして話す事数分。
 結果は、やはりこの男は異世界から迷い込んだ可能性が極めて高いようだという事に至った。
 魔術と魔法の違い。
 魔術協会と呼ばれる組織形態。
 魔法界が存在しないと言う世界。
 類似点は確かに多いが、世界を構成するシステムからしてあまりに違いが多すぎる。

「――ふむ、話をまとめると十中八九貴様は異世界から迷い込んできたようだな」
「……認めたくはないけどそのようで」

 ハァ、と大きなため息をつきながら男は現実として今の話を認めたようだ。

「……慌てんのだな、貴様は」
「え? ……ああ、そりゃ驚いてはいるさ。目が覚めてみたら違う世界だなんてまるで映画みたいな話だ」
「その割には随分落ち着いているように見えるのだが?」
「まあ、慌てても現状が変わるわけでもないし、それに――」
「それに?」
 
 すると男は、何処か悟ったように、それでいて何かを諦めているような、そんな遠くを見る虚ろな目をして、
 
「――こういう事に陥る元凶になりそうな人物に少々心当たりが……」
「…………」
 
 ……異世界に飛ばされるような元凶になる奴ってどんなだ?
 それに心当たりのあるコイツの人間関係がイヤ過ぎる。
 
「と、とりあえずだ。これからお前はどうするのだ?」
「……これから? これからって言われてもな。――状況把握もまだまだなんだからな、とりあえず情報を集めてなんとか帰る方法を探すしかないんだろうけど。それもいつになるやら……って、まずい、俺お金とかもないんだった」
「なるほどね」

 まあ、私に関係の無いところでなら幾らでも問題を起してくれて結構。
 存分に自分探しの旅でもなんでもやってくれ。

(――ん? 待てよ?)

 しかし、そこで妙案が頭をよぎる。
 これは……使えるんじゃないか?
 
「――おい、貴様」
「ん?」
「だったら私が職を案内してやろう」
「え? 本当か!?」
「――ああ、本当だとも。一挙両得の妙案だ。ククク、我ながら素晴らしい手を思いついた物だ」

 そうだ、コイツに私の仕事を全部押し付けてやればよいのだ。
 こんな面倒な呪いのせいで一々私が出張る事になっている手間を、全てこいつにやらせれば良い。
 腕は申し分ない無いはずだろうし、ジジィも文句は言うまい。


◆◇―――◇◆


「――ああ、本当だとも。一挙両得の妙案だ。ククク、我ながら素晴らしい手を思いついた物だ」

 そう言って、くつくつと笑うエヴァンジェリンに一抹どころではないレベルでの不安を覚える。

(――あれは良くない、良くない笑みだ!)

 幾多の経験から鍛え上げられた危機回避能力が警鐘を鳴らす。
 しかし、それを拒むと、これから以後立ち行かなくなるのも事実。
 よって回避不能!
 全く持って役に立っていない危機回避能力に我が事ながら若干凹む。

「それは助かるけど……なんでそんなに良くしてくれるんだ?」

 とりあえず自分を鼓舞して疑問をぶつけてみる。
 考えてみれば初対面、それも最悪の出会い方をしているはずなのに……

「なに、慈善事業じゃないんだ、目的はある。ま、それでも一番大きな要因は――面白そうだからだな」
「――は?」

 これは全くの予想外の回答。
 一番の要因が善意でも無く、損得勘定でもなく、ただ面白そうだからと言う興味だと?

「そんな変な顔をするな。私だってな、退屈じゃなければ貴様のような輩に一々興味など持たん」

 俺が不意打ちの回答に間の抜け顔を晒したせいか、若干不満げに、ため息交じりで言う。

「ただ封印のせいでこんな所に15年も拘束を余儀なくされている上、力も出せないとなると退屈は私の大敵なんだ。少しでもそれが紛れるなら偶には気まぐれも悪くは無いさ」
「そうか……」

 一応は目的らしい物はあるっぽい。
 けれど退屈凌ぎってどうなんだろう?

「――ん?」

 それよりも一連の会話の中で奇妙な引っかかりを感じた。
 はて、俺の聞き間違いだろうか?

「……15年?」
「ん? そう言ったがなんだ?」
「……………………誰が?」
「私がだ」
「――――」
「……おい、待て貴様、今のその間はなんだ?」
「イヤ、ナンデモナイデスヨ?」
「何故片言になる。――貴様、よもや私が見た目通りの年齢だと思って餓鬼扱いしたのではあるまいな」

 ごめんなさい。思いっきり思ってました。

「――正直、小学生位かと……」
「――ほう?」

 スーッ、と目が細る。
 ヤバイ。
 地雷を踏んでしまった感がある。
 今こそ働け俺の危機回避能力よ! この場を切り抜ける最適の手段をこの手に——ッ!

「――ふん、まあいい。貴様を怒鳴っても意味の無い事だ。それにあながち間違いとも言えんしな」
「え?」

 けれど現実は俺が思っていたよりも穏やかな声と回答だった。

「確かにこの身は10歳の年齢のままだ、お前が勘違いするのも無理は無いだろう。だが、真祖となって数百年、貴様のような若造に子供扱いされる謂れはないぞ」
「――――」

 驚いた。
 なにが驚いたかって話しに出てきた二つの単語。
 まず『真祖』。
 俺がいた世界なら真祖はそれこそ最強の存在だ。
 なんでも、世界そのものとリンクしていて、そこから力を引き上げるらしく際限が無いと聞く。
 倒すにはそれこそ世界をも倒すような、とんでもない概念武装が必要らしい。
 そんな相手に俺が勝った? 有り得ないだろう。
 しかし、それもここが異世界だとするなら、世界そのもののシステムが、根本からして違うのだから、存在そのものが違うのだという事が分かる。
 けれど『数百年』?
 その言葉に引っかかりを感じる。

「仲間は……」
「なんだ?」
「仲間とかはいるのか? その真祖の仲間って」
「はん、そんなものいらんよ。他の連中は知らんがな、私は群れるのが嫌いなんでね」
「……そうか」

 許せなかった。
 なにが許せなかったって、仮に見た目だけだとしても、こんな女の子が数百年もの長い時を一人で歩んできたということだ。
 けれど、そんな事をとやかく言える権利は俺には無い。

「ふん、つまらん話をしたな。――おい、茶々丸」
「はい」
「コイツに寝床を与えてやれ、適当でかまわんぞ」
「わかりました」
「え?」

 暗くなった思考から起き上がると、これまた予想外の展開。

「な、ちょ、まっ! ……い、良いのか?」
「なに、乗りかかった船だ。この程度の事は面倒みてやろう」
「……すまん」

 何から何まで、と申し訳ない気持ちになるがここはありがたく受け取っておこう。実際問題として、俺には行く当てなんかまるで無いのだから。
 それで用は済んだのか、じゃあな、と二階に向かおうとする小さな背中。

「あ、その前にもう一ついいか?」
「なんだ? まだ何かあるのか?」

 俺がそうやって呼び止めると、エヴァンジェリンは手すりに手を掛けたまま、首だけでさも面倒そうに振り返った。

「名前で呼んでくれないか?」
「……は?」
「だから名前。さっきから俺のこと『貴様』とか『お前』ってしか呼んでないだろ?」
「――はん、下らん」
「そうは言ってもな、いつまでもそんな呼び方されたら誰が誰だか分からなくなるだろ? 俺もエヴァンジェリン……は呼びにくいな。良かったらエヴァって呼んでいいか?」
「どうでもいい、好きにしろ」
「そうか、俺の事も好きに呼んでくれて構わないからさ」
「それこそ私の自由だろう、だったら貴様で十分だ」

 そう言い残して階段を上っていく。
 やれやれ失敗したかな、などと心の中でため息を吐く。
 それでもとりあえず、

「おやすみ、エヴァ」

 返答を気にせずその背中に声掛ける。
 けれど返って来た反応は予想外で、

「ああ、おやすみ――」

 それがなんだか嬉しくて、

「――士郎」

 そんな些細なことに、自身の頬が緩むのを感じたのだった。






[32471] 第4話  絡繰茶々丸
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2012/04/07 11:58
「申し訳ありません、なにぶん急だったものでこのような場所しか準備できず……」
「いや、そんなに気にしなくても、俺にはこれでもう十分すぎる程ですから」

 エヴァに言われた茶々丸が寝具一式を手渡してくれる。
 部屋はあるにはあるらしいのだが、荷物などで埋まってしまっているらしく、比較的まともなのはリビングのソファーしか開いてなかったのだ。
 それでも、土蔵で寝る事が半ば習慣となっていた俺からみれば、この状況は諸手をあげて感謝するような好待遇だ。

「……あの、私にそのような敬語を使う必要はありませんよ?」
「え? けどそれだと失礼になるのでは?」
「そのような事はありません。私はマスターの従者ですから、かえってそのように畏まられると私としてもやりにくいですので……それに私は衛宮様の年下にあたりますので」
「……そっか、ありがとう。じゃあそうさせてもらうよ」
「ええ、そのように――では、これを」
「有難う、茶々丸」
「いえ」

 そこでふと見慣れないものが目についた。
 寝具一式を受け取った時に見えた腕の関節部分が、明らかに普通の人間と違う。本来ならば皮膚によって覆われているべき部分が、まるで人形の関節部分のようなモノで出来ているように見えたのだ。
 もしかして、

「あの、もしかしたら失礼な事聞くかもしれないけど……その間接って」
「これですか? ……ええ、お察しの通り私は人間ではありません」

 そうか、ではやはり魔導人形だろうか。
 そういえば戦闘中にエヴァが『人形遣い(ドールマスター)』と、言っていたのを思い出す。そもそも魔導人形というものを直にこの目で確認するのは始めてたが、言葉の受け答えや、動作などが余りにも自然すぎてほとんど人間と言って良いほどだ。いや、実際その関節に気が付かなければ、俺もずっと人間だと思っていたに違いない。
 しかし、そんな風に考えていた俺に返って来た答えは、

「私はロボットです」
「……ソウデスカ」

 思わず片言になる。
 そうと来たか……、と内心呟く。
 元いた世界とこっちの世界の差は先ほど理解したつもりだったが油断していたようだ。まさか、魔法使いの家にロボットが住んでいるとは……

「正確にはガイノイドですが」

 それが何か? って感じで返される。
 一瞬あまりの世界の違いに挫けそうになるがなんとか堪える。

「いや、なんでも。不躾なことを聞いて悪かったな」
「いえ、お気になさらないでください」
「うん、有難う。あ、そうだ茶々丸も俺のこと好きに呼んでくれ、そっちだってそんな風に畏まった呼び方だと窮屈だろ」
「……では、衛宮様と」
「……年下の女の子に『様』付けはゾッとしないな、もっと砕けた風に呼んでくれたって良いんだぞ。エヴァだって士郎って呼んでたんだから」
「女の子……ですか?」
「そうだけど……それがどうかしたか?」
「――あ、いえ。では、士郎さんと」

 俺の言葉に不思議そうに首を傾げながらそうつぶやいた茶々丸は、何を言われているのか分かっていない様な、ボーッとした表情でそう応えた。

「ああ、そうしてくれると俺も助かる。じゃあ、おやすみ茶々丸」
「――おやすみなさいませ、士郎さん」

 では、と深々とお辞儀をして茶々丸は立ち去っていく。
 彼女は最後まで年下の女の子? とか呟いたまま、その背中は見えなくなった。

「……うん。まだ、よく分からないけど良い子である事に間違いはなさそうだ」

 そんな些細な出来事に妙に嬉しい気持ちになって、受け取った毛布に身体を包み、ソファーで横になる。

(なんだか良い夢でもみれそうだ……)

 そうして穏やかな眠りへと落ちていく。
 突然とんでもない事態に巻き込まれてしまったようだが、存外の良い出会いに思わず暖かい気持ちになる。明日からはどうなるか分からないが、少なくとも今、この瞬間はそんな幸福感に包まれたっていいだろう。
 こうして異世界での最初の夜は更けていったのだった。


◆◇—————————◇◆
 

 朝、柔らかい鳥のさえずりで目が覚めた。
 薄く開いた目に映る、見慣れない光景に疑問を抱くが、瞬時に昨晩のやり取りを思い出す。
 夢であって欲しいとは思ったが、どうにも現実らしい。
 はあ、と溜息を一つ零してしまうが、眠気を払うように、よっ! と勢いをつけてソファーから起き上がった。
 周囲を伺ってみるが人の気配は無く、窓から見える朝靄の景色にまだ早朝であることに思い至った。
 
「……まだ流石に誰も起きてないか」
 
 なんとなく外の空気が吸いたくなりソファーから腰を上げ、出来るだけ音を立てないように、ゆっくりとした足取りでドアへと向かう。
 木でできたドアに手を当て、外に出て大きく息をする。
 
「んんっ……はあ」
 
 思い切り伸びをしながら息を吸うと、朝露を含んだ冬の冷たい空気が軽く残っていた眠気を吹き飛ばしてくれた。
 肺を満たす空気はどこまでも清々しく、森の香りを含んだそれは、ただそこにいるだけで気分をリフレッシュさせてくれるようにすら思える。

「良い所だな――」
 
 そんな穏やかな朝の光景に、しばらくボーッと早朝の森を眺めていると家の中から気配を感じた。
 誰かが起きて来たのだろう。
 
「お早う御座います、士郎さん。ずいぶんと御早いのですね?」
「ああ、お早う茶々丸。そういう君だって随分と早いじゃないか」
 
 茶々丸の言葉に軽く苦笑しながら振り返ると、エプロンドレス姿の茶々丸がいた。
 丈の短い黒のワンピースに、白のフリルがたくさん着いたエプロンドレス。所謂メイドさんだ。やっぱり従者というのだからこういう格好が基本なのだろうか。リズとかセラもそんな感じだったし。まあ、あっちのように頭巾まではしていないけど。
 
「へえ、随分と可愛らしい格好だな」
「――ありがとう御座います。……朝食まで時間があります、紅茶でもお淹れ致しましょうか?」
 
 む、ここまで世話になりっ放しというのは幾らなんでも気が引ける。俺は一晩の居候であって、お客様ではないのだ。
 ならば、と思い提案してみる。
 
「あのさ、ちょっと提案があるんだけど……いいか?」
「はい、なんでしょう?」
「世話になりっ放しっていうのもなんだから、お礼って言う訳じゃないんだけど、朝食は俺に作らせてもらえないかと思って」
「朝食を……ですか?}
「ああ、駄目か?」
「駄目……ということは無いのですが、その……」
「ん?」
 
 茶々丸はなにか言い難そうにしているようだが、やがて意を決したようにこちらを見た。
 
「大変失礼なのですが、あの、お料理……できるのですか?」
 
 申し訳なさそうに聞いてくる茶々丸に、それもそうかと一人納得する。
 考えてみれば普通、男がまともに料理ができるとは一般常識的に思わないだろう。
 
「ん、それは大丈夫だと思ってもらっていいと思う。これでも家事全般は小さい頃からやってたから結構自信あるんだ」
「………わかりました。では、私もお手伝いという事でご一緒します」
 
 少し考えたようだがなんとか条件付で許しを貰えた。
 
「よし、じゃあ、早速だけど準備しよう。二人とも何か食べれない物とかあるか?」
「マスターはニンニクとネギが食べられません。私は食べ物自体食べる必要がありません」
「え、なんでさ?」
「ロボットですから」
 
 淡々としたやり取りに、そう言えばと思い至る。
 こうして接していると、普通の女の子と全く変わらないため、その部分が完璧に頭から抜け落ちていた。
 
「そう言えば、そうだったな」
「はい」
「えっと……じゃあ、何も食べないのか?」
「食べられない事もありませんが、飲食は全てフェイクです。せいぜい成分判別、計測程度の意味しかありません」
「……じゃあ、エヴァが食べてる間は?」
「後ろに控えておりますが?」
「――」
 
 その光景を想像して思わず押し黙ってしまう。
 ……それは、寂しい事ではないだろうか?
 数百年の時を一人で生きてきた少女。
 片や必要が無いからと言って食卓につかない少女。
 俺の記憶の中での食卓はいつも団欒だ。
 騒がしい事も多かったけれど、それは全て暖かい記憶だった。
 それに思い至ると、知らずと口が動いていた。
 
「食べれない事は無いんだろ?」
「は? ……ええ、まあ」
「だったら食べなさい」
 
 若干強い口調で強制する。
 
「え? ですから意味はないと――」
「意味はなくたって理由はあるだろ」
「……理由?」
 
 小首を傾げる茶々丸。
 その行動自体に意味は無くたって構わないんだ。それを成す理由さえあれば。
 その理由だって別に難しい事なんかじゃない。
 だって、
 
「――家族なんだろう? 理由なんて、それで十分じゃないか」
「――」
 
 これは俺の我侭だろう。
 だけど、押し付けがましいと思っていても、どうしても許容できなかった。
 子供のような我侭であろうと、一緒の家に住んでるのに孤独を感じるような少女達を見たくはなかったのだ。
 
「見てろよ、俺が”これぞ朝食”ってやつを作ってやるからな」
 
 そう、言い残してキッチンに向かおうとする背中に、
 
「――ありがとう御座います」
 
 そんな穏やかな言葉が聞こえたけれど、聞こえない振りをして朝食の準備を始めた。
 
 
◆◇—————————◇◆
 
 
 しばらくすると茶々丸に起されたエヴァが起きてきた。
 
「おはよう、エヴァ」
「……あ、ああ、うむ。で、――なにしてるんだ、お前は?」
「……なんだよ、その思いっきり怪訝そうな目は。朝食の準備だよ」
 
 半眼で胡散臭そうなものを見るような目るエヴァに、見て分からないのか、と言外にこめて答える。
 
「そんな事は見れば分かる。私が言っているのは何故お前が作ってるんだ、と言う事だ」
「世話になりっ放しっていうのもなんだからな、せめてもの恩返しみたいなもんだよ」
「……ふん、食べられるんだろうな。――茶々丸?」
「ええ、お隣で手伝わせていただきましたが、手付きも大変見事でなにも問題ないかと思われます」
「ならば食べてやる、士郎、準備しろ」
 
 どっかの金ぴか王様発言みたいだ、と内心呆れつつも茶碗にご飯をよそう。
 
「ほう、珍しい。和食か」
「そうだけど……嫌だったか?」
「そんな事はないがな、只、普段は洋食がメインだったからな……ん? どうした茶々丸」
「いえ、あの……」
 
 やっぱり普段からこういった事は無いのだろう。
 俺の勧めで食卓に座った茶々丸に対して、エヴァは疑問の視線を向けていた。
 そんな、言いにくそうにしている茶々丸の代わりに俺は口を開いた。
 
「ああ、俺が無理矢理誘ったんだ。一人で立っているのも可哀想だったからさ」
「だが、茶々丸は――」
「知ってる。でもこういうのも良いもんだろ?」
「……ふん、物好きな男だ」
「……申し訳ありません、マスター」
「なに、気にするな。確かにこういうのも偶には良いものだ」
「……ありがとう御座います」
「さ、折角作ったんだ。暖かいうちに食べてくれ」
「言われんでも食べてやるさ。ただし不味かったら覚悟しろ?」
 
 俺は一体何を覚悟すれば良いんだろうか、と思いつつもエヴァが味噌汁を口に運ぶ様子を見守る。
 
「――ほう」
 
 これといった感想は貰えなかったが、何処と無く上機嫌に箸を進めるエヴァに微笑みながら茶々丸にも勧めてみる。
 
「さ、茶々丸も」
「はい、では――頂きます」
 
 丁寧に手を合わせてお辞儀する茶々丸に軽く感心する。
 本当、この子はロボットなんだろうか。
 
「――――」
 
 真似事とはいえ、味噌汁を口にする茶々丸はどことなく柔らかい表情をしていた。
 それに満足し、俺も食事を進める。
 
「あ、エヴァ。お前、箸の持ち方間違えてるぞ」
「うるさいな、いいだろう。そんな事」
「ダメだ。そんな事だと大きくなった時に恥をかくぞ」
「私はお前より年上だ! 子ども扱いすなッ!!」
「ほら、いいか? こうやって人差し指と中指で挟んでだな――」
「あ、こら! 話を聞かんか! やめろと言っているだろうが!! 母親か貴様は!?」
「マスター、そんなに楽しそうに……」
「茶々丸! お前もボケたこと言ってないで止めろ!!」
 
 そうして朝食は賑やかに過ぎていった。
 



[32471] 第5話  仕事を探そう
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2012/04/07 11:59

 
「おい、仕事を紹介してやる。付いて来い」
 
 朝食を終え、私がやりますからいやいやこう言うのは居候の仕事いけません貴方はマスターのお客様なのですから、というやり取りの末、茶々丸から半ば無理矢理に皿洗いの仕事を奪い片付けていると、制服姿の二人が現れ声を掛けられた。
 ……って。
 
「エヴァ、その格好……何?」
 
 なんだろう、そのいかにも学生服っぽいブレザーは。しかも茶々丸も着てるし。
 なんだ、アレか、これが噂のペアルックか。
 
「見ての通り制服だ。そんな事も分からんのか。馬鹿なのか?」
「…………」
 
 あれ? なんだろう、今すごく自然に罵倒された?

「……いや、じゃ無くてだな。俺が言ってるのは何で制服なんか着てるんだって言う事なんだが」
「そんなもん、学校に行くからに決まっているだろう。それすら理解できんのか。アホなのか?」
 
 ま、またさり気無く罵倒された! 何なんだろうこの子は、語尾が他人を罵倒する言葉とかそんな感じのキャラなのか!? だったら是が非でも矯正をオススメする! 
 
「い、いや、だからだな。俺が言いたいのはなんで学校なんかに行くんだって話! 大体、お前何歳だよ。昨日は数百年とか何とか言ってただろうが」
「少なくとも貴様の数十倍は生きてるだろうな」
「だろう。だったらなんで今更学校なんかに?」
「……仕方あるまい。そのような縛りを受けて封印されてしまっているのだからな」
「そういえばそんな事も言ってたな。大体、なんなんだ? その封印ってのは」
 
 もしかしたら俺が何かの力になれるかも、そんな事を考えながら尋ねてみると、エヴァは苦々しく顔を歪め、絞り出すような声で、

「…………無限登校地獄」
「――は?」
 
 なんだろう、今、どう考えても封印とかそんな術式には到底聞こえない名称が聞こえたが空耳だろうか。うん、きっとそうに違いない。
 
「……すまんエヴァ。もう一回言ってくれるか」
「……だから無限登校地獄だと言った」
 
 どうしよう。聞き間違いじゃなかった。
 いや、どうしようもないんだけど。
 
「…………なんだその封印。掛けたヤツはアホなのか」
 
 思わず率直な感想が口から出てしまうが、こればかりは仕方ないだろう。
 
「正確に言えば封印と言うより呪いなのだがな。あと、お前の感想には全面的に同意しよう。かけた奴はアホなのだ」
 
 エヴァはそう言うと、疲れたように大きなため息を吐くが、気を取り直すように頭を振った。
 
「まあ、それは今はどうでもいい。で、行くのか? 行かんのか?」
「え、いきなりか? 俺はてっきり早くても夕方くらいかと思ってたんだけど……」
「なんだ、イヤならいいぞ」
「誰もそんこと言ってないだろ」
 
 急かすエヴァに苦笑しながら最後の一枚の皿を洗い終える。
 
「で、何処に行くんだ?」
「付いてくれば分かる」
 
 エヴァはそうやって言い捨てると、こちらを待つ素振りすら見せずに一人で玄関を潜り、とっとと先に行ってしまう。俺と茶々丸はそんな彼女の後を慌てながら追うのだった。
 そうやって三人、朝の森の中を歩く。
 昨日は夜だった事もあって分からなかったが、この森は随分と綺麗だという事に今更ながら気が付く。確かに木々は生い茂っているが、それでもキチンと地面まで日の光が落ちている所を見ると、最低限ではあるものの人の手が加わっているのが伺えた。今歩いている道だって、舗装はされていないにしても、キチンと踏み固めらており、車の1台程度だったら通行も可能だろう。
 そんな環境のせいか、どことなく朝一から森林浴をしているようで気分が良い。
 ……まあ、季節的に冬なのでかなり肌寒いのが難点だが。
 そんな事を考えながら、一人先を歩くエヴァの小さな背中を茶々丸と並んでテクテク歩いていると、ふと、今朝のことが気に掛かった。
 
「そういえば、どうだった朝食は?」
 
 先を歩く背中に問いかける。
 さっきの様子から不評とは思わないけど一応気になったんで聞いてみた。
 
「……また作ったら食べてやる」
 
 振り返らず、言葉少なに答えるエヴァ。
 表情が伺えないので、良いのか悪いのか判断に迷うところだ。
 
「あれでもマスターは大変気に入っているんです」
「……そうなのか?」
 
 茶々丸のフォローに顔を顰めるが、茶々丸はただ、はいと微笑むだけだった。
 
「茶々丸、余計な事は言うな、――ほれ、見えてきたぞ」
 
 エヴァの言葉に視線を前へ向けると、ちょうど朝日が逆光になっているのか、その眩しさに一瞬目が眩んだ。手で日の光を遮るようにして、目が明るさに慣れるのをす数瞬だけ待つ。
 そうして開けた視界の先には、
 
「――うお」
 
 感嘆の声しか出なかった。
 行き交う人々の多さに。
 西洋風に統一された美しい町並みに。
 そうか、これが、
 
「――これが、麻帆良学園都市だ」
 
 俺の心情を読んだかの如く言う。
 予想以上の光景に呆けている俺の様子にエヴァは、フッと笑うとこっちだと先を促した。
 俺はそれに、始めて上京した田舎者のようにキョロキョロしながら続くのだった。
 
「着いたぞ、ここだ」
 
 大きな建物の中に入り、暫くエヴァの先導によって歩いていると、そう言って一つの部屋の前で足を止めた。
 なんと言うか、立派な扉だ。さぞかし地位の高い人がいる部屋なのだろう。
 そんな扉の表面にの札には『学園長室』と書いてある。
 いきなり学園長か、と思わなくも無いがここまで来たらエヴァを信用するしかあるまい。
 
「おいジジイ、いるか」
 
 そう言ってノックも無しに乱暴に扉を開け放ち、躊躇なく中へと進むエヴァ。
 いいのかよ、と心の中で突っ込むが、隣の茶々丸もこれといった反応をしていない事から、別段変わった行動という訳でもないのだろうか。
 
「何じゃ、誰かと思ったらお主か。どうしたじゃ、こんな朝から」
 
 奥の机に腰掛けていた仙人のような顎鬚と立派な福耳を持った老人が、さして驚いた風でもなく顔を上げた。恐らく彼が学園長なのだろう。
 
「喜べ。今日は私がわざわざ良いアイディアを持ってきてやったぞ」
「ほう? それは珍しい事もあるものじゃな――で、後ろの人物は?」
 
 その視線が俺を捕らえて不審気に眉を潜める。
 
「コイツの事を含めて今説明してやる」
「……聞こうかの」
 
 それからエヴァは学園長に事の成り行きを説明し始めた。
 昨夜、学園の結界を超え、侵入してきた事。
 その後、エヴァに捕らえられ一時拘束し、危険が無いと判断し拘束はしていないが記憶が曖昧という事で保護した形を取っていると説明した。
 これには正直助かった。
 馬鹿正直に異世界からやって来たなんて分けの分からない事を言うよりは、こちらの方がまだ信憑性はあるし、変な誤解を招く可能性も幾分か低いだろう。
 
「……なるほどの、事情は分かった。これだけは確認しておくが本当に危険はないのじゃな?」
「ああ、この私が保証してやる」
「……あい分かった。お主を信用しよう。……それで? 良いアイディアとは何じゃ?」
「この前、人手が足りないとぼやいていただろう?」
「ほ? ……ああ、学園広域指導員や警備員のことかの?」
「ああ、それだ」
「まあ……の。もともと指導員の方は主に高畑君にまかせきりだったしの……それが最近は高畑君への本国からの召還が多くて、こちらを留守にすることも頻繁じゃからな……」
「知っている。そのせいで私にまで余計な仕事が回ってくるんだ」
「フォフォフォ、まあ、そう言ってくれるな。……それで、この話に彼がどう関わってくるのだと言うのじゃ?」
「私は、コイツを学園広域指導員に推薦する」
 
『――は?』
 
 あ、学園長とかぶった。
 ではなくて。
 指導員だって? 俺がか? 教員免許持ってないんだけど?
 エヴァの突拍子の無さに軽く眩暈。
 
「――これは唐突じゃな。理由を聞いてもいいかの?」
「ハン、そんなの単純だ。学園広域指導員などと長ったらしい肩書きなど、ようはこの学園で起こる馬鹿騒ぎを止めるだけだろう? なら十分だ。腕は立つ、人格も恐らく問題ないだろう。そしてこいつは現在職なしだ」
 
 他に何かあるか? と付け加えるエヴァ。
 ……驚いた。
 何が驚いたってエヴァが建前だけかもしれないが俺を認めているのだ。
 素直ではないと分かっていたが、逆にこうやって間接的にとは言え褒められると照れくさい物がある。
 その上、隣でこっちを見ながら微笑む茶々丸の笑顔に更に照れてしまう。
 
「ふむ。衛宮、士郎君……と言ったかの?」
「は、はい!」
 
 突然話を振られてアセってしまう。
 見ると、学園長は鋭い眼差しで俺を見ていた。
 それはそうだろう。記憶喪失で目が覚めたら知らない所にいたなどと言う人物など、我が事ながら胡散臭いにも程がある。
 
「ワシは立場上、おいそれと君を雇う事は出来ん。いくらエヴァからの紹介だと言ってもの。しかも君は記憶が混乱していると言う。ならば普通の仕事の面接のようにもいくまいて……さて、そんな君にワシはどういった質問をすればいいんじゃろうな?」
「……それは」
 
 それは、俺には答えることの出来ない質問だ。
 事情を説明する? 嘘で塗り固める? それとも無言を貫き通すのか?
 どれもが否だろう。
 どこの馬の骨とも知れない男が多くの言葉を重ねたとしてもあまり意味は無く、嘘を吐くなんてもってのほか。かといって無言でいたら何も伝えることが叶わないからだ。
 
「……おい、ジジィ」
「ふむ、意地悪なことを聞いてしまったかの。ならば2つだけ質問させて貰おう――君は信用に足る人物かの?」
「――さあ、自分では分かりません。けれど、自分で言うのもなんですが、こんな素性の知れない男を懐に入れるのは危険だと思います」
「正直じゃな。質問を変えよう、覚えている範囲で良い――君の目標とはなんじゃ?」
「……目標ですか」
 
 鋭い眼光で瞳を覗き込まれる。
 目標、と言ったら一つしかない。
 俺が俺であるために張り通さなければならない鋼の誓い。
 ならばその質問に答える回答は一つしか存在しない。
 
「———正義の味方になる事です」
 
 だから俺は胸を張ってそう答えた。
 
「——————」
「——————」
「——————」
 
 俺の答えに三者三様で絶句してしまう。
 そして、
 
「――ップ! ククク……フハ! アハハハハハハハハハッ!!!」 
 
 エヴァ、超爆笑。
 後で苛めておこうと思う。
 
「……なるほどの、つまり『偉大なる魔法使い』か……その言葉に偽りは無いな?」
「ご立派です、士郎さん」
 
 そんな反応されるとこっちも困ってしまう。
 けれど、その言葉に嘘偽りは無い。
 恥じる部分だってない。
 その思いを込めて学園長の視線から逸らす事なく頷いて答えた。
 
「———うむ、良い目じゃ。……良かろう、君を学園都市広域指導員として迎え入れよう」
「! あ、ありがとう御座います! けど……本当にいいんですか? さっきも言った通り素性も知れないのに……」
「なに、これでも人を見る目に自信はあるでの。それともなにかの? 君は何か企んでいるというのかの?」
「そんな事はないんですが……」
「まあ、それはそれとして、じゃ……学園広域指導員、それだけというのもなんだか収まりが悪いのう、基本的に学園広域指導員は教職員が受け持つ副職のようなものじゃしな……衛宮君、他に特技とかないかの?」
「特技……ですか? そうですね……強いて言うなら料理とか機械いじりぐらいですかね」
「ほう、料理か! それはどれ程の腕前じゃ?」
「どれ程といわれても……」
 
 答えようが無い。
 まさかここで実際に作るわけにもいかないし、どう説明しようかと悩んでいると、
 
「そいつは結構やるぞ。今朝食べてきたがなかなかだった」
 
 思わぬところから助け舟が出てきた。
 そんな彼女を学園長が物珍しそうな表情で彼女を見た。
 
「ほう、お主が認めるとは珍しい。そうなると間違いはなさそうじゃな。これまた都合の良いことじゃ」
「と、言うと?」
「うむ、つい先日の話じゃが中等部学生寮の近くの飲食店が、店主の結婚を期にやめてしまってのう。うちは全寮制でな、利用者も多かった店なんで困っておったんじゃ」
 
 とりあえず、ハァとか適当に相槌うってみる。
 いや、流石に俺もそこまで話を聞けば、その先の流れもなんとなくだが予想できるけど……いいんだろうか?
 
「どうじゃ、そこで店をやって見る気はないかの?」
 
 ほら、来た。
 見事に予想通りの流れ。
 でも、少し心揺れる提案だ。
 俺が店を……か、しかしやってはみたいがやはり駄目だろう。
 俺は資格とか持ってないし。
 
「……やってはみたいんですけど、それは流石に無理だと思います。俺、資格とか持ってないですし」
「良い、ワシが許す」
「……や、ほら。調理師免許とか食品衛生とかあるじゃないですか」
「なに、この都市に集まる食材は特に厳しい検査を受けているし、大抵はちゃんと洗ってやれば、まあ問題ないじゃろ」
 
 ――学園長、それは問題発言です。
 
 いいんだろうか? そんな適当で。
 俺が、資格とか免許がどうとか言っているのが馬鹿らしく思えてきた。
 
「クックック……いいじゃないか、労働は尊いものだぞ士郎?」
「……簡単に言うなよ、人事だと思って」
「人事だからな、簡単に言うさ」
 
 でも、そこまで言ってもらえるならやってみるのも吝かではない。
 
「……分かりました。どこまでできるか分かりませんが頑張らせてもらいたいと思います」
「おお、そうか、引き受けてくれるか! では早速じゃが鍵を渡しておこう。それと開店の支度金も昼位までには準備しておくので後で取りにきなさい。無論これはきっちりと返してもらうがの」
「なにからなにまですみません……」
「いやなに、こちらからお願いしたんじゃからな、この程度は当然じゃろうて。後は……そうじゃな住む場所くらいか。生憎、店舗には居住スペースはついてないからの。衛宮君、昨晩はどこに?」
「昨日ですか? 昨日はエヴァの所に世話になりましたけど」
「――――ほう、それは本当に珍しい。そなたが、の。…………しかしそうか、ならば話は早い。エヴァよ、お主の所に彼を住まわせてやってくれんか?」
「は? 私の家にだと? …………ったく、面倒な。――しかしまあ良いだろう、地下なら開けれるだろうから、そこでも構わないなら好きにしろ」
 
 エヴァは心底どうでもいいといった風にだが、やけにアッサリ同意した。
 
「って、え? いいのか?」
「ああ、変なものを拾ってきてしまったのは私だからな。その程度の責任はとらねばなるまい」
「拾ってきたって……犬とかネコじゃないんだから」
「なに、それよりは便利に使ってやるから安心しろ」
 
 その言葉のどこに安心できる要素があるのだろうか。それって逆に安心できない発言だと思う……。
 
「フォッフォッフォッ! うむ、これでとりあえず話は纏まったの」
「はい、ありがとう御座います、学園長」
「うむ、衛宮君は明日の朝にでももう一度ここに来てくれんかの? まず先任の指導員を紹介するからの」
「はい、分かりました」
「では、衛宮君はこれからどうするんじゃ?」
「――そう、ですね。まず店の方を見させてもらいたいと思います。地図とかなんかありますか?」
「――その必要はない。私も一緒に行くからな」
「え? エヴァが?」
 
 着いてくるというエヴァに、目線で学園長に良いんですか? と聞いてみる。
 考えてみれば彼女は登校地獄とか言う、なんだか良く分からない呪いのせいで、強制的に登校しなければならないと言っていたのだが。
 
「ワシとしてはできるだけ授業に出て欲しいんじゃが……」
「イヤだね、くだらない」
「ふう……仕方あるまい。今日は衛宮君の学園案内ということで大目に見よう。それが学園行事の一つであるとすれば、恐らく呪いも反応はせんじやろ」
「マスター、私はどうしましょう?」
「お前はとりあえず出ておけ、タカミチの奴も今日から出るんだろう? いちおう概要だけでも説明しておけ」
「はい、分かりました」
「では、失礼します。ほら、行こうか、エヴァ」
「ああ」
 
 学園長室の扉を後ろ手に閉じ、何とか上手く物事が進んだことに安堵の息を漏らした。
 これで何とか当面の生活は確保したか。
 そうして茶々丸はこれから授業にでなければならないという事で、そのまま学園町室の前で分かれる事となった。
 
「それではマスター、士郎さんも」
「ああ、付き合ってくれてありがとな」
「いえ」
 
 それでは、と茶々丸はお辞儀をして背中を見せた。
 
「あ――茶々丸!」

 しかし俺はソレを呼び止めた。
 去っていくそれを見て、俺はやらなければいけない事を思い出したのだ。
 茶々丸は数歩進んだ先で振り返った。
 
「はい? なんでしょうか士郎さん」
「えっと、その、なんて言っていいのか良く分からないんだけどさ……」
「?」
 
 押し黙りながら、頭を乱暴にガリガリと掻く俺に、茶々丸は小首を傾げている。
 ああ、くそ、こういうのはイマイチ苦手だ。
 でも、これは大切な事なんだ。
 だったらちゃんと言わなくてはならない。 
 ふう、と息を吐き出して気分を落ち着かせる。
 そして、目の前で小首を傾げている少女に、
 
「これから――よろしくな?」
 
 そう、鼻の頭をかきながら呟く俺に、茶々丸は一瞬呆けた後、
 
「――はい、こちらこそ宜しくお願いします、士郎さん」
 
 嬉しそうに微笑んでくれた。
 
 



[32471] 第6話  Shooting star
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2012/04/13 20:44
「着いたぞ。ここのようだな」
 
 エヴァに案内をしてもらい、授業時間と言う事もあってか、ガラガラの電車に揺られ、徒歩で歩く事数分、寮の前にあるという店にやってきた俺達。
 
「へえ、良い感じの所だな」
「ふむ、私も初めて見るが……確かに悪くはない」
 
 外観は赤煉瓦造りで、ここの都市の雰囲気に馴染むような趣のある、お洒落な造りとなっていた。
 真新しいのではなく、歴史を感じさせるような落ち着きがある。壁を伝う何かの蔓が良い感じのアクセントとなり、妙に味のある店構えだ。
 想像していた以上の立派な外観に、内心ワクワクしながら早速学園長から預かった鍵で中に入ってみる。
 扉を押し開けると、扉についたベルがチリンと、綺麗な音を鳴らした。
 
「中も良い雰囲気だな。最近まで使われてたみたいだし、汚れも無い」
「そのようだな、落ち着いた雰囲気だ。見てみろ、オープンテラスもできるようになっているらしいぞ?」
 
 エヴァと二人で店内をキョロキョロと見回す。
 天井は高く、黒く塗られた梁がむき出しで走っている。それにマッチするように赤煉瓦の壁が石の暖かさを醸し出していた。テーブルや椅子は備え付けなのか、その雰囲気を壊すことなく、まるで店全体で一つの作品のように佇んでおり、全体的に落ち着いた色彩が特徴的だ。
 かといって暗いわけではなく、採光の為なのか窓が大きく、見上げてみると天井にも幾つもの窓が日の光を受け入れていた。
 カウンターの方に回って棚を開けてみると、流石に食材などはないが一通りの食器や機材も入っている。その上、電気、ガス水道も全て通っている。
 
「……スゴイな、これは。食材さえあればすぐにでも店開けられるんじゃないのか?」
「なに、だからと言ってそこまで急ぐ必要もあるまい。それよりお前はここで何を出す気なんだ?」
「なに、って……そりゃ料理?」
「馬鹿者。そうではない。流石にここの雰囲気で和食だの家庭料理という分けにも行くまい? まあ、意外性を狙うならそれもいいのかもしれんがな」
「あ、そっか。言ってなかったな。俺、基本的に和洋どっちもいけるし、お菓子とお茶とかも淹れられるぞ」
「ほう、そうなのか? 無駄に器用なのだな」
 
 無駄とか言うな。にゃろう。
 
「ならば喫茶店といった感じがいいんだろうな。しかし、そこまで揃っていて中華はないのだな?」
「あー……中華も作れないことはないんだけど、知り合いにすごいのがいてな。中華はそいつにまかせてた」
 
 中華鍋を、あの細腕の何処にあんなパワーがあるのか、不思議に思うくらいガンガン豪快に振るう遠坂を思い出して苦笑する。
 そんな益体もない事を考えながら棚をガサゴソ漁っていると、とある一つの棚で四角い缶を一つ見つけた。
 
「お、紅茶の葉だ」
 
 前の店の人の忘れ物だろうか?
 製造年月日を見るとまだ最近のもので、未開封のものであった。
 蓋をあけて香りを嗅いで見ると茶葉の上品な香りがする。保存状態も悪くない。
 そこで閃いた。
 
「エヴァ、紅茶飲まないか?」
「紅茶、だと? 貴様が淹れるのか?」
「他に誰がいるんだよ」
「……フン、面白い。私は紅茶にはうるさいぞ?」
「そりゃ、プレッシャーだな。さ、座って」
 
 エヴァをカウンター席に座らせ準備を始める。
 さて、この目の前で得意そうに微笑む女の子に飛び切りのお茶をお出ししますか。
 
「よし、出来た。さ、どうぞ」
「うむ」
 
 そうやって出来た紅茶をエヴァの前に、そっとさし出す。
 それをエヴァは小さな手で掬うと上品に口元に運んだ。
 その仕草は妙に様になっていて、まるでお姫様みたいだと年甲斐も無く思ってしまう。
 
「――フン、美味いじゃないか」
「そうか、そりゃ良かった」
 
 紅茶にうるさいというエヴァのお墨付きを貰えた様で、なんとか一安心。
 
「しかし本当にお前は何者なんだ? 卓越した戦闘能力を持ち、料理ができて紅茶も淹れられる、全く……意味が分からん」
 
 ため息混じりに言われる。
 それを聞いて、言葉の羅列だけを見てみると我が事ながら確かに変だと苦笑した。
 
「そんなこと言われてもな……、俺は俺だよ」
「それでは答えになっていないではないか、ったく……」
 
 エヴァはそう言ったきり黙ってしまう。
 けれどそれは嫌な沈黙ではなく、なんとなく暖かい気がした。
 冬の柔らかい日差しが店内を優しく照らし、ゆったりとした時間が流れる。冬の澄んだ空気が日光によって暖められているせいか店内は暖かく、その中に紅茶の香気が溶け込んでいる。まるで時の流れが、この空間だけ違うのではないかと錯覚するほどに穏やかだ。
 俺自身もこういう穏やかな空気は好きだし、この沈黙を破るのは無粋な気がして、ただ雰囲気に身を任せていた。
 しかし、そんな優しい沈黙を破ったのは意外にもエヴァの方からだった。
 
「……お前は」
「ん?」
 
 その声に、午睡のように微睡みそうになる意識を引き上げる。
 
「お前は……前の世界で何をしていた?」
「え?」
 
 質問の意図が分からず、エヴァを見てみると、彼女は顔を外の景色へと向けており、その横顔から何かを読み取るのは難しかった。
 
「お前も見た目通りの年齢ではあるまい」
「――なんで、そう思う?」
「……目、だ。お前のその目。生半可な事ではそのような目をする事など出来はしない。昨日から気になってはいたんだ。お前の見た目通りの年齢でそこまでの修羅場を経験してきたのかもしれんが、それにしては余りにも”ブレ”が無さ過ぎる。そう考えると、見た目通りの年齢ではないか、それともそうなってしまう程の地獄を見てきたか。…………或いはその両方か」
「――――」
 
 ――素直にすごいと思った。
 別に彼女を侮っていたわけでもない。ましてや、下に見ていた訳でもない。
 ただ、昨日会ったばかりの子にそこまで見透かされているとは思いもよらなかったのだ。
 
「ああ、相変わらず記憶ははっきりしないから確かな事は言えないんだけどな。少なくとも今の見た目通りの年齢じゃない気がする。今は俺が高校生くらいの頃の身体だと思うけど」
「やはりか、ならば本当の年齢は?」
「さあ、そこはまだ分からないけどな」
「……そうか」
「――でも、世界を飛び回って色んな事があったし、色んな事をやっていたのは覚えている」
 
 穏やかな雰囲気に当てられたのか自然と口が動く。
 棚に背中を預け、目を軽く閉じて己の中に意識を注ぐ。
 バラバラのパズルのような記憶だが、それは何処にもはまることなく、あくまで一つのピースとして断片的に浮かぶ光景。
 それは映像ではなく、まるでアルバムの写真ををバラバラにしてグチャグチャに混ぜたような、そんな連続性や順番も曖昧な記録だ。

「それは先程言っていた『正義の味方』というやつか?」
「…………だと、良いんだけどな」
 
 目を閉じたまま少し苦笑交じりで答える。
 もしかしたら自虐的な笑みに見えたかもしれない。
 それでも、
 
「人の助けになりたくて良い事もやったし……悪いことだってやった。――それこそ人を手にかけたことだって……ある」
「――――」
「矛盾している事は分かっている。それを正当化しようとは思わないし、俺自身も許してはいない。これは俺の罪で罰だ、誰かに預ける事の出来ないい”咎”だ。けれど俺はこれ以外の生き方を知らないし歩き方も知らない。一度、誰だったかに言われた事があるよ。俺のしたことに意味はあっても、俺自身には意味が無いって………………俺は空っぽなんだってさ」
「――――」
「……でも、例えそうであったとしても構わない。……見える範囲だけでも良いんだ、世界全部なんて大仰なことは言わない。俺自身もそんな大層な事ができるような人間じゃない。でも、それだけの小さな世界の中であっても、そこで暮らしている皆が笑っていられたらどんなに幸せだろうって――それはどんなに綺麗な物だろうって、そう、思う……。その幸せは、輝きは、俺が生涯を懸けても良いくらい価値があるものなんじゃないかって……。だから俺はその為に歩き続けるんだ」
「………その願いが夢物語のようなものだと知っていて、それでもか?」
「それでも、だよエヴァ。……いや、だからこそ、か。そこに価値はある。――例え空っぽの俺自身に価値は無くても、その夢物語には価値がある」
 
 その夢はまるで星のような物。
 そして、それを目指して歩く道程は天に輝く星を目指して進むような道だろう。
 少し上を見上げれば星はそこにあり、キラキラと輝き続ける。
 夜空に手をかざしてみれば、掴めそうな気だってする。
 ――けれど、本当はそんな事はなくて。
 どんなに近くに輝いて見えても。
 どんなに前へ、前へと進んでも。
 どんなに必死に手を伸ばしても――。
 届きははしない。
 辿り着けはしない。
 ……そんな事は最初から分かっている事だ。
 その姿はきっと滑稽に映るだろう。
 ありえない事をずっと続けている様は見苦しくもあるだろう。
 ――でも。
 それでも、だ。
 その道には何か意味があるんじゃないのか?
 
 ――馬鹿みたいに星に向かって歩く俺に意味は無くても。
 
 星を目指して歩く道には価値があるのではないか。
 御伽噺のような。
 絵本のような。
 それは、きっと誰もが一度は夢見た事がある”夢”だと、そう感じるから。……そう、願うから。
 
「――己自身を犠牲にしてでもか」
「ああ、そうだ。それにさ、俺はいつまで経っても変われない馬鹿みたいなガキだから、綺麗な星が見えているんなら、それを目指さないで進むなんて事はできない」
「………ならばお前は何処へ行こうとしている」
「――前へ」
 
 ただ前へ。
 俺にはそれだけで良い。
 後悔や心残りはいつだってあるけれど、それに縛られては進めなくなる。
 だから前があれば良い。歩く道さえあれば俺は進む事が出来る。
 そして、いつか、きっと――。
 
「………そうか」
 
 カタン、と空になったティーカップを置いてエヴァはそう呟いた。
 
「私は先に帰る。……紅茶、美味かったぞ」
 
 そう静かに言って席を立ち出て行こうとする。
 その表情はなにか遠くを見ているような、まるで昔を思い出しているような。
 その場で、クルリと廻り背中を向けると、その動きにやや遅れるように長く綺麗な金髪が踊り、光に反射してキラキラと輝いた。
 
「なあエヴァ、何であんなことを聞いたんだ?」
「さあな、只の興味だったのかもしれんし、そうでなかったのかもしれん。私自身にも良くわからん」
 
 エヴァは話している間もこちらを向きも、立ち止りもせずに扉のノブに手を掛けると開け放った。
 
「だがな、分かったこともある」
「なにがだ?」
「…………」
 
 俺の問いには答えず、扉を開け放ちエヴァは出て行く。
 だけど扉が閉まる寸前、小さいけれどそれは確かに届いた。
 
 
 
 ――――士郎、お前は私に似ているよ。
 
 
 
 完全に閉じた店の中、その、小さな小さな呟きのような言葉がいつまでも頭に響いたような気がした。
 
 
 



[32471] 第7話  ライラックの花言葉
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2012/04/18 06:32
 
 エヴァと別れた後、学園長室へ向かい用意してくれた支度金を受け取った俺は、その脚で商店街へと向かった。
 目的はもちろん開店へ向けての買出しだ。
 
「あ、これとそれを……ああ、それです。それでこれをここの住所に届けて欲しいんですけど……。じゃあ、お願いします」
 
 無論、全て業務用の物なのでそのまま持ち帰るような愚は犯さない。
 料理に使う食材なども店の人から業者を紹介してもらい、出来るだけ安くて良いものを揃えた。
 
「えっと……、こんなもんか?」
 
 メモに書いた必要な物リストの最後にチェックを入れる。
 流石に全て買い終える頃にはかなりの時間が経っていて、授業も終わったのか制服姿が多く見られるようになってきた。
 そうなってくると必然的に人の流れが多くなってくる。
 この人たち全てが何がしかの学園関係者だと思うと、ちょっと信じられない位だ。
 そんな制服姿を見て、そう言えば、と思い至る。
 今朝、エヴァの家の冷蔵庫を見たが、そろそろ買出しをしなくてはいけないようだった事を思い出す。茶々丸が買って来るのかも知れないが、これからは自分も世話になるのだからこれ位は貢献したい。
 思い立ったら即実行、と言う事で食料品を扱っていた区画は逆方向だった事を思い出し、踵を回して方向転換。
 そうして、道端でいきなり立ち止まったのが災いしたのか、
 
「キャっ……!?」
 
 後ろを歩いていた女の子にぶつかってしまった。
 女の子は荷物を持っていたせいか、それとも小柄だったせいか、ぶつかってしまった反動で地面に倒れ、荷物を全部落としてしまっていた。
 
「あっ、す、すまん! 俺が急に立ち止まったりなんかするから」
「い、いえ……。私も前をちゃんと確認していなかったのでお気になさらないで下さい」
 
 慌てて落としてしまった物を二人で集める。
 落としてしまった物の中にはコップなどの割れ物もあって、包装されていたので破片などは飛び散っていないが、壊れてしまっていた。
 
「……うわ、ごめん。これとか割れちゃってるみたいだ……」
「お気になさらないでください。そうたいした金額の物でもありませんので……」
 
 そう言われてもこちらとしては申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。
 とりあえず、こうしていると他の通行人の人達にも迷惑なので手早く全部拾い上げてしまおう。
 最後に、傍らに落ちていた長い竹刀袋に手を伸ばし、拾い上げる。
 
「はい、これで最後だな」
 
 そう自分で言ってから違和感に気付く。
 
「っ! っは、はい。ありがとう御座います」
「――?」
 
 女の子は少し慌てたように竹刀袋を受け取った。
 
「本当にすまなかった。割ってしまった物はちゃんと弁償するから」
「いえ、本当に気にしないで下さい。ちゃんと前を見ていなかった私にも非はあったのですから」
「でも……」
 
 女の子は少し小さく笑って、さして気にした風もなく言ってくれる。
 それで漸く目の前の女の子の顔へと自分の意識が向いて――驚いた。
 何が驚いたって目の前の女の子が、その、……随分と綺麗な子である事に今更ながら気が付いたのだ。
 下ろせば肩口まであるだろう癖のない綺麗な黒髪を頭の片方で纏め、そこから視線を少しずらせば切れ長の涼しげな目元が印象的な整った目鼻立ち。エヴァやセイバー等といった、白人系の色の白さとは趣を別とする日本人独特の肌の白さ。
 うん、なんて言うか、将来は間違いなく美人になる事が確定している現在進化形の美人さんだ。
 
「……こほん」
 
 変な方向に跳びそうになる意識を、咳払いとともに強引に修正する。
 今は見蕩れている場合ではない。
 この子は構わないと言ってくれているが、それでもこのままでは、あまりにも後味が悪過ぎるのだ。
 と、そこで気が付いた。

「――あれ? その制服……もしかして君、学生寮の子か? 中等部の」
「は? え、ええ、そうですが……」
 
 エヴァや茶々丸と同じデザインの制服、そして学園長が全寮制だと言っていた事を思い出す。
 ……だったら、うん、丁度いいかも知れない。
 
「じゃあ丁度良いいや、学生寮の前にある飲食店、分かるか?」
「え? ええ。つい先日店を閉めてしまったらしいですけど……」
「そう、そこ。俺、今度そこで店を開く事になったんだ、良かったら遊びに来てくれ。今日のお詫びに奢るよ」
「……そう、なんですか? しかし、この程度の事でそこまでしてもらう分けには……」
「そうでもしないと俺の気が治まらない。俺の我が侭に付き合うと思って……。その後、常連にでもなってくれれば俺も嬉しいし、友達とか連れてきてくれれば店としても万々歳だ」
 
 少しおどけてみせる俺に、女の子はクスリと笑って微笑んでくれた。
 
「――かりました。では、開店したら遊びに行かせて貰います」
「ありがとう。店は明日……は無理かもしれないけど、明後日からは始める予定だからさ」
「ええ、では寄らせて頂きますね」
「ああ、それじゃあ待ってる。あ、俺の名前は衛宮士郎。君は?」
「フフ、私は桜咲刹那。それでは失礼します」
 
 そう言って離れていく小柄な背中を見送る。
 そしてその背中に先ほどの違和感を思い出す。
 それは、どうしようもなくこの平和な雰囲気には不釣合いで。
 決して忘れる事のできない感覚。
 
「あの竹刀袋……中身は真剣?」
 
 竹刀袋を手に取った時の重みを思い出し、一人そう呟いた。
 
 
◆◇――――◇◆
 
「ただいま」
 
 桜咲さんと分かれた後、食材を買い求めた俺は、この世界で今日から世話になるエヴァの家に帰ってきた。
 両手に食材がギッシリ詰まった買い物袋をぶら下げ、扉を押し開けながらそう口にした。
 
「遅かったな、士郎」
「お帰りなさい、士郎さん」
「ああ、店の買出しとかしてたからな、流石に時間食った。あ、それと茶々丸、これ食材とか。冷蔵庫の中そろそろ補充しなきゃいけないみたいだったし、ついでだから買ってきた」
 
 先に帰って来ていた茶々丸に荷物を見せてキッチンへと持っていく。
 茶々丸はエヴァの世話をしているらしく、フリルのやたらと多い黒い服を着て、ソファーに偉っそうにふんぞり返っているエヴァの周囲を忙しく動き回っていた。無論、エプロンドレス姿で。……今更ながら思ったんだが、この格好を茶々丸にさせているのはやはりエヴァなんだろうか? 茶々丸自身がこの格好を進んでするとはどうも思えない。一度なんでこの格好なのか聞いてみたい気がする。
 碌でもない答えが返ってくる可能性が思いっきり高いが。
 そもそもの疑問として、こういうのって何処に売ってるんだろう?
 素材とか見るに、そこいらの店で売っているような偽者のエプロンドレスとは材質からして出来が違う。
 サイズも茶々丸の為に作られたようにピッタリだ。
 ………………ますます聞きたいような、聞きたくないような。
 
「助かります。私もそろそろ買出しに行こうかと思っていましたので」
「そっか、被らなくて良かった」
「はん、全く、妙に気の回る男だ。それより士郎、お前地下を片づけなくてもいいのか? 今晩寝るところが無くなるぞ」
「…………あ、忘れてた」
「――気が回るのかそうでないのか微妙だな。私はてっきり、さっさと帰ってきて片付けるものだと思っていたのだがな」
「……仕方ないだろ、開店の準備とかしなきゃいけないんだから忘れる事くらいあるさ」
「まあいいさ。ほれ、さっさと片付けてこい」
「え、でも夕食の準備が……」
「それくらい茶々丸が準備する」
「それもなんか悪い気が……」
「いえ、お気になさらず。元から私の役目ですので」
「……むう、じゃあお言葉に甘えて」
 
 ありがとう、と茶々丸に感謝しつつ、地下へと続く階段へと向かう。
 と。
 いけない、いけない、忘れ者をしてしまった。
 途中でエヴァの手をガシッ、と捕まえる。
 
「む? 士郎、なんだこの手は」
「何って労働力の確保。勝手も分からないのに人の家をいじくり回すわけにも行かないだろ」
「はあ!? だからって何で私が手伝わなければならん! あ、こら! 引っ張るんじゃない! 放せ!」
「んー、労働って尊いものだよなー」
「あ、お前っ! さては今朝、私が笑ったこと根に持っているな!?」
「ソンナコトナイヨー、ダレモイジメテヤルナンテ、オモッテナイヨー」
 
 その場に留まろうとするエヴァをズルズル引き摺って地下へと向かう。
 抵抗しているものの、そこは少女の力と俺。比べるべくも無い。
 
「それじゃ茶々丸、後を頼むな」
「はい、お任せください」
「は~な~せ~っ!」
 
 気分はドナドナ。
 
 で、
 
「なんで私がこんな事を………」
 
 とりあえずエヴァはブツブツ言っているものの、逃げずに地下へと降りてきてくれた。
 階段を下りる前に引き摺ったままだと危ないので言った、
 
『お姫様抱っこして降りて欲しいか?』
 
 の、一言が効いたのかもしれない。
 や、実際やろうとは思ってなんかいなかったけど。
 にしても、
 
「凄い人形の数だな……」
 
 地下室はそれこそ夥しい数の人形によって埋め尽くされていた。
 100や200ではきかない数で、サイズも大きいのから小さいのまで様々だ。
 真っ暗闇の中に佇む無数の物言わぬ人形。
 今にも動き出しそうな雰囲気だ。
 うーむ、これは流石に怖いものがあるな。
 
「――ナンダオマエ?」
「……へ?」
 
 そんな暗闇に響き、鼓膜を振るわせる感情を感じさせない無機質な声。。
 
 ――何? 今の奇妙な声。
 
「……エヴァ、今なんか言ったか?」
「あん? 文句ならさっきから言っているが?」
 
 ……だよ、な。でも、今のはエヴァの声じゃなかった。
 って事は――マ・サ・カ……?
 背中に冷たい汗が流れ落ちる。
 こういうのはアインツベルンの冬の城で慣れた気になっていたが、こんなに大量の人形に囲まれている状態とでは比べ物にならない。
 
「……ナンダ、御主人モ一緒ジャネェーカ」
 
 マジですか!? 本当になんか出るのかッ!?
 思わず上げそうになる悲鳴を、無理矢理口内に押し込めると、
 
「……なんだ、チャチャゼロか」
「――なんですと?」
 
 エヴァは呆れたかのようにそう言うと、徐に一体の人形を無造作に引っ張り上げた。
 
「ナンダトハヒデェジャネーカ、御主人ガ放リコンダンジャネーカヨ」
「お前が煩いからだろうが、従者の癖に生意気な」
「ケケケ、御主人ト俺ノ仲ナンダ、イマサラ遠慮スルホウガ気持チワリィ」
「ふん、言ってろ」
 
 エヴァは物言わぬ筈の人形と仲良く?喋っている。
 
「……あの、エヴァ、そちらさんは?」
 
 俺的には昔の映画で見た、ホラーな殺戮人形にしか見えないのだが。
 小さな子供なら、暗闇でその姿を直視しただけでトラウマになりかねないほどの見事な出来栄えである。
 両手に刃物でも握らせれば完璧なキラースタイルの完成だ。
 
「そういえば貴様は見たこと無かったんだな。こいつはチャチャゼロと言ってな、こいつも私の従者だ」
「御主人ノセイデ歩クコトスラデキネーンダガナ」
「私のせいではない、ナギの封印せいだろうが」
「マァ、ソンナコトヨリダ。御主人、コイツハナンダ?」
「こいつか? こいつは衛宮士郎といってな。まあ……新しい居候だ」
「ケケケ、要スルニ新シイ玩具ッテカ」
「そんなもんだ」
「…………」
 
 そこで同意しちゃうんだ……。
 それに玩具って……扱い酷くないか?
 それにしても随分変わった従者をお持ちで……、ママゴトの延長みたいな感覚なんだろうか?
 それはさておき一応挨拶はしておくべきだろう。ちゃんと自我もあるみたいだし。
 
「俺は衛宮士郎。これからここに厄介になる事になったんでよろしく頼む」
「オウ、ヨロシクシテヤロウジャネーカ」
 
 と、一応握手。
 動けないらしいので本当にただの人形と握手してるみたいだ。
 
「おい士郎。無駄話もいいがな、いい加減にして片付けを始めろ」
「ああ、ゴメンゴメン、エヴァ。でも片付けるって言ってもこれは……」
 
 首を回して辺りを見回す。
 人形人形人形。
 見渡す限りのスペースは人形で埋め尽くされている。
 
「……この人形。どこに片付ければいいんだ?」
 
 片付けるにしても置く場所もないのだが。
 
「ん? ああ、そういえばそうだな。どうしたものか……」
 
 考えて無かったのかよ。
 
「ナンダ、ソンナコトナラ御主人ノ『別荘』ニ入レテオケバイインジャネーノカ?」
「そうか、その手があったな」
 
 そう言ってエヴァは奥の方へ歩いて行くと、なにやらガサゴソと漁りだした。
 
「エヴァ? なんだ? その『別荘』っていうのは。ここ以外に建物でもあるのか?」
「なに、口で説明するより見た方が早い。もう少し待て……。お、あったあった」
 
 で、エヴァが持ち出してきた物は大きなボトルの中に精巧なミニチュアの建物が入っている物だ。いわゆるボトルハウスとでも言うのだろうか。
 普通のそれと違うのは、通常ならワイン等の空ボトルを使用するのに対し、こちらは随分と丸に近い形をしている。

「おい士郎。こいつをそこの台座の上に置け」
「台座ってこれか? 了解。……よっと、これでいいか?」
「ああ、では少しそれから離れていろ」
「わかった」
 
 俺が離れるのを見て、エヴァはなにか小さく呪文のような物を呟く。
 上手く聞き取れなかったものの、それで十分な効力を発揮したようで、球体が明るく光りだした。
 
「――これは?」
「これが私の『別荘』だ。これに近づくと自動で転移の魔法が働くにようになっているから余り近づきすぎるなよ? 転移した先にはこの中に入っているミニチュアの世界が広がっているって寸法だ」
「――はぁ……。なんか良くわからんけどすごいんだな」
「ふふん、だろう。ああ、それとこの中に入ると時間の経過が変化する。この中の一日は現実の一時間だ。しかも一度入るとこの中の一日が経過しないと外に出られないから注意しろ」
「へえ……」
 
 要するに遠坂の家にあった宝箱の逆バージョンみたいなもんだろうか?
 あっちは中の一時間が外では一日だったが。
 ……この中から電話すると変な所に繋がったりしないだろうな。
 
「ここにある人形は全部そこに近づけて中に送ってやって構わん。後は中のハウスキーピングをしている人形達が勝手に片付けてくれる」
「わかった。じゃあ早速取り掛かるかな。置くだけでいいんだな?」
「ああ、家具などはそこらに転がっている物なら好きに使ってもかまわん」
「ナンダ御主人、随分ト気前イイナ?」
「ふん、私は恵まれんヤツにはこの程度の施しはする」
「イヤイヤ、ソウイウンジャナクテヨ。御主人ハ基本的ニ気ニ入ラナイ奴ニハ容赦ネーカラナ。家ニ住マワセルウエニココマデスルッテコトハ……アレカ? 惚レタカ?」
「おーい、士郎。ついでにこの馬鹿人形もその中に叩き込んでおけ。厳重封印と張り紙してな」
「ケケケ、ナンダヨ御主人。図星ダカラッテ照レナクテモイイジャネェーカ」
「誰も照れてなどいないッ!」
 
 片づけを続けている俺の後ろで階段に腰掛けたままエヴァはチャチャゼロと仲良く言い争いをしている。
 
「デ、御主人。コンナ奴ドコデ拾ッテキタンダ? 勿論堅気ッテワケジャナインダロ?」
「いきなり話題を変えたな……。ふん、昨日の夜に結界の中に落ちているのを見つけてな、面白そうだからそのまま拾ってきた」
 
 その言い方はあんまりですエヴァさん……。
 
「『面白ソウ』、――ヘエ、ナラ勿論『出来ル』ンダロウ? 衛宮ッテイッタカ? オイ、俺トモ遊ボウゼ」
「そいつは御免被る、痛いのは嫌いなんだ。そういうのはどっか別でやってくれ」
「チェ、ナンダヨツレネーナ」
 
 ケケケと可笑しそうに笑う声からは本気かどうかは掴みづらいが、それほど危険と言う程の事でもないだろう。
 それでも、チャチャゼロのような人形に、寝ている時に馬乗りで襲われる場面とか想像するとまんまホラーなんで別の意味で怖い。
 
「いいからさっさと片付けろ士郎。私はそろそろ腹が減ってきた」
「はいはい、急ぎますよー」
「……なんか言い方が気に入らんな。お前、本当に私が年上だと分かっているのか?」
「はいはい、分かってる分かってる。お、そういえばバックにまだ飴とか入ってたな。飴、食べる?」
「……フフフ、いい度胸だ。どうやらお前は分かっていて私をおちょくっているんだな? 喧嘩を売っているなんだな?」
 
 額に青筋を浮かべるエヴァを、まあまあ、と宥めながらバックを漁る。
 エヴァに言えば怒ってしまうだろうが、弄ると面白いので調子に乗ってしまう。
 いかんいかん、とは思っているものの、ついついやってしまうのだ。
 
「……あれ?」
 
 と。
 バックをガサゴソ漁っていたら奥のほうから何か別の物が出てきた。
 って、待て、これは――、
 
「いいだろう、昨日の借りをここで返してくれる! 覚悟……お? なんだそれは?」
 
 バックから引っ張り出したものに怒りを忘れて興味深々で近いてくる。
 すぐに怒りを抑えたあたり、たいして本気では怒っていなかったのだろう。
 その様は本当に見た目相応の子供のようにコロコロ表情が変わって、そんなんだからからかいたくなるんだけどなと、内心呟く。
 そんなエヴァを微笑ましく思うが、今はそれよりこっちが重要だ。
 赤い外套――――聖骸布。
 ……なんだってこんな物が。
 
「……なんか嫌な感じのする物だな。理屈では表現できんが本能的にとでも言うのか……」
「ああ、そうか。そういえばエヴァは吸血鬼だったっけ、それならそう感じても不思議じゃないのかもな。これは、とある聖人の亡骸を包んだ聖骸布だからな」
「――なるほど、なんでお前がそんな物を持っているか疑問だが それなら私のこの感覚も納得いく」
 
 確かに聖骸布を持っていた記録はあるが、まさかバックからこんな物が出てくるとは想像していなかったので驚きだ。
 
「で、お前はこれをなんに使うのだ?」
「これか? 俺はこれを纏って使ってるんだ。俺自身、外界からの力の侵入に弱いからな、こういうので補うしかないんだ」
「……よくは分からんがお前のマジックアイテムといったところか。とりあえずそれを早くどっかにしまえ。どうも悪寒がする」
「あ、悪い。やっぱり苦手だったか」
「別にどうといったことはない。多少苦手意識があるだけだ、気にするな。しかしそんな物まで持っているとはな……やはり朝言っていた通りお前も平穏や安穏と言ったこととは無縁の生き方をしているのだな」
「無縁とか言うなよ……へこむから。俺はその平穏の為に頑張ってるんだからさ」
「平穏の為にね……やっぱり物好きな奴だ」
「エヴァには負けるけどな」
「……どういう意味だ」
「さあ? どういう意味だろうな?」
 
 半眼で睨みつけるエヴァを軽くかわす。
 素性の知れない男を家に住まわせるエヴァだって相当の物好きだと思うけど。
 とりあえずこうしていても片付けは進まないので作業に戻る。
 
「そういえばエヴァの方こそなんで封印なんて物騒なことされてるんだ?」
 
 作業を進めながら聞いてみる。
 気にはなっていた。昨日からの付き合いではあるけど、そんなに悪い子なんかじゃない事は確かだ。
 確かに素直じゃない所などはあるが、なんだかんだと理由をつけているけれど俺を助けてくれているのも事実だ。
 それに先刻からだって文句は言っていたけど、こうして俺に付き合って片付けの手助けもしてくれた。
 もし何か不当な理由で縛り付けられているのなら、世話になっているお礼とか抜きにしてなんとかしてあげたいと言うのが俺の本心だ。
 
「……そんなの私が悪い魔法使いだからに決まっているだろう」
「そういうんじゃなくて理由。だいたいなんでエヴァが悪い魔法使いなんだよ」
「それこそ色々悪事を働いたからだろう」
「エヴァ……」
「……お前もしつこい奴だな。――はあ、仕方ない、お前の過去を聞いたんだ、私だけ話さないと言うのもフェアではないか」
 
 エヴァは仕方なさそうにため息をついた後、階段に腰を下ろし、とつとつと語りだした。
 
「……遠い昔の話だ。百年戦争というものを知っているか? 私はその時代のとある城で育ち、幼少時代を何不自由なく過ごしていた。その頃の私は正真正銘なんの力も取り得もないただの人間で、魔法の事など存在すら知らず、まったく無関係に平穏を享受していた。……だが10の誕生日を迎えた日の事だった……目が覚めると私は吸血鬼となっていた。最初は自分の身に起こったことが理解できずに半狂乱だったよ。なにせ、ある日起きたら突然、日の光を恐怖するようになり、喉の渇きを覚えれば普通に血を飲みたくなったんだ。とても正気ではいられなかった。そんな自分が恐ろしくてな、必死に隠そうとしたが……無理、だった。私は世界全てを呪い、私をこんな姿にした男を殺し………城を出た」
「……最初から吸血鬼だったんじゃないんだな」
「ああ、わたしのこれはある一種の呪いのような物だ。だからと言って最初から力があったわけじゃない。最初の数十年は力も弱かったし、弱点だって多かったしな。一つの場所に留まる事すら、この成長しない体ではできなかった。いつまでたっても成長しない子供など、傍から見たら不気味以外の何者でもない。その時代は特に魔女裁判だとか異端審問が盛んでな、そんな子供がいたら……結果は自ずと分かる物だろう。力が無ければ逃げ回るしかなかったしな。だからといって、魔法使いの国でも私を受け入れる事など無かったよ。魔法使いといっても所詮は人間だ、人間は自分と違う物を忌み嫌い……排斥しようとする。私を、化け物を殺そうとして向かってきた者を一人殺してしまえば後は泥沼だ。……一人を殺せば怨嗟は途切れることなく続く。殺された者の仇を取ろうと一人、……また一人、とそれは途切れることなく続いた。それは分かっていたことだ、もう戻れないと言う事はな。殺さねば生きられない時代もあったし、……殺さずに済んだ時代もあった。力を得て一人孤島に居を構え、私に近づく者が賞金を目当てに狙ってくる者や、名を上げようとして挑んでくるような、命を落とす覚悟がある者達になってからは――楽になった」
「…………」
「そうして15年前……、サウザンドマスターと呼ばれる魔法使いに破れ去り、私はこの地に封印され、かつての力も封じられた。そうして今に至ると言うわけだ。――どうだ? これで分かっただろ。私は多くの命を糧に……屍の山を築いて生き永らえてきた悪の魔法使い。――滑稽、だな……、そんな私が、他者の命を喰らってまで生きてきたこの私が平穏を望むなど……。お前に出会った夜……、あのまま首を落とされても自業自得だったんだ。――分かっているのだぞ? あの時お前は、菓子などではなく本物の刃を向けていた、と」
「…………それは……」
「別にお前を責めているのではない。むしろ必然だ。あの場では余りのお前の間抜け具合に騙されたが、よくよく考えてみればこの私があの感触を間違う筈が無い。――幾度と無くこの身を裂いた鉄の冷たさをな……。あの時、お前に温情をかけられず、そのまま死んでしまっていたとしても、それを拒む権利など私には、微塵も…………なかったんだ……」
 
 そう言うとエヴァは俯いてしまう。下を向くエヴァが何を思っているのかも分からなかった。
 いつしか俺の作業の手は止まり、ただ目の前の少女を見つめていた。
 俯く少女を見つめていた。
 確かにエヴァは殺した。
 それもかなりの数の人を殺したのだろう。
 許される罪ではないし、拭い去れる過去ではない。
 けれどそれは、そうしなければ生きられなかったのだ。誰であろうと人は生ある限り生き延びようとする。それは本能であるし、産まれ落ちた者の義務だ。
 生きる事は罪だろうか?
 生きたくて、生きたくて、生きたくて。
 そうして必死に生き延びてきたエヴァを『悪』だと断じるだなんて、そんな事、俺には――出来ない。
 それに、それはなにもエヴァに限った話の事ではない。
 殺したくて殺したのでは無いだろう。彼女は気付いているのだろうか? 自分で言ったのだ。”殺さずに済んだ時代もあった”と……。
 それは、裏を返せば殺したくは無かったと言っているのだ。
 誰も傷つけたくなどは無い。
 傷つきたくは無い。
 そう言っているのだ。
 ――そう、それはあの高潔な騎士、セイバーとて同じ事。望む望まざるに関わらず、あのセイバーだって生前は多くの人間の命を奪っている。
 そして、それは俺だって同じだったから――。
 
「…………」
 
 かける言葉が見つからない。
 いや、そもそもそんな言葉が俺の中には存在していないんだろう。
 言葉で否定するのは簡単だ。
 只、一言『違う』と言えば良いだけなのだから。
 でも、それは絶対にしてはいけない事だ。
 数百年の時を生きて、苦しみ抜いてきたエヴァに俺なんかが……、いや誰であろうとその人生を否定する権利など持ち得ない。
 それはただの冒涜にしか他ならない。
 否定などしない。
 出来ない。
 ――させない。
 だからと言って、慰めの言葉などエヴァの数百年を侮辱する行為に他ならない事も分かっている。
 それでも何かを伝えたかった。
 言葉ではない何かを――、
 
「…………」
 
 身体は勝手に動いていた。
 言葉も無く、エヴァの腰掛ける階段をゆっくり上る。俯いたままのエヴァは俺に気づいているのか、そうでないのか、顔を上げようとはしない。
 エヴァが座る段に並び立っても、うな垂れたままの頭。
 
「……え」
 
 その小さな頭をクシャっと優しく撫でた。
 言葉で伝えられない想いを乗せて、この想いがほんの少しでも彼女に伝わるように願い。
 優しく、優しく、優しく……。
 
 エヴァはそんな俺を不思議な物でも見るようにゆっくりと見上げた。
 彼女が今、何を思っているのかは俺には分からない。
 その瞳がなにを見ているかも分からない。
 でも、店を出て行くときに残した『――士郎、お前は私に似ているよ』というあの言葉。
 その意味だけは分かったような気がした。
 誰かの為にしか生きられない俺と、安住の地を求め続けたエヴァ。
 
 その道は違えども――、
 
 願えども届かない夢、それはきっと”幸せな平穏”なのだろう。
 でも、それは口にするべき類いの言葉では無い。ただ想いが伝わればいい。
 この、長い時間を孤独に歩き続けてきた少女に伝えたかった。昔はどうだったかのかは分からない、知ることも出来ない。
 けれど、今は違うと伝えたかったのだ。
 茶々丸が、チャチャゼロが側にいる。おこがましい知れないかもしれないけれども、必要としてくれるならば――――俺も側にいよう。
 この小さな少女は知らずに育ったのだろう。
 家族の温もりを、優しさを、愛しさを――。
 何処にも受け入れられず、誰にも受け入れられなかった少女は全てに絶望しただろう、憎悪しただろう。
 それでも、少女はこうして何処の馬の骨とも知れない見ず知らずの男に優しさの片鱗を覗かせてくれる。
 だから、俺はこの歪だが優しい少女を守りたいと思った。
 悲しみから、孤独から、この子を傷つける全てから――。
 
 その万感の想いを掌に込めて、柔らかな髪を優しく梳いていく。
 決して一人ではない、皆がいると――そう、伝えたかった。
 
  
「――行こう、エヴァ。そろそろ俺もお腹が空いた、皆でご飯を食べよう」
 
 
「――――」
 
 髪を梳いていた手を顔の前に差し出す。
 数瞬、エヴァはその手をひどく眩しい物を見るようにして目を細め、見つめたまま動かなかったが、やがて小さなため息とともに瞼を軽く閉じた。
 彼女は言葉も無くその手を取り、
 
「……本当に、――可笑しな奴だ……」
 
 そうして、向けられた笑顔は幼い外見そのままの、まるで小さな花のような可憐な笑顔だった。
 
 その日の夕食、また後ろに控えていようとする茶々丸を無理矢理席に座らせ、動かないチャチャゼロも座らせた。
 その日の夕食はとても美味しくて楽しくて賑やかで、――暖かくて……これがここでの団欒風景なんだと、そう思った。



[32471] 第8話  開店準備はドタバタで
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2012/04/24 22:22

 
 翌日、俺は学園長室にやってきていた。無論、昨日言い渡された学園広域指導員の件で話を聞くためである。
 しかし、こうやって再び重厚な雰囲気の扉の前に立つと、いささか気後れみたいなものをしてしまう。
 昨日はエヴァがいたから平気だったが、改めてこういう所に来るのはやはり緊張するものだ。
 息を吸い、気を落ち着けて、心の中でよしっ、と気合を入れ、重厚なドアをノックする。
 
「入りたまえ」
 
 中から聞こえてきた学園長の声に促され、扉を押し開く。
 中には学園長ともう一人、メガネ姿の男の人が立っていた。
 
「失礼します。……お早う御座います、学園長」
「うむ、お早う。昨日は良く眠れたかの?」
「ええ、あの子達には良くして貰いましたから」
「フォッフォッフォ、そうかそうか、それは何よりじゃった。それでは早速じゃが紹介をしよう、こちらが君の先任にあたる高畑先生じゃ」
「始めまして、高畑・T・タカミチです。話は学園長から聞いているよ、これからよろしく」
「衛宮士郎です。こちらこそ、これから迷惑かけると思いますけど、よろしくお願いします」
 
 そう言って二人で握手を交わす。
 うん、なんと言うか、とても落ち着いた感じの、優しそうな人だ。
 
「高畑くんは中等部2−Aの担任を兼任しておる……つまりエヴァの担任でもあるわけじゃな。また、麻帆良に在住する魔法先生達の中で有名人でもある。仲良くするんじゃぞ」
「はい、分かりました」
「うむ、では早速じゃが高畑くん、衛宮くんに仕事の内容を教えて上げてくれるかの?」
「了解です、学園長。じゃあ行こうか衛宮くん」
「はい」
 
 高畑先生と連れ立って学園長室を後にする。後ろから聞こえてきた「頑張るんじゃぞ~」という気の抜けた声にちょっと脱力したのは、まあ余談だろう。
 
「それじゃあ、改めてよろしく、衛宮君」
「こちらこそお願いします、高畑先生」
「あー……その呼び方だとちょっと堅苦しいね、君は生徒では無いわけだし。タカミチでいいよ」
「じゃあタカミチさんで、自分の事も士郎って呼んで下さい」
「うん、分かったよ士郎君」
 
 うん、やっぱり良い人だ。
 
「それじゃ、時間も余り無いし歩きながら説明しようか。まず、僕達の仕事は簡単に言ってしまえば学園内で起きる揉め事を鎮圧することだ」
「鎮圧……ですか? なんか言い方が物騒ですね……。けど普通、そういうのって生活指導の先生とかがやるんじゃ?」
 
 タカミチさんは俺の言葉にあはは、と苦笑して頭をかいた。
 
「まあ、普通はそうなんだけどね……、ウチの生徒達は皆、その、なんていうか……、良くも悪くも優秀でね。騒ぎが大きかったりすると生活指導の先生とかじゃ対応しきれない事が多いんだ」
「……はあ、なるほど。つまりお祭り騒ぎが好きな生徒が多いんですね」
「あはは、うん、そうだね。だからそれを止めたり未然に防いだりするのが僕達の仕事ってことさ」
「……なかなか難しそうですね。でも、学園ってもしかしてこの都市全部をカバーするんですか?」
 
 だとしたら一体何人いれば全地域をカバーできるんだ?
 全容を知っているわけでもないが、かなり広大な規模の敷地を誇っているのは想像に難くない。
 
「まあ、一応はそうなるけどそんなに走り回ったりはしなくていいよ。とりあえず、見える範囲で起こった事に対処してくれれば」
「……そんなもんですか?」
「うん、そんなもんだよ」
 
 ――いや、待て。
 なんか一瞬安心しかけたけど、それは言葉を返せば、そうやって簡単に見える範囲ですらトラブルが頻発するって事なんじゃないか?
 ……大丈夫か、俺。
 まあ、引き受けてしまったものは仕方ない。なるようにしかならんだろう。……なるといいなあ。
 
「後何か注意事項とかありますか?」
「う~ん……そうだね。騒動とか鎮静化する時に、魔法とか使ってもいいけどあくまでもバレないようにね? 君もその年でオコジョになりたくないだろう?」
「………………はあ、オコジョ、ですか?」
「? うん、だから十分に気をつけてくれよ?」
「あの、オコジョ、」
 
 って何ですか? と聞く前に、鐘の音がリンゴンと鳴り響いた。
 始業のチャイムのようだ。
 
「おっと、いけない! もうこんな時間だ。じゃあ僕はこれから授業があるから、行くよ。お互い、頑張ろうな」
「え、あ、はい!」
 
 そう言って慌しく去っていくタカミチさんの背中を見送り、腕組みして考える。。
 えっと、つまりあれか? 店やってたりする時にでもいいから騒動とか見つけたら止めればいいってことなんだろうか?
 ――あと、オコジョってなにさ?
 とりあえずまた会った時にでも確認しよう。
 さて、と気を取り直し、辺りを見回す。
 
「――――俺、これからなにすればいいんだ?」
 
 考えてみれば内容を聞いただけでやり方とか知らない。
 かと言って、もう見えなくなってしまったタカミチさんを探しても、学園内を良く知らない俺がウロウロすると迷子になるだけだと思う。
 というか、そもそもこんな私服で学園内を歩いたりしていいんだろうか?
 見た目だけなら学生に見えるかもしれないが、制服とか着てないとかえって目立つ。
 
「スーツとか買ったりすればいいんだろうか……」
 
 とりあえず買いに行くにしてもエヴァや茶々丸に店を教えてもらってからの方いいだろう。
 店の場所もまだ把握していないし、無駄にうろうろするのも滅入るものだ。
 
「……あ、店っていえば」
 
 そういえば店の準備とかしなければ。
 材料とかはもう注文してあるので、10時くらいには届き始める予定だ。
 
「今から行けば……うん、ちょっと早いかもしれないけど丁度いいか」
 
 決まれば早速実行。たくさんの生徒達が登校してくる流れを、逆らうように縫って路面電車に飛び乗る。
 登校時間に逆方向へと向かう路面電車に乗る生徒は流石にいないのか、中はがら空きだった。
 そんな車内から登校風景をゆっくりと眺める。
 それにしても、相変わらず凄い人の数である。そうそう見る事のない大人数の登校風景は、ある意味圧巻だ。
 そうして気付く一つの真実。
 
「………って言うか、皆走ってるって事は、これ全部、遅刻ギリギリの生徒かよ……」
 
 大丈夫かよこの学園、とか突っ込んでみる。
 この様子だと何気に問題児とか多いんじゃなかろうか?
 なんというか、タカミチさんはあんな簡単に言っていたけど、もしかしてもの凄く大変なんじゃないだろうか、学園広域指導員って。
 早速、暗澹たる気持ちに陥りそうになりながら、店への道を急いだ。
 
 
◆◇――――◇◆
 
「あ、それはそこに置いといてください。ええ、そこです。――じゃあ、これから何かとお世話になると思いますんで、よろしくお願いします。あ、連絡先とかいいですか? はい……はい……分かりました。では、ご苦労様です。あ、これ飲んでください……いえいえ、どう致しまして。じゃ、お疲れ様です」
 
 荷物を運んできてくれた業者さんに、缶コーヒーを渡し見送る。こういうのは業者さんとの良い関係作りがポイントだ。仲良くなれば安く卸してもらえるし、ある程度の融通が効く様になる。コペンハーゲンで培った知識だ。
 
「……さて、これで全部揃ったな」
 
 だからといって終わった分けではない。むしろこれからが本番だ。
 一応予定とはいえ、明日には開店するのだから、清掃や下拵え、釣り銭の準備などやることはたくさんある。
 
「うし! 気合入れてやるか!」
 
 そうして休憩を挟みつつ作業へと没頭する。
 そうやって手を動かしながらここ数日で起こった出来事を整理する。
 まず最初に異世界に来た。
 …………。
 いきなり、え~……って感じの出だしである。
 それはさて置き、それからエヴァと茶々丸に出会い、なんだかんだの内に仕事を紹介され、ついでにエヴァの家に居候する事になった。
 そして昨夜の地下室での出来事。
 エヴァの過去を知り、俯く頭に手を乗せた後に向けられた笑顔。
 
「……あんな風にも笑えるんだな」
 
 例え長い年月を過ごしていようが、やはり彼女は女の子なのだ。
 笑顔のとても似合う女の子なのだ。
 その彼女を苦しめているのは話にも出ていた”呪い”なのだろう。
 ”呪い”。
 それを解く術は――ある。
 実のところ、ある事にはあるのだ。
 ”破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)”。
 あの究極とも呼べる対魔術宝具を使えば、確かに呪いは解呪できるだろう。
 だったらさっさと呪いを解けばいい話なのだが、ここであることがネックになっている。
 それはエヴァが吸血鬼であると言う事。
 元々、生まれ着いての吸血鬼であれば話は変わるのだろうが、エヴァも自身で”最初は人間だった”と言っていた。更に”これは呪いのようなものだ”とも。
 つまりは吸血鬼となっている事象事態も、呪いによるものだという可能性が高い。
 もしもこの呪いも一緒に解けてしまったら?
 ”担い手”たるキャスターや、アーチャーの奴だったら、もしかすると特定の呪いに対してのみ効果を限定して、使用できるのかも知れないが、未だ未熟な俺にはそこまで器用な真似は出来ない。恐らく術や呪いといった物の効果全てまとめて解呪、と言う形になってしまうだろう。
 その場合、吸血鬼として長い年月を生きていたのにそれがいきなり解かれてしまったら……どうなるだろうか?
 良ければ人間に戻るのかもしれないが最悪……数百年の月日が、一瞬でエヴァを襲い、死んでしまう可能性もある。
 それはあまりにも分の悪すぎる賭けだ。試すわけにはいかない。
 となると、俺はこの件に関しては無力、と言う事になってしまった訳だ。
 
「……ままならないよな」
 
 一人呟き、その歯痒さを身に刻み込む。
 すると不意に、チリンとベルの鳴る音が聞こえた。
 
「やはりここにいたか……へえ、なんだ、なかなか形になっているじゃないか」
「お疲れ様です、士郎さん」
 
 顔を上げると、学生服姿のエヴァと茶々丸が揃って立っていた。
 
「あれ? 二人ともどうしたんだ」
 
 もしかして、さぼってるのか? と、思って時計を見てみるととっくに授業が終わるような時間になっていた。
 
「うわ、気がつかなかった……もう、こんな時間だったのか」
「そんなことより何故そんなに急いで準備をしているんだ? まさか明日から営業するわけでもあるまいし」
「……や、明日から営業しようかと思っているんだが」
「……………………馬鹿か、お前は」
 
 う、なんとも冷たい視線。嫌な感じの流し目が良くお似合いで……。
 しかし、自分でも少しはそう思わなくもないので苦笑するしかない。
 
「……馬鹿とはあんまりだな。でも、なんかさ、俺も早くやってみたくて結構楽しみなんだよ」
「……まあ、いいがな。しかしそんなに急ぐと物事を見落とすぞ?」
「む、失敬な。これでも昔、こういうバイトはしていたんだ。準備に抜かりはない筈だ」
「そうか? そこまで言うのなら……そうだな、ならばここの店の名前はなんと名付けたのだ?」
「…………………」
 
 ――――やば。
 
「……その沈黙は、どう解釈すればいいのだ? 後は……まさかその格好で店に立つわけではあるまい? 服はどうするのだ?」
 
 ぐ、なんて的確なピンポイント射撃! まさに俺の痛い所狙い撃ちだ!!
 
「――それは、えーと、だな……」
「……ふう、ほら見ろ。やはり抜けているではないか……仕方ない、私も手伝ってやる。おい茶々丸、お前も考えろ」
「はい、マスター」
「うー……、すまん、助かる」
 
 真に情けないが格好つけている場合ではない。
 二人が手伝ってくれると言うなら、これほど有難いものはなかった。
 
「さて、では店の名前が先決か。どうせ士郎のことだから看板の注文もしていないだろうからな」
「……そりゃ、名前考えてなかったからな」
「いじけるな、全く……、で? 何にするんだ?」
「……むう」
 
 と、言われても困ってしまう。
 そんなにすぐ格好いい名前が出てくるようなセンスを、俺に期待しないでいただきたい。
 
「思い浮かばんか? そうだな……、助言するとすれば……だ。こういうものは変に考えすぎたりしない方がいいぞ? 格好付けようとして下手に気取った名前をつけると後で自分で恥ずかしくなるから止めておけ。そうなったら目も当てられん。かえって単純で、身近に感じる物ほど他人にも受け入れられやすいものだ。だから自分の好きな物の名前や場所、情景の名前の方が馴染みやすい」
「なるほど」
 
 なんとも的確なアドバイスである。
 たしかに言われてみれば、気取った名前の店などは入り辛いイメージがあるし、たまに名前の意味に懲りすぎてやっちゃった感のある痛い店も見かける。さすがに長い年月を生きているだけの事はある。
 しかし、好きな場所、風景か…………。
 
「…………例えばエヴァだったらなんて名前を付ける?」
「馬鹿者、私に聞くな。こういうものは自分で考えろ、ヒントなど無い」
「う……っ、じゃあ、茶々丸は?」
「……私もマスターと一緒です。士郎さん自身が付けた名前ならきっと素敵なものになるでしょう」
「……そりゃどうも」
 
 茶々丸から妙に信頼感を感じるお言葉を貰ってしまって更にプレッシャー……。
 好きな場所、好きな場所……、俺がよく居た場所、風景か………………………お?
 思い浮かんだ。……そうだな、なんか悪くないような気がする。
 
「……その顔は何か思い浮かんだか?」
「ああ、ちょっと恥ずかしいかもしれないけど決めた。俺の店の名前は――――『土蔵』だ!」
「――――」
「――――」
「………………」
 
 お、お願いだから黙り込まないでください! 物凄くいたたまれない気持ちで、いっぱいいっぱいになってしまいます!!
 
「――ふむ、『土蔵』………か、思ったよりは悪くないかも知れんな。些か居酒屋のような雰囲気の名前ではあるがな」
「士郎さん、何故『土蔵』なのか聞いてもよろしいですか?」
 
 む、なんか意外に好感触か?
 
「あ、ああ。俺が家にいた時はいつも土蔵に篭もって魔術の修練をしてきたんだ。それに壊れた物とか直す場所もそこだったし、俺が好きな場所って言えばそこかなって思って」
「なるほど、そうだったのですか」
「決定だな。……よし、茶々丸。お前は看板を注文して来い。文字のレイアウトなどは素人が下手に凝るよりも最初から専門の者に任せた方が確実だ。なに、文字数も少ないのだ、ここの連中なら大して時間もかからず仕上げるだろう」
「わかりました、マスター。では、行って参ります」
 
 言うが早いか茶々丸は颯爽と出て行ってしまう。
 何気に仕切り屋のエヴァさんだ。しかも迅速で的確と来ている。
 これも年の功の成せる技か……でも言ったら怒られそう。
 
「いや、ありがとうエヴァ。エヴァのおかげでなんか凄くスムーズに話が進んだ」
「……ふん、この程度の事できて当然だ」
 
 悪態をついてそっぽを向いてしまったが、頬が赤くなっているのはバレバレだった。
 ……ホント、素直じゃないなあ。
 
「そ、そんなんことよりもだ! 服はどうするのだ士郎!?」
 
 赤くなっている自覚があったのか、照れ隠しのように大声を上げてきた。
 しかし、それをわざわざ指摘して、機嫌を悪くさせる必要もあるまい。
 
「ん、そうだな……エヴァはどっかいい所知ってるか? 指導員の時に着るスーツも揃えようと思ってたんだ」
「……ん? 指導員の時のスーツだと?」
「うん、俺見た目がこれだろう? せめてスーツでもないと軽く見られそうだからさ」
「ふむ…………そうか」
 
 なにやら顎に手を添えて考え事をしているようだ。
 しばらくの間、そうして考え込んでいたがやがて考えが纏まったのか急に顔を上げた。
 
「よし! ならば私が作ってやろうではないか!」
「へ?」
 
 得意満面のエヴァ。
 これはまた考えもしなかった答え。
 作る? エヴァが? 俺の服を?
 
「……って、そんなの作れるのか?」
「む、当たり前だ馬鹿者。人形使い(ドールマスター)の名は伊達ではないぞ。地下にあった人形だってほとんど私が作ったものだ、もちろん衣装だってな。それに私や茶々丸が着ている服だって、私の手によるものがほとんどだぞ?」
「…………………」
 
 今、明かされた真実!
 ……ってことはやっぱりあれか、あのフリフリとかは茶々丸の趣味ではなかったんだな。
 ――――や、二人とも似合っているんだけどさ?
 しかし、あの手の服……ゴスロリだっけ? ああいうのはエヴァが元々、中世のお姫様だってことを考えればその嗜好は納得いけるといえばいえる物がある。
 でもなあ……。
 
「ん? なんだ? 反応が薄いな、もしかしてイヤだったか?」
「…………流石に、俺はあの手の服を着て歩く勇気はないのだが……」
 
 あ、エヴァがこけた。
 
「あ、阿呆かお前は!! 私だってそんな趣味はないわ! ああいうのは似合う者が着るから良いのだ! お前のような男に着せる訳あるか、気色悪い!」
「あ、そうなんだ。俺はてっきり…………」
「てっきり…………なんだ?」
「――いえ、なんでもないです」
 
 口は災いの元、思ったことを言葉にするのはいい加減やめよう。だってエヴァの目が怖い。
 
「……ったく、馬鹿なことを言ってないで採寸するからこっちに来い。心配しなくてもきちんとした物を仕立ててやる」
「ん……わかった、じゃあ折角だし厚意に甘えさせてもらう」
 
 エヴァがわざわざ作ってくれると言うのだ、その気持ちは素直に嬉しい。
 エヴァが俺で遊びたい可能性もなくもないけどそれも微笑ましく思える。
 ニヤつきそうになる顔を無理矢理押し殺して手招きするエヴァの傍らまで行く。
 
「よし、では今から寸法を測るからな。足は肩幅で開いて背筋を伸ばせ」
「了解……こんなもんか?」
「ああ、それ位だ、動くなよ?」
「おう」
 
 エヴァはそう言うと、何処からともなく取り出した糸で俺の身体を計測し始めた。
 
「へえ……メジャーで計るんじゃないんだな」
「ああ、これか? 私は昔からこの方法でやっているからな、メジャーのような物で計るより断然正確にできるんだ」
 
 そう言いつつもエヴァの手は止まらない。
 事細かに採寸を続ける手は流麗で、その動作だけでとても綺麗だった。
 でも、俺の周囲をチョコチョコ動き回る様は、まるで子犬のようで愛らしい。
 
「んー……、届かん……。士郎、ちょっとそこに膝立ちしろ」
「ん、了解」
 
 流石にエヴァの身長では上半身の計測はやりずらかったらしい。俺は言われるままに膝で立つ。
 
「これでいいか?」
「ああ、それで手を水平に上げろ」
「えっと……こんな感じか?」
「そうだ、そのままだ……」
 
 再び採寸を始めるエヴァ。
 
「…………………」
「…………………」
 
 ……しかし、なんだ。こうしていると身長差がほとんど無くなり、エヴァの顔がやたらと近い。
 改めて見てみると、やはりびっくりする位綺麗な顔立ちをしている。
 整った造形、大きな青い涼しげな瞳、その透き通るように白い肌は、シミや傷など全く無い。エヴァの動きに合わせて、黄金の絹糸のように美しい髪が水のようにサラサラ零れ落ちる。
 この子自身がまるで人形のようだ。
 ……だからそんな小さなエヴァに胸囲とかを測られると、いちいちまるで抱きつかれたかのような形(っていうか抱きつかれてるんだけど)になってしまうのは仕方ないし、俺が思いっきり赤面してしまうのも仕方のない事だと思う。
 しかし、それはエヴァも同じようで顔が真っ赤だ。肌の色が元々白いし顔も近いので丸分かり過ぎる。
 
「…………エヴァ、顔、真っ赤……」
「うぅうう、う、う、煩いな! い、いいからじっとしていろ!」
 
 なんとなくこの空気に耐えられなくなって呟いた照れ隠しの俺の言葉に、エヴァが過剰に反応してドモリまくる。
 年齢はずっと上らしいが、反応は見た目相応のエヴァを微笑ましくなってしまう。
 エヴァは照れて顔を上げられなかったから、赤くなってしまっているであろう俺の顔は見られずに済んだのは幸いと言うべきか。
 それでもやはり照れくさいのはお互い変わらず、どうしても終始無言になってしまう。
 が。
 そこに澄んだベルの音が鳴り響いた。
 いや、鳴ってしまったと言うべきか。
 
「只今戻りました。看板は明日の朝一で取り付けに来てくれ……る……そ……」
「…………………」
「…………………」
 
 沈黙。まるで時が止まったかのようだ。
 ……さて、ここはあえて落ち着いて状況を見てみよう。
 店に入ってきた茶々丸は俺達を見て固まっている。
 俺達はそんな茶々丸を見て固まっている。
 そんで俺達はと言うと、膝立ちになって顔を赤くしている俺、同じくエヴァ。
 更に言えば思いっきり抱きあっているような形に見える。っていうかそれ以外に見えない。
 そこから俺の経験と茶々丸の性格を吟味して、導き出される回答は3つ。
 
 最善の1:内容を理解し、そのまま何事も無かったかのように入ってくる。
 許容範囲の2:現状が理解できずその場で固まる。
 最悪の3:誤解したまま、気まずくなって逃走。
 
 さあ、どれだ!?
 俺的には是非もなく1番を強く推奨したい!
 でもそんな希望は大抵裏切られる事を俺は知ってしまっていた。
 
「……あー……茶々丸さんや?」
「あ、あ、あぁぁああ、ちちち違うぞ茶々丸!? これはだなッ!」
「――し、失礼しました!」
 
 言い終わるやいなや、脱兎の勢いで出て行く茶々丸。
 ちくしょう、やっぱり3かよ! っていうか、『さあ、どれだ!?』とかやってる場合じゃねえだろ俺!?
 
「し、士郎! 追え、追え! このままだと何処に行くか分からんぞあいつ!」
「言われずとも! ――って、飛んだぁッ!?」
「ハイテクって奴らしい! いいから追え士郎!」
「くっそ、その内ロケットパンチとか出てくるんじゃないだろうな!」
「…………あいつ、打てるぞ。ロケットパンチ」
「ドチクショウがぁーーーーっ!!」
 
 や、もう俺自身何がなにやら。
 まあ、つまりは人の話は最後までよく聞きましょうっていうお話……なのか?
 
 



[32471] 第9話  創作喫茶 『土蔵』
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2012/05/08 21:11
朝、10時を少し回った頃、俺は店の前に立っていた。
 それと言うのも、看板の取り付け作業を見守るためだ。
 こうやって自分で考えた店の名前を形として見上げてみると、感慨深い物がある。
 なんと言うか、こう、ふつふつと込み上げる物というか、顔がニヤけそうになるというか……。
 高々と掲げられる、豪快な毛筆調で書かれた『土蔵』の二文字。
 確かにエヴァの言っていた通りちょっと居酒屋っぽいような感じがして少し苦笑い。
 でもそれ位が自分には丁度良い、変に飾ったりするのはらしくない。
 さあ、これで――。
  
「――創作喫茶、『土蔵』開店だ!」
  
 で。
 
「――考えてみれば、宣伝もなにもしてないのに、お客さんとか来るわけないんだよな……」
 
 いきなり失敗。
 看板の取り付けだの、照明の設置だので、結局店の開店は午後1時になってしまった。
 そんな、お客さんが一番来る様な時間を逃してしまったのだから、当たり前だが、ようは今現在とても暇です。
 っていうかまだ誰も来てないし!
 
「……まあ、ウチは学生さんメインなんだろうから、とりあえず仕方ないって言えばそれまでなんだけどな……」
 
 そんな言い訳じみたことを一人呟いてみても、ただ空しくなるだけだった。
 なので、悪あがきにと、入り口のドアに『本日開店』と張り紙をしてみたが、遠目から見ると『本日閉店』とも見えなくもないので結局止めた。
 スゴスゴ店の中へと戻りカウンターの中に引っ込んでため息一つ。
 
「……折角作ってくれたのにな……」
 
 自然、そう口から零し、身に付けた服を見下ろし昨日の事を思い出した。
 結局、あの後逃げ回る茶々丸をなんとか捕まえた頃には日が暮れていてしまっていた。
 誤解した茶々丸への説明にエヴァと二人で更に一時間。
 なんとか誤解を解く事に成功した俺達は、二人そろって安堵のため息をついたのだった。
 茶々丸は何度も誤解した事を謝罪してきたが、あの状況を見たのなら仕方がないと思う。
 
「――さて、では私は服を作ってくる」
 
 家に到着して、遅めの夕食を食べ終わるとエヴァはそう切り出した。
 
「え? 今からか? 明日はとりあえず私服でなんとかするから、そんなに急がなくてもいいぞ?」
「馬鹿者、初日からそれでは格好がつかないだろう」
「……でも、時間が……」
 
 そう、時間が足りない。
 いくらエヴァが服等を作り慣れているとしても一晩で出来るほど簡単な物でもないだろう。
 仮に出来るのだとしても明らかにエヴァに無理をさせている事には変わりない。
 しかしエヴァはそれを簡単に否定した。
 
「なんだ、そんなことか」
「なんだって……俺はエヴァの身体を気にしてだな――」
「気遣いはあり難いがな、士郎……お前、忘れているだろう?」
「忘れてるって……なにをさ?」
「私の『別荘』の事だ」
「『別荘』? ――ああ、そういえば……」
 
 そんな物もありましたね。
 
「そう、あそこの中に入れば時間の流れが違うのだ。なに、私に掛かればどんなに趣向を凝らそうとも3日……3時間もあれば十二分に完成する」
「あ、そういう手があったか……」
 
 なるほど、それならエヴァに無理をさせてる事にはならない……のかな?
 実際に服なんて作ったことないから、どれくらい時間が掛かる物なのか想像もつかない。
 けれどエヴァの気持ちはありがたい、ここで断ってしまう方がかえって失礼ってもんだろう。
 
「ん、じゃあ、お願いしていいか?」
「フフン、任せておけ。では、茶々丸着いて来い」
「はい、マスター」
 
 そう言う残して階段を下りていく背中を見送る。
 その背中が見えなくなると、ずっと成り行きを見守っていたチャチャゼロが口を開いた。
 
「ケケケ、随分トマァ……、気ニ入ラレテルジャネーカ衛宮?」
「え、そうなのか?」
 
 確かに嫌われてはいないとは思うが、そこまでいくだろうか?
 
「アア、確カニ御主人ハアア見エテ、結構気前イイトコアルンダケドヨ……」
 
 うん、それはなんとなくわかる。
 俺もなんだかんだいって色々助けられまくっている。
 
「アッタ物ヲヤルンジャナクテ、ワザワザ自分デ作ッタ物ヲ与エルナンテナ……ソレモ御主人カラ言イ出シタンダロ? ソンナモン特例中ノ特例モイイトコダゼ? 昨日ノ事ガ随分ト影響シテルミテーダナ」
「……そんな事言われても、特に変わった事した覚えはないんだけどな……」
「……ハッ! コレダカラ天然ハ始末ニオエネー」
「む、天然とは言ってくれるじゃないか。俺はこれでもしっかりしてると、自分では思っているんだが……」
 
 伊達に長い間一人暮らしをしていた訳じゃない。
 大抵のことは自分でやってきたし、猛獣(藤ねえ)の面倒も見てきた自負があるんだが。
 
「アア、違ウ違ウ。ソウイウ意味ジャネェンダガナ……。ッタク御主人モヤキガ回ッタモンダゼ、吸血鬼ガ魅了サレルナンテ面白スギルゼ……」
「ん? なんか言ったか?」
「ナンデモネーヨ」
 
 なんか言っていたみたいだが後半の方が小声で聞こえなかった。
 まあ、それはさて置いて……3時間、どうしようか……流石に自分だけ先に休むのは気が引けるし。
 
「……そうだな、せめてものお礼って訳じゃないけど、お菓子でも作って感謝の気持ちを表そう」
「アン? ナンカ作ンノカ?」
「ああ、そう思ってるんだけど……チャチャゼロ、エヴァがお菓子だと何が好きとか知ってるか?」
「御主人ガカ? …………コレトイッタ物ハネェゼ、美味ケレバナンデモ食ウゾ」
 
 ソレコソ血ダッテナ、と笑って付け足すチャチャゼロ。
 血を吸うエヴァって、どうも想像できないんだが……とりあえずだ。
 今はそれより何を作るかが先決だ。
 キッチンへ行き材料を探す。
 
「……えっと、使ってもよさそうなのは……お、林檎がたくさんある、レモンも。と、言う事は茶々丸なら……お、やっぱりだ、シナモンもあった……ふむ、アップルパイでも作るか」
 
 これだけ林檎があれば使っても大丈夫だろう。
 幸い材料は全部揃っているし、パパっとやっつけてしまおう。
 3時間くらいで完成すると言っていたし、ちょうど良い時間にこっちも出来る事だろう。
 と、思っていたんだが。
 
「………………ん、……あれ?」
 
 外が明るい……俺、どうしたんだっけ?
 
「お早う御座います、士郎さん」
 
 キッチンの方から声がした。
 
「あれ? 茶々丸? 俺、なんでこんな所で寝て…………って、ああ、そうか」
 
 思い出してきた。
 昨日の夜、アップルパイを作って待ってたまでは良かったんだけど、エヴァが5時間経っても出てこなくて、ついそのままテーブルに寝てしまったのだ。
 
「そうか、寝ちまったんだ俺……。ん、お早う、茶々丸。エヴァは?」
「マスターでしたら上でまだお休みになっておられます」
「そっか……。結局昨日は何時までやってたんだ? 俺、結構待ってたんだけど、なかなか出てこなかったからさ」
「作業が終わって出てきたのは、午前5時をすでに回ってからでした」
「5時!? ってことは……実質8日間もか! 3日で終わるんじゃなかったのか!?」
「ええ、普段でしたらその位あれば十分完成できたのですが……、マスター自身が納得できる品がなかなかできず、何度も作り直しや手直しを繰り返していましたのでその時間に……」
「そっか……なんか悪い事したな……」
「いいえ、決してそのような事は。マスターも作っている最中、とても楽しそうでしたので」
「……そっか、それならいいんだけど」
 
 やはり趣味も兼ねているから苦にならなかったのだろうか?
 しかし、それでも悪い気がする。
 そこで、ふと時計が目に入った。
 
「マズイ……まだ店の準備少し残ってたんだ! 悪い茶々丸、俺、もう店に行くよ」
 
 まだ準備中なのを思い出して、慌てて家を出て行こうとする俺。
 
「――士郎さん、お待ちください。お店へ向かわれるのでしたらこちらの品を……」
 
 そんな急いで店へ向かおうとする俺を茶々丸が呼び止めた。
 そうして茶々丸が何やら持ってくる。
 
「――これは」
「はい、マスターがお作りになった士郎さんの制服です」
 
 それは、一目見ただけで物凄く上質だと分かるような布でできた逸品だった。
 恐ろしく滑らかな布を使った黒のベストとパンツ。
 真っ白なウィングカラーのシャツ。
 鈍い光沢を放つ革靴。
 更には大きな赤いルビーをあしらった紐ネクタイ。
 
「…………これを、俺に?」
「はい、マスターが士郎さんの為だけに作られました」
「いいのか? こんなに凄い物貰ってしまって」
「――—ええ、そうして貰わなければ、マスターが悲しみます」
 
 そう言うと茶々丸はクスクスと可笑しそうに微笑った。
 けれど、確かにここまでしてもらって、受け取らないなんて話はないだろう。
 
「そっか、じゃあこれはありがたく頂いて行くよ、……あ、時間ないんだった。茶々丸、悪いんだけどエヴァにお礼言って……」
 
 そこまで喋って一旦言葉を止めた。
 
「はい、伝えておきます」
「あ、やっぱ無し。今の無し」
「……と、言いますと?」
「ん、こういうのは自分で言わなきゃな。エヴァにも失礼になっちまう」
「――分かりました。では、そのように」
「ああ、じゃあ、行って来ます!」
「はい、行ってらっしゃいませ」


◆◇――――◇◆

 
「って、勢い勇んで出てきたって言うのに、このままじゃ格好つかないな……」
 
 物思いに耽っていた思考をため息と共に吐き出す。
 これじゃあ勇み足もいいところだ。不甲斐ない。
 と。
 その時、扉に取り付けられたベルが音を立てて鳴った。
 
「っ! い、いらっしゃいま、……せ?」
「――なんだ、誰もいないではないか……」
「士郎さん、お疲れ様です」
 
 慌てて姿勢を正した俺の視界に飛び込んできたのは、エヴァと茶々丸だった。
 
「……何だ、二人か……」
「む、何だとは何だ……、失礼な奴だな」
「あ、いや、そういう意味じゃなかったんだけどな……実を言うとまだ誰もお客さん来てなかったんで、緊張しちまったみたいだ」
「は? まだ誰も来ていないだと? ……フフン、だとすると私達が記念すべき来店第一号と言うわけだな」
 
 ニヤリ、と意味ありげに笑うエヴァ。
 
「いや、この場合は違うんじゃないか?」
「む、何故だ? まだ誰も客が来ていないのだろう? だったら違わないはずではないか」
 
 む、と不服そうに睨まれてしまった。
 ……いや、そんな事されても、……なあ?
 
「だって家族だろう? それをお客さんってカウントするのは変じゃないか?」
「――――」
 
 何故か絶句してしまうエヴァ。
 ……はて? そんなに可笑しなこと言っただろうか?
 
「フ、フン! そ、そういうことならば大目に見てやろうではないか……!」
「そ、そりゃどうも……?」
 
 エヴァはそう言ってそっぽを向いてしまったが、どうやらお許しはでた模様。
 ……何に対しての許しかはわからないけど。
 
「…………おほんッ! そんなことよりも、だ。なかなか似合っているじゃないか士郎?」
「あ、これか?」
 
 咳払い一つ、エヴァは俺の着ている服に注目した。
 
「そういえば、お礼がまだだったな。ありがとうエヴァ、俺の為にわざわざこんなものまで用意して貰って……」
「……なに、開店祝いだと思って気安く受け取っておけ」
 
 もっとも誰も来てはいないがな、と付け足すエヴァ。
 ……や、ご尤もで……。
 
「で、どうだ? 動き難いとかはないか?」
「ああ、全然そんなことないぞ。むしろここまで動きやすいとは思ってもみなかった」
 
 そう、実際に動いてみて驚いた。
 まさかここまで着心地がいいとは……。
 結構身体に密着したデザインなのに動きが全く制限されない。
 これならどんな体勢だろうと破れたりもしないだろう。
 
「ああ、それは製法と仕立てにちょっとした秘密があるからな」
「秘密? ……魔法使っているとかか?」
「そういうのではなく只の技巧だ。口で言っても分からん」
「そっか、……重ね重ねありがとう、エヴァ」
「わ、分かったからそんなに何度も言わなくていい!」
 
 多分、感謝される事に慣れていないのだろう。エヴァはなんか困ったような顔をして慌てふためいてしまった。
 そんなエヴァに口には出さず更に感謝する。
 さて、それじゃあ感謝を形として出すとしよう。
 
「エヴァ、紅茶飲むか?」
「ん、貰おうか」
「よし、さあ座って。ほら、茶々丸も」
「いえ、私は――」
「いいからいいから……。そういうのは無しだ」
「言うとおりにしてやれ茶々丸、短い付き合いだが、言って聞く相手ではあるまい?」
 
 言ってくれるじゃないか……。
 助け舟なのか、おちょくられているのか微妙なラインだ。
 
「――はい、ではお言葉に甘えて」
「おう、幾らでも甘えてくれ」
 
 苦笑しつつカウンター席に座る茶々丸を確認し、お茶の準備をする。
 
「そういえば、二人とも今日は早いんだな?」
 
 作業する手を止めずに質問してみた。
 考えてみればまだ、午後一時半になったばかりだ。
 
「ええ、今日は土曜ですので……」
「あ、そっか……。曜日感覚狂ってたから、分からなかったよ」
「私達はここに直で来たからな。もう少ししたら、学校が終わった連中が店の前を通りかかる。その段階でどれだけ客を確保できるかがポイントだな」
「そっか……じゃあ、これからお客さんも来てくれるのかな……っと、はい、お待たせ」
 
 二人の前に紅茶をそっと差し出す。
 
「ふむ、良い香りだ……それにこの強いオレンジ色は……」
 
 エヴァは香りを楽しんだ後、カップを傾け静かに目を閉じた。
 何かを考えているようなので邪魔しない方が良いだろう。
 
「あ、そう言えば茶々丸。俺が作ったアップルパイは食べてくれたか?」
「ええ、マスターはとても御満足していました」
「そりゃ良かった。……で、ちゃんと茶々丸も食べたよな?」
「――」
 
 茶々丸は一瞬だけ呆気に取られたようだが、すぐ可笑しそうに微笑んだ。
 
「ん、どうした? 俺、なんか可笑しなこと言ったか?」
「いえ、申し訳ありません。……マスターが仰った通りになりましたので……」
 
 茶々丸はチラリと隣に視線を移したが、エヴァはまだなにやら考え事をしている様子で、こっちの会話に全く気づいていない。
 
「今朝、私は食事を断ったのですがマスターが、士郎さんに何を言われるか分からないから私も食べろと……」
「――そっか」
「――はい」
 
 二人揃ってエヴァを見つめてしまう。
 ……この子も少しは団欒の暖かさを大事に思ってくれたのだろうか。
 だとしたら物凄く嬉しい。
 ――なので、頭を撫でてみた。
 
「……おい士郎、なんだこの手は……」
「ん……?、いやー、エヴァは良い子だなって思って」
「子ども扱いするなと言っているだろう。良いから退かせ、茶が飲めん」
「了解」
 
 サラサラのエヴァの髪を撫でるのを止めるのは惜しい気もしたが、そう言われては仕方がない。
 
「……全く……。それより士郎、この茶葉はジョルジだな?」
「――へえ、凄い。正解、良く分かったな」
「茶には煩いと言っただろう? この色に独特の甘み……等級もそこそこの物を使っているのではないか?」
「これまた正解、いい業者さんと知り合えて、かなり安く仕入れる事が出来たんだ。ちなみにそれはG・F・O・P」
「…………学生に出すにしては上等過ぎるし、値段設定……安過ぎやしないか?」
「まあ、俺もそう思ったんだけどな。でも、本当に安く仕入れる事ができたんだ、ちゃんと採算は取れる計算だ。それにどうせなら美味しいのを飲んで貰いたいだろ?」
「……その考えに賛同はできんが、採算が取れているなら何も言うまい」
 
 なにやらため息をついて呆れられてしまった。
 なんだよー、いいじゃんかよー、誰だって美味しい物を安く飲めれば嬉しいだろー。
 と、変な事を考えていたらベルの音。
 これは今度こそ――ッ!
 
「――いらっしゃいませ」
 
 瞬時に接客モードに入る俺。
 いきなりの俺の変わり様に、エヴァからは胡散臭そうな目で見られたが気にしない。
 実質的には初めてのお客さんだ、気合入れていくとしよう。
 
「あ、えっと、三人なんですけどいいですか?」
「畏まりました、どうぞこちらへ」
 
 来店したのは、元気で仲の良さそうな3人組みだった。
 その楽しそうな雰囲気に微笑ましくなる。
 三人を窓際の日当たりの良い席へと案内する。
 
「――それではご注文が決まりましたらお呼び下さい」
「はーい、わかりました……って、あれ? ねえアコ、あれってエヴァちゃんじゃないの? お~い!!」
「あ、ホンマや。なんや、茶々丸さんもいるやん」
 
 ん、知り合いか?
 その声に反応して首だけでさり気なく振り返って見ると、エヴァはいかにも面倒そうに、振り返りもせず片手だけ振って挨拶し、茶々丸はこんにちは、と礼をしてまた座った。
 何はともあれ、いきなり俺が首を突っ込む事じゃ無い。
 そそくさとカウンターに引っ込む。
 で、
 
「……何だ、知り合いか?」
 
 とりあえず小声で二人に聞いてみる事にした。
 
「ええ、三人とも私達のクラスメイトです。左から明石裕奈さん、和泉亜子さん、大河内アキラさんになります」
「……ッチ、煩い連中が来てしまったな」
 
 なるほど、クラスメイトね……。
 そうなるとここは席とか一緒にしてやった方がいいのだろうか?
 
「エヴァ、席一緒にしようか?」
「馬鹿を言うな。あんなやかましい連中と同席なぞさせるな」
「さいですか……」
 
 確かにエヴァの性格とか考えると、あの雰囲気は苦手そうだ。
 クラスメイトなんだから仲良くすれば良いじゃないか、とか思わなくも無いが、そこは俺が干渉するべき事ではないだろう。
 そこで視線を三人に向けると、こっちに手を振っていた。どうやら注文が決まったらしい。
 
「お待たせしました。ご注文はお決まりですか?」
「はい、私はオムライスと食後にケーキセットを。アコとアキラは?」
「せやな……、スモークチキンとフルーツトマトのパスタ。それに私も食後にケーキセットください」
「……卵とアスパラガスのパスタオーブン焼きと、同じくケーキセットお願いします」
「畏まりました。ケーキセットの紅茶はこちらから茶葉を選べますがいかが致しましょうか?」
「え? 選べるんですか? ちょ、ちょっと二人とも! どれにする?」
「えー、ウチ茶葉の種類なんてわからへんよー……」
「……ウェイターさんのお勧めでいいんじゃないかな?」
「ん、そうだね、それがいいかも。アコもいい?」
「ウチもそれで構わんよ。って言うか、種類もわからんのに選べへんよ」
「畏まりました、ではこちらでお選びさせて頂きます。……それとお客様、一つ訂正を。私、ウェイターではなく当店の店主、衛宮士郎と申します。一つお見知りおきを……」
 
 恭しく一礼。
 別にそのままでも良かったのだが、間違えて覚えられるのも悲しいので一応訂正を入れてみる。
 で、それに食いついてきたのは明石さんと呼ばれた子だった。
 
「えッ!? 嘘! 私てっきりバイトの高校生の人かと……」
「ははは、良く間違われます」
 
 や、間違われるも何も、自分が何歳かも覚えてないんだけどなー。
 
「あの、お幾つなんですか? 高校生くらいに見えますけど……」
「そこは企業秘密という事で」
「ええ~、いいじゃないですか、それ位。それとも同い年とか?」
 
 う……、幾らなんでもソレは……悪意が無いだけに余計傷つく。
 
「そこはご想像にお任せ致します。では、少々お待ちください」
 
 後ろからえ~、とかブーイングが聞こえたけど、なんとかその場を逃げ出しカウンターへと非難する。
 
「エヴァ……」
「あん?」
「お前があの子達苦手って言ってた理由……何か分かる気がする……」
「……そうか」
「ああ……、お茶御代わりいる?」
「貰おう」
 
 なんだかお互い黙りこくってしまう。
 それに俺達の話について来れてないハテナ顔の茶々丸。
 元気があって良い子達なのだろうけど、如何せん疲れる……。
 一人一人ならそうでもない……くもないないような気がする。結局どっち?
 ううぅ……恐るべしジェネレーションギャップ! なんて言うか時間の流れって残酷だ……。
 ――とりあえず注文の品を作るとしようか……。
 
「――では、ごゆっくりお楽しみください」
 
 そんなこんなで、作り終えた料理を全てテーブルの上に並べ、踵を返そうとする。
 
「わ、すごい……これ、全部衛宮さんが作ったんですか?」
「――ええ、私一人で全て取り仕切っておりますので……」 
「へー、一人でこれ全部作ったんですか……料理はいつぐらいから始めたんです?」
「……そうですね、私が初めて料理をしたのは大体7歳位のころでしょうか……。親が外を飛び回る仕事でしたので、必要に駆られて覚えた、という感じですかね」
 
 苦笑気味にその頃のことを思い出す。
 切嗣はいつもどこかに出かける事が多かったし、切嗣自身がジャンクフード好きという、いかにも健康に悪そうな嗜好だったので子供ながらに俺がしっかりしなければと思ったものだ。
 
「はぁー……、そんな小さな頃からですか。やっぱ経験が物を言うんですかねぇ……。あ、それより一つ気になってたんですけど――」
「はい、なんでしょうか?」
「その喋り方って……普段からそんなんなんですか?」
「……あ、それは私も気になってた……」
「ウチも」
「ああ、これですか? 流石に普段からこのような畏まった喋りをしているわけではございません。それでもやはり接客業ですので……」
「あ、やっぱりそうなんですか? ……だったら普段通りの喋り方にして貰えませんか?」
「おや……、もしや不快にさせてしまいましたか?」
「あ、そ、そんなんじゃないです! ……只、そんなに年も違わなそうな人に……まあ、年は教えてもらえてませんけど……、そんな人に畏まった喋り方されると落ち着かないっていうか……」
「……ふむ、そうですか……。しかし私の普段の喋り方は……その、そんなに良いとは言えない物なのですが……」
「ああ、そんなの私達は気にしませんよ、っていうかここの学園の人なら誰も気にしないんじゃないかな?」
「……うん、ここの人達、みんな大らか」
「せやねー」
「……そうですか?」
 
 そう言って視線を向けてみると、コクコクと頷いてくれる。
 そんな様子に思わず笑みがこぼれた。
 
「――ふう、分かった。じゃあ、これからはこんな喋り方させて貰うけど――良いのか?」
「はい! その方が自然ですしね! って言うかそっちの方が多分お客さん受けいいですよ? ね、二人とも!」
「うん、そっちの方が自然な感じやしな。さっきまではなんか違和感あったもん」 
「そうか? じゃあこれから宜しく。さあ、とりあえず皆、折角の料理だ。食べてくれみてくれ。このままだと冷めちまう」
「ああ、そうでした!」
「じゃ俺はデザートのケーキセットを準備するからゆっくり楽しんで行ってくれ」
 
 作ったものを元気に食べてくれるのは、こっちまで気持ち良くさせてくれる。
 さて、どのお茶を出したもんか。
 
「なんだ、随分長い間捕まっていたようだな?」
「ん、ちょっと話しが弾んでな……って、どうした? なんか不機嫌そうだけど」
 
 なんだ? 少し目を放した隙になにかあったと言うんだろうか?
 
「……なんでもない、構うな」
「? そうか? それより二人とも昼飯はまだだよな、なんか食べるか?」
「いらん、今は持ち合わせが少ないしな」
 
 そう言い残してエヴァは席を立とうとする。
 ……全く、まだそういう事を言いますかね、このチビッ子は。
 エヴァの頭をガシッ、と鷲掴みにして、席へ押し付け立たせないようにする。
 
「っ! 士郎、貴様なにをする!」
「だから、さっきも言っただろう? 家族だって……。家族から代金を取る馬鹿が何処にいるってんだ……」
「――――」
 
 エヴァは一瞬、ビクッ、と震えると、そのまま固まってしまった。
 茶々丸はその隣で立っていいものかどうか迷っている模様。
 
「で、どうする? 無料だってのに他で食べるのか?」
「…………食べる」
 
 エヴァは目を逸らし、ワザと不機嫌さを作るかのように小声でそう呟いた。
 
「うし、じゃあちょっと待ってろ。すぐ作るからな」
 
 頭に乗せた手をそのままクシャ、と掻き回す。
 
「い、いいからこの手をどけろ! お前は何でいちいち頭に手を置く!!」
「いやー、位置といい、大きさといい、掴みやすいというか撫でやすいと言うか……」
「そんな理由でいちいち手を置くな! 髪が乱れる!」
「――マスターは照れていらっしゃるだけです」
「ウルサイぞ茶々丸!?」
 
 エヴァは、まるで子犬が水を飛ばす時のような、ぷるぷるっという仕草で首を振り、俺の手を払った。
 そんなことをすれば、余計に髪がクシャクシャになってしまうんだけどな。
 俺はその仕草に笑いを堪えながら手早く料理を開始した。
 
「――ありがとうございましたー」
 
 暫くして、料理を食べ終えた三人を見送る。
 あの後に出したケーキセットも大変好評のようで、また来ますねと言う、嬉しい事を笑顔で言いながら帰ってくれた。
 
「ふん、ようやく帰ったか……」
「こら、いくら苦手だからって、クラスメイトをそういう風に邪険にしないっ」
「ああ、もう! 分かったから頭に手を置こうとするな……ったく」
 
 文句を言いながらも、料理を食べる手を止めようとはしない所を見ると、どうやら気に入ってくれたようだ。
 ちなみに二人が食べているのは、シーフードときのこのリゾットと言う、自慢の力作だ。
 そんな二人をカウンター越しに見て和んでいると、またベルが鳴った。
 
「すいません、こちらに衛宮士郎さんという方は……」
「――あ、君は桜咲さん。いらっしゃい、来てくれたんだな」
「ああ、衛宮さん。お約束通り遊びに来させてもらいました」
 
 来店したのはつい先日ぶつかってしまった、桜咲刹那さんだった。
 今日もあの長い竹刀袋を肩に担いでいる。
 
「さあ、好きな所に座って。出来る限りのもてなしはさせてもらうから」
「い、いえ! そこまでされては、逆にこちらが気を使ってしまいますので!」
 
 慌ててブンブンと手を振って遠慮されてしまった。
 ……確かに、あんまり気を使い過ぎるのもかえって重い物になってしまうかも知れない。
 反省。
 
「ふぁんふぁと? ふぁふふぁふぁふぃふぁと?」
 
 ……なんかエヴァが口をモゴモゴさせながら言ってる。
 
「口の中に物入れながら喋らない」
 
 軽く額にデコピン一発。
 ――あれ? 今思ったんだけど『デコピン』ってお『でこ』に『ピン』ってやるからそういう風に言うんだろうか?
 
「――ッンク。……痛いではないか士郎」
「だったらキチンと行儀良くしろよ」
「……いちいち煩い奴だなお前は、全く。それよりも――」
「――貴女は」
 
 桜咲さんはエヴァを見て、なにやら驚いて固まってしまっているようだ。
 それに対してエヴァは、なんか意地悪そうな顔で笑っている。
 
「――エヴァンジェリンさん……」
「フン、珍しいな刹那。お前がこのような所に来るとは」
 
 え、何だ? また知り合いか? なにやら二人して見つめ合ってるんだが。
 
「な、なあ、茶々丸。なに? また知り合いなわけか?」
 
 小声で茶々丸に問いかけてみる。
 そうすると俺の意図を察したのか、茶々丸も顔を寄せて、小声で返してくれた。
 
「ええ、クラスメイトの桜咲刹那さんです。士郎さんもお知り合いで?」
「……まあ、先日いろいろあってな」
「はあ、そうですか……」
 
 要領を得ない俺の返事に、茶々丸は曖昧な返事を返した。
 そにしても、こうも二人の知り合いばかり来るって言うのも物凄い確率なんではなかろうか?
 
「ま、まあ、そういう事もあるか……。さあ、桜咲さん、座って」
「なんだ士郎、お前たちも知り合いだったのか? ……ま、お前ならいいか。刹那ここに座れ」
 
 エヴァはそう言うと、自分の席の隣のカウンター椅子をポンポン叩いてそこに座るよう促していた。
 
「は、はい……」
 
 それに桜咲さんは俺とエヴァの顔を何度も往復させ、フラフラと席に着いた。
 
「あ、あの……お三方は知り合いだったのですか?」
「ん、色々と紆余曲折あってな……そういう君達こそクラスメイトなんだって? いや、凄い偶然だな」
「士郎、お前の方こそ、いつの間に刹那と知り合ったんだ?」
「この前、店の買出ししてた時にちょっとぶつかってしまってな、その時のお詫びとして招待したってわけ」
「お前もいちいち律儀なやつだな……」
「いいだろ別に……それより桜咲さん、なに食べる?」
「そ、そうですね……では、衛宮さんのお勧めをお願いします」
「了解、ちょっと待っててな」
 
 お勧めか……、ならばここは、昨日から煮込んだビーフシチューのセットにしよう。
 先ほど味を見てみたが、なかなかの仕上がり具合だった。これならバッチリだろう。
 
「それにしても、桜咲さんも普段からそういう風に畏まった話し方するのか? さっきまでの俺もあれだったけど……エヴァとはクラスメイトなんだから、俺に気を使わないで普段通り喋ってもいいんだぞ?」
「あ、いえ、私の場合はこれが地なので……それにそれを抜きにしても、エヴァンジェリンさんにそのような失礼は……」
「ん、なにだ? エヴァって学校でもこんなに偉そうなのか?」
「い、いえ! そのような事は決してッ!!」
 
 これまた手をブンブン振って否定するが、さっきと勢いが段違いだ。どれ位違うかっていうと手が分身して見える位違う。
 はて、何をそんなに焦っているんだろうか?
 
「エヴァってば普段からムスッ、ってしてるから怖そうに見えるのか? でも、喋ってみればそんな事ないぞ? 結構面倒見も良いし。チビッ子だし」
 
 エヴァの頭をポンポン叩きながら一応釈明してみる。
 でも、確かに普段から不機嫌そうなのがクラスにいたら、敬遠されがちになってしまうんだろうとは思うが。
 
「誰がチビッ子だ! それにまた人の頭を……はぁ……、もう良い、好きにしろ。それより話を戻すが、刹那が言っているのは話しかけずらいとか、そのような類の事ではない。只、私が真祖だと言う事を知っているからだ」
「――え? って事は……」
「ああ、魔法使いに関係のある『こちら側』の人間だ」
「エヴァンジェリンさん! 一般人の前でそのような事を……って、驚かれないんですね、衛宮さん……もしや衛宮さんも?」
「ああ、私達と”一応”同じだ」
「――なんと」
 
 なんか『一応』のあたりが微妙に強調されたような気がする。まあ、たしかに厳密な意味では同じじゃないからな。
 それはさておき、なんだ? 要約するとこの子も……。
 
「桜咲さんも魔法使いなのか?」
「あ、私は魔法使いではなくてですね――」
「神鳴流剣士――どちらにせよ、そういう世界の人間という事だ」
 
 はあ、『剣士』か……。
 ってことは、やっぱりあの袋の中身は本物なのか……。
 
「そういう衛宮さんは魔法使いなのですか?」
「あ、うん。まあ、そうなのかな? ――うん、俺も魔法使いだ」
 
 ここで魔法使いじゃなくて魔術師です、なんて言っても混乱させるだけだし別にかまわないだろう。ましてや魔術使いなんて言ったら更に。それでも自分で魔法使いを名乗るのは、なんかやっぱり違和感あるな……。
 
「そう言えば、神鳴流って何処の流派なんだ?」
「神鳴流ですか? 発祥は京都です。元々は京都を護り、魔を討つ為に組織された流派だと伝えられています。私は故あって離れてますが、退魔を目的として設立された流派だけあって歴史も長く、非常に強力です」
「へー……退魔ね……、じゃあその長い刀で戦うのか?」
「私の場合はそれだけとは言えませんが、主に使うのはこれですね。……しかし、衛宮さんはいつの間にこれを真剣の刀だと?」
「あ、悪い。この前拾った時に、竹刀や木刀にしては重いし、重心の位置からそうじゃないかって思ってたんだ」
 
 まあ、本当は持った瞬間に”解析”で分かってしまったんだけど。
 
「あ、いえ、謝っていただかなくても……。そうですか、あれだけで分かってしまうとは、なかなかの慧眼をお持ちで」
「それにしても刹那。お前まだ詠春の夕凪を使っているのか? そのような化け物相手用の野太刀など使いにくだろうに……」
「いえ、これは長から預かった大切な刀ですし……、私も長い間使っているので扱い難いということはありません」
「しかし人間相手では………………ふむ」
「……エヴァンジェリンさん?」
 
 エヴァは途中で言葉を切ってなにやら考え始めてしまったらしい。
 ……何気にこの子、考え事すること多いよなー。
 エヴァはなにやら考えていたみたいだったが、徐に顔を上げるとこちらを向いた。
 で、
 
 ――ニヤリ。
 
 そんな擬音が聞こえてきそうな笑みを俺に向けた。
 ……え? なに、その邪悪な笑い方は?
 っていうか、今の会話の流れで、どうして俺を見てそんな顔するかな!?
 良い予感が微塵もしやがらねぇー!!
 
「ならば刹那。一度試して見るのもいいかも知れんな」
「試す?……何をでしょうか?」
「無論、――対人戦だ」
 
 あ、嫌な予感が確信に進化した。
 
「あの、まさかエヴァンジェリンさんと……ですか?」
「フン、それこそまさかだ。魔力を封じられた私では話にもならん。――この士郎とだ」
「………………は?」
「ちょっと待てこのチビッ子! 何で俺が女の子と戦わなきゃならんのだ!!」
「チビッ子言うな! お前に拒否権など無い! 家主命令だ!」
「お、横暴だ! 茶々丸! お前からも何か言ってやってくれ!!」
「……申し訳ありません、士郎さん。マスターの命令は絶対ですので……」
「チクショウ! 誰かこのロリッ子を止められる奴はいないのかッ!?」
「ロリッ子も言うなぁーー!!」
「……お言葉ですが、士郎さんが止められないのなら、誰にもできないと思われますが……」
「わ、私も反対です! 何故衛宮さんと戦わねばならないのですか!?」
 
 が、頑張って桜咲さん! こんなチロリッ子(合体名)なんかに負けるな!
 
「――刹那、ここで自分の得物の長所短所を見極めておくのは無駄ではないと思うぞ?」
「……い、いえ、だからと言って」
「それにな、こう見えても士郎は学園広域指導員も兼任している。言わば自軍の戦力だ。ここで士郎の力量を知っておくのも、お前の大事な『お嬢様』を護る事に繋がると思わんか?」
「――っ!」
 
 今の言葉の何処に刺激されたのか俺には判らなかったが、桜咲さんは明らかに表情を強張らせた。
 
「ん? これもお前の仕事だろう? 刹那、――――いざという時に護り切れなくなってしまうぞ?」
「――わかりました」
 
 わかってしまわないで!? っく! やはりいつの世も憎まれっ子世に憚るってことなのか!
 
「あ、あの桜咲さん……?」
「申し訳ありません、衛宮さん……お手合わせ願います」
「よし、ならば夜になったら私の家に来い。場所はこちらで準備してやろう」
「分かりました、では失礼します」
 
 桜咲さんはそう言い残すと、俺をキッ、と一睨みし、そのまま席を立って出て行ってしまった。
 チリン、というベルの音が、やけにむなしく店内に響く。
 
「………………」
 
 ……あれー? 俺的には、ウフフ、アハハー、的な穏やかな雰囲気を想像してたんだけどなー。
 て言うか桜咲さん料理食ってねーし……。
 一体全体なんでこんな事になってしまったんだろうって考えるまでもねぇよコンチクショーーっ!!
 
「……エーヴァァァーーーー! なーに考えとるかお前はーーー!!」
「し、士郎さん、落ち着いて……」
 
 茶々丸がオロオロと止めてくれるが、そんなことで俺は止まらない。
 頭のてっぺんを鷲掴みにし強引にこちらを向かせる。
 けれど当のエヴァはそんな俺なんか露知らず、余裕たっぷりに未だに微笑んでいた。
 
「なに、そんなに答えを焦るな士郎。これはお前の為でもあるのだぞ?」
 
 フフン、なんて気取っているが、俺から頭を鷲掴みにされたままなので、どこか間の抜けた絵面に見えてしょうがない。
 
「……なんでさ」
「考えてもみろ、お前は学園広域指導員になったのだぞ? 取り締まる対象である生徒の実力を知っておくのは悪い話ではあるまい。生徒の中にも『こちら側』の人間はいるしな……それに刹那は、ああ見えてそこそこの手練だ、少なくともここの学生という範疇では最も強いと言えるだろう。即ち、刹那を取り押さえる事が出来れば、必然的に他の生徒に引けを取るということは無いと言うことだ」
「む……」
 
 そう言われてみれば確かに道理は通っている……のか?
 それでも女の子と戦うなんて……。
 
「それにこれは刹那にとっても意味のある事だ。先程も刹那に言ったがな、アイツはある者を護衛する為にこの学園にやって来たのだ。その者を護る為に味方、ないし敵となる者の実力を知っておくのは護衛上、重要な事なのだ」
「うーん…………」
 
 確かにそういう事ならいいのか……な?
 桜咲さんの敵になるつもりなんて微塵もないが、味方の戦力を把握したいと言うのは説得力があるし理解も出来る。
 
「……分かった、そういう事なら仕方ないか」
「うむ、では私達は帰る。料理、美味かったぞ。それとあまり遅くなるなよ」
「はいはい」
 
 そう言うと、二人は仲良く帰っていってしまった。
 
「……マスター、先程の話、本当なのですか? お二人の為にというのは」
「そんな訳ないだろう。私は士郎の実力の底を知りたいだけだ。この前はアイツの実力を測る前に終わってしまったからな、これはいい機会だ……。アハハハハハッ!」
「……やはりそう言った事情があったのですね……、士郎さんお労しや……」
 
 あーあーあー、聞ーこーえーなーいーっ!
 なんか聞こえたような気がするが気のせいだろう。ああ気のせいだとも!!
 二人と入れ替わるように、一気に来店しだしたお客さんを接客しながら、忙しさで何かを忘れようとする俺であった。
 
 やれやれ……なにやら厄介な事になったな…………。
 
 
  
 



[32471] 第10話  桜咲刹那 ~その誓い~
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2012/05/11 22:24


 その日の夜、俺は店を閉め、夕食を済ませた後、エヴァの『別荘』へと来ていた。
 
「うわー……」
 
 俺はアホみたいな声を出して、只々その光景に呆けるだけだった。
 外は冬だと言うのに、なんなんだ、この南国は。
 あらかじめ茶々丸から説明を受けていたが、流石に実物を目の当たりすると想像を遥かに凌駕していた。
 突き抜けるような青い空、頬を撫でる暖かい風、肌を焼く日差し。
 巨大な円筒状の台座の上に建造されている豪華な建物。遥か眼下に見える青い海。
 
「…………これが『別荘』か」
「はい、以前にマスターが作られた物の一つです。さあ、こちらへ。マスターと桜咲さんがお待ちです」
「あ、うん」
 
 あまりのスケールの大きさに圧倒されながら、それでも促す茶々丸の後を歩き階段を下りる。
 
「お二人は下の浜辺にてお待ちです」
「……なあ茶々丸。俺、本当にやらなきゃ駄目か? かなり乗り気じゃないんだけど……」
「…………申し訳ありません、本来ならお止めしたいのですが、マスターの命令は――」
「絶対、って言うんだろ? 仮にとはいえ約束しちまったしな……」
「……すいません、お力になれず」
「ああ、悪い悪い。茶々丸にあてつけで言ったんじゃないんだ。エヴァへの愚痴だから聞き流してくれ」
「……しかし、止められなかった私にも責任が……」
 
 なんて言って前を歩いている茶々丸の肩が落ちる。
 そんな気はなかったのに責任感じさせてしまったか。
 階段を先に降りているせいで丁度いい高さにある茶々丸の頭をグリグリと撫でる。
 
「そんなに気に病むなよ茶々丸。何も本気で殺しあうわけじゃないんだからさ」
「――あ、あの、その、し、士郎さん、この手は……?」
「ん? 茶々丸は良い子だなぁって思って。良い子にはこうするもんだろう? これまでにこうされた事ないか?」
「は、はい……私は背を高く造られていますから。それに、これまで、と言われましても製造されてから2年程しか経っていませんので……」
「……は!? 2年!? じゃあ茶々丸って2歳なのか!?」
「え、ええ……数えで」
 
 はあー、なるほど……、2歳ねえ……。
 なんて言うか、こんなに出来た2歳児いたら凄いよな……。
 まあ、ロボットなんだからだろうけど。
 でもそれなら余計に――
 
「んじゃあ、もっと褒めてやんなきゃな。良い事をしたら褒めて悪い事をしたら叱る。これが躾の基本だ」
 
 更にグリグリと撫でまくる。
 
「――――っ……」
 
 茶々丸は嫌がるでもなくされるがままに階段を下り続ける。
 ただ何処と無く落ち着かないようではある。
 ……あれ? これはもしかしてどういう反応をしていいか分からないのだろうか?
 だとしたら困らせるのは本位では無い。
 
「ああ、ごめんごめん。幾らなんでも中学生である茶々丸を子ども扱いするのは失礼か」
 
 最後に頭を軽くポンポンと叩き手を退かす。
 
「あ……。い、いえ、その……失礼とか嫌とかではなくてですね……むしろ、その逆と言いますか、ああ私は何を口走っているのでしょうか!?」
 
 目の前でオロオロする茶々丸に失礼だと思いながらも必死で笑いをかみ殺す。
 ――本当に良い子だ。
 ……さて、とりあえずは早く行かないとエヴァに怒られてしまう。
 
「さぁ、早く行かないとエヴァに怒られちまう。急ごうか!」
「あ、あ、ああ。士郎さん?」
 
 未だにオロオロしている茶々丸の肩を押しエヴァの待つと言う浜辺へと急いだ。
 
 で、
 
「――遅いっ!!」
 
 怒られた。
 着いた瞬間、ドッカーンって感じで怒られた。
 
「一体何時間待たせれば気が済むというのだ!? 待ちくたびれたわ!」
 
 や、そうは言うけど勝手に先に行ってしまったのはエヴァだし、そもそも遅れたって言っても5分位なんだけど……。
 って、そうか……時間の流れが違うんだっけ。
 えっと、そうなると、5分だから…………、2時間くらいか?
 確かにそれなら怒っても仕方ない待ち時間かもしれない。
 
「や、悪かった。これでも急いで食器洗ってきたんだけどな……」
「言い訳は聞かん。そもそも私は早く帰るようにと言っ…………ん? どうした、茶々丸?」
 
 エヴァは説教を始めようとした俺の隣で視線を止め、訝しげに眉を潜めた。
 それにつられて並び立った茶々丸を見る。
 なんかボーッとしているような?
 
「い、いえ、問題ありませんマスター! 各部正常、異常無しです!」
「? そうか、ならいいが。とりあえず始めるか……そう言えば士郎、お前の武器やら聖骸布とやらは持ってこなかったのか?」
 
 エヴァはそれで興味を失ったのか視線を俺へと戻した。
 そんな隣では茶々丸がホッと安堵の息をついているような気がしたが、まあいい。
 
「ああ、武器ならここに……」
 
 ぽんぽん、と自分の背中を叩いて、いかにもなにかあるように見せる。
 無論、そこには何も存在はしない。
 投影魔術に関しては、この世界がどういった物かわからない以上、無闇に見せない方がいいだろうと判断したからだ。
 
「聖骸布は、流石に手合わせ程度に持ってくる装備じゃないからな」
 
 今の俺の格好はTシャツにジーンズにスニーカーと言った動き易くはあるがかなりラフな格好だ。
 パーカーも着ていたが流石に暑いので脱いでしまった。
 
「…………そうか、まあいい」
「桜咲さん、遅れて悪かった」
「いえ、お気になさらず。今日はよろしくお願いします」
 
 そう言って一礼する桜咲さんの片手には例の白鞘の刀が握られていた。
 全容をこの目にするのはコレが初めてだが、確かに桜咲さんの小柄な体格には、些か扱いづらそうな程の長刀だ。
 
「それでは今回の試合内容を説明する。とは言ってもたいした内容ではない、勝敗の決め方だけだ。どちらかが先に降参する、もしくは私が決定的な一撃と判断した段階で終了だ。なにか質問は?」
「では、一つ。移動してはいけない場所などはありますか?」
「そうさな……せめてここの孤島くらいに留めておけ、上を破壊されては直すのが面倒だからな」
「この島ね……」
 
 辺りを見回し思考を巡らせる。
 眼前に砂浜。
 背後には森。
 ――――。
 
「他には無いか? 無ければ始める」
「よろしくお願いします、衛宮さん」
 
 桜咲さんが手を差し伸べてきた。
 
「こちらこそ、お手柔らかに頼む」
 
 それに対し、その手を取る事で答えた。
 
「衛宮さんのお力……、拝見させていただきます」
「あんまり期待されても困るんだけどな……」
「――では、始める! 両者、距離を取れ!」
 
 その掛け声で、桜咲さんは弾かれたように距離をとり、俺はゆっくりと後退する。
 まさに始まろうとした、その直前、
 
「――ああ、そうそう。言い忘れたがな。両者、加減抜きの本気でやれ」
「――は?」
 
 待て、何言っているんだエヴァは?
 
「拒否は許さんぞ? もし私が手を抜いていると判断した場合は、二人ともこの空間に閉じ込めてやるから覚悟しろ。無論、抜け出す手段など皆無だ」
「ちょ、ちょっと待ってください! そのような事をしても意味は、」
「黙れ、拒否は許さんと言った筈だぞ。私は本気だ。さあ、そうなったらどうなる? お前の大事な『お嬢様』は誰が守るんだ?」
「っく! エヴァンジェリンさん、貴女という人は……」
「ククク、何を日和った事を言っている。私は吸血鬼で『闇の福音』だぞ? 己が快楽の為にこの程度のことは造作もない。万が一でも歯向かってきてみろ、その瞬間この空間に取り残してやる」
「ッ! ――分かりました。……申し訳ありません衛宮さん。本気で行かせて貰います」
 
 桜咲さんがスラリと鞘を抜き、鋭い眼光で俺を睨み刀を構える。
 
 ――さて、何やら色々おかしな事になってきやがった。
 エヴァの、余りにもあからさまな悪役振りや挑発に疑問を持たないでもないが、本当に閉じ込められる事などあり得ないだろう。
 少しでも考えてみれば分かるが、それは自分だって閉じ込められるって事と同義なのだ。
 それにこれは俺の主観だが、エヴァがその様な事をするとは全く思えない。
 問題は桜咲さんだ。そんな簡単な事にすら気付く余裕なく、全て鵜呑みにしてしまっている。
 まるで、思いつめたような真剣な瞳を見るに、紛れも無く本気のようだ。
 
「――投影・開始(トレース・オン)」
 
 背中に回した手をTシャツの中に隠し投影をする。
 相手が誰であろうと出来る限り投影は隠す。変なトラブルを起こさないためにも、だ。
 投影したのは、まるで鉈のような大型サバイバルナイフを2本。
 無論、刃は潰してある。
 
「――さて、どうしたもんか……」
 
 両手にナイフを構え眼前を見つめる。
 それを準備完了の合図と判断したのか、エヴァはニヤリと笑みを浮かべた。
 
「――では、…………始め!!」
 
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
 衛宮さんは何かを小さく呟くと、背中に腕を回し、何処からとも無く2本の大型ナイフを取り出した。
 いや、それは最早、鉈と言っても差し支えないだろう。
 刃渡り30cm超はあろうかというそれは、非常に肉厚で、いかにも頑丈そうだった。
 それを左手は順手で眼前に構え、右手は逆手で腰の位置に構え、重心を落とした。
 
(――しかし、厄介な事になってしまった……)
 
 最初は本当に手合わせ程度の気持ちだった。
 エヴァンジェリンさんの言った、実力を知っておくというのは確かに正論であったことは間違いない。
 それを有益と判断してこの試合を受けたのも事実だ。
 しかし――、嵌められた。
 エヴァンジェリンさんの目的は分からないが、本気を出さねばならない状況に追い込まれてしまった。
 エヴァンジェリンさんは本気でやらねばここに閉じ込めると言う。
 真偽の程はわからないが、僅かにでもその可能性があるのなら、それは絶対に避けなければならない事だ。
 
 ――私には守らねばならないお方がいる。
 
 その為の障害は、例え小石程でもあってはならないのだ。
 この場を抜ける為に、衛宮さんとは戦わず、エヴァンジェリンさんを倒すと言う選択肢もあったが、それは無謀だろう。
 例え呪いによって魔力を封じられているとは言え、ここは敵地で、更に相手はあの大魔法使いだ。私でも勝てる確信がない。
 
 『不死の魔法使い』『人形使い』『悪しき音信』『闇の福音』『禍音の使徒』。
 
 幾つもの異名が思い浮かぶ。
 話にならない。それこそ比較するのもおこがましい程の実力差で、私が圧倒されてしまう可能性が高い。
 ――逃げ場は無い、八方塞だ。
 ……いや、道は一つだけ。
 衛宮さんと本気で打ち合うしかない。
 結果、――どちらかが命を落とそうとも。
 
「――では、…………始め!!」
 
 衛宮さん……貴方に恨みなどありません。
 が。
 私の使命の為――本気で討たせていただきます。
 
「……桜咲刹那……、参ります!!」
 
 お互いの距離は6メートル強。
 その距離を瞬時に駆け抜ける。
 
「なっ!?」
 
 驚きは衛宮さんの声。
 瞬動術で衛宮さんの背後を取り、身体の捻りを加えた夕凪を、横薙ぎに一閃。
 
「――ふっ!」
 
 短い呼気と共に刀を振るう。
 返ってきたのは鈍い金属音。
 しかしそれは、衛宮さんが右手に持ったナイフで、下から掬い上げるように軌道を逸らされ、弾かれてしまう。
 
 ――速い。
 
 瞬動での奇襲は成功。
 その上、こちらの動きに着いてこれず背後まで取った。普通ならばこれは決定的な隙だ。
 にも関わらず、最小の動きで防がれてしまったのだ。
 様子見の一撃ではあったが完全に防がれた。
 
「せい!」
 
 ならば、と矢継ぎ早にニ撃目を繰り出す。
 一撃目を、無理な体勢で弾いたから出来たであろう本当に僅かなスキ。
 弾かれた勢いすら利用しての袈裟切り。
 その速度は先程の横薙ぎを遥かに上回る。
 
「――!」
 
 が、それは避けられる。
 またしても最小の動き、今度は首を少し傾けただけで私の一撃を紙一重で避けた。
 巧い。
 それに凄い目をしている。
 首を落とされかねない一撃を、ギリギリで避ける胆力も凄まじい。
 間違いない、相当の手錬だ。
 しかし私に負けは許されない。
 ――私は絶対に戻らねばならない”理由”があるのだから!!
 
「はあぁぁーッ!!」
 
 一撃ニ撃で駄目ならば、十撃百撃で叩き伏せるのみ!
 烈火怒涛と剣戟を走らせる。
 相手は魔法使い。距離を離して戦うのは危険だ。
 ならば魔法を使わせないのが常套。
 戦いにおいて相手の土俵で挑むのは無謀と言う物。
 だったら使う暇を与えなければ良いだけの話。
 即ち、こちらの土俵へと引きずり込み相手の手段を封殺する!!
 
「シッ――!」
 
 実力は分からないが、リーチの差は歴然だ。
 身長差はあろうとも、得物の長さはこちらが圧倒的に勝っている。
 ナイフと夕凪。
 小回りでは敵わなくとも、間合いの差は絶対なのだ。
 白兵戦とは究極的に言ってしまえば間合いの喰らい合いだと言ってもいい。
 どうやって自分の間合いで戦うか、どうやって相手の間合いを殺すか。それが生死を分ける。
 その定義で言うと、この戦いにおける優劣はハッキリしている。
 射程距離の差は明確で、向こうの射程外から私は攻撃ができる。
 そうなると必然的に攻守は完全に分かれ、一方的な展開になったとしても何も不思議ではない。。
 それでも――。
 
「ふっ! ……っく!」
 
 ――当たらない。
 私の連撃全てを、避け、いなし、弾く。
 最早加減などしていない剣戟全てを、その2本のナイフで凌ぎきっていた。
 しかし、その行為自体が、私には不可思議だった。
 
「――――」
 
 私の一撃はそんなに甘い物ではないと理解している。
 自惚れでも何でもなく、事実として一撃一撃が鉄さえ切断しかねない程の剣戟だ。
 そんな斬撃を、幾ら肉厚とはいえ、ナイフ程度では耐え切れる筈がないのだ。
 それをこの人は可能としている。
 
 ――刃と刃が触れる、キンッと言う高い音が微かに響く。しかし、その後に続くのは鉄と鉄が滑る音だけ。
 
 ……信じられない。
 この人は私の攻撃の全てを防ぐのではなく、己が刃の上を滑らせるようにして受け流しているのだ。
 私の線に対して円。
 私の剛に対して柔。
 まるで川の中に立つ杭のよう。
 
 一直線に唐竹割りを放つ。
 それを円の軌道のナイフで斜めの力に逸らされる。
 逆袈裟を放つ。
 それを受け止め、その力を流すように体ごと独楽の様に回転して力を逃がす。
 武器破壊を狙い、体ではなくナイフを切断しようとする。
 しかし、一瞬刀を受け止めたナイフを衛宮さんはあろう事か手放すことでそれを防いだ。
 驚愕はそこからだった。
 そのナイフは衛宮さんの手をその背の部分で舐めるようにクルリと一周回転すると、また何事も無かったかのように握られていたのだ。
 ――まるで予定調和の剣舞に巻き込まれているようだった。
 敵わないのかもしれない…………。
 そんな考えが頭をよぎるが、しかし、その思考は考えてはならない物。あってはならない物。
 
 
『――刹那、いざという時に護り切れなくなってしまうぞ?』
 
 
 放たれた言葉にギチリ、と奥歯をかみ締める。
 そんな事は出来ない。
 そんな事は許さない。
 そんな事を許せるわけが無い――!
 
 弱気を打ち消すように更に刀を走らせる。
 そうだ、いくら実力で劣っていようとも未だに攻守は逆転していない。
 追い込んでいるのは私だ!
 その証拠に衛宮さんは後退を余儀なくされている。
 
「ふ――!」
「っく……!」

 懐に深く入り込み横薙ぎの一閃を放つ。

「これならば避けも、いなせもしまいっ!」
 
 回避不可の一撃。
 
「っぐ!」
 
 その一撃を、体の前でナイフを交差するように重ね防ぎ、自身も後方へ大きく飛び衝撃を受け流す衛宮さん。
 が、その代償は大きい。
 今の手応え、夕凪と直接合わせたナイフを切断、とまでいかなくとも確実にダメージが入った。
 それだけ確かな手応えだった。
 もしかしたら、あと一合も耐えられないうちに破壊できるかもしれない。
 だが、後退した衛宮さんのいる立ち位置は流石……と、言うべきだろうか。
 
「――成る程、森、ですか」
「……そういう事だ、さあ、どうする?」
 
 衛宮さんが不敵に笑う。 
 確かに長刀を振るう際、周囲に樹木があるとままならない。言うまでも無く、木に刃が引っかかってしまい、満足に振るう事が出来ないからだ。
 逆に、衛宮さんの持つナイフは、短い分取り回しがしやすく、こういった状況にこそその真価を発揮するのだろう。
 これで攻守は逆転した。
 普通ならばそうだろう。常道ならばそうだろう。
 しかし――、
 
「――無駄です。神鳴流にそのような小細工は意味がありません」
 
 そう、それは”普通”ならば……。
 
「神鳴流奥義……」
 
 腰溜めに刀を構える。
 そして、”気”を集中させ一気に解き放つ!
 
「――斬岩剣!!」
 
 夕凪から放たれる斬撃が辺りの樹木を薙ぎ払う。
 
「っ! 洒落にならんぞ、おい!」
 
 足元を狙って放った一撃を、跳躍して衛宮さんはかわした。
 
(好機!)
 
 ここに来て衛宮さんの大きな失態。
 跳躍から着地までの致命的なタイムラグ。
 例え今から虚空瞬動を使って逃げようとしても遅い。
 なぜなら、既に私は瞬動で衛宮さんの目の前に来ているのだから!!
 
「覚悟!」
「っ!!」
  
 上段切りで切りかかる私の夕凪に、衛宮さんは無事な方のナイフを合わせるが、それは遅すぎる。
 最高速に達した夕凪の剣戟と、動き出したばかりの衛宮さんのナイフ。
 速度による剣戟の重さは絶対だ。
 私の一撃は軽々と衛宮さんのナイフを弾き飛ばした。
 そのナイフはくるくると回り、今しがた切り払われたばかりの切り株に深々と突き刺さった。
 これでは簡単に引き抜くことは不可能だろう。
 
「やばっ!」
 
 切り返し、衛宮さんを捕らえようとする剣閃は空を切った。
 それよりも早く衛宮さんは慌てて横合いにあった木の陰へと逃げ込んでいたのだ。
 
「――無駄と言ったでしょう」
 
 そう私の前では木は障害物になり得ない。
 隠れるというならば、その隠れ場ごと叩き切る。
 つまり、
 
「斬岩剣!!」
 
 木ごと刈り取るのみ!
 
「――ふっ!」
 
 だが、それと同時に木の陰から躍り出る影。
 衛宮さんが私の技に合わせて横っ飛びで飛び出してきたのだ。
 その片手にはナイフ。
 そのナイフを私の顔面目掛けて投げつけた。
 
「しまっ、」
 
 た、とは続かなかった。
 そのような暇など無い。
 技後の膠着を狙われたのだ。
 たとえ壊れかけのナイフであろうとも、肉体など容易に切りつけるだろう。
 全力を持って回避に神経を集中させる。
 ナイフの軌道を、コンマ秒に満たない時間で見極めて首を傾ける。
 瞬間、
 
 ――――。
 
 顔の直ぐそばを、空気を切り裂く羽音を放ちながらナイフが通過して、背後の木へ深々と突き刺さった。
 そのスローイングの正確さに全身の血が瞬時に凍ったが、これで”詰み”だ。
 衛宮さんの場所まで三歩の間合い。
 私がナイフをかわした為に多少体勢を崩して後退していたとしても、衛宮さんの体勢は致命的だ。
 まだ、横っ飛びに飛び出したままで、完全に起き上がってすらいないのだ。
 更に無手。
 
 
 一歩。
 
 刀を腰に付け、構える。
 早く。
 もう、いいだろう。
 
 二歩。
  
 あと少し。
 腕に力を込めて刀を走らせる準備をする。
 早く、早く。
 まだなのか!?
 
 三歩。
  
 間合いに入ってしまった。
 早く、早く、早く止めてくれ!
 衛宮さんは無手だ、避けようが無い体勢なんだ!
 このままでは本当に切りつけてしまう、……殺してしまう!
 早く止めてください! エヴァンジェリンさん!!
 
 幾度と繰り返し修練された横薙ぎの一撃が、狂い無く走ろうとする。
 身体に染み込んだ動きは思考せずとも最高の一撃を放って、その首を――。
 
「それまで! 双方動くなっ!!」
 
 ――止まった。
 エヴァンジェリンさんの掛け声でギリギリのところで止める事が叶った。
 後、コンマ一秒でも遅ければ止める事は出来なかっただろう。
 ――助かった。
 衛宮さんもだが、私もだ。
 勝ったことよりそちらの方が私の心を安堵させていた。
 刀を下ろし張っていた気を息とともに抜く。
 
「――ふう、強いんだな、桜咲さん」
 
 身体を起こし、苦笑まじりに微笑む衛宮さん。
 
「――いえ、そう言う衛宮さんこそ相当の手練。時と場合によれば私が負けていました」
 
 これは紛れも無い本心と事実だった。
 衛宮さんがもし、もっと強力な武装を持っていたら?
 それだけで結果は変わっていたかもしれない。
 夕凪の一撃を耐え切れる武装を持っていたら私は敗北していただろう。
 背後から砂を踏みしめる音が聞こえた。
 
「ご苦労……、なかなか楽しませてもらった」
 
 エヴァンジェリンさんと茶々丸さんがやってきて衛宮さんの隣に並ぶ。
 だが、エヴァンジェリンさんは不服そうな表情と作ると、ジト目で衛宮さんを見上げた。 
 
「だがな士郎、どういうつもりだ?」
「どういうって……なにがさ」
 
 それに対して衛宮さんは、身体に着いた砂や葉っぱを払いながら憮然と答えていた。
 
「私が分からないとでも思ったのか? お前――本気ではなかっただろう」
「…………」
 
 ――え?
 本気では、ない?
 
「士郎、お前一度も攻性に出なかっただろう? 巧く隠したつもりだろうがな、私の目はごまかせん。刹那の攻撃をかいくぐって狙う隙は幾らでもあっただろう」
「――――」
 
 衛宮さんは何も答えない。
 本当…………だろうか?
 確かに衛宮さんから攻撃を仕掛けてきたのは、最後の投擲を抜かせば無かった。
 だがそれは、私が攻撃の手を封じていたからのはずだ。
 
「ま、待ってください! それは私が衛宮さんに魔法を使わせない為に、そう仕組んだのであって狙ってできることでは無い筈です!
 いくらエヴァンジェリンさんと言えども私たちの試合を侮辱しないでください!」
「ああ、魔法を使う暇を与えなかったお前の着眼点には一定の評価をしよう。だがな、おかしいと思わなかったのか? 例えば自分で動いているのではなく、動かされているような感覚はなかったか?」
「……それは」
 
 それは確かに少し感じていた違和感だ。
 予定調和のような演舞。
 隙を見つけて打ち込んでも、予測していたかのごとくいなされる。
 
「あっただろう? それはな、コイツがわざと隙を見せ、もしくは誘導し、お前がそこに攻撃してくるように仕組んだのだ。逆に言えばそこしか狙える場所は無かった筈だ。……ま、これは傍目から見ていたからこそ分かったのかもしれんがな」
「し、しかし……」
「思い出せ刹那。――初撃からその後の攻撃の繋ぎ、弾かれたと言うのに”なんの戸惑いも無く”打ち込めたのではないか?」
「……ッ!」
 
 言われて、――驚愕した。
 初撃は横薙ぎを上へ逸らされた。
 その際、衛宮さんが右手を振り上げたからこそ出来た隙があった。
 だからこそ袈裟に斬り降ろした。
 それは紙一重でかわされた。
 その後も、その後も、その後全てが…………。
 
「――ば、馬鹿な」
 
 そう、言うのがやっとだった。
 そんな事が可能なのだろうか?
 命を賭けてまで無防備な所を作り、狙わせるなんて。
 しかし、それが可能だとしたら衛宮さんは何故負けたりしたのだろうか?
 そこまでの力を持っているのならば、私をねじ伏せる事など容易いだろうに。
 
「だ、だったら、衛宮さんはわざと負けたと言うんですか!?」
 
 だとしたらとんでもない侮辱だ。
 私は本気で向かっていった。
 それを手を抜いて、わざと勝たせるなんて馬鹿にされているにも程がある!
 
「衛宮さん! 答えてください! 貴方は私が女だから花を持たせようとしていたのですか!? だとしたらとんでもない侮辱です!」
「い、いや、俺は……」
「手を抜かれた状態で勝ったとしても、何の栄誉にもなりません!!」

 感情の赴くまま衛宮さんに食ってかかる。
 頭に血が上り、自分でも感情を巧く制御できていない自覚がある。
 しかし、私にも剣士としての誇りがあるのだ!
 けれど、
 
 
「何を言っている。負けたのはお前だぞ、刹那」
「――――え?」
 
 
 エヴァンジェリンさんの、そんな言葉で一気に頭が真っ白になった。
 
 
 
 



[32471] 第11話  答え
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2012/05/16 09:13
 
 現状が飲み込めない。
 一体どう言う事だろう。あの状況下で、一体どうして私が負けたという判定になるのだろうか。
 
「え? ――私が負け……です、か?」
「ああ、そう言った」
「どういう事……ですか?」
 
 どこからどう見ても、私は最後の瞬間、もう少しで衛宮さんの首を切断する寸前までいった。
 だからこそエヴァンジェリンさんは、それを止めたのではなかったのか。
 
「なんだ、まだ気づいていなかったのか? ほれ、これだよ、これ」
 
 エヴァンジェリンさんはそう言うと、何も無い空中で何かを握るようにすると、手を上下に動かした。
 なにをしているのだろうか? 別に何も無いが……。
 
「……?」
 
 ……いや、待て。
 何かが視界に映った気がする。
 その箇所を注視すると、そこには何かがうっすらと光を反射していた。
 
「――これは……」
「恐らく糸だな。それもかなり細い。まあ、強度はそれほどでも無さそうだがな」
「糸……ですか? 何故こんな物が?」
「はあ……、いい加減気づけ。この糸はどこから伸びていて、どこに張ってある?」
 
 言われて糸の出所を探る。
 かなり見え難いので糸を手で掴み、行き先まで手探りで歩くしかなかったが、それでも何とか辿れる。
 糸はどこかで切れているのか、手応えは一方にしかなかった。
 その先には――、
 
「――っ! ま、まさか!」
「そう、そのまさかだ」
 
 エヴァンジェリンさんは呆れたようにため息をついていたが、私はそれどころではない。
 慌ててもう一本の糸も逆に辿る。
 そうして行き着いた先はやはり――
 
「…………ナイフ」
 
 切り株に深々と突き刺さったナイフ。
 その柄の所からずっと伸びていた。
 
「そう、それだ。――ようはお前は士郎の張った罠にかかったんだよ」
「罠……ですか?」
「なんだ、ワザワザ説明されんとわからんのか? ……っち、面倒な。――ああ、そうだ。士郎はな、森に入る前に後退した際、ナイフの柄に糸を結んでいたんだ。お前からは見えなかっただろうがな、私の方からは丸見えだった。その後、お前が木を切り払い、士郎はそれを”わざわざ”跳躍で避けた、恐らくこの時点から既に罠を張っていたのだな。隙を作り森に誘導するように仕向けた。お前を懐に飛び込ませ、ナイフを弾き飛ばさせ、それが切り株に突き刺さる。士郎はそれを確認し、刀を避けながら木の陰に隠れた。ここでもう一本のナイフに、糸のもう一方を括り付け、お前の技に合わせて今度は木の反対側から飛び出す、これでこの木が糸の支点となったわけだ。後は簡単、そのナイフをお前の位置と士郎が転がる位置を考え、ナイフを投擲する。この際、”わざわざ”顔を狙ったのは、そこ以外お前の自由になる部分がないと分かっていたんだろう……それと冷静な判断力を恐怖で奪い、糸の存在をわかりにくくする為でもあるんだろうがな。――これで”詰み”だ。無防備な士郎を見たお前が嬉々として斬りかかり、この罠にかかった時点で私が止めた、と言うわけだ」
「し、しかし! このような糸ではなんの威力もありません!!」
「そう”この”糸だったらな。だが考えてみろ? お前は実際に踏み込んだ際この糸に接触した。にもかかわらずそれに気付くことなく糸は切れてしまった。…………さて問題だ桜咲刹那。これがもしワイヤーソーなどの切れ味を持つ糸だったらどうなった? お前が知っているかどうかは分からんがな、これでも『人形遣い』と恐れられた身だ。その手の情報は逐一取り入れている。見え辛く、高強度の極々細密の鋼糸などごまんとあるぞ」
「――――っ!」
 
 ゾッとした。
 全力で踏み込んだのだ、踏み込みの速度を考えれば触れた所は間違いなく切断される。
 それは、胴か、首か、頭か……。
 
「理解したな? 士郎が”その気”だったらお前は肉片として転がっていただろうよ」
「………………」
 
 …………恐ろしい。
 私は最初から衛宮さんの手の上で踊らされていたのだ。
 
「ああ、くそ。長々と説明したら喉が渇いてしまったではないか……茶々丸! なにか冷たい飲み物を持って来い」
「はい、マスター」
「つまりだ刹那。お前は手を抜かれて勝ったのではない――士郎の本気を引き出すことすら出来ず、無様に負けたのだ」
「――――」
「エ、エヴァ! お前なんて言い方してんだ、もうちょっとなんかあるだろうがっ!」
 
 衛宮さんはエヴァンジェリンさんの言い様に食って掛かるが、当の本人は何処吹く風だ。
 しかし、そうか。
 負けた、か……。
 悔しくない……と、言えば嘘になるだろう。
 だが、偽りの勝利などよりよっぽど清清しい。
 だけど、一つ疑問は残った。
 
「――衛宮さん。何故もっと早くに決着を付けようと思わなかったのですか? 貴方なら簡単な事だったでしょうに」
「……え? あ、それは……だな……」
「是非、お答えください」
「……幾つかあるんだけど、怒ったりしないで聞いてくれるか?」
「はい」
 
 衛宮さんはなにやら頭を掻きながら、何処か落ち着かない様子で切り出した。
 
「もしも俺の気のせいだったら謝るけど……桜咲さん、なんか思いつめていたみたいだから……」
「……それは」
「エヴァに煽られたって言うのはあったんだろうけどさ。それでもなんか行き過ぎた感じがした」
「――――」
 
 それは……、あるかもしれない。
 エヴァンジェリンさんからお嬢様の事を引き合いに出され、ムキになり過ぎた事は確かに事実だ。
 
「そう言うのって、身体を思いっきり動かせばちょっとはスッキリするんじゃないかと思って」
「……そうですか……」
「それともう一つ。こっちが一番って言えばそうなのかもしれないけど……何度か打ち合っているうちに分かったんだけど、君の打ち込み方って、なんていうか……危なっかしいんだ」
「危なっかしい……ですか?」
「ああ、あんまり巧く言えないんだけど、真っ直ぐ過ぎるっていうか。そうだな、抜き身の刀って言えばいいのか? 後先考えずにただ目の前の物を蹴散らす、前に進んでばかりで帰ることを全く考えていないような気がした。そういうタイプに限ってこういう”絡め手”に弱い、それを知ってもらおうと思ったんだけど……」
 
 俺が言えた義理じゃないんだが、と自嘲気味に笑う衛宮さんの顔。
 ――敵わない、素直にそう思った。
 私はただ自分の事だけを考え衛宮さんに切りかかった。
 それに対して衛宮さんは私のことを考え、導くように戦ってくれたのだ。
 凄い人だ……心の底からそう思える。
 
「――私としてはそのような事はどうでも良かったのだ。私は士郎の実力を測りたかっただけなのだがな」
 
 と、今まで成り行きを見守っていたエヴァンジェリンさんがブツブツ言い出した。
 
「アハハハハ、聞こえたぞ。それが本音かこのチロリッ子吸血鬼がっ!」
 
 瞬間、衛宮さんの手がエヴァンジェリンさんの両頬を素早く捕まえた。
 
「ひゃっ! いひゃいいひゃいいひゃい! ひゃひほふるほほははひほーー!」
「黙れ! これは罰だ! 反省するまでずっとこうだっ!!」
 
 衛宮さんはエヴァンジェリンさんの頬を掴んだままそれを動かす。
 エヴァンジェリンさんの顔は、ムニムニと面白いくらいに形を変えて柔らかそうではあるが、当の本人は最早涙目だ。
 それを必死に止めさせようと手を伸ばすが、衛宮さんの手を退けようとして、結果的に自らの頬を引っ張る事になって自爆。
 今度は衛宮さん自身を退けようと手を伸ばすが、悲しいかなリーチの差でその手は空をパタパタ泳いでいる。
 エヴァンジェリンさんは涙目で何やらフカーフカー言っているが最早言葉になっていない。
 
「んー、何言ってるかワカランナー」
 
 額に青筋浮かべてなんだか怖い微笑みで更に調子に乗る衛宮さん。
 ――完璧に遊んでいる。
 真祖である”あの”エヴァンジェリンさん相手に遊んでる。
 
 …………す、凄い人だ! 色んな意味で!!
 
「――ぷっ……、ふ、あははは」
 
 思わず込み上げてくる笑いが抑えられなかった。
 
「お? 何だ桜咲さん、エヴァの顔が面白いか?」
「い、いえ……、そんな事は……………………っく、あはははは!」
「ひゃひほははへひふ! はふへんふぁ!!」
 
 エヴァンジェリンさんに何か文句を言われているようだが、それすらも笑いに変わってしまう。
 
「なら――こうだ!!」
 
 衛宮さんはそう言うと、エヴァンジェリンさんの背後に素早く回り、また頬を掴み、私に見せ付けるように向けた。
 
「これも罰だ! エヴァの面白い顔を見てもらえ!!」
「っっっっ!!!!」
「ひゃ……、ひゃひゃはふーー! はひゃふはふへほーーー!!」
 
 結局、エヴァンジェリンさんは茶々丸さんが帰って来るまで開放されることはなかったのだった……。
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
「……まったく、酷い目にあった……」
 
 ようやく開放されたエヴァンジェリンさんの第一声がこれだった。
 弄られまくった頬は赤くなっていて、まだ少し涙目だ。
 
「も、申し訳ありませんでしたッ!!」
 
 エヴァンジェリンさんの”別荘”にある屋敷。
 そこに着いた私は開口一番、土下座する勢いで頭を下げた。
 
「――分かっているのだろうな? この私を敵に回したぞ、刹那」
「い、いえ! 決して貴女を敵にするなどとは!!」
 
 椅子に座り、私を見下ろすような視線で睨む。
 それだけで私はすくみあがる程の恐怖を感じる。
 やはりこの方は真祖だ。
 私なんかでは相手にならない程の力を持つ存在だ。
 けれど――、
 
「エヴァ……」
「――な、なんだ……?」
 
 その背後、地の底から響くような衛宮さんの低い声が聞こえてくると、急に覇気が無くなり恐る恐る背後を確認していた。
 口調では強がっているようだけど、怯えているのが丸分かりだった。
 
「桜咲さん、苛めるなよ?」
「い、苛めてなどいないさ! 私は上下関係と言う物をだな……」
「………………」
「………………」
「……うりゃ」
「――っ! うう~~っ」
 
 衛宮さんが両手を伸ばす真似をすると、まるで怯える子猫のように縮こまる。
 ……奇妙な力関係が出来ているようだ。
 
「……ったく、ちゃんと仲良くしてろよ」
「わ、分かった、分かった! いいからさっさと紅茶を持って来い!」
「はいはい」
 
 エヴァンジェリンさんは去っていくその背中を見送り、ホッと安堵の息を吐いた。
 
「……ふん、そういう事だ。今回は特別に不問としてやる。あり難く思え」
「あ、ありがとうございます!」
 
 エヴァンジェリンさんは不服そうにため息を吐く。
 ……助かった。
 しかし、恐怖心が去ると疑問が浮かんできた。
 
「あ、あの! 質問があるのですが宜しいですか?」
「あ~ん? …………なんだぁ~?」
 
 エヴァンジェリンさんは不貞腐れてしまったのか、頬を膨らませたまま椅子にだらしなく座り、足をプラプラさせている。
 …………えっと、本当に”あの”エヴァンジェリンさんなのだろうか?
 大分イメージが変わってしまっているような?
 ――それはさておき。
 
「衛宮さんは何者なのですか?」
「あん? 士郎が何者かだと? …………そんなもん、私が知りたいわ」
「え? エヴァンジェリンさんも分からないのですか!?」
「ああ、別にどうでもいいことさ。まあ、せめて持っている実力だけでも知りたかったのだがな……、それも今回失敗に終わってしまった」
「う……っ、すいません」
「別に貴様を攻めているわけではない、それを悟らせない士郎のせいだからな。全く……何から何まで読めんやつだ」
「しかし……、そんな事で危険はないのですか?」
「危険? ……はっ! そんなモンあるか。アイツなんかに比べたらそこいらの犬の方がよっぽど危険だろうさ。それともなにか? お前は士郎が危険に見えるのか?」
「あ、いえ……そう言う訳ではないのですが」
 
 確かに、あの人が危険な人物だとは到底思えない。
 会ったばかりの人間のために、あそこまで身体を張ってくれる人など、普通はいないだろう。
 
「アイツの事を知りたかったら士郎に直接聞け。私は喋らん」
「……そうですか」
「……俺がなんだって?」
 
 いつの間にか衛宮さんはすぐ側で紅茶のポットを持ちながら立っていた。
 
「え、衛宮さん……」
「なんでもない。いいからはやく紅茶を出せ」
「はいはい……茶々丸お菓子はそこに置いてくれ」
「はい、わかりました士郎さん」
 
 目の前でテキパキとお茶の準備がされている。
 衛宮さんと茶々丸さんの見事なコンビネーションだ。
 
「桜咲さんはストレートでいいか? 砂糖とミルクもあるけど」
「あ、いえ、そのままで結構です。ありがとうございます……」
「じゃあ、はい。エヴァも……はい」
「……私にはストレートかどうか聞かないのだな……」
 
 エヴァンジェリンさんはムスッとしたように紅茶を受け取る。
 それに対して、衛宮さんは顔も会わせずに作業を続けながら答えた。
 
「それ、ダージリンだぞ。しかもセカンドフラッシュ、SFTGFOP1」
「……っく!?」
「砂糖とミルクは?」
「………………いらん」
「だろう」
 
 エヴァンジェリンさんは何やら悔しそうに紅茶に口をつけた。
 私には良く分からないやり取りだったが、衛宮さんがエヴァンジェリンさんの好みを把握してしまっているのは理解できた。
 
「……で、なんの話だったんだ?」
 
 そう言いながら、衛宮さんがエヴァンジェリンさんの座る二人掛け用のソファーに腰掛けると、体重の軽いであろうエヴァンジェリンさんの身体が軽く弾んだ。
 その正面に、つまり私の隣に茶々丸さんが静かに座る。
 
「なに、お前が変な奴だと言う話だ」
「む……変な奴とは失敬な」
「変な奴は変な奴だ。大体さっきの戦い、いつの間にあんな狡い罠を考えていたんだ。即興で思いつくような物ではないだろう」
「あ、それには私も興味があります」
 
 そう、あの罠。
 私は一体いつから衛宮さんに動かされていたのだろうか。
 
「ああ、あれか? あれはエヴァが行動範囲を説明していただろう? その時に思いついたんだ」
「――――は?」
 
 衛宮さんは、何かとんでもないことをサラリと言った。
 戦いの流れの最中ではなく、始まる前からそうなるように仕組まれていたと言うのか?
 
「あの段階からだと?」
「――確かに、士郎さんはマスターから説明を受けている際に、辺りを探っていました」
「ああ、あの時考えたからな」
「…………凄い」
 
 まさに驚嘆に値する能力だ。
 先を見通す能力というのだろうか……。
 いや、そんな生易しいレベルではないだろう。
 実戦を一度でも経験してみた者にはわかるだろうが、刻々と、それこそコンマ秒単位で戦況は変化していく。
 例え、最初から罠にはめようとした所で、想定通り相手が動く事などあり得ないのだ。
 もしも可能とするなら下準備、即ち、あらかじめ幾つもの罠を仕掛けるのが常道だ。
 即興で思いついたものなど十中八九、上手くいかないはずだ。
 ――それを可能としたと言うのか。
 衛宮さんはその”結果”に辿り着く為の幾重にも分岐する可能性をその都度探っり、”結果”に結び付けたのではないのだろうか?
 そうとでも思わなければ到底不可能な能力だ。
 ――敵わない。
 そう、自然と納得してしまった。
 そして湧き上がる一つの決意。
 
 …………………うん、決めた。
 
 席を立ち、衛宮さんの側まで移動する。
 
「? 桜咲さん、どうかしたのか?」
 
 衛宮さんは不思議そうに私を見上げている。
 私自身も唐突だとは理解しているが、私の考えに間違いはないだろう。
 
「――衛宮さん……」
 
 片手片膝を着き、最上の礼を取る。
 
「さ、桜咲さん!?」
 
 衛宮さんは驚いてしまっているが無理も無いことだろう。
 エヴァンジェリンさんや茶々丸さんも状況についてこれず、呆然と成り行きを見守っている。
 
「お願いします! 私、桜咲刹那を貴方様の下に置いてくださらないでしょうか!」
「――――へ?」
 
 訪れる沈黙。
 誰一人として声を上げず、各々の中で状況を整理しているようだ。
 私も地面へと視線を向けたまま可否の時を待つ。
 
「――――えっと、つまり?」
「…………お前の弟子になりたいんだとさ」
「はあ、でし? で、し……弟子? ……弟子ねえ……って、ええ!? で、弟子ぃ!? お、俺の!?」
「はい、その通りです。貴方様以外考えられません!」
「と、とりあえず立ってくれ! そんな状態じゃ話も出来ないし!」
「――はい」
 
 立って衛宮さんの顔を見つめる。
 明らかに動揺しているようで申し訳なく思うが、ここは無理を通させて貰おう。
 
「えっと……、まず一つ聞くけど……本気?」
「はい!」
「うっ……、じゃあ二つ目。なんで俺なのさ? 桜咲さんとは正直そんなに面識もないし……、第一、他にもっと優れた人がいくらでもいるだろう」
「いえ、そのような事はありません。先程見せていただいた貴方様の実力、精神力、戦う相手であった私まで気にかけてくださったその優しい御心……。その全てで貴方様以上の方はおられないでしょう」
「――えっと……あ、ありがとう?」
「……何を照れている、子供ではあるまいし」
「ば、馬っ鹿! 俺は照れてなんか!」
「……ふん」
「どうか許しを願えないでしょうか……」
「…………あ、あのさ、桜咲さん」
「どうか、刹那とお呼び捨て下さい」
「うっ、じゃ、じゃあ、刹……那? 俺はきちんとした流派とかないし、誰かに教えたりするのも苦手だ」
 
 ……やはり無理な願いだっただろうか……。
 
「でもさ、俺自身も鍛練とかしたいし、刹那みたいな強い子と手合わせできるのは、俺としても嬉しいんだ」
「――――では」
「ああ、俺なんかで良ければ一緒に鍛練しよう」
 
 そう笑顔で笑って答えてくれた。
 なんだろう、この感覚は。
 今までも色々な方に師事してきたが、このような感覚は初めてだ。
 恐らくこの感情は”嬉しい”という感情に似ているがどこか違う感じがする。
 ――そうか、これが畏敬の念というものなんだろう。
 
「あ、ありがとうございます、師匠!!」
 
 自然、身体が片手片膝を付いた礼をとる。
 私は今、心の底から”師”として尊敬できる御方に出会えたのだろう。
 
「あ、その師匠ってのはやめてくれ! なんか背中が痒くなってきそうだ」
「――しかし、貴方様に教えを請おうと言うのにそれでは失礼に……」
「その”様”って言うのも禁止!! 俺だって刹那って呼び捨てにさせて貰うんだから、そっちも士郎って呼び捨ててくれ!」
「しかし……」
「しかしもかかしも無い! ――よし! 師匠命令だ!」
「…………自分で師匠と言っているではないか」
「ああっ!? 無し、今の無し! 聞かなかったってことで!」
 
 私が師事した御方はどうやら照れ屋のようだ。
 顔を真っ赤にしてオロオロしている。
 そんな様子に笑みが零れ出てくるのが自分でもはっきりと分かる。
 
 ――ああ、この人で間違いはない。確信を持って言える。
 
 
「わかりました士郎さん、これから宜しくお願いします!」
 
 
 



[32471] 第12話  もう一つの仕事
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2012/05/19 15:20

 早朝、俺は郊外の森の中にいた。
 それと言うのも、
 
「――っふ!」
「おっと!」
 
 静寂の空間に、竹と竹の当たる乾いた音が鳴り響く。
 刹那が弟子(?)になってから、およそ2週間。
 俺達はこうして朝の鍛練をするのが日課となっていた。
 
「ふう……よし! 今日はここまでにしよう」
「はぁ、はぁ、はぁ…………あ、ありがとうございました!」
 
 刹那は乱れる呼吸を必死に整えようとしているが、まだもう暫くかかるだろう。
 俺は近くの大きく張り出した木の根に竹刀を置くと、スポーツドリンクの入った容器を刹那へと放った。
 
「ほら、刹那。幾ら冬でもちゃんと水分補給しないとぶっ倒れるぞ。それに汗もちゃんと拭いとけ。じゃないと風邪をひく」
「あ、ありがとうございます…………っふう! しかし流石ですね」
 
 刹那は大きく深呼吸をすると、こちらに向き直った。
 
「ん? なにがだ?」
「この数週間、何度も手合わせ願いましたが、未だに一太刀も浴びせる事ができていませんから」
「そりゃ、な。仮にも教える身としては、格好悪い所は見せられないからな。……それより本当によかったのか?」
「……士郎さんも拘りますね」
「拘りもするさ、俺なんかがなにを教えれるっていうんだよ」
 
 この2週間、俺がいつも思ってきたことだ。
 教えるにしても、俺には確たる流派なんてものはなく、基本的な所は別としてほぼ我流だ。
 それに対して、刹那はきちんとした伝統も実績も歴史もある、由緒正しい流派。
 
「考えてみれば刹那に教えられる事なんて、俺、ないと思うんだ。刹那はちゃんと自分の剣筋を持ってるし……、そこに俺の我流なんか混ざると、かえって駄目になってしまうんじゃないかと思うんだ、俺は」
「そのようなことは決してありません。その証拠に私はこの2週間、勉強になる事ばかりです」
「……だと、良いんだけどな」
「ええ、私の目に狂いはありませんでした。それで何かご指摘などありますか?」
「ん、そうだな……、やっぱり正直すぎるかなって感じだな」
「それは……、以前にもご指摘頂いたのと同じことですか?」
「うん、何も常に”奇”を狙った事をしろとは言わないけど、”正”に対して”正”だけで挑むと自身の被害も大きくなる。だから”正”の中に”奇”を混ぜてやれば、効果的に全てが機能すると思う」
「…………成る程」
「ごめん、なんか上手く説明出来てないな、俺……」
「いえ、勉強になります。ありがとうございました」
「じゃあ今日は終わろう。そろそろ準備しないと……学校だろ?」
「ええ、では失礼します」
 
 刹那は一礼すると、踵を返して森を抜けていった。
 それを見届けるてから、俺も家へと帰るべく足を向けた。
 その途中、汗で冷えた身体を温めるため自販機でホットの缶コーヒーを購入。
 その場でコーヒーを一口飲んでホウ、と息を吐き出すと、暖められた息が空中でいっそう白くなった。
 
「今日も冷えるな……」
 
 一人ごちて少し呆けていると、ここ最近聞き慣れてきた、タッタッタッという軽い足音が背後から聞こえて来る。
 
「衛宮さん、おはよーございまーす!」
 
 朝早いと言うのに、とても元気な清々しい挨拶。
 そんな様子に自然と頬が緩むのを感じる。
 
「ああ、おはよう、神楽坂さん」
 
 振り返りながら答える。
 長い髪を両サイドで纏め、それをベルのついたリボンで結わえたツインテールの髪型。
 活発、快活さを表すかのような明るい表情。
 更に特徴的なのは左右の目が違う色彩を放っているそのオッドアイ。
 
「相変わらず朝早くからゴクローさんだな」
「あはは、まぁ、バイトですからね。でもそれを言ったら衛宮さんだって十分早いじゃないですか」
「そりゃそうだ」
 
 彼女の本名を、神楽坂明日菜と言うらしい。
 彼女とは、刹那と朝の鍛練を始めるようになってから、その帰り、度々出会って挨拶を交わすうちに自然と会話をするようになっていた。
 彼女とこんな早朝に会うのは、神楽坂さんが新聞配達のバイトをしているらしく、この場所を通る時間帯が丁度俺と被っているかららしい。
 
「でも衛宮さんも真面目ですよね、こんな朝早くから剣道の練習なんて」
「ん、なんか朝早いほうが気が引き締まる感じがして、好きだからな」
「ふ~ん……、そんなもんですか?」
「そんなもんさ」
 
 本当は剣道というよりは剣術なんだけどな。
 やっている事は精神論より技術その物だし。
 
「っと! 私まだ配達の途中だったんだ。じゃ、もう行きますね!」
「あいよ、今度店に遊び来るといい」
 
 「はい」と元気良く返事をし、長い髪を翻しながらタッタッタッ、とまた配達へと戻っていく背中を見送る。
 ……ふむ。
 そこでふと思い立ち、手早く自販機に小銭を入れホットミルクティーを購入。
 
「――神楽坂さん!」
 
 あっという間に結構な距離を走っていた背中に呼びかける。
 新聞と言えどそこそこの重量だろうに、かなりの健脚だ。
 俺の呼びかけに気付いたのだろう、神楽坂さんはその場で足を止め振り返った。
 それを確認すると、俺は手にしたホットミルクティーをオーバースローで放り投げる。
 山なりで飛んでいくそれを、神楽坂さんは危なげなく片手でキャッチすると、一瞬呆けたように手にした物を見やった。
 でも、次の瞬間にはパッと笑顔で表情を彩る、とブンブンと手を振って走り去っていった。
 その溌剌とした様子に俺も気分を明るくさせられた。
 軽い足取りで帰宅の道を歩く。
 その後、いつも通りに皆で朝食を食べ、そんなこんなで今日も一日が始まる――
 
 
 こちらの世界に来てから、およそ2週間。
 エヴァにも手伝ってもらい、こっちの『魔法』を調べてみたが、帰る手がかりになりそうな物は未だ見つけられてなかった。
 そもそも、何故、どういった理由、経緯があって俺がここにいるのかも、推定の可能性はあっても、断言できる材料がまるでないので、対抗策も思いつかないのが現状だ。
 更には、その内思い出すと思っていた記憶。
 それが全く思い出せない。
 未だにバラバラのパズルピースがそこにあるだけだ。
 しかし、幸いかどうかは判断が微妙だが、通常生活にはまるで問題がないのが救いといえば救いか……。
 それとは逆に店、『土蔵』はなかなか好評を得ているようで客入りも上々。
 あの日、三人組みに指摘されたように、俺が砕けた話し方をしていても、それを気にしたりする人は皆無だった。
 むしろ取っ付き易いと反応は良い。
 この日も、ランチタイムには客足が途切れることなく、店が順調であることを形として表してくれる。
 
”『創作喫茶 土蔵』 和洋取り揃えて皆様の来店をお待ちしております。当店自慢の各種お茶と一緒にどうぞ。夜には店長が気が乗った時だけお酒も出します。ちなみに毎週月曜、日曜は定休日なのであしからず――”
 
 こんなキャッチフレーズを作ったのは誰だったか……。
 エヴァだっけか?
 でも丁寧な説明から察するに茶々丸が第一候補か。
 ……チャチャゼロは……うん、無理。
 アイツは基本、物騒な事しか言わないのである。
 ちなみに後半の、取ってつけたかのようなアルコール類とか休みの件は、エヴァが独断と偏見で俺の許可もなしに無理矢理ねじ込んだ。
 ――休み過ぎだと思う。
 何故かと聞いても顔を赤くして”家主命令だ!”の一点張り。
 そう言われては住まわせて貰ってる身としては、何も言えなくなるのだが……。
 でも、思うんだ俺。衛宮の屋敷では俺が家主な訳なんだけど……俺、そんな権限なかったよね?
 ――か、悲しくなんて無い! 恐ろしきはあの伏魔殿に棲む連中が、桁違いに色々”アレ”なだけだ!
 ……フフフ、ああ……今日も玉ねぎが目に染みるなぁー。
 そんなこんなで、この世の世知辛さに、ちょっぴり心挫けそうなのをなんとか踏みとどまり、仕事の忙しさもピークを乗り越えた十五時ころ。
 
「さて、そろそろ一息入れるかな……」
 
 扉に『準備中』の札をかけ、鍵を閉めて空を見上げる。
 これもここ最近で習慣化した事。
 何といっても、ここは異様に広いのだ。
 こうして時間を見つけては歩き回らなければ、道を覚える事も出来ず、『学園広域指導員』の仕事に支障をきたしてしまうだろう。
 しかし、それを抜きにしても、こうして知らない所を歩くのはとても新鮮で楽しい。
 冬の抜けるような青空の下、柔らかな日差しを浴びながら当ても無く歩く。
 目的もなく、気が向く方へ足を向かわせる。
 暫くそうやって歩いていると、一際広い広場のような場所に出た。
 辺りを見回すと色々な人達がいる。
 露天を開いている者。
 歩きながら楽しそうに会話を交わす集団。
 オープンテラスに座り、ゆっくりとお茶を楽しむ者。
 それこそ人の数だけ、それぞれがこのひと時を楽しんでいるようだ。
 
「――へえ、こんな場所もあったんだな……」
  
 流石、巨大学園都市だ。
 学生向けがメインとはいえ、相当な規模がある。
 
「――! …………!!」
 
 と、
 ボーッと辺りを観察をしていると不意に、喧騒に混じってそれとは種類が違った騒がしさが聞こえた。
 
「……なんだ?」
 
 不思議に思い、その喧騒の発信源だと思わしき場所へと足を運ぶ。
 すると、近づいて行くにつれて喧騒も大きくなり、内容もはっきりと聞こえてくる。
 どうやら喧嘩のようだが……。
 現場と思わしき場所は、人垣でいっぱいだった。
 どうやら事の成り行きを遠巻きに眺めているようだ。
 
「ちょっと……すいません」
 
 群れを成す人垣を掻き分け、最前列へと躍り出る。
 ――なるほど。
 どうやら二つのグループが、なにやら対峙しているようだ。
 いかにも喧嘩っ早そうな男連中で、体格も良い連中が多い。
 
「…………ん?」
 
 そんな光景の中、いかにも場違いな集団が、少しだけ離れた位置に落ち着かない様子でいる事に気付く。
 ――あれは確か……。
 職務をまっとうして、この場を収める為、その場違いな集団を引き離す為、群集から抜け出し騒ぎの中心地へと向かう。
 
「――なにやってんだ?」
 
 まず、少し離れた位置にいる場違いな集団から小声で話しかけてみる。
 
「え!? ――あれ? あなたは確か……衛宮さん!?」
「へ? 衛宮さんって……あの喫茶店の?」
「……本当だ、どうしたんです? こんなとこに」
「――や、それは俺の台詞なんだけど……」
 
 その場違いな集団は、以前店に来てくれた、エヴァ達のクラスメイトの三人組みだった。
 どう考えてもこんな物騒な雰囲気にそぐわないのに、こんな中心地でなにをしているというんだろうか?
 
「で、こんなとこで何してんだ?」
「え、え、えっと! ですね……!」
「ウ、ウチが悪いんですーー!!」
「――あの、実は、ですね……」
 
 三人のうち二人は取り乱してアワアワ言っているが、その中で比較的冷静な、身長が高く、長い髪をポニーテールで結っている娘……大河内さんと言っただろうか、彼女が状況を説明してくれる。
 
「実は、私たち三人で歩きながらアイスを食べていたんですが……亜子が、この子がつまずいてアイスを放り投げてしまったんです。そうしたら運悪く前を歩いていた大学生の人達にそれをぶつけてしまって……」
「――君らが因縁を付けられてしまったと?」
 
 なんともベタだが、あり得そうな話だ。
 
「あ、いえ……。そうではなくてですね……」
「え、ちがうのか?」
「……はい。そのぶつけてしまった人は謝ったら洗えば落ちるからと、笑って許してくれたんです。――でも、問題はここからで、その後から来た別の大学生の人達が、その状況を見て、私たちが絡まれていると勘違いをしてしまって……どうやら両方の方たちは仲が悪いらしくて、お互い誤解したままいつのまにかこんな状況に……私たちも止めたんですが、聞いてくれなくて……」
「――なるほどな」
 
 つまり善意と善意による僅かな行き違いと、それに乗じたお互いの不仲が原因ってことか……。
 ――そういう事ならできるだけ穏便に済ませたいもんだけど……うまくいくだろうか?
 
「事情は分かった。ここは俺が引き受けるから君等は下がっていてくれ」
「引き受けるって……あの! この人達は工科大と麻帆大の格闘団体なんです! 危ないんじゃ……!」
「あー……そりゃ面倒そうだ。……けど、こういうのは慣れてるし、それに――これも俺の仕事なんで」
「――え?」
 
 そう言って騒ぎの中心へと歩を進める。
 後ろでは俺の言う事が理解できないといった風に、三人とも立ちすくんでいる。
 両陣営、睨みあっている中心に近づくにつれ、一触即発の空気が漂ってくる。
 そんな雰囲気の中、咳払い一つコホンとして、割って入るように真ん中へと身体を入れる。
 
「あー、君達? お互いただのすれ違いなんだから、こういった事はここらで止めにしないか?」
「……なんだ、お前は?」
 
 訝しげな声が聞こえる。
 突然の闖入者に戸惑っているようだ。
 
「退いてろ坊主。怪我するぞ」
「そうもいかない。あんた等がこの騒ぎを止めてくれなきゃ、俺も引くわけにはいかないんでな」
「わけわんねぇ事言って無ぇーでさっさと下がってろ。――おい、お前ら。さっき面白い事言ってたじゃねぇーか? 打撃が寝技に劣るってぇのか!? ダボがぁ!!」
「事実だろうが、ああ!? なんならお前らの身体で直接証明してやってもいいんだぜ?」
「――上等だコラァ!! ルール無しの路上勝負だ!!」
「………………」
 
 ……俺を無視して勝手に盛り上がる両陣営。
 や、俺みたいな第三者にはまだある程度好意的というか、変に絡んで来ないあたり、結構人間的には出来てるっぽいが。
 けれども敵対する相手にはそうでもないのだろう。敵愾心むき出しで、こうなると最早言葉では止められないのは経験済みだ。
 すると言うが早いか、場の雰囲気に耐えられなくなった両陣営の気が短い者が一人ずつ駆け出してきた。
 
「――これでも喰らって寝てろや!」
 
 話に出た打撃系の選手なのだろう。
 体重の乗った右ストレートを低く構えた相手の頭、正確には顎を狙い、打ち抜こうとする。
 それに対し、寝技主体と思われる人は、低姿勢で相手の胴を目掛けて、一直線に組み付こうとタックルを敢行。
 
「――――」
 
 そして俺はそんな両者が交差するであろう中心へと、誰よりも早く駆けつける。
 そう、俺は、衛宮士郎は、こんな事を防ぐ為にここにいるのだから。
 
「――ふっ!」
 
 まずは右ストレートの処理から。
 勢い良く繰り出される拳を、その勢いを殺すことなく右手で捕らえ、相手の前方へと流す。
 それと同時に右足で相手の軸足を蹴り上げ、それに合わせ、左手を相手の腹に当て、持ち上げる。
 
「「———へ?」」
 
 するとストレートを放った人物は、俺の左手を支点に空中でクルリと大きく回転した。
 それに驚いたのは……両者だろう。
 空を舞っている方は当然の事ながら、タックルを仕掛けた方もいきなり目の前から目標が消えたのだ、驚いて当然だろう。
 俺は蹴り上げた右足をそのまま、タックルを仕掛けようとした人に向け足掛けするように置いた。
 それに掛かるより一息早く左手を相手の後頭部に手を置き、蹴躓くのと同時に、左手を突進の勢いを利用するように下方向に向け流れを操作する。
 
「――よっと」
 
 そして、そのまま今度は左手を天に向けて掲げるかのように大きく一回転。
 そして――、
 
「――――」
「――――」
 
 タン、という軽い着地音が二つ。
 正面切ってぶつかり合う筈の二人は、いつの間にか背中合わせの状態で、呆然と直立のまま立ち尽くしていた。
 シン……と、静まり返る空気。
 当事者も周囲の人達も含めて、目の前で起きた事が理解できず、呆気に取られている模様。
 
「はい、そこまで。アンタ等もいい大人なんだから、人の話くらいちゃんと聞けよな……」
 
 両陣営は唖然としながらも無言で頷きあう。
 こういう喧嘩の治め方は熟知している。
 ようは頭に血が上りすぎているのだ。だからそれを何かしらの手段で冷静にさせればいいだけだったのだ。
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
 で、話し合うこと5分ほど。
 お互いに誤解した事を詫び、その場は無事に解散となった。
 分かれる際に、こちらをチラチラと観察されていたのはご愛嬌。
 とりあえず、そちらは意識の外に放り出して、
 
「さて、君達も災難だったな」
 
 未だに茫然自失としていた子達に話しかける。
 
「――あ、いえ、助けていただいてありがとうございまし……た?」
「……はぁ~、スゴかったんやな、衛宮さんって。さっきのなんだったん? あの、ぐる~んって回ったやつ」
 
 大きく手を回し、身振り手振りを交えて興奮気味に話す亜子と呼ばれていた娘。
 その仕草が微笑ましくて、思わず少し笑ってしまった。
 俺のやった事は、只単に、力の流れに逆わらずに意図的に操作しただけだ。俺の力はほとんど使わず、彼ら自身の力で回ったに過ぎない。
 簡単に言ってしまえば、授業中に手遊びでペンを指で回すヤツを思い浮かべてもらえれば分かりやすい。原理はあれと全く一緒なのだ。
 
「あー、あれは合気とか中国拳法とかのミックス。殴ったりしたら痛いだろ?」
「はえ~、拳法かぁ~……。ウチのクラスのく~ふぇとどっち強いんやろな?」
「?」
 
 く~ふぇ?
 話の流れ的に名前っぽいが……あだ名とかだろうか?
 
「あ、それより衛宮さん衛宮さん! さっきの『俺の仕事』ってなんだったんですか?」
「あ、それか? だって俺、学園広域指導員だし……」
 
 ほら、と身分証明書を見せてみる。
 見た目がこんなんだから、怪しまれないように学園長に頼んで作ってもらったものだ。
 
「学園広域指導員って…………ええ~~っ!? し、知らなかった! じゃあじゃあ、衛宮さんって先生なんですか!?」
「ああ、違う違う。俺は先生とかじゃなくて、あくま外部ので助っ人みたいなもんだ」
「……助っ人、ですか? だとすればやっぱり衛宮さんも高畑先生みたいに強いんですか?」
「う~む、弱くはないと思うんだけど……」
 
 タカミチさんか。あの人は只者じゃないって事だけは分かるんだけど、いかんせんどの位かとかはいまいち不明だ。
 
「って、やっぱり強いんだ? タカミチさんって」
「ええ、聞いた話によれば、なんでも『デスメガネ』って恐れられているとか……」
「…………そうか」
 
 『デスメガネ』ってなにさ。
 ライダーみたいに、見ただけで倒してしまうとでもいうのだろうか? ……恐ろしい。
 
「そういえば衛宮さん、こんな所で何してたん? お店とか大丈夫なん?」
「今は休憩中。それにこっちに来たばっかだし、イマイチ地理にも明るくないんで、こうやって散歩がてら色々回ってたとこだ」
「あはは、そっか~。たしかにここ広いもんなぁ~、ウチ等でも全部は覚えてへんし」
「……って、アコアコ! 時間時間! ヤバイ事なってるって!!」
「時間? って……うわ、ホンマや! はよいかな叱られてまうっ!?」
 
 今までのんびりと談笑していたが、ふと思い出したように時計を見やると一気に慌て始める。
 
「どうかしたのか?」
「あ、私達部活に行く途中だったんです! ああ、もう行かなきゃ。あ、アキラは今日部活休みだっけ?」
「……うん、今日はプールの点検日だから」
「そっか、じゃあ衛宮さん、私達は急ぎますんで! あ、また今度遊びに行きますんで、そん時はサービスよろしくぅ!」
「あっ、ユーナ、ちょお待ってぇな! ほなアキラに衛宮さんもまたな!」
 
 バイバイ、と手を大きく振ってその場を去って行く二人を見送る。
 それに答えるように、大河内さんは胸の前で小さく手を振っていた。
 
「さて、それじゃあ俺もそろそろ学園探索の続きでも行くから」
 
 じゃあ、と手を上げてその場を離れようとすると、
 
「……あの、」
 
 と言う、一言で引き止められてしまう。
 
「どうかしたか?」
「探索って……もしかして、衛宮さんはここに来たばかりなんですか?」
「”来た”というかなんというか……まあ、ここに来たのは極々最近だな。そのせいで、こうやって時間を見つけては、日々歩き回っているってとこだけど」
 
 それがどうしたというのだろうか?
 俺の言葉を聞いて、大河内さんは軽く考える素振りを見せると、
 
「……良かったら案内しましょうか?」
 
 と提案してきた。
 
「案内って……そりゃしてくれるって言うんなら正直助かるけど。でも、悪いし遠慮しとくよ」
「……いえ、助けてもらいましたし、遠慮なんかしないで下さい」
 
 大人しい感じの声色だが、しっかりとした強い意志を感じる言葉。
 あの三人の中では、比較的大人しく喜怒哀楽が表に出ないタイプだと感じていたが、思っていたより我は強いのかもしれない。
 流石に、そんな善意を無下に扱うのは忍びなく思ってしまう。
 
「えっと、じゃあお願いしても構わないか?」
「……うん、任せてください」
 
 そう言って小さく微笑む。
 ……訂正。喜怒哀楽が出にくいんじゃなくて、その出方が少しだけ大人しいだけみたいだ。
 そういう所は少しだけ桜に似ているかもしれない。
 
「……何処から案内しましょうか?」
「そうだな。……って言っても俺も店があるからそんなに時間があるわけじゃないんだよな」
「……あ、そう言えばそうですね」
「ん、じゃあ前から探していた場所を、一箇所だけ案内してもらえるか?」
「……ええ、良いですよ。どこですか?」
「えっとな――」
 
 



[32471] 第13話  視線の先に見えるモノ
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2012/05/21 21:38


 
 目的地に向けて、私が若干先導する形で半歩分だけ前を歩いていた。
 
 弓道場。
 
 衛宮さんが案内して欲しい場所とはそこだった。
 私自身は行った事は無いが、道場や茶道部で使用される茶室等といった、主に『和』関係の建物が並ぶ一角にあった筈だ。
 チラリと、後ろを歩く衛宮さんを見やる。
 衛宮士郎さん。
 寮のすぐ前にある喫茶店のマスターさん。
 パッと見は、私とそんなに年は離れていないだろうとは思うけど、正確な年齢はユーナが聞いていたが、はぐらかされてしまって、結局は分からないままだった。
 最初はこんなに若い(と推測)のに店主なんてなれるんだろうかとも思ったが、考えてみれば私のクラスには超(チャオ)と言う『超包子』のオーナーをやっている学生のような前例もいるし、まあ、そんなこともあるんだなと納得しておく。
 それと、格闘技でもやっているのか、とっても強い人。
 どれくらい強いとかの基準は私には今一つ分からないけど、あわや乱闘になろうという場面を、誰も傷付けることなく解決してしまう程強かった。私は喧嘩とかは嫌いだけど、衛宮さんのようにその力を誰も傷つけない為に使う、と言ったそれには共感できる。
 背は余り高くはなく、むしろ私のほうが背が高いくらい。
 まあ、これは私が女にしては高い部類だろうからでもあるのだろうけど。
 人を見た目で判断する気は微塵もないが、ルックスはいたって普通。
 決して悪くは無いが、騒がれる程の美男子と言うわけでもない。
 ただ特徴的なのはその目。
 意志の強さを物語るかのように輝きを放つ、そんな真っ直ぐな瞳。
 その瞳を見るだけで、この人はきっと悪い人じゃない、そう思わせる不思議な瞳をしていた。
 
「……衛宮さんは弓道やってるんですか?」
「昔はやっていたんだけどな。今は離れてしまってるんだ」
「……久しぶりにやって見たくなったとか?」
「そうだな。まあ、そんな感じ」
 
 余り饒舌な方ではないのだろう。
 案内し始めてそこそこ時間が経つが、私達はそんなに言葉を交わしてはいない。
 私自身もそんなに饒舌でない事は自覚しているから、そんな二人が一緒にいれば会話が弾むわけは無かった。
 普通ならそんな雰囲気を気まずく感じる物なのだろうけど、不思議とそんな感じはしない。
 自然体、とでも言うのだろうか? 衛宮さんからは気負うといった雰囲気がまるでない。
 きっと、そんな衛宮さんのお陰でお互いに無言のまま歩いていても苦にはならなかったのだ。
 それから暫く歩きながら、ふと思い出したように一言二言会話を交わしながら歩いていると、それらしい建物が立ち並ぶ一角にやってきた。
 どうやら目的地付近に着いたらしい。
 
「……衛宮さん着きましたよ」
 
 後ろを振り返りながら言うと、衛宮さんは珍しそうに辺りを見回していた。
 
「……すごい所だと思ってたけど、まさか、ここまで揃ってるなんて桁外れだな……」
 
 感嘆の声を上げる衛宮さん。
 まあ、その気持ちは非常に良く分かる。
 この学園は、施設一つ一つがどれも本格的なのだ。
 ここに来てまだ日の浅い人には驚きの連続かもしれない。
 
「えっと……、たしか弓道場は……」
 
 私は立ち並ぶ建物の看板を見渡す。
 この一角にあるのは知っていたが、正確な場所までは把握していないからだ。
 すると、近くの建物の扉がガラリと開いて、人が出てきた。
 
「……桜咲?」
「ん? ……ああ、大河内さんですか」
 
 そこにいたのは、クラスメートの桜咲刹那だった。
 彼女とはクラスメートではあるものの、余り話したことは無かった。
 とても落ち着いていて、いつも物静かな人だとは思ってはいたが。無口と言うよりは寡黙と言った方が彼女の雰囲気にはぴったりだった。
 出てきた建物の看板を見てみると、そこには『剣道場』と書かれている。
 そういえば彼女は剣道をしていると聞いた事がある。
 凛とした桜咲にはなんとも似合っているな、とそんな事を薄ボンヤリと考える。
 
「どうしたんですか、こんな所に? 貴女は確か水泳部の筈。ここで貴女を見た事は今までありませんでしたが……」
「……ああ、それはこの人を――」
 
 説明しようと後ろを振り返り、衛宮さんを紹介しようとしたら、
 
「……士郎さん?」
「よう、刹那」
 
 衛宮さんはシュタ、と片手を挙げていた。
 二人の意外な反応に、続けようとした言葉が止まってしまった。
 
「……知り合い?」
 
 桜咲の方に聞いてみると、彼女も少し意外そうな顔をする。
 
「え、ええ。少しありまして……。それより士郎さんがどうしてここに?」
「ああ、店の休憩がてらブラブラしてたら、なんか困ってた大河内さんに会ってな。それの手助けしたお礼にって事で弓道場に案内して貰ってたんだ」
「そうだったんですか。しかし、それならそうと言って下されば、私が幾らでも案内しましたのに……」
「や、只の思いつきなんだから気にしないでくれ」
 
 楽しそうに話す二人を見て、私は少しだけ驚いた。
 衛宮さんと話している桜咲は、普段見る桜咲より随分と柔らかい感じがする。
 少なくともクラスにいる彼女がこんな表情を見せた事はなかった。
 
「それにしても士郎さんが弓ですか。初めて聞きましたね」
「隠してたわけじゃないんだけどな。まあ、言うような機会もなかったし」
「そうですか。……しかし士郎さんが弓を――もし良ければ、私もご一緒してもいいですか?」
「え、俺は別に構わないけど……刹那は部活じゃなかったのか?」
「いえ、私は忘れ物を取りにきただけですので」
「そっか。じゃあ行くか」
「ありがとうございます」
 
 ではこちらに、と言って桜咲は先に立って歩き出したのでそれに付き従う。
 彼女が案内してくれるようだ。
 正確な場所を私は知らないので、そうしてくれる分には助かる。
 ――しかし二人はどういう関係なのだろう?
 先程から聞き流していたが、下の名前で呼び合っているし、結構親しそうだ。
 
(……付き合ってるのかな?)
 
 邪推したくはないけど、そう考えてしまうのは仕方ないだろう。
 聞いてみたい気もするが、そう言う事を聞くのは失礼な気もする。
 等と考えていたら、一つの建物の前で立ち止まった。
 なるほど、看板にも書かれているしここが弓道場らしい。
 
「――失礼します、見学をお願いしたいのですが」
 
 桜咲はそう言って扉を開くと、先に立って中にへと入って行く。
 それに私と衛宮さんも、失礼しますと言って続いた。

「おや、見学かい?」
 
 部員らしい袴姿の大柄な男性が応対してくれる。
 随分と大人びた雰囲気もあるし、恐らく大学部の人だろう。
 
「ええ、自分なんですけど良いですか?」
 
 それに対し衛宮さんが前に出て答えた。
 
「ああ、全然構わないよ。じゃあこっちへおいで。連れの方もどうぞ一緒に」
 
 そう朗らかに笑って、道場の一角に案内をしてくれた部員さんは、じゃあここで少し待っててと言い残すと、彼は何処かへと行ってしまった。
 衛宮さんはそれに礼を言うとそこに正座で座った。
 それに習うように私と桜咲も正座で座る。
 そうやって改めて弓道場を見渡す。
 広い。凄く広い。
 そこにいる部員の数は、見える限りで大体40人。
 弓道というと静かなイメージを持っていたけれど、少なくともここでは和気藹々として、とても楽しそうに映る。
 板張りの床は幅で20mはあるだろうか?
 そこに部員の人たちが並び、遠くにある的に向かって弓を構えて矢を打っていた。
 良く見てみると、その的を置いている距離にも2種類あるのに気が付く。
 近い方は大体30m位だろうか? それでも的は随分と小さく見える。
 それに対して、遠い方はその倍はあるのではなかろうか? 恐らくは60mはあろうかと思われる遠方に見える的は、全くの素人である私には、とてもではないが当たるとは思えない位小さく見えた。
 そうやって、暫く初めて見るものだらけの場所を興味深く観察していると、先程案内してくれた人が、弓を片手に戻って来て衛宮さんに話かけた。
 
「君は弓道やった事あるのかい?」
「ええ、以前に少しの期間だけですけど……」
「じゃあ良かったら弓を引いてみるかい?」
「えっと……ありがたいですけどいいんですか? 部外者にいきなり引かせても」
「別に構わないよ。精神論も大事だけど、こういうのはやって見ないと面白さは伝わらないだろ? それに君は一応経験者らしいし」
「……じゃあ、お願いします」
「オーケー。じゃあこれを使ってくれ。カーボンファイバー性だから、ちょっと強いかもしれないけど構わないだろ? 服装は……まあ、そのままでもいいだろ」
「はい、ありがとうございます」
 
 そう言って弓を受け取ると、衛宮さんは感触を確かめるように、弦の部分を引いたり戻したりを繰り返した。
 
「――君等はどうする? 良ければ女の子にも引けるような、弱い弓持ってくるけど」
「……え? えっと……そうですね――」
 
 弓道か……。
 少しだけやって見たいとも思うけど、今日は衛宮さんの付き添いだし、衛宮さんがどれ位上手いのか少し気になった。
 
「……遠慮しておきます」
「私も結構です」
 
 私に続き、桜咲も辞退を申し出た。
 彼女ならばきっと弓を構える姿も似合うと思ったが、言葉には出さないで置く。
 
「そうかい? ま、無理強いはしないさ。それじゃあ君は近的と遠的、どっちで行く?」
「それじゃあ遠的で」
「そうか、それじゃ礼とかはいいから、自由に射ってくれていいぞ」
 
 ほら、と2本矢を衛宮さんに渡す。
 衛宮さんはそれを右手で受け取ると、目を閉じて深呼吸を始めた。
 集中する為なのだろう。大きく深く、それでいてゆっくりと。
 そんな衛宮さんから意識を逸らしてみると、他の部員の人たちが皆注目していることに気付く。
 やはり部外者と言う事もあって、どうしても目立ってしまうのだろう。
 隣に座る桜咲は、深呼吸を繰り返す衛宮さんの一挙手一投足だろうと見逃さないとばかりの、真剣な表情で見つめていた。
 そんな当人である衛宮さんは、準備が終わったのだろうか、今までより更にゆっくりと深呼吸を始めた。
 ――ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり吸って、
 ――ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり吐く、
 そして今まで閉じていた瞼を、スッと開いた。
 
 ――瞬間、全てが止まったかのような気がした。
  
 今まで聞こえていた、話し声のような雑音が聞こえない。
 目の前の光景から視線を逸らす事が出来ない。
 自分が呼吸をしているのかも分からなくなる。
 そんな全てが静止したかのような世界で、衛宮さんは当然の様に動き出した。
 流れるような動きで射場に立つ。
 淀みの無い動作で右手に持った矢を弦に番える。
 大きな動作で弓を引き絞り、視線で的を射抜く。
 右手が弦を手放すと、矢は風を切り裂く悲鳴を奏でながら飛翔した。
 そして、まるで同じ映像を繰り返して見ているかと錯覚してしまいそうな正確さで、同じ動作をもう一度繰り返した。
 そして、衛宮さんがゆっくり弓を下ろしたのと同時に、凍結していた世界が正常に戻るのを感じた。
 
「……――っは!?」
 
 今の不思議な感覚を感じたのは私だけでは無く、他の人達も全員らしかった。
 まるで夢から突然覚めたかのように呆然としている。
 
「……うん」
 
 そんな中、衛宮さんが一人満足気に頷くと、平然とした様子で私達の座る場所へと帰ってきた。
 
「これ、ありがとうございました」
 
 そう言って、衛宮さんが持っていた弓を、いまだに呆然としている部員の人へと渡すと「あ、ああ……」と呆けたまま受け取った。
 衛宮さんは、そんな不思議な表情をしている人たちに首を掲げると、私達へと向き直った。
 
「……さて、そろそろお暇しようか、大河内さん、刹那」
 
 そのまま帰ろうとする衛宮さんに私と桜咲はまるで夢遊病者のように続いた。
 そのフラフラとした足取りで靴を履き扉を潜る。
 後ろ手に扉を閉めることより遅れて数瞬、背後から歓声のような怒号のような叫びが聞こえた。
 
 ――私が知ることになるのは大分後のことだった。
 それの原因である、衛宮さんの放った矢は的のど真ん中に一本だけ命中していた。
 そして、もう一本の矢は突き刺さっていた矢を引き抜いた先に埋まっていた事を。
 
 その叫びを切欠にやっと思考が正常に回りだす。
 けれど弓道に親しみのない私では、何をどう言ったらいいか分からない。ともかく凄かったといった感想しか出てこない。
 
「――素晴らしい腕前でした、士郎さん」
 
 そんな私を尻目に、桜咲は衛宮さんへと賞賛を送っていた。
 私としてはまるで夢を見ているような光景だったが、やはり凄い事だったのだろう。
 
「私は弓術に関しては聡い方ではありませんが、あのような射がどれ程の物かと言う事ぐらいは理解できます。改めて感服しました」
 
 少し興奮気味に桜咲は語る。
 そんな彼女の様子に、少しであろうと今の衛宮さんがやった事の凄さを理解できるのが、羨ましいと私は思った。
 それと同時に、分からないことに少し悔しさも覚える。
 
(――……あれ?)
 
 そこで考える。
 
(…………なんで、私は悔しいなんて考えてるんだ?)
 
 わからない。自分の感情がわからない。
 連れ立って歩く衛宮さんの横顔を見る。
 幼さを僅かに残した顔立ちに、ドキリと心音が高鳴るのを感じた。
 胸に手を当ててみると、トクトクと心臓が早鐘を打っている。
 
「…………――、さん?」
 
 なんだろう、この感じは?
 これではまるで、まるで――…………。
 
「……大河内さん?」
「っっっっ!? は、はい!!?」
 
 気が付くと、衛宮さんの顔が間近にあって、私の顔を覗き込んでいた。
 瞬時に頭の中が真っ白になり、裏返った声で返事をしてしまう。
 
「……大丈夫か? なんか呆けてたみたいだけど……」
「い、いえ!! 大丈夫です!」
 
 近寄った衛宮さんから距離を取るように二歩、三歩ヨロヨロと後ろに下がる。
 そんな私に、衛宮さんは心配するような視線を向けるが、特に追求してくるようなことはしなかった。
 
「……そっか。で、どうする? 俺たちは店に行くけど……良かったら来るか? 奢る位するけど」
 
 気が付くとそこは既に寮の前。
 知らず知らずの間に帰ってきていたようだ。
 
「……い、いえ。今日は遠慮しておきます!」
 
 ワタワタと手を顔の前で振りながら何とか答える。
 今の私は、どうにもこうにも頭が上手く回らない。
 とても嬉しい誘いではあるが、醜態を晒してしまいそうな自分が怖くて行けそうにも無い。
 
「そうか? 遠慮する事なんてないんだけど……ま、仕方ないか。じゃ、大河内さん、またな」
「――失礼します」
 
 シュタ、と手を上げて踵を返す衛宮さん。
 桜咲はそれに習い、軽く頭を下げてその後に続いた。
 その後姿を目で追う。
 衛宮さんを見るとまた、ドキリと胸が高鳴った。
 桜咲と二人、連れ立って歩くのを瞳に映すと、ズキリと胸が疼いた。
 
「……ホント、何なんだろう」
 
 ポツリと、小さく呟く。
 目を閉じるとハッキリと思い出す、弓を構える衛宮さんの姿。
 突如として湧き上がった奇妙な気持ち。
 遠ざかる二人を眺めながら、持て余し気味の感情が心の中で渦を巻く。
 寒さが日に日に増す、とある日の空の下。
 私には、そんな二人の後姿を見送る事しか出来なかった。






[32471] 第14話  友一人、妹二人
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2012/05/24 19:03
とある日の事である。
 いつもの様に休憩から帰って来た俺は、無人の店内で、これから来るであろう夕飯時の仕込みの準備をしていた。
 そんな中、そこに来客を告げるベルの音と共に、珍しい人が姿を表したのだ。
 
「やあ、お邪魔するよ士郎君」
「ああ、タカミチさん。いらっしゃい、珍しい……っていうか初めてですよね、ここに来てくれるの」
「ははは、そうだね。本当はもっと早くに来たかったんだけど、僕もこれでなかなか忙しい身でね。漸く時間が取れて来ることができたよ」
 
 そう言うとタカミチさんはカウンターに腰掛けた。
 その前にお冷を置くと、ありがとうと言って一口だけ口に含む。
 
「それにしても凄いね。最近ウワサになってるらしいじゃないか」
「ウワサって……なんの話です?」
「おや、知らないのかい? 安いのに物凄く美味しいと、学生を中心に広まっているらしいんだよ、君のお店が」
「――――」
 
 初耳だ。最近お客さんの数が増えてきたとは思っていたが、そんな事になっていたとは……。
 
「……その様子だと本当に知らなかったらしいね」
「……そりゃまあ、こんな事で嘘付いても仕方ないですし」
 
 そりゃそうだ、とタカミチさんは笑う。
 
「――それは取り敢えず置いといて。タカミチさん何か食べます? 折角だからご馳走しますよ」
 
 まだ時間的には夕飯に少し早いかもしれないが、折角来てくれたんだ、これぐらいもてなしてもバチは当たるまい。
 
「おや、そうかい? 実は僕もお腹がすいててね、少し早いが夕飯にしようかと思ってたんだ」
「はは、そうですか。じゃあ、丁度いいですね。何にします」
「そうだな……、じゃ、士郎君のオススメでお願いできるかい?」
「分かりました。少し待っててください」
 
 少し考える。
 タカミチさんは結構大柄だし量も食べられるだろう。
 と、なると定食か。
 ――そうだ、トンカツ定食にしよう。
 …………店の雰囲気にまるで合わないとかは言わない約束である。
 そうです、『創作喫茶 土蔵』は和食もやってます。ちなみに男性売り上げベスト3にいつも食い込む売れ筋だったりもします。
 豚肉を厚めに切り分け、筋切りをする。
 続いて、フォークでザクザクと穴を開け火の通りをよくする。
 
「そう言えば、士郎君はここに来る以前は何をしていたんだい?」
「え? ……ここに来る前、ですか?」
 
 タカミチさんは、調理をしている俺に何気ない感じで聞いてくる。
 表には出さないが内心、ちょっと焦る。
 以前の話となると前の世界の事だし、下手な事を言えばボロを出しかねない。
 現在、俺が違う世界の人間である事を知っているのはエヴァ、茶々丸、チャチャゼロの三人だけである。
 四人の協議の結果、出来うる限り俺の事は秘密としておいた方が、痛くも無い腹を探られない一番の方法であると結論づけたからだ。
 ここにエヴァでもいてくれれば、適当に話を合わせてくれそうだけど、生憎と今ここにいない人物にそれを言うのはせん無い事だ。
 ――これはもしかすると不味いのではなかろうか? 食事処としてはいかがとも思うが!
 ――ではなくて。下手な誤魔化しはなんだか見破られそうな気がする。
 
「あ、言い辛いことだったら無理に言わなくてもいいよ」
 
 むむむ、と唸っている俺を気の毒に思ってくれたのか、そんな言葉をかけてくれた。
 
「あ、いや、そんなこと無いんですけどね。……まあ、その、世界を回って色々と……――」
 
 ゴニョゴニョと語尾を濁しながら何とか呟く俺。
 う、嘘は言ってないよな、嘘は!
 
「へえ、そうか世界を! 何処に所属を? 僕は『悠久の風』に所属しているんだけど」
 
 げ、藪蛇。
 一転、嬉々として問いかけてくるタカミチさん。
 意外な共通点がありそうで嬉しいのだろう。
 で、『悠久の風』ってなんだ、どっか地方のお土産だろうか。
 それはともかく、何とか話を合わせるしかない。
 
「や、えー、あー、そのー……所属とかは無くてですね。まあ、フリーで色々と」
「そうか、フリーか……。それも道の一つだろうね。……知っているだろうけど僕の所属している『悠久の風』は広く認知されていてね、色々な面での支援や魔法の使用許可などが降り易くなるなど、ある種の特権を持って動き回る事が出来るんだ」
「――ええ」
 
 『悠久の風』と言う組織がどんな物かは知らないが、話の内容を聞いているとタカミチさんの言いたいことは分かる。
 恐らく『悠久の風』はかなり大規模、もしくは有名な組織で、こっちの世界の魔法社会では誰もが知っている組織なのだろう。
 そうなれば世界的な庇護下での活動が可能となり、大きな行動もとれるようになる。
 
「けれど、逆にそんな大所帯に組しているからこそ出来ない事もまた増えてくる」
「はい」
 
 そう、組織が大きくなるのはなにも良い事ばかりではないのだ。
 母体が大きければ大きくなるほどしがらみは増えるものだ。行動を起こす際の制約や制限は当然のこと、何時如何なる時でも監視の目は付いて回る。更に動き出すまでの時間が酷く遅くなってしまうのだ。
 その間に失われる何か――。
 
「もしかしたら君には、何処かで僕にできなかった『何か』をして貰ってのかもしれないな」
 
 ――そうやって笑うタカミチさんは、笑顔なのに何処か儚げで、泣いているようにも見えた。
 タカミチさんは、スーツの内側からタバコのケースを取り出すと、軽く掲げるようにして俺に見せ、言外に吸ってもいいかと訪ねる。
 俺はそれに頷き、カウンターの中から灰皿を差し出した。
 それを受け取ったタカミチさんは、タバコを一本取り出し、それに火を着けた。そのままチリチリとタバコの火を赤く灯す。
 そして、ゆっくりと紫煙を吐き出した。
 
「…………」
「…………」
 
 どれ程そうやっていただろう。
 俺は無言で調理をし、タカミチさんはタバコの煙を燻らせる。
 お互いが何一つ言葉を発しない。
 ……でも、なんでだろう。それが沈黙であろうと、何か言葉のような物を交わしている気がする。
 俺の料理が出す湯気や煙がタ、カミチさんのタバコの煙と共に天井へと昇っていき、その境界を無くし混ざり合う。
 俺は料理を見詰め、そしてタカミチさんは昇っていく湯気でも煙でもない何かを只眺め続けていた――。
 
「どうぞ、お待たせしました」
 
 完成した料理をタカミチさんの前にカタリとお盆ごと置く。
 
「おっと、これは旨そうだ。トンカツかい?」
「ええ、ウチの人気メニューです。――あと、これを」
 
 今度は、ゴトリ、という重い音と共にグラスを置く。
 
「……これは?」
「見たまんまビールです」
 
 泡立つ黄金色の液体を見て、タカミチさんは瞳を丸くした。
 
「嫌いですか? ビール」
「いや、そんなことないけど……、こんな時間からかい?」
「まあ、別に構わないじゃないですか。それに――――誰も見てないし、硬い事言いっこ無しです」
 
 出来るだけ悪そうな顔を作って言い放つ。
 そんな俺にタカミチさんはもう一度目を丸くすると――、
 
「ふ――は、はは、はははっ! あははははは!! 成る程成る程、確かに君の言う通りだ! ”今ここには他に誰もいない、なんだって自由に出来る”」
 
 目の端に涙を浮かべて心底面白そうに笑う。
 それこそ子供のように純粋に。
 
「わかった、折角だから貰おう。 ――ただし、条件がある」
「条件、ですか?」
 
 タカミチさんは俺に、ビシリと指を突きつけると、
 
「ああ、条件だ。…………君も付き合え」
 
 なんて、言い放った。
 
「……え。――俺も、ですか?」
「ああ、そうだ。なんだ、もしかして飲めないのかい?」
「いえ、そんな事無いですけど俺は仕事が……」
「なに、一杯だけだよ。そんなに気にするな。それに――」
 
 タカミチさんは言葉を溜めてニヤリと口の端を歪ませた。
 
 
「――誰も見ていないんだ、硬い事言いっこ無しだよ」
 
 その言葉に、今度は俺が目を丸くする番だった。
 
「……はっ! ははははは! はい、分かりました。付き合いましょう!!」
 
 成る程、自分でやっておいてなんだがこれは想像以上に楽しいかもしれない。
 そう、”少なくともこの場の限られた場所、限られた事柄であろうと、極々限定的にでも、今はしがらみに囚われず自由に行動できる”。
 笑いながら俺は自分の分のグラスにビールを注いだ。
 
「折角だし、乾杯しましょうか」
「お、いいね。何に対してだい?」
「ま、今の俺たちの場合だと何かを祝って……感じじゃないですね」
「そうだね、じゃあ願掛けみたいな物でもするかい?」
「いいですね。じゃあ――」
 
 ……一瞬、目を見合わせる。
 それだけで十分だった。
 きっと、この人には言葉にせずとも伝わる。
 二人同時にニヤリと笑い、グラスを掲げた。
 異口同音で発せられる言葉は同時に響いた。
 
『――世界平和を祈って』
 
 ガチンとグラスをぶつけ合い俺達は、馬鹿みたいに笑いあった。
 端から見たらさぞ可笑しな光景に映るだろう。
 それでも、
 
 ……悪くない。こういうのも稀には悪く無い。そう感じたのだった。
 
 暫くタカミチさんと身の無い話を語り合う。
 今年の野球はドコが勝ちそうだ、宇宙人はいるか、目玉焼きには何をかけるか、そんな感じの取りとめも無い事をダラダラと。
 その間、タカミチさんはトンカツをツマミにビールのお代わりを注文。
 俺は一杯だけ飲みきって、ポツポツと来店しだしたお客さんの注文を仕上げていく。
 そうやっていると新しい来店を告げるベルがまた鳴った。
 
「ほら、アスナ。ここやよ、最近評判のお店って」
「って、ホントに寮のまん前ね……」
 
 入ってきたのは二人組みの女子。
 片方は見覚えがある。と言うか神楽坂さんだ。
 もう片方は……見覚えは無い。
 長い黒髪に、柔和に整った顔立ちは、何処か日本人形を連想させた。
 そんな穏やかな雰囲気に合った柔らかいイントネーションの関西弁。
 
「いらっしゃい、神楽坂さん」
「あれ、衛宮さん? ……――と、たたた、高畑先生ッ!!??」
「やあ、アスナくんにコノカくん。こんばんは」
「あ、高畑先生。こんばんは~」
 
 なにやらドモリまくる神楽坂さんと、それと対照的にポワワ~ンと、おっとりした感じで挨拶をする連れの女の子。
 ……一体何なんだと言うのであろうか。
 
「こ、こんばんは!! あ、あの御夕食ですか!?」
「あ、ああ。そうだよ。君達もかい?」
 
 はて、彼女はこんなに可笑しな喋り方をする子だったろうか?
 なんか顔も赤いし。
 その間も神楽坂さんはシドロモドロになりながら、なにやら熱心にタカミチさんに語りかける。
 ちにみにその間、俺も連れの女の子も只ボケーッと流れを見守るだけ。
 
「え、ええ。その、このかに誘われまして……あ、あの、宜しければ一緒に……」
「そうか、だったら一緒にどうだい?」
「――! は、はい、是非!!」
 
 神楽坂さんは喜色満面の笑顔を浮かべると、タカミチさんの隣に腰掛けた。
 その様子を見ていた連れの子が苦笑交じりに「しょうがないなぁ~」とでも言いたげに、神楽坂さんの隣に座った。
 
「君達はよくここに来るのかい?」
「いえ、私達は今日が初めてで……。前からウワサになってたんで行ってみようって話になって」
「ほう、そうっだたのか。……ほら、見てみてたまえ士郎君。やはり僕の言うとおりだったろう?」
「そうみたいですね。まあ、嬉しい事です。神楽坂さんも来てくれてありがとうな」
 
 お冷とおしぼりを二人の前に置く。
 
「いえいえ、そんなお礼なんて衛宮さ……――って、あれ? 衛宮さん居たんですか? それにそこで何やってるんですか?」
「…………」
 
 居た。居ましたよ最初から。うん、まあ、なんかそんな気はしてたさ。
 俺は目に映っていなかった、もしくは忘れ去られていたらしい。
 あとここは俺の店です。
 
「ごめんな~、お兄さん。アスナも悪気は無いねん、たまに暴走するんは堪忍したってや~」
 
 神楽坂さんに変わって謝られてしまった。
 
「や、別に怒ってなんかはないけど……。えっと、君は……?」
 
 するとその女の子は胸の前で両手をぽむ、と合わせて言った。
 
「ああ、せやった。自己紹介まだやったな? ウチはアスナの友達でルームメイトの近衛木乃香や、宜しゅうな、お兄さん」
 
 俺に手を差し出しながらニコニコ笑顔を向けてくる。
 
「えっと、俺は衛宮士郎。一応この店の店長やってるんだけど……まあ、宜しく」
 
 俺もぎこちなくその手を握り返す。
 近衛さんはその手を、ブンブン上下に振ると、何かに驚いたかのように表情を変えた。
 
「ほえ~、店長さんなんや~……すごいなぁ」
 
 にぎにぎ。
 
「あれ? 神楽坂さんに聞いてなかったのか?」
 
 俺、確か遊びに来てみたいな事言ったような……。
 
 にぎにぎ。
 
「あ、そういえば……。そんな事言ってたような……そうでないような……」
 
 そっぽを向く神楽坂さん。
 ――うん、忘れてましたね?
 
 にぎにぎ。
 
 で、
 
「……えっと、近衛さん?」
「うん? どしたん?」
 
 にぎにぎ。
 
 きょとんとした表情で聞いてくる近衛さん。
 
「……や、なんでそんなに手を握ってくるのでしょうか?」
 
 思わず敬語になる。
 そう、さっきから手を握りっぱなしの上、やたら俺の手を握り締めてくるのです。
 ……正直落ち着かない。
 ぷにぷに、すべすべした手の感触が非常に落ち着かない。
 
「ん~? いや、なんかな? 衛宮さんの手ってゴツゴツしててスゴイなぁ~……思て。これがホンマモンの料理人の手なんやなぁ~って」
「や、えっと、その……」
 
 今度は俺の手を両手で包み込むように握ってくる。
 俺の手がゴツゴツしているのは確かだけど、それは主に竹刀ダコによるものだ。
 そう言われても反応に困る。
 
「ちょ、ちょっとこのか! 衛宮さん困ってるわよ!」
「へ? ……ああ、ごめんな衛宮さん。ウチ、邪魔してもうたか?」
「いや、そんな事ないよ。それより注文は何にする?」
「あ、せやな。えっと……な、ウチはビーフシチューで」
「あ、それ美味しそう。私もそれで」
「了解。ちょっと待っててな」
 
 ビーフシチューは既に煮込んで完成してあるので大して手間ではない。
 あとはつけ合わせのサラダを保冷庫から出して、パンを焼くだけである。
 バケットから一人当たり二切れをナイフで切りだす。
 そこにバター、ガーリック、パセリ等を混ぜたものを塗り、オーブンへと入れる。
 
「あの、高畑先生はよくここに来るんですか?」
「ん? 僕かい? 僕もここに来たのは初めてだけど……そうだね、これからは良く来させて貰おうかな? こんな良い店なかなか無いし」
 
 そう言ってタカミチさんは俺に軽く目配せをする。
 俺はそれに軽く苦笑で返すと調理に戻った。
 
「へ、へ~……そうなんですか……」
 
 神楽坂さんはそれを聞くと小さくガッツポーズをしていた。
 ――さっきからなにやってんだろう?
 そんな神楽坂さんを不思議に思っていると、タカミチさんから何やら電子音が聞こえてくる。
 
「――っと、失礼。はい、もしもし」
 
 ああ、携帯電話か。
 そういえばウチにいる連中は誰も持ってないよな……。
 エヴァが持っている気配はないし、茶々丸は……必要ある……の……か?
 どうなんだろう、茶々丸の場合だとそういう機能も持っていそうではある。
 
「ああ、学園長……、ええ、大丈夫ですけど。はい……はい……ええ、明日ですよね。……え? 彼も、ですか?」
 
 ん? なんかタカミチさんがこっちを見たような?
 
「……なるほど、良い判断だと思います。では、彼には僕の方から伝えておきます。……え? 今からですか? わかりました。ええ、ではそのように……」
 
 ピッ、と通話を終わると背広の内ポケットに携帯をしまった。
 
「すまない。ちょっと用事が出来てしまったのでこれで失礼するよ。アスナ君、コノカ君、こちらから誘っておきながら申し訳ない」
「あ、そ、そう……ですか……」
 
 あからさまに落ち込む神楽坂さん。
 
「い、いえ、しょうがないですよ。お仕事でしょうし……」
「本当にすまない。――ああ、士郎君」
「はい? なんですか?」
「明日、朝一で学園長室に来てくれるかい?」
「学園長室……ですか?」
「ああ、士郎君にも知っておいて貰った方がいいからね」
「はぁ……、良く分からないけど分かりました……? 何時くらいに行けばいいんですか?」
「そうだね……、七時半くらいに来てもらえれるかな」
「わかりました、七時半ですね」
「ああ、頼むよ。じゃあ明日――」
 
 そう言うとタカミチさんは懐から何やら取り出し、それをカウンターテーブルの上に置くと踵を返した。
 見るとそこには乗っているのは五千円札だった。
 
「え……ちょっ、ちょっと! タカミチさん、これッ!!」
 
 今日は俺の奢りのはずだ。
 例えそうでないにしても、こんなに貰うわけにはいかない。
 
「なに、安いもんだよ。それにこんなに楽しくお酒を飲んだのも久しぶりだ。せめてお金を払わないと僕の気がすまない。それは貰っておいてくれ」
 
 タカミチさんはそのまま振り返ることなく手を振ると、扉を潜って行ってしまった。
 
「――ったく、仕方ないな……」
 
 そんな風に言われたら返せないじゃないか。
 
「……あ、行っちゃった」
 
 目の前では、しょげる神楽坂さんの肩を近衛さんが叩いてあやしている。
 
「えっと……、とりあえずお待たせ」
 
 二人の前に料理を並べる。
 
「あ、ほら、アスナ。料理できたえ? 食べよ?」
「へ? あ、うん」
 
 呆けていた神楽坂さんは、漸く目の前の料理へと目をやった。
 
「あ、……すいません衛宮さん。なんだかみっとも無いトコ見せちゃって……」
「え、いや、みっともないって事は無いけど……まあ、良く分からないけどご飯でも食べて元気だしな?」
「あ、ありがとうございます……」
 
 神楽坂さんはまだ少し沈んでいるものの、笑顔を見せてくれた。
 そうやってスプーンを手に取ると、シチューをすくいそれを口に運ぶ。
 
「――っ! うわ、美味し! これ凄く美味しいですよ衛宮さん!」
「うん、ホンマ。お肉もトロトロや~」
 
 今までの落ち込みようが嘘のように食べ始める神楽坂さんと、満面の笑みで味わうように食べる近衛さん。
 
「気に入ってもらえて何よりだ」
 
 そんな様子に思わず笑みがこぼれる。
 こんな幸せそうに俺の料理を食べているのを見れるだけで、作った甲斐があるってものだ。
 
「そういえば、衛宮さんって高畑先生と仲良かったんですか?」
 
 あらかた食事が終わったころ。
 口の中のものをキチンと飲み込んでから、神楽坂さんが聞いてくる。
 
「タカミチさんとか? ん、まあ、そりゃあな。一応同僚だし」
「あ、そういえば同じ指導員だって前に言ってましたっけ?」
 
 以前、朝に会ったときの会話を覚えていたらしい。
 手元を見て作業を続けながら答える。
 
「ん、そう言うこと……まあ、なんとなく気が合いそうとかもあるけどな」
「ふ~ん……そうなんや~。でも、二人ともスゴイな? 先生やって指導員やってとか、お店やって指導員やって~とか……」
「そうよね~、言われて見れば片方だけでも大変そう……」
「確かに大変だけどな……。でも、まあ、指導員の仕事はやりがいもあるし……お店の方は俺の料理で君達みたいに笑顔になってくれるのを見るのが嬉しいから、大変だけど苦にはならないよ」
 
 そうやって俺が言うと二人して「お~……」と感嘆の声を挙げ拍手をしてくれる。
 
「はぁ~……衛宮さんって偉いって言うか、凄いって言うか……大人よね……」
「せやね~、とてもやないけどウチには真似できひんわ……」
 
 そんな言葉に「そこまで大したもんじゃないさ」と、苦笑と共に返す。
 それと同時に二人の前に、カタリと皿を置く。
 
「あれ、衛宮さん? 私達なんか注文しましたっけ?」
「これは俺からの奢り。神楽坂さんはなんか元気なかったみたいだし、近衛さんは出会いを祝して、みたいな感じのもんだよ」
「わ、すいません。そこまで気を使って貰っちゃって……」
「んー……そこはあれだな。できれば『ありがとう』って言ってもらったほうが、俺も嬉しいんだが……」
「――っぷ。そうですね。ありがとうございます衛宮さん!」
「ありがとうなぁ~」
「いえいえ、どう致しまして」
 
 空になった食器を下げ、代わりにケーキと紅茶を置く。
 それを見て二人はパッ、と顔を綻ばせた。
 
「これも美味しいなぁ~。ん~、……にしてもあれやね。衛宮さんって」
「ん? 俺が……なに?」
 
 近衛さんはケーキをモムモムと幸せそうに頬張っている。
 
「うん、衛宮さんってなんや――お兄ちゃんっぽいなぁ~思て」
「お、お兄ちゃん?」
「うん、お兄ちゃん」
 
 俺がお兄ちゃん?
 や、そんなイリヤじゃないんだから……。
 ……いや、待てよ。前にイリヤどころか桜にも、終いにはセイバーにもそんな事を言われた記憶があるようなないような……。
 
「あ~……それは私もなんか分かるわ」
「せやろ、せやろ?」
 
 近衛さんの隣で、フォークを咥えながら神楽坂さんが神妙そうに頷く。
 
「衛宮さんってあれじゃないですか。こういう言い方すれば失礼かもしれないけど……普段って結構ぶっきらぼうって言うか、無愛想って言うか……」
「そうなん? ウチはそんな風に感じんかったけど……」
「だから普段よ、普段。だって私、初めて衛宮さん見た時なんて『うわ、こんな朝っぱらから不機嫌そうに歩いてる人がいる!』って思ったくらいだもん」
「……悪かったな、仏頂面で」
「あ、怒らないでくださいよ! だから最初だけですってば! ……で、まあ、私もそのまま素通りするのもなんだったんで……挨拶してみたんだけど――やっぱり無愛想で……」
「おい」
 
 変わってないし。
 
「まだ話終わってないですってば! えっと、それでまあ、返って来た挨拶も無愛想なのは変わらなかったんだけど」
「それはもういい」
「だけど、そのまま通り過ぎようとした私に、暖かい紅茶を奢ってくれて『朝早いのにご苦労さん、風邪、引くなよ』って……そのまま帰っちゃったじゃないですか」
「……そうだっけ?」
「そうなんです! で、最後まで無愛想なくせに、その後も私に会う度になんか奢ってくれたり、毎回気を使ってくれたり……それからですかね? 衛宮さんと話すようになったのは」
「……ああー、言われて見ればそんな気がする」
 
 しかし、そんなに珍しい事だろうか?
 誰だって朝早くから頑張っている子がいれば、ついつい応援したくなるのが人情って物だと思うけど……。
 
「はぁ~、なるほろ~。やっぱり話を聞けば聞くほど衛宮さんってお兄ちゃんっぽいな~……何のかんの言うても優しいし」
「うんうん、無愛想なのが玉に瑕だけど、頼りになるし気遣ってくれるし」
「………………………」
 
 え~……。
 俺はこんな時どんな反応を返せば良いんでしょうか?
 どうも過剰に持ち上げられてる気がする。
 ――けど、それはそれとして、結局最後まで無愛想なのは変わらないのな? 知ってたけど。別にいいけど。
 
「ん~……、そうなると、何がええんやろな?」
 
 近衛さんはそう言うと、顎に手を当て、可愛らしく首を掲げた。
 
「『何が』って……何が?」
「ん? 衛宮さんの呼び方~」
 
 へ?
 呼び方……ってナニ?
 
「ほら、そない世話になっとるんに、いつまでも『衛宮さん』やと堅苦しいやん?」
 
 いや、そんな可愛らしく『~~やん?」って聞かれても……。
 俺は何でも構わんのだが。
 
「それもそうね……えっと、じゃあ――お兄ちゃん? …………うわっ、思ったより恥ずかしいわね、この呼び方」
 
 うん、それは俺も恥ずかしい。
 どう考えても兄弟姉妹には見えないこの二人から、公衆の面前でそんな風に呼ばれたら、身悶えてしまう事間違い無しだ。
 ……イリヤがいながら今更とかは言わない方針で。
 
「ん~……ウチはそんな事無いんやけども。そうなると……えっと、衛宮士郎やから……士郎兄ちゃん?」
「……なんか、小さい子供が近所の年上の事を呼んでるみたい」
「意味的にそんな間違ってないやんか? ウチ、この呼び方なんか好き~♪」
「それもそうなんだけど……」
「…………」
 
 く、口を挟めない!
 自分の呼び方が目の前で決められるという、この奇妙な場において、張本人に発言権は与えられないのだ!!
 
「私としてはもっと砕けた方がいいって言うか……そうね、このかの呼び方に近づけるとすれば……———しろう、にぃ?……シロにぃ、うん、私はシロ兄がいいわ!」
「ほか? ほなウチももうちょっと崩して……アスナがシロ兄やろ? う~ん、シロにぃ……ちゃん? ん~……うん、ウチはシロ兄やん! これがええわ」
 
 イェーイ、とハイタッチをかわす二人。
 
『と、いう訳で』
 
 そして同時にこちらを見ると、声を重ねて言う。
 
『これからも宜しく』
「シロ兄」
「シロ兄やん」
 
 ニコリ、と向けられる笑顔にたじろぐ俺。
 
「――は、はは……。宜し……く? 神楽坂さんに近衛さん?」
 
 と、俺がなんとか返事をすると、そんな俺に不満そうに頬を膨らませる二人。
 ……なんでさ。
 
「あん、ややわ~……ウチ等が、シロ兄やん言うてるんに、そないな他人行儀。ウチの事は『このか』って呼んでくれてええんよ?」
「そうそう。私の事も『アスナ』でいいから」
 
 いきなり女の子を下の名前で呼びつけるのはどうかと思うが……。
 ――まあ、仕方ない。これも二人からの親愛の表れだと思えば嬉しい事だ。
 俺は両手を上げて降参のポーズをする。
 
「……負けたよ。――了解、アスナにこのか。こちらこそ、これからもよろしく頼む」
 
 俺がそう言うと、二人はもう一度顔を見合わせてハイタッチ。
 
「……ったく。ほら、紅茶のお代わりいるか?」
「あ、さっすがシロ兄、気が利く♪」
「シロ兄や~ん、ウチも、ウチも~」
「はいはい」
 
 まあ、少なくとも他人から慕われるのは嬉しいもんだ。
 そう思うと、呼び方なんて多少の事など、些細のものだとも思う。
 
「あ、そういえばこのか」
「ん~……この紅茶もええ香りやわ~……って、なんや?」
「さっきの高畑先生の話で思い出したんだけど、アンタも確か明日の朝用事あるとか言ってなかった?」
「ああ、それ? んっとな~……なんやウチのじいちゃんが、今度新しく来る事になった先生のお出迎えして欲しいんやて~」
「はあ? なにそれ。なんでアンタがそんな事まですんのよ」
「さあな~? ウチにもようわからんけど」
「……ふ~ん、ま、いいわ。――さて、ご馳走さま! とっても美味しかった、シロ兄! そろそろ帰りましょ、このか」
「ん、せやな。ほなウチも……ご馳走さまっと。いや~、ホンマ美味しかったわ。今度、お料理教えてな、シロ兄やん?」
「了解。気をつけて帰るんだぞ」
「気を付けてって……シロ兄、寮は目の前よ?」
 
 俺の言葉にアスナは薄く笑った。
 
「そういえばそうか。ま、それでもさ」
「うん、ありがと。じゃ、お休みシロ兄」
「シロ兄やん、おやすみ~」
 
 手をパタパタ振りながら、二人は扉の向こうへ消えた。
 そこでようやく外がもう闇に包まれている事を知った。
 天井を見上げてみると採光用の窓に大きく映る白い楕円。
 
「――ああ、そうか。今日は満月なんだ」

 
 



[32471] 第15話  帰るべき場所
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2012/05/28 18:15

 
 その日の夜、いつもより少し遅くなった俺は、閉店の片付けを終え、店のドアの鍵を閉めた。
 外に出ると、夜ともなれば冷え込むのか、ヒヤリとした冷気が身に刺さる。
 首に巻いた赤いマフラーで口元まで覆い隠し、急ぎ足で帰路へと着いた。
 夜なのに妙に明るい。
 無論、街灯などの力もあるが、何よりも遥か頭上に輝く存在の力が大きい。
 
「綺麗な月だな……」
 
 歩きながら夜空を見上げる。
 そう言えばエヴァと初めて出会ったのも、こんな満月の綺麗な夜だった。
 その時のエヴァは月明かりに照らされて、とても綺麗だったと覚えている。
 
 ――だけど、まあ。その後に、子ども扱いして怒られたり、あまつさえお菓子で懐柔しようとしたらブチ切れられたり、何だかんだで戦う事になってしまって、首に刃物突きつけて脅迫まがいの事をしたりと、色々と台無しだったりするんだけど。
 
「………………」
 
 うん、とんでもねーな、俺。
 ……とりあえずそれも思い出の一つの場面としておこう。
 そう思っておけ、俺。
 
 ――サッ……。
 
「……ん?」
 
 そんな風に、微妙な過去の情景を思い出している時だった。
 今、何かが視界の端で動いた。
 微かな動きだったが間違いない。
 ”何か”がいる。
 眼球に魔力を叩き込み、視力を水増しさせ、辺りを探る。
 加えてこの明るい月夜だ。微かなものとて見逃しはしない。
 
 ――ザッ……。
 
 動いた!
 間違いない、200m程離れた建物の屋上を、飛ぶように何かが蠢いている。
 あの動き……普通の人間じゃない――!!
 ――もしや侵入者か!?
 
「――投影(トレース)」
 
 俺は瞬時に魔力回路を起動させ、頭の中に弓と矢の設計図を浮かべ、
 
「開始(オン)――!」
 
 一瞬のウチに実体化させる!
 すぐさま矢を番え、目標を射抜かんと弓を構えた。
 強化した視力で目標を細部まで見通して、
 
「――…………あれ?」
 
 気が抜けた。
 風船に入った空気が、ゆっくりと抜けていくように気が抜けた。
 なにやってんだアイツ?
 って言うかどうしようこの弓と矢。
 折角出したのに、処理に困る。
 …………困る。
 ……困る。
 困る。
 
「………………えい」
 
 困るのでとりあえず射ってみた。
 やる気もへったくれも無い、気の抜けた矢だが、狙いだけは正確だ。
 狙うは頭のテッペンのテッペン。
 何を考えているのか分からんけど、目標が被っている、いかにも魔女が被っていそうな帽子の端っこも端っこ。
 矢は狙いから寸分の狂いも無く飛んで行き……今、刺さった。
 
「おお、おお、驚いてる驚いてる」
 
 わはは、などと笑ってみる。
 矢の突き刺さった帽子は、その衝撃で頭から吹き飛ぶと、黒いコウモリへと変わって消えた。
 目標はビクゥッ! と、心底驚いた様子でキョロキョロ辺りを見回している。
 そこで飛んできた矢の方向から割り出したのだろう、俺目掛けて物凄い勢いで飛来して来た。
 それこそ、勢いだけなら俺の放った矢に勝るとも劣らない。
 
「………………――ぉぉ」
 
 それに続いて聞こえてくる、奇妙な叫び声が次第に大きくなってくる。
 もちろん目標が近づいて来ているからに他ならない。
 
「こぉぉぉぉおおおのおおおおぉぉ!! なぁーーーにするかぁぁぁああああ!!!!」
 
 怒号一閃。
 矢の如く飛来する”それ”は、俺の顔目掛けてグーで殴りかかって来た。
 
「馬鹿士郎おおおおおおぉぉぉぉぉぉおおお!!」
 
 飛び掛ってきたのは、まあ、当然の如くエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルその人だった。
 怒ってはいるけど、目の端にちょっと涙が浮かんでいるのはご愛嬌。
 
「よお、エヴァ」
 
 とりあえず俺は飛んできたエヴァの拳をヒラリとかわす。
 だって当たると痛いし。
 そのままの勢いで、ズジャーーーと地面を滑っていくエヴァ。
 ああ、こりゃ後で地ならし必要かなぁ……。
 
「『よお、エヴァ』――では無ぁぁああいっ!! お、おお、おま、おま、お前は私を殺す気かッ!?」
 
 スーパーボールよろしく、地面に跳ね返った勢いで俺の首根っこに捕まりガクガク揺するエヴァ。
 
「まあまあ、落ち着いて」
 
 俺はガクガクと揺れる視界の中、平然と応える。
 
「これが落ち着いていられるか!? ビックリしたんだぞなんか私が優雅に空を飛んでいたらなんか耳鳴りみたいなのが聞こえてきてイキナリ物凄い勢いで帽子が吹き飛んで心臓がひっくり返るかと思ったわっ!!!!」
 
 ――スゴイ、ワンブレス言い切った。
 じゃなかった。
 
「おお、おおおお、お前はなななな、なんだ!? 嫌なのか!? 嫌いなのか! 私のことが嫌いなのかっ!?」
 
 ……や、もはやエヴァはパニくリまくって何を言っているかわかってないっぽいな。
 
「どうすればいい!? 私はどうすれば嫌われずに済むのだ!! 教えろ士郎!?」
「…………ああー……オーケー。今回は俺が悪かった。完璧に悪かった。この通りだ、スマン。だから戻って来てくれエヴァ」
「見た目か! 見た目が子供っぽいからいけないの――…………お? ……なんだと?」
「だから今のは俺が悪かったから謝るって。悪かった、ゴメン」
「…………――嫌いになったのではないのか?」
「………とりあえずそれは何の話だエヴァ」
「………そもそも私は何で怒っていたのだったか?」
「それは俺がイキナリ弓で射ったからだろう」
「……そうだったか?」
「ああ、きっとその思いは間違いなんかじゃない」
「――――嫌いじゃない、よな?」
「……だからそれはなんの話だ」
 
 あれ? なんで俺は自分の悪戯を逐一丁寧に説明してんだろう?
 それと微妙に弱気なエヴァが少し可愛いと思ったのは秘密だ。
 そこで漸く首にしがみ付いたままだったエヴァから開放される。
 
「そうか……違うのならば良い。――それで、何か用か士郎?」
「や、そう言う分けじゃないけど……怒ってないのか?」
「……なんだか私もどうでも良くなった。しかし幾らなんでもいきなり射撃をするとはあんまりではないか?」
「いや、本当にスマン。ちょっと驚かせようかと思っただけなんだ。それにエヴァなら途中で気がつくかと思って……」
「無理を言うな。幾ら私でも、あんな長距離からの殺意も敵意も害意もまるで無い物など、気が付けるわけがないだろう」
「そりゃ、エヴァを傷つけるつもりなんて微塵も無かったからな……」
 
 きっと悪戯心という邪気はてんこ盛りだったろうけど。
 
「――仕方のないヤツだ。ならば本当に用も無く呼び止めたのか」
「いや、まあ、なにやってんのかなーとかは思ったけど」
「そんな事か……。魔力の補充をしようとしていたに過ぎん」
 
 へえ、そうか、魔力を………って!
 
「ちょっと待てエヴァ。お前まさか人を襲いに行くって言うんじゃないだろうな!?」
「何を当たり前のことを……言っただろう? 私は吸血鬼だ、魔力の回復には当然人間の血が必要に決まっているだろう」
 
 馬鹿なことを聞くな、とエヴァは言う。
 その言葉に一瞬、頭に血が上りかけるが、なんとかギリギリの所で踏みとどまる。
 待て、きっと何か理由があるはずだ。
 
「エヴァ……、幾つか質問してもいいか?」
「ん? 何だ?」
「エヴァは……基本的に血を吸わないと生きていけないとかじゃないよな?」
「そうだな……昔はそうではなかったが、少なくとも今では生きていく上で必要と言うほどの物でも無いな。私にはある種の嗜好品といった趣が強い」
「……じゃあエヴァはなんで血を吸おうとしているんだ? ――自分の快楽を満足させる為か?」
「快楽って……お前、聞き方が意地悪だぞ士郎? それに最初に言っただろう馬鹿者。私は魔力を回復させる為に血が必要なのだ」
 
 …………あれ?
 冷静になって聞いて行くと、そんなに大事と言うわけではないのだろうか?
 エヴァもいたって普通に受け答えしているし。
 
「えっと、じゃあなんで魔力が必要になったんだ? 今までそんな事言わなかっただろう?」
「そうだな……言うなれば、漸くこの忌まわしい封印を解ける目処が着いた……と言うところか。その為には少しでも魔力を回復させておく必要があるのだ」
「エヴァの……封印が解ける?」
 
 エヴァを苦しめている封印が解ける……なるほど、そう言う事か。
 恐らく解呪の魔法とか儀式に多大な魔力を使うのだろう。
 だから、その為にエヴァは自身で補充しきれない魔力を他から集めているのだろう。
 だったら――。
 
「エヴァ、その魔力って誰から吸っても回復できるのか?」
「ん? そうだな……基本的には人間ならば誰から吸っても回復は可能だ。まあ、潜在的な魔力が多い者ほどその度合いも上がってくるがな」
 
 よし、それならば尚更に都合がいい。
 
「だったらエヴァ――」
「なんだ?」
「――俺から血を吸え」
「――――」
 
 一瞬、エヴァが息を飲むのが分かった。
 余りにも唐突過ぎただろうか?
 エヴァには、その選択肢は全く持って存在していなかったようだ。
 
「吸うなら俺から吸え、エヴァ」
 
 もう一度言う。
 驚くエヴァの瞳から目を離さずに言う。
 
「良い……のか?」
 
 俺の問いかけに暫しの逡巡の末、搾り出すようにエヴァは言った。
 戸惑い気味に、俯き気味に、俺の顔を伺う様に覗き込む。
 
「ああ、”他の世界”の人間だとしても、俺だって魔術師の端くれだ。少なくとも普通の人間よりは魔力はあると思う。それに俺から血を吸えば、余計な騒ぎを引き起こすリスクだって回避できるだろ?」
「それは……そうだが……構わないのか?」
 
 俺は「ああ」と頷き、首に巻いたマフラーを外してからしゃがむと、エヴァを招き入れるように両手を広げた。
 エヴァはそんな俺に何度か戸惑いを見せたが、最後にはトコトコと歩寄って、俺の腕の中に納まった。
 
「…………本当に構わないのか?」
 
 俺の首筋を前に、エヴァは未だに少し戸惑いを見せていた。
 
「ああ、構わないさ」
 
 そんなエヴァを俺は右手で頭の後ろを、左手でエヴァの細い腰を抱きしめるようにして促す。
 エヴァは少しビクリと反応を見せるが、すぐに落ち着いたようだった。
 そして彼女は、まるで労わる様に首筋をペロリと一舐めすると耳元で囁いた。
 
「……以前に話したよな? 吸血鬼は相手の血を吸う事によってその者を下僕にする事が可能だと」
「……そんなことも言ってたな」
「不安にならんのか? 私はこのままお前を下僕として意のままに操ってしまうかもしれんのだぞ?」
 
 チクッ、と薄く皮膚にエヴァの牙が当たる。
 脅し……、のつもりなのだろうか。
 だとしたら、それはまるで脅しにもならない。
 
「エヴァを信頼している」
「――――」
 
 微塵の迷いも、戸惑いも無く答えられる。
 そしてエヴァの髪を何度も撫でる。月の光に濡れた、金糸のような髪を何度も。
 それにエヴァは安心したように身を委ねると「ん……」と小さく声を漏らし、安心したように言った。
 
「――ああ、そうだな。お前はそのままの方が好ましい」
 
 つぷっ、と皮膚に牙が突き刺さる。
 微かな痛みと共に、エヴァが俺をギュッ、と抱きしめるのが分かった。
 小さな喉がコクコクと音を鳴らし、俺の血を体内に取り込んで行く。
 その間も俺はずっと彼女の髪を撫で続けていた。
 何度も、何度も。
 
 どれ位そうしていただろう。
 エヴァは俺の首筋から離れると、最後に気遣うように、愛しげに傷口をペロリと舐めとった。
 
「ん…………素晴らしいぞ士郎。お前の血には魔力が満ち満ちている……」
 
 どこか恍惚とした表情で、口の端に着いた俺の血を舌で舐めた。
 その様が、幼いくせに妖艶に見えて、ドキリとさせられる。
 
「そうか……、あれだけで足りそうか?」
「ああ、十分だ。しかし、他世界とは言え流石は魔法使い……いや、お前の呼び方をすれば魔術師だったか。この世界の者の魔力とは多少異なるとは言え中々だ」
「そっか……」
「しかし、こうして見て初めて分かったが……士郎、お前の魔力、そうそう多い方ではないな」
「……これでも普通位はある筈なんだけどな」
「そうか? ……まあ、言われて見れば比べる対象が元来の私というのは酷な話か」
「この世界では魔力が多い方が強かったりするのか?」
「ん? 間違ってはいないが一概にそうとは言い切れんな。幾ら魔力量が多かろうとも、使い方を知らなければ宝の持ち腐れだしな。それが戦力という話になれば尚更だ。相性、運、運用用途、錬度など多岐に渡る。だから魔力が少ない者が多い者に勝ると言うのも、そうそう珍しい事ではない」
「そっか……。にしてもやっぱりエヴァの元々の魔力って凄いのか?」
「私のか? そうだな、これでも最強と謳われた魔法使いだ、比肩するものなどそうそうはおらんよ」
「へえ、ちょっと見てみたいな、それ」
「なに、もう暫くの辛抱だ。そうなったら幾らでも見せ付けてやるさ」
 
 クックック、とエヴァは笑う。
 え……と、なんでそこでそんなに邪悪に笑うんでしょうか?
 
「え、えっと、取り合えずだ。そろそろ帰るかエヴァ」
「そうだな。帰ったら茶を淹れてくれ」
「ん、了解」
 
 二人で並んで帰路へと着く。
 ふと見ると、エヴァの格好は黒く長いマントを身に着けているが、どうにも生地が薄そうで寒そうに見える。
 
「ほら、エヴァ」
 
 俺はエヴァの前に屈むと、自分の首に巻いていたマフラーを解いてエヴァの首筋に回した。
 
「お、おお……済まないな……」
 
 エヴァは多少驚きながらもそれを素直に受け入れる。
 シュルシュルと自分の首筋に巻かれていくマフラーを黙って見ている。
 ただ、元々が長いマフラーだった上に、小柄なエヴァには殊更長くて、どうにも余り過ぎてしまう。
 なので、胸の前でリボン結びを作ると、丁度いい具合に巻き終える事が出来た。
 長めのマフラーだったので綺麗な形の真っ赤なリボンがエヴァの胸元を飾る。
 
「どうだ? 苦しくないか?」
「ん……、問題ない。しかし、お前は寒くないのか?」
「気にすんな、エヴァに風邪を引かれる方がよっぽど大変だ」
「……そうか」
 
 エヴァは短く答えると、胸元に出来た赤いリボン結びを、指で撫でながら物思いに耽ってしまう。
 無言のまま歩き続ける。
 他には誰も居ない月明かりの下をテクテクと。
 思い返してみれば初めて出会った夜もこうして歩いたものだ。
 あの時はまだ帰るべき場所とは言えなかったエヴァの家に。
 考えてみれば、ここに来てからまだ一月も経っていないのだ。
 にもかかわらず知り合いは結構出来たし、こうして帰るべき場所もある。
 もう随分と長い間ここにいるような錯覚すら感じる。
 
「……フフ」
 
 と、
 今まで無言で歩いていたエヴァが小さく笑った。
 
「どうした?」
 
 するとエヴァは面白そうに自分の顔の前で手を、何でもないとでも言うようにパタパタ振った。
 その様子は楽しげで、何かを懐かしんでいるように見えた。
 
「いやなに、少し前の事を思い出していたのだ」
「昔の事?」
 
 俺がそう言うと、「ああ」と答え、目を閉じながら呟いた。
 
「……お前と出会った夜もこのような感じだったなと思ってな」
「……ああ」
 
 そうか、エヴァもさっきの俺と同じ事を考えたのか。
 
「そうだな、あの時も綺麗な満月だったな」
 
 夜空を見上げる。
 そこには大きな月が俺達を照らすように優しく輝いていた。
 
「考えてみれば士郎がここに来てからそれ程時間は経っていなかったのだな……思い返してみれば長かったのか短かったのか。なにやら昔からの知り合いのような気がするよ」
「そっか……サンキュ、エヴァ」
 
 エヴァは俺を見上げながら穏やかな笑顔を見せてくれる。
 月明かりに照らされたその笑顔は、ただただ――綺麗だった。
 ……エヴァは少し変わったのかもしれない。
 最初の頃はそれこそ笑ってはくれるけど、ソレは苦笑や嘲笑のような『笑顔』、と呼べる物ではなかった気がする。
 でも今は、
 
「はは……何を礼なんか言っているんだ? 士郎」
「ん、なんとなくな……」
 
 こんな心からの笑顔を見せてくれている。
 こういう表情を見せてくれるようになったのは――、
 
「……ああ、そうか」
 
 ――あの地下室での夜からか。
 俺が差し出した手を、本当に嬉しそうに見つめ、握り返しながら向けてくれた笑顔。
 自らの過去を語り、俯いたエヴァに何かを伝えたくて、只、差し出した俺の手を眩しい物でも見るかのように見上げながら、心からの――本当に、本当に嬉しそうに握ってくれた、あの時の笑顔からだ。
 
「ん? なんか言ったか?」
「いや……今日はなんのお茶淹れようかなって」
 
 考えていた事と違う事を言って適当にごまかす。
 別に後ろめたい事を考えていた訳ではないが、ソレをそのまま言葉にするのは少し気恥ずかしかったのだ。
 
「そうだな。日本茶や紅茶もいいが……うん、ココアでも淹れてくれ」
「ココア……か?」
 
 エヴァは楽しそうに言う。
 確かに菓子作りにも使うから買い置きはあるけど……珍しい事もあるもんだ。
 いつもなら紅茶か日本茶なのに。
 
「ああ、ココアだ。今日は少し冷えたからな、偶にはココアも悪くないだろう?」
「……そうだな」
 
 エヴァの言う通り、悪くない。
 紅茶等とは味も風味も全く違うが、ココアだと身体はもとより心まで暖まりそうなそうな気がする。
 楽しそうにしているエヴァを見れば尚更、だ。
 エヴァは俺の返事に機嫌よく頷くと、歌い出しそうな調子で歩く。 

「……なあ、士郎」
「ん?」
 
 どれ位そうやって歩いただろう?
 暫くはお互いに無言で歩いてきたが、唐突にエヴァが消え入りそうな声でポツリ、と囁いた。
 語りかけるエヴァに、俺は視線を前に向けたまま答える。
 
「――今の時が続けば、いいな……」
 
 先程まで明るく話していたと言うのに、そう語るエヴァは何処か儚げで、悲しげで――。
 
「お前と私と茶々丸……まあ、チャチャゼロも入れてやってもいいか。……このままの時は続く、……よな?」
 
 小さな手がキュッ、と俺の手を掴む。
 不安、恐怖、そう言った感情のどれかなのだろうか?
 それはまるで、道を見失い迷子になってしまった子供のような仕草だった。
 
 ――この子には脆いところがある。長い時間をかけて育んで来た精神力は強靭な物があるだろう。それは孤独を物ともしない、強い心を持っていて他人を必要としない。
 けど、それとは反対に、一度でもその心の内に入ってしまうと途端に”脆く”なる。
 長い孤独の反動なのだろうか。
 心の内に入った者が離れるのを、この子は極端に恐れる。
 
「――そうだな」
 
 いつしか、俺が元の世界に帰れる時がきた時、俺は――どんな判断をするのだろうか?
 この頼り無く握られた手を振り解いて行くのだろうか。
 
 ――そうなったら、この子は……。
 
 …………わからない。俺はその時どうすればいいのだろうか?
 もう一度月を見上げ、その姿に何かを見出すように見つめる。
 ジッと見上げているとその姿自身がなんだか分からなくなってくる。
 ――答えは、出なかった。
 ……だから俺は、
 
 
「そうなると、いいな――」
 
 
 
 俺には、その小さな手を握り返すことが出来なかった――。
 
 
 



[32471] 第16話  ネギま!
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 21:43
 
 次の日の朝。
 俺は、タカミチさんから言われていた通りに学園長室に来ていた。
 俺が到着するころには、タカミチさんも学園長もすでに揃っていたようで、俺が扉を開けるとこちらに視線をよこした。
 
「お早うございます」
「うむ、お早う」
「やあ、おはよう」
 
 挨拶を交わし室内へと入る。
 視線を巡らして部屋の中を見回してみるが、どうやら集まったのはこの3人だけのようだ。
 
「時間もあまりないでの、早速じゃが本題に入ろう」
 
 そう前置きをすると学園長は話し始めた。
 
「今日来てもらったのは君に紹介しておきたい人物がいての、恐らくこれから君にも何かと手伝ってもらう事が増えるやもしれんからじゃ」
「はあ……それは構いませんけど……その人は?」
 
 室内を見回してみても、俺達以外に人影は無いのだ先刻確認済みだ。
 
「ふむ、もう来てもいい時間なんじゃが……ちと遅いのぉ。――タカミチくんや、ちと二人で見てきてくれんかの?」
「わかりました学園長」
 
 そう言うとタカミチさんはさっさと扉を開いて行ってしまったので、俺も慌ててそれに従う。
 
「タカミチさんは知ってるんですか? その人の事」
「ああ、良く知っているよ。彼とは暫く会っていなかったけどね」
 
 彼……というと男性の方なのだろう。
 それに楽しそうに話すタカミチさんの様子を見る限り、親しい人物なのだと勝手に推測を立てる。
 
「どんな人なんですか?」
「そうだね……ま、会ってみれば分かるよ、驚くだろうけどね」
 
 そういうと何処か意地悪そうに笑ってはぐらかされてしまう。
 
「――お、噂をすれば」
 
 タカミチさんは開け放たれた窓から外を眺めると、窓枠に肘を置き、一つの箇所を眺める。
 俺はその脇に立ち、タカミチさんが眺めている辺りを覗き込む。
 そこにいたのは、
 
「ほな、ウチら用事あるから一人で帰ってなー」
「じゃあねボク!!」
「いや、あの、ボクは……」
 
 アスナにこのか、それと――見知らぬ小さな赤毛の男の子。
 三人の様子に少し笑うタカミチさん。
 
「いや、いいんだよアスナ君!」
 
 そのタカミチさんの声に、三人はこちらを見上げた。 
 
「お久しぶりでーす!! ネギ君」
 
 タカミチさんは人懐っこい笑顔を浮かべると、小さく手を振るような仕草をしながら挨拶をした。
 
「あ、シロ兄やんに高畑先生、おはよーございまーす」
「え! た、高畑先生!? それにシロ兄も! お、おはよーございま……」
「――あ、久しぶりタカミチーッ!」
 
 アスナの声にかぶせる様に、小さな男の子がこちらを見上げながら笑っている。
 そんな男の子の反応がよっぽど意外だったのか、ズザーッと驚いたように仰け反るアスナ。
 取り敢えず俺は手を上げて挨拶に応える。
 
「麻帆良学園へようこそ、いい所でしょう? ――『ネギ先生』」
 
 先……生?
 驚く二人に対してその男の子は「ハイ、そうです!」と元気に返事をし、改まるように一つ咳払いをした。
 
 
「この度、この学校で英語の教師をやる事になりました――ネギ・スプリングフィールドです」
 
 
 ――ああ、あとの時になって思い出す。もしかしたらこの時なのかもしれない。
 これまでの時間を”日常”と呼んでいいならば。
 良くも悪くも”日常”が変わりだしたのは……、
 彼――ネギ・スプリングフィールドと出会ったこの瞬間なのかもしれない。
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
 ――鉄を打つ音が鳴り続けている。
 頭の中で何かを模索しているかのように響く鉄の音。
 近いのか、遠いのか。
 規則的に、断続的に、絶え間なく、休むことなく。
 繰り返し、繰り返し。
 ――響く、響く、響く。
 まるで、どこかに誘うように、導くように、試すように。
 何もかもが曖昧な自分は、音の主を求め彷徨い歩く。
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
 ネギ・スプリングフィールド。
 それが少年の名前。
 話を伝え聞く所によると、”こちらの世界”の英雄の息子らしい。
 数えで10歳。
 その瞳は理知的で、幼いながらも素晴らしく整った顔立ちの所謂、美少年と言うものだろう。
 鼻の上に乗せた小さめの眼鏡、後ろ髪を長めに伸ばした赤い髪は後ろで結んでいる。
 幼いにもかかわらず、イギリスで学校を卒業してきた彼は、既に教員免許を所持しており、語学力も大学卒業レベル。
 所謂、天才。
 ”修行”の一環で、教育実習生として赴任してきたらしい。
 そして――――魔法使い。
 
「――と、こんな所かの?」
 
 学園長はそう締めくくった。
 それで、今まで黙って説明を黙って聞いていた俺は、「なるほど」と頷いた。
 一騒動の後、学園長室に集まった俺達は軽く面通しを済ませると、授業がある者達は早々に教室へと向かっていった。
 ……まあ、その一騒動と言うのが何だったかは、アスナの尊厳とかモロモロの為に記憶の彼方にふっ飛ばしたいと思う。
 ――その……、クマのパンツとか毛糸とか。
 
「……それはそうと、俺は何をすればいいんです?」
「うむ、まあ、そんなに難しい事では無いわい。彼は賢いとは言え未だに幼い、見かける事があったら色々気にかけてやってくれんか?」
「それは全然構いませんけど……えっと、何かとフォローして上げればいいんですか?」
「そうじゃの……修行もかねておる事じゃしの。ある程度の試練は自分で乗り越えてもらう事になるじゃろうが、手助け位してやってくれんか」
「分かりました。つまり、でしゃばらない程度に助ければ良いんですね?」
「うむ、衛宮君は理解が早くて助かるの、ではお願いする」
「ええ、じゃあ失礼します」
 
 一礼して学園長室から退出すると、その足で『土蔵』へと向かう。
 学生がいなくなった町は、朝の喧騒が無くなっていたが、それでも活気に満ちている。
 そんな町を抜け、店の中に入る。
 開店時間にはまだ少し早い。湯を沸かして自分の為に煎茶を淹れる。
 暖かいお茶によって体が中から温まるのを感じながら、俺は先ほどのことを思い出した。
 
「――――それにしても」
 
 ナギ・スプリングフィールド。
 ネギ・スプリングフィールドの父であり、サウザンドマスターと呼ばれる英雄の名前を……確かそう言った。
 ――ナギ。
 この名前には聞き覚えがある。
 いつのことだったか、エヴァがその名を口にしていた。
 何気ない会話の端に上っただけだったので曖昧だったが覚えている。
 同じ名前で他人と言う可能性も十分あるが――予感がする。
 何かが繋がっている予感がする。
 
「俺も何考えてるんだか――」
 
 けれど、俺には未来予知などできはしない。
 それは考えても仕方の無い未来の事。
 出口の無い思考の迷路に陥る前に、俺はそれを笑い飛ばした。
 考えても分かる事じゃないだろうに――。
 
 そして俺は今日もまた”日常”を繰り返す。
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
「こんにちは~、シロ兄、いる?」
 
 夕方、学校帰りのお客さんがポツポツと増え始めたころ、アスナが顔を見せた。
 
「おう、アスナ。いらっしゃい。おやつでも食べに来たのか?」
「うっ……、それも魅力的だけど。シロ兄、デザートとかって持ち帰りできたわよね?」
「ああ、できるけど?」
「ケーキを種類別で5つ用意できる? ――ホールで」
「…………へ?」
 
 ――ナンデスト?
 ホールって……言ったか、今?
 ウチのケーキの1ホールって言うと、10号サイズだからかなり大きいのに……。
 ソレを食べると仰いますか? しかも5ホールも!
 
「――アスナ……、俺の作った物を気に入って貰えるのは嬉しいけど……その、流石に食べすぎだろう?」
「え……? って、ち、違うわよ! 私だけで食べるんじゃないわよ! クラスの皆で食べるの!!」
「あ、……そりゃそうか」
「ホントよ、もう……シロ兄、私をどういう目で見てるのよ……」
「はは、悪い悪い」
 
 あまり誠意の篭もっていない感じで謝るとジト目で睨まれた。
 いやー……失敗失敗。考えてみればそんなに食えるわけ無いよなー。
 ……我が家のトラとライオンコンビだったら案外食べれそうな気がしてならないが。
 そう言いながらもケーキを箱詰めする。
 
「にしても、なんだ? 何かあるのか?」
 
 俺がそう問いかけると、アスナはカウンターに腰掛けウダーッと気の抜けたように突っ伏した。
 
「それはあれよ、今日”あのガキ”がウチの担任としてやってきたじゃない? ……本当に不本意だけど」
「そう言えばそうだったな」
 
 そうなのだ。
 あの少年はタカミチさんに代わり、アスナ達のクラスの新しい担任として赴任したのだ。
 そして、アスナはそれを快く思っておらず、文句タラタラなのであった。
 
「それの歓迎会やるからって買出ししてんのよ」
「なるほどね」
 
 先生の為の歓迎会と言うのも珍しいが、なんとも暖かい子達じゃないか。
 アスナも文句を言いながらも買出ししている辺り、心根が優しいと言うか面倒見が良いと言うか……。
 
「あ、なんだったらシロ兄も来る? 高畑先生もこのかもいるし喜ぶと思うけど」
「誘ってくれるのはあがたいけどな。流石に店を放って行くわけには行かないだろ」
「あ……、そう言えばそうだったわね。残念」
「気持ちだけありがたく貰っておくさ――っと、はい、お待たせ」
 
 梱包の終わったケーキを置く。
 
「にしてもこれ全部一人で持ってくのか?」
 
 一応積み重ねることが出来るように堅い箱に入れたが、5つともなると結構な量があるだろうに。
 
「大丈夫、私バランス感覚良いんだから♪」
 
 アスナはそう笑うと、片手で危なげなくケーキを軽々と積み重ねた。
 お金を払うとスタスタと扉へ向かう。その足取りは軽やかだ。
 む……、言うだけあってなかなかの安定感じゃないか。
 
「気をつけて行けよー」
「うん、ありがとシロ兄、じゃあね~」
 
 アスナは後ろ手に扉を閉めると、慎重ながらも軽快な足取りで帰って行った。
 すると、それと入れ替わるかのごとく、今度は見慣れた二人組みが姿を見せた。
 
「来たぞ、士郎」
「こんにちは、士郎さん」
 
 それに、お帰り、とだけ応える。
 エヴァに茶々丸。
 二人が来るのは別段珍しい事ではない。
 学校が終わると、かなりの高確率で二人は顔を見せにやって来ては時間を過ごしていく。
 カウンター席の一番奥と、その隣はすでに二人の指定席へと半ば化していた。
 
「なに飲む?」
「ああ、今日はいい。この後すぐに行かなければならん用があるのでな」
「――ああ、そうか。そう言えば」
 
 言われて思い出す。
 考えてみればエヴァも茶々丸もアスナと同じクラス、即ち2ーAだった筈だ。
 
「歓迎会だっけ?」
「ん? 何故知っている?」
「いや、今までアスナが来ていたからさ」
「アスナ? …………ああ、神楽坂明日菜か。そういえば何やら買い出しなぞしていたな」
「ああ、ケーキ5ホールも買って行った」
「なるほど、お前の作か。それならば馬鹿げた騒ぎも少しは楽しめるか……。――それにしてもお前達。何時の間に知り合いになぞなっているんだ?」
 
 少し拗ねた感じでエヴァは言う。
 って――ナニユエ?
 
「や、刹那と訓練しだしてからだけど。アスナが朝の新聞配達のバイトしてた時に偶々な?」
「……ふん、まあいい」
「それよりエヴァ。お前、あのネギって子と知り合いだったりするのか?」
 
 少し声を落として回りに聞こえない程度に聞いてみる。
 
「――ほう? 耳が早いな士郎。誰に聞いた?」
「朝少し会っただけで、誰かに直接聞いたわけじゃないけど。あの子、前にエヴァが言ってたナギ・スプリングフィールドってヤツの息子なんだろ? なんか関係あるんじゃないのかと思って」
「なるほどな、朝いつもより早く出たのはそう言う事だったか。――なに、あの坊やと直接の面識は無い。知っているのは親父の方だけだ」
「そうなのか? でも、それだとしたら珍しいな、知り合いでもないのにエヴァが歓迎会とかの催し物に出るなんて。エヴァだったら”メンドイ”とか言ってサボりそうなもんだけど」
「ふん、確かに、な。だが仮にもヤツの息子なのだ。拾える情報は少しでも拾っておきたいのでな」
「そっか」
 
 まあ、それもそうだろう。
 エヴァはあのネギって子の父親に封印されたのだ。
 いくら幼いと言っても相手は魔法使い。
 彼を警戒するのは当然の反応と言えるだろう。
 
「――マスター、そろそろお時間です」
「ん、わかった」
 
 そろそろ行く時間になったのだろう、茶々丸がエヴァにそう告げた。
 
「そうだ士郎、今日はどうするのだ?」
 
 エヴァが聞いているのは夕食の事だろう。
 俺達は基本的に食事は全員で一緒にとるようにしている。
 けど偶に、店でアルコールを出すと遅くなってしまう事もあるのだ。
 その場合はエヴァ達が店に来て夕食をとるようになっていた。
 
「ん、今日は早く閉める事にするよ」
「そうか、わかった。あまり遅くなるなよ?」
「了解」
「ではな、士郎」
「失礼します、士郎さん」
「おう、無茶するなよ」
 
 エヴァはそれに、「するか馬鹿者」と少し笑いながら出て行った。
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
 その日の夕方。
 日の高いウチにも現れたアスナがもう一度顔を見せた。
 
「こんばんは、シロ兄。また来たわよ」
「やっほ、シロ兄や~ん♪ 来たえ~」
 
 と、もう一人、アスナの後ろでこのかがパタパタと手を振っていた。
 
「ああ、二人ともいらっしゃい。歓迎会は終わったのか?」
 
 ま~ねぇ、と言いつつ中に入って来る。
 それに続いてこのかも入ってくる。
 
「――あれ?」
 
 と。
 そこで気がついた。
 二人の影になるようになっていた為気が付かなかったが、その後ろに小さな人影があることに気が付く。
 
「へぇ~……素敵な雰囲気のお店ですね」
 
 キョロキョロと店内を見回す赤毛の少年。
 ネギ・スプリングフィールドだった。
 
「ちょっとアンタ、ネギ君。そんな入り口に突っ立ってないで入ってきなさいよ」
「あう、は、はい!」
 
 アスナに言われると、彼はワタワタとした様子で俺の前であるカウンターへと座った。
 
「あ、アナタは確か……」
 
 俺を見上げると少し口ごもるように言う。
 名前を思い出しているのだろう。
 まあ、朝にほんの少しだけ挨拶を交わした程度だから覚えていなくても仕方はないと思う。
 
「今朝方ぶりだな、改めて挨拶をしておこう。俺は衛宮士郎、ここでこの店の店長をしている。宜しくたのむ」
 
 そうやって手を差し出す。
 それを見て彼はパッ、と笑った。
 
「あ、これはご丁寧にありがとうございます! 僕はネギ・スプリングフィールドっていいます。えっと……本日、麻帆良学園に赴任してきました。ヨロシクお願いします!」
「えっと、ネギ君でいいか?」
「はい!」
「そっか、俺の事は好きに呼んでいいから」
「ありがとうございます、衛宮さん」
 
 そうやってネギ君は俺の手を両手で握って笑った。
 ……なんだ、天才とか言ってたけど、やっぱりこうしている分には年相応なんだな。
 なんとも子供らしい純真さに溢れている。
 
「はいはい、そこでいつまでも挨拶してないで。それよりシロ兄、なんか軽めの食事とかってある?」
「軽め? まあ、あるけど。雑炊とか」
「あ、いいわねそれ。じゃあそれ貰える? 私達、歓迎会で色々つまんでは来たんだけど、少し足りなくて……」
「ん、了解。二人もそれでいいのか? 少しだけ時間掛かるけど」
「私はそれでええよ~」
「ゾウスイ……ですか? 僕食べた事ないですけど……同じのをお願いします」
「わかった。少し待ってな」
 
 カチャカチャと料理の準備を始める。
 
「あ、そうそう聞いてよシロ兄。何の因果か知らないけどさ、コイツ今日からしばらく私達の部屋に泊まることになったのよ?」
「へえ……そりゃ、なんともまあ。随分とイキナリな話だな」
「シロ兄もそう思うでしょ? 普通、あらかじめ連絡とかするもんよね~」
「あう、ス、スイマセン。朝から迷惑かけっぱなしで……」
「……ま、とりあえずはいいわよ。迷惑なのは本当だけどね」
 
 ……うわ。アスナのヤツなんか容赦ないな。
 まあ、朝っぱらから人前で服なんか脱がされたら仕方ないとは思うけど。
 
「んもう、アスナってば、またそうやって意地悪言う~。……ええやないの、ネギ君かわええし」
「そんなこと言ったってさ、このか。コイツはね――」
 
 アスナがこのかに何やら言っても、当のこのかは何処吹く風の笑顔で事如くを受け流している。
 全く、本当に仲が良い二人だな。
 その間、ネギ君はポツン、と二人の仲の良い言い争いを苦笑気味に眺めていた。
 あ、そういえば――、
 
「――ネギ君。ちょっといいか?」
 
 二人に気付かれないように小声でネギ君に話しかける。
 
「あ、はい。なんですか?」
 
 ネギ君はそれを察して小声で返してくれた。
 
「君も魔法使いなんだろう?」
「――! ど、どうしてそれを!?」
「ああ、驚かなくてもいい。学園長とかタカミチさんにある程度は聞いてあるから」
「……えっと、となると衛宮さんも?」
「ああ、君と同じだ」
「あ、そうだったんですか」
 
 ホッとしたようにため息をつくネギ君。
 
「それで学園長から君の事を手伝って欲しいと頼まれたんだ。まあ、俺なんかで何処まで力になれるかはわからないけど、困った事があったら何でも相談してくれ」
「あ、ありがとうございます! 助かります」
「うんうん、それで初日はどうだった?」
 
 何の気になしに俺がそう言うと、
 
「――あう、えう、その」
 
 急に涙目になってオロオロしだしてしまった。
 ……え、俺なんかいきなりマズったのか?
 
「お、おい?」
「そ、それがですね。……その、」
 
 なにか言いたいけど言い辛い事なのか、俺の顔色をチラチラ伺ってくる。
 
「何かあるなら言ってみろよ、力になれるかもしれないし」
 
 俺がそう言うと、ネギ君は観念したかのようにポツポツと語りだした。
 
「…………そ、その、――バレてしまいまして……」
「バレてって……なにが?」
「……あ、あの、アスナさんに僕が魔法使いだと言う事が……」
「………………………」
 
 …………————————は?
 
「あの、あの! や、やっぱり、一般人にバレた僕は連れ戻されてオコジョにされちゃうんでしょうか!?」
「………………………」
 
 ――そう言えばタカミチさんも初めて会った時、オコジョがどうのとかいってたなあ……。なるほど、こっちの世界では一般人に神秘がバレたらオコジョにされるのか。
 俺の世界みたく記憶の改変とか、知った人間は抹殺とか血生臭いのよりはかなりマシだけど……。
 あの時の言葉の意味はそう言う事だったのか~。
 ああー、納得。
    
「――――」
 
 ――ではなくて。
 はやっ!
 滅茶苦茶はやっ!!
 わずか一日……正確には半日とは流石にびっくりだ!!!
 
「……あ、あの、……衛宮さん?」
「――さようなら、ネギ君。短い付き合いだったが君の事は忘れないよ」
「あう!? いきなり見捨てられたっ!!?」
「大丈夫! 君ならオコジョとしてもやっていけるさ!!」
 
 ビシッ、と思いっきりいい笑顔で言ってみる。
 
「全然大丈夫じゃないですぅ!? あとなんでそんなに笑顔なんですかぁ!?」
「――と、まあ、冗談はさて置き」
「――あうぅ、ゴメンナサイお姉ちゃん。僕は遠い異国の地でオコジョに…………って、冗、談?」
「ああ、冗談。……他の人間だったらどうだか分からないけど、まあ、相手がアスナなら大丈夫だろ」
「――本当、ですか?」
「おう、アスナに秘密にしてくれって頼んだんだろ?」
「え、ええ、まあ……」
「それでアスナもそれを受け入れたんだろ? じゃあ、問題ないとは言わないけどなんとかなるさ」
「そう、ですか?」
「ああ、アスナは言動とかがあんまり良くないからガサツで乱暴者っぽく見えるけど……凄く優しい子だよ」
「…………」
「ま、あんまりバレたって事は他の人に触れ回らない方がいいとは思うけどな」
「な、なるほど……。あ、ありがとうございます衛宮さん、僕、なんかやって行けそうな気がします」
「おう、頑張れよ」
 
 クシャ、と頭を撫でてやる。
 ネギ君はそれを笑って受け止め「はい!」と元気に頷いた。
 
「ん? 二人してなにやってんのよ?」
「いや? なんでもないさ。――な、ネギ君?」
「え? ええ、そうですね衛宮さん! なんでもありませんよ」
「……う~~ん?」
「あ、なんや~? 二人ともいつの間に仲良しになっとるん?」
「何、男同士の秘密ってヤツだ。聞くのは野暮ってもんさ――さ、完成」
 
 完成した雑炊の入った小さな土鍋を三つ、カウンターに並べる。
 
「熱いから気を付けろよ」
 
 それに続いて選り分け用に小鉢と付け合せの漬物。
 それぞれを各自の前に置いていく。
 
「わ、これがゾウスイですか?」
「雑炊、ね。シロ兄の料理は美味しいんだから」
「へぇ~、それは楽しみです」
 
 各々、土鍋の蓋を開け小鉢によそう。
 それでもやはり熱いのか、息を吹きかけながらハフハフ食べている。
 でも、そんなことはお構いなしとばかりにあっという間に完食してしまった。
 
「うん、とても美味しかったですっ!」
「うんうん、流石シロ兄ね」
「ほんまやな~、あ、シロ兄やん。もし良かったらこれの作り方教えてくれへん?」
「作り方か?」
 
 客席を見ると、お客さんは居るけど今はオーダーもないし……いいか。
 以前に約束もしたことだし。
 
「ああ、いいぞ。ほらこっちに回って来い」
「わ、なんや? 直接教えてくれるん? ありがと~」
「口で説明するより早いしな……って、なんだ、アスナはいいのか?」
「へっ!? わ、私!?」
「ああ、どうせなら一回で説明済ませた方が早いからな」
「わ、私はいいわよ! 作る機会もないし……」
「?」
 
 別に覚えておいて損は無いと思うんだが……簡単だし。
 
「ま、いいか。それじゃこのか。まず、ご飯は炊いたヤツを軽く水洗いしてだな――」
 
 そうやって穏やかな夜は更けていった。
 
 
◆◇――――◇◆
 
 この日、正義の味方と一人の少年は出会った。そんな些細な事によって物語が動いて行く等とは知らずに。
 動き出した物語は留まる事を知らず、坂道を転がり落ちるようにゆっくりと、だが確実に加速を始めた。
 始まりを告げる鐘の音は同時に終わりをもたらす終焉の鐘でもある。
 始まってしまったからには終わりも当然生まれる。
 
 ――けれど、今はもう少しの間、束の間の平穏に身を漂わせて見よう。無駄で、意味の無い事なのかもしれないけれど、いつの日か、こんななんでもない”日常”が掛け替えの無い大切な宝物だったと思えるように――
 
 



[32471] 第17話  とあるお昼休みの出来事
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 21:47

 
「えっと、ここら辺……か?」
 
 ネギ君が学園に来てから5日後。
 店が定休である月曜日、俺は散歩がてらに都合三人分の弁当が入ったバスケットケースを持って歩いていた。
 それと言うのも、話はエヴァが昼食も暖かい物を食べたい、と言い出した事から始まった。
 だったら食堂に行けばいい話だとは思うのだが、まあ、こう言うのは藤ねえで慣れているから問題は無いわけである。
 で、その場の話の流れであれよあれよと、俺が休みの日は出来立ての弁当を持っていくことになり、俺もその場に同席する事が決定してしまった。
 繰り返すが、それは別に構わない。
 問題は別にある。
 
 ――グルリ、と首をまわす。
 昼食時と言う事もあって多くの人達が思い思いに楽しんでいる。
    
 しつこい様だがそれは構わない。
 楽しんで食事をするのは大切な事だと思う。
 更にこの陽気だ。外で食べるのはさぞかし気持ちの良い物だろう。
 問題は、
 
「――――なんで待ち合わせが女子校エリアの中庭なのさ……」
 
 そう、問題はここが女子校エリアであると言う事だ。
 本来なら、男である俺は、特別な事でもない限りこんな所にまで入ってこれる訳は無いのだが、不幸にも俺はその”特別”を有してしまっていた。
 ――学園広域指導員。
 そう、不幸にも俺がそんな肩書きなモンだから入る事を堂々と許可されてしまっているわけである。
 エヴァのヤツもそこら辺を見越して言ったのだろうが、……ある意味職権乱用じゃないだろうか、これって。
 が、それはそれとしても……、
 
「……………………落ち着かない」
 
 ぼやいてみてもこの男女比率100:1を軽く上回るであろう状況は変わらない。
 言うまでも無く、男が1で女が100だ。いや、この場合女の子と言い換えてもいいか。
 見渡す限り目に映る人は全てが女性。
 先程から思いっきり奇異の視線がビシバシ突き刺さる。もはや物理的圧力すら感じそうだ。
 気分は動物園の檻に入った珍獣のそれに近い。
 いや、入った事無いけど。
 でも、今度動物園にでも行く機会があったら動物達を見る目が変わりそうだ。
 彼らはこんな苦行じみた状況にひたすら耐え続け、一挙手一投足を観察されている生活を強いられているのだ。
 ――尊敬してしまいそう。
 じゃなかった。
 こんな所で現実逃避してないで、早く二人を探し出さねば。
 
「――おい、士郎。こっちだ」
 
 が……その必要も無く見つけてくれた。
 聞きなれた声に振り返ると、そこにはエヴァと茶々丸がいつものように並んでこっちに歩いて来ていた。
 まあ、考えてみればこれだけ目立ってるんだから当たり前と言えば当たり前か。
 
「ああ、二人とも。探したぞ」
「お疲れ様です、士郎さん。お荷物、お持ちします」
 
 茶々丸が俺の荷物を見てそれを持とうとする。
 
「いや、女の子に荷物持たせるわけに行かないだろ?」
「そ、そう――ですか?」
「ああ、それより早く食べる場所に案内してくれ。……できれば余り人目に付かないとこで」
 
 茶々丸の申し出をやんわりと断り先を促す。
 それより俺はさっさとこの状況を打開したいのです。
 
「ああ、こっちだ。付いて来い」
 
 エヴァは俺達を誘導するように先を歩き出す。
 それに伴い周りから受ける視線が幾分柔らかくなった気がする。
 多分、エヴァ達と一緒にいる事により関係者かなにかだと思われたのだろう。
 
「ふむ、ここら辺でいいか……」
 
 エヴァが選んだのは、中庭の中でも少し外れにある木陰だった。
 適度に人目から遠く、喧騒が丁度いいBGMに聞こえる。
 確かにエヴァの言うとおり、いい場所だった。
 
「ん、分かった。――茶々丸、準備手伝ってくれ」
「はい、士郎さん」
 
 茶々丸と二人テキパキとシートやコップなどを準備する。
 エヴァは基本的に見てるだけ。
 本人いわく、
 
『私は長だぞ? 何故動かねばならん、メンドい』
 
 らしい。
 その時の様子をもっと詳しく言うなら、”偉そうにふんぞり返りながら見下すように”と続く。
 そんな事で威張られても……とは思う。
 でも、まあ――、
 
「あ、エヴァ。シートの端を押さえるから適当な石持ってきて」
「ん、分かった。四つでいいよな?」
「いいよ」
 
 ってな風に、言えば結構素直に手伝ってくれたりする訳なのだが。
 これもある意味素直じゃないとでも言うんだろうか?
 そんなんでパパッと手早く準備を整えて、いざ昼食。
 
「で、初めての弁当って事で今日はオーソドックスに攻めてみました」
 
 パカリ、と器を開ける。
 中身はお結び、野菜のサンドウィッチ、鳥のから揚げ、玉子焼き、ミニハンバーグ等、定番中の定番で固めてある。
 勿論デザートにはウサギの形の林檎と完璧だ。
 お茶は二種類、日本茶である緑茶と、食後に飲むであろう紅茶。
 どちらも家を出る直前に淹れてきた物だ。
 
『いただきます』
 
 それぞれが微妙に違う挨拶をして食事を始める。
 茶々丸が両手でお箸をしっかりと挟んでお辞儀をして食べ始めるのに対し、俺は言葉だけ言って早速今日の弁当の出来を確認する。
 ――エヴァは言葉を言い終えると同時にから揚げを頬張っていた。
 感覚的に言うならば「いただきまふっ」って感じである。
 
「うむ、流石に作りたてだな。から揚げもまだ暖かい」
「そりゃ、時間合わせて作ったからな。あ、茶々丸そこにある黒い魔法瓶取ってくれ」
「はい、士郎さん。……これですか?」
「うん、それ中身、緑茶だから」
「なるほど、では私がお配りします…………どうぞ」
「ん、サンキュ」
「マスターはいかがしますか?」
「もらおうか」
「ほらエヴァ、玉子焼きがかなり出来が良かったんだ。食べてみろよ」
「ほう? どれどれ、…………ん、このふわふわ感がなんとも」
 
 そんな感じでノンビリと昼食を楽しむ。
 天気も良いし、頬を撫でる風は気持ち良い。
 降り注ぐ日差しは生い茂る木々の葉によって遮られ、木漏れ日となって優しく落ちている。
 そんな太陽の水玉が、エヴァや茶々丸の長くて綺麗な髪に零れ落ちてキラキラ煌く。
 あー……、なんて言うか和むなー……。
 
「コラーー、君達まちなさーーーい!」
 
 と、まったりとした空気を楽しんでいると、それまでの雰囲気とは真逆の空気を纏った声が聞こえる。
 それは女の子とは少し違った感じで、それでいて最近聞いたような声が遠くから聞こえた。
 
「なんだ?」
 
 お結びをモグモグ食べながら声が聞こえた辺りを見る。
 ――うむ、梅干はやはり紀州南高梅に限るな。肉厚が違う。
 
「僕のクラスの生徒をいじめるのは誰ですかっ? い、いじめはよくないことですよっ!? 僕、担任だし怒りますよ!」
 
 遠目にワタワタ手を振る子供が見える。
 あれは……。
 
「ネギ君? ……なにやってんだあれ?」
 
 エヴァ達とは違う制服に身を包んだ女の子達の前でなにやら力説しているようだ。
 その近くには大河内さんと明石さんの姿も見える。
 
「どうした士郎、なにか見せ物でもやってるのか? ムグムグ……ん? アレは、坊やか?」
「みたいだな、見ようによっては見せ物に見えるかも……あ、茶々丸、お茶くれ」
「はい、どうぞ士郎さん」
「私にもだ、……む、何やら小娘ドモに揉みくちゃされているな」
「――ズズゥー……、はぁ。だな、あれは完璧にオモチャとかヌイグルミみたいな感覚で扱われているに違いない」
「っ! 熱っ! むー……舌がヒリヒリする……あ、何処からか飛んできたボールが小娘共の一人に当たった」
「ん? エヴァ、舌見せてみ? んー……少し赤いけど大丈夫そう、かな? って、おばサマ? 今、なんかおばサマって聞こえたけど、なんだ高校生ってもうおばさんなわけか?」
「ガキの間違いだろう? ん……少し違和感があるが……問題ないか」
「お、アスナだ。一緒にいるのは……見たこと無いな。茶々丸分かるか?」
「あれは雪広あやかさん、私共のクラスの委員長をされている方です。――マスター、お結びはいかがですか?」
「ん、貰う。……やかましい二人が来てしまったな」
「ん……このハンバーグにチーズ入れるのもありかもな……しかし、アレだな。昨今の女の子ってのは皆あんなに背が高いのか? 茶々丸だって高いし、あそこにいる大河内さんと……雪広さんだっけ? あの子も高いしさ。アスナでやっと俺と同じくらいだぞ」
「ムグムグ……っんく、…………それは暗に私が子供だと言いたいのか?」
「違うって。単純に背が高い子が多いって話」
「……ふん」
 
 とまあ、完全に傍観モードの俺達。緊張感もへったくれも無い。
 学園長からある程度力を貸してやってくれとは頼まれたが、別にこの程度の喧嘩の仲裁だったら彼に任せてみるのが良いだろう。
 
「――おや? 三人揃って昼食かい?」
「あ、タカミチさん」
「……げ、タカミチか」
「こんにちは高畑先生」
 
 そんな騒ぎを聞きつけてかそうでないのか、タカミチさんがひょっこりと顔を出した。
 タカミチさんはこの学園の先生だし、この場にいるのも当然だろう。
 
「良かったら食べます?」
 
 そんな彼に向かってお弁当箱を差し出し、勧めて見る。
 
「お、いいのかい? ではこのオニギリを一つ、――これは昆布の佃煮か。いや、なかなか通な選択をするじゃないか士郎君」
「あ、それ自家製の佃煮です」
「それはすごい、流石士郎君だ。……っと、おや? アレは2−Aの子と聖ウルスラの子じゃないか。なにやってるんだい?」
「ちょっとした喧嘩っぽいですけど……、まあ、ネギ君もいるし、とりあえず彼に任せてみようかと。あ、から揚げも食べます?」
「ありがたく頂こうか。……お、これもなかなか。そうか、彼の手並み拝見といこうか」
「タカミチ、貴様人の家の弁当をばくばく食べるな。……む、これも美味いな。士郎、これはなんだ?」
「あ、それは豚ひき肉を辛味噌メインで味付けしたやつ。――って、おいおい、女の子が取っ組み合いの喧嘩か? ……ったく、しょうがないな……」
 
 よっ、と腰を上げ観戦モードを終える。
 流石に実力行使に出たとなってはノンビリ見ている訳にはいくまい。
 
「なんだ士郎、出張るのか? あんなモンほっとけばいいものを」
「や、そんなわけにもいかんだろ」
「よかったら僕が行こうか? ”元”とは言え僕の生徒だったんだし」
「いえ、これも俺の顔を覚えてもらういい機会です」
「士郎さん、お手拭をどうぞ」
「ん、サンキュー茶々丸」
 
 茶々丸から貰ったウエットティッシュで手を拭い、小走りに現場へと向かう。
 その間もアスナと雪広さんを中心に騒ぎは広がってしまってきている。
 それを見かねたのか、大河内さんと明石さんまでもが加勢に向かおうとした所で、
 
「はい、ストップ」
 
 それに追いつき二人の肩に手を置いて踏み止まらせる。
 
「なに……って、ありゃ? 衛宮さん?」
「……え、え、衛宮さん!?」
 
 俺という突然の登場に首を傾げる二人。
 ……それはそれとして大河内さんの驚き様はちょっと行き過ぎだと思う。
 俺、なんかしたか?
 
「全く、君等と会うのはこんなんばっかだな……。ま、いいや。ここは俺が受け持つからちょっと下がっててくれ」
 
 肩に乗せた手でそのままポンポン、とあやす様に叩いて渦中へと進む。
 目の前の乱闘騒ぎは先程よりけたたましさを増していた。
 キャーキャー、ワーワー、と掴み合う2対多数の女の子達。
 その2対多数の状況で引けを取っていない辺り、アスナがアスナたる所以なのだろうか。
 と、まあ、感想はこの位にして――、
 
「――そこまでだ、アスナ。元気なのはいいが度を過ぎるとみっともないぞ」
 
 アスナと雪広さんの襟首の後ろを掴んで、転ばない程度に後ろへと引っ張る。
 まるで猫の首を掴むような仕草になってしまったが、この際そこは勘弁してもらいたい。
 
「っ! ……何よっ! ――って、シ、シロ兄っ!?」
「は、離しなさいっ! 一体誰ですのアナタは!?」
 
 俺だと気が付くと大人しくなるアスナと、見知らぬ俺の手から逃れようともがく雪広さん。
 とりあえず、それらは無視して話を進めるコトにする。
 
「いい加減にしろっ。さっきから見ていたがいつまで続ける気だ」
 
 若干語気を強めに言う。
 それに聖ウルスラの生徒達は怯んだが、そのリーダー格らしき子はそれに負けじと食いついてきた。
 
「……誰よアナタ、突然入ってきて随分な物言いをするじゃない。大体なんでここにアンタみたいな男がいるのよ、ここは女子校エリアよ」
 
 通報してほしいのかしら、と続ける女の子。
 それが頭にきたのか、それを聞いたアスナがまた暴れようとしたが片手で抑える。
 
「そうか、名乗るのが遅れたな。俺は衛宮士郎、学園広域指導員だ」
 
 大人しくなった二人から手を離し身分証明書を見せる。
 
「……うそ、――本物?」
「この際俺が本物とか偽者かってのはどうでもいいさ。それより、だ。今回の件は、手を出したこの二人だってもちろん悪い。そこは弁解の余地すら与えられない。――けど、君らにだって非はあるんだろ?」
「う……」
 
 やはり何らかの自覚はあるのか押し黙る女の子。
 
「だとしたらここは、可愛い後輩相手に大きな器を見せるのが先輩ってものじゃないか?」
「は、はい……」
 
 学園広域指導員と言う肩書きが効いたのか、意外なほど素直に従ってくれた。
 前々から思っていたが、基本、ここの生徒は物分りのいい子が多いようだ。
 
「うん、ありがとう。さ、君達、そろそろ行かないと次の授業が始まるんじゃないか?」
「……はい、わかりました」
 
 最後に一瞥を向けると素直に立ち去っていく。
 
「――さて」
 
 そこでやっと2ーAの生徒達に向き直る。
 
「皆、怪我とかしてないか?」
「私達は大丈夫だけど……」
「そうか。……ったく、駄目だろ? 女の子が取っ組み合いのケンカなんかしたら」
「で、でもシロ兄! 元々悪いのはアイツ等なのよっ」
「だからって手を出していい理由にはならないさ。気に食わないから実力行使、なんて言うのは女の子としてどうかと思うぞ」
 
 ポフポフと、血が上った頭を叩いてあやしてやる。
 アスナは不服そうに「うー……」と唸っていたが気にしない。
 
「……ちょっと、アスナさん?」
 
 すると、今まで成り行きを見守っていた雪広さんがアスナの肩を叩いていた。
 
「……この方、どなたですの? 紹介して下さらない?」
「へ? なに、いいんちょ。今まで会った事無いの?」
「……会ってたら紹介なんてお願いしませんわ」
「ふ~ん、ま、いいわ。えっと……この人は衛宮士郎さん。学園広域指導員で寮の前にある『創作喫茶 土蔵』の店長さん。ほら、この前やった歓迎会の時に私が持って行ったケーキあったじゃない? アレ作った人よ」
 
 アスナがそう言うと、雪広さんは得心いったという風に手をポンと合わせた。
 
「まあ、まあ。そうでしたの? あのケーキは大変美味しかったですわ。そうですか、アレを貴方が……。それにお店をやりながら学園広域指導員のお仕事まで……素晴らしいですわ衛宮さん。――あら、私とした事がご挨拶がまだでしたわね。私、雪広あやかと申します。以後、お見知りおきを」
「あ、これはどうも丁寧に……。俺は衛宮士郎、今アスナが言ってた通り色々やらせて貰ってる。宜しく」
 
 なんか話し方といい、物腰といい、いかにもお嬢様っぽい感じの子だ。
 なんかこっちに来てからそういう感じの子と知り合う機会が多いな……。
 個別のイメージ的にはエヴァがお姫様、このかがお嬢さん、雪広さんがお嬢様って感じだろうか。
 ……”さん”と”様”にあるイメージの差は押して知るべしである。
 しかしあれだな、こっちの世界の子ってやたらと綺麗な子が多いな……。
 俺も美人とか可愛いって括りの知り合いは多かったけど、まさかここの世界でもそうだとは思わなかった。
 身近な所から言ってもエヴァ、茶々丸、刹那、アスナ、このか、大河内さん。それに今しがた出会った雪広さんもそうだ。少しでも話をした事がある子すべてかもしれない。
 もの凄い確率である。もしかしたらこれがこの世界での標準レベルだったりして……。
 ……まあ、俺も健全な男であるわけなのでして……そう言った知り合いが多いのは素直に嬉しい訳ではあるのだが。
 
「衛宮さん……」
 
 と、何時の間にやらネギ君が傍らに来ているのに気が付いた。
 
「よおネギ君、大変だったな」
「あの……、ありがとうございました、助けてくれて。……それとごめんなさい、僕先生なのに止められなくて……」
「いや、誰にでも失敗はあるさ。大事なのはそれを繰り返さない事、人は失敗からだって学べるモンだぞ」
 
 特に俺の場合はそっちの方が多い気がする。
 
「う、うん。ありがとうございます……」
「よし、それが分かれば大丈夫。ほら、皆もそろそろ行かないと次の授業に遅れるんじゃないか?」
 
 俺がパンパン、と手を叩きながら言うと『はーい』と返事をして校舎へと向かって行く。
 そんな中、控えめに掛かる声があった。
 
「……あの」
 
 声のする方を向いてみると、スラリと手足が長く背も高い、長い髪をポニーテールに結んだ子。
 大河内アキラさんがいた。
 
「大河内さん。災難だったな、怪我とかしてないか?」
「……は、はい。ありがとうございます。大丈夫です……」
「それは良かった。そんなに綺麗なんだ、傷痕とか残ったら大変だもんな」
「――――っ!」
 
 瞬間。
 ボン、と音がしそうな勢いで大河内さんの顔が真っ赤になった。

「――し、失礼しますっ!!」 
「え!? お、大河内さ、」
 
 正に脱兎。
 もの凄い勢いで逃げていった。
 引き止めようと伸ばした手も空を切る。
 
「…………えっと、何か用があったんじゃ……?」
 
 呟いた言葉にカラスがカァーと答えた。
 
 
 
「ん、帰ったか士郎」
 
 スゴスゴ帰って来た俺にエヴァが、紅茶を手渡しながら労った。
 
「いやいや、お見事だったよ士郎君」
「ありがとうございます、あんな感じで良かったですかね?」
「あれなら問題ないだろう。僕がやっても同じようにしただろうからね」
 
 男子相手ならまた違うかもね、と続けるタカミチさん。
 それは差別等ではなく相手の出方によっては対応も変わるという意味だろう。
 
「って、そんな事よりエヴァはこんなにのんびりしてていいのかよ? 他の人たち皆行っちまったぞ」
「なに、まだ予鈴も鳴っておらんのだ。問題ない」
「そうか? まあ、別に俺は構わないけど。それにしても、ネギ君はちゃんとやれてんのか? 今の感じだと不安に思うんだが」
「ハハハ、まあ今はまだ研修中だし来たばかりだ。しばらくは様子を見てあげるさ」
 
 確かに、まだ年端もいかないkれに完璧を求めるのは酷過ぎるというものか。タカミチさんはそう笑って暖かな視線で見守っていた。
 そこで鐘の音が鳴り響く。
 
「お、もう時間か。それじゃ僕もそろそろ行くよ。お弁当美味しかったよ」
 
 タカミチさんはじゃあ、と後ろ手に手を振った。
 
「仕方ない、私達も行くか」
「マスター、少々お待ちを。今片付けますので」
「あ、別にいいよ、これくらい。俺が片しておくから二人は授業に行っていいぞ」
「そう、ですか……? スイマセン、ではお願いします」
「ではな、士郎」
「ん」
 
 二人を見送り空になった食器類を片付ける。
 気が付くと他の生徒は一人も残ってはいなかった。
 さて、これから何するかな…………、
 
「――士郎!」
 
 と。
 遠くから、今しがた校舎に向かったエヴァが叫んでいる。
 顔を上げてそちらを向くと、それを確認したエヴァがもう一度叫んだ。
 
「――今日はお前の和食が食べたい! 用意しておけ!」
「………………はは」
 
 ……ったく、ウチのお姫様は……。
 
 苦笑を漏らし、手を振って答える。
 それに気を良くしたのか、エヴァは満足気に頷いて踵を返した。
 
「さてさて……、それじゃリクエストもあった事だし買い物して帰るか――」
 
 急遽、振って沸いた用事だ。
 この後やる事もないし凝った物を作るのもいいかもしれない。
 気持ちのいい青空の下、今晩の献立を考えながら商店街へと向かう。
 今日も一日、穏やかな日々だ。
 
 
 ◆◇――――◇◆
 
 
 その後、聖ウルスラの子と2−Aの子達とでもうひと悶着あったことをエヴァから伝え聞くが、それはまた別のお話――






[32471] 第18話  それ行け、僕等の図書館探検隊 ~前編~
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 21:50

 
 
「――はあ、最終課題ね」
 
 いつもの様に店を開けていると、何やら深刻そうな表情をしたネギ君がやって来た。
 ネギ君が言うには、なんでも正式に先生として採用される為の最終課題なるものが学園長から出されたらしい。
 
「で、その内容って何なんだ?」
「ええ、それなんですけど……、今度の期末試験で2−Aの皆さんを学年最下位から脱出させればいいんですけど……」
「ふーん……?」
 
 まあ、妥当って言ったら妥当なのかもしれない。
 あくまで先生としての資質を見るのだから、学業成績で評価するのは当たり前だと思う。
 実際に頑張るのは学生自身ではあるのだけど、やる気を上手い具合に引き出してやるのも先生として大事な仕事だろう。
 ……って言うか最下位だったのかよ。
 
「まあ、俺には頑張れってしか言えないけど……なんだってそんなに落ち込んでんだ? そんなに大事か? それって」
 
 クラス別の成績って言うのは結構運によっても左右されやすいし、そんなに深刻になる事でもないと思うのだが……。
 
「大事ですよぉ~、2−Aはなんと言っても今までずっと最下位なんですから!」
「あー……、それは……――」
 
 ずっとかよ。
 それはそれで凄いけど、微塵も自慢にならんな。
 
「そうか、それで落ち込んでたのか」
「あ、いえ。それもあるんですけど……それだけじゃなくて……」
「なんだ、まだ何か問題あるのか」
「……問題は僕自身で……。僕が安易に魔法を使って皆さんの頭を良くしようとしたら、アスナさんに怒られてしまって」
「…………………」
 
 待て。
 なんだよその頭の良くなる魔法って……。
 滅茶苦茶怪し過ぎるんだが。
 つーか正体バレたくないないなら使うなよ、魔法!
 
「アスナさんに言われたんです。中途半端な気持ちで担任やられると生徒も迷惑だって……本当にそうですよね。皆さん自身の力を信じられないなんて担任失格です……」
 
 どーん、と言う効果音でも付きそうな感じでカウンターに突っ伏すネギ君。
 しかしアスナの奴も結構いい事言うなあ。
 
「まあ、確かにアスナの言う事には頷けるな。先生をやるんだったら生徒自身を信じてやるもんだろ、先生だったらそれをサポートする立場なんだしな」
「……やっぱり衛宮さんもそう思いますか?」
「そりゃな」
「――うん、そうですよねっ! よし、僕、決めました!」
「決めたって……何を?」
「僕、期末テストまでの間魔法を封印します!」
「”封印”って……って、言う事は実際に使えなくするのか? 使わないようにするんじゃなくて?」
「はい、これは僕の決意と戒めの証です! 魔法に頼らずに正々堂々と皆さんに向かい合うための!!」
 
 ぐっ、と力強く拳を握る。
 その瞳に迷いは無い。
 ……いい目だ。
 
「そうか、今回の件は俺には応援しか出来ないけど……頑張れ」
「はい! ありがとうございます!! じゃあ僕は魔法を封印して、明日の授業のカリキュラム作って来ますので、失礼します!」
 
 来た時とは正反対にキャッホー、と小踊りしだしそうな勢いで帰って行く。
 
「――なんとも元気の良い事で」
 
 それを暖かく見送る。
 まあ、落ち込んでいる顔よりは、ああして、はしゃいでいる位があの年頃には似合ってる。
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
 夕日も落ちて、そろそろ空も暗くなってくる時間。
 座席もあらかた埋まってくる時間に、よく見知った顔がやって来た。
 
「士郎、食事を出せ」
「マスター、流石にいきなりそれはどうかと……」
 
 聞き様によっては、押し込み強盗のそれと変わらない横暴な言い方をするエヴァと、それを控えめに嗜める茶々丸だ。
 今日は若干来るのが遅い感じだが、恐らく部活に行っていたのだろう。
 エヴァと茶々丸は、こう見えて茶道部なんかに所属しているのだ。
 
「よう、二人とも。飯か?」
 
 エヴァの発言は聞き流し、返事をする。
 二人はいつもの様に指定席へと座った。
 
「ああ、今日はこってり気分だ」
「……なんだよ、その気分は。……トンカツ定食でいいか?」
 
 エヴァの不明発言に笑いながら答えると、それに「うむ」と鷹揚に頷くエヴァ。
 
「茶々丸もそれでいいか?」
「はい、ありがとうございます」
 
 了解、と答えながら準備を始める。
 
「そう言えばそろそろ期末試験なんだってな?」
 
 手を休める事無く、先ほど聞いた話を聞いてみる。
 
「ん? そんなものもあったか……」
「なんだ、随分余裕なんだな? もしかして二人とも成績良いのか?」
 
 考えてみればエヴァはずっと中学生をやっている訳だし、試験程度なら簡単にこなしてしまえるのかもしれない。
 茶々丸はロボットだし、イメージ的にどんな問題も一瞬で答えれそうだ。
 
「私も茶々丸も中の下位だ」
「え? そんなもんなのか? てっきり二人とも滅茶苦茶良いと思ってたのに」
「ふん、そんものが何の役に立つと言うのだ? 私はやろうと思えば幾らでも点数なぞ採れるがどうでもいいことだ。赤点にならない程度に回答を埋めた後は寝ている」
「寝てるって……できるならやればいいのに」
「馬鹿者、思い出してもみろ。私はどんなに良い成績を取ろうが、ここから出る事は叶わんのだぞ? そんな物、馬鹿馬鹿しくて真面目にやってられるか……」
「そんなもんかね……、ま、成績とか俺もどうでもいいとは思うけど。茶々丸は? お前だったら間違いなくトップでも取れそうなんだけど」
「私は理数系ならば良い結果を出せるのですが……、文系となるとどうにも難しく……」
「あ、そっか……」
 
 考えてみれば文系とかの問題だと『この時筆者は何を言いたかったのでしょう』とかの曖昧な問題も多く出題される。
 人間でもそんな事は当事者じゃないのと分からないのに、仮にもロボットである茶々丸には難しいのかもしれない。
 
「ま、どちらにしても私達には意味の無い事だ。そんな事より食事はまだか?」
「……はいはい、今出来ましたよ。――はい、お待たせ。熱いから気を付けろよ」
 
 出来立てのトンカツ定食を二人の前に並べる。
 ちなみに衣はパン粉を粗めに挽いた、サクサク感アップの一品だ。
 それを前に二人はパン、と両手を合わせて「いただきます」と言う。
 二人がカツを口に頬張るとサクサク、と子気味いい音が聞こえる。
 
「む……これはなかなか……。そうだ士郎。お前、今日は早く店を閉めて帰って来い」
「え、なんでさ?」
 
 ――いきなりそんな断言口調で言われても、意味分からんのだが。
 
「以前から頼まれていた『こちらの世界』の魔法技術形態の本が漸く手に入ったのでな」
 
 言われて思い出した。
 そういえばソレは、少し前にエヴァに言って頼んだ物だ。
 こちらの世界と俺がいた世界の『神秘』が違うのはなんとなく分かっていたが、あくまで感覚的なもので、実際にどのような差異があるかイマイチ分かっていなかったため、詳しい情報源を探して貰ったんだった。
 
「ああ、それか。サンキューな。……でも、なんでそんなに急ぐ必要があるんだ? 手に入ったんだろ?」
 
 早く帰ったからと言って、そんなにすぐ読破できる内容じゃないだろうに。
 
「……それなんだがな。本を持っていたのがジジィでな」
「ジジィって……学園長か?」
「ああ、そうだ。なんでも貴重な書物である上に、現在使っているらしかったんだが……」
「――え?」
 
 現在……ツカッテル――?
 まて、なんで使ってるものが手に入ったりするんだ。
 な、何だろう……、非常ーに嫌な予感がバシバシするんだが……?
 
「無理矢理毟り取って来た」
「来るなーーっ!!」
 
 な、なんて事してんだ!?
 そんな強盗紛いの真似しなくても、俺は待てるってば!!
 
「っ!? ど、怒鳴るな士郎、私はお前の為にだな……。それにジジィにも泣きつかれたんでな、取り合えず明日まで一度借りて内容を確認して、必要ならまた後日借りると言う事で話が着いている」
「……なんか学園長に悪い事したな」
「ああ、結構本気で泣かれてな――正直、気持ち悪かった」
「………………俺が原因なんだからとやかく言えないけど。お前も辛辣だね、エヴァ」
「事実だろうよ。で、どうするんだ? 私としては貸し出し期間なんぞ気にもしないんだが」
「そこは気にしてくれ、頼むから。はあ……、分かった、そう言う事なら早く帰る。学園長の涙を無駄には出来ないし」
「そんな物こそどうでもいいんだがな……ま、いいさ。では今日は早めに帰ってくるのだな?」
「ああ」
 
 俺の肯定の返事に「そうか、そうか」と上機嫌で頷いて再び食事をパクパク食べる。
 まさか学園長をやり込めたのがそんなに嬉しいのだろうか?
 
「……茶々丸、エヴァの奴何をそんなに喜んでんだ?」
 
 エヴァに聞こえない様にボソボソと聞いてみる。
 
「単純に嬉しいのではないかと」
「嬉しいって……なんでさ?」
「士郎さんが早く帰ってくるのが、ですが……」
「……読めないな。俺、休むの日とかは結構家にいるし……会いたければここにくればいつでも会えるのに、そんなもんが嬉しいのか?」
「恐らく突発的に士郎さんが早く帰宅されるのがマスター的に”ツボ”だったのではないかと考えられます」
「…………そんなもんか?」
「ええ、そんなものです」
 
 ふーん、と返事だけする。
 まあ、喜んでいる分にはそれでいいか。
 二人は食事を終えると、最後に「さっさと帰ってこいよ」とエヴァが念押しして帰っていった。
 
「ありがとうございましたーっ」
 
 そんな事もあってか、早めにオーダーストップをかけて最後のお客さんを見送る。
 異例の早さで『CLOSE』の札をかけて、閉店の準備。
 
「……しかし、いいんだろうか」
 
 休みが多いし急遽時間を早めて店を閉めるとか。
 お客さんも困りそうなもんだが……。
 少なくとも、良いってことはないだろうな。
 
「ま、今更言っても仕方ないか」
 
 自分の中で適当に折り合いを付け、扉をくぐり店に鍵をかける。
 
「7時……まあ、こんなもんだろ」
 
 流石にこの時間帯ならエヴァも文句を言わないだろう。
 夕食は時間がなかったので、簡単にサンドウィッチを作って家で食べる事にした。
 それでも早いほうがいいだろうと思い、少し早歩きで帰宅の道を急ぐ。
 すると道中、奇妙な光景に出くわした。
 
「……なんだ、あれ」
 
 なんだってこんな時間に。
 こんな場所で。
 あんな、今にでも登山に行きそうな格好をしている一団とエンカウントしてしまうのだろうか?
 
「…………あ、怪しい」
 
 服装こそ学園指定の制服ではある物の、頭にはヘッドライトを装着し、その背中にはごついバックパックを背負っている姿が異様さを際立たせていた。よくよく見てみると、その一団にはなんとも見知った顔が含まれている。
 
「アスナにこのか……それにネギ君まで……」
 
 ネギ君に至っては何故かパジャマ姿である。
 ――うん、ますますもって訳が分からない。あんまり分かりたくもないが。
 そんなカオスのような一団に声を掛けられる訳も無く、ひたすら見送る。
 向こうも呆然と立ち尽くす俺に気が付く事はなかった。
 
 ――――サッ……。
 
 で。
 今度はその後ろを尾行するように隠れ進む、これまた怪しい影一つ。
 闇に紛れるような黒いローブを被り、物陰から物陰へと高速で移動を続ける。
 その動きは洗練されていて、それだけで只者ではないと連想させた。
 普通ならそこで俺も警戒するのだが、一瞬だけローブから覗いた横顔には見覚えがあった。いや、あり過ぎた。
 今度は刹那だった。
 でも、これがまた、
 
「…………怪しい」
 
 余りにも意味不明すぎる。
 あれではまるっきり不審人物だ。
 これは取り合えず本人をとっ捕まえて聞き出した方が早いだろう。
 早速尾行している方に狙いを定め、近寄る。
 無音で気配を殺し、素早く近距離まで寄る。
 刹那はまさか自分も尾行されているとは思いもしないのだろう。俺がすぐ近くまで寄っても気が付かないまま、木の影に隠れて前を歩く一団を見守っている。
 
「お嬢様……こんな時間に何を……」
「――その台詞、そっくりそのまま俺もお前に言いたいんだけど」
「っっっっっっ!!?? ……し、士郎さんっ!?」
 
 刹那は飛び上がりそうな程驚いたが、咄嗟に声を潜めたのは流石と言える。
 とりあえず驚く刹那を横目に「よっ」と手を上げて挨拶をする。
 
「し、し、士郎さんっ!? こんな所で何を……」
 
 前を行く集団に知られたくないのだろう、声を抑えボソボソとした声で話す刹那。
 
「俺は店から帰る途中。それよりそっちはなにやってんだ? そんな奇妙な格好で」
「き、奇妙な格好とは……、これは穏行に適した装束で……。い、いえ、そうではないですね。私はお嬢様の御身をお守りする為にここにいるのですが……」
 
 ちらり、と前を一瞥する。
 
「お嬢様って……このかか?」
「……ご存知だったのですか? 私がこのかお嬢様の身辺を御守りしていることを」
「いや、単なる消去法だよ。あの中で知ってるのはアスナとこのかとネギ君くらいだし。で、お嬢様ってイメージが似合うのはこのかだと思っただけさ」
「そうですか……お嬢様とは以前から知り合いで?」
「まあ、店に来るようになってからだけどな……。そんなことよりアレは何してるんだ?」
「それが私にもさっぱり……なにやら慌しく色々準備していたので、訝しく思い後を付けていたのですが……」
「ふーん……でも、なんで後を付けるなんてメンドクサイ事やってんだ? 一緒に行けばいいのに」
「……そ、それは」
 
 俺の言葉に、下を向き悔しそうな表情を滲ませる。
 まるで過去を悔いるようにぎゅっ、と目を閉じた。
 
「私には、あの御方の側に立つ資格はありません。私にはお嬢様を守りきれなかった過去があるのです。原因は私が未熟であったと言う一点のみ。――だから誓ったのです。もっと強くなってお嬢様を守って見せると……その為には影になり続け、全ての障害を排除してみせると……!」
 
 決意。
 それはまさに己に課した強い決意を表すような声だった。
 
「……そっか、それで前、エヴァにちょっかい出された時あんなに必死になってたんだな」
「――その節はご迷惑をおかけしました……」
「あ、いやいや。気にしてるとかそんなんじゃないから。むしろ、刹那がなんでそんなに必死なのかわかって良かった」
「……ありがとうございます」
「――でもさ」
 
 少し、何かが気に掛かる。
 何が気になったかすら分からないが……思うのだ。
 すると、俺は無意識のうちに言っていた。
 
「? なんでしょう?」
「――それでいいのかな?」
「え……それはどう言う……」
 
 思わず口をついた俺の言葉に刹那が首を傾げる。
 
「もしかしてさ、刹那って……このかと仲良かったんじゃないか?」
「え、ええ……小さな頃はお嬢様の遊び相手を務めさせて貰った時期もありました」
「そうか……でも刹那が今このかの横にいないって事は――なにかがあったんだろ?」
 
 俺の言葉に刹那が「それは……」とバツの悪い顔をする。
 しまった……無神経なことを言ってしまっただろうか。
 
「……悪い。気を悪くしたか?」
「いえ……事実ですから謝らないでください」
「助かる……。俺は二人の過去に何があったかとかは分からないし、聞きもしない。刹那にもこのかにも知り合って大して時間も経っちゃいないんだ、お前達のコトだって分からないことは沢山ある。――でもさ、このかのヤツがそんな事望むのか?」
「っ! しかし、私にはお嬢様を守ると言う誓いが――!」
「うん、刹那がこのかを大事にしたいって事は分かってるつもりだ。だからこそ、その気持ちがこのかに伝わって無いなんて事はないって思う。昔から仲良かったからこそ、このかだったらそう言うのを抜きにしても側にいて欲しいと思うんじゃないか? このかの奴……いつもニコニコ、ポワポワしてるけど……きっと、寂しがってると思う」
「…………」
 
 刹那が押し黙ってしまう。
 部外者の俺にそこまで言う資格は無いけれど、刹那がこのかを想う気持ちが本物だと分かるからこそ、なんとか仲良くしてもらいたいのが俺の本心だ。
 
「すまん、なんか偉そうに説教しちまったな。先を急ごう。このままじゃあいつ等見失っちまう」
「――え、あ……は、はい……」
 
 適当にごまかす俺に、刹那は曖昧に頷いた。
 出来る事なら刹那にも笑っていて欲しい。年頃の女の子がいつまでも思いつめた表情なのは見ていて心苦しい。
 そんな事を思うのは、俺の身勝手な思いなんだろうけど。
 それでも、感じずにはいられない。
 そうきっと、なにか切欠さえあれば仲良くなれると思うんだけど……。
 俺はそうやって考えながら暗闇に姿を掻き消した。
 
 で。
 
「あ、あの……士郎さん?」
「ん、なんだ?」
「どうして士郎さんまで着いてくるんですか?」
「あいつ等、何するつもりか知れないけど、こんな時間だし色々危ないかもしれないだろ? 女の子だらけだし。それに実際、あの格好で行く場所にも興味がある。も……しかして迷惑だったりするか?」
「い、いえ、そんな事はありません。士郎さんが居てくれれば心強い事に違いはありませんから……。しかし、行く場所は兎も角として、護衛だけなら私で十分だと思いますが……」
「え……? 何言ってるんだ刹那。お前だって女の子だろ?」
「――は? 確かに私も女ですが……私はこれでも剣士なのですが」
「馬鹿、なに言ってんだ。剣士だとかそんなの関係ない。刹那は綺麗な女の子なんだからな、夜道が危ないのは変わらないだろうが。そういう奴に護衛とかそんな危ない事させられるか。危ないのは刹那だって同じなんだからな」
 
 全く、この子はそこら辺分かっているんだろうか?
 ……いや、分かってないだろうなあ……刹那って、タイプ的にセイバーに近い感じするし。
 
「き、綺麗っ!? わ、私がですかっ!?」
 
 刹那は隠れている事を忘れているかのごとく、ワタワタと慌てだしてしまう。
 
「なに驚いてるのさ? まさか刹那も女である前に私は剣士だー、みたいな事言うんじゃないだろうな」
 
 それは勘弁して貰いたい。
 セイバーみたいに人生経験を積んだヤツが言うならまだしも、刹那みたいに見たままの年齢の子にそこまで達観されるのは悲しい気がする。
 
「い、いえ……そんな事は言いませんが……。だからと言ってその様なお言葉を頂くとは思っても見ませんでしたので……」
「そっか? 刹那を見れば誰だってそう思うと思うけどな」
「っ! ま、またそのような世辞を…………っ」
 
 世辞とかじゃないんだけどな……。
 まあ、それを言うとまた慌てそうだから言わないでおく。
 しかし、考えてみれば刹那とかは女子校通いだからそこら辺、共学に比べると疎いのかもしれない。
 ――まあ、だからと言って、俺が別段聡いとかでは全く無いわけなのではあるが……。
 
「まあいいか。それよりホラ。連中、行っちまうぞ」
「あ、……は、はいっ」
 
 反応の遅い刹那を置いて俺が先を歩く。
 後ろの方からは「き、綺麗などとは……」とか「私にはお嬢様を守る使命がっ」とかボソボソ聞こえる。
 真っ黒なローブと合わさって、正直――怖い。
 
「おーい、刹那。いい加減帰ってきちゃくれないかー?」
「ふぇっ!? は、はい、どうかしましたか!?」
「……変な事言って悪かった、謝る。だからそろそろ元の刹那に戻ってくれ」
「…………いえ、謝れるのも私としては非常に複雑なのですが……どうかしましたか?」
「この道って何処に向かってるか分かるか?」
「そうですね……ここは既に橋まで来ていますし、お嬢様達の目的地は、図書館島で間違いないかと思われます」
「図書館島? なんだそれ?」
「ご存知ありませんでしたか? ……とは言っても、私もそこまで詳しい訳ではないのですが……。図書館島は学園創立と共に設立された、世界でも最大規模を誇る図書館だと言われています。特徴としては増築などが上ではなく下、……つまり地下に向けて拡張され続け、今ではその全貌を知る者はいない程、広大だとまで言われています」
「へえー、そりゃ凄い。――で、そんなトコに何の用事があるんだ?」
「さ、さあ? 私に聞かれましても……」
「それもそうか」
 
 疑問は疑問のままひたすら尾行を続ける。
 そうして一行は目的地に到着したのか、大きな扉を潜って行く。
 
「――入って行ったな。図書館に」
「ええ、そうですね……」
「刹那、図書館と言って何を連想する?」
「図書館ですか? ……そうですね、やはり読書や調べ物、勉強と言った物しか思い浮かびませんが……」
「だよな。俺もそんなモンだし……って事は読書……って言うのはあり得ないか、そんなの大勢で行くモンじゃないし。て事は勉強か? 試験が近いとか聞いたし」
「なるほど……、それはあり得ますね。確かにあのメンバーを見るに、その可能性は否定できないかもしれません」
「そうなのか?」
「ええ、クラスでもなにやら『バカレンジャー』と言って、今日も騒がれていたメンバーが揃っていますし」
「ば、バカレンジャーとはこれまた直球な……。でも、このかのヤツもか? イメージ的にアイツは結構出来そうなイメージなんだけど」
「ええ、お嬢様の成績は上の中と非常に優秀ですので、そのメンバーは他の方です」
「そっか。あ、全員中に入ったな。尾行続けるか?」
「もちろんです」
 
 こそこそと一定の距離を保ちながら、怪しい集団を尾行する怪しい二人組み。
 怪しさが二乗倍である。
 もし、第三者がこの場面を見ようモンなら一発通報されてもおかしくはあるまい。
 少なくとも俺はそうする自信がある。
 外側で待機しているらしい二人の目を掻い潜り、アスナ達の跡を追跡して図書館の内部に入り込む。
 
「――って、広っ!」
 
 思わず驚いてしまう。
 入ったら目の前に、広大な空間が現れた。
 全貌が把握できないほどに乱立する超大な本棚が並び立つ様は、正に圧巻の一言に尽きる。
 背の高い本棚にびっちりと詰め込まれた書物の量は、それこそ膨大だろう事を容易に連想させた。
 
「流石に驚きましたか? 仕方ないと思いますけど……」
 
 少し苦笑気味に刹那が俺を見やる。
 
「これは驚かない方が変だろう……。なに考えてんだ、これ作ったヤツ」
 
 思わず呆れたように言ってしまう。
 
「それには深く同意しますが……。それより気を付けて下さい、ここには世界各地から貴重書が集められていますので盗掘者対策が成されているらしいです。そこかしこに罠がありますので行動には慎重を期して下さい」
 
 ………………や、罠って。
 なにやら迷宮や遺跡じみた話になってきたな、おい。
 それってもはや図書館って言わないよね?
 もしかしてこれがこの世界の標準なんでしょうか?
 
「――いよいよ魔窟じみて来たな……。でも良かったのか? そんな所にあいつ等行かせて?」
 
 刹那の立場からすると、そんな所にこのかを向かわせるのは不安だろうに。
 
「本来ならお止めしたいのは山々なのですが……。この学園には元々図書館を調査する為に発足されたサークルもあり、そこにお嬢様も所属しております。ですからお嬢様も無茶はしないと思われるのですが……。それに……あそこには楓や古(クー)がおりますので……」
「楓やクー?」
「ええ、あそこにいる背の高いのが楓で、拳法着を着ているのが古です」
 
 刹那はそう言うと前を行く二人を指差した。
 
「なんだ? あの二人はこういうのに慣れてるのか?」
「……慣れているというかなんと言うか……。古は中国拳法の達人ですし、楓はあれでも忍者です」
「へー、拳法の達人と忍者か………………………忍者?」
 
 待て、なんだそれは。
 忍者ってなんだ忍者って!
 刹那が余りにも普通に言うので、思わず聞き流してしまう所だった。
 
「ええ、甲賀忍術のかなりの実力者です。いざと言う時も頼りになる筈です」
「ちょ、ちょっと待とうか! ……忍者ってあの忍者か?」
「え、ええ。そうですが……」
 
 や、そんな、それがなにか? って感じで首を傾げられても……。
 って本当にいるんだ忍者って。
 まあ、それはこっちの世界の事情って事で納得して置くしかあるまい。
 
「まあ、”百聞は一見に如かず”です。しばらく様子を伺いましょう」
 
 と、視線を前に向ける。
 すると、大量の本を前にネギ君がはしゃいでいるのが見える。
 そして本の一つを抜き取ろうとすると――。
 
 カチリ、と言う音と共に矢が飛び出してきた。
 
「危っ……!」
 
 思わず身体が動く。届くわけが無いと分かっていながらも動いてしまった。
 が、それより前に、ガシっとその矢を掴み取る手があった。
 
「……と、まあ、あの程度なら楓には造作もありません」
「…………な、なるほど」
 
 確かにあの程度のトラブルになら冷静に対処できる程の腕はあったようだ。
 いや、しかしまあ魔術師である俺が言うのもアレだけど、女子中学生の忍者って言うのもスゴイな……。
 
「――先に進むようです。行きましょう士郎さん」
「あ、ああ……」
 
 驚く俺を横目に、先を行く刹那。
 とりあえず暫くは見てろって事なんだろうか。




[32471] 第19話  それ行け、僕等の図書館探検隊 ~後編~
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 21:51

 
 で。
 まあ、初っ端から罠にはまり始める訳でして……。
 
 一人の小さな女の子が先導するように、慣れた感じでヒョイヒョイ進む。
 その後を高い所が苦手なのか、一人の女の子が四つん這いになって高い高い本棚の上を進んでいた。
 って、上歩くのかよっ。
 
「こ、この本棚……。結構高いよ、落ちたらケガするよー……」
 
 その女の子がガタガタ震えながら、恐る恐る進んでいくと、
 
「あ、ソコ、気をつけてです」
 
 なんでも無いかのように、先頭を歩く女の子が振り返りながら言った。
 瞬間、
 
「――えっ……」
 
 バコン、という音と共に、這っていた足場が消えた。
 
「――っきゃああーーーっ!?」
 
 悲鳴を上げながら女の子が落ちていく。
 今度も楓と呼ばれた子が助けると思いきや、
 
「――えいっ!」
 
 落下した女の子が掛け声と共に、その手から何かヒラヒラした物を勢い良く放った。
 それはまるで蛇のように細長く、意思を持っているかのごとく手摺に絡みついた。
 
「あわわわ――びっくりしたー」
 
 …………や、あれでびっくりで済んだ君に俺がびっくりだ。
 あの細長いヤツって、確か体操とかで使うリボンだろ? あれって人一人を支えれるくらいの強度あったのか……。
 
「……刹那。あの娘もなんかの達人だったりするわけか?」
「……い、いえ。その様な事は無かったと思いますが……ごく普通の一般人だったかと……」
「普通?」
「ええ、普通です」
「………………………」
「………………………」
「…………刹那」
「…………はい」
「……普通って……なんだろうな?」
「……私も最近分からなくなってきました」
 
 刹那と二人、リボン使いの少女を無言で眺める。 
 その子はネギ君となにやら話しているがその声は聞こえない。
 と、今度はその女の子が不意に踏み出した足元からカチン、と不気味な音がなった。
 それに連動していたのだろう。
 今度は頭上にある本棚が二人目掛けて落下を始める。
 
「――ハイヤーーッ!」
 
 今度は古、と呼ばれた娘が落下してくる本棚を蹴りで弾き返した。
 落下してくる本棚は相当の重量だろうに、凄まじいまでの蹴りだ。
 
「……や、皆凄いな、実際。あの年齢であそこまでの実力ってのは……」
「ええ、学ぶ道は違えど、素晴らしい錬度です」
「刹那も含めてなんだけどな……。本当、どんなことすればそこまで強くなれるんだか……」
「…………貴方がそれを言いますか」
「本心だぞ? だって俺がお前達の年頃だったころは全然未熟もいいところだったし」
「――本当ですか?」
 
 驚く顔をされるが事実だ。
 俺は本当に未熟だった。それこそ魔術の鍛練はしていたがまともに成功した事が無かった程に。
 
「事実だって。それこそ只のケンカにだって一杯一杯だったんだから」
「……にわかに信じられませんね。貴方ほどの御方が……」
「俺なんてまだまだ、だ。俺の師にあたる人達からは怒られてばっかりだったし……」
「士郎さんの師……ですか。どのような御方なのですか? 士郎さんの上に立つともなれば、さぞかしご高名な御方でしょうに」
「有名って言えばかなり有名だけど……」
 
 俺の師と言えば魔術は遠坂、武で言えばセイバーにあたる。
 セイバーは有名なんてモンじゃない。英霊と呼ばれる伝説の人物だ。
 なんと言ってもセイバーはかの有名なアーサー王。
 本来なら願っても叶えられない人物達が師なのだ。
 
「そうだな、師にはかなり恵まれてたな。それに引き換え、俺は出来の悪い弟子だったろうけどな」
「ご謙遜を……。貴方ほどの人物が育てば、師にあたる御方もさぞかし鼻が高かったでしょうに」
「だと良いけど……」
 
 話を続けながらも前を行く集団を追う。
 見ると、足元のおぼつかないネギ君をアスナがフォローしながら順調に進んでいる。
 何気に面倒見のいいアスナだった。
 そうやってどれ程歩いただろう、どうやら休憩を取るらしく弁当の準備をしていた。
 
「休憩みたいだな」
「ええ」
「そういえば刹那、晩飯は?」
「夕食、ですか? いえ、私はまだ……」
「そっか、だったら俺等も飯にするか」
 
 手に持った包みを解きサンドウィッチを取り出す。
 
「あ、それはお弁当だったのですか?」
「ああ、ちょっと時間なかったから家で食べようと思って作ってきたんだ。ほら、刹那も食えよ」
「え、あ……いえ、それは士郎さんの夕食でしょう。私が貰うわけにはいきませ、」
 
 刹那がそう言った瞬間。
 くー、と可愛らしくお腹がなった。
 
「――あ」
 
 無論、俺ではない。
 俺だったらそもそも”可愛らしく”なんて表現は使わないし、音も”ぐー”って感じだろう。
 音源は目の前で真っ赤になってお腹を押さえている刹那だ。
 
「あの、その、これは…………」
 
 しどろもどろと弁明をしようとしている刹那だったが、しっかり聞こえてしまったのだから仕方ない。
 
「…………食べような、刹那」
 
 刹那は俯き、蚊の鳴くような声で「いただきます……」と呟いた。
 
 
 
 
 
 俺達が食事を終える頃。
 タイミングよくアスナ達も休憩を終えたようだった。
 
「――しっかし、アレだな。いくら地下に向けて増設したって言っても、限度ってもんがあるだろ、これは……」
 
 前を歩く一行から目を離さず一人ごちる。
 広大すぎるフロア。
 あり得ない高さの本棚。
 そこに収まる桁外れの蔵書。
 そして立ちはだかる数々の罠。
 ………………………………。
 どう考えても最後のくだりがありえねえ……。
 こうやって見るとあれだな。
 ……本、読ませる気、ないだろ絶対。
 なに考えてんだこれ作ったヤツは――って学園長か……。
 あの人も何だかなぁ……。
 
「――士郎さん。……士郎さん? どうかしましたか?」
「……刹那、世界ってのは世知辛いもんだな…………」
「……は?」
「いや、こっちの話。で、どうした?」
「あ、……なにやら目的地に着いたらしいのですが……」
「お、ようやくか……」
 
 前を見てみると匍匐全身するように狭い通路を這っていたアスナたちが、次々と天井に開いた穴から抜け出していた。
 続いて聞こえる歓喜の声。
 ここまでおよそ4時間。
 それを乗り越えて来た感動はひとしおだろう。
 
「で、ここどこさ?」
 
 刹那と二人、開いた穴からヒョッコリと頭だけを覗かせる。
 パッと見は、もぐら叩きのそれに近い。
 
「随分開けた部屋のようですが……」
 
 刹那の言う事はもっともだ。
 今までは所狭しと本が並んでいたのだがここは違う。
 本は部屋の脇にあるのだが、中央には台座のような物があり、その上には二体の巨大な石像が向かい合うように鎮座していた。
 片方は剣を、もう片方はハンマーを構えている。
 ……や、なんで石像が?
 
「!? ――あ、あれはっ!?」
 
 ネギ君の驚く声が聞こえる。
 なにかを発見したらしい。
 
「あれは伝説の”メルキセデクの書”……最高の魔法書ですよっ!? あれなら確かにちょっと頭を良くするくらい簡単かも……」
 
 …………待て。
 今、色々聞き捨てなら無い事を言ったぞ。
 メルキセデクの書ってあれか? 聖書に書かれている平和の天使の指導者で、高位の天使の名前を残したと言われる、それこそ聖遺物や宝具級の能力を持っていてもなんら不思議のない代物。
 なんだってそんな書物がこんな所に置かれてんだ?
 それとネギ君。君、堂々と”魔法書”とか言い過ぎ。俺的に減点1だ。
 で、”頭を良くするくらい簡単かも”ってなにさ……。
 情報を纏めるとアレか、あそこにおわすバカレンジャーさん達は成績が悪いから魔法書に頼ろうってことだろうか?
 
「………………………………」
 
 ………………あ、頭痛ーい。
 ネギ君、俺は頭良くなる前に頭が痛いぞ……。
 頭を抱える俺を他所に「これで最下位脱出よーっ」とか言ってアスナ達は本に向かって走り出していた。
 すると、
 
 ――ガコン。
 
 そんな音と共にアスナ達の足元の床が左右に割れた。
 そしてその落ちた床から現れる新たな石版。
 そこには、
 
 
~☆英単語TWISTER☆ver10.5~
 
 
 そんな風に書かれていた。
 
「………………………………」
「………………………………」
 
 刹那と二人押し黙る。
 突っ込みどころが余りにも多すぎて、最早言葉がアリマセン。
 
「フォフォフォ……この本が欲しくば……ワシの質問に答えるのじゃー……フォフォフォ☆」
 
 ズズゥ……ン、と轟音を立てて動き出す二対の石像。
 更に駄目押しである。
 本来なら石像が動き出した時点で危機感を持ちそうな物だが、聞いた事のある声にやる気ゼロです。
 つーか、学園長だし。この声。
 
「……刹那、これは俺の勘だけどな……多分危険とかないぞ?」
「……奇遇ですね士郎さん、私もそう思います」
 
 なにやら悟りでも開けそうな、ハニワの表情で目の前の光景を見守る俺達二人。
 アスナ達は石像……もとい学園長から出題される問題をツイスターで必死に答えて行く。
 …………そんな間の抜けた光景に危機感を持てと言うのは酷だろう。
 
「――最後の問題じゃ……”DISH”の日本語訳は?」
 
 漸く最後の問題らしい。
 確かに終盤らしく、アスナ達はかなり無理のある体勢を維持している。
 
「わ、わかった! ”おさら”ねっ」
「”おさら”OK!!」
 
 アスナとリボン使いの少女は、二人で力を合わせて文字の書かれたプレートを押さえて行く。
 
「お」
「さっ」
「「ら!」」
 
 バン、と勢い良く最後のプレートを二人で同時に押さえた。
 
「……おさ”る”?」
 
 ネギ君の呟きが聞こえる。
 どうやら二人して違う場所を押さえてしまったようだ。
 
「――ハズレじゃな、フォフォフォっ!」
 
 石像(学園長)はそうやって笑うと、何を考えているのかハンマーを振りかざすと――床を砕き落とした。
 
「って、落ちたーッ!?」
 
 ツイスター板を砕くと、その下は真っ暗な闇。
 そこに目の前の子達はみるみる吸い込まれていった。
 
 なに考えてんだ学園長やりすぎだアンター!!
 
「――学園長っ! 何を考えているのですか!?」
 
 刹那が穴から飛び出し叫ぶ。
 その気持ちは分かる、幾らなんでも洒落ですまない。
 俺も刹那の後を追って穴から飛び出る。
 
「……ん? おお~! 衛宮君に刹那君か! どうしたのじゃ、こんな所で」
 
 ハンマーを持った方は一緒に落ちてしまったので、残りに刹那が食って掛かったが、いつものノンビリした感じで返されてしまう。
 
「どうしたのじゃ、ではありません! このような事をして……気でも触れたのですかっ!!」
 
 激昂と言っても良い位の剣幕を見せる刹那。
 その片手はすでに夕凪を握っていた。
 まるで破裂する寸前の風船を前にしているよう。
 
「――待てよ、刹那。学園長にも何か考えがあるんだろ。怒るのは話聞いてからにしよう」
 
 夕凪を握る手を押さえるように手をかぶせ刹那を抑える。
 
「……士郎さん、…………分かりました」
 
 刀から手を離すが怒気は孕んだままだ。
 視線だけで射殺さんばかりに石像を睨みつけている。
 
「……で、学園長? 納得のいく説明してもらえるんでしょうね?」
 
 俺も下手な弁解はミトメネェーとばかりに睨みつけてやる。
 
「う……そんなに怒らんでもええじゃろ……?」
 
 石像のデカイ図体でジリジリ後退る。
 
「怒らないわけ無いだろうがっ、つーかなに考えてんですか!?」
「わかった、わかった……今説明するからそんなに怒鳴らんでくれんか?」
 
 石像がふう、と溜め息らしきものを吐きながら「どっこらしょ」と台座に腰掛ける。どうでもいいが、無駄に人間くさい石像である。
 
「さて、何から説明したもんかの~……。まずはネギ君の課題の事は知ってるかの?」
「ネギ君の課題って……クラスの学年順位を最下位から脱出させるってヤツですか?」
「おお、知っておったか。その件での、実を言うと少々不安があったんじゃよ……」
「不安……ですか?」
 
 石像は「うむ」と頷くと、ありもしない顎鬚撫でるように手を動かした。
 
「図書館探検部には『読めば頭が良くなる”魔法の本”がある』と言うウワサが流れておっての」
「それってさっきの本ですか?」
「うむ、アレはまあ偽物なんじゃがな……。もしウワサを真に受け安易に”本”の力に頼るようなら少々お灸を据えてやらねばと思っての?」
「……や、少々って……アレが?」
「フォフォフォ、なに、勿論怪我をせんように、仕掛けを幾重にも重ねておるから危険はないわい」
 
 それを聞いて刹那がホッ、と安堵の息をつくのが分かった。
 俺もそれを聞いて取り合えず気を緩める。
 
「でもこんな穴に落としたりなんかして……なにさせようってんですか?」
「この穴の先はじゃな、ワシが少々趣向を凝らして勉強しやすい環境を整えておいた」
「……こんな所にですか?」
「うむ、……気温は暖かく明るい空間。全教科のテキストは勿論、トイレにキッチン、食材も完備じゃっ!」
 
 ぐっ、と握り拳を作って力説する石像……もとい学園長。
 この人の情熱の傾け方、なんか間違ってる気がする……。
 
「でも、そんな状況でネギ君達、勉強とかしますかね?」
 
 ――断言しよう、俺なら間違いなくしない。
 
「ま、そこら辺は彼の采配次第じゃ。少なくとも環境的には雑念が入りにくい環境じゃから、本人達のやる気次第じゃな」
「…………危険とか無いなら俺は別に構いませんけど……」
 
 刹那を横目で見やると、害意は無いのが分かったのか、俺に向けてコクリと頷いた。
 
「私も士郎さんと同じです。学園長もまさかお孫さんに危険な事をさせるとは思えませんし」
「そっか、それなら………………………ナンデスト?」
 
 聞き捨てならんコトをサラリと言わなかったか、今。
 
「孫って…………誰が?」
「は? 誰と言われましても……当然、このかお嬢様ですが……ご存知なかったのですか?」
 
 や、知らんですよ。
 しかし、なるほど、言われて見れば苗字も一緒だし納得っちゃ納得だ。
 あれ? でも、そうなると……。
 
「このかのヤツも魔法使いなのか?」
「あ、いえ……それは……」
 
 何かを言いよどむ刹那。
 む、なんか聞いてはいけない事だっただろうか?
 
「いや、孫は魔法使いではないぞえ?」
 
 と、俺の疑問に答えたのは学園長だった。
 
「……そうじゃな、どうせなら衛宮君にも知っておいて貰った方が何かとやりやすいかも知れんの」
「はあ……やりやすいって……何がですか?」
「うむ、このかはの……魔法使いではないんじゃが、その身に宿した魔力は絶大な物があるんじゃ。それこそ単純な量で言えば全盛期のエヴァや、かのサウザンドマスターをも凌ぐ程じゃ。このか自身はその事に気付いておらんし、そのまま暮らせるならばそれが一番、と言うのがこのかの親の考えじゃ。じゃが、その力に利用価値を見出すような輩が現れんとも限らんでの、それゆえ守りの堅いこの麻帆良に住まわせてるんじゃ」
「なるほど……じゃあ俺も何かあった場合、もしくはそれを未然に防ぐ力になればいいんですね?」
「フォフォフォ、相変わらず察しが良くて助かるの。そういう事じゃ」
 
 しかしこのかにそんな事情があったとは……。
 俺としても、このかにはできる事ならなるべく平穏に過ごしてもらいたい。
 
「ええ、その時には全力をもって力になります」
「うむ、助かる」
「私からもお礼を言わせていただきます」
 
 刹那が深々と礼をする。
 
「バカ、今から礼を言うヤツがあるか。俺はまだ何もしちゃいないし、第一その時になって俺が役に立つかなんて分からないんだからな」
 
 笑って頭を下げる刹那の頭に手を置く。
 
「さて、それよりだ。あいつ等に危険が無いってなると、俺達がここにいる意味がなくなる訳なんだが……」
「うむ、それはワシが保障しよう。試験前日まではここにいる事になるじゃろうが……キッチリ見守っているから安心せい」
 
 学園長は自信を持ってそう言い切った。
 
「じゃ、俺らは帰るか」
「は、はい! 学園長、お嬢様の事よろしくお願いします」
「ウム、任された」
 
 
 
 で。
 俺達は地上に帰る事になったのだが、
 
「――――あ、やば」
  
 その途中、大変なことを思い出した。
 考えてみれば今日はエヴァに早く帰るって約束してたんだった……。
 現在の時刻23時を多少過ぎた辺り。
 エヴァの事だから寝てはいないにしても、帰ったら間違いなく怒られる。
 でも、
 
「……刹那。悪い。俺。先。行く」
「な、何故片言なのですか?」
 
 それはもちろん怖いから。
 エヴァの場合は怒るには怒るのだが、恐らくこの場合は拗ねるのも入って、半泣きで怒る。
 人間誰しも泣く子には勝てんのですヨ。
 訝しむ刹那を尻目に全力で駆け出す俺。
 後ろでは「士郎さんっ!?」と叫んでいるが今は聞こえない。
 人間、頑張れば限界だって超えられるのである。
 まあ、その限界をこんな所で突破するのは俺としても間違っていると思うが。
 
 
◆◇――――◇◆
 
 後日談として話そう。
 ネギ君達は結局試験ギリギリになって受験する事になった。
 そして結果発表の際に学園長のミスでまたもや学年最下位となってまた一悶着あったが、結果としては再計算の末になんと学年トップにまでなったらしい。
 それには素直に賞賛を送りたい。
 …………ここで話が終わればハッピーエンドなのだが、世の中そんなに甘くない。
 刹那を置いて全力疾走で家に辿り着いた俺を待っていたのは、予想通り半泣きでクッションを抱えてこっちを睨みながらむーむー唸るエヴァだった。
 俺の平謝りはそれこそ深夜遅くまで続いた。
 無論、次の日は壮絶な睡眠不足に襲われる羽目となったのだった。
 誰かが幸福になれば誰かが不幸になる――そんなお話……なのか?
 
 
 



[32471] 第20話  その身に秘めたるモノ
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 21:53

 
 
 
 ――これは尋常の勝負だ。
 ピリピリと張り詰めた空気の中、俺とエヴァは対峙していた。
 数手、数十手先の展開を読み合い、潰し合う。
 ほんの僅かな心の隙に付け込んで、相手を揺さぶり、動揺を誘う。
 
「――士郎、お前がここまでやるとはな。惚けた面していながらやるじゃないか……」
「……ふん、そういうお前は全然大したこと無いな。どうした? それが真祖の実力か?」
 
 一瞬の隙をついて脇をすり抜ける。
 すると彼女は不適に微笑んだ。
 
「面白い……この私をコケにするとは……。ならばコレに耐えられるか――!」
 
 放たれる魔弾。
 その速さはこちらのスピードより数段上。一瞬にして離れた距離をゼロに縮め襲い掛かってくる。
 
「……くそっ!」
「ハハハッ、いかにお前とてこれは無傷で済むまい!」
 
 エヴァは勝利を確信し高笑いを挙げた。
 が、
 
「――なんてな」
 
 寸前で跳躍する事によりそれをかわす。
 
「――な!? バカな! 今のをかわすとは……お前ッ!」
「これが最後だ……エヴァ、止めを刺してやる――」
 
 決別の時が訪れる。
 俺は万感の思いを込めて、
 
「――くそっ! 私はまだ、」
 
 無常にも引き千切った。
 
『YOU WIN~~♪』
 
 ――まあ、TVゲームな訳なのだが。
 パンパカパーン♪ と、軽快な音楽が流れる。
 
「ぬあ~~~ッ! また負けた!? 士郎、何故最後のをかわせる!」
「……いや、だって……エヴァ自分で宣言するし……」
 
 二人並んでテレビの前に陣取ってやっていたのはカーレースゲーム。
 対戦相手を色々なアイテムを使って妨害しながら競うゲームだ。
 エヴァは少し意外なことにゲームもやるらしい。ソフトの数もそこそこある。
 実際やってるだけあって結構上手かったりもするのだが……如何せん対人戦に慣れてない。
 俺だってそんなに上手いわけではないのだが、さっきみたいに撃つタイミングを自分で宣言しては誰だってかわせるのである。
 
 何故、珍しくも昼間からこんなコトをやっていたかと言っても、別に大した理由ではない。
 今は学園も春休みで、俺もお店の定休日だ。
 それならどこかに散歩でも行こうかと思ったのだが、先程から振り出した雨が思いの他強く、俺達を家の中に釘付けにしていた。
 まあ所謂、単なる暇潰しに他ならない。
 
「……マスター、士郎さん。お茶がはいりました」
 
 トン、と茶々丸が目の前にお茶を置いく。
 今日は番茶にお茶請けの煎餅…………なんだろう、すっごい和む。
 
「御二人に一つお聞きしたいのですが……よろしいですか?」
『ん~?』
 
 エヴァと二人、お茶を啜りながらのほほんと答える。
 緩みまくりである。
 
「あの、先程から気になっていたのですが……。――何故ゲーム中に体が傾いて行くのですか?」
『…………』
 
 エヴァと二人、これまた同時に目を合わせてパチクリ、瞬かせる。
 
「……俺、やってたか? そんなの」
「……私もか? そんな覚えは無いのだが……」
「――自覚は無いのですね」
 
 「なるほど……」と、茶々丸が感心するように言う。
 ……え、そんなことで感心されても。
 
「御二人共コーナーで曲がるたびに、こう……段々身体が傾いているのです」
 
 茶々丸はそう言うと、段々と体が横に倒れていくさまを表現して見せた。
 なるほど……、他人がやるのは見たことがあるが自分もそうだとは思わなかった。
 ちょっと恥ずかしい。
 
「ま、まあ……なる人はなっちゃうみたいだから、どうしようもないクセみたいなもんだ」
 
 ……多分間違ってはいないと思う。
 
「なるほど、『クセ』ですか……」
 
 ちなみに茶々丸はゲームが無茶苦茶強かった。
 例えば、先程のレースゲームをやらせてみれば常に最短、最速のコースでちっともミスなんかしない。
 なんて言うか、百回やっても勝てる気がしない。
 
「ああ~、レースゲームは駄目だな。RPGでもするか……」
 
 エヴァはガサゴソとソフトを入れ替える。
 流石にRPGともなれば俺はやる事は無いので、煎餅をバリバリ食べながらエヴァのプレイを眺めているだけだ。TV画面からは軽快だが単調な音楽が流れ続けている。
 時たま敵モンスターとエンカウントしてはまた戻るといったことの繰り返しだ。
 
「――しかし、俺、思うんだけどさ……」
 
 何の気なしに、煎餅をバリボリ食べながら聞いてみる。
 それにエヴァは画面から視線を逸らさないまま「ん~?」とやる気無く答えた。
 
「この手のゲームの主人公って、人の家に勝手に入って箪笥あさったり、宝物持って行ったり……。やってる事が物語の主人公にあるまじき行為だよな……」
「…………お前もしょうも無い事を気にする奴だな」
 
 や、正義の味方としてそこは譲れないのですよ?
 
「そんな事言ったらアレだろう。ゲームに出てくるラスボスは、自分がやられるかも知れないと分かった時点で、さっさと自分で主人公達を倒しに行けば済む話だろう」
「……なるほど、ようはソレを言ったら見も蓋も無い、ってことか」
「そんなもんだ」
 
 俺はふーん、と適当に相槌をうってお茶を啜る。
 まあ所謂お約束ってヤツなのだろう。
 たしかに、物語が始まったら相手はイキナリラスボスとか言われたらヤル気もへったくれもないのである。
 てな具合に、俺が本当にどうでもいい事を考えながら、ボーッとエヴァのプレイしているゲームを眺めていると、カランコロン、と玄関に取り付けられたベルが、来客を知らせる音を鳴らした。
 
「誰か来たみたいだな」
「ふーん……」
 
 ――全く興味なし。
 自分の家なんだから、エヴァのお客さんと言う可能性は非常に高いと言うのに、ここまで無反応とは。
 これはこれで凄い。……見習いたくは無いけど。
 で、まあ当然女の子の家のお客さんに俺が出るわけにもいかないので、茶々丸が当然の如く来客の応対をする訳である。
 が、
 
「――士郎さん、お客様がお見えです」
「え……俺にか?」
 
 これは珍しい。
 俺を訪ねて誰かが訪れるとは初めてのことではないだろうか?
 誰だ? 俺がここに住んでるって事知ってるヤツなんてほとんどいないのに……。
 
「あ、士郎さん。今朝方振りです」
 
 って、刹那だった。そりゃ知ってるわな。
 そもそも茶々丸も初めから刹那だって教えてくれれば良かったのに……。
 
「おう、どうした。ここに来るなんて……珍しいな?」
 
 刹那とは訓練で毎朝顔を会わせてはいるが、ここに来るのは、それこそ最初の時を含めて2度目だった。
 
「申し訳ありません、突然押しかけたりして。――ご迷惑ではなかったですか?」
「いや、全然。暇してたから……」
 
 ……ええ、そりゃー、もう。
 まったりくつろぎまくってたくらいだからな。
 
「――ぬああ!? こ、これはっ!!」
 
 と。
 エヴァが素っ頓狂な声をあげて騒いでいる。
 何だと思いTVを見て…………納得。
 なるほど、エヴァが今ゲームで戦っている敵キャラは、経験地やお金が沢山貰える代わりに、すごく逃げ足が速くて防御力も滅茶苦茶高い、と言うボーナスキャラみたいなモノだ。それが一気に画面一杯に出たときの興奮は分からんでもない。
 
「……何事ですか?」
「気にしないでくれ、アレも一応正しい暇の過ごし方の一つだから」
 
 はあ、などと曖昧に頷く刹那。
 まあ、それ以上の反応のしようもないんだろうけど。
 
「で、どうしたんだ?」 
「ああ、そうでした……あの、もし宜しければ稽古をつけていただければ、と思い、来たのですが……どうでしょう?」
 
 ああ、そう言うコトか。
 それなら丁度良い、俺も暇を持て余してたところだ。
 
「ああ、いいぞ。俺も身体動かしたかったし」
「そうですか、ありがとうございます」
「じゃあ早速……って、外は雨だったな。どうしたもんか……」
「あの……士郎さんさえ宜しければ、私は雨の中だろうと構いませんが」
「馬鹿、そんな訳いくか。俺は良いとしても、刹那にそんな無茶させられるかってんだ。風邪ひいたら大変だろう」
「……お気遣い感謝します。しかし、そうなると何処で?」
 
 刹那が首をかしげながら言う。
 場所か……外は論外だし座学って訳にはいかないし……って。
 
「――そう言えば良い場所あるじゃないか。なあ、エヴァ。『別荘』使いたいんだけど……いいか?」
 
 ゲームに没頭するエヴァの背中に声をかける。
 考えてみれば『別荘』なら鍛練には持って来いなのだ。
 時間も天気もたいして気にならない場所だし。
 
「――――」
 
 ゲームに夢中なのだろう。
 こちらを向かずにパタパタと手だけを振って返事をするエヴァ。
 どうやらお許しが出たらしい。
 ……あと、どうでも良いけどな。
 良い場面だしゲームに集中するのは全然構わないんだけど…………エヴァ、まばたき位しよう。
 ドライアイになってしまう真祖ってどうなんだって思うわけよ、俺は。
 
「うし、じゃあ『別荘』でやるか」
「わかりました」
 
 刹那と二人、ゲームに集中するエヴァの背中を通り抜けて地下への階段を降りる。
 それにしても考えれば考えるほど便利な場所だよな、『別荘』って。
 入ったら丸一日出てこられないのは難点だけど、ソレを補って余りある程利便性が高い。
 なんと言っても個人でプール所有、なんてレベルじゃないのだ。
 海まるごと所有っていうんだからスケールが違う。
 それに、エヴァの話を聞く限りでは、あんな物が他にもゴロゴロ転がっているらしい。
 
「そう言えば士郎さんはここに住んでいるんでしたね?」
「ん? ああ、そうだけど」
 
 階段を降りながら刹那が聞いてくる。
 
「だとしら何処で寝泊りしているのですか? 聞いた話ではエヴァンジェリンさんの部屋は二階にあるそうですが。……はっ! も、もしや――士郎さんの部屋もそこに!?」
「んな訳あるかっ!」
 
 馬鹿を言っちゃいけない。
 エヴァの部屋の隣に和室はあるけど、そんなトコだと俺が寝れないのです。
 
「俺の部屋は……ほら、そこだよ」
「…………そこ……と、言われますと?」
「いや、だからそこ」
 
 ほら、と指差してみる。
 そこには地下室の片隅に置かれた俺の空間。
 ベットに本棚にバック。
 以上。
 うん、シンプルイズベストだ。
 
「こ、……ここがですか……」
「そう、良い所だろ?」
 
 地下だと言うのに空気が篭もっておらず、埃っぽくも無い。
 更に地下と言うのは年間を通じて気温の変化が少なく、何気に過ごしやすかったりするのだ。
 と言っても、俺は寝る時以外ほとんどいないんだけどな。
 
「……。あの……荷物が無いんですが……」
 
 刹那が変に言葉に詰まっている。
 ……なんでさ。
 
「あるだろ。ほら、そこにちゃんと着替えの入ったバックに本棚だってあるし」
 
 元々物を部屋に置く習慣がなかったんで、俺としては本棚があるだけで十分なんだが……。
 だが、それを聞いた刹那は何を思ったのか、驚く顔をすると妙に真剣な顔をして、
 
「……。あの、失礼な事をお聞きしますが。――もしや、虐待を受けていたりするのですか?」
 
 なんて聞いてくる始末。
 ――や、変な勘違いされてるっぽい。
 
「――馬鹿を言うな桜咲刹那。それは士郎が過剰にモノを必要としなかっただけだ。私が準備すると言ってもそいつは聞かなかったのだ」
 
 頭上から声がかかる。
 見るとエヴァが階段をトントン、と降りてきていた。
 その背後には茶々丸の姿も見て取れる。
 
「あれ? エヴァに茶々丸」
「あ、エヴァンジェリンさん! こ、これは失礼しました!!」
 
 エヴァに話の内容を聞かれて焦りまくる刹那。
 ……そんなに焦ること無いと思うんだけどな、エヴァってそんなに怖いか?
 って、そんな事より。
 
「どうしたんだ? ゲームやってたのに」
「…………。あんな子供遊びなどどうでもいいのだ。私は暇潰し程度に遊んでいただけなのだからな……」
 
 まるで大量の苦虫を噛み潰したように言うエヴァ。
 大方、ボーナスキャラに全部逃げられて面白くなかったんだろう。
 
「……ふん。そんな事より鍛練をするのだろう、今日は私も見てやる。ありがたく思え」
 
 不貞腐れた様に鼻を鳴らし、俺達の脇を通り抜け、さっさと『別荘』に向かう。
 刹那はエヴァの尊大な言い回しにも「あ、ありがとうございます!」と心底恐縮してしまっている。
 ……ったく、エヴァも変に偉そうなんだから。
 
「はいはい、じゃあ皆で行こうか。ほら、刹那。いつまでも恐縮してないで行くぞ」
「は、はい!」
 
 刹那が慌てるように追いついてくる。
 そして、全員で同時に『別荘』の中に入ると一気に風景が変わった。
 
「……相変わらず暑いな……ここは」
 
 まだ春先と言うコトもあって着ている物はロングTシャツにジーンズ。
 南国のそれと変わらないここの気温では流石に暑い。
 
「元々私がリゾートとして使用していたのだから当然だ。それにしても士郎。その大荷物はなんなのだ?」
 
 そう言うエヴァの格好は、いつの間に着替えたのかノースリーブのセーラー風シャツにプリーツのミニスカート、それにオーバニーソックス。
 全体的に白を貴重とした格好だが、ネクタイだけは黒というのがアクセントになっている。
 
「ああ、これか? これは鍛練に使う竹刀と、何かに使うかも知れないから持ってきた弓と矢」
 
 それに腕まくりしながら答える。
 弓は以前に投影した物を消さずに取っておいたモノだ。
 
「……そういえば以前戯れに打ち抜かれたことがあったな……あのときの物か。……まぁ、それはいい。普段、お前等はどんな鍛練をしているのだ?」
 
 中央にある広場めいた場所に向かって歩きながら話す。
 
「私達の普段の鍛練といえば、大体が手合わせをして、それが終わった後に士郎さんが修正点などを指摘して下さる、と言った感じでしょうか……」
「ん、まあそんな感じだな」
 
 指摘、などと言ってもそんな大した事を言ってはいない。
 俺は気が付いたことをなんとか言葉にしていているだけなのだが、それがちゃんと伝わっているかすら怪しいもんだ。
 こういう時、もっと考えている事を明確に言葉にできるだけ口が回れば、としみじみ思う。
 ……って、そうだ。
 
「エヴァ、お前も一緒に見てくれよ。俺、誰かに教えるって言うの苦手でさ。どういう風にすれば上手く教えられるか見せてくれよ」
 
 考えてみればこんな身近に良い例がいるじゃないか。
 何気に面倒見が良くて、こっちの世界の戦い方に詳しそうなヤツが。
 
「――私がか? 嫌だね。メンドイ。見てるだけなら構わんが、何でそんな師の真似事をせねばならん」
 
 迷うことなくバッサリ。
 ……見も蓋も無い簡潔なお答えで。
 
「そんなこと言わずに頼むよ、俺もどうやって教えてやればいいか分からなくて不安なんだ。エヴァが手本を見せてくれれば俺も助かるんだ」
 
 そんな俺の言葉に、エヴァがピクリ、と反応を示した。
 
「……お前に教えてやることなぞないと思うが……そうか、つまりはお前の師か……」
 
 ……うん? えっと……そうなるんだろうか?
 ふむ、教え方を教える先生なのだから間違っちゃいないのか。
 
「そうだな、そうなる」
「私からもお願いします。最強と名高いエヴァンジェリンさんにご教授願えるのならば、これほどありがたい事はないです」
 
 『最強』、と言う単語に反応したのか、エヴァの口の端がニヤリと持ち上がる。
 
「……良いだろう、私が直々に見てやる。だが勘違いするなよ刹那、私は士郎の指導の師としてお前を見てやるだけだからな。こんな事は今回限りだと思え」
「はい、ありがとうございますっ」
 
 ピシッ、とエヴァに礼をする刹那。
 そこには少しの緊張が見え隠れしていた。
 
「それと士郎、そう言うからには今回は私のやり方で行かせて貰うからな。あまり口を挟むなよ?」
 
 わかったな、と念押しする。
 それに異論は無い。エヴァの事だから多少の無茶はさせるかも知れないけど、無理はさせない筈だ。
 そこら辺は信用しても構わないだろう。
 
「わかってる、今回はエヴァのやり方を見させてもらう」
「フフ……。――と、言っても私から言うことなぞ一つしかないのだがな。では刹那、――早速だがお前の”真”の姿を見せてみろ」
「――そ、それは……!」
 
 エヴァがそう言うと刹那は驚きの表情を浮かべた。
 ……なんだろう? エヴァの言葉の意味も分からないが、それに驚く刹那も分からない。
 なにやら二人だけの共通認識があるようだ。
 
「エ、エヴァンジェリンさん! それは……!」
「おいおい桜咲刹那……お前は舌の根の乾かぬうちから師に歯向かうのか? ――いいからやれ。これが聞けないのであれば師事の話はこれまでだ。私は別にどちらでも構わないのだからな」
 
 エヴァの有無を言わせぬ声。
 刹那はグッ、と言葉に詰また。
 刹那は数瞬、考える仕草を見せたが、決意をしたように俺を見た。
 
「……士郎さん、今から起こる事に驚くなとは言いません。…………ですが、どうか軽蔑だけはしないで下さい。お願いします」
 
 懇願するような瞳で言う。
 俺は切羽詰ったような刹那に何も言えず、ただ「分かった」と頷くだけしか出来なかった。
 
「――では、刹那」
「……はい」
 
 エヴァの促す言葉に頷く。
 刹那はギュッ、と目を堅く閉じると、自分で自分を掻き抱くように両腕で抱きしめる。
 そして、次の瞬間。
  
 バサリと――刹那の背中から大きな白い翼が現れた。
 
「――――」
 
 ――言葉が無かった。
 目の前の光景に只々、俺は呆然と立ち尽くすだけだった。
 
「……驚きましたか? ……今まで黙っていて申し訳ありませんでした。……私は見ての通りの”化け物”です。人間と烏族の間に生まれた混血児なのです。言い訳がましいとは思いますが、騙すつもりはありませんでした。ただ勇気が出無くて……。貴方に知られる事により遠ざけられるのが怖くて…………」
 
 ――刹那がなにか言っている。
 その言葉は耳に入っているが、目の前の光景に思考を奪われて良く理解できなかった。
 ……今の俺の感情を占めているのは一つだけ。
 それは、
 
「――――綺麗だ」
 
 その一点だけだった。
 
「――むうっ!?」
 
 エヴァが何かに反応しているがそれに意識を移せない。
 それだけ目の前の光景は鮮烈に俺の網膜に焼きついた。
 
「…………き、綺麗って……こ、怖くはないのですか?」
「――は? 怖いって……なにがさ?」
「なにがさって……翼ですよ!? こんな物が生えていたら気持ち悪いでしょう! わた……私は化け物なんですよ――ッ!?」
 
 刹那が己の心の慟哭をさらけ出すように叫ぶ。
 自分は化け物なのだから、貴方とは違う生き物なのだと。異端視して当然ではないのかと。
 
「…………」

 ……なに言ってんだか。
 
「……あのな、刹那」
 
 俺は頭の後ろを乱暴にガシガシと掻くと、刹那の目を睨みつけた。
 
「簡単に人の心を決め付けるな、馬鹿。ただ翼が生えているだけだろう? 俺はそんなものでお前を気味悪がったりしないし、むしろ綺麗だと思う」
「し、しかし……!」
「それにな、お前、――化け物の定義って知ってるか?」
「……定義、ですか?」
 
 同じことを誰かに言った気がする。
 ――あれはいつのことだったか。今の俺では思い出せない。
 
「――いいか刹那。化け物って言うのは優れた理性でモノを殺すんだ。人の手に余るほどの性能を総動員して、微塵の疑問も、悲しみも持たずに喜びを持って殺すのが化け物だ。それは容姿とかの問題じゃない。少し他と見た目が違うからって、ソレが化け物なんて、それはお前の思い込みだ。お前は間違いなく人間。 ――誰かを思いやる事の出来る優しいお前は、化け物とは正反対の人間だよ」
「――――」
 
 刹那の瞳の端に光る物が浮かぶ。
 まるで長年凍っていたナニカが溶け出したかのように――。
 
「…………ありがとう……ご、ざいます……」
 
 ぽろぽろと大粒の涙を零す。
 その様はまるで幼い子供のようだった。
 
「……ったく、泣くなよ」
 
 そんな刹那の様子に苦笑いを覚えると、俺は自然とその頭に手を置いていた。
 今の刹那が幼く見えて思わずやってしまったが、刹那もソレを振り払ったりせずにただ涙を流し続けていた。
 
「――コホン、コホン……あーあー、刹那。取り敢えずはそれでいい」
「お? お? おおッ??」
 
 すると、エヴァがなにやら咳払いしながら俺と刹那の間にグイグイ割って入ると、その背中で俺を押しのけて引き離した。
 え? なになに、なんだってんだ?
 
「な、何だエヴァ。どうかしたのか?」
「…………良いから下がっておれ。話が進まん」
 
 背中越しにギロリと俺を睨みつける。
 ――って、何怒ってんの!?
 俺なんかしたか!?
 
「――話を進めるぞ、いいな」
「は、はい。申し訳ありませんでした」
 
 エヴァの言葉に、刹那が手の甲で涙をゴシゴシと拭うと、いつものキッとした凛々しい表情に戻る。
 
「いいか刹那。貴様がその翼をどう感じているかは知らんし興味も無い。だが戦闘と言う一点において、”ソレ”は間違いなくアドバンテージになると覚えておけ。通常の人間ならば両手両足しか使用できないのに対し、貴様はその翼で更に手段が増えるのだ。これは大きな利点だ。だが貴様はソレを忌避しているのか知らんが、それを使用するのに躊躇いを覚えている」
「そ、それは……」
「否定できまい? これは以前に貴様が士郎と手合わせした時に確認済みだからな。格下相手ならば良いやも知れぬが、士郎のような明らかに格が違う相手にすら出し惜しみをしているのが確かな証拠だ」
「――はい。確かに私はこの翼を使うことを嫌っています。しかしそれは、」
「……刹那、言っただろう。勘違いするな、と。私はお前の師等ではない。戦い方の手がかりを示唆してやってるに過ぎん。お前がその翼をどう考えているかなどと言った事は私には関係ない。……だがな。強くなりたい、などと言っているクセにその手段を自ら放棄している様では話にならん」
「…………」
「――強くなりたいのならば使いこなせ。貴様の負の象徴たるその翼を、自らの意志の元に屈服させろ。話はそれからだ」
 
 エヴァはそう言うと踵を返した。
 もう用は済んだとばかりに、こちらを振り返る素振りを微塵も見せずに。
 それでも最後に付け加えるように、
 
「――せいぜいこの空間を利用するが良い。ここには私達以外誰もいないのだ。存分に己の闇と向かい合うが良いさ」
 
 そう言って、その場を後にした。
 それに茶々丸もお辞儀をして続いた。
 刹那はその背中をずっと見つめている。エヴァの内面を見つめるように。
 
「――士郎さん」
 
 暫くの間、そうしていた刹那が唐突に俺を呼ぶ。
 俺がそちらを向くと、刹那は何かを決意したような強い眼差しをしていた。
 
「申し訳ありません。私から言い出して置いて勝手だとは思いますが、一人で修練させてもらっても構いませんか?」
「……ああ、頑張って来い」
 
 刹那は俺の言葉にコクン、と頷くと、その嫌いと言っていた翼を大きく羽ばたかせた。
 フワリ、と身体が宙に舞う。
 そしてもう一度俺を見ると、グン、と刹那の身体が一気に飛び上がった。
 そのスピードはグングンと速度を増し、見る見るうちに青空に溶け込んでいく。
 
「――頑張れ、刹那」
 
 青空を見上げる。
 遠くの空には一羽の白い鳥が舞っている。
 今は一人ぼっちでどこか寂しそうに見えるけど……いつの日かたくさんの仲間にめぐり合う日が来るだろう。
 ――だって、あんなに気持ち良さそうに空を踊っているんだ。それに憧れる鳥達だっているに違いないんだから……。
 
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
 
「――ん? お前も来たのか、士郎」
 
 俺は縦横無尽に空を舞う刹那を見上げながら、エヴァの座る木陰へとやって来た。
 見るとエヴァは横座りをしながらお茶を飲んでいた。
 
「ヤツに付いてやってなくていいのか?」
「大丈夫、今の刹那に必要なのは自分に向き合う時間だ。俺が見ている必要なんか無いさ」
「……かもな」
 
 エヴァは薄く目を瞑り、興味を無くした様にお茶を口に含んだ。
 俺はそれを眺めながら隣に腰を下ろした。
 
「士郎さんも飲まれますか?」
 
 茶々丸が俺にお茶を差し出しながら聞いてくる。
 それに「ありがとう」と言いながら受け取ると、もう一度空を見上げた。
 
「……ありがとうな、エヴァ」
「何がだ?」
 
 きょとん、とした感じで聞き返すエヴァ。
 本当に意味が分からないといった風だった。
 
「刹那の事。俺だけだったら気付いてやれなかっただろうからさ」
「……礼を言われる筋合いは無いさ。師事の真似事を引き受けたのは私だからな。私は以前から思っていたことを言っただけに過ぎん。それに私はアイツをそこそこ気に入っている。あの程度の言葉なら気が向けばかけてやらんでもない」
 
 へー、やっぱりそうか。
 前々から思ってたけど、エヴァって刹那を認めてる節があったからな。
 そうじゃないかと思ってたけど……。
 
「そっか……どこら辺が、とか聞いていいか?」
「ふむ……そうだな。言うなれば……あの佇まい……と言った所か」
「……って言うと?」
「以前にお前も言っていただろう? アレは抜き身の刀のようだと」
「……ああ、あの時の」
 
 刹那と初めて手合わせをした日の事か。
 確かにそんな事を言ったっけ……。
 
「私はヤツのそんな部分が心地良い。能天気なクラスの連中などとは違い、ひたすらに己を戒める事を余儀なくされている。そんな鬱屈した感情は、闇を生きてきた私には心地良い」
 
 それは刹那の見せる怜悧さのことだろうか?
 鍛練の最中でもひたすらに、それこそ自身を追い込むように限界を超えようとしている厳しさの事だろうか?
 
「んー……それってつまり同属意識ってやつか?」
「……ま、当たらずとも遠からずといった所か。さて、そんな事よりこれからどうする? 刹那についてやる必要が無くなったとなると、これと言ってやることもないんだが……」
「考えてみれば……そうだな。結局、この竹刀と弓も使わなかったか」
 
 まあ、いつもみたいに打ち合う鍛練はここじゃなくても出来るんだし、今はこのままの方が良いと思うから良いんだけど。
 
「……ふむ、弓か。そう言えばお前が射る姿は見た時が無かったな。どれ、一つ見せてくれ」
 
 エヴァが面白そうに言う。
 俺の射って……。
 
「……んなもん、見て面白いか?」
「なに、どうせやる事は無いのだ。暇潰しにやって見せてくれ」
「別にいいけど……」
 
 弓と矢を手に立ち上がる。
 
「で、何を狙えばいいんだ?」
「ふむ、そうだな……」
 
 エヴァはそう言うとキョロキョロと辺りを見渡す。
 そしてその視線が一つの場所に止まる。
 その視線の先を辿っていくと……、
 
「…………」
 
 真っ青な空に浮かぶ、一つの白い点。
 ――いや、まさかな。
 幾らなんでもそんな事しないよなー、うんうん。
 きっと俺の勘違いだよなあ。
 するとエヴァは子供のようにはしゃぎながら”ソレ”を指差し言った。
 
「よし! ではあそこを飛んでいる刹那を、」
「やるか馬鹿ーー!」
 
 何を仰いますかこのチビッコ!
 さっきまで刹那には時間が必要だとか言ってたのにいきなり邪魔してどうするかっ!
 さっきまで真面目に話していたのに、いまいちシリアスが長続きしないな、おい!
 すると、エヴァは不機嫌そうに俺を半眼でにらみ付けた。
 
「む、私は戯れで気安く射落とすくせに……アイツにはソレが出来ないと言うか」
「当たり前だ、エヴァみたいに気安くそんな事出来るか」
 
 まあ、実際はエヴァにだってやったら駄目なんだけど。
 それに今の刹那を邪魔したら可哀想だし。
 
「……それはあれか? 私だったら気安い、と言うコトか?」
「へ?」
 
 いきなりの態度変化に戸惑う。
 さっきと打って変わって急にしおらしく上目使いで聞いてくる。
 ――なんでさ。
 
「ま、まあ気安いってのはあるけど……」
「そ、そうかっ、……うん、そうか、うんっ。ならばいい、許してやる!」
「…………」
 
 ビシッ、と俺を指差して宣言する。
 なにやら許してもらってしまった。いや、正直意味が分からんのだが。
 
「しかしそうなると何を的にしたものか……って。考えてみれば……お前、あそこまで届くのか?」
 
 エヴァがもう一度空にいる刹那を指差す。
 
「え? まあ……」
 
 矢を番えずに弓だけ引き絞り、狙いを付けてみる。
 刹那まで直線距離にして300m弱。かなりの速度で飛んでいるが…………。
 
「――うん、中るな」
 
 刹那のいる空間の少し先にイメージをずらして、直接中るようなイメージは出さない。
 仮にとは言え、知り合いをそういう対象として見るのは気持ち良いものじゃないからだ。
 それでも狙いをつけた場所にしっかりと中るイメージはあるから、間違いなくいける。
 
「ほう……この距離すら届くとは……凄まじいな。そうなると私の知覚の範囲外からも狙えるやも知れぬと言うコトか……つくづくお前が味方で良かったよ」
「……なんだよ突然。そりゃエヴァの敵になるつもりなんて微塵もないけどさ」
「ふふ……なに、こちらの話だ。私はその答えがあれば満足だよ」
 
 エヴァはそう言うと本当に満足そうに笑った。
 良くは分からないが……こんな風に笑ってくれるんなら……まあ、いいか。
 
 
 



[32471] 第21話  決別の時
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 21:55


「そろそろ動くぞ」
 
 春休みも終わり、エヴァ達も2年から3年へと学年が進んだ始業式を終えた夜。
 家でノンビリと夕食を楽しんでいると、エヴァが唐突に切り出した。
 
「なんだ、どっか行くのか?」
「……いやまあ、行くと言えば行くんだが……そうではなくてだな、以前に話しただろう? 私の呪いを解く目処が付いた、と」
「ああ、言ってたな」
「その時が近い」
 
 ……遂に来たか。
 エヴァの宿願が叶うその時が。この時の為に耐えに耐えた日々が終わりを告げるのだ。
 その思いはひとしおだろう。
 
「そうか……で、何時なんだ? 俺に何かできる事はあるか?」
 
 子供のようにハシャいでいるのが自分でも良く分かる。
 テーブルから身を乗り出してエヴァに詰め寄った。
 それをエヴァは、微笑ましいモノでも見るように笑いながら、やんわりと制した。
 
「まあ、待て。そう急くな。物事には順序と言うモノがあるだろう?」
「そ、そうだな。……スマン、ちょっと先走っちまった」
「なに、その気持ちは嬉しいから気にするな。さて……なにから説明したものか。そうだな……まず、私の呪いがサウザンドマスターによってかけられているのは知っているな?」
「ああ」
 
 それは以前に聞いている。
 そのせいで15年もの間、ここに縛り付けられているのだから、それ相応の感情を持っていても何ら不思議はないだろう。
 
「この呪いは『登校の呪い』何て言うふざけた物なんだが……、実は最近になってこれとは別に、私の魔力を抑え込んでいる『結界』がある事が判明した」
「結界?」
「ああ、つまり二重に封じられていたわけだ、私は」
「そうか……でもなんで今まで気が付かなかったんだ? エヴァならその程度の事、気が付きそうなもんだけどな」
「それなんだがな……思いも寄らない盲点を突かれた」
「……って言うと?」
「この結界の動力なんだが――電力なのだ」
「――は?」
 
 デンリョク?
 電力……それって、家電製品とかに使う電力の事か?
 
「……そう、抜けた顔をするな。私だって意外だったのだ。まさか魔法使いが電気に頼る時代が来るとはまるで考えなかった。そのせいで私も気が付かなかったんだからな……、やられたよ」
「そ、そうか……で、なんだって今になってそれが分かったんだ?」
「それはこの――茶々丸のおかげだ」
 
 エヴァは傍らで食後のお茶の準備をしている茶々丸を顎で指した。
 ……なるほど、考えてみれば茶々丸はロボットだから、そこら辺に詳しいのかもしれない。
 
「結界の事はわかった。で、具体的にはどうするんだ?」
「うむ、それなんだがな。まず結界の維持には大量の電力が必要らしい。そこでこの電力をどうにかしなければならないのだが……近々、学園でメンテナンスとやらで停電になるらしい。無論、それだけで解除されるほど甘い物ではないが、――そこで茶々丸の出番だ。私には良く分からんのだが……なにやら停電になることによって……あー、しすてむ? とやらに穴ができてその隙に…………ぴっきんぐ……? が可能らしい」
「…………泥棒でもするのか?」
 
 どっかに忍び込むとかのスニーキングミッションなのだろうか。
 
「――マスター、それをおっしゃるなら『ハッキング』です」
 
 いいタイミングの突込みだ、茶々丸。
 茶々丸はエヴァの発言を訂正しながら、紅茶の入ったカップを静かに置いて回る。
 
「それだ。『はっきんぐ』をするんだ」
 
 どうだスゴイだろう! と偉そうにふんぞり返るエヴァ。
 ――うん、でもなエヴァ。お前、具体的に何するかは絶対わかってないよな?
 突っ込みを入れるといじけそうだからやらないけど。
 
「それで、ハッキングでシステムを破壊すれば結界は無くなるのか?」
「いや、あくまで一時しのぎらしい。電力が戻ってしまえば再び結界が作用をはじめる」
「……じゃあ、あんまり意味がないんじゃないか?」
「そう慌てるな。そこで今度は『登校の呪い』の話になる。順番立てて説明するとだな……この呪いを解呪する準備段階で必要なのが私自身の魔力なのだが……これは士郎からの定期的な血液提供によって十二分に確保できた。その点では大いに感謝しているぞ、士郎」
「いや、それは全然構わないんだけど……で?」
 
 若干熱くなった頬を掻きながら応える。
 最近のエヴァは、わりかし素直に感情を表現してくるので、面と向かって礼を言われたりすると少し照れる。
 まあ、その分俺を認めてくれているのだろうから嬉しい事ではあるのだが。
 
「うむ、『登校の呪い』の解呪にはあるモノが必要になる」
「あるモノ?」
 
 儀式に使う道具とかだろうか?
 もしも足りない道具とかあればそれこそ俺の出番なんだが……。
 
「ああ、それはな、サウザンドマスターの――――ヤツの血縁者の血だ」
 
 そんな彼女の言葉に思考が止まった。
 
「…………………………………………………え?」
 
 ――言葉の、意味が、理解、できない。
 何を………………エヴァは、なにを……イッテイルンダ。
 魔力の問題は俺の血で解決したんじゃないのか。
 サウザンドマスターの血縁者……それはネギ君の事か。
 何故、なんで、どうして、訳がワカラナイ。
 ……いや、それより、そんな事より――エヴァがまた人を襲うと言うのが、俺には信じられない。
 
「つまりはあの坊やの血が大量に必要なのだ。問題は、あの坊やの魔力に対抗するための魔力だったのだが……、それも士郎のおかげで全て解決した。クックックッ……、素晴らしいぞ、順調も順調過ぎるほどだ。さて、自由になったら何をするか……なあ、士郎。再び世界を巡るのも楽しいかも知れんな。ああ、それとも何処か静かな所でゆっくりと暮らすのも悪くないな。なあ、どうだ士郎? お前は何がしたい?」
 
 楽しげに、謳うように、心底面白いと言うように。
 呆然とする俺にエヴァは気がつかない。
 
「――ま、待って……待ってくれ、エヴァ。ネギ君の血を必要にって…………なんでだ?」
「ん? そんなの当然だろう。サウザンドマスターによってかけられた呪いは絶大な魔力によって編まれたモノだ。そんなモノの解呪にはヤツと同等、同質の魔力が必要なのは言うまでも無かろう?」
「で、でも……だからって――ネギ君を傷つけるのか?」
「――当たり前だ。ヤツの親父が残したモノは、全て息子である坊やに引き継いでもらう」
 
 スッ、とエヴァの瞳が真剣味を増す。
 
「まさか――お前ともあろう男が、息子である坊やには責任は無い。などと、甘ったれた事を言うまいな?」
「………………それは」
 
 そんな事は無い。
 俺自身、親父の意思を継いで正義の味方を目指すと決めた時点で、親父の罪も一緒に背負う覚悟をした。
 けど、
 
「でも、ネギ君はまだ子供だ。――まだ覚悟もできていない子に罪の所在を問うのは、…………俺は反対だ」
「――――なんだと?」
 
 まるで、信じられないモノを見るかのようにエヴァは表情を曇らせる。
 俺の答えをまるで予想すらしていなかったのような表情だった。
 
「だ、だとしたらお前は……私がこのまま呪いに縛られたままでいいと言うのか?」
「違う、違うんだエヴァ。そういうコトを言ってるんじゃないんだ」
 
 エヴァが俺の瞳を、頼り無く揺れる眼差しでジッと覗き込んでいる。
 
「…………士郎。なあ、士郎。私はこの時の為に15年も苦渋を舐めさせられてきたんだ。――15年……15年だぞ? 15年もの間、力を封じられ続け、平和ボケした小娘どもの中で生活して行く事を強制させられたんだ。お前ならば、それをこれからも続けろ、などとは……言わないよな? お前なら私の気持ちを分かってくれるよな?」
 
 すがる様な瞳。
 まるで子が親を信頼しきって見上げているような瞳だ。
 ――でも。
 この15年、どういう思いでエヴァが暮らしていたかは俺には分からない。
 ――それでも。
 
「俺だってエヴァを助けたい、その呪いをどうにかしたいと思っている。これは間違いなく俺の本心だ。 ……でも、だからってそれをネギ君に強要するのは違うと思う」
 
 瞬間、エヴァは信じられないモノを見るような瞳で俺を見た。
 
「――――うそ……だろう? 何故そんな事を言うんだ……? ……なあ士郎。頷いてくれ……解き放たれたいと言う私を肯定してくれっ!」
 
 声を荒げる。
 その叫びは、もはや悲痛といっても差し障りのないほど痛烈な慟哭に聞こえて耳に痛い。
 俺がこんな声を出させているのだと思うと心が軋んだ。
 でも、
 
「エヴァの呪いを解くというのには賛成だ。でも、その為に他の誰か……他人を傷つけるのは反対だ。……エヴァ――それはきっと間違ってる」
 
 俺にはソレが正しい事だとは思えない。
 エヴァに何とか分かって欲しくて、万感の思いを込めてそう告げる。
 だが、エヴァは俺の言葉を聞いた瞬間、見る見るうちに怒りを露わにした。
 
「――私が……間違っている――だと!? ただ自由になりたいと……そう思う私の願いが間違っていると言うのかっ!? ……訂正しろ士郎。いくらお前でも――その言葉は見逃せんぞ」
 
 底冷えするような冷たい声。俺はこんなエヴァの声を聞いたことが無かった。
 間違いない、彼女は本気で怒っている。
 これ以上言葉を重ねれば、待っているのは聞きたくも無い結末だろう。
 ……それでも、俺は言わなくてはならないのだ。
 
「…………訂正は――しない。エヴァは助けたい。けど、エヴァのしようとしている事は間違ってると思う。これが俺の考えだ」
「――ならば、お前の言う正解はなんだと言うんだっ!」
「俺だって何が正しいかなんてわからない……もしかしたら正解なんてないのかも知れない。――――でも……」
 
 エヴァの瞳に感情が灯る。
 けど、そこに映る輝きは、いつもの明るい感情ではなく、きっと暗い負の感情だ。
 
「――そうか、つまりお前は」
「……ああ、エヴァの考えにはどうしても賛同できない」
「――――」
 
 一瞬、エヴァがひどく悲しそうな表情を見せたように見えた。
 まるで泣きそうな、泣く一歩手前の子供のような、そんな表情。
 けれど、それは見間違いだったのかと思うほど次に見せた彼女の顔には、感情が無かった。
 
「――出て行け、この偽善者が」
「っ! マ、マスター!? 何を、」
「黙れ茶々丸。口答えは許さん。お前も聞いていただろう、”コイツ”は私の悲願の妨げになる可能性がある。そんな者をここにおいて置くわけが無いだろうが。――”貴様”もいいな。この私にそんな下らない妄言を吐いたのだ、相応の覚悟はできているだろう」
「…………ああ」
「そ、そんな士郎さんまでっ!」
 
 茶々丸が出て行こうとする俺を引きとめようと服の袖を掴む。
 けれどその力は余りにも弱弱しい。
 
「ゴメンな茶々丸……、でも俺はエヴァのやり方にはどうしても賛同できない。誰かの不幸の上に成り立つ幸せなんて、そんなの――俺は嫌だ」
 
 当事者ではない俺の言葉はきっと軽いのだろう。
 そして、そんな言葉はエヴァに届きはしない。
 
「し、しかし士郎さんには他に行く場所がないのでしょう!?」
「大丈夫、店にだって寝泊りくらいできる。……ゴメンな、茶々丸」
 
 あくまで引き止めようてしてくれる茶々丸の手をポンポン、と優しく叩く。
 それで俺が止まる事は無いと判断したのか、弱く握っていた手が力なく落ちた。
 そんな茶々丸を置き去りに、地下へと通じる階段を下ってバックを掴む。
 思えば俺に荷物なんて呼べる代物はこれ位しかなかった。
 手にしたバックを背負い階段を上がる。
 玄関に向かう途中、エヴァの顔を盗み見るが、その顔にはやはり何も感情が無かった。
 ゆっくりと扉を開けると蝶番のきしむ音がもの悲しげに響く。
 
「随分、世話になったなエヴァ」
「…………」
 
 返事は無い。
 本格的に嫌われてしまったのだろう。
 そう思うと胸が――痛んだ。
 一歩前に出るとそこはもう夜の世界。暖かい家の中と壁一枚で区切られてるだけとは思えないほどのそれは、まるで別世界だ。
 後ろ手にゆっくりと扉を閉める。
 
「……でもなエヴァ、これだけは言わせてくれ」
「…………」
 
 やはり返事は無い。
 それはわかっていた事だ。
 返事を期待していた訳ではないが、それでも寂しいものがある。
 それでも、これは言わないと……。
 
「――例え何があっても、俺はエヴァ達の味方だ」
 
 扉が閉まる寸前、ハッキリと聞こえる声で、そう、伝えた。
 パタン、と扉が閉まる。
 その瞬間。
 扉に叩きつけられるように何かが勢い良く当たる音と、カップの様なものが砕け散る派手な音が鳴り響いた。
 けれどそれは既に別の世界の話。
 今、俺の居る場所とエヴァ達の居る場所は、壁一枚を隔てて、確かに区切られていた――。
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
「――は……っ! はぁっ……はぁはぁ……はぁ……っ」
 
 私は肩で大きく息をしていた。
 
『――――例え何があっても、俺はエヴァ達の味方だ』
 
 今出て行った馬鹿の言葉を聞いた瞬間、私は目の前にあったティーカップを思い切り扉に向かって投げつけていた。
 ふざけるな! 何が”味方”だ!! 軽々しくそんな言葉をほざいてるんじゃない!!!
 一瞬前まではそう信じて疑わなかったが、この大事な場面で裏切られたっ!!!
 目の前が真っ赤になったと勘違いするほど頭に血が昇る。
 
「――マスター、よろしかったのですか?」
 
 茶々丸の無機質な声。
 見ると、扉の近くにしゃがみ込み、こちらに視線を向けることなく割れたカップを手で拾い集めていた。
 その感情を感じさせない声色に少し頭が冷静さを取り戻す。
 
「――よろしかったのですか?」
 
 もう一度問う。
 意志を持たないはずの無機質な瞳に、確かな意志を込めて私を見た。
 
「当たり前だ、。気紛れに拾った野良犬程度に何を言われた所で、15年の悲願が変わるわけが無いだろう」
「…………そうですか」
 
 そう言うと茶々丸は足元のカップの破片に目を落とし拾い続ける。
 くそっっ! イライラする……。私はこの程度のことに心動かすほど甘い人間ではなかったはずだ。
 それなのにこの体たらく……。
 どうしたと言うのだ、私はっ。
 
「――っく。……出るぞ茶々丸。予定通り、満月の今夜仕掛ける。ここ暫くは生徒を襲って血を吸っていなかったが、噂はいい感じに広まっていた。昼間に様子を伺った感じだと坊やは今夜見回りをしている筈だ」
「…………」
「……返事はどうしたっ!」
「……YES、マスター」
 
 何だと言うのだ本当に。私はおろか茶々丸まで様子がおかしい。
 まるで機械の歯車が一つ欠けてしまったかのような、そんな違和感。
 私達はこれまでの二年間、二人で上手くやって来た筈だ。
 それが元に戻っただけだというのに……なんなんだ、畜生!!
 
◆◇――――◇◆
 
 役に立つか分からない茶々丸は指定の場所に待機させ、私は街灯の上に立ち、坊やの姿を探していた。
 その姿は思いのほか早く見つかった。
 フラフラと歩きながら辺りを警戒こそしているが、緊張感の欠ける表情で辺りを見回している。
 その平和呆けした表情に嗜虐心がそそられる。
 どうやって試してやるか…………。
 先程からのイライラも相まって幾重にも思考が回る。
 そこで、視界の端に面白いものを見つけた。
 
「――27番、宮崎のどか、か……。悪いが生贄になってもらおう……」
 
 クラスメートである少女に目標を定め――襲い掛かる。
 私は、目標にワザと”気が付かれる様に”派手に目の前に飛び降りた。
 本来なら、予定より多くの魔力を補充する事が出来た私には、素人相手に気が付かれることなく接近する事は容易だったのだが、今の目的は坊やの力量を量るコト、坊やに気が付かれる事にこそ意味がある。
 案の定、驚いて悲鳴を上げる宮崎のどかに反応して坊やが文字通り飛んでやって来た。
 
「ぼ、僕の生徒に何をするんですかーーっ!!」
 
 ……ふん、来たか。
 さて、貴様の力、試させてもらおうか――!
 
「――となりて、敵を捕まえろ――”魔法の射手・戒めの風矢”!!」
 
 捕縛魔法か。
 基礎的な魔法だが……悪くない。
 懐から魔法薬を取り出し指先で弾くように放り投げる。
 
「――”氷楯”」
 
 触媒を介して目の前に氷の楯を展開する。
 瞬間。
 バキキキキンッ! と激しい音を立てて迫り来る脅威は全て弾き返した。
 その音の激しさが向けられた魔法の威力を如実に物語っていた。
 
「…………なるほど、凄まじい魔力だ。私の魔力がもう少し低ければ手傷を負っていたやも知れぬ。ふん、これも士…………っ、ちっ……」
 
 言いかけて……止めた。
 くそっ、いちいち馬鹿の顔がちらつく。
 この程度で揺らぐ程、私は弱くなかった筈だ!
 
「……ふん、まあいい。――さて、先生。新学期に入ったんだ、改めて歓迎の挨拶といこうか……。いや、……ネギ・スプリングフィールドと呼んだ方がいいか? 10歳でその力……なるほど”奴”の息子なだけはある」
 
 ささくれ立った感情を無理矢理押し込んで言葉を放つ。
 私に驚いて気絶したのだろう、坊やは倒れた宮崎のどかを抱き起こしながらこちらを伺う。
 
「き、君は……ウチのクラスの……エヴァンジェリンさん!?」
 
 驚きながらもこちらを警戒する素振りを見せる。
 
「な、何者なんですかアナタはっ……僕と同じ魔法使いのくせに何故こんな事を!?」
 
 ……なるほど。
 強大な力を持っていても所詮ガキはガキか。
 自分が組する世界は”善”一色で成り立っていると信じて疑わないらしい。
 
「――この世には、良い魔法使いと悪い魔法使いがいるんだよ。ネギ先生」
 
 もう一度懐から魔法薬を取り出し、放り投げた。
 
「――”氷結、武装解除”!」
 
 武装を凍結、粉砕させる効力を持つ術を放つ。
 元々、攻撃力は持たない術だが私の予想が正しければ……。
 
「――うあっ!?」
 
 坊やは唐突な術式に対して防壁を敷くことすらできず、咄嗟に片手を突き出しただけだが、不完全とは言えそれを抵抗(レジスト)してみせる。
 
「――やはりな」
 
 防壁無しでこの対魔力、魔法抵抗力もかなり高い。
 潜在的な魔力は、もしやすると全盛期の私を上回るかもしれない程だ。
 
「――何や、今の音っ!?」
「あっ、ネギ!!」
 
 そんな時、第三者の声が聞こえてきた。
 ちっ……邪魔が入ったか。
 まだ、試すことは残っているのだが。
 ……しかたない、場所を変えて次の段階に移るか……。
 
「――フン、着いて来るがいい坊や」
 
 流れる風に乗るように移動を開始する。
 さて、着いて来れるか……。
 
「――いたっ!」
 
 背後から声が聞こえる。
 予想を上回る反応だった。
 
「速いな。そう言えば坊やは”風”が得意だったか……」
 
 なるほど、速度は予想以上か。
 ――ならば、これはどうかな?
 橋の欄干から飛び降り空を舞う。
 背後を窺うと坊やは杖に跨り必死に追ってきていた。
 と、なると浮遊術はまだ習得していないらしい。
 
「待ちなさーい! エヴァンジェリンさん、どーしてこんなことするんですか! 先生としても許せませんよーー!!」
「――ハハ、先生、”奴”のコト知りたいんだろ? 奴の話を聞きたくはないのか? 私を捕まえたら教えてやるよ!」
「…………本当ですね?」
 
 表情が変わる。
 なるほど、ナギの事に拘っていると言う茶々丸の情報は正しかったようだ。
 
「ラス・テル・マ・スキル・マギステル 風精召喚っ!! ”剣を執る戦友”!! ――捕まえて!!」
 
 術を紡ぎ終えると同時に現れる坊やと同じ姿をした風の中位精霊が8体。
 ――いや、ソレは存在的には死神と言ったほうが近いかもしれない。
 姿形こそ坊やのソレだが、その手に持つ獲物は死神の名に違わず物騒な事この上ない。
 片手剣、大剣、双剣、首切り刀、大鎌、突撃槍など様々だ。
 ソレが一斉に襲い掛かって来た。
 
「……ちっ、中位とは言え、数が多いと厄介だな」
 
 上下左右、様々な方向からの多角攻撃。
 それにぼやいて魔法薬をばら撒く。
 それによって精霊の半数以上を迎撃できたが、それを逃れた三体が追撃をしてくる。
 
「くそっ!」
 
 舌打ちして更に魔法薬を投げつける。
 左から襲い掛かる精霊を迎撃して……残り、二体!
 が、
 
「追い詰めた! これで終わりですっ! ――”風花・武装解除”」
 
 油断した。
 精霊に気を取られた過ぎて、坊やが目の前に回りこんでいたのに気が付かなかった。
 瞬時に触媒を取り出そうとするが、ソレより速く魔法が襲い掛かり持っていた魔法薬やマントなど全て弾き飛ばされてしまう。
 しかしここは――。
 
「……ふん、やるじゃないか先生」
 
 建物の屋根の上に降り立ち坊やを見据える。
 
「こ、これで僕の勝ちですね。約束通り教えてもらいますよ……何でこんな事したのか。それに……、お父さんの事も」
 
 片手で顔を抑えながらこちらに顔を向ける。
 武装解除の魔法によって全てを飛ばされた私は下着姿なので、それに配慮でもしているのだろうか。
 子供の癖に小賢しい……。
 
「お前の親父、すなわち……『サウザンドマスター』のことか……ふふ……」
「――! と、とにかくっ! 魔力もなく、マントも触媒もないアナタに勝ち目はないですよ! 素直に――」
 
 ……笑わせる。
 この程度で勝敗が決すると思っているのか。
 これからだと言うのに――。
 
「……これで勝ったつもりなのか?」
 
 背後に気配。
 振り返るまでも無い。
 隣に降り立つ背の高い人影――茶々丸だ。
 突如表れた茶々丸に驚きの表情を浮かべる坊や。
 
「さあ、お前の得意な呪文を唱えて見るがいい」
「っ! ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 風の精霊11、」
 
 すぐ目の前に敵がいるというのに暢気に呪を紡ぐ。
 ――馬鹿が。隙だらけだ。
 だが、これで全て分かった。
 この坊やは魔力こそあるものの、使い方がまるでなっちゃいない。
 しかしそれは好都合だ、これほどの魔力を有しているならば、呪いの解呪には十分だろう。
 そして、2対1という状況下においても誰も現れないと言う事は、『魔法使いの従者(ミニステル・マギ)』もいない。
 茶々丸に顎で指示を出すと、瞬時にそれを悟り坊やの詠唱を中断させる為にでこピンをした。
 
 ――こらっ、口の中に物入れながら喋らない――
 
 
「…………っ!」
 
 ――くそっ、まただ。
 些細な事にすらあの馬鹿を連想させる。
 
「……紹介をしよう。私のパートナー、3−A、出席番号10番。――『魔法使いの従者』、絡繰茶々丸だ」
「え……なっ! ええーーーっ!? 茶々丸さんがアナタのパートナー!?」
「そう言う事だ。パートナーのいないお前では私には勝てんぞ」
「なっ……、 パートナーくらいいなくたって……、風の精霊11人……」
 
 この期に及んでまだ状況が理解できていないのか……。
 茶々丸は坊やの詠唱を中断させる。
 それでも諦めないのか、何度も詠唱を試みるがその悉くを茶々丸は止める。
 その程度すら理解出来ていないのか……。
 ため息にも似た感情が出るのがわかる。
 
「――理解していないようだから教えてやる。元々、『魔法使いの従者』とは戦いの為の道具だ。われわれ魔法使い呪文詠唱中、完全に無防備となり、その間、攻撃を受ければ呪文は完成できない。そこを盾となり剣となって守護するのが従者本来の使命だ。つまり……パートナーのいないお前は、我々二人には勝てないということさ」
 
 やはり知らなかったのだろう。
 坊やは面食らったような顔で震えている。
 ――所詮は子供か……。
 
「――茶々丸」
 
 坊やを指差すと茶々丸は無言でコクリと頷いた。
 
「申し訳ありません、ネギ先生。マスターの命令ですので」
 
 茶々丸は瞬時に間合いを詰め、坊やの首を背後から締め上げ動きを封じる。
 
「……ようやくこの日が来たか。お前がこの学園に来てから今日という日を待ちわびていたぞ……。お前が学園に来ると聞いてからの半年間、ひよっこ魔法使いのお前に対抗できる力をつけるため危険を冒してまで学園生徒を襲い血を集めた甲斐があった……。これで奴が私にかけた呪いも解ける」
「え……、の、呪い……ですか?」
 
 ……ふん、やはり知らなかったか。
 
「そうだ、真祖にして最強の魔法使い。闇の世界でも恐れられた……この私がなめた苦汁……」
 
 感情が昂る。
 暗い感情が灯る。
 さっきから情緒が安定しないのがわかる。
 
「――私はお前の父。つまりサウザンドマスターに敗れて以来っ、魔力も極限まで封じられっ! 15年もの間! あの教室で日本の能天気な女子中学生と一緒にお勉強させられてるんだよっ!!」
 
 気が付けば私は、坊やに詰めより、首を締め上げていた。
 感情が上手く制御できていないのと同様に、力加減も上手く出来ない。
 ギリギリ、と強く締めすぎたのか坊やは「――か、っは」と息を止めた。
 それでやっと我に返り手を離す。
 
「そんな……僕、知らな……」
 
 坊やはせき込みながら弁解をしている。
 
「――それこそ私の知った事ではない。この馬鹿げた呪いを解くには、奴の血縁たるお前の血が大量に必要なんだ。奴の残した罪は息子である貴様に償ってもらう――」
 
 言って、坊やの首筋に顔を近づけた。
 無論、これだけでは意味が無いのはわかっている。
 今、血を吸っても解けるのは”登校地獄の呪い”だけで、それだけではここから抜け出す事は叶わない。
 私の力を封印している結界をどうにかしなければ意味は無いのだ。
 やるなら二つ同時に。
 でなければ、魔力を封じられたままの私ではジジィに捕まってしまうからだ。
 今回の目的は坊やの中に私の呪いを解呪出来るほどの魔力があるか、それを調べる為のものだったのだ。
 だからここで血を吸っても意味はない。
 ……意味はないのだが。
 
「……悪いが死ぬまで吸わせてもらう……」
 
 ようは八つ当たりだった。
 やり場の無いイライラを、何でもいいからぶつけたかっただけなのだ。
 ……平和ボケしている坊やの顔が恐怖に歪むのが見たかった。
 そうやって、坊やの首筋に狙いを定め口を開いた。
 その瞬間だった、
 
 
 ――エヴァを信頼している――
 
 
「――…………ッ!!」
 
 止まってしまった。
 口を開いたまま、寸前で止まってしまった。
 
 
 ――いい加減にしろ!!!
 一体何処まで私を苛めば気が済むのだっ!? 貴様は消えろ、邪魔するな、二度と私の前に姿を現すな!
 私は貴様の事などどうでも良いのだッ――――衛宮士郎!!!
 
 
「……コラーーッ! この変質者どもーーーっ!!」
 
 その声に固まっていた身体を動かし、後ろを窺って見る。
 瞬間、
 
「――ウチの居候になにすんのよーーーっ!!」
 
 ガン、という激しい衝撃と共に身体が横に弾け飛んだ。
 馬鹿なっ!?
 最盛期に比べて遥かに劣っているとは言え、今の私の魔法障壁を抜いてくるなど!?
 慌てて新たな障害を睨む。
 
「――なっ! か、神楽坂明日菜!!」
「あっ、あれーーー?」
 
 その人物は神楽坂明日菜だった。
 二人顔を見合わせて驚く。
 ……あり得ない。普通の人間であるはずの、こんな小娘一人にこうも易々一撃を入れられるなど――!
 
「アンタ達ウチのクラスの……、ちょっ、どーゆーこ事よっ!? っ! ま、まさかアンタ達が今回の事件の犯人なの!? しかも二人がかりで子供を苛めるような真似して――答えによってはタダじゃ済まないわよ!!」
 
 ……ちっ、予想外だ。
 まさかこんな伏兵が潜んでいようとは予想だにしなかった……。
 しかし、すでに目的は果たしている。
 潮時か。
 
「――茶々丸、引くぞ」
 
 言って屋根から飛び降りる。
 
「あっ! ちょっ、ちょっと……!?」
 
 追い縋ろうとする神楽坂明日菜の声を無視して落下する。
 その声は一瞬で聞こえなくなった。
 地面に着く前に茶々丸が私を腕に乗せ、宙に舞う。
 
「思わぬ邪魔が入ったが……、予定に変更は無い。坊やがパートナーを見つけていない今がチャンスだ。――覚悟しておきなよ先生……」
 
 夜空に浮かぶ真円の月を見上げる。
 黒いキャンパスに描かれた白い月がまるで落とし穴のよう。
 ジッと見つめていると、空の落とし穴に落下するような錯覚が現実感を曖昧にさせる。
 
 ――気に入った。我が名はエヴァンジェリン。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。貴様の名を聞こう、人間――

 ――士郎。衛宮士郎だ――
 
 
 ギリ、と強く歯をかみ締める。
 暗い感情が意識を覆い尽くしてしまいそうだ。
 
「……マスター?」
「――何でもない、帰るぞ」
 
 夜空を駆け、自宅へと帰る。
 待つ者のいなくなった、迎える者のいないあの家へ――
 
 そして虚空に手を伸ばしてみても、
 

 ――行こう、エヴァ。そろそろ俺もお腹が空いた、皆でご飯を食べよう――
 
  
 ……手は空を切るだけだった。







[32471] 第22話  停滞の時
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 21:57

 
 
 士郎さんが家を出て行って数日。
 アレ以来、士郎さんが家にやって来る事も、マスターから店に出向く事も無かった。
 一度も顔を合わせてはいない。
 マスターは表面上、士郎さんと出会う以前と変わりないように振舞ってはいるが、ふとした拍子に何かを思い出してはイライラを募らせているように見える。
 食事をしている時、お茶を飲みたくなった時、それこそ数え切れない。
 その節々で何を思い出しているか――そんな物、考えるまでも無い。
 
「――ネギ・スプリングフィールドに助言者がついたかも知れん。しばらく私の側を離れるなよ」
 
 茶道部部室からの帰り道。
 この日も、茶道部の部室でお茶を飲んでいたのだが、全く落ち着きが見られず、お茶に集中しているようには見えなかった。
 感覚的に反応がいつもより遅いのだ。
 
「……はい、マスター」
 
 マスターは士郎さんの話を決してしない。
 あからさまに避けていた。
 本当にこのまま、今までの月日が無かった物になってしまうのだろうか……。
 士郎さんが現れてからの数ヶ月。
 マスターも最初は、それこそ新しい玩具を見つけたような、何処か暇潰しをしているだけの様にも窺えた。
 ――けれど、数日。ほんとに短い時間だっただろう。
 その片手で数える事が容易なくらい短い期間で――変わった。
 マスターは、ある日を境に士郎さんをいつも気にかけるようになっていた。
 士郎さんが店の準備をしている時は、学校の授業が終わるとすぐに手伝いに向かい、『別荘』で士郎さんの制服を作っている時は、時間などそれこそ幾らでも取れるだろうに、睡眠の時間すら惜しんで作り続けていた。
 時間、材料、技術、設備。
 全ての面で出し惜しみなど微塵も考えてなどいないように見えた。
 士郎さんには伝えていないが、あの大きな赤いルビーをあしらった紐ネクタイ、その赤いルビーは規格外の能力を持った魔法のアイテムであり、マスターにとっても、最後の手段と言える程の力を持っていたのだ。
 マスターがそれを使用すると言った時に、私も少なからず動揺したのだ。
 それは、マスターが収拾した数多の財宝の中でも、3本の指に入るくらいの価値があると自慢していたのを思い出したからだ。
 けれども、マスターはそれを嬉しそうに使用し、紐ネクタイを完成させ、士郎さんにそれを贈った。
 店が完成すると毎日のように……、まるでそれが当然であるかのように足しげく通い詰めては一緒の時間を過ごしていた。
 家には色々物が増えた。
 士郎さんのお茶碗や湯飲みといった食器類。
 士郎さんがマスターに頼んで集めてもらった様々な書物。
 士郎さんの為に用意された救急箱。
 ――ああ、そう言えば救急箱を用意した際に「……血の味の付いた料理など食べたくは無いからな」と言って用意した糸や針、更には強力な鎮痛、止血作用のある魔法の薬や、増血作用のある怪しげな薬など、集められた数々の薬品類。
 その時は料理で一体どれほど血を流すのだ、と士郎さんが笑ってはマスターに怒られていたものだ。
 その全てでマスターの表情は――楽しそうだった。
 士郎さんが来てからという物、表情が多彩に彩られるのを私は間近で見続けてきた。
 笑い、怒り、哀しみ、時には拗ねて。
 こんなに色々な表情をするマスターを私は見た事がない。
 二年間、共にいる私が見たことも無かった表情を、士郎さんはほんの数ヶ月で引き出した。
 そして、士郎さんは人間ではない私に対しても優しく接してくれていた。
 まるで当然のように私に食事を進め、人間と同じ扱いをした。
 それは困った事であり、同時に――嬉しくもあった。
 私に重い物は持たせられない、と荷物を全て持ってくれたり。
 マスターの為に奉公をするのが当然の私を、良い子だと褒めて撫でてくれたり。
 ――まるで、人間の少女にそうするかのように。
 異なる世界から来て、御自分の方が大変だろうに、いつも私達を第一に考え行動してくれていた。
 …………けど、今はもうそれが無い。
 それまでの空気が、夢物語のように遠く感じられる。
 マスターは表情を堅くし、私もただ淡々と与えられた使命を果たしていた。
 以前まではそれが当然であり、日常だったのに、今はそれに耐え難い違和感を覚える。
 それほど私達を取り巻く空気は一変してしまっていたのだ。
 
「……おーい、エヴァ」
 
 マスターを呼ぶ声がする。
 そちらを見てみると、高畑先生がこちらに向かって手を振っていた。
 私はそれに礼をして応えた。
 
「――何か用か」
 
 憮然と応えるマスター。
 それはいつもより棘のある対応にも見えた。
 
「学園長がお呼びだ。一人で来い、だってさ」
 
 ――学園長先生からの呼び出し。
 もしかしたらこの間、ネギ先生を襲った件かもしれない。
 
「……分かった。すぐ行くと伝えろ。――茶々丸、すぐ戻る。必ず人目のある所を歩くんだぞ」
 
 マスターはこちらを向き、そう忠告すると高畑先生と二人で行ってしまう。
 その後姿に、まるで似てもいないのに、何処かマスターと士郎さんが並んで歩いているようにも見えた。
 
「――お気をつけて、マスター」
 
 聞こえはしないだろう。
 小さく呟き、小さくなる背中を見送った。
 私はマスターと別れて、日課であるネコ達の餌やりに、いつもの場所へと足を向けた。
 
「――士郎さん……私達はもう、このままなのでしょうか……」
 
 目的の場所へと向かう道中。
 川原の側を歩きながら一人呟く。
 世間では桜が春を謳歌するかのように咲き誇っているというのに、私達を取り巻く環境はまるで逆のように思える。
 しばらく道なりに進んでいると、小さな女の子が泣いているのを見つけた。
 上を見上げてみると、風船が木に引っかかっているのが見える。
 
「…………」
 
 私は無言で飛び上がり、それを手に取る。
 女の子はそれに少し驚いたようだが、風船を手渡すと一転して笑顔に変わった。
 
「お姉ちゃん、ありがとー」
 
 満面の笑みで受け取って私を見上げてくる。
 感謝されるでもなく、当然のコトだと思った。
 私を生んでくださった人間の方々に礼を尽くすのは当たり前だと。
 ……けど、士郎さんだったらこんな私を良い子だと言ってまた褒めてくれたりするんだろうか。
 いや、もしかしたら女の子にそんな事させられないと言っては、御自分で木によじ登って服を汚しながら取ってくれたりするのかもしれない。
 あの人はそういう人なのだ。
 
「バイバーイ」
 
 可愛らしく手を振る女の子に、手を振り返してその場を離れる。
 
「あ、茶々丸だー!」
「茶々丸ー♪」
 
 何処からか小さな二人の小さな男の子が私目掛けて走ってきては、私の周りをクルクル回るように走り回っている。
 良く見ると何度か見た事のある男の子達だった。
 それに礼をして向かい入れると、再度目的の場所へと足を向ける。
 少しの間、男の子達と話をしながら歩いていると、歩道橋を苦労しながら上っているお婆さんを見かけた。
 
「お婆さん、宜しければ――」
 
 当然、私はお婆さんの力になるべく、お婆さんを背負って歩道橋を渡って向こう側へと渡る手助けをする。
 お婆さんは「あら、あら」と恐縮してしまうような感じを見せたけれど、この程度のこと私を受け入れてくれるアナタ方に対する感謝に比べれば、まだまだ足りないくらいだ。
 お婆さんと別れまた歩く。
 男の子達は私に「空とんでよー」「乗せてよー、茶々丸ー」と言うが、それは危険でもあるし万が一も事があっては大変なのでやんわりと諭すように断った。
 不意に喧騒のようなものが聞こえる。
 前を見てみると人だかりが出来ていて、川の流れを見ている。
 けれど只、流れを見て楽しむにしては様子がおかしい。
 疑問に思い視線が集まる場所を確認してみる。
 と、
 
「――いけませんっ」
 
 川の流れに乗って小さな箱が、いや、正確には箱の中に入った子猫が流されていた。
 慌てて川に入って流されていく箱を捕まえる。
 すると、子猫は私を見上げて、にゃー、と鳴いた。
 ……良かった。箱も浸水していないし、子猫も怪我はないようだ。
 箱を慎重に抱え上げて陸へと帰る。
 それを見ていた皆さんは私を拍手で迎えてくれた。
 それはとても嬉しい事なのだが、称えられる程の行為なのだろうか?
 この子を含めて人間の方々の命は掛け替えのないものだ。全てにおいて優先される尊いものだと思う。
 私のような人工的なモノとは違って替えは効かないのだから。
 ……そこで、また思う。
 士郎さんなら、こんな私の言い分を叱るのかもしれないと。
 あの人は、とても優しい人だから、人間の方々と同列に扱い、そんな風に言う私を真剣に叱り付けてくれるのかもしれない。
 
 その場を後にして、寮に帰るという男の子達の背中を見送る。
 遠くで手を振っているのが見えたので振り返して応えた。
 すると、遠くで鐘の音が響く、リンゴンと言う音が聞こえる。
 ……いけない。いつもより遅れてしまった。猫達もお腹を空かせて待っているだろうか。
 少し早歩きで道のりを急ぐ。
 先程助けた子猫は私の頭の上が気に入ったのか、落ちることも無くノンビリとそこに乗っていた。
 きっとあの猫達もこの子を受け入れてくれるだろう。
 いつもの場所に着くのと同時に、建物の影から猫達が顔を覗かせた。
 一匹出てくると、二匹三匹と続々と集まり、私の足に摺り寄ってくる。
 ……うん、今日も皆いる。
 エサを入れる容器にネコ缶の中身を移す間、猫達は大人しくそれを待っている。
 子猫も私の頭から降りるとエサを待つネコ達の輪に加わった。
 良かった、やっぱり受け入れてもらえた。
 最初は受け入れてくれなかったらどうしようかと思ったが、杞憂に終わって良かった。
 
「さ、お食べ……」
 
 私が言うと猫達は一斉に容器に顔を突っ込み、食べ始める。
 皆、ケンカもしないで行儀良く元気に食べている姿を眺める。
 
 ――家族なんだろう? 理由なんてそれで十分だ。
  
 思い出すのは士郎さんと出会ったばかりの出来事。
 ガイノイドだから食事を取る必要は無いと言った私に、士郎さんは家族だからと言う理由で食卓に座らせた。
 ――嬉しかった。
 作り物である私を、何の疑問も抱かずに家族と言ってくれた言葉が、何よりも――嬉しかった。
 マスターのお世話を士郎さんと一緒にするのが楽しかった。
 士郎さんは、マスターに対していつも粗雑とも取れるような、気ままな態度を取っていた。
 マスターはそれを最初こそ苛立たしげに思っていたようだが、次第にそんな気ままな士郎さんだからこそマスターも気ままに話すようになっていた。
 私もそんな御二人を見ているのが好きだったのに、なんで……。
 
「…………」
 
 にゃー、という鳴き声で我に返ると、足元にネコが一匹身体を摺り寄せていた。
 容器を見ると、沢山あったエサが綺麗に無くなっていた。
 もしかすると結構長い時間呆けていたのかもしれない。
 ゴーン、と鐘が鳴る。
 それを合図にしたかのように猫達は身を寄せ合って帰っていく。
 
「おやすみなさい、また明日」

 それを見送り容器を片付ける。
 ――と、背後に人の気配があった。
 
「――こんにちは、ネギ先生、神楽坂さん」
 
 驚きは無かった。
 以前はこちらから襲った相手だ、逆にこちらが狙われる可能性だって十分ある。
 しかし――どうやら、かなり物思いに耽っていたらしい。
 この距離まで接近を許すとは…………。
 マスターの忠告が今更ながら身に染みる。
 
「……油断しました。でも、お相手はします……」
 
 自分達から仕掛けておいて攻めてくるな、などと甘いことは言わない。
 仮にも命を狙ったのだ、逆に自分が破壊される覚悟は最初からしている。
 
「茶々丸さん、あの……僕を狙うのはやめていただけませんか?」
 
 懇願するような瞳でネギ先生は訴えかける。
 そのような瞳を見ると心苦しく感じるが……。
 
「……申し訳ありません、ネギ先生。私にとってマスターの命令は絶対ですので」
 
 心からの謝罪と共に、ネギ先生の願いに頭を下げる。
 
「ううっ……仕方ないです……。では、茶々丸さん」
「……ごめんね」
 
 ……謝らないで欲しい。
 元はと言えばこちらから仕掛けたのだから、本来ならネギ先生や神楽坂さんにはなんの罪はないだろうに。
 私は、はい、とだけ答え、ネコ達のエサの容器が入った袋を地面に置く。
 
「神楽坂明日菜さん……、いいパートナーを見つけましたね」
 
 この間の身のこなしを見る限り、素人であるにも関わらず鋭いモノがあった。
 なるほど、彼女なら不足はないだろう。
 
「――行きます! 契約執行10秒間!! ネギの従者『神楽坂明日菜』!!」
 
 瞬間。
 神楽坂さんが弾かれるような勢いで接近するのと同時に迫り来る右の手!
 『仮契約』による身体能力の向上分を加味したとしても、予想を遥かに上回る速度。
 ――予想戦力の上方修正。
 私は咄嗟に左手を振って、私を捉えようとする右手を弾く。
 続けざまに左手が私の顔を目掛けて放たれる。
 それを右手で払いのけようとする。
 が、
 
「――えいっ!」
 
 修正した戦力を更に上回った!?
 迫る左手に防御の手が間に合わない。
 かわせると判断した私の額に指先がかすり体勢が崩される。
 
「はやい! 素人とは思えない動き――っ!?」
 
 視界の端にネギ先生を捕らえた。
 アレは……いけない!!
 
「――光の精霊11柱……―ー集い来たりて……」
 
 攻撃呪文!
 ネギ先生の周囲に、淡い光を放ち漂う光球がいくつも現れる。
 私は慌てて、張り付く神楽坂さんの足を払い、回避を――。
 
「――”魔法の射手・連弾・光の11矢”!!」
 
 『追尾型魔法、至近弾、多数――』
 ……無駄だと判断した。
 どんな状況下であろうと、私に搭載された量子コンピューターが瞬時に判断を下す。
 たとえ最悪の結果であろうと冷静に――事実だけを下す。
 恐怖は無い。
 元々、私にそのような感情がプログラムされている事すら分からない。
 でも最後に、只、思った――。
 
「――すいません、マスター。もし、私が動かなくなったらネコのエサを……」
 
 …………そして、願わくば。
 
 ――士郎さん、どうかマスターを一人にしないで上げてください。
 
 迫り来る破壊の光を眺め、そう、願った。
 光の向こうには、何かに驚くように私から視線を逸らすネギ先生と神楽坂さんの姿。
 けれどそんな物に関心は無い。
 そして…………、
 
 
 
 
 ――私は弾き飛ばされ、地面に転がったのだ。
 
 
 
 



[32471] 第23話  闇の福音
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 21:58


 
 …………………………………………………。
 …………………………………………………。
 …………………………………………………。
 ………………………………………おかしい。
 これは…………………………どう言う事だ?
 私は確かに魔法攻撃の直撃を受けた筈。
 あの距離、速度、タイミング、どれをとっても回避は不可能だったのは間違いない。
 だと言うのに何故私は――無傷で転がっているのだ?
 全身のシステムをどんなにチェックしても異常な箇所は一つも見受けられない。
 もしや寸前で軌道を逸らされたのか?
 そう思って辺りを見回してみても……激しい土煙でよく見えなかった。
 更に謎は深まっ、
 
「……え」
 
 ――――待て。
 
 今、視界の端にナニカがよぎった。
 
「――――そんな、何故……」
 
 気分が昂る。
 嬉しい誤算、とでも言うのだろう。
 馬鹿な、あり得ない、何故、どうして、まさかそんな――。
 自分で自分を焦らしたいのだろうか?
 人工知能たる部分で、視界に一瞬映ったソレを否定しようと躍起になる。
 だが冷静に事実だけを告げる量子コンピューターには、そんな機微が伝わるはずは無く、只、結果を導き出していた。
 それでも、その結果をあえて信じようとせず、自分で”何をやっているんだろう?”と自分自身が信じられない疑心暗鬼に陥りながらも、恐る恐る視界の端に移ったソレを正面から捉えた。
 ――それは、
 
「…………し、ろう、さん?」
 
 私の腰にしがみ付く様に、うつ伏せになった衛宮士郎――士郎さん、だった。
 間違いない、士郎さんが寸前で助けてくれたのだ。
 ほんの数日会っていなかっただけなのに随分と久しぶりな気がする。
 何故ここに士郎さんが? 今の時間帯はお店を……ああ、休憩時間か。
 ならばここにいても不思議ではないのか……。
 
「あ、ありがとうございます士郎さん……助かりました」
 
 こんな体勢だが、とりあえずお礼だけはちゃんとしないと……。
 しかしこのタイミングでの登場、これではまるで以前に言っていた『正義の味方』のソレではないか。
 ……完璧だ、完璧過ぎる位のタイミングと言って良いだろう。
 ――もしや何処かで出るタイミングを計っていたのではないか?
 …………まあ、士郎さんに限ってソレはないか。
 感情で動いているような人だし。
 ……って、士郎さんに対して失礼な考えをしてしまった。
 いけない、いけない……この御方に対して、なんて不忠を!
 ――と、自己整理はこの位にして、この如何ともしがたい状況を何とかしないと……。
 
「あ、あの…………士郎さん? そろそろ退いて頂ければ助かるのですが……」
 
 私が身じろぎすると「う……んっ」と、言う声が聞こえる。
 それは別に構わないのだが……その、この体勢は…………何とかならないでしょうか?
 士郎さんは私の腰の辺りにしがみ付いているような形になっていて…………そうなると自然と士郎さんの頭の位置が丁度…………私の、えっと……胸、の位置に来るのであって。
 私も女性型といった風に作られたからには、それなりに『羞恥心』と言うものはプログラムされてる訳でして……。
 
 私のような堅い胸で満足できるのでしょうか?
 
 ――じゃなかった。
 
 どうせなら、マスターのような生身の人間の方の胸のほうが柔らかく……ああ、マスターに胸と呼べるようなモノはありませんでしたね。
 
 ――でもなくて……っ!
 駄目だっ、この状況では変な事にしか思考回路が回らない!?
 改善の為にも一刻も早く体勢を直さなければっっ!
 
「も、申し訳ありません。失礼します、士郎さん」
 
 無理矢理体勢を直して起き上がる。
 士郎さんはその反動で、私の身体の上を滑り落ち、
 
 
 ――――ヌルリ、とした感触を伝えて、真っ赤な水溜りへと沈んだ。
 
 
「――――え」
 
 春の風が、ザァと土煙を攫って行く。
 視界が晴れた。
 
「――ゴホ、ゴホッ……! ちょっ、ちょっと、今のってシロ――」
「え、ええ……僕も見まし、た………………」
 
 なにか声の様なものがしたけど……聞こえない。
 そんな些細な物より、すぐ目の前での出来事の方が何十倍も重大だ。
 真っ赤な水溜りはどんどん広がって行く。
 そこに、力なく横たわる――士郎さんの身体。
 これは……なんだ?
 士郎さん…………こんな所で寝ては、お風邪を召してしまいますよ?
 ああ、いけません。士郎さんのお洋服が真っ赤に染まって……早くお洗濯しなければ染みになってしまいます。
 ……目の前の状況に人工知能はその機能を手放した。
 しかし、量子コンピューターは、それを補うかのようにフル稼働をして現状を把握し始める。
 現状把握。当機に損害無し。
 現時点での敵対戦力。対象者二名。
 されど、敵対者の戦闘意欲無しと断定。
 理由は不明。
 現時点での調査の必要認めず。
 当戦闘地域における負傷者を一名確認。
 対象者氏名、外見的特長から衛宮士郎と断定。負傷者の現状を把握。
 現観察段階で後頭部に大規模の衝撃の痕跡確認。更に裂傷による失血――多量。
 現時点での優先順位決定を開始――等と、そんなモノ、イラナイ、必要ない、なにを優先させるかなんて計算――不要!!!
 ――士郎さんが私を助けて傷付いてしまった!!
 
「――――士郎さんっ!!!!」
 
 私は慌てて士郎さんの状況を確認する。
 意識は…………無い。
 先程の呻き声は、只、肺の中の空気が漏れ出したモノだったらしい。
 全身に打撃を受けたような痕跡を確認。
 先程の魔法を全身に受けたようだ。
 左側頭部の裂傷からの失血、――いけない、危険域に近い!
 裂傷が魔法によるものかは不明、切り口を見る限り鋭利なモノにより切り裂かれている。
 
「――え……あ、ちょっ、ウソ……シロ兄、シロ兄なのっ!?」
「……あ、あ、あぁ……ぼ、僕……」
 
 うろたえる声が聞こえる。
 ――静かにしてくれないだろうか。
 今はそちらに向ける意識や聴覚といった、ほんの僅かなものを裂く事すら惜しいのだ!
 ……裂傷の原因判明。
 先程の魔法によって地面が抉れているのを発見。
 その破片が鋭利な弾丸となって飛散したようだ。
 良く見ると、頭部の裂傷の他にも小さな傷があるのが確認される。
 意識が無いのは、魔法による衝撃が頭部を直撃したモノだろう。
 失血による意識の喪失ならば、こんなに早く意識不明にはならない。
  
「失礼します、士郎さん」
 
 私は自分の制服の袖を勢い良く引きちぎって、包帯代わりにして強く傷口にまきつける。
 これで少しは失血を抑えられるだろう。
 けど――、
 
「――駄目です……これでは足りません」
 
 今出来る応急処置では限界がある。
 すぐに病院へ行かなければ……。
 ――いや、病院でもここまでの出血に対応できるかどうか……。
 このままで……。
 
「……――――ッ!」
 
 冷静な量子コンピューターが嫌になる。
 どんな最悪の結果すら簡単に割り出してしまう。
 が、
 
「――そういえば」
 
 今度は掌を返したように冷静な量子コンピューターに感謝した。
 以前、マスターが大量の魔法薬を士郎さんの為に準備していたはずだ。
 アレならもしかしたら……、
 
「ウソ…………それって、血……なの……?」
「え、え、衛宮さん……? え、そんな……」
 
 未だにうろたえるお二人に構っている時間は無い。
 私は士郎さんを抱え上げると、急いで家へと飛んでいこうとする。
 と、
 
「これは……?」
 
 士郎さんの荷物だろうか、大きなバスケットケースが無造作に転がっていた。
 大事なものだといけないので回収する。
 
「――失礼します。最優先事項ができましたので」
 
 二人に別れを告げて、ゴウッ! と空に飛び上がった。
 何か叫んでいたようだが轟音にかき消されて聞こえない。
 
(――士郎さん、貴方を死なせはしません!)
 
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
 私は最速で家へと辿り着き、乱暴に扉を開け放った。
 バタン、という大きな音が静かな屋内に響く。
 
「……なんだ、茶々丸騒々しいぞ」
 
 先に帰宅していたのだろう、ソファーに座り本を読んでいたマスターが、顔を上げないまま苛立たしげに出迎えた。
 良かった、居てくれた。
 
「マスター……ッ! 士郎さんが!!」
 
 士郎さん、というその言葉にピクリと反応を見せると、イライラを更に増したように、勢い良く読んでいた本から顔を上げる。
 そして射抜くかのようなキツイ目線で私を睨みつけた。
 
「――士郎、だと……!? あの馬鹿がどうしたのだとっ……!! …………………――――待て、何だソレは……」
 
 そこでようやく私の抱えた士郎さんに目が行ったのだろう。
 マスターは目を丸くして、血が流れ落ちる士郎さんの姿を我を忘れたかのように凝視する。
 頭部から流れ落ちた血は士郎さんの体を伝い、その体の半分を真っ赤に染め上げ、ダラリを下がった手からは今もポタポタと零れ落ちている。
 マスターの手に持った本がバサリ、と床に落ちた。
 
「マスター、士郎さんがお怪我をっ――既に危険なレベルです!」
 
 その声で我に返ったのか、ハッとした様子で苛立たしげに声を荒げた。
 
「……ちぃ!! 何をしているのだこの馬鹿はッ!! 茶々丸ッ! ボサッとするなっ、その馬鹿をソファーに寝かせろ!!」
 
 マスターは慌てながらも冷静に救急薬や魔法薬の入った箱を取りに走った。
 ……良かった、万が一にもマスターが士郎さんを見捨てる事が無くて……。
 しかし、思えば当たり前だったのかもしれない。
 元々、あんなに強い絆で結ばれていた二人なのだから――—。
 
「おい、茶々丸!! タオルをありったけ用意しろ! それと毛布だ!!」
「――はい、マスター!」
 
 マスターは箱を持ってきて士郎さんの傷を見ながら、私に大声で激を飛ばす。
 私は慌てて指示に従って命令された物の準備を始めた。
 と、
 
「――――…………ぁ」
 
 マスターの大声に反応したのか、士郎さんがゆっくりと瞳を開けていた。
 けれどその瞳は焦点はまるで合っていないようで、眼球が小刻みに左右に振れている。
 瞳孔は散乱し、呼吸も浅く速い。
 恐らくその瞳では物の形を識別する事など不可能だろう。
 
「…………よぅ、エ……ヴァ、ひ、さし……ぶりだ――な」
 
 ……それだって言うのに、傍らにいる人物を当然のように言い当てた。
 そして、状況に似合わない暢気な挨拶をする。
 失血による意識の混濁によるものなのだろう。
 それでも士郎さんは血の気の無い顔でいつものように続けた。
 
「――なん、だ……? 不、景気な……顔して。ちゃん、と……飯、食ってる――か?」
「……――この馬鹿が……いいから喋るな!!」
 
 マスターはそれを怒鳴りつけながらも治療を続けた。
 きつく縛った布を解くと、血が一気に溢れ出し、マスターの手を真っ赤に染めた。
 それに顔を顰めながらも、箱の中にあったビンから取り出した、ドロリとしたゼリーのような物を傷口に大量に塗りつけると、あれ程止まらなかった血がピタリと止まった。
 
「……ったく、……しょうが……無ぇ、な。――ほら、……今日は俺が…………弁、当……作って、きたから……皆で食おう……ぜ」
 
 こちらの声は聞こえていないのだろうか。
 いや、聞こえていても同じ事を言ったのかもしれない。
 マスターの声を無視して、それでも士郎さんは話を続けた。
 
「――……っ! お前は何処まで能天気でいれば気が済むのだ!!? そんなモノのコトより自分の心配をしろっ!!」」
 
 一瞬、マスターの目から何かがこぼれ落ちたかのように見えた。
 私はそれを見ない振りをして士郎さんの身体に毛布をかける。
 一瞬触れた士郎さんの体温は、とても生きているとは思えないほど低くて、不吉な事を連想させてしまう。
 
「……――アレ? 何処、いった……? 俺、持ってきたのにな………弁当。――ははは、寝ぼけてん、のかな。さっきから、や…………たらと……眠い、し」
 
 かけた毛布をはだけ、手探りで何かを探す仕草をする。
 虚ろな瞳はキョロキョロと宙を彷徨った。
 けれど、その瞳は何も映してはいないだろう。
 
「動くな!! 治療が出来んだろうがっ……お前、このままだと――……本当に死ぬぞっ!」
 
 そう言い放ったマスターが自分の言葉に一番驚いたようだ。
 何かを堪えるように歯をかみ締めていた。
 良く見るとマスターの身体が小刻みに震えているのが分かる。
 
「……怒るな、よ。……――今、見つけて………やっから。なあ…………エヴァ。――そしたら、また…………皆で、一緒……に……さ………………」
 
 バタ、と何かを探していた手が――落ちた。
 
「……っ!? ――くそ、くそっ、くそっっ!! 自分ひとりで好き勝手抜かしおって!! まだ私は何も言い返してないだろうがっ!! …………死なせはせん、死なせはしないぞっ!! ――死ぬと言うなら私の一生分の文句を聞いてからにしろっ!」
 
 マスターは必死にボロボロの士郎さんの治療を続ける。
 ボロボロと涙をこぼしながら――。
 
  
◆◇――――◇◆
 
 
 
 3時間後、何とか士郎さんの容態は落ち着きを見せた。
 周囲には士郎さんの血が染み込んだタオルや、薬品の入っていたビンなどが散乱している。
 それが、それまでの状況の壮絶さを物語っていた。
 実際、士郎さんは一時、失血で本当に危険だったのだ。
 だが、増血作用のある魔法薬を無理矢理飲ませると、見る見る内に顔色が良くなっていった。
 ただ、これは強い副作用を持っていて数日は目を覚まさないとの事だ。
 マスターは士郎さんが横たわっているソファーの傍らに力なく座り込み、血に濡れた格好を気にも留めず士郎さんの寝顔を呆然と眺めていた。
 
「…………マスター、これを」
 
 私はある物を、力なく床に座ったままのマスターに手渡した。
 それは士郎さんが持っていたであろう大きなバスケットケース。
 中身は……言うまでも無いだろう。
 
「……………………」
 
 マスターはそれを無言で受け取ると、蓋を開けた。
 中身は地面に転がったり、魔法で抉れた地面から飛んできた破片によってぐちゃぐちゃだった。
 でもそれは、
 
「……………――っ!」
 
 マスターが声に詰まる。
 確かにそれはぐちゃぐちゃで、所々砂が混じって、見るも無残な惨状だった。
 でも、声に詰まったのはそんな惨状による物ではないだろう。
 ――分かった。
 分かってしまったのだ。
 私達には分からない筈がなかった。
 お結び、野菜のサンドウィッチ、鳥のから揚げ、玉子焼き、ミニハンバーグ等……。
 忘れも、見間違いもしない。
 それは、確かに士郎さんが初めて作ったお弁当そのままだったのだから。
 そこには、いつの日かの穏やかな昼下がりの光景が再現されたかのように様に存在していた。
 
「…………………くそっ」
 
 吐き捨てた言葉は何に向けての物か。
 呟き、マスターはその一つを手に取り頬張る。
 本来なら砂にまみれたそれを食べるマスターを止めるのだが、そうする気にはなれなかった。
 ジャリ、ジャリと砂を噛む様な音がする。
 それでもマスターはそれを無理矢理飲み込み次を手に取った。
 
「……マスター、私も頂いて宜しいでしょうか」
「……好きにしろ」
  
 マスターと二人、黙々とそれを食べ続ける。
 見た目は、とてもじゃないが士郎さんが作ったとは思えない位に原型を留めていない。
 それでも、その一つ一つが心を込めて作られているのが分かる。
 そこに込められた想いまでも……。
 
「…………くそ、くそっ。ちっとも減らないじゃないか………、こんなに大量に作って……何、考えてるんだ馬鹿が。こんな物、とてもじゃないが私達二人だけでは…………っ!」
 
 ポロポロと涙をこぼしながらも口の中のものを何とか飲み込んでいく。
 その姿はイライラを募らせていた姿ではなく、士郎さんと出会ってからのマスターに戻っていた――。
 
「………――茶々丸」
 
 どれ位そうしていただろう、不意にマスターが声をかけてきた。
 その声はとても冷静で、既に先程見せていたような涙は流していなかった。
 ただ士郎さんの傍らに座り込み、その寝顔を眺め続けている。
 
「何があった。――全てを話せ」
 
 有無を言わせない声。
 私はそれに逆らえず、事の始まりから全て包み隠さず伝えた。
 マスターと分かれてからネコ達のエサやりに行った事。
 その隙を突かれてネギ先生と神楽坂さんに襲撃を受けた事。
 戦闘になり私が危機的状況に陥った事。
 そして、――私を庇って士郎さんが怪我をした事を。
 
「……そうか」
 
 全てを聞き終わったマスターはただ一言呟いた。
 そして横たわったままの士郎さんの髪をゆっくり、ゆっくりと撫で始めた。
 
「…………なあ、士郎。お前は本当に私達の味方だったのだな……? こんな身体を張るような馬鹿な真似までしおって……。誰がここまでしてそれを証明しろと言った……馬鹿者が。――いや、馬鹿は私か……。結局はお前を信じ切れなかった私の招いた事態なのかもしれん。……なあ、士郎。私を許してくれるか? 愚かだった私を許してくれるか? ……なあ、士郎。またここで共に暮らしてくれるか? 今までと変わらず私の側にいてくれるか?」
「……マスター」
 
 士郎さんは答えない。答えられない。
 マスターは士郎さんの右手を手に取り、自身の頬へと宛がった。
 その手の甲にも、破片による切り傷が生々しく血を滲ませている。
 マスターはそれを見つけると、愛おしそうに手の甲に口をつけ、舌でそれを綺麗に舐め取ってから絆創膏を張った。
 そしてその手を毛布の中にゆっくり戻す。
 その様はまるで聖母のように穏やかだった。
 が。
 
「――だがな、士郎。このままでは私の気が収まらん」
 
 瞬間で声色が180度変わる。
 今までのが春の心地良い風だと言うならば、それはまるで極寒の冬の吹雪のよう。
 もう一度、士郎さんの頬を優しい手つきで撫でると、徐に立ち上がった。
 
「――茶々丸……潰すぞ」
 
 感情を感じさせない声でそう告げた。
 それは私に意見を求めているようなモノではなく、すでに決まった決定事項を伝達する為のものだ。
 
「潰す……と、申しますと?」
 
 意味が分からず思わず聞き返す。
 
「――――全てだ」
 
 ゾワリとした感触が全身を駆け巡った気がした。
 
「ヤツの身体、人格、尊厳、未来――あらゆる物全てだ」
 
 ゆっくりとこちらを向く。
 その表情には何の感情も映ってはいない。
 ――何も映っていない。
 ――そこには深い闇だけがあった。
 
 
「――償わせてやる。我が家族を傷付けた罪、あの坊やに償わせてやる」
 
 
 只々、氷のように冷酷で、燃え盛る狂気を身に宿した『闇の福音』が、その本当の姿を現にしていた。







[32471] 第24話  狂気と変わらぬ誓い
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 21:59

 
 ――夜の帳が落ちる。
 青かった空を、闇のカーテンが隠してしまったかのようだ。
 
「……あと僅かだ」
 
 あの忌まわしい出来事から数日。
 士郎は未だに深い眠りについたままだ。
 茶々丸は学校を休み、片時も離れることなく看病を続けている。
 私は忌々しい呪いのせいで学校には行かなければならなかったが、教室には一切向かわずに屋上で過ごしていた。
 正直、坊やの顔でも見ようものなら感情を抑えつけられる自信はなかったし、抑えるつもりもなかった。
 この時をどんなに待ち望んだだろうか。
 ありとあらゆる感情をこの時の為に押し殺してきた。
 今夜、全てから開放される。
 停電をするという夜。
 私が呪縛から開放されるのは今夜の20時から24時。
 その4時間で全てにケリをつける。
 坊やを誘き出す下準備も終了している。
 その為にクラスメイトの一人を犠牲にした。
 士郎の奴が聞けば間違いなく怒るだろう。
 だが、犠牲と言ってもある種の催眠を少し施してやっただけ。この位は見逃してほしいものだ。
 その者の名は佐々木まき絵。
 ガキくさいのは減点だが、身体能力は非常に高く利用価値がある。
 臨時の下僕として利用するする分には申し分ないだろう。
 奴には、私の魔力が回復する少し前に、適当な人物を大浴場に誘導するよう暗示をかけてある。
 これで私の僕たる半吸血鬼を複数作る計画だ。
 ネギ・スプリングフィールド。
 最初はガキだから多少は加減をしてやろうかとも思ったが……気が変わった。
 
 ――奴は私の大切なモノを傷付けた。その報いは受けてもらう。
 
「あの坊やには同等の苦しみを味わってもらわねばならん」
 
 あの甘いお子様は必死になって向かって来るだろう。
 心の中で愉悦が浮かぶ。
 その光景を思い浮かべるだけで、思わず笑い出しそうになる。
 
『――こちらは放送部です。これより学園内は停電となります』
 
 スピーカーから停電の始まりを告げる放送が聞こえる。
 遂に来たか……長い戒めから抜け出す時が。
 
『学園の皆さんは極力外出を控えるようにしてくださ、』
 
 ブツッ、と流れていた放送が途中で途切れた。
 それと同時に地上から輝きが消え去る。
 空に浮かぶ月が、益々その冷たい輝きが増したような気がする。
 それに遅れる事一分ほど――。
 
「………ん………」
 
 ふわりとした浮遊感。
 まるで今までずっと何百キロもの重りを担いでいて、それが段々無くなっていくような感覚。
 地面に足をつけているのに浮いているような錯覚。
 ついで、身体の中心にせき止められていた大量の水が一気に流れては全身を巡っていく知覚。
 ――魔力だ。
 
「フ……フフ……ハハハハハハハハハハハァ! ……――これだ、…………これだこれだこれだこれだ――これだっ!! 随分と懐かしい感触じゃないか、おい! これだよ、これこれ! これが私の力だ!! もはや私を止められるモノなどありしはしない!!!」
 
 純然たる事実でそんなモノいやしない。
 今なら、例えこの学園都市全域からかき集めた魔法使い全てとやり合っても負けやしない!
 
「ククク……さあ、行こうじゃないか――なあ、ネギ・スプリングフィールド!」
 
 さあ、まずは下僕の回収から始めようか――。
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
「ふん、なるほどな」
 
 場所は大浴場。
 目の前には仮初めの下僕となる少女が四人。
 佐々木まき絵、大河内アキラ、和泉亜子、明石裕奈。
 いつも一緒につるんでいた連中だ。
 佐々木まき絵を軸としているなら、このメンバーなのも頷ける。
 
「さて、10分で来るか、それとも逃げるか」
 
 たった今、坊やに対して使いを出して、10分でこの大浴場に来るように伝えておいた。
 あの甘ちゃんの坊やの事だ、今頃人質が居ると知って血相を変えて準備をしている事だろう。
 
「――マスター、只今参りました」
 
 背後に気配が現れる。
 
「茶々丸か……手筈はどうだ?」
「万事滞りなく……」
「そうか、ならいい」
 
 背後にいる茶々丸を見ることなく短く答える。
 後は坊やを待つだけか……。
 
「……マスター、質問しても宜しいでしょうか?」
「――なんだ」
「あの、本当にネギ先生を……?」
「ふん、何を今更……いいか、奴には二つも貸しがあるんだぞ。一つはナギが私にかけた”登校地獄の呪い”、これの原因はナギにあるが、ヤツに解かせるのは最早かなわない……。なれば、その息子である坊やに貸しを返してもらうだけだ。そしてもう一つ……――坊やは士郎を傷付けた。これは坊や――ネギ・スプリングフィールドがしでかした事だ。当然、自身で償ってもらう」
「……マスターは女性や子供の方を殺めた事はないと聞きました。それは今回もですよね……?」
 
 茶々丸は当然そうである様に尋ねた。
 確かに私は、戦う覚悟のない女子供を殺した事は無かった。
 だが、
 
「ふん、確かにな。だが、――今回はどうかな。確かに最初から殺す気でやる気は無い。しかしな……今回も私が上手く加減出来るとは限らん。はっきり言えば……頭に来ててな。――思わず殺してしまうかもしれんな」
「そ、そんな……」
 
 背後で茶々丸が押し黙るが、そちらを気にかける余裕も無い。
 先程から魔力の高まりと共に、湧き上がる憎悪が抑えられないのだ。
 家に担ぎこまれて来た時の士郎の、まるで死人と見間違う程の顔色を思い出すだけで、歯を砕けそうなほど力強く噛み締めてしまう。
 ギリギリという歯軋りの音が脳髄に響く。
 思考は白熱化して、もはや真っ白だ。
 
「――エヴァンジェリンさん!! ……どこですか、まき絵さんを放してください……!」
 
 ――声が聞こえた。
 待ち望んでいた声だ。
 
「…………来たな、坊や。逃げずに来てくれて私は嬉しいぞ」
 
 目の前に一人の少年。
 ナギ・スプリングフィールドの面影を見せる、ヤツの息子だ。
 ――ああ……、ようやく、ようやくだ、士郎。
 今、ヤツに償わせてやる。
 士郎、お前を傷付けた罪を償わせてやるっ!
 
「……っ! エ、エヴァンジェリンさん! まき絵さんだけじゃなく、アキラさん、ゆーなさん、亜子さんまでっ……。皆さんを放してください!」
 
 強い意志の篭もった瞳で私を見据える。
 こいつ等を放せだと?
 ……ふん、そんな物。
 
「そんなモン、今すぐにでも放してやるさ」
「さもないと僕…………って、――え?」
 
 私の答えが予想外だったのだろう。
 間の抜けた表情で呆けている。
 
「――勘違いするなよ。こいつ等は貴様が逃げ出さんように用意した人質だ。坊やがやって来た今、もう利用価値は無い」
 
 パチン、と私が指を鳴らすと、少女達は糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。
 
「っ! 皆さん!!」
「……いちいちうろたえるな、鬱陶しい。気を失っているだけだ」
「……エヴァンジェリンさん。どうしてこんな酷いコトをするんですか!? 僕が目的なのに……何の関係も無いクラスメートの皆さんを巻き込むなんて……!」
 
 ――――酷い、だと?
 今、このガキは酷いと言ったのか?
 
「――面白いコトを言うじゃないか、坊や。……ならば逆にこちらから聞くがな。私が酷いというならば貴様の父親……ナギ・スプリングフィールドが私にした事はどう判断する。15年もの間、閉じ込められ続けてきた私は酷いコトをされていないとでも言うつもりか?」
「そ、それは……アナタが昔に悪いコトをしていたから……」
「……それにな、貴様自身のしでかしたコトはどう説明するつもりだ?」
「え――僕のって……」
 
 意味が分からないといった表情で私を見る。
 
 ――イラつく。
 今すぐ、そのとぼけた面を潰してしまおうか。
 
「――貴様……よもや知らない、などとは抜かすまいな。貴様が誰も傷付けていないと言うのではあるまいなっ!」
「…………そ、それって。――え? なん、で……え、どうして、エヴァンジェリンさんがそれを…………」
 
 思い至ったのか、明らかに動揺を表に出す。
 
「そうだ、貴様は士郎を……――衛宮士郎を傷付けたッ!!!!」
「え、衛宮さんって…………どうしてアナタが衛宮さんのコトをっ? ――い、いえ、そんな事より衛宮さんは無事なんですか!?」
 
 私と士郎の関係を知らないのだろう。
 それに対して僅かに驚きながらも士郎の安否を確認してくる。
 
「――生きてるさ」
 
 それに短く答える。
 それを聞くと坊やは、安心したかの如く安堵のため息をついているのが分かる。
 
「そ、そうですか……良かったです。僕も何がなんだか分からないまま茶々丸さんが連れて行ってしまって……。でもそうですか……安心しました……」
 
 良かった良かった、などと言って本気で安心している。
 それを見た瞬間、心の奥底からドス黒く、圧倒的な感情が湧き上がって来た。
  
 
 ――コロシテヤリタイ――
 
 
「――――何を、安心なんかしている」
「――え……、ひっ!?」
 
 坊やが一瞬にして恐怖に身体を竦めた。
 理由は……分かっている。
 私自身、全く抑制の効かない殺気が質量を持ったかのように坊やを縛り付けているからだ。
 ……だが、それがどうした。
 もはや私の口は、ソレ自身が意志を持ったかのごとく矢継ぎ早に言葉を投げつけた。
 
「…………死にそうだったんだぞ? 失血によって刻々と冷たくなって行く様を傍らで見続けたんだぞっ。死人のように血の気の無い顔で眠り続けるのを見続けたんだぞ! 意識もハッキリしないというのに、人の心配ばかりしている馬鹿を相手にし続けたのぞっ――!!? ――それを!! 貴様如きが軽々しく良かったなどと抜かすんじゃないっっっ!!!!」
「――っ――っ――……」
 
 気が付けば私は肩で息をしていた。
 感情の制御が出来ない。
 私は喉が張り裂けんばかりの声量で、声を叩きつけていた。
 それのせいだろう。
 坊やは、声と一緒に叩き付けた殺気によって軽い呼吸困難に陥っている。
 それを見やると幾分か気分が晴れる。
 
「――ふん……何時までも怯えてるんじゃない。構えな、坊や」
「――っ!」
 
 それでようやく殺気をはねのける事に成功したのか、手にした杖をバッと身構えた。
 それと同時に、着込んだローブの下からいくつもの杖や魔法銃を覗かせる。
 魔法の道具のフル装備か、安くはないだろうに。
 ――だが、
 
「そうだ、それでいい……せいぜい足掻き続けろ。出し惜しみなど考えるな。貴様の血をもってサウザンドマスターの罪を償ってもらう。貴様が足掻き続けるその時間、それを士郎への贖いとして宛がってもらう」
 
 両手を左右に広げマントを翻す。
 空を見上げると欠けた月が浮かぶ。
 満月でないのが残念だ。
 右手を月に向かって伸ばし術を紡いだ。
 
「――気を抜くなよ、ネギ・スプリングフィールド。一瞬でも抜けばその瞬間、貴様の喉笛は食い千切られると思え――!」
 
 放たれる199本もの氷の魔弾。
 今、魔法使いの夜が幕を開ける――。
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
 ――誰かが泣いている。
 そんな夢を見ていた気がする。
 沈殿していた意識が何かに誘われるようにゆっくりと浮上を始めた。
 
「……………………あ、れ」
 
 ゆっくりと目を開けてみてもそこは真っ暗闇だった。
 明かりと言える物は、それこそ窓から差し込む月明かりだけ。
 
「…………俺、どうしたんだっけか……」
 
 寝起きは良い方だった筈なのだが、今は頭が上手く回らない。
 頭を横に動かして見て分かったが、俺はどうやらソファーに寝ていたらしい。
 
「……なんだってこんな所で寝てんだか」
 
 いかんな、気が抜けている証拠だ。
 頭を振って身体を起こす。
 
「――――っと」
 
 眩暈がした。
 開いた瞳に移った光景がぼやけてしまう。
 右手で身体を支えながら、空いたほうの手で顔を押さえる。
 と、
 
「……あれ、なんだ?」
 
 右手に触れる感触が普段の自分の肌のそれとは違うモノに触れる。
 不思議に思い、それを手でなぞっていくと頭に何かが巻かれているようだ。
 
「何だ、こりゃ?」
 
 訳が分からない。
 何度も頭をさすって見てもこんな物を巻いた覚えが無い。
 
「……――痛っ」
 
 と、手が左のコメカミ辺りに触れると鋭い痛みが走った。
 
「……もしかして、これ包帯か?」
 
 呟いて見てもそれに答えるモノは誰もいない。
 って、考えてみれば、俺なんでエヴァの家にいるんだ?
 エヴァとケンカして追い出された筈なのに……。
 ますます訳が分からない。
 
「……そういや二人とも何処行ってるんだ?」
 
 こんなに暗くなるまで二人とも帰ってこないというのは、俺の知ってる範囲では一度も無かったはずだ。
 
「…………取り合えず灯り点けるか」
 
 こんな暗闇で悶々と考えていても何かが分かるわけが無い。
 立ち上がってスイッチの所へと向かう。
 すると、右の足首にズキズキとした鈍い痛みが走るが、引きするように歩く。
 その途中、何故かフラフラして何度か転びそうになり、物にぶつかってガタガタと人形を落としてしまう。
 それでも何とか辿り着いく。
 手探りでスイッチの感触を確かめるとカチリ、と灯りが点いて、
 
「――あれ?」
 
 点かない。
 何度もカチカチとスイッチを弄ってみても一向に反応を示さない。
 
「故障……か?」
 
 電灯を見上げながら呟いてみても状況は何も変わらない。
 と、
 
「――ナンダ、ナンカウルセェト思ッタラ……目ェ覚メタカ」
 
 聞き覚えのある声が暗闇の中に響いた。
 
「……チャチャゼロか、二人はどうしたんだ?」
「……ッタク、相変ワラズ人様ノ心配カヨ……ンナコトヨリ衛宮、オ前、身体ハ大丈夫ナンカヨ?」
 
 何かが動く気配が闇の向こう側からする。
 
「ああ、なんかフラフラするは足は痛いはでボロボロなんだけど……なんでだ?」
「何ダ、覚エテネェノカ? マ、アノ状況ジャ仕方ネェーカ……」
「チャチャゼロ、一人で納得してないで、知ってるんだったら教えてくれよ。……って言うより、お前何処いるんだ?」
 
 声はすれども姿は見えず。
 顔を見ないで話をするのはどうにも落ち着かない。
 
「アア、手前ェハアンマ動クナ。今ソッチニ行ッテヤッカラヨ」
 
 と、地下に続く階段から小さな人影が浮かび上がる。
 それはやけに小さなシルエットで、それが左右に揺れているのが見て取れた。
 
「……って、え? お、お前……なんで動いて……」
 
 現れたのはチャチャゼロ本人だった。
 人形の頼り無い足だが、地面に脚をつき、しっかりと歩いている。
 その手にはワインのようなボトルが一本握られていた。
 
「……ッタク、折角ノ夜ダッテノニ留守番ッテ酷イトオモワネェカ? 飲マナキャヤッテランネェーッテノ……」
 
 チャチャゼロはそうぼやくと、手に持ったボトルをラッパ飲みするように傾けた。
 
「――マ、俺ガ動ケル理由ハ単純ダ。今ハ御主人ノ魔力ガ元ニ戻ッテルカラナ」
「魔力が戻って……って、じゃ、じゃあ! 今日は――」
「アア、手前ェモ概要ハ知ッテルンダヨナ……”メンテナンス”ノ日ダ」
「――もしかして二人がいないのも……」
 
 背中を嫌な汗が流れ落ちる。
 
「マ、オ前ノ考エテイル通リダト思ウゼ?」
 
 もう一度ボトルを傾けてなんでもない風にチャチャゼロは言う。
 
「……っくっそ! 寝ぼけている場合じゃなかった!!」
 
 何をしているんだ俺は!
 これじゃあ何の為に喧嘩までして、エヴァの家を出たのか分からないじゃないか!!
 慌ててエヴァを探そうと走り出す。
 が、
 
「――マァ、待テヨ衛宮」
 
 ザッ、という僅かな音と共に、チャチャゼロが思いも寄らない程の素早い動きで俺の前に立ち塞がった。
 
「な……お前……」
「人ノ話ハ最後マデ聞クモンダゼ? ナニモ御主人ハ封印ヲ解ク為ダケニ、アノネギッテ坊主ヲ襲イニ行ッタンジャネェーンダゼ?」
「……どう言う事だ?」
「ホントニ思イ出サネェーノカ? ――衛宮、手前ェノ為ダヨ」
「――え、俺、の……?」
 
 俺のって……なんで……。
 何故そこで俺の話が出てくる。
 
「イイカ、衛宮。オ前ハ、アノネギッテ坊主ノセイデ大怪我サセラレタンダゾ」
「俺が、怪我を……」
 
 頭に巻いた包帯を手で触る。
 ……そうか、これにはそういった理由があったのか。
 ……鈍い痛みと共に記憶が戻ってくる。
 あの日、俺はエヴァの家に向かっていた。
 エヴァと仲直りしたくて、自分で作った弁当を持って。
 そのエヴァの家へと続く道で、なにやら争っている茶々丸と、それに対峙しているネギ君とアスナの姿を認めた。
 そこから先は……正直何を考えて動いたか良く覚えていない。
 ネギ君の周りを淡い光球が漂い始めた。それを見た瞬間、身体が勝手に動いていたのだ。
 茶々丸目掛けて光弾が飛んで行く、その途中。
 なにやら叫びかけて、俺の登場に驚いて声を止めたネギ君とアスナが見えたけど、それに構っている余裕なんか……なかった。
 ただ俺は最速で茶々丸に飛びついて……そこから先の記憶は無かった。
 
「結構深クテナ……マァ、下手シナクテモ、アノママダッタラ死ンデタンジャネェーカ? ソレデ御主人ハブチ切レチマッテ……イヤー、アンナニ怒リ狂ッタ御主人、初メテ見タゼ。ツマリ御主人ハオ前ノ仇討チヲシニ行ッタンダ」
「――って、仇討ちだって!?」
 
 そんなコトなら尚更止めないと――!
 
「ダカラ待テッテ言ッテンダロ。俺ハ、今回ノコトニ関シチャ御主人ガ正シイト思ウゼ? 故意カ手違イカハ俺ガ知ッタコッチャネェーケドヨ、ンナコト関係ネェー。自分ノシデカシタ事ニハ、責任ト覚悟ヲ持タナクチャイケネェーンダ。ソレガ”力”ヲ持ッタヤツノ業ッテモンダロウガ。ソレガコノ世ノ、善悪問ワズノ常識ッテモンダロウガ」
「…………」
 
 チャチャゼロの言っている事は、きっと正しい。
 本人が望む望まないに関わらず、力を持ってしまったのならば、それに見合った責任と覚悟が必要だ。
 拳銃を手にしたのならその引き金は自らの意志で引く責任と、自分も同じ事をされる覚悟を負わなければならない。
 因果応報。
 それが世の中の理だろう。
 ――でも。
 
「アノ坊主ハ……衛宮、手前ェヲ死ノ寸前マデ追イ込ンダ。ソノ責任ハ取ラナキャナンネェー」
「…………それでも、俺は行く」
「……衛宮……手前ェーモワカンネェヤツダナ。ガキダロウガナンダロウガ、ソノ”力”ハ手前ェダケノモンダ。”力”ノ使イ方ヲ知ラナカッタ、間違ッタ、ジャ済マネェーンダヨ。ガキノシデカシタ事ノ責任ハ親ニアル、トカソンナ法律ミテーナ甘ッタレタ生ヌリー事言ッテルワケジャネェンダゾ? ――イイカ衛宮、俺ハナ、」
 
 チャチャゼロは一旦言葉を区切ると、俺を睨みつけ――その言葉を口にした。

 
「――”自分ノシデカシタコトノ責任ヲ、他人ヤ他所ニ擦リ付ケルヤツハ死ンジマエ”、ッテ言ッテンダヨ」
 
 
 覚悟の無いヤツは死ね。
 チャチャゼロはそう言った。
 厳しい言葉だがそれを理解してしまう自分がいる。
 でも――。
 それでも――。
 
「それでも、俺は行く」
「…………衛宮、手前ェ」
「――分かる、分かってる、分かってるさ。大きな力とそれに見合った責任って言うのが抱き合わせだって事ぐらい。それが世の中の道理だって事ぐらい分かってる。――でもな、だったらそれがなんだってんだ。嫌なんだよ、そういうの! 世界の理とか、道理なんて、そんな下らない物――そんな物がそんなに大事かよ! それは誰かの犠牲を容認しなきゃいけないほど大層なものなのか!? ……だったら俺は世界をだって否定してやる。そんな下らない物が世界の真理って言うなら、俺は世界を相手にだって戦ってやる! そんな事より、手が届く範囲で誰かが傷つき泣いている――俺にはその事の方が耐えられない!!」
 
 誰かの為になる。
 そう誓ったのだ。
 それが果たせないのであれば、衛宮士郎に価値なんて無い。
 だから行かないと――。
 
「――――」
 
 押し黙るチャチャゼロの脇を抜け、痛む頭と足を引き摺って扉を開ける。
 これではこの前のエヴァとのケンカの焼き直しだ。
 だけど俺には譲れないモノがある。
 俺が衛宮士郎である為にも行かないと――。
 
「――待テヨ、衛宮」
 
 三度、チャチャゼロの俺を引き止める声。
 
「待たない。一刻も早く行ってエヴァを止めないと。だから、チャチャゼロ――これ以上引き止めるなら……」
「――引キ止メルナラ……ドウダッテンダ? 俺ヲ倒シテカラ行クカ?」
 
 チャチャゼロが楽し気に笑うのと共に、圧迫感が急激に増した。
 殺気。
 そう、これは間違いなく殺気だ。
 首筋の辺りがチリチリと焼けるような感覚が突き刺さる。
 
「ソウ言エバ俺ガ大人シク引キ下ガルトデモ思ッテンノカ。コンナ不良”従者”ダケドヨ、御主人ノ味方デアルコトニカワリハネェーンダゼ? 手前ェガ御主人ノ邪魔シニ行クッテ言ウナラ……」
「…………」
 
 殺気が膨れ上がる。
 とてもじゃないが、小さな人形から放たれるレベルの代物じゃない。
 俺は役立たずの頭と右足に力を込めて――、
 
「――――ッテ、思ッタケド……止メタ」
「――――え?」
 
 チャチャゼロの言葉に思考が追いつかない。
 ただ、先程までの濃い殺気は、ウソのように霧散してしまっている。
 
「…………いいのか?」
 
 そんな状況に着いていけなかった俺は、思わず聞いてみてしまう。
 
「ンア? アー……マァ、別ニ構ウコタァーネェーダロウヨ。正直、手前ェト”ヤリ合イタイ”ッテノハ本音ダカラヨ、ソレガ残念ッチャ残念ダケドヨ」
 
 手にしたワインのボトルを煽る。
 だがそれは既に空だったのか、何度逆さまにして振ってみても何も落ちてこない。
 チャチャゼロはそれに舌打ちすると俺の脇を通り抜けて外へと出て行く。
 
「ソンナコトシタラ、怒リ狂ッタ御主人ニ何サレルカワカッタモンジャネェーカラナ」
 
 ケケケ、と楽しげに笑っている。
 そうしてそのままヨチヨチと何処かに向かって歩き出した。
 
「お、おい……?」
「行クンダロ? 着イテ来ナ。ドウセ手前ェノコトダカラ止メタッテ聞カネェンダカラヨ。ソレナラ俺ガ真ッ直グニ御主人ノ場所マデ案内シテヤンゼ」
「……いいのか?」
「ダカラ良イッテ言ッテンダローガ。ケド覚悟シロヨ? 今ノ御主人ハブチ切レマクッテ昔ニ戻ッチマッテルカラナ、イクラ手前ェノ言ウコトダロウト聞クカワカンネェゾ?」
「……分かってる。それでも俺は行かなきゃいけないんだ」
「――ッタク、コノ他人様至上主義ノ頑固馬鹿ガ……手前ェモ良イ感ジデ歪ンデヤガルナ……。……ワカッタ、ワカッタヨ、手前ェノ言イ分ハ。……急グゾ衛宮、今ノ御主人ハ恐ラク加減ガ効カネェ。ソシテ加減スル気ナンテ微塵モアリャシネーダロウヨ。下手スリャ既ニ手遅レニナッテテモオカシクネェーゾ」
 
 死んでいても不思議じゃない。
 チャチャゼロは最悪の結果を何でもないかのように口にする。
 普通に考えればそうかもしれない。
 ――でも。
 
「――きっと、大丈夫だ。エヴァならそんな事はしやしない」
「――――ハ……、ケケケ! イイネイイネ、御主人! 信頼サレテンジャネェーカヨ! クックック……コリャ、ソレヲ聞イタ時ノ御主人顔ガ楽シミダ……。ヨシ、俺モヤル気出テ来タゼ。飛バスゾ、衛宮。ソノ役立タズノ足デ着イレコレルモンナラ着イテ来ヤガレ!」
 
 まるで弾丸のように走り出すチャチャゼロ。
 そのスピードはチャチャゼロの見た目に見合わない凄まじい速度だ。
 
「――言われなくたって着いて行くさ! 例え足が使い物にならなくなったってな――っ!!」
 
 間に合わない俺なんかに用は無い。
 そして間に合わないなんて事もきっと……いや、絶対に無い。
 エヴァがそんなコトをする筈が無い。
 
 明かりの消えた町並みを二つの影が駆け抜ける。
 その辿り着く先には、きっと光があると信じて――――。
 
 
 



[32471] 第25話  譲れぬ想い
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 22:01

 
 
「――ふん、神楽坂明日菜か」
 
 逃げ回る坊やを追っている内に、私達は学園都市の端にある橋まで連れ回されていた。
 這いずり回る坊やを眺めていると、坊やのパートナーである神楽坂明日菜が現れたのだ。
 
「――カモ!!」
「合点、姐さんっ!」
 
 なにやら奇妙なオコジョがヤツの肩に乗っている。
 ……ああ、確か坊やの使い魔だったか……。そういえば一度見た事があったな。
 その一人と一匹は私目掛けて走り寄って来る。
 どんな策を用意したのかは知らんが……目障りだ。
 それをゆっくりと視界に捕らえ掌をかざす。
 
「――動くな」
 
 瞬間、魔力によって張り巡らせた『糸』によって身動きを封じる。
 『糸』は五体全てに絡みつき、指一本すら動かすことは出来ないだろう。
 
「――っ!? ……ちょ、ちょっと……な、何よこれ!! か、体が動かない!?」
「……あ、姐さん……これは下手に動かない方が良いッスよ……!」
「――そんな事言われなくたって……う、動きたくっても動けないわよ――!!」
 
 まるで蜘蛛の巣にかかった虫けらのように足掻き付けるが、微塵も動けはしない。
 
「――囀るなよ羽虫が。貴様等ごときが加わった所で、この私に勝てるとでも思っているのか?」
「そ、そんな……の、やってみなくちゃ分からないでしょ!? 『仮契約』さえすればアンタなんか――!」
 
 身動きが出来ないにも関わらず、気丈にも私を睨みつける。
 その瞳はまだ希望が残っていると信じ込んでいる目だ。
 あり得ない可能性に縋る姿ほど滑稽な物はない。
 だが『仮契約』だと?
 こいつ等……未だに『仮契約』を結んでいないと言うのか?
 茶々丸の情報だとすでに『仮契約』を結んでいるとの話だったが……。
 しかし……そうか。
 
「ああ……そういえば貴様も”あの場”にいたのだったな。……ならば貴様等にも責任の一端を担って貰おうか」
 
 パチン、と私が指を鳴らすと『糸』が解れ開放される。
 
「――きゃ!? あ、あれ……動く……」
「おい、神楽坂明日菜に使い魔。貴様等、やる事があるならばさっさとやれ」
「え?」
 
 訳が分からないといった顔で私を見る。
 だが、私はそれに構わず背を向けてその場を離れる。
 
「ちょ、ちょっと……カモ! これどう言う事よ!? 私、訳分かんないんだけど……」
「お、俺っちに聞かれても……でもこれはチャンスだ姐さん! 今の内にちゃちゃっと『仮契約』を済ませちまいましょうや!!」
「う、うん……!」
 
 ダッ、と坊やの下へと駆け出す。
 茶々丸はそれを眺めたまま呟いた。
 
「マスター、何を?」
「何、奴らにも恐怖を植え付けて置こうかと思ってな……」
 
 ククク、と薄く笑う。
 そう、真の恐怖とはただ奪うだけではない。
 与えて、奪う。
 希望を抱かせておいてそれが役に立たない事を思い知らせてやる事で、真の絶望は与えられるのだ。
 ――さあ、早く出てくるがいい。
 すると柱の陰から溢れんばかりの光が突如として放たれた。
 終わったか……。
 私がそう思ったのと同時に、柱の陰から坊やと神楽坂明日菜が姿を現す。
 
「――良かったな、坊や? お姉ちゃんが助けに来てくれて……。なんならもっと甘えていてもいいんだぞ? 何、私の目は気にしないで思う存分抱きつくなりしていればいいじゃないか、ん?」
「うぐっ……」
 
 坊やは私の言葉に頬を紅く紅潮させる。
 それは怒りによる物か恥じらいによる物か……まあ、どちらでも構わない。
 
「何言ってるのよ! これで2対2の正々堂々互角の勝負でしょ!?」
「互角? ――馬鹿が……貴様等と私達を同列に数えてるんじゃないよ。それに勘違いするなよ? これは最初から勝負なんかじゃない、ただの制裁だ」
「せ、制裁って……アンタ何様のつもりよ! なんでネギがそんな物受けないといけないのよっ!」
「――――ふん。もう一度、説明するのも腹立たしい……全てが終わってからそこの坊やからでも聞くと良い。……もっとも、生きていればの話だがな」
 
 私の言葉に反応して二人は身構える。
 
「……茶々丸、お前は神楽坂明日菜と遊んでやれ」
「…………YES、マスター」
 
 無言で対峙する。
 沈黙が辺りを支配した。
 音があるとすれば風の音くらい。
 その風が睨み合う二組の間を駆け抜けていく。
 髪が風に乗って流れ、私の視界を塞ぐ。
 その瞬間、
 
「契約執行90秒間!! ネギの従者『神楽坂明日菜』!!」
 
 それを隙と見たのか、坊やが先に仕掛けてきた。
 弾ける様に突っ込んでくる神楽坂明日菜を、茶々丸が迎撃に出る。
 坊やはそれを尻目に術を紡ぐ歌を歌う。
 
「ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 風の精霊17人! 集い来たりて――」
 
 ふん、雷属性の魔法か……あの年で器用な事だ。
 ならば――、
 
「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック。氷の精霊34頭。集い来たりて敵を切り裂け」
「っ!?」
 
 坊やの驚く顔が見える。
 それもそのはず、私が出す魔弾は同位とは言え、坊やのそれの倍の数。
 
「『魔法の射手・連弾・雷の17矢』!」
「『魔法の射手・連弾・氷の34矢』」
 
 幾重もの閃光が迸る。
 異なる魔弾は互いにその存在を喰らい合う。
 だが坊やの魔弾は私のそれの半分。
 残りの半数が坊やを襲った。
 坊やは迫り来る脅威に耐えるように目を閉じてしまう。
 だが、
 
「――え?」
 
 その魔弾が坊やを襲う事はなかった。
 外れた……のではない。外したのだ。
 
「フフッ……どうした、坊や。もっと撃って来たらどうだ? もしかしたら一本くらい届くかも知れんぞ?」
「――っく! ラ……ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 光の精霊29柱――」
「――詠唱が遅いぞ。リク・ラク・ラ・ラック・ライラック。闇の精霊58柱。集い来たりて――」
 
 坊やの詠唱を追い抜き、またしても倍の数の魔弾が周囲に漂いだす。
 それを見て坊やは慌てて詠唱を速めるが、
 
「――『魔法の射手・連弾・闇の58矢』」
「『魔法の射手・連弾・光の29矢』――!!」
 
 襲い掛かる闇の魔弾を前に、ギリギリのタイミングで魔法の発動をさせるが、その数はまたしても倍。
 そしてそれはまた、互いに打ち消しあい、――残りは坊やのギリギリを掠めて外した。
 その表情は恐怖に震え、浅い呼吸を繰り返していた。
 
「どうした坊や……もう、終わりか? ……情けない、貴様の父親ならどんな苦境だろうと笑って乗り越えていたものだぞ」
「――はっ、……はっ、……っ!」
 
 こちらの声が聞こえていないのだろう。
 坊やはガタガタと震えてばかりで反応を示さない。
 
「――つまらん、この程度か……。ならばもう、――眠れ」
 
 フワリと、空に飛び上がる。
 右手を掲げ、天空を見上げた。
 空に浮かぶ月すら鷲掴みにせんばかりに掌に力を集める。
 
「――リク・ラク・ラ・ラック・ライラック。契約に従い、我に従え、氷の女王。来れ、とこしえの———」
 
 掌に集束した魔力が氷を伴い、纏わり付いてくる。
 後一言紡げば終わる。
 しかし、その瞬間に、
 
 
「――――エヴァーーーーっ!!」
 
 
 ――――懐かしい声が聞こえた。
 
 
 
◆◇――――◇◆
 
「――――エヴァーーーーっ!!」
 
 あらん限りの声で叫ぶ。
 それだけで頭が痛んだが、そんな事は知らない。
 考えての行動なんかじゃない。
 全力で走り通して、エヴァを見つけた瞬間、気が付いたら叫んでいたのだ。
 エヴァは月を背に空に浮かび上がり、こちらを見下ろしている。
 その姿は何処か無機物のように冷たく、そしてどこまでも綺麗だった。
 
「――し、士郎……っ! お前、起き上がったりして身体は大丈夫なのか!?」
 
 俺をその瞳に捕らえた瞬間、氷が溶け出したように、暖かな声色で、慌てるように俺を気遣ってくれる。
 
「俺は大丈夫だ……何とも無い。だから――もう、帰ろう」
 
 ゆっくりと歩いてエヴァに近づく。
 その間もエヴァは俺から目を離さないまま、それに「そうか……」と、安堵のため息を零してくれた。
 しかし、
 
「ああ、そうだな、帰ろう。――待っていろ、今、全てにケリをつけてやる」
 
 そう言った瞬間、その瞳は闇を凝縮したかのごとく暗い輝きを放った。
 そうして、その凍てつくような視線のままネギ君を射抜く。
 
「――ヤッベェーナ……自分デ言ットイテアレダケドヨ。アアナッチマッタ御主人ハ生半可ナコトジャ止マラネェーゾ……」
 
 チャチャゼロはそう言って息を呑んだ。
 チャチャゼロの感情を感じさせない声だけに、そこに込められた真実がただストレートに伝わってくる。
 
「――違う! 違うだろうがエヴァ!! そんな事されても俺は嬉しくないっ、只悲しみが残るだけだろ!? ――――そんな世界じゃ誰も笑えない!」
「当たり前だ。このような忌々しい出来事が……笑い話になる訳が無いだろう。無自覚の咎とは言え、お前を傷つけた罪は重い。そしてその責任はそこの坊やにある。……だろう?」
「……責任ってなんだよ。お前にかかっているその呪いの事か、それとも俺の怪我の事か」
 
 頭に巻かれた包帯を押さえながらエヴァに向かって叫ぶ。
 その声でようやくこちらの方を向くエヴァ。だが、その瞳は暗い感情を宿した狂気の視線のままだった。
 
「どちらかではない、どちらもだ。子供だからという言い訳も最早免罪符足り得ん。士郎、お前のその身体に刻まれた傷跡と同様のモノを背負う義務がこの坊やにはある」
「義務なんかあるもんか! 俺の怪我の事なんか問題にならない! 俺は許す。怪我をした当人である俺が許すんだ。だったら俺の怪我についてはそれで問題は無くなるだろ!?」
「……違うね、問題は無くなりなどしないさ。すでにこれは私の問題でもある。例えお前が許したとしても――この私が許さない」
 
 まるで鋼鉄のように固い意志。
 微塵も揺らぐ事の無いその瞳は今、俺だけを見ていた。
 ……だが、俺だって譲るわけにはいかない。
 今、俺が譲ってしまったらきっと、もう戻れない。
 あの暖かい日々が……”日常”が遠くに行ってしまう。そんな漠然とした恐怖が頭を離れないのだ。
 鋭い視線を怯むことなく受け止めて、万感の想いを込めてエヴァだけを見続ける。
 どれほどそうやって対峙していただろう。
 やがてエヴァが狂気と共に息を吐き出したかのように見えた。

「……これではあの夜の焼き直しだな。堂々巡りもいいとこだ。ならば単刀直入に問おう。――士郎。お前は私と坊や……どちらを救う」
「…………」
「答えろ士郎。お前の心はどこにある。私か、坊やか。真実を語れ。例え、お前の出した答えが私を否定しようと、恨みも妬みもしない。だから」
 
 ――本当の気持ちを聞かせてくれ。
 エヴァは言葉では語らず、視線でそう語りかけてくる。
 答えは……決まっている。
 エヴァかネギ君のどちらに心を置くかだって? そんなの。
 
「――両方だ馬鹿」
「……何?」
 
 綺麗な眉を歪めて、怪訝な表情で俺を見る。
 
「聞こえなかったか? だったら何度だって言ってやる。いいか、俺はエヴァもネギ君も見捨てたりしない。どちらかを救うにはどちらかの犠牲が必要だなんてそんな考え、クソ喰らえってんだ。俺はそんな二元論なんて選ばない。答えが厳しいモノ二つしかないならどっちも選ばない。――だから創ってみせる。誰に何と言われようと創ってみせる。第三の答えを」
 
 答えが二つしかないなんて、誰が決め付けた。
 そんな、存在しないなんてだけで諦めてたまるか。
 いつだってその存在しないモノを、俺は探し続けてきたんだから。
 
「……士郎、お前の言い分は分からんでもない。だがな、お前の言っている事は私を救い、……そこの坊やをも救うと言う夢物語のような話だぞ。夢は夢だ。それ以上でも以下でもない。全てが丸く収まる事などありはしない。そんな事があればこの世界は破綻している。弱者は弱者らしく地べたを這いずり回り、強者は強者らしく地べたを生きる負け犬を見下す。いいか、誰かが幸福になれば、その割を絶対に誰かが食う事になっているんだ。そうやって世界は成り立っている。実際に現状では、私の呪いは坊やの血を飲む事でしか解呪はされない。そしてお前を傷付けた罪は償わなければならない。……士郎、お前ほどの男がそれを理解していないわけではあるまい」
 
 真剣な表情で俺を見定めるようにエヴァは見つめている。
 そして言う。
 
 ――希望と絶望は抱き合わせでやって来ると。希望だけを選ぶ事など不可能だと。
 
 ……それは、俺にだって分かる。
 エヴァだってその身をもって体験した事なのだろう、だからこそその言葉には重みがある。
 ――――でも! それでも!!
 
「――ああ、わかってる。それが夢物語だってそんな事……とっくの昔に気付いてる。そんな現実、イヤって程見てきたさ。夢は夢だと……何度も何度も繰り返し見せられてきた」
 
 ――頭が痛い。
 まるで頭の中に直接手を入れられて、脳味噌をかき回されているんじゃないかと錯覚するくらいに痛みは酷くなるばかりだ。
 この痛みは怪我のせいか、それとも――別の要因によるものか。
 
「――だけど……、――それでも、だ」
 
 こんな俺をお前は笑だろうか。
 夢ばかり見ている、ガキくさいただのワガママだと笑だろうか。
 ああ、だったらそれでも構いやしない。
 ――だって。
  
  
「例え真実がそれしかないとしても――――俺は夢物語の方が良い。例え夢物語だろうと、誰もが笑っている世界の方が俺は良い」
 
 
 例え道化を演じようとも、それで誰かが笑っていてくれるならそれで良い。
 例えどんな遠くに君がいようとも、この想いだけは譲れない。
 夢物語だろうとも、譲ってしまえばきっと、俺は俺でなくなってしまうから。
 
「――――士郎、お前……」
 
 エヴァが何か遠い物を見るような目で俺を見た。
 
「――ぼ、僕も……」
 
 ふと声がした方を見ると、ネギ君が震える身体で杖を強く握りながら立っていた。
 
「僕も、衛宮さんの夢物語の方が――好きです」
 
 恐怖に震えるながらも俺を見る。
 その瞳が語っていた、まだ挫けてなんかいないと――。
 
「貴様等……良いだろう、最早何も語るまい。士郎、お前がその意地を通すように、私にも通す意地がある。だとすれば答えは一つ。いつの世だって我を通すのは勝者にのみ許された特権だ」
「――止められないのか?」
「くどい。我を通したいのであれば力ずくで来い。何、他でもないお前だ。命までは取りはせん。だが、ここでお前の力を試すと言うのも一興だ」
 
 あくまでエヴァは止まらない。
 もう、言葉では止められない所まで来てしまったのだろう。あくまで対峙の姿勢を崩さない。
 だが、そこには既に闇の様なあの暗い眼差しはなかった。純粋に目の前の状況を楽しむかのような愉悦の瞳をしている。
 
「……衛宮さん」
 
 傍らを見るとネギ君がすぐ側で立って、俺を見上げていた。
 そして俺の様子を酷く怯えた様子で、伺うように覗き込んでくる。
 
「あ、あの……衛宮さん。す、すいませんでした…………僕のせいで、衛宮さんにあんな大怪我を負わせてしまって……」
「――気にすんな、そんな事。あれは俺が勝手に突っ込んでいって勝手に怪我しただけなんだ。ネギ君が責任を感じる必要はない」
 
 俺がそう言っても、ネギ君は自己責任の重圧に顔を真っ青にしたまま首を横に振った。
 
「でも僕が衛宮さんを怪我させたのに変わりはないんです……。その事実だけは言い逃れなんて出来ません。してはいけないんです」
「…………」
「エヴァンジェリンさんも言っていました。衛宮さん……死にそうだったって。僕は貴方の命を奪ってしまっていたかもしれないのに、衛宮さんが気にしてないと言ってくれているからといっても罪は消えません。…………だから!」
 
 ネギ君が懇願するように俺を見上げる。
 そこには罪の意識に押し潰されそうなただの少年がいた。
 
「――つまり、君は罰が欲しいと?」
「……それで償えるなんて思っていません。でも、僕は……」
「…………」
 
 俺はその痛々しい姿を見下ろし、息を一つ吐いた。
 
「――分かった。じゃあ俺が君を裁いてやる。……恨むなよ、悪いのは君なんだ」 
 
 そう言って俺は左手をネギ君の顔面に翳す。
 それを見てネギ君は何かを覚悟したんだろう。その顔を一気に恐怖に歪ませる。
 それでも、
 
「――! ……は、はい……僕が殺されても文句は言えないって分かってますから」
 
 と、気丈にも言った。
 
「成る程。覚悟は出来てるって訳か」
 
 俺はその姿を冷めた感情で見下ろし、自分でも驚くくらい冷たい声で言った。
 そして右手を背中に隠し、ある物を”取り出す”。
 そのまま俺がゆっくりと右手を振り上げると、ネギ君は恐怖に身体を震わせ、視線を俺の右手から離せないでいた。
 
「…………っ!」
 
 恐怖に息を飲む声が聞こえた。
 俺の右手に握られている物。
 それは――鋭利なナイフ。
 飾り気も、ましてやそこに込められた思いも何も無い。
 ……だが、人を殺すには充分な、刃渡り30cm、殺意の塊。
 
「いくぞ」
「――! ……は……は……いっ」
 
 殺意の塊から意識を逸らそうともせず、受け止めるかの如く瞳を閉じる。
 その姿は断罪を待つ咎人のそれ。
 そして言う。
 
「――本当にすいませんでした」
「…………」
 
 俺はその言葉を無言で受け止め、ただ頷く。
 
 
 そして――ナイフをその頭蓋目掛けて振り落とした。
 
 
「――ぴぎっ!?」
 
 ただし、ナイフを握りこんだ拳の部分で。
 ゴン! という結構良い音がして、ネギ君が愉快な悲鳴を上げた。
 うむ、やはり拳の中になんか握ると固さが違う。
 
「~~~っ! ———え? え? え~?」
 
 あまりの痛みに頭のてっぺんをを両手で押さえ、瞳の端に涙を浮かべながら訳が分からないと混乱するネギ君。
 俺はその姿を見て、盛大にため息を付いた。
 
「……あのなネギ君。何をそんなに覚悟しているのかは知らないけど勝手に罪を大きくするなよ」
「え?」
「さっきエヴァにも言ったけどな。俺は別に怒ってもなんかいないし、君をどうこうするつもりはないっての……」
「でも……っ」
「何回も言わせるなよ。俺は許すって言っただろ? それなのに君は俺に何を裁いて欲しいって言うんだ、全く……。あ、ちなみに言っとくけどな、今のゲンコツも勝手に罪の意識を感じてるどっかの生真面目な少年に落としたゲンコツだから」
「…………」
「つーか君はアレだ。怒っても無い人間に頼むから自分を叱ってくれなんていう無理難題を吹っかけるなよな」
 
 やれやれともう一度大きなため息を吐く。
 
「衛宮さん――」
 
 それを見たネギ君が驚いた表情のままで俺を見上げる。
 
「今は他にやる事があるだろう。それより――」
「――シロ兄!!」
 
 と、俺の台詞をさえぎるように声がした。
 その声が聴こえた方を見てみると、アスナが必死にこちらに向かって走って来ているのが見えた。
 
「よう、アスナ」
「『よう、アスナ』……じゃ、ないでしょ! そんな事よりシロ兄、怪我は大丈夫なのっ!? ……って、大丈夫なわけないわよね。あんなに沢山血が出てたんだし、あれからずっとお店もお休みしてたみたいだし……って、まだ血が滲んでるじゃない!」
 
 そうやって、アスナは一気にまくし立てると俺の頭に巻かれた包帯に手をやり、恐る恐るそれに触れる。
 
「痛っ……、アスナ、あんまり触るな。これでも、今さっき目が覚めたばっかりなんだから」
「あ、ゴメン。――本当にゴメンなさい……よね。こんな、シロ兄まで傷付ける事になっちゃって……」
「――僕からももう一度謝ります……ごめんなさい……」
 
 二人して悲痛な面持ちで頭を下げる。
 そこに浮かぶのは後悔の念。
 
「――ったく」
 
 二人には悪いが、そんな様子に思わず笑いそうになる。
 揃いも揃って同じことをしやがる。
 俺は苦笑しながら二人の下げられたままの頭に手を置き、それを少し乱暴にワシャワシャとかき回してやった。
 
「だから気にすんなって。俺はこうして生きているし、お前等はあの出来事を悔いている。それなら俺にはもう何も言うコトはないし、お前等もそれ以上反省する事はしないでいい。それだけの話だ」
 
 俺の言葉に二人は同時に頭を上げ、二人とも、きょとん、としたような顔で俺を見る。
 それでも次第に俺の言葉が浸透してきたのか、次第に笑顔になって行く。
 だが、アスナは途中で何かを思い出したかのように表情を固め、深く何かを考え込んでしまった。
 
「――……って、ちょっと待って……。シロ兄がここにいて何にも驚いてないってコトは……………シロ兄も魔法使い!? それにさっきからエヴァンジェリンとやたらと親しそうなのはなんで!? ああーーっ、もうっ! 訳わかんない!!」
 
 グシャグシャーと頭を掻き毟るアスナ。
 そのせいでアスナの髪はボサボサもいいとこだ。
 
「悪いな、アスナ。今は説明している時間がない、これが終わったら話すから――」
 
 アスナはジッと俺を探るように見たが、やがてふう、とため息を吐いた。
 
「……分かった。事情は分からないけど、今は分かったことにしておくわよ……。シロ兄のことだからなんかあるんでしょ、きっと。その代わりキチンと説明してよねっ」
「サンキュな、アスナ…………。よし、それじゃあ話はこれまでだ。二人とも……下がっていてくれ、俺はアイツを連れ戻さなきゃならない」
 
 空に浮かぶエヴァを見上げる。
 それだけでもはっきりと分かる。
 『最強の魔法使い』――成る程、エヴァの言っていた事に嘘偽りはない。
 こうしているだけでも膨大な魔力がひしひしと伝わってくる。
 
「――待ってください。衛宮さん、僕も戦います」
「……え?」
 
 俺は耳を疑った。
 ネギ君が戦うだって?
 その言葉に、もう一度視線を向けると、ネギ君は強い意志の篭もった目で俺を見ていた。
 
「僕、エヴァンジェリンさんの言っていた事も分かるんです。僕は衛宮さんを傷付けてしまった……その責任はキチンと受け止めなきゃいけないんです。それに僕はサウザンドマスターの……父さんの息子です。父さんがエヴァンジェリンさんにした事は……きっと僕が請け負わなきゃいけないんだと思います。だから……これは、僕の戦いでもあるんです」
 
 手に持った杖をギュッ、と握って告げる。
 ……この子は……。
 
「――わかった。ネギ君、俺に力を貸してくれ。」
「は、はい!!」
 
 俺を見上げるネギ君は力強く頷いた。
 
「シ、シロ兄! それなら私も――」
「それは駄目だ。アスナ、お前は離れたところで見ているんだ」
「そ、そんな……シロ兄、まだ怪我治ってないんでしょ!? それに私なら『仮契約』してるから足手まといにはならないわよ!」
 
 『仮契約』?
 …………ああ、そう言えば以前にエヴァから借りた本にそんな単語も出てきてたか。
 
「それでも駄目だ。その『仮契約』とかをしているから、とかそんなの関係ない。アスナは女の子なんだから……頼むから下がっていてくれ」
「…………お、女の子って――もー、分かったわよ。今回は二人に任せるわよ……」
 
 いかにも不承不承と言った感じで、アスナはなんとか納得してくれた。
 すると今度はその肩から白いイタチのような動物が顔を出した。
 
「すまねえな旦那。アンタが誰だか知らねーけど今は力、貸してもらうッスよ!」
 
 すると、その小さな動物はあろうコトか喋り始めた。
 
「………………アスナ、それは?」
 
 思わず指差して聞いてしまう。
 
「え? あ、コレ? これはネギのペットの――」
「俺っちはネギの兄貴の『使い魔』、オコジョのアルベール・カモミールってんだ。いっちょヨロシク頼むぜ!」
「ああ……なるほど『使い魔』か……びっくりした。俺は衛宮士郎だ、こっちこそよろしく」
 
 そっか、ネギ君の使い魔だったか。
 そういえば使い魔の中には人間の言葉を解するモノもいるって話しだし、そんなに驚く事もないんだろう。
 
「それよか旦那、旦那はあのエヴァンジェリンに勝てるかい?」
「……いや、無理だ。エヴァの事だから本気で俺達を殺そうなんてしないだろうけど……。それを踏まえたとしてもエヴァの魔力はとんでもない」
「――そうッスか。いや、無理も無いッスね、真祖相手にまともにやって勝てるやつなんてそれこそいるかどうか……。そうなると……ネギの兄貴と旦那で近距離撹乱しながらなんとか隙を見つけるしかないか……」
 
 カモは思案するように考え込むと、そう作戦を立てた。
 確かにその作戦は正しいんだろう。
 地力を上回る相手に、遠距離戦を挑むのは無謀。
 近距離戦でも無茶。
 それなら二人で近距離撹乱をするのは間違っていない。
 ――だが。
 
「――――いや、エヴァの撹乱は俺一人でやる。ネギ君は隙を見て対処してくれ」
 
 エヴァを見据えて宣言する。
 それを見ていたエヴァは、ニヤリと意地の悪い笑顔を見せて笑った。
 
「そ、そんな……無茶ッスよ! 大体、今旦那が自分で無理って言ったんじゃないッスか!?」
「そ、そうですよ! 僕だって戦えるのに――!」
 
 二人は俺の考えを引きとめようと必死に縋り付いてくる。
 ――けど。
 
「大丈夫、俺を信じろ。きっとなんとかなる――」
 
 迷いなく言う。
 唖然と俺を見るそれぞれのそれに笑いかけ、前へと歩き出す。
 一歩踏み出すたびに足と頭がズキズキと痛む。
 もしかすると全力で走って来たせいで傷が開いたのかもしれない。
 その途中、エヴァへと続く道の左右に茶々丸とチャチャゼロがまるで俺を見送るかのように立っていた。
 
「士郎さん……お身体は大丈夫ですか?」
「ああ、心配かけたか?」
「いえ……、士郎さんならきっと大丈夫だと信じておりましたので……」
「そっか」
「はい。……今回、マスターは御一人でお相手をなさるそうです。ですから私はここで皆さんを見守らせていただきます。……士郎さん――マスターをどうかお願いします。それと、……士郎さんもどうか御自愛を――」
 
 茶々丸が深々と礼をする。
 その下げれらた頭にポンポン、と手を置く。
 
「――ヨウ、衛宮。何トカ間ニ合ッタナ。モットモ、ココカラ先ハ手前ェラ次第ダカラナ」
「――ああ、分かってる。チャチャゼロ、ここまで案内してくれてありがとな」
「ハン、礼ナンザイラネェーヨ。ンナモンヨリ帰ッタラ酒デモ奢レヤ」
「……了解、飛び切りのを奢ってやるよ」
 
 二人の励ましを胸に、その場を後にする。
 ゆっくり、ゆっくりと進む。
 月を背に浮かぶエヴァを目指して歩いているせいか、まるで月を目指して歩いているかのように現実感が曖昧になる。
 一歩一歩、確かめるように歩く。
 あの日、エヴァとの間に出来たかのように感じた壁などはここには存在しない。
 今、俺達の間を遮るモノは何一つとしてこの場所に存在していなかった。
 
「…………エヴァ」
 
 空を見上げる。
 夜空に浮かぶエヴァは本当に綺麗だった。
 それは初めて出会った時から何一つとして変わっちゃいない。
 エヴァは俺を楽しげに見下ろすと、ゆっくりと降りてくる。
 トン、と言う軽い着地音。
 遅れて黄金の髪がフワリと舞った。
 月明かりに濡れて煌くその様は、いっそ幻想的ですらあった。
 
「こうして――話をするのも久しぶりのような気がするな、士郎」
「そうだな……」
 
 穏やかなエヴァの声が耳朶に馴染む。
 鈴を転がしたような音色が耳に心地良い。
 
「……身体は本当に問題ないのか?」
「問題あるって言えば……やめてくれるのか?」
 
 質問に質問で返す。
 半分以下冗談、半分以上に本音を込めた言葉にエヴァはくくく、と笑った。
 
「馬鹿を言うな。そうであったなら一瞬で気絶させて、強制的に眠ってもらうだけだ」
「そっか……じゃあ、やっぱり……」
「ああ……、お前も男なら私を押し倒して見せるくらい強引に、力ずくで組み伏せてみろ」
「――――分かった」
 
 ――二人を包む空気が見る見るうちに下がっていくのを感じる。
 名残惜しい暖かさは、いつの間にか凍えるような冷気で覆いつくされてしまっていた。
 
「――それで良い。……加減など不要だぞ。私は不死だからな、多少の傷などたちどころに治癒してしまう。だから士郎、お前の力……私に見せてみろ」
「…………っ」
 
 ……そんな事――できるかってんだ馬鹿。
 お前を相手に、傷付ける事を躊躇うな、なんて出来るわけ無いだろうがっっ!
 
「――――行くぞ、エヴァ」
 
 感情を無理矢理押し殺し、告げる。
 
「――来い、士郎。さあ……共に踊ろうではないか」
 
 エヴァは俺を迎えるように両手を広げて言う。
 まるで今から踊るのが楽しみだと言うように。
 それに応えるかのように俺は両腕を左右水平に伸ばす。
 
 ――見せてやるよエヴァ。
 魔法なんかじゃない。
 そんな大それた物、俺には使えない。
 俺に許されたのは、只一つだけの異形。
 俺にできる事はただ”創る”事だけだ。
 …………そう、これが俺の『魔術』だから!!
 
 
「――投影・開始(トレース・オン)」
 
 
 自己暗示たる呪文を呟いた瞬間、体内でトリガーがカチリと鳴る。
 精神を細く引き絞り、体内の魔術回路を目覚めさせる。
 頭の中には27の撃鉄がズラリと並んでいる。
 それを端から順番に、ハンマーを使い高速で叩き落していくイメージ。

 ――くそっ! 何だってエヴァに対してこんな事をしなければ……っ!!
 
頭にあるのは剣。
 それを現実に引きずり出す。
 難しい事はない。
 何度も何度も繰り返しやってきた事だ。
 
  
 創造の理念を鑑定し、
 基本となる骨子を想定し、
 構成された材質を複製し、
 制作に及ぶ技術を模倣し、
 成長に至る経験に共感し、
 蓄積された年月を再現し、
 あらゆる工程を凌駕し尽くし――今ここに、幻想を結び剣と成す――!
 
   
「――投影・完了(トレース・オフ)」
 
 手には二振りの剣。
 錬鉄の夫婦剣、左手に陰剣莫耶、右手に陽剣干将。
 どんな皮肉だ。この世界で初めて投影した宝具クラスのモノを、エヴァに向ける事になるなんて。
 だがこれ位でないとエヴァに拮抗なんてできないだろう。
 いや、拮抗なんておこがましいにも程がある。俺にできるのは、どうにかしてエヴァを俺のペースに乗せるか、何処まで意表を突けるかだけだ。
 それほどエヴァから放たれる魔力は桁が違う。
 
「――それが、お前の『魔術』か。アーティファクト……違うな、お前は誰とも『契約』などしていない。『召喚』、『転送』……何れでもない……。それに始動キーらしき物すら無く一瞬で……なるほど、珍しい物だな」
 
 感心するようにエヴァは言う。
 背後に気配を感じてそちらを確認してみるとネギ君も俺の剣を見て驚いている。
 
「――え、衛宮さん……今のは?」
「秘密だ」
 
 そう短く応えて前を見る。
 ネギ君には悪いが悠長に説明している暇は無い。
 それと言うのも、
 
「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック! 氷の精霊101頭。集い来たりて敵を切り裂け! ――『魔法の射手・連弾・氷の101矢』!!」
 
 氷の散弾が俺達目掛けて飛来してきているのだから――!
 
「――ハァ……ッ!」
 
 ネギ君の前に立ち、飛来するそれを弾き、逸らし、叩き斬る――!
 一発目を斬った感覚で分かったのだが、この一撃一撃は全然たいした事は無い。
 恐らくこの術の本質はもっと別にある。
 そしてそれはきっと”多様性”なのだろう。
 その証拠に一気に無数の魔弾を放ったにも関わらず、その全てが俺目掛けて集束するように向かってくる。
 
「ハハハ、今のを全て防ぎきるとは流石にやるじゃないか! だが、安心している暇は無いぞ――! リク・ラク・ラ・ラック・ライラック! 来れ氷精、大気に満ちよ! 白夜の国の凍土――」
「――させるか!」
 
 ダン、と足場を踏み抜かんばかりに蹴り、一気にエヴァとの距離を詰める。
 周りの風景が瞬時に切り替わりエヴァの懐へと肉薄する。
 
「――クッ!?」
 
 突然の接近に詠唱は間に合わないと判断したのだろう。
 エヴァは瞬時に指先から黒い光の刃を発生させる。指一本につき一つの、長く鋭利な爪が生えているようにも見える。それを両手に。
 その黒い爪が、俺を横薙ぎに吹き飛ばそうと横っ面を叩きに迫る。
 
「…………っふ!」
 
 それを、地面スレスレまで身体を倒し込むことによってかわす。
 頭の上、ギリギリを掠めたソレは髪の毛を数本切り裂き通過して行く。
 エヴァはそれに驚愕の表情を浮かべるが、今度は反対の手で俺を叩き潰すように打ち下ろしてくる。
 
「っ、はぁ――――!」
 
 それを、そのまま滅茶苦茶な体勢から体ごと回るような勢いで、干将を斬り上げた。
 
「何だとっ!?」
 
 バキン、という音。
 それと共にエヴァの黒い爪がバラバラと砕け、黒い霧のようなものになり霧散した。
 
「アレを切り裂いただと? ――士郎。お前その剣、尋常の剣じゃないな!?」
 
 その事にエヴァは驚く。
 驚いてくれる分には構わない。冷静になられたら間違いなく俺は負けるだろう。
 はっきり言って、エヴァから立ち上る膨大な魔力は間違いなくサーヴァントクラス。
 正面きっての戦いなど無謀にも程がある。だから、俺にできる事は奇襲で相手のペースを握らせない事の一点のみ。
 ――つまり……俺が止まった瞬間に勝敗は決する!!
 
「はあっっ――!」
 
 筋肉が引き千切れそうになる身体に鞭打って、無理矢理体勢を起こす。
 その勢いをそのままに全身のバネを使って、矢のような後ろ回し蹴りを叩き込んだ。
 が。
 
「なっ」
 
 ガン、という奇妙な程硬い感触と共に、それはエヴァの身体に触れることなく寸前で止まった。
 見るとエヴァの身体を薄い光の膜のような物が覆っていた。
 
「覚えておくと良い。高位の魔法使いともなれば、常日頃から魔法障壁位展開しているモノなんだよ――!」
 
 マズイ、と感じた時には遅かった。
 驚く俺を他所に、エヴァは爪の折れた手で、蹴り出したままの俺の足を鷲掴みにした。
 すると、エヴァはまるで野球ボールでも投げるかのごとく、オーバースローで豪快に俺を放り投げた。
 
「――――っ」
 
 信じられない。
 あの小さな体の何処にあんな力があると言うのだ。
 投げ飛ばされた俺は、地面と水平に物凄いスピードでかっ飛ぶ。
 エヴァはそれに追走するように弾丸じみたスピードで迫り、その右手を掲げた。
 
「これはどうする? ――――『氷神の戦鎚』!」
 
 そうやって叫ぶと共に、エヴァの右手には一瞬で氷が集まって行き、一つの球体が現れた。
 いや、その大きさは球体などと生易しい物ではない。直径20メートル超はありそうな氷塊だ。
 人間一人など簡単に押し潰せそうな質量をもったそれが、エヴァの手の動きに合わせるように俺目掛けて落下してくる。
 
「……あああああぁぁぁっ!!!」
 
 矢の様に景色が吹っ飛んでいく中、両手に持った干将莫耶に魔力を叩き込み、それ目掛けて投げ放つ。
 剣は左右に大きく弧を描いて氷塊に飛来する。
 干将莫耶は左右から挟撃するように氷塊を粉々に砕き、そのまま何処かへと飛んで行った。
 
「投影・開始(トレース・オン)!」
 
 空中でクルリと体勢を整え、次の一手の準備をする。
 だが、なんとか地面に着地してもその勢いは止まらない。
 ザリザリ、と地面の上を滑っていくと、靴の裏ゴムが焦げる嫌な匂いがした。
 
「驚いたぞ、まさか今のをああも簡単に砕くとはな! だが、武器を手放すとは――お前とも思えない失態だっ!!」
 
 無防備な俺目掛けてエヴァが攻め込んでくる。
 そして、その手の黒い爪を大きく振りかぶって叩き潰さんばかりに打ち下ろす。
 だが。
 
「――投影・完了(トレース・オフ)!」
 
 もう一度投影した干将莫耶でそれを防ぎきる—!
 
「な! 馬鹿な!? その剣は今っ!?」
 
 その剣を見たエヴァは、先程のように爪を切られるのを警戒してかバックステップで距離を取る。
 だけどそれは。
 
「――しゃがめエヴァっ!!」
 
「なっ!」
 
 俺の叫びが届いたのか、エヴァはその場で慌ててしゃがみ込む。
 瞬間。
 
「――――っ!」
 
 先程までエヴァがいた位置を、左右から高速で何かが通り過ぎていく。
 
「な、何故同じ剣がもう一振りあるんだ!? これではまるでラカンの――!」
 
 エヴァが屈んだまま叫ぶ。
 それはもう一組の夫婦剣……さきほど投げた筈の干将莫耶だった。
 干将と莫耶は互いに引かれ合う。この手に片割れがある限り何処にいこうとも戻ってくる夫婦剣。
 エヴァの上を通過したそれは、今度は俺目掛けて飛来する。
 それを待ち構えるかのごとく胸の前で両手を交差させ構える。
 
「はっ――!」
 
 バキン、と飛来してきたそれをもう一度、干将莫耶を弾き飛ばす。
 
「――ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 光の精霊29柱。 集い来たりて敵を討て!! 『魔法の射手・連弾・光の29矢』ーー!!」
 
 そこへ無防備なエヴァ目掛けてネギ君が魔弾を飛した。
 完璧に捕らえたかに思われたそれは。
 
「――ちっ! 『氷楯』!!」
 
 突如として現れた氷の盾に阻まれてしまう。
 バキキキキキン! と言う音が連続して響いた。
 
「――ふっ」
 
 その音に紛れるかのように地面を蹴り、起き上がったばかりのエヴァへと接近する。
 エヴァは俺を見つけると、今度は先程よりも濃さを増した黒い爪で向かい打った。
 ガキン、と言う音で左右の刃が止まる。
 濃い闇は密度に比例するのだろう、今度は斬れ落ちる事無く干将莫耶と拮抗する。
 ギリギリ、ともう少しで顔が触れてしまいそうな、ともすれば口付けしてしまいそうな至近距離で睨み合う。
 
「――はっ、面白いな士郎! お前は本当に何をしでかすか予想のつかない男だよ。その奇妙な術といい、その恐ろしい剣といい、こちらの行動が読まれているかのような戦い振りといい!! 何から何まで面白い!!!」
「………ああ、そうかよっ、俺はちっとも面白くなんかねぇーけどな! なにが悲しくてお前と戦わなくちゃいけないんだ、よっ!」
 
 一呼吸分の力を溜めて拮抗していた爪を弾く。
 エヴァはそれを見越していたかのごとく、自ら後ろへと飛んだが、次の瞬間には俺目掛けてその爪を振り落としてきた。
 それを体ごと回転するように回り、いなすとお互いの立ち位置が交換される。
 なるほど、これでは俺が壁になってネギ君の位置からではエヴァを狙えない。
 だが。
 
「――っ!」
 
 再び何処からとも無く飛来する干将莫耶。
 エヴァはそれを宙返りするようにかわす。
 そしてかわした瞬間、
 
「――ハアっ!」
 
 裂帛の気合と共に干将莫耶を地面に叩き落した。
 そしてその勢いを利用するかのごとく体ごと俺目掛けて突っ込んでくる。
 放たれる爪撃。
 轟と、とんでもない音を立てて迫ってくる。
 振るわれるソレは空気すら殺しかねない。
 だが恐怖は無い。
 それを寸前でかわす。
 皮膚の僅か数ミリ上を通過していく感覚。
 翻る剣戟。
 思い描くのは線ではなく点の軌跡。
 狙いをつけた場所を射抜くかの如く最短距離を走る切っ先。
 空気を切り裂き目標へと到達する。
 だが微塵も中るイメージが浮かばない。
 黒爪によって弾かれる。
 まるでそこに到達するのが初めから分かっていたかのようにエヴァは爪で受け流した。
 振るい、振るわれ、また振るい。
 弾き、弾かれ、また弾く。
 接近戦にも関わらず互いに一撃も当たらない。
 当たる気もしない。
 どこかで息をのむ音が聞こえた。
 そんな、一瞬と言う表現ですら八つ裂きに切り刻まれるような嵐の中。
 
「そうつれない事を言うな、私とお前の仲じゃないか。私のお前を少しでも理解したいと言う女心を解してくれ」
「……そんなモン分かるかってんだ。他人の心なんて、誰にだってわからないんだ。それが女心って言う複雑怪奇なもんなら俺なんかには一生かかっても分からないんだろうよ!!」
 
 一瞬の迷いが即、死に繋がりそうな一撃が無数に繰り広げられる剣戟の中心で、いつものように軽口を叩き合う。
 まるで、互いに意識しないでも互いの太刀筋が分かっているかのように。
 
「ハハハッ! それはそうかもしれん。が、お前は全く予想のつかない男なんでな。たまにはこういった手荒なマネもして見たくなるのさ。――本当、何者なんだお前は! 衛宮士郎!!」
「――そんなモン、言うまでも無いだろうが! 俺は衛宮士郎だ。お前達の家族で、お前達の味方で、――正義の味方の衛宮士郎だ!!!」
 
 両手に持った剣を頭上で交差し、左右同時に叩き落す。
 それに対してエヴァも奇しくも同じような構えで黒爪を打ち下ろす。
 ガキン、と言う手応えと共にお互い大きく体が弾け跳んだ。
  
「――ハハハハハハ!! この私の味方が正義の味方だと言うか! …………良いだろう、来い! ――”正義の味方”!!」
「聞き分けの無いヤツはお仕置きだ! ――行くぞ、”吸血姫”!!」
 
 二人、全く同時に地を蹴って互いの距離をゼロにする。
 その直前、
 
「――となって敵を捕らえろ! 『魔法の射手・戒めの風矢』!」
 
 エヴァを捕縛せんとネギ君の放った魔法が襲い掛かる。
 
「――ちぃ!」
 
 エヴァはそれを、まるで物理法則を無視するかのごとく、俺に向かっていたスピードそのままで直角に折れ曲がる事で回避した。
 けれどそれは余りにも大きな隙。
 
「は――!」
 
 それを俺は、ホームランを狙うバッターの如きスイングで干将莫耶を同時に叩きつけた。
 
「ぐぅ!?」
 
 正に打球のようにはじけ飛ぶエヴァ。
 が、それは空中でクルクルと何度か回転すると空中でピタリ、と止まった。
 
「…………なるほど……即興にしては良いコンビネーションじゃないか。前衛が引き付ている間に後衛が術を放つ。それに対処する事によって出来る隙を前衛が突く……か。確かにバランスは良い。だが――それだけでは私に勝てんぞ! ――『氷爆』」
 
 エヴァが思い切り手を横に振るうと同時に大量の氷が出現し、それが爆砕した。
 
「これは……!」
 
 ちくしょう! エヴァに初めて会った夜に喰らったヤツじゃないか!!
 しかもその威力はあの時の比ではない。
 目に見えるもの全てを飲み込まんと雪崩が俺達を飲み込もうとする。
 が、
 
「『風花・風障壁』!!」
 
 一瞬速く張り巡らされたネギ君の障壁によって守られていた。
 
「衛宮さん、大丈夫ですか!?」
「……ああ、助かったよ」
 
 ネギ君が俺へと走り寄り見上げる。
 が、この状況は不味い。
 エヴァは今の一撃を目くらましに使ったのか、俺との間合いを大きく離していた。
 追撃するにも10歩は必要とする距離。
 これではエヴァに冷静になられてしまう。
 
「――坊やもなかなかやるじゃないか。今の一撃が防ぎ切られるとは思わなかったぞ。……なるほど、スプリングフィールド家の血統の才能は恐ろしいモノがあるな」
 
 遠くからネギ君を観察しながら言う。
 不味い、完璧に冷静になってしまっている。
 あれでは同じ手段など効かないかもしれない。
 煙に巻こうにも、もう一度接近を許すほどエヴァはそう甘くない。
 
「面白い――貴様の力も試してやる。……リク・ラク・ラ・ラック・ライラック! 来れ氷精――」
 
 ゆっくり、ゆっくりと楽しむように呪文を謳うエヴァ。
 そうやってそのまま宙に浮き、俺達を見下ろす。
 その手には、余剰魔力が大気を凍らせたかのように氷が纏わりついている。
 恐らく次の一撃で決める気なのだろう。
 こうなったら――、
 
「ネギ君、君の一番強い呪文はどれくらいだ?」
「え、え? 一番強いですか? ……恐らく今エヴァンジェリンさんが唱えているのと同程度のが限界です」
「――そうか、だったらそれを撃ってくれ」
「で、でも! そんな事したら守りが……!  それにどう考えてもエヴァンジェリンさんの魔法の方が威力が明らかに上ですよ!? 撃ち合いになったら間違いなく負けてしまいます!」
「大丈夫、そこは俺が補うから…………だから頼む、アイツの目を覚ましてやってくれ」
「…………わかりました。衛宮さんを信じます」
 
 俺を信頼してくれたのか、ネギ君は目を瞑り呪文を唱え始める。
 それを横目に俺はエヴァを見上げた。
 
「……行くぞ、エヴァ。キツイ目覚まし行くから覚悟しろ」
 
 そう呟き両手に持った剣を捨てる。
 ガラン、と音を立てて転がった剣は、そのまま霧散するように消えた。
 
「お前等の力、私に見せてみろ――! ――『闇の吹雪』!!」
 
 闇を纏った吹雪が迫る。
 その威力たるや、今まで見てきたエヴァの呪文の中でも断然飛び抜けている。直撃でもしようものなら俺、更には背後のネギ君も簡単に地面へと転がってしまうだろう。
 ――だが、そんなことに関心は無い。
 俺のするべきことは創りあげることだけだ。
 
 
「――I am the bone of my sword(体は剣で出来ている).」
 
 
 左手を迫り来る闇を握り締めるかのように、前へと突き出す。
 使う物は決まっている。
 探し出す必要なんか無い。
 ならば自己へと最速で潜り、丘から引きずり出すのみ――!
 
「“熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)”――――!!」

 俺が知り得る限りで最強の盾を――!!
 
 目の前に咲き誇る七つの花弁。
 その一つ一つが鉄壁を誇る城塞の壁のソレに匹敵する。
 だがソレを、
 
「ぐぅ……く、っ……――」
 
 突破される。
 鉄壁を誇る筈のアイアスの守りが、ジワジワとその花を散らしていく。
 一枚破れ、二枚破れ、三枚目も……突破された!
 
「……ぎ、……っぐ――っ」
 
 突き出した腕がブルブルと震えて暴れだす。
 その手を右手で無理矢理押さえつけ眼前を睨む。
 激突の余波で頭に巻かれた包帯が弾け飛び、そこから血がドロリと流れ出た。
 その血によって片方の視界が真っ赤に染まっしまう。
 そんな真っ赤な世界の向こう側にエヴァを捉えた。
  
「……――っ!」
 
 
 ――真っ赤な血に染まった世界にエヴァがいた。紅く染まった世界に佇むその姿は一人ぼっちで……酷く悲しそうに見えた。
 
 
「――っう、……っく…………が……あぁぁアア!」
 
 
 ――…………駄目だ。駄目だエヴァ。そんな世界にお前を一人いさせる訳にはいかないんだ――ッ!!
 
 
「…………エ、……ヴァーーーァァァアアアアアッ!!!」
 
 
 絶叫と共に更に魔力を叩き込む。
 そうする事によって、4枚目でようやく拮抗する花弁と闇。
 怒涛の勢いで迫ったエヴァの魔法を完全に防ぎきる――!
 
「……こ、れを――止めるかっ! だが、守っているだけでは私を止められないぞ!!」
 
 止めたければ自分を打ち倒せ。
 エヴァは叫ぶ。
 ……分かったよエヴァ。力ずくでもお前を止めてやる。
 そしてお前は忘れている――俺は、いや、”俺達は”一人じゃないってことを……!
  
「…………雷を纏いて吹きすさべ南洋の嵐! ――『雷の暴風』!!」
 
 均衡を切り裂くネギ君の雷が放たれた。
 吹きすさぶ暴風と荒れ狂う雷がアイアスごと闇色の吹雪を押し返す――!
 
「――な、何……っ!?」
 
 雷風が闇を飲み込み、エヴァの姿を掻き消す。
 ネギ君の魔法の余韻だろう。バリバリという大気が帯電する音が耳に五月蝿い。
 
「は――はっ、………はぁ!」
 
 いや、五月蝿いのはソレだけではない。
 今のでまた傷口が開いたのか、コメカミがドクドクと脈打っている音が頭に響く。
 この頭の痛みが怪我によるものか、投影の負荷によるものか判断がつかない。
 
「――二人がかりとは言え今のを押し切るとはな。正直、侮っていたかも知れんな」
 
 声がする。
 そちらの方を見るとエヴァはこちらを見下ろすように宙に漂っていた。
 その姿は、羽織ったマントこそボロボロに破れていたがエヴァ自身は全くの無傷。
 エヴァが無傷であることに安心と共に驚きを感じる。
 今のを受けてもあの程度。
 恐らく先程言っていた魔法障壁と言うモノのおかげだろうか。
 
「だがな、それが貴様らの限界ではあるまい。――まだだ、もっと本気を見せてみろ」
 
 くそっ、まだ気が済まないってのかよっ。
 こちとら病み上がりで頭がフラフラしてるってのに……!
 
「…………っ」
 
 もう一度干将莫耶を投影しようと意識を引き絞り、
 
「――いけない! マスター戻って……っ!」
 
 茶々丸の切羽詰った声で中断させられる。
 なんだ、と思う暇も無く変化は突然に起きた。
 
「な、何っ!?」
 
 突如の変化に驚くエヴァ。
 何に対して驚いたかなどと確認するまでも無い。
 今まで沈黙していた橋の電灯がイキナリ点灯したのだ。
 遠くを見ると、暗闇に包まれていた都市がその輝きを次々と取り戻し始めていた。
 
「予定より7分27秒も停電の復旧が早い!! ――マスター!」
「ちっ……、いい加減な仕事をしおって!!」
 
 悪態をつきながらもエヴァは慌てて橋に戻ってこようとする。
 何を慌てているのだろうか?
 俺がそう疑問に思った瞬間。
 
「――きゃん……!」
 
 バシン、という激しい音と共に、エヴァの身体を雷光に似た何かが襲った。
 
「なっ」
 
 俺が状況を飲み込めない間にも事態は加速する。
 突如雷光に襲われたエヴァは急に力を失ったかのごとく落下を始めてしまう。
 それを見た茶々丸が弾かれるように駆け出した。
 
「――停電の復旧でマスターへの封印が復活したのですっ。魔力が無くなればマスターはただの子供……このままでは湖へ……!」
 
 それを聞いた瞬間。
 頭で聞いた内容を理解するよりも速く、駆け出そうとしていた。
 今ならまだ間に合う。
 全力で走ればまだ届く範囲に――手を伸ばせば届く範囲に!!
 だって言うのに、
 
「――つっ!?」
 
 ズキリと、電流にも似た足の痛みによって一瞬立ち止まってしまう。
 一瞬と言ってもそれは度し難い程に致命的な一瞬。
 今から再び加速しても間に合わない。
 
 ――馬鹿か俺は!! こんな足一本とエヴァを比べるまでも無いってのに!!!
 
 自分の愚かさ加減に自分を殺したくなる。
 が、
 
「――エヴァンジェリンさん!!」
 
 そんな俺を追い抜かして走り抜ける影が一つ。
 杖に跨ったネギ君だった。
 ネギ君は杖で空を飛んだまま橋を飛び越えると、落下するエヴァに追いつき、その手を掴む。
 俺は欄干から身を乗り出してその様子を見ていた。
 
「…………はぁー……」
 
 ネギ君に抱き抱えられたエヴァを見て一気に力が抜けた。
 俺は力なく欄干に身を任せる。
 恐らくその様は、ベランダに日干しにされた布団のそれと変わらないだろう。
 
「…………なぜ助けた」
 
 エヴァの声が聞こえた。
 その声に険は感じられず、ただ本当に分からないと言った様子の声だった。
 
「私はお前を殺そうとしていたのだぞ? その相手を助けるとは……どういうつもりだ」
「――僕は衛宮さんを傷付けました。僕の父さんはエヴァンジェリンさんをここに閉じ込めました。エヴァンジェリンさんの言っていた通りその責任は僕にあるんです。その責任は果たさなければなりません。僕にはエヴァンジェリンさんの呪いを解く義務があるんです」
「……それが助けた理由か……」
「ええ、そうかも知れません。けど、そうじゃないかも知れません」
「――どういう事だ」
 
 そうしてネギ君は満面の笑顔を覗かせ、
 
「だって、エヴァンジェリンさんは僕の生徒じゃないですか。先生が生徒を助けるのに理由なんてありませんから」
 
「――――」
 
 そのネギ君のお言葉を聞いて黙り込むエヴァ。
 俺は逆に、欄干に寄りかかった姿そのままで込み上げてくる笑いを堪える。
 
 ははは、エヴァ……お前の負けだよ。
 そんな風に言われたらお前はこれ以上手が出せない。
 
「――――バカが……」
 
 不機嫌そうなエヴァの声が聞こえる。
 
 でもな、そういうバカは嫌いじゃない。――なあ、そうだろ? エヴァ。
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
「これで僕の勝ちですね、エヴァンジェリンさん。約束通り父さんのこと教えてもらいますよ?」
「…………ちっ、わかったよ。そういう約束だったからな……」
 
 ネギ君が橋の上に戻ってきたのを境に、エヴァとネギ君を中心に集まっていた。
 その場に、エヴァは思いっきり不機嫌そうな顔をしながらもネギ君の言う条件を飲み込んでいる。
 魔力の有無に関わらず、その雰囲気は元々のエヴァに戻っていた。
 
「あと、悪い事もやめて授業にもしっかり出てもらいますからね♪」
 
 ネギ君がおどけるように言う。
 いや、実際テンションが妙に高い。そんなにエヴァに勝ったのが嬉しいのだろうか?
 
「ちょっと待て! 私はそんな約束はしてないぞ!? 悪い事をしないと言うのは分からんでもないが、何故そこで出席の話が出てくるんだ!?」
「え? だって僕が勝ったんだし……」
「それは認めてやらんでもないが、そもそもそれは士郎の力による所が大きいだろっ。貴様一人の力で勝ったワケではないだろうが!」
「それに助けたのは僕ですし……」
「ぐっ! そこでそれを持ち出すか……!? ――くそっ、分かったよ、確かに借りができたからな……」
 
 ……ネギ君、スゲーな……。何気にエヴァを言い負かしてる。
 俺には出来ない芸当である。
 
「えへへ……、あ、そうだ! 名簿のところに僕が勝ったって書いておこ~♪」
「っ!? き、貴様何をしている! やめろっ! 大体、いくら貴様等が二人がかりだったとは言え、停電が続いていれば私が勝っていた筈なんだからなっ!?」
 
 エヴァは、ネギ君が何処からとも無く取り出した名簿を奪おうと必死になっている。
 ギャーギャー騒いでる二人を尻目に、俺達外野は外野でのんびりと話をする。
 
「えー……っと、仲直りってコトでいいの?」
 
 アスナが騒ぐ二人を指差しながら疑問系で話す。
 
「……どうなんでしょうか?」
「俺にはもう子供の喧嘩にくらいにしか見えないけどな……二人ともチビッコだし」
「――聞こえたぞ、士郎! 誰がチビッコだ!」
 
 うお、聞こえた!?
 なかなかの地獄耳で……。
 
「だ、大丈夫ですよエヴァンジェリンさん。呪いの事なら僕が、う~んと勉強してマギステル・マギになれたら解いてあげますから。そしたらもっと大きくなれますよ!」
「私は元々コレが素なんだよっ! 悪かったな!! ええいっ、そんないつになるか分からんモノを待つより貴様の血を吸えばすぐに解けるんだよ!」
「――あ、そうだ。まき絵さん達を治しに行かなきゃ」
「無視すんなっ! いいか坊や、私はあきらめた訳じゃないからな!? 満月の晩は背中に注意しておけよ!!」
 
 エヴァのヤツ、怒ってるくせに何か楽しそうだなー。
 子供扱いされんの嫌いなくせして、そうやってると子供以外に見えないし。
 
「ねえ……エヴァンジェリンっていつもこうなの?」
「ええ、まあ。最近は大体こんな感じです」
「ふ~ん……、で、なんで仲良いの? シロ兄と」
「シロ、にぃ……? ああ、士郎さんですか。それは――」
「あー……、それはまた後で話さないか? 色々説明することもあるし、なんか長くなりそうだし」
「ま、もう夜も遅いし別にいいけど……じゃ、明日シロ兄の店行くからその時で良い?」
「了解」
「んじゃー、私は帰るわ。今日は色々あって疲れたし……お~い、帰るわよ~」
 
 アスナはそう眠そうに言うと、未だにエヴァと取っ組みあっているネギ君の首根っこをぞんざいに掴み、ズルズルと引き摺るようにして引っ張っていく。
 
「あ、コラ待て、神楽坂明日菜! まだ話は終わってないぞ!?」
 
 エヴァはそれを追おうとするが、それは俺がアスナと同じようにエヴァの首根っこを捕まえる事によって押さえる。
 
「し、士郎、離せ! このままでは私の尊厳が~っ!!」
 
 魔力を封じられているからだろう。
 エヴァはバタバタ暴れるが、ぞの力は全然弱い。
 
「はいはい、エヴァも帰ろうなー」
 
 エヴァの両脇に手を差し込み持ち上げて、茶々丸にポイッ、とパス。
 さて、じゃあ俺も帰りますかね……。
 
「っ!? こ、こら、私をぞんざいに扱うな! ――――って、士郎、何処に行く?」
 
 そのまま後ろ手にパタパタと手を振って帰ろうとする俺にエヴァの声がかかる。
 え、何処ってそりゃ……。
 
「や、店に帰るんだけど……」
 
 頭はフラフラするし足は痛いし……さっさと寝たいんだが。
 が、エヴァはそれを聞くなり急に不安気な顔になった。
 
「――あ、士郎……そのことなんだが……。えー、あー、その……だ」
 
 なにやらもったいぶるエヴァ。
 ふむ、なにか言い難いことでもあるんだろうか?
 
「あー……エヴァ? 何言いたいか分からないけど、そんなに言い難いなら無理しなくてもいいんだぞ? 明日でも店に来てくれても良いし」
 
 一日置けば言いたいことも纏まると思うし……、何言いたいか分からんけど。
 
「え……あ、そ、そうではなくてだな! だから、その……ああー、もうっ! ちょっと待ってろ、今言うからな!?」
 
 パタパタ手を動かして俺を引き止めたかと思うと、今度は深呼吸なんかしている。
 なんか知らんが忙しいヤツだ……。
 で、どうでも良いんだけど……さっきから茶々丸に抱えられたままなんだが……いいのか?
 茶々丸はエヴァの両脇に手を差し込んで、それを俺に向かって差し出している。
 そうやって抱かれた? エヴァは感覚的に言うとプラーン、って感じである。
 情けない事この上ないが本人が気にしていないなら良い……の、か?
 
「ふー……、よし、言うぞ!?」
「お? お、おう……」
 
 むん、と言った感じで気合を入れまくってエヴァは覚悟を決めた。
 
「士郎、その……戻って来たかったら戻っても……構わん、ぞ?」
 
 後半になるにつれドンドン小声になって行く。
 
「え?」
 
 単純に聞こえなくて聞き返しただけなのだが、エヴァは一転してガーッ、と一気にまくし立てた。
 
「わ、私はどうでもいいのだぞ!? 茶々丸が……そう、茶々丸がお前にどうしても戻ってきて欲しいと言って聞かなくてなっ? そう言われては主人である私としてはその願いに応えない訳にはいくまい! それにお前には茶々丸を救ってもらった恩もあるし無下には扱えまいっっ! だから私は仕方なく、そう仕方なくそれに許可を出して更にお前がどうしてもと言うのであれば考えてやらんわけでもない!!?」
「…………………………………」
 
 ……ええ、と。
 初めの感想としては、考えまくった割には話がぜんぜん纏まってないのな?
 とりあえずエヴァの言葉を解読してみると、えっと……茶々丸が帰ってきて欲しい。そう言ってるって事なのか?
 と、言うコトで茶々丸と視線をバシッと合わせてみる。
 
 ――そうなのか?
 ――戻ってきて欲しいとは思いますが、それをマスターにお伝えした事は無かったと……。
 ――じゃ、どういうコト?
 ――いつもの症状かと。
 ――いつものって言うと……アレか。
 ――ええ、照れ隠しかと……。
 ――なるほど……。
 
 以上、アイコンタクト終了。
 何気に茶々丸とは、意志の疎通が早い段階から簡単に出来ていた俺達なのであった。
 これも家事をするを人間の同族意識と言う物なのだろうか。
 しかし、何と応えたものか……。
 
「あのな、エヴァ。そりゃ、俺だって戻れるもんなら戻りたい」
「ならば――!」
「でもな、俺は自分の考えは変えられない。きっと、矛盾していると分かっていても何回だってそれを繰り返す」
「……………………」
「エヴァのマイナスになることだってしてしまうかも知れない。そうなればきっと今回と同じことの繰り返しだ」
「……………………」
「エヴァ、お前はそんな不利益を招くヤツを側に置いててもいいのか?」
「……………………」
「……………………」
 
 無言。
 俺は自分の考えをしっかりと偽り無く話した。
 俺は変わらない。絶対に。
 それが受け入れられない、となれば……戻るわけにはいかない。
 帰るだけなら簡単だ。
 でも、それはきっと……居心地の良い空間などではない。
 俺がいる事によって暖かい空気が壊されるのは……耐えられない。
 
「…………士郎。だったら一つだけ答えてくれ。それを正直に答えてさえくれれば、他は必要ない」
「……ああ」
 
 エヴァは何か大事なことを告げるように目を閉じた。
 
「――士郎、お前は私の家族か?」
「当たり前だ」
 
 即答。
 考える必要も、
 言いよどむ時間も、
 それ以外の余分な飾り立てた言葉も、
 何もかもが必要なかった。
 だからこそ、不純物など入り込む余地すらない位、剥き出しの俺の本心だった。
 
「――ああ、そうか…………。ならば戻ってきても……、いや、止めよう。お前を相手に飾り立てても仕方あるまい。――――帰って来てくれ、士郎」
「……サンキュ、エヴァ」
 
 こうして、長かった夜は明ける。
 あの日、エヴァの家から出て行った時と同じように辺りには暗闇。
 けれど、そこに俺達を区切る壁なんてありはしない。
 あるのは肌寒かろうとも暖かい空気。
 
「帰るか、士郎。――私達の家に」
「……ああ、そうだな。帰ろう」
 
 俺は、ただ最後に――ありがとう、と呟いた。
 
 
 



























◆◇――――◇◆
 
 
 
 戦いは去った。
 轟音鳴り響く戦場だったそこあるのは穏やかな静寂。
 ある者は自らの重荷を自覚し、ある者達は自らの帰る場所を再び手に入れる。
 だが――、
 
 そんな静寂さを残した場所に不釣合いな影が浮かぶ。
 到底人間とは思えない体躯。
 言語を介するとも知れぬ異形。
 感情と言う物が存在するとは思えない表情。
 そんな異形が不気味に一点を凝視し続けていた。
 
 
「アアー……、家族ゴッコトカドウデモイインダケドヨォ……。俺、魔力ナケリャ動ケネェンダカラ連レテ帰ッテクンネェーカネ。ッテカ、放置ッテヒドクネェーカ?」
 
 数十分後。
 士郎が慌てて回収に向かいましたとさ。
 
 ~~O・MA・KE END~






[32471] 第26話  束の間の平和と新たな厄介事
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 22:04

 
 エヴァとの事件があった次の日。
 俺達は『土蔵』に集まっていた。
 メンバーは俺、エヴァ、茶々丸、ネギ君、アスナ+カモの5人+1匹。
 それと言うのも、事の顛末を説明する為である。
 それぞれの前に紅茶を置いて、俺はカウンターの中で棚に背中を預けながら会話に加わった。
 
「……で? 何が聞きたいんだ?」
 
 エヴァが若干不機嫌にそう切り出す。
 恐らく昨日の別れ際の、勝った負けたのやり取りが未だに尾を引いてるのだろう。
 
「聞きたい事があるならさっさと聞くが良い。そういう約束だったからな……私が答えられる事なら話してやる」
 
 目の前の置かれた紅茶を手に取り、それを味わうように目を閉じた。
 それだけで幾分かリラックスしたのか、少し穏やかな表情をエヴァは見せた。
 
「……えっと、それじゃあ私から聞いて良い?」
 
 おずおずとアスナが手を上げながら聞いてくる。
 
「何だ」
「うん、昨日も聞いたけど……なんでシロ兄と仲が良いの? 私が知ってる限りだと、シロ兄ってここに来たのそんなに前じゃなかったと思うんだけど?」
「えーーっと、な……」
 
 ……あー……、何て答えたもんか。
 全部を正直に話したとしても混乱させるし、そもそもソレを話しても良いものか……。
 
「――そんな物、簡単だ。コイツは私の昔馴染みだからな」
 
 と、俺がアレコレ考えている間に、エヴァが代わりに奇妙な言い回しで答えた。
 ……昔馴染みって……、どういう事だ?
 
「……おいエヴァ、どういうつもりだ?」
 
 耳打ちするように小声でエヴァに尋ねる。
 放っておけばどんな事を言い出すかわかったもんじゃ無い。
 が、エヴァはそれに思ったよりも真面目な顔で耳打ちして返してきた。
 
「……なに、案ずるな。心配せずとも私が適当に言いくるめてやる。お前とて下手なウソをついてソレを探られたくないだろう?」
「そりゃそうだけど……」
「ならば私に任せておけ。悪いようにはしないさ」
「……ん、任せた」
 
 どうやらエヴァは本当に俺を案じてくれているらしい。
 そうだとすればエヴァに任せても問題はないだろう。
 面白がっている場合だと微妙だが、こういう場面でふざけるような彼女じゃない。
 
「――昔馴染みって……どういう事?」
 
 アスナが、ひそひそ話をする俺達を訝しげに窺っている。
 まあ、目の前でこんな事されたら当たり前か……。
 
「――コホン。別に難しいコトではない。言葉通りの意味だ。士郎とはここに封印される以前からの知り合いだ。それで最近、ジジィ……ここの学園長に指導員が人手不足だと言われて泣き付かれてな、丁度、職を探していた士郎を私が呼びつけた、それだけの話だ」
 
 ……なるほど、そう答えておけば俺が魔術……もとい、魔法使いである理由もここに呼ばれた理由も結びつけて説明できるのか。
 全部が全部ウソというより、ほとんどが本当なことだけに、矛盾も生まれにくいってコトなのだろう。
 
「ふーん……じゃあシロ兄とは付き合い長いわけね。でもシロ兄が職を探してたって……元々何してたのよ」
「――それを貴様が知る必要は無い。それとも何か? 貴様は士郎の過去を洗いざらい聞かなければ信用には足らん、とでも言うつもりか?」
「そ、そんな事無いけど……」
 
 真剣に語るエヴァの迫力にアスナが押し黙る。
 アスナがチラリと俺を見るが、俺はそれに肩を竦めて答えた。
 と、言うよりそれ以外に答えようがない。
 俺が下手に口を挟むと簡単にボロが出かねない。ここは他力本願になってしまって不本意なのだが、エヴァに任せるしかないだろう。
 
「わ、分かったわよ……シロ兄が可笑しなことしてるとも思わないし、信用するわよっ」
 
 それでいいでしょ、とアスナはバツが悪そうに締めくくった。
 アスナには悪いがそれで納得してもらうしかない。
 これ以上の事を話すとなると『こちら側の世界』のことに深く関わってしまう。それを話すのは、一般人のアスナには荷が勝ちすぎているのだ。
 
「あの、エヴァンジェリンさん……僕の父さんの事を聞いても良いですか?」
 
 すると、話の区切りを待ちかねたかのように、ネギ君が真剣な口調でエヴァに尋ねた。
 それを聞いたエヴァは、佇まいを正すように紅茶で唇を濡らすとポツリと呟くように、
 
「……ナギの事か」
 
 と、短く言った。
 エヴァは揺れる紅茶を眺めながら、大事な思い出をそっと取り出すように語り始める。
 
「……ヤツと初めて会ったのは……さて、何年前の事だったか。会った最初の印象としてはそうだな……バカっぽいやつだったな」
「バ、バカっぽい……です、か?」
 
 エヴァの意外な言葉にネギ君は目を丸くする。
 それはそうだろう、英雄とまで言われていた自分の父を評価して、バカっぽいと言われればその気持ちも分からんでもない。
 
「ああ、そうだ。知っているか? ヤツは巷では『千の呪文の男(サウザンドマスター)』などと呼ばれているが……本当は魔法を5、6個しか暗記出来ないほどのバカだったんだぞ? 魔力だけは馬鹿げたくらいあったがな」
 
 エヴァはククク、と薄く笑う。
 まるでその当時の事がつい先程起こった出来事のように。
 
「ま……私はそんなバカにやられて、こうしてここに封印されているわけなのだがな……」
「と、父さんがそんなんだったなんて……なんかイメージが……」
「なんだ、信じられんか? だが事実だぞ。小利口なお前とはまるで正反対。その上、細かいことなど気にもしない大雑把でもあった」
「そ、そうですか……」
 
 ネギ君がなにやら深く考え込んでしまう。
 どうやら想像していた英雄である父親像と、エヴァの語るサウザンドマスター像には大きな差があるらしい。
 ……まあ、そんなモンだろう。想像と現実っていうのは想像が美化されやすい分、差ができやすいもんだ。
 
「……にしてもこうやって聞いてるとアレよね」
 
 と、今まで話を黙って聞いていたアスナが徐に口を開いた。
 
「……なんだ」
 
 エヴァは紅茶を口に含みながらそれに答える。
 すると、
 
「エヴァンジェリン……あんたネギのお父さんのこと好きだったんじゃないの?」
「――ぶっ!?」
 
 ソレを俺目掛けて思いっきり吹きかけやがった。
 エヴァはそれに咳き込みながらもアスナに食って掛かる。
 えー……、俺は放置ですか? そうですか、放置ですか。
 
「な、なぜそれが分かる!? い、いや、そうじゃない! なぜそう思うと言うのだっ。ヤツは私をここに閉じ込めたのだぞ!? 恨みこそすれ、す、すすす……好きなどとは――!?」
「えー……だって、ねえ? 自分で気が付いてるか分からないけど……ネギのお父さんの事を話すあんた、……すっごく嬉しそうよ?」
 
 アスナの言葉を聞いてグッ、と声に詰まるエヴァ。
 続いて俺をチラチラと横目で窺うように見ている。
 ……や、そんな事されても紅茶まみれの俺には意味が分からんのだけど。
 
「――そうなのですかマスター?」
 
 茶々丸がエヴァに確認を取るように聞いている。
 
「ええい! う、うるさいぞ茶々丸!」
 
 うろたえまくるエヴァ。
 ……そんなに動揺すると自分で認めているのと同じような事だと思うんだが。
 
「そ、そうだったんですか……僕、知りませんでした……」
「坊やもその口を閉じんか! 私は一言もそうだとは言っていないだろうが!」
 
 言ってる言ってる。
 最初に自分で「なぜ分かる」とか言って認めてるぞエヴァ?
 
「あ、コラ士郎! お前も「ああ、納得」みたいな感じで頷いてるんじゃないっ。そうだけどそうじゃない! って何を言っているんだ私は!?」
 
 んー、良い感じでテンパってるなエヴァ。
 ネギ君を睨んだり、アスナを咎めたり、俺を見上げたり――って、なんで俺も?
 
「~~~~っ! ちっ……。いいさ、どうせ死んだヤツのことだ。……私とて10年も前の出来事を引き摺られてはおられん……」
「――エヴァ」
 
 ……本当に好きだったのだろう。
 いつまでも引き摺ってはいられないと言いながらも、その表情はちっとも晴れていない。
 きっとまだ心の中で色んな想いが燻っているのだろう。
 
「……私の呪いもいつか解くと言い残して行ったのだが……死んでしまったのなら仕方ない。そのせいで私の呪いを解くことの出来る者はいなくなり、十数年にも及ぶ退屈な学園生活だ……」
 
 エヴァが自嘲するように笑う。
 だけど、そんなエヴァを見てネギ君とアスナは訝しげに表情を歪めた。
 
「え? 死んだって……あれ? ちょっと、ネギ……」
「ハイ……」
 
 ネギ君は真剣な表情をするとエヴァに向けて言った。
 
「――でもエヴァンジェリンさん。僕、父さんと……サウザンドマスターと会った事があるんです!」
 
 その言葉にエヴァが動きを止めた。
 そして信じられないモノを見るかのようにネギ君を見た。
 
「……………………何だと? 何を言っている……ヤツは確かに10年前に死んだ。お前はヤツの死に様を知りたかったのではないのか?」
「違うんです! 大人はみんな僕が生まれる前に父さんは死んだって言うんですけど……6年前のあの雪の夜……僕は確かにあの人に会ったんです――」
 
 エヴァの表情がみるみる驚愕のそれに変わる。
 ネギ君はそれに頷くと、傍らに置いてあった杖を手に取り、エヴァに見せるように胸の前でギュッ、と力強く握り締めた。
 
「その時にこの杖を貰って……。だからきっと父さんは生きています。僕は父さんを探し出すために、父さんと同じ立派な魔法使い(マギステル・マギ)になりたいんですよ」
 
 そう語るネギ君の顔にウソを言っているような感じなど微塵も無い。
 ただ真実をありのまま話している。
 エヴァもそれが真実だと分かったのだろう。
 まるで、真綿に水がゆっくりと染み込んでいくように言葉を噛み締めていく。
 
「そんな……奴が……、――――サウザンドマスターが生きているだと?」
 
 エヴァの身体が小刻みに震えている。
 俯き、語られた真実を確かめているかのごとく長い間。
 そしてその瞳の端には輝く物が垣間見えた。
 
「――フ……フフ……ハハハハハ! そうか! 奴が生きているかっ! ハッ……殺しても死なんような奴だとは思っていたが……。ハハハ、そうかあのバカ……フフッ、ハハハ! まあ、まだ生きていると決まった訳じゃないが……しかし、そうか……ハハ!」
 
 一転して心底嬉しそうに笑う。
 それも当然だろう。
 死んだと思っていた大切な人物が生きているかもしれないと分かったのだ。その喜びと言ったら相当な物だろう。
 その様子を一緒になって見ていた茶々丸は、俺と目が合うと小さく頷いた。
 言葉を交わさなくても何を思っているかなど、俺にも分かった。
 だから、俺もそれに小さく頷く事だけで答える。
 
「で、でも、手がかりはこの杖の他には何一つとして無いんですけどね……」
 
 ネギ君が喜色満面のエヴァに驚きながらも、未だに手がかりは少ない事を言うが、そんな事は今のエヴァには些細な問題なのだろう。
 エヴァは得意気な顔をすると、
 
「――京都だな」
 
 と、短く言った。
 
「京都に行ってみるが良い。どこかに奴が一時期住んでいた家がある筈だ。奴の死が嘘だと言うのならそこに何か手がかりがあるかも知れん」
 
 エヴァは上機嫌のまま、ネギ君にそう言ってアドバイスをする。
 ネギ君はその突然の情報に、少し驚くような表情をした。
 
「き、京都!? あの有名な……ええーと、日本のどの辺でしたっけ……。こ、困ったな休みも旅費も無いし……」
 
 と、そこまで聞くと、アスナが「へー、京都か……」と言った。
 その表情はどこか得意気だ。
 
「丁度良かったじゃん、ネギ」
 
 そう言うと茶々丸に向かって「ねえ?」と同意を求めるように話を振ると、茶々丸も「はい」と言ってそれに賛同した。
 ……む、何の話だ? 俺には全く分からないんだが……。
 
「え?」
 
 と、ネギ君も疑問顔。
 そんな俺とネギ君で「?」と顔を合わせる。
 
「……って、シロ兄が分からないのは当然として、なんで先生のアンタが分からないのよ……」
 
 アスナが呆れて「ハァー……」と、ため息をついている。
 ネギ君はそれに「え? え? え?」と、ひたすら頭の上にハテナマークを三つ位浮かべていた。
 
「んもー……、しっかりしてよね。のんびりしている場合じゃないじゃないのよ。――ほら、帰ってちゃんと自分で確認してよね」
 
 アスナはそう言って席を立つと、ネギ君の首根っこを掴み、引き摺るように帰ろうとする。
 
「それじゃ皆、またねー」
 
 そのまま片手でネギ君を引き摺り、もう片方の手で後ろ手にパタパタ振って扉の向こう側に消える。
 ちなみに、ネギ君は最後まで目を点にして「え? え? え!?」と繰り返していた。
 ――無常だ……。
 
「――で? 一体なにがどうなってんだ?」
 
 残った二人に聞いてみる。
 さっきから俺は色々と置き去りにされていて何がなにやら。
 
「……さて、私にも何がなにやら……」
「って、お前も分からないのかよ!」
 
 すまし顔で小首をかしげるエヴァに思わず突っ込んでしまった。
 
「――丁度良いと言うのは、今度ある修学旅行の目的地が京都と奈良だからです」
 
 と、茶々丸が横からフォローを入れる。
 ああ、そういう事か。修学旅行の場所としては定番だ。
 
「ああ、そうか。そんな物もあったような気がするな」
 
 エヴァは紅茶を啜りながら大して興味無さそうに答えた。
 って、なんでお前はそんなに無関心なのさ。
 
「どうしたエヴァ、興味無さそうだけど……楽しみじゃないのか? お寺巡りとか嫌いなのか?」
「ん? ――ああ、、そう言う事じゃない。寺巡りなどはむしろ好きな部類に入る」
「じゃあなんでさ?」
「――昨日の今日とだと言うのにもう忘れたのか? 私はこの学園の外には出られんのだ」
「……あ」
 
 そうか、そういう事か。
 エヴァは呪いのせいで学園の敷地の外には出られないのだった。
 だと言うのに俺は……。
 
「……悪いエヴァ」
 
 エヴァに頭を下げる。
 今のは完全に俺の失言だった。
 
「謝るなバカ……お前に悪気が無い事ぐらい分かっている。それに修学旅行に行けない程度でなにも感じやしない。ガキ共と一緒に行った所で喧しいだけだからな」
「そっか……でも、そうなったら他の子達が修学旅行行っている間はどうするんだ? まさか居残り授業ってわけじゃないんだろ?」
「そうさな。その間は学園にさえ行けば後は何をやっていても構わんな。ま、適当に暇を潰しているさ」
「ふーん……」
 
 学園には行かなきゃいけないのか……。
 休みになるんなら何かしようかと思ったけど。
 
「それよりだ士郎。私もお前に聞きたいことがある。昨日お前が使った魔法……ではなかったな、魔術はなんだったのだ? 私も武具を呼び出す術は多少知っているが、お前の魔術は同じ物をいくつも召喚していた。更には私の魔法も完璧に防いだあの術……なんなんだあの桁外れに強固な障壁は。あの時の私の力で突破できないなど規格外にも程があるぞ」
 
 と、エヴァは昨夜のことがよほど不思議だったのだろう、首をかしげながら聞いてきた。
 ……そうだな、この際、エヴァにだったら話しても構わないよな。
 知られた所で悪いようにはしないだろうし。
 
「あれはだな、”召喚”じゃなくて”投影”っていう魔術なんだ」
「トウエイ?」
 
 ハテナ? と更に首を傾けるエヴァ。
 まあ、言葉だけじゃ普通分からないか……。
 
「投影って言うのは…………そうだな、単純に言えば物の複製を作る魔術って言えばわかるか?」
「……複製か……。まあなんとなくは分かるが。しかしアレだ。それだと効率が悪いんじゃないか? いちいち魔力を使って複製を作るより、最初から実物を用意していた方が理にかなってるだろう?」
 
 「違うか?」と付け足すエヴァ。
 流石エヴァ、わずかな情報しか無いと言うのに的確に本質を捉えている。
 
「うん、そうなんだけどな。だから普通なら儀式とかに使う、道具が揃わなかった際に代用品を作る程度が普通。外見だけ真似ても中身は空っぽらしい。本来ならエヴァが言うように、本物とかレプリカを用意できるならそっちの方が断然良いに決まってるんだ」
「だろう? だったらお前はなぜそんな中途半端な術を使うんだ?」
「……なんて言ったら良いんだろ。あー……本来なら確かに中途半端な術らしいんだ。でも、相性っていうのかな……属性とか、かな? ……なあ、エヴァ。話は逸れるんだけど、こっちの世界にも魔法の属性とかってあるんだろ?」
「ん? まあ、確かにあるな。例えば私だと、得意な属性は”闇”や”氷”といった系統の魔法だ。無論、ほかの系統も使えない訳ではないが……。それがどうかしたのか?」
「その属性なんだけど、俺の世界の魔術師だと基本的には”地水火風空”みたいな五大元素のどれかを持っているもんなんだよ。でも中にはそういった属性に該当しない魔術師もいるんだ。俺もその中の一人で、師に当たる人が言うに、俺の属性は”剣”らしい」
「――剣? ほう、面白いな。お前の世界にはその様な属性も存在するのか」
「数は多くないらしいんだけどな。そのおかげで俺は普通の魔術師が使えるような魔術がほとんど使えないんだけど……。で、話は戻るけど俺の投影っていうのがその属性に合っているせいか、元々資質があったみたいなんだ。だから普通の術師より精度が高いらしい。もっと正確に言えば俺の投影は”固有結界”って呼ばれる魔術から劣化して零れ落ちた魔術に過ぎないんだけど……」
「…………うーむ、良く分からんな。属性だの魔術が劣化して零れ落ちた魔術だの…………。ようするにアレか? 士郎はその珍しい属性のせいで普通の術師が扱えるような魔術は使えないが、他の術師が使えないような珍しい術を扱えるといった解釈で良いのか?」
「あー……まあ、そんな感じ。悪いな、説明下手で」
 
 どうにも基本が違う相手に説明するのって難しいモノがある。
 エヴァが頭の回転が速くて助かった……俺の拙い説明でも何とか理解しているらしい。
 
「それは別に構わん。私だってお前に一からこちらの世界の魔法の原理を説明しろと言われれば何から説明するか迷うだろうからな。それよりだ。お前の術が珍しい事は分かった。その”投影”とやらがお前の属性によって通常より高精度で使えることも何となく分かった。しかし、それでも最初から実物を用意したほうが良い事には変わらないだろう?」
「そうなんだけどさ……。あー……エヴァ、驚かないでくれよ?」
「……なんだ士郎。もったいぶる様なことなのか?」
「や、俺の世界では他の術者にばれたら、間違いなく厄介な事になるって言われたような物なんでな」
「……お前の事だから驚くなと言うのは難しいかもしれんが、騒ぎ立てるような事はしないと約束しよう」
「…………じゃあ言うけど。――俺の魔術ってさ、一度実物を見た武具ならほとんど実物に近い形で投影できるんだ。しかもほっとけばいつまでも存在し続ける」
「……ん? 魔力で作ったのにいつまでも存在し続ける、だと? それに実物に近い形とは……お前は先程中身は空っぽなのが普通だと言ってなかったか?」
「普通はそうらしい。俺は初めからこうだったから良く分からないんだけど……。で、それは俺の世界でもかなり特異な訳なんだが……。――手っ取り早く結論から言うとだな、エヴァの魔法を止めたアレって”大アイアスの盾”なんだ」
 
 エヴァは俺の言っている意味が分からないのか眉間にしわを寄せて「ん? ん? ん??」と唸っている。
 しかし何かに思い至ったのか、見る見る驚きの表情を浮かべた。
 
「――ま、待て! ”大アイアス”だと!? それはアレか、トロイ戦争に出てくるアキレウスの従兄弟の……あのヘクトルと引き分けたと言われる、あの大アイアスかッ!?」
「あ、やっぱり知ってたか」
 
 エヴァは良く本とか読んでるから知ってるとは思ったけど案の定だった。
 けどやっぱり普通驚くよな……、伝記とかの本に出てくる武具が使える、なんて言ったら。
 
「知ってるも何も……伝説の人物ではないか! お、お前はそんな人物の武具を使えると言うのか!?」
 
 エヴァはカウンターに身を乗り上げて、やや興奮気味に迫ってくる。
 やはりこちらの世界にはそういった魔法は存在していないのだろう。
 そう考えればエヴァの驚きも無理は無い。
 
「うん、まあ……信じられないか?」
「い、いや……お前が信じられない訳ではないが……。しかしなるほど……それほどのモノだったら私の術を止められたのも納得がいく」
「――信じてくれるのか?」
「信じる他あるまい。お前が嘘を言うようにも思えんしな……。それとも何か? 嘘なのか?」
「……いや、そうじゃないけど。こうもアッサリと信じてもらえるとは思わなかったから……」
「お前を疑ったりなどせんよ。それに、元々術形態が違うのだからそういう物だと納得するさ」
 
 エヴァは呆れるように言う。
 だけどエヴァの言うコトはもっともかもしれない。
 基礎からして違うのだから、ソレは既に全く別の術だと思ったほうが先入観も無くて分かりやすいのかもしれない。
 と、そんな時だった。
 そこまで考えていたら備え付けのアンティーク調の電話が鳴った。
 
「――はいはい」
 
 この時の俺はまだ知らなかった。
 この電話の内容が新たな厄介ごとの元凶だと言うコトを――――。
 
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
 
 朝も早いと言うのに、ザワザワという喧騒が聞こえる。
 正に人波と呼ぶのが相応しい程の人の数の中に俺は身を置いていた。
 
「――さて、なんで俺はこんな所にいるんだったか……」
 
 俺の今いる場所は大宮駅。
 人の流れの邪魔にならない端っこに寄って、むむむと考えてみる。
 切欠は一本の電話。
 何の気なしに受話器を取って聞こえてきたのは、学園長の声だった。
 話の内容は、何でも今度行くネギ君たちが行く、修学旅行の目的地には関西呪術協会と呼ばれる組織があるらしく、そこと学園長が理事を務める関東魔法協会は折り合いが昔から悪いらしい。それで、今回の修学旅行では、魔法使いであるネギ君が同行すると聞いて、自分達のテリトリーに入ることに難色を示していると言う。
 だが、学園長はいつまでもそんなギスギスした関係は望まず、今回、ネギ君に特使としての役割を任せた。
 特使と言っても複雑な折衝交渉をする訳ではなく、親書を相手方のトップに届けるといった単純なモノらしい。
 だが、そうなるとそれを快く思わない輩が出てくるのは当然で、何かしらの妨害があるかもしれないとの事だ。
 そこで、ネギ君だけでは対処しきれないくらい大きなことになった時の為に、他にも秘密裏に生徒を護衛する役割として、俺に白羽の矢がたったらしい。
 と、まあ……ここまでの話を聞いた時点でエヴァが「あんのくそジジィがぁぁぁぁー!」とか言ってコミカルにかっ飛んでいったのが印象的だった。
 何故エヴァが怒ったのかは分からなかったが、あの剣幕で走り去ったエヴァの状況から想像するだけで、学園長には心から冥福を祈りたい。南無……。
 
「それにしても……幾ら秘密裏だからってこの格好はどうなんだろう……」
 
 自分の姿をガラスに映して眺めてみる。
 格好自体は至って普通だ。
 普段着のロングTシャツにジーンズ、スニーカー。手には旅行カバン。
 実に有り触れた格好で、別段目立つ部分などありはしない。
 問題は顔に乗っかっている異物。
 
「……俺、眼鏡に良い思い出ないんだけどな……」
 
 そう、眼鏡である。
 無論、度の入っていない伊達ではあるが、それだけでも十二分に違和感がある。
 どうも俺は眼鏡をかけると幼く見えてしまうらしい。
 只でさえ背が低いので幼く見えやすいのに、これではそれに輪をかけて幼く見えてしまうではないかっ。
 これを提案したのは、手を紅く染めて学園長の所から帰って来たエヴァだった。
 ……その紅い手が何なのかはあえて聞かないことにした。……怖かったし。
 で、エヴァが言うには、
 
「変装といったら眼鏡だろう」
 
 らしい。
 すると、何処からとも無く取り出した眼鏡を俺にかけると、一瞬それを見て固まり、次の瞬間には爆笑しやがったのだ。
 遠坂にもそうやって笑われた事があるので分かっちゃいたが流石に腹が立った。
 ので、お返しにエヴァにもかけてやった。
 …………普通に似合っていたのが悔しかった。
 チクショウ、お土産に木刀とか良く分からないペナントでも買って来てやるから楽しみに待っていやがれ!
 
「――っと」
 
 そんな感じで俺が方向性を間違えた、変な復讐に燃えていると、見知った顔が近づいていたので慌てて隠れる。
 
「――おはようございまーす! わ~、みんな早ーいっ」
 
 それは見るからにはしゃいでいるネギ君だった。
 ネギ君は大きく手を振りながら自分の生徒達の元に走り寄っていく。
 なるほど、そこには俺も見知った顔や話したことは無いが顔は覚えている子が多くいた。
 
「……でも参ったな……まさかここまで顔見知りが多いとは。こうなると秘密裏って言うのも思ったより難しいかもな……」
 
 物陰に隠れながら一人呟く。
 学園長の希望としてはあくまでもネギ君主体で問題を解決して貰いたいとのことだった。
 事態が大きくなればその限りではないが、些細な事なら手出しはしないで見守って欲しいらしい。
 それはネギ君の成長を思っての事なのだろうから異存はないが、影からその手助けをすると言うのは思ったより難しい。
 こうも知り合いが多いと迂闊に身動きが取れないのだ。
 こうなると何も無い事を願うしかないが……さて、どうなる事やら――。
 
『JR新幹線、あさま506号――まもなく発車致します』
 
 出発を知らせるアナウンスが聞こえる。
 いい加減俺も移動したほうがいいだろう。
 
「と、俺も乗らないとな」
 
 近くにあった扉から、コソコソと人影に隠れるようにして新幹線に乗り込む。
 
「えっと……俺の席はー……っと――」
 
 乗車券と睨めっこしながら自分の座席を目指す。
 この券は学園長が手配してくれた物である。今回の事はかなり急遽決まったので助かった。
 座席を目指してキョロキョロしながら歩く。
 ……ふむ、どうやらこの隣の車両らしい。
 座席の表示を見ると一番後ろの席の窓際らしい。
 学園長もなかなか良い席を提供してくれたもんだ。これなら仕事といっても楽しい風景が期待できるかもしれない。
 思わぬ高待遇に心弾ませながら、自動ドアの前に立つとアラームが鳴った後にドアがプシュー、と開く。
 瞬間。
 
「――――なっ」
 
 声を失い、我が目を疑った。
 ……これは何の冗談だ、目の前の状況が信じられない。
 あり得ない、あり得ない、アリエナイ――!
 こんな現実、あってたまるか――!
 
「――この4泊5日の旅行で楽しい思い出を一杯作ってくださいね」
『はーーーーい♪』
 
 響き渡る歓声。
 ……つーか、3—Aだった。
 
「…………」
 
 ―――――――――――――――――――――――ばっ……。
 馬鹿かあの人ーーーーーーーーーっっ!!?
 何を考えていやがりますか!?
 秘密裏とか言って置きながら思いっきり中心に置くんじゃねーっ!!
 只でさえ3—Aには知り合いが多いって言うのにどうしろとっ!?
 もう嫌だ! まだ何もしてないけどもーー嫌だ!!
 チクショウ! こんな事ならエヴァと一緒に残ってれば良かった!!
 
「…………ん?」
「――っ」
 
 急にこちらを振り返った視線から避けるように椅子へと座る。
 ……はい、もう身動き取れません。
 しかも今こっち見たのって刹那だし。
 あの特徴的な髪型は見間違いようもない。
 
「――気のせいか」
 
 そんな声が聞こえたような気がする。
 とりあえずバレなかったっようだ。
 ……勘弁してくれー、このクラスって何かやたらと『出来る』雰囲気を持つ子が多いし。
 俺、苛められてるんだろうか?
 
「うう……、これで見つからなかったら、俺、スニーキングミッションとかも出来るんじゃなかろうか」
 
 なんて変な事を言いながらバックを漁る。
 流石に眼鏡だけでは不安だったので、ここに来る途中に適当に帽子を買ってきたのだ。
 状況は最悪だが、こんなモノでも無いよりはマシだろう。
 目的の物を引っ張り出す。
 極普通の白と黒のベースボールキャップタイプの帽子。
 ただそこに書かれていたロゴはあんまり普通じゃなかった。
 そこにはこう書かれていた。
 ――嗚呼、無常。
 
「――――」
 
 ……意味も無く泣きたくなった。
 今の俺の心情にハマリ過ぎている。
 つーか、こんなデザイン誰が考えたんだ? 異様に達筆な筆遣いで書かれてるし。
 こんなんじゃ誰も買わないだろうに……って、俺は買ったのか。
 ……激しく鬱。
 ……………い、いいさ! こんなもんでも目深に被って寝た振りでもしてればバレないかもしれない!
 
「――って言うコトで俺は寝る」
 
 人はそれを不貞寝と言う。
 前途多難どころか踏み出した一歩目から地雷原みたいな絶望感に打ちひしがれながら、余りにもあんまりな旅を憂う俺だったりした……。
 
「…………」
 
 ワイワイ、キャッキャ、と言う修学旅行独特の開放感に浮かれる3—Aの女の子達。
 ガタゴトとかすかな振動を伝えて走る新幹線の中で非常に楽しそうである。
 ……何で未だにバレないでいられるんだろうか、俺は。
 さっきから俺の横を誰かが通るたびに気が気じゃないと言うのに、これではある意味拍子抜けだ。
 や、バレないんならそれはそれで全然良いんだけどさ?
 
「――きゃ、きゃーーー!?」
 
 悲鳴!
 緩んでいた思考が一気に引き絞られる。
 まさかこんなに一般人の目が着く場所で襲撃をかけてきたと言うのか!?
 俺は慌てて立ち上がり、被っていた帽子を脱ぎ去り状況を確認して、
 
「カ、カエル~~~!?」
「……………………………」
 
 もう一度座り直した。
 目にした物は、あたり一面カエルだらけと言うある意味地獄絵図。
 だけどまあ……うん、ありゃ無害だ。
 多少の魔力を感じたから使い魔か式神の類いだろうだとは思うけど、数が多いだけで欠片も脅威は無い。
 ネギ君、任せた……俺は疲れました、色々と。
 つーか、何なんだ?
 関西呪術協会とやらは、こんな悪戯程度の事を繰り返したりするのが妨害なのだろうか?
 だとしたら何とも可愛らしい物である。
 と、視界の端で刹那が動いたのが見えた。
 ――ああ、なるほど。一応保険をかけておくのか。
 まあ、刹那が動いたのならこの程度の事件はすぐにケリがつくだろう。
 俺はもう一度帽子を目深に被って目を閉じる。
 さてさて、程度の差はあれど実際妨害行為は出てきた。
 そうなるとこれからその妨害がエスカレートする可能性が高いが……願わくば、この子達には楽しい修学旅行になる事を望むだけか……。




[32471] 第27話  魔の都
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 22:06

 
「――はぁ……なんか精神的に疲れた」
 
 俺はとある部屋で景色を眺めながら、今日の出来事を思い出してぼやいていた。
 『ホテル嵐山』。
 今夜宿泊する場所の名前だ。
 今日の新幹線での出来事以降、俺はなんとかバレることなく3—Aを尾行する事に成功していた。
 そこから先に起こった悪戯紛いの妨害を思い出すと……。
 
「――あー、頭イターイ……」
 
 思わず頭を抱えたくなる。
 有名な地主神社での恋占いの石では、そこの石に辿り着く途中に落とし穴作ってたり、音羽の滝では流れてくる水の代わりにお酒を流したり……と、余りにも幼稚過ぎてため息しか出なかった。
 刹那もソレを見ていたがただ眺めているだけ。
 まあ、俺と同じくネギ君に任せて傍観していたんだろう。
 
「そりゃ、やる気は出ないか……あんなのだったら」
 
 大きなことが起きないのは結構だが、これでは本当に子供の悪戯と変わらない。
 変に気を張り続けていた分、余計に疲れてしまった……。
 
「……にしても、大河内さん。意外だったなー」
 
 そんな緩んだ感覚で思い起こされるのは日中の事。
 それは音羽の滝での出来事だった。
 俺は遠くから呆れながら見ているだけだったが、滝には多くの女の子が群がっていた。
 その中の一人に大河内さんの姿があった。
 彼女は普段の一歩引いたような、大人びた雰囲気とは打って変わって、無言の圧力のような物を醸し出しながら流れ落ちる水を汲んでは飲んでいた。
 確か音羽の滝のご利益は健康、学業、縁結びだったか。
 いつの世も女の子というのはそういうのが好きらしい。
 ……まあ、その結果として酔いつぶれてはいたんだけど。
 そのご利益を考えるとどれでも当て嵌まりそうだが、彼女の年齢を考えれば恐らく恋愛がらみだろうか?
 まあ、大人しそうに見える彼女も年頃の女の子、好きな男性位はいて当然だろう。彼女程の美貌があれば選り取りみどりだろうに、その一途に思える姿勢には好感を覚えたものだ。
 ……でもアレって確か、本当は観光用の謳い文句で、本当の意味は”動・言葉・心の三業の清浄”を表してるだけじゃなかったっけ? で、アレが清水寺の名前の由来になったとかどうとか……。
 まあ、どうでもいいか。
 
「それにしても参ったな……新幹線の流れで泊まる場所も同じだとは思ってたけど、これじゃあ迂闊に外に出れないし……」
 
 まあ、刹那がいるから大丈夫だとは思うが、やはり妨害と言うのは気になる。
 いつエスカレートして事を大きくするか分からないのだ。
 出来る事なら見回りとかしたいんだが、知り合いに会うのは不味いと来ている。
 ――いっその事、堂々とバラしてしまうと言うのはいかがなものか。
 
「でもそうなるとネギ君の為にならないし……」
 
 仕方ない、大事になったら出張るけど、些細な事はネギ君に任せるしかないか……。
 先程までも微力な魔力が侵入してきていたが、あの程度ならネギ君に十分任せられる。
 更に、今は誰かが結界でも張ったのか、何か膜の中に包まれているように感じる。
 感じる力から推測する限り、恐らく刹那によるものだろう。
 俺も心苦しいが二人に頑張って貰うか。
 と、なると急に手持ち無沙汰になるんだけど……。
 
「――そう言えば今の時間だと、エヴァ達は飯か……ちゃんと食ってるかな」
 
 思うのは家に残してきた面々のこと。
 家には茶々丸がいるのだから何も心配する事など無いのだが、どうしても考えてしまう。
 エヴァの奴、家を出るときも散々、愚痴ってたしなあ……。
 わざわざ俺が出張る必要は無いとか、その程度自分達だけで解決させろとか色々。
 まだむくれてたりしたらやだなー……茶々丸に当たってたりしなきゃ良いけど……。
 エヴァの奴も子ども扱いされんの嫌がるクセして変な所で子供っぽいし。
 あれはあれで味なのだとも思うが。
 ――と、そんな時だった。
 
「――って、あれ?」
 
 ――おかしい。
 なにか異質な魔力を感じる。
 それは先程まではなかった気配だ。
 
「…………」
 
 目を閉じて感覚を研ぎ澄ます。
 気配は大きく無いが、決して小さくも無い。
 これは――!
 
「――敵方の術師かっ!」
 
 だが妙だ。
 結界を張った刹那本人がこの気配を見逃すわけが無い筈。
 あいつがむざむざ術師本人の侵入を許すほど甘い結界を張るとは思えない。
 わざと侵入させたのか、それとも結界を潜り抜けられたか……。
 いずれにしてもあまり良くない展開だ。
 
「……出るべきか?」
 
 焦れる。
 ここでは判断がつかない。
 体中を虫が這い回っているかのように落ち着かない。
 奇妙な制限なんか無ければ今すぐにでも出て行くというのに――!
 と。
 
「――――!」
 
 次の瞬間、月の光が一瞬遮られた。
 
「今の!」
 
 月明かりに薄っすらと照らされた風景を睨む。
 すると、おかしな人影が蠢いていて、更に何かを抱いているように見える。
 あれは……。
 
「――このか!?」
 
 一瞬だけ見えたあの長い黒髪と横顔は間違いなくこのかだ!
 くそっ、何がどうなっていやがる!
 このかは刹那が守っているんじゃなかったのかっ?
 いや、それより何でこのかが攫われている!?
 
「くそっ! もう秘密裏とかなんとか言ってる場合じゃ無い!」
 
 俺は慌てて靴を履くと窓を大きく開け放ち、サッシに足をかける。
 すると、遠くにアスナと刹那の走っている姿を見つけた。
 向かっている方向からすると、あの人影を追っているに違いない。
 
「チクショウ! 間に合えよ――!」
 
 ダン、と勢いをつけて飛び出す。
 こうして『魔都』、京都の夜は幕を開けた。
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
 私は夜の街を走っていた。
 傍らにはネギ先生と神楽坂さんの二人。
 ソレと言うのも、隙を突かれ、猿のような着ぐるみを被った賊にこのかお嬢様を攫われてしまったからだ。
 
(何たる失態! 私が着いていながらみすみすこの様な強硬手段を許すとは――!)
 
 これでは『あの時』とまるで変わらない。
 私は二度とこの様な事が起こらない様に力を求めたと言うのに……私はまるで成長していない!
 私は『あの時』誓ったのだ……お嬢様が川で溺れそうになっているにも関わらず無力だった『あの時』に誓ったのだ!
 お嬢様を脅かす脅威全てを切り払う刀になると――!
 
「……お嬢様!」
 
 ギリッ、と歯を強く噛み締める。
 だと言うのにこの体たらく……私は、私はこの様な無様を晒すために存在しているのではない!!
 
「せ、刹那さん! 一体どう言う事ですか!?」
「ただの嫌がらせじゃなかったの!? なんであのおサル、このか一人を誘拐しようとするのよ!!」
 
 傍らを走るネギ先生と神楽坂さんが息を切らせながら聞いてくる。
 ……出来る事なら秘密にしておきたかったが、ここまで巻き込んでしまっては仕方ない。
 
「……実は、以前より関西呪術協会の中に、このかお嬢様を東の麻帆良学園へやってしまった事を快く思わぬ輩がいて……。おそらく――奴らはこのかお嬢様の力を利用して関西呪術協会を牛耳ろうとしているのではないかと……」
「え……?」
「な、何ですかソレ!?」
 
 二人が驚くのも無理は無い。
 だが、これは事実だ。
 それほどまでにお嬢様の魔力は桁違いなのだから。
 
「私も学園長も甘かったと言わざるを得ません。まさか修学旅行中に誘拐などという暴挙に及ぶとは……。しかし、関西呪術協会は裏の仕事も請け負う組織。このような強行手段に出る者がいてもおかしくはなかったのです」
 
 言い訳などできない。
 私は一体何を学んで来たと言うのだ!
 士郎さんの言葉が思い出される。
 私のような人間は”絡め手”に弱いと。
 ……その通りだ、あの御方が身体を張ってまで教えてくださった事を、私は何も理解などしていなかった――!
 
「――これも私の未熟が招いた事!」
 
 ダン、と地面を蹴り一気に加速する。
 それで賊との距離が縮まり、逃げ切る事が不可能だと判断したのか京都駅の大階段で私達を待ち構えていた。
 
「フフ――よー、ここまで追ってこれましたな……」
 
 よく見ると賊は女のようだった。
 長い黒髪で妙齢の眼鏡をかけた女。着物を着崩し、肩口を大きく露出させている。
 着ぐるみを脱ぎ捨てて、私達を侮蔑するように見下ろしていた。
 
「せやけどそれもここまでですえ……。三枚目のお札ちゃん、いかせてもらいますえ――」
 
 女はそう言うと手に一枚の札を取り出した。
 あれは――不味い!
 
「おのれ、させるか――!」
 
 くっ、間に合うか!?
 女との距離は高低差を含めれば20メートル近くある。
 何とかして術の発動を止めなければ!
 
「――お札さん、お札さん。ウチを逃がしておくれやす」
 
 そう呟き手にした札を私目掛けて投げつけた。
 瞬間、
 
「喰らいなはれ――。”三枚符術京都大文字焼き”!」
 
 眼前全てを覆う炎が私を飲み込もうと迫る。
 
「うあ!?」
 
 迫る熱風に目を開けていられない。
 器官を焼く熱で喉が痛い。
 私はお嬢様を守る事も出来ずにこんな所で倒れるというのか!?
 
「――桜咲さん!」
 
 神楽坂さんの声が聞こえたのと同時にグイ、と後ろに思い切り引き倒される。
 ……まさか素人である彼女が私を助けた?
 
「ホホホ……並みの術者ではその炎は越えられまへんえ。――ほな、さいなら」
 
 女は私達を見下すように言って、その場を立ち去ろうとしている。
 神楽坂さんは炎の向こう側で悠然としている女を睨みながらも、私を守るように手をかざしていた。
 
「……神楽坂さん」
 
 私はその光景に目を疑った。
 ――炎が神楽坂さんを避けている?
 そう、迫っていた炎は神楽坂さんに近寄れず、一定の距離で止まっている。
 一般人であるはずの彼女のこの力は一体……。
 それに、炎に怯まず向かっていく事できる人間が普通の世界にいるというのか?
 
「――ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 吹け、一陣の風……」
 
 ネギ先生の声が聞こえる。
 これは――呪文の詠唱か!
 
「”風花・風塵乱舞”!!」
 
 瞬間。
 荒れ狂う突風が炎全てを弾き飛ばした。
 ……スゴイ、少年と言って差し支えの無い年齢でこの力。
 凄まじいまでの才気だ。
 これが、ネギ先生の……ネギ・スプリングフィールドの実力か!
 
「逃がしませんよ! このかさんは僕の生徒で……大事な友達です!」
 
 ネギ先生は、ザン、と私達を守るように立ちふさがる。
 これが本当に10歳という少年の力か?
 サウザンドマスターの系譜がこうも飛び抜けているとは……。
 
「契約執行180秒間!! ネギの従者『神楽坂明日菜』!」
 
 ネギ先生がそう唱えると神楽坂さんの身体は淡い光に包まれる。
 
「ネギ先生……神楽坂さん……」
 
 その背中を呆然と眺める。
 ……私は二人を見くびっていたのかもしれない。
 
「――桜咲さん、行くよ!」
「え……あ、はいっ!」
 
 呆然としていた意識が神楽坂さんの言葉でかき消される。
 素人ならこのような場所に立ち会ってしまった場合には何もできないと言うのに……二人は、まるでこれ以上の脅威と相対したことがあるかのように女を睨みつけていた。
 
「もー……さっきの火、下手したら火傷しちゃうじゃない! 冗談じゃすまないわよ!? 大体アンタね、バカ猿女。何を偉ぶってるか知らないけど……アンタなんかに比べたら、シロ兄やエヴァちゃんの方が何十倍も怖いってのよ!! わかったらさっさとこのかを離しなさい、この三下ーーーっ!」
 
 神楽坂さんが足場を強く踏み込んで弾ける様に飛び込んで行く。
 その速度は素人とは到底思えない程の速度。
 
「――っ」
 
 見惚れてばかりもいられない。
 私も地面を蹴り、女に接近を試みる。
 
「アスナさん! パートナーだけが使える専用アイテムを出します! アスナさんのは『ハマノツルギ』! 武器だと思います!」
「武器!? そんなのがあるの? ――よ、よーし。頂戴、ネギ!」
 
 神楽坂さんの言葉に頷いたネギ先生が小さく何かを呟いた。
 見ると、神楽坂さんの手元に光が集束して形を成していくのが見える。
 それは、
 
「……な、何よコレー! ただのハリセンじゃないのーー!?」
 
 そう、ハリセンだった。
 だが神楽坂さんの言う”ただの”とは違う。
 手にしたソレから異質な力を感じる。
 
「ええーい! 行っちまえ、姐さん!!」
「もー、しょうがないわ――ねっ!!」
 
 神楽坂さんはやけっぱち気味にソレを振りかぶると大きく跳躍した。
 私もそれに合わせる形で女目掛けて刀を討ち下ろす!
 
「――!?」
 
 が。
 ソレは一瞬にして現れた、大きなクマとサルのヌイグルミによって防がれてしまう。
 
「うわった……!? な、何これ! 動いた!?」
「これは呪符使いの『善鬼』『護鬼』です!」
 
 大きなヌイグルミのようなふざけた外見だが、その実は式神、力は本物だろう。
 そもそも、『善鬼』『護鬼』とは西洋魔術師でいうところの『従者』にあたる。
 術者が呪を紡いでいる間の護衛として使役されているのだ。
 
「間抜けなのは見てくれだけです! 気をつけて、神楽坂さん!!」
 
 不味い。
 時間をかければこの程度は簡単に突破できるが、今はその時間が一秒でも惜しい。
 その証拠に女はお嬢様を担いでこの場から撤退しようとしている。
 
「ホホホホ。ウチの『猿鬼』と『熊鬼』はなかなか強力ですえ! 一生そいつらの相手でもしていなはれ!!」
「――このか! ……こんのぉおおーーー!!」
 
 神楽坂さんが連れ去られようとするお嬢様を目にした瞬間、弾かれるように手にしていた得物を式神目掛けて横薙ぎに振るう。
 
「たああーーー!」
 
 気合一閃。
 次の瞬間、ただの一撃で式神を送り返してしまった。
 神楽坂さん本人もその事に驚き、自分で持ったハリセンをまじまじと見つめている。
 だが私はそれ以上に驚愕していた。
 
「――す、すごい……神楽坂さん」
 
 本当に何者なのだ、この人は。その能力が神楽坂さん本人のものか、武器に宿っている物かは判断できないが、今のを見る限りだと強力無比な攻撃と言うよりも破魔、破邪の類の能力に思える。
 だが、幾ら西洋魔術師の従者と言えども、あまりにもこの力は異質過ぎた。
 
「な、何か良くわかんないけどいけそうよ! 桜咲さん! そのクマみたいなのは任せてこのかを!!」
「……すみません! お願いします!!」
 
 今の力を見る限り、確かに神楽坂さんの力は式神に対して絶対的なものを持っている。
 ならば私はその期待に応え、お嬢様を取り返す事に専心するのみ――!
 
「このかお嬢様を返せ――!」
 
 足場を強く蹴り、一息で女へと接近する。
 もはや術者を守るべき式神はいない。近づいてさえしまえば斬り伏せるのは容易だ。
 ――だが。
 
「え~~い」
 
 聴覚ではノンビリとした声だが、視界の端では鋭い剣筋が私に迫る。
 
「なっ――!」
 
 イキナリの奇襲にギリギリ刀を合わせそれを防ぐが、大きく弾き飛ばされてしまう。
 いや、そんな事より今のは!
 ――この剣筋……神鳴流!? マズイ! 神鳴流の剣士が護衛についたのかっ!
 突如として現れた脅威に眼前を睨む。
 そこにいたのは、
 
「あいたたー……。すみません、遅刻してしもて……どうも~~、神鳴流です~~。おはつに~~」
 
 まるでエヴァンジェリンさんのような、フリルを過分に使用した服装に身を包み、眼鏡をかけた、小柄な少女だった。
 手にした得物は平均的な長さの日本刀と小太刀の二刀。
 
「――え、お前が……神鳴流剣士……?」
 
 余りにも予想外の風貌に、敵だと言うにもかかわらず思わず聞いてしまった。
 が、少女はソレを気にも留めずノンビリとした口調で答える。
 
「はい~~~♪ 月詠いいます~~。見たとこ、あなたは神鳴流の先輩さんみたいですけど……護衛に雇われたからには本気でいかせてもらいますわ~~」
「…………こんなのが神鳴流とは……時代も変わったな……」
 
 話をしながらも間合いを計る。
 腐っても神鳴流だ、油断はできないだろう。
 
「フ……甘く見てるとケガしますえ。ほなよろしゅう――月詠はん」
 
 猿女はそう言いながら、小さな式神の猿達にお嬢様を担がせた。
 それを聞いた月詠は軽く頭を下げる。
 
「で、ではいきます。一つお手柔らかに~~……」
 
 と、次の瞬間。
 瞬きの間に、まるで火花の様に月詠が間合いを詰めてきた。
 先程までのノンビリとした口調とは打って変わって、そこから放たれる剣戟は烈火のごとく。
 
「――むっ!?」
 
 月詠は右手に持った刀で唐竹割を放つ。
 私の頭上目掛けて落とされるソレを夕凪で弾くと火花が散った。
 
「――やあ、――たあ」
 
 だが、連撃はそこからだった。
 気合の入らない掛け声とはうって変わって、左手で持った小回りの効く小太刀は、私の夕凪の動きを封じるかのごとく繰り出される。
 何度も目の前で咲く火花に目が眩みそうだ。
 そして、ソレを目くらましに使ったかのように、身体を大きく捻ると刀を逆袈裟に切り上げてくる。
 
「ぐっ!」
 
 夕凪を封じられている私は、迫るソレを相手の手首を掴む事によって防いだ。
 が、そうなると私には当然の如く隙が出来てしまった。
 月詠はまるでそれを待っていたかのごとく、小太刀を私目掛けて振り落としてきた。
 
「ちっ――」
 
 グイ、と掴んでいた手首を力任せに捻り上げる。
 そうする事によって月詠の身体は大きく流れ剣戟も乱れ、なんとか回避に成功。
 
(――っく! 意外にできる!?)
 
「ホホホ、伝統か知らんが、神鳴流剣士は化け物相手用のバカでかい野太刀を後生大事に使てるさかいな……。小回りの効く二刀の相手をイキナリするのは骨やろ?」
 
 猿女の嘲笑する声が聞こえる。
 確かに予想以上の難敵だ。繰り出される連撃は厄介な事この上なく、二刀のコンビネーションは私の手数の倍を超える。
 ――だが、
 
「――そうでもないぞ、猿女」
 
 そう呟き返す。
 私は掴んだままの手首を、身体ごと回る勢いで地面目掛けて投げ落す。
 
「あ、あら~~?」
 
 月詠はギリギリの所で体勢を整えると、猫のようにクルリと着地をした。
 が、――ソレで終わる訳が無いだろう!
 
「――ふっ!」
 
 その回転の勢いそのままに、夕凪を力任せに叩き付ける。
 私の全体重と遠心力を加えた斬撃。月詠はその一撃を片手では防ぎ切れないと判断したのか、二刀を頭上で交差する事によって防いだ。
 ガギン、と激しい音がして月詠の顔が衝撃に歪む。
 身動きが出来ないのだろう、しゃがんだ姿勢のまま、ギリギリと刃が軋みながら震えている。
 
「シッ――」
 
 私は、その頭上で二刀を翳したまま身動きの取れない月詠の胴体目掛けて、思い切り右足で蹴りを放つ。
 
「きゃっ!」
 
 しかしそれは、咄嗟に下ろした腕で防がれてしまった。
 私が蹴りを放った分、夕凪から伝わる圧力が減少したのだ。その隙に下ろした左肘がガードに間に合う。
 手に持った夕凪は右手の刀に。
 放った蹴りは左手で。
 お互いに次の手が出せない膠着状態。
 私は繰り出した連撃を受け止められ、月詠はそれを防ぐ事で身動きが出来ないでいる。
 この攻防は決定打を打つことが出来ずに仕切り直されるだろう。
 が。
 
「――ふっ!」
 
 ”今”の私にはその先がある。
 短い呼気と共に夕凪を握る手を捻り、刃を寝かせる。
 
「――――ッ」
 
 月詠の表情が凍りつく。
 武芸者だけが持ち得る勘が、その身に起こるであろう未来を先読みさせたか。
 ――だが、もう遅い!
 
「……――!」
 
 イメージするのは”ある御方の動き”。遥かな高みに存在し続ける、その残像の動きに必死で自身を重ねる。
 寝かせた夕凪が白刃の上を滑り、居合い抜きのように勢いを増して加速する。
 だが狙うのは身体ではない。
 身体を狙うには一旦刃を引かなければならない。それではどうしても隙が生まれてしまう。
 ならば狙うのは――その左手に握られた小太刀のみ!
 
「はぁ――っ!」
 
 十分に加速した夕凪が小太刀を捉え、鉄と鉄が激しくぶつかる音が目の前で起こる。
 だが、小太刀を弾き飛ばされなかったのは月詠の修練を褒めるべきか、自身の未熟を嘆くべきか。
 それでも小太刀を握った左手だけでは、加速した夕凪の一撃に耐えられる訳が無い。
 加えて私の蹴りによって、左手は通常より間違いなく力が入らない筈。
 
「あ」
 
 声を上げたのは月詠。
 私は夕凪で弾き飛ばした小太刀をクロスステップするように右足で思い切り踏み締めて地面に叩きつけ、封じる。
 そのままの姿勢で刃の上の右足を軸に、身体を捻る。
 ――頭の中には、いつも間近で見続けてきたあの動き。身体は小さく纏め、遠心力を最大限まで蓄えながら、そのイメージを追いかける。どんな間近にいようとも、決して手の届かないあの背中。それでもいつかは追い付こうと我武者羅に走り抜ける。
 まるで刃の上で踊る独楽のように一回転。
 私は蓄えた力を解放するかのごとく左足を繰り出し、渾身の――居合いの如き後ろ回し蹴りを抜き放つ!
 
「きゃん!」
 
 防ぐ事すら出来ずに、月詠はソレを胸部に受けて派手に地面に転がって咳き込む。
 私はそれを横目に猿女を睨み付けた。
 すると、私の視線に怯えたかのようにその身体を振るわせた。
 
「な、なんでやの!? なんでそないな時代錯誤の野太刀で二刀相手にイキナリ戦えるんや!?」
「――――ふん」
 
 猿女の驚く声がする。
 ああ、確かにイキナリならば困惑しただろう。
 以前までの私ならば後れを取っていたかも知れない。
 ――だが、お前は知らない。
 私の師に当たる御方は、こんな打ち込みより激しく苛烈な二刀を放つ事を――。
 何度も手合わせをしていただいて分かったのだが、士郎さんの剣には天才的な才能の煌きは感じない。
 ……恐らく才能に恵まれ無かったのだろう。その打ち込みは凡百で、洗練などされてはいない。
 だが、それにも関わらず無我夢中で鍛え上げてきたのだと思う。
 まるで鉄を打つかの如く。愚かしい程までに愚直に、ひた向きに、ただ前を見続けて……。
 それ故に――あの人の放つ一撃一撃は、その人生が込められているかの様に重く――胸に迫る何かが篭もっている。
 まるで、その一撃が命の輝きのように激しい魂が。
 そんな御方に師事しているのだ、若輩の身と言えども、今の私はこの程度の二刀使いに負けるわけにはいかない――!
 
「さあ、これでお前を守るモノはいなくなった。――お嬢様を離せ」
 
 刀を猿女に向けて睨みつける。
 猿女はジリジリと下がるように睨み返すが、そこに浮かぶのは焦りの表情。
 そこに、
 
「――テル・マ・スキル・マギステル。風の精霊11人! 縛鎖となりて敵を捕まえろ!! ――”魔法の射手・戒めの風矢”!」
 
 ネギ先生の放った魔法の戒めが猿女目掛けて飛来する。
 ――いけない! その間合いでは!!
 
「あひいっ!? お助け――!」
 
 迫る魔弾に猿女が咄嗟に目を瞑り、身近にあったモノで身を守る。
 ――ソレはお嬢様だった。
 
「――あっ、曲がれ!!」
 
 ネギ先生はお嬢様に当たる寸前で魔弾の軌道を逸らし、最悪の事態は回避された。
 とりあえずお嬢様が無事な事になんとか安堵する。
 
「――……ん? あら……?」
 
 お嬢様の影に隠れていた猿女は、何時までも来ない衝撃に薄っすらと目を開けて確かめるように辺りを窺う。
 
「こ、このかさんを離してくださいっ! 卑怯ですよ!!」
 
 ネギ先生はこのかお嬢様を盾にするなど、卑劣なマネをした猿女を非難する声をあげる。
 だが、その言葉で猿女は事態を飲み込めたのか、厭らしくその顔を歪めた。
 
「――は、はは~ん……。なるほど……読めましたえ。甘ちゃんやな……人質が多少怪我するくらい気にせず打ち抜けばえーのに……。ホーホホホ! まったく、この娘は役に立ちますなぁ! この調子でこの後も利用させてもらうわ!!」
 
 勝ち誇ったかのように高笑いをする。
 ――この女!! よりにもよってお嬢様を人質に使うとは――!!
 頭が沸騰しそうなくらい血が昇る。
 だが、その効果は絶大だ。その証拠に私は身動きする事が出来ない。
 
「こ、このかをどうするつもりなのよ……」
 
 見ると神楽坂さんが式神によって捕らえられていた。
 くっ……万事休すか!?
 すると猿女は面白い事を思いついた、とでも言いたそうな表情で、とんでもない事を言った。
 
「……せやなー。まずは呪薬と呪符でも使て口を利けんようにして、上手い事ウチらの言うコト聞く操り人形にするのがえーな……。くっくっく…………」
「――――」
 
 それを聴いた瞬間――頭の中で何かが切れた。
 思考が冷たく凍っていくのが分かる。
 ――だが、
  
 
「――ああ、そうかよ。だったら当然、テメエが同じ目にあっても文句無いんだろうな」
 
 
 それよりも更に冷たく、平坦な声が思考を遮った。
 ――この声は!
 私がそう思った瞬間。
 月の光を反射するかのような銀光が降り注いだ。
 
「ひっ――!? な、なんやこれは!!」
 
 一瞬で飛来したそれは”矢”だった。
 お嬢様に掠ることなく、猿女の衣服だけを地面に縫い付けるかのごとく、正確無比に打ち抜かれていた。
 ソレを確認した瞬間、私たち三人は考えるより先に動き出していた。
 
「――”風花・武装解除”!!」
 
 ネギ先生の魔法によって猿女とお嬢様を引き離し、身に着けていたモノ全てが花びらへと変わる。
 続いて一瞬で式神を”送り返した”神楽坂さんが、ソレと同じように猿女を守る護符を一撃でその全てを砕いた。
 ――お嬢様を弄んだ報い、受けてもらう!!
 
「秘剣――百花繚乱!!」
「――――へぶっ」
 
 ”気”によって作られた花吹雪が猿女を吹き飛ばし、衣服すらも吹き飛ばされた猿女は、裸になったまま地面を転がった。
 
「……な、なな……」
 
 ユラユラとふらつきながらも猿女は身体を起こす。
 そして頼り無い視線で私たちを見ると怯えたように後退する。
 
「……なな、なんでガキがこんなに強いんや……」
 
 そう悔しげに呟くとまたしても札を取り出し式神を呼び出した。
 ――まだやる気か!
 
「――お、おぼえてなはれーーっ」
 
 が、猿女は仕掛けてくる事無く式神に抱えられるようにその場を離脱した。
 それに月詠も便乗する形でその式神につかまり脱出する。
 
「あ、待て!」
 
 神楽坂さんがそれを追おうと試みるが、相手は大きく跳躍するように離脱したので、一般人である彼女では追跡する手段がないようだ。
 
「……あいつめー」
 
 神楽坂さんは悔しそうに言うが、今回はお嬢様を取り戻せただけで良しとしよう。
 
「追う必要はありません、神楽坂さん。深追いは禁物です」
 
 と、そこに足音の様なものを響かせながら人影が姿を現した。
 
「悪い、遅くなった。怪我はないか?」
「やはり貴方でしたか……」
 
 それは片手に大きな洋弓を握った士郎さんだった。
 やはり先程の矢は士郎さんのモノだったか。
 
「え、衛宮さん!? なんでここに!」
「……えっ、ちょっ……シロ兄? ――本物?」
 
 二人が驚いて士郎さんを見やる。
 それも無理は無い、私だって驚いているのだ。先程の声だって何かの聞き間違いかと思った位だ。
 
「ああ、本物だ。それより怪我は無いのか?」
 
 士郎さんはそれに短く答えると、あくまでもこちらの無事を確認してくる。
 それは紛れもなく、私の師、衛宮士郎の反応だ。
 ああ――全く、本当にこの人らしい……。
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
 ――なんとか間に合ったか。
 ここに到着したタイミングは本当にギリギリだった。
 俺が来た時にはすでに決着が着いていたようだが、敵方と見られる女はこともあろうか、このかを盾として使っていたのだ。
 それを確認した瞬間、俺は弓と矢を投影して射っていた。
 その結果、なんとか無事にこのかを取り返すことが出来たのだ。
 事が終わった後に皆の前に姿を現すと、流石に驚いたようだが、刹那だけは違ったようだ。
 もしかしたら矢を放つ時に言った独り言が聞こえてしまったのかもしれない。
 
「ようよう、そんなコトよりよー……」
 
 と、今まで黙っていたネギ君の頭の上に乗ったオコジョのカモが、何かを心配するように言う。
 
「そう言えばアイツ、薬や呪符を使うとか言ってたな。このか姉さんは大丈夫か!?」
「…………まさか!」
 
 刹那が慌てて倒れたままのこのかに駆け寄りその身体を抱き起こす。
 俺もネギ君から上着の半纏を借りて、裸のこのかにそれを見ないようにかけてやりながらこのかの手を握り、体内の魔力に異常がないか確認する。
 
「このかお嬢様! ――お嬢様しっかりしてください!!」
「ん…………あれ? ……せっちゃん……?」
 
 ゆっくりと開かれた瞳が段々と目の前にいる刹那に合って行くのを傍らで見守る。
 するとこのかは、まるで夢でも見ていたかのようにボンヤリと語り始めた。
 
「あー……せっちゃん……ウチ、夢見たえ……。変なおサルにさらわれて……。でも、せっちゃんやネギ君やアスナが助けてくれるんや……」
 
 意識はまだボンヤリしているが、これと言った異常は無いし、妙な魔力が流れてたりもしていない。
 この分なら大丈夫だろう。
 俺が頷くとソレを見た刹那が安心した様に息を吐いた。
 
「……よかった。もう大丈夫です。このかお嬢様……」
 
 刹那が心底穏やかな表情を浮かべてこのかを見つめていた。
 その顔は慈愛に満ちていて、本当にこのかを大事に想っているんだと確信させられるモノだった。
 このかもその表情を間近で見ていたのだろう。
 まるで今まで凍っていたものが溶け出すように見る見る表情を緩ませる。
 
「――よかったー……。せっちゃん……ウチのこと嫌ってるわけやなかったんやなー……」
 
 このかが万感の思いを込めたようにそう呟いた。
 花が咲いたように微笑むこのかの笑顔を眺めていた刹那の顔が見る見る真っ赤になった。
 
「えっ……、そ、そりゃ私かてこのちゃんと話し……」
 
 と、今度はいつの間にか自分の言葉遣いが変化したのに気が付いて顔を蒼くさせて飛び退る。
 俺はその光景が余りにも微笑ましくて、思わず声を殺し切れずクククと小さく笑ってしまう。
 それが刹那にバレて少し恨みがましく睨まれてしまったけど、それ位甘んじて受け入れよう。
 だって、こんなにも色んな表情を見せる刹那は初めて見たから――。
 
「し、失礼しました!」
 
 刹那が急に片手片膝を着いて礼の形を作る。
 俺以外の面子は突然の刹那の行動に面を喰らっているようだ。
 あー……アレ、イキナリやられると、びっくりしてどんな反応していいか分からなくなるんだよなー。
 とか、ちょっとだけ昔のことを思い出してまた薄く笑ってしまう。
 
「わ、私はこのちゃ……お嬢様をお守りできればそれだけで幸せ……。いや、それもひっそりと陰からお支え出来れば……それで……あの……」
 
 しどろもどろと言い訳じみたものを言う刹那。
 そんな様子に不謹慎ながらも、次はどういった行動を取るのか楽しみで笑いながら眺めてしまう。
 
「――御免!」
 
 って、逃げた!?
 そこで逃げるか刹那!
 
「あっ……せっちゃーん――」
「……ったく、しょうがないな刹那は……」
 
 このかにかけられた上着を直してやりながら、思わず呟いてしまう。
 やれやれ、これが仲直りの切欠になりそうなモンなのにな……逃げてどうする、逃げて。
 
「って、あれー? なんでシロ兄やんがここにおるんー?」
「あー…………まあ、色々あってな」
 
 このかもこのかで自分が危険な目にあっておきながら相変わらずポワポワとまー……。
 ……とりあえずアレだ、お前は自分の格好に少しは危機感を持て。お前、その半纏の下、真っ裸だろうがっ。
 
「――桜咲さーん!!」
 
 と、何やらアスナが大声を張り上げて、刹那を呼んでいた。
 見ると、刹那もその声に反応して足を止め、こちらを振り返っている。
 
「明日の班行動、一緒に回ろうねーー、約束だよー!!」
 
 刹那はその言葉が意外だったのかポカン、とした表情で固まって、また慌てて駆けて行ってしまった。
 
「大丈夫だってこのか、安心しなよ」
 
 アスナがこのかを励ますようにポンと肩を叩いている。
 相変わらず仲が良くて結構な事で。
 手を組んでうんうんと頷く俺。
 
「――で?」
 
 と、急にアスナが首をグリン、と回して俺を見る。
 
「え?」
「いや、『え?』――じゃなくて! なんでシロ兄がここにいるのよ!?」
 
 アスナが、うがーっと言い寄ってくる。
 と、言われてもこのかの目の前で話す訳にはいかないし……。
 俺は少し考えた後、アスナとネギ君をちょいちょいと、手招きして耳打ちするように小声で話した。
 
「詳しい話はホテルに帰ってからでいいか? 俺、お前達と一緒の場所に宿泊してるし。そうだな……ロビーに集合ってことでどうだ?」
「って、同じホテルに泊まってたの!? あー……もう、シロ兄ってばいつもイキナリで心臓に悪いわよ……。でも、まあ話はわかったわ。私はそれでいいけど……ネギは?」
「僕も構いません」
「うし、じゃあ俺は刹那をとっ捕まえてから行くから先に帰るな?」
「刹那って……――まあ、そこら辺も後でまとめて聞くからいいわ」
「おう、気を付けて帰れよ?」
 
 じゃ、と言ってその場を後にする。
 このかは最後まできょとん、と首を傾げていたのが印象的だった。
 まあ、話の流れ上置いてけぼりになるのは勘弁してもらいたい。
 
 ――さてさて、俺は珍しくも動揺しまくっている刹那でも回収しに行きますか。
 



[32471] 第28話  観光に行こう!
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 22:07

 
 さて。
 場所は所変わって『ホテル嵐山』のロビーである。
 俺の目の前にいるのは、帰りがけに回収した刹那と、アスナ、ネギ君、カモ。
 刹那はさっきの慌てようが恥ずかしいのか、何処か落ち着かない様子でモジモジしている。
 
「まず最初に――」
 
 と、アスナが最初に切り出した。
 そして俺にビシッと、指差しながら言う。
 ……どうでもいいことだけど、人を指差すなよ、アスナ。
 
「なんでいんの?」
 
 まあ、当然の疑問だろう。
 例えば、ここに突然エヴァでも来ようものなら俺だってびっくりするだろう。
 
「あー……それはアレだ。実を言うと学園長に頼まれてな、秘密裏にネギ君達のサポートして欲しいって」
「え? 秘密裏に……ですか?」
「ああ、親書の件は聞いている。それでも学園長はできるだけネギ君を主体にして欲しいって言っててな。まあ、これはネギ君に経験を積ませたいからだとは思うけど……だから俺も本当は出てくるつもりは無かったんだ。最初はそれこそ悪戯程度のモンだっただろ?
 だから俺もネギ君に任せるつもりだったんだ。――でも今回のは流石に見逃せない。あいつ等が何を企んでいるかは知らないけど、このかを誘拐するなんて手段に出てきたんだ。もう秘密裏とか言ってる場合じゃなくなった。学園長には悪いけど俺も出張らせてもらう」
 
 そこまで言って気が付く。
 もしかして、連中はこのかの力に目を付けてるんじゃないのだろうか。
 前に学園長もそんな感じのことを言っていた筈だ。確か、このかの潜在魔力量は桁外れなんだとか。
 
「――そうだったんだ。確かにシロ兄がいれば安心だけど……学園長も意地悪よね。どうせなら最初から教えてくれれば、私達だってもっと気楽にできたのに」
 
 アスナが少しむくれながら愚痴っている。
 両手を胸の前で組んで、いかにも御冠状態って感じだ。
 
「そう言ってくれるな。学園長の考えは分からなくも無いんだ、何事も経験だからな」
 
 それに苦笑しながら答えた。
 まあ、大事な友達が危険な目にあったんだ、アスナがむくれるのも無理は無い。
 
「――ふん、まあ良いけど。後は……そうだ、桜咲さんと仲良さそうなのはなんで?」
 
 アスナにそう言われて、刹那と目を合わせる。
 ――いや、なんでって言われても……なあ?
 
「それは、まあ……士郎さんは私の師に当たる御方ですから……」
 
 刹那がそう言うとへーっ、といった感じで二人と一匹は感心している。
 むう……未だにその”師”って言い方に慣れないんだが……。
 
「ちょっと驚きましたが……衛宮さんなら納得できますね。とっても強いですし」
「……ネギ先生は士郎さんのお力をご存知で?」
「え? あ、はい。つい先日の話ですけど、エヴァンジェリンさんとちょっとあって……その時に色々と」
「エ、エヴァンジェリンさんと……ですか?」
 
 刹那が驚いて俺を見る。
 そう言えばあの出来事を刹那に話したことは無かったか……まあ、話すタイミングもなくここに来たしな。
 
「一体何があったのですか? 士郎さんとエヴァンジェリンさんが仲違いするとは、とても思えないのですが……」
「ん、まあ……ちょっとした喧嘩みたいなもんだ。今はもう仲直りしたから」
 
 俺がそう言うと、刹那は「はあ……喧嘩ですか」とだけ答えた。
 だけどそのやり取りを見ていたアスナがネギ君と何やらこそこそ話している。
 
「……あれが喧嘩ってレベルなのかしら……」
「……そうですよね……僕、死んじゃうんじゃないかって普通に思いましたけど……」
「……オレッチが思うに、アレでも二人してまだ余力残してたッぽいぜ?」
「……カモ君、それ本当?」
「……とんでもないわね、シロ兄もエヴァちゃんも」
 
 ……聞こえたそれは無視する。
 とりあえず人を化け物みたいに言わないで貰いたい。
 
「――とりあえずだ!」
 
 おほん、と咳払いして横に逸れた場を仕切り直す。
 このままでは話が進まない。
 
「これからは俺も協力するからよろしく頼む」
 
 そう言ってとりあえず場を締める。
 はてさて……これからどうなっていくことやら。
 
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
 
 次の日の朝。
 俺は、ロビーに設置されたソファーに座ってコーヒーを飲んでいた。
 こういった、いつもと違う雰囲気の中でコーヒーを楽しむのもたまにはいいもんだ。
 惜しむらくは見慣れたいつもの面々が傍らにいない事ぐらいか。
 
『――それでは麻帆良中の皆さん、――いただきます』 
『いただきまーす』
 
 何処からか、マイク越しのネギ君の声と、それに習った大合唱が聞こえた。
 
「はい、召し上がれ」
 
 別に俺が作ったわけじゃないが、何となく言ってみる。
 いやはや……なんとも微笑ましい事だ。
 俺がこうして堂々とのんびりしているのは、最早隠れる必要が無くなったからである。
 秘密にしておくべき対象であったネギ君の前に出てしまったのだから、こうして目立つ所でコーヒーを飲んでいても問題は無いわけだ。
 ――ちなみに眼鏡はしていません。
 
「でもまあ、これくらいの役得はいいよな」
 
 一人呟いて、もう一口コーヒーを啜る。
 うん、平和な朝だ。天気も良いし。
 
『ごちそさまー!』
 
 と、一人でのほほんと和んでいると、双子らしい少女が二人揃って走っていく。
 どうやら朝食が済んだらしい。
 と、そこに。
 
「あ、衛宮さん。おはようございます」
「ああ、ネギ君。おはよう」
 
 爽やかに挨拶をするネギ君。その後ろにはパタパタと手を振るアスナがいた。
 ネギ君はいつものスーツ姿、アスナはお馴染みの学園指定の制服だ。
 
「今日はどういう予定なんだ?」
 
 アスナに手を振り返しながらネギ君に訪ねる。
 とりあえずソレを聞いておかないと今日の俺の行動も決められない。
 
「えっと……今日は奈良で班別の自由行動です」
「自由行動か……厄介だな」
 
 こういう場合は、出来るだけ纏まって行動してくれた方がこっちとしてもやりやすいんだが……。
 しかし、そこは彼女達の修学旅行のためだ、こちらの都合で動いてくれなどとは言えないだろう。
 
「やっぱり衛宮さんもそう思いますか。でも、そうなると……どうしましょう? 皆さんの予定を変更していただく訳にはいきませんし……かと言って僕達だけじゃクラスの方々、全部の班を守るのも無理ですし」
 
 うーん、と顎に手をやって考え込んでしまうネギ君。
 それは俺も同感だが。
 
「……そうだな、とりあえず昨日の今日でいきなり仕掛けてくる程向こうもバカじゃないだろ。むしろそんな策も何も無い連中だったらこっちとしても楽ってもんだ。だから大丈夫だとは思う。とりあえずこのかの身辺さえ固めておければ問題ないんじゃないか?」
「あ、それだったら刹那さんと同じ5班だから大丈夫だと思いますよ」
「刹那が?」
 
 そうか、昨日の敵方の実力を見た限りだったら刹那がいれば十二分に対処できるだろう。
 
「そっか、だったら安心だな。だとしたら俺はどうするかな……」
 
 危険が少ないとは言え流石に遊んでなどいられないだろう。
 かと言って全部の班を守る事も出来ないし……。
 
「あ、衛宮さん。それだったら僕と一緒に――」

 と、ネギ君がそこまで言った時、それは起こった。
 
 
「――ネッギくーーーーーーん!!」
 
 
 何処からとも無く現れた人影によって、ネギ君の身体が真横にぶっ飛ばされた。
 
「――って、敵襲ーー!?」
 
 なんだ、俺は何も敵意とか感じなかったぞ!? くっそ、俺もまだまだ未熟――! ネギ君傷は浅いぞーー!!
 
「ネギ君、今日ウチの班と見学しよーー!!」
 
 ……ナンデスト?
 俺が事態を把握できずに目の前の状況を確認すると、段々と飲み込めてきた。
 どうやら今の敵襲もどきは、どっかで見た事のある女の子仕業だった。
 えっと……たしか、リボン使いの子だったか?
 
「――ちょっ……まき絵さん! ネギ先生はウチの3班と見学を!」
 
 おっと、今度は雪広さんだ。
 雪広さんはネギ君に抱きついたままの女の子を引き剥がしながら、二人の間に割って入った。
 
「あ、何よー! 私が先に誘ったのにーーっ!」
「――ずるーい! だったら僕の班もーー」
「――――――あの、」
 
 と、まあ出るわ出るわ。ワラワラと沸いて来るかのごとく、あっと言う間にネギ君を取り囲む女の子達。
 いやー、ネギ君もてるなぁ……。
 アスナに視線をやると、それに気が付いて呆れたように肩を竦めて返してくる。
 なるほど、いつもの事ってか。
 
「ネギ先生ぜひ3班に!」
「――――あの」
「ネギ君、4班! 4班!」
「――あ、あのー」
「1班!」
「何々? またネギ君争奪戦?」
 
 また増えたし……。
 って、さっきから押しの弱い娘が一人いるな。
 何回も呼びかけているのに、周りの勢いに飲み込まれてしまっている。そんなのじゃ、この元気が有り余っているような女の子達からネギ君を勝ち取るのは難しいだろうに……。
 と、思った瞬間。
 
「あ……あの、ネギ先生!!」
 
 その押しの弱い娘が、意を決したように声を張り上げた。
 
「よ、よろしければ今日の自由行動……私達と一緒に回りませんか――!?」
 
 先程までの押しの弱さから分かるように、その子は普段からおとなしい娘なのだろう。
 いきなりの変わり様に、今まで騒いでいた女の子達が呆気に取られている。
 
「え、えーと……あの……」
 
 ネギ君は何かを考えた後、俺に何かを確認するように視線を向けた。
 どうやら、着いていってもいいか確認をとっているようだ。
 俺はそれに苦笑して頷き返す。
 ネギ君はソレを見て頷くと大人しい女の子へと向き直った。
 
「わかりました宮崎さん! 今日は僕、宮崎さんの5班と回ることにします!」
「え……」
 
 ネギ君がそう言うと、宮崎と呼ばれた女の子の顔が見る見る嬉しそうにほころんだ。
 ソレに対して周りの子達も「おお~~」とか「本屋が勝った!」とか言って持て囃していた。
 ネギ君はそれに苦笑いを返しながらその場を後にする。
 
「いやー……青春だなあー……」
 
 目の前で起こっている微笑ましい光景にそう呟いてコーヒーを啜る。
 気分的には縁側でお茶でも啜りたい気分である。ジジくさいとかは言いっこ無しだ。
 さて……そうなると俺はどうするか。
 
「な、なかなかやりますわね……宮崎さん……」
「うー……ネギ君取られちゃった……」
 
 5班ってことはこのかと一緒の班なんだから、ネギ君達の後をつけていってもいいけど、刹那がいればそんなに心配する必要も無いだろう。
 だからって遊んでるわけにもいかないしな。
 
「――あら? そこのお方……もしや衛宮さんですか?」
 
 と、今まで気が付かなかったのに、雪広さんがいきなり俺に気付いた。
 って、目の前にいるんだから当たり前か。
 それにコーヒーを啜りながら「よっ」と手を上げて答える。
 
「やはりそうでしたか……どうしたんですの? こんな所で会うなんて奇遇ですわね」
「ん、そうだな。俺も驚いた」
「ご旅行ですか? お店はどうしたんですの?」
「店はお休み。ほら、この時期はあんまりお客さん来ないしちょうど良いと思って」
「なるほど……確かに今の時期ですと、修学旅行で学園も人が少なくなりますからね。お休みを取るには良いかもしれません」
 
 納得、といった感じで雪広さんは頷いた。
 今の会話だけでそこまで推測をつけることができるとは……ううむ、相変わらず頭の回転の速い子だ。
 と、そこまで話を横で聞いていた女の子が、小首をかしげながら聞いてきた。
 
「ねえねえいいんちょ……その人誰だっけ? なんかどっかで見た事あるんだけど……」
 
 聞いてきたのはリボン使いの子。
 考えてみればこの子とは話をした事は無かった筈だから、顔を知られていないのも無理はない。
 それを聞いた雪広さんが「佐々木さん……アナタ」と呆れたように溜息をついた。
 
「以前にお会いした事があるでしょう? 学園広域指導員と喫茶店の店長さんをされている衛宮士郎さんです」
 
 そう言って俺を紹介する。
 雪広さんは聖ウルスラの子達とのいざこざがあった後あたりから、俺の店を気に入ってくれたのか結構な頻度でやって来ては紅茶やお菓子を食べていく事が多くなった。まあ、そのつながりでこうやって結構気さくに話しかけてくれるのは嬉しい事だ。
 
「……あ、ああ、ああ! そう言えばそんな感じの名前の人だった気がするー! …………ん? あれ? でも、どっか違うとこで誰かが何度も言ってたような……」
 
 あれ? と、何かを思い出すように考えてしまうまき絵と呼ばれた子。
 それは良いんだけど……なんで今度は俺を囲むように人が集まってきているんだろうか。
 予想外の事態に思わず逃げ腰になってしまう。
 周りからは「誰ー?」「テンチョーだってー」「テンチョーとイインチョーって響きが似てるアルね~」「んー」とか結構適当な声が飛び交っている。
 俺以外は全て女の子。その全てが俺を物珍しそうに眺めている。
 正直、物凄く居心地が悪いというか、妙なプレッシャーがあるんだが……。
 と、
 
「――……え、衛宮さん?」
 
 そんな喧騒の中でもハッキリと通る声が聞こえた。
 声が聞こえた方を見ると、そこにいたのは、スラリとした長身にそれに見合った長い手足、長い黒髪をポニーテールに纏めた、凛とした雰囲気の女の子、大河内さんが呆然とした様子で立っていた。
 
「ああ、大河内さんか。おはよう」
 
 俺がそう答えると、大河内さんは頭を振ったり手の甲でコシコシと目をこすっていたりする。
 あー……そんな事すると眼球に傷がついて充血するぞ?
 
「おー、衛宮さんじゃん! 何々? 旅行ですか?」
「うわ、ほんまに衛宮さんやん! ビックリー……」
 
 と、人ごみを掻き分けて新たに出てきたのは明石さんと和泉さんの二人。
 俺を見ると驚きながらも笑って寄って来る。
 
「あれ? 皆して知り合いなの? んー……私も名前だけはどっかで聞いたような気がするんだけどなぁ……」
「あー……それはあれよ。ほら……あれ」
 
 明石さんと佐々木さんは隠れるようにチョイチョイ、と大河内さんを指して何やら小声で話をした。
 
「………………ああーーっ! そっか、衛宮さんってアキラの言ってた――」
 
 と、なにやら俺を見ながら佐々木さんは驚いてしまう。
 ――え……何だってんだ?
 と、俺がそう思った瞬間。
 
「――っ! まき絵っ!」
 
 大河内さんが素早い動きでその口を塞いでしまった。
 佐々木さんはモゴモゴともがいているが、体格の差なのか、その束縛から逃れる事はかなわない。
 でも――何やってんだろう?
 
「えっと……大河内さん?」
「……い、いえ。全然なんでもないので気にしないで下さい」
 
 佐々木さんから手を放さず、顔だけを俺に向けて首を振る。
 ソレを見ていた明石さんや和泉さんは、「あちゃー……」って感じで顔を手で覆い、俺と同じく現状を飲み込めない雪広さんは互いに小首をかしげてるだけだった。
 
 
 
◆◇――――◇◆
 
 私は瞼の裏に光を感じ、薄ボンヤリとした意識のまま眼を開けた。
 
「――……ん」
 
 それはとある朝のことだった。
 いつもとは違った朝の空気を感じながら目覚め、それで私は修学旅行に来ていた事を思い出す。
 布団から上半身だけを起こして辺りを見回してみても、同じ班の他の皆はまだ気持ちよく眠っているようだった。
 
「――あれ?」
 
 と、そこでふと疑問に感じた。
 ……私、いつの間に布団に寝たんだろ?
 
「……えっと」
 
 寝起きの頭で昨日の最後の記憶を思い出して見る。
 ……たしか音羽の滝で水を飲んだんだっけ?
 ……うん、そうだ。少し気恥ずかしくも思ったけど流れ落ちる滝の三つのうちの一つを飲んだんだ。
 ――その……誰の事を考えながら飲んだかまで思い出すと、今すぐにでも赤面しそうだけど。
 とりあえずそこまでは覚えている。
 で、その後は――、
 
「……あれ?」
 
 思い出せない。
 そこから先の記憶がぷっつりと途切れている。
 ――確か水を飲んだ後、急に身体が熱くなって、頭もクラクラしたような気がしないでもない。
 ……はて?
 
「……私、どうしたんだろ」
 
 まさか、水を飲みながら考えた人物の事で頭がオーバーヒートしたとでも言うのだろうか……。
 
「――っ!」
 
 って、いけないいけない!
 思わず顔に手をやると、熱が集中しているのが分かった。
 さっきそうならないように思考を中断させたのにこれでは意味が無いじゃないかっ。
 
「……と、とりあえず、皆を起こして朝ごはんを食べに行かなきゃっ」
 
 私は頭を左右に軽く振り、未だに幸せそうに夢を見ているであろう友人達を起こす事に決めた。
 ……今、思い出した人の顔は出来るだけ考えないようにしようと思う。
 そうじゃないと、朝から顔を真っ赤にしたままクラスの皆と顔を合わせるハメになってしまうんだから。
 
 
「……え?」
 
 
 ――だと言うのに。
 この状況はどう言うコトなのだろうか?
 朝食を終えた私達は奈良観光へと繰り出すべく、ロビーで集合し、すぐに出発する事にした。
 ……そこで、いる筈の無い人物を目にする。
 委員長やまき絵を中心にその人物をクラスの皆が囲んでいた。そこにいたのは――、
 
 
「――……え、衛宮さん?」
 
 
 朝一番で思い浮かべた人物、衛宮士郎さんが何食わぬ顔でソファーに座ってコーヒーなんか飲んでいた。
 
 
「ああ、大河内さんか。おはよう」
 
 
 ――え? あれ? もしかして私まだ寝てたりする?
 夢かと思い、頭を振ったり、目をこすってもう一度確認して見てもその人はそこにいた。
 ――ほ……ほほほ…………本、物ッ!?
 
「おー、衛宮さんじゃん! 何々? 旅行ですか?」
「うわ、ほんまに衛宮さんやん! ビックリー……」
 
 と、私が突然の衛宮さん登場に混乱していると、ゆーなと亜子が衛宮さんに話しかけていた。
 二人も私と同じく面識がある衛宮さんの登場に多少驚いた物の、さして気にした風も無くにこやかに会話をしている。
 そんな様子にまき絵が不思議そうに首をかしげながらゆーなに話しかけた。
 
「あれ? 皆して知り合いなの? んー……私も名前だけはどっかで聞いた気がするんだけどなぁ……」
 
 ああ、そうか。考えてみれば衛宮さんと偶然出会う時とかはまき絵がいない事がほとんどだった。恐らく会話らしい会話もした事は無いのだろう。名前などは聞き覚えがあっても、それが当人だと分からないのかもしれない。
 ゆーなもその考えに至ったのか、納得したような顔をしながら、まき絵の耳に口を寄せて小声でなにやら囁いた。
 
「あー……それはあれよ。ほら……あれ」
 
 ボソボソ、と言う音としては聞こえるが、内容が会話として聞き取れないくらいの声量でまき絵に話を聞かせていると、そのまき絵の顔がみるみる内に驚愕の表情へと変わっていく。
 そして衛宮さんを見やると、
 
「………………ああーーっ! そっか、衛宮さんってアキラの言ってた――」
 
 ナニカトンデモナイコトを言い出そうとした!
 
「――っ! まき絵っ!」
 
 その言葉の続きを言うより速く、私はまき絵の口を塞ぐ。
 ――な、何を言うつもりだったか分かりたくも無いのに何となく予想がついてしまった……!
 それは、少し過去の自分の行動を思い返してみればすぐに見当がつく。
 考えてみれば少し前にもゆーなに、「アキラって最近、衛宮さんのことよく話すよねー」とニヤニヤ笑いながら指摘されたばかりだったのだから。
 だからまき絵の言いたいことは――ほぼ間違いないだろう。
 
「えっと……大河内さん?」
「……い、いえ。なんでもないので気にしないで下さい」
 
 私の行動に疑問顔で問いかけてくる衛宮さんに曖昧な返事で濁して答える。
 ……ど、どうしよう……今、この手を放したらまき絵が何を言い出すかは分かりきっているし……かと言って、衛宮さんの前でそれを説明するなんて、それこそありえないしっ。
 
「――ねねね、皆ちょっと集まって」
 
 と、私が考え込んでいるとゆーなが班の皆を集めて、円陣を組むように肩を組んで密集する。
 私、ゆーな、亜子、まき絵、龍宮。
 そしてゆーなが声を潜めて話すように、口元に人差し指を当てて「しーっ」と言う仕草をした。
 
「……一体何事なんだ?」
 
 一切事情を知らない龍宮がいの一番に口を開く。
 確かに彼女からしてみれば私達の行動は訳が分からないのだろう。
 
「んー、ちょっとねぇー。――ところで、私から一つ提案があるんだけど」
 
 ビシッ、と人差し指を立てて皆の顔を見回すと、
 
「…………ふっ」
 
 私の顔を見て、なんとなくイヤ~な感じで笑った。
 …………え? な、なに? 何で私を見て笑うの?
 
「提案……とは?」
 
 龍宮がそれに合いの手を打って話を続けるように促した。それを確認したゆーなはソレに頷き返すと、
 
「――今日、衛宮さんも一緒に行かないか誘ってみない?」
 
 なんて、トンデモナイコトを言い出した!
 
「え……ちょ、ちょっと、ゆーな。何を……」
 
 思わずゆーなの両肩を掴み、ガクガクと揺さぶってしまう。
 ……な、何を言い出すんだゆーなは!
 そんな事をしても衛宮さんに迷惑だろうし、私はどうしたらいいか分からないし、そもそも衛宮さんには桜咲が……!
 
「まー、まー。落ち着きなよアキラ。――いい? これはきっとチャンスだよ。ビックリドキドキムフフなサプライズイベントが大好きな神様がくれたおぼし召しに違いない!」
 
 と、ゆーなが今度は私を逆にガクガクと揺すり返しながら言う。
 ……正直、そんなピンポイント過ぎる神様は信用ならない。
 そんな微妙すぎる神様よりも、私としては衛宮さんに迷惑をかけたくないんだけど。
 が。
 そんな風に私が考えていると、ゆーなが私に顔を思いっきり寄せながら言った。
 
「なんでここに衛宮さんがいるかは分かんないけど……これを利用しない手はないよ!」
 
 ぐぐぐっ、と握り拳を作ってゆーなは力説する。瞳には炎でも宿っていそうな気迫だ。
 その迫力に思わず出掛かっていた言葉を飲み込んでしまう。
 
「……でも皆だって、いきなり部外者の衛宮さんが入るのはイヤなんじゃ……」
 
 それでも何とか言葉を搾り出してみる。
 考えてみれば、私と亜子とゆーなはいいかもしれないが、まき絵や龍宮はほとんど面識が無いのだ。
 普通ならそういうのをイヤがるもの、しかも衛宮さんは男性なのだから尚更だ。
 ……だと言うのに。
 
「私は全然構わないけど……皆は?」
「ウチも構へんよ? 衛宮さんやったら信頼できるしな」
「んー……私も別にいいかな? ネギ君は行っちゃったし、人数は多いほうが楽しいよねー」
「……私はどちらでも構わんが」
「――――」
 
 否定の言葉が一つとして出てこなかった。
 ソレを聞いたゆーなが「どうよ?」みたいな顔で私に笑いかける。
 
「……で、でも、衛宮さんにだって予定があるし」
 
 それでも尚、私は食い下がる。
 だってこのままでは何か大変な事になってしまう気がするから! 主に私が!
 
「もー……アキラも強情だなぁ……。ま、そんなモン、聞いちゃえば一発だけどねー」
「――え」
「おーい、衛宮さ~ん!」
 
 言うが早いか。
 私が止める暇も無く、ゆーなは衛宮さんの座るソファーの隣に勢いよく座ると、衛宮さんに詰め寄った。
 その突然のゆーなの行動に驚いた衛宮さんは引き攣った笑みを浮かべている。
 ――って、ゆ、ゆーな、待って! 私、まだ心の準備が――!?
 
「え、えっと、何……? 何か用があるのか?」
 
 と、衛宮さんが言いながらゆーなから距離を置くべく腰を浮かせて少し離れる。
 
「うんうん、ちょーっと聞きたいんですけど……」
 
 が、ゆーなはその距離を詰めるべく更にグイグイ近づいて行く。
 その様子はハンターとソレに追い詰められていくウサギのようだ。もちろんハンターはゆーなで、ウサギは衛宮さん。
 普通は逆なんじゃないかと思うけど。
 で、何となくウサギの耳をつけた衛宮さんを想像してしまう。
 
「――――」
 
 …………意外と可愛いかも?
 
「衛宮さんってこの後どこか行く場所決めてたりします?」
「や……そんな事は無いんだけど……」
「おー、じゃあちょうどいいじゃん♪ ねね、ものは相談なんですけど……良かったらウチらと一緒に回らないですか?」
 
 って!
 そんな事考えてる場合じゃなかった!
 私が変な想像をしている間にハンターゆーなが、ウサ耳衛宮さんを……じゃなかった、衛宮さんをソファーの隅っこまで追い詰めていた。
 
「え――君達……と?」
「そそ。まー、無理にとは言わないけど、どうです?」
「……や、誘ってくれるのはありがたいけど、せっかくの修学旅行に俺なんかが混じったら他の子の迷惑だろ」
「いえいえ! 衛宮さんが相手ならむしろ歓迎しますよっ。あ、ちなみに班のメンバーの了解もきちんと取ってますよー」
 
 ……私は頷いた覚えが無いんだけど……。
 
「どうです? 今なら若い女の子、五人によるハーレムができますよ~♪」
 
 ゆ、ゆーな! そういう言い方はどうかと思うけど――!
 衛宮さんもゆーなの言い方に表情を硬くしたが、顎に手をやり何かを考えるかのように物思いに耽ってしまう。
 すると、考えが纏まったのか私達を見て頷く。
 そして。

「――わかった。じゃあ今日は君らに同行させてもらってもいいか?」
 
 と言った。
 その答えに私は茫然自失。ゆーなは喜色満面。
 
「もっちろんですよ~♪ いやー、良かった良かった、これで楽しい修学旅行になりそうだ」
 
 ね? と私を見てウィンクをするゆーな。
 えっと……私にどうしろと?
 
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
 と、言うわけで、俺は明石さんの班にくっついて奈良を回ることにした。
 理由としてはそんなに難しいコトではなく、いざ何かがあった時に学生の皆の前に現れても不審に思われないようにするためだ。
 イキナリ現れた俺を不審者と間違えて逃げられたら、それこそ身も蓋も無い話なのである。
 なのでこうやって身近にいることが可能なのは願っても無い事。こうやって近くにいれば色々と対処しやすいし、他の班が大体の感覚でどういうコースを回るのかを把握できるし。
 そんな考えの下、俺はグループで歩く明石さん達から邪魔にならないように三歩ほど下がって歩いていた。
 
「さてさて、皆ー? 目指すは奈良公園! 行くよ~!」
 
 「お~~!!」と元気良く答える同じ班の子達。
 先頭を歩く明石さんが振り向きながらグループの子に話しかけている。
 それに対してワイワイと行き先を楽しそうに話し合う女の子達。
 そんな中、俺はある一人の人物に気を取られていた。
 
「…………」
 
 視線の先には一人の女の子。
 大河内さんだってかなり背が高いのに、ソレよりさらに背の高い子がいる。名前は確か……龍宮さん、だっけ?
 その子は180cmを超えてると思われる長身に、浅黒い肌、ストレートに降ろした長い黒髪、そして何より印象的なのはその鋭い視線。
 ――そう、新幹線に乗ったときに感じた、只者でない雰囲気の子の一人だった。
 最初は向こうも俺のほうを少し警戒していたようだが、今は特に気にした風も無く、クラスの子と談笑している。
 とりあえず危害はないと判断してくれたのだろう。
 
「――ふう」
 
 何となく空を見上げる。それは少しばかりの気がかりがあるからの行動だった。
 
(しっかし……今頃刹那の奴は大丈夫かな?)
 
 考えるのは刹那の事。
 ホテルを出る時にすれ違った、俺を見るすがる様な目が印象的だった。
 大方、このかと顔を合わせ難いとか、何を話したら良いか分からないとかそんな感じだとは思うけど……。まあ、仲直りする為だ、それ位乗り越えてもらわなければ。
 
「……あ、あの衛宮さん」
 
 と、気が付けば大河内さんがいつの間にか前を歩く班から抜け、俺の隣に来ていた。
 さっきから様子が変だったから気にかかってはいたんだけど……何か避けられているようだったんで、また俺が何かしでかしてしまったかと思って不安だったんだが……。
 
「なあ、大河内さん。ちょっと聞いていいか?」
「……え? あ……な、何ですか?」
「俺、なんかしちまったかな?」
「……な、何でですか?」
「いや、さっきから避けられていたように感じたから。気が付かないウチにもし大河内さんに迷惑かけていたりしたら謝らなきゃいけないと思って……」
「……い、いえ! そんな事はありませんっ! ……そ、その、衛宮さんは何も悪い事なんて無くて……どちらかと言えば悪いのは私の方で――その…………」
 
 ごにょごにょ、と言葉を濁してしまう大河内さん。
 俯いては指をクルクルと回す仕草が妙に子供っぽい。
 
「えっと……とりあえず俺が何かしたから避けられてたって訳じゃないんだよな?」
「……避けるだなんてそんな。衛宮さんには何かと助けて貰ってるのに……」
「そっか、良かった。折角知り合ったんだ、どうせなら仲良くしたいよな」
「――っ。そ、そうですね」
 
 大河内さんはそう言うと顔を真っ赤にして、前を歩く集団にチラチラと視線を投げかける。
 はて? 何してんだろう? と思いその視線を追いかけると、そこには――、
 
「……おっしゃ! アキラ、いい感じだよ~、そのまま押し込んじゃえ!」
「え、ええ~!? こんな所で言うてしまうん!?」
「きゃーっ、アキラってば大~胆っ!」
 
 何て騒いでいる三人と、
 
「――ふう……」
 
 と、ため息をついてソレを見守っている龍宮さんが見えた。
 
 ――えっと……ナンデスカコノ状況。
 とりあえず落ち着いて現状を把握してみよう。
 大河内さんは騒ぐ三人を見て更に顔を真っ赤にして俯いてるし、その赤くなった大河内さんを見て三人組は更に盛り上がってるし、龍宮さんは付き合ってられん、とばかりに大きなため息をついては近くにあった自動販売機からコーヒーを買って完璧に傍観モードに突入している。
 
 ――さて、落ち着いてみてもサッパリワカリマセンヨ?
 
「えっと……大河内さん達っていつもこんな感じなのか?」
「……ゆーな、そんなの無理だって……――って! な、何か言いましたか!?」
「……や、君達っていつもこんな感じなのかなーって聞いたんだけど……」
「……い、いえ、流石にいつもと言うわけでは……」

 ――ってことは、やっぱり俺みたいな異物がいるからか……。
 考えてみれば当然の事だけど。
 
「……うーん、失敗したかな……こんな事なら一人で回った方が良かったか」
「――え……な、何でですか?」
「いや、なんか俺がいるせいで皆いつも通りに振舞えないんだろ? 俺が一緒にいるから楽しむ事が出来ないとかだったら流石に大河内さん達に悪い。折角の修学旅行なんだしさ、楽しまないと損だろうし」
 
 明石さんはきっと一人だった俺を見て気を使って誘ってくれたんだろうけど、そのせいで楽しめないんじゃ折角の修学旅行が勿体無い。
 そりゃ、護衛って言う観点から言えば、このまま一緒に行った方がいいし、わざわざ気を使ってくれた心遣いも嬉しくは思うけど……それで彼女達の楽しみを潰してしまうのは心苦しい。
 
「――うん、俺やっぱり一人で回るよ。その方が気兼ねしないからいいだろうし」
「――え、いや……あの、その……」
「や、悪かったな迷惑かけて……俺、鈍いからそう言うコトにまで気が回らなかった。俺はここら辺で消えるから、後は友達同士仲良く回るといい」
 
 じゃ、と手を上げて踵を返す。
 いやー、危ない危ない……危うくこの子達の修学旅行を台無しにしてしまう所だった。
 やっぱこういうのは見知った仲間同士でするほうが気兼ねもしないし、気楽ってもんだろう。
 さてさて、俺はどうするかな――。
 
「――――あ、あのっ!」
 
 と。
 数歩歩いた所で、思いもよらない大きな声に驚き、足を止め振り返る。
 見ると大河内さんが胸の前で両手をぎゅっと強く握り、どこか悲痛な面持ちで俺を見ていた。
 
「……――じゃありません」
「え?」
 
 大河内さんが小さな声で呟くように何かを言う。
 
「……迷惑なんかじゃありません」
「えっ……と?」
 
 強い思いが込められているかのような視線に思わず言い淀む。
 すると大河内さんは、自分の行動に驚いたかのようにハッ、とすると、それまで勢いをなくして俯いた。
 
「……あの、衛宮さんがいて迷惑だ何てそんなこと……ありません」
 
 だが、俯きながらも大河内さんは言う。
 俺は邪魔ではないと。
 
「……でも」
「……あ……も、勿論、衛宮さんが居心地が悪いって言うなら……その、無理強いとかはできませんけど……。で、でも! 私としては……一緒に回ってくれると……その……嬉しい…………です」
 
 消え入りそうな声。
 それでもそれはしっかりと俺の耳に届いた。
 俺は大河内さんの豹変振りに驚いて、その奥にいる明石さんたちに視線を送った。
 すると明石さん達も大河内さんの変わり様に多少驚いていたようだが、俺の視線に気が付くと満面の笑顔でウィンクをするかのように片目を瞑り、グッと親指を前に突き出して笑って見せる。
 その仕草が表す意味は言葉にせずとも伝わった。
 俺はそれに苦笑で返すと、大河内さんに再び視線を合わせる。
 
「えっと……さ。俺、実を言うと奈良って詳しくない上に、パンフレットとか持ってきてないんだ」
「……え? は、はぁ……」
 
 大河内さんは俺の言葉の意味が分からずきょとん、と小首を傾げた。
 その仕草が思ったより幼く見えて、思わず笑みが深まったのが自分でも分かる。
 
「だから、このまま俺が一人で動いたら迷うと思うんだ。だから……一人で行動するなんて言った手前、恥ずかしいんだけど……やっぱり一緒に行っていいか?」
 
 大河内さんはパチクリと数回瞬きをして俺の言葉を考えるような仕草をする。
 だが、意味が分かった瞬間、今までの感情が裏返ったかのようにパッ、と表情を綻ばせ、
 
「……は、はい! 勿論ですっ!」
 
 と言って微笑んだ。
 いつものような大人びた雰囲気ではなく、年相応の少女のように柔らかく微笑む、その笑顔で。
  
 その後、奈良公園、東大寺、春日大社など主要な所をあらかた回りつくし、きりの良い所で休憩として甘味処へと入った。
 軒先に椅子が据え付けられており、今日のように天気の良い日だったら外でお茶も楽しめる場所で、趣のある感じがここの空気物凄くマッチしている。
 無論、俺達も折角天気が良いのだから外でお茶を飲もうと言う話になり、店員の人に団子とお茶を注文して横長の椅子に腰掛けた。
 大して待つことも無く、店員の人がお茶を持ってきてくれたので早速それを一口啜る。

「……ふう」
 
 それでようやく一息つく。
 一応の警戒として気を張っていたが、昨日のような気配は全く感じられなかった。
 杞憂に終わったのならそれ以上の事は無いが、流石に少し疲れたというのが本音だ。
 それは気を張りすぎて疲れた……なんて事ではなく、明石さん達のテンションがひたすらに高くて凄くて――ようするにバテてしまったのだ。明石さん、和泉さん、佐々木さんの三人はあっちへこっちへと元気に走り回り、それになかなか着いていけない俺や大河内さん、更に龍宮さんは正に引っ張られる形で奈良を所狭しと駆けずり回った。
 それでも、流石にクラスメイトである大河内さんや龍宮さんは慣れているのか、少し困ったような顔をしながらも余裕で着いて行った。
 しかし、俺はそう言う訳にも行かず、周囲を警戒していた事も重なって想像以上に想定外のことで疲労してしまったのだ。
 
「……疲れましたか?」
 
 と、隣に座った大河内さんが気遣ってくれる。
 む、いかんいかん。男として情けない所を見せるのは沽券に関わる。
 
「大丈夫大丈夫。これでも体力はある方だからこれぐらいなんとも無い」
 
 むん、と力こぶを作るフリをすると大河内さんはクスクスと笑う。
 しかし、まあ……一応は仕事なのに、こんなにノンビリとしてても良いものだろうか?
 これでは普通の観光旅行とあんまり変わらない気がする。
 天気は良いし、お茶は美味いし。
 
「……ふう」
 
 お茶を一もう口啜りほう、と一心地着く。
 あー……落ち着く。
 
「……あの、本当に良かったんですか?」
「え?」
 
 かかる声で我に返ると、大河内さんがお茶を両手で包み込むように握り、ソレを見眺めていた。
 
「良かったって……なにが?」
「……あ、私から誘っておいて、こう言うのも変なんですけど……。衛宮さん……もしかして私が誘ったから無理して一緒に回ってくれてるんじゃないのかな、って……」
 
 手に持ったお茶を弄ぶようにクルクル回しながら言う。
 はて、なんでそんな風に思うんだろうか?
 俺は全然そんな事ないし、誘ってくれたのは純粋にありがたかった。俺は無理なんていうのはこれっぽっちもしてないし、むしろ一人の俺なんかをわざわざ誘って、一緒に回ってくれている大河内さん達の方が無理してるんじゃないかと思うんだが……。
 
「……衛宮さん、本当は誰かと一緒に回る約束とかしてたんじゃないんですか?」
「――へ?」
 
 これは奇妙な事を言う。
 約束って……そんなものした覚えはないし、回るヤツだっていない。
 そりゃ、エヴァと茶々丸がここにいれば一緒に動いてたかもしれないけど、生憎と二人ともここにはいない訳だし。
 何を思ってそんな事を言うのだろうか?
 
「誰かって……誰と?」
「…………そ、その……――さ、桜咲とか……」
「桜咲って……刹那のことか?」
 
 コクン、と小さく頷く。
 何故ここで刹那のヤツが出てくるんだろうか?
 刹那は今頃、このかの護衛についている筈だし、クラスを守ると言う観点から言っても、刹那とは別行動で動いた方が効率が良い。まあ、大河内さんが言っているのはそう言うコトでは無いのだろうけど。
 まあ、結局の所、大河内さんの発言の意味は良く分からないままだ。
 
「や、そんな約束はしてないけど……なんでさ?」
「……――あ、あの!」
 
 突然、俯いていた視線を急に上げ、バッ、と大河内さんが俺を見る。
 
「……は、はい?」
 
 その真剣な表情はどこか思いつめているようで、なんとも言えない迫力に思わずたじろぐ俺。。
 一体何が彼女をそうさせているのだろう。
 
「……桜咲とはどういう関係ですか?」
「か、関係って……」
「…………その……つ、付き合って……るんですか?」
「――――――――」
 
 
 ――あー……今日も天気が良いなぁー、絶好の散策日和だー。……あ、鳥がいる。
 
 
「――――えっと、あの、その、」
「………………………………って、なんでさッ!?」
 
 い、いかん! 今、一瞬意識が飛び出しかけたぞ!?
 って、え……刹那? え? え、え~~~っ!?
 つーか、何故そんな考えに至りやがりますかっ!
 そりゃ刹那は綺麗な子だとは思うけど……じゃなかった!
 
「な、なんで!? なんでそう言うコトになる!?」
「――え、……ち、違うんですか……?」
「や、むしろ何でそんな発言が飛び出して来るのかが俺には全くの未知数なのですがッ!?」
「……だ、だって、仲良さそうだったし、名前で呼び合ってたし……」
「……………………そ、それだけ? 理由」
「……え、ええ、まあ……」
 
 ………………はあ。
 ビックリした……一体全体、どういった経緯でその考えに至ったかのかは分からないけど、それは誤解もいい所だ。
 
「そりゃ大河内さんの誤解だ。刹那と仲が良いのは確かかも知れないけど、それは剣道の練習をいつも一緒にしてるからだ」
「……そうなんですか?」
「そうだよ。大体、何処をどう曲解したらそうなっちまうのか分からないけど……そんな事言ってたら刹那が可愛そうだ」
 
 刹那だって年頃の女の子なんだから、そういう勘違いをクラスメイトから受けてたら良い気はしないだろうに。しかも、その相手が俺なんていうのだから尚更だ。
 
「……そう、ですか……そう……だったんですか」
 
 大河内さんはまるで噛み締めように何度も「そっか」と呟く。
 俺はそれを横目にお茶をすする。
 あー……変に焦ったから微妙に冷めたお茶が丁度良い。
 
「――アキラ、アキラっ」
 
 声のした方を向くと、離れた席に座っていた明石さん達がこっちに向かって……と言うより大河内さんに向かって手でこっちに来い、とパタパタ振っていた。
 最初に思ったがなんで彼女達はあんな離れた席に座ったんだろ?
 
「……あ……す、すいません衛宮さん。私ちょっと行って来ます」
「ああ」
 
 大河内さんは小走りに明石さん達の所に向かう。
 すると、それと入れ替わるかのように一人の女の子が向かって歩いてくる。
 そして、
 
「――隣、構わないかい?」
 
 と言った。
 
「ん、別にいいぞ」
 
 俺はそれに短く答える。
 その女の子は龍宮さんだった。
 龍宮さんは俺の返事にフッ、とニヒルな笑みを見せると、音も無く俺の隣に腰掛ける。
 
(……うわ、やっぱり凄いぞこの子)
 
 別に何もしていないのに、周囲の温度が少し下がったように感じる。敵意、と言うわけではないが、こっちを探ろうとしているだけでこれだ。実力も結構なものがあるに違いない。
 推測で言うなら刹那と同格クラス。……いや、それよりは劣るか。それでも十ニ分に驚嘆に値するのは間違いないんだが……。
 ほんと、こっちの世界の女子中学生ってのはどうなってんだか……。
 
「衛宮……士郎さんだったかな?」
「そうだよ。そう言う君は龍宮さんだっけ?」
「うむ。龍宮真名だ。覚えていて貰えれば嬉しい」
「……で、どうかしたか? 明石さん達と一緒にいなくて良いのか?」
「ふっ……なに、あの件に関しては私は力にもなれ無さそうなんでね。それならば一緒にいても意味が無いのでこうして貴方の事を知っておいた方が有益だと判断したまでだ。――お噂は常々刹那から。お会いできて光栄です」
「刹那から?」
「刹那とはルームメイトでね。それに”仕事”も手伝う事もある仲なもので、貴方の事も何度か刹那の口から聞き及んでいる」
「……ふーん」
 
 ”仕事”……ね。
 ま、大方魔法関係の仕事なんだろうけど、刹那もそういう事してたのか。
 
「……驚かないのだな?」
「何が?」
「私がそういう仕事をしている事を……だよ」
「なんだそんな事か。そりゃ、そんな目をしていれば分かる奴には分かるもんだろ? まあ、そんな年でそこまでの実力……ってのは信じがたいけどな」
 
 俺がそう言うと龍宮さんは驚くような表情をする。
 俺、そんなに変な事言ったか?
 けど龍宮さんはすぐ可笑しそうにその表情を崩して笑みを浮かべた。
 
「ふっ……なるほど。流石にあの刹那が頼りにしているだけある。どうやら”本物”らしい」
「本物? それってどういう意味だ?」
「なに、そんなに大した物ではない。漠然としたイメージの話だよ。そうだな……言うなれば、高畑先生や私に近い存在とでも言うのかな? ま、実力は私からかけ離れている位置にあるようだが……」
 
 遠くを見る目をしながらそんな事を言う。
 それで分かってしまった。
 この子は……その年で既に”あの”タカミチさんと同種の経験をしてきたのだと。
 
「……龍宮さん、君は……」
「――おっと、余計な話が過ぎたようだ。大河内が帰って来た」
 
 龍宮さんは俺の言葉を遮るように立ち上がると、背を向けて立ち去る。
 その寸前で、何かを思い出したかのように立ち止まった。
 
「ああそうだ、衛宮さん。貴方も何か人手が必要な時は私に言うと良い。報酬次第だが力になろう」
「……傭兵みたいな物か? 出来る事ならそんなことが必要ないことを願うけどな」
「ふっ……違いない。――もっとも、場合によっては貴方の敵になる可能性も否定はできないがね」
「…………それは報酬次第で”何でも”すると言う事か。君と敵対しなければいけない、そんな状況になるかもしれないと言う事か」
「――さあ、どうかな」
 
 龍宮さんが俺を挑発するように俺の言葉を鼻で笑う。
 
「――――」
「――――」
 
 しばしの無言。
 お互いに視線を逸らすことなく、言葉の真意を探リ合う。
 ジリジリとした感覚が時間の感覚を曖昧にさせ、麻痺させる。
 が。
 
「――はは」
「――ふっ」
 
 それは同時に笑うことで一瞬にして打ち消えた。
 まあ、今のはちょっと過激な挨拶と言った所だろう。俺も龍宮さんも最初から本気で言っているわけではないのだ。
 
「まあ冗談はさて置き……ふっ、出来る事ならそれは遠慮願いたいものだな。貴方と相対するのは幾ら報酬を貰った所で割りに合わない」
「……その言葉は龍宮さんなりの褒め言葉として受け取っておくよ。俺だって君と戦いたくなんて無いしな」
「ふふ……では」
 
 再び歩き出す背中を見送る。
 いやまいった。アレで本当に中学生かよ。
 物腰といい、考え方といい。
 それに加えあの洗練された容姿だから、年上だって言われても違和感がまるで無いぞ。
 
「――衛宮さん、お待たせしました。そろそろ集合時間なので帰りますけど……」
 
 小走りに駆け寄ってきた大河内さんが言う。
 そうか、もうそんな時間か。
 思っていたよりもずっと早く時は過ぎていたらしい。
 
「……衛宮さんはどうしますか?」
「そうだな、じゃあ俺も一緒に帰るか。そろそろ飯の時間だし」
 
 大河内さんと二人連れ立って、明石さん達の元へと向かう。
 まあ、今日一日は何事も起こらなくて良かった。
 それに、この子達のことを少しでも分かったのは少なくない収穫だろう。こうやって一緒に回ったのは決して無駄なんかじゃなかった。
 少なくとも隣を歩く大河内さんは何か知らないけど上機嫌っぽいし、俺達を待つ他のメンバーの表情も明るい。
 出来る事なら明日以降もこの笑顔が曇る事無ければいいんだけどな……いや、曇らせる事が無いように俺が頑張るだけ――か。
 
 
 
 



[32471] 第29話  Party time!
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 22:11

 
 さて、旅館に戻って大河内さん達と別れた俺は、夕食を終えた後、見張りもかねて朝と同じくロビーのソファーに座っていた。
 今度は朝と違って缶コーヒーを飲んでいるんだが…………目の前の状況はなんなんだろうか?
 
「――ううー……、あああーー、どうすればーーー………」
 
 目の前には何かを考えては時折真っ赤になり、身悶えて転がる子供先生ことネギ・スプリングフィールド。
 や、なにやってんだろうかこの子は? 傍目から見ている分には面白すぎるぞ。
 ネギ君は俺が夕食を終え、張り込みの為に数本買った缶コーヒーを手でポンポンお手玉のように投げながらロビーに来たときから既に上の空の状態で、俺が呼びかけても全く反応を示さなかったのでとりあえず見守ってたら、いつの間にかこんな状況になっていた。
 俺がすぐ横に居るにも拘らずひたすら百面相を繰り返す。
 そんなネギ君の奇妙な様子に3−Aの子達も心配そうに遠巻きに眺めていた。
 
「…………だ、旦那……なんとかしてくんないっスか?」
 
 目の前の状況をただ傍観していた俺に、ネギ君の使い魔であるオコジョのカモが助けを求めてきた。
 
「いや、何とかって言われても……なあ?」
 
 どうしろと言うんだろうか。
 俺が話しかけても全く反応しないで転がっているだけなんだからどうしようも無いと思うが……。
 いや、それ以前に。
 
「一体何があったんだ? 見た限りそんなに大変な事が起こっているようには思えないんだけど……」
「ああー……確かにそりゃそうなんだが、兄貴にとっちゃ一大事っつーかなんつーか……」
 
 言い辛そうに言葉を濁すカモ。
 それにしても不思議な事を言う。
 大変じゃないんだけどネギ君にとっては一大事って……なんだ、それ?
 それで、そんな何一つとしてわからない状態の俺に何をしろと仰いますか、お前は。
 
「――ネギ先生。どうされたんですの?」
「昼の奈良公園で何かあったの? ネギ君」
 
 俺がうんうん唸っている間に、いい加減見ていられ無くなったのだろう、雪広さんと佐々木さんが二人でネギ君を気遣って声をかけていた。
 が、
 
「うひゃいっ!?」
 
 なんて、奇妙な返事で答えるネギ君。
 更には何か自分ひとりでテンパってワタワタと慌てだす。
 
「い、いやあの……別に何も! 誰も僕に告ったりなんか……!」
 
 ――ネギ君、爆弾発言。
 それを間近で聞いた雪広さんや、佐々木さん達3−Aの面々は当然騒ぎ立ててしまう。
 思わぬ失言から、いきなり皆から詰め寄られてパニック寸前のネギ君。
 コックさんがコクのあるコックリさんのスープを……とかなんとか、とにかく意味不明なことを叫んで、
 
「ぼ、僕、しずな先生達と打ち合わせがあるのでこれでーー!!」
「あ、兄貴~~!?」
 
 三十六計逃げるに如かず、とばかりに大脱走した。
 や、しかしこれはスゴイ事を聞いてしまった。
 ネギ君は確か10歳、そしてこの状況から考えるに、告白した方の側は恐らく面識のある3−Aの生徒の誰か。
 で、ネギ君は先生でもあるわけで…………。
 
「――――うん、無理ないな」
 
 納得してしまった。
 先生が生徒とそういった関係になるのはまずいと思うがネギ君は10歳。
 こういう場合って――どうなるんだろうか? 一応生徒の方が年上なんだし、しかも未成年なんだから実質問題とかないのかもしれない。
 まあ、なんにせよそんな状況なら混乱するのも仕方ないといった所か。
 
「……大丈夫かしらねえ……あのガキんちょは」
「もう何もかも一杯一杯と言った感じですね、ネギ先生」
 
 と、そんな声のした方を向けばそこには、ネギ君が去っていった方を呆れたように眺めながら俺の方に歩いてくるアスナと、刹那の姿があった。
 
「よう、お疲れ二人とも。なんか昨日とは違った意味で大変だったみたいだな」
 
 俺がそう言うと、アスナは呆れたように「ホントよ、もう……」とぼやきながら俺の前のソファーに座り、刹那はそのアスナの口調に苦笑しながら俺の隣に腰掛けた。
 
「それで? なんでもネギ君が告白されたとかなんとか……」
「うん、まあ、そうなんだけどね……ネギのヤツ、本屋ちゃん……って言っても分かんないか、宮崎さんって言ったら分かる?」
「宮崎さん? …………ああ、今朝の」
 
 確か今朝のネギ君争奪戦で勝利した気の弱そうな女の子がそんな名前だった気がする。
 
「その子がネギに告白したんだけど……その後からずっとアレよ」
 
 肩を竦めながらアスナは言う。
 
「しかしそれはネギ先生の年齢を考えれば無理も無い事だと思いますが……」
「だな、俺も刹那の考えに賛成。大体、ネギ君って年齢とか立場とか色々ややこしいんだから仕方ないんじゃないか?」
「う~ん……それはそうなんだけどねぇ……」
 
 胸の前で腕を組みむむむ、と唸るアスナ。
 ……ったく、コイツもなにが気に入らないんだか……。
 俺はそんなアスナを取り合えず放っておいて、傍らに積み上げた缶コーヒーの山からその内の一本を刹那に手渡す。
 刹那はそれを「ありがとうございます」と言って受け取り、プルタブを開けた。
 
「――ねえ、シロ兄」
「ん?」
 
 アスナが何かを思いついたのか、俺を見て言う。
 
「シロ兄が10歳の時ってどんなだった?」
「俺が10歳の時……?」
 
 突然何を言うか、この子は。
 とりあえず、俺が10歳の時って言うと……切嗣みたいになりたくて躍起になってた頃か。
 でも、話の流れからするとネギ君と比較して、と言う話なんだろうけど…………。
 
「――――とりあえず学校の先生なんてしてなかったな」
「…………そ、そう言う返答が来るとは思わなかったわ……。そうじゃなくてどういう風に過ごしてたって話よ」
 
 ――うん、分かってて答えたんだけどな。
 と、まあ悪ふざけはここまでにして真面目に答えるとしても、
 
「だとしても、そんなに変わった事なんてしなかったぞ? ネギ君と比較するといたって普通の10歳だったと思うし、当然告白なんてされた覚えはなかった」
「…………うん、まあ、それが普通よねぇ~……。あのガキんちょが特殊過ぎるんだと思うし……って、そうだ。あのさシロ兄、あくまで参考に聞くけど……シロ兄って付き合ってる人とかいないの?」
「…………」
 
 これまた突然何を抜かしますかねこの娘っ子さんはっ。
 
「ちょ、ちょっと待て! なんでいきなりそう言う話になるんだ!?」
「だから参考にだってば。私の周りでそういう年頃の男子って言うとシロ兄ぐらいだし……シロ兄の今までの経験からネギのヤツに参考になることあるかもしれないじゃない?」
「む」
 
 なんか説得力がある。
 確かにアスナやネギ君のまわりには同年代の男子が少ないし、そういった例は参考になるのかもしれない。
 と、俺がそんな風に感心していると。
 
「それに面白そうだし、シロ兄のそういう話」
 
 と、言った。
 
「それが本音かっ!」
 
 アスナはアハハ、と笑ってごまかす。
 全く、ちょっと感心したら結局はこれか……。
 
「……ったく、俺なんかの話聞いても面白くないだろうに」
 
 腕を組んでぼやく。
 俺が付き合っているヤツがいるかだって?
 そんなもん――、
 
「…………あれ?」
 
 どう言うコトだ?
 誰かとそういう関係になった記憶もあれば、無かった記憶もある――?
 記憶が安定していないのは自覚しているが……なんか変じゃないか?
 矛盾した記憶がなんで――、
 
「――シロ兄?」
 
 と、アスナの声で現実に引き戻される。
 思ったより深く考え込んでしまったようだ。
 
「……あー、なんか私マズイ事聞いた?」
 
 アスナが頬を掻きながら気まずそうに聞いてくる。
 俺の沈黙を誤解して受け取ってしまったらしい。
 いかんな、心配させちまったか。
 
「や、そんな事ないぞ。――それより刹那はどうなんだ?」
「…………ぶっ!? わ、私ですか!!?」
 
 レッツ、キラーパス。
 俺自身良く分からない記憶は刹那に話を振る事によってスルー。
 突然の質問に、刹那は飲んでいたコーヒーを少し吹いてしまった。
 
「あ、それは私も聞きたいなぁ~」
 
 アスナはあっさりと興味を刹那に移す。
 ここら辺は流石に年頃の女の子。同年代で同姓の色恋沙汰には興味津々らしい。
 
「い、いえ! 私は……!」
 
 刹那は俯いて顔を真っ赤にしてしまう。
 モジモジと膝をすり合わせる仕草が妙に可愛らしい。
 イメージ通りと言うか何と言うか……こういった話が苦手らしい。
 「私にはお嬢様が……」とか「いえ、だからと言って男性に興味が無いわけでは……」とゴニョゴニョ呟いている。
 その様は、なんか余りにも真っ赤で、可哀相に思えてくる程だった。
 
「ああー……、刹那? 言いたくないなら無理しなくても……」
 
 と、俺が言うと刹那は顔を上げて俺を見る。
 が、次の瞬間。
 
「――――っ!」
 
 これ以上は赤くならないだろうと思われた刹那が更に真っ赤になった。
 まるで湯気でも立つんじゃないかと心配に成る程だ。
 
「お、おい。大丈夫か?」
 
 そ、そんなに刺激の強い話だったか?
 まさかここまで真っ赤になるとは流石に予想外だ。
 
「――い、いえ……! なんでもないので気にしないで下さい!! わ、私の事より神楽坂さんはどうなのですかっ?」
「へ!? 私っ!?」
 
 刹那が俺のキラーパスを苦し紛れながらもスルーしてアスナにパス。
 にも拘らず、アスナは自分に話が来るとは思っていなかったのか、焦ってワタワタと手を振っている。
 
「わ、私はいる事はいるけど見てるだけで満足って言うか……なんて言うか。そもそも向こうが私をどう思ってるかなんてちっとも――じゃ、じゃくてっ!! ……って、なんでこんな話になったんだっけ?」
「…………なんででしょうね」
「アスナが言ったからだろうが」
 
 うむ、話が逸れまくってるな。
 
「今はネギ君の話だろ? そうじゃなくても今は問題が山積みなんだ。ネギ君には一つずつ解決してもらうしかない。告白されたばかりのネギ君には酷かも知れないが……、何とか自力で解決してもらうしかないだろ?」
「……確かにそうですね。私達が何を言った所で所詮は外野の言葉ですから、最終的に自分で解決するほかありませんから……」
「えっと……じゃあ、放っておくの?」
「んー……それも可哀想か。そうだな……取り合えず周辺の警戒は俺と刹那がやるから、アスナはネギ君についてやってくれ」
「私が? それはいいけど……何言ってやればいいんだろ?」
「側にいてやるだけでも大分違うもんだろ。特にネギ君はアスナに懐いてるみたいだからな」
「懐くって……犬じゃないんだから」
 
 ――うわああぁあぁ~~ん! だめです~~っ、僕、先生やりたいのにーーー!!
 
「……なんだ?」
 
 突如、耳に突き刺さる泣き声。
 この声は……、
 
「ちょ、ちょっと……今のって……」
「ああ、ネギ君だな」
 
 アスナが腰を浮かせて声がした方を見る。
 俺と刹那は別に奇妙な気配は感じないからたいして慌てもしないが。
 
「あのガキまたなんかやったんじゃないでしょうね……、私、ちょっと見てくる!」
「おう、頑張れよ」
 
 ダッ、と走り出すアスナ。
 まあ、アスナは何だかんだ言いつつ面倒見が良いからネギ君の側にいるのは適任だろう。
 
「ふふ……仲が良いですね」
「そうだな、まるで姉弟だ」
 
 刹那が微笑ましいものを見るように笑う。
 
「そうだ、さっきはああ言ったけど……刹那も行っても構わないんだぞ?」
「は? いえ、私は別に、」
「いや、ネギ君のことじゃなくてな…………このかだよ」
「そ、それは……」
「……やっぱり怖いのか?」
「…………」
「…………」
 
 暫しの無言。
 いくつもの考えが頭を駆け巡っているのだろう。
 そして刹那は力なく頷いた。
 
「士郎さんの仰る通りです。私は……お嬢様に正体がばれて嫌われるのが怖いです」
 
 ……やっぱりか。
 それは以前にも聞いた、刹那が烏族と呼ばれるモノとのハーフである事に起因しての事だった。
 でもそれはあの時……、
 
「けど俺やエヴァには何とか頑張って打ち明けてくれたじゃないか。きっとこのかも……」
「……それはアナタ方が元々裏の世界にも精通しているから、私のような存在にも慣れているだろうと言う考えがあったから、何とかできたのです。しかしお嬢様は今までそう言った世界とは幸いにも無関係でいられた。そんなお嬢様に私の正体が知られたら……私は……」
「…………そっか」
 
 今ここでそんな事は無い、と言うのは簡単だ。
 このかだったらきっと受け入れてくれると言うのは簡単だ。
 でもそれじゃあ刹那は一歩を踏み出せない。
 まだ何か切欠が足りないのだ。
 それがどんな物かは分からないけど切欠が必要なんだ。
 それさえあればきっと…………。
 
「――もー……、なんか知らないけど、いいからちゃんと歩きなさいよねー……」
「…………うぅー……」
 
 と、アスナの声が聞こえた。
 そちらの方を向くとネギ君がアスナに引き摺られるような形で連れて来られていた。
 
「おいおい……どうしたんだよ。なんかネギ君変じゃないか?」
「うん……そうみたいなんだけど……さっきからこんな調子で何も話さないのよ」
 
 アスナがネギ君を盗み見るように視線を向ける。
 それにつられるように俺も視線を向けてみると、
 
「――え、衛宮さん……僕、僕……あうぅ……」
 
 この世の終わりとばかりに暗い顔をしたネギ君が俯いている。
 ドヨーン、とでも効果音が付きそうなくらいの分かりやすい落ち込みっぷりだ。
 
「……もしや刺客が?」
 
 刹那が一瞬にして剣呑な雰囲気を醸し出す。
 が、アスナはそれを見ても苦笑いしながら手をパタパタと振って否定した。
 
「あー、そんな感じじゃなかったわよ? なんかお風呂で朝倉と一緒にいたくらいで……」
「では一体……?」
 
 ふむ、ネギ君は落ち込んだままだし……このままじゃ話が進まないな。
 仕方ない、本人から聞き出すしかないか。
 
「ネギ君、一体何があったんだ? 言ってくれたら俺達が力になれるかも知れないだろ?」
「うう……衛宮さん……」
 
 頭をワシャワシャと撫でてやると涙を浮かべながら俺を見上げてくる。
 あー……なんか子犬っぽいなぁ。
 すると、ネギ君は俺にだけ聞こえるように耳元でこそこそと囁くようにして言った。
 
「実は……」
「うん?」
 

「――朝倉さんに魔法がばれてしまって……」
「………………」
 
 ――――はい?
 なんかスゴく似たような事を前にも言われなかったか?
 あー……アレはアスナに魔法がばれたって言われた時かー、そっか、またか、またなのか、またなんですね。
 あはは、全く仕方ないなー…………。
 
「――ネギ君」
 
 肩に手を置きネギ君の目を覗き込む。
 涙に濡れた瞳に俺が映る。
 それを見ながら俺は言った。
 
「――短い付き合いだったが君の事は忘れないよ。大丈夫! 君ならオコジョとしてもやっていけるさっ!!」
「ま、また見捨てられたっ!? しかもあの時とおんなじ事言われた!?」
 
 はっはっは、やっぱ覚えてたか。
 まあ、あれはインパクトが強くて俺も忘れられそうに無い出来事だったけど。
 なにせ初日からバレるなんて離れ業をやってのけたのだ。その印象たるやちょっとやそっとじゃ拭えた物ではない。
 
「ネタの使い回しはこれ位にするにしても……マズイな」
 
 あの時はアスナが相手だったからある程度は安心できたけど、今回の朝倉という子がどういう子なのか俺は知らない。
 面倒な事にならなければいいが……。
 
「ちょっとシロ兄、なんだって?」
 
 アスナが俺の肩を突付きながら聞いてくる。
 そうか、考えてみれば二人にその朝倉って子の事を聞いてみれば早いんだ。
 
「なんでも朝倉って子に魔法がばれてしまったらしい。アスナ、その朝倉って子は、」
「――あ、あの朝倉に魔法がバレたーーーー!!?」
 
 うお! 声でかっ!!
 思わず仰け反る。
 つーかバレたネギ君もネギ君だが、アスナも少しは自重という物を覚えて欲しい。
 今は偶々周りに人がいなかったから良かったけど、余りにも迂闊だ。
 
「何で!? どうしてよりにもよってあのパパラッチ娘に~~~!?」
 
 アスナがネギ君に詰め寄る。
 しかしパパラッチ娘って……。
 
「刹那、刹那」
「は、はい? 何ですか?」
「朝倉って子はアレか、そんなにマズイ相手なのか?」
「――マズイですね」
 
 刹那が真剣な顔で言う。
 むむ、刹那がそうまで言うなんて……よっぽどか。
 
「ある意味最悪の相手、と言えるかもしれません。彼女にバレたと考えるとなると世界に知れ渡るのは時間の問題と思ってもいいでしょう」
 
 それって一体どんな人間拡声器だよ……。
 ああー……それにしてもな刹那。
 極めて真面目に話しているのは分かるんだが……もう少し穏便に話せないか?
 ほら、さっきからネギ君が面白いくらいしぼんでいくんだが……。
 
「やー……これはもーダメね。アンタ、世界中に正体バラされて強制送還だわ」
「そんな~~~!? 一緒に弁護してくださいよアスナさん、刹那さん~~!」
 
 はい、トドメ入りました。
 アスナがお手上げとばかりに両手を上げるとネギ君が慌てだす。
 ネギ君はアスナと刹那に縋り付くがどうしようもない。
 そして俺には泣きついてこない。
 まあ一番最初に見捨てたしな。はっはっは。
 
「――おーい、ネギ先生ーー」
「ここにいたか兄貴」
 
 不意に声がかかる。
 そちらの方を見てみると、一人の女の子が肩にカモを乗せてこちらに手を振っていた。
 
「うわっ、朝倉さん!?」
 
 朝倉? この子がか?
 
「ちょっと朝倉。アンタ子供苛めてんじゃないわよー」
「苛め? なーに言ってんのよ。って言うかあんたの方がガキ嫌いじゃなかったっけ?」
「そうそう、このブンヤの姉さんは俺らの味方なんだぜ?」
 
 カモが得意気に言う。
 
「味方って……カモ、どういう事だ?」
 
 思わず聞いてしまう。
 聞いてた感じだと、この朝倉って子は一般人のはずだ。
 それなのにいきなり味方だと言われても腑に落ちない事が多すぎる。
 
「おや? そういうアナタは確か……」
 
 朝倉さんは俺を見るなりそう言うと、懐からメモ帳のようなモノを取り出し、それをパラパラとめくった。
 
「――創作喫茶『土蔵』の店主、学園広域指導員を兼任する衛宮士郎さん。年齢不詳。お店は開店間もないと言うのに、安くて美味しいと評判は学生を中心に広がり、かの有名な『超包子』に迫る勢いがある。また学園広域指導員としても最近認知されるようになってきており、その公平な対応から評判も上々……っと」
「――――」
 
 スラスラと読み上げる様子に思わず唖然としてしまう。
 や、この子何者だ? 初対面の筈の俺の情報を次々と……。
 俺の表情に気を良くしたのか、得意気にフフン、と笑う。
 
「あはは、いきなりすんません! 私は報道部突撃班、朝倉和美。初めまして……ですよね?」
 
 一転、ニコニコと笑いながら手を差し出してくる。
 俺は呆気に取られながらもその手を握り返す。
 
「あ、ああ……、そうだと思うけど。――で、その朝倉さんが何で俺達の味方だって言うんだ?」
「ああ、それなんですけどねー。――コホン、私、朝倉和美はこの度、カモっちの熱意にほだされてネギ先生の秘密を守るエージェントとして協力していくことになったんで、ヨ・ロ・シ・ク♪」
「え……え~~~!? ほ、本当ですかーっ!?」
「………………」
 
 その言葉にネギ君は喜んで朝倉さんに駆け寄るが……怪しい。
 そもそも……なんだっていきなりそういう話になるんだ?
 ネギ君が朝倉さんの前で魔法を使ったか、どこかから情報が漏れたか知らないが、そんな状態でいきなり秘密を守る側になんて……裏があるに違いない。
 
「――カモ」
「ぬおっ!?」
 
 俺は朝倉さんの肩に乗ったままのカモを素早く拉致ると物陰に隠れた。
 と言っても、ロビーに置かれていた観葉植物の裏側に回っただけなので見え見えな訳なのだが。
 
「――さて、正直に話そうか?」
「さ、さあ? 俺っちには何のことだか……?」
 
 ピューピューと口笛を吹きながら明後日の方向を向くカモ。
 ……や、オコジョのクセに口笛って……無駄に器用だな、おい。
 
「しらばっくれる気か? あんな穴だらけの説明で納得いくと本気で思ってんのか?」
「な、な、なんと言われても俺っちには……」
 
 変に口の堅いカモだ。
 そんなに隠したい事があるんだろうか? でもそうだとしたら尚更だ。
 
「……そうか、そこまでして言いたくないんだったら仕方ない。――俺にも考えがある」
「……へ、へへへ……。お、脅す気かい旦那? しかし俺っちも気高きオコジョ妖精の端くれ、そう簡単には、」
「――カモ、帰ったらエヴァの前でもう一回同じ事言わせて上やろうか?」
「すんませんでしたーーーっ!!! や、やだな旦那! 俺っちが旦那に隠し事なんてする訳が無いじゃないッスか~! 何が聞きたいんスか? なんだったら姐さんの下着の種類や枚数まで教えますゼ! ……だ、だからどうか真祖だけはご勘弁を~~~!」
「……や、そんなの教えてくれなくていいから……」
 
 ――お前はなんでそんなもん知ってんのさ。
 今思ったけどこのオコジョもある意味危険なのかもなー……。
 それにしても面白いぐらいの変わり身の早さ。
 先程までの頑な態度は何処へやら、今度はまるで媚を売る太鼓持ちのように、今にも手もみでも始めそうな勢いだ。
 ……もしかしたらって思ってエヴァの名前使ったけど……そんなに怖いか? 優しい子だと思うんだけど。
 っと、いけない。本題に戻らなければ。
 
「――そんな事よりだ。お前、どうやって彼女を引き入れたんだ? あの子は一般人のはずだろ?」
「あー……それはアレだよ。ブンヤの姉さんには俺らの取材を独占させる変わりに色々と協力してもらってるんでさぁ」
「……………………」
「……………………」
「――ってそれだけ?」
「え? それだけッスけど……なにか?」
「……隠してないよな?」
「も、勿論ッスよ!」
「……………………」
「…………………………」
「………………………………エヴァ(ぼそっ)」
「っ! だ、だから隠してないですって!!」
 
 あれ? 本当にそれだけっぽいな。
 
「まあ、それだったら関わり過ぎなければ問題ないか」
「……へ? 納得するんッスか?」
「そりゃ、良いことだとは思えないけどさ……適度に距離を取ってくれるなら少しくらいバレても良いんじゃないか? 俺はお前が隠すもんだから、もっととんでもない事企んでると思ってたぞ……」
「……だ、旦那って、結構軽いッスね?」
「そうか?」
 
 そりゃ、俺がいた世界だったら、魔術が知られたら何処から刺客がかかるか分からないから、危なくてとてもじゃないが一般人に知られるようなヘマはできないけど……ここの世界はそういった事には甘いのか、そこまでの危険思想は無いので結構気楽なもんだ。
 まあ、俺の場合は元いた世界でだって、人の命がかかってるんなら魔術ぐらい躊躇無く使うけどさ。
 
「俺としてはさっき言ったみたいにギブアンドテイク、みたいにきちんと利害が一致している方が納得できるから最初からそうれ言ってくれれば良かったのに」
「いやー……姐さんとかから反対されそうだったんで……」
 
 アスナ、ね。
 分からないでもない。アスナはそう言うのなんか嫌いそうだからな。
 
「衛宮さん? 何をしているんですの?」
 
 不意に背後から声がかかる。
 声がした方を見ると、お風呂上りなのか浴衣に半纏を着た雪広さん達がいた。
 
「ああ、雪広さんか。別に何も……そっちはお風呂上りか?」
「ええ、見ての通り。見たところ衛宮さんはまだのご様子ですけど……今の時間からなら学生達の入浴時間も終わりましたから、入っていらしたらいかがです? 気持ち良いですよ」
「そうだな、それも良いかもしれないな」
 
 昨日入ったけど、ここの風呂は露天で、凄く風情があって良かったのを思い出す。
 
「――あら? そこにいるのは……まあまあ! ネギ先生! どうしたんですの? なにやら楽しそうですけど何かありまして?」
 
 今まで見えなかったのか、雪広さんはネギ君を見つけるとパタパタと、実に嬉しそうに小走りで側へと向かった。
 それに負けじと今まで黙っていた佐々木さんがその後を追う。
 あー……そう言えば雪広さんも佐々木さんもネギ君争奪戦に加わってた人だっけか。
 
「あはは、いいんちょもまき絵も良くやるねー」
「あれ? 明石さんは行かないのか?」
 
 気が付くと明石さんが俺の隣に立って笑っていた。
 
「ん~? 私は別にいいですよー……。あ、それより今日はどうでした? 楽しかったですか?」
「今日か? ああ、そうそう、お礼がまだだった。今日はわざわざ誘ってくれてありがとな、お陰で色々楽しかった」
「んにゃ? やだなあ、お礼なんか言わないでくださいよぉ~。誘ったのはこっちなんだからお礼言われるの変じゃないですか?」
「ん? そうか?」
 
 俺的には、お陰でこの場に自然と溶け込む事が出来たんだから、やっぱりお礼を言いたい気分なんだけどな。
 
「そうです! いや~、でも楽しんでもらえて良かったですよ~。私から誘っておいて楽しくない何て言われたら流石に凹みますからね」
「や、別に俺の事は放って置いて、君らが楽しめばそれで良いと思うんだが……」
 
 中学生に接待される状況ってどんなだよ俺……。
 
「ノンノン! 私らも楽しくて衛宮さんも楽しい! コレ、理想!」
「……何で君はそんなに気合入ってるのさ」
「そうだ! 衛宮さん明日も一緒に行かないですか? 私達、USJ行くんですよUSJ! アメリカを体験しに行きましょうよ! レッツ大阪! ビバUSJーー!!」
「……や、USJって思いっきりJAPANって入ってるからアメリカじゃないし。それにビバって英語じゃなくてスペイン語だから。そして俺の話を聞いてくれ」
 
 何なんでしょうか、このテンションは。
 もしやこれが俗に言う無駄に弾けたくなると言う修学旅行パワーかっ。
 
「もー、なんですかー、衛宮さんノリ悪いですよぉー? ほら、私達と一緒に行きましょうよーー」
 
 グイグイと腕を引っ張られる。
 こんなに誘ってくれるのは嬉しいが……流石に駄目だろう。
 明日の予定はまだ話し合っていないが、大阪ともなると結構な時間がかかる。
 今の状況でそんなにネギ君たちの側を離れるのは危険すぎるのだ。
 
「あー、悪い、明石さん。明日は用事があるから無理なんだ」
 
 俺の答えに「えー」と不服そうに頬を膨らませる。
 心苦しくはあるが仕方ない。
 
「じゃあじゃあ明後日はどうですか?」
「明後日…………も用事が」
 
 事態はどう動くか分からない。
 安易に約束などしても守れるか分からない。
 
「んもー……、仕方ないですね……。今回は諦めます。衛宮さんにだって予定とかあると思うし……」
「悪いな。埋め合わせに今度班の皆と一緒に店に来ると良い。奢るよ」
「え!? 本当ですか? ラッキー……って」
 
 一瞬喜んだと思ったのに今度は急に頭を振る明石さん。
 どうしたんだ?
 
「あーー……もしかしたらバラバラで行くかもしれないですけど、いいですか?」
「それは別に構わないけど……」
 
 明石さんは不思議な事を言う。
 仲良いんだから皆で来ればいいのに、なんだってバラバラで来るなんて言うんだか。
 
「――こら、お前達、もうすぐ就寝時間だぞ。自分の部屋に戻りなさい!」
 
 と、突然の野太い声にそちらの方を向くと、壮年と言ったいかにも先生って感じの人が立っていた。
 …………あれ? 確か会った事あるよな、この人と……あれは――ああ、そうそう、いつだったか学園広域指導員の顔合わせみたいなコトをやった時にいた、生活指導員の新田先生だっけか?
 
「――げっ、新田……」
 
 明石さんが露骨に嫌そうな顔をする。
 まあ、ああいった感じの先生は生徒に疎まれるのが役割みたいな所があるからな……。
 でも、ああいった先生の方がいざって言う時には親身になってくれるし、実を言うと人情家って人が多いから俺は結構好きだけど。
 
「……ちぇ……仕方ない。衛宮さん、そんじゃーね~、お休み~」
「ああ、お休み」
 
 パタパタと手を振って部屋と思われる方向に走っていく明石さん。
 見ると他の生徒達も蜘蛛の子を散らすように各々の部屋へと帰っていくようだった。
 
「……まったく、相変わらず落ち着きの無いクラスだ……。ん? 君は確か――」
 
 腰に両手を当てて、やれやれと言った感じで生徒達を見送っていた新田先生が俺に気が付く。
 
「どうも、お久しぶりです新田先生」
「――ああ、確か……衛宮君だったかな?」
「ええ、そうです」
 
 どうやら向こうも俺を覚えてくれていたようだ。
 今まで生徒達と相対していたときのような雰囲気ではなく穏やかな感じで話してくれる。
 
「こんな所で会うとは奇縁だな……。どうしてこんな所に?」
「旅行です。今の時期だと学生もあんまりいませんからね」
「ああ……、君は確か飲食店もやっていたな。なるほど、そう言う事か……」
 
 納得、といった風に新田先生は頷いた。
 
「新田先生こそお疲れ様です。なんか色々大変そうですね」
「……まったくだ。元気があるのは良いが過ぎるのも考え物だな。さて、ワシはそろそろ見回りに戻る。失礼するよ」
 
 わっはっは、と笑って去っていく新田先生。
 いやー……、あの騒がしい生徒達を抑えるのもかなり大変そうだ。
 元気の塊と言っても差し支えない3−Aを監視するだけでも気苦労が多そうだ。
 自分が新田先生と同じ立場に立った状況を思い浮かべてみる。
 
「…………………」
 
 ――うん、見事に振り回される自分しか想像できない。
 とてもじゃないが俺には無理そうだ。新田先生には是非とも頑張ってくださいと心の底からエールをお送りしよう。
 
「…………士郎さん、宜しいですか?」
 
 と、今まで物陰に隠れていたのだろう刹那が小声で話しかけてきた。
 
「私と神楽坂さんは周囲の結界の強化も含め、パトロールをしてきます。士郎さんにはここで宿全体の警戒をお願いしたいのですが……宜しいですか?」
「ああ、いいぞ。俺も初めからそのつもりだったし」
 
 俺がそう言うと刹那は「ありがとうございます」と、礼をすると踵を返した。
 恐らくアスナと合流するつもりなんだろうけど…………。
 
「……あんまり良くない傾向だよなぁ……」
 
 アスナが明らかに”こちら側”の世界に関わりすぎている気がする。
 いくらアスナが強くてネギ君と『仮契約』を結んでいるからと言っても、元々は一般人。
 今は敵方の術師の規模や人数が分からないから人手が欲しいのは確かな事だけど……。
 魔法に深く関わるのはよろしくない。アスナだって普通の女の子なんだ。深みにはまって日常生活が駄目になってからでは遅い。
 その前に注意しないとな……。
 
「……でもアスナのヤツだったら、なんだかんだ言ってもネギ君の面倒を見るのは自分だー、とか言って俺の話聞きそうにないしなあ」
 
 それに放っておけば一人で動いてしまう可能性もアスナならあり得なくも無い。だとすれば刹那と一緒にいるのはある意味正解か?
 しかし、こうなって来ると面倒見が良いのも考え物である。
 アスナは”こう!”と決めたらソレを絶対に譲らなさそうだし……。
 
「…………にしても、やっぱり騒がしいな……」
 
 さっきからドタバタキャーキャーと言う物音や、笑い声で今ひとつ考え事に集中できない。
 まあ、修学旅行なんだから仕方ないとは思うけど。いつもと違った環境で寝起きするだけで楽しいものなのだ。
 それが”あの”3−Aだったら尚更だろう。
 だからこういう騒がしさも逆に”らしい”などと思ってしまう。
 逆に静かだったら心配してしまう所だ。
 
「――って、お? ……静かになった?」
 
 先程までの喧騒は一瞬でなりを潜め、しん……と静まり返る館内。
 大方、新田先生にでも怒られたんだろう。
 あんだけ騒げば当たり前って気がするが……。
 でも、どうせ暫くしたらまた騒がしくなるのがこういうモノのパターンってモンだろう。
 と、
 
「…………ん? なんだこの感じ?」
 
 刹那の結界とは違う、奇妙な魔力に周囲を包まれているのを感じる。
 嫌な感じはしないけど……一応調べてみるか?
 と、腰を浮かせた時、旅館の入り口にある自動ドアが左右に割れ、刹那とアスナがやって来た。
 ふむ、外を見てきたなら刹那に聞くのが早いか……。
 
「刹那、アスナ、お疲れ」
「士郎さんもお疲れ様です」
「シロ兄、お疲れ~」
「刹那、この変な魔力はなんだ? あんまり覚えの無いタイプなんだけど……」
「――士郎さんはここにいてもそんな事が分かるのですか? 流石、としか言い様がありませんね。どうもカモ君が変な魔方陣を描いていまして……危険は無さそうなので放って起きましたが。その気配ではないかと思います」
「――カモが?」
 
 なにやってんだろ?
 俺の知らないタイプの結界でも張ってんのかな。
 
「確認に行きますか?」
「……ん、いや、別にいいだろ。カモだって俺達の不利になるような事はしないだろうし」
「わかりました」
「それより、だ――気が付いてるか」
「……え、ええ、まあ」
  
 刹那が言いよどむ。
 周囲の気配を探るように視線を彷徨わせるとソレは明確な物になって行く。
 ちょっと前から感じるソレは。
 
「なんだ? この……微妙な雰囲気は……」
「さ、さあ? 害意はないようですが……」
 
 刹那も良く分からないと言う感じで辺りを見渡す。
 確かに害意らしい物は感じないけど……なんなんだろうか、このある種の怨念めいた気配は。
 誰かを傷付けようとかいう種類の殺気ではなく、他人を出し抜こうとか言う妄執じみた空気がプンプン漂ってる。
 なんか”ゴゴゴ……”とか効果音がつきそうな雰囲気だ。
 ……なんかまた碌でもない事が起きそうな予感。
 
「まあ、いいや。なんかあったら俺が対処するから刹那達は休むといい。まだ風呂も入ってないんだろ?」
「そうですが……士郎さんだけにここをお任せして自分だけ休むと言うのも……」
 
 刹那は俺に気を使って休み辛いんだろう。
 それはいかにも真面目な彼女らしくて頬が緩むけど……。
 
「いいから休んどけって。休むのも仕事のうちだ。それにこんな時くらい、お前は大人を頼ってもいいんだよ」
「し、しかし――」
 
 それでも言い縋る刹那。
 ……ったく、この子も本当に頑固だ。
 だったら仕方ない……。
 
「――アスナ」
「ん? 何、シロ兄?」
 
 アスナに目配せをする。
 そしてソレをきょとん、と言った感じで受け止めると、
 
「強制連行、ゴー」
「……りょうか~い♪」
 
 ギュピーン、と効果音でもつきそうな目つきでアスナは刹那を見た。
 そのアスナの様子に刹那が後ずさる。
 
「か、神楽坂さん…………?」
「さ~て、桜咲さん……一緒にお風呂行きましょうね~……」
 
 両手をワキワキさせながら刹那に詰め寄る。
 ……や、誰がそこまで奇妙な雰囲気出せと言った。
 つーかその手の動きはなんだ。
 
「……アスナ、悪ふざけはそこそこにしとけよ?」
「えへへ♪ 分かってるって。ほら桜咲さん、シロ兄がこう言ってるんだから早く行こ!」
「あ、ちょ、ちょっと……神楽坂さん!?」
 
 アスナは素早く刹那の背後に回りこむと、その背中をグイグイと押して行く。
 俺はその背中を缶コーヒーを飲みながら見送る。
 
「……ふむ、アレはアレで良いコンビってことで」
 
 生真面目が過ぎる刹那には、アスナみたいにちょっと適当な所があるヤツの方がバランスも取れてていいのかもしれない。
 
「さて、それじゃ俺は見回りにでも行くか」
 
 ソファーから腰を浮かせる。
 ついでに缶コーヒーの追加でも買ってくるか……。
 ポケットから財布を取り出し、小銭を確認しながら歩く。
 
「……にしても、やっぱりまた騒がしくなったか」
 
 先程の予想通り、またしても人が活発に動いている気配がする。
 今度は先程の失敗を踏まえて声は出していないが、ドタバタという気配はどうしようもない。
 また怒られるのも時間の問題だろう。
 
「――ま、ソレも含めて修学旅行の醍醐味ってもんだろ」
 
 修学旅行ってのは夜に騒いで怒られるヤツがいるのが定番だ。
 ……クラスごとって言うのは珍しそうだけど。
 自販機の前に辿り着き、小銭を投入。
 そこで、ふと隣の紙パックタイプのジュースを売っている自販機を流し見た。
 そこには、
 
「…………”ラストエリクサー微炭酸”って……」
 
 ――なんだ、このチャレンジ精神が溢れまくってダダ漏れの珍商品は。
 つーか何味なんだ? 完全回復でもするんだろうか? そもそも紙パックなのに炭酸飲料って……いいのか?
 なんか色々間違ってる気がする。
 でもここに置いてあるってことは買う人も……いるのか?
 少なくとも俺はそんな気にはなれないが、怖いもの見たさで買う人もいるのかもしれない。
 
「……ま、俺には関係ないって事で」
 
 気を取り直して、ポチッとな、とボタンを押して缶コーヒーを購入。
 三本ほど買い込んで、ソレを片手でお手玉のようにポンポン投げて弄ぶ。
 さて、俺も外回りでもして――、
 
「――なんだアレ」
 
 目の前の光景のその言葉しか出なかった。
 目の前には飛び交う枕、枕、枕。
 そしてそれを、浴衣が乱れるのも気に留めず投げている女の子達。
 ……いや、ちょっと訂正。枕を投げているのではなく、直接枕を叩きつけていた。
 
「……えっと……枕……投げ?」
 
 ……いや、実際は投げてないんだから枕投げとは言わないのか? じゃあ枕叩き? なんかモグラ叩きみたいだな。
 それより騒ぐにしても部屋だけじゃなくて館内で騒ぐのってどうなのさ?
 下手すれば来年から出入り禁止になるぞ。
 つーか、君らは自分の格好をもうちょっと考えよう。
 そんな格好で動き回るもんだから目のやり場に困ると言うかなんというか……。
 
「――えっと……どうしよう?」
 
 すっごく対応に困る。
 別に悪い事をしてる訳じゃないんだから止める必要はないのだが、女の子があられもない格好でいるのはどうかと思う。
 むむむ、と考え込む。
 その間も繰り広げられる枕バトル。
 それでもひたすら考える俺。
 
「――よし」
 
 そして答えに辿り着く。
 そうだ、俺は……、
 
「――うん、見なかった事にしよう」
 
 その場で回れ右をして一目散に退散。喧騒を他所に俺はその場から逃げ出した。
 考えてみればあんな現場に男の俺が居合わせたとなると、それはそれで大変な事になりそうな気がする。
 乱れ咲く若い少女達の瑞々しい肢体。ソレを見てしまった男である俺。例え騒ぎを止めたとしてもその後の女の子達の反応は……考えるだけで恐ろしい……。
 そんな事でこの場に居られなくなったら余りにもアホらしい。そもそも俺は、ネギ君のサポートとしてここに来ているのだからそんな事になったら本末転倒もいいところだ。
 
「……大方、館内のいたる所でこんな事やってんだろうなー……」
 
 そんな事を考えると少し頭が痛い。
 
「……はぁー……しょうがない。外回りで時間潰してくるか……」
 
 ぼやきながら歩を進める。
 ロビーに戻り、缶コーヒー備え付けのテーブルに置き、外へと出る。
 空を見上げてみれば星空が輝いている。この分なら明日もきっと良い天気だろう。
 
「そうだ、ついでだからカモの描いた魔方陣とやらでも見ていくか」
 
 魔力を感じる方へと足を向ける。
 気配は4箇所からするので一番近い所に向かう。
 
「……お、あったあった」
 
 ソレらしき物を発見。
 巧妙に隠されているが、地面に描かれているのは確かに魔方陣だ。
 円の中に六芒星。更に中に小さな六芒星。そして中心には瞳のマーク。それらを横道十二宮と呼ばれる十二星座を表す文字で囲んである。
 
「ふーん……なんの魔方陣かは分からないけど……そんなに複雑な術式は使ってないな」
 
 まあ、簡易的な術式だし大した効力もないだろう。
 以前に読んだ魔法形態が書かれた本を読んだ時にはもっと大掛かりなものも沢山あった。それらに比べればコレは比べるに値しない程の規模だ。
 
「んー……でもこの陣、なんだったっけ?」
 
 確か本にも載ってた筈なんだけど……イマイチ覚えていない。
 たしか、かなりさわりの部分にあった陣だった様な気はするんだが……。
 
「まあ、覚えてないって事は危険ってもんでもないだろ」
 
 そう結論付けてその場を後にする。
 それより見回りの続きをしよう。
 刹那が結界を張ってる事だしそうそう怪しいものなんかないだろう……け…………ど……。
 
「――あ、怪しい……」
 
 ……いた、いたよ、いちゃったよいきなり!
 旅館の方を上の方を見上げる。
 視線の先には二人の人影。
 その二人は宮崎さんと、確か図書館島で見たことのある背の小さい少女だった。
 それ自体に問題は無いのだが……、
 
「……何だってあんな所を……?」
 
 問題は二人が居る場所。
 そこは旅館の部屋の雨除けとでも呼ぶんだろうか? その部分と屋根の隙間を這って何処かへと向かっているのだ。
 そして更に分からない事にその手には枕が握られていた。
 
「……枕投げ……じゃなかった。枕叩きの続きか?」
 
 屋外まで、しかもあんな手段を使って戦うのってどんなゲーム?
 こんな何でもないイベントすらここまで本格的に行うとは……3−A、やっぱり侮れねぇ。
 ……でもまあ、アレはアレで楽しそうだから――いいか。
 もはや投げやりである。
 君達の溢れんばかりの行動力に完敗。
 いちいち突っ込んでたらこっちの身が持たんのだ……。
 せめて怪我だけはしないように楽しんでくれ……。
 
「…………行こ。今度はあの忍者の子とか出てきそうだし……」
 
 とぼとぼと歩き出す。
 なんでちょっと見回りをしただけでこんなにも疲れるんだろうか?
 それとも修学旅行とはああいう風に弾けるのが普通なんだろうか? だとしたら俺の行った修学旅行って一体……。
 そんな事を考えながら旅館の周りをぐるりと回りロビーへと戻る。
 そのままソファーにどっか、と腰を下ろした。
 買っておいた缶コーヒーを開けてソレを一口飲むとようやく一心地つく。
 
「ふう……」
 
 思わずため息が出る。
 いやー……これがジェネレーションギャップというものか?
 俺ん時はあんな楽しそう……もとい、危ない事はやらなかったけどなー……。
 
「――ん?」
 
 背後から人の気配がする。
 入ってきた時は考え事をしてたせいか気が付かなかったけど、まるで身動きをしない人が二人ほど。
 首を捻りそちらに視線を向けた。
 そして、
 
「――――」
「……………えへへ」
「…………………?」
 
 目が合った。
 なんか知らんがロビーで正座をしてる人がいる。
 俺は只々、無言。
 一人は愛想笑い。
 もう一人は疑問顔。
 
「明石さん、なにやってんのさ……」
 
 そこにいたのは、先程別れた明石さんと、丸メガネをかけた目つきがちょっとキツめの髪の長い女の子だった。
 俺が呆れながらそう呟くと明石さんは、にゃははと笑って気まずいのを誤魔化す様に頭の後ろを手でかいた。
 
「あはは、まあ、見ての通りで……」
 
 や、見ての通りって……。
 
「――精神修行?」
「違います!」
 
 鋭い突込みが入る。
 だって京都だし……ねえ?
 まあ、実際は粗方の予想はついてるけど。
 
「冗談はさて置き――どうせ騒ぎすぎて、新田先生あたりに怒られて正座させられてんだろ?」
「うっ……くやしいけど正解。良く分かりましたね~……衛宮さんてエスパー?」
 
 いえ、魔術師です。
 とは流石に言えない。
 つーか、そんなんじゃなくてもわからいでかっ。
 むしろあんなに騒がれておいて気がつかない方がどうかしてる。
 
「ったく、元気があるのはいいけどあんまり無茶するなよ?」
 
 テーブルに積み上げた缶コーヒーのピラミッドから一本取り、明石さんに放り投げる。
 明石さんは突然のことにワタワタと慌てたが何とかキャッチに成功。
 
「――ほら、そっちの子も」
 
 もう一人の子にも投げる。
 その子はさして慌てた風も無く片手でソレを受け止めた。
 
「はあ…………どうも」
 
 素っ気無い答え。
 まあ、今日初めて話すんだからこれが普通の対応だろう。
 むしろ明石さんやアスナ達の方がフレンドリーすぎるのだ。
 
「で? 何だって枕投げであそこまで騒がしくなるんだ?」
 
 ソファーの背もたれ部分に腕を乗せ、そこに顎を乗せる形で明石さん達の方を向く。
 二人は今しがた渡したコーヒーを開けながらこちらを向く。無論、正座のままで。
 
「いやー、実を言うとネギ君の唇争奪戦やっててー」
「……………………は?」
 
 唇争奪戦って……なんだそりゃ?
 それが原因であの騒ぎって言うのか。そりゃネギ君が人気あるってのは知ってたけど……スゴイな。
 つーか、それが景品ってどうなのさ。
 ……って、待てよ? それを欲しがってこの騒ぎに参加するって事は……。
 
「じゃあ君らもネギ君を?」
「へ? ――ああ、そう言うコト? 私は……んー……嫌いじゃないしむしろ好きだけど、単に面白そうだし豪華景品があるって聞いたからですかね」
 
 あはは、と笑う明石さん。
 豪華景品? 凄いな、そんなモンまで準備してるのか。
 
「それならそっちの君も?」
「……私はそんなモンに興味ないです。只、無理矢理参加させられただけで、ネギ先生のことは別にどうも思っていません」
 
 ピシャリと言い放つメガネの女の子。
 あれ、なんか機嫌悪い?
 そりゃロビーで正座なんかさせられて良いわけ無いと思うけど。
 
「それにしてもスゴイ盛り上がりだな。なんか変な熱気をヒシヒシ感じるし」
「あ、そうそう! スゴイって言えばさっきなんかホントにスゴかったんですよ~!!」
 
 明石さんが興奮気味にまくし立てる。
 なんか言いたくてしょうがないといった感じだ。
 
「スゴイって……なにが?」
「なんとネギ君が――分身したんですよ!」
「へえ、分身ね………………って分身!?」
 
 ちょっと待とうか!
 なんだそりゃ!? なんだってそんなわけの分からない状況に……まさかまた魔法か!?
 
「それでそのネギ君にキスすると爆発するんですよー」
「爆発!?」
 
 それはアレか! ”俺に障ると火傷するぜ”の進化したバージョンとでも言うのか!?
 俺にキスすると爆発するぜ☆ ――って、アホかぁーー! ”☆”、とかやってる場合かよ俺!!
 ああ、くそ! なんだってタダでさえ周囲を警戒しなきゃいけない時に内側でこうも騒ぎが起こるか!?
 いや、そんな事よりも、そんな事したらクラスの子に魔法がバレ、
 
「いやー、すごい仕掛けだったなー。衛宮さんももう少し早く来てれば見れたのに……。アレどうやったんだろうね? 朝倉の仕込みかな? 面白かったー」
「………………って、そんだけ?」
「ん? まー、こうやって正座させられてんのは嫌ですけどね~」
 
 なかった。
 ――いや、そう言うコトを言ってるんじゃなくてだな……。
 って、良いのか。気が付いてないんだったら気が付いてないでわざわざ俺が穿り返す必要も無い。
 だったらこのまま自分に都合が良いように解釈してもらってた方が良いに決まってる。
 
「――そ、そうだなー。捕まっちゃうなんて明石さんもついてないなーー」
「そうですよねー、あはは」
 
 適当に話を合わせて二人で笑いあう。
 ――良かった。明石さんが細かい事を気にしない子で本当に良かった!
 よし! 店に遊び来たらデザートも奢ってしんぜよう!
 と、そこに先程屋根の辺りを這い回っていた宮崎さんと、小柄な女の子が息を切らせてやって来た。
 
「――ハァ、ハァ……恐らくここに来るハズです……」
「……う、うん……で、でもゆえ~……」
「のどか。ここまで来たら覚悟を決めるです!」
「う……うう」
 
 見ると、宮崎さんが何かを躊躇しているのを、小柄な女の子が後押ししている風に見える。
 二人とも俺が一方的に知っているだけで面識は無いので、特に俺を気にした様子はなく風景の一部だと感じてるようだ。
 
「――ただいまー。あれ……? なんか騒がしいような……」
 
 ロビーの自動ドアが開き、外の見回りをしていたであろうネギ君が帰って来た。
 今までこの騒ぎに気が付かなかったのだろう。館内に入った時の喧騒に首を傾げている。
 
「――ホラ、のどか……」
 
 それを見た小柄な女の子が宮崎さんの背中を優しく押した。
 宮崎さんはその勢いでネギ君の前に出て行った。
 
「――あ、宮崎さん……」
「せ……ネギ先生……」
 
 お互い顔を見合わせた瞬間、真っ赤になって見詰め合う。
 まるで世界に二人だけしかいないかのように見詰め合う。
 そんな光景に思わずゴクリと固唾を呑んでしまう。

「…………」
「……って。衛宮さん、なんでこっちに移動してきて一緒になって正座してるんですか?」
「…………や、なんか居たたまれなくなって……」
 
 俺にはあんな極甘の雰囲気の中に部外者の身で居続ける事は出来ません。
 そりゃ逃げ出しもするし、思わず正座だってするさ!
 
「――あの……お昼の事なんですけど……」
「えっ……」
 
 ネギ君が切り出す。
 お昼の事って言うと……ああ、告白のことか。
 それを聞いた宮崎さんがアワワと慌てる。
 と、その時、丁度通りかかったのだろう刹那とアスナが、物陰からネギ君の様子を眺めているのに気付く。
 ネギ君はそれに気が付かずにしどろもどろになりながら話を続けた。
 
「すいません宮崎さん……ぼ、僕、まだ誰かを好きになるとか……良く分からなくて……。いえっ……もちろん宮崎さんコトは好きです。で、でも僕……クラスの皆さんのコトが好きだし、アスナさんやこのかさんいいんちょさんやバカレンジャーの皆さんも……そーゆー好きで……あ、それにあのやっぱし先生と生徒だし……」
「い、いえ……あの、そんな先生――」
 
 ネギ君は一杯一杯なのだろう。
 要領を得ない言葉を懸命に紡ぎだしては宮崎さんに伝えている。
 そして決心したように宮崎さんを見た。
 
「だから僕、宮崎さんにちゃんとしたお返事はできないんですけど……。――あの、友達から……お友達から始めませんか?」
 
 ――それが、幼いネギ君の出した精一杯の答えだった。
 宮崎さんもその心からの返答に頬を緩ませて、
 
「――はいっ」
 
 と、満面の笑みで答えた。
 
「……へー、ネギ君ちゃんと考えてたんだな」
 
 ネギ君の年齢を考えれば今の答えが精一杯の誠意だろう。
 隠れて見守っていた刹那やアスナも微笑ましいものを見る、穏やかな表情で事の成り行きを眺めていた。
 
「……えーと、じゃあ……も、戻りましょうか」
「は、はい……」
 
 あんな事を言い合った後でお互いに気恥ずかしいのだろう。
 ギクシャクと言った感じで部屋に戻る事を促がすネギ君。
 そして踵を返した時、――事件は起きた。
 宮崎さんが部屋に帰ろうと歩を進めようとした瞬間、今まで黙って成り行きを見ていた小柄な女の子が何を思ったのか、宮崎さんの歩く先に足を差し出した。
 当然、ソレに蹴躓く宮崎さん。
 
「あ」
 
 大きくバランスを崩し、ネギ君のほうに倒れこむ。
 ネギ君はソレに気が付き慌てて支えようとし、手を広げた。
 まるでスローモーションのように目の前の光景が俺の目に映る。
 そして、ネギ君の差し出した手は間に合わず、ネギ君の唇と宮崎さんの唇が――今、重なった。
 瞬間、館内に歓声が響き渡った。
 
「――あっ、すすす、すいませっ」
「いえっ、あの、こちらこそ――」
 
 慌てて身を離す二人。
 その顔は面白い位に真っ赤だ。
 
「…………うわぁ……なんかスゴイもん見ちまったな……」
 
 なんか余りにも初々しすぎて見ているこっちが恥ずかしくなる。
 いやー、青春だなー……はっはっは。
 
「――って、ん?」
 
 なんか今、変な魔力が流れなかったか?
 魔力の残滓を探してみるが…………特に何も無い。
 気のせいか?
 
「いやー、まさか本屋ちゃんが勝つとはねー……。うん、敵ながら天晴れ」
「…………ハァ」
 
 隣では明石さんが手をパチパチと叩いて二人を祝福し、もう一人のメガネをかけた少女が呆れたようにため息をついていた。
 いやはや、なんとも平和だねー。
 
「さて――」
 
 膝をパチンと叩き腰を上げる。
 
「あれ? 衛宮さんもう行くんですか?」
「ああ、そろそろ引き上げ時だろ?」
 
 あんなに大きな歓声が響いたんだ。新田先生も黙っちゃいない。
 事態の帰結も見届けたし良い頃合だろう。
 
「そうですか?じゃあ、コーヒーありがとでした♪」
「……一応、礼は言っておきます。どうも」
 
 二人のそれぞれの礼に後ろ手で「あいよ」と答える。
 そして、俺がその場を去って数瞬してから新田先生の予想通りの怒号が響き渡った。
 やれやれ……なんとも平和な事で……。
 ま、そんな平和の為にも俺はもう一回外回りでも見回って来るとするか。
 
 
 



[32471] 第30話  胎動
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 22:14

 
 
 
「ちょっとネギ! どーすんのよ、こんなに一杯カード作っちゃって! 一体どう責任取るつもりなのよ!?」
 
 私、神楽坂明日菜の修学旅行三日目の朝は、そんな怒号から始まった。
 本来なら楽しい雰囲気であろうそれも、今はちょっとピリピリとした雰囲気が漂っている。
 ソレと言うのも昨日の夜の騒ぎの原因であるらしい『仮契約』のあらましを聞いての事だった。
 なんでも昨日の夜の騒ぎは、カモと朝倉が主犯だったらしい。
 クラスの皆には豪華景品とネギの唇の争奪戦となっているが、本当の所はエロオコジョのカモの馬鹿が『仮契約』を強引に進めようとした事が起因だ。
 
「えうっ!? 僕ですか!?」
 
 私の言葉にネギが慌てる。
 ……まー、今回に限っちゃ原因はカモと朝倉にあるんだからネギには直接関係ないのかも知れないけど、根っこを正せばコイツに辿り着くのは間違いないんだからしょうがない。私の怒りの矛先も間違ってないハズ……多分、恐らく、もしかして……。
 と、とにかく! 私は間違った事言ってないと思う!
 にも拘らず。
 
「まぁまぁ、姐さん」
「そーだよアスナ、儲かったってことでいいじゃん♪」
「朝倉とエロガモは黙っててー!」
 
 主犯格の一人と一匹は反省の色がまったく見られないのはどういう了見でしょうか?
 これじゃあ一人で怒ってる私のほうが馬鹿らしくなってくるじゃないの、もう……。
 
「本屋ちゃんは一般人なんだから厄介事には巻き込めないでしょ。イベントの景品らしいからカードの複製渡したのは仕方ないけど……マスターカードは使っちダメよ?」
「――そうですね、魔法使いと言う事もバラさない方がいいでしょね」
 
 桜咲さんが私の言葉に唯一同意してくれる。
 うう……ありがとう桜咲さん! 修学旅行初日の夜から思ってたけど……貴女、とても良い人ね?
 今はその言葉の一つ一つが身に染みるようだわ……。
 
「で、でも……それを言ったらアスナさんも一般人じゃ……」
 
 ネギがそんな事を言う。
 ……まったくもう……今更そんな事を言い出しますかね、このお子ちゃまは?
 
「今更私にそんなこと言うワケ? ネギ」
 
 そんなお子ちゃまの額を一突付きしてやる。
 ここまで巻き込まれておいて今更「はい、そうですか、それじゃサヨナラ」なんて言える訳ないでしょうに……。
 でも今は、そんな事より……。
 
「……………………」
 
 ……この、ピリピリとした雰囲気を一人で作り出している人はどうにかなんないのかしらね?
 その発生源は、私達からギリギリ声が聞こえるような距離で、壁にもたれ掛かって腕を胸の前で組んで、ブスッて言う感じで目を閉じているシロ兄……衛宮士郎その人だった。
 なにもシロ兄だって起きた時からこんな風だった訳じゃなくて、私が朝起きていつもみたいに「おはよう」って言った時にはいたって普通だった。
 ――まあ、シロ兄の場合はいつだってムスッてしてる事が多いんだけど。きっとそれが地だし。
 でも、今のシロ兄の場合はそう言うのじゃない。
 朝一で、昨夜の事の顛末をカモと朝倉から無理矢理聞き出してるうちに、見る見るこんな風になっていってしまったのだ。
 今では桜咲さんですら近寄るのを躊躇っている程、人を寄せ付けないオーラを醸し出している。その証拠に桜咲さんはシロ兄をしきりに気にしているものの何も声を掛けれないでいる。
 シロ兄はそれを知ってか知らないでかは判断がつきにくいけど、ひたすら目を閉じて俯いていた。
 …………あれ? もしかして……シロ兄、物凄く怒って……る?
 そりゃシロ兄だっていっつも機嫌が良さそうにニコニコしている訳じゃないけど……いや、むしろニコニコなんかしてないか。無愛想って言うのが似合いそうな人だし。
 でも、こんなシロ兄を見るのは珍しい。いや、初めて見るかも知れない。いつもは不器用ながらも遠くから見守ってますよー、って感じで、私もこのかもソレを頼もしく思ってこんなに慕ってるって言うのに、今は逆に突き放しているようにも見える。
 んー……なにがそんなに気に入らないんだろ?
 そりゃ、この騒ぎの元凶のバカ一人と一匹のことで怒るのは分かるけど……これって本屋ちゃんに内容をバラさなきゃ良いだけの話じゃないのかな?
 
「――そ、そうですね。のどかさんには全て秘密にしておきます」
 
 ネギが私達の言葉に頷く。
 うん、やっぱりそうよね。秘密にしておけば良いだけの話なんだからそれで万事オッケーって感じなのに。
 と。
 
「――本当か?」
 
 今まで俯いてただけのシロ兄が徐に口を開いた。
 そして、姿勢だけはそのままでネギの方を見てたりするけど……その目がいつもよりずっと鋭くて、ちょっと怖い。
 ……やっぱり怒ってたんだ。
 
「宮崎さんには秘密にしておくってのは本当だな?」
 
 その強い視線のままでネギを見るシロ兄。
 その目はふざけた様なモノではなく真剣その物だった。
 
「え、ええ……。関係ないのどかさんを巻き込む訳にいきませんから……」
 
 ネギがシロ兄の迫力にちょっと押されながらも答えた。
 シロ兄はそんなネギを少しの間見つめると、
 
「――はぁ……」
 
 と、疲れたようなため息をついた。
 それだけで今までのピリピリとした雰囲気は消えていた。
 うわ……やっぱりシロ兄の雰囲気だけであんなに重い空気になってたんだ……。
 ……うん、シロ兄だけは怒らせないようにしよう。本気で怒ったらすっごく恐そうだし。
 なんと言ってもシロ兄にはいつもみたいな不器用な優しさ、みたいな雰囲気が似合ってる。
 それがあるからこそ”シロ兄”足り得るってもんだ。
 
「まあ、いいや。話、進めて」
 
 言葉少なに続きを促がすシロ兄。でも雰囲気はいつものシロ兄のそれ。
 うん、これこれ、このいかにもぶっきらぼうな感じ。
 これこそシロ兄ってもんよ。
 
「おう、旦那。それじゃ続けるけどよ。まず姐さんにはこの複製カードを持っててもらうぜ」
 
 カモが私の『仮契約』カードの複製を片手に言う。
 複製カードって……。
 
「えー……そんなのいらないわよー。どうせ通信できるだけなんでしょー?」
 
 それだけだったらハッキリ言って携帯電話で十分だ。
 わざわざそんな怪しげなモノに頼らなくても……ねえ?
 
「違うって! 兄貴が居なくても道具だけ出せるんだよ! ぜってー役に立つって!」
 
 カモが手をバタバタさせながら言う。
 う~……そんなに必死に言うなら一回くらい……。
 不承不承、カモの手からカードを受け取る。
 
「出し方はこう持って……、『来れ』(アデアット)って言うんだ」
「……え~……やだなぁ~~」
 
 かなり気後れする。それじゃあまるで魔法少女じゃない。
 子供の変身ごっこじゃないんだから……この年になってそう言うコトをするのは正直かなり恥ずかしいんだけど……。
 ま、仕方ないか……。
 
「――『来れ』(アデアット)」
 
 そう呟いた。瞬間――。
 
「わっ……」
 
 光と共に現れたのは一昨日も使ったあのハリセン。
 いや、疑ってた訳じゃないけど本当に出てみると驚いた。
 でもこれって、実際……。
 
「――すごい!! 手品に使える!」
「ちゃんと使ってくれよぉ!?」
 
 あはは、カモに突っ込まれた。
 うん、でも、これは結構スゴイかも。
 種も仕掛けも無いのにこういうの出せるなんて……。
 
「うわーー、すごいすごい! 私も魔法使いみたーい♪」
「しまう時は『去れ(アベアット)』だぜ」
 
 なんか気持ち良いかも!
 いやー、魔法なんて非常識って思ってたけどコレはコレで良いものかも?
 
「――はいはい。雑談はそこまでにして……。時間も無いんだし、今日の予定決めなきゃいけないんだろ?」
 
 シロ兄がパンパンと手を叩いて脱線した話を修正する。
 あ、そっか。そういうのも決めなきゃいけないんだった。
 いけない、いけない。
 考えてみればこのかの安全もかかってるんだから、私もちゃんとしなきゃね!
 と、思ったけど……、
 
「僕としては今日のうちに関西呪術協会に行って親書を渡してきたいと思ってます」
「そっか……まあ、時間もあと今日と明日しか残ってないんだからそうだよな……」
「ええ、できるだけ速く届けないと妨害も大胆になっていくと思いますし……」
「そうだな、それは俺もそう思う。で、その呪術協会の場所は確認済みなのか? 経路を確認しておいた方がいい」
「はい、今地図を出します――」
 
 うっ……、なんか難しい話になるみたいだ……。
 シロ兄とネギは地図を見ながら、ああでもないこうでもないと話し合っていた。
 ……こういう展開になると私の出番はないのよねー……。
 まあ、私なんかが出しゃばるより、シロ兄とネギで考えた方が確かなんだから特に異論もないけど。
 やがて、話し合いが終わったのか二人揃って地図から顔を上げた。
 
「じゃあルートはその通りで。後は人員の配置なんだけど……ネギ君はどう考える?」
 
 シロ兄が生徒に問題を出題するようにネギに問いかけた。
 あはは、ネギはそうは見えないけど先生なんだからこういう構図もなんだか面白い。
 そういえばシロ兄は最初、ネギに経験を積ませる気でいたとか言ってたっけ? って事は今の質問もその延長線上みたいなもんなのかな?
 この期に及んでまだそんな事をやってるシロ兄が少し微笑ましい。
 ま、シロ兄らしいっちゃらしいけども。
 
「……そうですね。僕が考えるに、このかさんには衛宮さんと刹那さんが付いてもらって、僕とアスナさんで親書を届けに行くって言うのが一番だと思いますけど……」
 
 うん、まあそうなるわよね。人数的にも。
 私はネギのパートナーだから一緒に行くのは当然だし、シロ兄と桜咲さんがこのかの護衛に付いてくれるんならこれ以上心強い味方はいない。
 シロ兄はネギの答えを聞いて、「ふむ……」と頷いて顎に手をやって考える仕草をすると、ネギ、私、桜咲さんの順番に見回した。
 
「うん、半分正解だけど不正解ってとこか」
「? えっと……当たってるけどハズレですか?」
 
 ん? どういう事だろう? 私が考えても何も問題ないと思うけど……。
 ……まあ、成績が悪い私の考えている事が当たるかどうとか言うのは別の話として……。
 
「ああ、半分正解って言ったのは俺がここにいなかった場合の話だ。その場合は戦力的にもこのかの護衛に刹那。親書を届けるネギ君にアスナがついていくのが正解だからな。……まあ、それ以外に選択肢はないのかもしれないけど……」
「――なるほど……そうなると正解は?」
「このかには刹那。そして親書を届ける方にネギ君、アスナ、俺……まあ、ホント言うとアスナには残ってて貰いたいんだけど、言っても聞きそうにも無いしな……」
 
 シロ兄が私をチラリと見る。
 当然です。
 いや、流石シロ兄。分かってる~♪
 あれ? でもそうなると……、
 
「で、でもそうなるとこのかさんの方が手薄になってしまうんじゃないですか?」
 
 そう、それ!
 桜咲さんが一人でこっちは三人って……バランス悪くない?
 けれどシロ兄はなんでもないかのように言う。
 
「そんな事無いさ。考えても見ろ。刹那はれっきとした剣士。いわゆる戦いのプロだ。それに比べて君達は力はあるにしても素人。だったら俺が素人の方に付くのは当たり前だろ?」
 
 ――ん?
 でもそう考えると……シロ兄は桜咲さんのお師匠さんな訳だから……。
 
「それならシロ兄がこのかを守って、私、ネギ、桜咲さんで親書届けに行ったほうがバランス取れるんじゃない?」
 
 そう、エヴァちゃんの事件の時見たけどシロ兄はとんでもなく強かった。
 そして桜咲さんのお師匠さんってことは桜咲さんより強いんだから、シロ兄がこのかの護衛に回ったほうがバランスは取れるんじゃない?
 仮に強さを数字で例えてみるとして、シロ兄が10、桜咲さんが5、ネギが3で、私を2として考える。そう考えればシロ兄は一人で10で、私とネギと桜咲さんを足した数と一緒なんだからどう考えてもその方が計算上でも正しい筈。
 でも、
 
「……アスナ」
 
 って、シロ兄にため息混じりで呆れられた。
 え!? な、なんで? 私、なんか計算間違えてる!?
 それでもシロ兄は私を諭すように優しく言った。
 
「……それじゃあ、刹那の心が置いてけぼりだろ?」
「――――あ」
 
 ……私、馬鹿だ。
 そうだ。桜咲さんはずっとこのかを影から見守ってきたんだ。
 それなのに、こんな非常時に側にいれないなんて……悔しいなんてモンじゃない。
 だって言うのに私は計算とかしてなくて……。
 
「ゴメン、桜咲さん。私、好き勝手言っちゃって……」
「い、いえ! 謝らないでください! 謝って頂く様な事でもありませんし、本来ならそうする事が最善なのですから」
「うん、ありがと」
 
 桜咲さんは笑って許してくれた。
 だったらそれ以上に謝っても逆効果ってモンだと思う。
 ――それにしても、やっぱりシロ兄はスゴイ。
 強いとか弱いとか、そんなの関係なくスゴイと思う。
 戦力バランスー、とか言ってるのにそこに個人の感情まで入れて考えるなんて……。
 うん、やっぱりとっても頼りになる人だ。それでこそシロ兄って呼ぶ甲斐もあるってもんだ。
 
「士郎さん……ありがとうございます」
「礼なんか言うなよ。当たり前の事なんだからさ……」
 
 桜咲さんがお礼を言うとシロ兄は照れたように鼻をかいた。
 あはは、それが当たり前に出来るからこそシロ兄はすごいんだけどね?
 
「こほん……それに刹那は君らが思ってるよりずっと強い。それは俺が保証する」
「……えっと、そんなに?」
 
 思わず聞いてしまう。
 一昨日見たから桜咲さんが凄く強いってのは知ってるけど……。
 桜咲さんを横目で盗み見る。
 背は私より小さいし、見た感じも華奢だ。
 力も多分私より弱いと思う……私が体力バカとかは言わない方向でっ。
 そんな子がそこまで強いと言われても正直信じられない。
 
「そりゃな。刹那は元々才能もある。鍛練もキッチリしてる。そんなヤツが弱い筈が無い。そうだな……例えば刹那一人とアスナ、ネギ君の二人がかりで試合したと考えてみろ。1分持てば良い方だ。正直、話にもならないと思うぞ? それだけ刹那は強いんだ」
 
 うわ、シロ兄がベタ褒め! 桜咲さんもちょっと赤くなってるし!
 はぁー……でも、シロ兄がそう言うんだったら……そうなんでしょうねー。
 ネギはシロ兄の言葉を聞いて少し考えたようだが、すぐに考えが纏まったのか「うん」と頷いた。
 
「――分かりました。では衛宮さん、僕達と一緒に来て貰えますか?」
「ああ」
 
 シロ兄は短く答えると、桜咲さんの方を向き、真面目な口調で言った。
 
「――いいな、刹那。お前の”力”でこのかを守ってやれ」
「――はい!」
 
 桜咲さんは力強く答える。
 あー、なんかいいなぁ~、ああいうの……。
 こう……師弟の信頼ってでも言うの? 見えないけど固い絆で繋がってるって感じ。
 ……私も修学旅行から帰ったらシロ兄から剣道教えて貰おうかなー?
 
「よし、それじゃいったん別れて準備が整い次第、大堰川の橋に集合。刹那はこのかの護衛に全力を挙げるように!」
『おーー!』
 
 シロ兄の号令に手を上げて答える。
 さて、それじゃあ私も頑張りましょうか!
 
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
 
「――早いな、ネギ君」
「あ、衛宮さん!」
 
 俺が適当に朝食を済ませてから集合場所に向かうと、そこには既にネギ君が待っていた。
 俺も結構急いだつもりなのにそれより早いとは……気合が入っている証拠だろう。
 
「と……アスナは……まだ来てないか」
 
 辺りを見回して見てもそれらしき人影は見受けられない。
 ま、女の子は準備に時間がかかるって言うし……こんなもんだろ。
 
「この親書を渡せば東西は仲良くなるんですよね……」
 
 ネギ君が親書を見ながら嬉しそうに言うが……果たしてどうだろうか?
 その通りになるのが一番良いのだが、物事は往々にしてそんなうまく運ばない。
 親書を届けたとしてもお互いの軋轢が無くなるとは、俺にどうしてもは思えないのだ。
 ……だけど、嬉しそうに親書を見るネギ君を見るとソレを言うのも憚られた。
 
「――ネーギ先生♪」
 
 と、背後から声がかかった。
 いかんな、最近考え事に集中しすぎてそれ以外が疎かになる事が多い。自重しなければ。
 でも、今の声……誰だ?
 アスナはネギ先生なんて呼ばないし、そもそも声が違う。
 首を捻りながら背後を確認して、
 
「――ハ」
 
 また目を背けた。
 ……いや、最近多いなこう言う後ろを向いたら驚くって言うパターン。
 俺としては振り向いた先が予想と違う、なんて展開望んじゃいないんだが……なんとかならんもんか。
 ――って、現実逃避してる場合じゃないか。
 俺は無駄と知りつつも目をこすって、嫌々目の前の光景を確認した。
 そしてその光景は――ああ、やっぱり変わらないか……。
 
「シロ兄……現実から眼を背けちゃダメよ……」
 
 ウルサイな、アスナ。
 俺はこの理不尽な現実を認めたくないだけなんだよっ。
 つーか、まだ誰がそこにいるって認めてないのに普通に話しかけないでください!
 
「もういい加減認めよう? ホラ、目の前の光景は嘘じゃないのよ」
 
 俺の肩に手を置き慰めてくれるアスナ。
 ……お前、なんかキャラ変わってないか?
 ――ああ、もう! いいよ認めてやるよ!
 やけっぱち気味に立ち並ぶ面々を見る。
 ――まず、アスナは良い。元々ここに集まる約束してたんだし。刹那、このか……まではまだ認めよう。一応、今回の関係者だ。
 でも……その後の……宮崎さん、そのペアの小柄な女の子、初めて見るメガネの女の子。
 
(…………なんでここにいるかな—……)
 
 俺達、これから結構危険な所に行くってのに……。
 ああ、ネギ君、君からも何か言ってやってくれ。
 
「わぁ~~、皆さんかわいいお洋服ですねー!」
 
 ――いや、そうじゃなくて。
 そりゃ皆かわいいとは思うけど、今はそんな場合じゃなくて。
 
「――じゃなくて! なんでアスナさん以外の人がいるんですか~~っ!?」
 
 そうソレ。俺が言いたかったのは正にソレ。
 ネギ君が大きな声は出せないので、小声で叫ぶと言う器用な真似を披露してくれた。
 
「……俺も聞きたい。つーか、言わなきゃ怒る」
 
 するとアスナは申し訳無さそうに片手で拝むような格好をして、
 
「ゴメン。パルに見つかっちゃったのよ……」
 
 と、謝った。
 って、お前が原因かよ!
 ……はぁー……アスナもワザとじゃないし起きちまった事はしょうがないか……。
 
「ネギ先生、そんな地図持ってどっか行くんでしょー? 私達も連れてってよー」
 
 メガネの女の子がそう言う。
 って、言われてもな。
 
「えー。5班は自由行動の予定無いんですか?」
「ないです」
「ネギ君と……あや? シロ兄やんや。やほ~♪ うん、二人も一緒に回ろ~♪」
 
 このかがパタパタ手を振るので苦笑交じりに返す。
 仕方ない。無理に断るとかえってややこしくなりそうだし……。
 
「とりあえず適当な理由でも付けて途中で抜け出そう」
 
 そうやって二人に言う。
 二人はそれに頷いて仕方ないといった顔をした。
 
「よーし! んじゃ、レッツゴー!」
 
 メガネの女の子の掛け声で歩き出す。
 さて、適当な所で巻かなきゃな……。
 
 ――で、歩き出したのはいいんだが。
 俺はネギ君たちのグループから数歩下がった位置を歩いていた。
 本当ならネギ君たちの側にいて抜け出す手筈を相談したいんだけど……。
 
「…………ほっ」
 
 二歩分ほどネギ君達との距離を詰めてみる。
 すると、
 
「――っ!」
 
 ビクッ、と身体を堅くする宮崎さん。
 ……これだ。
 なんかさっきから妙に警戒されていると言うか、怖がられていると言うか……俺、なんかしたかな?
 幾ら考えてもそんな事ないと思うんだが……。
 そもそも、俺は宮崎さんを知ってるけど、今まで話した事も無ければ会った事も無い筈だ。
 だと言うのにこの怯えよう……男性恐怖症?
 ……多分、合ってると思う。
 恐らく軽度の物で、今も男性の旅行客らしき人とすれ違ったが大して反応していない。
 多分、明確な意思で自分に近づく男が苦手なんだろう。
 ……まあ、だとしたら近づくのは可哀想か。
 いいや、適当な隙を突いて二人を連れ出すとしよう。
 
「シロ兄やん、どうしたん? そんな離れたところ一人で歩いて」
「なんでもない。気にすんな」
 
 このかと刹那がグループから抜け出して俺のほうまで下がって来た。
 刹那はちゃんとこのかの側をはなれないようにしているようだ。
 そのせいかこのかも、何かいつにも増して上機嫌だ。
 うん、善きかな、善きかな。
 こんな事件の最中だと言うのは分かっているけど、これを切欠に仲直りできれば、俺の苦労も少しは報われるってもんだ。
 
「あ、なんやシロ兄やん機嫌良さそうやな~」
「ん? 分かるか?」
 
 そんなに顔に出てんのかな? ま、だからってどうにもしないんだけど。
 
「うん、シロ兄やんって、いっつもムスーッてしとるんに、今はこう……ニコニコーって」
 
 このかが自分の顔をムニムニ手で動かして、人差し指で目を吊り上げたり、唇を下から指で押し上げて”へ”の字みたいにして見たりして百面相をした。――って、ソレ、俺の真似か?
 このかの顔は面白い位に表情を変えるが、このか本来の愛らしさは微塵も失われていない。
 そんなこのかが微笑ましくて、思わずその頭にポフポフと手を置く。
 
「あはは、そっか。……うん、ちょっと嬉しい事があってな」
 
 このかはソレを「えへへ~」といつものポワポワとした笑顔で受け止めた。
 刹那もその様子を微笑ましそうに眺めて笑っている。
 ……うん、こんな笑顔を見れるんならこれ以上の報酬はないよな。
 
「――おーい、このかに桜咲さーん! あっちにゲーセンあるから京都記念にプリクラとろー?」
 
 と、前を歩いた集団から声がかかった。
 
「ほら、呼んでるぞ。行って来い」
「あ、えーなー、ソレ♪ せっちゃん、ウチらもとろー♪」
「あ、いえ、私は――」
 
 このかが刹那の手をとり強引に連れて行こうとする。
 刹那はイキナリの事に戸惑い気味だ。
 と、このかはその前にもう一度振り返り、
 
「あれ? シロ兄やんは行かんの?」
 
 と、言った。
 そうやって誘ってくれるのは嬉しいが……。
 
「俺はいいよ。どうもあの手の娯楽施設のピコポコした雰囲気が苦手で……」
 
 俺はどうもあの手のモノが苦手だ。
 独特の雰囲気といい、物凄い電子音といい……できる事なら遠慮願いたい。
 それにそろそろ予定を行動に移さないと時間的にも苦しいコトになってくる。
 
「俺はそこら辺で時間潰してくるから皆で行って来ると良い」
「え~……つまらんなぁ~。でも苦手なモンに無理矢理連れてくのも可哀想やしな。ほな、ウチらは行って来るな♪」
 
 再び刹那の手を引くこのか。
 そして俺の前を立ち去る瞬間、一瞬だけ目が合った。
 
「――――」
 
 強い意志の篭もった瞳で頷く刹那。
 俺もそれに無言で頷き返す。
 そうして小さくなっていく背中を見送った。
 うん、あれなら何があってもこのかを守るだろう。
 ……さて、俺も動くか。
 
「……ネギ君」
 
 ゲームセンターに入る前にネギ君を捕まえて、小声で話しかける。
 それに気が付いて、隣にいたアスナも耳を寄せた。
 
「俺はさっきの橋の所で待ってるからなんとか抜け出して来てくれ」
「はい、わかりました」
「オッケー。じゃ、また後でね」
 
 踵を返し、人波に隠れるようにその場を後にする。
 そして橋に辿り着いた俺は欄干に寄りかかって川の流れをなんとなしに見る。
 ……あぁー……良い天気だなー……。
 しかし考えてみれば、こんな日中から厄介ごとになりそうなコトって初めてな気がする。
 元いた世界では魔術は隠匿するものだから、日の高いうちから事を構えるヤツはいなかったし。
 こっちの世界でもそうだと思ったんだけどなぁー……。
 
「――シロ兄ーー! お待たせーっ!」
 
 アスナの声にそちらの方を向く。
 思ったよりも早かったな。
 
「よし、じゃあ行くか」
「うん! チャッチャと親書とか言うの届けて厄介事を片付けるわよ、ネギ!」
「はいっ!」
 
 ――さあ、ここからは裏の世界の入り口だ。
 この子達に危険が及ばないように俺が頑張らないとな。
  
 
◆◇――――◇◆
 
 
 ネギ達一行が合流を果たしたその頃。
 一人の少年が路地裏を走っていた。
 その少年は、ネギがまだゲームセンターにいた頃にクラスの女の子に誘われてプレイしたゲーム機で対戦をした少年だった。
 その少年は表通りを避け、路地裏に駆け込む。
 
「――やっぱ苗字スプリングフィールドやて」
 
 日差しの薄いビルとビルの間に――それ等はいた。
 一人は活発そうな瞳をし、学生服の前のボタンを一つも留めずに開き、ニット帽を被った関西弁の少年。まるで狼のような野性的な髪型に後ろ髪を一房だけ長く伸ばし、それを紐のようなもので結っている。背はそれほど高くなく、幼さの残る顔立ちは少年と言っても差し支えないだろう。
 名前を犬上小太郎。
 
「フン、やはり……あのサウザンドマスターの息子やったか……。それやったら相手にとって不足はないなぁ……」
 
 一人はスラリと背の高い、美しい女性。着物を改造した物だろうか? 肩口が大きく開いた和服を着崩し、蠱惑的な格好が整ったプロポーションを際立たせている。
 だが、メガネの下の切れ長の瞳は見るものを凍てつかせる程に冷たく濁っていた。
 それは、修学旅行初日に近衛木乃香を拉致しようとした女性だった。名前を天ヶ崎千草。
 
「フフフフ……刹那センパイもいはったなぁ~……。おとついの続き、早くしたいなぁ~……」
 
 一人は髪の長い小柄な少女。上流階級の令嬢のような落ち着いた白いドレスに身を包んだ様はまるで人形のよう。ノンビリとした話し方が場の雰囲気にそぐわない。
 しかし、その腰に帯びた二刀の刀がなんとも言えない迫力を醸し出していた。
 名前を月詠。
 同じく初日に遭遇した少女剣士であった。
 そして――、
 
「――犬上小太郎。もう一人の……あの髪の赤い男は何者だい? あの気配……無視できない脅威になり得る」
 
 最後の一人。
 背が低く、真っ白な髪が目立つ少年。犬上小太郎と同じく学生服を着ているが、詰襟までボタンを全て留めた様はいかにも優等生のようにも見える。
 しかし、特徴的なのはそんな事ではない。
 
 ”無”。
 
 その少年を一言で表すならばそれ以外の表現は必要ないだろう。
 感情を感じさせない目、表情、口調、仕草。
 どれをとっても何も温度を感じさせない。その様はまるで人形のようだ。
 名前を――フェイト・アーウェルンクス。
 アーウェルンクス――ローマ神話において、災いを幸福に変えると言われる神の名前をした少年だった。
 
「ああ……あの兄さんか。あの兄さんの事についてはさっぱりや。かなりできるんは確かやけど……まるでつかめへん」
 
 そう言うと、犬上小太郎は肩を竦めた。
 それに白髪の少年、フェイト・アーウェルンクスが「ふむ……」、と顎に手を当て考える仕草をした。
 そして、
 
「――わかった。犬上小太郎、予定変更だ。次の待ち伏せには僕も行こう」
 
 ――今、運命と言う名の少年が動き出す。
 
 



[32471] 第31話  君の心の在処
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 22:15

  
 
 
 ――鉄を打つ音が鳴り響いている。
 ただ一つだけの音を刻み続ける鉄の音。
 近いのか、遠いのか。
 規則的に、断続的に、絶え間なく、休むことなく。
 繰り返し、繰り返し。
 ――響く、響く、響く。
 まるで、どこかに誘うように、導くように、試すように。
 何もかもが曖昧な自分は、真っ白な闇の中で一つの”光”を見つけた。
 
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
 
 ――『炫毘古社』。
 見上げた鳥居にはそう書かれていた。
 
「――ここが関西呪術協会の本山……?」
 
 ネギ君が呟いた。
 その様子は、どこかこの場所の雰囲気に圧倒されているようにも見えた。
 けれどそれは無理も無いことだと思う。この大きな鳥居の先には階段が続き、その先はいくつもの鳥居が連なっていて先が見通せない。
 その鳥居の周囲は背の高い竹林に囲まれていて全体の不透明さを助長させた。
 
「……うわー……何か出そうねー」
 
 アスナが呆ける様に呟いて鳥居の奥を覗く。
 先が見えないのが不安なのだろうか、らしくもなく少し弱気な発言をする。
 ……それでも物怖じしてない所は頼もしいと言うべきか無謀と判断するべきかは微妙な所だ。
 
「……って、なんだアレ?」
 
 そんな時、奇妙な光の塊がフヨフヨ漂って俺達の所に近づいて来るのに気が付いた。
 微弱な魔力は感じるが嫌な気配はしない。
 ――あれ? この感覚ってもしかして。
 
「――皆さん、大丈夫ですか?」
 
 ポン、と言う軽い音ともにその光の塊が変化する。
 ソレは小さな人形の様な形で、人の言葉を発した。
 でもコレは……。
 
「刹那か?」
 
 そう、それは刹那をデフォルメしたような感じのモノだった。
 そしてそれは「はい」と頷くと俺達を見回した。
 
「連絡係の分身のようなものです。心配で見に来ました。 ”ちびせつな”とでもお呼びください」
 
 ペコリとお辞儀をする。
 なるほど……式神の類いか。
 にしても”ちびせつな”とは直球な……。
 そんな俺の感想を他所にちびせつなは話を進める。
 
「この奥には確かに関西呪術協会の長がいると思いますが……。東からの使者のネギ先生が歓迎されるとは限りません。士郎さんが付いてるのですから心配ないと思いますが、ワナなどには十分気を付けて下さい。一昨日襲ってきた奴等の動向もわかりませんし……」
 
 それは確かだ。
 一昨日の連中はいつ来てもおかしくない。昨日を準備期間と考えるならそろそろ仕掛けてくる筈……。
 
「わかってますちびせつなさん! 十分気を付けますから」
「役に立つか分からないけど、私のハリセンも出しとくし任せてよ!」
 
 そう言ってアスナは「――『来れ』(アデアット)」と、呟き例のハリセンを取り出した。
 
「よし、それじゃあ俺が殿を務めるから二人は慎重に前を確認しながら進んでくれ」
 
 こういう場合、背後からの攻撃が一番厄介なのだ。
 前に進もうとしていると、どうしても気が焦って後ろへの警戒が疎かになってしまう。だから最後尾の人間は一番気が抜けないのだ。だったらその役目は俺が引き受けるべきだろう。
 ネギ君とアスナが鳥居の柱の陰に隠れるようにしながら先を確認する。
 俺はその反対の柱に張り付き警戒を強める。
 向こうで、ネギ君が俺を見て頷いた。
 行くと言う確認だろう。
 俺はもう一度鳥居の先を確認して――頷き返した。
 
「――行きます!」
「うん!」
 
 ネギ君とアスナが走り出す。
 俺もその後に続き警戒を最大限まで引き上げる。
 今進んでいる道に罠はないか、今吸っている空気は正常か、そこの物陰に敵は隠れていないか、隠れているとしたら人数は最大何人か、攻撃を仕掛けられたらすぐに二人を庇い反撃できる体勢か、遠距離の攻撃から身を隠せる遮蔽物はあるか、またこちらからはソレが可能か……などいくつもの脅威を想定し頭の中でシュミレートする。
 そうやって鳥居を10も潜っただろうか、先を行く二人がもう一度鳥居に身体を貼り付けて前方を見る。
 よし、ここまでは順調だ。けれど問題は気が緩みがちになるこれからだろう。
 俺も二人の一つ後ろの鳥居に身を隠し、そうやって警戒を促がそうとした。
 ――だが、
 
「……何も出てこないわよ? 行けるんじゃない? これって」
「変な魔力も感じられません――よーし! 一気に行っちゃいます!!」
「OK!」
 
 二人は突然走り出してしまう。
 
「――ば、馬鹿! 油断するな!!」
 
 俺の制止の声も聞こえないのか、立ち止まらないで走る二人。
 俺は慌てて二人を追った。
 ――くそっ! アレほど慎重に行けと言った側からこれか! 
 マズイマズイ。この状況はマズイ! 俺が敵方だったらこのタイミングを逃したりしない!
 そして――、
 
「……二人とも、止まれ!」
「え? どうしたんですか」
「なになに? どうしたの?」
「――――」
 
 二人の疑問の声を黙殺して周囲を見回す。
 ザワザワと竹林が波立つような音が響く。
 だが、それらとは全く別種の違和感が肌にまとわり付く。
 ……この感じ……。
 
「…………くそっ! 嵌められた――!」
「え? 嵌められたって……?」
 
 ソレは一瞬で成った。
 まるでこちらの様子を覗き見していたかのようなタイミングで、この場は結界のようなもので囲われたのだ。
 どんな種類かは分からないが……最悪だ。
 
「――刹那」
 
 俺の言葉に無言で頷く。
 やはり異変を感じ取ったのだろう。
 
「私、先を見てきます!」
 
 そう言ってちびせつなは飛んで行く。
 この場合は彼女が適任だろう。
 式神は偵察に持って来いの術だから止めたりもしない。
 
「ちょ、ちょっとシロ兄……どう言うコト?」
 
 アスナが不安気に聞いてくる。
 無闇に怖がらせたくないが……言わないでいる方がかえって怖いだろう。
 
「今、俺達は何らかの結界の中にいる。今ちびせつなに確認しに行って貰ったから動かないで待っててくれ」
 
 できるだけ完結に伝える。
 アスナもネギ君も事の重大さに気が付いてないのか「はあ……」と曖昧に頷いただけだ。
 些か緊張感に欠けるが慌てて取り乱すよりはずっといい。
 と、
 
「――士郎さん!」
 
 その時、ちびせつなの声がどういう訳か背後から聞こえてきた。
 まさか、と思いつつも振り返るとちびせつながこちらに向かって飛んできている所だった。
 
「士郎さん……これはもしや……」
「――ああ」
「あ、あれ? 今前に飛んでいかなかったっけ? なんで後ろから?」
「そうです……よね………これは一体」
 
 ちびせつなは間違いなく前方に向かって飛んで行った。
 だと言うのに帰って来たちびせつなは背後から現れた。
 ――これらが意味するのは。

「――投影・開始(トレース・オン)」
 
 呟き、弓と矢を取り出す。
 そして弓に矢を番え、矢を道の横方向へと向けて放つ。
 
「……シロ兄、何してんの?」
「最終確認」
 
 短く答えて待つこと数瞬。
 ———予想通りの方向からソレは来た。
 背後から飛来してきたソレを、そちらを見ずに掴み取った。
 
「――わっ! な、何ですか!?」
 
 ネギ君が驚く。
 が、俺はそれに構っている余裕がなかった。自身の迂闊さに腹を立てていたからだ。
 俺は掴んだソレを思わず握り潰しそうになるほど、力の限りギリギリと握ってしまう。
 
「———シロ兄それって」
 
 アスナが俺の手の中にある物を覗き込む。
 俺の手に握られていた物、ソレは――、
 
「……今シロ兄が射った矢?」
 
 そう。
 俺の射った矢だった。
 つまりそれが意味する事は……。
 
「俺達を中心として空間がループしてる」
「ループって……つまり?」
「閉じ込められたって事だ」
『え……、えぇーーーー!?』
 
 ネギ君とアスナの声が重なって響く。
 やっと理解したか……だからと言って事態が変わると言う訳ではないが。
 その時――、
 
「あっはっはっは! そっちの兄さんの言う通りや! お前等はもうここから出られへん――!」
 
 声が空から響いた。
 視界の端に大きな物体の影を映す。
 それと同時に地響きが轟く。大重量のものが、高い所から落下したような重い音。
 ソレが目の前に落ちた。
 ソレは大きな大きな蜘蛛だった。
 魔力を感じるから式神、もしくは使い間の類である事は間違いないのだが問題はそんなモノには無い。
 問題はその大蜘蛛の上に乗っている二人の少年。
 
「へへへ……上から見とったでチビ助。お前、全然駄目やな。話にならへん」
 
 好戦的な瞳をした狼のような髪型の少年がネギ君を見て笑う。
 あいつ……かなり出来る……。
 だが、まだアイツくらいならどうとでもなる。
 けどもう一人の――。
 
「……わざわざ前に出て来なくても背後から襲えば手っ取り早かったんじゃないのかい?」
 
 冷静に言う無機質な白髪の少年。
 
 ――ヤバイ。あいつはヤバイ。
 
 こうして目の前にいると言うのに存在感が希薄な雰囲気とは裏腹に、首筋のあたりがビリビリと痺れるほどの圧迫感。
 全身の毛穴が開き、産毛が逆立つ。対峙しているだけで喉が渇く。
 あいつ……明らかに俺より格上だ。
 
 ――これは……俺に止められるか?
 
「アホ言いなや。そんなん男らしくないやん! 男やったら正面からやるもんや!」
「……勝手にすればいい」
 
 目の前の二人は俺達をよそに言い争いをしているが、そこに付け入る隙が全くない。
 正確には白髪の少年の方のみだが。
 
「――ちょっと、あいつ等いきなり出てきて何口論してるのかしら?」
「さ、さあ? 西の刺客だと思うんですけど……」
 
 そんな圧倒的な気配だと言うのに、ネギ君とアスナはまるでなんでもないように話を続ける。
 
 ――ああ、そう言うコトか。こんな気配、向けられれば気が付かない人間なんていない。この圧迫感は俺だけに向けられたもの。つまりあの白髪の少年の狙いは最初から俺だけって事だ。
 だからこそ他の人間もこうして話していられるのだ。
 
「…………」
 
 俺はそんな気配を全身に浴びつつ、二人の前に壁のように立ち、守るべき存在の盾となる。
 
「へへへ……兄さん、わかっとるやないの。そうや男ならそう来なくっちゃ……」
 
 好戦的な表情をした少年が嬉しそうに俺を見る。
 ――が。
 
「――犬上小太郎、君はネギ・スプリングフィールドを抑えるんだ。彼の相手は……僕がする」
「はあー!? アホ言いなや、あないなチビ相手にしたってなんも面白ない。それに比べてあの兄さんは思いっきり楽しめそうや。そんなん認められるかっ!」
「……いいから言うコトを聞くんだ犬上小太郎。これも仕事のうちだよ?」
 
 その言葉にうっ、と言葉を詰まらせる犬上小太郎と呼ばれた少年。
 そして、不承不承といった感じで頷いた。
 
「――ちっ……! しゃあない、あの兄さんはお前に譲ったるわ。――おい! チビ助! お前の相手は俺がしたるから覚悟しいや」
 
 ネギ君の方に指を向けてそう叫ぶ。
 けれど俺はそんな中でも白髪の少年から目を離せないでいた。
 
「……二人とも……いいか、よく聞け。ここはなんとか俺が抑えてみせる。だから頼む……どうにかして逃げてくれ」
「……シロ兄?」
「衛宮さん?」
 
 二人が俺を訝しげに見ているのがわかるが、それに答えてやってる余裕は無い。
 一瞬でも目を逸らせば、その瞬間に飲み込まれそうなのだ、そんな隙は作っていられない。
 
「――させると思うかい?」
 
 俺の言葉に、白髪の少年の身体が沈みこむ。
 今すぐにでも襲い掛かってきそうな雰囲気は、肉食獣を眼前にしているようだ。
 
「――なんとかしてみせるさ」
 
 両手に干将莫耶を作り上げる。
 それにピクリとだけ反応を見せる白髪の少年。
 
「ならば好きにすると良い。僕は君を倒して目的を果たそう――!」
 
 迫る白髪の少年の身体。それを眼前に待ち構えるように剣を突き出す。
 
「だったら俺はお前の目的とやらを砕いてやるよ――!」
 
 叫び、剣を振るう。
 今、正義の味方と運命が――ぶつかり合った。
 
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
「――っは、はっ、はっ…………せい!!」
「……ふん」
 
 どれほどこうしているのだろうか。
 繰り出す一撃は刹那の間に数合と繰り広げられる。
 一瞬を繰り返すあまり、自分が正しい時間の中にいるのかさえ分からなくなってきてしまう。
 一体、幾たび刹那を積み重ねれば一瞬に届くのか。それをどれ程積み重ねたのか、時間の感覚が狂って行く。
 
「――ハァ……!」
「シッ!」
 
 干将を上段から切り下ろすがかわされる。
 まるで上流から下流に水が流れるように俺の攻撃は流されてしまう。
 ソレばかりか、振り下ろした俺の腕に絡みつくように腕を巻きつけ、反対の手での抜き手が俺の顔面目掛けて迫る。
 この動き……中国拳法か!
 
「――ふん!」
「がっ!?」
 
 ソレを避けるのではなく、自ら突っ込むように、頭突きを相手の顔面に叩きつける事によって防ぐ。
 少年が仰け反ると同時に絡みつかせた腕も解き放たれ自由になった。
 俺は下ろした腕をそのままに、少年の腹目掛けて柄頭を叩き上げる。
 
「……ずっ!?」
 
 確かな手応えと共に腹を押さえて身を屈める少年。
 それを確認すると同時に身体を小さく、可能な限り速く回転させ、反対の手に持った莫耶で斬りつけ――、
 
「なっ!?」
 
 パシャン、と言う水の音。
 俺が斬りつけたと思われた少年はいつの間にか水になっていた。
 幻影だと!? それもあんな一瞬で!
 俺が驚愕に思考を停止させた、その瞬間。
 
「――頭突きとはね。そんな物を喰らう思ってもみなかったよ……!」
「がっ!?」
 
 背後から衝撃。
 一瞬にして肺の空気が全て押し出される。
 あまりの激しい痛みに、目眩じみた錯覚すら覚える程だ。
 背骨がメキリと鳴ったような気さえする。
 
「こ、の――!」
 
 滅茶苦茶に振るった莫耶で背後を斬りつけるが、そんなモノは当然の如くかわされてしまう。
 横薙ぎに放った莫耶は、少年が身体を小さく折り畳む事によって頭上を通過した。
 
「あ」
 
 瞬間、背筋が凍りついた。
 不味い、と思った時には遅かった。
 白髪の少年はバネの様に力を溜めた後、ロケットの様に伸び上がり俺の腹目掛けて掌底を突き出し、
 
「――お返しだよ」
 
 地面から引っこ抜かれた。
 背中まで貫通したんじゃないかと思うほどの衝撃で打ち上げられる。
 吹き飛びながら、内臓が口から出てきそうな激しい吐き気を何とか堪える。
 が、少年は更に俺に追撃を加えようと迫る。
 ガン、と石畳を踏み抜いて弾丸の如く迫り、俺のわき腹目掛けて回し蹴りを放つ。
 が、直撃を喰らう寸前。
 
「……な、めんなぁ――!!」
 
 滅茶苦茶な体勢から負けじと蹴りを放つ。
 
「――ぐっ!」
「――がっ!?」
 
 同時に、お互いの胴体に蹴りが叩き込まれた。
 あばらがミシミシいっている。折れちゃいないが……ヒビくらい入ってるかもしれない。
 
「くっ……」
 
 地面に叩きつけられる寸前、身をよじり両手足を着いて無様な格好になりながらもなんとか着地する。
 見ると白髪の少年も同じように着地している所だった。
 
「……まさかここまでやるとはね。正直、君を過小評価していたようだ。それは謝罪しよう」
「はっ、そんなコト言って油断させようたって、その手に乗るかってんだ」
「……ふん、本音だったんだけどね」
 
 軽口を叩くが、実際は気が気でない。
 目の前の少年もそうだが、問題は――、
 
「――はっはぁーッ! オラ、どうしたチビ助! 逃げてるだけじゃ話にならんで!? 西洋魔術師てのは弱っちい連中の呼び方かいな!」
「くっ……!」
「ネギ!」
 
 問題は背後。
 もう一人の少年に襲撃を受け、今はまだネギ君とアスナも何とか凌いでいるが、拮抗が崩れるのは時間の問題だ。
 あっちの少年はこの白髪の少年にはかなり劣るが、それでも今のネギ君を圧倒するほど。
 このままでは――!
 
「――他に気を移すのは止めておいた方がいい。君は確かに強いが――僕を相手に気を散らす余裕があるわけじゃないだろう!」
「…………くっそ!」
 
 白髪の少年が四肢をついた状態から、猛獣のような勢いそのままに飛び掛る。
 そして右手を振り上げ、その勢いを上乗せするかのように振り下ろし――。
 
「――なっ!?」
 
 俺は慌てて干将莫耶の両方を頭上で交差させ、迫り来る脅威を何とか受け止めた。
 ドゴン、と冗談みたいな音が鳴る。
 今までにない、桁外れの超重は双剣を軋ませると共に、俺は驚愕の余り眼を見開いた。
 
「お、前……ッ!」
「ふん。何やら奇妙な術を使うようだけど……所詮は”コレ”と同じ様な事だろう?」
 
 少年の顔が眼前で嘲るようにニヤリと歪んだ。
 その手に握られていたのは……、
 
「岩の剣なんて――!」
 
 そう。
 少年の手に握られているそれはまるで、あのバーサーカーが所持していたかのような巨大な岩の斧剣だった。大きさ自体はバーサーカーのそれに大きく劣るが、それでもとんでもない大きさの岩の塊だ。その一撃の重さは俺の身体ごと押し潰すかのよう。
 それに加えこの岩の剣、干将莫耶と刃を合わせているというのに切れない事を考えると、恐らくエヴァの黒爪と同じように高純度の魔力を圧縮でもしているんだろう。そうでなければこのような事態には陥らない。
 いくら干将莫耶が宝具の中では高くないランクにあるとは言え、それでも宝具だ。破格の性能を持った剣なのだ。魔力や幻想の詰まっていないただの得物程度なら容易に切断する事が可能な威力を誇っている。
 ――なのに。
 
「……っぐ!」
 
 断ち切れるどころか更に圧力を増す岩の剣。
 それもその筈。あろう事か、岩の剣はメキメキと音を立てて更に巨大になっている。
 
「そのまま地べたに這いつくばるといい。向こうももうじきケリがつく」
「……ずっ!」
 
 只でさえ超重だと言うのに更に重くなる剣。
 全身の筋肉がブルブルと震えて悲鳴を上げている。
 
「ふ、」
 
 一息分だけの呼吸を溜める。
 俺は全身にかかる重さを足の裏で受け止めつつ、
 
「――ざけんなぁーっ!」
 
 渾身の力で押し返した。
 無論、それだけで跳ね除けられるほど甘くはない。
 だが、一瞬だけ出来た微かな力の緩み。岩の剣がが再びこの身を押し潰すより速く自身を小さく折り畳む――!
 
「なっ!?」
 
 驚きは少年の声。
 少年にしてみたらイキナリ手応えをなくし、その手に剣の重量全てが押しかかってきたのだ。当然、すぐに反応なんか出来ようも無い。
 
「……っああああああぁー!!」
 
 俺は折り畳んだ力を利用するように肩で少年の身体に体当たりをぶつける。
 
「――っ」
 
 吹き飛ぶ白髪の少年の小さな身体。
 だが少年は危なげも無く空中でクルリと回り着地した。
 
「……本当に喰えない人間だね、君は。大した魔力すら持っていないのにここまで食い下がるなんて計算外にも程がある。単純に力で比較すれば君が僕に勝てるわけは無いのに……ソレを埋める”何か”が君にはあるようだ」
「…………」
 
 俺を観察するように見て少年は言う。
 くそっ、ジリ貧だ……!
 俺はこの白髪の少年を食い止めるだけで精一杯。
 そしてネギ君達の状況は秒単位で悪化している。
 事態が好転するような材料は一つも無く、悪化する材料は雪だるま式に増えていく。
 なにか、なにか反撃の糸口を――!
 そう、思った瞬間だった。
 
「――契約執行0.5秒、ネギ・スプリングフィールド」
 
 ――そんな呟きが聞こえた。
 続いて聞こえたのはまるでハンマーで人間を思い切り殴ったようなゴン、と言う生々しい音。
 見ると、犬上小太郎が空を舞っていた。
 その側には拳を天に突き上げる様に振り抜いた姿勢のままのネギ君。
 ――そして謳う。勝利の歌を。
 
「……ラス・テル・マ・スキル・マギステル。闇夜切り裂く一条の光、我が手に宿りて敵を喰らえ」
 
 掌を広げ落下してくる少年を受け止めて、
 
「――『白き雷』!!」
 
 瞬間、熾烈な電撃がほとばしった。
 雷撃を受けた犬上小太郎は吹き飛ぶ。
 
「――かっ……はっ」
 
 思うように身動きがとれずに地面をもがく。
 そしてそれを見下ろしネギ君が宣言する。
 
「――どうだ! これが僕の……西洋魔術師の力だ……!」
 
 ――俺は、正直、ネギ・スプリングフィールドと言う少年を見誤っていたのかもしれない。
 彼と今倒れている犬上小太郎の差は明らかに逆のものだ。
 本来なら倒れているのがネギ君で、見下ろしているのがあの少年である筈だ。
 覆せないほどの力の差があったと言うのに……ソレを引っくり返して見せた。
 
「――まさか、あの程度の実力で犬上小太郎を打倒し得るとは……なるほど、僕の人を見る目もまだまだらしい」
「……それは同意だ。俺もまだまだだ」
 
 俺は笑って、少年は笑わなかった。
 後顧の憂いは無くなった。さあ、俺達も決着つけようじゃねぇか!
 
「……だが、彼の目も節穴だ――」
「……な、に?」
 
 白髪の少年は倒れたままの少年に目をやった。
 そこには……、
 
「へ……へへへ、やるやない……か。ネギ……スプリングフィールド。弱っちい言うたんは訂正したるわ……」
 
 ……犬上小太郎の身体がメキメキと音を立てて変わっていく。
 筋肉は膨れ上がり、爪も長く強靭になっていく。
 髪は真っ白に変わり一瞬で長く伸びた。
 その様を言うならば、
 
「――狼男……」
 
 だった。
 立ち上る力は先程より増している。
 
「……さあ、これでチェックメイトだ。もしここで君を止められなかったとしてもネギ・スプリングフィールドは確実に盤上から弾き出される」
「……その前にお前を倒せば良いだけの話だろうが……」
「――できるならね」
 
 くそっ…余裕かましやがる。
 くやしいがそんな悠長に言っているほどの余分は全く無い。
 事態は好転どころか悪い方向に全力で加速をしている。
 
「――こっからが本番や、ネギーー!」
 
 猛る狼と化した少年。
 そちらを見なくても分かる。あの少年は地力から底上げされている。
 今のネギ君では全く歯が立たないのは明らかだ。
 もって数秒。
 絶望的な数字。
 だが弱音は言ってられない。俺がなんとかしきゃ……いや、するんだ! 
 が、その時。
 
「――左です! 先生!!」
 
 第三者たる少女の叫びが響いた。
 ネギ君はその声に驚きながらも、叫びに従う事で犬上小太郎の一撃をかわす。
 けれども、俺はその声の主の方を見て声を失った。
 
 ――馬鹿な!? なんで彼女がここに!!
 
 それは下手をすると今日一番の衝撃だったかもしれない。
 目の前には脅威の証たる白髪の少年がいると言うのに、それすら忘れてそちらを向いてしまう。
 
 
 訳が分からない。何故ここにいる。
 ――――君はここに居るべき存在じゃないだろう!?
  
「ネ、ネギ先生……!」
 
 
 ――宮崎のどか!!!
 
 
「――のどかさん!?」
 
 ネギ君も突然の乱入者に目を丸くして驚く。
 それもその筈、彼女はどう考えても日常側の人間。間違ったってこんな争いに関わることの無い……いや、関わっちゃいけない人間なんだ!
 だと言うのに、
 
「右です先生! ――上! み、右うしろ回し蹴りだそうですー……!」
 
 彼女の行動は俺の想像の遥か上を行く。
 
「――なっ」
 
 驚きの声は俺の物か白髪の少年の物か。
 どちらのモノだろうと構わない。
 問題は――、
 
「…………あの子、攻撃を――読んでる?」
 
 その一点だけだ。
 ネギ君は宮崎さんの助言に従って動き、狼と化した少年から繰り出される攻撃全てをかわしては、反撃すらして見せていた。
 ――あり得ない。
 彼女にはどう考えてもそんな力量など無い。先ほど見た限りではいたって普通の少女だった。
 なのにこれは……。
 
「――なるほどアーティファクトか……」
 
 白髪の少年が苦々しく呟いた。
 ……アーティファクトって……そんなワケ。
 しかし、見ると宮崎さんは手に分厚い本を持っていた。
 ……まさか本当に!?
 
「――あ、あのー! 小太郎くーん! ここから出るにはぁー! どうすればいいんですかー!?」
 
 宮崎さんは犬上小太郎に向かってそんな言葉を投げかけた。
 だがそんな事を教えるやつがいるわけが無い。
 
「こ、この広場から東へ6番目の鳥居の上と左右3箇所の隠された印を壊せば良いそうですぅー!」
「な、なんやて!?」
 
 俺の懸念を他所に、宮崎さんはそうハッキリと断言した。
 その言葉は真実だったのか。明らかに同様を見せる犬上小太郎。
 それを聞いたネギ君の反応は早かった。
 一瞬の隙を突き犬上小太郎の脇をすり抜けると、魔法で指定された箇所を破壊した。
 そしてその場所目掛けて全員が殺到する。
 
「……読心系か。君と組まれるとかなり面倒な事になりそうだ。やはり君と彼女にはここで暫くの間大人しくしてて貰おうか――!」
 
 白髪の少年が駆け出す。
 俺目掛けて――ではなく、宮崎さん目掛けて!
 
「――させるかっ!」
 
 俺はその少年を食い止めるべく、莫耶を投げつけた。
 が、それは寸での所でかわされ地面に突き刺さる。
 しかし、それで一瞬だけスピードが緩み、その間に追い抜く。
 
「――こ、の! ……逃がさへんでーーっ!!」
「お前も少し大人しくしてろ!」
 
 狼男と化した少年の前にも同じように干将を投げつける。
 そして――、
 
「――壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)」
 
 爆発させた。
 轟! と、爆風が舞い上がる。
 直撃では無かったから倒せたとは思わないが、この粉塵、目くらまし程度にはなる。
 
「シロ兄! 早く早くっ!!」
 
 鳥居の向こう側でアスナが手を大きく振っているのが分かる。
 あそこか――!
 爆風の勢いを利用するかのように地面を強く蹴り加速すると、風景が一瞬にして切り替わった。
 
「――って速!?」
 
 アスナが驚いているが、そんなことには構っていられない。
 
「馬鹿! 何で逃げないんだ!!」
 
 粉塵が巻き上げられてるとはいえ、あんなもの所詮は時間稼ぎに過ぎない。根本的な解決にはいたっていない。
 こうしている間にも白髪の少年が出てきてもおかしくはないのだ。
 だがちびせつなが頼もしく言った。
 
「ご心配なく! 再度結界を閉じて奴等を封じ込めます! ――『無間方処返しの呪』! ――ヴァン、ウーン、タラーク、キリーク、アク――」
 
 ちびせつながそう唱えると目の前の空間が閉じていく。
 今まで張られていた結界を利用して逆に閉じ込めてやったのだろう。
 
「これでしばらくは時間を稼げるハズです」
「よし、ひとまず安全な所で一息つこーぜ」
 
 カモの言葉に一様に頷く。
 それも当然か。
 いつこの結界が破られるか分からないのだ。ここにいるのは危険でしかない。
 ぞろぞろと移動を始める。
 
 ――が。
 
 俺にはそこにいる人間の表情にどうしても納得し難い物があった。
 前を歩く集団の中で笑っている一人の少女を見る。
 宮崎のどか。
 先ほどの”力”を見る限り……踏み込んできてしまったようだ。こんな物騒な争いの世界に。
 経緯は関係ない。事実は目の前にある事、ただそれだけ。
 だと言うのに君は……君達は何故そんなに笑っていられる。
 望んでの事なのか。
 覚悟しての事なのか。
 ここにいるという事が、どういう意味なのかを理解しての事なのか。
 もしもそうだと言うなら……それは俺が口を挟むことじゃない。自分の生き方なんだからそれは好きにすると良い。必要と言うなら俺も力を貸そう。
 だが――そうじゃないと言うなら……君は何の為にここにいる。
 日常を捨てる程の理由があると言うのか?
 
「シロ兄なにしてんの~? 行くよー!」
 
 アスナが呼んでいる。
 ……仕方ない。今はこの子達に無事日常に帰ってもらうため、全力を尽くそう。
 全てはそれからだ。
 頭を振って頭を切り替える。
 全ては、無事にここを切り抜けてからの事。今は余計な事は忘れよう。
 
「ああ、今行く!」
 
 そして、軽く走って追いつく。
 心に小さな小さな棘を残したままで――。
 
 



[32471] 第32話  暗雲
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 22:16


 
 
「――でもホントに助けに行かなくて大丈夫なの? いくらなんでも桜咲さんだけじゃ……」
「大丈夫ですよ。シネマ村は無事に脱出できたし、追っ手もないみたいだし……」
 
 敵の罠を切り抜けた俺達は近くの川原で身体を休めていた。
 そして、その途中でちびせつなが突然消えたのが少し前の事。
 その事にアスナやネギ君たちは慌てていたが、俺はそうでも無かった。
 今の刹那は随分と強くなった。出会った頃とは比べ物にならない位にだ。
 敵方はこうして散発的にしか攻めて来ない所を見ると、実働部隊は極少数、4、5人程度と考えて間違いないだろう。もっと多ければ一度に攻めてくるはずだし、もっと大掛かりな攻勢を仕掛けてくる方が明らかに効率が良い。
 今まで確認した敵方の人数は4人。そして最大の障害であろう白髪の少年はまだ結界の中だろう事を考えると刹那が後れをを取る材料が見当たらないのだ。
 ……まあ、二人は刹那の力を分かっていないから不安なのは仕方のないことだと思う。
 そして、今ネギ君が言ったようにどうやら刹那たちも障害を突破してこちらに向かっているらしい。
 ネギ君は魔法でその様子を見ていたようだが、アスナは見ていないので、友達を想うその心配も当然か……。
 
「大丈夫だって。刹那は強いって言っただろ?」
「でもシロ兄……」
「ほら、ネギ君だって言ってるだろ? もうこっちに向かってるって。すぐに到着するさ」
「うぅー……、なんか納得いかないけど……シロ兄が言うならそうなんでしょうね」
 
 完全に納得したわけじゃないが、不承不承で頷くアスナ。
 そして……、
 
「……衛宮さんの言う事は信じるんですね……僕なんて見てた事言ったのに……」
 
 地面に座り込んで”の”の字を書くネギ君。
 ……いや、まあ……そんな落ち込む事じゃないと思うぞ? 単純にアスナとの付き合いが俺の方が長いだけだからだと思うし。
 アスナだったそういう意味で言ったんじゃないだろう。多分。
 
「んー……なんて言うか…………信用の差?」
「――はうっ!?」
「って、言ってる側からトドメ刺すなバカーー!?」
 
 ああ、もう! そんなこと言うからネギ君の、”の”の字生産ラインがフル稼働し始めて大量生産しちまってるじゃないかっ!
 宮崎さんは宮崎さんで、そんなネギ君の様子にどう対処していいか分からないらしく、「はう~……」とか言いながらワタワタしているだけだし。
 ああもう! 誰かこの子の生産ラインの停止ボタン押してーー!
 と、そんな時だった。
 
「――アスナ~、来たえ~!」
「こ、この声は!?」
 
 思わず過剰に反応してしまう。
 しかしそれも仕方ない。
 今の声は間違いないくこのかのソレ。
 そう! この場でネギ君の生産ラインを停止させる事の出来るポワポワさんの登場である!
 アスナ? コイツは駄目。むしろ追い込んでしまってるから駄目駄目です。
 
「た、助かった……このか、ネギ君を、」
 
 振り向いて、
 
「……………………」
 
 固まってしまった。
 ……だからさ、このパターンはいらないってさっきも言っただろうが。
 もーいいよー……好きにしろよー……、この世界の神様はきっと俺のことが嫌いなんだよコンチクショー……。
 
 ワイワイと歩く集団。
 俺はソレを数歩下がって諦めが入った目で見ていた。
 ……なんか多くないか?
 1、2、3…………8人。
 ――うん、間違いねー。明らかに余計なヤツが増えていやがります。
 
「……士郎さん、申し訳ありません……今さっきそこで捕まってしまいまして……」
「あー……何て言うか……ドンマイ……」
 
 傍らを歩く刹那にソレしか言えなかった。
 いや、実際なんて言って良いか分からないんだから仕方ない。
 余計な闖入者の数は三人。
 朝倉さんと、朝もいた宮崎さんと仲の良さそうな子が二人だった。
 そう言えばまだ名前知らなかったな……。
 
「刹那、あの子達の名前なんて言うんだ?」
 
 二人を見ながら刹那に聞いてみる。
 刹那は俺の視線を辿って「ああ……」と頷いた。
 
「あの方達の名前は、メガネをかけた方が早乙女ハルナさんで、背の小さい方が綾瀬夕映さんです」
「早乙女ハルナに綾瀬夕映……ね」
 
 口の中で転がして響きを確かめてみる。
 見ると宮崎さんとは本当に仲が良いのだろう、楽しそうに話していた。
 ……しかし何でこういう状況になるかね。
 
「なあ、刹那。何だってお前が捕まったりなんてしたんだ? 実際、お前ならこのかを連れてたってあの子達を引き離すくらい簡単だろ?」
 
 咎めている訳ではなくて単純な疑問。
 刹那だったら小細工の必要もなく巻くことも可能だろうに。
 
「――ええ、まあ……。士郎さんが仰るとおり一端は引き離したのですが……こんな物を荷物に入れられまして」
 
 刹那はそう言うとスカートのポケットから小さな箱型の機械を取り出した。
 
「……携帯電話?」
「はい……、どうやら朝倉さんにコレを入れられたようなんですが、このGPS機能で居場所がバレてしまった様で……」
「……はぁー……あの子も何考えてんだか……」
 
 きっと面白そうとかそんな所だろうけど。
 思わず刹那と同時にため息を吐く。
 この場合はその事に気が付かなかった刹那を注意すべきか、刹那に気が付かれることなくソレを成し遂げた朝倉さんを褒めるべきか。
 ――いや、どう考えても褒めるはないか……。
 で、もう一度ため息。
 あー、俺、なんか京都に来てからため息ばっかだなー……。
 きっと今の俺は傍目から見たら相当落ち込んでいるように見えるかもしれない。
 ――まあ、実際にそうなんだから否定のしようもないのであるが……。
 けれど、この状況は俺の落ち度かもしれない。
 朝倉さんは恐らく、物事に感心が強い性格なんだろう。魔法と言う未知のモノに対しての興味がその行動原理なのだ。特に先日知ってしまった全くの未知との遭遇に、その興味が彼女を突き動かしているんだと思う。危険があるとかを説明しなかったのがいけなかったのかもしれない。
 綾瀬さんや宮崎さんに至っては、完璧に俺の失態だ。
 元を正せば、修学旅行というのは団体行動が基本なのだ。そこから一緒に行動していた友人がいなくなってしまったら探し回らない方が可笑しい。最初から用事があるからと説明なりをしておけばこういった状況には陥らない可能性が高かったに違いない。
 そう考えると自身の迂闊さに腹が立ってくる。
 そのせいで宮崎さんまで…………。
 
「…………」
「士郎さん、どうかしましたか?」
 
 突然黙り込んだ俺を刹那が心配そうな顔で覗き込んでくる。
 
「いや、なんでもない」
 
 それに頭を振って答える。
 そうだ。今は後悔より先にする事がある。全ての決着が着いてから考える事にしよう。
 そう結論付けて頭を切り替えて前を見据える。
 
「――――ん?」
 
 ふと、前を見る。
 そして一つの物を見つけた。
 
「? どうかしましたか?」
「あ、いや……」
 
 別にどうと言う事は無い。周囲に異変があった訳でもない。
 だが……思いもよらぬものを見てしまったのだ。
 
「――ラストエリクサーだ……」
「は?」
 
 思わず口から零れ落ちてしまう。
 そう、見ていたのは綾瀬さんが持っていた紙パックのジュース。
 昨日の夜、俺が旅館で見かけた謎ジュース、その名も”ラストエリクサー微炭酸”。
 まさかアレを飲んでいる人間をこの目で見ることが出来るとは……。
 
「――――」
 
 すると、前を歩く綾瀬さんがなにやらピクリと反応して立ち止まった。
 そうすると当然、後ろを歩いていた俺達はドンドン近づく訳で……目の前に来るとその背の低さが更にハッキリする訳で。
 そして俺達と並ぶと同じ速度で再び歩き出す。
 
「………………」
「………………」
「……………?」
 
 彼女は特に何も言わずに俺を横目でチラリと見上げる。
 その手には未だに飲まれ続けているラストエリクサー。
 そしてなにやらスカートのポケットをごそごそと探ると何かを取り出した。
 ――ラストエリクサーだった。
 え!? 予備!? 買いだめ!!?
 
「………………っ」
「………………」
「………………??」
 
 表面には出さず驚く俺。
 感情の読み難い瞳で俺を見上げる綾瀬さん。
 ワケが分からないといった顔の刹那。
 ――や、なんだ、この珍妙な空気は。
 そして、綾瀬さんが初めて口を開いた。
 
「……初めまして、綾瀬夕映って言います」
「……はぁ……衛宮士郎です」
 
 何となく間の抜けた挨拶をしてしまう俺。
 まあ、俺の方は一方的に知ってたんだけどな、名前は今さっき聞いたばっかりだけど。
 そして綾瀬さんはやはり感情の読み難い瞳で俺を見上げながら言った。
 
「――お近づきの印にどうぞです」
「あ、こりゃどうもご丁寧に……って」
 
 差し出された品物を思わず受け取る。
 ……ソレはなんとラストエリクサーだった――!
 
「えっ……と――」
 
 手の上でソレを持て余す。
 や、実際は飲めって事なんだろうけど。
 
「なあ、コレ…………美味いのか?」
「私的にはヒットです」
「…………………………どんな味?」
「珍妙な味です」
「…………………………………………どんな感じに?」
「なにかが回復しそうな感じに」
 
 ――くっ! 普通なら納得できない感想もこの飲み物にだったら納得できてしまうだけに侮れない!!
 そして分かった事は何一つとして分からなかったと言うコトのみ!
 ……俺自身飲み物一つにここまで警戒する日が来ようとは思ってもいませんでしたヨ?
 
「では、私はこれで失礼しますです」
「……あ、ああ……これサンキューな」
 
 いいえ、と言って小走りに宮崎さんの隣に並ぶ綾瀬さん。
 もう一度チラリと俺を振り返る。
 ――え? 何その『同志!』みたいなVサインは!?
 そして残された不思議ジュース。
 
「………………」
「………………」
 
 ひたすらにどうして良いか分からずに佇んでいると、思わず刹那と目が合った。
 
「……飲まないんですか?」
「…………飲む?」
「飲みません」
 
 ピシャリ、と言われた。
 ……考えてみれば刹那にここまで断固とした態度取られたの初めてかも……。
 だよなー、俺もなんか警戒したい飲み物だし。
 でも、まあ……折角貰った訳だし――。何か妙な期待も持たれてるみたいだし……。
 
「……まあ、そんなに変なモンじゃないだろ。綾瀬さんも飲んでたんだし……名前は少しアレだけど」
 
 パックの後ろに付属しているストローを外して、アルミ部分にプスッ、と差し込んで準備完了。
 ……えっと、刹那。その『うう……士郎さん、お労わしや……』みたいな表情はやめよう。俺がいたたまれないから。
 
「よし、行くぞ……」
「逝ってらっしゃいませ」
 
 ……だからそういうのは止めよう。つーかお前もなんかキャラ変わってないか?
 ぱくり、とストローを咥えて吸う。
 ゴクリ、と喉を鳴らして飲み下した。
  
「………………………………珍妙だ」
  
 そして何かが回復しそうな味だった…………。
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
 
 そんなこんながあって数分。
 道すがらに歩いているとそこに辿り着いた。
 荘厳と表現しても過言ではない建造物。
 関西呪術協会の本拠地……つまり敵方の陣地だって言うのにも関わらず俺達は――、
 
『お帰りなさいませ、このかお嬢様』
 
 滅茶苦茶歓迎されたりなんかしていた。
 ズラリと石畳の左右で頭を下げる式服姿の女の人達。
 ……圧巻だ。
 
「…………えっと……どう言うコト?」
 
 首をぐりん、と回してアスナが俺を見る。
 が、
 
「――さあ……」
 
 俺には首を振る事しかできない。
 だって本当に分からないんだから仕方ない。
 だからここは解説者に聞いてみようと思う。
 んで、
 
「どういう事だ刹那?」
 
 アスナと同じく首をぐりん、と回して刹那を見る。
 刹那は俺とアスナ、二つの視線を受けて少しビクッとたじろいだ。
 
「え、えーと……つまり、その――」
 
 刹那はこほん、と咳払いで前置きしてから口を開く。
 
「ここは関西呪術協会の総本山であると同時に――このかお嬢様のご実家でもあるのです」
「ぇ」
「えええええええ~~~っ!」
 
 ……俺の驚きはアスナの声にかき消された。
 でも驚いたのは俺も同じだ。
 呪術協会の総本山がこのかの実家と言う事は、西の長はこのかの親と言う事だ。
 そして東の長である学園長はこのかの祖父にあたる。
 ……まさかこんな繋がりがあるなんて思いもよらなかった。
 
「今、御実家に近づくのは危険だと思っていたのですが……先程はそれが裏目に出てしまったようですね」
 
 刹那が少し自嘲めいた笑みを浮かべる。
 先程と言うと刹那とこのかが襲われたと言うシネマ村での出来事の事か……。
 なんでも敵方に襲撃された刹那は、このかを庇って大きな傷を負ってしまったらしい。だが、ソレをこのかは一瞬で治癒してしまったらしく、恐らくは学園長の言っていた全盛期のエヴァをも凌ぐとまで言われる魔力が、何らかの切欠で溢れ出したのが原因だろうと刹那は説明していた。
 
「御実家……総本山に入ってしまえば安全です」
 
 確かに。
 この歓迎っぷりを見るに少なくともここにいる人間はこのかを傷付けようなどとは思わないだろう。
 確かな事は長と言うこのかの親に会うまでは言えないが……。
 ……にしても……。
 
「……ここがこのかの実家なのねー……」
「……みたいだなあー……」
 
 ――でかい。
 アスナと並んで思わず口を開けてしまう位にデカイ。そして広い。
 
「アスナ、シロ兄やん……ウチの実家おっきくて引いた?」
 
 声にそちらの方を向いて見ると、このかが心細いかのような表情で俺達を見ていた。
 
「え? ううんっ……ちょっとビックリしたけどね。私はいいんちょで慣れてるし」
「……――ウン、ソウダナ」
 
 思わず片言になる俺。
 ……スマンこのか。俺はものすごくビックリしてるし、正直少し引いた。
 だってここ……どん位の敷地面積あるんだ?
 全貌が見渡せないからなんとも言えないんだけど……や、全貌が見渡せないって時点で家としてどうかと思うけどさ。それでも東京ドーム何個分って広さだ。まあ、明確に何個分って言われたとしてもこれっぽちもピンとこないんだが。
 それは兎も角として、感覚的に言えば平安時代の貴族のお屋敷を何個も合体させればこんな風になるのかなぁー、ってのが率直な感想だ。
 俺の家も武家屋敷って感じだったけど、ここはそのまま時代が止まってるんじゃないかと思う位に桁が違う。
 そしてこう言うのに慣れていると言うアスナと、こういう規模の家に住んでると言ういいんちょ……雪広さんにも驚いた。
 
「あ~、シロ兄やん。顔引きつってる~嘘ゆーてる~」
「あ、いやまあ……素敵なご実家で……」
 
 俺が思わず敬語を使ってそう言うと、このかは頬を風船のように膨らませて可愛らしく怒った。
 
「ウチ、そんな他人行儀なのイヤやわ~。いっつもみたいに気軽にしてくれへんとウチ悲しい……」
 
 シュン、としょげるこのか。
 そんなつもりなかったんだが、このか的にはこう言うのは嫌らしい。
 見ると刹那とアスナも俺を咎めるような目で見てるし……。
 
「あー……すまん、このか。ちょっとした冗談だったんだが……気を悪くしたか?」
「…………さっきみたいに、敬語つかったりせーへん?」
「おう。このかがお金持ちのお嬢様だろうと、一国のお姫様だろうと敬語は使わないって約束する」
「……ホンマ?」
「ホントホント。慇懃無礼は任せとけ。それにそういうのには慣れてる」
 
 ちっとも自慢にならない事実。
 なんと言っても俺の知人には王様、王女様、お姫様。さらには半分神様なヤツとか何でもござれだ。
 今更物怖じとか言ってられないのである。
 衛宮の屋敷に至っては、良いとこのお嬢様が二人、王様と元女神様が住んでいて、更にはしょっちゅうお姫様が突撃をかけてくるという、とんでもない家なのだから。
 ……まあ、そのどれもが”それっぽくない”とか余計な説明は付きそうだけど……。
 あ、一つ訂正。――”我”様とかは別。アレはまんま王様。色んな意味で。無論良くない意味で。
 
「ん、ほんならええわ♪ 行こ、シロ兄やん。なんや皆に集まってほしいんやて~」
「あ、おい……このか!?」
 
 機嫌の治ったこのかに手を引かれて歩き出す。
 そんな俺達を見たアスナはやれやれ、って顔してるし、刹那はクスクス笑っていた。
 
 このかに手を引かれて、だだっ広い屋敷の中を歩いていくと広い部屋に通された。
 教室だったら四つ分はあるであろう部屋の端の方には、等間隔で人が並び、和楽器を奏でたり、弓を携えていたりと様々だ。
 部屋の奥の方には階段があり、いかにも位の高い人物がそこから降りてくるような事を想像させる。
 部屋の中心にはここに来た人数分の座が用意されており、前列に5、後列に4、用意されていた。
 このかに各々、適当な場所に座るよう促がされる。
 俺は少し迷った末、俺は刹那の隣、前列の一番端に座った。
 ……えっと、こういう場合って正座でいいんだっけ?
 とりあえずは腰を下ろして、しばし待つ。
 見ると隣の刹那は静かに瞑目しているが、他の子達は辺りを見回したり色々話をしている。
 すると、目の前にある階段から、木造の階段の軋む音を鳴らしながら壮年の年の頃と思われる柔和な表情をしたメガネをかけた男性がゆっくりと降りて来た。
 
「お待たせしました。ようこそ明日菜君、このかのクラスメイトの皆さん、御同行して下さった御方、そして担任のネギ先生」
「お父様♪ 久しぶりやー!」
 
 このかが立ち上がり、その男性に体ごとぶつかるように抱き付いた。
 そしてその男性はこのかを受け止め、暖かく微笑んだ。
 
「ははは。これこれ、このか」
 
 へー、あれがこのかのお父さんか……。
 なんか西の長って聞いたから、もっと威厳を前面に押し出したような人を想像していたけど、すごく優しそうな雰囲気をした人だ。
 ……考えてみればこのかのお父さんなんだから、納得って言えば納得か。
 後ろからも同じような感想を持ったのか、
 
「こんなお屋敷に住んでる割に普通の人だねー」
「てゆーか、ちょっと顔色悪い感じだけど……」
 
 何て声がヒソヒソと聞こえた。
 そして少し離れた所に座ったアスナからは、
 
「――し、渋くてステキかも……」
 
 って声が聞こえた。
 アスナの発言に「えーっ」とか「あんたの趣味はわからんわーっ」とか失礼な発言が飛び出す。
 ……いや、俺もアスナに同意なんだが。痩身で背が高い上に彫りも深いから、十二分にナイスミドルって感じだと思うけど……。
 そんな俺達を他所に、ネギ君は親書を取り出し、西の長さんに差し出した。
 
「東の長、麻帆良学園学園長、近衛近右衛門から西の長への親書です。お受け取りください」
「確かに受け取りました。ネギ君、大変だったようですね」
「い、いえ……」
 
 長さんはネギ君から親書を受け取り、ソレを開き、読むと苦笑いの様なものを浮かべた。
 そして、
 
「……いいでしょう。東の長の意を汲み、私達も東西の仲違いの解消に尽力するとお伝えください。任務御苦労! ネギ・スプリングフィールド君!!」
 
 破顔一笑、晴れやかに言い放った。
 それを聞いたネギ君は顔を綻ばせて「はい!」と元気に返事をする。
 で、事の真相なんか全く分かっていないだろうにはしゃぐ女の子達。
 ……まあ、楽しければ細かい事は関係ないんだろう。
 そしてその様子を微笑ましく見守っていた長さんがパンパン、と手を叩いて場を締めくくった。
 
「さて、今から山を降りると日が暮れてしまいます。君達も今日は泊まって行くと良いでしょう。歓迎の宴を御用意致しますよ」
 
 それを聞いてまたしても盛り上がる生徒達。
 俺はそんな様子を見て、肩の荷が下りるのを感じながら軽くため息を吐いた。
 ――やれやれ……これで一件落着……なのかな?
 
 その夜、長さんの好意で催された宴は、学生をもてなすにしてもそうでないにしても最上の物だった。
 なんと言っても目の前に並ぶ料理の数々、そのどれもが高級品として通るものばかりなのだ。
 なので、
 
「……むぅ、京野菜か……コレをメニューに取り入れるのも……いやいや、流石にコストが……」
 
 みたいに考え込んでしまうのは許して貰いたい。
 いや、人様の家に来てこんな考えに至ってしまうのは失礼なんじゃないかと思うんだが。
 ……ああー、でもこの賀茂なすの田楽とか聖護院大根の揚げ出しとかエヴァのヤツ好きそうだなあー……。お土産に野菜とか買って行って作ってやるのも意外とアリかもしれない。
 なんて俺が暢気な事を考えてるみたいに周りも笑い声が絶えない。
 顔を赤くして今まで以上のテンションではしゃぐ女の子達。
 ……あれ、酔っ払ってないか君等?
 
「……まさか、な」
 
 手近にあったコップを引き寄せて、中に入った液体の匂いを嗅ぐ。
 
「……アルコール……じゃないな」
 
 ってコトはあれか? この子達は雰囲気だけでこんなに酔っ払ってるってコトか?
 
「どうかしましたか? 士郎さん」
「ん? いや、なんでもない」
 
 俺の行動が変だったのか、隣に座っている刹那が疑問顔だった。
 適当に誤魔化す様にそのコップの中身を飲み干す。
 うん、やっぱりいたって普通のオレンジジュースだ。間違ってもラストエリクサーなんて摩訶不思議な飲み物ではない。
 いや、アレはアレでちゃんと飲みましたよ? 折角貰ったんだから。しかし最後までなんともコメントのし難い味だった……。
 
「……刹那君」
 
 と、長さんが手に飲み物の入ったコップを持ちながら話しかけてきた。
 すると刹那は慌てて、片手片膝を着いて礼の姿勢をとる。
 
「こ、これは長! 私のような者にお声を……!」
「ははは……そう畏まらないでください」
 
 君は昔からそうですね、と微笑む長さん。
 あ、この人は驚かないんだ。
 俺はアレやられた時、結構驚いたんだけどな。
 なるほど、それだけ刹那を理解してる人って事か……。
 
「……この二年間、このかの護衛をありがとうございます。私の個人的な頼みに応え、よくがんばってくれました。苦労をかけましたね」
 
 心の底から感謝の言葉を言うように労いの言葉を言った。
 
「――ハッ……いえ。お嬢様の護衛は元より私の望みなれば……もったいないお言葉です。し、しかし申し訳ありません。私は結局、今日お嬢様に……」
「話は聞きました。このかが力を使ったそうですね」
「……ハイ。重症のハズの私の傷を完全に治癒する程のお力です」
「……それで刹那君が大事に到らなかったのならむしろ幸いでした」
 
 そして長さんはネギ君の方に視線を送ると、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
 
「フフ……このかの力の発現の切きっかけは君との『仮契約』かな? ネギ君」
「おそらくは……」
「――――ぶっ!?」
 
 思わず飲んでいたジュースを噴きそうになった。
 え? なに? 『仮契約』だって? このかとネギ君が!?
 いや、そりゃこのかは魔法使いの血筋なんだから、こっちの世界に足を踏み入れてくるのは遅いか早いかの違いしか無いのかもしれないと思っていたけど……いつの間に?
 俺としては出来る限りこのかには平穏に暮らしてて貰いたかったから、ここに来るまでは可能な限りその手の事に近づけなかったって言うのに……つーか、刹那も分かってたなら止めろよな。このかを守りたいって気持ちは俺以上なクセに……。
 けど長さんの言う通り、確かにこのかのその”力”が無ければ、刹那がここにこうして無事でいられたか判らないとなると、判断に迷う所だ。
 
「おや? 大丈夫ですか?」
「え、ええ、まあ……ありがとうございます」
 
 むせそうになった俺を長さんが気遣ってくれる。
 
「そう言えばアナタにもお礼がまだでしたね。この度はウチのこのかを連れてきて下さってありがとうございました」
 
 ぺこり、と頭を下げられてしまった。
 
「いやっ、そんな当たり前の事をしただけですから! だから頭を上げてください!」
「ははは……そう言っていただければ助かります」
 
 頭を上げて柔和に微笑む長さん。
 その笑顔を間近で見て、ああ、この人はこのかの親だなって納得してしまった。
 どこが、とかは上手く言えないが人を和ませるような笑顔はこのかと同じ物だ。
 
「お父様~♪ シロ兄や~ん♪」
 
 ポワポワとした声にそちらの方を向くと、このかが顔をほんのりと上気させながら手を振っていた。
 それを見て俺も長さんも、同じように苦笑を零して振り返す。
 ……や、本当にアルコール入ってないよな、アレ……。
 
「ははは、どうやらあの子はアナタを相当慕っているようだ」
「お恥ずかしい限りで……」
 
 親御さんの前で何処の誰とも知れぬ男を兄呼ばわりするのは……ちょっと勘弁して欲しい。
 恥ずかしいんだか、怖いんだか、気まずいんだか……。
 
「いえいえ、恐縮なさらないで下さい。このかの人を見る目は昔から確かなのです。そんなあの子が”兄”とまで慕うのですからきっと好人物なのでしょう。……っと、失礼。そう言えばまだお名前をお伺いしてませんでしたね」
「あ、そうでしたね。俺も気づきませんでした。俺は衛宮って言います。衛宮士郎です」
「では私も改めてご挨拶をさせていただきましょう。私はこのかの父で、この関西呪術協会の長を務めさせた頂いております近衛詠春と申します」
 
 互いに名乗りあって、ぎゅ、と握手をする。
 そこでピンと来た。
 あれ? この感じ……それに詠春って。
 
「あの、もし違ってたらすみません。もしかして刹那の持ってる夕凪ってアナタの……」
 
 この剣ダコはどう考えても熟練者のそれだ。
 改めて見るとこの人、穏やかさの中に鋭さみたいな物が混じってる。
 もしかしなくて相当の達人なんじゃないか?
 それに詠春って名前も、刹那が初めて店に来た時にエヴァの口から出ていた夕凪を刹那に譲ったって言う人の名前と一緒だ。
 
「おや、ご存知だったんですか?」
 
 詠春さんは驚く顔をする。
 そして俺をジッと見ると、俺の内面を覗き込むようにして言った。
 
「……失礼ですが、アナタはどのような立場の人物で?」
 
 しまった、変に警戒させちまったか。
 俺もいきなりぶしつけだったかもしれない。
 さて、なんて説明したらいいものか……。
 
「――それは私から御説明したく存じます」
 
 と、今まで黙って俺達の話を聞いていた刹那が助け舟を出してくれた。
 ……でも、なんて言う気なんだろうか。
 
「この御方は現在、麻帆良学園において学園広域指導員をなされております。そして今の私の師にあたる御方です。非常に高潔な人物で、強靭な精神力に卓越された力量を併せ持った、類稀な信を置ける人物だと思われます」
「ほう……」
 
 刹那の言葉を聞いて興味深そうに俺を見る詠春さん。
 それはそれとして……刹那、褒め過ぎじゃないか? 俺、そこまで言われる程の人間じゃないと思うんだが……。
 
「――そして、”あの”エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルさんに連なる御方です」
「なんと……!」
 
 エヴァの名前に目を丸くして驚く詠春さん。
 ああ、やっぱりエヴァって有名なんだ。名前だけで普通はこうなんだから、初めてエヴァと会った時の俺はさぞかし変に見えたことだろう。
 ……にしても、そうなるとこの場合はあんまり良い印象もたれないんじゃないのか? エヴァが言うには昔は随分と悪い事もしてきたみたいだし。
 が、詠春さんの反応は俺の予想とちょっと違っていた。
 
「なるほど。そう言うコトでしたか。いや、失礼。不躾な質問をしてしまいましたね」
「いえ、そんな事無いですけど……それで納得してしまうんですか?」
 
 俺がそう言うと、詠春さんは笑ってソレに答えた。
 
「おや、これは異な事を言う。アナタは彼女の事を良く知っているのでしょう? でしたらそんなに不思議に思う事でもないと思いますが?」
「そりゃそうですけど……って、もしかしてアイツの事、知ってるんですか?」
 
 彼女って呼び方が親しみを感じるし、なんかエヴァって人物を知ってる発言をする。
 
「ええ、彼女とは以前にサウザンドマスターであるナギと一緒に少しありましてね……。その時に」
「……そりゃどうもウチのがご迷惑をおかけしたみたいで……」
 
 何となく謝ってしまう。
 いや、だって、何かエヴァがやらかしたんだろうなーってのが容易に想像できるし。
 それにしても詠春さん、サウザンドマスターの知り合いなんだ……。
 
「ははは、成る程……アナタはどうやらウチのこのかとも親しいようですし、彼女の身内のような御方のようだ。なればこれ以上の信用する材料はいらないでしょう」
「えっと……ありがとうございます」
 
 これはきっと認められた……って事でいいんだよな?
 詠春さんは俺を見て笑った後に、刹那の方を向き真剣な表情をして言った。
 
「このかには普通の女の子として生活してもらいと思い秘密にして来ましたが……いずれにせよ、こうなる日は来たのかもしれません。刹那君、衛宮君、君達の口からそれとなくこのかに伝えてあげてもらえますか?」
 
 やっぱり詠春さんもこのかが心配なんだろう。
 そうは口で言っててもどこかこのかを心配そうに想ってる感がある。
 刹那もそれが分かったのだろう。なんともいえない表情でそんな様子を見守っていた。
 
「――おっと、どうにも湿っぽい話になってしまったようですね。ははは、さあ、この話はここまでにしてどうぞお楽しみください。今は出払っていますが明日の昼には腕利きの部下達が帰ってきますので、後の事は安心して下さって結構ですよ」
 
 では、と言って去っていく背中を見送る。
 その背中を見ながら、やっぱり子を心配しない親なんていないんだろうな、何て事を思った。
 
◆◇――――◇◆
 
 
 宴もたけなわと言った所で、存分に飲み食いしてはしゃいでの宴会は解散となった。
 それでもどこかから女の子の笑い声が聞こえてくる辺り、まだ騒いでいるのだろう。
 
「やれやれ……流石にあのノリについて行くのは無理だよな」
 
 俺は屋敷の縁側に腰掛けて、一人で月を見ながらお茶なんかを飲んでいた。
 先程とは打って変わって静かだがコレはコレで良い。
 ここの雰囲気とマッチしてて風流と言うか雅とでも言うか……。
 例えジジくさいと言われようと俺はこういう雰囲気が好きなんだ。
 
「あ、士郎さん。ここにいましたか」
 
 すると、刹那が板張りの廊下を微かに軋ませながらやって来た。
 お風呂にでも入っていたのだろうか、髪が微かに濡れているようにも見える。
 
「どうした? 皆の所には戻らないのか?」
「いえ……少々士郎さんにお願い事がありまして……」
 
 刹那が神妙な顔をして俺の隣に腰掛けた。
 はて? 刹那がお願いなんて言うのは珍しいな。
 
「お願いって?」
「……あの、先程長が言われたようにお嬢様にご自分の御力のことをご説明したいと思うのですが……」
「ああ、それか」
 
 そう言えば詠春さんも言ってたっけ。このかに教えてやって欲しいって。
 このかの場合はある意味致し方ないとも思う。
 なんと言ってもこのかは、あのはエヴァをも凌ぐと言うほど桁外れな力をその身に宿しているのだ。その力を知らないでずっと暮らしていく方がよっぽど危険だろう。その力を利用しようと今回みたいな事件に巻き込まれる事もあるかもしれないし、いざと言う時にその力の意味が分からなければ誰かを傷付ける事になるかも知れない。
 出来る事なら一秒でも長く陽だまりで生きていて欲しかったんだが……。
 
「それで、その席に士郎さんもご一緒してもらえないでしょうか?」
「え? 俺もか?」
「ええ。私だけでご説明差し上げるより、兄と慕う士郎さんがお側にいてくれた方がお嬢様も安心できると思いますので……」
 
 考えてみればそれもそうか……。このかだって魔法なんて言う未知の力が自分の中に在る、何て言われたら怖かったり戸惑ったりするだろうし。
 俺なんかが側にいて落ち着くかどうか分からないけど、このかの為になるんだと言うなら喜んで同席させてもらおう。
 
「わかった。俺も一緒に行くよ。今からか?」
「ええ。今、神楽坂さんにお願いしてお嬢様を呼んで頂いています」
「んじゃ行くか」
「はい、ありがとうございます」
 
 刹那の案内で待ち合わせ場所であると言うお風呂場にて二人を待つ。
 
「でも何て説明する気なんだ?」
 
 いきなり、お前は実を言うと魔法使いなんだーって言っても信じな……いや、どうだろう。このかだったら普通に信じそうな気がする……。
 
「それは真実をありのまま伝えるつもりです。お嬢様は聡明な御方ですから一つ一つご説明差し上げればご理解して下さる筈です」
「そっか……」
「はい……」
「…………」
「…………」
 
 ふと、会話が途切れる。
 けどそれは別に珍しい事じゃない。俺も刹那もそんなに口数が多いほうじゃないので二人でいる時もしばしばこう言った事はあった。
 だからお互いにこの空気が気まずいとかは感じない。
 風が木々を揺らす音。
 ザァー、と言う音は波の音にも似ている。
 ……静かな夜だ。
 
「……――」
 
 けど、ちょっと……静か過ぎやしないか?
 
「…………刹那」
「……はい、――何か、おかしいですね……」
 
 刹那と二人で背中合わせになり周囲を探る。
 ――明らかにおかしい。
 この屋敷にはかなりの人数が詰めている筈だ。
 だと言うのに……今はその気配がほとんどしない。
 
「――――」
「――――」
 
 静か過ぎて耳が痛い。
 嫌な汗が背中を流れ落ちる。
 肌の上を伝い落ちる汗が悪寒を倍にも増長させた。
 背後の刹那からも同じような気配を感じる。
 ……何だ? 何が起こっている……。
 まさか昼間の連中か?
 だとしても親書はすでに渡されているのだから今更襲ってきても意味は無い筈だ。
 そうなると…………。
 
「――――ッ!」
 
 ――――まさか……!
 
「刹那!! このかだっ!!!」
「っ!?」
 
 叫び、同時に弾丸のような勢いで風呂場を飛び出す。
 そして長い長い廊下は一瞬でレースコースと化した。
 アクセルを踏み砕く勢いで加速し、曲がり角たるコーナーでは失速を最小限に最短でコースをなぞって回る。そしてホームストレートのように長い廊下はを矢のような速さで駆け抜ける――!
 けれどチェッカーフラグを握るこのかの姿は未だに見えない。
 その時、曲がり角の向こう側から気配があった。
 
「刹那! 右!」
「! はい!」
 
 一瞬だけの意思の疎通。
 そして曲がり角から人影が現れた。
 
「――ふっ!」
「しっ――!」
 
 刹那は人影の右側に回りこみ、その首筋に夕凪を突き付けた。
 俺は左側に回りこむと同時に、人影が持っていた長柄の得物を叩き落し、一瞬で投影した陽剣干将を夕凪と挟み込む形で首筋に当てた。
 が、

「……え、衛宮さん……刹那さん」
 
 現れた人物はネギ君だった。
 俺達はあわてて剣を退ける。
 
「わ、悪い、ネギ君」
「い、いえ! そんな事よりお二人共お風呂場にいたんじゃ!?」
「ただならぬ気配を感じて飛び出してきました。何があったんです!? お嬢様は……!」
「そ、それがその……」
 
 と、その時。重い物を引き摺るような音が聞こえてきた。
 
「――誰だ!」
 
 闇の先の相手を睨み、剣を構える。
 向こう側からは未だに何かを引き摺るような音。
 ……何だ? 何の音だ?
 
「――ネ、ネギ君……刹那君……衛宮君……」
 
 闇の向こう側から人影が現れる。
 その人物は――、
 
「……長!」
 
 詠春さんだった。
 重い音の発生源は詠春さんの足元から。
 見ると詠春さんの腰から下は石へと変貌していた。
 
「も、申し訳ない……本山の守護結界をいささか過信していたようですね……」
 
 詠春さんがそう言う間にも石化の進行は止まらない。
 まるで水に入れた氷が割れるような音を響かせながら、徐々にその身体を蝕んでいく。
 
「平和な時代が長く続いたせいでしょうか……不意を喰らってこの様です。かつてのサウザンドマスターの盟友が……情けない」
 
 自嘲めいた笑みを浮かべる。
 そして俺達に何かを託すようにして言った。
 
「――白い髪の少年に気を付けなさい……格の違う相手だ。並の術者にならばこの本山の結界も、この私も易々と敗れたり……しない」
「――長!」
 
 刹那が詠春さんに駆け寄るがどうする事も出来ないで立ち尽くす。
 そんな間に石化は首の辺りまで迫っていた。
 
「あなた方だけでは辛いかも知れません……学園長に……連絡を……。――すまない……このかを……頼み、ま……す」
「――――」
 
 詠春さんは物言わぬ石像となってしまった。
 俺は詠春さんの言葉を思い出す。
 ――白い髪の少年に気を付けなさい。
 思い浮かべるのは感情の感じられない白い少年。
 ……あいつが……!
 
「――――あ、の……ガキ!」
 
 湧き上がる怒りは白い少年に向けての物か、こんな状況になるまで気付かなかった自分の愚かさ加減に向けたものか。
 
「……ネギ君、この術を解呪する事ができるか?」
「……いえ……今の僕の力では、とても……で、でも、長さんが明日来ると言っていた西の術師さん達なら治せると思います」
「そうか」
 
 現状ではどうにもならないか。
 強く噛み締めすぎた奥歯がバキリ、と砕けた。
 握り拳は爪が食い込んで血を滴らせている。
 
「……っ」
 
 ――駄目だ。熱に浮かされるな。冷静になれ。今すべき事を機械のように正確無比にはじき出せ!
 ……現状で詠春さんを治癒する手段は思い浮かばない。
 いや、ある事にはあるがその手段はあまり上策とはいえないだろう。
  ”破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)”
 俺の知り得る限り、究極の対魔術宝具ならば問答無用で解呪は出来るだろう。
 だがしかし、この火急を要する状況で無闇に魔力を消費してしまうのは危険だ。只でさえ何が起こるかわからないのに、投影だけならず、真名開放までも行うのは無謀と言うものだ。幾ら俺でもソレくらいは分かる。
 ネギ君が言うように、石にされていても命の危険はなく解呪も可能ならば、詠春さんには申し訳ないが少しの間だけ我慢してもらうしかない。
 そして、その詠春さんの言葉によると結界を抜かれ、内部に侵入を許してしまっているのは明確だ。
 この人気の無さを考えるに、恐らく皆、詠春さんと同じようになっている可能性が高い。
 そしてあの白い少年の目的は――このか。
 
「そうだ、ネギ君! アスナとこのかは!?」
「……あ、は、はい! さっき連絡してお風呂場に集合しようと……」
「――くそっ、入れ違いか! 行くぞ、二人とも!!」
『ハイ!』
 
 そう言い放った一歩目からトップスピードに乗る。
 追い縋る二人を置き去りにして今来た道を辿って戻った。
 そして、風呂場の入り口を開け放った先にいたのは……、
 
「……アスナっ!」
 
 裸のアスナが横たわっていた。
 アスナの一糸纏わぬ姿に若干の後ろめたさを感じたが、今はそんな事を言ってる場合じゃない。
 一瞬だけザッと流し見て怪我が無いか確認する。
 見たところ外傷は無いみたいだが……。
 
「……あ、シ、シロ兄……」
 
 虚ろな瞳で俺を見る。
 どうやら無事らしい。その事に安堵の息をつく。
 
「……ゴメン……このか、攫われちゃった…………!」
 
 ポロポロと大粒の涙を零すアスナ。
 その表情には悔しさが滲み出ていた。
 そして数秒遅れて、刹那とネギ君が到着する。
 
「……刹那、アスナを頼む」
「……え? あ、明日菜さん!? なんで裸で……何があったんです!?」
 
 アスナを刹那に任せて辺りを見回す。
 考えろ。考えろ。考えろ。
 あの白髪の少年はこのかを攫って何をしようとしている?
 このかの力を使って何を企てているんだ?
 このかを攫って行ったと言う事は、すぐに出来るような事ではなく、ある程度の時間を必要とすると言う事。
 そしてこの場所では白髪の少年言っていた”目的”を達成できないと言う事だ。
 ……俺だったらどうする。
 俺がアイツだったらこのかを攫った後、……どう動く?
 目的を果たした後、急いで離脱するか?
 目的を果たす為には時間がかかると言うのに――邪魔者をそのままにしておくのか?
 もし、俺がアイツだったら…………!
 
「――! そこっ!」
 
 手に持った莫耶で刹那の背後を斬りつける。
 そこには人影。白髪の少年だった。
 
「――ちっ……!」
 
 舌打ちらしきモノをして大きく飛び退く。
 やっぱりいやがった……。
 俺だったら障害になるかもしれない連中がいるのに、それをそのままにして帰るなんてしない。
 倒れたアスナに気を向かせる事によって出来た隙に、闇討ちをかける。
 それはコイツも同じだったのだ。
 
「気付かれるとは……まあいい。ある意味賭けみたいな物だったからね」
 
 先程と変わらない感情の感じられない声と表情。
 それを油断無く睨む。
 
「こ、このかさんをどこにやったんですか……」
 
 ネギ君が怒りで震える声で言う。
 手には杖を握り、今にも飛び掛って行きそうだ。
 
「……みんなを石にして……このかさんをさらって……アスナさんにひどいことまでして。先生として、友達として……僕は――僕は! ……許さないぞ!!!」
 
 怒りを声に乗せ叩き付ける。
 とてもじゃないが10歳の少年には思えない迫力だ。
 
「……それでどうするんだい? ネギ・スプリングフィールド。僕を倒すのかい? ……やめた方が良い。君では無理だ」
 
 けれど白髪の少年はソレを柳に風、と事も無げに流した。
 白髪の少年の行っている事は正しい。
 今のネギ君では到底及ばない地点にコイツはいる。
 でも。
 
「……俺だっているさ」
「このかお嬢様を返してもらう」
 
 俺と刹那も並び立ち、白髪の少年を睨みつける。
 けれど、その様子を見た少年が呆れたようなため息をついていた。
 
「……確かに。赤毛の君。……君が相当にやっかいな相手であることは認めよう。大した魔力も保有していないだろうに僕と対等に戦えるのは正直感嘆に値する。だけどね……」
 
 白髪の少年がすっ、と腕を上げ、
 
「――1……」
 
 アスナを指差し、
 
「――2……」
 
 ネギ君を指差し、
 
「――3……」
 
 刹那を指差した。
 そして、最後に俺を見て――言った。
 
「――3人もの足手纏いがいて、僕に勝てるとは思わない方が良い」
「――っ! テメェ……!」
 
 こいつ、三人を人質に取りやがった――!
 三人を庇いながら戦うのであれば弱点から攻めると言外に込めやがった――っ!!
 周囲では刹那とネギ君が足手纏い呼ばわりされて、激昂しているのが分かる。
 だが、
 
「……くっ……」
「……ふん」
 
 動けないでいる俺を他所に、少年は水を身体に巻きつかせて――消えた。
 
「水を利用した『扉』……瞬間移動だぜ兄貴!? かなりの高等魔法だ……」
「士郎さん! ヤツを行かせても良かったんですか!?」
「…………良いわけあるか。でも……」
 
 あのまま戦ってたら――。
 
「……いや、なんでもない。それよりアイツを追いかけるぞ」
 
 頭を振って弱気を打ち消す。
 今はこのかの救出に全力をかけよう。
 
「……アスナさんはここで待っていて下さい。このかさんは僕が必ず取り戻します」
「え……う、うん……」
 
 見るとアスナはいつの間にかバスタオルを身体に巻いていた。
 恐らくネギ君がかけたのだろう。
 
「行きましょう二人とも! このかさんを助けに!」
「はい!」
「ああ、当然だ」
「――あ、待ってよ皆! 私も行くってば! 今着替えをッ」
 
 そして俺達は走り出した。
 大切な人を取り戻すと言う一つの思いを胸に――。
 
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
 ……退屈だ。
 
 パチン、という石を叩きつける音が室内に響く。
 
「ぬむ……? ……ま、」
「待ったは無しだ」
 
 待ったと、最後までは言わせない。
 ――ああー……退屈だ。
 私は暇を持て余し、ジジィの所で囲碁なんかを打っていた。それでも退屈な事に代わりは無い。
 そもそも悪いのはこのジジィなんだ! なーにが、護衛が欲しい、だ!
 そんなモン自分達の力で解決しろと言う話だ、できないんならさっさとくたばっちまえ!
 士郎がいないせいでお気に入りの店にも入れないし、茶も飲めない。
 その上、下らん呪いのせいで学園には強制的に来なければいけないと来ている。
 だいたい、なんでよりにも寄って士郎なんだ!?
 過剰戦力も良いところだ。私ほどではないが、士郎の実力は個人で『魔法世界』の正規騎士団の一部隊程度なら軽く凌駕している。言うなれば、ワンマンアーミーと言った所だ。
 そんな護衛を付けて……戦地にでも行くのかってもんだ。
 他を連れてけ、他を!
 
「…………はぁー……」
 
 せめて士郎さえいれば中庭でまったりとすると言う手もあったのだがな……。
 思わずその光景を想像する。
 抜けるような青空の下、レジャーシートを敷き、そこに私、士郎、茶々丸の三人で座る。
 私は適当にゴロゴロ寝転びながら本でも何でも流し読みする。
 士郎はそれを見ながらいつものような微笑みを浮かべて、頭の後ろで手を組んでは寝転び、気持ち良さそうに目を瞑る。
 茶々丸はそんな私達を見ながら甲斐甲斐しくも世話を焼く。
 そしてそんな私達の頬を撫でる暖かい風。
 
「――――む」
 
 いかん。――物凄く楽しそうだ!
 ええい、そう考えるとますますこのジジィに腹が立つ!
 士郎も士郎で二つ返事で了承なんかするんじゃない、全く……あのお人よしが。
 帰ってくるまで後……2日かぁー……。
 あいつ、土産に何を買ってくるんだろうな?
 定番で言えば八橋と言った所だろうが……京都に向かう前にメガネをかけて遊んでやったからな。拗ねて木刀とか変なペナントでも買って来そうだ。
 いつも私を子供扱いするクセに、自分だって十分子供だろうに。
 
「ん?」
 
 と、なにやら電子音のような物が聞こえた。
 何の音だ?
 
「……何じゃ、ケチじゃのう……年上のクセに。――もしもし、ワシじゃが……」
 
 見るとジジィが小型の機械を耳に押し当てていた。
 ……何だ、携帯電話か。
 私はどうにも機械やらハイテクとやらが苦手で携帯電話を持っていない。
 と言うか、我が家の連中は誰も持っていない。あれば便利なんだろうが……。
 常に私の傍らにいる茶々丸は別として、士郎は店だの何だので結構色々な所をほっつき歩くからな……コレを機に買ってみるか?
 ま、それもこれも士郎が帰って来てからの話か……。
 
「マスター、お茶が入りました。どうぞ」
「うむ」
 
 茶々丸から渡された茶を一口啜る。
 ジジィはまだ電話中。
 相手はどうやら坊やらしく、親書を渡しただの、御苦労御苦労だの、ジジィのいつものフォフォフォ笑いがウルサイ。
 が、
 
「――何じゃと?」
 
 態度が急変する。
 会話の内容を断片で聞くと、西の本山で何かがあったらしく、なにやら慌てている。
 それで坊やが助っ人を要請しているらしいが……あの士郎までもが出張っているのだ、これ以上助っ人なんぞ必要ないだろうに。
 まあ、いいさ。私には関係ないことだ。
 あのお人よしが何とでもするだろう。
 私は茶をすする。
 あー……退屈だ……。
 
「――今すぐそこに急行できる人材は…………ほ!」
 
 ジジィがなにやら私を見る。
 
 ――む、何だクソジジィ。マヌケヅラして私を見るな。
 
 
 



[32471] 第33話  奪還
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 22:17

 
 
 
「――そこまでだ! お嬢様を放せ!!」
 
 暗い森を抜けて、俺達は漸くその背中に追いついた。
 目の前には修学旅行初日に見た、妙齢のメガネ女と白髪の少年がいる。
 
「――なんや、またあんたらか」
 
 女は俺達を嘲笑うように、見下した目をしている。
 そしてその背後には着ぐるみのような式神がこのかを抱えて立っていた。
 このかは両手両足を縛られ、口には何かの札のようなもので塞がれていた。
 意識は失っておらず、俺達を見ると声も出せないのに何かを訴えるようにもがいている。
 ソレを見た全員がピリピリとした気配を発しているのが感じられる。
 
「天ヶ崎千草! 明日の朝にはお前を捕らえに応援が来るぞ。無駄な抵抗はやめ、投降するがいい!」
「ふふん……応援がなんぼのもんや。あの場所まで行きさえすれば……」
 
 あの場所。
 やはりどこか明確な目的地があるのか。
 
「――それよりも」
 
 そう前置きして女は俺達を見渡した。
 そして不敵に笑う。
 
「あんたらにもお嬢様の力の一端を見せたるわ。本山でガタガタ震えてれば良かったと後悔するで」
 
 女はそう言うと、傍らのこのかの胸元に術符らしきものを貼り付ける。
 すると、それは淡い光を放って、このかは呻き声らしきものを漏らした。
 
「――貴様! お嬢様に何を……!!」
「待て刹那! なにか様子が変だ」
 
 このかの異変に激昂する刹那を抑える。
 それを見た女は楽しそうに口元を歪めた。
 そして――、
 
「――オン」
 
 と、唱えた。
 異変は瞬時に。
 女を中心に光の柱が地面から立ち上ったのだ。
 それは時間と共に数を増していき、今では数え切れない程の光の柱が俺達までもを取り囲んでいる。
 
「キリ、キリ、ヴァジャラ、ウーンハッタ――」
 
 女は唱え続ける。
 ――これは、真言(マントラ)か?
 俺がそう思ったのと同時に、光は光度を増して輝いた。
 瞬間、
 
「――なっ!?」
 
 驚きの声は誰のものか。
 けれどそれも無理は無い。
 立ち上る無数の光の柱。
 そこから――異形が現れた。
 人間とは異なる進化を遂げたであろうと思われる牙、角、体躯、容貌。
 多種多様な種族がいるのだろう、大小様々な背格好は俺の腰程までしかないモノから3mに届こうかと思われる巨躯までと幅広い。
 手には各々が得物を携えたその様を一言で表すならば、
 
「――鬼」
 
 正にそれだった。
 
「ちょっとちょっと! こんなのありなのーー!?」
 
 アスナが怯えているのが分かる。
 無理も無い。いくら強がっていると言ってもアスナは普通の女の子、驚かない方がどうかしている。
 
「――やろー、このか姉さんの魔力で手当たり次第に召喚しやがったな」
 
 カモがぼやく。
 そうか、あの術符はこのかの魔力を引き出す為のものか。
 このかの力がこれ程までとは……聞いてはいたが目の当たりにしてみると度肝を抜かれる。
 
「……か、数え切れない位いる……」
 
 ネギ君の息を飲む声。
 その声に釣られる様に周囲を見渡す。
 俺達はいつの間にか無数とも思えるほどの異形の軍団に取り囲まれていた。
 
「……あんた等にはその鬼どもと遊んでてもらおか。神鳴流は手強いようやし訳の分からん兄さんもおる……ウチからのプレゼントや。黙って受け取っとき。ま、ガキやし殺さんよーに”だけ”言っとくわ。安心しぃ」
 
 ほな、と言って女は俺達を置き去りにして姿を消した。
 そしてその後に白い髪の少年が続く。
 その去り際に、
 
「……懲りもせず足枷をつけて来るなんて……よっぽど君は死にたがりらしいね」
 
 なんて言い残して行きやがった。
 それに舌打ちして答える。
 俺だって、本当はアスナだけでも置いて来たかったのだ。
 しかし、あんな所に一人で置いてくる方がよっぽど危険だ。アスナ自身、行くと言って聞かなかったのもある。
 だから俺も連れて来たと言うのに……裏目に出たか。
 
「ま、待て!!」
 
 刹那が追い縋ろうとするが、周りを大軍に囲われてはそれもできない。
 周りを見回して舌打ちをしていた。
 
『何や何や。久々に呼ばれた思ったら……』
『相手はおぼこい嬢ちゃん、坊ちゃんかいな』
『悪いな嬢ちゃん達。呼ばれたからには手加減できんのや。恨まんといてな』
 
 あちこちから嘲る声が聞こえる。
 人語を話しているが、あまりにも野太い声は鬼の声そのものだ。
 
「――シ、シロ兄……こ、こんなの……流石に私……」
 
 アスナが俺の服の裾を握った。
 見るとアスナは、顔面を蒼白にして恐怖で噛みあわない奥歯をガチガチと鳴らしている。
 いつも気丈なだけにその姿は痛々しい。
 くそっ! やっぱり置いてくるべきだったか……!
 しかし過去を悔いても今更どうする事も出来ない。
 今は出来ることをしないと……。
 
「……アスナ、俺の側を絶対に離れるな。大丈夫。絶対にお前達を日常に返してやるから」
 
 勿論このかもな、そう言ってアスナの震える手を握ると、幾分か震えが収まった。
 アスナに言った言葉は同時に自身への戒めでもある。
 そうだ。俺にはこの子達を日常に帰すと言う大きな使命があるんだ――!
 
「兄貴、時間が欲しい。障壁を!」
「OK! ラス・テル…………」
 
 ネギ君が術を紡ぐ。
 確かに今は少しでも時間が欲しい。
 このまま無闇に戦っても埒が明かないからだ。
 
「――我等に風の加護を! 『風花旋風風障壁』!!」
 
 瞬間、俺達は竜巻の中心に立っていた。
 激しい旋風が俺達を取り囲み外部からの異物を寄せ付けない。
 
「こ、これって!?」
「風の障壁です。ただし2,3分しか持ちません!」
「よし! 手短に作戦立てようぜ!? どうする、こいつはかなり不味い状況だ!」
 
 カモの言うコトは尤もだ。
 俺達は大軍に囲まれ、この場所に釘付けされている。
 そして運良くここを抜けたとしても、向こうにはあの白髪の少年がいるのだ。
 
「――二手に別れる。これしかありません」
 
 刹那が言う。
 確かに簡単に言ってしまえばそれしかないのだが……。
 
「けど刹那。その場合、どういう編成にするって言うんだ」
 
 問題はそこだ。
 現状であの白髪の少年を抑える事が可能なのは俺ぐらい。
 けどその場合こちらが手薄になってしまう。
 いくら今の刹那が強いといってもこの数を相手にするのは無茶だ。
 例えそこにネギ君やアスナが加わった所でソレは変わりはしない。いや、酷かも知れないが、むしろ足手纏いにしかならないだろう。
 だって言うのに、
 
「……私が一人でここに残り鬼達を引き付けます。その間にお三方でお嬢様を追って下さい」
 
 なんて言いやがった。
 
「ええっ!?」
「そんな刹那さんっ!」
 
 当然、アスナやネギ君も驚く。
 刹那はそんな二人を見て苦笑いを浮かべる。
 
「……任せて下さい。ああいう化け物を退治調伏するのが元々の私の仕事ですから……」
 
 刹那自身、無理だと理解しているんだろう。
 その言葉は強がりにしか聞こえない。
 それでも俺を見た。強い瞳で。
 
「――士郎さん、許可を。貴方が私にこの場を任せてくれると言うならば、その期待に全霊を持って応えましょう」
 
 だからその間にお嬢様を。
 刹那の瞳はそんな風に語っていた。
 俺はその瞳で刹那の想いを再認識した。
 刹那は本当にこのかが大切なんだ。それこそ命を掛けられる位に。
 
「…………」
 
 ……そんな刹那の想いを無駄になんてできない。
 だからこそ俺は刹那の意思を汲み取って……言った。
  
「できるか馬鹿」
 
 予想外の答えだったのだろう。
 刹那がぽかん、とした顔をしている。
 
「――っ。し、しかしそれではお嬢様が……!」
 
 刹那が俺を見る。
 なぜ許可してくれないのか、と。
 それが最善の手だ、と。
 ……こいつ、本気で言ってんのか……。
 
「あのな刹那。誰もそんなこと望んじゃいない。お前が犠牲になるとか、このかが助けられないとか。――いいか、両方だ。俺達は誰一人欠ける事無く帰るんだ。それ以外の考えなんて始めから却下だ、馬鹿」
「――――」
 
 刹那が目を丸くする。
 そんな考えは始めから無かったとでも言うように。
 
「――はは……シロ兄らしい」
 
 アスナが震える声で笑う。
 
「はい、衛宮さんらしい、です」
 
 それに釣られるようにネギ君も笑った。
 張り詰め過ぎていた空気が少しだけ緩む。
 刹那にもそれが伝わったのか、少しだけ呆れながら、それでも笑って「わかりました」と頷いた。
 
「で、旦那。俺っちも旦那の考えに賛成っすけど……どうするんで?」
「……ああ」
 
 少し考えて要点を纏める。
 別に難しい事は無いのだ。やる事は一つだけ。
 このかの救出。
 この一点だけだ。
 あいつ等が何を考えて何をしようとしてるかなんて事は知った事じゃない。
 あいつ等はこのかの力を必要としているのだから、このかさえ奪い返してしまえば全ては破綻する筈だ。
 要はこのかを取り返したらさっさと逃げれば良い。
 それ等を踏まえた上で言えば、別にあの白髪の少年と戦う必要だってないんだ。
 即ちコレはスピード勝負。
 救出と言ってぞろぞろと着いて行っては、かえって邪魔にしかならない。少人数であればある方が有利なのだ。
 
「…………」
 
 立ち並ぶ面々を見る。
 最適なのは……誰だ。
 アスナを見る。
 
「…………?」
 
 俺の視線を受けてアスナが小首を傾げた。
 この子は最初から除外。『仮契約』によって多少力が使えると言っても只の女の子なんだから。
 次は……俺。
 このかの救出だけを一番に考えれば、それ以外は無いのかも知れない。
 例え、あの白髪の少年に妨害されようとも、戦っている間にこのかを逃がす位の事は出来る筈だ。他の連中が出てきたとしても、防戦に徹すればなんとかなるだろう。
 だが、そうしてしまうと、その間にこちらの鬼達に残された面々が全滅させられる可能性が高いのだ。
 この鬼達は外見こそ恐ろしく、固体によって力のバラつきもあるが、一体一体は刹那に遠く及ばない。それこそ100や200だったら問題なく叩きのめすだろう。だが、今の数はそれ所ではない。数え切れないので正確な数は分からないが間違いないなく500~1000を遥かに上回っている。
 幾ら刹那でも到底耐え切れるものではない。そこにネギ君が加わってもその結果は変わらないだろう。
 よって、俺がここを離れるわけにはいかない。
 
「…………」
 
 続いて刹那を見る。
 現状で言えば最適。
 白髪の少年に拮抗するのは無理でも、刹那の実力なら防戦、逃げに徹すれば少しなら何とかなる。
 加えて、刹那にはあの”翼”がある。スピードも申し分ないだろう。その点は俺以上に有利だ。
 刹那自身は躊躇するかもしれないが、あの翼は今回のようなスピード重視の作戦には最適なのだ。
 ……だが、問題もある。
 それは刹那のこのかへ対する”想い”だ。それ自体が悪い事だとかは言わない。むしろ良いことだと思う。
 けれど、このかに何かがあった場合、その強い想いが逆に仇になる。
 刹那のこのかを想う気持ちは容易く刹那を暴走させてしまうだろう。
 側にストッパーでもいれば話は別だが……却下だ。
 そうなると――、
 
「ネギ君、いけるか?」
 
 消去法になってしまうが……この子にかけるしかない。
 
「僕……ですか?」
「ああ」
 
 ネギ君の力では白髪の少年に遠く及ばないが、逃げるだけなら何とかなるハズだ。
 戦うわけじゃないんだ、魔法を目くらましや撹乱に使えば不意をつく事も出来るだろう。杖で空だって飛べる。
 その間にこのかを連れて俺達の所まで戻ってきてくれれば、後はどうとでもなる。
 
「悪く、ねぇな……」
 
 カモも同じような考えに到ったのだろうか、賛同を示した。
 
「問題は姐さんへの魔力供給か……。いくら旦那がこっちに残るって言っても、姐さんの力を上げておくに越したことはねぇ。兄貴、魔力供給を防御とかの最低限にして最大何分まで伸ばせると思う?」
「う……術式が難しいけど5分……いや10分……ううん15分は頑張れる!」
「15分か……短いが仕方ねぇ。――旦那」
 
 カモが俺を見る。
 俺はそれに頷き返すと説明を始める。
 
「よく聞くんだ、皆。鬼達は俺と刹那、それにアスナでなんとかする。その間にネギ君はこのかの救出を最優先にして奪取に向かう。このかを取り戻したら即離脱。白髪の少年には絶対に構うな。その後は俺達に合流。俺が殿を務めている間に本山へ戻り、篭城戦だ。時間は明日の朝帰って来るって言う西の術師達が来るまでだ」
「……そう上手くいくでしょうか?」
 
 刹那の疑問も確かだ。
 穴だらけでその場凌ぎなのは俺でも分かっている。
 
「分の悪い賭けだってのは俺も分かってる。けどそれ以外に手は無い筈だ……」
「俺っちも同感。他に代案があるか?」
 
 刹那が少し考える仕草をする。
 しかしすぐに頷いた。
 
「…………分かりました。それで行きましょう」
「決まりだな!! よし、そうなったら”アレ”もやっとこうぜ! ズバッと、ブチュッとよ!」
 
 カモが興奮気味に言う。
 ”アレ”って…………何の事だ?
 
「アレって…………まさか」
 
 アスナには心当たりがあるのか、このような状況だと言うのに、カモをジト目で見る。
 けれどカモはそれを意に介さず続けた。
 
「キッスだよ、キス! 兄貴と『仮契約』!」
「――――は?」
『えええぇぇーーーっ!?』
 
 疑問は俺。驚きは刹那とネギ君。
 それを尻目に踊り出さんばかりに興奮して言うカモ。
 『仮契約』って……アレか。ネギ君とアスナがしているヤツ。
 エヴァから借りた本に書いてあった内容だと、魔法使いと仮にとは言え、契約を結ぶ事によって『魔法使いの従者(ミニステル・マギ)』と呼ばれる存在になるらしい。その『魔法使いの従者』となった存在は、主である魔法使いから魔力提供を受ける事により、肉体的にも精神的にも大幅に強化されると言う事だ。、また、それによって個人によって違う『アーティファクト』と呼ばれる特殊な魔道具が与えられ、例えばアスナのハリセンがそれにあたる。その他にも通信など色々な事が可能らしい。だからこそアスナもそこそこ戦えている訳なのだろうが……。
 ――――今か?
 
「緊急事態だ! 手札は多い方がいいだろうがよぉ!!」
 
 勢いに任せて押し切ろうとカモが叫ぶ。
 けど、なにやら刹那は何かを気にしている感じだった。
 
「……い、いえ。しかし……私は……」
 
 なにやら落ち着かない感じだ。視線を彷徨わせては時たま俺の方を向くと慌てて明後日の方向を見る。
 ……どうしたんだろうか。
 そりゃ、キスなんて一大事で落ち着けって方が無理かもしれないし、刹那には想い人とそうして欲しいと思うけど、カモの言い分も分かるつもりだ。
 手札が大いに越した事はない。
 俺だって魔術師だ。
 元いた世界でも似たような事を……。
 
「…………?」
 
 ――したんだっけ?
 それはそれとしても、手札が少しでも多い方が良いことに変わりは無い。それが分からない刹那でもないと思うんだが……。
 刹那は何かを気にしてか、しきりにチラチラと俺の方を気にしている。
 多くの人に見られているという状況が落ち着かないのだろうか。
 
「ん? なんだ、旦那の方が良いのか? 俺っちとしては兄貴の方がありがたいんだが……」
「――い、いい、いえ!? そんな恐れ多いッ!!??」
 
 カモの言葉に可哀想に思える位慌てる刹那。
 何を言ってるんだか……ったく、そんなわけないだろうに。
 
「カモ、こんな時にあんまり刹那をからかってやるな。純情な子なんだから。ネギ君に比べて俺が良いなんて事ある筈ないだろ? それに俺には『仮契約』なんてできないぞ」
「できないって旦那……なんでまた?」
「まあ、そう言う体質で……」
 
 あながち間違っちゃいないだろう。
 出来るかどうか知らないが、俺はそもそも魔法使いじゃなくて魔術師だ。
 根底からして違うんだから同じ術式が俺にも当てはまるとは思えない。
 かと言ってそれを説明する訳にはいかないが。
 
「さあ、そろそろ時間だ。どうするかは二人が決める事、俺は後ろを向いて見ないようにしてるから早く決めた方が良い」
 
 そう言って後ろを向く。
 その間際。
 
「――――ぁ……」
 
 刹那が一瞬だけ悲しい顔をしていたような気がするが、見間違いだろう。
 背後からは俺を見ているような視線を感じる。
 そして、
 
「……すいません、ネギ先生」
「い、いえ……あの、こちらこそ……」
 
 そんな声だけが聞こえた。
 そして次の瞬間。溢れんばかりの光が周囲を包んだ。
 風の壁に包まれて狭い空間を染め上げる暖かい光。
 恐らく『仮契約』の儀式が終わったのだろう。
 それでも俺は振り返らずに弱まりだした風の向こう側を警戒する。
 
「先生……このかお嬢様を頼みます」
「……はい」
 
 希望を託す者と希望を叶える者、そんな両者の声が聞こえた。
 
「風が止む! 来るわよ!」
 
 アスナが叫んだ。
 その言葉の通りに風は勢いを失い、今にも止んでしまいそうだった。
 
「…………」
 
 ネギ君が俺の隣に並び立ち、飛び出す準備をする。
 その背中に最後に語りかけた。
 
「――ネギ君。もう一度言うが白髪のヤツとは絶対にやり合うな。一撃離脱を心掛けてこのかを取り返したら全力で逃げるんだ。……いいな?」
「はい!」
 
 強く頷いて術を紡ぐ。
 そして、今――戦いの幕が開いた。
 
「――『雷の暴風』ッ!!」
 
 ネギ君から放たれる雷撃が鬼達を飲み込んで行く。
 ネギ君はそれに紛れるように杖に跨ると、文字通り高速で飛び出して行った。
 
『オヤビン! 逃がしちまっただ!』
『……20体は喰われたか』
『やーれやれ、西洋魔術師にはわびさびってもんがなくてアカン』
 
 そんな声が聞こえる。
 鬼達は飛び出して行ったネギ君を見ているようだった。
 
「――行くぞ」
 
 一歩、足を前に踏み出す。
 眼前には視界を覆いつくさんがばかりの鬼の大群。その様はまるで、ここが地獄なのではないかと思ってしまうくらいだ。
 両手には夫婦の双剣がすでに握られている。
 こうなった以上、前にいる鬼達は既に日常への帰り道を塞ぐ障害でしかあり得ない。
 ならば蹴散らすまで。
 
 
 ――――さあ、出番だ。日常への道を切り開こう。
 
  
「――刹那、二段構えだ。アスナを中心とした円で攻めるぞ。俺が前に出て大方を蹴散らす。取りこぼしは任せた」
「はいっ!」
「アスナ、お前は自分の身を守る事を第一に考えろ。……大丈夫、怖がる必要は無いさ。妹分であるお前に届く前に俺が全部蹴散らしてやっから」
「……うん、シロ兄」
 
 両手に握った干将莫耶を強く握り眼前の鬼達を睨む。
 腰を落とし、力を込めて爆発の瞬簡に備える。
 
『こいつはこいつは……勇ましい連中やな……』
 
 多勢に挑むと言う俺が可笑しいのだろうか、鬼達は笑った。
 
 ――笑いたきゃ今のうちに笑っとけ、次の瞬間には笑えなくしてやる。
 
 思考は瞬時に切り替わり、立ち塞がるもの全てを薙ぎ倒す機械へと変わり果てている。
 体内の魔術回路は既に運転を開始。
 後はアクセルを踏み込むだけだ。
 
「俺もあんた等に恨みなんて無いけどよ……俺には守るべきモノがあって、あんた等はその障害でしかないんだ――」
 
 前傾姿勢になり、太腿に力を込める。
 その姿は号砲を待つスプリンターにも見えるかも知れない。
 始まりを告げる拳銃は己の内に。
 心の中で撃鉄をあげて引き金に手をかける。
 
 
「――障害は取り除く為にある……だろう?」
 
 
 引き金を引き、弾丸の勢いで鬼達に突っ込む。
 さあ、鬼退治といこうじゃないか――――!
 
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
 
「おおおおおおぉぉぉーーーーっ!!」
 
 両手の干将莫耶を振るう、振るう、振るう――!!
 迫り来る鬼達の額を斬りつけ、目を突き刺し、首を跳ね飛ばし、頚椎を破壊する。
 思考はより速く。振るう腕は更に速く。
 躊躇なんかしない。最小の動きで最大効率の屍を積み上げていく。
 どれ程時間が経っただろう。
 倒した鬼達の数は300まで数えていたが、それ以降は覚えちゃいない。
 鬼達は倒されると煙のようになって消えていくので数も確認できないからだ。
 
 どうでも良いことか……どっちにしろ俺は全てを倒すまで止まれないんだから――!
 
 身体を独楽のように回転させ、周囲の鬼を切り刻む。
 それで7体、また煙へと変わっていく。
 
「――ふっ!」
 
 一瞬だけ出来た空間で、最大の魔力を干将莫耶に叩き込んで左右に投げ放つ。
 岩をも容易く砕く一投は鶴翼の軌跡を描いて鬼達を削り取りながら飛んで行く。
 
「――投影・開始(トレース・オン)」
 
 武器を手放した俺を見て好機と思ったのか、殺到した鬼達をもう一度創り上げた干将莫耶で叩き斬る!
 大きな鬼が頭上から大きな棍棒を振り上げ圧壊せんと叩き落す。それを、左手に持った莫耶で得物ごと叩き切って、右手の干将で心の臓を一突き。
 鳥のような頭をしたヤツが、背後から横薙ぎに大きな剣で俺の首を飛ばそうと迫る。俺は低空の前方宙返りをしてそれをかわすと、回っている視界のまま、その勢いを相手の顎を踵で蹴り上げる力に変換。仰け反った所を視界が天地逆のまま両手を交差させ、Xの字に身体を引き裂く。
 着地と同時に長い槍が心臓を貫こうと突き込まれる。身体を僅かに傾け、槍の柄の部分を脇で挟み込むと、その勢いを更に倍加させて反対側にいた鬼の顔面に突き立てる。そのまま棒術の要領で持ち主から奪い取ると、喉目掛けて柄頭を突き込んだ。
 長柄の槍を脇に挟んでいる為に動けないでいる俺目掛けて、またも無数の鬼達が我先にと迫る。
 それを、
 
「はっ――」
『なっ!?』
 
 まるで棒高跳びだなと内心思う。
 俺は長い槍を地面に突き刺し、それを利用して棒高跳びのように鬼達の遥か上空にいた。
 突然目標が目の前から消え、戸惑う鬼達。近距離にいればいるほど、さぞかし消えたように見えた事だろう。
 そしてそこに迫るもう一つの俺の武器。
 干将莫耶。
 俺の手にあるもう一つの番いを求めて、大きな弧を描き再度飛来する。
 だが、飛来した干将莫耶にとっても突然消えた俺の動きは予想外だったのか、飛んできた勢いをそのままに俺の下を通過してもう一度飛んでいく。
 そして、
 
「――壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)」
 
 瞬間、巻き起こる爆炎。
 二箇所で同時に起こった爆発に戸惑う鬼達。
 それを尻目に、槍の上でそのしなりを使って跳ぶと、刹那達がいる所に一度戻る。
 
「二人とも、無事か?」
 
 俺がそう聞くと二人は呆けたように只、頷くだけだった。
 揃って目を丸くして俺を見てる。
  
「……えっと……シロ兄が強いってのは知ってたつもりだったけど…………シロ兄、人間?」
「む。ヒドイな、アスナ」
 
 結構失礼な事を言うアスナだった。
 大体、そんなこと言ったら本気中の本気のエヴァだったらもっとスゴイってんだ。あの夜のエヴァは力だけは本気だったようだが、むしろ楽しんでいた感があったから、本当だったらもっともっと凄かった事だろう。今にして思えば、アレは俺もエヴァもお互いにじゃれ合ってただけなのかもしれない。
 
「……だって……ねえ?」
「え、ええ……今のを全力と考えると、私と初めて手合わせした時、どれ程加減されていたのかがハッキリと分かりました。――改めて感服しました。流石、士郎さん。貴方を師として教えを請えるのは私の誇りです」
 
 アスナが同意を求めると刹那もそれに従っていた。
 お前もか……。
 いや、刹那はそう言うけど……今だけだと思う。
 刹那もそうだけどネギ君だって将来的には俺を超える事だって出来る筈だ。
 資質で言えば二人は俺の遥か上を行っている。あとは時間と鍛練の問題だろう。
 現に、刹那はわずかな期間で面白いくらいに腕前を上げたんだから。
 ……でも、今はそれでいいか。
 俺はこの子達が力を付けるまでの宿り木となろう。
 いつか飛び立つ日が来るその時までは、どんな雨風にだって耐えていく大きな木になろう。
 そして、向かい風になろう。
 高く高く……誰にも、何物にも負けない位の高さで飛べるように、空高くへと舞い上がらせる向かい風になろう。
 
「しかし……こうも圧倒的だと私がいる意味がありませんね……」
 
 刹那が困ったような、寂しいような、なんとも言えない表情で笑った。
 ……何言ってるんだか。
 
「そんな事無い。お前がいるから俺は後ろを気にせずに戦えてるんだ。だから”いる意味が無い”、なんて事はあり得ないんだからな」
「――ありがとうございます、士郎さん」
 
 刹那が花が咲いたように微笑む。
 だけど俺は事実を言ったまでだ。
 刹那がいるからこそ思いっきり戦えてる。刹那がいなかったら、俺はあんなに突っ込んで行って戦うなんて戦法取れないんだから。
 刹那がアスナを守っていると確信できるからこそ、俺は後ろを気にせずに戦える。
 
「――あのー……、でも……私は?」
「あー……」
 
 アスナが気まずそうに恐る恐ると手を上げた。
 ………………ヤバイ。なんて言ったら良いかわからない……。
 でも黙ってるわけにはいかないし……。
 
「そのー……なんだ。……え、がお? ……そう笑顔……笑顔! うん、お前の笑顔を守れるからこそ俺はこんなにも頑張れるんだ!」
「…………それって役に立ってないって事?」
「い、いや! そんな事無いぞー、笑顔のパワーはスゴイんだぞー」
「……シロ兄、私の目を見て言って」
「………………う」
「………………」
「――っ」
「………………………………」
「………………………………うぅ」
「………………………………………………………………」
「…………ごめんなさい」
「……良いわよ、ホントの事だし」
 
 ちょっと涙目でプイッ、とそっぽを向くアスナ。
 別に悪いことじゃないだろ!? 普通の女の子なんだからさ! むしろ戦えてたら俺が引く!
 ……や、ちょっとでも戦えてる辺りで十分過ぎるくらい引くんだけどさ……。この子、何者なんだろ?
 
『……なんやゴッツイ兄さんがおるなぁ……』
『……オ、オヤビン……鬼が、鬼がいますぜ……』
『――本物のワイ等が言う台詞やないけどな』
『……何体喰われた?』
『えっと……分かりまへん。とにかくぎょうさんやられましたわ』
 
 鬼達の怯む声が聞こえる。
 まだかなりの数が残っちゃいるが……もう一息か。
 俺は再度、四肢に力を込めて突撃をかけようと思考を切り替える。
 その時、
  
 ――遠くで大きな光の柱が上がった。
  
「――なんだアレ」
「あ、あの光の柱は!?」
 
 俺も刹那も立ち尽くしてその光景を見る。
 なんだ、あの光は。
 
「――」
 
 ……待て……。
 あの光の柱、規模こそ桁違いだけど――さっきの鬼達の召喚と同じなんじゃないか!?
 だとしたらマズイ。
 単純に規模だけを比べたとすれば、先程の光の数十倍もの大きさの光の柱。そしてもし、その大きさが召喚するモノの大きさに比例していたら――?
 もしもこの予想が当たっているのだとすれば――!
  
「――どうやらクライアントの千草はんの計画上手くいてるみたいですな~。あの可愛い魔法使い君は間に合わへんかったんやろか~……」
 
 場にそぐわない暢気な女の子の声が聞こえた。
 そこには修学旅行の初日に少しだけ見た事のある、小柄で可憐と言う言葉が似合いそうな少女が立っていた。
 
「ま、ウチには関係ありまへんけどな~……刹那センパイ♪」
「――月読!!」
 
 刹那はその少女を見た瞬間警戒を強めた。
 なるほど……見た目は少女そのものだが相当の使い手だ。
 刹那の警戒も頷ける。
 
「――くそっ」
 
 どうする?
 事態はここに来て最悪と言っても過言ではなくなった。
 光の柱。
 新手の少女。
 ……ネギ君の所に加勢を送るか? なにが起こっているかは分からないが想定外の出来事が起こっているのは間違いない。
 もしかしたらネギ君だけではきついかも知れない。
 でもその場合、誰を送る?
 俺が行くか?
 鬼達は数を減らしたと言ってもまだ相当の数が残っている。
 刹那一人では苦しい数だろう。
 加えてあの少女。
 幾ら刹那でも鬼達からアスナを守りながらでは無理がある。
 刹那を行かせるか?
 俺ならアスナを守りながらでもあの少女と戦う事は可能だ。
 それに刹那ならいざとなったら飛行もできるので機動力としてもネギ君と相性がいいだろう。
 ……よし。
 
「刹那、お前はネギ君の加勢に向かえ」
「――! し、しかしそれでは……っ!」
 
 こちらが手薄になる、とでも言いたいのだろう。
 
「いいから行け。俺達なら問題ない。それともアレか? 刹那は俺が信用できないか?」
「そ! そのような事はっ」
「だったら偶には俺にも師匠らしい事させてくれ。――任せろ、お前の師はそんなにも柔なのか」
「――士郎さん」
 
 ぐっ、と俺を見つめる。
 それを視線を逸らすことなく受け止める。
 
「……わかりました、この場をお願いします」
「任された」
 
 託された信頼を余すことなく受け止める。
 そして俺も信頼を託した。
 
「――じゃ、じゃあ私も、私も行く!」
 
 が、突然アスナがそんな事を言う。
 
「お前も行くって……な、何考えてんだ! お前は普通の女の子だろ!? ここにいるんだ、俺が絶対に守ってやるから、だから!」
「……うん。シロ兄の気持ちは本当に嬉しい。――でもね、シロ兄。ネギのヤツは一人なの。あんなガキのクセしてこのかを助けようと一生懸命に頑張ってんのに。そして私はそんなアイツのパートナーなの。シロ兄や刹那さんみたいに全然強くなんて無いけど、私はアイツのパートナーなのよ……っ。だから行かなきゃ! 私、役立たずかもしれないけど、何もしないでいるだけなんて出来ないっ! シロ兄が私を守りたいって言ってくれてるみたいに、私もアイツを守りたいのよ――!!!」
「――アスナ、お前……」
 
 言葉が……無かった。
 少し勝気だけど普通のか弱い女の子だと思ってたのに……こんな強さがあるなんて。
 この子は俺なんかが思ってるよりもずっと大人なのかもしれない。
 
「…………シロ兄」
 
 アスナは俺を真剣な瞳でずっと見ていた。
 そこに宿るのは揺ぎ無い決意の炎。
 …………ったく、なんで俺の周りの女の子ってのはこうも強情なのが多いんだよ。
 
「刹那。悪いがアスナも連れて行ってやってくれ」
「シロ兄!」
「……宜しいのですか?」
「ああ。コイツの事だ、どうせ言っても聞かないだろうし、下手したら一人で飛び出して行きそうだ」
 
 アスナの頭を乱暴に掻き回す。
 それをアスナは目を細めながら「えへへ」とか笑いながら受け止めた。
 ……わかってんのかコイツ。自分がどんだけ無茶な事しようかって事が。
 
「分かりました。アスナさんは私が必ず」
 
 刹那がそう言った瞬間だった。
 ――それは現れた。
 
「――くそっ、嫌な予想ってのは当たるもんだな」
 
 思わず毒づく。
 遠くに視線を合わせると、光の柱の中には巨大な人のようなシルエットが浮かんでいた。
 その大きさはここからでは分からないが、その上半身だけで馬鹿げたことに数十mはありそうだ。
 人と違うのは手が四本に顔が前と後ろ両面に在ると言うコト。
 今までの連中を鬼と呼ぶならアレはさしづめ鬼神と言った所か。
 
「時間が無い、急げ刹那、アスナ!」
「はい! 明日菜さん、行きます!!」
「う、うん!」
 
 二人は走り出す。
 その背中を追う人影が一人。
 
「センパイ、逃げるんですか~?」
 
 小柄な剣士の少女、月詠だ。
 執念のようなものを発しながら刹那に追い縋ろうとする。
 それを、
 
「行かせるかよ」
 
 その前に立ち塞がる。
 月詠は急停止して、不機嫌そうに俺を見た。
 
「あん、お兄さん、どいてくれませんか~? ウチ、センパイに用事あるんですけど~」
「……悪いな、ここから先は行き止まりだ。回り道もない。君にはここで引き返してもらう」
 
 剣を構える。
 さて……ああは言った物の、結構難しいぞ、これ。
 負ける気はしないが問題はその数だ。
 馬鹿正直に俺目掛けて来てくれる分には構わないが、鬼達全部がバラバラになって動き出したら流石に取りこぼしが出てしまう。
 だからと言って、今、刹那達にこいつ等を追いつかせる訳にはいかない。
 ……やるしかない。
 そう、覚悟を決めた時だった。
 
「――傭兵は入り用かな?」
 
 そんな声と同時にパスッ、と言う微かな発砲音が連続して聞こえた。
 放たれた音は的確に鬼達の急所へと命中しその数を減らしていく。
 
『これは……術を施された弾丸…………何奴!?』
 
 鬼が騒ぐ。
 しかし、俺には想像がついていた。
 
「龍宮さん……」
 
 現れたのは想像通りの女の子。
 長身と浅黒い肌に長い髪を夜風に舞わせた龍宮真名、その人だった。
 その手にはライフルのような物が握られている。
 
「こんばんは、衛宮さん。余計なお節介かも知れないが……仕事の押し売りに来た。雇ってくれるかな?」
 
 冗談めかした風に言う。
 そしてその長身に隠れていたのか、背後からもう一人、女の子がヒョコリ、と顔を覗かせた。
 
「うひゃー♪ あのデカいの本物アルかー? 強そアルねー♪」
 
 小柄で無駄の無い身体をチャイナ服に包んだ可愛らしい女の子だった。
 ……あれ、この子、確か図書館島に行った時に見た子だ。
 確か……そう、古菲(クー・フェイ)って子だ。
 
「――君達、どうしてここに……」
「なに、今言ったようにお節介の押し売りだよ。それに先程綾瀬から連絡があってね、私も級友に頼られたとなっては無碍にできないのさ」
 
 龍宮さんはどこまで本気なんだか、やれやれ、と肩を竦める。
 
「おー! そこにいるのはテンチョーさんアルねー。こんな所で奇遇ね~♪」
 
 緊張感を感じさせないで手をパタパタと振る。
 なるほど……どういう経緯でここを知ったか分からないけど”助っ人”ってわけか。
 確かにこの子達二人の力を合わせればここにいる連中をこの場に釘付けに出来るだろう。
 この際しかたないか……。
 
「……押し売りって言ってたな。それは幾らでだ?」
「ほう? 買ってくれるのかい? いや、それはありがたい。私としてもここまで来て無駄足で帰るのは気が引けててね。そうだね、押し売りだし初回って事でサービス料金だ。そちらの言い値で引き受けようじゃないか」
「生憎持ち合わせが少ない身でな。……うちの店で一週間、食事を無料で提供するってのはどうだ?」
「…………………」
「…………………」
「…………十日だ、それで手を打とう」
「はは、了解。デザートも付けよう」
「……ふっ、是非も無い」
「そっちの君もそれでいいか?」
「おろ? 私もアルか?  それは嬉しいアルね~♪ 勿論乗ったよ!」
 
 こんな状況だと言うのに笑い合う。
 ――さて、それじゃ。
 
「二回戦と行こうか――!!」
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
 剣をひたすらに振るう。
 無数の剣戟で無限と思われた軍団を有限にまで引き下げる。
 時折攻め込んでくる月詠とはまともにやり合わず、打ち込まれる剣を全て流しては放り投げた。
 鬼達の数は見る見るうちにその数を減らしていく。
 その殆どが俺である事に変わりは無いのだが、二人の力も決して小さくはない。
 龍宮さんは手にした得物をライフルから二挺拳銃に切り替え、弾幕を張って鬼を蹴散らしていた。
 もう一人の古菲と言う子は、中国拳法の八卦掌や形意拳をベースとした体術を駆使して、自分の倍はあろうかと言う鬼達を吹き飛ばしている。武器を持つ鬼達には手にした子母鴛鴦鉞(しもえんおうえつ)と呼ばれる双器械を両手に構えて防ぎ、攻撃をしていた。
 こちらの状況は助っ人の登場で好転している。
 だが、遠くには未だに聳え立つ鬼神が見える。
 それに内心で焦りを覚える。
 
 ――刹那はまだ着かないのか?
 ――皆になにかあったんじゃないのか?
 ――白髪のアイツにやられてしまったんじゃ?
 
 不吉な考えが頭をよぎっては離れない。
 見えないと言うコトがここまで不安になるとは……。
 そんな時だった。
 
 
『――坊や、聞こえるか? 坊や』
 
 
 耳に馴染んだ、鈴のような”アイツ”の声が頭の中に響いたのだ。
 
 
 



[32471] 第34話  それぞれの想いと願い
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 22:19

 
 
『――坊や、聞こえるか? 坊や』
 
 耳朶に響く良く馴染んだ、心地良い鈴のような声。
 そんな声が頭に直接響いてくる。
 これは――。
 
『――わずかだが貴様の戦い、覗かせてもらったぞ……。まだ限界ではない筈だ。坊や! 意地を見せてみろ! あと一分半、持ち堪えられたなら私が全てを終わらせてやる!!』
 
 ――この声は!
 
「――エヴァか!」
 
 間違えるはずがない。
 この声、この感じ、これはエヴァ以外にありえない。
 今自分が置かれている状況も忘れ、辺りを見回して見てもその姿はない。
 だが、向こうからは俺の姿がは見えているのか笑うような声が響いた。
 
『フフ……士郎、京都の夜を楽しんでいるみたいじゃないか?』
「楽しんでって……そんな訳あるか! こっちは必死だってんだ!!」
 
 首を回してどんなに探しても姿は見えず。
 それでもまるで目の前で話しているような錯覚がする。
 
『――馬鹿を言え。お前の事だ、大方自分から重荷を背負っているんだろう? お前一人だったならそんな状況になったりしないだろうに』
 
「――ぐ……」
 
 間違いない。
 見えなくても間違いなく分かる。
 アイツ、絶対に呆れ顔でため息なんかついていやがる。
 
『――フハハ、まあいい。さて、士郎。折角の舞台だ。我が一族の名乗り上げとしゃれ込もうじゃないか。坊や達の所まで急いで来るが良い――待ってるぞ』
 
「あ、おい! エヴァ? ……エヴァ!?」
 
 そう言うと気配が途絶えた。
 言うだけ言って一方的に会話を切り上げやがった。
 何だってんだアイツ。訳の分からないことばっかり言いやがって。
 
「 ……………って、待て」
 
 ――アイツ、最後に変な事言ってなかったか?
 
 ――坊や達の所まで急いで来るが良い――”待ってるぞ”。
 
「…………待ってるって」
 
 何を?
 誰を?
 一体どうして?
 いくつもの選択肢が浮かぶが、最後に辿り着く答えは全て同じだった。
 
「アイツ……まさか……」
 
 それは不可能な筈だ。
 そもそも、それを成そうとしたくて俺とも喧嘩したってのに。
 ……でもエヴァがそんな事で嘘を言うか?
 ――じゃあ、やっぱり……。
 
「…………来るのか、エヴァ。お前がここに」
 
 理屈とかそんなの抜きにしたとしても、彼女がそう言ったのだ。
 だったらエヴァは間違いなく――来る。エヴァはそういう奴だ。
 そして、ネギ君の所まで来いと言っていた。待っているとも。
 即ちそれは、既に俺がいる事を前提として何かをしでかしている最中だと言うコト――!
 
「……あ……の、わがまま吸血姫は――!」
 
 人様の都合ってもんを少しは考えろってんだ!
 くそっ、どうする!?
 急いで来いって事は今すぐに来いと言うコト。そしてアイツはきっと俺が来ないなんて事は考えちゃいないだろう。
 そうなるとここをどうするかだが…………。
 
「行くと良い。呼んでいるんだろ?」
「龍宮さん……」
 
 今の声が聞こえたのだろう、そんな事を言う。
 その声にそちらを向くと、拳銃を両手に油断なく構えたまま、こちらを見ていた。
 その唇は笑みの形に歪んでいる。
 
「そうネ♪ よくわからないアルが直々の指名よ。行かなきゃきっと怒られるアルよ?」
 
 古菲さんまでそんな事を言う。
 
「けど……」
「なに、ここまで数が減ったんだ。後は私達だけでどうにでもなる」
 
 確かに龍宮さんの言う通り、鬼達はその数を激減させていた。数にして数十と言った所か。
 けど、まだ月詠だっているのに、この場を彼女達だけに任せるのは……。
 
「……そうだな。貴方の考えは正しい」
「え?」
 
 龍宮さんが俺の考えを見透かしたように言う。
 
「確かにコレでは報酬に見合わない仕事になってしまう。私が引き受けた仕事は貴方が戦線に加わるのを前提とした物だかな。――さて、ここで問題だ。私達にこれ以上の仕事を与えるにはどうすればいい?」
「――――」
 
 龍宮さんがニヤリ、と笑った。
 
「……――は」
 
 その意味を理解すると思わず笑いが込み上げてきた。
 
「…………分かった。食後のお茶もつけよう」
「ふっ、話が早くていい。確かに引き受けた」
「やる気倍増アルよ~!」
 
 ――さて、それじゃあ行くか。なんてったてウチのお姫様たってのご要望だ。叶えてやろうじゃないか!
 
「じゃあ、ここは任せた」
「うむ、任された」
「あいあ~い♪」
 
 踵を返して一気に走り出す。
 それと同時に響く乾いた発砲音と鈍い轟音。
 大丈夫、あの子達なら俺の期待以上の力を見せてくれる。
 なぜかそんな確信があった。
 振り返らずにひたすら加速を続ける。
 ギヤは既にトップに叩き込んでいる。
 景色は次々と入れ替わり、高速で後方へと流れていく。空気を裂いて進む音がやけに耳にうるさい。
 
「エヴァの奴、これで大した用事じゃなかったら本当に木刀を土産に買ってやるからな!」
 
 そんな悪態をつく。
 けれども、俺の顔はどうしようもなく嬉しそうに笑うのを抑える事が出来なかった。
 
  
◆◇――――◇◆
 
 
 手にした水晶の向こう側に坊や達が映っている。
 先程の白髪の少年との戦い、未熟ながらも機転をきかせた作戦。
 なるほど、この間私を追い詰めたのは士郎だけの力ではないと言う事か。
 だが、
 
「だがな、貴様、少し小利口にまとまり過ぎだ。今からそれじゃとても親父にゃ追いつかんぞ? たまには後先考えず突っ込んでみたらどうだ。――ガキならガキらしく後の事は大人に任せてな!!」
 
 坊やに向けてそう言い放つ。
 次に見えたのは坊やの何かが吹っ切れたかのような顔だった。
 
「……ふん、やればできるじゃないか」
 
 さて、もう一人の方は……っと。
 水晶が次に映し出した場面は暗い森の中。その暗闇をとんでもないスピードで駆け抜ける、一人の赤毛の男。
 ソレを見た瞬間、思わず頬が緩むのを感じた。
 ははは、なんだお前のその締りのないニヤけた顔は。我が家の一員ならもう少し凛々しくしていろってんだ。
 
「――マスター、あと少しでいけます」
「ああ、分かった」
 
 茶々丸の声に頷く。
 水晶でもう一度坊や達の様子を見る。
 そこには、
 
『――くっ……!』
 
 白髪のガキに吹き飛ばされる坊やが映った。
 白髪のガキは吹き飛ぶ坊や達に猛スピードで追いつくと、休む間もなく高速で連撃を浴びせた。その動きはとてもじゃないが、坊や達程度では防ぎようもない速度と重さだろう。
 ……なるほど、アレでは坊や達には荷が重い。あのガキ、”総合的に”見れば最低限まで低く見積もっても士郎と同格レベル。ほぼ間違いなくそれ以上の実力を秘めている。。坊や達では歯が立たないのは必然だ。
 
『――ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイト! 小さき王、八つ足の蜥蜴、邪眼の主よ。その光、我が手に宿りし、災いなる眼差しで射よ!』
 
 白髪のガキが呪文を唱える。
 ソレを聴いた瞬間、思わず怖気を感じた。
 この術は――いかん!
 
『――『石化の邪眼』!!』
 
 ガキの指先から放たれる光が坊や達を襲う。
 石化の魔法。
 その光に触れた物を有無を言わさずに石へと変えてしまう非常に高度な魔法だ。それ故に、使い手もほとんどいない。
 
『アスナさん!!』
 
 が、それはごく一部を許してのみ……例外があった。
 神楽坂明日菜。
 アイツが庇うように坊やを抱きすくめると、その石化は何故か衣服だけで留っており、身体の方は何も異常をきたしていなかった。
 
「……あの、女何者だ?」
 
 以前にも私の障壁が容易く砕かれた事があったが……。
 まさか――魔力完全無効化能力か?
 
『まずは君からだ、カグラザカアスナ!』
 
 白髪のガキの眼にも彼女が脅威に映ったのか、その手に魔力を乗せて神楽坂明日菜に迫る。
 仮に魔力完全無効化能力を有していようとも、その一撃は容易く彼女の身体を砕くだろう。
 だが、それを――。
 
『――ア、アスナさん……だ、大丈夫ですか……!?』
 
 渾身の魔力と力を込めて、坊やがその拳を捕まえていた。
 そして、
 
『――うん、ネギ。大丈夫よ』
 
 神楽坂明日菜が手にしたハリセンを振りかぶる。
 石と化した服を砕きながら――。
 そして、
 
『イタズラの過ぎるガキには――おしおきよっ!!』
 
 そのハリセンが白髪のガキに直撃した。
 その一撃だけで障壁がガラスのような音を立てて砕け散る。
 完全な無防備。度し難いほどの隙。
 そこに、
 
『――おおおぉぉぉ!』
 
 硬く握り締めた坊やの拳が、ガキの顔面を殴り飛ばした。
 
「――――は!」
 
 それを見た瞬間、笑いが込み上げて来る。
 なんだ、存外良い表情をするじゃないか坊や! ――そうだ、そういうのを見たかったのだ!
 他人の命を奪っても構わないと叩き込まれた一撃。
 そうだ、私が見たかったのはソレだ。
 今の一撃は正に、命の輝きそのものじゃないか!!
 
「くくく……いやいや、存外に良いものを見せてもらった」
「――マスター、準備が整いました。いつでもいけます」
「ああ、それでは行くとしよう、士郎もじきに到着する」
 
 茶々丸の言葉に、自分でも思ったより上機嫌で答える。
 
「YES,マスター」
 
 体がズブズブと足元の闇に沈み込んで行く。
 まるで、体が解けてしまったかのような錯覚。
 闇と同一になる感覚。
 ――意識が一瞬だけ途切れる。
 
「坊や、貴様は良くやった――」
 
 闇と同化して一人呟いた。
 今、私の身体はこの世にあってこの世界に無い。
 
「……身体に直接拳を入れられたのは君で二人目だよ。――ネギ・スプリングフィールド!」
 
 坊やに白髪のガキの拳が迫る。
 そんな中、私は闇では無い場所からその声を聞いた。
 
「――は。二人目だと?」
 
 坊やに迫る拳。
 
「――だったら私で三人目だ。ウチの坊やが世話になったな若造」
 
 それを――”私の手が捕まえた”。
 
 ――さあ、ここからは大人の時間だ。ショータイムとしゃれ込もうじゃないか!
 
「なっ」
 
 驚きは白髪のガキの声。
 それも当然か。なぜならば私は”既に懐に入っている”んだから。
 ――影を使った転移魔法。
 私は一瞬で水晶の映し出していた風景の中にいた。
 ”影”から”影”を伝って。
 
「――取り合えず、貴様は吹き飛んでおれガキ」
 
 そう捨て置いて、無造作にガキの横っ面を殴りつける。
 ”全盛期”の魔力を拳に乗せ、ただ殴りつける。
 
「……くっ!?」
 
 それだけで幾重にも張り巡らされた障壁を突破し、ガキを遥か彼方に吹き飛ばす。
 ガキは面白いくらいに飛び、水きり石のように水面を何度も跳ねて見えなくなった。
 
「———ふん」
 
 満月でないのが悔やまれる。そうであったならもっと跳ね飛ばせたものを……。
 そんな子供じみた考えも今は気持ち良い。
 
「――あ、エ……エ、エ…………エヴァンジェリンさん!!」
 
 坊や達の驚く声も心地良い。
 今の私は最高に気分が良い。
 この間のように士郎とのいざこざも無く、ただただ純粋に全力を使えるのが堪らなく快感だ!
 
「これで借りは無しだな、坊や。――さて」
 
 側にいるモノを見上げる。
 刹那は既に近衛木乃香を奪還しているようだし……。
 取り合えず、このデカブツをどうにかするか。
 折角の京都の夜にまるで相応しくない。
 そして何よりも――目障りだ。
 
『――マスター、結界弾セットアップ』
 
 茶々丸の声が聞こえる。
 ふむ、良い頃合か……。
 それでは始めよう。
 我がファミリーの名乗り上げを――!
 
「……さて、観客は坊や、神楽坂明日菜、桜咲刹那、近衛木乃香と少ないが……始めよう! その代わり貴様等には鮮烈にその網膜に焼き付けてもらおう!! 我等が力を――っ!!!」
 
 今宵、この場は我が舞台。
 我等が一族郎党以外は全てが雑音だ。
 地を軽く蹴り、空を舞う。
 高く高く舞う。
 その傍らには茶々丸の姿。
 手には茶々丸の身長を倍にしたような巨大な銃が構えられている。
 
「それではまず我が従者――絡繰茶々丸の一撃をご覧頂こう!」
 
 舞台から観客に語りかけるようにして、大仰な仕草で言葉を放つ。
 
「――茶々丸、やれ」
「――了解」
 
 茶々丸がトリガーを引き絞った瞬間、まるで落雷のような轟音を響かせ放たれる弾丸。
 ――そしてソレの着弾と同時にデカブツを巨大な結界が覆い尽くした。
 身動きが取れないのだろう、デカブツは呻き声らしき物をあげて苦しんでいる。
 
「……全く、見た目も品がなければ声までもが聞き苦しい」
 
 呻き声だか悲鳴だか知らんが耳障りな事この上ない。
 まあ良い。
 ――”今に口を開く事さえ叶わなくなる”。
 
「……続いては我が力、『闇の福音』と恐れられた、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの真の力をお見せしよう!」
 
 貴様が喚くと折角の舞台が穢れる。
 
「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック!」
 
 だから――黙れ。
 
「契約に従い、我に従え、氷の女王。来れ――!」
 
 凍えるように輝く月夜の下。
 ソレすら圧倒する凍てつく異界を、この私が作り上げる――!
 
「――『とこしえのやみ! えいえんのひょうが』!!」
 
 術が完成した瞬間、全ては凍りついた。
 ほぼ絶対零度の150フィート四方の広範囲完全凍結殲滅呪文。
 例えこのデカブツが伝説の鬼神だろうとなんだろうと防ぐ事など不可能。
 デカブツは凍りつき、身動き一つ出来ないまま固まった。
 これで終幕だ。
 さて、残りは――。
 
「…………フフ、あいつめ」
 
 思わず笑みが零れた。
 遥か遠くに、姿は見えずとも気配を感じる。必死になってこちらへと駆けつけようとしている人物が一人。
 ははは、そんなに必死になりおって……この私がお前を取り残すとでも思っているのか?
 その気配を感じただけで、極低温の世界であろうとも心は温かくなった。
 その温もりを胸に、高らかに謳い上げる。
 
「――それでは最後に我が家族の新入りを紹介しよう! この最強の魔法使いが認める数少ない男――」
 
 チラリ、と背後を確認してソレを感じる。
 距離にして凡そ2キロ強の距離。
 姿さえ見えていないアイツと、交わる事の無い視線が交わった気がした。
 それだけで十分だった。
 風に乗って聞こえるはずの無い声が耳朶に響く。
 
 
『――I am the bone of my sword.(我が骨子は捻じれ穿つ)』
 
 
 見えずとも分かる。
 アイツの弓を構えている姿が。
 背後から桁外れな魔力の高まり。
 
「――ふっ……」
 
 その気配に唇の端を持ち上げながら、右手でデカブツをゆっくりと指差す。
 まるで舞台の幕を降ろすように、ゆっくりと。
 
「今宵の舞台、最後に幕を引くのはお前の役目だ。見事グランドフィナーレを飾って魅せよ」
 
 そして、
 
 
 
「――穿て、士郎」
 
 
 
 言い放った。
 
 
 
『——————“偽・螺旋剣(カラドボルグ)”』
 
 
 
 その一撃は放たれた。
 それはまるで神に与えるが如き神罰めいた一撃。
 実際はほんの一瞬の出来事なのだろうが、私は目の前の光景に眼を奪われ、我を忘れた。
 士郎の手から放たれた”矢”はまるで竜巻だった。
 いや。
 竜巻ですら生温い。まるで空間ごと捻じ切りながら進むその様は巨大な削岩機のようでもあった。
 音の速度を遥かに超え、超長距離から飛翔したソレは、通過した場所の大気を巻き込み、捻じ曲げ、捻じ切ってデカブツへと突き刺さる。
 突き刺さった、と言う表現は正確ではない。
 言うなれば”くり貫いた”。
 デカブツの胴体には一瞬で大穴が開き、その様はまるでトンネルのよう。
 数瞬遅れて、巻き込まれた大気が元に戻ろうとし、凍りついたデカブツに穿たれた大穴目掛けて一気に集束していく。
 そして、”矢”の軌跡をなぞるように戻った大気が荒れ狂う暴風を伴って、デカブツを粉々にして砕き、文字通り粉砕した。
 
「————————————は」
 
 辺りには粉々になった氷の結晶がキラキラと月光を反射しながら舞っている。
 そんな中、私は余りの威力に笑いしか出なかった。
 ———何たる破壊力。
 確かに派手さは無い。
 だが、力を針のような鋭さで一点に集中させたかのようなその威力は、私が知り得るどんな魔法をも上回っていた。
 コレが伝説の力か。
 コレが”魔術”の力か!
 コレが士郎の力か———!
 
「———ははは……」
 
 この力、この威力……この前の夜、もしも使われていたならば負けていたのは…………私、か———?
 
「………ふ、……ふはは……ハハハハハハハハハハ!!!!」
 
 素晴らしい! 素晴らしいぞ士郎!
 ソレでこそ我が家名に名を連ねるだけの事はあると言うものだ!
 
「見たか貴様等! コレが我等の力だ!!!」
「——————す、ごい……」
 
 高揚した気分をそのままに、坊やたちを見下ろす。
 見ると連中も度肝を抜かれているようだった。
 無理も無い。
 あらかじめ士郎から話を聞いていた私ですら言葉が無かったのだ。
 ソレをイキナリ目の当たりにした驚きはいかほどの物か。
 
「どうだ、坊や。私の圧倒的なこの力。士郎の一撃を含めて網膜に焼き付けたか?」
「ス、スゴかったです。エヴァンジェリンさんも衛宮さんも……」
「そうかそうか! よしよし♪」
 
 それで良い。
 この前のが私の実力だと思われては困るからな。実力の上下関係はキッチリしなければならん!
 
「———エヴァーー!」
 
 と。
 聞きなれた声がする。
 見ると士郎が走ってこちらに向かって来ていた。
 あれ程の一撃を放っておいて息すら切らせておらんとは……流石と言うべきかなんと言うべきか。
 
「うむ、士郎よくやった。久々に面白い物が見られたぞ♪」
「や、面白いとかそんなんじゃなくて! お前、イキナリ人を呼びつけるな! 焦るだろうが!」
 
 む、会った瞬間にコレか。
 感動の再開とかコイツには無いのか? ……まあ、三日ぶり程度なんだから感動も減ったくれも無いとは思うが……
 
「ちゃんと来たではないか。私は無茶は言ったかも知れんが、無理は言ってないだろう。そもそもお前は有象無象程度に時間をかけ過ぎなのだ。一気に蹴散らせ、一気に!」
 
 こう……ぶわーっとか、ドバーッとか、ズバシャーンって。
 
「無茶言うなよ……そんなのやったら回りにどんだけ被害が———って! 無茶で思い出した! お前、なんでここにいるんだ!?」
 
 ええい、指を指すな指を!
 驚いているのは分かるがもう少し落ち着け。
 
「———私からご説明いたします」
 
 茶々丸が一歩前に出て言う。
 ふむ。まあ、任せるか。
 メンドイし。
 かったるいし。
 
「強力な呪いの精霊を騙し続けるため、今現在複雑高度な儀式魔法の上、学園長自らが5秒に一回『マスターの京都行きは学業の一環である』という書類にハンコを絶えず押し続けています」
「ま、今回の報酬だな。明日私が京都観光を終えるまで、ジジィにはハンコ地獄を続けてもらう」
 
 うむ、至極正当な報酬だ。
 これならば士郎も文句は言うまいて。
 
「……や、それって普通に死なないか?」
 
 それなのに士郎は、気まずそうに頬を掻きながらそんな事を言う。
 
「ふん、良い気味だ! 元々関係の無い士郎や私まで巻き込んだのだ。この程度の苦労は当然だろう」
「だからって……なあ?」
 
 士郎は神楽坂明日菜に同意を求めるように顔を向ける。そしてそれにコクコク、とうなずく神楽坂明日菜。
 むう。別に良いじゃないか、それ位の苦労。
 それより私と京都観光ができる事を喜べと言うのだ、全く……折角、15年ぶりの外界だと言うのに。
 
「ふう」
 
 まあいいさ。
 それより坊やには釘を刺して置かなければならない事がある。
 
「それより、だ! ……いいか、坊や。今回の事を私が暇な時にやっている日本のテレビゲームに例えるとだな。最初の方のダンジョンとかで死に掛けてたら、何故かラスボスが助けに来てくれた様な物だ。次にこんな事が起こっても私や士郎の力は期待できんぞ。そこん所を肝に命じておけよ」
「———そしてボーナスキャラに逃げられては絶叫するんだよな」
「うるさいなお前は!? 過去の事だ、忘れろ士郎!」
 
 茶化すな……ったく。
 あんな事そうそう起こらないからそんな醜態はもう二度と晒さ、
 
「…………」
 
 …………晒さないよな、私?
 い、いかんな……いまいち自信がないぞ。
 
「ハァ……ハァ……はい……」
「む、流石にキツそうだな坊や……大丈夫か?」
 
 流石にあのレベルの相手をするのは無理だったんだろう。
 魔力も使い果たしているようだし。
 まあ、今回は圧倒的な実力差でよくやったと言うべきか———。
 と、そんな時だった。
 
 
「エヴァンジェリンさん———!」
「———エヴァ!!」
 
 
 士郎と坊やの何やら切羽詰まった声が同時に聞こえる。
 私は時間の流れが遅くなるという現象を感じた。
 すべての動きがひどく緩慢だ。全てがスローモーション。
 景色。
 人の動き。
 音。
 果ては思考速度まで。
 そんな緩やかな一瞬の中、私は反射的に———士郎を見た。
 私と士郎の視線が絡み合う。
 
「—————」
 
 そして、それだけで理解した。
 それだけで十分だった。
  
「———障壁突破『石の槍』」
 
 ———後ろか!
 
「——————ちぃっ!」
 
 背後から私目掛けて槍が迫る。
 が。
 それを寸での所でバク宙することによって回避。上下逆さまの視界の中で、背後に現れていた人物を確認する。
 ———白髪のガキ。
 ちっ! さっきの一撃では仕留め切れなかったか!
 
「———テ、メエっ! エヴァになにしやがる!!」
「ぐっ!」
 
 士郎は私が飛び上がった空間に滑り込むと同時に、白髪のガキのどてっ腹目掛けて強烈な蹴りを叩き込んだ。
 まるで矢のような一撃。白髪のガキは両手で防ぎながらも派手に吹き飛ぶ。
 そんなガキを見ながら士郎が叫んだ。
 
「引き離すぞ、エヴァ!」
 
 若干の焦りを伴った士郎の奇妙な言葉で背後を見る。
 ……ちっ、そう言うコトか。
 見ると背後では坊やが倒れていた。
 おそらく先程ガキの放った魔法が掠っていたのだろう、その右手から徐々に石へと変化している。
 現状で治癒の手掛かりがあるかは分からないが、この場所では確かに邪魔者が多すぎる。
 
「分かった!」
 
 蹴りを放った事で生まれた技後の膠着で動け無いでいる士郎のほんの一瞬の隙を埋めるように白髪のガキに追いつき、
 
「まだ飛ばされ足り無かった———ガキ!」
 
 もう一度、魔力の篭もった一撃を顔面に叩き込んだ。
 
「———づっ!?」
 
 勢いを更に増し大きく引き離される。
 この距離なら問題ないだろう。
 さて、コイツはどんな死に方が望みだ———?
 
「エヴァ!」
 
 そんな私に士郎が追いついてくる。
 私一人でも十分なんだが……まあいい。
 士郎が私に追いつき、並ぶ。
 
「——————」
「——————」
 
 一瞬、本当に微かな視線の交差。
 
「———しっ!」
「ふん……!」
 
 士郎がいつの間にか手にしていた双剣で、ガキの首を飛ばそうと迫る。
 しかしそれは、寸前でしゃがみ込む事によって逃げ遅れた髪の毛の先端を刈り取るに終わった。
  
「———っ」
 
 士郎は完全に無防備。
 振り抜いたままの姿勢で急所を晒し、次の瞬間に来るであろう反撃を待つしかない。
 白髪のガキもそれを狙い済まし、士郎の胸元目掛けて抜き手で貫こうと迫る。
 後10cm。
 後1cm。
 そして抜き手が無防備な士郎の心臓目掛けて突き刺さる。
 が。
  
「———私の目の前で士郎に触れ得ると思うな、下郎」
 
 それはあり得ない出来事だ。
 私が側にいて士郎が傷付くなど、そんな事はどのような選択肢にも存在しない。
 白髪のガキの手は、私が捕まえていた。
 ガキの顔面の前、ほんの数センチの距離で睨み殺すかのようにして目を目で射抜く。
 
「———!?」
 
 そしてそのままガキを力任せに引き寄せ、胸倉を掴む。
 バシン、と言う、何かが弾ける様な音と共に、ガキの動きが止まった。
 無詠唱近接による雷系の『魔法の射手』。
 私の掌より発せられた電流により、一瞬だが身動きを封じたのだ。
 
「———ふぅっ!」
 
 それに合わせるように短い呼気を吐き、士郎がクルリと回った。
 まるで独楽のような綺麗な円を描いて大きく1回転。
 そう、全ては予定通りの事。
 ”作戦通り”の事。
 士郎は最初の一撃を”外してしまった”のではない。
 ”外した”のだ。
 私に全てを託し、自身の肉体すら囮に使っての二人のコンビネーション。
 士郎は剣を振り抜いた勢いすら増加させ、身体を一回転させる。
 これ以上ないほどの遠心力が士郎の身の内に宿る。
 まるで矢を放つ寸前の弓のよう。全身のしなりが回転軸に向かって集束する。
 
「これで———」
 
 士郎が片足を持ち上げ、その先端に溜めに溜めた力、その全てを込めて叫ぶ。
 回転は、中心を広げ、外へ外へと。
 力は、火のついた導火線のように爆発する場所を求めて足へ足へと疾走する。
 そして、
 
「———どうだ!」
 
 その全てが爆発した。
 ドゴン、と言う、まるで本当の爆弾が破裂したような鈍い音がガキの腹で鳴った。
 
「————げ、はっ……」
 
 そんな強烈な蹴りを浴びては立ってなどいられないだろう。
 堪らずガキは腹を抱えて地面に転がった。
 そしてソレを見逃す私ではない。
 これで———!
 
「——————死ね」
 
 魔力を爪に集約させ、地面ごと抉る勢いで振りぬいた。
 迸る魔力がゴリゴリ、と地面を削る。
 当然、ガキも微塵に———。
 
「…………む?」
 
 自分の手を見る。
 なんだこの違和感は。
 あまりにも”脆すぎる”。
 固体を抉ったにしては手応えが可笑しいのだ。
 これは…………。
 
「———なるほど、まさかこのような場所で”伝説”と合間見えようとはね。———エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルか」
 
 その声に足元を見ると、白髪のガキの姿を模した”水”がユラユラと揺らめいていた。
 幻影……いつのまに。
 
「……流石に君達二人を同時に敵に回すのは自殺行為のようだ。今日の所は僕も引く事にするよ」
 
 コレは既に残りカスだ。今頃、本体はどこぞに逃げおおせている事だろう。
 
「———だが、その前に君の名前を聞いておこうか」
 
 幻影が私の横に目を向ける。
 そこにはいつの間にか士郎が立ち、消えていく幻影を見ていた。
 
「衛宮士郎だ。お前は」
 
 士郎が鋭い視線で睨む。
 幻影はそれを受け止めて微かに、本当に微かに笑ったような気がした。
 
「フェイト・アーウェルンクス。———君の名前は覚えておこう」
 
 それだけ言うとパシャン、と水になって完全に消えた。
 
「今のガキ、人間ではないな。動きに人工的なものを感じた。人形か或いは……」
「———ホムンクルスとかか?」
「かもな。断言はできんが。何にしても何処の手の者かはわからんが注意するに越した事は無いだろう」
「そうだな」
 
 士郎が頷く。
 ソレと同時に、遠くから光が見えた。
 夜空を覆いつくさんがばかりのその光には見覚えがある。
 あの光……『仮契約』か。
 
「あれは……」
「恐らく、坊やを助けるために近衛木乃香と『仮契約』でもしたのだろう。あの中で仮契約を行っておらず、その可能性があるのはヤツぐらいしかいないからな」
「……そっか、このかと……」
「……?」
 
 どうも士郎の様子がおかしい。
 見たところ大きな傷等はないが……。
  
「…………」
 
 傍らに立つ士郎を見上げてみると、今しがた契約の光が発せられた方を無言で見ていた。
 
「士郎?」
「…………」
 
 私が呼び掛けてみても気が付かない。
 その視線は未だに遠くを見ていた。
 
「……士郎」
 
 私は何とも言えない不安に駆られ、傍らにある士郎の手を取り、もう一度呼び掛けた。
 
「———ん、あ、いや、何でもない」
 
 私が士郎の手を握ると慌てて取り繕うような笑顔で笑う。
 そして言った。
 ———何でもない、と。
 
「…………」
 
 何でもないと、お前は言う。
 だったらどうしてお前は。
 何でもないと言うのに、どうしてお前は。
 
 
 ——————そんな、今にも泣いてしまいそうな顔で笑うんだ。
 
 
「……士郎、大丈夫か?」
「———ん、何でもないさ」
 
 私がそう言うと、士郎は頭を振ってからもう一度言った。まるで自分に言い聞かせるかのように。
 ……あまり好きな顔ではない。
 無理に笑う士郎の表情はあまり好きではない。
 しかし、こいつの事だから問い詰めても話したりはしないんだろう。
 そういうヤツなのだ。
 どうせ、一人で余計な何もかもを背負おうとしてるんだろう? お前は。
 話せないなら話せないでいい。
 そして、それを私から聞かれるのは、お前もきっと望まない。
 私はお前自身が困ったのならいつでも助けてやる。
 それまでは、その荷物を抱えて見るのがお前って言う人間だろう?
 
 
 ———な、士郎?
 
 
「さ、戻るか。きっと皆待ってる」
 
 士郎は完全に頭を切り替えたのか、いつもの表情に戻って言った。
 
「ん、そうだな」
 
 士郎が私を引っ張る様に走り出したので、それに苦笑を覚えながらも付き従う。
 繋がれた手は駆けて行く間も離れる事は無い。
 私にはそれが無性に嬉しかった。
 
 
 
 ただ、それだけの話だ。
 
 
 
 ◆◇—————————◇◆
 
 
 
「ぬおおおおーー…………」
 
 昨夜の事件から数時間後。
 俺はこのかの実家の一室にて唸っていた。
 白髪の少年によって石化された詠春さんや本山の人達は、朝早くに帰って来た西の術師達の手によって治療され事なきを得ていた。
 他の人たちも同様、全員の石化は無事に解かれている。
 ソレと同時に、事件の方も集束を迎えつつあった。
 犬上小太郎とか言うあの狼少年は捕らえられ、今の所大人しく詠春さん達の言う事を聞いてるらしい。
 ……基本的には悪い奴じゃ無いのかもしれない。
 天ヶ崎千草と呼ばれたあの妙齢の女性は、一時逃げられたが、その後を追ったチャチャゼロによって捕らえられた。
 ……そう言えばエヴァも茶々丸も皆して来てるのにチャチャゼロはいなかったか……スマン、チャチャゼロ。正直忘れてた!
 フェイト・アーウェルンクスと月詠の行方は未だに知れない。
 詠春さんが石から戻った後、すぐに調査をしたのだがその消息はまるっきり掴めていないのだ。
 それでも。
 色々と未解決な事も多い今回の事件だが、一応の解決を見た。
 皆無事で帰ってこれて言うコトは無い。
 だったら何を唸っているかって?
 それは……。
 
「——————ね、眠い……!」
 
 そう、俺はとてつもなく眠い訳ですよ! この部屋に辿り着くまで何回廊下で力尽きそうになったことかっ。
 考えてみれば俺、京都に来てから殆ど眠ってないんだった……。
 初日の夜はこのかが攫われてそれどころじゃなかったし、二日目は館内の見張りで部屋にすら戻っていない。
 そして昨日に至っては言わずもがな……だ。
 
「…………こ、これほどまできつい眠気が今まであったか……?」
 
 いくら魔術師が魔力によって活動できると言っても限度って物があると思う。
 つーか俺、昨日とかって結構投影使ったしな……その反動でもある訳か。
 今にも倒れてしまいそうだ。
 
「もう駄目。駄目だから寝ますおやすみなさいぐー……」
 
 誰に言うでもなく呟いた俺は、部屋に敷かれた布団にバフッと倒れ込む。
 ああ〜……なんか畳の香りの中で寝るのって久しぶりだな〜……これならきっと良く眠れ、
 
「起きろ士郎ーーー!」
「……………………」
 
 無かった。
 閉めてあった障子がスッパーンと、勢いよく開け放たれた。
 立っていたのは満面の笑みのエヴァ。見るからに超御機嫌モードだ。
 や、何でしょうかこのエヴァのテンションは。
 普段は滅多に見せない表情だけに何となくヤバい物を感じる。
 そして、今だけはその太陽みたいな笑顔が恨めしく思えてしまう辺り、俺も結構ヤバいんじゃなかろうか。
 
「……起きろって……今何時さ?」
「ん? 6時少し前だな」
「はやっ!?」
 
 いや、別に起きる時間として早い訳じゃない。
 俺だって普段だったらとっくに起きてる時間だ。
 問題は睡眠時間の話。
 昨日の事後処理とか色々終わって解散したのが3時位の話。
 その後に俺とエヴァで詠春さんに説明とか何とかして終わったのが確か5時。
 そして、このやたらと広い屋敷を若干迷子になりつつ、宛がわれた部屋に辿り着いたのがたった今。
 エヴァにしたって30分も寝てないだろう。
 とてもじゃないが寝たとは言えない時間だ。
 緊急時とかなら話は別だが平常時に取る睡眠時間ではない。
 
「つーか、なんでそんなに元気なのさ……普段だったらまだ寝てる時間だろ?」
 
 早起きじゃなくて、徹夜してて起きてたっていうのは偶にあるが。
 
「何を言う士郎! 京都だぞ京都! 観光に行かずして何をする!」
「寝る」
 
 とは、口が裂けても言えない。
 エヴァは学園の外に出る事自体久しぶりなのだ。
 それに神社仏閣巡りが好きだって言ってたんだから京都なんて楽しみでしょうがないんだろう。
 …………そんな事情を知ってたら寝てなんていられるかってんだ。
 
「ふぬうううぅぅ……」
 
 奇声を漏らして両腕を踏ん張る。
 そうじゃなきゃ布団の強力無比な魔力に引き込まれてしまうのです!
 だがこれが、
 
「ぐぅ……ぐぐぐ…………」
 
 手強い!
 この清潔そうな白さが眩しく輝いて見える。敷布団の心地良く押し返す弾力が力まで吸い取ってしまいそうだ。
 ——————くっ、こうなったら!
 
「茶々丸! 茶々丸をこれに!」
「———はい、ここに」
 
 既にいた。
 いつの間に……って言うかどっから来た、今。
 ま、まあ良いや……。
 
「茶々丸、お茶、お茶をくれ……」
「お茶……ですか?」
「そう、お茶。舌が痺れる程のお茶じゃないヤツ、沸騰してるお茶をくれ」
「そ、そんな事したら火傷しますよ?」
「むしろマグマって勢いで。そうじゃなきゃ俺は起き上がれないのです!」
 
 茶々丸は変な物を見るような目で俺を見てお茶の準備をしに行ったが、その間にも俺は何度も意識を失いかけた。
 そんな睡魔と激闘を繰り広げていると、茶々丸がお盆にお茶を乗せて戻ってきた。
 
「どうぞ士郎さん。ご所望の煮だったお茶です」
「うん、サンキュ……って」
 
 ナニ、コレ。
 本当に煮だってますよ? 実況生中継のマグマの如くブクブクいっているのはどういう原理なのさ。
 色とか香りはお茶そのものだと言うのに視覚には危険物に見えてしょうがない。
 そして器はたいして熱くないというのはどんな仕掛けなんだ?
 
「茶々丸コレは……?」
「? 士郎さんに言われていた通りの物を準備したんですが……何か不手際がありましたか?」
「い、いや、そんなこと無いぞ!? 流石茶々丸、俺のニーズにバッチリ答えてくれている! 完璧だ!」
 
 悲しそうな顔をする茶々丸にとてもじゃないが、やり過ぎとか言えない。
 茶々丸の事だから善意100%以外にあり得ないのだ。
 むしろ俺の無茶な注文を実現してしまっているのだから、感謝以外の言葉は言ってはいけないのである!
 
「どうぞ、士郎さん」
 
 期待を込めた目で俺を見る。
 これは……飲まないわけにはいかない……。
 
「い、いただきます———」
 
 覚悟を決めて、器に口を付けて傾けた。
 
「————————」
 
 結論だけ言おう。
 熱過ぎると痛いとしか感じないのである。
 味なんてモンは論外です。きっと湯気と一緒に蒸発してしまったに違いない。
 けど眠気だけは一発で満塁場外ホームランでかっ飛んで行きました。
 ただし犠牲で俺の舌が暫くの間使い物になってしまったからノーカウント、みたいな。
 
「——————士郎さん、起きていらっしゃいますか?」
 
 トントン、と言う障子を控えめに叩く音と共に刹那の声がする。
 
「……起きてるから入って良いぞー」
 
 失礼します、と言う声と共に障子がすっ、と開いた。
 
「おはよう刹那、お前もえらく早いんだな」
「おはようございます。そう言う士郎さんも早いですね……と、エヴァンジェリンさんに茶々丸さん。御二人もいらっしゃったのですね」
 
 ———起きてると言うか起こされたと言うか……。
 
「で、どうしたんだ? お前だって昨日の疲れまだ取れてないんだろ?」
「それはそうですが……士郎さんにお話がありまして……」
「話?」
 
 何だろ、話って。
 別に後でも良いだろうに、今こうしてわざわざ訪ねて来るほどの用件なのだろうか。
 
「……聞くよ、何か訳ありっぽいしな」
「ありがとうございます」
 
 俺が布団の上で胡坐をかくと、刹那はその正面に正座をして座った。
 エヴァと茶々丸は少し離れた所に座って俺達を見守っていた。
 
「…………話と言うのは一つだけです。士郎さん、貴方に———お別れを言いに来ました」
「…………——————え? お別れって……」
 
 刹那の言う言葉の意味を理解するのに数瞬の時間を要した。
 別れって……旅館に帰るって事じゃないよな?
 そんなのだったらわざわざこんなに改まって言う事じゃない。
 だとすれば……まさか。
 
「刹那…………このかとなんかあったのか?」
「………………」
 
 刹那が押し黙る。その沈黙は肯定を示していた。
 
「—————」
 
 誰も口を開かない。
 沈黙が辺りを支配する。
 それでもひたすらに刹那が口を開くのを待ち続けた。
 
「………………翼を」
 
 刹那がポツリ、と水が零れ落ちるような小さな声で言った。
 
「……翼をお嬢様に見られてしまいました」
「翼って…………」
 
 刹那の白い翼の事か?
 恐らくはこのか救出の際に使ったんだろうが、ソレを見られたからって何で……。
 
「そういう掟なんです、一族の。お嬢様にあの姿を見られてしまった以上、私はここにいる事はできません。……お嬢様を守るという誓いも果たし、神鳴流に拾われた私を育ててくれた近衛家への御恩も返すことができました」
 
 ”掟”。
 ソレが何なのかは分からない。きっと深い何かがあるのだろう。俺はソレを聞く気もないし、興味もなかった。
 刹那が正座のまま頭を深く下げた。
 
「……士郎さん。不肖の弟子の最後の頼みです。———どうかお嬢様をお願いします。私の代わりに御守りしてください」
 
 頭を下げたままで言う。
 離れた所でエヴァが「ふん……」と鼻を鳴らした。
 そして俺は黙ってそれを受け止め、
 
「やだ」
 
 と、言った。
 
「———なっ!? 何故ですか! 貴方とてお嬢様が大切でしょう!? 普段の貴方の態度やお嬢様を見ていれば分かります。お二人とも本当の兄妹のように仲が良いのに何故……!」
 
 下げた頭を上げて、俺に掴みかからんばかりの形相で俺を見る。
 俺はそれを真正面から睨み返す。
 
「———刹那、逃げるなよ」
「に、逃げてなど……!」
「だったら何で俺のところに来た。行くって言うなら黙って行けば良かったじゃないか。俺は疲れてたし気が付かなかったかもしれない。それに何でわざわざ皆から隠れるようにして出て行く。理由があるならキチンと説明してから行けばいいだろ」
「だからソレは掟で———!」
「掟? それはこのかより重要な事なのか? 違うだろ。お前はいつだってこのかの事を一番に考えて行動してきた。そんなお前が掟なんて言うもののために側を離れていくなんて考えられない」
「それは……」
「———刹那。お前、このかに会うのが怖いんだろ?」
「———なっ、何を……」
 
 刹那は一瞬だが答えに詰まった。
 そしてソレは指摘が的を得ているのと同じ事だった。
 
「前にエヴァから言われたよな。負の象徴たるその翼を自らの意志の元に屈服させろ……って。その翼がお前の闇だって言うなら、このかは光だ。お前はこのかって言う光にその闇を恐れられるのが怖いんだ。だから誰にも知られないうちに出て行こうなんて考えた」
「———っ」
「けれど、このかを残して行くのは不安。……だから俺にこのかの事を頼みに来たんだろ?」
「そ、それは……」
 
 俺の視線から逃げるように刹那は俯いて唇を噛んでいる。
 俺はそれでも刹那から目を放したりはしなかった。
 そして、
 
 
「———甘えるな」
 
 
 感情を込めない声で言う。
 
「…………っ」
「掟って言うのを隠れ蓑にこのかから逃げるな。それは甘えだ。守りたい物があるってんなら自分で守れ。伝えるべき事があるなら自分で言え。俺をダシに自身を正当化するな」
「……」
「お前がどうしても行くって言うなら俺は止めない。だけどその前に自分の口からこのかに説明してから行け。———じゃなければお前は一生自分自身の闇から逃げて行く事になるぞ」
「くっ…………」
「………………」
 
 刹那が俺を睨み、俺もそれから逸らさなかった。
 数秒か、数分か。
 やがて刹那が視線を逸らした。
 
「…………わかり……ました」
 
 そう言って刹那が立ち上がった。
 そのまま無言で部屋を出て行く。
 最後に礼をして出て行ったが、最後まで俺と視線を合わせる事はなかった。
 
「…………ふん、茶番だな」
「………………」
 
 エヴァが不機嫌そうに言ったが、俺はそれに答えない。
 そう、これは確かに茶番だ。
 語るべき程の事でもない、ただの戯れ事だ。
 そうして、それから数分後の事。
 
 
 
『———せっちゃんせっちゃん、大変やーーっ』
 
 
 
 遠くに聞こえる、このかの楽しそうな声。
 それに続くように楽しそうな喧騒は数を増していき、その中に刹那の声も混じりだした。
 
「士郎。お前、最初からこうなると分かっていて刹那を仕向けたな?」
「……さあ? なんのことやら」
 
 俺が肩を竦めて見せても、エヴァはまた不機嫌そうに鼻を鳴らすだけだった。
 茶々丸はそれを見て微笑む。
 俺も苦笑いで答える。
 当然、俺は予言者なんかじゃない。
 未来のことなんかこれぽっちも分かりやしない
 だからこうなるっていう確証なんてなかった。
 それでも。
 こうなるって信じていた。
 二人で築いてきた過去は、予言なんて陳腐な物より確かな物だと信じていた。
 信じたかった。
 
 
 ……刹那もこのかもきっと心の中でたくさん泣いて来たんだろう。
 表面上は色んな仮面を被って。
 仮面の下で涙を流して。
 でもさ、そういうのは嫌なんだ。
 心で通じ合っているのに、同じように笑え無い子達を見るのは嫌なんだ。
 だから、あの子達には陽だまりの中で笑っていて欲しかった。
 流した涙を無駄にして欲しく無かった。
 
 
 
 
 
 ——————涙で過ごした時間の分だけ笑えるようじゃなきゃ、それまでの時間が嘘になるだろ?
 
 
 
 
 
 遠くに聞こえる刹那の楽しそうな声。
 それを聞きながら立ち上がる。
 顔がにやけているのを自分でも感じながら、障子を大きく開け放った。
 
「———なあ、エヴァ」
「ん、何だ」
 
 空を見上げる。
 今日はあの子達の修学旅行の最終日。
 それに相応しい、良く澄み渡った気持ちの良い青空だった。
 
「———行こうか、京都観光」
「……そうだな、行くか」
 
 空には一羽の美しい白い鳥が飛んでいる。
 一人ぼっちで寂しそうに見えた一羽の白い鳥。
 けれど、まるでその美しさに惹かれたかのようにたくさんの鳥達が集まりだした。
 鳥は瞬く間に数を増し、空を気持ち良さそうに皆で踊っていた。
 
「———さて」
 
 それを見て何となく気分が良くなる。
 
 
 ———こんなに気持ちの良い日なんだ。俺達も翼を伸ばしに行こう。
 
 
 
 
 



[32471] 第35話  試練
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 22:21

 
「———ハッ……クシュンっ!」
 
 いつものカウンター席に腰掛けたエヴァがくしゃみをした。
 その隣にはポケットティッシュを取り出す茶々丸の姿。
 今日は修学旅行の付き添いから帰って来た次の日の日曜日だ。
 京都を舞台とした事件は、未だに不透明な所を多く残したままだったがなんとか無事に集束を向かえた。
 それで昨日、麻帆良に帰って来たのだが、本来なら定休日である日曜日にも関わらず何ゆえこうして店にいるかと言うと、エヴァが修学旅行中に店に来れなかったから行こう、と言い出したのでここにこうして来た訳である。
 ……来た、訳なのだが。
 
「———ハッ……クシュンっ!」
「おいおい……大丈夫か?」
 
 昨日からくしゃみをしっぱなしのエヴァ。
 なんでもエヴァは魔力を封印されている間は、10歳の女の子と同程度の体力しかないらしい。
 だから体力はないし、風邪もひく。
 ……でもまあ、今回のはそれと少し違っていて、
 
「……まさかエヴァが花粉症なんてなぁ……」
 
 そうなのだった。
 真祖の吸血鬼が花粉症ってどうなのよ、とも思わなくも無いが、こうして苦しんでいるエヴァを見ると可哀想で、出来る事なら変わってやりたいと思う。
 昨日まであんなに元気だったからその落差が大きい分、それは余計に思えてしまう事だった。
 
「グスッ……私もなりたくてなった訳ではないからどうしようも出来ないさ。これでもお前から定期的に血を分けて貰っているから随分マシになった方だ」
「うーん……でもやっぱり辛いんだろ?」
 
 そりゃそうだ、とエヴァは言う。
 少し熱っぽいのか目は潤んでるし、くしゃみは何回もするし、鼻はかみ過ぎで赤くなってしまっている。
 エヴァは元々肌が白いので結構目立つのだ。
 
「そんなに辛いんなら無理してここに来てまでお茶を飲む事なかったのに……」
 
 家にいる時はもう少しマシだったのに、外を歩いてここまで来たもんだから症状が悪化してるみたいだ。
 お茶なら家でも飲めるのに……。
 
「私がそうしたいと言ったのだ。お前は気にするな。ここの店の雰囲気を5日の間も味わってないと調子が狂う」
「……お前がそこまで言うんならいいけどさ」
 
 ずるい。
 そんな事を言われたら俺も強い事を言えなくなってしまう。
 そりゃ、俺もエヴァや茶々丸とここでこうしてノンビリといるのは好きだから文句は一つも無い。
 辛い筈のエヴァがそうまでしてここに居たいと言ってくれるのは、とても嬉しい事だ。
 そこまで言ってくれるのなら、これ以上この話題には触れない方が良いだろう。
 
「で、京都観光はどうだった? 二人とも」
「うむ、やはり京都は風情があって良かったな。とても満足だ」
「はい、私も色々な物が直に見られて勉強になりました」
「そっかそっか」
 
 うんうん、と頷く。
 良かった。やっぱり久しぶりの外は良いものだったのだろう。そう言うエヴァと茶々丸の顔はとても満足そうだった。
 それなら俺も睡眠不足の身体を引き摺って行った甲斐があるってもんだ。
 ———まあ、途中、歩きながら寝そうになったとかは秘密にしておこう。エヴァの良い思い出の為にも。俺の為にも。
 
「それにしても……、あの白髪のガキ。フェイト・アーウェルンクスと言ったか? あやつが何者かは結局分からなかったな」
「ああ、あいつか……」
 
 エヴァが言う通り、あのフェイトっていうヤツの事は分からない事だらけだった。
 昨日、詠春さんと会った際に聞いた調査結果は、一ヶ月前にイスタンブールの魔法協会から日本へ研修として派遣されたと言う事くらいしか掴めていないとの事。
 あの名前も本当かどうか怪しいもんだ。
 
「しかし……ふん、”アーウェルンクス”……ね。どうせ偽名かなんかだろうが大仰な名前を名乗りおる。災いを幸福に変えると言われる神を名乗るとは……余程のナルシストか大物のどちらか……ま、力を見た限りではあながちハッタリとも思えんかったが」
「だな。 昨日もエヴァが来てくれなかったらどうなってた事か……あ、そう言えば聞いたぞエヴァ。危ない所だったネギ君を助けたのってエヴァだったらしいじゃないか。この前まであんなに嫌ってたぽいのに……どう言う風の吹き回しだ? や、ありがたかったのは違わないけど」
「…………ふん。あの坊やに死なれては私がここから出る事が叶わなくなるからな。あくまで私のために生かしてやっただけだ。あの坊やではどうあがいても歯が立たない相手だったしな……」
 
 それだけだ、と言ってそっぽを向き、不機嫌そうに鼻を鳴らす。
 まったく……やっぱり素直じゃないな、エヴァは。
 俺はそれを苦笑交じりに眺めた。
 と。
 そんな風に和んでいると、扉の開くベルの音が聞こえた。
 はて? 定休日の看板は出しているはず。もしかして俺達が店内にいるのを見て営業中だと思われたんだろうか。
 
「あ、すいません。今日は定休日で、」
「衛宮さん、こんにちは。エヴァンジェリンさんもここに居ましたか……早く見つかって良かったです」
 
 お客さんだと思っていたのはネギ君だった。その後ろにはアスナもいる。
 最近この二人はいつも一緒にいるから別に珍しい事ではないが。
 
「あれ? ネギ君にアスナ……どうしたんだ? 休みだってのにスーツまで着て……」
 
 アスナは普通に私服を着ているのに対し、ネギ君はしっかりとスーツを着込んでいる。
 学校の仕事でもあるのだろうか?
 エヴァは二人が入ってきたのを横目で見ると、我関せずって感じで紅茶の入ったカップに口を付けていた。
 
「あ、なんだ。弟子ってシロ兄の事だったのね。うん、それなら納得ね」
 
 アスナが得心いったとばかりに、うんうん頷く。
 えっと…………何の話? 勝手に納得されても意味わかんないんだが……。
 
「あ、いえ、そうでなくてですね……エヴァンジェリンさんに……」
「———あん? 私が何だって?」
 
 急に名前を呼ばれたエヴァが不機嫌そうに顔を顰めながらカップをソーサーに戻した。
 瞬間、
 
「———え、え、えええぇぇ!? 弟子入りって……シロ兄じゃなくてエヴァちゃんになの!? 本気? エヴァちゃんはまだあんたの血を諦めてないのよ!?」
 
 アスナが思いっきり驚いた声を上げた。
 
「エヴァンジェリンさんが悪い人じゃないのはアスナさんも知ってるでしょ?」
「だからって……! シロ兄にしときなさいよ! あんたもシロ兄が強いのは知ってるでしょ!?」
「それは十分に理解してますが……どうも衛宮さんの魔法は、僕には理解できない術式が使われているみたいで……でも、それを抜きにしてもエヴァンジェリンさんに教わりたいんです」
 
 ———えっとー……取り合えず何も分からない俺達を無視して二人で話すのはやめてくれないだろうか。
 それとアスナ。
 何気にエヴァを貶めるような発言をするんじゃありません。
 さっきからエヴァのコメカミの辺りがこう……ピクピクっと。
 
「貴様等……イキナリ現れて私達の平穏を邪魔するだけでは飽き足らず、目の前で訳のわからん事をゴチャゴチャと……ええい! 何なんだ貴様等! 喧嘩でも売りに来たのか!?」
 
 言わんこっちゃ無い。案の定、エヴァが爆発してしまった。
 あーあー……、エヴァも花粉症で鼻が詰まってるクセに大声を出したりするから鼻水が……。
 
「ほれエヴァ。鼻出そうになってるから、こっち向け」
「む……」
 
 エヴァが素直にこっちを向いてくれたのでカウンターから身を乗り出してティッシュでその鼻を綺麗にしてやる。
 むう……やっぱり鼻、赤くなって痛そうだ。
 確か、ぬる目の紅茶で鼻を洗浄すると良いって聞いた事があるけど……どうなんだろ? 民間療法なんだろうか?
 
「……ん、もういいぞ士郎。———で、何の話だったか」
「…………ごめん、ネギ。何か私もエヴァちゃんがとても良い子に見えてきたわ」
 
 アスナが急に珍妙なモノを見るような目で俺達を見ていた…………って、なんでさ。
 茶々丸は微笑ましいモノを見るような目してるし。
 
「あの、エヴァンジェリンさん。今日はアナタに弟子入りをお願いしたくて来ました」
 
 ネギ君がそんな俺達を無視して、エヴァの座る椅子の後ろのほうで跪いた。
 その表情を見るに真剣な話だろうから、こっちも真面目に聞かなきゃいけないんだろうけど……エヴァの弟子だって?
 そんな事言ってもエヴァの答えは一つだけだと思うんだが……。
 
「私の弟子だと? アホか貴様」
 
 やっぱり。
 エヴァはいかにもやってられん、と言わんばかりに椅子を回転させて再びカップを掴むと、空いた方の手でしっしっ、と犬でも追い払うような仕草をした。
 
「一応貴様と私はまだ敵なんだぞ? 貴様の父、サウザンドマスターには恨みもある。士郎を傷付けた事を許した覚えもない。大体、私は弟子など取らんし、戦い方などタカミチにでも習えばよかろう」
 
 そう言い捨ててカップを傾ける。
 まあ、エヴァだったらそう言うだろうな……。面倒な事が嫌いなヤツだし。
 そのクセにいざ面倒を見るとなったら、やたらと面倒見が良いと言う不思議な性格でもあるが。
 
「それを承知で今日は来ました! 何より京都での戦いをこの目で見て、魔法使いの戦い方を学ぶならエヴァンジェリンさんしかいないと!」
 
 それでも尚、食い下がるネギ君。
 そんなネギ君の言葉に反応したのかエヴァがカップを持った手の動きを止めた。
 
「……ほう。つまり私の強さに感動した……と?」
「ハイ!」
 
 エヴァの唇の端が喜色に釣り上がっていく。
 カウンターの方を向いているから他の連中には見えないだろうが、俺には丸見えだった。
 あー……なんかイタズラを思いついたような悪い顔してんなー、おい。
 
「……本気か?」
「ハイ!!」
「ふん……よかろう、そこまで言うならな」
「え……」
「ただし……!」
 
 一瞬喜びかけたネギ君を制すようにエヴァが次の言葉を紡いだ。
 その顔はまだイタズラを思いついた子供のような顔。
 何しようとしてんだか……。
 
「坊やは忘れているようだが……私は悪い魔法使いだ。悪い魔法使いにモノを頼む時にはそれなりの代償が必要だぞ……」
 
 エヴァはくくく、と薄く笑うと椅子を回転させてネギ君の方に向き直る。
 そして何を思ったのかネギ君の前に靴を履いたままの足を突き出した。
 そして、
 
「———まずは靴をなめろ。我が下僕として永遠の忠誠を誓え。話はそれからだ」
 
 なんて言いやがった。
 な、何考えてんだエヴァ……大体それやったら本当に弟子にするって言うのか?
 と。
 俺が思った瞬間、
 
「って、アホかーーーーーーッ!!」
 
 アスナが例のハリセンを取り出してエヴァに突っ込みを入れようとしていた。
 ああ、もう! コイツはコイツで喧嘩っ早いんだから!
 
「———おっと!」
 
 取り合えずそのハリセンを身を乗り出してエヴァに当たる寸前に手で掴んで止める。
 アスナはそれでもジタバタともがく様にして暴れるのを止めようとしない。
 
「———シロ兄! お願いだから叩かせてぇ〜! 私はここで……ここで突っ込んどかなきゃいけないのよ〜〜!!」
「……まあ、突っ込みたいのは俺も同感だけど。取り合えずすぐに手を出すクセは直しなさい。そんな芸人根性みたいなのはいらないから」
 
 突っ込みだとしてもいきなり暴力はいけません。
 それにエヴァは只でさえ調子が悪いんだから。
 それでもアスナは俺の手を何とか振り解くと、エヴァにハリセンを突きつけながら言った。
 
「エヴァちゃん! 突然子供にアダルトな要求して何考えてんのよーっ! それにネギがこんなに一生懸命頼んでるのにちょっとひどいんじゃない!?」
 
 いかにもお冠といった状態で怒るアスナ。
 だがそれに、エヴァは鼻で笑うような仕草をした。
 
「馬鹿か。頭下げたくらいで物事が通るなら世の中苦労せんわ。———ハン、それより貴様……」
 
 エヴァがアスナの全身を舐めるように眺める。
 こちらには背中を見せているから、その表情は窺えないが……間違いなく笑ってる。しかも嫌な感じに。
 
「———何で坊やにそこまで肩入れするんだ? 身内でもないのに……。やっぱりホレたのか? それも10歳のガキに」
「———なっ!?」
 
 アスナの顔が見る見るうちに沸騰する。
 ———って。
 
「え? 本当に?」
  
 そりゃネギ君は10歳に思えないくらい大人びてる所があるから実年齢通りの印象を受ける事は少ないけど……。
 それなら分からなくも……ない……のだろうか?  良く分からんな……。
 
「ちっ……ちちち、違うわよ! ネギは子供なのよ!?」
「ハハハ! どうした耳まで赤くなってるぞ。カワイイじゃないか神楽坂明日菜!」
「ち、ちがっ!? 私はただ……」
「ムキになって否定とはハハハ! つまり図星か!?」
 
 エヴァ、絶好調。
 アスナがムキになるのがそんなに面白いのかドンドン追い込んでいく。
 アスナもアスナで落ち着けばいいのに、慌てるもんだからエヴァに突付かれて窮地に陥っていく。
 そんなことしてるとまた……。
 
「———違うーーっ!!」
 
 ほら、来た。
 アスナがまたハリセンでエヴァを叩こうとしたのでそれをもう一度止める。
 
「ワハハ! そらどうした? 実力行使で私の言葉を止めようとした所を見ると自分で認めているのとさして変わらんぞ!」
「だーーーっ! だから違うって言ってんでしょーー!?」
 
 エヴァも俺が止めるって分かってるもんだから益々調子に乗ってアスナをからかう。
 アスナは俺にハリセンを何度止められようと打ち込んでくる。
 ……って、いい加減誰か止めて!?
 俺も無理な体勢で連撃を止めるのは結構きついんですけど!
 
「———あ、あのー……」
 
 ネギ君が弱々しく声をあげる。
 ———あ、忘れてた。元々の話は弟子がどうとかだったっけ……。
 
「なあエヴァ。取り合えず見るだけ見てやったらどうだ? 試験みたいな感じでさ」
 
 アスナから打ち込まれた一撃を手で掴み止めてから言う。
 
「む……わかったよ……。お前もそこまで言うんだったら仕方ない。今度の土曜、私の家に来い。弟子にしてやるかどうかテストしてやる。それでいいだろ?」
 
 俺が言うと、エヴァも少し悪ふざけが過ぎたと思ったのか、バツが悪そうにそう言った。
 ネギ君はその意味をゆっくりと理解して、
 
「え……あ……ありがとうございます!」
 
 と、嬉しそうに言った。
 それを聞いて、俺も掴んでいたアスナのハリセンを放す。
 やれやれ……話が纏まったのは良かったけど、もう少し穏便に出来ないのだろうか。何かある度こうやって暴れられちゃ、店の物が壊れてしまうじゃないか。
 アスナはネギ君の返事に毒気を抜かれたのかハリセンをしまった。
 
「うぐっ……ならいいけど……あ、そうだシロ兄。シロ兄って刹那さんのお師匠さんなんでしょ?」
「は? なんだ突然……。まあ、一応そうだけど……」
 
 何の脈絡も無いアスナの話に少し戸惑う。
 で、その師匠がどうとかが何だってんだろうか?
 
「じゃあさ、私にも教えてくんない? 剣道」
「———剣道って……なんでまた」
「ほら……私、昨日はほとんど何にも出来ないまま終わっちゃったじゃない? だからこれから身を守る為にもそういうの習ってた方がいいかなーって……」
 
 はあ、なるほど。アスナの言いたい事は何となく理解できる。
 しかし、昨日のような場面なんて何も出来ないのが普通だと思うんだが……。
 しかし身を守るため、ね。
 
「悪いなアスナ。そりゃ無理だ」
「え〜……なんでよ〜? 刹那さんには教えてるんでしょ?」
 
 俺がそう言うと案の定アスナがブーブー文句を言った。
 そんな事言われても仕方ないのだが……。
 
「あのなアスナ……俺は元々誰かにモノを教えるのとかって苦手なんだよ。口下手だし柄じゃないんだから。大体、刹那の師匠って言ったってそんなに大した事してる訳じゃないんだぞ? 少し手合わせとかしてるだけだし。それに刹那のヤツは元々基本がしっかりしてるからな、わざわざ教えるような事自体少ないんだ。だからこそ刹那はなんとかいいとして……アスナ、剣道とかの経験は?」
「な、ないけど……」
「じゃあ尚更だ。俺は口下手だから、基本的に指導者には向いてないからな。全くの素人のアスナに教えてやるのは無茶ってもんだろう?」
「うー……でも何も教えれないって事は無いんでしょう? じゃあ良いじゃないのよ〜」
 
 なおも食い下がるアスナ。
 俺はそれに頭の後ろを掻きながら考える。
 参ったな……本当に苦手だから言ってるのに……。どうしたモンか……って、そうか!
 
「そうだ! 刹那に習うと良い」
「……刹那さんに?」
「ああ、そうだ。考えてみれば俺のは我流だからな、人様に教えるようなモンじゃないんだ。それに引き換え刹那のは由緒正しい流派。基本から学ぶって言うんならそっちの方がためになる」
「……良くわかんないけど……そうなの?」
「勿論だ。じゃあこっちからも逆に聞くけど、アスナ、俺みたいに二刀使えると思うか?」
「う……格好良いとは思うけど……すんごい難しそう」
「だろ? だったら尚更刹那に教わった方が良いって。俺からも刹那に言っておくからさ」
 
 アスナはむーっ、と暫く唸った後、顔を上げた。
 
「分かった。刹那さんにお願いしてみる」
「ああ、そうしろ」
 
 アスナは不承不承といった感じだったが、何とか納得したようだった。
 まあ、刹那も断ったりしないだろう。
 刹那自身、これでもっとあの子達と打ち解ける事が出来るだろうし、一石二鳥だ。
 それを皮切りに、ネギ君は満足そうに、アスナはどこか不満気に帰って行った。
 
「珍しいな士郎。お前が人の頼みごとを断るなど……私はてっきり二つ返事で了承するものだと思っていたが」
 
 二人が帰った後、エヴァが紅茶を飲みながらそう切り出した。
 
「そうでもないさ。俺だって何でもかんでも引き受けてるわけじゃない。出来ないものは出来ないってキチンと断ってる。今回の事だって、俺には本当に向いてないから断っただけだし」
「……そうか? 幾ら教えるのが苦手と言ってもヤツが言ってた通り、基本くらいは教えられただろう。私には”お前が”教えたくないように見えたぞ」
 
 ……お見通しか……。全く、エヴァに隠し事なんて出来そうも無い。
 俺はそれに苦笑して自分の分の紅茶を淹れ始める。
 
「そりゃな。俺だって基本くらいなら教えられるさ。基本の基本は殆どの流派で一緒なんだからな。でもさ、俺の剣は…………わかるだろ?」
「ふん……剣道ではなく剣術、か」
「そう言うコト」
 
 そう、俺の剣は剣術。
 『道』ではなく『術(すべ)』。
 人を守るための力とか、誰かを助けるためとか、どんなに綺麗な言葉で飾り立てても根っこの所は相手を殺し、叩き潰し、破壊する事にある。礼節を重んじる剣道のような精神論を挟む余地も無いほどの戦うためだけに特化した”術”。
 そんな血生臭いものを、アスナに教える訳には行かないのだ。
 刹那の使う神鳴流とかもそれは同じだろうが、多かれ少なかれ精神論を重視する教えはあるはずだ。それに刹那なら俺より上手くそこら辺を教える事が出来るだろう。
 
 ……もっとも、剣道だろうが剣術だろうが身を守るための力にそれらを選ぶのは少し早計だとも思うが。
 
「それより、エヴァこそ良かったのか? 俺から言っておいてなんだけどさ、ネギ君を弟子にするって……本気か?」
「嘘は言わんさ。テストの内容はまだ考えていないが、それをクリアしたならば考えてやらんでもない。ま、良い暇潰しにはなるだろうさ」
「…………」
 
 暇潰しかよ。
 ワハハ、と笑うエヴァをため息混じりに見る。
 エヴァの事だから弟子にしたらキチンと教えるんだろうけど……些か不安だ。
 それもこれもテストとやらに合格してからの話———か。
 
 
 
 ◆◇—————————◇◆
 
 
 
「ハァ、ハァ…………あ、ありがとうございました!」
「あいよ、お疲れさん」
 
 刹那との日課の早朝練習。
 それを終えて挨拶をする。
 最近は随分暖かくなってきて早朝の露を含んだ空気が気持ち良い。
 
「あ、そういえば刹那。アスナのヤツ、お前の所に行ったか?」
「ええ、私に剣道を教えて欲しいと言われたのでお引き受けしましたが。士郎さんから薦められたと仰っていましたが……貴方が教えた方が良かったのではないですか?」
「お前もそう言うコト言うのか……刹那、俺、一番最初に言っただろ? 誰かにモノを教えるのは苦手だって……それに刹那の方が剣道部とか入ってるし、教えたりするのは適任だろ?」
「はぁ……まあ、確かに剣道部で練習した事なども教えたりはしますが……」
「だろ? 俺は我流だから刹那に頼んだんだ。だからヨロシク頼むよ」
 
 刹那は俺がそう言うと柔らかい感じの笑みを漏らした。
 うん、刹那も変わってきたかな? 前だったらもう少し硬い感じだったんだけど、ここ数日で随分と険が取れて来たように見える。
 やっぱりこのかと和解したのが精神的に大きかったんだろう。
 
「士郎さんに頼まれては益々断るわけには行かなかったですね。……お任せを。この後も明日菜さんと練習しますので」
「そっか。そりゃ良かった」
 
 はい、と刹那が笑って答えたので俺も笑う。
 俺達は少し休憩をしながら雑談をした後に別れた。
 手に竹刀の入った袋をぶら下げ、肩からスポーツタオルをかけたまま、明るくなり始めたばかりの道を歩く。
 
「さて、今日の朝食は何にしようかな……」
 
 昨日の晩の残り物のひじきはまだあったからそれをサイドメニューとするとして……後は、魚かな?
 それに玉子焼きと豆腐とわかめの味噌汁にでもしようか。
 
「そうなると、魚と豆腐でも買って帰るかな」
 
 朝食の献立を頭の中で組み立てながら商店街へと足を向ける。
 さて、なにか良い魚でも入ってるだろうか?
 と、テクテク歩いていくと見知った顔にバッタリと出くわした。
 
「———って、あれ? エヴァ?」
「ん? 士郎か」
 
 エヴァと茶々丸、それにチャチャゼロが茶々丸の頭の上にいた。
 茶々丸とは家を出て来る時に会ったからここにこうしているのもそんなに不思議じゃない。
 でも、エヴァが基本的にこんな時間に起きて出歩くのは珍しい。
 
「どうしたエヴァ。随分と早いじゃないか」
「別段どうと言う事ではない。何か知らんが目が覚めてしまっただけだからな。折角だからお前達の修練でも見に行こうかと思ったが……その様子では終わってしまったようだな」
 
 エヴァが俺の手に握られた竹刀袋を見ながら言う。
 
「ああ、今さっき終わったとこ。惜しかったな」
「ま、仕方ないさ。思い付きだったしな。……さて、そうなると無駄足になってしまった訳か……困ったな」
 
 やれやれ、とエヴァが明後日の方向を向きながら言った。
 折角早起きして来たのに、それが無駄になってしまい時間を持て余しているのだろう。
 ……ま、そう言うコトなら。
 
「じゃあさエヴァ。俺、これから商店街の方に行って朝飯の材料買いに行くんだけど……一緒に行かないか?」
「朝食の? ……そうだな、たまにはいいか。よし、行くか」
 
 エヴァが二つ返事でそう言った。
 単純に暇だったからそれを潰せるのだったら何でも良かったんだろう。
 
「二人はどうする? 俺たちは行くけど……」
 
 茶々丸とチャチャゼロにも聞いてみる。
 
「私もご一緒致します。お米はもう洗って来ましたので」
「俺モイクゼ。何カオモシレーモンデモネェーカ見テミタイシナ」
 
 ふむ、それなら一家総出でお買い物としゃれ込みましょうか。
 
「うし、それなら行くか」
「うむ。士郎、卵だ、卵。私は生卵をかけたご飯が食べたい」
「はいはい」
 
 隣を歩くエヴァが俺を見上げながら楽しそうに言う。
 こんな笑顔を見られるのも早起きは三文の徳の内に入るんだろうか?
 商店街の道を皆で適当な話をしながらゆっくり歩く。
 そんな時だった。
 
「———ん? なんか変な音しないか?」
 
 聞き慣れない音が聞こえてくる。
 なんと言うか……足の裏を思い切り地面に叩きつけるような乾いた音と言うかなんと言うか……。
 そんな音が辺りに響いている。
 
「む……言われて見れば確かに……」
 
 エヴァも少し考える仕草をしてキョロキョロ辺りを窺って音の出所を探ろうとしている。
 
「———マスター、士郎さん、あそこです。世界樹広場の所に誰かがいます」
 
 茶々丸がそう言って指差す方向を見やる。
 そこを見ると確かに人影があった。
 ———でもあれって……。
 
「ネギ君……だよな?」
「……そのようだな」
 
 エヴァもその姿を見つけたのかジッと見つめている。
 それは俺も同じだ。あの音はネギ君の足元から鳴っていた。
 ———流れるような動きで身体を縮めてはまた伸ばし、虚空に向けて肘を打ち込む。大地をしっかりと蹴り、その力を無駄なく一点に集中させるあの動き……。
 
「あの動きは……中国拳法か?」
 
 その動きはまだまだ未熟だったが、間違いなく中国拳法のソレ。
 しかし、ネギ君はあんなの使えただろうか? 京都での動きを見た限り、そんな素振りは見せなかったが……。
 それを見ていたエヴァが不機嫌そうに舌打ちをした。
 
「……ふん、なるほど。戦い方を学ぶのなら私しかいない、などと言って置きながら……」
 
 エヴァはそう言うと、ちょっと怒ったような感じでネギ君のところに足を向けた。
 
「あ、おい……エヴァ?」
 
 俺が話しかけても黙って歩き続ける。
 どうしたんだろうか? さっきまであんなに機嫌が良かったのに。
 ネギ君のいるすぐ近くまで歩いていくと、ネギ君の他にも佐々木さんがいつの間にか側にいた。
 格好を見るにジャージ姿なので、ランニングかなにかの途中なのだろう。
 そんな二人の会話が風に乗って聞こえてくる。
 
「ね、ね、今のもう一回やってよ♪」
「あ、はい」
 
 会話の内容から推測するに、佐々木さんもネギ君の姿が見えたからここに来た、と言う所か。
 エヴァはソレを見て、また不機嫌そうに鼻を鳴らした。
 
「フン……カンフーか。随分と熱心じゃないか、坊や」
「あれー? エヴァさま、茶々丸さん、衛宮さん、おはよー♪」
「あ、お早うございます!」
 
 二人が気が付いたのでそれに手を上げて返す。
 茶々丸もお辞儀をして返す。
 ……が、エヴァは不機嫌そうに顔を顰めたままだった。
 そしてむすっ、とした顔のまま続けた。
 
「カンフーの修行をする事にしたのか? じゃあ、私への弟子入りの件は白紙と言う事でいいんだな」
 
 ———あー、納得。
 そうか、そう言うコトか。
 つまりエヴァは弟子になるのはエヴァしかいないとまで言われたのに、他の人間に師事していることが面白くないのか。
 
「あっ、いえ、これは、そのっ……あの少年の戦い方の研究をしているだけでっ……」
 
 ネギ君がしどろもどろになりながら何とか弁明しようとしている。
 だがエヴァはそれを聞こうとはせずにさっさと帰ろうとする。
 
「いいよ、別に。私は元々弟子を取るつもりなかったしな」
「あわわ! 違うんですーーっ!」
 
 そんなエヴァにネギ君が慌てるがどうしようもない。
 
「どゆこと? ネギ君」
「えとあのっ、僕、エヴァンジェリンさんの弟子にして貰うつもりだったんですけどーっ」
 
 ネギ君が事情を知らない佐々木さんに何とか説明しようとしている間にも、エヴァは俺の手を取って商店街へと向かおうとする。
 
「じゃあな。ま、子供にはカンフーはお似合いだよ」
「あ……待ってくださーい!」
 
 ネギ君、最早半泣きである。
 俺を縋るような目で見るが……すまん、無理だ。俺も以前に同じような事をしてひどい目に合って大変だったんだよ……。
 
「……ヤキモチですか? マスター」
「違うわっ!」
 
 茶々丸がそんな事を言って、その頭の上でチャチャゼロがケケケと笑っている。
 
「ちょっとー、エヴァちゃん。何でネギ君にイジワルするのー? 弟子にくらいしてあげればいーのに……何の弟子か知らないけどー」
「ヤキモチだそうです」
「違うっつーのコラ!!」
 
 茶々丸の発言にエヴァは掴みかかって否定しようとしている。
 そうだぞー、師匠の二股がばれると怖いんだぞー……、俺も以前にライダーから習った体捌きをセイバーに見せた時なんかそりゃーもう……。
 
「………………………………」
 
 うお! 思い出しただけでブルっと来た!?
 そう言うコトなので文字通り身体に叩き込まれた教訓を胸に、俺はこの件に口出ししませんです、はい。
 あん時のセイバーはすごく怖かったし……。
 
「———フン、子供の遊びに付き合う趣味はないんだよ。お前みたいなガキっぽいヤツと話すのもな、佐々木まき絵」
「なっ…………!! 何よー! エヴァちゃんだってお子ちゃま見たいな体型じゃん。ふーーんだっ、いいもんねー! ネギ君、あーんなに強かったんだもん。エヴァちゃんなんかに教えてもらわなくてもすぐに達人だよーだ!!」
「ぬ……?」
 
 エヴァがこめかみをひくつかせる。
 ……や、エヴァの名誉の為に言って置くと、エヴァは真祖になってしまったその時から成長できないのであって、成長してたら間違いなくとんでもないクラスの美人になってた筈だった……とかはこの際どうでもいいのか。
 ———でも、なんでこの子がネギ君が強かった、とか言ってるんだろう? まさかこの子にもバレてたりするのか?
 
「……いいだろう。たった今貴様の弟子入りテストの内容を決めたぞ。———そのカンフーもどきで茶々丸に一撃でも入れてみるが良い。それで合格にしてやろう。……ただし一対一でだ」
 
 エヴァが唐突に言う。
 茶々丸と一対一でって……それってかなり難しい事なんじゃないかと思うんだが。
 
「いーよ♪ わかった!! そんなのネギ君なら楽勝だよー!」
「ま、ま、ま、まき絵さんっ!?」
 
 や、何で君が自信満々なのさ? 当のネギ君は後ろで慌ててるのに。
 エヴァはそれを見て鼻で笑うと、茶々丸の方を向いた。
 
「もんでやれ、茶々丸」
「———ハ、しかし……」
「いいから行け、怪我せん程度でいいから」
「ハイ」
 
 おいおい……穏やかじゃないなあ。
 茶々丸の事だからちゃんと加減するだろうから心配はいらないけど。
 
「———失礼します、ネギ先生」
 
 茶々丸はそう言うと一瞬でネギ君の懐に入り込んでいた。
 
「へ?」
「!」
 
 何の反応もできない佐々木さんとなんとか反応したネギ君。
 茶々丸がバックブロー気味の一撃を放つと、何とかそれにギリギリ反応した。
 掌で茶々丸の腕を受け止めたネギ君。
 今のに反応できただけでも少しはマシにはなってはいる。
 
 ———だけど、今の彼にはここまでが限界だろう。
 
「ぎゃう!?」
 
 続いて放たれた茶々丸の横蹴りに全く反応できないままネギ君は吹き飛ばされた。
 そしてそのまま目を回してしまう。
 結構派手に吹き飛んだが怪我はしてないっぽい。茶々丸も思い切り加減をしたんだろう。
 ま、今の二人の実力差を考えればこんなもんだとは思うが。
 
「茶々丸に一発も入れられないようならどの道貴様に芽はない。場所はここ。時刻は日曜日午前0時にまけてやる。ま、せいぜいがんばることだな」
 
 エヴァはそう言い残すと、俺の手を引っ張ってさっさとその場から去る。
 その手に引かれながら考える。
 やり方は少し乱暴だったけど、弟子入りテストって言うなら納得の内容だ。
 ある程度の実力がなければ訓練についてこれなくなってしまうわけだし。
 
「———さて、ネギ君。君に残された時間はあと二日。どうやって攻略するか見せて貰うからな」
「そんな物より飯だ、飯。
 士郎、新鮮な卵を買いに行くぞ」
「……はいはい」
 
 エヴァに急かされながら商店街へと足を向ける。
 一人の少年の健闘を祈りながら——————。
 
 
 
 ◆◇—————————◇◆
 
 
 
「オイ、御主人。コレジャ試合ガ見エネーゾ。モットイイ位置ニ座ラセロヤ」
 
 チャチャゼロがそうぼやく。
 今宵は一人の少年の運命の夜。
 時計の針が二つ揃って真上に来るまであと僅かだ。
 俺たちは連れ立って世界樹広場に来ていた。
 当人であるネギ君はまだ来ていない。
 
「全く、役立たずのクセに口うるさい奴だ」
「仕方ネーダロ。動ケネーンダカラ」
 
 御主人ノセイダゼ、とチャチャゼロが文句を言う。
 エヴァのせいかどうかは知らないが、ここまで来ておいて事の成り行きを見れないのは可哀想だろう。
 
「ほら、チャチャゼロ。お前は俺の頭の上にでも乗っかってろ。これで見えるだろ」
 
 地面に座らせられていたチャチャゼロを抱え上げて頭の上に置く。
 
「オー、良イ眺メダゼー。ヨシ、手前ェハ今日一日、俺ノ乗リモンニナレ」
「へいへい」
「あ、こら士郎! そんな羨まし……じゃなかった。そんな甘やかす真似するな!」
「まーまー、良いだろエヴァ。これで全部解決するんだから」
 
 恨めしそうにチャチャゼロを見上げるエヴァを取り合えずなだめる。
 全く……チャチャゼロは動けないんだから仕方ないだろうに。
 
「———しかし良いのですか、マスター」
 
 と。
 俺達が話していた間、ずっと黙っていた茶々丸が口を開いた。
 
「ネギ先生が私に一撃を与える確率は概算3%以下……ネギ先生が合格できなければマスターとしても不本意なのでは……」
 
 3%……まあ、妥当な数字だろう。
 それだけ今の茶々丸とネギ君の実力はかけ離れている。
 エヴァは茶々丸の台詞を聞いて呆れたようにため息をはいた。
 
「……おい、勘違いするなよ茶々丸。私はホントに弟子などいらんのだ。メンドイからな。それに一撃当てれば合格など破格の条件だ。これで駄目なら坊やが悪い。いいな茶々丸、手を抜いたりするなよ。抜いたら士郎に代わらせるからな」
「……勝手に俺を引っ張り出すなよ」
 
 なんでそこで俺の名前を出すかっ。
 それでもエヴァは俺の文句を適当に聞き流してしまった。
 
「……ハ。了解しました」
 
 茶々丸が頷いた。
 ……でも手を抜くなって言ってもな……。
 
「なあ、エヴァ」
「———ん?」
 
 エヴァの側にしゃがんで茶々丸に聞こえないように耳打ちして小声で話す。
 
「……茶々丸に手を抜くなって言うのはちょっと無理があるんじゃないか?」
 
 どう考えても茶々丸にそんな事が出来るとは思えない。
 只でさえ優しい子なのに、子供を本気で叩きのめせって言われても出来るもんじゃないだろう。
 するとエヴァが俺の意図を察して小声で話し返してくる。
 
「……そんな事は分かっている。茶々丸では坊やを相手に本気にはなれんだろうさ。それでもああやって言っておかないとわざと一撃を喰らってやりそうだからな。それでは意味がなかろう?」
「……それもそうか」
 
 呟いて立ち上がる。
 どうやらエヴァもそこら辺を理解しての発言だったらしい。
 そうやって言っておけば、加減をしても過剰に手を抜くって事はないだろう。
 
「さて、そろそろ時間か……」
 
 隣にいるエヴァが懐から懐中時計を取り出して呟く。
 それを覗くと、指定の時刻を指し示していた。
 その時、
 
「エヴァンジェリンさん! ネギ・スプリングフィールド、弟子入りテストを受けに来ました!」
 
 ネギ君の声が広場に響いた。
 声のした方を向いて見ると、階段の下の方にネギ君が来てこちらを見上げていた。
 
「………………ん?」
 
 が、俺はその光景に違和感を覚えた。
 ———何か変じゃないか?
 目をこすってもう一度確認するように観察する。
 ネギ君がいる。
 うん、それは当たり前なんだけど……その後ろはナンデスカ?
 
「よく来たな坊や。では早速始めようか」
 
 エヴァがネギ君を振り返りながらそう言った。
 
「お前のカンフーもどきで茶々丸に一撃でも入れられれば合格。手も足も出ずに貴様がくたばればそれまでだ」
 
 エヴァが最後通告を告げるようにネギ君を見た。
 ———あれ? 異変には突っ込まないのか?
 
「———その条件でいいんですね?」
 
 ネギ君が含みを待たせたような笑みで笑い返す。
 
「ん? ああ、いいぞ……それよりも」
 
 エヴァもそれに少し怪訝な顔をしたようだが、たいして気にも留めずに流す。
 そして小刻みにプルプル震えだした。
 ———そして。
 
「———そのギャラリーは何とかならんかったのか! ワラワラと!!」
 
 ドッカーンと、やっとエヴァが突っ込んでくれた。
 いや、良かった。なかなか突っ込まないから俺にだけ見える錯覚かと思った。
 
「……何考えてんだか」
 
 思わず呆れた台詞が口から零れてしまった。
 ネギ君の背後には多数の人間が立っている。
 刹那、アスナ、このか、大河内さん、明石さん、和泉さん、佐々木さん、古菲さん。
 うわー、団体さんだー……。
 
「…………って、アホか」
 
 一体どういう経緯でこうなっちまってるんだか。
 まあ、今回は魔法ではなくカンフーで戦うってテストだから居ても問題ないのかもしれないけど。
 大河内さんや明石さんといった、俺がここに居る理由が分からない子達は俺を見て驚いてるみたいだが。
 
「はぁ……エヴァ、茶々丸、俺は下がって見学してる。何か疲れた」
「……私もだ。こんな茶番はさっさと終わらせて帰るか」
 
 俺は側の階段に腰掛けて観戦モードに入る。
 全く……、皆で着いてくるあの子達もだが、ネギ君もネギ君だ。
 本当にやる気あるんだろうか? そりゃテストなんだから応援とかはあっても良いんだろうけど、少し甘く考え過ぎているんじゃないだろうか。
 それとも明らかな地力の差を覆す何かがあるとでも言うのだろうか。
 観客の子達からネギ君に応援の黄色い声が飛ぶ。
 
「茶々丸さん、お願いします」
「———お相手させて頂きます」
 
 階段の踊り場で二人が対峙する。
 ネギ君側の背後には刹那やアスナ達が応援団のように見守っている。
 それを見届けてエヴァが俺の隣に座り、手を上げ、
 
「———では始めるが良い!!」
 
 振り落とした。
 その掛け声と共に茶々丸が地を蹴り、ネギ君へと肉薄するべく間合いを詰めた。
 
「契約執行90秒間、『ネギ・スプリングフィールド』!」
 
 が、ネギ君はその寸前にが何やら唱えていた。
 ……あれは?
 
「エヴァ、今の何だ?」
「自身への魔力供給だ。我流で術式もかなり強引だがな」
 
 それを聞いて納得した。
 そう言えば京都でも同じようにして犬上小太郎って少年に勝ったんだった。
 つまりあれは一種の『強化』みたいなものなんだろう。
 
「———失礼します」
 
 茶々丸が飛び込んだ勢いを左の拳に乗せ、ネギ君へと叩きつける。
 ネギ君はそれを肘で払いのけるように軌道を逸らして防ぐ。
 が、茶々丸はそれを最初から読んでいたかのごとく、立て続けに右の拳を打ち込む。
 ネギ君はその拳を左の手で受け流し、その勢いを利用して茶々丸の側面に回りこむとバックブローを放った。
 狙いも、タイミングも良い。とてもじゃないがにわか仕込み拳法の動きには見えない。
 しかしそれは茶々丸に容易く防がれてしまった。
 
『———おお!?』
 
 観戦をしている女の子達からどよめきのような声が上がる。
 戦うといってもここまでの戦いになるとは想像していなかったのだろう。
 無論、俺だって驚いてはいる。
 ほんの僅かな期間で拳法の形になっているのだ。ネギ君の覚えの早さは目を見張る物があるだろう。
 ———だが、
 
「———士郎、どう見る」
 
 事の成り行きから視線を外さないままエヴァが問いかけた。
 それに俺も同じ様に視線を固定したまま答える。
 
「……短期間でここまでの体術を身に着けたのは正直に言ってすごいとは思う。ネギ君は間違いなく天才ってやつだろう……」
 
 茶々丸が回し蹴りでネギ君のガードごと吹き飛ばす。
 あれはガードした所で体重の軽いネギ君が踏ん張れた物ではない。
 
「術式の補助のお陰だろうと思うけどスピードもパワーもそこそこのレベルまで上がってる。——————けど、」
 
 茶々丸が吹き飛んだネギ君に追い討ちをかけようと迫る。
 が、それを狙い済ましたかのようにネギ君は茶々丸から放たれた拳を掴み取り、自分の方に引き寄せてカウンターで肘を叩き込んだ。
 完璧なタイミング。
 かわしようもない一撃。
 それを、
 
「——————まだまだ甘い」
 
 茶々丸は掴まれた腕を支点に、半円を描くように大きく跳躍してかわす。
 そしてそのままの勢いで、
 
「かふっ!?」
 
 ネギ君を大きく蹴り飛ばした。
 地面を派手に転がるネギ君。
 寸前に障壁で緩和したようだが今の一撃は決定的だろう。
 
「まあ、こんなモンだろ」
 
 これは予想と言うより確信に近い出来事を自分の目で見ただけの話。
 驚きも何もない。
 こうなる事は最初から分かっていたのだ。
 
「ちっ……だろうな。この前の戦いを見てもう少しマシかと思っていたが……この程度か」
 
 エヴァが失望したように吐き捨てる。
 その表情は予想通りになってしまったつまらなさと、予想以上の不甲斐無さに苛立ちを混ぜたようなモノだった。
 
「———残念だったな坊や。だがそれが貴様の器だ。顔を洗って出直して来い」
 
 エヴァが倒れたままのネギ君を見下ろしながら言う。
 ……どうしたネギ君、君は本当にこのままで終わってしまうのか?
 
「ネギ!」
「ネギ君!」
 
 アスナと佐々木さんが倒れたネギ君へと駆け寄る。
 ピクリとも動かないので不安を募らせたのだろう。
 が、
 
「……へ、へへ」
 
 倒れたネギ君の指が動いた。
 そして聞こえた笑い声も同一人物のもの。
 
「まだです……まだ僕くたばってませんよ、エヴァンジェリンさん」
 
 ぐっ、と四肢に力を込めて再び立ち上がる。
 けれども先ほどの一撃は足にきているのだろう、ガクガクと震えて今にも倒れてしまいそうだった。
 
「ぬ……? 何を言っている? 勝負はもう着いたぞ、ガキはさっさと帰って寝ろ」
 
 エヴァが呆れたようにネギ君を見ている。
 けれど、ネギ君はその視線を受け止めて———笑った。
 
「……でも条件は『僕がくたばるまで』でしたよね。それに確か時間制限もなかったと思いますけど?」
 
 ———は、そう言う事か。
 思わず笑いが込み上げてくる。
 なるほど、少々言葉遊びが過ぎる気もしないでもないが……君も男の子だなネギ君。
 
「な、何っ!? まさか貴様……!」
「へへ……その通り、一撃当てるまで何時間でも粘らせてもらいます……茶々丸さん続きを!」
「し、しかし先生……、っ!?」
 
 ネギ君は戸惑う茶々丸を無視して突っ込んでいくが、あっさりと迎撃されてしまう。
 その打ち込みは凡百で今までの目を見張るようなスピードは見る影もなくなっていた。
 
「あ、おい! 何を勝手に……!」
 
 エヴァがそれを止めようと腰を浮かせるが、その手を掴んで引き止める。
 
「まあ、やらせとけよエヴァ」
「し、しかしこれ以上は無駄だろう? 見ろ、魔力供給も切れてスピードもがた落ちだ」
「それでもだ。男の子には引いちゃいけない時があるんだよ。———おい、茶々丸!」
 
 エヴァを引っ張って無理矢理座らせ、茶々丸に呼びかける。
 俺の声に茶々丸が振り返る。
 
「本気でやってやれ! そうじゃなきゃネギ君にとって意味がない事になっちまう!」
「——————士郎さん」
 
 ジッと俺を見つめる。
 ネギ君も茶々丸のほうを見上げて次の言葉を待っている。
 そして、
 
「……わかりました」
 
 茶々丸が頷いたと同時にネギ君を手の甲で殴り飛ばした。
 
 
 ———さて、どこまで頑張れる? 男の子。
 
 
 ◆◇—————————◇◆
 
 
 
 かれこれ1時間以上にもなるだろうか?
 周囲には打撃音が響き続けていた。
 しかしそれは戦いの音などではない。戦いとは両者が互いに争う事を言うもの。一方的な力の行使は暴力となんら変わりはないだろう。
 
「はぁ……はぁ、はぁ……」
「ネギ先生……」
 
 打ち込む側と打ち込まれる側。
 それは一度たりとも逆転することなく今に到っている。
 ネギ君の顔はボロボロになり、うって変わって茶々丸は綺麗なままだ。
 
「お、おい坊や……もういいだろ? いくら防御に魔力を集中しても限界がある。 お前のやる気はわかったから……な?」
 
 あまりの一方的な展開にエヴァでさえネギ君を気遣っている。
 もうどうしようもならないと思っているんだろう。
 ……でも、俺は。
 
「ほらほら、どうしたネギ君! そんなんじゃエヴァの弟子になんてなれないぞー!」
 
 更にハッパをかける。
 ネギ君側の応援団の刹那と佐々木さん以外の全員から睨まれた様な気がするが気にしない。
 ネギ君は俺の声を聞いて———確かに笑った。
 
「……わ、わかってまふ……まだまだでふ……」
 
 頬が腫れ上がって上手く喋れないのか、まともな発音が出来ないまま答えてまた茶々丸に突っ込んでいく。
 うん、それでこそ男ってモンだ。
 
「……おい、士郎。お前、なんでそんなに笑ってられるんだ?」
「え? 笑ってるか、俺?」
 
 俺にはそんな自覚なかったんだけど……まあ、そんな気分にもなるってもんだ。
 
「ま、そうかもな。こんなに気持ちの良いモノを見れるなんて思ってもなかったからな、良かったよ」
「……この状況がか? 私には一方的な虐待にしか見えんぞ?」
「虐待って……それは茶々丸に失礼だろうが。ちゃんと加減してるんだから」
「それはそうだが……」
 
 そう、何だかんだ言っても茶々丸は手加減している。
 そうじゃなければとっくの昔に気絶させられて終わっている筈だ。
 ……恐らくだが、茶々丸はネギ君に何かを期待して気絶させていないのではないのだろうか?
 そうでなきゃ、あんなに優しい子があそこまで人を痛めつけるような事はしないだろう。
 
「それにさエヴァ。こういうのって男の子にとっては通過点みたいなもんなんだ」
「通過点……か?」
「ああ」
 
 頷いて前を見る。
 そこではまたしても茶々丸から吹き飛ばされているネギ君が見えた。
 このかはネギ君に一撃が入る度に悲鳴を上げて目を背けたり、そうでなくても目の端に涙を浮かべて今にも泣き出しそうにしている。
 それはあのアスナですら例外ではなかった。
 そうでないのは武道の心得のある刹那と古菲さんだけだ。
 それを見ながら話す。
 
「壁って言い換えても良いのかな? 超えられないと分かっていても向かって行かなきゃいけない時があるんだ。それがネギ君にとって今なんだと思う。そしてその壁の向こう側にある目標が今はお前の弟子になるって一点だけだ。それは誇っても良いことだと思うぞ? それだけの目標にされている訳だからな」
「…………ふん」
「だからこそ俺はネギ君を止めたりはしない。むしろ応援する。ボロボロになってたってちっとも心配なんかしてやらない。そこまでする価値がある事を心配とかされてみろ、俺だったらそっちの方が嫌だけどな」
「………………」
「エヴァだって分かってるんだろ? ネギ君がどれだけ真剣なのか。俺だって最初はあんなに応援のギャラリー連れて来た時、甘く見てるんじゃないかって思ってたけど……甘かったのは俺の方だったかもな。ネギ君はその意思を身体を張って見せてくれた。これ以上にはないくらい……だろ?」
「…………それでも私は茶々丸に一撃を入れるという条件を翻す気はないぞ」
「そりゃそうだ。そんな事されても見ろ、情けなくって落ち込む所の話じゃなくなるぞ」
 
 エヴァはふん、と鼻を鳴らしてもう一度ネギ君を見る。
 俺はそんなエヴァに苦笑すると、同じようにネギ君を見た。
 さ、後は君次第だ。根性見せてみろ。
 
 
 ◆◇—————————◇◆
 
 
「——————も、もう見てらんない……止めてくる!!」
 
 目の前の惨状に耐えられなくなったアスナが二人を止めようとする。
 あいつ等にはまだ分からなかったか……。
 
「仕方ない、ちょっと言ってくる」
 
 エヴァにそう言い残して腰を浮かせる。
 さて……素直に聞いてくれるかどうか……。
 その時。
 
「———ダメーー! アスナ、止めちゃダメーーーッ!!」
 
 そんな佐々木さんの叫び声で浮いた腰を止めた。
 見ると、飛び出そうとしたアスナの前に両手を広げて立ち塞がっていた。
 
「で、でも……あいつあんなにボロボロになって……あそこまで頑張る事じゃないよ!」
「わかってる、わかってるけど……。ここでネギ君を止める方がネギ君にはヒドイと思う! だってネギ君どんな事でも頑張るって言ってたもん!!」
 
 ……はは、分かってる子もいるんだな。
 二人の声を聞きながら立ち上がり、アスナ達の元へと階段を下っていく。
 
「まきちゃ……でもっ……あいつのアレは子供のワガママじゃん! ただの意地っ張りだよ、止めてあげなきゃ……」
「違うよっ、ネギ君は大人だよ!」
「ま、まきちゃん、シャワー入ってた時もそう言ったけど、あいつどこからどう見たって……」
「子供の意地っ張りであそこまでできないよ。う、上手く言いえないけど……。ネ、ネギ君にはカクゴがあると思う……」
「か、覚悟?」
「うん、ネギ君には目的があって……そのために自分の全部で頑張るって決めてるんだよ。アスナ……自分でも友達でも先輩でも良いし男の子の知り合いでもいいけど、ネギ君みたいに目的持ってるって子いる? あやふやな夢みたいのじゃなくて、ちゃんとこれだって決めて生きてる人いる?」
「そ、それは……」
 
 歩きながら佐々木さんの言った言葉を考える。
 俺的には半分賛成で半分は同意できない……かな?
 ネギ君が大人とか覚悟を持っているかはちょっと同意できないけど、目的がはっきりしてるってのは賛成だ。
 それらはネギ君の年齢を考えれば……及第点ってところか。
 
「———ネギ君は大人なんだよ。だって目的持って頑張ってるんだもん。だから……だから今は止めちゃダメ———」
 
 佐々木さんがアスナの目を見てそう言った。
 アスナはそんな佐々木さんを黙って見ていた。
 
「———俺も概ね佐々木さんの意見に賛成だ」
「……シロ兄……」
 
 アスナの頭に笑いながら手を乗せる。
 アスナはそのまま俺を見た。
 
「アスナ、お前がネギ君の一番側にいるんだ。だったら信じてやれよ。意地だってなんだって良いじゃないか。目的の為に意地になれるんだったらそれは止めるべきじゃない。その意地が無駄になんてならない。それに……」
 
 片目を瞑り、茶々丸の方に視線を向ける。
 茶々丸はこちらの言葉に気を取られている。
 そしてその背後には—————ボロボロになったネギ君が拳を振りかぶっていた。
 
 
「———諦めなければ、意地だって張り通せば届くかもしれないだろ?」
 
 
 ネギ君が動く。
 
「———あ、オイ! 茶々丸!!」
 
 エヴァが叫ぶがもう遅い。
 
「…………あ」
 
 ぺちん、と言う痛くも痒くも無さそうな一撃だが……確かに茶々丸に届いた。
 
「……あ、当たりまふぃた……」
 
 それだけ言うと精魂尽き果てたようにネギ君は倒れた。
 それでも、その顔は最後に笑っていた。
 
「———ほら、届いた」
 
 一瞬の静寂の後に、歓声が響く。
 倒れたネギ君は一瞬で女の子達に囲まれていた。
 ———ま、少し反則っぽかったけどこういうのもネギ君の力の一つって事でいいだろ?
 たくさんの女の子に囲まれたネギ君を見ながらそんな事を思った。
 
 
 
 ◆◇—————————◇◆
 
 
 
「———ふん、負けたよ坊や。約束通り稽古はつけてやる。いつでも私達の家に来な」
 
 夜も明け始めた頃、ようやく気が付いたネギ君にエヴァはそう言った。
 ネギ君は佐々木さんに膝枕されたままでそれを聞いている。
 先ほどまでのダメージを考えれば当然だろう。
 
「……ああ、それとな、そのカンフーの修行は続けておけ。どのみち体術は必要だしな。理屈っぽいお前に中国拳法はお似合いだよ」
 
 それだけ言うとエヴァはその場を立ち去るのでそれに続く。
 背中にはネギ君の「ありがとうございます」と言う言葉。
 エヴァはそれに頬を緩ませながら歩く。
 二歩先には金の髪を揺らしながら歩く彼女の小さな背中。
  
「———なあ、エヴァ。良かったな」
 
 俺がそう言うと、エヴァは露骨に嫌そうな顔をして振り返り、後ろ向きのまま歩く。
 
「……お前までそのような事を言うのか?」
「だって…………なあ?」
 
 隣の茶々丸を見る。
 
「ええ、そうですね。私も士郎さんに同意です。きっとこれからは賑やかな毎日でしょうね」
「ケケケ、喧シイノ間違イジャネーカ?」
 
 俺の頭の上に乗ったままのチャチャゼロが笑う。
 そう言えば乗ったままだっけ。
 
「……ふん、私としてはお前達がいれば問題ない。それよりチャチャゼロ! お前いつまで士郎の頭の上に乗ってるつもりだっ、さっさと降りろ!」
 
 エヴァはチャチャゼロ目掛けて俺の目の前でぴょんぴょん跳ねる。
 その様は子供っぽくて微笑ましいものだった。
 
「はは……ま、いいじゃないかエヴァ———って、引っ張るな! 転ぶ転ぶ転ぶーーっ!?」
 
 朝靄の中を騒がしく歩く。
 それでも、これから来るであろう未来の方がきっと騒がしいんだろうなと思いながら—————。

 
 
 



[32471] 第36話  君の想い
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 22:22

 
 
 良く晴れた昼下がりの午後。
 洋風の古城跡地のような場所に俺たちはいた。
 跡地といっても実質は図書館島の一部でうらぶれた感じはぜず、レジャーシートと弁当でも持ってきていれば最高のピクニックになりそうなシュチュエーション。
 けれど今日はそれらを準備していないのが悔やまれる。
 うん、次来る事があったら是非持って来よう。
 だったらなんでこんな所に来ているかと言うと、今日の目的はネギ君の修行。
 なんでもここは人目につきにくく、適度に広いため使いやすい場所らしい。
 視線を少し下げると、そこには指導役のエヴァの金髪のツムジが見える。
 隣には茶々丸。
 チャチャゼロは相変わらずのお留守番。
 そして視線を少しだけ前に向けると、刹那、アスナ、このか、宮崎さん達ががずらりと並んでいる。
 その更に奥にはネギ君が杖を持って神妙な面持ちをしていた。
 ……ちなみに後ろには古菲さんと綾瀬さんがいる。
 古菲さんは京都の夜の事があるから、まあ良しとしよう。
 しかし、綾瀬さんはなんでここにいるんだろうと思ったので聞いてみたら、なんでも彼女は、このかの屋敷にフェイト達が襲撃をかけてきた際にたった一人だけ脱出を成し遂げ、龍宮さんや古菲さん達を助っ人として呼んでくれたのだそうだ。
 そう考えると、彼女には間接的にとは言え助けられたようだ。
 ある意味、恩人と言っても過言ではないだろう。
 綾瀬さん曰く、
 
「私はあの場ではお役に立てそうもなかったです。なので自分の手に余る事柄を他人にお任せしただけに過ぎないですよ」
 
 と、ある種自嘲気味に呟いていた。
 だがしかし。
 彼女はあの場で出来る最高の判断を成し得たのだ。
 そのお陰で俺達はここでこうして誰一人として欠けることなく集まる事が出来ている。
 賞賛されこそすれ、卑下する事など微塵もないだろうというのが俺の見解だ。
 彼女の状況判断能力は確かだろう。
 そして、そんな彼女はこの場で俺を見るなり開口一番呟いた。
  
「———おや、同志ではないですか」
「なんでさ!?」
 
 いきなりだった。
 いきなり過ぎた。
 余りにも突然過ぎたので、賞賛の言葉が吹き飛んでしまうくらい。
 どうしよう。
 早速だが彼女の状況判断能力を疑ってしまいたい———!
 同志。
 ソレは同じ志を持つ物同士を表わす言葉。
 では、この場で何を持って同志と俺を評すか。
 それは勿論”アレ”だろう。
 ”アレ”。
 思わず正式名称を避けてしまいそうな摩訶不思議ブツ。
 ”ラストエリクサー 微炭酸”。
 味を思い返してみるだけで思わず微妙な表情になってしまいそうである。
 不味いとは言わないが、アレは流石に愛飲する気になれん。
 なので同志と言う表現には些か語弊があるだろう。
 だがしかし。
 いきなり同志と言う呼称はあまりあり得ないのではないだろうか。
 もしかしたらあの時の1回だけの自己紹介だけでは名前を覚え切れてなかったのでそう呼んでいるのかも知れない。
 
「”衛宮士郎”———な。改めて宜しく」
 
 名前の部分に若干のアクセントを置いて、もう一度自己紹介する。
 我、呼称ノ変更ヲ求ム――的に。
 綾瀬さんはきょとんとした表情で俺の言葉を受け止めていた。
 
「? ———ええ、もちろん存じ上げてますですよ?」
「ああ、そっか、そりゃよかった。俺はてっきり名前を覚え切れてなかったのかと思った」
「まさか。幾ら私でも名前を忘れるなどと言った失礼な事はしないです」
「悪い悪い。ちょっと気になってな。分かってるんなら問題ないんだ」
「ええ。私が貴方の名前を忘れているわけがないです———同志」
「…………えーーっと」
  
 全然分かってなんかなかった!
 むしろ確信犯だ!
 余計にタチが悪い!
 
「衛宮士郎な」
「———ですから同志と、」
「衛宮士郎」
「…………」
「…………」
 
 お互いに無言で牽制し合う。
 彼女の手に握られている、ジュースらしき物の名前がチラリと見えた。
 ———『プルコギエキス』。
 
「———っ」
 
 そ、想像が付かない!
 一体全体どんな味なのかが全くの未知!
 そして、流石の俺もそういった類の物を愛飲するような団体に加入するのは全力でご勘弁願いたい!!
 そう———ここはある意味デッドライン。
 ここで引いてしまったらきっと大切な何か色々な物を失ってしまうのだ!
 
「———同志」
「衛宮士郎」
「どう、」
「衛宮士郎」
「ど、」
「衛宮士郎」
「…………衛宮さん」
「うん」
 
 勝った!
 何か知らんが、何か大切な物を勝ち取った気がする!!
 
「よし、では始めろ」
 
 と。
 そんなエヴァの声で過去の激闘の記憶から現実に引き戻される。
 む、いかんいかん。いくら他人の修練を見学するだけといっても気を抜いていては失礼にあたってしまう。
 
「刹那、『気』は抑えておけ。相応の練習がなければ『魔力』と『気』は相反するだけだ」
「はい、エヴァンジェリンさん」
 
 刹那が頷く。
 それを確認するとエヴァがネギ君に向けて顎をクイッ、と上げて合図した。
 
「いきます。———契約執行180秒間! ネギの従者『近衛木乃香』、『宮崎のどか』、『神楽坂明日菜』、『桜咲刹那』!」
 
 ネギ君がそう唱えると、4人の体が淡い光で包まれる。
 サーヴァントシステムとは違うだろうから俺には良く分からないが、4人の契約者との同時発動はキツそうだ。
 けれどもエヴァはそんな事を気にもせずに矢継ぎ早に指示を飛ばす。
 
「よし、次だ。対物・魔法障壁全方位全力展開!」
「ハイ!」
「———次! 対魔・魔法障壁全力展開!」
「———ハイ!」
「…………」
 
 アスナが心配そうにネギ君を盗み見ている。
 やっぱり色々と心配なんだろう。アスナは何も言わないがその態度から簡単に分かってしまう。
 
「———そのまま3分持ち堪えた後、北の空へ『魔法の射手・199本』! 結界張ってあるから遠慮せずにやれ!」
「うぐっ……ハ、ハイ!!」
 
 ネギ君は返事をするものの、段々と勢いが無くなっていってるのがありありと見える。
 
「———光の精霊199柱。集い来りて敵を射て! 『魔法の射手・連弾・光の199矢』!!」
 
 呪文の発動と共に放たれる光の束。
 それらが上空へと勢い良く飛んで行き、膜のような物に当たり光の粒子へと変わった。
 
「おおーー」
「これが魔法……ですか」
 
 背後から綾瀬さんと古菲さんの驚きの声が上がった。
 それに引き換え、このかや宮崎さんは、
 
「キレー……」
「花火みたいやなー♪」
 
 とか、ノンビリとした声が上がる。
 まあ、確かに光が輝く様は花火に見えなくも無い。
 でもこれって、撃ってる方は大変だろうな……。
 
「あうう〜〜〜?」
 
 案の定である。
 ネギ君は過負荷に耐えられず目を回してしまっている。
 それに慌ててこのかや宮崎さんが介抱に向かう。
 エヴァはそれを見て、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
 
「この程度で気絶とは話にもならんわ! いくらヤツ譲りの強大な魔力があったとしても使いこなせなければ宝の持ち腐れだ!! 張ってある結界ごとぶち抜く勢いで撃たんか!」
 
 ……や、それやり過ぎだから。
 折角張ってあるのを壊してどうするかっ。
 
「よーよーエヴァンジェリンさんよぉ。そりゃ言い過ぎだろ。兄貴は10歳だぜ? 4人同時契約3分+魔法の矢199本なんて修学旅行の戦い以上の魔力消費じゃねーか。気絶して当然だぜ。並の術者だったらこれでも十分……。それにあんな強力な結界抜くなんて旦那じゃねーんだからって無理だって」
「———黙れこの下等生物。仮にもこの私を師と呼び、教えを乞う以上それくらい出来なくては話にならん」
 
 ……おーい、エヴァ。顔が怖いことなってるぞー。カモなんか怖がってアスナに抱きついてるし。
 しかしまあ……思った通りエヴァの修練内容はハードらしい。修学旅行の時ですら倒れなかったネギ君がアッサリと倒れるんだから半端じゃない。
 それでもちゃんと意味がある事なんだけど。
 仕方ない。
 エヴァはそういうコトをいちいち説明するような性格ではないのだから、それをフォローするのは俺の役割だろう。
 
「あのな、カモ。エヴァも考え無しに限界の力であんな事やらせたんじゃないんだぞ?」
「おい、士郎。余計な事は……」
「いいから、いいから。……エヴァは今のネギ君の限界を測っていただけだ。限界値が分からないとどこまで鍛えて良いか分からないだろ? だから今後の参考の為にこうしたんだ」
「……ちっ」
 
 エヴァがそっぽを向いて舌打ちする。
 それにアスナが感心したようにへー、と言った。
 
「エヴァちゃん、それホント?」
「———知らん。士郎が深読みしているだけだろうよ」
 
 エヴァがそう言うとアスナはニヤニヤと笑ってその様子を眺める。
 すると、そんな視線が居心地悪かったのかもう一度舌打ちすると、倒れたままのネギ君に向かって言った。
 
「そんな事よりだ、坊や。———今後私の前でどんな口応えも泣き言も許さん。少しでも弱音を吐けば地獄すら生温いキツイ仕置きを与えてやるからな。覚悟しろ」
 
 エヴァはきっと脅しのつもりでそう言ったのだろうけど、ネギ君はそれを受けても全く引かなかった。
 それどころか、
 
「はい! よろしくお願いします、エヴァンジェリンさん!!」
 
 と、望む所だと言わんばかりに返事をした。
 
「む……?」
 
 エヴァはそんな勢いに押されてやりにくそうにしている。
 はは……、エヴァは直球に弱いからな。
 それでもエヴァはなんとか搾り出すようにして言った。
 
「わ、私の事は師匠(マスター)と呼べ」
 
 エヴァが何やら俺を恨みがましく見上げている。
 まるで、俺のせいだとでも言っているようだ。
 とんでもない冤罪であるが、俺はそれを取り合えず適当に笑って受け流す。
 いやはや……色々と問題はあるがやっぱり騒がしくなってきた。むしろこの面子がそろって静かな方があり得ないか。
 すると、ネギ君が何かを思い出したかのように真剣な表情で切り出した。
 
「は、はい師匠! あ、あのっ、所で師匠———ドラゴンを倒せるようになるにはどれ位修行すればいーですか?」
『——————は?』
 
 あまりの発言に思わずエヴァとハモってしまった。
 だって……ドラゴンってアレだろ? 最強の幻想種にして神にも似た存在っていう。
 アレに勝つのか?
 や、そりゃ同じ世界じゃないから同レベルで考えたらダメなんだろうけど……。
 
「……もう一回言ってみろ」
「ですからドラゴンを……」
「ほうほう、ドラゴンか」
「はい!」
 
 エヴァが眉間を親指でぐっぐっ、ともむ仕草をしてから俺を見る。
 その瞳が語っていた。
 
 ———ヤッてしまっても構わんか?
 
 目は口ほどにモノを言うものである。
 そんな事言われたら俺の返事なんて決まってる。
 
 ———適度にゴー。
 
 俺はおざなりに手を振って返事をする。
 ソレを受け取ったエヴァは深々とため息をついた後、
 
「————アホかーーっ!」
「ぺぷぁ!?」
 
 グーで殴った。
 ポキャ、とかなんとも痛く無さそうな音で。
 
「21世紀の日本でドラゴンなんかと戦う事があるかーー! アホなコト言ってる暇があれば呪文の一つでも覚えておけ!!」
 
 エヴァがネギ君に掴みかかって大声で怒鳴りちらした。
 けど今回ばかりはエヴァに同意。
 だって、ドラゴンなんて何処にいるってんだ?
 そんなもんがいたら生態系が狂う……ってそんなレベルの話じゃないか。
 なんにしてもどこからドラゴンなんて出て来たんだか。
 
「———ったく、まあいい! 今日はここまでだ、解散!」
「ハ、ハイ、師匠!」
 
 エヴァの掛け声で各々、散っていく。
 俺とエヴァはそれを並んで見送っていた。
 
「なあ、エヴァ。ドラゴンってやっぱ強いんだろ?」
「んあ? まあ……ピンキリだがな。それでも基本、竜種は強力なモノが多い」
 
 あ、やっぱりそこら辺は一緒なんだ。
 
『——————か、関係ないって今さら何よその言い方!』
『——————いえ僕は無関係な一般人のアスナさんに危険がないようにって……』
 
「ちなみにどれ位だ?」
「あー……なんとも幅が広いから一概に言えんが……そうだな、坊やでは無理だがお前ならかなり上位のドラゴンまでも打倒できるんじゃないか? ……もっとも、お前に更に隠し玉があるんならそれ以上すら可能だろうが」
「———あれ? そんなもんなのか?」
 
 ちょっと拍子抜け。
 俺程度で勝てるんだ。
 
『——————無関係って……こ、このっ……私が時間ない中わざわざ刹那さんから剣道習ってんの何でだって思ってるのよーっ』
『——————ええ!? 僕、別に頼んでないです! 何でイキナリ怒ってるんですか!?』
 
「そんなもんって……それだけでも相当なモノだと思うがな。しかし、あくまで打倒の可能性があると言うだけで、勝てると断言はできん。お前の能力はどうも特化型だからな、勝てる要素はあるが負ける要素だって同じ割合だけ存在する。———と、まあ、この話は後でいい。それよりこの後ガキ共に説明しなければいけない事があるから連中を連れて家に戻りたいんだが……アレは何してるんだ?」
「———さあ?」
 
 いい加減無視できなくなってそちらに意識を向ける。
 なにやらさっきからギャーギャーうるさいと思ってたけど……ネギ君とアスナ、何してんだろ?
 
「何でって……これだからガキは……あんたが私のことそんな風に思ってたなんて知らなかったわ———ガキ! チビ!」
「ア、アスナさんこそ大人気ないですー! 年上のくせにっ———怒りんぼ! おサル!」
 
 ……何て言うか、
 
「まんま子供の喧嘩だな」
「……ふん、アホらしい。放っておけ」
 
 エヴァがため息を吐きながら言う。
 ……まあ、大した事ないだろ。見ていて微笑ましいというかなんと言うか。
 喧嘩するほど仲が良いってやつだろうか?
 何にしても生暖かい目で見守って置くのが一番か。
 微笑ましい二人の喧嘩を横目に、このかの方まで歩いて行く。
 このかはこのかで喧嘩している二人が心配なのか、落ち着かない様子で見守っていた。
 
「このか、ちょっといいか?」
「あ、うん。なんや、シロ兄やん?」
「この後エヴァが皆に話あるらしいんだけど……時間あるか?」
「エヴァちゃんが? うん、ウチはOKなんやけど……」
 
 このかはそう言って、まだ喧嘩をしているアスナとネギ君を心配そうに見る。
 
「心配なのは分からなくもないけど……取り合えずやらせとけよ。変に溜め込んでいるより吐き出してスッキリさせた方がお互いのためだろ?」
「うーん……そんなモンなんかな?」
「そんなもんじゃないか? ほら、このかだってこの間までは刹那とそうやって一緒にいれなかった。それでも今側にいれるのはそんなわだかまりが無くなったからだろ?」
「———あ。……えへへ。うん、そうやね」
 
 このかが嬉しそうに笑って隣にいる刹那を見る。
 刹那はそれを受けて照れくさいような笑みをしていた。
 ……うん、こっちも仲が良さそうで言う事はないな。
 そんな光景に思わず頬が緩む。
 
 
「———僕聞きましたよ。パイ○ンって毛が生えてないってことですぅー!」
 
 
 ……だってのに、なんでそんな発言が聞こえてくるかな。
 言いたい事は言っとけ見たいな事は喋ったけど、誰がそんなこと言って事態を悪化させろと言ったかっ。
 そんな事言ったらアスナだって……。
 
「———こ、の……『来れ』(アデアット)!」
 
 あー……こりゃ来るな。
 俺がそう思った瞬間、アスナはハリセンを召喚した。その顔は羞恥で真っ赤だ。
 ネギ君はソレを見て瞬間的に障壁を展開したが、
 
「アホーーーーッ!」
「はうーーー!?」
 
 スパコーン、と軽快な打撃音と共に簡単に突破してしまうアスナ。
 アスナも衝動的にやってしまったのだろう。一瞬だけ自分のやってしまった行動に自分で驚いたような表情をしたが、顔を背けて逃げるように走り去ってしまった。
 
「あちゃ〜……、まさかこうなるとはな……俺も考えが足りなかったか」
 
 思わず顔を手で覆う。
 この展開は予想外だった。
 せめて話し合いで解決すると思ったんだが……考えが甘かったか。
 いつもだったら簡単に手を出してしまうアスナを諌めるとこだが、今回の事は色々と問題のある発言をしたネギ君に非があると思う。
 かと言って、放っておけと言ったのは俺だし、このままにしておくのは余りにも後味が悪すぎる。
 
「悪い、エヴァ。俺、アスナをフォローしてくるから話は先に進めててくれ」
「放っておけば良いものを……まあ良い、早く帰って来いよ」
「ああ、わかってる」
 
 エヴァの許可を取ってからアスナを追いかける。
 その途中でネギ君が俺を縋るような目で見ていたけど、今回はあえて無視する。
 ちょっと反省してなさいって感じだ。
 アスナは相変わらずの健脚で、俺が追いつく頃には寮の前まで来ていた。
 
「おいアスナ、ちょっと待てって!!」
 
 ようやく追いつき、走るアスナの手を捕まえる。
 アスナは別段、逃げたりもせずに素直に止まってくれたが、こっちを見ようとはしなかった。
 
「…………なによシロ兄。また叩いたから叱りに来たの?」
 
 ぶっきらぼうに言う。
 これは完全に拗ねてるな。
 
「違うって。別にお前を叱りに来た訳じゃない。ただお前がイキナリ走って行っちまうから心配で追いかけてきたんだよ」
「…………心配してくれてアリガト。でも大丈夫だから」
 
 そう言いつつもまだこっちを見ようとしない。
 そんなアスナを見て両手を腰にあててため息を吐く。
 やれやれ……、そんな様子で大丈夫なんて言われても信じられるかってんだ。
 今は取り合えず落ち着かせなきゃいけないか。
 
「ふぅ……アスナ」
 
 出来るだけ優しく言ってやる。
 
「…………何」
 
 そっぽを向いたままでアスナが応える。
 
 
「店、寄っていけよ。お茶ぐらいご馳走してやる」
 
 
 ◆◇—————————◇◆
 
 
 店内に紅茶の優しい香りが漂う。
 アスナは大人しく着いてきたものの、カウンター席に座って一言も喋らず俯いたままだ。
 
「ほら、出来たぞ。少しだけブランデー垂らしてあるから気分も落ち着くはずだ」
 
 そんなアスナの前にそっ、とカップを置く。
 アスナはそれを見て「アリガト……」と、小さく呟くとカップに口をつけた。
 
「———ん……美味し」
「そっか、そりゃ良かった」
 
 俺もカウンターの中の棚に寄り掛かったまま、自分の分のカップを傾ける。
 紅茶の香気が口に広がって気分が落ち着くのが分かる。
 夕日で赤く染まった店内でアスナと二人、無言でカップを傾ける。
 暫くそうしていたが、アスナがカップをソーサーに下ろして呟くように囁いた。
 
「……ねえ、シロ兄」
「ん?」
 
 その声にアスナを見てみると、アスナは琥珀色の紅茶の水面に映った自分を見ているようだった。
 
「……私、一人で勝手に盛り上がってるだけなのかな」
「……と、言うと?」
 
 アスナは紅茶の水面を見ながら儚く笑うと、手でカップを回して、その中で紅茶をクルクル回した。
 
「私ね、さっきネギに無関係だって言われて頭に来た。今まで散々巻き込んでおいて今更なんだそりゃーって思った。私がわざわざ剣道習ってるってのに頼んでないとか言われて、これだからガキは嫌いなんだって本気で思った」
 
 ユラユラと揺れる水面をジッ、と見ながら話す。
 彼女がその水面に何を見ているかは分からない。
 けれど俺にはその揺らぎが彼女の心情そのものだと感じられた。
 俺はアスナの言葉に耳を傾ける。
 
「…………最初はそこら辺のガキと一緒で、無神経で無鉄砲で無責任に泣き喚くだけのヤツだと思ってた。でもね、アイツは———違ったの。アイツはいっつも一生懸命で……一生懸命すぎるヤツで。だから危険な事だって一生懸命に頑張っちゃうから、———あー、これは私が何とかしてやんなきゃなーって思ってたのに……関係ないって言われてショックだったのかも。ねえ、シロ兄? ……結局これって私の思い込みなのかな……? ねえ、シロ兄……私のしている事って余計なお節介なのかな……っ」
 
 ポツリ、と。
 彼女の大きな瞳から雫が落ちた。
 それは溢れるように次から次へと零れ落ちて、紅茶の中にも波紋を作って行く。
 それを見て実感した。
 ———そっか、アスナは不安なんだ。ネギ君の側にいて、彼を近くから見守り続ける事が出来なくなるのがたまらなく不安なんだ。
 だから無関係だって言われてこんなにも怒った。
 自分のしていることが意味の無いような事に思えて。
 
「…………ぅ………っ」
 
 ポロポロと涙を零すアスナ。
 それはまるで不甲斐ない自分を責めているようにも見えた。
 
「———アスナ。少し、昔話をしようか」
「…………昔話?」
 
 手の甲で涙を拭い、こちらを見上げてくる瞳に頷く。
 
「ああ、昔話だ。———遠い、遠い国の、とある男の物語」
 
 今はこの子の為に記憶を集めてみよう。
 役立たずの頭でも。
 この子の励みになると言うならばパズルをかき集めてみよう。
 そして、ゆっくりと話し始める。
 
「昔、昔。ある所に一人の男がいました。その男は少しだけ普通の人とは違う、けれども、役にも立たないような力があるだけの何の取り得もない平凡な男でした。ところがその男はひょんな事から、ある宝物をめぐる戦いに巻き込まれてしまったのです。二人一組、そのチームが7組で一つの宝物を奪い合うゲームです。その男は何の知識もなく戦いの渦中に放り込まれてしまいました。そして、そんな男のパートナーは……一人の騎士でした」
「……騎士?」
「そう、騎士だ。……その騎士は男とは比べるべくもないほど強く、高潔で、誇り高い最高の騎士でした。騎士は男を見て言いました。自分が戦うから貴方は下がって見ていろ、と……。当然です、男は騎士に比べて遥かに弱く、頼り無かったからです。……でも、男は引き下がりませんでした。無謀にも戦いの中心で戦うことを決めたのです。当然、弱い男は何度も何度も傷つき、何度も何度も倒れました。その度に騎士は何故無謀な事をするのだと男を叱り付けました。男はそれに答えました」
 
 ———それは、今もこの胸にあり続ける答え。

「心の底から信頼する騎士が傷つくのが嫌だ、と。男は騎士の制止を振り切り、何度も戦いました。何度も何度も……。そしてやっと騎士も認めてくれた……んだと思います。男の馬鹿さ加減に呆れながらも共に戦うと認めてくれたのです。そして———戦いは続いていくのでした。……おしまい」
 
 すっかり冷めてしまった紅茶を飲みながらそう締めくくった。
 
「———え? 終わりって……続きは?」
「……これの後はな———白紙なんだ。きっと自分で考えろっていう話だ」
 
 アスナはポカン、とした後、「なにそれ」と小さく笑った。
 やっと笑ったか。
 
「で、その御伽噺が何だって言うの?」
「———分からないか? アスナ、お前はその男と同じとは言わないが似たような事をしてるって言ってるんだぞ?」
「え?」
「今のお前だとネギ君の方が強い。それなのにお前はネギ君を守りたいと言う。力になりたいのだと言う。……それはどうしてだ?」
「そ、それはアイツが弱いクセに無茶ばっかりするから……」
「でも、力がないのはお前も一緒だろう? お前は普通の女の子だ。そんなお前がネギ君のパートナーになってどうする。怖いから逃げたって誰も……それこそネギ君だって責めたりしない」
「…………そ、そりゃ私はシロ兄みたいに強くないし、もちろん怖いわよ」
「だったら、」
「———でも!」
 
 アスナが俺の言葉を遮って声を挙げた。
 
「それでも! そんな事よりもアイツが私の見てない所で大怪我したり、死んじゃったりするかもって考える方がもっと怖いの! どっかで馬鹿やって勝手にいなくなったりしたりするのが嫌なの———!! ———だから守りたいの。アイツにパートナーとして見てもらいたいの!」
 
 アスナが強い瞳で俺を見る。
 その瞳は涙に濡れているが、その奥に宿る決意の炎は消えてなんかいなかった。
 ああ……ホント、強情な子だ。
 
「だったらそうやって言う事だろ?」
「……え?」
「お前はネギ君を守りたい。つまりはそれだけの事だ。だったらそれをネギ君に伝えれば良い。言ってないんだろ?」
「——————あ」
 
 アスナが呆気に取られたようにしている。
 やっぱり、か。
 俺はそんなアスナを見てククク、と笑う。
 
「……言葉にしないでも伝わる気持ちもあるけど、言葉にしなきゃ伝わらない想いだってある。まずはそうやって言ってやれ。全てはそれから———だろ?」
 
 アスナは間の抜けたような表情で俺を見続けている。
 そして、
 
「———そっか……うん、そう……よね。まずは、それから……よね」
 
 自分で確認するように何度も頷く。
 その表情はどこかスッキリとしていた。
 
「じゃあ今から行くのか? ネギ君も結構しょげてたし」
「…………今は行ってやんない。アイツ、私の悪口言ったし」
 
 あー……それは”あの”発言か。
 ま、それはネギ君の自業自得。自分で何とかしてもらおう。
 頬を膨らませて可愛らしく怒るアスナに俺は苦笑する。
 アスナはそれで吹っ切れたかのような表情になると、カップに残った紅茶を一気に飲み干した。
 
「シロ兄、ご馳走さま! おかげで少しは気が晴れた」
「そっか」
 
 アスナが言う通りその表情は晴れ晴れとしていた。
 元気に椅子から立ち上がると、弾むような足取りで店のドアを開け放った。
 ……さて、後は当人同士の問題か。でも悪いようにはならないだろうな。
 そんな事を考えながらアスナのカップを片付ける。
 
「…………ねえ、シロ兄」
「———え?」
 
 声の方を見るとアスナはドアを開けたままで、まだそこに佇んでいた。
 入り口に背中を預けたまま横向きになり、首だけを廻してこちらを見ている。
 夕日が開いたドアから差し込んで、その逆光のせいでアスナの表情は良く見えなかった。
 
「———今日はアリガト。シロ兄が来てくれた時、ちょっと嬉しかった」
「……どういたしまして。大事な妹分だからな、大切にするさ」
 
 珍しく殊勝に礼を言うアスナに思わず微笑みながらそう返す。
 するとアスナは顔を背けながら小声で言った。
 
「———シロ兄に言ったことなかったと思うけど……私ね、家族がいないの。物心付く前から一人だった」
「……そうだったのか」
 
 知らなかった。
 いつも明るい彼女にそんな過去があるなんて。
 考えてみれば俺は、アスナのことをほとんど知らなかったのだ。
 そんな俺にアスナは何かを伝えてくれようとしている。
 
「でもね、寂しいなんて思わなかった。このかも高畑先生も側にいたし、クラスの皆は楽しいし。って言うか、あんまりにも騒がしすぎて寂しいなんて思う暇がなかったって言うのが正確かも」
「そっか」
 
 アスナはクスクスと笑ってその楽しい光景を思い出しているようだった。
 その雰囲気に陰りや強がりはなく、本当に楽しい物だったんだろうという想いが伝わってくる。
 
「それでね。今年に入ってシロ兄に会ったじゃない? 私がバイトしてる時に」
「ああ、そうだったな」
「うん。シロ兄ってばその時から愛想無いくせにやたらと親切にしてくれたでしょ。それも一回だけじゃなくて会う度にいっつも」
「……そうだっけか?」
「———うん。私は覚えてるわよ。忘れたりもしない。でね、その時から段々と思うようになってたの」
 
 アスナが鼻の頭を照れたように掻きながら。
 それでも。
 大切な想いを言葉に乗せるように囁いた。
 
 
「…………ああ、もしも私に家族がいればこんな感じなのかな……お兄ちゃんがいればこんな感じなのかな……って」
 
 
「…………」
「私、シロ兄の事、お兄ちゃんって呼べるようになる事が出来て———本当に……本当に良かった。いっつも優しいし、困ってる時には助けてくれる。こうやって落ち込んでる時には励ましてくれた———私ね、シロ兄の事、本当のお兄ちゃんみたいに思ってるから」
「——————」
「だから、ね。———本当にありがとう」
  
 照れたようにボソボソと言う。
 ……ったく、照れるくらいなら言うなよな。お陰で俺まで照れくさくなっちまったじゃないかっ。
 きっと今の俺は真っ赤になってるんだろう。
 夕日のせいで分からないとは思うが、この頬の熱さ日差しのせいだけなんかじゃない。
 でも、まあ。
 可愛い妹分にそこまで言われたら、
 
「———そうだな。俺も元気な妹が出来て嬉しいよ。ま、俺としてはもう少しお淑やかにしてくれれば言う事ないんだけどな」
 
 冗談めかしてそうやって言う。半分以上は照れ隠しだって自分でも分かっている。
 でも、そうでもしなきゃこんな空気に耐えられなかったのだ。
 アスナは俺の答えを聞いて、んべっ、と舌を出した後に走り去っていった。
 それでも。
 最後に見えた夕日に照らされた顔は間違いようも無いほどの笑顔だった———。
 
「——————パートナー、か」
 
 誰も居なくなった店で一人佇む。
 考えるのは先ほどのアスナの言葉。
 
 ———だから守りたいの。アイツにパートナーとして見てもらいたいの!
 
 本当は止めたかった。
 そんな危険に何も知らずに身を置くと言う彼女を止めたかった。
 ……でも、あんな強い瞳で言われたら何も言えなくなってしまっていた。
 だから、せめて。
 
「———アスナ、お前の想いが本物だって言うなら俺がお前達を守るよ。お前がネギ君を守ると言ったように俺がお前達を守って見せる」
 
 京都での夜の誓いを再度誓う。
 足りない覚悟で言ったお前たちの言葉は俺が補ってみせる。
 いつか、言葉の意味を再認識して同じ言葉が言えるようになるまで。
 誰もいない店内で、誰に立てるでもない誓いを立てる。
 そして、俺のパートナーである騎士を想う。
   
「…………セイバー、お前だったらこんな俺に呆れるのかな」
 
 ———こだました声に答える声は無い。
 ただ、いつまでも残響音のように響いていた。
 
 
  
 ◆◇—————————◇◆
 
 
 
「ただいまー」
 
 帰宅の挨拶を告げながら扉を開ける。
 
「お、帰ったか士郎」
「お帰りー、シロ兄やん」
 
 見るとエヴァとこのかが階段から降りてくる所だった。
 
「ただいま。他の連中は……まだ居るみたいだな」
 
 二階の方からは話し声がする。
 どうやら一息ついてるようだ。
 
「で、どうしたんだ二人で」
 
 なんで二人して一階にいるんだろ?
 話があるならみんなですれば良いのに。
 
「何、今は坊やに考える時間が必要だろうから放っておいてるだけだ。それに木乃香には話があるからな。そうだ、丁度良い。お前も付き合え」
「ふーん? 別に良いけど……」
 
 良く分からないが、取り合えずソファーに腰掛ける。
 そうするとエヴァは俺の隣に腰掛け、このかは俺の正面に腰掛けた。
 
「あ、せや! シロ兄やん、アスナ、どないやった?」
 
 座るのと同時にこのかが身を乗り出して聞いてくる。
 あんな事があった後なんだし、気になってて当然か。
 
「大丈夫。すぐには仲直りできないと思うけど、近いうちに仲直りできるさ」
「ホンマ?」
「もちろんだ」
 
 そう言ってやるとこのかはにこやかに笑った。
 エヴァはソレを見てため息を吐くと、咳払いした。
 
「あー……そんな事より話を進めるぞ」
「あ、うん。了解や」
「まずはさっきも説明したように、詠春から魔法使いになる気があるのなら教えてやって欲しいと頼まれている」
「詠春さんがか?」
「ああ、お前はいなかったから知らないだろうが、そういう言伝があったんだ。……私としてはメンドイからイヤなんだが」
「そっか……それで?」
「うむ。それで話を戻すが———木乃香、お前は魔法使いになる気はあるのか?」
 
 エヴァがこのかをジッ、と見つめる。
 このかはソレを受けながら「う〜ん」と、顎に手を当てながら考え込んだ。
 
「ウチ、まだ良く分からん……。ソレって今すぐ決めなアカンの?」
「なに、別段急ぐ事ではない。ただ、もしもその気があるのなら『魔法使いの従者』は早めに決めておけ」
「『魔法使いの従者』って……このカードの事?」
 
 このかが懐から『仮契約』のカードを取り出す。
 
「ああ、お前は坊やと違って魔力はあっても基本や下地が無いからな。早めに従者を決めておいて守りを固めておくに越した事は無い。……もっともそんなモノは考えるまでも無いと思うがな」
 
 エヴァがククク、と笑う。
 考えるまでも無いって……ああ、そうか、刹那の事か。それなら確かに考えるまでも無い。
 
「ま、それもこれも魔法使いになるかどうか決めてからだ。じっくり考えてから結論を出すと良い」
「……うん、わかった。ウチ、ちょっと考えてみるな」
 
 話はそれで終わったのか、エヴァが疲れたように深々とソファーに身体を預けた。
 今日は面倒を見なければいけなかった人数が多かったから流石に疲れたんだろう。
 だったらその労は労ってやらねばなるまい。
 
「エヴァ、お茶飲むか?」
「ん? ああ、スマンな。貰う」
 
 了解、と呟いて立ち上がり、キッチンへと向かう。。
 ちょっとした労いの意味も込めて良い茶葉を使ってやるか。丁度仕入れたばかりの物があったはずだ。
 後はそれに合う様なお茶菓子だけど……昨日茶々丸が作ったクッキーが残ってたな。
 そう考えて、いつも菓子類を入れておく戸棚を漁って探すが……。

「———あれ?」
 
 ない。
 おかしいな? 今朝見た時はまだあったのに……。
 どこにいった?
 
「……って、考えるまでもないか」
 
 俺は当然食べてないし、茶々丸だって一人で食べるような事はしない。チャチャゼロは動けないし、そうなるとエヴァしかない訳だが……。
 
「ま、いっか」
 
 大方、小腹が減ったから食べただけだろう。別に目くじら立てるような事でもない。
 でもそうなると困った事になった。
 お茶請けが他にない。
 まさか今から作るわけには行かないし……。
 
「むむむ……」
 
 ヤカンがシュンシュン、と沸騰している側で悩む。
 別にこのままお茶だけ出しても良いんだが、それでは些か片手間落ちなような、物足りないような気がする。
 と。
 
『———いやぁああーーっ!?』
 
 絹を裂くような女の子の悲鳴が外から聞こえた。
 でも今の声って……、
 
「アスナ……?」
 
 さっき分かれたばかりのアスナの声だった。
 何でここに居るんだ? 寮に帰ったと思ってたけど。
 取り合えずヤカンの火を止めて、確認に向かう。
 その途中でエヴァと目が合い、視線で何事かと聞いてくるが肩を竦めて返す。
 そして、ドアのノブに手をかけた所で、
 
「お?」
 
 勝手にノブが回って開いた。
 いつの間に自動ドアを設置したんだろうか?
 ———じゃなかった。
 そんな訳はなく、ドアの向こう側に人が居るだけだ。
 ゆっくりとドアが開く。その向こうに居たのは、
 
「あれ? タカミチさんじゃないですか」
 
 タカミチさんだった。
 手に紙袋を持って、何やら困ったような顔をして笑っていた。
 
「やあ、こんばんは士郎君」
 
 そんな困ったような顔のまま挨拶をする。
 はて、今の声に何か関係あるのだろうか?
 
「あ、こんばんは……今の悲鳴、何かあったんですか」
 
 ドアから顔を出して外を確認してみてもアスナはいなかった。
 そのかわり、何故かネギ君が地面に手をついて落ち込んでいる。
 ……訳が分からん。
 
「いや、まあ……今そこでネギ君に会ったんだがね……」
「まあ、そこにいますからね」
「そしたら、ネギ君が何やら魔法を使おうとしていたところらしくて……」
「……はあ」
 
 タカミチさんは言い難そうに言葉を濁す。
 むむ、何をそんなに言い淀んでいるのだろうか?
 様子を見る限りそんなに切羽詰った状況じゃないみたいだが……。
 そしてタカミチさんは決心を決めたようにして言った。
 
「その……何故か裸のアスナ君が出てきてね———」
「………………何ですかその状況」
「いや、どうも『仮契約』カードを使ってアスナ君を召喚したらアスナ君が入浴中だったらしくて」
「——————はぁ〜、何やってるんだか……」
 
 話を聞いて思わずため息が出る。
 折角アスナが許しかけているのに何で事態を悪化させるかな……。
 これでまたややこしい事になるんだろうと考えると頭が痛い。
 まあ、根っこの部分では解決してるみたいだから俺がこれ以上口出しする事はないんだろうけど。
 
「そういやタカミチさんはどうしてここに?」
「ん? ああ、そうだった。本来の目的を忘れる所だったよ。ほら、これ……西の長からのお礼って事で荷物が届いたから持ってきたんだよ」
 
 タカミチさんは手に持った紙袋を持ち上げながら言う。
 ああ、詠春さんからの……。
 
「言ってくれれば俺が取りに行ったのにわざわざすいません……。あ、折角ですからお茶くらい飲んで行きませんか?」
「ありがたいけど遠慮させてもらうよ。これから少し用事があるんでね」
「そうですか……それなら仕方ありませんね。それじゃ、わざわざありがとうございました」
「ああ、エヴァによろしく言っといてくれ」
 
 それじゃ、と手を振って帰るタカミチさんを見送る。
 お茶くらい飲んでいけばいいのに……やっぱり忙しいんだろうか。
 
「———おい、士郎。誰だったんだ?」
 
 背中にエヴァの声がかかる。
 あ、そう言えばお茶の準備の途中だったっけ。
 
「ん、タカミチさんが詠春さんからのお礼の品を届けてくれたんだ」
「詠春からの?」
 
 エヴァはスリッパをパタパタ鳴らしながらやって来ると、袋の中を覗きこみ、包装紙に包まれた箱を取り出した。
 ……コイツも少しは待てないのかね? そんなにあせんあなくても今持ってくっての。
 
「……宇治抹茶スイーツセット?」
 
 エヴァが取り出した箱を見ながらそう言った。
 俺もその声につられて、エヴァの手にある箱を見る。
 
「へー、美味そうだな。丁度いいや、これをお茶請けにしよっか」
「おお、それは良いな! 賛成だ、早速食べようではないか」
「んー……でもそうなると何飲む? お茶? 紅茶? コーヒー?」
 
 宇治抹茶が入ってるなら日本茶で合ってるようなそうでもないような。
 でも一応は和菓子っぽいから紅茶とかコーヒーって雰囲気でもないような……。
 
「む、そうだな……紅茶で良いのではないか? セット、と言う事は色々入ってるのだろうしな。紅茶なら何にでも合うだろうさ」
「そっか。それもそうだな。うし、それじゃあ俺は紅茶の準備してくるからソレ持って行ってくれ」
 
 うむ、とエヴァは頷いて箱を抱えながらソファーに戻って行く。
 それに苦笑してキッチンに入ると、早速ビリビリと紙を破く音が聞こえてくる。
 どうやらイキナリ包装紙を破りまくっているらしい。
 
「……ったく、仕方ないヤツだな」
 
 ホント、こういう所は子供っぽいヤツだ。
 まあ、いっか。それだけ今を楽しんでる証拠だ。
 
「———おーい、ネギ君! そんな所で落ち込んでないで取りあえずお茶にしないかー?」
 
 俺はそんな時間をもっと充実させる為にも人数分のお茶でも淹れるとしようか———。
 
 
 

 



[32471] 第37話  買いに行こう!
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 22:24

 
 
 今日も今日とて良い天気だ。
 太陽は燦々と大地を暖め、身体を撫でていく風は爽やかそのもの。
 そんな天気だけで気分が良くなるような日差しの下をテクテクと歩く。
 隣にはエヴァと茶々丸、いつものメンバー。
 風が吹く度に二人の長い髪がサラサラと風に踊っている。
 そんな光景が余りにも穏やか過ぎて、このままどこかでノンビリと日光浴でもして過ごしたいくらいだ。
 とは言っても、今は店の休憩時間であって、休日ではないのでそうそうノンビリとしてもいられないのだが……今日は目的地があるのだ。
 
「……それにしても携帯電話かー」
 
 空を見上げながら呟いた。
 そう、今日の目的は携帯電話を買うこと。
 ことの始まりは昨日の夕食での席の事、エヴァが携帯電話を買いに行こうと急に言い出したからであった。
 俺としても別に反対するような事でもないので、こうやって休憩時間を使って買いに向かっているのだ。
 でも、考えてみれば今時だと持ってないほうが珍しいのではないだろうか?
 そう考えれば今になって言い出すと言うのも遅かったのかもしれない。
 
「うむ。私はそうでもないのだがお前には必要だろうと思ってな。だったらついでに私のも揃えようと考えた訳だ」
「俺としては何で今まで買わなかったのかっていう方が不思議なんだけど」
「……まあ、別に必要に迫られるような事もなかったからな。そう言うお前だって買うとは言い出さなかったではないか」
「無ければ無いで何とかなってたしな」
 
 だろう? と、エヴァが頷いて先導するように先を歩く。
 それにしてもこの時間帯はやっぱり人が多い。
 放課後を楽しむ学生達で活気に満ちている。
 色々な店のショーウィンドウを覗きながらも金の髪を見失わないようについて行く。
 
「そう言えば茶々丸は?」
「……と、言いますと?」
 
 首を傾げる茶々丸。
 
「いや、だから携帯電話。お前も買うんだろ?」
「あ、いえ……私は……」
 
 茶々丸はエヴァの方を気にしながら言葉を濁す。
 その様は子供が親にモノをねだっているようにも見える。
 エヴァはそれを見てやれやれ、といった風にため息をついた。
 
「……別にかまわんだろ。それにダメだと言った所で士郎に何を言われることやら……」
「——————あ」
 
 表情にあまり出ないので分かりづらいが、雰囲気で何となく喜んでいるのが分かる。
 ……それは良いとして、何でそこで俺の名前が出てくるのだろうか。
 茶々丸が喜んでいるなら別にいいけど……。
 
「お、ここだな」
 
 エヴァが立ち止まり店先を眺める。
 俺もそれにつられて店先を流し見た。
 なるほど。
 一般的な携帯電話販売店でメーカー直営のショップではないらしい。
 そのお陰で色んなメーカーの機種が所狭しと並べられている。
 ガラス越しの店内では学校帰りであろう学生達が、商品を眺めながら楽しそうにおしゃべりしているのが見えた。
 そんな学生達を眺めながら自動ドアを潜る。
 店内は空調でも利いているのか、外気とは少し違う乾いたような空気が流れてきた。
 
「おー、流石に種類が多いんだな」
 
 思わず感嘆の声を上げる。
 メーカー、携帯電話制作会社によって種類も色も様々で、パッと見た感じでは区別がつきそうも無い。
 これで機能とか値段とかもあるんだから目移りしてしまいそうだ。
 
「エヴァは何か目当ての物とかあるのか?」
 
 物珍しそうにキョロキョロ見回しているエヴァに聞いてみる。
 
「お? 私か? いや、コレと言った物は無いが……まあ見て回ろうではないか」
「ん、そうだな」
「はい、マスター」
 
 三人で店内を見て回る。
 最新機種、更にはソレらからは一つ、二つ前のモデルが値札と一緒に機能が表示された立て札がズラリと並ぶ。こうして近くで見てみるとホントに個性的なのが多い。
 折りたたみ式、スライド式、小型、薄型、多機能等等メーカー同士の開発競争が激しいのが良く分かる。
 
「お」
 
 そんな中で一際俺の目を引くのがある。
 他の機種とは明らかに一線を画するような無骨なデザイン。
 ソレは別に、他の機種に比べてデザインが優れているというわけではなく、方向性が逆を向いているといった感じだ。
 赤、白、黒と三種類のカラーバリエーションがあるらしく、その赤いヤツを手にとって見る。
 
「へー、こういうのもあるんだ……」
 
『耐水、耐圧に優れつつも最低限の機能を確保しました! たとえ火の中水の中、どんな場所でも通話可能。ヘビーデューティー主義のアナタにピッタリ!』
 
 そんな売り文句が書いてある。
 ……耐水、耐圧は良いとしても火や水の中は流石に言い過ぎだろうとかはスルーしておく。
 他の機種のように綺麗に磨かれているのではなく、いかにも頑丈そうなデザインが特徴的だ。
 うたい文句の頑丈さを重視しているのか、他の機種と比べてみると明らかに重量感があったりもするが、その方がそこにあるという事を忘れないで良さそうだ。
 
「なんだ士郎。もう決めたのか?」
 
 他の機種を弄っていたエヴァが俺の手元を覗く。
 茶々丸も俺の隣で同じ物を手にとって眺めていた。
 
「ん、そうだな……俺の場合だと水仕事とかあったりするから、こういったヤツの方が壊れにくそうで良いんじゃないか」
 
 弄ってみると、メール、カメラとかの機能もあるし十分だろう。……それらを使うかどうかは別として。
 
「うん、俺はこれにする」
「———では私もこれにします」
 
 隣の茶々丸が俺に追随するようにそうやって言った。
 エヴァの「何ぃー!?」と言う声を無視して茶々丸の方を見ると、その手には俺が持っている機種の白バージョンが握られている。
 確かに純粋なイメージが強い茶々丸に白は似合ってるけど……。
 
「そんな簡単に決めても良いのか? や、俺が言うのもなんだけど……他にも色々あるからそれを見てから決めても良いんじゃないか?」
「いえ、私はこれで」
 
 頑なにその機種を放そうとはせずに、胸元でギュッと握り締めている茶々丸。
 ……気に入ったんならソレはソレでいいけど。
 
「———な、ならば私もこれだ!」
「何ぃー!?」
 
 今度は俺が驚く番だった。
 慌てて後ろを見ると、エヴァが持っているのは俺と同じタイプの黒い機種。
 
「お、お前もか!? 何だって皆して同じ機種選ぶのさっ」
 
 エヴァは俺に黒い機種を見せ付けるようにして見上げていた。
 ……って、え? なんで涙ぐんでるんだ、エヴァ!?
 俺、なんにもしてないよな!?
 
「あ、あのー……エ、エヴァ……さん?」
「……私の勝手だろう……悪いか?」
「いや、別に悪くなんかはないけどさ……」
 
 頭の後ろを掻きながら答える。
 他にも良さそうなのたくさんありそうなんだけど……まあ、本人達がそれで良いって言うなら……いっか。
 
『ありがとうございましたー』
 
 店員さんの挨拶を背に、何故か涙目になったエヴァの手を引いて買い物を終えた店を出る。
 そして、そのまま携帯電話の入った同じ袋をぶら下げながら三人で『土蔵』へと帰った。
 エヴァ達はいつもの席に座ると、早速袋から携帯電話が入った箱を取り出して、それを開けていた。
 
「おー、これが私の携帯か……」
 
 光に反射させるようにしてしみじみと見ている。
 
「エヴァ、それよりも説明書見て使い方覚えろよ」
「む……わ、分かっている」
 
 俺に言われて袋に入った説明書を取り出す。
 隣に座った茶々丸は本体だけ取り出すと、後は綺麗に箱を袋へと戻していた。
 
「あれ? 茶々丸は見なくても良いのか?」
「はい。これ位の機械でしたら私にマニュアルは必要ありませんので」
 
 カウンターテーブルの上に携帯をちょこん、と置きながら言う。
 なるほど。
 考えてみれば超ハイテクの塊の茶々丸に聞く内容じゃなかったか。
 
「おい士郎。不良品だ。ボタンを押しても何も反応せんぞ」
「……違うって。それはお前が電源入れてないだけ。———ほら、説明書にも書いてるだろ?」
「む、そうか……」
 
 そうやってエヴァが携帯電話のボタンを押し込むと、携帯電話から軽快な音が聞こえてくる。電源が入ったらしい。
 それにしても、エヴァは機械の類が苦手のようだ。遠坂みたいに敬遠してる訳じゃないが、イマイチ慣れてないって感じだ。
 それでも、こうやって覚えようと努力している辺りは遠坂より将来性を感じる。
 
「ふむ、こっちが通話ボタンでこっちが終了ボタンか……かけるときは番号を押してから通話っと……」
 
 説明書と睨めっこしながら必死に使い方を覚えているエヴァは微笑ましい。この分ならすぐに使い方を覚えるだろう。
 
「士郎、お前の番号を教えろ。一度かけてみる」
「あいよ。いいか? 言うぞー。090——————」
 
 俺が番号を読み上げていくとエヴァはそれを声に出して「0、9、0っと……」、と確認しながら両手を使ってポチポチ押していく。
 そして番号の入力が終わったのだろう、エヴァは耳に携帯を押し当てた。
 
「…………」
「…………」
 
 待つこと数秒。
 
「———む?」
 
 エヴァが小首をかしげた。
 
「おい、士郎。なにやら電波が届かないとか電源が入っていないとか抜かしておるぞ、この機械」
「……って、そういやそっか。俺の携帯もまだ箱から出してなかった」
 
 そりゃ繋がらないわけだ。
 
「エヴァ、一回止めて」
「ん? ああ」
 
 俺もカウンター内に置かれた袋から自分の携帯を取り出す。
 うむ、この無骨な感じ、良いかもしれない。
 そんな感想を抱きながら自分の携帯の電源を入れる。
 
「いいぞー」
「うむ。それではもう一度番号を教えてくれ」
「いや、それ発信履歴に俺の番号残ってるから」
「発信———履歴? どうやって見るのだ、それは」
 
 エヴァが適当にカチカチとボタンを押している。
 まだそこまでは読んでなかったか。
 
「じゃあちょっと待ってろ。今俺からかけ直すから」
 
 不在着信からエヴァの番号を出し、発信ボタンを押す。
 俺だって何も昔の人間じゃない、これ位の操作なら説明書を見なくてもフィーリングで何とかなるのだ。
 数瞬待つと、エヴァの携帯電話から電子音が鳴った。
 よし、これで俺の番号が最初の画面に表示されるだろう。これで登録しやすい筈だ。
 そして、終了ボタンを押そうとして、
 
「それが俺の番号だから登録、」
「———もしもし?」
「って、出るなよ!?」
 
 思わず突っ込んでしまった。
 俺はただ番号を教える為に鳴らしただけから出ても意味が無いだろうに……。
 
「む。何だ、出てはダメだったのか?」
「ダメって事無いけど意味は無い。目の前にいるのに電話で話すのって不毛だし」
 
 それと無駄に通話料がかかるとか考えてしまう俺は貧乏性なのだろうか?
 
「取りあえずその番号で登録して。説明書見ながらやれば分かるだろ?」
「ん、ちょっと待て」
 
 エヴァはそう言うと説明書をパラパラとめくる。
 俺はそれを横目に茶々丸の方へと向き直る。
 
「茶々丸。お前の番号とかも登録するから教えてくれ」
「それでしたら携帯電話を私に貸して下さい。その方が早いでしょうから」
「? いいけど」
 
 取りあえず素直に渡す。
 すると、
 
「—————ぉお……」
 
 ピピピッ! と猛烈な勢いで指先を動かして二つの携帯電話を同時に操作していく茶々丸。
 俺はその光景に圧倒されて声が出なかった。
 
「———終わりました」
「あ、ああ……」
 
 差し出された俺の携帯電話を呆然としながらも何とか受け取る。
 画面を開いて確認してみるとそこには確かに『絡繰茶々丸』の文字。更に『エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル』の文字もあった。ついでに登録してくれたんだろう。
 
「サンキューな茶々丸。帰ってからでも登録しようと思ってたから助かった」
「いえ、お礼を頂くような事では……」
 
 遠慮気味に首を横へと振る。
 その横では未だにエヴァが説明書片手に携帯電話と格闘していた。
 暫くして。
 
「出来たぞ!」
 
 と、エヴァが叫んだ。
 そして、登録したであろう画面を見て頷いていた。
 
「よし、ではかけるからな」
「おう」
 
 待つこと数瞬。
 俺の携帯が電子音を鳴らし着信を知らせていた。
 
「うん、ちゃんと登録出来たみたいだな。なんだ、飲み込み早いじゃないか」
「…………おい」
 
 何故かエヴァが携帯を耳に当てたまま半眼で睨んでくる。
 そして未だに着信を知らせる俺の携帯。
 
「ん? どうした」
「……何故電話に出ん」
「や、だって目の前にいるし……って、これさっきも言っただろ?」
 
 するとエヴァが何故かプルプル振るえ出した。
 そして、
 
「私からの電話には出れんと言うつもりかっ!」 
「ええーーっ!?」
 
 そこで怒るんですかーっ!?
 なにその、私の酒が飲めんのかーーっ、みたいなノリ!
 
「ええい! 何でも良いから出ろ! 意味も無く出ろ!」
「意味も無くは出んわ!」 
「それで、『お、今、俺上手い事言った』とか思ってるんじゃないだろうな!」
「思ってねぇ!?」
 
 凄い言いがかりだ!
 意味不明なことでエヴァが怒って、俺がそれに言い返すとまたしても意味不明な事に怒るエヴァ。
 そんな感じで会話は訳のわからない方向に全力で転がって行った。
 そのうち何が原因で始まった言い争いか分からなくなっていく。
 ……そんなこんなで不毛な会話は開店までしばらく続いた。
 何はともれ…………なんて言うか平和な俺達だった。
 
 
 
 ◆◇—————————◇◆
 
 
 
「はぁ……無駄に疲れた」
「私もだ……」
 
 取り合えず夕食と言う事で用意したのはスモークチキンとフルーツトマトのパスタ、それにコーンポタージュ、サラダ。
 エヴァは疲れたようにフォークをクルクル回して、パスタをからめている。
 茶々丸はいつものように上品にサラダを食べていた。
 先ほどのエヴァとの言い争いは最終的に、『携帯電話の着信音で歌を流すのはどうなんだ?』と言う所まで飛躍した。……俺達自身そこに到った経緯は謎だし、気にしたら負けだと思った。
 大して意味があるものじゃないと思うし。
 店内は夕食時とあって学生さんをメインに席が埋まりだしている。客層としては8:2位で女の子の方が多い。店のすぐ側が女子中等部の学生寮なんだから当然といえば当然だが、お酒を出すときは先生達や大学生の人達でごった返す。
 余談ではあるが、エヴァもお酒を飲むので、何気に専用ボトルとか結構店の棚に納まっていたりもする。
 外見的には問題あるかもしれないが、実年齢で言えば全く問題ないので好きにさせているが。
 
「で、どうだ? 携帯の使い方は大体覚えたか?」
「通話機能は大方、と言った所か。メール機能はこれからだ。まあ、そんなに急いで覚える必要も無いだろう?」
「まあ……俺は通話の方をメインに使うだろうからな。そもそもメールを打っている自分が想像できない」
「———確かに……」
「言えてますね……」
 
 エヴァと茶々丸に思いっきり納得されてしまった。……自分で言い出しておいてアレだけど少し悔しかったり。
 
「いいんだよ俺は。それより店の番号は登録したか?」
「はい、私は済ませました」
「む、私はまだだったな……士郎、番号は?」
「ん、———これ」
 
 メモに書かれている番号を渡すとエヴァはソレを打ち込む。
 その様子を眺めて何となく疑問に感じた事をぶつけて見た。
 
「なあ、エヴァ」
「ん〜?」
 
 手元の携帯電話から目を離さずにエヴァがノンビリした風に応える。
 
「お前、ずっと両手で操作する気か?」
 
 別にどうでも良いことなのだが、ちょっと気になったので聞いてみたかったのだ。
 エヴァは先ほどから片手ではなく両手で携帯を操作していた。俺としては両手の方が使い辛そうに見えるんだが。
 
「仕方なかろう。私は手が小さいからこうでもしないとやりにくいのだ」
「ふーん、そんなもんか」
 
 確かにエヴァの手は小さい。
 体の大きさを考えるとそれが普通なのだろうが、改めて見てみるとやっぱり小さい。
 その小さな手では携帯電話位でも両手でないと扱い辛いのだろう。
 
「あ、そうだ。話は変わるけど、ネギ君の鍛練はどうだ? 毎日やってるんだろ?」
「ああ、ソレか……鍛練云々の前に時間が足りなさ過ぎる。教職の合間なんぞにやってるもんだから2、3時間がいい所だからな。こんな物では埒が明かない」
「まあ、一応先生だしな……」
 
 一応ではなくきちんとした先生なのだが。
 だからこそ尚更時間も取れないか……。
 
「だから鍛練に『別荘』の使用を考えているのだが……どう思う?」
 
 携帯電話の操作が終わったのか、ソレから視線を上げてエヴァが俺を見上げた。
 
「ああ、なるほど、それは良い考えじゃないか」
 
 むしろそれ以上に良い手はないだろう、と思う程である。
 『別荘』であれば時間の問題も解決するし、周囲に迷惑をかけることもない。魔法がバレる心配もないしうってつけだ。
 
「ふむ。では、そうするか。……ククク、あそこだったら思う存分坊やを痛めつけ……じゃなかった。鍛え上げられる」
「…………」
 
 ———えー……本音というか邪念が漏れ出してますよエヴァさん。
 そう言うコトは思ってても言葉にしないように。
 ……や、本当にちゃんとやってるんだよな? 大丈夫だと信じてる反面、少し不安に思ってみたり……。
 
「そうだ士郎。お前もたまには鍛練を手伝え。お前が店を終わる時間と『別荘』に入る時間を合わせよう」
「へ? 俺もか?」
 
 思わぬ提案に少し間の抜けた返事をしてしまう俺。
 
「ああ。何も毎日と言う訳ではない。そうだな……一週間に一度程度でいいから坊やと手合わせをしろ。私や茶々丸、チャチャゼロだけでは偏りが出てしまうかも知れんからな。あの坊やにも良い経験になるだろう」
「別に良いけど……」
 
 経験、ね。
 ネギ君の力になるんならそれ位いいか。一週間に一度位なら何とかなるし。
 
「それにしても……エヴァ、お前ちゃんと師匠やってるじゃないか」
 
 弟子の為にスケジュール立ててたり、練習相手を探したり。
 楽しんでいる節も多々あるが、これなら立派な師としてネギ君に教えて行く事だろう。
 俺がそうやって言うと、エヴァは弄っていた携帯電話をカウンターテーブルの上に置いてそっぽを向いた。
 
「…………ふん。ただの暇潰しだ。お前が家に帰ってくるまでやる事も特に無いしな」
 
 と、エヴァ。
 照れくさいのだろう、横を向いた頬が微かに赤い。
 
「お、お前だって刹那の師だろうがっ。師などと呼ばれて浮かれているんじゃないだろうな?」
「俺の場合はその真似事。刹那には技とか教えてる訳じゃないし、ただ手合わせして修正点あれば少しアドバイスする位だから。だから俺の場合は正確には師弟って言うよりも、ただの練習相手って方が近いんじゃないか?」
「……刹那のヤツはお前に心酔してるように見えるがな。……士郎、お前、その台詞を刹那に言ってやるなよ? 流石に不憫に思える」
「分かってるって。ただ上手い言葉が見つからなかったからそう言ってるだけ。俺だって教えられる事があれば教えるつもりだからな。不肖の師として頑張ってるさ。そういうんじゃなくてさ……ほら、エヴァとネギ君の場合だと魔法使いっていう同じジャンルだろ? だから教えられる事も多い。そうなると自分の分身みたいに思えて結構感情移入するんじゃないか?」
「そんな訳ないだろう。私はあの坊やが修行に着いて来れなくなる様な事があれば容赦なく見捨てるし、弟子だからと言って甘やかして手伝いなどしたりはせん」
「……って、言う奴の方が熱中するモンなんだけどな」
「……お前、からかって楽しんでるだろう?」
 
 エヴァが恨めしそうに俺を見る。
 むむ、少し悪ふざけが過ぎたか?
 
「はは、悪い悪い。お詫びに食後の紅茶に良いやつ淹れるから機嫌治してくれ」
「……お前は取り合えず紅茶を出せば私の機嫌が治る、とでも思ってるんじゃないだろうな?」
「じゃあいらないか?」
「……貰うが」
 
 そっぽ向いたまま言うエヴァについ吹き出してしまい、また睨まれた。
 ま、何にしてもエヴァは面倒見が良いって事だ。それを本人が自覚しているかどうかは知らないが決して悪い事じゃないだろう。
 
「うし、ちょっと待っててな。この間仕入れたばかりのを出すからな」
 
 背後のカウンターの棚にある箱を取り出す。
 そこには仕入れたばかりの高級茶葉が眠っている。コストが高過ぎて店では出せないが、試飲して気に入ったので50グラムだけ買って来た———言ってしまえば俺個人の買い物で、基本的に身内にだけ飲ませる為に買ったものだ。
 
「うむ。楽しみに待つとしよう」
 
 後ろからエヴァの楽しそうな声。
 コレだけで機嫌が治るのだ。結局の所、俺もエヴァもただじゃれ合っているだけ。だからこそ茶々丸も見てるだけで止めようとしないし、俺もエヴァも怒ったりしない。
 そう考えるとまた笑いが込み上げてきそうだったので、何とか我慢して平静を保つ。
 そうやって準備をしている時だった。
 チリン、と言う来客を知らせるベルが店内に響いた。
 
「いらっしゃいませ———って、ああ、君か」
「お邪魔するよ衛宮さん。件の報酬を貰い受けに来た」
 
 来店したのは龍宮さん。
 報酬と言うからには京都での事だろう。手伝ってもらったかわりに10日間俺の店で飯を提供するってヤツ。
 俺的には、次の日から来るのかな、と思っていたからコレでも遅かった位だ。
 
「いらっしゃい、龍宮さん。勿論忘れてないから安心して食べていってくれ」
「それは僥倖……っと、コレは思いもよらぬ先客がいたな」
 
 龍宮さんはそう言うとエヴァを見て軽く驚いていた。
 あれ? 確かエヴァと彼女はクラスメイトだった筈……何をそんなに驚いているのだろうか?
 
「———エヴァンジェリンさんは士郎さんの身内の御方だ。何も驚く事はない。それより急に立ち止まるな龍宮」
「あれ? 刹那?」
 
 背の高い龍宮さんの影に隠れて分からなかったが、刹那も一緒に来たようだ。
 そういえばルームメイトとか言ってたし、不思議に思うことでもないか。
 
「よう刹那。お前も飯食いに来たのか?」
 
 俺が手を上げて挨拶すると、刹那は生真面目に一礼して返してきた。
 
「こんばんは、士郎さん。龍宮から誘われたので御迷惑になるかもしれないと思いながらもお邪魔しました」
「折角来てくれたのに迷惑なんて思う奴がいるか。刹那ももっと気楽に来てくれていいのに」
 
 考えてみれば刹那は余りこの店には来ない。遠慮してるんだかどうか知らないが、二週間に一回来るか来ないかくらいだ。学生だから節約してるんだろうなと思いながらも、不思議に思っていたものだ。大体、ウチの店はそんなに高くない筈だし、学生さんで常連のお客さんだって結構いる。
 例を挙げれば、まずエヴァ、茶々丸……まあ、ここら辺は家族なんだし、お金は貰ってもいないのでお客としてカウントしていいのか微妙だが。
 後はよく来る順番で行くと、アスナ、このか、ネギ君、雪広さん。それに必ずグループで来店してくれるお客さんとして、大河内さん、明石さん、和泉さん、佐々木さんの仲良しグループ。後は……そうそう、最近になって高音さんと言う高等部の子と佐倉さんと言う中等部のコンビが良く来店してくれてたっけ。
 
「ま、いいや。取り合えず好きな席に座ってくれ……って、カウンターしか空いてないか。構わないか?」
「私は何処でも構わないさ。刹那は?」
「私もです」
 
 二人はそう言って椅子に座った。
 俺から見れば一番壁際の席がエヴァだから順に、茶々丸、刹那、龍宮さんと並ぶ。
 
「さて、注文は何にする?」
 
 お冷をテーブルに並べながら尋ねる。
 刹那は「そうですね」と呟いてメニューを眺めたが決まらなかったのか、エヴァと茶々丸の前に置かれた皿を見た。
 
「———私はお二人と同じのをお願いします」
「ん、了解。龍宮さんは?」
「ふむ。では、私も同じ物を貰おうか」
「よし、じゃあ少し待っててな」
 
 全員で同じメニューか。それなら大して時間もかからないだろう。
 
「それにしても……衛宮さんが彼女達の身内とはね」
「ああ、エヴァ達のことか? 身内っちゃ身内だな。そんなに意外だったか?」
「いやいや、むしろ納得といった所だ。刹那の師にしてあの実力……なるほど、そう考えれば不思議ではないか」
 
 龍宮さんが俺を見ながらそんな事を言う。
 彼女の言い方を考えると昔のエヴァを知っているのだろう。無論、年齢から考えれば、エヴァが封印されたのは15年も前の話なので、その時、彼女は生まれたばかりであろうから話に聞いた程度なのだろうが。
 俺は料理から目を放さずにそんな事を考える。
 
「そう言えば古菲さんはどうしたんだ? あの子にもお礼するって言ったんだけどまだ来てないんだよな」
「ああ、彼女は恐らく勉強でそれどころではないのでしょう。そろそろ中間テストの時期ですから」
「中間テストね……ご苦労様としか言い様が無いな。二人は成績良いのか?」
 
 俺がそう聞くと刹那は「うっ」と、言葉詰まらせて、龍宮さんはため息を吐いた。
 この反応は……答えを聞くまでも無いな。
 
「そ、それよりエヴァンジェリンさん、ネギ先生の鍛練はどうですか?」
 
 グリン、と首を捻って俺から視線を逸らす刹那。
 ……逃げたな、苦しい方向転換だが。
 ま、いいや。
 
「なんだ貴様も気になるのか?」
 
 エヴァは頬杖をつきながらやれやれ、といった感じで刹那を見た。
 俺は料理の合間に淹れてた紅茶をエヴァと茶々丸の前に置く。
 
「丁度今その話をしていた所だ。……そうだな、別の側面から考えるのもありか。刹那。貴様の目から見た士郎の指導ぶりはどうだ?」
「士郎さんのですか?」
 
 む、それは少し気になる話題だ。
 いつもの鍛練を刹那がどう感じてるかは聞いておきたい。
 
「私としては光栄の一言しか出ません。鍛錬中、士郎さんは多くを語りませんが、その一挙手一投足が私には目を見張らんばかりの技術の塊です。そのお陰で今の私があると言っても過言ではないでしょう」
 
 刹那はやや熱が篭もったように力説している。
 そうやって言ってくれるのは恥ずかしくも嬉しいんだけど……刹那、エヴァが言ってる事はそういう事言ってるんじゃないと思うぞー?
 
「……いや、そうではなくてだな。私はどういう内容の鍛練をしているんだと聞いたんだ」
「え……あ、そ、そういう事でしたか」
 
 エヴァが呆れたようにそう言うと、思い違いに刹那は顔を赤くしてしまう。
 それを見ていた龍宮さんはくくく、と笑うが刹那に睨まれると肩を竦めて見せた。
 刹那はこほん、と咳払いして改めて言い直す。
 
「……内容は以前と同じ様に打ち合いをして、修正点があれば指摘、と言った感じです」
「それは士郎が全力の状態でか?」
「……それはないですね。もしも士郎さんに全力で打ち込まれては私は一瞬で屈服させられてしまうでしょうから。そうですと『打ち合う』といった表現になり得ませんから」
「なるほど。士郎、お前はどういったレベルを想定して相手をしているのだ?」
 
 エヴァが紅茶を飲みながら俺を見る。
 どういうレベルって……。
 俺は出来た料理を刹那と龍宮さんに出しながら考える。
 
「うーん、基本としては刹那の一段階上のレベルを想定してやってるんだけど……それがどうかしたか?」
 
 それも最近では刹那がメキメキ力をつけてきているせいで、見極めとか色々と大変になってきているんだけど。
 それはそれとして。
 
「いやな? 以前から気にはなっていたのだ。技術を口で伝えるのが苦手なお前がどうやって刹那に教えているのかとな。お前は口の上手い方ではないし、それに打ち合うのが基本と言っていただろう? 実力差が開いた者がどうやって下位の者に教えているのかと考えてこの前もお前達の鍛練風景を見に行こうかと思ったのだ」
 
 この前と言うのはネギ君が朝錬をしているのを初めて見た朝の時のことだろう。
 そうか。あの時、朝出歩いてた理由はそんな事があったのか。
 それにしても下位って言い方だと刹那が気を悪くするんじゃないか?
 そう思ってそちらを横目で窺う。
 
「…………」
 
 けど刹那はそんな事を気にした風も無く、むしろそれを誇ってるとでも言うような満足した顔でパスタを食べていた。
 
「しかし一段階上か……なかなか上手い事を考えたじゃないか」
「そうか? 俺の場合は受け売りなんだけどな」
 
 無論、誰と言われればセイバーの受け売りである。
 セイバーみたいに上手く出来てるかは分からないが、少なくとも役に立つような事は伝えることが出来ているらしい。そう考えると俺も安心できる。
 
「そう言うエヴァはどうやってネギ君を鍛えるつもりなんだ? さっきはそこを聞こうと思ったけど話が逸れちまったからな」
「……最初に話の流れを逸らしたのはお前だったろうに———まあ、いい。まずは基本から鍛え直す。今のままでは話にならんからな」
「基本って……ネギ君は向こうの学校でちゃんと学んできたんだろ? それを基本から鍛え直す意味ってあるのか?」
「当然意味はある。学校のカリキュラムが悪いとは言わんが、基本として、どうしても万人向けの内容になってしまうのは否めないだろう? そういう意味ではあの坊やの才能に学校程度で習う内容では追いつかんのだ。……忌々しい事だがな」
 
 エヴァは「これだからあの血族は……」とぼやいて紅茶を飲む。
 なるほど。天才相手に教える内容としては足りなかったという事か。
 エヴァがそういう言い方するってことはネギ君の才能を認めてるって事なんだろう。だからこそ弟子にする許可を出したんだろうし。
 それにしても鍛練か……俺も刹那もあの林の中での鍛練で出来る事もいい加減限られてきてるんだよな。
 
「……って、そうか」
 
 上手い事を思いついた。
 
「なあ、エヴァ。さっきの俺も一週間に一回はネギ君の練習相手になるっていうアレあるだろう?」
「ああ、それがどうかしたか?」
「うん。良かったらそれに刹那も混ぜてやっていいか?」
 
 何で今まで思いつかなかったんだろう。そうすれば刹那も思いっきり動けるのだからこれ以上の場所は無い。
 
「私は別に構わんが。……その前にお前は刹那に説明してやったらどうだ? 見ろ、話に着いて来れてないではないか」
「———あ」
 
 エヴァに呆れるように言われてから刹那を見ると、自分の名前が出てきたのに話が見えず、キョトンとしていた。
 
「悪い悪い。刹那、俺、これから一週間に一回くらいだけどネギ君の練習相手になる事になったんだ。だからそこにお前も一緒にどうだ?」
「はあ、ネギ先生の練習相手ですか。それは構いませんが……何故です?」
「場所がエヴァの『別荘』なんだよ。あそこなら普段出来ない事もできるだろ? だから良いかと思って」
「ああ、そう言う事でしたか。それでしたら私はありがたくお付き合いさせていただきます。お心遣い、感謝いたします」
 
 刹那は律儀に頭を下げて礼をする。
 そんな所はやっぱり変わらないんだろうなと内心思う。
 なにはともあれ、コレで今後の鍛練内容も随分充実した内容になる事だろう。
 と。
 
「———先ほどから見させてもらったが……。刹那、お前は随分と衛宮さんに心酔しているんだな。いや、普段のお前を見れば十分に予測できた事ではあったが、まさかここまでとは……正直、驚いたよ」
 
 今まで黙って料理を食べていた龍宮さんがからかうように刹那を見て言った。その唇の端は楽しげに緩んでいる。
 
「む、何だ龍宮。何か含みのある言い方だな。師である士郎さんを敬うのは当然のこと。それの何が悪いか」
「いやいや。誰も悪いなどとは言ってないさ。ただ、そうしていると年相応の姿に見えると思っただけだ」
「? なんだ、その年相応と言うのは?」
「言葉のままだよ。常に気を張っているお前も悪くないが、そうやって衛宮さんと話している姿は……」
 
 龍宮さんはそうやって言葉を途中で切ると、そこから繋げる言葉を捜すように俺と刹那を交互に何度か見てから言った。
 
「そう。お前のその姿はまるで、恋す———」
「———っ!?}
 
 と。
 龍宮さんが喋っている途中、刹那は何を思ったのか、フォークで巻き取っていたパスタを龍宮さんの口に突っ込んだ。
 ……な、何やってんだ?
 
「……ど、どうした刹那?」
「い、いえ! 何でもありません、お気になさらないで下さい士郎さんっ!」
「…………?」
 
 刹那がワタワタと慌てるように片手を振って取り繕うような仕草をするが意味が分からない。
 もう片方の手は、未だに龍宮さんの口を封じるように口内に差し込まれたままだ。
 ……正直、俺の視点からでは刹那がフォークで龍宮さんを脅しているようにしか見えません。
 ちょっと想像してみる。
 口の中には他人から差し込まれた突起物があり、それを握る人物はなにやらのっぴきならない状態らしく慌てまくっている。
 
「…………うわぁ……」
 
 怖っ!
 特にフォークって辺りが暗に刺しますって語っているようで怖っ!
 
「———いや、今のは私の失言だったか。刹那、分かったからこの物騒な物を退かしてくれないか?」
「あ、す、済まん!」
 
 刹那は慌ててフォークを引っ込めると、真っ赤になって縮こまってしまった。
 対する龍宮さんは何食わぬ顔で口の中にあるパスタをモグモグと咀嚼していた。
 ……スゲェ。あの状況下でここまで平常心を維持できるとは。俺も見習いたい物だ。
 それでも流石に焦ったのだろう。
 額から流れ落ちる汗を見逃さない俺だったりした。
 
「で、結局なんだったんだ? 龍宮さんが何か言いかけてたみたいだけど……」
 
 つーか、刹那は何をそんなに赤くなっているんだ?
 会話の流れを思い返してみてもそんな風になる所なんて思い当たらないんだが。
 
「ふっ。いや、今のは忘れてくれ。私も要らん事を言って刹那に恨まれたくは無いしな。———ご馳走さま、衛宮さん。非常に美味しかったよ」
 
 龍宮さんはそうやってニヒルに笑うと席を立った。
 
「わ、私もご馳走さまでした! そそ、それでは私達はこれから用がありますのでこれで失礼します!」
 
 刹那はそうやって一気に巻くし立てると、耳まで真っ赤にしたままで龍宮さんの手を強引に掴むと、物凄い勢いで帰って行ってしまった。まさに脱兎の如くとはこの事だろう。
 
「…………」
 
 まあ、俺としてはそんな展開に着いて行けずに呆然と見送るしか出来なかった訳なのだが。
 つーか、刹那、会計していかなかったよな……別にいいけど。
 
「……な、何だったんだ一体」
「———さてな。……私としては何やら面白くない事が起きているような予感がするんだがな」
 
 エヴァが扉の方を半眼でジッと眺めながらポツリと呟いた。
 何やら感じ入る事があるのか、なんとも言えない微妙な表情だ。
 
「なんだ、エヴァは思い当たる節があるのか?」
「……いや、思い当たる節と言うか何と言うか、些細なことと言うか私にとっては重大な問題と言うか……」
「?」
 
 なんとも要領を得ない。
 エヴァ自身も何やら明確な答えがあるわけじゃないらしく、両手を組んではむむむ、と眉間に皺を寄せて唸っている。
 
「何はともあれ、アレだ、士郎。お前はもう少し周囲に気を使った方が良い」
「は? なんだそれ? 俺、なんか周りに迷惑になるような事しちまってるのか?」
「……いや、そうであるようなそうでもないような……。と、ともかく!」
 
 バンバン、とカウンタテーブルを叩くエヴァ。
 
「私はなにやら不穏な空気を感じる! お前はその様々な”脅威”に気をつけていれば良いのだ!」
 
 わかったな! と叫ぶエヴァの剣幕に押されて思わずコクコクと首を縦に振る俺。
 ……で、その”脅威”って———結局なんなのさ?

 



[32471] 第38話  紅茶は好きですか?
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 22:26

 
「———いやまいった」
 
 今日も今日とて、日課となった休憩時間の学園内散策をしながら思わず呟いた。
 しかしながら、コレと言った危機的状況に陥っている訳でも、なにかのっぴきならない事件に巻き込まれている訳でもない。
 実際には口で言うほどには困った事は起きてない訳なのだが。
 だったら一体何を考えあぐねているかと言うと……。
 
「いい加減店が回らなくなってきたな……」
 
 と、まあ実に平和的な悩みといえば悩みだったりするのだが。
 だが、どんなに平和的な悩みといっても問題は問題だ。
 今までは俺一人で店を回せていたが、ここ最近でそれがかなり怪しくなって来てしまったのだ。
 昼や学生達の下校時間はまだ何とかなるのだが、夕飯時ははっきり言ってしまえば戦場だ。
 元々、俺の店である『土蔵』は、四人がけのテーブルが7つ、カウンター席に6席(うち二つは最早専用席)の合計34人が定員である。
 無論、全部が全部の席が埋まるわけではないので、四人がけのテーブルに一人のお客さんが座る事もあるし、カウンター席も端から全部埋まるわけではない。まあ、今までの平均で言えば15〜18人のお客さんでほぼ満員と言った感じであった。
 ……ところがどっこい。
 それがここ1、2週間で文字通りの『満員』になるという事態が頻繁に起こってしまっている。
 何故イキナリこんな事になっているかと言えば、なんでも、『麻帆良学園新聞』なるものに『土蔵』が最近評判の店として記事に取り上げられたのが発端のようだった。
 それが、ジワリジワリと浸透して行き、今の現状になったという事だ。
 嬉しい悲鳴と言ってしまえばソレまでなのだが、恐るべきはマスメディアの力か……。
 ソレはソレとして、それでもギリギリの所で店を回せているのは、他でもない茶々丸のお陰なのだ。
 茶々丸は、いつもの如くエヴァと一緒に食事を終えると、手伝ってくれるのだ。———って言うか、俺も気が着かない内にいつの間にか手伝っているのだ。
 普段から家で一緒に家事をしているせいか、茶々丸が料理を運んで行ったり、テーブルの後片付けをしている姿が目に入っても、全くといっても良いほど違和感がない。
 俺は俺で、その状態に気が付かないどころかいつの間にか極々自然に茶々丸を使ってるし、茶々丸は茶々丸でこれまたえらく普通に使われるもんだからタチが悪い。
 ……や、この場合はどう考えても気が着かない俺が悪いか。
 そりゃ、茶々丸に手伝って貰えれば滅茶苦茶助かるのは事実だが、あくまでも彼女は寛ぎに来ているのだから仕事をさせる訳にはいかないのだ。
 なので、茶々丸には手伝わなくても良いと言い含めて置いたのだ。
 ……それでも時々気が付けば茶々丸が手伝っていて、その事に気が付かないまま暫く使ってしまう俺の頭は大丈夫なのだろうか?
 
「…………ん?」
 
 と、そんな時、スラックスの後ろポケットに入れた携帯電話がブルブルと震えてメールの着信を知らせた。
 ソレをポケットから取り出してメールを確認してみるとエヴァからだった。
 
『今終わつた。これからそつちに向かう』
 
 単純明快に用件だけ書かれた、いかにもエヴァらしいメールに苦笑する。
 まあ、俺もエヴァも絵文字と言った類の物を嫌煙するもんだから単純な内容になってしまうのは必然なのだろう。
 携帯電話を購入して以来、なにかとメールを送ってくるようになった彼女だが、実を言うと、ある一つの問題を抱えている。
 ……まあ、そんなモノは一目見たときから気が付いているのだが……。
 
『今終わつた。これからそつちに向かう』
 
 ———そう、エヴァは何故か小文字変換が出来ない子なのだった!
 や、俺も事あるごとに指摘してるし、エヴァ本人も気をつけている様なのだが、それでも何故か改善されないのである。
 そしてソレを指摘するごとに携帯電話を親の敵の如く睨みつけるエヴァを見て、この事にはもう触れないように茶々丸との第52回アイコンタクト会議で決定したのは昨晩の話だったりもする。
 俺はその決定事項通りにエヴァの変換ミスをスルーして「了解」とだけ打って返信すると、携帯電話をポケットに再びねじ込んで顔を上げた。
 するとそこには、
 
「あ、シロ兄遅ーいっ」
「……や、遅いって……」
 
 そんな第一声で『土蔵』に帰って来た俺を待ち構えていたのはアスナだった。
 遅いと言われても、まだ再開の時間まで10分は余裕があるし、そもそも約束なんてしちゃいない。 だから遅いなんて言われる筋合いは無い筈なのだが……。
 まあ、そんな事は言っても無駄なのだろう、だってアスナだし。
 
「折角、私がお客さんいっぱい連れてきたのに休憩なんて……ダメじゃない」
「ダメって事は無いだろ、ダメって事は。……それにしても、これはなんの集まりだ?」
 
 アスナの後ろに視線を向ける。
 そこには多くの女の子が店の前で待っていた。
 
「やほ〜、シロ兄やん♪」
「士郎さん、お邪魔しています」
「同志———失礼、衛宮さん。こんにちはです」
「……ど、どうも……こんにちは……」
「おお。やっと来たアルね、エミヤさん」
「にんにん♪」
 
 このか、刹那、綾瀬さん、宮崎さん、古菲さん、あとは……長瀬さんだっけ? 忍者の。
 彼女とはこのかの実家で少し会った程度だ。なんでも修学旅行の時に龍宮さん達と一緒に助っ人として来ていたらしく、犬上小太郎を抑えていたらしい。あの少年を抑える事が出来たのだからこの子も雰囲気に違わずかなりの実力者なんだろう。
 そして綾瀬さん。
 君、言い間違えたフリしてるけど絶対分かっててやってるよな? いい加減そのネタは諦めて下さい。
 
「ほら、私達もうすぐ中間テストだからね。皆で集まって勉強会でもしようかと思って」
 
 疑問顔の俺にアスナがそうやって説明してくれる。
 そう言われて改めて見てみると、図書館島騒ぎのメンバーが勢揃いといった感じだ。例のバカレンジャーの面子がよくもまあこうも……って。
 
「あれ? 早乙女さんと佐々木さんはいないんだな」
 
 メンバーが二人足りない。あの時は早乙女さんと佐々木さんもいたけど……。
 
「あ、その二人は部活だって。パルは漫研だし、まきちゃんは新体操。本当は呼びたかったんだけどねー」
「ふーん。まあいいや。今鍵開けるからちょっと待ってな」
 
 ポケットから鍵を取り出しながら扉に向かう。
 鍵を開けてる途中、後ろから「あれ? シロ兄なんでその二人の事だって分かったんだろ?」と聞こえたけど華麗にスルー。まさか後ろをずっとつけてましたなんて言えないし。
 
「はい、お待たせ。どうぞ中に入って」
 
 俺が扉を開けながらそう言うと、店内にゾロゾロと入って行く。
 にしても前々から思ってたけど、皆で集まっての勉強会っていう代物程怪しいものは無い気がする。 なんか流れ的に遊んだり、話したりで終わっちまいそうなイメージが強いのである。ましてやこの面子だ。そうなる可能性は非常に高いのではないだろうか?
 
「席は好きなところ使って良いし、なんだったら隣の席とくっ付けても良いから」
 
 そんな事を考えながらカウンターの中に入り前掛けエプロンを装着する。
 この店の勝手知ったるアスナのことだ、こうやって言って置けば好きなようにするだろう。
 そして、石鹸で手を洗いながら様子を伺うと、4人がけのテーブルを移動させて臨時の長テーブルを作っていた。それでも若干手狭に見えるのはご愛嬌といった所か。
 それが終わるとアスナを中心にメニューを見ながら何やら話し合った後、俺の所にアスナがやって来た。
 
「シロ兄、取り合えず人数分の紅茶貰える? 後なんか片手でつまめるようなお菓子あればいいなぁ〜なんて」
「サンドイッチって訳じゃないよな。そうなるとマドレーヌとかでいいか?」
「うん。じゃあそれで」
「茶葉は何にする?」
「うっ……そこら辺はお任せします」
「了解。紅茶はカップよりポットで出した方が良さそうだな。どうせ結構長い間いるんだろ? 差額分位はサービスするから」
「サンキュー、シロ兄♪ んじゃ、ヨロシクね」
 
 ニパッ、と笑い、手を振りながら席に戻っていく。
 俺はそれを見送ると早速注文のメニューに取り掛かる。
 冷蔵庫からマドレーヌを取り出し二つの大皿に飾りつけて並べる。
 後は紅茶なんだが……さて、なにがいいだろうか? エヴァとかだったら好みも分かるんだが、この面子だとどうにも分かり辛い……ま、一番詳しそうな奴に聞けばいいか。
 
「おーい、このか。ちょっといいかー?」
「ん、シロ兄やん? どうしたん?」
 
 このかは呼びかけると席を立ち上がって、俺の方に小走りで駆けてくる。
 
「悪いな、このか。紅茶だけど……お前達くらいの女の子って何が好きなんだ?」
「紅茶? う〜ん……ウチもそんな詳し無いからなぁ。よう分からんけどあんまり特徴の強いのとかはアカンちゃう? 多分みんな紅茶そんなに飲みなれてへん思うし。フレーバーティーとかええんちゃうかな?」
「……なるほどな。ん、参考になった。それじゃあ頑張って美味しいの淹れるからもう少し待っててくれ」
「うん、了解や♪」
 
 このかはそういうと来た時と同様に小走りで席に戻っていく。
 なるほど。フレーバーティーで飲みやすそうなのか……そうなるとアンブレとか良いかもな。ハチミツとオレンジによるフレーバーだから飲みやすいと思うし、女の子ウケも良さそうだ。
 棚から茶葉の入った容器を取り出し紅茶を淹れる。
 さて、あの子達は気に入ってくれるだろうか?
 大きなトレーにポットと人数分のカップ、それにマドレーヌを乗せて臨時勉強会会場となった席に運ぶ。
 テーブルの上を見ると参考書やノートが散乱していた。
 
「お待たせ。ご注文の紅茶とマドレーヌ人数分。———っと、悪い、置く場所開けてくれるか?」
「あ、ありがとシロ兄。ちょっと待ってて」
 
 アスナはそう言うとテーブルの中心にスペースを作り始める。
 
「あ、シロ兄やん、手伝うえ〜」
「私もお手伝いします」
「お、悪いな」
 
 このかと刹那が俺の持ったトレーからティーカップと取り皿等を配っていく。手付きを見るとこのかは手馴れているが、刹那はどこかぎこちないのが少しおかしかった。
 俺はそれを眺めながらアスナが空けてくれたスペースにポットとマドレーヌが乗った大皿を置く。
 
「この紅茶はアンブレってヤツなんだ。口に合うか分からないけど試してみてくれ」
 
 俺がそう言うと皆してへ〜、といった風に感心して香りとかを嗅いでいる。
 香りとしてはフレーバーティーなのだから悪いとは思わないが、味を気に入るかどうかは別問題である。万人に合う紅茶なんてないのだ。そこら辺は個人の趣味趣向であって、こればっかりは俺にも判断がつかない。
 
「で、今は何の勉強やってるんだ?」
 
 それはそれとして、開かれた教科書を覗き込んでみる。
 
「今は数学ですね。後はその場の流れで次の教科を決めようという話になっているです」
「ふーん」
 
 綾瀬さんの言葉になんとなく頷く。
 教科書に出ている問題をざっと流し見るとどこかで見たような公式や出題例が並んでいる。なるほど。この世界でもやってる内容に差は無いようだ。
 席の並びを見ると、このかと宮崎さんを中心にして集まっているように見える。
 
「このかと宮崎さんが教え役ってトコか? ご苦労さんだな」
「ん? そんな事あらへんよ〜、皆に教えてればウチも勉強になるし」
「……で、です……」
「なるほどね」
 
 ようするに教える事によって自分達も復習が出来るのだろう。で、教えられる方は当然その恩恵にあずかる事が出来る、と。そう考えると勉強会っていうのも結構効率が良い勉強方法なのか? 俺は基本的に教わる側だったから良く分からんけど。
 
「ま、何にしても俺には応援しかできない。頑張れよ」
 
 「はーい」という声を背にテーブルから離れてキッチンに引っ込む。
 さて、俺はそろそろ夕食の仕込みでも始めようか。それに、頑張る子達には栄養だって必要だろうし、おまけでお菓子とか作ってあげるのもいいかもしれない。
 
「——————って、思ってたのに……」
 
 カウンターの向こう側には雑談を楽しむ女の子達の姿があった。勉強開始から20分。……集中力短いな、おい。
 これはこれで予想通りの展開だがここまで速いとは……的中しても全く嬉しくない。
 
「あ、シロ兄ーっ。紅茶、おかわり頂戴ー」
「……へーい」
 
 勉強そっちのけで雑談に花を咲かせるアスナ達。
 空になったであろうポットを掲げながら俺に言う。
 
「……こりゃ、おまけは無しだな」
 
 お代わりの紅茶を淹れながら一人呟く。
 ……ったく、折角ケーキ準備したのに……これはおあずけしといた方が良いかもしれない。
 と、そんな時だった。
 チリン、と扉に取り付いているベルが鳴った。
 
「いらっしゃいま———」
 
 紅茶に集中していた視線を上げて、そちらを向く。
 そこにいたのはいつもの顔ぶれ、いくら見慣れたとしても決して見飽きる事の無い程に整いまくった可憐な容姿のエヴァと茶々丸だった。
 
「——————」
 
 だが何かエヴァの様子がおかしい。
 ドアノブに手をかけて扉を開けたままの姿勢で固まってしまっているのだ。
 その視線を辿ると、その先はアスナ達一行。
 
「——————」
 
 エヴァがギギギ、と油が切れたような機械のような動きで俺に視線を向ける。
 その視線が語っていた。
 
 ———これはどういう展開だ。
 
 と。
 そんなこと言われても……実際は言ってないが、返答に困る。
 
 ———や、見たまんまだけど。
 
 俺も視線に意思を込めて送って見る。
 エヴァはそれを受け取るともう一度アスナ達に視線を移した。
 そこにいるのは相変わらずおしゃべりを続けているアスナ達。ちなみに誰もエヴァ達に気が付いていない。
 エヴァはそれを見て顔を若干引きつらせると、
 
「——————」
 
 来た時の動きを巻き戻すように扉を閉めて……。
 ———帰ってしまった。
 
「———って、帰るのかよ!?」
 
 思わず声をあげて突っ込んでしまう。
 扉の向こう側からは恨めしそうなエヴァの視線が俺に絡み付いている。
 どうせ折角来たのに何故喧しい連中がいるんだとか言いたいんだろう。
 ……そんな目で見られても俺は悪くないだろ……。
 そんな意思を込めて見返す。
 エヴァはそれを受けて苦い顔をすると踵を返して帰っていった。
 
「……あー、こりゃ帰ったら何か言われるなー」
 
 カウンターの中でため息を吐く。
 ……理不尽だ。
 
「ねーシロ兄、おかわりまだー?」
「……はいはい、今行きますよー」
 
 アスナの催促の声に弱々しく応える。
 まあ、このメンバーがいる中にエヴァを置くのは酷と言う物か。
 
「はい、おかわりお待ちー」
 
 新しいポットを置きながら空になったポットを回収する。
 
「随分盛り上がってるみたいじゃないか。なんの話してるんだ?」
「何って……シロ兄の話よ」
「は? 俺の? 何でまた」
 
 コレは意外な事だ。
 自分で言うのは何だが、俺自身、他の人間の話題に上がるほどの面白味なんてないと思う。
 
「ほら、京都でのことよ。シロ兄ものすっっっっごく強かったって話」
「あー……それは」
 
 何かと思えば、よりにもよって”ソレ”か。
 できれば勘弁してもらいたい。
 強い弱いとかの話ではなく、アスナの口から簡単にそういった『裏の世界』の話題が出るのはあまり気分の良いものではないのだ。
 
「もう本当にすごかったんだから。たっくさんの鬼達に囲まれてるって言うのに、シロ兄一人で突っ込んでいって、こう……ズバーッ、ドッカーンって」
 
 アスナは少し興奮気味に身振り手振り付きで話す。
 ……擬音交じりで話すアスナはちょっとバカっぽい。本人にはとてもじゃないが言えないが。
 
「そうアルね〜。私は途中参加で全部は見れてなかたアルが、それでもとんでもなかったアルネ!」
「大格闘大会優勝者のあなたがそこまで言うですか? ……ちなみに衛宮さんと戦ったらどっちが勝つです?」
「あはは。戦いになんてならないネ。私だと一瞬でやられてしまうのが落ちアル」
「……そ、そこまでですか……正直そうは見えなかったのですが。なるほど魔法使いとはスゴイものなのですね」
 
 綾瀬さんが俺を見ながら感心したように頷く。
 俺的には逆の感想なんだけどな。
 この子達くらいの年齢であそこまでの力があるって事自体が驚きだ。
 
「ほう。刹那から噂には聞いていたが……そこまで凄まじいとは知らなかったでござるなぁ。流石は刹那の師、と言った所でござろうか」
 
 そんな声に、そちらの方を向いて見ると糸のように細い眼で俺を感心するように見ていた人物がいた。
 
「えっと……君は、長瀬さん———だったよな?」
「うむ。長瀬楓でござる。先日は顔を合わせただけで碌に話も出来なかったでござるからな。衛宮殿とこうして話をできるのは嬉しいでござるよ」
「そりゃどうも。そういう君は……忍者って聞いたけど……」
「甲賀中忍でござる」
「あ、そうなんだ……」
 
 やー……ホントにいるんですね、忍者って。
 こっちの世界は色々となんでもありだなあー。
 
「ま、いいや。俺のことはどうでもいいからそろそろ勉強再開したほうがいいんじゃないか? 休憩するにしても少し早すぎだと思うし」
「———あ、せやった。この前のお礼言ってたら話が脱線してもうた。勉強せなアカンのに。うん、ほな再開しよかー」
 
 このかが宣言するように話を修正する。それに宮崎さんは控えめに頷いた。
 ———はい、そこの勉強苦手なバカレンジャーさん達ー、あからさまに「ちっ」とか言わない。折角教えてくれるって言うんだからしっかり頑張りなさい。
 
「はい。そんな教師役のこのかと宮崎さんには俺から差し入れ」
 
 そう言ってショーケースの中から皿に載せたケーキを二つ持ってくる。
 勉強を再開すると言うなら、少なくとも一番頑張るであろう二人には出してあげてもいいかと思う。
 このかと宮崎さんの前にショートケーキを置く。
 ちなみに、このショートケーキこそが俺の店で一番人気のあるお菓子だったりもする。その人気ぶりは開店一時間もすれば全部なくなってしまう程。しょっちゅう来るアスナやこのかでも片手で数えられる位しか食べた事は無い。
 ……まあエヴァや茶々丸は別格で、頻繁に食べてるんだが、それはまた別の話。
 
「あ、アリガトシロ兄やん。でもええの? こんなん貰ってもうて」
「わ、私もですか……? なんか悪いです……」
「いいんだよ。一番大変なんだからそれ位貰っとけ」
 
 いつものように頭に手を乗せると、宮崎さんから「はぅ!?」とかビックリしてる反応が返って来た。
 俺はその反応に瞬間的に頭に乗せた手を上げた。
 ——しまった。つい間違えてこのかと一緒にやっちまった……。
 宮崎さんは俺の事が苦手みたいだし、悪い事をしてしまった。
 
「あ、スマン! ついクセで……」
「い、いえ……大丈夫です……」
 
 宮崎さんはそう言うものの身体を硬くして縮こまってしまっている。
 ぐ、罪悪感が……!
 それに気まずい!
 
「あー! シロ兄それ差別よ。習う方だって大変なんだからねっ。だから私達にも頂戴よー」
 
 と。
 アスナが俺達の話の流れなんかは知らんとばかりにぶーぶー不満を漏らす。
 けど、これは気まずい話題転換にはちょうどいい。
 俺はコレ幸いとアスナの方の話題にのる。
 
「んー……そうだな。じゃあ少し待ってろ」
 
 踵を返してショーケースを開ける。
 後ろからはアスナの喜ぶ、「シロ兄のショートケーキって人気あってあんまり食べられないのよねー」なんて声が聞こえる。
 それに続くように長瀬さんや古菲さんが出てくるであろうケーキに思いをはせている。
 だが、
 
「…………」
 
 ふ、そんなに甘いと思うなよ? ———や、ケーキは甘いが。
 皿にケーキを載せて、今か今かと俺ではなくケーキを待つ面々の所に戻る。
 
「はい、お待ち。———刹那だけ」
「わ、私だけ……ですか?」
 
 展開が分からずに刹那がオドオドする。
 
「……って、えーー!? 刹那さんだけなの!?」
「な、何故でござるか!?」
「衛宮さんヒドイアルよー!」
「…………」
 
 そして大方の予想通り、ケーキを貰えなかった連中は文句をブーブー言う。
 ———若干一名、無言の圧力を加えて来るお方もいらっしゃるが……。
 それはそれとして、コレは別に意地悪でやってるわけじゃない。
 
「君らには勉強が終わったらあげよう。成功報酬ってやつだ、言い方はちょっと違うけど」
「成功報酬って……今くれてもいいじゃない」
「この勉強会はお前達のタメみたいなモンなんだろ? だったらご褒美はその後。ケーキを目指して頑張ってみろ」
「……なんかエサで釣られてるみたい」
「実際にケーキをエサに釣ってるからな。でも、そういう分かりやすい身近な目標があった方がやりやすいだろ?」
「……じゃあ刹那さんは?」
「刹那はそこまで成績悪くないんだろ? だったら別にいいじゃないか。俺だって何も成績で上位を狙えって言ってる訳じゃないんだ。赤点さえとらなきゃ成績なんて大して気にしないし。それにその方が自分達の時間を補修とかで削られなくて済むだろ?」
「……くっ! なんか良く分からないけど反論できない……」
 
 刹那の前に置かれたケーキを羨ましそうに見るアスナ。
 刹那は刹那でそれをどうしていいか分からず、小さくなるばかりだ。
 
「あの……士郎さん。私も後で結構ですので……」
「刹那はいいから食べとけって。こいつ等にも後でちゃんとやるんだから気にすんな」
 
 はあ、と曖昧に頷く刹那。
 そして俺を恨めしげに見る4人の視線はスルーしてカウンターに引っ込んだ。
 さて、それじゃあ今度こそ夕食の仕込みを始めないとな。
 業務用の冷蔵庫から生野菜を取り出し、水洗いの後に適度なサイズに刻んでいく。
 あとはそれを皿に飾り付けてラップをかけておけば、付け合せのサラダの完成だ。
 完成したそれを冷蔵庫に入れておく。
 
「あとは……っと」
 
 ご飯は炊いてあるし、料理に使う肉や魚も準備は済んである。
 調味料も減ってきてはいるが今日一日だったら十分間に合うし、注文も午前中にしておいたから問題ない。
 
「あ、そうだ」
 
 考えてみればショートケーキが足りないか。
 アスナ達に提供する分を考えると、数がかなり心もとない事になる。
 
「今から作り始めて……間に合うか?」
 
 夕飯までの時間を考えると微妙だ。注文もあるからケーキだけにかかりきりになるわけにはいかない。スポンジの元になる生地は完成しているが粗熱を取っている時間を計算に入れると6時くらいか……。
 
「ま、時間内に出来なかったらお土産としてエヴァ達に持って帰るか」
 
 結局、エヴァのヤツ帰っちまったしなあ。少しでも機嫌を取れる材料を用意していってもいいか。
 そう結論付けて早速取り掛かる。
 俺はケーキの制作に専念して、アスナ達は勉強に集中しているように見える。
 そうやってどれくらいの時間が経過しただろうか? そんなにたっていないとは思うがチリンという音が聞こえた。
 
「いらっしゃいませー」
 
 オーブンに入れたスポンジから目を放し、来店したお客さんを出迎える。
 
「こんにちは衛宮さん。今日はまだショートケーキ残っていますかしら———と、あら? アナタ達何をなさってるんですの?」
 
 お客さんは雪広さんだった。
 彼女は後ろに友達を連れていて、アスナ達を見て目を丸くしていた。
 
「何って……見てわかんないの? 勉強よ勉強」
 
 集中を中断されてか、少し不機嫌そうにアスナが返事を返していた。
 
「あら珍しい。アスナさんがお勉強なんてどういう風の吹き回しかしら?」
「私だって勉強くらいするわよっ。それよりなによ? まさか邪魔しに来たって言うんじゃないでしょうね」
「まさか。私はそこまで暇ではありませんわ。今日はちづるさんと夏美さんにここのケーキをご紹介しようと思ってただけですわ」
 
 むむ、ケーキをご所望だったか……。
 けど。
 
「あー……それなんだけどな雪広さん。ショートケーキは残り二つしかないんだ。今作ってるから出来るのは6時位になるけどけど……どうする?」
「あら、そうでしたか。それでしたら私たちもここで夕食としましょうか? いかがです?」
「私はかまわないわよ、あやか」
「私もいいよ、いいんちょ」
 
 雪広さん達はそう言うとアスナ達の席の近くに腰掛けた。
 
「ちょ……なによ。席こんなに空いてるんだから別の場所に座れば良いじゃない。私たち、見ての通り勉強してるんだけど」
「だからです。見たところ宮崎さんと木乃香さんが教えてらっしゃるようですけどそれでは人手が足りないでしょう? 私も手伝いますわ」
 
 「いらないわよー!」、「いいからお座りなさい!」と言い合って雪広さん達はアスナの座る席に強引に腰掛けた。ぎゃいぎゃい言いながらも雪広さんはアスナに参考書らしき物を見せ、アスナはブツブツ言いながらも大人しく習っている。
 いやまあ、なんとも仲の良いことで……。
 
「おーい、雪広さん。何飲むー?」
 
 カウンターの中から声をかける。
 すると雪広さんは顎に人差し指を当てて、「んー……」と何かを考えるような仕草をした。その様子が普段大人っぽい雪広さんを幼く見せて妙に可愛らしい。
 そして、面白いことを思いついたかのように両手を胸の前でポン、と合わせると言った。
 
「衛宮さんにお任せいたしますわ。そうですわね……私に合うお茶を出してくださる?」
「……む。なかなか難しい問題だな。ポットで?」
「ええ。お願い致しますわ」
 
 了解、と答えると雪広さんは微笑んで勉強を再開した。
 さて、これは中々の難題だ。雪広さんは紅茶に結構詳しいらしく飲めば銘柄まで当ててしまうのだ。そんな彼女に下手な物は出せない……そもそも雪広さんに合う紅茶ってなんだ?
 むむむ、と唸って、茶葉がズラリと並ぶ棚の前で腕組して考える。
 左端から順に眺めていって、ソレに雪広さんのイメージを重ねていく。
 
「んー……」
 
 ルフナはなんか違うしラプサンスーチョンってイメージじゃない、むしろ逆って感じがする。カルチェラタンは……近いけど雪広さんはラベンダーっていうよりもっと華があるイメージだ。そうなると……。
 
「———これかな」
 
 棚から一つの茶葉が入った容器を手に取る。そしてもう一度雪広さんを見てイメージを重ねてみる。
 ……まあ、俺にしては悪くない……よな?
 心の中で一人頷いて人数分の茶葉を取り分ける。
 ———さて、気に入ってくれるかどうかは出してからでないと分からないが……ま、やってみるとしよう。
 
 
 
「———お待たせ」
 
 ポットと三人分のカップをトレイに載せて運ぶ。大丈夫だと思うが、内心では結構いっぱいいっぱいである。そもそも俺に女の子に合う紅茶とか選ばせるのはハードルが高すぎるのだ。なので今の俺にできる最上級の判断が———コレだ。
 
「ありがとうございます……あら?」
 
 雪広さんは俺がテーブルの上に紅茶の入ったポットを置くと、登り立つ香りに鼻を鳴らした。そして、カップが置かれるのと同時に早速ポットから注いで口に含み、舌の上で転がして味を確かめている。

「—————————」
「どう……かな?」
 
 無言で目を閉じている雪広さんに不安を覚えて、思わず聞いてみる。
 もしかして気に入らなかったのだろうか?
 俺は固唾を飲んで雪広さんの反応を待つ。
 薄く閉じられていた雪広さんの横顔は美しい絵画の様でもあった。
 その瞳がゆっくりと開かれて、
 
「…………大変素晴らしいですわ、衛宮さん」
 
 にっこりと微笑んだ。
 
「はあー……」
 
 肺に溜まった空気を吐き出す。
 いや、心臓に悪いぞホント。間を持たせすぎだ。
 雪広さん自身が故意にやったかは判断が付け難い所だが、どちらにしても気をもんだのは確かな事だ。
 
「や、良かった良かった。これでダメ出しされてたら雪広さんに出せる紅茶を選ぶ自信が無かった」
「ご謙遜を。そもそもどのような紅茶を出されたとしても衛宮さんのような美味しい紅茶を淹れる御方に出す苦言など始めから持ち合わせていませんわ」
 
 そう言って上機嫌でカップを傾ける雪広さん。
 俺はその姿に胸を撫で下ろし、カウンターに引っ込むべくして踵を返そうとして、
 
「あ、お待ちになって衛宮さん」
 
 呼び止められた。
 
「ん? どうかしたか?」
「一つお聞きしたいのですが……どうしてこの茶葉を選んだのですか?」
 
 小首を可愛らしく傾けながら聞いてくる雪広さん。
 ……いや参ったな。俺としてはこんな事を言うのはガラじゃないんだが。
 
「……まあ、その……雪広さんのイメージがその茶葉にぴったりだったから……」
「———まあ、お上手ですこと」
 
 ぶっきら棒に言う俺が可笑しかったのか、雪広さんが口元を手で隠しながらクスクスと笑った。
 
「…………〜〜〜っ」
 
 俺はどうにも居心地が悪くなって、若干早足でカウンターの中に引っ込んだ。
 そのまま何とも言えない照れくさい感情のままで生クリームの作成を始める。
 
「……ったく、やっぱり慣れない事はするモンじゃないな。なんの罰ゲームだよ、これ」
 
 生クリームをガシャガシャと掻き混ぜながら一人で愚痴る。
 ……ちなみに雪広さんに出した紅茶の茶葉の銘柄はディンブラ。花のような、それもバラのような香りがする事で有名な茶葉だった。
 詰まる話、俺は雪広さんをバラの花のような子だと言ったも同然なのであった。
 
「バラみたいな子だって……バカか俺は。キザったらしいにも程があるだろうが」
 
 思い返してみても恥ずかしくなるような歯が浮く台詞だ。身体が痒くなるような事を自分で言ってりゃ世話ないって話である。
 そんな訳で一人羞恥プレイを敢行した俺は、やり場の無い気恥ずかしさを生クリームにぶつけるのであった。
 ガチャガチャと生クリームに気恥ずかしさを混ぜ込むかのごとくかき回す。
 その途中で焼き上がったスポンジ生地をオーブンから取り出し、ケーキクーラーの上に乗せて冷まして置く。こうしないと生クリームを縫った時にスポンジの熱で生クリームが溶けてべちゃべちゃになってしまうのだ。
 冷蔵庫にマグネットで貼り付けられたタイマーをセットして……これでよしっと。
 と、そんな時だった。
 
「やっほー衛宮さん。修学旅行の約束どおりご飯をたかりに……もとい遊びに来ましたよー! いやー、アキラが一人で来るのは恥ずかしいって聞かなくて……って、ありゃ? 何やってんの? 皆して」
「ちょ、ちょっとユーナ……そんなに引っ張らないで。私自分で歩けるから……」
「離したらアカンよー。そんな事言うて手離したらい〜っつもアキラ逃げるんやからぁ」
  
 バッターンと、元気良く開け放たれたドアから登場したのは、のっけからテンションの高い明石さんと、その明石さんに手を引かれた大河さん、更にはその背を押す和泉さんの三人だった。
 
「おう、いらっしゃい。あいつ等はなんか勉強会だってさ」
「おお! 勉強会!」
 
 大袈裟に驚く明石さん。相も変わらずリアクションの大きい女の子である。
 そしてその背後では大河内さんが助けを乞う様な瞳で俺を見ていたが、俺と目が合った瞬間、真っ赤になって視線を逸らされてしまう。
 むう……最近、大河内さんとは良好なコミュニケーションを取れていると思っていたんだがまだまだ甘いらしい。視線が合っただけで逸らされるとは思わなかった。
 
「むむむ、私達を差し置いてそんな面白イベントを開催するなんて……」
「や、だから勉強会だってば」
 
 明石さんがなにやら勉強会に対する変な感想を持っているようなので一応訂正をしてみたが、多分聞こえちゃいない。
 すると明石さんは突然クワッ、と目を見開き言った。
 
「———許せんっ!」
「…………いやいやいやいやいや」
 
 勉強会することが許せないのか?
 スゲエな、勉強するだけで周りの許可がいるとは初耳だ。……これがゆとり教育ってヤツか? まあ絶対違うんだろうけど。
 
「コーラーッ! そんな楽しそうな事やるんなら私達にも一声かけなさいってのー!」
「……え、あ、ちょ……ゆーなぁ!? 元々ここに来た理由忘れて何処行くんやー!?」
「……え? え……え?」
 
 雄叫びを上げてアスナ達の勉強会に突撃する明石さん。
 そんな明石さんの後を追って走り去る和泉さん。
 そして。
 
「………………」
「………………」
 
 置いてけぼりの状態で放心している大河内さんと、急展開にまるで付いていけない俺だけが残されてしまう。
 
「………………」
「………………」
 
 さて。
 取り合えずこうしてお互いに黙り込んでいても始まらない。
 まずは意思疎通から始めるとしよう。人間は対話から始まる生き物である。
 
「えっと……改めて、いらっしゃい」
「はあ……いらっしゃいました」
 
 大河内さんが何処となく気の抜けた返事をする。まだ急展開に思考が追いついてないらしい。
 はて、そんなに置いてけぼりになったのがこたえたのだろうか? 俺の勝手な私見だが、何やら思考を放棄しているように見えなくも無い。
 
「取り合えず座ったらどうだ? 場所はあの子達と同じでも良いしカウンター席でも何処でもいいぞ」
「……え、あ……じゃあカウンター席で……」
 
 大河内さんは力なくそう答えると、フラフラした足取りでカウンター席にポスンと腰掛けた。
 どうやら無意識で答えてるようで、俺の質問には答えるものの声に覇気が感じられない。
 おいおい……本当に大丈夫かよ。
 
「ほらお冷。これでも飲んでしっかりしろって」
「……はあ」
 
 俺がお冷を手渡すと、大河内さんは素直に俺の指示に従ってソレを一気に飲み干した。
 
「…………ふう」
 
 グラスの中に入った氷がカラン、と鳴って溜息一つ。
 それで漸く俺に視点が定まってくる。
 
「………………」
 
 俺を見て瞬きを一回、二回、三回パチクリ。
 
「……………………………」
 
 最後にもう一回パチクリ。
 で。
 
「——————え、衛宮……さん?」
「おう、衛宮さんだぞ」
 
 俺の顔を確認してそんな事を言った。
 つーか、その段階から認識してなかったのかよ……。
 
「……え、うそ、私なんで……あれ? 皆は」
「ん、明石さん達だったら……ほら、あそこ」
 
 俺がそうやって明石さん達のいる勉強会会場を指差すと、大河内さんはその指の指し示す方を目で追った。
 そこはすでに新たなストレンジャーの登場によって勉強会という名目で集まったお喋り会に成り果てていたが……。
 ああもう……折角勉強再開したと思ったのに。
 
「まあ仕方ないか。それより注文何にする?」
「———へ!? あ、ああ……それじゃあコレを……」
 
 俺が注文を聞くと、大河内さんは少し慌てながらメニューの一つを指差しながら言った。
 ふむ。100%オレンジジュースね。
 
「了解。ちょっと待っててな」
 
 そう言いながら傍らにあるグラスに氷を入れる。オレンジジュースは予め絞って出来上がっているので、後は注ぐだけなので一瞬で完成した。
 
「はい、オレンジジュース」
「あ、ありがとうございます……」
 
 大河内さんは目の前に置かれたオレンジジュースを目で追いながらも、早速ストローを差し込んで飲み始めた。
 
「にしても、漸く来てくれたな。なかなか来てくれなかったから忘れられたのかと思って心配だったんだ」
「い、いえ……忘れてなんかは無いですけど……その、恥ずかしくて……」
「? ……ふーん」
 
 大河内さんはゴニョゴニョと語尾を濁しながら言う。
 何が恥ずかしいかは良く分からないけど取り合えず頷いておく。年頃の女の子が恥ずかしがるような事を聞き出すほど俺だって野暮じゃない。
 
「———そ、それより! 本当に奢ってもらって良かったんですか? 私はお金を払っても全然良いんですけど……」
 
 む、なにを言いますか。
 男たる者、一度言葉にしたら撤回はしないのですよ?
 
「いいんだって。俺が好きでやってる事だから大河内さんは気に病まないで楽しんでいってくれ」
「……は、はあ」
 
 大河内さんが曖昧に頷く。
 むう、こういう時は気楽に受け取ってもらえた方がこっちとしても嬉しいんだが……まあいいか。
 と、そんな丁度切りの良いタイミングでセットしておいたタイマーの電子音が聞こえた。どうやらスポンジも完成したらしい。
 
「そんじゃ俺はケーキ作りに戻るけどゆっくりしててくれ」
「……ありがとうございます」
 
 俺がそう言うと大河内さんは嬉しそうに微笑んだ。
 うん、結果的にだけど喜んでくれたみたいで良かった。
 さてさて、それじゃあ俺はケーキを完成させてしまおう。
 粗熱を取り終わったスポンジと共に、冷蔵庫から苺を取り出す。
 苺は水洗いした後に適度なサイズにスライス。合わせてスポンジも崩れないように気をつけながら横からナイフを入れて二つに分けた。
 その上に、刷毛でオレンジリキュールを塗ってから、先程から掻き混ぜていた生クリームをたっぷりと載せてヘラで平らにならしていく。同じ事を切り分けた方にも。
 そして遂に苺の投入です。
 もう、これでもかって位大量に散らしていく。
 下の生クリームが見えなくなるくらいに苺を載せたら上下に切り分けたスポンジを再びドッキング。
 さて、ここからは飾り付けだ。重ねたスポンジの回りを生クリームでコーティングして行く。
 専用のナイフを使ってムラが出来ないようにクルクルと回しながら飾り付けていくと、スポンジが雪化粧したように真っ白になった。
 と、そこまで完成したときだった。
 
「…………上手ですね」
「———ん?」
 
 そんな声に、ケーキ作りに集中していた意識をあげると、大河内さんが心底感心したようにケーキを見ていた。
 
「そうか? まあ慣れっていうのもあるけど。それでもやっぱり俺が作ると飾り付けがイマイチできなくて華が無いようにみえちまうんだけどな」
 
 自分としてはもっとデコレーションに拘りたい所だがこれがまた難しい。桜あたりだったらこういうのが得意そうだけど俺にはどうも向かないというか、その方面でのセンスがないというか。
 
「……いえ、そんなことは無いです。私はそういったシンプルな飾りの方が好きですから」
「そっか。そりゃ良かった」
 
 そんな大河内さんの賛辞。
 確かにシンプルって言えばこれ以上にシンプルな飾りは無いだろう。なんと言っても絞り袋を使わないでナイフだけで表面を綺麗にならしてその上に苺を飾っただけなのだ。
 そんなんでも気に入ってくれると言う大河内さんの言葉に嬉しくなっても仕方のない事だろう。
 
「大河内さんは料理とかやるのか?」
「わ、私……ですか? いえ、やるってほどじゃ……出来ても簡単な料理くらいしか」
「そっか。寮だと料理とか出来ないのか?」
「一応部屋にも簡単なキッチンはありますけど……」
 
 ああ、それもそうか。そういえばこのかだって料理作ってるって言うんだからそのくらいの設備はあるのか……何気にスゲェよな、寮の部屋にキッチンあるって。
 
「……それに私の場合は部活とかもあるからあまり作ってる時間が無くて」
「へー、部活。何部に入ってるんだ? やっぱりバスケ部とかバレー部か?」
 
 背も高くて何となく運動神経も良い様に見える大河内さん。さぞかし活躍している事だろう。
 
「あ、いえ。私は水泳部で……」
「水泳部か」
 
 なるほど。
 予想は外れたがスラリとした彼女にはぴったりなイメージだ。しなやかな様で泳ぐ大河内さんはさぞかし美しい事だろう。
 
「そういえば衛宮さんはどうなんです?」
「———へ? 俺がって……何が?」
 
 突然の話の振りに思わず間の抜けた返事を返してしまう。
 はて、何の事だ?
 
「弓道部の事ですよ」
「———あー……」
 
 あー、はいはい。その話か。
 大河内さんに案内してもらった弓道部の事だ。
 でも”アレ”はなあ……。
 
「聞きましたよ? あの時の衛宮さんの弓を見てた弓道部の人が物凄く驚いて、是非とも指導してくれって言われたとか……」
 
 本当に凄かったですけど、と言って何故か頬を赤らめる大河内さん。
 何故その話で赤くなるのかは分からないから、取り合えず触れないで置く。
 
「や、確かに来たんだけどな、弓道部の人。……でも断った」
「なんでですか?」
「色々と理由はあるけど……弓道から長く離れてた俺が他人に教える訳にはいかないし、それにこの店の事もあるからな」
「ああ、なるほど」
 
 得心いったという風に頷く大河内さん。
 まあそれ以前に、俺のは魔術を応用してる為、邪道と言っても良いかもしれないから教える事が不可能だってこともあるんだけど。
 
「———って、きゃーー!?」
 
 と、なにやらアスナの悲鳴が聞こえた。
 何だと思いそちらの方向に目を向けてみると、勉強会をしていたテーブルで皆が慌てていた。
 良く見るとカップが倒れていたので、恐らくアスナが紅茶を零してしまったのだろう。
 
「ああもう、仕方ないヤツだな。悪い、大河内さん。ちょっと行って来るな」
「……あ、はい」
 
 大河内さんにそう断ってから布巾を持ってテーブルに駆け寄る。
 
「あ、ゴメン、シロ兄。紅茶零しちゃった」
 
 駆け寄る俺に気付くと、アスナが殊勝に謝ってくるのでそれに苦笑で返す。
 
「別に良いから謝るな。それより服とかには零して火傷してないか?」
 
 持って来た布巾でテーブルを拭きながら確認する。
 もしも火傷してしまったようなら直ぐに冷やさないといけないし、服にかかってたらすぐに洗濯しないとシミになってしまう。
 
「あ、それは大丈夫」
「そっか、それなら問題なしだな。……っと、良し。これで大丈夫だ」
 
 綺麗に拭き終わったテーブルを確認しながら頷く。
 
「今、代わりのカップ出すからちょっと付いて来てくれ」
「うん、ありがと、シロ兄」
 
 アスナの感謝の言葉に、あいよと気楽に答える。
 片手に倒れたカップを回収して、カウンターの中からアスナに新しいカップを手渡した。
 
「今度はあんまりはしゃぎ過ぎるなよ」
 
 手渡す際に軽く釘を刺しておく。
 別に零したら零したで構わないのだが、服とか筆記用具に零してしまうとマズイだろうし。
 
「う……了解、シロ兄」
 
 アスナはバツが悪いように顔を引きつかせながらカップを受け取ってテーブルに戻って行った。
 まあ、これで大人しくなるようなヤツではないと分かっているが、何も言わないよりはマシだろう。
 
「……さて、お待たせ大河内さん。何の話だっけ?」
 
 手を洗いながら大河内さんに話しかける。
 考えてみれば、会話の途中だったのだ。
 
「…………」
 
 が、大河内さんは何かに驚いたような顔をして俺を見ていた。
 
「えっと……大河内さん、どうかしたか?」
 
 思わず訪ねてみる。
 何をそんなに驚いていると言うのだろうか?
 
「……あ、いえ。少し驚いてしまって……」
 
 大河内さんはそう言うと、オレンジジュースをストローを口に咥えた。
 そしてなにやら考え込む仕草をして俺を見ながら、
 
「……あの、神楽坂とは親戚か何かなんですか?」
 
 と、言った。
 
「は?」
 
 はて、何をイキナリ言うんだろうか。
 無論、そんな驚きの新事実などありはしないし、そう見えることがあったとは思えない。
 が、大河内さんは俺のそんな考えを悟ったのか、付け加えるようにして言った。
 
「……その、今、神楽坂が衛宮さんのコトを『シロ兄』って……」
「ああ、それか」
 
 納得。
 考えて見れば、そういった呼ばれ方をするのは親類か何かだと思ってしまうのも無理はないだろう。
 俺も最近ではこの呼ばれ方に慣れてきて違和感がなかったが、事情を知らない人から見たらかなり奇妙に映るのだろう。
 
「俺とアスナはそんなんじゃないよ。アスナとはここに来てから知り合ったんだしな。だからその呼び方も単なるアダ名みたいなもんだ」
「……そう、なんですか? なんかソレにしては異様にぴったりって言うか、妙に違和感がないって言うか……」
 
 そう言うと大河内さんは首を傾げた。
 いやまあ、その呼び方に疑問を持たれても俺ではいかんともし難いのだが……俺自身、なんでそういった風に呼ばれたのかはイマイチ不明だし。

「……。あの、衛宮さんは妹さんや弟さんとかいらっしゃいますか?」
「妹や弟? 何でまた」
「あ、いえ、ただ……なんかそういうのが似合いそうだなって思って。それに兄弟がいるならそういう呼ばれ方に慣れてるんじゃないかと思いまして……」
「はあ……よく分からないけど……そうだな、とりあえず質問に答えると、いるぞ、妹が一人」
 
 思い浮かべるのはイリヤの事。
 例え血の繋がりが無くとも、俺達は兄妹。それは揺るぎのない事実だろう。
 
「あ、やっぱりいらっしゃるんですね。何かそう呼ばれるのに慣れていそうでしたから。お名前はなんていうんですか?」
「名前はイリヤ」
「いりや……さんですか。あの、どういった字を書くんですか?」
「どういう字って……ああ、そうか。イリヤは漢字じゃないんだ」
「……と、言いますと、カタカナですか」
「惜しいけどちょっと違う。日本で表記する時は合ってるかもしれないけどな。そうじゃなくてだな、イリヤの名前はドイツ語。フルネームでイリヤスフィール・フォン・アインツベルンっていうんだ」
「……え?」
 
 意味が分からないといった表情をする大河内さん。
 いや。確かに分からないよな、普通。
 
「……えっと、衛宮さんの妹さん……ですよね? それなのにその……イリヤスフィール何々って……」
「えっとな……イリヤはドイツ人なんだ。正確にはハーフなんだけど。親父が日本人で、母方の方がドイツ人。母方の姓なんだ、イリヤは」
「……それじゃあ衛宮さんもハーフ? あれ? でもそうなると何で名前が……」
 
 大河内さんが顎に手を当てて考え込む。
 確かに、兄妹って言っておきながら名字が違うどころか、国籍まで違ってたら混乱するのも無理はないだろう。
 でも、俺の場合はそんなに複雑なわけでもなく単純だ。
 だから俺は、特に自分の発言の意味を意識もせずに言った。
 
「ああ、俺、養子だから。俺は親父の名字を貰ったんだ」
「——————え?」
 
 俺の答えに大河内さんが一瞬固まってしまう。
 
「……っ! ご、ごめんなさい! 私、無神経にこんな事聞いてしまって……!」
 
 そして次の瞬間にはワタワタと謝られてしまった。
 ……いや、まあ。
 俺自身、何も気にしてないし、むしろ言ったのは俺なんだから謝られても対応に困るんだが……。
 だがしかし、この場合は俺の配慮が足りなかったんだろう。
 確かに他人からそういった微妙な身内話とか聞かされてもどういった反応を示して良いか分からないものなのだろうし。
 
「あー……スマン。こんな事話しても大河内さんには迷惑だよな」
「……え、衛宮さんが謝らないで下さい。問いただしたのは私の方なんですから。……その、すいませんでした……」
 
 大河内さんはそれっきり俯いてしまった。
 俺も何と返事していいか分からず、何となくケーキ作りを再開したのだが……。
 
「…………」
「…………」
 
 ———気まずい。
 大河内さんの背後からは、アスナたちの楽しそうな話し声が聞こえてくるものだから、こっちが無言でいるのが余計に気まずく感じてしまう。
 だが一体どうしたものか。
 これ以上言葉を重ねたとしても、大河内さんはきっと恐縮してしまうだけだろうし、そもそも俺にそんな細かいフォローができるとは思えない。
 ……自分で言ってて若干情けなくはなるが。
 
「…………うーん」
 
 手を動かしながら唸る。
 だからと言って妙案が思い浮かぶという訳ではないのだが。
 
「…………って、ん?」
 
 と。
 そこで思いついた。
 そうだ。詰まる話、お互いに話題が無いのがいけないのだ。
 だったら、
 
「———なあ、大河内さん」
「……は、はい。なんですか?」
 
 俺の呼びかけに大河内さんが顔を上げた。
 そして、
 
「——————ケーキ、作ってみるか?」
「………………は?」
 
 俺の言葉に口を丸くして答えたのだった。
 
 
 
 ◆◇—————————◇◆
 
 
 
 
「———うん、そうそう。あんまり力は入れないでナイフを寝かせる感じで……」
「……は、はい」
 
 ………………えっと。
 何なんだろう、この状況は?
 私は何故かエプロンを着てカウンターの中に入り、衛宮さんの隣に並んでいた。
 
「…………」
 
 もう一回言おう。
 何なんだろう、この状況は?
 いや、確かに気まずくはあった。
 私がそうとも知らずに衛宮さんのデリケートな所に触れてしまったのが確かに心苦しくはあったんだけど……。
 
 ———私、なんでケーキ作ってるんだろうか。
 
 恐らく自己嫌悪で俯いていた私を衛宮さんが気遣ってくれたんだろうけど……どう考えても、ソレとケーキ作りが結びつかないのは私だけなのだろうかと首を捻る。
 けど既に状況は決定している。
 私はケーキ用のナイフを右手に持って生クリームをスポンジに塗りつけているんだから。
 けどこれがまた、
 
「……む、難しい」
 
 予想以上に難しい。
 確かに簡単だとは思ってなかったのだけど、目の前で衛宮さんが慣れた手付きで作業をしているのを見ていたので尚更だ。
 生クリームを均等に、ソレでいて波打たないように滑らかに塗るのは想像以上に集中力がいる。
 
「まあ、そんなモンだろ。誰だって最初から上手くなんて出来ないもんだ」
「……そ、そうですか」
 
 そう答えながら手元に意識を集中する。
 少しでも手元が狂うだけで生クリームが波立ってしまうのだ。これは余計な事を考えてる余裕がない。
 
「…………」
 
 チラリと、横目で隣に並んで作業している衛宮さんが作っている、もう一つのケーキを見る。
 ……凄い、としか表現が出来ない。
 まるで、機械で作業しているんじゃないかと思ってしまうぐらい、正確無比に整えられた表面が衛宮さんの技術の高さを物語っている。
 それに対して自分の作の出来栄えは、とてもじゃないが比較の対象にもならない。
 と、そんな風に余所見をしたのがいけなかったのだろう。
 
「———あ」
 
 手元がかすかに狂って、生クリームが波立ってしまった。
 それは微かなものだったが、全体を見ればその部分だけがどうしても目立ってしまう。
 
「……失敗した」
 
 今まで比較的上手くいっていたのにここに来てミスをしてしまった。
 
「ん、どれどれ……? ああ、大丈夫。コレ位なら何とかなる」
 
 私の隣で作業をしていた衛宮さんが、私の声が聞こえたのかそんな事を言う。
 そして、目の前のケーキに集中していた視界の中に、にゅっと、手が伸びてきた。
 
 
 ………………………………………ってぇええ!!?
 
 
「いいか? こういう時はだな……」
「——————っ!」
 
 きゃー! きゃー! わーわーーッ!!
 近い近い近い近いーーーーッ!? 衛宮さんすっごく近いですよーー!?
 
「……ん? なんか手先が震えてるな……少し力み過ぎだぞ? もっとリラックスした状態で……」
 
 ———リラックスなんて出来ません!
 思わずそう叫びそうになるがギリギリの所で飲み込んだ。
 衛宮さんは私より若干だが背が低く、更にケーキに集中しているせいで少しだけ頭を下げた状態なので私の顔は視界に入っていないのだろう。
 もしくは私に教える事に集中しているせいで気が付かないのかもしれないが……。
 
 ——————衛宮さんの横顔が本当に目と鼻の先にある。
 
 息をすれば間違いなくかかってしまう距離。
 そんな距離に思わず呼吸を抑えてしまう。
 漂ってくる花のような甘い香りはシャンプーの香りだろうか。
 かすかに少年の面影を残した顔が真剣な表情を作っている。
 少し視線を下げれば、捲り上げられた腕が見える。女の私とは明らかに違う筋肉質で、鍛えられているのが良く分かる。
 ……顔が熱い。
 ああ、ダメだ。なんか凄くクラクラして頭がボーッとする……。
 周りの音が聞こえない。
 心臓が耳にもあるんじゃないかと思ってしまうぐらい、ドキドキうるさい。
 
「—————————」
「………………」
 
 衛宮さんが何かを一生懸命説明しているのだがソレも聞こえない。
 私はただ、熱に浮かされたように目の前にある衛宮さんの顔から視線を外せないでいる。
 ともすれば、荒くなりそうになる呼吸を必死に抑え込んでは胸が締め付けられる。
 顔を離せば良いのだろうけど、何故かソレが出来ない自分がいた。
 
「…………………」
 
 それどころか、もっと衛宮さんに近づきたいなんて……そんな事を熱に浮かされた頭は考えてしまう。
 いけないと、そう何処かで考えていながらもボーッとした頭では上手く制御できない。
 そんなアベコベなことを考えながらも何故か衛宮さんの横顔が段々と視界一杯に広がっていく。
 高鳴る心臓は留まる事を知らず、胸は痛いくらいキュンキュンと締め付けられる。
 
「……………衛———宮、さん……」
 
 その横顔が私の視界を埋め尽くす。
 ……その寸前。
 
 
「———くぅぉぉおおおおら士郎おおおおーーー!!! 飯だ飯だ飯いいぃぃーーっっ! そして貴様等は人の店でいつまで騒いどるかあーーー!!」
 
 
 バッターーン! と。
 それこそ、蹴破るような勢いで扉が開かれた。
 
「——————っ!!」
 
 私はその音で夢から覚めるように我に返った。
 ……わ、私は今一体何をしようとしていたんだ!?
 
「エヴァ!? おまっ、何ドア蹴破って……って、ぎゃーー!? お前、何取っ手ぶち壊してんだーー!? それと一応ここは俺の店だろ!」
「否! 確かに店長はお前だがオーナーは私だ!」
「なにその新事実!? 俺、初耳なんだけど!?」
「ふはははははは! お前の物は私の物、私の物はお前の物だ!」
「なんかさらりと良い事言われた!?」
 
 表れたのは同じクラスのエヴァンジェリンだった。
 衛宮さんはそのエヴァンジェリンの元に「何やってんだー!?」と、叫びながら走って行ってしまう。
 けれども私はその場から動けなかった。
 自分の行動が理解できず。
 自分の思考が理解できず。
 そっと、唇に手を当ててみる。
 衛宮さんに触れて……はなかった筈だ。
 それはそうだ。イキナリそんな事をされてたら衛宮さんだって迷惑だろう。
 
「…………でも」
 
 それでも、考えてしまうんだ。
 もしも。
 もしもあのまま、この唇が衛宮さんに触れていたならば。
 私は一体どうなったのだろう?
 そして……衛宮さんはどう思うのだろう?
 目の前で騒がしく言い合う衛宮さんとエヴァンジェリンの二人を見ながら、私はそんな『IF』を考えてしまうのだった。
 
 
 
 



[32471] 第39話  紅い背中
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 22:28

 
 
「———いけない、少し遅くなってしまったか」
 
 世界が夕暮れ色に染まる中、私は肩に掛けた夕凪の入った袋を背負い直しながら、そう呟いた。
 普段であれば、既に帰宅の徒に着いている時間なのだが、今日は日直の仕事を片付けていたら思ったより遅くなってしまったのだ。
 お嬢様は大分前にアスナさんと帰っている。
 去り際に、士郎さんの所へ寄って帰ると仰っていたので、恐らくお店にいる事だろう。
 お嬢様の最近のお気の入りは、アイスレモンティーだとか。
 近頃は夏が近いせいか、気温もグングン上昇しているので、温かいモノより冷たいモノの方が美味しくなってきたと、いつものように微笑みながら仰っていたのを思い出す。
 私の近頃のこの時間帯の日課は、アスナさんとの剣の鍛錬だ。
 最初の頃の方こそぎこちなかったが、元々のセンスが良いのか、驚くようなスピードで日々成長している。
 京都での事件の折に、その身体能力の高さは知っていたが、こうも短期間で目に見えて成長していく様子を間近で見ているのは恐ろしくもある。今はまだ自分に合った戦闘スタイルを模索しているようだが、ソレさえ見つけてしまえば、更に成長するスピードが上がるのではないかと私は踏んでいる。
 そういえばつい先日、修行の最中にアスナさんがおもむろに、「二刀流を試してみたい!」と言い出した。
 理由を尋ねてみたのだが、アスナさんは照れたように頬を指で掻きながら、「ん〜、ちょっとね〜」と、言葉を濁すだけで答えてはくれなかった。
 ……だけどまあ、ほぼ間違いなく士郎さんの影響だというのはバレバレだったのだが。
 確かに二刀流というのは見栄えがして派手に見えるので、剣道などを初めてやる人間は憧れを抱くのも頷けるものだ。
 更にアスナさんの場合は、兄と慕う士郎さんが二刀使いなのも手伝って、その憧れは人一倍強いのだろう。
 だが、しかし。
 現実は幾らなんでもそこまで甘くなかったようだ。
 実際に二刀を持ってソレを振ってみたアスナさんではあったが、あっと言う間にバランスを崩してしまい、何度も転倒を繰り返していた。
 これはアスナさんが初心者だからと言うだけではなく、実際問題として、二刀を扱うというのは非常に難しいのだ。
 通常ならば両手で振るう刀剣類を片手で扱わなければならないのだから、慣れない人間は当然こうなってしまう。
 想像しづらければ、両手に長柄の竹箒を持って振り回す所を想像してみて欲しい。
 一本の竹箒を両手で振り下ろすことは、まあ簡単だろう。
 だがソレを片手で行ったらどうだろうか? ほとんどの人間は振り下ろした後にピタリと止める事は難しいだろう。中には数回ならばまともに振れる人間もいるだろうがそれを本気で、しかも両手に持って振り回す事は至難の技だと理解できるだろうと思う。
 しばらくそうやって二刀を試していたアスナさんだったが、一時間ほどして。
 
「……シロ兄、良くこんなの出来るわね」
 
 と、泥だらけになった難しい顔をして唸っていた。
 そもそも二刀というものは、あくまでも一刀の延長線上にある物であって、決して別物ではないのだ。事実として、その二刀を扱っている士郎さん自身も二刀以外は扱えなく、一刀は扱えないと言う事は決してない。
 ———むしろ、士郎さんは一刀であっても十二分に強い。
 修練の際、私の相手をなさる時には大抵竹刀を一本しか使用しないのだが、それでも私の技量の遥か上をいく。確かに二刀を扱う際の『円』を主とした、流れるような動きはそのままなのだが、それでもソレはあくまで一刀を扱う動きの延長線上なのだ。
 特に士郎さんの場合はその土台となる基礎のレベルが高いのだ。普通ならば次の段階に進んでも可笑しくない位階に達している筈なのに、それでもひたすら基礎を繰り返し鍛え続けたような、そんなある種異常とも言えるようなまでの基礎能力の高さがそのまま応用力に繋がっているのだ。
 その事をアスナさんに伝えると。
 
「うーん、やっぱシロ兄はすごい……って事なのかしら?」
 
 そんな風に言いながら笑っていた。
 それでも両手に竹刀を持って、名残惜しそうにブラブラさせていた所を見る限り、未練が残っているのが分かりすぎて思わず笑ってしまったものだが。
 
「———っと、もうここまで来ていたか」
 
 考え事をしながら歩いていたら、思いのほか早く士郎さんのお店の近くの商店街まで来ていたようだ。ここまで来ればゆっくり歩いても10分もかからない。
 夕食の時間も間近なので人通りも多く、活気に満ち溢れている町並みが、夕暮れの光を浴びてオレンジ色に染まっている。
 麻帆良学園特有の欧風な町並みと、夕暮れの幻想的な雰囲気が混じった景色はまるで御伽噺のよう。
 そんな光景に自然と笑みがこぼれる。 
 落ちる夕日。
 暮れ行く町並み。
 黒とオレンジに染められる風景。
 頬を撫でるのは夏の匂いを感じさせる爽やかな風。
 通りを楽しそうに歩く学生達。
 大きな笑い声を上げて駆け回る子供達。
 鉄が錆びたような髪の色をした、ヨタヨタと歩く葡萄のような男性。
 
「……………………ん?」
 
 はて、今なにやらおかしなモノが映ったような?
 ……私、疲れているのだろうか。睡眠時間はキッチリ取っている筈なのに。
 目頭の辺りを軽くグッグッとマッサージしてからもう一度確認してみる。
 するとそこには……。
 
「…………」
 
 なんと言うか、葡萄のような男性と言うか、葡萄のような私の師と言うか。
 鉄が錆びたような赤い髪。上質な布で仕立てられたベストにスラックス。真っ白なウィングカラーのシャツ。胸元には大きな赤い宝石をあしらった紐ネクタイが輝いている。
 ———詰まる話、葡萄みたいな士郎さんが居た。
 
「……し、士郎さん。何をしていらっしゃるのですか?」
 
 思わず恐る恐る声を掛ける私。
 ———いや、私自身、何を恐れているのか知らないが。
 
「ん? お、おう、刹那。お帰り、今帰りか?」
 
 そんな私の声が届いたのか、こちらを振り返りながら、そうやって答える士郎さん。
 
「は、はぁ、只今帰りました。……それより士郎さん、一体何事ですか『ソレ』は」
 
 そう言いながらも目を向けるのは、葡萄の実……もとい、買い物袋の山。
 そう、葡萄のように見えた物体は、士郎さんの両手に山のように抱えられた、大量の買い物袋だったのだ。
 
「あ、ああ、コレか? いや、さっき店で使うレモンが無くなったから八百屋にちょっと買出しに来たんだけどな。このか達も待ってるからさっさと買って帰ろうと思ったら、なんか店の親父さんが困った顔しててさ……どうしたんだと聞いて見たら、なんでも年

代物のレジが壊れたって言うんだ。んで、ちょっと見せてもらったら簡単に直りそうだったから直したら……」
 
 士郎さんはそこまで話すと、ため息を吐きながら背後を振り返った。
 その視線の先には、程よく日に焼けた中年の男性が一人。前掛けをしているところを見ると、士郎さんの話の八百屋さんなのだろう。
 その男性はこちらに気がつくと、満面の笑顔を浮かべて大きく手を振っていた。
 
「……お礼にって言ってこうなってしまった訳だ」
 
 士郎さんはそう言うと、もう一度大きくため息を吐いた。
 
「成る程、話は分かりましたが随分と沢山頂きましたね。ええ、本当に沢山」
 
 私の言葉には賞賛半分、呆れ半分が含まれている事だろう。
 賞賛は士郎さんの行為に。
 呆れは幾らなんでもやり過ぎな八百屋の店主に。
 
「そうは言うけどな刹那、最初はコレの半分もなかったんだぞ」
「……では何故このような状況に?」
 
 いえ、半分でもかなりの量があるのには変わらないんですけどね?
 
「俺自身、お礼が欲しくてやったわけじゃないし、本当に簡単に直せそうだから直したんだ。だからお礼なんて貰うわけにはいかないって言ったら、いきなり『気に入った!』って言われてな、大量に袋を追加されて、後はなし崩し……俺が一回断るごとに袋が追加、最終的には袋全部置いていくって言ったら、『そんなことしたら店の商品全部送りつけてやるからな!』って脅されて致し方なく……って待て、なんで俺は脅されてんだ!?」
 
 わけわかんねェー! と頭を抱えて叫ぶ士郎さん。
 士郎さん、その状態で頭を抱えると袋の中身が零れます。溢れます。大量の袋がワサワサ揺れてます。
 しかしまあ。
 士郎さんらしいと言えば、士郎さんらしい話だ。
 士郎さんは学園広域指導員という立場からか、学園内外問わずに人助けや手伝いをしている事が多い。
 そのことに対して何も感じない輩も大勢いるが、中にはこうして礼をきちんと表わしたいという人もいるのだ。
 それでも普段は受け取ったりはしないのだが、今回は強引に押し切られてしまったようだ。
 これもある意味の因果応報と言うべきなのだろう。普通なら悪い行いに対して悪い出来事が返って来るというものなのだろうが、士郎さんの場合は、善い行いに対して今までそのツケを受け取らなかった分、こうやって善行で返って来たと言う事なのだろう。うん。
 ———まあ、当の本人はなにやら頭を抱えているようなのだが。
 
「し、しかし士郎さん。こうして頂いてしまったのですから、もう観念して納めてしまった方がよろしいのではないですか?」
「……まあ、それもそうだな。———つーか、コレ返しに行ったら今度は何追加されるかわかったもんじゃない」
「は、ははは……」
 
 ガクリ、とうな垂れる士郎さんに私としてはもう笑うしかない。
 しかし、本当によくもまあここまで大量に持たせたものだ。
 ざっと見た限り、片手に7、8袋。更には取っ手の所を結んで、ソレをたすきの様に首から掛けているのが2袋。
 まさに葡萄状態だ。
 
「士郎さん、私もお手伝いします」
「……悪いけど頼む。いつもだったら女の子に荷物持ってもらうなんて事はしないんだけど、今回ばかりは限度を超えている」
 
 それはそうでしょう。少なくとも私は買い物袋を首からかけている様な人を見た事をありませんから。
 と、私はそんな事を考えながら士郎さんの首にかかった買い物袋を二つ受け取る。
 袋の中身を覗いて見ると、レモンやオレンジといった果物がぎっしりと詰まっていた。恐らく、士郎さんが持っている袋の中身も似たような物なのだろう。
 
「もう帰っても大丈夫なのですか?」
「ああ、このか達も店で待ってるからな。さっさと帰るか」
 
 士郎さんがそう言ってスタスタと歩き出したので私もその三歩後に続く。
 
「お嬢様はお店の方に?」
「ああ、今頃はなかなか帰ってこないから心配してるかもな」
「そうですか。でしたら急がないといけませんね。……もっとも、この荷物の量ではそれも叶いませんか」
「はは、違いない」
 
 士郎さんはそうやって笑いながら荷物の取っ手を持ち直した。
 
「それにしても珍しいですね。士郎さんがこのようにお店の在庫を切らしてしまうのは」
「ああ、それはそうかもな。……って言うより今回は予想外の消費があったからなんだけどな?」
「と、言いますと?」
 
 私がそう問いかけると、士郎さんは背中を少し苦笑したように振るわせた。
 
「いや、このかの奴にレモンパイ作ってくれってせがまれちまって。なんでも昨日の晩に見たテレビでそういう特集やってたらしくてな、それを見てたらなんだか食べたくなったらしい」
「レモンパイ……ですか。確かお店のメニューには無かったですよね。どうしてお店のメニューには加えないのですか?」
 
 経営とかの話となると私は全く分からないのだが、普通こういうものは少しでもメニューが多い方が良いのではないだろうか?
 すると士郎さんはそんな私の疑問にあっさりと、
 
「そりゃそうだ。だって俺、レモンパイなんて作ったことないし作り方も知らないからな」
「——————は?」
 
 なんて、さも当然のように言い放った。
 そんな士郎さんの妙にあっけらかんとした返事に、思わず間の抜けた声を上げてしまう。
 
「つ、作った事がないのに作ってくれと頼まれたのですか?」
「んー……まあ、な。だってあいつ、態々レシピまで持ってきたんだぞ? これ食べたいから作ってくれーって」
「———それをお嬢様が?」
「ん、そうだけど。それがどうかしたか?」
「あ……いえ」
 
 首だけでこちらを振り返る士郎さんに、そんな曖昧な答えを返す。
 と言うより、ある種の驚きでそんな答えしか返せなかったのだ。
 
「……”あの”お嬢様がそんなワガママを?」
 
 数歩分だけ先を歩く士郎さんにも聞こえない声で呟く。
 お嬢様がこのような事言い出すのは今までに無かったことだ。
 確かにお嬢様と言う御方はああ見えて、押しが強いところはある。
 だがしかし。
 それは、あくまでも他の誰かの事を慮っての事。決してご自身だけの為と言う、利己的な理由は一度も無かった。
 だが今回の話は全くの正反対。
 言ってしまえば自分本位、もしくはワガママ。
 そしてお嬢様は明らかに士郎さんの負担になると分かっていて、そのように振舞っているのだろう。
 負担の程度が軽いとは言え、それが分からない御方ではない。
 なぜこのような事を? と、一瞬だけ首を傾げそうになるが、その答えは思いのほか早く、それでいてすんなりと導き出された。
 
「———ああ、そうか。お嬢様は甘えているんだ」
 
 そう、それはきっと甘え。
 決して悪い意味ではなく、もっと優しく暖かい言葉。
 ———この人なら頼っても大丈夫だと。
 ———この人なら自分の重さを預けても支えてくれると。
 そんな曖昧で。
 なんの確証もなくて。
 形にする事のできない無色の感情。
 だけど。
 そんな曖昧だけど。
 なんの確証もないけれど。
 それでも確信を抱く事のできる、大きく暖かな色の感情。
 それは無条件に。
 それでいて、何の根拠すら必要としない。
 純粋無垢な、そうである事が当然であるような絶対的な信頼の証。
 
 
 ……———そう、まるで妹が兄に向けるような『絆』の形なのだろう。
 
 
 そんな優しい答えに思わず笑みが零れた。
 ああ、この御方はお嬢様の心の拠り所になったらしい。
 それが嬉しくも、自分自身がそうなれていない事が歯痒くもある。
 ……けれど。
 
「……甘え、か……」
 
 そう小さく呟き、少し前を歩く士郎さんの背中を呆けるように眺める。
 この御方に甘えているのはお嬢様だけではない。
 アスナさんもその言葉や行動の端々にそういう感情が垣間見られる。
 そして恐らく…………私自身も。
 
「——————」
 
 知らずのうちに手を前に伸ばす。
 思考の海に沈んでいた足は歩みを止め、その背中は離れていた。
 夕暮れの光を浴びて、赤く染まる遠い背中。
 
 
 ……いつか私も、貴方のように強くなれる日が来るのでしょうか?
 
 
 それは戦う為の強さだけではなく、心も含めた『本当』の意味での強さ。
 私も、いつか貴方のように誰かを支える事のできる強さを手に入れることが出来るでしょうか?
 肩幅があるせいか、背丈よりもずっと大きく見えるその背中。
 思えば、私はこの背中をずっと見ている気がする。
 いつも、私達を導くように。
 いつも、私達を守るように。
 
 ———そんな貴方の背中をずっと見続けている。
 
 私ではまだ貴方の隣を歩けないのでしょう。
 貴方の隣を歩く事が出来るのは、私が知り得る限りただ一人。
 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル———彼女しかいない。
 いつか私も貴方の隣に並べるでしょうか?
 いつか私も貴方と同じものを見れるでしょうか?
 その答えは私には分からない。
 いや、誰にだって分かる事はないのだろう。
 ……分からない、けれど。
 
「おい、どうした刹那? 早く帰らないと日が暮れちまうぞ」
 
 きっと、焦る必要なんて無い。
 
 
 ——————だって、ほら。
 
 
「———はい、今行きます」
 
  
 弾むような足取りで。
 一歩。
 二歩。
 三歩。
 たったのそれだけの事で貴方の隣に並ぶ事が出来きてしまうんだから。
 そんなおかしさに思わずクスクスと笑ってしまう。
 
「ん? どうかしたか?」
 
 士郎さんが突然笑った私を不思議そうな顔で見た。
 それになんでもありませんと答える。
 そう、これはただの自己満足。いわゆる反則技だ。
 こんな事をしても、何も変わらないってことは自分自身が一番分かっている。
 ———それでも、やっぱり焦る必要なんて何処にもない。
 私は私。
 過ぎ行く日々を駆け抜けたりせず、今をゆっくり歩いてく。
 私はまだ高い高い山を目指して歩く坂の途中。
 その頂は未だに遠く霞んで見えてこない。
 だけど。
 今という時を踏み締めながらゆっくり、ゆっくりと歩いていこう。
 周りの景色を心に焼き付けて。
 その時の感情を身体に染み込ませ。
 過ぎ行く一秒一秒をしっかり見続ける。
 道のりはまだまだ長く遠い。
 駆け足で登ったりしたらきっと疲れ果ててしまう。
 そんな事をしても本当の意味での強さなんて手に入らない。
 だから私は、一歩進むごとに映り行く景色を心に焼き付けながら歩いて行こう。
 どんなに頂きが遠くとも。
 辿り着けるなんて確証はこれっぽちもないけれど。
 それでもゆっくり歩いてく。
 だって。
 
「じゃ、行くか」
 
 こんなにも近くにその頂が待ってくれている。
 頂を知る人が手を引いて、一緒に歩いてくれている。
 だったら焦る必要なんかない。
 私はその背中を見失わないように歩いていけばいいのだ。
 道に迷う事もあるだろう。
 困難に突き当たって立ち止まる事だってきっとあるだろう。
 それでも間違えた道だけは、決して歩く事はないと信じられるその背中。
 そこに並び立つ事が出来るかは分からないけれど。
 今を信じて歩いてく。
 だから。
  
「はい、士郎さん」
 
 ———今は、もう少し貴方の背中を見続けても良いですか?






[32471] 第40話  茶々丸の衛宮士郎観察日記
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 22:29

 
 
 
 
 ——————突然ですが。
 本日は私、絡繰茶々丸が。
 我が家の一員たる衛宮士郎こと士郎さんの一日に迫りたいと思います。
 
 
 
 ———午前5時。
 士郎さんの朝は一般平均と比較すると随分と早い。
 
「おはよう、茶々丸」
「お早うございます、士郎さん」
 
 私もその時間に合わせて起動、士郎さんとの挨拶から一日は始まる。
 士郎さんはそのまま洗顔、歯磨き、軽く身だしなみを整えた後、私と一緒に朝食の下拵えの準備をする。
 
「昨日テレビで見たんだけどさ、今日は桜ごはんっていうのを作ってみようと思うんだ」
「桜ごはん……ですか?」
「まあ、茶飯とかいろいろな呼び方もあるらしいんだけどな……。作り方も簡単で、普通にご飯炊く時に醤油とみりんと酒を入れるだけで良いらしい」
「なるほど。ではおかずはあまり味の濃いものではない方が良さそうですね」
「そうだな。じゃあ……玉子焼きとほうれん草のおひたし……あ、そういえば昨日の残りの肉じゃがもあったよな」
「はい」
「じゃあ、それ位でいいか。じゃあ俺は米研ぐから、茶々丸はおひたし頼む」
「分かりました」
 
 と。
 衛宮さんは献立から作業の指示までテキパキと動く。
 ……私は他の男性の方を知らないので比べようもないのだが……やはり他の男性の方々も、このように家事を要領良くこなすのでしょうか?
 私の知識ではこういったものは基本的に女性が主にするものするものだと記録されているのですが……。
 だがしかし。
 今は男女平等の世の中、現に士郎さんがこうも積極的に作業するのだから、この知識は恐らく既に古い物なのでしょう。これは更新しておかなければなるまい。
 上書き上書き。
 
 ———午前5時30分。
 
「———っと、そろそろ時間か。悪い茶々丸、後任せていいか?」
「はい、お任せください」
 
 朝食の下準備も終わった頃、士郎さんはそう言い残し、玄関の脇に立てかけてあった袋を担いで出かけて行く。
 
 ———午前5時40分。
 
「おはよう、刹那。相変わらず早いな」
「お早う御座います、士郎さん。今日も宜しくお願い致します」
 
 士郎さんと刹那さんの日課の早朝稽古。
 士郎さんは袋から竹刀を取り出し、刹那さんはいつも使用している『夕凪』と銘打たれた刀を白鞘に収めたまま正眼に構える。
 士郎さんはこの竹刀の他にも、二刀流用の短い竹刀も持っているのだが、稽古では基本的に通常の竹刀を使用している。
 彼が言うには、二刀も一刀も基本は変わらないのでこれでも問題ないとの事。むしろ一刀の方が基礎を反復するには大事なんだとか。
 私はそこら辺は良く分からないのだが、士郎さんが言っているのだから間違いない。
 それはさて置いて、それより約一時間、二人の稽古の音が鳴り止む事はない。
 
 ———午前6時40分。
 
「———はぁ……はぁ……あ、有難う御座いました」
「有難う御座いました」
 
 それぞれ得物を収め、互いに礼をする。
 二人の状態の差はあからさまで、刹那さんが大きく呼吸を乱し、大量の汗を流しているのに対し、士郎さんは薄っすらと汗を滲ませている程度。
 刹那さんが膝に手を付いて呼吸を整えようとしているのを横目に、士郎さんは傍らにあった荷物の中からスポーツドリンクの入った容器を取り出し、ソレを煽った。
 ……そういえば、この間マスターが言っていたのだが、どうも最近、士郎さんと刹那さんの間で危険な空気が流れているらしい。
 マスターが渋い顔で眉根に皺を寄せて唸っていたのが印象的だったのだが……そのような心配が必要なように私は思えないのだが、実際の所はどうなのでしょう?
 普段見る限りでは、特に険悪な雰囲気は感じられるような場面にはお目にかかったことがない。
 むしろ、いつも仲が良い様に見えているのですが……マスターの杞憂ではないのだろうかと私は思う。
 
「———ん? 刹那、飲み物はどうした」
「……あ、いえ、その……出て来る時に荷物を玄関に置きっぱなしにしてきたみたいで……」
 
 士郎さんはそれを聞いた後、一瞬だけ呆けたような顔をして、
 
「———馬鹿、それを早く言え。そんなに汗かいてるんだから水分取らきゃマズイに決まってるだろうが。荷物ごとって事はタオルとかもないんだろ? ほら、これ俺ので悪いけどまだ拭いてないから我慢して使え」
 
 そう言って、刹那さんの手に強引にスポーツドリンクの容器を握らせ、タオルを首にかけた。
 刹那さんは慌てたように握らされた容器と士郎さんの顔を何度か見比べる。
 ———うん、やっぱり仲は良い様に見える。
 
「……あ、有難う御座います」
「おう」
 
 士郎さんが礼に対していつものぶっきら棒さで答えた。
 すると刹那さんはその答えが可笑しかったのか、クスリと微笑んだ。
 そしてスポーツドリンクを飲もうとして目を容器に移した瞬間、
 
「———————っ!?」
 
 なにやら突然重大な事実に気が付いたかのように、いきなり真っ赤になって慌て始めた。
 何故か妙に落ち着かない様子でキョロキョロと周囲を確認すると、容器の飲み口をジッと凝視している。
 傍から見ていると、不審極まりなく、ソレを見ていた士郎さんも首を傾げていたが「まあいいか」みたいな感じで気にしない事にしたらしい。
 
「って、うわ! ヤバ……もうこんな時間か。そろそろ帰らないと時間が無いな。よし刹那、今日はここまでにしよう。俺は朝飯の支度しなきゃならないから先に帰らせてもらうぞ」
「…………」
「……刹那?」
「———は!? は、はい! お、お疲れ様でした、明日も宜しくお願い致します!!」
「お、おう? じゃあまたな、その容器も後で返してくれればいいから」
 
 じゃあ、と言いながら駆け出した士郎さんに、刹那さんは慌てて頭を下げて見送った。
 やはり険悪な空気などにはなりそうもないように感じる。
 ……ただ、どうしてでしょうか?
 頭を上げた刹那さんが、もう一度容器を見て赤くなるのを見ていると、こう……胸の辺りがムカムカしてくるのですが。
  
 ———午前7時00分。
 
「おーい、エヴァ。朝だぞー、いい加減起きろー」
 
 早朝稽古から帰宅した士郎さんがマスターを起こす。
 マスターは基本的に朝は弱いので、誰かが起こさない限り起きてはこない。
 以前までは起こすのは私の役目だったのだが、士郎さんが来てからはすっかり任せきりになってしまっている。
 
「………………………………眠い」
 
 士郎さんの呼びかけに、ムクリと身体を起こし、心の底からという感じの盛大な間を空けては重々しく言う。
 その目は未だに半開きで、ともすれば虚空を睨み付けている様にも見える。
 
「お前、また夜更かししてたんだろ。だからいつも言ってるだろ? 早く寝ろって」
 
 やれやれ、と言った風に、腰に手を宛がいながら士郎さんが言う。
 
「……仕方ないだろう、私は一番頭が動く時間帯が夜なんだから」
「そうは言ってもな、こうやって現に辛い思いしてるんだから少しは改めて見れば良いのに。大体お前だって、」
「…………ぐぅ」
「って、言ってるそばから寝てる!?」
 
 士郎さんが話している間に、マスターは前のめりに倒れて再び寝てしまう。
 士郎さんはそれに驚きつつも、仕方ないなとでも言うように苦笑を漏らした。
 
「ほら、起きろエヴァ。今日もいい天気だぞ」
 
 ともすれば、まどろんでしまいそうな程の優しい声で呼び起こしながら、士郎さんはカーテンを一気に開け放った。
 そうやって窓から見える景色は、確かに士郎さんの言うとおりに良く晴れ渡っていた。
 
「…………ぐあー、溶けるー」
 
 まるで気の入っていない、やっつけ仕事のような声を上げるマスターに、溶けてないじゃんと士郎さんが朗らかに笑った。
 こうやって、我が家の一日は幕を開ける。
 
 ———午前8時00分。
 
「では、行って来る」
「士郎さん、行ってまいります」
 
 十分に余裕を持っての朝食後、玄関口に立ったマスターが扉を開けた。
 いつもだったら私たちと共に家を出る士郎さんだが、今日は月曜日、お店が休みなのでお見送りをしてくれている。
 
「ああ、いってらっしゃい。気をつけてな」
 
 士郎さん……そう言いながら玄関口から見送ってくださるのはいいんですが……なんと言えばいいのでしょう……とりあえず、その……エプロンで手を拭きながら見送ってくれる姿が異常なまでに似合っているのはどうしてなんでしょうか。
 そして、その姿を見ているとなんだか妙に安心してしまう私も何なのでしょうか?
 
 ———午前11時30分。
 
「それじゃチャチャゼロ、出かけて来るからな」
「アイヨ」
 
 私たちが登校した後、掃除などの家事を終えた士郎さんはそう言い残して家を出た。
 ロングTシャツにジーンズ、それにスニーカーと言った、いかにもラフで涼しげな装いで、ジーンズのポケットに手を突っ込みながらテクテクと目的地に向かって歩く。
 そうやって、しばらく歩いて辿り着いた先は麻帆良学園の中庭。
 そう、今日は月曜日、恒例のお弁当の日だ。
 
「……ちょっと早く着き過ぎたかな」
 
 お弁当の入ったバスケット片手に辺りを見回し、そう呟いた。
 すでに昼休みには入っているが授業が終わったばかりなので、まだ学生の姿はチラホラと見える程度。この学園は広いので、前の時間が中庭近くでの授業ではない限り、中庭に辿り着くのにもそれなりの時間を要するのだからそれも仕方の無いことでしょう。
 
「…………」
 
 士郎さんは手持ち無沙汰といった風に立ち尽くして私たちの到着を待っている。
 その様子はどこかソワソワとして落ち着きが無い。
 士郎さんが言うには、どうにも見知らぬ女子の中に男が一人だけと言った状況が酷く居心地が悪いらしい。なんでも、自分に視線が集中しているような錯覚を覚えて下手に身動きすらできないとか。
 事実、士郎さんの仰る通りこの場の殆どの視線を集めていて、それらを向けている人物の反応も様々だ。
 最初は訝しげに見ていたが、士郎さんだと分かると、いつもの光景だと興味をなくす者。
 お店の常連なのか、にこやかに笑って手を振っている者。
 初めて士郎さんを見るのか、興味深げに観察している者。
 等等。
 だが、このように歓迎、もしくは許容している者だけではない。
 中には当然拒否反応を示す者もいる。
 それらは、学園広域指導員の職務中に士郎さんから注意を受けたものだったり、女性だけの空間に男性が混じっていると言うことに拒否反応を起こしているものだったりする。
 マスター曰く、これ等の感情は相手が士郎さんだからこそ向けられる感情であって、もしもこれがネギ先生や高畑先生の場合だと、また違った反応だと言う。
 なんでも、前述のお二人に関しては、高畑先生の場合はコレまで培ってきた教職と言うキャリアが、ネギ先生の場合だと、子供なのに先生と言う、その稀有な立場が話題性を呼び知名度が高いのと、その整った見た目から来る特異性から拒否反応も無いに等しいのだと仰っていた。
 ソレに対して士郎さんはそういった類の背景がまったくと言って良いほどに無い。
 ある日突然現れた見知らぬ、それも見た感じ同じ年のような男性に注意されて面白いハズが無い。例え、学園広域指導員というキチンとした立場と資格を持っているとしてもソレは変わらない。それに加え、士郎さんは基本的に愛想を振りまくような性格ではない。直接お話をしてみるとその限りではないと分かるのだが、傍から見る分には少し怖いと感じられるそうだ。
 例を挙げれば、同じクラスの宮崎さんがその最たる例だと言えるだろう。彼女の場合、最近でこそある程度慣れてきたとはいえ、最初の頃はかなり怯えられたと士郎さんが苦笑しながら仰っていたのを思い出す。
 そのような結果、このように一部とはいえ、決して少なくない数の人間に疎まれてしまうという悲しい現状が出来上がってしまっていた。
 
「待たせたな、士郎」
「ああ、エヴァ。いや、俺も今来たばかりだから」
 
 そんな中、漸く私たちも士郎さんと合流する。
 ソレと同時に視線も否定的な視線も無くなる。
 どちらが言い出すでもなく、示し合わせたように定番となっている中庭の端の方にある木陰へと足を向けた。
 そこは程よく中心から離れた人の居ない場所で、喧騒は聞こえるがそれがうるさいと言うほどの物でもない絶妙な距離。
 そんないつもの場所に敷物を敷いて、そこに全員で腰を下ろした。
 
『———いただきます』
 
 そうやって昼食が始まると、マスターの機嫌は途端に良くなる。
 学校などでどんなに嫌な事があっても、この一時だけは決してその笑顔が曇ることは無い。
 
 ———マスターは殊更にこの時間を大切にしている。いや、いっそ神聖視していると言っても決して過言ではないと私は思う。
 その理由は様々あるが、その中でも一際大きな理由は、この目の前にあるお弁当そのものだろう。
 ……春の事件。
 士郎さんとマスターが対立し、士郎さんが大怪我を負ったあの事件は今も記憶に新しい。
 その事件の最中、士郎さんとマスターの心を再び通じ合わせるきっかけとなったのが、他ならないこのお弁当だ。
 それ以来、マスターはこの時間をいつも楽しみにし、ソレを知ってか士郎さんもお弁当作りにいつも力を入れている。
 ……まあ、その影響で時々作り過ぎてしまい、すごい量になってしまう事があるのはご愛嬌でしょうか。
 
「———あー、食べた食べた! 流石にこれ以上は無理だ」
 
 その例に漏れず、今日もまた作りすぎてしまったお弁当を少しでも減らそうと、孤軍奮闘していた士郎さんが木の幹に背中を預けながらそう叫んだ。
 
「……うぅ……動けん」
 
 ちなみにマスターは当の昔に脱落。元々そんなにたくさんの量を食べられないのだから、今日は頑張った方でしょうか。いくら大切だからと言って、食べ過ぎて身動きが取れなくなってしまうのは本末転倒ではないでしょうかとも少しだけ思う。
 ……ちなみに私は適量頂きました。自分だけ逃げたとか言うのは無しです。そんな事言う人、嫌いです。
 なにはともあれ、そんなこんなで昼食も終了。私は動くことのできない士郎さんに代わってお弁当を片付ける。
 だからと言っても、お昼休みの時間はまだまだ長い。いつもだったらこの後に士郎さんの持ってきた紅茶でも飲んでゆっくりと過ごすのですが、今日はソレも無理そうな感じです。
 
「——————ん」
 
 士郎さんは木の幹に背中を預け、足を投げ出したままの格好で大きく伸びをした。そしてそのまま穏やかな表情で目の前の景色を満足そうに眺める。
 
「……くぁ」
 
 その横では、満腹になり更にこの陽気に誘われたのか、マスターが眠そうに欠伸をしていた。
 
「なんだエヴァ、眠いのか?」
「……んー、まあなー」
 
 本当に眠いのだろう。その返事は伸びきっていた。
 
「そんなに眠いなら少し寝たらどうだ? 時間になったら起こすからさ」
「……んー、そうだな。そうするか」
 
 マスターはそうやって気の抜けたような返事をすると、四つん這いでペタペタとシートの上を移動し、ある箇所に辿り着くとゴロンと寝転がった。
 
「おー、こんな所に良い枕がー」
「……おい」
 
 その辿り着いた場所と言うのが士郎さんの投げ出されたままの足、正確にはフトモモ。
 士郎さんが抗議の声を上げるが、マスターはソレをまったく意にも返さずに頭の置き心地を確認するように位置を直したりしていた。
 
「なんで俺の脚を枕にする」
「枕がないと頭が痛くて寝付んだろう?」
「いや、そうじゃなくて普通こういうのは茶々丸の方に行くモンだろうが」
「茶々丸は仕事をしているからな。ソレに対してお前は呆けているだけではないか」
「いや、茶々丸も仕事終わってるけどな」
「あえて答えるとするならば、其処に枕があるからだ」
「其処に山があるからだ、みたいな言い回しをするんじゃない」
「あー、ウルサイ枕だな。眠れんでは無いか」
「いや、だからさ…………はあ、まあいいか」
 
 士郎さんは全く動こうとしないマスターに抗議の途中で面倒くさくなったのか、そうやって苦笑交じりの溜め息を吐くと共にマスターのオデコに掌を置いた。
 
「———エヴァ、暑くないか?」
「……ん、心地良いぞ」
「そっか」
「…………ん」
 
 短くも穏やかなやり取り。
 マスターはそんな空気に安心したのか、やがてゆっくりとした寝息を立て始めた。
 士郎さんは、そんなマスターの頬に張り付いた長い髪を優しく耳の後に通していく。
 ……どうしてなんでしょう。
 穏やかな、ともすれば微笑んでいるようにも見える表情で眠るマスター。
 そんな彼女を目を糸のように細めて見守る士郎さん。
 ———そんな有り触れた、何でもない光景の筈なのに、それがあまりにも綺麗に見えて、掛け替えの無い貴いモノの様に感じてしまうのは、どうしてなんでしょう。
 
 ———午後1時30分。
 
 そんな穏やかなお昼を過ごし、私たちと別れた士郎さんは家に一旦帰ってお弁当を片付けると、再び外へと出かけて行った。
 
「さて、と……今日はこの辺りかな」
 
 士郎さんはそう言うと手に持った地図へと視線を向けた。
 そこには×で殆どの箇所がチェックされた麻帆良学園の地図がある。
 士郎さんはこうやって空いている時間を使っては学園広域指導員の仕事でもある、見回りを兼ねた散歩をよくしている。
 そのおかげか、既に殆どの箇所には行った事があるらしく、行った事のない箇所もあと数日で全て埋まる予定らしい。
 ……ちなみに余談ですが、学園広域指導員というのはきちんとした仕事で、ちゃんと給与も支払われているらしいです。ある意味肉体労働で、危険も伴うと言うことで元々高給という話なのですが、更に士郎さんの場合は魔法関係のことも絡んでいるので特別技術手当てなるものが該当しているらしいのです。すると、これが結構な額らしく、そもそもお給料が支払われていると言うこと自体知らなかった士郎さんは、数か月分の金額が振り込まれている通帳を見て、声もでないほど驚いていたのは記憶に新しかったりもします。
 閑話休題。
 そんな士郎さんは辺りを注意深く見回しながら歩く。
 どんなに些細な事も見落とさんとするその鋭い視線はまるで鷹のよう。
 
「——————む」
 
 そんな視線がある一箇所で異変を察知したのか停止した。
 そして、射抜くような視線で睨み付ける。
 
「……キャベツが安い。一玉118円か……」
 
 ……訂正、お野菜のお値段をチェックしていたようです。
 でも確かに安いです……。
 
 ———士郎さん、ソレは取り合えず買いです。2玉ほどお願い致します。
 
 ———午後4時。
 
「今帰ったぞ」
「ただ今帰りました」
「おう、お帰り」
 
 私たちが帰宅を告げると、家の奥から士郎さんの声が聞こえてくる。
 士郎さんは基本的に私たち帰ってくる時間に合わせて帰宅しているようだ。
 家に帰ってきたときに、出迎えてくれる人が居るのは良い事だろうとは士郎さんの弁。
 そんな士郎さんがキッチンからお茶をトレーに載せて持ってくる。
 
「今日は暑かったからな、アイスティーにしてみた」
 
 そう言って、大き目のグラスに氷のたくさん入った紅茶をテーブルに三つ並べる。
 確かに今日は真夏日と言うほどではないが、この時期にしては暑かった。そう考えれば、ホットよりはアイスの方がマスターも喜ぶことだろう。
 
「ふむ。ま、たまには悪くないか」
 
 マスターはそう言ってソファーに腰掛ける。
 
「紅茶にうるさい人は邪道だーって言うのかも知れないけど、俺はそこまでこだわらないし、要は美味しく飲むのが一番だろ?」
 
 士郎さんもそう言ってマスターの隣に座ったので、私もそれに習って正面のソファーに腰を下ろした。
 
「して士郎、今日の夕食はなんだ?」
「今日はキャベツが安かったからな、お好み焼きにしようかと。ホットプレートで焼きながら食べればきっと美味いぞ」
 
 流石です、士郎さん。
 やはりお買い得商品は見逃しませんでしたね。
 
「……お前、今自分で今日は暑かった、とか言っておきながら、そんな暑そうなものをチョイスするのか?」
「それはそれ、これはこれ。食べるものに関してはまた別モンだろ? 鍋って訳でもないんだし。それとも嫌いか? 粉物とかは」
「いや、特に嫌いでもないからまあ構わんが……しかし、作るにしてもどっちを作るんだ?」
「どっちって?」
「ほら、良くあるだろう。関西風だとか広島風だとか」
「ああ、なるほどな。一応関西風を考えてたんだけど……広島風の方がいいか?」
「別にそのままで構わんさ。変なこだわりもないしな」
「そっか」
 
 士郎さんはそうやって頷くと、一気にグラスを傾けた。
 
「よし、じゃあ俺は鍛錬に行ってくる。エヴァの方もそろそろネギ君が来る時間だろ?」
 
 ここで士郎さんが言っている鍛錬とは桜咲さんとは別のことだ。週に一回程度、不定期でマスターの方の鍛錬に加わることもあるが、基本的には見ているだけであり、それはあくまでもネギ先生や桜咲さんの鍛錬であって、士郎さん御自身の鍛錬ではないらしい。やっている内容がまったく違うと士郎さんは仰っていた。それに、魔術方面の鍛錬らしいのでコレばかりは事情を知らない人間に見られるわけにはいかないのだとか。
 
 ———午後7時。
 
 鍛錬を終え、夕食の準備を整えて、食事の時間。
 この日の食卓での出来事は……多くを語らないでおこうと思います。
 ただ、一言いうなれば……マスターがお好み焼きをひっくり返そうとヘラを握ってしまったからこそ起きた悲劇だ……と。
 そして、その悲劇を一身に受けた士郎さんの頭の上には、お好み焼きが乗っていたと……。しかも焼きたてが。
 
 ———午後9時。
 
 一騒動あって、騒がしくも楽しい夕食を終えた後の団欒の時間。
 士郎さんとマスターはソファーに並んで座って本を読んでいる。
 士郎さんは魔法関係の本。
 マスターは伝奇物の本。
 士郎さんはこうやってちょくちょく魔法関係の本を読んでいるので、こちらの魔法に関してもかなり詳しくなったそうだ。
 それに対してマスターの方は、元々絵本や童話といったものは以前からよく読まれていたのだが、士郎さんが古くから伝わる有名な武具を作り出せると知った辺りから、こういった本を読むようになった。
 
「ところでエヴァ、今日は何の本を読んでるんだ?」
「今日はコレだ」
 
 マスターはそう言って、本の背表紙を士郎さんの方へと向けた。
 
「……読めん」
「ククク……流石に原書は読めんか。これはな『ギルガメシュ叙事詩』だ」
「……うわー、よりにもよってそれかあ」
「ん? なんだ、気になる言い方だな。なにか問題があるのか?」
「あ、いや、こっちの話だからあんまり気にしないでくれ……」
 
 士郎さんはそう言うと、何処か疲れたような顔をして溜め息をついては、何か小声でブツブツ言い出してしまった。はて、その本になにか嫌な思い出でもあるのでしょうか?
 マスターはマスターで様子のおかしい士郎さんに小首を傾げていたが気にしないことにしたらしく、再び手元の本へと視線を落とした。
 ……まあ、士郎さん御本人も気にしないでくれと仰っていたので大した事ではないのでしょう。
 私は気を取り直してお茶を淹れるべく席を立つ。
 その途中で士郎さんの呟きが聞こえてきたが、気にしないことにする。
 ……ところで士郎さん。ただ、一つだけどうしても気になったのですが、
 
 ———金ピカって……なんですか?
 
 ———午前0時。
 
 入浴後、少しのんびりと過ごした士郎さんは、いつも大体この時間にはベッドに入る。
 現在は寝る前に歯を磨いているところだ。
 
「……なあエヴァ。お前もたまには早く寝たらどうだ? また明日も寝不足になるぞ」
 
 そんな士郎さんが歯を磨きながらマスターへと問いかけた。
 士郎さんがこの時間に寝るのに対し、マスターはまだまだ起きている。いつも大体、2時から3時、時には4時なんてこともザラだ。
 
「なに、私の場合は寝不足ではなく、朝起きるのが辛いだけだ。睡眠時間は十分とっている」
「へえ、そりゃ初耳だ。いつ寝てるんだ?」
「勿論授業中だ」
「……いや、そこはせめて休み時間とか言おう。嘘でもいいからさ」
「じゃあ休み時間」
「言い直しても意味ないからな。それにその言い方だと直す気無いだろ、全然」
「無論、これっぽちも無いな」
「……や、そこで自信満々に胸を張られても困るんだが」
 
 士郎さんは苦笑すると洗面所の方へと歩いて行き、うがいをすると再び戻ってきた。
 
「さて、それじゃあ俺はそろそろ寝るからな。エヴァも程々にしとけよ?」
「はいはい、分かった分かった」
 
 マスターはそう言うと穏やかに微笑んでから掌をヒラヒラさせて答えた。
 
「ん、じゃあおやすみ、エヴァ」
「ああ、おやすみ、士郎」
 
 ———こうやって、穏やかな就寝の挨拶を交わし士郎さんの一日は終わる。
 賑やかで。
 決して良い事ばかりではないけれど。
 
 ———それでも。
 
 暖かく、穏やかな。
 貴方と共に過ごす毎日を、私は愛しく思う。
 ———だから。
 
「茶々丸」
「はい」
 
 ———だから、どうか。
 
「おやすみ」
「———はい、おやすみなさいませ、士郎さん」
 
 
 ———貴方と共に過ごす日々が、明日もどうか、良い一日でありますように。
 






[32471] 第41話  修練
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 22:31

 
 
 俺は段数が10段くらいの小さな階段に腰掛けたまま、ただ目の前の光景をボーッ、と眺めていた。
 
「くっ……!」
「———ハ」
 
 目の前では人影が踊っている。
 近づいて離れ、離れてはまた近づいてを何度も繰り返す。
 踊り手はエヴァとネギ君。
 『別荘』での修行の仕上げとして実戦稽古をしている最中だ。
 二人の表情は対照的で、エヴァは余裕の微笑を覗かせているのに対し、ネギ君の表情は焦燥に駆られている。
 それもその筈。
 いくら修行での事とは言え二人の実力差は圧倒的。更に、エヴァは『別荘』の空間内ならばある程度の力が回復している。
 そんなエヴァに今のネギ君の勝ち目などはあり得ないだろう。
 そこに更に躍り出る影が二つ。
 茶々丸とチャチャゼロだ。
 ネギ君の死角から猛スピードで迫る。
 そんな二人の登場にネギ君の気がエヴァから一瞬だけ逸れた。
 
「……奇襲程度で集中を乱すな」
 
 一瞬とはいえエヴァにしてみれば致命的な、度し難いほどの隙。
 彼女は魔力の篭もった右手の一撃をネギ君に叩きつけた。
 
「ぎゃうっ!」
 
 エヴァの強烈な一撃にネギ君が悲鳴を上げる。
 ネギ君は寸前でガードしたようだが、その一撃はガードもろとも小さな身体を派手に吹き飛ばした。
 地面を滑る彼に更なる追撃が迫る。
 茶々丸とチャチャゼロによる左右同時の挟撃。
 倒れたままのネギ君にはかわしようもない絶対的なタイミング。
 ———が。
 
「———『風花・風障壁』!!」
 
 そのままの姿勢で張り巡らした防御障壁で防いだ。
 強襲した二人の一撃はその壁に阻まれ彼に届く事は無い。
 しかし、そこで思った。
 
「———あ、詰んだか。コレは」
 
 階段に腰掛けたままそう呟く。
 そんな呟きと同時に茶々丸とチャチャゼロは障壁が無くなった瞬間にネギ君を地面に押し付けていた。
 今のは悪手だ。
 その場凌ぎだけを考えて次に繋がる動きをしていない。あれでは格好の的だ。
 戦いの基本は動き続ける事。戦いの流れに逆らう事無く常に移動を続けるのが基本だ。
 今のような流れでは、防御して立ち止まってしまうよりならば、かえって攻撃を喰らって吹き飛ばされた方がまだ『マシ』だっただろう。
  
「どうした、たった12秒だぞ。3対1とはいえせめて一分は持たせろ。この程度ではあの白髪の少年など相手にもならんぞ」
 
 エヴァが倒れ付したままのネギ君に向かって歩きながら言う。
 腕を組んで歩くエヴァはどこか楽しげに見えた。
 ……根っからの苛めっ子気質と言うかなんと言うか……Sっ娘め。
 
 
「———更にいくぞ」
「うひゃ!?」
 
 ネギ君の下に辿り着くのと同時に、つま先で引っ掛けるようにして倒れたままのネギ君の身体を蹴り上げた。
 エヴァはそれを追う様に地面を蹴ると、空中でネギ君の胸元に手を置き、ニヤリと薄く笑った。
 
「……うわー、エヴァのヤツも容赦ねーなあ」
 
 上空にいる二人を見ながらそんな感想が零れる。
 エヴァは手から一瞬だけ電撃のような物を迸らせると術を紡いだ。
 一瞬、どこかで見た光景だと思ったが、それは京都での事件の折にエヴァがフェイトと言う少年に放った術式だとすぐに思い至った。
 その効果は、極々短い時間だが相手の動きを電撃により麻痺させる事が可能だ。
 その結果、それを受けた相手は次に来るであろう一撃を防ぐことが出来ない。
 
「———来たれ、虚空の雷、薙ぎ払え! 『雷の斧』!!」
 
 ドン、という激しい音と共にネギ君に扇状の大きな雷が直撃した。
 見た限り手加減してるっぽいがあれはキツいだろう。

「ううぅ……痺れる〜」
「今のが決めとしてそれなりに有効な、雷系の上位古代語魔法だ。……ちなみに、今のはサウザンドマスターが好んで使っていた連携の一つでもある」
「え……父さんが?」
「覚えておいて損は無いぞ? まあ、今のお前には無理だがな」
 
 にしてもエヴァもよくやる。自分が得意な分野は氷系とか闇系とか言ってたくせに他の系統の術をポンポン簡単に使うんだから器用なもんだ。
 俺にもそんな万能性があればいいとか少し羨ましく思ったり。
 
「じゃあ回復したら次の実戦稽古に移るぞ」
「ハ、ハイ、師匠! ……でも次のって?」
「ん? ……ああ、言って無かったか。ほれ、そこで暇そうにしているヤツが相手だ」
 
 そう言ってエヴァは俺を親指でくいくい、と指差した。
 
「……暇そうって……」
 
 自分が呼びつけたのに酷い扱いもあったもんである。
 
「———っと」
 
 エヴァが唐突にふらり、と貧血のように揺らめいた。
 あ、これは……。
 
「ちっ……、魔力を使いすぎたか……。士郎スマンが———」
「分かってる。ほれこっち来い」
 
 エヴァがトテトテと歩いて来て俺の隣に腰掛ける。
 なんでも、エヴァはある程度の魔力があれば吸血が可能らしい。なので俺から血を吸う事によって魔力を回復しようという話だ。
 俺が腕を差し出すと、エヴァは舌でペロリ、と舐めた後に噛み付いた。
 
「……ん」
 
 微かに声を漏らして俺の血を飲み下していく。
 その間、俺はエヴァの旋毛をボーッと眺めていた。
 
「———うむ。大分回復したか。士郎、助かったぞ」
「いつもの事だろ。気にすんな」
 
 そうか、と満足そうにエヴァが頷く。
 
「え……? 暇そうにしてるヤツって……え、衛宮さんですか!?」
 
 と。
 今まで事の成り行きを見守っていたネギ君が我に返ったように声をあげた。
 
「ありがたく思う事だな。士郎のような経験則の塊のようなヤツはそうそうお目にかかれんからな。坊やにも勉強になる事が多いだろう」
「あ、ありがとうございます」
「うむ———っと。そうだ士郎。刹那はどうした? あいつも来るんだろう?」
「その筈なんだけどな……。一緒には来なかったのか?」
「来てればいるだろうが。……ハン。大方、ガキ共を巻くのに手間取ってるんだろうよ」
 
 エヴァが座りながらやれやれと肩を竦めた。
 なるほど。確かに最近、刹那はアスナ達と仲が良くなってきたので一人で行動し辛いんだろう。
 
「ま、そのうち来るだろ。それまで休んでようぜ」
「そうだな。———茶々丸」
「はい。マスター」
 
 エヴァが目配せだけでお茶を要求した。
 
「あ、俺も、」
「待たんか」
 
 手伝う、と言って立ち上がろうとしたらエヴァから手を掴まれた。
 
「お前は血を少し失ったばかりなのだから座っておれ。それにここには茶々丸の姉がいるから手伝いは不要だ」
「……そうか。それならいいけど」
 
 浮かした腰を再び下ろす。
 血を失ったといっても大した量じゃないから問題ないんだけどな。
 でも、折角エヴァが俺を気遣ってくれているんだ、ここはご好意に甘えておこう。
  
「あの……刹那さんもって?」
 
 そんな事をしていると階段の下の方にネギ君がやって来ていた。
 
「ああ、その事か。ネギ君は俺が毎朝刹那と鍛練しているのは知ってるよな」
「ええ、刹那さんから聞いています」
「その鍛練の事で、俺達がいつも鍛練してる場所じゃ流石に出来る事が限られてるからな。これを機会に俺達もたまにはこっちに混ぜてもらおうって話になったんだ」
「そうだったんですか」
 
 なるほど、と頷くネギ君。
 しっかし刹那のヤツ遅いなあ……。そりゃ、ここは時間の流れが外とは違うのは理解してるけど、それでもここに入ったのはエヴァ達と一緒だ。つまり学校は終わっている時間の筈なのだがまだ来ない。ここに入って結構時間立ってるんだけどな……。
 
「あ、そうだ衛宮さん。僕、衛宮さんに聞きたい事あるんですけどいいですか?」
「俺に? 答えられる事なら答えるけど……なんだ?」
「はい。あの……衛宮さんのスタイルは何だったんですか? やっぱり『魔法剣士』ですか?」
「———魔法剣士?」
 
 はて、何の話だろうか? スタイルってのが何なのか分からないし、そもそも魔法剣士って何だ? ゲームのキャラクターとかだろうか。
 と。
 俺がネギ君の質問に軽く混乱していると、エヴァが耳打ちするように顔を寄せた。
 
「———スタイルと言うのは戦い方の事だ。簡単に言ってしまえば、いま坊やが言った魔法剣士とは前線で戦う速さ重視のタイプ、そして魔法使いタイプと呼ばれる後方から強力な術を放つタイプがある。他にも色々あるが今坊やが聞きたいのはそう言うコトだ」
 
 ああ、なるほど、そう言うコトか。
 魔法剣士に魔法使い、ね。そういった括りになれば俺も魔法剣士に当て嵌まるんだろうけど……。
 
「俺のスタイルは———魔術使い、かな」
 
 あえてそう言う事にした。
 それは俺が目指すモノで親父が貫き通した道だ。それ以外には考えられなかった。
 
「魔術使い———ですか? それはどういう戦い方なんですか?」
 
 興味深そうに聞いてくる。
 ……うーん、改まってそうやって聞かれると即興で考えただけに困るんだけど。
 
「そうだな……『魔』法を『術』として『使』うモノかな?」
 
 なんとなく思いついた言葉遊びだが存外に悪くない。
 
「……? えっと、それはどういう?」
「そのまんまの意味だよ。魔法はあくまで手段。魔法だけにとらわれず、他に使える物があればそれを使うって事さ」
「———へー、そういうのもあるんですね。参考になります」
 
 ま、口からでまかせなんだから余り参考にされても困るわけなんだが。
 ところがネギ君は「魔術使いかぁ〜……」と、意外と真剣に思いを巡らせていた。
 って、ネギ君、結構本気で考えてないか?
 
「———エヴァ。俺、マズイ事言っちまったかな?」
 
 思わずエヴァに小声で聞いてみる。
 俺のせいで変なことにならなきゃいいけど……。
 
「気にする事は無いさ。お前の言う魔術使いなる物がどのようなものか明確には分からんのだ。放っておいても害はあるまいて」
「そっか……ならいいけど」
 
 安堵のため息を吐く。
 どうやら可笑しな事にはならないみたいで安心した……。
 と。
 そんな時だった。
 
『———な……ど、どどど、どこなのよここーーッ!』
 
 そんな絶叫が聞こえた。
 今の声って……。
 
「アスナ……だよな? 何だってアスナが来てんだ?」
「…………はあ。大方、刹那が振り切れなかったか勝手に着いて来たんだろうよ。全く、人の家に勝手に入って来おってからに……」
 
 深々とため息を吐くエヴァ。
 あー……なんて言うか納得。俺もそんなイメージが簡単に浮かんできた。んでもって、どうせアスナと刹那だけじゃなくて他にもゾロゾロ来てると俺は見た。
 
「…………ほらね」
 
 遠くの出入り口を兼ねる魔法陣の付近には、刹那にアスナ、更に、このか、綾瀬さん、宮崎さん、古菲さん、朝倉さんと言った面々がいた。刹那以外はここに驚いているらしく、ビックリした表情で周囲を見回している。
 ……まあ、刹那は刹那で疲れ切った顔をしてるからここまでの道中も大変だったんだろう。
 
「……ったく、仕方無いな。———おーい、こっちだこっち!」
 
 大声で叫んで手を振る。
 イキナリ大きな声を出したので、隣に座ったエヴァが手で耳を押さえながら、恨めしそうに見上げてきたが気にしない。
 俺の声に気が付いた刹那を始めとした面々がゾロゾロと歩いてくる。
 
「…………し、士郎さん。エヴァンジェリンさん。申し訳ありません」
「あー……いい、いい。言わなくても分かってる。どうせ貴様がこっそり来ようとしたらいつの間にか後を付けられてたとかそんなんだろ?」
「……全く持ってその通りで。不甲斐ないです」
 
 エヴァの言葉にしゅん、と落ち込む刹那。
 まあ、刹那には似たような過去があるからそんなんだろうとは思ってたけど。
 
「で? アスナにこのかに他の連中も。……なんだってこんなトコに来たのさ?」
「な、なんでって……私は最近ネギがやたらと疲れて帰って来るからどうしたんだろうって思って。それでエヴァちゃんとネギを尾行してたら、同じ方向に行く刹那さんがいたから無理矢理くっついてきたんだけど……」
「ウチもウチもー」
「わ、私も……です」
「同じくです」
「私もネ」
「私は面白そうだったからかなぁー」
 
 うんうん。なんだかんだと言いながらもネギ君、愛されてるじゃないか。
 まあ、そういった事情だったら仕方無いのかもしれない。
 ……それはそれとして。
 
「———最後のヤツ、帰れ」
「ひどッ!?」
 
 朝倉さんが声をあげる。
 全く……なんだよ面白そうだから、って。俺達は別に遊びでこんな事やってるんじゃないってのに……。
 
「———士郎。帰したくても帰せんだろうが」
 
 エヴァがやれやれといった風に首を振りながら言う。
 俺もそんな気分だよ……。
 
「知ってるけど言ってみただけ。……ったく。お前等、言っとくけどここからは丸一日出れない仕組みになってるからな」
 
 「ええーー!?」と、驚きの声があがる。
 それもそうか、俺だって初めて聞いた時は驚いたし。
 
「じゃ、明日まで出れないアルか?」
「聞いてないよっ」
「明日の授業どうするんーっ」
 
 ワイワイと騒ぎ立てる3-Aの面々。
 取り合えずニ番目に言ったヤツ。それ、勝手に入って来たヤツが言う台詞じゃないぞ。
 
「ああ、もう! 勝手に入ってきてゴチャゴチャとうるさいな! 安心しろ。ここで一日過ごしても外では一時間しか経過しない。これを利用して坊やには毎日、丸一日たっぷり修行してもらっている」
「……てことは、ネギってば一日先生の仕事した後に、もう一日ここで修行してたって事なの?」
「教職の合間にちまちまやってても埒があかないからな」
「———てことはネギ坊主。一日が二日アルか!?」
「大変すぎやー!」
 
 はー、やれやれ……。一気に騒がしくなっちまったな……。
 
「マスター、士郎さん、お待たせしました」
「ああ、サンキュ茶々丸」
「うむ」
 
 茶々丸から貰ったお茶で一心地つく。
 それだけで気分が落ち着くのが分かる。
 ……さて、色々と予定外の出来事があるけどこのままじゃ埒が明かないし、そろそろ本来の話に戻らなければ。
 
「よし、ネギ君。そろそろ始めるか」
「あ、はい。分かりました」
 
 階段から腰を浮かせて立ち上がる。
 こうやってノンビリもしてらんないしな。
 
「あれ? シロ兄にネギ、何かすんの?」
「ん、ちょっと手合わせをな」
 
 疑問顔で俺を見てくるアスナの脇を通り抜けながら答える。
 でも、手合わせって言ったって何も考えてなかった。ただ打ち合えば良いって訳じゃないんだろうし。まさか刹那とやってるみたいに竹刀でバシバシやり合うって訳にいかないし……って、ん、待てよ? 刹那?
  
「………………」
 
 刹那の顔をジッと眺める。
 ……まあ、元々そのつもりでここに来たんだしな。
 
「士郎さん?」
 
 ———ふむ、悪くないかも。
 
「よし、刹那も一緒にやるか」
「———え、一緒って……ネギ先生と一緒にですか?」
 
 キョトン、とする刹那。
 そんな彼女を差し置いて、みんなの顔を見回す。
 
「そ、二対一だ。構わないだろ? 勿論ネギ君は魔法を使っても良いし、刹那もドンドン技使って良いからさ」
「えっと……衛宮さん、いくらなんでもそれはどうかと……」
 
 ネギ君が手を上げながら質問する。
 刹那と組んでの二対一というのが気に入らないのだろうか?
 
「ん? じゃあアスナも加わればいいのか?」
「そうそう。私も加われば……って、私も!? 無理無理、シロ兄相手に戦うなんてそんなの無理よ!」
「戦いじゃなくて鍛錬な。大丈夫だって、俺も使うのは竹刀だし。それにアスナが刹那に剣道習ってどれだけ上達したか興味あるし」
「うーん……シロ兄がそこまで言うなら……」
「あ、あの、僕が言いたいのはそうではなくてですね……大丈夫なんですか? そんなにたくさんの人と同時に打ち合って」
 
 あ、そう言う事か。
 俺はてっきり戦力的に不安なんだとか思ってた。パートナーなんだからアスナと一緒に戦うのがメインなんだろうし。
 
「大丈夫だって。京都でだって多対一だったんだから」
「確かにそうですけど……」
 
 それでもネギ君はどこか不安気に俺を見上げる。
 
「……坊や。その心配は無用と言う物だ」
「師匠?」
 
 と。
 エヴァが座ったまま呆れたようにため息を吐いていた。
 
「今の坊やと士郎とでは天と地ほどもの実力差がある。それを今更少しばかり人数が増えて背を伸ばした所で全く届かんさ。……ウダウダ言ってないで全力でぶつかってみろ」
「……わ、わかりました」
 
 エヴァに言われてようやくネギ君が頷く。
 ……俺、そんなに頼り無く見えるのだろうか? これでも君等よりは年上なんだが……。
 
「エミヤさん、エミヤさん。ちょっと良いアルか?」
「ん?」
 
 どこかワクワクしているような弾んだ声に振り返ると、古菲さんが声に負けないような表情で俺を見ていた。
 
「私も参加して良いアルか?」
「参加って……鍛錬に?」
「そうネ! いやー、この前見たときからエミヤさんとは一度手合わせしてみたいと思ってたアルよー」
 
 にゃはは、と笑う。そんな感じで誤魔化しているがソワソワして待ちきれないといった感じが伝わってくる。
 更にもう一人追加か。
 
「いいよ、それじゃネギ君たちの方に入ってくれ」
「おお! 言ってみるものネ、アリガトアルーっ!」
 
 ヒャッホーと喜び勇んでネギ君の所に走っていく。今にも小躍りしそうなテンションだ。
 そんな後姿を見ながら苦笑を覚える。
 さて、俺も準備するか。
 予め持ってきておいた手荷物を取りに向かう。
 
「……衛宮さん、いいんですか?」
「んー? 何がさ?」
 
 と。
 竹刀袋から竹刀を取り出していると綾瀬さんから声がかかったのでソレに応える。
 
「いえ、私自身、戦いとかの事はよく分からないのですが、古菲さんは前年度の『ウルティマホラ』のチャンピオンですよ? 加えてネギ先生や他の方も相当の実力者だと聞き及んでますです。そんな方々のお相手を一人でなさるなんて……可能なのですか?」
「ああ、チャンピオンね。そういやこの前もそんなこと言ってたっけ。んー……ま、何とかなるだろ」
 
 しゅるしゅる、と袋の中から竹刀を抜く。
 通常サイズより若干短いソレを二刀。
 今回は一本ではなく二刀を選択。流石に刹那もいてこの人数相手だと一本では裁ききれないだろうからだ。
 
「ず、随分と適当なのですね。……いえ、これは素人の浅薄ゆえの余計な詮索と言った所でしょうか。私は黙って見ている事にしましょう」
 
 では、と言って宮崎さん達の下に帰っていく。
 ふむ。彼女なりに心配してくれたんだろうか?
 
「———よし! 準備いいかー? 始めるぞー」
 
 それを嬉しく感じながらも気合を入れて立ち上がる。
 そして、両手に竹刀を持ちながら準備をしているネギ君たちに声をかけた。
 
「あ、はーい。準備できてますよー!」
 
 手をブンブンと振っているネギ君。
 それに伴ってアスナ達もそれぞれ配置に着く。
 一番後方にネギ君。それを守るようにアスナがハリセンを持って構えている。そこから数歩分の距離を前に進んだ位置に更なる壁、つまり、最前線の位置に刹那、古菲さん。刹那が半歩分だけ下がった位置にいるのは竹刀を持った刹那のリーチと、無手の古菲さんのリーチ差を考慮しての事だろう。
 
「エヴァ」
 
 俺の声にエヴァが無言で頷いて片手を掲げた。
 それだけで緩んでいた空気がピンと張り詰めたモノに変わるのを感じる。
 
「——————」
 
 綾瀬さん達の息を飲む気配すら伝わってくる。
 目の前には程よい緊張感を纏った四人が俺を見ている。
 俺は片目を瞑り眼前を見据えた。
 
「……始めろ」
 
 エヴァの声を合図に、ゆっくりと左右の手を上げ、構えをとる。
 ……さて、
 
「———さあ、来い!」
 
 どこまで走れるかな?
 
 
 
 ◆◇—————————◇◆
 
 
 
「———さあ、来い!」
 
 士郎さんがそう声を張り上げたのと同時に、私と古は地を蹴った。
 左右に別れ、挟み込む形で士郎さんを強襲する。
 作戦としてはこうだ。
 初手で私と古の手数で士郎さんの攻撃手段を封じた後、アスナさんが加わり足も止める。そこにネギ先生の魔法を打ち込むという単純な物だった。当然、このような急場しのぎの作戦が通じるような甘い相手ではな無い事は十二分に理解しているので、殆どは各個人のアドリブ任せだ。
 
「———破ッ!」
「はっ……!」

 古の中段突きに合わせる形で上段で竹刀を打ち下ろす。
 縦と横の同時攻撃。
 例え左右に持った竹刀で防ごうとも、そこには必ず隙が生まれる。いくら士郎さんといえども。この打ち込みには揺らがざるを得ない筈———!
 
「よっ!」
 
 が、士郎さんはしゃがんだだけでソレを苦も無く回避した。
 
「なっ!?」
「ナヌ!?」
 
 想定外の行動。少なくとも両手で持った竹刀で受けられるか、いなされるかと予想していたがソレを上回る動き。
 当然、打ち下ろした竹刀は止まらない。士郎さんを狙った筈の切っ先は空振りして古の打ち込んだ腕を打ち据えて、
 
「おっと。流石に急造のコンビだとやりにくいか、刹那?」
 
 バシン、と。
 寸前で士郎さんの掲げた竹刀で受け止められた。今更この御方の実力には驚いてもいられないが、わざわざ私たちの同士討ちを庇ったりする、その士郎さんらしさに戦いの最中だと言うのに思わず苦笑する。
 
「……かもしれせん———ね!」
「おっと!」
 
 士郎さんに止められたままの竹刀を、逆の回り方で大きく身体ごと一回転させて切り上げるが、そんなものは難なくかわされてしまう。
 私が竹刀を振りぬいた形でいる間に、古が士郎さんの懐に入り込み接近戦を挑む。
 
「いくアルヨー!」
「おう。来い!」
 
 古が中国武術特有の動きで士郎さんに張り付いて、目にも止まらない連撃を繰り出す。
 無手で戦う場合の有利な点はその手数の多さにある。特に、その動きの奇抜さにおいて中国武術ほど多彩な格闘技は他に類を見ない。
 また、得物を持った人間は密着するような格闘技に接近を許すと弱い。間合いが違うのだ。得物を持てば相手の射程外からの攻撃も可能だが、密着するような接近戦では、それこそが死角になる。そもそも回転数が違う。リーチの長さはそのまま小回りがきかない事に直結する。勿論、その間合いを埋めるような技術も存在するが、根底として得物を持った者は接近戦において不利になるのだ。
 ———だと、いうのに。
 
「おお、凄い技術だな。拳法ってのは思いもよらない角度から攻撃が来るから面白いよな」
「はぁ、はぁっ…………邪っ!」
 
 ……かすりもしない。
 それどころか古の動きを間近で見て、観察するかのような余裕すら見てとれる。
 ……相も変わらず凄まじい。体捌き自体の速度は私とそれほど変わらないというのに、私では理解不能なレベルでの見切りを見せる。
 こうやって端から見ていると改めて感嘆する。古の攻撃をまるで誘導しているようにも見える動き、あれは分かっていても対処できないのだ。誘導されていると分かっていてもそこにしか打ち込める隙が無いから結果として打ち込んでしまう。まるで予定調和の舞踏。まさに士郎さんの掌の上で踊らされている。
 
「———せ、刹那っ、ボヤっと見てないで手伝うネ! 最初から敵わないとは思ってたアルが———実際に戦って見るとトンデモないネ……! アスナもネギ坊主も加わるよろシ!」
 
 古の叱責で士郎さんの動きに見惚れている自分に気が付く。はっ、となって頭を振る。
 ネギ先生とアスナさんを見ると、顔を見合わせて士郎さんに向かって走っていくところだった。それに習うように私も地を蹴る。
 
「私は右側を潰します! アスナさんは左、ネギ先生は後ろをお願いします!」
「オッケー、刹那さん!」
「わかりました!」
 
 前後左右。
 士郎さんを取り囲んで動きすら封じる。これなら流石の士郎さんといえども、有効打は無理でも一撃くらいなら!
 私、古、アスナさん、ネギ先生。各々が持ち得る最大の力で士郎さんに連撃を打ち込んでいく!
 だっていうのに。
 
「アスナ、お前の腕の振り方だと隙が多過ぎるからもっとコンパクトにした方がいい。ネギ君もだ。拳法を習い始めて間もないのは知ってるけど、技と技の繋ぎ方があまりにも中途半端だ。反復練習あるのみだな。古菲さんは技は完璧だけど出力不足。や、女の子があんまり力持ちってのもどうかと思うけど……。刹那は相変わらず良い打ち込みだけど、これじゃあいつもと変わらないぞ? 折角この『別荘』使わせてもらってるんだからお前の技使って本気で来い、本気で」
 
 平然とした顔でアドバイスなんかしている……。しかも的確に。
 無論、その間も私達は打ち込む手を一時も休めたりなどはしていない。むしろ士郎さんが語っている間隙を狙って打ち込みの速度は激しさを増していた。
 だが、士郎さんはその全てを捌き、いなしている。それも一度の反撃もせずに。
 私の竹刀を誘導してアスナさんの持つハリセンを防いだり、ネギ先生の打ち込みを絡め取って古の方に転がしてみたりと、完全に手玉に取られている。実力差は身をもって知っているがここまで余裕を見せられては一度くらい驚いた顔も見てみたいと思うものだ。
 
「古! 一瞬で良い。隙を作ってくれ!」
「……か、簡単に言ってくれるアルね。……でも、わかたアル、一瞬だけな———らっ!」
 
 古が力強く大地を踏み締め、渾身の掌底を放った。踏み締めた石畳がその衝撃に耐えられず粉々に砕け散る程の一撃。
 士郎さんはそれを胸の前で交差させた竹刀で受け止め、自ら後方に飛ぶ事によってその衝撃を緩和させる。士郎さんなら難なくかわせる一撃だった筈だろうが……わざと受け止めたのだろう。恐らく、私が何かをするのを期待して。それ位の事を理解できる程度には士郎さんを知っているつもりだ。
 
 ……全く、そのような期待を持たれては不肖の弟子としてなんとかして応えたくなるではありませんか。
 
 瞬動で後ろに大きく飛び退いた士郎さんに肉薄する。
 
「——————」
 
 士郎さんがニヤリ、と笑った。
 それを見て私も微笑む。
 
「神鳴流奥義……」
 
 ———行きます、士郎さん!
 
「—————百烈桜華斬!!」
 
 幾つもの剣戟が死角無く士郎さんを打ち据える!
 全方位全てを埋め尽くしたソレを、
 
「ハッ———たっ……!」
 
 両手に持った竹刀で打ち落としていく。
 ……他の人間ならば驚きこそすれ、この御方相手なら驚きも少ない。
 ここまではある意味予想通り、問題は———ここから!!
 
「神鳴流奥義……斬空閃!」
 
 竹刀の切っ先に乗せた『気』を士郎さん目掛けて飛ばす。
 士郎さんは先ほどの百烈桜華斬の処理に追われて手一杯の筈。もしかしたら———。
 
「……っと!」
 
 やはり甘くは無い。
 一直線に士郎さん目掛けて飛んだ『気』は首を傾けただけでかわされてしまう。
 
「———斬岩剣!」
 
 更に畳み掛ける。
 ———これが、私の選んだ手段だった。私の持つ技、奥義を惜しみなく使ったこれ以上ないほどの連撃。これが通じなければ……もう。
 至近距離から打ち込んだ技は、片方の竹刀だけでその切っ先を逸らされ、勢いで両腕が跳ね上がる。
 
「……いや」
 
 通じる通じないではない。
 すべきことは今自分にできる事の全てを打ち込むのみ。
 ———ならば!

「神鳴流奥義!」
 
 今、私が出せる最強の力をここに!
 
「———極大雷鳴剣!!」
  
 ———次の瞬間。
 爆音。
 閃光。
 放った奥義による極大の雷光が視界を埋め尽くす。
 正に目の前に雷が落下したかのような耳を打ち抜くような轟音とともに。
 
「…………」
  
 奥義によって抉られた地面から舞い上がった土埃が視界を奪う。
 ……どうだ? 私は士郎さんに届いたのか———?
 固唾を呑んで土埃が収まるのを待つ。
 ……風が吹いた。
 舞い上がった土埃を纏めて攫っていく。
 そして、
 
「———うん、今のは良い攻め方だ。反撃の糸口を与えずに圧倒する。流石刹那だな。ただ惜しいのは連続技として使うには繋ぎと順番が今一つだったな。考えは合ってると思うぞ」
 
 その人は立っていた。無傷で……。
 
「……はあ、私としては最大限の攻勢だったんですがね。———やはり通じませんでしたか」
 
 もはや笑うしかない。ここまで差を見せ付けられては悔しさすら浮かんでこないのだ。
 やれやれ、私は本当にトンデモナイ御方に教えを請うているようだ。誇らしい事ではあるが、それを再認識した。
 
「———衛宮さん! まだ終わってませんよ!」
 
 と。
 そんな時だった。
 ネギ先生はそうやって叫ぶと、
 
「———『戒めの射手』!」
 
 魔法を放った。
 それは予想外だった。私が意識を離していた事もある。もう終わったと思っていた節もあったからだ。その証拠に古もアスナさんも敵わないとばかりに肩を竦めて私たちを見ていたのだ。
 そんな中でたった一人、諦めることなく挑んで行くネギ先生の闘志は賞賛に値するだろう。
 放たれた魔法が士郎さんへと迫る。
 そんな単発の魔法だけではこの人には通じない。容易く回避するだろう。
 士郎さんは、当然のように迫り来る魔弾を眺め、頭の後ろを竹刀でコリコリと掻いていた。
 
「……うーん。それはそうなんだけどさ」
 
 困ったようにそう呟いて私をチラリと流し見る。
 その間にも魔弾は近づいている。
 そして、
 
「———悪い、刹那」
 
 ———私の手を引いて盾にした。
 
「……って、えええええぇぇっ!?」
 
 な、何をなさりますか士郎さーーんっ!?
 突然の出来事に混乱する頭で士郎さんを振り返ってみても、士郎さんはすっごく良い顔で笑っているばかり。
 ……それを見て思った。
 
「……あ、ダメだ」

 
 次の瞬間、私はネギ先生の魔法によって雁字搦めになってうな垂れるのであった……。
 
 
 



[32471] 第42話  オモイオモイ
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 22:32

 
「———と、まあ、こんなもんか」
 
 刹那シールドを展開してネギ君の魔法を回避してから数分後。俺達は反省会と称してテラスで茶々丸の淹れてくれた紅茶を飲んでいた。
 
「ネギ君は魔法の使いどころをもっと考えた方が良いな。あんな場面で使うと逆に利用されかねないからな」
「うっ……、よく分かりました」
 
 刹那におもいっきり魔法を直撃させたのが応えたんだろう、ネギ君はさっきから刹那に目を合わせられないでいた。
 刹那は別に気にしてもないと思うけど……。
 
「それにしてもアスナ、お前スゴイじゃないか。剣道を習い始めて間もないとは思えない動きだったぞ」
「……それでもシロ兄には全然当たらなかったけどねー」
「そりゃ単純に年季が違うからな。アスナの場合は習った期間を考えれば驚異的なレベルだ」
「そ、そう……? いやー、そこまで褒められると私も照れ、」
「これは師匠である刹那の教え方が良かったのかな?」
「……ちょっと、そこでそっちに行くわけ?」
 
 アスナが半眼で俺を見る。
 いやまあ、こうなると分かっててからかったんだけど。
 
「は? い、いえ……私の教え方と言うより、アスナさんご自身の才能による所が大きいでしょう。アスナさんは非常に覚えが早く、教えてる私も驚いていますので……」
 
 唐突に話を振られた刹那が紅茶のカップを置きながら答えた。
 しかし、アスナの力には本当に驚いた。刹那から剣道を教えてもらってそんなに日も経ってないのにあの動き……筋が良いってレベルじゃない。この子もある種の天才……か。
 まったく、俺にもその欠片でも良いから才能が欲しかったもんだ。
 
「……どちらにしろ今の貴様等と士郎の差はこんなもんだろ。万が一すらあり得ん。坊やは士郎との修行から多くを学ぶのだな」
「は、はい! 師匠!」
 
 大きな返事で頷くネギ君。
 いやまあ……、エヴァのヤツもまんざらでもないんじゃないか? 弟子ってやつ。
 そんな二人を見て苦笑する。
 それで話は終わったのか、座ってた子達は各々で景色を眺めたり、物珍しそうに建物を見て回っている。
 
「……さて、そろそろ夕飯か。今日は人数も多いし……茶々丸、一緒に作るか」
 
 茶々丸に声をかけ、腰を浮かせる。
 夕暮れも近い。特にネギ君たちは身体を動かしたからお腹も減っているだろう。
 それに人数も多い事だし二人で作らないと大変だろう。
 
「———それでしたら私にお任せください。ここには姉達もいますから……」
「え、でも……それじゃ茶々丸が大変じゃ———、」
「良いから任せておけ。ここの事は茶々丸たちのほうが断然詳しい。そんな中にお前が入っても戸惑うだけだろう」
 
 エヴァが服の裾を掴んで座らせようとする。
 ……いや、しかしだな。
 
「誰かに働かせてるのに自分だけ寛いでるのってどうも落ち着かなくて……」
「……ワーカーホリックか、お前は。良いからお前は座っておればよいのだ」
 
 呆れるようにして言われてしまう。
 
「むう……そこまで言うなら……、悪い茶々丸、任せていいか?」
「ええ、お任せください」
 
 では、と言って下の階に繋がる階段を下っていく。
 しかしそうなると俺は本当に手持ち無沙汰なんだが……。
 
「———ほれ、士郎。暇なら少し付き合わんか?」
 
 エヴァが何処からか持ってきたのか、片手にワインのようなボトル、片手にワイングラスを二つ持って、それをチン、と鳴らした。
 
「……酒、だよな? 俺、あんまり強いのは飲めないぞ」
「安心しろ、これはそんなに度数は高くない。それに白ワインだからな、飲みなれていないヤツでも結構いけるはずだ」
 
 ふーん、と相槌を打ちながらエヴァの持っているボトルを眺めてみる。ドイツ語らしい言葉で書かれていて意味は分からないが、何かやたらと高級そうなラベルが貼られている。
 確かにどんな味がするのか興味があるな……。
 
「じゃあちょっとだけ」
「うむ、そうこなくてはな。ほら、グラスを押さえろ」
 
 エヴァがコルクをポン、と抜いてボトルを傾ける。
 俺がグラスを押さえると、そこに若干黄色がかった液体が流れ込む。
 香りの感じだと結構爽やかな香りが漂ってくる。
 
「んじゃ、俺もお返しに———」
 
 今度は俺の番。
 エヴァの押さえるグラスにワインを半分ほどまで注ぐ。
 
「……んじゃ、ま、お疲れ様って事で。———乾杯」
「ああ、乾杯」
 
 チン、とグラスを軽く当てる。
 そしてそのままグラスの中身を一口だけ含む。
 と。
 
「———美味い」
 
 思わず感嘆の声をあげる。
 いや、これは本当に美味い。俺はワインの味なんてろくに分からないがコレは文句無しだ。葡萄の爽やかな甘さと香りが鼻から抜けるようだ。コレは確かにワインを飲み慣れて無くても飲めてしまう。
 
「エヴァ、これ凄く美味いぞ」
「そうか。気に入ったのなら何よりだ。ドイツ産のワインは甘い物が多く、飲み慣れていない者でも飲みやすいからな。だからこそお前にも飲めると思ったが……どうやら当たりの様だな」
 
 そう言うと、エヴァは微笑んでワイングラスを傾ける。
 もしかしなくても、エヴァは俺の為にこのワインを選んでくれたのだろう。でなければ俺の感想なんて気にしなくても良いんだろうし。
 
「で? お前の目から見て坊やはどうだ?」
 
 エヴァがグラスをくるくる回しながら聞いてくる。
 なんの脈絡も無い話の振りをする彼女だが、先ほどの手合わせの事を言っているんだろう。
 
「年齢を考えれば満点、大変よく出来ましたってとこ、文句の付けようも無いな」
「年齢を考慮しない単純な実力で評価すると?」
「力の使い方がなっちゃいない。もっと頑張りましょう、だな」
 
 ふむ、と頷いてワイングラスに口をつけるエヴァ。
 実際、ネギ君の才能と能力自体は間違いなくズバ抜けて高いのだが、如何せん経験不足だ。これはさっきも言ったが、年齢を考えれば仕方の無い事だと思う。
 今の彼の戦い方は、言ってしまえば圧倒的な潜在能力にモノを言わせた力技。ゴリ押しもいい所だ。あれでは下手をしなくても封印された状態のエヴァであっても勝てるだろう。
 
「どのようにしてその欠けた部分を鍛えられるか、それが問題か……」
「基本的には日々の修練で磨くもんなんだろうけど、本当の意味では実戦でしか鍛えられないからな」
「実戦ね。そうは言ってもそのように都合のいい相手などなかなか見つかるまいて」
「そりゃそうだけどな。でも実戦での緊張感とかは模擬戦とかじゃ味わえないからな」
「それは分かっているんだが———いっその事、私が本気で相手をしてやろうか? 本気で」
「……いやー、それはいくらなんでも……」
 
 いきなり本気モードのエヴァが相手とかどんなイジメだ。
 そんなもん、修練どころか、一方的なワンサイドゲームになるのがやる前から目に見えている。
 
「……あの、エヴァンジェリンさん。少し宜しいでしょうか?」
 
 と。
 エヴァとああでもないこうでもないと話し合っていると、不意に声がかかった。
 その声の主である綾瀬さん、それとそれに並んで立っている宮崎さんが俺達を真剣な表情で見ていた。
 
「何だ貴様等、何か用か?」
「折入ってお願いがあるですが……」
「…………」
 
 お願い、と言う単語を聞いただけでエヴァは露骨に嫌そうな顔をした。
 けれど綾瀬さん達はソレに臆することなく、真剣な表情をしている。
 ただ、どうしてだろう。
 その真剣な表情を見るに、こちらもキチンと聞かなくてはならない筈なのに、その話の続きを聞きたくないと願っている自分がいた。
 
「———私たちに魔法を教えて頂けないですか?」
 
 ———その言葉を聞いた瞬間、自分でも良く分からない感情に囚われ、体を硬直させた。自分の中にある世界がキチリと音を鳴らして軋んだのだ。
 怒りを感じているわけではない。
 悲しいわけではない。
 ましてや嫌悪しているわけでもない。
 ただ、何とも言えない脱力したような感情……そう、虚無感といったようなモノが全身を縛っていた。
 自分が何故そのように感じるのかが分からない。
 考えてみればその言葉は、幼い頃、俺自身が切嗣に向けて放った言葉と奇しくも一緒なのだ。今更、他の誰かが同じようなことを言っていたとしても何も可笑しくは無い筈。
 切嗣に魔術を教えてくれと何度も頼み込んだ昔の自分。そうすれば切嗣のように、誰かの為になれると夢見た幼い自分。
 恐らく二人もそのような憧れから今のように言っているのだろうに何故……。
 
「……なあ、二人とも」
 
 自分でも意識しない内に、気が付くと俺は二人に声をかけていた。
 
「? なんです?」
「……な、何でしょう?」
 
 横からかかった俺の声に二人は首を傾げる。
 隣ではエヴァが俺を見上げていた。
 
「何で魔法を習いたいと思ったか聞いていいか?」
「———存在を知った、からでは理由になりませんですか? 今まで既知でなかった存在に出会ったものに憧れを抱くのは、人間として至極普通の反応だと思うですが。……危険と冒険に満ちた『ファンタジーな世界』……胸が躍るものです。学校の授業のように退屈ではなく御伽噺のような非日常。私もそんな世界が見てみたいのです」
 
 綾瀬さんが淀みなく答える。
 
「……宮崎さんもか?」
「……は、はい。ネギ先生に聞いたんですけど私たちみたいな一般人でも魔法は使えるって聞いた時、その……ワクワクと言うかドキドキと言うか……」
 
 宮崎さんはごにょごにょと語尾を濁すが言いたい事は分かった。
 ファンタジーな世界。
 御伽噺のような非日常……か。
 
「……二人とも、平和な日常は嫌いか?」
「嫌いではありませんが退屈ですね。私はそのようなものより見たことも無い世界、未知の可能性が自分にある事が大事です。ですから私達は『そちらの世界』に足を踏み入れる決意をしたのです」
「……で、です」
 
 憧憬にも似た感情が篭もった瞳で俺やエヴァ、そしてネギ君を見る二人。
 
「…………そっか」
 
 そう呟いてワイングラスを一気に煽る。
 その言葉で先ほどまで感じていた虚無感の理由を理解した。
 
 ———平和は退屈だと。
 ———危険と冒険こそが望みだと。
 それはつまり、衛宮士郎の夢を全否定されたように感じたからだ。
 
 未知のモノに憧れを抱く感情は理解できるが、俺はソレに頷く事は出来ない。それが危険を孕んでいるのなら尚更だ。
 
 ———誰もが平和な世界。それが俺の夢だから……。
 
 けれども、これは俺だけの誓い。綾瀬さん達や他の誰かに強要するような類のモノではないのだ。
 
「———ハ、ケツイケツイ。決意……ね」
 
 今まで黙って話を聞いていたエヴァが吐き捨てるように言った。その表情は綾瀬さん達の角度からでは見えないだろうが、隣に座った俺からはハッキリ見える。頬杖を着きながら、グラスの中でワインを躍らせて眺めているその表情。
 
 ……それは嘲りだった。
 
「エヴァンジェリンさん、どうかしましたですか?」
「……いや、何でもないよ。どちらにしても私はそんなメンドくさい事はイヤだね。頼むなら向こうに先生がいるんだからそっちに頼め。魔法先生にな」
 
 エヴァはそう言って、犬でも追い払うようにしっし、と手を振った。
 
「……うっ」
 
 綾瀬さん達はソレで取り付く島も無いと判断したのか、踵を返してネギ君の所に向かった。
 
「———ふん。その憧れがどのようなものかすら理解できていない小娘如きが、よくもまあ決意などと軽々しく言えたものだ」
 
 苛立たしげにワインを煽るエヴァ。
 俺はその言葉を否定できずに苦笑を残して席を立った。
 
「…………士郎?」
 
 いぶかしむエヴァの声を置き去りに、夕日の沈んでいく景色の見える展望台へと歩く。そしてそこに並ぶ柵に両腕を組んだ状態で置き、顎を乗せて夕日を眺めた。
 ……俺はこの世界が好きだが、そこにずっと暮らす人達の考えは違うんだろう。ここの人たちにとっての当たり前が俺にはとても尊く感じる。多少のトラブルがあれど、誰もが笑って暮らしている。
 
 ———そう、それはまるで夢の様な世界だ。
 
「———どうした士郎。あんな小娘の戯言に感じ入る物でもあったか?」
 
 そこにかかる厳しい文面とは裏腹に優しいエヴァの声。
 見ると、両手には新たに中身の注がれた俺のワイングラスと、自分のワイングラスを持って、こっちに歩いて来ていた。
 エヴァは手に持ったグラスを俺の肘のすぐ近くの柵の上に置くと、今度は自分でそこに手をかけ、伸び上がるように飛び乗って腰掛けた。そしてそのまま振り返り気味の格好で沈む夕日を眺めると、ふうと軽く息を吐いた。
 俺もその一連の動作を眺めた後、夕日へと視線を戻す。
 
「……………」
「……………」
 
 お互いに何も語らずにただ夕日を眺める。
 背後からはネギ君に魔法を教わっているのか、呪文の詠唱のような声が聞こえる。どうやら綾瀬さんや宮崎さんだけでなく他の子達も一緒に混じって習っているらしかった。
 俺はそんな楽しそうな声に思わず苦笑を漏らして目を閉じた。
 
「……昔、さ」
 
 ポツリと、独白の言葉が零れ落ちた。
 
「……ん?」
 
 エヴァが俺を見たのが気配で感じられる。
 俺はソレに構わず続けた。
 
「俺も昔、親父に頼んで魔法……いや魔術を無理矢理教わったんだ」
「…………」
「一番始めに親父から教わった事は心構え。……魔術を習う、という事は常識から離れるという事。死ぬ時は死に、殺す時は殺す。魔術師にとって一番初めの覚悟とは、死を容認する事だ———ってさ」
「……ふむ、含蓄のある言葉だな」
 
 瞼の裏に映る赤さは夕日の物か血潮の物か。
 潮風が頬を撫でていく。
 
「事実、俺の世界では魔術と死は隣り合わせだった。初歩の魔術だって一歩間違えただけで簡単に死に至る。俺だって死にそうになった事なんて一度や二度じゃない。……でも、そんな事はどうでも良かったんだ。俺は魔術師になりたくて魔術を習ったんじゃない。親父みたいに、切嗣みたいになりたかったから魔術を習ったんだ」
「クク、お前らしいと言えばお前らしい話だな」
 
 エヴァの薄く笑う声。
 瞳を開いて横目でそちらを見てみると、穏やかな表情で夕日を眺め、強い風に遊ぶ黄金の髪を片手で抑えていた。
 
「……なあ、エヴァ」
「ん?」
「俺はここでの生活が好きだ。エヴァがいて、茶々丸がいて、チャチャゼロがいて、刹那たち皆がいて、皆が笑っているこの世界が好きだ。……ホント、争いの無いここは俺の夢みたいな場所だよ」
「そうか。それは何よりだ」
「…………でも、そこにいる人達にはそうじゃないのかもな。平和が当たり前すぎるとそれが退屈に感じるんだな」
「———士郎?」
 
 きょとん、とした表情で俺を見る。
 俺はそれを視界の端で捉えて、もう一度夕日へと視線を戻す。
 
「俺にとっちゃ夢みたいな世界でも……彼女達にとっては退屈なだけの世界なんだ」
 
 それは衛宮士郎の理想が根底からして否定されているのと同義。
 彼女たちにとっては何気ない言葉で、悪意なんかはこれぽっちも篭っていなかった筈の言葉なのに。
 お前の目指している夢なんて、他人から見たらなんの価値もないモノなんだと、まるで世界からそう突き付けられているようで。
 
「……俺は」
 
 
 …………ただ、その事実だけが俺をこんなにも打ちのめす。
 
 
「……士郎。所詮は物事の分かっていない小娘の戯言だ。お前がソレを気に病む必要はないのだぞ?」
 
 エヴァが俺にワイングラスを差し出しながら言う。
 俺はソレに礼を言って受け取った。
 
「お前が元いた世界と、この世界の神秘に対する心構えに大きな隔たりがあるのは分かった。お前がその世界で何を見聞きし、何を思ったのかは分からないが、その全てが甘い物ではない事は理解しているつもりだ。だが、それは平穏しか知らないガキ共には理解できない次元の話だろう」
 
 ———強い風が吹いた。
 一際強いソレは彼女の長い髪を大きく後方へと靡かせた。
 
「———ならばそれで良いではないか。誰に理解されずとも、私がお前を理解して全てを肯定しよう。お前を理解できないモノに無理に理解させる必要もない。この私が理解しているのだ。———それで良いではないか」
「———……エヴァ、お前」
 
 ———それは、これ以上ない言葉だった。
 物事の正否、可否、善悪。
 それら全てを度外視して無条件に俺を容認するといったその言葉。
 ソレが胸の深い所に染み入った。
 スッ……とグラスを掲げて微笑むエヴァ。
 
「——————」
 
 泣いてしまいそうだった。
 夕焼けの中、風に靡く黄金の髪を片手で抑えながら微笑むその姿。
 その姿が余りにも衛宮士郎という人間には美しく映って、泣き出してしまいそうだった。
 
「……エヴァには敵わないな」
 
 込み上げて来る感情を隠すように俺は笑う。そうでもしなければ本当に涙が溢れそうだったから。
 組んだ腕を解き、グラスを持ち上げる。
 
「ふふ、敵う必要も無いだろう? 我等が相対する事など最早あり得んのだから、私は常にお前と共にある———だろう?」
 
 面白そうに彼女は笑う。
 ああ……ホント、お前には敵わないよ。
 
 俺達はグラスを掲げて、
 
「———ああ、家族だもんな」
 
 チン、とグラスを響かせあった。
 



[32471] 第43話  君のカタチ
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/14 00:14
 
 
 その夜の事だった。
 とは言っても、『別荘』の中での夜なので外の世界ではまだ大して時間も経っていないんだろうけど。
 相も変わらず凄い場所だなと、改めて感心する。
 騒がしくも楽しい夕食を済ませた後、騒ぎ疲れた女の子たちはもう寝静まっていた。
 
「……全く、ようやく静かになったか」
 
 やれやれと肩を竦めるエヴァ。
 目の前にはエヴァ、茶々丸、チャチャゼロ。
 俺達はテラスから場所を移し、エヴァの個室で寛いでいた。
 
「まあ、あんだけ騒げば疲れもするだろうしな」
「———士郎さん、どうぞ」
  
 呆れるように呟いた俺に、茶々丸が空になったグラスを見て液体を注いでくれた。
 ……ちなみにワインではない。俺はそんなにアルコールに強い訳ではないので、今飲んでいるのは普通の葡萄ジュースだ。
 
「騒ぎ過ぎだ。食事ぐらいもっと静かにとれんのか……ったく」
 
 対してエヴァとチャチャゼロはワインを飲み続けている。
 エヴァはゆっくりと飲んでいるので良く分からないが、そこそこは強いのだろう。酔っている様子は見られない。
 
「ケケケ、俺ハドッチデモイイケドナ」
 
 それに対してチャチャゼロは……いや、チャチャゼロはどうなんだ? 酔ったりするんだろうか? 先ほどからカッパカパ飲んでいるが。
 ……そもそも、何処に入ってるんだよ、酒。どう考えても飲み食いできるような見た目ではないのだろうに。聞いてみたい気もするが、きっと聞かぬが華なんだろうとも思う。
 シェードランプの淡い灯りの下で杯を交し合う。
 遠くには波の押し寄せる音すら聞こえる、そんな静かな夜。
 
「———ん?」
 
 何処からともなく遠雷のような音が聞こえる。
 だがそれはおかしい事だ。この空間内で天気が崩れるような事などあり得ない。だとすれば一体……?
 
「……大方坊やだろうよ。先ほど私が見せてやった魔法の連携でも試しているんだろうさ」
 
 エヴァが呆れたように言う。
 どうやら同じようなことを考えていたらしい。
 
「ああ、なるほど。ネギ君も熱心だな」
「ふん、その程度でなければ私の弟子としては不足というものだ」
 
 フフン、と言い捨てるが何処か嬉しそうに見える。
 
「やっぱり満更じゃ無いって感じだよな、茶々丸」
「ええ、そうですね士郎さん」
「アノガキノ何処ヲソンナニ気ニイッテンノカネェ」
 
 俺の言葉に頷く茶々丸とチャチャゼロ。
 そんな俺達をエヴァが顔をひくつかせながら睨んだ。
 
「何だ貴様等……含みのある言い方だな。言いたい事があるならハッキリ言え」
「いやー、なんでもないなんでもない。どれ、俺はネギ君の様子でも見に行こうかな?」
 
 エヴァの物言いたげな視線を適当に回避して席を立つ。
 広場へと続く階段に足をかけると並び立つ人影があった。
 
「ん? エヴァ達も行くのか?」
「どうせ私達だけでここにいても暇だからな。酒の肴に見物する」
「私はマスターと共にあるのが使命ですから」
「何カオモシレー事ネェーカト思ッテナ」
 
 結局皆か。まあ、離れて見学してる分には邪魔にもならんだろ。
 最終的にゾロゾロと階段を登る。
 広場に出た途端、潮風が頬を優しく撫でた。
 
「えっと……ネギ君は———と。お、いたいた」
 
 目標の人物を発見する。
 だがその傍らに些か予想外の人物がいた。
 
「あれは……アスナか? さっき寝たと思ったけど……二人して何やってんだ? それに宮崎さんは何で隠れてんだ?」
 
 ネギ君とアスナは向かい合う格好で何かをしようとしている所だった。
 そしてもう一人。
 宮崎さんはそんな二人から隠れるようにして、物陰から覗いている。
 俺たちを含めたそれぞれの位置関係を言えば、ちょうど二等辺三角形みたいな感じだろうか。距離の近いのが俺たちと宮崎さんだ。
 とりあえず挙動不審の宮崎さんの方に向かって歩いていく。
 宮崎さんは近づく俺達には気が付きもしないで、熱心に二人を見ていた。で、結局、真後ろに立っても全く気が付きもしない。……特に気配とかも消してないのにこの距離まで接近されて気が付かないんだからよっぽど集中しているんだろう。
 
「……な、何してるんだろー……」
 
 宮崎さんのそんな呟きが聞こえる。
 その視線の先には当然ネギ君とアスナ。二人はなにやら魔方陣の上に膝で立って向かい合っていた。どうも何らかの儀式みたいだが……。
 
「エヴァ。あれ何の儀式か分かるか?」
「ふむ。アレは意識シンクロの魔法だな」
「———うひゃいぃっ!? エ、エヴァエヴァエヴァンジェリンさん!?」
 
 突然真後ろで会話をした俺達に飛び上がらんばかりに驚く宮崎さん。
 まあ、イキナリ後ろから声が聞こえれば、そりゃ驚くか……。
 それにしてもエヴァエヴァエヴァンジェリンさんとは新しい呼び方だな。……長いから定着しそうにも無いが。
 当のエヴァは驚く宮崎さんを完璧に無視し、思案顔でネギ君たちを眺め、
 
「お前、アレ持ってただろ。『他人の表層意識を探れるアーティファクト』。ちょっと貸してみろ。坊やの心をウォッチする」
 
 と、言った。
 そういえば宮崎さんのアーティファクトってそういう能力だったか。直接の戦いではあんまり役に立ちそうも無いけどこういう時とか情報戦には凶悪だな……。プライバシーもへったくれもないのである。
 
「おいおい。いいのかよそんな事して……」
「構うまい。先ほどのあの二人の会話を唇の動きで読んだが、どうやら坊やの昔話のようだ。それに坊や自身、遅かれ早かれ他の連中にも同じ事を話すらしいからな。ならばここで覗いても大した違いはあるまい」
「……いいのかなー……」
 
 プライバシーの侵害っつーか、なんつーか。
 いくら後で全員に話す心づもりだったとしても勝手にこんな事をするのはかなり気後れする。そりゃ、俺だって正直に言えばネギ君の過去に何があったかは興味はあるが……。
 
「ええ〜〜!? ダ、ダメですよそんなの……」
 
 宮崎さんが再び声をあげる。
 それは善良な宮崎さんにして当然の反応。
 ———が。
 そんなことで諦めるエヴァではない。
 むしろ獲物を追い詰める猟犬のような目付きを見せて唇の端を持ち上げた。
 ……あー、こりゃ落としにかかる前の顔だなー、とかそんな事を暢気に考える俺。
 こうなってしまったエヴァはもはや止められない。
 宮崎さんには可哀想だが犬に噛まれたと思って諦めて欲しい。
 
「———”好きな男”の過去を知っておいて損はないぞ? このままではあそこで姉貴面している神楽坂明日菜に掠め取られてしまうだろうな。それでもいいのか? ん?」
「う、うぅ〜〜?」
「いやいや、私としてはどちらでも構わんのだぞ? このままではそうなってしまうであろう可能性を示唆しているに過ぎんのだからな。だがまあ、今の場合は私が見たいのであって貴様に責はおよばんだろう。なんといっても私から頼まれて出すだけなのだからな。貴様は私が坊やの記憶を覗きたいといったから貸したのであって、ソレを”偶々”……そう偶々脇から見てしまうこともあるんだろうな。———なあ、宮崎のどか?」
「うぅぅ〜〜?」
 
 すっかりメダパニ。
 宮崎さんはエヴァの言葉に翻弄されまくって混乱しまくっている。
 そして、
 
「ど、どうぞ」
「うむ」
 
 落ちた。———合掌、南無。
 エヴァは満足気な表情でうなずくと、早速手渡された本を開いた。
 すると、最初は何も描かれていなかった本のページにじわじわと湧き出すように文字と絵柄が現れる。
 やがて、それらがハッキリとした輪郭を伴って描き出される。
 
「……ふむ。士郎、お前も見るだろう」
 
 エヴァはそう言うと石畳の上にペタンと座り込み、自分の隣をポンポンと叩いてそこに座るよう俺に促した。
 
「いや、しかしだな……」
 
 俺は勝手にネギ君の過去を覗き見ることに少なくない抵抗を覚え戸惑っていたが、そんな俺に業を煮やしたのか、エヴァが俺の服を引っ張って強引に座らされた。
 
「いいからお前も見ておけ。仮にとは言え、お前も坊やに指導をしている立場なのだから必要な事だ。先程も言ったように、坊や自身どうせ後から全員に教えるつもりなのだから遅いか早いかの違いしかあるまい」
「……わかったよ」
 
 不承不承でうなずく俺に満足したのか、エヴァは手にした本へと視線を戻した。
 その反対側からは宮崎さんが興味深げに覗きこんでいる。
 
「———衛宮さん、なにしてるですか?」
 
 そんな俺達に掛かる新たな声。
 そちらを向くと、綾瀬さんを先頭に他の女の子達も全員起き出してしまったようだ。
 
「……貴様等か。丁度良い、貴様等も見ておけ。大好きな先生の過去だそうだ」
 
 エヴァは彼女達を軽く一瞥しただけでそう言い捨て、再び視線を本へと戻す。
 彼女達はその言動に惹かれる物を感じたのか、後ろに並び立ち本を覗いた。
 そして俺もその様子を眺めた後、それに習うかのように本を覗き込むのだった。
 
 
 
 ◆◇—————————◇◆
 
 
 
 ———それは、六年前の異国の小さな山間の村だった。
 真っ白な雪がしんしんと降り積もる景色の中で、ネギ君とその姉であるネカネと呼ばれた女性は暮らしていた。
 そこは魔法使い達の住む、小さな村。
 そんな村で生まれ育ったからなのか、小さなネギ君はその頃から極自然に魔法と触れ合って生きていた。
 幼い彼に両親はおらず、年の離れた姉も魔法学校に通うため寄宿舎に身を寄せており休暇の時にしか家には帰って来れない為、自ずと彼はその大半を一人で過ごしていた。
 幼く、孤独な彼に時間は何を与えたのだろうか。
 見た事もない両親へと募る思い。
 英雄であった父。
 その考えが彼をある行動へと突き動かす。
 悪戯ばかりしては、その度に危険な目に遭う幼い頃のネギ君。それは、今の落ち着いた彼からは似ても似つかない行動だった。
 そんな事を繰り返していた彼だったが、ある日、誤って冬の湖に落ちてしまい、溺れはしなかったもののそれが原因で寝込んでしまったことがあった。
 ソレを聞きつけた彼の姉であるネカネは慌てて学校から帰ってくると、何故そのようなことをしたのかと彼を問い詰めた。
 
「……だって、ピンチになったらお父さんが助けに来てくれるって思って……」
 
 ———それが、幼い彼を突き動かした原因だった。
 自分が危機に陥れば、英雄である父親がきっと助けてくれる。自分の前に出てきてくれる。
 そんな彼の考えを誰が笑うことが出来ようか。
 幼い子供がただ父親に会いたい一心で起こした行動を、無理だ無謀だとけなす事など一体誰に出来ようか。
 
 ———そんな出来事を経て、時は過ぎる。
 ある日、彼は村はずれの湖畔に一人で釣りに来ていた。
 その途中、今日は彼の姉が帰ってくる日である事を思い出す。
 大好きな姉に一刻でも早く会うべく、その幼い足を懸命に動かした。
 弾む息に合わせて流れる風景。
 小さな歩幅で緩やかな丘を駆け上る。
 あの丘を越えれば村全体が見渡せる。そして優しい姉が満面の笑顔で抱きしめてくれる。
 そう考えて丘の頂に駆け上りいつもの景色を見渡した。
 ……その筈だった。
 
「———え?」
 
 
 ———見慣れた筈の景色は、真っ赤に染められていた。
 
 
 立ち昇る黒煙。
 崩れ落ちる家屋。
 そんな光景にネギ君はただ立ち尽くすのみだった。

「お姉ちゃーん! おじさーん!」
 
 親しい者たちの名前を叫びながら駆け出す。
 そうして、すぐに叔父の姿を発見した。
 
「……おじ……さん?」
 
 だが様子がおかしい。
 彼もそうだが、その周囲にいる人間全員が険しい顔をしたまま微動だにしないのだ。
 
 ———それこそ良く出来た石像のように動かない。
 
「……ぼ、僕が」
 
 その光景に立ち竦む彼の周囲に異変が現れた。
 地面から何かが無数に沸き立ってきたのだ。
 
「僕がピンチになったらなんて思ったから……」
 
 ———それは、正に異形だった。
 人間離れした大きな体躯。牙。翼。
 そのどれを取っても凡そ人間に真似出来る代物ではないのは明白。
 その姿は———悪魔と呼んでも差障りはないだろう。
 
「僕があんな事思ったから……お父さんに会いたいなんて思っちゃったから……。お父さんお父さんお父さん」
 
 そんな周りの光景すら目に入っていないのか、壊れたレコーダーのように言葉を繰り返す。
 無常にも、そんな彼に時の流れは待ってくれない。
 巨躯を誇る悪魔の拳が徐に上がった。
 その腕を止める術など、彼にはないだろう。
 彼はここで朽ち果てる。それが条理なのだろうか。
 
「——————お父さん!」
 
 ———だがそこに、条理を覆す存在が現れた。
 
「…………」
 
 風に靡く赤い髪とフード付きの白いコート。
 左手には杖。
 そして右手一本で悪魔の巨大な拳を止める男が立っていた。
 
「……え?」
 
 バシン、と。
 右手から迸った電撃が悪魔の動きを封じた。
 
「———『雷の斧』!!」
 
 たった一撃、その一撃のみで巨大な悪魔を葬り去ってしまう。
 そこからは圧倒的だった。
 拳の一撃で悪魔を仕留め。
 蹴りの一撃で吹き飛ばし。
 腕の一振りで押し寄せる軍勢を払い散らす。
 そして、腰溜めに右手を構えた。
 次の瞬間。
 
「———『雷の暴風』!!」
 
 突き出した拳から放たれる極大のレーザーじみた強烈な一撃が、文字通り全てを灰燼へと変えた。
 その様が余りにも一方的で。
 化け物をすら圧倒して。
 
 ……そのどちらが化け物か分からなくなる。
 
「……っ!」
 
 その様子に恐怖を覚えたのか、幼いネギ君はその場から逃げ出してしまう。
 だが、その行動がいけなかった。
 逃げ出した方向にはガパリと大きな口を開けた悪魔が待ち構えていたのだ。
 その口腔内に収束する魔の気配。
 それが光り輝き、解き放たれた。
 だが、
 
「……おねえちゃん! スタンさん!」
 
 ネギ君の前に再び二つの影が立ち塞がった。
 彼の姉であるネカネと、老魔法使いのスタンと呼ばれる男性だ。
 ネギ君の身代わりに悪魔の一撃を受けた二人は、足元から石へと変化していく。
 状況から考えると、この村の現状を作り出したのもこの悪魔なのかもしれない。
 悪魔が止めを刺さんと襲い掛かる。
 だがこの老魔法使いもさしたる者。
 その状況下に置いて反撃をして見せたのだ。
 
「———封魔の瓶!」
 
 そう叫び、懐から取り出した小瓶を投げつけると、その中に目の前の悪魔は吸い込まれていった。
 だがしかし。
 老魔法使いスタンとネカネの石化の進行は止まらない。
 対魔力の差なのか、スタンは既に胸の辺りまで、対してネカネは未だに膝の部分までと、その進行具合には開きがあった。
 
「……逃げるんじゃ坊主。お姉ちゃんを連れてな。ワシャもう助からん、この石化は強力じゃ。治す方法は……ない」
「スタンおじいちゃん!」
「頼む、逃げとくれ。それがどんな事があってもお前だけは守る。それが、死んだあのバカへのワシの誓いなんじゃ……」
 
 スタンはそう言うと、早くネカネを治療できる術者を探すようにネギ君へと言いつけると物言わぬ石像へと変わり果てた。
 
「……お姉ちゃん。起きてお姉ちゃん」
 
 最後の言いつけを守るように必死に倒れ付したネカネを揺り起こす。
 そんな彼の背後に一人の男……先ほど圧倒的な力を見せ付けた男が立っていた。
 
「……すまない。来るのが遅すぎた」
 
 彼はそうやって後悔するように呟くと、倒れたままのネカネへと足を一歩踏み出した。
 
「———っ!」
 
 そんな彼の前に、ネギ君が立ち塞がる。小さな杖を手に持ち、ネカネを守るように。
 
「——————お前」
 
 そんな彼の行動に男は目を奪われた。
 
「……そうか、お前がネギか」
 
 男はその行動をを通して初めてネギ君のことを認識したようだった。
 
「お姉ちゃんを……守っているつもりか?」
 
 彼はそう言うと、フワリと優しくネギ君の頭を撫でた。
 
「———大きくなったな」
「……え?」
「そうだ、お前にこの杖をやろう。俺の……形見だ」
 
 ———形見。
 その言葉の意味。
 そう、それは……。
 

「……お、お父さん?」
 
 
 彼が、ネギ君の父親であると言うコト。
 
「……もう、時間がない。ネカネはもう大丈夫だ。石化は止めておいた。あとはゆっくり治して貰え」
「…………お父さん?」
「———悪いな。お前には何もしてやれなくて」
 
 そうやってトン、と地面を蹴り空に浮かぶと、そのまま遠ざかっていく。
 
「お父さん!」
 
 叫べどもその姿は見る見る小さくなっていく。
 ネギ君はその姿を追って駆け出した。
 何故、離れていってしまうのか。
 折角出会えたのに何故。
 
「こんな事、言えた義理じゃねえが……元気に育て———幸せにな!」
「お父さ、」
 
 上を見上げながら全力で走ったからだろう、躓いて転んでしまうネギ君。
 そして次に見上げた空には。
 
「———お父、さん」
 
 何も、浮かんでいなかった。
 
 
「…………お父さあーーん!!!」
 
 
 ◆◇—————————◇◆
 
 
 ———それが、坊やの過去だった。
 なるほど、年齢に見合わないクソ真面目さはあのような体験をした反動……ある意味トラウマのようなものだったのか。
 ……なんだ、坊やにもそれなりの理由があるのではないか。
 
「……僕は今でも時々思うんです。あの出来事は『ピンチになったらお父さんが助けてくれる』なんて思った僕への天罰なんじゃないかって……」
「なっ……何言ってんのよ! 今の話の中にアンタのせいだった事なんて一つもないわ! 大丈夫、お父さんにだってきっと会える!」
「ア、アスナさん……」
 
 神楽坂明日菜が力強く坊やに言い聞かせる。
 それはなんの根拠もないが、妙に力のある言葉だった。
 
「任しときなさいよ、私がちゃんとアンタのお父さんに……ん? うわっ!?」
「……え」
 
 と。
 そこでようやく私達の姿に気が付いたのか、坊やと神楽坂明日菜が私達の姿を見て驚いた声を上げた。
 ……まあ驚くのも無理はないのかもしれない。なんと言っても私と士郎以外は、もうボロッボロに泣いているんだから。
 
「ううっ、ネギ君にそんな過去が……」
「ネギ先生……!」
 
 そして遂に感極まったのか、全員が全員坊や達に向けて殺到する。
 
「き、聞いてたんですか皆さん!?」
「ネギ君! 私も及ばずながらネギ君のお父さん探しに協力するよ!」
「ウチもー!」
「ワタシも協力するアルよー!」
「わわわ私も〜〜」
「協力って……そんなダメですよ! 師匠(マスター)、この人たちに何か言って上げてください〜〜っ!」
 
 坊やが涙目で私に懇願する。
 そうは言われてもな……。
 
「ん……いやまあ、私も協力してやらん事もないが……」
「師匠〜〜!?」
 
 いや、あのような話を見せられては、少しくらいなら協力してやるのも吝かではない気分になると言うか何と言うか……。
 ……って、私は誰に言い訳をしているのだ?
 
「…………」
  
 しかし、先ほどから妙に士郎が静かだ。
 このような場面ならば真っ先に協力するとか言い出すようなヤツなのだが……まさか感動で声も出ないと言う訳ではあるまいに。
 
「どうした士郎。妙に静かだな。それほど坊やの過去に感じ入ったか?」
「……ん? あ、いや。感じ入ったとかとは別なんだけど……ただ似てるなって思って……」
「似てる……なにがだ?」
「ネギ君の過去と俺のが」
「……お前と坊やのが?」
「ああ。勿論完璧にって訳じゃないんだけど、そういう部分が所々あるなって………………げっ」
「ん?」
 
 今まで私を見て話をしていた士郎が、なにやら私の背後を見て奇妙な呻き声を上げた。
 一体何事だと思って振り返ってみて……なるほどと納得してしまった。
 
「——————」
 
 そこにあったのは、やたらと表情をキラキラと輝かせたガキ共達の姿。
 士郎の過去と聞いて興味を惹かれた様だ。
 うむ、完璧にお前の失言が原因とは言え、確かに呻き声の一つも上げたくなるような状況だな。
 さすれば次に言い出すことも予想できると言う物。
 
「シロ兄の過去……そう言えばシロ兄って私達に昔の事話してくれた事なかったわよね……」
「ん〜……考えてみれば……そうやね。シロ兄やんっていっつもウチ等のお話聞いてくれるけど、シロ兄やんの方から教えてくれるいうんはないなあ〜」
「し、士郎さんの過去ですか……さぞかし苦難の道程だったのでしょうね。私には全く想像も付きません。……い、いえ。だからと言って決して見たいとかそんな事思っているわけでは無くてですね!?」
 
 ……刹那よ。貴様は誰に言い訳しているのだ?
 しかしまあ。
 私は小娘共とは違って、士郎からそこら辺の話はかなり聞いている。
 だが、それはあくまで私が聞いた事柄に関して士郎が答えているのであって、当然の事ながら何から何まで知っている訳ではない。
 士郎は聞かれれば包み隠さず答えてくれるが、そもそもその元である記憶が曖昧である事も手伝って不明瞭な部分が多い。
 …………って、おや?
 
「…………」
「そんなこと言われても……参ったな。エヴァどうしようか……ってエヴァ、どうかしたか? 急に黙り込んで」
「……士郎、凄く今更な事を聞くが良いか?」
「……なんだよ改まって」
 
 私が声を潜めて周りに聞こえないように話すと、士郎もそれに合わせて声量を落とした。

「……お前、記憶が曖昧なままなんだよな?」
「本当に今更だな。最初に話した通りそのままだけど……」
 
 それがどうした? と、そんな問いかけるような視線を寄越す士郎。
 
「うん、その……だな。よくよく考えてみれば———坊やが今やったのとは逆に、私が士郎の記憶を覗いて見れば———その原因も分かるんじゃないか?」
「—————————あ」
「…………」
「…………」
 
 ……沈黙が痛い。
 何故気が付かなかった私……。
 いや、それを言うなら、このような基本的な魔法は以前士郎に渡した魔法関係の本にも記されているのだから、士郎も気が付けば気が付くようなモノだったのだが。
 
「……やっぱ、知識だけで覚えるってのはダメだなあ。俺、全然思いつかなかった……」
「……私は他人の記憶などに興味はなかったからな……そもそも覚えても使う機会が無いからと完全に記憶から消え失せていたぞ」
「…………」
「…………」
 
 二人揃って大きな溜め息を吐く。
 ずっとこうしていても話が進まない。いい加減気を取り直そう。
 
「ど、どうしちゃったの? シロ兄もエヴァちゃんも」
「ん、ああ、何でもない何でもない。揃って抜けてたなあって感じてただけだから……で、なんの話だっけ?」
「いや、だからシロ兄の昔の話。私たちシロ兄の事何にも知らないなあって」
「ああ、そうそう。その話だった……けど、俺の昔ねえ……エヴァ、どうしようか?」
「……ふむ」
 
 この場合の士郎の問いは、話す話さないは別として、どの程度まで話せるかと言うさじ加減を私に問うているのだろう。
 元が別世界の人間の士郎の判断では、魔法関係の基準が違うので下手に坊やの前で話せないのだから、私にその裁量を尋ねるのは解かる話だ。
 
「いや、それ以前にお前は記憶を見せる事に抵抗はないのか?」
「抵抗? そりゃ無くは無いけど、別に見られて困るような事はないしな。見ても面白いもんじゃないとは思うけど」
「面白いとか面白くないの話ではないのだが……」
 
 やたらあっけらかんと言う士郎に思わず脱力する。
 普通なら他人に記憶を覗かれるというのは、少なくとも良い気分ではないだろうからと思ったからこその質問だったのだが……。
 まあ、そういうヤツだよ。お前は。
 
「じゃあさ、エヴァが決めてくれよ。最初にエヴァが確認してみて、その後で皆にも見せていいか判断するってのはどうだ?」
「———は? 私がか?」
「ああ、俺じゃどうにも判断付け難いからな。お前に全部任せる」
 
 いや、全部って。
 私はそれでも別に構わんのだが……。
 余りにも簡単に決めすぎてやしないか?
 
「……お前はそれで問題無いのか?」
「問題なんかあるもんか。エヴァが判断してくれるんだろ? だったらそれ以上に信用できる物は無いに決まってる」
「———っ!」
 
 だぁーーっ! お、お前はそういう小っ恥ずかしい事をサラリと言うな!
 ホラ見ろ! そのせいで小娘共が呆気に取られているじゃないか! あー、顔が熱い!
 
「コ、コホン! それは兎も角としてだ! 士郎がそう言うのであれば私も吝かではない。貴様等はどうだ? 士郎自身が見せても良いと言っているのだから、それを望むのであれば私の独断ではあるが、見せるか見せないかを決めるが」
「私はどっちでも良いわよ。元々興味があるだけだったし、シロ兄が見せたくないって言ったら無理に見るつもりもないし」
「うん、ウチも。そら聞きたいかって聞かれたら聞きたいに決まっとるけど無理に聞くモンでもないしな」
「ふん、よかろう」
 
 まあ私自身も興味はあるしな。
 
「では士郎。気を楽にしてそこに座ってくれ。先ほどの坊やの魔法とは少々違うからな、お前が強く抵抗するよう意識してしまっては術が成功しないからな」
「ああ、わかった」
 
 士郎はそう頷くと、胡坐をかいて目を閉じた。
 さて、後は術をかけるだけなのだが……。 
 
「———ふむ」
 
 どうせだ。いっその事、こいつの記憶の初め……産まれた直後から見させてもらうのも悪くないかもしれん。
 自分の記憶を覗いてくれと言い出したのは士郎なのだし、これくらいの役得はあっても構わんだろう。
 そう考えた私は、術を更に強めに掛け、最も古い記憶まで遡る。
 ……しかしアレだ。
 こうしてみると分かるのだが、士郎の抗魔力の低さは呆れるほどだ。
 士郎自身が抗おうとしていないのもあるんだろうが、ソレを加味したところでこの低さはちょっと問題なのではないだろうか?
 確かに、攻撃系の魔法などは喰らわなければ良いだけの話なのだが、これでは精神に干渉する類の術にはまるで無防備ではないか。
 まあ、士郎のことだからそんな弱点を曝け出したままという事はないだろうから、何がしかの対抗策はあるんだろうが。
 それはさておいて、士郎のヤツはどのような幼少時代を過ごしていたのか興味が沸く。
 コイツのことだからくそ真面目に魔術の鍛練を繰り返していたか。それともこういうヤツに限って昔はやんちゃだったという落ちであろうか。どちらにしても可愛げの無い少年時代を過ごしていたのだろうと内心ほくそ笑む。
 
 ———しかし、そうやって意識が繋がる瞬間。
 何かが聞こえた気がした。
 
「——————?」
 
 何かが軋むような、ギギギと言う音。
 まるで、錆び付いた重い扉を強引に開くような音。
 恐らくは気のせいなのだろう。ただそんな気がしただけなのだ。
 だから私は特に気にせず術を紡いだ。ここで集中が乱れては術が失敗してしまう。
 ……だけど、私は感じてしまったんだ。
 
 その音が。
 まるで。
 
 
 ———決して開いてはいけない、地獄の釜が抉じ開けられたような音だと。
 
 
 そう、心のどこかで感じていたのだった。
 






[32471] 第44話  You And I
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/06/13 22:44


 ———心のどこかで決め付けていたのかもしれない。自分がそうであったからと。
 
 士郎のこれまでの人生が苦難の連続だったと言うことは、言うまでも無く理解しているつもりだった。
 だが、私自身が持っている幼い頃の記憶が平穏であったように、士郎も始まりの記憶くらいは幸せな物であったのだと、そんな風に思っていた。
 ……そう、願っていた。
 それこそ最初は士郎の幼少時の失態でも見て、せいぜい笑い話のネタ程度になれば良いと、そんな心持だったのは否定しない。だが、決して軽い気持ちで彼の記憶と向き合ったのではない。
 
 
 
 
 意識が次第にリンクしていくのを感じる。
 士郎の記憶が映像として段々頭の中に流れ込んでくるのが分かった。
 お、そろそろかと、まるで娯楽映画でも見るかのような心持で次第に鮮明になっていく映像を眺める。
 さて、それでは幼少時代の記憶から楽しませて貰おうかと、瞳を開いた。
 その瞬間、
 
 
 
「———————————————————————————————————待て、何だ———これは……っ!?」
  
 
  
 ———世界は紅蓮に染まっていた。
 
 
 
「……………っ」
 
 …………言葉に、ならない。
 いや形容する言葉が存在しない。
 士郎の始まりの記憶。
 それは————生きて見る地獄だった。
 それ以前の記憶がない。
 弛緩していた思考を思いっきりハンマーで叩き潰されたかのようなショックでその光景を眺める。
 紅い煉獄。
 黒い太陽。
 耳朶に響くは木材が爆ぜる様な音、そして———怨嗟、絶叫、断末魔の悲鳴。
 大火事なのか、目に映るものは燃え上がる炎。
 生活を営んでいたとは思われる家屋は全て焼け焦げ、瓦礫と化している。その中に紛れるように転がっている木の枝が炭になったような物体は……過去、人間だったモノの成れの果てか。
 そんな阿鼻叫喚の中をただ一人の少年が満身創痍で当ても無く歩いていた。
 全身を重度の火傷に覆われ、胸に刻み込まれた深い傷は誰が見ても致命傷だろう。そんな今にも息絶えてしまいそうな少年をこの私が見間違える筈も無かった。
 
 ———この少年は士郎だ。幼少時代の士郎だ。
 
 少年は今にも倒れそうな身体を引き摺って懸命に生きようとしていた。そうするのが自分に課せられた使命であるかのように。
 歩いているのは少年一人。
 生きているのも少年一人。
 ……いや、それは正確ではないか。
 少年が力を振り絞って歩を進める度に、辛うじて息のある者から助けを求める声がかかる。
 燃え盛る瓦礫の下から擦れた声が聞こえる。
 
 ———タスケテ、タスケテ、タスケテ。
 
 少年に最後の望みをかけるようなそんな声。
 だがその声に少年は頭を下げるしかなかった。
 
 ———自分にはその力が無い。だから自分では助ける事ができない。
 
 と。
 心からそう告げてからその人物を見ると、何かに絶望したかのような瞳で少年を見たまま息絶えた。
 少年はそれらから目を逸らす事無く、瞳に焼き付け、また歩を進めた。
 そしてまた声がかかった。
 
 ———この子も連れて行って。
 
 それは、少年と同じ様な年の少女を抱き抱えた母親。少女も母親も今にも息絶えてしまいそうだった。
 だがその声にも少年は頭を下げるしかなかった。
 
 ———今の自分は歩くだけで精一杯だ。だから余分なモノは連れて行くことができない。
 
 と。
 少女を抱えた母親は涙を流し、その場で崩れ落ちて炎に巻かれた。
 少年はその炎の熱に身を焦がしながらも歩を進めた。
 歩く度に周囲から声がかかった。
 当然だ。この地獄において、少年だけが歩む事を可能としているのだから。
 声がかかる度に少年はソレに頭を下げ、見捨てて、一瞬でも長い生に縋った。
 死体なんて見飽きている。
 少し視線を巡らせるだけで、凡そ人の最後の形としてはもっとも惨たらしいであろう終わりの形がいくつも転がっているのだから。
 既に、そんな屍を幾つも見捨てて歩いてきた。
 ……その中には誰よりも優しかった誰か———少年の両親すらも含まれている。
 見捨てた人たちの分まで一瞬でも長く生きていようと、そうしなければならないと、強迫観念にも似た感情を自分に言い聞かせながら。
 少年はその通り、他の死んでいった者達よりほんの少しだけ長い生を可能としたのだ。
 だが、その代わり———心が死んだ。
 他者の慟哭を耳にする度に幼い心は致死量の傷を重ね続ける。
 どれだけの懇願を足蹴にして歩いただろう?
 どれだけの屍を踏み越えて来たのだろう?
 空っぽの少年には既に分からないことだった。
 
 ……そんな空っぽになった少年にも等しく死の時が訪れる。
 もはや歩く事も出来ずに地面に倒れ付してしまう。口の中に泥水が流れ込んできた。その不快感に最後の力を振り絞って仰向けに転がった。
 気が付けばいつの間にか雨が降っている。
 このまま降り続いてくれればこの大火事も時期に消え去るだろう。……自分の命と共に。
 少年はそんなことを幼心にぼんやりと感じながらも、せまり来る自分の死期を向かい入れた。
 それは必然だろう。
 熱風によって気官は焼け爛れ、全身を覆う火傷は誰の目から見ても最早致命傷。加えて深く抉れた胸。むしろ今まで生きていたのが不思議なくらいだ。
 そして、少年が息絶えようとしていた、そんな時だった。
 
 不意に、頬に当たる雨粒が遮られた。
 
 不思議に思い、霞む視界の向こう側に意識を集中させてみるとそこには———奇跡が存在した。
 ボロボロの少年を覗き込む瞳。助かってくれと懇願する声。
 
 ———それが、衛宮切嗣。魔法使いとの出会いだった。
 
 それは幼い士郎にとってどんな奇跡だっただろうか?
 誰も助けてはくれず、誰も助からない。あるのはただ全てに等しく訪れる死のみ。
 そんな地獄の中で、泣く様な表情で必死に少年を助け出した一人の魔法使い。
 それは、これ以上ない救いだった。
 全てを無くし、真っ白な少年の心に強烈に刻み込まれた———憧れだった。
 
「——————」
 
 景色にノイズが混じる。恐らく士郎が言っていた記憶の混乱によるものだろう。
 場面が飛ぶ。
 そこでは幼い士郎と衛宮切嗣が武家屋敷のような場所で暮らしていた。
 そして度々襲来する姉のような存在である藤村大河という女性。
 空っぽの心に新たな感情が灯る。
 幼い士郎は衛宮切嗣に魔術を教えて欲しいと頼み込んでいた。
 衛宮切嗣は魔術を教える事を良しとはせずに頑なに拒み続けている。
 が、毎日のように頼み込む士郎に根負けしたのか、最後には観念したようにため息交じりで承諾していた。
 どうやら魔術とは呪文を唱えれば誰にでも可能なわけではないらしく、まずは魔術回路と呼ばれる擬似神経の生成から始まった。
 
 ———だが、これが私には信じられない……いや、理解できる範囲を逸脱していた。
 
 基礎の基礎だというのに一歩間違えれば死。冗談でも誇張でもなく死ぬのだ。
 ”こちらの世界”しか知らない私にとってはそれは異常にしか映らなかった。
 正気の沙汰ではない。
 魔術の前段階で死に至るとは何の冗談だ。
 だが、現実に士郎はそんな死に至るような鍛練を毎日、毎晩のように繰り返し続けた。苦行どころの話ではない鍛練を毎日だ。私は士郎……いや、魔術師というモノ達の正気を疑った。
 ……しかし、同時に納得もする。
 それは士郎の言っていた台詞。
 
『一番始めに親父から教わった事は心構え。……魔術を習う、という事は常識から離れるという事。死ぬ時は死に、殺す時は殺す。魔術師にとって一番初めの覚悟とは、死を容認する事だ———ってさ』
 
 あの時は含蓄のある言葉だと言って軽く流してしまったが、現実を突きつけられて、その言葉の本当の意味を知った。
 
 だが、そんな魔術師としての教えと反して、人間としての衛宮切嗣は奔放な性格らしく、家を空ける事もよくある事だった。
 私の受けた印象としては困った大人、という感じ。普段はぼーっとしていて、あまり冴えなかった。それでいて楽しむときは思いっきり楽しむんだ、などと言って本当に楽しそうにはしゃぐ子供のような人物だった。
 幼い士郎もそんな衛宮切嗣が本当に好きだったんだろう。景色を通してではあるが士郎が全幅の信頼と親愛を抱いているのが手に取るように伝わる。
 ……だが、そんな楽しい日々も長くは続かなかった。
 頻繁に出歩いていた衛宮切嗣は次第に外を出歩く事が少なくなる。それは死期を間近に控えた動物の様でもあった。
 
 ———そして、月の綺麗な冬の夜。
 父である衛宮切嗣と幼い士郎は何をするでもなく縁側に座って月見をしていた。
 
「子供の頃、僕は正義の味方に憧れていた」
 
 衛宮切嗣のそんな言葉に士郎はむっと口を尖らせては、だったら諦めたのかと言い返していた。
 それに衛宮切嗣は困ったように笑って月を仰いだ。
 
「うん、残念ながらね。ヒーローは期間限定で、オトナになると名乗るのが難しくなるんだ。そんなコト、もっと早くに気が付けば良かった」
 
 自嘲めいたその言葉に士郎は素直に納得した。理由は分からないが衛宮切嗣の言う事だから間違いなんか無いと思ったのだ。
 
「そっか。それじゃしょうがないな」
「そうだね。本当に、しょうがない」
 
 衛宮切嗣は薄く笑って士郎の言葉をなぞった。
 そして士郎は言った。己の決意を。
 
「うん、しょうがないから俺が代わりになってやるよ。爺さんはオトナだからもう無理だけど、俺なら大丈夫だろ。まかせろって、爺さんの夢は」
 
 
 ”———俺が、ちゃんと形にしてやるから”
 
 
 そう言い終える前に衛宮切嗣は微笑った。……父親の表情で。
 続きなんて聞くまでも無く分かっているという顔だった。
 衛宮切嗣はそうか、と士郎の言葉ごと大きく吸い込むように息を吸って、
 
「ああ———安心した」
 
 静かに、それこそ眠るような穏やかな表情でその人生を終えていた。
 そんな幸せそうな顔で眠っている様な父親を見上げながら士郎は傍らに座り続けている。
 静まり返った冬の夜。
 幼い士郎は喚く事も、悲しむ事も無く父親を見上げていた。
 父親の瞳に映る最後の自分が誇れるものであって欲しいと願うように。
 ……ただ、零れ落ちる涙だけはどうしようもない。
 そうやって、士郎は、月が落ちるまで涙を流し続けていた——————。
 
 そうして衛宮士郎は歩き始めた。正義の味方を目指す遠い道を。
 ……だからと言って。
 何かが劇的に変わる物でもない。
 無力な少年は掲げた理想だけが一人歩きして、いつも悩み、自身の力の無さを噛み締めていた。だが、それも無理の無い話だ。そもそも、”正義の味方”などという曖昧な物を目指すのはまるで、星を目指すのと同じ様に当ても無い道だったから。
 それでも士郎は決して諦めることなく、しかし何も確かな物を手に入れることが出来ずに時間だけが過ぎていく。
 ——————だが。
 そんな士郎の下に、大きな転機が差し掛かった。
 ひょんな事から巻き込まれた、とある争い。
 
 
 
 ——————聖杯戦争。
 
 
 
 そう、それは正しく戦争であった。
 七人の魔術師と、七人のサーヴァントと呼ばれる英霊の七組による、あらゆる願いを叶えるという聖なる杯を巡る戦争。
 
 剣の英霊———セイバー。
 槍兵の英霊———ランサー。
 弓兵の英霊———アーチャー。
 騎兵の英霊———ライダー。
 魔術師の英霊———キャスター。
 狂戦士の英霊———バーサーカー。
 暗殺者の英霊———アサシン。
 
 このサーヴァントと呼ばれた英霊達はこの私をもってしても信じがたい連中だった。
 英霊。
 過去の英雄。
 人類の守護者。
 最高級のゴーストライナー。
 その力は、個々の差あれど、この私の最盛期の状態に肉薄、もしくは対等と呼んでも差し支えの無い強者ばかり。中には明らかにこの私を上回るという者さえいた。
 そんな最小の、しかし極大の戦争の中に巻き込まれた士郎はあまりにもちっぽけな存在だった。
 力も無く、明確な目標も、ましてやその争いになんの意義を見出せもしない。
 それもその筈。
 この段階での士郎は、他の人間に比べれば埋もれてしまうほどの未熟さと、微かに持っている魔術しかなかったのだから。
 だが、そんな無力な少年だと言うのに。
 士郎は———無謀にもその争いの渦中に飛び込んでいった。
 ……ああ、たしかにそれは士郎らしいといえば士郎らしい。
 例え、その光景が過去のもであろうとも士郎は何一つとして変わりはしないんだから。
 ———だが。
 その実力は今の士郎とはまるで比べ物にならない程に脆弱。
 当然、圧倒的な実力を誇る英霊達の前に傷付き、倒れ、何度も死の淵に瀕した。そこに映るのは———まるで死に急いでいるかのような、ただの無謀な少年の姿だった。
 
 
 ———記憶のノイズがヒドイ。
 
 
 映像は乱れ、途中で途切れては、見ている光景が何なのか判断できないまでに乱れる場面が増えてきた。
 そんな映像の中から———いや、最早それは写真と言っても良いのかも知れない。
 断片的な写真が流れ始める。
 
 ”ランサーのサーヴァントに殺され掛ける士郎”。
 ”月明かりに濡れて煌く少女、セイバーとの出会い”。
 ”天敵である神父との邂逅”。
 ”自己憎悪を孕んだ未来の自分。アーチャー”。
 ”第八のサーヴァント。英雄王ギルガメッシュ”。
 ”白い少女。衛宮切嗣の娘、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン”。
 ”鮮やかな赤い同級生。天才魔術師、遠坂凛”。
 ”年下の心優しい後輩。妹分、間桐桜”。
 ”終わらない四日間”。
 ”慇懃無礼な被虐体質。銀の修道女、カレン・オルテンシア”。
 ”愚直なまでの戦闘魔術師。封印指定の執行者、バゼット・フラガ・マクレミッツ”。
 ”大切な誰かを自らの手に掛け、大切な誰かを救う覚悟とその葛藤”。
 ”過ぎた未来を否定し、自身の歩く道はその手で開くと決意したその貴い想い”。
 
 そんな。
 いくつもの写真が流れては消えていく。
 私はそんな風景をただ見送るだけ。
 すると、そんな写真ですら砂嵐の向こう側に霞むようにノイズが一段と激しくなり、その色を失った。
 
「——————」
 
 ———それでも。
 そんな砂嵐の中でも私は一つでも多くの士郎の欠片を探そうと私は必死に目を凝らす。
 ……うっすらと。
 ナニカが流れている。
 それは士郎———なのだろうか? 映像が余りにも粗く、その表情はおろか姿形すら曖昧だ。
 背は高く伸び、肌は浅黒く変色し、頭髪はその色彩を失い白くなっている人物は———本当に、士郎なのだろうか?
 その姿はあのアーチャーと呼ばれた未来の士郎と余りにも酷似していた。
 その人物がナニカをしている。
 錆び付いた心と傷だらけの身体を引き摺って、それを他人には悟られまいと必死に感情を押し殺し続けながらナニカをしている。
 理想と現実の狭間にその身をすり減らしながらもナニカを成そうと。
 どうでもいい他人の為に命がけになり。
 
 ———そうして助けた命から、なぜもっと多くを助けられなかったのかと罵声を浴びせられ。
 
 多くの人を助けたいから最小の犠牲でそれを救い。
 
 ———助けた多くの人たちから何故犠牲を出したのかと攻め立てられて。
 
 それでも。
 その人物は他人より少しだけ身体が丈夫だったから、その全てを受け止めて笑う。
 ただ。
 心は身体のように頑丈に出来てはいない。
 そう見えなかったのは、ただ人間らしさを奥底に押さえ込んで無理矢理我慢していただけ。
 それを何度も繰り返すうちに段々とその作業にも慣れていく。
 それが他人からはたまらなく不気味に映った事だろう。理解など出来なかった事だろう。
 他人から受ける奇異の視線すら受け止めて歩き続ける。
 ———別に。
 戦うのが好きだった訳じゃない。
 意味も無く強くなりたかった訳じゃない。
 戦うのは脅威から人々を守るため。
 強くなりたいのは誰かを救うため。
 ただ、一人を助けたからにはもっと多くの人を助けたいと思ったのだ。それ以上の力なんかは必要なかった。
 ……しかし連鎖は止まらない。
 多くの人を助けるには大きな力が。絶望の淵から掬い上げるには更に大きな力が必要だった。
 ただ、それだけの話。
 結果、誰かに疎まれる事になったとしても構わない。
 
 
 ———例え———
 
 
 ———その終わりが———
 
 
 ———報われるモノでなかったとしても———
 
 
 そして。
 最後の記録が霞む視界の遥か向こう側にあった。
 
 
 
 ———広大な荒野。
 ギシギシと軋む世界。
 無数に乱立する十字の墓標のような物体。
 それ以外の物は何も存在しない空虚な空間。
 そして。
 
 
 
 そんな大地に佇む……遠い背中———。
 
 
 
 
 ◆◇—————————◇◆
 
 
 
「——————……ヴァ」
 
 声がする。
 
「———……エヴァ」
 
 その声が耳朶に心地良い。
 
「……おい、エヴァっ!」
「——————あ?」
 
 気が付くと私はその声に———目の前の士郎に呆けた返事を返していた。
 
「いや、『あ?』じゃないだろ。 大丈夫かよお前。さっきから何回も呼んでんのに反応しないで……」
 
 士郎が私の顔を心配そうに覗き込む。
 口調こそいつものようにぶっきら棒だが、そこに込められた感情は疑うべくもない。
 
「そりゃ俺の記憶なんて面白くも何とも無いって分かってるけど、つまらないからってそれに文句付けられても困るからな、俺」
 
 何事も無いように士郎が言う。
 本当に何でもないかのように———言う。
 
「……そうだな。全く面白味の無い物ばかりで欠伸が出そうになるのを我慢するのに苦労したぞ」
 
 私はその言葉に可能な限りおどけた様に返してみた。
 
「———うげ。自分で言っておいてアレだけどさ、もうちょっとオブラートに包んだみたいな歪曲的な言い方してもいいだろうに……別にいいけど」
「……ふん、まあいいさ。多少なりとも収穫はあったからな」
「そっか。それならいいけど———で、どうだった? 俺がここに来た理由とか手掛かりらしき物とか無かったか?」
 
 士郎が顔を寄せて小声で囁く。
 
「いいや。そういった類の記録は無かったな。お前が言う通りアレではすでにパズルだ。それも桁外れにピース数の多い」
「うーん……まあ仕方ないか。じゃあそれなら俺の記憶をアスナ達に見せるっていう判断はどうだ? 俺じゃ何とも言えないからエヴァに一任するけど……」
 
 そういえば、そういう話だったか。
 思い返すのは先程の光景。
 ”あの”光景をガキ共に……ね。
 
「———やめておけ。あんな光景を子供に見せるのは刺激が強すぎる」
『————————』
 
 と、私が言い放った瞬間、士郎はおろか、ガキ共もその動きをピタリと止めた。
 それはまるで時が止まったかのように。
 …………む、なんだ?
 そんな空気の中、士郎が気まずそうに口を開いた。
 
「……ええとな、エヴァ。お前、その言い方だとちょっとばかし変な方向に捉えられ———」
「し、刺激が強いって……ちょ、ちょっとシロ兄っ! 一体どんな事してきたって言うのよ! うっわ、シロ兄がそんなHな人だとは思わなかった!」
「やっぱりかぁーーっ!?」
 
 神楽坂明日菜の言葉に士郎が頭を抱えて叫ぶ。
 …………ん? ———あー……言われて見れば確かにそのように捉える事も出来る言葉だったか。
 
「シロ兄やんのH〜!」
「し、士郎さんがそのような……い、いえ! 例え士郎さんの過去に何があろうとも私の貴方を尊敬する心に変わりはありません!」
「エロエロアルね」
「うっわ、一瞬で誤解がエクスプロージョン!?」
 
 そして高速で波及する士郎好色説。
 
「…………」
 
 ……まあ、いいか。
 それより今は少し一人になりたい気分だ。
 士郎には悪いが暫しの間バカ話でもしていてもらおう。
 ガキ共と騒がしくはしゃぐ士郎から一人離れ、テラスに腰掛ながらその光景を眺める。
 
「…………ふう」
 
 ———本当に、幸せそうな顔だ。
 先程の私の言葉はガキ共が捉えている様な意味合いでは当然無い。
 ———あの光景。
 確かに士郎と坊やの過去には類似点が多かった。
 幼い頃に大きな災害に出会い、ただ一人の男が自分を救ってくれた。
 そう言ってしまえば、ほとんどの者が同じような受け取り方をしてしまうだろう。
 ……だが、その実情は似ても似つかない程かけ離れている。
 坊やは自らの過去を受け入れた。
 それは、坊やの年齢を考えれば賞賛に値する強さなのだろう。だからこそ今の坊やの強さがあるし、年齢に見合わない精神年齢の高さに繋がっている。
 そしてそれは、人としての強さであり正しさだ。
 ……だが、士郎は違う。
 ———背負ってしまったのだ。
 その全てから目を逸らさずに背負ってしまった。
 見殺しにした人間の重さを。
 救うことの出来なかった命を。
 何たる愚行。
 何たる傲慢。
 
 ———だから潰れた。
 ———だから壊れた。
 
 いっそ、狂ってしまえば楽だったろうに。
 それでも、人として正しく在り続けようとしてしまったから余計にその歪みは広がってしまったのだ。
 狂った心のままで正しい形をなぞり続けた人生。
 それこそが士郎が辿ってきた道だ。
 今の士郎をかたどっているその根幹だ。
 奇跡のような道筋。
 何が正しくて、何が間違っているのかも定かでないというのに、一度たりとも原初の心を踏み外さなかったその誓い。

「…………っ」
 
 その尊さに思わず胸が締め付けられ、目頭に熱いモノが込み上げてくる。
 だが泣いてなどやらない。……いや、泣いてはいけない。
 アレは他の誰かに判断を下されるような、そんな安っぽい代物ではない。それは私であろうと同じ事。
 しかし、だ。
 その光景はガキ共が見ようものなら間違いなく———拒絶や嫌悪を示すだろう。
 醜悪にすら見えるその自己犠牲。
 不気味にも思えてしまうその在り方。
 それら全てをあのガキ共は理解など出来はしない。
 ……いや、それはガキ共に限らず、平均的な思考を持つ人間全てと言い換えても良いのかも知れない。
 人間は自分に理解できない物を忌み嫌う。
 例え姿形が自分と同じでもその在り様がかけ離れているのならば同列に考えて扱わないのだ。
 だからそのようなモノを人間はこう呼ぶ。
 
 ———化け物、と。
 
 そう。
 それは私と同じ様な存在だった。
 私はこの存在が、士郎はその心の在り方が。
 我等は共に他人に理解されず、受け入れられない。
 中には、そんな士郎の在り方を批判する輩も出てくるだろう。
 そんな物は間違っている、と。そこに込められた想いを考えもせずに。
 そして士郎の下を離れていくだろう。
 ……それは私の本意ではない。
 士郎だったら仕方ないと言っては離れていくガキ共を笑って見送るに違いない。
 そう。本当の感情はその心の奥底に仕舞い込んで笑うんだ。

 ———私にはそれが許せない。
 
 無理に笑う士郎も許せないが、ガキ共が士郎の生き様を無知にも否定するなど———誰よりもこの私が許さない。
 
「…………」
 
 ガキ共と戯れる士郎の笑顔を離れた位置に腰掛け、ボーッと眺める。
 
 ———お前は。
 
 輪の中心で困っているように、それでいて幸せそうに微笑むその笑顔。
 そしてそこに集まる連中も誰一人として士郎に負の感情を抱いてはいない。
 
 ———ああ……お前はそうやって笑うんだろ?
 どんな過去も未来も乗り越えて、他人の荷物を勝手に背負い込んで。
 その重さで身動きすら取れなくなっても……それでも笑っているんだろ?
 どんなに険しい道のりも、自分が重荷を背負う分、誰かが楽に歩いていけるならばそれで良いと。
 
「——————バカ」
 
 口が勝手に言葉を零した。
 そうして漸くそこに思い至った。
 
「———ああ、そうか」
 
 思えば何故こうも簡単に士郎を受け入れる事が出来たのか自分でも不思議だったのだ。
 初めて士郎の瞳を覗き込んだ出会いの夜、初見にも拘らず私は士郎を身近に感じた。そして、アイツが私を家族として扱った様に、私自身も士郎を家族として扱っている事にどうして拒絶感がまるで無かったのか。
 その答えが、今ここにある。
 ……そうだ。士郎は私と似ているのだ。
 それは過去に口にした言葉。
 あれはまだ士郎と出会って間もない頃の話だが、あの時の感覚は決して間違ってなどいなかったのだ。
 私達は姿形、ましてや考え方や歩んできた道も正反対と言って良いだろう。
 私は悪い魔法使いで、士郎は正義の味方。それが変わる事などあり得ない。
 だが。
 上手く表現など出来はしないが、物事を捉える『高さ』が酷く似通っている。
 例え、見ている方向が違っていたとしても、同じ高さで肩を並べる事が出来るのだ。
 高さが合わなければ、例え同じ方向を見ていようとも同じ物は見えてこない。
 しかし、高さが同じであれば見ている方向が違っていたとしても、辺りを見回せば同じ景色を見る事が出来るのだ。
 そう、我等は背中合わせの鏡。
 互いが互いを映すことは叶わなくとも、そこに映す景色は共に同じもの。


「———衛宮士郎」
 
 
 一人、階段に腰掛けてその名を呟く。
 その声は誰に届くでもなく、自身の耳朶を振るわせる。
 不思議と胸に染み入るその名。
 この感情が何なのかは分からない。
 思慕。友愛。親愛。恋慕。家族愛。
 いずれでもあるし、いずれでもない気がする。
 しかし、それは些細な事。
 
「———ああ、士郎」
 
 もう一度。
 同じ様に発した筈のその言葉は、自分でも驚くほど優しく響いた。
 
「私は今、漸く真の意味でお前の隣に並べる気がするよ。そしてその事を誇りに思う。お前が隣に立っていてくれるならば、私は最強にも最弱にでもなろう」
 
 運命などという陳腐な言葉は好きではないが、今はこの数奇な運命に感謝しよう。
 生まれて初めて手に入れた家族。
 
 ———誓いはここに。未来永劫色褪せる事の無い感情を胸に刻もう。
 
 その姿を視界に納めながら、様々な感情とともに胸一杯に息を吸い込む。
 そしてその姿に声を届かせる。
 
「———士郎」
 
 穏やかに響くその名。
 ———愛しいその名。
 
「ん? どうした、エヴァ」
 
 私の名を呼ぶ。
 いつもの様に穏やかな視線を私に向けながら———愛しい者が私の名を呼ぶ。
 それだけで思わず泣き出してしまいそうになるほど、この心が温まる。
 
 ああ———この感情が何なのかは分からない。
 思慕。友愛。親愛。恋慕。家族愛。
 いずれでもあるし、いずれでもない気がする。
 だが、それもどうでもいい。
 
 今、私は幸せなんだ。
 それ以上でも、それ以下でもない。
 ぶっきら棒な、それでいて歪んだ家族。それでも共に肩を並べることのできる家族を視界に捉えながら———そう、思った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ———士郎。なあ士郎?
 お前はそうやって笑うんだろ?
 どんなに傷付き、裏切られても、馬鹿みたいに笑うんだろ?
 例え、結果が報われる事でなかったとしても。
 例え、その事実がお前を追い詰めようとも。
 ならば私はお前の側でそれを見守ろう。
 どんなに傷付き、倒れ、泥まみれになろうとも、再び立ち上がるその時まで私はお前を見守る事に徹しよう。
 誰かに重荷を背負わせる事を何より嫌う、そんなお前だから……私はお前を見ている事にしよう。
 ———だが、お前がどうしようもなくなった時、私は全てを投げ打ってでもお前を助けてやる。
 お前を傷つけようとする障害を薙ぎ払い、倒れようとする身体を支え、泥にまみれる前に泥を跡形もなく吹き飛ばしてやる。
 ……それをお前が望むかは分からない。
 だが、私がそれを望むんだ。
 私がそうしてやりたいんだ。
 それが、お前から貰った暖かさに報いる為に出来る、唯一の事なんだから———。
 

 



[32471] 第45話  襲来
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/08/10 18:45

 
 
 ———私達が外に出るとそこは雨だった。
 
 などと。
 遠回しな言い回しをしてみた所でただ単純に、別荘に入る前から降っていた雨が未だに止まないだけだ。
 考えてみれば一時間程度しか時間は経過していないのだから当たり前と言えば当たり前か。
 
「悪いな。傘の数が足りないのに貸せなくて」
 
 士郎が我が家の玄関に立ってガキ共に向かって言う。
 この家には基本的に私達が使用する分の傘しかないのだから数が足りないのは当然の事だ。そもそもこのガキ共が傘も差さずにやってきたのが悪い、自業自得だ。
 
「いいわよシロ兄。濡れて帰るから」
 
 神楽坂明日菜が笑いながらそうやって言うが、士郎は相変わらずの心配顔。
 ……まったく、たかだか雨に打たれて帰る程度でそんな顔をするなというのだ。
 
「……ゴミ袋だったらあるんだけどな……いるか?」
「アホかお前は……」
 
 素っ頓狂な発言をする士郎に、思わずため息交じりの突っ込みを入れる。
 年頃の娘に対して、ゴミ袋に穴を開けた簡易雨合羽を被って帰れと言うか、お前は。
 
「む。アホとはなんだよアホとは。雨に濡れて風邪引くよりはマシだろ?」
「そんなんだからアホだと言ったんだ。そんな仮装をするくらいなら風邪でも引いてた方がマシだろうさ」
 
 私には関係の無い事だがな、と付け加えておく。
 そんな私に士郎は、「……そうかなあ、風邪引く方がどう考えても大変だと思うんだけど」等と、ブツブツ言っている。
 はぁ……相変わらず女心の機微に疎いヤツだ。
 そのクセに変な所では異常なほどのカンの良さを発揮するから厄介な事この上ない。
 まあ、それも士郎が士郎たる由縁だと考えれば好ましくも思うが、それは取り合えず置いておこう。
 
「あはは、シロ兄心配し過ぎだってば。走って帰ればそんなに時間かからないし、寮に帰ったらすぐお風呂入って暖まるから大丈夫!」
「うーん……それなら良いけど、本当は良くないけど……とにかく気を付けて帰れよ? 道もぬかるんでると思うし」
「はいはい、わかってるわよシロ兄。———それじゃねエヴァちゃん。今度、テスト勉強の時間とか足りなくなったらまた『別荘』使わせてよ」
「別に構わんが……女には薦めんぞ。年取るからな」
「———う! そうか!」
「気にしないアルよ」
「あはは。別にいいじゃんアスナ。2、3日くらい年取っても」
「……若いから言える台詞だな、それ」
 
 朝倉和美の言葉にため息と共に突っ込む。
 やれやれ、年齢のことを気にかけるなど、年は取りたくないものだ。
 だがまあしかし。
 我が家の連中に限って言えばそれも当て嵌まらないんだが。
 私は吸血鬼だから年を取らないし、茶々丸やチャチャゼロはそもそも肉体的成長と言う物が存在しない。
 士郎は……はて、士郎はどうなんだろうな……。こいつはこいつで、こちらの世界に飛ばされた反動で肉体年齢と実年齢に開きがあるような事を言っていたしな、もしかするとこいつも年を取らないのかもしれない。……まあ考えても仕方ないことか。
 
「そんじゃエヴァちゃん、シロ兄、茶々丸さん。またねー!」

 神楽坂明日菜がそう言って雨の中を他のガキ共と一緒になって、はしゃぎながら帰っていく。
 その姿を見送る士郎は当たり前のように心配そうな顔をしていた。
 
「やれやれ、やっと五月蝿いのが行ったか……」
 
 私はそんな士郎を差し置いて安堵のため息を吐く。
 
「楽しそうでしたが? マスター」
「バカを言え」
 
 茶々丸の発言を軽くあしらってもう一度ため息を吐いた。
 楽しそう?
 この私がか?
 冗談は休み休み言えというのだ、全く。
 確かに賑やかなのは嫌いではないが、あの連中のソレは———喧しい。幾らなんでも限度を超えている。
 女三人寄れば姦しいとはよく言うが、あの連中に限って言えば一人だけであろうとその表現が当て嵌まるような気がする。
 ましてや、今の私はこの家にいる連中だけで大いに満足している。これ以上となると過剰摂取で悪酔いでもしてしまう。
 
「うん。俺にも楽しそうに見えたな」
「お前までそんな事を言うか」
 
 出来る事なら、他の誰に何と言われようとも士郎だけには分かっていて貰いたかったんだが……まあ仕方ないか。
 と。
 そんな時だった。
 
「——————ん?」
 
 一瞬。
 本当に微かな感覚だが私の意識の端に何かが触れたような気がしたのだが……今は何でもない。
 何だ、気のせいか?
 
「どうしたエヴァ」
 
 私のイキナリの沈黙を訝しく思ったのか、上を見上げてみると士郎が私を見ていた。
 その顔を見ながら考える。
 
「…………いや」
 
 ———そうだな。士郎が初めてここに来た時のような大きな違和感も感じないし……。
 
「なんでもない」
 
 結局、私はそう結論付けた。
 考えてみれば、たとえ、何かの間違いで何者かが結界内に侵入していたとしてもその時はその時だ。
 ———叩き潰してやればいいだけの話。
 侵入者がどんな力を持っていようとも関係ない。
 私には士郎がいる。
 私には茶々丸がいる。
 私にはチャチャゼロがいる。
 私には———家族がいる。
 ならば私は一人で最強である必要が無い。
 全員で最強であればそれでいい。
 そして。
 
「さあ士郎、夕飯の時間だ」
 
 それは士郎が私の側にいる限り実現し続ける。
 誇張でも比喩でも何でもない。
 ただの真実。
 だから———。
 
「はいはい。分かってるよお姫様。今日は何が食べたい?」
 
 
 
 今日もお前の美味い食事を楽しませてくれ。
 
 
 
 ◆◇—————————◇◆
 
 
 
 ———と、言う訳で。
 いつまでも士郎の過去の感傷に浸っているわけにもいかないので、まずはメシだ、メシ。
 士郎自身が己の過去を悔いていないのに、私だけがソレに引き摺られて辛気臭くなってしまっては士郎が気にしてしまう。
 
「ほい、お待ち。熱いから気をつけて食べろよ」
 
 そんな士郎の言葉と共に食卓の中央にドン、と置かれたのは天ぷらの盛り合わせ。
 
「ふむ」
 
 海老、イカ、キス、カボチャ、蓮根、茄子、サツマイモ、ししとう等等、種類も多種多様で目にも楽しい。
 そして、たっぷりと大根おろしの入った器の横には、士郎特製ブレントの天つゆ。もちろん生姜のおろしも忘れていない。
 更に特筆すべきは、それらとは別の器に寄せられている———塩。
 それもただの塩ではない。抹茶の入った塩だ。
 
 ———ふ。流石は士郎。分かっているではないか。
 
 私は天つゆで食べるのも勿論好きだが、たまには塩のみでというシンプルな食べ方も恋しくなるのだ。
 それを特に何も言わずに理解しているとは……こいつ、さてはエスパーか? 魔術師とかじゃなくて。
 エスパー士郎。
 何だろう。妙に語感が良いな、おい。
 
「それでは……」
 
 そんなエスパー士郎が席に着きながら言う。
 私、茶々丸、チャチャゼロの順で顔を見回しながら。
 そして。
 
『———いただきます』
 
 と。一切の乱れなく全員でそう言った。
 このお決まりの挨拶も、最初の頃こそバラバラだったが、最近では一糸乱れぬユニゾンを可能としていた。
 士郎がここに来るまではこの挨拶自体使っていなかったのだが、今ではこの挨拶を言わない方が落ち着かないくらいだ。
 
「さて、まずは———」
 
 箸を手に取りながら最初に狙いをつけたのは———海老。
 丸くなることなくピン、と背の伸びた様が美しい。
 ソレを大根おろしのたっぷり入った天つゆにくぐらせて口へと運ぶ。
 
「———うん、美味い」
 
 文句無しだ。非の打ち所が無い。
 衣はサクサク、海老はプリップリ。
 鰹の出汁と昆布の出汁が合わさった天つゆとそこに溶け込んだ大根おろしとの絶妙なコンビネーションはそれこそ世界だって狙えるだろう。……なんの世界かは知らないが。
 
「そっか。そりゃ良かった。たくさんあるから一杯食べてくれ」
「言われずとも」
 
 士郎が満足そうな顔で言うので私も目一杯の笑顔で返してやる。
 
「しかしアレだな。こうして美味い天ぷらを食べているとアレが欲しくなるな」
「アレ?」
 
 士郎が首を傾げる。
 む。流石に分からなかったか。
 
「こうして最高の肴が目の前にあるのだ。だったら足りないのは———酒だろう」
「は? 酒? ってことは日本酒か?」
「当然。……あるだろう? 料理にだって使うしな」
「そりゃあるけど……またか?」
「む。またとは何だ、またとは。人をアル中みたいに言うな。私はただこうして、最高の料理が目の前に並んでいるのに飲まないのはかえって失礼な気がしただけだ。……最高の料理で酒を楽しまないのは料理に対する侮辱だぞ?」
「いや、『ぞ?』とか言われても俺には良く分かんないんだけど……ま、いいや。飲みたいって言うなら別に止めやしないよ」
 
 そう言って呆れながらも士郎は席を立って準備に向かう。
 むう、私としては最高の褒め言葉だったのだが士郎には伝わらなかったか。
 ———おっと、そうだ。
 
「士郎」
 
 私は士郎の背中に呼びかけた。
 
「ん?」
「———熱燗で」
「……了解。だとすると徳利でお猪口だろ?」
「当然」
 
 私がそう言うと士郎は小さくため息を吐いてから言った。
 
「別に良いけどあんまり飲みすぎるなよ? 二日酔いになっても知らないぞ。酩酊してグロッキーになったエヴァなんて見たくないぞ、俺。酔いどれ幼女……シュールにも程がある」
「分かっている。私としてもそんな醜態をお前に見せたくなどないさ。自身の限度は弁えている」
 
 ———多分。
 それより誰が幼女か、誰が。
 そんなこんなで待つこと数分。
 士郎が適温になった徳利とお猪口を持って戻ってきた。
 
「ほい、熱燗一丁ー」
「うむ。手間をかけさせてスマンな。さ、それでは夕餉を楽しむとしようじゃないか」
 
 私がそう言ってお猪口を手にすると、茶々丸より早く士郎がすかさずに徳利を持って私の器を満たした。
 こういう所も本当にマメなヤツだ。普段は無愛想なくせに。
 
「スマンな」
「あいよ」
 
 私が礼を言っても士郎は例のごとく愛想無く答えるだけ。
 そんな行動と態度がちぐはぐな士郎に思わず笑みが零れてしまう。
 
「どうしたエヴァ。なんか嬉しそうだけど?」
「ん? ああ気にするな。大した事じゃない」
 
 そう。
 別に大した事じゃない。ただそんな朴訥なお前を好ましく思っただけ。
 士郎は私の答えに少し首を傾げていたが。
 
「そっか。まあエヴァが喜んでくれているなら何だって良いけどな」
 
 と言って食事を再開した。
 
「——————っ」
 
 ……まったく。
 士郎は口下手なせいか、やたらとストレートに物事を言う傾向が強い。だから、今のように突拍子もなく私の感情を揺さぶる台詞をサラリと言うコトがままあるから参る。
 
 ———別に困ったりはしないが。全然。全く。これっぽっちも。
 
 ソレはさて置き。
 私も早く食事を再開させないと折角の料理が冷めてしまう。
 特に揚げ物は冷めてしまうと美味くなくなるからな。そうなってしまっては作ってくれた士郎に申し訳ない。
 まずは酒で口を潤してからゆっくりと味わうとしよう。
 ———と。そんな時だった。
 
「——————む」
 
 杯を口に運ぶ途中で止めてしまう。
 
「……どうした? 俺、なんかまずったか?」
 
 そんな私を見て士郎が心配そうな顔をした。
 
「いや。違う……」
 
 そう。別に士郎が何らかの不手際をした訳でも、この酒が変な訳でもない。
 それらとは全く別種の感覚が私の動きを止めているのだ。
 頭の片隅で突然として発生した靄のような感覚が私を落ち着かなくさせる。更には私を強制的に動かそうとする使命感のようなモノが沸き起こる。
 この感覚は———。
 
「ちっ———侵入者か」
 
 思わず悪態を吐いてしまったが、ソレも仕方の無い事だろう。
 比喩でも何でもなく、文字通り目の前にご馳走がぶら下げられているのにお預けを喰らっている状況なのだ。
 どうやら先程の感覚は正しかったらしい。どうやったかは知らないが、私の感覚の隙間を掻い潜って潜り込んで来たようだ。
 だが今は内部で魔法でも使用したのか、その気配をもはや隠しようが無いほどにハッキリと知覚できる。
 ……くそっ、ナギのヤツもなんてメンドウな呪いをかけて行きやがったのだ。おちおち食事も楽しめないではないか。
 全く、色々な意味で厄介なヤツだ。
 
「———侵入者だって!?」
 
 私が頭の中でへらへらと笑うナギのバカを罵っていると、士郎が私の言葉に反応して急に立ち上がった。
 
「おいエヴァ。それってまさか、この前の白髪の……フェイトってヤツじゃないだろうな!?」
「さてね。そうであるかも知れんがそうでないかも知れん。ここからでは判断できんな。……まあ、どちらでも構わないが」
「どちらでも構わないって……な、何落ち着いてんだよ!? 早く行かないと大変な事になっちまうかもしれないんだろ!?」
 
 士郎が私に掴みかからんばかりの勢いで詰め寄ってくる。
 全く……コイツは何処まで行っても他の誰かが一番なんだな。
 歪と言うか異常と言うか……。
 だがそれもまあ、あのような過去を経験しておきながらその在り方が変化しないのだから最早どうしようもないのだろうが……な。
 
「大変な事、ね……私としては別にどうでもいい事なんだがな」
 
 そう嘆息して、ちびりとお猪口に口をつける。
 実際、これは私の本心だ。
 私は、私の世界……つまり今ここにある空間が脅かされない限り、他はどうとでもなれと半ば本気で考えている。
 守るべき物とそうでない物との区別はつけているつもりだ。
 ……だけど。
 
「———エヴァ」
 
 士郎が私を鋭い視線で見ている。
 
(……お前は違うんだろうな)
 
 ———守るべき物は自分以外の誰か。そんなお前だから……。
 
「……はあ」
 
 私はため息を一つ吐いた。
 全く、本当に仕方の無いヤツだ……。
 
「わかったわかった。わかったからそう睨むな士郎。お前にその視線で見られるのは落ち着かない」
「———あ、わ、悪い……」
「かまわん。お前がそういうヤツだとは理解しているからな」
 
 私はそう言い残すと席を立ち、ドアへと向かって歩く。
 そして黒衣を右手に呼び出しながら、振り返らずに背後に語りかける。
 
 
「さあ着いて来い正義の味方。悪い魔法使いが舞踏会場へとエスコートしてやる」
 
 
 ◆◇—————————◇◆
 
 
 
「…………ん」
 
 私、神楽坂明日菜は雨音のような物を聞きながらボンヤリとした意識と瞼を開けた。
 
「———って、アレ?」
 
 私、いつの間に寝てたんだろ?
 直前までの記憶では、私は寝たようなつもりは無かったんだけど……。
 
「ソレにここ何処よ……」
 
 ハッキリしてきた意識で辺りを見回してみれば、ここは部屋の中なんかじゃない。
 私は間違いなく部屋にいた筈なのに、今は何故か外にいる。良く見てみればここは大学部で使う学際のステージの上のようだった。
 ———ますますもっておかしい。私はこんな場所に用事なんか無い。雨だってまだ降っているんだから散歩って訳でもないし。
 そういえば、雨が降っているせいか、やけに寒い。
 身体に直接当たる雨粒がいやおう無しに私の体温を奪っていくのがわかる—————ってちょっと待って。
 …………”身体に直接”?
 
「…………」
 
 私は何やらとんでもなく嫌な予感と共に自分の身体を見下ろした。
 するとそこには……。
 
「———きゃあー!? なな……何よこの格好ー!?」
 
 何故かとんでもなく派手な下着姿の自分の身体がそこにあった!
 うわー! なんなのよこの状況は!? 私、何だって外なのに下着でいるわけ!? それに何なのよこの下着っ、ガーターだのレースだのやたらと派手だし! こんなの私持ってないわよーー!?
 うわー、尚更意味わかんなーーい!!
 
 私は余りにも身に覚えの無い展開と、外だってのに下着姿でいる羞恥で混乱する頭で、取り合えずこの格好はマズイ! と考え、咄嗟に手で身体を隠そうとした。
 が。
 
「な、何よコレ……」
 
 私の手は動かなかった。いや、動かなかったと言うのは正しくないかもしれない。———動かせなかった。
 私の手首は何やらゼリー状の奇妙な物体が絡み付いていて、どんなに引っ張ってみてもまるで切れそうに無い。
 ……格好自体は良く分からないけど、この状況って———私、もしかして捕まってるの?
 
「———ハッハッハ、お目覚めかね、お嬢さん」
 
 唐突にすぐ側から声がかかった。
 それは別にイキナリ現れたんじゃなくて、私がひたすらに混乱していたから気が付かなかっただけだろう。
 声のした方をみると、そこには壮年と言った感じの男の人が立っていた。
 歳は良く分からないが、顔に刻まれた皺や白くなったであろう顎を覆う髭が年齢を感じさせる。
 かと言って、弱々しい感じはまるでせず、高い背や力強さを感じさせる眼から、お年寄りと言うよりは老紳士といった風貌だろうか。
 ……もう少し若かったらさぞかし渋いオジサマだったろうに……。
 が。
 その老紳士風の男は私を見て、
 
「ハッハッハ。囚われのお姫様がパジャマ姿では雰囲気も出ないかと思ってね。少し趣向を凝らさせてもらったよ」
 
 ———なんて、トンデモナイコトを言いやがった!!
 
「なんなのよこのエロジジィーッ!!」
「ろもっ!?」
 
 私はそのエロジジィの横っ面目掛けて思い切り蹴りをお見舞いする。
 ———ハ、ハズかしい!
 この格好もハズかしいけど、少しでもこのエロジジィのことをもう少し若かったらシブかったかもとか考えた自分がハズかし過ぎる!!
 しかも何!? この変態の言うコトを考えればコイツ……私を剥いたってコト!?
 うっわ、あり得ない絶対あり得ない!!
 今まで他の男の人に裸を見られた事なんて一度も無かっ…………。
 
「—————あ」
 
 ———な、無くは無いけど!
 シロ兄とか高畑先生とかに見られたりはしたけども!!
 
「いやいや、ネギ君のお仲間は生きが良いのが多くて嬉しいね。ハッハッハ」
「鼻血流して何気取ってのよ!」
 
 ダラダラと鼻血流しながら笑っているエセ紳士に突っ込む。
 くっそー……なんか私こんな役ばかりね、最近。……なんだか泣けてきたわ。
 
「———って」
 
 ———コイツ、今なんか変なこと言わなかった?
 
「あんた今、ネギの仲間って言った?」
 
 そう。今、コイツは間違いなく”ネギの仲間は生きが良いのが多い”って言った。
 ———”多い”。
 その言葉が意味する事はつまり。
 
「アスナーッ!」
「アスナさん!!」
「!?」
 
 と、私がそんな事に考えを巡らせていると、聞き覚えのある声が私の名前を呼んだ。
 
「彼女達は観客だ」
 
 エセ紳士がそんな事を言っていたがそんな事はどうでも良い。
 私は慌てて声のした方を振り返った。
 そこには。
 
「アスナ、大丈夫ー!?」
「コラーッ、エロ男爵!!」
「ここから出すアルヨー!!」
「みんな!?」
 
 このか、本屋ちゃん、ゆえちゃん、クーちゃん、朝倉が一つの水の幕のような物の中に捕らえられていた。
 
「ネギ君の仲間と思われた7人は全て招待させてもらった」
 
 ———7名。
 その言葉はおかしい。
 一つのの水牢に捉えられているのは5人。そして私。じゃああと1人は———?
 
「!!」
 
 私はまさかと思い、首を左右に大きく回して辺りを探る。
 すると。
 
「刹那さん!? そ、それにあれは那波さん!? なんで!?」
 
 二人が別々の水牢に捕まっていた。
 
「退魔師の少女は危険なので眠ってもらっている。そちらのお嬢さんは成り行きの飛び入りでね」
「……!?」
 
 成り行きって……なんで那波さんが!? 彼女はまったく無関係の筈なのに。
 それに、まさか刹那さんまで捕まっているなんて思わなかった。刹那さんはとっても強いのに捕まっているなんて……まさか、コイツ凄く強いんじゃ……。
 だとしたらこの状況は非常にマズイ。
 こんな事を解決できる人物は殆どいない。一番身近にいるネギだって、刹那さんを負かすほどの相手に私抜きでは危険すぎる。
 そうなるとこの状況を打開できる人なんて誰もいない。
 
「——————あ」
 
 ———いや、そんな事は無い。
 私は知っている。
 私は確かに知っている。
 こんな時に一番頼りになる人を、私が知らない訳が無い!
 
「このか、シロ兄は!?」
 
 そう。
 その人はいつもぶっきら棒で無愛想だけど、本当はとっても優しくて、私達が困った時にはいつだって颯爽と現れて助けてくれる”正義の味方”みたいな私の大切なお兄ちゃん。シロ兄こと衛宮士郎だ。
 そうだ、シロ兄さえいてくれればこんな状況、すぐにどうにかしてくれるに違いないんだから!
 だけど。
 
「…………」
 
 このかが無言で首を横に振る。
 それはつまりシロ兄を見ていない、もしくは分からないという意味だ。
 ……ああもう! シロ兄ってばこんな一大事に何処行ってるのよっ……もしかして気が付いてないのかな……それともどっかに出かけちゃってるのかな……。
 内心、ちょっと動揺する。
 いつも頼っている人物がいざと言う時にいないという事がこんなに不安なんだとは思っても見なかった。
 すると。
 
「……シロ……ニィ……?」
 
 エセ紳士が私達のやり取りを聞いて考えるような仕草をしていた。
 ブツブツと口の中で何かを繰り返して、まるで響きを確かめているような、そんな感じの。
 そして顔を上げて、言った。
 
「もしやそのシロニィなる人物は、エミヤシロウという人物かね?」
 
 ……考えてみればコイツ、私達の事を捕まえておきながら、なんでシロ兄の事を知らないの?
 私達の仲間って事は当然シロ兄だって含まれるって言うのに……もしかして、シロ兄の事を良く分かっていない?
 ……だとしたらコイツは致命的なミスをした。
 だって、シロ兄は私のお兄ちゃんである———”あの”シロ兄なんだから。
 
「……そうよ、シロ兄は衛宮士郎よ! いい、良く聞きなさいよエロジジィ!? アンタなんかね、シロ兄にかかればあっと言う間にケチョンケチョンのボッコボコなんだから!!」
 
 私は絶対的な自信と信頼を込めて言った。
 そうだ。シロ兄がこんな状況を見逃す筈が無い。きっと今にも現れて、あっと言う間に解決してくれるんだ。
 ———だって、言うのに。
 
「———くくく……ハーハッハッハ!」
 
 目の前のエセ紳士は事もあろうかイキナリ笑い出しやがった。
 
「……なにがおかしいのよ」
 
 その笑いが、まるでシロ兄の事を笑っているようで頭にカチンと来る。
 
「ククク……いや済まないね、突然笑い出したりなんかして。しかし、私としてもまさかこんな所でその人物の情報が聞けるとは思わなかったのでね」
「その人物の情報?」
「その通り。私はある人物から仕事を依頼されてここに来たんだがね。『学園の調査』が主な目的だが……その依頼内容には『ネギ・スプリングフィールドと』キミ……『カグラザカアスナが今後どの程度の脅威となるかの調査』も含まれている。———そして最後に『可能であるならばエミヤシロウなる人物の所在の確認』と言うのがあってね」
「え———わ、私!?」
 
 ……コイツ、何を言ってるんだ?
 
「まあ最後のは依頼と言うよりは可能であるならばといった、おまけのようなものだったので達成されなくてもさして問題は無かったのだが……いやはや、奇しくも達成されてしまったようだね」
 
 エセ紳士は頼まれてもいないのに一人でペラペラ喋り続けているが、私はそれどころじゃない。
 コイツの言動から考えると、このエセ紳士も魔法関係の人で間違いないと思う。
 それならシロ兄やネギといった魔法使いのことを調べていてもそんなに不思議じゃない。
 ———でも、何で私まで?
 
「ど、どういうことよ!」
「———おっと、おしゃべりはここまでにしようか。……どうやら来たようだ。———ただ、ネギ君に関しては個人的にも思い入れがあってね、彼があの時からどの程度”使える”少年に成長したかは私自身、非常に楽しみだ」
「え……?」
 
 男の声に顔を上げ、視線を空へと向けた。
 するとそこには、箒に跨った小さな人影がこちらへと迫ってきていた。
 それは、
 
「———ネギ!!」
 
 同居人である小さな魔法使い。
 ネギ・スプリングフィールドだった。

「アスナさん! それに皆さんも!」
「おいおい……あのおっさん、エライ派手にやってくれてるやないか」
 
 ネギが箒から降りると、その後ろからどこか見覚えのある顔が姿を現した。
 アイツは確か……そう、京都で私たちを襲ってきた連中の一人で、確か名前は犬上小太郎。
 シロ兄が言うには、アイツはどうやら単純に利用されていただけらしく、そこまで危険な奴ではないと言っていた。ようは子供なのだとも。
 しかし、今なぜにアイツがここにいるんだろう?
 たしか今は京都にあるこのかの実家に拘留されている筈。
 いや、今はそんなことよりも……、
 
「ダメよネギ! こいつ、きっとすごく強い! 刹那さんだって捕まってるくらいだもの、あんただけじゃ無理よ、シロ兄を呼んできて!」
「…………ダメです。そうこうしている間にも皆さんが危険な目に遭うかもしれないんです。そんなこと、それこそ許されることじゃ在りません。それに安心してくださいアスナさん、僕は一人じゃありません」
「……え?」
「せやで姉ちゃん。アイツには借りがあってな、共同戦線っちゅうヤツや。ホンマは二対一とか好かんのやけど……ま、相手が女を人質に取るような、男の風上にも置けんヤツや……問答無用のボコボコでも構わへんやろ」
 
 そう言うと小太郎は、握りこぶしをバキバキ鳴らしながら獰猛な笑みを私の傍らに立つ男に向けた。
 確かに、京都での実例からも小太郎が強いって言うのは分かっているし、そんなヤツがネギと一緒になって戦うんなら勝率だってグッと上がるんだろう。
 だけど、だけれど!
 ネギはいつも無茶ばかりするんだ。
 京都でだって、シロ兄からあれほど白髪のガキとは絶対に戦うなって言われていたのに、このかを助ける為に結局は戦うはめになってしまった。最終的にはこのかを助けることに成功したけれど、その過程でネギは魔法を受けてしまい、その石化の魔法の侵食によってかなり危なかった。
 その時のネギの苦しそうな顔が私の頭からどうしても離れない。また、あんな風に無茶をするんじゃないかって思うと、どうにかしてやらなくちゃって考えてしまうんだ。
 だから私は、叫んだ。
 今にも始まりそうな戦いを目の前にして、祈るような気持ちで目を閉じ、心の底でその願いを叫んだ。
 
 
 
 ———助けて、シロ兄と。
 
 
 



[32471] 第46話  止まない雨
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/08/10 18:46


「ふん、あのヘルマンとやらもよくやる」
 
 世界樹の上に立ち、眼下を見下ろしながらそう呟く。
 私たちがその場に辿り着いた時、ソレはすでに始まっていた。
 世界樹と呼ばれる神木近くの野外ステージ、そこにガキ共は捕らえられ、拘束されている。そして、その前方で坊やともう一人の少年……あれは確か詠春のところで捕らえられていた狗族の小僧だったか。その二人の戦いが繰り広げられていたのだ。
 私の見立てでは、あの男は恐らく魔族……それも支配階級である上位魔族だろう。
 上位魔族とはその名の通り、一般的な魔族とは一線を画す強力な能力と高い知能を保有している。
 だが、それも結局は一般的な魔族と比較してのこと。あの男も私や士郎の手にかかれば一捻りといった程度でしかない。
 しかし、それは比べる対象が私や士郎である場合だ。坊や達程度の力量では厳しい物があるだろう事は間違いない。
 だから私は目の前の光景に違和感を覚えた。
 戦況は若干押されながらも拮抗している。あくまで二対一という条件は付くのだが、どちらかに大きく天秤が傾くといった状況ではない。
 それこそが違和感の正体だ。
 つまり、奇妙なことにあのヘルマンとか言う魔族は手を抜いている。何がしかの思惑があるのだろうが、先ほどから坊や達を挑発しているとしか思えない言動が見られるのもそのせいだろう。
 まあ、そんなことは私の知ったこっちゃない。これはこれでいい機会だ。上手くすれば、鍛錬等では見ることのできない、坊やの潜在能力を見られるかも知れん。
 そう考えた私は傍観に徹し、近くにあった世界樹の上から観戦することに決めた。
 それに地力を上回る相手だからといって、すぐに助けを求めるような逃げ癖が付いても面倒だ。
 この場を自力で乗り切れたら良し、乗り切れなかったとしても、この程度でくたばるのだったら所詮ソレまでだったと言う話だ。
 弱肉強食。それが自然の摂理だろう。
 だが。
 
「……にしても、刹那のヤツは何をやっとるんだか」
 
 思わず呆れの言葉が口をついて出た。可笑しな事に、強者の側である刹那までもが捕らえられているのだ。
 今のヤツの実力から考えれば、あの程度の輩に苦戦、もしくは敗北を喫する事など、どう考えてもありえない。
 大方、搦め手にしてやられたか油断を突かれたのだろうが、馬鹿馬鹿しいにも程がある。
 士郎に師事してからというもの、刹那の実力は格段に上がっている。それこそ以前までとは比べ物にならない程にだ。
 にも拘らずこの体たらく。
 逆に士郎に師事する以前までのヤツなら、実力的には劣っていたとしてもこのような結果にはならなかったろうに。
 平和な日常と言う名のぬるま湯に浸かり過ぎて腑抜けたか。これでは以前までの方がまだマシだ。
 実力は上がっているのに逆に弱くなっているなど、滑稽過ぎて笑い話にもならん。
 結果、ここで果てる事になろうとも、ソレこそ自業自得。自身の愚かさを悔いて死ねばいい。
 だけど、まあ。
  
「しかし士郎———お前、もう少し殺気を抑えられんのか?」
「…………」
 
 ここにはそれで納得しない男がいるのだがな。
 私の隣に立った士郎は、鋭い眼差しで事の成り行きを見守っている。
 士郎はここに辿り着いた当初、捕らえられているガキ共を目にした瞬間に飛び出そうとした。士郎の性格を考えればソレは当然の行動だろう。
 だったら何故未だに私の隣に立ち、あまつさえ世界樹の上まで移動して文字通りの高みの見物を決め込んでいるのか。
 その答えは簡単。
 私が止めたのだ。
 確かにこの場を収めるのは簡単だ。私か士郎のどちらかが出張れば良いだけの話なのだから。
 しかし、それではあまりにも進歩がない。
 あの坊やのように、力を求めている者がいつまでも誰かの庇護下にいるなど馬鹿馬鹿しいにも程がある。毎度毎度誰かが助けてくれる状況など本来ありえないのだから。
 だからこそ、あの坊やには経験を積む必要があるのだ。独力で事を成し遂げるということを。
 そもそもこのような状況下自体、本来ならばありえんのだ。坊や達にとっては間違いなく実戦だろうが、厳密に言えば、いざと言う時の私や士郎と言ったバックアップが存在している時点で限りなく実戦に近い模擬戦に他ならない。
 今にも飛び出していきそうな士郎に私がそう説明すると、士郎は苦々しい表情をしながらも頷いた。
 だが、士郎はここで一つの条件を出した。
 その条件と言うのは、今、隣に立っている士郎の姿が何よりも雄弁に語っている。
 私はその士郎の姿をもう一度確認した。
 
「——————」
 
 黒塗りの大きな洋弓を構え、鋭い目つきで狙いを定めているその姿。
 そして、その右手に握られているモノこそが条件の正体だ。
 
「――赤原を往け、緋の猟犬」
 
 遡る事、数分前。
 士郎は怖気を覚えるほどの冷たい声色でそう呟き、投影したモノを弓に番えた。
 
「———”赤原猟犬(フルンディング)”」
 
 矢と呼ぶには余りにも歪なその形状。元々は剣であったような形を、溶かして再び固めたようなソレは、事実、元は剣なのだろう。私は以前、その力を士郎から”その様な能力”なのだと説明を受けていた。
 凶悪なまでに歪んだそのフォルム。
 醜悪なほど抉るという事柄に特化したその姿、それはいっそのこと美しさすら感じさせた。
 だが、それらは全て副次的なもの。
 
 怜悧ながらも狂熱を帯び。
 怖気を感じるほど流麗に。
 禍々しく、狂ったように立ち昇る暴虐的な魔力。
 それらは狂おしいまでにある一つの事柄を欲していた。
 
 ———相手の命を喰らい尽くすという事象のみを。
 
 万が一、小娘どもに危害が加わろうとした場合、あの男を滅ぼし尽くす。
 それが士郎の求めた条件の全てだった。
 
「…………」
 
 無言で、一挙手一投足を見逃すまいと鋭い視線で狙いを定めている士郎。
 先ほどから番えた鏃が微妙に動いているのは、戦闘によって移動を続けている男の動きに合わせてのものだろう。
 時折、ギチリという弓の軋む音が聞こえてくる。
 ……正直、生きた心地がしない。
 ソレが自分に向けられている訳でもなく、まして自分に向けられる事も無いと確信しているのに、その微かな音に込められた膨大な殺気と魔力だけで肌がチリチリと痛い程だ。
 私ですらこうなのだ、気の弱い者などそれだけで意識を失いかねない。
 ましてやソレを直接叩き込まれている、あのヘルマンと言った男の重圧は想像を絶するだろう。鏃のように一点に集束された殺気を隠してもいないのだから。
 士郎の頭の中では既に、数十回、数百回、数千回、数万回もの回数、あの悪魔を射殺すイメージが繰り返されている事だろう。
 その上、士郎の投影した剣は時間を重ねるごとに魔力が増大している。投影した当初の魔力量ですら膨大だったというのに、今ではソレを更に超え、許容量を超えて溢れ出した魔力が視覚化すら可能とさせ、血のように赤い紫電を伴って唸りを上げているのだ。
 そのような規格外な一撃を受けては、あの程度の悪魔では一溜まりもない。それこそ、跡形も無く葬られる。
 
「———6年前の出来事をを覚えているかね?」
 
 そんな時だった。
 風に乗って男の声が届く。
 見ると、坊やに向けてなにやら語りかけているようだ。
 
「なにを言って……」
「だから6年前の出来事だよ。あの雪の日の夜、君は”あの”場所に居ただろう?」
「……な、何でそれを?」
「そんなもの、簡単に想像はつくと思うがね」
「———まさかアナタは」
 
 男はニィと、それこそ邪悪に笑うと帽子を取った。
 すると、そこから現れたのは今までのような初老の男の顔などではなく、まるで能面染みた顔。事実、それは人間の顔などではない。———魔族の特有の顔だ。
 そしてその顔には見覚えがあった。
 
「———そう、君の仇だよ。ネギ・スプリングフィールド君」
 
 それは坊やの記憶に出てきた悪魔だった。
 
「——————」
 
 坊やの息が荒い。
 目の前に現れた存在が現在の自分を縛っているからなのか。
 それとも、ただただ衝撃で動けないのか。
 が、次の瞬間。
 
「———ほう」
 
 思わず感嘆の声が出るほどの膨大な魔力が坊やから湧き上がった。
 
「ぬうッ!?」
「———」
 
 坊やは猛り狂う魔力に身を任せ、我武者羅に、それでも圧倒的な力で悪魔を攻め立てる。
 
 ———魔力の暴走。
 
 言ってしまえば簡単だが、それは単純に我を忘れて剥き出しの力を見境無く振るっているに過ぎない。
 
「——————」
 
 隣に立つ士郎の矢先がピクリと揺れ、弦を更に強く引き絞る気配が伝わる。
 ギチギチギチ、と。
 そんな弓が軋む音だけで、ゾワリとした悪寒が駆け巡り、私の全身が粟立つように震える。
 それに伴い殺気が爆発的に膨れ上がり、それを鏃の鋭さで悪魔目掛けて叩き付けたのが解かった。
 
「っ!?」
 
 それを受けてしまった男は、身を竦ませてしまう。
 それこそ、心臓を鷲掴みにされたような物だろう。それほどまでに士郎が放った殺気は荒々しかった。ましてやあの程度の悪魔ならば尚更だ。
 
 ———そして、それを見逃すような坊やではなかった。
 
「———ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 来たれ、虚空の雷、薙ぎ払え! 『雷の斧』!!!」
 
 ズドン、と。
 坊やの放った魔法が直撃する。
 通常時ならまだしも、今の暴走状態の魔力をそのまま叩きつけられたのだ。
 潜在的には私すら上回る一撃、流石にソレを受けては一溜まりもなかったのだった。
 

 ◆◇—————————◇◆

 
「……ふん、終幕か」
 
 眼下では小娘共も救出され、事態は何事も無く集束を迎えている。
 どんでん返しも無いハッピーエンド。
 物語の主人公である王子様(坊や)は悪魔に囚われた姫君を無事救出しましたとさ、めでたしめでたし……ってか。
 まあ、適当な暇潰しにはなったし、収穫もあった。
 坊やの潜在能力を引き出す切欠になったあの言葉。
 そして暴走した魔力の矛先が全て”暴力”という解かり易いほどの破壊衝動に向かった事実。
 
「……これは”アレ”を試してみる価値があるか」
 
 ———闇の魔法(マギア・エレベア)。
 
 これはそもそも私がかつて編み出した呪法なのだが、前提として膨大な魔力と、なによりも”素質”が重要な術。
 だがそれも、今し方見た限りでは”素養”はある。
 あとはこれからの修練次第か……。
 そう考えると、まずはコレからの修練内容もそれに見合った物にせなばな。
 
「——————」
 
 と。
 私がアレコレ考えていると、隣に立ったままの士郎が大きな溜め息と共に手に持った武器を霧散させた。
 
「と、言うわけだ士郎。どうにかなっただろう?」
「……そうだな」
 
 そうは言うものの士郎の表情は晴れない。
 その視線はひたすらに厳しい表情で一点を睨みつけている。
 まあ、士郎のその苦悩に満ちた表情の理由も、大方の見当はついているのだが。
 
「……やれやれ」
 
 私はそれに若干呆れつつも、その視線の先を追いかけた。
 そこには倒れ付したまま消えていく男と、それを見届けている坊や達だった。
 トドメを刺していない所を見ると、あの男はこのまま自分の国に帰る事になるだろう。
 坊や達の甘さのお陰で命拾いしたのだ。
 
 ———だが。
 それと同時に私は違う事を考える。
 
 この場からの先ほどまでの戦場までの射角、距離などは士郎ならばどうとでもするだろう。
 だが、番えた矢の能力は未知数だが、込められた魔力を単純に威力に換算したとすれば……。
 そして、それを放ったらどうなるか。
 小娘共は離れた場所に捕らえられていたからまだどうにかなっただろう。
 
 ———だが、坊や達は。
 
「———帰るか士郎。夕飯が冷めてしまう」
 
 私はそんな思考を振り払い士郎に語りかける。
 
「……ああそうだな」
 
 士郎はそう言い、男が完全に消え去るのを見届けると、一瞬だけ何かを後悔するかのように強く瞳を閉じた。
 そして、次の瞬間にはそれっきり全く興味を無くしたかのように振り返ると、迷うことなく木の枝から飛び降りた。
 私はそれに続く前に、もう一度だけ坊や達を流し見て呟いた。
 
 
「———ふん。だがまあ、本当に命拾いしたのは……一体どちらだったのだろうな」
 
 
 そんな私の呟きは、周囲に冷たく響いたのだった。
 
 
 
 ◆◇—————————◇◆
 
 
 
 士郎と二人並んで雨の降りしきる夜道を歩く。
 互いに急いで家から出てきたせいで傘も持っていないので全身ずぶ濡れだ。まあ、この陽気だし、体調を崩すことも無いだろうからたまには構わないだろう。
 そのような事より、私は先ほどの出来事を思い出していた。
 戦いの場から小娘たちの捕らえられた場所までは距離があったからなんとかなっただろう。
 ———だが、坊や達は別だ。
 遠距離戦ならまだしも、接近戦だったのだ。
 そうなると、士郎が弓を放った場合の結果は自ずと決まっている。
 
 
 ——————そう。士郎は、万が一の場合、坊やもろとも消し去ろうとしたのだ。
 
 
 いざと言う時、士郎は悔いはしても戸惑いはせずにそれを実行しただろう。
 それだけの覚悟を士郎は持っている。
 例え誰に罵られ様とも、誰も救えない様になるよりならば、少しでも多くの人間を救う為に遭えて謗りを受けるだろう。
 だが、世界の誰もが士郎の行動に異を唱えようとも、私の答えは決まっている。
 世界全てが否定しようとも、士郎の出した解についての私の答えはいつだって是なのだから。
 
「…………」
「…………」
 
 二人で夜道を並んで歩く。
 互いに何も語らず、雨が降っているにも拘らず傘も差さずにただ黙々と家に向かって足を動かす。
 
「……なあ、エヴァ」
「……ん、なんだ?」
 
 士郎の呼びかけにそちらを見上げた。
 士郎は感情の篭らない声で、
 
 
 ———雨、止まないな。
 
 
 夜空を見上げながら虚ろに呟いた。
 その言葉に、士郎に向けていた視線をそのまま夜空へと移す。
 
「そうだな。早く止むと良いのだが」
 
 漆黒の闇から落ちてくる雨は日中のそれより寒々しい。
 夜の眷属たる私にとってこの闇は好ましい物だが、雨は嫌いだ。
 月明かりが閉ざされてしまうし、何より気分を陰鬱にさせる。
 
「……雨、止むよな」
「…………」
 
 士郎のその問いかけを、私は何を馬鹿なと笑い飛ばせなかった。
 普段ならば出来たことを、この時だけは何故か出来ない。
 その答えを間違ってしまうと、なにか取り返しの付かない事になってしまう。そんな自分でも良くわからない予感が心の何処かにあったからだ。
 
 ……雨は途切れることを知らず、未だに降り続いている。
 
 そんな曖昧な感情に囚われた私は、士郎の問いに答えるべき言葉を持っていなかったのだった。






[32471] 第47話  白い闇
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/08/10 18:48

 
 それは、どこか西洋の城を連想させるような光景だった。
 外壁から内壁にいたるまで白で統一された、豪華ながらも華美ではない内装に調度品。
 そんな大きな空間にはチリひとつ見つからない。
 この風景を誰かが見ようものなら、その圧倒的な美しさにしばし心を奪われることだろう。
 ———だが、それは誰かが見ることが出来ればの話である。
 そう、そこには広大な敷地とは裏腹に人の気配と言うものがまるで感じられなかった。
 辺りを包むのは静寂。動かない空気。
 その贅を凝らしたかのような意匠も、管理の行き届いた景観も、誰の目にも触れる事がなければ無用の長物に成り下がるだろう。
 
 ———カタン、と。
 
 そんな空間に小さな音が響いた。
 それは決して大きな音ではなかったが、耳が痛くなるような静寂の中でその音はひどく響いたのだ。
 
「——————」
 
 誰一人として存在しないと思われた空間に、一人の少年が佇んでいた。
 内装と同じく白で統一された椅子とテーブルに座り足を組み、内心の全く伺えない表情でコーヒーの入った手元のカップへと視線を落としている。
 その様はまるで人形のよう。
 そこに確かに存在しているにも関わらず、まるで気配の感じられない圧倒的なまでの気配の希薄さ。
 それは、少年の白い頭髪と相まって、言われなければ風景の一部だと錯覚してしまいそうになるほどだった。
 
「——————」
 
 しかし、そうではない証拠に少年は、手に持ったカップをもう一度傾け、器に満たされたコーヒーを口に含んだ。
 何処かを見ているようで何処も見ていない。
 何かを思案しているようでいて何も思考していない。
 今の少年を誰かが見れば、そんな相反するような印象を受けるだろう。
 
「———フェイト様」
 
 そんな空間に、少年———フェイトに呼びかける、少女特有の高い声が響くと、長い髪の美しい少女が扉を開けて現れた。
 たったそれだけで風景は急速に現実味を帯び、色を取り戻す。
 
「……調(しらべ)か。どうしたんだい?」
 
 フェイトはその少女———調の方を見ることなく声をかけると、再びカップに口を付けた。
 
「ヘルマン伯爵より先日の調査報告書が上がってきています。ご確認下さい」
「ああ、ありがとう」
 
 フェイトはそう言うと、カップを持っていない方の手で十数枚の紙の束を調から受け取った。そうして傍らのテーブルにカップを置くと、そこに記されている内容に目を通し始める。
 
 黄昏の姫御子。
 魔力完全無効化能力。
 ネギ・スプリングフィールドの脅威度。
 
「…………」
 
 そんな言葉の羅列が顔写真付きの書類に事細かに踊っている。
 それをフェイトはなんの感慨も無い様な表情と目で追い、パラリ、パラリと書類を捲り続ける。
 その様は、新しい情報を得ていると言うよりは、ただの事実確認をしているだけのようにも見えた。
 
「……なるほど。大方は予想通りか」
 
 フェイトは書類を確認し続けながらそんな言葉を呟いた。
 それは誰かに向けたと言う言葉ではなかったが、調はそんな呟きに反応をしてみせる。
 
「しかしフェイト様。いかに英雄の息子とは言え、フェイト様がお気になさるほどの脅威になるとは到底思えません」
「———確かに。調の言うとおり今のままの彼ならばさしたる障害にはなり得ないだろうね」
「だったら、」
「けどね、調」
 
 声を上げかけた調の言葉に、フェイトは更に言葉を重ねる様にして最後まで言わせようとはしなかった。
 しかし、そのような事をしながらも視線は手元の書類に向けられたままだ。
 
「彼はこの僕に直接拳を当てたんだ。圧倒的に実力が劣っているにも関わらず、だ。今はまだ放置していても良いかも知れないが、今後その才を侮っていては僕らの計画に支障をきたしかねない」
「……はあ、そうなんですか」
 
 調は思わず気のない返事を零してしまう。
 そもそも彼女は、主と仰ぐフェイトの実力を、全世界でもトップクラスだと考えている。そしてその予測は間違いなく事実であるという確信もある。
 だからこそ、そのような世界最強の一角を担う主が、いくら英雄の息子とは言え、幼く、未熟な少年を気にするのかが理解出来ないのだ。
 だが、当のフェイトはそんな調の様子を気にした素振りも無く、ただ書類に目を通し続けていた。
 その表情には相も変わらずなんの感慨も浮かばず、ただ視線だけが素早く文字を追っている。
 
「…………」
 
 と。
 気がつけば、そんな主が報告書の最後の1ページで動きをピタリと止めたのが目に入った。調自身、その書類に目を通している訳ではないので、その内容を把握していない。だが、普段から感情の起伏が乏しい主が、そこまで興味を惹かれる内容なのだろうかと

内心で首を傾げた。
 が、次の瞬間。
 
「———ふ。クククッ……アハハハハハッ!」
 
 ———それは、かつて無い光景だった。
 この主が、声を上げて笑っているのだ。ここまで感情を露にした事が今まであっただろうか?
 いや、過去にはあったのかもしれないが、少なくとも調が仕えるようになってからは一度たりとも無かった事だ。
 そんな調の困惑を余所に、フェイトは狂ったように笑い続けるばかり。
 くつくつと。
 手で目を覆い、その隙間から覗く口元だけが欠けた月のように歪んでいる。
 まるで壊れた機械のように。
 
「——————」
 
 そして、笑い始めた時と同様に、唐突に笑うのを止めたかと思うと、
 
 
「——————見つけた」
 
 
 そう、酷く冷たい平坦な声で呟いた。
 
「……フェ、フェイト様?」
 
 そんなフェイトの雰囲気に思わず調は気圧される。
 一体なにが彼をこうさせているのか。
 一体なにが彼に起きているのか。
 
「———調」
「は、はいッ!?」
 
 唐突に名を呼ばれ、驚いた調は思わず短いスカートを強く握ってしまう。握ってしまった箇所が、それこそ皺くちゃになってしまうほどに力強く。
 だが、フェイトはそんな彼女に構うことなく続けた。
 
「一つ、僕の我が侭を頼まれて欲しい」
「……わ、我が侭……ですか?」
 
 我が侭と言う言葉と、先ほどまでのフェイトの様子が余りにも合致せず、調は思わず首を傾げてしまう。
 しかし、それも無理からぬことだろう。
 誰が、あんな狂ったように笑った後に言い出す言葉が、我が侭を聞いて欲しいなどといった内容だと予測できるだろうか。
 
「……勿論でございます。何なりとお申し付け下さい」
 
 だが、彼女の答えに否などなかった。なぜなら、彼女の喜びは、フェイトの力になると言う事なのだから。
 調は恭しく跪くと、頭を下げ臣下の礼をとる。
 そんな彼女に対して、フェイトは一瞬だけ、どのように言うか逡巡するような素振りを見せるが、
 
「———調べて欲しい事がある」
 
 その我が侭の内容を口にしたのだった。
 
 
 
 ◆◇—————————◇◆
 
 
 
「畏まりました。それでは早速調査を開始いたします」
 
 調はそう言い残して部屋を後にした。
 そうして残されたのは、時間が遡ったかのように先ほどと同じ姿勢、同じ表情で佇む一人の少年と真っ白な空間。唯一違うのは、その手に持っているのがコーヒーカップではなく、書類の束という点だけ。
 そんな、少女という色を失った世界は、またしてもその意義を失ったかのような耳が痛くなるほどの静寂に包まれる———かのように思われた。
 
「——————」
 
 だが、実際はどうだろう。
 無音であるにも関わらず、何処からとも無くギチギチと空間が悲鳴を上げているような錯覚に囚われるほどの圧倒的な圧迫感。広いはずの部屋がいやに小さく感じられる。見えない圧力によって空気が捻じ切れそうだ。
 もしもこの空間に少年以外の誰かが存在したならば、一秒たりともここに居たくはないと願うだろう。
 この圧力の正体は一体何か。そんなもの、語るまでも無い。
 
「———ふん、麻帆良学園……か。大した興味もなかったけど……」
 
 その正体———フェイト・アーウェルンクスはテーブルの上にバサリと書類を放り投げると、組んでいた足を解き、ゆっくり立ち上がり、扉へと歩みを進める。
 コツコツと言う足音が奇妙なほど響く。
 それはまるで、存在意義を持たなかった人形が、初めて意義を得てその存在を高らかに謳い上げるかのような音だった。
 空間がひび割れそうになる程の空気を引き連れ、ドアノブに手をかける。
 そうして扉をくぐり、後ろ手に閉める間際に、ただ一言呟きを残す。
 
「———少し、面白くなってきた」
 
 パタン、と。
 閉じた部屋にその言葉は妙に響いた。
 部屋の主が去り、本当の意味で無人となった空間。
 真っ白なテーブルの上に残されたのは空になったコーヒーカップと、書類の束。
 扉を閉じた際に生じた風が、テーブルの上の書類を捲り上げる。
 無音だった空間にパラパラという紙の捲れる音が響く。
 そうして、折り目が付いていたのか最後のページを開いた所でパラリ、と止んだ。
 それは奇しくも、先ほどまでいたこの部屋の主が最後に見ていた箇所。
 そこにはただ一行の文が並んでいるだけである。
 顔写真も、それ以外の何かの情報も記載されず、真っ白な用紙の中心に、これ以上無いほどの簡潔さと味気なさで一行。
 
 
 
『エミヤシロウ。麻帆良学園都市にて存在を確認』
 
 
 
 そう記されていたのだった。



[32471] 第48話  晴れの日
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/08/10 18:50


 ———鉄を打つ音が鳴り響いている。
 どこからともなく響き続ける鉄の音。
 いつからと知れず、次第に大きくなったその音は。
 告げるように、駆り立てるように、終末を知らせる鐘のように。
 繰り返し、繰り返し。
 ———響く、響く、響く。
 知り得る事の無い楔を打ち立てるかのように。
 途切れる事の無いその音は、一つ響く度にこの身を削って行く。。




◆◇—————————◇◆






「何? 最近夢見が悪いだと?」
 
 朝食の席での会話、士郎は奇妙な事を言った。
 
「ああ、何か最近多いんだ」
 
 士郎が味噌汁を啜りながら頷いた。
 
「ふーん……。で、それはどういった内容なのだ。悪夢なのか?」
「いや、それが覚えていないんだ……。どういう夢だったのか」
「は? 覚えてもいないのに夢見が悪い気がするのか? なんだそりゃ」
「む……。そんな事言われたって俺自身訳が分からないんだからどうしようもないだろ」
 
 士郎が少しムッとしながら答えた。
 しかし、この場合の私の反応は当然のものだろう。
 士郎の言っている事は、目の前にある料理で例えて見るとすれば、食べた事も見た事も、ましてや聞いた事も無い料理を始めから不味いと言っている様なものだ。
 
「だったらお前はなんでその夢が悪いモノだと感じるんだ。覚えていないのだろう?」
「うーん……。そうなんだけどさ、目が覚めたときに落ち着かないって言うか、どことなくモヤモヤしているって言うか……」
 
 士郎自身、自分の言っている事が釈然としない事に気が付いているのだろう。その口調もどこかたどたどしい。
 
「それは今でもか?」
「いや、今はなんともない」
「ふーん……。だったらそんなに気にする事無いんじゃないか? 人間、覚えている夢より忘れている夢の方が多いとも聞くしな」
 
 夢などは所詮、過去の記憶を睡眠時に脳が整理しているだけの事に他ならない。その内容を覚えていないのも、それが過去の記憶と夢の内容が重なってしまうからだと何かの本に書いていたような気がする。
 士郎の場合は、過去の記憶自体がバラバラだったり掠れていたりしているのでそれも関係しているのだろうが。
 
「いやまあ、それはそうなんだけどさ……」
 
 士郎はそう言う物の、眉間に皺を寄せてウンウンと唸っている。
 私はそれを見て、ふうと軽く息を吐いた。
 やれやれ、士郎は相変わらず物事を考え過ぎる気質がある。
 思慮が深いのは美徳だが、それも過ぎては悪徳にしかならないと言うのに。
 
「———ったく。ほれ士郎、朝から辛気臭い顔してるんじゃない。いつまでも眉間に皺を寄せていると元に戻らなくなるぞ」
 
 私はテーブルから身を乗り出して、士郎の眉間の皺を指先でグニグニ揉み解す。
 ———む、なかなか頑固な皺だ。
 
「うん……」
 
 士郎は腕を組んで目をつむり、私にされるがままになっている。まあ、私が眉間をいじってやっているせいでちっとも深刻そうに見えない訳なのだが。
 はてさて。
 それはそれとして、目の前でぶっちょう面したヤツをどうするか。士郎のことだ、気にするなと言った所で気にしてしまうのは目に見えている。そもそも、夢の内容と言った不確定な出来事をいちいち気にかけている様なヤツに、どのような言葉を言い聞かせて

みても気休めにもならんだろう。
 
「ふう……」
 
 私はそんな士郎から一度視線を外し、なんとなしに窓の外を見やった。
 今日も良い天気だ。
 大きく開け放たれた窓からは暖かな日差しが降り注ぎ、家の中は暖房等のような人工的な温かさではない、自然な優しい温もりに満ちている。
 森を吹き抜けてくる風は朝露を含みなんとも清涼で、軽く私の髪を揺らす程度のそよ風が心地良い。
 
「ふむ」
 
 それ等を見てピンと来た。
 そうだ、古来から言葉で伝わらないのならば行動で、と相場は決まっている。
 
「よし。士郎、私は決めたぞ」
「決めたって……なにをさ?」
 
 士郎は訝しげに私を見てそう言った。
 その表情には凝り固まったかのようなしかめっ面が張り付いている。
 
「そんなもん、決まっているだろう」
 
 私はそんな士郎の眉間に指を突き付けたまま、言った。
  
「———今日はピクニックだ」
「……は?」
 
 そんな私の言葉に、士郎の表情は呆気に取られたのだった。




◆◇—————————◇◆

 
 
 
 そんなこんなで急遽エヴァの提案で決定したピクニックではあるが、ハイそうですか、それじゃあすぐに行きましょうとはならないのが世の常なのである。何事も準備が必要って事だ。
 ピクニックと言ったら欠かせない物が色々ある。
 人数分の飲料が入るような大き目の水筒にレジャーシート、お弁当にそれ等を入れるバスケットケース。後は適当に遊べるような物があればベストだ。
 些か手間が掛かるものの、エヴァの提案はいつまで経っても唸ってばかりいる俺を気分転換に連れ出そうと考えての事だろう。そう考えると、この程度の手間は何でもないように感じられる。
 
「んじゃま、俺は弁当でも作るか」
 
 そう呟いた俺は、現在一人でキッチンに立っている。
 茶々丸には『別荘』の方へ行って必要なものを取りに行ってもらっている。
 何でも、以前は地下室に色々と置いてあったようなのだが、俺が地下室に住むようになってからはそちらの方に全て移してしまったらしい。
 茶々丸が『別荘』から出てくるまで後一時間、それ位あればこちらの準備も粗方終わるだろう。
 
「さて、まずは……っと」
 
 冷蔵庫を開け、材料を確認してみる。
 
「うーん」
 
 基本的な物はそろっているが、些か不足しているのはご愛嬌と言った所。そもそも今日にでも買い物に行こうかと考えていたのだから当然だ。
 
「ま、そこを何とかカバーするのが俺の仕事ってとこか」
 
 幸いにも基本的な物は揃っているのだ。あとは創意工夫でどうにかしようじゃないか。
 
「おにぎりとサンドイッチは外せないだろ。後はつまめるようなもんか……」
 
 冷蔵庫を覗き込みながら頭の中で即興の献立をパズルのように組み立てていく。思ったよりは色々作れそうだが、ただ残念なのは手間の掛かった料理が作れない事か。
 
「おい、士郎」
 
 と、俺が冷蔵庫から食材をヒョイヒョイと取り出していると、不意に背後から声が掛かった。
 
「ん? どうしたエヴァ」
 
 俺は振り帰りながら答えた。
 ———と、そこには。
 
「喜べ。この私が手伝ってやるぞ」
「——————」
 
 何か見慣れない物体が、偉そうに腰に手を当てて仁王立なんかしていました。
 ……や、別にその人物に見覚えが無い訳では無い。相も変わらず幼いくせに恐ろしいほど整いまくったパーツは、ソレがエヴァだと言う事を如実に物語っている。
 
「…………」
 
 良い。ソレは良い。
 不敵に笑うソレはエヴァ以外の何者でも無い。
 特に腰に手を当てて偉そうに踏ん反り返っているその様はいかにも彼女”らしい”。
 問題は———。
 
「ナニ……ソレ」
 
 問題はエヴァの胸元から膝上までをスッポリと覆っている布。
 一見するとエヴァに見えなくも無いが、問題はどう考えてもフリルだのレースだのがゴテゴテと付いた、やたらめったら高級そうなエプロンと言えるか微妙な物を羽織っているソレをエヴァと言って良いものか……。
 そもそも、エプロンとは油などが飛んでも衣服が汚れないように着る物であって、決してソレ自体が汚れないように気を使うようなシロモノではない!
 よって俺は、目の前の物体をエヴァが新手のファッションだの何だかのオプションによってバージョンアップしたモノと見たがコレいかに!?
 
「見て解からんか? コレはエプロンだ」
「……ア、ソウデスカ」
 
 いやまあ、最初からちゃんと認識はしていたんだが余りにも見慣れない亜ヴァの格好に思考が変な方向に走ってしまったようだ。反省。
 
「けど手伝うって言ったってな……エヴァ、料理の経験は?」
「は? そんなもんある訳ないだろ。何故にこの私がそのような事をしなければならん」
「……そんな偉そうに言われてもこっちが困るんだけどな」
 
 でもそこら辺は予測の範囲内だ。
 エヴァは元々お姫様な訳だし、そう言ったものに携わるような事もなかったのだろう。今までエヴァとの暮らしで見てきた感じだと、身の回りの事は侍従の人に任せるのが基本だったと思える事が多々あった。
 
「ま、ソレはソレでいいか。エヴァは手伝ってくれるんだよな?」
 
 重要なのは過程では無く、今そう感じていると言う事。
 少しでもこの瞬間を楽しく過ごして行きたいと言うその心。
 
「ああ、その通りだ。さあ言え士郎。私は何をすれば良い?」
「うーん……そうだな。ここは基本から行くか」
「ふむ。基礎は確かに大事だな。何、任せておけ。刃物の扱いならばそこそこの心得があるぞ」
「あー……、言っとくけどなエヴァ。刃物って言ったって武器とかと包丁は全くの別物だからな」
「む?」
 
 エヴァが俺の言葉に小首を傾げて押し黙る。
 どうやら俺の指摘の意味が分からないらしい。
 
「別物とは……こんな物、ただ切るだけだろう? それの何が違うと言うのだ?」
「…違う。全然違う。カニはカニでもタラバガニとズワイガニくらい違う」
「……?」
 
 ハテナと、またしても可愛らしく小首を傾げるエヴァ。
 ———くっ、分からなかったかこの例えが。
 ちなみにタラバガニとはカニとか付いているが、実はヤドカリなどと同じ異尾下目なのである。
 閑話休題。
 
「……なんにしても違うって言う事。例えば肉なんかはちゃんと筋を見ながら切らないと食べる時に食感が硬くなるし、料理する時だって味の染み込み具合とかが変わってくるくらい重要なんだぞ」
「ほうほう」
 
 エヴァが感心したように腕を組みながら頷く。
 
「エヴァだってどうせ食べるなら美味い方が良いだろ?」
「それは無論そうだが……ならば私は何をすれば良いのだ?」
「んー……そうだな」
 
 せっかく手伝ってくれると言うエヴァの好意を無下には出来ないし、かといって不慣れなエヴァに包丁を使わせるような真似をして、怪我でもされようものなら折角の楽しい気分に水を差してしまいかねない。
 そうなると……だ。
 
「良し、おにぎり作るか」
「おお、確かにおにぎりとか言うと基本的な感じだな!」
「だろ? よし、それじゃあエヴァは手を洗って準備してくれ。俺はご飯持ってくるから」
「うむ。心得た」
 
 鷹揚に頷くエヴァに内心で微笑ましく感じながら炊飯器の蓋をパカリと開ける。
 すると炊きたてのご飯の良い香りが、大量の湯気と共に立ち昇った。
 俺はそれを軽く堪能してからしゃもじでご飯を掻き混ぜ、内釜ごと炊飯器から抜き取る。
 
「よーし、ご飯はいいぞ。そっちは準備出来たか」
 
 振り返りながら言うと、エヴァは「うむ」と頷いた。
 キッチンテーブルの前に二人で並び立つ。
 目の前には、ご飯、海苔、塩、中に入れる具材。それに水を入れたボール容器。
 準備完了だ。
 
「よし、それじゃ作るか。まず作り方はだな……」
「む。馬鹿にするなよ士郎。いくら私が料理に関して疎いと言ってもソレくらいは分かるぞ」
「お、そりゃ失敬」
 
 俺がそう言うとエヴァは、「フフン」と誇らしげに胸を反らした。
 でもまあ、それくらいは知っていても不思議じゃないか。
 なんと言っても目の前の女の子はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。御歳数百歳を数える大人の女性なのだ。
 ———とてもそうは見えないがな!
 ともあれ、それだけ生きていればおにぎりの作り方程度知っていても可笑しくない。
 エヴァは俺の言葉に気を良くしたのか、上機嫌でご飯の入った釜に手を入れた。
 
「こんなもん、ただ手で握って固めるだけだろう。誰にだって出来るに決まって、」
 
 ———ただし、手に水も付けない、乾いた手のままで。
 
「…………」
「————」
 
 瞬間、時が止まったような気がした。
 
「…………………」
「———————」
 
 何故か互いに無言で見詰め合ってしまう。
 エヴァの切れ長の大きな瞳の中には俺が映っている。そして俺の瞳の中にはエヴァが映り込んでいるのだろう。
 木々に囲まれたこの家は、黙っていると恐ろしいぐらいに静かだ。聞こえるのは小鳥の囀り、梢を微かに揺らす優しい風の音———そして、互いの呼吸する音くらいだろうか。
 
「…………………」
「———————ぁ」
 
 エヴァが潤んだ瞳で俺を見上げ、悩ましげな吐息を吐いた。
 俺はその様子に思わず息を飲む。
 ———思えば予感はあった。俺は気が付かないフリをしていただけで、こうなるという予感は確かにあったのだ。
 いつも君の事を近くで見ていたからこそ、分かっていた。
 いつも君を近くに感じていたから、知っていた。
 
「あ……」
 
 エヴァがもう一度声を漏らした。
 大きな瞳がこれ以上ない位に潤み、その頬は上気して赤みをさしている。
 溜めに溜めた想いが、溢れ出そうとしていた。
 そして今、万感の想いを込めて、その口を開いた。
 
「熱ーーーーーーッい!!」
「ぎゃーーーーーーッ!? 顔にっ、米がっ、お百姓さん達の魂が熱いッ!?」
 
 エヴァはあろうことか、その手に持ったご飯が纏わり付いて離れないと知るや手を思いっきり振り回しやがった!
 結果。
 炊き立てで粘り気が強いアキタコマチ(我が家ではこの銘柄が定番なのだ)が俺の顔面目掛けて飛来、面白い位顔中にべったり張り付いた。
 
「アツッ、熱っ!?」
「熱……っ、いやなんかむしろ痛くなって来た!?」
 
 一人は手にご飯を貼り付け、片や顔にご飯を貼り付けキッチンで身悶える馬鹿二人の姿がそこにはあった。
 
「…………お二人で何をしていらっしゃるんですか」
 
 そこに掛かる冷ややかな声。
 振り返るとそこには、何とも形容しがたい表情で立ちすくし、多分に呆れの感情の篭った瞳で俺達を眺める茶々丸の姿。
 
「ちゃ、茶々丸、良い所に来た! 私の手に付いたコレを何とかしてくれ!」
「あ、卑怯だぞエヴァ! 災いの元凶が最初に助かろうなんて!」
「ふはははっ! 卑怯は褒め言葉だぞ士郎っ、むしろ狡猾と言ってもらいたいものだな!」
「いや、何言ってんのお前!?」
 
 ぎゃーぎゃーと醜く言い争う俺達二人。
 そんな俺達を茶々丸は冷めた瞳で見て一言。
 
「…………マスターはそのボールの水で、士郎さんは水道でお顔を洗えば良いのではないですか?」
「…………」
「…………」
 
 …………。
 うん、そうですね。
 茶々丸の言葉に二人揃って大人しく張り付いたご飯を洗い流す。
 いやホント、何やってたんだか。
 
「どうぞ」
「お、ありがと」
 
 茶々丸から差し出されたタオルで顔を拭く。
 いやヒドイ目にあった……って、おや?
 
「あれ、そう言えばなんで茶々丸がもう帰ってきてるんだ。もう一時間経ったのか?」
 
 確かに馬鹿騒ぎしてはいたが、そこまで時間が経ってはいなかった筈だ。
 
「ああ、その事ですか。確かに大半の荷物は『別荘』の中に移しましたが、全てを移した訳では無かったもので……」
 
 茶々丸はそう言って、手に持っていたものを掲げて見せた。
 そこにはバスケットケースやレジャーシート等がきちんと準備されているようだ。
 
「流石茶々丸。準備がいいな」
「……いえ、別にお褒めいただくような事では。それよりおにぎりを作っているのですか? お手伝いします」
 
 茶々丸はそうするのが当然と言うように、自然の流れで傍らにあった自分のエプロンを身に着けると、作業に加わるべくキッチンテーブルの前に並んだ。
 流石に三人も並ぶと若干手狭な感じだが、エヴァが小柄なので出来なくも無い。
 
「よし、じゃあ今度こそちゃんと作ろう。いいかエヴァ、まずは手を水で濡らしてだな」
「うむ、流石に同じ轍は踏まないぞ」
 
 そうしてくれると助かる。
 俺も、顔面で熱々の料理を受け止めるのは、いい加減勘弁願いたいのである。
 
「そしたら、指先で適度に塩を取ったら掌にまぶして、ご飯を手に取る」
「ふむふむ」
 
 エヴァは言われた通りに手順を辿ると、小さな手でご飯を掴みあげた。
 今度はあらかじめどの程度熱いか分かっているからか、熱いものの、両手でお手玉をするようにしてご飯から伝わってくる熱を凌いでいた。
 
「あつつ……で、士郎、次は?」
「そしたら後は簡単。少しだけ力を込めて回転させながら、掌で三角を作るように形を整えてやれば……ほら、出来た」
 
 そうして出来たおにぎりに、海苔をクルリと巻いて皿の上に置く。
 流石にこれまで何回も作ってきただけあって、ここら辺はもうすでに流れ作業のような物で、特に意識をする事も無く出来てしまう。
 それを傍らで覗き込むように見ていたエヴァが「おぉ」と感嘆の声を上げた。
 そして、実際に自分でやってみようとするのだが、
 
「……ぬっ、……この、……ていっ」
 
 妙な掛け声を上げながら悪戦苦闘中。
 ああ……そう言えば最初はそうなるんだよな。
 昔の桜もそうだったが、綺麗な三角にしようとするほど、余計に力んでしまい、結果、歪なおにぎりが出来てしまうのだ。
 
「……よし、出来た!」
 
 エヴァが完成したおにぎりに海苔を巻きながら、嬉しそうに言う。
 出来上がった形は。まあ定番と言っても良いほどの歪な形。
 三角と言うには角が多すぎて、丸というには形が歪み過ぎていた。
 
「お、上手いじゃないか」
 
 けれど、俺は心の底からそう思った。
 確かに形は歪んでいて、とてもじゃないが綺麗とは言えないが、そんな上辺だけの物よりずっと大切な物が詰まっている。
 ……そう、心と言う物がきちんと込められていた。
 そう考えると妙に心が穏やかになって、自然と頬が緩むのを感じる。
 
「……茶々丸。悪いけどオカズの下拵えを頼む」
「はい? ———ああ、なるほど。了解しました、お任せ下さい」
 
 俺の言葉に一瞬だけ首を傾げた茶々丸だったが、嬉しそうに微笑むエヴァを見てすぐに俺の言いたいことを理解してくれたらしい。
 茶々丸は頷くと、材料を揃えるべく冷蔵庫の方へと向かった。
 
「よし、じゃあエヴァ、おにぎりはお前に任せて良いか? 俺は茶々丸とオカズ作るからさ」
「うむ。私に任せておけ」
 
 早速二つ目を作り始めたエヴァが、こちらを向く事無くそう言った。
 その横顔は真剣そのものではあったが、何処か嬉しそうに微笑んでいる。
 
「よし、頼んだ」
「頼まれた」
 
 エヴァの若干弾んだような声を背にして、茶々丸の元へと向かう。
 
「……お一人で大丈夫でしょうか」
 
 茶々丸が声を潜めて尋ねて来る。
 茶々丸は、流石に初心者相手にイキナリ全て任せるのは些か不安らしく、チラチラと横目でエヴァの様子を伺っていた。
 
「別に失敗したって良いんだ。大事なのはエヴァが作って、それを皆で食べるって言う事。味や形は二の次だろ」
 
 まあ、美味しいほうが良いには決まってるんだけどな、と俺。
 茶々丸はそれを見て、何処か穏やかな様子で「そうですね」と頷いて、下拵えを始めた。
 さてさて、これは俺も気合入れてオカズを作らないといけないな。
 何と言ったって、エヴァの手料理なんてそうそう食べれるような物じゃない。だったらそれに負けないような物じゃなきゃ、エヴァにも失礼ってモンだ。
 
 ———そうだろ、俺?
 
 
 
◆◇—————————◇◆
 
 
「———おい士郎、早く行くぞ!」
 
 ドアを潜り抜け、眩しい日差しの中で、真っ白なノースリーブのワンピースと、大きな麦わら帽子を被ったエヴァが弾む声で俺を呼ぶ。
 自身の手で作ったおにぎりの詰まった小さなバスケットケースを両手で持ち、そよ風に黄金の髪を靡かせながら、満面の笑顔で振り返る彼女。
 
「ちょっと待てって、今荷物詰め終わるから」
 
 遠くには夏の到来を告げる大きな入道雲。
 夏というにはまだ風が心地よくて、春というには強い日差しが木々の影を地面に色濃く映す。
 そんな穏やかな風景。
 
「早く行かなくては夕方になってしまうぞ!」
「大丈夫だって。まだ10時も回ってないんだから」
 
 俺はそんな風景が眩しくて、思わず目を細めた。
 日差しが眩しくて目が眩んだのではない。
 日差しを浴びて、こちらを向いて微笑む彼女の笑顔があまりにも眩しいから目が眩んだのだ。
 
「茶々丸、戸締りは?」
「はい、大丈夫です士郎さん」
 
 俺は荷物を持って立ち上がり、ドアをくぐって眩しい風景の中へと足を踏み入れた。
 上を見上げて見れば、空がすごく高い。
 
「———よし、じゃあ出発だ」
「ああ!」
「はい」
 
 俺の声に、二人から気持ちの良い返事が返ってくる。
 はてさて、突然振って沸いたようなイベントだが、どうやら俺も行く前から自分で思っていたより楽しみにしているようだ。なんとなくだが心が軽い。
 目指すは図書館島。
 こんな天気の日はきっと気持ちが良いだろう。
 
「———さて」
 
 目線を前に向けてみれば、エヴァと茶々丸が待っている。
 そんな風景にもう一度だけ目を細めて、二人の下へと歩き出す。
 そうして二人と共に肩を並べて歩き出した頃には、朝起きた時の、鬱屈したような気分は綺麗さっぱり消し飛んでいたのだった———。







[32471] 第49話  世界樹
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/08/10 18:51

 
 
 
 最近、どうも学園内の空気がが慌しい。
 そんな事を思ったのは、毎度おなじみの学園内散策をしている最中の事だった。
 夕刻も近い下校時間。
 いつものように人通りの多い道だが、この頃はその人々が妙に忙しなく動いているのだ。
 
「まあ、麻帆良祭が近いからな。その準備だろう」
 
 そんな俺の疑問に答えたのは、帰りがけに偶々一緒になったエヴァである。
 茶々丸の方はなにやら用事があるらしく、帰りが遅くなるかも知れないとの事だ。
 
「麻帆良祭?」
 
 俺の疑問の声にエヴァは鷹揚に頷いてみせると、黄金の髪がサラサラと流れた。
 
「うむ。いわゆる学園祭だな。この学園は何かと規模も大きいうえに、全学年が一斉に行うからな、なかなかのものだぞ」
「へえ、学園祭か」
 
 確かに、言われてみれば忙しく走り回っている人達の表情はどこか楽しげだ。
 それにエヴァの言う通り、この学園の規模を考えれば、それは最早一大イベントに違いない。
 そんな俺の考えを余所に、エヴァはふと何かを考えるような仕草で顎に手を当てると、俺を見上げた。
 
「そう言う士郎は何か準備しなくていいのか?」
「準備って……何の準備だ?」
「このような祭り事だ。何かと稼ぎ時だろう。出店とか考えてはいないのか?」
「いや、そう言うのは全く。何しろ今知ったばかりだしな」
「それもそうか」
「でもまあ、どっちにしても出店とかは多分やらないよ。そういうのは学生達の本分だろうし。……いや待てよ、そうなったら流石に客足も遠のくんだろうから、俺も祭り期間中くらいは店を休むって言うのも手か……」
 
 考えてみれば、お祭りの最中はわざわざ店に来て食べるより、出店とかで食べたりするのが主流だろう。
 そっちの方が、お祭りって感じがするだろうし、情緒もあると考えるのが人間心理だと思う。
 ならばその期間中に店を開いていても、たいした意味はないだろうし、ならばゆっくりと学園祭を見て回るのも楽しいかもしれない。
 ……なにより、この学園のことだ。学園広域指導員としての仕事のほうが間違いなく増えるのは目に見えている。というか、最早確定事項だろう。……嗚呼、今から胃が痛いデス。
 
「ほう。ならば一緒に回れるな」
「ん。そうだな。エヴァが良ければ、だけど」
「ふん、何を言うのだ。お前と回ると言う問いに対する私の答えに、否やなどあるはずがないだろう?」
「…………」
 
 エヴァは、何を当たり前のことを言っているんだとばかりに鼻を鳴らした。
 いやまあ、一緒に回るのを当然のように扱ってくれているのはありがたいのだが、そこまで言い切られると些か照れくさくもある。
 俺は少し熱くなった頬を掻きながら話題を変えた。
 
「が、学園祭と言えば出し物だよな。エヴァ達のクラスは出し物で何をやるんだ?」
「さてな。帰り際、なにやら揉めていたようだが面倒臭くなったんで帰ってきたから知らん」
「へえ。でも揉めていたって事は幾つか候補はあったんだろ?」
「ああ、確か……お化け屋敷とかメイド喫茶とか言っていたな」
 
 なるほど。どちらも定番といえば定番だ。
 だが、お化け屋敷は兎も角、”あの”クラスがメイド喫茶をやったら凄そうだ。
 何が凄いかって、あのクラスはやたらと綺麗な娘が多いからである。
 学園祭ともなれば恐らく一般開放もあるだろうし、女子校といえど男性客も当然来るだろう。そうなれば、綺麗、もしくは可愛い娘達だらけのメイド喫茶が注目の的にならない訳がない。
 
「ってことは、それにエヴァも出る……いや、出るのか?」
 
 ……何だろう、この不安というか違和感。
 いや、そういう格好が似合う似合わないかで言ったら滅茶苦茶似合うのは普段の格好から知っている。これは彼女が普段着からしてフリルを多くあしらった物を好んで着ているからだ。
 だから俺の違和感の正体は、エヴァが誰かに畏まる姿なんて一度たりとも見たことがないので見たいという気持ちと、きっと出たら出たで凄いことになりそうだという漠然とした不安が混ぜこぜになった物なんだろうと結論付けた。……なんかお好み焼きを作った日の夜が思い出されて顔がヒリヒリする。気のせいなんだろうけど。
 しかしエヴァは、俺のそんな懸念を余所に、呆れた様な顔で視線を前に戻すと、
 
「馬鹿を言うな。この私が誰かに傅く(かしずく)ような真似をするはずがないだろう」
「……うん、まあ。お前だったらそう言うよな」
 
 普段ならそんな尊大な考えもどうなのよと考えなくもないが、なんとも彼女らしい答えで逆に安心してしまった。
 と、いつものやり取りをしている、そんな時だった。
 
「あれ、そこにおるんは衛宮の兄ちゃんか?」
「ん?」
 
 背後から掛かるそんな声に、足を止めて振り返る。
 すると、そこには長く伸びた後ろ髪を後ろで縛り、黒い学生服を羽織った犬上小太郎が立っていた。
 
「おお、やっぱりそうや。なんや久しぶりやな。俺のこと、覚えてるか?」
「ああ、犬上小太郎か」
 
 こちらとしては、この前の悪魔襲来事件で一方的に見ていたから久しぶりと言う感じはしないのだが。
 それは兎も角として、俺が名前を呼ぶと彼は満足そうに笑って頷いた。
 ……って。

「あれ、なんで俺の名前を?」
「ああ、ネギのヤツから聞いたんや。京都で見たときエライ強かったから、あん時の兄さんは誰だったんや〜ってな」
「ああ、そういう事か。それで、ええと……犬上君はなんでここに?」
「小太郎でエエて。今度からこっちで世話になる事になったんや、これからヨロシクな! ———ああせや、京都ではあないな事になってもうたけど、敵対するつもりないさかい、安心してや」
 
 そう言って小太郎は俺の隣———つまりは、エヴァへと視線を向ける。
 だが、当のエヴァは一瞬だけ小太郎を流し見たものの、すぐに興味を失ったのか鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまう。
 そんな彼女の態度にカチンときたのか、小太郎は目の端を吊り上げた。
 
「……なんや随分感じの悪いガキやな。誰や、お前」
 
 ……うわ、エヴァに対して何たる物言い。怖いもの知らずもあったものである。———って、そうか、考えてみれば、エヴァと小太郎は京都でも直接顔を合わせるような機会がなかったから、誰だか分かってないんだ。
 ああ、納得納得。
 
「……なんだと?」
 
 って、それで済む訳ないよなあ……。
 ガキとか言われたエヴァはその涼しげな眼差しを、キリキリと釣り上げた。
 まあ、エヴァにしてみれば見た目は兎も角、年下の人間からガキ扱いされたのだ、頭にこないわけが無いだろう。……普段から子供扱いしている俺の言えたことでは全くないのだが。
 
「貴様、誰に対してモノを言っている」
「あん? ガキ言うたらお前しかおらんやろ」
「……生まれて20年も経っていない餓鬼が戯けた事を抜かす。———クビるぞ小僧」
 
 ギロリと睨み付けるエヴァ。
 エヴァは元々が整っている顔立ちなだけに、怒っている表情も迫力が凄いのだ。
 そんな彼女の思わぬ迫力に押されたのか、小太郎は思わず「うっ」と口ごもった。
 だが、小太郎は負けん気が強いのか、そこで止めておけば良いのに更に口を開いてしまった。……いやホント、止めておけば良いのになあ。
 
「……は、はんっ。クビるてお前みたいな女子供に出来る訳ないやろ。出来もせえへん事言われたかてどうにもならんで」
「……ほう、ならば試してみるか?」
「それこそ出来るかい! 女に暴力振るうなんて男のすることや無い!」
 
 うむ。その意見には大いに同意する。
 俺がそんな事を暢気に考えていても、二人の言い争いは更に白熱する。
 話の落とし所が見当たらないのもあるんだろうが、そもそもエヴァはガキと言われっぱなしと言うの事の方が気に喰わないようだ。……基本Sだからなコイツ。
 
「御託はいいからかかって来い。それとも何か? 貴様の言う女子供に負けるのが怖いのか。ああ、そうかそうだろうとも、所詮出来もしない事を口にするしか能の無い子供なのだからな」
「———なんやと」
 
 エヴァの挑発に流石にカチンときたのか小太郎の気配が剣呑になる。
 
「なんだ、まだそこに居たのか。ホレホレ、犬は犬らしくサッサと尻尾を巻いて逃げ帰るがいいさ。———負け犬らしくな」
「———こン、のっ!」
 
 右手をヒラヒラさせて嘲るエヴァに対して、小太郎は思わずといった感じで拳を振り上げ突っかかって行く。その証拠に、小太郎は突き出した拳を寸前で止めようとした。
 ———が。
 
「———フン」
「へ?」
 
 瞬間、小太郎がグルンと大きく回転した。それこそ頭と足の位置がそのまま逆転するくらい派手にだ。
 エヴァは、突き出された拳をヒラヒラさせていた右手で絡めとると、そのまま手首を軽く捻りあげるだけで小太郎を投げ飛ばしてしまったのだ。
 小太郎も小太郎で、何が起こっているのか分かっていないらしく、妙に間の抜けた声を上げることしか出来ない。
 
「……ちっ」
 
 そんな様子にエヴァは軽く舌打ちをすると、掴んだままの右手を少し引っ張り上げた。そして、次の瞬間には結構良い音をさせて小太郎は背中から地面に落とされたのだった。
 まあ、ギリギリ受身は取れてたみたいだし、エヴァも加減をしていたから大した怪我もないだろう。
 もしもエヴァがあのまま手を引っ張り上げず、そのままにしていたら小太郎は頭から受身を取ることも出来ずに落下していたのだから、この程度で済んだのはむしろ僥倖だったと思ってもらいたい。
 
「い、痛たたっ……、な、なんや? 一体何されたんや?」
 
 地面に倒れたまま小太郎は目を回している。見た目華奢な少女からあれだけ見事にぶん投げられたのだ、混乱するのも無理は無い。
 
「おーい、大丈夫か?」
 
 俺はそんな倒れたままの小太郎の傍らにしゃがみ込んで顔を覗き込んだ。
 すると、小太郎はようやく状況を理解したのか、頭を振りながら体を起こした。
 
「え、衛宮の兄ちゃん、なにモンやコイツ。まさか俺がこんな簡単に投げられるなんて思いもせえへんかったで……」
「コイツか? コイツは……」
 
 俺はそう言って、傍らに立つエヴァの頭の上に手を置いた。
 ……そういやエヴァも最近は、こうされても怒らなくなったよな。何度言われても止めないのでいい加減諦められたか、もしくは慣れたのか。……いや、だったら止めろという話なのだが、なんかこうしていると妙に落ち着くんだよな。手触りとかすごく良いし。髪フワフワだし。暖かいし。
 それはまあ今は置いといて。
 
「名前はエヴァ。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。お前達的には『闇の福音(ダークエヴァンジェル)』って言った方が伝わりやすいのか?」
「……だーく、エヴァンジェル? ダークエヴァンジェ……って、ダ、闇の福音(ダークエヴァンジェル)やてッ!? 生きる伝説やないか! 確か十五年前に消息不明になったって聞いとったけど……なんでこないな所におるんや!?」
「ま、色々あってな。今はここに住んでるけど変に手出ししたりしない限りは無害だから警戒しなくてもいいぞ」
 
 先程どこかで聞いたような台詞を小太郎に向けて言いながら手を差し出す。
 小太郎はまだ少し頭がクラクラしているのか、俺の手を取り、引っ張られて立たされた後もちょっとフラフラしている。
 まあ、いきなり天地が逆転するような状況に陥ったのだから無理も無い。
 
「大丈夫か?」
「お、おう……」
 
 そうして、事の成り行きを見守っていたエヴァがもう一度不機嫌そうに鼻を鳴らした。
 
「フン……で、まだ何か言うことはあるか犬っころ」
「い、いや、いくら俺でもアンタに楯突こう思わん。……だけど、せめて犬っころは止めてくれへんか?」
「イヤだね。私に言うことを聞かせたくば、私が認めざるを得ないような器を示して見るんだな」
「む、むぐぐ……ッ」
 
 いかにも上から目線の言葉だが、エヴァが有名な魔法使いだと分かって、実際明らかに格上だと認めるしかない状況に、小太郎は唸るしかなかった。
 そしてエヴァは実に偉そうである。うん、本当にこんな偉そうな仕草が似合う女の子はエヴァ位のモンだろう。と言うか、他にもたくさん居たら色んな意味でイヤな世の中になりそうだ。
 
「そう言えば小太郎は何処かに行くところだったんじゃないのか? ここら辺は女子エリアだろ?」
 
 別に男だからと言って立ち入り禁止になっている訳ではないが、用も無くこんな所には来ない無いだろう。
 そんな俺の質問に、小太郎は思い出したように答えた。
 
「ああ、せやった。なんやゴチャゴチャやっとったら忘れてたけど、学園長に呼ばれてるんやった」
「学園長に?」
「せや。なんでも学園都市内の殆どの魔法関係者に召集かけてるらしいんやけど……って、あれ? 衛宮の兄ちゃん達は呼ばれてへんのか?」
「いや、俺は何も……エヴァは何か聞いてるか?」
 
 俺がそう問いかけると、エヴァは俺を見上げながら、「ああ、そのことか」と頷いた。
 
「それは私達には関係の無い話だ。お前もわざわざ茶番劇に付き合うのはイヤだろう?」
「……茶番劇?」
 
 と、俺がエヴァの意味が分からない言葉に首を傾げていると、用事を思い出した小太郎が慌て出した。
 
「悪いんやけど、集合時間まであんまり時間が無いから俺は行かせてもらうで」
 
 ほなな、と片手を挙げて走り去っていく小太郎。
 と、その途中。
 思い出したかのように振り返ると、
 
「衛宮の兄ちゃん、今度手合わせしてなー!」
 
 そう叫んでまた走り出す。
 俺はその背中に向かって適当に手を振ると、もう一度傍らに立つエヴァへと視線を落とした。

「で、茶番劇ってのは何の事なんだ?」
「士郎。お前、最近学生達の間で流行っている噂を耳にしたことは無いか」
「噂?」

 はて、そんなモノあっただろうか。明日菜達からそういった話は聞いてないし、店で働いている時もそのような声は聞こえてこない。
 
「いや、俺はそう言うのは聞いてないな」
「そうか。まあ下らん噂だから知らなくても仕方ないのだろうな。……噂の内容はこうだ」
 
 エヴァはそう言うと、とてつもなく大きな木……つまり世界樹を指差し、
 
「学園祭最終日、世界樹の下で告白したカップルは必ず結ばれる」
 
 そう、言ったのだった。
 
「…………」
「…………」
「……い、いや、うん、まあ良くある話何じゃないか? あまりにもメルヘンチックな話で一瞬呆然としたけど」
「あー……、自分で言っといてアレだが、確かに胡散臭い言い方だったな。まあ、それは置いておくとしてだ。実際、それは半分ほど当たっているのだ」
「……まさか本当に結ばれるって言うのか?」
「ああ、あの樹……世界樹などと俗称で呼ばれているが、アレは列記とした神木。『神木・蟠桃』それが本当の名だ。アレは二十二年に一度、大規模な発光現象と共に魔力放出現象を起こす。二十二年間溜めに溜めたマナを一気に放出するのだ、その総量たるや個人の魔力など比べ物にならん。……まあ世界そのものなのだから一個人と比較するようなモノですらないのだがな。つまりはその膨大な魔力が……」
「二人を結びつける……ってことか」
「それも半ば強制的にだ。世界樹の下という濃すぎるマナが充満する範囲では、呪文というプロセスを省いて世界に干渉する事を可能にする。……いや、一応は告白の言葉が引き金になるのだから、それが呪文と言えば呪文か。まあそれはいいとして、つまりは世界樹の下で想いを伝えると言う事は、一方的な契約魔法を行うのと一緒だ。そこに相手側の意思は含まれない。あったとしても上書きされ、相手に惚れてしまうと言う訳だ」
「……それって」
 
 つまり、相手の心を操るって事じゃないか。
 
「そんな事を放っておいてるのか?」
「いいや、だからこそ最初の話に戻る。あの犬っころが魔法関係者に召集をかけている言っていただろう。あれは、学生達が世界樹の下、及びその効力圏内で告白しないようにする為に集められているのだ」
「……ああ、そう言う事か。でも、それならなんで茶番劇なのさ。きちんとした仕事じゃないか」
 
 俺がそう言うと、エヴァは呆れたようなため息を吐いた。
 
「良いか士郎、考えても見ろ。いくら一般人を世界樹の影響から守るとか言ったお題目を掲げていようと、結局やってることは他人の色恋沙汰の出歯亀をし、それに横槍を入れて邪魔するようなモノなのだぞ? これを茶番劇と言わず何と言う。お前、そんな悪趣味な事をやりたいのか?」
「……あー、ゴメン。それは確かにイヤだな」
 
 ある種の自然現象なのだから、誰が悪いと言うわけでも無いのだが、一般生徒にして見ればたまったものではないだろう。何しろ意味も分からず一大決心の告白を邪魔されるわけなのだから。

「なるほど。エヴァが茶番劇って言ってた理由が良く分かった」

 俺の呟きに、エヴァは、うむと頷いた。
 
「だがそれは、———表向きの話だ」
「表向き?」
「確かにその願いは叶う。だがな、その願いの方向性が恋愛のみに限定されているなど有り得ると思うか?」
「それは……」
 
 確かに、言われてみればそんな偏った願いの叶え方なんてあるんだろうか。
 
「現象を起こしているのはどんなに霊格が高かろうと所詮樹だ。人間の恋愛成就のみを叶えると言った高尚で俗物的な思考など持ち合わせておらんよ。だから実際に反応しているのは本能レベルでの純粋な欲求に対してのみ。つまり、食欲、性欲、睡眠欲等の、種として根源的な欲求に反応しているだけに他ならないのだ」
「え? だったら何で世界樹の下で告白すれば叶うなんて、限定的な状況になるんだ?」
「それは周囲の状況がそうさせているだけだ」
「周囲の状況?」
 
 エヴァは歩きながら腕を組み、その状態で人差し指をピンと立てて話を続けた。

「うむ、世界樹の魔力放出現象は麻帆良祭の期間中に起こる。まあこれはジジィが麻帆良祭の時期をそれに合わせたのだろうがな。兎も角、まずは一つ目、睡眠欲。これはお祭り騒ぎの真っ最中に眠りたい等と心の底から願うヤツはいないだろう? 居たとしても、寝て起きたらいつもより良く眠れていて調子が良くなる程度で終わりで、それ以上がない。眠ければ勝手に眠らせてやれば良い。叶ったからと言ってどうこうなる問題ではない」
「……まあ、そうだろうな」
 
 睡眠欲っていうのは極々単純に言ってしまえば、眠る、ただそれだけだ。
 自己完結という言い方は変かもしれないが、人一人の問題だし、そこから発展のしようがないと言う意味では一緒だ。
 そしてエヴァは、次に人差し指を立てたままの状態に中指を加えた。
 
「次に食欲。これはある意味もっとも簡単だ。魔力で食料は作れない。野菜、果物、肉、魚。いずれにしてもこれらは一個の生命体だ。それを作ると言う事は、人間を無から作り出すのと同義になってしまう。それは神の領域であり、無理なものは無理なのだ。なにより、祭り期間中は出店な山のように立ち並ぶ。食欲などそちらで満たせてしまう」
「うん、それは納得」
 
 俺だって、魔力なんていうもので出来た食べ物は食べたくは無い。
 そんな得体の知れないものよりだったら、目の前にある出店から買ったほうが百倍マシだ。
 
「そして……」
 
 エヴァはそう前置きして、薬指を付け加えるように立てて示した。
 
「最後に問題の性欲。これが即ち強制的な恋愛感情の大元であることは疑いの余地がないだろう。恋だの愛だのどんな綺麗な言葉で飾り立てようと、それは結局、種の繁栄、存続と言う根源的で最も強力な欲望に他ならない。だが、その逆を言えばそれは最も純粋な願いであり、絶対的な感情に直結している。それ故に世界樹はその願いに反応してしまうと言う寸法さ」
「……なるほど」
 
 エヴァの話を統括すると、要は世界樹の魔力は確かに人の願いを叶えるが、俗物的な願いには反応しないと言う事か。
 だがしかし、
 
「……まあ、例外があるとすれば、それこそ本能レベル、もしくはそれに順ずるほどに強烈で純粋な願いであればもしかするともしれんが……それこそ稀なケースだろう」
「……まあ、普通はそうだろうな」
 
 その言葉に、俺はどうも引っ掛かりを覚えた。
 確かにそこまで強烈で純粋な願いを持っている人間なんて稀なケースだろう。
 しかし。
 稀。
 それはゼロではない証拠。
 そして俺はその稀を複数知っている。
 それは……サーヴァント達の存在だ。
 英雄として名を馳せた彼、もしくは彼女等は、皆一様に強烈な願望、もしくは欲望があったからこそ、サーヴァントとして使役されてきたのだ。その内容に、善悪、大小等の方向性の差はあれど、どれも純粋であったと言えるだろう。
 あのセイバーですら、過去の改変と言う願いを抱いて召還されていた事を思えば、その類の強烈な願いであれば、世界樹は叶えてしまうのでは無いだろうか?
 だとすれば、それを利用しようと言う良からぬ連中も……、
 
「———ぃ、おい、士郎!」
「……ぇ……あ、何だ?」
「何だ、では無いだろう全く。人が呼びかけているにも関わらず返事もしないで……お前の悪い癖だ、どうせまた深く考えすぎていたのだろう? また眉間に皺が寄っているぞ」
 
 エヴァはそう言うと、自分の額を指先でトントンと叩いて見せた。
 
「……悪い。どうも夢見が悪いせいか、考えがそっちに引っ張られてるみたいだ」
「……そうか、まだその夢が続いているのか」
 
 心配そうに目尻を下げた表情で俺を見上げてくるエヴァ。
 その余りにも真摯な表情に何故か……罪悪感が沸いて出た。
 
「……どうだ士郎。お前が望むならもう一度私が夢に潜ってその原因を探って見ても良いが……」
 
 どうする? と、視線で投げかけて来るエヴァの頭に手を置きながら、苦笑と共に返す。
 
「心配してくれてありがとな。けど、俺自身内容を覚えていないんだし、そこまで大した事じゃないだろ」
「…………お前がそう言うならば良いが」
 
 そう言いつつも、未だに心配顔のエヴァの髪を少し乱暴にかき回してやる。
 いつもだったら、こうしてやれば迷惑そうな顔で、それでいて、何処か猫のように目を細めながらもそれを受け入れていた彼女だったのだが———。
 
「…………」
 
 変わらぬ視線を向けてくる。
 見透かすように。
 見逃さないように。
 それこそ、俺自身気が付けていない事まで見通そうとしているかのような真剣な表情がそこにはあった。
 
「…………」
 
 俺はそんなエヴァの表情に何も言えなくなり、その頭に手を乗せたまま何となしに遠くを見やった。
 そうして向けた視線の先には、
 
「……世界樹、か」
 
 巨大な樹が、俺たちを見下ろすかのように聳え立っている。
 何のの考えも。
 何の感情も。
 何の意味も無くただただ見つめる。
 どうしてだろうか。
 その威容を眺めていると、どうしても落ち着かない。こんな事は初めてだ。
 今まで何度もその姿を眺めてた筈なのに。
 起きているのに夢の続きを見ているような。
 意識はハッキリしているのにまるで現実感がなくて、足元がフワフワしている。
 辺りは喧騒に包まれているというのに、自分一人別世界に閉じ込められたかのような錯覚。
 
「……アレ、今何か音が……」
「音? ……いや、私には何も聞こえんが」 
 
 ……ああ、ついには幻聴まで聞こえ始めやがった。
 何処かで聴いた事があるようなその音は、俺の感情を妙に刺激する。
 
「……ッ。行こう、エヴァ」
「……ああ」
 
 奇妙な焦燥感に駆られた俺は、訳も分からず頭を振ってその音から逃げ出すように歩を進めた。
 だが、一度聞こえ始めた幻聴は、その場をどんなに離れても耳の奥に残り、決して離れてはくれなかった。
 急かすように。
 語りかけるように。
 訴えかけるように。
 ……終焉を刻む鐘のように。
 
 
 
 ———鉄を打つその音が、頭の中で鳴り響いて止まらない。
 
 
 



[32471] 第50話  日常に潜む陰
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/08/10 18:53

「えっと、それではこれから授業を始めたいと思います」
 
 教室内に幼くも凛々しい少年の声が響く。
 それを真面目に……とまではお世辞にでも言えないが、取り合えず話を聞く気はあるらしい元気な生徒達の「はーい!」という声が答えた。
 
「えー、本来なら時間割通り調理実習を行うんですが……」
 
 大きな窓から差し込む暖かな光が教室内を明るく照らし、開け放たれた窓からは初夏を感じさせる風が流れ込んでくる。
 太陽が真上に掛かるまではもう暫く時間を要するだろう時間帯。
 各グループごとに分かれた生徒達の前にあるテーブルの上には、瑞々しい新鮮な食材が並んでいた。
 
「担当の先生が風邪でお休みになってしまいました」
 
 そんな中、興味津々といった視線が一点に集中している。
 
「なので、今日は臨時講師の方に来ていただきました」
 
 ネギ君の視線が”こちら”を向く。
 
「喫茶『土蔵』の店長さん、衛宮士郎さんです。ヨロシクお願いします!」
 
 その声に追随するように生徒達から『お願いしまーす!』と元気な声が上がった。
 ———あえて言わせて貰おう。
 
「……なんだこの状況」
 
 
 
 時を遡る事、十数分前。
 月曜日で店が定休日の俺は、いつもの如く家で家事をしていた。
 いつもと違うのは、今日はエヴァ達が家庭科の授業で料理を作る為お弁当はいらないと言う事ぐらい。
 さて、そうなると昼ごはんを食べるのは一人だし、散歩がてらたまには外食でもしてみるかと考えていた矢先、ポケットに入れてあった携帯電話が着信を報せた。
 
「……珍しいな、こんな時間に」
 
 一人呟いてジーンズの後ろポケットに捻じ込んだ携帯電話を引っ張り出す。
 自分に電話を掛けるような人物は、大抵この時間帯は授業を受けている、もしくは教えているので基本的には電話が鳴る事はない。
 そんな考えの上、相手を確認しようと画面を見たのだが、
 
「……誰?」
 
 知らない番号だった。
 俺の携帯電話に登録されている相手ではないのだろう、ただ無機質に番号が表示されているだけだ。
 
「…………」
 
 何とはなしに鳴り続ける電話を眺める。
 ……なんか嫌な予感がするんで出たくはないんだが。
 だが、未だに電話が鳴り続けているのだから何がしかの用事があるのだろう。
 
「……もしもし?」
 
 そうして俺は、通話ボタンを押した。
 ……いや、押してしまったのだった。
 そこからの流れは、どこかで見たような展開。
 電話は学園長から。
 ダイジェストにお送りするとすれば、『もしもしワシじゃ大変な事件が起こってしまったので君の力をぜひ借りたい大至急女子中等部調理実習室まで来てくれ』と、まあこんな感じ。
 ソレを疑いもせずに信じてしまった俺はノコノコ学園に来てしまい、後はネギ君が今言った様な事に繋がる訳だ。
 だからこそもう一度言わせて貰おう。
 
「……なんだこの状況」
 
 そう溜め息と共に呟いて辺りを見回す。
 するとまあ、見知った顔の多いこと多いこと。その表情もさまざまで、驚いている顔、ニヤニヤしている顔、興味深そうに観察している顔、ニコニコしている顔など、実に様々だ。アスナとかこのかはさっきから、しきりに手を振ってニコニコしているが。まあ、不審に思われているような顔が無いのは、京都で一応俺の顔を見知っているからだろうから、その点はありがたいと言えばありがたい。
 そんな中に、一番の反応を示しそうなエヴァの顔はない。
 彼女は俺がこの教室に顔を出した瞬間に全てを悟ったような表情をし、次に額に青筋を浮かべて教室を颯爽と出て行った……って、あ、帰ってきた。
 
「——————」
 
 エヴァは、教壇に立つ俺を見ると、満足そうな表情で頷くと、ぐっと親指を立てた握りコブシを突き出した。……ただし指先は下に向けて。頬にはナニカの返り血のようなモノを付けて。
 それはアレか、例のヤツを狩ってきたと言う意思表示なのか、狩ってきたんだなそうなんだな。
 
「——————」
 
 よし、エヴァ良くやった。
 俺も同じようにしてコブシを突き出して返す。
 すると彼女は満足そうに、フフンと鼻で笑い、光り輝く金色の髪を手で優雅に靡かせてから自分の席へと戻っていった。
 そんな俺とエヴァのやり取りに、意味がわからないと言うような視線が集まったが気にしないことにする。
 しかし学園長も懲りない人だ。
 こうなるって事は最初から分かっていただろうに、面白がって引っ掻き回すから余計性質が悪い。今頃はきっと頭から血を流しながら、何時もの特徴的な笑い声を上げていることだろう。
 ソレを別としても、色々問題とかは無いのだろうか、教員免許とか何とか色々。……いやまあ、今更って感もあるが。
 
「すいません衛宮さん。急にこんな事になってしまって……」
 
 そんな埒も明かないことを考えていると、隣に立ったネギ君がいかにも申し訳ないといった表情で見上げていた。
 
「ああ、いや。確かに急だったし吃驚もしたけど、別に嫌とかそんなんじゃ無いから」
「うぅ、そう言って貰えると助かります」
 
 ネギ君は恐縮しているが、これは本当のことだ。確かにいきなりこんな事になって驚きはしたし、誰かにモノを教えるのは本当に苦手だが、内容が料理を教えるなどと言った、いかにも平和的なことだったら俺も教えるのは吝かじゃない。
 免許や適正云々の話を別と考えれば、俺も喜んで協力したいような類の話には違いないのだ。
 
「さてネギ君。教えるのは良いんだけど一体何を作るんだ? 俺も学園長にいきなり呼ばれたから何にも聞いてないんだ。流石に知らないような料理だったら俺も教えるのは無理なんだが……」
「えっと、献立は……鯖の味噌煮にジャガイモとワカメのお味噌汁。それにご飯ですね」
「ああ、それなら教えられるな。調味料と材料は……っと、うん。揃って……いや、無いな。ネギ君、鯖がないぞ」
 
 殆どの食材が揃っていると言うのに、メインの鯖が無いのはどういった事か。
 ネギ君はそんな俺の疑問に、胸の前でポンと手を合わせた。
 
「あ、お魚ですか。それだったらあそこの発泡スチロールの中に入ってます。なんでも産地直送とか学園長が言ってましたけど」
「なんと」
 
 学園の授業で産地お取り寄せとは豪勢な。
 ネギ君が指し示す方向には大きな発泡スチロールの箱が、デンと鎮座していた。
 豪快だなーあの人なんてことをキュキュッという、発泡スチロール独特のこすれる音と共に考えながら箱の蓋を上に引っ張り上げる。
 はてさて、一体どれほどの物が用意されているやら。
 そして俺はパカリと蓋を開けて、
 
「…………」
 
 パタリと蓋を閉じた。
 そして目頭をグッグッと指でマッサージ。
 
「あ、あの、衛宮さん……なんか問題でもありましたか?」
 
 そんな俺の行動を不審に思っただろうネギ君が声を掛けてきた。
 
「……んー、いやー、問題はないよ、うん。無いんだけどさ……」
 
 そう言ってもう一度蓋を開けてネギ君に中身を見せた。
 
「うわー! 元気なお魚さん達ですねー!」
「うむ」
 
 ネギ君の歓声に重々しく頷く。
 そうなのだ。この魚たちは生きているのだ。むしろ元気に泳ぎ回っている。
 箱の中にはしっかりと水が張られていて、その中を魚達が所狭しと泳ぎまわっている。
 新鮮とかそんなレベルじゃねえ……。幾らなんでもやり過ぎでしょう学園長。
 しかし、授業で生きてる魚を捌くとか幾らなんでも難易度高くないか?
 中には捌く前の魚に触ったことが無いとかそんなレベルの子がいても不思議じゃないだろうに。
 
「あ、ホントだ。すごーい」
「おお〜、ええ鯖やなぁ〜」

 ネギ君の声に反応したのか、寄って来たクラスの女の子達が皆で箱を覗き込んでいる。
 アスナとこのかに至っては、俺の隣にしゃがみ込み、水の中に手を入れてバシャバシャと遊んでいた。
 エヴァはその反対側の俺の横に立ち、
 
「……刺身か」
 
 勝手に献立を変えないで下さい。
 いや、味噌煮だからな? 確かにこれだけ活きが良ければ刺身が一番美味いってのは分かるけども。
 そもそも鯖って刺身で食べられたっけ? なんか生で食べられないからしめ鯖とかが主流だった気がする。
 まあ、そんな事はいいか。
 
「あー……君達に質問。この中で魚を捌いた事がある人は?」
 
 その声に上がる手がチラホラと。
 むむむ、全部で7人か。
 
「じゃあ生きてる魚捌いた事があるのは?」
 
 すると今度は、上がっていた手が半分以下の3人になってしまう。
 まあ、無理も無いか。むしろ7人も魚が捌けることの方が凄いのかも知れない。
 ちなみに残ったのは三人の内一人は茶々丸だ。まあ普段から一緒に料理してて捌けるの知ってるから当然だろう。
 それこそ最初の方にはこのかの手も上がっていたのだが、流石に生きている魚となると捌いた事がないらしく今は手が下がってしまっている。
 そして、後の二人なんだが……なんかどこかで見た顔なんだよな。もちろん学園の中ではどこかで見ているのだろうけど、それとは別の場所だったような気がするのだが……。はて、何処だっただろうか?
 
「ええと……、茶々丸は良いとして、君達は……」
「超(チャオ)。超鈴音(チャオリンシェン)ネ。超でいいアルよ」
「私は四葉五月って言います」
 
 頭の横にお団子のように上を纏めたほうがチャオさん、肩口までの髪を両サイドで結っているのが四葉さんか……。
 ん? 待てよ……チャオ?
 
「えっと……チャオさん?」
「別に呼び捨ててで構わないネ。で、どうかシタか?」
「じゃあチャオ。ちょっと聞きたいんだけど……たしか君って『超包子』にいなかったか?」
 
 『超包子』。
 これはつい最近、エヴァに連れられて行った店の名前なのだが、やたらと中華が美味かったのを覚えていた。そして、その中でウェイトレスとして働いていた女の子の中に彼女がいたような気がする。
 
「いるもなにも……あそこはワタシが経営している店ネ」
「経営!?」
「ちなみにこの四葉はウチの料理長ヨ」
「———なんと」
 
 これは驚いた。
 てっきりバイトの子かと思っていたのに、まさか経営者だったとは。
 更に言うなら、こっちの四葉さんはその店のシェフだと言う。
 二人とも中学生だというのにだ。
 いやはや……こっちの世界の出鱈目さにもいい加減慣れてきたつもりだったがまだまだらしい。
 
「そういうアナタこそ噂は聞いテルね。衛宮士郎さん」
「俺の?」
「ウム。創作喫茶『土蔵』……いくら立地が優れているとはいエ、よもやたったの数ヶ月でワタシの店のライバルになるとは思てなかタね」
「ああ、そういう事。そこはほら、ウチには優秀な座敷わらしがいるから」
 
 そう呟いて、ちらりと横目でエヴァを流し見る。
 先ほどの俺の発言は聞こえていなかったらしく、エヴァは大きな欠伸をしていた。
 実際の話、いつも定位置に座り紅茶を飲んでいる彼女見たさで来るお客さんも決して少なくは無いのだ。それも男女問わずにだ。
 確かに店の雰囲気も、カウンターに腰掛けて優雅にカップを傾けるエヴァには異常なまでにハマっている。世が世なら正真正銘のお姫様なのだから、当たり前といえば当たり前なのかも知れないが、そのどこか浮世離れした姿に見蕩れるのも分かる気がする。
 詰まる話、エヴァはいるだけで売り上げに貢献していたりする。なので、俺の座敷わらし発言も決して的外れな物ではないと思っている。
 ……本人に言ったら怒られそうではあるが。
 
「ほうほう。ツマリ、マスコットを用意している訳アルか。なかなかの策士ネ」
「……いや、別に策ってわけでもないんだけどな」
 
 どちらかと言えば、自動的に居ついているとかそんな感じ。
 それは兎も角。
 俺はパンパンと手を打って気持ちを入れ替える。
 
「さて、それじゃあ君達には魚を捌く手伝いをして貰いたい。流石に魚を捌いた事もない子達がいきなり生きたままのを捌くのは難易度が高すぎると思うから、まずは君達三人に絞めてもらってから各班に魚を配って捌いてもらおうと思う。あとは魚を捌いた経験がある子を各班に一人づつ配置して、その子を中心に料理に取り掛かる……こんな感じでどうかな、ネギ君?」
「はい、それでいいと思います。———それでは皆さん! 今、衛宮さんが言われたとおりにお願いします!」
 
 ネギ君の声に『はーい』という返事をすると、わらわらと行動を開始する生徒達。
 茶々丸、チャオ、四葉さんの三人は手際良く魚を絞めていくと、それを各班に配っていく。
 
「それじゃ、魚が配られた班からキチンと手を洗って魚を捌くように。俺も各班を回って行くから分からない事があったらその都度聞いてくれ」
 
 黒板に作り方や調味料の分量等を書いた後、そんな声を張り上げながらテーブルの間を歩く。
 するとまあ、想像通りの悲鳴があちこちから聞こえてくる。
 
「きゃーッ!? 千鶴さん、血、血が出てますことよ!?」
「あらあら綾香、お魚さんだって生きているのだから血ぐらい出て当然でしょ?」
 
 とか。
 
「ムムム、この魚……死して尚私を睨み付けて来るとは……なかなかの気概アルね!」
「ほう、それは骨のある魚もおったものでゴザルな〜」
 
 とか。
 まあ、ちょっと想像していたものより斜め45度を低空飛行しているような物も混ざっているが、概ね順調らしい。俺自身も、時折かかる質問の声になんとか答えながら調理台の間を歩いていると、一際大きな歓声が上がった。
 一体何事かとそちらの方を向いてみれば、そこには見慣れた顔ぶれが揃っていた。
 刹那を中心に、アスナ、このか、宮崎さん、綾瀬さん、早乙女さんと言った面々だ。
 そこで、ふと疑問に思った。
 はて、料理と言う場面で何故刹那が中心になっているんだろう? こういう場面ではこのかがメインになるような気がするんだが……。
 そんな風に俺が頭の上に疑問符を浮かべながら首を捻っていると、輪の中心にいた刹那が、おもむろに魚の尻尾を掴んだかと思うと、あろう事かその魚を上空に放り投げてしまったのだ。
 
「……は?」
 
 想像だにしていなかった展開に目が点になり、思わず間の抜けた声が出てしまう俺。
 そんな、展開に付いて行けていない俺を置き去りに、刹那は傍らに置いてあった包丁を素早く握ると、そのまま空中に浮いたままの魚にその手を高速で走らせた。
 そうして再びまな板の上に落ちた魚を見て、また歓声が上がる。
 
「…………え〜」
 
 俺はそんな歓声を余所に、眉間を揉みながら気配を殺して刹那の後ろに回りこむ。
 
「わ〜、せっちゃんスゴイ、スゴ〜イ! お魚が一瞬で三枚に卸されとる! な、な、もっかい見せてくれへん?」
「———はい! お任せ下さい、お嬢様!」
「任せられるか、この剣術バカ」
 
 ズビシと、やたらに嬉しそうな顔で張り切る刹那の後頭部目掛けて手刀を一撃。
 すると刹那は、叩かれた後頭部を両手で押さえながらこちらを振り向いた。
 
「し、士郎さん……」
「こらこら、食材を使って何遊んでるんだ。ちゃんと調理しなきゃ駄目だろ?」
「うっ……申し訳ありません」
「え〜、でもでもシロ兄やん。せっちゃんスゴイんよ? お魚一瞬で三枚卸しにしてまうし」
「作業が早いのは良いけど、そのやり方が問題だろ? このかだってああいう風に調理された物を食べるよりは、時間をかけてでもちゃんと調理をされている物を食べたいだろ?」
「う〜……そらそうやけど」
「だったらキチンとしないと。ほら、この班はこのかがリーダーなんだから率先してやってくれないと先に進まないぞ」
「……んもう、シロ兄やんはイケズやな〜」
 
 このかはプンプンと言う擬音が聞こえそうな、頬をまるでリスのように膨らませて拗ねる様に俺を睨み付けた。
 うん、そんな事をやっても可愛いだけでちっとも怖くないんだけどな。逆にその頬を指で突いてプスーとか言わせたくなる気分になる。
 
「イケズでも何でもいいからキチンとやる。ほら、アスナも料理が苦手だからってそんな端っこで隠れるようにしてたって無駄だからな」
「げ。バ、バレてた……?」
「当然」
 
 むしろバレていない訳が無い。
 何をやるにしても物事の中心になるような奴が、いきなり隅に隠れるようにこそこそしているのだ。それで気が付かない方がどうにかしているだろう。
 
「このか、任せて大丈夫か? お前なら大丈夫だと思うけど、大まかな手順は黒板に書いてあるから分かるから……」
「うん、オッケーやでシロ兄やん。そんなに難しい料理でもないし、ウチにも出来るで」
 
 このかはニッコリと笑って親指を突き出して見せた。
 うん、この分なら任せても大丈夫だろう。
 
「そっか、それなら任せた。———刹那」
「は、はい」
「いいか? くれぐれも普通に作れよ? 豆腐とかを手の上で切るならまだしも、間違っても空中で切るとかアクロバティックな事はしなくて良いからな?」
「……り、了解です」
 
 がっくりとうな垂れる刹那。
 少し言い過ぎた気がしないでもないが、間違って覚えられても困るし……まあ、あんな調理の仕方が出来る人自体あんまりいないとは思うが…………あ、やだな、なんか考えてみれば出来そうな連中の心当たりが数人からいるぞ。料理自体出来るかは別にして。
 それは兎も角。
 それでも、根が真面目な刹那のことだ、言い聞かせればキチンとするだろう。
 
「他に問題のありそうな班は……っと」
 
 とりあえずこのかにその場を預け、他の班の様子を眺めてみる。
 うん、どうやら概ね順調なようだ。
 
「……それにしても」
 
 そう呟き、とある一角を眺める。
 
「……滅茶苦茶上手いな、あの子」
 
 視線の先にいるのは、先ほどの四葉五月という名前の少女。
 このかだって十分に料理は出来るのだが、それと比較しても手際が凄く良い。……と言うか、俺よりも良いだろう。
 チャオが先ほど『超包子』のオーナーシェフだと言っていたが、なるほど、確かにあの手つきはプロその物だ。
 
「———どうネ、ウチの料理長は」
 
 そんな様子を眺めていると、不意にチャオが俺の隣にやって来た
 そしてそのまま視線を四葉さんに固定すると、腰の後ろで手を組んで尋ねてきた。
 
「いや、ホントに凄いな。別に疑ってた訳じゃないけど、実際にこの目で見るまで実感が湧かなかったから……正直、かなり驚いてる」
「ウム。五月の実力は私モ認めている所ネ。……しかし、そう言う衛宮さんだって中々の物なのではないカ?」
「……どうだか。俺の場合は専門に学んだ訳じゃないからな、その道のプロに言わせれば、どうしても中途半端な感じになるんじゃないかな」
「その割には随分繁盛してイルが?」
「それこそ立地が良いからだろ。学校の寮の前じゃなかったら、あそこまでのお客さんは来ないだろ。———ああ、そうそう。この前『超包子』で食べさせてもらったけど、多分、味だって負けてると思う。うん、美味かったよ」
「……謙遜が上手いネ」
「本心だけどな」
 
 そんな会話をしながら何となく四葉さん達の班の様子を眺める。
 お互いに今日初めて会話したのだから、特にこれと言った話題もないのだが、何故か隣に立つチャオはそのままそこを動かない。
 はて、なにか俺に用事があるんだろうか?
 
「……衛宮さんハ」
「うん?」
「衛宮さんはこの世界ヲどう思うカ?」
「……随分、曖昧な表現だな」
「別にそんな難しく考える必要ナイね。率直に、今の生活をどう思っているかでイイよ」
「生活……か。まあ、そういう括りなら概ね満足しているが……」
「そうカ。それは結構。……では、魔法の在り方に関してハ?」
「……ッ、君は!」
 
 瞬間、心臓が跳ね上がった。
 こうも不意打ちの形で、魔法という単語を聞くとは思っていなかったからだ。しかも、こんな周囲に人がいる場所で、だ。
  
「おっと、そう身構えナクても大丈夫ヨ。周りには聞こえていないシ、聞かれたとしてモこの騒ぎ……聞き取れる訳がナイヨ」
「……君は一体……」
 
 俺が若干警戒しながらもそう尋ねると、チャオは飄々とした態度で肩を竦めて見せた。
 
「まあ、魔法関係者だと思て結構ネ。ダカラ、アナタと一緒に住んでいるエヴァンジェリンの正体も知っているシ、そもそも茶々丸を製作したのは私ヨ」
「……君が、茶々丸を?」
 
 そう言えば以前にエヴァから聞いた事がある。純粋な魔法技術によって製作されたチャチャゼロ等とは違い、茶々丸は魔法と科学の混血児だと。魔法に関する技術提供はエヴァがしたらしいが、科学側の方の技術者が誰だったか等は聞いていなかったのだが……そうか、彼女が。
 
「それデ、質問に答えてくれるとアリガタイんだが」
「あ、ああ……魔法の在り方か……魔法の在り方について俺は———……」
 
 チャオの質問に答えようとして、不意に言葉に詰まる。
 質問の内容が突飛だからと言う訳ではない。 考えた事が無かった訳でもない。
 だが、改めて聞かれると分からなくなる。
 ……俺は、魔法に対してどういう風に考えているんだ?
 俺にこちらの魔法のことを教えてくれたのは他でもない、エヴァだ。また、一番身近な存在としてもずっとずっと傍にいたのだから、その考え方が俺に少なくない影響を及ぼすのも道理だろう。
 彼女はその生い立ちからか、非常に達観した思考を持っている。
 また、ほとんど他人に興味を示さないその性格故か、魔法が一般の人たちに及ぼす影響に対しても無頓着だ。
 しかし、この彼女の思考が他人に影響を及ぼすことは少ない。
 エヴァはそもそも騒がしいのが嫌いなのだ。
 魔力の大部分と共にこの地に封印されている今は、その力で出来ることは限られている。そんな中途半端な状況で、他人に魔法のことがバレしまい、騒ぎになるのが心の底から鬱陶しいのだろう。
 だからこそこれまで魔法の存在を秘匿し、平穏に過ごして来れたのだ。
 だからだろうか。
 俺自身もこちらの世界に来てから暫くの間は、この世界の魔法の在り方に脅威を覚えることは無かった。
 大きな出来事もなく、あったとしても魔法関係者の刹那と出会った事ぐらいだ。
 それ以外の部分では平穏で。暖かくて。優しくて。
 まるで夢のような世界だと……そんな風に感じていた。
 だが、その考えに段々と歪みが生じてきたのは何時頃からだったろう。
 修学旅行?
 エヴァとの事件?
 図書館島での騒ぎ?
 …………それとも、『彼』がここに来た時から?
 
「……ッ」
 
 その、最後に浮かんだ考えに頭を振る。
 違う、彼は悪くなんかないじゃないか! いつだって一生懸命にがんばっている姿を俺は見てきた! それを今更俺は……っ!
 ……だがしかし。
 俺はどうしても考えてしまうのだ。
 この間の、悪魔の襲来事件からずっと頭から離れずにわだかまっていた感情。
 もし、彼がここに来なかったら、アスナやこのか達もあんな事件に巻き込まれなかったんじゃないか。
 もし、彼がここに来なかったら、このかはもう少しの間、魔法なんてものの存在を知ることなく平穏に過ごせていたのではないか。
 もし、彼がここに来なかったら、宮崎さんはこんな世界に足を踏み入れることも無かったのではないか。
 もし、彼がここに来なかったら、アスナは武器を手にすることも無かったのではないか。
 もし、彼が。もし、彼が。もし、彼が。
 …………もし、彼が、ネギ君が。
 いや、それも少々違う気がする。
 前提からしておかしいのではないだろうか。
 
 ———そもそも、魔法使い達が何も知らない人達の中で態々暮らす必要が何処にあるのだろうか?
 魔法の存在を秘匿したいのならば、その行動はマイナスしか生まないというのにだ。
 
「…………」
「……スマナイ。どうやら不快にさせてしまったらしいネ」
「……あ、いや」
 
 沈黙した俺に彼女はそう謝ると、初めて俺の方に向き直った。
 そして、ジッと俺の瞳を覗き込むような仕草をする。
 その様子はひどく真剣で、俺も目を逸らすことが出来なかった。
 
「……なるほどネ」
「……なるほどって……なにがだ?」
「イヤ、こちの話ネ。———先ほどの質問の答えはもうイイヨ。今ので答えて貰たようナ物だかラ」
 
 俺の沈黙から何かを感じ取ったのか、チャオは納得したように目を瞑ると、クラスメイトの元へと足を進めた。
 そして、その途中。
 首だけを回して、いかにも気軽にといった様子で振り返った。
 
「———アア、そうそう。言い忘れてた事があたネ」
「……どうした?」
「ワタシ、近々新しい事業を始める予定なんダガ……衛宮さんも一口噛まナイカ? きっと、衛宮さんも気に入ると思うヨ」
「……内容を聞かないことには何とも言えないけど……俺に出来ることなら考えさせてもらうよ」
「そうカ。まあ、その時になれバもう一度誘わせてもらうネ。その時は色よい返事を期待させテもらうヨ。では———再見(ツァイツェン)」
 
 そうして、ヒラヒラと手を振って今度こそクラスメイトの元に戻って行った。
 何でもない会話。
 何でもないやり取り。
 ……だがしかし。
 彼女の残した最後の言葉が、そんな事がある分けないのに、俺には全く別のモノに聞こえていた。
 ……その音はまるで。
 
 
 ———鉄を打つような音だと、俺の心が感じていた。
 
 



[32471] 第51話  Girls Talk & Walk
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/08/10 18:55

 
「———んで、アキラ。どうすんの?」
「…………は?」
 
 唐突に、目の前に座った親友……明石夕奈が訳のわからない事を言い出した。
 時刻はオヤツの時間、天気は快晴。
 学園祭が近い事もあって、部活がお休みの今は、クラスの出し物の準備の前に一息入れようと、学園から程近いカフェでコーヒーを飲んでいる時だった。
 
「どうするって……何が?」
「そんなん決まってるじゃん」
 
 ゆーなはそう言うと、ニシシと意地の悪い笑い方をする。
 ……今までの経験上、ゆーながこう言う顔をする時は、大抵碌でも無い事を言う時だと決まっている。
 私は少し諦観した心持でコーヒーカップを口につけた。
 
「衛宮さんだよ、エ・ミ・ヤ・さん。学園祭、一緒に回ろうって誘った?」
「———ぶッ!?」
 
 と、唐突に何を言い出すんだゆーなはッ!?
 気管に入ったコーヒーでケホコホとむせる私を余所に、ゆーなはそんなの知ったこっちゃないとでも言うように、目を爛々と輝かせて話を続けた。
 
「おんや、その反応……さてはまだ誘ってないなッ!?」
「あ、当たり前でしょッ、その前になんで誘うこと前提で話が進んでいるんだ!?」
「ダメだよアキラ〜、そんなノンビリとしてたら青春は終わっちゃうよ?」
「…………」
 
 ……前々から思ってはいた事なんだけど。
 なんでこの子は時々人の話を聞かなくなるんだろう? 後、たまに暴走するし。
 
「……ふん。そんなの、好きな人もいないゆーなには言われたくない」
 
 私は両手でコーヒーの入ったカップを口元に持っていきながら少し反撃をする。
 言われっぱなしは面白くない。
 
「ぐ……ッ、ア、アキラって、偶にだけど突っ込みキツイよね」
「……そうかな?」
 
 私的には思ったことそのまま言ってるだけなんだけど。
 ゆーなは若干憮然とした様子で、胸の前で腕を組んだ。
 
「いやまあ、確かに事実なんだけどね、私に好きな人がいないって言うのは。お父さんの世話をしなくちゃいけないってのもあるっちゃあるんだけど……」
 
 ゆーなはそう言うと、頬杖を着いて大きなため息を吐いた。
 ゆーなの言っているお父さんの世話と言うのは、家の話だ。
 ゆーなの家は早くにお母さんを亡くしており、お父さんと二人の父子家庭なのだ。今でこそ寮暮らしのゆーなだが、休みの日などは大学教授の仕事で忙しいお父さんの代わりに家事をしに帰るという家庭的な一面も持っている。
 なので、以外と言ってしまえばゆーなに失礼だが、ゆーなはこう見えて炊事洗濯掃除などが普通以上に出来る。
 男の人は家庭的な人が好きだというし、そういう面に関してゆーなは大層受けが良いだろう。
 更に言えば、見た目だって十二分に可愛いし、性格だって明るくて優しいし、それに……おっぱいだって大きい。
 
「…………」
 
 なんとなく自分の胸元に視線を落とす。
 ……うん、負けてはない。
 些細なこととは言え、女の子にだってプライドと言うか、譲れないものはあるのだ、うん。
 それは兎も角として。
 
「でもほら、ウチ等って良くも悪くも女子校じゃん? どうしても男の子との接点が無いって言うか、縁遠くなっちゃうから、仕方ないって言えば仕方ないんだけど、分かりやすく言えば……好きになることが出来ない状況?」
 
 ゆーなはそう言うと、頭の後ろで腕を組んで首を傾げた。
 私に聞かれても困るんだけど、ゆーなの言っている事は理解できる。
 女子校ともなれば、当然のごとく男の子と接触する機会が極端に少ない。決してゼロじゃないけど、それでもせいぜい部活で一緒になるか通りがかりに偶々会う程度が限度だ。
 そんな状況下で男の人を好きになるとすれば、一目惚れか余程強烈な出会い方をしなければならないだろう。
 なるほど、ゆーなの言う好きになる事が出来ない状況と言うのも的を得ているように思う。
 でも、
 
「……ネギ君は?」
「んにゃ? ネギ君?」
 
 ゆーなは頭の後ろで手を組む姿勢そのままで目をパチクリと瞬かせた。
 はて、そんなに以外な例だったかな?
 確かにネギ君は10歳と幼いが、年齢に見合わないほど大人びているし、私たちのクラスの宮崎や雪広のように、実際にネギ君の事が異性として好きな人がいるのだから、そんなに有り得ない例じゃないと思うんだけど。
 
「ネギ君、ネギ君かあ……」
 
 ゆーなはそう呟いて、カップを手に取りコーヒーを口に含むと、口を開いた。
 
「ネギ君の事は嫌いじゃないし、むしろ好きだけど、そういうんじゃないかなあ。今だって十分可愛いし、将来的にも絶対に超が付く位カッコ良くなるのは分かってるんだけど……ほら、人を好きになるってそう言うんじゃないじゃん? その人の将来を見込んで好きになるって、なんか違うと思うし……上手く言えないけど、———こういうのって好きになりたいから好きになるんじゃなくて、好きだから好きになるんじゃないかな。……いや、ホント上手く言えてないな私。自分でも何を言ってるかサッパリだ」
「…………ううん、分かるよ、なんとなく」
 
 自分の言葉にアハハと笑うゆーなに対して、私は頭を振ってそう答えた。
 
 ———好きになりたいから好きになるんじゃなくて、好きだから好きになる。

 確かに言葉の意味としてはおかしいのだろう。
 強引な論法もいいところだ。
 だけど、私は思う。
 ———だから、なのだと。
 意味が通じない?
 理屈が通らない?
 そんなの当たり前だ。
 理屈なんかじゃないんだから。
 自分ですらどうにもならない感情に、理屈なんか通じる訳がない。
 誰かを好きになるって言う事に理由なんていらないし、理由を付ける意味だって無いのだ。
 だからこそ私はゆーなの言葉こそが正しいと思う。
 好きだから好き。
 それはもうしょうがない事なのだ。
 
 ……だって本当に好きなんだから。
 
「…………」
 
 と。
 気が付けばゆーながボーッとした表情でこちらを見ていたのに気が付いた。
 いけないいけない。
 どうやら深く思考し過ぎていたみたいでゆーなをほったらかしにしてしまった。
 
「…………」
 
 しかし、これは何か様子が変じゃないか?
 私を見たまま動かないし、心なしか頬が上気して赤くなっている。
 ……風邪?
 
「……ゆーな、大丈夫?」

 私が顔の前で手を振ると、ゆーなは漸く我に返ったかのように気が付いた。
 
「———あ、ああ、ゴメンゴメン。……いやー、ビックリしたー」
「……?」
 
 ゆーなの言葉に私は首を傾げた。
 はて、今の会話の中でビックリするような発言なんてあったかな?
 
「最近、なんとなく感じてはいたんだけどねー。いやいや、まさかここまでとは予想外だった」
 
 ゆーなは一人納得するようにうんうん頷いているが、当然私には何が何だかさっぱりだ。
 するとゆーなは、そんな私を見て先程と同じような意地の悪い顔で……それでいて何処か優しい顔で笑うと、
 
「アキラ、最近すごく綺麗になったよね」
「……え? そ、そう?」
「絶対そうだよ。今だって私、本当にびっくりしたもん。こう、なんて言うのかな……物憂げな感じ? 良く分かんないけど、前よりずっと大人びて見えるもん」
「……そ、そう」
 
 と、言われても自分自身ではピンと来ないんだけどな。
 友達から綺麗になったと言われて嬉しい事は嬉しいんだけど、私には自覚が無いから何とも反応に困る。
 そもそも、綺麗になんてなっているんだろうか?
 私は元々、化粧といっても大した事はしないし……まあ、これは部活が水泳部なので、水に入ってしまうと化粧の意味がなくなるからって言うのもあるんだけど。
 だからと言って、最近になって新しく始めた美容法なんかも別に無い。
 さて、そうなってしまうと何かが変わったような心当たりなんて、全くないって言うのが本音ではあるのだが。
 そんな風に首を傾げる私に、ゆーなは重い溜め息を吐いて頬杖を突いた。

「やっぱアレだねー……恋する乙女は綺麗になるって言うけど、本当だったみたいだね」
「…………」
 
 ……いや、うん、まあいいや。
 今更そんな事無いって言えるような状況じゃないし、恋をしているって言うのも事実だし。
 ……けど、その台詞に対して私になんのコメントをしろと言うの?
 
「でもそれなら尚更だよね、ライバルだっているんだしモタモタしてたら取られちゃうよ?」
「ライバルって……」
 
 衛宮さんは物じゃないんだから取られるってわけでもないだろうに。
 けど、そう言われると思い当たる節があるのは確かだ。
 例えば、
 
「……桜咲とか?」
 
 思い起こすのは衛宮さんと初めて出会った時に見た、教室では見たことも無い楽しそうな桜咲の表情。
 京都で衛宮さんに聞いた時は付き合ってるわけじゃないみたいだけど……。
 それでも私には分かってしまう。
 彼女は私と同じような感情を抱いていると。
 ゆーなはそんな私の言葉を聞くと、キョトンとした表情になった。
 
「桜咲って……刹那さん? え、あ、嘘、刹那さんもそうだったのッ!?」
 
 真顔で驚くゆーな。……あれ、ライバルって桜咲の事じゃなかったのかな?
 
「……いや、私もよく分からないけど……そうなんじゃないかなって。なんとなく」
「はあ〜、そうだったんだ。私、刹那さんとあんまり話さないからなあ……」
 
 眉間に皺を寄せて腕を組みながら唸るゆーな。
 えっと……後、他に該当しそうなのは……。
 
「……じゃあ、神楽坂や近衛とか?」
 
 この前の喫茶店でのやり取りを見た感じ、二人とも衛宮さんの事を兄として慕っているし、衛宮さんも二人のことを妹のように可愛がっているように見えた。
 二人の態度も単純に表面だけを見れば、桜咲よりもよっぽど分かりやすく衛宮さんに好意を抱いているように感じるんだけど。

「あ〜……、アスナとコノカかぁ……。確かにあそこら辺は衛宮さんと特に仲良いよねえ。なんて言ったって『シロ兄』に『シロ兄やん』だもん。それにコノカは別として、アスナがあそこまで男の人に対して素直になってるのなんて初めて見たし。……でも、私の見た感じだと二人とも本当にお兄ちゃんとして衛宮さんの事見てるんじゃないかな。そりゃ、好きか嫌いかで言ったらきっと好きになるんだろうけど、方向性が違うと思うのよ、私は」
「……そっか。うん、でもそれは何か分かるかも」
 
 言われてみれば、確かに二人の態度は想いを寄せているというよりは、懐いているという方がぴったりな感じはする。
 もしも衛宮さんを異性として意識しているのだとしたら、あそこまで明け透けな態度は取れないだろう。……体験者は語る、なのだ。
 
「まあ、今の段階では……って、前置きが付きそうな感じではあるんだけど」
「……むっ」
 
 そ、それは十分に有り得る。
 感情なんて移ろいやすいものだし、親愛の感情が恋愛感情に変わってもおかしくない。
 そうなると衛宮さんのとの距離が近い分、神楽坂達の方が有利になるのかも……って、私は私で何有利とか考えてるんだろう。……駄目だ、なんかゆーなに洗脳されて来ている。
 ええと……何の話だっけ? ———ああ、そうだ、確かライバル云々だった。(洗脳完了)
 桜咲でもない。
 神楽坂でもない。
 近衛でもない。
 ……はて、後は誰がいるんだろう? もしや私の知らない人なんだろうか。
 
「じゃあゆーなの言っている……その、ライバルって誰なの?」
 
 するとゆーなは、テーブルから身を乗り出し、私の耳元で囁くような仕草をした。
 些か芝居がかった行為だが、その表情は思いのほか真剣だった。
 そして、
 
「———ズバリ、エヴァちゃんね」
 
 私に突きつける様に、そう言った。
 
「……エヴァ? それってウチのクラスの……」
「そう、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルちゃんね」
 
 ゆーなは、「ふん」と鼻息荒く再び椅子に腰を下ろして腕を組んだ。
 私はそれを眺めながらクラスメイトである少女を思い浮かべていた。
 
 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。
 
 騒がしいクラスの中で、物静かな彼女はある意味浮いた存在だ。
 金色の長く美しい髪を持ち、幼い外見ながらも、まるでビスクドールのような可愛らしい容姿をした少女。
 だが、その愛らしい外見に相反するように、学校には登校してくるものの、授業をサボることが多く、出席していても机に突っ伏して寝ているか、退屈そうに頬杖を突きながらボーっとしているかのどちらかだ。そのくせに成績はそんなに悪くないと言う。
 口数が少なく、たまに口を開いたとしても一言二言の結論を口にしてそれっきり。
 妙に冷めた態度と瞳をしていることが多く、その様子は目に映るもの全てがくだらない物だと考えているようにも見える。
 ……そんな彼女が、衛宮さんを?
 
「あ、その様子だとやっぱり気が付いてなかったみたいだね。いや、私もこの前偶然見るまでは思っても見なかったことなんだけどね……」
「……って言うと?」
「うん。この前アキラが部活だった時、私一人で衛宮さんのお店に遊び行ったんだけど……その時、衛宮さんとエヴァちゃんが話してるの見かけたんだ」
 
 それはまあ、そういう事だってあるだろう。
 思い返してみれば、初めて衛宮さんの店に行った時は既に彼女も来ていたし、女子寮の前にあるせいか私たちのクラスにも衛宮さんのお店の常連という子達が結構な数いる。
 その例が先ほど名前の出た、神楽坂と近衛なのだが、そこは割愛しよう。
 そして、その傾向が特に顕著なのが彼女……エヴァンジェリンだ。
 彼女は学校が終わると、ほぼ間違いなく衛宮さんの店に直行して、毎日のように通っていた筈だ。
 通っていた、と過去形の表現になるのは、最近では放課後にネギ君と連れ立ってどこかに行っているようだからだ。
 それでも店に通うのは変わらず、ネギ君と行動をともにしている日を差し引いて漸く神楽坂達と同程度の頻度に落ち着く。
 更に、カウンター席の一番奥側とその隣の席は誰かが明言している訳でもないのに、エヴァンジェリンと、彼女の友人の絡繰茶々丸の専用席扱いとなっており、どんなに店が混んでいようともその席だけは彼女達以外が腰を下ろすことが無いと言う話は有名だ。
 だからこそ、そんな常連が話をしている位だったら別に不思議な事でもないし。
 
「でね。その時は、あ、またエヴァちゃん来てるなー程度にしか見てなかったんだけど……」
 
 ゆーなはそこまで言うと、一旦言葉を区切って目を閉じた。
 そして、
 
「———あの子、笑ってたんだよね」
「……え? 笑ってたから……どうかしたの?」
「いんや、それだけだよ。エヴァちゃんが衛宮さんと話して笑ってた。それだけ」
「……えっと、それがそんなに重要な事?」
「そりゃ重要だよ。じゃあアキラ、逆に聞くけど……アキラ、エヴァちゃんが笑ってるのって見た時ある?」
「……そんなの当然…………って、アレ?」
 
 当然あると言いかけて、言葉が止まった。
 ずっと同じクラスだったんだ。笑った顔の一度や二度、見ている筈だろうからこそ言葉が先に出たけど、思い返してみると……なかったのだ。
 私の記憶の中に、彼女が笑っている姿など、唯の一度も存在していなかった。
 思い起こせる姿はいつもの憮然としている表情や、つまらなそうに頬杖を突いている姿ばかり。
 
「ね、見たこと無いでしょ? そんなエヴァちゃんがさ、衛宮さんの前だとすっごく綺麗に笑ってるんだよね。偶々見かけたんだけど、思わず見蕩れちゃったもん、私」
「……そう」
 
 その光景を思い浮かべ、胸の奥がチクリとした。
 
「———でね、それ見て思ったんだけど……ぶっちゃけ、あれはヤバイわ」
「……ヤ、ヤバイ?」
「うん、アレは色々とヤバイ。本当にヤバイ。笑った時のエヴァちゃんが滅茶苦茶可愛かったってのもあるんだけど、何より……あの笑い方。アレはもう———愛しちゃってるね!」
「あ、愛ッ!?」
 
 いきなりテンションが上がったゆーなの発言に思わず驚きの声を上げてしまう。
 ……あ、愛って。
 
「英語で言えばラブよ、ラブ! もう下唇噛んじゃうくらいのラヴッ!」
「———あ、ごめんゆーな。今のでなんか冷めた」
「なんでッ!?」
 
 そして一気に下がった。
 だって、なんかいきなり胡散臭いんだもん。少し前までは真面目な話してたっぽいのに。
 
「うぅ……、なんか最近アキラのハードルが高いよぅ……。と、兎に角っ、そんな感じで最大のライバルはエヴァちゃん! 今はまだお人形さんみたいな感じだけど、クラスで一番基本スペック高いのって実はあの子だもん」
「……スペック?」
「そう、スペック。いっつも不機嫌そうな顔してるから皆気が付いてないと思うけど……まあ、私も気が付いてなかったんだけどね。ぶっちゃけ……エヴァちゃんって超絶美少女よ? 成長期が来るのが遅いのかわかんないけど、今は小さいからまだ騒がれてないだけで、この先成長して私達くらいの身長になったら……」
 
 ゆーなはそうしてゴクリと生唾を飲み込んだ。
 そんなゆーなに習って、私も少し想像してみる。
 人形のように作られたかのごとく精巧に整った顔立ち。白磁のようにシミ一つない肌。流れる黄金の髪。切れ長の瞳から覗く碧眼。
 それらが順調に成長して行ったら……。
 
「…………」
 
 た、確かに物凄いレベルの美少女が頭の中で完成してしまった。
 そりゃ、私の勝手な想像の産物なんだろうけど、それから多少ずれたところで、それでも絶世の美少女と呼んでも良いレベルだ。
 そんな少女が衛宮さんに想いを寄せている?
 ……強敵なんてもんじゃない。ほとんど倒すのが不可能な位圧倒的な存在だ。
 
「想像した? 想像しちゃったでしょ?」
「……うん。なんか凄かった」
 
 と言うか、ゆーな風に言うなら今だって十分にマズイレベルなんじゃないかな?
 だって、彼女の場合は冷めた表情がマイナスになっているだけで、元の素材は変わらない。
 しかも、ゆーなの話では衛宮さんの前だとそれもなくなり、笑顔を見せていると言う。
 ……それって、普通に美少女なんじゃ……?
 
「だからさ、アキラ。遠慮とかしてたら手遅れになっちゃうよ?」
「……べ、別に、遠慮しているわけじゃ……」
 
 そう、別に誰かに遠慮しているじゃない。
 話はもっと単純で、私に意気地がないだけ。
 二人になったらどんな会話をすればいいか、何処に行けばいいか、どんな表情をすればいいか。
 そんな事ばかりが頭の中でグルグル回って、どうしようもなくなってしまうんだ。
 押し黙った私を見て、ゆーなは大きな溜息を吐いた。
 
「……んもう。アキラは他人のタメなら大胆になれるのに、自分のためとなるとトコトン内気ちゃんだよね」
「……ぅ、ごめん」
「でも、ま、私はそんなアキラが好きなんだけど。良し、ここはこの親友……心の友と書いて心友のゆーなちゃんにドーンと任せなさい!」
「———ゆーな」
 
 自分の胸を叩いてそう宣言するゆーなに思わず、ジーンと感動してしまう。
 ああ、私はなんて良い友達を持ったんだろう。
 私は友達の大切さに心から感謝して、
 
「———と、言うわけで……そこを通りすがっている衛宮さ〜んッ! こっちこっちぃ〜!!」
「——————へ?」
 
 ———友達の残酷さに絶望した。
  
「……えっと」
 
 ゆーなはすっごく良い笑顔で私の後ろの方に向けて手を振っている。
 私は怖くて振り返れない。
 ……ちょ、ちょっと待って? 幾らなんでもこんな都合よく衛宮さんが歩いているわけないよね? だってここ、衛宮さんのお店からは離れているし、なによりここは学園間近の男子禁制女子校エリアだし!
 ゆーな流の冗談だよねッ? ねッ!? 
 
「ん、明石さんか。どうした?」
 
 そして何故か聞こえる男性の声。しかも聞き覚えがある。
 何で!? って、考えてみれば、衛宮さんは学園広域指導員なのだからどこでも立ち入り出来るし、この時間の見回りは衛宮さんの日課だったっけ……!
 私はそんな事を頭のどこかで考えながら、予期せぬ衛宮さんの登場におもいっきり動揺する。だってほら、見てみて? 手に持ったカップの水面がすっごい波打ってる。零れていないのが不思議なくらい。冷静に色んなことを考えているように見えて、その実、全然冷静なんかじゃない。
 
「それに大河内さんも、今帰りか?」
「……こ、こんにちは」
 
 スタスタとテーブルに歩み寄ってくる衛宮さんの方を直視することが出来ず、なんとか挨拶だけ返す。
 今の今まで話題の中心だった人の顔が見れずに思わず俯く。
 ……うぅ、私、今、絶対に顔が赤くなってる。だって顔が凄く熱いもの。首筋にもジワジワと汗が浮かんでくる。
 その状態で何とか横目だけで衛宮さんの様子を盗み見る。
 衛宮さんはいつものようにお店でしている格好だった。
 まるで鴉の濡れ羽色のような輝きを放つ滑らかな生地を使った黒のベストとパンツ。真っ白なウィングカラーのシャツは最近の気温の上昇に合わせて半袖に衣替えをしている。そして胸元を飾る、真っ赤な大粒のルビーをあしらった紐ネクタイが光を反射して、存在を自ら主張するかのように強い輝きを放っていた。
 
「いえいえ、私等はこれから学園祭の出し物の準備あるんで、その前の休憩って感じですよ」
「出し物……ああ、そうか、確かメイド喫茶かお化け屋敷のどっちかだったか?」
「ありゃ、衛宮さん知ってるんですか? まあ、結局はお化け屋敷になったんですけどね」
「……へえ、そうなんだ」
 
 ゆーなと話している衛宮さんが少しだけ残念そうな顔をした。
 ……あれ、もしかして衛宮さん的にはメイド喫茶の方が良かったのかな?
 
「そう言う衛宮さんは学園祭、なんかしないんですか?」
「いや、俺は特に何も……指導員の仕事もあるし。強いて言うなら見回りがてら色々ぶらつこうかと思ってる」
「———へえ、なるほどなるほど。そうなんですか」
 
 衛宮さんのその言葉に、ゆーなの瞳が怪しく光った。
 そして、私にやたらとウィンクを連発してくる。
 ……私に誘えって合図しているんだろうけど、そう言うのは衛宮さんの見えない所でやるべきだと思う。衛宮さんが、なにやってんだこの子って顔してるから。
 けれど、確かにゆーなが合図している通り、話の流れ的にも今誘うのが一番なんだろう。先ほどの会話で浮かんだ、エヴァンジェリンの事が私を焦らせる。
 取る取られる云々は兎も角として、いつまでもウジウジと考えてばかりいるだけでは何も変わらないのは事実だし、何もしないで諦めるよりは、私は当たって砕ける方を選びたいのだ。
 
「……あ、あの、衛宮さん」
「ん?」
 
 衛宮さんがゆーなに向けていた顔を私に向ける。
 それだけで心臓は早鐘を打ち、手の平は汗ばんでくるけど、お腹にグッと力を込めてみると、その顔から視線を逸らさないでいることが出来た。
 
「……学園祭、一緒に、回っても……いいですか?」
 
 言葉は途切れ途切れ、それに小さな声だったが———確かに言えた。
 今の私のありったけの勇気を振り絞った言葉。自分の言葉。
 
「……学園祭を、一緒に? いや、別に俺は構わないけど……見ていて面白いもんでもないぞ? 見回りって言ったって、所詮揉め事処理なんだから」
「……え? ———ああ、いえ。そう言うことではなくてですね……」
 
 衛宮さんはどうやら、私が衛宮さんの仕事振りと言うか、見回りの様子を見学したいのだと勘違いしているようだ。
 ……京都でも思ったんだけど、どうして衛宮さんはこうも物事の受け止め方が微妙にズレているんだろ? 普通に一緒に遊ぼうと誘われているって思わないのかな?
 ……あれ? でも、どうなんだろ。衛宮さんの口ぶりだと、一緒に行くこと自体は構わないらしいし、この場は取り合えず頷いて置いた方がいいのかな……。
 
「……あ、やっぱりそうです。それでも良いんで一緒に行きたいです」
 
 結局、私はそうやって返事を返した。途中経過は兎も角、結果として同じなんだし……別に良いよね?
 
「そうか、なら良いんだけど……じゃあ、いつ行く? まさか三日間ずっとって訳じゃないだろ?」
「……えっと」
 
 そこで私は少し考える。
 ……初日はクラスの出し物の係りだから外せないとして、二日目か最終日の三日目のどちらかなんだけど……ここは二日目の方が良いのかな。最終日ともなると衛宮さんも忙しいはずだし、クライマックスの最終日ともなれば、私もクラスの打ち上げとかで抜け出せなくなる可能性が高い。
 
「……そ、それじゃあ二日目なんてどうですか?」
「二日目か……ああ、それなら大丈夫だ」
 
 衛宮さんのその言葉に、二日目以外は誰か他の人と一緒に回る予定なのだろうか、と邪推してしまう自分がひどく醜いものに感じられて少し嫌になる。例え、他の日は別の誰かと一緒にいようとも、私がどうこう言えるような立場なんかじゃないのに、自分勝手が過ぎる。……私、こんなにも独占欲が強かったんだ。
 
「それなら二日目に。待ち合わせは……そうだな、分かりやすく午後一時に俺の店の前でいいか?」
「……は、はい。よろしくお願いします」
 
 言いながら、ペコリと頭を下げる。
 そうだ。他の日はどうであれ、一日は私のために空けていてくれるんだ。それ以上を望むなんて、浅ましいにも程がある。
 そんな私の考えを他所に、そうして約束を取り付けた衛宮さんは、店があるからとそのまま足早に去って行ってしまった。
 その遠ざかる背中を何となく眺めていると、先ほどから傍観に徹していたゆーなから声が掛かる。
 
「やったじゃんアキラ! 学園祭中のデートを受けてくれるなんて、衛宮さんも脈有りなんじゃない!?」
「……どうだろ。衛宮さんの場合、今年が初めてみたいだからそう言うの分かってないと思うし。それに、衛宮さんはデートとか意識してないみたいだったから」
「ん〜……確かにそこら辺は微妙だったけど。でもでも、受けてくれたって事は絶対に悪く思われてはないって!」
「……そうかな」
「そうだよ。アキラはもっと自分に自信持っていいんだよ」
「……そうだね」
 
 ゆーなの励ましの言葉に、幾分か心が軽くなる。
 でも、自分に自信を持てと言われても、考えてみれば衛宮さんの中での私の立ち位置ってどこなんだろう。
 友人?
 お店のお客さん?
 ただの顔見知り?
 ……どれも曖昧だ。これが神楽坂達辺りなら、妹という私にも分かりやすい立ち位置が出来ているんだろうけど、私にはそれがない。
 フワフワと足場が落ち着かない。不安定だから不安になる。
 ……だから私は、その足場をもっとしっかりとした物にさせたい。
 
「それにしても……」
 
 その声で、考えから抜け出し目の前を見ると、ゆーながニヤニヤと笑っていた。
 
「二日目なんて今年の世界樹発光現象の開始予定日じゃん。きっと暗くなればムードもたっぷり……もしかして『決め』に行っちゃう?」
 
 ゆーな自身も本気で言っている訳ではないのだろう。からかうような声色はどこまでも軽かった。
 ———だけど、私は。
 
「……うん。私、衛宮さんに告白する」
「——————」
 
 絶句。
 軽口に返した私の発言に、ゆーなから返って来た表情はそれ以外の何でもなかった。
 そんな何も言えないで口をパクパクさせているゆーなを他所に、私はもう一度衛宮さんが立ち去った方角へと視線を向けた。
 
「……うん、決めたんだ」
 
 麻帆良学園中等部、三年A組、大河内アキラ15歳。
 生まれて初めて好きな人が出来ました。
 決戦は学園祭二日目。
 
 
 
 ———私、今度……告白します。

 
 




[32471] 第52話  『    』
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/08/11 20:34

 
 
 ——————それは、それぞれにとっての終わりと始まりだった。
 
 
 
 ある少女にとっては始まる為の。
 
 
 
「ねー、アキラー。まだ寝ないの〜? 明日から学園祭なんだから早く寝ておかないと体持たないよ?」
「……ご、ごめん。もう少しだけ待って。まだ着ていく服が……」
「あ、そっか。アキラは二日目に大切なデートだもんね〜。そりゃ準備も大切か」
「ゆ、ゆーな!」
「うっしっし。そんに顔真っ赤にして凄んでも怖くはありませんよ〜。ま、応援はしてるから頑張って」
「……う、うん。頑張る」
 
 
 
 少女にとっては始まりの。
 
 
 
「———これで、どうだーー!」
「うん、かなり良い感じになってきていますね。流石はアスナさんです」
「そ、そう? えへへ、それもこれも練習に付き合ってくれた刹那さんのおかげよ」
「ご謙遜を。ご自身の努力の賜物ではないですか」
「それでも、やっぱり刹那さんの方が覚えるの早かったわよね」
「それはまあ……私の場合、元々の下地もありましたから。それを加味すれば、やはりアスナさんの上達速度には驚かされます」
「あはは。アリガト。そんなに褒められると恥ずかしいけど嬉しいわ」
「なーなーアスナー。でもなんで『それ』覚えよう思うたん?」
「え? 『これ』? これは……って、そうか。このかはちゃんと見た事なかったっけ」
「……言われてみればそうですね。お嬢様は京都ではあの場にいらっしゃいませんでしたし、キチンとご覧になった事はないかと」
「え〜、なんやそれ〜。なんやウチだけ仲間外れみたいやんかぁ〜」
「いえ、お嬢様。仲間外れとかではないかと思いますが……」
「……ねえ、刹那さん」
「はい、どうかしましたか?」
「『これ』……もしもシロ兄に見せたらビックリするかな?」
「———。ふふ。ええ、きっと驚かれると思います。それと同じくらいお喜びにもなるかと」
「……そっか。うん、きっとそうよね。———よーし! 刹那さん、もう一回一からお願い! もっと上達してシロ兄を驚かせてやるんだから!」
「ええ、喜んで!」

 
 
 また、ある少女にとっては終わらせない為の。
 
 
 
「……チャオさん。まだ寝てなかったんですか?」
「———ん? ああ、ハカセあるカ。明日は大切な日だからネ。もう少し起きているヨ」
「明日……。そうですよね、二年間の集大成ですもんね」
「ウム。明日から全てが変わる……いや、私が変えなければならないネ」
「はい。……異常気象さえなければ、もう一年余裕があったんですが……」
「それは仕方ないネ。何事にも不確定要素は付き物ヨ」
「不確定要素と言えば……『彼』はどうなりましたか?」
「……ああ、『彼』か。……どうだろうネ、『彼』については色々調べてみたガ情報が少なすぎル。未知数であるからこそ不安要素は抱き込みたかったガ……微妙なラインネ。期間中、もう一度尋ねてみるヨ。最悪の場合でも敵には回したくなイ」
「だけど、もし……敵に回るような事があれば」
「———ウム。最大の脅威になるのは間違いない。それに『彼』を敵に回すということは、同時に『最強』も敵に回してしまうこととなてしまウ。それだけは何としても阻止せねバ」
「……成功するといいですね」
「———させてみせるヨ。この私が」
 
 
 
 ある者にとっては終わらせる為の。
 
 
 
「お待ち下さい、フェイト様。本当に私達はお供をしなくてよろしいのですか?」
「構わないよ。これは僕の個人的な用件だからね、君達を付き合わせるわけにもいかない」
「しかし……」
「空けるのはほんの数日の期間だけだ。留守中のことは任せるよ、調」
「……了解しました。しかし、せめて行き先だけでもお教え下さい」
「———少し、顔見知りに会いに祭りへ……ね」
 
 
 
 そして、ある者にとっては終わりの。
 
 
 
「どうした士郎、こんな夜更けにお前が起きているのは珍しいではないか」
「……ああ、エヴァか。相変わらず寝付きが悪くてな。今日は特にそれが酷い」
「そうか。そう言う時は酒の力を借りるのも悪くないものだぞ。……付き合うか?」
「そうだな。たまにはそれもいかもな」
「そうだぞ全く。この私がいつも誘っているのに断りおって」
「悪い悪い。今度からはもう少し付き合うことにするよ」
「言ったな? 言質は取った、次までは良い酒を用意しておくから覚悟しておけ」
「そうか。じゃあその時を楽しみにしてる」
 
 幾つもの想い、幾多もの人、幾十もの願いが交ざり合い溶け合う。
 無色のそれはやがて一つの形となり動き出す。
 バラバラの欠片を掻き集め、たった一つの願いから生まれた出来損ないの希望はまるで、脆く儚い綿毛のよう。
 触れれば崩れるような砂城の希望は風吹く度にその身を削り。
 小さく小さく成り果てる。
 それでも崩れ落ちることなくその身を保ったのはこの時の為。
 始まったからには終わりを。
 終わりがあるからには始まりを。
 
 終わりのない物語に意味は無いから。
 落ちた星に輝きは宿らないから。
 錆びた剣に価値は無いから。
 
 出来損ないの希望に輝きを。
 
 終わりの鎚は今振るわれる。
 

 
 ———さあ、最後の物語を始めよう。
 





[32471] 第53話  麻帆良祭 ①
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/09/02 22:08

 
 遠くにポンポンと言う、狼煙の上がる音がする。
 そして、それに追随するかのように人々の楽しそうな喧騒が響き渡っている。
 天気もその雰囲気を読んだかのごとく快晴だ。
 太陽の光を浴びた空気はポカポカと暖かく、それでいて吹いてくる風は肌に心地良い。
 そんな中に響く、アナウンスの声。
 
『お待たせしました。これより、麻帆良学園祭を開催いたします』
 
 今日は一年に一度きりの祭典。
 この日の為に色々準備してきたであろう、学生達が主役のお祭りだ。
 
「———麻帆良祭か」
 
 そんな事を呟きながら家の扉を潜った俺は、鍵を掛けながら今日の予定を思い返す。
 とは言っても、学生で無い俺は特にこれと言った用事があるわけではないのだが。
 俺の予定は用事と言うか、単純にエヴァと学園祭を見て回るだけ。特に目的地がある訳ではなく、まあ二人でブラブラ回って見ようと言う話だ。
 
「さて、待ち合わせ場所はっと……」
 
 だが、その当人であるエヴァの姿はここにはない。
 彼女は俺より三十分程早く家を出いて、今頃はすでに待ち合わせ場所にいる事だろう。
 と言うのも、エヴァの提案で別々に家を出ようということに決まったからであった。
 なんでそんなメンドクサイ事をするのかと理由を尋ねたところ、
 
「いいか士郎、こういうのは様式美だ。見るんじゃない、感じるんだ。せんすおぶわんだーだ。……分かるな?」
 
 いや、分かんねえよ。
 その時は何となく頷いてしまったが、思い返してみれば何の事だかサッパリ分かりゃしないのである。
 何はともあれ、そういった経緯で決めた待ち合わせ場所へと足を動かす。
 そして、中心部に足を踏み入れた時の人の数の多さときたら、それはもう凄いのなんのって。
 いや、来る途中から何となくこうなっているであろうという予測はあったのだが。
 本当に見渡す限り、人、人、人。
 確かにいつも人の多い所だが、今日に限って言えば普段の倍以上の人の数だ。
 更にいつもと違うのは、その人たちの世代の幅が広いことだろう。親子連れや恋人同士と見られる人たちも多く見受けられ、物珍しそうに辺りを見回しているのは恐らく外部からのお客さんなのだろう。
 しかし、そうしてしまう気分もよく分かる。
 ここ、麻帆良学園都市の学園祭というのは、学校だけでなく、都市全てがお祭りムード一色に染まるのだ。
 見慣れた町並みは様々な装飾で美しく彩られ、通い慣れた道のりには屋台がひしめき合っている。
 そこ等を歩く学生たちは大きな声で客寄せをしていたり、普段見ないような華美な服装や何かの仮装らしきものをして人々の目を楽しませている。
 そんな光景に目を奪われながら歩いていると、程なくして待ち合わせ場所に着いたのだが、
 
「……いや、ここも凄い人込みだな」
 
 ある程度予想は出来ていた事なのだが、待ち合わせ場所も物凄い人込みだった。
 エヴァが指定したのは開けた場所にある広場なのだが、当然そんな格好のスペースは何がしかの催し物をしており、それを目当てにしている人たちが多数見受けられた。
 この中から、あの小さな少女を探し出すのは中々の難儀だと痛感する。
 こんな事なら広場と言う大雑把な指定ではなく、もっと事細かに決めておくんだった。
 
「……ん?」
 
 と、溜息混じりに首を巡らしてエヴァの姿を探していると、何やら奇妙な光景に出くわした。
 何と言うか、男性連中が皆こぞって一箇所を熱心に注視しているのだ。
 その癖に、その視線の向かう先は妙にぽっかりとした空間が開いており、一定の距離を取って眺めている。
 その様子は、何か恐ろしいものがあるから近寄ることが出来ないと言うよりは、近寄りたくても近寄れないと言った雰囲気の方があっているように見えた。
 
「……何だ、一体」
 
 何とかその原因を確認してみようと背伸びをしてみても、思いのほか人の壁が高く、背の低い俺はそれをうかがうことが出来そうにもなかった。……うぅ、ちくしょう。
 仕方なくその場でピョコピョコとカエルのように跳んで確認してみると、一瞬だが金色の髪のような物が見えた。
 
「あれ、エヴァか?」
 
 だとしたら何であいつがこんなに注目を浴びているんだろうか?
 確かに人目を惹く奴だが、幾らなんでもここまで注目される事は今までなかった筈だ。
 
「すいません、ちょっと通してください」
 
 取り合えずそれらしき人物を確認したのだからさっさと合流した方が良いと考えた俺は、謝りながらも少し強引に人込みを掻き分けていく。
 そうして、開けた視界の先にいたのは、
 
「———うわ」
 
 思わず感嘆の声を上げてしまう。
 そこにいたのは残念ながらエヴァではなかった。
 なかったが、とんでもないクラスの美少女が退屈そうに壁に寄りかかって俯いていた。
 どの位とんでもないかって言うと、セイバーやライダー等と言った、規格外と言える様な連中と同じレベル位にとんでもない。
 年の頃は15、6歳位だろうか。恐ろしい程に整った顔立ちは少女と大人の女性の中間と言ったところ。切れ長の瞳はどちらかと言うと冷たい印象を受けるが、それが彼女の持つ涼しげな雰囲気にはとても似合っていた。
 先ほど見かけた金色の長い髪は毛先で軽く波打ち、それを風にフワフワ遊ばせている様子はいっそ神秘的ですらある。
 身長は恐らく俺と同じくらいだろうが、膝丈まである白いワンピースから覗くスラリとした足と、腰に巻いた幅広の黒いベルトの位置から考えると、めちゃくちゃ足が長い。
 また、スタイルも非常にバランスが取れていて、腰に巻いた幅広のベルトのせいで、折れてしまいそうなほど細い腰と、調和を崩さない大きさの胸が強調されていた。
 なるほど、これは注目を浴びる訳だ。むしろ注目されない方がどうにかしている。傾国の……といった表現は彼女にこそ当てはまるのかもしれない。
 その証拠に、男のみならず、女性までもがその容姿に見蕩れてしまっているほどだ。
 ……けどなんか、どっかで見たことあるんだよな……。こんな綺麗な子だったら一度見たら忘れなさそうな物だが、覚えているようで覚えていない。それでいて、他を圧倒するような美貌だというのに何故か親近感すら沸く。
 ……知り合いの親族かなんかだろうか?
 
「……っと、いけね。エヴァを探さないと」
 
 目の前の少女が何故か妙に気に掛かるが、そんな事よりエヴァを早く探さないと。
 約束の時間に遅れている訳ではないが、彼女は俺より三十分も早く出ているので退屈してる筈だ。
 すると、俺のつぶやきに反応したのか、少女が顔を上げた。そしてそのまま切れ長の瞳で俺を見る。目が合う。
 うーむ、こうして正面から見てみると、やっぱりびっくりする位の美人さんだ。
 で、その美人さんは俺の顔を見るなり、向日葵のような笑顔を見せると、
 
「———士郎」
 
 そんな言葉を口にした。
 
「———はい?」
 
 思わず間の抜けた返事をする俺。
 えーっと、士郎って誰だっけ?
 って、俺か。
 …………いやいやいやいや、待て待て待て。
 なんであんな美人さんが俺のことを知ってるんだよ。
 何処となく見覚えがある様な気はするけど、少なくともこんな気楽に話しかけられるような相手を覚えていない訳がないだろうが。
 ———ああ、そうかそうか。考えてみればシロウなんて結構ありふれた名前だもんな、きっと同じ名前の人がここにいるに違いない。おーい、どっかのシロウさーん、美人さんが呼んでますよー。
 
「士郎、遅かったではないか。時間に正確なお前が遅刻とは珍しい……うん? どうした士郎。……士郎?」
 
 美人さんは俺の前にテクテクやって来て、可愛らしく小首を傾げながら俺の目の前でパタパタと手を振った。
 ……どうやらどっかのシロウさんはこの士郎さんらしい。
 
「…………えっと」
 
 だからと言って、当然のごとくその顔には見覚えがない。いや、しつこい様だがどっかで見たような気はするんだけど。
 それに、普通ならこんな女の子が近くにいれば緊張するはずなのに、逆に何故か妙に安心してしまっている自分も良く分からない。
 そんなこんなで、安心しているんだか戸惑っているんだか、訳の分からない混乱状態に陥ってしまう。
 で、そんな混乱した俺の取った行動は。
 
「———どちらさまでしたっけ?」
 
 素直に尋ねてみる事だった。
 普通なら、こんな親しげに話しかけてくる相手に向かって、お前誰だ、何て聞こうものなら怒られてもしょうがないような気もするが、彼女は一度、きょとんとしてから自分の体に視線を落とすと『ああ、なるほど』と、逆に納得してしまっていた。
 すると彼女は途端に表情を一変させ、ニヤリと言う擬音がこの上なく似合いそうな笑み浮かべ口の端を持ち上げた。
 そして、俺にしな垂れかかる様に体を預けると、その白魚のような指先で俺の胸元を甘える様に突付き始める———って、ええええええーーーッ!?
 
「ななな、何をッ!?」
「———酷いではないか。幾度となく同じ屋根を共にしたことがあるというのにその言い様……。もしや私の事など遊びでしかなかったのか?」
「はぁッ!? い、いや、あの……ッ!?」
 
 混乱ここに極まれり。
 周囲の男連中からどよめきと殺気じみた視線をビシバシ受けているが、こちとらそんなもの知ったこっちゃないのである。
 そんなものよりこちらの方が数百倍心臓に悪い。
 胸元からこちらを見上げる瞳はフルフルと潤み、瞳の輝きは綺羅星のごとく輝いている。
 服越しにでも確かに伝わる感触は、その温かな体温と柔らかさでもって俺の頭をグラグラと沸騰させ思考能力を奪っていく。
 間近にある小さな頭からは金色の髪から漂ってくるシャンプーのものであろう甘い香りが俺の鼻腔をくすぐった。
 
「…………んん?」
 
 と。
 そこで、ふと何かに引っ掛かるものがあった。
 俺はそのまま、もう一度だけ鼻を鳴らす。
 この香り…………これは家で使っているエヴァ特製のシャンプーの香り。
 手製の物なので市販なんかされていないし、香りが凄く良いので俺も気に入っており、同じものを使っているんだから間違える訳が無い。
 エヴァの性格を考えると、この手のものを他人に譲り渡すような事はしないだろうし、そもそも他人に譲れるほど余分なものを作っておいたりはしないだろう。
 ……そう考えると。
 そして何より、俺の事を———士郎と呼んだ。

「———まさか!」
 
 確信に至った俺は、目の前の少女の肩を両手で掴み、全身が視界に収まるように引き剥がした。
 
「あん」
 
 そんな、鼻に掛かる妙に甘ったるい声に脳が蕩けそうになるが、それを何とか気合で堪えて目の前の人物をジッと見詰める。
 真正面から見詰めていると思わず引き込まれてしまいそうになる、恐ろしいほどまでの美貌だが、……面影はある。
 砂金を散りばめたかのような金色の髪。
 雪のように白く透き通った肌。
 切れ長で涼しげな碧眼。
 そして、何よりも、見知らぬ少女の筈なのに沸くこの親近感。
 
「…………お前、エヴァか?」
 
 俺がそう言うと、目の前の少女はニィと口の端を持ち上げ、
 
「———漸く気が付いたか士郎」
 
 そして、少女……つまり、エヴァは大層ご機嫌な様子でそんな事を口にしたのだった。




[32471] 第54話  麻帆良祭 ②
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/09/02 22:09


「———全く、余りにも気が付くのが遅いから、このまま気が付かないのではないかと少し心配してしまったぞ」
 
 そう言ってエヴァは不機嫌そうに唇を尖らせた。
 そういった所は姿形が見慣れない事になっていようとも変わらないらしい。
 しかしそれで問題が解決されるわけではない。
 
「……いや、気が付くも何も。それ以前にその格好は……」
「うん? ———ああ、これか?」
 
 エヴァは俺の言葉にもう一度自分の体に視線を落とすと、まるで俺にその姿を見せ付けるようにその場でクルリとターンをして見せた。
 
「…………」
 
 その姿に、相手がエヴァだと分かった今でも思わず目を奪われてしまう。
 舞い上がるスカートの裾と髪は光を反射して煌き、長い手足はまるでバレリーナのごとくその存在を主張する。
 その光景に、周囲からも感嘆の声が漏れた。
 
「———どうだ?」
 
 そして、当の本人は得意気に腰に手を当てて得意気にポーズを決めていた。
 それがまた恐ろしく決まっているから何ともコメントに困る。
 
「どうだって言われても……あんまりにも綺麗だからビックリした」
 
 答えに窮した俺は結局、思ったことをそのまま口にした。
 まあ、それ以外に思い浮かばなかったって言うのもあるんだが。
 
「……っ」
 
 そして何故かそのまま絶句して固まってしまうエヴァ。
 聞かれたから素直に答えたと言うのに、その内容がお気に召さなかったのだろうか?
 
「……ふ、ふん。そうか。それならまあ良い」
「いや、お前が良いなら俺も別に良いんだけど……で、結局その姿はどういうことなんだ?」
 
 鼻を鳴らしてそっぽを向くエヴァに俺はもう一度疑問を投げかける。
 目の前の美しい少女がエヴァだというのは理解したが、どういった経緯でそのような姿になったのか肝心な部分を俺はまだ聞いていない。
 第一、眼前のエヴァは変わり過ぎだ。
 変装というよりは変身。成長というよりはもはや進化だ。
 それぞれのパーツに面影こそ残っているものの、毎日見慣れた俺だから何とか分かるレベルであって、他の人間から見たら彼女が誰かなど到底判別など出来ないだろう。
 
「これは私の作り出した魔法だ。姿形を変化させる上で、術者本人の未来の姿を反映させている」
「未来の?」
「ああ……とは言っても、確実にこの姿に成るのではなく、あくまで仮定の姿だがな」
「はあ……」
 
 なるほど、と何となく頷いて見るが実はさっぱり意味が分からない。
 要するに、エヴァが成長していればこの姿になっていたかもしれない、と言う解釈で良いのだろうか?
 ……とんでもないな、おい。
 
「しかし、なんだってその格好で?」
「なに、折角の祭りなのだ。たまには違う姿で出歩くというのも悪くあるまい? それにほれ、周囲の連中だって仮装しているではないか」
「それはまあそうだけど」
 
 でもお前の場合だと仮装じゃなくて進化だけどな、とは口に出さないでおく。
 
「でも、魔法って事は魔力使うんだろ? 大丈夫なのか?」
「そこら辺も心配いらん。普段お前から分けてもらっている魔力に加え、満ち始めている世界樹の魔力を利用し上乗せすれば、祭り期間中ならばある程度の魔法行使くらい可能だからな」
「へえ」
「ま、そんな些細なことはどうでも良いさ。それより士郎、何処から回る?」
 
 そうやって周囲を楽しげに見回すエヴァの仕草は普段のままだ。
 話をしていて目の前の少女がエヴァだという事実に頭が漸く追いついて来たのもあるが、こういった行動の節々に彼女らしさがにじみ出ていて、それが俺を余計にリラックスさせた。
 そうだ、どんな格好をしていようがエヴァはエヴァじゃないか、と。
 
「そうだな。取り合えず何処で何やってるか分からないし、適当にぶらついて見るか」
「ふむ。それもそうだな。では行くとするか」
 
 そうして、周囲を魅了するような笑顔を振りまきながらエヴァは俺の横に並び立つ。
 そして、至って自然な動作で俺の左腕を取ると、そこに自身の腕を絡めたのだった。
 
「………………………あの、エヴァさん?」
 
 盛大に間を空けることによって、俺は何とか声を絞り出す事に成功した。
 
「うん、どうした?」
 
 そんな俺の苦慮を知ってか知らないでか、ニコニコと上機嫌のエヴァは隣で可愛らしく小首を傾げるだけだ。
 周囲の男連中の殺気は、もはや実体を持っているんじゃないかと思うくらい濃密に叩きつけられているが、それでもまだ生温い。それこそ今の俺にとっては暖簾に腕押し、ぬかに釘状態。効かないのではなく、受け取る側の精神状態が著しく一つの事柄に傾倒していて意味を成さないのだ。
 ……面倒な言い回しはやめてはっきりと言おう。
 
 ———俺の二の腕が、エヴァの胸の谷間に挟まっています。
 
 新手の精神攻撃か何かかこん畜生ッ!? 
 思わずそんな叫びを上げたくなる位に凶悪的に柔らかな感触。そして本当にこの行為が精神攻撃であるならば、俺は声を大にしてこう言いたい。
 ———効果は抜群だと。
 そんなアホな感想はさて置き、これが意図的なものであるなら一刻も早く何とかして貰わなければ俺の精神が崩壊してしまう。割と切実に。
 
「おい、どうした士郎。早く行くぞ?」
 
 だが、当の本人の様子を見る限り、全く意識はしてないらしい。
 エヴァが悪戯を仕掛けてくる時は、先ほどのように口の端を持ち上げる癖があるのだが、今回に限って言えば全く平然としている。経験則で言うならば、これは間違いなく”素”の状態だ。
 そんな彼女は、その状態で遠慮なくグイグイと俺の手を引くものだから、こちらとしてはその度に魂が抜け出しそうになる感触が二の腕から伝わってくるから大変だ。まあ……色々と。
 
「……ソウダナ行コウカ」
 
 魂が半分以上抜け出し、思わずチャチャゼロのような片言にしか返事ができない俺に違和感を覚えることもなく、エヴァは俺の腕を掻き抱いて嬉しそうに歩き出す。恐らく、祭りの陽気に当てられて普段なら気が付くようなことでも気が付いていないんだろう。
 ところが俺はそうも行かず、歩く度に押し付けられるような胸の感触にドギマギしっぱなしだ。
 ……落ち着け俺。これは幻。これは魔法。本当のエヴァはもっと小さい。つまりこれは……贋チチ! そう、贋チチ贋チチ贋チチ贋チチ贋チチ贋チチ贋チチ贋チチ贋チチ……!
 ———自身すら騙すのは得意だろう衛宮士郎。ならばこのような贋作に戸惑う俺ではないッ! 
  
「お、アレは何だ?」
 
 フニョン。
 
「——————って、思えるか馬鹿ーーーーーーッ!!」
「ぬあッ!? ど、どうした士郎!?」
 
 ああ無理、もう無理、ああもう無理ッ!! 俺のガラスの心はそんな刺激に耐えられるように作られてはおりません!
 ついに耐え切れなくなった俺は、両手をがばーっと上に上げてエヴァの無意識お色気攻撃を振り払った。その様は一見すると降参のポーズに見えるが、心情的にはあながち間違っちゃいない。……少しだけ惜しい事をしたと思ったのは秘密だが。
 俺の突如の奇行に驚きの声を上げたエヴァだが、今は奇妙な物を見るような目で俺を見ていた。
 
「い、いや、ほら。今日は暑いだろ? だから俺も汗掻いてるし、エヴァに汗の臭いが移ったら悪いと思って……」
「……別に私は構わんのだが。まあ、お前がそう言うなら……」
 
 俺のその場凌ぎの言葉に、エヴァは不承不承ながらも頷いた。
 俺はそれに安堵の溜息を吐く。あのまま行けば冗談抜きでぶっ倒れていたことだろう。……まあ、気持ち良かったかと聞かれれば頷くしかないんだが。
 
「ほれ士郎、行くぞ」
 
 エヴァはそう言うと、今度は手を握ってくる。
 うーむ……腕を組むよりは精神的にマシだし、手を握って歩くのは普段から偶にやっていた事だから違和感は無いんだが、これって普通に恋人同士に見られるんではないだろうか?
 しかしまあ、これ位なら……いいのかな?
 
「そうだな。何時までもこうしてたら日が暮れちまうもんな」
 
 俺自身、照れくさいのもあって顔が赤くなっている自覚があるものの、結局はなし崩し的な流れに身を任せ、エヴァの好きにさせることにした。
 そうやって笑うエヴァが綺麗だったし、なにより、繋いだ手の温もりが心地良かったから。




[32471] 第55話  麻帆良祭 ③
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/09/02 22:10

 
 ———そして歩く事数分。
 
 ……なんて言うか、凄い事になっていた。
 何が凄いかって言うと、俺たちの進行方向の人混みがモーゼの十戒の如く真っ二つに割れて行くのだ。
 いや、ある程度は予想していたんだが、まさかここまでとは……。
 その原因は無論のことエヴァである。
 エヴァが通りかかるだけで、それを見た周囲から感嘆の声が上がり、見蕩れるように道を空け、その声に反応して振り向いた人達がまた感嘆の声を上げて道を空ける。
 その繰り返しの結果がこれだ。
 ううむ……まるで超高級スポーツカーみたいな奴である。
 走ってるだけで何故か前の車が自主的に道を譲ってくれる現象、あんな感じに近い。
 や、実際乗った時はないから聞いた話なんだが。
 無論イリヤから。
 運転できるんだもんなあ、イリヤの奴。
 初めて見た時はビックリした。
 それはそれとして、一体どこに向かおうと言うのだろうか?
 俺は手を引かれるままにエヴァの後を付いて行くだけで、行き先をまったく知らないのだ。
 まあ、別に目的なんてあってないような物だからどこでもいいのだが。
 
「———さて、まずはここだ」
 
 そうしてエヴァに引っ張られるように連れられて来た場所は、なんとも女の子が好みそうな、ワンボックスタイプの車を改造した移動式のクレープ屋だった。
 どうやらなかなかに繁盛しているらしく、十数人ほどが順番待ちの列を作っていた。
 
「少し何か食べてから見て回ろうではないか。食べ物屋はそこいらにあるが昼はやはり込むからな、昼時で込む前に済ませておいた方が良いだろう」
「そっか。確かにそれが良いかもな」
 
 確かに時間の節約とかを考えるとその方が効率が良い。
 特に異論がある訳でもない俺は二つ返事で首を縦に振り、二人で列の最後尾へと並んだ。
 
「なあエヴァ、ここ、知ってる店なのか?」
「ん? なぜそう思う」
「いや、だって最初からここを目指して来たみたいだから……」
「ふむ、まあ確かに。この店は結構古くからやっていてな、味はそこそこなんだがメニューが豊富で飽きが来ないから私もたまに来るんだ。中には奇抜な物もあるからな、良かったら試して見ると良い」
「へえ」
 
 エヴァがそこそこ何て言うなら、実際は結構なものなのだろう。何気に舌が肥えているからな、コイツ。
 それにしても、やはりクレープ屋という事もあって並んでいるのは女性ばかりだ。
 まあ、隣にエヴァがいるからそこまでの疎外感はないのだが、それでもやはり男が自分一人というのは余り居心地が良くない。
 しかし、なんだって女の子ってこうも甘いものが好きなんだろうか?
 俺自身も甘いものは決して嫌いじゃないのだが、いかんせん量が食べられない。ケーキもおそらく二個くらいが限度だろう。それ以上は胸焼けがして、とてもじゃないが無理だ。
 ところが、女の子というものはケーキバイキングなる物にも行き、相当な量の甘味を食べるのだという。
 その後には体重計という最大の難敵が潜んでいるのも当然の話だが。
 
「……い、いらっしゃいませ〜」
 
 そんな事を考えている内に自分達の順番が回ってくる。
 店員の女の子はエヴァの顔を見るなり数瞬見蕩れていたようだが、すぐに営業スマイルを浮かべた。
 しかし、それでもどうやら気圧されているらしい。無理もない。
 
「私はブルーベリーレアチーズヨーグルトを。……士郎、お前は?」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
 
 手馴れた様に、すらすらと長ったらしい名前を注文するエヴァに急かされる様にしてメニューを覗き込む。
 ……ううむ。こうして見るとエヴァの言う通り本当に凄い品数だ。まさかクレープだというのに品数が50を軽く超えていようとは……クレープ、侮りがたし!
 しかし、だからこそいざ注文する段階になると迷うな……出来る事なら甘過ぎないのが良いんだけど。
 
「———ああ、そうか。お前は甘いものは余り得意ではなかったな。だとしたら……この辺はどうだ?」
「ん?」
 
 エヴァがそう言って指したメニューの一角は野菜やハムの乗ったサラダのようなクレープだった。
 
「……へえ。こう言うのもあるんだな。タコスとかケバブみたいな感じか?」
「似たようなものだな。まあクレープの生地は甘いからその差はあるだろうがな」
「じゃあそれにしようかな。エヴァのオススメみたいだし。———すいません、このサラダクレープの……えーと」
「———ゴーヤで」
「そうそう、そのゴーヤでお願いします。………………って、ゴーヤ?」
 
 俺が注文をしようとすると、エヴァから奇妙なインターセプトが入った。
 ……しかもゴーヤって、そんなもんあるのかよ。
 
「畏まりました、少々お待ちくださいませ〜!」
 
 言うが早いか、店員は早速調理を始めてしまう。
 ……と言うことは、俺は問答無用でゴーヤクレープなるものに挑戦する事が決定してしまったらしい。
 って言うか本当にあるのか、ゴーヤクレープ……!
 
「こらエヴァ、何しやがる」
 
 抗議の意味を込めて人の物を勝手に注文してしまった不逞の輩をジト目でにらみ付けてやると、その当の本人は楽しそうに笑っていた。
 
「くっくっく。まあ良いではないか。もしかすると意外と美味いかもしれないぞ?」
「他人事だと思って楽しそうにしやがって……まあいいけどさ」
 
 結局、不承不承ながらも頷く。
 味うんぬんは別として、興味があるか無いかで聞かれたら興味があることに違いは無いのだ。
 だって、クレープにゴーヤだぞ? 味の想像なんか全くつきやしない。未知の領域である。

「お待たせしました〜!」

 そんな掛け声と共に、出来上がったクレープを受け取り代金を払う。
 列から離れてクレープの中を覗くと、片一方はいかにも美味しそうな、真っ白なクリームとブルーベリーソースの紫が鮮やかなクレープ。エヴァの注文した品だろう。
 そしてもう片一方は……、
 
「……うわ、スゴイ見た目だな、コレ」
 
 その見た目に思わずそう呟いてしまう。
 なんて言うか———緑色だった。壮絶なまでに緑色だった。
 名前の通り、中にゴーヤの塊がゴロゴロ入っているのはまだマシな方。
 なんとこのクレープ……中の生クリームまでもが緑色なのである。恐らく生クリームにペースト状にしたゴーヤを練りこんでいるのだろう。……懲りすぎだろう、あからさまに。
 所がこのクレープはそれで止まらない。
 ……あろう事か具を包む生地までもが緑色。恐らく材料に……まあ、言わんでも分かるだろう。俺は分かりたくはないが。
 これがまだ抹茶とかなら話は分かる。
 だが、そう考えてクレープの香りを嗅ぐと、何とも言えない青臭さが鼻に衝く。
 ……間違いない。全部にゴーヤを練り込んでいやがる!
 いや、明らかにやり過ぎだろコレッ!?
 もう自然な緑色って言うよりも、どこかの国の体に悪そうなケミカルカラー全開なあんまり食べたくないお菓子みたいな物体になってるじゃないか! もはや悪意を感じるレベルだぞッ!?
 
「……さ、流石にこれ程とは予想外だったな」
 
 悪戯で注文してしまったエヴァも想像以上の物体にかなり引いていた。
 その手元には何とも美味しそうなクレープが握られている。
 ……。
 
「…………」
「…………」
 
 何となくそのクレープ(普通)を見てしまう俺。
 俺の視線に釣られるように自分の手の中の物を見るエヴァ。
 
「…………」
「…………」
 
 何となくそのクレープ(美味しそう)を見てしまう俺。
 自分の手の中のクレープ、俺の手にあるクレープ(ケミカルグリーン)、俺の顔の順に見るエヴァ。
 そして俺はおもむろに口を開いた。
 
「なあ、良かったら交換しな、」
「無理だ」
「……半分だけで良、」
「断る」
「…………四分の一な、」
「嫌」
 
 ……いやさエヴァ、そこは少しくらい考えてくれても良いんじゃないかと思う訳よ、俺は。
 そもそもの原因はエヴァなんだからさ。
 まあ、『らしい』っちゃ『らしい』けど。
 しかし、見れば見るほど食欲がゴリゴリと削られていくケミカルグリーンは強烈だ。
 
「……はあ、食べるしかないか」
 
 溜め息を吐きつつも、食べないと言う選択肢は始めからない。
 食べ物を粗末にするなど料理人にあるまじき行為である。
 ……食べ物だよな、これ?
 
「ええいッ、ままよ!」
 
 エヴァが隣で面白そうにニヤニヤと見守る中、覚悟を決めてクレープらしき物体にガブリとかぶりついた。
 そしてそのままモグモグと租借。
 ……おや?
 意外と何とも無い……?
 味自体はほとんど感じられず、すると言ってもかなり薄い塩味だ。
 噛んでいると時たま混ざるゴーヤらしき物のカリカリとした食感が面白い。
 もしや見た目がアレなだけで、意外とまともなメニューだったのだろうか?
 なんだ、別に美味しいという訳ではないが、普通に食べられじゃないか。
 ———と、俺が安堵した瞬間だった。
 
「…………っぐあ!?」
 
 後から湧き上がる壮絶なまでの苦味。
 
「うわっ、なんだコレ!? 苦い……って言うか青臭ッ!?」
 
 口内を暴れまわる強烈な苦さと鼻を抜ける異様な植物の青臭さが一瞬で襲ってきた!
 口の中の唾液が全部灰汁に変化したみたいにエグイ!
 さっきまでの味は薄かったんじゃない……全部この強烈な苦味に負けていたんだッ!!
 
「……っ……っっ!?」
 
 その味に一瞬吐き出しそうになるものの、こんな往来で口の中の物を出すわけにもいかず、俺は出来るだけ味を意識しないように噛むスピードを上げ、涙目になりながらも何とか飲み下した。
 
「お、おい……士郎、大丈夫か?」
「……い、いや、なんとか大丈夫。ほら、良薬は口に苦しって言うだろ? そう思えば何とか……」
 
 ———あれ、そもそもクレープって薬だっけか?
 俺の尋常じゃない反応に、さっきまで面白そうにしていたエヴァが俺の背中をさすりながら顔を覗き込んでくる。
 超至近距離から見るエヴァの綺麗な顔立ちと良い香りに、ほんの少しだけ気が紛れたような気もするが、口の中の災害が収まった訳ではない。
 それはそれ、これはこれなのである。
 
「わ、悪いエヴァ……やっぱりなんか口直しの飲み物とか貰えるか?」
「分かった、飲み物だな? 少し待て」
 
 エヴァはそうやって言うと、俺の背中をさすったまま辺りををキョロキョロと見回した。
 ……正直な話、別に吐き気がある訳じゃないから背中をさすってくれたりしなくても良いんだが、気持ちが良いので何となくされるがままになっている。
 当のエヴァは暫くそうやって見回していたが、どうやら飲み物屋や自動販売機は見当たらなかったようだ。
 その事に少しオロオロし始めたエヴァに少し笑いが噴き出しそうになるものの、それはそれで俺が辛いままなのである。
 
「……む」
 
 と、そこで、自分の手に持ったクレープに目をやった。
 まだ口を付けていないソレを見て、エヴァは少し逡巡した様子だったが、やがて諦めるような溜め息と共に俺の目の前にソレを差し出した。
 
「士郎、飲み物は無いからコレで我慢しろ。味自体は濃いから口直しにはなるだろ?」
「……悪い、貰う」
 
 少しだけ逡巡して俺は頷いた。
 いつもの自分だったら恐らく断っていただろうが、この時ばかりは別だった。
 それだけ口の中が大変なのである。
 まあ、相手がエヴァだから余計な気兼ねをしなくて済むというのもあるんだろうが。
 俺はそのまま差し出されたクレープにかぶりついた。
 
「……あー、なんだろう、凄く美味い。実際に美味いんだろうけど余計に美味しく感じる」
 
 甘い物を食べた後にすっぱい物を食べると更にすっぱくなる……あんな感じ。ちょっと違う気もするけど。
 口内を幸せな甘さが包んでいく。
 嗚呼……やっぱり食べ物はこうあるべきだよな。
 断じて苦行に望むような覚悟をして食すものじゃない筈だ。
 
「助かったよエヴァ。サンキューな」
「む、もういいのか?」
「ああ、元々はエヴァのだしな、俺が全部食べるわけにもいかないだろ?」
「そうか」
 
 エヴァはそう納得すると、クレープを美味しそうに食べ始めた。
 ……ううむ、お約束だとここで間接キスだーとか騒ぎ出しそうなもんだが、エヴァにそういったものは無いようだ。
 まあ、普段の姿は小さくても精神的には成熟しているんだし、そう言うのは一々気にならないのかもしれない。
 
「ん? どうかしたか?」
 
 む、どうやら注視し過ぎたようだ。
 俺の視線に気が付いてエヴァがこちらを向いた。
 
「あ、いや……特に用は無いんだけど、気にならいのかなって……」
「気になる?」
 
 俺の言葉に一瞬首を傾げたが、すぐに察しが付いたように、「ああ」とクレープを見て頷いた。
 
「お前が口を付けた物を私が食べているのが気になるか?」
「……気にならないって言ったら嘘になるけど、お前は良いのかなって……」
「私は別に構わんよ。一々そのような事で騒ぎ立てるような小娘でもあるまいし。……それに」
「それに?」
「お前が口を付けたものだろう? だったら私にはそれを拒む理由がないよ」
「…………」
 
 ……ええと。
 そう言う台詞を、その姿形で、そんな満面の笑顔で言うのは反則だと思う。
 ほら見ろ、鏡を見ている訳でもないのに自分の顔が紅潮していくのが手に取る様に分かるじゃないかッ。
 俺は、そんな風に赤くなっているであろう顔を、右手でペタリと撫でて空を仰いだ。
 ……ああ、くそ。今のは完全に不意打ちだ。
 今の姿……いや、元の姿であっても今のタイミング、表情はヤバ過ぎた。中々顔の熱が取れないったらありゃしない。
 
「———あっれー? 衛宮さんじゃないですか。何してるんです? こんな所で」
「……え?」
 
 そんな事をしていた俺は、不意に掛った声にそちらを向いてみると、明石さんと和泉さんが人混みに紛れるように立っていた。
 その手には、たこ焼きや焼きそばといった、出店定番のメニューが握られており、いかにもお祭りを満喫している雰囲気だった。
 
「ああ、君等か。こんなところで偶然だな。残りの二人はどうした、一緒じゃないのか?」
「ああ、その二人はクラスの出し物当番なんですよ。私達はその差し入れを買いに」
 
 そう言って、明石さんはたこ焼き等の詰まった袋を掲げて見せる。
 
「そっか、お化け屋敷だったっけ。順調そうか?」
「ええ、そりゃ〜もうスッゴイですよ! まだ開始して時間もそんなに経ってないのに行列が出来るくらいですからね!」
「へえ、そりゃ確かに凄いな」
 
 まだ学園祭が開催されてから数時間も経っていないのにすでに行列が出来るなんてかなり凄い事だ。
 学園祭なんだから事前に宣伝なんてものも難しいだろうし、それ以前に学園祭で並んでまで入りたいと思うほどの出来なのだ、相当な完成度なんだろう。
 
「そう言う衛宮さんは何してたんですか?」
「俺は……まあ、見回りも兼ねてブラブラ巡回してたとこ」
「あ〜……、そう言えばこの前もそんなこと言ってましたね。だったらやっぱ忙しいです? クラスの方に来るのは無理そうですか?」
「どうかな……そんなに忙しいって訳じゃけど、一箇所に留まっている訳にもいかないし。それに……」
 
 そこに行くのを嫌がりそうな連れもいるしな。
 
「まあ、時間が取れそうだったら顔を出しに行くけど、あんまり期待しないでくれ」
 
 俺がそう答えると、明石さんは溜め息を吐きながら肩を落としてしまった。
 
「はぁ……、そうですか。仕事じゃ仕方ないですもんね…………折角アキラを驚かせようと思ったのに」
「? 大河内さんがどうかしたのか?」
「あ、いえ、こっちの話です! …………って、亜子? さっきからどうしたの?」
 
 そう言えば、先程から和泉さんがやたらと静かだ。
 いつもだったらもっと積極的に話しかけてくるのだが……。
 
「——ッ——ッ——」

 と、そんな和泉さんを見てみると、当の本人は何やら明石さんの服の裾をクイクイとしきりに引っ張り、口をパクパクとさせていた。
 その視線は俺の方に……いや、正確には俺の背後に向けられている。
 それで納得した。
 ———なるほど、またか。
 さっきのクレープ屋の時といい、いい加減慣れてきた。
 考えてみれば、立ち位置的に明石さんは俺の真正面に立っているから俺が壁になって見えないが、その横に立った和泉さんからはエヴァが丸見えなんだろう。
 俺は首だけを巡らして背後を確認してみる。
 するとそこには、早くどっかに行けとでも考えていそうな、あからさまに不機嫌そうな表情でクレープをパクついているエヴァがいた。
 そんな彼女は俺の視線に気が付くと、鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまう。
 
「……あれ? 衛宮さん、誰か後ろにいるん……で……す……か…………」
 
 そんな俺達のやりとりをい疑問に思ったのか、ひょい、という感じで明石さんが俺の背後を覗き込んで……固まった。
 そうして、数秒間そのまま固まった後、ギギギと油でも切れている機械のような動作でエヴァを指差し、顔を俺に向けた。
 
「…………ド、ドチラサンデ?」
「いや、どちらさんって言われてもな……」
 
 考えてみれば、エヴァの変わりように驚いてばかりで、知り合いに会った時の対処方法をまったく考えていなかった。
 魔法関係者ならそのまま説明すれば良いだけの話なのだが、当然明石さん達にそんな事情を説明するわけにもいかない。
 エヴァの姉って事で誤魔化すか?
 いや、でもその場合だと、だとしたらなんでエヴァ本人がいないのかって話になりそうだし……。
 仕方ない、ここは別人って事で通すか。
 
「あ〜……、コイツは俺の昔からの知り合いなんだ。俺が麻帆良に住んでるから学園祭の時期に合わせて遊びに来たんだよ」
 
 言いつつ、アレ、どっかで聞いた事のある言い訳だなと思ったが、なんてことは無い。
 これって、アスナとネギ君にエヴァが聞かせた設定じゃないか。
 
「し、知り合い、ですか……、これはなんともまあ……ゴージャスな知り合いをお持ちで……あの、お名前は?」
「……な、名前?」
 
 しまった、そこまで考えていなかった。
 エヴァの方にちらりと視線を送って見るものの、当の本人は自分で言い出した事なんだから自分で何とかしろと言う視線を送ってくるばかり。……や、まったくもってその通りで。
 
「え〜と……名前か、名前はだな……」
 
 考え込む俺。
 この場合は流石に外国の人の名前だよな、エヴァの容姿で日本人なわけが無いし。
 だとしたら更に難易度高いな……日本の名前だったら何となくでも決めれるんだけど、外国の名前ってなるとそう言う訳にもいかない。……お国柄にあった名前なんて知らないぞ、俺。
 ええい、仕方ない! こうなったら思いついたまま言ってしまえッ!
 
「……き、」
「き?」
「———キティ・アタナシア」
「———ぶはッ!?」
 
 俺の背後で何かを盛大に吹き出すような音が聞こえた。
 それもそうだろう。
 だって、エヴァのフルネームはエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。
 エヴァンジェリン・『アタナシア・キティ』・マクダウェルなのだ。
 すなわち俺は、エヴァのミドルネームをそれっぽく聞こえるように逆さまにしただけ。
 ……うん、偽名でも何でもないな、本名じゃないか。
 まあ、エヴァ本人は『キティ』と言う部分が大層気に入らないらしく、他人に名乗る時も『A・K』と略して名乗っているので、本当の意味でのフルネームを知っているのは片手で数えられる位しかいないとは本人の談だ。
 
「キティさん……ですか。…………うぅ、ヤバイ。ヤバイよアキラピンチだよ……とんでもない強敵(ライバル)が現れちゃったよぅ……」
「?」
 
 ブツブツと何かを呟いている明石さんに首を傾げる。
 そこでなんで大河内さんがピンチになったりするんだろうか? それと強敵(ライバル)ってなにさ。
 
「うぅ……これはアキラに報告せねば…………って、ん? 衛宮さん、その手に持ってるの何です? 妙に蛍光色ですけど」
 
 漸く気を取り直したらしい明石さんが俺の手の中にある物に視線を向けた。
 
「ん、これか? ゴーヤクレープだけど」
 
 俺はそう言って、手に持った物体を掲げる。
 相変わらず毒々しい緑色である。
 ……そう言えばコレの処理どうしよう。
 そんな俺の内心を他所に、明石さんは驚きの声を上げた。
 
「ええ!? ゴーヤクレープって……あのゴーヤクレープですか!?」
「……明石さんの言うゴーヤクレープがどのゴーヤクレープを指すか知らないけど、これで間違いないと思う」
 
 と言うより、こんな物を出す店が二つもあってたまるか。
 
「嘘、どこで買ったんですか!? それって移動式のお店で、しかも数量限定販売だから滅多に買えないって話題になってるんですよ!」
「へえ、そうなのか?」
 
 でもまあ、確かに『話題』にはなるだろう、『話題』にはさ。
 なんせこの見た目と味だもの、話題性には事欠かないだろう。
 買えても俺は嬉しくないが。
 
「店だったら……ほら、すぐそこだ」
 
 俺はそうやって後ろを指差した。
 そこには相変わらずの行列と、よくよく見ると『今、話題沸騰! ゴーヤクレープの店!』と言ったノボリが掲げられていた。
 ……一押しなのか、このゴーヤクレープは。そして気付けよ、俺。
 
「ああ!? 本当だ、こんな近くに! よしッ、これは是非とも買わねば!」
 
 意気込んで列に並ぼうとする明石さん。
 しかし、そんな彼女が並ぼうとする直前。
 
「は〜い、本日のゴーヤクレープは売り切れました〜!」
 
 先程の店員の女の子が、声を張り上げながら『ゴーヤクレープ本日終了』という立て札を立てた。
 
「……あ〜あ、売り切れちゃった」
 
 そう言って明石さんは肩を落としてしまう。
 いや、本人はとても残念そうだが、この場合は窮地を脱したと考えたほうが良いと思うんだが。
 まあ、売り切れたってことは、俺のあずかり知らない場所で被害が拡大しているんだろうけど。
 けれど、明石さんはどうにも諦め切れないのか、俺の手にあるゴーヤクレープを物欲しそうにジッと見ている。
 ……まさか食べたいのか? コレを?
 
「ジーッ」
 
 ついには擬音まで口にし出す始末。
 ……いや、俺にとっては渡りに船だけど。
 
「……えっと、欲しいか?」
「欲しいです!」
 
 間髪入れずに頷かれてしまった。
 そんなに食べたいのか。
 
「一口齧ってるんだけど」
「問題ないです! いや、むしろそのままがいいです! そこはアキラに食べさせますから! もしくはアスナかこのかに!」
「なんでさ」
 
 いや、問題あるだろ。
 なんだってそこでその三人に限定するのかは知らないが、色んな意味で罰ゲームじゃねえか。
 しかし、そこまで言うのなら俺もコレを譲るのは吝かではない……むしろ大助かりだ。
 
「じゃあ……はい、コレ」
 
 ゴーヤクレープを手渡すと、明石さんはキラキラとした目で受け取った。
 
「わあ……ありがとうございます! 皆で大事に食べますね!」
「……は? 皆で?」
「はい、クラスの皆もまだ誰も食べた事ないって言ってたんで、衛宮さんからの差し入れってことで皆に一口ずつ分けようかなって。じゃあ私達差し入れを届けないといけないんで、これで失礼しま〜す!」
「衛宮さん、ほなな〜!」
「———あ、ちょッ!?」
 
 言うが早いか、二人は踵を返して人混みに消えて行ってしまった。
 俺の引きとめようとした声も、喧騒にかき消されて届かない。
 
「……アレを皆でって……」
 
 想像する。
 小切りにされた『アレ』を3−A全員が一斉に口に含む様子を。
 
「…………ま、死にはしないな」
 
 明確に想像すると恐ろしい事になりそうだったので、途中で思考を切り上げて早々に結論を出す。
 少なくとも健康に害のある物ではないしな、うん。
 味覚と精神力はゴリゴリと削られるけどな!
 
「———やれやれ、漸く行ったか」
「悪い悪い、待たせたな、キティ」
「キティ言うな」
 
 俺がその名前でエヴァを呼ぶとむくれてしまう。
 むう、良い名前だと思うんだが。
 
「それより士郎、さっさと次の場所に行くぞ。いい加減待ちくたびれた」
「そうだな、行くとするか」
 
 確かに随分と話し込んでしまったようだし、そろそろ次の目的地に行ったほうがいいだろう。
 
「で、次はどこに行くんだ?」
「いや、別に目的地なんてないがな?」
「へ? なんだそりゃ?」
「む、なんだその呆れた様な表情は。元から適当にブラつくと言う話だったろうに、目的地なんてある訳もなかろう」
「それはそうだけど……」
 
 普通、あそこまで自信満々に行くぞって言われたら、何処か目的地があるって思うじゃないか。
 でもまあ。
 
「それはそれでいいか」
 
 目的地なんて別に決めなくて良い。
 気ままに、気楽に、ゆっくりと廻れば良い。
 どこに行ったって楽しいに決まってる。
 だって、
 
「よし、では行くぞ士郎!」
「はいはい」
 
 隣にはエヴァがいるんだ。
 だったら退屈なんてする訳がないに決まってるじゃないか。
 
 
 
 ◆◇—————————◇◆
 
 
 
「———ふん、麻帆良学園か……まさかこんな形で来る事になるとはね」
 
 喧騒の中、一人の少年が呟いた。
 学生服をキッチリと着込み、整然とした様子は何も可笑しな所は無い。
 この学園の制服ではないものの、学園祭期間中に訪れる学生などそれこそごまんといる。
 その証拠に、誰もが少年を気に留めず側を通り抜けていく。
 だが、そんな彼等と違う点があった。
 
 表情が無い。
 
 喜怒哀楽。
 そんな感情が全くと言っていいほど表情に無いのだ。
 
「……それにしても脆い。いくら祭りで警備が緩むと言っても、こうも容易く進入できるとは脆弱過ぎる……本当に『彼』がここにいるのか?」
 
 そう言って少年は周囲を見回した。
 多くの家族連れ。
 年若い男女のグループ。
 そのどれもが楽しそうな表情をしている。
 
「…………」
 
 それを見た少年はほんの一瞬だけ、何か眩しいものでも見るかのように目を細めた。
 
「……ふん」
 
 しかし、そうやって鼻を一度鳴らした後にはまた元の無表情に戻る。
 それこそ、幻であったと錯覚するかのように。
 
「まあいい。何にしても僕には関係のない事だ。居たら居たで用件を果たせるし、居なかったら居なかったで———」
 
 そこで言葉を止めて遠くを見やった。
 その視線の先には巨大な樹———世界樹。
 そこから発せられる世界を覆うような莫大な魔力と、そしてそこに奇妙に絡まった術式を感じ取り、微かに唇の端を持ち上げた。
 
「———何やら、興味深い事もやってるみたいだしね」
 
 最初は本当に『彼』について興味があったからの今回の行動だったが、どうやら運が向いているらしい。
 まさかこんな所で思わぬ収穫があるとは嬉しい誤算だ。
 どこの誰だか知らないが、こんな大規模な術式は年単位での下準備が必要だろうにご苦労なことだ。
 まあ、どこの誰だろうとそんな事に興味は無い。
 『真祖の吸血鬼(ハイデイライトウォーカー)』である、『彼女』のモノであるならば厄介なこと極まりないが、散見する術式の拙さを見る限りあり得ないだろう。
 ならば興味は、その術に利用価値があるかどうかだけだ。
 
「……さて、どう動くかな」
 
 そして少年はもう一度、世界樹を見上げ歩き出した。
 高速で思考を巡らせ。
 自身の望む結末に持っていくため、何をすべきか。
 足音を響かせコツコツと。
 真っ白な幽鬼のような少年の姿が、人混みに掻き消えた。






[32471] 第56話  光と影の分かれ道
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/09/02 22:12


「さて士郎。次は何を見て回る?」
 
 そう言ってエヴァは俺を見た。
 そろそろ日も落ち、辺りは暗くなり始めているものの、祭りの熱気は未だ覚めやらぬまま。むしろこれからが本番だと言わんばかりの盛り上がりを見せている。
 煌びやかなライトアップで染め上げられた夜景は、それだけで一見の価値があるだろう。

「……ん?」
 
 と、そんな中、エヴァは何かに視線をとられたのか前に目を向けると、少し顔を顰めた。
 それに釣られるように俺も視線を前へとやると、そこには凄い数の人だかりがあった。
 
「なんだアレ」
 
 そう呟きながら少し観察してみると、どうもその集まってる面子に一種の偏りが見受けられる。
 それは主に男の数が圧倒的に多いのと、ガタイの良さだったりと、所謂格闘技に通じていそうな連中ばかりが所狭しとひしめき合っているのだ。
 
「あ、衛宮さん」
 
 そんな中から掛かる聞き慣れた幼い声。
 その声の方向に視線を向けると、人垣を掻き分けて、ネギ君と小太郎……それにアスナや刹那までもが顔を出した。
 
「———なッ」
「……こ、これは」
 
 そして何故か俺達を見て固まるアスナと刹那。
 ……なんで?
 
「なんだお前達。こんな所で何やってるんだ?」
 
 とりあえず様子のおかしな二人を置き去りに、そう言って辺りを見回して見ると、どうにもこの中でのこのグループは完全に浮いてしまっている様にも見えた。
 しかし、それも無理からぬことだろう。
 俺は別として、ネギ君と小太郎はどう見ても少年、アスナや刹那、それにエヴァに至っては全員見目麗しい美少女だ。
 そんなもんだから周囲の視線をどうしても集めてしまっている。
 ……まあ、その内の大部分がエヴァの方に集まってしまっているのも仕方の無いことなのだろうか。
 
「僕達はこれから闘技大会の予選があるんです」
「闘技大会?」
 
 なるほど。
 それなら確かにこの場所に集まっている顔ぶれにも納得できる。
 
「はい。なんでも僕のクラスの超(チャオ)さんがスポンサーとなって昔あった大会を復活させたとかで……」
「チャオが……」
 
 ここに来て意外な名前……いや、そうでもないのか。この前会った時に新しい事業を始めるとか言っていたから、これがそうなのかもしれない。しかし、その割りには誘うとか言っておいて俺に何も話が来ていないのもおかしなものだが。
 
「じゃあ刹那とアスナも出るのか?」
「ええ、かなり規模の大きな大会らしいので力試しにちょうど良いかと」
「私も私も。ほら、私の場合だと練習相手が刹那さんだけだから、比較対象が凄すぎて自分がどれ位強くなったか分かりにくいのよ……まだ一回も刹那さんに触れてすらないのよね、私」
「いやまあ、そりゃあな」
 
 流石にそれは仕方の無いことだろうに。
 刹那の実力は元々相当なものだし、最近更に腕を上げてきている。それを向こうに回していくら運動神経が良いとは言え、この前までまったくのド素人だったアスナが一太刀入れるのはかなり厳しい話だろう。
 アスナの才能から言って、俺とセイバーの力関係よりはよっぽどマシだろうが、似た様なモノには違いない。
 と。
 そんな事を考えていると、なにやら視線を感じた。
 そちらの方を向いてみると小太郎と目が合う。
  
「なあなあ、衛宮の兄ちゃんもここに来たって事は……出るんやろ、大会!」
 
 うーむ、そう言えば、小太郎からはいつだったか、その内手合わせをしてくれと言われていたな。そう考えるとコイツは戦闘狂の気質があるのやも知れん。
 小太郎は妙にキラキラと期待に満ちた目で俺を見る。
 すっかり俺もこの大会に出場するものだと思い込んでいるようだ。
 だが、生憎と俺にその気は無かった。
 
「いや、俺、そう言うのにはあんまり興味ないから。ただ見ているだけならまだしも、実際に出場するとかはしないぞ」
「ええ〜〜ッ!? 何でやの、折角手合わせできる思たのに……」

 小太郎はそうやって不満そうに詰め寄って来るが、俺の気持ちは変わらない。
 そもそも俺は、基本的に戦うのは好きではない。バトルジャンキーでもあるまいし、態々自分から積極的に戦いたいとは思えないのだ。
 そんなものよりなら、縁側でお茶でも飲んで過ごしていた方がよっぽど建設的だと言うのが俺の本心だ。
 
「まあまあコタロー君。無理矢理誘ったりしたら衛宮さんに悪いよ……ところで衛宮さん、僕、先ほどから気になっていたんですけど……そちらの方は?」
 
 ネギ君がそうやって小太郎を宥めながらもエヴァに視線をチラチラと送る。
 ああ、そう言えば隣にいるのはエヴァだって言うの説明してなかったか。どうりでアスナと刹那の視線が俺じゃなく、エヴァの方に固定されっぱなしだと思った。
 
「ああ、こいつはエヴァだよ」
「はあ……エヴァさん、ですか。初めまして、僕、ネギ・スプリングフィールドって言います」
「———っく」
 
 そう言われて、エヴァが一瞬笑いを堪える様な仕草をする。
 ……おや?
 エヴァだって言っているのにどうも分かっていない様子。
 まあ、ここまで劇的に変化されれば仕方ないのか。
 
「いやいやネギ君。だからエヴァだってエヴァ。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。君の師匠だろうが」
「…………は? 師匠(マスター)? ……………………って、ええーーーーッ!? マ、師匠!?」
 
 ネギ君が驚愕の余り、エヴァを思わず指差しながら震えている。
 うーん、その気持ち、少し分かる気がする。
 俺の場合は、いきなり抱き付かれた驚きが大き過ぎたせいで、それがエヴァだってことには、さほど驚かなかったが。……まあ、どっちもどっちか。
 
「ほ、本当に師匠なんですか?」
「ああ、本当に私だよ。ただの幻術なんだからそんなに騒ぐな」
 
 エヴァはやれやれと言った様子で肩を竦めて見せる。
 いや、お前はそう言うけどさ。傍から見る分には物凄い変わりようなんだぞ?
 
「……え、嘘ッ!? 本当にエヴァちゃんなの!?」
「これはまた……随分と見違えましたね」
 
 アスナと刹那も驚きながらエヴァをまじまじと観察する。
 その様子は、成長していることに驚いていると言うよりは、その美貌に驚いているという方が正しい気がする。
 やはり、二人の目から見てもエヴァの美貌は凄いらしい。
 
「しかし、何ゆえにそのようなお姿を?」
 
 そんな刹那の疑問にエヴァは、ふんと鼻を鳴らした。
 
「別に意味など無い。ただの気分転換だ。そんなことより……武道大会とはな」
 
 エヴァはそう言って遠くを見やった。
 その視線の先には、『麻帆良武道大会』と大きく書かれた看板が掲げられている。
 すると、それを見たネギ君が何故か慌て出した。 
 
「ま、まさか、師匠(マスター)。出場するんですか?」
「馬鹿を言え。私がそのような茶番劇に態々付き合うと思うか」
「そ、そうですよねー」
 
 あからさまにホッとした様子を見せるネギ君。まあ、日々の鍛錬でイヤというほどエヴァの実力を知っているからだろう。
 いくら魔力が封じられてるとは言え、エヴァならあっさりと優勝を狙えたりするだろうから恐ろしい。
 
「しかしエヴァンジェリンさん。優勝賞金一千万ですよ?」
「金に興味は無い」
 
 刹那の言葉にも全く揺るがないエヴァ。
 ……うーむ、なんて男前な台詞。
 是非とも遠坂辺りに聞かせてみたいもんだ。アイツならきっと目の色を変えて出場するに違いない。
 
「……しかしまあ、金にも茶番劇にも興味は無いが、坊やがどれ位腕を上げたのかには興味がある。士郎、ちょうど良い。これからの予選を見物して行こうではないか」
 
 エヴァはそう言って俺を見た。
 確かに、俺も刹那やアスナ、それにネギ君がどれ位強くなっているかは興味がある。
 
「そうだな、そうするか」
「———そう言う事だ坊や。私の前で無様な姿を晒すなよ?」
「は、はいッ!」
 
 元気に返事をするネギ君。
 俺はそんなネギ君の様子を微笑ましく眺めながら視線を巡らす。
 ざっと見た感じだと何人か強そうな人達もいるが、俺の見立てだとやはり刹那が抜きん出ているだろう。ネギ君もメキメキと力を付けて来ているが、それでも刹那にはまだ遠く及ばない。
 まあ、一般の大会だから魔法だの何だのは当然使えないだろうから、体術一つでネギ君がどこまで行けるか見ものだ。
 
「———ネギ君が出るなら、僕も出ようかな」
 
 と。
 そんな時、背後掛かる聞き覚えのある男性の声に全員が一斉に振り向いた。
 
「あれ、タカミチさんじゃないですか」
「やあ士郎君。——ん? そっちの君は……ああ、エヴァだね。その姿は初めて見たけど面影がある。いや、懐かしいな、そういう姿は」
「……わかるんですか、こいつがエヴァだって」
 
 これは本当に驚いた。
 まさか今の状態のエヴァを一目見ただけで本人だとわかる人物がいようとは……。
 
「ああ。彼女は以前に似たような姿をしていた事があってね。まあ、その時は今のこの姿より幾分か大人びていたが、それでもやっぱりその時の姿に似ているからね」
「だってさ、エヴァ」
「ふん、別にどうでも良い事だ。それよりタカミチ、貴様、今この見世物に出ると言ったか?」
「うん。彼とは大きくなったら腕試しをしようと言う約束をしていたから。ね、ネギ先生?」
 
 タカミチさんはそう言ってネギ君に目配せをした。
 だが、当のネギ君は困惑顔。
 突然のタカミチさんの申し出に戸惑いを隠せないようだ。
 だが、そんな彼とは反対に小太郎は表情を輝かせていた。

「お、ホンマか? 衛宮の兄ちゃんが出えへんのは残念やけど、アンタが出るんなら面白くなりそうや。———アンタ、相当出来るやろ?」
「……さて、どうだろうね」
 
 そう言って、どこか困ったように苦笑するタカミチさんに、小太郎はギラついた好戦的な笑みを向けた。
 と、——その次の瞬間だった。
 
「きゃっ!?」
 
 ぱぁんっ、と。
 数メートル離れている二人の間から、風船が割れたような破裂音が響き渡った。
 それに驚いたアスナから悲鳴の声が上がる。
 見れば、小太郎も少々驚いた表情をしていた。
 
「……へえ、始めて見たけど、タカミチさんってああ言う技使うんだな」
 
 今、目の前で起こった事は、小太郎がタカミチさん目掛けて気弾と呼ばれるものを放ち、ソレをタカミチさんがスラックスのポケットに手を入れた状態から高速で手を引き抜き、それによって生じた拳圧で打ち落としたのだろう。
 
「今のは確か……居合い拳といった名だったか? たしか以前そんな事を言っていた」
「居合い拳か……」
 
 隣にいるエヴァが俺に対して説明を挟む。
 なるほど。
 確かに名前の通り、ポケットから勢い良く拳を放ち、そしてまた何事も無かったのようにポケットに手を戻すその技は、刀の鞘走りを利用した抜刀術に酷似している。
 更に言うならば、拳圧と言った不可視の衝撃を利用する事により、攻撃を見極め難くもしているんだろう。
 
「———へえ、思った以上にやるやんか。それに随分エゲツない技使いよる……ハッ、面白いやないかアンタ!」
「ははは、そいつはどうも。でも、いきなりああ言うのは感心しないな。当たっていたら危険だろ?」
「ハン、仮にも格闘技の大会に出ようって言うヤツなんやからな。あんな手を抜いた一撃やったら喰らう方が悪いんや」
「やれやれ、乱暴な理屈だなあ」
 
 強引ながらも、小太郎の邪気のない理屈付けに、タカミチさんは苦笑を浮かべながら肩を竦めた。

『———お集まりの皆様、大変長らくお待たせいたしました! これより『まほら武道会』を開催いたします!』
 
 と。
 そんな時に響き渡るアナウンスの声。
 しかし、その声にどこか覚えがあるのは気のせいなんだろうか?
 
「……って、げ。なんで朝倉の奴が司会みたいなことやってんのよ」
 
 そう言うアスナの視線を追ってみると、なるほど、そこには壇上でマイクを手に持って話す朝倉さんの姿があった。
 
『それでは開催に当たって、主催者より一言挨拶を願います』
 
 そう言って、朝倉さんがマイクを渡したのは……超鈴音。
 彼女は一瞬、それもほんの微かに俺の方を見て———確かに笑った。
 しかしすぐに正面の方に視線を向けると、堂々とした態度で声を張り上げる。
 
『私が……この大会を買収して復活させた理由はただ一つネ。——表の世界、裏の世界を問わずこの学園の最強を見たい、それだけネ。20数年前まで、この大会は元々裏の世界の者達が力を競う伝統的大会だたヨ。しかし、主に個人用ビデオカメラなど記録機材の発達と普及により、使い手達は技の使用を自粛。大会自体も形骸化、規模は縮小の一途を辿た……。だが私はここに最盛期の『まほら武道会を復活させるネ! 飛び道具及び刃物の使用禁止! ……そして、”呪文詠唱の禁止”!! この2点を守ればいかなる技を使用してもOKネ!』
「——なっ!?」
 
 あいつ……一般人の前でなんて事を!

『なに、案ずる事はないヨ。今の時代、映像記録が無ければ誰も何も信じない。大会中、この龍宮神社では完全な電子的措置ににより携帯カメラを含む一切の記録機器は使用できなくするネ。裏の世界の者はその力を存分に奮うがヨロシ! 表の世界の者は真の力を目撃して見聞を広めてもらえればこれ幸いネ! ———では、良い試合を期待スルヨ』
 
 そう締めくくって、チャオは朝倉さんにマイクを返した。
 
「……士郎さん。今の彼女の発言、大丈夫なのでしょうか?」
「……大丈夫な訳ないだろ。何だってんだ、一体」
 
 隣にやってきた刹那と会話をしながらも壇上にいるチャオから視線は外さない。
 するとそこにタカミチさんもやって来た。
 
「……なにやら、キナ臭い事になりそうな気がするね」
「タカミチさん……どうします? 大会を中止させますか?」
「いや、彼女の言う通り、映像さえ残らなければ魔法を信じる人間はまずいないだろう。本戦は明日だから何とも言えないけど、記録が残らないように配慮されているのなら開催せざるを得ないだろうね。……なにせ、賞金一千万のこうも注目を浴びる大会にされてしまったんだ、急に中止にしてしまうとかえって不信がられてしまう。……まあ、彼女の行動は観察しなければならないだろうけどね」
「……そうですか」
 
 たしかにここまで規模の大きな大会になってしまうと、急遽中止になると何かあったのではないかと考えたくもなるだろう。
 しかし、このままにしても大丈夫なのだろうか?
 そもそも、彼女は何の意図があってあのような発言をしたのかが全く読めてこない。
 
「……士郎さん、高畑先生。超鈴音について気になる情報があるのですが……」
「情報?」
「ええ、実は彼女から、時——」
 
 と、刹那がそこまで口にした時だった。
 
『では、出場者の方々は会場にお集まり下さい。予選会を開始いたします。尚、今回は出場者多数のため、各グループ、勝ち残った上位二名までが本選出場参加資格を得られるようになっております。繰り返します———』
 
 朝倉さんのそんな指示に従い、参加者たちはゾロゾロと会場へと移動を開始する。
 
「……仕方ない。話は後にしようか。彼女を監視する為にも本戦には出場しておきたいからね。刹那くん、とりあえず今は向かうとしよう」
「……分かりました。では士郎さん、後ほど」
 
 そう言って刹那は頭を軽く下げ、タカミチさんは手を上げて会場へと向かって行く。
 
「あ、僕達も行かなきゃ。それじゃあ衛宮さん、師匠、行って来ます!」
「……あ、ああ」
「ま、せいぜい頑張るんだな」
 
 それぞれ会場へと向かう背中を眺めながら、俺の頭は一つの事柄で埋め尽くされていた。 
 ……アイツ……一体、何を考えているんだ?
 今の話の内容だと、この試合は魔法の使用を黙認……いや、それどころか前提としているようにしか聞こえなかった。
 
「……こんな大観衆の前で……冗談だろ?」
 
 思わずそう呟いてしまう。
 少なくとも、俺の元居た世界の基準で考えれば正気の沙汰じゃない。
 魔術師と言うものは神秘の隠匿に非常に敏感だ。
 悟られるような事があれば良くて記憶を消す、悪ければ命を消す。
 確かにこの世界はそこまで過激ではないらしいが、今までの経験上、この世界の魔法使い達は少なくとも自ら魔法の存在を吹聴するような事はしていなかった筈だ。
 それなのに今回のような、一般人に魔法の存在を喧伝するかのような発言に、何がしかの裏があるのではないかとどうしても考えてしまう。
 と、そんな時だった。
 
「———無論、冗談なんかではナイネ」
「————ッ!?」
 
 その声に、エヴァと二人で勢い良く振り返る。
 それは突然だった。
 足音どころか、気配も全く感じさせずチャオは俺達の後ろに忽然と現れたのだ。
 それこそ、いきなりそこに沸いて出て来たんじゃないかと思うほどに。
 
「……へえ、冗談じゃないって理由を聞きたいもんだな」
 
 内心の動揺を抑え、言葉を口にしながら、エヴァに横目でチラリと視線を送る。
 すると、それに気が付いたエヴァは無言で微かに首を横に振った。
 ……本当、冗談じゃないぞ。俺はまだしも、エヴァに気が付かれる事なくこの距離まで近づくなんて……まるでアサシンのような隠行じゃないかッ。
 
「そんなに警戒しなくてもいいヨ。別にアナタ方と敵対しよウと言う訳でもないんだかラ。だからその殺気をどうにかしてくれない物カナ、エヴァンジェリンさん。真祖であるアナタにそんな殺気を向けられてハ生きた心地がしなイ」
 
 チャオはそう言って苦笑すると、両手を少し挙げて降参のポーズをした。
 しかし、俺の中で彼女に対する警戒心はかなり上がっている。
 魔法をバラすような発言に加え、エヴァの正体を見抜いた事。
 更にエヴァにすら感付かれることなく接近した事。
 そして何より、なぜこのタイミングで俺達に接触を図ってきたかと言う事。
 一言で言って……得体が知れないのだ。
 
「……ま、そんな事を言テも意味は無いんだろうけどネ。サテ、こんな所で立話も何だし……」
 
 チャオはそう言ってグルリと周囲を見回し、俺にニッコリと笑顔を向けながら言った。
 
「———中国茶は嫌いカナ?」
 
 
 



[32471] 第57話  超鈴音
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/09/02 22:13

「龍井紅(ろんじんこう)ネ。口に合うと良いガ」
 
 目の前に紅茶が差し出される様子を黙って伺う。
 俺達二人が連れて来られたのは、会場から程近い建物だった。
 そこには無数のモニターが立ち並び、今行われている予選会の様子が映し出されている。
 
「……で、私達をこんな所まで連れて来て一体何用だ、超鈴音」
 
 俺の隣でソファに腰を掛け、鷹揚に脚を組み、出された紅茶のカップを傾けながら不機嫌そうにエヴァが言う。
 
「貴様等がどこで何をして、何を企もうとどうでも良いがな……我等に手出しをして見ろ。———殺すぞ」
 
 瞬間。
 エヴァから殺気が溢れ出し、狭いとは言えない部屋を覆い尽くした。
 決して、脅しなんかではない。
 エヴァは、チャオがもし俺達に手を出そうものなら躊躇無く実行するだろう。
 正真正銘の殺気。
 それこそ、慣れない者ならばそれだけで失神してしまいそうなソレを。
 
「……勿論、それは重々承知の上ネ。マ、話だけでも聞いてみないカ?」
 
 一瞬だけ怯みはしたものの、平然とした様子でチャオは受け流した。
 これには流石に驚いた。
 まさかエヴァの殺気を受けて、表面上だけとは言え、平然としている事が出来ようとは思わなかったのだ。
 
「……ふん、まあ良いだろう。茶々丸を貸し出している件を含めて考えれば想像は出来るからな」
「茶々丸を?」
 
 そう言われれば、ここ最近茶々丸の帰りが遅かった。
 俺はてっきり学園祭の準備で遅くなっているものだとばかり思っていたが……エヴァは何か知っている様子だ。
 
「エヴァ、茶々丸がどうしたって、」
「———そこからは私が説明させてもらうヨ」
 
 俺がエヴァに問いかけると、そこに割り込む形でチャオが入る。
 そうして俺の言葉を遮った彼女は、俺達の対面のソファに腰掛けると、重々しく口を開いた。
 
「……単刀直入に言うとするヨ。茶々丸ハ、私達の計画を手伝うタメにエヴァンジェリンさんから一時的に借りていル」
「計画? それって……前に俺に話していた大きな事業とか言うヤツか?」
「そう、それネ。とてもとても大きな事業でネ……彼女の能力は必要不可欠なのヨ」
「……そうか、それは分かった。でも、それが何だって『さっき』みたいな発言に繋がるんだ」
 
 無論、俺が言う『さっき』とは武道会場での発言の事だ。
 魔法の存在を喧伝しているかのような、更に言うならば、意図的に魔法使い達に魔法の使用を促しているかのような発言。
 いくらなんでもアレは看過出来ない。
 
「フム……その質問に答える為にハ、もう一度『あの』質問を繰り返さなければならないネ」
「あの質問?」
 
 そうして彼女は、真剣な表情になると俺の瞳をジッと覗き込んで———言った。
 
「———衛宮さん。衛宮さんはこの世界ヲどう思うカ?」
「……ッ、それは」
 
 チャオの口から紡がれたのはあの日の言葉。
 あの時、俺はそれに何て答えたのだったか。
 簡単だ。
 ———答えられなかったのだ。
 
「……この世界ハ、危ういバランスの上で成り立テいル。それこそ奇跡のようなバランスと言テモいいかもしれなイネ」
 
 俺が答えられないと見たのか、チャオはソファに背を預けながら話を続けた。
 
「けれどそれは、言い換えてしまえバ何時そのバランスが崩れても可笑しくないト言う事……見るといいヨ、アレを」
 
 チャオはそう言うと視線を横に振った。
 俺達もそれに釣られるように視線を向けると、そこにあったのは複数のモニター。
 そこにはネギ君やアスナ、それに刹那やタカミチさん達と言った俺には顔馴染みの面々が圧倒的な強さで他の参加者を倒していく様子が映し出されていた。
 ……そう、本当に圧倒的としか言いようがない位に。
 
「理不尽だとは思わないカ? ただ魔法使い、もしくはその関係者と言うだけデ絶望的とも言えるこの能力差……魔法使い達にしてみれば、常人の努力など徒労でしかなイ。そして常人から見たら魔法使い達は超人の集まりにしか映らないヨ」
 
 それはそうだろう。
 魔法使い達は、魔法一つで常人の能力を遥かに凌駕することが出来る。
 身体能力一つとっても、一流のアスリートですら一生を費やしても辿り着けない境を、魔法使い達は一瞬で飛び越えてしまう。
 そんなものは不公平、理不尽以外の何物でもないだろう。
 
「けれど、今の所は目立タ混乱も無イ。それは何故カ? 答えは簡単ヨ、魔法使い達がその存在を秘匿しているからネ。……ここまではいいカ?」
「ああ」
「宜しイ。———所デ衛宮さんは魔法使い……正確には魔法世界の住人が何人いるか知テルか?」
「は? いや、知らないけど……そんなに多くないんじゃないか? 数万人くらいか?」
「いいや、その答えは的外れネ。正解は6千7百万人ヨ」
「———6千7百万人!?」
 
 その途方もない数は一体なんだ。
 俺も知識としては、地球とは別に魔法世界と呼ばれる別世界があり、そこに魔法使い達が住んでいると言う事は知っていた。
 だが、それでも数万人……ないしは数十万人位だと勝手に予測していた。
 理由としては、この世界の一般人にその姿が知れ渡っていない所から来ている。
 その存在が公になっていない事を考えると、その絶対数が多くないからこそ今までその秘密が保たれて来たのだと。
 ところが実際の数は6千7百万人。
 良く今まで魔法が広がらなかったものだ。
 
「無論、こちらの世界ニ来ている魔法使いは大した数ではないガ、それでもそれだけの数がいル。……さて、ここでコレまでの事を踏まえて一つクイズネ」
「……クイズ?」
 
 チャオはそう言うと、俺の瞳を覗き込むように体を寄せた。
 その瞳はひどく真剣で、クイズなどと冗談めかして言っているが、その内容がいかに重大かを物語っている。
 
「……もし、何かの拍子で魔法世界が崩壊シ、魔法世界の住人がこちらに避難してきたら……どうなル?」
「……魔法世界が……崩壊?」
 
 それは、全く予想だにしていない内容だった。
 それに、なぜ彼女はそんな質問をこんなにも真剣な表情で聞くのだろうか。
 
「……答えて……貰えるカ?」
「あ、ああ」
 
 俺はそんなチャオの様子に気圧されながらも考え込む。
 魔法世界の崩壊。
 それは即ち、6千7百万人の難民を生み出す結果となるだろう。
 その中には無論、亜人間と呼ばれる種族の人達も含まれる。
 そんな人間達が大量にこの世界に流入してきたらどうなるか?
 そんなものは簡単だ。
 大混乱に陥るに違いない。
 6千7百万人と言う膨大な数の難民に加え、そこに今まで見てきた事のない人種が含まれているのだ、誰も彼もが騒ぎ立てるだろう。
 そして更には、その中に魔法使いと呼ばれる超人的な能力者も少なくない数含まれている。
 ……人間は、己と違う者を排除する生き物だ。
 肌の色が違うだけで差別を受ける世の中だと言うのに、人語を解するとは言え、文字通り姿形まで違う人間を目の当たりにしたならば、その反応は容易に想像できる。
 その最たる例が、今俺の隣に座っているエヴァだ。
 エヴァの場合、姿は人間そのものだが、成長する事がない。
 その事によって、一つの場所に留まることが出来なかったし、決して少なくない迫害も受けてきたと言う話も本人から聞いている。
 迫害とは、強者が弱者を虐げる、もしくは多数が少数を虐げることを言う。
 けれど、それがもし一人でなく相手も同じ多数だったら?
 逆に、数で劣っていようとも、明らかに能力が秀でていたら?
 それこそ、一つの世界を形成してきたコミュニティーが丸々移動してきたらどうなる?
 自分とは姿形が違う未知の集団への恐怖。
 己より遥かに卓越した身体能力を持つ者達への劣等感。
 隠されてきた存在への疑惑。
 恐怖は危機感を生み。
 劣等感は憎悪を生み。
 疑惑は不信を生む。
 その結果がどうなるか。
 ……そんなモノ、考えるまでもなく今までの人類の歴史が嫌と言うほど教えてくれる。
 
「……戦争が起こる。魔法世界の人間とこっちの世界の人間の間で戦争が起こる」
 
 それこそ、こちらの世界の人間にとっては宇宙人がやってきたのと大差ないだろう。
 いや、下手に姿形が似通っている分こちらの方がよっぽど性質が悪いかもしれない。
 相手が本当に、自分達と見た目が全く異なる宇宙人だったならば、自分達と全く違う生物なのだからと納得も出来るだろうが、なまじ似たような姿をしている物だから、なぜ自分達には出来ないで彼等には出来るのだ、と言ったような嫉妬に近い感情を抱きやすいからだ。
 そして、その劣等感は争いの引き金としては十分すぎる理由になる。
 
「———そう、そうの通りネ。だから私はソレを阻止したイ。つまり私のやりたい事業というのは世界を救うと言う事なのヨ」
「世界を救うって……まるで本当にそんな事が起きるように言うじゃないか」
 
 彼女の言い方はまるでそれが確定しているかのような口振りだ。
 地球だってやがては滅びる可能性があるのだから、それはないと言い切る事は出来ないが、それこそ言っても詮無い事だろう。
 だが、彼女はそんな俺に構わず話を続けた。
 
「———起きる。間違いなく起きる出来事なのヨ、衛宮さん。それモ遠くない未来ニ。……だって、私は”知っている”カラ」
「……知っている?」
 
 ……その言い方は、予言や予測としての言葉ではない。
 その言い方は既に体験してきた者の言葉だ。
 ———それはつまり。
 
「———そう、私は未来の人間ネ」
 
 そうしてチャオは、真剣な表情でそう告げたのだった。
 







[32471] 第58話  超鈴音 ②
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2013/09/02 22:14


「……未来の……人間?」
「その通り。信じられないカ?」
「……それはそうだろ。別に、お前の言う事全部を疑ってる訳じゃないけど、幾らなんでもそんな話をほいほい信じられるほど信用してもいないんだ」
「———マ、それもそうだろうネ。フム、ならば何をもって証拠とすればイイかナ。……茶々丸に搭載されている科学力では説明にならないカ?」
「……確かにそれっぽくはあるけど、それだけじゃ説得力としては弱いだろ。茶々丸自体はエヴァの力も反映されているみたいだしな」
「そうだろうネ。別にこの時代では未知の物質ヲ使用している訳でもないシ、アイデア云々を別にして、エヴァンジェリンさんの力を借りれば再現できない訳でもなイ」
 
 俺の反論をさして気にした風でもなく受け流すチャオ。
 だが、事実としてエヴァは科学技術なんてものを抜きに、チャチャゼロのような魔法生命体ですら製作できるのだ。
 そんな彼女の力を借りたとなれば、茶々丸を生み出す事だって不可能ではないと考えてしまうのは仕方の無い事だろう。
 
「……となると、やはり”コレ”を見て貰うのガ一番早そうネ」
 
 彼女はそう言うと、悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべる足を組んだ。
 すると、そんな彼女の方向から時計の秒針の音のような、カチカチと言う音や、モーターの回転音のようなモノが聞こえ始める。
 
「……一体何をするってんだ」
「まあまあ、見ていれば———」
 
 瞬間。
 彼女の姿が掻き消えた。
 そして、
 
「———分かるヨ。ほらネ? ……っと、おや? 今回は驚いてくれないようネ、残念」
 
 次の瞬間には、俺達の背後に立っていた。
 ……まただ。しかも今回は目の前で。
 流石に二度目ともなると驚きはしないが、不可解さだけはどうしても残る。
 目の前のソファから俺達の背後までの直線距離が凡そ2m弱。テーブル等の障害物を避けて移動しようとすれば5mあるかないかくらいだろう。
 その距離を一瞬で移動した。
 それもすぐ脇を通り抜けたであろうに、俺とエヴァに微塵も感知される事無くだ。
 ……果たしてそんな事が可能なのだろうか?
 俺は、目の良さには少なからず自信がある。
 反応できるかどうかは別として、セイバーの太刀筋すらも見るだけならば可能なのだから。
 そんな俺が見逃した。予備動作らしきものすら感じ取れずに。
 ———馬鹿な。
 もし仮にそうだとすれば、チャオの体捌きの速度はセイバーの剣速を遥かに上回っている事になる。
 しかも、風すら舞い上げる事無く、だ。
 ……そんな事が可能なのだろうか?
 俺の答えは否だ。
 チャオがセイバーやエヴァを凌ぐ実力を持っているようには到底思えない。
 そうだとすれば……。
 
「今の行動の意味……分かたカ?」
「……今のは速さじゃない。……空間転移か?」
 
 背後を振り返る事無く答える。
 何のタイムロスも無く、話している途中で突然背後にいた。
 これは気配が移動したのではない、……そこに移ったのだ。
 なんの魔力の発露も無く空間転移のような術が使えるかは分からないが、そうとでも考えなければ説明が付かない。
 
「惜しいケド正確ではないネ。ワタシはただ歩いてここに辿り着いただけヨ」
「……冗談。ただ歩くだけで今みたいな事が出来るかってんだ」
「本当の事ネ。その証拠に———」
 
 そして今度は気配が背後から前に。
 コマ送りの映像を見ているように、突然チャオがソファーに座ったままの姿勢で現れた。
 
「———こんな事が出来ル。コレはお返しするヨ」
 
 そう言って差し出されたの俺の財布だった。
 
「———まさか」
 
 ジーンズの後ろポケットに入れて置いた筈の財布が目の前にある。
 しかも俺はソファーに座っていたのだ。抜き取ろうにもそうそう取れるものではない。
 その上俺はそれに全く気が付く事が出来なかった。
 それらの事から導き出される答えは一つ。
 
「……まさか……時間を、操れるのか?」
 
 チャオは俺の答えを聞いてニコリと微笑んだ。
 
「そう、その通りネ。使用にはいくつかの条件のクリアと、この、」
 
 そう言って背中を指差すチャオ。
 
「背中の装置の補助がなければ使用できないガ、それでも時間旅行ができるネ。マア、所謂タイムマシンネ」
「時間旅行……」
 
 ここまで証拠を突きつけられれば認めるしかない。
 俺の世界で言えば、確実に”魔法”の領域の偉業だが、事実として彼女は俺に証拠を示して見せた。
 それに先程からエヴァが何も口を挟んでこないのは、どうやら元からある程度知っていたからだろう。
 
「……で、その未来の人間が俺に何の用だってんだ。そんな事になるんだったら俺も何とかしたいとは思うけど、俺なんかに大した力はないぞ」
「マア、そんなに焦る事ないネ。私はこれから起こる戦争を何とかしたイ……ここまではいいアルカ?」
「ああ」
「けれど、幾ら私ガ未来の人間だろうとも、世界の崩壊を防ぐ事なんてとてもじゃないが出来ないネ。ダカラ私は相互間に置ける不理解を解消して、相互理解を深めさせたいのヨ」
「相互理解って……それこそどうやるんだよ。今まで知りもしなかった魔法世界の住人達をどう紹介したって混乱をきたすのは目に見えてるじゃないか」
「それは短い期間に情報を一気に与えすぎてしまうからダメネ。受け入れるて慣れる前に次々と情報を放り込むから環境の変化に耐えられず、感情がオーバーフローを起こしてしまう結果ヨ。ダカラ私は情報を統制しようと思ウ」
「……どういう意味だ?」
「言葉通りの意味ヨ。要は情報を一気に与えすぎるからダメなのヨ。情報を小出しにして、少しずつ慣れさせれば混乱は最小限に済ム。何事にも心の準備は必要てコトネ」
 
 言い分は分かる。
 人間なんて所詮慣れの生き物だ。
 人間は急激な環境の変化じゃない限り、大抵の事は受入れ、それに対処しようと言う体制を整える強かさを持っている。
 そして環境の変化は少しずつの方が負担も少なくて済む。
 そうすれば、次第に変化は平穏となり、日常へと成り果てる。
 
「理屈は分かる。でも具体的にはどうするんだ? 世界の混乱を防ぐって言ったって、そこが一番重要だろう。それを聞かない限り俺も力を貸す訳にはいかない」
「当然それも織り込み済みヨ。衛宮さん、こっちの世界の住人と、魔法世界の住人の一番大きな違いは何か分かるカ?」
「…………魔法を使えるかどうかか?」
「その通リ。種族間の姿形の差異もあるだろうが、一番の大きな違いはソコヨ。———だから私は世界樹の力を使ウ」
「世界樹の力?」
「その通リ。世界樹の持つ魔力は膨大ネ、それこそ世界を覆ってしまウほどニ。その力を使て私は……世界中ニ『強制認識魔法』をかける。効力は催眠術程度の、もしかしたら魔法は存在するんじゃないカという認識を持たせる程度の弱い効力しか持たないガ、それで十分ヨ。後は先程言ったように、情報操作でどうとでもなル。今回の大会はそのデモンストレーションネ」
「魔法を……世間に公表するってのか」
「ウム。幸い、魔力はこちらの世界の人間だろうと誰にでも存在スル。それは即ち、誰にでも魔法が使える可能性が有ると言う事ネ。魔法が使えるかどうかと言う、こちらの世界とあちらの世界デ一番大きな劣等感の要因を、あらかじめ取り除く事さえ出来れバ……」
「最悪の事態には陥らない……」
「無論、その過程で争いガ生じないとは言わなイ。特にこれから私が行う事を知れバ、この学園の魔法使い達は全力で止めに来るだロウ。だが少し考えてみてほしイ。そもそも可笑しいとは思わないか? なぜ頑なにも魔法の存在を隠さ無ければならなイ。魔法は一つノ技術である事ハ確かな事なのに、それを公表せず、技術を独占しているのハ魔法使い達の傲慢なのではナイカ? 魔法使い達はその能力の高さ故に、一般人を見下す性質がアル。選民思想とまでハ言わないガ、本人にその気ガ無くとも多かれ少なかれ見られる傾向ネ。事実、今この学園に在籍する魔法使い達ハ、一般人を守るべき対象としている節がアル。……それが悪いことだとは言わないネ。だが、何故彼等に態々守って貰わなければならない? そんなモノ、必要があるとは私にはどうしても思えないネ。しかし答えハ簡単。彼等は無意識のうちに一般人を力のない弱者だと決め付けているからに他ならないヨ。迷惑な話ダ、アリガタ迷惑と言ってもイイ。魔法使いの力なんかに頼らなくてモ人間は生きていけル。そもそも弱者だと思って力を貸したいなどと言っているノニ、何故その技術を公表して自衛の力を身につけさせようと考えなイ」
「……」
 
 確かにその通りだ。
 この世界の魔法使い達の大前提は他者の力の助けになる事。
 それを賞賛するかのように『立派な魔法使い(マギステル・マギ)』などと言う呼び名まである。
 しかし、それなら、何故俺の居た世界のように魔法を隠す必要がある?
 神秘の隠匿が第一条件では無いというのに、有益な力を隠し、それを知られる事を悪とする風習は一体どこから来たのだろうか。
 チャオは、そんな風に考える俺に、更に言葉を重ねた。

「———それは自分達が強者であり、弱者を守ってやっているんだという優越感を得たいからに他ならないんじゃナイカ? お前達ハ弱い、ダカラ自分達が守ってやっているんだ……と。言ってしまえば、魔法使い達の言っている事とやっている事は矛盾の塊でしかなイ。いや、この学園に限って言えば、逆に魔法使い達が居る事によって危険が増しているとも言エル」
「……それは」
 
 ———それは、俺も最近感じていた事。
 京都の事件然り、ついこの間の悪魔襲撃の時も然り。
 これらの事は、魔法使い達がここにいなければそもそも起こらなかった事件だ。
 しかも、その両方で何の関係もない人達が巻き込まれているのは疑いようもない事実。
 
「……魔法世界が存在スル事実は変えられナイ。そしてその隔たりモ。だから私ハ、そんな人間に自衛の力ヲ持たせ、未知の力に対抗できるだけの力と知恵を身に付けさせる事が両者の溝を埋メル事にもなり、また、不平等感を無くす唯一の手段だと思うノヨ」
 
 しかし、チャオの言っている事も理想論だ。
 厳しいかもしれないが、真の意味での平等なんて何処にもない事を俺は痛いほど知っている。
 例え、同じような力を身に付けさせた事で能力の差を埋めたとしても、人間は考え方一つの違いで争う。
 ソレを無くす事なんて、本当に夢の世界でしか見ることは出来ないのもまた事実だ。
 ……けれど。
 
「勿論、私がこれから成そうとしている事でも多かれ少なかれ混乱ハ生まれてしまうと思ウ。だが、私はそれに対処できる財力と技術を確保シタ。決して最悪の事態には発展しなイ……いや、私がさせない。世界を救うとは言わナイヨ。むしろ私は、世界を混乱させた大罪人として名が残るだけだろウ。だけど、私はただ、新たな争いが起きて欲くないだけなのヨ。……もう、あんな世界は見たくない……」
 
 だから、とチャオは言葉を前に置き、
 
「———それらを踏まえた上でもう一度問おう。衛宮さん、アナタはこの世界の在り方ヲどう思うカ?」
 
 そう、悲痛に感じるほどの真剣な眼差しで問いかけたのだった。







[32471] 第59話  Fate
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2014/03/09 20:48





 夜、チャオの話を聞いた俺は、とてもじゃないが祭りを見て廻る気分に戻れず、目的も無く学園内を歩き回り考え込んでいた。
 傍らにエヴァの姿はない。
 彼女には悪いが、一人で考えたいと言って別れたっきりだ。
 祭りの喧騒で賑わう通りを歩きながらも、それを何処か遠くに感じながら思考に耽る。
 だからと言って、そう簡単に答えが出るわけも無い。
 そんな風に、ぐちゃぐちゃになった頭で考え込んでしまったせいか時間の感覚も相当狂ってきてしまっている。
 幾ら考え込んだところで堂々巡りをしているだけ。
 今の俺の状況のように、同じところをグルグルと廻っているだけで、何も進展なんかしちゃいない。
 
「……言ってる事が間違っていないのは分かっちゃいるんだけど」
 
 そう言葉を漏らして溜め息を吐く。
 チャオは恐らく、俺に包み隠さず本心で話してくれたと思う。
 いや、より正確に言うならば、話の展開の内容には少なくない嘘はあったかもしれない。
 そして、意図的に隠していることも間違いなくあっただろう。
 だが、最後に語って見せた、もう争いを見たくないと言う言葉だけは間違いなく本心からの言葉だったように感じられた。
 ……全く、色々な事を隠して話しているくせに、本心だけを相手に見せるなんて器用な真似が良く出来たもんだ。
 だからこそ思い悩む。
 魔法世界が崩壊し、異なる文化を持つ二つの世界が交じり合ってしまうとすれば、二つの違う世界の一番大きな違いは魔法を使えるかどうかという事になる。
 だからそれを、段階を踏んで人々に魔法の存在を認識させ、世界が交じり合う時までに周知の事実として広め、あわよくばこちらの世界の住人にも魔法を使えるようになってもらえれば、混乱は最小限に済むというのは理屈としては分かる。
 そして、それが起こるであろう争いを未然に防ぐ手段として有効であるという事も。
 それに、魔法の存在が知られると言う事は、それに対する対処も明確になる事から混乱を抑えるられるのはなんとなく分かる話だ。
 それでも、そんな事をして本当に良いのか?
 世界の根幹を引っ繰り返すような事をしてしまって本当に良いのか?
 そんな考えがどうしても頭から離れないのだ。
 幾ら考えても答えが出そうにない。
 幾ら思考を巡らそうと辿り着けそうにない。
 
「そもそも、魔法世界の崩壊を喰い止める手段が本当にないのか?」
 
 判断材料はチャオの証言のみと、かなり弱いものだと理解はしている。
 本当は起こらないかも知れない。
 彼女が未来の人間だと言う事は本当だが、彼女の妄言なのかもしれない。
 けれど、彼女の真剣な眼差しを思い出すと、戯言だと笑い飛ばす事が出来ないのも事実だ。
 どちらにしろ、今の俺には真実か嘘かを確かめる手段も、時間もないのが現状でしかない。
 
「――え?」
 
 そこでふと、その違和感に気が付いた。
 考え事に耽っていた頭を上げて辺りを見回してみると、いつの間にか周囲から人影が無くなっているのだ。
 先程まであんなに多くの人で賑わっていたというのに、今は人の姿が一人も見受けられない。
 別に俺が裏路地に入ったわけでもない。
 今俺が歩いている道は世界樹へと続く大通りで、メインストリートといっても差し支えが無いような広さのソコは、多くの人で賑わっていた筈だ。
 そんな道から人気が俺を除き消えている。
 人がいなくなったわけではない。
 その証拠に、通りを一つ挟んだ向こう側からは今も大勢の人で賑わう喧騒が伝わって来ている。
 だが、こちらには俺一人。
 道の両脇に立つ街灯が世界樹へと導くように煌きを放ち、ひたすらまっすぐに続く。
 様々な物で艶やかに飾られた通りは街の明かりに染め上げられて輝き、そんな場所に俺独りしかいないという状況に異常だと思うより前に、いっそ幻想的にすら感じられた。
 
「――これは……一体」
 
 呆けた様に辺りを見回し、視線をあちこちへ飛ばす。
 本当に誰一人としていやしない。
 隣の通りから聞こえてくる喧騒も何処か遠くに感じる。
 そんな、何処か異界にでも迷い込んでしまったかのような感覚に囚われたまま、なんとなく……そう、本当になんとなく遠くへと視線をやった。
 ――そして、世界樹を目にした瞬間、それは起こった。
 
「――――っ!?」
 
 ドクン、と。
 心臓が跳ねた。
 かつてない程に鼓動が激しく脈打つ。
 バクンバクンと、暴れ狂うかのように脈打つ。
 自分でも何故そうなったのか分からない。
 只……そう、只、世界樹を目にした瞬間、強烈な、抗い難いまでの何かが――”掘り起こされた”。
 掘り起こされた。
 何故そう感じたのかは分からない、だが確かにそう感じたのだ。
 ……それが何なのかは分からない。
 だが、そうしなければならない、それをしなくてはいけない……そんな正体の分かりもしない強迫観念に囚われてしまった俺は、フラフラと夢遊病者のような足取りで歩を進めた。
 目的地が何処なのかすら分からないのに、思考より先に足が勝手に前へと進む。
 それが、この体の生まれてきた義務であるかのように。
 
「――――」
 
 声無き声に呼ばれるように、ただひたすらに歩く。
 意識ははっきりしていて、何かに操られていると言う訳ではないが、それでも、まるでその為に生まれてきたのだと感じてしまう程の強烈な使命感が足を止めようとしない。
 どこに行けば良いか分からない。
 だが、足は明確な目的をもって歩を進める。
 そんな矛盾した行動のはずなのに足は止まらない。
 まるで幽玄の世界を彷徨い歩いているかのようだ。
 
 ――そうして俺はそこに辿り着いた。
 
 手を伸ばせば届くような位置に。
 眼前に映る威容、そしてその圧倒的な存在感が何よりも雄弁に”ソレ”を物語っている。
 
「……世界樹。まさか、お前が呼んだのか?」
 
 そう呟いた俺はその姿を見上げた。
 目の前の存在は黙して何も語らず、ただ悠然とした威容で風に揺れる葉の擦れる音を奏でるだけ。
 ……馬鹿らしい。
 そんな筈がないだろうが。
 内心でそんな馬鹿な考えを持った自分に悪態を吐く。
 しかし、
 
「え……光って……る?」
 
 唐突に、世界樹が淡く輝き出したのだ。
 それこそ、まるで俺の言葉に答えるかのように明滅を繰り返す。
 22年に一度起こると言われている発光現象……そう結論付けてしまえば簡単なのだが、俺にはどうしてもそうは思えなかった。
 まるで意思を感じさせるかのようなその輝き。
 淡く、だが力強く。
 まるで鼓動のようだと感じた。
 俺はそれに導かれるかのように樹へと手を伸ばす。
 その瞬間、
 
「――――が、ああああああああああああああああぁぁぁっ!?」
 
 絶叫。
 光が奔流となり、俺目掛けて一斉に流れ込む。
 光は俺の腕から抜けて全身へと駆け巡る。
 
「うああああああああああああああああぁっ!」
 
 絶叫は痛みによるものではない。
 ――恐怖によるものだ。
 光に質量があったとするならば、とてもじゃないが俺一人の中に収まりきりそうもない程の量が、衛宮士郎と言う個人目掛けて押し寄せる。
 それはまるで、俺と言う個人を押し流そうとしているかのようだった。
 
「――――ッ!?」
 
 今、何かが頭の中に……!?
 それは得体の知れないモノ。
 光が脳に達する度に次々とナニカが浮かんでは消えていく。
 
 ――待て。これは――……ッ!!
 
 頭の中に流れ込んでくるもの、それは情報だった。
 ……いや、それは正確ではない。
 流れ込む情報と言う名の光……それは、ここの所俺を悩ませ続けていた悪夢そのままだった。
 知っている情報、知らない情報、そして――”知っている筈”だった情報。
 そんな物が矢継ぎ早になだれ込んでくる。
 
「――ずっ、ぅ、があああぁあああああーーッ!!」
 
 足掻こうにも手は離れず光は止まず。
 雷のように頭を駆け巡り、炎のように脳髄を焼き尽くし、濁流のように情報は流れ込む。
 止まることを知らないそれは、高きから低きへと落ちるように流れ、衛宮士郎をヤスリの様に削って行く。
 止せ、止めろ、止めてくれ――ッ!
 俺にはもうこれ以上入らないッ。
 こんな事、知りたくもないし知りたいとも思わない!
 だから、
 
 ―――だからもう、これ以上”衛宮士郎”と言う人間に上書きしないでくれッ!!
  
「ああああああああああああああ嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼ああああ嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼あああああああああああああああああああ!!?」
 
 一分か一秒か、それとももっと長い時間か。
 ――やがて、光が止まった。
 アレほど荒れ狂っていたのが嘘のようにピタリと。
 
「――はっ! はぁ、はぁ……っ、はぁ!」
 
 光の奔流から開放された俺は、凄まじいまでの倦怠感で思わず地面に両手を突いて蹲ってしまう。
 全身からは滝のような汗が流れ落ち、呼吸は荒い。
 両手と膝からは地面の感触と冷たさ。
 顔は上げられず、視界には地面しか映ってはいない。
 
 ――だが、それら全てが今の俺にはどうでも良い事だった。
 
「………………は、ははは……。そう……か、そういう事だったのか」
 
 口から零れるのは虚ろな笑い声。
 自分でその言葉を吐いている意識はない。
 ただ、勝手に言葉が感情の発露のように零れ落ちていく。
 
「―――俺は、なんて勘違いをしていたんだ」
 
 そして、ついにその真相に辿り着く。
 ボタンの掛け間違いに。
 運命の悪戯に。
 歯車の歪みに。

「……ああ、そうだ、全部思い出したさ。――思い知らされたっ!!」
 
 吐き捨てるように、叫ぶ。
 そう、思い知らされた。
 全て。
 全て。
 余す事無く、全て。
 
 
 
 ……俺が、衛宮士郎がこの世界に呼ばれた理由が。
 
 
 
「……そういう事だったのかよ、チクショウ――……ッ!!」
 
 
 叫びは誰にも届かず闇に解けていく。
 そんな中、俺は確かに聞いたのだった。
 
 ―――舞台の終幕を知らせる、鐘のような音を。




[32471] 第60話  告白
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2014/03/16 22:56


 
「……おかしな所は……ない、よね」
 
 部屋で一人、自分の格好を見下ろしながらそう呟く。
 この行動もかれこれ六度目だ。
 
 ―――遂にこの日が来てしまった。
 
 私は鏡に移る自分を見つめながら、高鳴る胸の鼓動を抑えることが出来ないでいた。
 学園祭二日目……衛宮さんとデートの約束をした日。
 そして……告白をすると決意した日。
 自分で決めておいて何だが、いざ当日になってみると、自分がこれからとんでもない事を行おうとしていると言う事実に眩暈を起こしそうだ。
 正直、昨日の夜はほとんど眠れなかったし、待ち合わせは午後一時だというのに朝の七時から出かける準備をしている始末。
 今着ている服にしたってそうだ。衛宮さんと約束を取り付けた後、寮に帰ってクローゼットを散々掻き回した挙句アレコレ迷った私は、今持っている服ではなんだかダメな様な気がしてきて結局全て新調してしまった。
 しかし、そのおかげかどうかは微妙だけど、お財布の中身が軽くなってしまった代わりになんとか納得のいく服でこの日を迎えることが出来た。
 そしてもう一度……本日七度目になる服装チェックを行う。
 モスグリーンの爽やかな色合いを基調とした、スッキリとした印象のワンピース。
 それに、白のデニム生地を使用したスリムなデザインのジャケット。
 ……うん、大丈夫。
 鏡に映る自分の顔にも、幸い寝不足の割にクマは出来ていない。
 最初はお化粧もして行こうかと思ったが、普段していないのにいきなりして行ったら流石に衛宮さんも驚くだろうと思い、結局リップを引くくらいでやめて置いた。
 けれど……なんだろう、今日に限ってリップを引くと言う行為が妙に生々しく感じる。
 ということは、詰まりなんだろう。……私は自覚も無いままそう言うことを期待しているって事なのかな?
 
「…………ッ」
 
 鏡に映った自分の顔が一瞬で真っ赤になった。
 わわわ、私は何を考えているんだ!? 
 ………………そ、そりゃ、衛宮さんが何と思おうとこれはデートなのであって?
 もしかしたらその場の流れと言うか、雰囲気でそう言う事になったりならなかったりすんじゃないかなあとか何とか。
 …………さ、更にもしかしたらその先のゴニョゴニョ……まで…………?
 
「……………………パ、パンツとかも変えて行こうかな?」
 
 べ、別に期待している訳じゃないんだからねッ!?
 とか何とか。
 そんなことを悶々と考えていたら、いつの間にか待ち合わせの時間になっていて、結局慌てて部屋を飛び出す羽目になった私なのであった。
 ……男の人は、女心は難しいと言うけれど、うん、本当に難しいと思う。
 
 ……だって、女の私にも分からないんだもの。

 
◆◇―――――――――◇◆
 
 
「……はあ、はあっ、……す、すいません衛宮さん。遅れました」
 
 部屋を出てからずっと走りっぱなしだった私は、待ち合わせ場所に着くなりすでに到着していた衛宮さんへと向けて頭を下げながらそう言った。
 自業自得とは言え、最初から失敗だ。走ってきたから息は切れ切れ、額には汗も浮かんでいるのが分かる。まあ、メイクはしていないから、メイク崩れを気にしなくて良いのは不幸中の幸い。
 うぅ~……髪の毛ボサボサになってないかな? 汗の匂いとか大丈夫かな?
 こんな事ならもっと早く起きればよかった……。
 ……ちなみに、下着は新しいものに変えました。うん、身だしなみ身だしなみ。そう思っておけ、私。
 
「ああ、大丈夫。俺も今来たところだから」
「あ、ありがとうございます」
 
 明らかに二十分以上待っていたであろう衛宮さんは苦笑をかみ殺したような声でそう答えた。
 私はそれに礼を言い、手櫛で乱れた髪を直しながらも衛宮さんのその一言に、うわー凄くデートっぽいと大いに感動したのは内緒だ。
 そうして漸く顔を上げた私は、
 
「…………衛宮さん、大丈夫ですか?」
 
 衛宮さんの表情を見て、何故かそう尋ねてしまっていた。
 
「―――えっと、何がだ?」
 
 衛宮さんは、ほんの僅かな間を空けてからそう答えた。
 自分で言っておいてなんだが、何でそう尋ねてしまったのか理解できない。
 別に、衛宮さんの顔色が悪い訳でもない。
 体調が悪そうに見える訳でもない。
 機嫌が悪い訳でも、良い訳でもない。
 いたっていつもの表情である筈だ。
 ……なのに、どうしてだろう。
 
 その様子が酷く辛そうで、今にも崩れてしまいそうになるのを必死に隠し通そうとしている様だと、私は感じてしまったのだ。
 
「……本当に、大丈夫ですか?」
「……良く分からないけど、俺はなんとも無いぞ? 大河内さんこそどうしたんだ? いきなりそんな事言い出したりして」
「……そうですか。い、いえ。何とも無いなら良いんです。すいません、変な事聞いて」
 
 そうやって聞かれると、本当に自分で何でそんな事を聞いてるんだろうと急に恥ずかしくなる。
 改めて衛宮さんを見てみると、もちろんおかしな所は無いし、先ほどまで感じていた奇妙な感覚も夢だったかのように無くなっていた。
 うー……どうしたんだろう、私。あんな事聞いちゃって……おかしな子だと思われてないかな?
 
「いや、別に構いやしないよ。それよりそろそろ行くか? とは言っても、目的地も無く歩くだけなんだけど」
「……は、はいッ」
 
 そう言って歩き出した衛宮さんの隣に並び立つ。
 いつもより幾分かゆっくりとした足取り。
 衛宮さんが私に気を使ってゆっくりと歩いてくれているんだろう。そんな些細な優しさが凄く嬉しい。
 こうして肩を並べて歩く私達は、周りからどういう風に見えるんだろう?
 ……や、やっぱり恋人同士とかに見えたりするんだろうか? だとしたら凄く照れくさいけど……嬉しいな。
 周囲には私たちのように肩を並べて歩く男女の姿が見られる。
 この人達も私と同じような気持ちだったりするんだろうか。
 照れくさいけど嬉しくて。
 話をしたいけど何を話せばいいか分からなくて。
 何をする訳でもないのに傍にいるだけでドキドキして。
 ―――そして何より幸せで。
 そんな気持ちを共有しているんだろうか。
 
「……」
 
 ちらりと。
 隣を歩く衛宮さんの表情を盗み見る。
 それだけで胸の高鳴りが速まり、顔が紅潮して来るのがわかった。
 か、考えて見れば二人きりで歩くのは最初に会った時以来だった。しかもあの時は道案内をしていたから私が少し先を歩いていたので、正確には隣に並んで歩くのはこれが初めて。京都の時は一応皆がいたし。
 ……うわ、マズイ。そう考えたらもっと緊張してきた!
 
「ところで大河内さん」
「……は、はひッ!?」
 
 衛宮さんの声に思わず裏返った声で返事をしてしまう。
 うぅ……今日はこんなんばっかり。
 
「なんだって今日は俺の仕事に付いてこようなんて思ったんだ?」
「……あ、あの……それは、えっと」
 
 そう言われてしまうと少し困る。
 だって、私は衛宮さんと一緒に出かけたくて誘ったのであって、それ以外の理由なんて元から無かったのだから。
 だけど衛宮さんは、すっかり私が仕事の様子を見学したいのだと信じ込んでいる。
 ……えっと、ど、どうしよう?
 
「……ど、どんな仕事してるのか、実際に見てみたくて……」
 
 結局私は、そんなどうとでも取れるような返答しか出来なかった。
 けど実際、私は学園広域指導員という仕事がどういう物なのか良く知らない。
 知っていると言えば、一番最初に出会った時のような、揉め事の処理のような事をしているといった程度。
 だから、そう言う点で言えば、別にまるっきりの口からでまかせと言うわけでもないのだ。
 
「そっか。まあ、トラブルなんて起こらなければ一番。けど、人がこれだけ沢山いれば、それも仕方無い事なのかも知れないけどな」
 
 こればっかりはな、と衛宮さん。
 確かに、コレだけの人が集まれば、多かれ少なかれトラブルは起きてしまう物だろうと思う。
 特にお祭り期間ともなれば、羽目を外してしまいがちになるので尚更だ。
 
「それにしても、クラスの出し物の方は良かったのか?」
「……あ、それは大丈夫です。……当番は昨日だったから」
 
 ……本当の事を言うと、ゆーなが代わってくれたんだけど。
 私の今日の予定を聞いたゆーなが、率先して代わりにやると言い出してくれたのだ。
 本当にゆーなには感謝してる。
 自分だってお祭りに行きたい筈なのに、嫌な顔一つせずに言い出してくれたんだから。
 ……その後の、朝帰りでもいいよーと言う台詞は正直どうかと思ったけど。
 衛宮さんは私の答えに、そっかと一言返事を返して前を向いた。
 ……考えてみれば。
 私は衛宮さんの事を何も知らないのだ。
 普段は何をしているかとか。
 麻帆良に来る前は何処で何をしていたかとか。
 逆に知っている事と言えば、衛宮さんが麻帆良に来てからの事くらいで、喫茶店の店長をしているとか、広域指導員いるとかそんな程度。こんなのでは衛宮さんの事を知っているとは決して言えないだろう。
 知らないものは知らない。
 それはどうあっても変えられない事なのだ。
 
「……でも」
 
 思わず足を止めて考えてしまう。
 知らないのならばこれから知ればいい。
 聞けば答えてくれるだろう。しかし、それでは駄目なのだと私は思う。
 私自身がこの目で見て、この手で触れて、この心で感じなければ、本当に知った事にはならない。そう思うのだ。
 
「――大河内さん、どうした?」
 
 だから知りたいと願う。
 これまでの彼より、これからの彼を。
 
「……いえ、なんでもありません」
 
 そして、今の彼を。
 
「そうか? じゃあ次はあっちの方に行ってみるか」
「……はい、わかりました」
 
 その声に私は衛宮さんの隣に再び並んだ。
 そうだ、こうしてこれからも隣に並んで歩き続ける事が出来るかどうかは、今日に掛かっている。
 そして――その全てが決まる運命の時までもあと少し。


◆◇―――――――――◇◆
 
 
 時は流れて夕刻。
 私達は商店街を歩いていた。
 いつも通り慣れた道だというのに、お祭りムードですっかりとその様相は変わっていた。
 ただでさえ洋風に整えられた街並みは、より一層幻飾り付けられており、まさに映画のワンシーンのようだ。
 活気は変わらずあるのに何処か幻想的で。夕暮れの、夏を前にした優しい日差しがどこか物悲しささえ感じさせる。
 夜の闇はまだ遠く、道を歩くたくさんの人々の表情も、今日という日はまだまだこれからと言うような疲れを感じさせない面持ちで実に楽しそう。
 そんな風景の中を二人で並んで歩いている。
 なんだか夢のようだ。
 あれから何時間も経ったと言うのに心臓はずっとドキドキしっぱなしで、このまま胸の高鳴りが止まることはないんじゃないかと疑ってしまう程だ。
 けれどそれは、決して嫌な感覚ではなく、どことなく心地良さもともなう感覚。
 トクントクンと。
 胸の中で心が震える度に暖かい気持ちが込み上げてくる。
 この気持ちが嘘なんかじゃないって、そう実感出来る。
 
「だいぶ日も暮れてきたな」
 
 夕焼け独特の日差しを浴びて、濃い黒とオレンジの陰影に染まった衛宮さんがそう呟いた。
 衛宮さんのただでさえ赤みがかった髪が、更にその色合いを増しているのが印象的だ。
 
「――さて、それじゃあそろそろ帰るか」
「……え!?」
 
 衛宮さんの突然の発言に思わず声を出して驚いてしまう。舞い上がっていた気持ちも何処かに吹き飛んだ。
 だって時刻はまだ18時になったばかり。
 日はまだ高いしイベントだってまだまだ尽きそにもない。
 それなのに帰るだなんて。
 
「一応この見回りも当番制だからな。この後は他の先生が引き継いでくれることになってるんだ」
 
 衛宮さんが言葉を付け足した。
 確かに筋の通っている話だろう。
 衛宮さんは最初からそのつもりで来ているのだし、今日の行動もその一貫だったんだろう。
 けれども、私にとっては特別な時間だった。それは間違いない。
 お互いの認識の差は悲しいけど、ある意味仕方のない事なのかもしれない。
 ……だって、私がそう言ったのだ。見回りに連れて行って欲しいと。あの場の勢いもあったとは言え、その言葉を肯定したのは私自身だった。
 伝わっていないから。
 心も、言葉も。
 伝えていないから。
 心も、言葉も。
 だから、そう捉えられても当然なんだ。
 そしてそれが変わることはない。
 ――私が、この想いを伝えない限り。
 
「俺は一旦店に戻るけど、大河内さんは……大河内さん?」
 
 衛宮さんは踵を返して帰ろうとするが、不意に立ち止まり振り返った。
 原因は……私が衛宮さんの服の裾をギュッと握ったからだ。
 足は棒立ちで、顔は地面に向け俯いたまま。
 心臓はこれ以上はないっていうくらいに早鐘を打ち、
 直接触れるのは……恥ずかしいから。
 
「……あ、あの」
「ん?」
「……その……え、衛宮さんは好きな人とかいるんですか?」
 
 心が挫けそうになる。
 別に今日じゃなくても良いじゃないか。
 また今度改めて機会を作れば良いじゃないか。
 そんな風に問題を先送りにしたがる逃げ腰の気持ちが、言い訳作りの甘い免罪符を並べ立てて私の心を引き止める。
 
「……わ、私ッ」
 
 でも。
 それでも。
 私は逃げたくない。
 逃げちゃいけないんだ。
 喉がカラカラで上手く言葉を紡ぐことが出来そうになくても。
 頭に血が上り、視界が狭くなっても。
 緊張のあまり手も足もガクガクと震えても。
 
「……ッ!」
 
 私は下唇をギュッと噛み締めた。
 ――負けちゃいけないんだ。
 逃げ出しそうになる心から。
 怯えてしまう弱さから。
 そんな臆病な弱さより、この胸に広がる暖かい想いが、もっと強いものだって……大切なものだって信じることが出来るなら。
 この気持ちが本当だって……私が私に誇れる為にも、私自身の気持ちから逃げちゃいけないんだッ!
 
 ――――貴方の事が好きです。
 
 無けなしの、それでも私にとってはありったけの勇気を込めて。
 たった11文字に、これまでの人生の全てを込めて。
 今、貴方にこの想いを届けます。
 



[32471] 第61話  the Red
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2014/06/03 21:38
 
「……あ、あの! わ、私……ッ!」
 
 が。
 次の瞬間、それは起こった。
 
『きゃぁぁああああ!!』
 
 耳を突き抜ける女性の悲鳴。
 その声にそちらを振り向いてみれば、建物の一角に立て掛けられていた数十にも及ぶであろう鉄パイプが、何かの拍子で一斉に倒れかけているのだ。
 一本一本の重さも相当な物なのだろう。
 その音はカラカラと言うよりは、むしろゴンゴンと重いものがぶつかり合っている音だ。
 それらが一斉に倒れようものなら、それだけで一大事。
 しかし、それだけならば確かに騒ぎにはなるものの、元に戻してやればすぐに元の喧騒に掻き消されるであろう程度の小事でしかない。
 だが。
 それも。
 音を立てて崩れ落ちていく鉄パイプの束。
 
 ―――その下に、一人の小さな女の子がいなければ、だ。
 
 突然の出来事にその場にいた誰もが時を忘れたかのように立ち尽くしか出来なかった。
 遠巻きに見ている人も、近くにいた人も、出来た事といえば声を発する事だけ。
 いや、遠くにいた人はまだその余裕があったかも知れないが、近くにいた人達はそれすらも出来はしない。
 そして、それは私も同様だった。
 距離にしておよそ10m。
 そんな近くにいたと言うのに、体は全く動かなかない。
 頭の中で、危ないとか、助けなきゃって考えが目まぐるしく動いているのに、それを体が拒絶する。
 後から考えると、これは人間の生存本能によるものだと私は思う。
 身近にある危険に、頭で行動を起こそうと思っていても、体がそこに行こうとするのを拒否しているのだ。
 誰だって、自分が傷つくのは怖いもの。
 その恐怖に、咄嗟の出来事なら尚更判断なんか出来るわけが無い。
 そしてそれは、迫り来る鉄塊の真下で呆然とそれを見上げている少女にとっても同じこと。
 その身に迫る危険に、思考が追いついていない。
 
 だが、そんな中。
 ただ一人の例外があった。
 
 ダンッ、と。
 地面を強く蹴る様な音が私のすぐ横からした。
 そして渦中に飛び込んでいく人影。
 
 ―――衛宮さんだ。
 
 誰もがその光景に目を奪われる。
 降り注ぐ鉄の雨に怯む事なく速度を保ち、小さな女の子の元に辿り着いた衛宮さんは、女の子を抱きかかえると逃げるのは無理だと判断したのかその場で蹲った。
 その決して大きくは無い身体で、女の子を守るようにすっぽりと。
 
 そして。
 轟音。
 鉄の塊が降り注いだ。
 
「……え……みや……さん」
 
 もうもうと立ち昇る土埃を前に、私はぺたりと地面に力なく座り込んでしまっていた。
 全身の力が抜け落ち、目の前の光景に思考が停止している。
 その光景を目の当たりにした誰もが最悪の事態を想像し、動くことも、口を開くことすら出来ず、辺りは痛いほどの静寂に包まれている。
 空気が重い。
 誰もが押し黙り、世界は音を失ったかのように思えた。
 
 だが。
 ガラン、と言う音がした。
 その場の視線が一斉にそちらを向く。
 音はそのまま続き、ガラガラと瓦礫を押し崩すような音が響き渡る。
 そして、
 
「…………ふう。怪我は無いか?」
 
 女の子を抱きかかえた衛宮さんが、鉄パイプの山の中から姿を現した。
 瞬間。
 
 ―――歓声。
 
 割れんばかりの歓声が辺りを包んだ。
 そのどれもが衛宮さんを称えるものばかり。
 鳴り止まない万雷のような拍手。
 そのうち我に返った数人の男の人達が、瓦礫を退けるのに手を貸すと、それを掻き分ける様に一人の女性が現れた。
 おそらくその女の子の母親なのだろう。その女性は女の子を強く抱きしめると、涙を零しながら衛宮さんに、ありがとうありがとうと繰り返していた。
 衛宮さんはそんな女性に苦笑を返すと、女の子の頭をポンポンと優しく撫でて立ち上がった。
 そんな様子に周囲の人々からワッという歓声が再び上がる。
 
 けど。
 
 私は、そんな様子を座り込んだまま呆然と見ていることしか出来なかった。
 周囲のように熱に浮かされるのでもなく、ただ純粋に目の前の光景が理解できなかった。
 駆け寄ることも。
 安堵の息を吐く事も出来ずに、一つの疑問がこびり付いて離れない。
 
(……どうして、間に合うことが出来たの?)
 
 頭に浮かんだのはそれだけ。
 どうしてあの場面から間に合うことが出来たのだろうか。
 あの一瞬で、だ。
 それは物理的な速度ではなく、思考の速度での話。
 衛宮さんのした事は確かに称えられる事だろう。
 その身を顧みず、一人の小さな女の子を窮地から救ったのだ。なるほど、小説やドラマにも出てくるようなその光景は、これ程分かりやすい美談も他に無い。
 
 ……だけど、実際にそれを成そうと思って出来る人がこの世に本当にいるだろうか?
 
 良く考えてみてほしい。
 自身の命を懸ける、その意味を。
 確かにそう言う気概の人はいるだろう、命懸けで誰かを救うと言うのは多くは無いが少なくもない位には聞くこともある。
 結果として、実際にそうなった人も中にはいることだろう。
 だけど、あの場面で実際にそれを行える人がいるのだろうか?
 咄嗟の出来事。
 自分もその渦中にいて、思わず庇ったとかではない。
 目で見て。
 判断して。
 そして駆け出す。
 飛び込んで助けられる可能性は少なくて、自分も助かるような可能性はもっと少ない。
 賭けるものは自分の命で見返りはゼロ。
 考える時間も迷っている時間も無い。
 いや、考えるという事をした時点でもう間に合わない。
 考える時間もなく、命を懸ける決断をしなければならない。
 迷っている時間が無いとはよく使う表現だけど、この場合は本当の意味で時間がゼロ。
 見て、行動に移すまでの時間がゼロ。
 ……それは最早、条件反射でしかない。
 条件反射で命を捨て、動き出していなければ間に合う事の不可能な出来事。
 ……それを成した。
 
 
 
 それはつまり―――最初から……いや、考える以前に、本能として自分の命の捨てているという事に他ならないのではないか?
 
 
 
「…………ッ」
 
 気が付けば私は、地面に座り込んだまま自分の身体を掻き抱いていた。
 ……寒いわけでもないのに身体が小刻みに震えて止まらない。
 カチカチと噛み合わない歯が嫌な音を響かせる。
 
『……ドウシテ震エテイルノ?』
 
 ダメだ。
 それを考えてしまってはダメだ。
 もし、考えてしまったら――
 
 衛宮さんは座り込んでいる私に気が付くと歩み寄って来る。
 その間にも周囲からは賛辞が浴びさせられ、衛宮さんは照れくさそうに頭を掻いていた。
 ……この人達は気が付いていない。どうして気が付かない。目の前で起こった出来事の異常性を。
 
『……ドウシテ異常ダナンテ思ウノ?』
 
 いけない。
 それに気が付いてしまってはいけない。
 もし、気が付いてしまったら私は――
 
 ……私は、人が他人を助ける行為は結局のところ自己満足だと思っている。
 誰かの為になりたい。
 誰かの支えになりたい。
 そう言う考えは確かに崇高だと思うが、そう言った気持ちが生じるのはやっぱり自分がそうする事で気分が良くなる、もしくは気が楽になると言った見返りを求めているからだと私は考えている。
 それを打算だとか、偽善だ何だと言うつもりは全く無い。
 人間は多かれ少なかれ欲を持って生きているんだから。
 
 衛宮さんは私の前に立つと、大丈夫かと声を掛けて来る。
 私はそれに答えることが出来ず、ただ震えたまま顔を上げるのみ。
 
 ……だけど、この目の前の人にはそれが無い。
 見返りを求めないとか、そう言うことを言っているんじゃない。
 
 ―――見返りと言う存在自体をまるで最初から知らないかのように、迷わずに命を捨てた。
 迷い無く命を放棄した。
 
 ……そして、私は遂にその考えに至ってしまう。
 
 
 ―――この人は、本当に人間なんだろうか。
 
 
 
 ―――怖い。ただ、ひたすらに彼が……衛宮さんが怖い。
 本当に迷うことなく命を捨てる事が出来るなんて、そんなの、死にながら生きているのと同じじゃないか。生きる事を知らないのに生きているなんて、人間に出来ることなんだろうか。
 出来るとすれば、それは……人間じゃない、もっと異質な何か。
 これじゃあ、まるで―――。
 
 一度考えてしまうと、もう駄目だった。
 考えは止まらず、身体は更にガタガタと振るえ全身は総毛立ち、涙すら出てくる。
 
「……どうした、立てるか?」
 
 そう言って差し出されるその右手がまるで、
 
『ソウ、ソノ右手ハマルデ』
 
 まるで、
 
 
 ―――人間以外の、恐ろしい化け物の手のように見えて。
 
 
「――――――嫌ァ!!」
 
 
 バシン、と。
 気が付くと私は、差し出されたその手を手の甲で強く払い退けてしまっていた。
 その音は意外なほど高く響き、その強さは思いのほか強く私の手を痺れさせた。
 そして、その衝撃に自分のしてしまった事の重大さを嫌でも思い知らさせる。
 
 ―――私、今……一体何をした?
 
「…………えっと」
 
 衛宮さんは払い退けられた手のやり場に困り、困惑顔で手を握ったり開いたりを繰り返していた。
 そしてその表情が先ほどの、酷くつらそうで、今にも倒れてしまいそうなのを、必死に隠し通そうとしている様な表情と被って見えてしまう。
 必死に取り繕っていた仮面が、私が手を払いのけてしまった事でボロボロと崩れ落ちていくかのように。
 脆く、心が崩れ落ちる。
 まるで、砂の城のように。
 
「―――っ!」
 
 その表情を見て、私はハッと息を呑み、全身の血の気が引くような感覚を味わった。
 ……その表情をさせたのは、この私だ。
 何があったか分からないが、必死に隠していたその表情をもう一度曝け出させてしまったのはこの私だ。
 
「――――――ああ、そっか。うん、そうだよな……やっぱり」
 
 衛宮さんは払われた手を見てそう呟くと、消えてしまいそうなほど儚く笑った。
 ……違う。待って。本当に、今のは違うの。
 私、あんな事するつもりは―――!
 
「……大河内さん」
「……あ、あの。い、今のは……ち、違、」
「今日はありがとう。お陰で色々楽しかった」
 
 弁明にもならない弁明を口にする私を他所に、衛宮さんは一人で語る。
 それは別れの言葉。
 今日と言う日を締めくくる言葉。
 
「……それに、今までも色々と世話になった」
 
 それは別れの言葉。
 永遠の別れの言葉。
 決別の言葉。
 一歩、
 二歩、
 三歩、
 衛宮さんはこちらを向いたまま後ろ歩きで私と距離を取った。
 たった三歩。
 距離にして三メートルにも満たない距離。
 たったそれだけの距離の筈なのに、それが何故か永遠に届かない距離のように感じる。
  
「……あ、あの……衛……宮さん?」
 
 私が何とか声をしぼり出すと、衛宮さんは閉じたり開いたりを繰り返していた手をギュッと強く握り締めた。
 様々な感情を握り潰そうとしているかのように強く、強く。
 様々な感情を押し込めるかのように硬く、硬く。
 
「……全く、こんな事にならないと気が付けないなんて……本当、俺もどうかしていたんだな、きっと」
 
 独り言のように呟く衛宮さんは、どこか自虐的とも思える笑みを零した。
 …………違う。
 この人は化け物なんかじゃない。
 化け物なんかである訳がない。
 だって、こんな、今にも泣き出しそうな表情で笑う人が、化け物なんかである訳ないじゃないか!
 何を考えているんだ私は―――!!
 
「……あ、あのッ」
 
 それでも身体が、本能が拒絶する。
 どんなに感情でそれを否定しようとも、一度感じてしまった恐怖に、身体がすくんで動かない。
 三歩分の距離が縮まらない。
 三歩分の距離が遠すぎる。
 そしてその距離から、もう一度だけ衛宮さんが私を見た。
 感情の篭っていない瞳。
 けれど、その奥に微かだが何かの色があった。
 悲しさ?
 寂しさ?
 諦観?
 未練?
 そのどれもが混ざり合ったかのような色。
 だが、一度、衛宮さんが強く目蓋を閉じ、もう一度開いた時に宿っていたのは―――無色の感情。
 そして、
 
 
 
「―――大河内さん。君はもう、俺に関わらない方が良い」
 
 
 
 その言葉は、鋼のような響きだった。
 硬く。
 冷たく。
 無機質で。
 人間味を感じさせない声。
 
「……っ……ぁ、ぅ」
 
 その声に、一度否定した筈の感情までもが揺り起こされてしまった私は、声を上げる事も出来ず、ガタガタと震える身体を一層抱きしめながら何とか顔を上げた。
 
「…………」
 
 涙でぼやけた視界の向こう側で衛宮さんが私に背を向ける。
 まだ手を伸ばせば何とか届く距離。
 駄目、今このままこの人を行かせてしまったら……。
 
「…………って」
 
 私は込み上げる恐怖心を必死に堪えながら腕を伸ばす。
 出した声は喉が潰れたかのように音になどなってはいない。
 それでも。
 
「……って……!!」
 
 伸ばす。
 言う事を聞かない足を無視して、這いずる様にして右手を必死に前へと伸ばす。
 今を逃してしまってはもう二度と届かなくなる。
 そんなありもしないような強迫観念じみた感情が微かに身体を前へと進ませた。
 お願い。
 待って。
 行かないで。
 そんな声にならない声を身体を前へ進める力に変える。
 私、まだ貴方に言いたい事が……伝えたい事があるの!
 まだ始まってもいないのに終わらせる事なんて出来ない!
 だから。
 
 ―――だから、お願い。神様、どうか私のこの手をあの人の右手に届かせて!
 
 目一杯に、肩も、肘も、指先に至るまで前へと伸ばす。
 あと数センチ。
 それだけで届く。
 
 ―――だけど。
 
「……じゃあな」
 
 指先を掠めるようにその右手が、その背中が遠く離れていく。
 立ち止まる事も、振り返る事も無く離れて行ってしまう。
 
「…………ぁ……ぁあ」
 
 次第に人込みに紛れて行くその背中を、私は手を伸ばしたまま見送る事しか出来ない。
 ただ止まる事のない涙を流し続け、震える体で蹲り、その場から動く事も出来ないままに。
 口から言葉は紡げず、いつからかしゃくり上げる様な嗚咽ばかりが零れ行く。
 ……何を。一体、何をしているんだ私は。
 優しい人を傷つけて。
 差し出された手を払い退け。
 恐怖を感じて震えている。
 そして、あの人が離れて行った事に本能が安堵している。
 
 ―――気が付けば、私は声を出して泣いていた。
 周りの事なんか気にする余裕もなく。
 そんな事をしても時は戻ったりしないのに。
 ……衛宮さんが戻ってくる事はないのに。
 悲しいのか。
 悔しいのか。
 寂しいのか。
 情けないのか。
 ……それとも怖いのか。
 ごちゃ混ぜの感情に任せ、ただただ泣き叫ぶ。
 座ったまま立ち上がる勇気もない、臆病者の私。
 
 
「―――最低だ、私」 
 
 
 ……そして私は、初めての恋がもう叶わない物なのだと知ったのだった。
  
 
 
 たった三歩。
 届きそうで届かないその距離は。
 私の指先をすり抜けて。
 決して届く事の無い距離に成り果てた。
 

























 麻帆良の学園祭に夜はない。
 そう言われれば思わず納得してしまえるほど、深夜だと言うのに学園都市全体は色鮮やかなイルミネーションに彩られ、闇を打ち消すかのような光に溢れていた。
 
 ―――しかし。
 
 ここに、夜の帳に潜むような人影がある。
 夜に紛れるのではなく、闇に溶け込むかのように立つ数人の人影。
 それらの一つが口を開いた。
 
「ハカセ、準備は整ているカ?」
「―――はい、現在稼働率76%。明日、12時までには全機稼動状態となります」
「……ウム。本来なら、ネギ坊主は全てが終わるまで閉じ込めておく予定だたのだガ……」
「仕方ないですよ。経緯を聞いてみれば『彼』の言う事ももっともですし……止むを得なかったとは言え、やはりネギ先生にカシオペアを預けたままなのは失敗でしたね」
「起動実験は多くの魔力を持つネギ坊主にしか出来なかたからネ。まあ、コレくらいの誤差は必要経費として割り切ておくとするヨ」
「……超」
「ん? どうかしたカ、茶々丸?」
「あの……本当に『彼』もこちらに味方をすると?」
「勿論ネ、本人からの申し出だから間違いはないヨ。私としては今回のような状況で、この上ない戦力の上乗せが出来て助かるんだガ……ソレがどうかしたか?」
「……いえ。何でも……ありません」
 
 そう言って、一つの影は首を横に振った。
 その様子は、何でもないと言いつつ、どうしても納得しがたい何かを秘めているようだった。
 
「―――茶々丸、ソレは貴様が心配する事ではないぞ」
 
 と、そこに新たな人影が現れる。
 闇を体現したかのような圧倒的な気配を持つそれは、

「……ああ、アナタカ。今回は本当に感謝しているヨ、優秀な人材を貸してくれて」
「ふん、茶々丸は貸してやる、壊すなよ」
 
 そう言って黄金の髪を持つ少女は不敵に笑って見せた。
 しかし其れも束の間。
 次の瞬間には苦味を噛み締めたような表情をして背後を振り返ってみせた。

「……しかし、お前は本当にコレで良かったのか?」
 
 少女は暗闇の先を見据え、心配そうな声色で問いかけた。
 そこには何も存在しない。
 ただ、闇があるだけだ。
 ……いや。
 闇の先から足音が鳴り響く。
 硬質に響くコツコツという足音。
 その足音の主は少女を目指しているようだった。
 
「―――ああ、そうじゃなきゃ意味がない」
 
 少女の声に答えたのは少年の硬い声。
 まるで鉄を思わせるかのように硬質な声だった。
 
「……っ。しかし、それならば何もこのような回りくどい手段を選ばなくても――っ! そうだ、お前はただ私に『やれ』と命じれば良いのだ、そうすれば私はお前の―――」
「頼む」
 
 硬質な声の主が少女の言葉を遮った。
 少女はその声を耳にすると、言葉の続きを紡ぐ事ができなくなり押し黙る。
 
「―――頼むよ。こうしなければきっと何もかもが駄目になる。意味がなくなってしまう。それだけはどうしても嫌なんだ……だから……」
「…………分かったよ。お前がそこまで言うのであれば……」
 
 少女はその言葉にうなずく事しか出来なかった。
 そもそもコレは既に散々話し合った結果だった。
 どんなに説得しようと決して変わる事がなかった意思を、ココに来て変えさせる事など出来るわけがなかったのだ。
 ―――けれど。
 
「……話は終わったかナ? そろそろ時間ネ、出る事にしよウ」
「―――ああ、分かった」
「では行こうカ。……未来を作る為ニ」

 その声を皮切りに、人影が一つ、また一つと黄金の少女の横を通り抜け闇に消えて行く。
 少女はそれを振り返る事無く見送った。
 そうして、最後の一人―――少年が横を通り抜けた時だった。
 
「……最後にもう一度だけ問うぞ。今ならばまだ戻れる。それでもお前は行くのか?」
「…………」
 
 その声に少年は足を止めた。
 そして数瞬の間、周囲には静けさだけがあった。
 互いに振り返る事も無く。
 互いに顔を合わせる事も無く。
 ただ、背中合わせの姿勢のままで。
 
「―――それは違う」
 
 少年はただ一言、そう言うと再び歩き出した。
 迷う事無く。
 ただひたすら真っ直ぐに。
 悲壮なほどの愚直さで。
 
「…………」
 
 少女には、それ以上かけるべき言葉など残ってはいない。
 唯一出来る事といえば、少年が自分に願った事を成すだけ。
 それだけだった。
 少年は歩みを止めず、再び闇に解けて行く。
 その寸前。

 ―――風が吹いた。
 
 まるで、嵐の前触れのようなその風は思いの他強く、少女の金の髪を靡かせ―――そして、
 
 
 
「……もう、戻れない所まで来ちまってるんだ」
 
 
 
 ―――赤い外套が、風に舞ったのだった。




[32471] 第62話  Pike and Shield
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2014/11/19 21:52
「―――宣戦布告じゃ」
 
 それは突然の事だった。
 学園長室に集められた私達を前にして、学園長がなんの前置きもなくそう告げたのだ。
 ―――事の発端は少し時を遡る。
 学園祭最終日、私は、お嬢様、明日菜さん、ネギ先生の4人で連れ立って行動をしていた。
 多少のトラブルはあるものの、至って平穏であり危険を感じるようなものでは無かった事から、今年も無事に終わりそうだと安堵していた時の事だった。
 突如としてネギ先生の携帯電話が鳴る。
 そして耳を疑った。
 その話の内容は緊急招集。
 それも学園内にいる魔法先生、生徒問わず全てという異例のものだ。
 電話では詳細な内容は知らされず、とにかく急いで学園長室に集合との事。
 そんな余りにも不明瞭な連絡に互いに顔を見合わせ、首を傾げながらも学園長室の重い扉を開き、そんな到着したばかりの私達を待っていたのが先の言葉だった。
 
「……せ、刹那さん、これ、どういう事?」
 
 そんな状況に着いて行けず、明日菜さんが小声で尋ねてくる。
 傍らを見ると、お嬢様も同じような心境らしく、戸惑いの表情をされていた。
 
「……私にも分かりません。恐らくこれから説明がされるのでしょうが……」
 
 明日菜さんとそんな会話をしながら事の成り行きを見守っていると、一人の先生が声を上げた。

「が、学園長……宣戦布告とは一体?」
 
 集まった多くの魔法関係者達がどよめく中、一人の先生の声……ガンドルフィーニ先生だ。
 その疑問はここにいる誰もが感じている事だろう。
 いきなり呼びつけられ、宣戦布告だと言われた所で理解できる訳が無い。
 
「……うむ。ワシも突然の事で驚いているんじゃが……まあ、これを見てもらった方が早いかの」
 
 学園長はそう言うと、机に備え付けられていたモニターをこちらに向けた。
 すると、
 
『―――ヤア、魔法使いの諸君。学園祭は楽しんでいるかナ? 見知ている者も多イとは思うガ自己紹介をして置こウ。―――私の名前は超鈴音』
 
 そこに映し出されたのは超鈴音……見知ったクラスメイトの姿だった。
 
「チャオさんッ!?」
  
 その姿を見たネギ先生は驚きの声を上げる。
 私自身も勿論驚いているが、それでも心のどこかで妙に納得もしていた。
 それと言うのも、今ネギ先生がスーツの内側にしまっている、とある懐中時計によるものだ。
 その懐中時計は、学園祭の前日に魔法使い達の会合を覗き見していたらしいチャオが、それを見つかった魔法先生に追われていた際、それを助けたネギ先生にお礼という形で渡された物。
 しかし、この懐中時計が私の猜疑心を生んだ。
 
 ―――この時計は時の流れを操れる。
 
 正直、自分で言っておいてなんだが、荒唐無稽で到底信じられないような与太話にしか聞こえない。
 だが、私は信じるしかなかった。
 いや、信じざるを得なかったと言うべきか。……実際にこの身でその荒唐無稽を体験してしまったのだから。
 切欠は些細な出来事。
 学園祭の初日、前日の徹夜で疲れていたネギ先生の仮眠の付き添いとして、保健室で休んでいた時の事だった。
 本来ならば30分で起こす筈だったのだが、不覚にも私も寝入ってしまい、気がついた時には数時間も経過した後だった。
 その日に色々な予定が詰まっていたネギ先生は大いに慌てたのだが、次の瞬間―――それは起こった。
 
 グルン、と。
 
 まるで、世界が自分の足元を中心に回ったような、なんとも表現の出来ない感覚を味わうと、時間が学園祭の朝まで遡っていたのだった。
 時を操る魔法など、古今東西、どんな魔法使いのも不可能と言われている所業。
 そんな凄まじい事を可能にする代物を、何故超鈴音のような学生が作る事が出来るのか。
 そして、何故それをネギ先生に渡したのか。
 私の中で疑問がいくつも生まれていった。
 更に言うならば、武道会の出来事もそうだ。
 主催者である超鈴音は、開会式のスピーチで魔法を公言するかのような発言をしたのだ。
 それは、魔法は秘匿するべしと言う魔法使い達に対する挑戦状とも言える内容だ。
 しかし、その場は大会の規模、すでに大勢の人間に告知された大会で、急遽大会を中止させる事が出来ない状況であるといった事から、その場に居た士郎さんと高畑先生の判断で様子を伺うと言った判断が下された。
 そのような出来事を重ねれば、彼女に対する不信感はそうそう拭い去れるものでは無くなっていたのだ。
 
『私には常日頃カラ考えている事があるネ。それは君達魔法使いの在り方ヨ。君達は何故世の中から隠れようとしているのカ? 君達だて世間に認知されていればもと多くの人の力に

なれると思た事があるのではないか?』
 
 画面の中の超鈴音が朗々と歌い上げるように言葉を紡ぐ。

『態々人の目を気にして思うままにその力を行使できたら、もっと様々な場面で人々の力になれるのにト……そんな事を少なからず考えた事がある者は少なくないと思ウ。―――私は、君達がもと動きやすい世界にしたい。もと君達が力を振るえるようにしたい』
 
 そして告げた。
 
『故に私は―――世界に対して魔法の存在を公表する』
「な、なに!?」
 
 それを聞いたガンドルフィーニ先生が声を上げる。
 それはそうだろう。
 世界に対して魔法の存在を公表などすれば、世界はたやすく混乱する。
 そんな事を実行しようとする、超の発言の意味が分かるからこその驚きに違いない。
 
『無論、君達だて容易に頷ける内容ではない事は理解している。―――だが、私もこの考えを曲げようとは思わないネ。故に私は君達、魔法使い諸君に対して宣戦を布告する! 本日18時、私達は機動歩兵兵器約2500にて侵攻を開始。世界樹を占拠し、全世界に対して強制認識魔法を展開する! ……一応、兵器等には一般人に対して危害を加えないようプロテクトはかけているガ、無理矢理その行動を制限された場合はその限りではなイ。なので、一般生徒達には非難させる事を強くおススメするネ。勿論、進軍を阻止する魔法使い諸君に対しては一切の加減をしないのでそのつもりデ。……なに、慣れてしまえば意外と暮らし易い世界かも知れないヨ? では諸君―――変わった世界の後で会おウ。……再見』
 
 ブツッと。
 そこで映像が途切れた。
 
「……と、まあ、以上のような顛末じゃ。知っておる者もおるじゃろうが、超鈴音はあの絡繰茶々丸の製作者でもあり、魔法とも浅くはない関係を持っておる事を踏まえると、こちら側の情報はほぼ全て握られていると考えたほうがいいじゃろう」
「が、学園長、よろしいでしょうか?」
「ん? どうしたんじゃネギ君」
「……あの、全世界に対する強制認識魔法なんて可能なのでしょうか?」
「……ふむ、確かに世界樹の魔力を利用すれば不可能ではないかもしれんが、それが全世界相手ともなると、恐らくかなり効力も弱まってしまうじゃろうな。せいぜい『魔法はあるかもしれない』、もしくは『魔法があったら良いな』程度の認識程度にしかならんじゃろう」
「な、なら万が一強制認識魔法が発動してしまっても実害はないんじゃ?」
「……それがのう……今回ばかりは別なんじゃよ」
「別……って言いますと?」
「うむ。確かに通常ならば大した実害にはならんかったろう。じゃが、今回は例の武道会の試合の様子がインターネット上で話題になっているんじゃよ……あれは魔法なんじゃないか、との。超鈴音は周到じゃった、彼女はほぼ間違いなく今回の事を見据えてあの大会を催したのじゃろう。所謂、魔法を受け入れるための受け皿を植え付けられたのじゃ」
「……そ、それじゃあ」
「……うむ、今の状態で強制認識魔法が展開されれば、爆発的な勢いで魔法を現実のものとして受け入れ始めるじゃろうて……」
「そ、そんな……」
 
 学園長のその言葉にネギ先生は俯いてしまう。
 ネギ先生の心中を察すれば無理もない。
 今まで生徒として教えていた相手が敵になってしまったのだから。
 学園長はそんなネギ先生を見て、微かに目尻を下げ、同情の篭った溜息を吐いた。
 しかし、すぐに気を取り直したように私達に視線を向けた。
 
「今聞いてもらった通り、自体は深刻じゃ。魔法が世界に広まりなどしても混乱を招くだけじゃ、安定している状態を徒に崩すような真似は断固阻止せねばならん。現在の時刻は8時……幸いまだ時間はある。超鈴音は18時と言っていたが、何も我々がそれに付き合わねばならん義理はないでのう」
 
 それはそうだ。
 18時と言うのは向こうが勝手に指定してきているだけで、我々がその言いなりになる必要性は全くないのだ。
 
「皆には至急、超鈴音の身柄を確保してもらいたい。今ここにいない者達には、既に警戒、及び超鈴音の追跡をしてもらっておる。諸君等には彼等と連携を図り、一刻も早い事態の収拾に努めて貰いたい。―――以上、解散!」
『―――はいっ!』
 
 学園長の声を皮切りに、魔法使い達は皆駆け足で行動へと移って行くと、最後に私達だけが残された。
 そうか、そう言えば士郎さんや高畑先生の姿が見えないと思ったら既に出ているのか。
 だとすれば私達もすぐに行動に移らねば……。
 
「な、なんか大変な事になっちゃったわね……刹那さん、どうしよ?」
「……そうですね。まずは先行しているであろう士郎さんと合流をしましょう。何かしらの情報を得ているかもしれませんし……ネギ先生もそれでよろしいですか?」
「……え? ―――あ、は、はい! そうですね、先ずは衛宮さんかタカミチと合流しましょう!」
 
 私の問いに対して、幾分か遅れて反応を示すネギ先生。
 ……やはり、教え子の中からこういった事件を引き起こす者が現れたのは、相当にショックなのだろう。
 これは私が話を進めるしかないか……。
 
「ほな、ウチがシロ兄やんに電話してみるな?」
「ええ、お願いします」
 
 お嬢様はそう言うと、早速携帯電話を取り出して操作すると、耳に押し当てた。
 そうして数瞬。
 
「…………あや?」
 
 お嬢様が携帯電話から耳を離し、不思議そうな顔で画面を見た。
 
「どうかされましたか?」
「うん、なんや、シロ兄やんの携帯に電話したら、電源が入っていない~って……」
「―――ああ、成るほど。申し訳ありません、考えが至りませんでした。恐らく士郎さんは超鈴音を追跡の為、電話の電源を切っているのでしょう」
 
 考えてみればそれは当たり前の行為だ。
 追跡中に電話が鳴ってしまうような事があれば、自ら自分の場所を知らせている事になるし、そうでなくとも、最近ではGPSで相手の所在が簡単に分かってしまうような事もある。そのような物を士郎さんが身に付けている筈がないのだ。
 
「ええ~、そうなん? ほな、どないしよ? ウチ等だけで行くん?」
「そうですね……仕方ありません。連絡の取りようがない以上どうする事も出来ませんし、私達だけで動く事にしましょう」
「それもそうね。それじゃあ行きましょうか、ネギ。……ネギ?」
 
 明日菜さんがそう問いかけてもネギ先生の反応がない。
 それに違和感を覚えてそちらを見てみると、ネギ先生は俯いていた。
 そしてポツリと。
 
「……僕が間違っていたんでしょうか」
 
 そんな言葉を漏らした。
 
「え? ちょっとネギ、何言ってんのよ?」
「僕があの時……ガンドルフィーニ先生に追われていた超さんを助けたりしなければ、今みたいな事になっていなかったんでしょうか?」
「ちょ……ち、違うわよネギ! あの時は、」
「―――何も違ったり何かしません! だって、僕があの時、超さんをガンドルフィーニ先生に引き渡していれば今回みたいな事は起こらなかったんですよッ!?」
「ネギ……」
 
 ―――ネギ先生が叫んだ。それも姉のような存在の明日菜さんに向かって。
 ポロポロと涙を零し、しゃくり上げながらも懸命に。
 ……そうだ、いつも確りしているのでつい忘れがちになってしまうが、彼はまだ10歳の子供なのだ。今回のような事は、本来ならまだ親の庇護下にあるような少年に背負わせて良い様な重責じゃない。今のようにネギ先生が感情を溢れさせても仕方のない事なのだ。
 
「……僕が余計な事をしてしまったせいでこんな大変な事になってしまうんなら、僕っ、何もしなかった方が良かったんじゃないですか!?」
「ネギッ!!」
 
 ネギ先生が叫んだ瞬間だった。
 明日菜さんが両方の手でネギ先生の頬を挟むように、力一杯ではなく、それでも決して弱くもない力で叩いた。
 そうして明日菜さんはネギ先生の顔を覗き込むようにして顔を近づけると、瞳を覗き込んで言った。
 
「―――いい事ネギ、良く聞きなさい」
「ア、アスナさん」
「確かにアンタは確かに頭が良いかも知れない。子供にしては色々出来るのかもしれない。その上魔法使いで、人一倍出来ることが多いのかもしれない。……だからってね、何でもかんでも出来る超人じゃないの。ただ一人の人間、それも10歳のガキんちょなのよ? だから間違って当たり前。それこそシロ兄だって、もちろん高畑先生だって間違う事があるに決まってるわ。でもね、それが当たり前なのよ。私達は間違えているのかも知れない、他のやり方があったかも知れない。でも、間違えるのが怖いからって何も選ばないでなんていられない。なら、私たちに出来る事は、一つ一つの出来事に対してその場で出来る最善尽くすことでしょ? ……確かにあの時のアンタの行動は結果として間違ってたのかもしれない。でもね、あの時アンタが取った行動を私は間違ってると思わなかった。……アンタだって、あの時はああするのが一番だって思ってたからそうしたんでしょッ!? だったら自分に胸を張りなさい、じゃないとあの時のアンタに笑われるわよッ!」
「……アスナさん」
 
 ―――それはとても真っ直ぐで。
 それでいてどこまでも情熱的な言葉だった。
 間違っていようとも常に最善を尽くし、決して立ち止まるな、じゃないと過去の自分に笑われる……か、その言葉は私としても耳に痛い言葉だ。
 知らず、私は苦笑を零していた。
 本当、明日菜さんは凄いお方だ。物事の真理を直感で見抜く力が異様に高い。それでいて明日菜さんの言葉には力がある。その言葉に私も何度救われた事か。
 ネギ先生はそんな明日菜さんをポカーンとした表情でしばらく眺めていたが、次第にその瞳には力が篭っていくのが伺えた。
 それを見た明日菜さんは満足そうに頷き、手を離した。
 
「―――よしッ!」
 
 バシンバシンと二回。
 今度はネギ先生自ら、自分の頬を気合を入れ直すようにして両手で叩いた。
 そうして再び前を向いた顔には、もう迷いは浮かんでいなかった。
 
「ありがとうございます、アスナさん。そうですよね、生徒が間違った事をしてるなら、それを正しい方向へ導くのも先生の役目でですもんね。その先生が迷ってたりしたらいけませんよね」
「そう言う事よネギ”先生”」
 
 明日菜さんがおどける様にして先生と呼んだ。
 それにネギ先生は少しだけ笑うと私達に振り返った。
 
「行きましょう、皆さん! まず超さんを探し出さなければ何も始まりません!」
「うん、ほな、頑張ろうな」
 
 そう言ってネギ先生は走り出した。
 それを眺めていた明日菜さんは私の横に並ぶと、やれやれと言ったように肩を竦める。
 
「全く、子供って現金なもんねー。さっきまであんなに落ち込んでたのに簡単に元気になるんだもの」
「気持ちの切り替えが早いのは良い事ですよ。それにしても……ふふ」
「ん? どうしたの、刹那さん」
「ああ、いえ、やはりお二人は仲が良いのだな、と思いまして」
「え? …………あっ、ち、違うわよ!? い、今のはネギの奴があんまりにもグズグズしてるから、思わず言っちゃったって言うか!」
「いえ、先ほどの明日菜さんの言葉は至言でした。本当に相手の事を思いやっていない限り到底出ない言葉だと思います。まるで本当の姉のようでしたよ?」
「……う、うぅ~……、刹那さん、最近なんかイジワルよね? シロ兄の影響でも受けた?」
「……士郎さんの、ですか? いえ、自分では良く分からないのですが……そもそも士郎さんの影響を受けたとしたら、意地悪になると言うのは無いのでは?」
「あ、刹那さん。それはシロ兄を買い被り過ぎよ。シロ兄ってね、ああ見えて結構私の事おちょくるんだから」
「……ああ、なるほど」
 
 それはどちらか言えば意地悪をしているのではなく、士郎さん流の親愛の表れ方なのだろう。
 士郎さんは基本的に他人の迷惑になるような事はしない。恐らくそう心掛けているのも大きいのだろうが、元来の性格としてそういう事が出来ないのだろう。
 それでもそのような行為に出るとすれば、多少なりとも心を許している証だ。
 分かりやすい例で言えば、士郎さんが良くエヴァンジェリンさんをからかっているのがそうだろう。
 けれども互いに不快になるような事はしないし、それが原因で問題になるような事もない。
 それを考えれば、明日菜さんも口で言うほど気になどしていないのだろう。
 その証拠に、そう言っている明日菜さんの表情は穏やかだ。
 
「ん? 刹那さん、何がなるほどなの?」
「いえ、こちらの話です。それより行きましょう、お嬢様達がお待ちになっています」
「え? あ、うん、そうね。……あれ? 私なんか誤魔化されてない?」
 
 いえいえ、きっと気のせいですよ? 私の場合は心の底からそう思っているのであって、決してからかってなどいないのですから。……多分。
 
「―――せっちゃ~ん、アスナ~、行くえ~」
 
 っと、いけない。
 この非常時に私も気が抜けている。いつまでも談笑などしていられる状況ではないのだ。
 ……けれど、私はこの騒ぎが直ぐに収まるものだと、半ば確信に近いものを持っていた。
 何故かなどと、今更言うまでもない。

 ―――だって、こちらにはあの衛宮士郎がいるのだから。
 
「あ、そうそう。そう言えば刹那さん、見てよコレ」
 
 私達に割り振られた警戒地域へと向かう道すがら、明日菜さんが唐突にそう言った。
 
「―――来たれ(アデアット)」
 
 そうしてそう唱えると、光の粒子が結合し、一つの形状がその手の中に現れる。
 周囲からは丸見えだったが、このお祭り騒ぎだ、手品か催し物の一つとして見られて終わりだろう。
 
「……それはあの時の剣……自在に出せるようになったのですか?」
 
 現れたのは一振りの大きな剣だった。明日菜さんの身の丈ほどあるその剣は、武道大会中に明日菜さんが取り出したものだ。しかし、大会自体は刃物が使用禁止だった為、それが原因で明日菜さんは失格になってしまったという経緯がある。
 元々はハリセン型だった明日菜さんのアーティファクトが変化した結果だと思うが、少なくとも大会が終わった後も自由自在に取り出せるような事は無かった筈だ。
 
「うん、私もさっき出して見てびっくりしたんだけど、なんかこっちの方がしっくり来るのよ。でね? 私思ったんだけど、もしかしたらこっちの方が元々の形なんじゃないかなーっ

て」
「その剣がですか?」
「そ、別に私自身根拠がある訳じゃないんだけど、なんとなくそんな気がするのよね」
「……なるほど」
 
 確かにそれは考えられる事だ。
 私も詳しくは無いのだが、アーティファクトと言う物は己自身から生み出される物だ。それが明日菜さんの成長に合わせて本来の姿に変化したとしても不思議ではないだろう。
 
「それにほら……ここ、見てみて?」
 
 明日菜さんが刀身の中心部分をコンコンと叩いて見せる。
 はて? 一見何も不思議な所は無いが……。
 
「この部分ですか? 別に変わった事は……いや、これはもしや……」
「あ、やっぱり分かった? これって……やっぱり”アレ”よね?」
「え、ええ……恐らくですが。しかしこのような部分にも影響が出るとは……驚きです。アーティファクトとは奥が深いのですね……」
「私もまさかとは思ったんだけどね~。でも、これはこれでやりやすいと思うし……良いのかな?」
 
 明日菜さんはそうやって言うと照れくさそうに笑った。
 しかし驚いた。先程は明日菜さんの成長に合わせて剣が本来の姿に戻ったと考えていたが、よもやこのような事になるとは……予想外、いや想定外といった所か。
 やれやれ、明日菜さんには本当に驚かせられてばかりだ。
 
「でもさ刹那さん、今回の事、なんかおかしいと思わない?」
 
 『去れ(アベアット)』と唱えながら、明日菜さんが呟いた。
 
「おかしい……と、申しますと?」
「うん、ほら、超さんって滅茶苦茶頭良いじゃない? それこそ麻帆良の最強頭脳って呼ばれてるくらい。そんな子がさ、なんで私達に態々知らせてから悪さをするようにしたんだろ? 超さんなら私達には分からない所で全部終わらせる事だって出来たんじゃないかな?」
「……それは」
 
 言われてみれば、確かにそうだ。
 彼女の能力の高さは折り紙つきだ。そんな彼女であれば、わざわざこちらに情報を寄こしたりせず、人知れず全てを終わらせるように策謀を巡らす事だって可能だろう。
 むしろ情報をこちらに開示する事によって得られるメリット、デメリットで考えれば、明らかにデメリットの部分しか目立たない。どう考えても超鈴音の利益になるような理由が思い当たらないのだ。
 
「……つまり明日菜さんは、先程の超の宣戦布告自体が何らかの策略の一つではないかと考えておいでなのですか?」
「あ、いや、そこまで深く考えてた訳じゃないけど……たださっき話し聞いてて、変な違和感みたいなの感じただけなの。なんか釈然としないなあって。うーん、上手く表現できないなあ……ああ、もうッ! こう言う事考えるのはシロ兄の役目なのに……ホント、何処にいるんだろ」
「……いえ、明日菜さんのご指摘、士郎さんのご判断を仰がなくとも、かなり有力なのではないかと思われます。もしかすると的を得ているのかも知れません。今、学園長に連絡をして注意喚起を―――」
 
 私はスカートの中に入った携帯電話を取り出すと、すぐさま学園長へとかけようとボタンを操作した。
 
「――その必要は無いネ、刹那さん」
 
 しかし、すぐ背後から聞こえたそんな声に、すぐさま振り返った。
 そうして向けた視線の先に居たのは、近未来的と言っても差し支えのないような服に身を包んだ、超鈴音が不敵な笑みを浮かべて立っていたのだった。
 
「超鈴音ッ!」
「……やれやれ、そんなに大声で怒鳴らなくても聞こえているヨ、刹那サン。折角人払いも済んでいると言うのニ」
 
 いつもの飄々とした態度のまま、パタパタと手を振る。表情や仕草にこれといった緊張は見受けられず、いつもの教室にいるような自然体そのもの。
 言われて初めて気がついたが確かにいつの間にか周囲の人影はひとり残らず消えていた。
 しかし、私はそれ所ではなかった。中腰のままいつでも動けるような体制を取る。いくら気を抜いていたとは言え、こんな近距離まで接近されても声を掛けられるまで気が付かなかったのだ。
 不快と表現するよりも不可解。得体がしれない。それが正直な感想だった。
 しかし、ネギ先生はその使命感の高さに突き動かされたのか、一歩前に踏み出しながら叫んだ。
 
「チャ、超さん! 探しましたよ、一体今まで何処に……」
「まあまあ。そんなに焦っても良い事は何もないヨ、ネギ坊主。今日はこれを届けに来ただけネ」
 
 超はそう言うと、一枚の紙切れをピンッと指先で軽い仕草で放った。
 その紙切れはヒラヒラと風に乗り、ネギ先生の手の中にスッポリと収る。
 
「こ、これは……」
 
 ネギ先生がそ紙の表紙を見て思わずと言ったように呟いた。
 その紙には、大きな文字で『退学届』と書かれている。
 
「私もこんな事をしでかしておいてただでおこうとは思わないネ。マ、この程度で取れるか分からないガ、私なりのケジメだとでも考えてくれればイイヨ」
「そ、そんな……このような事で……い、いえっ、チャオさん! それよりもまず話を……一体どうしてこんな事をするんですか!?」
「そうよ! 私たちクラスメイトでしょ!? ちょっと位相談してくれてもいいいじゃない!」
 
 ネギ先生の言葉に合わせるように明日菜さんが叫んだ。
 しかし、超鈴音はその言葉に首をかしげた。
 
「どういう事も何も……そのままノ意味ネ。ネギ坊主もあのメッセージを見たのだロウ?」
「だからこそ言っているんです! 宣戦布告なんて何の意味があるんですかッ!」
「それもあのメッセージで伝えたと思うがネ……それでもあえて答えるとするならば――君達、魔法使いの心を折る為とでも言ってけいいのかナ」
「……ぼ、僕達の心を折る?」
 
 超の言葉の意味が分からなかったのだろう、ネギ先生は動揺を表したかのように狼狽えた。
 
「その通り。もし私が君達の不意を突き、見えないところで世界に魔法を広めたら、結果はどうあれ君達は間違いなくその結末に異議を唱え、なんとかしようと足掻くのは目に見えているネ」
 
 それは……確かにその通りだろう。納得いく、いかないを抜きにしてしても、その結果が間違ったものであると信じている限り、私達は決して諦めたりはしないだろう。
 超はそんな私の考えを見抜いたのか、ネギ先生から視線をずらし、私の方を向くとニヤリとその口角を持ち上げ、
 
「――だから、そんな考えすら浮かばないように、徹底的に叩き潰すことにしたネ」
「なッ!?」
 
 思わず絶句する。
 目の前の少女は、この麻帆良学園に存在する全ての魔法関係者に正面から戦いを望み、勝利すると宣言したのだ。しかも、ただの勝利ではない。圧倒的な勝利をだ。
 確かに私は超の戦力がどの程度なのか正確に把握しているわけではないが、その自信は些か過剰が過ぎるという物ではないだろうかと思う。
 ハッキリ言って、この麻帆良学園の保持する戦力は生半可な物ではない。
 その長である学園長を筆頭に、士郎さん、高畑先生といった文字通りの一騎当千を可能とする実力者を擁しており、それ以外の人物も相当高いレベルの能力を持った人達ばかりだ。
 それ等を全て向こうに回して圧倒するだと?
 疑問よりも先に驚きの方が思考を占めた。
 
「……戯言を。そのような事が本当に可能だとでも思っているのか」
「その質問に私は逆に問いたイ。――本当に不可能だと思ているのカ?」
「――――」
「…………」
 
 ピン、と空気が張り詰める。
 膨らみ過ぎた風船が、何かの拍子で破れる直前のような緊張感の中。
 
「……フッ」
 
 超鈴音は瞑目してから鼻を鳴らしてその緊張感を取り去った。
 
「さっきも言ったように今日はその退学届けを出しに来ただけネ。全ては明日決まる事、そう急く事も無いヨ、刹那サン」
「私たちが……いや、私がそのような戯れに付き合うと思うか。この場で貴様を取り押さえれば全て済むことだろう」
「力尽くという事カ? いやはや、刹那さんは随分と怖い人のようネ。――まあ、それも出来ればの話だがネ。私は予め宣言しておくとしよウ。……『貴女』では無理ヨ」
「……抜かせ」
 
 ……行けるはずだ。
 超は確か古菲と同じく中国拳法の使い手。その実力も同程度か若干劣る程度だった筈だ。確かに油断はできないが、決して不可能ではない。
 
「…………」
 
 足の裏に『気』を集め、いつでも瞬動で近づく事が出来るように備える。
 目の前の超は、相変わらず一切気負うこともせず、ただ愉快気にこちらを伺うばかり。構えもしなければ、何かをしでかす様子もない。
 私はその様子をただただ観察する。
 仕掛ける隙を探るどころじゃない。……隙だらけだ。
 こうまであからさまだと、逆に罠なのではないか疑ってしまうほどだ。
 
(しかし、罠だとしても行かないわけにはいかないか……)
 
 予測のできない出方を伺っていても仕方がない。たとえ罠があったとしても喰い破るまでだ。
 超の肩がその呼吸に合わせて上下する。
 吸って。
 吐いて。
 吸って。
 吐いて。
 吸っ、
 
「――ッ!」
 
 今ッ!
 足の裏に集めていた『気』を爆発させ、一気に超の懐へと飛び込み、刀の鞘から居合の要領で逆刃に薙ぐ。
 その結果を確認するまでもなく私は確信した。
 ――捉えた!
 速度の乗った剣先は、超のがら空きの胴体へと――。
 
「――――ほらネ。だから無理だと言たヨ」
 
 その声は背後から。
 
「え、嘘……いつの間に動いたのよ……」
「うち、全然見えへんかった……」
「ぼ、僕にも見えませんでしたよ……」
 
 捉えたと確信した筈の剣先は何もない空間を切り、音や気配すら置き去りにした超の幻影のみを切り裂いた。
 
「――馬鹿な」
 
 意識もせずにその言葉が零れた。
 あの間合い、タイミング、速度。どれを取ってもあの状態からかわせる様な物ではなかったはずだ。いや、例えかわせたとしても私だって決して油断していたわけではない。反撃を予期していたのだ、背後まで取られるような失態はなかった。
 それなのにいともたやすく……。
 
「このまま大人しく帰してくれないかナ? 私は別に今やり合うつもりはないのヨ」
「……それこそ戯言だ。何故この場で貴様を見逃さなければならない」
 
 そう言葉を返すものの、内心で私は焦っていた。
 今目の前で見せつけられた事実として、超は私の想像を遥かに超えた実力を持っていた。いや、実力ではなく、そういった能力なのかもしれないがどちらにしろ同じ事だ。
 ……私だけでは押さえきれない。
 どうする? ネギ先生やアスナさんに助力を願うか?
 ……いや、ダメだ。もしも三人掛かりでも超に上回られた場合、お嬢様に危険が及んでしまう。
 だからと言ってこの場で見逃して再び補足出来る保証などない。そうなってしまったら、それこそ超の思う壺。明日には数千の機動歩兵兵器が攻めてくるに違いない。
 ……っく! 選べる選択肢が少ない! せめてもう一人実力者がこの場にいてくれれば!
 
「――刹那くん!」
 
 そんな時、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
 それと同時に、すぐ側に一つの人影が降り立った。
 
「た、高畑先生!」
 
 アスナさんがその名を叫んだ。
 ……助かった。正直に言うと、私はその時安堵した。今の状況では考えられる限り、ほぼ最高クラスの助っ人が来てくれたのだ。
 高畑先生はその声に微笑みを向けてから、超の方へと視線を移した。
 
「……やあ、超くん」
「……高畑先生まで登場とは流石に予想外だたネ」
「ちょっと君を連行させてもらう。理由は……言わなくても分かるね?」
 
 高畑先生はそう言うと、スラックスのポケットに手を入れた。
 その構えに油断はなく、少しでも超が妙な行動を起こしたら即座に迎撃に出るだろう。
 しかし、ひとつの疑問が私の頭を過ぎる。どうしてこの場が分かったのだろうか?
 
「刹那くん、学園長に連絡しようとしただろう? その時の通話がそのまま繋がったままだったんだよ」
 
 そうか! あの時は超の突然の登場に驚いていたが、その時の弾みで通話のボタンを押していたのか。
 
「そう、だから学園長は君と超くんのやり取りを聞いてすぐに皆に連絡を取ったんだ。その証拠に――」
 
 高畑先生がチラリと視線を外した。
 すると、そこに新たな人影が次々と降り立ち、超の退路を完璧に塞ぐ形で包囲を完成させていた。
 
「これはこれは……学園祭で先生達も忙しいハズなのに、私一人のために態々ご苦労な事ネ」
「大人しく付いて来てくれるならその仕事も楽になるんだけどな……協力してくれるかい? この数をどうにかできると考えるほど、君は愚かじゃないだろう?」
「……さてさて、これはどうしたものかネ」
 
 超はそう言って、ぐるりと首を巡らし、自身を囲む魔法使いたちを楽しげに眺めた。高畑先生の言を前にしても、超は余裕の笑みを崩さない。……まさか、この人数を相手に本当に勝てるとでも……どうにかなるとでも言うのか。
 その言葉を受けて包囲網がジワリジワリと縮まる。その数は今や50を超え、未だに増え続けている。
 一触即発の空気。                                                              
 ほんの些細な、それこそ小石を蹴り飛ばしたような物音ですら爆発の切っ掛けになり得るだろう緊張感が辺りを支配している。
 そして、誰か踏みしめた小枝を踏み折る音が響いた。
 その瞬間、空気がいた。
 緊張は臨界点を超え、その場にいる者全てが一斉に超目掛けて殺到する。
 
 ――しかし、それと同時だった。私たちの目の前に唐突に、そのモノが現れたのは。
 
 ズダン、と。
 荒々しい着地の音を響かせ、私達と超の間に降り立ったそれは、人だった。足を折り曲げた着地の姿勢のまま蹲っているので誰かは判別ができない。
 突然の出来事に、超を捕らえようとしていた全員の足が止まる。
 ある者は警戒し、
 ある者は戸惑い、
 ある者は驚愕で、
 内心の差はあれど、誰もが様子を伺うために立ち止まった。
 そんな中、渦中の人物がゆっくりと立ち上がり、その顔を上げ、こちらを――見た。
 
 ――瞬間、横殴りの強い風が、真っ赤な外套を舞い上げた。
 
「し、士郎さんッ!」
 
 その人物は士郎さんだった。
 なんの事はない、彼も学園長から連絡を受け、この場に急行してきたのだろうと容易に想像が付く。
 しかし……どうにも見た事もない格好をしている。
 いつもお店で着ているような、真っ白なシャツ、真っ黒なベストにスラックスは良いとして、見慣れないのはそれ以外の物だ。
 真っ赤な……まるで血のように真っ赤な上着に、同じ色の腰に巻いた膝裏まで届くような長い外套が嫌でも目を引く。
 ただそれだけなのに何故か……得体の知れない圧力を感じる。普段とは少し違う格好をしているだけだというのにだ。
 ――いや、今はそんな些細な事を考えている場合ではない。
 私は左右に頭を振って士郎さんへと声をかけた。
 
「士郎さん、状況は見ての通りです! 超の捕縛をお願いしますッ!」
 
 そう叫んでから超を睨み付ける。
 しかしそれでも超の余裕の表情は変わらない。
 ……正気か。現在の麻帆良学園における、三大最高戦力のうち二人までもがこうして揃ったというのに……この余裕の根拠は一体何だというのだ。
 
「……士郎さん、油断しないでください。超の奴、何か奥の手を隠しているかも知れません」
「…………」
 
 そうして、再び夕凪の柄を握り直すが……何処か様子がおかしい。いや、様子がおかしいと言うのも適切では無いのかも知れない。これは、そう……違和感だ。
 何かが妙だ。確かに超の態度には異様と言っていい程の疑問しか浮かばないが、それでもこの違和感とは繋がらないような気がする。
 私はその何とも言ようのない違和感の原因を探ろうと辺りを見回した。
 目の前には余裕の表情の超。
 その超を包囲するように取り囲む魔法使いの生徒や先生達。
 その中心で超と直接対峙するように立ち塞がっている、ネギ先生、アスナさん、お嬢様、高畑先生。
 そして、私と超の間、最前線に悠然と立つ士郎さんの姿。
 
「…………士郎さん?」
 
 そうか、違和感の正体は士郎さんだ。
 確かに見慣れない格好はしているが、それはこの感覚の正体ではない。
 この違和感の正体……それは士郎さんの立ち位置だ。
 士郎さんは今最前線に立っている。
 しかし、それはいつもの事。常に誰よりも最前線に立ち、誰よりも危険な場所に立ち続けるのが士郎さんのスタイルなのだから。
 そう、いつもと違うのは――士郎さんが『こちらを向いて』立っているからだ――。
 
「あ、あの……士郎さん?」
 
 ただ向いている方向が少し違うだけだと言うのに例えようのない程の圧迫感を感じる。
 もしかしたら私の声は震えていたのかもしれない。
 何故……何故、士郎さんは『こちらを向いて』立っているのだ?
 このような場合、士郎さんは私たちを背で庇うように立っている――その、ハズなのに。
 
「ちょっとシロ兄ッ、どっち向いてんの? あっちあっち!」
「…………」

 アスナさんが指先でそう指し示しても、士郎さんは動こうとはしなかった。
 それどころか、アスナさんの方すら見ようとはしていない。
 まるで、声など聞こえていないかのように。
 まるで、そこにいないかのように。
 
「――全く……」
 
 そんな士郎さんが、ここに来て言葉を発した。
 誰もが押し黙っている中、その声は響いた。
 そして、まるで全てを俯瞰するかのように周囲をぐるりと見回してから――言った。
 
「どこに行ったかと思えば……探したぞ。あまり勝手に動き回られるのは困るんだけどな、チャオ」
 
 士郎さんが……あの士郎さんが、その背に超を庇うようにして、まるで宣言のようにして言う。
 ……待て。ちょっと待て。頼むから待ってくれ。
 何故、貴方が――その背に超を庇うのですか?
 
「これは済まない事をしたネ。けれど私としてもこの状況は少々予想外だたのヨ。でもまあ、私も事の前に済ませて起きたい事情があたネ。この『程度』の些事は見逃して欲しいものヨ」
「……やれやれ、その些事の結果がこれかよ。それでも相談ぐらいは欲しかったモンだけどな」
「まあ、そこは運が無かたと思て諦めるヨ」
「……どっちの運が無いのやら……人使いが荒いのには慣れているど、出来れば勘弁して欲しいもんだな。それで? 用事は済んだのか?」
「ウム。万事滞りなく……トまではいかないまでも、一応目的は果たせたネ。これから帰ろうとしていた所ヨ」
「そうか」
 
 まるで、目の前にいる私たちのことなど視界に入っていないかのように二人は会話を続ける。
 その光景に、私はおおよそ信じられない――信じたくない可能性に思い至った。
 大地を踏みしめているはずの足が、安定しない。
 夕凪にかけた手が震える。
 心が今にも悲鳴を上げそうだ。
 
「――し、士郎さんッ!」
 
 押し潰されるように軋む心が、その寸前で声を上げた。
 その可能性は――そんな可能性だけは。
 信じたくない。
 信じたくない。
 信じたくない。
 そんな私の心の声が届いたのか、この場に来て初めて士郎さんがこちらを向いた。
 ――感情の篭らない、まるでロボットのレンズのような目で。
 
 
「――じゃあ、俺の役目はこいつ等を蹴散すって事でいいのか?」
 
 
 そしてそれが、全てを意味する言葉だった。






[32471] 第63話  Bad Communication
Name: 泣き虫カエル◆92019ed0 ID:4af99eb6
Date: 2015/05/16 22:01

「――――そ……そ、んな」
 
 その言葉に、全身の血の気がさっと引いていくのがはっきりと分かる。
 どうしようもない悪寒と共に、立ち眩みにもよく似た目眩が私の思考を奪い去った。
 夕凪にかけていた指先が冷たさを感じ、ダラリと落ちる。
 力が入らないどころではない。
 指先一つすら動かせない。
 
「……ちょ、ちょっと何言ってるのよシロ兄。そんな冗談面白く無いわよ?」
「せ、せやでシロ兄やん? そないな事言うても誰も笑われへんよ?」
 
 誰も言葉を発せない中、お嬢様と明日菜さんの言葉が妙にその場に響いた。
 しかしその声は震え、焦りに似た感情がどうしようもなく抑えきれずに漏れ出していた。
 
「…………」
 
 しかし、当の士郎さんはその声にすら一瞥もくれず、ただただ視線を油断なく回し続けるのみ。
 その視線を受けて、周囲を取り囲んだ人間からは高い警戒心が湧き上がる。
 
「これは……」
 
 そんな中、高畑先生が声を上げる。
 その声は感情を滲ませず、まるで普段のような声色だった。
 
「これは即ち……そういう事と捉えていいのかな、士郎くん?」
「判断はそちらに任せますよ、タカミチさん。俺は別に弁解する気もありませんから」
「彼女がこれから起こすであろう出来事の結果をしっかりと踏まえての行動なんだね?」
「勿論」
「……そうかい」
 
 高畑先生はそう言うと、スラックスのポケットに手を入れ、臨戦態勢を取った。
 
「おおー、怖い怖イ。では私はそろそろ帰らせて貰う事にするヨ。衛宮さん後は任せてもよろしいカ?」
「ああ。そうしてくれれば俺も帰れる」
 
 いつもの飄々とした態度で超が戯けるように言うと、士郎さんは何でもないかのようにそう言った。
 超は余裕とも言える態度で背を向けると、焦る様子を微塵も見せずに悠々と歩き去る。
 それに誰よりも早く反応したのもまた高畑先生だった。
 
「……ッ、行かせはしないよ!」
 
 その叫びと共に、常人では目視すら不可能な速度でスラックスから拳を抜き放つと、見えない拳圧が超の無防備な背後を襲う。
 そう、思われた瞬間だった。
 
「――させませんよ」
 
 パァンっと。
 限界まで膨らんだ風船が破裂したかのような激しい音が響き渡った。
 そして、いつの間にか士郎さんの左手には黒い刀身の剣が握られており、それを振り払ったような姿勢で去ろうとする超の背を守っていた。
 一体いつその剣を取り出したのか、それすら確認できなかった。それこそ、突然虚空から出現したようにも見えた程の唐突さだ。
 超はその様子を視線だけ飛ばして確認すると、不敵にふっと口の端を持ち上げた。
 これに驚愕したのが高畑先生だ。
 まさか今の一撃がこうも容易く防がれるとは思いもしなかったのだろう、少なくない驚きの表情を浮かべ、更に追撃を放つ。
 瞬きの間に放った拳はその数10。
 
「させないと言った」
 
 幾重にも連続して響く破裂音。
 それすらも士郎さんは片手に持った剣だけで全て叩き落とす。
 ……馬鹿げている。これは一体何の冗談だ。
 高畑先生の放ったものは拳圧……つまりは完全な不可視。さらにその速度とて極めて高速だ。
 その悉くを防ぎ切ったという事は、高畑先生の攻撃を全て見切っているという事ではないか。 
 
「――ではネ、魔法使いの諸君。約束の時間にまた会える事を祈ているヨ。まあ、その時間に生きていられればだけどネ……再見」
 
 そう言い残して、超は今度こそ振り返ることもなく再び歩みを再開した。
 本来なら止めるべきだろう。
 なんとしても彼女をこの場に釘付けにするべきなのだろう。
 しかし、そのための一歩を誰もが踏み出せない。
 それと言うのも、
 
「……士郎さん」
 
 ……そう、その場に彼が立ち塞がっている限り、それは叶わない。
 私はただ呆然とその名を呟く事しか出来なかった。
 ゆらり、と。
 立ち塞がるように進み出てくる赤い外套を纏ったその姿を見ても現実味が沸かない。
 まるで質の悪い白昼夢でも無理矢理見せられている気分だ。
 ……そして、そうであったならどれほどの救いだっただろうか。
 
「……士郎くん……やはり、本気なんだね?」
「冗談や何かでこんな事しませんよ」

 高畑先生が士郎さんから視線を外さないまま言った。
 
「……追わないんですか?」
「ああ。僕も君を前にして余所見をするほど愚かじゃないつもりだよ」
 
 高畑先生は油断無く士郎さんを見たまま、スッと、ポケットに入れたままの手に力を入れた。
 ソレはまるで居合いを構える剣士のよう。
 幾ら士郎さんと言えども、あの高畑先生を前にしては余裕は無い筈だ。
 士郎さんは高畑先生の言葉を聞いて、そうですかと呟いた。
 
「それは光栄ですね。タカミチさんみたいに強い人からそこまで評価してもらえるとは思っても見ませんでした。でもそれは買い被り過ぎってモンですよ」
「君はいつも謙遜するね。――君は強い。間違いなくね」
 
 士郎さんは高畑先生の言葉を聞いてバツが悪いように苦笑した。
 
「だから、それが買いかぶり過ぎだって言うんですよ。……でも」
 
 士郎さんはそう言って言葉を途中で区切ると表情を消し、剣を握っていない方の手を水平にゆっくりと伸ばした。
 その姿は何も存在しない空間を掴もうとしているかのようだ。
 私はその姿に何とも言えない既視感を覚えた。
 ……何だ、この感覚は。
 うなじの辺りが静電気でも感じているようにピリピリする。
 指先は無意識のうちに意味もなく戦慄き、この得体の知れない感覚の正体を探ろうとしていた。
 まるで未知の感覚……いや、違う。私はこの感覚をどこかで味わっていると本能が告げている。
 しかし何処で……。
 私はふと、士郎さんの左手に握られた剣を見た。
 その剣を見たのは京都の事件以来だ。
 黒い刀身を持つ肉厚の刀剣。刀身に亀甲柄に走る赤い線が特徴で、幅は広く鍔の様な物はない。
 改めて見るそれは、まるで初めて士郎さんと手合わせをした時のような大型のナイフのようで――。
 
「……待て」
 
 私は今、自分で何と感じた?
 ――”初めて手合わせをした時のような大型のナイフ”のようだと?
 そんな感想を切っ掛けに、呆然としていた思考が高速で回転を始めた。
 待て、待て、待て。
 今私は何か重要な事を思い出そうとしている。
 あの時。
 士郎さんと初めて手合わせをした時の体験。
 京都で初めて見た士郎さんの持つその剣。
 その類似点と相違点だ。
 黒い刀身の剣。
 大型のナイフ。
 京都での事件。
 士郎さんの戦闘スタイル。
 それらが導き出す結果に思考を必死に回すと、ある一つの結果に思い至り、それが示唆する結果に身体がゾワリと泡立つのを感じた。
 それは、
 
「――――もう一本の剣は何処に?」
 
 遂に私はその考えに至った。至ってしまった。
 そして、
 
「―――今は余所見しないと死にますよ?」
 
 士郎さんは最後通告のようにそう告げた。
 
「全員今すぐその場から退避しろーーーーッ!」
 
 私は半ば反射的にそう叫んでいた。
 それと同時に、何処からか高速で飛来した白い刀身の剣が、士郎さんの水平に掲げた右手に飛び込み、握られた。
 次の瞬間。
 
 前後左右、あらゆる方向から銀閃が殺到した。
 
 視界を埋め尽くさんばかりの矢、矢、矢。
 それが雨の如き密度で降り注ぐ。
 
「お嬢様ッ!!」
 
 私は叫んだのとほぼ同時に隣にいたお嬢様を含む、明日菜さん、ネギ先生に体当たりをするような勢いでその場に引き引きずり倒した。
 頭上では止む事のない風切り音が無数に飛び交う。
 ……いや、それも少し違う。
 私は伏せていた顔を上げた。
 私達の近くに飛び交う矢はそのことごとくが撃ち落とされているのだ。
 その原因は高畑先生の力によるもの。彼は近くにいた私たちを守るように、高速でその拳を放ち続け、飛来してくる矢を迎撃していた。
 しかし、高畑先生程の実力者であっても、この猛威の中で守りきれるのは半径2メートル程度なのだろう。その証拠にその表情に余裕など微塵もなく、焦りの感情が浮かんでいる。
 そして私はそこで奇妙な物を見た。
 高畑先生の拳圧に矢が触れた瞬間、ブワッと黒い球体が出現しているのだ。
 直径でおそらく一メートルにも満たないであろうソレは、現れた次の瞬間にはすぐさま消滅している。
 現れては消え、現れては消え。
 それを幾度も幾度も繰り返しているせいで、視界は黒い球体で埋め尽くされていた。
 そんな息を付く暇もない嵐の中微かな隙間の向こう側で、私は――ソレを見てしまった。
 一人の魔法使いにその矢が接触した瞬間、
 
「なッ!?」
 
 消えた。跡形もなく消えた。
 黒い球体に引き摺り込まれるように、人が消えた。
 そんな光景があちこちで起こっている。
 あの黒い球体は一体何だ。
 一見泡のようだが、あのような魔法は見たことも聞いたことも無い。
 消えた人物は何処へ行ったのか?
 あの魔法の正体は?
 そして士郎さんは何故今までこの魔法をひた隠しにしてきたのか?
 私はそんな疑問を、高畑先生に守られながら考えていた。
 そして、あれほど降り止まないと思っていた矢の嵐が、やがて止んだ。
 私は顔を上げて辺りを見回してーー愕然とした。
 
「……そんな」
 
 視界の端に、いつか見たような極わずかな光の輝きを捉えた。
 十中八九、士郎さんが例の糸による罠を作動させたのだと理解した。
 罠を一つだけ作動させた。
 それだけでこの損害である。
 50人以上は確実にいた魔法使い達。
 それが今は半数以下……20人程度しか立っていない。
 しかも、残っている魔法使い達の殆どが、実力でこの場に残っているのではなく、消えた他の人が皮肉にも盾の役割となって『偶然』残ることができただけのようだ。
 その証拠に残った大多数の魔法使いは、その場で頭を抱えしゃがみこんでしまっている。
 けれど、彼ら、彼女らを責める気には私はなれない。
 目の前で人が唐突に消えたのだ。
 その時の混乱と言ったら語り尽くせぬものがあるだろう。
 
「……士郎くん、今の魔法は……」
 
 高畑先生が肩で息をしながら士郎さんに問いかけた。
 
「ああ、魔法なんかじゃありませんよ――種明かしは、コレです」
 
 士郎さんはそう言うと、ひとつの弾丸を取り出した。
 
「――強制時間跳躍弾。チャオから譲り受けたものですけどね。これを受けたモノはその周囲の空間ごと数時間先に飛ばされる銃弾です。これを矢の先端に取り付けて使用しただけですよ」
「数時間先だって……? そんな小さな弾丸に込められる魔力だけでそんな事が出来るわけが……」
「出来ますよ。この弾丸は世界樹の力を利用しているんですから」
 
 世界樹の魔力を利用しただって?
 それは即ち、前回の発光現象から長い年月をかけて溜まりに溜まった魔力を超の技術力によって横かすめしているという事なのだろうか?
 それが事実なら恐ろしいことだが……、
 
「世界樹の魔力を利用してだって……? 馬鹿な、彼女にはそこまでの技術力があると言うのか……?」
「さあ? 本当のところは俺にも分からないですけど、重要なのはそこじゃない。そんなのはどうだっていい事なんです。本当にどうだっていいんです。重要なのは――これで効率的に邪魔者を排除できるという一点だけですから」
「……ッ」
 
 高畑先生がその言葉に歯噛みするようにその表情を歪めた。
 ……この人は本当にあの士郎さんなのだろうか?
 冷酷とも言えるような言葉を口にするその姿が、今までの士郎さんのイメージから余りにもかけ離れてしまっているように感じる。

「でもまあ、あくまで弾丸を当てるっていうプロセスを含む分、俺にはイマイチ扱いづらい代物だったんですけどね」
 
 士郎さんはそう言って、弾丸を親指でピンっとコイントスをするように弾くと、

「だから正直言って、さっきの罠も効果はそんなに期待していなかったんですが……」
 
 落ちてきた弾丸を受け止め、落胆したような視線を周囲に巡らせた。
 そして、

「思ったより効果があったみたいだ……魔法使いってのは存外だらし無い連中なんですね。……所詮、この程度か」
 
 感情を乗せず、ただ事実を確認するかのように呟いた。
 その声に、私が未だ組み伏せたままの状態だった明日菜さんの身体がピクリと反応した。
 
「…………どう、して」
 
 明日菜さんは何かを耐えるように、何かを堪えるように、全身をカタカタと震わせ、拳を血が滲む程キツく握りしめたまま――顔を上げ、叫んだ。
 
「――――どうしてッ! どうしてこんな事するのよシロ兄ッッ!?」
 
 それは絶叫と言うより、まるで悲鳴のような叫び。
 そして、それが心からの叫びだ。
 目からは涙が止めど無く溢れ、潤んだままの瞳で士郎さんをキツく睨みつけている。
 
「…………どうして?」
 
 しかし、士郎さんはそんな言葉を受け取ったにも関わらず、明日菜さんの言葉の意味がまるで考えもしなかった事でもあるかのように、心底分からないといった表情で、首をキョトンと傾げた。

「……どうして、どうして、どうして、か。 ……本当、どうしてなんだろうな。俺はこんな事がしたかった訳でもないのに。本当、どうしてなんだろうな……?」
「し、士郎さん?」
 
 何処か虚ろな表情でそう言うと、士郎さんは最後に自嘲的な笑いを零した。
 その言葉の意味が余りにも不可解で。
 その態度が余りにも不可解で。

 ――私はただ、恐ろしいと感じた。
 
「なあネギ君、君は先生なんだろ? だったら俺にも教えてくれよ。……守りたい守りたいと思っていてもそれがどんどん内側から壊されて行っちまうんだ。傷付いて欲しくないと願っていても、関係のない人達も巻き込んで危険に近づいて行っちまうんだ」
 
 士郎さんは両手を握り締める。
 
 それはまるで、手のひらに握った一握の砂のようだ。

 ――零れ落ちて行く。
 握り締めた指の隙間からポロポロと。
 強く、強く。
 大事にしようと強く握り締めた砂粒は、強く握れば握るほどその力強さで指の隙間からこぼれ落ちていく。
 そして再び開いた手の平の上には何も残ってなどいない。
 それはどれ程の恐怖だろう。
 それはどれ程の虚無感だろう。
 気持ちが強ければ強い程、こぼれ落ちていく。
 失くした物ばかかりが多すぎて、再びその手の平を開く事にすら絶望が付きまとう。
 そんな恐怖……私には想像すら出来ない。
 
「……なあ、俺は一体どうするべきなんだ? このまま指をくわえて事態の成り行きを見守っていればいいのか? それとも底なし沼のようなこの状況で足掻き続ければいいのか? …………わからないんだ」
 
 士郎さんの表情が苦悶に歪んだ。
 体は小刻みに戦慄き、噛み締めた歯がその強さに耐え切れずバキリと鳴る。
 そして、
 
「――――わっかんねェんだよッ! なあ、俺は何の為にここに居る!? 何だっていつまでもこんな茶番を続けていなくちゃいけないんだッ!? 俺のすることは全て無駄だって言うのか!! 答えてくれよ――ッ!!」
 
 初めて聞いた士郎さんの叫び。
 喉が張り裂けそうなほど。
 心が張り裂けてしまいそうな程の慟哭だった。
 
「そ、それは……」
 
 感情を爆発させたかのような士郎さんの叫びに、ネギ先生は答えられない。
 ……無理もないだろう。
 士郎さんの言葉にある問題は、即ち元々魔法に関係のない人達が魔法に関わり危険と隣り合わせになる事に対する言葉だ。
 そして少なからず……いや、飾らずに言ってしまえば、大元と言って差し支えない程の原因を作っていたのが他ならぬネギ先生なのは、言い逃れの出来ない事実なのだ。
 思い起こされるの宮崎さんや綾瀬さん、元々『こちら』とは一切無関係だった人達の事だ。
 答えらない。
 答えられる筈がない。
 改めて突き付けられた事実に向き合うだけの覚悟が、彼にはまだないのだ。
 突然の士郎さんの叫びに声も出せない程驚いている明日菜さん、お嬢様……それに私自身。
 士郎さんの問いに答えることの出来ないネギ先生。
 そんな私達を見て士郎さんは、折れた歯をプッと吐き出した。
 
「……いいさ、どうせ答えを得られるなんて最初から思っちゃいない。けどな、これがさっきのアスナの質問の答えでもある。……俺はな、もう待つのに疲れたんだよ。元には戻せない出来事の後始末だなんてもうまっぴらだ。だからこそ超の考えに賛同したまで」
「……士郎さん、貴方ともあろう御方が何故そのような事を……本当に超鈴音が成そうとしている事を理解してのお言葉ですか!?」
「当たり前だろう刹那。経験の浅いお前にはまだ理解が及ばないかもしれないが、魔法が公然のモノとなる事による益は確実にあるのさ」
「魔法が世界に知られるということが、どれほどの混乱を巻き起こすとは考えないのですか!?」
「考えた。でもな、それすらもチャオは想定済みだ。その対応策もある。そして俺はそれが実現可能だと判断した……問題に対する回答がある。ほら、こうやって考えれば問題なんて何もないだろ?」
「士郎さん、それは余りにも暴論です!」
「違うさ刹那、確かに滅茶苦茶に聞こえるかもしれないけど、暴論ではなくあくまで極論だ。極端だけど理は通っているのさ。俺の中でメリットとデメリットの計算が不等号でメリットに傾いた。ねえ、タカミチさん。貴方ならこの言葉の意味……わかりますよね?」
「…………」
 
 高畑先生は無言を通す。
 沈黙。
 それは口に出していないだけで、決して異を唱えていないという時点で肯定と同意だ。
 士郎さんはそれを確認してから視線を私に戻した。
 
「――それにな、俺に拒否権なんて始めから無いようなもんなんだ」
「拒否権が……無い?」
 
 それは一体どういう意味の言葉だろうか。
 言葉を表面通りに受け止めれば、何か弱みを握られて強制的に従わされていると聞こえなくもないが、しかし士郎さんは先ほど自分の意思で従ったと口にした。
 だとすればその言葉の真意は一体なんだと言うのだろうか……?
 そして、士郎さんはその言葉を口にした。
 諦めたような口調で。
 疲れ切った老人のような口調で。
  
「――――俺はな、チャオの願いを叶えるためだけに、世界樹の力で異世界からこの世界に喚ばれた存在なんだよ」
  
 と、その言葉を口にした。
 
「――――は?」
「俺はこの時の為に喚ばれたと言った。世界樹はの力は元々、恋愛成就なんて些細な事を叶えるためにあるんじゃない。アレはただ純粋で強烈な想いを強制的に叶えるだけの願望機に他ならない。そこに願いの貴賎なんか存在しない、善悪すらもな。『純粋』でさえあればいいんだ。……だから誰よりも強力な超の願いに反応した。アイツの願いが何よりも純粋で強かったからこそ、世界樹はその願いを叶えようとした。……けど、このままだとその願いは叶えられないと分かったんだろうな、何がしかの妨害で。だから、その足りない部分を補うための存在を補填しようとし、適当な人材をありとあらゆる世界から探し、そして喚び出した存在……それが俺だ」
「……い、いえ。あの?」
「喚ばれた時期の多少の時期の差は世界樹の生きる時間軸を考えれば誤差のようなもんだ。たかだか数ヶ月、千年を優に超える寿命を持つ世界樹の時間で考えれば……その数ヶ月で俺が積み上げた全てですら誤差であるようにな」
「――――ぁ……」
 
 私はその言葉に、そんな気の抜けた声を上げる事しか出来なかった。
 士郎さんは……一体何を言っているんだ?
 ……異世界から喚ばれた――だって? そのような事、いくら士郎さんの言葉であろうとも信じられるわけがない。
 いや、しかしそれは……。
 
「……それは、魔法世界からこちらの世界に来たという意味ではないのですか?」
「全く違うさ。読んで字のごとく異なる世界……魔法世界みたいな隣あった世界とは根本から違う。この世界とは異なる法則の世界から来た人間……それが俺の正体だ」
「しょ、正体って……それがなんだと言うのです! 貴方は実際に目の前にいて、私達と変わらない姿で存在しています! 士郎さんは士郎さんではないですか!?」
「……じゃあ聞くけどな刹那。お前は絵画に描かれている人間を自分と同じ存在だと認識できるのか? 小説の中の文字だけの登場人物が現実に飛び出してきたとしても、自分と同じ存在だと本当に言えるのか?」
「そ、それは……」
 
 それは……どうなのだろう。
 私は本当に自分で言ったように、そんな風に自分と同じ存在だと認める事ができるのだろうか?
 本の中の登場人物がこちらを認識できないように、私達は向こう側を正確には認識できていない。
 わかるのは一方的な理解のみ。相互理解など考えられもしない。
 ……即ちはそういう事だ。分かったつもりになるだけだ。
 私はその答えにたどり着きしかし、努めて首を横に振った。
 
「い、いえッ! 例え仮にそうであったとしたら、既に超の願いは成就される事が確定しているという事なのですかッ!?」
 
 そう、仮に士郎さんの言う事が仮に真実だとすならば、彼がここにいる時点で超の願いは叶うことが確定してしまっているのではないか?
 士郎さんは言った、『自分は超の願いを叶えるために喚ばれた』と。
 ならばその結果である士郎さんが呼ばれてしまっている時点で、それは成就される事が確定されてしまったのではないか。

「まさか。いくら世界樹の膨大な魔力があったって、確定的な未来を創り出すなんて事は出来やさないさ。未来を創り出すという事はそれだけで天地創造に匹敵する。複雑に絡み合う未来を捻じ曲げて、それでも矛盾しない世界を創るという事だからな。そこまで万能じゃない。出来るのはせいぜい確率を高めることだけ、あくまで手助けだけさ」
「……手助け」
「まあ、世界樹が使える魔力は俺が喚ばれた時点で持っていた魔力しかないからな。そんな中途半端な魔力で喚べたのは、守護者にすらなない、俺みたいな中途半端なヤツでしかなかったのは皮肉だな。……完璧な状態なら俺なんかじゃなく、それこそ本当のサーヴァントクラスだって喚べただろうに」
 
 士郎さんの口から知らない単語が出てくるが、問題はそこなんかじゃない。
 問題なのは――士郎さんが敵に回ってしまったという事実。
 それが覆りそうもないという現実。
 そして……士郎さんという存在の残酷性。
 無理矢理喚ばれ、酷使され続けるなんてまるで奴隷ではないか。
 
「別に俺の正体がなんであっても構いやしないさ。俺の存在なんて大局に影響を及ぼす程じゃないだろう。――でもな、俺にだって意思はある。例えそれが偽物だろうと……そう誰かに仕組まれた感情であったとしても、自分の意思だと認識出来る想いがある」
「……その想いの結果がこの状況なのですか?」
「手段を選んでいられる身分なんかじゃないからな。最適じゃないが適当ではある。それで十分さ。手段は結果で塗り潰せるんだよ、刹那」
「…………」
 
 ……ダメだ。もう、言葉が見つからない。
 士郎さんの苦悩を知ることの出来ない私には、もうそれ以上の言葉を口にすることが出来はしなかった。
 士郎さんを止めるのは、もう不可能だと心のどこかで理解してしまっていたのだ。
 けれど、
 
「……ダメです」
 
 ここに、決して諦めることのできない少年がいた。
 
「そんなのダメに決まっていますよ、衛宮さんッ!」
「……何が……と、問えば、答えてくれるって言うのか? ネギ君……いや、ネギ・スプリングフィールド」
「全部がです! 魔法をバラして世界を混乱させることも! 衛宮さんがそうやって自暴自棄になることも! 結果のためには手段はどうでもいいって考えも!!」
「――へえ、随分と面白いことを言うんだな。それじゃあつまり、俺はただ手をこまねいて、こんな現状を傍観し続けろと言うのか」
「そんなんじゃありません! 確かに僕だってほかの人たちに迷惑を沢山かけてきました……でも、だからと言って全部を諦めてもいいという理由にはならないんです!! もっと何かあるはずでしょう!? 衛宮さんも諦めなくても済む答えがあるはずでしょう!?」
「……話にならん。感情で物事を語るなよ、そんなんじゃいつか理想に潰されるぞ」
 
 ネギ先生の言葉を士郎さんは正面から切って捨てた。
 冷酷とも思われるその言葉。
 それにどうしようもなく悲哀を感じてしまうのは何故なのだろうか。
 しかし、そんな言葉に屈するような老齢さ、もしくは賢さをネギ先生は持っていなかった。
 
「どうしても止めないって言うなら――僕が力ずくで止めます!!」
 
 ネギ先生はそう言って杖を構えた。
 ――いや、構えてしまった。
 杖の先端を士郎さんに向けるように。
 絶対の敵対意思を明言するように。
 
「――いけないネギ先生!! 今の士郎さんに武器を向けてしまってはッ」
 
 私がそう叫んだ瞬間だった。
 
「え?」
 
 ネギ先生の何処か間の抜けた声が聞こえた。
 気がつけば士郎さんは、いつの間にか右手に握った剣を天に向かって突きつけるような姿勢で立っていた。
 私はその切っ先の延長線上に視線を向ける。
 そこには、逆光によって黒く染められた何か細長いモノがヒュンヒュンと回転しながら空中を舞っていた。
 何だと考えるより早く、それは地面にドサりと重い音を立てて落下する。
 それは、木の枝のようでそうではなく、片側は五本に分かれていた。
 
 宙を舞って落下したモノ。そう、それは――切り飛ばされたネギ先生の左手だった。


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