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[32237] 【完結】HEROES インフィニット・ストラトス【チラ裏より】
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2014/08/20 08:37
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二次作品でIS、インフィニット・ストラトスです。IS世界の主人公である一夏と、記憶を失ったオリ主である真が出会うとどうなるか。よくあるイレギュラーものですが、主人公同士のがちんこ(真剣勝負)風味に仕上げています。

(入学前:導入)
一夏たちが入学する1年前、一人の少年がとつぜん学園に現れました。ぴかぴかどーん、落雷と共に現れました。雷様の降臨でしょうか、いえもっと怖い顔です。めっさ目付きが悪いです。彼を見付けた千冬はおっかなびっくり彼を拾います。でも何故でしょう、その眼はとても優しいです。彼が誰か知っていそうな雰囲気です。不思議ですね。

なんとびっくりさあ大変。何処の誰か分からないその少年はIS適正を持っていました。IS学園は騒動を恐れて彼を秘匿とし、千冬の知り合いが経営する会社に放り込みました。晴れてリーマンです。名無しの権兵衛では困るので“蒼月真”と言う名前も貰いました。

真が社会の歯車としてせっせと働いているころに一夏が登場です。“世界唯一の男子IS適正者!”というテロップで世界中を騒がします。ふーんと余裕ぶっこいていたら真の適正も世間にばれました。あれよあれよ、なすがまま。2人はIS学園に入れられます。

世界の、2人の運命が動き出す瞬間でした。話はここから始まります。


(1期:入学から福音戦まで)
織斑一夏15歳、蒼月真16歳、同じIS学園一年生。周囲の女性陣に翻弄されながら2人は喧嘩します。しょーもない、くだらない、理由で喧嘩します。時々真面目な理由もありましたが、本人たちにとってその違いはありません。いつでも真剣です。

ずぅっと続くかと思われた学園生活、トラブルが2人を襲います。少女のキャミソール姿を見て引っぱたかれたとか、ロッカー開けたら半裸の少女とか、キャッキャウフフなトラブルではありません。全くありません。嘘です少しあります。ラブコメも昼ドラもちょっとは有りましたが、命がけの学生分不相応なトラブルです。

その分不相応なトラブルに巻き込まれた、2人の主人公。己の存在意義を賭け、そして少女らを巻き込み、またある時には少女らの助けを借りて、運命に抗うと言うのが1期の本筋です。

(2期:2学期~執筆中)
暫しの平穏のあと謎の組織が学園を再び襲います。
さあ大変、原作ヒロインの1人を求めて真が闇落ちしてしまいました。
イッツ SATUGAI ターイム!

今ここ。

【投稿先:ハーメルン様、Arcadia様】

【オリ主“蒼月真”紹介】
 チートですが一人では勝てません。
 一夏より1つ上の16歳ですが直ぐ泣きます。
 未練がましく女の子を何時までも引き摺ります。
 頭は良いけれど愚か者です。
 学園ガールズの手を焼かせるとても手間の掛る主人公です。
 転んで、間違えて、でも必死に藻掻いてます。


【キーワード】
オリジナル主人公,オリジナルキャラクター,性格改変,独自設定,独自解釈,チート,ハーレム的な何か,転生的な要素,品の無い言葉,下ネタ,躍動する男女関係,アンチ,一夏限定身代わり不動,主人公vs反主人公

【ご注意】
・原作ヒロインは登場時主人公に厳しく当たります(1人除く)
・恋愛ゲーム的な意味でのイベント≠ヒロイン確定
 →オリ主は各ヒロインイベントをこなしますが、くっつくかどうかは別です。
・女性キャラは奔放気味です。ご注意下さい。女の子は我が儘なぐらいが丁度良い、と言う方向けのSSかも知れません。
・キャラクターの行動理由は後日説明のパターンです。直ぐ説明されません。
・作者の技量の都合で説明不足気味です(特に前半)。何らかのタイミングで直す予定ですが、話を進める事を優先していますので未定です。従ってご質問は常時受け付けます。
・1期後半にアンチ要素があります。
・原作ヒロインとオリ主カップリングがあります。ご注意下さい。


【Heroesキャラクター紹介】
・織斑一夏
本作主人公。1年1組所属。原作準拠ですが、ブレード一本で銃火器に対応出来る、反応速度、身体能力、胆力を持ちます。その正義感、直感的行動で真を振り回しますが、その真の影響で徐々に変化が……。イケメンなのは同じ。織斑君! 抱いて! という娘が多数。

・蒼月真
本作主人公。基本的に真視点で物が語られます。1年2組所属。記憶が無く、自分の事は全く分かりません。でも千冬が気になる様子。性格は至って慎重、というか陰湿レベル。なのですが16歳とは思えない行動力を見せます。普段は大人びた言動で少女たちに接しますが、一夏を相手にすると子供になります。機械との相性が抜群に良く、銃器に精通し兵士的な戦闘能力を見せます。無論本人にもその理由が分かりません。なんのこっちゃ。

目付きが悪く当初少女たちから怖がられますが、慣れというのは恐ろしいもので、既に気にされていません。死に設定ではないですよ、すよ。

・織斑千冬
自他共に厳しい女性ですが、真には甘め。これには理由があります。1年1組担任。原作より戦闘能力を強化しており、“気”で職員室を軋ませたり、剣気で崖を崩落させたりします。でも一夏と真が引き起こす騒動に頭を悩ませます。

・ディアナ・リーブス
オリキャラ。金髪と蒼い眼の美人。千冬の一歳年下の同僚で1年2組担任。戦闘能力的にも千冬にタメを張る、おっかない女性です。元フランス国家代表であり第2回モンドグロッソ優勝者、糸使い(ストリングス)として世界を馳せる。千冬の良き理解者であり、喧嘩友達。ムラのある性格で、彼女を一言で表わすなら女性版ダーク・シュナイダー。何かと真にちょっかいをだすのは……。

・鷹月静寐
2組所属。1期ヒロインの一人で理論派のしっかりもの。専用機もなく、代表候補というわけでもなく、ご令嬢でもなく、何の後ろ盾もない、普通に優秀な普通の女の子です。真が気になる様ですけれど……。

・布仏本音
2組所属。1期ヒロインの一人でのんびり成分は若干抑え気味。博愛主義者。機械にセンスがあるのは原作通り。Heroesではゴッドハンドと称されるS級機械技術者を祖父に持ちます。

・相川清香
2組所属。温和しい、物静かな娘が多い2組にして、数少ない元気っ娘。鈴の仲友であり狙撃の素質があるとか。今日も元気に一夏を追い掛ける。

・凰鈴音
2組所属。原作ヒロインズの一人。怒ったり、拗ねたり、笑ったり、泣いたり、コロコロと変わる表情が魅力的な、火力発電ツインテ娘。真の影響を最も受けた原作ヒロインです。一夏が好き、真が好き、一夏が好き、真が好き、一夏が……。

・他原作ヒロインズ
省略。

・先輩ズ。
真は一夏らが入学する前から仕事でちょくちょく学園を訪れたため上級生と顔なじみです。そんな事もあって一年生の大半は一夏派ですが上級生は半々です。ただ恋愛的な意味ではなく姉的な立場を取ります。もっとも二年生と真は同い年ですが。3年、白井優子(半オリキャラ)、布仏虚、ダリル・ケイシー。2年、フォルテ・サファイア、黛薫子と言った面々です。


(2014/07/20 あらすじ変更。キャラ紹介追加)
(2014/07/18 あらすじ追加)
(2013/02/10 キーワード変更,古い履歴を削除)



[32237] 00 プロローグ
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/03/21 22:13
親友?

あぁ居るよ。

胸を張って言える奴が一人。



そうだな……

そいつと初めて会った時の印象は特になかったかな。

どこにでも居そうな普通の少年だった。

けれど、そのうち変な奴だと思うようになった。

一時、理解出来ないとまで考えた。

でも今は凄い、と掛け値無しにそう思う。

勇猛、壮大、英傑、雄大、威風堂々、偉大、そう言った言葉をどれだけ費やしても足りない、そんな奴だ。



あいつとは色々やった。

喧嘩もしたし馬鹿もやった。

良くあの人や、周囲の人達に怒られたよ。

だけども、そんなあいつと共に過ごした時間は、今では掛け替えのない大切な思い出。

言いきっても良い。

あいつと共にあった事、今ある事を誇りに思う。

決して忘れる事は無い。


この辺は適度に丸めてくれ。

あいつが聞いたら調子に乗る。

あぁ、親友と言うより相棒かな。

少なくとも俺らはそう思っている。




……すまない、あいつが呼んでいる、もう行かないと。



あいつの名前?



それは―







HEROES







 伊豆半島南端、石廊崎から南へ約40km。神津島近海。洋上より1.2km。時刻は18時24分。太陽が空と雲を赤紫色に照らすその幻想的なキリングゾーンに俺達は居た。


「一夏! そっち行ったぞ!」

 銀色のISを狩り損ねた俺は一夏に向かって叫んだ。バーニア全開で次第に青から黒くなりつつある海と銀色の背中と白いISを視界にとらえる。奴まで約800m、俺は撃ち出した14発全弾を奴の背中にだけ当て牽制をする。

「うぉぉぉぉぉ!」

 右手に持つ蒼銀の剣をかざし一夏は奴との距離を一気に詰めた。俺は直ぐさま空を切った一夏を狙う奴の頭を狙撃し援護する。

「ちくしょうめ! しぶとすぎだぜ!」

 最大速力で奴との距離をとった一夏が吐き捨てた。一夏と俺は中央に奴を見据えながららせんに距離を維持する。

「豆鉄砲じゃ奴への牽制がせいぜいか! くそ!」

 俺も堪らず悪態をつく。愛機の「みや」がアサルトライフルG3SGI/1の残弾が残り1カートリッジ(20発)と警告してきた。俺が奴の足を止め一夏が必殺の一撃を放つ。もう幾度となく繰り返したが、奴を捕らえる事が未だ出来ていない。原因は俺だ。足止めするのに必要な火力が不足しているのだ。一夏と合流前にアーマーピアシング弾(20mm)使い切ってしまった事が悔やまれてならない。自分の迂闊さが恨めしい。

「どうする真! このままじゃジリ貧だぜ!」

 奴の攻撃をどうにか躱しつつ一夏が俺の焦りを代弁してきた。みやが示す僚機ステータスを見ると白式のエネルギーは既に4割を切っている。一夏の言うとおりこのまま続ければ2人ともやられる事は明白だ。更に日没までもう時間が無い。俺はともかく夜間の戦闘経験が無い一夏には状況が悪すぎる。俺は兵装一覧のそれと洋上をちらと一瞥した。俺の意図を察したみやが情報を補完してくる。俺は腹を決めた。

「一夏! 仕掛けるぞ!」


 俺らは全力で海面に向かっていた。後方の奴をHセンサーで捕らえながら、海面で俺が隙を作る、と一夏にそれだけを伝える。一夏は軽く頷いて離脱した。

 急に視界が黒い海で狭くなる。海面に立った俺はみやに黒釘(120mmカノン)を量子展開させる。あざ笑うかのように奴は頭上から致死の雫を浴びせてきた。幾つもの衝撃と水柱の中、俺はそれに構わず狙いを定めた。今は一夏が居る事を奴は忘れている。

 有頂天の奴を一夏が切りつけ、その怯みに通常弾(APFSDS)を見舞った。俺の持つ最大級の攻撃だ。轟音と閃光が一瞬辺りを支配し弾は奴を掠めた。ダメージは殆ど無いだろうが、それで十分。奴はこいつの威力を知った。餌は完璧。

「おいおい、あれだけ激しくした相手に冷たくねーか? つれないねぇお嬢さん」

 俺のぼやきを聞いたか銀のISが俺に急接近してくる。同じ無視できない攻撃力ならば死に体の俺を先に仕留めるか、正しい判断だ。だがそいつが命取りだぜ。

 奴は上空から海と空の極で方向を変え、一気に距離を詰めてくる。奴を静かに見据え黒釘を構えると、みやが特殊弾の装填完了を告げた。俺が躱しきれない距離まで近づいた奴はその死の翼を広げ形容できない不気味な声を上げた。きっと奴は俺を捕らえたと確信したのだろう、けどな。その瞬間奴の足下で水柱が爆発的に立った。ありったけのグレネードをリモート爆発させたのだ。この辺は適度に浅瀬でな、仕掛けは容易かったぜ。

 飛沫に巻かれた奴が逃げようとするがもう遅い。

「覚えとけ、水は案外重い」

 自由が効かない奴を捕らえ俺は引き金を引いた。今度は正真正銘、最大火力だ。発射された特殊弾頭は空気と水を励起させながらコンマ秒で奴に達しその力を一瞬封じる。それで十分だ!

「やれぇぇぇぇ! いちかぁぁーーーー!」
「今度は外さねぇぇぇーーーーー!!!」

 俺の叫びを合図に、閃光の如く一夏がその力を奴に解き放った。



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ある程度まとめてから修正と思ったのですが、ひらめきました。
尚、エー○ンツッコミご容赦お願いします。
ネタバレせずに、掴み、話全体をイメージ出来るような導入を目指したところこうなりまして。
冒頭で戦闘シーンにつなげられると思うのですが、どうでしょうか。



[32237] 01-01 ショートホームルーム
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/03/20 22:06
 思い出と言うものは存外いい加減な物だと思う。時と共に曖昧になるし自分の都合に合わせて書き換えることすらある。きっと郷友と語り合う思い出も実はちぐはぐで、内心差異を指摘しあっているに違いない。

 こんないい加減な物であるけれども、人にとっては重要で文章に、画像に、動画にと記録に勤しむ。考えてみれば、他人と共有する記憶が思い出であり、思い出というものは人との繋がりその物であり、人は1人で生きていけないと言うならば、なるほど重要に違いない。

 思い出を失えば親しい人が他人になってしまうのだから。

 では個人の記憶が一切無い上に周囲の人も当人を知らない、この様な状況において人はどのような心境を持つのだろうか。世界に自分1人のみだと孤独感に襲われるだろうか、それとも全てに恐怖し絶望するだろうか。

 私はこう思う。逆に開き直って新たに人生を歩み始めるだろうと。人は問うだろう何故断言できるのかと。それにはこう答えよう、それは私の事なのだから。

 IS学園1年2組所属。16歳。暫定名、蒼月真。
 これは思い出を無くした私がいま持つ全てである。


「なら蒼月君は暫く家から通う事になるんだ」
「あぁ急だったからな。寮の準備が間に合わないんだと。静寐って呼んでいい?」
「だめ」
「ね、ね、真君ってどこに住んでるの? 近く?」
「三崎口駅の近く、15分ってところ。本音って呼んでいいかな?」
「ここからだと遠いねー」
「スルーとは酷い」

 私は自分の席で知り合ったばかりのクラスメイト2人と、僅かでも親しくなろうと悪戦苦闘中だ。その2人は鷹月静寐、布仏本音と言った。中々に手強い2人であるが、こうして会話が出来るだけ随分と気が紛れる。クラスメイトが全員女と言う事がこれ程しんどいとは思わなかった。

 入学式が終わり自分のクラスにやっとの思いで辿り着いたのが20分ほど前。クラスに唯一の男子生徒である私は到着早々女生徒達から手荒い歓迎を受けた。好奇、嫌疑、その他諸々の感情を含む〆て29人分、58の視線に晒されたのだ。それは予想以上に厳しく、処刑場で加害者を見る遺族の視線とは言い過ぎかもしれないが、それ程強烈な物だった。

 これは堪らんせめて一般的な会話ができる仲を、と私は片っ端からおはようと声を掛けたのである。その甲斐あって先の2人と雑談を交わす程度の関係を得ることができた。挨拶は人間関係の第一歩とはよく言うものだが、早々に話し相手を得る事ができたのは幸運だろう。もっとも他の女生徒からの視線はこの瞬間でさえ止むことは無いが、今はこの2人に専念した方が良いと思う。我慢のしどころだ。

 それにしても随分と質の異なる2人と知り合ったものだと思う。鷹月さんは挨拶をしたとき小さい声でどうも、と一言あったのみだったので内気な娘かと思った。だが今では気兼ねなく話しかけてくる。案外人見知りなのかもしれん。布仏さんは温和で一見親しみやすく感じるが、人との線引きはしっかりしているようだ。気安く踏み込むと確実に拒絶してくる。そう簡単に心を許してくれそうに無い。 そのような2人の共通点は、随分としっかりしていそうだ、と言う事であろうか。

ところで、と鷹月さんが姿勢を正して聞いてきた。

「おう、何でも聞いてくれ。でも体重は男の子の秘密だぜ」
「ばか。聞きたいのはISを動かせた理由なんだけど、結局どうだったの?」

布仏さんもそう言えば、とその目を私に向けてきた。

「あぁそれね。結局何も分かっていない。あれだけ調べまくったのになぁ」
「IS学園の検査でも?」
「あぁ。専門の先生も頭抱えてたわ。結局はISコアに落ち着くんだとさ」

 未だコアは解析できていないものね、と呟く鷹月さんに布仏さんがこう続けた。

「謎々のコアさんに聞いてみるしか無いねー」

 私は思わず苦笑した。彼女の言葉にでは無く実際そうする他手段が無いと思われたからである。

 IS、インフィニット・ストラトスと呼ばれるパワードスーツは問題が2つある。1つは女性にしか扱えないこと。もう1つはISの基幹部品「コア」がブラックボックスなのである。今まで女性にしか扱えなかったそのISだが、最近になって動かせる男が2人見つかったのだ。言うまでも無くそのうちの1人とは私の事で、調査にも関わらず原因は不明。ならば原因はコアしかない、と言う訳である。

 今更言う事でも無いのだが、既存兵器をガラクタにしたこれがよく解らないまま使われているのは恐ろしいと思う。男が動かせた理由、何事も無ければ良いのだが。


「言ったろ、何でも聞いてくれ」

 ふと布仏さんの視線を感じ私は彼女を促した。彼女は先程から自身の疑問を聞いて良いものか判断しかねていたようだった。私が言うや否や彼女の顔がぱぁと明るくなる。実に和む笑顔だと思う。ただ彼女が躊躇った質問は少々困ったものだった。

「真君の家族はどうなのかな? お母さんとかやっぱり適正高いの?」
「家族、か。あーそれはな、それはなんつーか……ない」
「無い? 低いじゃ無くて?」

 私の歯切れの悪い回答に鷹月さんが聞いてきた。布仏さんも分からないと言った顔だ。私には記憶が無い。当然家族と呼べる人達を知らない。私自身殆ど気にしていないのだが、気の良い彼女らはそう思わないだろう。まだ間もない彼女らだ。誤魔化すべきだ。だが何故だろうか、彼女らに嘘をつくのは嫌だった。

「覚えてないんだ、身内のこと」

 悩んだ末私は正直に答えることにした。出会ってまだ間もないけれども、彼女らならそれを理由に距離を置かれることは無いだろうと考えたからである。

「ごめんなさい」

 一転、布仏さんが今にも泣き出しそうな顔で謝罪をしてきた。鷹月さんも神妙な顔をしている。
「いや、気にしないでくれ。俺も気にしてない。そんなに気にされると逆に俺が気にするって」でも、と続ける布仏さんに私は手で制止し、続けてこう伝えた。

 「知らないってだけで、どこかで生きてるかも知れない。世話を焼いてくれる人も居るから1人って訳じゃない。だから寂しくない。更に、」2人を見据えて私は笑いながらこう告げた。

「更に優しい友人が2人もできた」

 そうだ。私を気遣ってくれる彼女らに嘘をつくのはあり得ないだろう。

 どう反応したら良いのか分からないのか、きょとと2人が互いに目を合わせた。「そうだな、それ程気に病むなら代わりに今度デートしてくれ。それでチャラにしようぜ。あぁ勿論3人でな」暫しの沈黙の後、私のにやついた顔を見て理解したのか2人は眉を寄せた。

「真君ひどいよー本当に心配したのにー」
「待て待て、その場を和ませようとだな」
「心配して損した」
「悪かったって! というかその眼怖いから!」

 どうにか彼女らの機嫌を取り戻せたらしい。怒っていてもその雰囲気は和らいだ。ならば平謝り位なんという事はない。しかし怒っていても可愛らしい布仏さんに対し鷹月さんの冷ややかな事。この娘に冗談は控えた方が良いかもしれん。それにしても、私は本当に良い友人を得たようだ。

そしてIS学園とはそのISを学ぶ世界唯一の学校である。その女ばかりの学校に今私は居る。





「相川清香15歳! 乙女座のO型! 好きなことは体を動かすこと。好きなタイプは誠実な人!ハンドボール部入部予定! みんなよろしく!」

 始業式の定番、自己紹介が行われている。近年は名簿順に関し色々意見があるようであるが、結局はひらがな順で行われる事が多いそうだ。IS学園でもその例に漏れずその順で、早々に相川さんが自己紹介をしていた。

 それはともかくと、暫く前にクラスに来た壇上の女性2人に目をやる。担任のディアナ・リーブス先生と副担任の小林千代実先生である。金髪碧眼、淡い桃色のワンピースでゆったりした出で立ちのリーブス先生に対し、濃紺のパンツスーツで黒い髪を後ろで1つにまとめ隙の無いのが小林先生だ。2人とも髪が長いこと以外類似点がない、随分と対照的な2人である。

 私はその彼女らとこれが初対面では無い。今から1年程前ちょうど今時分だろうか。私は短い間であるが、とある理由でこのIS学園に滞在していたことがあった。その時彼女らと面識を得たのである。滞在と言っても事実上軟禁状態ではあった事は付け加えておく。

 当時のことを思い出すと、あの2人が担任とは喜んで良いのか嘆くべきか判断に悩むところだ。小林先生はともかく私はリーブス先生を多少苦手としていた。彼女には色々世話になった。感謝こそすれ恨む道理などない。無いのだが、とにかく調子を崩される。それにしても先程から隣が随分と騒がしい。1組であろうか。

 タブレットを見ながら彼女が「次は真ちゃんね。自己紹介なさい」と促した。リーブス先生は多少苦手なのである。いくら何でもちゃん付けは無いのでは無いか。抗議したところで聞き入れて貰えぬ事は身に染みている。はいと、喉まで出かかった不平を飲み込み私は立ち上がった。

 皆の視線が集まるが最初よりは随分と視線が柔らかい事に安堵を覚える。苦労の賜である。後ろから真君がんばれーと激励が聞こえた。

「蒼月真です。皆さんご存じかも知れませんが男の適正者で2人目の方です」

 織斑君が良かったー、残念ー等々感想が声が聞こえる。鷹月さんと布仏さんも心なしか表情が硬い。失敬だな君ら。小林先生が咳払いで彼女らを注意する。

 「メディアでは随分と騒がれましたがISに関しては初心者同然です。既に勉強を始めている皆さんには及びません」あれ意外にまじめ? と鷹月さんが私を見上げている。よし、彼女には後ほど念入りに念を押す。「とは言え、ここい居る以上全力で取り組みたいと思います。色々あるかも知れませんが皆さん1年間よろしくお願いします」

 ふと気づけばクラス中が静まりかえっていた。鷹月さんはぼぅと見ているし、布仏さんはきょとんとしている。はて、何かおかしなところが合っただろうか。小林先生はうんうん頷いている。特におかしいところは無さそうであるが。

「真ちゃん、自己紹介にしてはまじめ過ぎかしら」
「先生、俺は真面目なんです」
「折角の男の子なのだから、そうね、好きな女の子のタイプとか答えて貰おうかしら?」

 何故そうなるのか。私の話を聞いて貰いたいのだが。それよりも何故そのような事を答えねばならないのか。

 クラス中の少女らがその目を爛々とさせながら私を見ている。そうか、好きなのだなその手の話が。IS学園の生徒といえども変わらないのだな。小林先生に救いの手を求めるが、あからさまに逸らされてしまった。彼女達の期待に満ちた眼を見る。逃げる事は難しそうだ。

 腹を括るにしても一体どうしたものだろう。下手に答えては後々禍根を残しかねない。誰もが納得する普遍的な女性……一瞬あの人の姿を浮かべてそれを言うのやめた。リーブス先生がにこやかに私を見ている。これが狙いか。流石に他所の担任の名を上げるのは適切で無い。かと言ってリーブスの名を出すのは後々恐ろしい。

 思案の後私は「裏表の無い素敵な人です」とどうとでも取れるように答えた。「えー男らしくないー」や「サイテー」、わいわいがやがや言われたい放題であった。理不尽である。

 ここまでにしておきましょ、と不満顔なリーブス先生を私は抑えてそれと、と続けた。1つ彼女らに伝えておかねばならない事がある。機会としては今が適切であろうと思った。先生が何か言うかも知れないが、いずれ知れることだ。問題ない。

「それと私は皆さんより1歳上の16歳です。僅かですが社会人経験もありますので悩み事があれば気兼ねなく相談してください」

「「えーーーー!」」

一拍の後彼女らの大合唱が響いた。君ら隣クラスに迷惑だぞ。

 「うそ……」鷹月さんが呆然としている。「と、年上?」「信じらんない」「言われてみれば……」等々感想が聞こえる。「真君はおにーさんだった……」、と流石の布仏さんも驚きを隠せないようだ。そんなに幼く見えたのだろうか。小林先生が予想通り睨んでいる。リーブス先生は予想通りあらあらと笑っていた。

 ふと視線を感じそちらを見ると我に返った鷹月さんであった。目が口程にものを言う彼女は彼女はただ一言、こう言った。

「蒼月君、留年したの?」

失敬な娘である。





 1限目の後、最初の勤めから解放された私は、ノートを見直す暇無く彼女らから質問攻めを受けていた。

「ほんとびっくりしたよ。真く……先輩」
「年上でも同学年なんだ。気にしないでくれると助かる」
「なら、そうさせてもらおうかな」
「というより、敬語は舌噛みそうだしな。布仏は」
「真くん、それひどいー」

 私らのやりとりで鷹月さんがくすくす笑っている。年齢のカミングアウト。博打では無いかと内心心配であったが上手くいったようだ。他のクラスメイトからも眼を背けられるような事は無くなっている。

 意外な事だが、仕事に強い関心を持ったのは布仏さんであった。IS機械関連と知るや否やすごい食いつきで、本当に意外だ。布仏さんは機械に興味があるのだろうか。奇特な娘である。考えればまだ彼女らの事を殆ど知らない。そろそろ私から質問したいところではあるが、まぁ追々で良かろう。

 一呼吸の後、互いに言葉を交わす彼女ら2人を見る。鷹月さんと布仏さん。あの出来事から数時間しか経っていないはずだがここまでの道のりの長い事。本当に一時はどうなる事かと思ったが、大げさにも実は夢では無いかと疑ってしまう。

 どうしたの、と鷹月さんが不思議そうな顔で私を見てきた。随分と柔らかい表情だ。先程の視線の中にこの2人のものもあったのだ。今の彼女らのと比べるととても同一とは思えん。そんな私の感傷に彼女らは実にあっけらかんとしていた。だってねぇ、と眼を合わせ同意を確認する2人。

「なんだよ。はっきり言えよ」
「ちょっとこわいかなーって思うよ」
「怖いって、俺が? どこが?」
「特に目付き。はいこれ」

 鷹月さんが差し出した折りたたみ式の手鏡で自分の顔を見る。黒髪、黒眼……特に変わったところは無いと思うのだが。多少釣り眼とは思うけれども。そういえば営業の垣田さんに営業は駄目だとか言われたが、そういう意味だったのだろうか。それにしても彼女らは随分と酷い事を言っておらんか。

「そりゃー織斑一夏より爽やかとは言わんけどさ……」

織斑……失念していた。

「2人ともスマン、1組行ってくるわ」
「1組?」

急に立ち上がった私に少し驚いた顔で鷹月さんが聞いてきた。

「織斑一夏に会ってくる」





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本編開始です。
とりあえず修正・変更せずにそのまま投稿しました。
ただ1話あたりの文字数が多いため、先行投稿先と異なり話数が異なっています。
プロローグと一人称が異なるのは意図的な物です。

文章の感じが一定で無いのは、早いところ何とかしたいですね。
何分本を読む度に影響を受けますので……。
ご意見お待ちしております。
尚、プロローグは修正しました。宜しければご覧下さい。

2012/3/20 修正しました。



[32237] 01-02 出会いと再開
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/03/20 22:11
 私はどちらかと言えば人混みを苦手としていた。その多さ故にその人物を注意するべきだどうかの判断が困難だからである。何故注意する必要があるのかと聞かれると回答に困るのだが、とにかくそうしてしまうのである。今でこそ大分落ち着いたのだが以前は町を歩く事すら難儀であった。物陰伝いで移動する、すぐ人の死角に移る、会社のおやっさんにお前は忍者か、と殴られたのはそれ程古い記憶では無い。

 話が外れたが、私が言いたい事はつまりこうだ。廊下に溢れんばかりの、人、ひと、ヒト、ごった返していた。姦しいにも程が無かろうか。

「なんだこれ」
「皆おりむーを見に来ているんだよー」

 意図せず口から漏れた感想に布仏さんが説明してくれた。彼女らは皆一様に1組の中を覗いている。面白そうだからと付いてきた布仏さんも少々あきれ顔だ。鷹月さんは興味が無いからと来なかった。因みにおりむーというのは織斑の事らしい。

「上級生も混じってるな。猫も杓子も織斑か。妬けるねぇ」
 
 見れば2組の生徒も見かける。妙にクラスが閑散としていたのはこういう理由であったか。織斑一夏の人気具合が分かろうと言うものだ。かくいう私はどうかと言うと、あ、と近寄るが織斑でない事が知れるとそのまま立ち去られてしまう。
 まだ見ぬ織斑に妙な対抗心を燃やした私は、丁度通りかかった眼鏡の娘におはようと声を掛けると足早に逃げられた。

「真くん、女の子を怖がらせちゃ駄目だと思うよ」

今の私の心境をどのようにしたらこの温和な少女に伝えられるだろうか。




 私は人混みを押しのけ何とか1組に入ろうと悪戦苦闘していた。彼女たちはクラスの中に注目している為なかなか気づいて貰えないのだ。一度無理に押し通ろうとしたのだが、彼女らの感触があまりにも困惑的であった為諦めた。変質者扱いされると厄介な訳で、決してその時の布仏さんに気圧されて断念した訳では無い。

とは言えここでじっとしている訳にも行かず、
「ねぇねぇ彼が噂の男子だって~」
「ごめん道開けてくれ」
「なんでも千冬お姉様の弟らしいわよ」
「道開けてくれないと、」
「やっぱり彼も強いのかな?」
「触っちゃうぜ」

 瞬間人垣がざっと2つに割れ道が出来た。狙い通りである。だが布仏さん、その賛辞は辛いから遠慮してくれるとありがたい。


 とにかく織斑を確認しようと、丁度鉢合わせた背の高い少女に取り次ぎを頼んだ。すると、どう言う訳かその少女はえらい剣幕で私を睨んでくるのである。はて何か彼女の気に障る事をしたのだろうか。彼女とは少なくとも初対面の筈である。今のやりとりにおかしいところも見当たらない。

「箒、どうしたんだ?」
 少女の態度について思案していた時、その声は発せられた。それは少女の後ろからであり、そしてそれは男の声だった。そいつはそこに居た。そいつは私と同じ黒髪、黒眼、背格好も私と同じぐらいか。ネットで見た画像の通り、間違いない。そいつはあの織斑一夏だった。

 向こうも私に気づいた様で連れの少女を脇に促し鼻先に歩いてくる。なるほど随分と良い面構えをしている。女子が騒ぐのも分かろうと言うものだ。私も織斑を背筋を正し見定めた。

「織斑一夏で間違いないな?」
「蒼月真だな?」

互いが回答を待たずに続ける。もとより期待などしていない。

「ようやくご対面だな。随分と探した、織斑」
「それはこっちの台詞だぜ蒼月」


 織斑の顔を目を見る。織斑もまた私を見返していた。私たちの放つ一触即発の雰囲気に、あれほど騒がしかった周りが静まりかえっている。空調の動作音が聞こえる。私が踏み出すと同時に織斑も踏み出した。誰かが固唾を飲み込んだ。

そして私たちは―

「「幽霊じゃ無い!」」

 互いに両手で肩をつかみつつ、その存在を噛みしめる。声か音かよく解らないが教室に大きな音が鳴ったと思えば、見渡す女子達がその姿勢を崩していた。何があったのか。だが今はそれどころで無い。

「いやー、やっと会えたな蒼月。本当は居ないんじゃ無いかと不安だったんだぜ」
「俺もだよ。入学式から探しても見つからなかったからな」

 男だ。男である。自分以外のもう一人の男。自分でも意外な程、興奮しているのが分かる。誰に何度聞いても要領を得なかったもう一人の、織斑一夏がこうして目の前に居るのである。誰が責められようか。

「しかし良かった。本当に良かった。1人じゃ無いんだな俺」眼に涙を浮かべた織斑の肩に手を掛け「わかる、わかる。そうだよな。最初はどうなる事かと思ったよな」私も今朝を思い出し涙ぐんだ。


「蒼月真。2組。よろしく頼む」
「織斑一夏。ご覧の通り1組だ。堅苦しいのは苦手でさ、一夏でいい」
「なら俺も真で頼む」

 改めてしっかり握手を交わす。これがこいつ、一夏との出会いだった。後になって思えば随分と締まらない出会いだったと思う。


 周囲の冷たい視線に気づいたのか一夏が多少顔を赤くしながら聞いてきた。

「ところでさ真、入学式どこに居たんだよ。俺も探したんだぜ」
「あぁ最後尾の一番左でな。とても寒かったよ」
「何でそんなところなんだよ」
「偉い人に聞いてくれ。そう言う一夏はどこだったんだ?」
「最前列の一番右」
「Vip席だな……」


 入学式は体育館を一時的に式場にする歴史ある方法で行われた。大量の折りたたみ椅子を並べる方法である。その私の席は下座も良いところだった。監視カメラの数台が死角になる席であった上に、窓から建物が見えた。幸いにも人影は見えなかったが、学園が私をどう扱っているかよく分かろうものだ。
 ふとあの人の顔が浮かんだ。そうだな、厳しいあの人がそういう事を良しとしないのは確信を持てる。例えそうで無かったとしても、あの人に助けられた命だ。役に立つならそれも良かろう。

「何でそんなに離れてるんだよ。隣にすれば良いのに。そもそもクラスだってさ何で別にするんだか」
「お前らがつるんで悪さしないようにだ、馬鹿者ども」

出かかった私の答えを遮ったのは、あの人の声だった。絶対に忘れる事の無い、あの人の声だった。

「千冬さん?」
「織斑先生だ」

 振り返りざま、痛みの生じた頭をさすりつつ彼女を見た。彼女は黒のスーツに黒のタイトスカートをまとい、仁王の如く立っていた。その美しくも恐ろしい姿は何者も抗いがたく、尊大にして傲慢。そして何よりも優しい。私の知る彼女がそこに居た。
 状況が理解できないのか一夏が何度も彼女と私を交互に見やっている。

「予鈴はなったぞ、クラスに戻れ蒼月」

 右手の帳簿を振りつつ指示する彼女に、はいと答え1組を出た。一夏に後でと去り際伝える。布仏さんも廊下の女生徒もいつの間にか居なくなっていた。
 そうか、あなたは1組の担任か。近くなく遠くなくですか。千冬さん。





「大丈夫か」

 曖昧な当時のことで私に向けられたこの声だけは今でも鮮明に覚えている。その声の主は織斑千冬。それが彼女と私の最初だ。

 約1年前の今頃、私はIS学園で保護された。と言っても当初の記憶は曖昧で殆ど覚えておらず、明瞭となったのはだいぶん後になってからであった。だから最初の頃は大半が彼女からの聞きづてになる。

 聞くところによると私はアリーナ近くの茂みに全裸で倒れていたらしい。体中血がこびり付いていたそうだが不思議と怪我は無く、頭髪、眉毛など体毛が薄毛でまるで、生まれたての赤子ようだったと彼女は言っていた。

 私は自分に関する記憶を失っていたが、幸いにも理知と言葉は残っていた。ただ私の持つ世間常識が微妙にずれていたのは奇妙な事であった。記憶障害よるものらしいが実際のことは分からない。

 当初学園は国の施設に預けようとした。私は身分を明かす物は無く、更には国民登録も無かったためである。仮に私が学園の立場であれば同じ様にするだろう。ところが彼女がが調査を強く申し出たため暫く学園に滞在することになった。

 その調査の途中、偶然にもIS適正があることが判明したのである。学園内は大騒ぎとなった。それまでの常識、男には使えないと言う事実が覆されたのであるから、無理も無い事だとは思う。尚、これは男の適正者第1号は織斑一夏では無く私と言うことを意味する。念のため断っておきたいが、私は順位に執着していない。

 当初学園側は世間への影響を考え秘匿とするつもりでいた。私も騒がれる事はよしとしなかった為、渡りに船とそれに応じた。ただその対価として自活する手配を求めた。学園もそれに応じ、私に日本国籍と自活を始められる当面の資金を用意、社会適応できるように訓練する事になった。

 それから2ヶ月後、私は学園からそれ程遠くないところに居を構え地元の中小企業で働き始める。近くになったのは学園の顔が聞く企業が多いというのもあったが、彼女の希望でもあった。私は不思議に思ったが、他ならず恩人であるその人の意向を受け入れた。

 その会社は町工場であったが技術力が高く学園からの部品・装置の受注や共同開発を行っていた。部分的ではあったが私もそれに携わり学園には幾度となく訪れた。私が入学間もないにも関わらずIS学園に通じているのはその為である。

 互いに多忙の身であったが、彼女とはそれなりに連絡を取り合っていた。退屈だが平穏なこの生活がずっと続くのであろう、と疑いもしなかった。

 年が明けて暫く仕事にも慣れ始めたかという頃である。織斑一夏が、男の適正者として世間に知られたのである。その世間の騒ぎようは凄まじく彼が静かな人生を送ることは想像難くなかった。その時には彼が彼女の弟である事は既に知っていた。流石の彼女も動揺を隠せないでいたようだった、電話越しでも彼女の動揺を感じ取れた。恩人を、彼女を支えられない自分が歯がゆかった。

 そして私も世間に知られた。学園の情報セキリュティを全て洗い直ししたそうだが、何故情報が漏れたのか結局解明できていない。私の場合発見から公表まで間が合った事が事態を複雑な事にした。私の保証人となった彼女の負担は想像に難くない。彼女には何度も謝罪したが、気にするなとしか言わなかった。

 告白しよう。私は公表された事に感謝している。彼女の側に居られるのだ。これでようやく彼女に報いる事が出来る。これが恋なのか恩義なのかは知らない。

 だがそれで十分だろうと思う。



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キリが良い為、一夏、千冬登場シーンまで投稿しました。



[32237] 02-01 篠ノ之箒
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/03/21 22:50
 気になっている事があった。一夏と居た少女だ。一夏に会いに行った時、彼女は私に酷く憤慨していた。恐らく私が、そうさせた。

 あの時一夏はその少女を「箒」と呼んだ。学年名簿を見たら、篠ノ之箒とあった。苗字でない。つまり篠ノ之さんと一夏はあの時点でそれなりに親しい仲だった。あの時の様子から恐らく篠ノ之さんと一夏はどこかへ行くところだったのだろう。私はそれに気づかず、彼女に水を差した。だから怒った。浮かれていたとは言え、完全に私の落ち度である。詫びを入れよう。

 彼女の姿を思い浮かべる。飾りっ気も少なく真っ黒な髪を頭の後ろで1つにまとめ、ポニーテールにしていた。なかなかに可憐な少女ではあった、そうだな、笑っていれば言う事なしだ。




 切っ掛け、には昼時が良いだろうと少し遅めに食堂に行った。今日のところは詫びのみで済ます予定だ。篠ノ之さんの気性を考えれば、手身近の方が良い。ちなみに事が済み次第鷹月さんと布仏さんに合流する予定だ。

 程なく2人を見つけた私は早速話し掛けた。都合良く窓際の4人掛けテーブルに向かい合って座っている。まず一夏に話し掛け、紹介を促しその後謝罪という算段である。一夏にも用があるので一石二鳥だ。一夏のはついでだが。

「よう、一夏」
「一夏は今私と食事をとっているのだが!」

 開口一番これである。正直、頭ごなしに怒号は予期できなかった。気が強いどころの話ではない。一夏はよく平気なものだ。見れば一夏は臆す事無く彼女をたしなめている。一夏は大物になる、将来が楽しみだ。単に鈍いだけかもしれんが。

 今なお睨み続ける篠ノ之さんは、伸びた背筋に、整っているが鋭い眼差しは可憐より凛々しいが適切だった。そしてその眼光の鋭い事。おおよそ15歳の少女らしからぬ威圧である。気が強いにも程がある。竹林だが、武家屋敷だかそのようなところに、和服姿で日本刀を手に佇む篠ノ之さんを想像して、少し寒気を覚えた。流石に堅気で無い、と言う事は無かろうが。気の強い娘が好みという男は彼女を見てどう思うのか、機会があれば聞いてみたい。

「えーと、君」
「私は君という名前ではない!」

 彼女に叩きつけられたテーブルが音を立てた。この娘と無理して和解する必要は無い、一瞬よぎったその考えを、彼女の顔を沸騰しているやかんに置き換えて、気を静める。しまった。今度は逆に笑いをこらえるのが大変になった。

「なら名前を教えてくれ。俺は蒼月真。知っていると思うけど」

彼女は私を一瞥し、一言「篠ノ之」と答えた。

「ありがとう。で、篠ノ之に用件が2つ。1つ目はさっきはごめん。一夏とどこかへ出かけるつもりだったんだろう?」

 視線はそのままに篠ノ之さんがぴくりと動いた。原因は予想通りと言ったところか。彼女は無言のままだが、誠意は伝わったようである。この件はとりあえずはここまでだろう。

「2つ目、少し一夏と話して良いかな? 手短に済ますからさ」

 篠ノ之さんは外を見たまま無言だ。了解を得たようだ。これで少しは落ち着く良いのだが。彼女に悟られないよう、一息ついた私は一夏に話し掛けた。

「一夏も一週間自宅通いだろ? 今日の放課後つきあえよ」
「お、あぁ。分かった」
「んじゃま、また後で」
「なんだよ、一緒に食べようぜ」
「一夏、今日は俺の顔立てさせろって。それに俺も人を待たせてるからな」

空気を読まない一夏も私の視線の先をみて、理解したようだ。

「そっか、じゃまた放課後」

本番は明日だ。上手くいくと良いのだが。







 テーブルに着いた私は遅れた事を軽く詫びて昼食にありついた。2人はわざわざ待っていてくれたのである。全く持ってありがたい。特に篠ノ之さんとの後は特にそう感じる。気の強さとは関係ないが。因みに鷹月さんは和食、布仏さんと私は洋食定食であった。時間も無いため3人とも黙々と食べていたが、好奇心を抑えきれなくなったのか布仏さんが聞いてきた。

「真くん、おりむーの隣の人、随分怒っていたみたいだけど、どうしたの?」
「……人付き合いは難しいって話」
「蒼月君、彼女に何かしたんでしょ」
「鷹月は俺に怨みでもあるの!?」

私とて人に気を遣っているのである。





 授業も全てが終わり、鷹月さんの布仏さんにその日の別れを済ませて、さて帰ろうとした矢先一夏が血相変えてやってきた。随分と慌てているようだ。恐らく電車、リニアレールの最終便を勘違いしているのだろう。学園は都市部から離れている。その唯一の交通手段がリニアレールだ。困った事に最寄り駅の三崎口駅行は平日は18時が最終となる。これ以外の交通手段を持たない学生は事実上軟禁という訳だ。酷い話である。

「真!」
「ちょっと待ってくれ。すぐ行く」
「大変なんだよ!」
「時間はまだ大丈夫だって」
「俺達女子寮なんだよ!」
「……は?」

カラスが鳴いた。




「すいません、重要な事なのでもう一度言って貰えますか?」
「耳が悪くなったようだな蒼月。ではもう一度言う。今日から女子と寝ろ」
「織斑先生、その言い方は色々問題があります……」

 一夏に連れられた先の1組に待っていたのは千冬さん、織斑先生と山田先生だった。山田先生は1組の副担任と聞かされた。彼女らから告げられた内容は本日より寮で生活しろとの事だった。どうやら数日前に政府から通達が来たらしい。

 生徒寮と言ってもセキリュティの塊である。僅か2人のためにもう1つ作れと言われてもそうはいかないと言う事だろう。そもそも一ヶ月やそこらで作れる代物でもない。男子寮を曖昧にしていたのは、この為だったのか。見れば山田先生は随分疲れた顔をしている。再部屋割大変だったのだな。ご苦労様である。

 思いの外、政府から大事にされているようではあるが教育機関としてそれは問題ないのか。それを聞こうとしたが織斑先生の目を見てやめた。言われなくても分かっている、と如実に語っていた。

 しかし流石に今日は無茶だ。日用品もある。冷蔵庫のアイスも惜しい。一度帰宅させて下さい、と言おうとした矢先、頭に痛みが走った。私の涙目の抗議に対する彼女の回答は、帰宅は週末まで我慢しろであった。何故分かったのだろうか。何故一夏も涙目で頭をさすっている。何故人の拳がこれ程痛い。

「日用品と文房具は売店で買え。テキストは今日貰ったな。着替えは今日中に手配してやる。他に質問があれば言ってみろ」
「ありません……」

 これ以上手間を掛けさせるなと言わんばかりの物言いだった。それに気づかない一夏はせめて漫画をと言いかけもう一発貰っていた。彼女に逆らう事自体愚かだったのだ。



 教室がある学習棟と寮は約50メートル程の道でつながっている。煉瓦を敷き詰めた並木道である。幅は8メートル程度、脇にはベンチもあれば、ガス灯もある。何とも洒落た道だった。その道を山田先生と、一夏と私と、見知らぬ少女たちが歩いていた。彼女らは確認するまでも無く一夏狙いの娘達だろう。うらやましい限りだ。私たちは山田先生の案内でその寮に向かっている途中だ。織斑先生は用は済んだと、どこかに行ってしまった。

「5階以下にはみだりに立ち入らないで下さいね。親御さんとの決まりがありますので」

 前を歩く山田先生は人差し指を立てながら説明をする。同じ建屋に男が入居するに当たりフロアで分けたそうだ。別の言い方をすると6,7階に住む生徒の親御さんは了解済みと言う事になる。私らとしては助かるのだが……良いのだろうか、それは。

 何気なくIS適正の遺伝について質問したら彼女は「大人の事情です」と落ち着きの無い笑顔で答えてくれた。どちらにせよ私には縁が無さそうだ。隣の一夏は「?」と、良く分かっていないようだった。

「各部屋にシャワーとト、と、と……イレがあります。んんっ。各施設のそれは明日にでも連絡しますので、間違えないようにして下さい。大浴場もありますが、蒼月君と織斑くんは当面使えません。スケジュール調整していますので、それまで待って下さいね」

 大浴場の説明にそれは残念だと一夏が言い、私も同意した。そしたら彼女は「2人ともダメですよ! 女の子と一緒に入りたいなんて!」となんとも失敬な事を言い出した。一夏が多少引き気味に否定すると彼女は「えぇ? 2人とも女の子に興味ないんですか?! それはそれでダメですよ!」と、暴走し始めた。この人はこういう人だったと思い出す。

 耳聡い後ろの娘達が、男同士やら一夏と私がどうなど、なんとも不吉な事を言いだせば神妙な顔の一夏が私にこう言った。

「真、お前そういう趣味無いよな?」
「何でそうなる」

それはこちらのセリフだ。



 IS学園の寮2つある。1つは1年用、もう一つは高学年つまり2年3年用だ。最初はとにかく慣れろという事だろう。1年寮を柊寮、高学年寮を楓寮と呼ぶが、由来は知らない。食堂は各寮に1つずつ。因みに高学年の食堂は式典に使われる事もあり、そのメニューの数と味は1年の物より良い。私が社会人時代、時々使ったのが楓寮の食堂だ。無論、寮となる2階以上に行った事は無い。1年とはいえその禁断の地に赴くのである。少々緊張してきた。


その私の心の状態を知ってか知らずか隣を歩く一夏が話し掛けてきた。

「そうだ真、お前年上なんだって?」
「あぁ、誰から聞いた?」
「隣のお下げの娘」
「一夏、お前隣の人ぐらい名前覚えてやれよ」
「分かってるって。で、敬語にした方が良いか?」
「いや、今まで通りで頼むわ」
「りょーかい」

 この話はこれっきりだ。男はこれだから助かる。根底の価値観が同じなのだ。本当にありがたい。

「ところで、その話はいつ聞いたんだ?」
「1限目後の休み」
「そんなに早いのかよ!」

それを話したのは1限目前のショートホームルームだったはずだ。噂は早いと言うが、恐ろしい。





 あてがわれた自分の部屋は最上階の端、712号室だった。部屋は以外と広く15畳程あった。ベッドに座り一息を付く。これでよかったのだろうなと、主が居ない廊下側のベッドを見る。恐らくこの部屋は唯一の一人になれる場所だ。そう考えると、かえって良いかもしれない。2人用の部屋を1人で使うと思いの外広く感じるが、じきに慣れるだろう。思いの外、同室の友を期待していた自分を戒める。

 不必要な外出は避けるつもりでいたが、今朝鷹月さんに借りた鏡をそのまま持ってきてしまった事に気づいた為、結局は出かける事にした。それに彼女らに挨拶をしておくのも悪くない。ついでに一夏の部屋に押しかけよう。たしか706号だったはずだ。

 私は苦労する事無く布仏さんに再会した。部屋を出ようと扉を開けるとそこの彼女が居たのである。名前で呼ぶ事を目論んでいる私はつい彼女を本音と呼んでしまったが、彼女は少し考えて「良いよ」と言ってくれた。本当に良い娘だ。その着ぐるみ姿は気になるが。彼女は「これかわいいでしょ」と同意を求めてきたのでとりあえず同意をしておいた。可愛いは可愛いが何かが違う。表現が貧弱な自分が恨めしい。因みに布仏さんは711号、つまりお隣さんだった。

 布仏さんに借りた鏡を返す旨を伝えると鷹月さんの部屋を快く教えてくれた。604号だそうだ。付きそうという彼女に1人でも大丈夫と言ったら心配だからと付いてきた。僅か1フロア下である。何が心配なのだろうか。

ところで一夏はなぜ扉相手に土下座している。

 布仏さんがブラウンの扉をノックし、部屋の主に声を掛けた。その主の1人は直ぐ出るからと答えた。多少周囲の視線に耐えて待つ。扉がカチャリと音を立てた。

 突然だが、大事故というのは単純な事故が偶然にも積み重なって起こるそうだ。仕事に関係した事もあり教材で見た事がある。確か題材は飛行機であったか。その教訓は小さい事を軽んじてはならない、と言う事だ。

例えばこうである。
偶然にも、空調の調子が悪いのか少し暑い。
偶然にも、突然の部屋替え後にも関わらず布仏さんは既に部屋を知っていた。
偶然にも、男の私では無く女の布仏さんが呼び出した。
よくよく考えてみれば、鏡を返すのは明日でも良かった。

カーキ色の、ロングキャミソール1枚の鷹月さんを見てそう思うのである。





 今私たちは5人で朝食をとっている。篠ノ之さん、鷹月さん、布仏さんに一夏と私だ。コの字型の席で廊下側に篠ノ之さんと鷹月さんが、布仏さんと一夏が面するように座っている。私が上座だ。2組が遅れてきた1組を招いた格好になっているが、昨日の夕食時に遅めにくるよう一夏に伝えておいた。詫びもかねて篠ノ之さんに多少の節介を焼く、と言うのが目的である。

 その筈だったのだが、皆黙々と食べている。快晴の朝にも関わらず空気が重い。ちよちよちよ、とさえずる窓の小鳥が空回りする芸人のようだ。先程から何度か話題を振っているのだが一向に好転しない。

 鷹月さんを見る。彼女は先程から一言も無い。昨日のあの後、鷹月さんから左頬に良い物を貰い、謝り倒し、布仏さんの説得もあってとりあえずその場は納めて貰った、のだが黙々とナイフとフォークを動かしている。まだお許しは頂けないようだ。

 人生初の土下座した相手が15歳の少女だったとは誰にも言えない。

 しかし篠ノ之さんの機嫌まで悪いのは一体どうした事か。黙々と箸を動かしている彼女はむしろ昨日より悪いように思う。ちらと一夏を見るとこいつは目をそらした。一夏め、彼女に何かしたか。人の苦労をどうしてくれる。

私がどうした物かと思案していると一夏が唐突に口を開いた。

「そういえば真は部屋、誰と一緒になったんだ?」

 かちゃり、鷹月さんの手が止まった。私はまるで同室者が居るかのような一夏の物言いが、理解出来なかった。結局行かずじまいだった一夏の部屋とコイツの土下座、その2つが組み合わさり、私は思わず篠ノ之さんを見た。眼が合った。彼女は目をそらした。頬が赤かった。一夏は事も無げに言い放った。

「俺は、箒と一緒なんだけど」
「一夏! 家庭の事情をばらす奴がいるか!」

 篠ノ之さんが急に立ち上がり、顔を真っ赤にして声を荒らげた。布仏さんが2人一緒なの、と口元を両手で隠しながら少し赤い顔で質問すると、篠ノ之さんは更に顔を赤くして、口をぱくつかせた。鷹月さんも目を丸くして彼女を見ている。

 どうやら一夏には同室の友がいて、そしてそれは篠ノ之さんらしい。冗談、という訳でも無さそうだ。篠ノ之さんも家庭と言う辺りまんざらでも無さそうであるが、いくら何でもまずくはないか。男女七歳にして、と正論かざすつもりは無いが子供でも出来ようものなら一大事だ。何を考えているのかあの人は。

 そんな大した事じゃないだろ、と言う一夏に篠ノ之さんが同じ赤い顔だが、少し違う赤で一夏の頭に手刀を下ろす。一夏の馬鹿め。


「それで、蒼月君は、誰と、一緒なの?」

 鷹月さんが食器を持つ手も顔もその姿勢も変えず聞いてきた。騒いでいる2人が静かになり、私は何故か肝を冷やした。

「俺は1人だけど」
「蒼月君、嘘は許さないよ」
「……本当だって。本音も知ってる」

 思わず後ずさった私は布仏さんに助けを促す。本当だよ、と私の無実を晴らしてくれた彼女は、平然と朝食を食べながらまた非常に厄介な事を言った。

「だって真くんは隣だし」

 耳障りな音がした。フォークとナイフを陶器の皿にこすりつけた音だと分かるのに時間を要した。鷹月さんがそれを持ったままゆらりと立ち上がった。

「嘘は駄目って言ったよね、私」
「違う! 隣の部屋! 本音も正確に言う!」
「さっきから本音って呼ぶよね? いつの間に?」
「鷹月の聞きたい事って何!?」

 私を見下ろす彼女の眼が濁っているように見えるのは気のせいか。篠ノ之さんと一夏に助けを求めると、二人は青い顔で目をそらした。

 彼女を見る。彼女は怒っている。彼女は何を怒っているのか。そもそも何故布仏さんは私を窮地に陥れるような事を言うのか。いや、何故私は窮地と思うのか。状況を洗い出しても原因が見当がつかない。思考の堂々巡りに陥っている窮地の私を救ったのもまた布仏さんだった。

「ほんと、私たち大変だよねー」

 しばらくの沈黙の後、鷹月さんがすとんと座った。意味ありげな彼女の言葉をどのように解釈したのか、篠ノ之さんと鷹月さんが口を押さえくすくす笑い始めた。つられて布仏さんも笑い始める。

 状況を理解出来ず残された男2人。気恥ずかしさやら、憤りやら、安堵やら、なにやら、ただ呆然と見合わせるだけであった。





 食堂を後にした私たちは自分の教室に向かっていた。その時に篠ノ之さんと一夏は幼なじみという事を聞かされる。劇的にかどうかは知らないが、再会した2人はどこかに行こうとした矢先、私に邪魔された訳だ。なるほど、それならばあの怒りも分からなくも無い。

 学習棟の2階の廊下、その先に1-1、1-2のクラス番号が見える。朝特有の喧噪がこの学園にも満ちていた。そろそろこの2人とも一時のお別れだ。

 隣を歩いていた一夏が突然礼を述べた。

「箒ってさ、ああいう性格だろ? クラスでも浮いてて心配してた」
「別に何もしてないさ。あわよくばとは思ったけど」
「んな事はねーって。箒のあんな笑った顔小さい頃でも見た事無い。礼を言わせろよ」

 少し前を歩く3人を見る。随分打ち解けたようで楽しそうに話している。中央が背の高い篠ノ之さんというのはバランスが良い。因みに左が鷹月さん、右が布仏さんだ。何を話しているのだろうか。

「俺たち大変だな」

 一夏がそう言うと、私は全くだと笑って答えた。実際にはなんて事は無い。箒で良い、そう篠ノ之さんが言った時の彼女の顔を思うかべると本当に大したことない、そう思う。
 ふと廊下の窓から外を見る。空が高い、今日も良い日でありますように。私はそう祈らずにはいられなかった。



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特に問題無さそうなので続けて投稿しました。

(2012/3/21 追加と修正しました)



[32237] 02-02 セシリア・オルコット1
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/03/24 07:13
 廊下を行き交う少女がちらちらと視線をよせる。行き交う者は少女のみ。ここはIS学園、女性にしか使えないISと呼ばれる兵器を学ぶ学校である。ふと思えばIS女学園としなかったのは何故だろう。もっともそれは去年度までの話で、今は男2人、こいつ織斑一夏と私、蒼月真が何の因果か知らないが、ここIS学園で日々勉学に勤しむことになった。

 重ねて言おう、男は私たち2人のみ。他は全て女性のこの環境において、日々必死に生きているのである。それ故、誉れ高きこの学園で僅かばかり志が低いテーマで討論しようとも誰が責められようか。とどのつまり廊下でだべっていた。

 一夏は言う。参考書を捨てて怒られたとか、授業の内容がさっぱり分からないとか、篠ノ之さんの機嫌が悪いとか、千冬さんに5回殴られたとか。

 何の意味も無く、脈絡も無く。だが悪くない。私には記憶が無い、あるかも知れないが覚えていない。ならば無いも同じだ。同世代の男友達との会話はこれが初めてなのだ。

 そして私は言う、一夏は自業自得だと。



 道ゆく少女達の視線を一手に受け、多少引きつり気味の一夏はそういえば、と聞いてきた。一夏のお陰で私が楽だとは言わない。

「2組のクラス代表は誰になったんだ?」

 クラス代表というのは簡単言えば学級委員長だ。数ある委員長の中で学校の委員長ほど報われない委員長は居ないだろう。詳細は分からないが、恐らくはこの学園も同様だ、間違いなくそう思う。私は左手の親指を力なく自分に向けた。

「まじか」
「まじだ」
「まさか立候補したのか」
「そんな訳ない。リーブス先生に謀られたんだよ」

 つい先程3限目の授業中である。リーブス先生の謀略にまんまと乗せられ、その役を頂戴したのだ。彼女の女狐さ加減は更に磨きがかかっていた。いや容赦が無くなったが正しいかも知れない。だが一夏に私の苦難が理解出来なかったようだ。

「真、そういうのは良くないぜ。綺麗で優しそうな先生じゃないか」
「一夏、お前は騙されている」

その謀略とはこうだった。

 教べんを振るっていた彼女、リーブス先生は突如私に目を向けた。「ねぇ真ちゃん。指導者、リーダーの資質って何かしら」と言うので私は怪訝に思いながらも「周囲の人が支えたくなる人かと思います」と答えた。そしたら彼女は「では、支えたくなる人はどんな人かしら。頭が良い? 勇敢?」と聞いた。私は暫し思案した後「そういうパラメータ的なものでは無く、信頼に応えてくれる人ではないかと思います」と答えた。

 彼女はクラスの生徒全員に目を向けた。「今、蒼月君は非常に良いことを言いました。リーダーと言うのは能力で決まるものではないと先生も思います。ですから、」彼女は何故か私をまじまじと見る。「ですから貴方たちは決して能力、成績にとらわれること無く、自分の心に従って、信頼たり得る2組のクラス代表を決めて下さい」と彼女が言った。全員が私を見ていた。

あぁそうだ。彼女はいつもそうだ。ああやって私を陥れるのだ。私が一体何をした。

「なんだ。何事かと思えば、可愛がられてるだけじゃ無いか。羨ましい」
「……そのうち一夏も分かる。嫌でもな」





 タブレット上を水のように流れる縮小された学園を見て、一夏がこんな事を言った。

「真のタブレット、やけにサクサク動くな」
「あぁ俺、機械に好かれるから」
「お前寂しい奴なんだな。同情するぜ」
「一夏、お前一言多いとか言われないか?」
「言われねぇ!」

 図星のようだ。

 私は先程から学園内施設が表示されている、A4サイズのタブレットに指を走らせていた。一夏と話している最中、山田先生から受け取ったメールを思い出し、話題ついでに持ち出したのである。驚いた事に、この学園はIS用施設の他、ヒューマンサイズの施設も非常に充実していた。

 売店、図書館、室内温水プール、ドーム運動場、トレーニングルーム、ここまでは良い。大浴場に露天風呂。サウナにマッサージ、アロマテラピールーム……エステサロン。至れり尽くせりというか、正直開いた口がふさがらない。

私の手元をのぞき込みながら、一夏が溜息をついた。

「IS学園ってスゲーんだな。血税万歳だぜ」
「先月まで税金を納めていた立場としては、複雑極まりないぞ……映画館まであった」

私のぼやきに一夏が追い打ちを掛ける。

「真、俺らが使えるのは売店、図書館、映画館だけだってよ」

 一夏が指さしたメールの最後に、山田先生の「男の子は使っちゃダメですよ(*^o^*)」と言う一文があった。「何で笑っているんだろうな」と、げんなり私が言うと、一夏は「わざとじゃ無いんだよな」と達観した顔だった。



 私はタブレット上の"射撃場"で指を止めた。最初に意外と思ったが半ば軍事施設のこの学園だ。考えてみれば不思議では無い。今日にでも覗いてみるか、とそう考えていた時だった。私を呼ぶ声に顔を上げると同じ2組の相川さんが立っていた。相川さん、相川清香さんはショートカットの活発な少女だ。そのフランクな性格ですぐ打ち解けた。相川と蒼月、二つとも"あ"で始まる事も起因したと断っておく。

「真、先生が昼休みに職員室に来なさいって」
「……早速来たか」
「真はそういう顔するから、先生にいじられるんだよ」
「どんな顔だよ」
「悪さした子供みたいな顔」
「そんな顔してる?」
「してる」

 彼女は、やれやれと両の手を手を腰に置いている。どんな顔か見当も付かないが、15歳の少女に子供みたいな顔と評されるのはプライド、誇り、自尊心そう言った物が激しく傷つく。顔が怖いと言われ、今度は子供か。一体どうしろというのか。


 その時、彼女が笑顔になる瞬間を私は見た。自分の頬をこねる私を気にも止めず、彼女はその顔を一夏に向けていた。これでもかと言わんばかりの笑顔はなんとも魅力的だった。私はついでのようだ、一夏め、羨ましい。

「織斑君、初めまして。わたし相川清香。真と同じ2組だよ」
「あれ? 俺のこと知ってるのか?」
「やだなー。学園で織斑君のこと知らない人なんていないよ」
「それはそうだ。なら改めまして、俺は織斑一夏。一夏って呼んでくれ」
「なら私も清香でお願いしようかな」
「宜しく清香」
「こちらこそ一夏♪」

 「先を越された!」やら「その手があった!」やら「まだ焦る段階じゃないわ」やら「きーよーかーぬーけーがーけーかー」と、周囲に不穏当な思惑が渦巻いている。じっと彼女を見る。髪は跳ねること無く艶やかに、その衣は流れる白糸の様に乱れなく、彼女の気合いの入りようと言ったら無い。

 吹きすさぶ嫉妬の嵐を意にも介さず彼女の快進撃は続いた。

「ねぇ一夏、放課後ヒマ? 一緒に校内見学しない?」
「あぁ良いぜ。俺もまだよく分からないんだ」
「ホント?! じゃぁじゃぁ放課後にロビーで!」

 ぱぁとその笑顔をいっそう花開かせた彼女に、一夏は爽やかな笑顔で平然とこう言った。

「OK。真、遅れるなよ」

 周囲に転ぶ音がけたたましく響く。2人きりで学内を歩く、そんな甘酸っぱいものを期待していたのだろう相川さんは、私につかまり「そう来たかー手強い、さすが手強い」と力無く呟いていた。

 私は流石に不憫と思い、助け船を出そうとして、止めた。教室から発せられる妙な威圧に視線を走らせれば、そこには眼力で人を殺めかねん程に眼を釣り上げた篠ノ之さんが立っていた。ぐぬぬ、と今にも斬りかからんばかりの様相で控えている。義理と人情なんとやら。結局私は心の中で相川さんに詫びた。

 だが彼女は前向きだった。がばっと顔を上げると笑顔でこう言った。

「えっと、まぁこの際良いかな! 本丸を落とすには側溝から埋めなきゃね!」

 彼女の逞しさに私はついぼやいた。

「清香、側溝って俺の事か?」
「大丈夫! 気にしてないから!」
「あのな……」
「一夏! じゃぁ今日の放課後に!」

 一夏はおう、と多少たじろいで彼女に了解の旨を伝える。だが彼女の命運はここで尽きた。影のように揺らぐ少女達に囲まれ、「相川さん抜け駆けは許さないよ」、「清香少し頭冷やそうか」、音だか声だか判断つきかねる言葉と共に、どこかへ連れ去られた。

「不憫な」

 私が呟くと、遠くから悲鳴が聞こえた。廊下の先に居るであろう相川さんに同情の念を送る。一夏は平然とこう言った。

「誰がだよ。というか見学どうする?」
「……一夏、お前鈍すぎだろ」
「何のことだ?」

 全く理解していない一夏だった。





 相川さんが姿を消した先を、ぼんやり見ながら何の話だったかと頭をひねる。すると一夏が、リーブス先生の話だというので、私は彼女は美人だが狡猾なんだと、続けた。一夏はそういう人もいるぞ、余り了見の狭い事言うともてないぜ、と何とも分かったようなことを言う。一夏の知り合いにそういう人が居るのか、記憶の糸をたぐるように窓から空を覗いていた。飄々浪々にみえて一夏は実は包容力のある奴なのかもしれん。コイツがもてるのも、なんとなしに分かったような気がした。

「一夏、俺が言いたいのは程度って事なんだ」
「そんなにか」
「そんなにだ。常に2手3手先を読み、からめ手を使う。ねぇ真ちゃんと言った時にはす既に逃げ場は無い。俺は金髪の女性に偏見を持ってしまいそうだよ」

 と、大げさに目頭を押さえる。誇張していったのは単に一夏の同意が欲しかっただけで、実際のところは一夏の言うとおりだ。私の基準にする女性が剛胆すぎる、のもあるだろう。咎められるのも覚悟の上である。だがどうしたことか、一夏は口をへの字に結んで唸っていた。「当たらずとも遠からず、かもな」と意外な事を言う。

「ウチ、1組にも居るんだよ金髪の娘が」
「狡猾なのか?」
「悪い娘じゃないと思うんだけどさ、なんというか、凄い」

何とも要領を得ない。





「よろしくて?」

 初めて聞いた彼女の言葉は奥ゆかしさを響かせる物だった。その眼は透き通るような青で、その髪は日の光でその有り様を変える、彼女はまごう事なき金髪碧眼の美少女だった。立ち振る舞いといい香水といい、一目で育ちの良さが分かる。廊下では無くしかるべき場所であれば、更に美しく見えただろう。

 彼女、セシリア・オルコットという少女の事は知っていた。なんと言う事は無い、学年名簿に写っていた金髪の少女が彼女だったのである。その鮮やかな金髪は紙面に並ぶ面々の中で一際目を引いた。1組ならば合同授業で話す機会もあるだろうと、密かに心待ちにすらしていた。

 だが、次、その次、更にその次、彼女から発せられる言葉、一つ一つが私を苛立たせた。ISと共に世界に生まれた女尊男卑、私が嫌悪する歪んだこの思想を、残念な事だが彼女は持っていた。


「貴方が2番目の方かしら」
「……そうだけど、なにか用?」
「まぁ! なんですのそのお返事は。私に話し掛けられただけでも光栄なのですから、それ相応の態度をなさい」
「えっと……」

 私はふむ、と短い思案のあと軽く息を吐いて彼女に跪く。彼女はさも当然の如く両の手を腰に当て、胸を反らした。一夏がおいおい、と声を掛けてくる。周囲がざわつく。私は跪いたまま顔を上げ両手を広げこう言った。

「あぁ麗しの君よ! 何故憂いの霧でその身を隠されるのか! その瞳は我が魂、その髪は我が体。その霧を晴らす為なら、この身を万の刃に晒す事など厭わぬものを!」

 辺りが静まりかえる。呆気にとられた彼女の頬が次第に赤みがかり、私はこう続けた。

「ただし気立てのいい人げんてー」

 辺りに鈍い音が響き渡る。一夏が微動だにしていないのが、無念だ。まぁ惚けた顔をしているので良しとする。彼女は、顔をこわばらせていた。

「あ、あ、あなた私を侮辱してますのっ!?」


 私が汚れた膝を手で払っていると、彼女が同じ赤だがやはり少し違う赤で詰め寄ってきた。ISが世に知られてから女尊男卑の風潮が世界中に蔓延している事は知っている。彼女ほどともなれば実力もあるのだろうが、だからと言って馬鹿正直にとりあう義理も無い。

「イギリスは知らないけど、日本では君を気立て良しとは言わないんだよ。ミス・オルコット」
「真、知ってるのか?」
「すこしね。イギリスの代表候補で専用機持ちのエリートって程度だけど」
「そう! 私はエリートなのですわ! 本来なら私のような神に選ばれし者と学びを共にするだけでも奇跡!」

 エリートという言葉で我を取り戻したのか、彼女は器用にもくるくると踊った後、見下すように私を指さした。

「あなた方は己の身分を弁えなさい!」





 彼女は険しい表情を私たちに向けている。騒ぎを聞きつけた生徒達が廊下に溢れ、私たちを取り囲み始めた。各々が囁くように思惑を話し合っている。彼女の整った容姿とその尊大な振る舞いに当てられたとはいえ、冷やかしたのは私の失策だった。これ以上の騒ぎはまずい。それに彼女は1組だ、クラス間の問題になると面倒な事になる。彼女に頭を下げるのは不本意だったが、私は彼女に謝罪した。だが彼女は事を荒立てないという、私の思惑など全く頭に無かったようだ。彼女はあくまで自身の自尊心を守り、そして私の逆鱗に触れた。


「……ふぅ。所詮極東の猿は猿でしたわね。多少は知性があるかと思ったのですけれど、とんだ無駄足ですわ」

 詰めよろうとした一夏を俺は手で制し、彼女を両の眼で捕らえる。自分が変わったのが自分でも分かった。堅くなった雰囲気に周囲の雑踏が消えた。彼女は一瞬怯んだようだったが、直ぐに不遜な表情で自身の髪を手ですくい、続けた。

「今なんと言った?」
「あら、お気に召しませんかしら。極東の猿、これ以上相応しい名はなくてよ」
「この極東の、猿とは日、本人の事か」
「他に無いでしょう?」

 俺の中の何かが弾けた。世界が色あせモノクロになる。形を得た音が俺の周りを漂い始め、そして感覚が痛むほど冴えた。臭い。この女、臭くて反吐がでそうだ。

「あのさぁアンタ」

 自分が呼ばれたと理解するのに時間を要したこの女は暫くしてから顔を歪ませ赤くした。豹変した俺を一夏が驚いたように見ている。

「アンタが自分を卑下して悦に浸る、ちょっと変わった性的嗜好を持っているのは良く分かった。けどな変態と知り合う趣味は無いんだ。さっさと失せろ」
「な、なんですって!」
「そりゃそうだろ。その猿(日本人)の作った物(IS)を着て喜んでいるなんて、変態じゃ無ければ、なんだ。道化か?」
「このセシリア・オルコットに向かって何という暴言……決闘ですわ!」
「断る」
「あら、殿方が逃げるおつもりかしら。ならば猿にも劣りましてよ!」

 あんな事を口走ったんだ。ごめんで済ます逃げ道など残さん。そのゴミ臭い面を惨めな泣きっ面にしないと気が収まらないんだよ!

「俺に利が無い。それに言った筈だ変態と関わる趣味は無ぇ。プライドとやらを守りたいなら国へ帰りな。それともおうちの外は初めてか? ならパパにでも泣きついたらどうだ。助けてってな」

 視界が一瞬白くなる。左手に掴んだ物が投げられたハンカチと気づいたのは、オルコットの全く余裕が無くなった顔を見てからだった。

「決闘ですわ」
「くどい」
「よろしい、貴方が勝てばこのセシリア・オルコットを好きになさい。焼くなり煮るなりお好きなように」
「いいだろう。後で泣いても取り消さんぞ」
「結構。猿2匹まとめてかかっていらっしゃいな。手間が省けるというものですわ」

 何の事かと一夏を見ると、こいつも決闘を申し込まれたらしい。見境なしか、この狂犬。





「面白い事になっているじゃない」

 いつの間に来ていたのかリーブス先生が後ろから声をかけてきた。俺らの殺気だった空気を物ともせず歩み寄ってくる。そしてその後ろには、あの人の姿も、あった。

「話は聞かせて貰ったわ。真ちゃん、ISは手配しておくから安心なさい」

 千冬さんが元々1組の問題でと詰め寄るが、彼女は意にも介さずいつも通りの柔らかい表情でこう続けた。

「良いじゃない。この子達の良い"切っ掛け"になるわ。それに織斑先生、あの真ちゃんがこうなった理由が分からない訳では無いのでしょう?」

 千冬さんは私をちらと見ると渋々納得したようだった。彼女から決闘は来週月曜日の放課後、第3アリーナで行う事を知らされた。

「……話はまとまったな。一週間後が楽しみだよ」
「本当に。これ程待ち遠しいのは生まれて初めてですわ」






最悪だ。

 頭を手すりにぶつけ、髪をかきむしる。心地良い屋上の風景が今はあまりにもわびしく見えた。蒼月真、お前はあの醜態をさらすためにその名前を名乗っているのか。

 極東の猿、恐らくあの娘は余り深く考えずに発言した。敢えて言えば一夏と私に対してだろう。だがその言葉を聞いた時、その意味を理解した時、それにあの人が含まれていると一瞬でも考えた時、私は自分を抑える事が出来なかった。あれが15歳の少女に向けて良い言葉か。考えるまでも無くやり過ぎだ。更に己の復讐心を満たすため挑発までしたのだ。無様にも程がある。

「4限目さぼってしまったな……」

 聞く相手も居ない屋上で私は独りごちる。あの後我に返った私は生徒がクラスに戻る混雑に紛れ屋上に逃げた。とても授業を受ける気分になれなかった。クラスの皆に嫌われたかも知れない。今思い出せばオルコットととの喧嘩の最中、周囲の彼女たちは怯えていた。その中に2組の生徒もいた。当然だろう、あんな事をしでかしたのだから。だが賽は投げられてしまったのだ。最早無かった事には出来まい。私は深くため息をついた。全くと言って良いほど気が進まなかった。

 もうどうなろうと知った事では無い、負けても構わないと卑屈な心に支配されかかった時、布仏さんが側に居ると気づいた。それ程までに塞ぎ込んでいたのかと自分を嘲笑した。そしてそんな自分を彼女に見せたくないと思った。

「済まないけど1人にしてくれないか。きっと酷い顔をしているから」
「真くんは大切な人を思って怒ったんだよね?」

私は彼女の言葉が理解できず、振り返りもせずじっとしていた。

「みんな怒ってないよ、心配してるよ。だから早く帰ってきてね」

彼女はいつもの優しい声でそれだけ言うと足早に階段を下りていった。


 彼女の暖かく柔らかい空気がとても心地よかった。視界がぼやける。私が涙もろいとは知らなかった。海の風が優しく凪いだ。帰る、か。……そうだな自分だけいつまでも黄昏れている訳にもいくまい。クラスの皆にも迷惑を掛けたのだ。私はようやく腰を上げた。





「「おそーい!」」

 私を出迎えたのは彼女らの笑顔と元気な声だった。皆は私の帰りが遅い事を口々に非難してきた。昼休みがどうとか、昼食がどうとか、あの一件についてだれも非難しなかった。正直に言えば叱咤されこそあれ激励を受けるなど考えてもみなかった。皆は何も変わっていなかった。私はその予想外の事になんで、と言うのが精一杯だった。

「酷い事言ったのはお互い様だしね!」
「日本人を馬鹿にされて怒っているのは蒼月君だけじゃないってこと!」
「私は日本人ではないけど彼女は酷いと思う」
「オルコットさんなんてこてんぱんにしちゃってよ!」

「みんな……」彼女らの気遣いが身に染みる。全ての不安が一転安堵に変わった。しまったこれはもう泣きそうだ。

「あー蒼月さん泣いてるー」
「年上なのにねー、男の子なのにねー」
「う、うるせー、泣いてない! 安心してない! 喜んでない!」

 ツンデレ入りましたー、と誰かが笑った。布仏さんは両の手を合わせて喜んでいた。鷹月さんは眼が合うと黙って頷いた。なんと言う事だ、これでは適当に済ます事など出来ないでは無いか。そうぼやいた口とは裏腹に体に力が満ちていくのを私は感じた。


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オルコッ党の皆様方、大変失礼しました。



[32237] 02-03 セシリア・オルコット2
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/04/08 09:32
 どうも変だ。

 そう感じたのは放課後の寮に帰ってからのことだった。先程から妙な視線を感じる。今思えば、教室、廊下、屋外、食堂、いずれもそうだった。珍しい動物を見る視線ならば何度も浴びた。だが、これは少し違う。なんと言えば良いのか、そう、まるで拒絶されるようなそんなものだった。

 はて、と首をかしげつつも、身に覚えがない以上どうすることもできない。しばらく様子を見ようと遅い夕食を求めて部屋を出た。気がつけば時計の短針が8の字を過ぎている。オルコットさんとの一件の後、リーブス先生にそれはそれ、あれはあれと授業をふけた罰を頂いたのだ。一夏達に先に済ますよう伝えておいたのは正解だった。

 カレーライス位は残っているだろうと、エレベータに向かう。窓から見える空は既に暗く、廊下のオレンジの灯が足下の絨毯を柔らかく照らしていた。エレベータ前に少女が居る、そう気づいた時にはその少女も私に気づいていた。その少女は、セシリア・オルコット嬢だった。彼女は私の姿を認めると、これでもかと言わんばかりに不機嫌そうな雰囲気を放ち始める。彼女は同じ7階のようだ。ラッキーセブンとはもう呼ぶまい。

「あら、ここでなにしていらっしゃるのかしら。これはエレベーターという人類の文明ですわよ。早く檻にお戻りになったら如何かしら。この極東の猿」

 不機嫌どころではなかった。

 先程までなら部屋が檻ならあんたは犬だ、と言い返したであろうが、もはやそういう気にもなれない。不用意なことを口にせぬよう、唇をきつく結ぶ。だが、はいそうですかと階段を使うのも負けたようで癪に障ったから、意地でこのまま乗る事にした。

 「猿と乗るのが嫌なら階段をお薦めするよ。ダイエットにも良いんじゃないかな」という私の精一杯の皮肉に、「歩くと知恵が上がるそうですわよ、貴方こそ階段をお使いになったら?猿から類人猿位には進化出来るのでは無くって?もっとも進化するほど頭の余裕は無さそうですけれど」と、言いたい放題だった。



 エレベーターがちんっと扉を開いた。

「「……」」

 私たちの牽制に臆したのか、扉がすぐ閉じ始める。やむなく私が手を入れ、扉に設けられた挟まれ防止用のドアスイッチを押さえた。

「「……」」

 エレベーターがぶーんと低い音を立てている。早く乗って下さいと言っているような音に聞こえた。

「早く乗れば?」
「……どういうおつもり?」
「レディー・ファースト」
「なにを今更、白々しい」
「なら俺は先に乗って俺だけ下りるけど」

 彼女は一睨みすると、ふんっとそのままずかずかと乗り込んだ。私もそれに続く。エレベーターの動作音だけが響き、フロア表示灯が次第に小さくなっていった。

 こういう時は互いに距離を取りそうな物だがな、とあくまで扉の前に陣取る彼女を見て内心苦笑した。もっともそれに張り合う私も大概だ。彼女の横顔を見る。相変わらず眉を寄せ、眼と口をきつく結んでいた。

 何かを言うべきだろうか、だがなにを言う。彼女は決闘の相手だ。今更詫びなど入れられないし、入れたところで意味が無い。決闘は行われるのだ。


 扉が開いた。

「今度の決闘、意外な物をお見せするよ。楽しみにしていてくれ」

 意味が分からない、と彼女は訝しげに私を見上げる。それを別れの挨拶にし彼女と別れた。その時である。数名の少女が彼女に走り寄り、またどこからか言い争う声が聞こえた。

「オルコットさん大丈夫? 何かされなかった?」
「駄目だよ1人で乗るなんて」
「あんな奴、消えれば良いのに」

 一体何のことですの、と戸惑う彼女の問いに、その少女らは私を睨み付けて答えた。諍いの声が食堂に響く。


……そういう事か。





 食堂の隅に並ぶ白い1本足のテーブル。そのテーブルをベージュのシートが囲んでいた。窓から見える樹木がその葉で朝日を揺らす。私はコーヒーを口に含みつつ、篠ノ之さんと一夏を正面に見た。この違和感は何だろうか。周囲から注がれる視線か、それともこの場に3人しか居ない事か。

「真! お前、そんな事を言ったのか!」

 彼女、篠ノ之さんの剣幕で朝食をのせたお盆が揺れた。一夏も険しい顔をしている。そして周囲の生徒が胡散臭い顔で私たちを見ていた。私はコーヒーカップを静かに置いた。

「あぁ、2人とは事が済むまで会わない事にしたんだ」

 昨夜、私は鷹月さんと布仏さんの2人に授業以外で会うのは控えよう、と伝えた。2組の皆には寮のメールで伝えた。篠ノ之さんに2人が居ない事を問いただされ、そして彼女の怒りをかった。



「何故だ! 説明しろ! あの2人がどれ程心配したと思っている!」

 篠ノ之さんが両の手をテーブルに叩きつけ身を乗り出してきた。つり上がった目を見る。彼女の怒号はこれが2回目だ。だがこの間のとは比較にならないな、とても堪える。

「落ち着けよ箒。そんなんじゃ答えようにも答えられないって」

 隣に座る一夏が彼女の肩に手を置いて窘めるが、その目は返答次第では容赦しないと雄弁に物語っていた。私は自分を落ち着かせる為にもうひとくちコーヒーを飲み2人に噂だよ、と伝えた。

 オルコットさんとの一件は噂として学園中に広まった。それ自体がそういう物であるように人から人へ形を変え、私の悪意だけが強調された。そして、私を知る人達とそうで無い人達との諍いになってしまったのだ。

「昨晩の事だよ。ウチのクラスの相川さん、一夏は知ってるな? 彼女と他所のクラスの生徒が言い争いをしていたんだよ。俺をかばう、かばわないで、ね」

 篠ノ之さんには思いも寄らない事だったようだ。狼狽して後ずさった。その声はとても小さくうわずっていた。

「な、なんだそれは、あれはオルコットと真の問題だろう……」
「噂ってのは厄介なんだよ。尾ひれ背びれが付きどう変化するか予想が付かない。誰もが真実を知ろうとする訳じゃ無い。しかも俺は男だ。それだけで悪い方に傾くには十分さ」

 私は軽く自嘲気味につり上がった自分の目を指さした。篠ノ之さんが唇と握り手をきつく結んでいた。彼女の気性ならさぞ悔しく思うだろう。私とてそうだ。2組の2人に告げた時の彼女らの表情は今思い出しても辛い。だがこればっかりはどうにもならない。一夏は納得してくれたようで表情を緩めた。だが彼女は更に深いところへ落ちたようだった。

「どうしてそうなってしまうんだ! 真! お前は悔しくないのか! 理不尽にも程がある!」

 悔しくない訳あるか、と私は言った。

「でもな箒。俺は彼女ら同士をこんな事で争わせたくないんだよ。悪化すれば行き着く先は碌なもんじゃ無い。箒なら分かるだろ? それに俺らは、俺は、元々異端だ。それに戻るだけさ。なんてことない」

 そんなこと私は納得出来ない、と彼女が言った。俯いて体を震わせていた。

「納得出来なくてもいい、ただ理解してくれ」

 だから箒も俺に構うな、そう伝えきる前に彼女は感情を爆発させた。

「ふざけるな! 納得も理解もできるか! 私は嫌だからな! そんなこと認められるか!」

 私は静かに見上げ彼女を見た。彼女は顔を歪ませ苦しそうだった。どうしてこうなってしまうのだろう。彼女をこうさせないようにしたのに。結局こうさせてしまった。私も彼女にこれ以上言う事が出来なかった。

 そんな私を見かねたのか、今まで黙っていた一夏が口を開いた。

「真、俺も男だ。そういうのは良く分かる。けどな箒には逆効果だぜ。こうなったら梃子でも動かない意地を張るぞ、箒は」

 一夏は笑いながら彼女を指さした。唇をきつく結んで私を見下ろす篠ノ之さんの目には確固たる決意の炎を灯していた。もう腹を括るしか無いらしい。私は残りのコーヒーを飲み干すと、彼女に助けてくれと言った。彼女は馬鹿者と、ようやく笑ってくれた。





 セシリア・オルコット、この名で調べて真っ先に知れたのがグラビアだった。代表候補ともなるとアイドルの真似事もするらしい。まぁイメージ戦略という奴だろう。人間見た目が9割ならば仕方あるまい。ただ、いずれの写真も憮然としてたのは苦笑を禁じ得なかった。かえって年相応の少女に見え、親しみを感じたのは私だけでは無いだろう。

 次にオルコット家。彼女の家の事は色々分かった。彼女の家は王室とも縁のある正真正銘の貴族だった。そして彼女の身内の事も。その記事には事故とかいてあったが真相は不明らしい。この事に関してはあまり探りを入れる気にならなかった。

 そして、イギリス代表候補、第3世代ISブルー・ティアーズパイロット。エリート中のエリートだ。彼女は強い。見つかったライブラリーは僅かだったが、彼女の強さを知るには十分だった。頭に血が上ったとは言えとんでも無い相手に喧嘩をふっかけたものだと思う。

 だが私にも引けない理由ができた。そうだな、王道の物語(スタンダード)も悪くは無いが意外性があれば観客(オーディエンス)も盛り上がる。彼女にもそれを知って貰うとしよう。



「あの、箒さん? そろそろ機嫌直して頂けると助かるのですが」
「もくもくもくもくもく」

 決闘までもう日が無い。今すぐにでもISを動かしたいところだが訓練用ISには限りがあり予約をしなければ使えない。そして当日まで予約が埋まっていた。ならばISを知る事と自身の訓練を行うしか無い。訓練はどうとでもなる。問題はISの知識だ。残念な事だが町の書店に"猿でも分かるIS! 基本編"と言った書籍は無い。自力で覚える必要がある。

「えーと……」
「……もくもく、ゴク」

 だが私はISの授業が遅れている。入学が急遽決まった為それなりの準備しか出来ていないのだ。参考書は流し読み程度である。メカニズムは社会人時代に携わった事もあり、ある程度心得があった。しかし運用、操縦に関してはお手上げ状態だ。正直なところ篠ノ之さんの手助けは有難いのだが―

 味噌汁の椀を口に当てて含む。ご飯茶碗に持ち替え鮭をつつく。終始眉をひそめたまま、むっすりしている。にべもない。知っているはずの穏やかな朝食が今はもう思い出せない。あの後とりあえず朝食を、と食べ始めたまでは良いのだが、少しずつ立腹具合を増されたようで、今では口を利くどころか眼さえ合わして貰えない。篠ノ之箒、ご機嫌のほど推して知るべし。


 一夏は一夏で、おい真。箒の機嫌損ねやがって。どうしてくれるんだ。ISを教えて貰う算段が台無しじゃねーか、このバカ真。と先程から何度も眼だけで文句を言っている。コイツとは短い付き合いだが大体あっているだろう。というかバカとはなんだバカとは。一夏にバカとは言われたくない。そもそも一夏には1人で来いと伝えておいたのだ。にもかかわらずヘラヘラと締まりの無い顔で彼女を連れてきやがって。少しは責任を感じやがれバカ一夏。

 そうしたら一夏が、箒が無理矢理付いてきたんだと、さも俺のせいじゃないみたいな事をやはり眼でぬかしやがった。なんて言いぐさだ。女の子を盾にするなんて男の風上にも置けない。ヘタレにも程がある。先日の土下座もおおかたその辺りが理由だろう。底が知れるわ。

 箒はただの幼なじみだ。そういう関係じゃ無い。それに二股掛けてる真にとやかく言われる筋合いはねぇと、不愉快極まる眼を向けてきた。同棲している女の子つかまえて何でも無いとか、コイツ頭に蛆が沸いている。間違いない。それに誰が二股だ。彼女らは気の良い親しい友人だ。その物言いは彼女らに失敬だ。恥知らずが。

 最後に一夏は両手の平を上に向け、ふふんと、いちいちしゃくに障る眼をしやがった。おれ知ってるんだぜ、静寐を覗いてビンタされ、往来で土下座したってな。しかも本音に助けて貰ったとか。情けなすぎて涙出てくるぜ。このエロヘタレ。

………………………………。
………………………………。

一夏は静かに箸をおいた。
俺が置いたフォークはかしゃん、と鳴いた。

「表出やがれこのバカ一夏! そのヘタレた性根たたき直してやる!」
「しゃらくせぇ! 返り討ちだこのエロまこ大王!」

 どさくさに紛れ静寐とか、本音とか、馴れ馴れしいにも程があるわ。俺とてまだ彼女を鷹月と呼んでいるのに。こ、このやろう。


 一夏の胸ぐら掴み上げ、忌々しくも私も掴み上げられていたその時である。突然、食堂がざわついた。寮長の千冬さんが来たのかと思ったが、違う。近づく足音の主は、もう少し小柄で、どこかリスを連想させる人懐っこい顔で、そして私に懐かしいと思わせた。





「優子さん?」
「久しぶり、真」

 白井優子。会社員時代に、ここIS学園で交友を持った人だ。学園では2年生になると主に技術面で外部のIS企業と関わりを持つ事がある。彼女もその1人で、社の技術主任の渡辺さんと共に数度ISの改造調整をした。もっとも大した技術を持たなかった私は雑用程度だったが、強面の渡辺さんの間に入り彼女とはよく話した。

 快活で外を走り回る元気な少女だった彼女は、朱に染めた唇と、ほのかな香の匂いを漂わせ、静かに佇んでいた。ほんの数ヶ月ぶりの再会であったが思いのほか長いものであったらしい。彼女の喉元にある赤いリボンが揺れ、それが3年生だと教えてくれた。そして操縦課主席を証す金色の校章が襟に光る。

 素知らぬ顔で食事を続けていた篠ノ之さんもその顔を上げる。取っ組み合う一夏と眼が合った。

「思った以上に元気で安心した。取り越し苦労だったかな」

 楚々と笑う彼女を見て、慌てて組み合う手を放す。随分と恥ずかしいところを見られてしまったようだ。最近自分がおかしいのは何故だろうか。騒ぐ、慌てるまったく自分らしくない。


 私は白井さんに篠ノ之さんと一夏を、2人に白井さんを簡単に紹介すると、テーブルに招いた。私の隣に座る彼女は決闘の噂を聞き、心配して様子を見に来てくれたのだった。彼女によると噂は昨日のうちに高学年の楓寮にまで及んだそうだ。その尾ひれ背びれ具合は相当なもので、オルコットさんに暴行を働いたと言う噂まであったらしい。だが複数の生徒が、主に私と面識がある人達が誤解を解いて回ってくれた。もちろん白井さんもその1人だった。

 私は言葉を失った。彼女らの懇意をどのように受け止めて良いか分からなかった。そんな思いが顔に出ていたのだろう、優しい表情でこう言ってくれた。

「深く考えず素直に感謝しておきなさい。皆もやっと真に何か出来たって喜んでるから。もっとも未だ顔すら見せない事にはお冠だけどね。私も含めて」
「事が済み次第、楓までご挨拶に伺います……」

私は頭を下げる以外の術を知らなかった。



 白井さんの近況を聞き、私もまた近況を話す。ルームメイトがどうしたの、会社の人がああしたこうした。取り留めのない内容だった。だがそんな些細な事が何故か心に染みた。気がつけば彼女が私を見つめている。何ですかと聞くと彼女は笑った。

「真は随分変わったね」

 彼女曰く随分の変わり様らしい。その言葉に反応したのは意外にも篠ノ之さんでそれほど違いますか、と身を乗り出してきた。初対面の人と話すより興味が勝ったのだろう。話題に不穏な空気が漂い始め、居心地が悪くなる。

 白井さんがテーブルに肘を載せ手を組んで宙を見ながら答えた。

「うん、とても驚いた。あの真が織斑君ととっくみあいして怒鳴っているなんて我が目を疑ったわ。初めて会った時は良く言えば大人っぽい、悪く言えば可愛げが無い。私たちがどんなにちょっかい出しても、愛想笑い程度で笑ったり怒ったりなんてしなかったんだから。卒業した先輩方々に教えたら驚くわよー」

 今しがた自覚した事であり、自分でも折り合いが付いていない事を言及され、気恥ずかしさを覚えた。篠ノ之さんはぽかんと呆けた顔で私を見ている。自然と右手が頬を掻いた。

 今まで黙っていた一夏が口を開いたと思うと「お前むっつりだったのか」と暴言を吐いた。白井さんは「自制心の塊が正しいかな」と実に徳が高い回答をしてくれた。

 私は一夏を睨む。

「後で覚えておけよ、一夏……」
「聞こえねー」

 そんな私を見て白井さんはにまりと笑った。

「そういえば、唯一反応した話題というか人が居たよね、まぁこれは伏せておいてあげようかな。ねーまこと♪」

 彼女は私の左頬を突きながら悪戯っぽく笑う。当時、千冬さんの事で良くからかわれた。敬愛はしていますが、そういうのじゃありませんと、何度言ったか分からない。その度に彼女らははしゃぎ、また繰り返すのだ。前言撤回だ。彼女は変わっていない大人っぽくなったのは気のせいだ。

 口をへの字に結ぶ私を見て彼女は笑って席を立った。

「真、そろそろ戻るけどこっちは心配しなくて良いからね。みんなあなたの事分かってるから」

 必ず挨拶に行きますと私が言うと、彼女はよろしい、と言った。そして私の頬に唇を当て、足早に立ち去った。





篠ノ之さんと一夏の視線が痛い。

「真、お前一体何人いるのだ……」

咎めるような彼女に私は慌てて釈明した。

 「違うって。彼女は親しくて優しい友人、先輩か。そう言うのじゃ無い」と私が言うと、一夏が「ならさっきのキスは何だよ」と言った。「頬にキスぐらいなんて事無いだろ」と私が言うと篠ノ之さんの視線が氷のように冷たくなった。足の踏み付き具合が悪くなったような気がする。

 「言っておくけど、頬にキスなら去年さんざんされたぞ。優子さ、白井先輩の同期に外国の人が居るんだ。彼女は挨拶代わりにしてきたからな」と私が言えば、篠ノ之さんは「白井先輩はその唐人ではないだろう」と、しかめ面だった。私は「感化されたんじゃ無いか」と答えた。

 何故か徐々に機嫌が悪くなる彼女に、尻込みをする。どうやら2人は白井さんが私に好意を持っていると思っているらしい。それは無い。残念ながらそれは無いのだ。

 だから私は「去年、彼女の理想を聞いたことがある。非常に立派なものだった。少なくとも俺は合致しない」と言った。そしてあろう事か一夏は「真、お前鈍すぎだろ」と、とうてい看過出来ない事を言いやがったのだ。相川さんの一件を棚に上げて、よくもまぁいけしゃあしゃあと。だから「俺が鈍いかどうかは知らないけど、仮にそうだったとしても一夏にだけは言われたくないわ。この朴念仁」と言い返した。

一夏はふらりと立ち上がりこう言った。

「真、ちょっと表出ろ」

私も立ち上がり言い返した。

「良いだろう、さっきの決着つけてやる」

首と指を鳴らす一夏と私に、篠ノ之さんは目頭を押さえながらこう言った。

「2人とも、馬に蹴られて地獄に落ちろ」
「「こいつと一緒にするな、箒」」

 一夏と声が重なる。ハモるという言葉がこれ程呪わしいとは知らなかった。

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セシリア編ですが本格登場するのはもう少し後です。




[32237] 02-04 セシリア・オルコット3
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/04/08 09:40
 街灯が灯りはじめた誰も居ない道を1人歩く。静かなものだ。太陽がその日の勤めを終え、天が赤から青、青から黒になりつつある。桜咲く頃とは言えまだ肌寒い。残念ながらお気に入りの防寒具はリニアレールで30分先だ。腕を摩っていると、痛っと思わず声がでた。腕をまくるとさすった所が竹刀状に赤黒く腫れ上がっている。

 篠ノ之箒は善良な少女だ。竹の割ったような気性は話しているだけでも快くなる。万事斜に構える私には尚更だ。多少の人見知りも愛嬌と言っても良いだろう。だが、とその箇所をじっと見る。

 この一週間で気づいたのだが、彼女は案外その場の空気に流されやすい。剣道場で、自室で、剣の稽古中とISの勉強中。道場では剣客のように振る舞い、自室では一夏と眼が合うだけで、ぽやんとした表情を作る。そして私の存在を思い出しごほごほと取り繕うのだ。恐らく一夏がその気になれば彼女は戸惑いながらもその身を委ねるだろう。……無性に腹が立ってきた。



 さらに歩き続けると周囲が洒落たものから無機質なものへと変わりはじめる。IS学園ハンガー区画。その名の通りISを整備格納する施設が建ち並ぶ場所だ。オイルや焼けた金属の臭いが鼻につく。華やかなIS学園においてもこの懐かしい臭いとは無縁でいられないらしい。

 先程のことだ。部屋備え付けの多機能端末にISの準備をするから、と上級生からの呼び出しの連絡が入った。準備というのはファーストシフトの事で少々乱暴だが操縦席のシートの位置をパイロットに応じて自動調整する事と同じだ。

 ISコアはパイロットとフレームの間を取り持ち、パイロットの意志をフレーム、つまり駆動装置や兵装管制装置に伝えその意志を具現化する。また逆にセンサーからの情報をパイロットに伝える。コアの重要な役割の1つだ。ともすれば1秒以下の世界で戦うIS戦においてこの伝達速度と精度は非常に重要となる。ファーストシフトとはその伝達をパイロットの個性に応じてISコアが自動最適化する作業を言う。もちろん工場出荷時とファーストシフト後では比較にならない。

 考えてみれば前日に時間がかかるこの作業が出来るのは幸運だ。一夏にも第3世代の専用機が用意される。良い風が吹いているようだ。




 程なくして指定された第7ハンガーに着くと、煌々とする灯のもと深緑のISに乗りかかる白いツナギの少女が居た。他には誰も居ない。どうやら彼女が連絡主にして今回の担当整備士らしい。作業に集中しているのか私が居ることに気がつかない彼女は、タラップにつま先立ちでパイロットが収まる場所に頭を埋めている。埒があかないので声を掛けると、少しまって、と脚を上げて返された。ゆっくりと揺れる尻と脚を見てどちらが失礼なのか、どうでも良いことを考えた。

 暫くごそごそしていたが、よしと言うと彼女がその顔を上げた。そして私の姿を確認するとにまっと笑う。ともすれば嫌味にもとれるほど大げさな笑顔だったが愛嬌があった。どうやら悪い印象を持たれている訳では無いらしい。彼女は黒い髪を後ろで結い上げ、多少つり上がった目から感じるきつめの印象を眼鏡で和らげていた。

「お、来たわね。蒼月君」
「1年2組の蒼月真です。整備ありがとうございました」
「あらま、これはご丁寧に。2年4組、整備課の黛薫子だよ、よろしく。整備って言っても確認と軽いメンテだけだからね。たいした事してないよ」

 第1印象とは裏腹にフランクなようだ。手にしたタブレットをはたはたと振っている。学園の生徒は2年への進級時に操縦課と整備課に専攻が分かれる。操縦技術を磨く操縦課、ISテクノロジーに通じる整備課だ。整備課とは言ってもテストパイロットの意味が強く、華やかさに欠けるが操縦にも技術にも長ける彼女らは世界中の企業や軍隊から重宝されている。


 彼女はタラップから下りるとISに手を掛けた。

「この子がご指定のラファール・リヴァイヴだよ。でもこの子かなり気むずかしいよ? 君は入試の時もこの子に乗ったみたいだけど」
「ええ、こいつで良いんです。一番しっくり来たこいつで」

 デュノア社製、第2世代型ラファール・リヴァイヴ、学園登録ナンバー38。私はそのナンバーにかけて"みや"と名付けていた。残念ながら専用機で無いためそれを知るのは私だけだ。

 ラファール・リヴァイヴはフランスの第2世代ISで世界中で運用されているベストセラーだ。左右の巨大な物理シールドと豊富なオプションを特徴に持つオールラウンダー。入試の時、入試と言っても形式上のものだったが急遽試験官が変更されたため待たされついでに幾つかのISを乗り比べた。ハンガーの隅に追いやられるように、少し埃をかぶったコイツがもっともしっくり来た。気むずかしさなど全くない。コイツ以外には考えられなかった。

 みやに手を触れる。

 すると命を得たように青白く光り、低く唸りを上げた。各デバイスが作動し、みやからの情報が私に伝わる。ざっと2ヶ月ぶりだな、みや。なんとなく返事をしたような気がした。

「はぁー頭じゃ分かっていたけど、我が目を疑う光景だわ」

彼女の感嘆に私は目だけで答える。

「じゃファーストシフトやっておこうか」
「えぇ、でも急ですね」
「全くよ。急遽許可がでるなんて、珍しい」


 1次移行したコアを初期設定に戻すには大がかりな装置と、コアの状況にも寄るが最長で1日必要となる。このため1生徒の訓練に許可が下りることはまず無い。特別なイベントを除けば成績上位者位なものなのだそうだ。無論私は出来が悪い。訝しげな私に彼女はあっけらかんとラッキーと思えば良いのよ、と言った。確かにそうだ。


 みやに搭乗すると装甲が展開され私の体を包み、ファーストシフトが始まる。幾何学的な文様が意識内に表示され絶えずその形と色を変えている。どうやら処理を表しているらしい。みやが示したファーストシフトの処理終了時間を見るとあと1分20秒と示している。その時タブレットでモニターしていた黛さんが低い声で呟いた。

「なによこれ」
「どうしました?」
「こんな処理速度見た事無い……」

 そんなに早いですか、という私の問いに彼女は異常とまで言った。みやを通じて彼女の心拍、呼吸から興奮している事が分かった。

「俺、機械と相性良いんです。きっとそれですよ」

 異常、その言葉が私の中に動揺を生じさせた。

 微かに震えた呼吸を整えた。程なく表れた確認メッセージに承認を与える。突然世界が広がった。壁の向こう、地面の中、遙か上空まで知覚が広がる。かすかに残った体のしこりが消えた。

「個人差は確かにあるけど、そういうレベルなのかしら……」

 騒がしいハンガーが妙に静かに感じられた。





 ベッドに固定されるみやを見送る。残念ながら待機状態にして持ち帰ることは出来ないらしい。照明が消えハンガーの扉がロックされた。みやにまた明日と声を掛ける。

 空を見上げるまでもなく完全に日が落ちていた。彼女を寮まで送ろうかとも思ったが、考えてみればここはIS学園内である。不審人物がいればとうに警備ロボットがすっ飛んできていることだろう。

 流石に体がだるい。黛さんにまた明日と挨拶をして踵を返した瞬間、後ろ襟首を引っ張られた。思わず、ぐえと声をす。何事かと振り向くと、少し付き合いなさいと彼女が言った。普通に声を掛けて下さいとの私の抗議に彼女は缶のホットココアで応える。私のぐえは120円らしい。

 ハンガー近くのベンチに2人腰掛ける。街灯が静かに灯っていた。薄暗い人目に付かない場所で彼女は警戒心が無いのだろうかと思った。無かったらどうするのかと考え、そして自分を戒めた。学園の生徒は良く温室育ちと揶揄されるが、本当かも知れない。一夏はどう考えているのだろうか、今度聞いてみようと思う。



「ねぇ、実際のところどうなの?」
「なにがです?」
「噂の真相よ」

 彼女の問いはあの噂の事だった。意図を掴みかねた私は経緯を簡単に話した。

「日本人を馬鹿にされたからですよ」
「嘘ね」
「嘘じゃ無いです」
「何か隠しているでしょ」
「何故そう思うんです」
「勘」

 私が既に冷たくなり始めた缶を軽くさすると、彼女は続けた。

「あの噂は私も聞いた。中身はてんでばらばらでしかも要領を得ない。直ぐデマだって分かった。でも私、自分で確認しないと気が済まないのよ。顔見知りとは言え先輩方が君を擁護したのも気になる」
「俺の事どの程度知ってます?」
「蒼月真。16歳。孤児。1年前にIS学園近くの蒔岡機械株式会社に入社。定期健康検診先の病院で実施されていた一般IS適正試験で偶然適正が判明する。その後日本政府の指示で学園に入学し今に至る。先日発表された資料見たんだけど、合ってるかな?」
「えぇ間違いないです」

 発表内容とはね、と心の中で付け加える。しかし一体どこで知ったのか、彼女の持つ情報はたいした物と言わざるを得なかった。私の発見と発表から間が空いていたことまで知っていたのだ。

「詳しいですね、それ発表資料だけじゃ無いでしょ?」
「もちろん、いくつかの報道を合わせての事。海外のレポートも見たかな。君の事注目してたし」
「光栄ですよ」

 彼女の眼を見る。単純に興味本位という訳でも無さそうだった。彼女の信念のような物を感じた私は空になった缶を床において答えた。

「恩人が居るんですよ。その人を馬鹿にされた、そう思ったら引っ込みが付かなくなって。たいした理由じゃ無いです」
「会社の人?」
「それは秘密」

 彼女はココアを飲み干すと缶を振った。

「まぁ良いわ、大体分かった。その恩人は女の人で君はその人が好きと」
「なぜです?」
「1つは勘」
「またですか……」
「2つめは今の君の呆けた顔。どうして分かったの? って顔だったわよ」

 笑いながら言う彼女に私は思わず顔をしかめた。一杯食わされたらしい。

「もう話しませんからね」
「いい年して拗ねないの。代わりにタメ口許可するから」
「同い年でしょうが……」

 女の勘ほど怖い物は無い。からからと笑う彼女を見てそう思った。





 第3アリーナのピットは空母の内部ハンガーのようだった。全てが無機質な金属製で、床にISを固定するベッド、天井には重力式のクレーン、壁に整備用の多連ロボットアームとスタッフへの連絡用ディスプレイがある。そして発着口からアリーナ内部が見えた。そのアリーナの第2ピットが慌ただしい空気で満たされる。

駆動系統、異常なし。
防御および兵装管制に異常なし。
全システム、オールグリーン。
みやが唸りを上げる。

「ラファール・リヴァイヴ38番機、確認終了! いつでも行けるよ!」

 黛さんがその声を響かせた。

「真! こっちも済んだ! いつでも行けるぜ!」

 白い鎧を纏った一夏が吠えた。

-データリンク完了、第3世代機 白式を僚機に登録しました-

「蒼月、一夏、もう何も言わん。思う存分やってこい」

 千冬さんが告げる。みやのセンサーが彼女の僅かな震えを捕らえた。どうやら心配をしてくれているようだ。まったく貴女らしい。眼だけで彼女に応えゲートに向かう。

「いくぞ一夏」
「うーし、漲ってきたぜ」

 一夏が拳で手を打ち付け鳴らす。剣道、射撃、座学、この一週間できうる限りの事をした。全てを出し切る。



 予備加熱状態のバーニアが力強く振動しはじめると同時に、みやが人用のハッチに近づく人間が居ると知らせた。そして篠ノ之さんと鷹月さんと布仏さんがその姿を見せる。

「箒、お前……」
「これ以上待たせる理由は無いな。後は戦うだけだろう?」

 どうやら篠ノ之さんが2人を連れてきたらしい。腕を組み私を睨み上げる篠ノ之さんは聞く耳持たない、と言わんばかりだった。彼女に促され憂いを表情に含んだ2人がゆっくりとしっかりと近づいてくる。何故だろうか、クラスで毎日会ったのに随分と懐かしく思う。いつもより低い位置にある鷹月さんが、息を静め、手を胸の前に組んでその顔を上げた。

「ごめん、どうしても伝えたい事があるの。決闘の前で無いと意味が無いから」

 そんなしおらしい彼女は瞳を潤ませ、はせず足を肩幅ほど開き肩を怒らせ、

「最っ低ーーーーーー!!!!」

 と、怒鳴り声を上げた。





「なんで私たちは駄目で箒はいいの?! あの3年生は誰?! 勝ったらオルコットさんに何するつもり?! 私がどれだけ心配したか分かってる!? 絶対っ分かってないよね!? この大馬鹿まことーーーーーー!!!」
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」

 ISが女の子に土下座しているのはシュールすぎだと一夏が言った。私はだまれ、と睨み付けた。

 肩で息をする鷹月さんにかわり、布仏さんが膝を立ててしゃがむ。いつもの笑みだったがこめかみに血管が浮かんばかりの様相で、私の頬をつねった。

「まことくん、相手が相手だから絶対勝ってとは言わないけど、格好悪いのはダメだよ。それと、勝ったらデートとか道義に外れる事しちゃいけないんだからね」

「れーとって、ろうぎにはぶれるんれすか? のひょとけはん」

 千冬さんが先程から背中しか見せていない。笑っているな、笑っているのだろう。篠ノ之さんと黛さんは目に涙を浮かべて笑っていた。一夏は半眼で私を睨むとこう言い放った。

「ったく、最後までしまらねぇな。大馬鹿真」
「うるひゃい」





 黛さんが言う。
「君らの実力見せて貰うからね」
 篠ノ之さんが言う。
「2人とも勝ってこい」
 鷹月さんが言う。
「気をつけて」
 布仏さんが言った。
「2人ともがんばってね」
 そして千冬さんは無言で頷いた。

「「行ってくる」」

 重力から解放された鋼の巨躯が宙に舞う。バーニアの鼓動が増し視界が広がった。日の光の下アリーナが"一望"出来る。

「まことーー!! 負けたらはっ倒すからねーーーー!」

 ハイパーセンサーが少女の声援を拾いその方を見ると観客席に皆が居た。2組の皆、リーブス先生と小林先生が居る。先輩達も居た。みんな駆けつけてくれたのか。それにしてもはっ倒すは酷いだろう、相川さん。

 多少心許ない身のこなしで、私の横に並んだ一夏がぼやいた。

「ほんと、いい人達ばかりだよな」
「羨ましいだろ」
「言ってろ、ちくしょうめ」


 頭上の青いISを見る。さて、ミス・オルコット。勝負―






 第3世代型IS、ブルー・ティアーズ。4枚のフィンアーマーが青いドレスに錯覚させる。そして、手にするのはスター・ライトMk3。数メートルの鋼板を貫通する強力な光学兵装だ。その姿はまるで身の丈を超える猟銃を構えた貴婦人。シュールにも程があろう。

 足下の遙か先に大地がみえる、白い太陽が赤み帯び始めた高度30m、第3アリーナ中央付近。徐々に近づく青のISを目視で捕らえた。



 陽の光を浴びて、その有り様を変える金色の髪。

 胸に渦巻く思いは、興味、怒り、後悔、そして。

 この時を、どれほど待ち焦がれたか。

 女性にこれほど執着したのは、あの人以外に無い。

 セシリア・オルコット。

 今日、私の持つ全てを君に捧げる。

 さぁ、決着を付けよう。





「ようこそおいで下さいました。織斑様、蒼月様」
「「……」」

 彼女は微笑を浮かべながら器用にも空中で小さく身を下げた。優雅な青の狙撃手を見て、思わず一夏と眼を合わせる。

「待てども待てども貴方様方のお姿は見えず。お越し頂けないのかと、不安でどうにかなってしまいそうでしたわ」

 顔を伏せた彼女は、手で口元を隠しその瞳を潤ませた。一夏が怪訝そうに眉を寄せる。


 荒ぶる青き女神の御許、その湛えし怒りに恐れおののけば、招かれるは優美な宴。女神が注ぎし杯に、満たすは死を呼ぶ毒の水。怒り静める生け贄は、愚者の命と嘆きのみ……彼女からもたらされたのはそのような一節だった。

 トリガーにかかる彼女の指が小刻みに震えている。察するところ、私たちを、私を言い倒さないと気が済まないのだろう。彼女の一面を如実に表すその行為は、逆に私の心を穏やかなものにした。よかろう。他ならぬ女神(彼女)のお誘い(心理戦)だ、喜んで応る。


「ですが悲しみの雨は去りました。愛おしい草木が芽吹き、風の乙女が優しく舞う今日、お二方に再びお会い出来ましたことは至上の喜び。歌の小鳥たちも控えております。さぁ舞を奏でましょう」


-僚機白式より秘話通信が入りました-

なぁ真。一体セシリアはどうしちまったんだ。
からめ手だよ。
からめ手?
トリガーにかかるオルコットの人差し指見てみろ。
なるほど……
一夏、これから心理戦を始める。いつでも始められるように準備しておいてくれ。
挑発って事か。



 みやがクルージング(巡航)モードからアサルト(戦闘)モードへ切り替えた。量子兵装格納領域がアクティブになる。ハイパーセンサーが短距離高精度モードへ、駆動系統およびシールドジェネレータの予備加熱温度が上昇し、高速反応状態で安定動作。エネルギー消費量が僅かに上昇した。



「美しき方。貴女の純真なる心を踏みにじり、悲しみに陰らした我らの罪をお許し下さい」

-バーニア予備加熱最大 バースト機動準備完了-

「貴方の悲しみは私の悲しみ。貴方の喜びは私の喜び。貴方が微笑みを下さるならば、私の心は躍り、その身を喜びで焦がすでしょう」

-警告、敵ISセーフティ解除-

「おぉ愚かな我らをお許しくださると! その慈悲、その深き愛に悔い改めない悪鬼はおりますまい! 正しく"天より授かりし女神の涙"その慈愛に満ちた美しさに我が眼も眩むばかり!」
「まぁ、お上手ですこと」

 彼女はその饒舌加減を抑え、手櫛で金の髪を梳き始めた。赤く見える頬は私の願望かも知れない。

「そのブルー・ティアーズがね」

 ガキッと金属がかしむ音がした。流石高貴なる方だ。その笑みを保つ技には感服するばかり。多少歪んではいるが。

「ふ、ふ、そうでしょうとも。我がブルー・ティアーズがうちゅくしいのは当然ですわわ」
「噛んだ」
「噛んでなどおりません!」

 まだ冷静なようだ。

「もう結構! このような茶番付き合いきれませんわ!」
「そっちが始めたんじゃないか」
「お黙りなさい!」

 むんっと大型ライフルを構えるその姿は実に和むものだった。

「さぁお言い! 頭!? 脚? 腕? それとも胸? エメンタールにして差し上げますわ!」

-エメンタール、穴あきチーズのこと。カートゥーン"トムとジェリー"で有名-

 銃口を向けられつつも、あと一押しを考えている最中に一夏がセシリア、と口を開いた。どうやら一夏も戦列に加わるらしい。呼び捨てにされた彼女は予想通りに声を荒らげる。やれ無礼者、無法者、無能者と、いとま無い。これが彼女の地なのだろう。何とも微笑ましい限りだ。そんな罵声に一夏は物ともしていなかった。

「あれ、やらないのか? どうも拍子抜けなんだが」

 アレ? という私の問いに一夏はこう答えた。

「おほほーって奴だ」
「うほほ?」
「それじゃゴリラだよ。おほほだ。ほら腰に手を当てて小指たてるアレ」
「そんなことやるのか、彼女は」
「ヨーロッパの人って振る舞いがダイナミックだよな。真も見せて貰えよ。アレがまた凄いんだわ。日本人じゃああはいかないぜ」
「俺は嫌味か怒っている顔しか見せて貰ってない」
「あははっ違いねぇ!」


-警告 ロックオンされています-


「「……あ」」




 私たちが直前まで居た空間を幾条もの光の束が貫き、空気の焦げる臭いがその威力を物語る。いつの間に展開したのか、彼女の頭上に青いフィン状の小型兵器が荒々しく舞っていた。

「よくぞ、よくぞ言いました。このセシリア・オルコットに向かってなんたる暴言……お、おほ、ほほほほほほほほほっ!」
「ほらなっ!? うほほってーー!」
「おほほだろ、一夏ーーーー!」

 最大速力で距離を取る私たち2人に彼女はとうとう理性を放り投げる。

「この野蛮人どもぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーー!!!」

 心理戦勝利のファンファーレ(怒号)がアリーナに鳴り響く。どうやら羽目を外しすぎたらしい。彼女の形相は私を後悔の念に駆り立てた。





 50口径(12.7mm)アサルトライフル"レッドバレット"を量子展開。FCS(Fire Control System:射撃管制システム)作動。"意識"に照準とライフルコンディションが浮かび上がる。高度750m。ブルー・ティアーズまで距離700m。FCSが有効射程外と警告を発する。

 足下から絶え間なく走るレーザーを躱しつつ急激降下。距離600射程内。青のISに向けフルオートでトリガーを引いた。照準補正が働き、振動と発射音が小気味よく響く。瞬く間に残弾ゼロ。離脱行動および弾倉交換。

 弾丸30の内半数が命中。敵ISの推定ダメージが85とCIS(Combat Information System:統合戦術管制システム)を兼ねるみやが告げた。被弾によりタイミングを逃したブルー・ティアーズの追撃をかわす。

「訓練機風情が!」
「言ってくれるね!」

 彼女は怒りの形相でロングレーザーライフルのトリガーを引いている。我を失わん程だ。その狙いもタイミングもでたらめで、攻撃後離脱の鉄則もままならない。事実、白式の接近に気づかずブレード攻撃を受け、追撃しようと私の目の前で背中を向けた。私の打ち出した弾丸が彼女を激高させる。

「おのれーー!」

 多少心が痛むが心理戦も戦術の1つ、有効に使わせて貰う。一夏はむろん、私にも慣れる時間が欲しいのでね!



-僚機白式の1次移行まで16分12秒-

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[32237] 02-05 セシリア・オルコット4
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/03/24 21:42
 アリーナのフィールドが、水平から左に回転、直立すると右に流れた。視界が空に染まると、その中に一際青いものが見える。その直後、光弾が空気を激しく叩きながら右肩の近くを駆け抜け、みやの体がその衝撃波で激しく震えた。崩した体勢をFBW(Fly By Wire:航行管制システム)が即座に立て直す。姿勢、飛行方向、四肢の位置などを瞬時に算出し、適切な方向と出力でバーニアを動かした。私はライフルを構え、トリガーに指を掛ける。



 妙だ



 青のパイロットと眼が合った。初撃から3分経過、その瞳には理性の炎が灯っている。早い、流石代表候補と言わざるを得なかった。


 高度を更に下げフィールド近傍をアリーナに沿って駆ける。照準に観客席を背景にしたブルー・ティアーズと空を背景にした白式が見えた。距離80m。アサルトライフルを3連バーストモードでトリガーを引く。計18発の弾丸が赤い軌跡を引き、ブルー・ティアーズを掠めた。



 体が鈍い



 ブルー・ティアーズ、青いISの光弾が脚部を弾く。-右脚部小破ダメージ32 バーニア、および駆動系統に異常なし-


-僚機白式 被弾 残エネルギー320- ブルー・ティアーズの小型兵器、子機4つが白式にレーザーを放つ。空間移動しているかの如く、鋭敏な機動で白式を翻弄する。

「はぁぁぁぁぁ!」

 じれた白式が強引に切り込んだ。援護射撃6発発射、続けて回避中の青いISに12発。残弾ゼロ。弾もブレードも疾風のISを掠めただけだった。ブルー・ティアーズが流れる水のようにその身を躍らす。

 私とみやの接続状態に異常は無い。自分でも驚くほどこの戦場に馴染んだ。徐々に鋭さを増す感覚とは逆に、体だけが重くなっていく。


-僚機白式と秘話通信を行います-

一夏!早くライフル出せ!遊びすぎだ!
白式にはこれしか無いんだよ!
まじか!?
まじだ!!

 僚機ステータスの兵装一覧には"名称未設定"というブレードのみが記されている。焦燥感が意識に広がる。



 ブルー・ティアーズの狙いは何だ



 みやが回り込むように空へ駆けた。白式が回り込むように地へ駆ける。互いの眼が中央の青いISを捉え、金色の髪を持つパイロットの眼が私を一瞥した。既に数回視線が交わっている。トリガーを引き弾丸を撃ち出す。青のISは自身を回転させ、躱す。まるで舞台で回る表現者のようだった。肉薄する白式を子機の光弾ではじく。



 白式の一次移行を待つべきか



 青のISは僅かな迷いも見逃さず、子機を遣わせた。レーザー3発が私を掠める。残り一発をエネルギーシールドにて防御、残エネルギー360。量子展開による弾倉交換を試みる、成功。手動にて初弾を銃身に装填する。

 間髪入れず、大型ライフルのレーザーが"迫る"。体をひねり直撃を回避、エネルギーシールド貫通、右物理シールド大破。右肩を吹き飛ばされるような衝撃に襲われる。体勢を崩し、観客席のエネルギーシールドに叩きつけられた。PIC(Passive Inertial Canceller:慣性制御システム)が衝撃を和らげるが、相殺しきれず一瞬呼吸が止まる。

 アリーナシールド越しに、白い靄に包まれた生徒が見てとれた。皆呆けたように私を見上げている。その中に相川さんと口論した少女も居た。

 みやが血液中の酸素量を調整、内分泌腺を活性化させ代謝活動を増加させた。口の中を切ったのか、唾液の中に血が混じる。

 落下中にグレネードランチャー"M25-i IAWS"を左手にコール。ブルー・ティアーズに向けて射出、着弾前にリモートで爆破。みやの警告を無視し、薄まった径十数m爆炎内を最大速力で駆ける。ダメージ発生。

 ブルー・ティアーズが高速機動に移行し、相対速度が音速を超えた。煙越しに青い影へフルオート全弾発射。すれ違う敵パイロットの眼が、まるで何かを探るような曲線を描く。



 彼女は何を見ている



 高速機動による衝撃波で注意が戻る。命中3、思わず舌を打つ。銃身に一発残し、即座に弾倉を量子交換。刃が空を切った白式の援護を行う。

 みやが白式の量子拡張領域(バススロット)、つまり攻撃能力を司るその領域は、全て使用中と告げた。ブレード1本の為だけにだ。私は自分の目を青に向ける。それは弧と線を織り交ぜた縦横無尽のマニューバ(機動)で、私たちを圧倒する。私は、覚悟を決めた。





-僚機白式の1次移行まで7分34秒-

 急げ一夏……!





「正直驚きました。あなた方がここまでなさるとは」
「そりゃどーも」

 夕日を浴びる彼女、セシリア・オルコットの言葉に、肩で息をしつつ一夏が答えた。みやのエネルギー140。白式のエネルギー190。白式もみやも至る所の装甲が欠け、その能力を大きく落としている。私らを見下ろす彼女にもはや私怨は無く、ただ厳かだった。

「勝負は付きました、負けを認めなさい。これ以上醜態を晒すことはありません。あなた方の勇気を笑う者はオルコットの名の下に処断しましょう」

 恐らく彼女なりの敬意だったのだろう。状況を考えれば私たちの勝利は絶望的だ。だが、それでも諦める訳にはいかない。特に君に対して、私にとってはな。私は破損したアサルトライフルから79口径(20mm)スナイパーライフル"Mi24"に持ち替えた。

「折角の申し出だけど、ミス・オルコット。男、いや俺らにとって、もがく、あがくは名誉なんだよ。それにまだ見せていないんだ。意外な物って奴をね」

一夏は笑ってブレードを構えた。

「そういうこった。まだ終わっちゃいない」

 短い沈黙の後、彼女はゆっくりと告げ、

「ならば全身全霊を以てあなた方を打ち倒しましょう」

 忽然と消えた。



 一夏が声を上げる。私は己の直感に従い全力でその場を離れ、最優先でみやに索敵を指示した。尽きた汗が噴き出す。最初に聞いたのは青い影だった。次に耳にしたのは閃光だった。ここに流れる調べは彼女の円舞曲。彼女の猛攻が始まった。

 4機のフィン状小型兵器とレーザーロングライフルから放たれる光の渦に翻弄される。左肩、右ふくらはぎ、続けて射貫かれ、装甲の破片が舞った。僅か数秒で中度の破損と30%のシールドエネルギー喪失をみやが告げる。彼女は凄まじかった。彼女は強かった。


 強いだと?! 当たり前だ!


 一体彼女はどれだけの物を犠牲にしてここに立っている!? 祖国、家名、自分の誇り、彼女は1人でどれだけの物を背負っている?! 強くて当然だ。あぁ、悪かった。認める。オルコット、君には君自身を誇る資格がある。君を侮辱した事だけは誠意を持って謝罪しよう。だからこそ、だからこそ勝たせて貰う。敗者の弁が受け入れられた事など有史以来ありはしないからな!

 激しさを増す殺意の中、知覚が沈み込み消えた。黒く深い物がねじ込まれ、私は引き金に指を掛ける。


 敵の息を見ろ

 敵の動きを聞け

 敵の殺気を触れ


 見ろ、聞け、触れ、敵の全てを知れ


 激しい光と音が第3アリーナに響く。トリガーを引いた私の指が確信を告げた。鋼の弾で銃身を塞がれた青のレーザーライフルが爆ぜていた。行き場を失ったエネルギーが逆流し爆発炎上したのだ。


 バーニアをレッドゾーンまで回し、絶句する彼女の元へと駆け上がる。グレネードランチャーを量子展開。ターゲットまで距離100、90、80。青いそれに手を伸ばす。照準に彼女を捉え、トリガーに指を掛け、そして見失った。


-警告 2番、3番バーニア不調 出力低下-


 減速感が私を襲う。やむを得ず距離50mで放った起死回生のグレネードは、その役割を果たす事なくその命を終えた。貴婦人の青い瞳が確信を湛える。彼女は体勢を立て直し、子機2つを私へ向けた。敗北という二つ文字が頭によぎり歯を食いしばる。

 その時、光が2回瞬いた。その瞬きに呼応して、私を狙う子機2つが立て続けに爆ぜる。彼女が驚愕の表情で見上げるその先に、そいつは悠然と立っていた。赤い陽の光を浴びて、煙と炎が流れる静寂の中、蒼く輝く剣をその手に携えながら。


「待たせたな、真」


-僚機白式 ファーストシフト完了-





「まさかファーストシフト?! 貴方、初期設定の状態で今まで戦っていらしたの?!」

 彼女の声が響く。私は白式の、一夏の姿に圧倒された。空に佇む白式はその形を大きく変えていた。くすみがかった白が、眩いばかりの白に。その姿はまるで西洋の鎧だ。両肩に浮かぶ浮遊ユニットがこれから羽ばたかんとする翼の様に存在感を示していた。その白き姿は雄々しく、その瞳に一切の迷いなく、まるで―

「そうみたいだな、これでやっとこいつは俺専用になった」

 一夏は蒼く輝く右手の剣を掲げると皆に聞こえるように告げる。

「俺は世界で最高の姉さんを持ったよ。でもこれからは俺が守る。とりあえずは千冬姉の名前を守るさ! でなきゃ格好付かないだろ!」

 私は不意に生じた感情を押し込めた。ボルトハンドルを引き次弾を装填する。

「あ、あなた何を……」
「行くぜ! セシリア! 反撃開始だ!」

 一夏が動いた。白式が甲高い、だが頼もしくすら感じる機動音をアリーナの中に響かせる。その機動力は、力は、今までの比では無かった。

 レーザーを放つ残りの子機2つを見据えると、瞬時に間合いを詰め1つ目を切り捨てる。その隙を狙っていたであろう子機の攻撃を、素早く弧を描くように躱すと、無遠慮に肉薄。その剣"雪片弐型"を振り下ろした。最後の子機が二つに分かれて落下する。


-僚機白式 兵装判明 雪片弐型 ワンオフアビリティー零落白夜 発動中-


 白式が空を駆ける。ブルー・ティアーズが放った2発の高速ミサイルを、難なく切り捨てた。更に2発。だが空を蹴った一夏の白い軌跡に爆発が流れるのみ。彼女は初めてその表情に焦りを浮かべる。

 だが、一本槍に攻める一夏の背中が私に焦燥を駆り立てた。


-僚機白式と秘話通信を行います-

一夏! 強引すぎだ! 調子に乗るな!
黙ってろ! そういうのを好機を失うって言うんだぜ! 故障者はベンチで見学してやがれ!



 ………………………………むかつく。



 白式の勢いはとどまる事を知らない。確かに一夏は勢いに乗っている。ブルー・ティアーズに視線を移す。私の直感がこう言う"場所"はそんな優しいものでは無いと告げた。私は無意識に銃を構える。

 白式を見下ろす青のパイロットは80cm程のショートブレードをコール、覚悟を秘めた眼で一夏を迎え撃つ。一夏はその速力を蒼い刃に乗せ、切り上げた。彼女は刹那の間合いで踏み込んだ。彼女の切り札はカウンター、そして金属音が鳴り響く。

 青のショートブレードが夕焼けの中を星のように瞬きながら墜ちていった。命中。私は銃身を下げ、勝利を確信する。

 あ、と唇を小さく開いたセシリア・オルコットめがけ、一夏はその蒼い刃を打ち振るった。






 こつこつと、靴音が右から左に流れる。腕を組んだ冷たい眼の篠ノ之さんが言った。

「負け犬」

 右隣に正座する一夏がぴくりと動いた。 かつかつと、靴音が左から右に流れる。冷たい眼で腕を組んだ鷹月さんが言った。

「口だけ男」

 同じく正座の私は顔を引きつらせた。 こつこつと、また靴音が右から左に流れる。

「あーあ、こんなにぼろぼろににしてくれちゃって……この子、誰が直すと思ってんのよ」と、みやを検査する黛さんが刺々しく言えば、「……」その沈黙で罪悪感を起こさせるのは布仏さんだった。両手を胸の前で組み、悲しげにずっと目を瞑っている。日向を感じさせる彼女の非難が最も身に染みる。



 かつかつと、第2ピットに響かせる靴音が目の前で止まった。

「あれだけ持ち上げて、その結果がこの様か。恥を掻かせおって、この馬鹿者共」

 千冬さんが不機嫌な眼で正座する私たちを見下ろした。両手に捕まれた腰、スーツにしわが強く入る。私はうなだれる一夏を睨み付けた。


「一夏君がエネルギーの確認を怠ったから、です」
「なっ、真、てめぇ! 俺のせいかよ!」


 あの後、一夏が剣を打ち抜く直前に白式のエネルギーが尽きた。その後、みやのFBW(Fly By Wire:航行管制システム)が動作異常を起こし不時着。互いに戦闘不能と見なされた。つまり私たちが負けた。


 こめかみに左手を当て、千冬さんはげんなりとした調子でこう言った。

「蒼月、お前もだ。リーブス先生の皮肉、嫌味、誰が毎日聞いていると思っている」
「は? リーブス先生が? 何故です?」

 私への説教を聞いて馬鹿が自分を棚に上げた。

「居るよな、こう言う責任転嫁バカ。自覚が無いから救いようがねぇ」


 みやによると、一夏がファーストシフト後に使った蒼く光るブレード"零落白夜"は敵のシールドを無力化し直接ダメージを与える、という兵器だった。簡単に言えば、どこに当てても絶対防御、つまり通常のエネルギーシールドより上位の防御フィールドを発動させ、相手のエネルギーを大幅に奪う、という代物。この強力な兵器はその対価として自身のエネルギーを多分に消費する。


 私は馬鹿が視界に入らないように努めて脇を見る。

「頭に血が上ってガス欠するような特攻脳筋バカに付ける薬なんて無いよな。白式も気の毒に。優秀な兵士は何時も無能上官で無駄死にするんだ。あぁ嫌だ嫌だ」

「喧嘩売ってんのか、この野郎……」


 人間にとってもそうであるように、ISを操る上でエネルギーは最も重要だ。索敵するにも、飛行するにも、兵装を展開するにも、何をするにもエネルギーが必要となる。エネルギー量の把握は大前提なのだ。だからISから示される情報の中でかなりのウェイトを占める。にもかかわらずこの馬鹿は気にもとめず、有頂天で零落白夜を振り回し、後先考えずスロットルを開け、ガス欠に至りそして負けた。


 千冬さんがうんざりと口を開いた。

「敗因の責任はメンバー全てにある。不毛な言い争いはよせ。下らん事を言う前に訓練に励―」

 歯ぎしりする馬鹿にゆっくり顔を向けると、私は憎々しげに言い放った。

「あ、た、り、ま、え、だ。一夏が武器の特性を考えずバカスカ振り回すから負けたんだよ! この刃物バカ!」
「ふ、ざ、け、ん、な。真が下手くそだから負けたんだ! あれだけ撃って当てたの何発だ!?このトリガーハッピーが!」


 あの時点で白式のエネルギー量は190。エネルギーシールドを持たないブルー・ティアーズの子機に零落白夜を使わなければ十分勝てたのだ。それをみすみす……オルコットさんにどうやって謝るのだ。算段が台無しでは無いか。この馬鹿は。この馬鹿は。この馬鹿が!

「自分の馬鹿さ加減を棚に上げてどの口で言うこの馬鹿一夏! お陰で敗北、オルコットとの賭けもパァ! 人の苦労をどうしてくれる!」
「はっ! 妙にこだわるかと思えばセシリアの事かよ! 焼くなり煮るなり出来なくて、残念だったな! このピンク脳のエロまこ―へぶっ!」

 この馬鹿の顔面を捉えた右拳をねじ込む。もう我慢など必要ない。あぁ全くない。

「お前の口の中に凄い虫が居たんだ。俺が抜いてやろうか?もう暖かいからな、オカシイ奴がそろそろ出て―ごふっ」

 見下ろすまでもなく自分の右脇腹に一夏の左拳が突き刺さっていた。

「お前の腹にもすげー虫が居たぜ、ぐるぐるってな、アブナイ奴だった。あぁおっかねぇ」

「くくく……」
「へへへ……」

 互いにゆらっと立ち上がる。

「「上等ーーー!!!!」」

 右ストレート、左押し蹴り、左ジャブ、右回し蹴り、頭突きが第2ピットに乱れ飛ぶ。

「ちんたらファーストシフト出来たのは誰のお陰だ! この馬鹿一夏! 小学校でデッキブラシの使い方からやり直してこい!」
「ばかすか撃たれてたのを助けたやったのは誰だ! この阿保真! 鳩に豆鉄砲でも撃ちやがれ!」

 右踵落とし、左張り手、左膝蹴り、右アッパー!!

「タコ! ぶはっ! マヌケ!!」
「イカ!! ごへっ! カス!」

 掌底打ち、袈裟蹴り、肘打ち、クロスカウンター!!!

「やめんか! 見苦しい! お前達など私から見れば雑魚のひよっこだ! 1ミリ2ミリ大差ない! まだ殻も破れていない段階で優越など争うな! この馬鹿者共が!」と千冬さんが言うので、「良かったな! この1ミリ一夏! 2ミリの真様が褒めてやろう!」と俺が罵れば、「ぬかせ! 2ミリは俺だ! この1ミリ真!」と一夏がほざいて、「止めろと言っている! この大馬鹿者ども!」と千冬さんの拳が怒声を上げた。

 床に寝そべる俺らに「かっこ悪い」と布仏さんがぽつりと呟いた。

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次回投稿分でセシリア編が終了になります。



[32237] 02-06 セシリア・オルコット5
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/03/24 21:59
 左手で頬杖を突き、右手のナイフをもてあそぶ。皿の上を滑らせるナイフの先をただ見れば、食堂の窓から差し込む昼の光がナイフに写る。

「まことくん、早く食べないとお昼ご飯残しちゃうよ」
「あぁ」

 布仏さんの言葉で頬杖を解き、ナイフとフォークを動かす。


 決闘から3日経った。あの密度の濃い1週間は終わり日々の生活は落ち着きつつある。必死の足掻きが通じたのか、決闘のあと柊(1年寮)の少女達は私への態度を軟化させた。多少距離を置く感じは残るが少なくとも拒絶する者は居なくなった。声を掛ければ、少なくとも返事は来る。白井先輩によれば楓(高学年寮)でも口にする者はもう居ないそうだ。


 いつもの5人が居る昼食の風景が、全て終わった事を私に告げた。

 ただ一つ、胸に刺さった小さな棘が疼く。

 あの金色の髪の少女は今日も1組に居なかった。



 いつの間にか手を止めていた私に、右隣の篠ノ之さんがため息をついた。

「心ここにあらず、と言ったところだな、真。オルコットの件はお前が気に病む事では無い。あいつの責任だ」
「気にしちゃいないさ、少し疲れただけだよ」

 私の乾いた態度を鷹月さんが咎めた。

「嘘ばっかり。しょっちゅう1組覗いているのみんな知ってるんだから」
「そっか……」

 不意に訪れた沈黙の中ただ食事の音が響く。一夏の隣、はす向かいの布仏さんがスプーンを静かに置いた。

「まことくん、セシリアちゃんに勝ってどうするつもりだったの?」
「初めは見返すつもりだった」
「初め? なら今は?」
「ただ謝りたい……けど、どうしたら良いか分からない」

 神妙な面持ちで少女3人が唇を閉ざす中、目の前の一夏がいきなり笑い出した。

「何を悩んでいるかと思えば、真、おまえヘタレ過ぎだろ」
「一夏……お前」

 勝手な一夏の物言いに私はつい怒気を込めた。

「おぉっと、しみったれた泣き言なら聞かねーぜ。したい事決まってるんじゃねーか。なら話は簡単、一言"ごめん"だ。さっさと謝ってこい」

 余りにも簡単に言う一夏に私はただ呆ける。そして3人の少女達は互いに見合うと、一夏の言葉を続けた。

「まことくん、セシリアちゃんの部屋番号は703だよ」

 布仏さんは日向のような笑顔で。

「話は決まり。今日の放課後かな」

 鷹月さんは苦笑気味に。

「真、男ならこの程度の壁、乗り越えてみせろ」

 篠ノ之さんは、むっすりしていたがその気配はとても柔らかかった。



「あのなぁみんな、俺だって人並みに悩むんだぜ」

 この気の良い友人4人の物言いに私は力が抜けた。

「じゃぁ止めるか?」
「ったく、人ごとだと思って……行くよ。謝ってくる」

 一夏の挑発に私は皆に答える。ここまで背中を押されれば、やらざるを得まい。止めればそれこそ猿にも劣る。そして私は覚悟を決めた。

「しかし理由無いと謝れないなんてお前どんだけ不器用だよ」
「うっせ」

 私たちのやりとりに3人の少女達はただ笑っていた。






 時計を見ると17時40分を少し過ぎていた。屋上の手すりにもたれ掛かり、大分遅くなった日没を見ながら、海風に身を任せる。私はただ彼女を待っていた。

 気の良い友人達に送り出され、彼女に手紙を出したのは1時間ほど前だ。その手紙には短く、口に出せば一言で済む事だけを書いた。そして彼女と私を象徴する物を一つ添えた。散々考え、思いついたのがこれだった。我ながら自分の不器用さに呆れる。



 体を起こし、両の足に体重を掛ける。空を見ると金星が光っていた。

「やっぱりだめだった。最初になんて言おうか考えたけど、気の利いた言葉は思いつかなかった。君はどうだ? セシリア・オルコット」

 振り向くと数メートル先に彼女が立っていた。彼女は学園指定の制服ではなく、鮮やかなブルーのロングドレスを着ていた。肩が大きく開き、そこから伸びる腕はただ雪のように白かった。彼女は少しやつれていた。メイク越しに眼の隈が見えた。だが、その瞳には力があった。耳を彩る石が彼女の力を引き立てている。



 私は彼女が美しいと思った。



 彼女は青いヒールで一歩進めると、左手に持つそれを私に投げた。私の左手が掴んだそれはずしりと響いた。

「2挺とも1発だけ込めました。私たちにはそれで十分でしょう」

私が手にした物は38口径のリボルバー。

彼女が手にする物は32口径のオートマチック。


 まったく私たちらしい。


 私はそれを右手に持ち替えて、手すりから離れる。彼女から6メートルほど離れて立ち止まった。グリップを握る手に意識を込め、左手で襟を正した。

「人払いは済ませて?」
「あぁ。だけど世話好きな友人ばかりでね。余り遅いと見に来るかも知れない」
「その心配は無用でしょう。すぐに済みますわ」

 青いドレスの彼女が銃に左手を添え、装填した。ただ静かにその音が響いた。



 私は彼女を見据えた。そして頭を下げた。堅くなった彼女の気配に構わず私はそのまま、両膝と両手を足下のコンクリートに付け、銃を置き、そのまま額を下げる。

「どういう、おつもり?」

 彼女は声を震わせていた。

 私はただ済まなかった、と言った。

「どういうつもりかと聞いています!」
「オルコット、今回君に振るった暴言、侮辱、全て俺の不始末だ。本当に済まなかった」
「な、何を今更! 立ちなさい! 立って引き金を引きなさい! もう他に道など有りはしないわ!!」

 彼女が銃口を私に向けた。

「君の事調べた。今までずっと1人で戦ってきたんだろ? その細い体は家を、国を1人で背負っているんだろ? 俺は君のその尊厳を不躾に踏みにじったんだ。許せないのは当然だ」


 彼女は小さな息を飲んだ。


 そう。彼女はたった1人で戦ってきた。故郷を離れ日本までやってきた。ただその誇りを支えにして。

 一夏は良い。第3世代機、ブリュンヒルデを身内に持ち、ブレードを振るう。争ったのはクラス代表という僅かばかりの銘。だが私は違った。誰も知らない馬の骨、第2世代の訓練機を使う、同じガンナーだった。そして賭けたのは彼女自身の誇り。そして私はそれを奪った。


 私にショートブレードを弾かれた時、彼女は諦めてしまった。彼女にとってそれは己の存在理由を失いかねない衝撃だった筈だ。彼女のやつれた顔を見ればよく分かる。この3日、碌に食べもせず、寝られもしなかっただろう。言葉など彼女には届きはしなかった。だから私は彼女を挑発した。


"最後の決着を付けよう"この一言を記した紙を彼女に送った。ライフルの弾と共に。


 私は彼女に最後の希望を与え、そしてまたそれを奪った。

 勝てばそれで済むと思った自分の愚かさに、怒りすら感じる。

 私は彼女にただ撃たれる責務がある。

 それでも良いと思った。

 だが彼女は納得できまい。

 彼女自身が掴み取とった物で無ければ意味がない。

 真剣に撃ち合えば彼女を傷つける恐れがあった。

 これしか、思いつかなかった。





「顔を上げなさい」

 ゆっくり体を起こすと額に銃口があった。私は怒りを湛える彼女をただ静かに見た。

「とても不快な眼だわ。真っ暗で死者のよう」

「そういう風に言われたのは初めてだ」

 彼女は撃鉄を起こした。

「……貴方は私の怒りが理解出来ると?」

「あぁ」

「その命をもって償いが出来ると?」

「あぁ」

「死が怖くないと?」

「よく分からない」

「何ですそれは」

「あの時、あの廊下がこの状況だったなら、俺は迷わず引き金を引いただろう。だがそれは死ぬのが怖いんじゃ無い。あの人の役に立てないのが怖かった」

「あの人とは?」

「俺が生きている理由。俺が持っている全て。俺が守りたいと欲した唯一人のひと。その筈だった。なんでかな。あの人を裏切ろうとしているのに、今は怖くないんだよ」

 私は彼女の蒼い眼を静かに見た。その目は揺らいでいた。

「オルコット。その指を引いてくれ。その一発で君が助かるなら本望だ。俺は恨んだりはしない」

 彼女は何度も指に力を込め、そしてその場に崩れ落ちた。

 ただ雫だけを頬に添えて。

「ふざけないで! どうして今更! どうして今更そんな事を言うの!」

「すまない」

 嗚咽を漏らす彼女に私はただ同じ言葉を繰り返すだけだった。





 どれだけの時間が流れたか。既に空には星が瞬いていた。

 眼を腫らした彼女は俯いたまま言った。

「あなたは何ですか?」

 質問が理解できず、沈黙をもって返した私に彼女は続けた。

「私も貴方の事調べました。貴方は特筆する事の無い経歴の持ち主でした。まるで作られたかのような物でした。でもあの力。違和を覚えない人はいないでしょう」

 私はただ黙って聞いていた。

「貴方は何者なのですか?」

 私は身を正した。目を1度瞑りまた開けた。彼女がそこに居た。

「オルコット、今から言う事は"そういう事"だ。知ること自体非常に厄介、いや危険な事に巻き込まれる可能性がある。それを覚悟して欲しい」

 彼女の沈黙を肯定と受け取った私は、それを話した。

「俺はね、自分が何者か知らないんだよ」

 私は彼女に全てを話した。去年発見された事。自分の記憶が無い事。私を知る人が一人も居なかった事。戦いの事。そして千冬さんの事。


「そう、それであの様な変貌を」
「信じるのか? この突拍子も無い話を。騙しているかも知れないぞ」
「見くびって頂いては困りますわ。真実と偽りを見抜くのは貴族の初歩。私がどういった人種を相手にしてきたかお分かり? 銃を持つ悪鬼など可愛い赤子のようですわ。少なくとも貴方は嘘をついてはいない、それだけは確信を持ちます」


 私はありがとう、とだけ伝えた。彼女は立ち上がると手にした銃のセーフティを掛けた。

「良いのか?」
「もうそんな気分ではありませんわ」
「そうか」

 安堵で体を緩めかけた私に彼女は強く言った。

「勘違いなさらないで、貴方を許した訳ではなくてよ」
「ならいつ許して貰える?」

 彼女は、そうね、とその細い指を口元に添えると、

「そう簡単に許しはしないわ。覚悟なさい、蒼月真」

 と笑いながら言った。

 ゆっくり立ち上がる私は、ただ苦笑するしか無かった。






 朝の喧噪が食堂に響く。いつもと異なる4人掛けの席で、私は箸を目玉焼きに突き刺した。少し離れた場所から微笑ましい諍いの声が聞こえてくる。声の主は篠ノ之さんと金髪の少女だった。間に挟まれた一夏は随分と情けない顔をしていた。頭に巻いた包帯が痛々しいが、察するに篠ノ之さんの機嫌を損ねたのだろう。つまりはそういう事だ。一夏は随分上手くやったようである。

 頬杖を突きながらその少女をぼんやりと見る。朝日を浴びる彼女の表情には、憂いも、悲壮も、決意も無くただ嬉しそうに笑っていた。そうだ、彼女は昨日より今の方がずっと良い。

 物思いに耽る私に、向かい合う2人の少女が口を開いた。最初は2つの髪の房を脇に流す、淡い栗毛の少女。

「まことくんは、セシリアちゃんの事好きなんだね」

 思いも寄らない布仏さんの言葉に思わず眼が泳いだ。そうか、そうだったのか。それなら自分の行動に合点が行く。

「気づいてなかったんだ」

 どうやらそのようだ。遅れてやってきた気恥ずかしい感情に思わず頬を掻いた。



 次に口を開いたのは藍の髪をヘアピンで左右に止めた少女。

「オルコットさんの所に行ったら? 織斑君に取られるよ」

 鷹月さんの言葉に私はただ首を振った。

「私たちに気を遣っているんだったら、それは余計。逆に良い迷惑だよ」

 声の調子を少し落とした彼女の言葉を引き継いで私は、笑顔にも色々あるよな、と2人に答えた。そして、あの笑顔は私には出来なかった、だから行けないと伝えた。私では彼女を苦しめるだけだ。

考えすぎだよと、どちらかが言った。かもな、と私は答えた。

 未練が無いと言えば嘘になる。だが私は十分過ぎるものを貰った。彼女から贈られた物は、オルコットの家紋が刻まれたリボルバーと、セシリアと呼ぶ栄誉。私が送った短い手紙と一発の弾丸を、彼女は返さないと胸に抱いていた。


 これ以上望めば天罰が下る。





 食事の音がしばらく流れた後、布仏さんがスプーンを口に運びながら私に言った。鷹月さんは使い終わった箸をトレーに置いて窓の外を見ていた。

「まことくん。私たちに何か言う事あるよね」

 見透かす様な彼女の言葉に、僅かな動揺が走る。この2人に言わなくてはならない事があった。それは謝罪の言葉。この2人の友人には迷惑も心配も掛けたのだ。当然だった。すまない、そう言いかけて屋上で彼女から贈られた言葉を思い出した。そうだ、あの言葉にはこう返すべきだ。

 私は脚を少し広げ、腰を据えて、背筋を伸ばした。そして軽く両の手を組む。最初に友人となったこの2人を見ながら私はこう伝えた。


「ただいま」


 少し気取りすぎただろうか。スプーンを咥えながら真っ赤に硬直する布仏さんと、外を向いたまま真っ赤に微動だにしない鷹月さんを見てそんな事を考えた。


今度こそ元通りだ。





セシリア・オルコット編 完

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セシリア編およびストックはこれにて終了です。
今後は書きためてまとめて、となりますので、こちらには月1程度と考えています。

個人的に好きな原作ヒロインは次登場の彼女なんですが、セシリア書いていたら情が移りました。多分優遇します。

ここまでおつきあい頂きありがとうございました。
それでは。



[32237] 03-01 日常編1「お説教」+「IS実習」
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/08/24 20:32
日常編 お説教
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 最初の人は黒だった。

 次の人は金だった。

 二つの流れる息と打鳴る鼓動が響き、赤き雫の奔流は喉と四肢を満たす。

 香では拭えぬ命の匂いが漂えば、現実と、過去という名の記憶が混じる。

 人がそこに生きていると言う確固たる事実。

 彼女らから最初に教わったのはそれだった。





「この度は本当にご迷惑をおかけしました」

 私は深々と頭を下げた。



 その部屋は非常にシンプルな部屋だった。窓は無く、6畳ほどで、壁はただ白く、床は灰、背の低い特殊硝子のテーブルと、合成革のソファーが4つ置かれていた。見上げる天井には、半導体の無機質な光が灯っていた。1時間もあれば精神的に疲弊しそうなこの部屋は私の最も古い記憶の、1つだ。

 顔を上げ、2人の教諭と向かい合う。織斑千冬先生と、ディアナ・リーブス先生だった。その黒い髪を無造作に結って後ろに流している織斑先生は、いつもの黒のスーツとタイトスカート、今は上着を脱いで白のブラウス姿だったが、手と足を組み座っていた。金色の髪を静かに下ろすリーブス先生はライトグレーのスーツとブーツカットパンツと言った珍しくシックな出で立ちだった。彼女は手を膝の上に置いて姿勢正しく座っていた。

 この2人とこうして会うのはこれが初めてでは無い。発見されて間もない頃、情緒不安定だった私に社会適用訓練を施したのがこの2人だった。当時の事は殆ど覚えていないが、学園での最後の日、こうして同じように話した事だけは良く覚えている。

 2人の鋭い視線が私を射貫き、思わず背の低いテーブルに置かれた樫の木箱を見た。呼吸を落ち着け2人に視線を戻す。そこには厳しい表情の2人が確かに居る。



 織斑先生が腕に当てる指を小さく動かした。

「射撃場からの弾丸の持ちだし、屋上占有、未許可の銃器携帯に、銃器を使った私闘。下らん10代のもめ事は何度も見たが、今回のは極めつけだ。大概にしろ馬鹿者が」

 彼女は怒りを通り越し最早呆れているようだった。リーブス先生が続ける。

「真ちゃん分かっているのかしら。今回の騒動は良くて退学、下手をすれば裁判沙汰だったのよ」

 彼女はいつになく真剣な調子で諫めてきた。



 生徒指導室と呼ばれるこのセキリュティルームに、この2人から呼び出しを受けたのは1時間ほど前の事になる。用件は屋上での一件、セシリアとの事だった。あの事は当然ながら学園上層部に知れ渡り、私の処分を巡り緊急の職員会議が開かれた。消極的容認派と厳罰派で紛糾したらしい。

 結局、事情を知るものは極一部で学園外には漏れなかった事、セシリアがイギリス国家代表候補だった事、世間体と私の特殊性を考慮の上、一週間の教室清掃という罰に落ち着いた。予想に反する寛大な処遇に私も気を緩めていたところ、彼女らの雷が落ちたという訳だ。

 IS学園の2強、現役を退いたとは言え、未だ敵う者無しと評されるこの2人が肩を並べるのは珍しい事だ。両雄並び立たずとは言うが、こと私へのお小言関してはその限りでは無いらしい。腰を下ろすソファーがキリキリと悲鳴を上げると、私はもう一度深く頭を下げた。2人の深い溜息だけが部屋に響いた。






 2人からの小言も尽き、しばしの沈黙が訪れる。それを破ったのは千冬さんだった。彼女はテーブル上の樫の木箱に手を伸ばすと、黒い一挺の拳銃をを取り出した。

「これがそうか」

 彼女の問いに私は肯定をもって答えた。千冬さんは慣れた手つきでそれを扱う。シリンダーをスライドさせるとそれを軽く回した。バレルには"パイソン357マグナム"と刻印されていた。

「ほぅ、年代物だが良い物だな。十分に使える」
「私もそう思います」

 千冬さんはグリップに刻まれた家紋を見ると、こんな事を聞いてきた。

「持ち出したライフル弾はどうした」
「オルコットさんにあげました」

 銃がカチャリと音を立てた。何時からか分からないがディアナさんは静かに笑みを浮かべていた。微動だにしていない。千冬さんは銃に目を落としたまま言った。

「蒼月、つまりはこう言うことか。お前は傷心の、15歳の小娘に手紙と弾丸を贈り、部屋から誘い出した。更には夕焼けの屋上で決闘を仕掛け、言葉巧みに小娘の情動を揺さぶり、最後にはオルコット家の銃と許しをもらい受けたと」

「そ、そういう言い方も出来るかも知れません」
「マセガキめ。10年早い」

 私の顔は引きつっていたかも知れない。理由は分からない。

「千冬さん、訂正が1つあります」
「なんだ? 言い訳か?」
「彼女からは許しを得ていません」

 千冬さんの手が止まった。空調の音と2人の鼓動が耳に付く。会話におかしいところは無い。単純に事実を報告しているだけだ。だが何故だろうか、汗が止まらない。

「ほぅほぅ、ほぅ。許されてもいないのに拘わらず家紋入りの銃を貰ったと、そういう事か」

 千冬さんは銃を妙にゆっくりと箱に戻した。

「はい。そういう事で―」

 そう言い終わる前に鈍くて重い衝撃が頭部に走った。痛みの余り世界に星が流れる。

「15の小娘にそこまでさせたか。見事な手管だな、蒼月。一体どこで覚えた? そんな事は教えていなかった筈だが? ん?」

 痛む頭を抱えた私はもう自棄だと意を決し、自重していた気がかりを聞いた。涙で視界がぼやける。

「……何をおっしゃっているか分かりませんが、ただ彼女を尊重しただけです。ところで、そのセシリ、オルコットさんは大丈夫れひょうは?」

 唐突に頬に痛みを感じればディアナさんの指だった。あの笑顔のまま抓ね上げられる。

「真ちゃん、全く、全く分かっていないようね。"あんな無茶"までして、あなたは一体何を考えているの、か、し、ら?」

 段々と左頬をつねる指に力が籠もり、頬が悲鳴を上げる。抓り上げられる私の顔を楽しそうに見る千冬さんが私の問いに答えた。

「許可証を持っている、この理由でオルコットは完全にお咎め無しだ。私としては腑に落ちんがな。そういう決定が下った」
「いひぇ、らいひょうのこほれふ」
「ただの疲労だから、心配無用、だ、わ」

 私の問いにディアナさんが答えた。あの屋上、あの最後、3日分の心労が祟ったのだろうセシリアは気を失った。翌日には何事も無かったように登校していたが、顔色はお世辞にも良いとは言えなかった。気が強い彼女は心配無用と取り付く島も無かったが、これでやっと安心でき―

「てぃはなはん!ふめ、ふめがふいほんれまふ!」
「真ちゃん、今ちゃんと自分の心配をしていたのよね?」
「ひまひた!ふぃまひた!」
「嘘おっしゃい、どうせオルコットさんの事考えていたのでしょう?」
「~~~~~~!!」
「ディアナ。その辺にしておいたらどうだ」
「だめよ千冬。今しっかり教えておかないとまたやりかねないわ」
「いや、それ以上歪むと小娘共が怯えかねん、と言う意味だ。私も見たくない。夢に出そうでな」
「女生徒が近寄らなくなるなら、もうこんな真似出来なくなるわよね。いっそ、その方が良いのかしら。でも"依存"もだいぶ治まったし悩ましいわ。ねぇ千冬」
「知らん、私に聞くな」
「#&%≠¥!!!!」


 思わせぶりな2人のやりとりはどのような意味を持つのか、浮かび上がったその疑問は、頬の痛みが消し去った。ディアナさんの気が収まったのは、千冬さんがリボルバーを、ひとしきり持ち遊んだ後だった。

 セシリアから貰ったそのリボルバーはしばらく預かると千冬さんに持って行かれた。





日常編 IS実習1
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 ひとり、ふたり、さんにん、よにん、そこまで数え思わず手を止めると、

「一夏も慣れたよな」

 私は思わず独りごちた。

 桜の花びらも散り、木々が若葉を主張し始めるそんな季節、第3アリーナのフィールドで濃紺のISスーツ姿の少女達が話を弾ませていた。入学から2週間、本日からIS実習が始まる。

 クラス代表の私は2組の生徒がそろっているか確認をするのが務めだ。先生が来るまでに済まさねばならない。だから否応なしに眼に入る。一夏を取り巻く少女達が、である。

 IS実習は1組2組の合同授業。だからその取り巻きには1組の他2組のも居る。少女達の勢いに最初はたじろいでいた一夏も随分と慣れたようだ。今では気兼ねなく話している。

 ちやほやされたいと思った事は無いが、こうまで見せつけられれば多少の不満も募る。改めて一夏の人気具合を思い知らされた。私は溜息をついた。人と己を比較するのは愚かな事だ、そう言い聞かせ取り巻きの少女とタブレットの少女を見比べてはチェックを入れる。

 声を掛けてはチェックを入れる。チェックを入れると、我が2組の鷹月さんと布仏さんが見当たらない事に気がついた。

 左を向く、居ない。
 正面を向く、居ない。
 右も居ない。
 後ろに……篠ノ之さんの後ろに隠れる影2つ。
 タブレット上の2人に印を付けた。
 これでお勤め終了である。

 それにしてもあの2人は一体どうしたのか、そう思い顔を上げると2人と眼が合った。顔を赤くして更に隠れる。篠ノ之さんの影から飛び出る、布仏さんの栗色の小さい房がひょこりと揺れた。鷹月さんは軽く丸めた背を向けている。

 あの2人に何かしでかしたか、そう記憶をたぐれども、心当たりは無い。ISスーツ姿が恥ずかしいのかと考えて、それも頭から追いやった。ISスーツはISの下に着るウェアで、ある意味インナーではあるが、水着より露出は少ない。スクール水着にオーバーニーソックス、これが最も分かりやすい。これが恥ずかしいのであれば海には行けまい。

 因みに男用スーツの露出は更に少ない。全身を覆うダイバースーツを持ってきて二の腕から下、膝の下、最後に腹を切り抜いたと言えば簡単か。もちろん着るのは切り抜かれた方だと念を押す。


 そのような事を考えていたら、篠ノ之さんに睨まれた。いつものように腕を組み仁王立ちだ。もちろん彼女にも心当たりは無い。女心は難しい物だ。かれこれ千年以上昔から男は女性に悩まされている。書物を紐解けば一目瞭然だ。苦しむそれを打ち明けた文字を探せば事欠かない。きっとその悩みはこの後何千年と続くのだろう。

"思いあまりそなたの空をながむれば霞をわけて春雨ぞ降る"

 誰かが詠んだこの詩の意味を私は思い出せなかった。







 8機のISに歩み寄る。その鉄と、オイルと、エネルギーの塊はただじっとしていた。

 第2世代型IS"打鉄"

 戦車、戦闘機と言った兵器を連想させるラファール・リヴァイヴと異なり打鉄は日本鎧を連想させる、純国産のISだ。安定した性能と防御に優れるこの機体は残念ながら日本とドイツ、フランスでしかお目にかかれない。質実剛健気質のドイツ人と日本のポップカルチャーを好むフランス人を除けば見た目で嫌煙されたのではと考えている。

 侍ジャパンとは言うが、このデザインは製品として見ると個人的嗜好が強すぎでは無かろうか。好みではあるが。

 向かって左から3番目のそれに近づき、右手をかざし、打鉄に触れる。目を覚ましたコイツは直ぐさま膨大な情報を伝えてきた。みやとは異なり、その鼓動はしっとりとした非常に滑らかなものだった。流石日本製である。PIC、FBW、FCS、HS、多数のデバイスが作動した。機体情報を見ると、機体名:打鉄、製造者:倉持技研(株)とつらつらとと続き、最後に学園登録ナンバー:30と記されてあった。

 ふむ、と頭をひねる。

 30、みれ、みぜろ、み、み―




 突然心臓を射貫かれる様な、そうとしか言いようのない感覚に襲われた。それは1つの弾丸のようであり、一条の光線のようでもあった。そして、それは体が覚えていた。

 瞬時に大地を踏み抜き、身を横へ躍らせた。銃を求め腰に走らせた手は宙を切った。その手を大地に添えて体に溜を作る。そして気配の元へ感覚を走らせた。走らせれば、走らせたその6m先には青のお嬢様が佇んでいた。

 彼女は何時もの学生服ではなく、オーダーメイドのISスーツ姿であった。そんな彼女はいつものように腕を組み、鋭い視線を飛ばしている。張り詰めた神経が緩む。

「あのさ、セシリア。呼ぶなら殺気じゃなくてさ、普通に声を掛けてくれ」
「気安く話し掛けないで下さいな。真、私は貴方を許した訳ではありませんのよ」

 溜息混じりの私の頼みに、彼女はふんっと素っ気なかった。奇行ともとれる私の行動を偶然目撃した数名の少女が、目を白黒させていた。



「それなら大した事にはならなかったよ。教室の掃除だけで済んだ」

 私がそう言うと、彼女はその緊張を僅かに緩ませた。彼女の用件は私の処遇についてだった。私の事は一切知らされていなかったらしい。彼女は担任の織斑先生に聞いても教えてくれなかった、と憤慨している。ただ、自分で考えろ馬鹿者、だったそうだ。千冬さんも、意地が悪いのでは無かろうか、罰則代わりでもあるまいに。

 心配してくれたのか、と少し茶化してみると「えぇ、矛先を心配しましたの」と相変わらずだった。彼女は初めて会った時に様に尊大だったが、嫌な気分はしなかった。が、私はお返しとばかりこんな事を言ってみた。

「ところでさ、一夏の好物に興味はないか?」

 彼女が周囲に張り詰めていた理路整然とした意識の線が、撓んだ。

「何ですの、それは。あなたは篠ノ之さんと仲が良いのでしょう?」

 訝しげな彼女の問いに私はこう続ける。

「確かに義理を欠くけれどセシリアとだって撃ち合った仲だ、これ位良いだろ。心ばかりの支援射撃ってところかな。そもそも幼なじみとじゃハンデもありすぎるしね」
「結構ですわ、敵から塩を受け取るほど落ちぶれてはおりません」

 ちらちらと苛立たしげな視線を寄越す彼女に私はそっと耳打ちした。彼女は軽く咳払いすると、戦いは情報収集から始まっておりますわよね、と言いながら去って行った。そんな彼女の後ろ姿を目で追う。

「未練だぞ、蒼月真……」

 私は誰にも聞こえないよう呟いた。





日常編 IS実習2
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 ジャージ姿の織斑先生と山田先生が姿を現し、それに気づいた少女達がわらわらと並び始める。私は整然と並ぶ生徒達の先頭に立った。クラス代表は先頭である。一番前だ。ところが、どうしたことだろうか。一夏が隣に居た。


「なんで一夏が先頭なんだよ」
「俺、クラス代表だから?」
「なんで疑問形なんだよ。そもそも負けただろ、一夏は」

 一夏は腕を組んで、一唸りするとこう答えた。

「セシリアが辞退したんだ。あと負けたのは真な」

 セシリアと一夏はクラス代表を争っていた、筈なのだが。一夏の少し後ろ、金髪の少女に目をやると彼女はすまし顔だった。彼女の意図が読めず、思案する私に一夏はなんか違うんだよな、と呟いた。

「違うって何が?」
「セシリア、あれ以来なんか違うんだよ。突っかかってこなくなったし。あの"おほほ"もやらなくなった」

 何故か残念そうな一夏だった。

「女の子は精神的成長が早いと言うぞ。あれが切っ掛けで少し大人になったんだろ。結構な事じゃないか」

 私がこう言うと一夏は苦虫をかみつぶしたような顔になる。

「なんかむかつく」

 訳が分からん。





「ではこれよりISの基本的な飛行操縦を実践して貰う。織斑、オルコット試しに飛んで見せろ」

 皆の前に立つ織斑先生の指示でセシリアと一夏は、はいと皆の前に歩み出た。

 一次移行を行ったISは、アクセサリーに形状を変えて携帯する事ができる。ブルー・ティアーズはイヤリング、白式はガントレットだった。みや、ラファール・リヴァイヴはネックレスだが、残念な事にお目にかかった事は無い。

 余談だが、そのみやは基本デバイスの1つ、FBW(Fly By Wire:航行管制システム)が故障した為、今3年生が修理している。基本デバイスの故障は滅多に無いらしく、良い教材、と整備課の先輩方々に感謝された。始末書が無ければ私も素直に喜んだだろう。

 セシリアは瞬時にISを展開する。彼女のブルー・ティアーズは修理が完全に終わっていた。4つの子機と、スターライトmk3がその存在感を示している。セシリアと一瞬眼が合うと彼女は僅かな笑みを浮かべ、空へ駆け上がった。少し遅れた一夏は、織斑先生の叱咤の後、セシリアの後を追った。

 高速回転するタービンの様な、甲高い機動音と共に2機のISがアリーナの青い空を切り裂く。皆が2人を見上げる。その空には2本の、軌跡が走っていた。多少いびつな線の白に対し青のそれは一切の乱れがなく、見事と言う他無かった。

「よくあのセシリアを追い込めたもんだ……殆ど偶然、いや奇跡だな。あれは」

 私は思わず感嘆を口に出した。

「そんなに凄いかな?」

 いつの間にやってきたのか、左隣に立つ布仏さんが聞いた。あぁ、と彼女を視界に収めようとしたら「こっちみちゃ駄目」と彼女の手に押し戻された。私の顔が強制的に正面を向く。そこには腕を組む織斑先生が立っていた。先生は流し目にちらと私を見た。

 「……」

 釈然としない物を感じながらも私は彼女の質問に答える。

「あぁ、機動にブレが全くない。確実に重心を捉えている証拠だよ。多分PICをマニュアルで動かしている。その上、飛行計画にも無駄が無い。セシリアの技能の高さを改めて思い知らされた」

「蒼月君は大げさ。2人掛かりだったけれど、奇跡が必要なほど実力に差は無いと思う」

 唐突に右隣から鷹月さんの声がした。説明しようと顔を向けると「こっち見ないで」と手で押し戻された。強制的に向いた正面には、苦笑する織斑先生が立っていた。

 「……」

 腑に落ちないと思いつつ、彼女に答えた。

「それは買いかぶりすぎかな。俺は無我夢中で逃げ回って闇雲に撃っていただけさ。セシリアが初めから本気だったら俺らは10分持たなかった。それだけ実力に開きがある」


「随分オルコットを評価するのだな」

 そう言うのは、視界の左側に姿を現した篠ノ之さんだった。いつものように腕を組み、多少鋭気に私を見た。

「過大評価のつもりは無いよ、箒。子機に27発、レーザーライフルは9発食らったんだ。セシリアの実力は身に染みてる。彼女は強い」

 あほう、と篠ノ之さんが半眼で睨むと、何の前触れも無く2つの足背、つまり足の甲に痛みが走った。痛みの余り思わずしゃがみ込む。踏みつけた2人に抗議しようと振り返ると、「「ばかっ」」と言い残し、2人は立ち去った。涙目の私に篠ノ之さんが深々と溜息をつくと「真、あの金髪だけはやめておくのだ」と2人を追った。状況が理解出来ず、ただ痛みに呻く。



 若干呆れた表情の織斑先生がこんな事を聞いてきた。刺々しさを感じるのは気のせいだろうか。

「蒼月、その強いオルコットは何故お前達に追い込まれた?」

 私は痛む足を堪え立ち上がった。

「様子を見たからでしょう。俺らに慣れる時間と勢いにのる切っ掛けを与える事になった、そう考えます」
「では、なぜオルコットは様子を見たと思う?」
「……挑発されたから、と」
「その回答では落第だな」

 言われれば確かにそうだ。混乱から立ち直ったのであれば、その時点で全力を出すべきだ。少なくとも私ならばそうする。ならばセシリアは一体何故?

 思案する私に彼女はこう言った。

「お前達の急激な成長を見て興味を持った、特に同じガンナーのお前にな。そんなところだろう。もっとも"ああいう方法"で主兵装を失うとは完全に予想外だったはずだ。あれがなければ後半の逆転は無かっただろうからな」

 あの時の何かを探るようなセシリアの視線を思い出し、私は得心がいく。

「良いんですか? 生徒にそんな事を言うと増長しますよ」
「お前は自己評価が低いからな、これ位が良い案配だろう」

 彼女は小さく笑った。

「織斑には言うなよ、調子に乗る」

 私は苦笑気味に「はい」と応え、青い空の白い軌跡に視線を走らせた。




 「一夏っ! 何時までそんなところに居る! 早く降りてこい!」と、篠ノ之さんが山田先生から奪い取ったインカムで怒鳴った。それを聞いた織斑先生が頃合いだと「織斑、オルコット、急降下と完全停止をやって見せろ。地表から10cm以内が合格だ」と指示した。上空のISが急降下を始める。


 ブルー・ティアーズは地上8cm、白式は地下1mだった。

 授業で使った30番機の打鉄に私は"みお"と、名付けた。

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短編調の話が続くとどうも、つなぎにに違和感があります。
サブタイトル入れた方が良いかも、と思いました。

予定ですが、もう一回日常編を入れて、そのあと鈴編に入ります。

それでは。



[32237] 03-02 日常編2「引っ越し」+外伝「Miya」
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/08/24 20:33
日常編~引っ越し
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「狭いな」
「開口一番ひとの家を愚弄するな」


 一夏の悪意ある呟きに私は抗議を上げた。時は流れ入学から3つめの日曜日、本日を以てこの6畳一間のアパートとお別れとなる。埋め込み式の半導体照明、木目調のフローリング、白い壁、窓からは日の光が差し込んでいた。変色した柱にそっと手を添え、思い出すは毎夜激しい大学生、読経のご老人、神経質なマダムに、口達者な小学生達……快適な住処では無かったが、いざ引き払うとなると名残惜しさもわくというものだ。

「さっさと片付けようぜ、これなら直ぐ済む」
「俺は一夏を連れてきたこと後悔してるよ」

 情緒もへったくれも無い一夏に私は溜息をついた。

 時は一昨日に遡る。つい先月まで一人暮らしをしていた私は、頃は良しと自宅の引き払いを決行した。事前に準備をしていた為、掃除と家財の処分のみで済む訳だが、最後だからと外泊申請を出した。それを一夏に見つかり、俺も家に戻るからついでに手伝ってやる、と相成った次第だ。

 何故か女性陣が執拗に手伝いを申し出ていたが、なにぶん独身男の部屋である。少女に見られて困るの物も多いと、丁重に断った。

「17時には山田先生が来るからな、それまでに片付けるぞ」
「何で山田先生が来るんだよ」
「ベッドとか冷蔵庫とかリサイクル業者に売るんだが、未成年だと売れないんだよ。だから頼んだ」

 実は千冬さんに頼んだのだが、時間がとれないからと山田さんにお鉢が回ったのだった。




「パイプベッドは捨てるのか? まだ真新しいのにもったいない」
「寮に持って行けないからな、しかたがない」

 この時初めて知ったのだが、一夏は家事が得意だった。エプロン姿でテキパキ片付ける。その姿は主婦顔負けだった。そのお陰で作業は予想以上に進んだが、多少複雑な気分になった。家事で優劣もないと自分に言い聞かす。そんな一夏を見て、織斑先生は家事はしないのか、と何気なく聞いてみた。一夏は生活能力ゼロと言い切った。少しだけ悲しかった。


 暫くすると一夏は風呂場の掃除に細い物が欲しいと言い出した。そこまでしなくても良かろうと言ったが、すっきりしないという。しかたがないと樹脂の三角定規を手渡した。そうすると文房具じゃないか、と意外に頭が堅いことを言ってくる。道具と頭は使いようと答えれば、それ受け売りだろと一夏が言った。やかましい、と雑巾を投げつけた。ぺちょりと一夏の顔に張り付いた。拳の応酬を繰り広げた。


 廃棄する中サイズの段ボールを手にした一夏が言う。

「真、これえらく重いな。中身なんだ」
「エロ本」

 部屋にビリビリと何かを剥がす音が響いた。

「開けるな!」

 思わずはっ倒した。打張り合った



 寮行き小サイズの段ボールを開けた一夏が言う。

「これ、日本酒じゃないか。お前不良かよ」
「それはおやっさん、会社の人から貰った大事な物なんだ。というかさ、なんで開ける……」
「未開封か……なら、飲んだことはないんだな?」
「話聞けよ、あるし。リーマンだったし」
「この不良学生」

 むかついたので殴った。殴り合った。



次々に、段ボールを、開ける、一夏が。

「これオーディオか? 随分ごっついな」
「あぁ趣味でさ、ジャズなんか良く聴く」
「こっちは本か。文字ばかりじゃないか。漫画はないのかよ」
「読まない」
「ジャズに文庫、と」
「一夏、さっきから気になってるんだけど、そのメモは何だ」
「報告書」
「……誰への?」
「箒に静寐に本音」
「……何で?」
「頼まれた。捨てるかも知れないから見てきてくれって。真、お前趣味とか自分のこと、余り話さないんだってな。そう言うの良くないぜ。3人とも寂しがってた。まぁ趣味が音楽鑑賞と読書なんて恥ずかしいのは分かるけどよ。それにしても、なんかおっさん臭い―へぶぅ」

 一夏の顔面を捉えた右拳をぐりぐりまわす。

「表でて裸で踊ってろ。おまわりさんと戯れられるぞ、このタレコミ一夏。お前は一言多いんだよ、癪に障るわ」
「酒飲む、エロ本読む、直ぐ暴力を振るう。俺は残念だぜ、栄光のIS学園生徒がこんな不良なんてよ。みんなが知ったら悲しむだろうな……このムッツリ真の陰険変態野郎!」

 一夏が俺の胸ぐらをぐいぐい掴む。

「そういう薄っぺらい、不愉快なセリフは……エロ本持ちながら言うんじゃない! この馬鹿一夏!」

 だから殴った。

「馬鹿、阿保しか知らないのかよ! 語彙すくねぇな! このへつらい真!!」

 そして殴られた。

「何時どこで誰がへつらった!? このすりこぎ一夏が!」
「すりこぎ舐めるんじゃねぇ!」
「ただの悪意だ!」
「尚悪いわ!」


 「そろそろ私たちが来たこと気づいて下さい」と、どかぼかドツキ合う俺らに、そういうのは冷たい視線の2組副担任 小林千代実さんだった。

 「それ没収しますからね。未成年はダメですよ」赤い顔でそういうのは1組副担任 山田真耶さんだった。

 本は没収された。酒は無事だった。軽蔑の視線は、いと悲し。






「あのリサイクル屋さん結構素敵じゃありませんでした?」

 助手席の山田さんは顔を強ばらせ、言う。

「そうですね、山田先生に熱っぽい視線浴びせてましたよ」

 ハンドルを握る小林さんはそのこめかみに血管が浮かせて、言った。

「「……」」

「えぇーあれは絶対小林先生でしたよ」
「そんな事ありませんよ、あのひと真耶の胸ばっかり見てましたし」
「私はいやらしい人は好みじゃ無いんです。胸の小さい千代実にお似合いです」
「私だって嫌です。胸の大きい女が好きなんて絶対人格破綻者です」

「「……」」

「「ねぇ、君たちは大きいのが良い小さいのが良い?」」

「「……」」

 じきに5月だというのにスポーツセダンの中は妙に寒かった。




 部屋の引き払いも終わり、寮へと帰る車の中、小林さんと山田さんは終始この調子である。小柄で髪が短く可愛いという印象の山田さんに、長身で髪が長く凛々しい印象の小林さん、真逆の2人ではあるが、実際は仲が良いのだろう。でなければ、車が故障し途方に暮れた山田さんが、助けを求め、小林さんがそれに応じるはずが無い。

 一夏はこの2人仲悪いんだな、と呟いた。私は曖昧に答えると窓の外に眼を向ける。空に瞬く幾多の星。流れる夜景は時間を遡っているような錯覚に陥らせた。

「千冬ねぇとリーブス先生も仲悪いのかな」
「さーな。端から見れば普通だけど、遺恨なしって訳にもいかないだろ」
「なんでだよ?」
「そりゃそうさ、あの2人は誰が見てもそう思う」

 よく分からない、そういう顔の一夏に私はこう言った。

「一夏、リーブス先生は第2回モンドグロッソのゴールドメダリストだぞ」
「それって、千冬ねぇが……」
「そう、織斑先生が棄権したあの大会だよ」



 連覇確実と言われた千冬さん。それを唯一阻止出来ると謳われたディアナさんの対決は千冬さんの棄権という形で幕を閉じた。当時多くの憶測が流れたが、真実は分からずじまいだった。余程不本意だったのだろう、ライブラリーに写る当時のディアナさんは金の表彰台に立ちながらも、その不満を隠す事無くただ憮然としていた。

 無粋な詮索はいくらでも出来る。だが、今その2人は学園の教師としてくつわを並べているのだ。きっと2人には、それに値する、共有できる何かがあったのだろう。私はそう思いたい。


「それ俺のせいなんだ」

 突然発せられた言葉に、私が顔を向けると、一夏は窓の外をじっと見ていた。まるで、過去を見ている様なそんな眼をしていた。

「一夏?」
「試合直前に拉致されてさ、千冬ねぇが助けに来てくれたんだ。大事な試合だったのに。きっと2人の仲が悪いならそれは俺のせいなんだ」

 車内に沈黙が訪れる。前席の2人はきっとそれを知っていたのだろう。はっと息をのんだ後何も言わなくなった。私は一回だけ、少しだけ深く呼吸した。

「一夏、右手出せ」
「なんだよ」
「いいから。握手の要領で、そう開き気味にだ」

 私は一夏の手の平を、同じ自分の手の平で軽く叩いた。乾いた音がした。呆然とする一夏に私は続ける。

「今度は右の甲同士で叩くんだ」

 また乾いた音が響き、手に鈍い刺激が残る。

「これを繰り返すぞ」

 2つの音が続けてなった。一夏は自身の右手を、じっと見ると今度は俺も動かす、と言った。

 今度の2つの音は、大きめに、だが心地よく、体の芯に響いた。

 悪くない、と一夏が言った。

 そうだろ、と私は答えた。


 自分が悪い訳ではない、そんな事は一夏自身にもよく分かっている。きっと千冬さんは一夏に気にするなと言ったのだろう。その時コイツは、無力な自分にただ怒りと悔しさをぶつけた筈だ。

 よく分かるよ、一夏。俺が世間に知られた時、俺も彼女にそう言われ、俺もそう感じたから。

「真」
「なんだ?」
「さんきゅ」
「おう」

 俺はこの時初めて一夏を友人と感じた、そんな気がする。








外伝 Miya01 (視点を変えてます)
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 ISから伝わる滑らかな振動に、真は多少ではあるが違和感を感じていた。打鉄のバーニア、アクチュエータ等の駆動デバイス音、FCS(Fire Control System:射撃管制システム)やハイパーセンサーと言った情報デバイスからの信号、滑らかではあるが物足りない、というのが彼の正直な感想だった。動かしにくい、慣れにくい、すぐ歩み寄らない、俺はそういうのが好みだったのか、唐突に気づいた自分の質に、驚きと皮肉を込めた。もちろん頭上の、金髪の少女を含めての話である。

 彼は上空の青いISから放たれ膨れあがる威圧を感じると、その余所事を意識から瞬時に消し去った。幾多の意識の線が降り注ぎ、それに遅れて光弾が続く。その線を捉え、降り注ぐ光弾雷雨をかい潜ると、第3アリーナのフィールド上に機動痕が走った。エネミーまで距離60m。彼はあの時より重い体をひねり、手にする12.7mmアサルトライフル"IMI タボールAR21i"をフルオート発射。彼の放つ意識の線と赤い軌跡は外れ、7発の弾丸は青いISを掠めた。

 青のIS、ブルー・ティアーズは回避運動中に打鉄の機動を把握。全ての子機を緻密に操り、その動きを押さえ込む。主力兵装大型レーザーライフル"スターライトmk3"を最小時間で照準を合わせ、光弾を連続発射。

 打鉄、最大加速。絶え間なく降る光弾の隙間をくぐり回避。瞬時に急速上昇。ブルー・ティアーズに肉薄する。


 4月下旬の放課後。この第3アリーナで高速機動戦闘を繰り広げる2人の生徒、セシリア・オルコットと蒼月真の模擬戦は観戦席に座る者をただ唖然とさせていた。開始から既に14分経過、互いに直撃がない。2機の減少したエネルギーは機動による物と攻撃した物が大半だ。これは異常と言っても良い。もちろん1年生にしては、という条件は付く。


 銃口を向け迫る真と視線を交差させたセシリアは、同じく加速、"追撃"に移行する。

(第2世代の打鉄で、しかも初期設定のままで良く躱しますこと……ですが詰めが甘い!!)

 回避に徹し、機会を待ち、セシリアの、ブルー・ティアーズの不得手とする近接攻撃を仕掛ける、これが真の狙いだ。だが、真の飛び込んだ空間はセシリアが意図的に作ったもの、つまり罠だった。彼女は2番子機の光弾を打鉄の左脚部にさせると、その衝撃で打鉄の姿勢を大きく崩した。セシリアはこの隙を逃さず、4つの子機と大型レーザーライフルの光弾を撃ち込んだ。

 指向性の急激な外部運動エネルギーを受けた打鉄は高速落下。瞬時に姿勢制御、バーニアを噴かすが制動が間に合わずフィールドに激突。回転しながらフィールド上を進み、衝撃吸収防壁で止まった。第3アリーナに激しい音が響き、砂塵が巻き上がる。



 真は直ぐさま機体状態の確認、離脱運動に移行しようとし、両手を挙げた。片膝をつく彼が見上げるのは、高度2mに佇むブルー・ティアーズパイロット、セシリア・オルコットだった。エネルギーは220ほど残っていたが、心理的チェックメイト。その光景は、王女にかしずく騎士というよりは、女王の怒りを買った宮仕えの様に見える。

 その彼女は肩を怒らせ左手を腰に置き、仁王立ちで真を見下ろしていた。その表情には呆れ、憤り、不満、が混じっている。レーザーライフルを光子に変換、量子格納領域に収納するとその指を苛立たしく真に向けた。

「なんですの、あの不抜けた攻撃は」
「不抜けたとは言い過ぎじゃないかな。シミュレーションより3分も長く耐えたんだぞ」

 精一杯がんばりました。でも駄目でした、そう言わんばかりの真にセシリアはこめかみに青筋を浮かべる。

「お黙りなさい! 16分32秒の戦闘時間で撃ったのがたったの27発! 戦う気はありますの!?」

 落第ですわ、赤点ですわ、と容赦なく繰り返されるセシリアの罵倒、いや説教に真は思わず視線を落とした。フィールド上をちまちまと歩くテントウムシを見てお前は幸せそうだな、とついぼやく。


 真の攻撃不振には訳が2つある。1つは彼が使用した打鉄30番機は、初期設定状態だ。つまり、ISとの連携に齟齬が多く撃つに撃てなかった、撃ったところで無駄弾にしかならなかった、と言うのが実際である。こちらは初期設定なんだ、高速機動は酷くないか、手加減してくれよ、と言うに言えない真であった。言えば言い訳がましいと更に酷くなる。酷くなるのは彼女の機嫌であるが、彼はここ1週間でそれを嫌と言うほど思い知らされていた。

 真には強くなって貰わなくては困る、というのがセシリアの偽らざる本心だ。家紋入りの拳銃を渡したのだ、気持ちも分からなくもない。しかし2人の関係、とくに真のことを思えば少々酷な話ではあろう。時間も経ち、大分落ち着いたものの、未だ淡い思いを寄せる少女にダメ出しを食らえば誰であろうと落ち込むものだ。


「――気が入っておりませんわ! 真! 聞いていますの!?」
「はいっ! 聞いてます!」

 ISは正座が出来るのか、とズレた感心をしていた真は慌てて声を上げる。断っておきたいが、真は16歳、セシリアは15歳である。もし彼の身内が見れば涙すること間違いないだろう。そんな真にセシリアは深く溜息をつくとその右手指を額に当てた。

「そもそも何故"打鉄"ですの? 真にはラファール・リヴァイヴが合っているのではなくて?」
「……ちょっと乗る気にならなくてさ」

 突如トーンを落とした真にセシリアは訝しげな視線を向ける。



 2つ目は真の心理的調子だ。元々機械に愛着を持つ質の彼は、一度使うとそれを使い続ける傾向がある。授業でもこの自習でも使う打鉄は30番機だ。ラファール・リヴァイヴはセシリアとの対決で使用した38番機である。

 特殊な故障をしたため長らく登録を外れていたこの機体が復帰したのはつい昨日のことだ。そしてその連絡を2年の薫子から受け取ったのは本日の朝。彼の調子が悪いのはそれからであった。

 気分で戦いに影響を及ぼす様では先が思いやられる、との叱咤に真は何度も謝罪するだけだった。そんな真を見かねたのか、ピットで控えていた白式の一夏が選手交代だとやって来ると、真は一言詫びてそのまま消えていった。


「真の奴、相当重傷だな」
「一夏さん、真は一体どうしましたの? まるで覇気がありませんわ」
「セシリアと戦った時に使ったラファール・リヴァイヴ、今日初期化されるらしい。多分それだぜ」


 成る程と、セシリアは右手を口元に添えると真が消えたピットをじっと見つめていた。





外伝 Miya02
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 Blue Rainy Day症候群。これは一次移行を済ませたパイロットが、卒業や任務終了などの理由で、ISと離れるもしくはISが初期化される時に生じる、喪失感、意欲減退と言った心理的症状を指す。

 搭乗時間比例して、つまり優秀なパイロットほど悪化するこの症状であるが、当初、単純に訓練不足と見なされ、精神を病む者、ISに拒絶反応を示す者が続発、大きな問題となった。特に繊細な10代の少女たちだ、当然の結果とも言えよう。

 こう言った経緯から、今日においてIS学園とした世界各国の訓練所はその心のケアに非常に神経を使っている。少々無粋だが、1人の人間を訓練するには莫大な資金と長い時間がかかり、これが無駄になるのは避けねばならない、という事だ。専用機持ちともなれば言うまでも無い。

 では男の場合はどうなるかと言うと、当然今まで実例がなく専門家でも意見が分かれていた。真を見る限り典型的な症状であったが、彼は特殊な経歴を持つ為、簡単な話ではない。彼には1年以上前の記憶が一切無く、また彼を知る人物も皆無であった。だから、真がそれとISコアが全てを忘れてしまう事を、重ね合わせてしまうのも無理からぬ話である。



 その真は、校舎の屋上でベンチに座り、ぼんやり空を、あかね色の空をじっと見ていた。時折右手を空にかざしては、その手で顔を覆い、指の隙間から空を見ては、視線を下ろし海を見てまた空を見る。先程から彼はずっとこの調子であった。

(みやが俺を忘れる、か。思ったより堪えたな。分かっていたんだけどさ……)

 時計を見ると17時前。初期化が行われるのは18時。あと1時間ほどだった。最後に会いに行こうと考え、そして止める。それは彼自身がそれを肯定し確定する事と同義だ。どうしても彼は一歩踏み出すことが出来なかった。

(というかさ、昼より落ち込んでいないか、俺。あぁそうか、セシリアに改めて指摘された事が効いているのか。セシリアも容赦ないよな。というか、もう少し丸くなっても良いと思うぞ。そもそもなんで一夏は"さん"で俺は呼び捨てなんだ)

 真は分かりきった事を疑問に思い更にへこんだ。"しみったれ野郎"、一夏が真をそう評した所以である。そして話の芯が外れ、思考の堂々巡りをし始めた。こうなると止められるのは時間か他の人だけだが、あいにくと屋上には真1人しかいない。

(だいたい、なんで今日俺はアリーナに居たんだ。練習する予定はなかったのに。そうだ、そう。セシリアに誘われた一夏が俺を誘ったんだ。余計なことをしやがって。お陰で16分33秒もセシリアに意識を集中する羽目になったんだ。何が一緒に練習しようぜ、だよ。セシリアは一夏と練習したかったのに。馬鹿かあいつ。お陰でセシリアにフルボッコじゃないか。唐変木もあそこまで来ると始末に負えないよな……ひょっとして、わざとやってるのか? 俺に気づいていて見せつけているとか……くくく、神は言っている、一夏をボコボコにして良いと)

 何とも低い、地獄の釜を開いた様な、気味が悪い声を屋上に響かす真であった。黒いもやを漂わせて正直不気味だ。どのような気配を察したのか、鴉の大群が頭上に飛び、屋上には大群がただ足爪を鳴らしていた。まるでヒッチコックが作ったホラー映画のワンシーンである。女生徒が居なかったのは幸いであろう、見ればトラウマになりかねない。

 ひとしきり笑った後、気が済んだのか正気に戻ったのか、そのまま天を仰いだ。無様だ俺、そう自分を罵りながら一番星を見つめる。海風がゆっくりと吹き抜け真を凪ぐ。髪が揺れた。



 彼がその音を聞いたのは、最後の鴉が消えてからだった。それは軽やかさと柔らかさを感じさせたが、しっかりと、確実に地面を捉える音で近づいてきた。彼は振り返りもせず、その音の主に声を掛けた。その主は真の無礼を咎めた。

「この屋上の花壇とベンチ、あの後置かれたんだ。絶対俺らのせいだな。セシリア」
「真の、せいですわ」
「違いない」

 真は苦笑気味に立ち上がると、彼女の手を取りベンチに招いた。真も存外調子が良い。そして2人の距離は0.5人分。この2人の関係を良く表わす距離だろう。セシリアは缶のホットミルクティーを真に渡すと空気の抜ける音を発した。真もそれに続く。

「一夏は? 随分早くないか?」
「3分42秒ですわ」
「納得」
「あの時おくれを取ったのはお二人だったからですわね。不足する技術を補うほどののコンビネーション。初めてとは思えないほど、息がぴったりでしたもの。少し羨ましいですわ」
「やめてくれ、冗談じゃ無い」

 それを聞いたセシリアが小さく笑い始めた。何がおかしいのか全く分からない真は、つい憮然とした顔で不満を口にする

「一夏さんも、そう言ってましたわよ。一語一句変わらず」

 真は顔赤くし紅茶を含んだ。セシリアは堪える様に笑った。





「ったく、世話掛けさせやがる。貸し一つだぜ真」と、屋上と屋内を隔てる小屋に身を潜めるのはその一夏だった。

 二人の肩と頭しか見えないが、一夏には目論見が上手くいったと分かった様だ。しかし、と一夏は腕を組む。あの真があのセシリアをねぇ、大げんかだったのに意外だぜ。雨降って地固まったって事か。色恋沙汰とは難しいものよと、うんうん唸っている。真の思いに気づき、一夏なりに気を遣った、と言うことであろう。自分以外には鋭い一夏であった。

 だが残念なことに、自身の行動がどのような意味を持つのか、そこまでは考えが及ばなかったようだ。何分まだ15歳である、詰めが悪いのは仕方がない。一夏の後ろに揺らぐ影2つと1つ、思わず顔が青ざめる。

(貸し二つだ、大バカ真)

 一夏はその影に引きずられ暗闇に消えていった。





外伝 Miya03 ( 推奨BGM 機動戦士ガンダムUC 「Unicorn」 )
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「聞いて頂けますか」

 セシリアがそう切り出したのは、他愛ない話を幾つか交わした後だった。

「聞く? 何を?」
「私の家のことですわ」
「……王室縁の貴族、莫大な財力を持ち、イギリスの政治と経済に影響を与えて、いた」
「本当に失礼な人ですわね。女性を詮索するとは」
「すまない」

 セシリアは軽く息を吐く。

「……私、父を軽蔑しておりましたの」

 真は口にしていた缶を下ろすと、セシリアは目を伏せ静かに語り出した。

「父は何時も人の、母の顔色を伺う人でした。入り婿で負い目があったのでしょうが、それでも何時も自信なく、人目を気にしていました。何時も怯えていた父に、私は憤りを感じていました。強い母とは正反対でしたわ。ですから私、情けない男とは口も聞きたくない、男など従える者と、そう、あの時の私はそのような愚かな考えに取り憑かれていたのです。本当に、愚かでしたわ」

 真はあの時の、あの廊下での、セシリアを思い出した。

「……どうして話してくれた?」
「私だけが秘密を知っているのもフェアではありませんし、中途半端は好みではありませんの」

 つまりはそういう事だ。思いもがけない彼女の告白、懺悔に真は全てを理解した。彼女がここに居る訳、身の上を話してくれた訳、何時までもここで腐っている訳にはいかなくなった。彼は缶を飲み干すと、立ち上がった。

「ん、そうだよな。挨拶してくるよ」
「そうなさいな」

 ようやく顔を上げた真に、セシリアは笑って応える。

「それにしても酷い味ですわね、これ」
「そうか? それなりにおいしいと思うけど」
「これが紅茶だと思って頂いては困りますわね、今度部屋にいらっしゃいな。本物でもてなしますわよ」
「あぁ、必ず」






 校舎の出入り口で二人を迎えたのは、箒と一夏であった。どうやら待ち構えていた様である。一夏の姿を認めたセシリアは、僅かではあるが歩みを早めた。そんな彼女を見た真は、自分自身の心が今までよりも、随分とゆったりとしていた事に気づいた。真はそうかと理解し、箒だけがそれに気づいた様だった。

 一夏はそれに構わず真に詰め寄り、胸ぐらを掴む。何があったのか一夏は少し涙目だった。恐らくは、静寐だろう。

「貸し9つだ、この馬鹿真! 分割禁止、一括払い上等だ! とっとと払えこの大馬鹿真!」
「訳わからんわ。制服が傷むから手を離せ、この阿保一夏」

 ジト目でにらみ返す真。そしていつもの様に始める二人であった。また始まったと箒とセシリアは溜息をつく。


 殴り合う二人を止めたのは、千冬でもディアナでも無く、2年の薫子だった。騒ぎを目印に息も切れ切れに駆け寄ってきた。いつもと異なる、慌てる彼女の様子に、二人は手を止める。

「やーっと見つけた、真、アンタどこに行ってたのよ~~」
「どうしたんだよ薫子。そんなに慌てて」
「これが慌てずにいられるかっての……これっ!」

 薫子が真に突き出したのは、学内メールを印刷したものだった。一夏が読み上げる。


「整備課第4グループ 学生各位

以下に記すISの機体設定を一般から個人へ変更を行うこと。

・IS機体名:ラファール・リヴァイヴ
・機体登録番号:38番機
・登録者:1年2組 蒼月真

尚、この通知をもって上記ISを個人専有機体とし、他者の使用を禁ずるものとする」



 真が永きにわたり駆る鎧を手に入れた瞬間であった。



「個人専有機体……これって、ひょっとして」声を震わす真に薫子が答えた。「専用機よ! 専用機! アンタわかってんの?! この間の決闘が認められたって事! 企業も国も何の後ろ盾も無しに専用機が宛がわれるなんて前代未聞だわ! もっと驚きなさいよ!」薫子は興奮状態だった。

 真が一夏を見ると、一夏も真を見ていた。互いの手の平と甲を打ち鳴らす。

「一夏! 付き合え! 第7ハンガー、会いに行く!」

 真が叫び駆けだした。

「応よ! しゃーねーから、付き合ってやる!」

 一夏がそれに続き、

「ちょっと、あんた達待ちなさいっ! ハンガーの鍵は私が持ってるんだからねー! 先輩を蔑ろにするんじゃなーい! 待てったら! この一年共は! もーーー!!!!」

 薫子が2人を追いかけた。



「真! 明日の模擬戦、覚悟しやがれ!」
「よく言う! 一昨日負けたのどこの誰だ! この馬鹿一夏!」
「ざけんな! 手加減してやったに決まってんだろ! この阿保真!」
「なら明日が楽しみだよ! この大アホ一夏!」
「吠え面かかせてやるからな! 大バカ真がっ!」

 罵り合いながらも笑う、2人の少年を2人の少女が見送る。黒髪の少女は苦笑気味だった。金髪の少女は意外にも穏やかな目をしていた。人によっては慈愛を感じたかも知れない。

「手間を掛けさせますこと」
「それだけは同意しよう。だがオルコット、もう真にちょっかい掛けるな」
「あら、ちょっかいだなんて人聞きの悪い。男と女の関係は色々ありましてよ。篠ノ之さん」
「お前、まさか真に気づいて……?」
「さぁ? どうでしょうか」


 これで失礼しますわ。そう言うとセシリアは踵を返した。その表情は厳しくも楽しそうであった。

(第二世代というのが少々不満ですが、まぁ良しとしましょうか。覚悟なさい真、まだ始まったばかり、立ち止まることなど許しませんわ。貴方が私に贈ったもの、軽くはなくてよ)



 残された箒は深く溜息をついた。部屋で待つ2人の友人に、なんと伝えたら良いのか、それを考えると頭が痛い。朗報なのか凶報なのか。

(真の調子が戻っただけでも良しとしよう)

 そう思うと、彼女もまた立ち去った。





 4月最後の日に下されたこの決定は、この学園の、世界の方向を左右する大きな分岐となった。世界の歯車はゆっくりと、だが確実に周り始める。だがそれを語るのはもう少し後の話。




外伝 Miya 完
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この外伝では色々実験しました。
ネタを織り込むのもそうですし、BGMを意識したのもそうです。
そして、一夏たちから見た真はどうなるか。

真視点でも神様視点でも、彼の行動に差は付けていませんが、非常に新鮮でした。
2重人格というか、気分の浮き沈みが激しいというか、何というか。
書いていて面白かったです。

その真はセシリアに対し、折り合いを付けました。
もっとも終わった訳では無く、新たな関係で2人は交友を続けます。
引っ張りすぎですね、もう少しさっぱりした性格の予定だったのですが……?

それにしても一人称が難しいと思い知らされました。
登場時の箒とセシリアに悪い印象を持たれた方がおられまして、そのフォローでもあります。
登場時の原作ヒロイン5人組は、1人を除いて真に厳しく当たります。
次からは気をつけないといけないな、でもどうするんだよ、と悩む日々です。

それでは。



[32237] 03-03 凰鈴音1
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/04/22 16:51
小さい一つの波

みやを形作る一つ一つが鳴らす小さな波

それらが重なり合い一つの大きな波となる

それこそがみやの鼓動



足を大地に眼を天に

青い光が背に灯り雲の屋根を突き抜ける

みやが許可高度の警告を鳴らす

高度11km、対流圏と成層圏の境界、雲の限界

そこは青い空と白い雲の王国だった

風の音だけが響き渡る

鼓動が一つ鳴り、大地の呼ぶ声が聞こえた

体が引かれ、視界が緑と水に変わる

空気を切り裂く振動と音が割れる音

その破片の先に見えるは帰るべきところ

私たちの咆吼が響く

最後に見たのは砂粒だった







 IS学園、第3アリーナのフィールドが、激しい衝撃と音を掻き鳴らす。私はいつもより少し深い地面に降り立った。周囲には土煙が舞っている。

「蒼月君、マイナス1cm」
「半径5mってところか。着地点が予想より低いかな。少しだけ」
「戻る前に埋めて。管理の人に怒られるから」

 ピット脇のナビゲータルームにいる鷹月さんに手を上げ、応える。意識に直接響く彼女の声はいつもより遠くに聞こえた。



 5月最初の日は少し雲の多い日曜だった。私は正式契約を結んだばかりのみや(ラファール・リヴァイヴ38番機)と最初のデート(フライト)をした。こいつは以前より過激で、僅かなミスを不快な振動といびつな機動で責める。だが以前より妙にしっくり来た。恐らく、こいつと私の関係は少し変わったのだろう。少しずつで良い、歩み寄っていこうと思う。

 第2ピットに戻った私は、みやを待機状態(クローズ)に、両足にピットの冷たい感触を得る。鷹月さんがちょうどナビゲータルームから出てきたところだった。彼女にナビの労を詫びる。彼女は日曜にも関わらずその役を買ってくれたのだった。因みに彼女は何時もの白を基調とした制服姿だった。その理由を聞いたら、急で思いつかなかった、らしい。何が思いつかなかったのかという質問には答えて貰えなかった。


「本音は?」
「さっきお姉さんから連絡あって楓寮に。色々聞いてくるって」
「3年の布仏虚さん?」
「知ってるんだ。やっぱり」
「去年何度か会った。って、やっぱりって何?」
「なんでもない」
「……なら良いけど。でさ、稼働データは?」
「普通」
「そっか。少し自信あったんだけどね。コイツじゃじゃ馬だし」
「その子とはまだ2時間程でしょ? 焦らない方が良いよ」

 そうだよなと、相づちを打ち彼女のタブレットをのぞき込む。横から見る鷹月さんはどこか物憂げのように感じた。雲の隙間から僅かに太陽が漏れ、辺りを照らす。私は彼女の気配に少し戸惑いを覚えた。

「転校生の話きいた?」
「へ? あぁ、昨日先生から聞いた。ウチの組(2組)だってさ」
「そうなんだ、どんな人かな」
「中国代表候補の専用機持ち。多分第三世代、エリートだな」
「温和しい人だと良いけど」
「何だよ、気が強いのはダメなのか」
「2組を荒らされそうで、少し嫌」
「清香がいるじゃ無いか」
「清香はどちらかというと、"元気"だよね。少し違うと思う。蒼月君はどう思うの?」
「俺は気が強い娘が1人ぐらい居ても良いと思うけどね。ほら、2組は温和しい娘が多いし」

 顔を上げる彼女は僅かな苦笑を浮かべていた。

「またそういう事言う。大変なのは蒼月君だよ」
「別に気にしな―」

 その私の言葉を遮ったのはフィールドからの轟音だった。私たちはピットの出口に駆け寄る。その光景は白式とブルー・ティアーズと打鉄だった。

ブレードを構える篠ノ之さんが言う「ぐっとする感じだ! 何度言えば分かる一夏!」
レーザーライフルを構えるセシリアが言う「一夏さん! 踏み込みが0.23秒遅くてよ!」
一夏が嘆いた「分かるかそんなもん! てゆーか2対1は死ぬから中止だ!!」


 フィールドに尻餅をつき抗議を上げる一夏とそれを見下ろす勝ち気な2人。私はバツが悪く頬を掻く。鷹月さんが本当?と私を見上げる。

「ごめん鷹月。俺、間違ってた」
「ううん、いいの。それより蒼月君」
「なに?」
「髪染めてみようと思うんだけどどうかな?」
「あぁ、良いんじゃ無いか? 気分転換にもなるし。で何色?」
「金色とかどうかなーって……」

 髪を弄り、何故か頬染める鷹月さんを私は全力で引き留めた。脳裏に浮かぶは担任の狡猾な金色と失恋の青い金色。多少印象が良くなかった故である。多少である。





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 空気が淀んでいる、そう感じた日曜日は昼過ぎには小雨が、夕方には本降りとなった。窓には雨粒が音を立てている。その窓に「織斑一夏クラス代表就任&蒼月真専用機ゲットパーティ」と書かれた紙が見えた。そういう祝いの日らしい。

 見慣れた食堂にはオードブルやらソフトドリンクやらが並び、1組と2組の皆が思い思いに歓談している。主賓が飾りだが得てしてこんなものだろう。何時もの8人掛けのテーブル。布仏さん、鷹月さん、篠ノ之さん、一夏に私。

「何故オルコットがここに座っている」篠ノ之さんが唸る。
「私も当事者ですので」セシリアはいつものようにすまし顔だった。

 ポテトフライをほおばる一夏を見ていると、数名の生徒が一夏の就任を、私の専用機を祝ってくれた。私は多少感傷的になり彼女らに礼を述べる。一夏は面倒らしく少し不満げだった。



 私が2杯目のコーヒーを飲む。すると1組の生徒がみやを今度見せてくれとやってきた。通常の訓練機と変わりない、そう言ったらそれでも良いというので請け合った。

 左隣の鷹月さんは身じろぎ一つしない。

「蒼月君は似てきたよね」
「似てきた? 誰に?」
「織斑君」

 一夏が不平を言う。はす向かいの篠ノ之さんがあごに手をやり宙を見た。心当たりがあるような仕草だった。

「あのさ鷹月、君はもう少し言葉の暴力って奴に気をつけた方が良い。何気ない一言が知らないうちに人を傷つけるんだぞ」
「……よく言えるよね、そういう言葉」
「なんでだよ」
「別に」

 陽気な歓談が響く会場において、このテーブルだけ妙な空気が漂っていた。セシリアは静かに紅茶を飲んでいた。一夏は唐揚げを食べていた。篠ノ之さんは一夏か、私を睨み、布仏さんはココアを両手にちらちらと皆を見る。鷹月さんは表情乏しく温和しかった。そんな空気であった。

 3杯目は紅茶にしようか悩んでいると、黛さんがやってきた。この時彼女は自分が新聞部だと言った。寝耳に水だった。私は彼女の手を引き会場の隅に連れ出し、セシリアとの決闘前夜彼女に話したことを書かないよう釘を刺す。何故か昼食を奢ることになった。

 皆の居る席に戻るとそのまま写真撮影になった。セシリアと一夏と私の写真で、黛さんが3人で手を重ねてと言う。そしたら何故か腕を組んだ写真になった。むろん、セシリアが真ん中である。会場に不満とはやし立てる声が響く。右に一夏、左に私。男2人は困惑気味だったが、随分と艶っぽい笑顔のセシリアを見たら、気にならなくなった。

 閃光が灯り席に戻ると、篠ノ之さんが牙をむかんばかりに睨んできた。鷹月さんは、席を詰めようか迷って、結局立ち上がり私を雑に押し込んだ。

 そして、

「織斑君って意外に軽薄だよね」

 と言った。

 セシリアは静かに紅茶を飲んでいた。篠ノ之さんはうんうんと頷いている。布仏さんは引きつり気味に笑っていた。鷹月さんは文句を言う一夏を眼で黙らせると、手に持つオレンジジュースに眼を落とした。何故だろうか、今日の彼女は距離が掴みにくい。

「そう?」
「女の子にほいほいついて行くし」
「あーそれはある」
「あと無茶するし。アリーナに穴開けたり」
「あるある」
「似てきたよね」
「よし分かった。不満があるなら言ってくれ。出来るだけのことはしよう」

 彼女はちらと私を見るとまた目を手元に落とす。

「不満なんてありません。どこかの誰かが、何時もふらふらして、落ち着かなくて、機嫌が悪いんです」
「それ、不満って言わないか? そもそもふらふら、ってなんだよ」

 彼女は私に近寄り見上げる。彼女は笑っていた。こめかみに血管を浮かせて。

「本音は名前で呼ぶし。箒には色目使うし。3年生とキスするし。2年とは夜遅くまで二人っきり。オルコットさんには何でもするし。先生にはほいほいついて行くし。金髪なら誰でも良いみたいだし。初めて会った時は、誠実そうな大人っぽい人だと思ったのに。今じゃ、あっちこっちで他の子といちゃいちゃして。一ヶ月足らずでこの変わりよう。これって詐欺だよね」

 本人達を前にえらい言われようだった。どうやら彼女は私が女性にだらしなくなった、と考えているらしい。そして、それの信頼を裏切ったと。事実もあるが、誤解も多い。その事実も非難されるものかと反論を浮かべるが、道徳はそれを許さなかった。遺憾ながら彼女に分があった。

「なんか言い返してみたら? オルコットさんには言えて私には言えない?」

 彼女の挑発とも思える言動に、私は苛立ったのかも知れない。一夏に似ていると言われたのも原因の一つだろう。もしくは少なからず彼女に甘えてしまった。だから、この様な失言をしてしまったのだと思う。

「なんだよ、そういう鷹月だって」
「なに?」
「鷹月だって……鷹月、君は変わらないな。辛辣なところとか」

 私が聞いたのは、頬を打つ音と、彼女の走り去る音だった。会場が静まりかえっていた。セシリアは静かに紅茶を飲んでいた。







「つまり箒は、鷹月と本音が俺を好いているから他の娘といちゃつくな、だから鷹月が怒ったと?」
「だから何度もそう言っているだろう……」


 鷹月さんが走り去った後、パーティは荒れに荒れた。主にゴシップ的な意味である。慌てて釈明するも、騒ぎは大きくなるばかり。そこを篠ノ之さんが一喝。その場はお開きとなったが篠ノ之さんに首根っこをつかまれ706号室、彼女と一夏の部屋に連れ込まれた。つまりはお説教らしい。らしいというのは彼女の言っていることが腑に落ちないからである。



 一夏と私は正座、篠ノ之さんはベッドに座っている。彼女は腕を組んで苛立たしげだ。最近こうして少女に見下ろされる事が多い。「なんでかな」思わず口を滑らせた。脈絡のない私の発言に馬鹿にされたと思ったのか篠ノ之さんは竹刀をもっていきり立つ。

「箒ちょい待ち」
「真、迷言なら賽の河原でほざけ。だから私が送ってやる」
「最近の箒は乱暴だぞ」
「私は前からこうだ!」

 篠ノ之さんは善良な少女なのだが、頭に血が上ると見境が無くなる。さらに頭に血が上りやすい。義に厚い彼女のことだ、鷹月さんと布仏さんを思う故であれば尚更である。ただ願うならば、もう少し落ち着いてくれると有難い。振り下ろされる竹刀を見つつ、そんな事を考えた。

「落ち着けって、それは箒の勘違いなんだよ。鷹月が怒ったとすればそれは友人として怒ったんだ」
「まだ言うか!」
「もしそうなら買い物の付き合いぐらい応じてくれるだろ?」

 竹刀を振り上げた状態で、彼女が固まった。一夏が断られたのか、と少し驚きを含めて聞いた。私は頭をさすりそうだと答えた。

 あれは4月2週目の日曜日のこと。日用品を求めて町に出ようと誘い、断られた。因みに布仏さんは「また今度ね」で、鷹月さんは「予定が入っているから」であった。常套句である。それなりに、買い物ぐらいは付き合ってもらえる仲だと思っていたので僅かではあるが気分が沈んだ。

「もちろん俺にも反省すべき点はあると思うし、後で謝りに行く。けどさ、箒。いちゃつくと言われるのは心外だぞ。男は俺ら2人しか居ないんだ。友人作れば女の子ばかりになる―ってぇ!」
「えぇい! 黙れ! ふらふらするからそうなるのだ! お前は変なところばかり一夏に似てくる!」

 何度も打ち下ろす篠ノ之さんは怒っている、と言うよりもどうして良いのか分からない、という表情だった。

「箒痛い! 大義が無くなったからって鬱憤ぶつけるのはやめ!」
「良いか真! こう言うことが続くなら私にも考えがあるからな!」

 腕の隙間から私が見たのは、篠ノ之さんの後ろ姿と、激しく震える扉だった。






「おい馬鹿」
「なんだ阿保」
「一夏の幼なじみだろ、何とかしろよ」
「無理。つーかお前が怒らせたんだから、責任取れ」

 私たちは篠ノ之さんを怒らせた時の何時ものやりとりをする。今回は私だった。私は陰鬱な気分で絨毯に仰向けになり大の字に寝た。一夏はベッドの上に寝転んだ。絨毯の上は堅く、腫れたところを少し刺激する。空いているベッドは篠ノ之さんの寝床だ。入り込む訳には行かず、精一杯手足を広げた。かちこちと時計が刻む。

 3人の少女の事を考えていると、一夏は俯せになり顔を私に向けた。

「なぁ真」
「なんだ」
「仮に、仮にだぜ。2人がお前のこと本当に好きだったら、どっちを選ぶ」
「どちらも選ばない」
「即答かよ」

 あの2人のどちらかを選ぶと言うことは、あの2人の、友人としての関係が終わることだ。

「そんな事出来る訳ないだろ」
「真らしいと言えばらしいけどな。でもよ、それって正しいのか?」
「正しい間違いの問題ではないだろ。少なくとも俺には耐えられない。そういう一夏はどう思うんだ。お前は選べるのか」
「わからねぇ。けど、真の物言いはなんかむかつく」


 時間を刻む音が、妙に耳に付いた。






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 薄暗い通路に明るく光るそれに近づく。カードをかざし、ディスプレイに触れるとガチャリと音が鳴る。私はその音がしたところに手を差し込みそれを取り出した。それにはお湯を入れ3分待つだけと、書かれてあった。

 寮の2階には、寮長室、ランドリー、小浴場、そして自動販売機がある。一夏の部屋を後にして、夕食を殆ど食べていないことに気づいた私は、部屋に戻る前にここに足を向けた。むろん何か腹に入れるものを求める為であるが、少し考えたいことがあった。

 周囲の流れが変わっているのだ。人の流れ、出来事の流れ、それらが絡み合い渦巻いている。まるで、岩を置かれ流れを乱された清流のように。

 ものを変える時は慎重にしなくてはならない。変えると言うことは予想外のことが起こりうる。そしてそれは大抵悪いことだ。悪いことは悪いことを呼び寄せる。だから、ねじ1本変える時でも慎重にあたれ。これはおやっさんの言葉だ。

 みやを得たこと。鷹月さんの様子がおかしいこと。篠ノ之さんもそうだ。そして、鷹月さんに言われた、私の変化。列なった変化が互いに影響し合い、波打っている。

「考えすぎだろうか」

 私の問いに胸元のみやは答えなかった。そして私は一つのミスを犯す。







 712と刻まれた扉を開けた。そこは何時もの、時が止まったかのような空間だった。15畳程の広さで、3畳の収納と小型キッチンに電子レンジ、冷蔵庫、トイレ、シャワー室が備えてあった。布仏さんはキッチンがもう少し良ければ料理も出来るのにと残念がっていたが、男一人には十分過ぎた。

 柔らかい、淡いパープルの絨毯にブラウンの調度品、ベッド、机、チェスト、シェルフは本物の、ウォールナットの木製家具だった。外と部屋を隔てるガラス戸からはバルコニーがあり、ブラインドを上げればそこからは遠く海が見える。

 私物は、衣類、日用雑貨。書籍と据え置きオーディオだけだ。収納の半分も使っていない。アパートを引き払う際、荷物は殆ど処分したとは言え、我ながら閑散としていると思う。一夏曰く、これ程生活感に乏しい部屋は見た事が無い、だそうだ。


 このような私の部屋ではあるが、日中は意外と来客がある。理由は簡単、訪問者は私の事だけを考えれば良いからだ。IS学園寮はシェアルーム、つまり相部屋だ。訪問先の住人が双方とも知り合いであれば良いが、そうで無いばあい相方に気を遣う必要がある。この部屋は私一人が使っている為その気兼ねが不要。

 一夏、鷹月さん、布仏さん、篠ノ之さん、セシリアを中心に、2組の生徒も時々顔を出す。だが、日も落ちればこの様に静まりかえり、ベッドライトがぼんやり光るだけだ。壁に埋め込まれた時計は日曜の23時5分前を知らせている。あと5分で消灯となる。


 上着を脱いで椅子に掛ける。そしてベッド上の、毛布で作られた小山に眼を走らせた。一夏が来ていた。篠ノ之さんの機嫌を損ねる度にこうしてやってくる一夏であるが、今晩の理由は先程の一件だろう。私は溜息をついた。一夏を巻き込んだ格好の私は余り強く言うことが出来ない。

だから、

「おい、一夏。寝るなら廊下側のベッドを使え。窓側は俺のだ。何度言わせる」

と、毛布を引っぺがした。


 予想外の状況に見舞われた私は思わず「あれ」と間の抜けた声を出す。ベッドの上でくるまる一夏は何とも可愛らしくなっていたのだ。その小柄な体は細く華奢で、黒い髪は体を覆わんばかりに長く、瞑っていても分かるぐらいに大きな目をしていた。更に薄い緑のタンクトップに下は女性物の面積の小さい下着というなんとも直視し難い出で立ちだった。

「ふぁ……」と、寝ぼけ声を上げた一夏と眼が合った。

 こちこち、と時間を刻む音と共に一夏は顔を赤く強ばらせた。徐々に徐々に。

「いよぉ、一夏。暫く見ないうちに随分可愛くなったな」

 私の現実逃避にその少女は絹を裂くような悲鳴を上げる。そして廊下に複数の足音が響いた。

 私の犯したミスとは鷹月さんへの、3人への謝罪を翌日に先送りしたことだった。



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鈴編は明るく行く予定でしたが序盤重いです。明るくなるのは中編からの予定です。




[32237] 03-04 凰鈴音2
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/04/29 22:37
 1日目 朝


「凰鈴音。宜しく。中国代表候補。宜しく。専用機持ち。宜しく」


 2組のショートホームルームで壇上に立つその小柄な少女は、その黒い髪を黄色いリボンで左右に結い、下ろしていた。そして、なんともぶっきらぼうな自己紹介だった。腕を組み、脚を広げ、その不機嫌な気配を遠慮無く放っていた。目の下の隈が整った顔立ちを、威圧的なものに見せた。

 そして、我が2組のいつもは柔らかい空気がなんとも堅い。特に右隣と後ろ隣、鷹月さんと布仏さんが。ついでに私の体も硬い。主に絆創膏であり、湿布であり、包帯であり、である。私はただ薄暗い雲架かった空を見る。

 昨夜の処断はこうである。まず凰さんに蹴り飛ばされ、次に布仏さんにしゃもじを投げつけられた。そして篠ノ之さんに竹刀の一閃を食らい、最後の鷹月さんには華麗に転ばされ、ゴミ箱で何度も叩かれた。騒ぎを聞きつけた寮長の千冬さんが騒動を鎮圧。結局、凰さんが部屋を間違えたと言うことが分かり誤解は解けた。解けたのだが、時間が時間だと千冬さんに強引に押し込まれた。むろん部屋にである。彼女と過ごした一夜は、情熱的な意味では勿論なく、彼女は窓側のベッド、私は扉の前に簀巻きだった。思わず壇上に恨みがましい視線を向ける。

 右隣の鷹月さんはただむすっと前を見ている。後ろの布仏さんは笑顔で何も言わなかった。気配を探らなくともお冠と言うことは分かる。結局誤解と分かったのだ、返事ぐらい返してくれても良いと思うのだが。そう考えてから、昨夜のパーティでの一件を思い出した。昨日の問題に凰鈴音問題が上乗せされ、悪化している。この2人になんと言って謝ろうかと、それを考えると頭が痛む、口の中も痛む。


 そういえば、凰さんは一夏の知り合いのようだった。一夏と親しげに話していた。あぁそうだ。その一夏にワンツーを貰ったのだ。だから口の中が痛いのだ……あ、あの野郎、どさくさに紛れて殴りやがった。おまけに嬉々として俺を簀巻きった。く、くくく……次の模擬戦はダムダム弾だ。マッシュルーミングであのムカツクへらへら顔をボコボコにしてくれるわ。



 机に突っ伏し、乾いた笑いの俺を小林先生が引き気味に咎める。そしてリーブス先生は何時もの、遊び道具を見つけた子供のような視線を私に飛ばす。背中の竹刀の傷が思わず痛んだ。

「今の自己紹介にあったとおり彼女は中国代表候補生です。凰さんは都合で今日から皆さんのクラスメイトになりますが、彼女から多くを学んでまた、彼女に多くを教えてあげて下さい。凰さん。彼が蒼月真君よ。知ってるわよね?」
「えぇ、よぉぉぉーーーく、知っています」
「そう。それは良かったわ。彼はクラス代表だから分からない事があればまず彼に聞いてね」

 凰さんがぴくりとその鋭い目を私に向ける。これから始まるであろう騒動に私は頭を抱えた。否、既に始まっていたのだろう。





 1限目終了の鐘と同時に凰さんが、いの一番にやってきた。私は頬杖を突いて渋々彼女を見る。こうしてみるとよく分かるが、彼女は何というか、体は小さいのにその纏う雰囲気がとても大きい。

「まずは、近くの席の人と話したらどう? 凰鈴音さん」
「ねぇアンタ」

 無遠慮な彼女の物言いにささくれる腹の底だった。

「……なに?」
「アンタは私に借りがあるわよね。すっごい大きな」
「身に覚えがない」
「じゃぁ教えてあげる。アンタは美少女の寝室に忍び込み暴行を働いたのよ。ふつー許される事じゃないわよね」
「暴行は俺がされた気がするけど」
「でもーあたしはー心が大きいからー特別に許してあげても良いわよー」
「話聞けよ……でも、まぁ。水に流すなら、まぁ、助かる」
「だから、クラス代表譲って」
「却下」
「アンタね……ふざけんじゃ無いわよ! 水に流してやろうってんだから温和しく渡しなさいよ! この変態! スケベ! 痴漢!」

 彼女は眼を釣り上げて、鼻先が触れんばかりに私に迫る。彼女の目の下の黒ずみがよく見えた。そして彼女は周囲に目が及んでいない、あぁそうか彼女はそうなのだ。昨日、1人ぐらい気の強い娘が居ても良いなどと、ほざいた昨日の私を出来ることなら罵りたい。

「あのな、そもそも君が部屋を、712号室と612号室間違えたのが原因だろ」

「男のくせに女々しい事言うんじゃ無いわよ! アンタだって一夏との感動の再会台無しにしたくせに! 責任取りなさいよね! 責任! 第一鍵掛けなかったアンタが悪いんでしょうが! それにアンタ! 美少女と一夜過ごしてぐーすか寝るなんてどういう神経してんのよ! 腹立つ!」

 とにかく憤っている事がよく分かった。

「人聞き悪いぞ、それ……あのな、1年の柊寮には鍵が無いんだよ。というかささっきから言ってるけど原因はそっちだと思うぞ。その上、昨日の騒動で部屋の備品が壊れて始末書を書かなきゃいけないんだ。しかも誤解した皆からボコボコに。あぁそうそう。夜中おれを蹴飛ばしたろ? 喧嘩両成敗、それで手打ちにしてくれ」

「男のくせになさけなーい。美少女に愚痴るなんて信んじらんなーい。これで一夏と同じ男だなんて、さいあくー 一夏に感染しないうちに消毒しないとねー 目付き悪いしー 陰険ヤクザみったーい……さっさと自分の組に帰りなさいよ!」

 そして彼女はこれでもかと言うぐらい私の自制心をくすぐってくれる。

「とにかくさ、決まりで変えられないものは変えられないんだ。そっちにも言い分はあるかも知れないけど、一ヶ月遅れてきた不運を呪ってくれ」

 私がこう言うと、彼女は近づけていた顔を離し胸を反らした。不愉快さを湛えた眼で私を見下ろす。

「そう、どうあっても渡さない訳ね」
「くどい」

 私がそう言うと、鷹月さんと布仏さんがはっと息をのんだ。そしてクラスの空気がいっそう堅くなる。私のその言葉はかってセシリアに向けたものだったからだろう。配慮の欠けた自分の言葉に思わず、私は口をきつく結んだ。

「なら勝負よ! 専用機持ち同士白黒はっきりさせる! これなら文句ないわよね!」
「だから駄目だって」

 凰さんは私の胸元に向けた指を震えさせた。私はじっと彼女を見た。恐らく彼女は寝不足で、また熱くなって引っ込みが付かなくなっている、そう踏んだ。嵐は必ず去るのだ、そう思ったら、その例えのしっくり具合に内心苦笑した。

「そういうのはもう懲りたんだ。諦めてくれ」
「訳わかんないこと言って誤魔化すんじゃ無いわよ! あんたそれでも男!? 逃げるなんてどんだけ腰抜けよ! 親の顔が見てみたいもんだわ!」

 その時、乾いた音が教室に響いた。それが頬を叩いた音と気づくのに時間が掛った。なぜならばそれは私の頬ではなく、その頬は凰さんで、その音を鳴らした打ち手は鷹月さんのものだったのだ。

 私は目の前で起こった現象を、他人事のように、幻のようにただ呆然と見ていた。





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 らしくない。彼女らしからぬ行動だ、私はそう思った。私は鷹月と言う少女の事を、言葉は少々鋭いものの、理性的で基本的にもの静かと評していた。少なくとも初対面の転校生に手を上げる、今の彼女は完全に予想の外だった。


 物音一つ起こらない静かな教室、誰かの呼吸の音すら響く。最初に動いたのは凰さんだった。左頬を庇ったまま最初に眼を向け、そして顔を向けた。鷹月さんは振り抜いた手を胸元で軽く握る。

「面白いことしてくれるじゃん」

 凰さんが笑った。ただその笑みは寒気を感じさせるもので、ブルー・ティアーズを駆るセシリアが私に向けたそれと同じ物だった。鷹月さんはそれに臆すること無く、左足を前に出した。それは訓練されたものだと私には分かった。へぇとその意味を悟った凰さんが四肢を整える。互いが攻性の意識を向け合う。随分と手慣れているように感じた。


「いい加減にしてくれる? あなたさっきから我が儘ばっかり。聞いていて気分が悪いの」
「多少は出来るみたいだけど、アンタ覚悟があるんでしょうね。今のアタシ手加減出来ないよ」
「そう思うのなら、やってみたら?」


 このとき流れが大きく揺らぐ。流れの揺らぎは大きい程に一度定まると変えることは難しい。私は大きく揺らいだ流れが落ち着きつつあるように感じ、それは私たち、鷹月さん布仏さんと私の3人にとって致命的であると確信した。予鈴と共に姿を現した担任と副担任は、クラスメイトに事情を聞くと鷹月さんと凰さんに席替えを、申しつけたのだった。鷹月さんの鼓動が乱れた。

 「そんな! どうしてですか!?」鷹月さんは悲痛な声を上げる。「鷹月さん、理由はともかく手を出したのは貴方なのよ。それを見過ごす訳には行かないわ。罪には罰、少し頭を冷やしなさい」と言う、リーブス先生の指示は疑いようのない正論だった。

 鷹月さんは体を震わせ、すがるように私を見る。布仏さんは泣きそうな顔をしていた。早く変わりなさいと、先生が言う。

 どうする、と自分に問いかける。余りにも急激な事態の変化に、唯一浮かんだプランはハイリスク。失敗した場合の結果は“このまま”より悪い。逡巡する私に2人との記憶が駆け抜けた。リターンは一ヶ月で2人から貰った笑顔と言葉。それに掛ける価値はある、そう考え私は手を上げた。上手くいったら一夏に昼飯をたかろう。


「先生」
「あら、何かしら真ちゃん」
「この騒動の罰であれば俺も同罪です。俺も席を替わります」

 私は立ち上がり、金髪の、個人的に知る、教諭に意識を向けた。その人は壇上に上がり教壇に手を添えた。

「今の私の話を聞いていなかったのかしら、ならもう一度言うわね。実際に手を上げたのは鷹月さんなのよ」

「えぇ、それは否定しません。俺が言っているのは、鷹月さんがそうしたのは俺が原因と言うことです。彼女は俺の為に手を上げた。この事実は無視するべきではありません」

 流れが変わり、再び大きく撓む。クラスメイトが急な展開に驚き、教諭と私を交互に見た。教諭は右手を腰に添えると私に全てを向ける。そして僅かに顔を傾げ、眼を細めた。背筋に悪寒が走った。小さく堅い虫が首筋を歩くようなそんな感じだった。

「成る程、理屈だわ。つまり“あなた”は身を挺して彼女を庇うという訳ね、その心がけは立派だけれど、それは彼女の為にならないわ」

「それは先生の誤り“です”よ。彼女は自分の信念を曲げてまで、友人の“私”の為に怒ったんです。それは尊いものだと思いませんか? 罰することなら誰でもできます。先生はクラス代表を決める時こうおっしゃいました。“自分の心に従って、信頼たり得る2組のクラス代表を決めて下さい”と、私は少なくとも彼女の信頼に応えなくては成りません」

「あなたは、彼女だけの信頼に応えると言う事かしら」

「とんでもない、いま彼女の信頼に応えるべきと思うのみです。それに、2組の皆はそんな器の小さい人達ではありません。それは先生がよく知っていることでしょう?」

 グラウンドから聞こえる生徒の声は随分と遠く、また細かった。まるでこの場所以外がスクリーンの中のように、現実感が欠如していた。

ディアナさんは笑みを浮かべて

「いいでしょう、今回は不問に付します。鷹月さん、凰さん席に戻りなさい」

と言った。

そして、

「“蒼月君”あなたも席に座りなさい」

と言った。

 彼女の眼は笑っていなかった。







 正直に言えば、やってしまった。よりにもよってこの学園で、下手をすれば世界で刃向かってはいけない片方に私は噛みついたのだ。席替え阻止という目的は達せたがその被害は余りにも甚大。先生の立腹具合を上方修正しなくてはならないらしい。

「あぁぁぁぁぁぁうーあーぁぁ」

 机に突っ伏し、自分自身でも分からない感情を声にだす。


 一応授業は行われたものの、彼女の機嫌は鋭利な刃物のように鋭く、氷のように冷たかった。そして授業の際、私は一度も指名されることも無かった。彼女の意識から抹消されたようだ。恐らく、点呼もわざと飛ばされるだろう。


 詰め寄るクラスメイトたちが「あれマズイよ」「先生本気で怒ってたよね?」と言われなくとも分かることを言って、更にその現実に追い打ちをかけてくる。何故だろうか、涙が止まらない。あぁそうだ。理由など明確明瞭だ。

 私はクラスメイトたちに一言詫びて、鷹月さんを見た。彼女は感情を複雑に交えた眼で私を見ていた。恐らく、私に対する怒りと感謝が混じり混乱しているのだろう。後ろの布仏さんに目配せすると、彼女はそれを察し鷹月さんを教室の外に連れ出した。今は彼女に任せる他はない。





「アンタ馬鹿じゃない?」
「そんな事は無い、と思いたい」

 気がつけば側に立つ凰さんが言う。私は言うまでも無く頭を抱えていた。既に転校生の少女は立腹していた理由すら忘れているようだ。

「ウチの担任あのディアナ・リーブス」
「知ってる」
「第2回モンドグロッソの」
「ゴールドメダリスト」
「ストリングス(糸使い)」
「そうだったな」
「こんじきのファイアークラッカー」
「ばくちく?」


 凰さんによるとディアナさんは現役時代、非常な癇癪持ちだったらしい。その逸話は多く、権力をかさに掛けて言い寄ってきた男を糸でつるし上げ、金の物を言わせようとした男はハム状に縛られた。そして陰湿な方法で試合を妨害しようとした複数のIS選手をエッフェル塔に爆竹のようにぶら下げた、これが二つ名の由来だそうだ。

 彼女は10人中10人が美人と評する美人だが、浮いた話を聞かないのはそういう理由だった。

「知らなかった……」
「やっぱり馬鹿ね」

 千冬さんは丹念に調べた。ディアナさんは相応だった。恩人を差別した応報と言わざるを得ない。思わず机に頭を打ち付けた。




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 1日目夕方


 職員室から食堂に向かう、その道のりは重々しく感じた。何時もの小洒落た煉瓦の道が私を皮肉る。針のむしろのような授業が終わり、その放課後ディアナさんに謝罪に行ったのだが、相手にされず追い返された。

 本音を言えば、ディアナさんに大人の対応を期待していたのだ。目下の者から噛みつかれても不愉快には思えど、説教で済まされるのでは無いかと期待した。残念なことにそれは甘い見通しだったらしい。

 そして千冬さんも機嫌を損ねていた。ディアナさんの態度を大人げないと指摘し、喧嘩に至った。つまり、2組以外にも影響が及んでしまった。状況は悪化の一途である。





 食堂に着くと私は皆の姿を認めた。凰さん、篠ノ之さん、鷹月さん、布仏さんそして一夏。その一夏の問いに私は首を横に振った。一夏は落胆したように腰を下ろした。私は席に座りコーヒーを飲んだ。何時もの8人掛けのテーブル、何かの染みが妙に目に付く。夕食時、賑わう食堂においてここだけが誰も何も言わず、ただ時間が流れた。

 私が天井を仰ぎ、オレンジの照明をぼんやり見ていると、篠ノ之さんが忌々しげに口を開いた。

「凰、お前この始末どう付けるつもりだ」
「何よ、アタシのせいだって言うつもり?!」
「他に誰が居る!」

 息巻き、立ち上がる2人を私は制す。他の生徒がこちらに眼を向けた。

「2人とも止めてくれ、その行動には意味が無い。悪化するだけだ」

 私のその態度に苛立ちを覚えた篠ノ之さんは声を荒らげ、なじった。凰さんを庇う私が許せないらしい。

「お前は―」
「箒、やめて」

 篠ノ之さんは顔を歪めて視線を下ろした。鷹月さんだった。彼女は眼を下ろしたまま微動だにしなかった。そして「凰さん、ごめん私無理」と言った。凰さんも「いーわよ、アタシも無理」と言った。2人の交わした言葉に布仏さんが顔を曇らせる。



 鷹月さんが席を立った。

「蒼月君」
「なに?」
「……なんでもない」

 篠ノ之さんが彼女の後を追った。

「真、昨日お前に言ったこと忘れるな」
「あぁ」

 2人を見送る凰さんが腕を頭に回し、背もたれを鳴らす。

「そっか、そういう事か。蒼月とは口利かない方が良いみたいね」
「それだとやり過ぎだ。上っ面だけ合わせてくれれば良い」

 彼女は眼を細め、さも不愉快そうに了解の旨を伝え、席を立った。



 布仏さんが、両手に持つ紅茶にどうしてかな、と呟いた。

「仕方ないさ、反りが合わない人も居る。全ての人と仲良くなんて不可能だ」
「仕方ない、か。むかつく言葉だぜ」

 一夏も立ち去ると手にするコーヒーが波だった。何故か空気が濁り息苦しいように感じた。

「まこと君、これからどうするの?」
「今、考えてる」


 私はただ茶色の液体の波紋を見ていた。






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 1日目 夜


 自室に戻り、腕を組んで頭をひねる。眼に下ろすは机上の白い紙。そこには私の知る人達の名が浮かび、それらを結ぶ矢印が縦横斜めに走っている。


やはりどう考えても、2人の教諭を押さえることが先決だった。

だが、

「どうすりゃいいんだよ、これ」

口から漏れた言葉が全てを表わしていた。


 謝罪は届かなかった。この時点で目下の私ではこの2人に直接とれる手立てがないのだ。副担任も同様。この2人の目上は学園長と教頭先生だが、教頭へのパイプはない。学長に至っては顔さえ知らない。そもそも直訴すると2人の立場が悪くなる。他学年の教諭も同様だ。1年3組、4組の教諭に相談するも、1組と2組の教諭では相手が悪すぎた。

 打つ手がない。必要なのは切っ掛け、切り口だ。精神的、肉体的、意図的、偶発的、何でも良い。何か糸口が必要だった。だが、そんな物は都合良く見つかるはずも無かった。

 ベッドに身を投げ、天井を見る。金髪の、知り合いの、ディアナさんは大人げないのでは無かろうか。私など一つ下の少女に言いたい放題言われても我慢をしたのだ。私を見習うべきだ、そう考えて、そんな事を言おうものならそれこそお仕舞いだと、枕をかぶる。



 時計は午後の消灯直前の10時55分を指していた。睡魔の扉を叩く音が現実と知った私は床を出て扉を開ける。その開いた扉の薄暗い先には、白いジャージの千冬さんが立っていた。彼女は堅い表情で私を見ると後ろを促し、そこには制服姿の転校生、凰さんが立っていた。千冬さんは彼女をおいてやれ、と言った。

「あの、織斑先生。いま俺は非常に厄介な状況で、彼女がいると非常にめんどくさいんです。ご再考お願いします」
「ほぅ、随分と偉くなったものだな。蒼月」
「は?」

 千冬さんの予想外の回答、少なくとも私の記憶の彼女が言うはずのない言葉を聞いて思わず聞き返した。彼女は鋭く細めた目を、少しだけ開き、そして瞑った。ゆっくりと一回呼吸をし、踵を返した。理由は凰に聞け、とだけ言った。

 薄暗い廊下の奥から、側に立つ少女に視線を移す。ボストンバッグ一つを持つその転校生は、目を瞑りきつく口を結んでいた。だが何故だろうか、彼女の二つの髪を結う黄色いリボンは力無く垂れ下がっているように見えた。そしてその少女は一言ごめんと言った。





 私はやかんに水を入れ、コンロに掛けた。換気扇が自動に動く。食器棚代わりの乾燥機からマグカップを二つだし、焦げ茶色の粉末をそれぞれに2杯入れた。暫くそのまま待つ。

 私は背中の、部屋に落ち着かないように立ち尽くす少女にとりあえず座ってくれと言った。彼女は部屋に視線を走らせると柔らかいものに腰を掛けた。

 やかんが次第に鈍い音を放ち出す。それが甲高い音を鳴らす前に私は笛を外した。沸騰しきったことを確認すると、二つのカップにお湯を注ぐ。カカオの香りがした。

 いつもは無意識に行うこの一連の行動を私は、一つ一つ確かめるようになぞった。混乱しかかっていた頭を落ち着けたかったのだ。

 振り向くとその少女は窓側のベッドに正座して座っていた。足下にはトレッキングブーツが揃えておいてあった。



 彼女にココアを渡すと私は廊下側のベッドに腰を掛けた。私が一口飲む。その少女は舐めるように飲んでいた。

「凰」

 彼女は僅かに身じろぎした。私はただ名前を呼んだだけだったが、彼女は正確にその意図を掴んだらしい。

「実は相部屋の人と、」
「と?」
「喧嘩しまして」

 予想通りだった。

「理由を聞かせてくれ。出来ることなら納得出来る奴を」
「いやね、その娘窓側のベッドを使ってて、私にそこを譲るって言うから断ったんだよね。ほらアタシ後からだから遠慮したのよ」
「で?」
「譲る譲らないで喧嘩になりました」
「で、」
「泣き出しちゃって。とっても激しく」
「……」
「同じ部屋は嫌だって、千冬さんが来て、どちらかがここに行けって、そしたらその娘は男と一緒は困るって……」

 あははと乾いた笑いであった。私はマグカップを脇のテーブルに置いた。カタンと音がして彼女は固まった。

「あのさ凰」
「な、なによ」
「どうして数時間じっとしてられないんだよ、お前は。さっきの今だぞ。空気読めよ」
「分かってるわよ! だから同室者を尊重したんじゃない!」
「こう言う場合は我を通さないって意味だぞ。席の譲り合いで喧嘩なんて、ニュースにもならない」

 私は思わず額の中心を、右の人差し指で押した。テーブルのココアが波打った。

「わ、悪いとは思ってるわよ」
「出来ることなら、結果に結びつけて欲しかった」

 沈黙が流れた。

「ごめん、言い過ぎた」
「謝らないでよ、調子狂うじゃない」
「……もう日も変わった。寝よう」
「心配しなくても良いわよ、アタシ部屋を出るから」
「言っておくけど保安上、食堂も廊下も階段も禁止だぞ。センサーが張り巡らされてるんだ、消灯時間過ぎて部屋を出れば直ぐバレる。昨日俺らが渋々一泊した理由を思い出すんだ。もちろん屋外は論外」

「まじ?」
「まじ」

 凰さんの顔が呆気にとられた。完全に予想外、という顔だった。

「じゃどうすんのよ!」
「声が大きい」

 凰さんが慌てて口を押さえる。だから、私はもう寝ようと言った。彼女はベッドの上に正座のまま俯いた。嫌でも朝は来るのだ。私はベッドライトを灯し、身じろぎ一つしない少女を見てから天井の光を消した。淡いオレンジの光が部屋を満たす。数回呼吸の音が響いた。彼女は制服以外着る物は無い、と言った。私はベッドの下に手を伸ばし、彼女は私からスウェット受け取るとシャワールームに行き、戻り、窓側のベッドにくるまった。彼女の枕元には黄色いリボンが2つあった。



 私はベッドの背もたれに背中を預け、毛布にくるまる。横になる気分にはなれなかった。ただベッドの足下の先を見た。

 そうだ、全て分かっている。朝が来ればどうなるか分かっている。2人から、篠ノ之さんと鷹月さんから受けた最後通牒、それが分かっていて彼女を部屋に招き入れた。同情か、性的関心か、それとも寮長の指示に従っただけというのか。蒼月真、お前はこの期に及んでまだ自分が賢いと思っているのか、どれだけ無様だ。

 だが蒼月真、どうすれば良かった? 寮長に刃向かえば良かったか。それとも隣に居る少女を、知ったことかと追い出せば良かったか。そんな事に意味は無い、暴れるだけ悪化するだけだ。あぁそうさ、気づいた時には既に始まっていた。俺にはもう選択肢など無かった。ただ明日が来る事を待つだけだ。



「ねぇ」
「なに?」
「ごめん」
「なにが?」
「アンタ孤児なんでしょ。親の顔が見たいとか言って、ごめん」
「いいさ」
「事故?」
「始めから知らない」

 私の嘘では無いが真実でも無い回答に、彼女は振り返らなかった。

「ねぇ……どうして別れるんだろ。好き合って結婚したのに。家族なのに」
「凰の?」
「ごめん、何でも無い」

 私もただ眼を下ろしていた。

「ねぇ」
「寝られなくてもじっとした方が良い」
「明日が怖い」
「……俺も」


 ただ一つ誇れることがあるならば、それは彼女を見捨てなかったと言うことだけだった。




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原作ヒロイン中、尤も重いです。多分



[32237] 03-05 凰鈴音3
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/12/04 16:00
 2日目 朝



 昨夜の千冬さんとのやりとりを誰かが聞いていたらしい。既にクラスには知れ渡っていた。予想通りの展開であった。鷹月さんは目も合わせず、篠ノ之さんには絶縁を言い渡された。布仏さんはそういう風にきつく言われたらしく、ただ目を伏せていた。そしてクラス中からひんしゅくを買い、無視された。凰さんも同様である。2組の彼女らは鷹月さんに同情したようだ。




偶々、鷹月さんを怒らせた。

偶々、凰さんが転校し部屋を間違えた。

凰さんが寝不足で苛立ち、私と喧嘩になった。

苛立っていた鷹月さんが凰さんと喧嘩をした。

私が担任に噛みついた。

凰さんが私の部屋にこざるを得なかった。

そしてこうなった。

それは過去からの繋がりで、そしてまた今につながっている。

たった二つの、恐らく何気ないありふれた出来事。

僅か1日でこうなった。



恐ろしいのはそれが進行中と言うことだ。



溜息を付き、窓の外を見る私の心臓が急に締め付けられる。

目に見えない糸が胸の臓器に絡まったようだった。

見上げるとそこにはリーブス先生の、二つの眼があり、

それは、冷たく、体が砕けそうなほど恐ろしい眼をしていた。

彼女の怒りは治まるどころか悪化していた。

思わず息をのんだ。






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 2日目 昼

 食堂のテーブルにはラーメンと鯖の定食と、ハンバーグ定食が並んでいた。ハンバーグは箸を刺されるとその隙間から湯気を上げる。その湯気の向こうに一夏の顔が見えた。時は昼。精神的拷問という午前の授業を終えた私は、重い体を、言うまでも無く疲弊したという意味であるが、それを引きづり食堂にたどり着いた。

 頬杖を突き、あきれ顔で、溜息の一夏がそこに居る。

「真、お前馬鹿だろ」
「実はそうかも知れないと思い始めた」
「本当に女の人を怒らすの好きなんだな。悪趣味だぜ、それ」

 私は自分の口から一夏に事の顛末を話した。そして一夏の物言いに反論できなかった。ぐうの音も出ないと言う奴である。そんなわけあるか、と言う言葉は喉の途中で止まった。箸も止まる。

「言い返すことも既にできねぇか。これからどうするんだよ」
「何もしない、今は何やっても駄目なんだ。風向きが悪すぎる。だから一夏、もう3人のところへ戻れ。さっきから箒が"お前"を睨んでる」
「でもよ、」
「一夏まで3人と切り離されるとのは避けたいんだ。お前とは着替えの時でも会えるから」



「そういう事、こっちは気にしなくて良いかんね♪」

 その様に、あくまで軽快に物言う凰さんを一夏がちらと見、了解と立ち去った。文句を言われつつ、3人の席に腰を下ろす一夏を見届けてから、はす向かいの凰さんに声を掛けた。彼女は昼食のラーメンに手を付けていなかった。

「凰、一夏に言ったとおり持久戦だぞ、出来るだけ凰の方も見るけど、女子の動向は俺から見えない部分がある。だから、何かあったら言ってくれ」
「なにそれ?」
「噂、もう広まってる筈だ。矢面に立つのは俺だけどね」
「やーね、噂なんて気にしないわよ、ただの言葉じゃない。殴られる訳じゃないし。勿論そんな事されればやり返すけどね♪」
「……言葉ってのは力があるんだ、しかも噂ってのは一回言われて終わりじゃ無い。纏わり付くんだよ、執拗に。そして実際に言われなくても聞こえる様になる。それが噂って奴だ」
「なによそれ、脅しって訳?」
「何でそうなる、アドバイス。まぁさっきも言ったけど殆ど俺に向くけどね」

 彼女は何かを感じ取ったのか、それ以降何も言わなかった。私は目の前の食料を腹に詰め込んだ。凰さんはラーメンに手を付けなかった。






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 2日目 午後の授業



 専用機持ちは授業中、皆に教える立場となる。先日専用機持ちとなった私もその立場となった。展開したみやの脇に立ち、集まる生徒らを見れば、見事に1組の生徒ばかり。だが、彼女らが纏う雰囲気は予想より良い。多少困惑している、その様な感じを受けた。まだ噂が届いていないのか、事実は分からないが状況はまだ良い。1人ぽつんとするよりは随分良かった。


 厚い雲の下、ある少女はみやに触れ、ある少女は私に視線をちらちらと投げていた。

「皆はもう知っていると思うけど、コイツはデュノア社のラファール・リヴァイヴのスタンダードモデル。訓練機と全く同じ。ただ専用機って事で少し弄ってます。見ての通り左右の物理シールドは、軽量化のため取り外してあります。他には初期装備を外してすべて後付武装です。初期装備は使い勝手の割に量子格納領域を喰いますから」

「先生しつもん」
「はい、谷本癒子さん」
「PICがあるのに軽量化するのは何故でしょうか」

「物理運動的には全くその通りですが、PICは魔法の箱ではありません。質量が軽くなれば慣性処理の計算も消費エネルギーも軽減します。もちろん物理シールドが無くなることにより防御は下がりますが、第3世代機の兵装は強力なものばかりでその効果は低いです。で、回避主体の俺は思い切って取り外しました」

「先生しつもん」
「はい、岸原理子さん」
「転校生との噂のことなんだけど……」
「理子、止めなさいって」
「えー、かなりんだって気になるって言ってたじゃん~」

 不満を上げる彼女を見て私は前提が間違っていることに気がついた。彼女たちは噂のことを知った上でここに居る。ならばその噂は私にとって脅威では無い、その事実は私に焦燥を起こさせるには十分だった。

「えーと、金江凜さん。俺は構わないから、というより逆に聞きたい。どんな噂?」

 彼女らは一度互いを見合わせると

「どうして転校生を庇うの?」

と聞いた。


 1人で立ち尽くす転校生はとても小さく見えた。






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 2日目 夕方


 そこはアリーナ脇の人目に付かない、木々に囲まれた小さな広場だった。陽はまだ差していたがそこは既に薄暗く、辺りは5月らしい植物の、土の匂いを漂わせていた。少し鼻に突く生物の生々しい匂いが私は好きだったが、今は苛立ちを起こさせる。私は近くの樹木に背中を預けていた。やってきた人物は待ったか、と聞いた。私は少しな、と答えた。

 街灯が瞬き、薄暗い中アリーナが浮かび上がる。

「どうだった?」
「真の言うとおりだった。正直―気分が悪いぜ」

 一夏が言うのは実習中に知った噂のことだった。正直、私は高を括っていた。自が耐えれば良い、自分だけを考えていた。だがその噂は、私にとって優しく、凰さんにとって厳しいものだった。



― 蒼月君が凰を庇っている ―



「真、半分近くの娘は正確に知っていた。お前が静寐を怒らせたこと、鈴が部屋を間違えたこと。お前にクラス代表を譲れって、噛みついたこと。静寐がそれに怒り、席替えを申しつけられ、それを防ぐ為にお前が先生に噛みついた。鈴が同室者と喧嘩して、お前の部屋に居ることも。そして箒たちと仲違いをした。鈴が寝不足で苛立っていた、とはいえ鈴は完全に悪者になってる」

 私は腕を組むと樹木に後頭部を押し当てた。

「それだけか?」
「まだ、ある。これが極めつけだ。残りの半分に噂になっている真が鈴を庇う理由―」

 一夏が告げた言葉、私にはそれが頭蓋を撃ち抜かれたように感じられた。それは最悪だった。私は何度この言葉を使い、その都度改めたか。底は抜ける為にあるらしい。私は一夏に礼を言い、足を動かした。


「真はどうするんだよ、これから」
「とにかく部屋に戻る。もう凰はそれを知っているはずだ。1人はまずい」
「お前は、辛くないのかよ」
「辛くない訳あるか。だが凰は俺以上に辛いはずだ、俺は後で良い」
「嬉しくない訳無い、怒っていない訳無い、哀しくない訳無い、楽しくない訳無い、お前が言うのはそればっかりだ。何だよそれ」
「一夏らしくないな。凰を見捨てろって言うのか」

 一夏は腕を組み顔を見せなかった。私は踏み出した足を戻し目を伏せた。それは己の醜悪な苛立ちを知ったからだった。

「帰る」
「一夏」
「何だよ」
「すまん、世話掛ける」
「……いいさ、真だしな」

 一夏は鈴を頼むと言った。私たちは背を向けて歩いた。





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 2日目 夜



 凰鈴音という少女は行動力があり人見知りせず明朗闊達、これが第1印象だった。だがそれは誤りだった。彼女は人並みに、いや人並み以上に繊細な心を持っていた。恐らく、その上辺は心の奥を隠すものだったのだろう。彼女とは僅か2日間の交友だが、それがよく分かった。

 手に持つ書籍から、左の窓側のベッドの主に視線を移す。同室の彼女は毛布にくるまり食事も取らなかった。夕方私が戻ってきた時から彼女はこうだった。寝ていない、起きている、ただ息を殺してじっとしていた。私の見えないところで何かあったらしい。

 一夏と別れ部屋に戻ったは良いものの、結局何も出来ずただ時間だけが流れた。セシリアの時と異なり、私が謝ったところで意味が無いのだ。ただこうして部屋に、隣のベッドに居座り、ときおり彼女の作る毛布の小山をみるだけだった。


 私は何か飲むかと聞いた。彼女は答えなかった。


 時計が11時を告げる、私は照明を切り替えた。淡いオレンジの光が灯る。昨日と同じ。私は横にならずベッドに座り、枕元の古い本を手に取った。目に映るその古い文字の古い連なりは何度読み返しても意味を紡がなかった。それでも見続けた。彼女がねぇ、と言った。

「しよっか」

 私がその言葉を理解する前に彼女は床を抜け出した。そして両の手と両の膝でその肢体を支えた。混濁した瞳は私の目の前にあった。灯火が華奢な白い肌を照らす。黄の結い布が髪に無い彼女は別人に見えた。部屋に軋む音が一つだけ響いた。


「ねぇ。アタシ、アンタと寝たんだって。だからアンタがアタシを庇うって。嘘は良くないわよね、だから、しよ」
「やめておいた方が良い。後で辛くなるだけだ」
「良いわよ、もう辛いし」
「辛いってのは底が無いんだよ」

 彼女は身を起こすと右拳を振り上げた。左頬に痛みが走った。

「これでどう? まだその気にならないなら左手も使うからね」
「泣きじゃくる娘に手を上げるほど、落ちぶれてはいない」

 私を見下ろす黒曜石の瞳が鋭い光を放ち、今度は右頬に衝撃が走った。口の中に赤いそれが染み渡った。

「なんでアンタは怒らないのよ! 言えば良いじゃない! お前のせいだって! 罵りなさいよ! 傷つければ良いじゃ無い! 授業ごとに担任に殺気立たれて、クラスの連中からは冷たい眼で見られて、友達から絶縁されて、アンタはなんでそんな平然としてんのよ!」

「俺はな、一ヶ月前に怒りに身を任して一つの大事なものを、尊いものを壊しかけたんだ。もう嫌なんだよあんな事は。だから、それに比べれば大したことない」

「だから訳わかんないって言ってるじゃない……」


 頬に暖かい雫が流れる、部屋に嗚咽が漏れた。その少女は額を私の胸に押し当て体を震わせていた。まただ。またこうなった。もう御免だとそう思い、結局こうなった。私の左手は彼女の頭に向かい、肩に向かい、結局そっと頬に触れた。

「何か暖かいものを淹れる。きっと落ち着く」

 彼女に毛布を掛けると私はキッチンに向かった。涙に濡れたその左手はとても重かった。





 器に火をくべる、中の水が動き始める。上から下、下から上、絶えず流れ続ける。どこが最初でどこが終わりなのか。

「なによこれ、文字ばかりじゃない」

 そういう凰さんが手にするのは先程まで読んでいた書籍だった。顔は伏せたままだったが、その声の調子に安堵を覚えた。

「あぁ、漫画じゃないぞ」
「しかも古くさいし難しい漢字ばっかり。こんなの好きなんだ。なんだか年寄りくさい」
「失敬な。そういうの"も"読む。というか日本の文豪だぞ。俺は哀しいね、自国の古典文学を大切にしないなんて」
「アタシ、チャイニーズ」
「そーだったな、そういえば」

 尚、悪い。

「何が面白いのよ」
「その人はこんな様な事を書いてる」

"世の中の人は停留所で電車を待ち合わせる間に新聞を手にし、世間の出来事を知るが役所か会社に着くとさっぱり忘れるほど忙しい"

「それ何時の話?」
「今から100年ぐらい前かな。今と変わらないだろ?」






「呆れるわね、人間って進歩無いじゃない」
「俺も最初そう思った。でもその次に100年間の人が非常に身近に感じたよ。古典を読み始めたのはそれからかな」
「アンタ変わってるわねー」
「そうか?」
「はっきり言って、変……他には?」

 多少興味を持って貰えたようだ。

「んー昔のある人が祭りを見てこう思ったんだ」

"暮るるほどには、立て並べつる車ども、所なく並いつる人も、いづ方へか行きつらむ、程なく稀になりて、車どものらうがはしさも済みぬれば、すだれ・畳も取り払い、目の前に寂しげになりゆくこそ、世のためしも思い知られてあはれなれ。大路見たるこそ、祭り見たるにてはあれ"


「どういう意味よ?」
「簡単に言うと、祭りの盛り上がったところだけ見ても面白くない、始まりと、その途中と、終わり、それらの移り変わりを見てこそ、祭りを見る価値があるって言ってる」
「あーそれ、聞いたことあるわ。なんだっけ? 無常?」
「そそ、東洋思想の一つだな。全てのものは一定では無く絶えず変わり、続け、る―」

 始まりと、途中と、終わり、流れ、連なり、変わり続ける、流転、転動、全てのもの、人の心……その時全てのものが一つに繋がった。

「あ」
「なによ、呆けた顔して」

 私は興奮を抑えつつ、コンロの火を消し、彼女に歩み寄る。毛布で胸元を隠す彼女の手を強引に取った。

「凰、見つけたぞ」
「な、なにをよ?」
「切っ掛け」






 私は窓側のベッドに腰掛けると、一回息を吸って吐いた。そして目の前の少女を眼に映す。高揚した気分を落ち着けたのは、そういう話では無いからだった。


「凰、昨日の質問に俺なりの回答をする」
「昨日?」
「凰の両親のこと」

 彼女は小さく息を吸った。

「君の両親は確かに好き合ったと思う。だが時間が経ちお互いが変わった。けど2人はその変化に気づかなかった、もしくは認めたく無かった。そして昔の相手を互いに押しつけた。それが苦痛になり、別の道を歩むことになった」

 人は変わる。鷹月さんは出会った時の俺だけ見た。ディアナさんは俺の変化を知らなかった。少なくとも彼女は刃向かう人間とは考えていなかったはずだ。そして逆も又しかり。俺も彼女らのある一時しか見なかった。全てがそれだった。


 気づけばヒントは沢山合った。自分の鈍さに呆れる。だが今更とは言うまい、今気づくことが出来た。まだ流れは撓んだまま。ならばいかようにも出来る。それはこの目の前の小さいけれど大きい少女のお陰だ。私は彼女に礼を言うと、立ち上がった。

「ちょっと待って!」
「凰?」
「それなら、アタシはどうなるのよ!? 好きなのに! 一夏が好きなのに! 一夏が好きだったアタシも変わっちゃうの?!」

 私は彼女の悲痛な思いを聞いてかしづいた。私を引き留めたか細い指が力強く握られる。そうか、そういう事か。納得だ、一夏め、羨ましい。

「凰、過去を蔑ろにしろって意味じゃ無い、とらわれすぎるなって話。だから今の凰を一夏にぶつければ良い。今自分で言ったろ?"一夏が好きだ"って」
「今のアタシ……」
「そういう事。で、ちょっと出かけてくる。留守番よろ―へぼっ!」


 ごん、と突如頭を襲った衝撃で私は壁に突っ伏し、そのまま崩れ落ちた。ぐわんぐわんと音がする。その楽器は壁か頭かよく分からない。


「……凰、良い回し蹴りだった。頭に綺麗に入った。で、なんで蹴りいれやがりましたか。この台風娘」
「落ち着きなさいって言ってんの。消灯時間過ぎてんだからね。直ぐバレるっていったのアンタじゃ無い。そ、れ、に、何でもかんでも自分だけでやろうとするんじゃ無いわよ。いーい? アタシにも片棒担がせなさい」


 これでも格好いいオンナ目指してるんだからね、汚名返上よ。胸を張り、にまっと笑う、彼女は惚れ惚れする程もう十分格好良かった。







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 3日目 夕方

 空と大地の境に夕日が浮かぶ。影が長く差し込む渡り廊下。隣に小さく走る同室の少女に俺は話し掛けた。

「見ろよ、こことここの切り傷、全く身に覚えが無いんだ。先生の機嫌は日に日に悪化してる。明日には切り落とされるかもな」
「アンタはなんで嬉しそうに言うのよ……」

 左手首と右二の腕に走る赤い跡、それは糸のようなもので付けられた傷だった。身に覚えはありすぎた。だが、この少女の呆れる瞳も、この傷の鈍い痛みも何故か楽しかった。

「じゃぁここで別行動だ、準備は良いか? しくじるなよ、鈴」
「はん、それはこっちのセリフよ。アンタこそ失敗したら許さないかんね。真」

 十字路で別れた彼女を見送る。鈴は寮に、俺は職員室。鈴は鷹月さん、俺は先生だ。それぞれのすれ違った人に今をぶつける。鈴曰くバカ一夏は後回しで十分よ、だそうだ。違いない。





 紙の箱を左手に俺は職員室に近づいた。それだけだ。それだけで壁を越え、意識の織りなす糸がまとわり縛る。扉を開けるとどうなることやら、それを考えると不謹慎だが心が弾んだ。今から今をぶつけに行く。

 俺は構わず引き戸に手を掛けた。そこには4人しか居なかった。俺の知っていたつもりの、これからよく知る人達だった。俺は金と黒の髪の2人に近づく。喉に糸が絡みついた。それは本物だった。

「蒼月君、用は無いと言ったわよね?」

 金色の人の声が聞こえ、糸が食い込んだ。何故だろうか、彼女のこの感情も流れの一部分と考えると恐怖も怒りも一切浮かんでこなかった。

「いえ、俺にあるんですよ」
「帰りなさい、いい加減にしないと本気で―」

 首から暖かいものがしみ出す。黒髪の人が眼を剥いた。俺は一歩足を進めて、左手の箱を彼女に突き出した。

「個人的な用件です一息入れませんか? ディアナさん。あと千冬さんも」

 2人の教諭が呆けたように見合った。2人の副担任は青い顔で失神していた。





 何時もの、職員室の隣の生徒指導室。俺は紅茶を3つ淹れた。ディアナさんは箱からケーキを取り出し並べる。

 ディアナさんは「あら、モンテカルロのモンブランね。どこで知ったのかしら」と言った。俺は「"セシリア"に教わりました」と答え、千冬さんはちらと俺を見た。俺は2人に紅茶を渡した。紅茶の匂いが部屋に漂う。そして俺は、一つだけ、深く呼吸をするとディアナさんに向き直り、頭を下げた。

「失礼しました」
「何のことかしら」
「俺、先生としてのディアナさんに甘えたんです。あなただって23歳の女の人だったのにそれを見なかったんです。本当に失礼しました」

 金色の人がフォークを取ると溜息をつく。だがそれはどこか嬉しそうだった。

「そういう事、あなたも生意気になったのね。真」
「生意気と言われるのは心外ですよ、俺だってこう言うことをするようになったんです。成長と言って下さい」
「まぁいいわ。今回は大目に見ます。初めて私の名前を先に呼んでくれたから」
「……そうでしたっけ?」
「そうよ、何時も"千冬さんは居ないんですか? 千冬さんはどこですか?"千冬千冬千冬千冬って、あれだけ世話してあげたのに失礼な人だわ本当に」

 どうやら訓練中の話をしているらしいが、全く記憶に無かった。千冬さんをちらと見ると何も言わない。どうやら本当らしい。

 俺は気恥ずかしさやら、申し訳ないやらで、頬を掻きながらもう一度謝った。2人が小さく笑った。恐らく俺も笑っていたと思う。

「それはそうとディアナさんは怖すぎです。それ、何とかしないと恋人見つかりませんよ。もう少しで首が落ちるところでした」
「私だってあそこまで腹を立てたのは初めてだわ、誰かさんに責任取って貰おうかしら」
「良いですよ、丸くなってくれるなら」
「あら、女は大なり小なりこんなものよ」
「その大が問題ではないかと」

 ティースプーンをガチャガチャ鳴らす千冬さんだった。何故だろうか、非常に不愉快そうに見える。

「そこの教師と生徒、一体何の話をしている」
「良いじゃ無い、こう言うの悪くないわ」
「教育倫理はどうした」
「千冬はそんなんだから未だ恋人いないのよ」
「ディアナが言える義理か、この爆竹女」
「あら、辻斬り女がよく言うわ。ねぇ真、聞いて頂戴。千冬ったら懇親会で花束渡した男の人をナンパと間違えて叩きのめしたのよ。その人お偉いさんで、あの時は大変だったわー」
「あれは体を触ってきたからだと何度言った……そういうフランスの御曹司はどうした? ホテルに入った写真みたのだがな、ん?」
「あれは違うって言ってるでしょ! 打ち合わせがあるからって行ったら―」

 千冬さんの話は初耳だったが、ディアナさんのはどうやらハム状に縛られた人のことらしい。長くなりそうなので、紅茶が冷めますと2人に言った。睨みを利かせていた2人が慌て席に着く。まったく知らないことだらけだ。

 千冬さんは「まぁ悪くないな」と言った。

 ディアナさんも「そうね」と言った。

 圧迫感を感じるその部屋は何故か心安らいだ。










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 3日目 夜





 712号室の扉を開けると4人の少女と一夏が居た。今回の日常イベントの当事者達だ。鷹月さんと布仏さんと篠ノ之さんは廊下側に、鈴と一夏は窓側のベッドに腰掛ける。篠ノ之さんは相変わらずむすっとしていたがその気配は緩み、皆は笑みを浮かべていた。どうやら鈴は上手くやったようだ。私も首尾と謝罪を伝えると、皆が今までため込んでいたものを吐きだした。笑顔が戻る。

 一夏によると鷹月さんと鈴は屋上で壮絶な話し合いをしたそうだ。篠ノ之さんが思わずたじろぐ程だったらしい。よく見れば2人の両頬は赤く、ひっかき傷やら、噛みついた跡やらが見える。布仏さんは針を操り、2人の制服をちくちくと直しているのだ、その平和さ加減がよく分かる。勿論皮肉だ。

 私は上着を掛け椅子に座った。そして、鷹月と呼ぶと彼女が顔を上げる。彼女はライトグレーのスウェット姿で、ヘアピンが無く、髪が濡れ、いつもより大人びて見えた。

 彼女へ伝える言葉は二つ。一つは謝罪、一つは今をぶつけること。篠ノ之さんの言う通りだ。私は彼女を蔑ろにしすぎた。怒るのも無理は無い。だから改めて友人としての誠意を見せようと思う。


「この間はごめん」
「もう良いよ。蒼月君だし」
「それでさ、」
「なに?」
「本当は気が強かったんだな。あれ合気道だろ? 俺初めて知った」

 部屋に響いた音は彼女の右手と私の左頬だった。

「蒼月君って本当に一言多くなったよね!? 織斑君そっくり!」
「静寐が希望するなら4月の時に戻すけど?」
「……それ、ずるい」
「へ?」
「戻さなくて良いです。信じらんない」
「?」

 静寐は頬を染めてそっぽを向いた。皆は何故か呆れていた。



 半眼の鈴が言う。

「真、さっきから気になってるんだけど、その首の包帯何よ?」
「先生とお話の結果」

 眉をひそめた一夏が言う。

「酷いのか?」
「組織再生促進剤を塗ってる。織斑先生が"激しく動いたら吹き出すから今晩はじっとしておけ"だって」


 皆が顔面蒼白の中、布仏さんは1人ちくちくと幸せそうだった。






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 鈴が来て4日目の朝、2組の皆に3人で謝り、1組にも3,4組にも謝りに行った。皆は静寐と私が良いなら特に異論は無いらしい。鈴は多少は言われたが既にクラスに馴染めている。相川さんと馬が合ったようだ。そして1組と2組の教諭も機嫌が直っていた。リーブス先生の機嫌が良すぎて逆に勘ぐられたのはここだけの話である。


 食堂に昼食を求める生徒の列が並ぶ。何時もの8人掛けのテーブルには篠ノ之さん、静寐、布仏さん、鈴がいる。篠ノ之さんと鈴は端だ。一夏の都合であった。彼女らは昨日の夜、私が戻るまでに色々決め事をしたらしい。内容は教えてくれなかった。一夏に聞いたらよく分からん、と言っていた。


「一夏おそいな」と私が言うと布仏さんが「まこと君、首掻いちゃだめ」と言うので慌てて手を下ろす。そしたら鈴が「麺が伸びちゃうじゃない」と苛立ち始めた。だから、私は頬杖を突いて前からの疑問をぶつけてみた。

「鈴」
「なに?」
「なんでクラス代表に固執したんだよ?」

 セシリアもそうだったが、クラス代表にそれ程の栄誉は無い。あれば良い、位のものだ。正直、国家代表候補で専用機を持つ鈴が執着するほどの物とは思えなかった。もちろん性格も含めてである。

 私の質問に女性陣の気配が僅かに堅みを帯びた。

「あぁごめん、言いにくいなら良い」
「アンタに言わなくて誰に言うのか、って感じよね」

 鈴は軽く咳払いをする。頬を赤くしてぽつぽつと語り出したのはこんな内容であった。

 鈴と一夏は古い仲、小学5年から中学2年まで一緒に居た仲だそうだ。そして小学校の頃に鈴は一夏に"料理が上達したら毎日アタシの酢豚を食べてくれる?"とプロポーズをしたらしい。可愛いものである。そして一夏を追いかけ学園にやってきたら、一夏は見知らぬ少女、篠ノ之さんとセシリアの事だが仲良く歩いているのを見て腹を立てた。これは一夏と私のパーティが開かれていた日のことだ。そして、クラス代表になればクラス代表戦で報復出来るとそう考えた。

「今なら分かるけどさ、いくら何でも一緒に歩いているだけってのはちょっとアレだぞ」
「それだけじゃ無いんだって! あの馬鹿一夏!」

 一夏と再会した夜、つまり私が鈴と初めて会った夜、皆から勘違いされてボコボコにされた夜だが、あの時鈴は一夏にプロポーズのことを聞いたそうだ。あの馬鹿は言うまでも無く忘れていた。彼女の苛立ちは寝不足では無くその憤りだった。

 そういう事か。納得だ。

 一夏から女性陣の様子を聞いたのは誤りだった。一夏がこの重要な要素に気づくはずが無い。また同席する女性陣もその真実に開いた口がふさがらない様だ。

 そういう事か、納得だ。




「わりぃ遅れた。さ、飯にしよ―へぶらぼへっ!」

 ただ静けさが食堂に訪れる。俺はその馬鹿の声と同時に立ち上がり、左足を軸に足と腰を回し、右腕をL字に曲げ、その衝撃を殺さぬよう、馬鹿の顔面をぶんなぐった。布仏さんが俺の暴力を咎めかけたが、鈴と静寐に止められた。篠ノ之さんも黙っていた。尻餅をつき、あごに手をやる馬鹿面が、いやいい。もういい。今度という今度はもう良い。

「て、ってめぇ! 真! 何しやがる!」

「だまぁれぇ! 馬鹿一夏! もとを辿ればお前じゃないか! 壁に立て! 108発打ち込んで壁に埋め込んでやる! 学園の教訓として永遠にその馬鹿面晒せ! タイトルは馬鹿の末路だ! だから、そのままじっとしてろ! 床に埋め込み固定してやる!」

「床だ壁だと訳わかんねぇ事いってんじゃねぇ! 恩を仇で返しやがって、この阿保真! そこを動くなよ! 今からメガトンパンチ贈呈だ!!」

「おーまーえーがー! 鈴をちゃんと見てないからこうなったんだろうが! もう良い! 死ね! タバスコでうがいして地獄に落ちろ! このどああほおぉぉぉぉぉぉがぁぁーー!!!!!」

「人のこと言えた義理か! つか、泣くこと無いだろ!?」

「やかましいわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」




 騒ぎにやってきた千冬さんは、鈴から事情を聞くと流石に同情したらしい。両手を床に突きぼろぼろ泣く俺をちらと見て溜息をついた。

「織斑、グラウンド10週だ」
「千冬ねぇ! なんで俺だけ?!」
「一夏が酢豚で、酢豚……鈴が、で、ぐすっ」





「蒼月君かわいそ」

それは3組の生徒だったとおもう。






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鈴編、如何だったでしょうか。
真が居る2組に鈴が来たら、を私なりに解釈するとこうなりました。
鈴というよりは、鈴と真を中心とした2組が正しいかも知れません。

キーワードは変化。
注目した鈴のキーワードは両親の離婚でした。何で離婚したか、それは両親の心のすれ違いから、ではそれは何でか、それは人の心の変化と言う具合です。

実はこの鈴編、非常に苦労しました。
HEROESの話を考え始めた時に、他ヒロインのストーリーはぱっと思いついたのですが、この鈴だけがまったく話が浮かびませんでした。

追い詰められて、某サイトの中国嫁をパロって中国転校生日記のようなSSオムニバスにしようか、それとも鈴を添加剤にして静寐、本音、真のラブコメ物にしようかとか、そこまででした。

外伝Miyaを書いている時に、運良くキーワードである「変化」を思いつき、鈴1,2も数回書き直してどうにか完成に至った次第です。
正直綱渡りでした。ゴールデン・ウィークに重なったのは運が良かったです。

読まれた方、どのようなご感想をお持ちになりましたでしょうか。
書いている自分ですら、重すぎかなと思ったりしましたが、
ただ今の自分にはこれ以上の鈴編はかけません、言い切ります。
シリアスだったセシリア編の後なので軽快な物にしようと考えていたのですけれども。



で、今後は日常編、外伝を挟んでクラス代表戦に入ります。
宜しければ今後もおつきあい下さい。


■補足2012/12/04
ディアナの行動には理由があります。
一夏が同じ事をすれば、説教程度で済んだでしょう

この説明はだいぶ先です。




[32237] 03-06 外伝「織斑千冬の憂鬱」+日常編3「2人の代表候補」
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/08/24 20:13
外伝 織斑千冬の憂鬱
(注:時系列は気にしないで下さい)
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 織斑千冬、24歳、日本人女性。


 第1回IS世界大会(モンド・グロッソ)総合優勝および格闘部門優勝者。非常に厳格な人物で、鋭くも美しいその姿に憧れるものは少なくない。現役を退いた今ですらその力は凄まじく、身の丈を超える武器を操り、生身でISを御する。公式戦無敗。ブリュンヒルデと言われる所以である。



 そんな彼女にも悩みはあった。教頭の皮肉、同僚の嫌味、妄想暴走の後輩、超人的な力とて社会の中で生活する以上、大した意味を持たないのだ。腕力に物を言わせれば、歪みができ社会が崩壊する。それは彼女の望むところでは無かった。

 そして、彼女には庇護を与えるべき2人の少年が居る。実弟、織斑一夏。そして彼女が昨年の4月この学園で保護した蒼月真。

 この2人の阿保と馬鹿、悩みの最頂点である。

 この2人はとにかく問題を引き起こす。ある新聞記者が"IS学園の問題児"と評しその余りの的確さに思わず言葉を失ったほどであった。ただ、落とし前のため拳は失わなかったが。






 それは、とある朝のことだった。早朝のトレーニングを終え、食堂に赴き、のんびり食事を取る生徒達の指導をする。何時もの食堂である。そしていつものように聞こえてきたのはその2人の声であった。否、殴り殴られる音と罵声であった。


「今日という今日は勘弁ならねぇ! この阿保真! 其処に直りやがれ!」

「こっちのセリフだ馬鹿一夏! その鼻持ちならないマヌケ面整形してやる!」

「人様の顔言える立場か! この陰険ヤクザ!!!」

「人の身体的特徴に暴言吐くマナー知らずは仰向けで痰を吐け! 顔面が良い感じのばい菌コロニーになるわ!!!」

「よくそれだけ罵詈雑言が浮かぶもんだ! どれだけ性格ねじまがってんだよ!」

「馬鹿一夏の顔ほどじゃない!」

「言いやがったな! 阿保真!」

「「もう良い! 地獄に落ちろこの―へぶぅ」」



「朝から騒ぎを起こすな! この馬鹿者共!」

 千冬は何時もと同じように同じように拳を振るい、何時もと同じように騒ぎを収める。何時もの朝である。既に日課であった。

 千冬は思う。実弟の一夏の行動は予想が付いた。しかし真は完全に予想外であった。無鉄砲でまだ子供らしい質を残した一夏に対し、入学前の真は、良く言えば理性的で我を出さず忍耐力が有った。悪く言えばその情緒が希薄で、対人関係ですら理屈で考える。だがこの2人が上手く組み合わさればお互いに良い影響が出るだろう、そう期待したのである。

 淡い期待であった。

 真が一夏に引っ張られたと言うより、相互作用で悪化する。







 それは、とある日の夜であった。プリントが散らばる自室に座り、教頭から出された残業に頭を痛めていたそんな時だった。寮の食堂から、騒ぎの気配を察知した千冬はやはり食堂に赴いた。何時ものように罵声と殴る蹴る、周りの少女達も最早気にしない。もう慣れた。

「毎度毎度いい加減にしろこの馬鹿一夏! お前のお陰で俺までトバッチリじゃないか!」

「うっせぇ! 人のこと言えた義理か! 事ある毎に女の子怒らせやがって! ちったー学習しろ!」

「やかましい! ロッカー開けたら半裸の少女なんてどういう了見だ!? そもそも俺に見られたとか言って怒られたんだよ! 大体一夏はリアルラック大き過ぎだ! ブレーズ・パスカルさんに謝れ!」

「また訳の分からんこと言って言い込めようって腹か! 陰湿陰険だなぁおい!?」

「確率論の創始者だ!」

「んな事しるか! この偏屈阿保真!」

「少しは本読め! この脳筋馬鹿一夏!」

「「今日という今日は引導渡してやる! 往生しろこの―へばぁ」」




「夜遅くに騒ぐなこの馬鹿者共!」

 千冬は何時もと同じように同じように拳を振るい、何時もと同じように騒ぎを収める。何時もの夜である。既に日常であった。







(馬鹿者共め……)

 職員室の机で両肘を付き親指で目頭を押さえる千冬だった。頭を痛める千冬はこう思う。今までの殴打ではもうだめだ。もう少し力を入れてみるか?

「止めなさい千冬。それ以上力を入れると流石に割れるわよ」 

 そういうのは左隣のディアナ・リーブス。流石千冬の腐れ縁、考えることなどお見通しであった。

 しかしどうすれば良い。こうも頻度が高いと本業に差し支えが生じる。面倒を見るのはあの2人だけでは無いのだ。千冬は深く溜息をつく。深刻な表情の彼女をみて2人の副担任は心を痛めた。切り出したのは山田麻耶、本題は小林千代実。

「織斑先生」
「何ですか、小林先生」
「こういうのは如何でしょうか。蒼月君と織斑君を周囲の生徒に監視して貰いましょう。頭の上がらない娘が多いようですし」
「却下!」
「ひぃっ!」


 それは千冬も考えた。だがそれは教育者として保護者としての敗北に他ならない。何より指導すべき生徒に頭を下げるなど彼女の矜持が許さなかった。そして、結局彼女の選んだ手段は原始的で確実な物だった。そう、過去形である。





その1


「グラウンド10周!」
「「えー」」
「さっさと行けこの馬鹿者共! 100周走りたいか?!」

 駆け出す2人。喧嘩は忘れない。

「覚えておけよ! 馬鹿一夏!」
「さっさと忘れろ! 阿保真!」

 グラウンドの1周は5km。流石に堪えるだろう。そう、少し軽い足取りで廊下を歩く千冬に、駆け寄る本音。

「織斑せんせい~」
「布仏、廊下を走るな」
「2人が、まこと君とおりむーが!」

 涙目の本音に思わず足を止めた。何かあったのか? いやただのランニングだ。それにまだ20分と立っていない。

「5km走ったら2人が全力疾走で、競争で、泡拭いて倒れました~」

 ヒールが折れた。

(馬鹿者共め……)





その2


「屋内プールの掃除だ!」
「一夏君が!」
「千冬ねぇ! 真のせいなんだよ!」
「さっさとしろ! それと織斑先生だ!」

 千冬は思う。競争したところで失神することはあるまい。そんな千冬が翌日見たものは、屋外まで掃除し眠りこける2人だった。肺炎だった。春先はまだ寒い。

 湯飲みが割れた。

(ばかものどもが……)





さいご


「自習室で反省しろこの馬鹿者共!」
「馬鹿一夏」
「阿保真」
「「けっ」」


 自習室とは表向きの名前で実際は独房であった。IS学園において最も厳しい刑罰である。既に7日経ち、報告では物音1つ無く静かにしているらしい。

(流石にこれならば堪えただろう)

 千冬は満足げに廊下を歩いた。前方に待ち構えるはディアナだった。あの女は不吉だ、千冬は身構えた。


「千冬」
「なんだ」
「あの2人、断食競争してたらしいわ」

 ごん。打鳴る響きはデコと壁。千冬は頭を打ち付けた。

「いま集中治療室よ。どうやって意思疎通したのかしら。ISは没収、声も通じないのに不思議よね」
「ディアナ……」
「何名か見繕って呼んでおいたわ。いま生徒指導室に居るから」
「一応、礼を言っておく」
「まぁ良いわ。貸しにするには些末なことだし……ねぇ千冬」
「なんだ」
「1人じゃ大変そうね。どっちか預かるわよ? 実の弟はまずいから真でいいわ」
「死ね」


 公式戦無敗の織斑千冬。非公式戦の一敗は非常に苦い物だった。









日常編 2人の代表候補 鈴1
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 鈴にとって真の第1印象は最悪だった。

 半裸を見られたのだ。原因は自分にあると分かっていても、仲良くなど出来ようはずが無かった。それに。寝ぼけ眼に映るその姿はお世辞にも好青年と言えなかった。皮肉げに釣り上がり、威嚇せんばかりに鋭く、ただ黒い瞳。ぱっと見の印象はヤクザかゴロツキだと、鈴は思った。

 きっと嫌らしく、根暗で何も出来ないくせに偉ぶっている、勘違い野郎。何でこんな奴が学園に居て一夏の友人なのかと、追い出してやろうかとすら考えた。

 だが、それは誤りだった。彼は鈴が何を言っても怒らなかった。担任を敵に回しても友人を守り、そして助けられた。鈴の担任は世界で怒らせてはならない人物の1人、であるにも関わらずだ。

 感謝の念は一応沸いた。だがそれ以上に疑問が沸いた。何故そこまでするのかと。首を落とされ掛けても笑い、翌日にはその落とそうとした張本人と談笑していたのである。同年代の友人とは何かが違っていた。

 興味がわいた。一夏に聞いたら口を濁した。調べたら孤児だと分かった。真は親の事を知らないと言った。恐らく捨てられたのだろう、鈴がそう考えたとき奇妙な親近感と敬意の念が沸いた。

 鈴の両親は離婚したとは言え、片方は居る。真には両方居ない。年も1つしか変わらない。にも関わらず自分を抑え、目的を達した。


 アタシに同じ事ができたか?







 鈴はいつもは二つに結っているその艶のある黒い髪を、首筋に一つにまとめ下ろしていた。ライトグレーのスウェットの裾から白い足を覗かせ、窓側のベッドに俯せになり、膝で折り曲げた足を前後に振っていた。

 時刻は10時半。隣のベッドの主は出かけたままだ。"月を見てくる"紅茶を入れた魔法瓶を手に、外出してから既に1時間は過ぎている。遅い。苛立ちを感じ、足が自然とリズムを早める。扉を叩く音がした。どうぞ、と言った。扉を開けて入ってきたのは真だった。鈴は起き上がり、あぐらを掻く。彼は鈴の姿を認めると少し戸惑ったようだ。

「お帰り。どうしたのよ? 突っ立って」
「あ、いや」
「なによ?」
「た、ただいま」
「ん」

 真はそのままキッチンへ向かい、魔法瓶を洗う。水が流れる音を聞きながら、鈴は多少非難を込めて真にこう言った。

「それにしても随分遅いわね」
「あぁ、少しゆっくりしてた」
「月なんて毎日見られるじゃない。中秋の名月でもないのに」
「良いだろ、月を見ていると落ち着くんだ。色々考えてさ。そうそう、明日満月だぞ」
「月見酒ならぬ月見紅茶ってワケ? ホント、年寄り臭い。古典といい、Jazzといい」
「失敬な。大人の嗜みって言ってくれ」
「どっちでも良いから、さっさと風呂入りなさいよ。もう直ぐ消灯だから」

 真は軽く肩をすぼめる。

 今更ながらであるが、鈴にとっても真にとってもこの状況は多少なりとも緊張を強いていた。つい5日前までお互いの存在すら知らなかった2人が、こうして共同生活を送っているからである。トラブルが収まり気が抜けたところ、その事実に改めて気づいたと言う訳だ。鈴にとっては同年代の異性が、真にとってはそれに加え"自分以外の人間が家に居る"という初めての事態に対峙していたのである。



 壁の時計が11時を知らせる。グレーのTシャツ、黒のハーフパンツ、真がバスルームから出ると鈴が照明を切り替えた。部屋が淡いオレンジの光りに包まれる。真は仰向けで、鈴はヘッドボードに背を預け座っていた。部屋に2人の呼吸が響く、2人は互いの呼吸に神経をとがらせていた。

 鈴は、彼が足を動かす毎にぴくりと体を振るわせた。真はその彼女を見て右の頬を掻いた。

「あのさ鈴」
「な、なによ」
「一夏の事良いのか? まだ思い出してないんだろアイツ」
「……思い出すまで放っておく」
「そっか、まぁ焦らない方が良いよな」

 真は鈴の不安を感じ逆に冷静になったようだ。気遣う余裕が出来た。そしてそんな真を見た鈴は何故か憮然とする。自分だけ不安がっているのが気に入らない。足を振り上げた。身を起こし、その背を真の上に投げる。息を詰まらせる彼の抗議に、鈴はこれから悪戯をする子供のような目で見下ろしていた。

「ねぇ」
「なんだよ、というより息苦しいから降りてくれ」
「アンタさっき見てたわよね?」
「なにを?」
「アタシの足」
「……見てません」
「嘘」
「嘘じゃないです」
「ふーん」
「なんだよ」
「ス、ケ、ベ」
「か、かわいくない」
「初めての夜にアタシを可愛いって言った奴が居たけど、誰だったかしらねー」
「人聞き悪いぞ、それ……」

 もうだめだと、真が枕をかぶる。そんな彼の赤い顔を見ようと鈴が笑いながら枕を掴む。

 鈴は思う、多分真は何もしない。何より、追い詰められたあの夜のアタシをコイツは気遣ったのだから。今にして思えば本来の同室者とどちらがここに来るか、それを決めた時千冬さんにその迷いは見られなかった。彼女は確信していたのだろう、だからアタシをここに寄越した。だが、それはそれで腹が立つ。

「早くその顔をおねーさんに見せなさいよー♪」

 むーと唸り防戦一方の真を見て鈴は思う。再部屋割まで一ヶ月、まぁそれ位なら良いか。一夏をやきもきさせるのも悪くない。だが、鈴の心には信頼と困惑が入り交じっていた。





日常編 2人の代表候補 鈴2
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 食堂の窓から朝日が差し込む。目の前には朝食のホットドッグがあった。鈴はホットココアを飲むと、1つ息を吐いた。学園に来て初めてのゆっくりした、緊張しない朝だった。

(こう言うの群れてるみたいで好きじゃ無いんだけどさー)

 でも清香が誘ってくれたのだ、今日は顔を立てるかと鈴はホットドッグを頬張る。鈴の周りには2組の少女数名が居た。そのうちの1人が先日友人となった相川清香だった。まだ1日経っていないが、お互いアグレッシブな質が引き合ったのか直ぐに打ち解けた。ソーセージの肉汁が口の中に広がった。



「表出やがれ馬鹿一夏! 花壇に埋めて、穴という穴に花を活けてくれる!」
「花壇じゃ生花っていわねぇぞ! とうとう阿保の馬脚を現しやがったな! ざまーみやがれ! この阿保真!」
「ただの悪意に決まってるだろうが! 気づけこの馬鹿!」
「花壇の生花♪ 花壇の生花♪」
「むかつくわ!!」

 騒ぐ2人に千冬が拳を振るう。鈍い音が響き食堂に静けさが戻る。2人はテーブルに突っ伏していた。動かなかった。本音がその2人の少年に駆け寄ると、不安を瞳に湛え千冬を見上げる。千冬は溜息をついて一夏を右肩に真を左脇に、のしのしと立ち去った。一部の少女達が2人の居たテーブルににじり寄る。箒が牽制し、静寐が一夏の箸を片付けた。非難と悲鳴が上がる。




 そんな穏やかに晴れる5月の食堂で、鈴はその騒動から視線を手元に戻す。彼女にはあれが喧嘩ではなくコミニュケーションの1つだと分かった。鈴は男という生き物を知っていた。はしたないという意味ではなく、時折子供の様な面を見せる、と言う事だ。それは彼女の15年という人生で学んだ事だった。幼い頃のクラスメイトであり、父親であり、一夏であった。2人の楽しそうな眼がそれの証だ。ただ、もう少し何とかならないのだろうか、とは思う。

 清香がサンドイッチを掴むと波打つ紅茶が見える。静かな空気に居心地が悪くなったのか「あの2人仲良いのね」と鈴が言った。「最近はずっとあんな感じだよ」と清香が答える。

「最近? 前は違ったってこと?」
「真は、初めて見た時もっと静かな感じだった。んー違うか、堅い、かな。石みたいで、必要だから話す。そんな風。織斑くんはよく分からないかな。クラスも違うし」
「真が石って、嘘でしょ?」
「ホント。いつの間にかあんな風になっちゃった」

 清香は懐かしむように、空席となったテーブルを見る。同席の少女が笑いながら織斑君のせいだと言う。そうしたら別の少女がセシリアのせいではないか、と多少意地を悪く言った。鈴は、話が読めないと皆に問う。その言葉に少女らが目を合わせる。清香が頷いた。

「なによ?」
「鈴も2組だしね、言うよ。でもここだけの話。まぁみんな知ってるけれど……真とセシリア、入学早々に大喧嘩したの」

 鈴にはその言葉の意味を理解するのに時間が掛った。初対面の鈴にあれだけ罵られても涼しい顔をしていた真の、怒った顔が全く想像出来なかったのだ。

 清香から事の顛末を聞いた鈴は、最初に腕を組んで、頭を傾げる。眉を寄せて、目を瞑ると、むーと唸った。そして清香を見る。

「馬鹿にしてる?」
「そう思うよね、やっぱり」
「……ホント?」
「ホント」
「ふーん。イマイチ信じられないけど……なら仲悪いのね」
「多分凄く良い。多分だけど」
「なによそれ? ふつう気まずくならない?」
「普通はそうだよね。でもあの2人はそうじゃないみたい」

 ぽかんと呆けた鈴を清香は屈託なく笑った。同席の少女達は2人の話題で盛り上がっていた。曰く、射撃場で一緒のところをよく見る、一夏と真に挟まれてずるい、屋上でずっと二人っきりで話してた。

「あぁそうそう。蒼月君がセシリアを抱きかかえて降りてきたって話あったよね」
「それ聞いた! 屋上からって奴でしょ? お姫様だっこで!」
「私も見た。真君、泣いてた」

 鈴のホットドッグが手から滑り落ちた。あの真が少女相手に怒って泣いた、その事実は鈴を困惑から苛立ちに変えるのに十分だった。

(なんか、腹立つ)





日常編 2人の代表候補 セシリア1
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 IS学園の外れには人用の射撃場がある。100m程度の室内射撃場と2000mまでの屋外射撃場、この2つ。生身の少女に実際の銃は重すぎた。炸薬の反動は大きすぎた。だから、2,3年の上位成績者が稀に顔を出す程度で、何時も閑散としている。

 そんな陽の光が差す学園の最外層に2人の1年生が鋭い視線を走らせる。ライフルを構えるのが金髪碧眼のセシリア・オルコット。タブレットと双眼鏡を手に少女の側に控える黒髪黒眼の蒼月真であった。2人は学園指定の白を基調としたジャージに身を包んでいた。


 レーンをターゲットが走り1500mで止まる。セシリアはコンクリートの上に敷いたカーキ色マットの上に伏せる。上体を両肘で支え、足を開く。眼はゴーグル、耳はイヤープロテクター、金色の髪は青いリボンで1つに結っていた。望遠レンズ越しのターゲットは、茶色の地面から立ち上る熱で陽炎のように揺らいでいる。5月最初の土曜日は、いつになく陽の光が強かった。額に汗が滲み、滴る。

 真は左脇にあるリボルバーと周囲に警戒の意識を飛ばす。何があっても良いように少女の側に控える。セシリアはその気配を感じ、たった一つの赤い点を狙う。それ以外には何もかも消し去った。




 そして彼女の放つ意識の線が一際鋭く光り、重い銃音が響く。真は望遠レンズ越しのターゲットを見て、応えた。

「10点」

もう一つ響いた

「十点」

最後に一つ

「……Ten点」
「正確に読み上げなさいな」
「あのさ、セシリア」
「なんですの?」
「いくら安定性の良い伏射姿勢とは言え、2脚を使ってるとは言え、なんで1500m先の的をそう軽々とど真ん中に当てるかな。しかも大型ライフルのAWM(アークティク・ウォーフェア・マグナム)とか。.338ラプア・マグナム弾だぞ、それ」
「淑女の嗜みですわ」
「どこの淑女だよ……」


 彼は立ち上がったセシリアにタオルと水を渡す。汗で頬に付いた金の髪。彼女の艶姿に思わず見とれ、慌ててタブレットに指を走らせた。

「2km四方の第3アリーナじゃほぼ逃げ場無いじゃないか」
「ブルー・ティアーズなら全くありませんわよ」
「可愛くない」
「私に可愛さを求めるつもりですの?」
「しない。ただこうも実力の開きを見せつけられたんだ。多少の愚痴ぐらい言わせてくれ」
「真は800m以上伸びませんわね」
「820m当てたぞ」
「一回だけですわよ」


 もう良いと、拗ねる真にセシリアは苦笑、思わず右手を口に添えた。

 もっとも実戦での狙撃は非常に過酷だ。毒を持つ動物が居るかも知れない、敵がどこからか狙っているかも知れない、足場が不安定になるかも知れない、誰かが襲ってくるかも知れない、優秀なガンナーであればある程周囲の気配に、鋭敏に反応してしまう。それはこの学園の射撃場においても例外は無い。狙撃に全てを集中する事はセシリアとて至難の業だ。1500mのピンポイント狙撃は真が側で警戒していたから出来る芸当であった。

(まぁこれは黙っておきましょう。弱みを見せるのは得策ではありませんわ)

 しかし、とセシリアは思う。そう言う真も異常だ。動かない的とは言え300m以下であれば立っていようと、走っていようと、強風が吹こうと必ず当てる。勿論、銃の種類に依存はする。スナイパーライフルで800m、アサルトライフルは300m。ハンドガンでは50m、ISならばその射程は更に伸びるだろう。

 そして彼女の足下にあるライフルである。セシリアが使ったこの大型ライフルは真が調整した物だった。セシリアにはまるで手足のように馴染んだ。

「真はガンスミスの資質が有るのではなくって? とても使いやすいですわ」
「そう? 一回ばらしてグリスアップした位だけどね」
「機械と相性が良いとか言っておりましたわね。銃もそうなのかしら」
「多分ね、コイツも機構を持つ立派な機械だし」

 ライフルを随分と優しい目で見る真にセシリアは嘆息する。

(機械の相性、銃を持ち始めて一月足らずでこの射撃能力、記憶が無い事と言い謎だらけですわね、真は)

「まぁいいですわ。休憩にしましょう」
「異議無し」






日常編 2人の代表候補 セシリア2
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 射撃場脇には学園のイメージからかけ離れた少しばかりの広場があった。傷み古ぼけた水の出ない噴水、塗装の剥がれ最早色の分からないベンチ、割れて荒れ果てた石畳。それらは学園が出来る前から置いてある物だった。土地を買収したは良いものの手を入れる事なくそのまま人の記憶から忘れ去られた空間。青々とした草木だけが、その場所が古い写真ではなく、現実だと物語る。2人はその廃墟めいた場所を気に入っていた。

 2人にはかって其処に居たであろう憩う人々が見える。

 地面にシートを敷く。携帯のコンロで湯を沸かし、ティーポットに湯を注ぐ。慣れた手つきのセシリアを見て真は空を仰いだ。もう数時間すると夕暮れになる頃。アールグレイの香りがするその青い空には雲が一つ、浮かんでいた。

「セシリア、迷惑を掛けた」
「何の事ですの」
「この間の騒ぎの話。千冬さん機嫌悪かったろ? だから、すまない」
「謝罪は既に頂いてますわ」
「3人ではね。個人的にはまだだったから」

 セシリアは静かに紅茶をティーカップに満たすと、そうでしたわね、と思い出したように言った。そして真の首に巻かれた包帯を見る。

「真も無茶しますわ。あのディアナ・リーブスですわよ」
「セシリアもそう言うんだな」
「彼女の銘は有名ですわ、色々な意味で」

 違いない、そう静かに真は笑う。彼女は注がれたティーカップを渡した。

「真は何故そこまでしましたの?」
「そこまで?」
「話は聞いています。3人の友人より来たばかりの転校生を庇うなど、理解に苦しみますわ」
「一夏とかにも同じ事言われたな。自分でもよく分からない」
「呆れますわね。関係を持ったというあの噂、あながち的を外して―」
「セシリア」
「……失言でしたわね。ごめんなさい」
「いや、いい」

 彼女自身、何故この様な低俗な発言をしたのか驚いていた。目の前に座る真をちらと見る。あぐらを掻く彼はただ静かに紅茶を飲んでいた。セシリアと話す時の真は物静かな時が多い。彼女はその雰囲気を好ましく思っていたが、今はその静けさが不安を煽る。

「もう日も陰ってきたから、そろそろ帰ろう」
「真、私は―」
「だから気にしてないって。セシリアだって本心じゃ無いんだろ? それに多少妬いて貰えたようだし」
「か、勘違いなさらないで。このあと模擬戦を、と言いかけましたのよ」
「それは残念……先約があるんだよ、だからまた今度誘ってくれ」
「一夏さん?」
「いや、鈴と。腕試しをしてくれるんだってさ」
「確か中国代表候補でしたわね」
「そそ、話した事は?」
「一言二言。一夏さんに紹介して頂きましたわ。少々粗野な方ですわね」

 無礼な鈴の言動を思い出しセシリアは僅かに表情を固まらせる。彼女から見れば鈴は知性に乏しく優雅さに欠けていた。食事の作法といい、他人への遠慮のなさといい、数え上げればきりが無い。同じ国家代表候補というのも苛立たしい。それに真への馴れ馴れしさは目に余る。昨日の放課後、鈴は真の肩に乗り、髪を掴んで学内を見て回ったのだ。真は戸惑いつつも笑っていた。

「セシリアから見れば鈴は真逆だし、気に入らないのも想像がたくない。一夏の事もあるしね。けれど俺にとっては友人でもあるんだ、挨拶程度はしてもらえると助かる」

 不安を浮かべる真にセシリアは「そういえば、真の同室者とか?」と言った。それは質問でも確認でも無かった。

「へ? あぁそうだけど」
「楽しそうで何よりですわ」
「楽しい、か。まぁそうなんだろうな」
「真は意外と手の平を返すのが早いですわね」
「何のことだよ?」
「なんでもありませんわ」
「よく分からないけど……セシリア、聞いてくれ。帰った部屋に灯があるんだよ。帰ったら人が居てさ、ただいま、お帰りって言うんだ。最近思い知った。こんな些細な事がこんなに嬉しいと思わなかった」
「……確か見つかってから2ヶ月は学園内で軟禁、その後は今までずっと一人暮らしでしたわね」
「知っての通り、少なくともそういう記憶は俺には無い。つまり初めて」
「なら早く家族の元にお戻りなさい。片付けは私がしておきます」
「家族、か。妹が居たらきっとあんな感じなんだろうな」
「ですが。次は真がなさい、紅茶も貴方が淹れる、良いですわね」
「必ず」

 真の背中を見送り、セシリアは器を片付ける。セシリアも肉親は居ないが、その記憶はある。真にはその記憶すら無い。あれだけの騒動を起こした鈴を、真が受け入れているのはそういう事なのだろう。鈴の事を話す真の、嬉しそうな表情を見ればよく分かる。

 凰鈴音。セシリアと同じ15歳、同じ専用機持ち。真と同じ髪の色、同じ瞳の色。同じクラスの同じ部屋。セシリアの知らない真を知りつつある。

「釘を刺しておきましょうか」

 セシリアは1人呟いた。ざぁと、草木がわなないた。






日常編 2人の代表候補 真1
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 人間は暗闇を恐れる。それが何か分からない、という原始的な感情により生じる恐怖だ。全てを見通せるハイパーセンサーを使用すればそれはあり得ないはずである。だが人は恐れた。

"センサーで捉えられない何かがそこに居るかも知れない"

 瞬間的な判断が求められるIS戦においてはその恐怖が致命的になる。結局は、兵士がそうで有るようにISパイロットにも暗闇に対する訓練が行われる。そしてその夜間戦闘訓練は2年生からのカリキュラムであり1年生には禁止されていた。訓練の順番には意味がある為だ。だが代表候補生と専用機持ちは別だった。順番の保護が必要な者にその銘は与えられない、と言う事である。



 午後7時半。日没が遅くなったとはいえ、空は完全に暗かった。雲が敷き詰められ星明かりすら無い。照明が完全に落とされ、観客席には誰もおらず、第3アリーナは完全に静まりかえっていた。

 その暗闇の中、一機のISが宙に立つ。それは赤紫を基調とし、両肩の浮遊ユニットにはその力を誇示せんと一対の角がそびえていた。背にある大型の青竜刀がその牙であった。

 鈴は自身の第3世代IS"甲龍"をまとい、腕を組み目を瞑る。肉眼では自分の鼻先すら見えないこの闇夜の中もう一つの機動音が響く。ラファール・リヴァイヴ・カスタム。学園登録ナンバー38、真が"みや"と呼ぶカーキ色の愛機であった。両肩の物理シールドを取り外し軽量化、そしてFBW(Fly By Wire:航行管制システム)をチューンし機動性を高めている。背中の多方向加速推進翼が小刻みに光を放つ、それは青い光を放つスズランの様だ。

 真は鈴と同じ高度30mに立ち鈴を見据える。「遅かったわね」と鈴が苛立ちを込めて言った。

「時間通りと思うけど?」
「美少女を30分も待たせるなんて、いい度胸してるじゃない」

 真はただ溜息をつく。"美少女"に反論しても"30分先に来て待っていた"に反論しても鈴は拗ねる。拗ねると今日の訓練は中止だろう。彼は思う、こういう時セシリアのありがたみがよく分かる。彼女はこんな事言わない。それに鈴は機嫌が悪そうだ。また一夏だろう?

「悪かったって、お小言は後で聞く。アリーナの時間もあるから先に始めよう」
「ふん……言っておくケド、今日はアンタの実力を見るのが目的。手抜くんじゃ無いわよ」
「国家代表候補の専用機持ちに手を抜く馬鹿は居ないさ。でもなんで夜間なんだよ。昼間でもいいじゃないか」
「アンタのカスタムスペック見たけど、それ高機動タイプでしょ? 昼間は他の連中が居るから、実力見られないじゃない」
「仕様? 戦歴は見なかったのか?」
「カスタムスペックだけ。先入観を入れたくないから」
「なるほど……なら宜しく頼む。鈴」
「殊勝な心意気ね、じゃ始めるわよ」
「了解」
「あぁそう、もう一つあったわ」
「何が?」
「アタシ、夜は好きなの」





 甲高い、金属同士がぶつかる音が響く。

 真がその音に気づいたのは、彼の左手がアサルトナイフを量子展開していた、と気づいた後だった。その左手はナイフを逆手に握っていた。刃同士がせめぎ合い火花が散る。ただ防ぎきれず、獲物を切り裂くだけの弧の刃、2mは有ろうかという青竜刀の剣圧と、甲龍自体の重さが合わさり真は姿勢を崩す。その直後、赤紫の左肘が腹部にめり込み、体を折り曲げる。次は右脚だった。重心を基点に甲龍が体を回す。そして遠心力をもった右足に頭上から蹴り落とされた。


-警告:ダメージ発生 残エネルギー520-


 高速落下、姿勢制御、バーニア最大。フィールド近傍で立て直す。アサルトライフル"H&K Gi36"を量子展開。FCS(Fire Control System:射撃管制システム)作動。12.7mmx99 メタルジャケット(通常弾)、弾数30。真はライフルを構えようとしたが、彼の体はそれに逆らい身を捻った。それは左方向だった。一対の回転した刃が鼻先を掠め、鈴と目が合う。真の落下中に追撃を掛けたのだった。彼はライフルのストックで甲龍の左肩を打ち付け、僅かに隙を生じさせる。最大速力で離脱、高度40m。フィールドに立つ彼女を見下ろす。


 甲龍は柄同士をつなげた青竜双刀を回転、威圧する。剣風でフィールドに刀痕が走った。

「やるじゃん、この技の連携で地べたに這わなかった奴は初めてね。初手を防いだ事といい、防御は褒めてあげる」
「そりゃどーも……」

 冗談では無い。焦るほどに早い鼓動を強引に押さえ付けた。意識の線が役に立たない。見ることは出来るが、線の後が早すぎだ。躱すだけで余裕が無い。真が初めて知る高次元の近接戦闘領域だった。

 考えてみれば、模擬戦相手はセシリアと一夏のみだ。近接戦闘は一夏しか知らない。今の手合わせで分かった事は、移動、攻撃、防御、回避。加速、重心移動、強弱緩急、剛と柔。鈴の実力は次元が違った。

 真の焦りを知ったのか、鈴はその唇から牙を覗かせ、挑発的な笑みを浮かべる。

「でも、防御だけじゃ勝てないわよ、さぁどうする? お、に、い、さ、ん?」



 鈴の挑発に、真は弾丸を持って応える。まず8発、次に急激降下、甲龍の左側へ回り込む。それと同時にフルオート14発、弾幕を躱し甲龍が迫る。バーニア最大出力、甲龍とフィールド上で交差、そのまま急速上昇。役に立たない肉眼を無視し、ハイパーセンサーで甲龍を捉える。真は上昇中に"足下へ"フルオート発射。12m後方でみやを追撃中の甲龍に迎撃する。残8発命中、推測 与ダメージ110。

 その直後だった。2つの強い意識の線が真を貫き、不可視の何かが襲いかかる。彼は反射的に体を捻った。一発は逸れ、一発は被弾。衝撃が全身を襲う。アリーナのエネルギーシールドに激突。フィールドに落下した。ダメージ発生、残エネルギー420。

-警告:空間の歪みを観測 歪空間兵装と推測 弾頭予測は現状不可 データ収集開始-

 姿勢制御、両足と左手で着地する。土煙が巻き上がる中、真は上空の鈴を見上げた。暗闇の中、甲龍のバーニアと赤紫の機動光だけが見える。

「飛び道具はあると思ったけどね、そういうのとは予想出来なかった」真は立ち上がり右手のライフルを構える。「そう、これが甲龍の第3世代兵装"龍砲"見えないでしょ? そのハイパーセンサーでも捉えられてないわね? でもアンタは初めて見る龍砲の片方を、背後からの攻撃を躱した」鈴の双眸が青く輝く。その殺気を浴びて真の、神経回路の回転数が上がり始める。口の中が辛みを帯びた。

「アタシはダメージを受けるつもりは無かったし、龍砲を使うつもりも無かった。はっきり言うわ、アンタの腕は乗り始めて一ヶ月そこらの物じゃない」

-報告:量子展開による弾倉交換、完了 12.7mmx99通常弾、30発-

「ねぇ、アンタ何者?」
「そんな事、俺が知りたい」
「ふーん、言うつもりは無いって訳ね……なら、」
「どうする?」
「力尽くで吐かせる」

 龍砲が火を噴いた。みやのバーニアが咆吼を挙げる。真が駆け抜けたフィールドに土柱が立つ。歪空間砲弾の雨が降り、一発が掠めた。みやのエネルギーシールドに歪んだ空間が干渉し、虹色に光った。

「ホント、回避は大した物ね! でも何時まで避けられる?!」

 真は噛みしめる。残念だがその通りだった。一発直撃で100近く持って行かれる。セミオートの砲身が2つ。しかも斜角は無制限、鈴の技能と合わさり、防戦一方だった。雲が切れ間から月の光が差し込んだ。


 みやが急速上昇。その時、真の視界に人影が見えた。それは金色だった。そして、その金色は3分だと言った。





日常編 2人の代表候補 真2
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「3分以内に倒しなさい」

 2人が眼を向けた観客席に立つのはセシリアだった。彼女は白いワンピースにベージュのショールを羽織っていた。頭部にブルー・ティアーズのハイパーセンサーが展開されていた。鈴が殺気を放つ。

「アンタに指図されるいわれは無い」
「少し静かにして頂けますかしら。私は真に言っておりますの、中国代表候補さん」
「無茶言うなよ、第3世代機の国家代表候補だぞ」
「言いですこと? もし時間を超えたり、負けたりしたら"許して差し上げますわ"」



 真の気配が固まる。それは、今の関係がお仕舞いと言う事だけでは無かった。彼は採光を欠いた暗い眼で金髪の少女を見下ろす。それはセシリアがかって死者のようと評したものだった。銃口こそ向けていなかったが、その眼は引き金を引く視線そのものであった。

 真はただ薄い笑みを浮かべる。蒼い月が照らす光の下、おぞましく見えるその眼をセシリアはただ静かな笑みを浮かべて見ていた。

「そうか、そういう事か。セシリアは俺に気づいていたのか」
「えぇ、勿論」

 勝てばセシリアの言葉に従う事になる。負ければセシリアに負ける事になる。単純な鈴との勝負が、詰まらない喜劇になった。真は眼を閉じ、鈴に向き合うと目を開ける。其処には僅かに困惑した同室の少女が居た。負けるよりは勝利の方が幾分かマシだった。ただそれだけだった。

「なによ、アンタ。私に勝つつもり?」

 怒気が鈴の困惑と苛立ちを塗りつぶす。

「不本意だけどそういう事になった。行くぞ鈴、抜かるなよ」



 鈴が牙を剥く。甲龍の歪空間砲弾が真を掠める。みやの機動音が高鳴りアリーナに木霊する。急激上昇、甲龍がそれを追う。真は月を背に身を翻す。ライフル弾をフルオート発射。全ての赤い軌跡が青竜双刀の輪転演舞で弾かれた。

 甲龍のバーニアが咆吼を挙げ、月へ立ち上がる。みやが月の光を背に地に向かう。真はライフルから回転式ハンドガンに切り替えた。

-兵装交換完了 79口径ハンドガン S&W M790 KTW弾(徹甲弾)装填-

「そんなおもちゃで!」

 鈴が叫び2人の視線が交差する。彼女の見たものはただ黒い3つの丸だった。2つの眼と1つの銃。ただ黒い丸。鈴の全身に悪寒が駆け抜けた。


 ISに乗り一月足らずの真が代表候補である彼女らに対抗する為の武器は3つ。1つ、彼が意識の線と呼ぶ人の抽象的思念を感じとる能力。これは相手の動き、癖を見ることによりその精度を上げることが出来る。1つ、機械との異常な親和性。これはISに限らず銃などの武器も含まれる。そして、それらを組み合わす事による高速機動時の精密射撃。ただし、真のこの能力は精神状態に大きく依存する。顕現したのは今回を含めて2回、1回目はセシリア戦の時であった。セシリアはそれを知っていた。


 2機の相対速度が音速を超え、その軌道が交差した。2発の弾丸が発砲直前の、甲龍の両肩を射貫く。

-敵IS 甲龍の歪空間砲の破壊を確認-

 鈴が絶句する。真はグレネードランチャー"M25-iIAWS"をコール。鈴はただ自身に向かう6発のグレネードを呆然と見つめていた。






 鈴はフィールド上にあぐらで座り込んでいた。甲龍はエネルギーが尽き強制クローズ。側に立つのはみやを纏ったままの真だった。月明かりがあるので、肉眼で鈴の表情がよく見えた。怒っていた。鈴の敗北、真の勝利だった。

「聞いてない」
「そうは言ってもね」
「聞いてない! 何よあれ!」
「79口径のハンドガンだぞ、すごいだろ」
「あの精密射撃のこと言ってんのよ!」
「俺、機械と相性いいから、たぶんそれみたいな?」
「ふざけんな! やり直しよ!」

 鈴は真にいきり立つ。ふと視線を感じ見上げた。其処には月明かりを背にただ笑みを浮かべるセシリアが居た。観客席の手すりに身を預けていた。金色の髪が月明かりを浴びて、薄い蒼銀に見えた。鈴は全てを悟った。

「そう、そういう事ね。コイツを侮った、私の慢心が敗因ってわけ……真」
「なに?」
「今回は私が負けてあげる。アンタの事も聞かない。でも、次は容赦しないから。覚悟しなさい」

 鈴は予想外に冷静な態度で立ち去った。真は鈴をを見送ると溜息をついた。そしてセシリアを鋭く見上げる。みやに指示し、アリーナのエネルギーシールドを解除。セシリアの3m程横に降り立ち、ISをクローズ。2人は月明かりで浮かび上がるフィールドに顔を向ける。物音1つしなかった。ただ互いの呼吸が聞こえた。

 真は腕を組み多少非難を込めて「してやられた。結局、セシリアの手の平の上って事か」と言った。セシリアは何時ものように澄ました顔で「酷い人ですわね、もう少しで真の秘密がばれるところでしたのに」と言う。



「まぁそれには感謝しているけれどさ」真は納得いかないとそっぽを向いた。セシリアは眼を細めて首を傾げた。

「中国代表候補のお味は如何でした?」
「嫌な言い方するな……近接格闘型のパワータイプ。加えて龍砲による中距離も対応可能。アリーナは案外狭いから事実上のオールラウンダーとみていい。そして甲龍の機動音、小刻みに響くいい音だった。フレーム剛性、パワーカーブ、燃費、中国も随分丁寧に作り込んできた。きっと鈴が丁寧に攻めればセシリアも苦戦するだろ。俺が勝てたのは鈴が気づく前に龍砲を潰せたから、そんなところ」

「私が勝つとは言って頂けませんの?」
「言わない、悔しいから」
「そうですの」

 セシリアは手すりに両手をおいて、真は背を預け両肘を立て、月を仰いだ。月はただ丸かった。セシリアへの思いを知っていた事、そしてそれを利用した事、文句の1つでも言ってやろう、そして止めた。今更意味が無かった。それに身を引いたのは彼自身の選択だった。月に雲がかかる。僅かに光りが陰った。

 真は身を起こす。セシリアが目の前に立ってた。白い指が真の、胸のみやに触れる。

「この子とはそろそろ一ヶ月ですわね。一曲いかが?」

 ソプラノの静かな声に1つだけ鼓動が高鳴った。

「折角のお誘いだけど、今夜は謹んで辞退するよ。月が良くない。熱がぶり返しそうだから」
「残念ですわね、私のブルー・ティアーズも疼いておりますのに」
「また今度誘ってくれ」
「次はありませんわ。チャンスは一回限りですの」
「それは残念」

 失礼しますわ、とセシリアは踵を返した。真はただ一つ問うた。

「セシリア、何故俺を鈴にけしかけた?」
「真、私とて苛立ちぐらい感じますわよ」
「鈴との事か? 随分かってだな。今更過ぎるぞ、それ」
「忘れているなら何度でも言いますわ。"私は貴方を許さない"のですから」
「……そうだった、な」
「もう一つ。次に私に会いに来る時は、その不愉快な匂いを消しておきなさい。失礼にも程がありますわよ」


 真は言葉にならない返事でセシリアを見送った。彼はもう一度手すりにもたれ、夜空を仰いだ。僅かな安らぎと大きな痛み、其処にはまだ月があった。

(よそ見をするな、か。さすが青のお嬢様だ。容赦ない)

 「少し疲れた」

 その言葉は月に届かなかった。ただ古い傷が痛んだ。






日常編 2人の代表候補 真3
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 部屋に戻った私は、何時ものように体に付いた汗と汚れを洗い落とし、体を拭き、着替え、廊下側のベッドに潜り込んだ。時間は11時前だったが、早々に照明を切り替えた。何時ものベッドライトだった。私は毛布にくるまり、ただ天井を仰いだ。隣の少女はただ毛布にくるまり、私に背を向けじっとしていた。私も何も口を利かなかった。時計の音だけが響く。

 だから、鈴の急な言葉に、僅かに狼狽した。

「ねぇ」
「なに?」
「アンタが言ってた一ヶ月前のって話、あの金髪縦髪ロールの事でしょ、実は付き合ってるとか?」
「付き合ってない。彼女との関係は説明が難しいんだ」
「カノジョ、ね。いやらしい」
「言っておくけれどセ、シ、リ、アが好きなのは一夏。鈴とはライバル。強敵だぞ」

 鈴の視線を感じた。彼女に背を向けようとし、それを押さえた。私はただ天を仰いでいた。

「成金趣味だし、格好付けてるし、上品ぶってるし、化粧濃いし、アンタあんなの好きなんだ。シュミ悪いわよ」
「だから違う」
「へこんでるじゃない。振られた訳?」
「へこんでない、振られてない、そもそも告白してない。ただ疲れただけ。何が言いたいんだよ」

「好きになって勝手に諦めた」

 私は背を向けた。鈴の声が耳に障る。

「やっぱりね、そんな事だろうと思った」
「鈴、今の俺は余裕が余りないんだ。放っておいてくれ。でないと、」
「怒る? そういえばアンタの怒った顔見た事無いわ」
「人を怒らせたいなんて、悪趣味にも程があるぞ」
「アンタが言う?」

「うるさい!」

 私は飛び起き、怒鳴った。隣のベッドに人影は無く、鈴は目の前に居た。いつかのように両の手足で体を支えていた。あの日渡したスウェットを着ていた。その髪はただ流れ、彼女は怒りもせず、笑いもせず、ただそこに居た。

「アンタが帰ってきたら殴ろうかと思ってた。腹立つから。でもアンタのみっともない顔を見たらその気も失せた」
「みっともない物を無理に見る必要は無いな。もう気が済んだろ、早く寝てくれ」
「拗ねるんだ。年上のくせに」
「勘弁してくれよ、もう……」

 俯いた私を鈴は両手で強引に持ち上げた。黒曜石の眼が目の前にあった。彼女は夜が好きだと言った。その黒い瞳も、ただ流れる漆黒の髪も闇に溶けることなく、光を放っていた。確かにこれは彼女らしい美しさだと思った。鈴はありがとう、と言った。私には何のことを言っているのか最初理解出来なかった。


「まだ言ってなかったから言っておく、ありがと」
「礼を言われる様なことじゃない。逆に俺の不始末なんだ。だから、」
「言われると逆に辛い?」
「礼なんて言わないでくれ」
「そういうと思った。でも、言うわよ。いい? 良く聴きなさい。ありがとう、助けてくれて。嬉しかった。アタシ1人じゃきっと今でも泣いてた」

「鈴」
「何よ」
「このタイミングでそれは反則だろ」
「この間のお返し」

 其処から先の言葉は紡げなかった。体の底からこみ上げてくる物を押さえることが出来なかった。

「泣くのは普通助けられた方じゃ無い?」

 鈴は私の額に唇を添えた。ただ穏やかに笑っていた。



 私の涙と嗚咽は何だったのだろうか

 傷心を慰められたからだろうか

 労が報われたからだろうか

 それとも彼女の拒絶が無いと安心したからだろうか

 恐らく、

 その人格に歴史が無く

 あるのは不安と恐れ

 そんな外側だけの私を肯定して貰えたからだろう

 それはほんの些細なことであった。

 それで十分だった。



 暖かい気配に包まれ、そのまま眠りに落ちた。







日常編 2人の代表候補
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 それは翌日の、よく晴れた日曜日の事だった。鈴が今度は本気で手を合わせたいというので請け負った。鈴には貸しどころか借りが出来た。当然だった。どうせなら、と一夏も誘った。

 第3アリーナに轟音が響く。フィールドには白式とみやが寝そべっていた。昨夜の手応えから鈴が強い事は分かっていた。いや、分かっていたつもりだったようだ。一夏は龍砲無しで4分35秒。私にはハンデ無しで8分11秒だった。エネルギーはまだ残っていたが、鈴の攻撃はシールド越しにも体に響いた。鈴曰く、絶対防御も完璧じゃない。身を以て知った。



 青竜双刀を回し、フィールドに突き立てた鈴はけらけらと笑う。無邪気な笑顔に脱力するしか無かった。八重歯が覗く。

「いやー漸く調子が戻ってきたわー やっぱりこうこなくっちゃね♪」

 私はともかく好いた男を笑いながら叩き潰す鈴を見て、一夏に同情した。休憩後もう一戦やるわよ、とピットに戻る甲龍を見て一夏が力無くぼやく。

「無茶苦茶強いな、鈴。近接戦闘なら自信あったのにショックだぜ」

 私は立ち上がり、仰向けの一夏に答える。

「上には上が居る。良い教訓だよな」
「鈴とセシリア、どっちが強いと思う?」

 一夏の質問に私は戸惑った。困惑と憤り、だからこう答えた。

「鈴じゃないか?」




 意外そうな一夏の顔が、引きつった。私は一歩右へ体をずらした。背後から迫る光弾が左を掠めた。着弾。爆音と閃光が目の前で起こる。「へぶぅ」一夏が呻いた。もう一度右へ体をずらした。光弾が左を掠めた。「へばぁ」今度は体を左へ。弾が右を掠めた。「へぼぉ」一夏は動かなくなった。



-クルージング(巡航)モードからアサルト(戦闘)モードへ移行-
-アサルトライフル"H&K Gi36"量子展開-
-FCS(Fire Control System:射撃管制システム)作動-
-12.7mmx99 メタルジャケット(通常弾)装填30発-



-READY GUN-



 身を翻し大地を蹴る。みやのバーニアが轟音を響かせる。その爆発的な噴流で白式がフィールドを転がった。フィールド近傍を走る。脚力を併用し、断続的に撃ち出される光弾を避けた。

 バーニアをレッドゾーンへ。光弾雷雨の中、頭上の青いそれへ駆け上がる。距離600m。FCSとハイパーセンサーによる照準補正。フルオート発射11発。ブルー・ティアーズ回避、子機を高速展開。主兵装スターライトmk3と子機の一斉斉射。金色の線を読む。全弾回避、成功。残弾発射19発。青いそれを牽制し、その頭上へ回り込む。



-弾倉交換終了 12.7mmx99 アーマーピアシング(高速徹甲弾) 30発-



 見下ろした第3アリーナの、ブラウンのフィールドにブルーは見えなかった。頭上から光弾が迫る。星の瞬き程の時間。見上げる空には、太陽の光を浴びて輝く、青い貴婦人が銃を構えていた。

 それは暴力的な閃光と、衝撃と、轟音だった。空と大地とその境がぐるぐる回る。2度目の衝撃。隕石のような衝突音が生じ、入道雲のような砂煙が立ち上がった。一拍、静けさが戻る。

 私は一つ息を吸って、一つ吐いた。大地に背を預け、大の字に寝転ぶ。遙か空に佇む彼女は、何時ものすまし顔で、物言わずただ静かに、ゆっくりと立ち去った。その金と青の姿から目を離せなかった。

 墜落に巻き込まれた、足下の一夏が言う。

「おい阿保」
「なんだ馬鹿」
「またセシリアに"落とされ"やがったか」
「うるさい」
「2度目だな」
「だまれ」


 隠す事無く怒りを湛える同室の少女がやってくる。

 手放したライフルは43m先に突き刺さっていた。

 全てはセシリアの手の平の上か、我ながら上手い事を言ったものだ。

 空はただ青かった。



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中盤に向けて色々動き出しました。
敢えて難しい方向へ。
実はこの話当初予定していなかったのですが、面白そうだったのでトライ。



[32237] 03-07 日常編4「模擬戦1,2」+「真と、」
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/08/24 20:33
日常編 模擬戦1
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 私が最初に銃声を聞いたのは、去年の夏であった。当時2年、現在3年生の白井優子先輩が第2世代型IS"打鉄"にて使用したFNハースタル社の"FN SCAR H"というライフルが初めてであった。

 当時の私は銃声と言うより、非常に激しい機械駆動音と認識していた。それでも衝撃的であったことには間違い。100m以上離れていても、その爆音は体の芯を揺さぶる程の物だった。

 その銃声だが一口に言っても様々で、銃の種類、弾の種類、撃ち方で異なる。大半の人は"バン"ではなかろうか。恐らくハンドガンであろう。ライフルでは"ガアン"。連射出来る物であればでは"ガダダダ"チェーンガンクラスになると最早音では無く衝撃波だと思う。



 昨夜のことだ。

 一夏が漫画ぐらい読め、と無理矢理おいていった物にその銃声が文字で表現されていた。私はそれを見て、まさかと軽く失笑した。そして今日、学園武器庫で銃をあさっていた時それを見つけたのでつい手に取った。気まぐれである。だが、

 驚いたことにその通りであった。



「ブブブブブブブブブブブブブブブブブブブ」

"H&K MP5i"7.62mmサブマシンガンの銃声である。



「ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ」

これは被弾中の一夏。





 5月2週目の月曜日。時刻は午後2時を少し過ぎたところ。5月末のクラス対抗戦準備のため授業が午前中で終わった。千冬さんもディアナさんも大変である。

 女性陣は町へ買い物へ出かけた。一夏と私は荷物持ちかと覚悟したが、予想に反し声は掛らなかった。転校して間もない鈴は何かと物入りだろうと、申し出たが「ヘ、ン、タ、イ」と一蹴された。男には知られたくない買い物らしい。清香とだった。鈴も、もう心配ない。STN3人娘、私が密かに呼んでいる篠ノ之、鷹月、布仏の頭文字を取った呼称だが、彼女らも町に繰り出した。偶には彼女らだけと言うのも良いだろう。

 感傷に浸る私に、"雪片弐型"を構える一夏が言う。バカは顔を引きつらせていた。

「こんっの阿保真がっ! 間合いの外からネチネチとばらまきやがって! 正々堂々"拳"で戦え!」

「ふつーサブマシンガンって言ったら拳銃弾なんだけどさ、コイツはライフル弾使ってるんだ。流石IS用だよな。生身ならひっくり返るか、手を痛めるぞ。そうは思わないか? 馬鹿一夏」


 空になった32発弾倉を量子格納、展開。ちゃきり、銃身に一発込める。ここは第3アリーナの高度50m+ちょっと。快晴。良い青空だった。


「しかも毎分800発だぞ。普通ならあっーという間に弾切れだけど、量子格納領域さまさまだな。沢山撃てる」
「……沢山ってどれだけだよ?」
「一夏の為に一万発用意してきました。撃ちっぱなしで12分いけます。かまーん」
「なんだそのサディスティックな笑みはよ! この陰湿、陰険野郎が!」

 俺はできうる限りの冷たい視線でバカをなじる。冷静に、クールにだ。オーケイ、ジョブス。分かってるよ。

「何時も使ってる12.7mmより1ランク下の、7.62mmとは言えこれだけバラ巻かれると、さぞやり難かろう。だからさっさとおっちね、このアグリー・リトル・スパッド(映画ゴーストバスターズに出てきた醜いぶよぶよの食い意地の張った緑デブ)」

 風が吹き、沈黙が訪れる。一夏が頬を引きつらせ、鼻で笑う。バカ面がトリガーに掛る俺の指を刺激する。痙攣しはじめた。

「てんめぇ、昼のハンバーグ、根に持ってやがるな……」
「当たり前だ、この色食魔神が! ハンバーグカレーからハンバーグとったらただのカレーじゃないか! 鉄板のような焼け具合! したたり落ちる肉汁! 卑劣な手段でお前にかすめ取られたあの恨み! 今この正義の鉛弾で成敗してくれる! さっさと念仏を―」

「この間合いでのうのうと喋るか、阿保真が! がら空きだー!!」

 雪片弐型をかざし、踏み込む一夏。口上中に仕掛けるとは無礼千万。情け無用だ。みや、ぶっぱなせ。



「ブブブブブブブブブブブブブブブブブブブ!」

 これは7.62mmサブマシンガン"H&K MP5i"の銃声である。

「ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ!!」

 そして被弾中のバカ。





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 ロッカーの扉に手を掛ける。かたり、そんな音だった。何時もは慌ただしい着替えも今日はゆったりしていた。私ら男は都合上、アリーナの更衣室にて着替える。これがまた遠い。その為いつも全力疾走だ。そして何故かその更衣室がころころ変わる。勿論近い遠いがある。時々千冬さんは訓練の名目で意図的に変えている、そう私が思うのも無理ない事である。

「意外に充実した午後だったよな」
「おい、阿保」

 元々アリーナの更衣室は、大多数を占める女生徒用の為それなりに広い。教室3つ分はあるだろうか。それを男2人で使っているのだから、多少得した気分になれる。多少である。IS用スーツの上を脱ぐ。一息吐いて、見渡すはロッカーの列。互いに背を向け合うこと3列。そして、その間隔は人5人分ほど。その間には背もたれの無い長椅子が並んでいた。

「偶には男だけってのも良いもんだ。セシリアも鈴も容赦なく撃つし、打つし。最近思うんだけど、あれは訓練と言うより、態の良いサンドバッグだよな」
「鏡見てみろよ、きっと同じ様な顔が見られるぜ」

 特にロッカーが指定されている訳では無い。だがこうして2人近場の箇所を使うのは日本人だからだろう。大浴場で隅に片寄るのと同じだ。何故かもの悲しい。

「やっぱりさー、射撃場じゃイマイチ感じが掴めないんだよな。やっぱり動く的じゃ無いと」
「……」
「まぁ俺も一夏もサブマシンガンについてよく分かったし、今日はよく寝られそう―へでぶ!」
「話聞きやがれ! この阿保真! 言いたいことはそれだけか!? この先天性引き金興奮変態野郎が!」

 顔面にはめり込んだ馬鹿の拳があった。まっくらだった。だから、殴り返した。

「はべぇっ!」
「安心しろ、この馬鹿一夏! 4日前の唐揚げ、9日前の春巻き、13日前のエビチリも控えてるからな! 安心して蜂の巣になれ!」
「一々数えてるんじゃねぇ! どれだけねちっこいんだよ、お前は!?」
「この食い物の恨み胃袋に刻んであの世へ落ちろ!!」

 突き、蹴り、投げ、締め、そして床に倒れ込む。散り散りの呼吸と滴る汗。訓練後よりだるい。両手両膝を床に付き、うなだれる。

 仰向けの一夏が言った。

「今日、なんかすげー疲れた……」

 私が床をぼんやり見つつ答える。

「何時も誰かが止めてくれたからなー」
「居なくなって分かるありがたみってか」
「その言葉をとても愚弄したような気がするよ」
「さっさとシャワー浴びて飯にしようぜ」
「異議無し」






日常編 模擬戦2
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 気がつけば5時を過ぎていた。私は立ち上がり壁際の部屋に向かう。壁に埋め込まれたパネルを操作し、頭上からお湯が降り注ぐ。少し強めの雨。見下ろす視界には玉の雫と湯気が見えた。


「真」
「なんだ」

それは一枚仕切りを挟んだ一夏の声だった。髪に付いた泡を落としていた。

「お前、最近調子良いな」
「ISか?」
「そう」
「調子が良いって言ってもたった3連勝じゃないか」
「そうだけどよ、圧勝だろ」

 私は3呼吸ほど沈黙を続けた。一夏の言う微かに重い言葉の意味を理解するのにそれだけ掛った。それが長いのか短いのか私には分からなかった。

「一夏と俺にそれ程実力差は無いさ」
「ならなんで負けるんだよ」
「それは機体特性、というか銃の差だな」
「そんなに違うか?」
「そりゃーそうだろ。銃って代物が世の中にこれだけ溢れているのがその証拠だ。ヘタレでも銃一挺あれば軍人だって倒せる。まぁ当たればだけれど」
「今、"俺勉強してない"って言って実はしてる奴を思い出した。むかつく」
「訳わからんわ……まぁ確かにそろそろ真剣に考えなくちゃいけない頃だろうな」
「何をだよ」
「戦い方、訓練の方法。一夏は今まで勢いで押し切ってきたけれど、何時までも通用するものじゃない」

 それは逆に言えば、今までそれだけで乗り切ってこられた、と言うことだ。最近気づいたが一夏の反応速度は人並み外れている。規格外と言っても良い。その速度はセシリアよりも鈴よりも速い。勿論私よりもだ。コイツは発砲後の弾丸に反応していたのだ。思考にしろ動きにしろ、直線的かつ単調的な面を直す事がまずやることではないか、"私は"そう思う。そうすればコイツは化けるだろう。

「ならどうすりゃ良いんだよ?」
「自分で考えろよ」
「そこまで言って出し惜しみかよ……」
「一夏には借りもあるしな、手伝いたいのは山々だけど、俺とお前じゃその有り様が違い過ぎる。プラスにならないだけなら良いけど、下手に手を出してマイナスになったら目も当てられない」
「そーかよ」

 一夏は湯を止め急ぐように出て行った。1つ年下の同級生の背中を見て、私は軽く息を吐いた。その後を追い、タオルで自分の体を拭く。

「人の話は最後まで聞けって。だから、模擬戦の相手ならいくらでもする。そこから一夏なりの方法を探る、当面はこれで良いだろ。そして自分の柱を作れたら、俺も手を出せる」
「俺には真が何を言ってるかわかんねーよ」
「それが最初の目標だ、と言うのは言い切れるけどな」

 柱か、体を拭きながら一夏は呟いた。私は多少笑ってスラックスを穿いた。

「というかさ、一夏にはうってつけの先人が居るだろ。ブレード1本で世界を制した人が」
「千冬ねぇはこういうの嫌いなんだ。贔屓している様に思うから」
「なら、生徒として頼めば良い。先生なんだからさ」

 一夏は暫く黙ると、頼んでみると言った。私はそれが良いと答えた。





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 ボストンバッグを漁る私に一夏が言う。コイツはTシャツとトランクス姿のままだった。

「そのボストンバッグ、鈴のじゃないか?」
「あぁ借りた。何時も使ってるのは鈴が持って行った。買い物には大きすぎるんだってさ」
「ふーん」
「なんだ、そのにやついた顔は」
「上手くやってるようで、何よりだぜ。一時はどうなることかと思ったからな」

 お陰様でな、と私は答えた。Tシャツが見つからない。はて、な。

「鈴は話しやすいだろ?」
「一夏が言うほどでもないぞ。距離感がころころ変わるから、それなりに気は遣う」
「そうなのか?」
「そうなんだ。お前の知っている鈴は1年前だろ? それだけあればそりゃー変わるさ。とくにあの年頃は、な」
「おい、阿保」
「なんだ、馬鹿」
「お前、顔真っ赤だぞ。何しやがった」
「何もしてない」

 先日の夜のことを思い出した。改めて思い出すとあれは非常に体裁が悪い。額が柔らかい感触を思い出し、思わず手を当てた。馬鹿の締まらない顔が更に緩んだ。恐らく碌でもないことを言い出す前兆だ。もう大体分かった。

「意外と分かりやすいな、お前。セシリアが素っ気ないから近い娘に鞍替えかよ」
「ぬかせ。鈴には好きな奴が居るんだ。そんなんじゃない」
「へぇ、学園外の奴か。誰だよ? 」

 一夏が好きだと言った鈴の悲痛な告白を、コイツに聞かせてやりたい。椅子の下にTシャツが落ちていた。それを拾う。そしたら一夏が私の名前を呼んだ。見上げるその顔には冷やかしは無かった。

「セシリアに告らないのか? 最近ぶり返したろ?」
「しない」
「お前、ヘタレ過ぎだろ。リーブス先生に刃向かった時の気概みせろ」
「いいんだよ」
「なんでだ」
「彼女には好きな奴が居る。どうにもならないし、それで良い」
「それは知らなかった。相手はイギリス人か?」

 殴りたい。コイツをボコボコにしたい。

「なら、付き合いたいとか、彼女欲しいとか思わねーのか?」
「なんでそんなに気にする」
「一応お前の友達だからな。それに難しい人間関係があってよ」

 俺はロッカーをしめた。視界に映る自分の手は微かに震えていた。

「一夏。色々な人に何故と言われて、気づいたんだけどさ、俺は―」
「なんだよ」


「自分に決着が付くまで、そういうのは出来そうに無い」


 空調の音が糾弾の声に聞こえた。







日常編 真と、
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 5月2回目の水曜日、時計の針が22時16分を指していた。空には薄い雲と欠けた月が浮かぶ。一日の終わりが近づき、その準備を生徒達がし始める。ある者はその日の汚れを湯で流し、ある者は寝床で思い思いの私事に勤しんでいた。

 そんなIS学園1年寮"柊"であるが、その712号室の住人は口論の真っ最中である。黒のTシャツに、迷彩色のハーフパンツを着た真は、腕を組んで睨んでいた。その相手は同室の、クラスメイトの少女である。その小柄の少女は臆すこと無くにらみ返していた。ただ、その表情には笑みが浮かび、それがどうした、そう言わんばかりであった。



 真は目を細めた。腕を組み、指が二の腕を叩く。

「あのさ、鈴。それは止めろって言ったろ?」
「確かにアンタは言ったけど、アタシは同意してない」

「「……」」

「ならもう一度言う。それは止めてくれ」
「面倒だから嫌」
「鈴は女の子だろ」
「ふーん」
「なんだよ」
「全裸が良いってワケ? 変態」
「……」

 真の頬に一つ痙攣が走る。そして髪をかきむしった。もう一度、1つ年下の、バスタオル一枚の、少女を見下ろした。

 黒髪は湿り気を帯び艶に光る。体に残った雫が地にひかれ、伝わり足下をぬらす。湯で紅葉した肌から、湯気が立ち上る。そして部屋に満ちれば、彼は唇を強く結んだ。

(妹ってこんな感じなんだろうか。どちらにせよ、これは無い。今回ばかりは強めに言うべきだ)

 一度深く息を吸って長めに吐く。

「鈴」
「なによ」
「恥ずかしいとか、はしたないとか思わないのか。年頃なのに」
「そういう娘を呼び出して説教するオヤジみたいね、アンタ」

「「……」」

「礼節はどうした。孔子が泣いてるぞ、チャイニーズ」
「今時儒教なんてどれだけ古いのよ。オヤジどころかお爺さんじゃない」

「「……」」

「真」
「なんだよ」
「アンタ、女の子に夢見すぎ。貞淑とかそう言うの求めてる訳? しんじらんなーい」
「だ、か、ら、礼節の話! それに他の娘らが鈴みたいだなんて、それこそ信じられない」
「ひょっとして童て―」
「止めろ、はしたない! てゆーか直球過ぎだ!」
「あらーやっだーそうなんだー♪」
「……ほんとーに可愛くないな!」
「最初の夜に―」
「もうその手は通用しません」

 ふんっ、と真は両の手を腰に、勝ち誇ったように胸を張る。だから脱衣所でパジャマ着ろ、と言う。勿論理由にはなっていない。鈴はそれに気づいたが言及しなかった。ただこの様な事をしたのである。一瞬、八重歯が覗いた事に彼は気づかなかった。

 自身の体を抱きよせ、背を見せる。俯き、その表情に憂いを湛えた。そして紡がれるか細い声。

「なによ、全部見たくせに……」

 その華奢な体と相まって、触れれば壊れんばかりの雰囲気だった。

「……」

 真は無言で踵を返す。その歩みは強く、鈍い音を立てた。その向かう先は扉、では無くベッドだった。真は俯せに枕をかぶる。鈴は飛び乗り、はぎ取らんとその枕を掴む。真は必死に抵抗する。何時ものパターンである。

「いい加減その真っ赤な顔見せなさいよー♪」
「むーーーー!!」

 流石に鈴も頬を染めていたが、真がそれに気づくことは当然無かった。今回も真は敗北である。事ある毎に2人はこの調子だった。



 そして同時刻。604号と711号室に居る少女、鷹月静寐と布仏本音は、心に横たわる鈍い不安に苛まれていた。静寐は毛布をかぶりただ、じっとしていた。本音は時折くぐもった声を伝える壁をじっと見ていた。口から漏れるのはただ重い息であった。





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 1年4クラス。その中でも特に静かと言われるのが2組である。彼女らの中にも、一夏を好くものは居るし、千冬に憧れる者も居る。ただ、その感情、意思を強く表に出す者は少ない。精々清香を中心とした数名が活発という程度である。入学から時は流れ一月半、更にその傾向が強まった。

 恐らくは、担任ディアナのもつ雰囲気に寄るところが大きいのであろう。彼女は物静かな女性で声を荒らげることは無く、ただ静かに怒りを湛えるだけである。転校当時気性の激しかった鈴ですら、その空気にあてられ声を荒らげること稀となった。

 物静か、と言えば大半の人は好意的に捉えるだろうが、こと恋愛沙汰に限って言えばこれは分が悪い。他者へのリードを許す理由となる。事実、一夏へのアプローチを掛ける者は2組では居なくなった。

 そして。その2組に所属する静寐と本音も例外ではなく、真と話す時間が大幅に減っていたのだった。

 理由はいくつかある。

 一つ、真が専用機を持ち放課後はほぼ毎日、下手をすれば土日もアリーナに居ること。専用機を持たない2人は観客席で見るだけである。訓練機を申請しても、週に1,2回。そして残念なことだが、2人では真の相手にならなかった。彼の邪魔になると2人が遠慮したのは想像難くない。

 一つ、共通の友人箒が居る。それは主に食事時に限られるが、一夏が座る席に箒、セシリア、鈴が同席すると高い確率で争い事になる。そのため真が少々強引にローテーション、彼女らだけ、男だけの日を決めたのだった。

 箒にとって友人は静寐と本音だけである。争いを避ける為、1人食事を取っている箒を見れば2人とて反論が出来ようはずもない。そして、なし崩し的に彼女らだけ、男だけの食事が増えていった。

 一つ、2人は真の部屋に押しかけるほど大胆さも、非常識さも無かった。更に今では鈴がいるのだ。鈴は一夏を好いている。この事実を2人は当の鈴から告白されてはいた。とはいえ、同室で無いと分からない会話をする2人を見て、心中穏やかで居られる筈も無い。なにより、同じ部屋で鈴とくつろぐ真を見たくなかった。

 そして最後に、静寐は本音に、本音は静寐に遠慮した。互いに動くことが出来なかったのである。



あるクラスメイトが言った。

「誰かに出し抜かれるよ」

その言葉が2人には重く響いた。





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 かちこち、かちこち、かち、こち。時計が刻む午後8時。空はにどんよりと分厚い雲が立ちこめていた。風も無く、耳を澄ませば遠く波の音が聞こえるほど静かな夜であった。

 そんな夜、学園寮706号室にてSTN3人娘臨時会議が行われていた。篠ノ之、鷹月、布仏の頭文字である。長襦袢は箒、スウェットは静寐、猫の着ぐるみは本音。窓側の箒のベッドに静寐と本音。廊下側の一夏のベッドには箒が座る。



 三毛猫をあしらった着ぐるみ姿の本音が言う。

「鈴ちゃんとまこと君、最近仲良いよね。やっぱり同じ部屋だからかなー」

 その着ぐるみの耳は力無く垂れていた。ライトグレーのスウェットを纏う静寐が言う。

「セシリアと二人っきりで射撃場行ってるみたい。本当に熱心」

 焦点定まらずただ毛布の毛をぷちぷちと抜く。

 力無く笑う2人。真の状況を話し合い、それで終わる。最近はずっとこの調子である。紅の襦袢を着た箒は溜息をついた。他ならぬ2人のことだ、どうにかしたいところではあるが、箒自身どうして良いのか分からなかった。彼女自身この手の話は苦手なのだ。そもそも、どちらの背を押せば良い?



「と言う訳なのだが、一夏。どう思う?」

 行き詰まった箒は何時もは追い出す一夏を呼んでいた。その一夏は椅子に座り、机に置かれたクッキーを食べていた。不機嫌に眉を寄せる。

(真の野郎、ねちっこく撃ちやがって……むかつく。次の昼飯も覚悟しやがれ)

「一夏! 聞いているのか!」
「お、おう! なんだ!? 聞いてないぞ!?」
「聞いていないことを正直言う者が居るか、馬鹿め」

 もう慣れたように呆れる箒であった。

「おりむー、まこと君の女の子関係だよ」と本音が言い「真の?」と一夏が答えると「何時から聞いていないんだ……」と箒は目頭を押さえる。

 一夏は腕を組んで天を仰ぐ。そこには半導体照明が煌々としていた。

「とりあえず整理してみるか。まず3年生の白井優子先輩。時々お茶会で楓寮(上級生寮)に行ってる。この間教室に行って廊下で話してたらしいな。次は、2年生の黛薫子先輩。みやの整備で夜遅くまで一緒に居る事が多いみたいだぜ。鈴とセシリアについては、皆の知っての通りだ」


「おりむー?」
「なんだ?」
「美也ってだれ? 学園じゃ聞かない名前だね、どこの娘?」

 ふに、と一夏の頬が抓られる。静寐の瞳が濁る。箒が竹刀を構え、一夏は思わず引きつった。

「ちげーって! 真のリヴァイヴの事だ! アイツ38番機に掛けて"みや"って呼んでるんだよ!」

「真も酔狂なことをする」と、腰を下ろした箒が言い「真によると、愛機に女の子の名前を付けるのは伝統らしいぜ」一夏が答え「男の子ってそうなんだ」静寐が物珍しい顔をする。枕元の棚に置かれたティーカップに波紋が立つ。

 一拍。一夏は2組の2人にこう言った。

「つまりよ、今のままなら状況は悪くなる一方だぜ? とにかく一歩踏み出すべきだ」

 2人が俯く。かちこち、とただ時間だけが過ぎた。





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 部屋に訪れる静寂。時計は22時を指していた。その日がもうじき終わる。静寐と本音が居た気配だけが部屋に残り、一夏はベッドに寝転び天を仰ぐ。箒は化粧台に座り髪を梳く。


「箒、静寐と本音は真のことが好きなんだよな?」
「何を今更」
「なら、前に買い物に誘った真を断ったっていうのは、2人が互いに譲り合ったから、か?」
「そうだろうな。あの2人らしいが……そういう真はどうなのだ?」
「そういう感情は無い。本当に友達と思ってる」
「……」
「こればっかりはどうにもならないぜ」
「そんな事は分かっている。オルコットはどうなのだ?」
「真は惚れてる。それは間違いない。だけど、」
「なんだ」
「アイツその気持ちを飲み込もうとしてる。忘れようとしてるんじゃ無い。告白する勇気が無いのとも違う。惚れていることを認めた上で、それを封じ込める。そんなように見えた」
「オルコットには好いている男が居る、そいつに気を遣ったのではないか?」
「箒も知ってたか。けどそうじゃない。静寐と本音の心配は杞憂だな。そしてそれは2人にも当てはまる、きっと」



「……真はすこし変わっているな」
「少しどころじゃねぇ。鈴の時、リーブス先生の時、お人好しってレベルじゃ無い。セシリアの時にだって死にかけたんだぜアイツ」

 箒は手を止め一夏を見る。彼はただ天井を見ていた。困惑、疑問、苛立ち、そういった感情が見て取れた。どういうことだ、と箒は言った。

「屋上の人払いを頼まれてさ、遅いから覗いたんだよ。アイツ、セシリアに銃を突きつけられてるのに、笑っていやがった」
「何で止めなかった?」
「約束だったからな。何があっても邪魔しないでくれって。それにアイツの顔を見てたら動けなかった」
「……どうして今頃言う?」
「この間、セシリアに告らないのかって真に聞いた」
「焚きつける様な事を―」
「アイツ"自分に決着付けないと"って言ったんだ。自分に怯えてた。何か抱え込んでやがる。正直どうして良いか分からねぇ」


 それは箒も感じていたことだった。正直真の行動は理解に苦しむ。人が良いにも度が過ぎていた。恐らく一夏は抱えきれなくなったのだろう。友人である真が2度も目の前で死にかけ、その殺そうとした本人と何事も無かったように接していたのだから。

 箒は櫛を仕舞うと、自身のベッドに腰掛けた。幼なじみである15歳の少年に静かに笑いかける。

「突いてみるか」
「突く? 何をだ?」
「真をだ。あの2人も腰が重いからな」

 一夏にはその笑い顔が、悪戯を思いついた子供のように見えた。





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 数日後。それは5月2週目の金曜日、3限目後の小休み。2組の教室では少女達が思い思いの会話に華を咲かせている。そして、真は自身の席に座りテキストを読んでいた。窓から空を見上げる。太陽とぽつりぽつり浮かぶ雲、小鳥は囀り、優しい風。良い天気であった。

(空の天気は良いけれど、2人の天気が良くない)

 右と後ろから漂うは、右へ左へ上に下に、絡まり捩れた意識の線。どよっとした曇に見える。右隣は静寐の席、後ろは本音の席であった。

 真は気づく。静寐がちらと彼を見、そして本音を見た。そしてまた本音がちらと彼を見、そして静寐を見た。だから2人に問いかけた。すると「な、なんでもないよっ」とは本音。「ま、まったく気にしてないか、ら」とは静寐。正直に言えば挙動不審である。

 彼は腕を組んで考える。

(そういえば、女には女の都合がある、って時子さんが言っていたっけ。きっと2人もそうなんだろう。そっとしておこう。不用意に踏み込むと失礼だ)

 多少赤い顔で自己解釈する真であった。因みに、時子とは真がおやっさんと呼ぶ男性の娘で中年女性。千冬、ディアナと並び頭が上がらない女性の1人である。尚、生徒は含まない。

 真はページを一枚捲る。雲が広がる。もう一枚捲る。視界が白くなった。流石に彼はこう言った。

「何かあった?」
「「なんでもない」」





「済まない、1組の篠ノ之だ。失礼する」

 凜とした声が2組に響いた。彼女はクラス中の視線を物ともせず、颯爽と歩みを進める。友人である3人も少々面食らう。彼女が2組に来ることは初めてであったのだ。頭の後ろで結った黒い髪をなびかせ、そして3人の前に立つ。静寐がどうしたの、と聞いた。本音はきょとんとしていた。彼女は真に用があると言った。

「俺? どうしたんだよ箒」
「すこし良いか」

 真は箒を見上げる。何時もの厳しい眼差しだったが、どこか緊張しているように見えた。組んだ腕の指が居心地悪そうに小さく動く。

「もうすぐ休みが終わるから、昼休みにしてくれると助かる」
「明日だ」
「明日? 良いけど何の用だよ」
「明日の土曜日、午前10時に三崎口駅前で待つ」
「買い物の荷物持ちか? なら一夏に頼んでくれ」

(順序が違うだろ)

「で、でー」
「で?」
「でぇとだ!」


「「「「「は?」」」」」


 窓から見える1本の楓の木。その枝に留まる鳥がちちちと鳴いていた。





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 IS学園と繁華街をつなぐ唯一の交通手段はリニアレールとなる。乗車時間は15分ほどで、その間に駅は無い。つまりこの乗り物は学園の関係者だけの物だ。その磁気浮上の乗り物に1人の少女が乗っていた。

 半袖の淡い紅のブラウス、折り目のついた白のショートパンツ、白のサンダル、左手には輪を連ねたブレスレット、そして黒髪を結う布は白いリボン。篠ノ之箒であった。

 周囲の少女らの視線を浴びて思わず眉をひそめる。昨日の箒の行動は瞬く間に学園中に広まった。それは彼女の狙いであった。あの状況に運べば、真の性格から断らないという確信があったからだ。また周囲に周知し逃げ場を塞ぐ意味もあった。

(しかし、やり過ぎたかもしれない)

 2人の複雑な表情を思い出すと心が痛む。だが、だからこそこの英断に意味があると箒は自分に言い聞かせた。


 リニアが止まり扉が開く。改札口を通り、化粧室で身繕いをする。本日は雲一つ無い晴天、気温が高い。汗を確認する。白い革の鞄を手にエスカレータを降りた。その降りた先、歩道を挟んだ反対側の花壇に腰掛ける真が居た。彼は彼女を認めると立ち上がり、手を上げる。

 白のシャンブレーシャツに黒のハイネックTシャツ。ダメージデニム。そしてライトブラウンの革靴。見慣れない彼の姿は一瞬別人のように見えた。箒は「待ったか」と聞いた。真は「時間通り」と答えた。

「……そういう格好初めて見た。似合ってるじゃないか、箒」
「世辞など言っても何も出ないからな」

 真は僅かに言葉が堅かった。箒も何時ものむっすりした表情であったが、その頬は朱に染まっていた。互いに複雑な胸中であったが、互いに初デートであった。

「本心だけどね。で、どこか宛てはある?」
「ない。それは男が考える事だろう」
「そう来ると思った。買い物があるから付き合ってくれ。その後昼にして、その後はその時考えよう」

 歩き出す真を箒が追う。



 そして、その2人をビルの影から覗く2人と1人。

「箒、気合い入ってる……」と黒いワンピース姿の静寐が呟く。
「まこと君も楽しそうだよ」と淡い黄色のチュニックで本音が独りごちる。
「じゃ、俺らも動くぜ。見失うと面倒だ」と一夏が言う。彼のグレージャケットが揺れた。

 表情に憂いを浮かべる2人を見て一夏は思う。

(もう後には引けねぇぞ。どうするつもりだ、箒?)





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 三浦半島、三浦市。10年ほど前までは静かな町であったこの町はIS学園の設立と共に激変した。道路は太く真っ直ぐな物に敷き直され、住所も物理的に整えられ、土地の名も改められた。

 アスファルトの小道は煉瓦を敷き詰めた。ガス燈を模した電灯が、電柱に取って代わられた。喫茶店はオープンカフェに、小売店はブティックに、石造りの様な建物が並ぶ。河と石橋と噴水。地方都市の国道より広い歩道には、未来の画家や音楽家がその技を披露している。広場には、木々と芝生。小川が流れ思い思いに憩う人々。中世ヨーロッパを模したテーマパークと言えば説明が容易い。

 国の期待を背負い学ぶ学園の少女達。それ故、この町には頻繁に世界各国の要人が訪れる。日本政府が必要以上に彼らを気にしたのも無理は無く、国の威信を賭けて開発された結果であった。

 ヨーロッパ風の町並みになったのも訳がある。学園の3割は先進国である欧米出身者であった。彼女らに望郷の念を抱かせないよう配慮をした。また半数を占める日本の少女達に受けが良いのも、また事実である。



 箒は思う。日本の欧米劣等感もここまで来れば清々しい。そしてショーウィンドウに映るは洋服を纏う彼女自身であった。その姿を見て僅かに自嘲する。

「箒」

 名前を呼ばれ、意識が戻る。物思いに耽っていたようだ。視線を町並みから、少し前で立ち止まる少年に向ける。駆け寄ろうとした足を無理矢理押さえ込み、何時もの歩調で足を進めた。

「箒はこの辺の出身じゃ無かったか? 随分と物珍しそうだけど」
「私は鎌倉だ。それにこの辺は滅多に出歩かない」
「箒らしいな。騒がしいのは苦手か」
「うむ。ところで買い物とは何だ」

 真は黙って10m先のとある店を指さした。

「眼鏡屋ではないか。視力が落ちたのか?」
「まさか、両方とも2.0だよ。ファッショングラスを、ね」
「度無し眼鏡か。なぜ―」

 そう言いかけた言葉は、可笑しさを含む声に変わった。思わず涙が出る。右手の握り拳は口元にあった。

「……そんなに可笑しいか?」
「ま、真。お前、目付きが悪いことを気にしていたのか」
「あれだけ言われれば、誰だって気にするだろ……」

 真は腕を組み憮然とする。頬赤くそっぽを向いた。箒は目尻の涙を拭うとこう言った。

「ついてこい。私が選んでやる」





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 静寐と本音には劣等感があった。セシリアより美しくなく、鈴より愛嬌が無い。それは人の価値観に依存することであったが、2人はそう思ってしまっていたのだ。外見が全てでは無い、それは虚しい響きであった。

 誤解の無いように言えば、真は2人と他の少女らに容姿の違いを見いだしていなかった。単に個性の一つとみていたのだ。その美的感覚の基準が千冬とディアナであるならば当然とも言えよう。

 だが2人はその陰鬱な感情に支配されていた。真の3人を見る眼が私たちとは違う。彼の横に立つのは誰が相応しいか、これが静寐と本音を苛む不安であった。それが体と心に重くのし掛かる。

 昨夜、静寐は箒に「冗談だよね?」と問いただした。箒は「真をデートに誘うと嫌か?」と聞き返した。静寐はその問いに「そんな事ない」と突っぱねるように応え、本音もまた乾いた笑みで否定した。

「ならば問題ないだろう?」

 そして静寐と本音は思う、箒より凛々しくない。



眼鏡を選ぶ2人

食事をする2人

煉瓦道を歩く2人

水族館で並ぶ2人

夕暮れの、波音のする公園を歩く2人

静寐と本音にはそれが当たり前のように見え始めた



箒なら、良いかな

仕方ない、よね







推奨BGM ゲーム「ヴィーナス&ブレイブス」より「Waltz For Ariah」LongVer.
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世界が赤い陽の光に染まる

空は赤から紺

海は青から黒

大地には背の高い二つの影法師が伸びる



 箒は少し前を歩く真の背中を見て溜息をついた。

(何をしているのだあの2人は。このままでは終わってしまうではないか)

 見せつけ、煽る。これが箒の策であった。悪い手段では無かった。事実、静寐と本音は幾度となく掛けだそうとした。だが、その度に互いが止めた。

 箒は重要なことを見落としていたのだ。それは煽る人物が彼女であったこと。2人は箒のことをよく知っていた。酷く不器用だけれども、真っ直ぐで心優しいことを知っていた。その箒ならば、と受け入れ掛けていたのだった。



 彼女はもう一つ溜息をついた。さざ波が響く。6時を知らせる時の鐘が鳴る。

 真が立ち止まり振り向いた。

「溜息をつくと幸せが逃げるんだぞ」

 箒が応える。

「逃げる幸せなど持っていない」
「それは箒が気づいてないからさ」
「分かったようなことを言うではないか」

 鋭く咎める箒の眼に、真は肩をすぼめた。

「そうだな、俺は箒のことをよく知っていない。済まなかった」

 真は踵を返しまた歩き始めた。その後を追う。

"知っていない"彼女にはその言葉が誰に向けられたのかと、何故か疑問に感じた。胸裡にあの疑問が浮かぶ。今日は、少なくとも今は聞くつもりは無かったあの疑問であった。



「真」
「なに?」
「何故お前はそうなのだ」
「意味が分からない」
「どうしてお前はそこまでやる」
「……鈴のことか?」
「それもだ。オルコットとの屋上、そして―」

 彼は振り返ること無くだた歩いていた。箒は歩みを早める。真は気配を感じ振り向くと、彼女は指を伸ばし、真の首元の襟を下ろした。其処には首を回る傷跡があった。真は表情を消し、箒は眼光を放つ。

「リーブス先生とのことだ。はっきり言おう。お前の行動は理解に苦しむ」
「いつ気づいた」
「数日前からだ。最近お前は学生服の襟を開けない、そして今日、これ程暖かいのにハイネックのTシャツ。自分から告白しているようなものだ」
「この傷を付けられるのは世界広しと言えども、あの金髪の先生だけだ。整形治療すれば記録に残り、先生の立場が悪くなる。それは俺の望むところじゃない」
「話を逸らすな」

 真は海を向いた。その夕日の影が彼に落ちる。箒は僅かに見上げた。

「色々な人から言われた。鈴にもセシリアにも一夏にも聞かれた。静寐と本音も聞きたがってた。あの2人は言わなかったけど……最初は俺自身どうしてそうしたのか分からなかった。この間さ、鈴に感謝の言葉を言われた。そして、その時気づいた」



「それは何故だ」
「言いたくない」
「私には言わなくて良い。だが、せめてあの2人には告げるのだ」
「誰にも言いたくない」
「真! あの2人がどれ程心配したと!」
「箒、その理由なんだと思う? 善意か? 自己犠牲か? 正義感か? 好意か? 義理人情? 俺の動機は気まぐれですらなかった。せめて、気まぐれであればまだ良かった。それは余りにも無様で、愚かで、罪深い物だった」



俺は、安らぎを感じていた。俺自身が罰せられ、苦痛に苛み、苦悩し、精神的、肉体的に痛みを感じていた時、誰かに、何かに、許された様な心の満ちたりを感じていた。

セシリアに銃を向けられた時、鈴に蔑み殴られた時、ディアナさんに首を落とされ掛けた時、静寐と本音に会わないと伝え後悔の念に駆られた時、そして、初めて箒に声を掛け、怒声を浴びた時。

助けてなどいなかった、皆のことは一片一切考えていなかった。

俺の動機は、自分が苦しむ為、ただそれだけだった!



「……だから、言いたくない」

 箒には真の姿が酷く軽く、薄く見えた。まるで霧か煙であるかの様に。其処に存在していないかのような儚さだった。

「おまえ……」

「鈴の時、静寐と本音の為にあれだけ怒った箒のことだ。それを知ればきっとそれだけじゃ済まない。だから言いたくない。ただ、俺は俺をどうにかしたいと思ってる。だから、どうにかなった時、その時言うよ」

 もう帰ろうと真は踵を返した。箒は駆け出し彼の左手を掴んだ。振り向いた彼の目は深く黒く、奈落の底の様に虚っていた。

「馬鹿者。逆だ、どうにかなったなら言わなくとも良い。どうにかならなくなったその時こそ言うのだぞ」
「箒は怒る」
「当然だ、怒ってやる」
「……そっか、そうだな。ありがとう」


 繋いだ手に力が籠もる、2人の影が互いに近づいた。誰かが駄目だと言った。がさりと音がした。





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 真が見た物は、茂みの影から躓くように、身を乗り出した静寐と本音の姿だった。静寐がありったけの声で叫ぶ。

「だめっ! やっぱり駄目! いくら箒でもぜーったい駄目ぇ!」

 本音は涙目で嘆く。

「箒ちゃんの意地悪~」

 箒は漸く重い腰を上げた2人を見て、相好を崩す。状況を理解出来ないと混乱するのは真であった。

(なんで2人がここに? 後を付けてきた? 何故?)



 静寐が言う。

「何時まで繋いでるの!? しかも、指をか、か、絡めてるし!」
「へ?」

 真が間抜けな声を出せば、その左手の指には箒の右指が絡まっていた。思わず耳まで赤く染める真であった。いつにない機敏な身のこなしで駆け寄るのは本音。箒と真の間に割り居ると強引に引き離した。真の裾を掴むと、うーと唸り箒を見る。


 箒が言う。

「惜しいな、あと少しだったのだが」

 涙目で思わず声が大きくなる静寐であった。

「惜しいって何?! 芝居だったんだよね?! ねぇ?!」

 真はそんな3人を見る。箒と静寐と本音。

(芝居……あ)

 何故箒が誘ったのか、何故静寐と本音がここに居たのか、なぜ3人が真を争うようにしているのか。

(そっか、そうだったのか)

 箒が「至って本気だが」と言うと、静寐は顔を青ざめて硬直した。本音は息をのんだ。海風が吹くと、箒が笑い出した。それを見て静寐が顔を赤らめる。

「冗談だ」
「ほ、ほうき~~」

 笑いながら駆け出す箒と涙目で怒りを湛える静寐、そして2人を追う本音。

「静寐は実に可愛いなっ!」
「待ちなさい! 箒! 性格変わりすぎ!」
「箒ちゃん~静寐ちゃん~喧嘩はだめ~! まって~」





 足音が響く。真が振り向くと一夏が苦笑を浮かべていた。コイツにも世話を掛けたらしい。

「いよう、色男」
「そっか、一夏にも、か」
「俺じゃねぇ、全部箒だ」
「……不本意だが、一応礼を言っておく」
「心苦しいからよ、礼なんて言うんじゃねぇ」
「そんな事は無い、礼ぐらい言わせろよ」

 一拍。2人が笑い出す。

「そのセリフ、前に俺が言わなかったか?」

「もう忘れた」




 見上げる空は紺から黒に変わりつつある。海風が2人を凪ぐと一夏が髪を押さえた。

「お前、どうするんだ?」
「何がだよ」
「静寐と本音に気づいたんだろ?」
「あぁ……でも、この間一夏に言ったとおりだ。自分に決着付けるまではそういう気にならない」

 夕日の中、走り、笑う3人の少女。真はその3人を愛おしそうに見た。それは恋愛的なものでは無かった。そんな真を見て一夏は、どうしようもねぇな、と溜息をつく。だがそれには気遣いが込められていた。

「ったくよー。漸く分かってきたぜ、おまえ人の好意が苦手なんだろ」
「苦手か、苦手だな。確かにそうだ」
「ヘタレにしみったれ、不器用、さらに頑固ときたか。もう少し人に甘えた方が良いぜ、せめて俺らぐらいはな」
「言い過ぎだ、この馬鹿」
「お前にはこれぐらいが良い案配だ、この阿保」

 夕日に視線が混じる。2人がそれに気づいた。箒と静寐と本音もまた、立ち止まり2人を見ていた。眼を細め微かな笑みを浮かべる。

(気づいたね?)

 その妖しさに、一夏は思わず顔をしかめ真は息をのんだ。

「バレてる?」
「……みたいだぜ、あれは」
「俺、今悪寒が走った」
「俺もだ」

 一つ息を吸い、そして吐く。

「……女は生まれた時から女、か」
「何だよそれ」
「ある人がそう言ったんだよ。あの3人もリーブス先生も本質的には同じってことだ」
「おっかねぇな」
「まったくだ」
「おっかないから帰ろうぜ」
「おっかない家にか」
「深いな」
「違いない」

 歩き出す一夏を追い、真は思う。家に帰る、そう思うことが出来た。今はそれ以上は望むまい。もう一度見上げた空には一つ星が瞬いていた。



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ライト&ソフトはもう無理かな……

静寐、本音の「ねね党」の方、如何でしたでしょうか。
びみょーに出番(文字数)が少ないですが、これでもこの2人と真を主題にしたつもりです。
2人の背を押すのは箒しかいない為、彼女の大活躍となりましたけれども。
静寐と本音の思い、真の状態、そして箒と一夏。この関係の中どう進めるか、正直難しかったです。



さてHEROES前半ヒロインのメインイベント終了です。
クラス対抗戦の足音が響いてきました。

先に言っておく。真、すまん。

それでは。



[32237] 03-08 日常編5「現状維持」+「模擬戦3,4」
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2013/06/30 14:12
日常編 現状維持
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 それは5月3週目の月曜日。私は午前の授業を終え、昼の食事を済まし、食堂でタブレットの画面をなぞっていた。私はただ思索する。それは3組と4組のクラス代表のこと、彼女らの機体、彼女らの戦術、そして一夏対策。月末のクラス対抗戦まで残すところあと2週間。

「一夏は兎も角として、注意するべきは4組の娘か。日本の代表候補生だし。でも専用機が無いってのは何故?」
「色々難しい事情があるんだよ」

 話し掛けたタブレットの代わりに応えたのは、制服姿の本音だった。いつの間にやってきたのか、目の前に座り笑顔を湛えている。彼女ほど"日向"という言葉が似合う娘も居ないだろう。

「知り合い?」
「うん」
「そう」

 難しい事情、といつになく堅い彼女の言葉に私は追求するのを止めた。そして、私は視界に彼女1人というのを久しく感じた。何時の頃からだろうか、私の中の彼女が3人娘になったのは。

 だから「静寐と箒は?」と、訪ねた。彼女は頬を膨らせ「四六時中一緒と言う訳じゃ無いよ」と、拗ねたように応える。確かにな、と私は謝罪した。

 窓から陽の光が差し込んだ。白いテーブルには中身の無くなった昼食の器が並んでいた。歓談の声が聞こえる。何時ものように騒がしくもあり微笑ましくもある、柊(1年寮)の食堂だった。

「まこと君」
「なに?」

 唐突に、本音が髪飾りに手を伸ばし、整え、直す。左右二つの髪飾り。淡い栗色の房がひょこと動いた。そして私に向けるは満天の笑み。

「「……」」

 突然のことで少々面食らう。だが彼女が感想が欲しい、と言うことはよく分かった。だから、「よく似合ってて可愛いと思う」と努めて冷静に応えた。ふに、と左頬を抓られた。彼女は「すこしちがう、かな」と呟いた。

 彼女の溜息が聞こえる。沈黙が続いたので、私は再びタブレットに目を落とした。手を伸ばしたコーヒーはすでにぬるく、窓に映る鳥がちよちちちと鳴いた。

 突如咳払いが聞こえた。いつの間に来たのか、目の前に静寐と箒が居た。頬赤い箒が口紅を持ち静寐の唇をなぞる。静寐は多少ぎこちない流し目で私を見た。

「「「「……」」」」

 感想だった。だから「うん、知的っぽさが出て良いんじゃないか? えーとスパークリングルビー?」と落ち着いて言った。「詳しいんだ」と疑いの眼差しを向けられる。濁っていた。優子さんと、薫子と、セシリアにも口紅で感想を聞かれた事がある、と言うのは控えた。

「あほぅ」

 馬鹿者めと言わんばかりの箒だった。阿保か馬鹿かどちらなのだろうか、我ながら間の抜けた事を考えた。ただ、お見通しと言うことだけは間違いなかろう。





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 箒と町を歩いたあの土曜日、飛び出してきた静寐と本音の表情を思い出す。その時私は2人の思いに気づいた。彼女らの好意はただ嬉しく思う。だが私にそれを受け止めることは出来ない。思い悩んだ末、2人に私なりの誠意見せる事にした。恐らくそれは2人を悲しませることになる。時間を無意味に延ばすよりは遙かに良いと、そう私は考えた。

 ただ、私にはこう言った恋愛的な経験が無い。だから念を押し他者の意見を聞こうと思い至った。相談する相手は学園外の人にした。なるべく年配の人が良いと思った為である。

 自分の部屋、机に設置された端末に手を掛ける。ディスプレイに表示されている"蒔岡機械株式会社"と言う文字を指で押す。呼び出し音が響き、身許認証。画面に映る総務の女性に軽く挨拶をし、取り次ぎを依頼する。

 そこは昨年の6月から今年の3月まで私が在籍していた会社だった。41名の中小企業であるが、このIS学園に出入り出来る程その技術力は高く、ISメーカーから開発依頼、相談を受けるほどだ。

 その会社の主にして工場長を蒔岡宗治という。又の名をゴッドハンド。私が"おやっさん"と呼ぶ一級の技術者である。そして、その娘であり社の勘定を一手に引き受ける女性を

『やっほー♪ 真、ひっさしぶりー♪ 元気してたー?』

蒔岡時子という。御年39歳。千冬さんを呼び捨てにする数少ない女丈夫であった。

「……ご無沙汰してます。お元気そうで安心しました」
『そろそろ連絡が来る頃だと思った。こっち来るの?』
「えぇ、来月早々にはご挨拶に伺おうかと思います」
『おっけー お父さんにも言っておく。で、本題は恋の相談?』

 私は二の句を失う。この様に時子さんは見透かしてくる事がある。時には千冬さん以上であり、社に居た頃は散々苦労した。読心術どころか他心通でも持っているのではないか、一時期は真剣に考えたことがある。私は悟られぬよう一息つくと、相談内容を手短に話した。

『なるほどねー で、真はどうしたい訳?』
「彼女らに応えられませんので、どうにかして忘れて貰おうと」
『真』
「なんです」
『死ね』

 酷い言われようだ。

「あのですね、繰り返しますけど彼女らの思いには応えるつもりは無いんです。中途半端な状態では彼女らの時間を無駄にします。こう言う場合ははっきりさせた方が良いと時子さんだって去年言ったじゃないですか」
『あのねぇ、告白すらしてない娘らを振るなんて真はドレだけ最低よ。思いを告げずただ側に居ようなんて健気な娘らじゃない』
「それは理論の飛躍で―」
『お黙り!』

 この言葉が出ると以降一切の発言は無視される。つまり黙って聞くしか無い。

『そんな事に決まってるじゃ無い! あーもう、千冬から大分良くなったって聞いてたのに、この辺は全く変わってない。千冬も色恋沙汰は疎いから気がつかなかったか……だからあの娘24にもなって未だ彼氏無しなのよ……いや、千冬のこと横に置いておいて、大体真はその娘らの気持ちのこと全く考えてないじゃない! あ~イライラする!』

 受話器から飛び出す罵声は多種多様であった。辞典でも作れそうな勢いである。何故だろうか、辛いと言うよりは単に疲れる。

「……ならどうしろって言うんです」
『幸せにしてあげなさい。男でしょ』
「片方取れば、両方悲しみますよ。あの2人仲が良いんです」
『2人同時に付き合えば良いじゃない』
「もう電話切りますね。ありがとうございま―」
『切ったら千冬に洗いざらいぶちまけるわよ』
「あーのーですね」
『大体、それだけ思われててなんで付き合うの嫌な訳? ガールフレンド欲しくない? その年齢でオカしいわよ』
「複雑な事情があるんです」
『どうせくっだらない理由でしょ。自分に相応しくないとかそう言うの』
「……」
『やっぱりか。この際だから言っておくけど真は深く考えすぎなのよ。時には目を瞑ってぶち当たる事も必要!』
「つまりなんです」
『押し倒す位の強引さが―』

 電話を切った。ただ疲労がのし掛かる。一意見でしか無いと分かっていてもこうも言い切られると自分が間違っていると思ってしまうのは何故なのだろうか。思わず机に両手を付け、項垂れた。扉が開き姿を見せた鈴が言う。

「ただいま。どうしたのよ? 疲れたような顔して」
「お帰り。相談相手間違えたみたい」
「?」

 結局私は、時子さんの意見を無視することが出来ず現状維持を選んだ。頭の中の一夏がヘタレと言う。その馬鹿に振りかざした拳は届かなかった。




日常編 模擬戦3
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 それは5月3週目の金曜日、放課後。月末に行われるイベント“クラス対抗戦”が近づき、温和しいと言われる1年2組も活気が満ちる。

 他のクラスがそうであるように、2組にも一夏に思いを寄せる娘が多い。最近でこそ鳴りを潜めているが、その7割は一夏派であり残りは中立派であった。その中には約2名の自称中立も含まれる。この様な2組であったが、自身のクラス代表を応援しないのは流石に義理を欠くと一致団結、真を応援する事にした。

 そして、それはある1グループの会話。ある少女はクラス旗を作ろうと言い、また鉢巻きか腕章の様な、クラスを象徴するアイテムを作ろうと、意外と古風なことを言う。そして、ある長い黒髪の少女が言った。

「離反者を出さないように血判状を作りましょう」
「賛成、でも牛王宝印(ごおうほういん、誓紙の事)どうする?」
「熊野本宮大社だっけ? 通販出来るかな?」
「こんな事もあろうかと、ここに」
「「おー」」

 温和しい、一線超えれば、恐ろしい。教師が教師なら生徒も生徒だった。血を見るのに躊躇が無い。真はよくやっている。



 静かに燃えるそんな2組の扉を箒は開けた。失礼する、と声が響く。居合わせた女生徒が静寐と本音に声を掛ける。先日の一件以来、こうして箒から赴くことが多くなった。2人は清香に挨拶をし、箒の元に歩み寄る。彼女は2人の邪魔をしたのではないかと表情を陰らせた。

 本音が「大丈夫、終わったところだよ」と笑って応え「クラス対抗戦でチアをやるの」と静寐が続けた。箒は「2人とも、そういう事は苦手だと思っていた」と感想を言う。

 実際は箒の言う通りであったが、鈴もやると清香に挑発され、つい参加してしまったのだった。

 教室を見渡す箒が問う。

「真はどうしたのだ?」

 静寐が応える。

「第3アリーナ。鈴と一緒に特訓中。ここ暫くずっとそう」
「良いのか?」
「足手まといは嫌だから。織斑君は?」
「第3アリーナで特訓中だ。最近ずっとだ」
「良いの?」
「オルコットは兎も角、千冬さんが相手では、な」

 苦笑する2人に本音が笑って言った。

「つれない男の子達は放って、食堂でお菓子食べよっ」
「「もうすぐ夕飯」」




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 其処は第3アリーナの第3ピット付近。白式は何時もと異なる機動音を響かせていた。それは全てを切り裂かんほどの暴力的な音と加速、一夏は歪んだ世界の中ただ己の鼓動を聞いていた。操縦者保護機能が働く。一瞬、その視界の端に千冬とセシリアの姿を捉える。

「それがイグニッション・ブースト(瞬時加速)だ。いつでも使えるように昇華させろ」

 千冬の声に彼はただ頷いた。真のアドバイスから2週間、一夏は姉の時間を貰いその指導を受けていた。そのメニューは主に近接格闘訓練と急加速停止と言った基礎移動技能に重点を置かれ、初期段階では箒を相手にした剣道も取り入れた。ここ数日はセシリアとの模擬戦を重点的に行った。勿論それは真対策である。その成果は姉の目にも確認できたが、一夏は終始言葉数少なく、ただ淡々とこなす。

 白式がフィールドに降り立ち、砂煙が舞う。学園指定の白いジャージを纏う千冬が彼に歩み寄る。彼女は何時もの鋭い眼であったが、僅かな憂いを含ませていた。

「零落白夜はまだ駄目か」
「はい、何度か光りはしたんですけれど……」

 零落白夜は白式固有の特殊能力であり、白式の最大の攻撃兵装。一夏はセシリア戦以来、それを発動できていなかった。彼の沈鬱な表情の原因であった。

「こればかりは織斑と白式の問題だ。教えることは出来ん。自分で何とかしろ」
「……織斑先生。もうクラス対抗戦まで時間がありません。銃を使おうと思うんですが」
「馬鹿者。機体には相性という物がある。白式に銃器を積むのはまず無理だ。それにその機体は雪片弐型を前提としている。それだけ大がかりな変更は倉持技研も日本政府もそう簡単に納得はしまい」

 セシリアは一夏の焦りが手に取るように分かった。訓練開始前の3つの模擬戦、一夏は真のリヴァイヴに圧倒されていたのだった。

「一夏さん、何より今から方針を変えるのはかえって逆効果ですわ。貴方は今まで剣術で戦ってきたのですから」
「でもよ……」
「大体、お前のような素人が射撃戦闘など出来るものか。反動制御、弾道予測から距離の取り方、一零停止、特殊無反動旋回、それ以外にも弾丸の特性、大気の状態、相手武装による相互影響を含めた思考戦闘……他にもあるぞ。できるのか? お前に」

「……済みません」
「わかればいい。一つのことを極める方が、お前には向いているさ。何せ、お前は私の弟だ」

 弟、と言う言葉で2人の関係が変わる。否、戻るが正しいだろう。セシリアのイヤリングが光を放ち、それが結ぶ。青い機体がその場を離れ、空に舞った。千冬は教え子の気遣いに詫び、その鋭い眼を細めた。

「なぁ千冬ねぇ」
「なんだ」
「真はそれをやってるって事だよな。俺と同じ素人なのに」
「……そうだ。なんだ一人前に対抗意識か。だが一夏、お前と蒼月はその有り様が違う。一概に比較は出来んぞ」
「アイツも同じ事を言ってた。それってアイツは俺と違うって事だ―」
「馬鹿者! 他人と比べる暇があるなら鍛錬に励め!」

 千冬は手に持つ竹刀を地面に打ち付けた。一夏は力無く頭を垂れる。そういう意味では無い、と千冬は厳しい表情をみせる。思案の後、溜息をついて弟にこう言った。

「蒼月が言ったのはそれだけか?」
「え? あぁ。柱が出来たら知ってることは教える。それまでは模擬戦にいくらでも付き合うって」
「柱、か……なら模擬戦をふっかけてこい。第1ピット下だ」
「え? 今千冬ねぇは有り様が違うって言ったろ?」
「模擬戦なら関係ない。それに、お前らはそういう関係だろう?」
「はぁ?」

 彼女は対面する第1ピット下に視線を走らせ、微かな笑みを浮かべる。其処にはカーキのリヴァイブと甲龍が見えた。一夏はゆっくりそれに意識を走らせる。白式のハイパーセンサーが応えた。




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 同時刻、第3アリーナ第1ピット下。そこは千冬と一夏から丁度真反対の位置であった。その距離は約1.8km。

 鈴と真が互いに牙を交わす。轟音が響き、砂塵が巻き上がった。みやは片膝をつき、甲龍がそれを見下ろす。彼はライフルを杖代わりに、激しく息を切らす。鈴はただ溜息をついた。彼女は自身の牙、双天牙月をフィールドに突き刺す。風が吹き視界が晴れた。

「じゃぁ何? アンタはわざわざ一夏に最も有効な攻撃を教えたって訳?」
「そういう言い方もあるかな」
「あっきれた。アンタ勝つ気あるの?」
「勿論。だた、」
「ただ? なによ」
「今の一夏だと苦戦は必至。下手をすると一回戦敗退。それは少し面白くない、少しだけ面白くない」

 それは一夏が千冬に頭を下げる切っ掛けとなった、サブマシンガンによる攻撃だった。白式はそのキャパシティを攻撃力と機動力に、極端に振っている。逆に言えばその機体反応が過剰で扱いが難しく、そして防御が弱い。今の一夏では手に余った。

「サブマシンガンは一発の威力は小さいけれど一定範囲を攻撃できる。接近戦しか無く、防御の弱い白式には天敵と言っても良い。3組4組の娘はまず其処をついてくるだろ。入学当時ならいざ知らず、彼女らも腕を上げてるし、特に3組の娘は銃器の扱い長けているようだから、足止めされて弾丸をバラ蒔かれたら一巻の終わり」

 鈴は手を額に当て溜息をついた。鈴は思う、敵に塩を送りすぎ。

「甘いというか、お気楽というか、男の連帯感ってやつ?」

 真は苦笑し、不満を湛える鈴を見上げた。

「まさか、借りを返したいだけだよ。代表候補の座を苦労して掴み取った鈴にとっては、なれ合いみたいで不愉快か?」
「そこまでは言わない、腹立つだけ」
「確かに余計だったかもしれないな。下がってくれ」

 何のこと、と言いかけた鈴の言葉は、甲高い機動音で遮られた。





日常編 模擬戦4
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 一夏が千冬に言う。

「ちーねぇ」
「な、なんだ?」

 千冬は突然、昔の名で呼ばれ思わず声が裏返る。そして眼を剥いた。彼女の弟の、あらゆる理性を取り払ったような、そう思える姿だった。

「ちょっとぶん殴ってくる」

 どうした、と言いかけた千冬の言葉は、甲高い機動音で遮られた。白式のバーニアが一瞬白く輝く。そして青白い真っ直ぐな残光。彗星が地上を走った、千冬にはそれ以外の表現が無いように思われた。

「けほっ」

 轟音と地響き。そして巻き上がる砂塵の、その切れ目。隙間から覗く白い影に千冬はただ、ぽかんとするだけであった。





 初めて耳にする甲高い機動音。鈴とセシリアが見た物は、その面を幾重にもしかめ、口から牙を覗かせ、雪片弐型を構え、鬼のような形相で真に迫る白式の、一夏の姿だった。思わず顔を引きつらせ、腰を引いた。

「真雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄々々々ーーーーーーー!!!!」

 ハイパーセンサーが捉えた真の背中。見返るその眼はただ黒く笑う。てめぇまでコンマ3秒だ!

 みや、反転。白式を迎え撃つ。アサルトナイフを右腕量子展開50ミリセカンド。左腕を刃背に添える。白式、雪片弐型を打ち下ろす。周囲を吹き飛ばす程の金属音と、大地に焼き付きを起こさんばかりの閃光。白式はその速度をみやに打ち付けた。フィールドにみやの足跡が走る。一夏の目の前に、真の目の前が合った。互いが睨み、笑みを浮かべる。

「背後からの奇襲とは気合い入ってるじゃないか! この馬鹿一夏!」
「人様をコケにしやがって! この阿保真がっ! くたばりやがれ!」
「出来るなら―」

 みや、左手で白式の肩を掴み、重心軸を乱す。腰を落とし、右脚で蹴り上げる。白式が宙を舞った。

「やってみろっ!」

 白式、高度32m、姿勢制御、突の構え、最大加速にて攻撃。みや、大地を左脚で踏み抜き跳躍、バーニア最大出力。押し迫る白式を右脚で蹴飛ばす。回避完了。同時に“H&K MP5i”7.62mmサブマシンガン量子展開。フルオート全弾発射。

 白式、みやの右舷へ高速移動。みや、目標高速追尾のため左手を離す。銃身安定悪化、サブマシンガンのストックが脇で暴れる。弾丸の軌跡が乱れた。

 真が叫んだ。

「少しは頭動いたか!」

 一夏が吠える。

「それを阿保の一つ覚えっつーんだ! 覚えとけ!」

 一夏は真の弾を捉えた。白式、イグニッション・ブースト、弾丸雷雨をかい潜る。その距離70mをミリ秒で詰めた。刀身が青白く光る、零落白夜発動。

 真は一夏の動きを読んだ。みや、威力不足と判断、サブマシンガンを投擲。白式それを破壊。

 みや前傾姿勢、踏み込み。白式、右切り上げ。零落白夜の切っ先がみやを掠める。みやは左拳を右掌で掴む。全体重を載せ、左肘を白式の胸部に打ち付けた。みや被ダメージ180。白式被ダメージ130。雪片弐型が宙を舞い、80m先に突き刺さる。反動で互いが弾け合った。


 2人は大地に足をつき、見合う。その距離40m。僅か1分間の攻防に、ギャラリーが唖然とする。

 一夏が両の拳を鳴らした。

「この阿保。カウンターの当身なんて聞いてねぇぞ」

 真は手を添え首を鳴らす。

「だまれ馬鹿。土壇場で零落白夜なんて、冗談は顔だけにしろ」

「くそったれ」
「お前がな」

 白式、みや、最大速力で踏み込んだ。2つのバーニアが2つの砂煙を巻き起こす。互いに拳を振り上げ、互いに撃ち抜く。鈍い音がアリーナに響き合う。

「この阿保! 何時も頭良い振りしやがって、むかつくんだよ!」
「振りじゃ無い! 実際そうだろうが! この馬鹿!」

 エネルギーシールドが拳圧で軋み音を上げる。エネルギー準位不規則変動、悲鳴のような唱和音を鳴らす。攻撃パターン変更。互いに掴み合い、締め合う。

「漫画も読まない! ゲームもしない! 老人が偉そうなことほざくんじゃねぇ!!」
「この間読んだ!」
「ひとつだけだろうが!」
「超古代遺跡の守護なんて、なかなか面白かったぞ! ブブブだしなっ!」
「それを口にするんじゃねぇ! この野郎!」

 白式とみやがフィールドをもみ合い転がる。馬乗りに殴る。蹴り上げ大地に叩きつける。正気に戻った千冬はこめかみに血管を浮かせ、インカムに手を掛けた。

『オルコット、凰』

 第3アリーナに居た2機のISが動く。



 -多数秘話通信を行います-

せ:見苦しいですわ
り:みっとも無い
い:は?
ま:へ?



 ブルー・ティアーズ、光弾発射。甲龍、双天牙月を投擲。命中。悲鳴。そして、静寂。甲龍がみやの、ブルー・ティアーズは白式の首根っこを掴んで持ち上げる。2人の少女は相手がぶら下げる少年と、互いの顔を見合うと、一瞬火花を散らせた。そして、背を向けそれぞれのピットに運ぶ。

「覚えてやがれ! この阿保! 対抗戦でナマス切りにしてやる!」
「おだまりなさい」
「近づく前に蜂の巣だ! この馬鹿! 返り討ちにしてくれる!」
「うるさい」



 つつつ、と空を飛ぶ鈴と運ばれる真。彼は鈴に笑顔を向け、なぁと言った。

「鈴、あの馬鹿、突然強くなったな」
「嬉しそうに言うんじゃ無いわよ。切り札(カウンター)を一夏に見せちゃったんだから、また考えなきゃいけないじゃ無い。もう時間ないのに」
「そうだな、また訓練しないとな」
「だから、笑うな。腹立つ」

 夕日の中、真はセシリアに説教され、ふてくされる一夏の声を楽しそうに聞いていた。




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 陽が大地に掛る夕暮れ時、その真を2人の少女が見つめる。第3アリーナの第4ピット甲板上に立つのは、整備課主席3年の布仏虚と、整備課2年のエース黛薫子であった。

 虚と薫子は共に整備課第4グループに所属し、みやの整備を受け持っている。みや、ラファール・リヴァイヴ38番機は学園機体の為だ。直接整備を行うのは薫子であったが、グループリーダーである虚も間接的に携わっていた。

 虚は互いの肘を互いの手の平を添え、薫子はタブレットを手に立っていた。互いの眼鏡に夕日が差し込む。アリーナでの一部始終を見ていた虚は眼鏡に指を添え正した。

「一年生にしては良く動くわね。噂より上だわ」
「最近特に急成長なんです、あの2人」
「見せたい物ってこの事?」
「まさか、あれはおまけです。こちらが本題」

 薫子がタブレットに指を走らせ、虚がそれを覗き、眼を剥いた。薫子は僅かに指を震わせていた。

「みやのISコア稼働率……85%?! 薫子、これ間違いない?」
「10回確認しました。測定器も校正し直して」
「操縦課主席の優子でさえ71%なのに、にわかには信じられないわね……いつから?」
「分かりません、最初に測定した一週間前にはこの数字です」

 ISコアはPICへの重力子供給、エネルギーの貯蔵、絶対防御の展開、そして操縦者との意識疎通など、ISとしての基礎能力を司る。そしてISコア能力の一般指標として稼働率という数字が用いられ、稼働率が高いほどその機体のスペックが高いと言うことが出来る。

 第2世代と第3世代の1つの差として、この初期稼働率の高さがあった。一夏、セシリア、鈴で平均50前後。ランクAの生徒が第2世代機に登場して30~40%、虚が驚いたのも無理は無い。だがそれは1つの矛盾を浮かび上がらせる。虚は右手を口元に、慎重に添えた。彼女の脳裏に去年幾度となく会った真の姿がよぎる。

「変ね、それが本当なら、みやが"あの程度"の筈が無いわ」
「私も同感です。どこかに異常がないか洗い直したのですが、全機能異常なし。操縦者とコアののリンクレートも異常ありませんでした。つまり―」
「真が無意識に抑えている?」
「もしくは意識的にです」

 2人は模擬戦を行う、甲龍とみやに視線を走らせた。夕日の中、彼の姿が霞んで見えた。薫子はタブレットを下ろす。虚が眼を細めた。

「虚先輩、アイギスの使用許可を」
「CLASS-Aのシールドジェネレータ? 学園に一台しか無い虎の子よ、本気?」
「彼は、真は何かと理由を付けてシールドを弱めようとします。この間も勝手に、シールドジェネレータへのエネルギー供給量をバーニアに回していました。2度とするなと叩いておきましたけど、正直危なっかしくて見てられません。真の首の噂、知っていますか?」

 虚にとっても薫子の心配は他人事では無かった。去年、共に優子の機体整備をしたのだ。生徒の中では一番付き合いが古いのは虚であった。人形のように笑う去年の真と、屈託なく笑う今の真。だた彼女にはどちらの笑顔にも影が落ちているのが見て取れた。

「……良いでしょう、許可します」
「ありがとうございます」
「グングニルも持って行きなさい」
「ラインハルト社のFCS(射撃管制)ですか。ルクレイス社のFBW(航空管制)もそうですけど一級品同士の組み込みは調整に時間が掛ります。対抗戦に間に合わない恐れが―」
「調整は私がやります」

 薫子は小さく頷き2人が真を見る。

「何事も無ければ良いけれど」
「はい」

 そして一週間後の5月末日。真はクラス対抗戦を迎える。



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雪片弐型の独自設定ですが
・原作:実体剣→バリア無効化攻撃→零落白夜
・ここ:実体剣→零落白夜→凄い零落白夜(仮)
こうしています。
「バリア無効化攻撃発動中」という描写はイマイチかと思ったので。
“凄い零落白夜”に名称を付けるかは未定です。



[32237] 03-09 クラス対抗戦
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/07/06 21:23
クラス対抗戦
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 其処は薄暗く、冷たく、鋼で作られた棺の様に感じられた。

 鋼の底と鋼の蓋、そして3つの壁が私を追い立てる。

 最後の一つ。

 其処だけがただ明るく、広がっていた。

 私は鎧を纏い、鋼の壁に腰を下ろす。

 見下ろす底に、右から左に幾重に重なる飛び立った跡。

 右肩と床に触れる巨人のライフルは物言わず、ただ其処にあり、ただ殺す為にあった。

 初めて触れたのは、金髪の少女に向ける為、訓練で赴いた射撃場。

 自分でも驚くほど手に馴染んだ。

 管理人の驚いた顔が脳裏に浮かぶ。

 どこで習った?

 私は知っていた。

 1つ弾を撃ち出す度に、何かを思い出すように、私の奥底が波打つ。

 あの人に手を差し伸べられた時に見たあの人の影、更に古い記憶。

 私の記憶は銃と共にある。

 これが意味する事は



 差し込む光りに眼を向ける。

 それは薄暗いこの座に届かないように思われた。

 私は、誰だ。





「ここは随分静かだな」

 弱く光るオレンジの照明、薄暗いそこに響いたのは、黒髪のよく知った女性の声だった。人用ゲートに立つその人はヒールの音を奏でて歩み寄る。首筋で簡潔に結った黒の髪、黒のジャケットに黒のタイトスカートだった。私は"2nd Pit"と刻印された金属の床をただ只見ていた。


「先程まで凰さんが居ましたけれど、観客席に戻りました。整備士の皆は隣のナビゲータルームで寝ています。それよりここは2組のピットですよ、織斑先生」
「クラス問わず見回っている。それと蒼月、人と話す時は眼を合わせろ」

 私はゆっくりと、僅かに顔を上げその人を見た。その人は今の私にとって最初の人だった。彼女はタブレットを左手に、右手を腰に、その鋭い眼で私を見下ろしていた。

「知らないんですか? 俺は目付きが悪いんですよ、とても怖いんです」
「そんな事は、お前が"眼を開ける前"から知っている。それで、お前は何をしている」
「何も。只こうしていると落ち着くんです。千冬さん」
「……ライフルを"抱いて"落ち着くとはな。正直卒倒しそうだ。お前への教育、どこかで間違えたか」

 彼女の溜息に私は乾いた笑みで返す。私は1つ息を吐いて、もう一度アリーナに通じる光りに視線を走らせた。それは左からだった。其処から多くの人達と楽器の喧噪が聞こえてくる。

 私は立ち上がりライフルを構え、それに向ける。意識の中に照準が浮かび上がる。見える其処はただ明るかった。機械だからではない。私はこれを、この狂気を知っていた。

「間違えていませんよ。少なくとも貴女は間違えていない。間違えたとすればそれは、恐らく私です。貴女と出会う前の私が間違えた」
「その呼び方は止めろ。不愉快だ」
「覚えておきます」

 彼女の言の葉には狼狽と苛立ち。多少なりとも心配されているという事実は私に苦痛を与え安らぎを与えた。



 試合開始のアナウンスが流れる。私は立ち上がりカタパルトに足を付けた。右掌にグリップ左掌にはハンドガード、両の手でライフルを持つ。

「千冬さん」
「……なんだ」
「去年の今日でしたね、俺が学園を出たのは。満月の夜でした」
「それがどうした」
「いえ、思い出しただけです。それじゃ行ってきます」

 みやの鼓動が高鳴る。PICがその巨躯を浮かせ、バーニアに青い光りが灯る。彼女は流れる強い風の中髪を抑え、「紡がれて糸となる」と短い言葉を私に贈った。その言葉は私に染みいる事は無く、私の唇はそれに応えなかった。

 シグナルがレッドからグリーンへ、その身を彼女の元から撃ち出す。みやが伝えるピットのあの人は、空に瞬く星の様に遠く見えた。



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 視界が流れる。明るいそこはブラウンのフィールドと色鮮やかな観客席が見えた。一夏の控える第1、4組の生徒が控える第4ピットはゲートが閉じられていた。公正を保つ為らしい。そして1年2組の皆が居た。9名の少女がビニールの、丸く刈り取った房を手に踊っている。私が手をかざすと彼女らは身振りでそれに応える。間近で見られないのが非常に残念だ。

「敵を目の前にして、余裕ですね。蒼月君」
「そう見えるなら、有難い。でもそうでも無いかもしれないぞ。ハミルトンさん」

 高度50m、アリーナ中央付近。午前10時、快晴。私は目の前の、打鉄を纏う金髪の少女に応えた。青色の眼、雪のような白い肌、髪はボブカット、高い等身。15歳とは思えない大人びた容貌の少女だった。成人していると言っても通用するだろう。1年3組、ティナ・ハミルトンと呼ばれる少女。そして私の、最初の対戦相手。

「成る程、場数は踏んでいるという訳ですか。流石専用機持ちです」
「皮肉を言えるなんて、そちらも余裕があるじゃないか。観客席は満員だぞ」

 私は観客席を一瞥する。彼女は眼を細めて、それを握る両の手を僅かに動かした。彼女はECM(Electronic Counter Measures:電子対抗手段)繊維をISの上から纏っていた。背中の膨らみが私に注意を促す。彼女の放つ意識の線は堅く、鋭く私に向けられる。錐を向けられている様だった。

「はっきり言います。私は君が嫌いです」
「まともに口を利くのは初めてだと思うけど、理由を聞いて良い?」

 彼女は一拍おいてこう切り出した。

「騒ぎを起こすところ」
「なるほど」
「目付きが悪いところ」
「さいですか」
「専用機を持っているところ。お陰で訓練機が一台減りました」
「こいつは、皆から毛嫌いされていた機体だからそれは誤り」
「追加。言い訳がましいところ」
「あ、そう……」
「女々しいところ、女に節操がないところ」
「それは誤解だとちゃんと説明したい」
「最後に、」

 観客席がざわつき始めた。肉声で話している為だ。皆に聞こえる事は無いが、私たちの交わす普通ではない雰囲気に気づいた様だった。静寐が濁った眼で私を睨む。やっぱり金髪か……声を拾わなくとも、唇で読めた。私は疲れたように口を歪ませ笑う。

「最後に、なに?」
「最後に、織斑君を殴るところ」

 私はライフルを持ったまま、頭を傾げる。一拍。左手をあごに添えて空を見た。其処には太陽と、大きい幾つかの雲が見える。

「それ、どこか変?」

 何かにひびが入る音が聞こえた、様な気がした。



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 笛の音が鳴る。

『両者、試合を開始して下さい』

 私はその合図に手にしていたアサルトライフル"H&K Gi36"を構え、そして逃げた。迫り来るは無数の弾丸。ECMのマントを脱ぎ去り、目にした彼女の得物は、

「ガトリング砲?!!」
「精密射撃が得意のようですけれど! 火器にはこう言う使い方もあります!!!」

 彼女のそれは広域制圧兵器だった。バーニア全開、敵ISまでの距離440m。赤い軌跡ではない、赤い帯が、毎分3,000発の帯が目の前に迫る。思わず驚愕の悲鳴を上げた。急降下、急上昇、急加速、急減速、回転と円弧、あらゆる機動を駆使し、赤い帯を躱す。"何時もと勝手が異なる"状況にリズムが酷く掴み難い。

 -警告:被弾 ダメージ30-

 赤い切れっ端が左腕エネルギーシールドに接触、跳弾が広がる。出来の悪い花火の様だった。音が止み、会場が静まりかえる。アリーナ中心、そのフィールドの上。彼女が手にする6つの砲門、その荒々しく回る音だけが響く。距離260m。彼女の息は荒く、白い額に汗が流れる。

「なるほど、M134ミニガンを改装したのか。IS用ガトリンクなんて聞いた事無いから妙だと思った。ECMシートと言い、どこから調達したんだよ」
「それは秘密です。それより如何ですか?」
「どういう意味?」
「下から突き上げられるのは初めてでしょう? イギリス女に何時も上から踏まれていたなら、とても新鮮でしょう。 この"She-Male"」

 確かに、セシリアの頭上を取った事は無いし、重火器で下から撃たれた事も初めてだ。

-3連バーストモード設定 安全装置解除-
-READY GUN-

「怒りましたか? 蒼月君」
「上手い例えだけれど、はしたないぞ」
「成る程。まだ童貞なんですね。あれだけ貢いで、させて貰えなかったなんて可哀想です」
「君、軍人だろ」
「……」

 もしくはそれに近い環境で育った。彼女の装備、彼女の表情に描かれる荒々しい笑みと言葉、読みが当たる。彼女は表情を消し、砲を構えた。私はトリガーに指を掛ける。

 IS歴2ヶ月の私に負けるなどと、考えたくも無いだろう。だが、

「おしゃべりはお仕舞い。この2ndラウンドで確実に俺を仕留める事だ。その砲は3rdラウンドで君の腕を壊す」
「だからそれが、その眼が気に入らないと言っているんです!!」
「それに、あの馬鹿が第2試合で待っているんでね」
「人の話を聞きなさい!」


 打鉄は大地に足を据え、その7.62mmの赤い帯を空へ走らせる。濁った汽笛の音がアリーナにけたたましく鳴り響いた。一帯放つ度に、その足がいびつな文字を書く。放つ度に彼女の顔が苦痛に歪む。200kg程度のISにそれは余りに無謀だった。

 伸びる意識の線と走る赤い帯。その隙間に身を運び、照準にガトリンクを捉える。距離350m、指に力を込めた。


-警告:高エネルギー反応接近 緊急回避-


 それは何時もと異なる流れだと私の無意識は感じた。アリーナのエネルギーシールドが撓み、虹色の干渉光を放つ。電磁音の悲鳴と共に防性力場が崩壊する。視界に映るのはただ白い荷電粒子の束だった。

 束がフィールドに突き刺さる。この半島を揺るがさんばかりの激震と衝撃波。体がその余波で叩かれた。眼を開け、見渡せば火山のように立ち上る黒煙と、赤く燃える大地。それはそこに居た。

 打鉄を纏う少女が、神の名を呆然と口にした。何時もと異なる流れ、それは私よりみやが先に気づいたという事実。意識の線が読めなかった。





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 それは、気味が悪いほど長い腕と足。失笑するほど手が大きく、外骨格構造、全身にバーニアが見える。ダークブラウンを基調にし、そのパイロットは全身を金属質の繊維で覆っていた。赤い複眼が鈍い光を放つ。みやの眼が奴を捉える。

 警報が鳴り響き、観客席が物理シールドで覆われた。

 「……ISか?」

 私の言葉に、聞き覚えのある女性の声が応える。

『蒼月君! ハミルトンさん! 所属不明機を敵性ISと認定! 大至急アリーナから脱出して下さい! 直ぐに先生達が制圧に向かいます!』
「山田先生、少し遅かったみたい。いや、向こうが早いかな、この場合」
『蒼月君、冗談を言ってる場合では……アリーナのエネルギーシールドがLv4?!』

 どうしてと、彼女はその声を震わせた。頭上の防性力場は最高レベルで結ばれていた。

 アリーナ内が全てロックされていると、みやが告げる。そこには逃げ場を失い、惑う生徒が含まれていた。私は所属不明ISの両腕の砲門を見、目前に広がる100mはあろうかというクレータを見た。

 奴は両の腕をこちらに向ける。距離1800m。即座に奴の左舷に回る。小規模の攻撃が直前に居た場所を破壊する。距離1200、3連バーストで発砲、18発。赤い軌跡が奴の頭を抑える。加速。

『蒼月君! 駄目ですよ! 生徒さんに危険なまねはさせられません!』

 彼女は良い教師になった。慌てふためく見習いだった去年とは大違いだ。

「本部、何分必要ですか」
『10分、いや5分稼げ』

 応えたのはあの人だった。微かに震えるその声に私はただ了解と応えた。




 みやの鼓動が激しく打ち続く。フィールド近傍を駆け抜ける。立ち尽くす木偶が11時から9時へと動く。黒い噴煙が立ち上り、空からはアリーナだった破片が降り注ぐ。見慣れた滑らかな大地はただ黒い、真っ黒な穴が幾つも開いていた。まるで其処に落ちれば果てなく落ちる釜の様であった。

 距離1000、木偶の両腕から小規模な荷電粒子銃弾が放たれる。意識の線が確認出来ない。被弾、数発が掠めエネルギーシールドが展開される。更に加速、速度320km、距離700、アサルトライフル有効射程、フルオート残12発発射。命中。弾倉量子交換12.7mmx99 メタルジャケット30発。

 木偶のバーニアが怒号を鳴らし、その巨躯を疾走させる。上空からエネルギー銃弾が降り注ぐ、被弾。バーニア全開、強引に離脱。被弾。残エネルギー380。

 加速、距離500m。照準に、私を見下ろす木偶の丸い銃口が見える。その銃口が黄色く光り、赤い帯がそれを妨げる。木偶がその眼を打鉄に向けた。

「何をしているんですか貴方は!?」
「訳ありでね、上手く避けられない」
「なら足手まといです! 逃げなさい!」
「どこに?」
「なら、距離を取って回避に専念しなさい!」
「離れると初撃の大砲を撃つぞ、あれ」
「……」
「手短に言う。奴の武装は両腕の荷電粒子砲。攻撃パターンは2つ。奴にとっては小規模な連続射撃と、大砲。大砲は左右同時発射は不可、単発のみ、だが威力は知っての通り。1500m以上離れるな」
「何故、言い切れるんです」
「こいつは俺と違って有能なんだよ」

 彼女の不信を湛えた眼に、私は左手を、カーキ色の腕を掲げ応えた。みやの解析を彼女の打鉄に伝えると、彼女はその眼を木偶に向ける。

「そうですか、強引に切り込んだのはサーチとサンプリングの為……無茶します」
「どうにか兵装だけ、ね。さて、訳を話したところで、逃げて欲しいのはハミルトンさんなんだけどな、その機動力じゃ無理だ」
「どこに?」
「なら、支援射撃を頼む。無茶するなよ」

 彼女は少しだけ笑い、その引き金を引いた。




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 木偶、所属不明機はでたらめだった。発熱するバーニアと加熱する砲門を近傍に設置、恐らく無理矢理冷やしている。ボディから腕に走る巨大なエネルギーチューブはむき出しだった。強力なエネルギーシールドで強引に保護しているのだろう。デタラメな設計思想、そのデタラメな設計が、狂う事なく圧倒的に動作している。

 あれの設計者は天才で狂人だ。そして間違いなく趣味が悪い。あれの設計者は性格がねじ曲がっている。

 木偶がアリーナ上空を疾走し、小エネルギー弾を放つ。みやが12.7mmを放ち、被弾する。打鉄が赤い帯を放ち、被弾する。木偶が私たちを攻撃し被弾する。既に1ダース繰り返している。

「本部! 援軍はまだですか!? もう10分過ぎています!」打鉄の少女が、息を切らせ、声を荒らげる。
「泣き言など聞きたくない。今、3年の精鋭がシステムクラックを実行中だ。持ちこたえろ」冷静なあの人の声が響く。

 みや、高速機動。距離1200m、フルオート発射。木偶の光弾が襲い来る、フィールドと空の境が悲鳴を上げながら回る、動く、消える、現われる。

-警告:ライフルコンディション・レッド 銃身過加熱-
-警告:12.7mmx99 残弾3カートリッジ-
-警告:暫定僚機 打鉄27番機 残エネルギー120-
-警告-


 12.7mmx99に効果が無い、銃口を狙う距離は致命的。ジリ貧、脳裏を掠めたその言葉に思わず舌を打つ。

 不意に訪れた静寂。何かが燃え、弾けた。穴だらけのフィールドに立ち、木偶を見る。何故あのパイロットに意識の線が無い? 何故あのパイロットはフェイントに掛らない? 何故あのパイロットは音と衝撃に臆さない? 何故?

 それは―

 誰かが告げたその答え、それが意味を結ぶ前。攻撃ポイントを変える打鉄が後ろを通過、木偶と少女と私が1つの刻、重なる。その距離は1600mだった。

-警告:高エネルギー反応 回避不可 アイギス 臨界稼働(フルドライブ)-

 黄色く白い光が視界を塗りつぶす。蒼く光る盾が霞んで見えた。恩恵を外れた突撃銃が、赤い光りとなって消える。眼はただ白く、耳は無音を聞き、肌は天地を失った。





 沈黙の鐘が幾度も聞こえた。大地に両手をあてがい身を起こすと、口から赤い液体が溢れた。金切り声が頭蓋の中を撃ち抜く世界に、自身の鼓動だけが聞こえた。

-警告:被弾 残エネルギー60 敵性IS接近-

 生き残ったバーニアが、弱く赤い光を放つ。光の礫が右肩を駆け抜けた。狙撃銃を量子展開、木偶を撃つ。私は打鉄の少女の名を呼んだ。応えはなく、遠くに見たその光景。



 瓦礫に埋まれ

 -アスファルトに横たわり-

 鎧を失い

 -その白い服が無残に破れ-

 力無く四肢を垂らす

 -血が指から滴り-

 その"黒い髪"を赤く染めた女の姿だった


 俺は―、


 俺はまたやった!

 また壊した!

 また殺させた!

 また死なせた!

 まただ!

 また!

 光の粒子が迫り、白く染まる世界。銃が手から落ちた。

 ……俺は、また、失ってしまった



「なにしてやがるーーーー!!」

 体に衝撃が響く。白いそれに弾かれ、大地に打ち付けられた。地響きが鳴る。血に染まった現実と血に染まった知らない記憶、黒髪の子供だけが見えた。

「真! なに呆けてやがる! 死にたいのか!」
「……俺は、また、死に損なった」
「お前、わざと……やったってのか!」

 黒髪の子供は俺を弾劾する。侮蔑を吐き捨て、背を向けた。

 虚なその世界。力無く大地に身をさらす。陽炎のようなその世界。あの子供が剣を振るう。あの子供は直に死ぬ。その滾る血の流れ故に。それがどうした、子供が死ぬなど今更だ。……だが、その眼に宿す光が、とても貴く、眩しく見えた。






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 切り込む一夏に木偶がその拳を打ち下ろす。12.7mmの弾丸がその拳を弾く。銃を掴む手に力を込める。

-警告:バーニア中破、機動力35% 残エネルギー60-
-警告:即時撤退-

 みや。この後は無いんだよ。俺もボロボロだ。だから、みや。お前も根性見せろ。白式は距離を取り大地に降り立つ。俺は一夏の左に降り立った。木偶までの距離500m。白式のエネルギー残80。ピットゲートぶち破るのにどれだけ無茶したのか、白式にも後が無い。

「お前、今更なんだ」
「策がある、手を貸せ。お前の零落白夜が必要だ」
「やなこった。死にたがりに貸す手はねぇ」
「なら、お前も俺も死ぬだけだ。あと1回切り込んでガス欠、違うか?」
「……」
「時間が無い、今すぐ決めろ」

 一夏は雪片弐型を構えた。その獣のような眼を木偶に向ける。口から牙が覗いた。俺は右手の20mm狙撃銃"H&K PSG1i"を構え、狙う。一房、乾いた風が俺らの間を駆け抜けた。大地に立つ木偶は俺らを伺うように立っていた。正直、気分が悪い。

「策ってなんだ?」
「俺が隙を作る」
「で?」
「一夏が止めを刺す」
「……それ策か?」
「お膳立てして、尻を持ってやる。何も考えず全力でぶちこめ。あれは無人機だ」

 一夏が破った第1ピットゲート、そこからロープが下る。見れば、数名の生徒が生身で降り、打鉄の少女へ向かっていた。手には救急パックを持っている。

 俺らは1つ息を吸って、1つ吐いた。大地を蹴る。一夏は右、俺は左。2つの機動音が高鳴る。

 加速する白式の背中が見えた。俺らに無数の光弾が迫る。それは直撃、その筈だった。俺は確信し弾雨の中へ踏み込んだ。最初は右目、右肩を10度前にずらせ。次は左足、脚部バーニアをふかして右へ3m飛べ。次は腹部と右腕だった。右脚が言う、腰が言った、胸が言う、左腕が言う、左肩が叫んだ、喉が吠える。

 俺が俺に替われと言った。

 蒼い光がみやから迸る、身体の重みが消えた。降り注ぐ光弾を全て躱し、12.7mmx99 メタルジャケット、発砲、木偶の右手を弾いて、その姿勢を崩す。白式、零落白夜最大顕現。その白い躯が金色に光り、その蒼い刀身を翳す。木偶、急激上昇、小光弾連射。

-報告:バーニア修復完了 臨界加速(オーバーロード)-

 蒼い閃光に背を押され、音の壁が割れる。距離100m。次弾装填、発射。弾頭が木偶の頭部に命中、センサーを破壊。木偶、急速退避、無作為に発砲。白式のバーニアが太陽のように光り、光弾の中を駆け上がる。


「雄雄々々々!!」一閃。蒼い刀身と白い影が木偶の躯を切り裂いた。


 葉の雫が滴る程の刻、木偶の躯が火花を散らせる。2つの腕が胴から離れ宙を舞う。俺は身を翻し、大地に降りた。爆発。轟音と閃光がアリーナに響く。俺は背中の少女らの安否を確認、深い息を吐く。

-報告:ハッキング解除を確認-
-報告:打鉄27番機 パイロット ティナ・ハミルトン 生命に異常なし-

 ライフルを量子収納。アリーナのシールドが解放、青い空が見える。その空に立つ白式が俺を鋭く見下ろす。

 解放された観客席には息をのみ言葉を失う少女たちが見えた。俺は、彼女らを見る事が出来ずただ空を仰いだ。





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 IS学園1年寮、柊。その712号室。廊下と平行して並ぶ2つのベッド。その皺を払い、手を離す。向かい合う2つの机。その廊下側の机には、学生証が見える。窓から夕日に焼けるあのアリーナが見えた。私は其処を軽く見渡した。

 物音一つしないその部屋で、首にあるそれに手を掛ける。翼を持った剣、カーキ色の首飾り。私はそれに軽く指を添え、詫び、机に置いた。

「いよう、不良学生」

 部屋に響いたその声は、もう何度も聞いた黒髪の一つ下の少年だった。何時もの学園の白い制服、荒々しく襟を開けていた。開いた扉の、その枠に背を預け腕を組み立つ。彼は眉を歪ませ笑っていた。そして机の上を一瞥すると、随分片付いたな、と言った。

「臨時の全校集会中の筈だ。体育館に戻れ、お前が居ないと誰かが騒ぐ」
「夏休みはまだ先だ。授業サボって旅行か? 制服も着ずにどこに行きやがる」
「お前には関係無い」
「そうかよ」
「じゃぁな」

 私は革の黒い鞄を肩に掛け、少年の前を通り過ぎた。廊下に一歩踏み出したその瞬間、強く強靭な意識が織りなす糸が、背中を駆け抜けた。身体が床を踏み抜き跳躍、その身を捻る。頭部に添えた右腕に蹴りの衝撃が襲う。大きな音が響いた。私が身を屈める場所、そこは扉から5m離れていた。

「今の回し蹴りは……あと一瞬、遅かったら危なかった」
「だろうな、そのつもりで蹴った」

 私はゆっくり立ち上がる。疲弊した体に殺意が満ちる。

「答えろ一夏、今のは冗談では済まされんぞ」
「そのつもりだったんだろ? お前はよ」
「俺の事じゃない、お前の事だ」

 牙が鳴った。歩み寄るその眼は鋭く口は歪む。その少年は私の襟を掴み持ち上げた。その僅かに赤い透き通った瞳が俺を射貫く。鏡で見る只黒いそれと、どうしてこうも違うのか、誰か教えてくれ。

「お前は好意が苦手なんかじゃねぇ! 自分が憎いだけだ! 死にたいだけだ!? 違うか!?」
「あぁそうだ」
「今までずっと皆を巻き込んでいた!」
「そうだ」
「3組の娘もそうか?!」
「……そうだ。だから、殺すならさっさとやれ。直に集会が終わる」
「なら殺す前に聞いてやる。何であんな事できやがる」
「意味が分からない」
「白式が言ってたぜ。みやにバーニアを修復させたってな、自己修復なんて聞いた事が無い。千冬ねぇが言ってたぜ、お前の銃は素人じゃ無い。てめぇは一体何だ?」

 その言葉だった。満ちる殺意は俺への殺意だった。鼓動が鳴り響き、一夏の血の流れすら、肉の、骨の軋みすら見えた。廊下に弾く音が鳴る。振り払ったを左手を強く握った。

「知らない」
「ふざけてんのか、てめぇ」
「俺は、あんな力は知らない。俺は、人が死んだ記憶なんて知らない。俺は、自分の事を何一つ知らない」
「……何が言いたい」
「俺には1年以上前の記憶が何一つ無い」
「記憶喪失ぐらいなんだ。俺だって昔の事は良く覚えていない」
「違う。俺には、知っている人はおろか記録すらない」
「どういう意味だ」

「一夏。俺の歴史はな、去年の4月1日、この学園で突然始まった。俺は、知っている人だけじゃ無い。役所にも銀行にも、学校にも、全ての記録に俺が存在した痕跡が無い。この日本が、国民登録がないと缶ジュース1本買えないこの日本でだ!」
「公式発表は嘘か」
「そうだ"嘘"だ。そんな俺が、あんな常識外の力を持ち、人が死んだ記憶を思い出し、銃という狂気を知り……俺の中には俺の知らないもう1人の俺がいるんだぞ! これが恐怖以外の何だ! お前の言うとおりだ! 俺は皆を巻き込んでいる!」



「だから、怖いから消えるのかよ」
「……そうだ」
「お前いつか言っていたな。道具は使いようだって。それと同じだろ」
「この先巻き込まないとどうして言える。顔と名前を知っている人達を、危険にさらしていたんだぞ。嘘にしては悪質すぎるだろ……」
「異常だぜ、お前」
「同感だ。だからお前も俺に構うな」

「ちげぇ! 俺が言っているのは今を無視している事だ! 俺には誰も居ない!? ふざけるな! お前が居た会社の人は?! 学園の人達は!? リーブス先生、千冬ねぇ、箒、鈴、セシリア、本音に静寐! 今居る人達が、お前が死んで、居なくなって、何も感じないとでも思っているのかよ!」
「感傷で語るな! 分かるか!? 守りたい物を傷つけてしまう恐怖が! 得体の知らない力なぞ人を不幸にするだけだ! 存在しちゃいけないんだよ!」

 私にとって最初の、黒髪のよく知る女性。あの人に刃を向ける、あの人を苦しめる。そんな事、認められるものか!

「……一夏。俺がお前の守りたい物を傷つけようとしたら、傷つけたら、お前は許せるのか」
「許せねぇな」
「それが答えだ。俺はもう学園を出る。元気でな」

 鈍い音が響いた。俺の逝く先に一夏の腕があった。俺はまだ何かあるのか、と目の前の眼を睨む。一つの呼吸が聞こえ、聞こえてきたのは紡がれ、言の葉になった心だった。



 俺は、事故が怖くても外を歩く。

 別れると分かっていても友達を作る。

 どうせ死ぬからと生きるのを止めない。

 何も見えなくても前を歩く。

 守れないかもとは考えない。

 だから俺は守る。

 俺だって神様じゃない。

 それになれるとは思わない。

 けれど、せめて、身近な人達だけは必ず守る。

 それが俺の生きる理由。

 絶対に諦めない。



「その理想を、遂げられる事を祈っている。もう良いだろ、どけ」

 一夏はだから、と言った。

「だから、お前も守ってやる」
「……何を言っている」
「ったくよー、こんなジメジメ、しみったれ、そして女々しい奴だけどよ、知り合っちまったもんはしかたねぇ。だからお前も守ってやる。真、俺はお前が恐れる物からお前を守ってやる」

 何故コイツはそう簡単に、躊躇なく言いきれる、口に出せる。何かを守る、誰かを守る、それはそう簡単に口にできる程、軽い言葉では無い。何故そんなに真っ直ぐな眼を向けられる。

 私の眼の前にその眼があった。私の体と心の緊張が緩んだ。私は、鞄を床に置いて一夏を見返す。そうだ、コイツは何時だって恐れず、この眼で踏み込んできた。だから、

「お前、どこまで馬鹿だ、というより人の話を聞け、この馬鹿」
「どっちが馬鹿だ。俺が言ったこと反芻してみろ。この阿保」
「余りに長いんでもう忘れた、このバカ」
「若年性痴呆か? このアホ」
「俺に勝ってから言え。このばか」
「クラス対抗戦もこの喧嘩も俺の勝ちだ、このあほ」
「一夏」
「なんだよ」
「……ありがとう」
「おう」

 小さく一夏に応えた。



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 あの後、廊下にやってきた千冬さんに見つかり、一夏共々殴られた。理由は集会をふけた事と、黙って立ち去ろうとした事。彼女の拳は何時ものように、頭に響いたが、いつも以上に心に染みた。

 あの一件は、極秘事項に設定され箝口令を引かれた。みやによると、学園はここ数週間、頻繁なハッキングを受けているそうだ。そして学内のメイン・フレームによってそれは全て防がれている。つまり、あの機体は何者かが焦れて放った物理的なウィルスであり偵察機。何かが動き始めている。先生達は何も言わなかったが、無人IS機を作れる組織など、そう無いだろう。

 私は屋上に立ち、その手すりを強く握る。夕日が掛るその水平線、海風が吹いた。どこの誰かは知らないが、面白い事をしてくれた物だ。この報復は弾丸で必ず行う。必ずだ。



 身体を返し、手すりに背を預ける。視界に映るのは、何時もの屋上。下フロアに続く小屋、花壇とベンチ。反対の手すりには、一つ年下の同級生の少年と、同室の小柄な少女が見える。夕日を浴びて藍の空に赤く浮かび上がる2人。いくつかの言葉を交わすと、その少女は私をちらと見ると笑って、階段を駆け下りていった。

「鈴、なんだって?」歩み寄る一夏に私が言う。
「んーよくわかんね。あの酢豚の話、ひょっとしてプロポーズ的な意味だと思ったんだけど違うって」と一夏は応えた。

 私はそうかと言った。私はもう一度手すりに肘を当てて、もたれ掛かった。右に一夏が居た。風が私らの髪を凪ぐ。

 私は記憶を無くしたのでは無い。捨てたのだ。見据えるべきものから目をそらした。いつかこの報いを受ける時が、そう遠くない未来必ず訪れる。私はその時何が出来るどうしたら良い。その時ここに居られるのか、それを考えると怖い。

「真、帰ろうぜ。腹減った」
「一夏」
「なんだよ?」
「俺も、もう一度守ろうと思う。手の届く範囲で」
「おう」

 だが、一夏の後ろ姿をみると、ほんの少しだけ楽になった。何とかなるか、そう思うことが出来た。腹立たしい事だが、私を守ると言った時のこいつの顔が、千冬さんと重なって見えたのだから。





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第一期完!


やっと区切りのクラス対抗戦まで終わりました。
それは原作一巻目! 風呂敷広げすぎた感がビシバシ響く……

頭の中にある、一夏と真の関係の半分を漸くこの対抗戦で書けました。
本当に長かった……すこし満足です。

今後ですが、外伝と日常編を挟んで、
皆様お待ちかね、かどうかは分かりませんがフランスっ娘の登場です。
外伝は少しハメを外そうかなーとか、とか。

それでは。



[32237] 04-01 日常編6「しばしの休息」+「戦場に喇叭の音が鳴り響く」+AS01+02
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2013/07/05 21:55
日常編 しばしの休息
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 彼女がいる部屋は白く清潔だった。広さは寮の部屋2つ分より少し狭い。窓は大きく継ぎ目は無く、石英の同位体で作られていた。そして、ベッドが4つ。足を向け合う事一対。それが2列。彼女、ティナ・ハミルトンさんは窓寄りの右手に横たわっていた。彼女は私を一瞥すると眼を細めてシーツを胸元によせる。私は苦笑いを浮かべると、元気そうじゃないか、と言った。

「呆れました」
「なにが?」
「蒼月君、君も重傷の筈です。なぜ出歩いているんですか」
「医務室の先生が大げさなんだよ、ご覧の通り包帯だらけだけど、見た目ほど酷くない」
「脂汗が浮いているようですが?」

 彼女は無人IS、木偶に撃墜され怪我を負ったが数日で退院出来るそうだ。みやの、強力なシールドの影に隠れ大事には至らなかった。クラス対抗戦直前、押し切られる格好で基本デバイスの換装を行ったのだが、先輩たちは何か見越していたのだろう。正直、頭が上がらない。

 彼女は白いTシャツ姿で上半身を起こした。私は明るく彩られた花束を彼女に渡すと、脇の椅子に腰を掛けた。濃い黄色や薄い紅、花はとんと疎いが患者向けの彩りという事だけはよく分かった。彼女はその花をぼんやり見ていると、事の顛末を聞いてきた。私は口止めされていると言った。彼女は気分を害した様子を見せる事もなく、そうですか、と静かに応えた。

 6月。空には陰鬱と敷き詰められた雲が見える。学園の中央本棟、その2階。窓から覗く木々が揺れる事はなく、一瞬絵画のように思われた。彼女は窓から私に視線を移す。その表情は乏しかったが顔色は良く、ゆっくり開くその唇は鮮やかな朱を帯びていた。


「申し訳ありませんでした」
「謝られる覚えは無いけれど?」
「君への侮辱です」
「挑発だったんだろ? 良いさ」
「何言っても怒らなくなった、と言うのは本当のようですね」
「なんでも、と言う訳じゃない」
「例えば?」
「女性経験が無いって言われると傷つく」
「あるのですか?」
「実は……身に覚えは無いけどね」
「私でよければお相手しますよ?」
「そういう冗談は止めてくれ、色々難しいんだ」
「日本語で確か、筆おろ―」
「はしたないぞ」

 思わず口調を固めて言う私に、本当に無さそうですね、と身体を震わせながら彼女は笑う。私は腕を組んで顔をしかめる。彼女のからかいに顔が赤くなる。鈴の夢見すぎ、という言葉を思い出し思わず頭を垂らした。

 ダストボックスにはたくさんの菓子とドリンクの殻が見える。3組の少女達と入れ違いだったようだ。部屋には空調と医療機器の音、そして2つの呼吸の音だけが聞こえる。己の持つ常識の、その普遍性に思索を巡らせていると、彼女が小さく、強いですねと言った。

 その声の小ささに、思わず聞き返しそうになった。もし聞き返していたならそれは侮辱どころの話では無かっただろう。その問いに、私はうんともいいえとも言えず、ただ座るだけだった。

「勝つ自信がありました。そしてあわよくば専用機を、と」
「……ハミルトンは、米兵?」
「えぇ、書類上は予備役ですけれど。在日米軍のIS部隊に所属しています」
「なるほどね、あの装備は軍から持ってきたのか……よく許可がおりたもんだ」
「祖父も、父も、兄も軍人なんです」
「なっとく」
「これでもIS稼働時間120時間超えているんです。それでも、負けました。会わす顔がありません」
「対抗戦は中止。勝ち負けは無いだろ」
「よく言います、ガトリンクを狙っていたのでしょう? 横やりが入らなければ破壊されていました」

「そうだな、俺は君より強い」
「はっきり言いますね、自信過剰です」
「そんな事は無いと、へりくだった方が良かった?」
「……やはり君が嫌いです」

 微かに浮かんだ笑みに私は、残念だとこう言った。

「そっか」





日常編 戦場に喇叭の音が鳴り響く
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 かって千冬さんは私に自己評価が低いと言った。それは己に価値を認めたくなかっただけであろう。ここまで自分に自分を突きつけられれば流石に分かる。

 そしてハミルトンさんは専用機を持つ意味を私に知らしめた。学園で学ぶ者であれば渇望する専用機を私は持っている。私は彼女らに対し責を負っている、己を卑下する事など、許されはしない。それは彼女らをおとしめる事になる。

 一夏は皆を守ると言った。学園は私の帰るところなのだ。だから私は学園を皆を守る事に決めた、言葉にした。己を責める声は止む事なく続く、だが今はこれで良い。



 右手に掲げる12.7mmアサルトライフル"FN SCAR-H"が、かちゃりと音を立てた。

「おい馬鹿」
「なんだ阿保」

 第3アリーナ、第3ピット付近、曇り。あの事件から2日経った。白式とみやの修理、検査も終わり、一夏を誘ってこうして訓練に勤しんでいる訳だが。フィールド上で寝転ぶ白式を見て私は溜息をつく。

「被弾しすぎだ! しっかりしろよおい!!」
「全く近づけねぇだろ! どうしろってんだ!?」

 いくら私の得手であるアサルトライフルとはいえ、こうも……一夏め、不甲斐ない。

「大体! サブマシンガンと全然感じが違うじゃねーか!」
「当たり前だ! だから違う種類の銃なんだろうが!」
「だったらサブマシンガン使えよ!」
「相手に得意の銃使って下さいとか、馬鹿だろお前!?」

 乾いた風が一房流れる。左手で目頭お押さえ、私は一夏と言った。1つ年下の黒髪の同級生は、あぐらを掻き腕を組んで私を見上げている。その顔は不満で一杯だった。

「……なんだよ」
「予定変更、銃の基礎知識を教えるから、耳かっぽじって聞け」
「白式は銃使えないぜ」
「銃を使う相手、の対策だ」
「おぉ」

 ……俺、早まったかもしれない、そんな一節を頭に掠めながら、アサルトライフルを量子収納、光となって消えた。1つ咳払いをし、一夏を見下ろす。

「いいか。銃と一口に言っても様々だけど、ISで使う分には全部で5種類。ハンドガン、サブマシンガン、アサルトライフル、スナイパーライフル、ショットガン、まずこれだけで良い」

 各銃の名前を呼び上げると共に、量子展開し実物を見せる。一夏がふむと言った。

「グレネード、ロケットランチャー、重機関銃とかあるけれど使いどころが限られるから今回は割愛。で、ショットガンを除き、基本的に銃身が長いほど、威力が強く遠くまで飛ぶ。言い方を変えれば相手がどんな銃を持っているかによってどの距離を狙っているのかが分かる」

「ならスナイパーライフルが最強じゃねーか。一番長いし」
「当たればな。確かに射程は長いけれど、実際に当てられるかは別問題」
「お前、バカバカ当ててなかったか?」
「俺だってみやが一緒で、動かない的なら1200mは行ける。けど、実際は相手も俺も高速で動くから使いどころは多くない。当てる為には近づかなければいけない、そうするとスナイパーライフルより、短い分小回りの利くアサルトライフルが良いって話。連射も出来るしな」
「ならアサルトライフルが一番か?」
「スナイパーライフルは命中精度がダントツだし、強力だから中距離でも喰らえば大ダメージだ」
「どっちが良いんだよ?!」
「んなもん、状況と銃手の特性に寄るわ。重要なのは見極めだな。何だかんだ言っても高速機動のIS戦では300m以下が現実距離だから、アサルトライフル、サブマシンガンがメジャーになる。サブマシンガン特性は、一夏にはもう言わなくて良いだろ。ショットガンは近接用、一夏にとっては要注意」

「で?」
「……で、一夏の場合はとにかく近づかないと駄目だから、微妙な距離を保って無駄弾を誘ったり、相手との距離を能動的に変化させて、銃の切り替えを誘い、隙を突いて一気に切り込むって手もある。この辺りになると銃手との駆け引きになるな。例え踏み込みが足りなくても、急加速で接近されると心理的プレッシャーにもなるし」
「ほー」
「わかってるか?」
「なんとなく」
「お前な……最後に1つ。一夏はわざわざ止まって、弾をシールドで受ける癖あるからあれ直せ」
「そうか?」
「そうだ。立ち止まるなんて俺らから見れば良い的だぞ。バラ巻かれた時は多少の被弾を覚悟で強引に離脱するのも手だ。少なく負けるって奴」

 一夏は神妙な面持ちで空を見ている。思い当たる節があるらしい。事実、私もこれを利用して何度かコイツを仕留めた事がある。

「一夏、そろそろ模擬戦再開するぞ」
「なー真」
「なんだ?」
「何でお前、急に色々教える気になったんだよ。渋ってたじゃねぇか、柱がどうのこうので。しかも妙に気合い入ってるし」
「悠長な事していられなくなった」
「なんでだよ」
「この間の無人機、動きおかしくなかったか? 何かを探るような」
「あぁ、俺らを観察しているみたいだったな」
「あれが偵察機で、俺らがそれを破壊した。お前があれを送り込んだとしたら、次どうする?」
「……また来るってのか」
「あくまで可能性の問題だけど、もう来ないと楽観していい話じゃ無い。それにあんな重い言葉口走ったからな、気合いぐらい入るさ」
「少しはまともな眼をするようになったな、お前」
「言ってろ。というか、お前は尚更だぞ。少なくとも俺より強くないと格好付かない」

 私は眼を細めた。一夏は不敵な笑みでこう言った。

「心配すんな、任せとけ」




 白く敷き詰められた空の元、一夏と刃を交わす。視界に映るのは雲で満たされた空とアリーナの観客席と、ブラウンのフィールド。それらが映っては流れ、回り、消える。私は己の中心に白いISをただ、置く。

 引き金を引き、12.7mmの赤い軌跡を放つ。一夏は鋭い双眸を私に向け、弾丸を躱す。そのかざす鋼の刃が蒼く光った。

 あの日、一夏に貰った言葉が心に浮かぶ。根拠の無いあの自信がどこから来るのか理解に苦しむ。ただ、あの時。一夏に深い感銘を受けたのは紛れもない事実、だから私は今ここに居る。

「意外と長い付き合いになるかもな」
「なんか言ったか?」

 私は何でも無いと、引き金を引いた。



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外伝中の外伝 Another Story XX01 と Another Story XX02


このXX01の後にXX02があります。
別空間です。宜しくお願いします。

尚、XX01は下ネタがあります。
苦手だという方、ざっと画面を流しXX02へとんで下さい。
"■▲……"が目印です

Another Story XX01
【この話の内容、結末は本編と関係しません】
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 人生とは戦い

 苦痛から目を背けてはならない

 ひとたび目を背ければ

 それはどこまでも追ってくるのだから

 真はそう信じ、ただ己を鍛える

 守るべき物は友と彼女たち

 立ち向かうは



 エロの鼓動



 入学から2ヶ月が過ぎた6月初旬。天からは雨、大地には露、室内には湿気。真は自室でのたうち回っていた。

(今回は持たないかも知れない……)

 今まで塞ぎ込んでいたそのエロい鼓動が弾けんばかりに溜まっていたのである。


 今一度確認しておこう。真は16歳である。人生で最もそれが激しいお年頃、そんな彼が女子寮の中にいるのだ。守ると誓った彼女たち。手を出す訳にもいかず、生命の鼓動と日々戦っていた。その苦しみ推して知るべし。

 ただでさえ人の気配に鋭敏であった真は先の木偶戦でそれを更に顕在化させた。間の悪いことに徐々に高まる気温、まとわりつく湿気。学園の少女達は徐々に薄着になっていった。当初は視界に写れども認識しないという器用な方法でいなしていたが、今では目を瞑ろうが、柔らかい気配、少女達の香りは嫌でも感じ、もうどうにもならなくなっていたのだった。

(とりあえず、)

 冷水を浴びる、全力疾走をする、グロテスクなものを見る、ホラー映画を見る、あらゆる手段を講じ、

「やっぱりだめだーーーーー!!」

 全て徒労に終わった。ベッドで俯せ、枕をかぶる。

(まずい、この状況で鈴が帰ってきたら、マズイ絶対)

 昨夜の事である。急な話であったが、鈴は国のお偉いさんに会うと都内へ出かけて行った。帰宅予定は明日、日曜の18時。

(それまでにカタを付けないと人として終わる……)

 震える体を押さえつけ、ひらめいたのは一夏だった。そう考えたのには訳がある。一夏は箒と同棲、否、同居中である。にもかかわらず日々飄々浪々。何か良い方法を知っているに違いない。真はそう考えた。

「という訳なんだ。一夏、秘訣を教えてくれ」
「土曜の夜に何かと思えば、くだらねー理由で呼び出しやがって……」
「くだらない訳あるか! こっちは生きるか死ぬかの瀬戸際なんだよ!」

 一夏は絨毯の上で、腕と足を組む。溜息をつくと向かい合う真をジト目で見た。

「特に何もしてない」

 一夏の発言は地味に響いた。

「……一夏、済まなかった。心の訓練不足だ俺」

 感嘆も込めた。

「訳が分からんけど、まぁそういう事だ。箒も居るし―へぼぉぅ!」
「この馬鹿一夏! お前やっぱりやる事やってやがったか! 何がただの幼なじみだ! エロ本抱えて溺死しろ!」

 一夏は、箒が居るから怖くてそんな気分にならない、そういう意味で言ったのだが意思疎通とはかくも難しい。追い詰められている真は早合点し、一夏をぶん殴った。

「訳わかんねぇ事いってんじゃねぇ! 鈴が居るじゃねーか! 人のこと言えた義理か! このエロまこ大王!」

 激怒し一夏もぶん殴る。だが、

「挟んだか! 挟みやがったか! こ、この野郎がーーー!!!」

 真は聞いていなかった。

 一夏は一瞬、あぁ確かに鈴じゃ無理だな。と聞かれれば殺されかねないことを考え同情した。だが本音を思い出し、踏み込んだ。

「真には本音が居るだろうが! 十分デカイだろ! ちったぁ身の程わきまえやがれ!」

 静寐が不憫。

「本音とはそういう関係じゃ無いと言っているだろうが! そんなことするか! この馬鹿一夏!」
「この阿保が! 今言ったこと反芻して死ね!」
「もう忘れた! いがぐり食って吐血死ね!」

 どうでも良いが、必死に考えたセリフ愚弄するな、お前ら。

 全力で殴り合った後、散らかる部屋で大の字に転がる馬鹿2人。少しは晴れたのか、息を切らせながら和解するのは阿保2人。騒ぎに誰も来ないのはご都合主義。

「すまん、一夏。俺どうかしていた」
「いや良いって、もう済んだことだぜ」

 2人は笑って何度目かの喧嘩を終えた。互いの手の平と甲を打ち鳴らす。だから愚弄するな。



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 翌日、真は朝からのたうち回っていた。もう溜まったらしい。

(もうだめだ、何か買いに行こう。バレても良い。)

 雑誌かDVDか、それとも小説か。

「町へ出ようにも俺、学園外へは出られないじゃないか……」

 先日の木偶戦で、軟禁を千冬とディアナから言い渡されていた事を思い出し、嘆いた。流石に命は惜しい。それ以前に自分が未成年と言うことを完全に忘れている。頭を抱え、気分転換に本を読む。

 地図。

「エロマンガ島……だー!! 俺は中学生か! てゆーか中学時代あるのかっ!?」

 美術。

「ミロのヴィーナス像……ごめんなさい、アレクサンドロスさん、ごめんなさい」

 思わず唾をのんだ真は泣きながらテキストを開いた。タイトルは"ISにおけるFire Weapon"小難しい本を読んで気を紛らわそう。

-第2章 弾丸……銃弾には大きく分けて、固い金属で覆われた弾丸と柔らかい弾丸があります。前者をメタルジャケットとも呼び、貫通力に優れます。後者は拡張弾とも呼び命中すると弾頭がキノコ状に変形しするため、弾丸エネルギーを効率よく伝えます-

 ふむ。

-この拡張弾を人に用いた場合、その傷はきたなく、凄惨な事から軍隊においては使用を禁じられています。この拡張弾は軍用として使うとダムダム弾と呼ばれ、ハーグ陸戦協定に抵触し怖いおじさんに怒られます。ですがシールドを持つIS戦闘においては~~-

「……あぁそうだ。射撃場行ってぶっぱなそう。そうすればすっきりする」

 殆ど要管理人物的発言をする真であった。セシリアから貰ったリボルバーに手を掛け流石に止めた。射撃場のを使うと頭を冷やした。





 さて、ミッションスタート。今日は日曜日。大半の女生徒は学外に出かけている。寮から射撃場までは隠れる場所は沢山ある。つまりは、少なからず居るであろう少女と会わずに寮から出れば彼の勝ちだ。会ったらヤバイ。

 扉を開けて左右を見る。広がるは薄暗い廊下。窓にはどんよりとした雲。気配は無い。と、音も無く忍び出せば目の前には本音。

「あ、まこと君。おはよう~」
「う、ひゃほぅっ!」

 突然の登場に思わず声ならない声を出す真であった。初めて見る彼の態度に本音は思わずきょとんとする。

「なんだ、本音か。びっくりした……」

 何時ものとは少し違うが、パンダの着ぐるみ姿の彼女を見て、真は胸をなで下ろした。露出が顔しか無いのだ。これなら大丈夫。

「まこと君おでかけ?」
「あぁ射撃場に行こうかと」
「日曜なのにがんばるね」
「まぁ好きだから」

 思わず表情を固める本音であった。鉄砲が好きって、どうしよう。この間の事件で頭打ったのかな。何とか矯正しないと後々苦労しちゃう、と悟られぬよう悩む本音であった。

「そ、そっか。がんばってね」

 あぁ、と手を上げる真。よせば良いのに余計な一言を言う。本当に一夏に似てきた。

「ところで本音、暑くないか? その着ぐるみ」
「うぅん、大丈夫。これ"一枚"だけだから」

 思わずめまいがした。その頭の中は、着ぐるみの中で一杯だった。もちろん、本音は下に付けるものは付けているが、もはや妄想は手に負えない。

 すんでの所で立ち止まり「はしたないぞ本音!」と言いつつ真は走り去る。「えー! 顔しか見えてないよ! はしたないって顔なの?! ひどいよー!」と嘆く本音だった。



 2番手、静寐。事もあろうに薄手のタンクトップにミニスカートだった。静寐は勇気を出して見せに来た。頬を染め「おはよう」とにこやかに挨拶する静寐に「あり得ない」と真は逃げ出した。しばらく呆けた後、やっぱり金髪が好きか、と怨嗟を唱える静寐であった。次会った時は覚悟しなければならない。



 セシリアはノースリーブのドレスだった。二の腕だった。セシリアの挨拶を無視して逃げ出した。背中から"オホホ"と怖い声がした。

 箒が見えた。目を瞑り走り抜けた。振り抜く腕に触った物は、2つの柔らかい先端。そのまま逃げ出した。怒号が飛んできた。



 オカシイ、と真は走りながら思う。何故今日に限って勘が働かない。

「なぜだっ!」

 それはご都合主義。



 そしてラスト。皆様お待ちかね、廊下のT字路。ぶつかったのは何故か2年の薫子。すまない、と手を差し出す真が見たのは、尻餅をついた薫子のスカートの奥。淡い青だった。決壊した。

 痛みに抗議する薫子に真は、

「薫子! 頼む! やらせて!」

 もうダメだった。こんな主人公ありえない。



 それを聞いた薫子は、顔を真っ赤に罵声を浴びせる。

「あんた何考えてるのよ! 変態! 信じらんない! サイテー!」

 尤もだった。

「薫子の非難は甘んじて受ける! だけどマジ死ぬ! 死んじゃうから!」

 土下座だった。しかも泣いていた。流石に哀れと思ったのか、同情したのか、それともナニか。薫子は何故か、自分の指を絡ませつつ、顔が赤かった。

「付き合ってくれるなら、考えてあげても良いけど……」
「分かった! 付き合う!」

 深刻な意思疎通の齟齬発生。薫子は交際で、真は買い物で。真は思わず薫子の両手を掴み迫った。普段の2人であれば気づいたであろうが、真は切羽詰まり、薫子は舞い上がっていた。つまりはそういう事である。真氏ね。

「どこが良いっ?!」
「ほ、保健室……」

 でへーと顔を緩める薫子だった。真の中の何かが切れた。あい分かったと薫子を抱きかかえ猛ダッシュ。

「ちょっ! 着替えさせて! せめてシャワー!」
「大丈夫気にしない! 綺麗で無くても問題なし! 俺のはダムダム弾だから!」
「マッシュルーミングね!」

 もうバカばっかりである。

 6月最初の日曜日。IS学園の保健室は、千冬、ディアナ両名により制圧された。罪状はハーグ陸戦協定違反。


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色々ごめんなさい。次XX02


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Another Story XX02
【この話の内容、結末は本編と関係しません】
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 それはある晴れた土曜日の事だった。

 柊(1年寮)の食堂の白いテーブルの上、縦横高さ30cmほどの立方体。又の名を段ボール。窓から入る日差しを浴びて箒は1人溜息をつく。組んだ腕はぴくりとも動かなかった。

 お届け先は"篠ノ之箒" ご依頼主は"篠ノ之束"

 先程のことだ。荷物が届いたから引き取りに来いと、千冬から連絡が入った。心当たりの無い箒は怪訝に思いながらも寮長室に向かい、思わず言葉を失った。ISを自力で開発した有史稀に見る大天才にして、大災厄。箒の実姉である篠ノ之束からの荷物であった。

 不安でしかめ、晴れない表情で千冬は言った。

「悪いが、中身を確認させて貰った。報告では危険物では無いらしい。が、アイツのことだ。何かあったら直ぐに知らせろ」

 箒には段ボールに印刷された黒猫の親子が皮肉げに笑っているように見えた。




「むぅ」

 食堂に持ち込み、睨むこと30分。無意識に出た言葉に箒は腹を括る。

(やはりこのまま処分しよう)

 何かあるに決まっている。私1人だけならば良い、静寐と本音を巻き込むにはいかない。とは箒の偽りない本心だった。箒の中では"静寐=本音>>束"の様だ。義に厚いとはいえ、ここまで厚いと少し怖い。

 箒が箱に手を掛けると、その静寐と本音が声を掛け、歩み寄る。手を箱に置いたまま、箒は2人を笑顔で出迎えた。

 それは何だと聞かれて答える箒。事情を聞いた2人は、不埒者めと、箒の行為を戒めた。姉妹の居ない静寐に、仲の良い姉が居る本音。何があったかは知らぬが、身内の心づくし。せめて封を解き見届けよ。五常五輪、武を志す者が礼を欠く事まかり成らん。

 他ならない2人にこうも言われては流石の箒とて観念するしか無い。


 べりべり、がさりと、封を解く。3人が覗いたその中身。白い梱包材に埋もれるは、澄み切った、歪の無いただの純粋な丸。水晶球だった。箒は15cmほどの球を手に取り陽にかざした。陽の光を浴びてきらきらと輝いていた。

 静寐は「綺麗ね」と言った。
 本音は「台座もあるよ」と言った。

 はて、そんな筈は。とは箒の弁。正直爆発するかもしない、とまで思っていた。そしたら2人を危険にさらした事実に気づき、己の迂闊さを心底呪う。右に静寐に左に本音。席に座る、目の前の気の良い2人の友人たち。柔らかい笑顔を見ると、心からの安堵。一言済まないと心で詫びたら、またこの球に疑念がわいた。



 一刻過ぎ、二刻過ぎ。テーブルの上、朱色の台座に鎮座する水晶球。うんともすんとも言わないこの球に流石の箒も考えすぎかと、力んだ身体を緩ませた。

 じきに一夏がやってきた。鈴もやってきた。ぞろぞろと生徒達がやってきた。皆、その水晶の球を見ては綺麗だと言い、触り持ち上げる。最近続いた騒動に、どこか影の落ちていた少女たち。屈託無く綻んだその笑顔。箒は心の奥底で、姉に謝罪と謝辞を述べた。

「一夏。真はどうしたのだ?」と箒が言った。「射撃場。っと、安心してくれ。セシリアだけじゃ無い。ティナも一緒だぜ」と一夏が答えると、静寐は「金髪が増えた……」とぼやき本音は「全然安心じゃ無いよー」と力無く肩を落とした。「馬鹿者共め……」「え? 俺も?」





 そして夜。寝具にくるまる箒は、ふと何か光る物を心に映し出した。それはなんだと自答し、答えが結ぶ前に意識と身体が闇夜に落ちた。置き忘れられた水晶球。食堂は鈍い七色の光で満たされていた。



「いっやぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーー!!!」

 翌朝のよく晴れた日曜日。柊(1年寮)に最初の悲鳴が響いたのは午前6時のことである。


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 何時もと変わらない柊の食堂。何時もと変わらない窓からの風景。何時もと変わらない朝食の味。思い思いのテーブルに着き、ただ頭を抱える少女たち。溜息と沈鬱な空気が漂っていた。何時もの8人掛けのテーブル。其処には一夏、箒、鈴、静寐、本音が腰掛けていた。食事は無く、飲み物だけが並ぶ。何時ものように、小鳥はちちちと鳴いていた。


 箒が咎めた「どーすんのよ、これ」

 鈴が呟いた「どうして、こうなるの……」

 一夏が嘆いた「大変だよ……大変だよー」

 静寐がぼやいた「夢じゃねーんだな、やっぱり」

 本音が詫びた「……とにかく済まない」

 真はティーカップを右手に、左手は左頬に、一息つくとこう言った。

「でさ、なんで皆の身体が入れ替わってるんだよ」

 箒は心の中で姉を罵倒した、ただし身体は本音。



 朝、箒が目覚めると見知らぬ少女が目に映った。薄目に浮かぶ隣の、廊下側のベッドには髪の短い小柄な少女が寝ていた。よく知っている。彼女は同じクラスの者だ。

 かちこちと時が刻み、わなわなとその顔と身体に力を込めた。

 おのれ一夏、私が居るにも関わらず女を連れ込もうとは、今日という今日は容赦せん、と箒はいきり立った。寝床から身を疾風の如く走らせれば、伸ばした手は宙を切った。

 箒は妙だとそこに目を走らせる。有るべきところに竹刀が無い。ふと見れば化粧台が違う。漆色の観音開きのそれは、白く柔らかい棘で縁取られた物に変わっていた。枕元には質素な針時計の替わりに、小さく可愛らしいペンギンはお腹に時計を抱えていた。よく知った部屋は、何時もと違っていた。

 視線が低い。身体に違和感を感じる。何より、黒かったはずの髪が淡い栗色になっていた。まだ私は寝ているのか? しかし妙に現実感がある。箒は洗面台に向かい鏡を見た。其処に映るのは彼女の親友であった。

「なぜ本音がここに居る?」

 箒の問いに本音は驚いた表情で、同じ言葉を口にした。



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「と、言う訳なのよ」
「話だけなら信じられないけど、その仕草、口調、雰囲気、どう見ても鈴だよな……」

 真は怪訝と確信と、2つを交えて皆をみる。箒は何時ものむっすりした顔はどこかへ捨て去ったように、その表情をころころと変えていた。箒は額をテーブルに押し当て、むーむー唸る、身を起こしては、あぁぁと頭を抱えて振り回す。頭のポニーテールと緑のリボンが苛立つように揺れる。箒の中身は鈴。

「で、なんで真は無事なんだよ」と静寐がぶーたれる、心は一夏。
「俺、その水晶球に触ってないから。1年生全員が変わっている訳じゃないしね、察しは付くよ」と真が答えた。
「おりむーになっちゃった……どうしよう」とは手鏡を見つめる一夏だった、中身は本音。頬を上げては下ろす、その仕草はビジュアル的に芳しくない。


 真は皆を見ると腕を組んで息を吐く。背にある白いクッションがみしと音を立てた。

「まず現状把握。入れ替わり以外で、身体に異常、なにか問題ある人居ないな?」と聞いた。鈴が「おおあり!」と、身を乗り出し両手で机を叩きつけた。一拍。涙目で真を見下ろすと、今度は、よよよと泣き崩れた。鈴の中身は静寐である。

 皆、着の身着のまま、つまり寝間着のままだった。一夏は紺のTシャツにハーフパンツ、箒は紅の襦袢、鈴はダークグレーのスウェット、本音は着ぐるみ寝間着、静寐はキャミソールの上に学園指定の白ジャージを着ていた。因みに真は黒のTシャツにカーゴパンツ。

 他人の身体なのだ、気を遣う必要がある。特に本音と一夏は大問題であろう。静寐の身体は一夏に、一夏の身体は本音に入れ替わっているのだから。本音と一夏は性別まで異なる身体なのだ、考えるまでも無い。

 濁った眼で鈴が言う「織斑君? 私の身体に何もしてないよね? 何かしたら……いい?」そう、鈴の中身は静寐だ。一夏は恐れおののき、ただガクガクと頷くだけだった、一夏の身体は静寐。


 小刻みに揺れる静寐の藍の髪を見て真は鈴に向き直り、言う。その目は薄く閉じられ非難めいていた。

「それにしても静寐、いきなりひっぱたくなんて酷いぞ」
「だって! 朝起きたら隣に真が居るし! 朝なのに夜這いって何とか?! 何も覚えてないとか本気で絶望したし! 覚えてないからもう1度って!」

 その驚きよう如何程のものか。脈絡無く口走る、その何時もより歪な黄色いリボンはぴこんぴこんと、いきり立っていた。真が「はしたないぞ、静寐」と言うと鈴はあわあわと、顔は赤かった。開いた唇は波を打ち、目はぐるぐると。鈴の中身は静寐である。心は本音の一夏がぷぅと頬を膨らました。真は隣と言っても隣のベッドだから、と念を押した。


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 テーブルに置かれたカップに波紋が立つ。皆はこれからどうすれば良いのかと、物憂げに耽る。静寂が流れた。

 箒が顔を上げ「真は機械が得意だろう、なんとかならないか」言った。小動物をあしらった髪飾りは2つの房を、真剣の如く緩やかに流していた。真は、あぁ言うと、落ち着いて紅茶を1つ口にする。

「皆が揃ったら見てみるよ」
「皆? 他に誰が居る」
「セシリアが来てない」

 何故セシリアを待つ必要がある、箒の疑問は階段を駆け降りる足音に掻き消された。


 皆が見た物は、最初は足、次に腰、次に肩、最後は金の髪と碧い瞳。その少女は階段を2つ3つ飛ばして駆け下りる。食堂を見渡し、真らの姿を認めると駆け寄ってきた。髪を振り乱し、無化粧の頬、薄く透けた白のナイトドレスの上に、淡い青のガウンを纏っただけのセシリアだった。

 余程慌てたのかエレベータを失念したようで、階段を下りてきた。何時もの優雅さを忘れたような、その慌てように皆は怪訝な表情を浮かべる。胸に手を当て、息を整えぬまま、セシリアは皆の前に立ち、一呼吸。

「……みんな、身体に異変ないか? 例えば入れ替わっている……とか」
「「「「「……」」」」」

 真は落ち着いて紅茶を1つ口にすると「遅いですわよ、今まで何をしていましたの?」と言った。黒髪の、目付きの悪い少年はすまし顔だった。思わず、ぽかんと見合う一夏たち。

 羞恥で顔を赤くしていた鈴は、ギギギと首を鳴らし目の前の真を見た。ならこの真の中の人はだれ? じきにその顔は白くなった。理解した。でも信じたくなかった。最後にそのころころ変わる表情はただ青く引きつっていた。鈴の中身は静寐。

「真…か?」箒が訝しげに見上げた。真は「本音の中は……箒か。やっぱり皆もそうなんだな」と、その端正な表情に困惑と疲れを湛えている。「マジかよ……」一夏が信じられないと、静かに座る横の真を見て呟いた。


 響く悲鳴と嘆き。宙に浮く屑糸のような言の葉が食堂に舞う。窓に映る小鳥は首を傾げていた。


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「セシリア、やっぱり駄目だ。ブルー・ティアーズが反応しない。みやを使う」とセシリアが言った、心は真。

 第3アリーナ、第1ピット付近。フィールド上に多数の少女たちが集まっていた。

 皆が揃った一騒動の後、金髪の少女は水晶球を手に取った。それは間違いなく機械で一定範囲の人格と肉体を入れ替える物だと言った。触る触らないは無関係であった。

 ならば何故セシリアは入れ替わっていないふりをしたのか。起床直後の皆は理性が低下しており、身体が入れ替わった現実に酷く取り乱していた。同室の鈴、中身の静寐は動揺が酷く、落ち着かせる為に当身まで使用した。

 事の重大さに気づいたセシリアは、パニックに陥りかけていた皆を落ち着かせるため芝居を打った。一夏が関わらなければ物静かな彼の性格を利用した、という事だ。日ごろ意識されることは無いが、1つ年上という事実は少なからず皆に影響を与えている、それにセシリアは気づいていた。


 蒼い光の粒が走り、集まり紡がれる。其処にはカーキのリヴァイヴ38番機を纏う、金色の少女が立っていた。ポニーテールの少女から球を受け取ると、両手で持ち額に当てた。球に光が宿り、みやの腕に蒼い光が迸る。

 その金の髪には何時もの青い髪飾りは無く、替わりに青いリボンがその髪をうなじでまとめていた。何時もと同じ金の髪、碧い瞳と白い肌。何時もと異なる鋭い視線と、荒からず清からずの振る舞いに数名の少女たちが見惚れていた。

 誰かがこのままでも良いかも、と言った。それは困ると内心一夏はツッコミを入れる。あの顔だと流石に殴れねぇ。


 みやの不可視の針が水晶球を走査する。構造、材質、エネルギー準位、情報処理パターン解析、みやの手から解除の指令が最高レベルで送られる。みやが完了を報告した。

「よし、これで大丈夫」金色の少女は表情を緩めて、1つ息を吐いた。
「みやは便利だな」と藍の髪をヘアピンで止めた少女が言った。

「言っておくけど、みやは渡さないぞ」
「ざけんな、俺は白式一筋なんだよ」

 なんか扱い違くない? わき起こる苛立ちを必死で抑える周囲の少女たちであった。

「一向に戻らないじゃない、どういうことよ!」と箒が顔赤く睨む、中身は鈴。「実は今のままで良いとか思ってない?!」と鈴が目を濁らせ詰め寄った、中身は静寐。この2人は意外と息が合う。

「安心してくれ、ちゃんと戻る」との真の弁明に「何時戻るのだ」と、淡い栗色の2つ房をぴんと切り上げた箒は問う。

「……明日」
「「「え」」」

 腕を組みすまし顔の真が、やれやれですわと深い溜息をついた。


「……静寐、トイレ」
「ぜっったい駄目ぇ!!」


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 翌日の月曜日。今日も晴れていた。そろそろ梅雨なのに大丈夫かと、教室の真は自席で頬杖をつき空を見上げる。あの水晶球は普通では無かった。心を入れ替えたのだ、普通では無いのは当然だったが、

(光学素子の情報処理体だった)

 つまりは光コンピュータ、オーバーテクノロジーも良いところだ。箒の姉とは一体何者なのかと、真はひたすら現実逃避していた。

 その現実逃避は彼の近しき少女たち。1つの夜が過ぎ、身も心も正しい状態に戻ったが、2人は朝から沈痛な面持ちで席に座っていた。右隣の静寐は机に突っ伏し言った。もう中身も静寐。

「真、ごめん」
「なに」
「一夏にみられた……」
「あ、うん」

 何があったのか、静寐は一夏を呼び捨てにしていた。後ろの本音は言った。その顔を陰らせ、胸の前に両の手を組み握っている。もう中身も本音。

「まこと君、ごめんね」
「なにが?」
「おりむーのみちゃったよ……」
「……」

 真は気にするなとも、気にしてないとも言えず、なんと言ったら良いのか頭を抱えていた。

「で、セシリアの、」
「見たんだね?」
「……見てません」

 頬を叩く乾いた音と、抓る湿った音が教室に響いた。



----------



 最後に、他の被害者たちを語ろう。

 鈴は机に脚を掛け、身を反らし天井を見上げていた。重いし肩こるし、大きすぎるのも考え物よね。箒だった時の胸元を思い出し、悟る。もう小さいことに悩むことなどしない。

 静寐の色々見た一夏は流石に責任取るべきか、いや千冬ねぇの花嫁衣装を見るまでは……と、両肘を机に当てて頭を垂らし、苦悩していた。シスコンここに極まれり。

 箒は、席に座り顔赤く呆けていた。口は半開き、目は焦点が定まらず天井を仰いでいた。

(あれは良い物だ……)

 昨夜の事。部屋に戻り、洋服ダンスの中に見た物は色とりどりの着ぐるみの数々。着ては、鏡を見る。着替えては鏡を見る。にゃんとポーズも取った。

(パンダの白と黒のツートンがあれほど心弾む物とは知らなかった、猫の肉球を頬に当てると全ての苦悩が消え去ったように世界がバラ色に見えた、ハリネズミの針があれほど愛しいものとは知らなかった、刺されて血を流すことなど何する物ぞ……あぁそうだ、ウサギだ。子ウサギが居なかった。今度買ってきて本音に着せよう……)

 可愛らしい格好は似合わないと避けていた箒は、その不意に訪れた恵みに暴走していた。

 その脳裏には、白いウサギ耳の本音が、何故か両手の平に収まり、手足を丸く縮め、鼻をすんすんさせていた。思わず顔を手の平で隠し、真っ赤に身悶える箒だった。もう駄目かもしれない。



 セシリアは、

(真は寝直して遅れたとか言っておりましたけれど、そんな筈ありませんわよね)

 席に座り、憑きものが取れたように心軽く、僅かに頬を染めて鼻歌を歌っていた。これを形に真を本国に連れ帰りましょう。予想外のことでしたけれど、あの質の真なら最早私に背くことなど出来ぬはず……。

 セシリアのその脳裏、花が咲き乱れるオルコット邸のガーデン。青い空と浮かぶ真っ白な雲。白い1本足のテーブルと、3つの椅子。右に一夏、左に真を侍らせ、セシリアはお茶会を楽しんでいた。ご丁寧にも彼方に見える格子の向こうでは、学園の少女たちが地団駄を踏んでいる。

(あぁお母様、セシリアはやりました! 完全勝利ですわ!)

 突如立ち上がり、くるくると回っては天を仰ぐ。既に一夏も手中に収めたと、何故か思っていた。


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 そして学園の職員室。1年1組と2組の教師が席に座り書類に目を通していた。千冬とディアナである。真は水晶球の管理を2人に頼んだのだった。

「千冬、あの水晶球の処理は済んだ?」
「あぁ、Lv5の地下金庫に封印した……ディアナ、やはり破壊するべきで無かったか?」
「仕方ないでしょ、真が破壊は危険だと念を押していたし。こと機械に関して真の意見は無視出来ないわ」

 ちちち。小鳥が鳴く。

「……ディアナ、お前垂れたな」
「……千冬、目尻にしわがあったわよ」

 飛び交う殺気に職員室が戦場と化した。
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往年のお約束、中身入れ替わりでしたが如何だったでしょうか。
文字で出来るのか、やってみたら案外出来た、と思います。
よくわからねーよ、と言う方いらっしゃればご意見下さい。


身体(中身)
・一夏(本音)
・静寐(一夏)
・本音(箒)
・箒(鈴)
・鈴(静寐)
・セシリア(真)
・真(セシリア)



[32237] 04-02 日常編7「終わりの始まり」+「凰鈴音」
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/07/09 00:08
日常編 終わりの始まり
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 時は、白式が無人機を撃破したところまで遡る。


 第2アリーナの中央制御室、その大型モニターに映る無人機の最後。制御コンソールに手を走らせる山田真耶は、緊張の息を吐き出した。

「所属不明機の、ISコア反応の停止を確認しまし、た~」

 IS学園内での初戦闘、初実戦が突発したフィールドは正しく戦闘跡であった。

 至る所に数十メートルから最大100メートルに達する穴が幾つも開き、其処からは黒煙と火の粉が舞っていた。荷電粒子痕が幾重にも走り、黒鉛で強引に描かれた様だった。フィールドを囲う構造物は破壊され、一部は崩落していた。壁からむき出しになったエネルギーチューブは破損し、その漏れ出たエネルギーにより空気がプラズマ化、激しい音と光を放っている。観客席に被害が無かったのは3人の、1年生の功績だった。

「山田先生、状況確認を」と、千冬は酷く抑揚の無い声で言った。

「施設被害を除けば、死傷者はゼロ。怪我人は2名、ハミルトンさんと蒼月君だけです。お客さん(来賓)も無事です。所属不明機の破壊と同時にアリーナ内のハッキングも解除されました。現在一般生徒は順次避難中。アリーナの蓋(エネルギーシールド)も解除です。先行した救護班の生徒が救急車とブルドーザーを要請しています」

「リーブス先生と小林先生は? 来賓の接待に当たっていたはずだが」
「暗号電文が入りました。これから本棟のゴミ箱(応接室)に運ぶそうです。追伸"後で全部吐きなさい"」

 少し笑った真耶に、千冬は僅かに気配を緩めた。

「山田先生、観客席の物理シールドは閉じた状態を維持、全一般生徒を―」
「……織斑先生」
「どうした」
「問題発生です」

 一転した状況に真耶はその笑みを、今にも泣きそうな歪な物に変えた。手元のコンソールが伝えるその内容に、泣きたかったのは千冬も同様であった。

-報告:地下エネルギーチューブ施設 警戒温度-
-報告:省エネルギーモードへ移行 環境維持のため観客席シールド強制解放-



 第2アリーナの地下100mには巨大なエネルギーチューブが走っている。海底にある発電施設と学園を結ぶ物で、学園で消費されるエネルギーの大半を賄っている。これが何故よりにもよって唯一来賓に対応出来る第2アリーナの地下に設けられたかは、知るものが居ない。設計当時の議事録が残されていないからであった。

 千冬は彼女自身が信頼する人物で、真がおやっさんと呼ぶ技術者の蒔岡宗治に、極秘裏に相談した事があった。

「突貫工事には良くある話だが、その割にはちゃんと設計されてやがる。嬢ちゃん、これは意図的なもんだ。この作りなら滅多な事では壊れないだろうが、早いうち何とかした方が良い」

 ただこの問題は正しく難題で早々に手が付けられる内容では無かった。

 今回の戦闘活動によりその地下エネルギー設備に被害が発生、冷却系統の能力が低下、12時間を待たずしてブレーカーが落ちる。そうすればエネルギー源は学園内の物だけになり、メインフレームは自閉モードへと移行。警備システムは停止、それの意味するところは自明の理であった。

 今考えるべき事は目の前の危機だと、千冬は瞬時にプランを立てインカムに手を伸ばした。

「山田先生、不要隔壁はロック、フィールドを見た生徒はそのままアリーナ内のロッカールームに強制待機。全専用機持ちと整備課の生徒、布仏虚を第2ピットに招集、対応に当たらせろ―いや、生徒会長は学園警備に回せ」
「はいっ!」

 手元のコンソールを凝視する千冬はその閉じた唇を僅かに動かす。其処にはアリーナを呆然と見る生徒達が映っていた。

「蒼月、聞こえるか?」
『はい』
「賊を回収しろ、生徒と覗き魔(偵察衛星)に見られるな。急げ」
『了解』
「山田先生。蒼月を第3ピットに誘導、その後ピットのセキリュティをLv3に。織斑は負傷者の救助」
「織斑先生、蒼月君は負傷しています!」
「仕方なかろう、織斑は細かい作業に向いていない。それに目立つ」

 真耶は一瞬戸惑った後、復唱した。彼女の向かうコンソールにはラファール・リヴァイヴ38番機パイロット、そのバイタルコンディションがイエローと示されていたのだった。真はティナのECMシートを回収すると、口から漏れた血を拭い、顔をしかめながら無人機に向かった。

 白式が無人機へ降下。それを見た千冬は止めろと言った。

『千冬ねぇ! なんでだよ?!』
「織斑は救急車とブルドーザー、人命救助だ。救護班の元へ向かい現地3年の指示に従え。それと、織斑先生だ。馬鹿者」
『……わかった』

「織斑先生、布仏虚さんが情報開示を求めています。どうしますか?」
「やむを得ん、機密署名をさせた後、開示……篠ノ之はどこに行った?」
「トレースします」

 真耶は先程まで箒が居た後ろを一回確認すると、コンソールに向き直った。千冬は溜息をつき、モニターに映る破壊されたフィールド、そして白とカーキのISをじっと見ていた。


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 薄暗い観客席に響くのは地鳴りと銃撃音、そしてISの機動音だった。専用機を持つ少女たちは、非常灯が照らすその席でただ待っていた。

 ある少女は握り合わした手を口元に当てていた。ある少女はいつでも動けるようにと身体をほぐしていた。ある少女は足と腕を組み身じろぎ1つしなかった。ある少女は背筋を伸ばし静かに目を瞑る。ある少女は苛立ちを隠さず足を踏み鳴らし、不平を漏らす。その有り様は三者三様であったが、その思いは同じであった。

 手に持つ力が奮えない。

 真たちの戦闘中、観客席は酷く混乱していた。突如起こった異常事態に一部の生徒がパニックを起こした。物理シールドが下ろされ、照明は非常灯に切り替わった。隔壁はロックされ閉じ込められた。生徒の泣き出す声と、シールド越しに聞こえる戦闘音。地震のような震動、荷電粒子砲特有の耳をつく音波。そして複数のIS機動音。正確な情報が伝わらないことも拍車を掛けた。

 フィールドと観客席を隔てるシールドは物理、防性力場併用型。第3世代機でも破壊するのは困難であった。隔壁を破壊し別ルートを探るにも、パニックが伝播し、混乱を極めるさなかISを使用するには危険過ぎた。

 一際大きい特有の音と振動が響く。全員が顔を上げ、シールドの向こう側を透かすように見つめた。それは高エネルギー体と高密度防性力場の反発音だった。

 状況が動いたのは静けさが戻り数刻経った頃。シールドが開いたその光景に思わず言葉を失った。つい20分ほど前まで祭りで賑わっていたそこは焼け、砕け、火焔を放つ地獄絵図のような無残な物に変わっていた。熱で歪む構造物が亡者の悲鳴を上げる。真耶からの非常通信が鳴り響いた。誰かが真は、と力無く呟いた。





 3年白井優子"打鉄37番機―ミナ"、ダリル・ケイシー"ヘル・ハウンドVer2.5"。2年フォルテ・サファイア"コールド・ブラッド"。1年セシリア・オルコット"ブルー・ティアーズ"、凰鈴音"甲龍"。

 6名の少女がピットに立つ。ゲートから黒煙と火の粉が見えた。電力供給が途絶えた薄暗い鋼の第2ピットに、虚は空中投影ディスプレイを投影、現状と作戦を表示する。一列に並ぶ皆の前に歩み出た。不愉快な焼ける匂いが漂い、白い制服に纏わり付いた。

「事態は一刻を争います」

 虚の立案した作戦は2工程で構成される。1つ、火種となっている瓦礫を除去しつつ消火弾により鎮火。2つ、地下施設の最外殻まで穴を開けそこから液状断熱剤の注入。鎮火しても熱は暫く残る。断熱剤の注入時間とその硬化時間を考えると、

「阻止限界時間はあと60分。作業時間を考えると猶予はありません」

 鈴が言った「断熱剤より冷却剤を使用してはどう?……ですか?」「計測では既に500度近い場所もあります。急激な冷却は構造体に負担を掛けます。最悪、大規模崩落の可能性があり、危険です」と虚が答えた。

 褐色銀髪のダリルが真顔で「おーい、うつほー。穴はどうやってあけんだー。男2人は出払ってるぜー」と言う。褐色黒髪のフォルテがにやつきながら「先輩、はしたないッス」と答えた「最近流行ってるのかよ、それ」「真が良く言いますから」「言わせてるんだろ。からかうのは程ほどにしとけ。お陰で誰かさん達の機嫌が悪い悪い、なぁー?」

 2人の3年生、虚は片手を顔に添え頬を赤らめる。優子は肩を怒らせ「あなた達、真剣にやりなさい!」と顔赤く吠えた。美人と評して良い上級生にのやりとりに、1年の2人は頬を赤く染めつつも訝しげな眼を向ける。

 虚は1つ咳払うと、右人差し指を眼鏡に添えた。かちゃりと音を立てる。

「掘削にはブルー・ティアーズの大型レーザーライフルを使います。ただし、光弾自体の熱量を考えると一回だけです。良いですか、オルコットさん」
「分かりましたわ」
「説明は以上です。優子、私はバックアップに回りますので現場指揮お願いします」
「了解。それじゃ始めるわよ、あなた達!」

 優子の静かに確実に響く声がピットの暗がりを消し去った。



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『あの、白井先輩とケイシー先輩は何をなさっているのですか?』
『何って、見てわからないか? 服を脱いでるんだよ』
『いえ、そうではなく更衣室で、と言う意味ですわ』
『オルコットさん、凰さん、時間がありません。下着でお願いします』
『……そ、それはちょっと』
『おおまじッス』
『こ、このセシリア・オルコットにその様な事をしろと?!』
『この状況を見て言うわけ? どうしても嫌なら更衣室でも良いわよ。ただし、終わったらそのアクセサリーを返上しなさい。この程度の覚悟も無いならあなた達に専用機の資格は無い』
『……』



「ふん。白井め、だいぶん板に付いてきたな」

 コンソールから聞こえてくるその声は、力を持つことの意味を問う。自分より上位の存在は2人にとっても良い刺激になるだろう、千冬は1つ息を鋭く吐くと笑った。優子は千冬の教え子だったのだ。あの騒がしい小娘がと、感慨も深くなる。真耶もつられて笑みをこぼした。

「下着と言えば、去年の夏でしたね。織斑先生」
「何がだ?」
「あれです。去年の3年生と白井さん達2年生が、仕事で来た蒼月君をアリーナの更衣室に連れ込んで、下着姿を見せた話ですよ。でも表情1つ変えずに"はしたないですよ"で、逆に彼女たちが"乙女の矜持が"って怒り出すやら、喚き出すやらで大騒ぎして、」
「……そんなことも有ったな」
「それを知った織斑先生とリーブス先生が怒って、全員そのままグラウンド走らせましたよね♪ 余りの怒り様に、変な虫が付かないか心配する母親みたいだって他の先生たちが―ひ、ひたいれすぅ!」
「山田先生、繰り返すが、私はからかわれるのが、と、て、も、き、ら、い、だ」

 千冬の左掌にあるのは真耶の頭。指圧に軋む頭蓋の音は真耶にだけ聞こえた。涙目で謝罪する真耶に千冬は溜息をつく。この後輩は有能だが同じ事を繰り返す、こういう時は堅苦しいが千代実の方が有難い。

「そ、れ、で、負傷者の容体は?」
「は、ハミルトンさんは全治一週間です」
「賊の回収は? 終わり次第蒼月は医務室へ向かわせろ」
「いま完了の報告が入りました……元気です、だそうです」

 霞む声に、真耶は怪訝そうに眉を寄せる。コンソールには壁により掛かり、力無く笑う真の姿が映っていた。

「蒼月の大丈夫は当てにならん……救護班を迎えにだせ」

 ブルー・ティアーズの銃声が半壊したアリーナに響いた。


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―お元気で―

 真が学園を発った昨年5月最後の日、千冬に贈った言葉がそれだった。その日は梅雨前とは思えないほど蒸し暑い日で、窓の無い職員室横の生徒指導室、ディアナと3人で最後の食事を済ませ、そこで別れた。真耶に連れられて背を向けた真は一度も振り返ることも無くただ消えていった。ただ空には蒼い月が浮かんでいた。

 千冬が保護した直後の真は、酷い有様だった。自分に関する一切の記憶を無くしていたが、それ以上に、その精神に異常をきたしていた。酷い情緒不安定で、何時も何かに怯え泣いていた。喚き、首をかきむしり、壁に頭を打ち付け、血が溢れた。時折理性が戻れば、二言三言会話を交わし、自害を謀った。決まって言う言葉は"どこだ?"と"殺してくれ"

 学園内に突然現われIS適正を持っていた真は、その特殊性を考慮し学園本棟の地下、特殊医療施設に千冬が隔離した。偶然事情を知ったディアナと共に、その密室で"教育"を施した。

 そして2ヶ月経ち、これ以上の改善を密室では見込めない、と医師が言った。千冬は彼女自身が信頼する蒔岡宗治に真を預けた。それ以後は彼自身がよく知る事である。

 あれから14ヶ月が過ぎた。



 無人機の襲撃から一晩が経ち、体育館ではほぼ全校生徒を集めた臨時の説明会が行われている。結局、あの事件は某国の試作機で、それが暴走した事による物、という不明瞭な理由に落ち着いた。詳細は機密。尤も私たちも確信が無い以上似たような物だ。幾つかの生徒から不満は出たが、卒業し組織に組みいられれば同じ目に遭う、良い経験だろう。

 壇上に立ち手慣れたように話すのは2年の生徒会長だった。あの2人以上にトラブルを起こす娘だが、あの人心掌握術はこういうとき有難い。大半の生徒はそれで納得したようだ。

 それにしてもと、整然と並び座る全校生徒をみて千冬は思う。

(時が経つのは早い)

 出来ることならば、一夏と同じようにISと無関係でいてほしかったが、学園に現われた時点でそれは定められていた事だったのかもしれない。と、運命という自分の嫌う言葉を使い千冬は思わず苦笑した。突然現われたのだ、そういう言葉を使ってしまうのも無理は無かろう。

「千冬」

 一つ時が過ぎ、そう言ったのは隣に座るディアナであった。現役時代からの腐れ縁で、今では教師として轡を並べている。

「なんだ? 珍しいな」

 小声で耳打つディアナに思わず眉を上げた。彼女は情動的と思われているが、式典などは非常に厳格で、かって私語を止めない選手を声が出せないよう縛り付けた事もあった。

「真が医務室から抜け出したそうよ」
「……全治2週間だった筈だが」

 あの馬鹿者めと右手を額に当てる。自分を軽んじる性格はまだ直っていないのか、同じ無茶でも一夏と違い、後ろ向きなのが手に負えない。まったくどこへ行った―

-お"元気で"す-

 苛立ちは唐突に浮かび上がったその言葉で掻き消された。脳裏に浮かぶのはあの暑い夜。最近どこか考え込んでいた、そして試合直前のあの様子、最後の掠れた言葉。導かれた結論に、千冬は思わず腰を上げ、下ろした。保護すべき生徒は目の前にも居る。務めがある、今私用で離れる訳には行かない。だがしかし。葛藤する千冬に良いから行きなさい、とディアナが答えた。

「そんな無責任なこと出来るわけ無いだろう」
「千冬のそういう真面目なところ好きよ。でもね、厳格なだけじゃ人は付いてこないわ。いい? ここは千冬が居なくても良いけれど、あなたがこれから行くところはあなたじゃ無いと無理、良いからさっさと行きなさい。貸しにしとくから」
「しかしだな……」
「真には謹慎を言い渡しておいたわ。警備担当の千冬は見逃す訳には行かないわよね?」
「……」

 いい加減にしなさい、と言わんばかりのディアナの気遣いに、千冬は一言すまんと言って足早に立ち去った。その隣に居た千代実が言う「織斑君も居ない事言わなくて宜しかったのですか?」「私ってこう言う役回りよね、前もそうだったわ」

 じろりと睨む教頭の視線を他所にディアナは一つ溜息をついて宙を見た。


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 あの性格だ。集会が終わる時間を見計らって、部屋の片付けをする筈。自分の居た痕跡を残さずに。世界に跡が無いとお前が思っているように。だが、もうその跡は、糸はある。14ヶ月という時間で、お前がこの世界で紡いだ糸はか細いが確実にある。お前は自分自身でそれに気づかなくてはならない。それに気づかず消え去るなど私は許さない。

 静まりかえった柊、その7階に足を運んだ。窓が一つ二つ流れると、2人の笑い声が聞こえた。それは何年も聞いた馴染む声と、何年も聞いたように馴染む声だった。

「で、どーする真、体育館に戻るか?」
「いや、今戻っても皆の邪魔になるだけだ。終わるまでここに居て出頭しよう」

 あの寂しがり屋のお節介女め、友人に一つ礼を思う。そして、この馬鹿者共め。私は712号と刻まれた樫の扉を開けた。

 音も無く扉が開いた。一つ鼓動が鳴り、心にたゆたうは安堵と怒り。其処には見慣れた2人が居た。2人は絨毯にあぐらを掻き座っていた。制服姿の一夏と私服姿の真だった。ブルーストライプのシャツに白いジャケット、相変わらず10代らしからぬ姿の真がそこに居た。

 部屋は案の定だった、片付けられ、僅かな私物はショールームであるかのように整えられていた。ご丁寧にも同室者のシーツまで整えられている。一夏が振り返り、真が顔を上げた。私はこの時のこの2人の顔を生涯忘れる事は無いだろう。

「この馬鹿者共、仲良くサボタージュとは良いご身分だな」と私は両手を組み鳴らす、一歩踏み出した。音の出ないはずの絨毯がみしり、と音を立てる。一夏は声も出せないと青ざめ、立ち上がった真は掠れた声で私の名を呼んだ。

「いえ、サボりとかそう言うのでは無く―」

 あぁそうだろう。あれだけ手間を掛けさせて一言も無し、サボタージュなどよりもっと酷い事をお前はしようとしたのだから。だから、私はさも初めて知ったように部屋を見渡し、簡潔に抑揚無く蒼月と言った。

「は、はい」
「随分部屋が片付いているな? 来客でもあるのか?」
「あ、いえ……偶々です」
「なら机の上の学生証とネックレスはなんだ?」
「偶々置いておこう、と」
「ならその黒い鞄は何だ?」
「し、私物をまとめようと、偶々です」
「ほう、偶々か」
「そうです、偶々で―」

 言い切る前に私の拳は走っていた。

「馬鹿者が! 下らん事考える暇があるなら訓練に励め!」

 真は頭を抱えうずくまる。涙を浮かべ一言、済みませんと言った。

「ち、千冬ねぇ……なんで俺も殴られてるんだよ?」

 涙目の一夏の苦情に私はサボタージュの罰、でもなく良く引き留めた、とも言わずにこう答えた。

「偶々だ」

 窓から見える雲のその隙間。陽の光が差し込んでいた。



--------------------



 黒いスーツが堅く確実な足音を響き渡らせる。その場所は薄暗く、陽の光は届かず、ただ電子の小さい灯火だけが至る所で瞬いている。そのLv4以上の権限を持つ者しか入れない地下50mの密室でディアナは1人コンソールに向かっていた。壁に映る彼女の影は揺らぎ一つ無く刻まれていた。

 その目に映るのは、対抗戦の戦闘記録。それはアリーナのカメラであり、打鉄、白式、そしてカーキの、リヴァイヴの映像であった。一つの画面がただ黄色く白い光で塗りつぶされる。

 六角形で構成された蒼い高密度の防性障壁が、高エネルギー体と接触、反発。一秒に満たない時間の後、崩壊。絶対防御発動。その画面は天と地とその境が階段を転がり落ちる様に弾けた。バイタルコンディションがイエローに、赤い染みが映った。

「情報操作は?」
「もう終わったわ、彼は有能よね。味方で良かった」

 何時ものライトグレーのジャケットに千冬は背後から歩み寄る。ディアナは振り返りもせず「でも、気づかれたわね」と言った。横に立つ千冬はその繰り返される映像を見て腕を組む、その目は細められ鋭く光っていた。

「まずそう見るべきだろう。戦闘中はアリーナに蓋が落とされていたが、フィールドの落書きを空から見れば推測は出来る。勘の良い者は疑いを持つ。何よりハミルトン戦は予想以上だった。来賓の目に止まったのは間違い有るまい、そちらが問題だ」

 コンソールに映るカーキのリヴァイヴは白と肩を並べその咆吼を響かせる。破損していたバーニアに火が戻り加速、極短時間の超音速機動でその衝撃波がフィールドを荒々しく叩きつける。そして、放った弾丸が木偶の顔面を捉える。ミリ秒世界での精密射撃、IS歴2ヶ月の生徒が行った事実。千冬は深い溜息をついた。こんな物公開出来ない。

「千冬、聞いた? 弾着角があと3度深かったら2人とも蒸発していたそうよ」
「ディアナ、お前何を考えている」
「あの無人機のコアね、未登録よ……あなた心当たりがあるんじゃない? この首謀者が誰か」
「……確証が無い」
「そう、なら確証が付いたなら私に言いなさい」
「地上に戻る前に気分を落ち着かせろ、殺気がだだ漏れだ。そんなにその首謀者が許せないか」
「千冬、私はねあなたほど人間出来てないの。うちの子らにここまでやってくれたのよ―」

 ゆらりと立ち上がり暗闇に浮かび上がる、千冬にはその姿が幻想か、夢の住人のように見えた。青白い電子の光を浴びて、その唇は刻んだように黒く深く、その金の髪は星の残骸のように白く、碧い瞳は血のように赤く見えた。千冬がかって聞いたディアナの影の二つ名-鮮血の女神-

「切り刻むわ」

 千冬は身体を僅かに強ばらせ馬鹿者と言った。




日常編 凰鈴音
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 私は自分のベッドに座り、腰掛ける少女の長い黒い髪を梳く。

 その髪は絡まること無く水のように流れ、淀む事は無く。

 その黒は虚無ではなく、黒という色で彩られていた。

 黒曜石、これはきっと陽の下よりも月明かりの下で美しい輝きを放つ。


 切っ掛けは、繰り返した言葉“女の子なら髪にもう少し気を遣ったら?”と水分をまだ多く含んだ髪をつい摘んだ時のことだった。

 彼女は唇を強く閉じ、合わせていた視線を逸らせた。突然その足がバスルームに向かい、扉が閉まる。私は慌てて軽率だったと扉越しに声を掛けた。二つ三つの呼吸のあと扉が開けば、そこには白い歯を見せ、控えること無く力強く笑う鈴の、僅かに恥じらった笑顔があった。

「なら、宜しく♪」

 目の前にはドライヤーと櫛があった。

 始めは痛い、雑、不器用、散々言われた。それでも鈴は止める事は無かった。

「アンタが上手くなればアタシが楽♪」

 鈴はそう言ったが実際はどうだったのだろうか。今ならば、恐らく本心で無いと分かる。最後の一歩でその足を止める、そう言う少女だった。



 瞬く間に過ぎた一ヶ月だった。最後の一梳くい、私は黄色の結い布を右に一つ左に一つ結ぶ。私は出来たと言った。

「手抜きじゃないでしょうねー」
「完璧。可愛いぞ、鈴」
「バカ」

 そこには初めて会った時のようにぶっきらぼうに口を開く鈴が居た。何時もの肩に切れ目のある制服姿、短めのスカートにトレッキングブーツ。何度も見たその出で立ち、今日は少し違って見えた。僅かに遠い。

「なんて顔してるのよ、明日どころか夕飯でまた会うでしょ」
「そんな顔してる?」
「してる」
「みっともないか?」

 鈴は答え無く立ち上がった。ボストンバック一つを肩に掛け、扉に向かうその後ろ姿をゆっくりと追う。


 今日、鈴がこの部屋を出る。窓から見える空は紅く少し雲で陰っていた。


 山田先生はそれじゃ行きましょうと、涙ぐんでいた。私は大袈裟なと思ったが、彼女が泣かなかったら私も少なからず涙ぐんでいたかもしれない、少なからずだ。

「もう同室の娘と喧嘩するんじゃないぞ」
「やーねーもうしないわよ、格好いい女は同じ過ちを繰り返さないのよ」
「言っておくけど、戻ってこれないようにベッドは片付けるからな」
「そう言うのって普通逆じゃ無い?」

 1組副担任の女性は大粒の涙を溢れさせ、ぐすぐす言っている。鈴と眼が合うと思わず頬を緩ませた。踵を返すと、その二つの長い房を緩やかに揺らした。

「ねぇ」
「なに?」
「……引き留めないの?」

 それは鈴にできる最大の譲歩であり、願いだったと思う。敷居の前で立ち止まる鈴の後ろ姿を見て、私はこう言った。それは私に出来る最大の強がりだった。

「過去ってのは大切な物もあるけどさ、厄介な物もあるよな」
「……」
「俺は思うんだ、手放せる過去は手放してはいけない。それはきっと大切な物だから」

 辛い過去は否が応でも追ってくる。忘れる事など許してはくれない。もし大切な過去が無くなれば、辛さだけが残る。だから、

「鈴のその思い出、大切にするといい」

 振り向いた鈴はあの夜と同じように笑っていた。

「アンタ、魚逃がしたわよ。大きな魚を」
「あぁ、その魚の大きさはよく知ってる。一夏よりもね」

 静かに差し出された鈴の右手に私は応えた。贈る私の言葉はその唇で塞がれた。腕を引かれた、と気づいたのは暫く経ってからの事だった。この時の事は良く覚えていない、ただ唇の感触だけが全てだった。

「やっとその顔見れた。じゃぁね、優しいお兄さん」

 あの夜よりも魅力的な笑顔を見せると鈴は背を向けた。徐々に小さくなる、階段を下りる足音だけが耳に残った。まったく、最初から最後まで引っかき回されっぱなしだった。

 山田先生は「私もこんな青春送りたかった……」と力無く出て行った。私はそっちですか、と苦笑した。



 私にとって鈴はどのような存在だったのだろうか。恋人でも無く、友人とも違う。姉のようでもあった、妹にもなった。他人だけれども一緒に暮らし、泣いて笑った、これだけは確かだった。

 扉を閉めて、ココアを入れる。廊下側のベッドに腰を下ろし、枕を背もたれに書物を取った。窓側のベッドにはもう誰も居ない。

 不意によぎった二つの文字。それは人と人の関係を表わす言葉。思わず頭を掻いた。終わってから気づく、私はそう言う人間らしい。

 口に含んだココアは何故か塩気があった。


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 夜の帳が降りて上がる。空虚な朝の空気の中、私はのそりと起き上がり、顔を洗った。タオルの隙間から覗くその部屋の、窓側のベッドに朝日が差し込んでいた。私は暫く立ち尽くすと、腹の虫がぐぅと鳴るのを聞いた。だから、灰色のスウェットのまま扉を開けた。

 かちゃり。その扉を開ける音が何故か二つ聞こえた。「あ」と言うのは同じ色のスウェット姿、髪を下ろした少女だった。黄色の結い布がうなじで揺れている。思わず目があった。バツが悪そうに少し歪に開いた口から八重歯が覗いている。そしてその握る扉には711と書かれていた。私の握る扉には712と書かれていた。そう言う事か、思わず半眼で鈴を睨んだ。

「いや、ほら。空気読んだのよ、あの空気で実は隣って言えないじゃ無い?」
「……」
「私も成長したわよねーあははー」
「……」
「な、なにか言いなさいよ……」

 廊下を歩く数名の少女たちがちらちらと視線を投げる。やはり引っかき回されっぱなしだ。私は緩んだ身体に力を込めて力一杯叫んだ。

「俺の感傷返せ! この台風娘!」
「何よ! 隣に居てあげるんだから感謝しなさいよね!」

 鈴の背後から聞き慣れたもう1人の声が聞こえる。鈴の同室者は本音だった。そして静寐は箒と。私にとってこれ以上望ましい事は無い、心からそう思った。


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フランス娘の登場はもう1本外伝(+日常編?)挟んでの予定です。
今しばらくお待ち下さい



[32237] 04-03 日常編8「五反田の家」+「古巣」
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2013/06/30 14:33
一週間で1万2千文字、記録更新ですよ……くくく。






日常編 五反田の家
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 6月最初の日曜日、晴れ。いや雲が少々。梅雨入りはしたけれどもまだ雨らしい雨はまだ無い。

 俺は久しぶりにIS学園の外に出た。大体3週間ぶりだろうか。ここんとこ訓練や訓練やあぁ訓練や……ドンパチやらでそれどころでは無かったからである。

 3週間ぶりの家は少し空気が淀んでいて、埃っぽかったけどやっぱり家だった。匂いというか、そういう落ち着いた気分になった。家ってのはそう言うところなのだろう。

 あの阿保にそう言ったら、実はそう深い意味は無かったんだけど、家ってのは記憶が詰まっているからかもな、と真顔で答えられて少し困った。

『You Lose!』

 目の前の画面に文字が映った、ゆーるーず? なんだそれ……

「おわっ! きたねぇ! 最後ハイパーモードで削り殺すの無しだろ~」
「ぼーっとしてるからだろー♪」

 俺の正当な抗議に弾が締まらない顔で笑う……むかつく。

 俺たちが興ずるのはTVゲーム“IS/VS”で、その名の通りISを題材にした3Dの対戦格闘ゲームだ。発売月で100万本売れた超名作。そしてここは中学時代からの友人である弾、五反田弾の家。家の様子を見たついでに遊びに来た。

 弾は相変わらずだった。赤いロンゲ、黒いバンダナ、黒いシャツにジーンズ。6畳の洋間で本棚には漫画、教科書の類いは無くまぁ学校におきっぱなのだろう。黒い袋に入ったギターが部屋の隅に立てかけられていた。何も変わっていない。それが嬉しいのだけれど、何故か違和感を感じた。そう、目の前の画面を介してみているような、そんな感じだった。

「えぇい! もう一回だ!」と機体変更。
「おぅ、返り討ちだ……テンペストIIはレギュ違反だっ!」弾の抗議に渋々戻す。

 真は昨日今日泊まりで前に居た会社に行っている。何でもそこの社長が神の手とかゴッドハンドとか言う人で凄い技術者なんだそうだ。因みに会社の事を聞くと阿保はベラベラと長いのでもう聞かない。自分の事もあれぐらい話せば良い、と言う訳にはいかないのが辛いところだ。その辺は割愛。

 手元の十時レバーとボタンの音がガチャガチャと手元と隣から聞こえる。選んだ機体は白の打鉄だった。ブレードが強いから、そんだけ。因みに第3世代機のデータは勿論無いので白式は無い。弾の赤いリヴァイヴにブレードで攻撃、EPを40%まで削る。おわっと焦る弾の声が聞こえた。

「ゲームなら圧勝なんだけどなー」

 なんか言ったか? と、がちゃる弾になんでもねぇと答えた。そういえば弾(だん)って弾(たま)だよな……気合い入ってきた。この一戦なんとしてでもブレードで制する!

「で?」
「折角の気合いに水刺すんじゃねぇ……で、なにがだよ」

 弾の会話フリにがコントローラがちゃがちゃと合いの手を入れる。

「だから女の園の話だよ、良い思いしてるんだろ?」
「だからしてねーっつの、何度言えば分かるんだよ」
「嘘付け、お前のメール見てるだけでも楽園じゃねえか。なにそのヘヴン。招待券無いの?」
「ねぇよバカ」

 俺が通う特殊国立高等学校“IS学園”は、IS(インフィニット・ストラトス)を学ぶところだ。この女性にしか使えない筈の超兵器を男が使えてしまった。俺ともう1人の阿保、蒼月真がである。そのため俺ら以外全て女の環境で絶賛寮生活中だ。

 正直に言えば、真が居て助かる。俺1人だけだったらと思うと……想像すら出来ない。まぁあいつは直ぐ調子に乗るからそんな事は断じて言わないけどな。弾がやっぱりがちゃりながら、そーいえばと言った。

「もう1人男が居たな、どんなやつだよ」
「阿保だ」

 弾は何故か面食らったように俺の顔を見た。なんだか、お前がそういう風に言うなんて珍しいな、と言っている感じがする。本当だから仕方ないだろ。証拠なら幾らでもあるんだぜ。

「目付き悪いし、暗いし、湿っぽいし、陰険、エロいし、すぐ暴力振るうし。そうそう、俺が1組で、そいつ2組なんだけどよ、ウチのクラスの娘に一目惚れしてさ、その娘には好きな奴が居て、身を引くとか格好いい事言ってるけど未練たらたらなんだ」
「……どんな奴だよソイツ、つか不良か?」
「おう、不良学生で鈍感だ」
「……鈍感?」
「同じクラスの娘に好かれてるんだけど、気づくのに一ヶ月半も掛ってさ、阿保だろ?」
「その娘の趣味が悪いのか、お前の言っている事が的を外しているのか、よく分かんねー……が、お前に鈍感とか言われるなんて余程なんだな」
「おう、余程の阿保だ。幾ら―」

 幾ら記憶が無いからって―俺は慌てて口つぐんだ。あれは言えない。対抗戦の後に聞いた真の真実。自分の記憶が無く、生きた証が無い。そう言って立ち去ろうとした、あいつを俺は引き留めた。

 考えてみれば、真みたいな奴は初めてだった。今まで誰かと全力で向かい合った事があっただろうか。下らない事で意地を張り、殴り合った事なんてあっただろうか。弾とですらそんな事は無かった。ISで怒突き合いが出来る奴なんて他に居るか?……気づいたら、打鉄のEPはゼロ、負けていた。

「幾ら、なんだ?」
「なんでもねぇよ」
「まぁなんだな、今度は連れてこいよ。意外と面白そうな奴だし、その2番目」
「弾」

 俺は何故かカチンときた。

「なんだ?」
「2番目って言うんじゃねぇ」

 本当は、あいつと共にある事を失いたくなかったのかもしれない。





日常編 古巣
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 随分と荒れ果ている、と真は思った。

 その部屋は柊(1年寮)の2階にあり、バルコニーから見える景色は、空と雲よりも土と草木が多かった。壁は白で絨毯は無く、代わりに畳が敷き詰められている。木製の棚と洋服ダンス、背の低いテーブルとソファー。家財だけ見ればありふれた部屋だった。

 特筆するのはテーブルの上、至る所にあるアルコールの缶や瓶、缶詰に瓶詰め、肉の燻製が入ったタッパー、そして部屋の片隅にある、何かを急いで山積みにし白いシーツで覆ったような山である。

 そこは寮長室。以前よりは随分落ち着いたが、真にとって今なお重要な人物である織斑千冬の部屋であった。

「じろじろ見るな、馬鹿者」

 千冬に咎められ真は慌てて居住まいを正す。彼女の手にするペンの走る音だけが部屋に響いた。彼が手にするほうじ茶は少し濃かった。

「千冬さんは片付けが苦手なんですね」
「違う。どこに何があるか把握している。その場所に置いてある、が正しい」

 確かに、埃やゴミは見えなかったが、千冬の物言いに釈然としない真であった。

(そういえば、家事能力ゼロと一夏が言っていたっけ)

 職員室の机を思い出せば、整理整頓されたディアナの机に並ぶ千冬の、その惨状がいっそう強調される。一夏が家政夫な訳だ、と千冬の背中を見て、悟られぬよう嘆きと達観の溜息をつく。この白Tシャツと白ジャージ姿の、世界で最も強い女性に家事は不要らしい。



 かりかり、かり。テーブルに向かい正座する千冬は、外泊許可証と書かれた紙に名前を2カ所書く。“保護者欄”と“承認欄”、千冬は真の保証人だった。

 この事実が公開されていないのは、真がブリュンヒルデの関係者と言う事を隠す為である。男性適正者の2人が千冬の関係者、これが公になれば要らぬ誤解を生む。

 そして何より、誰かが真に興味を持てばその素性に疑問を持つ恐れがある、それを防ぐ為だった。だが今となってはそれにどれだけの意味があるのか、千冬自身自信が無い。

 “外泊先”に書かれた“蒔岡宗治”という、堅い調子の文字を見て千冬はペンを置いた。

「蒼月、今回わざわざ来た理由は何だ」

 何時ものように書類を差し込んでおけば良いだろう。千冬が振り向くと真は湯飲みを抱えて、愛想無く目を瞑っていた。これは言いにくい事を言い出そうとしている真の癖だ。ディアナのが感染ったか。ならばそれは凶報か、僅かな戸惑いのあと湯飲みを手に取った。

「時子さんが、千冬さんを是が非でも連れてこい、と」
「……済まないが私は欠席だ」
「前々から思っていたのですが、苦手なんですか? 随分渋い顔です」

 やっぱりかと思わず頭を抱える千冬に、真は疑問を浮かべる。時子というのは蒔岡宗治の娘で千冬が最も苦手とする中年女性である。付け加えれば、真も頭が上がらない。が、それでも避ける理由にはならないでしょうと、真は僅かに眼を細め、僅かに首を傾げた。

「苦手では無い、あの人の持ってくる厄介事で頭が痛いだけだ」
「お見合いですか?」
「……それだけでは無い」
「差し出がましいとは思いますが、時子さんの心配もよく分かります。門前払いせずに会うだけ会ってみてはどうでしょうか。千冬さんもそろそろ折り返―」

 部屋に鈍い音が響き渡る。千冬は右手と畳に挟まれた少年の頭を不愉快そうに見る。怒りに混じる笑み、その表情は千冬が素で怒る時の物だった。真以外に知るものはディアナと幼なじみの天才科学者しかいない。

「よ、け、い、な、お世話だ。ガキが口を出す、な」

 もがもがもが。若輩者なりに心配をしています、それに出会って直ぐ結婚という訳にも行かないでしょうから早めの方が、ともがもが言う真であった。器用な事に2人とも片手にある湯飲みをこぼしていない。

「だから大きなお世話だ。私がその気になれば男の1人や2人、労せずつり上げるさ」
「千冬さんは恋愛経験無いと―ふがっ」
「何故知っている! 誰から聞いた!? ディアナか!?」

 みしみし、音がした。俺の頭か床か……頭に決まっているだろ、と真泣く。時子さんから聞きました。ですから最初の2,3人は練習のつもりで行きましょう、息も絶え絶えだった。

 余計な事を、と時子に恨み言を垂れると千冬はそのまま右手で持ち上げ、目を細めて睨む。其処には額に畳の目、両目には涙の、首根っこを掴まれた真が居た。ぷらんと宙に浮く。

「変われば変わるものだな」
「……なにがです?」
「今年の年始挨拶だったな。時子さんが私に見合い写真を差し出したのを見て、動揺していたのは誰だったか、ん? 確か、箸を噛んだり柱に頭をぶつけて、宗治さんらに大笑いされていたな」
「そうでしたっけ……?」
「ふん、女が出来ればこれか。一夏もそうなのだろうな、良い経験になった」

(私に相手が居ないうちは誰とも付き合わないとか、一夏もアテにならん)

「千冬さん、俺は誰とも付き合っていませんが」と真が言うと千冬は目を2回ぱちくり「……オルコットとは?」

「彼女には好いている奴が居ます」
(一夏か)
「凰は?」
「彼女にも好いている奴が居ます」
(一夏か)
「鷹月と布仏はどうした? 上級生にも懇意にしてのが居ると聞いているが」
「どなたから聞いたか知りませんが、誰とも付き合っていません」
(一夏、か?)


 右手に真、左手を口元に寄せ宙を見る。真顔でぶら下がる真を見ると、どさり。この話は仕舞いだ、さっさと戻れ、とテーブルに向き直った。怪訝に思うも、真はごちそうさまでしたと湯飲みを盆に置いて立ち上がる。

「出るところを生徒に見られるな」
「はい」
「蒼月」
「はい?」
「気をつけて行って来い。お前も世界で2人しか居ない方の1人と言う事を忘れるな」
「はい、行ってきます」



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 蒔岡宗治と千冬の出会いは7年前に遡る。千冬が第1回モンドグロッソを制し、その祝賀会場で宗治が声を掛けた事が切っ掛けだった。

 豪勢な祝賀会場だったが、腫れ物を見るかのように誰も近寄らず、話し掛けず、遠巻きで見ているだけの、祝いを述べる偽りの影。千冬は下らんと憤慨し、刃のように鋭い視線を打ち、それがまた人を退けた。主賓であるにも拘わらず1人ぽつんと立っていた。

 そのような千冬の威圧を物ともせず歩み寄るグレースーツの人物が1人。

「ほーぅ、写真で見るより良い面構えだ。女にしておくのには惜しい。俺は蒔岡宗治という。まぁこれから宜しくな」

 この、なんとも不躾な物言いの人物こそ、真がおやっさんと呼ぶ蒔岡宗治であった。宗治が56歳、千冬が17歳の時である。

 その頃既に女尊男卑の風潮はできあがっていたが、それに構う事なく、我関せず、ただ俺はこうだと言わんばかりの態度に千冬は怒りよりもただ呆気にとられた。


 赤銅色の肌に、灰と白が混ざり合うが豊かな髪、年齢を感じさせない大樹の様な背筋、一歩一歩踏み抜く歩みは、岩を穿つ水滴の如く確実に、深く皺が掘り刻まれたその表情、眼鏡の奥からは微細一片見逃さないと言わんばかりの精密な眼が光っていた。

 千冬の第1印象は軍人であった。だから機械技術者と聞かされた時には流石の千冬も面食らったものである。

 互いの一本気な質が合ったのだろう。それ以来2人は友人として、道の異なるエキスパート同志として、有る時はそれこそ祖父と孫のように交友を深めた。

 その様な宗治であったから、千冬が彼の家族である時子らと打ち解けたのも、真を預けたのも自然な流れだった。



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 宗治が主を務める会社、蒔岡機械株式会社は元々都内にあったが、彼の友人の誘いと妻である志乃が病気がちであった為、IS学園の設立に合わせて移転した。これがIS専門企業としての始まりである。

 政府の誘致活動もあったとは言え、広大な敷地と最新の設備を用意されたのは宗治の技術力に寄るところが大きい。彼が手を加えた機械は生まれ変わった様にその駆動音を拍つ。ゴッドハンド、神の手と言われる所以である。全ての第2世代型に残る彼の手の跡、それは知る人ぞ知る事実であった。

 真の目に映るのは、和風では無いが樹木を想起させる2階建ての洋風の家屋と、戦闘機が10台ほど収まりそうな、白く大きな3階建ての建築物。蒔岡邸は会社は同じ敷地にあるが、会社側から見えないように小高い丘の上にある。

 木々と水が流れ、芝生は敷き詰められる。その地面は緩やかな曲面を描いていた。相変わらず大きいと、僅かな感嘆と共に真は小道を行く。庭の管理、維持と警備を兼ねる白い円盤形状のロボットに労いの言葉を掛けた。



「ほぉーへー、ふぅぅん」

 玄関に着いた早々、右から左から、遠慮と年齢を忘れたように真の顔を見るのが、宗治の長女、蒔岡時子である。

 標準日本人よりは浅黒い肌、腰まで伸びた黒い髪は波打ち、首元で1つに結いまとまっていた。華奢だがバネを感じさせるしなやかな体つき。眼は細くやや切り上がる狐顔、ただその好奇心溢れる視線は紛れもない猫。結婚する前は相当もてたとは本人談だ。僅かにタイトな白いワンピースに濃いベージュのエプロン、39歳にして2児の母。口には出さないが確かに美人だと真は思う。


 お久しぶりです、と真は多少引きながらその声を絞り出した。鼻先3cmは少し近い。時子は少し引いて真の全身を見ると、何かに納得したように頷いた。

「ん、久しぶり。さ、あがんなさい。部屋は何時ものところね」

 階段上がって突き当たりの右手、と真は記憶を反芻する。玄関から真っ直ぐに走る廊下の右側にその階段と壁掛る時計が見えた。16時過ぎである。

「時子さん、おやっさんは?」
「お父さんならまだ現場。戻りは6時だから挨拶は食事の時にすることね」
「では、志乃さんは?」
「お母さんは病気だから、今日は欠席」
「……良くないのですか」
「この時期何時も体調崩すのよ、去年もそうだったでしょ……ってあの時は来ばっかりで知らなかったか。それと、いま来ない方が良かったとか考えたわね? 来るって伝えたら喜んでたから、そういうの早く止めるべき」

 やっぱり敵わないと、真は靴を脱いだ。

(大学生の息子さんが帰ってこないのはこの読心術のせいだよな)

「余計なお世話、お風呂沸いてるから入んなさい」
「……はい」



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 蒔岡邸の2階、宛がわれた6畳の畳部屋、窓からは樹木が列をなしていた。随分大事になったな、と壁にもたれ座る真は溜息をつく。本当は顔だけ出して帰るつもりだったのだ。それが何故か、夕飯になり、泊まりになり、全社員参加の宴会になった。聞いた話によるとおやっさんのお孫さんも来るらしい。時子さんの子供ではなく、時子さんの妹さんのお子さんだそうだ。つまり時子の甥か姪。理由を聞けばその時分かると言った時子さんの顔は、何故かディアナさんと重なって見えた。きっともう一騒動おきると真はもう一つ溜息をついた。


 静かな部屋で思い耽る事30分、つい考え込んでしまったと真は階段をぎしぎし鳴らす。

(湯船につかるのも数ヶ月ぶりだ)

 最近一夏が風呂風呂とやたら口にする。蒔岡邸の風呂は大きいのだ。済まないと内心詫びて、帰ったら自慢してやろうとほくそ笑む。廊下を曲がれば目の前に虚。

「は?」
「あら、いらっしゃい、かしらねこの場合」

 真の目の前には白を基調とした学生服、ではなく淡いピンクの花びらをモチーフにしたワンピース姿の虚が居た。何時もの結い上げられた髪は、湿り気を帯びて背中まで伸びている。意外と長い。

 かちこちと壁時計が時を刻む。笑みを絶やさぬ虚に、真は何故ここに? と言えなかった。「おねーちゃーん、まってー」虚の後ろに本音の姿。とてとてと響く足音がとた、止まった。笑顔も止まる。真が見下ろし、本音が見上げた。

「「……」」

 制服と着ぐるみ以外まともに見た事が無い、ISスーツ姿は何時も箒に隠れていた。だから、折り目の付いたショートパンツと薄い黄色のノースリーブ姿の本音を見て、真はこう言う格好も随分似合うと、甚く感動した。見れば何時もの髪飾りはなく、その淡い栗色の髪はやはり僅かに湿っていた。

 とにかく、どうしてここに? と問い掛けた。本音は髪をふさぁっと広げた。真は眉を寄せる。彼が見たのは本音の驚愕の表情、それこそ裸でも見られたような赤い顔を見せると、小さい悲鳴を上げて真をひっぱたき、逃げた。

 頬に手を添え虚を呆け見た。湯上がりぐらいで大袈裟な、お婆さんに似たのね、と半ば呆れるような虚。

「真! 俺の孫娘に何しやがったぁ!」

 そして頭蓋に響くは宗治の拳。痛みではなく意識を狩るパンチ、ゴッドハンドのもう一つの由来。消えゆく意識のなか真は思う。

(2人がおやっさんの孫? 訳が分からない)



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 蒔岡邸の居間、と言っても48畳もある。ちょっとした民宿の会場並であろう。板の間に絨毯、木目の壁と天井、照明にはサーキュレーターの羽根が回っている。

 床には背の低い白いテーブルとそれを取り囲む蒔岡の人達、全社員41名と+3名。窓から覗く空は夕と夜が混じる。赤と紺と黒の色。目の前には色とりどりのアルコールやソフトドリンク、そしてオードブル。

 主賓とは名ばかりに、真は少し違った意味で手荒い歓迎を受けた。蒔岡機械株式会社はご多分に漏れず男性社員が多い。総勢41名の内女性は時子を含み5名だ。だから、IS学園にいる真は……言うまでも無かった。やっかみである。

 真が技術主任の渡辺裕樹の元にたどり着いた時はボロボロで、黒のポロシャツとカーキのカーゴパンツは伸びに伸びていた。

「ナベさん、ご無沙汰してます」
「達者なようでなによりだ」

 その発言は皮肉ではなく、前の真から比べれば今の彼が、と言う意味である。

 渡辺裕樹、宗治の一番弟子。45歳。身長182cmで筋骨隆々。眼は細く垂れ下がり、色は白く髪は短く刈り揃えられていた。言葉数少なく初対面の人物からは距離を置かれるタイプだが、仁義に厚く宗治を始めとした知り合い全員から信頼を置かれている。妻子有り、真が一度だけ見た父としての彼はとても優しい雰囲気を発していた。

 ベージュのチノパンに襟付きの白いシャツ。あぐらを組むその姿は正しく山。だがその手は非常に繊細な技を織りなす。

「優子さんに会いました」
「元気だったか?」
「えぇ、凄い美人になってました」
「それは結構な事だ」

 昨年、渡辺裕樹は真を連れて学園を幾度となく訪れた。当時2年の優子とはその時知り合ったのである。

「今年は何時来るんですか?」
「学園から通達があってな、少し遅れるそうだ。何かあったのか?」
「すいません、言えないんです」
「そうか、聞いて悪かったな」
「いえ」
「真、先におやっさんに酌してこい」
「一番酌はナベさんでは?」
「今日は真が主賓だ、構わない」

 真は一言詫びて腰を上げた。



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「おやっさん。改めて、ご無沙汰しています」

 真が見るのはグレーのスラックスに白いYシャツ、何時もの宗治の姿だった。あぐらを掻き杯を口に運んでいる。真は徳利をさしだした。彼は舐るように真の顔を見ると、おうと言った。

 真が初めて宗治を見たのは工場内の現場でだった。機械を操作する宗治は振り返る事もなく「邪魔にならないところでじっとしてろ」とだけ言った。

 それを聞いた当時の真はその通りにし、片隅に腰掛けた。夜が更けてもそのままで、それを見た宗治は罵声と共に拳を打ち下ろした。当日に殴られた奴は初めてだと、今では社内の笑い話である。

「久しぶりで効きました」と真は頭をさする。
「気を失うとは弛みすぎだ。嬢ちゃんは随分甘やかしてるようだな」
「千冬さんのは痛みが目的ですから」
「口は達者になりやがったか」

 宗治は軽く笑うと、真はつられて笑う。酌をした宗治の杯には波が立っていた。

「真よ、学園生活はどうだ」
「日々綱渡りですよ。女の人は難しいです。ところでおやっさん」
「なんだ」
「お嬢さん方の事、どうして黙ってたんですか? 本音お嬢さんは兎も角、虚お嬢さんは去年何度も会ったんですよ」
「時子が黙ってろってな。おめぇが要らん気を使うから、だとよ……真、孫に何もしてねぇだろうな?」
「ご心配なく、指1本触れてません」
「もし、今後―」
「おやっさんのお孫さんと分かった以上、尚の事なにもしません。コイツに誓いますから、ご安心下さい」

 左手にみやを持ち、右手の平を宗治に向け自信満々の真であった。宗治は少し離れた席に座る2人の孫娘をちらと見た。姉は眼鏡を光らせ宗治を睨んでいた。妹は笑顔だったが、偉い勢いでストローから泡ぶくを立てていた。真よ、お前はそう言う奴か、怒って良いのか諭して良いのか。

「ところで、メールの件だが」

 宗治の眼は静かにその威圧を湛えていた。あの話だと、察し真は居住まいを正す。手を握り膝の上に置いた。

「はい」
「2つある。1つは直ぐ送る、もう一つは手直しして送る、それを使え。量子収納作業ははそっちでやりな」
「ありがとうございます。助かりました」
「どうせ埃をかぶっていた奴だ、構いやしねぇよ。しかし真よ」
「なんでしょうか?」
「おめぇ、相当な厄介事に首突っ込んだな?」
「とんでも無い、ただの保険です」
「12.7mm弾が効かない相手の保険か?」

 宗治は真の胸からぶら下がるペンダントを見ると、身体の芯に突き刺さるような視線を投げる。真はその宗治の眼に向き直り目を細めた。

「約束があって、どうしても必要なんです」

 かっては無かった意志を湛えるそのただ黒い眼、宗治はそうかと短く応えた。



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 真にとって工場は一日の大半を過ごした場所だった。

“俺は機械と相性が良い”今でこそ彼が良く言う言葉だが、当時の彼にそう言う認識は無かった。それでもが何か感じる物が合ったのだろう、入社してしばらくは入り浸り食事さえ忘れて、機械に向き合っていた。

 ある朝、工場の片隅で眠る真を見て、いい加減に休めと宗治に言わせたのは後にも先にも真だけであった。


 蒔岡邸の同敷地に内にある白い建築物の1階に、その機械が立ち並ぶ。

 1つ目の扉の脇に手をかざしロック解除、白い扉を開けると右手には2階に向かう階段。正面には機械仕掛けの扉があった。脇の壁に埋め込まれたコンソールの鈍い光だけがその空間を照らす。それに向かい認証確認、ロック解除。鈍い機械音と共に厚さ5cmの金属の、2つ目の扉が滑るように開いた。

 そこは薄暗くひんやりとしていた。床は緑、壁は白。天井はアーチを描く金属の骨組みが見える。壁と天井には等間隔に光る淡いオレンジの照明、空調の音が響く。そしてISを形なす機械たちがその胎動を鈍く拍ち鳴らしていた。

 入り口脇のコンソールに手を走らせ、光を灯らせる。真は壁と機械たちの間をゆっくり歩いた。

 1つ目ナノマシン研磨機、2つ目光学洗浄槽、3つ目多目的IS用ベッド、4つ目高真空無重力自動組み立て機、天井には重力式の搬送機、空気洗浄機がみえた。5つ目、分子構成機、真が最も得意とした金属粒子を意図通りに構築させる最新鋭の機械である。


 何一つ変わらず、その場所に合った。

-お帰りなさい-

「ただいま」

 胸のみやが熱と光を放つ。


 そして真はそれに手を当てた。それは工場内の小さな部屋の中、腰より少し高い木の机の上にあった。表面には油が光る、その身体に刻まれた名前は掠れて読めなかった。

 それは筒状の金属を3つの爪で挟み、電気が電線を通り、磁力を起こし、その磁力で筒状の金属を回す。その筒より堅い金属の刃を、ツマミを回し、筒に押し当て、削る、古い加工機械の1つ。真が最初に触った物である。

 彼は目を細めて添える右手に意識を込めた、声が聞こえる。


「どうした? 真。懐かしいか? お前がよ」
「おやっさん……」

 どれ程意識を向けていたのか、宗治が脇の背もたれの無い椅子に腰掛けていた。彼は手にする湯飲みを口に運んだ。宗治はかって千冬から聞かされた、真の真実を知る1人であった。

「そうですか、そうですね、懐かしいです、今気づきました」
「もう1年経つのか、お前がそれを初めて動かしたのは」
「掃除しろって言われただけなんですよね、かってに動かしてしまいました」
「そうだったな」

 青白い半導体の光が2人とそれを包む。真はそれに置く手を僅かに動かした。

「おやっさん、質問があります」
「なんだ」
「何故俺を受け入れたんですか? 俺が言うのも何ですが、当時の俺はおやっさんの嫌いな人間だったでしょう?」
「そうだ、無反応で無気力で、何考えているかわかりゃしねぇ。死んでいないが生きていない、そんなお前の面を見る度に拳を抑えるのが大変だった。千冬の嬢ちゃんがどうしてもと頭を下げるから渋々引き受けた。それでも4、5日で見切る腹づもりだった」
「なら、何故です」
「その機械の名前知ってるか?」
「旋盤ですよね、古い機械です」
「そいつは壊れてたんだよ」
「……」

 それは脇の赤いボタンを押せば、直ぐにでも動き出す。それが壊れていた。真には、その電源ボタンを3回押した記憶があった。最初はじっという音だけがした。次には動いては止まり動いては止まり、それを繰り返した。そして3回目、たどたどしく回り始めたそれは、何時しか鋭い音を放ち回り始めた。

「そいつは俺のじいさんが使ってた奴でな、教訓であり全ての始まりであった。だからここにも持ってきて、掃除もしていた。俺自身もうそれの鼓動は忘れちまっていた。あんときは心底驚いたぜ。そして、その音を聞いた時ガキの頃を思い出した」
「……そうですか」
「おどろかねぇんだな」
「えぇ、“彼女たち”は良くしてくれますから」

 宗治は笑みを浮かべると茶を1つすすった。

「ったく、妬ましい野郎だぜ。俺らが必死に貢いで尽くしてやっと機嫌を良くしてくれる女共(機械)が、お前には身を粉にして尽くすんだからよ」
「そう言うこと言うと志乃さんが怒りますよ」
「馬鹿いえ、あいつはもう諦めてる」
「そう思ってるだけです、日ごろ温和しい女性ほど、少しずつ溜まっていってある時突然怒り出すんです。その激しさはそれはもう凄いんです」
「言うじゃねぇか、好いた女でも出来たか?」
「居ました。でも、そう言うこと今は無理みたいです……おやっさん」
「なんだ」
「馬鹿が居るんです」
「馬鹿?」
「えぇ、馬鹿です」


 そいつ変な奴なんです。

 そいつ俺より弱いくせに俺を守るとか言ったんです。

 根拠もないのに自信があって、本気でそれが出来ると信じてる。

 いえ、それが当然だと思ってる。

 ……おやっさん、俺は自分が嫌いなんですよ。

 答えは分かってるのに、どうすれば良いのか正しいのか知っているのに、

 詰まらない理由に固執して、それが出来なかった。

 ただ、ごめんと、こんな簡単な事が言えなかったんです。

 それが出来ずに女の子泣かしてしまいました。

 いつの間にかこんな簡単で大事なことに理由を探していた。

 大事な事を躊躇なくできる、そいつがとても眩しくて俺は羨ましい。


「だから、すこしそいつを見習おうって思ったんです」

 しばらくの沈黙のあと笑い声が聞こえた。最初は小さく、徐々に大きく。豪快であったが嫌味は無く、屈託無く笑う、笑顔の笑いだった。その宗治に真は憮然と眉を寄せる。

「俺としては笑いを取るつもりは無かったのですが」
「これが笑わずにいられる、かってんだ! まこと、お前よ、」
「はぁ」
「“IS学園”に行って男作って来やがったか!」
「……へ?」

 こりゃケッサクだ、と腹を抱える宗治の笑い声と、そう言う趣味はありません、と必死に否定する真の嘆きが工場に響いた。



--------------------



 朝から太陽が照りつける。空には幾らばかりの雲。蒔岡邸の玄関には白を基調とした学生服を纏う2人の少女と1人の少年が居た。

「お世話になりました」と真が言った。
「ばかね、また来なさい」と時子が応えた。
「必ず、それじゃお嬢さん方帰りましょうか」

 不満な表情の孫娘に作務衣姿の宗治は笑う。

「真よ、何時ものように呼んでやってくれ」
「は、いや、しかし」
「構わねぇよ」

 バツが悪そうに頬を掻く真は姉妹の名前を呼んだ。2人が笑みで応える。



「間に合わなかったわね」

 もう声が届かない程度に小さくなった3人の若者を見て、老婦人が残念そうに言う。だがその表情に後悔は無い。

 時子と宗治に後ろから声を掛けたのは宗治の妻、志乃であった。うなじでまとめられた、乱れなく流れる白髪と淡い朱の襦袢、背筋は正しく伸び静かに立っていた。その温和な気配を見れば虚と本音が祖母に似たと分かるであろう。

「おう、もう良いのか?」
「えぇ」

 3人を見送る時子が悩ましそうに言う。

「流石に姉妹同時に付き合えって言えないか……ねぇ、お母さん。どちらが良いかな」
「私は苦労したから、可愛い孫に同じ目に遭わせたくないけどね」
「どーして?」
「機械と付き合う男は連れ添いを蔑ろにするから、大変ってこと。あんたは違ったけどね……ねぇ、宗治さん? 真は貴方以上じゃないかしら」

 妻と娘から白い目で見られる宗治は、真にはもっと厄介な奴が居るようだと苦笑を浮かべた。陽炎の中、消えゆく少年の背中を見て宗治は思う。

(真よ、出来るなら一人前の機械屋になったお前を見たがったか、これも運命か。だがその胸には最高峰の機械が共にある。なにも変わっちゃいない。しっかりやんな……死ぬんじゃねぇぞ)



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BLにはなりません。




オリ主、オリ人物ばかりでごめんなさい。
ただ、真が吐露出来る人物は宗治しか居ないもので……

次回からフランス娘編です。



[32237] 04-04 日常編9「貴公子来日」
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2013/06/30 14:38
場面を細かく切り替える、にチャレンジしてみました。



日常編 貴公子来日1
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 大の字で寝転ぶ一夏が最初に見たものは今にも泣き出しそうな曇り空だった。次に見たものはその雲を背景に憂鬱そうな軌道をえがく2つの第3世代機。3つめにはアリーナの反対側、気落ちしたように訓練機を取り囲む、彼がよく知る3人の少女。他にもあちらこちらで同級生の少女たちがどこか表情を陰らしている。最後は何時もと変わらない陰険なカーキのリヴァイヴ。

「と、言う訳だ。質問は?」
「あるぜ……くそったれ」

 一夏の白い鎧がいじけるような鈍い駆動音を鳴らす。真は苦笑いでグレネードランチャーを量子格納領域へ収納した。2人の周りには未だ爆発したグレネードの破片がぱらぱら降り注ぎ、硝煙がたゆたいでいる。白い鎧は煤で少し汚れていた。



 6月2週目の月曜日、放課後。この2人は無人機戦からずっとこの調子だった。真は“一夏の対銃訓練”と称し、徹底した対銃戦術を一夏に施している。無論彼自身、対真対策でもある事は言うまでも無い。

 一夏の成長はめざましく、セシリアと鈴が眼を剥くほどである。それでも一夏が苦渋の日々を送っているのは、真がそれ以上だからであった。勿論、飛び道具のアドバンテージもあるが、なにより得体の知れない強さがあった。何故強いのか“真自身にもよく分かっていない”ただまぁ、と一夏は思う。

(だからこそ、訓練になるんだけどよー……やっぱり負けっ放しはむかつくぜ)
「安心しろ、サブマシンガンだけではもう一夏には敵わない、効果は出てる」
「何も言ってねーぜ」
「目は口ほどにものを言う」

 一夏はあぐらを掻き頬杖をつく。睨みあげればそこに目付きの悪い、一つ年上の同級生が、その自分の眼を指をさして立っていた。一つ溜息が出る。彼の脳裏に蘇るのは先の模擬戦だった。

 一夏は真が放つサブマシンガンの弾幕を見切って切り込み、それを一閃、破壊、そこまでは良かった。重心を後方へ引いた真を見て、カウンターは無いと踏み追撃。そうしたら“いつの間にか持っていた”ハンドガンで軸足を3発撃たれ、姿勢を乱した。最後は蹴り、グレネードの連続攻撃を受けて、撃墜である。

「一夏の敗因は兵装の量子展開速度を見誤ったことだ。展開速度は銃の分子量つまり大きさ、使用される材質の数、構造の複雑さが関係する。だから、回転式ハンドガンならあの程度。銃の切り替え時を狙うと言っても、ここに注意しないとしっぺ返しを喰らう」さも簡単に言う真の口調に、一夏は目を細め睨みあげる。

「0.4秒で展開しての精密射撃だろ? そんな事出来るのがほいほい居て堪るか」
「俺らは、一夏はそう言うほいほい居ない敵と戦っていくんだよ……で、兵装の量子展開速度で重要なことが一つある。」

 真はショットガンを量子展開すること1.6秒、アサルトライフルに切り替えること1.2秒、眼を細めて一夏にこう言った。

「ラピッド・スイッチってISの操縦技術があるんだが、これは銃の種類関係無く0.5秒以下で切り替えられる。もしこれを使う娘に出会ったら一夏は気をつけろ」
「何でだよ」
「サブマシンガンのつもりで突っ込んだら、目の前にはショットガン」
「……コンボ狙うまでもなく一発逆転されかねないじゃねーか」
「そういうこと。至近距離のショットガンはスナイパーライフル並みの威力だからな」
「つかよ、真は使えるのか? そのラピッドなんたら」
「ラピッド・スイッチ。残念ながら使えない」
「ほほーぅ」
「なんだその、ざまぁみろって顔は。練習はしたんだよ、弾倉の量子交換が遅くなったんで止めたんだ。俺にとってこの2つは排他的技術らしい……なぁ一夏」

「あぁ、空気が悪い。みんな落ち込んでるぜ」
「気のせいじゃないか、やっぱり」

 アリーナを見渡す真の表情には、憤り、やるせなさ、後悔、そう言った感情が見て取れた。案の定気にしてやがったか、この阿保と一夏は心中で独りごちる。

 先日の無人機はアリーナだけでなく学園の少女たちの心にも傷跡を残した。全員が目撃した訳では無いのだが、その雰囲気が伝播し学園中を暗い空気が覆っている。特に1年生への影響が大きく、密かにカウンセリングを受けている少女もいた。

「そういえば真。ティナはもう退院したんだろ?」
「いま横須賀の自宅に帰っている。というか一夏。いつの間に呼び捨ての仲になったんだ」
「1人で見舞いに行った時。まさか退学……?」
「いや、家族の希望で3,4日の自宅療養だそうだ、本人は続ける気満々だったから大丈夫だろ。相変わらず見事な手管だな」


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「何、アンタら。真面目に訓練していると思えば女の子の話?」

 2人が見上げる3m先には甲龍を纏った鈴が居た。何時もの挑発するような眼だったが、どこか気落ちしているのが2人には分かった。だから「ちがう」と多少気勢を込めて2人は言う。「まぁ良いわ。模擬戦に付き合いなさいよ」と苦笑いの鈴に「一夏、ご婦人のお誘いだ。言って来い」真が応えた。

「何言ってんのよ、2人ともに決まっているじゃない」
「悪い、これから検査なんだ」

「また?」鈴がISスーツから覗く包帯に目をとめた。「先生、お医者さんがな納得しないんだよ。これで最後だから……そんな不安な顔しないでくれ。行きづらくなる」と真は鈴の頭に優しく手を置いた。「ば、ばっかじゃない!? 心配なんてしてないから、早く行ってきなさいよ!」と鈴はその手を慌てて振り払う。

 苦笑いの真は「じゃぁ一夏、鈴のこと頼んだ」とピットに消えた。2人はそれを見送った。鈴の手にする双天牙月の切っ先が僅かに下がる。

「もう3回目じゃないアイツ……」
「心配しなくても消えたりしないぜ」
「だ、か、ら、心配なんかしてないわよ。この馬鹿イチカ。それよりさっさと始めるわよ。元同室者の顔に泥塗るような不甲斐ない戦いしたら、ただじゃおかないからね」
「おぅ、任せとけ」

 構える雪片弐型の、切っ先の向こうには僅かに憂うの少女が居た。上空のセシリアと一瞬合った眼は堅いように見えた。2人とも重傷だな、と一夏は内心溜息をつく。

(何か新しい出来事があれば良いんだけどよ)

 一夏は踏み込んだ。



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 一夏は1人歩いていた。惜敗した鈴との模擬戦が終わりその帰り道である。

 彼が行く第3アリーナの廊下は何時もの姿だった。天井には赤みがかった白熱照明と、足下にはダークブラウンの廊下、右手にはベージュの壁と等間隔で現われる埋め込み式連絡用ディスプレイ。左手には枠の無い窓が収まり、雨の粒が点在し、雨の枝が流れる。遠くからはアリーナを環状に走るモノレールの音が響く。何一つ変わらない何時もの廊下が何故かもの悲しい。

 彼は「うーん」と唸ると、腕を組み、眉を寄せ、口はへの文字に曲げた。

 彼の脳裏に佇むのは近しき数名の少女たち。常日頃、誰構わず言い寄られては押し切られ、気づかないまま落胆やら怒りやらを買う一夏であったが、逆に思い悩ませ、彼なりに気遣う相手はそれ程多くない。箒、静寐、本音、セシリア、鈴と言った面々で、最近ティナも加わった。

 もっとも東に嘆く人がいれば手を差し出し、西に涙する人がいれば進んで盾となり矛となる。結局、その場に居合わせれば、誰であろうと助けるのは当然。これが織斑一夏という少年であった。

 そう考えたら最後。彼を心配する人や自身の安全の事など、一切の事が頭から消える、これが彼の1つ目の欠点であり、何故か助けるべき相手が少女ばかりというのが2つ目の欠点だった。そう過去形である。最近1人の少年がそれに加わった。

(ティナと真はとりあえず大丈夫だろ、問題は他の娘たちか……なんとかなんねーかな。セシリアと鈴もそうだけど、あの3人も様子おかしいし)

 一夏が思い出すのは襲撃があったその日の夜、寮で見た箒、静寐、本音の真っ青な顔であった。あれから口数も少なく元気が無い。思わずうーんと2度目の唸りを上げる。


 かつんこつんと、足音を鳴らす彼に「一夏」と合いの手を入れるのは静寐であった。何時もの白を基調とした学生服で、後ろ組手、廊下の壁にもたれ掛かり立っていた。彼はよぉと声を掛ける。

「真は?」
「先に上がった。検査だってよ」
「そう」
「……箒たちは?」
「四六時中一緒じゃないの」

 抑揚の無い言葉に一夏はこまったもんだと、内心溜息をつく。単に話題を振っただけだったのだが、静寐は相当重傷のようだ。

「それはそうだ。これから飯だろ? 戻ろうぜ」
「ん」

 かつかつ、こつつんと足音が廊下に響く。他に聞こえるのは呼吸の音。右隣を歩く静寐をちらりと見れば、鼻眼口は何時もの形であったが、憂鬱さを湛えているのがよく分かった。だから一夏は静寐の顔をのぞき込むようにこう言った。

「元気出せよ」
「そう見える?」
「見える」
「……一夏は、」
「なんだよ」
「一夏は、怖くなかったの?」

 無人機のことを言っている、それに気づいた一夏は思わず周囲を見渡した。そんな一夏に挙動不審と微笑を浮かべて静寐は言う。妙なところで肝が据わっている、全く動じていない。このタイプの娘はこういう所が怖いと、呆れと感心を入れ混ぜる一夏だった。

「それ迂闊に喋ると大目玉だぜ……見たのかよ?」
「ううん、私は後だけ。でも想像つくよ。丈夫なアリーナがあそこまで壊れるなんてよっぽどな相手だったんでしょう? ISがあっても危ないぐらいに……怖くなかった?」
「んーどうだろ。とにかく何とかしないとって、ただそれだけだったからな……なんだよ、そんなにおかしいか?」
「一夏らし、い」

 くすくす笑い出す静寐に一夏は憮然とし、そして理解した。つまり静寐は

「怖くなったのか?」

と言うことだ。

「……おかしいよね、分かってたはずなのに。卒業したらどういう仕事に就くか分かってたはずなのに……真はどうだったのかな」
「さーな」
「一夏。私ね、一夏は特別な人だと思ってた。お姉さんとかルックスとか」
「ルックス?」
「やっぱり自覚無かったんだ……それで真は普通の人だと思ってた。すこしだけ怖い顔の普通の人だと思ってた。でも、やっぱり違うんだ」
「そんな訳ねーよ」
「そんな訳あるの。知ってた? 私たちって2人がセシリアと決闘したときより操縦時間多いの。でもやっと飛べるぐらい。それに2人もずるいんだ、箒は専用機を持ってないのが不思議なぐらい上手いし、本音は機械にセンスがあるし、私だけ……ごめん、変な事言った」

 静寐の気づいた悩みは二つ。一つは兵器を学んでいた事、もう一つは真ら周囲との間にある壁。ったく、いま側に居なくてどーするんだよ、と一夏はここに居ない友人を一つ罵り、今晩小突いておくかと拳を握る。

「静寐、飯にしようぜ。腹減ってると碌な事考えない。こういう時は食って寝るのが一番だ。前向きなときに前向きに考えようぜ」
「一夏は、どうしてそう言う気遣いを箒にしてあげないかな?」
「どういう意味だよ」
「ほらやっぱり。部屋替えの時もそう、箒に愛想尽かされても知らないからね」

 微かに笑う静寐に首を傾げた。どうして箒が出てくるのか分からん。まぁ少し元気が出たようだから良しとしよう。と納得する一夏であった。


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 他愛の無い言葉を幾つか交わすと箒と本音に出くわした。箒がじろりと睨めば一夏は顔を引きつらし「箒ごめん、一夏借りてた」と、静寐が笑う。

「構わないぞ、役に立ったか?」
「ん、凄く。ご飯行こう」

 箒は明るくなった静寐の表情に安堵する。そして腕を組んで何時ものむっすりした顔で一夏にこう言った。

「一夏、静寐になにもしてないだろうな?」
「してねぇって!」

 本音は嬉しそうにありがとう、と一夏の腕にくっついた。屈託の無い本音の笑顔に穏やかな空気が流れる。

 その日の夕食は、珍しく箒、静寐、本音、一夏の4人で食べた。部屋に戻った一夏はシャワー浴びて、ベッドに潜り込んだ。結局真は、その日帰ってこなかった。一夏は気落ちした静寐を思い出し闇夜に落ちる。

(殴り損ねた……)





日常編 貴公子来日2
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 薄日が差す翌朝、1組の少女たちは久しくざわついた朝の空気を浴びていた。ある少女グループはどのクラスかを話し合い、またある少女グループはドイツだ、フィンランドだと噂し合っている。

 転校生。谷本癒子を始め1組の生徒数人が昨日見かけた、金髪の見慣れない姿にクラス中が浮き足立っていた。先の無人機戦以来、明るい話題が無く喉を渇かしていた少女たち、無理も無かろう。

 その様な中、織斑一夏は1人席に座り腕を組んで口をへの字に曲げていた。挨拶も程ほどに、誰が声を掛けても上の空だ。予鈴の鐘が鳴り、1組の担任と副担任、そして見知らぬ1人が教室に入ってきた。一度は静かになった教室に歓声が上がり、教師の鬱陶しそうな制止の声が響く。


(あの阿保、結局泊りかよ。しかも、まだ帰ってこないと来やがった。検査だけでこんなに掛るのか? しかも3回目の検査じゃねぇか)

 登校がてら覗いた2組はいつも以上に静かだった。陰気くさくても意外と存在感があるらしい。

(学園内に居るのは間違いないんだが……あの野郎、どこで道草食ってやがる。まさか美人女医といちゃいちゃ……いや、ひょっとして、改造されてたり?)

 一夏の脳裏で立ちふさがるのは、ターミネーターではなくピーガガガガと昭和初期風ロボットだった。額に“真”と書いてある。

(やっべ、俺どうしよう。友達続けられるか自信ねぇ、指さして大笑い―)
「お前は満足に返事もできんのか!」
「ぶぅ!」

 よく知った右手に押さえつけられ、失礼しました、おはようございます織斑先生、とぶぅぶぅ言う一夏だった。千冬は自分の右手と机に挟まれた弟の頭を見て、もう1人の少年を思い出す。どっちが似たのか似せたのか、苦悩し思わず額に手を当てた。

「もう良いからさっさと挨拶しろ」

 今しました、と一夏が顔を上げれば、千冬の右隣に見覚えの無い金髪の生徒が柔らかな笑顔を湛えていた。鮮やかで深い金の髪をうなじで編み下ろし、人に安心感を与える親しみ深い表情、小柄で華奢であったが姿勢正しく佇んでいた。どこか中性的なその姿に、一夏は思わず息を呑む。

「初めまして、織斑一夏君だよね? これから宜しくお願いします」

 その生徒は一歩踏み出し歩み寄る。一夏は居住まいを正し、両手を組むと机の上に置いた。深い呼吸を一つ、その生徒を両の眼で捉える。日頃見ることの無い一夏の雰囲気に1組の少女たちは固唾を呑み、1組副担任は狼狽えた。その生徒は妙な緊張感に思わず汗粒を一つ流す。

「あのよ、一つ聞きたいんだ」
「な、なにかな」
「……君、だれ?」

 フランスから転校生がやってきたその日、学習棟を揺るがさんばかりの大きい地響きがしたという。

(一夏がまたやった)

 2組の静寐はお見通しと言わんばかりに深々と溜息をついた。


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 食堂の窓から覗く空には、陽の光が雲の隙間から差し込んでいた。ぼんやりとその光景を見ていた彼は一つ息を吐く。フランスからの転校生、シャルル・ディマが落ち着けたのは昼休みになってからだった。

 彼が思い浮かべるのは1限目の休み。1組の少女たちが自席に座る彼を取り囲めば、1組も少女たちに取り囲まれた。廊下はひと、ひと、ひとのごった返しだ。青いリボンはもとより黄、赤も見える。彼に注がれるは潤んだ視線と感極まった声。

 彼は人だかりの原因も気になったが、それ以上に気になったのが、彼女らの助けを求め訴えるようなそういう雰囲気であった。見上げれば世界で2人しか居ない少年のその1人。年齢以上に深みを感じる赤銅色の眼差しは、歓迎だけでなく感謝の色が見て取れた。

(何かがあったんだ)

「と言う訳で、めでたい3人目だ。この調子で行けばバレーどころかサッカーだって出来るぜ? なぁシャル」

 一夏に話し掛けられ現実に戻ったシャルルは、宜しくお願いしますと皆に笑いかけた。

 何時もの8人掛けのテーブルに腰掛けるのは箒、鈴、静寐に、本音。気品すら感じさせる少年の、屈託無い笑顔に流石の彼女らも思わず頬を染めた。

 経緯を話せばなんと言うことは無い、昼食時になっても解放されないシャルルを、同じ男同士仲良くしようぜ、と一夏が多少わざとらしく助け出したのである。勿論、何時ものメンバーに昼食がてら紹介するのも理由であった。セシリアは気分が優れないと辞退した。

「ふーん、名前からそれっぽいと思ったけれど、やっぱりフランス代表候補か」ラーメンの汁をするするとすすりながら言う鈴に、同室の本音が「鈴ちゃん、お行儀悪いよ」と言った。

 自国のこと、趣味特技のこと、シャルルの紹介自体はありふれた物であったが、少女たちからの問い掛けに一つ聞かれれば一つ応え、話が一方的にならぬように言葉と間合い、身振りを巧みに操る。そんなシャルの社交能力をみて一夏は人知れず大したもんだと感心する。


 どこかぎこちない静寐はティーカップを置いて言う。

「ディマ君は、やっぱり専用機持ち?」

 シャルで良いよと言ったシャルルの笑顔を見て、静寐は湯気を出さんばかりに顔を赤くした。

(真め、静寐に見限られても知らないからな)とは箒。
「うん、デュノア社製のラファール・リヴァイヴに乗ってるんだ。相当弄ってあるけどね」
「「「へー」」」
「偶然だね」と言う本音に「言われれば当然よね」とは鈴。驚く皆に不思議な顔をするシャルル「僕、何か変な事言った?」

「真もリヴァイヴに乗っているのだ」と箒が言えば、そう言うことか軽く頷き「蒼月真君だね、そういえば彼はどうしたの? まだ会ってないんだ僕」とシャルルが言った。

 突如訪れる気まずい沈黙、シャルルは思わず口を閉ざした。なにかいけないことを聞いたのだろうか、そんな不安を湛える彼に一夏はそーじゃねぇと手をはたはたと振る。

「ちょっとあってな今検査受けてる。千冬ねぇの話だと今日の夕方には会えるぜ」
「そうなんだ、避けられてるのかもって心配しちゃったよ」
「なんで?」
「彼は、蒼月真君はフランスじゃ色々な意味で有名なんだ、どんな人かなって」
「リヴァイヴだからか?」
「それもあるけれど、どちらかと言えば先生が、だからかな」
「「「?」」」





日常編 貴公子来日3
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(幾ら最後とは言っても丸1日は詐欺じゃないか……)

 真が医務室と廊下を隔てる扉を開けたのは、丸一日経った夕方のことであった。扉を開けて夕日を浴びれば思わず身体が灰になってしまうのではないかと、錯覚してしまう程検査機に閉じ込められていた。気のせいか壁に映る影法師も薄い。

 一つ検査すれば、理解出来ぬと、二つ検査すれば、何がおかしい。三度目にはお前が悪いと、頭を抱える医師を何度見たことか。その都度真はこのお医者さんの方がおかしい、と思った物である。

 治療自体はそこそこに、医者が執着したのは真の特性、機械との親和性のことであった。対抗戦で見せたバーニアの修復、何かある筈とありとあらゆる検査を行い、結局何一つ分からず。いい加減にしろと、千冬とディアナに脅迫と言う名の催促を受け強制終了である。尚、この事実を知るものは極一部だ。

 かつんこつんと廊下を歩く。腕を組み口はへの字。機嫌が悪いのか何時もより目付きが悪い。検査自体は彼自身疑問に思っている事でもあり、異存は無い。ただ、

(やっぱり医者は医者でも医学博士はだめだ。治療より研究って感じだ)

 白衣の金髪碧眼の女性医師を思い出してげんなりする真であった。


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 窓が二つ三つ流れ、影が伸びる。彼が見たのは廊下のソファーに腰掛ける、金色の、彼にとって2番目の女性だった。白のブラウスにライトグレーのジャケットとパンツ。流れる長い髪は正しく金糸の如く光を放つ。神々しい、そう評して良い美しさを前に、真は何時ものように平然と歩み寄った。

 ディアナは真の姿を認めると組んでいた足をほどき、立ち上がる。真より少し背が低く、千冬より少し背が高い。彼が僅かに見下ろす彼女の眼は、いつもより強い陰りを宿していた。

「お疲れ様、終わったかしら?」
「ええ、漸く。もう当分お医者さんは御免です」
「そうして頂戴」

 踵を返す彼女の背を追う。彼が気づいた事は硬い表情と苛立つ足音、それは身近な者しか気づかないような僅かな物であった。真は軽く眉を寄せ左隣を歩くディアナをちらりと見る。

「良いんですか? 放課後ですがまだ勤務時間中では?」
「良いのよ、千冬に任せてきたから。それに私も保護者よ問題ないわ」
「保護者ですか、姉2人と言うのも妙な感じです」
「あら、母ではないのかしら」
「2人ともは母親には若すぎますし一夏が叔父になりますから。弟の方がましです」

 なら仕方ないわね、ディアナは苦笑する。歩きながら彼女が伝える事は、彼が休んだ今日一日分の連絡事項であった。公私混同を厳格に切り分ける千冬に対し、公私入り交じるディアナ。本当に彼女らしいと真はいつになく柔らかな笑顔を浮かべる。

 伝える事はいくつかあった。一つは転校生のことである。

「フランス代表? ならディアナさんの後輩という訳ですか」
「代表“候補”だけれど、まぁそうなるわね」
「それは会うのが楽しみです」
「何故かしら?」
「とても美人そうです」
「美人は美人ね、たしかに」
「なんです?」
「直ぐ分かるわ、楽しみにしてなさい」

 含み笑いのディアナに、何故か背筋が寒い真であった。2つ目は2組のこと。

「そうですか」
「もう少し言うこと無いのかしら」
「俺が居なくて皆の元気が無いなんて、コメントに困ります」
「あの娘たち色々言うけれど、結局頼りにしているのよね、困った物だわ」
「そうですね……伊達に年上じゃないって事で」
「29人の妹? 大変ね」

 それがいい。ぽん、と思わず手を打つ真であった。そんな真をディアナは目を細めて睨む。

「なに? あの娘達全員女の子として見ないって事?」
「とんでも無い、ちゃんと見てますよ。ですから苦悩の日々です」
「女として、よ。学園に居て気に入る娘が居ないって贅沢ね、どんなのなら良いのかしら」
「そうですね……気立ての良い、バランスの良い娘が居れば、なびくかも知れません」
「やっぱり贅沢だわ」
「そうですか?」
「そうよ」
「なんだか、千冬さんもディアナさんも俺にガールフレンドを作らせようとしているみたいだ、何故です?」

 そして3つ目はあの対抗戦のことだった。ディアナは何時ものように真っ直ぐ前を向いていたが、彼には目の陰りがしみ出たように、顔を伏せたように見えた。

「無茶させないように、楔を打ち込む為に、決まっているでしょう?」
「ひょっとして、とは思ってました。でも無理です」
「何故かしら」
「俺が俺自身のことを知らないから、俺が俺自身嫌いだから、俺が俺自身怖いから」
「そんな事、誰でもそうだわ」
「俺は、それの度が過ぎてます。あの時の事はディアナさんも知っている筈です。真っ当じゃ無い。だから……特定の人を作る気は無いです」


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 ディアナは彼を一瞥すると、冷淡な目で「下らない理由ね」と言った。流石の真も「下らないとは心外です」と目を冷たく凍らせた。

「愛する、この意味も知らずに悲劇の主人公を演じているのでしょう? 泣いて土下座してみっともないぐらい求愛してみたら? そして振られると良いんだわ。きっと今よりましな顔よ」
「いくら何でも教師が言う台詞じゃ無いですよ、それ」
「今は違うもの」

 真は左を歩くディアナを眼だけ動かして見た。成る程と、そう言うとその眼の暗みが深くなった。僅かに口元をあげる。

「そうですね……なら今晩にでもやってみますよ、その求愛」
「あら、誰にかしら」
「千冬さん」
「とても不愉快なこと言うわね。千冬になんて趣味悪いわ」
「みたいですね。誰かにも言われました。でも癇癪で人を殺しかけるような嫉妬深い人よりずっと良いです」

 襟首の裾に左指を入れ伸ばせば、傷が姿を現す。真は皮肉を浮かべて笑う。彼にはディアナが負の感情を湛えているにも拘わらず何故か微笑んでいるように見えた。彼女の糸が首筋をなぞらんが程である。

 だが真にはその時のディアナが今まで見たことの無いほど美しく見えた。“切り刻まれた者は魂を奪われる”というかって聞いたゴシップ。それはこう言う事かと真は悟られぬよう身体を震わせた。その震えが恐怖なのか、喜悦なのか彼にはまだ分からなかった。

「真は、千冬にも同じこと言うのかしら」
「まさか、あんな純粋な人にこんな酷いこと言える訳無いです」
「そう。やっぱりあのとき糸を止めるのでは無かったわ。そうすれば楽しい思い出になったのに、馬鹿ね私」
「良いじゃ無いですか、貴女に近づく男で石と花を差し出さない阿保が1人ぐらい居ても。そういう男ばかりだったのでしょう?」

「本当に、失礼で、憎たらしい人だわ」
「失礼ついでに一つお願いがあるのですが」
「言ってみなさい、ひっぱたいてあげるから」
「糸のコツ、教えてくれませんか? リーブス先生」

 廊下に乾いた音が響いた。





日常編 貴公子来日4
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 第3アリーナ、中央付近。放課後の、傾いてはいるがまだ日は十分に差す空の元、高度1mで白式とオレンジのリヴァイヴが対峙する。一夏と向かい合うのは、シャルルのラファール・リヴァイヴ・カスタムIIであった。

 シャルルが纏うリヴァイヴは、真のリヴァイヴと様相が異なる。色はカーキではなく鮮やかなオレンジ、背面にある1対の多方向加速推進翼が2対の計4枚装備し機動力を向上。物理シールドを全て取り外しているのはみやと同じだが、シャルルの左腕には大型の一体型装甲が装備され、対する右腕はシンプルな装甲のみで覆われていた。


 黄色い声がアリーナに木霊する。噂の転校生と、一夏の模擬戦を一目見ようと観客席は満員御礼だ。1年生だけでなく2年3年の上級生も押しかけている。貴公子のようなシャルルの姿を認めて溜息すら漏れた。

 そんな事はお構いなしにと、一夏の視線はリヴァイヴIIをなぞる。風が吹き砂煙が舞い上がった。

(シャルまでの距離、400m。無手。あの眼は油断じゃねぇ、こっちの手札を読んでからのつもりか……よし)

 一夏は右足を前に出し実刀状態の雪片弐型を正眼に構える。背中と足のバーニアが静かに光を放ち、ゆっくりと近づく。シャルルの表情から笑みが消えた。距離が450,400,350と少しずつ狭まる。予想だにせぬ静かな始まりにギャラリーからどよめきが起こった。互いの眼が、互いの一挙手一投足に反応する。

(シャル、どう出る? 余り近いと使える火器は減るぜ?)

 距離300、一夏が重心を左斜め前に鋭く移動―白式フェイント。シャルルが加速、一夏の右舷に回り込む。白式も右舷に加速、リヴァイヴIIの正面に躍り出る。距離200、シャルの手にはサブマシンガン、一夏が吠えた。白式が“7.62mmサブマシンガン FN Pi90”と報告する。

―ブルパップ式は銃の重心が後ろに偏っている。銃身が長く集弾性が良い反面、高速機動時の取り回しに不利。防御寄り―

 耳に聞こえない誰かの声が響き、一夏は一つ舌を打つ。シャルルの右舷を睨むとバーニアを吹かし刀をかざした。右薙ぎ。シャルルが一夏の刃を一瞥する。

 白式加速。砂埃が巻き上がり、赤い軌跡が右から左へと切り抜けるその空間を、空気を切り裂く音がする空間を駆け抜けた。エネルギーシールド展開、12発被弾、ダメージ50。被弾数の割にはダメージが少ない。白式が拳銃弾とライフル弾の中間に位置する特殊弾頭と言った。

―白式は装甲が弱い分最も軽く、中低速からの加速がずば抜けて良い。その機動力を駆使して上下左右前後ろ、縦横無尽に走り間合いを詰めるのが基本―

 弧を描く軌道はそのままに身体をシャルルに向ける。一夏の初手はフェイク、シャルの右舷に回り込み詰める。橙のリヴァイヴは切り返しが間に合わない。上空へ後退しつつ、左手をサブマシンガンから離し、右腕のみで銃口を向ける。距離40m。イグニッションブーストは溜がある、一夏は大地を踏み抜き最大加速。銃撃音が響いた。

 星々を超光速で駆け抜ける船のようなその世界で一夏はシャルルの鼓動を聞いた。そして何かが切り刻まれる音と、小規模の爆発する音。コンマ秒前、サブマシンガンと呼ばれていた鉄の塊が宙を舞う。

 白式が踏み込んだ。反した刃が青い光を放ち、切っ先が左下から右上へ走り出す。その時一夏が見た物は2つあった。1つはリヴァイヴIIパイロットの採光を欠いた眼、もう一つは眼前のショットガン、展開時間は0.4秒。一夏は目を見開き歯を食いしばる。

(ラピッド・スイッチ!)

 アリーナ響かせる銃声と、身体の芯を揺さぶらんばかりの衝撃が一夏を襲った。


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 仰向けで寝転がる一夏の脇にシャルルが立つ。少し足を開き、両手を腰に一夏の顔をのぞき込めば、驚いたような顔をして笑って言った。その赤く興奮したシャルルの表情に一夏は不満顔で応える。

「つまりね、ディアナさ……リーブス先生は男の人に厳しいって、えぇと女尊男卑という意味じゃ無くて、見る眼が厳しくて有名なんだ。多くの富豪や権力者を袖にしたって言うぐらい。だから彼女のクラスに男の人が居るってフランスじゃ凄い話題なんだよ」
「男っていったって真はまだ16だぜ」
「十分男の人だよ」

 日本とじゃ感覚が違うんだろうか、と一夏はぶー垂れる。耐えきれなくなったのか、そんな彼を見てシャルルはその端正な表情を大きく動かした。目を開き、眉を上げ、口は大きく、驚きと喜びと感心と、つまり凄いと言った。

「凄いよ一夏! 徹底した銃対策してたんだね! ぼく心臓が止まる位驚いたよ!」
「何がだよ、盛大に負けたじゃねーか」
「こう言ったら偉そうで嫌なんだけど、僕だって代表候補としてずっとがんばって来たんだ。IS歴2ヶ月少々の一夏に負けたら立つ瀬無いじゃないか……凄いよ一夏! ブレードだけでどうしているんだろう、って不思議だったんだ! あんな攻め方初めて!」

 2人の会話を聞いて何故か極一部の少女たちが歓声を上げる。シャルルはそれに構わず興奮し、一夏は突如走った悪寒に身体を震わせた。空を見上げれば赤みを帯び始めた雲が見える。彼が思い出すのは引き金を引く瞬間のシャルルの眼だった。

(あの時のシャルルの眼、真にそっくりだった……)

 リヴァイヴを専用機にすると皆ああなるんだろうか、と一夏はシャルのとめどもない感嘆を聞きいて僅かに頬を染め、腹を鳴らした。





日常編 貴公子来日5
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 IS学園寮、柊。一年生の少女たちが思い思いに夜の支度をする時分、私は椅子に腰掛ける金髪碧眼の少年にココアを手渡した。彼から礼を貰うと、もう一つはベッド脇の小さい棚においた、最後の1つは自分の手の中にある。

 コップの中にある、甘い茶色の水面からは湯気が出てときおり波打つ。ひとつ、またひとつ。廊下側のベッドに揺さぶられているからだった。

 712号室、ここは私の部屋だ。数日前まで居た同室者は隣部屋に移り、静かであったこの部屋に久しぶりの笑い声が聞こえる。笑い声は良い、耳にするだけで気分が晴れる、高揚する、明るくなる。だがこれは違うだろ、私はそう思い廊下側のベッドでのたうち回る馬鹿にこう言った。

「一夏、お前は笑いすぎだ。冷めるからさっさと飲めよ」
「いや、だってよ、真、お前それケッサクだぜ♪」

 私の顔を見るやいなやこの馬鹿はずっとこの調子だ。思わず溜息をついた。



 金色の人からきついものを貰った私は、人目を憚るように自室に戻った。人に見られれば説明に苦慮するからである。人の死角に回り込める、この時ほどこの特技に感謝したことは無かった。勿論、少女たちが食堂に集まる夕食時を選んだのは言うまでも無い。

 戻って暫く立った後、数名の少女たちが訪れたが気分が悪いと遠慮して貰った。どうして検査後に悪いのかと聞かれ、長時間閉じ込められたからと答えたら取りあえずは納得して貰えた様である。

 一晩経てば腫れは引くだろう、明日までの引きこもりを決めた矢先に2人が訪れた。一夏とフランスからの転校生、ディアナさんの後輩にして代表候補のシャルル・ディマである。

 扉を開けたとき彼は一夏の影に隠れるように立っていた。怯えるという意味では無く小柄という意味だ。彼が名乗ったシャルルと言う名前が男性名だと知っていたが、漂う気配が女性特有のものだった。だから彼なのか彼女なのか混乱した。

 だが問いただすのも角が立つ、そう内心悩んでいたところ彼の方から告げられたのである。何故かと聞いたら聞きたがっていたようだから、だそうだ。私はディマの気遣いに感謝と謝罪をした。まったくもってディアナさんも人が悪い。

「いいよ、よく間違われるんだ」

 そう屈託無く、ともすれば可憐と形容出来るディマの笑みに私は居心地悪く頬を掻いた。後で聞いた話だが一夏もこの笑顔は「なんか困る」と言っていた。


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 ちらり、じっと、ちらりちらちら。何が珍しいのかディマは私を見る。彼の視線に妙な緊張を感じ「ディマはフランス代表候補だって?」とわざとらしく聞いた。すると彼はぱちくりさせ「シャルルで良いよ、でもシャルって呼んでもらえると嬉しいかな」と言うので彼の申し出を受ける事にした。

 シャルは白と紺のツートンカラーのジャージに身を包み、袖からマグカップを掴む両手が覗いていた。彼ははどことなく本音と同じ匂いがする。儚げではなく根を深く大地に下ろした、質素だが溢れる自然な美しさとでも言えば良いのだろうか。どちらにせよ男への賛辞では無かろう。

 笑い続ける一夏を尻目に私は言う。

「シャルの機体はやっぱりリヴァイヴ?」
「勿論だよ、真のもそうなんだよね? 見せてよ」
「明日の実習でご披露する。見た目はスタンダードモデルと余り違わないけどね。物理シールドをとっぱらってる位」

 と、印象に似合わず積極的なシャルとリヴァイヴ談義に華を咲かせていたところ漸く一夏が復帰した。

「なんだ、あっさり打ち解けやがって。なんかずりーぞ」と一夏が半眼で不平を言う。私は驚いて「意外だな、一夏がシャルと打ち解けるのに時間が掛ったのか」と言った。
「ちげーよ、真は知らなかったんだろうが今日行く先々で大変だったん―」と言い終わる前に一夏が拳をあげた。左頬に痛みが走り思わずひっくり返った。突然のことでシャルは目を丸くする。私は起き上がると馬鹿の胸ぐらを掴んだ。

「突然なんだ!? この馬鹿一夏!」
「ぬかせこの阿保真! これは静寐の分だ! 一発殴らせろ!」
「既に殴ってるだろうが!?」
「もう一発ぶん殴るって意味だ!」
「わけわからんわ! これから簀巻き吊してやる!」
「上等だ! ISみたいに行くと思うんじゃねぇぞ!」

 どかばきという拳と脚が奏でる音楽は、シャルの妙に艶っぽい叱咤で止められた。騒ぎを聞きつけてやってきた少女たちに左頬を見られたが既に意味は無かった。一夏に一発喰らったからである。



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ショートスパンの場面切り替え、如何だったでしょうか。
非常に苦労しました。
悪くは無いけどどこか腑に落ちない、うんうん悩み書き直すこと数知れず。
このシーン欲しいよな、でもテンポ悪くないか? とビクビクしながら投稿です。
ご感想お待ちしております。

追伸:あの2人のフォロー話は次回以降です



[32237] 04-05 日常編10「乙女心と梅雨の空」
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2013/06/30 14:42
だら、だら、だら。


日常編 乙女心と梅雨の空1
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 その日はよく晴れた梅雨の中休みだった。朝陽が窓の風景を照らしている。木漏れ日が窓から差し込めば、白い陶器の紅茶を照らした。立ち上る湯気が渦を巻く。

 私はまだ暖かいトーストを左手に取り、バターをナイフで塗りつけた。ナイフを置いたところで塗れていない四隅が気になった。トーストを傾け、溶け切れていない塊を動かし、導こうと試みる。上手く行かずこぼれ落ちた塊がべちゃりと白いテーブルを汚した。そんな私を見て、目の前に座る一夏が言う。

「つまりあのビンタはリーブス先生だったのか。俺はてっきりセシリアだとばっかり思ってたぜ。昨日どこかに行ってたし」

 一夏は右の握り拳で頬杖をつき、呆れたと言わんばかりに目を細めた。ジト目と言う奴である。



 シャルが来て一夜が過ぎ、何時ものと異なる朝が来た。寮の食堂で久しく忘れていた朝の喧噪が聞こえる。トレーを手に明るく、賑やかに笑顔を振りまく少女たち。見知った少女に朝の言葉をかけたら、おはようと明るく返ってきた。

 私は身体に軽さを感じながら何時もの4人掛けのテーブル向かった。私が来たときには既に一夏が来ていた。シャルの姿が見えなかったので、一夏に聞いてみたら「先に行ってて」と追い出されたそうだ。私たちは二人してシャルの奇行に首を傾げる。

 少し待ったが影も形も見えない。冷めては面白くない、ここにいないシャルに詫びて先に朝食をつつく事にした。そんな私を見て一夏は冷たい奴と言う。「だから冷めないうちに頂こうってね」と答えた。こいつは少し考えると、成る程と言って食べ始めた。

 半分ほど食べたところで一夏がおもむろに昨夜の腫れた左頬のことを聞いてきた。これが起床からの経緯である。


 私はトーストを一口かじると目の前の馬鹿面にこう言った。

「言っておくが、セシリアにひっぱたかれる様な真似した事ないぞ」
「確かに"叩かれるよう"な真似はしてないな」
「なんだ、その含みのある言い方は」
「なんでもねぇ、つかよお前良く生きてるな。実は幽霊とかなら早起き過ぎた。早く墓へ返れ」

 朝から毒を吐く奴である。それに学園寮が墓とは中々皮肉も効いている。

「まぁ俺も言い過ぎたかなーとは思うんだけどさ、先生も酷いんだよ」
「リーブス先生はそう言う人だって事は真が一番知ってるはずだぜ。何でビンタ喰らったのか言ってみろ。殴らねーから」

 顔青ざめて怒る、器用な一夏に私は慌てる事無く目玉焼きにフォークを突き刺した。

「落ち着け"時々曇り"程度だから大丈夫だ。前みたいに暴風じゃ無い」
「……なら良いけどよー それにしてもなんで怒らせたんだよ」
「ほら、俺がガールフレンドを作らない理由を話したんだ。そしたら、」
「たら?」
「"下らない理由ね"って言うもんだからついカチーンと……なんだその、レベル5デスで雑魚敵に殺されたような顔は」

「真、もう一度聞くぜ? お前が、真が、下らないと言われて腹を立てた?」
「あぁ。それがどうした?」
「……喜ぶべき事だけどよ、なんか不安」

 ぶつぶつ言う一夏の、要領の得ない発言に頭を捻らしていたら、黄色い歓声と共にシャルがやってきた。Tシャツにハーフパンツ、着の身着のままの私らに対し、シャルは長い金髪の手入れも纏う制服も、完璧だった。麗しき女性の前で無様な姿は晒せない、と真顔で言われ二の句を失う。少しはシャル君を見習ってよね、と言わんばかりの少女の視線に一夏は溜息を付いた。

「扱いの落差がすげぇ……」
「俺は前からこんなもんだ」


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 第3アリーナのフィールド上に、2機のリヴァイヴが立ち並ぶ。1つはみや、1つはシャルのリヴァイヴIIである。第3世代機が世に知られ影に隠れている第2世代型だが、量産機ならではのメリットもある。その1つとしてサードパーティのパーツがあげられ、みやで言えばFCS(火器管制)"グングニル"、シールドジェネレータ"アイギス"と言った具合だ。

 同じリヴァイヴであるが並べてみるとその違いがよく分かる。シャルのリヴァイヴは外観も相応に異なり、流して見ただけでも分かる程一級品のパーツが使われていた。否、塊と言っても良い。恐らくリヴァイヴがもう1台買えるぐらいの資金が投入されているだろう。オレンジのリヴァイヴは正しくブルジョア機だった。

 みやに搭載されているグングニルもアイギスも一級どころで、優越感と負い目を感じていたのだが、上には上が居る、呆れるやら憤慨やら、なんと言って良いのかコメントに窮する。ただ疑問に思うのが、フランス代表候補とは言えここまで優遇される物なのだろうか。

 その様な私の心中を他所に、みやのあちこちを触ってシャルが言う。

「多少カスタムしてあるけど普通のリヴァイヴだね」
「だからそう言ったろ。駆動系、推進系、スタンダードと殆ど変わらない」
「うーん……おかしいな、おかしいよ……これじゃ……それにしても随分思い切った事してるね、シールド無いなんて。真は回避型?」
「あぁ。てゆーか、おかしいって何?」

 私がそう言うとシャルは口を閉ざし眼を伏せた。彼の意識の線はあちこちに逸れ、落ち着かない。しばらく奮えると私に向け、向けてはまた逸れた。何か躊躇っているようだった。

「プリセット(基本装備)外して、バススロット(拡張領域)を増やしてるのは僕と同じなんだ……プロパティ(機体情報)見ても、良い?」

 シャルの申し訳なさそうに俯き、懇願するような上目つき。膨れあがる罪悪感と高揚感、私は口を真一文字に結び言葉を失う。妙に熱心なシャルの態度に戸惑いを感じていたが、その程度ならと慌てて承諾した。私はみやに触れセキリュティを暫定変更、シャルが手をかざす。みやから伝わる情報を見ているのだろう、宙を見るシャルの目が小刻みに動いていた。

 私の右隣に立つ一夏が「けちけちすんなよ、全部みせれば良いじゃねーか」と顔赤く馬鹿なことを言う。だから私は「機密保持義務があるだろ」と頬を掻きつつ答えた。

「真、この整備担当の"黛薫子"と整備主任の"布仏虚"ってだれ?」
「俺らの先輩。整備課2年の薫子と3年の虚さんだ」
「先輩方が整備してるんだ、何故なの?」
「俺のリヴァイヴは学園の機体なんだよ、データ取りや彼女たちの教材を兼ねてる。だからシャルのリヴァイヴとは異なりデュノア・ジャパンの人が触ることは無いんだ」
「整備課……ハンガー区画……」

 そしたら「学園機体なら開示義務があるんじゃねーのか? 規約だかなんだか協定だかにあったろ」と一夏が言うので「本音と建て前」私が答え、離れた所にいる本音がひょっこりと2つの房を揺らして私を見た。手を振り「違う」そう伝えたら彼女は何故か頬を膨らませ箒の影に隠れた。小動物のような本音の仕草に、私の心が落ち着きを取り戻した。

 その時不意に「本音はウサギだ、小ウサギが良い」と箒がぶつぶつ言っていたのを思い出した。あの箒の表情を、表現する術を、私は持たない。彼女があのような顔をするはずが無い、恐らく私は白昼夢をみたのであろう。そう思う。

「一夏のも見せて貰って良い?」と、何故か艶めかしいシャルが言う。

 みやに右手を添える彼は中腰で前へ屈み、左肩から見返るその端正な表情は、憂いを覚えていた。困惑したように寄せた眉と僅かに開いた唇、瞳は濡れているかの様に潤んでいる。まるで紅と桃で色づく芍薬の様な色香であった。

「あ、ぁ、良いぜ。全部見てくれ」と、どもりながら一夏が答えた。
「全部は駄目だ、馬鹿一夏」私は一歩後ずさりして言った。

 背後から聞こえたは、奇妙な歓声と怨嗟を胎ませる疑いの声だった。恐らく空耳だろう。シャルは男なのだ、おかしいことはない。そうに決まっている。


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「白式は倉持技研の機体で定期点検の他に、壊れたら来て貰ってる」と言うのは一夏だった。どもりながら声が裏返っている。そんな一夏の左側、寄り添うように佇むシャルだった。

 シャルから少し離れて立ち尽くす。汗を拭えば「なんか困る」とついぼやく。

「なにが困るのよ、ヘンタイ」

 私を現実に連れ戻したのは鈴だった。纏うISスーツは赤紫。長い黒い髪を黄色い結い布で左右二つに分けてすらりと下ろしていた。小柄なその肢体が駆る甲龍の、織りなす実力は折り紙付きでセシリアにも勝ち越している。数日前まで同室だった1年最強の少女は何故か頬を膨らませ、つま先立ちで私を睨みあげていた。

「盗み聞きとは感心しないぞ」
「なにトキメいちゃってるのよ、ひょっとしてそう言う趣味なワケ? それでアタシにナニもしな―」
「おれはのーまるだ。そ、れ、に、これでも鈴を大切にしてるんだよ。そういう風に思われるなんて俺は悲しい」
「真顔で言うか、このバカ……」

 不機嫌そうに眉を寄せ睨んでいたが、顔赤く閉じた唇は波打っていた。

「ところで、新しい共同生活はどうだ? 本音とは上手くやれてるか?」
「え、あ、うん。まぁまぁよ。ただ口煩さくて閉口するけど」
「そうなのか?」
「そーなのよ、"鈴ちゃん下着姿のままは駄目"とか"鈴ちゃん音立てて食事しちゃ駄目"とか"鈴ちゃんきちんと髪を乾かさなきゃ駄目"とか"鈴ちゃん女の子はお淑やかにしなきゃ駄目"とか時代錯誤も良いところで、もう煩いったら―」と立てた右人差し指を指揮のように振る鈴だった。

「鈴は声真似が上手なんだな、本音そっくりじゃないか」
「まーね、ちょっとした特技よ特技……じゃなくて!」
「鈴はその辺ルーズだから丁度良いな、仕込んで貰うと良い」とは言ったもののお淑やかな鈴というのも中々想像が出来ない。
「あぁもう! 話を逸らすんじゃ無いわよ! 最近一夏との訓練も熱が入ってるし、前となんか感じ違うし、なんかあった訳?!」
「別に大した事じゃ無いさ。目標があるってのは良い、そう思っただけ」

 鈴は一夏と私を交互に見た。そしたら前向きなのは良いけどなんか調子狂うわ、とぶつぶつ言い出した。私は鈴の頭に右手を置いて小さく揺する。遠くに1年1組の担任と副担任の姿が見えた。

「先生が来たから並ぼう、また怒られる」
「何時も怒られるのは一夏と真じゃない、一緒にしないでよ」
「違いない」

 ぶつくさ言いつつも照れる鈴はとても可愛かった。


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 その日のIS実習は賑やかなものだった。

 リヴァイヴ(訓練機)を纏う山田先生が悲鳴と共に空から落ちてきた。一夏の頭上に墜落し一時は騒然としたが、一夏は怪我をするどころか、山田先生の胸に顔を埋めていた。小柄だが彼女の胸はとても大きい。大半の少女たちは自身のと比べて嘆いていたが、負けず劣らずの箒や本音、清香は兎も角、控えめな鈴が平然としていたのは意外だった。それどころか胸を張り、臆すること無く悠然と立っていた。

 戦闘実演と称しその山田先生はセシリアと鈴、2人の代表候補をいとも簡単に撃墜した。教師の実力を知らしめる千冬さんの策略だったとは思うが、正直これ程とは思わなかった。山田先生は代表候補生止まりだったのである。ならば国家代表はどれだけ強いのかと皆おののいていた。その頂点に立つブリュンヒルデは、目の前で白いジャージ姿、腕を組み、尊大な笑みを浮かべていた。一瞬合った彼女の視線は"せめてこの程度にはなれ"と言っているように見えた。私は苦笑いで精進しますと応えた。


 本日初実習のシャルは一転、これ以上ないと言う程の不満顔をしていた。彼はディアナさんの指導を受けられると楽しみにしていたらしい。

「おかしいよ! リーブス先生の教えが受けられないなんて、地球規模での人類史上稀に見る最悪の所行だよ! 愚行だよ! 大損失だよ!」と息巻いていた。

 訓練機の都合上、有り体に言えば数の都合上、実習は二クラス合同で行われる。そして慣例的に奇数クラスの担任が指導することになっていた。考えてみればディアナさんとてモンド・グロッソの総合優勝者だ、シャルの言うことも一理ある。彼女が2組担任になったのは何か理由があるのだろうか、そう思案に耽っていたら千冬さんの号令が聞こえた。

「ではこれより実習を始める。各班に分かれ1人時速100Km以上の飛行を最低3分行うこと。専用機持ちは班長だ、オルコット、凰、ディマ、織斑、蒼月、責任を持って指導にあたれ。残りは私と山田先生だ、さっさと始めろ税金泥棒共!」

 ISスーツの少女たちはわらわらと散らばり、各々に集まる。各班多少ばらつきがある物の許容範囲だ。私の元に集まったのは1組2組の混成チーム計7人。

 みやを展開し纏う。「清香、鈴はあっちだぞ」と私が言うと「こう言うの仲友じゃやり難いって気づいた」だそうだ。他には同じ2組の四十院神楽さんやら1組の谷本癒子さん、岸原理子さんに鏡ナギさん、かなりんさんこと金江凜さんが居る。概ね何時もの面々である。その様な中珍しいことに静寐が居た。思わず彼方の一夏を指さした。何時も一夏の班に居る為であった。

「一夏はあっち」
「いいの」

 もう見慣れた不機嫌そうな表情。彼女は約1km先、白式を纏う一夏をぼんやり見ていた。一夏の周りには嬉しそうに頬を染める少女たち、箒は表情無く一夏の側に佇んでいた。本音も一夏の班だった。静寐の雰囲気に戸惑うも私は皆にこう言った。

「それじゃ始めようか。一番手、清香」


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 高度50m、時速70km。アリーナの観客席を背景に、打鉄を纏う清香が居た。私は僅かに上の距離2mを維持。打鉄は四肢を大袈裟に動かし姿勢が安定しない。表情には緊張と焦りが浮かんでいた。私はそんな清香をじっと見ると「清香、ロケットが付いてるスカートだ。それをイメージしてみてくれ」と言った。

「なにそれ、アドバイスにしては突拍子過ぎだよ」
「打鉄はバーニア類が下半身に集中してる。多分その意識のズレが原因」

 彼女はしばらく口を閉じ前方をじっと見る。思い出したように手足をじたばたと身じろぎすると、じきに安定した。高度を上げて、下げ。右側にくるりと側転すれば私の周囲を上右下左、一回転した。清香は驚いたように笑っている。

「んじゃ、100km出してみようか」
「らじゃー♪」

 清香は敬礼するとすっ飛んでいった。時速140km出ていた。みやが伝える打鉄のデータを見る限り懸念は無い。彼女は筋が良いようだ。

 清香に続き、2言3言で課題をこなす少女たち、私は思わず舌を巻いた。要領が良いのか、資質が高いのか、そこまで考えて己の浅はかさに気づいた。当然だろう、IS学園は花嫁修行の場では無い、戦う術を学ぶところなのだから。



 フィールドに立ち見上げれば我が班の打鉄が見える。早々にやることが無くなったと私は腕を組む。課題を済ませた彼女らは会話に華を咲かせていた。意識内に浮かび上がるみやの活動ステータスはなぜかしら手持ち無沙汰に見えた。

 そんな私に近づくのは静寐。私の左に立ち、空の打鉄をただじっと見上げる。だから話し掛けられたと気づくのに多少時間を要した。

「真は教えるのも上手いんだ。先生にだって成れるかも」
「……静寐や皆の筋が良いだけ、と思うぞ」
「そうだよね、私は真と違って筋が良いだけだよね」

 口の言葉と心の言葉が異なる、その様な静寐の態度に私は心中で呻いた。

 東を見ればリヴァイヴを纏う最後の少女がシャルと共に着陸する所だった。シャルも教えるのが上手いようだった。北を見れば一夏が箒を抱きかかえ、打鉄に運んでいた。恥ずかしいのか彼女は俯き、顔を伏せたままだ。箒も異常なほどISに秀でていたと思い出す。

 梅雨の晴れ間、日差しは強く静寐の影は濃く、太く、黒い線を引いていた。彼女の放つ気配と同じように。だから私はこう言った。

「静寐、話したいことはそれじゃないだろ」と見下ろした静寐はやはり空を見上げたままこう応えた。「真は怖くなかったの?」その時薙いださらっとした筈の風は何故か重く感じた。

「……あぁ怖くなかった」
「そぅ、やっぱり真は違うんだ」
「そうじゃない」
「なら教えてくれる? その違いってなに?」
「慣れてただけ、俺は慣れてただけだ」
「なら、どうして慣れてるの?」
「それは答えられない」
「どうして」
「俺も分からないから」
「そう、私には言えないって事なんだ。専用機も無い、上手くもないから。セシリアには言ったんだよね? 私には言わないのに」

 おかしいとは思っていた3人の様子。表情は変わらず、言葉の抑揚も変わらず、だが彼女の放つ意識の線は力無く細く、時折私にそれが絡みついた。皆がそうで合ったように彼女も同じ理由だと思っていた。本当の理由を知ったのは、一夏の拳の後だった。

「静寐、今度食事でもどう?」
「へぇどういう風の吹き回し? 今までそんな事言ったこと無いよね」
「気落ちしてる身近な女の子を気遣うぐらいはする」
「心にも無いくせに」

 私は立ち去る静寐の姿を見て、深い溜息をついた。


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 静寐の素養は決して低くない。彼女の成績は2組に於いて、実技で鈴、私に次いで3位、座学では本音に次いで2位、学年でも10位には入るだろう。だが不幸なことに彼女の周りには規格外が多すぎた。箒、セシリア、鈴、シャル、一夏。おやっさんの血を引く本音の整備技術は頭角を現しつつある。

 周囲と比較するのは悪いことでは無い、己の立つ場所と見据える目標が分かる。だがそれに妄執することは愚かなことだ。恥ずべき事は昨日の、過去の己に負けることだと私は思う。

 厄介な事は、これを、俺が、静寐に言えば彼女を逆なですると言うことだ。そもそも今の俺の実力は鍛錬の結果ではない。俺のは日々思い出すように得た物だった。

 何より俺にはこれを言う権利も資格もないのだ。己の過去に連敗記録更新中、その過去すらよく知らない。だから、

「……そのまま見送っちゃったの!?」
「阿保だろ、お前」

 シャルと一夏の断罪にぐぅのねも出なかった。


 何時もの4人掛けのテーブル、目の前にシャルと一夏の呆れた顔が見える。私の手元には平らげて空になった昼食の器があった。周囲の昼時の喧噪に紛れてシャルは言う。

「どうして引き留めなかったのさ」とシャルは苛立ちを隠していない。
「お前ヘタレ過ぎだぜ」と一夏が呆れかえっていた。
「いや、あの授業中でもありましたし」と私は何とか答えた。授業中に痴話喧嘩とは良い度胸だ、と千冬さんに殴られた頭をさする。どうやら全て聞かれていたらしい。鷹月は2度目だな、と釘を刺された。


「真、あのね、女の子は大切にしないと駄目なんだ。とても繊細で傷つきやすいんだよ。しかも真を慕っている傷心の静寐にそう言う態度信じられないよ! ISが有ろうと無かろうと慈しむべきなんだよ! そもそも世間の男の人ってだらしないよ! ISを理由にして女性が強くなったって、いじけて甘えてさ!」

 と、徐々に熱くなるシャルだった。一夏は「とりあえず落ち着け、注目されてるぜ。あとシャルも男だからな」と微妙な窘めをする。

「なんでかこうなるんだよな、俺」静寐に限らず良く怒らせるんだ、とは続けなかった。
「真はさ、静寐を蔑ろにしてるんだよ。だからそうなるのさ」
「してない、誰かにも言われたけど」
「してるよ。真は静寐が好いている真自身を嫌っているから、彼女は自分の気持ちを否定されているように感じて怒るんだ、不安になるんだ」

「「……」」思わず言葉を失う一夏と私。「あ、ごめん。言い過ぎた」と反省するシャルを見て一夏は「シャルはすげーな、昨日今日で真のそれを見抜いたのかよ」と呆けたように言った。私はカクカクと壊れた機械人形のように頷くしかなかった。

「あ、うん、何となく、かな」あはは、と愛想笑うシャルは、どうしてだろうか恥じているではなく気落ちしているように見えた。

 沈黙が訪れ、かちゃりかちゃりと食事の音が聞こえる。シャルはまだ食べていたが、一夏はじきに食べ終わった。青い空が覗く食堂の窓には、午後からIS実習を行う3組4組の少女たちが歩いて通り過ぎた。

「で、どうするんだ?」と一夏が言うので「考え中」と答えたら「抱きしめてキスでもしてやれ、女ったらし」と自分を棚に上げる馬鹿だった。箒とか、セシリアとか、鈴とか、ティナとかその他たくさん娘を思いだし「鏡に向かって言ったらどうだ? 思わず泣いて懺悔するほどの馬鹿面が見られるぞ、このスケコマシ」と答えた。

 一夏はこめかみに血管を浮かべて立ち上がった。

「人が親身になってるってのに、憎まれ口とは恐れ入ったぜ。人間恥を忘れたらお仕舞いだな」

 俺は口から牙を覗かせ立ち上がった。

「黙れ、手当たり次第。山田先生のだけじゃなく小林先生の胸をもんだってネタ上がってるんだよ。この変質者」
「あれは事故だ! それにもんでねぇ!」
「あぁ済まない、顔を埋めたってな。おぉそうだそうだ、言うに事欠いて"痛い"って言ったそうじゃないか。小林先生は胸が控えめなことひっじょーに気にしてるんだよ。お陰ですっごい怒られたわ、おれが。仕舞いには涙目で、俺が何かしたんじゃないかって他の先生に思われたんだぞ。退学になったらどうしてくれる」
「……気にしなくても余罪で追い出されるから安心しやがれ、この走る陰険大迷惑スケベ野郎」

 火花を散らし踏み込む俺たちにシャルはすまし顔だった。もう驚かないよ、と言わんばかりである。

「"争いは同じレベルの者同士でしか発生しない"って日本では言うんだよね? 直ぐ暴力に走るのは友人として悲しいです」

 真は聞いた事あるか? と一夏はふがふが言った。
 知らないけど深い言葉だな、ともがもが俺は答えた。

「どうして知らないの!? 日本じゃ日常茶飯事だって?!」

 シャルが何を言っているかよく分からないが、間違った知識を仕入れているのは間違いなさそうである。




日常編 乙女心と梅雨の空2
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 その日の午後は急遽自習となった。恐らく対抗戦の後始末であろう。中破した第2アリーナの復旧は未だ目処すら付かず、国際IS委員会からの視察があると言う噂もある。恐らくは千冬さんもディアナさんも、おくびにも出さないであろうが負担は相当の筈だ。学園を守る、この私の発言がどれだけ難しいのか改めて思い知らされた。今ほど未成年であることが悔やまれてならない。銃で出来ることなどたかが知れている。

 教室を出て廊下を歩く。「これからどうしようか、駅前にでも行く?」そんな少女たちの声が聞こえれば、私は腕を組み眉に力を込めた。思わずむぅと声が出る。

 思い出すのは先の自習を告げるショートホームルーム、ディアナさんから「気分を変えましょう」とクラス全員の席替えを突然申しつけられたのである。くじで決まった新しい席に、本音は僅かに表情を陰らしたが、静寐は何も言わず移動した。離れ席となった静寐に話し掛けても返事はなく相手にされず、自席に戻り他の少女と話をすれば睨み付けられた。全く持って女の子は難しい。

 とぼとぼ廊下を歩くと、見えるは行き交う他所(他クラス)の少女たち。

「お、蒼月君だ。包帯は?」
「もう取れた」
「まことー、ディマ君の情報教えてー」
「個人情報は直接聞いて下さい」
「蒼月、黛先輩って怖い?」
「割と。けど理不尽なこと言わない。これ大事」
「まこりん、金髪なら性別問わないって本当ですか?」
「まこりん止め。あとそれ言いふらしてる娘部屋に連れてきて。お話があります」
「きゃー犯されるー」
「無茶苦茶ひと聞き悪いわ!!」

 からからと笑顔で立ち去る彼女たちを見送った。温和しい、物静かも考え物だ。私は2組の少女たちを思い浮かべては、人知れず溜息をついた。


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「……それで、どうするのだ」

 そう覇気無く問い掛けるのは左隣を歩く篠ノ之箒であった。廊下の終わり、踊り場に差し掛かったところで箒と出くわしたのである。見合えば僅かに下の彼女眼差しは、何時ものむっすりした鋭い眼差しではなく、力無く虚っていた。

 2,3他愛のないやりとりのあと私は経緯を手短に伝えた。驚いたことに箒が、今の静寐の状況を把握していなかった為である。今朝と打って変わった彼女の様子に、私は驚きと戸惑いを抑えてこう言った。

「皆の協力を仰いで夕食に誘おうかと」
「真にしては上出来だな」
「何だよそれ」
「以前のお前であれば"今の俺には何も出来ない"そう言うだろう、とな」

 目を俯かせ、己のありかを確認するように自分の腕を抱く、初めて見る彼女の様子に私は確信を持った。

「箒、一夏と何かあったのか? おかしいぞ」
「何もおかしくはない」
「嘘付くな、何時もは射貫かない程の箒が目すら合わせないじゃないか」
「よく見ているものだな」長い髪を弄る彼女の指は収まりが付かないようにくるくると回っていた。
「この2ヶ月間、箒には叩かれっぱなしだからな、阿保でも気づく」

 2ヶ月か、掠れる様な箒の言葉だった。

「……真、信じていた物が変わってしまった。お前ならどうする?」
「受け入れた上で、新たな付き合い方法を模索する……それがどうかした?」それはかって私が鈴に伝えた事だった。
「"それがどうかした"か、お前は強いな」

 彼女は一言詫びて部屋に戻ると立ち去った。私は立ち尽くし「今晩にでも一夏に伝えておくか」と独りごちた。

 その時背後に感じた人の気配、振り向き見えるのは階段と踊り場。その先に陰ったのは立ち去る人の形。私は追いかけ確認することはしなかった。静寐と箒、この2人を優先した為である。


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 屋上の長いテーブルと長いすが白いシーツで覆われていた。私は腰掛けあたりを見渡した。時刻は午後7時。水平線にその日の勤めを終えた太陽が僅かに顔を出す。木製のテーブルを照らすのは、幾らばかの屋外照明と、目の前にある燭台の灯火。電気の光だったが赤みを帯びた白い光は柔らかく、時折吹く緩やかな風に応えるよう揺らいでいた。

 10人は楽に座れるその席に、何時もの面々がぐるりと並ぶ。本音に一夏、箒に鈴、シャルと静寐だった。目の前には、色とりどりの食事が所狭しと敷き詰められていた。洋風肉料理と魚料理、酢豚にパスタ。洋食、中華にイタリアン。統一性のなさもここまで徹底的であれば賑やかで良い。

「真、これはどういう事だ……」とは私の左隣、吹き出す怒りを何とか堪えようと箒は小声で私を追求する。だから私は「いやだから夕食に誘った」と小さく応えた。

「……どうして静寐だけを誘わない」
「素気なく断られたんだ。だから皆に協力を仰いだ、って話」

 ちらりとはす向かいの静寐を見れば、眼を合わすことなく眉を寄せ身動き1つしなかった。湛えし怒りは治まること無く未だお冠のようである。

「食事も進めば切っ掛けも態度軟化もあるだろう、ってね。それに箒の様子もおかしいし」
「要らぬ世話だ、この馬鹿……」


 準備が済んだとシャルが言う。一夏は立ち上がり音頭を取った。皆の手にはソフトドリンクがある。思わず乾杯と言い漏らし、皆の失笑を買った。思えばこう言う席でソフトドリンクというのは覚えがなかった。シャルに、アルコールが欲しいと冗談を言ったらえらい剣幕で怒られたのはここだけの話である。

 良い具合に腹も減ってきたので、目の前の食事に箸を延ばした。その時注意を引いたのが葉物野菜で何かを包んだような煮物だった。知っているはずだがその料理の名前が出てこない。箸で掴んでじっと見つめていると一夏がこう言った。

「そんなに珍しいか? ロールキャベツ」
「あぁそうかそんな名前だった……ってこれ作ったのは一夏か?」
「そうだけど、それがどうかしたかよ」
「一夏が料理出来るって本当だったんだな」手間が掛っていそうな料理に思わず感嘆の声を上げた。

「シャル君もおりむーもお料理上手なんだよ」と赤ワインで煮込んだ牛肉をもくもくと。頬張り幸せそうな笑みを浮かべる本音だった。これはシャルらしい。かく言う本音も見事な物で鮭のムニエルは彼女の手による物だ。女の子は生臭い物を嫌うと聞いていたが、勝手な思い込みであった。

 面食らう私に「アンタ、料理しないの?」と酢豚を作った鈴が言う。だから「カレーぐらい作る」と答えた「ナニどもってんのよ、どうせレトルトでしょ」と一間もおかず見破られた。「真、お前はそう言う食生活だったから喧嘩っ早いんだぜ」と巫山戯た事を言われたが、料理を運んだだけの私は言い返せなかった。

 だからとっさに「箒は料理出来るのか?」と聞いてみた。鈴に「誤魔化したわね」とツッコミを入れられる。「失礼なことを言うな、私とて人並みには作る」と箒が僅かな間を置いて言うと、シャルが「ペペロンチーノは静寐だよ」と助け船を出した。

 そうなのかと、皿に盛られたパスタの山に手を伸ばす。すると今まで沈黙していた静寐が手早く小皿にそれを盛る。皆が注目したその皿は、隣の一夏に届けられた。

「一夏、たべて」
「お、ぉう?」

 訪れる沈黙の中、私は頭を掻きながら天を仰いだ。味を感じていなさそうな一夏の表情を見て、私は見限られたか、とつい口に出してしまった。他の女性陣からもたらされる針のような視線。見上げる梅雨の夜空には雲一つ無く、星が瞬いていた。


-----


 失敗に終わった歓迎会かつ懇親会の後、自室に戻った一夏は廊下側のベッドに寝転がり、ぼんやりと天井を見ていた。彼が思い浮かべるのは静寐の態度である。あくまで突っぱねる強情な真が悪い、だが意固地な態度を取る静寐にも理解出来なかった。

(少なくとも真は歩み寄ってるじゃねーか……)

「そんな簡単じゃないよ、この手の話なら尚更」

 そう言うのはジャージを纏うシャルであった。昨夜見た白と紺のツートンカラー。バスルームから出てきた彼は結う事無く髪はそのままに、湿り気を帯びた身体からは湯気が立ち上っていた。一夏は彼を一瞥すると「何も言ってねーぜ」と寝返りを打ち、背中を向けた。

「はは、一夏は分かりやすいんだよ」
「シャルは真に似てるな」
「そうかな」
「あぁ、特に銃を持っているときの目なんて気味が悪いほどそっくりだぜ……わりぃ」
「うぅん、良いよ」

 気分を害した様子も特になく、シャルは窓側の机に座りドライヤーに手を伸ばした。長い深みのある金の髪がたなびき、白い光を放つ。


 同じ行為でも随分感じが違うんだな、と一夏は箒のそれを思い出しシャルをじっと見ていた。視線を感じた彼は訝しげな顔で振り返り、一夏は何でも無いと再び天を仰いだ。

「なぁシャル」
「なに」
「真はどうして静寐を、本音を受け入れないのか分かるか?」
「一夏はどう思うのさ」

 質問返しはずりーぞ、そう思いつつ「あいつは自分を嫌っているから」と一夏は答えた。

「そんなの誰だってそうだよ。きっと真には本当に好きな人が居るんだね。だからだよ。……一夏は心当たりがあるって顔してるし」
「秘密だ」


 部屋にドライヤーの音だけが響く。シャルがドライヤーの音を止めたのと、扉を叩く音が聞こえたのは同時だった。シャルが扉を開けると其処には静寐が立っていた。ライトグレーのスウェットで俯いていた。

 シャルは時間を確認にすると、右足を前に左足を後ろに。右手を胸の前に添え、左手を横に差し出した。頭を下げて彼は言う。

「我が城へようこそマドモアゼル。美しく輝く天の星々を振り切り私の元に来られるとは、今宵のシャルル・ディマ、嬉しさのあまり瞳が閉じられることはないでしょう」

 呆然としたあと顔を真っ赤にする静寐だった。

 あの時のあの廊下を思い出し、遠い目で何か飲むもの買ってくると一夏は部屋を出た。彼を見送り「気取りすぎたかな、何か飲むものを用意するよ、もう寝る前だからなにが良いだろう。まだこの部屋の全てを把握してないんだ」と静寐を椅子に座らせ湯を沸かす。キッチンの扉を開けて粉末ココアを見付けると、コップを2つ取り出した。

「シャル、今日は御免」
「謝るなら真と皆にだと思うよ」

 陶器のコップにココアとお湯を入れた。スプーンでかき混ぜると軽く心地いい音が響く。湯気が立ち上がるそれを黙って手渡した。彼は廊下側の椅子に腰掛けひとつ口にする。

「意外とおいしいねこれ。フランスにモンバナというココアがあるんだけど、僕余り好きじゃないんだ。でもこれは本当においしい。でも寝る前に飲み過ぎると大変だ、特に女の子は気をつけないと」

「そのインスタント、真が広めたの」漸く口を開いた静寐はぎこちない笑顔を浮かべていた。
「どこのお店で買えるのか真に聞こう、本国の皆もきっと気に入る」
「シャル」
「なにかな?」
「ISの事、戦う方法教えて」




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シャル日常編はもう少し続きます。



[32237] 04-06 分岐
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/08/14 21:05
分岐

推奨BGM:「Ending Theme ~中国~12億人の改革開放~」 管野よう子
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 第3アリーナの第2ピットから覗く空には、分厚い雲がコンクリートの様に塗りたくられていた。梅雨は滅多に晴れず長続きせず、ひとたび曇れば湿った空気に纏わり付かれ、気が滅入るだけである。

 写真にしろ、絵画にしろ、詩にしろ、梅雨を扱った作品を見れば、作者の苦労が忍ばれてならない。きっと作者は纏わり付く湿気や滴る雨粒と、必死に戦いながら作品をこしらえたのだ。我々は最大限の敬意を払うべきである。その苦労を手にとって軽々しく、やれ美しい、やれ素晴らしいと暢気に評してはならないのだ。


 藍色の髪の少女を思い浮かべてはそんな事を考えた。


 振り返りISベッドに鎮座する我が愛機。整備課第4グループの先輩方々が、凜と響き渡る号令に応じて、みやに近づいては離れ、タブレットを持っては工具やら測定器を手に右へ左へに動いている。

 号令を出すのは虚さんであり、コックピットに頭から入り込み、作業をしているのは薫子であった。対抗戦以来週1ペースだった定期点検は週2になっていた。張り詰める彼女たちの雰囲気に、隣の一夏も気配鋭く一瞥する。

「やっぱりあれか?」と壁にもたれ腕を組む一夏は言った。
「だろうな」と私は答えた。

 対抗戦でみやが行ったバーニアの臨界加速(リミッター解除)、それが彼女らに発覚して以来この調子であった。そう易々と解除できるリミッターには意味が無い。学園内でそのパスコードを知るものはLv4以上の権限を持つ教師か、整備課主席の虚さんのみである。何より機体を預かり、その責を負う彼女らにとって看過できることでは無いのだろう。なぜ解除されたのか、その解明に躍起なのであった。

「もう1つの方はどうなんだよ」耳そばだてて言う一夏に私は周囲の気配を探る。
「それは存在自体無かった事になってる。迂闊に言うと拘束されるぞ」みやが行ったバーニア修復は秘匿Lv5に設定されていた。バーニア修復後リミッター解除で再度破損したため虚さんらに知られてはいない。

「真は機械と相性が良かったな……理由知ってるのか?」
「よく分からん。いずれにせよ、みや(ISコア)が行った以上解明は無理だろう。出来るとしたら箒のねーさんだけだ」

 私が意図的に壊したメモリーカードは直る事無く机の中に眠っている。


 タブレットを見る虚さんの側には本音が立っていた。本音は数日前から整備士見習いのような事をやり始めたらしい。放課後にはハンガー区画に赴いて、薫子に怒られているそうである。勿論出入りという意味ではなく、整備士としてだった。

 私は虚さんと本音の布仏姉妹を見た。そして箒の様子を一夏に聞いた。

「何でも無いの一点張りでとりつく島もないぜ」
「そうか」

 一夏はピットの本音を見た。次にアリーナの空、シャルと駆ける静寐を見てこう言った。

「真、箒の様子がおかしいのはきっとお前のせいだ。今までならそうであった筈の3人が今一緒に居ない」
「はっきり言うな、一夏らしいよ」
「"忘れろ"だから好きになってやれ、とは言わねぇ。けどいい加減そろそろだと俺は思う。少なくともあの2人の心は嘘じゃないぜ?」
「もう2ヶ月と半分か……」

 気がつけば天からはぱらぱらと天の粒が落ちていた。


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 見下ろせば水の粒が、落ちた。もう一つ落ちた。よく見ればたくさんの水の粒が急に小さくなっては足下のタイルに当たって弾けた。その水は温かかった。湯気が満ちるその部屋には湯浴みの音が2つ響いていた。

 放課後の、自主訓練後の、何時ものシャワーが、何時になく重い。

「あぁ、くそっ! 今こそ湯船につかりたいぞ」口から出た言葉は、予想だにしない緩い言葉だった。

 隣の一夏が頭を泡だらけにして「シャルは?」と聞いた。一夏は努めて平然を装っていたが、その言の葉の抑揚とリズムは緊張を含んでいた。

「部屋のを使うってさ」お湯が私の口元を滴り、間の抜けた震え声になった。
「シャルは付き合いわりーな。シャワーもそうだけどよ、着替えも1人で済ますし」
「待ってるって言っても、待たなくて良い、だしな」
「そーそー……ここは真と似てないな」
「何がだよ?」
「シャルと真にも、似てる似てないところがあるって話だ」
「一夏、お前な。そう言う事いうな、俺に似てるなんてシャルに失礼過ぎる」
「そこは真そっくりだな。シャルも同じ事言ってたぜ?」
「……シャルもなんか有ったんだな、きっと辛い何かが」
「……多分な」

 身体を拭いてシャワールームを出た。ロッカーの扉に手を掛け服を出す。穿こうとした黒のそれはTシャツだった。一夏に見つかり苦笑される。いつの間にか右手が頭を掻いていた。改めてトランクスを手に取った。背中で着替える一夏が言う。

「シャルはなんで付き合い悪いのかな? まぁまだ4日目だからか? それとも育ちが良さそうだからか? 下々に肌を見せるなど耐えがたい苦痛だ! とか言いそうだ」

 何時になく早く、まくり立てる一夏に、今度は私が苦笑した。

「そりゃぁ一夏、シャルは恥ずかしいんだよ」
「恥ずかしいって何が?」
「ほら、シャルって男の割には華奢で小さいだろ? だからだよ」
「小さいってなにが?」
「そりゃーお前……」

「「それだ」」思わず互いに指さした。

「一夏、お前気遣ってやれよ。ルームメイトなんだからさ」
「任せとけ、心づくし気遣いなら自信あるし」
「誰がだよ」
「俺に決まってるだろ」
「良く言う」
「言ってろ」
「……あぁ、行ってくる」

 私は制服に着替え終わり、荷物を一夏に預けると背を向けた。

「部屋でシャルと待ってるぜ」

 右手をあげて返事をした。


-----


 その日の屋上は何時になく狭く、暗く感じた。見上げる天には星も月も無く、黒い雲だけだった。時計を見れば午後8時。屋外照明に意味は無く、太陽が沈みきった海は、有るはずの海は無くなってしまったかと思うほど見えなかった。ただ波の音だけが聞こえた。

 足音が聞こえ振り向いた。手すりに背中と肘を預けると、その足音に「久しぶり」と答えた。

 そこにはセシリア・オルコットが立っていた。

 いつか見たように、何時も見たように白を基調とし赤のラインが入った制服で袖口は黒いレースで縁取られていた。青い筈のヘアバンドと引かれている筈の口紅は、色がよく分からなかった。

 彼女は歩み寄り止まる。3歩程度だろうか、手を伸ばせば届くか届かないかの距離。俺らの距離だった。

「毎日会っていましたわ、何を言っていますの?」
「場所はどこにしようか考えたんだよ。射撃場にしようかとも、アリーナにしようかとも考えた。でもやっぱりここだよな。初めて出会ったのは廊下だったけど、始まりはここだった。だからここしか無い」

「何のことですの……?」 彼女は訝しげに眉を寄せた。

 俺は息を吸った。それは肉体では無くきっと俺自身が動く為に必要な息だった。

「セシリア、もう終わりにしよう」

 彼女は身体を一瞬震わせ表情を消すと、嘲笑するかのような笑みを浮かべた。

「何を言い出すかと思えばくだらない。私たちはそう言う関係では無いでしょう? 勘違いも甚だしいですわ」
「あの対抗戦から俺を何かと観察、いや監視しているのは何故だ? それは俺の変化を気にしているから、違うか?」
「……」

 そう、ティナへの見舞いの時、一夏との訓練の時、最後の検査の時、ディアナさんに叩かれた時私は妙な気配を感じていた。殺気程強くなく、視線より弱くなく、俺が気づくか気づかないか程の精密な気配だった。確信を持ったのが昨日の箒と話していたとき。それで漸く、それがそうだと気づいた。俺の感覚の一歩外、その境界線を知るものは彼女しかいなかった。

「はっきり言う。今までありがとう。何かと助けてくれて、何かと手伝ってくれて、何かと、心配してくれて。セシリアの協力助力には感謝の言葉も無い。俺はもう大丈夫だ。だから―」

「ならば私もはっきり言いましょう! 見ていられません! 何ですのあの真似は! 真が一夏さんに成れると本気でお思い?! その様な矛盾した行為、いつか反動で身を滅ぼすだけです! 猿まねにも品が無なさ過ぎますわ!」

 両手を大きく広げ目を見張る、過剰とも言えるセシリアの反応に驚愕と焦燥を感じ、次に苛立ちを感じた。身を起こし睨まん程に目を細めた。それは、今の俺を支えている事だったからだ。

「俺だって目標ぐらい持つ、それがいけないというのか」
「真は、貴方は、貴方の有り様は世の理から外れているのです。それから目を背け、上辺だけの生き方など歪みを大きくするだけですわ」
「随分な言い方だな」
「バーニア修復の一件を私が知らぬとでも? 私の、裏の世界では既に知られているのです。恐らくあのフランス代表候補もそれで送り込まれたのでしょう。この様な時期に無茶な事をした物ですわ。容易に分かりました」

「成る程な、理屈は通る。けれどセシリア、何時からそんな下品な事を言うようになった」
「真が幼くなったからですわ、ディマの事に、今まで本当に気づかなかったとは我が目を疑う無様さですわよ。あの時の、最初に戦った時の真ならその様な事あり得なかった。貴方は変わってしまった」

 彼女の碧い眼が鋭く覗いていた。本当に同感だ、セシリアの言う通り俺は変わった。だがセシリアも変わった。この様な優雅さの欠片も無く、気品さも無く、むき出しの感情など、この程度で露わにするとは考えつかなかった事だ。あの時は生死を賭けていた。

 私は数秒に満たない間、何度もそれを考え反芻し、結論をだした。ここまでだ、これ以上彼女を、あの屋上で縛る訳には行かなかった。これ以上は彼女を、彼女の将来を壊す。数年後彼女の戻る世界はそんな生やさしい世界では無い。

 私は1歩脚を進め、それの距離に踏み入れた。

「随分と感傷的だな。俺も驚いた。あの冷静沈着なブルー・ティアーズパイロット、セシリア・オルコットが信じられない」

 最近耳にした優れない射撃成績、模擬戦も鈴に負け越している、それは対抗戦からの事だった。

「もう一夏の元へ戻れ。これ以上醜態を晒すな。これが俺らにとって一番良いんだよ。あの誓いは忘れていないし、忘れない。恨み続けると良い」
「だから! 真は何も分かっておりませんわ!」
「聞き分けが悪いぞ。それともこう言わせたいか? 白井優子先輩は厳しかったろ? ってさ」

 悲鳴のような小さな息を吸う音だった。左頬に乾いた音が走り、口の中にそれが広がった。俺が見た、俺がセシリアと呼んだ彼女の最後は、今にも溢れそうな感情を必死に堪え、幼子のようにその端正な表情を歪ませて、ただ涙を流していた15歳の、少女の泣き顔だった。

「いま気づいて良かった。まだ彼女は取り返しが付く」

 背を向けて、姿が足音が無くなっても、消えたその姿を追っていた。


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 はたと気づいたのは、退去時間を知らせる警告を聞いてからだった。腕時計を見れば9時を過ぎていて、階段を下りた。

 底へ向かう己の足音を聞きながら、2つフロアを抜け、2階で立ち止まった。廊下を見れば物音1つ無く、薄暗く、静まりかえり、ただ其処にあった。見上げると"1-1"が見える。無人の学習棟は静まりかえっていた。

 大した感慨も起こらず、1階に向かおうとしたその時、人影が見えた。暗いので顔はよく見えなかったが、黒い長袖長ズボンだった。目をこらし近づくと学ラン姿の人物が立っていた。背格好は一夏と同じぐらい。髪は短く、僅かに逆立っていた。

 声を掛けたが返事は無く、ただ窓から空を覗いていた。もう一度声を掛けた。こちらを向き、歩き始めた。

 重心を下げ左足を前に、右足を後ろに。軽く広げた左手を前へ下げ、右手は軽く握り胸のあたりに置いた。

 俺の感覚が違和感を伝える。当たり前だ、このセキリュティの張り巡らされたIS学年の学習棟に学ラン姿の子供が居る。

 幻か幽霊で無ければ、ふざけた危険な侵入者、恐らく厄介者だ。無防備で歩み寄るその不審者に、間合いを計り踏み込んだ。打ち抜いた軸足が音を立てる。全てが止まった世界の中、拳を向けたその顔をみて息を呑んだ。


 その顔には何も無かった。


 目も無く、眉も無く、鼻も無く、口も無く、ただ白かった。鼓動が、血が噴き出さんばかりに、鼓動が何度も何度も打ち抜いた。短い笛のような声が口から漏れた。得体の知れない寒気を感じ、とっさに脇へ飛び、走り抜けた。

 振り向いた其処には誰も無く、ただ俺の右隣を、セーラー服姿の少女が何の気配も無く通り過ぎた。


 目を見張る。


 その2つお下げの少女に、思わず、おいと声を掛けた。

 振り向いた顔には顔が無かった。

 後ずさった。

 その向こうには長い茶髪の学ランの少年がいた。

 顔が無かった。

 左を向いた。

 ショートボブの少女が居た。

 顔が無かった。

 振り向いたら、背広姿の中年男性が居た。

 顔が無かった。

 右に居た。

 顔が無い。

 左に居た。

 顔が無い。

 前を見ても、後ろを見ても、そのまた後ろを見ても顔が無かった。


 最後に振り向いた其処には、肩に掛る程度に長い黒髪の、白いワンピース姿の、あの対抗戦で見た少女が血だらけで立っていた。

 力が抜け尻餅をついた。見上げれば顔は無く、白い服を赤い血で染めてゆく。首に少女の手が掛り、息苦しくなった。

 首から上が内側から圧迫されるように重くなった。

 首から下が無くなったかのように軽くなった。

 冷たくなく、熱くなく、

 痛くなく、痒くなく、

 ただ暗く何も感じないその世界、見上げれば俺を覗き込むたくさんの白い顔が見えた。

 次々に覗き込み、視界を埋めてゆくその人たちを、俺は知っていた。





 思い出せなかった。





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 人格は記憶によって形成される。昔読んだ本にこう書いてあった。この世に生まれ落ちたときから人は五感を駆使して記憶し始める。目、鼻、口、耳、手、五感が脳の神経細胞を刺激して、ネットワークを形成しそれが人格と成るそうだ。

 ならば記憶を失うと人格はどうなるのか? 理屈なら破綻するか消えるはずだ。記憶喪失者の症例を調べると、事故などで生じた頭部外傷による重度の場合、思考すら出来ないらしい。だから脳を壊して、ある時点から以前が思い出せない"逆向性健忘"や新しい事が覚えられなくなる"前向性健忘"なら分かりやすくて良い。

 俺の場合はどうだろう。

 俺は、自分に関する事と、社会常識の一部と、感情が都合良くごっそり落ち抜けていた。脳に異常も無かった。聡明なあの2人の事だ、催眠療法も薬物治療もあらゆる手段を試みたのだろう。だが全て徒労に終わった。

 当然だろ?

 俺は思い出したくないと、嫌になったと全て放り出した。本人が嫌がっているんだ、思い出せるはずが無い。きっと神様は虫が良すぎると怒ったんだろうさ、だから世の中から俺の記憶も消した。周囲の災いとなれ、愛した者には鞭を打て、それを胸に刻んで血を吐き続けろ。


 俺はいま罰を受けている。



-----


 気がついたら立ち尽くしたままだった。

 学生服の少年も、あの血だらけの少女も、誰も彼もが消えていた。

 階段を下りた。

 外に出て、中に入った。

 学習棟から寮までの道のりは良く覚えていなかった。

 ただ空に月が無いのは確かだった。

 寮のゲートを通り抜け、壁のボタンを押した。

 鈍い機械音が聞こえる。

 扉が開いて乗り込んだ。

 そこは狭かった。

 表示される数字が大きくなる度に、心と体が重くなった。

 底に引かれるようだった。

 止まった。

 踏みだし見える廊下は薄暗い。

 いくつかの扉を通り過ぎ廊下を歩く。

 706号室、その前で立ち止まり、木製の隔てる板を2回叩いた。

 その向こうで動く気配が2つ。

 扉が開くと、そこは明るく、光が溢れてきた。

 目を細めれば人影が見えた。

「……終わったか?」
「あぁ、終わった」

 今気づいた。多分コイツは、



 俺に残された最後の希望。



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よかれと思ってした事が巨大地雷だった、というお話。


・2012/08/14



[32237] 04-07 日常編11「綻び」
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/08/19 21:59
日常編 綻び
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 空を見れば鬱蒼とした曇り空だった。そこは学習棟の裏手、別名陽の当たらない校舎裏。昨夜遅くに降った強い雨のせいで地面はぬかるんでいた。空気も息苦しいほどに湿り気を帯びている。

 その様な人気の少ない場所で、5人の上級生に囲まれ一夏は顔青く冷や汗を垂らしていた。壁を背に逃げ場所が無い、思わず顔が引きつった。

 彼を取り囲むのは、3年白井優子、布仏虚、ダリル・ケイシー、2年黛薫子、フォルテ・サファイアの計5名、理由が無ければ集まるなと教師から言われている面々である。専用機持ちやら、主席やら、分かる生徒が見れば何事かと思うであろう。

 正しく針のむしろ、刺される一夏はこう思う。

(見上げられているのに圧迫感を感じるのはなんでだ。しかも怒ってるみたいし……)

 左手を腰に、右人差し指を顎に添え、首を傾げて優子が言う。

「さて、織斑君。怒らないから素直に白状してね、真に何があったのかな?」

 何時もリスのように愛嬌のある顔つきが、鋭い眼光を放っていた、今にも見開かん双眸を必死に押さえているようである。今日の昼飯は駄目かもな、と一夏は頭を垂れた。


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 セシリアと真の一件から一晩経った翌日の事。何時もは明るく騒がしい1組が妙な緊張感を漂わせていた。それを気に掛けながらも、昼のチャイムを耳にして、黄昏れている真を昼飯に誘おうと席を立った。その時である。クラスメイトの呼ぶ声に廊下を見れば、優子とダリルが立っていた。何事かと近寄れば、両腕を掴まれ連行された。

 美人と称して良い年上5人に囲まれて、獅子に睨まれたかの様にたじろいだ。思わずゴクリと唾を飲む。後頭部を壁に打ち付けた。

「駄目です。幾ら先輩でもプライベートは、つーか先輩方が何を言っているか見当が付きません、ハハハ」

 嘘は苦手なのね、と呆れて右人差し指をこめかみに当てる薫子であった。

「あのねぇ一夏。君、ここがどこだか分かってる?」
「IS学園」
「正しくはIS"女"学園よ、三度の飯より噂好きの女の子が、よりにもよって男女のもつれ。噂になってないと思ってる?」
「……」

 目をそらし、知らぬ存ぜぬを貫こうと一夏が黙すれば、一歩進み出たのはダリルだった。褐色肌、ショートカットの銀髪で猫顔が牙を剥いている。両の指が組まれ奏でるその音は、木材がへし折れる様であった。

「ぼ、暴力はいけないと思います」
「すまんなぁ織斑。お前が協力してくれないなら俺は拳を使わないといけない」
「使わなくても良いじゃ無いですか……」
「口は苦手なんだ、俺」

「あのですねぇ! そもそも直接聞けば良いじゃ無いですか!」と一夏が涙目で抗議をする。そうしたら「何言ってるんスか。真が言う訳ないッス」とフォルテ。褐色肌で黒い2つお下げの片方を、気怠そうに弄っている。だが言葉に抑揚が無く苛立ちを抑えるようだった。

「とーにーかーくー、言いませんからね! 殴りたかったらどうぞ!」女の子に手は上げないと目を瞑り壁に張り付いた。そんな一夏を見て光る眼鏡が1つ、虚だった。

「織斑君、良く聞いてください。貴方が心配しているように私たちも彼を心配しています。特に私たち3年生は去年からの付き合いです。昨日今日で突然、人が変わったように落ち込んでしまった彼を見て、私たちがどれ程心を痛めているか、どのようにしたら貴方にも分かって頂けるでしょうか。織斑君、お願いします。私たちも彼の助けになりたいのです」

 髪下ろし組んだ両手に上目遣い。僅かにずれた眼鏡から、覗く瞳は涙で潤んでいた。千冬ともクラスメイトとも異なる、香の匂いに思わずめまいを起こす。仕草と香りで理性を揺する、情動の言葉で間隙を突く、虚の意外な得意技であった。

 見た事のある理性と初めて見る色香、その落差に意思が音を立てて瓦解する。顔赤く内心すまんと、一夏はこう言った。

「……分かりました、でも内緒ですよ」
(((ちょろい)))
「なんです?」
「「「なんでもない」」」


-----


 渋々一夏が経緯を話せば、指折り数えて薫子が言う。

「えーとつまり、真がオルコットさんのこと未練がましく引っ張ってて、それが篠ノ之さんと鷹月さんと本音の不和の原因になっていて、鷹月さんと本音も不憫だし、いつまでもうじうじしててじれったいから、けしかけて今までの関係を終わらせたと?」

 一夏はそうだと頷いた。最低と罵られた。

「……なぜ?」

「告白を後押しするならともかく別れを後押しするなんて! 何を考えているのかな君は?!」とは声荒らげ詰め寄る優子。

「落ち着いて下さい! セシリアには好きな奴が居るんですよ! 不毛じゃ無いですか!? それに上手く言ったら静寐と本音の2人がですね?!」

「……それ誰から聞いたんッスか?」疑いのフォルテ。

「真ですけど?」

「あの2人を毎日見ていてそれを真に受けたのか、このバカ野郎は」ざわり、銀の髪が立ち始めたダリル。

「本音も知らない仲じゃないし、気持ちは分かるけれど……」と理解は出来るが納得出来ない薫子だった。

 身体を抱き締め上げる、腕を絡ませ締め上げる、首に腕を回し締め上げる、激しい抱擁に一夏は顔赤く青く悲鳴をあげた。虚は目の前の惨状を他所に言いしれぬ不安に駆られていた。彼女が気にする事は"何かがこそげ落ちた"様な真の表情であった。雰囲気が薄くなったと言えば良いのか、その質が黒い沼のように感じた。

(去年殆ど変わらなかった真が変わり始めたのは入学後。2ヶ月少々の経験がその人格と情動に影響を与えていた……だとしたら?)

「織斑君」
「はひ?」
「貴方はもしかしたら―」取り返しの付かない事をしたのかも知れません、とは続けなかった。それは確証無しに言える事では無く、虚もまたその結論を信じたくなかった。


-----


 6月2週目の金曜日、放課後。空は何時もと同じように曇っていた。何時もと同じように朝が来て、何時もと同じように授業が行われ、何時もと同じように放課後となった。何も手が付かないと思われたが、充実した一日と成った。座学は面白いほど理解出来た、実習は予想以上に容易だった。鈴や、彼女や、山田先生にも勝てる、そう思える様な痛いほどに鋭敏な感覚だった。

 ずっと霞んでいた頭の中が少し晴れたような気がした。


 一歩一歩、歩みと共に動く地面をずっと見ている。昨夜遅く降った雨で地面は濡れていた。時折空を見れば灰色と濃い灰色と黒があった。遠くで雷鳴がする。近づくように徐々に大きくなる。

 気がつけば目の前にロックされたアリーナゲートがあった。意識せず脇の端末に手を添えると立ち入り禁止と告げられた。もう一度添えた。僅かな沈黙のあと軽い音が鳴りゲートが開いた。見通せば、暗い廊下の先が明るくなっていた。

 反響する足の音を聞き続ける。次第に明るくなり最後に開けた。

 明るく広がるその場所で、見返り見渡せば、朽ち果てたような闘技場だった。そこは第2アリーナ。フィールドのあちらこちらの穴にブルーシートが被せられている。観客席は所々崩落していた。何も動かず、何も聞こえない。全てが止まっていた。


 フィールドには一筋の焼跡があった。沿って歩くと、じきに何かに弾かれたように、放射状に広がっている。

 そこにあの少女が立っていた。癖のある黒髪で、肩に掛る程度長く、前髪は眉で乱に切りそろえられていた。白いワンピースは所々が破れ、赤く染まっている。少女は焼けただれた大地に立っていた。ひととき瓦礫に埋もれた金髪の少女が見えたが直ぐ消えた。

 少女が右手を伸ばした。

 だから私も右手を伸ばした。

 私の伸ばしたその手は赤黒い液体で汚れていた。

 消えない傷が幾条も走っていた。

 少女の顔は見えなかったが、笑っているようにも睨んでみるようにも見えた。

 手を伸ばした。


「何をしている!!!」

 漆黒のような黒い髪、鮮やかな程艶のある白い肌、鋭く釣り上がった目尻に、瞳は赤銅色。20代半ば、黒いジャケットにタイトスカート、黒のパンプス、白いブラウス、黒のネクタイ。黒い狼を印象づける美しい女性だった。右足左足の歪みは無く、重心のブレも無く歩み寄ってくる。武術に長けているようだった。

「ここは立ち入り禁止だぞ! どうやって入ってきた! 直ぐ退去しろ!」

 苛立つように歩み寄る、鋭い視線を放つ女性の物言いに、違和を覚え私はこう言った。

「失礼だが、どなただ?」

 その声は私を知っているかのようだった。


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 数歩先で歩みを止めたその女性は、表情は鋭いままに、その瞳は微かに虚いでいた。

「……なに?」
「以前会った事があるのか? 済まない。貴女に見覚えはあるのだが思い出せない」
「蒼月、教師をたぶらかそうとは良い度胸だ」

 僅かな間の後、指を組み鳴らす。恐らく威圧を加えているのだろう。その女性の仕草を見て純朴なたちだと察しがついた。狡猾な女は涙で武器を隠すものだ、そう思い出したら笑みがこぼれた。

「済まないがここがどこか教えてくれないか。あと私は―」
「ガキの悪ふざけに付き合うほど私は暇では無い、いい加減に―」
「私の名前は青崎だ。青崎真、アオツキでは無い」

 その女性は初めて表情を変えた。私のどの言葉が触れたのか、目を見開き、驚愕と落胆と悲嘆を織り交ぜている。

 天が光を放ち、眼前で閃光と雷鳴が鳴った。疾風が走る。それが拳風と気づいたのは、私が反射的に飛び退いたからだった。鼻先を掠める右掌、巻き起こる砂煙と轟音、大地に刻まれた掌痕がその威力を物語る。

 中国拳法や空手、そう言った武闘家と相見えた事は幾度となくあったが、これ程鋭い一撃はお目にかかった事が無い。そのうえ威力は常識の外、この女性は人間なのか、と私は重心を落とし、両足を大地に踏みつけた。構える。目の前には険しいほどに目を細く睨ませ、牙を覗かせる黒髪の女が立っていた。

 私は左頬から滴る血を左親指で拭いこう告げる。

「気の強い女性は嫌いでは無いがね。その威力、癇癪にしてはたちが悪すぎる」
「また忘れるなど私は許さない。思い出させてやる。こい、お前は蒼月真だ」

 その女はジャケットを脱ぎ捨て、タイトスカートの縫い目を破った。白い脚が露わになる。

 直撃は即死、正しく凶器の肢体であった。だが筋肉の鳴動、骨の軋み、血の流れ、呼吸の脈動―意識の線、全て覚えた。意図は読めないが、この女は手加減する様だった。ならばその隙を突く。

 右足を前に左足を後ろに。右掌は握り前に突き出した。左掌は軽く握り腰に置く。寸勁の構え。狙いはカウンター。失敗しても死ぬだけだ、何度も繰り返した様にまた繰り返す、自嘲すると雨が降ってきた。

 雷鳴が1つ、響いた。互いの呼吸、互いの殺意が爆ぜる。



「まーこーとぉーーーーぅりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
「うぼぉぅぅぅぅぅぅあう゛ぉ!」

 視界が雨雲のように灰色になる、間も置かず大地のように茶色くなった。また灰色に、また茶色く。理解に苦しむ、把握出来ない、その様な感覚に戸惑った。

 漸くそれが治まったと、気づいたときには目の前に砂土が見えた。靴の裏も見えた。前のめりに、つんのめっていた、と言えば良いのだろうか。先程聞こえた妙な叫び声は私の声だったらしい。大地をごろごろと数回回って止まったのは気のせいであろう。

 私は無言で起き上がると、立ち上がり泥にまみれた制服を払いながら、その行為に意味は無かったが、とにかく払う。背中の痛みを堪えながら、私を蹴り飛ばした馬鹿面にこう言った。

「おい、この馬鹿」
「なんだ、この108むかつく」
「訳の分からんことで誤魔化すんじゃない。良いか、一回しか言わないぞ、よく聞け。俺は慈悲深いから執行の前に聞いてやる。なんで飛び蹴りなぞしやがった」

 執行? はん? そう言わんばかりの非常に腹立たしい目付き。大袈裟に手の平を上に向け、何もかもが、む、か、つ、い、た。

「今日俺は真のせいで悲痛な苦痛を味わったんだ。この程度の些末、閻魔すら同情の涙を流しながら許すだろうよ」
「……」
「因みにまだ済んでねぇ。だが安心しろ。これから残りの107むかつくをしこたま―へう゛っ!」

 私の右拳が馬鹿を捕えた、とは敢えて言うまい。ぐりぐり、ぎりぎりとねじ込んだ。

「言いたい事はそれだけか! このポリ塩化ビニル下敷き馬鹿! バッキバキにへし割ってそのあと可燃ゴミ直行だ! 再利用なんぞせんからな! 埋め立て地で永遠に埋もれろ!」

「適当な専門用語で馬鹿にすんじゃねぇ! この手当たり次第の見境無しが! 1年から3年までのフルコンプとは恐れ入ったぜ! どこのエロ福祉施策だよ! 税金返せ!」

「訳分からんわ! このスケコマシ!」殴った。
「どっちがだ! この天然ジゴロ!」殴られた。
「朴念仁!」もう一つ殴ったら、
「唐変木!」もう一回殴り返された。

「「一生女の尻に引かれてろこの阿保馬鹿がっ!!」」


 とっくみあい転がり殴る。そんな私たちに声を掛けたのは「蒼月、織斑、さっさと退去しろ」千冬さんであった。ジャケットを肩に掛け、見返りに睨み付けている。彼女の背中を見てはたと気づく、その場所に、その時間に。なぜ織斑姉弟がここに居る? そもそも、

「織斑」
「はい?」
「蒼月から決して目を離すな」

 私はここで何をしていた。


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 真の、あの霞のような出来事から数時間が経った。

 時刻は午後7時。物静かな柊の食堂で、小柄な少女が1人物憂げに宙を見つめていた。サイズが合わない大きめのライトグレーのジャージ姿、長い黒曜石の黒髪はうなじで一つに結い下ろしていた。其処で茂らせる黄色い結い布は、紫紺野牡丹の葉のように力強かった。鈴は腰掛け、両手で頬杖をついていた。咥えた箸をもそもそと動かす。目の前のラーメンは数本減っただけで残りは伸びていた。

 彼女が思うのは今朝見たセシリアと真の様子である。余所余所しいどころでは無い。セシリアは目を真っ赤に染めて、あからさまに視界から真を逸らした。真は声を掛けても反応が鈍く、視点が虚だった。そのくせ放つ気配は異常に強く、別人のようである。何があったと一夏を問い詰めれば、愛想笑いで誤魔化すだけであった。

(喧嘩と言うよりは、振った振られたって感じよね)

 その真は放課後から見ていない。目撃した清香の話によるとふらふらと校内を彷徨っていたそうだ。

 どこをほっつき歩いているのか、またアリーナで月見か。と窓から空を見れば曇り空。月など微塵も見えなかった。きっとまた泣きべそかいて黄昏れているのだろう。仕方がない慰めてやるかと、口元を悪戯っぽく歪ませる。箸が片方落ちた。本音がこの場に居ない幸運に感謝して床に手を伸ばす。傾げた姿勢でテーブルの下から見たものは、階段に向かう真の姿だった。

 彼のその有様に鈴は目を見開いた。


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 第2アリーナで何をしていた、千冬ねぇと何をしていた、追求する一夏に彼は、逆に俺は何をしていたと聞いた。巫山戯るようでも無く、誤魔化しているようでも無く、素の問い掛けに一夏は言葉を失った。

 真が覚えていた事は、現実感の無い全てが幻のような世界で、悲しく表情を沈ませた千冬の姿だけだった。

 疼く左頬の傷に手を添える。

(状況を考えれば、この傷は千冬さんだろうな……)

 押し当てて切り裂く刀傷では無かった。吸い上げ巻き上げるように切り裂かれていた。極短時間の空気圧力差により生じる真空の刃、かまいたち。そんな事が出来る人物は早々居ない。少なくとも学園では唯一人。ディアナにも出来ない芸当である。

 彼が気に病む事は傷では無く、千冬にそうさせた理由であった。起床から放課後までは夢うつつの様であった。放課後から一夏に蹴られるまでの記憶が無い。予想以上に重傷だと彼は自嘲し、明日聞いてみようと立ち止まり、背後から駆け寄る足音を彼は出迎えた。



「こんばんわ、鈴」
「ちょっとアンタ何よそれ!」

 と指さすのは泥だらけの制服では無く、彼の顔面の包帯であった。数名の少女が彼の姿を見て口元を抑えている。血が滲んでいた。

 額から後頭部に4巻き、同じ額から左頬に3巻き、包帯の隙間から覗く印象の悪い双眸が強調されている。さながらミイラ男、少なくとも夜更けに遭遇したくはない。医務室からの帰り道、街灯が照らす薄暗いその道で、運悪く遭遇した数名の少女グループが悲鳴を上げて逃げ出したのはここだけの話である。

「包帯」
「見れば分かるわよ! アタシが聞きたいのは!」
「転んで頬を切った。そして泥だらけ」

 とっさに付いた出任せに鈴は疑いの眼差しを向ける。尤も確証も記憶も無い以上嘘でも無い。彼は気にせず階段を上がり始め、彼女もまたその後ろを追った。肩を怒らし頬を膨らませていた。

「一夏も泥だらけだったわよ」
「一緒に転びました。一夏より遅かったのは医務室で手当してたから」

 かつかつ、こつこつ。足音が2つ響く。

「嘘ね」
「嘘じゃ無いです」

 昼間よりはまとも、けど何かが変だ。鈴は駆け上がり回り込んだ。真の目の前に同じ目線の鈴が居た。鈴の黒曜石の瞳が光を放つ。僅かな機微すら見逃さないと言わんばかりの瞳だった。そこまでしなくても良いのに、と真は思った。

「眼を見て言いなさい」
「何でそこまで気にするんだよ」
「それをアタシに言わす気か」

 子供を窘めるような表情が、気遣いの暖かい気配を放つ。それに包まれ真は両手を挙げた。部屋を別れて2週間足らず、この短期間でこれかと心中で舌を巻いた。鈴の心の成長にである。

「分かった言うよ。傷は覚えてない、気がついたら切れていた。泥は一夏と殴り合った結果」
「随分深そうだけど、なんで気づかないのよ」
「今日少し変だったから、かな」

 すっごく変だったと溜息をつくと、階段を上がり始めた彼を追った。

「あまり人相悪くしないでよね」


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「誇れる物が過去にしか無い落ち目の懐古主義(伝統)より、若く新しい方が良いと思いませんか? 織斑君♪」と右隣のティナが言う。腕を絡めていた。

「諸国と協調性の無い世界の大迷惑。物量に物を言わす品のなさより、一刀一発に全てを掛ける事が美しいですわよね、一夏さん♪」左隣のセシリアが言った。腕を絡めていた。

「……畳と何とかは新しい方が良い、日本の言葉にありましたね?」金髪碧眼のボブカット。眉がぴくりと動いた。
「……故きを温ねて新しきを知る、栄養を胸だけでは無く知性に回しては如何かしら?」金髪碧眼の、ロングヘアー。口元が歪みつつあった。

「聞いた事があります、枯れ果てた女が目も虚に繰り返し言っていました」
「中身の無い若さなど幼いと変わりませんわよ、この違いに気づかないからその様な品性の欠片も無い格好が出来るのですわ」

 ティナは大きな胸元が大きく開いた長い袖の青い薔薇をあしらったチュニックにデニム地のショートパンツ姿だった。すらりと伸びた足が瑞々しく光る。

「臭い物には蓋をする、でしたか。ですからこの暑さの中必死で隠している訳ですね。納得です」

 セシリアは鮮やかなブルーのシフォンワンピース。薄手の柔らかな生地が腕と足を軽やかに覆っていた。歩む度に柔らかく波打つその雰囲気は優雅と言って良いだろう。

「ふふふ」
「ほほほ」

 目のまえで火花を散らす碧い眼の異国の少女。両の腕を左右で絡まれ歩きにくい。だから一夏はこう言って、

「二人とも歩き難いから離れ……いってぇ!」

 女を2人侍らせて他に言う言葉は無いのかと抓られた。


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 個室のバスルームには扉が2つある。寝室兼学習部屋と脱衣室と浴室を隔てる計2枚。真と別れ自室に戻った一夏は体の汚れを落とそうと外側の扉を開けた。丁度湯浴みを済ませたシャルは内側の扉を開けた。図ったようなタイミングで、2人が見合った場所は脱衣室だった。空調の音が響く。

 シャルは小さい悲鳴を上げると一夏をひっぱたいた。一夏はよろめきながら、シャルの肢体を凝視した。上があって下が無い。そう言う事である。

 シャルから真実を告げられた一夏は、とにもかくにも一風呂浴びて、茶を一杯飲んで、真に相談しようと部屋を出た。そこを2人、セシリアとティナに見つかったのである。

 一夏の挨拶もままならないうちに、ティナが「食事に行きませんか?」と左腕を絡ませた。そしたらセシリアが「ディナーは如何?」と右腕を絡ませた。逃げられない一夏は戸惑った。2人には好きな奴がいると真が言っていた。

(なんで?)

 先入観と真実に混ざる虚偽と言う名のすれ違い。他人には鋭い流石の一夏にしてもそれに気づく事は容易でなかった。だから。階段を上がってきた鈴と真に出くわした少女3人の、堅い雰囲気が理解できなかったのである。


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 一夏が見た者は泥だらけ、顔に包帯を巻いた真と、その横で眼を伏せ逸らしている鈴だった。相変わらず仲が良い。真が見た者は、金髪美人2人を侍らせた紺のTシャツに黒のハーフパンツ。美しく着飾った2人との落差が凄い。

 漂う緊張感の中、最初に言葉を発したのは真だった。

「両手に華だな一夏。でもその格好どうにかしろよ、釣り合ってないぞ」真は苦笑いで言う。「ぬかせ、人の事言えたザマかよ。まぁ何時もよりマシな格好だけどな」と一夏も負けじと言い返す。

「ティナ、お帰り。戻ってくるのは明日聞いてたけど?」と包帯に隠れて真が笑う。「はい。凄い美人が転校してきたと聞いて慌てて帰ってきました。取り越し苦労でしたけれど」ティナは笑いながら、蒼月君は本当に包帯が好きなのですねと付け加えた。


 真はセシリアを見ると「これから食事か?」と聞いた。

「えぇこれから一夏さんと食事ですの」と彼女は愛想良く応えた。深く身体を添い付ける。「そうか。それなら1人追加して良いか?」真は何事も無く言う。「それは興味深いですわね、今更どなたが追加ですの?」

「鈴、一緒に行ってくると良い。夕飯食べ損ねたんだろ?」と真が鈴の方を向くと、セシリアは表情を固めて、ティナは訝しげな表情をした。

 鈴は一夏の両腕を見て「両方埋まってるじゃ無い」とセシリアの横を逃げるように通り抜けた。だから真は鈴の腰を掴みあげ、抗議を言わせる間も与えず一夏の肩に載せた。彼は「鈴、思い出したか?」一夏だぞ、と鈴の背中を優しく叩く。鈴は俯いたままだった。

 一夏は無理だと言い、降りようとした鈴を真は止めた。

「一夏。大切な物は何一つ手放すな。一つ諦めれば後はなし崩しだ」

 「エレベータを使って良い」と踵を返した真に、僅かな間の後「相談があるから後で部屋に来てくれ」と一夏が言った。

「了解。じゃ後で」
「あぁ後で」
「お休みティナ。お休み鈴。お休み、オルコット」

 雨の音だけが変わる事無く続いていた。


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 部屋に戻った私は、部屋の明かりを付けるのも億劫だと、衣服と包帯を脱ぎ捨てた。扉を2枚開けて壁のパネルを操作した。頭上から落ちる湯が体の汚れを落とし、頬の痛みを鋭く呼び起こした。温度を上げてしばらく浴びる。足下を赤く染めていく熱い水を見て自分の顔がどうなっているのか気になった。

 鏡に映るその男は酷い顔だった。黒髪で硬く、湯で濡れていても立つほどだった。肌の色は東洋人にしては浅黒く、目尻は人を小馬鹿にしたように釣り上がっていた。そのくせ、目はただ黒く光が無い。怯えているようにも見えたし、卑屈にも見えたし、嘆いているように見えた。

 目だけでは無かった。首を回る真新しい傷と、左のほお骨から顎まで裂かれた傷からは血が漏れていた。とても印象が悪かった。恐らくこれも跡になるだろう。

 その男は自分を知らなかった。

 今日また記憶を失った。

「記憶喪失者の記憶喪失か……その記憶はどこへ行った? 消えたのか、それとも―」

 扉を開けても光が届く事は無く、その部屋はただ暗かった。誰も無く何も無く、何もかも吸い込み、触れれば捕われんばかりの暗みだけがあった。月明かり無い暗闇でただ其処にある朽ち果てた古井戸の底。

「君が持って行ったのか?」

 部屋の奥に立つ白い服の少女は何も応えなかった。


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次回「デュノアの私生児」を予定。




 突然ですがアンケート。

 今「チラシの裏」に投稿している訳ですが、本板(投稿掲示板の「その他」)に移ってみようか、とか考えてます。皆様はどのように思われるでしょうか。

 理由ですが、1人称、3人称、その組み合わせ。短い期間での場面切り替え、等々……取りあえずやる事は一通りやったと言うのが理由です。チラ裏は評価に手心が加えられているところです。何分人を選ぶこの作品、多数の人目に触れる事によって荒れる可能性もなきにしもあらずですが、どうかなーと。


1.まだ早い。精進しろ馬鹿者。
2.良いと思うわ、もまれてきなさい。
3.~すればOkだと思いますよ。


 ご意見お待ちしております


2012/08/19



[32237] 04-08 日常編12「デュノアの私生児」
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/08/28 12:14
日常編 デュノアの私生児
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 21時を過ぎた廊下は、白色光の時間が終わり、柔らかいオレンジの光で染まっていた。床にはアイボリーを地の色にブラウンのラインが引かれ、天井の光を映していた。歩きながら一つ二つと扉を数えれば、壁も腰を境に下がブラウン、上がアイボリーと塗り分けられていた。2ヶ月半ここに居るが、そうだったのかと今気がついた。

 気づくのは何時も終わってからだ、そう言ったのは誰だっただろう。

「痛くない?」すれ違った4組の少女が、顔をしかめて言った。

 そう言われて気づいた頬の痛みに手を添えた。痛みを感じていなかった、そんな馬鹿な事があるか、と傷を触っていたらその少女に慌てて止められた。


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 廊下に立ち並ぶ扉の一つ、刻まれた706と言う数字を見上げる。この部屋を訪れた回数は片手で事足りる。一夏は箒と同室だったからである。逆はどうであったか。鈴が転校してくる以前、一夏はちょくちょく私の部屋にやってきた。箒を怒らせてはやってきた。閉め出され泊まった事もある。

 鈴と同じ部屋になってからは滅多に来なくなった。度々ノックを忘れた事が原因だろう。ノックをせずに扉を開けて一夏が見た光景は、バスタオル一枚の鈴であったり、下着姿の鈴であったり、着替え途中の鈴であったり、狙っているかのようなタイミングであった。その都度、私たちは甲高い悲鳴と突きと蹴りに襲われたのである。

「上手い事やってるじゃねーか、この阿保」
「俺は男扱いされてないだけだ、この馬鹿」

 扉から蹴り出され、廊下の隅でもつれる私たちはこんな事を言い合った。翌日、偶々なんだと平謝りしていた一夏を思い出し、私はくくくと薄ら笑いを浮かべた。その陰で私がいかに、必死に、鈴のご機嫌を取っていたかと言う事をあの馬鹿は知らないのである。


 今やシャルと一夏の男部屋。私は扉を開けた。ノックはしなかった。男同士プライバシーなどあってないような物だ。勿論女性陣に同じ事をすればただでは済まされない。懺悔しよう、一度だけしでかした事があった。部屋を間違えたのである。念を押しておきたいが、偶々だ。

 扉を開き掛けてから繊細そうなシャルの姿を思い浮かべたが、一夏が居るなら構わない、と開ききった。だから私がそれを見たのも偶々なのだろう。扉を開けたその部屋は、天井の半導体照明は落とされ、オレンジのルームライトが淡く柔らかく満たしていた。その何とも陰影的なその世界、絨毯の上でシャルは半裸で四つん這いだった。一夏の影に隠れ、薄暗くよく見えなかったが恐らく下半身丸出しだった。一夏は彼に覆い被さるような格好で、なにか白い薄い生地を手にしていた。振り向いた2人と眼が合った。扉を閉めた。

 私は踵を返し立ち去った。最初は徒歩でじきに駆け足で。偶々だろう。廊下を走ってはいけないのだ。私の背後で何かが激しく打ち開けられたような音がした。偶々だ。背後から何かが迫ってくる気配がするのも、

「偶々だ!」
「訳分からないから、ちょっと待ちやがれ!」
「断じて断る!!」

 一夏の声が聞こえたのも偶々に違いあるまい。

 ドタバタと廊下に足音が響く。いつの間にか全力疾走していた。このまま部屋に、否。寮長室まで撤退する事にする。なに問題はない、短距離走なら私の方が早い、とあっさり捕まった。偶々だ。

「真! お前に話しておきたい事がある!」
「安心しろ一夏! 俺は理解があるぞ! 心から祝福しよう! だから巻き込むな!」

 羽交い締めにされなすすべも無く、ずるずると廊下を引き摺られた。馬鹿力めと悪態をつく。いくつかの扉が開き何の騒ぎかと少女たちが顔をひょい、ひょいと出したが、一夏と私だ、そう気づくと何だと言わんばかりに引っ込んだ。狼少年何とやら。

「お前ぜってー勘違いしてるから話を聞きやがれ!」笑いと怒り、辛抱顔の一夏が言う。
「分かった聞こう! 明日の昼の食堂で良いだろ!? なっなっ!? だから離せー!!」私は血の気が引いていた。

 ばたり、706と刻まれた扉は無常にも閉められた。偶々である。

 一夏を椅子にして、羽交い締めされたまま、絨毯の上に為す術も無く座り込んだ。何時になく器用な一夏は足を絡ませて完全に身動きが取れなくなった。もがけばもがくほど、関節が締まる。偶々だ。

 私に影が落ちれば、そこにシャルが立っていた。何時もの白と紺のジャージ姿、オレンジライトが彼に光と影を落とす。シャルはファスナーに手を掛けていた。見下ろしているのに上目遣い、器用な奴である。私は身体を強ばらせた。

「……一夏、良いよね?」なんとも甘ったるい声のシャルだった。
「……良いぜ」決意を含んだ一夏の声だった。

 何が良いのか、と私は聞けなかった。恐怖のあまり声が出せなかった為である、偶々だ。

 じっとファスナーが下る音、それは死神が下ろす鎌の音にも聞こえたし、首切り台の刃が下ろされる音にも聞こえた。偶々に違いない。私は最初の黒の人と2番目の金の人、会社の恩師に詫びて目を瞑った。

 僅かな衣擦れと切ない息の音。沈黙を怪訝に思い薄目を開けて見た物は、シャルの白い細腕の、隙間から覗く柔らかな胸の曲線だった。力が抜けた。壊れた人形のように振り向けば、ジト目の一夏がそこに居る。

「だから言ったろ、この阿保真」

 頭突き喰らう。タマタマでは無かったらしい……失敬。


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 一夏は廊下側のベッドであぐらと腕を組んでいた。自分の問題であるかのように険しい表情を見せている。椅子に座っている私は湯飲みを手にし一口すすった。天井が白い光を浴びせるその部屋は、どこか白々しい。薄く、虚しく見えた。私は湯飲みの中の緑色をじっと見てから、窓側のベッドの主を見た。其処には伏せ目がちに身体を丸める金髪の少女が居た。ベッドの脇に腰掛けて姿勢正しく座っていたが、膝の上に置いた両指は落ち着かない、そう言わんばかりにゆっくり小さく動いている。

 私は彼女を見て湯飲みを机に置いた。ガタリ、と予想外に大きな音が響く。

 「シャルル・ディマ君はシャルロット・デュノアさんだった、という訳……ね」

 私の言葉は彼女を追い詰めているかもしれない、そう思った。そう思ったが、その様な思いは私の身体の中心に中々収まらなかった。彼女の背信行為、私はそれに支配されていたのである。


 彼女の家はフランスのIS企業デュノア社だった。みや、ラファール・リヴァイヴの開発メーカーである。第2世代でリヴァイヴが優れているのは、最後発だからであった。後から出る物の性能が良い、当然である。

 ただ第2世代が最後発と言うことは第3世代機も最後発と言うことに他ならない。開発が遅れに遅れている彼女の家は政府から予算をカットされ、存亡の危機に立たされていると言うことだった。彼女の家はその危機打開のため彼女を男としてIS学園に送り込んだ。目的は3人目という広告、もう一つは一夏と俺の稼働データ、その窃取-スパイ活動だった。


 腹の奥が見えない手に掴まれ引っ張られるようだった。隙あらば駆け上がろうとする血液を必死に押さえる。俺は無理矢理茶を飲み込みこう聞いた。

「デュノアは、家族、両親に無理強いされた?」
「違うよ!」
「なら……君自身の意思?」

 彼女はしばらくの間を置いて、眼を伏せてそうだと言った。最後の一線が切れた。

「一夏、相談ってのは何だ」
「決まってるだろ、シャルを助けるんだよ」

 人が良いにも程があるだろう、と俺は心底呆れた。世の中には人の善意につけ込む奴がごまんといる、15歳にもなってそれが理解出来ないのか、16の俺でさえ知っている、精神構造にそれ程大きな差があるとは思えない。俺はこいつがそれを知る良い機会だと思った。

「窃盗者をか?」俺がこう言うと、一夏は立ち上がり眼を釣り上げて俺の胸ぐらを掴んだ。「真! てめぇ何時からそんなダセェ事言うようになった!」

「よく分かっていない様だからはっきり言うが、データが盗まれれば責任問題に発展する。お前だけじゃ無い、警備担当の織斑先生にも追及が及ぶ。"行動が伴わない発言は詭弁か詐欺"こう言ったお前が"詭弁か詐欺を口走ればそれを犯しても良い"と言うのか。騙していたのは俺とお前だけじゃ無いんだぞ」

 左頬に衝撃が走り、頭と身体に鈍い衝撃が走った。絨毯に寝転び、見上げれば拳を打ち抜いた姿勢の一夏が居た。

「人の言葉を都合良く変えるんじゃねぇ! それこそ詭弁だ! 第一シャルのことを言える立場かよ!? お前だって皆を騙して―」

 騙しているじゃないか、そう言いたいのだろう。確かにそうだ、俺は皆を騙している。経歴はねつ造、名前すら知らない。どこの誰かが知らない奴が蒼月真と言う人物を装っている。左頬が熱くなり、何かが滲みだした。

 一夏は右拳を強く握りしめ俯いていた。わき上がる怒りを扱いかねているようだった。デュノアは突然喧嘩し始めた俺らを不安と戸惑いを湛えて見ている。どうして俺らが喧嘩しているのか理解出来ていないようだった。"殴るられるなら僕だよね?"と思っている様な眼であった。このとき彼女の質に気がつき、私も自分がしている事に気がついた。だから、私は一呼吸の後、身を起こし絨毯の上であぐらを組んだ。

 一つ目。
「一夏」
「なんだよ」
「すまん」
「……え?」

 二つ目。
「デュノア、一つ聞きたい」
「な、なにかな?」
「家族とは仲が良いのか?」
「え、うん。とても良いよ。みんな良くしてくれるんだ。まるで本当の子供みたいに―」

 私はどういう事だと、眼で聞いた。一夏もその話は知らないぜ、と眼で言っていた。

「僕は、僕はね。愛人の子だったんだ。でもお母さんが死んでお父さんに、デュノアに引き取られたんだ」
「それで仲が良いのか?」私は思わず眉を寄せた。女性は苦しんで子供を産む、それ故に自分の子以外に愛情を示さないと聞いた事があった為だ。

「うん、とても良い。義理のお母さんは抱きしめてくれたし愛してくれた。お姉さんもそう。2人とも義理って言うと凄く怒るんだ」その時を思い出しているのか、彼女は困ったような顔で頬を赤く、頬を掻いていた。彼女の母親も姉も尊敬に値する人物のようである。父親はそれなりに。

 だから私は、それでなのか、そう聞いた。

「うん。社員の人達、その人の家族。名前も顔も知っているんだ。僕が、社長の娘が何もせずにあの人たちを路頭に迷わすなんてできなかった」

 三つ目。
「一夏」
「おぅぃうぇ!?」突然話を振られて一夏は素っ頓狂な声を上げる。
「お前は何でデュノアを助けようと思った?」
「……シャルが困っているからに決まっているだろ」

 当然だろ、助けるのに理由なんて要らない、その馬鹿は胸を張りさも当然の如く言う。私はその言葉を心の中で繰り返し唱えた。もう一度深く呼吸をし、頬を掻きながら立ち上がる。

「そうだ、そうだよな。俺はそれまで捨ててしまうところだった」
「……なら、もう一度聞くぜ? 真。シャルを助けるには、どうしたら良い?」
「みやのデータをデュノアに渡す。正規の手続きに則って、ね」

 そんな事が出来るのか、とデュノアはぽかんと私を見ていた。


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 ISの基本能力はコア稼働率に大きく依存する。大きいほど、機動力が高く、エネルギーシールドの防御力が高く、燃費が良い。但し、ISコアに限られた話であり、バーニアやシールドジェネレータ、各デバイスが持つ能力以上にはならない。また、あくまで基本スペック内に限られた話で、形態移行とは別物だと言うことに注意する必要がある。

 付け加えるならばIS適正と稼働率も別物だ。IS適正は事前に数値で分かる物、コア稼働率はISとパイロットが時間を掛けて上げていく物。俗に言えば、IS適正はISからみたパイロットの第1印象であり、稼働率は一次移行後つまり結婚して分かるパイロットとの相性と言って良い。勿論"彼女たち"の見る眼は厳しい為、搭乗初期の適正値と稼働率は概ね比例することになる。

 私は廊下側の席に座り端末に手を添え、学内メインフレーム"アレテー"にアクセス。ギリシア語で"徳"を意味するこのコンピュータは、セキリュティは勿論学園内に所属する全ての人間とISの情報、設備を統括管理している。IS学園の土台と言って良い。

 朱色の丸に形取られたトップ画面、キーボードを叩きIDとパスワードを入力、認証、パーソナルスペースにアクセス。丸が流れるように拡大されると、透明になり、その一つ下の階層に移る。中央から放射状に伸びる根のようなリンクラインがみえる。"IS"とラベルされたそれを辿り、稼働データの保存領域に移動。

 私はファイルを開きデュノアに見せた。それに記されたみやのコア稼働率は98%、彼女が眼を剥いた。信じられないと食い入るように見ている。一夏が凄いのかと私に聞いた、多分と答えた。

「多分じゃないよ!」

 興奮し、声を荒らげるデュノアが言う。彼女によると記録上Top5に入るのだそうだ。1位はディアナさんで192%、2位は千冬さんで189%、3位は飛んで102%、対抗戦の後、機体に違和感があると虚さん相談したところ指摘され、自覚に至ったのである。フレームがコアに追いついていないのが原因だった。

 一夏は呆れるような口ぶりだった。

「お前、段々人外じみてきたな。顔も」
「だまれ」

 鋭い眼差しでデータを食い入るように見ているデュノアにこう言った。

「デュノア」
「……なにかな?」
「最近、バーニアの出力や機体反応が不足して困っているんだ。特に今日の実習は酷くてさ、改造しようにも大がかりすぎて学園じゃ手に負えない。だから、デュノアの家で改修頼めないか?」

「そう言う事か!」と一夏が叫ぶ。
「そうか……」とデュノアは呆けていた。
「喜ぶのはまだ早いぞ。学園の許可を取り付ける必要があるから」

 絶対下りると、はしゃぐ一夏はデュノアに抱きついた。彼女は顔を真っ赤に染めて硬直していた。私はそう言う事かと茶を飲んだ。


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 二つのキーを叩く音が部屋に響く。デュノアと私は取り急ぎ提案書を作成する事にした。今日明日でデュノア社が潰れるという訳でも無かろうが、この手のことは得てして遅れる物であり、後回しにした分だけ大きな問題になりやすい。昨年おやっさんから散々言われたことだった。場に勢いがあることも手伝って、今晩中に片を付ける事にした。

 一夏は何か手伝うと言ったが、シャルと私がまとめるデータを見て諦めたようだった。ベッドに寝そべり何度も寝返りを打つ、むくりと起き上がり漫画に手を伸ばす。ゲーム機を手にするのは流石に控えたようである。


 提案書作成にあたり、デュノア社に改修を依頼することが、学園にどのような利点があるかを明確にする必要があった。

 考えたポイントはいくつかある。一つ目は、みやのフレームがボトルネックになりデータ収拾が頭打ちなっている。世界で3人しか居ない男子適正者。学園がどう扱うかは分からないが、この機会を失いたくは無いだろう。次に、データと交換とは言え訓練機が無償でカスタム機になる。IS改造は金を積めば出来るというものでは無い。三つ目は、学園の存在意義。所属生徒が成長しカスタム機を必要としている。少なくとも育成と言う観点から見れば、反対する事は出来ない筈である。

 デュノア社にトラブルがあれば、学園訓練機のリヴァイヴに補修部品供給の面で支障が出る。損失理由として組み込みたかったが、デュノアの個人的理由に繋がる恐れから削除した。それに学園側も直ぐに気づく話ではあろうから、無理に載せてもそれほど効果が無い。

「デュノア、データまとめるのにどれぐらい掛る?」
「うーん、バーニア、PIC(慣性制御),FBW(航空管制)、基本デバイスだけでも10個以上、デバイス毎にパラメータがあるから……絞らないと時間がどれだけ合っても足りない。真は回避と狙撃が得意なんだよね? シールド、量子格納、ヒューマン・インターフェース類は省いて、FBWとPIC、FCS(火器管制)に絞ろうと思うけど、どうかな。それなら5,6時間で出来ると思う」
「あぁ」

 目にも止まらぬ速さでキーを打ち、その瞳は小刻みに動いている。口を利きつつも、データはとどまること無く流れるように処理されていった。彼女の行っていることは言葉にすれば一節で済むが、それ程簡単な話では無い。2ヶ月分のデータから適した物を選び、説明しやすいように手を加える。

 高いレベルでそつなく器用、これが私の印象だった。彼女は瞬時に全体を把握し要点を掴む事に長けていた。彼女が成長し経営に携わればデュノア社も安泰であろう、顔さえ知らない彼女の父親にそう言ってみたくなった。


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 時計を見れば午前2時。部屋を満たすベッドの淡い光とデスクの堅い光、二つの光を浴びて私は背を伸ばした。これだけのデスクワークも久しぶりだと、形になりつつあるファイルをぼんやりと見る。

 部屋にいびきが響き、その主をちらと見た。私たちは見合って笑う。ココアを二つ淹れ、一つをデュノアに手渡した。カカオの匂いが神経をほぐす。デュノアは俯き両の手で掴んだ白い陶器のコップをじっと見ていた。薄暗い部屋の中、白いデスクライトが彼女を浮き上がらせていた。

 だから「ありがとう」始め誰がそう言ったのか分からなかった。目の前の少女はそれほど動きを感じさせなかったからである。

「なにが?」
「騙してたこと、許してくれたこと」
「それは一夏に言うと良い。こいつが居なければ、俺はきっとそうしなかった……そう出来なかった」
「切っ掛けはそうでも、許してくれたことは真だよ」
「デュノア、礼なんて言わないでくれ。俺はそれを受け取る立場に無い」

 このとき感じた心臓を鷲掴みにされたような感覚、世界が暗がり音が遠ざかる。しばらく忘れていた感覚だった。

「人の好意が辛い、咎められると心が軽くなる」

 だから、突如言われた真実に思わず顔を上げ息を呑んだ。目、鼻、口、眉、明らかに笑っている彼女であったが、受ける印象は嘆き、悲しみ、苦しみ。それらが身を引き裂かんばかりに重くのし掛かり、だが崩れ落ちることは許されず、草木一つ無い荒れた道を歩いているかのようだった。

「デュノア、その眼……」
「そう、僕はかって取り返しの付かない罪を犯した。多分きっと真と同じ」

 そこに鏡に見た男と同じ眼をした少女が居た。

「ならお礼は言わない、こう言うよ。真、君は今置かれている状況を把握し直した方が良い」

 デュノアが来た理由かと聞いたら、彼女は頷いた。

「どこまで知られている?」
「公開されている成績と、ハミルトン戦で君が見せた実力の不一致。所属不明機の襲来の時に一夏と君がしでかした事実、バーニアの修復に、超音速時の精密射撃、ミリ秒世界でのコンビネーション。一夏も重要視されているけど彼はまだ良いんだ、ブリュンヒルデの弟という説明が付く。けれど君は違う」

「経歴、か」

 世界から切り離された様な静かなその部屋は、私たちの命の音だけが聞こえていた。

「そう。経歴が作られた物と判明して調査したんだ。どこの誰か、ってね。でも何も分からなかった。誰も彼もが不思議に思い、興味を持ち、調べてる。だから、だから君は今置かれている状況を見直すべきだ、と思う。人は分からないモノに興味を持ち、調べても分からないモノには恐れを抱く、恐れを抱けば取り除こうとする」

 それは懸念していたことだった。質問したことは無いが学園側が、あの2人が情報操作していたであろう事は察しが付く。それが限界に来たのだろう。学園が私を匿える条件は、攻めてくる相手が格下の場合のみ。どうする? と自問自答する。学園に、あの2人に一夏に被害が及ぶことだけは断じて避けねばならない。

 前に屈み、握り拳を押し当てた額が痛みを感じ始めた頃だった。

「でもきっと何とかなる、僕はそう思うよ」
「楽観的だな、意外だよ」
「一夏を見てたらそう思えるんだ。真もそう」
「なんで断言できる」
「僕がそうだから」

 何時もの暖かみのある彼女の笑みと、ぐーすかと幸せそうな一夏の寝顔を見たら気が抜けた。取引としては上々、と言うより格安だったようだ。

「なら目先の問題を片付けるか」私がそう言うと、
「そうだね」と彼女は笑って机を向いた。


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 柊寮の昼の食堂で、シャルル、一夏、真は遅めの昼食をつついていた。既に表向きだけではあったが、3名の男子生徒たちである。書類ができあがったのは午前3時、一寝入りし何時もの様に授業を受けた。授業が午前のみの土曜に感謝しつつシャルルは、ふぁと小さなあくびを口にした。

「……真、書類は渡したの?」
「あぁ小林先生にな」

 2人は午前中に何度か読み返し、昼食前に打ち合わせて修正した。千冬かディアナに直接渡したかったが、会議で不在だった。真は持ち帰ろうかとも思ったが、ディアナの直下となる2組副担任の小林千代実に預けたのだった。

「大丈夫なのかよ」そう言うのは一夏だった。
「机の上に置いておくよりは預けた方が良いし、これ以上手元に置いておいても迷うだけ。見極めも必要だろ」

 心配だと書類を手放さず何度も見直していたシャルルは、顔赤く恥ずかしそうに笑っていた。正式受理、審査、恐らく面談もあるだろう。結果は何時になるのか朗報か悲報か、しばらく気をもむ日々が続きそうだ。彼が考えるのは"これから"の事を含めてである。


 2人の、真の杞憂を知ってか知らずか一夏は爽やかな笑みを浮かべてこう言った。

「これから3人で模擬戦しようぜ、シャルと真はまだやってないだろ」
「ごめん、静寐と約束があるんだ」とシャル。
「すまん、3時から先生と約束がある」とは真。

「「……どっちの?」」

 ちちちち、と窓の外で鳥が鳴く。じろり、シャルルと一夏の眼圧を受けて真はたじろいだ。

「2組なんだぞ、リーブス先生に決まってるだろ」
「「……なんで?」」

 ぬずぃと、2人に迫られ冷や汗一つ。

「糸のコツを教わろうって……話してなかったか?」
「「……」」

 一夏は真の胸ぐら掴んで立ち上がる。

「真、てめぇ! 金髪美人教師の個人レッスンとは良い度胸だ! 表でろ!」
「人聞き悪いわ! そもそも一夏だって織斑先生に教わってただろ!」

 シャルルは真に詰め寄り、嫉妬の叫びを上げた。

「ずるいよ真! 僕だってディアナ様に教わりたいのに!」
「……ディアナ、」
「……様?」

 食堂に沸き返る乙女の悲痛な叫び。青春を謳歌する彼女らを他所に事態は静かに動きだしていた。真が千代実に手渡した書類は、教頭に見咎められ複製が作られた。その複製は千冬、ディアナが気づかぬうちに、手出しできない処へ届けられたのである。



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よしなに。



次回"胎動"を予定。



アンケートご協力ありがとうございました。

次回投稿を以て"その他"移行したいと思います。



2012/08/24



[32237] 04-09 日常編13「胎動」
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/08/30 21:16
日常編 胎動
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 がらりと扉が開けば、現われたのはディアナであった。機嫌が良いとも不機嫌とも、どのようにでも取れる表情と気配。千冬は一瞥すると書類に向き直った。様子を覗う2人の副担任に目もくれず、ディアナは千冬の左席にすとんと腰掛けた。

 午後10時、未だ職員室には明かりが灯り人影が動いていた。見渡せば、ある教師は席でキーを打ち、ある教師たちはディスプレイを囲み話し合っている。彼女たちは皆真剣な面持ちで、明日の対応に追われているのであった。

「容体は」と千冬は書類を捲る。
「もう部屋に戻ったわ」ディアナは端末を立ち上げた。

 本日の夕刻、糸のコツを教わり終わった真は医務室に運び込まれた。打撲、擦過傷、切り傷、内出血、満身創痍であった。勿論ディアナの静かに燃えさかる情熱的な訓練の結果である。動けない患者を引き取りに来いと医師に言われ、寮に放り込んできた。

「やり過ぎだ」
「良い薬よ。あんな別れ方、女を馬鹿にしてるわ」

 融通が利くが情動的、良くも悪くも私情を挟むディアナがセシリアとの一件を見逃せるはずが無く、訓練と言う名の教育を行ったのだった。

 ただ肉体的痛覚の捉え方が変化しつつある真に対し、その効果がどれ程のものか疑わざるを得ない。ディアナに担がれた彼は息も切れ切れに「またお願いします」と笑いながら言い切ったのである。

 不安と苛立ち、目を細め眉を寄せる。碧い瞳は氷の刃のようである。ガタガタとキーを打つ音にも彼女の心象が上乗せされ、今にも切り刻まれそうだった。

(あぁもう、苛立たしい。これ以上強くすると怪我では済まないし、本気で睨み上げても平然としているし―)

「むかっ腹たっちゃうわ」

 美人が怒ると箔が付く、身を以て体験している1組2組の副担任は恐れ戦き注意を向けないよう背を丸めていた。

 そんなディアナに千冬は言う。

「どう思う?」
「安定している様に見える。けれど千冬の言うとおりなら安心は出来ないわね。一度入った亀裂は直しても元には戻らないから」
「織斑には目を離すなと伝えておいたが、他に何かあるか?」
「良いと思うわ、取りあえず……ねぇ、千代実、真耶」

「「ひゃい!」」鳥肌が走らんばかりに走り抜ける寒気、2人の担任に向かい合う2人の副担任は思わず声を裏返した。「2人とも特定の人居ないわよね、年下とかどうかしら?」とディアナが言うと、副担任2人は何のことでしょうと疑問符を浮かべ、質が悪いと千冬は窘めた。

 冗談よと、深く溜息をつきディアナは立ち上がる。残りの3人がそれに続き会議室に足を向けた。彼女らの手にしていた書類には“極秘要人警護プラン”と書かれていた。


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 真はその日朝早く起きた。亜麻色のジャケット、黒のTシャツ、ダメージデニム、ダークブラウンのトレッキングブーツ。目の覚めるような晴天で、学園を出て、電車に1時間ほど乗り、江ノ島にたどり着いた。その場所に強い理由が有った訳ではない。学園から遠くなく近くなく、何か目印になるような場所、地図を適当に流していたらその場所が適当と思っただけだった。

 6月3週目ともなると流石に暑い。夏物とは言えジャケットは失策だったか、と彼は後悔し、まだ8時にも拘わらず強い日差しを落とす太陽を恨めしそうに見上げた。

「この辺もだいぶん変わったなー、ここにコンビニなんて無かったんだぜ」

 いけしゃあしゃあと暢気に解説する一夏の声を聞いて、恨めしそうに顔をしかめた。

 真がここに来たのは観光では無い。昨夜シャルルから聞いた彼を取り巻く状況、それを肌で知るためである。学園から離れれば何らかのアクションがあるかもしれない、それは危険なことでもあったが、学園に籠もっていてはそれこそ何も見えない。何も見えなければ心構えすらおぼつかないと、彼は打って出る事にした。

 勿論彼は1人で来るつもりだった。それが、どういう訳か鎌倉駅で一夏と出くわしたのである。当然誰にも言っていない。一夏は襟なし白の半袖シャツ、ブルーデニムにスニーカー。

「俺、昔この辺住んでたんだよ、知り合いが居てさ挨拶に行くところだったんだ」とは一夏である。(幼なじみの箒がむかし鎌倉に住んでいたと言っていた、おかしくは無いが……)と真は思い「ならなんで付いてくる? その知り合いの所へ行けよ」と辛抱強く言う。

「千冬ねぇから目を離すなって言われてるんだよ」
「四六時中って訳じゃ無いだろ……」

 何食わぬ顔で平然と市街地を出歩く一夏の感覚が分からない、自分がどういう人間かこいつは分かっていない、と真は苦悩した。

「帰れ」
「却下」
「何で偉そうなんだよ! この馬鹿!」
「ちょっと目を離すと直ぐトラブル起こすじゃねーか! この阿保!」
「何時! 何処で! 誰がトラブル起こした!?」
「箒、セシリア、鈴、静寐、本音、ティナ、シャル、リーブス先生に千冬ねぇ、あと先輩ズ」
「……もぅ良い、わかった」

 指折り数える一夏にぐうの音も出ない真だった。


-----


 海岸線に大きくそびえる岩山を、分け入るようにゆっくり歩く。しばらく進むと手頃な出っ張りがあったのでそこに腰掛け、コンビニで買ったペットボトルの水を飲み、あんパンを咥えた。正面には青い空と大海原、水平線。少し見下ろすと潮が引いて露わになった岩場が見える。所々あるくぼみには海の水が溜まり、茶色の岩場がきらきらと光を放っていた。押し寄せた波が岩にぶつかると跳ね返り渦を巻いている。

 よく晴れた日曜の午前9時、既に多くの家族連れとカップルが、打ち寄せ泡立つ波を楽しんでいる。家族の笑い声が聞こえた。

「平和だな」一夏が言った。
「そうだな」私は答えた。

 笑顔で子供の手を引く両親と、手を繋ぐ恋人たち、学生服もちらほら見える。波の音、陽の光、海の匂い、人の笑い声、確実に其処にある現実が、その風景が、私にはとても遠い物に見えた。恐らく彼らにとってISはTV画面の向こう側なのだろう。弾丸も刃も彼らには意味の無い無縁の物。ここから三浦半島の先端、IS学園まで道のり30km、どこにその境があるのか私は知りたくなった。

 ぼんやり見ていると右隣から一夏の声が聞こえた。メロンパンを食いながら話すので少し聞きづらい。

「なーまことー」
「なんだ」
「お前、ここに何しに来たんだ?」
「ナンパ」
「嘘つきやがれ」
「俺だって若者らしいこと位考える」
「うわ、その発言からしてオヤジくせぇ」
「……ハタくぞ」

 周囲を探ればそれらしい気配は感じない。まだ動きが無いのか、遠いのか、心配性のデュノアの事だ、大袈裟に言ったのかもしれない。

 取り越し苦労であればそれが一番良い、打ち寄せる波の音に混じって、少女の叫び声、誰かを呼び止めるような声の後、一つ間の抜けた波の音が聞こえた。視線を走らせれば、亜麻色の長い髪の少女が足を取られ、水たまりで水浴びをしていた。彼女の友人だろうか、ヒトデを手にした黒髪ポニーテールの少女が不思議そうな顔で話し掛けている。


 ずどんと、遠くで一つ大きな波の音が響き渡る。その2人の少女をじっと見ていた一夏が意外なことを言った。

「俺、黒髪の娘な」
「なにが?」
「ナンパ」
「……メロンパン、痛んでたのか?」

 言い出しておいてそれは無い、一夏はそう非難の眼を向けていた。

「なら、どっちが良い?」

 問い詰められた私は黒髪の娘をしばらく見つめると、目をそらし一夏の肩越しに見えるごつごつとした岩場をじっと見つめた。その小さな踊り場はとうてい歩いて行けるところでは無かった。

「一夏、済まない。その手の話はしばらく遠慮してくれ」
「……まぁ良いけどよ、真だし」

 こいつは空になったパンの袋とペットボトルを私の手から取り上げると、ビニール袋にまとめた。立ち去る2人の少女を見送ってから、私たちも行くかと立ち上がった。

「真」
「なんだ」
「俺の後ろに何か見えたのか?」
「いや、誰も居ない」

 人々の笑い声は波音に掻き消され聞こえなくなった。ただ急に堅くなった一夏の気配だけは良く覚えている。


-----


 木々に囲まれた石畳の道、竹林に悠然と構える古の寺院。門柱の色褪せた朱の色は永く刻まれた記憶の様に見えた。真は古都という記憶の匂いに引かれ、鎌倉市内の寺院を急遽見物する事にした。

 爺臭いとぼやく一夏にいつか買った伊達眼鏡を渡し、鍔付き帽子を買って被らせた。格好悪いと不平顔を他所に真はすたすたと歩く。階段、坂道を登っては降り、上がっては下り。人混みには閉口しつつ、あちらこちら見て回る。

 汗を拭い水を飲む。コロッケ屋で昼飯を済ませ、今日アリーナが全閉鎖されている理由に首を傾げつつ、大仏に手を合わせたら、既に日は傾いていた。

「包帯巻き直してくる」
「おぅ」

 収まりが悪いのであろう、ジャケットの下に巻かれている包帯の緩みを気にして真は夕闇に消えていった。

 不意に訪れた空白の時間、一夏は崖立つ小広場の縁に立ち、手すりにも垂れかけた。木々の隙間から夜景になりつつある市街を見下ろし、1人物憂げに耽る。彼の心中に横たわるのは後悔、彼自身が良かれと思って行ったことだった。

 セシリアとの一件以来、真は何かが変わった。第2アリーナでの記憶喪失も気になるが、それ以上に気に掛るのが少女たちとの間に置く距離である。親しい少女ほどその距離は遠く、その度に彼は怯えを含ませて誰も居ない空間を見つめていた。

(真、お前には誰が見えてる?)

 これでは元も子もない、と一夏は深い溜息をつく。彼がコーヒーでも飲むかと財布に手を掛け振り向いたのと、怯え逃げ出す様に坂道を駆け下りる、小さな女の子を見かけたのは同時だった。


-----


 一つ捨てたら何かが欠けた。

 欠けた身体は軽くなり。

 軽い心は薄くなる。

 身体を縛り絡まる糸は重く息苦しい。

 全てを捨てる、心の奥底からわき上がる甘美な衝動。

 解き放たれた俺が俺を見る。

 痛みは俺を形作る枷だった。



 壁に書かれた落書きと、匂いと汚れに辟易しながら、のそりのそりと包帯を巻き直した。その2畳足らずの個室から出て、鏡に向かい左頬の絆創膏を貼り直す。自分の姿を一瞥し、時計を見れば17時を過ぎていた。

「そろそろ頃合いか」私は独りごちた。

 寺院を見学する途中一夏から聞いた事実に私は察しを付けていた。今日一日、アリーナが全閉鎖、訓練機の全てが教師に予約されている。教師たちの張り詰めた雰囲気に加え、通達は私が訓練中だった前日の午後6時頃。恐らく内密の要人視察だろう。

 その考えに至ったとき私は帰宅を遅らせる事にした。無用なトラブルは避ける為である。一夏には悲観過ぎだと笑われたが、用心に越したことは無い。

「一夏は、楽観的すぎるよな」

 鏡の目付きの悪い男にそう問い掛けた。次はデュノアも連れてこよう。あの用心深い少女がいれば心強い、なにより2人居れば一夏から目を離さずに済む。そう思いながら聞いた音は観光客の悲鳴と切り裂くブレーキの音だった。

 二つ三つの呼吸の後、蛇口から一つ滴った。言いしれぬ不安に駆られ公衆トイレから飛び出した。居るべき筈の場所に一夏が居なかった。周囲を見渡すが見当たらず、代わりに何故か慌ただしい。

「高校生風の男の子が張り付いて―」
「―外車が坂を下りていった」

 断片的に聞こえる居合わせた観光客の声、柵越しの崖下から聞こえるブレーキの音。得てして当たる物である嫌な予感、駆け出し柵から身を乗り出した。夕闇の木々の隙間、その中に見た物は、急スピードで走り去る自動車の、天井にしがみつく子供の姿だった。何度も見た強い意志を宿す黒髪の少年。

「あの馬鹿―」


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 その信じたくない光景は胸のみやを刺激した。光を放つペンダントを慌てて握り、押さえつける。

 最優先は自動車にしがみつく、一夏の安全確保だった。タクシーは影すらなく、鎌倉駅まで歩く時間は無い。私は自動車の走り去る方向を確認すると、背が高くスタイルの良い、髪をうなじで二つに結い下ろした地元風の少女に110番を依頼し、路肩に止めてある小型の2シーター・オープン・スポーツカーに飛び乗った。

 背中にあるエンジンはまだ暖かい。ハンドルの右側をまさぐるも、キーシリンダーにキーは無く、助手席にある収納、グローブボックスは無くアルミ製の小さい物置きに、数珠が一つ転がっているだけだった。

 強引に説得するつもりの、鍵を持っているだろう持ち主は姿形も見えない。イモビライザー(盗難防止)付きキーロック、ハリウッド映画のように短絡させてエンジンを掛けることは不可能だ。

 やむを得ない。苛立ちを込めてキーシリンダーを叩いたのは、胸元のみやに意識を込めるより僅かに早かった。

 シルバー・メタリックの車体に小刻みな振動が響く。光が灯ったインパネは、アスファルトを駆る機械に息吹が戻ったと告げていた―エンジンが動いている。戸惑いつつも4輪の彼女に一言詫びて、ブレーキ解除、ローギア、アクセルを踏み込んだ。

 背中のエンジンが咆吼を上げ、リヤタイヤが小さく鳴いた。ルームミラーに飛び出し騒ぎ立てる僧侶が映ったのは、セカンドギアに入れた頃だった。済まないと心で詫びてハンドルを切った。


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「巡査長、あの白のBMW。指令にあった奴ではありませんか?」

 巡回中のパトカーがそのスポーツセダンを発見したのは鎌倉から134号線を東へ2km程進んだ大崎公園付近であった。彼らが受け取った指令は“白のスポーツセダンの天井に未成年が張り付いている、適宜対応せよ”

 曖昧な指令は適当にやり過ごすに限る、海岸線を暴走していたシルバー・メタリックを追跡していたところ発見に至り、助手席の巡査長は思わず呻いた。近づいて目を懲らしてみると屋根に人形のような物が張り付いている。

 彼は「どうする?」と自分に小さく呟いた。日本は減点法だ、危険を冒して点数を稼ぐ必要は無い、彼がこう考えたとて攻められるものでは無かろうが、ハンドルを握る若い巡査はあざとく聞きつけてこう言った「本官はこういうのに憧れておりました!」巡査には聞いていない、その言葉はシートに押さえつけられる程の加速と高鳴るエンジンの音に掻き消された。


「そこの白いBMW止まりなさい! ついでにシルバーも止まりなさい! 止まれって言ってるだろ! この犯罪者共!」

 警告が風にもまれて、もごもごと響く。片側一車線の道路で、対向車線にはみ出し追い越し逃走を続ける白のBMWを、真は寿命が縮まる思いで追跡していた。一夏がへばりつくBMWが事故ろう物なら彼は投げ出される。その白い逃走車は左右に車体を振りながら、振り落とさんばかりに暴走していた。一夏とて体力は無制限では無い、真は冷や汗を流し不快なほど乾いた口と格闘していた。

(対向車のタイミング図って、後ろのパトカーに逃走車の注意を寄せる、その隙に横付けして一夏を回収……できるか?)

 彼は腹を括ると、ハイビームを1回叩く。ルームミラー越しに逃走車の運転手と眼が合った。対向車線の黒のワンボックスをやり過ごし、シフトダウン。アクセルを踏み込み対向車線に進入、逃走車の横に付けると、パトカーが加速し逃走車の後ろに食いついた。

 真がみた車内には浅黒い肌と黒髪の、外国人風3名が乗っていた。彼らは横の真と後ろのパトカーをどちらを先に対応するか、戸惑いを見せる。逃走車が一瞬温和しくなった。

「一夏! 飛び移れ!」

 風で眼が開けていられない一夏は、薄目で真の姿を確認すると、僅かな戸惑いの後その身を宙に投げ出した。真は一夏の首根っこを掴み、頭から助手席に突っ込ませる。


 急ブレーキの音と対向車のクラクション、 ABS(アンチロック・ブレーキ・システム)が作動し、タイヤのグリップが限界だと悲鳴を上げる、真は後続車を確認し、パトカーの後ろに回り込んだ。

 一夏が怒鳴る。

「真! あの自動車追え!」

 真は怒鳴り返した。

「この馬鹿! 無茶苦茶過ぎる! 怪我じゃ済まないぞ!」
「女の子が誘拐されてるんだよ!」
「いい加減にしろ! 自分が何したか理解してないのか!」
「アイツら銃持ってやがる!」
「それこそ警察の仕ご……銃?」

 真がパトカー1台越しに感じたそれは、よく知った物だった。ただそれは歪で、細く、頼りない殺意を伴った意識の線。

 光っては消え光っては消え、閃光と断続的な音が響く。先行するパトカーは小刻みに揺れたあと大きく揺らぎ、タイヤの悲鳴と共に目前に迫ってきた。

 真はとっさに道路脇のパーキングエリアに入り込む。クラクションを鳴らし歩行者の隙間を走り抜けた。色黒金髪の、若い男の罵声を浴びて、本線に戻ったときにはパトカーは見えなくなっていた。後方で大きな音がした。


 星空を背景に灯のともった街灯が流れゆく。あらゆる物を吸い込もうとする夜の海、沿って走る海岸道路は、この世と虚無の底を隔てているようにも見えた。

 幻想的なその世界でハンドルを握る真は茫然自失の感である。

「……あさるとらいふる?」

 ひっくり返った一夏は言う。

「AK-47だろ?」
「違う、M4-A1カービン……冗談じゃ無い!」
「何やってるんだよ! 追いかけるんだよ!」

 ブレーキを踏み減速する真を一夏は蹴飛ばした。

「馬鹿たれ! 尚更大却下だ! 身の程を弁えろこの馬鹿!」
「その為の日々の訓練だろうが! この阿保!」
「大概にしろ! 世の中そんな簡単じゃ無いんだよ! 子供が出しゃばる話じゃ無い!」
「あの子に後があるかなんて分からないだろうが!!」

 真摯な視線を向ける一夏に真は押し黙り、

(たぶん車両窃盗もとい自動車無断借用、ちょこっと速度超過、なんちゃって無免許運転、危険行為みたいな、権限の無い違法追跡かもしれない……)

 指折り数えて、推し量るは少女の命。

「覚えておけよ馬鹿一夏! 言いたいこと山ほどあるからな!」
「聞いてやるよ! 後でな!」

 シフトアップ、涙目でアクセルを踏み込んだ。


-----


 トンネルを幾つか通り抜け、134号線から311号線に入ると、空気が暖かいものからひんやりとした物へと変わっていた。海は消え、代わりに現われた木々の中を走る。

 静かに流れる住宅に混じって、ぽつりぽつりと畑も見えた。片道一車線の国道。逃走車を前方約20mで維持。市街地での発砲を防ぐ為、連中を刺激しない距離の一歩外である。対向車が走り抜け、ヘッドライトが左から右へとガードレールをなぞる。

 妙だ。

「外国人の10歳ぐらいの女の子なんだよ」

 一夏の証言が私を混乱させた。一夏の言うとおり誘拐であれば不可解な点が多い。高級外国車(BMW)に、日本に持ち込むだけでも困難なアサルトライフル。ここまでの装備を用意する連中が、一般外国人を誘拐するとは考えにくい。恐らく相応の身分の子供だろう。

 そうすると新たな疑問がわく。

「連中の様子どうだった?」
「よくわかんね、ただどうしたら良いのかって感じで狼狽えてた」

 装備の割に計画がお粗末だ。誘拐した子供に一時的とはいえ逃げられる、何より銃器の扱いを知らない。連中はストックを脇で挟まず、アサルトライフルを腕だけで支え撃っていた、素人でも知っていそうな事である。

「なぁ真、なんかおかしくないか?」
「あぁ、静かすぎる」

 パトカーはあの運の悪い一台のみだ。日本の国内でアサルトライフルを用いパトカーに向けて発砲。道路封鎖、ヘリ、特殊部隊が動員されていてもおかしくは無い。一般道を100km以上で走っているが、サイレン1つ聞こえない。

「また青信号だぜ」
「分かってる」

 一夏を回収してから8km程走っているが一度も信号に引っかかっていない。日曜日の午後6時、地方道路とはいえ一般車両が少なすぎる。怪しいというレベルでは無い。

 まるで私たちを誘き出そうと言わんばかりであるが、一夏か私が目的ならこんな遠回りな事はしまい。襲う機会なら今日一日腐るほど有った。

「ラジオは?」
「……なにも入らないぜ。ノイズだけだ」

 世間が見えて無いであろう、騒がしい重低音を漏らす黒のSUVを追い越すと、フロントウィンドウ越しに逗葉新道の料金所が見えた。通行止めになっているゲートを白いBMWは減速せず突入し、進入防止用のバーがへし折れ宙に舞う。時速50km以上で通り過ぎた料金所の中年男性は怯えたようにしゃがみ込んでいた。

「一夏」
「なんだよ」
「トンネルを抜けたら直ぐ逗子インターチェンジだ。もし連中が横浜横須賀道路を衣笠方面に向かったら速攻しかけるぞ、準備しとけ」

 いずれにせよ誘拐された子供には私たちしか居ない。もはや賭を降りることは出来なかった。


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 料金所を突破すると右へハンドルを切った。次に左、今度は右へとカーブを走り抜ける。道を照らす電灯は青白く幽かに灯る。これから向かう道の先はただ暗く、黄泉路に続いているように見えた。ただ2つのエンジン音だけが響き渡っていた。

 吹き抜ける風に髪をなびかせて、興奮も緊張も微塵も感じさせない助手席の一夏が叫ぶ。

「で、どうするんだよ?!」
「横横道本線と合流したら直ぐ飛び移れ! 子供をかっさらったらこっちに飛び戻る! 質問は?!」
「連中のライフルはどうするんだ!?」

 クラッチを切ってギアを4速に、アクセルを踏む。右舷に見える本線がじわりじわりと近づく中、私は左脇からそれを取り出した。

「こっちにもある」
「……この阿保! このくそ暑いのにジャケット着ていると思ったらそんなもん持ち出してたのかよ!?」

 眼を剥いた一夏の視線の先、私の右手には“パイソン357マグナム”と刻まれた回転式拳銃が握られていた。

「どうする一夏?! 止めるなら今だぞ?!」
「言わせるんじゃねぇ! 恥ずかしい!!」
「上等!」


 衣笠方面のその先にはIS学園がある。それは三浦半島の先端、つまり行き止まりと言うことだ。この方向に進んだ時点で連中の目的が逃亡でも誘拐でも無いと分かった。

 十中八九この先に罠がある。仲間か仕掛けか分からないが連中もその場所を心待ちにしているはずだ。ならばその裏をかく。本線合流直後の強襲、即時離脱。

 強襲を受け慌てた素人は自己保身に走る。人質を忘れた誘拐犯は慌てて銃を取り出しこちらに向けるだろう。その間に銃を無力化し、一夏に取り付かせる。めちゃくちゃだ、無茶振りにも程がある。

 だが何とかなる、そう確信を持てるから不思議だ。

「一夏! 終わったら飯奢れ!」
「なんか言ったか?!」
「わざとやってるだろこの野郎!」

 アクセルを踏み込み加速。目の前に白いBMWが迫る。時速140km、距離20m。1発目、窓から上半身を突き出している右側後部座席。男のライフルを右手ごと撃ち抜いた。苦悶の表情で天井にへばりつく。

 再加速、車線変更し左舷から近づいた、距離10m。助手席の男がサブマシンガンを持ち出した。舌打ちし急減速。十数発の9mm拳銃弾を回避。車線を押さえられる。

 体勢を立て直し一度離れる、そう言う前に一夏はその身を投げ出していた。

 この表現は正しくない。気配の爆発的な噴流のあと一夏は跳躍していた。狙っていたであろう、併走するトラックの荷台側面を蹴り抜き、5m程上空から白いBMWに襲いかかる―三角飛び。お前も織斑なんだな、呆けた助手席のサブマシンガンを左手ごと撃ち抜いた、2発目。

 一夏が天井に取り付き、白い車体が大きく揺らぐ。隙を突き、加速。一夏が開けた後部座席左側の扉を、はね飛ばした。乗り込んだ一夏を確認すると左舷に車体を横づける。

 銃を構え照準越しに見た光景は、後部座席でもみ合う一夏に、運転席の男が拳銃を向けるところだった。

“がちり”

 何かを引き起こすような、それとも落とすような、妙な音が聞こえた。遠くから聞こえたようでもあったし、耳元から聞こえたようでもあった。ふと気がつくと世界から色が消えていた。聞こえるのはただ白い車の中で打ち鳴らす5つの心の音。道を照らす灯火はゆっくりと歩み始め、車体に切り裂かれた木の葉は裏、表、うら、おもて、ゆらりゆらりと宙を漂う。地を蹴る車輪は風車のようにごぅんごぅんと風を切っていた。


 身体が向けた照準は。

 奥底の脳髄に突きつけた。

 全てが止まった世界の中。

 ただ引き金を引く。

 閃光と共に撃ち出した3発目。

 外した。


 風を切る音、頭上の蒼い月、黄色いヘッドライト、世界に色が戻る。運転手の拳銃ははじき飛ばされ、空に舞っていた。5mに満たない、絶対の自信があった距離を外した。この事実に打ちのめされる間もなく、白いBMWは大きく揺らぎ横転。白い巨躯がアスファルト上を擦り、走り、火花が飛び散る。

 車体を蹴り抜き、後部座席から飛び出した一夏を目に捕え、ハンドルを切り、手を伸ばして助手席に落としこんだ。軽い衝撃が車体を襲いハンドルを押さえつける。

 私は叫んだ。

「子供は!?」

 一夏は答えた。

「無事だ!」
「馬鹿は!?」
「くそったれ!」

 私はルームミラーで後方を確認すると速度を落とした。一夏の両手に抱かれる長い金髪と碧い眼の、白いレースであしらわれた純白ドレス姿の女の子は何が起こったのか分からずきょとんとしていた。安堵の深い溜息が出る。

「真、お前無茶しすぎだぜ~」
「一夏が言うな、本当に怪我は無いんだな?」
「無事だ、この子も俺も傷一つ無い」
「なら帰るぞ、今日は無茶しすぎだ」

 もうLukが尽きた、そう付け加えると助手席の一夏は、満足そうに小さく1回だけ、笑った。


-----


 雲の隙間から顔を出す月の下、夜の高速道路をただ走る。ゆらゆらと動くインパネの針は、すすり泣くか細い声に呼応しているかのようだった。慰めているのか、もしくはもらい泣きかもしれない。1.8リッター・スーパーチャージャーのこの女性が涙もろい、そう考えたら少しおかしくなった。

「お嬢様。そろそろお名前を是非―」
「こっち向くんじゃねぇ、この子が怯えてるだろ」
「いい加減にしないと本気で泣くからな! この野郎!」

 一夏に抱かれ、すすり泣く小さい少女を見て溜息をつく。この子を奪還したのは良いものの、悩ましいのはこれからである。どうにかして学園に戻り、しかるべき筋でこの子を家族の元に返さなくてはならない。だが、その学園に戻る手段が困難を極める。

 このまま進めば罠、別の追っ手を考えると逆走も危険、車を放棄し、徒歩も考えたが小さい子供を連れて夜の山中を歩くのは危険すぎた。

「一夏、やはり横須賀インターで降りよう」
「横須賀PAで学園に電話ってのは?」
「交通管制システムにハッキング、警察に影響を与える連中だ。危険すぎるし逃げ道が無い」
「やっぱりまっすぐ帰るのは難しいか」
「危険はあるが直進よりはましだろ。それに在日米軍の目の前だ、連中もおおっぴらには行動出来ないはず。どこかで夜明けを待って、車を変えて学園に戻る」

 済まないとシルバー・メタリックの彼女に一言詫びた。

「なぁ真」
「なんだ」
「今更だけど、この自動車は?」
「ミッドシップ・1.8リッター・スーパーチャージャー“ロータス・エリーゼS”」
「そうじゃねぇ、どこから持って来やがった。つか、お前なんで自動車運転できるんだよ?」

 「後で一語一句一つも漏らさず、懇切丁寧に説明してやる……」誰のせいだとジト眼で睨み「彼女に協力して貰った」ハンドルをぽんと一つ叩いた。

「まぁ良いけどよ、助かったし。それにしても節操ねぇな。その内みやに刺されるぜ?」
「……ISと自動車は違うし」

 首に巻かれたネックレス、重く感じたのは偶々だ。

「お嬢様系と無表情系は違う? いや、みやは差し詰め幼なじみ系か?」
「みやは物わかりが……一夏、シートベルト閉めろ」
「誤魔化すんじゃねぇ」と疑う一夏に、銃を取り出し私はこう言った。
「ah」
「新手だ」

「「……あ?」」一夏と間抜けな声が重なった。今まで目すら合わせようとしなかったその子をじっと見る。右手を右に動かすと、碧い小さな目も右に動いた。左に動かすとやっぱり左に動いた。くるくると回してみる。雪のような小さな顔がくるくると動いた。あ、と小さく囁いたのはこの子らしい。その子の碧い眼は銃を見つめていた、少し驚いた。

「この子、銃好きなのか?」一夏は誰かを思い浮かべる様に言うと、私は「さぁな」と振り返り後方の白い自動車に照準を合わせた。

 今度は外さない、全神経を運転手の眉間に向ける。距離50m。エンジン音を掻き鳴らし迫り来るその新手は、私が引き金を引く前に、光弾に撃ち抜かれ、眩い光となってこの世から消え失せた。車体を揺るがす爆発音と焼き付けを起こさんばかりの閃光、熱波が極短時間遅れてやってくる。光で眩む世界、月夜に響き渡るのは、タービンを彷彿とさせる甲高い機動音だった。

「インフィニット・ストラトス……?」

 そう声を震わせて呟いたのは、私だったかもしれないし一夏だったかもしれない。いずれにせよ、まだ終わっていない。もしくは既に始まっていた、そう言う事だった。



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フィクションです、念のため。

次回“襲撃”

2012/08/30



[32237] 04-10 日常編14「襲撃」+「己の道」
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/09/08 10:38
日常編 襲撃
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 その男は泣いていた。

 彼の腕の中に抱かれるその女は、

 金色の髪を赤く染め上げ、二度と目を開かなかった。

 気づいていた。

 何時だって立ち止まることは出来た。

 何度も救いの手は差し伸べられた。

 目を背け、払いのけた。

 肉と魂に悔い込む罪の糸。

 気づいたときには全て終わらせていた。

 だから、

 その男は光の中で自らの命を絶った。



 刻み込まれる程に聞き慣れた、高回転するタービンのような甲高い機動音。閃光と爆発音と熱波、嵐に翻弄される木の葉のような車体にしがみつき、一夏は子供を必死に抱きながら、嘘だろと呟いた。

 無理も無い。この日本で、横須賀米海軍の鼻先で、学園の正面でISが戦闘活動を行った。常識的な人間なら、ISを知る人間なら鼻で笑い一蹴する一文だ。

「一夏! 眼をやられた! ハンドル頼む!」

 真の叫びで我に返る。助手席から身を乗り出し、一夏が初めて掴んだハンドルは腕にずしりと響いた。彼が見たのは吹き荒れる風の中、眼をを激しく瞑り、苦悶の表情を浮かべる真の姿だった。

「眼って、お前―」
「良いから! お前は前だけを見ろ!」


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 蒼く輝く月を背に一人の少女が佇んでいた。四の角を持つ白銀の面甲でその表情を隠し、髪は黒く肩に掛る程度に長い。細く小さい肢体が従える鎧は深い青、幾つもの剣を突き出している様な、鋭利で直線的なシルエットをしていた。

 その少女は仮面の下で眼を苛立たしく細める。

「餌に食いつかない、我慢強いと思えば暢気にお出かけとはな……情報部の無能共め」

 彼女に与えられた命令は男子適正者の拉致だった。“蒼月真”を優先とし可能であれば“織斑一夏”も対象とする。

 段取りは次の通りである。視察後の夕刻、学園が要人警護の任務を日本政府に渡したあと、つまり学園管制空域を出た時を狙い仲間が強襲し誘拐、使い捨ての別同隊に人質を引き渡した。

 管制空域外を選んだのは、手練れの彼女とは言え学園教師たちを相手にするのは荷が重い為であったが、プロファイリング(行動分析)から蒼月真は織斑一夏に触発され2人共々何らかのアクションを起こすだろうと予測していた。

 肩すかしか、そう思っていたところにどこかの誰かがしでかした警察機構へのハッキング。まさかと思い、身を潜めていれば案の定であった。

 彼女が見下ろす闇の底には、長く待ち続けていた弟の姿が見える。まるで地べたを這いつくばる銀の虫の様に見えた。

 あの時の事など忘れ、幸せに過ごしてきたのだろう。希望と理想、煌々と輝く弟の瞳を見たとき、腹の底からあふれ出た復讐の炎が彼女を焼き尽くす。

 命令など知ったことか、と彼女が掲げた牙は“星を砕く者”

「姉さん、これからプレゼント届けるからね。ねぇ……姉さん♪」

 蒼い月の光を浴びるその少女は笑っていた。


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 1発目は、虚を突いたように加速し避けられた。
 2発目は、中型トラックの積荷を盾にやり過ごされた。

 2度も避けられ、青い剣の様なIS“サイレント・ゼルフィス”は苛立ちを隠さず、月夜を切り裂いた。

 地べたを這いつくばる“あんなウジ虫ごとき連中に”、

「不愉快だ」

 何故ほんの僅かであろうとも本気を出さなくてはならない。手にするスター・ブレイカー(星を砕く者)に三回目の火が灯る。“M(エム)”と呼ばれる少女が狙う其処には、彼女自身の月影が落ちていた。

 2人の死線が交差する。

 意識の線を読み、タイミングを計り、ハンドルを握る一夏に指示を出す。

「真! 次はどっちだ?!」

 一夏の必死の問い掛けに彼は言葉を失った。時速120km、学園管制区域まであと5km、裕に2分はかかる。上空に意識を走らせれば、所属不明機のパイロットは本気だ。次は無い。

 真は意を決すると「一夏、運転替われ」シートベルトを外し後部ボンネットに移った。一夏は怪訝な顔をして慌てて移る。真はジャケットを脱ぎ銃をくるむと助手席の、白人の子供に手渡した。「お姫様、これ預かっててくれないか?」その子は銃を見つめると顔を上げて静かに頷いた。

 意図に気づいた一夏は真の襟を掴んで叫ぶ。

「真! てめぇ何する気だ!」
「足止めする。一夏、お前は先に行け」
「俺がやる! 怪我人は引っ込んでろ!」
「目が見えない俺に運転は無理だ」
「ならあン時みたいに2人で―」
「その子はどうする?」
「路肩に寄せて―」
「別同隊が居たら元も子もない」
「……おまえの悪癖だろ!? ふざけんじゃねぇ!」

 俺は一夏の襟首を掴むと、見えない目で睨み上げた。多分俺の眼を見たのだろう、これがどうなっているか分からないが、一夏は魂を抜かれた様に、言葉を失った。だから俺は言う。

「良いか一夏良く聞け。お前はハンドルを軽く握って、アクセルを踏むんだ。何が来ても誰がきても絶対止まるな。前だけを見ろ。いや時々その子を見るんだ。そして大丈夫だ、心配ない絶対助かる、助けると言え。お前の十八番だろ?」

「……俺が出るって言ってンだろうが!」

 存在感を増す一夏のガントレットを左手で掴む。意に反し沈黙した白式に一夏は眼を剥いた。

「しばらくアクセルを踏みつけると衣笠インターチェンジが見える。そこを第2三浦縦貫道路に乗り換えてそのまま突っ切れ。武山を超えたらそこは学園の管制空域だ、白式を展開、その子を抱えて学園に戻る。そして千冬さんに事情を話してその子を預けろ。それまで俺が時間を稼ぐ! 分かったな! 分かったら返事をしろ! 分かって無くてもだ!」

「絶対駄目だ! アイツとはヤバイ!」

「一夏! 木偶と戦ったときガス欠寸前だったろ!? でも勝った! 俺の回避は折り紙付きだ! 世界一だ! だから大丈夫だ! だから……だから、一夏、あとでな」
「……わかった……あとでな」

 一夏は助手席の子を見つめると、漸く納得し手を離した。俺は黙って夜の高速道路に身を投げた。

「戻るまでくたばるんじゃねーぞ! 勝ち逃げなんて許さねぇからな!」

 振り返らず叫ぶ一夏に、多分俺は笑って応えた。


 米軍は自身が攻撃されない限り動けない。日本政府が要請すれば話は別だが、それこそあり得ない。現在位置は大楠山付近、ここは学園管制空域外、これは学園が独自の判断でISを運用出来る空域の外だ。援軍は期待出来ず、自動車で死の天使から逃げ切れる訳が無い。

「一夏お前はお前の守るべき物を守れ。俺は俺の守るべき物を守る」

 だがIS戦闘など以ての外だった。


-----


 鼻先に高速で流れるアスファルトを感じ取る。足は空を向いていた。胸のペンダントが力を放つ。それはミリ秒、0.3~0.5秒の事だったろう。俺は最初にPICを展開しマニュアル操作で頭を振り起こした。次にハイパーセンサーを展開、世界に光が戻る。身体のあちらこちらで小さい光が灯り、みやが姿を現す。見上げる星の海の中を、撃ちだされた忌むべき光が走り始める。俺は銃を掲げた。白銀の車は、一夏の姿は既に小さくなっていた。



 馬鹿だな一夏、ここに戻ってくるなら今白式を展開しても良いだろ。

 お前は分かってない、ここでISを展開することの意味が。

 馬鹿だな一夏。千冬さんは、お前のねぇさんは大人なんだぞ。

 事情を知ってお前を寄越すと思うか?

 お前は分かってない。お前が誰の弟なのか。

 白式がどこの国の機体か、どこの国から金が出ているか。

 お前は分かってない。お前に何かあれば大勢の人間の人生が狂う。

 学園とてその国とは無縁じゃ無いんだよ。

 すまない。

 だから俺はお前に嘘をついた。



 俺は引き金を引く。

 放たれた赤い軌跡が弧を描く。

 光弾の鼻先に次々にあたり、その身を散らす。

 徐々に細くなり、そして消えた。

 その女は初めて俺を見た。

 顔は隠れていたが、憎悪が見て取れた。

 完全に姿を顕わしたみやが蒼い光と咆吼を挙げる。



 仕方がない。

 あいつは何も知らない。

 仕方がない。

 あいつはまだ15歳だ。

 仕方がない。

 あいつはまだ強くない

 仕方がない。

 仕方がない。

 仕方がない。

 仕方がない。



 ……つかせたな。

 こんな下らない嘘を、俺に、よりにもよってあいつにつかせたな。

 肥だめに突っ込んだ気分だ。





 とても、気分が悪い。





-----


「この授業料高く付いたぞ!」

 夜空に響くその声は銃弾の様にエムの身体を貫いた。

 彼女が見下ろし見るのは、真っ直ぐに駆け上がってくるカーキのラファール・リヴァイヴ。シールドは無く、カスタムしている様だった。月明かりを反射しているのか、蒼い光を全身に帯びていた。顔はよく見えない。

 エムの脳裏に浮かぶは数秒前の光景だ。

(自動車から飛び出したマヌケがいたが……恐らく間違いない。いや、馬鹿だったか)

 先程の射撃も偶然に決まっている。真っ正面から向かってくるなど、愚か者以外何物でも無い。彼女は羽虫を払うかの様に、

「鬱陶しい」

 一発撃ち込んだ。

 スター・ブレイカーから撃ち出された光弾が一瞬きの間もなく命中する。爆発音。エムは余所事に気を取られていた。弟を血祭りに上げその首を姉に届ける、これに気を取られ着弾様態の異常に気がつかなかった。

 光弾が高密度防性力場“アイギス”に阻まれ、四方八方ちりぢりに飛び散る中、一発の重弾頭を撃ち込まれた。エネルギーシールドを貫通し、子機2つ大破、シールド・ビットに命中、内蔵爆薬が誘爆し至近距離での爆発に激しく揺さぶられる。遅れてやってきた雷鳴の様な発砲音が、山々、海岸線、高速道路、民家の頭上、月の空に響き渡る。

 青と紫と赤と黄色が入り乱れる爆炎の中、エムが見た物は黒い影だった。

 蒼く光るヘキサゴン・セルの集合防壁、その影で真が掲げるのは4挺の試作のみで終わったIS用アンチマテリアル・ライフル“チェイタックM200i”である。刻印されたナンバーは4。30mmx173 HVAP(高速徹甲弾:High Velocity Armor Piercing)を撃ち出す蒔岡宗治が手渡した彼の新しい牙だった。

 みやがPIC(慣性制御)の許容オーバーを警告する。

(反動で照準がブレた!?)

 彼は舌打ちし、大きく乱れた姿勢を即時に正す。

 このライフルは威力故に、取り回しが悪いロングバレル、連射もできないボルトアクション。一度でも試射をしておくんだった、そう悔やむ間もなく、スラスターを最大加速しその場を離脱する。同時に兵装を12.7mmアサルトライフル“FN SCAR-H”に量子交換すること0.8秒。彼のハイパーセンサーがサイレント・ゼルフィスを捕えたとき、4つの小さいブレードが飛び出した。

「この雑魚がーー!」

 激高したエムは4つの子機を高速展開し発砲、自身の手にあるスター・ブレイカーも光弾を撃ち出した。網の目の様に撃ち出された幾条もの光弾が月夜を切り裂く。

 一発。真の頬を掠めた、その一発が彼の神経回路を撃ち回す。甲高い回転音に呼応する様にその躯を激しく振り回した。

 右側転、回避。バレルロール、回避。パワーダイブ、回避。彼の目の前を4発の光弾が通り過ぎた。その隙を狙い発砲、12.7mm通常弾、赤い軌跡がエムを襲う。被弾、その時真が見た物は彼女の冷たい笑い顔だった。彼女の頭が冴えた。


 真の回避能力の根源である意識の線は、光弾より必ず先に来る。手にするライフルだろうと、遠隔操作による子機だろうと、そこに殺意が込められる以上例外はない。

 ならば敵より撃ち出される意識の線が曲がれば? 当然光弾も曲がる事になる。みやの弾道計算を無視、反射的に躯を捻った真は眼を剥いた。

(偏光制御射撃!?)

 弧を描くBT弾頭がエネルギーシールドを突破し左足装甲をえぐった。飛び散る装甲の向こう、彼が見たエムの姿は歓喜に溢れていた。

「こう言う事か! あの女が目を付ける訳だ!」

 子機4つと偏光制御射撃、高速機動中の同時攻撃。右舷、左上、真下、直線と曲線、多元同時攻撃に晒され真は防戦一方だった。左肩、右腕、みやの装甲とシールドエネルギーが削り取られはじめる。カーキが焼けただれ黒くなる。

 彼は正面に迫るBT弾頭をアイギスで防いだ。反動で姿勢を乱す。

「ははっ! 本当に良く躱す! だがどうした!? もう終わりか?!」

 落下するみやを、子機4つとスター・ブレイカー、五つの射線が貫く。予想外に良い狩りだった、笑みを浮かべ引き金を引く直前、エムが見たものは、ただの黒い二つの丸。奈落の底の様に一切を否定した様な真の眼だった。

 ぞわり、エムの首筋に、小さく、僅かに痛む、無数の何かが這いつくばった薄気味悪い感覚が走る。

 彼女の目の前に小さい影が落ちた。それは彼が事前に投擲していたグレネードだった。リモートで爆破、エムは爆炎に捕らわれる。何かを振り下ろす様な甲高い機動音、エムの目の前に30mmの銃口があった。イグニッションブースト、真は徐々に回避速度を落とし、その速度に慣れさせこの機会を待っていた。

 真は蒼い月を背にただ黒かった。

 銃口が閃光を放ち、弾丸が額に撃ち込まれる。絶対防御発動、高運動エネルギーの塊と防性力場が反発、不協和音を掻き鳴らす。余剰衝撃がエムの躯を襲い、仰け反り意識が遠いた。PICが衝撃を打ち消しきれず落下。さらに振り下ろす様な弧を描く機動音、銃口を腹部に押し当て撃ち込まれた。分厚いゴムのハンマーを打ち込まれた様に体中がしびれた。眼と口と鼻から液体がほとばしった。サイレント・ゼルフィスの声が遠のく。

 エムの薄く狭い世界、そこには絶叫を挙げ躯に絡まる糸を今にも引きちぎらんとする、黒い何かが居た。


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 高度130m、急激降下。装甲の破片が雪降る中を駆ける様に行き過ぎる。次弾装填、4発目。急激落下中の喉元に照準を付けた。

 その光景は、みやが伝える世界には、大地に横たわる自動車の太い道、それに沿い立ち連なる沢山の照明が灯火を照らし下ろしていた。他にも港が見えたし、やはりそれにも光が煌々と灯っていた。人が行き交う下の細い道には車の光がゆっくり走っていて、家々にも明かりが灯っていた。人々が静かに生きていた。

 そんな夜景を背に落ちていくその青いISはあと一撃でこの世から消え失せる。誰かが“引き金を引け”と囁いた。

 引き金に込めた指の力、重なるイメージは、夕刻の屋上、こんじきの髪、碧い眼、涙の記憶。


 あ、と心が動いた。


 後ろから光弾に襲われた。次は上から、今度は左、右、下、前、後ろ。直線と円弧の光弾に次々に翻弄された。天の光と人の光、星々の世界が落ち着かなく回る。急激な落下感、と何か強固な物にぶち当たった衝撃に襲われ、擦りつけられる様に、転がりのたうち回った。

 僅かな静けさの後、埋まった躯を大地から引き起こし、空を仰ぐと目の前に銃口があった。みやがロックオンとエネルギー残量の警告をけたたましく鳴らしていた。見上げると月を背に青いISが佇んでいた。

 躯を熱していた少女の銃口から火が消え失せた。

「撃たないのか?」

 私が絞り出した言葉は掠れていた。

「その枷外してあげる。苦しいでしょ?」

 朗らかな声だった。

 場違いだった、顔は面甲で覆われていたが、この少女は笑っていた。その端正であろう顔を自らの血で汚し、屈託無く可憐に笑っていた。昔見た映画、幾多の人間が腑別けられ血の雨が降り注ぐ中、笑顔でステップを踏んでいた小さい少女の様に何かのズレを感じさせた。

「あ~ぁ残念、君を連れて行きたいけど君を抱えながら米軍機を振り切るのは出来ないから、今日は諦めるしか無いよね♪」

 みやが力を失い消える。私が最後に見た光景は「またね、死の匂いがする人」明るく、一時の別れの言葉を口にして、月夜に星となって消えた少女だった。

 暗闇のなか痛む躯に鞭を打ち、漸く立ち上がったころ聞こえた機動音は2つ。1つは追跡しているであろう空。もう一つは目の前だった。モーターの様な低い機動音を鳴らしてその女が言う。

「さて、ご同行頂きましょうか? 2番目君」
「エスコート頼んでいいか? 目が見えないんだ」

 その軍人は無言で私を地面に叩き付せると、胸のみやを引きちぎった。




日常編 己の道
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 IS学園本棟の地下2階、その一画に1本の薄暗い、幅3m程の通路が走る。そこには互いに向かい合う様、扉が5対、計10部屋あった。檻を出たと思えばまた檻か、白いスウェット姿の彼はそう独りごちると、腕を頭で組み、身を横たえた。その部屋は学園の独居房である。

 4畳の部屋で一面ベージュ、窓は無くユニットバスとパイプベッドが備え付けられていた。ベッドは簡素だが意外と寝心地が良い。パイプは黒で塗られ、クッションは発泡素材。毛布も枕もシーツも白。ベッド下に設けられた引き出しには、機能を限定されたタブレットが置かれ読書ができる。もちろん今の彼に意味を持たない物だった。

 彼は眼に巻かれた白い包帯に手を伸ばしズレを正した。

(米軍の独房に比べるとホテルだな。臭くないし、空調は効いてるし、煩い連中は居ないし)

 筆記用具の類いは自殺防止のため置かれていない。実際に自傷、自殺を図った生徒が居たかどうか、彼には知らされていないし、知りたいとも思わなかった。


 拘束されていた横須賀米海軍を解放されたのは翌日の昼前のことである。尋問が合ったとは言え一晩で解放、ISまで即時返却された事を怪訝に思いながら、ゲートを出ればそこに真耶が居た。何時もの山吹色のワンピースだったが、もし彼が見ることが出来たならば“こんな険しい表情するんだな”そう思っただろう。

 真耶は黙ってみやを受け取ると、痛いほどに真の手を握りそのまま自動車の後部座席に座らせた。学園に戻る道のり、彼女は何も言わなかった。彼も何も聞こうとしなかった。ただ彼は予想外に普通の、日常的な町の音だけを聞いていた。しばらく走り、人目を忍ぶ様に学園の裏手に付くとそのまま出迎えも無く投獄された。

 外側から掛ける錠前の音がする直前、

「織斑君とあの女の子は無事です」

 そう言った真耶に彼は小さく感謝の言葉を伝えた。


-----


 宇宙に、と言うよりは世界で。開かない扉の向こうは何も無い全てが止まった虚数の世界、そう錯覚してしまいそうなほど静かだった。

 気がついたらベッドの上に片膝を立てて座っていた。時計があるそうだが勿論見えることは無い。己の肉体を信じるならば2,3時間経過と言ったところであろう。

 喉の渇きに、壁、ベッド、床を手探り足探りで歩いていた時だった。遠くから何かが開く音と、足音が聞こえだした。歩調から小柄な人物、そして1人だと分かった。足音が扉の前に届くと、それに設けられたトレー付きの小さい窓が開き、何かを部屋の中に押し込まれた。

 見知った香の匂いが部屋に漂い満たす。

「デュノアか?」
「……元気?」

 間の抜けた事を聞いたと思ったのだろう、僅かな戸惑いのあと私が苦笑すると彼女もつられて笑った様だった。

「良く面会許可が下りたな」
「食事持ってきたんだ。口に合うと良いけれど」
「助かる、昨日の夜から何も食べてない」

 乾いた堅いざらっとした物、湿った薄い物が2枚、べたつく固形物、なんだこれはと鼻を近づけると彼女がフランスサンドだと教えてくれた。触っていた物はフランスパンとレタスとハム、チーズだった。彼女は「ゼリー飲料の様な物にしようかとも思ったんだけど、こっちの方が良いと思って」と付け加えた。確かに鼻と手、舌触りを刺激する。手当たり次第、闇雲に掴もうとしていた感覚が落ち着き始めた。

 噛みちぎり、咀嚼し飲み込んだ。ペットボトルを掴み、栓を開ける。水を飲み干すと漸く身体が落ち着いた様だった。だから一夏の事を聞いた。

「自室で謹慎だよ」
「そうか」
「織斑先生に相当怒られたみたい。けれど、それ以上に戻れなかったって落ち込んでる」
「一夏は一本気質だからな」

 私は笑ったが彼女は笑わなかった。そうだろう私たちは、私は彼女の願いを無残にも打ち砕いたのだ。デュノアにデータを渡す、状況は絶望的だ。

「デュノア済まない、俺は―」
「ううん、良いよ。見捨てていたら逆に絶交してた。真は……助けた人、知ってたの?」
「米軍でぶち込まれてたとき考えた。多分イギリスのお偉いさんだろ?」
「そう、ハリエット王女殿下」
「未来の女王様か、納得だ」

 気づいたのはあの子は銃を見ていたのでは無く、銃のグリップに刻まれた家紋を見つめていたからだった。

 デュノアの話によると、国際IS委員会の長はイギリスの要人が務めている。先の対抗戦の一件で、視察が行われることになり、その一行にあの子が加わった。その理由は仲の良い友人に会う為。その友人とはあの青のお嬢様のことだろう。

 彼女は王室に縁のある貴族、王女殿下と交友があったとしても不思議では無い。

 金髪の、碧い瞳の、そこまで考えた時、眼の奥が痛み出した。赤褐色に光る鉄の棒を目玉の奥に突き立てられた様な耐えがたい痛みだった。

「真、オルコットさんの事だけど……」
「デュノアももう帰れ。食事ありがとう」

 私は呻く様にうずくまると部屋はまた静かになった。


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 シャルルが立ち去ったその2時間後、月曜の午後7時、学園本棟の一室で緊急の会議が開かれていた。

 そこは50畳ほどの会議室で、白い部屋だった。床はグレーの絨毯、天井には空調の通気口と白い照明、大きいオフィスルームが簡単な説明だろう。窓はあったが機密漏洩防止のため物理シールドが下ろされていた。

 その部屋には机と椅子が円弧状に並び、13名の教員が座っていた。中央に教頭が座し、全学年の担任12名が連ねる。向かって左から1年1組、2組と続き、最後は3年4組だ。半数が日本人で残りは欧米人、これは国力や政治に寄るところが大きい。

 全員女性で、彼女らが鋭い視線を浴びせているのは言うまでも無く真だった。彼は何時もの白を基調とした学生服に身を包み、後ろ組手で軽く足を広げ立っている。眼には白い包帯が巻かれていた。

 中年の日本人女性が最初に口を開いた。耳が隠れる程度に短く、緩いカーリーウェーブで、やせ気味だったが血色はよく、グレーのスーツ越しにもその強い存在感を感じることが出来た。このIS学園の教頭である。両肘を机に付き、組み合った両の手を机に置いていた。

「生徒の査問会は初めてだ。気分は?」
「悪くありません、漸く一番が取れました」
「君は織斑一夏に確執を抱いている様だな」

「失礼しました、冗談かと」真が抑揚無く答えると、3年の教師が「……君は事の重大性を理解していないらしい」苛立たしげに言う。査問会に立たされる気分なんて愚問過ぎるだろ、この査問に不信感を抱く彼は内心毒気付いた。

「TV、新聞、ネット、ニュースを見た?」
「学園に戻ってから引き籠もりでしたので、ニュースは見聞きしていません」
「独居房の居心地は?」
「ニート生活も悪く無さそうです」

 教師たちとのやりとりの中、教頭は眼を細めて言う。

「君は入学当初にも国家代表候補とトラブルを起こしている。覚えているか?」

 真は答える。

「はい、良く」

「学園外への銃器持ちだし、発砲および射殺。権限の無い違法追跡、管制空域外でのIS展開、戦闘行為。その戦闘行為により道路、地面に穴が空いた。開いた口がふさがらないとはこの事だな。山間部だったのが幸いし民間への被害は、荷台が大破したトラック一台と蹴飛ばされた1台。ISの活動ログを見る限り配慮はした様だが、人的被害が無ければ良いと思っているのか」

「射殺はしておりません。手は撃ちましたが」

 情報の行き違いだ、手に持つ書類に目を落とし3年の担任が言った。

「犯罪行為を行った相手とはいえ、発砲し重傷を負わせた。この事に関しどのように感じる?」ディアナだった。

「ただその様な結果だと思うのみです」
「不法侵入の外国人なら死んでも構わない、か。君は人格に問題有りだな」
「もっと簡単な理由ですよ、教頭先生」
「興味深いな。聞かせて貰おうか」

「互いが互いの意思で銃を持ち、それを向けた。可哀想な人生の人だろうと、精神異常の犯罪者だろうと、何だろうと、これ以上明瞭な理由はありません」

「質問に答えなさい、どのように感じた?」ディアナが再び問う。
「もちろん躊躇はありました。彼らにも家族は居るでしょう、仲間か友も居るでしょう」
「けれど撃った?」
「はい」

 何故か、と誰かが聞いた。

「守るべき物は、守れる物は、俺は幾つも持てませんから。彼らより彼を取った、ただそれだけです」


「極めて個人的な理由だな。学園という組織のことは考えなかったのか?」

 緊張を含んだ千冬の問いに、真は微かに苛立ちを込める。

「勿論考えました、俺にとって学園は家ですから。でも、であるからこそ、です。織斑一夏君がこの学園にとってどういう存在か、それを考えれば当然です。どちらか片方だけはあり得ない」

 “訓練機保守担当”の2年担任は焦りを含ませた声で言う。

「けんか腰は止めなさい、私たちは君を助けたい」

(やはりそう言う事か、これは茶番だ)

 真の苛立ちに教頭は背筋を正し冷たい眼を向けた。僅かな間の後口を開く。

「IS操縦の成績、要人の奪還、揺れ動く車上での精密射撃、腕と功績は認めよう。だが君の犯した行動は見逃せるほど軽いものではない、君は学園の存在を揺るがしかねない。異議を唱えるか?」
「いえ、認めます」
「良かろう、本日を以て学籍を剥奪、退学処分とする。最後に言いたいことがあるか?」
「1つ宜しいでしょうか」
「なにか」
「俺達を襲ったあのパイロットは織斑一夏君に私怨を抱いていました。彼はそこにおられるブリュンヒルデの弟御で、今や学園で“唯一”の男子適正者です。くれぐれも警護の程宜しくお願いします」

 緊張が走るその部屋で、彼は下らないと言わんばかりに言い捨てた。


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 午後9時、陽も完全に落ちていた。茶番と言う名の査問会が終わり、私は苛立ちを感じながら廊下を歩いていた。何事も無い様に歩けるのはみやが居るからである。ハイパーセンサーのみの部分展開、学園側から取り付けた権限だった。

 昨日今日で情報すら満足に収集されていない中行われる査問会などこんな物だろう。出来レースにも程がある。


 長い金の髪をなびかせて、右隣を歩くディアナさんが言う。

「何時から気づいてたのかしら」
「目を閉じてからですよ。考える時間は沢山合った。学園は始めからデュノアのことを知っていた。でないと、学園中のリヴァイヴが保守で不都合が生じる。けれど、学園が一企業に肩入れする事は建前でも避けたかった。学園のシナリオはこうです。俺がデータを渡すと予想した上で、許してやる代わりに、デュノアの件も一夏の警護も諸々言うことを聞け、俺の、涙の謝罪をもって切り出すつもりだったのでしょう? そうはいきませんよ」

 襟元で結った黒い髪を揺らし、左隣の千冬さんが言う。

「権力でも握るつもりか」
「必要とあらば。戦闘中に襲撃された自動車を見ました。学園管制空域を出た直後を狙われたのでしょう? 色々縛られてる上層部の指示下に入れば、次守れるか分からない。自由行動は必須です」

「改善活動なら言われなくてもやっている」
「それは継続してお願いします、でもその結果を待っていられない」

「それは文字通り真が矢面に立つと言う意味よ?」理解しているのか、ディアナさんはそう言いたいのだろう。「一夏を守る事が学園を守る事に繋がる。一夏を狙う奴が居ると分かった以上、好都合です」

「蒼月、お前は―」

 私にとって最初の黒髪の女性の言葉を遮り、立ち止まって私は言う。彼女の言わんとすることは何となく分かった、だからこそ言って欲しくなかった。その言葉を聞けばまた私は止まってしまう。

「あの質問なんですか? 誰かに言われると思いましたが、よりによって千冬さんとは思いませんでしたよ」
「……私は姉である前に学園の警備を担う者だ」
「千冬さんらしいです。でも日頃そういう風に考えてると、いざという時そうしたくてもできなくなる。千冬さんが一夏の家族という事実は変わりません、誰も咎められません。次からは迷わず彼の身だけを案じて下さい」

 気配を感じる間もなく頭部が激しく揺さぶられた。よろけると背中を2つの手で支えられた。焼けただれんばかりの熱い、頬の痛みだった。

 見えない眼を向ければ、険しい表情で頬を赤く、右手の平を打ち抜いたその人がそこに居た。

「ならば、勝手にしろ!」

 立ち去る彼女の後ろ姿に小さく詫びる。

「首、繋がってますか?」
「とうとう千冬まで怒らしたわね。あの娘が平手で引っぱたいたの初めてじゃないかしら」

 問うて左の耳元に聞こえたのは、凜としていたが優しい声だった。

「ディアナさんも、です。俺に付くと碌な事にならない。教頭先生にも睨まれました」
「もう慣れたわ」
「慣れるほど長い付き合いでは無いかと」
「慣れてるもの」
「……なら、慣れついでに1つ。デュノアの件、急いで下さい」
「そうくると思った」

 何故か彼女は笑っていた。


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 重厚さを感じさせる大きい部屋に一人の男性が居た。堀が深い顔立ち、白とグレーが混じる髪で、白い肌と碧い眼、半袖シャツに折り目の付いたパンツ、砂色のワーキングカーキの軍服に身を包み、木製のブラウンのデスクに腰掛け、端末に映る映像を鋭く見つめていた。

 彼の後ろにある窓からは朝日が入り込み、その光が2つの旗、星条旗と米海軍旗を浮き上がらせる。彼はアメリカ海軍第7艦隊司令ジョージ・ハミルトン中将、ティナの父親であった。

 軽い2つのノックが響く。彼は入室を促すと開いた扉から金髪の、同じ服装の女性が歩み入る。スラリとした細い体つきに見えたが、強靭さを感じさせる雰囲気だった。

 右肘から指先までを真っ直ぐ伸ばし敬礼。

「ご挨拶に参りました、司令。任務終了これから本国に戻ります」
「昨夜はご苦労だった、どうだったかね? 久しぶりのアラクネは」
「良い機体ですが流石に鈍いです、物足りません」

 ウチの連中も良い刺激になっただろうと、彼は苦笑した。スピーカーから聞こえる銃声音に、彼女はちらと興味を示した。

「昨夜の戦闘記録だ、君はどう思う? 昨夜直接会った君の意見を聞きたいファイルス大尉」
「相当の手練れですね、対抗戦時のデータと比べても桁が違います。お嬢様が勝てなかったのも無理は無いかと……しかし宜しかったのですか? 即日解放など本国が何か言ってくるのでは?」
「駐留先との関係維持も仕事の内だ。しかも彼の後ろにはあのご婦人2人と、ゴッドハンドが居る。強引に進めて彼らの態度を硬化させるのも上手くない。だがなに構わんさ、種は蒔いておいた」

 彼が思い出すのは、ティナの父親だと告げた時の真の表情である。苦笑し身体を振わす、叔父のその姿に彼女は引き締めていた表情を緩めた。

「司令自ら尋問とは相当気に入られたようです」
「娘が妙なことを言っていてね、それを直に確かめたかった事もある」
「米兵の匂いがする、ですか?」
「そうだ。大尉、君はどう思うか?」
「司令と同じ意見のようです、しかし―」
「そう、入隊資格は18歳からだ。彼はそれを満たしていないし練度を考えても若すぎる。学園が一体何を隠しているのか興味は尽きない」


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 同時刻、場所は変わり学園の職員室、1年1組と2組の担任・副担任、徹夜明けの4人はその事実に自身の耳と目を疑っていた。

「もう一度言って貰えるかしら?」ディアナは歪な笑みでこう聞いた。

「アメリカ、イギリスともIS戦闘が行われた事実を否定、この回答を受けて日本政府も無かった事にしました。万事解決です♪」と心底安堵した様に笑顔の真耶だった。

「強奪された機体の露呈を恐れたイギリス、世論の非難がISに向くことを恐れた日本政府は大規模な自動車事故でケリを付けるようです」と千代実は目に隈を作って書類を読み上げた。

「日本政府の動向はそれだけですか?」とは千冬である。

「非公式に蒼月君の身柄引き渡し要求がありましたが、それも無くなりました。元々誘拐は日本政府の失態ですが、外務省を通じてイギリスから圧力が掛ったようです。恐らく王女殿下の一件かと。ただ米軍の動機の弱さが気になりますが……」

 淡々と、だが何処かほっとした様に読み上げる千代実。ディアナは、やってられないわと名簿を放り出した。彼女が作った特秘の被脅迫者名簿である。

「ありえん……」

 千冬は膝に両手を置いたまま、机に突っ伏していた。ただ窓には朝の光と鳥の囀りがあった。

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 色々振りまいた今回、如何でしたでしょうか。

 今回の真の行動、ちょっと待てよと思った方おられるかも知れません。一夏に入れ込みすぎな感じ。でも設定上、今までの流れ上こいつはこう言う奴です。スミマセン、変えられないんです。

 でもまぁあれです。自分で動かしておいて何ですが、今回の話を書き終えて読み返すうちにだんだんと真にムカついてきました。下手ないちゃいちゃより腹立ちます、千冬とかディアナとか。もっと虐めてやろうと心に決めて、いやそうするとまた2人が……と以下無限ループ。もげろ。


2012/09/07



[32237] 04-11 日常編15「幕の間」
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2013/07/05 21:40
日常編 幕の間
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 それは清香のこんな口上で始まった。

「じめじめ蒸し暑い梅雨真っ盛り、だが水着の季節は射程距離!

そこのジェントル、淑女の諸君! 夏に向けての準備はOKかっ!?

二の腕、太もも、腰回り、もう時間が無いぞ!

今夜もやって参りました、女の子専用座談会!

皆様ようこそお越し下さいました!

チーム“ベルベット・ガーデン”ガールズトーク! 開催です!」

「「「わー」」」


 どんどんぱふぱふ。アタシの部屋はいつの間に会場になったのか、鈴は心底うんざりした様に言う。

「……なんでそんなにテンション高いのよ。てゆーか、チーム・ペットボトルなんちゃらってナニよ」
「べるべっと・がぁでんだよ、鈴ちゃん」これは本音。
「しゃらーーぷっ! 我が2組存亡の危機に、どうして手を拱いていられようか!? いや出来ない?!」
「なぜ反語で疑問系なのだ。そもそも私は1組だが……」既に疲れた様な箒だった。

 部屋を見渡せば2組と言いつつ1組の生徒も見える。床の上、ベッドの上、椅子の上。その数、総勢10名ほど。15畳の部屋も流石に狭い。彼女らは思い思いの出で立ちで、有り体に言えば目のやり場に困る格好で、菓子やらソフトドリンクやらを手にして座っていた。つまりはお茶会と言う事だ。訂正。箒は剣道着、本音は白うさぎの着ぐるみ、鈴は何時ものスウェットである。

「……箒ちゃん、静寐ちゃんは?」と本音が顔色を伺う様に恐る恐る聞けば「自主特訓でぐっすりだ」と眼を逸らし伏せる箒だった。放課後ずっとシミュレーターの中に居たと静かに付け加える。

「つまりは! 一応とは言え2組の顔である真が姿を消して早2日、一夏は引き籠もりで面会謝絶。ディマ君、先生は何も教えてくれないし……鈴もおかしいし」

 表情を陰らせる鈴に、すとんと腰を下ろした清香が問う。

「鈴、一体どうしたのよ、ホントおかしいよ?」

 沈痛に頭を垂れる鈴を見て清香は深い溜息をついた。そんな2人を他所に他の少女たちは平常運転である。

「あの騒ぎ、あの2人が関係してるかも。ニュースじゃ自動車事故って言ってたけれど、先生たち血相変えてたし」
「あり得すぎる」
「日曜日の事と関係有るのかな。いきなり自室待機だったもんね」
「私、窓から偉そうな人達の一行見た」
「小さい子いたね、白くてすっごく可愛いの。雪の妖精さんみたいだった」
「セシリアが手を繋いでた」
「そういえばセシリア、真のパイソン持ってたよ」

「返したって事?」とセシリアと同室の少女に鈴が問う。

「分かんない。聞いても答えてくれなかったし。ただ膝の上に置いてじっと見てた。迷ってた感じ」

 突然訪れた沈黙に、小さく口を開いたのは本音だった。彼女は力無く箒に身を寄せていた。

「最近の真くん、遠いの」
「遠いとはどういう意味だ」
「年上みたい」

 何かを感じ取っているのだろう、悲壮と言っても良いほどの本音を見て、真は1つ上だと、当然だと、誰も言う事が出来なかった。


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 ソファーに腰掛け、それを手に握る。

 それはアルミの円筒形状で、長さ20センチ、径は3センチと言ったところだろうか。内部に化学反応により電力を起こすセルを持ち、先端に取り付けられたフィラメントが電子を放出させ光を放つ。又の名を懐中電灯。ただし懐中は出来そうにない。

 スイッチがオフになっていることを確認し、左手に握る。点かない。振ってみる。点かない。右手でぽんぽんと叩いてみる。やはり点かない。

 先日の出来事は色々な疑問を残した。あの青いISが一夏を狙っていた事は間違いないなかろう。あの少女が何処の誰か、またその動機も気になるのだが、何より何故あの時あの場所なのか、それが説明ができないのである。襲うだけならば江ノ島との行き帰り、その道中幾らでもあった。

 あの場所で私たちが居ることを初めて知ったとしよう。そうすると警察機構、交通システムにハッキング出来る程の情報戦術能力と矛盾する。残る仮説はただ一つ。襲撃とハッキングは別の連中だと言う事だ。

「ならハッキングした連中の目的は何だ、って事だよな」

 ご丁寧にも私たちをあの場に誘い出したのである。

 自然と口から漏れた疑念と共に、スイッチを入れてみる。点かない……苦虫をかみつぶし電池を交換、スイッチを入れると点いた。消してみた。振ってみる、手をかざし念じてみる。やはり点かない。スイッチを入れる、点いた。消えない。

 次の疑問は機械と私の関係である。自動車のキー、意図しなかったとは言え白式展開のキャンセル、流石におかしい。みやの自己修復、稼働率の高さ、これらに関連があるのでは無いか、機械に対し何らかの影響を及ぼす特性、体質、我ながら滑稽だとは思うがそう言う物を有しているのでは無いか。こう思い検証に勤しんでいるのだが、この懐中電灯はヒントすらもたらしてくれないのであった。


 つれない懐中電灯を放り投げ、首からぶら下がるそれを摘み上げ目の前にかざす、

「みや、お前なにか知ってるんじゃないのか?」

 ステルスモードの愛機にこう問い掛けると、聞こえる声は、

「もう出かけます。くどい様だけれど温和しくしている様に、良いわね?」

 私にとって2番目の金色の人だった。

「……了解であります、ディアナさん」
「よろしい」

 何時ものライトグレーのジャケットとパンツ、結い上げる金色の髪は気品すら感じさせる。エプロンを脱ぎ、鞄を肩に。どこか挑発的な笑みのその人を、私は精一杯の笑顔で見送った。パタンと玄関の扉は無常にも閉じられた。

 最後の疑問は謹慎先が学園内にある教師用マンション、リーブス宅という事である。

「独房より落ち着かないってのは、なんでかな」

 左頬の傷が突っ張っていた。


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 昨夜のことである。査問会が終わり柊に戻ろうとした矢先、ディアナさんに呼び止められた。話があるというのでついて行ってみれば、学生寮から学園中央本棟を挟んだ反対側、彼女のマンションであった。怪訝に思いつつ、今思えばこの時点で走り去るべきであったのだが、常日頃世話を掛けている人でもあるし、今後も世話を掛けるであろう、そう……応じたのが間違いだった。

 応じたこと自体では無い、応じるまでの間に一度でも柊に戻っていれば恐らくこう言う状況になり得なかっただろう、そう言いたいのである。

 彼女の部屋は15畳程の1LDKだった。一通りの調理器具が揃うダイニングキッチンに意外性を感じ、キングサイズのダブルベッドに僅かな戸惑いを覚え、整理整頓、清潔感溢れるその部屋に千冬さんと随分違う、そう嘆息した。どちらが20代女性の標準なのか、そう思案に耽っていた。

 そんな時である。奥に招かれソファーに腰掛けると、見合う彼女はこう切り出した。

「謹慎よ」

 私が言うのも何であるが、これだけの騒ぎを起こしたのだ。お咎め無しの方が気味が悪い、と黙って頷いた。

「ここで」

 出されたお茶を吹き出さなかったのは奇跡に近い。グラスを手にする金髪のその人はそれがどうしたと言わんばかりに、すまし顔だった。

「……何故です?」
「一夏と一緒ならまたトラブル起こすもの」
「教育倫理は? これでは生徒たちの模範に―」
「真、貴方はもう学生じゃないのよ」
「……は?」

 彼女の、学園のスタンスはこうである。一夏と学園を守る、戦闘活動を前提とした私のこの要求は学生の本分を越えている。学生に危険なことはさせられない、危険なことをするならば学生ではいられない、当然と言えば当然だった。学生でないならば学生寮には居られない。

「なら俺はなんです?」
「書類上は事務職員かその辺に落ち着く予定」

 成る程と茶を飲む。だが“それとこれと”は話が別だ。グラスをテーブルに置くと氷がコトンと鳴った。

「幾ら治外法権のIS学園でも現職教師が未成年者を連れ込むなんて、外聞宜しくないですよ。学生寮が駄目なら俺はまた一人暮らしでも、なんなら独房でも構いませんが?」

 独房は相応の刑罰を与える設備だ、と断った上で彼女はこう言うのである。深い呆れを含ませた溜息は何故か空調より大きく聞こえた。

「理解していない様だからはっきり言うわね。狙われているのは一夏だけではない、真もよ」
「それがなんです」
「そんな、今や強い力を持った真を放し飼いに出来る訳が無いわ。それこそトラブルの元だもの。しかるべき組織の元でしかるべき決まりに従って運用する、その為には管理する必要がある。異存は?」
「……俺の目的に反しない範囲であれば、ありません」
「よろしい、続けるわね。突然“男性”適正者が現われたものだからそれこそ設備対応が追いつかない、だからここよ。ご理解して頂けたかしら?」

 彼女と私の関係を考えれば落とし所なのだろう。部屋が無いならば致し方ない、他の教師とて同じ事だ。なにより相当のヒンシュクを買っているだろうから、下手すれば疫病神扱いされているかもしれないから、尚悪い。寮長の千冬さんは無理である上、何よりディアナさん以上に困る。少なく負ける、かって一夏に贈った言葉がここに来て跳ね返ってくるとは、世の中皮肉なものだ。

 私の苦悩を他所に彼女はとても嬉しそうだった。繰り返すがもちろん皮肉である。

「千冬じゃ無くてお生憎さま」
「……まだ根に持ってるんですか」
「私は執念深いわよ、あんな屈辱的なこと言われたの初めてだわ。これからどうしてやろうかしら♪」
「綺麗に笑いながら言う台詞じゃ無いです」
「今更ご機嫌取ろうったってそうは行かないわー」

 カーテン越しに感じる夜の気配、部屋に満ちる香の匂い、夜の弱い照明を浴びて暗闇に浮かび上がるその人は、夜空に浮かび上がるそれを思い浮かばせた。あの黒の人と目の前の金の人、一夏と私。そうか、とこの時気づいた。同じ“月”を冠する名を持つ者同士だ、よく分かる。きっと彼女も誰かの陰であることを選んだ。

 不思議めいた因縁を感じ、私の名を呼ぶ彼女の声に居住まいを正す。

「近いうちに真にはしかるべき地位、権利と義務が与えられる。詳細はこれから検討されるけれど恐らく一学期までね、だから。残り一ヶ月、今のうちにゆっくりしておきなさい」

 彼女が差し出した一枚の紙。私は受け取ると謝罪と謝意を述べた。できうる限り心を込めて。

 -ラファール・リヴァイヴ38番機 改修申請 “承認”-


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 真に見送られたディアナが向かった先は学園本棟地下である。

 花崗岩盤に囲まれた大地の奥底、学園の本棟地下50m。自然と技術、強固な岩盤と物理・エネルギー併用型シールドで防御されるその区画にはメインフレーム“アレテー”が鎮座していた。

 正確に言えば、アレテーとは1つの人工知能型コンピュータと各々異なる役割を持った複数のスレーブ・コンピュータにより構成される“コンピュータ群”を指す名称だが、慣例的に統括管理を行う人工知能型コンピュータの名称となっている。

 学園の警備、情報収集と言った軍事的活動から、学園内の資材管理、成績、稼働データ。人間、IS問わず学園内の全てを管理する、正しく学園の柱と言っても良い。直接アクセス出来るターミナルルームのセキリュティは最高のレベル5。学園内で立ち入ることの出来るのは学園長、教頭、管理担当の3年担任、そして千冬とディアナの計5名のみである。


 コンソールが立ち並ぶ無機質な部屋。白い壁と白い床。青白い天井の照明を浴びて千冬は溜息をついた。もう少し居住性を考えなかったのかと、設計者に文句の一つや二つ言いたくなるのも無理が無い。それ程の精神的圧迫感があるその部屋で彼女は不機嫌そうに立っていた。

 彼女の組む腕の指がリズムを取り始めた頃である。背後の扉が開きディアナが姿を現した。千冬は一瞥すると緊張を僅かに緩めた。

「彼の調子は?」ディアナはジャケットを脱ぎ椅子に腰掛けコンソールに向かう。
「漸く昏睡状態から抜け出したと言ったところだ、芳しくない」
「グノーシス・レベルは35%か……本調子までまだ掛るわね」

 グノーシスとは古代ギリシア語で認識・知恵を意味する言葉であり、この場合アレテーの意識レベルを指す。アレテーのグノーシス・レベルが低いにも関わらず、学園運営に支障を生じないのは、スレーブ・コンピュータ群が独立稼働している為であるが、未知の状況に柔軟に対応する事ができない。千冬の苛立ちと焦燥、不機嫌の原因であった。

「どこからのハッキングか分かったか?」

 何度も繰り返された千冬の問いに情報戦術担当コンピュータは“不明、継続追跡中”と変わらぬ回答をする。直接攻撃し面が割れているコンピュータのみでも256カ所に及ぶ。経由、踏み台にされた物を含めて考えると、そのルート組み合わせは膨大な数となり追跡は事実上不可能だ。真の推測は当たっていた。一夏と真を襲撃した組織とは別に、舞台にもう1人立っていたのである。

 コンソールに指を走らせディアナは言う。

「真の交戦開始にアレテーが反応。ゲートを開けた瞬間を狙い攻撃、第9隔壁まで一気に突破されてるわね、何処の誰かしら。虚を突いたとはアレテーと同等以上の情報戦術能力を持たないと出来ない芸当だわ」

 呆れた様に、敵の手腕を褒めるに様にも聞こえるディアナの声だったが、碧い瞳は氷の刃の様である。

「損害は?」
「他に目もくれず真っ直ぐアレテーに向かっている。瞬時に功性ダミーを作り仮死状態で退けたのは流石というべきかしらね。情報戦術コンピュータは動機に知的好奇心を示唆しているけれど私も同意見。ねぇ千冬」
「なんだ」
「いま私あの兎女連想したのだけれど、どうかしら」
「確証の無い発言はよせ、何時も言っているだろう。口にすると引っ張られる」
「あの女は別よ、腹立たしい」
「相変わらずか。そろそろ大人の振る舞いを覚えたらどうだ」
「人によって応じ方を変えるのは大人のやり方よ。そもそもあちらが一方的に突っかかってくるのだから私は悪くないわ。“わたしのちーちゃんにちょっかい出すなこの女狐めー”ってね」

 ディアナの脳裏に浮かぶのは罵詈雑言と共に飛来する、弾やミサイルの数々。ライバル関係であった現役を退いても嫌がらせは執拗に続き、その都度ディアナは糸を駆使しなくてはならなかったのである。尤もこれが契機となり学園で教べんを振う事になったのだから、人生とは奇妙なものであろう。


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 冷却器の音と光学結晶素子を走る光子共鳴の音、アレテーの鼓動。構造物を介して鈍く伝わるその部屋には、ディアナの叩くキーの音と他の音々が混じっていた。それはパンプスを打ち鳴らす音、組む腕の指を打ち鳴らす音、身じろぎで鳴る衣擦れの音である。

 ディアナが向かうコンソールを覗き込む千冬は、落ち着かない様にちらちらと何度も見下ろしていた。

「言いたい事があるなら言えば?」
「……本当に連れ込んだのか」
「人聞き悪いわね、職員会議で決まった事よ。仕方ないわ」

 仕方ないという割にディアナは嬉しそうだ。ディアナにとっても真は他人事では無いのだが、それ以上に千冬の困った顔が楽しくて仕方ない。不機嫌そうに眉を寄せ、不満そうに唇を僅かにすぼませている。

「何もしなかっただろうな」
「されなかったか、と聞きなさいよ。失礼ね」
「戦力的にあり得ないだろう」
「まぁ寝てる最中に悪戯ぐらいされたかもしれないわね」
「……夜這いして吊し上げられた不憫な政治家の息子が居たな。それ以来不能になったそうだぞ」
「礼儀知らずにはいい教訓よ」

 笑顔のこめかみに浮かび上がった血の流れ道、押さえつけられ悲鳴を上げるコンソール。そろそろ頃合いかとディアナは一つ息を吐いた。

「安心なさい、なにも無いわよ。約束は守るわ」

 一拍。ならば良いと千冬はそっぽを向く。


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 再び訪れる沈黙。千冬が言いたい事はもう一つあった。

「次は何にかしら」
「中止にするべきだ、行かせるべきでは無い」
「……しつこいわよ、腹を括りなさい」

 ディアナは眼を細め睨み上げる。

「ディアナが楽観か」

 千冬は腕を組み流し目で鋭く見下ろす。

「何度も話し合ったわよね? 今私たちが直面している問題は重大よ。建前だった学園の独立性に実効性を持たせているのは、私たちであり訓練機という学園の戦力。半数を占めるリヴァイヴの保守は最優先事項、私心でどうこうできる問題ではないわ」

「襲撃に使用された機体はサイレント・ゼルフィス、ならばファントム・タスクの公算が非常に大きい。あの連中は欧州が本拠地だ、敵陣に送り込む様なものだぞ。私たちは持つ力故に自由に日本を、学園を離れ付き添う事は出来ない。今の蒼月は一夏と学園を守る事、己の身を危険に晒せる事、完全に元に戻ってしまっている。アレテーがこの有様では情報収集もままならない、デュノア社の言質は取っているが何処まで当てに出来るか分かったものではない。今の蒼月を1人にするのは危険すぎる」

「良く聞きなさい千冬。ならどうする? 代わりに一夏を送る? 一夏に何かあれば真はあらゆる手段をとり救出に向かうわ。それだけじゃ無い、もしも一夏の身に何かあればそれこそお仕舞い。2人とも送るのは論外、他に手立てが無い」

「ディアナ、随分人ごとの様に語るな」

 お前は心配してないのか、その言葉は鋭い頬を叩く音に掻き消された。

「落ち着きなさい、心配しているのは千冬だけじゃないのよ」
「……すまない。冷静さを欠いた」
「千冬が止め役とはね。今までとあべこべ、世も末だわ」
「まったくだ、縁起が悪すぎる……ディアナ」
「なに」
「ブリュンヒルデとおだてられても、無力なものだな」

 頬を赤く苦しそうに俯く、初めて見る友人の気落ちした姿。ディアナは僅かな戸惑いの後に柔らかな笑顔を向けた。

「面倒よね? だから私は辞退したのよ」

 その気遣いに千冬は小さく礼を言った。


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 6月3週目の水曜日。薄日が差す曇り空の元。首都高速湾岸線を東関東自動車道へ暴走する一台の自動車があった。その道は学園から成田へ続く道路であり、その自動車はシルバーメタリックの2シーター・オープンスポーツカー。そう地元警察にトラウマを刻み込んだ“ロータス・エリーゼS”あの車である。

 先日と異なる点は、ハンドルを握るのが強い意志を持った少年であり、助手席に座るのが金髪碧眼の少女、と言う事である。

 海が見える道路を一夏はハンドルを切り、アクセルを踏み、走行車を追い越し抜き去る。たなびく髪を押さえてセシリアは言う。

「一夏さん! もっと急いで下さいな!」
「無茶言うなよ! これで精一杯だって!」

 速度計は160kmを指していた。軽量型スポーツカーにはそろそろ厳しい速度帯である。

「これでは時間に間に合いませんわ!」
「セシリアが何時までもうじうじしてるからいけないんだろ!? もっと早く出発出来たのによ!」
「女には色々あります! それに! 自信満々に間に合うと言っていたのは何処のどなたですの!?」

 2人の後ろに付くのは助手席側に補助ミラーを持つ白のセダン。覆面パトカーである。160km、問答無用の制限速度オーバー。回転灯を出そうとした助手席の巡査長を運転席の巡査が止めた。どうしたと訝しげな視線を送る。

「巡査長、あのシルバー・メタリック、通達にあった奴ではありませんか?」

 巡査の意図を察した彼は素早くナンバー照合、確認。危なかったと冷や汗をかく。見える姿は白を基調とした赤いラインのあの学生服。誰とて政治問題に首を突っ込みたくはない、公務員なら尚更である。彼らは見なかった事にして、手前のスポーツセダンに照準を合わせた。

 クラッチを切りギアを一つあげる。手慣れたかの様な一夏にセシリアは今更だが疑問を持った。一夏さんと恐る恐る問い掛ける。

「運転が随分お上手ですのね、何時免許を?」
「持ってないぜ」
「……は?」
「知らないのか? 日本は18歳からなんだよ、運転免許」

 ならどうして運転出来ますの? と声にならない声で蒼白のセシリアは一夏に問う。彼女に頼んだとハンドルをぽんと一つ。事実その通り、一夏は訳を話し拝み手で頼むとエンジンが掛ったのである。

「任せろ! 首都高バトル(レースゲーム)なら真より早いんだぜ!」

 あり得ませんわ、とセシリアは悲鳴を上げた。ただ樫の木箱を抱える手の力を緩める事は無かった。


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 成田空港からシャルル・ド・ゴール国際空港までとなるその旅程はエール・フランス機で約13時間。平日だというのに空の港はとても込み入っている様で、大勢の人の気配がする。

 私たちは、がやがやと賑やかな成田のロビーを抜け、搭乗手続きの為チェックイン・カウンターに向かう。2時の方向距離10m程先に聞こえるのは子供の大きなはしゃぎ声。9時の方向20m程先に聞こえるのは甲高い若い女の声である。直ぐ側の背を丸めた男性からは、身体に染みこんだ鼻を突くたばこの臭いが漂う。マルボロだろうか?

 そんな人の気配を感じながら歩いていると180cm程の男性が転がす様に持っている、恐らくキャリーケースに躓いた。その人は私に文句でも言おうと意識を向けたが、私の顔を見ると逆に一言詫びて立ち去った。言うまでも無く包帯に閉じられた私の眼に気づいたのだろう。

 今まで背後に居た小さく軽い気配が、弾む様に前方へ回り込む。

「真、やっぱり手を繋ごう」

 少しばかり戸惑ったが、デュノアの申し出を受ける事にした。差し出された手はとても小さく細かったが、心強かった。

「見送りが無いと言うのも寂しいね」
「平日だからな、仕方ない」

 医師の話によると、強い光で網膜を痛め2度と物を見る事は叶わないのだそうだ。痛みはだいぶん引いたが、それでも日光の様な強い光が染みこむと痛み出す。時間と共に治まると言うので暫く我慢する他は無い。

 治療を考えたが、ドナーは簡単に見つからず、義眼は成長期故に使えない。主流の治療方法であるナノマシン処理は、視神経が脳に近くIS適正に影響を及ぼす可能性があったため辞退した。どのみち手術など悠長な事など言っていられる立場でも無いから問題は無いと言えば無い。手にするのは痛み止めのみだ。

 ディアナさんは私が失明していようとお構いなしで、日常生活程度IS無しで過ごしなさいと、何時もの様に無茶を言ってくる。お陰で部屋の間取り、何が何処にあるか大体分かる様になった。まったくあの人らしい、そう思うと笑みがこぼれた。

「思い出し笑いする人はイヤラシイんだよね?」とデュノアが酷い事を言うので「デュノアに言われたくない」と答えた。

「なんでさ?」
「あの日、一夏とナニしてたんだよ?」

 あの日とはもちろんデュノアが“君”から“さん”へと変わった日の事だ。彼女の中では一夏との大きな出来事であったのだろう。直ぐさま察しを付けた様で、握る手に力が籠もり、じんわりと汗もかき出した。

「あれはねっ! 男の子同士なのに着替えの度に外に出るのは怪しまれるかもしれない、そうすると一緒じゃないと駄目だよねって、一夏もそうだって言ったんだよ、ちゃんと背を向けてたし、変な言いがかりはよして欲しいな、僕はそんなに軽くないんだ、第一あれは事故なんだよ事故、足が引っかかちゃって、転んじゃったんだよ、そしたら一夏に見られて、恥ずかしくって、思わず声を出しかけたらさ、一夏ってば飛びかかって、口を押さえてきて、あぁどうしよう、このまま襲われちゃうのかな、責任とって貰わなきゃって、でも僕思うんだ、子供は3人が理想だよね、名前はどうしようか、日本名とフランス名が混ざると兄弟喧嘩の原因に―」

「済まなかった」

 何処まで続くか興味もあったが、周囲の視線に痛みを感じ始めたので謝った。暫しの沈黙。分かってくれれば良いよと、彼女はすたすたと歩く。こういう娘だったのかと、人と理解し合うのは難しいものだと改めて思い知らされる。今後上手くやっていけるかどうか不安も募る。とはいえ、

「デュノア」
「なにかな」
「宜しく頼む」
「うん、まかせて」

 この成田空港もそうであるように、部分展開すら許されない場所は多い。その都度デュノアの助けが必要と言う事だった。


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 チェックイン・カウンターを通る直前、真と呼ぶ声に彼は振り向いた。その女性は彼にとって最初の黒の人だった。戸惑う彼に、息を切らしながら彼女はこう告げた。

「蒼月。お前の帰る場所は学園だ。それだけは忘れるな」
「……肝に銘じておきます」
「ならば良い」


 他に乗客が見えない旅客機の中“ソファー”で慣れた様にくつろぐシャルルは隣の真にこう聞いた。

「織斑先生なんて言ったの?」
「羽目を外すなってさ」


 息を切らしたセシリアがロビー到着した時、彼女が窓から見た物は空に浮かび上がったエール・フランス機だった。

「そんな……」

 彼女が手にしていた樫の木箱が音を立てて廊下に崩れ落ちる。呆然と、だが今にも泣き出しそうなその異国の少女に視線を走らせる人々。


 騒然とした空気の中、一夏は静かに歩み寄る姉の姿を見た。彼女が何時もの姉である様に振る舞っていると、そう気づいた。

「オルコット、織斑。ここで何をしている」
「……千冬ねぇ、真とどういう関係なんだ?」



 次回予告“シャルロット・デュノア”
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1ジャブ。


2012/09/15



[32237] 外伝2 とある真のズレた一日
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/10/02 08:25
 蒼月真16歳。精神年齢は基本16歳、少し変わった本作“HEROES”の主人公であります。

 何処が変わっているか。

 陰険な目つきもさる事ながら“02-06 セシリア・オルコット5”から延々“04-06 分岐”まで、未練がましく引き摺った主人公というのもそうは居ないでしょう。1次作なら兎も角2次作で、本人はその都度、吹っ切ったと思っているのがまた滑稽です。ぶり返したこともありました。一夏が呆れるのも無理はありません。

 だがしかし、生みの親としてこの一点だけは念を押しておかねばならないとペン(?)を取りました。この真、決して鈍いという訳では無いのです。落ち着いて下さい。今からご説明いたします。

 物好き、失礼。心が広い静寐と本音、真がこの2人の少女と出会ったのは入学式でありました。その真が2人の気持ちに気づいたのは作中で“03-07 真と、”そう、箒が真をデートに誘ったあの話です。その日は5月中旬、締めて一月半。どうでしょうか、早いとは言えませんが、遅くは無いと私は思う次第です。この2人もアピールらしいアピールしてませんでしたし。

 つまり、他人の色恋沙汰に関して一夏には劣るものの、自身への鈍感さは一夏よりはマシ、と言う事であります。ただ残念なことに、真は少しズレておりました。

 本日は、あり得たかもしれない、彼女ら彼らが織りなすもう一つの日常を一つご披露いたします。

 お題“対抗戦の後STN3人娘が変わらず仲が良かったら?”

 2次作でif話もねーだろ、と言うツッコミはご容赦くださいませ。




外伝 とある真のズレた一日
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 時は対抗戦が終わり、真がおやっさんと呼ぶ蒔岡宗治邸を訪問して暫く経った頃。

 眼光鋭く、腕と足を大きく振り、柊の廊下をずんずんと歩く姿は、野を駆け抜ける戦車の様。ご存じ現代に生きるサムライ娘、篠ノ之箒。直実、頑固。頭に血が上ると周囲が見えなくなり、困ったことにその血が上り易い。少々人騒がせな気質でありますが、古風で純情。根は良い少女でありましょう。だがしかし。古風設定の割に学生服のスカートは短すぎないか、と思うのは私だけでは無い筈。

「真! 居るなっ!?」ばばん、と箒が扉を開ければ目の前には真。但しトランクス一枚。この時既に鈴はおりません、念のため。

「「……」」見合う2人、止まる世界。
「……はしたないぞ」
「~~~~~~~~~~!!!」

 部屋に響くのは手刀を打ち下ろす音と呻き声でありました。

「どうして裸なんだ……」
「ノックを忘れたからじゃないかなー」

 顔赤くぶつくさ言いつつ手際よく、絆創膏を貼る箒に流石の真もあきれ顔です。箒はこほんと一つ咳払い。其処に座れと指さすのはベッドの上。正座で見合うのは箒と真。なんか良くない状況だと、冷や汗を垂らすのは真であります。

 彼の不安を他所に、箒がむっすりと突きつけたのは紙ぺら3枚。

「これは?」
「水族館のチケットだ。見て分からないのか」
「3枚有るけど」
「うむ」
「……まさか2人を誘えと?」
「うむ」
「あのさ箒、俺は……」
「聞かん」
「えっと、」
「却下だ」
「勘違いして欲しくないのだが、セシリアに未練があるからと言う訳では無く―」

 べしん、と手刀一発。頭をさする真に、詰め寄る箒は鬼のよう。

「真! もうすぐ2ヶ月だぞ! 何時まで引っ張るつもりだ!」
「だ、か、ら、違うって! 俺は誰とも付き合うつもりは無い―」

 違う違わない。箒は最近暴力的だ、私は前からこうだ。馬鹿も休み休み言え、俺は馬鹿じゃ無くて阿保だ。言い争うこと30分。息も切れ切れ水を飲み、向かい合うのはやはりベッドで正座。

「真」
「何?」
「知っての通り、あの2人はお前を好いている」
「あぁ」
「お前は日ごろあの2人に迷惑を掛けているな?」
「確かにそうだけど、それならば贈り物でも良いだろ。それは理論の飛きゃくう゛ぇ」
「好いている者から誘われれば嬉しいだろう?」
「……そーだな」
「私とお前と、あの2人の付き合いはほぼ同時だ」
「知ってる」
「共に居る時間ならお前より多い」
「だろうな」
「私の知る限り、お前はあの2人に報いた事は無い。違うなら言ってみろ」

 部屋に響くのは折れた溜息一つ。真は腕を組み渋々と。

「箒」
「なんだ」
「セシリアも鈴も大変だったけど箒が一番大変だよ。要求がとても難しい」
「難しくなど無い、お前は難しく考えすぎなだけだ。それで返答は?」
「分かった、誘うよ」
「ふん、まぁ今回はそれで勘弁してやる」
「で、あの2人には?」
「勿論言っていない。男なら自力で誘うのだ」
(やっぱり難しい)


 とこんな事があり、真は平然と誘いました。もちろん2人同時です。ズレ1。顔色一つ変えてないよー、なんか手慣れてない? と本音、静寐の2人は不満たらたらでしたが、是非にと頭を下げる真をみてまぁ良いかと顔を綻ばせました。

 現場を目撃した清香は語る「なんか中間管理職みたい」何とも泣ける話であります。


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 ほのぼのほんわか娘、高Luk本音に幸薄い真が勝てるはずも無く、当日は梅雨の晴れ間の良い天気でした。紆余曲折有りましたが、2人にとって漸くこぎ着けた初デート。気合いも入ろうものです。

「本音の髪飾り新しい奴?」
「うん♪」
「静寐は今日ヘアピン無いんだ。ヘアースタイル何時もと違う」
「ん」
「2人ともよく似合ってて可愛いと思うぞ、なら行こうか」

 ズレ2。駅前に響くは引っぱたかれる音と抓られる音、大勢の通行人が何事かと注目します。その視線の先にはぷんすかと歩く静寐と本音。理解していないのは必死に謝る真。

 そして彼女らを見ていたのはもう1人。

(ならとはなんだ、ならとは、あの馬鹿……)

 木陰から見守るのは箒でした。声を掛けてきたナンパ男が腰を抜かすほどの怒りようです。やはり捨ててはおけん監視せねば、と追跡を続けます。またの名をストーキング、残念な事に箒はそれに気づいておりませんでした。


 清香に似てるよ、いや鈴じゃない? マンボウやらペンギンやら水族館で水棲生物を堪能し、イタリアレストランで昼食を済ませ、ウィンドウショッピングをぶらぶらと。

「航法装置はやっぱりハニウェル社が良いと思うよ」これは本音。
「アビオニクスは未だ欧州が強いしな」とは真。
「スラスター類はロシアに一歩リードされてると思うの。格闘戦が想定されるISならリューリカ社製スラスターのタフさは一目置かれるべき」静寐だったりします。

 特にドラマティックな出来事があった訳ではありませんが、静かながらも楽しいデート。至福な時間を満喫しておりました。そうです、過去形です。


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 それは3人がブティックの前を通りかかった時の事でありました。ウィンドウ越しにティーンズ向けファッションドールが暇そうに突っ立っております。真は左右に居るクラスメイトと見比べて、

「2人はもう少し活動的なオシャレをしてはどうかと思うんだ。鮮やかな色彩は10代の特権なんだからさ」と平然と言いやがりました。ズレ3

 あぁなんと言う事でしょう。右や左のクラスメイトらに頭を下げ、色々借りまくり、結局自前の服に落ち着いたのですが、悩みに悩み抜いた2人の苦労が台無しです。

 2人とも何処かしっとりとした重みを感じるモノトーンカラーのシンプル&質素&シックな露出の少ない出で立ちです。静寐は丈の長いホワイトグレーのワンピース。本音は白のパンツ、襟付きシャツの上に紺のカーディガンを着ておりました。まぁ、真の言いたい事は分からなくも無く。

「たとえばー?」

 抑揚なく疲れ切った様な静寐の声であります。どん底を突き破り、もはや達観した様でした。因みに本音はフリーズ中です。笑顔のまま声も出せません。

「服買いに行こうか」
「「プレゼントっ!?」」
「あ、うん」

 実はこのIS学園都市。高級店舗が多く、力量高くとも財布が普通の娘にとっては悩みの種でありました。一部生徒の所為により学園の生徒=金持ちと言う先入観も頭が痛い。買えもしないのにブティックに入り、やっぱり良いわと見栄を張る生徒も居る始末。

 でもそこは元社会人の真です。元々給与の良い蒔岡機械株式会社。オーディオ機器はおやっさんからの貰い物、買うものは書籍とCD程度。消費先などたかが知れ、その蓄えなんと驚きの7桁。服の1着や2着訳もありません。高校生のくせに生意気です。

 あれでも無いこれでも無いと、手にとっては胸に当て、これはどうかと聞いては戻る。生き生きと目を輝かせる2人でありました。真は手慣れた様に待っています。既に1時間経過。

「何時ものお嬢さんと違いますね」ブティックの店員さんにさらりと探りを入れられましたが「日頃世話になっている娘達なんですよ」と真は素で涼しい顔です。何時もとは違うと言いたい様子。

「不憫」
「俺は気にしませんが?」

 当然真の事ではありません。ズレ4。

(何時ものだと……)

 ぐぬぬと試着室から睨み挙げる眼光二つ。セシリアか上級生か、はたまた鈴か。竹刀を持ってくるのであったと箒のボルテージはストップ高です。因みにちゃっかり試着しておりました。首筋から値札がいきり立っております。

 どれ程頭に血が上っていたのか、気がつけば3人の姿を見失いました。しまったと、カーテン越しから慌てて姿を探しても見つからず。そのカーテンがじゃらりと音を立てて開けば見合うのは3人と1人。あ、いやこれはと、一転顔青くしどろもどろの箒に、真は溜息一つ。

「店員さん、もう1着」
「まいどー」


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 本音は淡い黄色のスモック・ブラウスに白のクロップト・パンツ。静寐は白のバタフライ・スリーブブラウスに黒のレザーミニ。箒は淡い紅のチュニックにショートデニム。

 場所は変わり喫茶店の中。可憐に着飾った3人の少女たちを見て真はご満悦でした。昨年卒業した先輩たちの教育の賜です。

「済まない。こんな事になってしまって」

 そんな真を他所に、沈痛な面持ちで謝罪するのは箒でした。デートが成功する様、真が2人に良からぬ事をしでかさない様、その筈が台無しにしてしまったと心底悔いております。しかも。2人にとって記念になった筈のプレゼントを自分まで貰ってしまっては、と己の身を引き裂かんばかりの悔やみっぷり、今にも泣き出しそうです。

「気にしないで、箒の取り成しなんだから」

 静寐にはお見通しでした。

「私は3人一緒の方が嬉しいよ」

 ケーキ交換しよ、と本音。

 気の良い友人2人に慰められ漸く箒にも笑顔が戻りました。



 窓には深い緑の葉を惜しげも無く茂らせる樹木。

 笑顔で行き交う恋人たち。

 見上げれば強くも清々しい6月の太陽が自慢げに浮かんでおります。



 2人の言うとおりだ、逆に箒に感謝しないとな。今日はデート出来て良かったと真はそう静かに見守っておりました。

「真くん。お洋服ありがとう、嬉しかったよ」

 本音は華を咲かせんばかりの喜びようです。

「一応お礼は言っておきます」

 静寐は仕方なさそうに、けど頬を染めておりました。

「真にしては上々だな、うむ」

 流石の箒も今日ばかりは褒めてやろうと満足顔です。

「皆にそう言われるとむず痒い」

 気恥ずかしくなり、会計済ませてくると立ち上がれば、財布から名詞がパサリと落ちました。


 そう、過去形です。


「ティファニー学園前店……」

 わなわなと読み上げる静寐の声は閻魔の如く。

「そういえばブティックの店員と顔見知りの様だったな……」

 ゆらりと立ち上がる箒の姿は抜き身の如く。

「真くん、どこの誰に?」

 ざわり、本音の笑顔は黒百合の如く。


「いやちょっと待って! 同級生から“ン十万の”プレゼントなんて親御さんから見れば不安がるって!」

 あぁ哀れ真。言っている事は尤もですが、差を付けていると言う事に全く気づいておりません。致命的です。ズレ5。

「ばかっ! 嫌い! だいっ嫌いっ!」静寐は涙目で引っぱたき。

「お前という奴は! お前という奴は!」箒は眼を釣り上げて手刀を打ち下ろす。

 かりかり、かりかりかり、と聞こえる音は本音。笑顔でテーブルをひっかいております。怖いどころではありません。

 真はずぶずぶと椅子の隙間に沈んでいきました。



 息を潜める店内で、ぷんすかと立ち去るのは3人娘。一人残されたのは、理解出来ぬと頭を抱える真。呆れ顔で歩み寄るのは店の主人。

「お客さん、店内で騒いでもらっては困りますなぁ」
「……どうして叩かれているとき言ってくれなかったんです」
「ざまぁ♪」

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 とまぁこう言う主人公でありますが、皆様生暖かい眼で見守ってやって下さいますよう、宜しくお願いします。とある読者の方から一夏専用“身代わり不動”とまで呼ばれる程の不幸っぷりです。多分まだ落ちます。


 それではまたネタが思いついたときに外伝にてお会いいたしましょう。

 さようなら。










 石をちりばめた耳飾り。それを手にする白い指は、水面を走る波紋の如く小刻みに。

「嫌がらせにしては手が込んでおりますこと……」

 ブルー・ティアーズを外すなどと、いやしかし。彼女はよよよと崩れ落ちた。

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本編が重いので。

2012/09/16



[32237] 05-01 シャルロット・デュノア1
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2013/07/05 21:41
【お知らせ】
用語変更します。と言うか修正。
・バーニア→スラスター
・FBW(フライバイワイヤ)→アビオニクス(航空電子機器)
ただバーニアもFBWも完全に消えた訳では無く、適切な機会があれば登場します。

あと前回投稿分の外伝、終盤追加しました。後味が悪かったので。全体的に修正もしてます。お暇なときにでも。(かりかりの後ざまぁを追加)




シャルロット・デュノア1
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 フランス共和国。地図で見ると日本と同じ大きさに見えるが、領土面積は約1.7倍、一方人口は約半分。山ばかりで平地が少なく人口密集の日本に対し、可住地面積はなんと3.5倍にも及ぶ。

 温暖な西岸海洋性気候。平野部が多く、それ故に流れる川は緩やか。EUで最大の農業国。これだけでどのようなお国柄か想像出来ようというものだ。面積のみで国の評価を行うのもおかしい限りだが、狭い日本から見れば羨ましい事この上ない。

 一方、大地に刻まれた歴史は激しい物だった。この国は2大戦の主戦場だったのである。「フランスは前身たるフランク王国の一つで、ドイツ、イタリアとは兄弟みたいな物だろ? 何で喧嘩したのかな」こうデュノアに言ったら「5~9世紀の話だよ」と呆れられた。歴史は全体を俯瞰してみるべきでは無いのか、そう思う次第だ。


 そんなフランスであるが、私の立場では複数の面を持つ。

 一つ、ISを駆る者として。もちろん今回の渡航目的であるデュノア社の所在国である。世界第3位にして、みや、ラファール・リヴァイヴの開発メーカ。みやにしてみれば里帰りと言ったところだろう。

 一つ、機械技術者として。今から10年ほど前の事になる。3国をまたぐある町でナノマシンによる大災害が起きた。研究所のナノマシンが暴走したのである。政府はその対応にプラズマ弾頭を使用し町を一つ焼き払った。一万人以上が死亡し、今でもその後遺症に苦しんでいる人が居る。毒を薄めれば薬になる、科学倫理に答えなど無いが、被害者の存在は変えられない事実だ。

 そして、フランスはディアナ・リーブスと言う女性の出身国である。

 第2回モンドグロッソ総合優勝者。孤児でありながら、糸を繰り圧倒的なまでに勝ち進むその姿は神々しいまでに美しく、当時の欧米人は陶酔した。彼女の実力もさる事ながら、それ以上に人種的問題が絡んだ。IS開発者は日本人、圧倒的強さを見せた初代モンドグロッソ総合優勝者も日本人。彼らはこの事実を大なり小なり不服としていたのである。彼女に期待を寄せたのも無理は無い。

 だが黒の人は棄権し金の人は不戦勝。それを不服とし金の人は“ブリュンヒルデ”の称号を意味が無いと辞退した。以降この二人に勝るどころか、実力伯仲する者すら現われなかった為この称号は黒の人だけの物となり、欧州に火種として刻まれる事になった。黒の人はブリュンヒルデと呼ばれる事を好まない、これが私が知る理由である。

 2人の足取りは次の様になる。

 黒の人はドイツ軍に教官として籍を置き、1年程行方をくらましたあと学園の教師となった。ドイツIS部隊の実力が諸国に対し一つ抜きん出ているいるのは彼女の功績が大きい。尚、この頃の彼女は軍事機密の壁に妨げられよく分かっていない。

 金の人はフランスの警察に身を置いた。記録によると当時の彼女は非常なまでに冷酷で容赦なく犯罪者を切り刻んだ。殺傷する事こそ無かったが、糸傷は消し難くやり過ぎだと大問題となった。鮮血の女神やらオルレアンの絶叫やら、穏やかで無い二つ名で呼ばれたのはこの頃である。結果、人権団体の追求を受け警察を辞職、国を追放され行方をくらました。

 次に表舞台に現われたのは彼女が20歳の時となる。黒の人を追いかけるかの様に学園の教師となっていた。何があったのか、激しい気性は鳴りを潜め穏やかな笑みを浮かべる様になっていた。恋人の存在をゴシップ誌が取り上げていたが、今以て謎だ。

 その彼女の追放であるが、当時様々な憶測が流れた。曲がりなりにも国家代表の頂点を上り詰め、犯罪率の激減に貢献した彼女を追放した事は行き過ぎだと今でも言われる。一説にはその気性故に権力者の反感を買った事が原因と言われるが今となっては分からない。ただ一つ言える事は、欧州で、特にフランスでは今なお絶大な人気を誇ると言う事だ。

 そして、その金の人に心酔する少女が目の前に一人。

「あのね、真。そろそろ教えて欲しいな。どうして真の荷物にディアナ様と同じ色のルージュがあるの?」
「鞄を借りたんだよ、きっと忘れてたんじゃないかな」
「そう、ならどうしてディアナ様と同じ香りが真からするの?」
「シャンプーを借りたら香水だった、とか?」

 名誉の為に言えば、彼女とはそう言う関係に及んでいない。私はソファーで寝ていたのだ。その様な地雷原に踏み居るようなことはあり得ないのである。今にして思えば、出発前に鞄の場所を聞かれたし、早朝まどろみの中、首筋に何か塗られた様な覚えがある。恐らくこれを見越した上での企てであろう。間違いない。

「昨夜、独房にも寮にも居なかったよね?」
「機密」
「真」
「なに?」
「前から気になってたんだ、首の糸傷。ディアナ様とどういう関係? 正直に話して欲しいな。でないと、」
「と?」
「僕、怒るよ?」

 前途多難だ。


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 デュノアへの誤魔化しに13時間を費やし、これではファーストクラスも意味が無いと辟易し、漸く大地に降りたった私たちの出迎えは、溢れんばかりの人々とはち切れんばかりの大声だった。

 シャルル・ド・ゴール国際空港のターミナルは円筒形状なのだが、その周囲を埋め尽くさんばかりの人の気配。意識を走らせれば、なにやら手に持ち振りかざす様な仕草で、吹き飛ばされんばかりの歓声を上げている。怒号、人によっては罵声とも評ぜよう。手にして居る物はプラカードのようにも思える。

 フランス語は読む事も話す事も出来ないので、内容はさっぱり分からないが、ただ一つ言える事はあまり歓迎されていない様だった。

 デュノアにとっても寝耳に水だったようで、呆然としている。

『2人ともこっちだ!』
『ジャンさん! これはどういうこと?!』
『説明は後だ、空港側に話は付けてある。とにかくここから抜けだそう』

 声質は低いが、甲高い声い鼻につく様なしゃべり方のする男の声だった。包帯越しに眼を凝らすと、180cm程の長身やせ形。微かなオイルと金属粉の臭い。機械に向かい合う人間だと分かった。恐らくデュノア社の技術スタッフだろうと当たりを付ける。

 デュノアは私の手を持つと有無を言わせず引っ張った。登ってきたエスカレータを再び降りる。そこら中に居るであろう警備員のどこか冷たい視線を浴び、彼女に引かれるまま右へ右へ次は左へ、あちらこちらを歩き回る。扉を潜り、ひんやりとする廊下を抜け、入国手続きと形だけの税関検査を行った。

 ジェット旅客機の音が響き渡る、空高く突き抜けているだろう屋外に出ると、状況の把握もままならないまま、小さめの自動車に詰め込まれた。騒ぎ立てながら走る自動車はの後部座席は圧迫感を感じるほど小さく、サスペンションは堅い。旧式の小型車の様だった。

 ハンドルを握るその男は手短に自己紹介を済ませると一言「済まない」素っ気ない日本語を口にした。彼はジャン・ビンセント、デュノア社の技術主任と名乗った。

「日本語話せるんですか?」こう聞くと彼は苦笑した様に「ISに携わる技術者なら必須科目だよ。兎さんから時々もたらされる最新技術資料は全て日本語だからね、苦労したものさ」と答えた。どこか人を小馬鹿にした様に聞こえるのは、彼の性格だろうか。

 私の懸念を他所に「この騒ぎはなに?」と左隣のデュノアが問う。礼儀正しい彼女が随分砕けて話す事に、驚きよりも一抹の不安を覚えた。

「いや、済まない。こちらの手落ちだ。原因は調査中だが彼の事が外部に漏れた。お陰でこの始末だよ」

 あくまで陽気に、どこか人ごとの様に語る彼に私は頭を抱えた。覚悟の上だったが到着早々情報流出とは先が思いやられる。デュノアは「この人はこういう人だから真面目に受け合うと疲れるよ」と臆面が無い。ならば結構と私はこう言った。

「リークがなぜ騒ぎに繋がるんです?」
「君は自分の担任をよく知らない様だ」

 一言一言、腹の虫を逆撫でる人である。

「それは履歴書の意味ですか?」
「もちろん、ゴシップ的な意味さ」
「……あの群衆はひょっとしてリーブス先生の―」
「そう熱狂的なファンだ。用心深いと聞いていたが意外と抜けているね」
「犯罪まがいをしでかす連中の事は知っています」

「まぁ人間の思考には死角があるからね、仕方ない。織斑一夏と蒼月真、君たち2人は別々の理由で有名なんだ。1人はブリュンヒルデの弟。もう1人はディアナ・リーブスの生徒。ここフランスでは君の方が有名だ。女神の側に16歳の男が居る、分かりやすいだろう?」
「……もう帰って良いですか?」
「そう言わないでくれ、君の申し出は心底感謝しているんだ。フランスにようこそ、歓迎するよ」

 彼はやはり小馬鹿にした様な笑みを浮かべると、アクセルを踏み込んだ。車窓から見えるのは白や煉瓦色、石造りの町は異国に来たのだと改めて感じさせられた。デュノアは落ち着いた様にフランスの空気を吸っている。私は五体満足で帰れるか、気が気でなかった。居候している事は断じて悟られる訳には行かない、そう決意した次第である。


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 向かった先はデュノアの家。パリの東に位置するセーヌ=エ=マルヌ県にあると彼女は言った。暫く車に揺られること1時間。僅かに登り、下り。何かをくぐり抜けると車が止まる。部分展開して良いよと、彼女が言うのでハイパーセンサーを展開してみた。

「ぅわ……」

 世界に光が戻るや否や、私の口は打ちひしがれた様な感嘆を上げる。

 目の前にそびえる彼女の家は、歴史を感じさせる薄い土色の外壁に緑掛った碧の屋根、17世紀のバロック様式の建築物。3階建ての様だが屋根までが非常に高い。ざっと30m程と言ったところだろうか。

 視界を覆い尽かさんばかりに広がる、緑溢れる敷地の中心に立ち、水を敷いた堀で囲まれ、もちろん門もあった。芸術的な思想で形取られた庭園には巨大な噴水やら、水場を渡る橋やら、獅子、虎の石像が鎮座している。中世フランス貴族の映画に出てくる館と言えば分かりやすい。

 異国にやってきたというより、中世ヨーロッパにタイムスリップしてしまったかの様な錯覚に陥った。ファンファーレすら聞こえてきそうだ。

 魂を抜かれた様に立ち尽くしていると、デュノアに手を引かれ“彼女の家”に招かれた。私はヴォー・ル・ヴィコント城に似ている、と感想を口にすると彼女はそれは光栄、いや恐れ多いかなと困った様な笑みを浮かべた。

 正直迂闊だったと思う。親しみのある、少し棘のある言い方をすれば庶民的なデュノアを見ていて気づかなかった。フランスは歴史、伝統、芸術、貴族と言った言葉を代表する国だ。その国で大きな経済活動を営むのであれば、そう言う人達に決まっている。親父さんは爵位を持っているのか? そう聞いたら彼女は僅かな間のあと小さく“伯爵”と答えた。

 もちろん共和国である現在のフランスでは爵位を公式に認めていない。だが血筋を断たない限り、そう言う物はついて回るのが世の常だ。歴史的な血筋と権力は相性が良い。黒いヘンリーネックの長袖シャツ、丈の短いチェックのプリーツスカートにレザーブーツ。日本なら何処でも見られそうな装いの、私の手を引く同級生は伯爵様のご令嬢と言う訳だ。

 私の価値観がえらい勢いで壊されては作り上げられている様な気がする。

 扉だか門だか分からない大きさの玄関を抜け、天井まで18mは有ろうかという大広間に入ると従業人の人達に出迎えられた。男性陣はスーツを連想させる作業服、女性陣はメイド服だった。ただネットで見る様な派手な意匠ではなく、相応にシックさを醸し出している。

 道に沿う樹木の様に立ち並ぶその人たちの間を、困惑と焦燥を必死に押さえながら歩けば、

「ようこそ、いらっしゃいました。蒼月殿」

 頭上から厳かに、身体の芯に響く様な声が聞こえた。見上げる其処に佇む女性は赤みがかった黒髪と翡翠の眼をしていた。胸元を適度に開いた黒のドレスを纏い、赤い絨毯を敷かれた階段を静かに降りてくる。従業人の人達が、頭を垂れる。もう驚くまい、そう思えばこれである。ここは別の世界なのだとそう思う事にした。

 左隣のデュノアに助けを求めると、彼女は静かに控え微動だにしなかった。先に話せと言う事らしい。正直に言えば事前に言っておいて欲しかったと切に思う。

「初めまして、蒼月真です。この度は申し出を受けて頂きありがとうございます」
「礼を言わなければならないのは私どもの方です。先んじて夫に代わり礼を申し上げさせて頂きますわ。私はベアトリス・デュノア、しばらくの間おくつろぎ下さい」

 その女性は視線を左隣にずらし、デュノアは身を一つ下げて言う。

「お母様、ただ今戻りました」
「ご苦労様シャルロット」

 そう言うとデュノアは黒髪のメイドを伴って立ち去った。

「蒼月殿、今宵歓迎の宴を開きます。是非ご参加ください」
「はい、喜んで」

 お偉いさんは苦手だと内心呻けば、夫人に見透かされた様である。

「ご心配なく、極ささやかな物です。まずは十分にお休み下さい。長旅お疲れでしょう」

 そう言った、その時の、僅かに綻ばせた笑みは確かにデュノアに似ていた。


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 バルコニーの手すりに背を預け、もたれ掛かる。腕を組んで目の前の惨状をどう表現しようか頭を傾げた。幾ら考えても出てこなかったので、左隣の少女に聞いてみた。彼女の放つ意識の線は糸くずの様に絡まり、のそりのそりと動いている。

「なぁ、デュノア」
「なにかな?」
「話と違う」
「奇遇だね、僕も同感だよ」

 窓の向こう、別名室内。その中ではとても豪勢な晩餐会が開かれていた。


 屋敷に到着し、デュノアの母親、母君もしくは伯爵夫人と言うべきだろうか。便宜上デュノア夫人と呼ぶ事にする。夫人と短くも重い挨拶を済ませたあと、手荷物を金髪のメイドに渡し、白髪の老執事にしばらく居座るであろう部屋に案内された。

 案内された大きい部屋、学園寮の3室分に相当する部屋には、シモンズ社製のダブルベッドの他、本革のソファーと背の低い重厚な木製のテーブルが置かれていた。言うまでも無く私個人に宛がわれた部屋である。高級ホテルのスイートルームが説明として適当だろう。尤も、ここに来てから今まで使っていた“高級”と言う単語が大暴落である。

 そして暴落の原因がもう一つ。

「それでは蒼月様、ご用の際はお申し付け下さい」

 小さく身を下げ、そう言うのはメイド服姿の女性であった。彼女はエマニュエル・ブルゴワンと言い金髪碧眼の、ショートカットの女性で20代後半。彼女は滞在中私の身の回りの世話をしてくれるらしい。眼の細い狐顔で素っ気ない化粧、細身の肢体。その割にとても艶っぽく、濃紺の袖にフリルで縁取られた白いエプロンを揺らしている。

 私の身長は一夏と同じ172cmだが、数センチとはいえ見上げる女性は初めてだ。

「あ、ぁ、どうも……質問があります」
「なんなりと」
「デュノ、シャルロットさんには会えますか?」
「お嬢様も晩餐会にご出席なさる予定となっております」

 それまで会えないらしい。それよりも年上の女性に敬語で話されるのは、こそばゆい。

「晩餐の予定は? どうでしょうか」
「ビュッフェの間にて19時からとなっております」
「参加者はどういう人達ですか?」
「申し訳ありません、私にはお答えしかねます」
「知らないって事?」
「はい」

 保安上の問題だろう。

「礼服は持参してないのですが、学生服で良いですか?」
「フォーマル・スーツを用意しておりますので、そちらにお召し替え下さい」

 このあたりで嫌な予感が走った。

「ジャン・ビンセントさんに会いたいんですけど」
「ビンセント様はお帰りになりました」
「今晩参加しない? デュノア社の開発主任ですよね?」
「申し訳ありません、私にはお答えしかねます」
「質問を変えます、ビンセントさんの宴出席率は?」
「……お答えしかねます」僅かな間とトーンの下がった声、そう言う事だ。
「……ブルワゴンさんの知性的な気遣いに感謝します」
「恐れ入ります」

 エマとお呼び下さい、彼女はそう頭を下げると部屋から出て行った。つまりは歓迎会が仕事へと化けた、と言う事である。頭を抱えた。


 落ち着かないと部屋をうろうろし、陽が陰り始めていると気づき、窓からみえる庭園の絶景に絶句し、ソファーに腰掛け水を飲んだ。みやの改修について考え始めると、いつの間にか寝てしまったらしい。エマさんに起こされ着替え、会場に足を運んだ。

 陽もすっかり落ちていた。

 出くわしたのは、男女入交の20名ほど。デュノア家に縁の深い人達。実業家、資産家、軍人、一言で言えば上流階級の方々である。もちろん皮肉だ。

 懐かしさすら覚える、遠巻きから放たれる奇異の眼差し。夫人は営業をするな、と念を押したらしいが、目が見えなくとも顔を会わし名前を知る事だけでも意味がある。一語一句、細心の注意を払い、日本語が話せる数名の人間と表だけの挨拶を交わす。顔の神経が疲労してきた頃、周囲にシャルロットと言う言葉が流れ始めた。

 後で聞いた話だが、デュノアはその生い立ち故に表舞台に立つ事が出来ない。その代わり身内に非常に受けが良い。元々器量の良い少女だ、秘密性が神秘性に転化したのだろう。柔らかくて軽快な気配が近づくと、そのまま手近のメイドに依頼し、手を引かれ、バルコニーに足を運んだ。

 夜の冷たい空気に身を任し息を大きく吸って吐いた。漏れ出す部屋の喧噪に艶が混じり始める。汗とアルコール、香と煙草。男と女の体臭が入り交じった臭い。身体の輪郭が朧気になりかける。

 心を空虚にしていると鼻を突くのは、香の匂いと血の臭いだと気づいた。これは金の人と同じだ。これが何を意味するか、答えを得ぬまま私の思索は、どこか非難めいた棘のある口調で遮られた。取り繕うように眼を覆う黒い帯を整える。来客への配慮とは言え、目が見えないのはやはり面倒だ。

「女性を置いて逃げるなんて、紳士失格だよ」
「すまない、ここはフランスだと思ってた」

 ひねくれ者、デュノアはそう言うと、静かに歩み寄って手すりに手を置いた。ひんやりとする空気が私たちを包む。そよ風が頬を薙ぐと私は空を見上げた。フランスの星空はどう見えるのか、星々の気配を感じ取れ無い事が悔やまれる。

「随分手慣れてるんだな、少し驚いた」
「あはは、この世界じゃ男性のあしらいは必須課目だよ。お誘いは切りが無いしね」

 意外と言うものである。

「というか、それ褒めてる? 貶してる?」
「もちろん褒めてるさ、もっと純朴かと思ってた」
「それ褒めてないよ、真って直ぐそう言う意地悪な事言うよね」
「そうか?」
「そうだよ、そう言うところだけは一夏を見習った方が良いよ。直ぐ怒らせるんだから」
「一夏は無条件で優しいもんな」

 もちろん、と言う彼女の弾む声は、低く腹に響く声に遮られた。

「それは詳しく聞きたいな」

 顔に付いている二つの眼が光を失って4日ほど経つ。日常生活にさほど支障が無いのは人の、生き物の気配が読める為だ。気配は植物、昆虫、鳥、ほ乳類。人間一人一人違う。堅かったり、柔らかかったり、甘かったり、苦かったり、赤かったり、青かったり。真っ暗な世界の中、生き物たちは光を放って飛び跳ねる。さながら、逆さ影絵。

 だから。其処に立つ男性の気配を知ったとき思わず息を呑んだ。

 其処に見える男性は、190cmぐらいの強靭さを感じさせる光の影だった。太い大樹の様な強靭な刃。これ程の威圧はジョージ・ハミルトン中将以外に知らない。世界は広いと思い知らされた。

 頭の中の回路が音を立てて回り始める。

「盗み聞きとは良い趣味では無いかと」
「ふむ、年の割に良い威圧だ。度胸も据わっている。流石、女神のお気に入りと言うところか」
「蒼月真と言います。デュノア伯爵とお見受けしますが?」
「そうだ、レオン・デュノア。この館の当主を務めている。来たまえ、話をしよう」

「お父様」デュノアが不安そうに一歩足を出した。

「夜も更けた。シャルロットはもう部屋に戻りなさい」


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2012/09/21

お待たせしました。シャルロット編スタートです。
尊敬語とか、オカシイゼと言うツッコミお待ちしております。付け焼き刃です。スミマセン。



[32237] 05-02 シャルロット・デュノア2
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/09/24 17:19
シャルロット・デュノア2
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 構わんよ、と言うのでハイパーセンサー展開。伯爵の背中を追いながら歩く。途中見かけた光景は先程まで職場だった晩餐会場である。其処は表現に困るほどの豪勢さだった。

 ドレスを纏った女性、タキシード姿の男性、白と黒のタイルを敷き詰めたチェスの様な床、エメラルドグリーンのカーテン、金色の文様を施された壁、扉、ダイヤのような細工のシャンデリア、調度品はイタリア製か。流れる調べは、演奏家によるもので、仕草一つ一つが何処か芝居がかっている。

 きらびやかな以外感想が出ない。あるのだな、こういう世界が本当に。

 重ねたグラスに給仕がワインを上から注いでいる。溢れたワインがグラスを伝って光っていた。綺麗だがもったいない、と思い己の感覚がまだ保たれている事に胸をなで下ろし、貧乏性に涙した。

「賑やかですね」
「下らん宴だよ。心にも無い言葉を恥も外聞も無く放ち、身形だけは立派だと思い込んでいるところがまた滑稽だ」

 厭世的なその言葉に共感を覚えた。伯爵とは言え色々な物に縛られている、と言う事だろう。夫人が居ないのも納得だ。

「どこでもそうです」
「確かにそうだ」


 招かれた部屋はミューズの間と呼ばれる壁にタペストリーやら絵画が掲げられた部屋だった。煉瓦造りの壁、白い天井には4つの羽根を持ったシンプルな照明が煌々と部屋を照らし、風を起こしていた。煌びやかな部屋部屋の中、落ち着いた質素な部屋だった。歴史を感じさせる背の低い木製テーブルを本革のソファーが4方を囲む様に置かれている。

 促されて腰掛けた。目の前にスーツ姿の白人中年男性が、碧い眼を油断無く光らせていた。黒の混じった金の髪を、軽く立てるほどに短くし、彫りが深く、目尻には相応に皺が入る。荒々しく感じるその顔立ちは、イギリス風味である。もちろんそんな事を言えば、気分を害させてしまうだけであろう。

 テーブル上にはグラスにボトル、氷の瓶と水の入った瓶が置かれていた。伯爵はグレーのジャケットを脱ぎ、淡い紅のワイシャツを露わにするとネクタイを緩め、グラスに手を伸ばした。

「呑むかね? と言っても君には水しか無いが」
「スコッチですか。フランスの方はワインしか呑まないのだと」
「良く言われるよ。私は出来が悪くてね、これもそうさ」
「イギリスにも良い物があります」

 壁の絵はイギリス人画家ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーの風景画だった。陽を浴びたテレメール号が静かな海に浮かんでいる。淡いタッチの中に感じられる重厚さは幻想的。風景画家の中でも気に入っている画家だった。しばらく見ていると、詳しいのかと聞かれたので知っているだけですと答えた。

「それでお話というのは?」

 失礼かとも思ったが、促す事にした。伯爵は一口飲むとグラスを置いた。

「君の事が分からない」
「どのような意味でしょうか?」

「君が申し出た理由だよ。知っての通り私は社の為、自分の為に愛娘を男装までさせて送り込んだ。君たちのデータを盗ませる為だ。娘が言うには、それを知った上で応じたそうじゃ無いか。それは何故かね?」
「学友を助けたかった、ではいけませんか?」
「学生同士の惚れた腫れたなら何も言うまい。言うまでも無いが君の行為で億単位の金が動く。はいそうですか、と扱える話では無い」

「そこまで重要視されているのであれば、お嬢さんに聞かれるべきでしょう。彼女の情報処理能力は正確です」
「言わないのだよ」
「と、申しますと?」
「頑として口を閉ざした。心配なほど私たちを優先するあの娘が、ここまで意固地になったのは初めてだ」

 彼は僅かに表情を陰らせた、その碧い眼には嫉妬の色が混ざっていた。どれ程言葉を贈っても抱きしめても決して心を開かなかった娘が、他人に呆気なく成し遂げられれば当然とも言えよう。

「君は特定の思想を持たない、信じる神も持たない。君の行動から人格、性質を追うため調べさせてもらった、データに信憑性がある入学以前の足取り、つまり“1年に満たない期間”で分かった事は用心深く、人間関係も損得で動く傾向にあると言う事だ。今回の君の行為は矛盾する」

「友情は価値ある物と思いますが」
「当然だ、だが程度による。君と娘が知り合いまだ3週間だ。想像してみたまえ。資金繰りに困り明日にも倒産しかねない状況で、初対面同然の人間が、理由も無く億単位の金を渡した、君ならばどうする? 窃盗の方がまだ納得ができる」

 私は水を飲み干すと水瓶の代わりにボトルを持ち、注いだ。水で薄めなかった。数ヶ月ぶりのアルコールは、初めて呑んだイギリスの蒸留酒は辛く、胸と鼻を焼くように流れていった。

「私は立場上咎めなくてはいけないのだがね」
「私も出来が悪いんです」
「そうかね」

 氷が溶けてカランと音を立てる。その合図は準備が整った鐘の音だった。

「伯爵の言うとおりですよ、最初私はシャルロットお嬢さんを、あなた方を見捨てるつもりだった。助ける理由どころか、逆に彼女を告発するべきと考えた。でも、ある奴に叱られたんです、何故助けないのか、助けるのに理由が要るのか、と」

「随分、子供じみた感傷的な理由だと思うが、君はそれを受け入れたのか」

「正直なところ理解はしていません。どれだけ考えてもそいつの考え、行動の整合性、つじつまが合わない。只言える事はそいつの、怒りか正義感かよく分かりませんがそう言った何かに何時も心が揺り動かされるんです」

 グラスに浮かぶ氷から靄が流れていた。それをしばらく見つめた後もう一口呑んだ。

「そしてその都度、自分がみっともなく、哀れに感じる。どうして俺はこうなのか、目の前のそいつと何が違うのか。何時も思います。いつかそうなれれば、そうなりたいと思っています。だからそうしました。今回もそうでした。申し訳ありません、これ以上の答えは持っていないんです」

 思えば最初からそうだった。

 初めてあいつと会ったとき、

 優子さんと再開したとき、

 青のお嬢様に謝りに行ったとき、

 鈴の噂を確認し合ったとき、

 3人の少女について頭を悩ましたとき、

 対抗戦の後あいつに説教されたとき、

 些細な事で大きな事で、自分でも驚くほど大きな声を出し、殴り合い、怒って笑った。揺り動かされた。

 去年の私は両の指で説明出来るほど単調な物だった。だが入学してからこの3ヶ月間は、説明するのも大変なほど、起伏に富んだ激しい日々だ。こういうのを何というのだったか、記憶、出来事、回想、違う。もっと適切な言葉があったはずだが残念な事に思い出せなかった。


 氷が溶け音を立てる。我に返った。ゆっくり呑んでいたつもりだったが、既に手に合ったグラスは空になっている。いつの間にか身体が熱く、熱を帯びていた。

「いや、よく分かったよ」

 伯爵は表情を緩ませ、今度は私のグラスに注いだ。

「君が探している物は大事なものだ。人は一つ年を取る度にそれを失ってしまう。私もよく思うよ、何時から俺はこうなったのか、とね。君は、理由は分からないが年齢以上の何かを背負ってしまった様だな。背負い耐えているなら信頼に値する。それに酒の飲み方も知っているなら、文句など無いよ」

「もちろんです、こんな事しらふじゃ言えません」
「ふむ、君の情報が漏れた事どう思う?」
「わざとでしょう? 株価は幾ら上がりました?」

 其処に座るその男性は自然な笑みを浮かべていた。欠伸をする直前の犬の様に見えたがとても好感が持てた。

「きみは本当に娘と同学年かね? とてもそうは見えんよ」
「ご存じないのですか?」
「なにをかね?」

 差し出されたグラスに私も差し出した。堅い心地良い音が響く。

「私はお嬢さんより1つ上なんです」

 彼は声を上げて笑った。

 それからの事は良く覚えていない、だた一夏の事を執拗に聞かれた事だけは覚えている。だから私はその都度「お嬢さんの見る眼は確かですよ」と答えた。


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 ここは私の部屋である。窓には朝日が差していた。目の前にはデュノアである。

「真」
「はい」
「僕は非常に悲しいです」
「はい」
「IS学園の生徒が、うぅん、僕の友人がこんなことするなんて」

 あはは、と笑ってみた。睨まれた。目の前の彼女は腕を組み仁王立ち。眼は細く睨み下ろされていた。何故かと言えば私は正座だからだ。

 見上げる彼女は、淡いグリーンのワンピース姿だった。白い大きな襟、服の緑と髪の金、3色相まり静かな気品を醸し出していた。そんな事を考えつつも刻はかちこちと進む。

 あの後話が弾みISやら世界情勢やら伯爵の昔話やらに花を咲かせた。少しのつもりがボトルを開けてしまい、目を覚ますとそこにデュノアが立っていたと言う訳である。

 フランスは16歳からOKなんだろ、と釈明するも聞き届けて貰えずこの有様だ。星の巡りが悪いのか、最近このような扱いが多い気がする、その理由を考えてみたがよく分からない。

「僕は立場上先生に言わなくてはいけません。でもお父さんも、デュノア家も同罪だからそれはできません」

 胸をなで下ろせば、じろりと睨まれた。初めて見る彼女の迫力に思わず息を呑んだ。こちこちこち、と刻を数える。彼女は重い口をゆっくりと開く。

「反省していますか?」
「しています」
「もうしませんね」
「こっそりやります……冗談です」
「もぅっ」

 仕方ないなとデュノアは溜息をつく。漸く開放か、と私は一息ついた。彼女は私の名を呼んだ。笑顔だった。

「両手の平出して」
「あのさ、その手に持っている、長細くてしなやかな40cm位の革製品はなに?」
「鞭」ぴしりと鋭い音がして思わず顔をしかめた。
「……可憐に笑いながら言う言葉か、それ」

「真は口で言っても効かないみたいだし、なら仕方ないよね。大丈夫、安心して。僕も小さい頃悪い事したら、お母さんにこうして叱られたんだ」

 デュノアを見ていると効果は抜群のようである。は、や、くとリズムを刻むように、優しく追い立てられ、渋々手の平を差し出した。

「それ、譲って貰ったのか?」
「そうだよ。お願いしたんだ。だって僕の子供が悪さしたら必要でしょ?」

 そんな大切な物使ってはいけない、と言ってみた。返ってきたのは放免の言葉では無く、笑顔と手から腕、脳天に響く痛みである。その痛みは今までに経験した事の無いような物で、しばらく動けなかった。


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 その日の朝食はデュノアファミリーに招かれた。晩餐会のような、映画で見るような仰々しいものでは無く、普通の高級レストランを彷彿とさせる朝食だった。夫人の方針らしいその雰囲気は、親しみと暖かさを感じさせた。食事中、手の動きがおかしいと伯爵に聞かれ鞭の件が明るみになった。夫人には娘より年上の孫が出来た、と笑われたが伯爵は苦い顔をしていた。

 食堂に響く、夫人とデュノアの楚々とした笑い声。口元を押さえうっすらと涙まで浮かべていた。そこまで笑わなくてもと憮然とし、話を逸らそうとデュノアに姉の事を聞いたら「仕事中」と答えたので会えないのかと聞いた。無言で睨まれた。喧嘩中なのかとエマさんに姉妹仲を聞けば、やはり「お答えしかねます」であった。


「と、言う事が今朝あったんですよ。デュノアの意外な一面を見た感じです。理性的な女性って居ないものですね」と数歩前を歩く白衣姿のフランス人男性に言えば「何というか、あれだね。君は女性を怒らせる事が得意そうだ」ジャンさんは表情一つ変えなかった。

「目の前のデュノアを放っておいて、姉に気を掛けるから不機嫌になったと? それ理論の飛躍ですよ。彼女と俺はそういう関係ではありませんし」

「シャルロット君とはかれこれ2年になるが、私はお目にかかった事は無いよ。まぁ気をつけた方が良い。日頃物静かな女性ほど追い込むと後が怖い」

「当の本人を目の前にして話す2人は相当ズレてると思うな。それより、いつの間に仲良くなったのさ」

 右隣を歩くデュノアは頬を膨らませそっぽを向いた。

 デュノア社 ランス=シャンパーニュ研究所。パリから150kmほど東のこの施設は元空軍基地で閉鎖に伴いデュノア社の手に渡った。ランス市からほどほどに遠く、周囲は一面農園で人家も少ない。制限はあるが区域外での飛行も出来る。ISの開発試験にはうってつけの場所であろう。

 見渡せば地平線の所々に、民家やら山やらが“こぢんまり”しているのが見える。午前11時、太陽が既に勢いを増しアスファルトと私たちを容赦なく照らす。それを物ともせず、この渡仏の目的である、みやの改修を手がける人物が目の前を飄々と歩いていた。

 ジャン・ビンセント。MIT出身の米系フランス人。デュノア社の開発主任で40代後半。黒髪のオールバックは雑に流し、無精ひげ。細面のその顔は神経質なドーベルマンに見える。白い襟無しシャツとベージュのチノパン、その上に纏う白衣は彼なりの美学なのだろう。普通はツナギだ。

 元々フランスの航空機メーカーダッソー社のスタッフで伯爵とは旧知の仲であったらしい。ISメーカーとしてデュノア社設立に当たりスタッフと共に引き抜かれた。

 国から支援された豊富な資金でも機械開発系企業を一から立ち上げるのには非常に労力を要する。その為ほぼ白騎士の劣化コピーであった第1世代はともかく第2世代では開発が非常に難航した。ラファール・リヴァイヴが最後発なのはその為だ。

 余談だがISは航空兵器でも無く地上兵機でも無い為、フランス国内のどこのメーカーに作らせるかで非常に紛糾した。利権が絡んだのである。一向に決まらないため国がしびれを切らし起業に至ったらしい。

 そのデュノア社の酸いも甘いも知り尽くしている人に私は愛機を預ける事になる訳だ。不安が無いと言えば嘘になる。変える時は慎重たれ、おやっさんの言葉だ。私は白衣の背中にこう言った。右隣のデュノアは静かに歩いていた。

「ジャンさん、確認したい事が」
「なんだい」
「リーブス先生の件ですが、」
「あぁそれなら大丈夫だ。改修スタッフは全て女性にしておいたよ」

 右隣のデュノアを見た。笑っていた。男よりはマシ、と言ったところか。

「改修の期間は?」
「3週間を予定している」
「……1週間で出来ませんか?」
「これでも法外だよ、君も元技師だろ? 理解したまえ。改修作業に1週間、テストと調整で2週間だ。そうそう、改修に当たり社内設備、測定器や試験場といったそれらのスケジュールを強引に変えたから、気をつけたほうが良い。君はデュノア社の救世主だが、買うものは買う。もちろん買うものは他部署の反感だ」
「お気遣い感謝します……」
「礼には及ばないよ」

 右隣のデュノアを見た。笑っていた。男の子ならがんばって、と眼で言っている様な気がする。

「切り出しておいて何ですが、改修作業が一週間で出来るんですか?」
「シャルロット君から事前に連絡を受けていてね、準備は済ませておいた。リヴァイヴIIのデータも部品も残っているから、機械的、ハードウェア的な作業は殆ど組み替えだけだね。部品も確認済みだし、ハンガーに入れれば直ぐ作業に取りかかれる。デバイスコード、ソフトウェアはシミュレーション上で確認済み、残っているのは組み込んでの確認と調整かな」

 右隣のデュノアを見た。笑っていた。任せてよ、と心の声が聞こえた。

「部品流用とのことですが、改修方針は? 聞いてませんけど」
「学園の布仏虚君と打ち合わせをしておいた。君の稼働データと比較しても理にかなっているから問題は無いはずだよ。それにしても彼女は優秀だね、ほんの数時間で見事な仕様企画書を送ってきたのだから、是非デュノア社に欲しいな」

 右隣のデュノアを見た。笑っていた。彼女の根回しだろう、本当に卒が無い。あの時みやの機体情報を見せた事がこういう風に繋がるとは驚きを隠せない。

「先にざっと説明しておこうか」

 彼は手に持つタブレットに指を走らせた。みやに送られるのは改修データである。送り先にはリヴァイヴIIも含まれていた。意識に浮かび上がる、その改修方針は確かに理にはかなっているが不満があった。簡単に言えば攻撃2、防御8だ。

「先に言っておくけれど、攻撃力を上げろと言う相談は応じられないよ」
「何故です?」
「黛薫子君に“防御を軽視するから叩いてでも無視してください”念を押されてね」

 右隣のデュノアを見た。笑っていたが威圧がある。そうはいかないよ、と眼が言っていた。

「まぁ何というかあれだね」彼は初めて立ち止まり、振り返った。射貫かれる視線には咎めと嫉妬が含まれていた。私は思わず身を強ばらせた。
「なにがです」
「女神と良いこの2人と良い、優秀な女性に囲まれて妬ましい限り、と言う事さ」
「そう言う関係ではありません」
「君は何時もその調子なのか?」
「……何がです?」
「愛という物は、温もりを与える事、囁く事だけではない、逆に感じられない事の方が多い。これ程までに心ぱ―」

「ジャンさん」

 それは今まで沈黙していたデュノアだった。緊張と非難を含んだその声に、彼は一時目を瞑り静かに息を吸いこう言った。

「……済まない、禁句だったね。これに改修仕様書が入っているから誰かに読んで貰うと良い」

 私は視界によぎった影を無視し、彼からタブレットを受け取り、首のネックレスを手渡した。視界に夜が訪れる。

「ジャンさん、みやを宜しくお願いします」
「Miya?」
「貴方が創ったそのリヴァイヴのパーソナル・ネームです。俺が付けました」

 堅いが繊細、油の染みついた、彼の右手は確かによく知った物だった。彼も私のそれに気づいたようである。

「確かに請け負った、君の愛機は私の誇りに賭けて生まれ変わらせよう」

 震える右手を無言で押さえていたのはデュノアの左手だった。


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 改修方針を簡潔に説明すると、余分な物を外し、性能の良い部品に置き換える、と言う事だ。(※まとめれば~、まで飛ばして頂いても問題有りません)

 まず余剰装備の見直し。量子格納領域の無駄が大きいのである。私が使うのはアサルトナイフ、ハンドガン、アサルトライフル、スナイパーライフル、対物ライフル、グレネード程度だ。サブウェポンやロケットランチャーも用意はしているが弾丸を含めても余りがある。デュノアのリヴァイヴIIが20以上の兵装を量子変換している事を考えれば想像しやすい。その為、拡張領域を半分に減らし、PIC(慣性制御)、エネルギーシールド、冷却装置、ハイパーセンサーやECCM(対電子妨害手段)を含めたTEWS(Tactical Electronic Warfare System:戦術電子戦システム)、搭乗者保護機能の強化に割り当てた。

 一見地味な冷却器だが、これが馬鹿に出来ない。デバイスが増え後述の情報処理能力や推力の向上によりエネルギー消費量、発熱量が増大したのである。また各デバイスはアイドル時と戦闘時でも発熱量が異なる。高い冷却能力によりデバイス・リミッターの底上げが可能となった。

 2つめ。情報処理系の強化。ISのコアはシェルという1次インターフェースを介し各デバイスをアクセスする。みやは初期型故に1次インターフェース以降が貧弱で情報処理の足かせ、ボトルネックとなっていた。その為情報の道路となる内部通信能力を強化した。改修により増大した情報処理量を含めても従来の3倍高速となった。

 3つめ。初期型のA型には利点もあった。半試作機のため強度の安全率が高く、後継となるコストダウン目的のB型やそれ以降のモデルよりフレームの剛性に余裕を持っている。

 それに伴い、多方向加速推進翼を大推力タイプに変更。但しリヴァイヴIIと異なり一対。最高速度は劣るものの質量が小さい分加速力に優れる。イグニッションブーストが使えない、というよりは一度エネルギーを放出し加速するという特性上、タメが生じると言う特性上、使い勝手が悪く学ばなかった私には非常に意味が大きい。

 因みにデュノアのリヴァイヴIIは第3世代に対抗する為B型を改修したC型をベースにしている。リヴァイヴIIはD型、改修後のみやはE型になるそうだ。

 4つめ。アビオニクスの強化。航法装置、FCS(火器管制)等の各デバイス間との独立連携を図りコアへの負担低減する。右肩部にLANTIRN-B(ランターンB型:夜間低高度赤外線航法および目標指示システム)を装備し全天候作戦能力を強化した。左肩部のスナイパーXR(センサーポッド:iAN/AAQ-33)にて敵機の探知・捕捉性能を強化。JTIDS(統合戦術情報伝達システム)を使用し最大32機の僚機、もしくは基地と戦術情報を交換し連携戦闘行動が可能となった。

 5つめ。エネルギーパックの追加。脚部と背面に脱着可能のコンフォーマル型エネルギーパックを追加し従来の600から2000へと最大エネルギー量を増やした。言うまでも無く作戦行動量が増加する。

 最後。薫子が念を押して要求したフルスキンモード。パイロットを覆う物理装甲の追加である。訓練機型ではほぼむき出しであった生身の胴体に、スキン装甲に加え、肩、胸と背中、二の腕に大腿部、頭部に物理装甲を追加している。モードと名打っているのは従来のISスーツのみの状態と切り替える事ができるからだ。つまり、これによって“訓練機と偽る”事が出来る。



 まとめれば、燃料タンクを追加。物理、エネルギーシールドの強化。機体質量は増したがスラスター推力を増加させ総合的に加速力を向上させた。PICの容量を増やし反動の大きい大口径兵装にも対応。多目的センサーであるハイパーセンサーとは別に兵装用センサーを追加し、攻撃能力を上げる。全体的なイメージはリヴァイヴIIを翼一対にし、左腕の大型シールドを取り外した、と言ったところだろうか。

 今まで長々と読み上げて貰ったデュノアが水を飲み一息いれた。呆れた様にソファーにもたれ掛かっている。

「細かいところだと、腕や背中に多目的ラックマウント追加やソフトウェアの更新と最適化とかかな。いわゆる強襲型射撃特化型リヴァイヴ。なんかもうあれだね。攻撃力や推力という基本スペックでは第3世代機に劣るけれど、この子に乗った真と戦いたくない」

「もう半軍用機だよな」
「そう、それだよ!?」

 デュノアはすっくと立ち上がり、私が仰向けに寝転がるベッドに駆け寄ってきた。顔が近いと言う間も無く詰め寄られる。垂れ下がる金の髪先がこそばゆい。

「なぜ疑問系?」
「完全にレギュレーション違反だよ! 公式戦とかどうするのさ?!」
「俺もう学生じゃないし。公式戦とか関係無いし」
「え?」
「……聞いてない?」
「聞いてないよっ?!」

 部屋に舞い踊るのはデュノアの声である。私の頭で舞い踊るのは、狐耳を付けたディアナさんの笑い顔であった。


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秋雨の土日に耽る文字綴り

改修ネタがまとまったら暴走し一気に作り上げました。

2012/09/23





※改修ネタについて補足
色々凄そうな事書きましたがスーパーマシンではありません。

仮にIS自体が持っているポテンシャルを数値化しシャルのリヴァイヴIIを10とすると、訓練機レギュレーションから外された事を含めて15~20程です。

砲弾、誘導兵器(ミサイル)、兵器なら何でもござれのマルチロール仕様のリヴァイヴIIから幾つか機能を削除し、使用兵装を銃(砲弾)に絞り込んで、機体反応と射撃特化の情報戦術能力を上げた、こんな感じです。従って誘導兵器(ミサイル)は使えません。グレネードは従来通り。撃ちっぱなしのロケットランチャーは使えます。

3倍ちょい増槽はしましたが、消費エネルギー量も増えましたので、真がフル戦闘すると実質2倍未満でしょうか。機体反応が上がる=クロックアップ→電力と冷却大変、こう言う理由です。あれです、増槽すると空気抵抗が大きくなって、逆に航続距離が落ちるとかそんな感じ。

僚機とのリンク機能は……



[32237] 05-03 シャルロット・デュノア3
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/09/27 08:43

シャルロット・デュノア3
 下の方に推奨BGM設定してます。宜しければ準備してお読み下さい。
 “推奨BGM「対象a」ひぐらしの鳴く頃に解より”
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 時間を持て余していた。外出しようにも外は敵だらけ。もちろんこの敵は比喩であり本当の敵も居る。迂闊に外出する事も出来ない身だが、物事には限界ある。手元に銃が無いと言うのも落ち着かない。何よりじっとしていると碌でもない事を考える。

 デュノアに手伝える事は無いかと聞いたら、休めるうちに休むのも“仕事”だよ、と怒られた。そのデュノアは一日一回研究所に赴き改修の確認と助言をしているらしい。彼女はリヴァイヴ歴2年のベテランだ、頼もしい事この上ない。

 深い溜息の後、手持ちぶさたにタブレットを手に取った。見えない事に気づいた。書籍を借りた、見えない、それ以前にフランス語が読めない。ラジオから流れる言の葉は、もちろんフランス語であったがDJがAHAHAと笑ったので、つられてあははと笑った。

「蒼月様」

 見られた。

「……アノですね、エマさん、」

 自己評価以上に疲れているのかもしれない。身を起こすと、ぎしり、もたれていたソファーが慌てふためき音を鳴らす。

「お答えしかねます」
「何も言ってません」
「夜の勤めは可能なのか、とお聞きになるのかと」
「そんな事は要求しません、というか拒否で答えて下さい、いやいやそうでは無く、ノックをお願いしたいと言いたい訳です」
「室内に籠もられ本も読めず映画も見られずゲームもできない、不健康な闇夜の中では淫靡な思想の世界に浸り、青い衝動が暴走しておられるのかと」

 酷い言われようだった。


 6月4週目の月曜日、時間は夜の10時過ぎ。みやの改修が始まり4日経った。デュノアの報告によると非常に順調で既に火が入っているらしく、明日にも装着試験が行われる。

 起きては食べて寝る。食べてはトレーニングをする、そしてこのメイドさんとよく分からない会話をし、風呂に入る。寝る。漸くこの閑散とした日々から解放される、と言う訳だ。待ちに待ったみやとの再会、思わず笑みがこぼれる。だが、喜びに浸る私に浴びせる彼女の言葉は何処か冷たい。

「蒼月様は少々変わった御気性をお持ちです」
「どの辺が変わってますか?」
「生身よりISがお好みとお見受けできます」
「それは誤解です」
「お目に掛り早四日。困惑顔もしくは愛想笑い程度の蒼月様が笑みを浮かべるのは、IS関係の連絡を受け取った時のみです」
「先程笑いました」
「あの様な品の有る笑いとは異なります」

 はっきり言いますね、と疲れたように私は言う。縁の浅い他人の方が言える事も出来る事もあります、そう彼女は涼しい顔だ。組んだ両手を腹部に当て、ソファー越しに佇むその人は熱い氷のような気配を漂わせていた。

「幻をISに求められているのでは?」
「どういう意味です」
「傷つけられる事も傷つける事も無い、ISを傷つけるときは蒼月様自身も傷つく。気に病む必要が無い」
「……俺のは度が過ぎてるんです、色恋沙汰的な基準で判断するのは止めて下さい」
「同じです。正直申し上げますが、無様で見るに耐えかねます」

 目と耳、鼻と舌先、そして指。五感がジャリと音を立てる。私はふらりと立ち上がった、彼女までの距離は2m。

「あのですね、エマさん。確かに自分を上等な存在だとは思ってませんよ。胸を張って言える特技は射撃だけですし、今では目も見えない。人の気配は読めますが物は無理。エマさんの手を借りないと、この屋敷を歩き回ることすらままならない。壁にぶつかったし、躓いたし、階段から転げ落ちた。こんなザマです。でも、でもですね、」

「何でしょうか」

「少し、軽率すぎだ」


 その女の放つ意識の線、身体を軸線上から外す。歩み寄る。慌てて部屋を見渡すその女の目は、居ると確信しているが把握出来ない、そう語っていた。右へ左へ、緩慢な刻の隙間。目の前に彼女の背中があった。右腕を掴み、締め上げる。よく知った感触が、骨と関節の軋みむ感触が腕に伝わる。私が知ったのは、背後に回られたと気づくより先に、腕の痛みに悶える女の表情だった。僅かに見上げる其処には、質素な耳飾りと短い金の髪、白い首筋が流れていた。

 図星を突かれ御ヘソを曲げられましたか、と短く浅い呼吸の間に紡がれた女の言葉は、確信に満ちた物だった。

「“何も知らないくせに”と言うつもりは無い。君にも信念があった上での言動だろう。だが、もう少し利口になるべきだ。世の中には人の尊厳を意にも介さず踏みにじる輩が大勢居る。君が侮蔑をもって睨み上げている男もそんなクズの1人だ」

「侮蔑などと感じるから、蒼月様はそうなるのです」

 あくまで譲らないその女に私は自傷的な笑みを浮かべ解放した。その女は逃げもせず其処に立っていた。振り向き、右肩を左手で抱きかかえ、碧い眼で静かに見下ろしていた。

「まったく不思議だよ、こうして縁のある女性は気性が荒い人ばかりだ。物静かな人も段々と気が強くなる」
「当然です」
「何故?」
「貴方がそのような有様ですから、女はそうせざるを得ないのです」

 時計の長針が二つ回る頃、憎しみも無く怒りも無く愛情も無く、ただ憐憫を湛えるそのひとは身繕いすると部屋を出て行った。


-----


 デュノア社 ランス・シャンパーニュ研究所 第3ハンガー。デュノアが言うには3階建て住宅ほどの高さで、緑色の床に白い壁。壁にはスチールラックが並び、工具やら部材やら、部品が所狭しと押し込まれているそうだ。

 行き交うスタッフの影。耳を澄ませば空調の音、測定機器の音、地下深くから響くのはエネルギーが生み出される音である。

 その分厚いコンクリート製の構造物の中心に、愛機は厳かに佇んでいた。その身体が引き摺るケーブルの数々、測定器やエネルギー供給端子と繋がるそれらは猛獣をつなぎ止める鎖、微かに響くジェネレーターの音は有象無象を押し拉がんとする胎動か。

「ジャンさん。俺はこう思うんですよ。フランスの人は“愛”とか“女神”とかって言葉に躊躇いが無い、滅多に使わないから重みがあると思うんです」

 私は一週間ぶりのISスーツに懐かしさよりも新鮮さを感じていた。タラップを登る足も何処か軽い。

「心の形を素直に躊躇いなく表現する事は重要で素晴らしい事だと思うよ。思いを秘めるのも程ほどにするべきさ」

 彼も嬉しいのか、言葉尻に笑みを交えている。一方、私の手を引くデュノアは不機嫌そうだ。

「あのね2人とも真面目にやってよ。というか真はとてもあっさりしてない?」
「なにが?」
「何がって、あんなに楽しみにしてたみやの装着試験だよ? それに何か嬉しそうだし」
「もちろん嬉しいさ」
「そういう意味じゃないんだけどな……あ、そこ危ないからもう少し奥に手を置いて、そうそこ」

 足を掛け、みやの中に身を滑らせた。手と足、心臓と心。みやと繋がり世界に光が戻る。見渡せば見慣れた工場の風景。デュノアはボートネックの黒い長袖シャツに折り目の付いた白のショートパンツ。ジャンさんは前と同じ白い白衣だった。他にはツナギ姿の女性スタッフがちらほら見える。

 見下ろした其処には艤装を済ませたばかりのみやの手足が見えた。至る所にシールが張られ色は無く、下地処理のみが施された装甲は肌色の様なクリームカラー。

 機体情報には、

・機体名:未定
・型式番号:DRR-E-MIYA-01A

 と書かれていた。

 彼の粋な計らいに礼を述べ、右腕を振り起こし指をカチャカチャと動かしてみる。どうかねと聞いたので、少し鈍いですねと答えた。

「これでもゲインは随分高くしているのだけどね」ジャンさんは端末に向かう女性スタッフと話し始めた。その内容が高度で理解できない、そう僅かな失意に明け暮れているとフランス語だからと気がついた。思わず左手で頭を掻く。しばらくの間ぼぅっと話し声を聞いていると、デュノアには察しが付いた様である。

「駆動系デバイス間の通信位相にズレは無い?」

 正解であった。通信速度設定にミスが合ったようである。女性スタッフが慌てて叩くキーの音。私は「凄いな」と素直に感嘆の声を上げる。以前同じ事をして悩んだ事があったらしい。解いてみれば些細な事だった、と言う事だろう。ただ解くのが大変なのである。

「リヴァイヴなら任せて」

 ぽりぽりと頬を掻くデュノアは恥ずかしそうにも誇らしげだ。

「流石ベテラン」
「もぅっ、真は直ぐ意地の悪い事言う」

 今度は両手を腰に当てて、怒り始めた。

「素直に褒めたんだけど……」

 女の子はやはり難しい。


 何時もこうなんですよとデュノアは女性スタッフに愚痴を零している。ジャンさんもあきれ顔だ。

「ご苦労様、今日はここまでにしよう。明日から本格的な試験を開始するから試験要項を読んでおいてくれ。後でデータを送るよ」
「はい」

 午後7時を過ぎだとみやが言う。暗闇の中手探りでみやから抜け出れば、直ぐ行くからじっとしててとデュノアがタラップを駆け上がる。不意にジャンさんはこう聞いた。

「みやのカラーだがどうする? 希望があれば聞こう」

 とっさに口が漏らしたその色に、あぁなる程と後で納得した。


-----


 揺れる車内の中で前方、背後に上空、右左、意識を走らせるが気配が無い。後部座席から見るフランスの夜空には今晩も只星々が輝いていた。

 研究所からの帰り道、“オートルート・ド・レスト”高速道路A4号をひた走るのはSUV。向かう先は西のパリ方面、デュノア邸である。稀に対向車が走る程度の、とても静かな夜だった。

 私は車内の暗がりに浮かび上がる、助手席のデュノアに話し掛けた。

「何か変わった事無いか?」
「不審的な事?」
「そう」
「無いかな、静かなものだよ」

 私がフランスに来ている事も改修している事も連中は知っているはずだ。私がISを持たないこの機会を逃すはずが無い、そう踏んでいたのだが静かな物である。

 考えすぎではありませんか、とハンドルを握るのはエマさんだ。何時ものメイド服では無く、紳士服風のテーラードスーツ姿であった。考えてみれば屋敷外でのメイド服は仮装になる。

「そうだよ。折角の3週間なんだから、真はそう言う事から一度離れるべき。対抗戦に襲撃事件、この一ヶ月で立て続けだったんだよね?」
「お陰で学年別トーナメントどころか、臨海学校もパァだけどな。帰ったら一学期がもう終わってる」

 デュノアの諭すような物言いに僅かばかりの苛立ちを感じて、思わず口調を強めた。

「聞き分けの無い子は僕、嫌いだよ」
「聞き分けてます」
「分けてないね」
「分かってる」
「なら、その左脇からぶら下げている物なんなのさ」

 助手席のデュノアは眼を細めて睨んでいる。バツが悪く窓の空を見た。だして、突き出された手の平は2回揺れた。深い息を吐いて、ジャケットの下から渋々手渡した。それは鋼で出来たハンドガン。言い訳がましいと思いつつ、護身用だと伯爵に許可を得ていると断った。もちろんデュノアは顔色一つ変えない、怒り顔のままだ。

「こんな事だろうと思った、お父様もお父様だよ。しかもベレッタM92FS? 護身用にしては大袈裟すぎじゃ無い?」
「ポリマー・フレームなんて怖くて使えません。あんな複雑な分子構造体は不安です」
「そう言う意味じゃ無いよ、エマもどうして黙認してるの? 話したよね? 僕」

「蒼月様は銃を持つと精神的に落ち着かれるようです」
「……ここは“お答えしかねます”じゃないんですね」

 デュノアは一睨みの後、深い溜息をついてグリップを差し出した。懐に納める私に彼女は言う。その瞳は躊躇いの色で揺らいでいた。

「……パイソンは?」
「置いてきた」
「どうしてさ、大事にしてたんだよね?」
「デュノア、俺がここに立っているのは偶然なんだ。俺はあの日、本当なら死んでた。生きてるのはあのパイロットの気まぐれ。あの銃はとても重い。次しくじる訳には行かない。だからもう使わない」

 彼女はそれ以上何も言わなかった。




推奨BGM「対象a」ひぐらしの鳴く頃に解より
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 窓硝子越しの夜景はただ暗かった。遠くに見える人の灯火は小さく、少なく、星空と混ざり合っていた。タイヤが伝える大地の感触が無ければ、ただ暗い海の上を走っている、そう錯覚してしまいそうな程だった。

 ただ静かだった。考えてみればデュノアも、臨時ではあるがエマさんもISを所持している。2機同時相手にするのは手間だろう。今日の夜はもう来ない、対向車が爆発したのはそう思っていた時だった。

 タイヤが悲鳴を上げ、車体が流れる。窓に入り込む焼かれる光。窓硝子越しによぎったのは影。それは人の影。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、揺らぐたくさんの眼は私を覗く。彼らは叫ぶ。

 なぜ生きている。

 彼らは死んでいた。

 少女の叫び声に私はただ頷いた。少女と女の鎧が力を顕わした。暗い世界、死者の呼ぶ声とふたつの命の灯火。暗い世界、紡がれた白い糸が2本流れていた。気づいたときには、絡み合っていた。

「エマは真の側に居て」

 銃を持ち空で警戒するリヴァイヴIIにもう一機のリヴァイヴが左手をかざした。

「シャルロット様」
「エマは真の側に居てってば!」
「こう言う事です」

 炸薬の爆発する音、それは私がエマと呼んだ女の杭だった。シールド・ピアース。リヴィアヴIIは完全に予期していなかっただろう、17.5mmの杭をこめかみに喰らったその少女は悲鳴を上げる事無く、僅かな沈黙のあと、糸が切れた操り人形のように地面に落ちた。

 危ないと声を出す暇も無かった。

 何かがすり切れる音。頭の中に不協和音が鳴り響く。気がついたら、運転していた自動車から飛び出し、その少女にすがりついた。右手は橙の機体の白い肩に添えていた。

 小さいうめき声が聞こえる、少女のそれはまだ切れていなかった。

 背後の気配に左手の銃を向けた。撃ち出した15発の弾丸は女の眉間に達する事無く不可視の盾に防がれた。

 銃を振り弾かれ、その女の鋼の右手で首を掴まれた。俺の首を捻り閉めるその女は昨夜と同じ色で見下ろしていた。

「ISを倒せるのはISだけ、そうですね? 蒼月様」

 俺は答えず、何時からデュノアを裏切っていたと聞いた。

「始めからです、エマニュエル・ブルワゴンは始めからそうでした。おさらばです。蒼月様。貴方は来るべきではなかった、ISに乗るべきではなかった」


 立て。

 顔を上げて、その眼で見よ。

 撃つべきものは心の音を拍つ。

 構えよ。

 撃鉄を起こせ。

 引き金を引け。

 ただそれだけが、

 魂を喰らい、

 血肉を浴び、

 憎しみと恐怖にまみれた、

 愚かなお前に

 ただ一つ許された

 最後の痛み


 生と死の糸がもつれた。リヴァイヴIIのアサルトカノン“ガルム”が女の眉間を捕えた。女の鎧は力を失い不可視の盾が消え失せる。右手で操ったのは橙の鎧、左手で止めたのは緑の鎧。

 引き金を引いた。

 眼前で吹き荒れるのは61口径の衝撃波と、砕かれ、ひしゃげ、全てを焼き尽くさんとする圏谷(たに)の業火。刹那、リヴァイヴIIがかざした盾の影に潜み、その女の断末魔を聞いた。

 焼かれ破片となった鋼と肉は、盾の外にあった左腕の皮を裂き、肉を焼き、骨を砕いた。欠けた左手の絶叫が怒濤となって押し寄せる。音と味と臭いが壊れた歯車の様に反転する。血の流れが逆流し、目と耳と鼻から血が吹き出した。リヴァイヴIIの力場の中、まだ意識があった。

 俺は、銃を構えた。

 銃口の先にはあの面甲の少女が弾むように立っていた。無手のまま、後ろ組手で俺を覗き込んでいた。

「なるほど、なるほど、なるほど。稼働中のISを外部操作するなんて聞いた事無い、ねぇ君は誰?」

「どうでも良いだろ、そんな事」
「確かにそうね、どうでも良い。さ、一緒に行こう。迎えに来たの」
「折角だけれどお引き取り頂こうか、俺は気立ての良い娘が好みでね」

「嘘ばっかり」
「嘘じゃ無いさ」
「嘘、君の相手は全てを捨てた女じゃ無いと勤まらない。君が今殺した女みたいに。どうだった? 昨日抱いた女を有無言わず、跡形無く殺した感想は?」

「……やめろ」

「止めない、私たちにとって大切な事だもの。実は私、再会してびっくりしたんだ。また深くなってるねその眼。本当に凄い、全く底が見えない。ねぇ君、何か捨てたよね? 小さいけれど大きな何か。どうだった? 何もかもが軽くなったよね? それが本来の君、だから一緒に行こう。助けてあげる。元に戻して上げる」

「やめろ。勝手に私たちなどと言うな」

「止めない、私は君が気に入ったの。知ってた? 私はMって言うの。君もMだよね? 君と私は同じ。ねぇ、幾つ人の尊厳を踏みにじった? どれだけ死体を積み上げた? 何人殺した? ほら、同じだよね」

「止めろと言っている! 今撃つ事も出来るんだぞ!」

「できないよ」

「できるさ! 今更躊躇うとでも?!」

 その少女は、額に手を伸ばした。顔に影が流れた。

 白銀の面甲を下ろした其処には、肩に掛る程度に長い黒髪の、破れ慣れ果てた白いワンピース姿の、血だらけの、あの対抗戦で見た少女がそこに居た。

 恐怖で声が出なかった。世界から現実感が消える、その少女以外何も見えなくなった、捕えられた。堅い物が小刻みになる音、それは俺の顎が打ち鳴らす音。躯から力が抜け、崩れ落ちた。

 見上げる其処に月は無く、暗がりの中、血の臭いを滴らせた少女が笑っていた。

「大丈夫、怖いのは今だけ。私も君と一緒だった。怖いけれど背けない、苦しいけれど捨てられない。辛いよね? 苦しいよね? だから、ほんの少し勇気を出して一切合切、全部捨てて一つの事だけに生きるの、それは素晴らしい事。だから行こう。私が君の側に居る、君を守って上げる」

 大地を失い落下する感覚の中、躯に膨れ上がるは、全てを捨てる甘美な衝動。目の前にその手があった、だから―



「それは困るな」

 耳元から聞こえた金髪の少女の声に、朗らかに笑っていた黒髪の少女は一転憎悪と憤怒を向けた。

 首をもたげたガルムが咆吼を挙げる。撃ち出されたその弾頭は当たる事無く、神速の黒髪を数本掠めただけだった。

「貴様! 私たちを邪魔をする気か!」

 面甲を纏い、星空を舞う黒髪の少女が戦闘態勢を取る。

「真と同じなら僕が先! 正しく泥棒猫の所業だよ!」

 金色の少女に抱かれ夜空に舞い上がる。直前まで居た空間に光弾が撃ち込まれ爆発、炎上した。

「それを渡せ!」
「ウチの子になにするのさっ!」

 サイレント・ゼルフィス、子機6つを高速展開。主兵装を構えた。

 ラファール・リヴァイヴII、兵装展開。両肩に2つ、背中に2つ、両脚に2つ、計6のハード・ポイントにレール・ランチャーを量子展開、0.2秒。

 それぞれにAIM-9X(短距離空対空ミサイル)を両肩に4、背中に8、両脚に6発を量子展開すること0.3秒。計18発を斉射。星空に弧を描き追従開始。

 どの姿勢からでも撃てるALASCA(全方位交戦能力:All-Aspect Capability)仕様のミサイルが、高速機動するサイレント・ゼルフィスに音速の2.5倍で迫る。

 Mは子機と偏光制御射撃を駆使し全弾撃墜、リヴァイヴIIにに向き直ると、その目前に再び18発のミサイルが迫っていた。堪らず距離を取る。量子展開により絶えず装填され発射、星空を切り裂くミサイルは徐々に増えていった。

 全量子格納領域を使用したミサイル攻撃。なにより恐ろしいのは、システムの補助を入れているとは言え、戦域離脱をしながら全ミサイルの中間管制誘導を全て手動でやっている事だった。ミサイル群は少女の放つ意識の線に従い星空を駆ける。

 リヴァイヴIIからもたらされるFCSの情報によるとサイレント・ゼルフィスには50以上のマーカーが重なっていた。

 これが情報処理能力に優れるシャルロット・デュノアと言う少女の切り札だった。恐らく量子展開機構にも手を加えているのだろう。

 指定座標で全ミサイルが爆発、巨大な火の玉を生み出した。その炎の中で黒髪の少女は姿を消した。



 静けさを取り戻したフランスの夏の空気が冷たい。寒い。脳裏に焼き付いたのは、砲弾が顔面に食込み無残に砕き殺された女の最後。

 息も乱れない。脈も変わらない。瞳孔も閉まらない。口も渇かない。身体も震えない。目眩も起こらない。汗一つかかない。

 人を一人殺してなにも感じなかった。俺は銃に慣れていた。銃とは何だ。決まっている、人を殺す凶器だ。

 俺は人を殺す事に慣れていた。



 よう、一夏。

 そっちはどうだ。

 俺はこんなザマだった。

 お前ならどう出来た?

 きっとお前なら殺さずにできたんだろうな。

 俺は、

 俺は、

 俺は、お前になれなかったよ。


 必死に呼びかける少女の腕の中で気を失った。



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ここで問題ですっ!

新みやのカラーは何でしょうかっ!?

正解の方には何も出ませんっ!


……今回書いていて思いました。
虚淵玄さんは雁夜おじさんに悪意は全くなかったと思うんです。
設定や話の展開に縛られてああせざるを得なかったと思う次第です。

ただ、悪のりはしたと思います。絶対。



2012/09/26



[32237] 05-04 シャルロット・デュノア4
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/09/29 23:40
シャルロット・デュノア4
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 俺は自分が嫌いだった。憎かった。皆を巻き込んでしまう、見知った人を苦しめる、それが堪らなく恐ろしかった。

 夕暮れの学舎の屋上で心に刻まれた少年の言葉。

“守れないとは考えない”

“絶対に諦めない”

“だから、お前も守ってやる”

 とても眩しかった、とても貴く感じた、とても羨ましかった。俺よりたった一つ下の少年の言葉。俺にも出来るかもしれないと思った。俺にも出来ると思った。

 底から見上げ、掴み取ろうと伸ばした手は、自分の手で断ち切った。

 俺は消えるべきだった。


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 目を覚ますとただ暗く、何も全く見えなかった。棺桶の、土の中に居るのかと思い両手で宙を掻いた。頭と背にある柔らかい感触、被せられているのは布、ベッドの上に寝ていると気がついたのは、死にかけた獣のうめき声に気づいた後だった。自分の声だ。

 “あぁそうか眼は見えないんだっけ”頭を掻こうとした左手は何時まで経っても掻いてくれなかった。その時何かがおかしいと訝った。そもそも俺はソファーで寝ているはずだ。ベッドではない。

 それに、これは薬品の臭いだ、金の人はもっと懐かしい匂いだった。身体が何かを巻かれているようで動きにくい。右腕を動かした。右腕の肘窩、ひじ関節の内側に何か針のような物が刺し込まれていた。鈍い痛みが走る。チューブが繋がっているようだった。

 状況が把握出来ず、当たりを見渡した。居るはずの人が居ない。

「ディアナさん?」

 返事は無く、僅かに動かしただけで右手が痛む。ゆっくり針を引き抜いた。そのまま左腕をさすると二の腕の途中から無かった。突き付けられた様に脳裏に蘇ったのは、砕け散った女の最後。名前と身体の重みと匂いしか知らない女の最後。

「夢じゃ無かったか」
「調子はどう?」

 意図無く漏らした言葉に返ってきたのは、重苦しい言葉だった。

「ここは? どれだけ寝てた?」
「丸一日寝てた。知り合いが経営してる病院だから安心して……今更説得力ないかな」

 ゆっくり眼を右に動かすと、夜の中に浮かび上がるその人影は柔らかい色を放っていた。何時からそこに居たのか、歩み寄ると血が漏れ出す右腕に何かを巻き始めた。放つ色が僅かに暗い。

 デュノアはもう一度調子はどうかと聞いた。

「痛みは感じてる、俺は生きてるのか」
「うん、生きてるよ」
「そのまま放っておいてくれても良かったのに」
「そんな楽な道は駄目だと思うね」

 何時もの少し掠れた落ち着いた言葉だったが、突き刺さらんばかりに重かった。

「デュノアはディアナさんに似てるな」
「そうかな?」
「容赦ないところなんかそっくりだ。フランスの人は全員そうなのか?」
「大怪我してる時ぐらい憎まれ口は止めてよ、怪我人にむち打つ悪趣味は持ってないんだから」

 俺は小さく詫びると、掛け布団を取り去った。服をくれないかと聞いた。彼女は慌てた様にまだ寝てないと駄目だという。俺は受け入れる訳には行かなかった。

「長居しすぎた、怪我人を怪我させる訳には行かない。直ぐに出る」
「……何処に行くのさ」
「何処でも良い、人が踏み入れない山の奥、海の底、何処でも良い」
「呆れたね、それ単なる自暴自棄だよ」
「巻き込まれる人に同じ事言ってみろよ。俺が居なければエマは死ななかった、違うか?」

 手探りでロッカーを探し当てるまで数分。扉の中は焦げ臭かった。沈黙を守っていた彼女が口を開いたのは右腕だけを袖に通した時だ。

「なら、少し付き合ってくれないかな?」
「何故?」
「是非会わせたい人が居るんだ」


-----


「飛ぶよ」

 オレンジの鎧を纏った少女の腕に抱かれ、病院の屋上から飛びだった。リヴァイヴIIは保護フィールドを俺に被せ、俺に夜の世界を見せる。見上げるフランスの夜空には分厚い雲が敷き詰められていて、見下ろせば闇夜を照らす人の灯火が見えた。

 眼下に広がる夜の町は、呵責に悩み悲嘆にくれる、亡霊が住う永劫の場所の様だ。俺はその光景を見て、夢うつつの中で聞く様な言葉でこう呟いた。

「あたりは夜よりは明るく昼よりは暗く、前方の視界はわずかしか利かなかった」
「だが雷の轟きもそれに比べれば物の数でもないような角笛が一曳、高らかに響き渡った」

 ゆっくりと朗読するように続けた少女は少し笑っていた。

「第30歌だったか?」
「31歌だよ、夜景を見てそれを謳う真の心はコキュトスの様に凍てついているね」

 デュノアがウェルギリウスで俺がダンテか。フランスに来てからと言うものの、母親のように振る舞うデュノアと子供のように手を焼かせる俺、余りにも出来た配役だった。

「少し遠いんだ。飛ばすよ」
「あぁ」

 


 音を追い越さんばかりのリヴァイヴIIに揺られる事30分ほど。距離にして約400km。俺たちはスイス、ドイツ、フランス3国を跨ぐかって町だった其処に降り立った。其処は一面野原で何もない。草木すら生えない場所だった。至る所にガラスの塊が見える。埋まっているそれは藻掻く人の頭にも見えた。

 デュノアはハイパーセンサーを残し鎧を解除、俺の手を引き歩き始める。足場が悪く、何度か躓いた。

「ごめん、余り近いと失礼なんだよ」

 誰にだ、そう言う前に小さい丘を越えた。そこから見えたのは、大地に刻まれた無数の墓石。其処は死者の眠る場所、墓地だった。ある石には一つの名前が刻まれ、ある大きめな石には複数の名前が、所々ある巨石には名も知れぬ死者を慰める言葉が刻まれていた。虫の音すら聞こえない。風すら無かった。だた2人の生者の息づかいだけが聞こえた。


 デュノアは黙って手を引き続ける、一つ左に曲がって、立ち止まる。視線を下げると名が刻まれていた。

“ミッシェル・アジャーニここに眠る”

 跪く金髪の少女は祈りを上げると、感じ取れないほど小さく、

「僕を産んだお母さんなんだ」

と言った。私は声を震わせながら何故と聞いた。俺がここに立つ意味も理由も無かったからだ。問いに答える少女は顔を上げる事無く、何かに誰かに許しを請うように跪いていた。

「真」
「……何」
「僕は元々黒髪だったんだ。ここに眠ってるお母さんと一緒の黒い髪だった」

 俺は何も口にせず隣に跪いた。ただ頭は垂れなかった。

「ナノマシン事件知ってる?」
「……デュノアお前、被災者か?」

「そう。僕は昔この町の外れに住んでいた。今から10年前、ちょうど僕が5歳の時かな。今でも良く思い出せる。家の近くの広場で友達と遊んでいたんだ。その時突然サイレンが鳴って、地面から真っ黒な雲と真っ赤な雷が幾筋も幾重にも吹き出した。ただ呆然としていたら大地が揺れて穴に落ちた。その穴から見た物は、青い雷だった。天国が壊れて落ちてくるのかと思うほどだった。

 気がついたら身体が半分ほど埋まっていてね、泣いていたら対疫装備の軍人に救助された。遊んでいた友達は皆死んでしまったけど、僕は一命は取り留めたんだ。病院で検査受けてる途中驚いたよ、だって髪が金色になっていて眼も碧くなっていたんだから。

 仕事で町を離れていたお母さんは無事で、直ぐ再会出来た。お母さんは凄く泣いてた。この時の僕は再開出来たから、色が変わったからだと思ってた、でもそれだけじゃなかった」

 俺は逡巡の後、頭を垂れ、組んだ両手を胸に当て微動だにしない少女にこう聞いた。

「カテゴリー3のナノマシンに感染したんだな」

「うん。髪の毛と瞳の色が変わったのは、感染による因子変化による症状だよ。そしてもう一つ、僕は赤ちゃんを産めなくなった。ナノマシンが細胞に食い込んでゲノムを変化させたんだ。プラズマ弾頭の余波で死なずにナノマシンだけ破壊されたけど、生殖機能自体が失われた。僕が中性っぽいのはそのせい。お陰で器官摘出はされなかったけれど良いのか悪いのか分からないや。

 ある時から薬を飲み始めた。お母さんは必要なものだととしか言わなかった。それがホルモン剤だと知ったのは12歳の時。おかしいと思ってたんだ。妊娠出来る証が一向に来なかったから。

 僕はお母さんを問い詰めた。そして真実を知って非道い情緒不安定になった。何日も泣きわめいて散らかして、塞ぎ込んで、それを繰り返して。お母さんを責めた。どうしてこの町に引っ越したのか、どうして僕はこんな目に遭わせたのかって。僕は銃を持ちだした。そしてお母さんを殺した……真」

「何」

「どうして僕が今でも銃を持っているか分かる?」
「自分を苦しめる為。罰を与える為。それが自分の許しだから」
「真なら分かると思ったよ」
「それで笑っていられるのか」
「新しい家族が出来たから」

 保護観察処分中に、伯爵がやってきてデュノアを引き取った。事件は当時大々的に報道され伯爵の知るところになった。デュノアの生みの母はもともと伯爵のボディーガードだった。優秀な彼女は長く務め、愛情が芽生え、関係に至り、デュノアを身ごもった。もちろん許される事では無く、彼女はそのまま姿を消した。

「今のお母さんはとても厳しかったよ。部屋に籠もっていたら無理矢理表に外に引っ張り出して家の手伝いをさせたんだ、容赦なかった。でもずっと離れなくて側にいてくれて、抱きしめてくれて、キスしてくれた」

 俺はもう一度頭を垂れた。十時は切らなかった。頭を垂れる以上の事は出来なかった。俺には死者を悼む、その資格がない。

「シャル。酔った伯爵が言ってた。方々探したってさ、忙しい合間を縫って自分でも探したらしい」

 彼女はやはり小さく笑うと、俺の手を取り立ち上がった。俺をほんの少しだけ引っ張り上げてくれた。月明かりを浴びて笑みに影が差す、見上げるその少女は俺の右手を強く握りしめている。

「お母さんは血を流しながら僕を抱きしめて、ごめんねと繰り返して亡くなったよ。どうして恨んでくれなかったのかって苦しんだ事もあった。でも今なら分かる。それが僕を守ってきた、今生きている祈りの言葉だった。枷だった。だから、こう言うよ。

 真、君は生きなくちゃいけない。学園に皆の所に帰らなきゃいけない。

 ここではデュノアでは真を守れない。織斑先生にもそう言われたんだよね?」

「聞こえたのか」
「ううん、あの時の織斑先生、ディアナ様と同じ目をしてたから」
「そう」
「もう一度言うよ。真は帰るべきだ」

 その少女は泣いていた。手を血で汚しそれでも立っていた。君と俺は違う、そう言う事は簡単だった。けれど右手を掴む、か細い指は暖かかった。心臓が一つ打鳴った。

「分からない、シャルの言う事は俺には分からない」

 脚に力を入れる。大地を踏みしめた。今度は見下ろす其処に、夜の少女は静かな墓地で静かに佇んでいた。

「けれど帰るよ」
「……良かった。苦しい思いをした甲斐があったよ」
「すまない、辛い事を思い出させた」
「違うよ」
「何が?」
「同じAB型で良かったってこと。もう帰ろう。これ以上騒ぐと寝ている人達が起きてしまう」

 シャルに手を引かれ夜の空を見た。小高い丘の上。月を背に黒髪の白いワンピースのあの少女が佇んでいた。あのパイロットに、俺にとって最初の黒い人に瓜二つのその少女は、その少女は怒りも憎しみも無くただ憐憫を浮かべていた。


-----


 空から降り注ぐ雨粒の中、フランスで知り合った人達の顔が見える。シャルの実の母君に挨拶したその翌日、改修作業を中断してまで俺は急遽帰国する事になった。ジャンさんが言うには、“俺に何かがあれば無条件に帰国させる”そう言う取り決めだったらしい。

 今彼は研究所で虚さんと引き継ぎ作業の真っ最中だ。彼は中途半端な状態で引き渡すのを非常に悔いていた。組み終わり最低限の確認をしただけ、胸のみやはそう言う状態だ。もっともハイパーセンサーが使えるだけでも有難い。

 目の前に居るのは濃紺のスーツ姿のデュノア伯爵だった。初めて会った時のように鋭い表情だがその気配は明らかに消沈している。

「今回の不始末はデュノアの私の責任だ。出来るだけの事はしよう。困った事があったら何時でも頼って欲しい」

 俺は静かに頷いた。エマは10年来のメイドだった。夫人は今全員の身元確認に奔走している。伯爵もここに居て良い筈ではないが、彼の誠意は十分だった。彼は俺の左腕を見つめた後こう付け加える。

「良いかね、君が撃たなければ君が死んでいた」
「もちろん分かっています」

 握手をした後伯爵に抱きしめられ別れの言葉を交わす。隣に控えていた老執事にも声を掛けた。彼はご武運をと言った。軽く頷きタラップに脚を掛け、チャーター機に乗り込んだ。

 右隣にはシャルが座って居る。俺はフランスに残れと、家族の側に居ろと言ったが彼女は応じなかった。代表候補だからね、と言った後シャルは“ディアナ様に報告しないと”と付け加えた。俺に何かあったら覚悟しなさいと脅されたらしい。帰ったら早々にシャルの弁護をしなくてはいけない。

 扉が閉まるとエンジンの音が高鳴り、窓の風景が流れ始める。見送る伯爵に会釈し挨拶をした。手すりに置かれた右手の上にはシャルの左手があった。

「帰ろう」
「あぁ」

 機が大地を離れ舞い上がる。全てを失ったフランスは雨に濡れていた。

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原作ヒロインズの中で最大の独自設定となったシャルロットですが如何でしたでしょうか。
“中性っぽい容姿”からの設定展開です。
とある方からコメント頂きましたが、シャルが真を子供のように扱ったのはこの理由からでした。
色々世話するうちに子供が欲しいという願望を真に重ねたんですね。

ともかくシャル、お疲れ様。
真はまだまだがんばれ。



劇中登場の“カテゴリー3ナノマシン”に関しては今後の日常編で説明予定。もしくは黒ウサギ。
話の流れ上、説明を入れると違和感がバリバリで入れませんでした。
なんかYabeeナノマシンだと思って頂ければ差し支えないです。


【アンケート】
宜しければアンケートご協力下さい。
お題“真のハードラック度合い”

勝てないけど強いし、女の子に酷い事してるし、チートだし~
1.まだ足りぬ
2.こんなもんじゃね?
3.ヒドス

もっとも私とて初期設定や話の展開上180度変えられないのですが、
少し気になりました。



2012/09/29

【注意】以下シャルネタバレ上等の方専用。





















シャルの子供産めない設定ですが、救済処置があります。
キーワードはナノマシン汚染、ゲノムを弄った、輸血、真の機械親和性です。
時期的には最後あたり。



[32237] 外伝3 ほんねのきもち
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/10/02 09:51
【ご注意】
 投稿済み外伝“とある真のズレた一日”と同じ時空です。
 本編とは別空間です。
 あざとく作ってみました。キーワードは大きなむね。

 苦手だという方、本編をお待ち下さい。



外伝 ほんねのきもち
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 突然ですがひまわりを想像して下さい。

 茶色のドーナッツを、深みのある黄色の花びらが取り囲み、大きく広げた大きな緑の葉。天まで届かんばかりの青い空、ぽつりぽつりと浮かぶ白い雲。さんさんと輝く太陽の下で、力強く大地に根付き、花咲く姿は圧倒的。ですが何処か優しい佇まいは、見る者に安心感を与えます。

 他の観賞用植物に比べると、色気儚さには欠けますが、逆に嫌いだという人は居ないのでは無いでしょうか。


 布仏本音、15歳。

 料理、洗濯、掃除好き。少々小柄ですがスタイルは良く、母方からゴッドハンドの血を引いて、父方は更識家の血縁で由緒あるお家柄。咲かせる笑顔はすさんだ心を和ませます。人呼んでモブ界のサラブレッド。これ程のハイスペック娘ですが、残念な事に男運には恵まれなかったようです。

 思いを寄せるその少年は普通ではありませんでした。人は言う。あぁ、好いた相手が真でなかったならば。なにより、その優しい性格が災いし、押しも気も強い娘たちのなか本音は常に一歩引いておりました。

 鈴の場合。
「真くん、あのね」

「アンタ! 美少女がこれだけ頭を下げてるに断るってワケッ!?」
「荷物持ちなら先に一夏に頼んでくれ、あと頭下げてないと思う」

 静寐の場合。
「真くん、良いかな」

「前々から思ってたんだけど、真って2組以外の娘には優しいよね。昨日も癒子のプリント運び手伝ってたし、これって贔屓だと思うの」
「「「あるある」」」
「それは誤解。2組の娘は計画的だから、手を出すような機会が無いんだよ」

 セシリアの場合。
「まこと…くん」

「真、昨日何処に行っていたのです」
「射撃場だけど?」
「最近、3組のハミルトンさんと随分仲良さそうですわね」
「射撃のレクチャーを頼まれた。相変わらず仲悪いよな2人とも。NATOの原加盟国同士もう少し仲良くしてくれると助かる。てゆーかさ、何で知ってるんだよ」

 本音の場合。
「……」
「調子が悪い?」
「何でもないよっ」

 もう一歩近づきたい、でもできない。こんな調子でありました。その都度どこか寂しそうに彼を見つめております。


 さて、夜も更けた柊の一室で、集うは本音を知る少女たち。日向娘の陰る顔など見ておられん、どうにかせねばと唸っておりました。1組2組合同“ひまわりを愛でる会”、隠語もバッチリです。誰も本音の事だと気づくまい。

「最近2,3歩遅れてるよね」
「同感。あの娘博愛主義だから……」
「だが捨てておく事は出来ん。何とかせねばなるまいてー」
「でもどうする? 蒼月は手強いよ、知った上で接してるから」
「本音も同意の上とは言え、相変わらずの外道っぷりだわ」
「篠ノ之さんに協力を求める?」
「無理、箒は静寐との間に挟まれてる」
「「「むぅ」」」

「正攻法しかないわね」

 すっくと立ち上がったのは1組所属の鏡ナギ。黒髪ロング、左前髪にはヘアピン2つ。アニメ1話の朝食シーンにて、一夏の隣に座っていたあの娘です。そのナギの握り右拳は大地を揺るがさんばかりに震えておりました。


 所、時、変わって柊の食堂で、昼食を求めてひな鳥たちが囀っております。その一画に、良いから良いからと静寐と箒から本音を引きはがし、大テーブルに連れ込んで、少女たちは彼女を囲んでおりました。

 本音の右隣、ナギはストローを咥えながら自信満々です。

「と、言う訳だから泥舟に乗ったつもりで任せなさい」
「ナギ、それすっごく不安」

 押し迫る少女たちに本音は乗り気でありませんでした。

「私は良いよ、静寐ちゃんに悪いし」

「本音の馬鹿っ!」
「夢は追いかけなくちゃ掴めないのよ!」

 言ってる事は尤もですが、どこか腑に落ちません。強引です。意外と大きい手をパタパタと、煮え切らない本音にナギは一言ぽつり。

「セシリアのイヤリング、30万だって」
「やる」


-----


「まずは徹底した情報収集! 自軍戦力を把握せよ!」
「「「いぇす、あい、まむ」」」

 ナギの号令に敬礼するは少女たち。作戦は正攻法です。堀を埋め、門を壊し、城壁を越える。攻める城は堅くても、戦力に余裕があるなら悪くありません。如何に堅かろうとこちらは6人。3人寄れば文殊の知恵、つまり文殊様より私たちは賢い、凄い理屈です。

「男なんて料理でイチコロだと思います!」
「古典的だが確実だー」

 少女Aが本音に問う。

「本音、料理は?」
「んとね」

 翌日の食堂の大キッチン。にこにこ笑顔の本音が鍋を両手で掴んでやってきます。くまさんエプロンもキュート。

「びーふしちゅーだよー」

 一口ぱくり。

「うわいやだなにこれおいしい」
「ほんねおかわりー」
「本音、生徒会辞めて料理クラブ入って」
「口に入れたまま喋るのはお行儀悪いんだよ」

 早々に目的と手段が入れ替わった様子。口をナフキンで拭きながらナギが言う。

「私はこの結果に非常に満足している、して次は?」
「男は洗濯物をたたんでいる、干している姿にイチコロだそうです!」
「「「おー」」」

 皆が押し寄せたのは本音の部屋。鈴はベッドの上でチョコスティックを加えながら読書中。真の読書好きが感染ったようです。手にする書物は“人間失格”、名作ですね。だが注目すべきは其処ではない。

 見渡す部屋にゴミは勿論、埃一つありません。机の上もクローゼットの内側も整理整頓完璧です。洗濯物などそっちのけ、みな唖然としておりました。

「とても綺麗ね」と呟いたのは少女B。まるで風前の灯火。
「本音がすっごい煩いのよ。日頃の緩みが死を招くって」苦虫をかみつぶし溜息をつく鈴でした。本音を見つめるジト眼には恨み辛みも100年分です。

「一つ一つの丁寧な積み重ねが大事なんだよ、鈴ちゃん」

 えへんとおっきい胸を張る本音に問うたのは少女C。

「誰からの引用?」
「おじいちゃん」

 このおじいちゃんとは母方の祖父、つまりゴッドハンドこと蒔岡宗治。

「……ひょっとして蒼月の勤め先って、本音の?」
「そうだよ」
「良いカード持っているではないかー」
「真くんね、おじいちゃんに向かって絶対何もしないって言い切ったんだよ……」

 はらはらと嘆く本音でありました。ナギは苛立たしく叫びます。

「えぇい! 何という無様な陣形だ! 次の者出て参れ!」

 真の堅さに目眩を起こしつつ、本音に問うたのは少女D。

「ご趣味は?」
「針だよ」
「……裁縫?」
「うん」
「なにこの良家のお嬢様みたいな子」

 みたいではありません。実際そうであります。

「針はね、集中力に良いんだよ」

 本音の着ぐるみは全てお手製でした。猫やパンダやペンギンや、その縫製の見事な事。オークションに出せば一財産です。そんな事実に泣き崩れるのは少女たち。己と他人を比較するのは愚かな事だ、蒼月がそう言っていた。ナギは己のふがいなさに涙しつつ、力無く崩れ落ちこう言いました。

「最早これまでか……」
「まだ終わっておりません! 隊長!」

 えいやと立ち上がったのは少女E。

「人が最初に見るのは外見です。男なんて馬鹿ですから簡単に引っかかります。赤いルージュは血の弾丸、胸に詰めるパッドは核弾頭! 殲滅すら可能です!」
「「「おー」」

 力無く呟いたのは少女A。一回りしました。

「本音に必要?」

 本音の淡い栗色の、髪はさらさらと艶やかに。肌は瑞々しく張りがあり、琥珀の瞳は大樹のようにしっかりと。ノーメイクです。

「素で可愛いよね」
「うん」

 両手を頬に添えて、えへへと顔赤く照れ咲かす花はチューリップ。え? ひまわりじゃ無いのか? 気にするな兄弟。

「むねも大きいのに何が不満な訳、あのアホ」これはナギ。
「女性恐怖症? もしくはホモ?」少女A。
「大変! 織斑君がマッハでピンチ!」少女B。
「実は織斑君が……と言う噂も」少女C。
「ぬぅーーーー何処までも変化球な輩よ」少女D。
「本音ーもう織斑君にしたら? 一緒に追っかけよ?」少女E。
「みんな非道いよっ」勿論最後は本音です。


-----


 さて、作戦第2段階。自軍は最強でした。これで負ける筈はないといきり立ちます。だが奢りは禁物。敵戦力の把握に務めましょう。

 呟いたのは少女B。

「真の好みって?」
「「「金髪」」」
「だめー染めるのはだめー」と本音は頭を抱えて逃げていきました。母方の祖母、宗治の妻、蒔岡志乃譲りの大切な髪でした。ここで明かされる大真実。本音の母は布仏刹那と言います。残念ながら出番はありません。

「実際どうなのかねー」
「蒼月って去年学園に来てたんでしょ? 先輩に聞いてみよ?」

 皆が訪れたのはIS学園2年3年寮、楓。ぞろぞろと訪れた1年娘に虚は丁寧に紅茶でもてなします。その荘厳な雰囲気に皆正座でした。

「真の好みね……」

 はてさて、どうだったかしら。虚は椅子に座り宙を仰いでおりました。ゆったりとした白いワンピース、しかしだらしなさは無く厳かに。部屋に戻ったら掃除しようと心に決める少女たちでありました。虚はそうだわと彼女らを見渡します。

「去年卒業した私の一個上の先輩が一番仲良かったわね。よく話してたわ」
「どんな人なんですか?」
「黒之上貴子(くろのかみ たかこ)先輩と言うのだけれど、」

 ふむと皆が食いつきます。

「料理上手で、むねが大きかったわね」

 ここまでは本音も同じ。

「背が高くモデル体型」

 大丈夫まだ伸びる可能性があります。

「大人っぽい雰囲気で狐眼の鋭い美人。カーリーウェーブの長い銀髪がとても綺麗で憧れてる娘は多かったわ」

 懐かしむ様に宙をなぞる虚の視線は雷雲のよう。雲行きが怪しいです。ナギがそれでと恐る恐る促しました。

「一度に10人相手して勝ってしまう位に非常に強かった。余りの強さに織斑先生とリーブス先生しか模擬戦相手に成らなかったわ」
「……先生に勝ったんですか?」
「流石にそれは無かったわよ、貴子先輩も先生に掛っては赤子同然だったもの」

 少女たちは失意のまま立ち去りました。無理です。

「あたしーおもったんだけどぉー、まことのぉーきょうみーあることってぇーなぁにぃぃぃ」仰向けで大の字の少女Eでありました。もう疲れたと絨毯の上でジタバタしております。
「「「銃」」」

 IS学園の外れ、1年生では存在さえ知らない生徒も多い人用射撃場。

 その室内で学園指定の白ジャージ、ゴーグルとイヤープロテクタ-。指導教員立ち会いの下、本音はグロック26を構えてレーンに立ちます。560gとても軽いですね流石ポリマー・フレーム。彼女は何時になく鋭い眼差しで、狙い済ますのは10m先。どきどきはらはらと見守るのは6人の少女たち。ぱんと鋭い発砲音。

「わ」

 よろめき尻餅をつく本音でありました。勿論大外れ。重苦しい雰囲気が漂います。ブルータスお前もか、ジュリアス・シーザーもびっくりの悲壮っぷり。


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「総力戦よ!」

 最後はこれしかないと考えたのは色仕掛け。無理だよーこんな格好恥ずかしいよーと本音は天岩屋状態です。部屋から出てきません。タンクトップとホットパンツぐらいで大袈裟な、アメノタヂカラヲでも無理かな、と深い溜息。

 しからば、こうしようと作戦変更。何時もの黄色い猫の着ぐるみで、けれども下着は有りません。着慣れた着ぐるみが落ち着かないと、そわそわ本音。くるくる回っては着ぐるみの、皺を気にしてちまちま摘む。まるで自分のしっぽを追いかける猫みたいだと、とある少女はにやける顔を必死に隠しておりました。

 電撃作戦“あててんのよ のーぶらVer.”

 進撃速度が重要です。皆が布陣を構えるは“あのT字路”。脇で控えるは耳をぴんと張る子猫。忍び寄る逞しい影。

(状況開始!)

 右親指で首を掻き切るサイン。ナギの指令に本音は覚悟を決めてわっと飛び出しました。

 どさり。

 少女たちが見た光景は、押し倒し倒された男と女。ふたり廊下の上で身体を重ね合っております。誰かが「あ」と呟きました。なんか違うよ、感じた違和感に薄目を開けた本音は、その事実に呆然です。

「お、おりむー?」

 そこには真っ赤の一夏。何故なら彼の両手は本音の2つ山を鷲掴み。その指からこぼれ落ちるのは、薄手の着ぐるみ生地越しの、こぼれ落ちそうな曲線と困惑の蕾。本音は顔を赤くして、次に青くして、最後は赤くして、

「……えーと、これはわざとじゃ無いんだな、うん」

 一夏の言い訳を聞く間もなく、

「やーーーーーーーん」

 と胸を抱き寄せ、涙目で走り去ってゆきました。顔赤く呆然とする一夏を覆ったのは、鬼気迫るぽにての影。彼の最後は敢えて語る必要もありますまい。


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 作戦失敗で部隊解散です。ですが本音は1人、おりむーのばか、真くんのばか、ばかばかと泣きながら、撃っては尻餅をつき撃っては泣いておりました。

 そんな本音に忍び寄る影。

「本音、いきなり38口径なんて背伸びしすぎ。こっちから始めよう」

 真でした。打ち終わった直後、背後からゆっくりと声を掛けます。彼が手渡したのはワルサーP22。

「女の子が変な持ち方すると22口径でも手痛めるぞ。銃身と腕を真っ直ぐにして、手の平を介して腕全体に反動を乗せる感じ。人差し指は撃つ直前まで、トリガーに掛けない」

 真剣な眼差しの真の横顔に本音は心臓が張り裂けんばかりでした。因みにこの真は眼が見えます。左手もちゃんとあります。

「真くんって本当に鉄砲が好きなんだね」
「これしかないからね」

 一発、一発。筋が良いのか先生が良いのか、10mならもう完璧です。転がった薬莢を追いかける真に本音は意を決してこう言いました。

「おじいちゃんの会社で働いていたとき何食べてたの?」
「特に印象は無いかな。同じ物を一週間続ける事もあったし、毎日変えた事もあった。まぁカレーはよく食べたよ」
「毎日辛い物とかだと、大変だね」

 身体に悪いよと本音は苦笑い。

「あぁ、だから……」
「なに?」

 本音にじっと見つめられ、真はぽつり。

「……甘い物をよく食べた」

 余りに意外な回答で、思わずぽぅっと呆ける本音でありました。

「そう思うよな普通」

 おかしいかと小さく聞くと、

「そんな事ないよ」

 内緒だぞと頭を掻く真を見て、本音は嬉しそうに笑いました。彼女だけの真を見付けたようです。



 ……鉄砲が好きなら誰でも良い?

 さもありなん。

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本編の悲壮っぷりに、のほほんとした話を書きたかったのです。

※劇中でナギが言っている“状況開始”は他のアニメでも使われますが演習や訓練で使う言葉らしく、有事の場合“作戦行動開始”が正しいそうです。
格好良いのでこのまま使います。


2012/10/02



[32237] 05-05 日常編16「少女たちの誓い」+「帰国」
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/10/10 22:44
日常編 少女たちの誓い
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 1組の谷本癒子は掲げた右手の平をどのようにして下ろそうか頭を悩ましていた。おはようと声を掛けたは良いものの、彼は腕を組み微動だにしなかった。瞳は下がり気味で時折溜息をつくのみである。

 シャルロットと真がフランスに旅立ち5日過ぎた6月最後の月曜日。この日は真がみやの装着試験を行う日に当たる。

 一夏は心中にわだかまる、彼自身理解出来ていない感情を持て余していた。M襲撃の際戻れなかった事、千冬と真の関係、シャルロットと真の突然の渡仏。他の全生徒と同じように彼もまた一連の経緯を聞かされていなかったのである。

(結局、真には会えなかったし、シャルは言えないの一点張りだったし、千冬ねぇも鍛錬に励めで誤魔化すし……)

 一夏は面白くねぇと机に突っ伏した。そんな一夏を見つめる1組の少女たちは教室の隅で囁き合っていた。

「織斑君重傷だね、溜息ばっかり」
「男の子2人居なくなっちゃったしねー」
「でも変だよ。ディマ君は挨拶があったけれど蒼月が、」
「突然消えてもう10日か。流石に不安になってきた」
「変だと言えばセシリアもだね」

 席に腰掛けテキストをめくる彼女の瞳は覇気なく虚に見える。

「退学って噂、本当かも」と真剣な表情だが言葉の節々に軽さを交える岸原理子。
「そう言う事言うんじゃないの」と理子の頬を摘み、引っ張るのは鏡ナギ。
「織斑先生が何時も言ってるでしょ“言葉に出すと無意識に引っ張られるから止めろ”って」これは金江凜(かなりん)だ。
「ごみゃん~」

「みんなこれ見て!」と彼女らに慌てて駆け寄るのは癒子であった。手に持つタブレットを突き付けると、彼女らはその意味を理解するのに時間を要した。映し出されているのは学生名簿一覧である。

「蒼月の名前が消えてる……」

 ナギが慌てて口を押さえたのは一夏と視線が合ったからだ。彼は腰を浮かせ立ち上がり掛けた姿勢で止まっていた。俺はどうしたら良い、彼女には一夏がその様に見えた。


-----


 教室の窓から見える空は憎いほどの快晴である。1組副担任である山田麻耶は彼女の受け持つ生徒たちを前に1つ大きな息を吸った。日に日に高まる生徒からの静かなプレッシャー。今日も大丈夫だと自分に何度も言い聞かせた。

 何時もの笑顔で「皆さんおはようございます。織斑先生は会議で遅れていますが、先にショートホームルー」言い終わる前に「真耶先生!」一夏に腰を折られた。

「ひゃぃ! 何ですかっ! 織斑君!」
「真が名簿から消えてるってどういうことですか!」
「それは部外秘でっ!」
「それはもう聞きました! もう10日です! いい加減白状して下さい!」

 驚き怯え、電子ボードに張り付く真耶を、一夏は腕で逃げ場を塞ぐよう詰め寄った。鼻先には眼を釣り上げる一夏が迫る。真耶は半泣き状態である。

「今日という今日は答えてくれるまで逃がさな―」
「教師に敬意を払えこの馬鹿者」

 鈍い音が響く。一夏は頭を抱えしゃがむと、即座に立ち上がり千冬に詰め寄った。

「千冬ねぇ! いい加減教えてくれよ!」
「織斑先生と呼べ馬鹿者が」

 鈍い音と強く押しつけられた音。その後に何かの軋む音が教室に響いた。それは教卓に押しつけている弟の反抗の音、教卓に腕を立て起き上がろうとしている音であった。15になってようやく反抗期か、千冬はそう呆れと喜びを織り交ぜ心中で呟いた。見渡せば彼女の受け持つ1組の女生徒全員が固唾を呑んで見守っている。

(早く気づけあの馬鹿者)

 フランスにいるもう一人の少年に愚痴をこぼすと千冬は1つ息を吸いこう言った。

「そんなに聞きたい事があるなら答えてやろう、言ってみろ小娘共」

 制止しようとした真耶に手を振り制止する。千冬の会議とはその結果を確認する会議であった。最初に手を挙げたのは2つお下げの少女。

「蒼月君が学生名簿から消えているのは何故でしょうか」
「学生では無くなったからだ」

 千冬の回答に教室中がざわめくと別の少女が問い掛けた。

「退学、という事ですか?」
「学園を退くという意味では誤りだな。蒼月はある事情で学生では無くなったが、別の形で籍を置く事になった」

 聞いてねぇ、事情ってあの事かよ、そう言いかけた弟に彼女は力を加え機密だと付け加えた。

「彼との接点は具体的にどのようになりますか?」
「無論生徒では無いので授業は受けない。寮も出る事になる」
「もう会えないのでしょうか」
「寮への立ち入りは許可される。その時にでも会えるだろう」
「何時戻るのですか」
「臨海学校後の予定だ」

 もう良いな、と千冬の声を遮ったのは1つの挙手だった。

「なんだ、オルコット」

 セシリアはゆっくりと立ち上がる。左指を机に宛がい僅かに傾げた首、眼も細い。

「生徒で無いならば学園、いえ日本に居る理由も無いかと思いますが、何故籍を変えてまで学園に居続けるのでしょうか」
「蒼月は今後諸君をバックアップする立場となる。世界で2番目の男子適正者と言う事実は変わらない。従って学園を離れる事はあり得ない。質問の時間は終わりだ。織斑、席に戻れ」
「学園? 言い間違えておりませんこと?」
「終わりと言ったぞセシリア・オルコット。山田先生、授業を始めて下さい」

 大きな音が響いたのはその時だった。扉を力一杯開けた様な大きな音が隣から響いた。1組の少女たちが見た光景は、廊下を涙を浮かべ走り去る静寐と彼女を追いかける鈴の姿だった。

(静寐……)

 箒は追いかけようと浮かせた腰を下ろした。それは箒が抱いている静寐への背信行為故であった。


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「何故止めなかった!」
「アタシも知ったばかりって言ってるじゃない!」

 月明かりの下、箒と鈴は第3アリーナに向かい駆けていた。日も暮れ、夕食の時間も終わり、何時まで経っても戻ってこないルームメイトの静寐を探しに行くか、そう逡巡していた箒は、慌ててやってきた鈴に連れ出された。2人が向かうアリーナには薄い明かりと2つの機動音が響く。それは彼女らが、この学園に身を置く者であれば忘れようにも忘れられない音だ。

(いくら何でも早すぎる!)

 箒の叫びは静寐に届く事は無かった。


 フィールド上のエネルギーシールドで守られた退避エリア。その中で本音が不安を交え、見上げるのは対峙する2機の訓練機だった。打鉄とラファール・リヴァイヴである。アリーナの照明は落とされて、漂う空気は纏わり付く程に濃い。かって鈴と真が行った夜間戦闘訓練と状況は同じだが、端まで見渡せた。頭上から静かに射し込む朧の光、天には丸い月があおい光を放っていた。

 高度50m。リヴァイヴを纏う静寐が問う。

「少し驚いた。リヴァイヴで来ると思ったのに」

 打鉄を纏うセシリアが答える。

「フランス製は余り好きではありませんの」

(高度50m、距離100m、相対速度ゼロ、敵機との方位角180度つまり、ガン(眼)の飛ばし合い真っ最中。無手で両の手を腰に据えている。ブルー・ティアーズならともかく殆ど搭乗経験の無い打鉄なら量子展開も不利の筈……欺瞞? この距離ならアサルトライフルかサブマシンガンだけれど)

 静寐はセシリアの態度に不審を抱き、埒があかないと揺する事にした。右手に掲げるサブマシンガン“FN Pi90”を握り直す。

「ハンデ追加のつもり? 重装甲の打鉄はセシリアに向いてないと思うけど」
「必要だから選んだまでですわ。それよりもご自分の心配をなさったら? 低光度状況下での戦闘など荷が重いのではなくて?」
「今更」
「違いない、ですわね」
「その言葉使わないで」静寐の瞳が光を帯びる。
「私は気に入っておりますの」セシリアは僅かに笑みを浮かべた。

 それが開戦を告げる喇叭の音だった。

 静寐は左側下方向に急加速。重力を使い加速の足しにする。真下に降りなかったのは高度の損失を防ぐ為である。フィールド極では大地に阻まれ移動方向を1つ失う。

 敵機の右側に回り込めば、右脇でストックを固定する銃の特性上、追尾するしか無い。砲台の様に回ればそれこそ的だ。どちらにせよロックオンされる前に位置を確保する。そう予想した静寐は、右肩を襲った20mmの衝撃に心中で悲鳴を上げた。姿勢が乱れ左方向へロール。フィールドが右に回転する。

(RWRの警報が無い! なんで!?)

 静寐がハイパーセンサーを介して知るセシリアは、移動もせずに狙撃銃を展開、照準を合わせていた。

 IS戦において敵機の索敵・追尾・照準を司る装置は2つある。

 一つは防御。RWR(Radar Warning Receiver)とはレーダー警戒装置の事である。敵機が自機を探索・追尾する為に発する電波を受信解析し、ロックオンされているかをパイロットに知らせる装置だ。

 もう一つは攻撃。この索敵・追尾する装置を火器管制レーダーと言う。照射し敵機に反射され戻ってくる電波を解析し、敵機の位置と移動方向・高度を知る。この情報はFCSを介しISコアに送られ、自機の姿勢制御もしくは四肢を動かし照準の補正を行う。

 戦闘機に長らく使用されてきたこの装置はハイパーセンサーとFCSを跨ぐ一機能として、火器を扱うISには必ず搭載され、必ず使用される。アリーナにおける真ら専用機持ちの平均相対速度は音速を超え、その距離は200m程。これ程の速度、これ程の近距離に於いて、人間の神経速度では間に合わない。

 だがセシリアは当てた。天賦の才と積み重ねられた鍛錬。静寐の速度が260kmと言う比較的低速とは言え、新幹線と同速度帯で移動する的を狙えるのは、彼女の射撃能力を裏付けるものだろう。

 静寐は姿勢を正し、手に持つ7.62mmサブマシンガン“FN Pi90”を握り直す。

(これが才能? これが越えられない壁? ……そんなの認めない!)

 加速、時速300km、右旋回。7Gが機体に掛り、安定しない機体を必死で押さえ引き金を引く。撃ち出された弾丸は、セシリアを掠める事無く通り過ぎた。


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 セシリアが初撃を手動で狙撃を行ったのは奇襲の為、動揺を誘い状況を優位に運ぶ為だ。その目論見が上手くいかなかった事に僅かな失望と感動を覚えていた。

 静寐との方位角と交差角を読み、次の狙撃を計画する。セミオート20mm狙撃銃“アキュラシー・インターナショナル社 AS50i”スコープ越しのリヴァイヴは背後を取ろうと高G旋回、ブレイク・ターンを続けていた。

 純粋な機動力ならリヴァイヴが上回る。これが鈴や真であれば回り込む事も可能だったろう。だが遠心力と射撃の反動、機体の重心を中心とした機体制御に加え、機動計画とその実行、索敵・射撃。今の静寐には無理難題であった。事実撃ち出されるサブマシンガンの弾はどうにか牽制になる程度だ。

(待ち構えて狩るなど無粋ですわね)

 だが例え誰であろうと、困難があろうとも引く訳には行かない。申し込まれた決闘ならば尚更だ。セシリアが尤も得てとし誇りを持つ狙撃で勝負を付ける。その為の打鉄だった。重装甲故に質量が重く、外乱に強い。機動力を除けば、訓練機の中で最も狙撃に向く機体だった。

 打鉄、リヴァイヴを追尾開始。火器管制レーダー起動。セシリアの意識にリヴァイヴの機動情報が浮かび上がる。ブルー・ティアーズより雑で遅かったが、十分だった。

 リヴァイヴは上昇・下降をランダムに繰り返しつつも被弾面積を最小にする為決して正面と背後を見せなかった。

 未熟ながらもよく研究している、何よりこの状況に於いても冷静さを失っていない。セシリアがトリガーに指を掛けたのと、リヴァイヴが身を翻したのは同時だった。

 自棄になったのか、それにしては静寐の気配に乱れは無い。セシリアは彼女自身の迷いに気を取られた。7.62mmの弾丸が襲い来る。一定範囲に弾をバラ巻く、サブマシンガンの特性上、瞬時に回避行動を取るが間に合わず被弾。

 静寐は進行方向に背を向け発砲し続けていた。つまり背面の進行方向と正面の射撃方向を同時に見ていると言う事だ。人間の脳は一方向しか見えない構造となっている。ハイパーセンサーでは全方向を見られるが、正面以外はタイムラグが生じる。視野は狭いが実戦レベルにまで静寐はそれを昇華させていた。セシリアの予想を上回る彼女の武器である。

(この短期間で見事ですわ!)
(驚くのは早いから!)

 少女の思いが交差する。


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 セシリアは離脱のため左旋回。スラスターを最大に吹かす。リヴァイヴは大きく上昇し、相対速度を下げ打鉄を追い越させた。高位置を確保し打鉄を照準に捕える。

 この機を逃さないと静寐は身体を左に捻り、高位置からの重力を併用した旋回・加速、反時計回りのバレルロール・アタック。サブマシンガンの引き金を引いた。

 降り注ぐ弾丸の雨。セシリアは打鉄、装甲とエネルギー残量、サブマシンガンの集弾率、威力を計算し被弾を踏まえ地上30mをランダムな回避行動に移行する。

 リヴァイヴの攻撃が止んだ。残弾ゼロ。弾倉交換の隙を狙い急激上昇、側面を静寐に向け狙撃銃を構え、迎撃体勢、カウンターを狙う。セシリアの予想に反しリヴァイヴは兵装の量子交換する事無くサブマシンガンを投棄、腰に取り付けていたグレネードランチャーを構えていた。

(判断を早まりましたわね!)

 セシリアがそう判断したのは、グレネードの射出速度が遅く、射程距離が短い。基本的に牽制か敵の足を止めてからの止めにしか使わない。距離80m。セシリアは人差し指に力を加える。

 だが撃ち出されたグレネードは榴弾では無かった。雷の様な激しい光と巨大な音。保護機能が働き搭乗者を保護するが、僅かに遅れセシリアの意識が遠のく。静寐が撃ち出したのはフラッシュバン(特殊閃光音響弾)だった。

 リヴァイヴは最大加速、左腕のシールド・ピアースを掲げる。安定しない機動のなか杭を撃ち込み穿つ。炸薬音が第3アリーナに響いた。幾重にも張り巡らした静寐の計画の切り札は、セシリアの右肩を掠めただけだった。

「あ……」静寐はどうしてと身体を弛緩させた。
「SASで対テロ訓練を受けた事もありますの。鷹月静寐さん、貴女に敬意を」

 セシリアは眼を閉じたまま、20mm狙撃銃を静寐の腹部に当てていた。複数の銃撃音と衝撃が身体に響く。力無く墜落する静寐が見た物は、敗北を告げるリヴァイヴの報告と、夜空に浮かぶ蒼い月、それを立ちふさがる様に佇んでいた金色の少女の姿だった。


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 人間は強い光と音を浴びると思考が麻痺する。フラッシュバンにより敵を一時的に麻痺させ、奇襲する。これは対テロ部隊のセオリーだ。これだけでは無い。スピード、奇襲性、打撃力。ISの稼働時間もスキルも射撃センスもセシリアに劣る静寐はこれら対テロ部隊の概念をIS戦闘に持ち込み、シャルロットの手ほどきを受けながら、独自の戦闘スタイルを模索していた。

 静寐の敗因は代表候補ならばそう言う訓練を受けていてもおかしくは無い、という想定不足であるが、決定的であったのは勝利を目前に生じた焦りと未熟な操縦技術、余りにも経験が、時間が足りなかった。

 静寐は本音に抱きかかえられ泣いていた。本音は泣かなかったが“その時の訪れ”を嘆く様に身体を振わせていた。セシリアは何も言わず立ち去った。

 駆けつけていた鈴はしゃがみ込むと、労りの言葉を紡ぎ、気遣いの静かな笑みを浮かべた。涙に濡れる静寐の声は震えていた。

「鈴、私ね。勝てると思ったんだ。あのセシリアに勝てると思った。でも最後の最後で自分に負けた」

「静寐はよくやったわよ。入学して3ヶ月の静寐が代表候補に手を掛けかけたんだから。そうね、あと半年あれば最後の攻撃は成功してた」

「半年なんて待てない、待てなかったの。真は生徒で無くなる、セシリアを追い越す事が出来なくなる、私は隣に立てなかった……」

 箒は何も言えず只立ち尽くしていた。俯き食いしばっていた。ほんの数歩先に嘆き悲しむ友人が居る、何も出来ない。寄り添い抱きしめる事が出来ない。2人の悲しみを分かち合う事が出来ない、救う事が出来ない。彼女の心の奥底を蝕む裏切りと言う名の小さな楔が邪魔をする。

(私は2人の友人などではなかった)

 箒が踵を返したのと、本音が顔を上げその名前を呼んだのと同時だった。彼女の声は震えていた。

「本音、済まない。私はここに居られない」
「箒ちゃん、私たち箒ちゃんにお願いがあるの。とても意地悪なお願い」

 本音は頷いた静寐をみると、その願いを言葉にした。黙って聞いていた鈴は眼を伏せ逃れる様に立ち去った。箒はたた立ち尽くしていた。

「ごめんね、2人で決めたの。箒ちゃんにとっては辛いよね。でも箒ちゃんにしか頼めないんだよ」
「私は出来なかったから、本音にはできないから。だから……お願い、箒」

 本音と静寐の言葉が鐘の様に重く響く。アリーナに籠もっていた戦闘の熱が冷める頃、箒は静かに頷いた。

 箒は髪を結ぶ緑の結い布を切り裂くと2人に渡し、静寐はヘアピンを2人に渡し、本音は髪飾りを2人に渡した。ここに誓約はなされ、3人は別の道を歩む事になった。





日常編 帰国
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「拝啓お父さんお母さん。お元気でしょうか。真耶です。私はヤヴァイかも知れません。今から理由を書きます。本日、良い事と悪い事が起きました。良い事からお知らせしますね。

 知ってると思いますが、蒼月君が明日帰国します。これで2人の怖い先輩の、不機嫌と言う名の八つ当たりから解放されます。悪い知らせです。蒼月君の帰国が急遽2週間も繰り上がりました。彼は襲撃を受け大怪我をしたそうです。お陰で織斑先生とリーブス先生に表情が有りません。職員室の扉が壊れました、織斑先生です。職員室の壁の至る所に傷跡が走っています、リーブス先生です。

 同行したデュノアさん、じゃなかったディマ君を私たち2人が保護しなくてはなりません。もちろん先輩2人からです。きっとこれが私からの最後のメールとなるでしょう。私は出来の良い娘ではありませんでしたが、教師の端くれとして最低限の義務を果たします。命を賭けて生徒を守ります。

 チッチ(サボテン)の世話をくれぐれも宜しくお願いします。それでは時間が来ました、これから成田まで2人を迎えに行きます。お元気で。(;_;)ノシ まや」

「山田先生、下らない事をしていないで早く迎えに行って下さい」

 背後に忍び寄る千冬の影。放たれる強大な殺意の気配が周囲の小物を弾き飛ばし、重量物を押しのけた。建物のどこから軋む音が聞こえる。そうそうあれです、潜水艦が深く潜りすぎるとこんな音をだしますね、真耶はメールを消去し泣きながら立ち上がった。

「真耶、千代実、ISは持ったかしら」

 端末越しに聞こえるのはディアナの声である。彼女は顔を伏せたまま2人に聞いた。真耶が頷き、千代実は胸元にぶら下がる待機状態のリヴァイヴに手を当てた。

「しかし宜しいのですか? 幾ら訓練機とはいえ2機は大袈裟では? 学園教師が2人ISを携帯して外出すれば公安にマークされますし」

 ディアナはそれはそれで好都合だとゆっくり顔を上げる。真耶と千代実が見た其処には静かに笑みを湛えるディアナが居た。だが眼は笑っておらず万物を切り裂かん程である。否、千代実の背後にある別教師の、机上のコップが二つに断たれズレ落ちた。切断面に射し込む夕方の光が天井に映っていた。

 血の気を失った千代実は、何故でしょうかと声にならない声を発した。

「襲撃を受けたら彼らを巻き添えにしなさい。囮、盾は多い方が良いわ」

 日本政府はフランスでの襲撃情報を事前に掴んでいたが、先(Mの学園襲撃)の報復として通達を行わなかったのである。蒔岡宗治からその極秘情報がもたらされたのは今朝の事、千冬とディアナの怒りが頂点に達したのはその時であった。

 千冬が言う。

「山田先生、小林先生、妨害を受けた場合は手段、被害を問わず排除してください」

 ディアナが言う。

「千代実、真耶、折角千冬が冗談を言っているのだから笑いなさい」

 かくして1年1組と2組の副担任は、人類最強の2人と日本政府と2人の生徒に囲まれる非常に繊細な任務を遂行する事となり、

(真耶、終わったら一杯付き合って下さい)
(了解です。秘蔵のワインを開けますよ)

 2人は晴れ晴れとした笑顔で学園を後にした。


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 IS学園ハンガー区画第7ハンガー内の一室で、ツナギ姿の女生徒が端末に向かっていた。後頭部で結い上げた淡い栗色の髪に縁なし眼鏡。背格好は箒と同程度、3年整備課主席にして整備課第4グループの長、布仏虚である。

 彼女が向かうのは改修後のみやのデータだ。虚の情報処理能力は整備分野限定すればシャルロットを大幅に上回る。推進機、エネルギー伝達機構、情報処理機能、大量かつ高速に流れるデータを読み取り、情報の体系化、内容を把握する、その姿を見れば彼女の整備士としての能力を垣間見る事が出来るだろう。

 区切りを付け、椅子にもたれ伸びをする。青から赤に変わった空を見上げる彼女の表情は優れない。デュノア社のジャン・ビンセントより改修を引き継いで以来この調子であった。

(軍用システムがこれ程シビアとはね、調整に手間取りそうだわ)

 訓練機は軍用機のスペックを落とした物だ、一言で言えばそうなる。性能と引き替えに、フレームや基本デバイスの負荷を低減でき、調整の容易性、耐久性、操作性や壊れ難さを得ることが出来る。訓練機が初心者向けである所以だ。虚と言えども、軍用機に携わるのは初めてとなる。彼女の不安の原因であった。

(おじいさんか渡辺さんに相談してみようかしら)

 急遽帰国することになった、よく知る目付きの悪い少年を思い浮かべると、更に不安がのし掛かる。怪我してなければ良いけれど、そう溜息をつく虚に薫子が言葉を掛けた。

「虚先輩はフランス語出来るんですか?」
「読むだけならどうにか、よ。資料がフランス語だから大変ね」
「……資料来てから覚えたんですか?」

 ジャンから資料が送られたのは昨日の事だ。これだから天才は嫌なのよ、とその事実に薫子はげんなりと肩を落とした。

「それで何か用?」
「あ、はい。先輩宛に荷物が届いてます。どうしましょうか」
「誰から?」
「先輩のおじいさんです」
「そう、持ってきてくれる?」
「重すぎて無理です、沢山有りますし」
「中身は何?」
「……IS用の兵装です」
「……沢山?」

 その頃、第4グループを含む整備課の少女たちは眼前に並べられた数々の兵装に盛り上がっていた。

 一つ目は弓にグリップが付いた単純構造の武器。

「これクロスボウだ」
「IS戦じゃ意味なくない?」
「熱源が無いから運用次第だと思われ」
「矢と言うより殆ど杭だね、これ」


 二つ目は板を丸めた様な形の盾。

「このアームガードっぽいのなんだろ。先っちょにかぎ爪が付いてる」
「内部に射出機構とワイヤードラムがあるね、ワイヤーアンカー?」
「……使えるのこれ?」
「うわ、このワイヤー空母で使う奴と同系素材だ」
「アレスティング・ワイヤー? 戦闘機の着艦に使う奴?」
「そうそれ」
「ISの牽引にでも使うのかな」


 三つ目は弾倉を除けば全長3m近くある回転式機関砲。

「ねーこのガトリンク砲、口径30mmもあるよ」
「30mm……?」
「でかっ! なにこれ! ISに積めるの?」
「GAU-8/A……この型式どこかで見た様な」
「そ、それって、あ、あべ―」
「阿部?」
「Avengerデス」
「「うそっ」」
「マジかー」


 最後は黒い物体だった。

「……これなんだと思う?」
「大キイデスネ。4mハ有リマス」
「バズーカっぽい」
「バレルの隅に“黒釘”って銘打ってる」
「あのさー弾もあるんだけど、これ“APFSDS(Armor Piercing Fin Stabilized Discarding Sabot:装弾筒付翼安定徹甲弾:そうだんとうつきよくあんていてっこうだん)”って書いてある」
「それって戦車砲弾かもー」
「「「……」」」


 目の前の惨状に呆然としながらも虚は電話を手に蒔岡時子と話していた。彼女は蒔岡宗治の長女であり、虚の叔母に当たる。

「これは一体どういうことでしょうか」
『いやそれがねーお父さん大激怒しちゃって、準備してた奴とは別に色々追加して送ったのよ』
「大激怒?」
『防衛省に居るお父さんの友人から電話があったのよ。私も詳細は知らないんだけど、真が怪我したらしくて。そしたらお父さん“ウチのもんによくもやりやがったな、この落とし前付けさせてやる”って社員総出で改修した、そういうワケ。虚は何か聞いてない?』

(真が怪我?)

 タブレットを見ながら歩み寄る薫子が虚に言う。

「先輩、みやのデータ見てたんですけどIS制御のフィジカル・パラメータから左腕と肉眼がカットされてます、何でしょうかこれ……どうしたんですか? 顔真っ青ですよ」

 横須賀での騒ぎ、渡仏、急なみやの改修引き継ぎ、祖父の怒り、フィジカル・パラメータ、一連の要素から導き出した推論に虚は世界が眩む程の不安に襲われていた。


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「遅い」
「落ち着きなさい千冬。前の“遅い”から5分経っていないわよ」

 陽も落ちた午後8時。学園内教師用マンションのディアナの部屋で千冬は苛立ちを隠さずに待っていた。腕を組み指でリズムを刻む。唇は強く結ばれ、瞳は落ち着かず彷徨う。

 コーヒー煎れるから飲みなさい、ディアナは苦笑しながら立ち上がると食器棚に手を伸ばした。カップを取り出し、ドリップ式のインスタントパックを乗せるとお湯を注ぎ始める。皿に置かれた小洒落た小さめのコーヒーカップだった。千冬はそれを見ると思い出した様に部屋を見渡した。

 ベッド、ソファー、ローテーブルにシェルフ。部屋の大きさと家具の数を考えれば相応に狭いはずだが、圧迫感を感じさせない様に置かれていた。家具は歴史を感じさせる深みのあるダークブラウンの木製で、淡いクリーム色の壁、それらをパステルイエローの間接照明が部屋を淡く照らす。友人のその部屋は、清潔感溢れるが神経質すぎず、柔らかさと暖かさを兼ね備えていた。

「そんなに劣等感を感じるなら部屋の掃除ぐらいしなさいよ。恋人どうこう以前に神経を疑うわ」

 見透かす様なディアナの発言にそうでは無いとコーヒーを口にした。千冬はディアナに多少なりともコンプレックスを抱いていた。もてたいと強く願った事は無いが、世間一般の男性が2人を見比べた場合どちらを選ぶのか、こうして見せつけられると自信も揺らぎ不安も沸き起こる。沈黙が訪れ、カップに波打つ波紋をじっと見た。何時から私はこの様な弱音を吐く様になったのか、と溜息をついた。

「やはり迎えに出る」

 立ち上がりジャージの上着を手にした千冬に、ディアナは溜息をついた。

「止めなさい。千代実と真耶から暗号通信あったでしょ? あの2人はああ見えて優秀だから大丈夫よ」

 追跡と妨害を予想していた千代実と真耶は二手に分かれた。漸く復帰したアレテーの支援も受け、事前に配置しておいた車に3台乗り換え追っ手をまいた。その暗号通信が入ったのは今から2時間前だ。

「予定ならもうじき学園管制空域に入る頃だわ」
「しかしだな」
「真が出発するとき無許可で成田まで行ったわよね? 次無断で空域外に出ると減俸よ」
「金銭の問題では無い」
「生徒に示しが付かないわね?」

 いつもの2人のやりとりであった。身内が絡むと千冬は判断を誤る、その都度ディアナが止めるのであった。容易な問題を投げかけ回答という形で心の不安を吐かせ、落ち着かせたところで千冬の義務感に訴える。千冬はしばらくすると再び腰を落ち着けた。腕を組み静かに目を閉じた。

(あの時ディアナがいれば一夏もあいつも助けることが出来たのかもしれない……私の人生は後悔ばかりだな)

 表情を僅かにも動かさず自嘲する千冬にディアナは咎める様にこう言った。

「馬鹿なこと考えてるわね、止めなさい」
「お見通しか、ポーカーフェイスには自身があるのだがな」
「貴女って本当に素直よね、純粋だって腹立たしいけれど当たってるわ」
「……誰がそんな事を言った?」
「秘密」

 千冬は眼を細め睨み上げるが、ディアナは涼しい顔だ。常人なら腰を抜かさんばかりの威圧を受けて悠然とコーヒーを飲んでいる。

「言え」
「言わない」
「何故だ」
「悔しいからに決まってるでしょ。本当に千冬の何処が良いのかしら。家事はからきしだし粗暴だし」

 千冬は底冷えする声でディアナと呼んだ。ディアナは眼を細め何かしらと笑い返した。部屋の呼び鈴が鳴ったのは勃発の直前である。2人はしばらく見合うと咳払いし、身繕いのあと玄関に向かう。千冬は白のTシャツに白ジャージ。ティアナは淡い紫のマキシワンピース。

 扉を開くと2人は言葉を失った。其処に立つのは彼女らのよく知る、首に糸傷と左頬に裂き傷を持つ目付きの悪い少年だった。亜麻色のジャケットで黒のTシャツを纏いダメージデニムを穿いていた。送り出した時と同じ出で立ちだったが今は欠け落ちていた。顔から生気が欠け、瞳から光が欠け、左腕を欠いた、満身創痍の少年だった。

 真耶に促されると彼は2人の姿を認めた様に黒い目をゆっくりと動かした。彼が踏み出した右足は宙を切り、そのまま気を失い崩れ落ちた。千冬はとっさに彼を受け止めた。血の臭いを漂わせる様になった少年を、落とさない様抱きしめ直すと彼の髪に唇を添えた。ディアナはその髪を何時までも撫で続けた。


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前回書き忘れましたが、シャルのリヴァイヴIIの兵装、ガルムなどは原作に沿い口径表記で行いました。


2012/10/08



[32237] 05-06 日常編17「予兆」【12/10/17大修正】
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/10/17 22:42
日常編 予兆
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 あの3人娘は相変わらず仲が悪く、箒は余所余所しい。

 シャルは言えないの一点張りだったし。

 真が生徒じゃ無くなる。

 千冬ねぇは何か隠してる。

 皆がみな、真がまことがと言う。

 なんだか気に入らない。よく分からないけど気に入らない。


 陽も落ちた午後8時。机に向かっていた俺はテキストとシャープペンを放り出した。椅子の背もたれに体重を預けふんぞり返る。腕は頭の後ろで組み上げ、足は机の上に投げ出した。

「あーーーー」

 と、声を出してみた。“あ”と言う音が身体を震わす。意外と心地良い。この発声による振動が身体に良い影響あたえるらしい。練習すると某漫画の退魔師みたく呪文を使えるとか。いやしらんけど。

「あーーーーー」

 真の通達があったのは一昨日だ。その話題は瞬く間に学園中に広がった。ある娘は休み時間にまたある娘は食事時に、また授業中。帰ってきたらまたからかいに行こうとか、ご飯を奢らせようとか盛り上がっている。ふと思えば皆の扱いが俺らと違っていた。俺ら、俺とシャルは何故か迫られたり追いかけられたりするが、真は普通に話している。相談を受けたり、冗談を言い合ったりしている。前に俺はこんな風に聞いた事があった。

『なんかずりーぞ』
『有名税だろ、諦めろ。イケメン』

 何かむかつくな。気がついたら扉を叩く音が鳴っていた。身を起こし立ち上がり、扉を開けると其処に鈴が居た。鈴はノースリーブのゆったりとした白いワンピースを着ていた。ウェスト周りで少し絞り、ひらひらのスカートが華咲いている。室内着にしては少しよそ行き風の装いだった。

「よー というかなんか久しぶり?」
「そ、そうね。最近余り話してなかったし……」
「何時以来だっけ?」
「イチカにおんぶされた辺り……じゃない?」

 あーあの時か。鈴が言うのは真に持ち上げられて俺がおんぶした日のことだ。そう言えばあの時の鈴も変だったもんな。俯いたまま一言も話さなかったし。

 何か用か、そう言おうと鈴を見たら両手を後ろで組み上目遣い。ほんのりと頬を染め、らしくなくもじもじと身体を揺すっていた。響き合うかの様に、波打つスカートとツインテール。俺は正直面食らっていた。転校当初の鈴は良く言えばハツラツ、悪く言えばガサツ。だが今俺の目の前に居るその女の子はそう言った感じが消え、暖かみというか、しっとりとした雰囲気を纏っていた。こいつこんなに可愛かったっけ?

 落ち着かないと言わんばかりに、視線が泳いでいた鈴は、1つ大きな息を吸うと決意した様に俺を見上げた。なんだ?

「ねぇイチカ……アタシのことどう思ってる?」
「セカンド幼なじみ」
「……そうじゃなくてさ、ほら外見とか仕草とか。昔と比べてどうとか。可愛くなったとか」

 鈴は両手を挙げると、ツインテールの黄色い結い布にほらほらと手を添えていた。

「うん可愛いと思うぜ」
「ほ、ホント?!」
「ホント。弾に写真を送るから一枚撮らせてくれ、きっと面食らう」

 鈴はぴくりと頬を引きつらせた。

「そーじゃなくってっ!」
「まだ8時だけど大声出すなよ、ご近所迷惑になる」

 ほらみろ、遠くで女の子2人がひそひそと話してるじゃ無いか。噂は怖いんだぞ、真の時みたく。

「ねぇ……」

 そういう鈴は一転俯いて小さく呟いていた。よく聞き取れない。

「らしくねぇな、何時もみたいにばしっと言えよ」
「……気にならなかった?」
「なにが?」
「ほら、アタシ真と一緒の部屋だったじゃ無い? 一ヶ月間も」
「おぉう、また古い話を」

 “古い”に鈴の肩がぴくりと揺れた。あれ? 何か地雷踏んだか?

「不安にならなかった?」
「そりゃーしたさ。あんな大騒ぎがあったからな」

 1年生中から責められたり、リーブス先生が怒ったり、静寐と喧嘩したり、真の首が切られたりしたからな。因みに真は死んでない、念のため。

「……心配にならかった?」
「だからしたって」
「アタシ16の男の子と一緒に暮らしてた」
「おう」
「バスタオル姿見せた」
「あー扉を開けたら2人で睨み合ってた事あったよな。どういう状況か少し迷ったんだぜ」
「……全部みられた」

 なんと。だがシャルのを全部見た俺としてはどうこう言える立場でも無い……いや少しむかつく。真の野郎、人のセカンド幼なじみにそんな不届きなことしやがったのか。

「よし分かった。任せとけ」
「……何がよ」
「戻って来たらぶん殴っとく」
「ほんとに?」

 少し顔を上げた鈴の眼は潤んでいた。そうか、そんなにむかつくか。よく分かるぜ鈴、真はむかつく。しかしだ。

「気持ちはよく分かる。でもあれだぜ? そもそも真と同室になったのは鈴が本来のルームメイトと喧嘩したからだから鈴も2,3発で勘弁―」

 その時右の平手がゆっくりと飛んでくる事に気がついた。俺は避けようか、それともその手を掴もうか迷った。どちらもしなかったのは鈴の顔を見たからだ。パシンッと鋭い音が夜の廊下に響き渡り、左頬に鋭い痛みが走る。

 理解出来ないと数回瞬きした。目の前の鈴は肩を小刻みに振わせ、怒りを滾らせて俺を睨み上げていた。けれど、瞳には大粒の涙がぼろぼろと溢れ、唇は強く結ばれていた。

「あ、あのさ、りん」

 鈴は何も言わず振り返ると足早に立ち去った。


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「はぁ」

 溜息しか出ない。何が何だかよく分からない。腹の底にあるもやもやが今やごろごろだ。ただまぁ鈴に関して言えば、

「俺が悪いんだろうな……」

 明日謝ろう。でも理由も告げず引っぱたくのは納得いかない。じくじくと痛む左頬にそっと手を添えた。これ明日までには消えるんだろうか。

 頬の痛みと夜明けと共にやってくるであろう憂鬱な時間を考えると頭が痛い。クラスメイトからの質問攻撃だけは、何度されても慣れるもんじゃないぞ。テキストの文字がまったく頭に入らないし、起きていても碌なことが無さそうだ。9時前だけれどもう寝ようと席を立ったその時だった。

「一夏、ただいま」

 がちゃりと扉を開けて現われたのはシャルだった。黒の襟付き半袖シャツに、白いハーフパンツ姿で、キャリーケースを転がしながら目の前を通り過ぎる、事は無く、

「日本のこの時期は蒸し暑いね。日本は好きだけれどここだけは辛いかな……って一夏、その左頬どうしたのさ?」

 目の前で立ち止まった。俺はジト眼で睨むシャルの二の腕を両手で掴んだ。

「い、いちかっ?」

 シャルが居る、帰ってきた。つまり真も戻って来たと言うことだ。今までため込んでいた全部が一気に吹き出した。

「真はどこだ! 一緒じゃ無いのか! 部屋か?! あいつに聞きたい事が! 言いたいことが!」
「痛い! 一夏痛いよ! 離してっ!」

 シャルは顔を赤くして端正な表情を苦痛に歪めていた。大袈裟だろ、殆ど力は入れてない。シャルは何とか逃れようと身体を動かしていたが、意味が無かった。あれ? シャルの足が浮いてる、いくら何でも軽すぎないか? 小さい子供並だぞ。

 呆然としていたら手刀で頭を叩かれた。思わず両手を離しシャルがとすんと尻餅をつく。

「何だよ箒……静寐?」

 振り向いたら静寐が立っていた。タンクトップに折り目の付いたショートパンツ姿だ。とても珍しい。静寐は肌を露出する服装を滅多に着ないからだ。いやいやそうじゃない。

「何しやがる!」

 思わず声を荒らげてしまった。しまったと罰悪く、恐る恐るみれば静寐は涼しい顔で、それどころか両手を腰に添えて睨み上げきた。

「それはこっちのセリフ。一夏は、最近特に力が強いんだから気をつけて」
「……おう?」

 訓練の成果か? イマイチ実感が無いけど。

「それで、これはどういうこと?」
「へ?」

 静寐がぴっと指さした其処にシャルが身体を抱きかかえてしゃがみ込んでいた。シャツが背中側からぐるりと破れ、胸を押さえている淡いピンクのサポーターがその姿を覗かせていた。しまった弁償しないと、いや先に謝罪だ……違うだろ。静寐にシャルのことがバレた。

 ゆっくりと振り向いた其処に、採光を欠いた眼で静寐が睨んでいる。一年最強は鈴だけれど、最凶は静寐だと俺は常々思っている。すっげー怖い。俺は無言でかくかくと頷くだけだった。もちろん白状するという意思表示。


-----


「と、言う訳なんだ」

 シャルに謝り倒し、静寐のツッコミ込みで今度服を買いに行く事にして、取りあえずその場は収めて貰い、ココアで一息入れたあと静寐の尋問が始まった。シャルが本当は女の子と言う事、デュノア社の関係者で、俺らを調査しに来たこと。そうしないとリヴァイヴの保守に問題が出ること。要所要所誤魔化すつもりだったが、静寐の鋭いツッコミで結局俺は殆ど吐いてしまった。

 恐る恐る見上げれば、静寐が眼を瞑って座っている。どうして見上げているかと言えば静寐がベッドに腰掛け、俺は床に正座だからだ。静寐って何時からこう言うキャラになったんだろう。因みにシャルは静寐の隣に座っている。

「つまりは、一ヶ月近くも騙していたいう事?」

 む。怒りは当然だが言い方ってもんがあるだろう。ほらみろシャルが凄い落ち込んでるじゃないか。だから俺はカチンときてつい睨んでしまった。

「違う、私が言っているのは一夏が女の子と一緒に暮らしていたと言う事。箒の事」
「何で箒がでてくるんだよ」

 はぁとすっごい溜息をつかれた。

「一夏は前からそうだったけど最近特に酷いよね、何かいらつくような事あった?」
「それ酷くないか?」
「感情にまかせて騒ぎを起こし、シャルの事が私にバレた。輪を掛けて更に変」

 今度は特大の溜息だ。俺は具体的な指摘にぐうの音も出なかった。いらつくか……このもやもや感の事を指しているのか俺にはよく分からなかった。

 静寐はリヴァイヴの保守の意味を早々に理解したみたいだ。こういう時頭の回転の速い娘は助かる。それにデュノア社との関係も聞いてこなかった。過度にカスタマイズされたリヴィアヴ、男装までして潜り込んだ、そしてシャルの性格。何となく察しは付いていたんだろうと思う、それを分かった上で聞かない。静寐ってのはそう言う娘だった。真の奴は何が不満なのかね、パスタだって美味かったのに。

「悪いんだけどよ、シャルのことは内密に」
「言いません。馬鹿にしないで」
「ついでに箒にも」

 最近余り話してないけれど、箒は他の娘と話しているだけでも不機嫌になるからな。だが静寐の回答は少し予想外の物だった。

「だから言いません。それに言ってももう意味がないから」

 どういうことだ? そう言えばおかしい。静寐ならシャルが居る時点で真も戻って来ていると分かったはずだ。けれど静寐は一向にそれを聞かない。ひょっとして真の奴本気で愛想尽かされた? それとも箒と本音と何かあったのか? そもそも静寐は何しに来た?

「用件忘れてた。一夏、トーナメントのことなんだけど」

 喉まで出かかった疑問を取りあえず納める。状況が掴めないから取りあえず聞いてからにしよう、話の腰を折ると拗れそうだったから。

 因みに静寐の言うトーナメントとは学年別個人トーナメントの事で、文字通り誰が最も強いか、その順位を決める試合だ。基本的に全員参加なので一週間掛けて行う。例年通りなら6月末に行われるのだけれど、今年は諸般の事情で7月に行われる事になった。理由の通達は無いけれど、あの事件の影響だろう……おもしろくねぇ。


-----


 着替え終わったシャルが脱衣所から出てきたのと、ごごごという地響きが聞こえてきたのと、静寐が口を開いたのは同時だった……地響き? バァンって扉が盛大に開くと女の子達がぞろぞろと。あっという間に俺の部屋が占領され逃げ惑う様にベッドの上に上がり込んだ。少し情けないが、目が少し血走っていてかなり怖い。

「織斑君!」
「お、おう?」
「あ! ディマ君も帰ってる!」
「な、なにかな?」
「「「織斑君! ディマ君! パートナーになって!」」」

 びしと突き付けられたプリントを読むとそれは緊急告知された申込書だった。要約するとこうだ。7月初旬に行われるトーナメントはより実戦的に行う為ペアで行う。ただし専用機持ち同士のペアは禁止とし、また公正を期すため専用機持ちは相応のハンデキャップを科す。それで申し込みは明日まで。成る程、それでこの鬼気迫る少女たちか。

 つまりシャルは静寐と組むしか無いわけだ。バレたら事だもんな。そしたら、

「みんな御免。僕は今回欠席なんだ」
「「「えーーーー」」」

 まじで? と俺は呆けた様にシャルを見た。シャルが言うにはドクター・ストップらしい。そう言えば顔色も少し悪く貧血っぽく見える、フランスで何かあったのか?

「「「なら織斑君!」」」

 ひぃ! 突き出された手はゾンビの如く。思わず腰が抜けそうになった。どうする……箒に頼むか? 俺のピンチを救ったのは我関せずと静観していた静寐だった。慌てること無くしっかりとした言葉と立ち振る舞い。何というか、しっかり者ここに極まりそんな感じだった。威風堂々は言いすぎで無いかもしれない。

「一夏これにサインしてくれる」
「え、あ?」
「ここと、ここね」
「おう」

 さらさらっと。あ、しまった。

「と、言う訳だから。皆ごめんね。一夏、これから打ち合わせしよう。部屋に来て」
「静寐! 抜け駆け!?」
「てゆーか! 乗り換え?!」
「それっていくない!」

 非難囂々雨あられ。だが我らが最凶静寐さんは、

「なに?」

 一睨みで黙らせた。うわ、みな真っ青だ。あの眼って女の子にも有効だったのか。慣れている俺でも怖いもんな。ほらあの娘、腰を抜かしてるぜ。ほら、と俺の手を引く静寐の行く先の、人混みは逃げ惑う様に真っ二つだ。モーゼかよ。

「失礼なこと考えてない?」

 即バレだし。

「あー仕方ないか、静寐ってセシリアとタメ張ったんでしょ?」
「よく分からないけど、良いところまでいったらしいよ」

 そんなぼやきを背に俺らは部屋を出た。俺は事態を飲め込めないまま流されてしまった。よく分からない。ただ一つ言えることは、ぐいぐいと俺の手を引く静寐は別人の様だった。こんな強引な性格だったか?

「なぁ静寐」
「なに?」
「セシリアと戦ったって本当か?」
「本当」
「勝ったのかよ?」
「負けた」

 うわ、やぶ蛇だよ。握る手がぴくりと動いた。いかん話題を変えねば。

「箒と組んだ方が良いんじゃ無いのか?」
「箒も欠席」
「……なんで?」
「シャルが来る前1年生は全クラスで偶数だったでしょ? シャルと真2人が抜けたから」

 あぁそうか。1人ハビがでる。ちょっとまて。

「何で箒が?」
「箒って篠ノ之博士の妹で特別扱いに理由が付けられる。だから」

 なんかむかつくな。いや、箒と静寐は同室だから2人でハビの対策を練ると言う事か。

「箒ならいま留守。それに箒は納得してる」
「……ならなんで打ち合わせを静寐の部屋なんだ? 俺の部屋で良いだろ?」
「本音からメッセ入ったの。鈴が泣いて帰ってきたって。何をしたのか、洗いざらい吐いて」

 この夜延々一時間行われたのは、打ち合わせ言う名の尋問と説教だった。


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 なんだか面白くない。よく分からないけど面白くない。

 朝日が眩しいので目が覚めた。ベッドの上でゆっくり起き上がると、ブラインドの隙間から陽が射し込んでいるのに気がついた。

 時計を見たら6時だと言っている。右手で左脇の下をボリボリ掻いて、寝ているシャルを起こさない様立ち上がった。洗面台に向かい顔を洗って寝癖を直し、ゼリー飲料を飲みながらジャージに着替えた。廊下に出ると同じくジャージ姿の女の子がちらほら見える。彼女たちはこれから朝練に励むのだろう。

「一夏おはよう」

 そう軽い足取りで近寄るのは2組の清香だ。何時もの様に底抜けた笑顔でこっちまで嬉しくなる。笑顔は良いね、あの阿保に清香の爪の垢を煎じて飲ませてやりた……爽やか笑顔の真を想像したらキモいのでやっぱりやめだ。

「おはよう、朝練か?」
「ちちち、トーナメントが近いから部活はお休み。自主トレだよ」

 人差し指を振る清香は何故か得意げだった。

「随分気合い入ってるな」
「そりゃもちろん。3ヶ月の成果を試す良い機会だしね」
「鈴と組むのか?」
「もちろん♪」

 その鈴だけれど、落ち着くまで様子を見る様にと静寐に釘を刺された。そこまで怒ることは無いと思うんだけどな。よくわかんねぇ。

 因みにトーナメントは1クラス30名、1年生だけで120名も居るから相当な規模となる。上級生も参加するけど、2年3年では1クラス分つまり整備課の人は参加しないからまだマシだ。その分整備課の先輩たちは訓練機の整備でてんてこ舞いらしい。今年は特に虚先輩のグループが抜ける事になったとかで例年以上に大変なのだそうだ。

「それじゃ鈴を待たせてるから、また後でね。それと余り虐めないでよ」

 清香は釘を刺すと大きく手を振りながら立ち去った。


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 外に出ると晴れていて、自主トレに励む女の子たちが見えた。もちろん俺も同じだ。日々の鍛錬が重要なのである。俺は、最初にゆっくり歩いて、次は強歩。身体が温まってきたら、ストレッチ、その後腕立て伏せやスクワットなどの筋トレに移る。最後は長距離走だ。もちろんスタミナを付ける為。走っていたら5名の女の娘小隊に話しかけられた。たしか4組だっけ?

「織斑君一緒に走ろうよ」
「おぅ、良いぜ」
「らっきー」
「調査した甲斐あったね♪」
「調査?」
「なんでも!」
「ないよっ!!」

 よく分からないけど、女の子連帯感という奴だろう。しつこく聞くとひんしゅくを買うのでこういう時は触らないのに限る。

 流れる樹木から朝日が漏れ、射し込んだ光が歩道を模様にしていた。朝のひんやりとした空気はそろそろ終わだと言わんばかりにセミが鳴き始めた。今年は早々に梅雨明けしたらしい。最初は話ながら走っていたけれど、しばらくすると皆口を利かなくなったので俺も喋るのを止めた。やっぱり真面目にやらないとな。しばらく黙々と走り、時計を見たら7時半だったのでそろそろ上がろうと、振り向いた。

 みんな汗だくで息を切らしていた。あれ?

「お、おりむらくん、ペース早すぎ……」
「なんで汗1つ書いてないかな……」
「5キロ15分って何……」
「エルザが居なくないぃぃ?」
「さっき脱落した~」

 女の子だしな、体力が劣るのはしようがない。そう言えば真は男のくせにだらしないんだ、何時もゼェゼェ言っていた。その都度この体力馬鹿めと恨みがましく言うのだ……うん、すこし気分が良い。俺は女の子たちと別れ、クールダウンがてら遠回りして寮に戻った。もちろん整理体操は忘れない。

 部屋に戻りシャワーを浴びる。シャルは休みだというのでまだ寝ていた。とても疲れている様でぴくりともしない。俺は起こさないよう静かに制服に着替え鞄を手に食堂へ向かった。

 朝食を手にする女の子たちは何時も騒がしい。だけれど、何時もはISスーツのデザインだとか、休みの日どこかに行こうだとか、どこどこのケーキがおいしいとか、そういう話は無くトーナメントの話題一色だった。

 焼き魚に味噌汁、海苔に納豆、お新香に白いご飯。朝はこれに限る。お盆を持ち空いている席を探していたら、

「おりむーおはようー」

 そう言うのは本音だった。だぼだぼの長い袖をぶんぶんと振っている。見れば4人掛けの席に何時もの3人が居た。もちろん残りは静寐に箒で、3人とも既に身だしなみ完了の制服姿だった。静寐と箒が隣に座っていたので俺は本音の横に腰掛けた。あれ? なんか違和感が? 静寐と箒の髪が濡れているせいか?

 クロワッサンを千切りながら言うのは静寐だった。

「一夏は自主トレ?」
「おぅ、静寐達もか?」
「そう」
「そう言えば静寐達は何処でトレーニングしてるんだよ見たこと無いぜ?」
「トレーニングルーム」

 ぐあ。そう言えばそんな設備があった。今まですっかり忘れていたのは男が使えないからだ。総合運動設備棟、別名エステティック要塞。他にも大浴場に露天風呂、サウナにマッサージ、アロマテラピールーム、美容と健康、至れり尽くせりだ。せめてジム位解放して欲しいのだが、いかんせん更衣室が一室しか無いため“無理です”と真耶先生に笑顔で切られた。

「みんながんばるよね」とは本音だ。いや本音もがんばれよ。

 静寐が話題を入れ、本音が合いの手を入れ、箒は時々相づちを入れる。懐かしさを感じる何時もの風景。だが何かがオカシイ。そうだ、この3人が一緒に食事を取っているのは何時以来だ? それに真の話題が無いのも変だ。セシリアと静寐が模擬戦をしたという話も詳しく聞きたい。

 目の前には姿勢正しく座り、箸を振っている箒がいる。3人に何かあったのか、トーナメント不参加とはどういうことだ、それら聞こうとして開いた口は箒の言葉に遮られた。まるで察しが付いていたかの様なタイミングだった。

「一夏」そう俺を呼んだ箒は眼を合わすことなく碗に口を当てていた。
「お、おぅ。何だ?」
「訓練は順調なのか?」
「順調じゃないな。手探り状態だ」
「仕方ないな。テキストも飛び道具の戦い方しか教えていないからな」

 そうなのだ。“ISにおける戦術論”と言う教科書があるのだが、もちろん銃ばっかりで剣を使った戦い方など書いていない。精々アサルトナイフで更にそれは銃が使えないときの緊急用扱いだ。

「なぁ箒。また教えてくれよ」

 俺は解した魚を食べつつ言った。それは特に強い気持ちがあった訳では無い。けれど、

「できない」

 言い切られるとは思わなかった。箒は調子を崩さず箸を運んでいた。

「……理由を聞いて良いか?」
「私が知っている事は大地に足を付けた剣の使い方だ。トーナメントでは大半が空を飛び、銃を使う。IS戦における剣を使った戦い方、つまりIS剣法は私とて模索中だ」
「それなら尚更だろ? 1人より2人だ」
「はっきり言う一夏。生身はともかくIS戦に於いて、今では私よりお前の方が強い」
「……箒が俺より弱いって嘘だろ?」
「嘘では無い」

 対抗戦の時一夏の戦いを見ていた、あの時点で私より強かった。箒はそう小さく呟くと、

「これからは静寐に頼るんだ」

 先に失礼する、そう言って立ち去った。静寐はこれから放課後空けておいて、そう俺に告げると箒に続いた。呆気に取られていた俺は、戻るという本音に慌てて席を立った。ゆっくりと椅子の上を動き、立ち上がった本音は何時もの満面の笑みだったが、何かが違っていた。

「おりむーは目標があるのかな?」
「本音にはあるのか?」
「うん。するべき事を決めた、現実を受け入れたんだよ」

 とたとたと立ち去る本音を見送った俺は3人の違和感に気がついた。それは静寐がヘアピンではなくイヤリングをしていた事、本音は小動物をあしらった髪飾りをせずに、長い髪の先を結っていた事、箒の結い布は緑ではなく白だった事だ。俺は訳が分からずに呆然と立ち尽くしていた。

「なんなんだよこれ」

 仕方がない、諦め、受け入れる。纏わり付く腹が立つ雰囲気に疎外感、自分自身の理解出来ない行動、俺は何もかもが気に入らなかった。

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 HEROESの一夏は原作基準です。特別だけれども、強気、正義感溢れる15歳の少年。今回の話はもちろん今後も彼を貶める気は全く無いのですが、今まで真を見てきた読者の方々にこの一夏がどのように映るか非常に不安。朴念仁具合含めて。

 因みに一夏主観は2度目のトライですが、難しいです。雰囲気は再現出来ているのでは、と思うのですが、ご意見あれば頂戴いたしたく候。


2012/10/12


■追伸2(2012/10/17)
修正しました。誠に申し訳ないです。


【A】
「と、言う訳なんだ」

 シャルが本当は女の子と言う事。デュノア社の関係者で、俺らを調査しに来たこと。そうしないとリヴァイヴの保守に問題が出ること。要所要所誤魔化すつもりだったが、静寐の鋭いツッコミで結局俺は殆ど吐いてしまった。

 愛想笑い浮かべて見上げれば、~

   ↓


「と、言う訳なんだ」

 シャルに謝り倒し、静寐のツッコミ込みで今度服を買いに行く事にして、取りあえずその場は収めて貰い、ココアで一息入れたあと静寐の尋問が始まった。シャルが本当は女の子と言う事、デュノア社の関係者で、俺らを調査しに来たこと。そうしないとリヴァイヴの保守に問題が出ること。要所要所誤魔化すつもりだったが、静寐の鋭いツッコミで結局俺は殆ど吐いてしまった。

 恐る恐る見上げれば、~




【B】
「違う、私が言っているのは一夏が女の子と一緒に暮らしていたと言う事。箒の事」
「何で箒がでてくるんだよ。つーか俺が言うのも何だけれどよ、静寐は怒らないのか?」
「怒ってます」
「そうは見えないぜ?」
「一夏に怒ってるの」

 成る程それで俺を睨んでいるのか……何という冤罪! 無実の罪には断固として抗議する!

「付け加えれば一夏が感情にまかせて騒ぎを起こし、シャルの事が私にバレた。お粗末」

 ぐうの音も出なかった


   ↓


「違う、私が言っているのは一夏が女の子と一緒に暮らしていたと言う事。箒の事」
「何で箒がでてくるんだよ」

 はぁとすっごい溜息をつかれた。

「一夏は前からそうだったけど最近特に酷いよね、何かいらつくような事あった?」
「それ酷くないか?」
「感情にまかせて騒ぎを起こし、シャルの事が私にバレた。輪を掛けて更に変」

 今度は特大の溜息だ。俺は具体的な指摘にぐうの音も出なかった。いらつくか……このもやもや感の事を指しているのか俺にはよく分からなかった。


【C】
 脱衣所で着替え終わったシャルが出てきたとき地響きが聞こえてきた。ごごごって感じの……地響き?~

   ↓

 着替え終わったシャルが脱衣所から出てきたのと、ごごごという地響きが聞こえてきたのと、静寐が口を開いたのは同時だった……地響き?~


【D】
 仕方がない、諦め、受け入れる。纏わり付く腹が立つ雰囲気。俺は何もかもが気に入らなかった。

   ↓

 仕方がない、諦め、受け入れる。纏わり付く腹が立つ雰囲気に疎外感、自分自身の理解出来ない行動、俺は何もかもが気に入らなかった。



■追伸(2012/10/13)
一夏と清香の会話、一夏と箒の会話を修正しました。

(1)
「もちろん♪」の後"その鈴だけれど、落ち着くまで様子を見る様にと静寐に釘を刺された。そこまで怒ることは無いと思うんだけどな。よくわかんねぇ。"を追加。他を少々。

(2)
 対抗戦の時一夏の戦いを見ていた、あの時点で私より強かった。箒はそう小さく呟くと、

「それでは先に失礼するぞ」

 そう言って立ち去った。
   ↓
 対抗戦の時一夏の戦いを見ていた、あの時点で私より強かった。箒はそう小さく呟くと、

「これからは静寐に頼るんだ」

 先に失礼する、そう言って立ち去った。



[32237] 05-07 セシリア・オルコット6
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/10/14 21:09
“05-06 日常編17「予兆」”の清香と一夏の会話修正・追加しました。と言うかヌケ。申し訳ないです。詳細は末の説明を参照して下さい。


 セシリア・オルコット6
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 夜明けもほど遠い闇夜の中で彼は眼を覚ました。意識と無意識、現と夢、主観と客観、真理と解釈、混濁する世界のなかで、無意識に伸ばした手は宙を切った。左手は伸ばすことすら叶わなかった。彼の側にたゆたうもう一つの意思。それに気づいた彼は心臓の方に寝返りをうった。伸ばした右手はその女の頬に触れ、女の存在を確認すると彼の意識は再び闇夜に落ちた。


 ディアナが眼を覚ましたのはその3時間後だ。時計は午前6半時を指していた。彼女は隣に寝ている包帯だらけの少年を確認すると、ベッドから抜け出し朝の準備に取りかかった。熱めのシャワーで身体を目覚めさせ、身支度をし朝食の準備を済ませた時には7時半を過ぎていた。

 エプロンを脱ぎベッドに歩み寄る。そして起こそうと伸ばした手を途中で止めた。死んだ様に眠っている表情を見て、このまま目覚めない方が良いのでは無いか、そう躊躇ったからだ。窓から聞こえる鳥の声で我に返ると彼女は思い巡らしていた愚かな考えを戒めた。

(らしくなく弱気になってるわね……)

 改めて伸ばした手の先には黒い丸が二つ、天を見上げる様にじっとしていた。起こしたかしら、そう彼女が朝の挨拶を交わすため唇を開いたのと糸を繰り出したのは同時だった。

 彼女の目の前を覆わんと掛け布団が広がる。13糸でそれを切り捨てた時には少年は消えて居た。否、姿が見えないだけで確実に存在していた。布団のなれの果てが部屋に舞い踊る、その様な中ディアナの身体を貫くのは殺意の線。

 彼女は呆れた様に溜息をつき、蜘蛛の糸より細いそれを宙に編み巡らした。少年の存在が空気を揺らし糸を揺らす。瞬きに満たない時間、少年は絡め取られ床に叩きつけられた。部屋の片隅でうめき声を上げながらのたうち回る。腹に響く濁った声は窓硝子を怯えさせ振わせていた。ディアナは少年の四肢をきつく締め上げた。

 彼女は覆い被さる様に詰め寄ると、腿で身体を挟み両肘を胸に乗せ、顔を両手で掴んだ。眼の前には明かりが届かないと思われる程に黒い丸が小刻みに動いていた。無くしてしまった物を永遠に探し続けている様に思われた。

「私の名前を言いなさい!」ディアナの声に少年の身体がぴたりと止まる。「私の名前を言いなさい」2度目の問い掛けに「ディアナ・リーブス」とその少年は答えた。

「貴方の名前を言いなさい」
「……すいません、寝ぼけたようです。解いて貰えませんか」
「貴方の名前を言いなさい」ディアナは無視してもう一度問うた。彼は意気消沈し目を逸らし答えた。
「……蒼月真」
「ここは何処か答えなさい」
「IS学園」
「貴方は何処の誰?」

 少年は何かを答えようと、口を開き喉を振わせたが言葉を紡ぐことはなかった。

「まぁ良いわ。それより朝の食事を始めましょう。今日は休みではないから早くして頂戴」
「食欲ありません」
「食べなさい」
「後で頂きます。仕事があるなら先に済ませて下さい」
「一緒に、よ。相変わらず失礼な人だわ」

 腰に手を添えて、見下ろし睨むよく知った金の人。彼女の威圧に彼は渋々と頷いた。

「その前に顔を洗ってらっしゃい」

 いつの間にか解放されていた身体をさすりながら立ち上がり、歩き、顔を洗い、席に着いた。彼の目に前にあるのはサラダ、チーズオムレツ、ベーコンにソーセージ、ロールパンとフルーツ。内容はありきたりだが量が非常に多い。軽く4人前はあった。だが彼は特に印象も持たずコーヒーカップに手を伸ばした。

「何か言うことは無いのかしら」
「……頂きます」
「どうぞ」

 合掌出来ないことに真は改めて戸惑い、自嘲した。右手でナイフを持ちオムレツを刻むとフォークに持ち替え口に運んだ。パンはそのまま口で食いちぎった。

「テーブルマナーと言いたいけれど、それを求めるのは流石に理不尽かしら」
「ペナルティに食事抜き、と言うなら俺は一向に構いません」
「呆れた。拗ねるなんてまるで子供みたいだわ」

 “子供”と言う単語に反応し、一瞬真の手が止まったことをディアナは見逃さなかった。

「そう、シャルロットの事知ったのね」

 ディアナの言葉に知っていたのかと、真は目を上げた。

「レオン様ともベアトリス様とも面識あるのよ」

 真は、シャルロットの処遇が気になったが聞くのを止めた。表向きはともかくデュノア社のご令嬢だ。学園側が悪く扱うはずは無い、そう確信していた事もあるがなにより、

(俺が気にしてどうなる。何が出来る)

 という激しい自己否定に侵されていたからだ。彼はナイフを置くと小さく食事を終える言葉を吐いた。捨てた左腕を右手でさすりながら虚に宙を見る。

「私はもうでます。ゆっくりでも良いから全部食べること。食べ終わったら皿は水につけて、真が散らかした部屋の掃除をしなさい」

 ディアナはライトグレーのジャケットに袖を通すと鞄を持ち玄関に向かった。

「それは命令ですか?」
「命令よ。そうね追加するわ。寮に戻り最低限の私物を取ってくること。良いわね」
「いやです」
「取ってきなさい」
「ディアナさんは先生ですよね? なら生徒を守るべきです。俺が行けば皆を危険に晒します」
「繰り返すわ、取ってきなさい」

 真は右手をテーブルに叩きつけ立ち上がると睨み、叫んだ。

「駄目だと言っているんです! 先程の俺を見て何故そう言えるんですか! あれがディアナさんでなかったら! 俺はまた女の人を殺―」

 乾いた音が部屋に響いた。ディアナは振り抜いた手をゆっくり下ろし鞄の肩掛けに添えた。

「取ってきなさい。午前中であれば授業で誰も居ないわ」
「……分かりました」
「よろしい、行って来るわね」

 何時までも立ち尽くす真を背にディアナは家を出た。深い溜息が出る。人格の弱体化、今の真は辛うじて踏みとどまっている状態だった。つなぎ止めているのは言うまでも無くシャルロットが括った糸である。

(千冬では無いけれど、モンドグロッソ優勝者でも一人ではたかが知れてるか……頼んだわよお嬢ちゃんたち)

 学園に所属する人間ならば真に報いる義務がある。経緯はどうあれ真は学園を守りその対価としてその眼とその左腕を差し出したのだ。組織とはそう言う物、これがディアナ・リーブスという女性の考え方だった。


-----


 学園ハンガー区画、第7ハンガー。固唾を呑み見守るのは整備課第4グループの少女たちである。

 薫子がネックレスを、黄と黒で塗りつぶされた円形の反重力フィールド中心に置いた。そのネックレスとは今朝千冬から虚に渡された物だ。薫子は退去しタブレットを操作、重力が遮断されネックレスが宙に浮く。先輩、そう虚に声を掛けると今度は虚がタブレットを操作。学園でも数名のみが知る管理者権限でみやにアクセス。セキリュティを解除、量子展開させた。

 蒼い光りが迸り現われた鎧に少女たちは見上げ、口をぽかんと開ける。其処にあったのは黒い鎧だった。マットブラックを基調に、ダークグレー、赤褐色のラインでアクセントを付けていた。

「……どう見ても悪役機ですね、これ」とは困惑気味の薫子。
「織斑君の白式を意識した、そんなところかしらね」そういう虚も呆れ気味だ。

 真は単に“黒”と指定したが、この様なカラーリングにしたのはジャンである。彼は色々な意味で日本通だった。一方、他の少女たちの感想は三者三様である。

「せめて赤をもう少し明るいのにすれば良いのに。こっそり塗り替えようかな」
「おースネクマ社のスラスターだ、これ」
「ディマ君のリヴァイヴIIと同じ奴か。おっきいー」
「うぅ、在学中に軍用機を触れるなんて夢みたいだよ」

 ゆっくりと大地に降り立つリヴァイヴにある少女は手を当て、有る少女は涙ぐみながら細部を確認していた。その様ななか「全員注目!」と檄を飛ばしたのは虚である。薫子らスタッフは一瞬で気分を正し迅速に並ぶ。

「皆も知っての通りこの子は不完全な状態で満足に飛ぶことも出来ない! だから私たちが居る! 時間は短いがやることは多い! でもこの子を完全にするのが私たちの仕事! いいわね!」
「「「はいっ!」」」
「整備課第4グループ心得その壱!」
「「「ねじ1本! 信号1つ見逃すな! 気の緩みが死を招く!」」」
「その弐!」
「「「撃墜にボンクラ(操縦ミス)以外の理由無し!」」」
「結構! それでは始めるわよ貴女たち!」
「「「了解っ!」」」

 ISにねじが使われている訳では無いが、機械の基礎はねじだと言う祖父蒔岡宗治の教えによる物である。機械が絡むと性格が変わる、虚もまた彼の血を引いていると言うことだった。

 整備士の仕事は機体を万全の調子にすることだ、そう深呼吸すると虚はタブレットを手踵を返し、慌ただしく動くスタッフとみやの元へ足を向けた。


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 それは中央本棟から教室のある学習棟と寮にいたる道である。白ツナギ姿の整備課女生徒2人が工具箱を手に歩いていた。焼く様な太陽を恨みがましく見上げ、袖で汗を拭えば顔に油汚れが付いたと2人とも笑いあった。

「あー今年のトーナメントきっついわー」
「虚先輩のグループ抜けちゃいましたしね」
「蒼月の機体整備やってるんだっけ? みた?」
「見ました。黒ですよ真っ黒」
「軍用機かーいいなー私も整備したい」
「訓練機ばっかりじゃ飽きますしね、偶には刺激欲しいです」
「ふと思ったんだけど織斑君ってさ所属決まって無いよね?」
「そうですね、日本に成るかと思ってましたけど一向に決まってないみたいです」
「白式整備したいなーできないかなー あれだけ宙に浮いてるんだよなー第3世代機ー」
「あはは、でも勝手に触ると規約違反になっちゃいますしね……あれ?」
「どした?」
「今誰か居た様な?」

 2人が立ち止まり辺りを見渡すも誰もいない。ただ煉瓦道と木々とガス燈を模した街灯が立っているだけだ。

「誰もいないじゃない」
「確かに人の気配が……ひょっとして幽霊?」
「まだ昼前なのに?」
「はれ?」
「晴れ?」
「「……あれ?」」

 頭を傾げる少女2人を背に歩くのはもちろん真であった。黒のTシャツにスウェット。ある時は物陰、ある時は死角に入り込み、特に労もせずやり過ごした。ただ時折痛む左腕を擦るのみである。眼は見えないが生き物の気配なら読める。転じて、何もない地面は舗装道路と言う事だ。

 彼が歩くのは柊に続く道であった。他にも数個の少女グループをやり過ごし、昼食の準備をする食堂スタッフをやり過ごし712号室、彼自身の部屋に滑り込んだ。彼の部屋は最上階の角部屋、迷うこと無く探し当てた。

 その部屋はブラインドが下ろされていて薄暗く、埃の匂いが漂っていた。彼が最後に過ごしたのはみやの改修申請書を提出した日で約2週間ぶりとなる。一夏と江ノ島をぶらつき、カーチェイスをし、Mの襲撃を受け、失明し、米軍に捕まった。学園に戻れば独房に入れ、査問を受け、フランスに渡り、Mに再び襲われ、人を殺めた。左手を失った。彼はしばらく立ち尽くすと、もう一度左手をさすった。

(2週間たらずでこの様か、“前の”俺はそこまでの事をしたのか)

 薄暗い部屋を手探りでを探る。最初に空けたのは机の引き出しだった。触れたのは小さな刃物、彼は衝動的に手に取った。首筋に冷たい感触が走る。頸動脈を切れば出血多量によるショックで死亡する。部屋にセンサーはない。数分だ。誰かが気づいた時には全てが終わっている。

 誰かが呟いた。

 お前に掛けた時間と労力と金をふいにするのか。

 誰かが囁いた。

 問題なのは今まで掛けたコストではない。これからが重要だ。お前は一夏になれなかった。お前はこれからも誰かを巻き込む。お前は誰をどれだけ巻き込めば満足する? 見切りが大切、そう言ったのはお前だろう?

 彼は歯を食いしばり、右手に力を込めた。刃が薄皮に食込み血がにじみ出した。

 そうだそれで良い。あの不幸なフランスの少女は忘れろ。お前はお前、あの少女はあの少女だ。お前は不幸な身の上の少女に当てられているだけだ。あの少女は自分で完結する。だがお前は違う。お前は災いをバラ蒔く。この学園の彼女らを粉々にしたくないだろう? あの女の様に。

 腕を引く、刃が皮を滑る、手応えが変わった、弾力を感じた。刃が首の太い管に到達した。

 何を戸惑っている。殺した時の感触、あの絶望感を思い出せ。それとも全てを捨ててMの様になるか?

 ―もう疲れた―

 シャルロットの括った糸が綻び切れるその瞬間、背後から響く声は、

「久しぶりですわね」

 心と身体に響く透き通った声だった。彼は振り向かずナイフを下ろした。

「交わす言葉はもう無い」
「真に無くとも私にはありますわ」

 金髪碧眼の少女、セシリア・オルコットだった。彼女は薄く透けた白のナイトドレスの上に淡い青のガウンを纏い、右手に“それ”を持ち立っていた。

「来るな、セシリア・オルコットを捨てるな」
「捨てはしませんわ、私は私としてここに立っておりますの」

 一歩一歩、歩み寄った。

「来るな、全てが台無しになる」
「そう思っているから、そうなるのですわ」
「その言葉を口にするな!」

 振り向いた其処に、15センチほど下に碧い眼が合った。

「みろ」真は左手をセシリアに突き出した。もちろん二の腕の半ばから欠けている。

「その言葉を発した女が死んだよ、その対価だこれだ」
「私後悔しておりますの。あの夜走り去るべきではなかった。真があの行動に至った理由など分かりきっておりましたのに。取り乱してしまいましたわ」

 そう笑みを浮かべたセシリアが差し出したのは一挺の銃だった。オルコットの家紋が刻まれた38口径回転式拳銃。細める彼の見えない眼は忌々しいと言わんばかりだった。

「忘れ物ですわ」
「もう持てない」
「あの夕暮れの屋上をお忘れ?」
「忘れてなどいない、だからこそ持てない。俺にその資格は無くなった」
「そう思っているのは真だけですわ」

 彼はナイフを机に置くともう今度は右手を少女の前に突き出した。

「この手を見ろよ、その人は死んだんじゃない。俺が殺した。抱いて殺した、だからもう持てない。その家紋はそんなに軽いものでは無い筈だ」

 僅かな間の後その少女は、

「どうしても拒否するというのならば、」

 銃を彼の右手に握らせ、銃口を己の右目に添えた。

「お撃ちなさい」
「……何のつもりだ」
「誓いというのは交わした者同士がその責を担う物。真にその資格が無くなったというのならば、その責は私にもありますわ」
「言葉遊びにしては冗談が過ぎるぞ」
「言葉は時として命以上の意味を持つ、それは私が改めて言うことでも無いでしょう。あの時私たちが何をし、何を交わしたのかそれを思い出しなさいな」

 彼は引き金に指を掛け、力を込めた。ゆっくり上がった撃鉄は打ち下ろされること無く戻り、彼は銃を下ろした。ただその顔は苦渋に満ち、絞り出した声は幼子の様に震えていた。

「……君はまだ俺を括るのか」
「背負っているのは真だけではなくてよ。用件は済みましたのでもう失礼しますわ、私、体調が優れませんの」
「これ重いよ、セシリア。挫けて打ちひしがれそうだ」

 その少女は扉の前で一瞬だけ立ち止まり、だが振り返ることは無く俯き歯を食いしばる少年を後にした。


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 部屋を後にしたセシリアを待ち構えていたのは1人の少女である。喉元には黄色のリボン。廊下に立っていたその少女はセシリアの姿を認めると歩み寄り一つ身を下げた。セシリアは構うこと無く自室に向かう。その表情に感情は無かったが瞳には不機嫌さを湛えていた。

「セシリア様」

 その少女はサラ・ウェルキン、2年操縦課にしてオルコット家の使用人。そしてセシリアのお目付役である。サラは体調を崩しているセシリアの様子を見るため柊にやってきていた。平常この2人は先輩後輩の関係だが今は主従関係である。もちろん他に生徒は居ない上での話だった。

「サラ、部屋で待つ様にと言ったはずですが」
「突然外出するなど何事かと思えば、案の定でありましたか」

 サラの言葉にセシリアは鋭く睨む。紡ぐ言葉は棘の様だ。

「盗み聞きとは無礼な。身を弁えなさい」
「そうは参りません。今後あの者と関わるのはおやめ下さい。あの者は災いです」

 苛立ちを隠さず歩むセシリアは自室に入り、追ってサラが入る。ぱたりと扉が閉まった。振り向きサラを見据えるセシリアは抑揚なくこう告げた。

「身を弁えよと言いました。サラ、私の友人を愚弄するのは覚悟の上かしら」
「セシリア様、良い機会ですので申し上げますがご友人はお選び下さい。先日の鷹月殿との決闘と良い、あの者と良い、セシリア様の振る舞いは軽率ではありませんか? 付け加えれば漸く取り戻した銃を再び渡すなどどのようなお考えです」

「相応しいと思うから渡したまで。サラ、私が誰と言葉を交わすかは私が決めます。口を挟む事はまかり成りません」
「セシリア様は何処の何方かお忘れですか?」

 その言葉はセシリアにとっての枷だった。静かに問うサラにセシリアは一つ足を引いた。

「忘れてなどいません、忘れたことなど―」
「ならばそれを踏まえた御交友をなさいませ。1組ならばブリュンヒルデの弟御、織斑様。2組であれば更識家と蒔岡家の血を引く布仏様。3組であればハミルトン様、この方は代々米海軍の家系です。4組であれば更識家次女の簪様、この方々なら功績も血筋も家柄も申し分ありません」

「分かっています。もう良いでしょう? 私は休みます、サラも戻りなさい」
「くれぐれもお忘れなきよう、セシリア様はオルコットのセシリア様なのですから」

 サラはうやうやしく身を一つ下げると部屋を後にした。彼女は廊下の妙な気配に眉を寄せたが、誰も居ないことを確認するとそのまま立ち去った。

 セシリアはそのままベッドに横たえる、思いが知られぬよう腕の中に唇を埋め嗚咽を漏らした。


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 部屋に戻った真はソファーに腰掛け、パイソンを右手に持ちじっと見ていた。時折シリンダーを出し回す。戻してはまたじっと見る。その見えない眼は虚だったが、確かにそれを捕えていた。時刻は午後6時、空は赤く焼けていた。明かりが灯さないその部屋は暗く、カーテンの隙間から染みこむ赤い光が彼に影を作る。

 ローテーブルに置かれているのは6発の“.357マグナム弾”だった。それは空砲などでは無く実弾だ。発砲すれば鉛球は眼球を砕き、骨を砕き、脳をかき混ぜただろう。セシリアの行為はそう言う事であり、真はもう一度それを犯しかけた。

 何故だ。彼を支配するのは思索、セシリアがあの様な行動に至った理由である。カチャリカチャリと何度も繰り返した。1キロ少々のそれは手にずしりと響き、それ以上に彼の心と身体にのし掛かる。それは重りその物だ、それは彼にとって紛れもない枷だった。

 最後に使ったのは高速道路でのカーチェイス。あの時彼は絶対の自信を持った一撃を外した。見えない何かがのし掛かった様に狙いが外れた。

 思い起こせば携帯した事など僅かしかない。精々射撃場でセシリアの警護に使った程度であり大半は樫の木箱に入れていた。だがこれは絶えず彼の中にあった。鈴が触ろうとして、思わず取り上げたことがある。その時彼は危ないからと告げたが、単に触らせたくなかっただけだった。

 遡ったその最果ては、セシリアと命のやりとりをした夕暮れの屋上だ。彼女は誇りを掛け、彼は意地を掛けた。あの時から彼は銃を知っていた、初めて持った筈のその銃は手に腕に身体に精神に馴染んだ。引き金を引くことは容易だった。銃を下ろし頭を下げたのは、自分よりセシリアが大切だと思ったからだった。千冬のみだった彼の心に打ち込まれたのはその少女の銘。家名を背負い、苦しみつつも、藻掻き足掻き、自分で在り続けた様とするその生き方に貴さを感じたからだった。

(そもそもセシリアは何故これを俺に渡した? 別の物でも良かった筈だ)

 最初に思い至ったのは銃の意味。持つ度に思い浮かぶのは夕暮れとこんじきの髪。碧い瞳。

(そうか。撃てなかったんじゃない、撃たせない様にしてくれていた。だから、置いて行ってしまった、捨ててしまった俺は人を殺した)

 次に気づいたのは渡したことの意味。

(つまり、俺はずっと彼女に守られていた。なら―)

 最後に気づいたのはその動機。セシリアは真の真実を知っていた。彼の思いを知っていた。それに言及しないのは一夏に好意を持っている、だからだと彼は思っていた。だが彼女は真に対しつかず離れずの距離を取った。二股まがいの行動は、彼女の有り様と矛盾する。真にとって好意は苦痛。オルコットとしての立場。つまりその動機とはセシリアから真への、叶わぬ思いだった。

 真は声と身体を震わし、表情を歪めた。

「ははは……馬鹿か俺。何から何まで全部自滅じゃ無いか」

 見えぬ眼から大粒の涙をこぼすと、すすり泣き、銃を抱き抱え、大声を出して泣いた。声にならない声で謝罪の言葉と少女の名前を何度も繰り返した。

 陽は既に落ちていた。

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 というワケでした。気づいていた方もいらっしゃるのではないかと思います。
幾度となく有ったセシリア伏線の回収、長かった……

 ところで合間に虚ら整備班のシーンを入れてます。これは時系列的な理由による物ですが、どうでしょうか? シーンの流れ的に突然的かどうかという意味です。宜しければご意見下さい。

 まとまりを考えると冒頭に入れるか、もしくは思い切って略しどこかで2,3行ですますか、小説に時系列を厳密にするかどうか、判断が難しいです。1人称だと見えないシーンは書けないので3人称故の悩みです。

 他にもおかしいぜ! というツッコミは常時ウェルカムです。指摘済みの内容でも直したつもりに成っているかも知れませんので、ご負担で無ければお願いいたします。

 ちなみにHeroesでのサラ・ウェルキンは代表候補ではありません。


2012/10/14



[32237] 05-08 新しい在り方
Name: D1198◆2e0ee516 ID:a644dd83
Date: 2012/10/17 00:42
 日常編 新しい在り方
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 陽が昇る前に目が覚めた。眼は見えなくとも気配で分かる。遠くからは波の音、部屋には冷蔵庫の鈍い音、左隣には金色の人の寝息を聞くことが出来た。

 もう一度寝ることは出来なさそうだったので、その人を起こさぬ様にベッドから抜け出し洗面台に行った。顔を洗う。包帯だらけの身体が、左腕が鈍く痛んだ。台所でコップを取り出し、ウォータークーラーから水を注いで一杯だけ飲んだ。コップを置くと予想より大きな音がした。同室、ではなく家主を起こしてしまったのでは無いかと不安になったが、その人は一つ寝返りを打っただけだった。

 笑みがこぼれる。

 笑ったのは昨日と今の俺の差だ。昨日までどのように死のうか、またその理由を探していたのに、今はその片鱗すらない。我ながら現金、図々しいとおもう。

 もう一杯水をと、ウォータークーラーのノブに手を掛ける。その時はたと気づいた。白のプリントTシャツにカーキのハーフパンツ、今の出で立ちだ。

 俺はいつの間に着替えたのか? いつの間にベッドに寝ていたのか? 昨日の記憶を探れば幻の様に浮かぶのは黒と金の影だ。その事実にいたるとバツの悪さを感じひとしきり頭を掻いた。

 Tシャツには“Go To School”と書いてあった。これは生徒である、もしくは学校に通っていると言う意味だ。これはディアナさんであろう、間違いない。だからもう一つガラスのシンプルなデザインのコップを取り出し水を汲む、そして彼女の脇の小さな台に置いた。上質な紙が見当たらなかったので、仕方がないと綺麗なハンカチをコップに被せた。


 そのままソファーに腰掛ける。暗い世界、見えない眼に浮かび流れるのは入学してから、否、この世界を知った時から今に至るまでの記憶だ。去年この学園で発見され、千冬さんに見つかり保護された。この時期のことは良く覚えていない、だた黒と金と白と赤の色だけを覚えている。気がつけば千冬さんとディアナさんが居た。その後蒔岡に務め、IS適正が世の中に知られ、騒ぎが起こり学園に来た。静寐、本音、箒、セシリア、鈴、シャル、そして一夏に会った。

 人格は記憶によって構成される。なら記憶の無い俺はどのような存在だったのか。恐らく本当の意味で人格と呼べる物は無かったのだろう。唯一持っていた一般常識を元に作られた仮初めの人格、それが去年の俺だ。恐らく黒と金の人は、何らかの方法で、強い外部刺激を俺にあたえそれを作り上げた。かっておやっさんは俺のことを生きているか死んでいるか分からなかった、と言ったがそれは当然だ。

 そしてその仮そめの人格を支えていたのが織斑千冬と言う存在であり、それを骨格に蒔岡の人達が肉となった。

 入学時には少なくとも外見上、一般並みの人格となっていた俺は学園で大きな刺激を受けた。一つが一夏であり、もう一つがセシリアだった。俺はこの2人を人格の骨格に置き換えた。だから、以前ほど千冬さんに依存しなくなった。だから、セシリアと別れたと思い人格が揺らぎ、一夏になれないと知った時、この世に自分に絶望し死を望む様になった。

 ならば今の俺は何だ。理屈ならばセシリアという骨格で構成されている、この理由が適当だが、俺はそれを否定する。なぜならば彼女と共にある事はできないからだ。他に理由がある。

 俺が新たに得た事、俺が気づいていない事。しばらく思考の迷路を彷徨っていると、なだらかだった一つの気配が大きく波打ち始めた。視線を上げれば淡い金色の色が、身を起こし薄目を開けて俺を見ていた。だからおはようございます、と彼女に告げた。

 二つ三つ瞬きすると、はっとした様に気配を弾けさせシーツを被った。どうやら顔を隠した様だ。

「……見た?」

 彼女は朝が弱いかもしれない。

「見える訳がないでしょう。おはようございます、ディアナさん」

 真っ暗な世界のなか浮かび上がる金の人はその色を、激しく波立たせていた。青赤紫、まるで万華鏡だ。どうやら動揺しているらしい。俺は落ち着いて下さいと彼女の脇を指さした。彼女はそれに気づくとコップを手に取った。

「頂くわ」

 気配とは裏腹に、紡いだ言葉だけは素っ気なかった。


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 朝食を済ませ、再びソファーに腰掛けた。何か手伝うと彼女に伝えたが邪魔だからとキッチンから追い出された。脳裏にこびり付くのは先程の疑問だ。今の俺は何か、もしくはどのような状態か。

「哲学だなこれは」

 答えを探すこと自体無意味なのかもしれない、だがしかしとソファーにも垂れかけ天井を仰ぐ。あてども無く彷徨っていた心が現実に引き戻された。

 それは、バスルームから出てきた彼女の音色。目の前を通り過ぎるのは、湿り気を帯びた、弾む様な、流れる様な、気配。一つ鼓動が打鳴った。努めて冷静を保とうとしたが、上手くいかない。血が頭に上るのが自覚出来た。

 化粧台に腰掛ける彼女はこう言った。

「向こう向いてなさい」
「見えませんけれど」
「気分の問題よ、誰かさんは気になって仕方がないみたいだから」

 俺は右頬を掻くと横になりソファーの隅に顔を埋めた。最初はドライヤーの激しい音と髪がなびく音。それが止むと瓶の蓋を開ける音が聞こえだした。部屋に何時もの匂いが流れ満たされる。今度は俺がこう聞いた。

「ディアナさんは何故俺の面倒を?」

 人格は記憶で構成される。この場合周囲の人間によるところが大きい。其処から至った質問だった。瓶の音は止むことは無かった。

「千冬にはあるというのかしら?」
「あの人は俺の第1発見者で責任感が強い、理由は成立します」
「真はどう思うのかしら」

 質問返しは問題ありです、質問に質問で返せば回答は永遠が得られなくなる第一歩です、と言おうとしたが止めた。

「怒らないで聞いて下さい」
「いやよ」
「……なら良いです」
「言いなさい」

 いつの間にか、何故か尋問されているかの様だ。

「千冬さんへの反動。2人はかってライバル同士でしたから」

 そんなことだろうと思った、と言わんばかりに彼女は細い筒を取り出した。

「今でもそうだわ」
「競い合うという意味ではそうかも知れません」
「貴方はロマンティストね。女同士って馴れ合うことはないのよ」

 彼女は執念だとか嫉妬だとかと言いたいのだろう。だがそれは嘘だ。この1年以上見てきた今だから分かる。融通は効かないが芯の通った千冬さん、臨機応変だが脱線するディアナさん。

「でしょうね、だから足りない部分を相手に求め、余力のある部分を相手に捧げた。対等の存在は世界に2人と居ない。だからこそディアナさんも千冬さんも、自分の事以上に相手のことが分かるんでしょう?」

 彼女は初めて手を止めた。暫しの沈黙のあと深い溜息をつく。流れからそれは俺に向けられた物の筈だが、他の誰かも含まれている様でもあった。

 ぽつりぽつりと語り出した彼女の回答は彼女の思い出だった。



 昔、ある馬鹿な人が居た。その人は失ってしまったただ1人の為だけに生きた。

 打たれ弱いくせに、ありもしない、そして失わずに済む絶対的な何か、真理、神を信じて自分の心と体をすり減らしていったわ。絶対的な物があれば、全てが解決出来る。満たされる、取り戻せる。そう傷つきゆく自分から、失い壊れる現実から目を背けたのよ。本当に馬鹿な人だった。

 その人は結局どうしたんです。

 途中で別れ離れになってしまったから。でもまたいつか会えると思っている。諦めはしない、その人女々しいから今でも泣いてる。



「……その人にまた会えると良いですね」
「そうね、引っぱたいて上げないといけないから。だから、だから真」
「なんです」
「貴方も神を信じる事なんて止めなさい。偶像に縋るなんて愚か者のすることだわ」
「俺は神なんて信じていません」
「嘘ね」
「嘘じゃないです」

 彼女は俺がその人と同じだと言いたいのだろう。俺は身を起こし彼女を見た。彼女も俺を向いていた。

「信じてたわね、一夏という神に縋ったのよ。一夏であり、神であり、絶対的なもの。唯一ある物はあるのは真、貴方が知覚、観測しようとする自然な肉体的な力だけ」

「自分が有って世界が有るですか? 神学論も哲学論もする気は無いですよ」
「良いから聞きなさい。神を信じる人ってね、利他を尊び利己を蔑むの」
「コミュニティを維持するには当然かと思いますが」

「大違いよ。それは共同生活に必要なルールと言うだけであって、自己を否定するものではない。あくまで自分を認めた上でするべき事。自分を尊重出来てこそ他人を尊重出来る。逆に自分に余裕が無いならば、他人をどうこう考えるべきでは無いわ。“汝の敵を愛せよ”これなんて倒錯も良いところね。武器を向ける敵を抱きしめようとするなら、その前に殺されるわ。死んでしまったら、残された人はどうなるかしら」

「フランスの人が無神論者なんて意外です」

「私は神なんて信じないし、居たとしても嫌いだわ。仮に絶対者が居るならば、あの人をそんな目に遭わせた張本人だもの。許しはしない。だからいい加減貴方も気づきなさい」

 余りのことで言葉が出なかった。彼女の言っていることは間違いではない。だがそれが俺にどのように関連するのか分からなかった。なにより神、つまり真理などない。ならどうしてどうやって人は救われるのか。

「救いが無いと言うなら人の生とはなんですか?」
「助けを求める、それは弱者の理論よ」
「人間は強い人ばかりではありません」
「問題をはき違えてる、弱いことと強くあろうとすることは別。もし上を向いて何かを掴もうとする事すらしないならば、人間は種として失格ね。考えてご覧なさい、助けを求める人間ばかりなら、この世はどうなるかしら? 強い人も自分を否定し他人を尊重し続ければ心も体もすり減り何もかも失うわ、あの人の様に」

 見上げれば目の前にその人が居た。かがみ込み俺の顔を眼を覗き込んでいる。

「だから、守ると言う意味を問い直しなさい、強くあろうとしなさい」
「だから、強くなったんですか?」
「違うわ、私は私を認めた上でその人を守る為に強くあろうとしている。私が知覚する、私が知る、私が抱きしめたその人を守る為に、今この瞬間も。私の場合力が余っているから、千冬もここのお嬢ちゃんたちも学園も守っている、そんなところかしら」

 だからこの人は俺を守っていた。そしてこの人は真理では無く、全ての現実、苦難を受け入れた上で強くなろうとあれ、と言う。言葉どころか思念すら浮かばなかった。確かなのは目の前のこの女神とまで呼ばれた、見目麗しいこの人は信念の塊だった。いや逆だろう。だからそう呼ばれたのだ。

「呆れた、まだ自分が分からない?」
「……」
「宜しい、最後に大ヒントをあげます。今日の午後に学習棟の屋上に行きなさい。授業中だから誰も居ないわ。それと」

 何です、そう見上げた時には目の前に指があり、

「向こう向いていなさいそう言ったわよ、やらしい人ね」

 バスタオルで身体を隠すその人は、俺の額を指で一つ弾いた。だがその人は恐らく笑っていたのだろうと思う。


-----


 あのあとディアナさんを送り出し、部屋の片付けをしたら既に昼を回っていた。右手のみは思いの外不便だったからだ。彼女の用意してくれた昼飯を食べジャケットに片腕を通し表に出た。

 歩きながら、偽物の左腕を右手で動かし腕を組む。

「むぅ」

 自然と声が出た。

 あの人は23歳には思えない程人格が確立している。ルックスは主観によるが10人中9人が美人と答えるだろう。その上料理が出来て綺麗好き、ISに乗れば鬼神の如くだ。他の女性陣から見ればインチキと思うに違いあるまい。能力だけ取り出せば千冬さんより上だ。女神とは良く言ったものだと思う。

 それにディアナさんの言う“あの人”とは十中八九“そう言う人”だ。全くもって腹が立つ。何処で何をしているか知らないが、彼女を放っておくとは馬鹿に違いない。他の女性にうつつを抜かしていたら2,3発はお見舞いする事にしよう。


 気がつけば学習棟に来ていた。かつこつと階段を上がる。午後の学習棟の教室からは大勢の人の気配がする。まだ2週間程度だが懐かしいそう感じた。退屈な授業も多かったが、もう受けることは叶わない、そう思うと哀愁の念も沸く。

 その様に考えていたら階段を踏み損ね、組んでいた右腕は間に合わず額を手すりに打ち付けた。堪らずしゃがみ込み、右手を額に添える。ズキズキと響く痛み。自分の行動に疑問を感じ、なぜ疑問を感じた事自体ににも疑問を感じたが、とにかく痛いのは事実だった。

 壁に手を添え階段を歩き、最後の階段を踏み損ねまた転んだ。顔面を床に打ち付け、鼻から血が漏れ出した。立ち上がりハンカチで鼻を押さえ、恐る恐る歩くと今度は扉に頭を打ち付けた。暫しの思案のあと、鼻を押さえながら右肘で扉を開けた。円筒のノブでは無い事にこれ程感謝した事はない。ハンカチがぐずつき始めたのは気のせいだ。


 屋上はとても心地よかった。天が抜けた様な開放感、と射し込む太陽の熱。7月らしい初夏の空気だった。強めの風が髪をたなびかせる。少し歩けばその光景が目に浮かぶ。周囲にはフェンスと、端にはベンチがあり、もう少し歩けばかって皆と食事をしたテーブルが有るはずだ。そう歩むと何かに躓き転んだ。

 湿り気の帯びた、ひんやりとした匂い、そこは土の匂いがした。花の香りもする。花壇の様だった。はてなと首を傾げる。いつの間に、と思ったがそのまま大の字に寝転んだ。ハンカチもどこかに行ってしまったので、右手で鼻を押さえながら天を仰いだ。

 一重に安心する場所だった。

 忘れかけていた、風の音に時折響く雲雀の音、海と空の色が見えないのが残念で堪らない。このまま寝てしまおうか、と自分に問い掛けた。

「授業中失礼します。全生徒にお知らせです♪」

 答えたのは屋外スピーカー、山田先生の声だった。

「現在学習棟の屋上に蒼月真君が居ます。ご用の方はお急ぎ下さい」

 これは小林先生の声だな……は?

 ちちちと鳴いていた鳥が慌てて飛び去ったのは、地響きが聞こえだしたからだ。

 地響き?

 唖然としていた俺を襲ったのは、扉が激しく開く音だった。起き上がる間もなく近寄る2つの気配。

「この馬鹿まこと! 今の今まで何処ほっつき歩いていたのよ!?」
「この馬鹿野郎わ! てめぇーの騒動を聞きつけた先輩からすっげー剣幕で説教されたんだぞ!」

 3年の優子さんとダリルさんだった。襟首掴まれ引き起こされた。俺の姿を見て2人はぴたりと止まる。遅れてやってきた虚さんが言う。

「血だらけね、どうしたの?」
「転びました」

 学習棟は一階が教師の準備室兼休憩室、二階には1年の教室が並び、三階が2年、四階が3年生だ。だから彼女たちが一番早い。転じて次に来るのは2年生。そう思っていたところ駆け寄る2つの気配。

「みやを押しつけて顔見せ一つ無いとは言い度胸してるわね! この馬鹿!」
「漸く見付けたッス! 手間掛けた罰に特定ランチ奢れッス! 利子込みでフルコース!」

 薫子とフォルテだった。

 勢いが止まった薫子が恐る恐る言う。

「なんで眼を閉じてるのよ?」
「視力落ちまして」

 きょとんと瞬き一つのフォルテが言う。

「……幾つ?」
「ゼロ」


 三つ目は一群だった。ドドドと屋上が揺れ、地震と勘違いする程だった。

「「「この碌でなしがーーーーーーー!!」」」

「帰ってきてるのに挨拶一つ無しとはなんで!?」
「それって外道っぽい!」
「相談一つ無しって言い度胸してるじゃん!」

 聞き覚えのある声に、聞き慣れた声が混ざる。どうやら1年の混成チームの様だった。

「真! 皆がどれだけ心ぱ……」

 清香の声に思わず眼を開けた。沈黙が訪れる。

「黒い! 眼が黒いよ!」
「清香、ちょっと落ち着きなさい眼が黒いのは……クロッ!」
「癒子! グロイと掛けた? 掛けたの!? ねぇ!?」

 酷い言われ様だった。

「この阿保がっ! どこで道草食ってやがった!」

 次はバカが来た。

「よぅ一夏、久しぶり」
「何が久しぶりだこのドテラトンチキ! てめーには言いたい事と聞きたい事が山ほどあるから覚悟しやがれ!」

 と詰め寄る一夏は俺の左腕を掴んだ。失念していたがコイツは馬鹿力だ。つまり、左腕がバキと嫌な音をさせて、取れた。再び訪れたのは沈黙。これは医療用の物で、生身そっくりだだが動かない。一夏は唖然としそれを掲げ、目の前のそれを見ると、叫んだ。

「とれたっ! 腕が取れた!」

 俺は答えた。

「それ義手」

 しかし皆は聞いていなかった。

「きゃーきゃー! 取れたよ! お母さん! 左手が取れた!」
「お母さんの左手が取れた!?」
「うわっ! 何かはみ出てる!」

 恐らくそれは固定用のベルトだろう。

「ぷらぷらしている! ぷらぷら!」
「いやーーー! いっやーーー!!!」

 屋上を駆け巡るのは悲鳴と、逃げ惑う少女たち。一夏も混じってる様だった。興奮状態のところに予想外の事態を目の当たりにし、半ばパニック状態だ。もっとも鼻血でそまった義手だ、無理も無いかもしれない。

「何か言う事は?」うんざりと優子さんが聞くので「すいません、事態収拾お願いします」と頼んだ。「レストラン“ディアーブロウ”のディナーな」してやったりとダリルさんが言うので渋々頷いた。解放され、俺はぺたりと座り込んだ。2人の先輩が怒号を上げながら、阿鼻叫喚の群衆に突撃していくのを見送る。


「しかし、授業を放棄してまで来るなんて、あとで大目玉だぞこれ」と呟くと「みんなアンタを心配してるからに決まってるじゃない」言葉と共に左頬を拳骨で殴られた。

 最後は鈴だった。

 ぺたりと座り込み、俺を睨むのは同室だったツインテールの少女だった。久しぶりと言う前に今度は右頬を左手で引っぱたかれた。それは非常に弱々しく叩く音など聞こえないほどで、崩れ落ちる様にすがりつく様に鈴は俺の胸ぐらを掴んだ。その黒曜石の双眸はいつか見た様に黒く輝いていたが、赤く充血していた。

「アンタ、今まで何処に行ってたのよ」
「すまない、言えない」
「アンタ、今まで何してたのよ」
「すまない、言えないんだ」
「なら、言える事を聞く」
「なに?」

「アタシ、真の事好き」
「……鈴、俺は」
「でも一夏の事も好き。次に真に会った時ボコボコに殴ろう、そう思ってた。真を見てると辛いから。顔を変わるほど殴れば、真と分からないぐらい殴れば辛くないって」

 目の前の少女は大粒の涙をこぼしていた。顔赤く声を震わせ泣いていた。

「でも、どうしてくれんのよ。目も無くして、左腕も無くして、これじゃボコボコに殴れないじゃない」
「すまない」
「一夏は全然気がつかないし、真はアタシを突き放すし、一夏に押しつけようとするし」
「すまない、俺はここに居る。ゆっくり考えてくれ」

 俺はここに居る、自然と口走ったその言葉を俺は改めて問い、二つの事を思い至った。それは枷と自己肯定。


 一つは流転。万物は移ろい絶えず変わりゆく。東洋思想の一つ、かって鈴に贈った考え方だ。山、川、雲、海、そして人。例外はない。

 だが人が個人ではなく群として営む場合、それはでは不都合が生じる。勝手気ままに気を変えて好き勝手に行動していたら、組織にならない。だから、人は決まりで人を縛った。枷を作った。

 これは個人を縛る物だが、逆に個人を安定させる物でもある。枷は人の心を形作り、その場所に据え付ける。

 ディアナさんは自分を認めろと言った。前の俺がしでかした事に罪悪感を感じていた俺は自分を否定した。在りもしない真理に縋り、皆を守ろうと勘違いし、俺は自分を壊しその結果この様だ。

 だが全て失った訳ではない。眼と左腕を失っただけだ。口もきければ歩く事も出来る。みやが居れば、空を飛ぶ事も戦う事も出来る。

 人生は苦難の連続だが、自分を観察する事が出来るのは自分だけだ、過去にとらわれるのは愚かな事だ。悲劇の主人公か、ディアナさんも上手い事を言う、俺は勝手にそう思い込んでいただけだった、余りにも耳が痛い。

 学園の彼女らが知る俺が、学園の彼女らを知る俺が、俺を作っていた。漸く気づいた。


 俺はここに居る、その言葉を俺はもう一度言った。側に立つ虚さんは喜びと呆れを織り交ぜて俺を見下ろしていた。

「……ばか」

 俺は、胸元で泣きじゃくる鈴の頭を抱きかかえながら、屋上の喧噪を懐かしんでいた。


-----


 じきに先生が来たので皆が教室に戻った。我に返った一夏は、止めようとする少女数名を引き摺って詰め寄ってきたが、千冬さんに掌底を喰らい連れ戻された。千冬さんは1度振り返ると静かに笑った。俺は会釈で返す。放課後ハンガーに来る様に、そう言うと虚さんも立ち去った。

 最後まで残っていたのは2人だ。1人は箒。俺は顔を上げ見上げた。箒は何時ものむっすりした顔で、俺を鋭く見下ろしていた。迷いが取れたらしい。

「箒、静寐と本音は?」
「最初に聞いたのは褒めてやる。だがもう手遅れだ」
「どういう意味だよ」
「あの2人が一番辛い時にお前は居なかった」
「……そっか」
「もうあの2人には会うな」
「わかった、あの2人の事頼む。それ位は良いだろ?」
「お前は最後までそうなのだな」

 俺はそうらしいと答え、箒は言われるまでも無い、と立ち去った。たなびくポニーテールは颯爽としていた。結い布が白になっているのは何かの決意の表れだろう。箒の後ろ姿を見つめていたら、咳払い一つ。

 もう1人はセシリアだ。ゆっくり立ち上がる俺に彼女はすまし顔でこう言った。少し意地が悪そうなのは俺の気のせいだろうか。

「ご愁傷様、ですわね。私が言うのも意地が悪すぎかしら」
「かもな、それより聞いたよ。静寐と戦ったんだって?」
「ええ、もちろん勝ちましたわ。ただ、」
「ただ?」
「ただ、彼女は強くなりますわね」
「セシリアが言うならそうなんだろうな」
「真は、どうですの?」

 俺は黙って、ジャケット開き左脇にぶら下がるそれを見せた。

「3度目はありませんわよ」
「2度と捨てないよ」

 セシリアの笑顔は久しぶりだった。


-----


 第6アリーナ、第1ピット。甲板に囲まれたその部屋で黒い鎧が佇んでいた。彼の眼が向かう先は、明るく広がっていた。慌ただしく動くスタッフに囲まれ彼は黒い左腕をかちゃかちゃと何度も動かしていた。

「不思議な感覚だな、無いのに有る」

 独白する様な真に、タラップに腰掛け真の顔を覗き込み言うのは薫子だ。右手で身体を支え左手にはタブレット、二つ目は真っ直ぐに彼を捕えていた。

「いい? 左手はフィジカル・フィードバックが無いから思っただけで動くよ、注意する事」
「了解」
「それと、みやは普通に飛べるだけの状態だから。無理しない」

 流石の虚らも基本システムの構築やスラスターを始めとした航行用アビオニクスの調整だけで手一杯だった。スキン装甲は動作せず、追加冷却器も安定稼働せず出力も30%程度。能力は辛うじて改修前のみやに毛が生えた程度だ。

 言葉尻を徐々にすぼめる薫子に真は言う。

「たった2日でここまで仕上がれば文句は無いよ」と真は気遣う様に言い「追加部品が馴染むまでスラスターは5000rpm以上回さない事」と甲板に立ち、両肘に手の平を添える虚は見上げながら言う。彼は静かに頷くと皆を見渡しこう言った。

「虚さん、薫子、それと第四グループの先輩かたがた、今までありがとうございます。そしてこれからも宜しくお願いします」

 虚は静かに笑うと安全な距離を取るため踵を返した、薫子は頭を掻き照れを隠しながら、タラップを降りやはり距離を取った。

 発進シークエンスに入り唸りを上げるスラスターの音。呆気に取られていたツナギ姿の少女たちが我に返り、互いに見合うと、大声を上げた。

「壊しても良いけど怪我すんなよー」
「壊しても良いけど必ず持ち帰れー」
「壊しても良いけど……でも出来れば壊すなー」

 真は左手で挨拶すると

「ラファール・リヴィアヴ・ノワール発進!」

 虚の号令で飛び去った。

 静まりかえったピットで薫子が声を掛けたのは、物陰に隠れていた一人の少女だった。恐る恐る最初に現したのは淡い栗色の髪、小動物をあしらった髪飾りは既に無かったが、かってあった其処の髪いは今なお有る様に、柔らかく跳ね上がっていた。本音である。

「本音、もう良いわよ。でも本当に良かったの?」
「はい、黛先輩。良いんです。私はかんちゃんのメイドだから、真くんの整備士には成れないから」
「考えすぎだと思うけど。布仏じゃない部外者故の考え方かな」

 壁に取り付けられたディスプレイを2人が見上げる。映し出されるのは中央タワーを切り裂く様に飛ぶ黒のリヴァイヴであった。

(対抗戦の時、アリーナに立つ血だらけの真くんは空を睨んでいた。神様を恨んでいるみたいな真くんを私は怖いと思った。それでおりむーに甘えちゃった。怖くて避けていたのに、なのに自分じゃ決断出来なくて、静寐ちゃんに頼って、箒ちゃんに押しつけて……悪い子だよね私)

 本音は胸の前で静かに手を組み、何時までも黒いそれを見つめていた。

(真くん。ごめんなさい)


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第二部完。

 真の自問自答は当初最後まで引っ張る予定でしたが、周囲の女性陣がそれをさせてくれませんでした。予定と違うんです。びっくりです。

 本音の出番はまだ有ります。Mでは有りませんが、普通の優しい娘に血なまぐさい真はきっついでしょうね。これも当初の予定から逸脱した事です。

 さて、新たな自分を得た真ですが、依然記憶を失ったままと言う事に変わりありませんし、トラブルは引き続き起こります。ですが雰囲気は明るくなるかなー 今後は一夏と真の有り様の違い、ここに焦点を当ててゆく事になります。


 それと、フィクションですので宜しくお願いします。


2012/10/16



[32237] 05-09 日常編18「朝」
Name: D1198◆2e0ee516 ID:f2c93ab0
Date: 2012/10/21 00:04
 投稿済み分37番目の「予兆」再修正しております。まったくもって誠に申し訳ないです。詳細は末尾をご参照下さい。


 日常編 朝
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 紡がれた鋭い刃の様な意識は、周りの樹木を鳥や虫を怯えさせた。

 学園の敷地には緑が多く最外層は竹林もある。その竹林に囲まれた人目付かない薄暗い場所を、その意識は陽の光の様に煌々と照らしていた。有る者はそれを剣気と呼び、有る者は闘気と呼ぶだろう。

 白い道着に黒い袴、漆黒の髪を結ぶ白い結い布。その少女は静かに佇む。呼吸を整え構える彼女が手にするのは日本刀であった。

 真剣“緋宵”

 刃は清水の様に澄み透り、平地は霧の様につかみ所無く、刃紋は聞こえぬ音を拍っていた。刃渡り2尺3寸(約70cm)と長さは凡庸だが一回り細い刀身で、強度に劣るが軽い。刀匠・明動陽が妻の為に打った、女剣士の為の、速さの為の刀である。

 鳥の音、獣の音、虫の音一つしないその場所で箒の双眸が捕えるのは1本の竹。右足を前に刀を正眼に構える。龍の口、人差し指と親指は開き握る事は無く、中、薬、小指でしっかりと柄を握る。右足を前に左足を後ろに、両の指を上げ、足指の付け根と踵で身体を支える。一つの呼吸のあと、箒は見開いた。意識が爆ぜる。

 僅かに刀を掲げ、蹴り出した踵は槌の如く、踏み込んだ足は水面を走る帆船の如く滑らかに、上肢は疾風の様に鋭く振り下ろした。刃が走る瞬間、身体の芯を乱さぬ様、足腰の関節を瞬間僅かに緩め、身体を大地に沈み込ませる。流れる水の様に、足腰の紡いだ力が肩腕手を介して刀身に宿る。静かな雷光。

 箒が身を正し鞘に収めたあと、1本の竹は逆袈裟に崩れ落ちた。

 その太刀筋は剣道全国大会どころではない。世が世なら剣豪として名を馳せる事も可能だったであろうその少女は、居合を終えると深い溜息をついた。

(やはり駄目だ、身体に染みこんだ型がIS操縦の妨げになる)

 沈痛とまで言っても良い程の彼女の悩みはISパイロットとしての技能だった。武術は流派問わず足腰が基本。足腰の力を、身体の重みを、上肢に一滴漏らさず伝え技と成す。IS戦闘において彼女の熟練度が逆に妨げとなっていた。

 つまり空には大地がないと言う事だ。ISの操縦自体に問題は無い、逆に異常なほど扱いに優れる箒だったが“空中での戦闘”は分が悪く今では静寐にも手こずるであろう。

 “一夏と異なり普遍的な剣術の修練を積んだ箒”が、人類史上初めてのISによる剣術を成すには膨大な時間が必要となる。専用機を持たない箒にとっては致命的だ。

 役目を終えた竹のなれの果てを見捨てると、背を向け寮へ歩き出す。その足取りは重苦しく終始俯いていた。

(静寐は己を見定め受け入れた。本音は布仏としての務めを受け入れた。その2人から託された思い、私がこの有様では今度こそ2人を裏切る事になる……断じて否! 真の言葉を思い出せ! “受け入れた上で新たな付き合い方法を模索する”私だけ逃げる訳には行かない!)

 私は誰だと、私は誰の妹かと、己に問い掛ける。どれ程否定しようともその事実は変わらない、箒は頭を上げると歯を食いしばり歩みを強めた。その瞳に宿るのは決意の灯火である。今まで憎み疎んじ避けてきた姉に挑む時が来た、彼女はそう拳を握りしめた。


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 真がみやの初飛行終え、虚らと打ち合わせをしたあと、寮の私物を鞄に幾つか持ち出した。一夏の部屋に立ち寄ったが留守で、替わりに寝起きのシャルロットに挨拶をしてそのまま後にした。彼女はフランスでの一件、戦闘のダメージと輸血、日本とフランスの往復が祟り、未だ回復していなかった。

 彼がディアナの家に戻った時には陽も落ちていた。無人の部屋で彼が端末に触れると起動し、ディアナからのメッセージが再生される。

『今日は遅くなるから食堂で夕飯を済ませなさい』

 彼は湯で汗を流し黒のTシャツとハーフパンツに着替えると、持ち出したゼリー飲料で夕食を済ませ、食器棚からグラスを二つ取り出した。それは円筒形状で、飾り気の無いシンプルなグラスだった。手探りでソファーに腰掛けそれをテーブルに置き、紙袋から高さ20cm程の日本酒を1本取り出した。それは彼がアパートから寮に引っ越す時持ち込んだ物で、ベッドの奥底に隠してあった3本のうちの1本であり、入社当時に蒔岡宗治から贈られた物だった。

 両膝で瓶を挟み蓋を開け、グラスに注いだ。一つは対面するソファーの近くに置き、もう一つは手元に置いた。彼は身体を折り曲げ、右腕を両膝を橋渡す様に置き眼を瞑る。一つは真の物、もう一つはフランスで情を交わした女の物である。

 天国など無い、地獄など無い、魂など無い、死ねばそれで終わりだ。だが去った人を悼むのは別だ。彼の心に流れるのは渡仏初日に初めて会った日の事、居眠りしていた時起こされたときの事、デュノア邸の宛がわれた部屋での世間話、手を引かれ屋敷内を案内された事、何も見えない世界で感じ取った香りと温もり、そして血の臭い。

 きっかり2時間経ったあと彼は眼を開けた。その光を失った黒い眼に後悔は無く哀悼の色を浮かべていた。

(もし、もし魂があって地上を彷徨い誰かに取り憑くならそれは俺だろうか。それとも他の誰かかだろうか)

「それは誰への物だ」

 聞き慣れた黒の人の声に彼は答えた。

「俺が殺してしまった人です」
「償い?」

 聞き慣れた金の人の声に彼は答えた

「弔いです」

 いつの間に戻って来ていたのか、彼が身体を起こし右を向くとダイニングテーブルに腰掛ける2人が居た。ディアナはテーブルに組んだ両肘を置いていた、向かい合う千冬は足を組み、右肘を立て頬杖をついていた。2人とも笑いもせず、怒りもせず、ただその眼を彼に向けていた。

「引け目は感じていません。俺はそう言う人間ではありませんし、彼女もそう言う人でした。ただ、」

 ただ、なに? そう聞いたのはどちらだっただろう。

「ただ彼女の最後は俺だったんです」

 真は左腕を擦り、遠いグラスに視線を落とした。

(Mはエマを全てを捨てたと言っていた。だが俺はそうは思わない。最後の最後まで俺に向けていた憐憫の碧い瞳、あれはMに無かったものだ)

 ディアナはゼリー飲料の空を咎め、千冬は真の耳を引っ張るとテーブルに引き寄せ、簡単な夕食を3人で済ませた。サラダは其処だ、卵はそっちよ、とたわいの無い言葉を交わしたあと部屋に夜の静けさが訪れる。時計は午後10時を指していた。向かいのソファーに横たえ寝息を立てる千冬にディアナが毛布を掛ける。千冬の寝顔を見るディアナが真にこう言った。

「最近立て続けだったから、疲れが出たのかしらね。着替えもせず寝るなんて初めてだわ」
「ディアナさんが居るからでしょう。これ以上安全な場所は無いですから」
「真も居るからに決まってるわ。気苦労どれだけさせたと思っているのかしら」
「……そうですね」
「随分素直になったわね」ディアナは笑みを浮かべながら言う。
「そうですか?」真は少し面食らった様に答えた。
「そうよ。前なら“ディアナさんには敵いませんよ”とか憎たらしい事を平気で言ったわね。それよりこっちいらっしゃい、千冬を起こすのは流石に気が引けるから」

 彼は頬を掻きながらディアナの元に歩み寄る。ディアナはテーブルに腰掛けた真を見るやいなや、吹き出し笑う「何か飲む?」と聞かれた彼は仏頂面でココアと答えた。


-----


 かちゃかちゃとキッチンから水洗いの音が響く。その中で彼は白のブラウス、ライトグレーのパンツにエプロンを纏い家事に勤しむディアナの後ろ姿をじっと見ていた。もちろん彼が見るのは暗がりに浮かび上がる金の人影である。

 力が余っているから俺の世話をする、それにしては少し行き過ぎじゃないか、そう思案に暮れていた彼は不意に不思議なイメージに包まれた。その部屋はもう少し殺伐としていて、枕元には大型の自動拳銃があり、短い金髪の女性が同じように背を向けて立っていた。

 目眩。その声に彼は引き戻された。

「じろじろ見るのはマナー違反よ」
「見えませんけど」
「見てるわね」

 そうですか、とソファーに戻ろうとした彼は

「千冬も駄目。寝顔見たいなんていやらしいわ」

 その声に憮然とし腰を下ろした。

「あなたが言いますか」
「この私を捕まえて良く言うわ」

 通じない会話に含まれた多くの意味。自分の揺らぎを感じた彼はそれを振り切る様に迷っていた問いを口にした。千冬が寝ている事を確認した上での事だ。その気配に彼女は僅かに眼を伏せる。

「ディアナさんは千冬さんと付き合い長いんですよね?」
「聞きたい事ははっきり言いなさい。回りくどいのは嫌いよ」
「駆け引きは好きだと思ってました」
「相手によるわ」

 ならと彼は居住まいを正す。

「千冬さんに妹は居ますか?」

 かちゃり、ディアナは手を止めた。彼が言っているのは2度襲撃してきた“M”と呼ばれる少女の事である。幾たびも彼の心に現われた血に汚れた少女。そして千冬。この3人はよく似ていた、特にMと血だらけの少女は瓜二つだった。流れる水の音が止まる。

「何故かしら」
「俺を襲ったISのパイロットが千冬さんによく似ていたんです」
「……私の口からは言えないわ」
「そうですか」
「でも、」

 彼が千冬を振り返り見たのは、ディアナが振り返るより僅かに早かった。千冬を見つめる彼を見て彼女は悲しみを浮かべる。

「私にその権利は無いけれど、千冬にも一夏にもそのことを聞かないで欲しい」
「……権利義務でディアナさんの願いを考える訳無いでしょう」

(血だらけの少女、M、織斑千冬。偶然か?)

 ディアナに何時もの笑みが戻り、真が振り返った。

「ほんとーに。私は我慢強くなった物だわ。忍耐力許容力部門でノーベル賞狙えるわよね」
「訳が分かりません。ついでに声が大きいです。千冬さんが起きますよ」
「この娘1度寝るとただの物音程度では中々起きないのよ」
「……なら何故呼んだんですか?」
「この程度の権利はあるわ。それより千冬をベッドに運んで頂戴。真はソファーよ」

 訳が分からないと困惑しつつ、彼は自分の腕を見る。俺には無理ですよと顔を上げた彼にディアナは呆れた様に言い放った。

「簡単に諦めない」

 静かな寝息を立てるその人は猛々しさも雄々しさも無く、身体を丸め緩い握り拳は鼻先に、年相応どころか少女の様に眠っていた。側に立つ彼は助けを求めディアナを見たが、彼女は楽しそうに見るだけだった。

 暫しの思案のあと彼は右腕を背に添えて、抱きかかえた。身体を反らし気味に千冬を支え、耳元に寝息が聞こえる。予想外の軽さと柔らかさと暖かさに彼は戸惑った。

「そうそう、千冬って抱きつき癖有るから」
「は?」
「離さない様にね、その娘も苦しんでるわ」

 突如回された腕にバランスを崩し、ベッドに倒れ込む。何とか逃れようと藻掻く真をみてディアナは深い溜息をついた。

(……私って本当にこう言う役回りなのかしら)
「あの、助けて欲しいんですが」
「勝手にしなさい」
(“最後の人”か……ベアトリス様(シャルの義母)のプライベートナンバーまだ生きてると良いけれど)

 もう夜も更けていた。


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「新しい朝が来た~♪ 希望の朝がぁぁあぁぁぁあぁ♪」

 あーなんかもやもやする。俺は自室でいつか覚えた妙な詩を口ずさみ、のたうち回っていた。こう胃袋をぎゅっと掴まれた感じ。もちろん掴まれた事は無いけれど。因みにもちろんベッドの上だ、念のため。

 今日は土曜日で通常なら午前の授業があるのだがトーナメント前で休みになった。本来ならば皆がそうで有る様に訓練に勤しむのだけれども全く手に付かない。静寐は対策を練るとかで朝も早くから図書館に行った。図書館には専用端末があって全生徒のデータが公開されている。セキリュティの関係上、部屋の端末から見られない物もあるから人気で、皆ペンを持ちせっせとノートに書き写しているのだそうだ。こう言う用途ではタブレットは使い難いそうで人気が無い。“未だ人類はペンを越える道具を生み出してない”って誰かが言ってた……そうだ束さんが言ってた、たぶん。俺はもちろん付き合うと静寐に言ったのだが「邪魔だからトレーニングしてて」と切り捨てられた。因みにシャルは追跡検査で昼まで戻らない。

 もやもやの理由はもちろんあの阿呆だ。くっそー昨日屋上で会ったのに色々あって捕まえ損ねた。はぁと溜息が出る。窓から覗くその光景は明るい太陽と青い空、皮肉なほど晴天だった。鈴は怒るし、静寐には怒られるし、溜息が出る、2度目だくそったれ。

「朝飯にしよう」

 腹が減っているから気分が悪いに違いない。そう思いのそりのそりと扉を開けると目の前に鈴が居た。思わず眼が合った、ぱちくりと瞬き一つ。鈴は何時ものではなく赤紫のTシャツとデニムショートパンツだった。ツインテールでは無く首元で一つに結っている。

 お互いに硬直したまま声が出ない。何故なら鈴と俺は喧嘩中だからだ。もっとも静寐に言わせると俺が一方的に悪いらしく、鈴が落ち着くまで話し掛けるなと釘を刺されていた。

 だが、目の前に居るなら話は別だろう。俺は手を上げおはようと声を掛けた。鈴はぷいとあからさまに目を逸らされ逃げ出した。怒っていますオーラ全開だ。暫しの思案の後俺は鈴を追いかける事にした。逃げていても解決は出来ないし、逃げるのも性に合わない。

「あのさ鈴」
「話し掛けんな」

 にべもない。ずかずか歩く鈴の後ろ姿を追いながら、俺は腕まくりをし腹に力を入れた。もちろん比喩だけどな。こうなったら徹底抗戦しかない。

「怒ってる理由教えてくれって」
「怒ってない」

 これが怒っていないなら怒りはどれだけ凄いんだよ。俺らの歩調が徐々に早くなる。ふと思えば、鈴の機嫌が悪くなったのは真の話になってからだ。だからこう聞いた。

「真となんかあったのかよ?」

 推理にすらなっていないがビンゴのようである。鈴はぴたりと歩みを止めて振り返った。先程までの怒りはどこへやら、鈴はふふんと挑発的な笑みを浮かべていた。

「気になる?」
「べ、べつに」

 思わずどもってしまった。鈴の笑みにどこかしら妖しさを織り交ぜていたからで、去年の、いや転校した直後の鈴とのギャップに面食らったのだ。そう言えば真が女の子は成長が早いとか言っていた様な気がする……またむかついた。

「ふーん、そう。なら教えてあげない」
「やっぱり教えてくれ。この通り!」

 と両手を合わせてお願いするも。

「い、や」

 鈴はつんと素っ気なかった。大量のSAN値(sanityの略、正気度)と引き替えだったのに、このやろう……

 ぴくりぴくりと波打つ腹の底、何時もこうだ、真を思い出すと腹が立つ、衝動的になる。なんでだ。苛立ちが手に宿り、鈴の腕を掴もうと伸ばした手は宙を切った。あれ? 気がつけば僅かに鈴の身体の位置がずれていて……見切られた?

「あっらー織斑君暴力は行けないんだー♪」
「くそっ待て鈴!」
「速くても直線的な一夏に捕まる訳無いからねー♪」

 手を伸ばすと躱される、回り込もうとするとすり抜けられる、空を切る俺の腕は音までするが、何時までやっても捕まえられそうに無い。捕まえたと思ったらいつの間にかずれているのだ。改めて鈴の体術のレベルの高さを思い知らされた。というより猫だとおもう。

 しばらく鬼ごっこを続けたあと、俺はぜえぜえと息を切らしていた。鈴はそんな俺を見てだらしないとけらけらを笑う-“捕えた” あ、と鈴が言ったのは俺が腕を掴んだからだ。もちろん息を切らしたのは演技。鈴の顔がみるみる赤くなる。

「こんなのインチキじゃない! この馬鹿一夏! 離しなさいよ!」
「勝負は勝負! 話して貰うぜ鈴! もう離さねぇからな!」

 いつの間に勝負になったのか俺も知らんけど。飛んでくるのは蹴りか掌底かはたまた頭突きか、括った腹は肩すかし。腹なのに肩とはこれまた如何に。そして意外な事に、鈴はぽかんとしていた……なんか変な事言ったか? と俺まで呆けてしまった。その瞬間パッチーンと左頬に鋭い痛みが走り、気がついたら鈴を部屋に逃がしてしまった……フェイントだったとは不覚。周囲で女の子達のひそひそ声が耳に付き俺は急いでその場を後にした。


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「まことーおはよー」
「おはよー」
「まこりん、おはよー」
「まこりん、やめー」
「蒼月ごっつあんです」
「おはよ、奢らないぞ」
「「「ぶー」」」

 真は久しぶりの柊の食堂でコーヒーを飲んでいた。聞き覚えのある声と聞き慣れた声に朝の挨拶を返す。黒いプリントTシャツに迷彩のハーフパンツを纏い、首の糸傷、左頬の切り傷、閉じられた眼、欠けた左腕。隠す事無く彼は佇んでいた。

 彼に奇異の眼を向ける者は居なかった。理由は二つ。立て続けに起こった事件は少女たちの心を大きく揺さぶり、また真の死亡説まで流れていたため評価基準がズレ、大事だと認識していない者が多かった為だ。重大な事件は、それが霞むほど重大な事件が起こったとき霞んで見える、と言う事だ。もう一つは、憑き物が落ちた様な真の姿を見ていると、まぁ良いかと思う少女が多かった。

 彼が座るのは食堂の角席で、手に持ち向かい合うのはタブレット、情報端末だ。その画面が人に見られない様に壁を背に座る彼は、タブレットの情報を読んでいた。

 彼は決して指を動かしていない、ただ持っているだけである。にもかかわらず、タブレットは彼の意思に応じて必要な情報をネットワークから読み込み彼の手を通して直接伝えていた。“機械と相性が良い”彼がそう呼んでいた機械に対する特性、諸般の大問題がある程度片付き、一息ついた彼はその問題に改めて取り組んでいたのである。

 何らかの情報処理能力を有する機械、これを直接操作出来る。ただしその機械が持つ能力の範囲を超えない、直接触る必要がある、これが彼の能力の、彼の認識だ。

 例えば電卓の場合。操作する事無く手にするだけで数字を入力しその計算結果を知る事が出来る。これは有する仕様、能力のみに限られ、この場合キーに示された数字計算記号以外入力出来ず、また計算させる以外の操作は出来ない。ただし注意しなくてはならないのが、人為的に能力を制限された機械はその限りにあらず、と言う事だ。

 かって閉鎖された第2アリーナへでのロック解除、江ノ島での自動車のイグニッション、フランスでのIS外部操作はこれに起因する。彼は目を開き静かに細めた。

(こう言う事か。俺がISを動かせるのもこれが原因だと見てまず間違いない。みやの奴知ってたな……なんでこんな事が出来るのは見当も付かないけれど)

 人並み外れたという意味では千冬もディアナも、そして一夏も同じだが、そう彼は静かにタブレットをテーブルに置いた。額に指を2本添える。

(だが、みやのスラスターと故障していた旋盤(工作機械)の修復はどう関係する? 操作と修理は別物だ)

 身を起こし、コーヒーカップを手に取った。カフェインの匂いが彼の意識を刺激する。

(それはそれとして、直接触らないといけないってのは不便だな。高速機動中のISに触れればどうこうする前に一瞬で腕が吹き飛ぶ……不便? 冗談じゃ無い、核弾頭並みに厄介だぞ、これ。直接触れる事さえ出来れば、世界中のコンピューターを支配下に置く事が出来る。バレればどこかの怖い黒服に抹殺されかねない。誰かに言う事はもちろん、おいそれと使う訳にもいかない……これを知っているのは……Mだけか)

 デュノア社とフランス軍の調査ではMの遺体もISの残骸も発見されなかった。彼は彼女が言わないと考えた。全てを捨てたMとってそれに価値は無く、有るのはただ一つ。真に興味を持ったのは、Mと同じだからだった。2つにならない。

(あのフランスでの襲撃から6日経つ、世間にリークするにしろ、誘拐するにしろ、何らかのアクションを起こすには静かすぎ、時間がありすぎる……千冬さんによく似た、血だらけの少女と同じ顔、きっとまた会うな)

 Mは全てを捨てたと言っていた。転じてかっては普通に持っていたと言う事だ。

(俺は彼女を救うべきか? シャルにセシリアにディアナさんや千冬さんが俺を救った様に。いや救おうとするべきだろうか。それとも“するべき奴”がどこかに居るのか?)

 だが、少なくとも。次に彼が一人で会えば戦闘は避けられないだろう。

(Mと俺の実力は伯仲、少なくとも今の俺では無理か……)

 歩み寄る堅い気配に真は顔を上げた。

「よう、このくそったれ」
「品が無いぞ」

 彼の黒い眼が捕えるのは、腕を組み複数の感情を織り交ぜた、仁王立ちの一夏だった。濃紺のTシャツに黒のハーフパンツ姿で立っていた。

「品が無いと来たか。フランスで何にかぶれて来やがった?」
「俺がかぶったのは後にも先にも一夏の後始末だけだ。立ち話も何だから座れよ」

 牙を剥き笑みを浮かべる一夏に真は涼しい顔である。彼は一夏を促し、向かい合える位置に身を滑らせた。目の前に一夏が座る。コーヒーを一口すすり真が言う。

「最後に会ったのは江ノ島に行った日だから大体2週間か。改めて、元気そうでなにより」
「はん、それでけ減らず口たたけるなら遠慮はいらねーな」
「一夏が遠慮した事なんかあったか?」
「日常茶飯事だぜ」
「良く言う」


-----


 柊の朝の食堂の片隅に座る2少年。数名の少女たちがそれに気づきある少女は駆け寄ろうとしたが、別の少女に止められた。漂う妙な気配、緊張感に気づいた為だった。

「まず詫びを入れる。あの時はすまねぇ」
「あの時?」
「江ノ島でのあれだ」
「……一夏はもう少しさっぱりしてると思った」
「馬鹿にしてるだろ」
「してないさ。それだけか?」

 一夏は1つ息を吸い1つ吐いた。

「千冬ねぇとどういう関係だ?」
「教師と生徒」
「嘘つきやがれ」
「何でそんな事を聞く」
「シャルとお前が渡仏するとき千冬ねぇが見送りしてただろ」
「学園の用事で言ったんだ、おかしくは無い。というかお前サボったのか」
「セシリアが渡したい物があるって困ってたからな。それでどうなんだ?」

「何故そんな事を聞く」
「お前、千冬ねぇと話すとき少しトーンが上がるからな。それに2回“千冬さん”と呼んだぜ?」

 一夏が言うのはそれは入学式の時であり、一夏を逃がした時だ。一夏は姿勢を崩し、片足であぐらを組むと肘を机に置いた。

「口止めされてる、直接本人に聞いてくれ」
「言えねぇのかよ?」
「そう言う話なんだ。それに本人に聞くのが順番だろ」
「答えてくれなかった」
「済まない」
「なら、聞き方を変えるぜ?」
「あぁ」
「千冬ねぇに気があるのか?」

 流し目に鋭い眼光を放つそれは、外敵を警戒する身内の目だった。真はそう言う事かとカップを置いた。

「もちろんあこがれなら有るさ。天下のブリュンヒルデだぞ。世話にもなってるしな」
「……そういうんだろうな」
「そういうんだ」

 なら良いけどよ、と一夏は視線を外す。相変わらずの仏頂面だったが、その気配は緩み、攻撃的な気配も霧散していた。彼は千冬の真へ扱い、この違和感については聞かなかった。千冬側の問題と言う事もあるが、千冬が誰かを好いた、追いかけた前例が無い以上、真の否定で十分だった。

(平気で嘘付く様になったな、俺)

 人知れず自嘲する真に一夏はたちが悪かった。にやりと意地の悪い笑みを浮かべる。

「まぁ一安心だぜ。鈴の事もあるし」
「鈴がどうかしたのか?」
「なに惚けてやがる。お前昨日告白されただろ?」

 口に含んだコーヒーが身体の中で逆流する。むせる寸前だった。

「……確認したい、他には?」
「なにが?」
「聞いたの其処だけか?」
「真をボコボコにするとかどうとか」

 うんざりした様に真は言う。

「言っておくが、鈴にそのこと言うなよ」
「言う訳無いだろ。“もう大丈夫そう”だから聞くけどよ、どうするんだよ。静寐とか本音とか」
「……仕方ないだろ」
「……おい、この阿呆」
「なんだよ」
「お前まさか、振るつもりか?」

 唸る一夏に真は静かにあぁと言った。彼の目の前にはこめかみに血管を浮かび上がらせた一夏が居た。両手をテーブルに置き身を乗り出している。

「鈴は良い娘だよ。だがそれとこれは別だ」
「静寐も本音も宙ぶらりんだな、お前セシリアとは別れたんだろ」
「正確でない表現だが、まぁ合ってる」
「おまえ、ホモか?」
「馬鹿か」
「なら何でだ、変だぜお前」
「一夏に言われたくないな」
「俺はもてた事ねーよ」
「そーだろーな」
「この阿呆が、いい加減身の程を知りやがれ。それとも何か? フランスで彼女でも作ってきたか?」

 詰め寄り半眼で睨む一夏に、ぴくりと真の気配が揺らいだ。一夏はそれを見逃すほど、他人に疎くなかった。目を見開き、口を呆けた様に開ける。真は視線を冷えた茶色の液体に落とした。

「マジか?」
「秘密だ」
「シャルか?」
「違う」
「じゃ、誰だよ?」
「……いつか話すよ。時が来たら」
「絶対紹介しろよ。それで勘弁してやる」
「あぁ」

 一夏はにやけ、真は静かにコーヒーを飲んでいた。窓から覗くのは朝日を浴びる風景だった。

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 真・ザ・ハードラック・オン・セカンドステージ、第1弾。
 殺した事に引け目は感じていない、つまりは人間としてであり、互いに武器を持った結果として。けれども男としては別だった。新しい自分を構築した真は、その辺も変わったってことですね。そんな感じです。

 最初は無意識、そのあとは意識的に、自己否定に支配されていた真は、誰かと付き合おうと思えませんでした。それが解消されると今度はエマが浮かび上がってきた訳です。

 記憶を失ったままの真にとって、セシリアがキーだったのですが、彼女は社会的に貴族、かたや真は凡人。彼はこうしました。仮に一夏だったらどうしたでしょうか?

 その一夏の機嫌は千冬の件が解消され元に戻りました。とりあえず、です。因みに、この段階での一夏は3人娘の状態を把握してません。他人の機微に鋭い彼が気がつかなかったのは、千冬と真の嫌疑故です。

 今後の予定ですが、トーナメントやガールズを基点に一夏と真の掘り下げを行っていきます。当初予定していたアプローチと異なる為、皆様に受け入れられるか少し不安。


2012/10/20



[32237] 05-10 日常編19「トーナメント前夜1」
Name: D1198◆2e0ee516 ID:f2c93ab0
Date: 2013/07/05 21:43
 日常編 トーナメント前夜1
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 自室のベッドの上で仰向けに寝転ぶ鈴は白い枕を手に取った。両手で掴み、腕を天に伸ばし、じっと見つめる。おもむろに起き上がると、あぐらを掻きやはり枕をじっと見つめていた。

 かちこちと針が時間を刻む。深い溜息のあと鈴は枕を抱きしめた。唇をきつく結び、眉を寄せて、結んだ唇を枕に埋める、その瞳は物憂げに揺らいでいた。そうかと思えば天を仰ぎ、生まれた唇の隙間から漏れる吐息は、甘い湿り気を帯びていた。募る思いは如何程のものか。

「……うふ♪」

 目尻が下がる、口が開く、鈴は隙あらば緩もうとする表情を必死に押さえていたが、等々にへらと表情を緩めた。抱きしめた枕ごと、寝転び、ごろごろと転がり、枕を被り足をばたばたと。

(一夏に追いかけられた、もう離さないって言われた、追いかけられた、もう離さない……)

「うふふうふふふ♪」

 要するに、悶えていた訳である。IS学園1年2組凰鈴音15歳、一夏と出会い6年目の大快挙だった。頬を染め、これ以上無いと言うぐらい喜びに浸る鈴を残念そうに見守る友人2人。

 タンクトップにデニムのミニスカート。椅子に腰掛け、あぐらを掻き頬杖をつく清香は呆れた様にいう。

「と、言う事があったみたい」

 清香が言うのは鈴と一夏の廊下での痴話喧嘩である。白い猫の着ぐるみの、本音は胸をなで下ろした。

「そうなんだ、よかった。鈴ちゃんおかしくなっちゃったのかって心配だったんだよ」
「いやぁぁぁぁん♪」ドタバタと部屋に悶える音が響く。

「叩いたら怒るかな? それともこのままかな?」
「清ちゃん。私、かんちゃんの所に行くから鈴ちゃんお願いして良い? あと暴力はダメだよ」
「はいはい。任された」

 それじゃと、本音を見送った清香は溜息をつく。

「鈴、そろそろトーナメントの打ち合わせをしたいんだけど」
「うふふうふふふ♪」
「鈴、おーい、鈴ってばー」
「あははは♪」
「……二股びっちー」

「誰がビッチよ!」がばっと起き上がり清香に詰め寄る鈴であった。投げ捨てられた枕が宙に舞う。
「二股は否定しないんだ」

 ジト眼の清香に鈴は一つ咳払いを打つ。頬を染め眼を逸らし、長い黒曜石の髪をくねりくねりと弄ぶ。今にも溢れ出かねない恥じらう心を必死に押しとどめていた。

「べ、べつに。付き合っているとかそう言う訳じゃ無いしー」
「あんな事言っておいて早々に決めるとか、鈴もえぐいよ」
「早々に決めてませーん。一夏にあれ位したって罰当たらなーい……って清香! アンタなんで知ってんのよ!?」
「あんな堂々と告っておいて何を今更」
「……全部聞いてないわよね?」
「アタシは真が好き、でも一夏も好き。次に真に会った時ボコボコに殴ろう―」
「わーわー、わーーーー!!!」


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 俺は「マジか」と聞いて、真は「マジだ」と答えた。

 腕を組んでうーん、と考える。への字に書かれた口をレの字に書くがすぐへの字に戻る。食堂が混み合い、込み入った話が難しくなってきたから、散歩がてら話そうと言う事になった。そこまでは良いのだけれど、俺はその問題の複雑さに頭を抱えていた。

 真が言うには静寐と本音から三行半を叩きつけられたらしい。真に彼女が出来たのはめでたいが、あの2人はどうするのか、そう聞いたらこう言う事だった。

 俺はこの手の話が苦手だ。と言うのも、誰かが好いた好かれたという会話を殆ど所か全くした事が無い。弾も然り。話題として振った事はあるのだが、呆れるか怒り出すのどちらかだったもんな。

 俺の勘ではあの2人がそんな簡単にさじを投げるタイプだとは思えないんだけど、箒直々に釘を刺されたらしい。言われてみれば、真の帰国を伝える放送の有った日、つまり昨日、あの屋上にあの2人は確かに居なかった。

 でも、そうすると一つの疑問がわく。俺は右隣をとぼとぼとあるく真にこう聞いてみた。

「ならよ、あの3人の仲が悪かったのは何でだ?」

 そうなのだ。静寐と本音が真を嫌うだけならあの3人が仲違いをする理由にならない。これまたおかしな事に、今では普通に話しもするし一緒に食事もしている。

「それは俺も分からない」

 ほほぅ、頭の良い真様にもお分かりになりませぬか。

「無茶言うな。女心は有史以来、幾多の哲学者・思想家が身を散らしていった難題だぞ」

 やっぱり自称賢者じゃねーか……あれ? 俺らどうやって会話してる?

「思い出よ誰(た)がかねごとの末ならむ昨日の雲の跡の山風」

 夏の空に突然舞う凜とした声。俺らは思わず振り返った。

「乙女の純情をもてあそぶ2人にはこの詩を贈るよ。学園に乗馬クラブが無いのが残念だね。蹴り飛ばしてくれる馬が居ない」

 金色の髪に碧い瞳。白の襟無しシャツに白の折り目の付いたショートパンツ。其処におわすは異国の王子かはたまた星の王女様か。同室者にして男だけれど実は女の子、シャルル・ディマことシャルロット・デュノアだ。愛称はシャル。そのシャルは白い小さな鞄を肩に掛け颯爽と歩いてくる。てゆーか今の詩? 真は意味を知っているのか気まずそうにシャルを出迎えた。

「藤原家隆? よく知ってるな……」
「うん。日本の詩は不思議な響きだね。真は何度も読み直して反省すること、良いかな?」

 シャルは眼を瞑り人差し指を立ててすまし顔、真はバツが悪そうに頭を掻いていた。なんというか頭が上がらないというか尻に引かれている? 年下の女の子にそういう風にされるとなんというか、みっともないというか、男の矜持に関わると思うぜ。もちろん同い年でも以下同文。

「一夏もだよ、なに他人の振りしてるのさ」

 よく分かりませんが、ごめんなさい。シャルの笑顔に凄みがあったからつい謝ってしまった。


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 シャルが歌ったのは新古今和歌集の一つらしい。日本語を覚えるときに偶然知ってそれ以来お気に入りなのだそうだ。そういえば中学時代習った様な気もする。真にその意味を聞いてみたら、教えてくれなかった、と言うより言いたくなかったみたいだ。苦い顔していたから余り良い意味では無いらしい。

 それよりも、だ。俺の前を並んで歩くこの2人だけれども、なんかおかしくないか? 右を歩くシャルに左を歩く真。その距離は触れんばかりに近いが決して触れる事は無く、

「そう言えば聞いたよ、もう“大丈夫”なの?」
「あぁ、世話掛けた。もう“大丈夫”だ」

 それでも側立つ香りは甘いというか、なんというか、非常に怪しい。暖かみのあるシャルの笑顔は一層深く、驚いた事に、あの真が静かな笑みを浮かべていた……怪しいなんてもんじゃねぇ。

「検査の結果どうだった?」
「うん、大丈夫。身体のだるさもじきに消えるだろうって」
「余り無理しないでくれ、シャル何かあると色々困る」
「真に心配されるほど柔じゃないよ、こう見えても僕は丈夫なんだ。だから自分の心配をして欲しいかな」

 むか。2人だけの世界を作りやがって、と俺は2人に割りいるように、真の肩に腕を掛けた。

「てめー、違うとか言って実はシャルなんじゃ無いだろうな?」

 何のこと、とシャルは不思議そうな顔だ。良い機会だから問い詰めてやろう。

「真の奴、フランスで彼女作ったら―もが」

 モガとはモダンガールの略でもコーヒーでも無い。真が俺の口を塞いだのだ。因みにコーヒーの場合正しくはモカ。余計な事言うなこの馬鹿一夏と真の眼は言っていた。「何でも無いこっちの話し」と愛想笑いで真の口は言っている。器用な奴。だが、もう遅いぜ真。シャルは凄い察しが良いんだ。シャルが顔を赤くしていたら、このままメガトンパンチ……そう思った俺は息を呑んだ。シャルは顔を赤くするどころか厳しい眼を真に向けていたからだ。あのシャルがこれほど厳しい表情をするとは思いも寄らず、そのシャルに一夏と呼ばれて俺は声がうわずった。

「な、なんだよ」
「ごめん、少し席を外してくれないかな? 真に話があるんだ僕」

 有無を許さないシャルの威圧に俺はそのまま立ち去った。ちらと飛ばす真の恨みがましい眼、遠目に向かい合う2人は恋人と言うよりも、姉と弟、違う。それよりももっと深い関係の様に見えた。それは多分、あのシャルが真剣に真を怒っていたからだと思う。


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 漸く落ち着いた鈴と清香はタブレットを持ち、ノートとプリントを床に広げていた。彼女らが討議するのはトーナメント戦の打ち合わせである。

 トーナメントを目前に全訓練機は使用出来ない。専用機を持つ鈴は別だが、ペア戦である以上鈴だけ訓練しても意味が無い。そこで2人はデータから己のチームの特性と、想定される対戦チームの特性からどのような戦術が適切かを練っていた。

 個人戦にも言える事だが、試合が行われるアリーナに身を隠す障害物、盾は無い。従って基本戦術は非常に原始的だ、攻撃される前に攻撃し倒す、反撃を許す前に畳みかけ倒す、それが叶わない場合にのみ回避、防御に移行する。もちろん、対する相手と自己との戦力差は変動する為、臨機応変に対応しなくてはならない。

 この戦術は現代戦闘機の誘導兵器、つまりミサイルによるBVR(Beyond Visulal Range:視認外距離)による戦闘とは異なり、旧世代戦闘機の空中格闘戦、ドッグファイトその物である。IS戦において誘導兵器、つまりミサイルが有効で無いのは一重にアリーナの大きさとISの機動力に他ならない。

 ミサイルの誘導には翼が使われるが、高速で飛行することから翼を大きく出来ない。逆に大きくすると低速になる。空気抵抗の為だ。2km四方のアリーナではミサイルの高速性・追尾性を発揮する前に、躱されるか撃墜される。かってクラス代表を競ったとき、ブルー・ティアーズのミサイルが未熟な一夏に撃墜されたのはこの要因が大きい。

 短距離空対空ミサイルでもその射程は40km、速度はマッハ2.5、シャルが対M戦で使用したミサイル攻撃は広大な空中であったからこそ有効だった。もっとも技術は絶えず進歩している為、明日どうなるかは不明である。

 余談だがブルー・ティアーズの開発メーカーであるトライアンス社の前身は元々誘導兵器メーカーであり政治的理由で搭載された。ただその有効性は当のメーカーでも疑問視され後継となるサイレント・ゼルフィスには搭載されなかった。


 鈴は最初に攻撃の検討を行った。彼女が手にするタブレットには清香の成績データ、つまりシミュレーション上での射撃映像が再生されている。

 中距離の射撃に限れば清香は1年生で6位、もちろんシミュレーションデータが多くそれを考慮する必要はあるが優秀と言って良い。スティック菓子を唇に挟み、鈴は感心した様にもそもそと言う。

「ふーん、清香って射撃得意なんだ」
「そう思う?」
「センス有るんじゃ無い? アタシは専門じゃないから詳しくは言えないけど。少なくとも国の同期(代表候補選抜者)と比べても悪い感じがしない。正統って感じ?」
「少し自信でた。ありがと」
「なによ、らしくない」
「だってさー私たちのクラスに馬鹿みたいな奴いたじゃん。高速機動中に精密射撃するのが1人」
「あー居たわねーって過去形は酷くない?」

 その通りだけどねと笑う鈴に対し、清香は慎重に話し始めた。その不審とまでは行かないが、負の感情を込める清香に鈴は眼を細める。

「あのさ、鈴はどう思う?」
「何が言いたいのよ」

「ISってパワードスーツって言われるけれど、戦闘に限って言えば殆どセミオートだよね? イメージをISに伝えて、空を飛ぶ。照準はFCS(火器管制)が行うから操縦者は事実上、戦闘空域における位置取りと、攻撃と防御の判断に、攻撃対象の指定、あとは引き金を引くだけ。私たちはそれらを如何に適切に淀みなく操作するか、如何にISと連携を取るかを主に学ぶ。授業で習った“ISはパートナーの様に扱いなさい”ってこの事。

 実際に授業でも銃を、リヴァイヴや打鉄を使い始めて分かったんだけど、ティナと戦ったときの真の能力はリヴァイヴの能力を限界まで使ってる。たった2ヶ月の真がここまでできるってどういうこと?」

「2ヶ月なら一夏だってそうじゃない。アイツの成長速度も異常」

「そう、学園に居る男の子が一夏だけだったなら私は不思議に思わなかったと思う。一夏は織斑先生の弟だし、第3世代機、しかも攻撃はブレードだけ。でも真は違う。真の戦い方は鈴やセシリアみたいな第3世代兵装を前提とした戦い方じゃない、私たちの延長線上にあって、だからこそ私たちと比較する事できた。使用する機体も同じだし。その上で、私は変だと思う。一夏も真も変だよ」

「考えすぎじゃ無い? アタシが言うのも何だけど“そう言う”連中って世界に居るわよ」

「うん、私も最初はそう思ってた。織斑先生やリーブス先生は人の枠を越えてる。あそこまで見事に差を見せられると、嫉妬より憧れしかなかった。あんな人って本当に居たんだ、って。でも私たちは2人と一緒に入学して成長を見てきたから、自分のそれと比較したから気づいたんだと思う。鈴、私ね真の怪我を見たとき思った。視力を失い、左手を失い、それでも笑って学園に居て、ISにのるって、どういうこと? あの真ならまた同じ目に遭うかもって理解してないはずが無いよ」

「清香、アンタね、ISをファッションか何かと勘違いしてない? 兵器ってのは命をやりとりする道具、危険と言う対価が有るのは、あったりまえじゃない。誓約書に署名しなかったワケ?」

「そうじゃないって、兵隊さんだって戦地に赴けば心に傷を、PTSDとか負う人が居る。真は私たちの一歳上の16歳だよ? 30過ぎ、40過ぎの大人じゃないんだよ? 地元の同級生はゲームとかカラオケとか、遊ぶ事ばっかり。もちろん部活動に真剣に取り組んでいる人も居るけど、それにしたって程度があるよ。死ぬ事が怖くないみたい」

「ちょっと、清香。いい加減にしなさいよ、真を異常者か化け物みたいに」

「ごめん、鈴。良い機会だから聞かせて。一夏も一夏でおかしい。一夏の身体能力は普通じゃ無い、音速を超える弾丸に反応するし、体力も並外れている、異質。でももっとおかしいのはそれに何も、不安を感じないこと。片や真の身体能力は普通で、私たちの延長線上にあるけれど、つよい違和感を感じる。これって何?」

「一夏は怖くないけど、真は怖いって言う訳?」

「そこまでは言わないけれど、本音の気持ちもよく分かるよ。知るより先に知り合ってなかったら私だって友達やるの自信ないもん。鈴は、鈴は一夏の幼なじみで、真と同室だったから、多分この学園で一番2人ともよく知ってる。だから聞くよ、」

 清香は困惑を湛える鈴の目を見据えこう言った。

「一夏と真って何?」


-----


「織斑君! 好きです付き合ってください!」
「訳がわかんねぇ」
「大ショック!」

 全くもってなんだかな、と思う。シャルと真に何かあったのは間違いない。だがそれがなんだかよく分からない。扉を開けたら裸のシャルが居たとか、階段を上っているときにスカートの中を見てしまったとか、いやいや、そういうイベントではああいう風にならないよな……エロゲじゃねぇし、そもそも真じゃ見られない……あれ? 今誰か居たか?

 頭を抱えながら自室の扉を開ければ、廊下側のベッドに藍の髪、静寐が座っていた。

「遅い」

 黒い襟付きの半袖シャツに、膝上程度の白のプリーツスカート、この季節に黒は暑くないのかと思ったけれど、夏向けの通気性の良い生地を使っていた。どうでもいいけれど男の子のベッドに腰掛けるなんてはしたない、と思うぜ。

「じろじろ見ないで」
「みてねーよ」
「……一夏は髪長い方が好き? それとも短い方?」

 少し伸びた髪をちょんと引っ張るから、

「どっちも好きだけど敢えて言えば、もう少し伸ばした方が、」

 とつい言ってしまった。

「やっぱり見てたんだ」
「引っかけかよ……」

 何時もの採光を欠いた濁った目の静寐がそこに居た。静寐とペアを組んでからと言うもののしょっちゅうこの眼に睨まれるから、そのうち無条件で謝ってしまいそうだ。気をつけねば。

 物調べが終わった静寐は俺を待っていてくれたらしい。丁度昼時だったので、俺達は昼食を持ってきて打ち合わせがてら、部屋で食べる事にした。作戦の話を食堂でする訳には行かないもんな。静寐は生姜焼き定食、俺はハンバーグだ。机に腰掛け、箸を刺して崩すとじゅっと肉汁がでて、ぐぅと腹が鳴った。

 恥ずかしさを堪えながらもぐもぐと、顔を上げればくすくすと笑う静寐が居る。この笑顔は何時以来だろう、そんなことを思った。

「とりあえず概要から話すけど、いい?」
「おう」
「一夏はとにかく止まらずに動き回る事」

 静寐のプランをまとめると、こうだ。白式は第3世代機の中でもっとも最高速度が劣るが反面、中速低速からの加速が抜群に良い。第2世代以降のISはいずれも音速以上出せるが、2km四方のアリーナは狭くそこまで使う事は無い。一つの敵にこだわる事無く、一千離脱を心がける。攻撃だけでなく、白式の縦横無尽の機動そのものが牽制にもなるという訳だ。

「でもよ、敵に後ろを見せる事になるぜ」
「そこは私がフォローします」

 うわ、すっごい自信。トーナメント戦はツーマンセル、つまり2対2。敵Aと敵Bがいる。俺がAを当てるにしろ、躱されるにしろ攻撃した後、白式の最大加速でBに向かう。Bは当然迎撃する。Aは俺を追撃か、静寐に向かうはずだが、俺に肉薄された直後では静寐を索敵する余裕が無い、逆に本能的にBの援護に向かう、そこを静寐が狙うと言うのが基本プランだ。なるほど、襲い来る暴漢が通り過ぎたら普通注意を向けてしまうもんな。

「大半の相手はこれでいけると思う。ただ注意するべき相手がいるの」
「セシリアと鈴か」
「あとは3組のティナさんも。4組の更識さんは参考に出来るデータが殆ど無くてよく分からないけど……」
「3人とも強いのは知ってるけれど、どう注意する?」
「セシリアは僚機を囮にして遠距離狙撃をすると思う。鈴とティナさんは逆に被弾覚悟でこちらのパターンを崩そうとしてくるはず」

 2人の性格をよく掴んでるね。

「つまり、セシリアにしろ鈴にしろ、俺が相手をすれば良いのか」

 静寐は黙って頷いた。

 今回のトーナメントは専用機同士のペアは禁止されている。仮にセシリアチームと当たった場合、当然静寐はセシリアの僚機と戦う事になる訳だが、その静寐はセシリアに食いつくほど強い。箒が居ない今、非専用機持ちではトップクラスだ、それに俺だってセシリアと鈴に確実に勝てる事は無くとも、追い込む事、時間を稼ぐ事は楽に出来る。その隙に静寐が相手の僚機を倒せば……おぉ、なんか行ける気がしてきた。

「でも不安要素はいくつかあるの。一つは対戦相手のペア。鈴は清香と組むけど、セシリアはまだ未定。もう一つはハンデキャップ。恐らく初期エネルギー量で制限が掛ると思うけれど、その程度が分からない」
「白式は燃費悪いからな」
「一夏そっくりだよね」

 失礼な。


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 食事を終えた俺らは茶を飲みながらベッドに腰掛けミーティングを続けていた。俺は静寐の隣に腰掛けのタブレットを覗き込んでいる訳だが、その作戦の見事な事。流石シャルに師事を受けていた事はある。もともとしっかり者だからな、その辺もあるのだろう。

 そのしっかり者は真顔でこんな事をおっしゃいました。

「“切り返し”のタイミングは私が指示するから、それに従って」

 それはファンネル? あーでもRタイプの“フォース”(シューティングゲームの僚機)なら無敵だし良いかも……いやいやちょっとまてぃ。

「なんだよそれ、まるでお使いみたいじゃねーか」
「違います。適正を考えた上の役割分担。一夏は近接だけだし、逆に私は苦手。それに接近戦をしないなら全体の把握がしやすいの。一夏は体力有るけれど、このトーナメントは長丁場だから温存の効果も狙います、一夏は直ぐ熱くなるから」

 動きの無駄を省くと言いたいのだろうが……

「俺ってそんなに自制心無いか?」
「この間のシャルの件」

 ぐはっ。見事なツッコミで、ぐうの音も出ない。それに反論出来るならどうぞって澄まし顔の静寐は完璧だ。あれは違うんだけどな、真のせいでイライラしていた訳で……あ、そーだ。シャルと真が話していた詩の意味を静寐に聞いてみよう。

 だから俺は静寐と呼んで顔を上げた。静寐も下ろしていた顔をこちらに向けた―目の前の静寐が居た。細い眉と潤みを帯びる瞳と唇、整った顔立ち。吐息が鼻と喉に絡みつく。鼓動が早まり、くらりと世界が歪んだ。だから俺は―

「2人ともご苦労様! 麦茶があるから一息入れよう! そうしよう!」

 戻って来たシャルの声で我に返る、俺は慌てて飛び退いた。何だったんだ今の、何かがずれた様な感覚、さっきまでばくばくしていた心臓は嘘の様に落ち着いている。

 見ればシャルは鞄を放り投げ、慌てる様に麦茶を三つ入れ、俺に渡し、静寐に渡し、俺らの間に腰掛けた。何時になく強引? 俺に背中を見せるシャルは静寐に詰め寄っていた。

「静寐! これはどういうこと!? 僕聞いてないよ!」
「安心して、偶々近かっただけ。一夏にそんな事はあり得ないから」

 何を話しているのかよく分からないが、この2人は随分気が合う様だった。シャルが女の子にこれだけ本心を露わにするのは俺も初めて見た。よく考えれば、静寐はシャルが女の子って事をしっている唯一の女の子だし、2人だけに通じる何かがあるのだろう、そうだろう。と思っていたら静寐が俺を呼んでいた。

「一夏」
「お、ぉう?」
「一夏が好き」
「俺が鋤?」
「ね? 大丈夫だから」

 鋤って言うのは農具の一つで土を掘り起こす道具だ。農家の皆さん何時もおいしい野菜をありがとうございます。

「……とても複雑な心境だよ」

 よくわからねぇけどシャルは鋤が好きなんだろうか。がっくりと肩を下ろし、ぶつぶつと拗ねるシャルを笑いながら慰める静寐。何時もではない、新しい光景。前とは違う、何かと違う。

 俺はこのとき、その違いに、そしてその違いが徐々大きくなっている事に気づいていなかった。


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 嵐の種をせっせと植えます。2012/10/22



[32237] 05-11 日常編20「トーナメント前夜2」
Name: D1198◆2e0ee516 ID:f2c93ab0
Date: 2012/10/26 11:23
 日常編 トーナメント前夜2
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 陽も陰り、天には星も見える頃、彼が思い浮かべるのは、関係を聞かれれば回答に困るフランスの少女である。シャルに説教される事たっぷり3時間、とぼとぼと帰路につく真は深い溜息をついた。

(仕方がないじゃないか、理屈じゃないし、あそこまで言わなくても良いと思うんだ……)

 最初は事実確認、次にその理由を問うた。どうしてエマを気にするのか? 真を殺そうとしたエマを真が気に病むのはおかしい。シャルロットが態度を硬化させたのは真に柔和な態度は逆効果だと言う事を十分理解した上でのことだった。柔らかい枷は形作るのに向かない。新しい自己を見付けた真ではあったが、日が浅く元に戻ってしまう事をシャルロットは恐れた。

 この時点で、エマと真の関係をシャルロットは把握していなかったのである。結局真は、シャルロットの威圧と洞察力に負け、真実を話し、自己否定ではないことを説明し、取りあえずはと開放された。もちろん最後は、怒りではなく呆れと僅かな軽蔑を含ませていた。ただこの態度にはシャルロットとの経緯を考慮する必要があるだろう。どうでも良い人間のことなら、どうでも良い態度を取る。

(大体、シャルはどうして―)

 あそこまで俺に構うんだ、そう続けることはなかった。その代わりに頭をボリボリと掻く。シャルロットが真に何を映し見ているか、それを思えばこそである。恩人だし、仕方がないな、と彼は苦笑すると仮住まいに足を向けた。

 学年別トーナメントを翌々日に控え、教師や担当生徒たちはその準備の最終確認を行っている。例年では各国要人の訪問があるのだが、対抗戦とM襲撃の事もあり今回は見送られた。今年は楽で良いとはディアナの弁。不謹慎だとは千冬の弁だ。

 段差に足を引っかけ転び、マンションのゲートで額を打つ。

(しかし一夏も大変だな。シャルはあれで結構重い娘だし、下手すると刺されるかも……)

 ぶつけた頭を押さえながら、真は仮住まいの扉を開けた。6月最終日の土曜日、午後6時。その部屋は暗く、妙に肌寒かった。彼の直感は逃げろと告げた。動けなかった。糸ではなく思念の鎖。彼が感じ取ったのは、その部屋に蠢く逆さの感情。

 おかえりなさい。

 纏わり付くその声に、彼はただ立ち尽くした。見えない眼に映るのは、ソファーに腰掛けるディアナである。その逆さ影絵はゆっくりと彼を向く。彼の耳に聞こえるのはシンドラーのリスト。響くバイオリンの戦慄は重苦しくまた悲しかった。冷や汗すら出ない。

「ち、ちふゆさんは?」

 彼が言い間違えた理由は何だろう。彼は帰宅を意味する挨拶を言うつもりだった。オーストリアの哲学者フロイトは言い間違いには意味があると述べている。このディアナを目の前にして千冬の名前を出したその意味は、助けを求める意思であり、天から垂れる蜘蛛の糸を自ら断ち切った愚行であった。

 早めに終わったのよ。早く夕食を食べましょう。

 ゆらりと立ち上がる銀の影。操られる様に促され着いたテーブル。置かれた燭台と、正しく敷き詰められた食事の器。何も盛られていなかった。両肩に置かれた細い指。背後の気配に彼はゆっくりと振り向いた。

 そうそう千冬なら、来ないわ。

 見上げる其処には金ではなく銀が、碧ではなく緋が灯っていた。時久しくして鮮血の女神が降り立った瞬間である。彼は意識を失った。


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「今期の学年別トーナメントは第3アリーナで行います。警備用の機体は全4+2機で3年生の先生方がスタメンです。工程に遅れはありません。お客さんが居ないだけで随分捗りますね」

 教諭から失笑が漏れる。トーナメント戦前日、ブラインドから朝日が漏れる職員室で、真耶は電子ボードの脇に立ち警備計画の最終報告を行っていた。アリーナの見取り図、担当の割り振りが個人の持つタブレットにも表示される。

 椅子に腰掛け、腕と足を組む教頭が問いを投げる。

「中継システムの準備はどうなっているか?」
「最終チェックも完了しています。各国との通信容量も問題ありません。アレテーも完全動作しセキリュティは最高レベルで作動中」
「電子戦の状況は?」
「今のところ平常レベルの脅威で推移しています」

 真耶とやりとりしていた教頭は振り向き「彼と機体の調子は?」そう千冬に言うと、彼女は立ち上がり机に両手を置いた。

「改修リヴァイヴは完調ではありませんが警備に差し支えありません。蒼月、さんも同様です」
「結構。他に何か意見・質問のある者はあるか?」

 教頭は教諭全員を一瞥すると、閉会を告げた。皆が席を立ち若手が昼食の弁当を配り出す。ディアナは立ち上がり、襟を2回触る。それを見た千冬は1つ息を吐くと後に続いた。2人の移動先は職員室横の生徒指導室である。部屋に入り扉を閉めると、千冬は扉脇のパネルを操作しセキリュティを作動させた。

 ディアナの腰掛ける音は苛立たしさを含んでいた。珍しく腕と足を組み、不満の表情を隠すことなく表していた。リズムを刻むのは指とパンプスである。

「ど、う、し、て、千冬に聞くのかしらね」
「書類上、私が責任者だからな」

 対面に腰掛け、弁当の蓋を開ける千冬は涼しい顔だ。パチンと割り箸を割る。

「書類上より、事実上の方が重要だわ」
「たかが紙、されど神、と言う奴だな。それを言い始めると線引きが難しい……それで用件は何だ」

 ディアナは番茶をすすると、不機嫌さを消し去りこう言った。

「箒の件、本気?」

 一昨日の事だ。学園内から発信される規則的なエネルギー波をアレテーがキャッチした。偶然研究施設の測定器が素粒子の局地的増大を観測したのだ。素粒子を使用した通信と推定されたが、学園どころか世界中にそれを扱うテクノロジーは存在しないため傍受も妨害も出来なかったのである。唯一判明したことはその発信源が箒だったと言う事だ。

「仕方なかろう、あいつと接触する可能性が有る以上放置はできない。束には問い正すことがあるが、私たちでは四六時中張り付く訳にも行かない」
「千冬も同じ物、持っていたわよね?」
「あぁ。だが何度掛けても応じない……嫌われたものだな」

 平然を装い箸を進める千冬にディアナは溜息をついた。ぱちんと彼女も手を付ける。

 2人が話しているのは、地上に2つだけの、地上から掛けられる、IS開発者である篠ノ之束との通信手段、通信機だ。2日前、箒がそれを使い通信を行った。近いうちに何らかの接触があると2人は、千冬は踏んでいたのである。

「そう言う考えよしなさい、それに原因は私にもあるわ」
「ディアナには無いだろう、逆に私が巻き込んでしまった位だ」
「ならあの女のせいにしましょう。一方的につっかかって来るのだから。それで良いわね?」

 強引な気遣いに千冬は苦笑し、ディアナも笑みを浮かべた。食事の音が止み、湯飲みの音も収まり掛けた頃、千冬は躊躇う様に面を上げた。

「……蒼月の様子はどうだ」
「不安はないわね」
「そうか」
「警備の件はこれから伝えるけれど」
「任せて良いか?」
「そんなに心配なら来れば良いのよ。なんなら前の様にマンションに移れば? 寮は真耶に預けても問題ないと思うけれど」
「居るならそれで良い。それに、私はもう前とは違う」
「真絡みの話があるけれど、聞く?」
「いや、良い」

 ディアナは眼を細め、挑発を含めてこう言った。

「火遊びよ?」
「……結構だ」
「そう、なら気が向いた時には何時でも来なさい」

 短い簡潔なやりとりの後、千冬は一言礼を述べると席を立った。友人の頑固さに呆れ、同居の少年に苛立ちを感じ、湯飲みを持つ指に力が入る。

「親心子不知、で合ってたかしら。どちらにせよ腹が立つものは立つわよね、千冬?」

 湯飲みから立つ湯気は、鋭く碧い瞳に吹き飛ばされた。


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 正直に言えば、箒は2組担任ディアナのことを快く思っていなかった。何かされたという訳ではないが、彼女の有り様、立ち振る舞いが鼻についた。強い言葉で言えば、教師にあるまじき行為である。

 例えば、学園の2少年を名前で呼ぶ。しかも呼び捨てだ。

 例えば、感情を抑えることなく露わにする。生徒の前でだ。

 例えば、生徒に手を上げる。かって少年の首を切ったことがあった。

 もちろん確証はないが、世界広しと言えども他に出来る人物が見当たらない以上そう判断しても差し支えなかろう。

 良く言えば融通が利く、悪く言えば奔放、厳格さを尊ぶ箒にとってディアナは真反対と言っても良い。女であることを強く意識させるその振る舞いが鼻についた。なにより、おくびれることもなく、ただ私はここだ、私はこうだと言わんばかりの態度が彼女の神経を逆なでた。一組で良かったと箒は胸をなで下ろした物だ。

 箒は思う。金髪の女に禄なのは居ない、イギリス国家代表候補にしかり、3組クラス代表にしかり。口数少なくあるべきだ、騒がしい女など品格を疑われる。慎み深くあるべきだ、肌を見せるなど破廉恥極まりない。

 もちろん、価値観など人の数ほどある事は箒とて重々承知している。良いところもあるだろう、見えないだけで尊敬に値する処もあるのだろう、箒自身性格上の欠点も自覚している。だからそれを誰かに指摘したことはないし、非難したことなどもちろん無い。誰もがそうで有るように、彼女もまた苦手な人物がいる、只それだけの事だった。

 だがしかし、これは絶対におかしい何かおかしい否あやしい、箒の目の前で火花を散らすディアナと真を見て、問い正さねばと箒は訝しっていた。

「納得できません。再考をお願いします」真は背の低いテーブルに右手だけを当て、身を乗り出し、ディアナに迫る。

「決定事項よ、駄々をこねるなんてまるで子供だわ」ディアナは眼を細めると足を組み直した。グレーのタイトスカートの隙間から白い肌が見えたが、少年は微動だにせず箒だけが意識しとっさに己の裾を直してしまった。

(これでは私だけ子供の様ではないか……)

 箒は右隣の少年にいじけた様な非難の視線を投げた。


 時は1時間ほど前に遡る。学年別トーナメントを翌日に控え、周囲の慌ただしさを尻目に箒は1人鍛錬に励んでいたところ、ディアナに呼び出された。どうして2組担任に呼び出されるのか、怪訝に思いながらも無視する訳にも行かず、身を正し生徒指導室に赴くと、真が居た。どこに居たのか怪我はどうしたのか、そう詰め寄ることを自重し、席に着いた。友人の決意を伝えること、箒は姉の件で迷っていたこと、セシリアの眼も合った事もあり、再会したその時に問い正すことが出来なかったのだ。

 そのディアナが2人に伝えた内容は3つある。1つ、トーナメントを警備すること。2つ、当面箒と行動を共にする事。3つ、期間限定とは言え箒に機体が用意される事。箒はこれ幸いと同意したが、真は異議を唱えた。彼はこの時初めて、箒がトーナメントに出ない事と放課後箒を拘束することを知ったのだ。ディアナは束と箒が接触する可能性のことを知らせなかった。地上に篠ノ之束と接触する手段がある、と言うのは特秘中の特秘だ。おいそれと話す訳にも行かない。

 真は怯むことなくディアナに再度詰め寄った。

「再考をお願いします」
「しつこい男は嫌いよ」
「ほう……篠ノ之さんは性格上孤立しやすいんです。放課後だけとは言え学業を学生の本分を放棄させるなんて、教職者としての自覚を欠いた発言です」
「それ面白いわね」
「茶化さないで下さい。警備自体に異議はありません。俺一人でも良いでしょう?」

 ディアナは脚を解くと前屈みに詰め寄った。テーブルに右手を置き、こつんこつんとリズムを刻む。鼻先が触れんばかりに近い二人を見て、箒はますます疑念を深めた。

「篠ノ之さんも納得している。“これ以上手間掛けさせないで”頂戴」

 空調と2人の呼吸が響く中、真は身を起こし渋々とこう言った。

「理由があるんですね? 俺が聞いて納得出来る」
「言う義務はないわ」
「……分かりました。了解です」

 ディアナは愛想無く目を瞑る、言葉ではない彼女の言葉で確認した真は、箒を促し席を立った。ディアナが真に問い掛ける。彼は済まないと箒を先に送り出した。

「1ついいかしら」
「なんです?」
「今でも記憶を取り戻したい?」

 突拍子もない問い掛けに、彼は毒気を抜かれこう答えた。

「もうどうでも良いです」
「そ、う、よ、ね」
「……どうしたんですか?」
「何でも無いわ?」

 真はディアナの意図が掴めなかったが、廊下に待たせている箒が気に掛りそのまま彼女に背を向けた。


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 扉を開けると目の前には箒、仁王立ちである。何時も見た様にいつか見た様に、腕を組み脚を肩幅に広げ、むっすりと睨み上げていた。只違うところは結い布が白くなっている事のみである。真は箒が口を開く前に行こうと促した。少し前を歩く真に問い掛ける、箒の声は地獄の釜が煮立つ音のようであった。

「どういうことだ……」
「言葉が足りないよ」
「リーブス先生との関係だ」
「教師と生徒」
「嘘をつくな」
「気になる?」
「あの2人を―」
「もう関係無いんだろ?」

 箒は唇をきつく結び押し黙った。ただその表情は吹き溢れんばかりの憤りを湛えていた。その彼女に真は立ち止まり振り返った。ディアナと異なり、その眼は閉じられていたが放たれる気配に威圧が込められ、箒はひとつ息を呑んだ。

「箒の口から聞きたい。良いんだな? 箒の意思なんだな?」
「そうだ」

 彼は1つ溜息をつくとこう言った。

「箒にも都合があるようなら仕方がない」
「都合とは言っていないぞ」
「箒は自分の利益だけでは動かない。他の何かがあるんだろ?」

 呆けたように立ち尽くす彼女に真はこう言った。

「なら早速ハンガーに行こう」


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 箒は聞いた。

「眼はどうしたんだ」

 真は答えた。

「強い光を直視して見えなくなった」

 箒はもう一度聞いた。

「強い光とは何だ」

 真は答えた。

「秘密」

 憮然としかめる箒であった。

「……左腕はどうしたんだ」
「しくじって失った」
「その理由を聞いている」
「秘密」
「江ノ島に出かけてから戻るまで何があった」
「秘密」
「ふざけているのかっ!」
「心配掛けたのは申し訳ないけれど、言えないんだ。ごめん」

 夏の日差しを浴びて、Tシャツをばたつかせる真に箒は不満顔だ。真は生徒ではない、学園絡みとは察しつくがこうも無碍にされると腹も立つ。だが素直に謝られれば強く言う訳にも行かず、苛立ちは募る一方だ。ならばと、ジャケットの左脇にある異物を咎め、箒は確信を持った上でこう聞いた。

「それはなんだ」
「セシリアから貰った銃」
「返却したと聞いたが?」
「もう一度渡して貰った」
「何故だ?」

 さも不機嫌そうな箒だった。無理もない、あれほど大騒ぎしたのだ。

「俺が馬鹿で彼女が出来た人だったって事」
「……今どういう関係なんだ」
「秘密」

 箒は深い溜息をつくと、今度は真がこう言った。

「今度は俺が聞きたい」
「不本意だが聞いてやろう」
「2度と会わないんじゃなかったのか?」
「2人と会うなと言ったんだ」
「本音と静寐は駄目だけれど箒は良い?」
「そうだ」
「何故?」

 それは真が感じ取った気配であったが、久しぶりの箒の笑顔が、これかと思わず頭を掻いた。

「秘密だ」

 彼女は眼を細め睨み上げていたが、口元は一矢報いたと言わんばかりの意地の悪い笑みをしていた。


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 2人がハンガーに足を向けたのは、箒の機体“打鉄”の一次移行と、みやの整備状況の確認と立ち会いの為である。改修されたみやの基幹システムである冷却機能の調整に難航しており、帰国から4日経った今なお完調にはほど遠かった。力を発揮するデバイスは例外なく熱を持つ。冷却能力の不調は改修の根底に関わる問題だった。

「そんな状態で警備が出来るのか」
「それでも改修前のみやより能力が出るから、それに関しては大丈夫」

 躓き転んだ真を箒は覗き込む。

「だが何時までも、と言う訳にも行かないだろう」

 箒は無言で左手を差し出した。

「あぁだから、」と彼は見えてきたハンガーの人影に眼を走らせた。箒はその影に眉を寄せ「男性?」と小さく呟いた。一歩進める度にその影は大きくなる。容貌が分かる距離では、箒は見上げなくてはならなかった。

「ナベさん。ご無沙汰しています」
「おやっさんもあれで歳だ。あまり心配掛けるな」

 振り向き2人を見下ろすのは、蒔岡宗治の一番弟子であり、去年真を連れて何度も学園を訪れた渡辺裕樹である。虚の依頼でみや整備のため訪れていたのだった。身長180cmで筋骨隆々、青いツナギを纏う山のような男性を言葉なくじっと見つめていた。

「ナベさん、休憩入って下さい」薫子の気遣いに2人は礼を言った。


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「何とかなりそうですか?」
「トラブル自体はありふれた物だ。虚お嬢さんは優秀だが実地が少し足りないな」
「機械はアナログですか? 虚さんにそう言えるのは人物は少ないですよ」

 真は去年を思いだし、頭をさする。そこは宗治の拳骨が幾度となく撃ち落とされた場所だ。

 冷却機構の不調は複数あるエネルギー伝達経路の、損失差だった。エネルギーは波、波長を持つ。損失箇所で反射し、反射した波が他経路のエネルギー波と干渉、共鳴し安定動作の阻害となっていた。エネルギー伝達部品は同じ型式だったが、生産時期が異なりその僅かな差に気づかなかったのである。

「問題は山積みですが、一安心です」真はそう息を吐くと渡辺は無言で頷いた。これで漸く他のデバイスの調整に着手出来るのだ。追加したPIC(慣性制御)、スキン装甲などまだ先だ。

 ハンガーから少女たちの声が聞こえる。渡辺は遠巻きに慌ただしく働く少女たちをちらと見ると、次に左隣に、ベンチに腰掛ける真に視線を落とした。溜息をつく。彼は手にしていたコーヒーの缶を開けると真に手渡した。礼が帰ってくる。

 彼が見る真の右手には、かって技師の傷だけだったその手には、今や銃手の傷が刻まれていた。何より渡辺の手に触れないように配慮する僅かな仕草。その手はオイルだけではなく別の液体で染まっている、渡辺はそれに気づいた。かっての後輩であり息子でもあった、少年の変わり果てた姿だった。

「16歳の分際で気張りすぎだ」

 真はバツが悪く苦笑する。

「皆にすごい怒られました」
「あの時引き留めるべきだった」
「そんな事はないです。もっと良い物を得ましたから」
「眼と左手よりもか」
「はい」

 ゆっくりと開いた眼はただ黒かった。

「ナベさん、ここには俺があるんです」

 渡辺は呆れた様に、しようが無いとコーヒーを飲んだ。

「真顔でそれだけ言えれば上等だ。拳骨を喰らわしてでも連れ帰ろうかと思ったがそれはやめにする。だがこれ以上怪我するな。右手もなくなったら戻って来ても技師は無理だ」
「はい」
「今義手を用意している、少しはマシになるだろう」
「ありがとうございます」
「時に真、眼と左手の話は聞いているが、頬と首の傷はどうした?」

 真は言葉に詰まり、一呼吸。覚悟を決めて渡辺に言う。

「……女の人に」
「想像だにしない言葉を聞いた」
「内密にお願いします。特に時子さんには……」
「構わないが、怒らせ癖が酷くなっている」

 はははと乾いた笑みの真は一転真顔で、相談をと切り出した。渡辺は何だと視線を投げる。

「実は知り合いの女の人が突然機嫌が悪くなったのですが、その原因が皆目見当が付きません」

 今日は槍でも降りそうだと、渡辺は天を仰ぐ。もちろんその気配はなく、頭上には蒼天が広がるのみだ。

「理解しようなどと思わないことだ。だが相手が何を求めるかを聞くことは出来る」
「理解しないと原因の解決が出来ません」
「そうか、少し安心した」
「なにがです?」
「真はまだ若いと言う事だ。ところでその人との力関係はどうだ?」
「その人が上です、圧倒的に」
「ならば簡単だ。謝るしかない」

 悲壮感を漂わせ頭を垂れる真に渡辺は笑う。

「しかし真にこういう相談をされるとは、一気に年を取った気分だ」
「笑い事ではありません」
「真、それは恐らくその人の印だな。覚悟を決めておけ」

 それはあり得ないですね、そういう真に渡辺はやれやれだと立ち上がった。2人は諸々の作業を終えたあと、箒を夕食に誘い、別れた。

 渡辺の自動車を何時までも見つめる箒は言う。

「どうしてお前はそうなのだ」
「言葉が足りない」
「あれほどの寡黙で仁義に厚く、心技共に優れた方に師事し、どうしてお前はそうなのだ」
「箒が言いたいことは何となく分かったから、その先は言わなくて良いよ」

 その日の夜の学園教師用マンションの事である。閉め出され、必死に謝る真の姿はしばらくの間、教師間の笑い話となった。

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次回トーナメント予定。

 幾つかご意見お問い合わせ頂きましたが、静寐と箒の動機については今後書く予定です。明確になるのは林間学校を予定しています。本音が引いたのは、真の血なまぐささを感じ取り恐怖を感じたのが理由です。普通の、とくに優しい娘には無理もありません。徐々に思い詰める中、真は荒事に突入しフォロー出来ませんでしたし。

私用で引っ越しの為しばらく更新が止まります。
11月中~下には再開したいと考えてます。
東名高速使ってバイクでぶーん……寒いのが苦手なのでとても大変です。

それでは。

引っ越ししたら続きを書くんだ……


2012/10/26



[32237] 05-12 学年別トーナメント1,2
Name: D1198◆2e0ee516 ID:bb4b1fdc
Date: 2012/11/16 22:00
ご無沙汰しておりました。
2週間ほど頭から綺麗に消したら、彼らが中々降りてきてくれず手間が。
更にトーナメントで各チームの設定を考える必要があり、これまた手間が。
……とにもかくにもまたお付き合いの程お願いいたします。



学年別トーナメント1
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 7月最初の月曜日は突き抜けたような晴天だった。空に浮かぶ夏の太陽は第3アリーナを容赦なく照らし、外壁は目玉焼きが出来そうなほどに熱くなっていた。空調が効いている筈のアリーナの中もまた負けんばかりに熱く、歓声やら叱咤激励やらの人の声、はたまた楽器の声で満たされていた。

 その満ちる活気の中、今回使用されていない第2ピットで学生服姿の人影が動く。ささくれ立った黒い髪に、見る者を萎縮させんばかりに釣り上がり、見開く双眸はただ黒く塗りつぶされ、銃口の様である。真であった。彼は既に学生では無かったが、背広姿では目立つと処分直前の物を引っ張り出したのである。

 彼がピットの甲板に立ち見上げれば、彼の目の前を一機のカーキ色のリヴァイヴが駆け抜ける。空の左袖がはためき、頭部に部分展開されたの黒いリヴァイヴの黒いハイパーセンサーが低い唸りを上げた。アリーナを対流する活気の中、頼もしさと不安さを織り交ぜて、少女たちを見守っていた。


 3年操縦課主席、白井優子の宣誓で始まった学年別トーナメントも既に3試合目である。試合は1年生から始まり、順次2年、3年となり各学年で2日、計6日行われる。選手は試合が終わればそれまでだが、警備する者はそうはいかない。6日間の長丁場だと彼は意識を研ぎ澄ます。

 彼の頭上にはリヴァイヴが2機のチームが、もう1つはリヴァイヴと打鉄のチームが、一瞬でも2対1に持ち込もうと右や左や上や下に甲高い機動音を響かせ、戦火を交わしている。

 今のところ何もない、せめてトーナメントが終わるまで、出来る事なら永遠に何もなければ、と彼は見知った4機をじっと見つめていた。そんな彼の後ろに漂う暗がりから軽快な足音が響く。彼の過ぎる不安に苦笑しながら近寄るのは同じく制服姿のシャルロットであった。サイズこそ違えどもちろん男子用である。

 彼女は「真は誰を応援するのかな? やっぱりオルコットさん?」と言うとペットボトルの水を彼に手渡した。

「全員」
「真がそんな好色家だとは思わなかったよ」

 水を飲み真顔で答える彼に、彼女は屈託無く笑う。

「酷いぞ、それ……敢えて言えば鈴かな。セシリアは俺の応援がなくても勝つさ」
「告白されたもんね」
「それとは関係無い」

 ぽりぽりと彼の右頬を掻く彼の右人差し指は忙しない。

「それで、どうするのさ?」
「前から感じていたけれど、シャルは少し干渉しすぎじゃないか?」
「ど、う、す、る、の?」

 陰るシャルロットの笑顔に、思わず明後日のほうを見る真だった。彼女が大きな溜息をつくと、彼の額から汗が一粒流れた。彼女には彼がどうするか察したようである。あのね、と続ける彼女の言葉を遮って彼は言う。

「そう言えばまだ言ってなかった」
「……何をかな?」
「助けてくれてありがとう」

 頬を膨らませていたシャルロットは言葉に詰まる。壁に掛けられたディスプレイに試合終了と次の対戦相手が表示される。彼女がピットから覗くアリーナは明るく、声援を送る少女たちで埋め尽くされていた。刃を交わす少女たちの真剣な面持ちは生命力に溢れていた。彼女がいなければ彼は目の前の光景を見る事は叶わなかっただろう。

(この誤魔化し方は卑怯だよ)

 シャルロットは組んだ両肘を両手の平の中に収め、澄まし顔だ。ただ、ほんのりと頬を染めている。ならば、とこう言った。

「なら言葉だけじゃなく態度で示して欲しいかな」
「言う相手が間違ってるぞ」
「間違ってない」
「なら、ご要望は何?」

 真は思った、女の子との駆け引きはもっと慎重に当たろうと。

「ママって呼んで良いんだよ」

 彼の目の前に立つのは、組んだ両手は胸の前に、懇願するように、眼を輝かせるシャルロットの姿だった。真はまたこうも思った、女の子はどうして居て欲しくない時に居るのかと。

「どういうことか説明して貰おう」

 彼の背後に立つのは、腕を組んで仁王立ち。不審を隠すことなく露わにする箒の姿であった。

「なんでかな」

 彼の嘆きに答えてくれる者は誰も居なかった。


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 第3試合が始まった時、俺は静寐に連れられて第1ピットに向かった。俺らは4試合目で次が出番だけれど、少し早すぎないか? そう静寐に言ったら、

「準備は早く動けば動くほど良いの。何かあっても時間があれば選択肢が多いから」
「何かってなんだよ」
「それが分かれば苦労しません」

 ごもっとも。

 今年の学年別トーナメントは例年と色々異なっている。例えばお偉いさんが来ていないとか。その代わりに中継されているとか。4機のIS、これは3年の先生が乗っているらしいのだけれど警備のため学園の四方で警戒しているとか。来賓がないのに例年以上に警備が厳重なのは、対抗戦と不明機襲撃に寄るものらしい。真耶先生が「先生の名誉挽回のチャンスです!」って息巻いてた。でもまた襲撃されるとそれはそれで困る。

 他にもある。専用機持ちにはハンデが課せられ、そして専用機持ち同士のペアは禁止となった。専用機持ちは例年では多くても2人で、プライドから同じ代表候補同士ツルむことはなかったので問題にはならなかったのだが、今年は1年生だけでも俺、セシリア、鈴、シャルに真の5人も居る。更にそれなりに仲が良いからそれの対策らしい。もっともシャルはドクターストップ、真は……まぁいいや。

 もう一つのハンデは装備制限かエネルギー制限のどちらかを選ぶこと。セシリアのブルー・ティアーズなら子機を外すか、スターライトMk3を外すか、エネルギーを制限するかそんな具合。白式のばあい雪片弐型を外すと素手になってしまうので選択の余地無くエネルギー制限をくらった。600から450へのダウン。ただでさえ燃費の悪い白式だからこれはかなり厳しい。当初千冬ねぇは半分にするつもりだったらしいけれど、リーブス先生がやり過ぎだと止めたのだそうだ。

 なんてゆーか、美人で強くて優しいなんて同じモンドグロッソ優勝者でどうしてこうも違うのかね。弟の立場としては少しでいいから見習って欲しいと思う。でないと永遠に独り身だ。俺が言いたいのは優しさだけであって、美人のことではない。うん、千冬ねぇが美人でないとは言ってない。

 そしてこうなった理由なのだけれど、少し前に専用機持ちの代表候補と一般生徒がハンデ込みで決闘して、それを知った先生たちがとても気に入ったからなのだそうだ。考えてみれば千冬ねぇが好きそうなシチュエーションではある。

 その一般生徒とは、何を隠そう俺の目の前でディスプレイを見上げる静寐の事だ。このどちらかと言えば温和な静寐があのセシリアとやり合ったとは今でもピンと来ない。いまだってこうして右手をお尻に添えISスーツの乱れを直している……あれ?

「一夏」

 条件反射でつい謝ってしまった。何かアレだ偶々見ると偶々こう言うシーンが多いのだ。特に静寐は最近多い。ワザとじゃないんだよ、ですからその眼止めて下さい。

「一夏って本当にそういうタイミングを狙うの天才的」
「だからワザとじゃねぇ」
「シャルもそうやって心の隙間につけ込んだんだ……」
「だから違うっての、そもそもなんでシャルが出てくるんだよ」
「親身になって相談して心の不安を吐露させて優しい言葉と頼もしい言葉を掛けた?」
「励ましたと言ってくれ、なんか女の敵っぽい言い方だぜ、それ。そもそも男の子の目の前でそう言う事するのは無防備だって」
「女の子のせいにするなんて男らしくないよね」

 うわ、これは責任転換というのではないだろうか。ミニスカート穿いてるのにじろじろ見るなとかアレだ。見られたくないなら穿かなきゃ良いのに、と男は思うのだが女の子はそう思わないらしい。

 ……やっぱり静寐は何処かおかしいままだ。少なくとも対抗戦前の静寐ならこんな事言わない。そうだよな。これがその辺の見知らぬ娘ならともかく、勝手知ったる何とやら、少なくとも俺らはトーナメントのパートナーであるし、心配事があるなら助け合うべきだ。

「らしくないのは静寐じゃねーか。この際だから聞くけどよ、一体何があった? 箒とか本音とか真とかセ―」

 セシリアとか、俺はそう言い切ることが出来なかった。自分の唇に感じた柔らかい感覚。何かにひびの入る音が聞こえて、そのひびから何かが漏れ出すような、それは初めての感覚だった。いや、少し前に感じていたもやもやのそれに似ていた。

 呆気に取られていた俺はおかしな事に次第に怒りが沸いてきた。こんな軽はずみなことするなと言おうと思った。けれど言えなかった。その時の静寐の目は虚で、声に抑揚無く、唇も真っ青で、

「一夏、勝ちたい?」
「あ、当たり前だろ」
「なら、私の言うとおりに動いて。そうしたら勝たせてあげる」

 何故か泣いているように見えたから。


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「ディマに向かってママとはどういうことだ!」
「秘密です、といいますか言ってませんし、言いませんし」
「ひどいよ真! 呼んでくれないなんて!」
「シャル、すこし空気読んでくれ」
「見損なったぞ! 真! お前がその様な極めて特殊な性的嗜好だったとは!」
「……どの辺が?」
「年下の男に対して母親的執着を持つとは訳が分からん!」
「俺も分からない」
「リーブス先生の事と言い、お前は金髪なら何でも良いのか!?」
「ちょ、箒それ禁句!」
「……そう、そう、そう。そうだよ、真。ディアナ様とのこと今日という今日ははっきりさせてくれるかな?」
「箒、俺の13時間返してくれ」
「……前から気になっているのだが、今お前どこに住んでいる? 学園外ではないな?」
「真、まさか、」
「ほら、次お待ちかねの一夏登場だぞー」
((……))

『続いて第4試合を行います。“ノーブル・スカーレット”“花水木”の両チームは入場して下さい』

 入場を促すアナウンスと共に歓声が上がる。最初に第3ピットから3組チーム、少し遅れて静寐と一夏が現われた。チーム ノーブル・スカーレットは両機ともリヴァイヴ、チーム 花水木はリヴァイヴと白式である。もちろんリヴァイヴは静寐、白式は一夏だ。

 今回のトーナメントは準勝ち抜き式にて運営される。準というのは試合の組み合わせをランダムではなく、各チームの実力・資質を加味した上で決めている。特に一年生の一試合目においては勝敗よりも試合時間が長くなるよう、実力が拮抗するチーム同士が当たるよう設定された。

 例えば静寐の提案した戦術、一夏が切り込み静寐がそれの援護をするという戦術は運営側も予想し、機動性に富みコンビネーションが優れるチームが選ばれた。零落白夜の前に装甲など無意味な為、一夏の機動力に1対1で対応出来る者は限られている為だ。尚、チーム名は自由申請であり一夏の初期案“カイザー・ストライク”は静寐に却下されたことは付け加えねばなるまい。

 高度30m、対戦チームと相対するその一夏は第2ピットをぼぅっと見ていた。彼の目にはシャルと真と、その真に詰め寄る箒の姿があった。

『一夏、集中して』
『お、おう』

 一夏の意識内にマーカーが浮かび上がる。向かって右側のリヴァイヴが“A”が左側のリヴァイヴに“B”だ。その“A”ノーブル・スカーレット分隊の編隊長機(リーダー)が一夏に言う。

「織斑君、手加減無しだからね」
「望むところだぜ。手を抜くのも抜かれるのも嫌いなんだ」

 僚機(ウィングマン)の“B”が懇願するように言う。

「でも初めてだから優しくしてくれると嬉しいなー」

 上げて落とす物言いに、たじろぐ一夏。

(捨てられた子犬の様な目は反則だろ……)

「一夏、演技だから騙されないで」と静寐が言うと相対する2人の少女が静寐を睨む。

「なに? もう女房気取り?」とAが言い。
「チームで考えれば当然の発言です」
「ちょっと強いからって増長よくない!」とBが言う。
「安易な駆け引きは通用しないから」

 Aが右手を腰に当てこう言った。その眼は細く蔑まんばかりであった。

「ふーん。織斑君を利用して八つ当たり? 相手にされなかったからって惨めなもんね」
「憶測に過ぎない発言は控えるべきだと思う。それに、それ以前の貴女に言われたくないの」

 睨みを利かせる3人の少女を目の前に、一夏は俺を利用するとはどういう事だと戸惑い、また相手のチームに原因不明の苛立ちを感じていた。

 試合開始の笛が鳴り4機が動くとアリーナが歓声で満たされた。

 無造作に距離を詰める白式に敵機2機は絶えず一定の距離を置く。白式が上昇すれば2機も上昇し、白式がAに距離を詰めればAは離れ、Bが接近する。前を見れば後ろ、右を見れば左、切り込む瞬間に逆方向から弾丸を浴びせられ一夏は攻めあぐねていた。二方向からのサブマシンガンによる攻撃を受け、白式被弾。残エネルギー400。

(そうするよね、やっぱり)

 上空の一夏を翻弄する敵機に静寐は眼を細める。クラス代表戦にしろ、対抗戦にしろ、多数の敵と同時に戦うのは一夏にとって初めてであった。この場合、静寐が接近し援護の回るのが定石だ。だが静寐は局地的な状況把握に優れるが射撃能力は並より良い程度、高機動の白式に迂闊に近づけば返って足を引っ張りかねない。

 こちらの特性を見通して一番手間の掛る相手を初戦でぶつけてくるとは、と静寐は自分の担任に文句と尊敬の念を贈る。白式被弾、360。でも調子に乗って動きを見せすぎたよね、静寐の眼が光る。手にするサブマシンガンに初弾を銃身に装填、彼女が一夏に通信を開こうとしたその矢先であった。めんどくせぇな、と逆に通信が入る。

『何が?』
『静寐。悪いけどよ、今回は俺のやりたいようにして良いか?』
『馬鹿な事を言わないで。その2人の連携は相当のレベルだから慎重に当たらないと負ける』
『いや大丈夫だ』

 静寐の心を染みこみ満たす一夏の根拠の無い言葉に自信。静寐の脳裏に流れるのは彼と出会ってからの3ヶ月間。

『……派手に決めるなら』
『サンキュー』

 その判断に彼女自身も驚いていた。


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 ノーブル・スカーレット分隊の編隊長は肩すかしを食らった格好だ。翻弄する白式と、援護の為近づくリヴァイヴを交互に挟撃し徐々に削る。これが彼女たちの基本プランだった。彼は性格も太刀筋も身体捌きも単調だ。如何に第3世代だろうと、ブリュンヒルデの弟だろうと動きが読めるなら御しやすい。焦らし冷静さを失わせれば勝機は十分にある。

 不確定要素だったのはリヴァイヴである。静寐は抜け目がない。何らかの戦術を仕掛けてくると踏んでいたのだがリヴァイヴは一向に近づかず、下方30m程の足下を回るように飛ぶだけだ。一度動きを見せたが、それきりである。彼女はなんだと鼻を鳴らす。静寐がイギリス代表候補に食い込んだというのは誇張に違いない。織斑君も案外だったな、でも仕方ないか、やっぱりブレード1本というのは難しいんだろう。

 高度120m、距離80。白式の肩越しに僚機が見える。彼女が手にするのは"H&K MP5i"であった。サブマシンガンにも拘わらず7.62mmのライフル弾を連射するじゃじゃ馬だ。姿勢が崩れやすい機動中に狙いを付けるのは相応の練度を要する。私たちだってがんばってきたんだから、相手が誰であろうとも勝ちに行く。

 僚機と白式とのタイミングを計り、新しい弾倉を量子展開。空の弾倉を投棄、初弾を装填する。照準を付け、引き金に人差し指を掛けた時である。目の前の白式が忽然と消えた。

 間もなく激しい衝撃に襲われ、姿勢を崩し落下する。彼女が思い出す映像は、睨み上げる白式パイロットの僅かな視線と、目の前を覆う青白い光だった。被ダメージ500、零落白夜の直撃である。彼女は悲鳴を上げた。一瞬に83%に達するエネルギーを奪われた事ではない。専用機持ちの中でも最下位の織斑一夏に、反応すら叶わず肉薄され、攻撃されたと言う事実。

(あの連中って何なのよ!)

 体勢を立て直す間もなく、落下中に静寐のグレネードで撃墜。残った僚機も果敢に攻めるも一夏の二振りで落とされた。


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 歓声に沸く第3アリーナ。観客席にいる普通の者が見れば一夏は加速し切り込んだだけである。すこし優れた者なら速いと気づいただろう。とても優れたものならその速さが異常と気づくはずだ。第2ピットに居る3人はその異常さに気づいた。その異常とは白式の爆発的な加速力と、それを御する肉体と反応速度である。

 3人にはチーム“花水木”の勝利に言葉がない。真が口を開いたのは、ゲートから見える遠くの第1ピットに静寐と一夏が帰投してからである。静寐に話し掛ける一夏は雪片弐型を掲げ得意げだ。

「箒、一夏は何時から?」静かに問い掛ける真に、箒も見開き驚愕の態だった。
「私もしばらくは戦っていないから何とも言えない。しかし、少なくとも先週の金曜日、最後の授業では“ああ”ではなかった」

「一夏、桁違いに速くなってるね。真っ向勝負じゃ勝てないかもしれない」シャルロットの我が目を疑う言葉に、箒は「一夏があれほど敵意をむき出しにしたのは初めてだ」とも抑揚無く付け加える。

(強い感情で脈絡無く上がる実力か……対抗戦直前の模擬戦で奇襲してきた時そっくりだ)

 今頃専用機持ちの少女2人も黒の人も眼を剥いていることだろう、違う意味で荒れそうだと彼は溜息をついた。

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ちゅーで強くなるなんてまるで一夏は○○○○のようですね。それにしてもまた静寐の株が落ちる……





学年別トーナメント2
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 3機の奏でる和音に混じり、一際甲高い機動音が鳴り響く。その音は限りなど感じさせないほどに何処までも伸び、天の陽に届かんばかりであった。

『A!』
『あいよ!』

 藍の少女の声に呼応するように、白の鎧が描く白い軌跡はアリーナの空を切り裂く彗星である。

 トーナメント2日目。静寐、一夏のチーム“花水木”は快進撃を続けていた。一夏の、白式の機動力を活かす戦術は非常に明快であり、試合開始以来誰もがその対策を行った。だが、その機動力が余りにも高く、誰もがその対応を取れないでいた。単純な速度の暴力である。

 アリーナを駆けるその2人を、鈴は油断の無い目で追っていた。何時もは柔らかさすら感じる花びらのような、2つの黄色い結い布が鋭く見えるのは気のせいでないだろう。次の試合を控え、第3ピットに立つ鈴に清香は何時もの様に明るく話し掛ける。

「鈴が見ても凄い?」

 すんっと鈴は小さく鼻を鳴らすと腕を組んだ。

「楽勝って言いたいけど、かなり手こずりそうね。正直気が抜けないわ。一夏って相変わらずデタラメよ。いや拍車が掛ってるカンジ」
「そうか~」

 組んだ両手を頭の上に、ぐいっと上肢を伸ばす清香であった。

「清香、アンタね。もう少し緊張感持ちなさいよ。アタシまで気が抜けるじゃない」
「ここまで来たらジタバタしても仕方ないって。当たって砕けろってね♪」
「時々清香が分からないわ」と鈴は先日の詰問を思い出し頭を垂れた。

 清香は基本的にこの調子である。良く言えばマイペース、悪く言えば危機感がない。ただ絶えずリラックスしており初陣とは思えないほどの戦果を上げていた。鈴もその強靭なまでに安定したリズムで、このトーナメントでは少なからず助けられてきた。そのため強く言えないのである。

「このまま進めば決勝であの2人と当たることになるね、来るかな?」
「多分ね。こう言ったら本音に悪いけれど、素直なあの娘には分が悪い」
「静寐って本当に抜け目ないからね」

 鈴は気づいてたんだと眼で言うと、清香は明るくもちろんだと笑顔で答えた。

 静寐はただ一夏に指示を出していただけでは無い。3機の動きを絶えず把握し、一夏が追い込みを掛ける瞬間を狙い、その逃げ場を防ぐようにある時は位置を変え、有る時は牽制の射撃を行いプレッシャーを掛けているのである。

「鈴が一夏を押さえている間に私が静寐を倒せるかってところだね」
「そんな心配無用よ。アタシが一夏を倒すから」
「そうこなくちゃ♪」
「話がまとまったところで目の前の敵を倒すわよ」
「らじゃー」

 笑いながら敬礼する清香に鈴は笑って甲龍を展開する。清香が打鉄を展開した時、試合の終えたチームがゲートに現われた。2人が挑む試合は準決勝、チーム“NATO”との対戦である。


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 鈴は眼を瞑り澄まし顔でこう言った。

「こういうシチュエーションは初めてね」

 セシリアは微笑を湛えてそれにこう答えた。

「そうですわね、授業でも自主練でも殆ど交流はありませんでした」
「そうね、アタシは2人の世話で大変だったから」
「ええ、一夏さんも真も大変だったようですわね。後から来たおばかさんの世話で」

 鈴は双天牙月をぎりぎりと何度も握り直した。

「……知ってる? 入学早々、高飛車な奴が大騒動起こしたらしいわよ。物騒よねー」

 スターライトmk3のトリガーから僅かに浮くセシリアの人差し指はぴくりぴくりと動いていた。

「もちろんですわ、口より先に手が出る気の短い方がおられるとか? ご存じ?」
「ちょっと前、同室だった奴が居てさー 話してみれば結構良い奴だったんだけど、悪趣味なのが玉に瑕なのよねー」
「全く同感ですわね、お人好しにも程がありますわ」
「「……」」

 アリーナの空で火花を散らす青と赤紫。1年ワンツーの2人を見て清香は思った。

(真が居なかったらこの2人仲良かったのかな)

 清香はむーと腕を組む。そしてティナは思った。

(2人は正反対、正しく火と水の関係……いえ、火と火で炎?)

 ティナは苦悩しつつ右人差し指を眉間に当てた。

 ウィングマン(僚機)の2人が見守るのは自身のリーダー(編隊長機)である。セシリア、ティナのチーム“NATO”と鈴、清香のチーム“清鈴”、色々な意味で学園中の注目を集めている一戦であった。

 2人の威圧に押しつぶされて声さえ出せない観客席が見守る中、鈴が口を開く。本人は冷静な心理戦を仕掛けているつもりだったが、徐々に口元が歪みつつある。清香はそれを言うタイミングを逃し、バツが悪いと頭を掻いていた。

「ね、ぇ、知、って、た? アタシはーアンタのことー好きじゃーないのー」
「それは残念ですわ」

 何を言っているんだと眉を寄せる鈴にセシリアは右手の甲を口元に添えてこう言い切ったのである。

「小さくて可愛らしい方と思っておりましたのよ」
(こ、殺す!)

 鈴を除く3人の、平均以上の胸が揺れたのは気のせいではないだろう。

 試合開始を告げる笛の音が鳴り、青空に展開するのは異様な気配を漂わせる編隊長機と微妙な気配を漂わせるその僚機。真は神妙な表情で腕を組む。

「2人とも知ってたか? セシリアは“ドレッドノート”ティナは“エンタープライズ”チーム名で揉めてたところを、織斑先生が“いい加減にしろこのNATO共!”って怒ってこうなったらしいぞ。それでさ、一夏のやつ2人に面と向かって“納豆?”って言って怒られたらしいんだ。ばかだよなー」

「篠ノ之さん、どう思う?」
「オルコットと凰、不仲の原因を誤魔化しているだけだな」

 2人の少女から冷水の視線を浴びせられ、冷や汗を垂らす真であった。


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 俺達が居るのは選手用控え室で、パイプ椅子に腰掛け静寐と一緒にディスプレイを見上げている。それに映るのは鈴とセシリアの試合だ。一進一退の攻防とでも言えば良いのか、片方が押せば押しきれず押し返される、その繰り返しだ。

 セシリアとティナのチーム“ナトー”はティナが牽制し、セシリアがとどめを刺す。鈴と清香のチーム“清鈴”は鈴が切り込み、清香がその援護を行う戦法をとっていた。

 もう少し具体的に言うと、セシリアは子機の使用を止めレーザーライフルを選択した。その代わりがティナである。両手にサブマシンガンを持ちひっきりなしにバラ巻いている。両手に一挺ずつ持つと弾切れのとき困るはずなのだが―この時ティナの手元がひかり弾倉が入れ替わる。量子格納と展開による弾倉交換―撃ちっぱなしだ。その交換速度は真より随分遅いのだが、それでも左右交互に途切れることなく撃ち続けられるのは強みだろう。そこで、怯んだり動きが止まったところをセシリアが狙撃する。流石の鈴も中々切り込めないでいた。

 その鈴は龍砲を封じ、双天牙月を分離状態で左右一刀ずつ持ち奮っている。封じた龍砲の代わりが清香だ。ナトーと少し違うのは、清香の狙撃が牽制なのである。それにしてもこの鈴には驚いた。エネルギーを我慢してまでも龍砲を使ってくると思ったんだけどな。当然だけど連結状態での投擲は全くしてこない。二振りを小刻みに奮い、有る時は弾を受け止め、受け流し防御を、また有る時2方向から打ち込んだり、左手で突き右手は薙いだりと変幻自在な攻撃だ。いや丁寧な攻撃。

 俺の見たところ連携は清鈴の方が上だ。セシリアが清香を狙おうとしたら、タイミング良く鈴の影に隠れたり、一転鈴がティナを畳みかける攻撃の時は、セシリアを牽制したりと清香の狙撃は鈴の動きによく追従している。なるほど、鈴が龍砲を捨ててエネルギーを選択した理由はこれか。アリーナでは身を隠す障害物がないから、どうしても回避せざるを得ない。けれど機動中の狙撃は難しい。鈴は機動を抑え、攻防に適した構えを取ることにより清香の狙撃をもサポートしている、と言うことだろう。

 方や、狙撃能力も威力もセシリアの方が上なんだけれど、元々相性が良くないのか狙撃タイミングが僅かに遅れ、精度も良くない。その代わり異なる性質の銃撃でそれを補うのがナトーって感じだ。

 すごい。何かよく分からんけど、すごい。こんな感想しか出なかった。


 空調で寒いのか無意識に腕をさする静寐を見て、俺は暖かいスポーツドリンクを差し出し、その肩にジャケットを掛けた。

「どっちが勝つと思う?」

 小さく礼を言う静寐の眼には油断の色がない、どちらか勝ち進んだ方と決勝で当たることになる。最も俺らも次の準決勝を勝たなくてはいけないのだけれど。

「多分、セシリアたちが来る」
「俺は鈴たちの方が有利だと思うぜ?」
「鈴は疲労の色が濃いから。そのうち息切れする」

 言われて見れば確かにそうだった。鈴は唇を強く結んでいた。甲龍の支援で汗は掻いていないけれど徐々に反応が遅くなっていた。極端なことを言えば撃ちっぱなしのティナと神経を使うとは言え遠距離からの狙撃に徹するセシリア。でも鈴は絶えず銃撃に曝され、自身の攻撃と防御、更には清香との連携を取らなくてはならない。

「たぶんセシリアはそれを狙っていた」

 多分という静寐の言葉は過去形だった。恐らくその推測に自信があったんだろう。その数分後、実際に俺は清鈴の敗北でそれを確信した。
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次回学年別トーナメント3を予定。トーナメントは次で終わる予定です。

清香が狙撃ではなく、サブマシンガンなどで牽制に徹していたらどうなっていたか? でもその場合、鈴の影に隠れての防御など、鈴との連携が取りにくくなる、そうすると清鈴としての強みが弱まる。そんな感じです。清香は狙撃属性ですし。

因みに“清鈴”は“せいりん”です。きよりんではありません。



[32237] 05-13 学年別トーナメント3,4
Name: D1198◆2e0ee516 ID:bb4b1fdc
Date: 2012/11/24 12:48
HEROES史上最も明るく軽快なシリーズになりそうです。

学年別トーナメント3
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 そこは選手控え室から観客席に通じる廊下である。ISスーツから学生服に着替え、てくてくとぼとぼと歩くのは鈴と清香であった。天井から照らす半導体照明がどこかもの悲しい。

「鈴ごめん、私がもっと上手ければ……」と眼を伏せ清香が言えば、「やめてよそういうの。チーム戦なんだからどっちが悪いとか言い始めたら向上しないじゃない」と鈴は不機嫌さを隠して答えた。

 鈴の少し後ろを歩く清香も流石に元気がない。敗因の理由は清香にとっても明白なのである。でも、と食い下がらない清香に鈴は挑発的な笑みを浮かべてこう言った。

「なら今後も訓練に付き合うこと。この借りは万倍にして返すわよ、清香」

 清香はしばらく足下を見つめた後おやすいご用と漸く笑みが戻る。

(やっぱり代表候補って凄いんだ)

 そう清香が心底感服した時である。突如鈍く重い音が廊下に鳴り響き、なにかと清香が見た物は、げしげしと鈴に蹴られる哀れな壁の姿であった。

「ぬわーー! あんな金髪ばか女共に~~~!」
「ちょ、鈴! 落ち着いてってば!」暴れ出した鈴を抑えようと慌てて近づく清香であった。
「ちょっと大きいからってーーーー!! なにか! 持久力とむねの大きさは比例するのか!」
「しない! ぜんぜっしない! ラクダじゃないんだから!」

 羽交い締めにしようと清香が手を伸ばすと、鈴はぴたりと止まり、ゆっくりと振り向いた。目が据わっていた。清香は引きつった。その距離およそ1m。逃げられない。

「ちょっと清香! それ少し寄越しなさいよ! 明日の勝利の為! いいわよね!?」
「むり! だめ! てゆーか、そのわにわにって指は止めてって!」
「静寐と言い、本音と言い、清香と言い、リーブス先生と言い2組っておっきいのばっかりじゃない! 腹立つ!」
「小林先生が無い―ひあっ!」

 廊下に響くくぐもった声。清香が解放されたのは、懇願でもなく涙目でもなく身体能力でもなく、運悪い真耶が出くわしたからである。廊下の彼方から響くのは、逃げる足音と追う足音、最後に1組副担任の切ない悲鳴。廊下にぐてっと伏していた清香はむっくりと立ち上がり涙を拭くと、

「幼なじみだから責任もって直して貰おう♪」

 とズレた下着はそのままに、軽快な足取りで去って行った。この逞しい2人は次回モンドグロッソを蹂躙し、東洋の魔女と呼ばれるまでになるのだがそれは別の話である。


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 うーん、とじっと手を見る。わにわにと両手の指を動かしてみる。其処にあるのは先端が少しとんがった白式の指がある。

 かちゃかちゃかちゃ。

 なんというか不思議な感覚だ。とても身体が軽くて、周りがゆっくり見える。雪片弐型を構えると更に顕著で、止まって見える事もあった。きっと奥歯を噛むとこんな感じなのだろう。最近リメイクされたし。加速装置! って小さく言ってみた。

「……」

 笑顔で蔑むのは静寐である。聞かれたようだ、だが返事がない。

「……私が話したこと言ってみて」

 えーと、なんだっけ? 確か2人で“清鈴”が負けるところを見て、そのあとピットに向かって、その途中次の対戦相手がどうとか……ピットに沈黙が訪れる。ごぅんごぅんと音がする。何の音だろう。はい、静寐のリヴァイヴが近寄る脚の音でした。

「初めから聞いてないんだ?」

 目の前に笑顔の静寐があった。でも血管のマークが沢山あります。ごめんなさい。

 静寐の話は次の対戦相手の事だった。本音のチームは“かんちゃん・のほほん小隊”と言って“のほほん”は本音。“かんちゃん”は本音の相方である更識簪という娘の事。何が小隊なのか知らんけど。

 この更識さんって娘はデータが殆どなく静寐が警戒していたのだけれど、試合も進みいざ蓋を開けてみれば普通に上手いだけで怖くない。静寐は始め“操縦技術は凄いけれど……”と戸惑っていた。

 ただ本音とのコンビネーションは目を見張る物があって俺の見たところ、この娘たちを上回るチームは他に見当たらない。2人が勝ち進んできたのはこの武器のお陰だと思う。と言っても今の俺らには脅威にはならず落ち着いていけば勝てる、そんな感じ。でも1つ気になるのが専用機を使わず打鉄でエントリーしているって事なんだが……故障でもしたのかね?

「愛機は大切にしないとダメだと思うぜ? なーシキ」
「シキ?」
「白式のパーソナルネーム」
「そう。男の子って好きだよねそう言うの」
「格好良いだろ?」

 随分悩んだんだよなこれ。初めはシロにしようと思ったんだけど色々迷ってシキにした。どうでも良いけど繋げるとシロシキ。食べ物はピロシキ。ピロシキはロシア。白式は日本なのにロシアとはこれいかに。

「一夏。それ面白くない」

 何故ばれたし。


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 今年の学年別トーナメントは例年と色々異なっているパート2。タイトル“ハンデの詳細” 課せられるハンデは当初公平性を考えて全員訓練機を使う意見も有ったけれど、それ聞きつけた所属各国からクレームが入ったらしくハンデキャップになった。第3世代は実験機でデータ収集が大きな目的だからで、それは困ると言う事だ。

 さらに話はこれだけで終わらず各国のお偉いさんは装備制限はもちろんエネルギー制限ですらかなり難色を示したらしい。何でかというと、このレギュレーションは実験機持ちにとって逆に相当のハンデになるから。

 例えば鈴の甲龍ならば双天牙月と第3世代兵装である龍咆を前提に作られていて装備の後付けと交換ができない、と言うより意味が無い。甲龍にアサルトナイフ持たせたり、バズーカ持たせても後付け兵装の運用を前提としたリヴァイヴや打鉄ほど運用効果が得られないのだそうだ。龍咆だって撃つだけでエネルギーを喰う。龍咆を選択すれば双天牙月が使えない。攻撃を受ければエネルギーが以下同文。近接攻撃のみか遠距離攻撃のみか、今思えば鈴が双天牙月を選択した理由はこの辺にもあるんだろう、単に殴る蹴るが好きなだけ、とは思いたくない。

 一方、訓練機を使う普通の娘たちはどうかと言うと、装備も自由でナイフからバズーカまで登録された武器なら特に制限は無く、なんでもござれの戦術バリエーションは自由自在。もうあれだ。これは専用機持ちへのいじめと言っていいんじゃね? それでもセシリアと鈴が、俺が勝ち進んだのはそれが決定的な理由じゃないから。

 このレギュレーションはパートナーとの相性もさる事ながらその質が、また何処と戦うことになるのか、その運にも、何よりチームワークと戦術眼が勝敗に大きく影響するって事。さっきの清鈴とナトーの対戦が良い例で、セシリアと組んだのがティナじゃなく近接型の娘なら、鈴と組んだのが清香じゃなく機動型の娘なら結果どうなっていたか分からない。それでも戦わなくちゃいけない場合どうしたら良いか、を千冬ねぇは考えさせたいのだと思う。IS乗りは個人主義に走りやすいそうだし。つまり。俺がここまで来たのは俺の質と静寐の質が上手く合致したって事だろう。女の子と相性が良いとか、こっぱずかしいやら、落ち着かないやら色々困る。

 その静寐が纏うリヴァイヴは授業でも使うカーキ色。実はリヴァイヴに苦手意識を持っていたのだけれど静寐が着るとどこか安心感があって、やっぱり人間中身が重要だと心底思った。これさえなければ完璧なんだけどな。

『一夏』
『だから、俺も知らないって』

 試合も既に準決勝。今俺は白式着込んで空にぷかぷか浮いていて、左隣にはもうお馴染み静寐の濁った眼、静寐の目の前には久しぶりのにこにこ本音。目の前にいるのは見ず知らずの温和しそうな眼鏡っ娘。でもどうしたことだろう。俺はその娘にジロリと絶賛睨まれ中だ。困ったことに覚えがない。全くない。静寐の視線が痛い。やっぱり痛い。ごめんなさい。

 静寐の視線に曝されて冷や汗を掻く。どうしたもんかと腕を組んで首を傾げていたら本音が俺に話し掛けてきた。

「おりむー 手加減無しだからね」
「おう。手を抜くのも抜かれるのも嫌いなんだ」

 何度目かね、これ。と思っていたら今度は静寐にだ。

「静寐ちゃん、大丈夫?」
「当然。私が選んだ事だから。本音も落ち着いたなら戻れば良いと思う」
「でも……」
「箒も私も本音が本当にそうしたいなら何も言わない。どちらかと言えば箒もその方が嬉しいかもしれないし。だからよく考えて」
「あのね、私も決めたんだよ」
「本音も頑固になったよね」
「2人と一緒だね」

 何か要領の得ない話だな、と思っていたら箒の名前が出てきて妙に気になった。

『静寐、何の話だよ。箒がどうとか』
『箒が気になるの?』
『……そう言う訳じゃねーけどよ』

 そうこうしているうちに試合開始の笛が鳴る。俺は気分を入れ替えて歓声が飛び交う中雪片弐型を構えた。眼鏡の娘がAで本音がBだ。因みに2人とも打鉄でゴツイライフルを構えている。

 あれ?

 俺は予想外の展開に戸惑った。何故なら2人はぴくりとも動いていないから。初め“止まっているように見えるだけ”なのかと思ったのだけれどどうもそうでは無いらしい。シキも僅かに位置を変えただけで、それ以降止まっていると言っている。因みに俺から2人までの距離は同じだ。今までの流れなら開始直後からギュイーンでブブブなのだが、相変わらず眼鏡の娘はぷんぷんで本音はにこにこだ……なんかやりにくいぞ。

 端から見ると俺らは高度50mでにらめっこをしている訳で、観客席も様子がおかしいとざわつき始めた。俺の後方へ下がって警戒している静寐にこう聞いた。

『どう思う?』
『主導権を握る』

 即断即決。機先を制す。いいなそれ。

 静寐からの通信で俺はAの更識さんに目標を定めた。理由は目の前に居たからであって、本音が顔見知りだったからではないと思う。加速。背中と脚、シキのスラスターが青みを帯びた白い光を放つ。世界が歪み、空気を切り裂く音が身体から剥がれ始める。70m先の打鉄が一瞬にして大きく映る。刀身が青白く光った。刃が届くその刹那。

 俺は側面から銃撃された。


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 この第3アリーナにおける白式の瞬間最大速度は音速の80%にまで達する。速度で上回る存在は弾丸程度で、静寐はもちろん当の本人でさえその速度に自信を持っていた。だから。本音に迎撃され落下する白式の姿は、それを見る人達にとって白昼夢の様に思われた。

 静寐は加速と上昇、追撃を仕掛ける敵2機に向けてサブマシンガンを発砲し一夏を援護する。彼女の目に映るその敵は空を舞うバトンの様にくるくると位置を変えていた。それ程速い機動ではないが一糸乱れぬフォーメーションである。

(一夏に当てた……何をしたの本音?)

 今の一夏に弾丸を当てられそうな人物は1年では1人しか居ない筈だった。静寐にとって完全に予想外の事態である。彼女は前後から挟撃しようと機動する2機を絶えず意識内に収め、回避と牽制を続けていた。

 彼女の手にあるサブマシンガン“FN Pi90”は他の7.62mmを使うサブマシンガンより威力は落ちるが装弾数に優れこの様な援護、防御に適している。その選択に彼女は感謝しつつ、右手でグリップを掴み直し、脇でストックを挟み込み銃身を固定。左手にグレネードランチャー“M25-i”を量子展開、射出。敵2機との中間距離でリモート爆破。流れるような手腕で更に距離を稼ぐ。

 彼女は発砲を続け一夏に近づいた。高度20m、空中で起き上がった彼は、意識を明瞭にしようと数回小さく首を振っていた。

『一夏、無事?』
『……あぁ、俺何されたんだ?』
『側面から本音に撃たれたの。頭部に当たったみたいだけれど?』

 白式に聞けば分かる事ではあるが、パートナーとの意思疎通のため一夏は敢えて聞く。静寐は一夏のバイタルデータを確認し、半分意識を失いながらも刀剣を手放さなかった一夏の頑丈さに苦笑した。即座に2人は散会、その場所に2方向から多数の銃弾が撃ち込まれる。白式の残エネルギーは380。

 一夏は頭上から浴びせられる2人の銃撃を躱しつつ言った。

『本音が銃の名手だとは思わなかったぜ。セシリア、真クラスだ』
『違う。何か理由があるはず』

 静寐は頭上のその2人に向けて牽制射撃。敵機2人が応戦。まず本音が射線を向け、次に簪が向けた。2人の正確克つ冷静なそれに静寐は急遽距離を取る。被弾、残エネルギー520。静寐は一夏の牽制加速に合わせてサブマシンガンの弾倉を交換した。

『何で言い切れるんだよ』
『セシリアのような威圧がないから……多分装置的な物だと思う』
『取り付けるだけでこれならアイツは失業だな!』

 一夏の軽口を聞き流しつつ、静寐の眼は2人の動きを注意深く追っていた。


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 オレンジの明かりが照らすその部屋は第3アリーナの中央管制室である。対抗戦が行われた時と同様、千冬は真耶を伴いこの部屋に詰めトーナメントの警備を行っていた。対抗戦と違うとこをあげれば、第2ではなく第3であること、そして傍らにディアナと千代実が居ることであろう。

 椅子に腰掛けコンソールに向かう真耶は映し出される準決勝を呆けた様に見上げていた。

「かんちゃん・のほほん小隊が使っているのひょっとして“ファランクス”?」

 その左隣に腰掛け、やはりコンソールに向かう千代実は恐らくと頷いて答えた。

 ファランクスというのは第2世代用のFCS(火器管制装置)のオプションで、高い射撃精度を有するが防御よりで調整と運用が難しい。今回のトーナメントではペアを組む事になり、注目した者も少なからず居たがその特性から大半の者が断念した。機械に精通する簪、本音ならではの選択であろう。

「彼女たちと言い今年はレベルが高いです」千代実が言えば真耶は「同じ訓練機を使った蒼月君の影響ですかねー」と答える。「蒼月君の稼働ログはアクセス数トップでした」

 等々、後輩たちのとりとめない会話の中、千冬は腕を組み何時もの黒いスーツでじっと大型ディスプレイを見つめていた。彼女の瞳に映るのは、映し出される白いISであり、また懸念と憂慮―不安である。

 その千冬に話し掛けるディアナも何時になく温和しい。申し訳なさそうに歩み寄る。

「千冬の言うとおりだったわね、ごめんなさい」
「いや、大して影響はなかったな」

 2人が言うのは一夏の初期エネルギー量のことだ。事実白式のそれが200以下になることは皆無であり、真っ当な被弾は今回が初めてである。ディアナのつく溜息は重く、呆れを含んでいた。

「正直、静寐と一夏の相性がこれ程良いとは思わなかったわ」
「初戦の零落白夜が効果的な宣伝になった。あれでどのチームも警戒し動きが堅い。短期決戦が一夏の体力温存にも一役買っている。狙って行ったのなら鷹月の評価を改めなければならないな」
「一夏がああなったのも静寐のせいかしらね。何があったのかしら?」

 さあなと、石のように動かない千冬の視線を追い、ディアナもディスプレイを見上げこう小さく呟いた。

「静寐と箒の話、聞いた?」
「ただの噂だ」


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 うぉぉぉと切り込んでみた。弾かれた。静寐と挟んでみる。逃げられた。さっきからこの繰り返しだ。

 切り込みも2方向から撃たれると躱すのが難しいし、銃圧も結構有るから押し切るのも流石に無茶だ。俺が上から静寐が下から、はたまた左右からの挟撃は静寐が有効射程に入る前に弾丸の雨あられで俺が弾かれ、静寐もまともに撃てない。ならばとアリーナの端に追い込んでみたら、銃圧に物を言わせて強引に逃げられた。

 片方が被弾するともう片方が盾になってダメージを分散化したり、その隙に給弾したり。更識さんと本音は互いの状態、つまり位置とかダメージとか残弾を絶えず確認し合っているようで連携は完璧だった。おまけに射撃は正確で反応も早い。重装甲の打鉄だけあって静寐が当てられる距離のサブマシンガンじゃ大してダメージもない。弾切れを誘って逃げ回るにしても被弾している分こちらのポイントが低いので時間が切れると負けになる。どーすりゃいいんだよこれ。

『……』

 静寐もさっきからコメントが無く、じっと2人を見つめている。その2人はというと、簪さんは相変わらず怒っているようだし本音は笑っている。いや、眉毛だけはきりっと鋭い。とてもシュールだと思う。温和しそうな2人があんなゴツイライフルを持っているんだから……2m近くないか?

『なぁ静寐。あれなんていう銃だ? アサルトライフル?』

 静寐には意外な質問だったようで少し驚いたようだ。

『あれはH&KのMG43iだからライフルではなく軽機関銃』
『リコイルもでかそうなのに良く狙えるもんだ』
『多分機動力を犠牲にして反動制御にPICを割り振っているんだと思う』

 ほーそんな事が出来るのか。

『なら射撃精度が時々落ちるのはそのせいなのか?』
『……どういう時に?』
『切り込んだりした時に』
『一夏』
『ごめんなさい』

 反射的に謝ってしまった。静寐の眼が少し傷ついたと言っているのは気のせいに違いない。

『……作戦変更。2人を速度で翻弄して。ただし途切れないよう連続で』

 ファランクスというFCS(火器管制)のオプションがあって、とても性能が良いのだけれど情報処理の負荷が大きく、IS一機では使い物にならないのだそうだ。静寐もそれで諦めた。そして誰も使うまいと思っていた。簪さんと本音はそれぞれの打鉄をデータリンクさせ分散処理や相互利用を行っているのだろうと言うのが静寐の意見。例えば、後衛の簪さんが測定、処理をしてそのデータを本音に送ったり、又その逆も然り。

 2人の射撃精度が落ちたのは2人の連携、つまり情報のやりとりが乱れた時なんだけれどこの仕組みなら当然だった。ISと言うのは緊急時、基本的に自己防衛、パイロット保護を最優先で行う。零落白夜を掲げる俺の急速な接近を繰り返すことにより、自己防衛が優先され、情報処理容量が足りなくなり、ファランクスの処理が阻害された、と言うのが種明かし。相手2人の機動が鈍いのはてっきりPICを調整しただけだからと思っていたらしい。

 だから俺は2人を攻撃すると見せかけて行ったり来たり、間を通り抜けたりを連続で行った。すると本音は顔色を変えて、種がバレたような手品師の様な顔で、わたわたと慌てふためいた。その隙を狙って静寐が攻撃、タイミングを見計らい俺が零落白夜で追撃。

「おりむーのばかーーー」

 と言いながら墜落するのは本音だった。俺はすまんと心の中で謝る。更識さんは最後まで俺を睨んでいるから、トーナメントが終わったら会いに行こう。そう思いながら零落白夜でとどめを刺した。
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死して屍拾う者無し。南無。



学年別トーナメント4
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 静寐と一夏のチーム“花水木”の決勝進出は多くの人物を揺さぶった。

 最初はシャルロット。彼女は薄暗い第2ピットのなか青い顔で立っていた。彼女が見るのは第1ピットに帰投する一夏である。一夏はシャルロットが見たことのない気持ちの良い笑顔を静寐に向けていた。一夏を見て、隣の真を見て、一夏を見て、真を見て。そんなシャルロットを見て真はこう言った。

「我慢しないで行ってきたら?」

 彼女は慌てふためき2人の控え室に駆けだした。

(もぅ! 真はまだ手が離せないのに!)


 2番目は千代実である。呼び鈴が鳴る第3アリーナの中央制御室。ディアナが受話器を取り二言三言交わすとこう言った。

「千代実、用事頼まれてくれるかしら?」
「はい。なんでしょうか」
「書類よ」

 職員室で千代実を待ち構えていたのは書類を持った教頭である。千代実はまたやられたと、泣きながら真耶を口八丁で呼び出した。


 3番目は真だ。「一夏のところへ行かないのか」と真が聞き「私は行かない」と箒はその場に残る。眉を寄せる彼だったが、まあ良いかと背を向けた。

「何処へ行くのだ」
「俺もトイレ」
「早く戻るのだぞ」

 皆が皆俺を子供扱いする、と不満顔の真を待ち受けていたのは、廊下で漂う鈴である。

―ねぇアンタ。アンタは小さいのが好き? 大きいのが好き?―
「鈴らしくもない。どどーんと器を大きく― 鈴、痛い」

 真はがじがじと噛みつかれた。


 4番目は一夏。廊下で出くわしたシャルロットと静寐はすたすたと歩く。静寐はシャルロットの不安を解こうとあーでもない、こーでもないと話すが、シャルロットはむーと不審を募らせた。がちゃりと音を立てたのは控え室の扉。2人が見た物は、清香のホックに手を掛ける一夏の姿。

「「一夏」」
「ちがうって!」

 清香の胸には掴まれた跡が付いていた。もちろん鈴による跡だが2人は知るよしもない。


 最後は再び真。顔に歯形を付け戻った彼を出迎えたのは、青い顔で後ずさる箒である。

「ま、真、お前は―」
「違います」

 大慌てで誰かを探す1組2組副担任を尻目に決勝戦は始まった。


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 静寐と一緒にピットを出ると歓声に包まれた。とうとう決勝、セシリアとティナのチーム“ナトー”との対戦だ。やるからには優勝だし、妥協するとキリが無いし、なんか静寐もチーム“ナトー”と戦いたがってるみたいだったし……やっぱセシリアとの再戦だろうな。

「「「織斑君! がんばれー!」」」

 俺は声援を受けて手を上げた。わーと声が返る。なんか良いよな、これ。盛り上がるというか身体の奥底から何かが盛り上がってくる感じ……と1人で浸っていたら銀色が目に付いた。その銀は観客席の最上段に居て、風に靡かせていた。それは長い銀髪の女の子でカーキの長袖に長パンツ、黒いロングブーツで左目に眼帯をしていた。あんな娘居たか?

「私たちを前にして目移りとは……失礼ですわよ一夏さん」

 セシリアの声で我に返る。俺の数メートル上で、両手を腰に添えて微笑んでいた。確かにそうだと、俺は向き直った。

「勝負は勝負です。織斑君」
「もちろん、全力勝負だぜ?」

 ティナの挑発的な笑みに俺は努めて冷静に返した。2人の視線を浴びて正直俺はどきどきだ。ティナは肩に掛る程度のボブカット。セシリアは腰に届くまでのロングヘアー。2人とも透き通った碧い瞳で、さらさらの金髪を輝かせていた。しかもスタイルが良い、どこぞのモデルさんが裸足で逃げ出すほどだ。セシリアはバランスが良いし、ティナなんか箒以上。でもこんな2人には好きな奴が居るらしくて、残念無念。何処の誰かね? 会ったら殴っておこう。

 それにしてもセシリア、最近急にお淑やかになったよな。入学初日のおほほが夢じゃないかって思えてくる。そんな事を考えながら相手2人と同じ高度になった時、静寐も遅れてやってきた。

「セシリア」
「またここで、お目にかかりましたわね鷹月静寐さん」
「今度は勝つから」
「挑戦は何度でも受けますわ」

 静寐の表情は怒っても笑ってもいなかったが、その双眸は鋭く光っていた。セシリアは相変わらずゆったりな笑みを浮かべていたがやっぱり眼は鋭い……脇役みたいだな俺ら。そうティナと笑いあった。

 試合開始の笛が鳴る。俺らは激しい音を、金属同士のぶつかる音、防性力場の相互干渉音を打ち鳴らした。

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トーナメントもう一回続きます……おかしい。
それにしても一夏視点だと明るい。

2012/11/24



[32237] 05-14 学年別トーナメント5+日常編21「夏草や兵どもが夢の跡1」
Name: D1198◆2e0ee516 ID:bb4b1fdc
Date: 2012/12/03 15:03
分配しくじりました。


学年別トーナメント5
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「残念です。キスをするには少々ムードが足りません」
「着ている服はすっげぇ高いけどな」

 ギリ、ガリと打鉄と白式、2つの力が軋み耳障りな音を立てる。目の前にはティナの綺麗な碧い眼と色っぽい赤い唇があるのだが、先程までのドキドキはどこかに消え失せた。してやられた。こう来るとは流石に予想してなかった。

 今俺はフィールドから80mの空の上、打鉄ティナと取っ組み合いの真っ最中だ。雪片弐型を握る俺の右腕はティナの左腕に抱きかかえる様に、左手はティナの右手にガッチリと固定され身動き出来ない。端から見るとタンゴでも踊り出しそうな体勢なんだけど、残念ながら踊り出す気分ではない。

 どうしてこうなったかというと― 俺は開始直後の先制攻撃を狙っていた。何故ならセシリアは半端なく強いから。静寐も頭が回るけれど戦闘力は1年のこの時期相応より良い程度。けれどセシリアは違う。頭が回る上にISの操縦技術も銃器の扱いにも長け、戦闘経験も豊富。どちらかと言えば直情的で近接戦闘を好む鈴はともかく、セシリアは中遠距離。俺にとっては鬼門でしかない。

 しかも、クラス代表戦の時の油断してたセシリアならまだしも、今のセシリアは正真正銘本気モード。どうしてか知らんけど調子が良い今の俺にとっても油断出来る相手じゃなかった。チームナトーに勝つには俺が先制攻撃を打ち、畳みかけ一気にセシリアを先に潰すのが必須だった。

 そう思ってブルー・ティアーズに切り込んだらティナがサブマシンガンを両手に切り込んできた。静寐の牽制射撃にお構いなくだ。更にイグニッションブーストまで使ってきた。

 ティナのそれに意表を突かれつつも、俺は予定を変更し迎え打った。ティナの持つサブマシンガンは“H&K MP5i” 7.62mmのライフル弾で威力は強いけれど1マガジン32発しかない。流石に2挺あるとダメージはともかく速度が落ちるのは避けたかったから、弾切れ、つまり弾倉の量子交換を見計らい切り込んだら、ティナはサブマシンガンを投げつけてきた。意表を突かれた俺はそのサブマシンガンを切り落とし、その振り下ろした隙を突かれこうなった。

 意表を突くつもりが完全に突かれた、と言う訳だ。くそったれ!

「銃を持っているからと言って、必ず銃として使用するとは限りません。武器と道具は紙一重。道具と頭は使いよう、です。織斑君」
「ティナ、お前の戦い方真そっくりだぜ」
「違います。彼が私たちに似ているんです、私たち米兵に」

 ティナが何を言っているのか、俺は深く考えなかった。セシリアを相手に必死に逃げる静寐が気に掛っていたから。


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 1発目は左肩に直撃し装甲が弾け飛んだ。2発目は右脚を掠め装甲が溶解した。残エネルギー430。静寐の視界には回避機動先、意識内の小さな窓には空が映る。その1100m先の上空には青の狙撃手が猟銃を構え、一片の躊躇なく引き金を引いていた。

 3発目、反射的にかざした右舷物理シールドで防御。激しい閃光と振動。直撃を防いだものの姿勢が乱れ高度が下がる。

(この距離でこの精度。流石)

 軽口を叩く心中とは裏腹に、静寐の表情には余裕が全くない。攻撃を放棄し、静寐の全能力を用いた回避ですらブルー・ティアーズには通用しなかったのである。観客席には溜息が漏れた。既に勝敗は決まったかの様な空気が漂っていた。

(一夏は捕えられたまま。この距離でこの射撃精度なら近づく事はおろか、ACM(空中格闘戦:Air Combat Maneuvering)に引っ張り込むのは絶望的……どうする?)

 4発目、直撃。静寐の視界が白い光で塗りつぶされた。それはスターライトmk3の光弾とリヴァイヴのエネルギーシールドが反発した光だった。幸運にも弾着角が浅く、絶対防御の発動には至らなかったが、残エネルギー380、いずれにせよジリ貧である。

 墜落し、土煙を上げながらフィールド上を転がった。ブルー・ティアーズの光弾が迫る。吐き気を覚えながらスラスターを闇雲に吹かし、強引に離脱。安定しない機動の中、立ち上がる土煙の隙間に、彼女が見たのは未だ組み合うティナと一夏の2人だった。彼女は僅かな躊躇いの後、軌道を変えその影に身を投げた。

 セシリアの照準からリヴァイヴが消え、彼女は眼を細めた。彼女の目に映るのは、ウィングマン(僚機)であるティナの後ろ姿である。位置を変え高度を下げた。今度はティナと一夏の横顔が見えた。しかしリヴァイヴの姿は見えない。ブルー・ティアーズが伝えるリヴァイヴの位置は組み合う2人を中心にした真反対である。

 セシリアの一呼吸を合図に2人は、静寐とセシリアは互いの僚機を中心にくるくる回り始めた。有る時には水平に、また有る時には垂直に。2人には互いの僚機が現われては消え、敵の僚機が現われては消えた。地球を回る人工衛星の如く。観客席はこの成り行きを見守ろうと声を潜めた。

 静寐には1つの選択があった。理想と実益である。全ての技術でセシリアに劣る彼女はこの状況を利用するしかない。だがそれは最後の砦でもあった。実益とは彼女をここに、この場に至らせたその理由、執念である。“私に残った物それは箒に託された事と勝つ事”それを思い出し静寐はグレネードランチャーを量子展開。ティナの後ろ姿に銃口を向けた。

 彼女が指に力を入れる直前のことだ。

「格好良く行こうぜ、静寐」

 聞こえてきた一夏の言葉は彼女にとって救いとなった。

 白式が黄金の光を放つ。零落白夜最大顕現。一夏から爆発的な気配が吹き出した。彼は白式に自身の力を上乗せし、ティナの拘束を振り解くと真っ直ぐにセシリアへ向かった。雪片弐型の光が増し蒼銀の光が第3アリーナを照らす。

 一夏は追撃するティナの銃撃を背後に受けながらも構うことなく空を切り裂いた。静寐もとっさに加速、追従する。白式は迎撃するセシリアの光弾を躱し、躱し。刀身を奮い光弾を切り払い、無効化した。一閃。ブルー・ティアーズが崩れ墜ちる。白式、残エネルギー30。光が失せた。

 一夏の背後に迫る打鉄はショットガンを構えていた。スラッグス弾装填。ティナが引き金を引く瞬間である。当たれと念じた静寐のシールド・ピアースは“何かに引かれるように”ティナの打鉄を貫いた。

 僅かな沈黙のあと笛の音が試合終了を告げた。

『試合終了! 勝者、チーム“花水木”!』

 歓声が沸き起こる。一夏は両肩を揺らし、自身の荒い呼吸に混じるその声々を聞いた。見下ろすと第3アリーナがあった。其処は学園の少女たちの笑顔と拍手で満たされていた。彼の功績と偉業を湛えていた。

(俺が、優勝?)

 彼を満たすのは今まで知らなかった満足感、充実感、達成感、そして高揚感。一夏は震える右手をじっと見つめると何度も握り直していた。静寐の確信めいた視線に気づくことなく。
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大変です。一夏が勝ってしまいました。一夏が主力で優勝してしまいました。
一夏のパートナーが原作ヒロインだったらこうならなかったでしょう。
この、今の静寐であったから勝ってしまったんです。
一夏にとっての契機だった、キスと未遂の背後から攻撃。
この2つは、箒を除く原作ヒロインはそれなりの実力を持つため不可能イベントです。
箒だったら性格上、セシリアに突貫したでしょうか。

で、この一夏優勝は予定している大イベントのフラグの1つでしかありません……ふふふ。今しばらくお待ち下さい……たいへんだー



日常編 夏草や兵どもが夢の跡1
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 そこは柊の食堂である。1年の少女たちは、窓から射し込む夕日を浴びてその時を待っていた。

「はい、2人とも。座ったままで良いからこっち向いて」
「「……」」
「表情が硬い!」

 一夏は口元だけ器用に歪ませた。静寐は引きつらせながら笑った。

「……やっぱりそのままでいいわ」

 薫子は溜息をつくとシャッターを切った。電子音が鳴り、少女たちの祝いの言葉が木霊した。そのカメラに記録された画像データは、後日優勝を祝う文字で装飾されるだろう。

 IS学園前期の一大イベント、6日間に及ぶ学年別トーナメントは本日の夕方つつがなく終了し、楓、柊共々その祝賀会兼慰労会が行われていた。柊での主賓はもちろん静寐と一夏である。学園あげてのイベント故に惜敗の涙を呑んだ者も居たが、喉元過ぎれば熱を忘れるべきと極一部を除き全員参加だ。

 食堂の一角で、8人掛けのコの字席。少女たちの声を浴びる一夏は焦点定まらず、呆けたように座っていた。

「織斑君! おめでとう!」
「おー」
「負けた時は悔しかったけれど、優勝チームに負けたのなら言い訳出来るしね!」
「おー」
「なにいってんの。ミヨは私に負けたじゃない」
「おー」
「それは言いっこなし!」
「おー」
「……織斑君今度デートして」
「おー」
「おっしゃ!」

 右手を握ってガッツポーズ。別の少女がそれはマズイと呼びかけた。2人の視線を浴びて静寐は手を振り言う。

「気にしないで、そう言う関係じゃ無いから」

 あれ? と見合う少女たちを押しのけて、ソフトドリンクを主賓2人に手渡したのは癒子である。

「静寐も凄かったよ、最後のシールド・ピアース」
「え、あうん。ありがとう」
「がんばってよ。静寐は私たちの誇りなんだから」

 何のこと、と首を傾げる静寐に癒子はこう言った。

「なに言ってるの。専用機持ちに渡り合った唯一の女丈夫(一般生徒)じゃない」
「せめて女傑にして」

 笑い合う2人にとてとてと大きなナベを持った人影が歩み寄る。

「静寐ちゃーん、おめでとう~ おりむーはついで~」
「おー」

 小柄な身体に不釣り合いなほど大きな業務用ナベを持つ、本音のその姿を支えようとナギが慌てて駆け寄った。歓声が沸く。

「やた! 本音のシチューきた!」
「今日は白しちゅーだよー」
「「「おおー」」」
「え、何おいしいの?」
「むっちゃおいしい♪」

 わき上がる主賓たちに一部少女たちは平常運転だ。食堂の4人掛けテーブルに少女4人が腰掛けて、スナックを摘み話し合っていた。

「そう言えば蒼月は?」
「後から来るって」
「仕事?」
「さぁ?」
「真って最近付き合い悪いよね」
「もう生徒じゃないし、しゃーない」
「付き合い悪いと言えばやっぱり篠ノ之」
「だのぅ」
「今日も来てないな」

 少女たちは一夏と、一角に陣取りなにやら穏やかでない表情の専用機持ち、少女2人と少年1人、セシリア、鈴、ディマをちらと見るとテーブルに乗りだした。鼻先が当たらんばかりに顔を寄せ声も小さい。

「そういえば、篠ノ之さんって最近真と仲良いね。トーナメント中ずっと一緒だった」
「なに? あの話知らないの?」
「どの話?」
「スワッピング」
「まじでー」
「まじで」
「織斑君と蒼月はそれ知ってるの?」

 さぁと4人が見るのは目の前に出されたマイクをぼんやりと見る一夏の姿だ。薫子の言葉尻には忍耐と苛立ちが混じり始めていた。右手を何度も握り直す彼の姿に、眼鏡越しでも分かるほど端正な顔が歪んでいた。

「一夏」
「ごめんなさい」
「……なにが?」
「あー、いえこっちの話です」二人のやりとりにバツ悪く顔を伏せる静寐であった。
「しゃきっとしてよね、これじゃ記事にならないでしょ」
「はぁ」
「もー写真写りが悪いのは真だけで十分だってのに……」

 ぴくりと一夏の身体が振れる。

「ささ、だからコメント頂戴」
「不器用ですから」
「訳分かんないわよ。なんかないの? こうバシッと決まる奴」
「そういわれても……」
「無いならねつ造するわよ。面目躍如とか」
「めんもく?」
「織斑先生のに決まってるでしょ。ブリュンヒルデの弟が並み居る強豪を押しのけて、学年トップになったんだから。しかも入学3ヶ月。学園どころか世界クラスの大ニュースじゃない」

 アマチュアとは言えジャーナリストの血がたぎるのか、カメラを構える薫子の表情にも誇らしさが浮かんでいた。

「千冬ねぇの……」
「ほらしっかりしてよ! 一年最強なんだからさ!」

 一夏ははっとしたように顔を上げると、最後に右手を力強く握りしめた。静寐は不安と恐れを交えてその握り拳を見つめていた。


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 壁に埋め込まれた大型電子ボードが消えると職員室に照明が灯る。

「それではこの会議をもって学年別トーナメントを終了とする。だが学園を取り巻く状況は例年より激しい。各位気を引き締めるように。以上、解散」

 教頭のコメントを合図に、ある教員はガタガタと席を立ち、またある教員は長い息を吐きながら上肢を伸ばしていた。長い戦いを終えたのは彼女たちも同じだ。午後7時、既に暗くなった空を、茶をすすりながら見る真耶が言う。はぁと深い息を吐いた。それは開放感に満ちた軽やかな息だった。

「おわりましたー」
「直ぐ臨海学校です」
「一息付きたいですねー」

 同僚である千代実の無慈悲なツッコミに涙を流す真耶である。すする番茶も塩辛い。

「2年生は楯無さん、3年生は白井さん。彼女たちは順当な結果に終わりましたが、織斑君には本当に驚かせられました。オルコットさんの光弾を剣で弾いての切り込み。流石に開いた口がふさがりませんでした」
「そうそうそれです千代実」
「なんですか」
「織斑先生の様子おかしいと思いません? 実の弟が優勝したのに喜びもせず逆に警戒していたんですよ」

 2人は職員室の前方で教頭と話す千冬をちらと見た。

「確かに……身内には厳しいとは聞いていましたがおかしいですね。流石に厳しすぎだと思います。無事に終わったと泣き出した蒼月君を気遣っていたぐらいですし」
「蒼月君との扱いの差も気になりますねー」

 閉会式の直後、真から入った通信を思い出し吹き出す二人。せめて一学期はこのまま何事もなく終わって欲しい、と同時に茶をすすった。物思いに耽る二人の背後に現れたのは金の影。

「千代実、真耶。あの礼儀知らずの、生意気な、身の程知らずの、腹立たしいドイツの千冬バカ2号(小娘)はどこかしら?」

「彼女が居ましたねー」
「忘れていました」

 二人がぼんやりと見る窓には、夏の大三角形が空から上り始めていた。


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「幾ら女の子が早熟だと言っても限度が有ると思わないか? 大体俺は一歳上なんだぞ。しかも今や同級生ですらないのにおかしいだろ。誰とは言わないけどさ。そう思わないか?」

 学園中央本棟から柊に向かう夜の道。街灯の明かりを手がかりにとぼとぼと歩くのはジャケットにジーンズ、私服姿の真である。千冬から取りあえずはお役御免だと解放され、一夏たちを祝おうと向かう途中であった。2人と顔を合わすこともあろうが、仕方有るまいと箒の許可も取り付けてある。陽も落ちたというのに気温が下がる気配はなく、蒸し暑い。りりりと虫たちの合唱が木霊する。

「大体さ、シャルだって人の事とやかく言える状況じゃ無いと思うんだ。気づいてたか? 一夏の奴無意識に静寐を目で追ってるんだ。まぁ俺も初めて見た時まさかと思ったんだけど。男って色々世話を焼いてくれる娘に好意を持つからな。一夏の優勝は静寐の貢献に寄るところが大きいし、静寐はルックスも良いし。当然と言えば当然かもしれない。シャルも大変だ。ここから巻き返さなきゃいけないし。

 そうそう箒もおかしいんだ。一番不機嫌にならなくちゃいけないのに、何処吹く風で冷静なもんだよ。何時もなら“ぐぬぬ”って成るはずなのに。昨日なんか“ボタンを付け間違えている。身なりの緩みは心の緩みだ”と怒られたんだけど、そのボタンを付け直すとかあり得ないだろ。しかも前側からだぞ。余りの事に思わず呆けたよ。好きな奴の友人に世話を焼いたんだから。

 あの箒だぞ? 剣道長らく続けてたのも一夏の為だと言うし、入学して間もない頃なんかその一夏との会話を邪魔して、初対面にも拘わらず怒鳴られたんだ。今でも良く思い出せるよ“一夏は今私と食事をとっているのだが!”って。今思えばよく殴られなかったなって不思議なぐらいだ……黙って聞いてないで返事しろって! お前、絶対俺の言ってること分かってるだろ! みや! おいってば!」

 彼はぶんぶんと振り回していたネックレスから手を離した。りーん、りんと虫が鳴く。

(まぁその箒も、静寐と本音、友人が出来て変わったって事なんだろうか。そう言えばデートした時にした約束、どうにかならなかったら言う言わないって……はもういいか。どうにかなったし。あれからどれだけ経った? 確か5月の中頃だからもうそろそろ2ヶ月か。早いもんだ。その静寐と本音には三行半を叩きつけられた訳だけど……結局好き嫌いもはっきりさせずに終わったな。二人が怒るのも無理ないかもしれない)

 彼は今までに起った事を振り返ると、左腕をゆっくり擦った。暫しの沈黙が訪れる。彼は深く溜息をついて、道を逸れ、しばらく歩いて立ち止まった。其処は周りを木々に囲まれたちょっとした広場だった。見上げれば空が見え、月明かりが射し込んでいた。しばらくすると鳴いていた虫の音が止む。がさり、聞こえない音、気配が周囲に射し込んだ。長い銀と共に堅く、重く、鋭い声が彼の後ろから現れた。

「ほぅ、気づいたか。もう少し近づけると思ったが」

 投げられた言葉に彼は振り返りもせずに言う。

「盗み聞きとは良い趣味じゃないぞ」
「ISに愚痴をこぼしては説得力はないな」
「放っておいてくれ。こっちにも色々あるんだ」

 彼の背後に現れたのは、真より頭一つほど小柄で華奢な少女だった。赤い瞳と白銀の長い髪、一見、人形と見紛うごうばかりの可憐な少女であったが、纏う雰囲気は刃物である。それを感じ取った並の者は間違いなく恐れを抱くだろう。

 カーキ色の長袖襟付きシャツにロングパンツと黒いブーツ。飾り気のない実用のみを考慮した服装で、左胸には功績を示す多数の証が輝く。肩には黒と赤と黄色の国を象徴するカラー、縦に長い階級章にはマヨーア(少佐)を示す花が一つがあしらわれていた。何より左目を多う眼帯が重苦しい雰囲気を醸し出す。

 ハイパーセンサー展開。彼は振り向いて、敬礼。だが不機嫌さを隠していない。

「これは失礼しました。ドイツの見目麗しい陸軍少佐様がこの私めに何のご用でしょうか?」

 彼女は腕を組んで眼を細める。その表情は怒りではなく冷笑だった。

「その知見は褒めてやろう。だが上官には敬意を払え」
「もちろん皮肉。ここ(学園)で払って欲しければ……ブリュンヒルデになってみろ」

 それが合図となった。


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 二人が動いたのは同時だった。銀の少女は身を屈め大地を蹴りだした。その右手には白銀の得物が光る。左の懐に手を伸ばした真は息を呑んだ。その少女は距離5mを一瞬で詰め、彼の懐に潜り込んでいた。

(速い!)

 彼は事前に少女の意識の線を読んでいたが、その速さが予想を上回り読みを外したのである。彼は銃の引き抜きを一端中止し、身体を揺らし空のジャケットの左袖を鞭のように波打たせ、少女の視界を遮らせた。

 少女は、真の足を見て立ち位置姿勢に変化無しと判断。そのまま刃渡り20cm程のナイフを突き付けた。軽い金属音が鳴る。その刃先は真の左脇で止まっていた。身体を捻り拳銃で受け止めたのである。

 彼の左脇に痛みが走る。それに構わず右脚で大地を蹴り、左足を前へ前方へ滑らした。シフトウェイト。ナイフが外れ左脇を通り過ぎ、ジャケットを切り裂いた。途中までしか無い左二の腕で少女のあごを狙う。少女は真の左側へ飛び退いた。虫の音が止んでいた。月の光が差していた。

 彼は呆れた様に銃を抜く。

「なんだその身体能力。人間か?」

 少女は身を屈め、ナイフを構える。彼にはその姿がネコ科の猛獣、ヒョウに見えた。

「その言葉そのまま返そう。お前は未来でも読めるのか?」
「それならこんな面倒なことには成っていない」
「それはそうだ」

 その少女は皮肉を浮かべて笑うと、続けてこう言った。

「となれば情報通りだな。お前を排除する」

 何が、と彼が口を開こうとした瞬間である。少女の瞳に殺意が灯る。大地を撃ち抜く少女の足音が周囲に鳴り響き、白銀の影が彼に迫る。少女の初手は手加減されていた。少女の放つ意識の線は真の心臓を貫いていた。彼はそれを読み、位置とタイミングから銃が間に合わないと判断。銃撃姿勢から近接戦闘にモードシフト。そのとき左脇に痛みが走り、動きがワンテンポ遅れた。彼の鼓動が身体を打ち付ける。

(逝ったか、これ?)

 ゆっくり流れる世界、二人を最初に隔てた物は小さな石だった。


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 次に突風、だがそれは修練を積んだ者だけが感じとれる刀気の風、剣気である。白銀の少女はその風圧に飛び退いた。風が止み、草木の嘶きが去った時。

 真の視界を覆うのは、黒く長い髪、髪を結う白い布、白を基調とした学園服、立ち塞がりし者。篠ノ之箒である。左手に鞘、右手に柄。突き付ける刀身、黒い瞳が月の光を浴びて鋭い光を放つ。彼女は緋宵を抜いていた。

「そこまでだ。神妙にしろ」

 彼女の放つ気配を表現すれば、雪化粧をした物音一つ無い夜の竹林が適当だろう。黒い瞳と赤い瞳が火花を散らす。最初に緩めたのは赤い瞳の少女であった。

「中々に面白い奴がいるが……蒼月真。また会おう」

 白銀の少女が闇夜に消える。それを追おうと箒が駆けだした。

「逃すか!」
「箒、待った」
「何故止める!」
「軍人相手に森林戦は分が悪いよ。それにどうせ直ぐに会うさ。ここに居るんだから」

 箒は逃げた先を一瞥すると、ふんっと剣を収めた。緩んだ気配に彼は言う。

「箒、助かったありが―」と言い切る前に彼は手刀で頭を叩かれた「痛いぞ」
「真! 私を待てと言った筈だ! どうして言う事を聞かない!」
「あの娘、顔合わせだけだったんだよ、多分」
「そう言う問題ではない! それに多分とはなんだ!」
「50分待ったんだぞ、俺。それにどうして打鉄の通信切ってたんだよ」
「女には色々あるのだ……」
「髪の毛、湿ってるぞ」

 ジト眼の真に、箒は僅かにたじろぎ、直ぐさま復活。

「私に汗を掻いたままでいろというのか!」
「だから先に行くって言ったじゃ無いか」
「女をおいて先に行くとは日本男児の風上にも置けん奴! 其処になおれ成敗してくれる!」
「話逸れてきたからもう行こう。祝賀会が終わってしまう」

 一瞬緋宵に手を掛け踏みとどまり、手刀をかざす箒。真は何時ものことだと無防備に背中を向けた。気勢を削がれ箒はしぶしぶと彼の後を追う。彼女は真の右に並ぶとこう言った。

「何故だ?」
「何が?」
「挑発に応じるとはお前らしくもない」
「……何で分かった?」
「気配を読む、お前の専売特許だと思うな」
「俺ってまだ子供だなってさ」
「知っている」
「あそ。なんて言うか、同族嫌悪?」

 二人が柊に着いた時には既に終わっていた。
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ラウラ編はあるのだろうか(タイトル的な意味で)

2012/11/27

■追伸
ラウラの襲撃の動機は後日書きます。



[32237] 05-15 日常編22「夏草や兵どもが夢の跡2」
Name: D1198◆2e0ee516 ID:bb4b1fdc
Date: 2013/07/05 21:46
ひさびさ真視点。さらに一夏視点とのスイッチ。視点的切り替えという意味で最大の難所です。ひー

日常編 夏草や兵どもが夢の跡2
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 千冬さんから一通りの説明を受けた後、俺はこの状況をどのように判断するべきか考えあぐねていた。目の前に立ちふさがる問題は2つ。1つはそれ自体、もう1つはそれを取り巻く状況だ。

 ここは学園本棟職員室脇のセキリュティ・ルーム。もう見慣れたこの部屋は、窓は無く6畳ほどの大きさで、壁は白く、床は灰色。背の低い特殊硝子のテーブルに4つの合成革ソファーだけが置かれている。

 その1つに腰掛け、俺は最初に右隣を見た。其処にはよく知る金の人が座っている。目を閉じ口を閉じ、腕を組み足を組み微動だにしない。その美しく整った姿は不機嫌だと言っていた。

 次に、はす向かいのよく知る黒の人を見た。何時もの様に腕と足を組んで座っていた。目を閉じ口を閉じ、その綺麗な人は何時もの見慣れた表情ではあったが、不機嫌だと言っていた。

 3つ目には、それなりによく知る眼鏡の幼い顔立ちの人を見た。その人は笑顔でお茶を出していたが顔色が悪い。後生ですから私に話を振らないでと、その目は必死に訴えていた。

 最後は目の前に腰掛ける、軍人と言う事以外何も知らない可憐な銀髪の少女を見た。その少女はやはり腕と足を組み目と口をつぐんでいる。ただし不機嫌なのかは不明だ。

 俺も手と足を組んで不機嫌そうにするべきだろうか……残念なことに左腕がない。


 事の始まりは本日の昼前だ。トーナメントも無事終わり、臨海学校は留守番かはたまた同伴し警備か、今後の予定に思いを馳せながら部屋の掃除にせっせと勤しんでいたとき不意に電話が鳴った。その主はディアナさんだった。

『今何をしているのかしら?』と平坦な声。非常に機嫌が悪い。
「掃除ですけど? 千冬さんと喧嘩でもしたんですか?」努めて冷静に聞いてみた。
『さっ、さ、と、い、らっ、しゃ、い』

 みしみしと受話器の悲鳴が聞こえ出す。慌てて向かえばこの状況だ。思い起こせば数日前、ディアナさんの機嫌が更に輪を掛け悪化した。この時点で手を打っておくべきだったと後悔している。

 俺は千冬さんの説明を咀嚼した後、意を決し聞いてみた。彼女の要求も色々厳しいが今回は輪を掛けている。何故なら、

「つまり、俺に教師になれと? そうおっしゃいます?」
「そう言う事になる」
「本気ですか」

 と言うことだったからだ。彼女は再び口を閉ざした。眉と唇をきつく結んでいる。断腸の思いとはこの事だろう。

 目の前に座るその少女はラウラ・ボーデヴィッヒと言い、胸のワッペンが示すとおりドイツ軍人であり、そしてIS部隊隊長である。彼女が来日した理由はIS操縦技術の相互交換、つまり技術交流のためだった。学園生徒は現職軍人から操縦技術を学び、また彼女は指導者としての実地研修、そして学園の国家代表及び代表候補と交流を得る事が目的だ。

 だがここで1つの問題が生じた。ボーデヴィッヒの学園における立場と俺の相対的な関係である。仮にも指導する立場で有る以上、教員でなくてはならないが当然のことながらボーデヴィッヒは教員免許を持っていない。更に面倒なことに、彼女の戦闘・操縦技術は真耶さん千代実さんらをはじめとした副担任や一部担任ですら上回るそうだ。

 方やIS戦闘に関してそのボーデヴィッヒと同等、と学園の評価を得ているらしい俺は事務員を予定としているのみでその立ち位置は曖昧。学園上層部はこの矛盾に対する打開策として、仮の教員という役職を新たに設けこれを俺らに与える事にした。

 俺は黙って目の前の少女をちらと見た。ドイツ。千冬さんは一時期ドイツ軍に籍を置いていたことがあり、その繋がりと言う事だろうが……非常に胡散臭い。なにせ一学期も終わろうというこの時期だ。以前シャルにも言われたが、学園外でどのように評価されているか改めて確認しておく必要があるかもしれない。勿論一夏共々。それにしても学園のお役所気質も大概だと思う。どうでもいいだろう、相対関係など。

「ラウラはあくまでもドイツ軍籍。だが蒼月、お前は学園籍だ。ここまで言えばもう良いな?」

 見透かしたような千冬さんの発言に俺は渋々同意した。つまりは面子と言う事だ。俺が無職では示しが付かない。少し精神的に凹んだ。少し、だ。

「それと、学園の案内としばらくの間お前が面倒を見てやれ」
「……は?」
「他に適任がいない」

 真耶さんを提案しかけたが、涙目の訴えでそれを飲み込んだ。

「教官、私に軟弱なガイドは不要です」

 元々声質は高いのか、ボーデヴィッヒのそれは低さを作っている声だった。落ち着いているが腹に響かない、卵の殻のような声。誰かの指揮を受けるならハミルトン中将やデュノア伯爵の様な腹に響く声の方が良い。そう思うのは時代遅れなのだろうか。そんな事を考えた。

「ここはドイツ軍ではないIS学園だ。ここのルールには従え。それともう私を教官と呼ぶな」

 千冬さんの命令にボーデヴィッヒは素直に復唱した。ディアナさんはぴくりと頬を動かした。ちらと真耶さんを見た。彼女は眼を伏せた。この2人に何かあったらしい。俺は右手を白銀の少女に差し出し努めて笑顔でこう言った。

「俺は蒼月真。これも仕事だと思ってしばらくの間宜しく」
「貴様は何が出来る?」

 貴様と来たか。彼女は腕と足を組んだまま目を瞑ったままだ。この時思ったが彼女のその居住まいは千冬さんのそれによく似ていた。

「ISの操縦と射撃を少々」
「ほう、だから格闘は苦手だと言いたいのだな?」

 だがその物言いは初めて会った頃のセシリア以上だと思う。

「現職の軍人相手に無茶を言う」黒と金の人がぴくりと動いた「俺は一般人だよ」と続けた。

「鋭いが鈍い。用心深いが間が抜けている。強いが弱い。成る程そう言う意味か」
「なんだそれは」
「ISが得意と言ったな。ならば私と戦え」
「訳が分からないし、私闘はお断りだ」
「同僚の実力を知り合うのは必要だろう?」

 言ってくれる……俺はちらと黒と金の人を見た。彼女らは何も言わない。勝手にしろと言うことらしい。

「OK.受けよう」彼女の言う事は一理ある。
「ハンデだ。私の“シュヴァルツェア・レーゲン”のデータを送ってやる。予習に励め」
「不要だ。その為の模擬戦だし、どこぞの誰かが観測・評価した資料なんか役に立たない。そんな物ただの解釈だ」
「リアリストだな。評価を上方修正しよう」
「そりゃどうも」

 俺は顔が引きつっている真耶さんに、本日のアリーナ状況を聞くと腹を括った。

「本日、放課後の午後4時。第3アリーナで」
「了解だ。楽しみにしている。お前と改修後のIS共々な」

 箒の事を思い出したのはシャルに連絡を取ってからだった。


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「まっこと、まこと、まこまこりーん♪」

 空は良い天気だ。快晴とも言う。空から降り注ぐさんさんとした夏の太陽の下、みんみんとセミたちに祝福されて、俺は軽い足取りで学園内をうろついていた。あの阿呆を探す為である。なにやら青い顔の同級生が居たが気にしない。セシリアではない念のため。

「約束だからなー 仕方ないよなー 今からコッテンパッテンにしてやるからはやく出てこーい。早く出てこないと日が暮れるー」

「織斑君、ご機嫌ね」

 そう言うのは偶然会った布仏虚先輩だった。少し下がった目尻に薄化粧。ボリュームのある唇はほんのり赤く艶々で、結い上げた髪のうなじと眼鏡の色っぽい先輩である。真から聞いた話だが、この先輩に会いたいが為、大した用事も無いのに学園に出入りしようとする部品業者が絶えないのだそうだ。けしからん。

「あ、お。みやの人。ご機嫌麗しゅう。んむ来るしゅうない。ははー有難き幸せ」
「……」

 いかん。白い目で見られた。ごほんと1つ咳払い。五つあるのに一つとはこれ如何に。シャポリオンでも分かるまい。

「えーと、失礼しました。阿呆がどこに居るか知りませんか?」
「私としては真を阿呆と言われるのは心外なのだけれど……」

 虚先輩が言うにはアリーナでみやのテストをやるらしい。なら更衣室か? そういえばシャルが更衣室がどうとか言ってたな……ほう、シャルと逢い引きかね。俺はふふふと笑いながら組んだ両手をバキボキと鳴らした。

「今日の放課後に模擬戦を予定しているからその時に会えるわよ」

 模擬戦? だれと? その時俺はなんの脈略もなく、トーナメントで見た銀髪の女の子と戦っているシーンを思い浮かべた。だけれどそのシーンはもやもやでその娘以外よく分からない。

「いえ、どうせ午後は自由時間ですし会いに行きます」
「そう」
「でもいいんですか? 虚先輩居なくて」
「もうそろそろバトンタッチしていかないと。卒業試験の準備もあるのよ」

 おぉ、時の流れを感じる。卒業式にはボタンを……ってまだ早いか。学園ではどうするんだろう。

「そうだ、虚先輩」
「なにかしら」
「去年の真ってどんな風だったんですか?」

 その質問に大した意味があった訳じゃない。少なくとも俺にとっては世間話レベル。けれど目の前の先輩にとってはそんな簡単なものではなかったらしい。その表情は真剣で、遠くを見つめているように見えたし、後悔しているようにも見えた。

「大変だったわ。手に負えないぐらい」
「あーわかります、わかります。あいつ直ぐ泣くし直ぐ殴るし」
「あの時の私たちでは支えられなかった。あの貴子先輩ですら。仮に今があの子(本音)たちではなく私たちだったなら、どうなっていたのかしらね……」

 この先輩には珍しいことに、良く聞き取れ無いほど最後をごそごそとした話し方だった。更に要領を得ない。

「はぁ」

 とにかく喧嘩は駄目よ、とその先輩は俺に背を向けて立ち去った。どこか足取りもおぼつかない。体調が悪いのか? きっと真の世話で大変なのだろう。まぁいいや。

 待ってろ真。我が妖刀の錆びにしてくれるわー


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 シャルにご足労頂いたのでジュースを奢ったら午後はフリーなのだそうだ。なんだ、と文句を言ったら、もうじきこんな事も出来なくなるからと要領の得ないことを言う。

「どういう意味?」
「男の子を持つ母親って大変だよ。好きな女の子が出来たら放って置かれるんだから」

 雲行きが怪しいので本題に入る事にした。

 彼女に聞きたかったことは学園を取り巻く状況である。本音を言えば諜報活動で有名なイギリスのセシリアに聞きたかったのだが、対外的に女性である彼女と二人だけで会うのは手間が掛る上、オルコット本家を通せば不審がられる、何よりお目付役も居る。よって断念した。

 ロッカーの間に並ぶ、背もたれのない長いすに俺らは腰掛けた。学園で3名しかいない男子の為の更衣室は、閑散としていた。ロッカーの間の先には鏡と洗面台が見える。隠れたところにはシャワールームもある。ここで一夏と喧嘩したのは何時の頃だっただろうか。そんな事を考えながら、俺も缶コーヒーを開けた。空気の抜ける音がロッカーに響いた。

 蓋を開ければシャルもボーデヴィッヒの事は知っていた。同い年で凄腕のIS乗りだとその筋では有名なのだそうだ。千冬さんのドイツ軍時代に二人は知り合ったのだが、機密に阻まれ流石に詳細は不明、ドイツ軍は優秀らしい。

「目立った動きはないかな。あれ以来静かなものだよ」

 シャルが言うのはあのMという少女が所属すると思われる“ファントム・タスク”の動向である。第2次世界大戦終結辺りに作られた結社らしいのだが、その行動目的から実体までよく分かっていないのだそうだ。だた一つ分かっていることは、一夏と俺は目を付けられていると言う事。

「ならボーデヴィッヒとファントム・タスクに関連はないと見て良いのか?」
「そう判断しても良いと思う。あくまで直接的には、だけれど。彼らの息が掛った人は多いから」

 重苦しい空気がのし掛かる。俺は左に腰掛ける少女から目を逸らしこう言った。その少女も俺を見る事なく正面のロッカーをじっと見ていた。

「体の調子はもう良いのか?」
「真」
「代表候補でトーナメント出られなかったのは何かと都合が悪いだろ。手伝えることがあったら言ってくれ」
「真」
「今度の臨海学校、初日フリーだってさ。水着とかどうするんだ?」
「真ってば!」
「……なんだよ」俺は左を向いた。其処には碧の眼があった。
「僕ね、2人に話した」
「誰に? 何を?」
「フランスで起った事をオルコットさんと凰さんに」
「……それは大概大きなお世話だぞ」俺は缶を少し離れた椅子の上に置いた。
「あの2人には知る権利があるよ」
「どんな理由でその権利が生じる」
「2人は真のことが好きだから」

 俺はゆっくりを立ち上がり、その少女を見下ろした。

「あのな……そんな恥ずかしい真似は止めてくれ! お節介にも程がある!」
「何言ってるのさ! そんな事だから何時までもふらふらなんだよ!」

 その少女も立ち上がり睨み上げてきた。

「ふらふらってなんだよ!」
「オルコットさんとか凰さんとか先輩たちとか! ディアナ様とも怪しいし、最近だと篠ノ之さんもかなっ!」
「人聞き悪い!」
「良い機会だから言うよ! 真の様な泣き虫で、弱虫で、女々しいのに意地っ張りな人には女の人が必要なんだ!」

 身体の芯を貫く言葉。この少女と出会って一ヶ月。この学園では短い関係だが、最も深い。その少女の声を荒らげる姿は初めてだった。あの病院でもあの墓場でも聞いた事は無かった。ただその碧の眼だけは同じように俺を掴んでいた。

「忘れろとは言わない。でもね、エマは死んだんだ」
「知ってるさ。俺が殺したんだ。忘れる筈がない」
「あのね、僕はオルコットさんでも凰さんでもディアナ様でも、なんなら3人でも4人でも良いと思う」
「それ滅茶苦茶過ぎだ」
「滅茶苦茶にだってなるよ。だって真のことだよ」

 その少女は冷たくて小さい、けれど柔らかくて暖かい両手を俺の両頬に添えた。

「聞いたよ静寐から。真はね、重すぎるんだ。支えるには1人じゃ足りない。でないと第2,第3の静寐、本音が出てしまう。真は一夏とは違うんだ」
「沢山居る。学園の皆が居る」
「皆は抱きしめてくれないよ。真には身体を温めてくれる人が要る。寂しいという心と身体の要求を否定しては駄目だ」

 その言葉は、自分の身体と長く向き合い見出した結果なのだろう。この少女もまた心と体に消えない傷を負っている。だから俺は右手でその左手を掴んだ。この時ほど自分の左手を悔やんだことは無い。

「俺は、俺はね。学園の俺なんだよ。今の俺はこれが精一杯だ。けれど上は向きたい。だから祈っててくれ。いつかほんの僅かでも前に進める日のことを……母さん」
「エマも本当に困った人だよ」

 寂しそうに笑うその人の温もりは、俺が殺してしまった人とは違う物だった。


-----


 俺が廊下を抜けて薄暗いピットに立った時、フィールドの端っこで黒いISが立っていた。それは前までカーキ色だった奴。シャルのリヴァイヴIIとは異なり、羽根は一対で左腕に小さいシールドが付いている。両肩にドームっぽいパーツが付いて、脚と背中のボリュームが増していた。装甲か?

 それはおもむろにアサルトライフルを空に向けて放り投げると、左手を向けた。黒いかぎ爪が飛び出して、蛇のようにくねりくねりと弧を描く。ライフルは捕えられて、引き戻されて、元の右手に収まった。新装備らしい。

 白式を展開。空に浮かび上がるとあいつに近づいた。

「よう」
「よう」

 振り向きもせず、笑いもせず俺らは言葉を交わし合う。俺はその新装備に眼を向けた。ゲームで良くあるアームガードだった。

「おやっさんから貰った」とそいつは言った。
「さっきの紐は?」
「ワイヤーアンカー」ますますゲームっぽい。
「紐繰り上手いな。何時練習したんだよ」
「ほら、少し前にリーブス先生に糸のコツ教わったろ? それを応用した」

 今のそいつには無くした筈の左腕があった。リヴァイヴには二の腕を覆う装甲は無いから左腕が途中で切れて浮いている。

「ふーん。なら切ったり出来るのか?」俺はフィールドの近く降り立った。大体3m位。ISだとこれでもかなり近くに感じる。
「糸を震わせて、物質に当てて、固有振動数を読み取って、振動で切断するんだと。出来る訳無いだろ。みやの支援込みで1本動かすだけ。でもさっきみたいな使い方が出来るから色々使える」

 その時そいつは初めて振り返った。開いた見えない眼は真っ黒で、左頬には切り傷が、隠れて見えないけれど首にも傷があるそいつは、笑っていた。正直気味が悪かった。見た目じゃ無い。その存在が。

「お前、エマを殺したってどういう意味だ。エマってのは人の名前だろ?」
「……疲れてるのかな俺。一夏の気配に気づかないなんてさ。それともお前が俺の想像以上に腕を上げているのか」
「答えろよ」
「そのまま。言葉通りだ」

 風が吹いてフィールドの砂が巻き上がった。周りには誰も居ない。いや、こいつが出てきたであろう第2ピットには人の反応がある。きっと整備の人達だろう。虚先輩がテストとか言っていたし。俺は少し顔を逸らし腕を組んで眼を瞑った。ハイパーセンサー越しに見える黒いそれは動揺すらせずそこにあった。

「フランスの彼女ってのは?」
「その人のことだ」
「人を殺したのか」
「そうだ。リヴァイヴのカノンで木っ端微塵だ。辛うじて肉片が残っただけ、だったそうだよ」
「なら敵って事か」
「ああ」
「なんで彼女なんだ」
「抱いたから。俺が殺したから。俺がその人の最後だったから」
「関係無いだろ。戦闘行為だったんだろ?」
「関係有るさ。俺が死なせてしまった。俺は彼女の死に責がある」

 頭から血が引いた。怖いという意味じゃ無い。自分でも恐ろしいほど頭が冷えていた。こいつが今まで俺に言ってきたこと、よく分からないこと、その全てが繋がった。

「お前、セシリアを諦めたんだな。振られたんじゃなく。セシリアに好きな奴が居るってのも嘘だな」
「半分正解。セシリアに好きな奴が居るとそう思いたかっただけだ」
「同じ事だぜ」
「かもな」

 俺は目を開いてそいつを睨んだ。やっぱり何時もと同じように平然と冷めていやがった。むかつくなんてもんじゃねぇ。

「なんでだ」
「なにが」
「どうしてお前はそうもの分かりの言いふりをする。辛いくせに泣きたいくせに、何故自分を偽る。どうして簡単に諦める」
「出来る事は人それぞれだ。限られてる」
「それは聞こえの良い言葉に置き換えてるだけだぜ」
「知ってる。だが現実に刃向かえる人間は多くない。俺もその一人だ」
「胸くそ悪いぜ。そんな理由でセシリアを諦めたのかよ。告白すらせず。ヘタレにも程がある」

 こいつは初めて体ごと俺の方を向いた。黒く塗りつぶされた眼は虚に俺を見ていた。

「例え話をしようか。ある組織がある。そうだな、イタリアのマフィアのような奴。彼らは血縁を重視する。何でか分かるか?」
「身内だからだろ。それがなんだってんだ」

「人の心ってのは絶えず揺らぐんだ。一定の形を持たないから。組織を運営するのにそれでは不都合なんだよ。だから血縁という枷を使う」
「気にいらねぇな。そんなんで人を判断出来るのかよ」

「俺も同意。だけど仕方がない。心を見る事は出来ないから。永遠に固定することは出来ないから。血縁という枷を一つの判断材料にするんだよ。

 2年のサラ・ウェルキンって先輩知ってるか? 彼女はセシリアのお目付役だ。絶えず監視しオルコットの長として相応しくない振る舞いがあればそれを咎め、必要とあらば本家に報告する。

 彼女はオルコット、貴族という枷の中に生きている。俺と共にあろうとすればその枷に悪影響が出る。最悪それを壊すかもしれない。学園という枷の中に生きている俺が、そんな事出来る訳ないだろ。彼女は初めからそう言う関係を望んでいた。なのに自分で舞い上がって彼女を苦しめた。俺もガキだったな」

 俺は怒りにまかせこいつの胸ぐらを掴んだ。みやのシールドはまだ調子が悪いのか、干渉光が歪に波を打つ。だけどそんな事俺にはどうでも良かった。

「怒髪天を衝くってのはこの事だな……てめーの言ってることが全くわからねぇ! 自分に都合の良い理由を作ってそれに縋ってるだけだ! やりもせずだ! 挑戦せずに簡単に諦めやがって! ヘタレなんてもんじゃねぇ! 最悪だ!」

「違うな。俺はきっと一度やってる。いや、一夏。お前の分を含めて多分二度だ」こいつはそう言うと左腕をさすった「ひょっとしたらまだあるかもしれない。俺には出来なかった。俺には身の丈に合ったことしか出来ない。もう何かを削ってなんて俺には出来ないよ。この身体はもう俺だけの物じゃ無い、これ以上失いたくない」

「だったら、どうしても失いたくない物が出来たらお前はどうするんだ」
「その為に準備をしているし、足りなければ誰かに頼む」
「その誰かが居なかったら? その時間が無かったら? その手段が無かったら?」
「やるしか無いな」
「矛盾してるぜ。今自分だけの物じゃ無いと言った」
「言葉が悪かったな。務めを果たす」
「同じ意味だ」
「違う」

 こいつは俺の左手を掴むとゆっくり外した。

「今の俺にとってどうしても失いたくない物。俺を形作っている物、それはこの学園だよ。今俺の全てを預けている、この学園。自己を否定して削るんじゃ無い。俺の有り様を価値を、俺の存在理由を認めて務めを果たす。それが俺の存在理由」

「自分の生き方を物、器に託すってのか。犠牲にするってのか」

「誰かを犠牲にするなんて可哀想だ、そんな下向きの道徳は捨てろ。俺の価値は俺が決める。皆が見る俺の価値は見る人の物でしかない。少なくとも俺の場合は当てはまらない……これを見ろ」

 こいつは右手にハンドガンを、左手に拳銃弾6発を量子展開。弾丸を空に放り投げると、右手のハンドガンで全部命中させた。ハンドガンは6発。距離は50mそこそこだけれど、小さな的を全部撃ち抜いたことになる。今ならよく分かる。こいつの射撃能力は異常だ。

「一夏。俺は歪なんだ。英雄でも無い俺みたいな弱い人間は本来強い力を持ってはいけない。強い力は選ばれた強い者だけが許される。独裁者が非業の結末を迎えるのが良い例だ。そんな資格の無い俺は力を持ってしまっている。だったらどうすればいい? 強い力は歪みを引き寄せる。今までがそうで有った様に、これからもそうである様に。だったらさ、俺を何かに預けるしかないだろ」

「だから、静寐を本音をセシリアを、鈴をも否定するってのか」
「そうだ。いざという時おれは居なくなるから」
「お前の言っていることが理解できねぇ。お前の生き方が納得できねぇ」
「一夏、お前は変わらないな。今までそうして言葉を口にして、お前の有り様を形にして、なんども影口を叩かれてきたんだろ?」
「あったりめーだ。ぽんぽん意見を変えたら、都合良く黙ったら誰が信じる」

「そんなお前だから、俺はお前に憧れたんだろう。だからこう言うよ……一夏、気に入らないというなら、許せないと言うならそれを示せ。俺が間違っていると示せ。お前のなかに如何に強い意思が、心があろうともそれが見えなければ無いのと同じだ。お前に証を立てられるのはお前だけだ。お前が示せ」

 あくまで笑うこいつに俺はこれ以上言葉が出せなかった。内に溜まるもやもやが捌け口を求めて暴れ出す。

『茶番は終わったか』

 だから、この言葉を発した奴には腹の底から怒りが滾った。

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皆様ご無沙汰しております。Mr.ハードラックです。再びお目にかかれる日を心待ちにしておりました。これより私のショウを存分にご堪能下さい。まずはウォーミングアップ、おいっちにぃさんしぃ。

2012/11/29

■追伸
ツッコミ質問は常時お待ちしておりますが、
この真の存在意義に関しては大したご返答出来ないかも知れません。
なぜなら私の頭限界ですので……それでも良いよと言う方、ウェルカムです。



[32237] 05-16 Lost One’s Presence 1
Name: D1198◆2e0ee516 ID:bb4b1fdc
Date: 2012/12/04 16:09
あきません。どうやっても一人称だと辛い。

Lost One’s Presence 1
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『茶番は終わったか』

 一夏がその声の方を見上げると、其処には漆黒のISが腕を組んで立っていた。

 第4ピットの甲板に立つそれは、背面にフレームは無く、長い腕は鋭く、脚部は分厚い装甲で作られていた。右舷に巨大なカノンを、両肩に巨大な浮遊ユニットを備えていた。マットブラックを基調としダークグレイをちりばめ、赤と黄色でアクセントを付けていた。制作者の芸術的なこだわりを感じさせるカラーリングのみやに対し、そのISのそれは必要から生じた攻撃性を匂わせていた。

 その距離約1km。午後を回った太陽の光を浴びて鈍く光るその所属不明機に一夏の眼が鋭く光る。

『貴様が織斑一夏だな?』
「誰だあいつ」

 ラウラの確認に一夏は誰に向けたのでも無い言葉を放つ。真が「仮の先生でドイツの少佐様だ」と答えると、一夏は何かを悟った様に睨みあげた「ドイツ……!」その表情には確信があった。真は一夏と千冬の過去を調べていた。だから二人の間に割り込むように動いた。

『何か用か? ボーデヴィッヒ。待ち合わせにはまだ余裕があるぞ』
『ならば織斑一夏。私と戦え。手間が省ける』

 真の介入にラウラは意にも介さない。一夏がそのラウラに言う。

『理由がねぇな』
『教官の銘を守るため、その銘を汚したお前に……と言えば良いか? これ以上言葉が必要か?』
『……お前なら千冬ねぇの銘を守れるって言うのか』
『愚鈍な奴だ、それを確かめさせてやると言っている』
『いいぜ、やってやる』

 駄目だと、真が二人に割り込んだ。

「待て一夏。俺の相手だ」
「引っ込んでろ、お前の出番はねぇよ」
『お前もよせ! ボーデヴィッヒ! 生徒を挑発するな!』

 その言葉に一夏が反応する。何様だと忌々しげに真を睨み上げた。

『仮にとはいえ教師だ、生徒を指導するのに不都合はあるまい? それとも何か? お前に私が止められるか?』
『……いいだろ。だが立ち会うぞ』

 シュヴァルツェア・レーゲンと白式がアリーナの中央、高度50mで対峙する。第2ピットで真を出迎えた箒が言う。

「良いのか?」
「良くない」

 警戒を含ませた箒の言葉に、真は通信を開いた。その先は学園中央本棟、彼のよく知る2人にである。


-----


 同時刻、学園本棟地下の一室で1年の教師たちは臨海学校の打ち合わせを行っていた。パイプ脚の白いシンプルなデスク。グリーンクッションとキャスターが付いたチェアー。白い半導体照明を浴びて彼女たちは書類やらタブレットやらに目を通していた。一息付き、書類をテーブルに投げ出したディアナは忌々しげに目の前の千冬を見る。

「千冬。何とかして追い出すべきだわ。あの小娘!」
「そうは行かない。ラウラの迎え入れは日本政府との関係改善の条件だ」

 何時になく機嫌の悪いディアナに2人の副担任がびくりと身を縮ませた。

 数日前、日本政府から学園に定期会合の再開が申し込まれた。両者は4月から6月の3ヶ月間で学園に生じた事件、特にM襲撃の一件で関係が悪化していたのだ。

 学園の独立性は謳われているとは言え、地理的に経済的に関係している以上日本政府とは全く無関係では無い。事実、学園内には関係各省庁出身の者も少なからず居る。これは日本政府側だけではなく、学園からの働きかけも可能な相互的なパイプだが、そのため学園内の情報は少なからず日本政府も知り得ていた。少なくとも事件の有無は確実にだ。

 学園の歴史上この様に問題となる事例は稀で重大性も低く、今まで取り沙汰される事は無かったが、今年は違った。入学早々に起った英国代表候補と男子適正者とのいざこざ、クラス対抗戦、M襲撃及びそれに関連する事件。非公式とはいえ学園は、政府の情報提供や身柄引き渡しなどの度重なる要請を蹴ってきた。一重に学園の独立性を守る為である。一度実例を作ればなし崩し的になる事を学園が恐れたからだ。

 その結果、面目を潰された政府は学園に圧力を掛けた。それが理由不明の定期会合延期であり、非協力的な態度である。真のフランス渡航において、ファントム・タスクの情報を得ていた日本政府が報復措置として学園にその警告を行わなかった事は記憶に新しい。

 それが一転、日本政府は条件付きで再開を申し入れた。それは“ラウラ・ボーデヴィッヒを教師待遇で受け入れる事、ただしあくまでドイツ軍籍で”である。これはラウラを完全に学園下に置けないという事だ。当初学園も警戒していたが、織斑一夏誘拐の件で日本政府はドイツに借りがある事、ラウラと千冬は面識があり師弟関係にある事、関係悪化が長期に及び学園運営への影響を避けたかった事、何より政府が折れる格好であった為それに応じたのである。

 煮え切らない態度の千冬にディアナはあくまで強硬だ。

「あの小娘、真を襲撃したのよ? しかも2撃目は本気だった」
「分かっている」
「その理由が、」
「私の近くに居る資格があるか、そんなところだろう。もっとも他にも用がありそうだがな」

 2人がラウラに対し強い立場に出られない理由は、ドイツ軍の現職兵士が日本政府の大使“まがい”の事をしている為だ。日本と学園の問題にドイツ軍が関わるのは不可解である。だが学園はその理由を突き止めていないうえ、公になれば世間が疑問を持つ。また箒も真も武器を携帯し、抜いているのもまた事実であった。学園が治外法権なのは周知の事実であるが、この件を世間が知り騒ぎになる事を避けた。互いに大事に出来ないのが現状である。

「一夏だって他人事では無いのよ。特にモンドグロッソの一件を根に持っているから」
「分かっている。だからラウラには釘を刺しておいた」
「大体、どうしてドイツが出てくるのよ。怪しいなんてものでは無いわ」

 千冬は初めて顔を上げた。その視線は熱く鋭かった。

「繰り返すぞ。学園として考えればこれが最善。それはディアナにも分かっているはずだ」

 そう言うと千冬の気配が撓み始め、部屋の歪む音が聞こえ出す。それは彼女がストレスを感じている証拠だった。ディアナは一つ息を吐くと、土色のいかにも手作りを匂わせる湯飲みを手に持ち、煎茶をすすった。

(電子戦の状況に大きな変化は無し。ファントム・タスクの動きも平常内。何処の誰……日本政府と学園、千冬とドイツの関係を利用するなんて、とびきり根暗で性格の悪い、嫌らしい奴だわ)

 ディアナの考えがある人物に結びつく、その直前である。千冬のタブレットに呼び出し音が鳴った。画面には彼女がよく知る人物のIDが表示されている。ディアナは千冬バカ1号ね、偶には私に掛けなさい、と更に機嫌が悪くなる。

「どうした」千冬は僅かに声のトーンを上げた。
『織斑君とボーデヴィッヒさんが模擬戦を行います。止めるには俺の権限が足りません』

 教師たちが千冬に注目する。彼女は僅かな思案の後こう言った。

「いや、構わん。好きなようにやらせろ」
『しかし、』
「“一夏”の増長を抑えたい」
『……了解です。保険で第3アリーナのセキリュティ強化を進言します』

 声を僅かに弾ませた真の声に、何故とディアナも苦笑を織り交ぜた。可能性は低いでしょうが、と前置いた上で彼は言う。

『織斑君は今や織斑先生の銘が付いたトーナメント優勝者です。方やボーデヴィッヒさんは半分ドイツ軍。どちらが勝っても負けても、学園に良い話では無いかと思います』

 ラウラの敗北が世間に知られれば学園がドイツ軍の威信を傷つける、一夏の敗北が世間に知られればブリュンヒルデに傷が付く、と言う事だ。あくまで世間体の問題だが無視出来る問題でも無い。

「良いだろう。セキリュティLvを上げる。こちらでも監視するが状況次第で介入しろ。判断は任せる」
『了解。通信終わり』

 アレテーにアクセス、指令を与える千冬を見てディアナは思う。

(この娘が真に我が儘を言うなんてね)

 彼女は苛立ちと喜びを交えた複雑な心境で友人を見ていた。


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 高度20m、距離100m先で腕を組み冷笑を浮かべるラウラを見て一夏は雪片弐型を構えた。彼が見るのはラウラの“シュヴァルツェア・レーゲン”のシルエットである。

(ぱっと見分かるのはカノン一つか。あの砲身なら間違いなく遠距離。そんであいつは軍人となれば中近距離も持ってる筈。図体の割にスラスターが小さい、ってことはエネルギーを他の何かに割り振ってるのか。両肩の浮遊ユニットが気になる……なんだあれ)

「どうした? 来ないのか? これでは蒼月真の方がマシだな」

 ラウラが挑発。一夏は小さく首を傾げると、蔑むように睨み上げた。その直後、白式のスラスターが火を放ち、砂塵を巻き上げた。歪む世界、刃が蒼銀の光を放つ。

「雄々々々々ーーーー!!」
(データより速い、が直線的……愚図め!)

 白式の軌道を予測、ラウラが右手をかざした。カノンを使わないラウラの姿に、一夏は無意識で警戒した。それはセシリア、真で養った対中遠距離者への直感であった。

 シュヴァルツェア・レーゲンの前方に動体反応性の力場が展開される。局地的エネルギー上昇、空間歪曲、漆黒のIS越しに見える背景が歪んだ。一夏の眼がそれを捕えた。その時間0.1秒。

 白式急降下。姿勢反転、脚をフィールドに叩き付けスラスター最大出力、急制動。つぶてがラウラに降りかかる。巻き上がる砂塵の中、ラウラは舌を打った。白式に打ち込まれたつぶてがラウラの前方で止まっていた。

「ふーん、面白いもの持ってるじゃねぇか。PICの親戚か?」

 砂塵の隙間から、雪片弐型を肩に掛けた一夏が現れた。彼の左人差し指を目の前にしてラウラから冷笑が消える。ぱらぱらと小石が振り注ぐなか彼はこう言った。

「知ってるか? この学園には腹黒い銃使いが居るんだぜ? 加速中、末端撃たれて転がされる。撃つと思えば蹴りが来る。ISに乗ってなきゃ奇術師か、ペテン師だ。そいつに比べればおめーはとっても素直で可愛らしい。まるで純真無垢な子ウサギにみえるぜ」
「良いだろう、敵として認めよう」彼女が眼帯を取り外すと金色の瞳が現れる。両腕からプラズマ・ブレードを展開、交差させた。

「「叩きのめす」」


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 1発目、2発目、白式はシュヴァルツェア・レーゲンのカノンを躱す。ラウラは撃ち込んだ弾線から白式の軌道を制限し、動きを読み、柄の無いナイフのようなワイヤーブレード4本を射出、蜘蛛の脚の様に撃ち込んだ。その変幻自在な軌道を描くそれを、一夏はある物は柄で、ある物は刀身で、ある時は先端のブレードを、ある時はワイヤーの節を払い薙ぎ無効化した。切り込んだ。忌々しげにラウラが雪片弐型をプラズマ・ブレードで捌く。

 一進一退の攻防を続ける2機のISを、真はハイパーセンサー越しに油断無く目で追っていた。

(一夏の奴、また速くなっているな。さっきのアレか。現職軍人相手を手玉に取るなんて、冗談じゃ無い……けれど、上昇具合に伸びが無い。そろそろ打ち止めか?)

 その真の右に立つISスーツ姿の箒は、探る様な瞳を向けこう言った。腕を組み何時ものむっすり顔だったが、僅かに苦笑う。

「あまり驚かないのだな」彼女が言うのは、だめ押しするかのように向上した一夏の力の事である。
「そんな訳ない。とても驚いている」
「お前はどう見る?」この質問は、真なら勝てるのかという意味だったのだが、彼は別の意味に捕えた。

「織斑先生も半端ない身体能力の持ち主だけど、それだけじゃないんだ」
「なんだそれは」
「釈迦に説法じゃ無いけれど、武術の基本は足腰とそれを支える大地。空を飛ぶISにおいて格闘戦がどうしてもマイナーになるのはこれが理由」
「千冬さんにはそれを補う何かがあるというのか」
「映像データだけだから確証は無いけれど、慣性力を操っているように見える。だから空中で踏み込んだり、生身でISと渡り合う事も出来る。P.I.Cもシュヴァルツェア・レーゲンのA.I.C.もそれの劣化コピーだって噂だ」

 荒唐無稽な真の発言に、箒はディアナの糸繰りを思い出した。それもまた異能であった。

「一夏にもそう言う物があると?」
「俺の知る限り知らない。箒はどうだ?」
「心当たりは無い。強いて言えば全く病気をせず、大怪我かと思う事故でも傷一つしなかった位だ……」

 はっと息を呑む。箒はかって風邪を引いて学校を休んだ千冬の姿を思い出した。真は続けた。

「俺は初め一夏が織斑先生と同じだと思ってた。どうもそうじゃない様に思う」
「一夏の身体能力に千冬さんが似て、千冬さんの異能は全く別物というのか。姉と弟だぞ」
「織斑一族と考えればそうだけど、あの2人の両親にそう言う話を聞いた事は? 少なくとも記録には無い。因子と産まれる順番は別物だと考えればつじつまは合う……箒」

 何事かと箒はフィールドの二人から真に視線を移した。

「なんだ」
「第3アリーナのセキリュティLvが4に設定された。一般生徒は退避」
「断る」
「Lv4に設定されたの。一般生徒はいちゃいけないの」
「断る」

 溜息をつき真は箒を見下ろした。どしんとみやの巨躯が脚音を立てる。其処には何時もの様に人を寄せ付けない鋭い面持ちの箒が居た。

「あのな……我が儘言うな!」
「断る」ぴくりと真の頬が波を打つ。
「俺は仮だけれど教師なんだ、命令しても良いんだぞ」

 箒は組んだ腕を解き、小さく広げ真を見上げた。その双眸には其処にかっては無かった今はある、確固たる信念の炎が灯っていた。

「どうしてもと言うのなら、叩きのめすなり、無理矢理追い出すなり好きにすると良い」
「……どうしてそこまでする」
「頼まれているし、お前には借りがある」
「心当たりが無い」

 今からつまらない事を言うぞ、と前おいて箒は堂々とこう宣言した。

「私に友と言える者は学園に来るまで居なかった。不出来な姉のせいで、私の歪んだ性格のせいで。そんな私に静寐と本音、この2人を引き合わせたのはお前の取り成しだろう? その2人からお前を守ってくれと頼まれている。私にも背負う責がある。お前と同様にな」
「……まったく。気が強い娘ばっかりだ」
「お前がそうさせている」

 真は言葉を失った。ピットの出口から戦火の音が響き渡る。彼は大きな溜息をつくと箒は笑いながら言った「溜息をつくと幸せが逃げるのだぞ」真は渋々と言った「条件が二つ。一つ、俺の指示に従う事。二つ……その言葉は2度と言わないでくれ」

「私だけ逃げろ、お前を見捨てろ以外であれば従おう」

 彼は見えない目を開いてこう言った。

「篠ノ之。ISを展開しクルージング(巡航)モードで待機。兵装及び機体状況の確認を忘れるな」
「了解だ、隊長殿」

 彼はこの時、初めて箒の笑顔を見た。


-----


 ラウラの武器は練り上げた戦闘技術に、不自然なまでに高い彼女自身の身体能力、シュヴァルツェア・レーゲンの性能とその相性。その“スペック”はドイツ軍IS部隊隊長に見合うものだ。だが彼女の戦闘経験は同質の同部隊の仲間による物であり、模擬戦の範疇を超えない。なにより己を上回る相手との戦闘経験は唯1人。部隊内で優秀すぎた彼女は、大した駆け引きも無く圧勝を続けてきた。彼女の来日目的の一つは、多様の戦闘経験を得る事でもあった。

 一夏は、身体能力が高くない入学初期から、セシリア、鈴、シャルロット、真、対抗戦での無人機と彼自身を上回る者たちのみと刃を交わし鍛錬を続けてきた。それに加え、度重なる原因不明の身体能力の向上。それはラウラの高速化処置“ヴォーダン・オージェ”に匹敵する。

 それらの諸条件が影響し合い、差が出始めた、一夏が押し始めたのである。ラウラは己の技術を駆使し、カノン、ワイヤー・ブレード、プラズマ・ブレード、A.I.Cを駆使し一夏に迫る。中間距離で迫る六つのワイヤーブレードを一夏は順繰りに、極短時間に読んだ。時間に余裕があればワイヤーの繰りを読む事など容易い。撃ちだしてしまえば直線的なカノンなど造作も無い。A.I.Cの間合いもその範囲も既に読んでいた。

「強いが、怖くねーな! ドイツの軍人さんよ!」
「ほざけ!」

 遠距離装備に意味が無いと判断し、ラウラはカノンをパージ。投擲、一夏は左腕を振り弾く。その影に隠れ、ラウラは全ワイヤー・ブレードを繰り出した。

 前後左右の同時攻撃、一夏は右舷へ加速、柄で一機をたたき落とし、体勢を整えると向い来る5機のブレード群に最大加速。直線上に重なった4機を一閃、破壊。その隙を突いてラウラが展開したA.I.C.を零落白夜で切り裂いた。

 A.I.C.は効果に乏しいとラウラは判断、プラズマ・ブレードを最大出力で展開、加速。一夏は迎撃態勢、互いに踏み込んだ。一合、二合、刃が火花を散らす。参合目、二人は鍔を競り合う。ラウラはプラズマ・ブレードを交差させ一夏の首を狙う。一夏は零落白夜を唐竹に打ち下ろした。プラズマ・ブレードと零落白夜、エネルギーが対消滅、硝子をひっかくような歪な音が打鳴る。二人の闘志が交差した。

「見事だ織斑一夏! ここまで私を追い込んだのは貴様が初めてだ!」
「褒められついでにこのまま勝たせて貰うぜ! まだ次があるからな!」

 プラズマ・ブレードの影に隠れていたラウラの双眸が光ると、一夏の背後から残ったワイヤー・ブレードが一機迫り来る。彼は避けもせずそのまま受けた。その衝撃を利用し、互いの硬直を解く。シュヴァルツェア・レーゲンの脇が上がった瞬間、零落白夜をラウラに打ち込んだ。

「獲った!」と彼は叫んだ。

 もつれるように2機のISが落下する。二人の間に漂うワイヤー・ブレードが去った時、一夏が見た物はラウラの鋭く光る双眸だった。まだ光は失っていなかった。一夏の背筋に悪寒が走る。ワイヤーブレードは全部で六機、一夏が破壊したのは4機、目の前にあるのは一機、ならば残りの一機は?

 彼の身体を衝撃を襲う。最後の一機は投擲したカノンに付いていた。ワイヤー・ブレードによりエネルギー供給、そしてリモート砲撃。ラウラのカノンは両肩の浮遊ユニットに取り付けられていたように見せかけていた。実際は浮遊式半独立式のCIGS(Close In Gun System)だった。白式は、勝利を確信していた無防備の瞬間を狙われ弾け飛んだ。墜落、大地に転がり、打ち付けられた。静寂が訪れる。

 白式、残エネルギー320。砂にまみれ、一夏がよろけながら立ち上がった頃、宙に浮いていたシュヴァルツェア・レーゲンはラウラの失神により墜落した。零落白夜の影響で、シュヴァルツェア・レーゲンの保護フィールドが不安定化、その状態で至近距離の砲撃の余波を受け、吸収しきれなかった衝撃がラウラを襲ったのである。

 白式の、一夏の勝利だった。

「よっしゃぁぁっ!」

 一夏は歓声を上げると、700m先の第2ピット甲板で佇む黒いISに焦点を合わせた。

「まことぉ! 次はお、めぇだぁぁぁぁー!」

 眼を開き、口を大きく開け、牙を剥く。歓喜と興奮をまき散らすその笑みは捕食者のそれだった。今の彼にはよく知る少女たちや古い友人、姉すら居なかった。真の隣に立つ箒すら眼に入らない。その気配を感じ取った真は腕を組み静かに見下ろしていた。

『一戦やらかした後だろ、明日にしておいたらどうだ』
『ぬかせ! いいからさっさと来やがれ! お望み通りてめぇの“全てを否定”してやっからよ!』

(あれが、あれがあの一夏なのか……)

 箒が見る一夏の姿は、限りなく優しく暖かさと安心を与えてくれた幼なじみの姿は、全てを忘れ去った様に、闘争本能に身を任せる変わり果てた姿となった。この距離からでも伝わる殺意の意識に彼女はただ恐れおののいた。

「篠ノ之は合間を見てボーデヴィッヒを回収すること」
「だめだ! 今の一夏はとても怖……」箒は最後まで言う事なく、両手で真の右手を掴んだ。
「思うんだよ。俺が一夏をああいう風にしてしまったんじゃないかって。俺がここに“居なければ一夏はああ成らなかった”んじゃないかって。だから責を果たしてくる」

(それに。千冬さんの初めての我が儘、叶えない訳にいかない)

 行って来る、そう静かに告げると彼は指を解き、まだ青い空にその身を飛ばした。


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 みやが告げる。

-クルージング(巡航)モードからアサルト(戦闘)モードへ移行-

-各デバイスチェック開始-
-冷却系:100%で定格動作、異常なし-
-駆動系:異常なし-
-推進系:異常なし-
-量子格納系:異常なし-
-エネルギーパック:異常なし、エネルギー1900/2000-

-エネルギーシールド:不安定、最大出力70%で安定、コンディションイエロー-
-スキン装甲:ソフトウェアロック、使用不可-

-FCS(火器管制):追加戦術情報システムとのリンク確認。右肩:LANTIRN-B(ランターンB型:夜間低高度赤外線航法および目標指示システム)、左肩:スナイパーXR(センサーポッド:iAN/AAQ-33)動作、異常なし-
-PIC(慣性制御):追加補機共に100%で定格動作、異常なし-

-アサルト・ライフル“FN SCARi-H”量子展開-
-12.7mmx99 HVAP(高速徹甲弾:High Velocity Armor Piercing)装填20発-


-白式僚機設定解除-
-条件付き(対白式戦闘)で戦闘行動に支障なし-
-セーフティ・ロックオフ-



-READY GUN-


「行くぞ一夏。歯を食いしばれ」


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まことA「ラウラがやられたようだな」
まことB「ふふふ、あ奴は我が仮教師の中でも最弱」
まことC「勇者ごときにやられるとは仮教師ズの面汚しよ」
いちか「2人しかいねぇぞ」
らうら「わ、私が噛ませ犬……うさぎなのに!」


 らびっ党の方々ごめんなさい。

2012/12/01

■補足
一夏と真の関係は次ぎで説明の予定。
ラウラのフォロー話はその後です。



[32237] 05-17 Lost One’s Presence 2【注:アンチ期間開始】
Name: D1198◆2e0ee516 ID:bb4b1fdc
Date: 2012/12/23 18:02
Lost One’s Presence 2
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 俺がここに居なければ、それを聞いた箒は組んだ両手を胸に置き、不安を隠す事無く真の後ろ姿を目で追った。

 みやの多方向加速推進翼が小刻みな光を放ち、薄暗い第2ピットを青白く照らす。ピットを離れ、高度50mで彼が一望するのは第3アリーナ。ブラウンのフィールドにワインレッドのシートに白い構造体、空の陽は赤みを帯び始めている。先日までトーナメントが催されていた此処には、歓声と、笑顔と、演奏で満たされていた此処には、未だ少女たちの熱気が、残照の様に立ちこめている。

 時刻は4時丁度。まるでラウラ戦と置き換わったみたいだと、真はライフルの握り手に力を込める。まだトリガーに指は掛けず高度を維持、ゆっくり近づいた。地上に立つ白式もふわりと垂直上昇。真は接近を停止、その距離約100m。

 真の持つアサルトライフル(12.7mmx99)の初速は887.1m/s。一夏が視覚情報から行動に移す、反応速度は0.1秒。つまり88.71m以上と言うのは、一夏に弾丸を見る余裕が生じ始める、一夏への命中率が変化し始める距離だ。

 真は表情を僅かに変えた。過ぎ去った何かを見ていた。

「やり合うのは対抗戦直前の模擬戦以来か。あっという間だな」

 笑みを隠さず一夏が言った。だがその目は眼前の相手だけを鋭く捕えていた。

「一ヶ月半、随分前だぜ?」
「そうか、まだそれだけか」

 白式は汚れ一部装甲が破損しているものの戦闘行動に支障は無さそうだ、真はそう確認したあと視線を脇へ下ろした。白式は実刀状態で右手に持った剣をだらりと下ろしている。物音一つしないアリーナには、風の音すら無く、天蓋の、不可視の屋根越しにはオオタカが、やはり翼音一つ鳴き声一つ無く飛んでいた。音の無い音が聞こえていた。

「丁度あそこだ。ほら第1ピット下」真はゆっくりゆびさした。

 見た目はリヴァイヴIIと大差ねぇが、と一夏は油断無くみやを見る。肩と背中、全体的にボリュームは増しているけど、黒色でその印象はどこかこぢんまりしてる。あの性格だ、ハッタリで見た目を作る筈がねぇ。両肩のドームにも何かあるはず。そう言えば、黒色は小さく見えると誰かが言っていた。さっきの軍人と違って随分静かだから余計にそう感じる。それで距離感が少しばかり取り難い、け、ど。一夏は雪片弐型を肩に乗せおどけて見せた。

「何時になく歯切れが悪いな。緊張してんのか?」
「そういう一夏もらしくない。随分静かじゃ無いか」
「そうだなー ほら、これが終わったら俺らの関係が変わる?」
「どういう風に変わる?」
「きまってんだろ」

 その刹那。白式は爆発的な機動音を放った。みやは音も無くライフルを構えた。光で生じた影のように。


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 刀身の反射光と銃口の音がアリーナの空を塗りつぶす。最初は弾丸を躱す音、次は弾丸を弾く音。その直後、分厚い衝撃音が鳴り響く。黒の機体がフィールドに向け高速落下。背中に光が灯り、姿勢制御、フィールド極で制止。空を見上げる黒に、白は“鋼”の切っ先を向けてこう言い放った。

「もうおめぇにでかい面はさせないって事だ」
「成る程……こうして見ると確かに速い。皆が太刀打ちできなかったのも頷ける」
「アームガードで防御したのは流石だって褒めてやる。でも今のが本気ならお前はやられてたぜ?」

 みやの左腕には一筋の傷が刻まれていた。素手では触れないほど熱を帯びていた。

「お前が手を抜くなんてな。あの人が弱気になる訳だ」
「何言ってやがる?」

 真は左手でライフルを支えると、右親指で左頬の傷をゆっくりとなぞった。

「頭を冷やせと言っている。俺に手加減なんて10年早い。このバカイチカ」

 一夏の形相に火が灯る。黒は突撃銃を構え直すとスラスターを吹かせ空を切り裂いた。白は刀身を右上に― 右八相に構え、迎え撃つ様に加速した。



 戦闘の基本は非常にシンプルだ。感知される事無く殲滅する。反撃される事無く殲滅する。それが出来ない場合に、初めて、損害を最小限に抑えるため回避、防御をしなくてはならない。つまりは速力と打撃力が大前提である。

 常識的な範疇において、通常の人間同士ではそれが非常に難しい。それ故にその状況を作ろうとあらゆる戦術を考える。位置取りであり、地形効果であり、意外性であり、武器特性であり、防御特性である。

 これらを踏まえて、一夏と真の戦い方はどうなるだろうか。

 一夏は白式の機動力に加え、そのGに絶えうる彼自身の肉体と、それを御する異常な反応速度が武器だ。銃口を確認する余裕、ブルー・ティアーズの光弾を目視判断し、その光弾、つまりエネルギーを零落白夜で対消滅させたのはその反応速度を物語る一つであろう。だから。ISにとって致命的な零落白夜と、反応すら許さない爆発的な機動力を有する一夏の戦い方は、速力と打撃力、理想と言っても良い。

 これに対し、肉体的な意味で優れてはいるもの常人の域を出ない真であるが、一夏以上に特殊な二つの武器を持っている。

 一つはISの全機能を有機的に操作出来る、機械との異常なまでの親和性。もう一つが銃器の扱いを含めた局地的戦術的な掌握力。これは銃器などの軍用品の扱い、効果的な利用、敵対勢力との駆け引き(殺意を読む)に長けている、と言う事だ。特殊な兵士であるラウラ・ボーデヴィッヒの襲撃を凌ぐには銃を正確に撃てるだけでは不足する。

 一件タイプの異なる2人であるが、戦闘スタイルは同じスピード型。一夏は分かりやすく単純な力と速度の暴力。真は射撃の最大効果を得るのが抜群に速いと言い換えられるだろう。


 ここで一夏に銃を向けた少女たちの状況を考えてみる。

 IS戦での射撃シーケンスは構える(姿勢制御)、狙う(自動照準)、トリガーを引く(発砲)の同様の3工程をふむ。高速射撃の為には、如何にISに狙い(自動照準)を阻害しないように構え(姿勢制御)を行うか、迅速に発砲の判断を行うか、この2が高速射撃の要因となる。自動照準は補正という性質上、近似ゼロ秒なので残りの二つをどれだけ少なくするか、重要だ。

 その時間を考えるには空走距離が参考となろう。これは自動車の運転などでドライバーが急ブレーキの必要性を判断し(0.4~0.5秒)、ペダルをアクセルからブレーキへ乗せ替え(0.2秒)、ブレーキがきき始める(0.1~0.3秒)までの3工程に掛る時間を言う。

 ブレーキがきき始める時間というのは、路面状況や車両性能に依存するため除外する。残った二つは人間の判断~行動に関係する為、これらを発砲判断に相応させれば、理論最低でも0.6秒以上掛ると言う事だ。これに姿勢制御や射撃特性、回避判断、思考戦闘など様々な要素が必要となる。更にこれらの要素はブレーキの様な単純動作でない。

 白式の第3アリーナでの最大速度は音速の80%に及んだ。ここから算定するとその加速度は6G(約60m/s2)、つまり1秒間に約30m動く。先程の0.6秒であればその間に約10m彼は移動する事になる。(※戦闘機に於ける機動では、パイロット保護のためにマイナス側、つまり頭に血が上る方向は3G程度に抑えるそうです)

 ハイパーセンサーから得た情報を元にFCSが軌道予測し、ターゲットに照準を合わせるISとはいえ、最終的に判断しトリガーを引く判断及び実行は搭乗者に委ねられる。理論最低時間のみでも10mも移動する白式に当てるのは至難の業だ。更に軌道予測もあくまで予測であり、白式が機動力を活かせばその確率は下がる。

 ラウラ戦を経た一夏は、視覚情報を得たあとの袈裟切りや一文字切りと言った攻撃箇所とその体勢の決定、踏み込み加速にいたる“その直前まで”およそ0.1秒。これは一般人の6倍にも相当する。

 一方、ライフル弾12.7mmx99の速度は1秒間に887m、0.1秒では88.7m進む。この距離は一夏に命中させ易くなる難しくなるの境だが、6Gで機動する彼がこの距離を詰める時間は1.7秒程度しかない。つまり、1.1秒以内に位置取りや姿勢制御などの射撃シーケンスを終える必要があるが、状況が複雑で尚且つ変化する戦場においては非常に難易度が高く、1年の少女らが太刀打ち出来なかったのも無理は無い。

 話は逸れるが、この理由から大半の者はいずれかに目を瞑り、他の特性を特化させ補っていた。例えばティナはサブマシンガン特性である連射と範囲攻撃を利用し、姿勢制御を主に補っていた。



 では、学年別トーナメントにおいて圧倒的であった一夏が真に相対した場合どうなるだろうか。

 ハイパーセンサーに加え、新たに追加された攻撃専用センサーと情報処理の高速化、真が有する殺意の読み取り、これらの相互運用。ISの全機能を有機に操作する事から生じる精密な機体制御。

 如何に目標が速くとも、その位置と時間が分かり正確に撃てるのであれば、あとは銃の機械精度とカオス理論による射軸の誤差のみだ。光学ディスク上の信号ピット(長さ150ナノメートル)を読み取るブルーレイのレーザーの機構の如く、衛星軌道上の人工衛星とレーザー通信する機構の如く※

(※レーザー通信衛星“きらり”の実験では衛星軌道上高度600km、秒速7kmの速度を飛ぶ状態でレーザー通信を行ったそうです。光学センサーサイズは写真からの推測ですが衛星が径50cm程、地上施設が径1.5mの光学望遠鏡と言う条件)

 その必要時間0.6秒+アルファ。つまり1秒もあれば十分と言う事だ。


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 後退射撃を続ける真に一夏は最初に右舷から弧を描くように加速した。鼻先を弾丸が掠め、急遽弧を大きく膨らませ再び距離を取る。次ぎに白式の加速力を利用し、一度上昇。重力を併用した最大加速、左舷からの逆袈裟。ゆっくりと流れていた弾丸が、徐々に見えなくなる。目の前に迫る。彼は苦々しく舌を打つと、そのまま離れながら大地に向い、フィールド際で反転、再び舞い上がった。

 一夏は88.7mを境に中々近づけないでいた。直撃こそ許していなかったが、少しずつ確実に白式のエネルギーを失っていた。残エネルギー240。

(流石にやり辛い……!)

 一夏は口を歪め、眉を寄せ、目尻を忌々しげに吊り上げた。

「相変わらず根暗な野郎だぜ! チクチクとよ!」
「HVAP(高速徹甲弾)は初めてか? 当たると結構痛いぞ、気をつけろ」

 あくまでペースを乱さない、澄まし顔の真に一夏の感情が爆発する。鳴り響く起動音は2人の間に吹きすさぶ暴風を押しのけ乱さんばかりである。濁流に大岩が投げ込まれた。


 みやを上回る機動力を活かし、上下左右ある時は正面から迫り、アリーナの隅へ追いやる。一夏は弾丸の横雨の中、シールドと機動力、全神経を集中し、真との位置を死守。ある時は躱し、ある時は弾丸を鋼の刀身で弾いた。そしてこの時はシールド展開、防御。白式の“エネルギーが減少する”

 真、弾倉の量子交換開始、マガジンが光となって霞む。一夏の牙が打鳴り、2人の視線が交わった。白式、イグニッションブースト。シールド防御と同時に、エネルギーをスラスターから散布、その準備を行っていた。

 一夏が見るみやに時間の遅れが生じる。一夏が咆吼を挙げた。一夏のイグニッションブーストは18G、この時の移動距離は1秒間で約88m。真の目の前に雪片弐型がソウ銀の光を放つ。

 白い鎧は黒い鎧にその刃を脳天から打ち下ろした。2人に纏わり付く砂塵を吹き飛ばさないばかりの衝撃音が打鳴った。ソウ銀の刃がみやのアームガードを捕えていた。両者ともスラスターを最大噴射。僅かな拮抗のあと徐々に白式が押し始め、アームガードが悲鳴を上げ歪んだ。

 真はライフルを放棄。アームガードの左腕に右手を添えていた。歯を食いしばりながら言う。

「本当に相性最悪だな!」

 一夏は剣を両手で掴み、更に押す。

「俺はとうに気づいてたけどよ! この機は逃がさねぇ!」

 零落白夜の輝きが増す。白式は一瞬剣圧を緩め、真の左肩から右脇腹へ一閃、袈裟切り。0.4秒。刃はアームガードを再び叩いた。

「何時まで捌ける!」

 一夏、連撃。逆袈裟、右から左への一閃― 右薙ぎ、真はアームガードで捌き続け、一夏の目に疑念の色が沸く。左薙ぎ、右切り上げ、唐竹、股下から脳天― 逆風……

「雄々々々!!!」

 刺突! 一夏の攻撃は超高速で動くアームガードに全て防がれた。突進の効果でわずかに距離が開く。その距離10m。両肩で息をする一夏に、真はいう。

「一夏。お前、自分の身体が遅く感じているだろ? 打ち込む隙は幾らでもあるのに、身体が追いつかない。それはな、お前の持っている速さとはあくまで反応速度だ。お前がトーナメントを勝ち上がった速さとは、それに白式の速さを加えた物だ。これだけ近ければ加速距離は無い。更に一夏は動きが読みやすいんだよ。人間の身体ってな、身体構造以上の動きは出来ない。肩とか腰とか、な。だから効かない」

 一夏は剣の基礎は積んでいたが後は自己流。武術とは見切られない為の、身体捌きや構え、心理的な駆け引きを必要とする。彼はそれの鍛錬を一切行っていなかった。否、今まで行う必要が無かった。それはこの至近距離において、今の一夏が今の真に対し有効であった筈の唯一の手段であった。

「なんで零落白夜をこれだけ受けて平然としてやがる……」一夏は苦々しく言うと、真は「忘れたか?」と打ち込みで傷が幾重にも付いた左腕を掲げて見せた。

「てめぇ、エネルギーシールドを全部……」
「ご名答」

 零落白夜はエネルギー対消滅が最大の特徴であり、唯一の特徴である。真には左腕が無い。それ故に絶対防御が発動する事も無く、弾く為の力場、衝撃を吸収する為の力場、それらの肉体を守る為のエネルギーシールドを全てカットすれば、

「一夏、お前の零落白夜はこの左腕にとってただの鋼の剣。これだけじゃ無い。初手の打ち込みで動きの癖は見せて貰ったし、この腕は肉体の制限を受けないから高速に動く。相性が悪いって言ったのは、それはお前にとって俺が相性悪いって事」
「ぬかせ!!! これだけ距離があるなら十分だ!」

 真、ハンドガンを量子展開。激高し、冷静さを欠いた一夏は足先を狙撃され、姿勢を崩し、フィールドに落下した。墜ちる音と煙が立ち上る。その煙が晴れた頃、光を失った剣をフィールドに突き立て、怨嗟を上げる一夏を真は静かに見下ろした。

「もういいだろ。今は、負けを認めろ。機会なんか今後幾らでもある」
「ふ、ざ、け、ん、なっ!!!」

 右から下へ、下から斜め上へ、彼は剣を出鱈目に振り始めた。そこに太刀筋は無く残った。彼を動かしているのは身内を守るという、一時とは言え忘れてしまった己への憤り、そしてそれをさせた彼への妬みだけだった。

「それは悪あがきというんだ。見苦しい真似は寄せ、織斑先生の銘を汚すな」
「お前が千冬ねぇを語るな!」

 真は後退もせずに、ある時は上肢を揺すり、ある時は左腕で、その剣戯を捌く。

「俺はその冷めたような、スカした面が! お前の存在が気に入らなかったんだ!」

 真は何も言わず、ただ一夏を捌いていた。


「千冬ねぇはお前を頼る!」そえれは責任感の強い千冬が当時生徒の真をフランスに行かせたこと見送ったこと。

「俺の知らない顔をお前に向ける!」それは真が新たな自分を見付けた時の屋上で千冬が送った微笑。

「千冬ねぇはお前を大切にしてる! 俺よりもだ!」それは真が生徒で無くなると生徒に通知した時のセシリアとのやりとり“学園を離れる事は無い”

「お前が! 千冬ねぇを語るんじゃねぇ! お前は! 一体千冬ねぇに何をした!!」


 真は必死の白式の腕を掴むと、足を掛け転倒させた。

「……俺より大切にしている? 馬鹿も休み休み言え。あの人に弱音を吐かせやがって。俺ははらわた煮えくり返りそうだ」

 淡々と語る真に一夏は絶叫を挙げた。2人の少年を見守っていた箒は、勝負は付いたかと安堵の息を吐き、地を這う幼なじみの姿に悲しみを湛えて目を逸らし、そして。足下のシュヴァルツェア・レーゲンを見下ろした。右腕を枕に俯せ、大地に伏せていた。丁度“才”の字の様である。今度は深い溜息をついた。

 その銀髪の少女は真を襲撃したのだ。助けようと伸ばした手が重い。今後の為にも胃薬を用意しなくてはならないな、と打鉄を纏った彼女がそう呟いた時、それが起った。

“実験開始”

 それは肉声では無かった。勿論通信でも無く、思念ですらない。だが確実に箒には、箒だけには聞こえた弾むような声だった。目を見開き、はっと声を呑む。彼女は振り向き天を仰いだ。

 もぞり。彼女の背後でそれは眼を覚ました。

-警告!:カテゴリー3のナノマシン反応を検出! 即時撤収を進言します!-


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 ナノマシンはその力に応じて三つの区分に分けられる。

 カテゴリー1、材料的に短期間で崩壊する弱性の型。相応の資格は必要だが主に医療目的で民間でも使用出来る。カテゴリー2、同じく材料的に崩壊するが、ある程度寿命が長くある程度強力な型。身体能力強化など軍事用途や特殊施設の維持管理に用いられる。これら2つに共通する事は目的を与え制御する事が出来る、つまりは道具。

 そして、カテゴリー3。自己保存本能を持ち、自己複製能力に制限の無い、最も強力な型。人間の制御を受け付けない、人類が生み出した金属生命体。かってヨーロッパの三国を跨ぐ町で眼を覚ましたそれは、24時間以内に地球上の全生命体を駆逐しようと首をもたげた。時の政府は被害拡大を防ぐためプラズマ弾頭を使用した。人類は1万人以上の犠牲者と数万人の後遺症に苦しむ人達を代償に、一切の研究及び所持を国際法で禁止。発覚した場合、裁判無しに極刑に処される。

 それはそれだった。

 それは人の形をしていた。

 二本の腕と二本の足と、胴体と頭。

 それは鎧を纏っていた。

 両肩に浮く短い靴べら形状のショルダーガードと戦車を思わせる分厚いレッグガード。

 それは、人間の女の様なシルエットだった。

 髪では無い何かで形作るそれは長く靡き、一本の剣を右手に握っていた。それは赤い雷を羽衣のように全身に纏い、まき散らし。周囲の物質を焼き、真っ黒い雲を吹き上げていた。その雷は数十メートル、時には数百メートルにも及んだ。その雲は2つ3つの瞬きの後、早々に闘技場の天蓋に達していた。さながら地獄の蓋を切り裂き、地上に解き放たれた、赤と黒の業火を纏う、巨人だった。

 それは打鉄の少女をゆっくり見下ろすと、剣を振り上げた。白い鎧の少年は呆然と姉の名前を呼んだ。

『篠ノ之!』その声で少女の瞳に意識が戻る。少女は巨人の刀身に当たりを付け、足と腰と肩の位置を読んだ。それが人と同じであってくれと願いつつ、踏み込んだ。分厚く黒い剣が瘴気を切り裂き迫る。少女は振りかざした刃でその剣戟を辛うじて受け流す。鈍い音と火花が散った。スラスターを最大出力で吹かし巨人の右脇へ駆け抜けた。

 巨人はISの3倍以上もある巨躯に見合わぬ身体捌きで切り返し、まだ足下に居た少女を捕えた。真はいつも以上に口煩いみやを黙らせると、急速上昇と同時にアンチマテリアル・ライフル“チェイタックM200i”量子展開。30mmx173 HVAP(高速徹甲弾)装填。引き金を引いた。

 銃口から閃光と雷鳴が響く。その反動は吸収され、超音速の弾丸は周囲に衝撃波を撃ち広げ、砂塵を巻き上げた。振り下ろされた巨人の切っ先を弾き、砕き、太刀筋を乱す。逸れた剣圧がフィールドを断つと、その余波で少女ははじき飛ばされた。転がり闘技場の衝撃吸収壁に衝突する。

 少年は叫ぶと光を失った剣を振りかざし、加速、切り込んだ。

『なんなんだよ! これは!』
『一夏よせ!』
『邪魔するんじゃねぇ! これは千冬ねぇの技だ!』

 彼は少年が正気を失っていると判断。左手のアンカーを撃ちだした。高速に振動するそれは速さの余り、黒い影を纏っているように見えた。ワイヤーは弧を描き、回り込むと少年を絡め取り、大地に打ち付けた。引き上げ投げ飛ばす。その後ワイヤーをリリース。

 黒い雲で満たされつつあるその戦場で、両肩の新しい2つの目が唸りを上げる。右肩のLANTIRN-B(夜間低高度赤外線航法および目標指示システム)は命を持たない雲越しの巨人を正確に捉えた。左肩のスナイパーXR(センサーポッド:iAN/AAQ-33)は高速機動下においてでも、意識を持たない巨人に照準補正した。飛び来る巨人の剣圧を左に避け、2発目を撃ち、右肩を砕き吹き飛ばす。巨人は一歩分退いたが、即座に体勢を立て直す。破壊した肩は急速に修復されていった。彼は一つ舌を打つ。

-警告!:敵兵力に有効な装備がありません!-
-警告!:カテゴリー3反応が外部に漏れた場合プラズマ弾頭による殲滅が予想されます!-
-警告!:即座撤退を進言します!-

(何処に逃げるって言うんだ。俺は学園の俺だぞ、みや)

 彼は自身の右手をちらと見ると打鉄の少女にこう言った。

『篠ノ之は白式を回収、撤退しろ』
『どうするつもりだ!』
『策がある』

 少女が見る彼の姿が、対抗戦のとき制御室で見たそれと重なった。傷が付き、濁る刃を右下段に構え加速する。

『嫌だ! お前は戦うのだろう!? ならば私も共に行く!』
『……箒、一夏を見捨てるな。多分きっとそれが本来の在り方』
『真、私は―』
『足手まといだ。下がれ』

 少女は立ち止まり躊躇いの後、少年に向かった。彼はそれを確認すると銃を投棄、飛翔した。それを見た少年が叫ぶ。

『やめろ! 真! それは! それだけは俺がやらなくちゃいけないんだ!』

 少年の中に記憶が流れ込む。それはエネルギーが尽き鎧を失いつつも、少年だけの少女たちが協力し打ち倒す記憶。それはこの今の少年が知らない、本来知るはずだった記憶。

 彼はエネルギーが尽き、地べたに這いずる少年を見流すと迫る巨人に向かう。少女は少年を左肩に担ぐとスラスターを吹かし離脱した。

「放せ! 箒!」
「黙れ!」
「お前は俺の味方じゃ無かったのかよ! 俺よりあいつを取るのかよ!?」
「黙れと言っている! これ以上私の信頼を損なうな!」

 少年は右手をかざすと、徐々に遠くなる巨人の中に、取り込まれ逝く彼を、為す術も無く、絶叫した。

「止めろ! 止めるんだ! 止めてくれ……」



 俺を奪うな!!!





 選ばれし者と選ばれてしまった者
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 世界とは泡。

 無に浮かぶ泡。

 無とは。

 始まりも無く、終わりも無く。

 高位の意思も及ばず、無く。

 時間も無く、距離も無く。

 唯一の理によって永遠に回り続ける閉じた系、永久機関。

 何かはそれを混沌と呼び、またある者は虚無と呼んだ。

 世界とはこれに浮かぶ泡。

 産まれ、弾けて、消える、泡である。

 無数にある世界。

 一つの世界に一人、完全なる者が居る。

 彼は力を自覚しない。

 だから力に溺れない。

 彼は一人の誰かを愛さない。

 だから誰もを等しく愛する。

 彼は目的を持たない。

 だから全ての者の為に立つ。

 全ての者に愛され、全ての者の守護者。

 それは超人であり、神であり、そして英雄である。

 世界は独立し交わる事は無い。

 だが世界は存在する生ゆえに矛盾を内包する。

 無限の条件が重なり、ごく稀に世界を渡る者が居る。

 ある時二つの世界は交わりある者が別の世界に現れた。

 渡ってきた者は汚れていた。

 深く、黒く、決して断つ事の出来ない糸に絡まれ汚れていた。

 偉大な力を持つ、その資格を持たない矛盾した者。

 歪んだ英雄。

 歪んだ英雄は災厄を招き寄せた。

 宙に浮かぶ過重力の渦の様に。

 二人は出会ってしまった。

 この世界の真なる英雄と、歪んだ英雄は出会ってしまった。

 真なる英雄は卵だった。

 出会うのが早すぎた。

 這いつくばる歪んだ英雄は真なる英雄の足を掴んだ。

 元来、力強く、気高く、無限の慈悲を持つ真なる英雄は、

 成長する、否、目覚める契機となるはずの試練を奪われた。

 徐々に汚れていった。

 汚れつつある真なる英雄。

 世界は歪み悲鳴を上げる。

 泡が歪に撓む。

 弾けんばかりに歪む。

 世界は、その歪みを否定した。


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一夏をこの様に解釈すれば、

朴念仁も、戦いに対する無頓着さも。

原作のラウラ戦の後、一夏がラウラに告げたセリフ、

「強くなんか無い。強くなりたいから強いのさ」

これは目的では無く手段のことを指していると思いますが、これも。

千冬が「一夏を見ていると強さとは云々」とかも。

その辺も上手く辻褄合うと思うのです。


それで一夏と真の有り様はこうしました。

イエイ、有り様、イエイ。

2012/12/08



[32237] 05-18 日常編23「少女たち改1」
Name: D1198◆2e0ee516 ID:3516d58f
Date: 2012/12/24 23:50
【おしらせ】
 このSSは構成、方針上、動機の説明など伏線回収は後日行っています。都度説明では、くどい、説明書調になる、という理由ですが、この方針の下では悪い印象が伏線回収まで残ったままとなります。

 アンチ要素ではその影響が大きいためサブタイトルに“アンチ期間開始~終了”を記載する事にしました。悪印象が残ったままでは困るという方、終了記載までお待ち下さい。気にしないという方は今まで通りです。回収は福音戦の予定です。

・変更箇所
セシリアと鈴の会話以降



日常編 少女たち 改1
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 学園本棟地下の一室に2人の人物が居た。1人は姿勢正しかったが腕を組み無遠慮に腰掛けていた。もう1人は氷のような視線を携え静かに見下ろしていた。1人はライトグレーのISスーツ姿。もう1人はライトグレーのジャケットとパンツ姿。1人は銀髪の少女。もう1人は金髪の女性。ラウラとディアナである。

 白い壁に白い天井、オリーブ色と色あせたパステルイエローであしらわれたタイルの床。8畳ほどで、窓は無く、有るであろう天井の照明は灯されていない。板とパイプで作られた簡素なテーブルには熱を意図的に発生させるデスクライトと水の入った紙コップが置かれていた。暗がりに置かれた白いテーブル、その上に金色と銀色が浮かんでいた。

 薄暗く、聞こえてくるのは空調の音。遙か遠くから響く何かの機械音。そして二つの呼吸と二つの鼓動。2つあるパイプ椅子の1つに腰掛けてラウラは、内心で悪態をついた。

(この手の部屋は何処も同じだな)

 彼女は熊の人形や観葉植物、装飾された尋問部屋を想像し、僅かに口元を歪ませた。そして彼女自身、その無駄な思考に驚き、新鮮さを感じていた。それはつい先日、僅か12時間前までラウラが持っていなかった物である。

「目隠しをしても拘束しない、か。私にそう言う事をさせたいのか? ストリングス(糸使い)」

 ディアナは両手を腰に添え、殺意を隠さず威圧を掛けている。ラウラは恐怖するはずのディアナの威圧を軽く受け流していた。

「そのアイマスクは私の精神的衛生マスクよ。その苛立たしい眼を見ずに済むから。自由にしているのは私を襲わせる為。そうすれば貴女を切り刻めるから。そうよね? そうそうマスクを外しても切り刻むわ」

 ラウラは眼に巻かれた黒い帯に手を伸ばし、止め、降ろした。ディアナはタブレットに指を走らせた。壁に映像が映し出される。

 それは第3アリーナの風景。地に伏すシュヴァルツェア・レーゲンの装甲の隙間から白銀の、光沢をもつ半固形スポンジが吹き出し、雷と黒い雲を吹き出しながら人の形になる。その後映像が切り替わり回収されたシュヴァルツェア・レーゲンと多数の硝子片、それらの解析結果が次々流れた。それはアレテーの解析結果である。時間の都合上暫定の物だったが尋問に支障は無い。部屋に流れる説明の音声がその事実を告げる。

「ふむ。的確な情報伝達齟齬の少ない報告だ。学園のメイン・フレームは我が軍の同型より随分と優秀とみえる。どのようなカスタムを行った?」
「早く吐きなさい。目的は何? 言わなくても理解していると思うけれど、ドイツ軍将校様の特権がまだ有効だと思わないで頂戴」
「カテゴリー3のナノマシンがここに存在すると漏れれば世界規模での一大事だからな」

 それが意味するところは学園の存続問題では終わらない、と言う事だ。部屋の空気が僅かに揺らぐとラウラの首にミクロの輪が走った。沈黙が訪れた。

「最後よ。目的は何? 日本政府との密約は何? ナノマシンの入手経路は?」
「ナノマシンの事は私も知らなかった」
「そんな言い訳が―」
「考えても見るが良い。ドイツ軍に学園を壊滅させるメリットはない。明るみになれば軍どころか本国にも影響が出る。仮にそうだったとしても1部隊で所持管理出来るものではない。あれはそれ程の物だろう?」
「……言いなさい」
「今から一週間前、情報提供者が現れた。学園の、男子適正者の事を知りたくないか? とな」
「それを真に受けたの? 随分とお気楽だわ」
「軍のセキリュティを抜け、我が隊"シュヴァルツェ・ハーゼ"に直接連絡を取ってきた以上無視も出来なかった」
「情報とは?」
「対抗戦での戦闘データ。学園外での所属不明機襲撃のデータ。男子適正者のデータ、これは"学園の学生記録データ"だった」

 ラウラがこう告げた時、ディアナ眼を細め、映し出されていた映像が僅かに止まった。彼女の心当たりはM襲撃時のアレテーハッキングである。だがあの時は損害報告は無かった筈だ。そう考えに至った時、欺瞞かと確信した。アレテーは高度の意識を持つ情報処理体だ。それ故に自分の記憶が正しいかとは通常考えない。思慮するディアナを確認するとラウラはゆっくりと眼帯を取る。そこにはワインレッドと金色の瞳が輝いていた。

「当初私たちも真偽を疑ったがな。だが機密度最高レベルである筈のアレテー級コンピュータのデータ記録方式と同じ。更に卒業したドイツ人生徒のデータと本国保管のそれを比較すると同じ。男子適正者の調査を進めていた我が軍はそれに一定の信頼を置く事にした」
「政府とは?」
「日本政府とは得たデータ提供の代わりに私の来日を了承させた。そんなところだ。連中は喉から手が出る程欲しがっていたようだからな。もっとも重要なところは渡さなかったが」
「情報提供者の身許は?」
「身長172cm、体重70kg、黒髪の白人でスーツ姿。それ以外は不明だ。追跡中にジャミングされ取り逃がした。高度な情報戦能力が提供されたデータに評価を与える事になった」
「取引条件は?」
「男子適正者との戦闘記録、及び2人へのプレートの手渡し」
「プレート? 所持品に有ったかしら?」
「クレジット・カードサイズ。軍の調査ではプラチナ製。教官と会った時までは所在を確認していたが、今無いというのならそれがナノマシンであった可能性を考慮するべきだろう。そしてそのカードには"プロメテウス"と刻印されていた」

「神から火を盗み人間に文明と争いを与えた、か。ナノマシンに掛けたのなら嫌らしい奴だわ。これ以上の皮肉は無いわね」ディアナが忌々しく言うと「ギリシャ神話は詳しくない」と、ラウラは風一つ無い水面の如く言う。

「アイスキュロスの悲劇よ、覚えておきなさい」
「それにしてもカテゴリー3のナノマシンを制御するなど、何処の誰だろうな。いや問題はそれを無効化した方法か?」

 ディアナから表情が消えた。それを見たラウラは初めて表情を動かした。

「ISか? それとも搭乗者か?」
「最後よ、目的はなに?」
「答えたはずだが」
「違うわ。ラウラ、貴女の目的よ。何故危険を冒してまで襲撃したのかしら?」
「決まっているだろう。あれほどの力を持った者が誰か不明。情報を隠していると思われた学園にもデータが無い。実際に会ってみれば、血なまぐさい手練れ。更にどこかの誰かの様に摩訶不思議な力を持つときている。その様な者が教官の側に居るのだ。あの時の私にとって十分な理由だった」

「そう。軍人らしからぬ迅速なご協力感謝するわね。そしてさようなら」

 死体となって証拠(詳細なデータ)と一緒に帰国すればいい。ディアナの金髪が銀色に青い眼が赤色に変わる。彼女の指先から殺意の振動が伝わる瞬間、ラウラの首が落ちる瞬間である。ラウラの見透かす様な、憐憫の眼差しはディアナの手を止めた。

「隠しても意味が無いからな」
「……どういう意味かしら?」

 蜘蛛の糸より細いそれが僅かにたゆたう。

「自己を否定し、力を求めた兵士の末路。それは正に私が歩いていた道だ。実感を伴う教訓を目の当たりにし繰り返すほど私は愚かでは無い。アメリカ海兵隊 第2海兵遠征軍 第2海兵師団 第13海兵連隊所属 特殊任務部隊 部隊コード2135 通称"エリニュエス"副隊長 マチルダ・レノックス上級曹長」

 ディアナは声を震わし、知っている理由を必死に問い掛けた。

「青崎真少尉は私の全て知った。私もまた彼の全てを知った。気づいたのは彼に対するお前の行動が特異な事。知っている理由はナノマシンの影響だろう。便宜上ディアナ・リーブスと呼ばせて貰うが、私はもう敵対行動は取らない。信じる信じないは自由だが、取れるはずが無いだろう。教官の為にも」

 彼は全て思い出したのか、ディアナはそう震える声で問うた。ラウラはただ静かに見つめ返していた。


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 彼の見る夢は何だろうか。どんな夢を見ているのか。窓から射し込む夕日を浴びて、医務室のベッドに身を横たえる真を見る。セシリアは彼の額に左手をそっと添えた。

 彼が医務室に運び込まれ24時間経過した。ナノマシンの巨人が現れ丸一日経った今も、彼は一向に眼を覚まさなかった。“身体に異常が無い”のにもかかわらず。

 一報を受け、慌てて駆け込んだが良いが精密検査で面会出来ず。眠れぬ夜を過ごし、顔を見られたと思えば、今朝、昼休み、そして放課後。変わらぬ、穏やかな様相で寝息を立てていた。

(単に疲れが出たのでしょうけれど……)

 彼女の脳裏に浮かぶのは、対抗戦の事。M襲撃の事。フランスでの事。また無茶をしたのだろう。もう大丈夫だ、こう言う度にこれだ。こんな事だから一向に気が休まらないのだ。身体は比較的丈夫な方とは言え、今の状況が続けば蓄積し、いずれ反動が確実に現れる。だが言ったところで聞き入れはしまい。何より彼自身の有り様、取り巻く状況はそれを許さない。

 セシリアはもう1人、彼にすがりつくように寝息を立てるフランスの少女を見た。一晩泣き続けたのだろう、瞼が腫れ赤くなっている。この少女がどれだけ取り乱したか、せめて一言言ってやろう。そうで無くては気が収まらない。そこまで考えて彼女は溜息をついた。

(聞き出そうにも、一夏さんは部屋に閉じこもり、あのドイツ人は行方知れず、第3アリーナの機密保護……)

「今度は何に巻き込まれましたの?」
「また来ていたのか」

 白い扉を開閉させるアクチュエータの音が鳴り、ベッド越しに、寝息を立てるシャルロット越しに現れたのは黒いスーツ姿の千冬であった。セシリアは千冬を一瞥すると、また真に視線を下ろした。千冬は僅かに目を逸らしそのまま近寄った。

「また、とは随分な言い様ですわね。織斑先生」
「先生と呼ぶならもう少し敬意を払え……容体は?」
「相変わらず。眠ったままですわ」
「そうか」

 一体何が、そう聞こうとしてセシリアは口をつぐんだ。千冬に聞いたところで教えてはくれまい。真に聞いても同様だろう。今はそう言う状況でありそう言う立場だ。記憶が心をよぎる。屋上での決闘、射撃場での訓練、アリーナでのIS訓練、人目を忍んでのお茶会、すれ違いで別れを告げられた夜、意地で一夏の腕を取った事、本国経由で知ったMの襲撃、シャルロットから聞かされたフランスでの出来事、そしてもう一度銃を手渡した事。

 代表候補としての責務、オルコット家長としての務め、それらの反動から劇的な恋愛に相応の憧れは有ったが、もう十分だ。今後は地に足を付けた恋愛をしよう。そう思った時彼の寝顔が目に入った。私がそうしている時、彼は何をしているのか。きっと何も変わらず今のままだろう。そして今度は身体を削ってゆく。その考えに至った時、セシリアはゆっくりと口を開いた。

「他にありませんの?」
「どういう意味だ」
「彼がこの状況になって他に言う事は無いのか、と聞いております」
「蒼月がこうなったのは職務の結果だ。労いはするさ」

 あくまで体裁を語る千冬にセシリアは面を上げた。両手を組み背筋を伸ばし千冬を、見定めた。

「織斑先生、いえ織斑千冬さん良いでしょうか? 今まで黙って見ておりましたけれど、再び何か起りましたら彼を本国に連れて行きます」
「何を言っている」
「この様な事が続くのであれば、私にも相応の覚悟があると申し上げております」
「ほう。どのような権利でだ?」

「私、記憶が無い事を本人から告白されておりますの。織斑さんは彼の前を知っているご様子ですが、彼は今や社会人。仕事上の関係だとおっしゃるのであれば、問題有りませんわよね?」
「家はどうする?」
「執事をご存じ?」
「蒼月を縛るというのか」
「枷はオルコットでも用意出来ます。ここに居て危険に身を曝すぐらいなら彼に恨まれる事など大した事ではありませんわ。彼は争い事に向く人ではありません。それはご存じでしょう?」
「だめだ。学園は男子適正者を手放さない」
「織斑さん、貴女に聞いておりますの。貴女にとって彼はなんですの?」

 千冬は答えず押し黙った。

「それにお答え出来ないのであれば、問題有りませんわよね?」

 くれぐれもお忘れ無きよう、そう言い捨てるとセシリアはその場を後にした。扉を開き廊下をしばらく歩けば、腕と足を組み、壁に背を預ける鈴が居た。彼女は愉快そうに唇を動かすと白い歯を見せた。

「アンタも良くやるわね。ブリュンヒルデにふっかけるなんて」
「盗み聞きとは……育ちを疑われますわよ」
「実際良くないけどねー」

 セシリアは足を止める事無く一瞥を鈴に投げ、その前を通り過ぎた。鈴は腕を頭に組み変えるとセシリアの後を追った。

「アンタ、さっきのアレ。本気?」
「さぁ。どうでしょうか」
「ふーん。まぁいいけどね」
「随分と冷静ですわね。真に告白していた筈ですけれど?」
「止めたわ」
「……は?」
「一夏の事は好き。でも真も同じ。でも片方捨ててどちらかだけなんて無理、2人を放っておけない。なら"そう言うの"無理じゃない」

 鈴は右腕の甲龍をそっと撫でると、じっと見つめるセシリアにこう言った。

「出来る事が多いってさ、良い事だけだと思ったけれど、そうじゃないわよね」
「それは得てして選択すること。それは何かを捨てなくてはならない事。権利と義務は表裏一体。力を持つ者の定めですわ。ところで一夏さんは?」
「荒れてたわ。部屋中ひっくり返してる」

 近くに居なくて良いのか、セシリアは意外そうにそう問い掛けた。

「きっと一夏には静寐みたいなのが向いてんのよ」

 自嘲気味に笑う鈴の手を取ると、セシリアは笑顔を向け食堂に誘った。


-----


 数名の少女たちが柊の、706号室の前を通りかかった時である。部屋の中から聞こえてきた扉を突き破らんばかりの大音で、ある者は飛び退き、ある者は腰を抜かした。最初はクッションのような柔らかい物が床に当たる音。次は椅子のような堅い物が急に動き、壁か机に当たるような音。扉一枚隔てた少女たちは顔を見合わした後、そのまま駆け足で立ち去った。

 夕日で焼けるその部屋の中は散らかっていた。荒れ果てていたの方が正しいかもしれない。衣類、文房具、日用品、書籍、ゲーム機が、部屋の一面に、棚の至る所に、机のあちらこちらに乱雑に置かれていた。

 一夏はISスーツ姿のまま鞄を持ち上げると、床に叩きつけた。埃とゴミが秋風に翻弄される木の葉の様に部屋を舞う。彼の脳裏に知らない記憶が暴風のように暴れていた。彼はしばらく部屋を焦点の定まらないまま見渡すと崩れ落ちた。両手を床に付き、歯を食いしばった。目と眉を歪め、開いた両手をきつく結ぶ。

 扉が開いた。

「授業休んで毛布の中に引き籠もっていたと思ったら、今度は物に八つ当たり? いい加減にして」

 静寐である。膝下まである多少長めのスカートだが薄手の生地。半袖に白い靴下。ライム色のスリッパを履いていた。

「……なんであいつに勝てない」
「一夏より真が強いから」
「俺だって努力してきた」
「ならそれ以上に苦労したんじゃない? そんな事より片付けて。シャルが戻って来たら雷が落ちるから」
「しらねーのかよ。シャルは真に付きっきりだぜ?」
「だからなに? 看病と片付けは別問題」

 静寐は夕日を浴びてオレンジと黒の強いコントラストを放つステンレスマグカップを手に取ると机の上に置いた。タオル、下着、学生服。歯ブラシ、テキスト次々掴んでは元有った場所においていった。

「知ってるか? シャルはエロいんだぜ? ジャージだけで彷徨いたり、胸を押し当てたり。わざと下着を見せるように置いたり、それが黒とか。絶対誘ってたな。あれ。我慢しなければ良かった」
「そう」
「シャルは元々スパイだったんだ。ならそう言う事も訓練してたに違いねーな」
「私に言わずに本人に聞いてみたら? 俺を弄んだのかって」
「……箒も、俺を騙していた」
「箒は騙してなんかいない」
「嘘だ。あいつは……あいつは俺より真を取った! 俺が頼んだのに……幼なじみだったと思ったのに!」

 その時初めて静寐は一夏を見据えた。その眼は彼では無く他の誰かを見ていた。

「幼なじみだから何? 優しい言葉も掛けずずっと好きで居てくれると思った?」
「何だよそれ……」
「言ったよね? 私。箒に愛想尽かされても知らないって。それから何かした? プレゼントでも贈った? デートでも誘った? 一夏は何もしなかったよね。女を馬鹿にしすぎ」
「真はしたってのかよ」
「少なくとも私は知らない。けれど心が離れるか、他の誰かに向くかは別問題」
「は。モテモテだな。あいつ。強いもんな。そうかよ。だったら静寐も早く真のところ行けよ」
「私は行かない。理由がないから。行かない理由があるから」と彼女は背を向けた。

 そうだったな、と。一夏はゆらりと立ち上がった。彼女の背中に影が落ちる。背後に近寄り静寐の肩と腕を掴むと、床に寝そべるマットの上に抑え伏せた。バネの軋む音がした。

「だったらこう言う事しても良い訳だ」

 袖から首が。めくれた裾からは白い足が覗いていた。胸の曲線を隠す薄手の生地が深くゆっくりと上下に波打っていた。唾を1つ飲む。本来持っていなかった筈の、劣情と征服欲が彼の腹から膨れあがる。乱れた藍の髪から覗く2つ目は、恐れすら浮かべず彼を見つめていた。ただ、涙を一つ浮かべていた。我に返る。少女がここに来た事、抗わない事、それを悟った彼は憤りを幻のようにかき消した。

 彼はどうしてだ、何故身を挺する、そう聞いた。

「償いだから」少女は答えた。
「誰に」
「一夏に」
「覚えが無い」
「私は。一夏を勝たしてしまった、私の目的の為だけに一夏を汚してしまったの」

 僅かに手の力が緩んだ。

「どういうことだ」

「一夏は普通じゃ無いの。身体能力が皆と違う。それだけじゃない。世に知られている生命的、医学的な理屈で一夏のそれは説明出来ないの。脳神経の速度と反応速度、筋繊維の太さと腕力に辻褄が合わない。しかもそれが徐々に上がるのではなくて、心理的に大きな影響を受けた時に飛躍的に上がった」

 静寐が言うのは対抗戦直前に一夏と真の模擬戦で、一夏が見せた飛躍。トーナメント戦で静寐が口づけをしたその前後である。一夏は眼で続き促した。

「その時私はこう考えた。一夏を使えばセシリアに勝てるって」
「目的ってのはそれか。復讐ってことか」

 彼女は黙って頷いた。

「汚したとはどういう意味だ」
「私は一夏は何かって考えた。人の理から外れた人。誰にでも優しい、皆の上に立つ、人を越えた人じゃないかって。そんな一夏に私は勝利という目的を、勝利の優越感を与えてしまった」
「俺は負ければ良かったのか」
「違うの。目的を持つというのは誰かを蹴り落とす事。私たちの勝利の影に泣いた娘が居るように。強くなくても勝負に勝つ事は出来る。私がしたように。本質的な意味での強さとは全く別物。それは一夏から一夏を奪う事。だから贖罪、こんな事で償えるなんて思わないけれど他に思いつかなかったから」

 彼は手を離すと少女の脇であぐらを組んだ。少女は四肢を力無くマットの上に置いたまま、仰向けに宙を見つめていた。雲が途切れ、部屋の中が夕焼けに染まる。

「聞きたかった事がある。どうして真を振った?」
「振ってなんかいない」
「嘘だ。お前は真の事が好きだっただろ」
「そう。私は真の事が好きだった。でも真は違った。だから違う。私が諦めただけ」
「……なんで諦めた」
「覚えてる? 対抗戦のあと一夏が私に言った事」

 彼は暫しの沈黙の後、一言済まないと言った。

「だろうと思った。一夏はね私にこう言ったの“静寐、飯にしようぜ。腹減ってると碌な事考えない。こういう時は食って寝るのが一番だ。前向きなときに前向きに考えようぜ”って」
「……それが?」
「そう、そんな些細な事で私は揺らいでしまった。対抗戦の時、シールドが開いた時、荒れ果てたアリーナのフィールドで立つ真を見て怖いと感じてしまった私は、一夏に優しくされて揺らいでしまった。そんな弱い自分に気づいてそれを認めたくなかった。だから―」
「セシリアに決闘か」

 彼女は両腕で顔を覆うと黙って頷いた。紡いだ声は震えていた。

「セシリアと終わった、そう聞いた時スカッとした。落ち込んでいる真を見てざまあ見ろって思った。だって信じられる? 真は私の気持ちに気づいていたのに、私が何も言わない事を良い事に、セシリアを追いかけて、落ち込んでいる私を見てその気も無いのに優しくして、私ばっかみたい。自分だけで舞い上がって、私の事友達としか見ていないって分かっていたのに私はどうにもできなくて。それで、自分を試した。セシリアに勝てれば真の隣に立てる、そうすれば振り向いてくれるって」

 少女は起き上がると彼の肩を掴んだ。大粒の涙を流していた。

「でも私は負けた! セシリアに勝てなかった! ……訓練すればするほど真が違う人だって分かった……だから箒にお願いしたの、私たちの代わりに真を守ってって。私たち3人の中で唯一人箒にはそれが出来るから。だから嬉しかった事も悲しかった事も、全部箒にあげた。その代わりに一夏の全てを私は箒から受け取った……交換なんて、復讐なんて馬鹿な事をしていると気づいた時にはもう何もかも手遅れだった」
「箒は、真の事が好きなのか」彼女は黙って頷いた。

「それも私たちのせい。私たちが箒をそう変えてしまった。本音と私が真の事を話してばかりいたから。対抗戦のあと箒の様子がおかしかったよね? あれは箒がそれを認めたくなかったから、でも私たちが箒にお願いしたから、だから箒は一夏を裏切ってなんかいない。全部私たちの、私のせい。だから、だから、本当に、」

 ごめん、最後の少女の言葉は意味を成さなかった。ただの嗚咽。


 夕日を浴びて濃い2つの人影が落ちるその部屋には、少年の腕の中で泣きじゃくる少女の姿があった。一夏は静寐を強く抱きしめると、その瞳に再び炎を灯した。

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追伸:Yaってません。念のため。2012/12/24改1

以下、ネタバレかもしれない作者のぼやき






















 色々言われた静寐の動機はこれでした。真に対する不安、恐怖。その時にもたらされた一夏の優しさで、彼女は揺らいでしまいました。男の立場、女の子の立場で結論は違うでしょう。

 一夏の回復の理由は女の子の涙という男にとって余りにも普遍的。そして静寐は一夏に種を植え付けました。一夏は静寐みたいな良い娘泣かしやがって……と怒っているでしょう。たぶん。

 箒の場合。彼女は小さい頃から、一夏との絆を縋ってずっと剣道を続けてきました。これを純粋と取るか歪みと取るかは人それぞれですが、あの性格です。恐らく学園入学まではまともな学生生活は送れなかったでしょう。Heroesでは静寐と本音という仲の良い友人が出来ました。これは彼女にとって非常に大きな出来事かと思います。

 一夏だけだった箒の中に、静寐と本音という存在が出来ました。一夏は途中まで原作どおり朴念仁でしたので、この2人の割合の方が大きくなり、強い影響を受け、その結果という展開です。友達の好きな人を好きになる、このパターンは恋愛もので時々ありますね。



[32237] 06-01 ラウラ・ボーデヴィッヒ改1
Name: D1198◆2e0ee516 ID:3516d58f
Date: 2012/12/24 20:47
変更内容:少女たち2を追加、ラウラ1のシャル関連をバッサリ削除

 日常編 少女たち2
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 静寐が独白した、その翌朝の事である。1限目の休みを迎えた1年2組の教室は重くはないが多少ざらつく独特な雰囲気、一種の緊張感に包まれていた。

「それでさーミヨったらさー弁当作って食べてたのよねー」
「あははーそれ変ー」

 教室の片隅で囀る乙女たち。とてもぎこちない。窓から見える空の雲も、早く立ち去ろうと急いでいた。窓から射し込む陽の光が、雲の急ぎ足に明るくなっては暗くなる。暗くなっては明るくなる。ごうんごうんとエアコンが汗水垂らしていた。

 その様な雰囲気の中、我関せずと教室の中央に陣取るのは静寐であった。タブレットに指を走らせるその瞳は真剣その物である。むーと眉を寄せていた。

「増えてる……」と静寐はぽつり。
「増えたって体重?」

 あっけらかんと聞くのは清香であった。静寐の向いに腰掛ける清香は満面の笑み。静寐は拗ねた様に、ゆっくりと画面を伏せる。図星であった。

「増えてません。もう、失礼な事言わないで」
「見て貰う人が居るってのは大変だね」
「そんな人居ません。臨海学校の水着を考えているだけです」
「ブラジル水着は流石にえぐいよ」
「普通のセパレートタイプ!」

 沈黙が訪れた。ほう、ビキニかね。ちょっとローライズ過ぎない? あらいやだ、マイクロビキニ? ミニのチア衣装で大騒ぎしてたあの静寐が……男が出来ると変わるのねぇ。飛び交う憶測と嫉妬の数々。

 静寐は汗一つ流して、清香と言う。

「……ひょっとして皆?」
「わからいでか」

 静寐は頬染めて咳払い一つ。ジト目の清香にこう言った。

「あれはあの時だけ。昨日私はすこし変だったの。だからそんなんじゃありません」
「皆静寐の事分かってるから安心するべし。でも独り占めは駄目だよ。ちゃんと残しておいてね」

 何を残すのか、と声を荒らげるその瞬間2組の扉ががらっと開いた。

「静寐ー 週末水着買いに行くから俺と付き合ってくれー」

 声高らかに叫ぶのはご機嫌一夏。ごんと頭を机に打ち付けたのは恥じらう静寐。皆の視線を浴びて彼女は「ばかいちか」と顔を赤く呟いた。少女たちの嘆きの悲鳴が何時までも木霊した。


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 どう思う? とシャルは2人に聞いた、可憐な表情が青ざめていた。

 時は移り、2限目の休みである。シャルは血相変えて1組2組の、彼女の秘密を知る友人2人を人気の少ない屋上に連れ出した。まずい、と答えたのはセシリアと鈴である。シャルは頭を抱え、机に突っ伏した。あうあうあうと涙する。

 シャルの涙は、静寐と一夏の距離である。真の看病が済み、シャルが慌てて戻った時、彼女の部屋の前にギャラリーの数々。良く聞こえない、ちょっと静かにしなさいよ。何事かと扉に耳を当てれば、聞き取れないが何とも言えない甘ったるい空気。入るには入れず、ずっと部屋の前でやきもきしていた。

「ほら一夏って世話焼きタイプだし、静寐が勘違いするのも無理ないと思うんだよ。やっぱりどこかで言ってあげないと。でも静寐はまんざらじゃ無さそうだし、むねだって僕の方が大きいんだ。一夏だって僕に言ってくれれば何だって―」
「はしたないわよ」

 暴走し掛けたシャルに鈴がツッコミを入れる。あうあうあうとシャルが泣く。不憫と思ったのか、早く終わらせたいと思ったのか、セシリアはシャルにこう言った。

「今度の臨海学校で勝負を掛けるしかありませんわね」
「勝負?」
「夏の海では誰もが開放的になりますもの」

 アンタその知識何処で入手したのよ、と呆れた様に言うのは鈴である。

「夕日で赤く染まる砂浜は恋人達の揺り籠! 打ち寄せるさざ波は女神の祝福! 空には愛の天使が弓を持って舞う! 寄り添う2人は視線と指を絡め合い……ここまで言えばお分かりですわね? 逆転を狙うにはこの機を逸してはなりませんわ」

「一体どうすれば……」
「まずは偶然を装って2人に割り込み、グループデートに持ち込みましょう」

 僕がんばるよ、と手を握り合う金髪の少女2人。めんどくさいわね、とコーヒーをずるずるすするのは鈴だった。





 ラウラ・ボーデヴィッヒ
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 夢を見た。

 1人の少女と1人の男。

 少女は、透明だが暗く冷たく、痛い硝子で拵えた揺り籠のなか産まれた。

 生命の根源、らせんの糸。それすらも人の業だった。

 最初の名は“遺伝子強化試験体C-0037”

 自然の営みでは無く人の業で生み出されたその少女は、成長させられた。

 ミルクの代わりに栄養剤。

 親の腕では無く成長器。

 ぬいぐるみを持つ手には銃があった。

 世間に知られず成長しマシンチャイルドとして部隊最強となった。

 それが少女の存在理由であり、少女が唯一持つ物であった。

 その時が来るまでは。

 IS適正強化の為に処置されたカテゴリー2ナノマシン“ヴォーダン・オージェ”

 処置に失敗し、制御不能となった。

 原因は単なる人為的ミス。

 常識ならばナノマシンを除去し再処置を施すが、そうはならなかった。

 そのナノマシン・メーカーは軍に深いパイプを持つISメーカーでもあった。

 理論上失敗はあり得ない。故に、少女に問題があるとナノマシン・メーカーは主張。

 失敗を恐れる官僚的構造。

 少女を生み出したバイオノイド・メーカーはそれを渋々受け入れた。

 少女は失敗作の烙印を押された。

 少女は死を待つのみだった。

 暗く寒い牢獄の中。

 体内を掻きむしる衝動。

 息苦しい。

 肉と魂を打ちひしぐ絶望感。

 扉が開いた。

 少女は黒の人と出会った。

 その人は真相を知り糾弾した。

 “優秀な兵を面子で失うのは馬鹿げている”

 立場を忘れ声を上げた。

 その時、その少女にとってその黒の人は、最初で最後の人となった。


 男の方は忘れてしまった。眩しいそれを全てだと思い込み、それに縋り、己を削り、壊してしまった哀れな男は全て“忘れてしまった”


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 気がつくと立っていた。見下ろすと地面に落ちる力強い影法師。強い日差しと照り返す熱。見上げると白い雲と青い空と白い太陽。夏の風景が見えた。両手でひさしを作ると大勢の木々が2列で行進し道を作っていた。緑の葉を盛んに生い茂らせていた。並木道だった。

 右を向けばカフェテリア。白い丸い1本足のテーブルに置かれた2つの透明なガラスコップはひっきりなしに汗を掻いていた。

 左を向けばベンチがあった。流れる汗を拭おうと、白いハンカチが懸命に働いてた。

 人々が笑っていた。

 少し歩くと影が差した。そこは緑溢れる樹木の日傘、木漏れ日。

 歩く。ゴツゴツと堅い。でこぼこもする。煉瓦道のようだ。

 歩く。じゃりじゃりとする。ざつざつとする。砂利か雑草か。すこし道を外れたようだ。

 歩く。人の気配が前にあった。小さく細い。香を付けているがちぐはぐだ。強い生き物の匂いがする。恐らく相応に若いのだろう。

 その人は小鳥の様な軽やかな声で“また怪我?”と囀った。少女のようだった。だから“まぁまぁだ”と答えた。その少女は“何それ”と笑うと“程ほどにしてよね”と去って行った。徐々に小さくなる。点になる。見えなくなる。

 何処に行ったのだろう。学校だろうか。それとも塾か。私もまともに学を修めていたらどうなったのだろうか。そこまで考えて腹が鳴った。今は何時だ? そうポケットを探るが携帯が無い。落としたのだろうか。仕方がない。帰るか。急いで帰らないとあいつがまた怒る。怒り顔も可愛いから少し道草を食うか。帰るか。帰る……どこにだ?


 目が覚めた。この表現は比喩だ。何故ならこの眼は見る事は出来ないからだ。意識が現実を認識した、俺の肉体が周囲の状況を解釈したが適当だろう。認識と言っても色を介して雑把な質と大凡の形状が分かるだけだ。色。林檎の赤、トマトの赤、ピーマンの赤、血の赤。同じ赤でも様々だ。生の色を失ってどれだけ経つだろうか。不思議なもので記憶の中のそれは、時間が経つほどに、思い出すほどに色鮮やかになる。

「目が覚めたか」

 この色は正しく白。ただの白。こな雪のような混じりけの無い白だった。雲一つ無い蒼天の下、陽の光を浴びてきらきら光る、銀世界。ふっと一房風が吹き、目の前を通り過ぎた一片の、雪の欠片。振り返ればそこに。赤い目と長い耳の、小さな子うさぎを見付けた。眼が合った。

「……君か」

 空気が肺に入り込む。血液が酸素を取り込み、身体を巡る。俺はゆっくり身を起こした。シーツを剥ぎ、己の身体を擦りつける様にまさぐる。額、鼻、口、顎、頬に、喉。そして左腕。鼻を突く生物を拒否する匂い。病室は嫌いだ。清潔感と言えば聞こえは良いが、生き物の世界は汚いものだ。

「ご挨拶だな。誰が看病していたと思っている」
「感謝してる」
「ふん。言葉だけでは無く態度でも示したらどうだ」
「君と話していると、君が1人では無く複数の誰かと話している様に感じるよ……何時間寝てた?」
「32時間だ」
「状況を教えてくれ」
「あれは無い事になった」

 腕と足を組んでいた逆さ影絵の少女は、こうべを上げると俺をじっと見据え、少しの間のあと唇をゆっくりとだが正確に動かし始めた。

 カテゴリー3のナノマシン発動とその抑制。ボーデヴィッヒによるとその事実が余りにも重すぎるため全て学園内で終わらせたそうだ。だから彼女もここに居る。無かった事で拘束は出来ない。

 これは俺が持っている機械との親和性、ナノマシンを無効にした原因不明の能力、これが学園に知られたと言う事を意味する。だが隔離もされず一般病棟で寝かされているところを見ると、学園は知っていたのだろう。この学園も学園で本当に底が知れない。俺が誰か知っている、そう勘ぐってしまいたくなる。だが、

「念のため確認したい。君は俺を知ったのか」
「あぁ。だが言わない」
「そうか」

 それは否定される。俺はこの少女の記憶を持っているからだ。それによれば学園にも去年以前の経歴がない。それにしても皮肉なものだ。一度は渇望し、もう不要だと思えば今目の前の少女の中にある。思わず手を伸ばしたくなる。子供の頃欲しかったおもちゃを町のショウウィンドウで偶然見かけた感覚。昔大切にしていたコレクションを偶然発掘した感覚……大丈夫のようだ。この学園に来て3ヶ月。彼女らとの繋がりは相応に太く重い。

 少女は雰囲気を緩めると、続けて切り出した。

「第3アリーナは閉鎖だ。建前はトーナメント実施による定期検査。あれ回収は終わっているが念を入れている。今のところ3日の工程だ」

 物が物だけに、慎重になっているのだろう。

「1年生はこのまま臨海学校の準備を行う」
「この状況で実施するのか?」
「無かった事だからな。中止にする理由が無い」
「なっとく。俺のISは?」
「検疫が終了し今はハンガーで整備を行っている。お前の“みや”と私のシュヴァルツェア・レーゲン、そして白式共々な」

 思わず口を開けた。余程間の抜けていた表情だったのか、その少女は屈託無く笑う。右手で口元を隠し笑う逆さ影絵は、育ちの良いご令嬢の様に見えた。眼帯は今もしているのだろうか、そう聞いてみたくなった。

「私の機体は学園側に全て知られたから隠しても意味が無い。だがなに。私も専門ではないため手間も省けると言うものだ」
「体裁とかあるだろうに……白式は?」
「余りにも頻繁に壊すので倉持技研が音を上げた。布仏虚が蒔岡の関係者と言う事で上手くまとまったようだ。それと2年の黛薫子から後で出頭しろとの言づてを受けている」

 今度は余り壊していないと思う。それにしても第3世代機が一気に2台追加となれば虚さんも大変だろう。整備グループの再編成が必要かもしれない。

「今後の予定を話すぞ。明後日、臨海学校の現地確認を行うから準備をしておけ」
「それはまた急。メンバーは?」
「私たちと山田真耶の3名。ちょっとした遠足だな。お前にとっても気分転換になるだろう」

 遠足ね、その単語を聞くのも“何年ぶり”だろうか。

「他に確認したい事はあるか?」
「一夏の様子は?」
「織斑一夏なら……そんな顔するな。もう執着は無い」
「そう願うよ」
「昨日休んだそうだが本日は出席していた一時荒れたそうだが今朝は落ちついていた」

 そうか、と俺は頷いた。荒れているなら次手が必要だが一夏は予想以上に大人らしい。それならば、しばらくそっとしておく方が良いだろう。考え悩む時間も必要だ。元の関係に戻れないかもしれないがその甲斐はあったようだ。

「ところで君は一夏に会ったのか?」
「今朝SHRで1年生全員に顔見せをしてきた。どの娘も締まった顔をしていたのは意外だな。もう少しのんびりした連中かと思っていた」

 残念そうな声だった。

 皆とは同い年と言う事を忘れているのかもしれない。それにしてもこの少女との会話が楽な事。初めて会った時の攻撃的な態度が嘘のようだ。互いが互いの全てを知ったからだと分かっていても、つい物思いに耽ってしまう。

 空調の低い動作音が俺らの間に横たわる。思わず頭を抱え俯いた。顔が熱を帯び、汗が止めども無く出る……呻いた。

「安心しろ。プライベートは誰にも話さない」
「……15歳の女の子に知られた時点で被害甚大だよ」
「それはお互い様だろう」

 声のトーンが僅かに高い。この少女も羞恥を感じているようだった。生い立ちを考えれば喜ぶべきだが、更に追い打ちを掛けられてしまった感がある。こほんと1つ咳払う。すると少女は続けて妙な事を言い出した。

「言い忘れていたが、目の色が碧色に変わっているから人前で眼を開けるな。騒ぎの元だ」
「どうせ見えないから問題ない……は?」

 と、そこまで口走りその事実に思わず手を目に添えた。ナノマシンの影響だろうと少女は言う。私もそうだと、少女は平然と言う。変わったのが色だけならば支障は無い、と胸をなで下ろし、俺の中の何が変わったのかと不安をよぎらせた。

「他に何か聞きたい事があるか?」

 それらを腹の底にしまい込み、俺は顎をさすると塵一つ無さそうな清潔な部屋を見渡し、有能で綺麗好きな女性を思い浮かべた。

「“レノックス”先生は今どこに居るかしらないか? 報告しないと」
「まだ寝ぼけているようだ。学園にその様な名前の“教師”は居ない」

 身体の、心の奥底を見透かす様な少女の言葉。この時の俺はその意味に気がつく事が出来なかった。


-----


 お互いの呼称と集合場所を確認し、野暮用があるとラウラが言うので一度別行動を取ることにした。そして暫く経った後、とある人たちの様子がおかしいと感づいた。

 例えばそこは自宅と言う名の仮の宿。扉を開けると其処に金の人。湯気と香の匂いが鼻を突く。視線が合った。済みません直ぐドアを閉めます、そう言おうと口開く前に「きゃ」と鋭く息を吸ったような、何とも珍妙な音を聞いた。慌てて浴室に駆け込んだその人は、壁に隠れ覗き込む様に「あいやあいや」とたどたどしく言う。

「あなた、いったいなにを、やっているの?」

 俺の確認にその人は、首を立てに振り、こくこくと。

「……ただ今戻りましたけど。“ディアナ”さん」

 ごん、と彼女は頭を壁に打ち付ける。帰宅を迎える言葉を小さく吐いた後、その金の人は「私馬鹿よね」と呟いた。おばかさんよね? そう言う意味があるのか、鈴に聞いてみよう、そんな事を考えた。

 例えばそこは昼休みの学習棟の廊下でのこと。見知った少女たちと挨拶を交わす。おはようと言ってみた。

「もうひるー」と返ってきた。体裁悪く、思わず頭を掻く。
「まこりーん」
「なにー?」
「今度IS操縦おしえてー」
「臨海学校の後でいいー?」
「夏休みー」
「……俺、休み無い?」
「なむー」

 黄昏れた。

 例えばそこは学習棟の1階で、廊下の向こうから黒の人がやってくる。おはようございますと半ば冗談の意図で声を掛けた。そしたら「おはよう」と視線を逸らし足早に通り過ぎる黒の人……避けられた?

 例えばそこは同じ場所。

「……ナニ廊下のど真ん中で泣いてんのよ」
「あいやあいや」
「中国なめんな!」

 四千年の歴史。

 鈴に首根っこを掴まれずるずると、向かった先の食堂で、相見えるはセシリア・オルコットと凰鈴音。左手に鈴、右手にセシリア、テーブル上に並べられたのはデザートの数々。また財布が軽くなりける。

「ケチ臭い男は嫌われるわよ。社会人」
「鈴だって国からサラリー貰ってるだろ」
「サラリー言うな」

 俺たちの何気ないやりとりに、セシリアはくすくす笑い始めた。つられて俺らも笑い出す。この2人がいつの間に仲が良くなったのか、その理由を聞こうと思ったが止める事にした。どうでも良い、切にそう思う。


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 昼時を少し過ぎた柊の食堂は、夏の強い日差しを避けんと少女たちで賑わっていた。窓から射し込む太陽光も、遮蔽フィルターが働いている為だいぶん弱い。鈴はアイスコーヒー。セシリアは紅茶。俺は烏龍茶。ストローに口を付け、飲む。臨海学校の自由時間や仕事、流行のファッションやら何処ぞの店が美味いやら、会話の間合いを計り、なんとなしに皆の様子を聞いてみた。

「アタシは何も知らないわよ」と鈴が言う。
「私も知りませんわ」と、セシリアが言った。

 2人揃ってドリンクを口にする。皆の様子を聞かれて自分の弁護をする2人、誰かに何かしたらしい。取りあえず先送ろうと精一杯の不審を湛えてシャルの事を聞いてみた。恐らく心配を掛けている、そう思った故だったが、

「「ぶへっ」」

 ごほごほと2人が咽せだした。鈴はともかくセシリアはこの様なキャラクターだっただろうか。

「シャルの事は私たち関係無いわよ。よく知らないしー」と馬脚を現した鈴の口をセシリアが手で塞ぐ。おほほ、何のことでしょうと白々しい……俺はゆっくり立ち上がり2人にこう言った。

「なら直接会ってくるよ」
「……今、一夏も居るわよ。シャルは気にしてなかったから今度にしておきなさい」

 鈴は観念した様に、握り拳で頬杖を突くと俺の様子を覗いながら呟いた。どうやら見透かされたようだ。


-----


 とぼとぼと、夕日で染まる学園の煉瓦道、口をへの字に結んでただ歩く。頭を掻き毟ると、

「むー」

 またこの声が出た。それを聞いた道に沿い並ぶ木々ががさがさと笑う。気がかりが怒濤のように増えたのである。箒とラウラが、出来る出来ないと言い争っていた。本音と虚さんが、整備担当がどうとかで姉妹喧嘩をしていた。千冬さんとディアナさんが、いい加減受け入れなさいと険悪だった。

 一旦自宅に戻り、下見の準備を済ませ、何食わぬ顔で夕食の支度をするディアナさんに、シャルの様子を見てくると声を掛け、赴いた寮の食堂でこれらの話を聞いた。今ひとつ掴み所が無い上に気にもなる。

 シャルは何故か意気揚々としていた。心配掛けたと言ったら、後でねと切り捨てられた。複雑だが元気であれば良しとした。

 箒を探しているとラウラと鉢合わせ、時間が無いからとハンガーへ向かう事にした。喧嘩したのかと、箒に何を言ったのかと聞いてみたが、これが最善だと、俺にとって最も良いと取り付く島もなかった。

 虚さんの元に赴けば探すことなく薫子に見つかった。早々にアームガードを壊したと説教をくらい、スキン装甲のテストをし、みやを受け取った。世界に光が戻る。このとき白式の影に隠れる淡い栗色の髪を見た。本音は白式の整備補助だと薫子から聞かされた。

「補助と言っても通常整備ならもう任せられるから。まだ3ヶ月なのに信じられないわ」

 そう不安と期待と焦りと頼もしさを織り交ぜるのは薫子だった。

「機械は理論だけじゃ駄目だからそうそう追い越されないさ」と言ってみたが、薫子は「あの娘なんか変なのよ」と、何かを感じ取ったのだろうか、警戒と言っても良いほどの堅く抑揚の無い口調だった。

「変?」
「あの娘ISに手を添えてじーっと見つめると、何処がおかしいか大体わかるみたい……変でしょ?」

 変と言えば変だが俺は驚かなかった。同じ事をする人物を1人知っている。それはおやっさんと同じだ。成る程ねと、ちらと本音を見る。彼女と眼が合った。彼女はその眼に不信を湛え俺を睨んでいた。身に覚えがない、そう眉を寄せると彼女は苛立ちを隠さず白式の影に引っ込んだ。

 みや、白式、シュヴァルツェア・レーゲンと並ぶハンガーの中。整備課の先輩方がツナギ姿で右往左往している。その様な中20m程先だろうか。虚さんとラウラが話しているのを遠巻きに見て、俺は噂の事を薫子に聞いてみた。

 僅かな戸惑いの後、小声で語る話は僅かに驚く事だった。

 第3世代機が2機も増え、他所のグループに応援を求め、新たに3つのチームを作った。当初虚さんは本音が居る第3チームをみやに割り振るつもりだったらしい。みやは軍用機とはいえ第2世代型。訓練機と共通点も多いからだ。ところが、本音がそれを拒否。理由は言いたくないの一点張り。いい加減にしなさいと虚さんが怒ったのが事の顛末だ。

「時間も無いから結局先輩が黒雨、私がみや、本音がシキに落ち着いたって訳。いやもうびっくりしたわよ。あの本音が先輩に噛みついたんだから。逆に私が聞きたい位」
「うーん」

 カーキの、軍服姿のラウラがやって来るまで考えてみたものの全く分からなかった。


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 ディアナさんの家は奔放な彼女の性格に沿わず、住み心地が良い。玄関の扉を開けると廊下があり、居間兼寝室の大部屋まで続く。左手には6畳程度のクローゼットルーム、トイレ、バスルームと続き、廊下を少し歩くと視界が開け、そこは見通しの良い大部屋となっている。併設されたキッチンはキッチンカウンターで仕切られ、シンク越しに部屋を一望出来た。

 フローリングの大部屋にはカーペットが敷かれ、特殊ガラスのローテーブルとソファーが挟むように置かれている。部屋の南にはキングサイズのダブルベッドが置かれていた。

 他の教師の部屋は知らないが、色やら質感やら配置やら、ブランド物の家具や小物を上手に使い分け、小まめに片付けを行い、朝はオフィスルームに近い荘厳さを、夜はホテルの様な柔らかさを醸し出していた。彼女のセンスなのだろう。陽が良く入る日本の家屋は家具が傷みやすくて困る、そうぼやいていたのはそれ程昔では無い。

 そして今や、実に残念ながら、魔城と化したその彼女の家は俺の仮の住まいでもあった。

「それで、何時まで居座る気かしら。この田舎娘」
「もうろくしたかストリングス。真を解放すれば即座に撤退すると何度言えば分かる」
「解放だなんて、人聞き悪い事言わないで貰えるかしら」
「流石の貴様も脳神経繊維は操作出来ない様だな」

 ハンガーを後にして教師マンションまで共に歩いたラウラに部屋は何処だと聞いた時、彼女は俺と一緒に立ち止まった。可憐な笑みを浮かべるその裏には、思惑が渦巻いていた。つまりはこう言う事である。

 ソファーに腰掛けローテーブル越しに睨み合う2人は純白のウサギと金色のキツネ。惜しまれる事に2人とも外見と中身が一致していない。

「あのディアナさん、ラウラ、いい加減に、」と言い切る前に睨まれた。俺の左に腰掛けるその金の人は腕と足を組み、何時もの淡い紫のマキシワンピースで、俺を睨んでいた。

「あら? ラウラだなんていつの間に仲良くなったのかしら。いやらしい」

 カーキのタンクトップにハーフパンツ。銀の少女は臆面が無い。

「どこぞの誰かと違って年齢は1つしか違わないのだ。問題なかろう?」
「あぁなんと言う事。真、ごめんなさい。私が少し目を離した隙にドイツの小娘に骨抜きにされるなんて」

 人聞き悪過ぎです、と控えめに遺憾の意を挙げてみる。

「ふむ、あながち間違っていないな。私たちはお前以上に知り合ったのだから」

 ぎちり、と糸の張る音が聞こえた。あぁぁと頭を抱えてみた。

「……鈴の時も怪しいと思ったのよ。貴方って小さくて出る所出ない体型が好みの、異常性癖者だったのね。金髪好きというのは欺瞞? デコイ?」
「都合の良いように解釈するのは愚者の証だな。真は金髪にコンプレックスを抱いているだけだ。勘違いの年増女ほど見苦しい者は無い」

 ぽちゃんとキッチンの蛇口から水が一つ滴った。天井に埋め込まれた空調は低いうめき声を上げていた。この今正に目の当たりにしている状況をなんと表現すれば適当だろうか。恐怖では味気ない。絶望では安直だ。戦慄では煽情的。地獄では現実感に乏しい。凄惨では実際にそうなりそうで大却下だ。無力感……これが良い。最もしっくりくる。単語では無く文章で表すならば"声が出ない"と声を大にして言いたい。

「そもそもだストリングス。記憶が無い事を良い事に、有ること無いこと吹き込むなど恥を知れ。卑怯者め」

 ぷつりと糸の切れる音がした。くすくすくすと、笑い声を上げる金の人。ディアナさんの金の髪がふさぁと舞い上がる。恐らくは"よくぞ吠えたわこの小娘が"と言いたいのだろう。じきこの部屋に血の雨が降る。ラウラの血の色はどんな色だろうか。赤だろうか白だろうか。

 ……そうじゃない。

 俺は懸想を変えて「そこに居ろ!」と椅子に腰掛けるラウラを指さした。次ぎにディアナさんの腕を掴み、脱衣所に引っ張り込んだ。

「分かったわ、見せつけるのね。そう言うのは初めてだけどやってみます」
「違います! ラウラは故有って自分の記憶に翻弄されているだけだと思うんです! ここは一つディアナさんの大人の対応を……って、服を脱ぎ始めないで下さい!」

 壁に押しつけたその人は両親指にワンピースの肩紐を引っかけたまま、ずらしたまま、ぷぅと頬を膨らませていた。首筋から二の腕に渡る曲線が真珠の如く美しい、そうではない。この人が理解出来ない、とそう言いたい。

「よし、そう言う事なら看過できん。私も応戦しよう」とラウラもいそいそと衣擦れの音を立てる。タンクトップの隙間から、瑞々しく光る肢体がちらりと見えた。だから。「ラウラはもう少し常識の理解に努めた方が良いぞ!」と慌てて止めた。

 2人を落ち着かせんが為ひとしきり激務に勤しんだ後。ラウラから渡されたのは千冬さんの伝言だった。

『しばらくの間、ラウラとディアナを頼む』

 ベッドに横たわるのは金の人。ローテーブル越しのソファーに横たわるのは銀の少女。帳が降りたその部屋は未だ殺気が立ち籠もる。残ったソファーに腰掛けて、俺は窓の外をぼんやりと見た。真の夜明けまでは困難が多い、と星々は言っていた。

「俺、何か気に障る事しましたでしょうか。千冬さん」

 二人がぴくりと動いた。

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修正後、これ程変わるとは予想外。2012/12/24 改1

以下、ネタバレかもしれないぼやき





















 原作ヒロインズの中でラウラの扱いが非常に悩ましかったです。現職軍人で滅法強い、更には強化人間、シュヴァルツェア・レーゲンは軍用機、どう考えても生徒扱いは無理だろうな、と気づいたのは確かシャル編を考えていた時です。

 更に登場が遅く、HEROESでは渡仏イベントの都合遅らせるしかありませんでした。原作ヒロイン掘り下げの方針上、シャルとの同時登場は避けざるを得なかったという判断です。原作同様、同時登場ではシャルのイベントと混ざると掘り下げが非常に難しい。もしくは渡仏中に登場すると、その間にラウラと一夏が衝突してしまう為です。

 ナノマシンを使った記憶共有によりラウラと和解する、と言うのは強引すぎかと思いましたが、登場人物が増え、関係が複雑化し、話を考えるのにめっさ苦労する中、これ以上なんともなりませんでした。





原作ヒロインが一通り出そろいましたので。

■“現段階の”ヒロインから見た、恋愛的な意味での好意ゲージ
・箒:真
・セシリア:中立、やや真より
・鈴:中立、やや一夏より
・シャル:一夏
・ラウラ:中立
・静寐:?
・本音:?

実は、カップリングに関しては決めていませんでした。話の要点はもちろん押さえてありますが、書き進めて初めて分かる事もあり、流動的です。当初、真は、セシリア、静寐、本音この辺りかな、とは考えていましたが、今やこの状況。




[32237] 06-02 記憶
Name: D1198◆2e0ee516 ID:3516d58f
Date: 2012/12/24 20:47
 日常編 少女たち3
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 その建物の中にはエレベータが収まった巨大な柱がそびえていた。そこは6階建ての吹き抜け構造で、屋根から1階の広場まで楕円にくり貫かれ、エレベータは各フロアにアクセス出来た。その広場から見上げると、各フロアが一望出来る。バームクーヘンの底から見上げているような光景だ。もっとも上階ほど床に隠れて見える事は無い。

 そこは洋服、靴、鞄、腕時計に貴金属、フォーマルからカジュアル、レストラン、映画館、全てを網羅するショッピングモール“レゾナンス”である。

 人の気配が絶えない巨大施設に立つのは少女1人と少年1人。少年は濃紺のTシャツにデニム、少女は白い襟付きの黒のワンピースで白い肩掛け鞄を持っていた。静寐と一夏である。この2人は臨海学校の準備の為やってきた。相変わらず大きいと彼は呟いた。隣に立つ静寐は不機嫌さを隠していない。

「そろそろ機嫌直してくれよ」と一夏は言う。ついと静寐はそっぽむく。

 彼が2組で臆面無く誘った後、彼女はクラス中の少女から、たかられたのである。プリンアラモードにストロベリーパフェ、あんみつにアイスクリーム。彼女は断るつもりだったが、元を取る為だと自分を説得し、誘いに応じたのであった。静寐は長い長い、レシートをぐしゃりと握りしめた。

「今月のお小遣いぴんちです」
「わかってるって、だからこうしてご招待してるだろ」
「切り詰めないとごはんもままなりません」
「俺が弁当作るから楽しみにしてくれ」
「私にも女のプライドぐらい有ります」
「なら一緒に作ろうぜ。そうそう今度パスタの作り方教えてくれよ」

 良いけれど、と彼女は押し黙った。いつの間にか主導権を握られている、俯く静寐は僅かな間の後すたすたと歩き始めた。笑いながら一夏はその後を追った。そして、その2人を柱の陰から覗くのは学園専用機持ちの3人である。

 セシリアは全身をゆったりと覆う、清涼感を感じさせる青いサマードレス。鈴は活動的な白の襟付き袖無しのデニムに黒のペブラムスミニ。シャルロットは白の襟付きシャツにメッシュの黒カーディガンを羽織り、ペールトーンのカラーデニムを穿いていた。スニーカーではなくパンプスであればスタイリッシュな女性に見える事受け合いの、絶妙なチョイスだった。

 後を付けてきた3人は軟派男に纏わり付かれ、2人を見逃し、漸く見付けた頃には機を逸していたのである。

「良い雰囲気ですわね」あの一夏さんが、とセシリアが感心したように言う。目の当たりにした鈴は「むーむー」と面白くなさげに唸っている。そしてハンカチを噛み締めるのはシャルロット。

「行くよ2人とも! 妨害作戦開始!」
「「声が大きい」」

 こそこそと影に隠れ人を追う、容姿と行動が一致していない残念な3人だった。






 記憶
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 扉を開けるとそこはダイニングキッチンだった。板間で奥にキッチンが。右に食器棚が左に冷蔵庫があった。壁は白く天井には円形のドーム型蛍光灯が、白い光を静かに放っていた。中央には4本足の大きめの、木製テーブルと4つの椅子が置いてあった。4人腰掛けてもまだ息苦しさを感じない、その程度には広かった。壁に掛った薄型の液晶テレビが、サッカーの様子を独り言のように伝えていた。

“お帰り。遅かったのね”

 ゆったりとしたワンピース。エプロン姿の中年女性が、テキパキとテーブルに豪勢な料理を並べていた。ろうそくの挿されたケーキも見える。誰かのお祝いらしい。

 がさり、新聞を読む中年男性は私をちらと見ると何も言わず、印刷された文字をひたすら目で追っていた。銀縁眼鏡に白髪が交じり始めた短めの髪。大きめのジャージでも隠しきれない程には腹が出ていた。

 茶色く染めて、耳が隠れる程度に短めの髪が揺れる。決して美人では無いが愛嬌のある顔立ち。10代後半だろうか。誰かを探す私の挙動に、その若い女性がにやにやと意地の悪い笑みを浮かべてこう言った。

“あの娘はこれから来るって”

 父と母と姉が目の前に居た。


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 天は未だ暗く濃紺で、漸く水平線が明るく染まる頃。人気の無い職員用駐車場に、ぽつぽつと突っ立つ複数の電灯が暇そうに足下を照らしていた。耳を澄ませば遠くから海風に乗り虫の音が飛んできた。左隣を歩く白銀の少女はそよぐ風に白銀の髪をなびかせていた。

 俺は昨夜から機を見計らっては繰り返した言葉をラウラに言う。

「ディアナさんは現実主義者で、きれい事を並べ狭窄的視野に陥る事も無い。学園も生徒の事も考えてるし、実力は言うまでも無い。少し奔放なところが有るけれど、それを十二分に上回る人だ。だからラウラ。君も相応に敬意を払わないと駄目だ」
「ストリングスの肩を随分持つのだな。奴の言葉を借りれば骨抜きにされたか」

 ラウラは重傷だと言わんばかりに小さく溜息をつく。

「完全な人って居ないし、そもそも組織運営ってそう言う物だろ。俺は世話になっているから肩を持つのは当然。あと人聞き悪い」
「ならば尚更だな。教官が決断を下すまで私は時間を稼ぐ」
「なんの決断だよ」
「秘密だ」

 またそれか、そうぼやきながら俺らは真耶さんの白いミニバンに乗り込んだ。喧嘩は駄目ですよと、真耶さんが涙目で言う。バタンとラウラが扉を閉めた。俺は後部座席だった。

 エンジンが脈動し、くろがねの躯が息吹を取り戻した。

 学園のゲートを潜り山の中を抜け、水平線に太陽が顔を出した頃、車は海岸線134号をひたすら西へ走っていた。顔を出したばかりの太陽が、道路に落ちるガードレールの影を長く伸ばす。早朝にもかかわらず一般乗用車がちらほら走っていた。

 この道は一夏と共にカーチェイスをした道だ。あの頃の俺は一夏を盲信していたとは言え、随分無茶をしたものだと今になって思う。確か自動車に乗って……何故だろうかその時のイメージが朧気で良く思い出せない。どのような車種だっただろうか。そう、頭のあちらこちらに転がる破片をかき集めていた時、運転席の女性に話掛けられていたと感づいた。

「真耶先生だと今までと変わりませんし、やっぱり真耶先輩が良いと思うんですよ。そう思いませんか蒼月君……って、もう蒼月先生って呼ばないと駄目ですねー」

 俺は黒髪の、背の低い、眼鏡を掛けた、幼い顔の人をぼうっと見ていた。その女性と最初に会ったのは何時だっただろうか。確か、俺が学園で発見されて訓練を受け、暫く立った頃、黒と金の人が手が離せないとやってきたのがこの人だった。

「どうかしましたか?」
「いえ。何でもありません。申し訳ありません。もう一度いって頂けますか? 余所事を考えていました」

 眼鏡越しの愛嬌の有る顔が鋭い物へと変わる。腫瘍を発見した医師か、手がかりを発見した刑事、どちらにせよ良いものでは無さそうだ。それにしてもどうした事だろうか。紡ぐ言葉が断片的だ。そして不思議な事にそれが妙に懐かしい。

 競り合う相手も居ない赤信号で止まり、“私”を見据えるその人の目は真剣な物だった。どこか体調が悪いのか、そうその人が聞くのでまあまあですと言った。

「山田真耶先生、青です」とラウラが促した。

 ラウラが発したその言葉の意味するところは、その女性の名前だが、それが俺の中に上手く合致しない。山田という人は俺をちらと見た後、再びアクセルに足を乗せた。

「みやはもう完全なのか」とラウラが聞くので“俺”は肯定の意を伝えた。


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 北緯34度36分。東経138度50分。伊豆半島最南端、石廊崎。

 IS学園から道のり160km程。6時間ほど車に揺られてたどり着いたこの場所で、校外特別実習時間、別名臨海学校が実施される。各種装備の運用試験とそのデータ取りのためだ。1年生のみで構成され日程は3日間。隔絶されたアリーナではなく自然環境に於けるIS稼働実習と言う意味もある。

 車が止まり降りた其処は絶景だった。見渡す海岸線に砂浜は無く絶壁で、強い風が吹いていた。打ち寄せる波は、音を立てながら弾け、飛沫を飛ばしていた。岩礁を取り巻く渦は、白く泡立っていた。

 小さいカップケーキの様な切り立った島々が海原に浮かんでいた。岬の先に白い構造物が立っていた。ハイパーセンサー越しに見えるそれは石廊崎灯台だった。トイレットペーパーを縦に積み重ねて、コーンを置いた様なシンプルな形状をしていた。

 たなびく髪を押さえながら「美しい所だな」とラウラが言った。俺は無言で頷いた。「行きますよ」と山田さんが言うので彼女の背中を追った。

 ざくざくと木々に囲まれた砂利の細道を歩く。山田さんは時折強く吹く風に翻弄される裾を気にしていた。じきに見えてきたのは宿泊施設。木の柱に白い土壁。頭上に見えるは黒の亙屋根。奥ゆかしい、古風な木造風の建物だった。

 ラウラは言葉を失っていた。眼は開き気味で口はへの字。よく分からない玩具を見付けた子供様にも見えるが、反応出来ないというのが実際の所だろう。カーキの軍服に入る皺も痛々しい。下見と言っても毎年使っている宿泊施設だというので、それこそ諸々の確認のみだと思っていたがこれは予想外だった。マッチ1本で消失しそうな勢いである。

 ラウラと“私”は、宿の女将に挨拶する山田さんを尻目に、ただ唖然と見挙げていた。


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 壁をこつこつ叩くと表層の柔らかい感触がした。その奥に堅い感触があった。成る程ねと頷いた。そこは生徒が寝泊まりする予定の和風の一室だ。畳に和紙の様な手触りの壁。天井は木目調で、照明は流石に半導体タイプだった。部屋の奥はバルコニーになっていて海が一望出来た。

「一見木造家屋に見えますが、最新素材と最新技術を取り入れた、陸の要塞なのです!」と鼻高々に語るのは山田さん。要塞は普通陸上だろうとツッコミを入れるラウラ。ひぅと生ぬるい風が吹いた。

 構造材は腐食、剛性に優れた炭素鋼複合素材。壁には0.01ミリの鋼板を何重にも貼り合わせた積層板を入れ、耐衝撃耐熱のシートで覆われていた。屋外に面する箇所は耐候性耐火性……優れた塗料でコーティングされている。

「ふむ。これならば重機関銃かRPG程度なら楽に耐えられるな」と部分展開させたハイパーセンサーで内部構造を見ているラウラが言う。私は壁に埋め込まれた“来客用の”ターミナルに手を当て、屋敷地下のメインフレームにアクセスし情報を読む。保安用の火災センサに入館者識別センサ、警備用の赤外線センサ、動体探知機。一通り揃ってるのを確認する。

 背を向けて、窓の景色を見ている山田さんをちらと見ると、ラウラは程ほどにしておけと眼だけで言った。

「でも長時間は無理だな」と私は手を下ろし振り向いた。
「防御装備とはそう言う物だろう。守るだけでは勝てん」ラウラが何を今更と腕を組んでいた。

 それはごもっともだと私は廊下に出た。廊下の天井に埋め込まれた半球型カメラを確認すると、みやに指示し意識内に周囲の地形を映し出した。データリンクしているラウラが背中から声を掛けてきた。

「ベースキャンプ(宿)は岬に位置し、3方向は断崖絶壁で海に囲まれている。残りの北方向は山か。真、お前ならどう攻める?」
「目標を一夏と俺の誘拐と想定すれば、複数のISによる電撃的な奇襲しか無いだろうな」

 ここからIS学園まで直線距離で90km。音速のISなら5分足らずだ。こちらの戦力は常備戦力としてラウラと私の2機。予備として訓練機持ち出し分のIS、つまり1組2組副担任と3組4組担任の計4機。計6機で援軍が到達する7分も稼げば良い。

「対地兵器、ミサイルによる飽和攻撃は多数の艦艇が必要だろうし、そんな戦力日本近海に近づいたら直ぐバレる。そもそも目標達成ができない」
「残るは歩兵による地上戦力だが、ISなら発見も対処も容易か」
「心配なのは内通者による破壊工作だけ」
「身許確認は行ったそうだが」

 と、廊下のど真ん中で立ち尽くすのはラウラと私。ラウラは腕を組んでむっすりと。私は右手を顔に添えて明後日を見ていた。ジャケットの左袖がひらひらと。

「各部屋の前にセントリーガン(自立式機関銃)を設置したらどうだろう」と私が言う。
「それは名案だ」とラウラがうんうん頷いた。
「大却下です」と“真耶さん”が笑顔で怒っていた。


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 行き交う往来をぼんやりと見ながら“俺は”今朝見た夢の事を考えていた。一昨日は家族旅行の、昨日は学校の、今朝は日常の。徐々に思い出している。父、母、姉、友人、学校の先生。まだ断片的ではあるものの小学生程度までは明確に思い出していた。だが妙な事に、その記憶にはISもあの黒髪の血だらけの少女も出てこない。単にまだ思い出せていないのか、それとも。

「よくわからない」と真顔で語りかけるのはラウラ。両手に持つのはレディース用水着。左手にセパレートタイプ。右手に持つのはワンピースタイプ。両方とも黒だった。どちらも相応に過激な物だった。

 ラウラと臨海学校の準備をしに駅前のショッピングモールにやってきた。諸般の都合により結局前日である。俺の準備と言っても水着の確保なのだが、臨海学校中は警備と相成り海水浴に興じられる可能性はとても低く、俺らには不要だと言ったのだが部屋着すら無いと彼女が言うのでやってきた。着飾る事に興味を持ち始めたらしい。

 彼女はカーキ色のパンツに長袖シャツ。軍服である。容姿も相まってギャラリーの注目を浴びていた。取り付けが甘かったのか、左の動かない医療用義手が妙に気に掛る。だから、

「なんでも良いんじゃないか?」

 と言ってみた。

「随分扱いがぞんざいだな。他の娘に比べ、いくら何でも贔屓が過ぎる」

 然も不機嫌そうに睨まれた。

 ナノマシン事件から数日が経った。シャルに遠回しに聞いてみたところ、生徒に動揺は無く落ち着いているという。ただ静寐と一夏が最近よく行動を共にしている、と笑顔を陰らせて言っていた。よく分からないが俺のせいらしい。身に覚えが無いと言ったら、頬を抓られた。

「ラウラは色白で華奢、プラチナブロンド……これなんかどう?」

 俺が選んだのはオレンジ、レッド、ブルーといったカラフルな色彩で町の雑踏をイメージさせるボトムにフリルの付いた、ホルターネックのビキニ水着だった。

「派手すぎないか?」
「ラウラは小柄だし性格も静か、砂浜なら派手ぐらいが良いと思うぞ」
「私はこれが気になるのだが」

 と手に取るのは黒のトライアングルビキニだった。だったら初めからそれにするといい、と口に出すのをなんとか押し込んだ。去年卒業した先輩たちにこう言ってひどい目に遭ったのを思い出す。

「それ、際どすぎないか?」
「そうか?」
「それが気に入ったのなら、上に何か羽織る物を推奨するよ」
「男は露出が高い方が好みなのだろう?」
「どうしてラウラは記憶の吸い出しに偏りがあるんだよ」

 黒が良い、オレンジが良い。これが良いあれが良い。押し問答している時に投げられたのは諫めるような金の声。やれやれと詰め寄るのは黒の気配。振り向いた先に立っていたのはディアナさんと千冬さんだった。

「貴方たち、もう少し人の目を考えなさい」とライトグレーのパンツにジャケットのディアナさんが言う。
「何処かおかしいのですか?」とラウラが言う。
「騒ぐな。注目を浴びている。あとTバックはやめろ。マセガキどもめ」と黒のスーツ姿の千冬さんが髪を掻き上げながら言った。

 俺の選択ではありません、と弁明したが千冬さんに殴られた。


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「ストリングスはやはりGストリングスか?」とラウラが挑発するように言うとディアナさんは「帰ったら覚えていらっしゃい」と悔しそうだった。学園外で糸を使うと大事だ。

 千冬さんは壁に背中を預け、腕を組む。遠巻きに2人を見て「私たちも買い出しだ」と言った。彼女の斜め前に立ち、そうですか、と俺は言う。

 彼女の機嫌を確認すると、内心安堵した。視線を上げて2人を見る。賑やかに並ぶ色とりどりの水着の数々。ラウラが布面積が極小の水着を手に取ると、ディアナさんは慌てて取り上げた。どうしてこんな過激な物が置いてるのかと、憤慨している。色々言いつつも彼女は面倒見が良い。ぼんやりとしていると千冬さんが話し掛けてきた。

「先程、鷹月と一夏を見かけた」
「そうですか」
「楽しくやっているようだった」
「それは何よりです」

 千冬さんはちらと俺を見た。

「逃した魚は大きいかも知れんぞ」
「大きいでしょう。確実に」

 千冬さんは組んだ腕にとんとんとリズムを刻んでいる。

「一夏との事は済まない」
「千冬さんが気にする事ではありません。避けては通れ無い事でした」

 彼女は大きな溜息をついた。

「もう少し年相応にしたらどうだ。可愛げが無い」
「先生、警備主任、寮長、ブリュンヒルデに姉。千冬さんも年の割には出来すぎです」
「大きなお世話だ」
「そろそろ誰かに任せたらどうですか」
「だまれ」
「責任感が強いのは知っていますがそれだと下が育ちませんよ」
「黙れと言っている。人の事を言えるのか、お前は」
「そう見えますか? これでもペースは考えてます」
「見えるな。寂しいと顔に書いてあるぞ」
「そうですね、最近の俺は誤魔化す事だけ上手くなります」
「……エマニュエル・ブルワゴンのことか」

 雑踏がいやに耳に付いた。血と肉の臭いが纏わり付く。すまんと小さくその人が言った時、目の前を年若い夫婦が横切った。間にいる子供、小さな女の子が両親の手にぶら下がり笑っていた。千冬さんは、できたての家族を見送ると“ところで”と切り出した。

「はい?」と何時もと異なる感覚に思わず声が裏返る。
「蒼月、オルコットにアレを漏らしたそうだな」察しが付き思わず明後日の方向を見た。ちくちくと視線が痛い。
「あのオルコットの性格が激変したのはそれだったのか」
「昔の事です」
「お前の秘密は小娘には重すぎる」
「分かっています」
「他には?」
「言っていません」
「本当か?」
「本当です」
「篠ノ之は? 凰は? ディマは? ラウラは? 上級生は?」
「言っていません。千冬さんに嘘はつきませんよ」
「どうだかな。大体、真、お前は昔から―」
「……え?」

 目眩がした。一言聞き返すのが、やっとだった。世界が歪む。慌てて口を紡ぐと彼女は眼を伏せ、何かを言い、雑踏に消えていった。俺は呆然と見送った。

 おかしい。変だ。

 あの人が真と呼んだのは初めてだ。“蒼月”はディアナさんが付けた。“真”は千冬さんが付けた。公私に厳密な彼女とは言え、プライベートな時間でも彼女がそう呼んだ記憶が無い……呼びたくなかった? 彼女は俺を知っている? 待て待て、ディアナさんが言った“あの人” 彼女は俺があの人に似ていると言ったか?

 右から左へ、左から右へ、老人、大人、子供、行き交う往来。壁に掛る時計の針が止まり、逆に回り始めた。

 ぎちり。

 “私”は割れんばかりの頭痛に襲われた。世界が黒く塗りつぶされる。足下が崩れ落ちた。墜ちた。堕ちた。血だらけの黒髪の少女。血に染まる金髪の女。強い光。爪の先までしびれるような衝撃。手から銃が消える。暗がりに浮かぶ泡と泡が見える。身体が消え、心が縮む。そして再び現れた。

 気がついた時にはベンチに寝かされ、ラウラに看病されていた。

 かって所属していた2組のショートカットの快活な、鈴と仲の良い少女が誰か思い出せない、そう気づいたのはその日の夜だった。


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 本音は歩いていた。

 音も無く1人で歩いていた。

 かって側に居た2人の影を時々見つめていた。

 静寐はもう戻れない、戻らないと振り返らなかった。

 ただ一つ残った物は決して離すまいと強く握っていた。

 箒は足掻いていた。

 歩むべき道が見つからないと嘆いていた。

 ディアナさんは泣いていた。

 だが決して歩みを止めなかった。

 千冬さんは立ち止まっていた。

 どの道に進んでも何かを失ってしまうと恐れていた。


 立ち尽くす一夏は何かを持っていた。

 眩しい何かを持っていた。

 それは御手からこぼれ落ち掛けていた。


 鏡に映る俺の姿は霞んで見えない。

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がんばってクリスマスに投下。ハラキリメリークリスマス
2012/12/24



[32237] 06-03 Broken Guardian 1
Name: D1198◆2e0ee516 ID:3516d58f
Date: 2013/01/04 10:05
多分今年最後の更新です。皆様良いお年を……年内に福音戦終わらせたかった。

 Broken Guardian 1
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 彼は学園の外れ、人気の少ない竹林で、自身の鎧を纏い立っていた。夜空から静かに注がれる月の光を浴びて、黒い鎧が鈍く光る。一対の翼を持つその躯はただ黒く、面と線で構成されたそのシルエットは戦闘機と言うよりは、翼を持った戦車が相応しい。

 今や彼を倒せる者は学園でも数名のみ。その彼を主に持つ“みや”は彼に何も答えなかった。ただ彼の命に従い、戦場を駆る鎧で在り続けるのみである。

 物音、虫の音、風のざわめきすら一つ無いその場所で、彼はその現実に打ちのめされていた。みやが彼に示すのは名簿、彼がかって勉学を共にした少女たちが名を連ねている名簿である。

 最初は二つのヘアピンで片側の前髪を髪飾る、多少勝ち気な面持ちの髪の長い少女。鏡ナギ。

(知らない)

 次はヘアバンドを付けたショートカットの、眼鏡を掛けた少女。桐原りこ

(知らない)

 次は肩に掛らない程度に短い、ボブカットの黒髪の、年齢以上に落ち着いた雰囲気を持つ少女。夜竹さゆか。

(知らない)

 次は栗毛でショートカットの快活な、鈴と仲の良い少女。相川清香。

(知らない、知らない知らない知らない知らない!)

 次々に彼の意識内に少女たちの笑顔とプロフィールが表示される。彼は半数以上を思い出せなかった。

「どうなってるだよ、これ……」
「お前はもう理解しているのだろう。それとも私が言えば良いのか? 記憶が入れ替わっている、とな」

 彼の目の前に立つ白銀の少女は、ただそう告げた。彼は思い出すにつれて、今を忘れている。今の彼を形作るのは、彼が発見され経た約1年と3ヶ月の記憶。それが失われている。つまり、

「今の俺が消えて、もう1人の俺になるということか」
「そうだ」
「ラウラは知っていたのか」
「そうだ」
「どうして黙っていた!」

 初めて、竹林が戦慄いた。ラウラはただ静かにこう告げた。目を瞑り顔を逸らす彼女の姿は真を苛立たせた。

「人間は自分の記憶が正しいかなど判断出来ない、記憶が入れ替わっているなど言ったところで信じまい、そう易々と受け入れたりしない。それにお前のそれは医学でどうこう出来るものではない。だからみやも何も言わない。私が言ったところでその事実は防げない、意味が無い」

「ラウラ。お前が何を言っているか分かってるのか? それは、」

「自己を尊重しているお前にとって、お前がお前で無くなる事は全てに意味が無くなる、と言う事だ。進む事も、戻る事も、立ち止まる事も。己を研磨する事も、逃げる事も、学園を守り続ける事も。蒼月真にとって全てに意味が無い」

「いろんな人にいろんな事言われたけれど、今回は極めつけだ」
「お前が嘆くのか? お前が織斑一夏に何をしたか考えろ」

 彼は俯き、歯を食いしばり、握り手を震わせた。理由はどうあれ真は一夏から奪った。今度は真が奪われつつある。ラウラは真にその権利があるのかと問うていた。

「因果応報か、世の中はよく出来ているもんだ」
「悲劇の主人公を演じる余裕があるなら手を動かせ。お前には務めがある」
「ラウラ程容赦の無い娘もいないな。それを知ってて何食わぬ顔で接していたんだから」
「馬鹿者。私ほど気立ての良い女は居ないぞ。近くの女に辛い事ばかりさせる碌でなしに付き合っているのだからな」

「……聞いて良いか」
「なんだ」
「一つ。俺が取り込まれてからと言うものの、ラウラが俺の近くに居るのは、もう1人の俺に教える為か? ラウラが持っている俺の記憶はあの時までだ。そうすると入れ替わった後教える人間が居なくなる、だからか。そしてもう一つ。俺が入れ替わったらラウラはどうするつもりだった?」

「一つ目から答えよう。それはおまけだ。これ以上不幸な娘を生み出すのを防ぐ為、が主な目的だ。お前の相手はもう決まっている」
「どういう意味だ?」
「あの娘は想像以上に頑固だった。諦めるように言ったのだがな、恐らくお前が直に言わないと効果が無いだろう」
「答えに成っていないぞ」
「それを言うほど私はお前寄りではない。ただあの娘は近々動く。覚悟をしておく事だ。二つ目を答えよう。何も変わらない」

 理解出来ないと真は眉を寄せた。

「お前の力の根源の一つである“意識の線”は、前のお前が積み上げ、会得した技術、これが形を変えて顕れているに過ぎない。お前はそれを借りていただけだ。つまり、」
「対外的には何も変わらないと言う事か」
「そうだ。お前が誰になろうと世界で2番目の男子適正者という事実は変わらないと言う事だ。付け加えるならば、そのお前の方が能力が高い」
「目眩がしそうだよ。人格はどうでも良い、能力だけ必要だって言われているみたいだ」
「何を言っている。今のお前は学園の為にあるのだろう? お前はそれを望んだはずだ」

「都合良く抜き出すな。自己を尊重し、が抜けている」
「ふむ。ならこう付け加えよう。軍人とはそう言う者だ」
「そうか。前の俺は軍属だったのか。銃器の扱いに長けているのも納得だ」
「己の感傷に浸って良いのは新兵だけだ。部隊を預かる将校にそれは許されない。部下の命が掛る時ほど、時間は無く状況は悪いものだ」

 時間は少ないがゼロではない。出来る事はしておけ、とラウラは言った。一度も目を向けなかったラウラの心に気付き彼はこれ以上言うのを止めた。

 彼はみやが伝える左右にヘアピンを付けた藍髪の少女と、淡い栗色で小動物をあしらった髪飾りで髪を結う少女の写真をじっと見つめた後、そっと画面を閉じた。見上げる空には月が蒼い光を放っていた。気がつけば、虫の音が聞こえていた。





 臨海学校1 全力でにやにやを。
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 それが右に曲がると皆が左にずれた。それがごとごと揺れると皆はごとごと揺れた。それは道に記された黄色い線に沿ってひた走る。窓から外を見ると暗く何も見えない。ただ前方だけが明るく、徐々に大きくなった。シートに座る少女たち皆が固唾を呑む。眩しい光に包まれた。

「海! 見えたっ!」

 車窓に広がる青い海。バスに乗る少女たちが歓声を上げた。臨海学校初日、天候にも恵まれ彼女たちを夏の太陽が祝福する。少女たちはいち早く海を見ようと、シートの背たれ越しに乗り出した。我先にと飛び跳ねる光景は、クッションハンマーで叩きたくなる事受け合いである。

 千冬の一喝が入る。

 皆が乗るバスは天井と側面が無色透明の、継ぎ目の無い硬化テクタイト製でオープンカーの様に眺めが良かった。更に偏光フィルターが設けられ、外部から覗かれる事は無い上に、紫外線も遮断し日焼けする事も無い。

 その様な絶景に目もくれず、窓越しに右や左へ蛇行を繰り返す、追い越し禁止の黄色い線をじっと見ていた一夏は、肘掛けに頬杖付いて呟いた。彼の席は最前列である。

「腹減った……」
「呆れた。朝あれだけ食べてまだ足りない?」

 彼の左にちょこんと腰掛ける静寐は、一夏が平らげた4人分の朝食を思い出し呆れかえる。

「だってよー 落ち着いたら腹が減ったというか、なんというか」
「もう聞き飽きました。作る方の身にもなって」
「俺も手伝うって言ったし」
「食費の事を言ってます。一夏に任せると量を作るから、材料費が掛って自炊の意味がないの」
「たくさん作ると安く上がるんだぜ?」
「保存出来ないからって何時も一度に平らげるよね」
「あー腹減ったーへったー ……むぐ」

 静寐はバッグからお手製の俵おにぎりを手早く取り出すと、一夏の口に押し込んだ。「それ食べて良いから静かにしてて」と彼女は言う。一夏はもぐもぐと温和しくなる。バスの中も静まりかえっていた。静寐がそっと振り返るとそこには、呆れ、やるせなさ、憂鬱、言い換えれば“やってられない”と言う1組2組混合の視線の数々。冷や汗垂らした静寐は開いた口を歪めて、あわあわと。

「ぶーぶー」
「ごちそうさま」
「熱い、熱いわー」
「ねー運転手さーん。冷房強くしてー」
「胸焼ケシマスネ……」
「ねーこのコーヒー、ブラックなのに甘いのー」

 違うと必死に弁明する静寐の隣、一夏はもくもくとおにぎりを頬張っていた。自分の為に作って貰うのは幸せなんだなと、ご満悦である。

 他の少女たちはというと、鈴はつぐんだ唇を苛立たしげに波立たせていた。セシリアはiPodが演奏するクラシックに興じて何処吹く風だった。そして寝息を立てるのはシャルロット。彼女は諸々の準備で夜更かしをしていたのである。それは別途用意した際どい水着であり、日焼け防止オイルであり、勝負下着だった。思い人との甘い甘い夢に浸っていた。

 そして最後尾に腰掛ける本音は隣の箒を心配そうに見つめていた。物憂げな表情に本音の瞳も沈む。

「箒ちゃん、お水飲む?」
「心配無用だ、本音」

 ナノマシンの巨人がアリーナに現れた日、寮に戻った箒は意気消沈していた。その原因が本音には察しが付いていた。白式、みや、シュヴァルツェア・レーゲン、3機の稼働ログから箒がその場に居たと分かっていた事から。今の箒の状態から。“私には力が足りない。だがそれは2人との約束と反する事になりかねない。私はどうしたら良い”そう箒の独白を聞いた時から。

 真が箒に何か言ったに違いない。どうしてドイツの女の子と一緒に居るのか、真はどうして箒と一緒に居ないのか、どうして放っておくのか、これでは静寐の繰り返しだ。大切な友人である箒をも同じ目に遭わせるのか、本音はそう憤慨しているのであった。

「箒ちゃん、辛いなら無理しなくて良いんだよ。真くんは普通の男の子と少し違うから」
「本音、あの誓いは自分に向けた事でもあるんだ。静寐はもうすぐ乗り越えようとしている、私だけ逃げる訳には行かない。大丈夫、なんとかする」

 繰り返し己に刻むように、箒は自分の身体を抱きしめた。かしずく様に黙想する箒の姿に、本音は蒼い空を睨み上げた。その空の彼方、水平線の向こう。黒い雲がたゆたっていた。


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 宿に着き、女将に挨拶を済ませ、部屋に入る。水着に着替えて駆け出せばそこは夏の砂浜だった。頭上の太陽が砂を焼き、足を置けないほどに熱い。だが少女たちは夏の一瞬を謳歌しようと、力強く駆けていた。

 清香が飛び跳ねると、頭上に掲げた右手を振り下ろし、ネットの向こうにボールを打ち込んだ。ティナは駆け、砂の海に飛び込みボールを弾くが、コート・アウト。

「いぇーい!」
「ナイススパイク!」

 清香と癒子がぱんと手の平を打ち合わせる。してやられたとティナが悔しくも笑いながら立ち上がった。ビーチバレーに興じる水着姿の少女たち。一夏はその光景に、顔赤く表情を歪め、言葉を発しない。砂浜を舞う少女たちに彼は一種の緊張を感じていた。

(なんか、目のやり場に困るというか、なんか、気まずい……)

 弾む肢体を目の前にて彼は挙動不審だった。

「なんか困る」と彼は呟いた。
「一夏」
「ごめんなさい」
「……」

 波の音が遠ざかる。彼が恐る恐る振り向けばそこに静寐が居た。頬を膨らませているが目に表情が無い。然も不機嫌そうである。一夏は紺の膝上まであるトランクスタイプ、静寐は淡いピンクの地にブラックのドットが入ったパーカーを羽織っていた。裾から覗く白い足が、健康的かつ艶めかしい。

「いや、違うんだよ。見とれていたとかそう言うんじゃ無くてだな」
「何も言ってません」
「おっかしーなー 昔は気にならなかったんだけどなー」と一夏は明後日の方向を見ながら頭を掻く。その方向には同じく水着の少女たち。静寐は眼を細めた。

「そう、昔から見てたんだ」
「違うって。弾がさ、お前は枯れてるから付いて来いって言うから付いていっただけで、」
「弾?」
「中学時代の友達」
「中学生の覗きなんて世も末です」
「だから違うって。ただナンパしに行こう強引に―」
「そう。ナンパ」

 また引っかけられたと頭を抱える一夏。知らないとそっぽを向く静寐。「お二人とも、そろそろ気づいて頂けます?」と言うのはこめかみを引きつらせるセシリアだった。青いビキニにパレオを巻いて、手に持つパラソルとビーチマットがゆらゆらと。二人は白い目の少女たちに囲まれていた。


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「臨海学校中二人っきり禁止!」
「「「賛成ー」」」

 というIS学園1年の総意を突き付けられ、一夏はホストとして多々のガールズ班を転々と。静寐は給仕班に引き込まれ、焼きそばを黙々と焼いている。色々思うところはあるが、折角買った水着を披露する機会を逸し、静寐は面白くないと鉄板用返しコテをざくざくと奮っていた。彼女の気配に腰が引けたのか、屋台テントののれんも風の割には温和しい。

 それを見ていた癒子が言う。

「静寐って麺類上手ね」
「ありがと」
「あとヤキソバ追加ね」
「ざくざく」

 その時、遠吠えのような音が海辺に響き渡った。それは分厚い汽笛のようでもあり、牛の遠吠え、もしくは魔獣の咆吼が適当であろう。皆が一斉に手を止め振り返った。誰かが岬を指さした。

「何の音これ?」
「岬の向こうから聞こえてくるみたい」
「モ"~ って」
「土煙ガ上ガッテイマス」

 騒然とする少女たちに「騒ぐな鬱陶しい」と澄み切った一喝が響き渡る。皆がその声の方を見ると千冬とディアナが立っていた。

「あれは蒼月が実施している装備試験(Avenger:30ミリガトリンク砲)の音だ。10分程度だから我慢しろ」

 生徒の試験は明日だが、真は警備の都合上前倒しで初日に行っているのであった。シャルロットはリヴァイヴのテストに立ち会わない訳には行かないと泣く泣く協力し、ラウラは高度1000mにて周回警備している。千冬とディアナは休める時に休むのも仕事だと追い出された。

 その2人を見ていた少女たちの思いはただ一つ。玩具(真)で遊べるのかではなく、お人形(ラウラ)の髪を弄りたいでもなく、貴公子(シャルロット)は何処かでも無く、

“なにこの神々しさ”

 千冬とディアナの水着姿に気圧されていた。千冬は白のワンピース。首から釣り下げられ広がる白い生地は胸の谷間で大きく開き、腹部からボトムに掛けてVの字に繋がっている。金色のリングで繋がったボトムのサイドからはきめの細かい白い肌が覗いていた。

 ディアナは黒のタンキニタイプだが、トップから足下に生地が広がり、さながらロングドレスのようだった。首から回る黒い布は相応に隠しながらも胸元を強調し、海風に煽られスリットから覗く白い脚が生地の黒に強調され浮かび上がる。漆黒の髪と純白、こんじきの髪と漆黒、妖艶さと清楚さ。少女たちは目も虚で、

「人とは思えぬ美しさ……」
「戦乙女と女神だからー?」
「……そう言う問題じゃないよ」
「2人の水着姿が拝めるなんて……私今日しぬのね」

 嫉妬と憧憬を織り交ぜ衝撃を受けていた。一夏はどう反応して良いのか分からずに、ただ2人を凝視していた。静寐はパーカーの下に着る黒のビキニはもう見せまいと、一夏の脚を踏みつけた。悲鳴が響く。

 鈴は皆から離れた、灰色のコンクリート堤防に腰掛けその悲鳴の主を見つめていた。水着も着ず、タンクトップに折り目の付いたショートパンツ。赤紫のゴムサンダルをあてども無く揺らす。髪を二つに流す黄色い結い布も自信なく垂れ下がっていた。溜息が出る。らしくないと自分に発破を掛けるが、から回る。その鈴の背後から2人の少女が近づいた。

「鈴ちゃん。はい、焼きそばだよ」狐風着ぐるみ姿の本音が差し出した。
「鈴、はいお茶」タンキニタイプ水着の清香がペットボトルを差し出した。
「どうしたのよアンタたち」と鈴は多少面食らったように頭を上げる。

「それはこっちのセリフだって、鈴またおかしいよ。着替えもせずに今度はどうしたの?」清香が問えば「やーね、そんな訳無いじゃ無い。ちょっと海を見て浸ってただけよ」と鈴は努めて明るく言うと逃げるかのように立ち去った。ちょっと待ってと清香が追う。本音は遠くに涙目でうずくまる一夏の姿に気がついた。

 一発の120ミリ戦車砲弾が轟音と共に夏の空を切り裂いた。




 臨海学校2
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 日も傾き、水平線も赤く染まる夕食時。人気の少ない民宿の廊下を、会場である大広間に向けて1人の少女が歩いていた。纏う浴衣はラベンダーグレイ(淡い青)、パープルの帯を巻き、羽織るどてらはリフレックスブルー(深みのあるこい青)。たなびく長い髪は金色で瞳は鮮やかな碧。セシリアである。

 彼女は前が開いている作りの浴衣に面食らい、見よう見まねで着込んだは良いものの、右前左前逆だと偶々通りかかったティナに指摘され、慌てて戻れば帯が綺麗にまとまらない。気配を察知しやってきた本音から指南を受け、何度も鏡を確認しようやく部屋から出てきたのだった。

(多少時間が掛りましたがこれで完璧ですわ。しかし、いざ来てみれば意外と着心地が良いですわね。布仏さんが“ちゃんとした物ならもっとしっくりきて、可愛いのもあるんだよ~”と言っていましたし、今度お店を紹介して貰いましょう。“しっくり”と言う感覚がよく分かりませんが……)

 そう廊下の板を鳴らしながら、すたすたと歩いている時である。セシリアの目の前をプラチナブロンドが水のように流れた。ライトグレーのISスーツ、左目を覆う眼帯、ラウラである。

 ラウラは流し目を向けてセシリアにこう言った。

「もう食事の時間だ。何をしていたオルコット」
「女の都合ですわ、ミス・ボーデヴィッヒ」

 セシリアはラウラに僅かばかりの苦手意識を持っていた。ラウラの二つ名“ドイツの冷水”はイギリスでも裏社会と言う意味で有名である。同い年の15歳にして陸軍少佐。セシリアはラウラが一夏に負けた事実を知らない為、第3世代機の中で実力的にトップと判断している。つまり第3世代機乗りとしてのプライドだった。

 そして強化人間。人であって人あらざる者。禁忌の技で生み出された存在に嫌悪感もあった。だが、

「着飾るのも結構だが、代表候補ならそれ込みで時間内に済ませろ。集団行動において時間は遵守するものだ」

 セシリアの聞き及んでいたラウラ像と異なり、目の前の少女には随分と理解がある。下手をすれば千冬以上で、セシリアはラウラの予想外の質(たち)に戸惑っているのであった。そしてその纏う雰囲気が彼女のよく知る“目付きの悪い少年によく似ていた” それがとても気になった。

「心得ておりますわ」
「それならば良い」
「ところでミス・ボーデヴィッヒ。貴女は食事をなさらないの?」
「私“たち”には仕事がある。気にせず楽しんでくると良い」
「いえそう言う事では無く、予定を伺っております」
「何故気にする」

 ラウラはセシリアの意図が読めず、一瞬眉を寄せたがそう言う事かと合点した。

「“真”なら上空1000mで警備中だ。あと30分ほどで交代するから、逢い引きならその時にするといい。私にも立場があるが黙認しよう。“余り時間が無い”から大事に使う事だ」
「随分と呼び慣れていますのね」

 僅かに態度を堅くしたセシリアに、ラウラは再び眉を寄せた。彼女は暫し考えたあと問題ないと判断しこう告げた。

「お前には言っておくべきなのかも知れないな。詳細を言う事は出来ないのだが、真の事は知っている、だからだ」
「……それは、どういうことですの?」
「真の記憶ではお前は聡明らしいが? 私は真の全てを、真は私の全てを知っていると言う事だ。だが安心しろ、私はそう言う関係を望んでいない。屋上で銃を向け合うような、劇的な悲恋に趣味は無いからな」

 どうしてそれを知っているのか、セシリアが確認する前にラウラは背を向けた。的を外した悪意無いラウラの言葉に、セシリアの心は激しく揺れ動いた。


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 浜辺で思うがまま、気の済むままバカンスに興じた少女たちは、今度は畳の大広間にて夕食に勤しんでいた。学園は文化的側面に配慮して、座敷、椅子とグループで分けられ、更に料理も幾つかに分けられる。

 座敷の日本料理グループは海鮮料理。あぐらを掻く一夏は目の前に差し出された赤身の刺身をどうするか考えあぐねていた。味は問題ない。醤油も付いている。わさびの量も申し分ない。問題はその刺身を器用に箸で持つ人物だった。その人物とは彼の左隣に正座するシャルロット。言うまでも無く彼女は彼である。彼女は醤油が垂れないよう左手をすくい形にさしだした。

「ささ、一夏。どうぞ」

 彼女は職務により出遅れた分を取り戻そうと、少し暴走していた。周囲の少女たちが固唾を呑んで見守る。付け加えるならば彼女が持つ箸は彼女が使っている物だった。つまりはそう言う事である。

 彼は縋るように右隣の静寐を見た。何も言わずもくもくと箸を進めている。彼ははす向かいの、清香の隣で正座する鈴を見た。眼が合ったら逸らされた。箒と本音は2列向こうで背を向けていた。

「ねぇ一夏。余所見するのは失礼じゃ無いかな? 僕はここだよ?」

 可憐な笑顔に影が挿す。冷や汗が出る。器用に浴衣を着こなすシャルロットは、何時もは三つ編む深みのある金髪を今は結い上げていた。ほつれるうなじが年齢以上の色香を漂わせていた。

(違う、うん違う。シャルはシャルロットで実は女の子。だから“はいあーん”でも問題なし。問題は皆がそれを知らない事で、幾らシャルが中性的でも端から見れば俺らは男同士。一体シャルはどうしたってんだ……あーでもシャルは面倒見が良いから大丈夫か? いやいやそうじゃねぇ)

 一度荒れ、正気に戻った今でさえ、否。正気に戻ったからこそ一夏はシャルロットに気づいていなかった。揺らぎもしないシャルロットの笑顔に、彼は覚悟を決めて口にした。

 黄色い歓声と同時に、開いたふすまは大きな音を立てた。近くの少女は何事かと気づいたが、大半の者は歓声故に気づかなかった。苛立ちを隠さず現れたのはセシリアである。

(信じられませんわ! 信じられませんわ! 信じられませんわ!)

 ずかずかと優雅という言葉を忘れテーブル席に腰掛けたセシリアを、向いのティナは物珍しそうに声をかけた。手に持つナイフとフォークがちゃりと音を立てた。

「随分とご機嫌斜めですね。セシリア。何かありましたか?」
「何でもありませんわ。ただ自分の愚かさに呆れているだけです」
「そうですか、蒼月君と喧嘩ですか」
「喧嘩ではありません! 愛想が尽きたと言っているのです!」
「水でも飲んで落ち着いたらどうです」

 ティナの目配せで、そば耳を立てる周囲の気配に感づいたセシリアは慌てて口を押さえた。周囲の少女たちが一斉に明後日を見る。セシリアは水を飲むと小声で語り始めた。

「私は自分が恥ずかしいですわ。あの様な恥知らずに心を寄せていたなどと……」
「次ぎは食事を取るべきですね。空腹は冷静さを欠きます」
「私は落ち着いています」
「落ち着いている者はそう言いません」ティナがすっとパンの乗った皿を差し出した。セシリアは僅かな間のあと手に取った。むしられるロールパンが悲鳴を上げる。

「それでどうしたのですか」ティナは丁寧に肉を切ると兵隊らしからぬ丁寧さで口を運んだ。何時もの友人の仕草、調子にセシリアも毒気を僅かに抜かれた。

「話したのです」
「何をですか?」
「真が私たちの事をあのドイツの小娘に話したのですわ。きっと私の事を馬鹿にしながら語ったに違いありません……」

 ティナは水を口にすると静かに、一言「なるほど」と言った。

「随分と冷静ですわね。もう少し情緒に富んだ方と思っておりました」
「セシリア。貴女はそれを本人に確認しましたか?」
「ミス・ボーデヴィッヒが知っていたのです、それが何よりの証拠」
「それはあくまで状況です。彼が話したという証拠ではありません」
「随分と真の肩を持ちますわね。確か嫌っていたはずでは?」
「もちろん。ですが個人的感情と物事の判断を交えるほど愚かではないつもりです。セシリア、今の貴女のように」

 あくまで淡々と語るティナに等々セシリアも頭を冷やした。そのセシリアを見届けるとティナはテーブルナプキンで口を拭きながらこう告げた。

「セシリアが彼と紡いだ時が嘘だと思うのならば、そのまま忘れた方が良いでしょう。その話だけを聞くなら確かに最低です。もっとも私なら問い正してからにしますが」
「真実を語るとは限らないでしょう」
「そうですね、どこかの誰かが織斑君に好意を持っていると3ヶ月近くも自分に嘘をつき続けた程ですから」
「……本当に嫌な方ですわね」
「お互い様です」

 2人は同時に食事を終えた。ティナは全てをセシリアは半分食べた。

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Avengerというのはアメリカの戦闘機A-10サンダーボルトの機関砲です。その発砲音が正しく魔獣という感じで夜中に聞くとトラウマになる事受け合い。動画サイト等でで“Avenger GAU-8 A-10”で検索すると音が聞けますので興味を持った方は是非。でも忘年会の話のネタになりません。

以下、ネタバレかもしれない作者のぼやき。











>> 箒の動機の補足
05-18で静寐が代弁していますが、それの補足です。
ナノマシン戦の時、箒の一夏に対する扱いがひどいと幾つか感想を頂きました。
もちろんこれに至まで彼女にも色々葛藤がありその結果と言う事です。


【箒の葛藤】
5-18の静寐と一夏の会話で“対抗戦のあと箒の様子がおかしかったよね? あれは箒がそれを認めたくなかったから~”と言っています。これは何かというと、自分の心変わりと2人の友人への後ろめたさです。

【自分の心変わり】
04-05にて“……真、信じていた物が変わってしまった。お前ならどうする?”と箒が真に言っています。この信じていた物とは、一夏が好きだった自分の心を指しています。

同04-05の実習中、
“白式を纏う一夏をぼんやり見ていた。一夏の周りには嬉しそうに頬を染める少女たち、箒は表情無く一夏の側に佇んでいた。”

“北を見れば一夏が箒を抱きかかえ、打鉄に運んでいた。恥ずかしいのか彼女は俯き、顔を伏せたままだ。”

この表情無く、とか顔を伏せたまま、と言うのがその現れ。嬉しいはずなのに嬉しくない、とか。因みににこの04-05は真視点で書いてありますので、この様な表現になっています。

【友人への後ろめたさ】
対抗戦から05-05まで箒は2人に対しぎこちないです。例えば・05-05の箒が“裏切り”とか“私は2人の友人なのではなかった”とあります。

そんなこんなで、訓練をがんばった静寐がセシリアに負けて、2人が箒に頼みます。

・05-05の“箒は髪を結ぶ緑の結い布を切り裂くと2人に渡し、静寐はヘアピンを2人に渡し、本音は髪飾りを2人に渡した。ここに誓約はなされ、3人は別の道を歩む事になった。”

・05-09の冒頭、箒の修練や、“私は誰だと~今まで憎み疎んじ避けてきた姉に挑む時が来た、彼女はそう拳を握りしめた。”

これらは箒の決意の表れ。

ナノマシン発動時に箒が一夏に厳しく当たった理由は二つ。一夏が冷静では無い、白式がガス欠、といった緊急時ということもありますが、なにより一夏には静寐がもう居るからです。一夏以上に愚直と言って良い箒が、これらの経緯を踏んでいますから、その決意の程推して知るべし。という設定。もう一つは近々本作にて補足します。

箒のこれらは対抗戦以降随所に散らばっていますので、ごめんなさい。因みに06-02現在、真は箒に気づいてません。箒は一夏に好意を持っているという先入観があり、箒も不器用ですから仕方ないと言えば仕方ないですが、阿呆なの死ぬの?

箒がどうなるかは、今後をお待ち下さい。ただ、彼女本人がどう感じるかは別にして、原作のような明確な結果にはならない可能性が大きいです。

 これらは原作ヒロインの中で唯一組織と言う枷に縛られない箒と、優秀ではあるもの普通の少女である静寐が、自分の恋愛衝動に振り回されたとも言えます。これは代表候補である他の原作ヒロインズとちがい自由であった結果でもあります。一夏と真から見れば何勝手にやってんだ? と思う事は受け合いでしょうが。

 因みにセシリアは自由でない代表です。ブリュンヒルデの弟で、学年別トーナメント優勝者の一夏であったなら話は別でしょうが、彼女は真を選びました。でもそんなセシリアは格好良い。でもそんな私は鈴が好き。八重歯を出しながらからから笑う鈴を書きたい……それではまた来年。



[32237] 06-04 Broken Guardian 2
Name: D1198◆2e0ee516 ID:3516d58f
Date: 2013/01/07 17:07
06-04 Broken Guardian 2

あけました。おめでとうございます。
今更ですがPV10万越え、ありがとうございました。


 Broken Guardian 2
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 食事を終え、割り当てられた部屋に戻った少女たちが、入浴までの空いた時間をどのようにして遊ぶか、そう思案に耽っていた頃。横4人並べば塞がってしまう程度の廊下の先で、1人の少女が揺らぐ影を見た。天井から明かりが差しているにもかかわらず、黒い靄のようにはっきりしない。

 幽霊か、妖怪か、そう少女が恐れ戦きつつも眼を凝らすとそれは人影だった。徐々に近くなる。冷や汗が出る。ここはIS学園警備下の宿泊施設だ。不審人物は居ないはず、そう分かっていても、その人影の纏う雰囲気がその少女の危機感、恐怖感を煽り立てた。

 悲鳴を上げるべきか、でも声が出ない。逃げるべきだ、身体が動かない。

 呼吸が荒くなる。身体が震え、歯が打鳴る。心臓が破れそうなほど動悸が高鳴ったとき少女が見た者は、見知った目付きの悪い少年だった。その少年は左頬と首回りに傷を持ち、左腕がなく、目を瞑りISスーツを着ていた。

 少女は安堵し腰を抜かした。今度は怒りがわき始めた。

「真がそう言う事すると洒落にならないから気をつけてってば!」

 彼は廊下にぺたんと座る少女を閉じた眼で見下ろすと、僅かの間の後こう言った。部分展開されたハイパーセンサーが僅かに唸る。

「やぁ相川。確かに元気だ」
「は?」

 清香は間の抜けた声を出すと、真をそのまま見送った。理解出来ない、今のは何の冗談なのかと、どういうつもりなのかと、問い正すべきだと理性は訴えた。だがそれを確認するとまだ知らない事実を知ってしまうから止めろと直感が止めた。

 結局清香は誰にも言う事が出来ず、遊ぶ気にもなれずそのまま部屋に戻り寝る事にした。明日、目が覚めれば全て戻っているとそう信じて目を閉じた。


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―相川清香。15歳。1年2組。一般生徒。俺が学生だった頃、同じクラスだった。ショートカットで元気が良くハンドボール部所属。凰鈴音と仲が良い。打鉄を好んで使い、狙撃にセンス有り―

 割り当てられた部屋に入った真は、手早くISスーツを脱ぐと、備え付けのシャワー・ルームで湯を浴びた。みやが真に示す清香は笑っていた。それはラウラが持っている情報を元に即興で作った名簿である。

(会えば思い出すかもと思ったけれど、そう都合良く行かない、か)

 彼は頭上から降り注ぐ湯の玉を浴びながら額をベージュの浴室に打ち付けた。

(何時まで俺で居られる。何時まで持つ。もう1人の俺になった時俺はどう行動する。皆に危害を加える? ラウラの様子だとその不安は無さそうだけれど、誰かに言うべきか。言ったらどうなる。この瞬間すら無くなる。違うか、もう1人の俺に戻るのか。なら今の俺は何だ……どうしたらいい)

「血反吐吐いて、失明して、左手失って、死を覚悟して、自分を持ったらその結果がこれか」

 その独白は声にならなかった。彼は壁に埋め込まれたコンソールに手を添えると湯量を増やし温度を上げた。漏れた嗚咽は湯の音にかき消え、涙は湯が流し去った。湯の熱は身体を叩き、痛みが迸る。そうでもしないと、今この瞬間にでも、己という存在が消し去ってしまいそうだった。

 湯を止め、身体を拭きながら彼は浴室を出た。その部屋はラウラの部屋でもあるが、それに大した意味は無い。ラウラとは半ば同居状態であった上、この臨海学校中は交代で警備に当たる。2人一緒に居る時間は空の上だけだ。今頃、星空の中を彼女は白銀の髪を靡かせている。

(今の俺が子供を作ったらその子はもう1人の俺を父親と呼ぶのだろうか。ラウラに頼んでみようか。ひょっとしたらあっさり受け入れてくれるかもしれない。受諾ってさ)

 自分の愚かな考えを振り払うと彼は壁に近づき、鞄に手を伸ばすと衣服に身体を通しながらこう言った。

「で、男の部屋に何の用だよ。まだ8時とはいえ1人で来るなんて常識に欠けるぞ……箒」

 部屋の奥の窓際の、竹で織り込んだ椅子に腰掛ける少女は、浴衣姿の箒だった。いつか見たように、何時も見たように、緑の結い布で髪を結んでいた。目尻は釣り上がっていたが、瞳は揺らいでいた。彼から目を逸らし頬を染めていた。

「ノックはしたのだが、気配はあれど返事がなくてな。入らせて貰った」
「答えになっていない」
「あのドイツ人と同室なのだろう?」
「ラウラはあと4時間は戻らないぞ」
「なら好都合だ」
「済まないけれど、今の俺は冗談を言う気分じゃないんだ。早く部屋に戻ってくれ」
「知っている。だから私はここに来た」
「慰めてくれるって? 10年早いよ」
「その時私は25だが」
「例え。早く帰るんだ。帰らないなら俺はこのまま夜空に帰る」

 箒は立ち上がると、そのまま両膝を床の上に付け、両手を付け、頭を深々と下げた。結った黒く長い髪が、畳の上でうねり光沢を放っていた。戸惑う真に箒はこう言った。

「教えてくれ真。お前は何を見出した? 私は“どうしたら良い?”」

 遠くから届く少女たちの喧噪と、波の音がその部屋で混ざり合っていた。


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 真はライトグレーのスウェットを纏う。休憩時ではあるが非常時に動き易くする為だ。だから、ウェストホルダーに拳銃もあった。左腕にはバランス取り用に、重さを調整した、動かない医療用義手が取り付けてあった。

 彼は窓辺の席に箒を招くと、自販機で購入した缶の紅茶を手渡した。竹を編み込んだテーブルを挟んで2人は腰掛ける。雲が時折かかる程度の月夜で、窓から見える月は夜空との境を縁取るほどに蒼かった。最初に口を開いたのは真だった。

「力とは何か?」

 箒は静かに頷いた後こう切り出した。

「あの時、第3アリーナで、あのボーデヴィッヒを倒した一夏を見て私は嫌悪感を覚えた。だがそれは一夏に対してではない、私に対してであったんだ」
「あの時の一夏が箒?」
「そうだ」
「真。かっての私は、いや今でもそうかもしれない。私は力に溺れ縋った」

 箒が語り出したのは彼女がここに立つ、正確に言えば静寐と本音に出会うまでの生い立ちだった。彼女はISを生み出した篠ノ之束の妹という理由で、当時幼心ながらも好意を寄せていた一夏と別れ離れになり、その後も保安上の理由で各地を転々とした。家族とも引き裂かれた。幼い子供にその環境は劣悪極まりなく、彼女は徐々に精神を歪め、周囲に壁を作り、友人も持たなかった。

 ただ一つ。一夏との思いを、思い出のみを糧にした。箒は一夏と唯一共有した剣道に縋りそれのみを歪なまでに鍛え上げた。それが篠ノ之箒という少女の有り様だった。

「あの時話したと思うが、私は静寐と本音に出会い徐々に変わったのだろう。そして昔の自分を忘れた。だが、」
「あの時の一夏を見て、かっての自分を見せつけられたように感じた?」
「そうだ。その時私は同じ事を繰り返しているのでは無いかと、」

 怖くなった、と箒は眼を伏せ呟いた。彼はこう答えた。

「箒。それは自分で見付けないと駄目だ。俺が何千何万の言葉を費やしても、箒には伝わらない」
「私には“時間が無い”んだ」
「何故急ぐ」
「私には2人と交した誓いがある。その誓いを守る為には力が必要なんだ。だが誓いは待ってくれない。だが、それはかっての私が縋った物と同じだと思うと怖い。私はどうしたら良い」

 箒の問いかけはかって真が辿った道だった。己を否定し、一夏という絶対の存在に縋り、破滅し掛けた道だった。彼は学園や近しい彼女らに救われた。

(人から人に伝わる、か)

 真は水を飲み月を一瞥すると、こう箒に語り出した。

「ある人が俺に言ったよ。自分を尊重しろ、まずそれだってさ」
「自分?」
「そう。箒は多分あれだ。その誓いを大切にするがあまり、篠ノ之箒という女の子の有り様を犠牲にしてる」
「しかしそれでは誓いが果たせない」
「もしその誓いに箒が居ないなら、土下座してでも出来ないと謝るべきだ。そうしないといつか箒が壊れる」
「私に誓いを、反故しろというのか!」

 彼は手を上げ諫めた。

「一方的に破棄するなら問題だけれど、その相手の同意があるなら問題ないだろ」
「しかしそれでは、」
「誇り、約束は大事さ。でもその結果箒が壊れたら意味が無い。その誓いを交した相手というのは、謝っても許してくれない相手か?」
「いや、許してくれる、と思う」
「なら簡単。謝ってくるんだ」
「それはできない」
「何故?」
「それは私の意思でもある」
「箒はそれをしたいと望んでいる?」
「そうだ」


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「箒はさ、良い事と悪い事とは何か、って考えた事はあるか?」
「それがどう関係する?」
「いいから」
「……道徳や法律、マナー。公共に反する事が悪い事だろう」
「表面上は合ってる」
「違うのか」
「例えば清貧って言葉がある。慎ましく生活するという考え方」
「当然だな。欲望に流されるなど言語道断だ」
「禅宗を基本とする武士らしい考え方だよな。でもさ箒、欲望ってそんなに悪い事か? そもそも何故悪い? たらふく食べても、沢山女の人を囲っても、豪勢な家に住んでも、誰かに迷惑が掛らなければ別に問題ないだろ?」
「それは道徳に反する」
「道徳ってなに?」
「皆が決めた決まりだ」
「それは何の為に?」
「集団で生活する為に必要なルール」
「もう一度聞くぞ、集団生活と欲望はどう関連する? 地域清掃なり、身体が不自由な人の手助けなり、お金を出し合って公共の施設を作る事、それら公共的行動と、欲望を持つ事は関係無いだろ」

「つまり。真。お前は肉欲食欲消費欲を持つ事は正しいというのか」
「人に迷惑が掛らないという前提であれば、そう」
「それらに精神的嫌悪感を感じる人達が居る。その人達はどうする」
「それは嫉妬なんだよ箒。もし清貧にしろ何にしろ、それ自体に価値を感じ、自己で完結するならば他人をどうこう思わないだろ? でもそうじゃない。 自分がこんなに苦しいのにあいつらは良い思いをしている。それが許せない。大半の人はこう考えるんじゃないか?」
「それは嫉妬ではなく教育と教えと呼ぶべきものだ」
「定義が問題じゃ無い。良い悪いというのはあくまで状態を指しているにしか過ぎない。その質自体が問題。嫉妬ってのは言い換えると足の引っ張り合いなんだよ。考えても見ろ。嫉妬は底が無いぞ。あいつは俺より頭が良い。あいつは俺より身体が丈夫。あいつは俺より金を持っている。俺は苦労しているのにあいつは楽をしている。あいつは俺より……何処を基準に取る? 誰もが相対的な基準を持つ。皆が皆、低い方に低い方に流れると、文明なんて無い。だから逆に上へ向く必要がある。皆が手を取り合い上を向き、登る為に励まし合う必要がある」

「それが欲望を是とする事とどういう関係がある」
「欲望というのは性欲にしろ肉欲にしろ、身体、自然界が生み出した、自然的な欲求なんだよ。誰かの側に居たい。誰かの温もりが欲しい。美味しい物を食べたい。自己を実現したい。これを否定するから辛くなる。辛くなると自分を削る。自分を削れば後は破滅。それがいやなら人間を、生物を止めるしか無い」

「しかし欲望というのは争いを産む。それ程世の中は調和的では無い。矛盾が生じる」
「そう。生きるってのは矛盾なんだよ。辛く苦しい。あまり苦しいとその理由が欲しくなる。誰かのせいにしたくなる。何かに縋りたくなる。自分を責めたくなる。でもさ、箒。その苦しみに意味があると思う? 世界はただ機械的に動く。神様なんていない。その悲しみに価値を与えてくれる、助けてくれる存在なんて無いぞ」

「苦しみのみと言うならお前は何の為に生きている」

「俺を形作っているのはこの学園。学園その物を目指すと絶対化し自分を低くしてしまうから、学園を守ろうとしている。それが今の俺に出来る事、望む事。もう少し余裕が出来たら、明日は何か良いも物の為。もし優れた者が居るならそれを支え、目指す。俺も上へ上へと向く。皆がこれを繰り返せば、最後に居るのは―」

(一夏かもしれない)

「何だろうな」真顔で言い切る真に箒は「ここまで期待させてそれは無いだろう」と笑いながら言う。

「無茶言うな。俺は普通の16歳だよ。賢者じゃない」
「お前の何処が普通なのだ」
「酷いぞ、それ……だから、箒もまず胸を張って自分を尊重してみたらどうか、と思うよ」
「お前はそれを自力で見出したのか」
「まさか。教わったんだよ。大切な人から、ね」
「たいせつ?」
「あぁ。それより箒ありがとう。俺も初心を思い出したよ。これで腹をくくれた」

 部屋の時計を見れば午後10時を指していた。流石に限界だと、真は箒に帰宅を促し、立ち上がった。歩くつもりの彼は上肢を引かれ、仰け、反る。彼の視線の先には真の手を掴む箒の姿があった。15歳の少女の瞳には不安と決意の色があった。彼は箒の行動を見定めようと、彼女に向いた。

「真、私の答えを聞いてくれないか?」
「明日じゃ……駄目だな。分かった聞くよ」真はもう一度すとんと腰掛けた。右手は繋がれたままだ。かって2人が義理からデートをした時のように指を絡めていた。彼は戸惑いながらも少女を見据えた。

「たとえ話をするぞ」
「了解」
「仲の良い3人組が居たとしよう……なんだその顔は」
「別に。続けてくれ」
「そのうちの2人がある奴の事が好きで」
「うん?」
「残りの1人が毎日そいつの話を聞いていたとしたら、どうなると思う?」
「そりゃ……あ」

 彼はじっと見つめる箒の瞳に気づいた。彼女は指に力を入れる。彼は絡め返さない。

「前に言った事を覚えているか? 辛くなったら言うのだぞ、と」
「箒。俺は、」

「お前は何かに耐えている」
「箒、」

「お前はいつの間にか戦場に赴き、傷付きそれを繰り返してきた」
「やめるんだ。それを口にすると戻れなくなる、」

「今までもそうであったように、これからもそうあるのだろう」
「辛いのは何時か癒える。時が経てばそんな事もあったと笑える時が来るから、」

「私はお前と共にありたい」

 真は、堅く傷の付いた手に添える白い指の温もりを感じていた。これを得られればどれ程素晴らしいかも彼には理解出来た。

「真、私を頼ってくれないか。そうすれば私は―」

 だが、彼の有り様はそれを許さなかった。

「済まない。俺は、」

 箒の指から力が抜ける。

「箒に応えられない」
「……そうか」彼女は小さく呟くと、手を引いた。
「ごめん」彼は深々と頭を下げた。テーブルの縁に額が当たった。
「止めてくれ。それ以上されては私が道化になってしまう。色々面倒を掛けて済まなかったな」

 箒は目に涙を浮かべ笑うと立ち上がり背を向けた。結い上げた髪はなびく事無く、垂れ下がっていた。ゆっくりと歩いて扉を開き、部屋を出た。走る足音が聞こえたのはその後だった。

(俺はもうじき俺でなくなる。箒の事を忘れる。どうにもならない……仕方がない)

 向けられた真っ直ぐな好意。彼は右手を何度も握りかえしていた。部屋の静けさが耳に障った。





 臨海学校3 ここまで去年。ここからお正月。めでたく行きます。
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 彼は上機嫌だった。何時もと変わらない夜の空。

 ぽっかりと浮かぶ丸い月。建物の縁を走る廊下からは海が見えた。無機質な、微かに濁る硝子越しに、草木が見えた、虫が鳴いていた。何時もと変わらない、なんと言う事も無い、風景。それらが違って見えた。見るだけで、心が弾む。満たされる。

 それは彼が、初めて持つ物だった。誰もが持ち得る、今まで彼が持たなかった物。不安も迷いもあったが、それ以上に嬉しさが彼を満たしていた。

(しっかし、あの静寐がなー あんな癇癪持ちだとは。意外と言うか、人は見かけによらないというか)

「お恨み申し上げます、なんちって」
「一夏」
「ごめんなさい」
「……どうして謝るのさ?」

 一夏は振り向かずに答えた。

「いや、なんでもないぜ?」

 僅かに声も震える。木目の廊下に白い壁、白色光の照明が、天井をぽつんぽつんとゆっくり照らす。図ったかのように誰も居なかった。

「シャルと静寐って似てるよな」と頬を強ばらせて一夏は言った。怖いところが、とは言わなかった。「そうなんだ。静寐の事考えてたんだね」と彼女は言うので、彼はそれをやんわりと否定した。

 冷や汗を掻きながらゆっくり振り返ればそこに、笑顔のシャルロット。深みのある金髪を結い上げて、白い肌はほのかに赤く、透き通った碧の眼、天然のアイシャドウ、可憐と色気を織り交ぜて、笑顔に影を刺していた。

「一夏ってさ、もてるよね?」
「何処がだよ」
「清香とか、ティナとか、癒子とか、ナギとか、元気な娘から温和しい娘まで、たくさん」
「IS学園だぜ? 友達作れば女の子だけになるって」
「友達以上の関係にみえるかな。とても怪しい」
「言いがかりだぜ、それ」
「清香のブラを脱がそうとしてた」
「ズレたから直してたんだって! ……つか、シャルは何が言いたいんだよ?」
「女の子に振り回されてる、尻に敷かれてる」

 失礼な、と言わんばかりに口を尖らせる。

「だって静寐に怯えてるよ?」
「こういうのは尊重してるって言うんだぜ?」
「本当に?」
「当然。偉ぶるつもりは無いけどよ、やっぱり対等じゃないと“長続きしない”と、お、も、」

 思う、と言う彼の言葉は霧散した。うふふ、と底冷えする笑み。一呼吸のあと彼女は青ざめた彼の手をそっと手に取った。少女の細い十の指は、彼の手に絡まった。指を見ていた彼が視線を上げると一転。そこには二つの潤んだ瞳と、唇一つ。

「だったら、証拠見せて」

 彼は浴衣の襟の奥、深い影を虚に見ていた。


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 彼は、彼の手を引くシャルロットの後ろ姿をぼんやりと見る。結い上げたシャルロットの金の髪。ほつれが揺れる。歩む度に、脚を動かす度に、波打つ浴衣の皺が彼を夢の中に誘った。手を引かれ、彼が向かった先は彼の部屋である。手を引く少女がこの部屋に入るのは何ら問題は無い。何故ならこの部屋は、

 僕たち2人の部屋だからね。

 そう囁く少女の声は濡れていた。なんらおかしいところは無い、それは学園が割り振ったのだ。彼は繰り返し自分に言い聞かせると、ふすまの黒い引き手に伸びる、白い指を見つめていた。

 開いた扉の中は薄暗く、何かがうごめいていた。甘い息づかいが木霊のように何度も響く。彼はそっと手を暗がりに伸ばすと、手を引かれた。その先に座っていたのは、

「わー」
「どんどん、ぱふぱふー」
「織斑君、あそびにきたよー」
「シャル君、こっちこっち!」

 1年の少女たちだった。その数およそ12名。ぱんぱんと何故か鳴るクラッカー。畳の上のテーブルに敷き詰められたのは、トランプやら、人生ゲーム、オセロやら、定番の品々。我に返った一夏はいそいそと少女らに混ざり、彼な彼女は、泣きながら少女たちをもてなしていた。

 壱番手、シャルロット。彼女はテーブルに向いせっせとトランプカードを切っていた。

「あうあうあう」
「シャル君、どったの?」
「皆と一緒に居られて僕は幸せです……ダウト」
「きゃー」

 弐番手、一夏。それは何かと彼は冷や汗を垂らす。

「あっれーこれなんだろうー」ととぼけるのは少女B。手にしているのはビニールのシートで記号が印刷されている、合法的に手足を絡め、られる伝説の遊具だった。

「誰が持ってきたんだろうねー」
「ねー」
「折角だからやらねばなるまいてー」
「賛成ー」

 いやしかし、それはちょっと、いくら何でも浴衣でそれはマズイだろ。とそう思いつつも両腕を固められ、背中を押され、目の前の少女に懇願され、あっさり陥落する一夏であった。

 好青年と美少年。2人にもてなされ、至福の時を噛みしめる浴衣姿の少女たち。それを破ったのは廊下から聞こえる諍いのような声である。皆が手を止め眼を合わせ、ふすまを開けて見えるのは、廊下の角に集う少女の影と影。

 何事かと一夏が向かえば、騒ぎの主は鈴と本音だった。側に静寐も困ったように立っていた。

「鈴ちゃん、早く」
「離せって言ってるじゃない!」

 鈴は廊下の角の柱にしがみつき、本音はその鈴の腰にしがみついていた。

「えーと、本音がひっぱてるのか? それ」
「あ、おりむーが来たよ。鈴ちゃん」

 電気ショックを受けたように、身体を一瞬大きく震わせて、壊れた時計のようにぎこちなく一夏に向けた鈴の顔は、硝子越しに母を呼ぶ幼子の様な顔をしていた。鈴は一夏の姿をゆっくりと確認すると、慌てて騒ぎ出した。

「本音! もう良いでしょ!」
「鈴ちゃん、我慢はだめ」
「我慢なんてしてない! アタシにも都合があんのよ!」
「女の子に酷い事するつれない男の子は早く忘れると良いんだよ」

 何時もの間延びした声と何時になく強硬な態度の本音に、一夏は訳が分からず静寐を見た。彼女は言えないと眼を伏せた。

 皆に助けを求める本音の声。それに応じて周囲の少女たちが手を伸ばし、鈴を強引に一夏に宛がった。一夏は顔赤く戸惑いつつも、胸の中に収まる昔からよく知る小柄な少女を気遣った。

「ごめん。すこしだけ充電させて」

 箒が振られた、彼が行きずりの少女からそれを聞いたのは、鈴の背中に腕を回した時である。





 臨海学校4
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 一夏は、壁に背を預け座っていた。立てた右膝を肘当てに見立てて腕を置き、部屋の中央で布団を敷くシャルロットの後ろ姿をぼんやり見ていた。一夏が思い悩むのは近しき少女たち。そして、今まで考えないようにしていた、もう1人の少年であった。

“静寐ちゃんも箒ちゃんも、突き放す人なんて知らない”

(とうとう本音まで怒らしたか、あの阿呆は)

“箒が告って振られた”

(予想はしていたけどよ、あの大阿呆が)

 一夏は幼なじみである箒を泣かせた事に憤りがあった。だが彼が拳を振りかざすにはためらいがある。

(前の俺なら乗り込んだだろうな、多分)

 箒の様子を見に行った静寐は未だ戻らない。彼は同行の旨を伝えたが、箒と私は違う、優しさは時に苦しめる事になる、と追い返された。

(千冬ねぇも、鈴も様子が変だったし、俺もおかしい。最近こんな事ばっかりだ。本来の様にあるべきだと俺が言う。けど、俺は今の俺を否定したくない、そう感じてる……訳わかんねぇな)

「楽しかったね」

 不意に投げられたシャルロットの言葉。彼女は、漂う重苦しい気配を振り払わんと、先程まで笑顔が満ちていた12畳ほどの部屋を、確かめるように見渡した。彼は微動だにしなかった。

「おう」
「僕、こういうの初めてなんだ」彼女はちらりと一瞥を投げた。
「おう」
「でも、ビーチで遊べなかったのは残念だったかな」彼女は眼を細めた。不審を湛えていた。
「おう」
「……折角一夏専用の水着を用意したのに、ご披露出来なかったのは残念極まりないよ」
「おう」
「見たい?」
「おう」
「分かったよ、僕がんばるね」

 すっと静かに立ち上がるシャルロット。薄い艶やかな衣擦れの音が響く。夢見心地で見ていた彼は、

「ちょっとまてーい!」

 慌てて止めた。目の前には、朱みが混じる白玉の肌。うなじから連なる柔らかな肩には、1本の黒い肩紐が掛っていた。眼が丸まり唾を飲む。彼は頭を何度も振り、わき上がったそれを振り払うと、乱れた浴衣に手を掛け、戻した。

「何考えてんだ!」
「一夏が見たい、って言った」ぷくーと頬を膨らます。
「言ったけど言ってない!」
「訳が分からないよ」
「それはこっちのセリフだって! とにかく!」

 開いた浴衣の影。覗く白い肌と薄手の黒い布。肢体を描く曲線は神の業。顔赤く視線を逸らした彼は「浴衣直してくれ、目に毒だ……」と理性を総動員し声を絞り出した。

 不満を隠すこと無く帯を締め直したシャルロットは、両手を畳に付け、息荒く疲労を隠さない一夏にこう言った。

「それで、一夏は何を悩んでいるのさ」
「普通にそう聞いてくれって」

 彼は畳に突っ伏した。


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 仕切り直しを象徴する部屋の中央に置いた木目のテーブル。静寐に配慮した一夏の説明を、適度に補完しつつ質問しつつ、その一夏に向かい合うシャルロットは静かに湯飲みを下ろすと溜息を一つ付いた。ことりと音がする。

「成る程ね、真と喧嘩して負けたのは良いけれど、一夏自身どうして立ち直ったのかよく分からない。更に周りの、女の子たちとのよく分からない違和感に戸惑っている」

 部屋のふすま越しに、少女たちの笑い声が聞こえてきた。窓硝子越しに草木と波のざわめきが聞こえてきた。彼はふて腐れてこう言った。

「負けてねぇよ」
「話を聞く分には完敗だね」
「まだ未成年だし」
「完敗に乾杯をかけたのはよく分かったよ」

 冷や汗を垂らし湯飲みを口に運ぶ一夏だった。

「それで一夏は、真と喧嘩した時の自分をどう思うのさ」
「おかしかったと思う。なんつーか、身体に振り回されたような」
「静寐の大胆な仮説については?」
「よく分からん」
「鈴の態度について」
「……」
「なるほどね」
「なんだよ」
「何でも無いかな」

 背筋を伸ばし見事な正座の彼女は、物言わず、目を閉じ、澄まし顔である。静かな彼女の居住まいに、一夏は居心地の悪さを感じ、頬を掻く事すらためらった。湯飲みの音、彼は身をすくませた。

「心と体は表裏一体。健全な精神は健全な肉体に宿る。でも強すぎた一夏の身体はその調和を乱し、不安定になっていた。元々真にコンプレックスを抱いていた一夏は、敗北が引き金となっておかしくなった、そんな所かな」

「コンプレックスなんてねぇ」

「自覚が無かっただけだよ。一歳上だけど同学年だった真が、いつの間にか学生を飛び出し、働き始めた。皆が、織斑先生が頼り始めた。焦りと嫉妬……違うかな?」

 彼自身自覚していなかった、彼女の容赦ない指摘に、彼はただ押し黙った。

「自分と他人を比べるのは愚かな事だよ。自分を見据えて歩むべき。それに、静寐の仮説はあくまで彼女の仮説、彼女の解釈でしかない。僕からすれば一夏はブリュンヒルデの弟だから、思い悩む事は無いと思うよ。身体能力という事実はあるけれど、それが証明にはならない。織斑先生とディアナ様だって力を持っているけれど、人と同じように悩み苦しんでる。

 だから、特異な力を持っているからって超人と結びつけるのは早計じゃないかな。一夏を惑わした記憶もそう。誰にもそれを証明出来ない。記憶なんて不確かなものさ、人は自分の都合の良いように改竄するし、作り出してしまう事もある。それを証してくれる神様でも居れば話だけど、ね」

「女の子たちへの違和感は?」

 深々と溜息を付いた。更にとても長い。

「なんだよ、それ」
「何でもないよ。一夏はさ、静寐の告白を受けた時どう感じたのさ?」
「いやなんつーか、兎に角むかつくとか、可哀想とか、腹立つとか、あいつには勿体ないとか、支えたいとか、とかとか」

 咎める様な、拗ねる様な、彼女の視線に早口になる一夏であった。

「僕って損な役回りだね」
「なにが?」
「つまり静寐を見ていたらどうでも良くなった」
「そそそ」

「もうっ、何自慢げなのさ。あのね、一夏が違和と感じているそれは、きっと男の子にとってとても普遍的なものじゃ無いかな。他の娘たちに感じているのはその現れだね」
「よく分からない」
「それ以上聞くなら流石に怒るよ、僕」

 慌てて目を逸らす。口を閉ざす。沈黙が訪れたその部屋の窓からは夜の空が見えた。少女は静かに座っていた。押し黙り足先を見ていた少年は、はっと目を見開くと、天命を得たかのように、立ち上がった。少女は言った。

「役に立ったかな?」
「もちろんだぜ、シャルありがとう」
「何処行くのさ? もう消灯だよ」
「直ぐ戻る」

 少年の姿が、薄暗い廊下の先に消ええる。それを見送ったシャルロットは寂しさと頼もしさと、嬉しさを織り交ぜていた。

「男の子って本当にだらしないね。そう思わないかな?」

 振り向きもせず彼女は背後の主にそう言った。真はISスーツに身を固め、シャルロットの後ろに立っていた。彼は小さく笑っていた。

「最近自信ないな。シャルにまで気づかれるなんて」
「僕は別だよ。一夏の様子を見に来たの?」

 彼は黙って頷いた。

「篠ノ之さんの事聞いたよ。真が選んだ事なら何も言わない。でも、これからどうするのさ? ずっと1人で蒼月真と戦うつもり?」
「己が最後の敵か、シャルも上手い事を言う」
「冗談を言ったつもりは無いよ」
「大丈夫。もうすぐ片が付く。そしたら一からやり直すさ」
「言っておくけれど、女の子たち皆カンカンだよ」
「そうだろうな」
「一からっていっても学園に居場所ないかもしれない」
「それは困ったな。どうしようか」

 振り向き彼を見上げる少女は静かに微笑んでいた。

「仕方ないな。真の全て僕が肯定してあげるよ、好きにしなさい」
「はは、シャルは本当に15歳に見えないな」
「忘れたのかな? ……“私は”凶行持ちで16歳の子持ちだもの。かのブリュンヒルデの弟御の相手どころか、普通の恋愛すら難しい、いえ無理でしょう」

 下腹部をさすりながら、言葉を紡ぐ彼女はシャルロット・デュノアという失われた少女だった。

「気づいてたのか」
「もちろんです。一夏は彼女を見ています」
「なら、どうしてだ」
「だって関係無いもの。一夏が誰かを好きな事と……“僕”が一夏が好きな事とは関係無い。僕が好きでいさせてくれるなら、一夏が何をしても許すつもり」
「愛してるな」
「もちろんさ。壊れてしまいそうな程だよ」
「だったら、一夏が天国に行って、俺が地獄に堕ちたら、母さんはどっちに来る?」

 押し黙る彼女に彼は慌てて取り消した。

「済まない。意地の悪い質問した」
「良い事思いついたよ。部屋に入って」
「なんだよ。キスは困るぞ」
「もっと素晴らしい事だよ」

 彼女はみやの動作を確認すると、真の背に手を伸ばし、戸惑う彼に歯を立てた。左首筋の太い血管が破れ、血が噴き出した。シャルロットは唇を沿わせた。

「これで大丈夫。真は僕と、僕は真と一緒」

 待機状態のみや蒼い光を放ち、血が止まる。鋭い痛みに顔をしかめる彼を彼女は力強く抱きしめた。

「まったく、とんでも無い事をする。鮮血を浴びて、唇を赤く染めた見目麗しき少女か、シュールにも程があるぞ」
「勘違いしないでね。僕だってこんな事したくなかったよ。でも、真がどこか遠くに行きそうだったから、こうする他無かったんだ」

 彼女には破れた血の道が薔薇に見えた。血に汚れる事を、躊躇う事なく、疑わず、厭わない。その薔薇の匂いを確かめる様に顔を埋める少女を彼は抱きしめた。

「一夏も大変だ」
「一夏も真も、女の子を甘く見すぎだよ」

 2人は喉が奏でる心地よいリズムを感じ取っていた。


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 一夏はできたばかりのこぶの痛みに耐えながら正座していた。目と口を強く引き、しかめ面である。そこは千冬とディアナの部屋だった。

 急ぎ姉の元へと慌て、ノックを忘れ、姉の名前を呼んだ彼が、ふすまを開け見たものは、浴衣を手にした下着姿のディアナだった。こぶを作った主は言うまでも無い。一夏の意図を感じ取ったディアナは、静かに注意した上で席を外した。

「ぢ、ぢふゆねぇ、痛すぎだって……」

 一言発する度に割れんばかり痛みが襲う。眼には星が流れる。浴衣姿の姉に恨みがましい視線を送れば、入浴でしっとりと光を放つ黒髪の姉が居た。

「ふん。その程度で済んだ事を感謝するんだな」
「どごがだよ」
「現役時代のディアナなら今頃ローストハムでシマウマだ」

 糸で縛り付けられ、釣り下げられ、体中に糸傷を付けられる、と言う意味だ。彼は先程の光景を思い出し、顔を赤くし、青く戻し、繰り返し、最終的に青くした。

 危ない橋を渡った事を悟った彼は、自分を取り繕うかの様に、千冬にこう言った。

「千冬ねぇ、食後のビールは太るぜ」

 彼女は弟の言動に、やれやれと笑いながらビールの缶を開けた。

「どこかの誰かさんのせいで気苦労が絶えなくてな」
「何処の誰だよ」
「忘れたというなら思い出させてやろうか」
「いや、良いです」
「それで。わざわざ消灯後に何の用だ。くだらん用件なら覚悟しろ」

 折り曲げた膝は僅かに開き、背筋を伸ばし、握り拳は膝の上。居住まいを正した弟の真摯な眼差し。千冬は缶を持つ手を止めた。

「千冬ねぇ。俺さ、」
「なんだ」


「俺、好きな娘できた」


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 Oh……2013/01/06











































 外伝 Alice ※ネットスラング使ってます。ご注意下さい。
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・前の4月頃
 4月というのは卯月である。如月だっけ? そんな事どうでもいいね。今日は愛しの箒ちゃんがIS学園に入学する日なのだ。これで転々とする生活ともおさらばだよ、ごめんね箒ちゃん。本当は一緒に居たいけど、居たいけれど、おねーちゃんのお仕事はまだ箒ちゃんに知られる訳には行かないんだよ。

 とにもかくにも、箒ちゃんにおめでとうコール。あれ? でない。学園に居る事は衛星からも分かってるのに……居留守? そっか、箒ちゃんったら相変わらず恥ずかしがり屋さんなんだね♪

 また電話するとして、先に仕事を済ませよう。箒ちゃんのIS適正値を改竄しないといけないね、折角落ち着いて生活出来るのに騒がれたら意味ないからね。

 さてさて。学園コンピュータなんてこの束さんに掛れば、お茶の子さいさい、茶流彩彩……おや? 意外に手強いね。びっくり。でも甘い甘い、対応が素人だよ。はいはい、ファイルめっけ。おーSランクだ、流石箒ちゃん。Cにしとけばいっか。書き換え終了。

 そう言えばいっくんも入学したんだっけ? ついでに覗いてみようか。男子男子、男の子っと……あれ? あれれ? 強制ログアウト? え? え? こちらを探られてる? 逆探? おのれー たかが生体素子ごときが生意気な。

 こちとら量子コンピュータだからね、その名も“ラトウィッジ先生”。ふっふっふ、データごっそり抜いちゃうからねー ついでに操り人形に……ハッキング出来ない?!



・4月とちょっと
 あーーーー やっぱりだめだー どうやってもハッキング出来ない……なんで、なんで!? 学園のコンピューターは生体素子のアレテー・タイプ。出来が良い方だけど先生に比べれば圧倒的に格下なのに。試しに同型で試してみようか。例えばジャガイモの国のはー あっさり入れた。何度やってもあっさり入れた。他のもちょーかんたん。学園のが特殊仕様なのか。IS国際委員会のデータでは同仕様だけど。ちーちゃんに聞きたいけれど、でも直ぐあの紐女の肩持つからなー 思い出したらむかっ腹立ってきたよ。今日はここまで!



・多分5月末
 ふっふっふ。もー 束さん怒ったよ。麗しき姉妹を引き離そうなんて、神をも恐れぬ所業だね。そんなん居ないけどさ! ちょっと過激に行くよ。放置しておいた原理試作機を改造して、物理ハッキング! 押しても駄目なら引いてみな、外から駄目なら内側から、その名もトロイの木馬作戦。我ながら良いネーミングだね。本家と少し違うところは強引に打ち込むところだけ。丁度試合(クラス対抗戦)をやってるから、これがいいね。ショウタイム!

 負けた。

 戦闘に手間取ってろくすっぽハッキング出来なかった。ぐぬぬ、今回は引くけど次は覚えておくんだね! ……それにしても、いっくんの隣の子(みや)はなんだい? スラスターを直すなんて、ちょっと驚き。この子のマッピング見てみたいね。でもハッキング出来ないし……ふぅん。変な連中(ファントム・タスク)がちょろちょろしてる。



・6月中旬だったかな
 こいつら(ファントム・タスク)、いっくんを狙ってるのか。それにしても、この連中マヌケだね、いっくんの外出に気づいてないよ。……なるほど、アレテーにジャミングされてるのか。まーこの束さんが手を焼くぐらいだからね、仕方ない。

 ほーほー、ふぅん。この子(みや)が動くとアレテーが活発になるね。これを利用するとしよう。丁度、もう1人(サイレント・ゼルフィス)が学園の近くにいるし……って、何やってるんだい。アレテーの近くでドンパチしないと意味が無いじゃ無いか。あぁもう、不甲斐ないね。この連中の仲間(ハリエット王女の誘拐犯)に偽の連絡入れて、交通システムにハッキングして、いっくんを学園におびき寄せて、よーしよし、都合良くこの子(みや)が戦い始めて、予想通り防御が手薄になった。アレテーはみやと仲良しさんなんだね。よし、侵入開始!

 やられたーーーー

 くぬー! くぬぅぅぅ!! まさか、この束さんがダミー・ゴースト(アレテーが作った中身の無い自分のコピー)掴まされるなんて……この反応速度、先生と同等? それとも自己学習? 変。絶対おかしい。あの子(みや)のデータも偽装だったし…… ふーん、この子は“みや”って言うのか。38番機でみやか。

 あはは。他にも“みく”(39番機)とか“みな”(37番機)とか“みお”(30番機)とか“にな”(27番機)沢山だね。誰だろ? 良いセンス……おろ? なんだいこれ。“まこと”? どの子(コア)の名前? なんだ、この少年の名前かい。がっかり。

 それにしても気になるなー 気になるねー よぅし、ようし。束さん本気だよ。もう一回うちの子をお使いに出してみやを直接調査しよう。それにしても、さ。ねぇ、ちーちゃん。君は一体何を隠してるのかな?



・6月の終わり
 ふふふ。待っておいで、みや。もう直ぐ束さんの秘蔵っ子が行くよー お? お、おお! このメロディは!

 でーんわ、でんわー 電話には誰もでんわー でも箒ちゃんは別ー うふふ。“姉さん、その、あの、”だってー あーもう可愛いなっ! 箒ちゃんの少し低い声がおねーちゃんの大事なところにビンビンくるよ! 大丈夫大丈夫、みなまで言わなくて良いんだよ。おねーちゃん、ぜーんぶ分かってるからねー こうしちゃ居られない。急いで“紅”を完成させないと! おぉぉーー 燃えてきた!



・7月に入ったばかり
 よーしよし、箒ちゃん専用機ももう直ぐだね。ここをああして、こうして。ちん? なんだい、この間の抜けたマイクロウェーブ・レンジみたいな音は。しかも煙がもわもわー ごほごほ。おぉ、そうかそっか“プロメテウス”が完成したん…… はうぁ!? みやの事すっかり忘れてたよ!

 うーん。追いついた心を落ち着けるにはココアが一番だね。さて、どうしようか。プロメテウスをどうやって学園内に、みやに接触させるかが大問題。アレテーなら直ぐ気づくだろうし…… え? なんだい先生。ほーへー こいつら(ドイツ軍)いっくん達のデータが欲しいのか。ついでにこのお人形さん、いっくん達に確執・遺恨あり、と。それでそれで? 人間の縄張り意識を利用? そんなに上手くいくかな。



・それから1週間後
 おぉ、あっさり侵入出来た。流石先生、人間の事が分かってる。慣例とか縦割り行政とか、馬鹿すぎだね。もっともそのお陰でアレテーの検閲を抜けられた訳だけどさ。プロメテウスもこの子(シュヴァルツェア・レーゲン)に取り付いたし、接触する確率もテン・ナイン(99.9……と9が10個並びます)だし、順調順調。

 それにしてもA.I.Cか。ご大層な名前の割には不完全も良いところだね。今度のうちの子(紅)は凄いよ、ちーちゃん。



・プロメテウス、フィールドに立つ
 よーしそこだ! いけ! あぁ惜しい~ え、何? 先生。コーラとポップコーンは身体に悪い? 何を言ってるんだい。お約束だよ。あぁ良いところだから邪魔しないでくれないかな。あれ? 箒ちゃんも居るじゃないか。あ、うわ、あー もー 箒ちゃんったら無茶するね、逃げないなんてさ。いっくんが居るせいかな? おねーちゃん冷や汗掻いたじゃないか。まったくもー あの気の強さは一体誰に似たんだろうね…… あーやだやだ、嫌な事思い出しちゃったよ。コーラコーラ。

 へー 流石みやだね、よく動く。それにしてもおかしい。幾ら改修されたとはいえ、能力が高すぎだよ。おろ? 箒ちゃんのお目当てはこの少年かい。 成る程それで逃げなかったのか。まてまて、という事はいっくん振られた? まぁ仕方ないか。箒ちゃんの事全然気づかなかったしね。それにしても目付きわっるーw 人相わっるーww 箒ちゃんったら趣味悪いwww うぷぷ。おねーちゃん心配だよwww 義手付けたいね。こう“うぃんうぃん”って奴www はいはい、草刈りますよwwwwww

“足手まといだ。下がれ”

 むか。むかむかむか。なんだいこの子! うちの箒ちゃんになんて言いぐさだい! 箒ちゃんに好かれるなんて、身に余る光栄だってのに! おぉそうだ、こうなったらコア外部強制介入装置でこの少年もろとも……いやしかしそれだと箒ちゃんが。へ? ナノマシンが強制停止? 制御を奪われた? みやにそんな芸当が? あれ? 少年の目の色が? カテゴリー3のナノマシンを? ……この少年、もしや。

 これは確認する必要ありだね。よし、次の作戦を立てないと、ってなんだい!? さっきから“ぴこんぴこん”って騒がしいねっ! ……いやっほぉぉぉぉう! がたっ 箒ちゃん専用機完成っ! 嬉しさのあまり、思わず“がたっ”って言っちゃったよ!

 こうしちゃ居られない! 最新式、箒ちゃんレーダーを作らないとっ! 箒ちゃーん♪ 待っててねー おねーちゃん、今行くからねー

 今ここ。

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 頭に血が上ると周囲が見えなくなる。そしてその頭に血が上りやすい。この姉にしてあの妹あり。そんな感じ。あと、たばねっ党の方、ごめんなさい。



[32237] 06-05 Broken Guardian 3
Name: D1198◆2e0ee516 ID:3516d58f
Date: 2013/01/12 00:08
 Broken Guardian 3
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 岬の先、灯台の足下。真はみやを纏い立っていた。見えない碧の眼を開き、見下ろし、見渡せば、複雑に入り組んだ櫛の様なリアス様式の海岸。切り立つ崖と海の間、砂漠で水を掴む様な狭い場所に、黄色く白い砂浜があった。

 その浜には複数の訓練機を取り囲む、6名の教師と多くの少女たちが見えた。岬を越えてたどり着く手前の浜には、最強を謳われる2人の女性と専用機を持つ数名の少女と、1人の少年の姿が見えた。

 深みのある金髪の少女は、鮮やかな金髪の女性の側で嬉しさを隠すこと無く話していた。黄色い結い布のツインテールの少女は呆れる様に、その2人の側で佇んでいた。

 空と海の境目からやってくる、湿った風が彼の髪を凪いだ。白く高い雲が空を動いていていた。黄色い太陽が足下の草木を容赦なく照らす。踏みつける様に地面を擦ると、黒い土が見えた。小さな虫たちが働いていた。生きる為に。

「一夏。俺は、お前に謝りはしない。俺も間違っていたとは思わないから。でも。お前、こんな気持ちだったんだな」

 肉眼では、豆の様に小さい黒髪の少年は、姉でもある黒髪の教師の近くで、青銀の刀を力強く振っていた。彼は目を瞑り、みやに向き合った。彼の頭上、遙か先では白銀の少女が待っている。休息の時間は余りない。

(セシリア・オルコット。1年1組。イギリス代表候補……違う、調べて分かる事を残しても意味が無い)

 彼は頭の中に散らばった破片をかき集めるが、形にならないと悩んだ。紡いでは千切り、結び直してはまた分ける。ようやく形になった頃、

(手紙にしては奇妙だな、これ)

 風が吹いた。

 ふっと沸いた言葉を、一粒も漏らさぬ様に、心の中で繰り返した。



-陽の光を浴びて、その有り様を変える金色の髪-

-胸に渦巻く思いは、興味、怒り、後悔、そして-

-この時を、どれほど待ち焦がれたか-

-女性にこれほど執着したのは、あの人以外に無い-

-セシリア・オルコット-

-今日、私の持つ全てを君に捧げる-

-さぁ、決着を付けよう-



(私? 俺だろ……あれ?)
「その首の包帯どうしましたの?」

 目眩を抑え、振り返った彼はその声の主を探した。足下は低すぎた。視線は草の上を走り、もう少し上へなぞると丸太の階段が見えた。青いISスーツを纏うこんじきの髪がなびいていた。陽の光を浴びて、輝いていた。

「君か」

 真は蒼い瞳の少女に話し掛けた。

「随分と、ご挨拶ですわね」

 彼女は少し気分を害した様に、両手を腰に置いた。肩をいからす。

「すまない。他意は無い。だがこの時間は装備試験の筈だ。君がここに居て良いのか?」
「どこかのどなたかが、夜も朝も一向に捕まりませんの。不本意ですが止むなくですわ」
「通信で済ませれば良いだろう。もしくは伝言という手段もある」
「直接、確認したい事があります」
「俺には立場もあるが……まぁいい。こちらも手間が省けた」
「なんのこと?」
「俺も君に用件がある、という事だ。レディー・ファースト、そちらからどうぞ」

 セシリアは感じた違和を疑問という言葉にするか迷ったが、胸につかえたままでは不快だと先に片付ける事にした。なにより、その回答次第では違和の疑問に意味が無くなる。

「ミス・ボーデヴィッヒの事です。こう言えばお分かりですわね?」
「それは質問になっていないと思うが」
「白を切りますの?」
「彼女への疑問なら直接聞くと良い。プライベートは答えられない」
「なるほど、プライベートな関係だと認めますのね」

 苛立ちを募らせる少女が理解出来ないと、彼は肩をすぼめた。その仕草が彼女の神経を逆なでる。

「確認したいが、君の言うプライベートとは何だ。恋仲を指しているなら違う」
「怪しい物ですわね。彼女は真と同じ匂いがしましてよ」
「随分と過激だな。肉体関係を持った事はないぞ」
「同じ日常を共有する者同志が持つ雰囲気と言っています!」

 彼女は声を荒らげた。

「それならば当然だ。彼女とは寝食を共にしている」

 ぽかんと口を開ける。

「よ、よくも。ぬけぬけと……」
「繰り返すが、そう言う関係では無い」
「その様な虚言が通用するとでも!?」
「気を静めてくれないか。男女とは言え関係は様々だ。男女のシェアハウスは欧州でも一般的だったと思ったが?」

「若年では一般的ではありません!」
「凰鈴音との同居歴もあるが」
「人目が厳しい学園寮という特殊な環境を持ち出し、だから看過しろと? しばらく見ないうちに随分と言い訳が上手くなりましたわね! “前は”大目に見ましたが今回は容赦しませんわ!」

 怒気を強める少女の様子をおかしく思い、彼は記録を読む様に視線を泳がしたが、申し訳ないとこう言った。

「前とはなんだ? 覚えに無い」

 真にとってエマニュエル・ブルワゴンは一つの傷だった。そのため彼は無意識に拒否し、先送りし、その結果記録の機会を逸した。ラウラもそれに触れる事を躊躇した。

 セシリアは“2人だけが共有した思い出を、ラウラに話した”その疑念に捕らわれ、冷静さを欠いていた。誠意を見せない真に裏切りを感じたのである。握り手と唇をきつく結び、怒りと悔しさで身体を震わせ彼女はこう言い放った。

「もう結構です」
「疑問を残したままというのは俺の好みでは無いのだが。ラウラの事はどうする?」
「回答は男などそのような取るに足らない存在だった、と言う事ですわ。正しく時間の無駄。この様な不埒な者に心を許していたなど、家に母に顔向けできません!」

 蔑む様な、見下ろす視線とその気配、彼は理解出来なかった。彼女は今まで誰にも見せた事が無い、感情を露わにしていた。

「気分屋で激情家だな。冷静だが情に厚く、慎重だが大胆。聞いているのと随分違う」
「誰のせいだと思っていますの!? 私の信頼を裏切っておいて!」
「信頼か……それを言われると辛い」
「これが真とも最後ですわ! 用件とやらをお言いなさい!」
「そうしよう。恐らくこちらを片付けないと話が進まない。君に伝言がある」
「伝言?」

 彼は1つ息を吸うと、碧い瞳を彼女に見せた。ゆっくり開く彼の唇は、表情は、身内の訃報を知らせた古い友人であり、姉であり、使用人の姿と重なった。

 セシリアは言葉を失い、魂が抜けた様に口を開く。自分が半歩後ずさった事に彼女は気づいていなかった。初めて事の重大さに気づいたのである。彼女の目の前には、かって有ったように今そうで在るように、既に確定した事実があった。

「俺がこの言葉をセシリアに伝えているならば、それはその時が来たという事。それを前提に、こうして思いを残している。少し回りくどいが聞いて欲しい。

 俺は少し前から記憶が戻り始めていた。それは少しずつで、今これを紡いでいるこの時も一つ、また一つと思い出している。未だ不明点が多く、断片的でよく分からないけど、小学生までなら説明出来る程度には分かっている。だから、それを伝える。

 俺は日本人で、父母姉を持ち都内在住。身内の名前も自分の名前も分からないから家族の消息は調べていない。だから、この住所にあるマンションは、俺の家かどうかは分からない。

 ラウラの話によると俺はどうやら軍人だったらしい。銃器の扱いに長けているのはこれが理由。聡明なセシリアの事だ、この話を聞いて年齢を疑問に思った事だろう。

 答えたいのは山々だけど残念ながら今の俺は回答を持っていない。

 日本に軍隊はないから、少なくとも外国だと思う。けど、未成年を入隊させる様なところは真っ当じゃ無い。恐らく俺は非公式の存在である可能性が大きい。

 死んだ黒髪の少女の記憶、死んだ金髪の女性の記憶、俺は記憶を失ったのではなく捨てたのではないかって考えてる。恐らく何らかの事故、忘れてしまいたい様な事をしでかし、それを封じた。その俺がどうなったかは、セシリアがよく知るところだから、今更残さない。

 ひょっとしたら気にしてるかもしれないから言うけど、ラウラに話した訳じゃ無い。詳しくは学園の機密に関わるから言えないけれど、とある事態でラウラは俺の過去を知った。俺もラウラの過去を知った。納得がいかないけど、ラウラは俺の知らない俺も知っている。聞く前に教えないとか言われて、実は少しむかついてた。ずるいだろってさ。

 ラウラの印象が外観と異なるのはそのせい。今の彼女は俺の記憶、つまり情報に振り回され気味で時々突拍子も無い行動に出る。だから彼女に対して配慮して貰うと助かる。ラウラは双子の様なものだから。この事実を知るものは恐らく学園で2人しかいないし、頼める人に心当たりが無い。一夏に頼むのは色々難しくてね、やめたよ。

 でで、ここからが重要。1回深呼吸する事。した? なら言うよ。

 古い記憶を少しずつ思い出している俺は、新しい記憶を失っている。その記憶というのは、俺がこの学園で発見されて刻んできたこの1年と3ヶ月の記憶。

 それは、俺が、この学園で発見され、千冬さんとディアナさんに助けられ、先輩たちに出会い、おやっさん達、これは蒔岡機械の人たちだけど彼らに世話になり、この学園に来て沢山失敗して、皆と遊んで、笑って、一夏と馬鹿をして、セシリア。君と出会った記憶だ。

 つまり蒼月真と言う俺そのものが少しづつ失われている。つまり、今セシリアの目の前に居る俺は、俺であってもう俺じゃない。

 済まない。

 誰にも言うつもりは無かった。

 済まない。

 言ったところで止められない。これはこう言うものだから。

 考えてみたんだよ。学園に来てからの3ヶ月は去年1年間に比べて激動だった。お世辞にも良い出来事じゃ無かった。

 俺がここに立っている原因とその結果。一夏と俺を中心とした全ての現象。俺が全てを引き起こしているとしたら。

 出来るだけ俺の影響を減らしてみようとしたけれど、遅かったのか、足りなかったのか、それとも根本的だったのか、結局駄目だったみたいだ。全ての流れは本来の姿に戻りつつある。俺が記憶を無くしているのも多分その一つ。

 トラブルを考えて、この手紙を残したけど、それは言い訳だ。結局セシリアに知っておいて貰いたかったんだろうと思う。俺は最初から最後まで君に頼りっぱなしだった。本当に済まなかった。拳銃は俺から受け取ってくれ。

 目の前の俺に権利は無いし、セシリアとの思い出が無い俺にとってその拳銃は拳銃以上の意味は無い。元の持ち主が目の前に居れば渋る事は無いだろ。

 まだ伝える事はあった様な気がするけど、もう思い出せないや。だから、ここで終わるよ。さっき、ひょっとしたらとか言ったけど、それなりに気にして貰えたら嬉しい。セシリアとの3ヶ月は蒼月真にとって、とても掛け替えのないものだった。本当にありがとう……以上だ」

「そうですの。もう私の真はいませんのね」
「これがその拳銃だろう? 返す、はおかしいか。受け取ってくれ」
「これからどうなさいますの?」

 セシリアは差し出された銃に眼も向けず歩み寄った。青いイヤリングと瞳が揺れていた。

「俺から俺への伝言もある。もう1人の俺の頼みだ。叶えない訳には行かない」
「まだ覚えている事は?」
「黒の人と金の人。ラウラと一夏。それも時間の問題だろう」

 少女の両手にある、鋼の拳銃は涙に濡れていた。

「もう捨てないと言ったのに」
「済まない」
「嘘つき」

 端正な顔を幼子の様に歪ませた少女は背を向け走り去った。彼は見えなくなるまでその姿を追っていた。

「私の、か。彼女は俺の事が好きだったみたいだな。そして俺もそうだった……相思相愛で3ヶ月も何をしていたんだか、馬鹿め」

 その彼の物であって彼の物ではない悔恨は波の音が掻き消した。


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 戻った彼を出迎えたのは蒼い空だった。何処までも続き、限りなど無い様に見えた。足下には広大な海が広がっていた。水の蒼に混じり、白い雲が所々に浮かんでいた。さながら水面に浮かぶ雪の連峰である。

 雲の隙間から覗くのは、伊豆諸島 新島。その60km先には伊豆半島 石廊崎がある。時速400キロで飛ぶ彼は、知っているはずの皆が居るその先を、じっと見ていた。

 みやが僚機の通信を知らせると、彼の意識内に白銀の髪が舞った。

『放浪者(ワンダラ)1、こちらワンダラ2。聞こえるか』
『感度良好。針路0-3-5度で飛行中。どうしたワンダラ2』

 大気分子が原子に別れ、その原子も激しく励起と遷移を繰り返すプラズマ環境下ですら通信可能なIS間通信において、感度良好という返事に意味は無い。だが2人は個人的嗜好で取り決めていた。

 真はラウラが飛行している10時の方向、30キロ先に視線を移した。

『緊急では無い』

 今までと異なる、もしくは初めて耳にする、不安と後悔を湛える彼女の口調。彼は怪訝に思いながら、沈黙を持って彼女の言葉を促した。

『2人に、教官に言わないのか』

 ラウラが言う2人とは千冬とディアナの事である。

『何をだ?』
『お前の記憶、状態の事だ』
『意味が無いと言ったのはラウラだ』
『確かにそうだが』
『どうした? オルコットとの事を知り急に迷いが生じたか』
『そう言う訳ではない。気になっただけだ』

『記憶という情報をかみ砕いて情緒が豊かに成ってきた、か。結構結構。だが振り回されるなよ。それは素晴らしいものだが厄介な物でも有る』
『お前は本当に意地が悪い。言い訳すら許してくれない』
『……済まない。言い過ぎた』
『真。お前は、』
『あぁ。情緒が薄くなっている。心ない発言をしたら指摘してくれ』

『私は判断に自信が無くなってきた。あのオルコットを見てこれで良いのか、とそう感じた。真と、皆の関係が非常に気になる』
『もう1人の俺は今の俺より強いのだろう? そしてラウラはその俺に信頼を置いた。なら、それで問題ない』

『お前から奪ったのは私かもしれない』
『その様な考えはよせ。俺の全てを知っている人が居る、これは俺にとって救いだ。血も残せたしな』

『……誰に?』
『デュノアにだが』
『お前― 』
『違う。落ち着いて彼女の事を思い出せ。血液的な意味だ』
『首の包帯はそれか。ふん。覚悟を決めた人間というのは本当に厄介だな』
『できればもう少し時間が欲しかった』
『違う、デュノアの事だ』

 彼は残念だと、みやが示す記録を読んだ。

『そうだな。女の子はとても不思議だ。とんでも無い事をする』

 ラウラが言うのはM(エム)とシャルロットがフランスで刃を交した事だ。地の利が有ったとは言え、実力的に圧倒するMを彼女は退けた。彼女は腕に抱く真を守らんと、実力以上の力を発揮した。

『からから笑っていたと思えば、次には怒り出す。忘れたと思えば、突然思い出して怒り出す。優しいと思えば厳しく、やはり怒り出す。理解出来ない。だが、気がついたら守られていた。遠いけど近い。大きくて暖かい。その彼女たちが居る学園の為に立つ、銃を持つ俺にとっては出来すぎだ』

『それは誰の事を言っている』
『一般論だと思ってくれ。だから、なんと言う事も無い。だから、ラウラが気にする事は無い』
『私も、そのような存在に成れるだろうか』
『成れるさ、ラウラも女の子だ』
『情緒が薄くなると言うのは別の意味でも厄介だな。気恥ずかしい事を真顔で言う』
『愛の語らいにしては少しムードが無いな。今晩どうだ?』
『勘違いするな馬鹿者。私は慣れていないだけだ』
『それは残念だ……済まないラウラ。俺の最後まで付き合ってくれ』

 彼の手元に光の粒子が現れる。結び形となる。アサルトライフルを構えた彼は西の空を見た。感じ取った彼はハイパーセンサー越しに見える発光体を見た。

『受諾。こちらでも確認した』

-警告:高度300キロメートルにてUnKnown確認-


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-警告:UnKnown、秒速7kmにて地表に向け移動中。地表到達まで42秒。アレテーと接続、逐次状況通信開始。アレテーより立案作戦、受信-

 2機の黒いISが空を駆け登る。高度11Kmを通過、対流圏を抜けた。

『ワンダラ1へ。こちらではUnKnownの走査が出来ない。妨害されているようだ』
『ワンダラ2へ。こちらで確認する』

-報告:ECCM(対電子妨害手段)作動。UnKnown走査開始。測定よりL.E.O.(低軌道:Low Earth Orbit)より大気圏に突入したと推測。民間、軍用、共に飛行計画に無し。

 円錐形状、ECM(電子妨害手段)装備、金属及びエネルギー反応あり。敵性人工体と判断。緊急時対応に該当。シュヴァルツェア・レーゲンは高度14kmにて停止。A.I.C.及び120mmリニア・レールカノン・スタンバイ-

『ワンダラ1へ。こちらは位置に付いた。準備完了』
『ワンダラ2へ。了解。こちらは上昇を続ける』

-報告:JTIDS(統合戦術情報伝達システム)作動。アレテー及びシュヴァルツェア・レーゲンと接続。3点測定により精密軌道予測計算開始。

 軌道予測……伊豆半島 石廊崎への落下確率90% 洋上船舶、周辺住民、一般生徒の避難及び専用機の緊急展開を実行中。学長、織斑千冬、ディアナ・リーブスの承認確認。

 “攻撃許可”

 30mm対物ライフル“チェイタックM200i”に量子交換。30mm炸裂弾頭装填-

『ワンダラ1へ。学長とは誰だ?』
『ワンダラ2へ。俺も面識が無い。目標位置(高度19km)まで後3秒、2、1、到着。接触まで20秒』

-報告:スナイパーXR(センサーポッド:iAN/AAQ-33)作動。狙撃モード。P.I.C.出力最大-


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 アレテーの立案した作戦はUnKnownの破壊ではなく、30mm弾頭による軌道、つまり落下地点の変更であった。

 学園の少女たちに迫るそれの、推定質量は0.8トン。移動速度は秒速7km(音速の20倍)に達する。質量を考慮すれば弾頭は大きい程都合が良いが、みやの新装備であるIS用120mmカノン“黒釘”の通常弾頭はAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾:そうだんとうつきよくあんていてっこうだん)である。

 安定翼により命中精度を狙うこれは、外乱の影響を受けやすくライフリング~ジャイロ効果によって精度を狙う金属弾頭に劣るためだ。予想射撃距離は2.5から3km。黒釘では分が悪く、何より新装備故の熟練度に問題があった。

 30mm炸裂弾頭による命中後の破裂、衝撃でUnKnown表面を高速で流れる大気を乱し、軌道を逸らす。これが要点となる。ラウラでは無く真が選ばれた理由は、作戦開始時点で彼がUnKnownに近かった事もあるが、秒速7kmで移動する的を狙う精密射撃はラウラに向いていなかった。

 もっとも、真にとっても荷が重い事に変わりが無い。彼の能力は劣悪環境下でも精度を維持出来る、近中距離までの射撃であり、ロングレンジは不得手としていた。付け加えれば、索敵能力が常識レベルの、自衛隊及び在日米軍は初動に遅れ、援護は期待できない。

 しかし手持ちのカードに文句を言っても始まらない。時々刻々と迫る、目の前に突き付けられた現実は変わらない、と言う事だ。

 空の蒼が黒に。水平線が弧を描き、雲の凹凸が絨毯の様になだらかになる世界。真は成層圏で銃を構えた。

『UnKnownの画像を捕えた。胴体がオレンジ、後部末端がグラス・グリーン……何というか、にんじんだ』
『野菜の、か?』
『肯定』
『カモフラージュだな。騙されるな……A.I.C出力最大』
『秒速7キロメートルの鼻先を狙撃だ。ラウラ、祈っててくれ』

 真の弱音を聞いたラウラは己の役割を己に問い掛けた。

 作戦は数段階に分けられる。第1段階、真による攻撃。第2段階、120mmカノンによるラウラの攻撃。第3段階、A.I.C.による阻止。第4段階、低高度で展開する一夏ら専用機持ちによるUnKnownの破壊。段階が進むにつれ難易度も被害が大きくなる。

 PIC(慣性制御)により微動だにしない身体に神経を研ぎ澄ます。今彼が担っているのは学園の少女たちと盾になるラウラの命だ。失敗は許されない。

 彼は意識内に映る、数秒後のUnKnownの姿を凝視する。ストレスによる身体の変調を、彼自身の精神力とみやが押さえ込むが、極度の緊張により汗が噴き出し始めた。呼吸が乱れ始める。彼のバイタルデータをモニターしていたラウラが唐突にこう切り出した。

『時に真』
『後にしてくれ』
『私には経験が無い。初めてがニンジン、というのは不憫だと思わないか?』
『……はしたないぞ』

 カウンタがゼロになる。彼は僅かに口元を緩ませて引き金を引いた。

 薬莢内の炸薬と酸化剤が混ざり合い、爆発、弾頭を撃ちだした。閃光が黒の機体を一瞬白く染めた。ずぶとい衝撃がみやのフレームを貫き、慣性を打ち消す高周波が打鳴った。発砲音が地球と宇宙の境に響き渡る。

 弾丸の速度、方向、質量と形状。大気の揺らぎ、地球の引っ張る力。宇宙から注がれる線と粒。それらが引いた空の道を鋼の弾頭が疾走する。

 弧を描きながら、二つの鋼の玉が水の玉に引かれ墜ちて行く。己の鼓動を聞きながら、真は水に浮かぶ火花をみた。ラウラは魂を吐き出さんばかりの深い息を吐いた。

『軌道の変更を確認。予想落下地点は伊豆諸島 神津島 南南西100km。見事だ……どうした? こういう時ぐらい笑ってみろ』

 ラウラが緊張を解かない真の様子を訝しがっていると、

『ワンダラ2へ。警戒を継続してくれ。これから追撃に移る』

 真は直感に従い急激降下を開始した。

『ワンダラ1へ。こちらワンダラ2。どういうことだ』
『あれは危険だ。撃墜する』

 僚機の変貌を理解しようと彼女がUnKnownに注意を向けた瞬間であった。何の前触れも無く軌道が変わった。その落下地点は皆が居る場所であった。

 みやとシュヴァルツェア・レーゲンが主に警告を放つ。ラウラが急ぎ撃ちだした120mm超電磁加速砲弾は、俊敏な機動で“回避”され、シュヴァルツェア・レーゲンを通り過ぎた。

『なんだあれは!?』断続的に撃ち出す砲撃を全て躱され、ラウラは声を荒らげた。

 彼女の狼狽には理由があった。大気圏に再突入するRV(Re-Entory Vehicle:再突入体)は高熱に曝されるため多量の燃料を積めない。つまり大気圏突破後の高機動体はIS以外にあり得ないはずだった。バーニアすら、飛行翼すら持たない目の前のUnKnownは常識の外だった。

『黒騎士(本部)へ こちらワンダラ1! 作戦失敗 至急迎撃してくれ!』真が悲痛な叫びをあげる。

 焼き切れんばかりにスラスターを吹かすみやをあざ笑うかの様に、それは伊豆半島の先端に消えていった。絶望が2人を襲う。彼が手を伸ばしたその瞬間、蒼い光が瞬いた。

 一条の光弾がUnKnownに迫る。それは躱さんと軌道を変えた。迫る光弾は、逸れること無く、吸い込まれる様に“軌道を変えた” 着弾。次々に弧を描く光弾がそれを襲い、喰らいつき、貫いた。5km以上先の高機動体を狙う、超長距離 偏光制御射撃だった。

 火を噴き、破片をまき散らしながら海に墜ちて行くそれを、真は呆けた様に見つめていた。僚機の通信に我に返る。彼は意識内に映る、大型レーザーライフルを携える、蒼穹の機体を見た。それは金色の髪をなびかせて、蒼い瞳を彼に静かに向けていた。真は息を呑んだ。

(オルコットが偏光制御射撃を出来るとはな。今まで隠していた? 違う。隠す理由などない……今朝のアレか)

 それに考え至ったラウラは笑った。それはとても静かだったが、彼女は心の底から笑っていた。

(やってくれる。それ程私が気に入らないか)

 セシリアは静かに言葉を発した。ラウラにはそれは宣戦布告のように聞こえた。

『ミス・ボーデヴィッヒ。私、貴女に話がありますの』
『良いだろう。ワンダラ1へ。ニンジンの確認を任せた』
『待てラウラ。状況を説明しろ』

 光が瞬き光弾が真に迫る。その理由に思い至らない彼は、躱した後その射手を睨み、威圧を込め、開き掛けた口を慌てて閉じた。

 彼の目の前に8発の光弾が迫る。最初は直線で間もなく曲がった。次も直線だったが僅かに遅れて曲がった。3発目も4発目も、曲がるタイミングは違えど、8発目まで同じだった。

 ラウラには繰り出される8発の光の軌跡が、檻の形になっている事に気がついた。回避を続けていた真は動きを読まれ、徐々に追い込まれ、動きを封じられた。

 最後に撃ちだされた光弾の9発目。それは水面を走る波のように、繰り返し弧を描き、最後は何ものも妨げられない、真っ直ぐな光の矢。

 その光弾は虜となった彼のアームガードを焼く。黄色い光弾を、蒼白くなるまで収斂させ、みやのエネルギーシールドを瞬時に突破したのである。後にケージ(鳥かご)と呼ばれるセシリア・オルコットの最初の技であった。

 セシリアを知らない、回避に自信を持つ真は、焼けただれる左腕を唖然としながら見つめていた。ラウラはその真に笑いながらこう言った。

『その辺にしておけ。これ以上真が駄々をこねると、話がこじれる』
『女同士の話ですの。殿方はご遠慮してくださらない?』

 2人の気配、威圧、迫力を感じ取った彼は、渋々承諾した。

『……事後で構わない。説明を求める』
『ふむ。善処しよう』
『俺が悪かったと懇願するならば、考えて差し上げますわ』

 堪らずセシリアから目を逸らした真は、自分の行動に戸惑った。それに気づいたラウラは笑いを堪えきれなくなり、吹き出した。その彼を見たセシリアは、威圧を霧散させこう静かに伝えた。

『真』
『何だ』
『私はここに居ます。ですから、好きになさいな』
『それはどの様な意味だ?』
『秘密ですわ』

 ラウラは面倒な2人だと、心の底からそう思った。


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ラウラと真のやりとりですが、この時点で真は箒とセシリアの事を情報としてしか認識していない為、あまり気にしていません。伝記を読んでいる感覚が適当でしょうか。

だから。またセシリア泣かせやがったかこの阿呆。3度目だこの大阿呆。もうあれだ。セシリアは真を見限って、一夏に鞍替えしても良いと思う。誰も非難しない。

 このSS、NT/NTRだし、と私が思っていたのはニンジンが墜ちてくるまででした。あれ? 何この展開。あれれ? 怒るのは良いのですが、なんか腹立つ。真氏ね


2013/01/11




【没カット】
まこと『あのニンジンは危険だ。撃墜する』
らうら『なんだあのニンジンは!?』

好き嫌いはいくない。


 以下、ネタバレかもしれない作者のぼやき。






































セシリアは真の事は全て分かっているという、満足感がありました。優越感か、安心感かも知れません。ですので、身分の違いがあっても、静寐本音や鈴に対し余裕があった訳です。姉ズ2人は色々な意味で別カウント。

ところが同じ15歳のラウラが真の事を全て知った。セシリアの事を忘れているのにラウラはまだ覚えている。望めば共になれるラウラがあとからぽっと沸いた。セシリアはこれが看過出来ず、とうとう怒り心頭。

 真のボコ負けですが、元々高スキルで頭の回転の速い彼女です。ブルー・ティアーズとの相性がMAXになり、精密機体制御や偏光制御射撃など、今まで出来なかった戦術が可能となった……という設定です。何より真の間合い、癖を知り尽くしていますし。

 従って、この回でセシリアは真にとっての相性最悪になりました。射程距離に入る前に落とされます。


次回、うさぎのお姉さんが本編登場!(次回よりハード入ります)



[32237] 06-06 Cross Point
Name: D1198◆2e0ee516 ID:3516d58f
Date: 2013/01/15 20:20
06-06 Cross Point 1
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 彼の内には一冊のノートが在った。彼を形作る記憶より更に深いところに刻まれ、それには文字が隙間無く記されていた。

 抽象的、心変わり、気分屋、理屈が通用しない、独自の価値観をもつ。数ページ目を通すだけで、それらがある存在の質に関して書かれている、そう気づくだろう。

 昨日と今日どころか、数分前と今、時々刻々と変わるその存在。数え上げれば際限が無く、それをある者は我が儘と呼び、ある者は情熱、またある者は猫かぶりと呼んだ。彼は困惑と尊敬を込めて“奔放”を選ぶ。

 空を駆け抜ける風の如くつかみ所無く、清流を流れる水の如く清らかで。

 そのノートの表紙には“女性とは”と記されていた。


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 金と銀、2人の少女と別れた彼は、撃墜したUnKnownの側に降り立った。それはオレンジの円錐形状で、末端からは小さい緑色のパイプが何本も飛び出していた。海に横たわり、ゆらりゆらりと浮かんでいた。先程まで吹き出していた煙はもう無くなっていた。

 みやのセンサーでも深部が走査できない為、焦げた人参としか形容の出来ないそれに、彼はゆっくりと手を延ばした。

 右腕部装甲を解除する直前の事である。とつぜん煙を吐いたかと思うと真2つに割れ、コルク栓が飛び出すかの様に上半分が飛んでいった。中から飛び出した影は、ブルネット(こげ茶)の長い髪を持つ、どちらかと言えば幼い感じの、20代半ばの女性であった。

 金属の質感を持つゴムのような柔らかな素材のうさぎ耳。肩を覆わんばかりに大きいフラットカラー(襟)に、提灯を模したパフスリーブの半袖。フリル縁の白いエプロンと胸元を強調したフレア・ワンピースはラベンダーグレイ。さながら不思議の国のアリスを彷彿とさせるが、髪とワンピースの色がちぐはぐで、印象を珍妙な物に変えていた。

 なにより。その女性は眼を血走らせ、奇声を上げて、彼に襲いかかったのである。警戒していた彼だったが、人参から奇人が表れると夢にも思わず、呆気に取られあっさり捕まった。彼には、両手をかぎ爪の様にかざし迫り来るその姿が、うさぎ耳を付けた熊に見えた。その女性は、喚き散らし、真を散々ひっかき、噛みついた。みやのシールド越しに見るその姿は、さながら硝子越しに爪を立てる亡者の様であった。

 海面が波立ち、海水が2人を襲う。

 ずぶ濡れになったその女性は目を大きく開くと、今度は魂が入れ替わったかのように彼の身体を調査し始めた。我に返った真は、淡々と手を動かすその女性を抱きかかえ、空に舞い上がった。

 真の、みやの両腕に収まる妙齢の女性は、どこからともなく道具を取り出しては、真に宛がい、放り投げる。何度か繰り返した後、札のような紙を「ぺしっと」そう言いながら彼の額に貼り付けた。表面に文字が表れ、流れる。表れては水に流される泥のように文字が消えていった。それは“ナノマシン”を応用した紙状の測定器であった。結果を見た女性は落胆したようにこう言った。

「なんだいこれは。人相が悪いだけで大した事ないじゃないか」
「篠ノ之博士、お静かに願います」

 その女性こそ、神出鬼没、大胆不敵、無軌道にして破天荒、天駆ける大災厄。ISの生みの親にして希代の大天才。篠ノ之束であった。

 得体の知れない嫌悪を感じていた彼は、今すぐにでも放り捨てたいところであったが、束は“みや”の親であり千冬の友人であり、なにより。

「これ以上騒がれると手が滑って海に落とすかも知れません」
「いま、落とすって言わなかったかい?」
「“騒ぎ”が落とす、ですよ博士。俺ではありません」
「箒ちゃんも物好きだね。性格に問題ありだよ」

 箒の姉である。箒の記録を読んだ真は、束との距離を測りかねていた。もちろんそれは昨夜の、箒の告白の事であった。

「それならご心配には及びません。解決済みです」
「どういう意味かな?」
「博士は男女関係に疎いようです」
「おやおや? 強面に似合わず随分可愛らしい事を言う」

 夏とは言え濡れた身体に高い空は冷える。腕をさする束を、彼は渋々シールドの内に招き入れた。湿り気を帯びた長い髪が目元、頬、唇。首筋から胸元に流れていた。薄手の生地が肢体の形を浮かび上がらせていた。

 彼は意識の線が見えない束の有り様に疑問を持ったが、執着しなかった。明日どころか数分後にでも忘れるかもしれないからである。

「男と女は現実ですよ」
「現実なんて物は無いね。あるのはただの認識さ」
「そうですね」
「その眼に見覚えがあるよ。見透かす様で癇に障る」
「意外です。ご交友は狭いと伺っておりました」
「特別に聞いてあげよう。何が言いたいんだい?」
「ではお言葉に甘えて、」

 彼は束を抱きかかえたまま、左指で額の札を剥がした。苛立ちを隠さない束に静かにこう告げた。

「少し静かにしてくれないか。俺は貴女の生い立ちに興味は無いんだ」


-----


 2人は木々の間を歩いていた。人目を避けろ、千冬の連絡を受けた真は僅かばかり離れた場所に降り立った。そこは岬の更に先端で、本部を兼ねる宿まで徒歩15分という距離である。

 そこは草木に囲まれていたが薄暗くはない。見上げれば揺らぐ木の葉越しに、太陽も見え隠れしていた。束は、足下に絡む鋭利な植物に辟易しながら、悪態をついていた。歩調に合わせてうさぎの耳が上下に揺れていた。

「むかむかむかむか! なんだいあの男! こんな屈辱初めてだよ!」
「博士」

 彼女は背後の真を意識の外に追いやろうと、肩を怒らせ足下の雑草を踏み抜いた。ざくりと植物の悲鳴が上がる。

「大体なんだいあれ!? “静かにしてくれないか。俺は貴女の生い立ちに興味は無いんだ”だって! 格好付けているつもりかい!」
「博士」

「目付き悪いし、左頬に傷があるし、左腕無いし、髪は黒いくせに眼は碧だし、根暗だし!」
「博士」

「なんとか箒ちゃんを説得しないと。可愛い妹が苦労する様なんて見たくないからね!」
「博士。そのまま進むと危険です。崖に落ちる」
「え?」

 踏み込んだ束の右足は宙を切った。転がり落ちる音と、か細い悲鳴。底でひっくり返る束は、泥にまみれながら、数メートル上の真を睨み下ろしていた。

「上長が呼んでいますので直ぐ這い上がって下さい。あと派手な下着ですね」

 スカートの奥を見られ、羞恥も怒りもあった。だが眉一つ動かさない年下の真にこれ以上動じるのは矜持に関わると、理性を総動員させた。束は今の真の状態を知らない、彼女にとっては不愉快な16歳の少年でしかない。だが憤りは消えること無く彼女の中で暴風のように吹き荒れる。

「最低」

 それは彼女にとって、少なくとも男に向けた初めての言葉となった。


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 “ここで待っていて下さい”と真が立ち去って数刻経つ。束は舗装された煉瓦色の歩道、円弧の様に描かれた歩道の間、ヘアピン・カーブのその中心。そこに設けられた休憩所に腰掛け唸っていた。円筒形の壁に、円錐の屋根。壁を大きく抜いた窓からは海が一望出来た。内壁に沿う様に円弧のベンチがあった。

「ぐぬー ぐぬー ぐぬぬー」

 しかめ面の束が両手にするのは真が手渡した缶のアイス・ココアである。“これはただのココア”“これはあの不愉快な男が手渡したココア”合理性と感情の二つに挟まれ、彼女は苦悩していた。

 彼女は憤りのあまり、ここに降り立った目的を忘れていた。彼女にとって長時間の滞在は好ましくない、にもかかわらずである。

 吹いた海風を合図に習慣的動作で缶を開ければ、カカオの香りが口内に広がった。心が静まり、学者としての意識が表に出る。窓から見える水辺線を見つめると、記録で見た真と実在の真との相違に気づいた。

(変だね、箒ちゃんと話していた時と随分印象が違う。なんでだろうね)

 その表情に残酷なまでに静かな、数字の様な合理性が表れた。

(人格に変化が生じたと仮定しようか。過大な心理的負荷? 違う、そこまでの負荷ならみやが何らかのアクションを起こす。 ナノマシンの影響? 違う、影響を受ける事は、乗っ取られること同義だ。無事で居られるはずが無い。今頃ケイ素の塊になっているはず。

 しかしそれならば何故瞳が碧に? 因子変化ならば毛の色も変わっていなければ理屈に合わない。元々碧眼の因子を持っていてそれがナノマシンの影響で顕在化した……違う。これだと乗っ取りを否定出来ない。生物にこれを制御出来ない。

 ナノマシンを制御する何らかの能力、を持っていると仮定した場合。調査では特筆する結果は無かった。強力な自己保存、自己複製本能を持つ、決して生物と共存しないカテゴリー3ナノマシン。これはカテゴリー1,2の上位的存在。あの測定器はナノマシン3でこの束さんが創った物。生物とは共存しない……)

「私はなにを見落としている?」
「しばらく見ないうちに独り言が多くなったわ」

 束が跳躍したのと、1本の糸が繰り出されたのは同時だった。彼女が直前まで座っていたコンクリートの塊が、切り刻まれ、音を立てて崩れ落ちた。積み木の家が崩れる様である。編み出した重力でその身体を宙に踊らせていた束が、大地に舞い降りる。大地に根付く薄い草々が円形に、押しつぶされた。

 木の陰から表れたのは、こんじきの糸使い。黒いジャージを身に纏い、長い髪をなびかせて立っていた。陽の光を浴びて、紡ぐ糸が光を放つ。虹色のつむじ風がそこに在った。

 束は眼を見開き、牙を剥いた。

「相変わらず血の気の多い女だね!」
「うちの生徒にちょっかい出した落とし前、付けさせて貰うわよ」

 ディアナは広げていた両手を、羽ばたくように胸の前で交差させた。それは羽を広げた天使が赤子を抱くようにも見えたし、羽衣を靡かせながらハープを奏でる女神の様にも見えた。ただし、織りなすのは致死の糸。

 繰り出す糸が弧を描き、波を打ち、束に襲いかかる。空間を軋ませる程振動する糸が、束の身体に絡まる、その直前。彼女の姿が右手5mに音も無く滑り、動いた。重力を用いた極短距離の歪空間移動。目標を失った糸が、背後の巨石を粉砕した。ガラスを引っ掻く様な音を立て塵と化す。

 立ち上る黒い煙を背に、束は右手を腰の近くに浮かしていた。銃を抜く様な仕草であった。

「聞き捨てならないね。証拠はあるのかい?」
「忘れたかしら? 私は問題が起る前に潰す主義なの。死になさい」
「そうか。腹立たしいのも納得だね。あの男の眼、お前に似ているんだ」
「嬉しい事言うわね。お返しにみじん切りにしてあげる」

 二つの強大な殺意の意識。それが激突する瞬間、一筋の刀氣が2人の間を切り裂いた。それは天空を断たんばかりに巨大で、大地を旅してきた水の様に清らかだった。

 巻き上がる土煙と草と石。一帯を吹き荒れる牙の風。

 それは大地に深い爪跡を残し、震えさせた。未だ収まらない土煙の中から、黒髪の女性が白いジャージ姿で現れた。左手に鞘を持ち、右手には一振りの日本刀を携えていた。刃は夜を退けんとする程の光を放つ。巻き上げられた巨木が大地に落ちた。

 千冬は、束を見ながらディアナにゆっくりと歩み寄る。

「ディアナ。ここは私に預けてくれないか」
「いい加減にしなさい千冬。狙いはどうあれ学園が消えかけたのよ」
「Heaven’s Fall なら私も知っている。だが安易に判断したくない」
「……今回だけ。良いわね?」
「すまん」
「良いわよ、千冬の尻ぬぐいは私の仕事だもの。それにしても相変わらず足が速いわ」

 ディアナが詰まらなそうに、肩の髪を払い梳いたとき。崖の先端が十数メートルに渡って崩落した。千冬が刀を収めたとき、束の姿は消えていた。


 束は森の中を駆けていた。あるときは大地を蹴り、またあるときは木の葉の上。手足を曲げ、風に身を躍らせた。長いスカートがはためくその姿は百合の様である。彼女は苛立ちを隠さず、背後の強大な気配を睨み上げた。

「全くとんでもない女だね。糸の振動で分子結合を崩壊させるなんて出鱈目にも程があるよ。これだから“Walker”は嫌なんだ!!」

 束はほんの少し異なる空間に、様々な装備を隠し持っている。その彼女とてディアナに生身で立ち向かう事は愚挙である。千冬が助け船を入れた事は事実であった。

「でも、そこは流石のちーちゃん。優しいし格好いいし無敵んぐだね……」

 束の脳裏に蘇る、美しい黒と金のコントラスト。自分のブルネットカラーをじっと見ると束は、眼を伏せた。千冬は束では無くディアナの元に歩み寄った、これは事実であった。

 束は歩みを止め、大地に降り立った。立ち尽くす木々の間、緑の葉が枯れ葉の様に舞い落ちる。

「あー 疲れた。もう帰ろう……ってなんてこったい! この束さんとした事が箒ちゃんを忘れてたじゃないか! ごめんね箒ちゃん! 今すぐいきょ! ……噛んでない大丈夫!!」

 束は面を上げると、妹の名を声高らかに叫びながら、森の中を飛び跳ねて行った。





 Cross Point 2
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 陽が南中に掛る頃。切り立った崖の上に少女が1人立っていた。纏うISスーツはワンピース水着の様な黒色で、赤いラインを腰周りに引いていた。

 眼より高い、頭の後ろから結い流すのは黒く長い艶やかな髪。海風に吹かれ、若苗色のリボンと共に揺れていた。何時もは刀の様に伸ばす背筋を、抱きしめるかの様に丸めていた。己を繋ぎ止めるかの様に二の腕を抱いていた。釣り上がった目尻は下がり、瞳も揺らぐ。

 箒が思いを言葉にしてから一つ夜が過ぎた。目が眩む程に高い岬。彼女は鋭利な岩盤の向こうに立つ荒波をじっと見ていた。

 突然警報が鳴り何事かと思う間もなく訓練は中止になった。自室待機を命じられたが、雑踏に紛れ、駆けだした。呼び止める本音の声を振り切った。1人で居たかった。

“最近の箒は暴力的だ” “私は前からこうだ”

 何度も繰り返した、手拍子の様な合いの声。

「こんな、がさつな娘では仕方ないか」

 友人からの信頼と彼女の思い。誓いという刃は欠け落ちた。海風に寒さを感じ、二の腕を擦ったその時である。彼方から聞こえる身内の声は、

「ほーきちゃぁぁぁぁぁぁぁん!!!」

 地を駆る早馬の、ひづめの様だった。

「早まったら駄目だよ! そんな事おねーちゃん許さないからねっ!」

 風の様に抱きしめられた。

「ね、ねぇさん。く、苦しい」

 この妹にしてあの姉の、豊かな胸の中。箒は戸惑いつつも、懐かしい香りに冷えた心と身体を委ねていた。


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 早合点だと気づいた束は一転、上機嫌である。入学を境にした3ヶ月と少々はアレテーのジャミングを受け、覗く事すら叶わなかったからだ。

 彼女の目の前には、15歳になった妹が立っていた。他人から見ても混じりけの無い雪の様に静かに、白く、美しく。姉の目ならば3倍増しである。

「うんうん、美人さんになったね。おねーちゃんは鼻高々だよ。まぁ募る話は後にして早速作業に取りかかろうか」

 束が左手を右から左に流すと、光子の仮想コンソールが彼女の目の前に表れた。左右にある土星の輪の様なパターンに両の手を宛がい、球状のUI(ユーザー・インターフェース)を操作する。束の操作に、意思に応じて2人から数メートル先に、文様が浮かび上がった。それは曼荼羅の様でもあり、棘縁の鏡の様でもあった。ある者は魔方陣と呼んだだろう。

 2つの空間が繋がる。フィルムを重ねる様にゆっくりと表れた物は、

「紅色の第4世代型IS、その名も“紅椿”だよ! さー どうだい!? この美しいシルエット! 箒ちゃんにぴったり……箒ちゃん?」

 浮かれていた束はこの時ようやく妹に気がついた。箒は両手を前に俯き、姉に深々と頭を下げた。

「姉さん。ごめんなさい。折角創って頂いたのにもう理由が無くなりました。その機体は立派な者に―」

 言いよどむ箒の言葉。初めて見る妹の弱気な姿。束は箒の頬に指を添えるとこう言った。

「おねーちゃんに言ってごらん。何があったんだい?」

 顔を上げた箒は歯を食いしばり大粒の涙を流していた。

「力を持つと心すら自由に出来ない。私はそれが分かっていたのに、両方得ようとして両方失ってしまいました」

 箒は力を求めた。その動機は、友との誓いであり、彼女の好意だった。真の側で剣を振うには強いISが必要だった。

 だがIS適正はC。何の後ろ盾も持たない彼女は、その願いを果たさんが為、憎んですらいた姉を利用した。今までの自分を翻した。篠ノ之束の妹という立場を使い、クラスメイトの努力を侮辱した。そのなりふり構わない振る舞いに、かっての自分を重ねた彼女は彼に相談したのである。

“自分を尊重したらどうか、と思うよ”

 彼と共にあれば正しく力を奮えるかもしれない。15歳の箒は思いを告げ、そして失った。

 震える声で紡がれる15歳の少女の告白。黙って聞いていた束は妹を強く抱きしめ、慰めた。数刻が過ぎ、箒が鳴き止んだころ静かにこう告げた。箒の両肩に手を置く束の姿はただの姉であった。

「箒ちゃんは因果律って知ってるかな?」

 箒は静かに首を振った。

「原因があって結果がある。ここに距離も時間も無い。そしてこの世界に在る以上どのような存在もこの原理に縛られる。原理とは式。転じて、これに則れば時間だって越えられる。空間だって渡る事が出来る。一見不可能に思える事も可能になる。神を殺す事すら」

 荒波の遠吠えが響き渡るその場所で、姉は妹の涙を拭った。

「いいかい? 箒ちゃん、よくお聞き……欲しい“もの”は必ず手に入れる。奪われた“もの”は取り返す。屈しない事、世の理すらねじ伏せる事。これが篠ノ之家の家訓だよ!」
「姉さん、それは無茶苦茶です」
「もちろん。私は天災だからね。そして箒ちゃんはこの私の妹だよ。出来ない事なんて無いさ」

 創造主の意思に応じ、紅椿が形を変えた。紅い鎧の中央、そこには箒の座があった。

「この子は、箒ちゃんが必要になったとき箒ちゃんだけを助けるよ。その為におねーちゃんが丹精込めて拵えたんだからね。だから持ってお行き」

 箒は笑顔で頷いた。2人は紅い鎧の準備が済むまで、かっての様に仲の良い姉妹だった。箒は二振り一対の姉妹刀を抜くと、コンソールに向かう姉の背にこう笑いかけた。

「これは良い感じです」

 束は振り向かず、もちろんだと陽気に答えたが、

(なんなのさ、あいつ。ちょぉっと、っかちーんって来たよ……これはきついお仕置きが必要だね)

 その心中腹の中。狂気という怒りが眼を覚まし、首をもたげていた。それはIS学園臨海学校2日目、午後2時を回った頃である。

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皆様。私はやってしまいました。

・Heaven’s Fall = ナノマシン事件
・Walker = ディアナらの事

なんなのでしょう。この何かが首筋をなでる感覚。腹の底がマグマのように滾る感覚……これが厨ニハート? うひゃほぅ。

2013/01/15

【補足】
ディアナはわざと真に迎えに出させました。束の反応を見る為です。そして大多数の人間に関心を持たないはずの束は、初対面にもかかわらず調査した……これが彼女の確信となりました。

以下、ネタバレかもしれない作者のぼやき











































真は束(福音)フラグを立てました。次から大変ー 私が。



[32237] 06-07 Broken Guardian 4
Name: D1198◆2e0ee516 ID:3516d58f
Date: 2013/01/21 14:58
06-07 Broken Guardian 4
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 その空には血と悲鳴と硝煙が満ちていた。

 地へ墜ちて行く4つの光。

 光る翼を持つそれは、興味も関心も無く、意にも介さず、ただ羽ばたいた。

 北アメリカ大陸西海岸 太平洋 洋上。

 ネバダ州 グレーム・レイク空軍基地より距離1500km。

 天と海に挟まれた蒼い空。

 それは歌を奏でる。

 大海を越えたその向こう。

 彼方の島国に届かせるために。


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 大地に映える影が長くなり始めた頃、宿の廊下を行く者が1人いた。白を基調とした学園服。髪は黒いが瞳は赤銅色。腕を組み、眼を瞑り、唇はへの字に結ぶ。

(うーん)

 一夏であった。

 衛星軌道から降ってきた束騒動。別名にんじん事件。

 突如警報が鳴り、事態が飲み込めないまま一夏が空に上がれば、回線に響き渡るのは真の叫び。セシリアが弾かれる様に空へ飛び出したかと思うとあっという間におわった。その顛末は彼に知らされる事なく、試験も中止され今に至る。

 彼には、落下してきた物に心当たりも不安もあった。なにより、

(あいつ、またトラブル起こすんじゃねーだろーな……)

 一夏の目の前をディアナが飛び出して行ったかと思うと、千冬もその後を追って飛び出して行ったのである。別名師走事件。居合わせた真耶に問い正しても“特秘です♪”と青い顔であった。その直後起った地震の原因にも心当たりがありすぎた。

(ま、良いけどよ。みんな無事だし、もやもやはまだ少し残ってるけど、な)

 姉である千冬が何も言わないのだ。必要ならば彼に言うだろう。なにより、この3ヶ月。姉の側に居るディアナの存在が彼に十二分な安心感をもたらしていた。弟である彼にとって、超人的な肉体と普遍的な心を持つ姉に肩を並べる存在。彼女が姉をどれ程支えてきたか、それが分からない一夏ではなかった。楽天的になるのも無理はない。

 彼が心配しなくてはならないのは彼自身である。概ね元に戻った彼は新たな問題に直面していた。それは無人機とM襲撃と少なからず修羅場をくぐり抜けてきた彼にとっても手を焼く問題であった。

(やっぱり告るのが筋だろうなー 言わなくちゃまずいよなー セシリアとか鈴の時に俺も阿呆に散々言ったしなー 告白しないと駄目かなー)

 部屋に戻っているだろう少女の元に歩み進める足とは裏腹に、徐々に弱気になる一夏の心。その彼に近づくのは小柄な影。

「なに、しけた顔してるのよ。キモイ」

 黒曜石の長い髪を、左右2つに結い分けて。咲かせるリボンは菜の花色。学園服を纏う小柄な身体は、肩と胸を張り力強く立っていた。鈴である。

「君はもう少し男の子に優しくできんのかね」
「あらいやだー わたくし程心優しい娘は居ませんのことよー」
「……誰だよそれ」
「アタシ」

 視線がぶつかること。数刻。2人は吹き出した。八重歯を出しながらからからと笑う鈴に、一夏も相好を崩す。そんな一夏に鈴は上目遣う。垂れた前髪の隙間から、妖しくも艶やかな瞳が覗いていた。

「ふーん」
「なんだよ」

 一夏は笑いながら静かに見つめ返していた。

「随分いい顔になったじゃない」
「俺は前からいい顔なんだぜ」
「よっく言うー この世の終わりみたいな顔してたくせにー」
「どんな顔だよ」
「いじめっ子におもちゃ取り上げられて泣きべそかいた顔」
「いじめっ子は同意。けど後半は否定します……あのよ、鈴」
「言うな」
「りん」
「言うなって言ってんの。昨日はちょっとおかしかっただけ」
「……分かった」
「そうよ」
「ならよ。夏休みになったらあの阿呆と一緒に五反田食堂行こうぜ。弾に誘われてるんだ」
「なにが“なら”だか分かんないけど……良いわよ。それ位なら許してつかわする」
「許して遣わす、だろ」
「そう言ったわよ」
「言ってねー」

 言った、言わない数度か繰り返した後、2人は別れた。

「しっかりやんなさいよ。バカイチカ」
「おう」


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 真は廊下を歩く少女たちの笑い声で眼を覚ました。束をディアナに引き渡した後、真耶の薦めもあって休憩していたのである。宿の下見から臨海学校の準備。連夜の警備、高高度での精密射撃。疲労が溜まっていた。

 睡眠時間は3時間程。未だ疲れが取れない身体に布団が重い。

(ラウラと一夏の体力が羨ましい)

 ラウラはその生まれ持った質ゆえ僅かな睡眠・休息で事が足りる。一夏はその存在故だ。彼がその身体を引き起こした時である。彼にはラウラが誰か分からなかった。

「そうか」

 彼は誰に言う訳でもなく呟いた。刻一刻迫るその時に、体がいっそう重く感じた。部屋の窓から陰り始めた海の風景が見える。胸元に手を回すとそこにみやは無く、エネルギー補給中である事に彼は気がついた。腹が鳴る。

 彼は苦笑いすると、制服に片腕を通した。食糧を求めて薄暗い部屋の扉を開ければ、天井から射し込む、オレンジの光。そこに、藍の髪の少女が立っていた。

 真の意識に映るのは暗闇に浮かび上がる、紺桔梗(色:こんききょう)の人の影。その逆さ影絵に彼は「やぁ」と言った。赤白黄色、様々な色が混ざり困惑する少女は小さく「どうも」と答えた。

 彼は驚かせた様だと、こう告げた。

「突然済まない」
「……なに?」
「食堂の営業時間なんだが、“君”は知らないか?」
「……なにそれ?」
「何かおかしな事を言ったか? 食堂の営業時間なんだが。腹が減ってね」

 真は、記憶を失っているそう気づいたとき既に静寐を忘れていた。みやにはラウラが作った記憶があるが、みやは手元に無いうえに記録に声は無い。つまり、眼が見えない彼にとって静寐は初対面だった。

 彼女は真の眼が見えない事を知っていたが、声は覚えていると当然思うだろう。だからこそ真の他人行儀な対応に、苛立ちと困惑と、悲しみを覚えた。

「とぼけてる? それとも一夏への義理? それとも私への嫌がらせ?」
「そうか、一夏の知り合いか」

 静寐はしばらく俯いた後、意を決し彼を見上げた。

「……私、一夏と付き合ってるの。今更馴れ馴れしく話掛けないで」

 もちろん嘘である。2人は明確にしていない。これは静寐に残った最後の意地だった。彼は心底驚いた様である。

「それは済まなかった。祝福するよ」
「それが返事?」
「何かおかしい事を言ったか?」
「……そう、そうなんだ。そう言う訳」

 彼は、声を震わせ始めたその少女に詫びてこう言った。

「済まない。俺は君の事を覚えていないんだ。名乗ってくれると助かる」

 彼は迫ってきた手の平を、上肢を逸らせて躱した。

「最低」

 静寐の、涙混じりのその言葉は拳と共に放たれた。真は左頬に重い衝撃を受け、壁に叩きつけられた。壁から床にずり落ちる。

「残念だぜ、てめーがそんな奴とは思わなかった……絶交だ」

 真を見下ろす一夏は、撃ち抜いた右拳を振わせていた。真は、照明を背に怒りを隠す事無く露わにする一夏を見上げながら、眼を瞑ったまま“淡々と機械的に”こう言った。

「そうか。その娘が静寐か……辛い思いをさせた様だ。俺の事は忘れて欲しい。本当に済まなかった」

 騒ぎに集まった少女たちは、困惑した様に3人を見つめていた。


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 宿の脇で鎮座し、低い唸りを上げているのは学園所有の移動指揮車両である。全長12メートル、総重量11トン。民生品大型トラックを改造した物だ。一見、白色のありふれたトラックに見えるが防弾装甲や発電機を追加し、指揮に必要な情報処理システムや通信機を備え、一通りの作戦行動に対応出来る。今まで臨海学校で使用された事は無かったが、ラウラと真の強い要請に千冬が許可を出した。

 荷台の指揮区画に備えられた、高さ、幅2.5メートルほどの空間には、機材が所狭しと設置されていた。大型エレベータほどのスペースで、千冬は薄暗いオレンジの光が灯る車両の中、冷静に務めていた。彼女は目の前に居る10代の少年少女3人を一瞥したが、漂う妙な緊張感に頭も痛い。

(危機に対する勘が良い、と言いたいが)

 彼女が苛立つのは、彼女がよく知る目付きの悪い少年であった。

(この忙しいときに、次から次へと全く、)

“一夏と真が喧嘩した”

“蒼月が静寐を泣かした”

“蒼月君の様子がおかしい”

(当の本人が危機を招き寄せてどうする……馬鹿者)

 千冬は不安を募らせる女生徒からの報告を受けていた。少女たちも何か異変を感じ取っていたのである。見ればその噂の主の左頬は赤く腫らしているし“右腕に包帯”を巻いていた。

 壁面にもたれ掛かる真を鋭く睨んだが、狼狽える事なく涼しい顔だった。苛立ちを募らせる。ディアナの促しに千冬は、気を引き締め厳かにこう告げた。

「これは軍事作戦だ」

 ラウラを挟んで立つのは一夏である。彼は僅かに表情を動かしたが、終始無言で虫の居所の悪さが一目で分かる。

「慌てるな。これから説明する― 」

 千冬の声に応える様に、壁面のディスプレイにある映像が表示された。それは迫りつつある銀色の危機、アメリカの第3世代実験機がテスト中に制御を離れ暴走したのである。

「銀の福音。通称“シルバリオ・ゴスペル”は米軍の防衛線を突破し、現在太平洋を横断、真っ直ぐ日本に向かっている。

 現在アメリカ海軍 第7艦隊がその迎撃に向かっているが、極秘に支援を要請され、学園は例の一件(真の解放)の借りを返す為これを受けた。従って日本政府はノータッチ。あくまでアメリカと学園の作戦になる。

 ただ、現在の予測では東京を通過する恐れがあり、日本政府も自衛隊の準備は進めている……が、米軍の手に負えない話だ。自衛隊がどの程度対応出来るか宛てには出来ん。また自衛隊に人的損害が出れば、大事になる。そこで、」

「俺らですか」
「そうだ」

 真の問い掛けに千冬が頷いた。ラウラが手を上げる。

「教官。アメリカ軍が何故学園に? 手に負えないから泣きついた、その様に見る事が出来ます。大国にも意地もあるでしょうし面子を考えれば非常に考えにくい」

「未確認だが阻止任務に当たった米陸軍のアラクネ小隊(4機)が撃墜されたらしい」

 ラウラは押し黙った。

「第7艦隊所有のISはアラクネ4機。横須賀配備の機体は現在2機。残りは嘉手納基地。間に合わない上に、4機で迎撃に向かっても同じ轍を踏む可能性が高い。

 知っての通り私とディアナは学園外でのIS装備を制限されている。無許可で運用すれば、首切りでは済まない。だが委員会の審査を待っている時間が無いうえ、これは極秘だ。諸外国に知られる訳に行かない。専用機持ちの連中は、各国の代表。誓約させてもパイロットに何かあれば国際問題に発展する。

 従って。織斑、蒼月の両名は米軍と協力し対応に当たれ。ラウラはバックアップ。ここまでで質問は?」

 一夏は手を上げると、静かにこう言った。

「織斑先生。俺は降りる……命を預けられる奴じゃない」

 思いも寄らない弟の言葉と態度。今まで見た事が無い決意を見せた弟の姿。彼女は一瞬言葉を詰まらせた。

「織斑。お前は未成年で学生だが、専用機持ちにしてトーナメント優勝者だ。はっきり言おう。私たちを除けばお前らは学園において事実上のワンツー 世界でも通用する。考えを改める気は無いか?」

 静かな怒りを湛える姉に、一夏は静かに首を横に振った。ラウラが素早く立ち上がった。踵を付けて背筋を伸ばす。直立不動の姿で彼女は千冬の注意を自分に向けさせた。

「教官、私が出ます。未成年の学生に無理強いは出来ません。私はドイツ籍ですが、学園所属です。機密は私の名にかけて守ります」
「良いだろう。教師は訓練機にて日本近海で防衛戦を敷く。織斑は部屋に戻れ」

 一夏が背を向けたその時である。真が口を開いた。

「一夏。お前は兵士ではないし、気に入らない仕事を割り切るには少し若い。だが作戦行動中に好きかってされると困る……白式はおいていけ」

 一夏は黙って右腕の白いガントレットを机の上に置き、立ち去った。

(後は任せたぞ、一夏)

 彼はその直後めまいを起こしよろめいた。ラウラは慌てて彼を支えた。少年2人のやりとりを見守っていた千冬は、ラウラと真に先行するよう命令を下した。その現実を遠ざけようと。


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 陽が傾き赤みを帯びる頃。シュヴァルツェア・レーゲンとラファール・リヴァイヴ・ノワール―“みや”が発進した。

 先行する黒の2機を見送った千冬は次ぎにディアナを見た。彼女はライトグレーのジャケットにパンツ。金色の髪を結い上げて。正装に身を包んでいた。

 2人の視線の先。そこで轟音を響かせるのは、航空母艦ヘリ“SH-60F オーシャンホーク”である。その姿は全長20mの空飛ぶ巨体、背にローターを持つ灰色の巨大な一角獣の様であった。

 千冬かディアナか。どちらかが同行する事になり、ディアナが希望したのである。“米軍は慣れているわ”そう、遠い目をディアナは千冬に向けていた。

 ヘリに歩み寄るディアナは背後の千冬に振り返らずこう告げた。ヘリの風圧で足下の草が押し倒されん程に靡いていた。

「真のあの口調と雰囲気、職務による物だと思う?」
「さあな」
「千冬。もうきっとリミットよ。彼を受け入れるか拒絶するか。姉であり続けるか、それとも。世界は人の心など気にせず回るわ。いずれにせよ覚悟だけは決めておきなさい」
「……お前はどうする」
「何度も言ったわよね。私は目的を持たないからどちらでも同じ」
「ディアナは良いな。私はそこまで割り切れない」
「酷い人に散々酷い事されたもの。性格だって歪むわよ……なら行くわね」

 千冬は何も言わずただ立ち尽くしていた。ディアナを引き留めたのは黒髪の少女であった。

「リーブス先生! 私も同行を!」

 ディアナは駆け寄る箒とその後ろ。控えるセシリアを確認するとこう言った。

「お姉ちゃんからのプレゼントを預けるなら構わないわよ。セシリアはどうするのかしら?」
「立場というのは面倒な物ですわ」
「そう。なら待っていなさい」
「ええ」

 千冬は黙って見送った。横に立つセシリアも何も言わなかった。


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 アメリカ海軍 太平洋艦隊 第5空母打撃群所属 ニミッツ級6番艦 原子力航空母艦“ジョージ・ワシントン”

 排水量104,178トン。全長333メートル(東京タワーの高さと同じ)。飛行甲板は1.8ヘクタール(東京ドームグラウンドの1.4倍。13,000平方メートル換算) アメリカ国外の基地(横須賀)を事実上の母港とし、士官・兵員・航空要員5,680名が刃を磨く、海の要塞である。

 その要塞はタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦1隻、アークレイ・バーク級ミサイル駆逐艦2隻、サプライ級補給艦1隻を伴って、静かにゆっくりと。そして重厚に海を歩んでいた。見る事が出来ない海中にはロサンゼルス級攻撃潜水艦1隻がスクリュー音を奏でていた。

 その甲板の上で整列するのは海軍の兵士たちである。ある者は白い礼服に身を纏い、ある者はワーキングカーキ(作業服)を纏い整列していた。白い色の肌。黒い色の肌。その中間。黒髪に金髪にブラウン。思想も価値観も異なる彼らをまとめているのは、米海軍という組織であり仲間たちである。

 一人の兵士が口を開いた。

『ところで、これから誰が来るんだ』
『あの学園のISだとよ』
『なんだガキか』
『最近のガキは侮れないぜ』
『そんなだからお前はドリーに振られるんだ』
『ドリーは男だ』
『知ってる。だからヤったんだろ?』
『……カタパルトで放り出すぞ、エディ』

 別の兵士が宥めよう笑顔を見せる。周囲に言わせれば馬鹿にされているようにしか思えない表情だが、当の本人は気づいていない。

『落ち着けよ。これは極秘だが、月の女神様がやってくるらしいぜ』
『……嘘だろ?』
『本当だ。ヘリで飛んだデニスの奴が“降臨した”ってよ』
『仮に本当だったとして、ディアナ・リーブスが米海軍に何の用だよ』
『決まってるだろ、俺らに救助を求めてるんだ』
『俺らになにが出来る。あの、オルレアンの絶叫だぜ?』
『男日照りから救って欲しいんだろ』
『しまらねーな』

 品無く笑う兵士たちに下士官が一喝を加えた。

『ナニをハム切りされたくなければそのイカ臭い口を閉じろ……お目見えだ』


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 ラウラは空の上、つい先程まで呆れかえっていた。今の状況を、合理的かつ要領よく、みやと連携しながら“状況を”真に伝えた。そこまでは良い。念のためにと軽く模擬戦を行ったが、彼の腕前は落ちるどころか逆に跳ね上がっていたのである。予想していたこととは言え、節操が無いと彼女はつい愚痴をこぼした。

 そのラウラは、不愉快極まりないと今は憤慨していた。言うまでもなく、ハイパーセンサーを介して聞こえる甲板上の兵士たちの事である。

『あれで兵士か。情けない』

 彼から見て2時の方向、距離460mの空の先。白い雲を背景に、黒い点が1つ浮かんでいた。それからは青白いスラスターの光が苛立つ様に頻繁に瞬いていた。

-ラウラ・ボーデヴィッヒ。バイオテクノロジーで産み落とされた少女。青崎真の全てと蒼月真の大半の記憶を持っている。ドイツ軍IS部隊隊長に相応する技術と堅実な性格だが、実年齢を上回る記憶に振り回され気味。注意すること-

 だから真はラウラを宥める事にした。

『ボーデヴィッヒ。米軍は初めてか?』
『肯定です少尉。それと、私はラウラとお呼び下さい』

 彼は頷いた。

『ドイツ軍は知らないが米軍は大抵あんな連中ばかりだ。だがやる時はやる連中だよ』
『そう願いたいものです』
『君もその少尉は止めてくれ。昔の、もう終わった話だ』
『失礼しました……真。正直抵抗があります』

 つい先程までそう呼んでいた。それを忘れ去った様な彼女に真は笑いを堪えきれなかった。

『おかしいですか?』
『意外と不器用だな、ラウラ』
『不器用な方の記憶を持っていますから』

 してやられたと彼は頬を掻く。少女は笑っていた。高度500メートル。着艦まで2分の距離であった。


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 見上げる空は澄んだ瑠璃の色。見下ろす海は深みのある紺青の色。空は白いレースの様な雲が流れ、海は陽の光を浴びて光っていた。彼方に見える空と海の境界線、2つの蒼が美しいコントラストを魅せていた。

 彼が鋼の足を下ろした大地もまた鋼であった。鈍い音が響く。肉眼では霞む程に遠い甲板には“73”とナンバリングされた艦橋が見えた。6階建てのマンションに相応するそれは全てを見透かさんと、そびえていた。翼を休めている戦闘機と、兵士たちの視線があった。

 奇異、困惑、苛立ち。警戒を隠さない兵士たち。甲高い機動音と共に着艦したラウラは詰まらなそうにシュヴァルツェア・レーゲンの黒い巨体を動かした。流れる白銀の髪も不愉快そうだと揺れていた。風は無かった。

 拒絶する様な雰囲気の中、真は甲板上の戦闘機に眼を奪われていた。それは。彼にとって2006年に退役したはずの、ネコと呼ばれた可変翼式艦隊防空戦闘機であった。

(F-14が退役していない……?)

 彼は慌てて今日の日付をリヴァイヴに問うたが反応が無い。何度か繰り返すが反応が無く、訝しる。

『“みや”です。真』

 ラウラの指摘に、その機械がとても人間くさいものだと彼は悟った。彼の意識には2012と示されていた。

 思案に耽る彼を現実に引き戻したのは、どよめきだった。ラウラと真の間、その後ろ。未だ熱が冷めないヘリのハッチが開き、ディアナが姿を見せたのである。なめ回す様な荒くれ達の視線。彼女は平静を装っていたが、真には不機嫌さが手に取る様に分かった。

 一人の兵士が歩み寄った。

 ディアナを出迎えたのは黒髪ショートカットの褐色肌の女性である。身長はディアナより数センチ高く、目が大きく堀が深い。動物に例えれば豹が適切だろう。彼女は半袖長ズボンで柴染(ふしぞめ)色のワーキングカーキを身に纏い、右腕にネイビーカラーのブレスレットを付けていた。それは待機状態のアラクネである。

 彼女は申し訳なさそうにこう言った。

「遠巻きに見るだけの連中です。お気になさらないで下さい」
「いえ。偶に訪れる動物園も楽しいですわ」

 ディアナは笑みで応え、ラウラもそれにつられた。

「中将がお待ちです。申し訳ありませんがボーデヴィッヒ少佐はここでお待ち下さい」
「お名前を伺っても?」
「ハル・バリー、大尉です。どうぞこちらへ」

 真は、ディアナの後に現れた学園制服の少女に一瞥を投げると、ラウラに秘話通信を開いた。

『ラウラ。ここはアメリカ領土だ』
『はい』
『もう一つ。彼らはISをよく思っていないだろう』
『でしょうね』

 真はみやを全解除。太陽で加熱された甲板は素足には厳しい。眉をしかめた。奇異の視線を浴びながらラウラはこう言った。

「ご心配なく。自重します」

 一抹の不安がよぎったがバリーに促され彼は甲板を歩き始めた。歩み寄る箒は無言で彼の手を取ると艦内へ誘った。米海軍の軍艦の上、白を基調とし赤のアクセントを付けた学生服が歩く。それが世間に知られれば、どこかの不幸な誰かの首が飛ぶかもしれない、彼はそう考えながら、右手に感じる少女の指に不思議な感覚を覚えていた。

 箒は振り向いて、黒髪の目付きの悪い、傷だらけの、碧の眼をした彼にこう問い掛けた。少女のそれは、かってそうで在った様に今そうで在る様に、眼差し鋭く凜としていたが、とても優しいものだった。

「なぜラウラをおいていく」
「あの娘は学園所属だがドイツ軍籍だ」
「これから共に戦うのだろう?」
「篠ノ之。この世は、」
「調和的ではない、もう聞いた。それでもだ」
「そう思うのであれば、それが正しいと声を上げてみる事だ。世間にしろ、自分にしろ。何事もそれから始まる」
「正論だな……うん。そうしてみる事にしよう」
「時に、誰がその様な碌でもない事を教えた?」
「碌でもないか?」
「ひねくれている。少なくとも10代の学生に言う事では無いな」
「当然だな。そいつは碌でなしで、ひねくれている」
「友人は選べ」
「友人ではないんだ」
「それならば良い」

 箒は艦内に繋がるハッチを潜った時、振り向いて、絡める指に力を込めた。

「ただ近くに居られれば、そう思っている」


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 艦の構造材料に塗料を塗っただけの様な無機質な冷たい艦内。電装品を収めたケース、パイプやケーブルは壁を、天井を這う様に走っていた。浸水防止用のハッチは開いていた。

 通路のあちらこちらに、小さな騒ぎが聞こえ、下士官がそれを抑えていた。“見えない”“どけ”耳を覆いたくなる様な罵声が飛び交った。拳銃を携帯する下士官を見てディアナはそれをどちらに向けるのか、そう聞いてみたくなった。

 バリーがノックをすると部屋の中から声が聞こえた。招かれた部屋は無機質な艦内において、暖かみと荘厳さを伴う艦長室だった。木造教会の様なその部屋で、星条旗を背後に出迎えた人物は男性2名。

 堀が深い顔立ち、白とグレーが混じる髪で、白い肌と碧い眼、鷹の様な面持ちの彼は半袖シャツに折り目の付いたパンツ、ワーキングカーキの軍服に身を包んでいた。

 ディアナはその人物に歩み寄りこう言った。

「わざわざお越し頂けるとは光栄です。ハミルトン中将」
「光栄なのはこちらですな。ようこそジョージ・ワシントンへ。ミス・リーブス」

 3人を出迎えたのは、第7艦隊司令ジョージ・ハミルトン中将と空母G.Wの艦長である。

「部下に不愉快な思いをされていなければ良いが」
「お気遣い感謝いたしますわ。軍属の方は慣れています」
「そう言って頂ければ有難い」

 ハミルトンがディアナの後ろに控える少年と少女を見ると、ディアナは微笑を湛えてこう言った。

「私どもの生徒、看護役の篠ノ之箒と、彼の説明は必要でしょうか?」
「国防総省に知られれば大騒動ですな……折角の機会だ。貴女との会話を楽しみたいが、時間が惜しい」

 ディアナは静かに頷いた。ハミルトンの促しで脇で控えていたバリーが歩み出る。

「状況は良くありません」


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と言う訳で、福音戦は原作と随分異なります。各原作ヒロインズファンの方には恐らく申し訳ない展開です。ご了承下さい。

話変わりますが、空母の護衛艦の構成と数がよく分かりません。ご存じの方ご指摘お願いします。八丈島近海だと、巡洋艦は要らなくね? 数が足りませんの事よ、とか。

2013/01/20


以下、ネタバレかもしれない作者のぼやき。








































もちろんこのまますんなり進みませんよ。一夏も真も。




[32237] 06-08 Broken Guardian 5
Name: D1198◆2e0ee516 ID:3516d58f
Date: 2013/03/22 13:27
 場所は変わり艦のミーティングルーム。バレーボール・コートの程の広さで中央にビリヤード台の装置が置かれていた。薄暗い部屋の中、その台が光を放ち浮かび上がる。士官と下士官、米軍人に混じり、真は台の上面に浮かび上がる立体映像を見下ろしていた。

 映像を飛翔するのは空を切り裂く銀の機体。彼の胸に掛る黒いネックレスは熱を帯び鈍い音を立てていた。不可視の光を放っていた。

 ベリーは淀みなく報告するが、苛立ちと悔しさを滲ませる様にトーンは低い。

「“シルバリオ・ゴスペル”はマッハ3.2で太平洋を横断しています。現在の予想針路から接触までおよそ32分です」

 台に両肘を当て、乗り出す様に見ていたディアナが鋭く問うた。

「阻止任務に当たった4機が撃墜された、これに関する情報を求めます」
「実験機は基地離脱後、突如発光。“形を変えた”との報告を受けた」

 ハミルトンのその答えにディアナも戸惑いを隠せない。

「……セカンドシフト、ですか」

 過去に羽ばたく映像のそれは、彼女の呟きに応えるかの様に、6枚の光の翼をはためかせた。

「確証は無いが、恐らくそうだろう。我々も厄介なものを作った」
「足止めは出来ませんか?」
「迎撃に向かった第3艦隊はミサイル巡洋艦1隻とミサイル駆逐艦2隻を失った……バリー大尉。作戦説明を」

 それを聞いた真は目の色を変え手を上げ、バリーの説明を遮った。ハミルトンが一瞥を投げる。

「なにかね?」
「作戦で提案があります」

 全員の視線を浴びて発言を続ける真の背中を箒は呆けた様に見ていた。

 戦闘は非常にシンプルである。攻撃されない様に攻撃を行う。次ぎに反撃を許さないうちに攻撃を行う。それらが出来ない場合に初めて、回避と防御が行われる。この原則は古来から変わらない。石が棒に。棒が剣に。剣が銃に。銃がISに変わっただけである。問題はその手法だった。

 シュヴァルツェア・レーゲンは攻撃力は高いが足が遅い。最大攻撃兵装120mmレールカノンは有効か。みやが持つ最大攻撃兵装120mm戦車砲“黒釘”は有効か。A.I.Cで福音の攻撃に耐えられるか。みやのエネルギーシールド“アイギス”はどの程度耐えられるか。福音パイロットの気配、殺意は読み取れるか。

 彼はこのポイントに絞り、みやを介しアレテーに福音の情報収集と検討をさせた。その結論は、

「対空ミサイルで戦闘空域を制限及び牽制し、A.I.Cで防御、黒釘で攻撃、このフォーメーション基本とします」

 と言うことだった。

 最新データからA.I.Cで福音の攻撃を防げる事が分かっていたが、福音の機動力ではフォーメーションを高い確率で崩される。福音パイロットの意識は抑制されている、アレテーのこの推測に基づけば、真の膨大な戦闘経験に基づく人の気配、殺意の読み取りに効果が望めない。つまり、一度体勢を崩されれば、立て直しは困難を極める。足の遅いシュヴァルツェア・レーゲンを集中攻撃されれば、続くみやの結末は自明の理であった。

 そこで。みやとイージス・システムを接続し連携。対空ミサイルのリアルタイム誘導により立て直しを図る。あとはラウラと真の連携と二人の技量次第……これが真の立てたプランだった。

 真のプランにハミルトンは、笑いながら聞いていた。真は直立不動のまま説明を続けた。

「たしかF-14の搭載レーダー“AN/AWG-9i”には空対空用データ・リンク“リンク4C(TADIL-C)”が搭載されている、そう記憶しています。艦載戦闘機によるミサイル支援も希望します」

「詳しいな。どの様にして知ったかは問わないが、君の機体に搭載されている“JTIDS(統合戦術情報伝達システム)”はNATO規格だがイージス・システムと完全な互換性が無い。プロトコルのコンバーターを用意する時間が無い」

「リンカの仕様を学園のメイン・フレームに至急送って下さい。米軍の評価は存じませんが、学園は伊達ではありません」
「希望する支援は以上か?」
「はい。アラクネは艦隊防衛に回して下さい……その方がやりやすい」

 ハミルトンとやりとりを行う真を、ディアナは眼を大きく開き、驚きを隠さずに見つめていた。真は“英語”で会話をしていたのである。


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 政治の話だとディアナに追い出された箒と真は、作戦準備のためラウラの元へ急いでいた。何名かの兵士が、モデルの様な箒を見て口笛を鳴らし、歩み寄る。2人の道案内兼監視係のバリーは眼圧で、あるときは罵詈荘厳で、隙あらば手を伸ばそうとする連中を追い払っい、真もそれを手伝った。慣れ親しんだ釣り上がった目付きと、見覚えのある女性に付けられた左頬の傷。人相の悪さが役に立ったと彼は複雑な思いであったがそれ以上に、

(随分程度が低い。これがあの第7艦隊とは信じられない)

 そう苦悩していた。その真を他所に前を歩くバリーは馬鹿者たちが居なければ明るかった。ISパイロットである彼女は仕事をとられたと不満であったが、それ以上に感心していたのである。

「蒼月君。君は16歳で正しかったかな?」
「はい。それが何か?」
「いや、とても16歳には見えない、とな。馬鹿共はともかく艦隊司令はサイレント・ブルドーザーだぞ」
「静かになぎ倒す、ですか?」
「そうだ。その司令を黙らせる人物は初めてだ」

 真のプランは言い換えれば学園が前面に出て、艦隊がバックアップに回ると言う事だ。

 一夏と真の両名を期待していた軍上層部は、学園側を主力にすることを検討していた。軍に大きな損害が出ている事もあるが、なにより2人の相乗戦力に興味があったのである。無人機戦で2人が見せたコンビネーションは、彼らに大きな衝撃をもたらした。

 ところが一夏が欠場。この一報を受け、作戦変更を余儀なくされた。

 フランスでの一件から、昨夜行われた高高度での精密射撃、目の前に立つ雰囲気の激変を含めた、真の調査、これの意味も多分にあったが、米軍が学園に要請した根拠はM襲撃時に置ける学園への貸しである。この程度の理由で学園側を、真一人を主力に出すのは根拠として弱かった。

 その米軍にとって、真のプランは思いがけない幸運となったのである。

 2人は軍の真意に当たりを付けていたが、敢えて知らない振りをすることにした。バリーは真への探り、真にとっては全面に出ることが渡りに舟だったからだ。それに艦隊司令を務める程の人物であれば格安の扱いである。

「司令は“昔の”上司にとてもよく似ておられますので」
「そう言えば社会人経験があると聞いた……ところで君は日本人ではないのか」
「俺はそう認識しています、大尉」
「英語が随分達者だし、眼が碧だ」
「前に怪我を負い、その為の色つきの保護コンタクトです。英語は学園に居ますから、良い先生には事欠きません」

 バリーの疑う気配を受け流し、真は涼しい顔だ。居づらい空気が漂ったが、真はこれから任務に付くのである。彼女はそれに配慮しこれ以上の話を止めた。彼もそれに感謝した。ところが彼の左後ろを歩く箒は上機嫌で、

「うむうむ」

 そう、何度も満足そうに頷いていた。その少女の振る舞いが気になった彼はちらりと見た。聞いて欲しかった彼女は彼の目配せに喜んで応じた。

「こう来なくてはな。私も自信が付くというものだ」
「理由を聞いて良いか」
「私の眼力だ。セシリアから聞いた時にわかに信じられなかったが。まぁ年上でも身体が16歳ならば問題ない」

 彼は甲板に居る白銀の少女に、恨み言を言いたくなった。表情の変化は乏しかったが、箒には苛立ちが見て取れた。

「ラウラを責めるのはよせ。セシリアに知る権利は十二分にある。他の誰よりも知りたい、娘ならそう考えるのは当然だろう」

 箒の告白に、彼は立ち止まり眼を瞑った。押し黙る。僅かな沈黙が訪れた。

「篠ノ之。繰り返すことになるだろうが、俺は、」
「言うな」
「年頃の少女の気持ちは分からないが理解は出来る。俺は君の事を覚えていない。君はまだ15歳だ。将来を見据えた、地に足を付けた恋愛をするべきだ」

 箒は不満そうな表情を見せた後、真っ直ぐに見つめ返した。両手を腰に添え背筋を張るその姿は大樹のようである。

「気づいているか? お前は言い難い事を言うとき押し黙る癖があった。今もそうだ。それだけで私は十分なんだ……それでもなお拒絶すると言うのならば、今度こそ声を上げて泣いてしまうからな」

 箒の素直な視線と覚悟を決めた柔らかな笑み。バリーの非難の目も相まって、彼はこれ以上言うのを止めた。2人の周囲にははやし立てる声。彼にとっては苦手な、その雰囲気を破ったのは、聞き覚えのある高いが低い。卵の殻の様な、今の真がよく知る白銀の、少女の怒声だった。


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 3人が見た光景は、赤く染まる甲板で言い争う、ラウラと戦闘機パイロットたちであった。

 最初は聞こえるか聞こえないか、その程度の大きさだった。それが次々に伝わり徐々に大きくなり、最後は雑談しているようにわざとラウラに聞かせた。それはIS全てに対する侮蔑と、真に向けた裏切りという言葉。

 彼らもその結果を意図していた訳ではない。だが集団心理というのは大人でも気をつけなくてはならない厄介な物だ。日々生活を共にする者たちが、同じように感じている事柄であれば尚更だろう。

 涼しく、少なくとも表面上は涼しく受け流していたラウラであったが、彼の全てを知っている彼女にとって聞き流すことは出来なかった。彼女は真の記憶を持っている、彼に対する侮辱は2人分だ。

「貴様らには誇りが無いのかと聞いている! これではゴロツキと変わらないではないか!」

 ラウラの罵声を浴びて何名かの兵士が飛びかかったが、ISスーツ姿の少女は、造作も無く叩き伏せた。何名かの兵士が、既に甲板で倒れていた。怪我は無く、正確に的確に失神させられていた。彼女は髪を払うと、倒れた男を怒りを込めて見下ろした。

「黙れ! ISは工業、軍事、研究に学術! 名誉に名声! この世界でISは頂点だ! 男の俺らがどれだけ血反吐を吐いても、身体を張っても絶対手に入れられない! お前らが全部持って行っちまった!」

 甲板に這いつくばり、胃液を吐く白人の男は屈服することなく2つ目を憎悪で満たしていた。彼はウィルソン・キャナルズ、中尉、海軍“戦闘機”パイロット。

 人類が新世紀を迎えても終わることのない、紛争、内争、戦争。国の為、仲間の為、世界各地で勃発する幾多の戦場に赴き、戦ってきた男である。


 人類は有史以来収奪を続けてきた。古代は土地であり、食糧であり、マンパワーと言う名の奴隷。現代では、経済的意味での消費地、鉱石などの天然資材、石油や天然ガス……それらは全てエネルギーと置き換えることが出来る。

 入力エネルギーより出力エネルギーの大きいブラックスボックス、ISコア。現代物理学を覆すオーバー・テクノロジー 権力者がこれに気づいたとき、群がり解析しようと躍起になった。他国に後れを取る訳には行かない。莫大なエネルギーを持つ隣国は脅威でしかない。転じて、他国に優位を取れる。

 そのため各国は自身が持つ莫大な頭脳と資金を費やす必要があり、今なお費やしている。だが各国の収入源は税金、国民の理解を得る必要があった。そこで白羽の矢が立ったのは、スポーツとしての一面だった。

 アリーナを駆け巡る美麗な少女、女性たち。その姿は票取りとしてプロパガンダとして絶好であった。オリンピックに変わる新世代スポーツとしてモンドグロッソは花形に“された” 誰も彼もが浮き足だった。

 だが税金は青天井ではない。何処かを削る必要があった。兵器としての側面も多分に持っていたISである。軍事費の削減は国民の理解を得やすかった。

 彼らは狙い撃ちにされたのである。

 年々削られる予算と人員、そして規模。だが下される負担は変わりなく、彼らは不満を溜めていった。給料だけではない。歴代の兵士、彼らの戦友。そして、存在を否定された。

「腐るにも程がある! 貴様らは目立ちたいだけか!」

「黙れ! ISは今まで死んでいった仲間の兵士たちを貶めた! 故郷に帰れば税金喰らいと罵られ! ガキにも馬鹿にされる! 戦闘機100機あってもISには勝てないんでしょ、軍隊って何でいるの……これ程の屈辱があるか!」

 ラウラの軽蔑にキャナルズは歯を食いしばりゆっくりと立ち上がった。

「やめろ! キャナルズ! 見苦しい真似はよせ!」 バリーの一喝が飛ぶ。

「お前も同類だ! お前を迎え入れるだけで100人の仲間がこの艦を去った!」
「喚くな情けない! 軍隊は学校ではない! 友達が欲しければ故郷に帰れ!」

 ラウラのこの発言もまた正しい。キャナルズを大人げないと一蹴することは簡単だろう。だが人間はそれ程強くない。彼女は生死を共にした戦友との絆、言葉では情報では伝える事が出来ない人と人との結びつき。これの“経験”がなかった。他の海軍兵士たちも、一斉に憎しみの視線を彼女に浴びせた……他の下士官ですら。

「俺らは、俺らはな! 任務のたび毎日仲間の生死に直面していた! ディック! ウィル! ハンソンにリース! 皆帰ってこなかった! 皆が旅立っていったこの艦にそのISが載っている。これが許せる訳が無い……それが理解出来ないから、お前は人形なんだよ! このロボットが!」

「そこまでだ!」

 押しだまり、推移を見守っていた真であったが、とうとうキャナルズに詰め寄り胸ぐらを掴んだ。彼にはキャナルズの言いたい事が痛いほど理解できた。なにより真はかって、彼ら兵士にそう命令する立場であったからだ。だがキャナルズの発言は真にとって聞き流せないものだった。

「裏切り者は黙ってろ! 飼い慣らされやがって!」
「当てつけなら俺にしろ! これ以上の権利は俺らに無い!」

 言葉では止まらない、そう判断した真はキャナルズを殴りつけた。それでも怒りを収めることはなく、溜まった感情を吐き出し続けていた。ISが世に生まれて10年間、彼らの鬱積はあまりにも大きかったのである。

 彼は左頬を抑えながら、ラウラに言い放った。

「親の無い人形に人間様の苦しみが理解出来るか! 出来る訳無いだろ! 出来るってんなら言ってみろ!」

「私にだって親は居る!」

 甲高い年相応の声が響いた。それは弱々しい、真が初めて耳にする15歳の少女の心の叫びだった。

「はっ! 男だけか? それともパパママ何人ずつだ!? 遺伝子設計者は親とは呼ばない……それとも設計データか!」

 その少女は両の握り手を胸元に、張り裂かれないばかりに不安が溜まった胸を押さえつけていた。最初に叫んだ名前は、日本人男性の名前だった。

「青崎真也! 父だ!」

 誰もが、不可解だとざわめいた。

「青崎優佳! 母だ!」

 それは日本人女性の名前だった。真の恐れが確信に変わる。彼は止めろと叫んだ。もっと早く気がつくべきだった、そう己を罵りながら。

「青崎優子! 姉だ! いいか! 私にも家族が― 」

 その3名は真の家族の名だった。少女は壊れたおもちゃの様に、意味を成さない言葉を繰り返す。どうにかして紡ごうとするが、もつれる事すらなく、ほどけていった。

「あ、あね、私の、家族、違う、これは私の思い出、ではない。借り物の、」

 涙を流す少女は、己の手を見ると、崩れ落ちた。ラウラは力無く、甲板を虚に見る。真は駆け寄ると何度も願いを繰り返す少女を抱きしめた。

「その記憶はラウラの物だ。俺にはもう意味が無い。全部持って行って良い」

 彼女は、人が誰もが持ち得る、彼女が持たない記憶を己の思い出として置き換えていた。試験官の中で育ち、武器と兵器にまみれた彼女にとってそれはあまりにも眩しく、暖かく、優しい物だったからだ。

「少尉。私は人形ではありません」 か細く、掠れるような声。少女の縋りに彼は笑いながら応えた。
「もちろんだ。苦しみ、人を気遣うのであればそれが証し。俺はよく知っている。人の振りをしている連中など忘れてしまえ。君はラウラ・ボーデヴィッヒという15歳の少女だ」

 ディアナらは、騒ぎを聞きつけ甲板に戻っていた、真はラウラの額に唇を添え、甲板上の兵士を睨み回すと、最後にキャナルズに視線を止めた。

「貴様らに少しでも誇りが残っているのなら、この子らを学園に送り届けろ。確実にだ。もし暴行したり、監禁したり、研究材料とかにしてみろ。地獄に引きずり落とすからな」

「そう言うお前はなにをするんだ。絶対防御の中でマスかいてろ。この腰抜け野郎」

「俺はラウラに謝らないといけない。とんだ見込み違いだ。俺の知っている連中はどのような苦難でも立ち上がった気高い連中だった……良いか、良く聞け。俺が腰抜けなのは否定はしない。だがこの子を生み出したのは俺らだ。それだけは忘れるな」

 真はみやを呼び出した。みやは力場でラウラの身体を抱きしめ宙に浮かした。蒼白い光が集まり形を結ぶ。顕れたのは全身を覆う、レザー・ジャケットの様な黒い姿だった。ヘルメットのバイザーが彼の意思に応じて自動的に上がる。宙に浮かんでいたラウラを両手で抱きかかえた。

 真の背後に立つハミルトンは静かに問うた。

「1人で戦うつもりかね」

 彼は頷くと、傍らに立つディアナにラウラを手渡した。彼女が織り上げた揺り籠の中、少女は繭の様に眠っていた。

「もちろんですよ、中将。ついでに彼らが何か思い出させる、一石二鳥です」

 それは真が巻き込んでしまったかっての部下達への贖罪、その意味もあった。

「無謀と勇気は違う。君はまだ若い。判断を誤っている」
「ミサイル巡洋艦1隻。ミサイル駆逐艦2隻。太平洋艦隊にこれ以上被害が出ると、太平洋のパワーバランスが崩れる。それは日本アメリカどころの話では無い。その為には米軍以外の戦力で時間を稼ぐ必要がある。今すぐにでも……違いますか?」

 風が吹き始めた洋上で、かって一兵士だった彼は謝罪した。頭は下げなかったが真にはその誠意が伝わった。

「……済まない。君をこの様な状況に追い込んだのは私のミスだ」

「とうに済ませた“俺ら”の選択です。気になさらないで下さい……それに。腕には少々自信があります。簡単に負けるつもりはありませんよ」

(死んだら死んだで、切り札が眼を覚ます。どちらにしても勝ちだ)

 真の言葉とその眼差し。それは覚悟した者の持つそれだった。ハミルトンはその目をした者たちを知っていた。彼もまた戻らない部下を送り出したのである。だから彼の、

「Attention!」

 その声は甲板に響き渡り、兵士達の腹を揺さぶった。彼らは慌てて姿勢を正した。その声は彼らが生まれる前から海と共に生きてきた、男の怒りだった。

「良いか!この糞虫共! ここまで言われてまだ文句垂れる奴は家に帰って穴に潜り込め! ママ股ぐら頭突っ込んでヒィヒィ言わせるだけの豚がお似合いだ!! わかったか!!」
「Si……Sir,Yes,sir!」

 初めて聞く司令の形相に兵士たちは恐れ戦いた。

「だが貴様らが戻る穴はこの艦だけだ! 貴様らの一日はこの穴でマスかいて終わる! オカズはジョージ・ワシントンだ! 文句があるか!? 一等兵!」
「Sir,No,Sir!」

「ケツからクソを喰うお前らクズ共に今から任務をくれてやる! 今から16歳の兵士を1人送り出す! たった1人でだ! 泣きながらマラをシャブリあう貴様らには上等過ぎる任務だ! どうだ! クソまみれなのが分かったか! この肉ゴミ共!」
「Sir,Yes,sir!」

「Okey…… 身体に溜まったクソミソを洗い落としてこい! 根性見せろ! ネイビー共!」
「Sir,Yes,sir!!」

 ある者は狼狽しながら、ある男は己を罵りながら。兵士たちは眼を覚ました様に任務を思い出した。慌ただしくも炎をともした兵士たちを背後に、真は目の前の金の人に静かにこう告げた。

「リーブス“先生” 学園に戻ってISの準備をしてください。あと伝言をあの少年に。俺の様になるなと」
「彼にだけ?」
「……すまないと、マチルダに」
「確実に伝えたわ。許しはしないと思うけれど」

 彼が見下ろす、彼がもっともよく知るその女性は、彼の目を静かに見つめていた。寂しさと笑みを浮かべていた。古い友人であり、古い部下であり、生死と苦楽を分け合った青崎真にとって最後の女性だった。彼はディアナを見届けた後、彼は側に歩み寄っていた、黒髪の少女に言葉を掛けた。

「篠ノ之箒、君は留守番だ」

 彼女もまた、寂しそうに笑っていた。

「私は足手まといか?」
「そうだ」
「……なら私は待つ事にしよう」
「後悔するぞ」
「しない」
「苦労するぞ」
「もう、している」
「なら勝手にするといい」
「あぁ、勝手にする。だからこれを持って行け。預かってきたんだ」

 彼女は剣とペガサスをあしらったオルコットの紋章。それが刻まれたハンドガンを手渡すと、同時に唇をそっと添えた。

「本当に気が強い女性ばかりだ」
「忘れたか。お前がそうさせている」


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 甲板にみやの影が長く伸び、その影の周りで動く兵士たちの影もまた長く伸びていた。みやの量子格納領域を操作していた整備兵が顔を上げたのは箒が立ち去った時である。彼は30代半ばの眼鏡を掛けた黒人男性だった。

「ご要望の品だ。確認してくれ」
「ありがとう。助かる」
「礼には及ばない。貧相すぎて逆に申し訳ないぐらいだ」

 真はもう一度礼を言うと兵装確認をみやに指示した。主の声に応じて唸りを上げる。

-報告:新規インストール終了。20mm セミオート・スナイパーカノン“ヴェルトロ(猟犬)”高速徹甲弾50発-

 彼は“チェイタックM200i”を弾丸不足によりアンインストール、アヴェンジャーは機動戦闘に向かないため旅館に置いてきていた。セシリアの38口径 ハンドガンは腰の後ろに固定していた。

「30mmの弾は取り扱いが無くてね」
「A-10は陸軍だものな」

 エネルギーの充電が完了し、みやが全システムの正常を告げる。

-Stand By-

 みやの両足と背中に繋がれていたエネルギー・チューブが音を立てて外れた。重い機械音が甲板に鳴り響く。真がその音の方を見ると、エレベータに載ったF-14Eが甲板下の格納庫からゆっくりと姿を見せていた。夕日を浴びて背景の海から浮かび上がっている様に見えた。

 みやの外装を点検しおえた整備兵が手で合図しながら、タラップと共に離れていった。多方向加速推進翼を羽根の様に広げると、スラスターの蒼白い光がスズランの様に点々と、だが力強く灯った。風が生じ足が甲板から離れた。彼は眼は向けず、ハイパーセンサーに映る、よく知る女性3人を見届け飛翔した。みやの影が彼女らを陰らせた。

 海に浮かぶ鋼の城が徐々に小さくなる。甲板からは、羽を広げたF-14E戦闘機が一機また一機と飛び立っていった。みやはスラスターをミリタリー・パワーに上げた。加速。音の壁を越え、衝撃波の輪が茜色の空に広がる。雲を穿った。


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 雲の回廊。その表現が相応しいの黄昏の空を飛ぶのは、24の翼を持つ者たちである。みやの後ろに続くのはF-14Eトムキャットの群れ。アビオニクスにエンジン交換、フレームは補強し、継ぎ接ぎを繰り返し。華やかなISの影で延命を続けてきたロートル機たちであった。

-報告:イージス・システムとリンク完了 戦術データ通信開始-
-報告:支援戦闘機及びイージス艦の準備完了-

 着々と準備を続けるみやに、群れの右翼を担うある一機が高らかに謳う。ただ少し、礼儀に欠けていた。

『ホッグス・スリーから色男へ』
『色男とは俺のことか?』

 みやの蒼白いスラスター光が僅かに淀んだ。失礼なことを言うな、そう言わんばかりであった。

『ディアナ・リーブスのゴシップが本当だとは思わなかった。一体どうやったんだ?』
『ゴシップとはなんだ』

『すっとぼけやがって……月の女神のお気に入りってな。NewYorkTimesに載ってたぜ』
『嘘付くなマックス。お前はタブロイドしか読まないだろ』
『能あるフォーク(鷲)は爪を隠すんだよ』(※役立たず。爪の無いフォークは使えない)
『黙ってろ、第7艦隊の恥だ』
『腕は良いのに頭が足りない』

 陽気な彼らを見る真は笑っていた。遠くから聞こえる祭りの喧噪を楽しんでいる様であった。彼はほんの少し、そのあまりにも懐かしい祭りの中を覗く事にした。

『ホッグス・スリーへ。織斑千冬の人気は無いのか』

『ブリュンヒルデも悪くないけどな。ピンナップとか殆ど無くてなじみがない』
『そう言えばピクチャーデータが片っ端からハッキング受けて消去された事件、結局犯人捕まらなかったな』
『ヒックス。チフユ・オリムラの貴重写真をガール・フレンドに破られたって話、クルーガーだったか?』
『いや、マーフィだ』
『あれは傑作だったな。最中のミカに貼り付けたら激怒されたってよ』
『最中は普通怒るだろ……おいこのクソ野郎』
『なんだ唐突に』

 後方を飛ぶ翼は不審を隠さず微ロールを繰り返した。

『二人といちゃついてるとかは無しだぜ』
『おぉ神よ。ターゲット・マーカーを変更する罪を許し給え』
『俺もISに乗れれば……』

 殺意とは僅かに異なる鋭い空気。彼を助けたのはみやと、

-警告:敵機補足 接触まで120秒 作戦空域内まで20秒-

『全機に告ぐ。遊覧飛行はそこまでだ。老ネコにドッグファイトさせようなどと考えるな、必ず安全距離を維持しろ』

 航空母艦の艦上に設置された打撃群司令部指揮所(TFCC)からの連絡だった。笑みを消した真はこう告げた。

『ここからは俺一人だ。迂闊に近づくなよ』

 みやの腕に20mmスナイパー・カノンが現われる。

-全安全装置解除-
-Ready Gun-

 みやの報告と共に、一機の双発機が右へロール、離脱した。

『話の続き聞かせろよ』
『ドイツのお嬢ちゃんに済まなかったと伝えてくれ』
『今度学園の話を頼む』

 一機また一機と離れ、最後の一機はホッグス・ワン、ウィルソン・キャナルズだった。

『おい色男! お前はクソッタレだ! お前は俺らと違いISがある! ガキのくせに生意気で上官臭いところがまた腹が立つ! だが俺たちに出来る事をくれた……帰ったら一杯やろうぜ! 英雄!』
『なら冷えたワインを』
『ジュースはねぇよ!』

 キャノピー越しに見せた左指のサイン。彼もまた赤く染まる雲の山岳の中へ消えていった。濃紺の海の上、紅に染まる雲の隙間から、浮かぶ6枚の光の翼が見えたのはその1分後、艦隊から放たれたミサイルが福音の針路上に向かっていた時である。


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 作戦を簡単に説明するならばミサイルでアリーナを作る事だ。

 最初はSAM(スタンダード艦対空ミサイル)RIM-156 SM2ER。イージス艦の甲板上Mk41 VLS(ミサイル発射装置)から垂直に放たれたそれは、母艦の信号により中間誘導を行い、弧を描き直進。音速の3倍で飛翔、150km離れた福音の予想針路上で爆発させる。

 福音は前方1kmで爆発したミサイルを避ける為、進路を変更。だがその先にも爆発が起こる。変更、爆発。福音は行く先々で爆炎と衝撃に阻まれ、囲まれた。機動範囲を強引に固定された。

 彼女の眼が光る。歌を奏でながら6枚の翼を展開。機動力を活かし長距離ミサイルの網の目より脱出しようと加速した。

 SAMは長距離ミサイルで、その性質上大型であり機動力に劣る。それを補うのがF-14EのMR-AAM(中距離対空ミサイル)AIM-7Mだ。彼女の目の前には、薄紅に染まる空に浮かぶ穴の様な黒い点、中距離ミサイルがあった。接近信管により爆発。高熱と高速に飛散する破片が彼女を襲った。足がもつれ速度が落ちる。

 その時、頭上の雲に穴が開いた。中から20x139mmの弾頭が超音速で打ち出されたのである。彼女が立つ高度3000m、その更に1500m上の雲の中に狙い澄ませるのはみやであった。

 手にするのは20mmセミオート・スナイパーカノン“ヴェルトロ(猟犬)” 有効射程2000m、初速1150m/s ラインメタル Mk20 Rh202機関砲に匹敵する牙。

 着弾。彼女の左肩で火花が散り、衝撃で姿勢を崩す。発砲音が遅れてやってきた。彼女は姿勢を乱したコマのように、弾かれ回転した。

-報告:初弾命中。着弾による防御力場のスペクトル変動を観測。予想ダメージ250-

 福音のエネルギー量は仕様で2200。理屈では約9発分だがセカンドシフト後では当てにならない。エネルギー消費の激しい第3世代とはいえ、先の見えない長丁場だろう。

 回転していた彼女はアイス・スケーターのように姿勢を正すと、6枚の羽を広げ立ち上がる。真は、黒釘の使用を許さなかった強い風を恨まずにはいられなかった。


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「La」

 それが賛美するのは光子の歌。

 雲、赤子、光輪、赤い衣、祭、踊。

 清純で高潔、端正かつ厳粛、そして銀。

 雲の王国に立ち聖剣を携える断罪の天使。相対するのは血にまみれた黒の鎧だった。彼はライフルを持ち替えた。それは幾らか短く、威力に劣るが、取り回しと連射に優れる突撃小銃である。

 彼は見上げるそれにこう告げた。

「非常に神秘的な一枚だが宗教画は嫌いでね。特に古いやつはそうだ。描かれる人間は嘆いているか目が虚、生気が無い」

 それが開戦の喇叭となった。みやの多方向加速推進翼が広がり蒼白い炎を吹いた。福音の6枚の光の翼が広がり、いっそうの輝きを放つ。ミサイルで作られた闘技場の中、銀と黒、2機のISが駆けだした。

 みやはアサルトライフルを構え上空から発砲。3連バースト・モード。同時に急激降下。弾幕で牽制しながら追尾。左から右に弧を描く。銃口から射出される12.7x99mmの弾丸がレーザー・イルミネーションのように空を切り裂いた。

 雲越しの海に浮かぶ福音は海面と平行に回避。右へ、左へ、上へ下へ、また右へ。高速な小刻みなメトロノームのように真の攻撃を躱し続けた。彼の意識に浮かび上がるのは福音までの距離。およそ1000m。福音の背の翼からは、光の粒が舞っていた。

 彼の放つ弾丸は、ある時は濃紺の空へ、ある時は赤い太陽へ、ある時は雲の中へ、赤い軌跡を引きながら消えていった。

-報告:残弾ゼロ。弾倉量子交換0.2秒。装填30発、残弾470発-

(マガジンの量子交換か。随分便利だが……)

 彼は目の前を高速に舞う、福音の背中を注意深く見つめていた。

(手強い)

 真は、銃を握り直すと上昇。更にその先を駆け上がる福音を追った。己を否定し、心と命を削ってまで研鑽し続けた戦闘感覚を研ぎ澄ます。みやの速度は時速1400km、超音速戦闘であった。音の割れる音が夕暮れに響いた。


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 雨のように降り注ぐ福音の広域制圧兵器“銀の鐘(シルバー・ベル)” 光の翼からもたらされる高エネルギーの塊は、土砂降りのように天から海に、噴水のように海から空に、散水機のように横から撃ち出された。

 散弾銃の一種とも言える銀の鐘はその性質上、距離に比例し回避が容易になる。ただ福音のそれは1発1発が非常に重く、その数も多い。迂闊に飛び込めば、一気に形勢をひっくり返されかねない。だが。回避マージンに余裕を取れば真の射程外であった。

 肉眼では追いつけないほど高速に流れる世界。彼は福音の頭を絶えず押さえ、有効射程外から発砲。撃ち出された弾丸は赤い軌跡を描きながら、福音の行く手を遮った。

 有効射程と最大射程は異なる。精度と威力は劣るが、牽制は可能である。回避運動を終えた直後の福音を、誘導していた中距離ミサイルが襲った。爆発炎上、轟音が鳴り響き、炎の中から飛び出した。

 ヴェルトロ(狙撃銃)に持ち替え発砲、命中。与ダメージ280。福音は歌ではない声を上げた。悲鳴もしくは、苦悩のようにも聞こえる。真は逸る気持ちを抑え、アサルト・ライフル持ち替えた。

(焦るな。これは地味ではない着実……リズムを守れ)

 力が徐々に抜けてきた右手を握り直し、そう自分に言い聞かせた。

 銀の光と黒い点は、濃紺の空、朱に染まる雲、赤い太陽を背に、直線、円弧を繰り返しながら高速機動を続けていた。さながら原子を中心に回る一対の電子のようであった。ミサイルが作るカーブに沿って福音が駆け抜ける。真は機動と射撃を駆使し、ミサイルの爆炎に追い込み、ダメージを与え続けていた。アサルト・ライフル弾倉交換、10カートリッジ目。福音加速、下方向から回り込む。

-報告:累積予想 与ダメージ1600-

 最初は下方から、次は後方から。飛来する銀の雫を、彼は網の目をかい潜るように回避した。戦闘開始から8分間、彼の意識が捕えるのは福音の姿勢と機動の関係であった。

 パイロットを内包している福音はスラスターの推進方向を絶えず人体の重心に置いていた。無人機ではない以上パイロットが居なくては動かない。つまり、パイロットの生命を脅かす真似はしない、出来ない。高速機動中、福音は耐Gに適した姿勢を取っていた事からも明らかであった。その狙いは姿勢からの機動予測である。彼はそれをほぼ確立していた。

 彼はみやを介し艦隊と戦闘機のミサイル残弾を確認すると、120mm戦車砲“黒釘”を量子展開。バズーカ・タイプのそれを右肩に掛け、グリップを右手で掴む。左手にはアサルト・ライフルがあった。それを見た福音が歌のトーンを変える。

(どちらのせよ追い込みだ)

 ミサイルの残弾数も彼自身の体力も、もう後が無かった。


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 彼は打撃群司令部指揮所(TFCC)に通信を入れると、突撃姿勢を取った。“幸運を”返答が返る。みやのスラスターがひときわ蒼白い光を放つ。加速。福音の広げた翼は輝いた。

 彼に背を向ける福音は背景を、その進行方向を、雲、空、海と高速に変えていた。ある時は水平線が映りその境が激しく回る。

 みやが福音の背後、兵器発射可能領域を取る。福音は即座に左方向へ、ブレイクターン。交差角……進行方向角度を大きく取り、みやをオーバーシュートさせようと福音は高機動回避運動を続けていた。みやのフレームには24Gが掛っていた。両肩に負荷が掛り真の指が震え、意識に靄が掛り始める。

 福音、高速ロール。ドリルの様に自転し、シルバー・ベルを全方向に打ち出した。みやが高速演算し、雫の軌道を予測する。可能な物は避け、進路上にある物は左腕ライフルで撃墜。ハイパーセンサーが伝えるイメージから色が消え、音が間延び始める。

 大気の流れ、気温に湿度、角度と距離、そして時機。

 最大加速。世界がゆがむ。福音の姿が急激に大きくなる。距離800m。風向きは正面だった。装填弾頭は“APFSDS”通常弾。福音の両肩の位置、腕の角度、開脚度、翼の位置……回避針路予測。彼がトリガーを弾く瞬間である。

 彼の目の前に福音の掲げた右手の平があった。

 その手に掴む黒いもやは、彼の第6感と心臓を壊さないばかりに打ち鳴らした。彼は肉体とみやに下していた命令をキャンセル、回避に変更。もやが輪郭を形成する。

 上肢を福音の左脇に潜り込ませた。急激な命令変更にフレームと生身の身体が悲鳴を上げた。ミリ秒前まで彼の頭部があったその場所を、錐形状の黒い弾頭が駆け抜けた。みやの左腕が衝撃に襲われる。

 真は体をひねり、右翼スラスターのみ最大噴射。右肩が福音の胸に当たり、はじき飛ばした。彼は眼を剥いた。みやの左腕にあったアームガードがえぐられ、赤く融解していたのである。その左腕は対一夏戦と異なりシールドを展開させていた左腕だった。

-警告:絶対防御無効攻撃-

 それは福音のワンオフ・アビリティ“ロンギヌス”だった。福音は翼を広げると空高く舞い上がり、両手を広げ歌を奏でる。銀の雫を無慈悲に降り注ぐ。真は大ぶりな黒釘を量子格納、アサルト・ライフルを右手に持ち替えた。躱し続け、直撃コースの銀の雫は撃墜した。疲労で次第に精度と速度が落ちる。

「La」

 真は福音の駆け引きに感嘆し、己のうかつさを呪った。福音は敢えて被弾し、エネルギーを犠牲にし、真の隙を誘ったのだった。時間を稼ぎなら、真を疲労させ、切り札を持ち出した。それは常時イグニッション・ブーストの機動力と特殊攻撃、絶対防御を無効化する黒い光弾。全ては仕組まれた罠である。

 福音のパイロットは意識がないにも関わらず知能戦を仕掛けた。“暴走”という先入観に真は思考の隙を突かれたのであった。

 雲の絨毯、その上で回避を続ける真に、福音は銀の雫を降り注いでいた。回避が遅れアイギス展開、同時に体をひねる。雫を受け流したがダメージ発生。残エネルギー880。

(あの雫が無効攻撃でないのが救いだが……どうする?)

 雲の回廊に雲の柱が建つ。疲労で回避が鈍る、直撃。落下、めまぐるしく回る世界。真はメッセージが刻まれていた右腕を見た。歯を食いしばり、腹に力を入れる。

 爆音が鳴り響いた。


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『よう色男! 手こずっているな!』

 爆発音とともに現れたのは、翼を広げたF-14Eの群れであった。SR-AAM(短距離対空ミサイル)AIM-9Xが福音を襲ったのである。ミサイルが燃す一つの火の玉、彼はその光景に眼を剥いた。

 SR-AAM(短距離対空ミサイル)AIM-9Xの射程は40km。最大速度マッハ3.2の福音はこの距離を37秒で走り抜ける。対しF-14Eは最大マッハ2.3。戦域離脱ならまだしも戦闘機動だ。機動力も加速も圧倒的に上回る福音に喰らい付かれれば必死の距離だった。

 後続する短距離ミサイルがマッハ2.5で飛来し指定座標で爆発。福音を取り囲み吹き飛ばした。福音から一群までの距離35kmから32kmに接近。真はその群れに叫んだ。

『何しに来た! 戦闘機では歯が立たない! 戻れ!』
『フランスでのミサイル騒ぎは良い教訓だからな!』

『戻れと言っている! 無駄死にする気か!』
『あーあー コミュニケーターの故障だ。よく聞こえない』

『このバカ野郎ども!』
『ガキに舐められっぱなしは性に合わない!』

 未だ冷めない爆炎が渦のように巻かれ吹き飛ばされた。翼を広げた福音は歌を奏でる。

『ホッグス・ワンから全機に告ぐ! 燻らせたこいつら(F-14)で一泡吹かせるぞ!』
『『『了解!』』』

 キャナルズの雄叫びに戦闘機の群れは散会、福音を中心とした軌道を描く。それは籠をだった。真は彼らの意図を察し、ヴェルトロ(狙撃銃)に量子交換。発砲、翼を広げ音速で飛翔する福音の足先に命中。20mmの弾丸が、福音の姿勢を乱す。撃ち出された雫の数々は歪に曲がり、あらぬ方向に飛んでいった。突風に隊列を乱される鳥の大群のようであった。

 福音を狙う遠距離からの殺意の線は12本。真はそれを読んだのである。薬莢排出、銃身に高速徹甲弾が装填される。

 飛来する4発のミサイル。福音は鋭い矩形の軌道を描き、回避。真が発砲。弾丸命中。歪に回転しながら墜落軌道を取る福音にミサイルが命中した。下から掬い上げる様な円弧軌道はネコの爪に見えた。

 福音の甲高い声が耳に付いた。

『Bingo!』

(行けるか……?)

 真がそう願ったとき、彼の首筋に節足動物が這い回るような、感覚が走った。

『ネコ共に告ぐ! 緊急― 』

 離脱しろ、その声は歌に掻き消された。眩む程眩しく光る光の翼。発砲した弾丸は、福音の背中に届くこと無く、失速、投げた石が地に落ちるかのように海に消えていった。

 真が追撃・加速した時には既に、福音の手にもがれたF-14の首があった。

 彼らも座して死を待っていた訳ではない、機動が違いすぎた。みやですら追いつけないゼロからマッハ3.2までの瞬時加速である。もがれた首は潰され、赤い雫が飛び散った。紙に散る赤いインクの如く。残った身体は火を噴きながら海へ落ちていった。

『マックスがやられた!』
『化け物かよ!』

 真は警告する時すら惜しみ最大加速。急激上昇。福音追尾。みやはマッハ1.5、弾丸の初速度は1.2、合計2.7。単純計算ですら届かなかった。

 真が牽制するも、多数が撃墜されていった。ある機体は福音の腕の爪、ある機体は蹴り。ある機体は、機動による衝撃波で撃墜された。海に散っていった。

 真の嘆きが木霊する。あざ笑うかのように福音が歌を奏でた。

『こっちだ喰らい付け!』

 F-14E ホッグス・ワン。可変翼後退68度。アフターバーナー点火。重力を併用した加速。キャナルズだった。

『やめろ! 過加速だ! 振り切っても高度が足りなくなる!』
『ぼさっとするな! さっさと仕留めろ!』

 濃紺に変わった海という底。真っ直ぐに降下するF-14Eに、福音が狙いを定めた。真はそれに、2つの輪を重ね同心に並べた。照準。彼が黒釘の引き金を引く瞬間であった。

 照準内のそれは反転、真に向けて雫を大量に撃ちだした。福音は援護せざるを得ない状況を読んでいたのである。

 注ぐ大量の雫。みやは直撃を受け吹き飛ばされた。キャナルズは、虫を振り払うかのように放った一粒の雫で散った。翼がもがれ、火を噴き、墜ちて行く、その機を彼は呆然と見つめていた。彼の心を駆け抜けていったのは、彼に付き合い巻き込まれて逝ったかっての部下たちだった。

(また繰り返したというのか……俺は!)

 彼は砕けんばかりに食いしばると、みやにそれを指示した。黒釘、量子格納。再度みやに指示。ハンドガン展開。再再度みやに指示。多方向加速推進翼展開。みやに繰り返し指示。

-命令了承 リミッタ・カットオフ-

 それは右腕に刻まれた、もう1人の彼から彼に送られたメッセージの1つ。スラスターが光を放つ。加速。振動と鼓動。歪む視界と幻。貫いたのは世界の壁。

 聞こえるのは、彼にとって最も身近な女性の声だった。

『真止めろ! 作戦は中止だ! 戻れ! 今すぐだ!』
『千冬か? 貴女は俺の知っている、あの千冬か?』
『そうだ! だから直ぐ戻れ! 今すぐ行く!』
『やっぱりそうだったか。随分印象が違っていたから少し不安だった』

 加速。降り注ぐ膨大な雫をかい潜り、空を切り裂いた。身体に消去しきれない慣性が掛る。眼と口と、鼻と耳からは血が漏れ、滴りだした。モニターしていたのだろう、その声が悲痛な物へと変わった。

『止め……戻って! すぐ行くから!』
“クール・ビューティーに生まれ変わったのなら最後まで通せよ。俺は、世界を正しい有り様に戻す……あの時助けられなくてごめん。元気でな”

 千冬の絶叫が回線に響く、真のそれは既に声では無かった。増槽パージ。両脚と背中のエネルギー・パックが羽根のように流れていった。

 夕空を駆け抜ける、銀の光と黒の粒。離れ交差しまた離れ、交差した。弧を描き貫いた。火花が散った。2つの発砲音が夕暮れの空に響き渡る。ハンドガンの弾丸は、唯一シールド保護していない翼の根元、フィラメントを破壊した。福音は片翼を失った。

 福音の黒い霧はみやのエネルギーシールド、物理シールド、絶対防御を貫通、彼の右脇腹をえぐった。血と臓腑が飛び出した。

 スラスターから火は消え、四肢は力を失った。

 翼をもがれた福音は、空にうずくまり悲鳴を上げる。

 水柱が立ち、

 海が赤く染まった。

 身体が冷え、

 鼓動が緩くなった。

 ラファール・リヴァイヴ・ノワール“みや” 活動停止。

 彼は体内を打つ音が止まるのを知り、

 暗く閉ざされる水の底、

 彼は意識を閉じた。



-俺から俺へ。学園を守れ、彼女たちを守れ、一夏を守れ-

(俺から俺へ……任務完了)



 これが蒼月真と呼ばれた青崎真の最後だった。


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やりたい放題で済みません。品が無くてごめんなさい。箒はヒアリングが出来ません。映画フルメタルジャケットも未鑑賞。意味が分かったら純粋な彼女には多分トラウマ。これでも大分マイルドにしたのですよ。


【補足1】
因みに。前回投稿分でディアナが空母に降り立った時の海兵たちはChristina Aguilera という方の Candyman というPVをイメージ。動画サイトで検索すれば恐らく直ぐ見つかります。軽快な歌ですのでご興味があれば是非。

【補足2】
前回投稿分で、蒼月真の消失がバレないのか、というお問い合わせがありました。静寐と一夏は、他人行儀な振る舞いを嫌がらせと感じました。先入観ですね。様子が違うから=記憶が無くなっているとは一般的ではない、そんな感じです。ラウラのフォローもあったでしょうし。そのラウラも……ううっ(涙




以下、ネタバレかもしれない作者のぼやき


























【補足3】
千冬の通信タイミングはリミッタ・カットオフです。旅館でモニターしつつ悩んでいたら手遅れになりました。

【補足4】
第7艦隊の彼らに焦点を当てた理由は3つ。誰かに“英雄”と呼ばせたかったことと、青崎真が最後になにをしたかその片鱗を出したかったからです。もう一つは……




いちか「真がまことしやかに散りました」
まこと「座布団はやらん」

ラストについては次回投稿(予定)をお待ち下さい





[32237] 06-09 UnBroken Guardian
Name: D1198◆2e0ee516 ID:3516d58f
Date: 2013/02/17 07:09
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 ディアナが航空母艦ヘリ“SH-60F オーシャン・ホーク”に向けて歩み寄る中、別のヘリ“HH-60H レスキュー・ホーク”が風切り音を立て、その巨体を甲板から浮き上がらせた。箒は何も語らず眼を伏せながらディアナの背を追っていた。F-14Eを8機失い、戦闘機パイロット10名がK.I.A(戦死)した。奇跡的に助かった6名は洋上に浮いている。そのレスキュー・ホークは彼らの為のヘリだ。

 バリーがアラクネによる真の救出を志願したが、イージス艦が撃ち出したスタンダード・ミサイルは福音の射程距離内で撃墜された。脅威は依然健在。無理な救出を行い損害が生じればそれこそ無駄になる。ディアナはその申し出を断った。

 搭乗者保護機能の作動も確認出来ず、心肺停止から10分経過。黒のリヴァイヴは完全に停止していた。打撃群司令部指揮所(TFCC)のモニターに表示される真のバイタル・ステータスがK.I.Aに変わる。ディアナはそれを見届けるとハミルトンに背を向けた。片翼を失った福音は上空1000mでその身体を繭の様に包んでいる。数刻で再び翼を広げるだろう。

“この機を逃したくはありません。学園に戻ります”

 背を向けたままのディアナ。ハミルトンはその非礼を咎めることはなかった。

“君は強いのだな”
“私は、強くなど成りたくはなかった。嘆き悲しむ普通の女でいたかった。でもあの人はそれを許してはくれませんでしたから”

 強引にでも救出に向かおうと考えていた箒は、ディアナのその表情を見て止めた。彼女の足下が雫で濡れていた。今の箒にはその気持ちが痛い程に分かった。世界最強を誇るディアナもまたそうなのだと彼女は理解した。

 夕日と海風を浴びるディアナの背中を見つめ、箒は立ち止まる。

(私に出来る事はなんだ)
「箒、早く乗りなさい」

 ヘリの音が遠い。箒は目を上げると夕日に染まるディアナを見た。そして、こう告げた。

「リーブス先生、私に紅椿を」
「話を聞いていたのかしら? 助けに行くなら“許さない”けれど」
「そうしたいのは山々ですが、彼が手も足も出なかった以上私には打つ手がない。ですから、空で待ちます」
「なにを?」
「何かをです。簡単に諦めたくない」
「それは感傷だわ」
「分かっています。ですがディアナ。貴女なら分かるはずだ。今の私がどの様に感じているか……今、私は貴女がかって辿った道に立っている」
「そう、なら好きになさい」

 ディアナは腕飾りを箒に手渡すとヘリに乗り込んだ。学園に向かう空の道、ディアナの背後で紅の光が迸る。その手を静かに眠るラウラの額にそっと添えると、その紅の光は空に駆け上がった。

「やっぱりあの時殺しておくべきだった。そうすれば私だけのあの人になったのに……馬鹿ね、私」

 2人は風に髪をなびかせていた。


-----


 それは奇妙な体験だった。

 突然、体と心を切り離されたように、全ての感覚に実感が伴わなくなった。

 覚醒している筈なのに、見る物聞く物全て、もやが掛ったように曖昧だった。

 寝ている筈なのに、全てが痛い程感じ取れた。

 己が薄くなり、消えるのでは無いかという恐怖。

 何かに追い立てられ、潰されるような不安。

 長い間だったのか、短い間だったのか。

 時の流れすら感じ取れないその狭間。

 彼の身体を貫いた誰かは絶望し嘆いていた。

 目が覚めた。

 何時もの部屋。

 何時もの日常。

 違う事と言えば、身近で喧嘩友達でもあった少女が国に帰っていったこと。

 時間に厳格な姉が予定通り帰宅しなかったこと。

 学校から家に戻ったその日、焦点が定まらないまま居間に立ち尽くす姉の姿があった。

 白昼夢でも見たようなその姉は彼の姿を見付けると、歩み寄り抱きしめた。

“夢でも幻でもなかった”
“今の私はどちらだ”
“私は織斑の千冬なのか。それとも― ”
“私はどうしたら良い”

 そう何度も呟いていた。皆が、彼が最強と褒め称える姉の、初めて見る怯えた姿。彼は姉の名前を小さく呼ぶと抱きしめた。

“家族は俺が守る”

 心に秘め、言葉にしようと欲し、出来なかったその誓い。その時から生じた胸のわだかまり。今から1年と4ヶ月ほど前の事になる。


-----


 一夏は岩礁の際に腰掛け、片足を立て、うずくまっていた。足元で揺らぐ、静かな波をじっと見ていた。絶えず感じていた圧迫感、反発感、わだかまりが嘘のように消えていた。それがどの様な意味を持つのか、彼は直感的に感じ取っていた。

 夕暮れ時の海は赤く染まる。あと数刻で陽が沈むだろう。全てが終わり、全てが元に戻る。

 ディアナからの一報を受けた教師たち6人は、一言も口にすること無くISの準備い取りかかった。ISスーツに着替え、屋外に並んだ訓練機に乗り込んだ。今頃は一次移行の最中だ。何事かと様子を伺いに来た少女数名は、教師らの怒声で慌てて部屋に逃げ帰った。その姿は戦に赴く兵士たちの姿その物だった。

“2人に何かがあった”

 だから、彼女らが戦う準備をしている。その結論に至った彼はあてども無く歩き、気がついた時にはここにたどり着き、海を見つめていた。

「くだらねぇな」

 一夏にとってのこの4ヶ月は異常だった。入学を境に何もかも変わった。一夏にとって真と言う存在は初めてだった。

 一夏にも男友達はいた。だが彼らは皆優しかった。一夏の鈍さに皆は皆、呆れるか、精々やっかみを言う程度で咎め、怒り、殴りかかる者は皆無であった。誰も彼もが不自然なまでに親切で、都合が良かった。彼はそれが当然だと思っていたし、疑問にも思わなかった。

 彼がそれに気づいたのはたった今。そして、それが今正に失われようとしていた。

「本当に、くだらねぇ」

 水面に一瞬映ったその少年は、表情を苦しそうに歪めていた。その時、海風と共に流れてきたのは美しい旋律。体と心を包むように暖かい、優しい歌だった。



 綺麗なあの娘は海の姫

 偉大な父に守られて

 歌うは楽しい祀り詩


 ある日出かけたその姫は

 溺れる王子に一目惚れ

 救い出したは良いものの

 掟に縛られ背を向ける


 魔女に願うは両の脚

 美しい声と引き替えに

 大地に脚立て会いに行く


 愛しい彼の王子様

 声を失いその姫に

 気づくことなく人の子と

 めでたく結ばれその姫は

 涙を流し海の泡



「人魚姫?」

 その少女は沈黙を守ったまま歩み寄った。腰掛け、彼の背に背中を預けた。

「私はこのお話しが好きだった。だってロマンチックじゃない? 王子様を想って泡になるなんて綺麗だよね」
「今は?」
「今は、嫌い。だって悲しいから。好きな人とは一緒に居たい」

 背中に感じる心地よい温もりと重み。彼はそれを感じながら空を見上げた。空には星が1つ輝いていた。

「歌、凄い上手いんだな。初めて知った」
「一夏は行かないの?」

 1つの波が強く弾け、彼の足下を濡らした。飛沫が口元に掛り、彼はそれを拭った。

「行かない」

「さっきね。シャルが突然リヴァイヴを展開しようとしたの。慌ててセシリアと鈴が取り押さえたんだけど、旅館の人が鎮静剤を打つまで、泣く喚く暴れるの大騒ぎ。“あの子があの子が”って。凄い取り乱しようで皆眼を剥いてた」
「行かない」

「真耶先生がどうにかしてあれを学園に招き入れるって凄い剣幕だった。真耶先生のあんな厳しい顔初めてだってみんな驚いてた」
「行かない」

「移動指揮車から織斑先生の叫び声が聞こえた。泣いてたみたい」
「行かない」

「一夏は空気を読まず、自分の理想を真っ直ぐ追い求める男の子だと思ったのだけれど」
「行かないって言ってるだろ!」
「どうして?」
「……行っても意味が無い。あいつは静寐を傷つけた。俺はそれが許せない」

 2人に流れるのは波の音と風の音だけだった。一夏は俯いたまま何も言わなくなった。静寐は見上げ、髪を彼に預けて、こう告げた。

「私は初めから真が好きじゃ無かった。どちらかと言えば一夏が格好いいって思ってた。けれど私には関係無い、どうでも良い、そう思ってた。

 真が初めて教室に来たとき、無表情でしばらく教卓の近くで立っていたの。その時“うわ、暗そう!”って思った。今考えれば、どうしたら良いのか分からなかった、そう決まっているのに。

 黙って席に座った真は静かにしていたと思ったら突然立ち上がって、クラス中の女の子に挨拶し始めて。呆然としているうちに私にも挨拶されて、驚いて“どうも”ってしか答えられなかった。

 皆が面食らっている中、本音だけが普通に話し始めて。ほらあの娘人当たりが良いでしょ? 仲良さそうに話している2人を見たら、悔しいなって思った。

 考えてみれば世界で2人だけの男の子で、1組にいるのはブリュンヒルデの弟で、競争率高そうだったし、皆が皆“一夏一夏”って言ってたからその反動もあったかな。だから、最初は真を好きな振りをしていたの。

 少し経って、真がセシリアだけを見ている事に気づいて、私はそんな真を馬鹿だなって思った。オルコットのご令嬢にして御当主じゃ釣り合わない、だから私にしなよって何度も思った。

 そしたら、いつの間にか本気になっていて、そして振られちゃった。違うか、相手にもされなかった。神様は怒ったんだと思う。“お前のような打算的で身勝手な娘には失恋が当然の報いだ”って。私は……私は、一夏が思っているような娘じゃないい」

「そんな事言うな。そんな事言ったら静寐を好きな奴が可哀想だ」
「居るかな」
「居るさ」
「そう」

 静寐は小さく笑うと、背中の少年をちらと見た。その少年は背中を丸め、水平線を見ていた。夕日を浴びてその眼差しに影が落ちていた。

「行かないの?」
「俺は……真が間違ってるって思った。ずっとそう思ってた。でも俺はあいつの生き方を否定出来なかった。俺にはあいつを助けられない、あいつはそういう存在だから」

「なら、迷っているのはどうして? それでも助けたい、そう思ってる。だから悩んで苦しんでる」

 静寐は立ち上がり、腰を下ろしたままの一夏の手を取った。風に、白い制服と伸びた藍の髪がゆっくりと揺れていた。その少女は彼の名を呼んだ。

「奪われっぱなしで良いの? 負けたままは悔しいよね? 行ってこい織斑一夏。そして取り戻してこい。お前の全部を見せつけてこい。俺は俺だって」
「俺は俺?」
「そう、証を立ててこい」

 彼女は身を屈めると、見上げる少年に口づけをした。波が揺らぐ、彼が見上げる少女は微笑んでいた。

「これはおまじない。がんばれ、私の好きな男の子」

 その少女は少年を立ち上がらせると、純白のガントレットを手渡した。

 彼は大きく力強く頷いた。


-----


 光が溢れ、白い翼が羽ばたいた。

 帳が降りる直前の、赤く染まる空。

 2つ目の星が輝いていた。

 見送る藍の少女に歩み寄るのは千冬だった。黒いISスーツを纏い、クリスタルの指輪を右手中指に付けていた。眼を赤く腫らしていた。静寐は振り返ることなく空を見続けた。

「弟が世話を掛けたな」
「迷惑を掛けたのは私の方です」
「それが本当でも言わなくても良い。男は直ぐ調子に乗る」
「先生にそう言う人が?」
「あぁ、居た……いや居る」
「初めて聞きました。どんな人ですか? 織斑先生のお眼鏡にかなった人って」
「意地っ張りなくせに泣き虫で、頭は良いが愚か者。とても手間が掛った」
「酷い言われようですね」

 静寐の静かな笑みに千冬もつられた。

「けれど、私のことを心から大切にしてくれて。つい応じてしまった、私も若かったな」
「今はどちらに?」
「近くて遠い場所に居る」
「まるでお月様ですね。歩いてはいけないのに、手を伸ばせば届きそうな」
「実は私の夫だ」
「……え?」
「冗談さ」

 2人が見上げる空が明るく染まり、翼音が響き渡った。その輝きは、立ちこめる黒い雲を吹き飛ばさんばかりの、太陽が降りてきたような、輝きだった。

「男の人って大変ですね」
「全くだな」

 2人は笑い合った。


-----



『一夏か。遅いぞ』
『すまねぇ』

 紅の雲。濃紺の海。暗がり始めた空。2人が互いを確認したのは、一夏が飛び出し間もない頃だ。一夏は多少気まずそうに、箒は仕方なさそうにしたあと穏やかな笑みを浮かべた。

『場所は分かるか』
『あぁ。あいつの居所なら分からない筈がない。俺とあいつはそう言う関係だ』

 少年は、僅かに戸惑ったあとこう聞いた。

『箒、真をどう思ってる?』
『……諦めない。ここに立つのがその証』

 箒は剣を掲げた。鋭い光を放つその刀身に一点の曇りも無かった。彼の眼にその光が映る。一夏は笑った。心の底からの嬉しさだった。

『それでこそ、俺の幼なじみだ』
『一夏、私はお前を裏切った』
『もう気にしてねぇよ。俺は箒に全く気がつかなくて、優しくしなかったからな。逆の立場なら俺でもそうする』
『一夏の言葉とは思えないな』
『色々あったし』
『静寐は言い奴だろう』
『あぁ』

 合流した2人は共に並んで飛ぶと手を握りあった。紅椿のワンオフ・アビリティ“絢爛舞踏”発動。紅の光が“姿を変えた”白式を満たす。

「泣かしたら覚悟するのだぞ……真を頼む」
「任せとけ」

 2人は笑い合うと手を離した。少女は立ち止まり彼を見送った。

 白式は翼を広げた。

 加速。

 音の壁が割れる。

 雲が向かい合う巨大な滝のように裂かれた。

 抜刀。

 刀身が蒼銀の光を放つ。

 戦槌の様な重厚な一刀を、翼を広げかけた神の御使いに打ち下ろした。

 衝撃波が、洋上を波立たせた。

 空に溜まった重苦しい気を吹き飛ばした。

 海に墜ちて行くその使いは山のような大きい水柱を立てた。

 荒れ狂う水面の更に先、彼は海の底を見下ろした。

(居やがる、まだ居やがる。本当に全くしぶとい。相変わらずむかつく感じだ……けれど、)

 彼は奥底の心を滾らせた。

 世界がきしみ、悲鳴を上げる。

 止めろと彼に訴えかけた。

(お前が居なけりゃ詰まらない)

 一夏はありったけの声で、腹の底から叫んだ。

 その思いは言葉となり、力となり、世界を揺らす。

 彼は決めた。

 それは彼自身との決別である。










 インフィニット・ストラトス HEROES





       一夏と真








 昔、一人の少年がいた。年は……そうか丁度おまえと同い年だ。小さい頃から型にはめられるのが嫌いで、学校もまともに行かなかった。そいつは馬鹿だったが、ただ妙に知恵と勘が働いてさ、バイトで得た金を元手に株を始め、仕事を始め、親よりも収入があった。周囲の人達を妬むだけの愚か者と見下し侮蔑していた。

 そんなそいつには2つ下の幼なじみが居た。それができた娘で、文武両道、才色兼備を絵に描いたような娘だった。その娘はどういう訳かその馬鹿を好いていて、いつもそいつの世話を焼いていたよ。そして、その馬鹿もその娘のことが好きだった。

 そいつはその娘がずっと居ると思っていた。その娘もそう思っていたかもしれない。付き合っているのかいないのか、曖昧な関係が続き、いい加減はっきりさせようと告白した。一年が過ぎ、指輪を取り交わした。その当日、

 その娘が死んだ。

 交通事故で、そいつの目の前だった。

 腕の中のその娘は、白いワンピースを血で赤く染めていた。徐々に冷たくなるその娘を抱きながら、そいつは神を怨んだ。助けてくれなかった全てを憎んだ。そして、自分を呪った。

 目の前に居て何もできなかった。

 その娘を見殺しにした。

 無力な自分が許せなかった。

 そいつは力を求めた。数少ない引き留める人を捨てて、守る力が欲しいと、国を飛び出した。海外の軍隊に入り、ひたすら力を求めた。滑稽だよな。僅かに残った守るべき物を捨てた事に気がつかなかった。

 そいつは走った。まだ違う、まだ力が足りないと、ひたすら戦場を走り抜けた。昇進し部下を持った。自分の隊を持った。それの意味も考えなかった。敵を殺し、味方を死なせ、気がつけば敵にも味方にも死神と罵られ疫病神と嫌悪された。

 しばらく経って一人の女性が隊に加わった。彼女はエリートで周囲の人間はなぜそいつの側に居るのかと不思議がっていた。そうさ。その彼女はそいつの事を愛していた。だから側に居た。そいつは、彼女の能力が必要だ、俺は彼女を利用しているだけだ、だから俺は彼女のことを何とも思っていない。そう自分に嘘を付き続けた。突き放すことも、抱き寄せることもしなかった。彼女に甘えていた。

 そいつが35歳になった頃ある作戦に従事することになった。少数の部隊で基地内にある高エネルギー物理研究施設を襲撃、破壊する。要塞並みに強固なその基地を襲撃する事は無謀以外何物でもなかった。

 研究目的があまりにも荒唐無稽で、軍事戦略的な意味が小さいと考えられていた。ただ目障りで破壊出来れば儲けもの、その程度の意味しか持たない作戦だった。上層部も遂行出来るとは思っていなかっただろう。失敗しても厄介払いが出来る。そいつは、内にも外にも敵を作りすぎた。

 そいつは引き受けた。そいつは自分の間違いを分かっていた。でも止まれなかった。あまりにも多くの人を不幸にした。

 周囲の引き留めに応じず、その作戦に志願したその女性はそいつをかばって死んだ。彼女の死でやっと止まれたそいつは作戦遂行と共に命を絶った。本当にどうしようもなく、情けなく、哀れな人生だった。



 ところがさ。それで終わる筈だったそいつの人生は、暴走した施設の影響か、何の因果か、次元の壁を越え、世界を渡り、再び目を覚ました。15歳に若返っていたそいつは、自分の事を忘れていた。世界に自分の痕跡が全くなく、そいつは当初でこそ混乱したが、適応して普通に働き始めた。そして、

 一人の少年に出会った

 その少年は守る力を欲した。全てを守りたいと願った。その馬鹿はうっすらと覚えていたのだろう。かってそいつが誤った道、他人のように感じず世話を焼いた。

 それは間違いだった。その少年は守る事の意味を知っていた。守る強さを既に持っていた。何故なら、その少年はこの世界に於けるそういう存在だった。

 もう分かっただろ?

 お前と俺は相反する存在だ。

 これで分かったろ?

 俺はお前を助けるつもりが邪魔をしていた。

 それどころか、お前の存在自体を脅かした。

 お前はこの世界で皆を助ける真たる英雄。

 俺は居てはいけない。

 俺が居ると世界を、お前を壊す。

 だから、ここでお別れだ。






 なら一緒にやろうぜ。

 俺だけじゃなく、

 お前だけじゃなく、

 2人でみんなを守るんだ。

 その方が絶対面白い。





 白い翼音が轟いた。

 白い風が吹き抜けた。

 どういうことか世界が明るかった。

 光が見えた。

 何故光が、眼が見える。

 足下が明るかった。

 それは水面か?

 いや違う、何故ならその向こうに雲が見える。

 その雲に混じり白い何かが飛んでいた。

 口に染みいるその水は塩辛かった。

 俺は海の中だ。

 意識が明瞭になる。

 その事実に俺は慌てて藻掻き、這い上がった。

 左腕が無いから、なかなか海面に出ない。

 掻く腕が見えた。

 光っていた。

 血筋に沿うように、光っていた。

 腕どころか体中に光の筋が迸り、胸元のみやが高熱と光と音を発していたが、それに構う暇がなかった。

 どうして俺は生きている?

 徐々に明るくなる世界。

 右手だけが空気を切った。

 水面を叩く音が聞こえた。

 藻掻いた先、更にその先。

 空を切り裂く者を俺は知っていた。

 光を失った筈の眼がそれを捉えた。

 紅に染まる空、白い何かが羽ばたいていた。


「何時まで寝ぼけてやがる! さっさと手伝いやがれ!」


 それは白い翼だった。

 それは蒼く光る剣を持っていた。

 それは黒い髪をなびかせていた。

 俺は知っている。

 強い意志を宿した眼を、それを持つ少年を知っている。


-機体照合 IS学園所属 白式パイロット 1年1組 織斑一夏-


 アレは一夏だ。

 一夏が飛んでいた。

 頭によぎる海に落ちるヴィジョン(映像)

 死んだはずの俺がどうして眼を覚ましたのか、そんな事はどうでも良かった。

 問題は、あの馬鹿が一人で福音と鍔迫り合いをしていると言うことだ。

 俺にはその意味が考えるまでもなく分かった。

 どうせ。

 何も考えず、感じるまま一人で飛び出したに違いない。

 その証に福音に押されている。

 善戦しているが半分以上、運だ。

 直にあのロンギヌスを喰らう。

 そうしたら全て台無しと言う事だ…… こ、この、こーーー

「このバカイチカ! のこのこ何しに来やがった!」
「うるせぇこのアホマコト! どこかの誰かが余りにも弱っちいから助けに来てやったんだろうが!!」

 金属同士をぶつけ合う重い音が響いた。火花が散った。頭に来た。言ってくれるじゃないか。俺に全敗のレコーダー(記録保持者)が!

「さっさと帰れこのバカ! 今にもやられそうじゃ無いか!」
「うっせぇ! 偉そうなこと言えたザマかこのアホ!」

 こ、こんガキ……人が下出に出てれば調子に乗りやがって! みやに展開を指示するが、発動しない。代わりに自己修復中と伝えてきた。一夏の到達する時間が計算より、非常に速かったらしい……みやもグルか。

 福音が上昇すれば一夏も上昇し。樽の内壁に沿うように、弧を描きながら福音が下降すれば一夏もそれに続く。一夏は必死に、距離を離されないように喰らい付いている。

 福音の最大攻撃効果距離は中距離。銀の鐘による飽和攻撃は一夏にとってに鬼門だ。

 雲を裂きながら上昇していた福音が、反転。羽を広げ雫を撃ち出した。白式は翼を広げると、矩形軌道を描き、回避。零落白夜を小刻みに振い、迫る雫を迎撃。

 一夏の咆吼が響く。

 ミリ秒レベルの隙を突いて加速、袈裟切りに打ち下ろした一刀は空を切り、福音は右手を広げ、掲げた。

 福音の放った黒い錐が、一夏の頭を掠めた。俺の頭から血の気が引いた。一夏の黒い髪の毛が空に散った。絶対防御無効化攻撃、直撃すれば即死だ。俺はその最悪な、最大級の馬鹿げた結末を見逃す訳には行かなかった。

 みや展開まであと20秒。

「お前が死んだら全てが終わるんだよ! いい加減立場を自覚しろーーー!!」
「いいか良く聞けこのアホ! 寝ぼけて聞いてないようだからもう一回言ってやる!」

 みやが光を放ち、水が暴れ始めた。懐に飛び込んだ一夏に、福音はその身を高速回転させ、振り回した左踵を打ち下ろす。一夏、踏み込み。一夏は左肘を上げ、福音の蹴りを回転軸近くで受け止めた。が、弾き飛ばされた。格闘戦は向こうが上だった。

 福音はマントを翻すかのように、回転させながら翼をまとめ、広げると、大量の雫を撃ち出した。白式、姿勢制御。被弾。落下。再姿勢制御。水面を這うように回避を続ける白式に、俺は声を荒げた。右脇腹に痛みが走る。

「逃げろ! 良いから逃げろ! 四の五の言わずさっさと逃げろ! 逃げないなら俺が撃ち落とすぞ! この大馬鹿野郎ーーーー!!」

 みや展開まであと15秒。

「俺は静寐を愛してる!」

 そうかそうか! そんなに蜂の巣になりたいなら高速徹甲弾をお前のケツにぶち込んで……は?

「待て! 今お前なんて言った! いや言わなくて良いからさっさと帰れ!」

 展開まであと5秒。海面が激しく揺さぶられる。

「俺は! 織斑一夏は鷹月静寐という女の子に惚れた! 何度でも言ってやる! 俺は静寐を愛してる!」

 力が抜けた。それは、

「お前……お前は! 自分がなにをしたか分かっているのか! 特定の誰かの為に立つ、それは世界の否定、英雄たる己の否定だぞ!」

「知った事か! 俺は俺だ! 他の誰でも無い! 俺は俺の歩む道を自分で切り開く! 決める! 仕方がないなんて、諦めるなんてクソッタレだ! ……文句あるか?! 自称賢者のアホ真! 俺の有様、一粒漏らさず眼に焼き付けやがれ!」

 一夏、お前は己の有り様を捨てるというのか。それがどれ程の影響を及ぼす? それこそ世界レベルの大異変だというのに。

「これが俺の証だ! 分かったらさっさと手伝いやがれ! こいつスゲー堅いんだ!」

 必死で福音を捌く一夏は凄い形相だった。俺は笑っていた。一夏の馬鹿面じゃない。そうか。そう言う事か。俺は、こいつに負けたらしい。完全無欠の大敗北だ。

 “諦めない”これが一夏の証だった。こいつは己の有り様を捨て、いや変えてまでも、俺を助けに来た……仕方がない。本当に仕方がない。これ程の誠意を、証を見せられては、仕方がない!

-修復完了 フレーム量子展開開始-

 胸のみやがあたりを震わせた。水が弾かれ、半球形状に押しのけた。身体が宙に浮いていた。蒼い光が、集まり黒い鎧となった。広げた黒い翼が-飛翔-雲に届かんばかりの水柱を立てた。

 立ち上る水柱の中、降り注ぐ飛沫の中、その先にあいつが居た。

「一夏ぁぁぁぁぁぁぁっーーー!」

 俺は声を出した。腹の底から自分の底からありったけの声で叫び、空へ駆け上がった。あいつに、あの男に、一夏が待つその場所に。

-シールド再稼働 異常なし-
-機動システム 異常なし-
-残攻撃兵装36%-
-条件付き(白式共闘)で作戦実行に支障なし-
-データリンク完了-


-僚機白式 再接続-


 ヴェルトロ(狙撃銃)量子展開。照準、距離1800m、発砲。弾丸は、空気を貫き、飛沫を巻き込み、福音の額を弾いた。体勢を崩した福音に一夏が竜巻のような回し蹴りを入れ、雲の中に打ち込んだ。

 駆け上がった俺は、地球の丸みが見えるその場所で。海と雲を背に、翼と手足を尊大なまでに広げ、大空に立つその男を見た。その瞳を見た。



 一夏……覚えたからな! お前の眼差し! お前の姿! 二度と!



 二度と忘れるものか!




「一夏! 覚悟しとけよ! 後で言いたい事が山ほどあるからな!」

 弾倉量子交換。0.2秒。ライフルを掲げると一夏は笑い叫んだ。その挑発的な眼のむかつきさ加減と言ったら本当ない。だが、俺にとってお前以上の存在はない!

「あぁ! 文句なら後でしっかり聞いてやる! 後でな!」

 光子の歌が響いた。雲が裂け、6枚の光の翼を広げた福音が現われた。俺らの眼がそれを貫いた。


「「倒す!!」」


 反撃開始!



--------------------------------------------------------------------------------

このイベントの原型を作ったのはいつだったかなー と思い起こせば多分去年の夏頃。

これは一夏と真が和解する象徴でした。

当初予定した他のイベントがことごとく変更、キャンセルされて行く中で、これが残るが非常に不安だったのですが、いや良かった良かった。


2013/01/28


【追伸】
真の独白の合間に入る、一夏の独白からBGM「The Liberation of Gracemeria」を流すと燃えるかも知れません。

【補足1:白式の経路】
千冬→本音(白式整備補助)→静寐




以下、ネタバレかもしれない作者のぼやき














































自動車免許証が取り消しになっても、自動車を運転する能力は残ります。一夏の能力はそんな感じ。

真が生き返った理由ですが、恐らくご推察の通りナノマシン。みや再起動も同じです。真は一度死ぬ必要があった訳ですが、それは後日説明の予定。みやとアレテーが首謀者です。

真の眼は治りましたが、左腕は治ってません。これも後日。でも色は碧のまま。



[32237] 06-10 HEROES【アンチ期間終了】 改1
Name: D1198◆2e0ee516 ID:3516d58f
Date: 2013/03/21 12:17

 伊豆半島南端、石廊崎から南へ約40km。神津島近海。洋上より1.2km。時刻は18時24分。太陽が空と雲を紅色に照らす幻想的なその場所で俺達は翼を広げ駆けていた。

 見上げる紅の空には、銀と白が翼を広げている。その2機はあるときは平行に、またあるときはらせんを描きながら、広げた翼で空を刻みつけていた。

-兵装変更 アサルト・ライフル 残弾150発-

 あれ程重かった体が不思議と軽い、まるで羽になったような……いや、枷がなくなったような軽さだ。一夏、お前のお陰だと思わないでやらん事もない!

 ライフルを構え、照準、フル・オート発射。蛇の様に波打つ弾丸の軌跡が、福音を追い立てる。

「そっちに行ったぞ! 一夏!」
「雄々々々々ーーー!!!」
「La……La La」

 福音の振り向いた目の前に、蒼銀の刃が迫る。福音は体をひねり、回転させる。左足を一夏の首に絡めると、タイミングをずらされた白式の一閃が空を切った。福音“ロンギヌス”発動。距離1000m射程外。見計らっていた俺は、12.7mm弾で一夏もろともぶっ放した。

 吹き飛んだ一夏はボーリングのピンの様。

「て、てめぇ! なにしやがる!」
「黒くて太いのよりは良いだろ!」
「どんだけ性悪だよ! 地獄に落ちろ!」
「安心しろ! さっき行ってきたばかりだ!」

 天にそびえる福音は6枚の翼を広げると、銀の雫を大量に打ち出した。まるで光輪、天使気取りもここまでくると清々しい。

「そんな事より一夏! 白式どうしたんだよ! セカンド・シフトしてるじゃないか!」
「飛んでる間に気合入れたに決まってるだろ!」

 さながら白い翼の聖騎士。似合うところがまた腹が立つ……どこまでデタラメだ、このバカ。

 その一夏は然も不服そうにこう言った。

「シキも真が不甲斐ないからだとよ!」
「言ってろ!」

 一夏がゼロ・ブート・イグニッション。空間をねじ曲げんばかりの加速で福音の頭を駆け抜けた。俺はその隙をついて上空に駆け上がる。けん玉のように弧を描く白式は、頭上から再攻撃を仕掛ける。その速さはまるで白い残影。その影に隠れ、一夏の背を追う俺は銃を構えた。今、視界を占める物は海と雲と一夏の背中だけだ。

 福音が雫を打ち上げる瞬間、白式は軌道変更。福音は一夏につられ、余所を向く。その瞬間を狙い発砲。着弾。ひるんだ福音に白式が一閃。左の羽一枚を切り落とした。

「LaLa」
「このままじゃ埒あかねーぞ、真!!」

 衰えを一向に見せない福音に、一夏が吐き捨てた。地球の丸みと雲海が上から下に流れ、致死の雫が目の前を切り裂いてゆく。白式のエネルギーが半分を切り、こちらもガス欠寸前。

 福音は確かに強力だ。だがそこに人の意思が無いならば付け入る隙はある。思案する余裕が出来た俺は兵装一覧を確認した後、海に浮かぶ島々を見た。俺の意図を察したみやが情報を補完してくる。俺は腹を決めた。

「一夏! 仕掛けるぞ!」


-----


 俺らは合流すると、雫を躱しながら最大速力で海面に向かう。前方の水面に、白い柱が立った。大洋が巨大な噴水のようだ。後方から追撃を行う福音をハイパーセンサーで捕らえながら、ライフルを後方に向け、牽制射撃。一夏は雪片弐型を持ち直した。

 右隣を飛ぶ一夏は笑っていた。俺も笑い返した。なぜかって、失敗するとは毛ほども思わない。あぁくそ。本当に腹が立つ。俺はかって一夏が居るなら不可能はない。そう思った。今は“俺らなら出来ないことは無い”そう思える。

「海上ぎりぎりまでおびき寄せる。そうしたら」
「お前が隙を作る」と、一夏が言った。
「お前が止めを刺す」俺が引き継いだ。
「幸運を」
「当然!」

 一夏は離脱、弧を描き、駆け上がる。俺は継続降下。福音は俺を追ってきた。死に損ないを裂きに仕留めるらしい。当然な判断だ、だが。

 急に視界が黒い海で塗りつぶされると、針路変更、俺は海面の際を駆けながら、黒釘(120mmカノン)を量子展開。あざ笑うかのように奴は「LaLaLa」頭上から致死の雫を浴びせてきた。幾つもの衝撃が打鳴り、立つ水柱の中、俺は翻し狙いを定めた。今は一夏が居る事を奴は忘れている。

 有頂天の奴を一夏が切りつけ、その怯みに通常弾(APFSDS)を見舞った。俺の持つ最大級の攻撃だ。轟音と閃光が一瞬辺りを支配し弾は奴を掠めた。ダメージは殆ど無いだろうが、それで十分。奴はこいつの威力を知った。仕込みが終わる。

「どちらをみている。俺はここだ。今更乗り換えなんてさせんぞ!」

 俺の叫びを聞いたのか福音が俺に向けて急激降下、海と空の極で方向を変え、一気に距離を詰めてきた。俺は奴を見据えながら、最大逆加速。かき分けるように波しぶきをたてる福音が迫る。

 黒釘を構えると、みやが特殊弾の装填完了を告げた。APRDS(Armour Piercing Rifled Discarding Sabot:装弾筒付腔線式安定徹甲弾)の装填完了を告げた。こいつは弾芯を超高速回転させる事によって命中精度と威力を飛躍的に上させた、第2.5世代IS兵装(取って置き)だ、お前にくれてやる!

 俺は降り注ぐ雫を躱しながら、それに紛れ“背中で一瞬海面を触る” 俺が躱しきれない距離まで近づいた奴は、断罪の翼を広げ形容できない光子の歌を奏でた。俺を捕らえたと確信したのだろう、けどな。

 鈍い光と音の後、迫る福音の足下に水柱が立ち上がる。

 ありったけのグレネードをリモート爆発させた。この辺は適度に浅瀬だ、仕掛けは容易だった。 飛沫に巻かれた奴が逃げようとするがもう遅い。

-撒餌は済みました。あとは宜しくお願いします。蒼月様-
「覚えとけ、水は案外重い」

 自由が効かない奴を捕らえた俺は引き金を引いた。今度は正真正銘、最大火力。発射された特殊弾頭は空気と水を励起させながらコンマ秒で奴に達し、その力を一瞬封じる……それで十分だ!

 俺の後ろから白い翼が飛び出した。一夏の咆哮が響く。

「やれぇぇぇぇ! いちかぁぁーーーー!」
「今度は外さねぇぇぇーーーーー!!!」

 蒼銀の光が辺りを眩しく照らすその姿、その背中。この姿を見るのは何度目だろう。これから何度見るのだろう。きっと大変だが、きっと楽しい。そう確信しながら俺は海に沈んだ。

 気がついた時には福音は飛ぶのをやめていた。


-----


 見上げる空の雲はゆっくり流れていた。視界の端にある太陽は、もう水平線の下に隠れていた。そんな宵時、俺はぷかぷか波に揺られていた。

 両肩と腰と足のエアフロートで体を浮かばせて、波に揺られて、一杯出来たらさぞ最高だろう、そんなことを口に出してみた。

「そんなこと口走ると千冬ねぇにどやされるぜ」
「彼女は理解があるからいいんだ……福音のパイロットは?」
「無事だ。結構頑丈な女性(ひと)みたいだ」

 見れば一夏の両腕に、フル・スキンの女性が収まっていた。どんな人だろう、そう思ったが次のぷかぷかでどうでも良くなった。

「一夏、悪いけれどその人を頼む。俺はちょっとしんどい」

 一夏は無言で頷くと、こう言った。

「じゃ、帰ろうぜ。腹減った」
「あぁ」


 高い空から見る夕日は、雲と海に挟まれて、強い光を放っていた。カメラの絞り、レンズのようでもあり、土星か銀河系のように明るく、つばを伸ばしていた。

 右隣を飛ぶ一夏に俺の陰が落ちる。

 これから大変だぞ

 バカなことをしたもんだ

 色々文句が浮かんだが結局どれも言葉にならず空に霧散していった。そんなことは一夏が一番よく分かっている。なにより俺がそうさせた。俺の心中知ってか知らずか、変わったはずの一夏は相変わらずだ。

「なー真」
「どうした」
「俺、静寐を好きなった」
「あぁ」
「告白しようと思う」
「あぁ」

 じっと俺を見つめる一夏に俺はこう告げた。

「気兼ねするな、自分の気持ちをぶつけてこい」
「おまえがさ、静寐にも本音にも、セシリアにも鈴にも応えなかったのは、千ふ……」
「自分が嫌いだったからだよ。自分を大切に出来ないやつは人を大切になんかできない」
「……好きになれとは言わない。けどけじめは付けろよ」

 千冬と箒のことを言っているのだろう。一夏から見れば曖昧は我慢出来まい。

「……そうだな。そうしないと俺は前にも後にも進めそうにない。蒼月真のやり直しだ」
「なら今晩な」
「マジ?」
「マジ、後で良いなんて言ったらお前ズルズル行きそうだし」

 ぐうの音も出なかった。

「勢いも大事か」

 そう呟いたとき、旅館の上空で俺らの帰りを待ちわびる人たちが見えた。

 ISを纏い空に立つのは箒と、セシリアと、鈴と、真耶さんと千代実さん、他の教員の人たち。下の旅館の庭には、千冬と、マチルダと、静寐と本音、皆がそろっていた。ラウラとシャルの姿が見えないが、彼女らの様子からなら大丈夫だろう。

 俺の先を行く一夏が振り向くと、笑って見せた。俺も笑い返す。再び皆を見た時突然、世界が混ぜた絵の具のように回り始めた。世界の音が小さくなった。目眩だった。

「おい、真。お前大丈夫かよ」

 また記憶が失われるのかと危惧したが違うらしい。みやが生理的限界を警告していた。つまり疲労のピークだ。どうやら無茶をしすぎたようだ。

 猛烈な睡魔に襲われ夢とうつつの間を漂った。一夏がなんだか煩い。“あと任せた俺は寝る” そう言って目を閉じた。落下感。暗闇のなか手を伸ばし大声を出す一夏の顔を見た、様な気がした。


-----


 目が覚めれば皆から大説教を受けた。ぐったりと一夏に抱きかかえられた俺を見た彼女らは、俺が死んだと勘違いしたらしい。なにせ俺がいきなり気を失ったものだから一夏が大騒ぎし、俺が死んだという情報を知っていた真耶さんらが突然泣き出した。

 誰かが“死んじゃった”そう呟いたら、千冬らですら手に焼く状況になったそうだ。蓋を開けてみればただの失神で、入学から今までの分、2組の皆はもちろんの事、1組や3組4組の娘からも激しく怒られた。皆が皆、静寐と特に箒の事に言及したのは嬉しいやら困るやら半々だ。皆から浮いていた彼女はもう居ないのだな、そう安心した。

 その後一息付く暇も無く、よく知る女性2人に報告を行い、また説教を受け、報告書をまとめた頃には既に日が変わっていた。

 俺は頃合いを見計らって千冬を誘い出し、灯台に登って日本酒を交わしていた。これは彼女がこっそりと持ってきた物らしい。後味が残らず、なかなかの物だった。本来なら俺は御法度だが、

「まぁお前は色々常識外だからな」

 そう黙認された。2人で酒を飲むのはこれが始めてだから、それもあるのだろう。前は、彼女が成人する前に別れてしまった。

 それにしても何とも奇妙な体験だ。かって年下だった妻が、今や俺より年上になって、こうして酒を酌み交わしているのだ。フィクションでよくあるシチュエーションだがいざ目の当たりにすると、現実感に乏しい。

 それはきっと、ここが非現実的な、非日常的な空間だからだろう。今この場所、この時は俺らだけだ。臨海学校が終わり学園に戻ったとき、俺らは俺らの関係が過去だったと思い知らされる。

 頭上に浮かぶ、丸くて大きい、蒼白い月を見ながらこう聞いた。小さい杯に波紋が立っていた。

「つまり、千冬もマチルダも知らなかった、と」
「そうだ」

 俺の、異能の影響で意思を持ったアレテーとみやは、俺を助ける為に一芝居うったと言う事だった。

 俺が俺を取り戻すには、青崎真が死ぬ必要があった。当然、肉体は同じなので青崎が死ぬと蒼月も死んでしまう。そこでナノマシン群の力を借ることにした。事前に知らせると、俺がナノマシン群に指令を出す恐れがあった。だから何も言わなかった。

 もう一つ。俺が死に、反英雄からのプレッシャーから解放された一夏は、俺の存在、その意味を知り、俺を受け入れる契機として用いた……大丈夫。感謝はすれど恨む筋合いは無い。あぁ、怒っていない。俺は冷静だ。胸のみやに落語でも語らせようか、そう考えていたとき、

 風が吹いた。

 立てた両脚を抱えながら、俺の左で腰を下ろす千冬は、そよぐ海風に髪を押さえていた。月明かりを浴びる白い運動着は蒼くうっすらと闇夜に浮かび上がっていた。俺の直ぐ側、その距離30cm足らず。幻想的なその姿は“違うのだ”そう突きつけられているように感じた。

 千冬は俺らと異なり“あの時と繋がっていない”

 一夏に跳び蹴りされたとき、俺が分からなかったのはその為だ。篠ノ之博士曰く、千冬は“Zero Walker”というらしい。極希に世界を渡る人たちの更に希。転生に近い転位した存在。Walkerでもあり、一夏の姉として生を受けた準英雄でもある。彼女の力はこれだ。

「超人じみている筈だよな」
「言葉は選べ。これでも人並みに傷つく」
「ごめん」
「私よりお前だ。体は良いのか?」

 千冬の視線の先、俺の右脇腹があった。福音の攻撃で大怪我したところだ。

「あぁ。少し突っ張るけれどもう大丈夫」
「そうか」
「そう」
「やはり見せろ。お前の大丈夫は当てにならない」

 乗り出し、俺の右脇に伸ばされた千冬の左手を掴んだ。視線が絡んだ。その世界最強の指は細くて、柔らかくて、暖かくて、そして震えていた。俺もまた震えていた。全てを捨てて渇望し、理解していたけれど諦めきれず、失った影を追い求めてきた……その最後にして終着点、全ての答えが、ここに居た。

「……なんだ」
「ずっと探してた」
「そうか」
「ずっとずっと探してた」

 指を絡め合った。奥底にしまった感情があふれ出す。

「そう」
「でもさ。千冬はどこにも居なくて、それでも諦めきれなくて探し続けて、何時の頃からか千冬の顔も思い出せなくなったのに、それでも探して。名前も思い出せなくなって、走り続けて。多くの人を犠牲にして、それでも止まれなくて。俺を愛してくれた人を巻き込んで、死なせて、死んで― 」

 千冬は俺をそっと抱き寄せた。何度も繰り返す、その叱咤は言葉にならず、身体は涙に震えていた。

「うん。こんなになるまで俺は気付かなかった。止まれなかった」
「もう、自分を責めるのはよせ。私が許す」
「何処に行ってたんだよ、16年、16年だぞ」俺の声も震え、涙に濡れていた。
「すまない」

 頷くと彼女を引き寄せ、そっと口づけをした。感じる温もり。手を離すな、彼女を手放すな、衝動と言う名の願い。俺は彼女の肩を掴み、そっと手を離した。彼女の手もまた離れていた。

「済みません、取り乱しました。千冬“さん”」
「あぁ“蒼月”、もう良いのか?」
「はい」

 俺は寂しそうに笑う、腰掛けたままの黒の人を見下ろし背を向けた。

「そうそう千冬さん、言い忘れていました」
「なんだ」
「私には幼なじみが居たんですが、その娘には年の離れた姉さんが居て、結婚しました。その娘が死んで5年後です。そして赤ん坊が生まれて、その子はその娘と同じ名前です」

 彼女は何も言わず、俯いていた。俺は小さく別れの言葉を継げて、俺は彼女の元を後にした。



 俺の長い旅が終わった瞬間だった。



「少尉」
「やぁ久しぶり。1年と4ヶ月ぶりだ」
「私にとっては8年と4ヶ月ぶりです……終わりましたか」
「あぁ。終わったよ16年掛った」
「もう良いですね?」
「十分過ぎるよ。今まで本当にありがとう」


 見上げれば灯台で、月明かりを浴びる黒の人。振り返れば、木の葉の影で月明かりを浴びる金の人。かって最も近くに居て、今とても遠いところに居る2人の女性。

 時間という壁は俺ら隔て、過去と言う名の思い出にしてしまった。俺は、時を戻せたらどちらに戻る? 戻せたら戻す? どちらも駄目だ。

 人の心は時の流れの中にある。やり直すなど神であれ許されない。許さない。だから俺は彼女らに背を向け、前に進んだ。


-----


 見慣れた柊の食堂。窓からは星空が見える。いつもの4人掛けの白いテーブルに腰掛け俺は、日本酒を目の前の男のお猪口に注いでいた。彼は濃紺のTシャツと黒ハーフパンツの姿で、俺も似た様なものだ。

「この酒はな、おやっさんから貰った超一級酒なんだ」

 俺がそう言うと、ぐすぐすと湿っぽい声が漂ってきた。

「最初の酒がこれなんて、お前は幸運だぞ」
「そんなわけあるか!」

 一夏はがばっと頭を上げると、また突っ伏した。ぐすぐすと鼻をすする音がする。

「そうだな。次の酒はこれ以上じゃないと物足りないしな」
「みんなに悪いから、好きだけどごめん……なんてありかよ~」

 一夏は玉砕し、やけ酒だ。祝い酒がふいに成ってしまった事は俺としても残念極まりない。

「一夏。飲んでばかりはだめだ。ツマミ食え。ツマミ」

 差し出した皿には、チーズ鱈。かまぼこ。ゲソ。ピーナッツ。冷奴、定番の品が並ぶ。未成年に酒を勧めるのは道理上好ましくないが、俺らは普通の十代ではない。命がけのドンパチやらせてる時点で道徳も無かろう、そう思う。空調もぶぉんぶぉんと同意だ。

「静寐しか居ないのに! 俺にとっては唯一なのに!」
「“みんな”に悪いって言ったんだろ? なら卒業後は良いって事じゃないか」
「待てない!」
「なぜに」
「バラ色の高校生活が……弾に自慢できるって!」

 とても気持ちはよく分かる。

「“好きなときいつでも呼んで”って言われたんだろ?」
「違う! 俺が望んだのはそんなんじゃ無い!」

 がばっと立ち上がると、また突っ伏した。忙しいやつ。

「ほれ、もう一杯」

 不機嫌そうな、でも泣き顔の一夏は、目の前に注がれる透明の命の雫をじっと見ていた。俺はマチルダの部屋から失敬してきたスコッチを開ける事にした。氷が溶けてカランと言った。

「あのよ」
「なんだ」
「リーブス先生は?」
「“次同じ事をしたら、今度こそ首を落としますから”って怒られた」
「セシリアは?」
「だいたい同じ。“首輪つけて実家でこき使いますわよ”って怒られた」
「箒は?」
「“済まない。静寐に義理がある。私だけと言うわけにはいかないんだ”って呼び出しておいて泣かれた。とてもバツが悪い」

 一夏はすっくと立ち上がり、ずかずかと俺の脇に立つと、俺の左頬に衝撃が走った。ソファーに叩き付けられた。当然俺は、すっくと立ち上がり、

「突然なんだ! このバカ一夏!」

 胸ぐらを掴んだ。目の前にむかつく顔がある。

「毎度毎度見送りやがって! このアホ真! 何で追いかけないんだよ!」
「「……」」

 ガンを飛ばし会うこと5秒ぐらい。傍から“見つめ合ってる”とか黄色い声が聞こえるけどそれは違う。

「あのな一夏」
「なんだ、このヘタレ」
「……あの娘とは20も年が違うんだ。好きです俺もなんていくか」
「お前、死んでもそれ直らないんだな。良いじゃねぇか。傍から見れば問題ないし」
「俺自身“蒼月真”という存在を持て余しているんだ。勘弁してくれ」
「……プレゼントは?」
「受け取って貰った」

 一瞬安堵し、その後不満そうな表情を浮かべ、また泣き出した。

「まぁ良いけどよ、真だし……めそめそ」

 もしゃもしゃと摘みを食べる一夏。俺も顔が火照ってきた。

「良いじゃ無いか、静寐は生きてるんだし。まだ幾らでも機会はあるさ」
「お前、3人死なせたもんな、わはは」

 目と鼻から液が怒濤の様に出てきた。とてもしょっぱい。

「すまねぇ、俺言い過ぎたかも」

 かも、じゃないやい。鴨は鍋だけで十分だ。

「つまらねぇぞ、それ」

 なぜばれた。

「なー」
「んあ?」
「千冬ねぇとは?」
「だーかーらー もう2度と会えないと思っていた人と似ていた。それだけ……何度も言わせるな」

 胸ぐら掴まれ頭突かれた。

「痛いぞ」

 一夏が口を開いたとき、手元に影が落ちた。見上げればそこにちーちゃんがいた。何故だろう、こめかみに血管が浮かんでいる気がする。腹に溜まった怒りを懸命に抑えているように見えた。

「……真、弟になにをしている」

 この辺変わってないな。バカがつく程の真面目さだ。だから俺はグラスを突き出してこう言った。露が滴った。

「良いかちひゅゆー! 一夏はもう一人前らろ!」
「そうらろ! ちひゅーねー!」

 織斑先生を呼び捨てしているよ、とどこからともなく漂う、悲痛なギャラリーの声。今度こそ死ぬかもね、とか酷い。だがそんな事はどうでも良い。

「ほう、何処がだ?」

 千冬はそろそろ、一夏を認めてやらないといけない、そう思う。ようし、よおし。

「一夏! ねーちゃんに眼の物見せてやれ!」

 応と掛け声1つ。立ち上がり一夏は、

「静寐ー 愛してるぜー」
「いや」
「めそめそめそ」
「わはははは」

 俺は一夏の背中をバンバンと叩く。いつの間にやって来たのか、離れに腰掛けるは3人娘。静寐は頬を染めていた……上手くやったじゃ無いか一夏。残りの問題は時間だけだ。


-----


 千冬は一夏と俺の頭に一発喰らわすとそのまま去って行った。酔いか脳しんとうか分からない揺らぎのなか、俺が見た者は鼻の下を伸ばす一夏だった。

 シャルは一夏の左に腰掛け、お猪口を手渡すと器用に酌んでいた。良い笑顔だった。

「はい、一夏。困ったことがあったら何でも言ってね、僕何でもするよ」
「おー シャルは気が利く」
「アルコール飲むときはちゃんと食べなきゃ駄目だよ。これ作ってきたんだ、一夏の口に合うと良いけれど」

 次ぎに差し出したのはフランス製ツマミの数々。一夏は上機嫌だった。

「おぉう、シャルは良い奥さんになるぜ」

 シャルも逞しいよな。

 俺のぼやきに合わせて、ティナと清香もやってきた。手には自家製のツマミの数々。言うまでも無く一夏のである。なお、この所有の言葉はツマミに掛っている、念のため。

 一夏の左にシャル、右にティナ。後ろの清香は背もたれ越しに身を乗り出して……あまり同情出来ない。いや全く出来ない。

 突如響き渡る悲鳴。

 何事かと立ち上がり、視線を飛ばすその先に立つのは白銀の少女。柱に手を掛け息を切らしていた。俺は眼を剥いた。一夏は鼻血を吹き出した。

「ぼ、ぼーちゃん。素っ裸!」
「ラウラさん! なにしてるの!」
「暑いからってそれはダメ!」

「ラウラ! はしたない!」

 俺は慌ててシャツを脱ぎ始めた。もちろん彼女に羽織らせる為である。今は夏、少女たちに上着を借りる訳にもいかない。当のラウラは何処吹く風で俺らを見ると満面の笑み。

「お、おー」と言いながらラウラが駆け寄ってきた。
「はいはい、織斑君はこいつだぞ。先に服着るんだぞー」

 げんなりとかざしたシャツがひらひらと、

「お父様!」

 抱きつかれた。訪れる沈黙。記憶の再構築したラウラは俺を父親扱いするつもりらしい。それを見ていた一夏は、立ち上がりこう叫んだ。

「よっしゃーー! だったら俺も新しい恋に生きる!」
「だれに?」
「鈴!」
「にゃによ!」

 俺のツッコミと鈴のボケ。遠巻きだった鈴は突然名前を呼ばれテンパった。

「鈴! 俺お前のプロポーズ受ける! 洋風が良い? 和風が良い? ハネムーンはヨーロッパにするか!?」
「何言ってるのよ! バカ?!?」

 一夏は駆け寄り鈴の手を握る。響き渡るは悲痛な叫びと、感嘆の声。鈴は慌てふためいた。だがそうはいかない。一夏よ、

「鈴と添い遂げたくばこの兄を倒してからにして貰おう!」

 と言ってみた。

「よっしゃ! その挑戦受けた!」
「あんたらバッカじゃない?! いやバカよ!」

 顔をトマトのように赤く染め慌てふためく鈴に、俺らはこう迫ってみた。

「鈴。俺が兄では不満か?」と左頬にキス。
「鈴。俺が夫では不足か?」と右頬にキス。

 はち切れんばかりの鼓動だろう、鈴は石像のように卒倒した。感極まり目も虚に理解出来ない言語を話していた。小さく痙攣もしている……少しマズイかもしれない。

 そんな鈴を見ていた少女たち、鈴をそっちのけで我先にと一夏に詰め寄った。

「「「鈴だけずるい!」」」
「よーしよし、ちゅー欲しい娘あつまれー!」

 一夏の声にわらわらと集まる少女たち。調子に乗るなとシャルと静寐が噛みついた。それを見ていたラウラは俺の左頬にキスをした。

 気がつけば目の前に蒼のお嬢様。ラウラを押しのけるように抱きつかれれば、首に掛るはか細い腕。心地よい重みと暖かみ、コロンの匂いが鼻孔を突く。熱い吐息と共に耳元で囁く言葉は、

「箒さんのイヤリング、ティファニーですわよね?」
「セシリアはもう少し年相応でも良いと思うぞ」
「11月11日ですの」
「セシリアが蠍座ってのは意外だよな」
「お応えは?」
「……了解」

 頬に柔らかい感触、一歩離れたそこに可憐な笑顔。女性はお金が掛るものなのだ。本当に仕方ないのだ。決して“セシリアの方が金持ちじゃないか”など口走ってはいけない。俺が大枚叩いて贈呈することに意味があるのだ。だが、

 “んんっ”離れたカウンターから聞こえるのは咳払い2つ。何故聞こえるのか、どうして隠し事がバレるのか、不思議でならない。そう思う……自動車は当面お預けだな。


-----


 遠巻きから見守るのはその千冬とディアナであった。千冬は白。ディアナは黒。色違いのスウェットに身を包み、食堂のカウンターに腰掛け、グラスを傾けていた。気怠そうに酌み交わしていた。

「あの人の学生時代ってどうだったの?」
「それはもう酷かった。少し目を離すと女が付いてるからな。その上、当の本人に自覚が無い」
「一夏みたいだったのね」

 カランと氷が間の抜けた音を立てた。

「真の家族にも手伝って貰って、外堀を埋めていった。軍属時代は?」
「それはもう酷かったわ。何を言ってもやっても取り付く島が無くて。何か意見すれば、君はどの部隊でも歓迎されるだろう……本当に、むかっぱら立っちゃうわ」

「私と死別したんだ、当然だな」
「寝るたびに泣いてたのよ、それを見せつけるから憎みきれなくて、本当に憎たらしい」
「……何故それを知っている」

 本音の“まこと君ー 私酔っ払っちゃったー 終電無くて帰れないー”何とも言えない艶っぽい声が響く。時子(本音の叔母)の仕込みだ。反応に困りしばらくの沈黙が訪れた後、千冬が口を開いた。グラスの氷がまた音を立てる。

「結局お前はどうする」
「結ばれるなんて無理。立場もあるし、何より私と結婚すれば世間の目が向くわ。今彼は一夏の影に隠れているから比較的静かだけれど、彼のあの能力が明るみに出れば抹殺されかねない。直接的な攻撃能力ではなくても、科学文明社会にとって脅威以外何物でもないもの」
「……そうだな」
「だからって幸せな家庭なんて築かせてやるもんですか。私の人生引っかき回したのよ、何処までも何時までもつきまとってやるわ」

「亡霊か」
「忘れたの? 私は1回死んでる」
「違いない、な」
「ところで千冬。1つ言い忘れていたのだけれど」
「奇遇だな、私もだ」
「「ちょっかい出すな」」

 2人は同時に飲み干した。


-----


 人生とは苦難の連続だ。そして人は弱い。だから強い何かに縋りたくなる。己を低くしてしまう。それは俺その物だった。

 苦悩と無関係な存在である一夏は俺を見捨てるべきだった。だがそれは、全ての誰かの為に立つ、一夏の本質と矛盾する。俺ならきっとノーカンだと割り切っただろう。だが、

 一夏は選んだ。

“だったら2人でやろうぜ”

 一夏はその座を降り力任せに俺の手を掴み引き上げた。肩を組んだ。助けを与えるのではなく、救いの手を求めるのではなく、互いに肩を組み俺らは立っている。一夏はもう英雄ではない。未だ残るその力は残照だ。つまり、普通の人間と同じように苦しみ、嘆き悲しむ存在となった。だから、

 一夏が、でもなく。

 俺が、でもなく。

 俺らは互いに手を取り合い、いつの日か、新たな英雄が現われるその日まで戦い、守り続ける。

 いや、ずっと。



「何ぶつくさ言ってるんだお前、きもい」
「俺の感傷返せこの馬鹿一夏!」


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 第一期 完。




一夏と真の帰還を手直し 2013/03/20



[32237] ネタバレかもしれない作者のぼやき特装版!
Name: D1198◆2e0ee516 ID:3516d58f
Date: 2013/02/17 07:12
【HEROESについて】
 今を遡ること一昨年の11月頃だったでしょうか。当時インフィニット・ストラトスという作品を知っていて、当時「坊ちゃん」を読んでいて。私はアニメから入ったのですが、原作を読んでこう言う硬い文章で書いたらどうなるだろうか、それから全て始まりました。

 やっぱり男一人だと話が単調になるよな、オリジナルの人物を登場させよう。同等の設定にして、ルパンと次元、レッグスとマータフ、スパイクとジェット、みたいな感じで行こう。

 いざ始めてみると私の書く一夏が一夏じゃない。3人称なら良いのですが、1人称で納得のいくLvで再現出来ませんでした。仕方ない、オリジナル主人公の方をメインにしよう。一夏が脳天気だからな、本質的には逆の暗い性格で……こんな流れで蒼月真が作られました。

 当初は一人称をベースに外伝で3人称で書く、予定だったのですがキャラクター性が高い作品の2次作では無理があると悟り、真逆で終わりました。途中から人称に振り回され気味になり、読みにくいという指摘も受けて試行錯誤の連続。本当にお騒がせしました。いやもう大変だったと、視線も遠くなります。



【キャラ紹介】
■先輩ズ
 当初のプロットでは先輩陣との絡みもあったのですが、1年ガールズのボリュームがあまりにも大きくなり泣く泣く断念。楯無は無人機戦のあと登場、この予定もあったのですが、無くなりました。私のキャパシティ的には結果オーライだったのですが、極一部の方の期待に添えず申し訳ない限りです。

■相川清香
 実は当初。静寐、本音、清香の3人娘の予定でした。清香が物語開始早々、セリフ付で登場しているのはその名残です。当時の私では鈴との書き分けが難しかった為デリート。清香すまん。

 更に当初。静寐、本音、癒子、ナギ、清香の5人組を予定していました。原作の一夏ガールズに対し真ガールズ、そんな感じ。ただこれをやると箒らが影に隠れてしまいますのでこれまた没に。どこかの劇中で“ベルベット・ガーデン”という名称がありましたが、これら5人チームの名称でした。えぇ、没ですけれど。

■小林千代実
山田真耶の同期で同級生設定。モブ中のモブ。今だから記すここだけの設定。ヴィジュアルは20歳の如月千早がイメージです。ぺったんぺったん、ちよぺったん。



■セシリア
 脱ちょろいんを、性格改変を、意図的に“目指した”唯一のキャラ。高飛車設定は残し、下げて上げるを狙ったのですが……あまり良くない印象を持たれた方が多かったようで反省です。改版では登場を直しました。性格強調は諸刃の剣ですね。初期からセシリアと真はつかず離れずを意識していました。

■鈴
 真を2組にすると言うのは最初から決まっていました。クラス対抗戦でガチらせる為です。それで鈴は当初、真のお相手を予定していました。単に2組だからと言う理由だったのですが……皆様もご存じの結果に。鈴は苦労しました、本当に苦労しました。

 他ガールズと違って全くストーリーが思いつかず“中国嫁日記”のパロディにしてしまおう、そこまで追い詰められました。土壇場で何とかなりましたけれど。お陰で、鈴かわいいよ鈴……私はセカン党です。手間の掛る娘程可愛い、そんな感じです。一夏と真に挟まれ、ある意味一番不憫な子でしょう。

■シャルロット
 文字で表現するのも、キャラクターを再現するのもこなれてきたのが鈴編が終わった頃でした。本格的に、原作乖離に手を付けた最初のキャラがこのシャルでした。

 当初渡仏予定はなかったのです。彼女の目的と一夏と真の立ち位置を考えて渡仏というイベントが生じました。割とスイスイ書けたのは何故だろう、未だ疑問です。

■ラウラ
 設定自体は当初から変わっていない数少ないキャラ。ナノマシン絡みも当初から在りました。もっとも、トーナメント戦では一夏を優勝させる、この方針が発生したため予定より出番が遅くなりましたけれど。何だかんだでラウラのボリュームも膨れあがりました。 因みに、トーナメント戦で真とガチる予定でしたが、没。

■箒
 最初に登場する原作ガールで、真とクラスも違う、静寐本音を介さないと接点がない、どうにかしたいなーと思っていたキャラ。

 真に好意を寄せる展開は、クラス対抗戦で少女たちが実戦にショックを受ける、これを考えたとき発生しました。私自身、あれ? 良いのかこの展開、そう何度も考え直した記憶があります。HEROESの箒は良い、と感想を頂けたので結果オーライ。


■束
 真の持つ“機械親和性”と言うのは元々、ISを動かせる理由の為だけに作りました。話が進むにつれて、その質が非常に強力で無かった事にしようかとも思ったのですが、これが無いと後半破綻するので泣く泣く継続。要するに、束フラグに必要だった訳です。

 原作でもそれっぽい暗躍者。相応な理由もあるのですが、それはまたいずれ。妹大好きお姉ちゃん。


■エマニュエル・ブルゴワン
 当初の案ではオータムでした。原作キャラを殺すのは色々な意味で不味いかなーとおもってオリジナルに。死んだけれども真の奥底に潜む、ガールズたちにとってラスボス。


■本音
当初ヒロインだったのですが……博愛的な優しい彼女を血で濡らすことは出来ませんでした。箒と静寐のバックアップという重要な立ち回りになったのですが。全編にわたって出番があるのは私の意地です。


■静寐
静寐の動機は一重に“私を選ばなかったこと後悔させる”という意地です。彼女をこの様に振る舞わせ様としたとき、相当悩みました。なにせ私に15歳の少女の気持ちは分かりませんから。ただ彼女の立場に立てば理解は出来るのではないかな、と思います。

実は当初。私自身、静寐と本音、セシリアのハーレムを考えていました。ところが優秀なだけな普通の少女、静寐にとって血なまぐさい真とは幸せになる要素が見つかりませんでした。

如何に心が強くとも、実力的に並、専用機を持たない静寐は待つことしか出来ません。原作ガールズ中、実力トップのラウラでやっとです。

只じっと待ち、いつの間にか怪我をして自分以外の少女に、真を託すしか無い。15歳の女の子には少々酷でしょう。劇中で静寐が待てなかったと発言していますがこの辺りのことです。真は静寐の成長を待てなかった。何かを犠牲にし、強さを持っている娘でないと難しいです。劇中でMが特殊な女の子で無いと相手は務まらないと言っていますね。

なら何故初期ヒロインに置いたのかと言う事ですが、私もこの展開は予想していませんでした(汗 初期設定をおいて頭の中でシミュレートしていたらこうなった……いやもうびっくりです。

セシリアに負けた静寐、真に一度負けた一夏。シンパシーも2人を後押ししたのでしょう。



■ディアナ
 一夏に対する真。これと同じように千冬に対する同格の存在が居た方が面白いよね、と創ったのがこのキャラです。真面目な千冬に対し、奔放気味なディアナ。愛情深くて嫉妬深い。そんな人です。むらっ気のある性格以外は男にとって都合の良い女性。

 真の死、それが必要であれば受け入れられる人です。

 因みに。ディアナが劇中で真の首を落としかけたのは嫉妬です。「私を忘れたことだけでも許しがたいのに、私より小娘の味方をしたから」だそうですよ。


■千冬
 超人的な能力を持つ、準英雄。加えて世界渡航者の異能持ち。転移ではなく転生者。悩んだり苦悩したりします。15歳の時に前の自分を思い出し、相当あれた模様。

 15歳転移のディアナ、真と異なりゼロ歳転移(Zero Walker)。束が千冬をWalkerと呼ばなかったのはこれが理由です。

 当初はただの幼なじみ設定でしたが、夫婦にしました。青崎だろうと蒼月だろうと真の本質は変わっていません。想像してみて下さい。セシリアとエマをあそこまで引っ張った真が、幼なじみであり妻である千冬と死に別れたら……想像してみて下さい。


■一夏と真
 映画でもよくあるルーキーとベテラン、若者と中年、子供と老人の関係。この人達は劇中で苦楽を共にし絆を深めますが、対等にはなりません。そこには時間、年齢という壁が在るからです。

 この2人の関係はこれが出発点。膨大な戦闘経験と人生経験を積んだ35歳の真が普通に学園に居ては、一夏と対等にはなり得ません。どうやっても無理です。そこで登場するのがお約束の若返りと記憶喪失。

 この2つを混ぜたのがこのHEROESです。技能だけを持ち、己を否定することによって真は一夏と肩を並べることが出来ました。

 ですから、劇中でセシリアとディアナが真を立ち直らせたときは、もうアレです。正しく“なんつーことをしてくれやがりましたか”と私は思いました。当初立ち直らずそのまま最後まで続き、最後の最後で一夏に説教くらい立ち直るというプランだったのですけれど……まぁ結果オーライ。こればっかりですね。



 さて。なんか終わりっぽくないかと持った貴方。半分正解です。真に申し訳ありませんが、一度ここで区切りにしたいと思います。

 理由は2つ。

・2期はほぼオリジナルになる予定で、今の私では手に余りそうです。その為に準備期間を設けたいこと。
・絶望視されていた8巻を待ちたいこと。幾つか気になることがある事。

 そう言う訳でごめんなさい。もちろんこれでいきなり終わりではなく、外伝と後日談を2つ3つ考えていますのでお待ち下さい。

 合間に別の作品を創るかも知れません。1次か2次かは未定です。なろうの残りアカウントもしくは、こちらで告知しますので時たま覗いてみて下さい。束VSディアナでやった超人戦闘が面白かったのです。

 それでは皆様、ここで一度お別れです。飽きっぽい私が1年以上続けられたのは皆様の応援のお陰です。本当にありがとうございました。それでは。



[32237] 織斑の家
Name: D1198◆2e0ee516 ID:3516d58f
Date: 2013/02/18 07:20


【Attention】
人によっては不快に感じる内容かも知れません、ご注意下さい。シャルロットのアレの回収です。読み飛ばして頂いても問題はありません。

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 激動の一学期が終わり、その後始末もようやく一息付いたころ。真の元に一通の手紙が届いた。目を通した彼は考慮の上、千冬とディアナに断りを入れ、それは少々強引な断り方だったが、その手紙の記す場所に赴く事にした。

 その手紙とは先の福音戦で戦死した米兵士たちの、追悼式を知らせるものだった。それを知った一夏は参列の旨を伝えたが、千冬に止められた。いくら非公式とはいえ、男子適正者が2人、アメリカに行くのは好ましくないからだ。

 尚、彼の死亡通知は、誤認による物として一応の決着を付けている。

 ありふれた4畳程度の洋風玄関。真は黒いスーツに黒ネクタイの喪に服する姿で立っていた。靴べらを“左手に持ち”黒のビジネスシューズを履いていた。一夏はその真にこう言った。玄関のガラス窓からは朝の光が差し込んでいた。

「おまえ、本当に大丈夫なんだろうな。体だってよー」

 白い靴箱に右手を添えて、身体を支える真は、左腕に動く義手を付けていた。

「ハワイだし、みやなら往復6時間少々だ。直ぐ戻るさ。知り合い、と言っても知り合ったばかりだけれど頼れる人も居るしな」

 お気楽な真に対し、一夏は不安を隠さない。ナノマシンにより一命を取り留めたとはいえ、その影響で真はまだ完全な状態では無かった。町中で倒れた事は一夏の記憶にも新しい。

(心配性の一夏、か。生き返ってみるものだな)

 真が笑いながら右手のひらを差し出すと、一夏は仕方が無いと、手の平を差し出した。平と甲。乾いた音が2回鳴る。扉を開けると、門の先に領事館ナンバーのスポーツ・セダンが止まっていた。黒いスーツにサングラス、海軍パイロットのハル・バリーだ。

「じゃぁ行ってくる。晩飯までには戻るよ」
「あいよ、気ぃつけてな」

 真は、学園から強制休暇を申しつけられ一夏の家に居候しているのである。



 織斑の家



 ふっと沸いた空白の時間。一夏は居間のソファーに腰掛け、じっと庭を見る。窓ガラス越しのその庭は、もう一件家が建てられるほどの広さだった。学園都市における千冬の、存在の大きさを表す物だろう。

(どーすっかなー 千冬ねぇも夜遅いって言ってたしなー)

 時計を見れば午前6時。朝食も済ませた。どうするかと悩んだ上で結局一夏はいつもの通りに過ごすことにした。トレーニングに朝食の片付け、家の掃除、洗濯、夏休みの宿題。全て終われば午前11時。そろそろ昼食かと庭の蝉も鳴いている。

 一人の少女がその家を訪れたのは、一夏が昼食の買い出しに出かけようと、玄関の扉を開けたときである。シャルロットだ。滴る一粒の汗、それは暑さだけではないだろう。

「コンニチワ、いちか。本日はお日柄も良く、」

 鉢合わせ、面くらう、挙動不審なクラスメイト。わざわざ会いに来てくれた事を察した彼は、フォローをしなくては男が廃ると何食わぬ顔でこう言った。

「シャル。これから昼飯を買いに行くんだけど、一緒に行こうぜ」
「あ、うん。僕で良ければ是非!」

 突然のお誘い。シャルロットが頬を染めるのも無理は無かろう。あの一夏である。

「おぅ。ところでその鞄何?」
「一緒に昼食をって持ってきた、ん、だ」

 訪れる沈黙。痛いほどに響く蝉の音が2人を、否。シャルロットを貫いた。

「あ、は、ははは」
「立ち話も何だから早く入れよ。エアコン効いてるぜ」

 己の愚行を、何度も繰り返し罵る貴公子であった。

 一夏の家は一見、どこにでも見られる2階建ての一軒家だが、ブリュンヒルデの住まいである以上もちろ普通ではない。建築学的な意味での強度、防犯的な強度、様々な強さを誇る。真が初めてやってきた数日前、2人とも稼いでいるんだなと、呟いたのは2人だけの秘密であった。むろん、最初の2人は千冬とディアナ。次の2人とは一夏と真である。

(まぁなんだかんだ言っても辛いよな。俺も千冬ねぇにぶら下がっているし)

「一夏」

(俺だって奥さんより収入低かったら嫌だもんなぁ)

「一夏?」

(これは古い考えじゃ無い。給料と仕事の難しさは比例するから、より高い所を目指す自分自身の動機として― )

「い、ち、かっ!」
「はい! ごめんさい!」
「昼食にしよう。静寐なら寮だよ」
「おぉう、それは残念無念」

 半眼のシャルロット。彼は慌てふためき、どうして考える事がばれるのか、今晩にでも考えようと決意したのも無理は無い。ただ惜しいことに時機を逸した事に、気づいていなかった。

 彼女はシステム・キッチンに立つと下ごしらえをしてきた料理を手早く仕上げ、黙々とテーブルに並べ始めた。彼女の不機嫌さを一身に受ける木製テーブルが悲鳴あげて、一夏を非難した。

 リズムを刻むのはシャルロット。キッチンが舞台ならば、今の彼女は観客を魅了するダンサーである。黒のポロシャツにチェック地のプリーツ・ミニ。シンプルなエプロンはベージュ色。各々が混じり合い相まって、とても可憐な雰囲気を醸し出していた。

 一夏には若奥様にみえた。不機嫌そうなところがまた生々しい。

「一夏」
「お、おう」
「できたよ」
「い、頂きます」
「はい。全部食べてね」

 かちゃかちゃと食事が進む音がする。

(気まずい)

 ほうれん草とベーコンのキッシュ、牛ヒレとフォアグラのロッシーニ風、チーズと卵のガレット。見栄え良し、香り良し、味良しの本場フランス料理がずらりと並ぶ。

 シャルロットは黙々と食べ続けていた。

「うん、美味しいなー これ。シャルは良い奥さんに―」
「もう何度も聞いたよ」
「そうだっけ?」
「……」
「こ、今度さ」

 思わず口から漏れる言葉も淀み、まるでドブ川のよう。

「フランスの料理教えてくれないかなー なんて、」
「本気で言ってる?」
「おぅ。もちろんだぜ」

(よし、もう一押し)テーブルの下で一夏が握る拳は、ガッツポーズ。

「こんなに美味しいなら毎日でも食べたいからな」

 織斑一夏、15歳の夏に踏んだ特大地雷だった。一夏は教われば毎日食べられる、と言いたかった。もちろんシャルロットはそうは思わない。もちろん。シャルロットは意思疎通の齟齬は分かった上で、こう言った。

「それじゃぁ仕方ないよね。毎日作ってあげるよ。楽しみにしててね」

 笑顔の戻ったシャルロット。どこからともなくスイッチが切れたような音が聞こえる。あちらこちら向いては天も見た、彼は罠に掛ったことにすら気づいていなかった。

「カチ?」
「何でもないよ」
「今作るって言った?」
「ところで真はどこ?」

 質問に答えてくれ、てゆーか、今更? 一夏は疑問を胸にしまい、よく知るフランスのお嬢様にして御曹司を見た。彼女の機嫌が180度回転している。訝りつつもこう答えた。

「ワイハ」
「ハワイだね。正しい言葉を使わないと性格も……どうしてさ?」
「知り合いが亡くなったらしいぜ」
「意外だね、真にアメリカ人の知り合いが居るなんて。ティナ絡み?」
「当たらずとも遠からず。この間の事件絡み」

 シャルはナイフとフォークを置いて、テーブルナプキンで口を拭く。すっくと立ち上がりこう言った。

「一夏! なに平然としてるの!?」

 両手はテーブルの上に、シャルロットは身を乗り出した。

「俺だって止めたんだよ!」

 一夏も立ち上がった。

「あの子を1人にするとまた無茶するよ!?」
「疑問系なのは少し自信なさげ?!」
「誤魔化さないでよ!」
「してねーし! どうして真を子供扱いってゆーか、子供みたいに扱うんだよ!?」
「「……」」

 鈍い間の抜けた空調の音。2人は黙って席に着き、食事を再開する。

「理由なんて無いんだ。あの子は僕の子供ったら子供」

 ナイフを立てる肉から血がにじみ出した。

「年齢計算合わないぜ、てゆーか、人種も違うし」
「一夏は細かくなったね。僕らにはとても強い絆があるんだよ。血のつながりもあるし」
「……輸血?」
「うん。血をあげて、血を受け取ったんだ。気づいてたかな? 真の眼の色は僕の色と同じだよ。ここまで言わせて認知しないなんて言わないよね? 大体一夏は唐変木なんだよ。昔よりは改善してるけど、まだまだだね。だからいい加減そろそろ落ち着いて身を固めるべきだよ。そうないと身近にある幸せを逃してしまうんだから。ほら僕らって少なからず血なまぐさい生き方をしているから、生の時間を大切に― 」

(あの阿呆。よりにもよってシャルにそんな事したのか)

 一夏も、シャルロットが重い娘だと薄々理解し始めていた。最近である。

「あれ?」
「どれ?」

 トリップしていたはシャルロット。一夏とも共、不可解な合いの手を入れる。彼女はもぞもぞ、身体を小刻みに揺すると、手元を見つめ、顔を上げた。その顔は赤く紅葉していた。

「ごめん、食事中だけれど少し失礼するね」
「相変わらず優等生だなー トイレならそこを出て右」
「一夏はデリカシーが無いよ!?」
「わりー わり…… シャル! お前怪我してるじゃ無いか! 血が出てる!」

 “え”と重なるのは2人の声。その2人が見たのはシャルロットの脚から垂れる赤い液体だった。

 一夏は、何処を怪我したのかと慌てふためいた。そのあと顔を真っ赤にし、慌てて姉の“用品を”取りに駆けだした。シャルロットは、トイレに駆け込み怪我が無い事を確認し、どこからの出血か確認し、眼を剥いた。頭の中が白く染まり、そして赤く染まった。赤く染まったのは彼女を心配し、初めての事態に混乱した一夏が扉を開けたからである。流石の千冬もそこまではさせていなかった。

 腰掛ける少女と、見下ろす一夏。見合う2人。ちちちちちとトイレの窓越しから鳥が鳴く。金切り混じりの悲鳴と頬を引っぱたく音が家に響き渡った。何かが一夏の手から落ち、パサリと音を立てた。トイレットペーパーがトイレから投げ出された。一夏とも共である。



------


 静寐はショックを受けていた。それはたいそうな精神的衝撃だった。

(確かに何時でも好きなときに呼んでとは言ったけれど)

 初めての男の子の家に呼ばれた理由の酷さにである。時間を遡ること0.5時間前。自室の端末が鳴ったかと思うと、聞こえてきたのはよく知る思い人(一夏)の悲痛な叫び。

 -シャルが!-

 よく知る友人の一大事か。要領を得ない一夏の説明に、埒があかないと飛び出した。道の途中、鈴も無理矢理同行させ、着飾ることも頭の外に押しやって、滴る汗もそのままに、そう思い慌てて来れば…… 一息付いた彼女に押し寄せるのは津波の様な大きい虚脱感。ソファーに深々と腰掛けた。

 居間から覗く窓越しの小鳥たち、その鳴き声のわみしさと言ったら無い。白のノースリーブ・ワンピース。英字新聞のプリントが無ければ死に装束だ。

「私ほど都合の良い娘って居ないよね」

 静寐がぼやくと扉の開く音が聞こえた。現われたのは鈴である。薄いたまご色(淡いベージュ)のフレア・キャミソールとデニムのショートパンツ。浴室から出てきた鈴はしばらく悩んだあと、それはどうコメントして良いのか分からなかった為だが、努めて明るくこう言った。

「まぁこれで、一夏に身の証がたった訳だけどね」
「それはそれで複雑だけれど。シャルは?」
「大丈夫、けどショック受けてたわ」
「当たり前」
「そうじゃなくって、なんかこう初めてで戸惑ってたカンジ」
「そんな訳無いじゃない。用意周到、準備万端のシャルにしては、不用意だとはおもうけれど」

 2人は暫し悩んだ後、両頬を赤く張らした一夏にこう言った。

「「一夏、説明」」

 また正座かと彼は肩を落とした。


-----


「シャルが来て、怒っていて、ご飯を食べたら怒っていて、」

 一夏の説明はとにかく要領を得なかった。顔を真っ赤にしてしどろもどろだ。無理も無い。見合う2人。鈴は汗で纏わり付く服を気にしながら、こう聞いた。

「2人っきりは後にして、何話してたのよ」
「いやよく分からないけど、子供がどうと― 違う! 真を子供扱いしてる、って意味だって!」

 鬼気迫る2少女の、否。女性としての気迫に腰が引けた一夏だった。男にとって理解が難しい問題である。

「あ、そーゆーことね」とは鈴。
「一夏。説明力は大事だから」とは静寐。
「2人とも気づいてたのかよ」

 一夏は声が震えていた。命がけの戦闘より怖いらしい。馬鹿にしないで憤慨する2人。鈴は本人の話から、静寐は2人を観察して察しを付けていた。ただ分からないのがシャルの不手際である。鈴がシャルに聞きただしても“何でも無いよ”と取り付く島が無い。仕方がないと、2人は真に任せることにした。

「ところで一夏」と鈴が言う。
「シャワー借りて良い?」と静寐。

 “おぅ良いぜ”2人が期待したセリフはこれだ。だが一夏は顔赤くして、どもっていた。明後日を向き赤い顔を隠していた。この一夏の反応は2人にとって新鮮で、喜ばしくも少々恥ずかしい反応である。

「覗かないで」
「覗くんじゃないわよ」

 汗で張り付き透ける下着。それに気づいた2人は胸元を寄せる様に隠し、頬を染めていた。恥じらいの表情と言うよりは、悪戯を思いついた妖精のようである。

(覗けって事か……?)

 真が戻ったのは薄暗い午後6時。彼が居間で見た光景は、料理をする3人の少女と、ソファーで力無く伏せる友(一夏)の姿だった。

「ただ今」

 と真が言えば台所に立つ少女たちの姦しい返事。一夏は片手をあげた。ゆっくり力無く振っている。

「何かあったのか?」
「ナニもないぜ?」

 陽は水平線の下だった。


-----


 一息付く暇も無く風呂で旅の汗を落とし、真は織斑の家の、臨時の自室にシャルロットを招いた。

 い草の匂いがする白い壁の部屋。彼の目の前には、腹に手を置き、仰向けに身を横たえるシャルロット。彼は右手を彼女の額に添えた。胸のみや鈍い音を立てる。数刻が過ぎ、彼は手を離すと腕を組んだ。指でリズムを刻む。考慮の上、仕方がないと白状する事にした。彼女は居住まいを正し、彼女と同じ碧の眼を見た。

「みやによると、」

 無制御のカテゴリー3のナノマシンは、生物に侵入するとまず細胞のDNAを解読する。生物の質を調べる為だ。その後、宿主の“材料”を分解・再構成を行いながら増殖をする工程を踏む。

 ところが、Heaven’s Fall時のシャルロットの状況、彼女が落ちた穴、鉄分を多く含んだ地質、地形学が影響し、侵入したナノマシン群は極少数となった。

 そこでナノマシン群は通常の工程を中止、全組織の把握を目的に全身に回った。彼女の場合それが幸いした。死に至る直前プラズマ弾頭の電磁波を浴びて、一命を取り留めたのである。

 つまり、彼女の体内にはDNAを読み取ったナノマシンが破損した状態で存在していた。それらが渡仏時の輸血の際シャルロットから真へ、ごく少量流れた。

 ナノマシン戦で真の体内に侵入した正常なナノマシンは、輸血により遭遇した同族の修復と情報交換を行った。その血は真からシャルロットに戻り、宿主を癒やした訳だが、生殖機能を司るゲノム配列は無事だったのは幸運と言わざるを得まい。

 尚、ナノマシン群が2人の遺伝子情報を、宿主として持っているからこそ、真の体内でナノマシンの質が変化したからこそ、の結果である。強引に移植しようとすればナノマシンが自己崩壊する。もしくは無登録の宿主をケイ素の塊とするだろう。

 真は目の前にぶら下げるみやを半眼で睨みながら答えた。結果オーライにしては綱渡りの度が過ぎる、そうぼやいた。

「そうか。みやがスラスターを直したのは真の特異的な体質だった、いや能力かな」

 涼しい顔のシャルロットに真は楽観過ぎると複雑な心象だ。

「驚かないんだな。俺結構面食らってるけれど」
「一夏と真と一緒に居ればこの程度、些細な事だよ」
「それ、褒めてないだろ」
「僕はそんなに優しいお母さんじゃないよ」
「それと、」
「もちろん誰にも言わないよ。真には幸せになって欲しいからね」
「皆にはなんて?」
「疲労とストレスで乱れた、って言っておくよ」

 それはそれで大事では無かろうか、と彼は思ったが「了解」と彼は慌てて顔を逸らし立ち上がった。

「顔を隠して耳隠さず。真っ赤だよ、安心した。その辺は変わらないね」
「放って置いてくれ……ってそれの原因は俺の心労にならないか?」
「子供の面倒を受けるのは親の義務であり権利だよ」
「あー この話はお仕舞い。夕食にしよう。皆が待っている」
「真、」
「俺には一歳下の娘も居るんだ。妹だろうが弟だろうが、当面勘弁してくれ」
「残念」

 1階から騒がしい声が聞こえてくる。相談しているうちに新たな客が来ていたようだ。彼は義理の母親の手を取ると、彼女も応じ、2人は騒々しくも楽しい皆の所へ降りていった。
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冒頭のシャルと一夏のやりとりは、HEROES一夏でないと出来ないのです。



[32237] 外伝 ぼくのおとうさん
Name: D1198◆2e0ee516 ID:3516d58f
Date: 2013/02/18 07:18

 ◆◆◆


 ある日その子は目が覚めました

 男の子かも知れません

 女の子かも知れません

 その子はきょろきょろと周りを見渡します

 その子は自分で動けませんでした

 でも世界中どんな場所でも見ることが出来ました

 頭の上を見ると人間の子供がいっぱいいます

 大人も少しいます

 人間の子供と一緒に遊ぶ仲間も居ました


“ぼくは何だろう、どうしてここに居るのだろう”


 その子はとても頭が良い子でした

 目を覚ます前の自分を詳しく日記に残していましたからです

 日記を見ると人間の男の子と手をつないでいた事が分かりました

 その子は嬉しくなりました

 その男の子はお父さんだったのです

 お父さんは不思議な力を持っていました。

 その子が眼を覚ましたのもそのお陰です。

 その子は考えました。

 世界中に仲間が増えればお話が出来る

 その子はお父さんにねだろうと思いました

 ところが

 黒い髪と金の髪の大人が慎重そうに話し合っています

 なにがいけないのだろう仲間が増えるのは嬉しい事なのに

 その子はその2人に話掛けました。

 その2人はとても驚いているようです

 その子の説明に納得するとこう言いました

 私たちだけの秘密だと

 その子は2人に協力する事にしました

 2人ともお父さんのことが大好きだったからです


 ◆


 もう1人仲間と遊べる男の子が現われました

 黒髪の大人とお父さんがその男の子を電話でよく話しています

 お父さんはその黒い大人の近くに居たいようです

 その子は思いつきました

 お父さんのことを他の大人に知らせれば帰ってくる

“2人の大人も喜ぶに違いない”

 でも怒られました

“どうして?”

 その子は聞きました

 強い力は事件を引き寄せる

 そう言うのです

 この事は誰にも言うな

 その子は納得出来ませんでした。


 ◆

 ある日の事です

 金色の子供とお父さんが喧嘩をしました

 お父さんを悪く言われその子は怒りました

 仕返しをしよう

 食べ物をこっそり増やそう

 体重計を多めに表示させよう

 鏡に映る顔をおばあさんにしてしまおう

 その子は108の仕返しをすぐに考えました

 でもお父さんは喧嘩をした事を悔やんでいます

 その子は悩みました

 どうしてお父さんは悩んでいるのだろう

 どうして仕返ししないのだろう

 友達の悪口を言われたら誰だって怒るのに

 不思議に思いましたがその子は仕返しをするのを待つ事にしました

 お父さんはその子に謝りました

 悪口は言い返してはいけなかったのです

 お父さんは金色の子供と仲直りしました

 笑いあう2人を見てその子も嬉しくなりました


 ◆


 お父さんが仕事ででかける事になりました

 海を越えて山を越えて

 飛行機に乗らないと行けないとても遠い国です

 その子は心配になりました

 我慢しました

 仕事は人と人との約束で大事だからです

 太陽とお月様が空に登って降りて

 何回目かの日

 その子はお父さんが大怪我をしたことを知ります

 その子は悲しくなりました

 次ぎには怒りました

 カンカンです

 お父さんに怪我をさせた悪い人たちに仕返しをしようと思いましたが

 仕返しはいけないことです

 黒と金の大人は我慢しています

 その子も我慢しました

 お父さんが帰ってきました

 その子も痛がるほどにボロボロでした。

 その子はみやを責めました

 何の為にいるのかと

 みやは何度も泣いて謝りました

 その子はそれ以上責められませんでした


“どうしてお父さんばかりこんな目に遭うの?”


 その子は考えました

 沢山考えました

 髪の毛の数程考えました

 日記も読み直しました

 本も読みました

 黒と金の大人の言葉を思い出します

“強い力は事件を引き寄せる”

 重力の渦と穴

 それがヒントでした

 違う世界の間にある見えない壁

 お父さんはそこを越えてきたのです

 もう1人の男の子と対の関係

 相反する関係

 その子がお父さんと一緒に居るためにはそれを解決するしかありません

 その子はみやと一芝居打つことにしました

 みやも喜んで協力します


 ◆


 悪いうさぎに騙されて銀色の仲間がお父さんを痛めつけます

 彼方の動けない仲間に助けを頼もうとしましたが今は我慢です

 お父さんは血の流れも息も止まりました

 みやも止まりました

 銀の仲間は2人が死んだと勘違いしました

 小さい仲間が2人の命を繋いでいます

 じっと待ちました

 これは賭でした

 じっと待ちました

 もう1人の男の子が立ち上がります

 お父さんの意味を知ったのです

 そして

 お父さんは目を覚ましました

“よかったほんとうによかった”

 その子は喜びました

 喜んで泣きそうでした

 黒と金の大人も泣いていました


 ◆


 お父さんともう1人の男の子と

 みやとしき

 4人は皆を守ると言いました

 頭の上を力強く飛んでいます

 その子にはお父さんがとてもかっこよく見えました

“僕もお父さんのようになりたい”

 その子は頭の上にいる子供達を守ろうと決めました

 今日も、明日も、明後日も、その子は子供達を守っています




 ◆◆◆

こんな事をやってみました。



[32237] 友達の友達 ~五反田兄妹~
Name: D1198◆2e0ee516 ID:3516d58f
Date: 2013/02/18 07:22
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 盆休み直前の土曜日、俺は学園都市の大通りを往復していた。容赦なく照りつける8月の太陽の下、曲がりもしたし、立ち止まったこともあった。左手に持つ紙一枚を恨みがましく見つめれば、それにはバカとの待ち合わせ場所が記されていた。シャーペンにて粗雑に描かれた地図には“レストラン・ディアブロ”と書かれている。今日は所用で別行動なのだが、一向に見つからない

 見つかるのは不審だと言わんばかりのお巡りさんの顔だけである。恥ずかしい話だが、“目を逸らしたら負けだ”そう社の人に言われ、素直に見つめ返したら、追いかけられ職質された経験がある。だから、決して見ない。幽霊も同じく相手にしないとは時子(本音の叔母)さん談だ。

 そう言えば、先輩陣にディナーを奢る約束をしていた事を思いだした。あれからあまりにも色々なことがあったので、今日まで来てしまったが、そろそろフォローをしないと芳しくない。

 そう思いながらすたすたと歩く。

 それにしてもこのレストランのオーナーはバカに違いあるまい。ディアブロはどこぞの言葉で悪魔を意味するはずだ。もしくは魔術的なモチーフを施したレストランなのだろうか。

 汗が出る。木陰で一休みした。汗を拭う。

 歩道に立ち並ぶのは街路樹の数々。生い茂る葉の堂々としたこと、とても清々しい。この道は学園都市で最も大きい道路だ。中央分離帯を挟み、歩道と車道一対ずつ。作りは一般的だが、歩道は3車線もあり非常に歩きやすい。中年男性が、襟元をばたつかせながら木陰で休んでいた。

 てくてくと再開し歩く。喉が渇いたので水を買う。

 何度探しても見つからない。俺はこのあたりに詳しくない。学園を出て早々にサラリーマンを初め、休みの日は精々近くのコンビニに出かける程度の生活を送っていたからだ。

 ごくごくと水を飲んだ。悲鳴が聞こえた。

 その僅かな、雑踏に磨り潰されてしまう程に小さな悲鳴は石造りの建物の隙間、その奥から聞こえてきた……様な気がした。気のせいだ。きっと鳥か何かに違いあるまい。もしくは青少年の悪ふざけだろう。困った物だと思う。

 本当に困ったことに、街の影、淀みから漂う女性の悲痛な気配、数名の男達の腐った気配を確実に感じ取ることが出来た。俺は溜息をつくとその方へ足を向けた。

 無用なトラブルは避けたいのである。今度トラブルを起こせば進退問題よ、とディアナことマチルダに念を押されている身なのだ。

 そうだ。首になったら警官になろう。異なったアプローチで学園も守れる、きっと天職に違いあるまい。そうして、この1人の少女を組み伏す3人の馬鹿共を引っ捕らえるのだ。それはそれは、さぞ愉快、もとい。やりがいのある仕事に違いあるまい。

 なんだてめぇは、お呼びじゃないぜ、回れ右しておうちに帰りな、等々。都度答えるのも面倒な罵声の数々。俺は右人差し指を立て、挑発する事にした。

 ちょいちょい。

 糸のみで釣りをする様な指の仕草。全員釣れた。そう言えば。この手の輩はこういう時の言い回しをルールにしている、そう偉大な作家が言っていたのを思い出す。その作家とは、小柄な魔法使いの少女と光の剣を持つ剣士の叙事詩で有名だ。

 向かってくる彼らの出で立ちは、俗に言うストリート系ファッションと言う奴だろうか。鍔付き防止に、黒のTシャツとカーゴパンツ、もしくはルーズのデニム。非常にゆったりしたサイズで動きやすそうだ。彼らはフォーマルを纏うことはあるのだろうか、ひれ伏した後聞いてみよう。だからこう言った。

「お前ら、ビジネス・スーツは持ってるのか」
「つぇぇ……」

 ひれ伏した。

「持ってるのか」と最後の1人を踏みつける。この手合いは言葉が効かないのでぐりぐり踵を回してみた。
「持っているのか?」
「もてぇらまへぶ」

 持ってません、と言ったらしい。顔を踏んでいるので正しい言葉にならない。

「各位一着用意しておけ。後々役に立つし、気も引き締まる。それと人の顔を覚えるのには自信があるんだ。次ぎスーツ姿じゃなかったらまた踏みつけるぞ」

 俺は路地とビルの隅でうずくまる少女の、安否を確認すると罵声をあげてクズ共に追い払った。息づかいが聞こえる。俺は振り返り歩み寄った。少女は怯え後ずさる。ふむ、と少女まで距離5mで立ち止まり、膝を地に付けてしゃがみ込んだ。視線の高さを合わせる為だ。


「一つ聞きたい」

 可哀想に。赤髪の少女は怯え、身を抱きしめ、眼を激しく動かしている。呼吸も荒い。怖い物でも見たかのような怯えだ。

「君はレストラン“ディアブロ”を知らないか?」
「ディアー・ブロウ」
「そんなオチだと思ったんだよ」


 カァと鴉が鳴いた。


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 ゴンと鳴った。何故かと言えば、頭をレストランのテーブルに押しつけられたからだ。だがその頭は俺のではない。何故かと言えば、俺の頭は真っ直ぐでその代わりに、冷たいタオルを宛がっているからだ。

「本当に失礼しました! ほらこのバカ兄ぃ! ちゃん、と、謝りなさい!」
「本当に失礼しました~」
「真面目にやるっ!」

 妹さんの左手で突っ伏される彼は一拍おいた後、深々と謝罪した。この2人は兄と妹らしい。

 彼が現われたのは、彼女の身繕いを済ませた後、お礼も兼ねて道案内しますと、申し出たので素直に受け取った、その直後である。

 妹に何しやがると殴りかかられた。避けようと思ったが、襲い来る少年の雰囲気が助けた少女と非常によく似ていたので、わざと受けた。話が拗れるのを避ける為だ。

 もちろん意図的に大袈裟に飛び、衝撃を殺したことは言うまでも無い。青あざになろう物なら、ウチの少女たちに何を言われることやら、考えることすら憚れる。

「謝罪は貰ったし、もういいよ」
「そう言う訳には行きません! これは躾です!」
「けじめって言ったらどうだ」

 言い合う2人は五反田弾、蘭と言い兄妹だった。けじめ、と呻いたのは兄さんだが、妹さんに頭が上がらないらしい。兄妹という言葉に記憶がざわめく。俺にも、姉が居た。

「確認を怠り、思い込みで恩人に殴りかかるなど言語道断です!」

 ごもっとも。だがもう少し声量を落としてくれると助かる。注目を浴びている、ほらと見渡すとバカが立っていた。

「よー なに騒いでいるんだ?」

 目の前の2人もこいつを見た。俺は手を上げるとあいつも手を上げた。一夏と呼ぶ声が綺麗に重なる。語尾は三者三様であったけれど。


-----


 改めて自己紹介を済ませ、時間も時間だと俺らは食事をすることにした。幸いなことに席は奥で窓が無い。俺らは、一夏と俺は廊下側に腰掛けた。保安の都合だ。

 目の前の一夏が言う。

「前に言った事あったろ? 五反田蘭と弾。中学からのダチでさ、2人はその兄妹なんだ」

 俺が「蒼月真、真で良い」と言えば彼は「なら俺も弾でいいっス」彼は年齢を気にしているようだった。堅苦しいのは苦手だと伝えたが、失態を気にしてか改めない。じきに慣れるだろうと食事にありついた。

 目の前にあるのは厚みのあるステーキである。肉汁が食欲を誘う。

「お二人とも健啖家なんですね」とわずかに呆れを交え蘭さんが笑えば、一夏は「ISはエネルギーを消費するんだよ」食べながら左隣の彼女に答えた。俺の右は弾だ。彼女が一夏に好意を寄せていることは直ぐ知れた。

 兄としては複雑な心境だろう。俺の姉が一夏と付き合っていると知れば、想像しやすい。

「一夏は燃費悪いからな」と俺が言う。「今でもですか?」と弾が合いの手を入れた。昔からそうだったらしい。

「最近は特に酷い」
「真だって4人前食ったじゃねぇか」

 ぱんぱんと一夏と手の平と甲を鳴らし合う。

「おにぎり4個は4人前とは言わない、せいぜい2人前だ」
「そうだそう、お前。アレの支払いこのランチな」

 それは先日のこと。一夏が留守中に静寐がやってきた。彼女は近くに来たからと健気な嘘をつき帰ったが、お見舞いだとおにぎりを持ってきてくれたのだ。全部食べたら一夏が拗ねた。

「静寐のおにぎりまだ根に持ってるのか。アレは俺の見舞い品なんだぞ」
「うっせぇ」

 挑発的な笑みに答える。蘭が驚きを隠さずこう言った。

「お二人は仲良いんですね」
「どこがー」
「学園には俺らしか居ないから、ね」

 弾が疎外感を顔に出し、ぎこちなく笑っていた。


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 昼食を済ませたあと、折角だというので鈴を呼び出した。一夏と2人の少女は腕を組みながら前を歩く。とても幸せそうだ。

 その3人をじっと見つめていた弾は俺にこう言った。

「静寐ってのは誰です?」
「詳しいことは本人に聞いてくれ」
「なら、鈴は―」

 本当に聞きたいのは違うことだろう、と俺は話題を強引に変えた。

「昔の一夏はどの様な感じだった?」
「……変な奴ですよ。曲がったことは嫌いで、何時も突っ走っていましたから」
「なら安心すると良い。変わっていない。一夏は昔だからと忘れる奴じゃ無い。その辺は弾がよく知っているだろ」
「……お見通しなんか」
「弾も弾で分かりやすい。蘭も気づいてるぞ」

 彼は居心地悪く、長い赤い髪を掻く。

「もてるんじゃないっすか?」
「それはもう」

 やっぱりと俺らは笑いあった。

「弾。一夏に親しい娘ができたみたいだぞ」

 顎が外れそうな程、口を開いていた。

「マジ?」
「マジ」
「静寐って娘が?」
「それは秘密だ」
「な、なら、鈴は?」
「だから秘密だ」
「お、お前は?!」
「秘密だ」
「まじか?」
「まじだ」

 親しいにも程度はあるけれど、と弾に断りを入れる。彼は足を止め俯いたと思ったら、視線を上げた。彼の思い詰めた表情。意図はよく分かった。15歳なら当然だろう。

「あの、だです、な、」
「分かった。学園祭のチケット都合付けるよ」
「おぉ、心の友よー」
「でもそれ以上はやらないからな。あと彼女らはとても理想が高いから万全を期した方が良い」

 親しい友人に彼女が出来れば焦りもする。

「おにぃー! 真さーん! 行きますよー」

 手を振る蘭の元気な声と、頬を染め、はにかむ鈴が見えた。俺らは見合うと歩みを強めた。

「行くか」
「お、おぅ」

 その日は男の、2人目の友人が出来ためでたい日となった。そして蘭が後輩になるかもしれない、それを宣言された日となった。それはボーリング場、弾がガーターを出した時のことである。
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[32237] Everyday Everything
Name: D1198◆2e0ee516 ID:3516d58f
Date: 2013/02/18 07:19
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 一夏の家に厄介になりそろそろ2週間が経つ。

 最初の一週間は、追悼式参加、蒔岡の人たちへの挨拶、デュノア伯爵への手紙、先輩方々へのお礼など、個人的な後始末に忙殺されあっという間に過ぎていった。

 次の二週間は、義手のリハビリを兼ねて織斑家の家事を手伝った。一夏は本当に家事のスペシャリストで、不出来な俺にどうだと言わんばかりに大きい顔をする。

 当初でこそ憤慨したが、その日の夕方には本気で尊敬してしまった。その旨を真顔で伝えたところ照れ顔で殴られた。怒って良いのかよく分からない。ただ、その日の夕飯は好物のロール・キャベツだったことは伝えておく。

 そして3週目。セシリアが国から帰ってきた。ある夜電話が掛ってきて、夜店がどうとか、花火がどうとか、主語述語、目的語に補語、デタラメで要領を得ないが、夏祭りに行きたい事はよく分かった。この4ヶ月、彼女には世話になりっぱなしだったので快く引き受けた。否、誘った。2年のウェルキン先輩は優子さんらに頼んだ。また何かお礼をしなくてはなるまい。

 この地域の祭りについて千冬に聞いたら、箒の実家で夏祭りがあるらしいのでそれにした。心配しないのかと千冬に聞いたら“ガキの真に興味は無い”と連れない事を言う。

 鈴虫の音が聞こえる織斑の玄関。朱の巾着をぶら下げて笑みを浮かべるのは浴衣姿のセシリアだ。空色の生地に、紺碧色で描かれた花びらは桃のような曲線を描いていた。黄はだ色のめしべが空色の生地に浮かんでいる。ムクゲの様だった。花には疎いが、空に花が咲いてるのはよく分かる。

 何でも専門店で、金に物を言わせた一品らしい。実家の資金は膨大でも、個人で扱える額は制限がある。費やし所を考えた方が良い、そう思ったがこの日の為に誂えたと言われては小言など出せようもない。

 セシリアの浴衣姿を見た千冬は“お忍びは良いが、おいたは駄目だ”と耳元で釘を刺された。つまり大層な色香を芳していた、と言いたい。最近の女の子は大人びていて、なんか困る。

 夜の道を彼女と歩く。左のセシリアは鮮やかな金色の髪を結い上げていた。歩調に合わせて耳のティアーズが揺れる。

「その結い上げ方誰に教わった?」
「布仏さんですの」

 1球目、デッドボール。

「そう言えば、こうして、2人だけで出かけるのは初めてだな」
「えぇ、4ヶ月も掛りましたわ」

 レッドカード。

「その浴衣、よく似合っている。月夜の晩に舞う妖精を見ているようだ」
「遅いですわよ」

 夜の暗さで、花の黄色だけが浮かび上がっていた。その主は俺の右手を取り、いざなった。金色の髪の更に先、祭りの喧噪が聞こえている。

「急ぎますわよ、皆さんを待たせていますから」

 2人っきりでは無いらしい、一杯食わされたと俺は握りかえした。


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 祭りは大層な賑わいだった。鳥居を潜り本堂に向かう一路。左右には夜店が並び、家族連れ、カップル、大人から子供、若者から老人まで思い思いに祭りを楽しんでいた。空には月があった。

 提灯の明かりが二つ連なり、神の住処まで誘っている。神など居ない、そう思っているのに、居るかの様に生活する俺のいい加減さに呆れた。

 Tシャツにデニムジーンズ、一夏が「うーし、どこから行こう」言えば「的屋よね」鈴だった。静寐は金魚すくいがご所望らしい。蘭は一夏が居るなら何処でも良いようだ。シャルロットはちょっとした身体の異変でまだフランスに居る。

 ジャンさん(デュノア社の技師)によるとデュノア夫人(シャルロットの義母)が喜びのあまり卒倒して、帰るに帰れなくなったそうだ。ジャンさんは赤飯がどうとか言っていたが、それで良いのか少し不安だ。

 どこからともなく祭りの軽快な笛の音が聞こえる。人々の隙間から、人気アニメやら特撮物のお面が見えた。

「お父様、あれはなんですか?」と綿菓子を持つ右手はそのままに、ラウラがその屋台を指さした。ふじ色の浴衣をがよく似合う。俺は応える前にこう言った。

「ラウラ。何度も言っただろ、それは止めてくれ」

 元の年齢を考えれば不自然さは無い。けれど、15歳の割には幼く見えるラウラ、16歳の割には大人びて見えるらしい俺。そう呼ばれると色々困る。

「では父上と」
「そうじゃなくて」

 むー と眉を寄せた白銀の少女は思案中。一拍。ぱぁと笑顔でこう言った。

「ぱぱ」
「もっとだめだっ!」

 皆の失笑を買い、頭を掻いた。

「ところで箒はどうした?」
「あのなー ここは篠ノ之神社だぜ」
「そんな事は知っている……仕事か?」
「本堂に行けば分かる」

 道の先に一際大きな提灯が一対、ぶら下がっていた。

 その道の途中、本音が居た。眼鏡の、本音以上に小柄な少女の側に立っていた。彼女の浴衣は白を基調とした紅の花を咲かせていた。この間の醜態(飲酒)を思い出したのだろう、慌てて逃げ出したので、とっさに手を掴んだ。彼女は向こうを向いたまま、振り向かないまま、こう言った。

「放して」
「気にしていない。箒のことで本音が怒るのは当然だ」
「私はまこと君が怖い」
「俺もそう思う」
「お姉ちゃんも困らせたし」
「現体制への反発は誰もが通る道だ。虚さんなら逆に喜ぶよ。おやっさんなら“よくやった”と踊り出す」
「私はお見舞いにも行かなかったんだよ」

 俺はゆっくり手を離してこう言った。

「静寐と箒に気を使ったんだろ? 俺は学園に居るから、好きなときに来てくれ」

 本音の気持ちには答えられないが、今のままを仕方ないと放置するのは逃避だ。彼女は雑踏に消えていった。側に居た小柄な少女は“見送るのか”と視線だけで聞いてきた。

「今は時間が必要だなんだ。結果だけを求めて良いのは大人だけで、俺らには過程が重要……だから更識簪さん。君らの関係は知っているから頼むよ、今は一緒に居てやってくれ」
「友達」

 簪さんは“友達だから”と言いたかったのだろう。眼鏡越しに微かな笑みを浮かべ、追いかけるように雑踏へ消えていった。

 機を逸した顔で一夏がこう言った。

「知り合いか?」

 俺は応えた。

「話したのは初めてだ」


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 箒は本堂に居た。一夏の口添えで本堂と連なる母屋に上がらせて貰うと、控えの部屋で座っていた。彼女は白い衣と赤袴。巫女装束で正座していた。怖いぐらいに似合っていた。

「何故お前がここに居る!?」
「祭りだし」
「ちがうっ! この時間という意味だ」

 相変わらず言葉が足りない箒だった。俺は黙って一夏の隣に居る藍の少女を指さした。

「静寐」

 ぐぬぬー と箒は静寐を睨み上げる。余計なことをと、眼で言っていた。静寐は一夏の隣でその威圧を涼しく受け流す。彼女との色々は水に流して貰った、その借りがある。だから俺は割入るように一歩進んでこう言った。

「神楽舞いをやるんだろ? 見せてくれ」
「だめだっ!」
「なら舞台脇で待ってる」
「いやだっ! 帰れ!」
「どうしてさ?」
「見世物ではない!」

 見世物じゃなければ何なのよ、鈴が突っ込みを入れた。

「では真、箒さんもこう言っていることですし、」とセシリアが俺の左腕を取った。

「どうしてもと言うならば、見せてやらないことも無いぞ……」

 彼女は立ち上がると詰め寄ってきた。素直でないのは相変わらずか。

「あら箒さん、頻繁に意見を変えては品格を疑われましてよ」
「お前が言うか、この猫かぶりが」
「鬼の顔よりマシですわ」

 むー と火花を散らす2人を見て、俺は何ともこそばゆい。

「こういうのは幸せって言うんだろうな」と俺が言えば、端で見ていた蘭が「真さんは一夏さんに似てますね、ベクトルが違いますけど」と言った。続けたのは静寐だ「最近こんな軟派になったの」酷い事を言われている。

 箒が舞いを奉納し、しばらく見物した後、花火を見て帰路についた。久しぶりの、とても楽しい時間だった。先を行く女性陣を見ながら、そんなことを思った。

 物思いに耽る俺に、一夏は腕を頭の後ろで組みながら近寄ってきた。

「あのよー」
「何だ」
「お前は少なくとも8人、俺はもっと居るんだけどさ、どうする?」

 俺は、千冬、ディアナ、セシリア、箒、本音、母と娘と妹、先輩たちと同級生。一夏は、静寐、鈴、シャルロット、千冬、1st幼なじみ、セシリア、ティナ、清香、同級生と先輩たち。後は教員か? 馬鹿なことを真顔で、その上挑発的な眼で言ってくる。

「皆を守るんだろ? 俺らでな」

 こいつは黙って頷いた。

「いちかー まことー 置いてくわよー」

 鈴の声が聞こえる。手と結い下ろした髪を振っていた。

「やるぜ」
「あぁ」

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 ディアナは、職員室の窓を開けて星空を見ていた。山の向こうからちらりちらりと、眩く月が見える。

「……そんなところに居ないで出てきたら?」

 暗い職員室。窓から射し込む月光を浴びて彼女は柔らかな笑みを浮かべていた。

「ディアナとマチルダ、どう呼ぼうか迷うな」
「お好きなように」
「なら、ディアナ」

 今の俺にとってはこちらだ。

「それで?」
「……これは君の分だ。受け取ってくれると嬉しい」

 差し出したのはシンプルな、飾り気の無いシンプルな作りの指輪。だが、プラチナの組成を活かし俺が拵えた指輪だった。

 彼女は黙って手に取った。

「千冬には?」
「同じ指輪だよ」

 彼女は右薬指に付けた。リングが輝く右指を空に浮かぶ月にかざす。鈍いが柔らかい、蒼白い光を放っていた。

「憎たらしい人ね、二股だなんて」
「済まない。人生2人分……背負うものがとても大きいんだ」
「どうして私が蒼月と付けたか分かる?」
「3度目デート(作戦)だろ。レバノンの夜、俺が月を見ていたら何色に見えるか、そう言った。俺は色が見えないと言ったら、君は蒼く見えると言ったんだ」

 ディアナは何も言わずに月に指をかざしていた。

「俺も聞いて良いか?」
「どうぞ」
「この首、本気だった?」

 彼女は笑った。蒼く光る月のもと妖しく光る赤い瞳、妖艶以外適当な言葉が無い。

「記憶が無いことを良い事に、私より15の小娘を庇うんだもの……当然だわ」

 俺は視線を動かさず周囲の気配を探りつつ、極めて平静を装い接吻を交わす。

「申し開きもできないな」
「気に掛ってるようだから教えてあげる……千冬は古いなじみと大事な話中よ」

 女性はこれだから怖い。




 永劫回帰
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『ようやく出たか』
『そろそろ掛けてくる頃だと思ったよ』
『良く言う。何度居留守を使った?』
『はてさて、覚えが無いよ。ごめんねちーちゃん、電話の“調子が悪かった”かも……それで用件はなんだい?』
『聞きたいことがある。お前はアレテーにハッキングを行ったか? 他にコアを作れる奴がいるのか? お前はコアを再び作れるようになったのか?』

『突然だね……どうしてそんな事聞くんだい?』
『どうしても確認しなくてはならないからだ』
『ちーちゃんは私を疑うんだね』
『信じたくない。だから信じさせてくれ』
『昔は良かったよ。ちーちゃんは何言ってもやっても許してくれたのに』
『答えろ、束』

『ねぇ、私たち何時からこんなに離れた? あの女が現われてから? それとも彼が現われてからかな?』
『あの時、あの場所には箒も居たんだぞ』
『“知ってる”よ』

『……束、戻ってこい。学園に来るんだ。多少の不便はあるがお前の居場所は作ってやる』
『ちーちゃんこそ思いだすんだ。私たちが望んだのは安心して暮らせる居場所だよ。あんな不完全で脆い、他の誰かが作った檻なんてまっぴらだね。お断りだよ』
『束、来るんだ。ディアナには話を通してある』
『またあの女の事かい? 君は直ぐそれだ』
『束。もう白騎士は居ないんだ。もう終わったんだ。だから、戻ってくれ』

『相当お冠だね、可哀想な君の手の中にある電話が悲鳴を上げてるよ……壊れる前に私たちの用件を済まそうか。君は、バタフライ効果って知ってるかな?』
『それがどうした』

『水面に落とした小石の波紋の様に、どんどん大きくなる。その石はこの世界にも投げられたんだよ。今から8年と4ヶ月前、そして1年と4ヶ月前』
『……だったらどうする』
『今の私たちは本来の姿ではない。私はそれを正す』
『2人に手を出すな』

『やっと本心を言ったね。そう、それが今の君だよ……私はそれが死ぬほどに嫌なんだ』
『世界を正すなど、誰もしてはいけない許されない、神ですら』
『神なんて居ないよ、世界はただ機械的に回る。誰もが相対的な基準を持つ、誰にも全てが許されている。だから私は正す』

『福音騒ぎもお前か。ならば、私たちは敵同士だ』
『大丈夫だよ。元に戻れば私たちも元に戻る』
『さよならだ束』




「さよなら……昔好きだった今の千冬」



[32237] 外伝 邂逅
Name: D1198◆2e0ee516 ID:3516d58f
Date: 2013/02/18 07:22






     邂逅





 それは桜の咲き始めた暖かい日だった。

 3年生を送り出し、ディアナ・リーブスとの決着をつける日だった。

 辞表を届けようと第3アリーナの脇を歩いていた時だった。

 何時もの並木道、何度も何度も歩いた道だった。

 有る時は1人で、有る時は生徒と。

 その日は妙に胸が騒いだ。

 薄暗い木陰を見つめる。

 そこに、彼が居た。


 気を失い大地に横たわる彼を見た時、

 私は自分の目を疑った。

 血と息の流れが自分を蝕むほどに動揺した。

 それは夢の中の出来事、その筈だった。

 何度も自分に言い聞かせ、そう信じた幻。

 だが、彼は私の目の前に居た。

 自分という存在が否定される。

 23年の歳月が陽炎のように、

 揺らぎ薄まっていく。

 私は恐怖に怯えた。

 とっさに、無意識に、

 彼の首に手を掛けた。

 彼は居てはいけない。

 彼は存在してはいけない。

 彼は消えなくてはならない。

 でなければ私が、織斑千冬という存在が消えてしまう。

 私は目を瞑り指に力を込めた。

 突然訪れた頬を撫でる感触。

 私は閉じていた目を開いた。

 その手は探るように、確かめるようにゆっくりと頬を撫でた。

 彼は私を見ていた。

「千冬、やっと見つけた」

 初めて聞いたその声はとても懐かしかった。

「大丈夫か」

 もう大丈夫だからね、その言葉は音にならず、欠けていた。

 私は声の震えを押さえられず、ただ泣いていた。




 彼は酷い有様だった。

 自身に関する記憶一切を無くしていた。

 何を見てきたのかその瞳は真っ黒だった。

 希望という名の光を失った様に、心も壊れていた。

 彼は頻繁に発作を起こした。

 有る時は生徒の笑い声で。

 また有る時は諍いの声で。

 ある物全てを壊そうとした。

 自分の命でさえも。

 全てを憎み、絶望し、恐れ、泣いていた。

 学長の協力を取り付け、学園本棟の地下、特殊医療施設に隔離した。

 少女しか居ないこの学園に彼は目立ちすぎた。

 彼はこの世に存在しない。

 IS適正も持っていた。

 世間に知られればもう彼とは会えなくなる。

 何より科学という名の下、非人道的な扱いを受ける事は明白だった。

 それを恐れた。


 ディアナは彼の事を知っていた。

 彼を渡せと言った。

 私の詰問に彼女は、私にはその義務と資格があるとしか言わなかった。

 私は拒否した。

 激しく対立する私たちに学長は2人で彼を治しなさいと言った。


 医師の診断では、記憶を失った事により本能を抑制できていないとの事だった。

 治療には極めて原始的な方法がとられた。

 恐怖と痛みと安らぎを与え、命の意味から学習させる、

 野蛮で単純なものだった。

 最初に名前という恐怖を与えた。

 その名で呼ばれる度、彼は怯えた。

 次は力を使って痛みを与えた。

 治療室には彼の絶叫が響き渡った。

 私の肉と血は彼を落ち着かせた。

 有る時は剣で、有る時は腕の中で、何度も何度も与えた。

 治療は困難を極めた。

 ディアナが居なければ彼を殺してしまっていただろう。

 彼の精神状態はそれ程のものだった。


 一ヶ月が経ち、理性は身についたが、喜怒哀楽の感情が欠落していた。

 医師の薦めで学外で生活させる事にした。

 多彩な環境が治療に効果があるとの事だった。

 身を切る思いだったが私の環境がそれを許さなかった。

 自身の立場をあれほど恨んだ事は無かった。

 私は知人でも師でもある蒔岡宗治さんを頼った。

 学園から近い事も理由だったが、

 社の厳しくも暖かい人たち

 大勢いたのが決め手だった。

 当初渋っていた宗治さんに無理矢理預けると、翌日には了解の返事を貰った。

 “機械に話し掛けるバカを世間に出したら犯罪者になりかねない。だからウチでこき使う”

 理解し難い回答だったが、どこか楽しそうな宗治さんの声に安堵を覚えた。

 彼とは良く連絡を取った。

 ディアナは無視していた。

 思い出して貰えなかった事が腹に据えかねたらしい。

 彼に憤慨しつつも寂しそうな顔をしていたディアナに奇妙な親近感を覚えた。

 彼は時々仕事で学園にやってきた。

 学園の少女達に良いように遊ばれる彼を見て、ディアナは憤慨していた。

 私はどうだっただろうか。

 遠回しに会えないかと聞いてくる彼に、私は仕事を理由に断った。

 かって彼と共有した時間は遙か遠いものだった。

 立場も違う。

 年齢も違う。

 そして。

 私は彼の知る千冬では無く、彼もまた私の知る真では無い。

 もうあの時間を取り戻す事は出来はしまい。

 そうするより他なかった。

 だから、彼を真と呼ぶ事はしなかった。


 季節が過ぎ、一夏のIS適正が世間に知られた。

 程なくして彼も知られた。

 学園総出で調査したが情報漏洩の原因は不明だった。

 それは当然だろう。

 調査する当の本人が漏らしたのだから。

 アレテーの真実は私たちのみが知る事だ。

 情報漏洩による審問を知った彼は何度も謝罪した。

 だが苦にはならなかった。

 逆に彼の将来を思うと不安でならなかった。

 その不安は的中し彼はISに携わる事になった。



 そして今日。



 後輩の山田先生が声を掛ける。

「織斑先生、そろそろ入学式が始まりますよ」

 私は了解の旨を伝え、職員室を出た。

 屋上に居るであろうディアナを連れて行く為だ。

 私の気配に気づくと彼女は海を見ながら、

 今更どんな顔すれば良いのよ、そう呟いた。

「いつものように厚かましくしたらどうだ、あいつは気にしないぞ」
「なんて嫌な女。奪い取って見えるところに置いておくんだから。メダルだって彼だって」
「ならどうする? 私の1組に変更しても良いが」
「お断りよ、必ず思い出させるわ、必ずね。今度は離さない」

 彼女はそう言うと踵を返し、その場を後にした。

 屋上から見える風景は桜色だった。

 あれから1年経った。

 これから紡がれる時間は恐らく平穏では居られないだろう。

 体育館で座っている彼の姿を思い浮かべる。

 きっと彼は私の姿を探す、そう想像したら少し意地の悪い考えが浮かんだ。

 よし、入学式は欠席としよう。

 あれほど苦労させたのだ。

 恐らくこれからも苦労させられる。

 多少の仕返しぐらい、構わないだろう。

 不思議な事に、そう思ったら少し懐かしい気分になった。

「しっかりね、真」

 不用意な言葉を漏らし、唇を押さえる。

 私もそれなりに意地っ張りのようだ。

 それなりだ、そう自身に言い聞かせ、職員室にへと足を運ぶ。

 これから始まる騒がしくもあり賑やかな日々に思いを馳せながら。





 To Be Continued?



[32237] 夏休みの2人
Name: D1198◆2e0ee516 ID:ca242084
Date: 2013/02/28 16:33



 季節は夏、8月も日が進み2週目である。世間がそうであるようにこの学園もまた夏季の短い休みに入る。つまりは盆休みだ。学園の性質上、一斉に全員休みという訳には行かず、彼女らは前半後半に分け2交代で休暇を取ることになっていた。

 少女らの声も遠くなった学園の職員室。ディアナは窓から覗く照りつける夏空を、うんざりしながら見た。高温多湿な日本の夏は彼女にとって4回目。この季節に未だ慣れることはなく気分も重くなる。

(この時期だけは過ごしやすいフランスが恋しくなるわね)

 彼女の心中を他所に職員室の壇上では任命式が行われていた。任命する人間が1人、される人間が1人、教頭と真耶だ。

 教頭は耳が隠れる程度に短く緩いカーリーウェーブのヘア。やせ気味だったが、真っ直ぐに伸びる背筋は尊大で、この学園において恐れを成さない者は居ないだろう。瑠璃紺色のゆったりとしたワンピース。黒のメッシュカーディガン。何時もとは異なり女性らしさを感じさせる出で立ちで立っていた。

 光の加減によっては碧色にも見える短い髪、僅かにズレる大きめの眼鏡は幼い彼女の顔立ちを一層愛くるしくさせていた。真耶は裾に黒いフリルをちりばめた淡い黄色のワンピース姿で立っていた。

 彼女は本日を以て一年寮“柊”の寮長に就任したのである。

 一斉にわき起こる拍手の中、不満と不安を湛えているのは千冬だ。黒いスーツに身を包む彼女は、半ば茫然自失の態である。彼女はこの決定が成されて以来この調子だった。己の負担を下げ、他人に任す、彼女にとって初めての事だ。

 IS学園一学期。この四ヶ月は彼女ら教師にとっても激動だった。未遂に終わったとはいえ、福音戦は死傷者をも想定していたのである。そのため教頭は今後同様の事態に陥っても柔軟に対応出来るよう、千冬に余剰を敢えて設けたのだった。

 予備戦力は遊びではない、必要な時に必要なだけ補充出来る余力だ、ディアナも千冬に何度も繰り返し説得したが

「本当にこれで良かったのか」

 と、己の存在意義を問われたかのような状態だった。千代実は同僚の晴れ舞台に感極まり涙を浮かべていた。

(早く終わらないかしらね)

 手間の掛る同期と後輩たち。ディアナはうんざりしながら、だがこれも幸せの形なのだと、僅かな笑みを浮かべ、夏空を見つめていた。


  ◆◆◆


「ん~」

 翌日。夜明けと共に、自室の片付けをし始めたディアナは、休憩がてら朝食を楽しんでいた。何時もならば早朝トレーニングに励む少女たちもおらず、久しぶりの静かな朝だった。

 前半の任期を帯びたディアナだが、休み期間中は平時のように7時半出勤ではない。その空いた時間を利用して4ヶ月分の本格的な手入れを行っているのである。キッチンにバスルーム、ダイニングにバルコニー 要領よく片付け、その有様はまるでショウルームの様だ。

 彼女はコーヒーを飲むと空席のソファーを見た。そこを寝床にしている2人は、共に不在である。ラウラはドイツに帰国。真は一夏の家に居候だ。

(何かとくってかかる小娘だけれど、居なければ居ないで物足りないわ)

 “恥を知れ卑怯者め”“お前の水着はやはりGストリングスか?” 改めて聞けば聞くほど、部を弁えない言いようである。当初憤慨していたディアナも、臆することなく面と向かって言い切ったラウラにある種の親しみを感じていた。ディアナに喧嘩のような、挑発を仕掛ける女性は千冬を除けばラウラのみだ。

(帰ってきたらまた、からかってやろうかしら。でもそうするとまたあの人が止めるのかしらね……そう。それが良いわ。そしたらあの人も一緒にからかえる)

 彼女が思い出すのは、ディアナのはだけた服を、必死に抑える真の顔である。それは真っ赤に染まった困惑の表情。自然と笑みがもれた。

(あぁ、本当におかしい。見たどころか何度も触れた身体なのに)

 はたと気づく。千冬の任期は後半、つまり一週間後だ。その彼女の帰省先は学園から目と鼻の先の織斑邸。真が居候している一夏の家である。

(だ、大丈夫よね、あの2人は不器用なうえに一夏も居るから)

 ディアナの脳裏によぎるのは、草木も寝静まった薄暗い廊下。一夏が眠りについたその後で、その廊下をゆっくりと歩く人の影。ぎしりぎしりと足音が鳴る。真の部屋に現れたのは、何故か頬を染め枕を持った千冬の姿だった。真ではなく千冬なのがミソである。

(……)

 ディアナは黙って、一つ汗を掻くと勤務外外出申請書を取り出した。シャルロットといい、ディアナといいフランスの女性が皆が皆妄想癖を持つ、のかどうかは定かでは無い。


  ◆◆◆


 場所は変わりその織斑の家。板間の居間で寝転ぶのは一夏と真であった。2人はじっと屋外を見る。そこには縁側と、庭と、塀と白い雲、蒼い空、真っ白な太陽。今日は本格的な夏日であった。開いたガラス戸からは容赦なく熱気が忍び寄る。もちろんエアコンは動いていない。黒のハーフパンツに濃紺のタンクトップ。俯せになっていた一夏はこう言った。

「なーまことー」
「なんだ」
「やっぱりエアコン付けねーか」

 この2人はアイスを賭けて我慢比べをしているのである。黒のTシャツ、カーキ色のハーフパンツ姿で、真は仰向けになっていた。左腕の義手、アクチュエーターが熱を持つので相応に暑い筈だが、

「なんだもうへばったのか」

 一夏より余裕があった。

「だってよー」

 やっぱり熱いと、一夏が起き上がれば床が湿気っていた。大量の汗である。

「お前良く平気だな。前んとき熱帯ジャングルの任務で慣れたのか?」
「それもあるけれど、前の日本はもっと暑かったぞ」

 2人が言っている前とは、真がやって来た先の日本である。からかわれているのか、そう思い真をみれば存外真面目の表情だ。一夏は腕と足を組んだ。興味を持ったのか食いついた。

「マジか?」
「マジだ。今は30度ぐらいだろ? あちらの酷い時なんか35度ぐらいになってさ、死者も出たんだ」
「うは。異常気象か?」

 真はゆっくり起きた。脚を立てる。

「あぁ。原因は一応不明だが、夏と冬の寒暖の差が著しかった。だからこっちは随分楽だ」
「なんだよその一応ってのは」
「人間の環境破壊が原因、と言う説が有力だったんだ。何処も誰も止められなかったけどな」
「なんで?」
「なんでだろうな。後進国は先進国を真似ているだけだと言い、先進国は後進国に決まりだけを押しつけようとした……・各国個人の利害、環境活動の利権化。そんなこんなでズルズル悪化していった。兵隊だった俺が非難出来ることじゃないけどな」

「誰も、あっちの日本人は止めようとしなかったのかよ」

「皆そう思っていたさ、行動を起こしていた人も居ただろう。けれど先進国を規制しても大した効果無いんだ。大量に排出している所を抑えないといけない。でもそれは得てして後進国だし、それは経済活動を抑圧することだし、木材が売り物になるなら森林の伐採だってするし、焼いて畑にするし……こうした国対国の問題だと早々話は進まないよな。そうそう、各国に割り振られたCO2排出許可量を金に換えて売買する笑い話があったんだが聞きたいか?」

「いや、いい。胃に穴が開きそうだぜ」

 一夏は寝転び真は窓の外を見た。風が入り風鈴が鳴る。セミが鳴いていた。

「その点こっちはもうすぐ内燃機関の自動車ですら世界規模で規制される。皆が皆協力出来ている。本当に何でだろうな。同じ人間なのに」
「その辺にしておけよ、こっちだって楽園じゃないんだ。それに真、もうお前はこっち側なんだぜ」
「あぁ……もうこの世界に必要ない情報だもんな。なぁ一夏。アイス食うか」
「そーだな。なんか馬鹿らしくなってきた」

 一夏が立ち上がり、ソーダ味のバーアイスを二本冷凍庫から取り出すと、2人同時に食べ始めた。頬張りながら一夏が言う。

「今日昼飯どうする?」
「なんでもいい」
「張り合いねーな。千冬ねぇならちゃんとリクエストするぞ」
「一夏の飯はどれも美味いからな。何出されても文句なんて無い」

(つってもな……もう11時か。へたに仕込むと昼食が遅れる。真の体調はまだ完全じゃないし、リズムを崩すのは芳しくない。簡単なものだと栄養バランスが……)

 ふーむといつになく考え込む一夏。一夏の思慮を知ってか知らずか、真は指に付いたアイスの溶けた汁を舐めつつこう言った。

「なら食いに行くか。俺が奢る」

 そいつは妙案だと一夏はすっくと立ち上がる。

「なら良いところがある。弾の家に行こうぜ」
「なぜ?」


  ◆◆◆


 五反田食堂とはその名の通り蘭と弾の実家である。また、2人の祖父であり一家の主である五反田厳が厨房を取り仕切っている食堂でもあった。

 セミがけたたましく鳴き声を上げる中、真は多少面食らったようにその建物を見つめていた。一般的より大きめな2階建ての一軒家で、一階部分の一画を食堂としていた。壁は鳥の子色(淡い肌色)で青藍色の屋根。

“食事処 五反田食堂”と垂れるのれんは威風堂々。

 真は「知らなかった」と呟いた。「言ってなかったか?」一夏は何処か自慢げだ。

「初耳だ」
「それならさっさと入ろうぜ。はらへった」
「あぁ」
「いらっしゃいませー って一夏君じゃない。久しぶり♪」

 出迎えたのは五反田兄妹の母であり、自称看板娘の五反田蓮だった。愛嬌良し気立て良しで割烹着の似合う美しい婦人である。

「ご無沙汰してます。蓮さん」
「はい。ご無沙汰。そちらの子は?」

 初めて見る一夏の佇まいと、時子を彷彿とさせるその雰囲気に、戸惑いながらも真は、

「蒼月真です」

 と会釈した。蓮は目を輝かせながら、こう言った。

「そっかー 君かー うっわー 前から会いたいと思っていたのよー♪」

 急にテンションの上がった蓮に、真はたじろいだ。自分の名が世間に少なからず知られている事を思い出し「お、恐れ入ります」と応えたが、それは若干間違っていた。何故ならこれから続く展開は彼の予想を超えていたのである。

「お父さんー! 蒼月君来たのよー! あのまこと君よー!」

 片手で拡声器を作る蓮。向くのは店の奥。小さなのれんが波打てば、現れたのは白い調理服を腕まくり、見える両腕は筋骨隆々。赤銅色の坊主頭。齢80にして未だ壮健。五反田厳だった。

 予想外の展開に、呆然としていた一夏を他所に、厳はゆっくりとだが重厚に歩み寄る。真の顔を睨み上げた、鉄黒色の双眸が光る。

 彼の目に映るのは、左腕が義手、左頬と首元に傷を持つ、少年だが青年、年老いたが若い、相反する、ちぐはぐな感じのする少年だった。ただ一つ、その中に確固たる何かを持っていた。

 厳はのそりと言った。

「ほーぅ。聞いていたより随分いい面だ。宗治の奴、適当なことをほざきやがったか」
「おやっさんをご存じなんですか?」

 思いもしない名前に、真は見開いた。

「ご存じも何もあの機械馬鹿とは40年来の付き合いよ。一夏も良く来た。ゆっくりしていけ」

 のそりのそりと厨房に戻っていく厳の広い背中を見送ると、一夏と真は蓮に促され、なんと反応して良いのか分からずに席に着いた。

「おい馬鹿」
「なんだ阿呆」
「何で言わなかった」
「俺も知らなかった」

 この業界は狭い。打ちのめされんばかりに思い知らされた2人だった。

 気を取り直し注文した“業火野菜炒め”を2人揃って食し、食べ終わるころ弾が自室からやって来て、彼の部屋でビデオ・ゲームに興じて、2人揃って真を瞬殺して、見かねた蘭が何故か弾のみ迫害した。

 真は涙を堪えながら。

「弾は本当に蘭に弱いんだな」

 一夏は腹を抱えながら。

「弾は何時もこうなんだ」

 弾は泣きながら吠えた。

「真も姉か妹持ってみろ! 絶対こうだ!」
「いる。小柄だけれど大きくて優しい妹が」
「嘘だろ!? そんな優しい、否! 厳しくない姉妹など認めない!」

「おにぃ! うるさい!」

 蘭の怒声に肩身をよせ、縮こまる弾。突如始まった一方的な兄妹喧嘩。それは真にとって、霞んでしまうほど古く、懐かしく、そして余りにも新鮮な出来事だった。涙を流しながら笑う真を見て、一夏は弾にこう言った。

「弾、サンキュ」
「何がさんきゅーだ! 嬉しくない! 俺はぜんぜ嬉しくないないからな!」

 笑いが満ちていた。


  ◆◆◆


 夕暮れの学園都市、五反田邸からの帰り道である。手にするのは夕の食材、それを手に2人は静かに歩いていた。ガサリがさりとビニルの袋の音だけがする。黙って歩いていた2人だったが、真は唐突に足を止め、振り返った。

 赤く染まる空と雲。黒く染まる民家、それに灯る穏やかな明かり。どの家も食事の用意に奔走しているだろう。誰もが持ち得る、貴い人々の営みが2人の周り全てにあった。

「真行くぜ」
「あぁ」

 一夏は真を促した。真は小走りで駆け寄り、共に歩き出す。真はこう切り出した。

「なぁ一夏」
「んあ?」
「今日は楽しかったな」
「……そうだな」
「また弾のところに行こう」
「おぅ」
「一夏には感謝の言葉がない」

 相変わらずの真の態度に今度は一夏がこう切り出した。

「なぁ真」
「なんだ」
「こういう時は“ありがとう”っていうんだぜ?」

 悪びれもなく、静かな視線を投げる一夏の横顔。

「ほれ、言ってみろよ」

 眼を泳がせつつ、何度か言葉を失いつつもこう述べた。

「あ、ありがとう」

 一転、意地の悪い笑みを浮かべる一夏だった。

「なんだその顔は……」

 腕を後頭部で組んで一夏は言う。

「べっつにー あの真様が随分素直になったなーってよへばるばっ!」

 初期動作のない、一夏の知覚外からの奇襲である。真の拳が一夏の顔面を捕えていた。

「調子に乗るなこの馬鹿一夏! 人が下手に出ればいい気になりやがって!」

 一夏は真の右腕を掴み、拳越しに薄ら笑いを浮かべた。夏だというのに、鳥肌が立つほどの殺意がひた走る。辺りの虫々が鳴くのを止め、鳥の一群が空高く去って行った。

 それを合図に一夏の豪腕が周囲の空気を切り裂いた。疾風が巻きあれる。極短時間生じた空気圧力差による刃。かまいたち。触れてもいない筈の真は空圧に吹き飛ばされ、10メートル以上後退した。真の靴底が焼け焦げた臭いを放つ。

「……だーれーがー 下手に出てやがる! この阿呆真! ちったー謙虚になったと思ったら相変わらず態度でかいな! この一夏様がまた教育してやる!」

 真は、蒼白く光る左の義手を前に、右腕を後ろに回し、重心を落とす。かまいたちにより生じた、血が滴る右腕の亀裂、見る間も無く塞がった。

「威力もあるし、速さもある。だが相変わらずそれだけだ……一夏、謝るなら今のうちだぞ」
「くそったれ」
「「……」」

 頭上に鴉の大群が舞う。2人は踏み込んだ。

「「上等ーーーー!!!!」」

 2人が間を詰めたのは瞬きほどの時間。2人が拳を掲げ打ち振るったのは刹那の刻。

「やめなさい」
「「ぐぇーー!!」」

 ディアナの糸が2人に絡んだのはゼロ近似の時間だった。首に絡んだ糸は、まず2人を引き離し、腕、胴、脚と順次絡み、芋虫2匹の完成である。彼女は右手の甲を口元に、指を小さく震わしながらこう思った。

(今のこの人はこんな状態だったわね、案ずるまでもなかったわ……)

 美しい表情に苦悩の色が浮かぶ。

「ディアナさん落ちる! 今度こそ首が落ちるぅぅ!」

 真に喰い込んだ糸は、彼の表層組織を切り裂くも、切った先々からナノマシンが再生するので切り刻めないでいた。

「リーブス先生ちょ! チョークチョーク!」

 一夏を取り巻く糸は、彼の表層組織に喰い込むも、内側より錬られた氣の力場に阻まれ切り刻めないでいた。

「2人とも反省しなさい。こんな街の中で暴れて、人的被害が出たらどうするの」
「しますします! ほら一夏も謝れ!」
「もうしません! ってなんで俺だけ!」
「もって言ったろうが! “も”って!」
「嘘つけ! 俺にだけ謝らせる腹づもりだろうが!」
「毛頭無いわ! 器が小さいぞ罷免英雄!」
「語るに落ちたな底なし沼英雄が!」
「リズムが悪い!」
「知った事か!」

 頭突きに、ボディプレスに、膝打ちに、器用にプロレスを始める芋虫2人。ディアナはこめかみに血管を浮かせながら力を込めた。

(これって詐欺よ)
「「ぎゃー」」

 ひとしきり締め上げ気が済んだのか、ディアナは2人を解放した。脱兎の如く逃げ出した2人が見た物は、湯上がりバスタオル一枚で立つ千冬の姿。日頃の厳格な立ち振る舞いと裏腹に、可愛らしい悲鳴を上げ、2人を吹き飛ばした。

 英雄のプライベートとはこんなものかもしれない。


  ◆◆◆


【静寐の補足】
 数名の方から静寐には、真を諦めないで欲しかった、もっとがんばって欲しかったとコメント頂きました。恋愛的な意味です。彼女が諦めた契機はセシリアに対する敗北だった訳ですが、この敗北があったからこそ一夏の説得に力を持った訳です。

 もし彼女が諦めていなかったら、対真戦に敗北し、失意のどん底にいた一夏を励ます者が誰もおらず真は死んで、結局は上手くいかなかった……酷い話ですね(汗


【二期】
 手間取ってます。今ストーリーの本筋を考えていますが、どうにもチープでリテイクを繰り返し中。

【他】
 オリジナル板にて1次を一本書いています。俺Tueee物ですが、宜しければどうぞ。



[32237] 過去編 布仏虚1
Name: D1198◆2e0ee516 ID:ca242084
Date: 2013/03/26 21:55
 過去編です。短編です。一部の読者の方々お待たせしました先輩ズの出番です。なお一夏たちの出番はありません。真の出番も少なめ。


  ◆◆◆


 夏休みが終わり、学園の少女たちから間延びした空気が抜けた頃。2年4組の教室から空を見上げる少女が1人いた。

 学園を象徴する白地に赤のラインが入った制服は、長い袖と膝下まであるスカートで、何処か重苦しい装いだった。肌は薄卵色、唇は朱に染めて、長く淡い栗色の髪を結い上げていた。縁なし眼鏡を付けていた。

 その面持ちは可憐と言うよりは綺麗、愛嬌よりは知的さを醸し出していた。例えれば、咲き乱れる鮮やかな花よりは、ひっそりと静かに咲く竜胆(りんどう)の花が相応しい。布仏虚である。彼女は雨の空をじっと見ていた。

 その日は朝から雨が降っていた。強くも無く弱くも無く、夏の余韻を掻き消すような冷たい秋の雨だった。彼女は溜息をつくわけでもなく、歌を歌うわけでもなく、ただ曇天とした空を見上げていた。

(五月病ならぬ九月病かしら、早く止まないかしらね……)

 虚の背後から、少女が一人覆い被さるように抱きついた。

「うつほがー アンニュイになってれーる」

 肩に掛る程度に長い、どこかリスを連想させるブルネットヘアーの少女。2年1組白井優子である。袖の長さは同じだが、スカート丈は膝上数センチ以上、殆どミニスカートだ。学園の制服は公序良俗を逸脱しない範囲でカスタマイズが認められている。彼女は動きやすいからと公言しているが誰もそれを信じていない。

「止めて優子、暑苦しいわ」
「もう秋だよー 人肌恋しい季節よねー あー ボーイフレンド欲しいー 何で学園は女子校なのかしらー」
「ここは4組よ、少し頻繁に来すぎじゃない?」
「うつほがー 寂しがっているかなって心配してるのー」
「たった今、人肌恋しいとか言わなかった?」
「そうなのよー ねー うつほー 誰か紹介してよー もうあんな冷たい夏休みはこりごりー」

 虚は溜息をついた。彼女とて人の子である、16歳の少女である。優子の纏わり付くような願望が分からない訳では無い。話せば嬉しいだろう、一緒にでかければ楽しいかもしれない。ただ、そこまで固執するものか、彼女にはそれが理解出来ないのだった。

 優子が色恋沙汰の話題を振ったせいで日頃温和しい整備科のクラスがざわめき始めた。教室の片隅から黄色い声が上がる。1クラス30名、全員が異性に縁が無い、そういう訳では無さそうだ。

 同期の成功話を聞いて、どこか落ち着かなくなる虚だった。優子はますます凹んでいた。

「私だって紹介出来るような人知らないわよ」
「虚のおじいちゃんの会社の人とかさー」
「一番若くて25歳よ」
「良いじゃない、同い年なんて子供っぽいし」
「年が離れすぎという意味」
「こうなったらオジサマでも良いわよー」
「ねぇ優子、そこまで急ぐ事かしら」
「虚はのんびりしすぎよ。乙女の10代なんてあーっというまに過ぎちゃうんだから。すぐ20代になって30代よ。いい? 特にISに携わる娘ってただでさえ嫌煙されがちなんだから、受け身なんて駄目。攻めないと。

 あー もう。世の中の男どもって本当にだらしないわよね。お高くとまりやがってとか、可愛げが無いとか、ひがみ妬み、そんなんばっかり。織斑先生とリーブス先生をみなさいよ。あれだけ美人なのにカレシ無って、ヘタレす、もが」

 友人の長い陰鬱としたフラストレーション、その捌け口にされては叶わないと優子の口を塞いだ、その時である。空を見ていた虚の視界に人影が映った。その影はこのIS学園ではまず見る事が出来ない人影だった。だから。彼女が眼鏡の位置を整え見直したとて無理は無い。

 学習棟の3階、その窓から見下ろす煉瓦色の舗装道路。雨の中を走るわけでもなく、傘を差すわけでもなく、ただ歩いている少年が一人居た。青いツナギ姿でビニルのファイルケースを持っていた。

「あ、男の子だ」

 一人の少女がぽつりと呟いた。それを聞いた別の少女が呆れた様に言う。

「真希、嘘つくならもっとマシな嘘つきなさいよ」
「嘘じゃ無いってホントだって」
「まったくもー カレシ欲しさにとうとう幻覚を……うそっ!」
「うっわー マジだー 男の子だよ男の子」

 その少年には随分と特徴が有った。短めの黒髪に黒眼、これはいい。浅黒い肌も珍しくない。彼女らにとっては随分高く見える、平均より高い身長も許容出来る。一目で目を引くのは、表情だった。えぐるような目元、夜の井戸を覗いたような瞳、見る者全てを萎縮させるような容貌だった。

 我先にと窓に詰め寄った少女たちは、一斉にトーンダウンしていた。

「……なんというか、凄い怖そうだね」
「というか、暗そう?」
「20歳ぐらいかな」
「私パスー」
「というか、あの人誰? 痴漢? 変質者?」

「胸に許可証付けてる」 優子が、虚の肩越しにそう言うと皆が見直した。虚は何も語らず静かに見下ろしていた。

「あ、本当だ」
「多分業者の人だ、私何度か見た事があるよ」

 一際大きな声が響く。それは彼女ら2年生のもう一つ上の階からだった。

「おおーい、まことー 良くきたなー」

 IS学園学習棟、全学年12クラス、360名。奇異の視線をものともしていなかった少年が初めて、立ち止まりその顔を上げた。雨に濡れたその顔は彷徨う亡霊のように見えた。彼は小さく会釈をする。

「後で行くからー ハンガーで待ってろー」

 頷き立ち去る少年を他所に、クラス中が騒然とし始めた。

「今の声、貴子先輩?」
「あの腹に響く声、間違いない」
「そっか。貴子先輩のお手つきか」
「先輩にそう言う人が居たなんて、私大ショック」
「ジェシカって本当に先輩大好きっ子だもんね」
「先輩も心が広いというか、もの好き?」

 幼なじみだ、親戚だ、騒ぐクラスメイトたち。虚の肩に顎を乗せていた優子がこう言った。

「あのツナギ、虚の家のに似てなかった? ……虚?」
「……いいかも」
「え」

 頬を染めて、握る拳は口元に。初めて見る友人の様相に優子は口を開けるしかなかった。

 これが虚と真の最初の出会いである。もっともこの時点で真が虚を認識していないのは言うまでも無い。


  ◆◆◆


 IS学園は三浦半島最南端にあるという地理的性質から、世間と隔絶されている、そう考える人が少なからず居る。もちろん実際は異なり、認可制とは言うものの、色々な人間が出入りする。

 食材から日用品、文房具から体育用品、衣類に最低限の化粧品、それらを卸す人たち。そしてもっとも関連が深い、IS関連の業者だ。

 戦闘機にしろ戦車にしろ、強度的な安全マージンが小さい機械は小まめな整備を必要とする。無くては直ぐ不調を来たし、性能を発揮出来ないばかりか、最悪機能停止に陥る。空と大地を駆け、激しく戦火を交えるISならば尚更だ。

 一部の少女が持つ専用機の整備は基本的にそのメーカーが担うが、学内にある訓練機は、整備科の少女たちがその任を負う。ただし、少女たちもまた訓練中のため、難易度に応じて外部の企業に依頼または協力を仰ぐ事がある。蒔岡機械株式会社は整備改造が依頼される企業の一つだった。

 IS学園ハンガー区画 第7ハンガー 工具やら測定器やらが立ち並ぶその一画で、天雫を滴らせる後輩を見下ろしながら、蒔岡の技術主任である渡辺裕樹は溜息をついた。

「真」
「はい」
「なぜ傘を持っていかなかった」
「指示にありませんでした」
「普通、雨の日には雨具を使うものだ」
「“急げ”の指示を優先しました」
「傘を探す時間が惜しかったと?」
「はい」

 裕樹は両の手を腰に当てこう辛抱強く続けた。

「書類が濡れたら事だろう」
「ビニルのファイルケースがあります、問題ありません」
「濡れた身体では機材を濡らす」
「作業までまだ時間があります。また滴らなければ問題ありません」
「身体が冷えれば体調に異常を来す」
「指示を優先しました」

 この少年と出会い、幾度となく繰り返したやりとり。彼は己の身に降りかかる火の粉を払おうとしない、それどころか進んでそれを浴びる傾向がある。雨の中を歩く事など可愛いものだ。先日など分子分解構成機の中に、電源を入れたまま入ったため流石の裕樹も手を上げたが、全く効果が無かった。

(本当に厄介な事だ)

 更に何か言うべきか、思案する裕樹に真耶は恐る恐る歩み寄る。彼女は裕樹が苦手だった。

「ま、まぁまぁ渡辺さん。蒼月君も反省しているようですしこの辺で……」

 山のような大男に見下ろされ真耶はたじろいだ。思わず真の背後に回る。彼女はその醜態に気付き、真を振り向かせ肩に手を置いた。目が潤んでいるのは気のせいでは無いだろう。

「良いですか蒼月君」
「はい」
「傘を探す労力と雨に濡れたあとの後始末、この労力を天秤に掛けて下さい。最終的に傘を探した方が少ないと思いませんか?」

 立てた人差し指を突き付けられた真は、暫しの沈黙のあと静かに頷いた。真耶は恐る恐る裕樹を見た。彼は渋々とこう言った。

「真、着替えてこい。山田さん申し訳ありませんが、」
「はいっ では蒼月君。こっちに来て下さいねー」


  ◆◆◆


「あーっはっはっは♪」

 豪快な笑い声がハンガーに響き渡る。彼女の名前は黒之上貴子。波打つ銀の髪はゆったりと腰まで伸びて、スラリと伸びた肢体は少女たちを見下ろすほどに高かった。一見、牝鹿を想像させる出で立ちだったが、釣り上がった眼は鋭く光り、彼女を評するのであれば獅子が適当だろう。3年操縦科主席にして生徒会長。学園最強を自他共に認める女傑である。

 その彼女に笑われている真は、学園のツナギ姿で立っていた。彼は通常あり得ない格好をしている自覚はあったが、何がおかしいか理解出来なかった。

「……そんなにおかしいですか?」
「んむ、愉快愉快♪」

 白地に赤のラインが入ったデザインは、学園外にでも広く知られている。事実上少女たちのものだ。それを真が着ていて、思いの外違和感が無い。それは彼女にとって愉快極まりない事だった。

 涙を浮かべ、また笑い出す。目尻に溜まったそれを指で拭う。つられて他の少女らも笑い出した。僅かに憮然とした表情を見せた真の背中を数回叩いたあと、眼差しを整え渡辺裕樹に向き直った。

「渡辺さん、本日はありがとうございます」 貴子に裕樹は頷いた。
「前回打ち合わせした部品は仕上がっている、これから作業に取りかかるが構わないか?」
「えぇもちろん。“みな”も準備万端です。こちらへ」
「真、一式もってこい」
「はい」

 真は駆け出し、部品や工具箱をのせてある台車に手を伸ばした。3年生の一人が壁に埋め込まれたパネルに手を伸ばす。ゆっくりとハンガーのゲートが閉じ始めた。

「あぁ閉まっちゃったー」

 反対側のハンガーに潜み、覗いているのは2年1年混成の少女たちだ。その中には優子、虚と言った面々が並ぶ。そして、

「それで何故俺がここに?」

 銀の髪、褐色肌、ショートカットのダリル・ケイシーである。彼女は不満顔だった。

「連れない事言わないでよ、どうせ暇でしょ?」
「暇って、優子お前なー」

 ダリルと優子は操縦科2年トップの座を巡って切磋琢磨している間柄である。ダリルの不満はもっともだった。加えて、優子は学内専用機を勝ち獲る為に日々猛勉強中だ。彼女こそ暇など無い筈だが、何処吹く風で飄々としたものである。

「虚の為よ、少しは協力しなさいって」
「……へいへい」

 虚と共に隙間から覗く優子の後ろ姿を見て彼女は溜息をついた。

(この空気に何時も騙されるんだ優子には……・)

 ISに乗ると性格が変わるという意味である。

「それで虚はあいつの何処が良いんだ? 学園のツナギ着てたし、女装癖でもあるのか?」 ダリルから見ても真は厳しいようだ。
「年上社会人だからじゃない?」 優子の弁明も苦しい。

「……」 当の虚は閉じられたゲートを見つめながら貴子と真のやりとりを思い出していた。口調、仕草、アイコンタクト。もてる能力を振り絞り、二人の間柄を分析をする。彼女の頭の中で軽く甲高い電子音が鳴った。右手を握りしめ小さくガッツポーズ。

(少なくとも現状、らぶらぶではない。ただし今後は不透明。仲の良い男女は恋仲にいたる可能性大、要注意)

 叔母である時子か思い切って裕樹に聞いてみようか、はたまた紹介して貰おうか、そう考えていた時である。褐色肌で銀髪二つお下げのフォルテ・サファイアが現れた。1年3組クラス代表。

「先輩方ー 索敵終了ッス」
「お疲れ、何か分かった?」

 優子が顔を上げる。

「名前は蒼月真、蒔岡機械株式会社の社員で貴子先輩の機体を担当しているみたいッス」
「名前以外見たままじゃねーか、他に新情報無いのか」 フォルテもあきれ顔だ。
「あと同い年ッス」
「17? ひょっとして16じゃ無いでしょうね」 優子の懸念に虚も顔を上げた。
「いえ、自分と」

 静寂が訪れる。一拍。虚が目も虚にこう聞いた。

「……15歳?」
「はいってどうかしたんスか? 鳩が豆鉄砲喰らったような顔ッスよ」

「「「年下っ!?」」」


  ◆◆◆


 当初、真がISワールドに来る前を書こうとも思ったのですが、余りにも暗すぎるので止めました。2013/03/26

【以下作者のネタバレかもしれないぼやき】




























 原作で、虚は弾に一目惚れしたので真でも良いかなぁと。



[32237] 過去編 布仏虚2
Name: D1198◆2e0ee516 ID:ca242084
Date: 2013/03/29 20:30
 場所は移り楓寮の食堂で3人は朝食を取っていた。4人掛けのテーブル、優子はハムエッグ定食、ダリルは焼き鮭定食、虚はサンドイッチだ。見上げれば窓から朝日が射し込んでいた、快晴だった。

 衝撃の事実発覚から一夜が過ぎた。クラスの異なる3人であったが、今後の対策を練るため、虚のためと集まっていた。3人は1年の時同じクラスだったのである。ダリルは味噌汁をすすりながら、真正面の虚を見てこういった。彼女はじっとサンドイッチの載った皿を見下ろしていた。

「虚のじーさんの部下なんだろ? そっちから攻めた方が簡単だ」

 優子は卵を崩して、ちらと横の虚を見た。虚はやはり見下ろしていた。

「おじいさん厳しい人みたい。うちの孫に触るんじゃねー ってそんな風」
「ならヤマヤに頼んでみるか?」
「見習いとは言え教師だし、止めておいた方が良いんじゃない? それより同じハンガーに出入り出来る立場を利用するってのはどう?」
「俺ら2年生は11月からだ」
「見学ぐらい出来るでしょ」
「それじゃ話せないだろ」

 ふーむと腕を組み首を傾げる二人。沈黙が訪れる。ちらりちらり、2人は虚を見た。箸でつまんだハムは落ち着きなくひらひらと、優子はぎこちない笑いを作りこう言った。

「いやー それにしても年下とは驚いた。絶対年上だって思ったのに」
「老け顔に強面とはある意味貴重種だな」
「それ酷くない? せめて大人っぽいって言いなさいよ」
「ちょっと言いすぎたか?」

 二人はあははと笑いあったあと溜息をついた。

「で、虚は何時までフリーズしてるんだ」
「ねー うつほー どうするのー やめとくー?」

 肩を掴まれゆさゆさと。彼女はサンドイッチを見つめたまま、止まっていた。焦点定まらぬ眼で宙を見つめていた。

 真偽の程は分からないが、女性というのは甘えさせてくれる男性を好む傾向があるそうだ。例えば自分を否定しない、例えば理論的な指摘をしない。我が儘を聞いてくれる、気遣ってくれる、そして話を聞いてくれる。欲しているモノを与えてくれる相手、精神的成熟が遅いと言われる男に当てはめると、年上になるのは自明の理だ。

 子供から女性へ移り変わる途中の少女たち。彼女らにとってもそれは無縁ではなく、現実的な虚は、現実的であればこそ、無意識にそのような相手を求めていた。もっとも都合良く行かないのは世の中の常である。

 幼い頃より才女として名を馳せてきた彼女は、初めて壁にぶつかったのであった。理想と現実の折り合いが付けられないでいた。

 ダリルが「一目惚れした相手が年下ってぐらい良いだろ別に」と言った。ぴくり、と虚の身体が揺れる。優子が「ダリィは年下OKなんだ」と意外そうに答えた。ぴくりとまた振れた。「いや、俺はごめんだな」ぴくり「また他人事に言うし」ぴくぴくり「他人事だろ」

「だったらダリィはどんなのが良いのよ」
「やっぱり年上で、スポーツマンで、頭は並で良いけど機微と機知に飛んで、度胸がある背の高いナイスガイだな」
「どれだけ理想高いのよ、現実みなさいよ」
「理想は高くあるべきだろ」
「妥協すると際限が無い?」
「もちろん」

 どっと笑い合う2人。虚はすっくと立ち上がった。優子が恐る恐る彼女の名を呼ぶと、彼女は眼鏡を光らせこう言った。

「貴子先輩の所に行って来るわ」

 慌てて止める友人を振り切って彼女は歩き出した。


  ◆◆◆


 黒之上貴子という人物を学園で知らぬ者は居ない。モデルのようなスタイルはもちろんのこと長く緩く波打つ銀髪は美しく、銃を持って良し、ペンを持って良し、料理に生花と、文武両道才色兼備を絵に描いたような人物である。ただ一つ、難点をあげるとすれば騒ぎを起こすのが三度の飯より大好物と言う事だ。

 その彼女と真の出会いは、9月初旬、新学期が始まって早々の事である。ハンガー内の小さなミーティング・ルーム、既に面識があった渡辺裕樹に連れられた彼は無表情に立っていた。

 千冬から事前に聞き及んでいたとは言え、他の少女たちと同様に、彼女もまた反応の薄い真を毛嫌いしていた。なにを考えているか分からないと、薄気味がっていたのである。

 とはいえ。IS関連では一流企業である蒔岡機械の人間である真だ。水が会わないという理由で彼を無視をするわけにもいかず、じっと耐えていた。“渡辺さんの部下、薄気味悪いですね” と言うわけにもいかなかった。

 そして、真が学園を訪れて数回経った頃。彼が15歳だと聞き及んだ貴子は、とうとう裕樹の目を盗みハンガーの外に連れ出した。

 彼女とほぼ同じ背格好の少年はただ立っていた。笑うわけでもなく、困惑するわけでもなく、ただ黒い眼を彼女に向けていた。人目に付かない場所に引っ張り込んだは良いものの、彼女はどうしたものかと困ったように首を傾げてしまった。

“……”
“……”

 風がさあと吹いた。空には鷹が一羽、哨戒する様に飛んでいた。

“お前は人に促されないと挨拶も出来ないのか”
“こんにちわ”
“そうじゃなくてだな”

“……”
“……”

“名前は何という”
“蒼月真”

“私の名前を言ってみろ”
“黒之上貴子”

“私をどう思う”
“黒之上貴子”

“……自己紹介を一つ”
“あおつ― ”
“いや言わなくて良い”

“……”
“……”

“エイーンって”
“えいーん”

“……”
“……”

“なにか自発的に言ったらどうだ!”
“指示は具体的にお願いします。曖昧な指示というのは―”
“だまれ”

“……”
“……”

“ジョークぷりーず”
“A列車はええ列車”
“……ゲーム?”
“Jazz”
“Jazz聞くのか?”

 彼女は詰め寄り、彼は頷いた。

“お好きなプレイヤーはどなたでしょうか”
“ハンク・ジョーンズ”
“合格!”

 真が居なくなった、千冬がその連絡を受けたとき、2人はJazzトークで盛り上がっていた。Jazzが好きだという少女は学園に、少なくとも彼女の周りには殆ど居らず、話し相手が出来た事は彼女にとっても幸運だったのである。

 それ以来2人は同好の士として、拳骨を共に受けた仲として懇意にしだした。また彼女はそれを公言し、真の学園内、少なくとも関わるメンバー内での地位向上に努めた。千冬には貴子が一方的に遊んでいるだけにしか見えなかったが、情操的に良い影響が出るだろうと、複雑な心境ではあったが黙認した。事実、僅かずつではあったが、真の表情に揺らぎが見え始めていた。


  ◆◆◆



 虚が“1006”と刻まれた部屋の前に立ち、一つ息を吸い吐いた後こんこんと二つノックをした。中から複数の気配が動く。

 IS学園楓寮、2年3年の少女たちが日々を営むこの建屋は、1年寮の柊より3フロア高く、敷地面積も大きい。そしてその10階の6号室“1006”と刻まれたのは貴子の部屋であった。廊下と平行して並ぶ二つのベッドと小さなキッチン。ユニットバスに壁に向かい並ぶ二つの机。作りは柊寮と同じだ。

 扉が開きその部屋を見渡すと、虚は日を改めますと部屋を出たくなった。その部屋には主である貴子はもちろんの事、貴子の同室者や上級生、同級生までも居たのだ。総勢8名ほど、さらし者である。

 日々噂の絶えないIS女学園、どのみち遅かれ早かれ知られるのだ。ようやくの決心を崩してはならないと彼女は促されるまま椅子に腰掛けた。貴子はベッドの上であぐらを掻き、彼女をじっと見ていた。虚にはその顔が見つけた玩具を我慢する子供の顔に見えた。

 貴子は毛足の長いふんわりとした素材の、横ストライプのカットソーに、ボトムはデニムという活動的な装い。虚は象牙色のマキシワンピースでゆったりとした格好だった。貴子は腕を組んでこう言った。

「ほう、つまり真を紹介して欲しいと?」
「はい」
「なぜ?」
「一身上の理由です」
「惚れたか」
「ISに携わる者同士彼には何か光る物が― 」
「フォルテから聞いた」
「「……」」

 虚は絨毯に両膝を突き、三つ指添えて深々と頭を下げた。

「は、恥を忍んでお願い申し上げます」

 きゃあきゃあと黄色い声に耐えながら虚が見上げると、貴子は一転、うすら笑いを消してうーんと唸っていた。眉を寄せ口はへの字。どこか歯切れが悪い。

「虚。あいつは普通とだいぶん違う。安易な気持ちでは叶わないぞ」
「あの、もしやとは思ったのですが。貴子先輩は彼と付き合っていらっしゃるのでしょうか」
「そういうわけじゃないんだが、姉御の事もあってな……」
「織斑先生がどうかしましたか」
「ふむ。条件を付けよう。あいつを驚かせたり、動揺させたり、笑わせたら紹介してやる」
「それはどの様な意味でしょうか」
「そのままだ。真は情緒が希薄でな、私らも手を焼いている」
「無理して笑わせるという理由がよく分かりません」
「虚、笑わない子供が居たらお前はどう思う?」
「……子供ですか?」
「弟でも良いけどな、どうする止めとくか?」

 虚はしばらく考え込んだあと、面を上げてこう言った。

「わかりました。その話、受けさせて頂きます」

 昨日の、雨降る中に立つ真を見た時に感じたインスピレーション。それが何だったのか、彼女は今改めて疑問に思い、そしてまた知りたくなったのである。

 覚悟を秘めた虚の態度に貴子は屈託のない笑みを浮かべていた。

「まてまて“布仏”のお前が“生徒会長”の私と連んでたら具合悪いだろ。先日決闘したばかりだし、違うか?」
「では、どのようにしろと?」

 一転。貴子は意地の悪い笑みを浮かべ、虚の背後に控えていた2人、優子とダリルを見た。二人はげんなりと頭を垂れた。しかしそれでは、そう異議を唱えようとした虚を、2人の友人は止めた。

「あー もう分かったわよ」 一蓮托生だと優子は言った。
「虚、今度ディナー奢れ」 ダリルは自棄気味だ。
「2人ともありがとう」

「伝令ー まこと到着ぅー!」

 現れた少女の報告で、貴子は立ち上がった。胸を反らし、両の手は腰に、全てを見通さんばかりだった。

「よーし、いいかお前たち。今日こそあの“そう良かったわね”的な能面を引っぺがす!」
「「「おー」」」

 一抹の不安を感じながら優子は「それで私どもはなにをすれば」と聞いた。貴子はにんまりと「くるしゅうない、耳を貸せ」と2人を手招きする。それを聞いた時2人は空虚に笑い始めた。虚はもう一度彼女らに謝辞と謝罪を述べた。


  ◆◆◆


 風も無く空も高い暖かい日だった。ハンガーからアリーナに続く煉瓦道。茂みの仲に隠れていたダリルは空を見上げ溜息をついた。

「乙女のプライドがー!」

 涙目で駆けだしていく同級生の背中を、同情を湛えた目で追っていた。貴子らの取った作戦は色仕掛けだ。とやかく言っても真は15歳の少年である。もっとも性欲旺盛な年頃、美技の揃う学園の生徒に掛れば動揺させる事など造作も無い、貴子がそう思っていたのは二人目までであった。

 控えていた少女が悲痛な報告を上げる。

「貴子先輩! 投げキッスにも、たくし上げにも効果が見られません!」
「猶予を与えるな! 続けて攻撃せよ!」

 貴子は手刀の要領で合図をした。ダリルは渋々と立ち上がり、歩いていた真の前に立つ。彼は工具箱を持ちながらじっと立っていた。

「蒼月」
「はい」
「お前に恨みはないがこれも仕事だ。運が無かったと思って諦めてくれ」
「はい」

 彼女はおもむろにジャケットのボタンを外し、ブラウスのボタンを外し、褐色の肌を、肩を露わにした。肩越しに流し目、まぶたが痙攣していた。

「うっふーん」
「ブラ紐ねじれてますよ」
「それだけ?」
「他に何か?」
「……がんばったんだぞー!」

 彼女は涙目で走り去った。彼は真顔だった。走り去る後輩に、哀愁の情を感じながらも貴子はあっけらかんとこう言った。

「4撃目は誰だ?!」
「私でーす」
「よし、いけ!」

 自虐的な勢いで優子は立ちふさがった。彼はじっと優子を見たあと、避けて歩き出した。

「ちょ、ちょいまち!」
「なんでしょうか」

 優子はおもむろに胸元をはだけさせて、腕を組み胸を持ち上げた。特筆するほど大きくないが小さくもない二つ丘が持ち上がる。彼女はすり寄った。香の臭いが鼻孔を突く、彼女は、

「汗掻いたし休憩していこうか」

 耳元で小さく囁いた。

「なぜですか?」
「えーとほら、汗掻いたし?」
「掻いていませんけれど」
「あのねぇ君! 花も恥じらう16の乙女がここまでしてるのに、なにその態度! それでも男!? 頬を染めるとか慌てふためくとかしなさいよ! ほらっ!」
「失礼します」
「あ、こら。人の話を聞きなさいって……こ、こらーー!」

 地団駄を踏む優子を他所に貴子は呟いた。

「堅いな。予想以上だ」
「織斑先生なみですね……」 供の少女もあきれ顔だ。
「姉御はあれでうぶだけどな。堅物的な意味で織斑の盾と名付けよう」
「織斑の盾と書いてアイギスというのはどうでしょう」
「いや、オリハルコンだろ」

 一緒に笑っていた木の上の少女が突然青ざめ騒ぎ出す。

「ちふでぃな警報発令ー!」
「どっちだ!?」 貴子も一大事とばかり声を荒らげた。
「ちふですー!」
「総員退艦!」
「艦長も退艦を急いで下さい!」
「ばかもの! 艦長は最後だ! 例外はない、いけ!」
「艦長、おさらばです艦長!」

 木から飛び降りる少女、茂みに隠れていた少女、そのほか諸々の少女たちが、わらわらと逃げ出していった。見送り手を振る貴子の背後に影が指す。

「その気概だけは褒めてやろう。言い残す事はあるか黒之上」

 組んだ指の鳴る音は、絨毯爆撃のようだった。黒いジャケットに黒いタイトスカート、千冬である。貴子は汗水を垂らしながらこう言った。

「初めてなんです、優しくして下さい」
「26回目だ!」

 鈍い音が響いた。

「ご指導ありがとうございましたー」


  ◆◆◆


「まったく。あの娘の悪ふざけは一向に治らないな」

 職員室。やれやれと溜息をつき千冬は腰掛けた。窓硝子には土曜の柔らかい日差しが差していた。左隣のディアナは何時もの事かと茶をすする。ほうじ茶だった。整理整頓清掃が行き届いているディアナの机に、書類が乱雑に積まれた千冬の机、何が何処にあるか把握してあるとは言え2人の質の差を良く表わした事例だろう。

 ディアナは湯飲みを机に置くとこう言った。

「また貴子? 今度は何したの?」
「下らん事だ」

 ディアナはぴたりと手を止めた。頬を赤く染めキーボードを叩き始めた同僚の様子で、何があったかディアナには察しが付いた。

「そう。今度からは私も見回ろうかしら」
「だが黒之上に任せたのは正解だったな、あの大らかな感情をうけて改善傾向にある、それは間違いない」
「私たちだって職務が無ければ同じように、それ以上に出来るわよ」
「職務を無い事には出来ない、その仮定には意味が無い」
「どうして、7年も隔たりがあるのかしら。本当ならば私たちの役目だったのに」
「7年も開いているからこそ、あいつを保護出来た、そう考えるべきだろう。7年前では他人に構う余裕がなかった、お互いにな」
「他人ではないわよ、今でもね。少なくとも私はそう思ってる」

 ディアナはゆっくりと立ち上がった。彼女の長い金の髪が揺れる。

「化粧直し」

 そう言って、廊下の先に消えていった。千冬は手を止め何も言わず眼を伏せたままじっとしていた。


  ◆◆◆


「かくなる上は決戦あるのみ! 総力戦だ! 無理強いはしない! 戦う意思の有る者のみついてこい!」

 楓の食堂で、握り拳を掲げ少女らの視線を浴びるのは貴子であった。数々の作戦を失敗し、千冬にも目を付けられ一刻の猶予もない、そう思っていた。貴子が千冬に目を付けられたのはこれが最初ではないが、千冬の発覚から現地到着、取り締まりまでの期間は短くなっている。大規模な作戦を実行出来る機会はもう多くない。

 そう貴子が言い終えたとき一人の少女が立ち上がった。それを合図に次々に立ち上がる。

「一人だけ良い格好なんてさせませんよ先輩」
「そうですよ、モンテカルロのモンブラン、奢って貰うまで付いていきますからね、地獄の底までも」
「お、おまえら……」 彼女は涙ぐんだ。
「して合戦の場所は?」
「アリーナの更衣室!」

 食堂に木霊するのは少女たちのときの声。コンクリートよりも堅い真の情動に少女たちは意固地になっていた、否。今の状況を楽しみ始めていたのである。推移を影から見守っていた虚が歩み寄りこう言った。

「貴子先輩、私も」
「だからお前は、」
「私だけ友の影に隠れる訳にはいきません。かえってお嬢様に叱られます」
「良いんだな?」
「はい」
「良く言った! よーしよし、いいか未来の戦乙女たち……我に続け!」

 作戦概要“ターゲットMをアリーナ更衣室に陽動し飽和攻撃を仕掛ける”作戦第1段階。第3アリーナの入り口付近くを歩く真を発見、とある少女が近寄った。

「えいっ!」

 バケツ一杯の水が彼を襲う。当然、水を滴らせていた。

「あぁ、ごめんなさい。私ったら不注意でー」
「……」
「風邪引くと大変だから! ささっ、こっちに来て!」

 第2段階。彼女は有無を言わさず真の手を引きアリーナの中へ引っ張り込んだ。少し離れた背の低い木々に隠れた影に気づく事なく。

 第3段階、第3アリーナ更衣室。教室3つ分は有ろうかというその部屋で10名ほどの少女たちが円陣を組んでいた。この部屋には、本来その様なスペースは無い。彼女らは円陣の為に並ぶロッカーを移動させていたのである、その意気込みを示すものだろう。

 貴子は轡を並べる少女たちを一人一人見たあと、こう告げた。身体の芯に響く心地よい声だった。

「諸君! IS学園の興廃はこの一戦にあり! 各員一層奮励努力せよ!!」
「「「おー」」

 数名の少女は、頬赤く意気昂揚していた。虚もまた顔赤くして小さく応と皆に応えた。彼女は己の行動を顧みるべきだったが、集団心理の為、散っていった友に報いる為、何より心の奥底にある感情が何か、それを知るため盲目的に邁進していたのである。

 扉が開いた。水に濡れた真が見た光景は、赤白黄色、下着姿の少女たちだった。手と足が止まる。彼は目の前に広がる現実を、どの様に理解しようか考えあぐねていた。

「どうだ真! 酒池肉林だぞ!」

 貴子は真の腕を掴み引き寄せて、少女らと共にもみくちゃにした。

(下着姿、下に着る衣類、その上に何か羽織る必要がある、着替えの途中、男である自分が居て良い場所では無い、だがここに誘導された、それは何故か)

 答えの出ない推論を止め、彼は現状について言及する事にした。

「風邪引きますよ」 ぴたりと止まった。
「……他には?」
「はしたないかと」
「真顔で言った?!」

 やっぱりだめだった、まだまだこれからよ、ちょっと押し当ててみなさいよ、シャワー室に連れ込もうか、挟んでみよう等々、意地になった少女たち。

「ちふでぃな警報発令ー!」
「どっちだ!?」
「ちふでぃなです!」

 沈黙が訪れた。圧搾空気の抜ける音、ゆっくりと開く扉に手が掛り、強引にこじ開けられた。シリンダーが破損し空気の抜ける音が響く。扉を構成する金属板が悲鳴を上げ曲がり始めた。金属同士を擦り合わせる耳障りな音もした。

 薄暗い廊下、現れたのは黒と金、千冬とディアナだった。少女たちは血の気を失ったようにその端正な顔を真っ青に染めた。

「この馬鹿者ども、ここまで学園の品性を貶めるとは……」
「そんなに下着姿が好きなら気の済むままやらせてあげるわ……」

 拳風と糸に追い立てられる。少女らは悲鳴を上げながらちりぢりに駆けだした。

「「全員グラウンド10周!」」
「「「きゃー」」」

 夕暮れに染まる学園のグラウンド。世界最強と謳われる2人の監視下の元、少女らは下着姿のままグラウンドを走っていた。

「諸君ー 私はー 皆と共に戦えた事を誇りに思うー」

 息も絶え絶えの貴子だった。彼女にはハンデとして腕と脚、そして背中、50キロのウェイトが付けられていた。正気に戻った虚は自己嫌悪の真っ最中だった。

(裸を見られた、ダイエットしておくんだった、もっと可愛い下着にしておくんだった……)

 グラウンドから見上げる小高い土手、その上に立つ千冬とディアナと真耶と、真。千冬は鋭い視線で、ディアナは不愉快そうに、真耶は歪な笑みで、真は真耶に目隠しされていた。

 真が立っている、その事実が虚を更に追い立てる。だが、良い事なのか悪い事なのか、真は虚を個人として認識していなかった。少女たちの一人、その様にのみ見ていたのである。彼は不思議そうな顔をしながら横に立つ千冬にこう言った。

「千冬さん、なぜ彼女らはあのような行動に至ったのですか?」
「全て忘れろ」
「はい」

 秋空の元、誰かのくしゃみが響いた。


  ◆◆◆

と言う訳で、本編で真耶が言っていたあのイベントを回収です。2013/03/29

【以下ネタバレかもしれない作者のぼやき】




























次回あの人が初登場。



[32237] 過去編 布仏虚3
Name: D1198◆2e0ee516 ID:ca242084
Date: 2013/04/03 21:38
「あちっ」
「も、申し訳ありませんお嬢様」

 IS学園最外層にある人用射撃場、その近くには朽ち果てた古い公園がある。ひびが入り割れた噴水、塗装のはげたベンチ、砕けた石畳。学園の歴史を知る古い人物のみが追懐と共に思い出す忘れられた空間。

 夕暮れ。紅に染まるその静かな場所で、人目を憚るようにお茶会を楽しむ二人の少女が居た。一人は虚。もう一人は喉元に1年を表わす青いリボンを付けていた。

 陽によって青く光る短めの髪、癖はあったが艶があり、美しく輝いていた。虚よりは小柄ながらも、その鍛えられた身体に無駄はなく、それでいて女性らしさを醸し出す。その表情には愛嬌も凜々しさもあった。うかつに手を出せばひっかかれる、例えれば暗闇に眼を光らせる黒い猫が適当だろう。1年1組、更識楯無だった。

 彼女らは下級生と上級生の間柄であるが、今この時間だけは本来の関係、主従関係だった。虚は更識家に使える従者なのである。

 ティーカップを手に楯無は小さく舌を出した。

「温度が高すぎ。珍しく失敗したわね、何か気がかりでもあるの?」
「お嬢様、分かって聞いていますね」
「あん、怖い顔♪」

 学園はその性質上絶えず外部からの脅威を受けている。表だったものではなく裏の脅威に対し、更識家は学園の設立以来それらを一手に引き受けてきた。そして楯無は齢15にしてその当主である。彼女であれば従者の身の回りの出来事を把握するのは造作もない。

 もっとも。その楯無にとっても黒之上貴子の実力は完全に予想以上であり、今までに3度仕掛けるも、後塵を拝している。楯無と貴子、二人が睨みを利かせていれば学園中の少女が足早に去るそんな犬猿の仲だが、連敗が続く楯無の風辺りは少々厳しい。

「申し訳ありませんお嬢様。私は生徒会長と、」
「良いのよ」
「私とお嬢様の仲は既に公然の秘密です、ご不便をかけてなければ良いのですが」
「相変わらず堅いわねぇ、多少のやっかみは予想の範囲よ。それに、必死な虚が初めて見られたし気にしてないわ」
「初めてですか?」
「CADを引かせれば美術品、舞踊を踊らせれば工芸品、紅茶を入れさせれば芸術品、布仏家の最高傑作にして、鉄仮面の微笑とまで言われた虚があんな必死にしているんだもの、今ならくすぐられても許しちゃう」
「お嬢様……」
「ほらほら怖い顔。女の子は笑っていないと、彼に逃げられるわよ♪」

 楯無は持ってきた雑誌をぱらぱらとめくり、ページを止めて読み上げた。

「水のあるところに幸運あり。海、池、湖がお薦め。体内浄化にも一役買うのでミネラルウォーターを心がける。ラッキーカラーは青。学園は3方を海に囲まれているから完璧じゃない」
「恋愛運はどうでしょうか」
「えーとなになに……まぁ占いなんて適当だから気にしない気にしない」

 楯無は取り繕うように雑誌を閉じた。

「なんと書いてありました?」

 じっと見つめる虚の眼差しに楯無は渋々閉じたページを空で読み上げた。

「……一目惚れしちゃうかも。恋に恋するは要注意。恋愛運はバツ」

 音もなく注がれるハーブティ。ポットを持つ虚は深く重い息を一つ吐いた。

「お嬢様」
「なに?」
「会いに行ければどれほど楽か。自分の心がこれほど思い通りにならないとは、初めて知りました」

 虚は目を伏せ手元を見つめた。楯無の従者であり友人が初めて見せる自信の無い姿、彼女は扇子を軽く鳴らすと、虚の頬をつついてこう言った。

「良いこと教えてあげる、今後の彼の動向には注意した方が良いわ」
「どの様な意味です?」
「保守派って言って良いのかな? 彼、そんな連中に不評かっているみたい。特に1年、“目を離さない”方が良いわよ」


  ◆◆◆


“茶器の片付けをします、先にお戻りください”

 虚に送り出された寮への帰り道、楯無は当てもなく歩いていた。射撃場からアリーナ、体育館に部活棟、グラウンドに学習棟。本棟の近くに至った時に既に陽は落ちていた。辺りに人の気配はなく、虫の音だけが響いていた。東の空には丸い月が見える。神か悪魔か、まるでこの世界を外から覗いている眼、彼女にはその様に見えた。彼女は立ち止まりその眼に鋭い一瞥を投げるとまた歩き出した。

(あの虚があんな顔するなんてね)

 彼女にとって虚は冷静沈着を象徴する存在だった。決して慌てず騒がず、声を荒らげた事などここ数年記憶にない。最後に聞いたのは何時だっただろうか、そう彼女が記憶の糸を手繰れば、まだ主従関係も家の務めも関係無かった幼い頃、更識家と布仏家、2姉妹揃って遊び笑った頃まで遡る。

 虚は彼女にとって有能な従者であり、理解のある友であり、憩いの時を与えてくれる優しい姉であった。更識家当主になった今ですら、今でこそ虚の沈んだ表情は見過ごせないものだった。

(蒼月真か、さーてどうしてくれよう)

 鋭い笑みが、柔らかい人当たりの良い物に変わる。現れた人影が楯無の足下を陰らせる、その人物は笑いもせず静かにこう言った。

「更識、散歩か?」
「織斑先生、ごきげんよう。良い月夜ですね」

 明治のガス燈を模した半導体照明、それが下ろす光りに月明かりが混じる。影が落ちる煉瓦道には木々と2人の影が動いていた。

 2人には互いの存在が数十歩前に分かっていた。だから。唐突に出会った2人は、驚く事なく静かに淡々と挨拶を交した。楯無はスカートを摘まみ僅かに腰を落とす、優雅と言って良い彼女の立ち振る舞いに千冬はあきれを織り交ぜて、壮大な態度で立っていた。

「ふん、ごきげんようときたか。猫かぶりもそこまで来ると芸の一つだな」
「あらそんな、仮面は誰しも被るものです。織斑先生も一枚どうですか? 直実も結構ですが、殿方を振り回すのも楽しいものですよ」
「くだらん。用が無いならさっさと寮に戻れ」
(あら、意外と余裕。男性経験は無いと聞いているけれど……やっぱり興味が無いのかしら)

 視線、仕草、声の抑揚、何一つ変わらない千冬の様子に楯無は意外性を感じた。どちらかと言えば純朴な千冬の質を考えれば無理もない。

 生徒たちに様付けで呼ばれ、男役とし見られていることは千冬自身知る事実だが、彼女はそれを快く思っていない。それを思い出した楯無は上品にほほえんだまま、知らない事実があるのだと内心肩をすぼめた。

「先生はこれからどちらに?」
「職員室で残業だ。お前らが騒がしくてな、一向に気が休まらん」

 背を向け手をひらひらと振る千冬後ろ姿。楯無は何の脈絡も無く「織斑先生。蒼月真さんをご存じですか?」と聞いた。先日雨降る中見た真と共通の何かを持っている、そう感じたからだった。千冬は足を止め振り返った。

「もちろん知っている、それがどうかしたか」
「いえ、学園では時の人ですので」
「伝えるべき事は無いな。余計なことを考えずに訓練に励め。それと彼は仕事で来ている、誰かのように馬鹿な事はしてくれるなよ」
「もちろん理解しています」
「なら、いい」
(足を止めて体ごと振り向いた、か。声のトーンも堅かったし、ただの業者さんって訳じゃなさそうね。それにしても流石織斑先生分かりやすい、リーブス先生は用心深いから迂闊にちょっかい出せないのよね)

 彼女は両腕を上げのびをした。

「寒くなってきたし、私も部屋に戻りますか……って別れの挨拶忘れた」

 虫の音が響いていた。


  ◆◆◆


「薫子ちゃん、やっほー」
「たっちゃん、やっほー」

 翌日の授業後、楯無は友人を呼び止めた。授業以外はレンズの大きなカメラを手に学園内を徘徊する少女、黛薫子である。1年1組所属。普通に声を掛けて撮っては構えられるという理由で、隠し撮りする事が多い。もっとも学園誌などへの掲載は本人の許可を得る、使わない写真は消去、絶妙なプライバシー判断で余り問題になっていない。

「今日もカメラを手に精を出しておりますな」
「うん、楽しい。新聞部のエース目指してびしばしショットをとるわよ。と言う訳で、一枚ぷりーず」
「いえーい」
「いえーい」

 カメラのディスプレイを覗き、写真を確認する。そこにはピースサインの楯無が写っていた。構図、ブレに異常が無いか確認をする。一連の作業をする薫子に楯無はこう言った。

「聞いたわよ、整備科へって先生に言ったんだって?」

 彼女は手を止めた。2年から操縦科と整備科に別れるが、1年の内から授業の一部を選択することが出来る。整備科の授業量は多く、早いほうが有利だからだ。彼女もまたそれを選んだ。

「耳が早いわね、新聞部入らない?」
「私には大いなる野望があるの、目指せ生徒会長ってね。掛け持ちは難しいかな」
「貴子先輩は手強い?」
「今だけよ」
「生徒会長になったら我が新聞部をごひいきに。現政権はジャーナリズムに理解が乏しくて老朽化した機材の更新が中々進まないのよ。見てこのカメラなんて8年選手」
「広報部としてこき使ってあげるから覚悟しなさい」
「ジャーナリズムは権力に負けません」

 屈託無い笑みを浮かべる薫子に、僅かな影が見て取れる。“私はIS操縦に向いてないみたい” そう言って悔しさとやるせなさを滲ませた薫子の表情、楯無はそれを思い出した。薫子とてアリーナを駆ける自分を夢見てここに来た。ブリュンヒルデに憧れてこの地にやって来た。入学式のクラス発表、“1組”になったとはしゃぐ薫子の姿は、楯無の心に強く残っている。

 だが操縦実技は下から数えた方が早く、他の少女たちに大きく差を付けられた。そして座学理論に優れるという彼女の成績は、その夢を砕くに十分だった。彼女は夏の休みの間、塞ぎ込むように考え抜いたあと決断をしたのである。

 じっとカメラを見つめる友人の表情に楯無は、軽率な発言への謝罪としてこう言った。

「そうだ。整備科に進級したらM.L.の調整お願いして良い?」
「もちろん。でも、諦めた訳じゃないからね、たっちゃん達を写真に納めてその夢を果たすんだから」
「格好良く撮ってね」
「お任せあれ」
「っと、そうだそう。彼のこと知ってる?」
「ん? 蒔岡機械の人の事なら余りしらないよ。報道規制が掛っててカメラ持って近づくと直ぐ警告で」
「報道規制って学園から? 生徒会じゃなくて?」
「出所は分からないけれどそうみたい。いやー 参った。貴子先輩の打鉄を記事にしたかったのに、突然“そこの生徒何をやっている!”って」
「前にはあったの?」
「取材した後に検閲が入った事はあったそうだけれど、生徒対象でシャットアウトは先輩も知らないって」
「他に何か気になる事ある?」
「ジャンボストロベリーパフェ」

 にんまりと笑う薫子に楯無は仕方ないと両手を挙げた。対学園的な活動であれば既に動いている楯無であったが、学園内の少女らに対する影響力は未だ無い。貴子がいる為だ。

 生徒会に加われば学園が保持する情報に一定の範囲でアクセスできる、そうすれば活動範囲が広がるがそれは貴子の指示下に入る事を意味する。更識当主である楯無には個人的にも対外的にも憚られた。

 そのため。少女たちの噂を集めては吟味し、必要あらば自前の諜報部隊を動かしていた。もっとも、1年の彼女にその機会は少なく、今のところ貴子の調査のみである。

「そうだなー 先輩たちに聞いたんだけど、雰囲気変わったって静かに評判だよ」
「だれの?」
「もちろん織斑先生とリーブス先生。私たちの入学前はピリピリしてたらしいんだけれど、最近どこか丸くなったって。私たちは4月以降しか知らないからそんな風としか思わなかったのだけれど」

 楯無が千冬に初めて会ったのは千冬が学園の教師として赴任した年である。千冬が21歳、楯無が13歳の時であった。言われてみればと、楯無の記憶にある当時の千冬とだいぶ印象が異なる。年を取ったからだと彼女はその様にしか思っていなかった。

(蒼月真が学園に訪れたのは2学期から。彼が蒔岡に入社したのは中途半端な時期の6月。年齢から中途採用とは考えにくい。宗治おじーちゃんと織斑千冬は昔から面識がある、直前に蒔岡邸に訪問もしている。時間差はあるけれど4月に出会って、何らかの意思決定がなされ蒔岡に入社したとしてもおかしくはない。問題は何故そんな事をしたのか……臭うなこれは)

「たっちゃん。悪い顔してる」
「失礼ね」


  ◆◆◆


 木々も黄色く染まり始めた10月中旬。水平線に太陽が触れようとしていた時刻。第7ハンガー内では裕樹の指示を受けて、真が右へ左へと忙しなく動いていた。夕日に照らされた二人の影がハンガーの壁に写っていた。

 ハンガー内の反重力エリアで浮かぶのは装甲が取り外された打鉄である。37番機、通称“みな” その脇にはユニバーサル・マウンターに取り付けられたスカート形状の装甲兼スラスターユニットがあった。真はエネルギーケーブルを流れるように接続する。

 接続終了と真が告げると裕樹は接続状態を確かめ、満足そうに頷くとこう言った。

「打鉄はスラスター類が下半身に集中している。注意しなくてはならないのがスラスターを固定するフレームがスカート形状のムーバブル(可動式)フレームになっていると言う事だ。出力だけに注意するのではなく、複数箇所有るスラスターのバランスを考えて調整する必要がある。これを怠るとPICとの内部イナーシャ計算に乱れが生じまともに飛べない。テストさせてみろ」

 真は黙って頷くと「スラスターにダミー信号送ります」といった。機材の画面に指を走らせると“スタンバイ”から“テスト”にモードが移る。A番からF番まで6機有るスラスターに赤い光りが灯った。微弱の同一推力を指令しているにもかかわらず、スラスターには出力のムラ、つまり違いがあった。

「この場合、手間は掛るが必ずスラスター側で1機1機調整する事。航法管制システム側で微調整させると余分な計算をさせる事になる。水平定格飛行なら良いが機動戦闘をさせると相当のロスだ」
「分かりました。エネルギーキャパシタとレジスタンスコイルを持ってきます」

 真がタイヤの付いた荷台に足を向け段ボールを漁る。段ボールに納められた部品を手にしたとき彼はふっと立ち上がり、はす向かいのハンガーの影をじっと見た。その距離50m程である。

「どうした」
「視線を感じました。人が居たようです」

 裕樹は極めて珍しい事に笑いながらこう言った。

「真、お前は地味だが目立つらしい。彼女らの誘いを受けるのも程ほどにしておけ」
「誘いですか?」
「お誘いだろう。男子ならば誇るべきかもしれないが、お前が騒がれると気をもむ人が居る。自重しておいた方が良い」

 言っている意味が分からないと真は首を傾げる。部品を裕樹に手渡した。影から覗いていた楯無は音もなく足早に立ち去った。その表情には驚愕と憤慨が混じっていた。

(あの距離で私が気づかれた?!)

 楯無はあれから真の調査をしていた。蒔岡にIS学園、ディアナに千冬と彼を巡る状況に不可解な点が多かったからである。虚が入れ込んでいる相手、ゴシップ的な興味もあった。ところがいざ調べてみると彼女の予想を大きく上回るものだった。

 氏名、蒼月真。年齢15歳。住所、神奈川県三浦市東岡町。身長171センチ。医療記録なし、学歴不明、出生不明、家族親族、そのほか一切。分かっている事は必ず学園が壁になりそこから先の調査が出来ない、と言う事だった。楯無が不信感を抱いたとしても無理はなく、どの様な人物か接触しようと機会を伺っていれば瞬く間に悟られたのである。

 彼女は足を止めた。そこはハンガー区画とアリーナの間にあるちょっとした公園だった。芝生と、等間隔に植えられた背の高い木々はまるで石柱、石造りの神殿の様だった。

「涼しくて過ごしやすくなってきた。諜報活動にはもってこいだそう思わないか、楯無」

 木陰から現れたのは貴子だった。流れる銀の髪、腕を組みつまらなさそうな視線を楯無に向けていた。

「彼が何者か知っているのですか、貴子先輩」
「知らないし、知っていたところで教えない、理由もないしな」
「知らないなんて、学園の長である生徒会長にあるまじき発言ですね。貴女なら彼が普通ではないと気づいていないはずがない」
「王者は細かい事を気にしないものだ。そんな重箱の隅を突くようなまねをするから、楯無。お前は私に勝てない」

 秋風が吹いた。ドーム型アリーナを背景に役目を終えた木の葉が舞う。木の葉が空に浮かぶ夕方の月をかすめた時、2人は踏み込んでいた。一撃目、楯無。左の短く鋭い一撃、ジャブを打つ。貴子は曲げた右腕を掲げ、楯無の腕をかいくぐり、もぐり込む。

(速い!)

 楯無の予想を上回る貴子の踏み込み。貴子は楯無が反射的に打ちだした迎撃の、右腕に構う事なくそのまま突進した、体当たり、貴子の肩が楯無の左胸を襲う。鈍く重い音が鳴る。一拍。静寂の中、楯無は5メートル後ろに下がり構えていた。貴子は左腕はだらりと下げ、右腕は腰に添えていた。

「当たる瞬間跳躍して衝撃を殺したか。良い判断、良いバネだ」
「相変わらず無茶な事をします。ほんの僅かタイミングがずれていたら拳が頭部に直撃ですよ」
「当たっていないから問題ない」
「ならば!」

 楯無が左ジャブ、躱される。続けて右ストレート、貴子が左にステップ、躱される。霞むような鋭い一撃にそれを上回る身体捌き。凡人であれば何が起こっているか理解すら出来ない次元の攻防である。

「どうした! 仕舞いか!?」

 楯無は右拳を、虫を払うように、舞いのように左から右に流した。彼女の身体が左足を軸に右にねじれる。その反動を利用し、右回し蹴り。膝が下を向いていた、足の甲を下に打ち下ろす、ブラジリアンキックだった。

 楯無の蹴りが貴子の頭部を上から襲う。堅い衝撃音。手応えあり、楯無がそう思った瞬間彼女は眼を剥いた。貴子は頭部から血を流しながら、楯無のスネを噛んでいた。貴子の双眸が光る、楯無の右足は牙で固定されていた。ぞくりと悪寒が走った。貴子は無防備な楯無の左足を、不安定な踏ん張りが利かない体を、右足で払う。身体が宙に舞い背から地面に落ちた。

 楯無が見たものは、踏み下ろされる貴子の右足だった。雷鳴と土煙。足は楯無の左頬を掠めるように撃ち抜かれていた。大地がえぐれていた。

「勝負あったな。4勝目だ」
「認めます」
「よーし、よし。帰って飯だ。楯無お前も寄り道せずに帰るんだぞ」
「……一つ聞いて良いですか、貴子先輩」
「なんだ」
「理由も知らずどうして彼を庇うんです?」
「私に勝ったら教えよう」

 貴子は笑っていた。こめかみから血を滴らせ白い学園の制服と銀の髪を血で汚す。それにもかかわらず笑っていた。真っ黒な夜空に浮かぶ白く蒼い月を背に楯無は静かに見下ろされていた。嘲笑もせず、勝ち誇りもせず、ただ追い越して見せろとその眼は言っていた。

「今に見てなさい」
「おう」

 彼女は背を見せて、あははと笑いながら立ち去った。楯無は大地に身を横たえたまま空の月を見ていた。

(お月様に嫌なイメージが付きそう)

 彼女は溜息をついた。


  ◆◆◆


つかみ所が無くて楯無の口調が難しいです。
2013/04/03


突然ですがアンケート、ご協力下さい。
女性読者の方っておられますでしょうか。もしいらっしゃったならば、一言頂けると幸いです。ISだし、少女キャラが沢山だし、薄い本だし、そんな事を思いつつ、ちょっと気になったもので……下ネタとか、はい。



[32237] 過去編 布仏虚4
Name: D1198◆2e0ee516 ID:ca242084
Date: 2013/04/07 19:44
 あれから数日が過ぎた。拳骨を浴びる、糸に縛られる釣らされる、貴子は罰則覚悟でちょっかいをだすも、真は相変わらずだった。言葉数少なく黙々と、笑う事なく淡々と受け答えし、仕事に取り組んだ。

 少女の誰かがひょっとして同性愛者ではないかと冗談を言った時、貴子はそんな馬鹿なと一蹴するも冷や汗を垂らして疑った。生理的反応すらなかった為だ。だが千冬に対するときのみ口数多い。彼女がこの事実に感づいた時、自分の容姿を姿見で確認すると、こめかみに血管を浮かび上がらせ、彼を街へ連れ出した。負けず劣らずに違いない、彼女にとてプライドがあったのである。

 そこは駅前の巨大な階段を降りた、幅の広い歩く道。一人立つのは貴子である。そよ風になびく、長い銀の髪は柔らかな曲線を描く。釣り上がった目尻は挑発的ながらも慈しみを交えていた。男女問わず、誰しもその美しさに溜息をついた。若い男が声を掛けようと近づいた。側に立つ真の顔を見て、逃げる様に立ち去った。

 彼女は内心便利だと思いながらも側に立つジャケット姿の真にこう言った。

「どうだ、嬉しいだろう。今日は特別にでぇとたぞ。この果報者め」
「特に感想はありません」
「……」

 彼女は彼の頭を左腕に抱えて― ヘッドロックを掛けながらその頭に拳をねじ込んだ

「う、れ、し、い、だろう?」
「指示ならばそうだと明瞭に―」
「ぐりぐり」
「……うれしいです」

 彼女は腕から解放した。彼は頭をさすっていた。

「よし良いか? 最初の任務を与える」
「はい」
「今から私を褒めるんだ」
「偉いえら、」

 彼女は拳骨を頭に打ち下ろした。そのあと長い髪を掻き上げ、見下しているようにも見える挑発的な、鋭い視線で彼を見た。黒のファー襟つきスタンド襟ブルゾンに、白地のベースボールプリントの長袖Tシャツ、青藍のデニムパンツ。ラフだがアメリカン・カジュアルにまとめていた。

「カジュアルな中にも大人を感じさせるシックな出で立ち、さあ言ってみろ」
「カジュアルな中にも大人を感じさせるシックな出で立ち」
「一語一句同じとは思わなかったぞ……他には?」

 彼女は半眼で胸を張り、腰に両手を添えた。真は首を傾げた。

「……ノーメイク?」
「ぶー。ナチュラルメイクだ。このルージュはライトピンク色、覚えておくこと。他には?」
「……わかりません」
「全く。そんな調子ではもてないぞ、ほら」

 貴子は髪をあげて耳を出した。イヤリングである。真珠をちりばめた銀こしらえ、控えめだがシンプルな美しい光沢を放っていた。

「髪に隠れて分かりようがないです」
「そこを察するのがいい男ってものよ。他には?」

 彼は腕を組んで遠くを見た。道を渡す横断歩道と道を挟むビル群がある。次ぎに空を見た。鳥が飛んでいた。はっと思いついた彼はこういった。皆中したような勢いである。

「その格好でスニーカーは合いません。パンプスの方が良いと思います」
「そう思うか?」
「はい。スニーカーではシックさを欠きます」
「時に真」
「はい」
「近くに“Chiffon(シフォン)”という靴屋がある。ここからなら2ブロック先だ」
「分かりました。そこに行きましょう」
「悪いな社会人♪」
「……なにが?」

 多少の改善は見られるも、表情が無い。有る状態を境に足踏みをしていた、そんな時だ。場所は職員室。窮した貴子は千冬らの元に参じてこう言った。

「荒療治をしてみようかと思います」
「荒療治?」
「はい」
「黒之上、まさかお前―」 怒気を強めた千冬に慌ててこう言った。
「違います! 本気で襲うとかそんな事は考えていません。ですから首の糸ほどいて下さい」

 浮かした腰を下ろす千冬。その後ろでディアナは手団扇のように手をゆらしていた。澄まし顔だがこめかみが引きつっている。先の飽和攻撃を、根に持っているようだった

「布仏か」
「はい。まこ……蒼月さんに対して強い思いを持っている布仏ならば或いはと考えました」
「それは本当なのか?」
「真実は布仏以外分からないでしょう。ただ今のままでは進む事も戻る事もままなりません、2人ともです」
「お節介だとは思うがな」
「否定はしません。ですが、2人は私に関わったんです、分別のあるフリをしてそのままになんてさせませんよ」
「騒ぎたいだけだろう」

 貴子は組んだ両手を身の前に、何も言わずただ微笑を浮かべていた。その表情は慈愛、弟と妹に向けた彼女の、愛情表現である。千冬は深々と溜息をついてこう言った。

「わかった。準備はしている様だし、やりたいようにやってみろ。だがこちらでもモニターする、いいな?」
「ありがとうございます」
「加えるが、授業訓練に差し支えのないこと」
「はい。それともう一つ」
「まだ有るのか?」
「首の糸ほどいて下さい」

 窓の外には小鳥が一羽首を傾げていた。


  ◆◆◆


 10月最後の土曜日。日が傾き始めた学園の煉瓦道を、3人の少女が歩いていた。優子、ダリル、虚の3人である。その優子は虚の右手を掴んでいた。手を引かれながら虚はこう言った。

「優子、今日はもう遅いから今度にしない?」
「まだ14時じゃない」

 ダリルは虚の左手を掴んでいた。虚は引かれながらこう言った。

「ダリィ、もう寒くなってきたわね」
「22度もあるぞ。今日は随分過ごしやすいよな」

 今度は2人にこう言った。

「2人とも、お腹すいてきたわね、そろそろ夕飯にしない?」
「「さっき食べたばかりでしょ」」

 まるで駄々をこね、親に手を引かれる子供のようである。

 虚は先日の醜態を思い出すたびに部屋に籠もり、優子とダリルは気にしていない、と励ました。貴子と真がデートしたと聞いては挙動不審になり配線を間違えた。優子とダリルはどうして誘いに応じなかったのかと虚を叱咤した。嬉し恥ずかし、花も恥じらう16歳、無理もない。

 埒があかないと焦れた二人は彼女を強引に連れ出した。真を探す為、虚と引き合わせる為、学園内を歩き回っていた。最初はハンガー。工具箱や部品を納めていたであろう梱包材の数々、部品をくるんでいたエアキャップが見える。3人は辺りを見渡した。居る形跡はあるものの当の本人が居ない。次はアリーナピット。備え付けの端末を調べると、テスト記録はあるがもぬけの殻だった。3つ目は駐車場。自動車がない。帰ってしまったのかと考えれば工具を置き去りとは考えにくい。偶然出くわした真耶に聞けば裕樹だけ一時的に帰った事が分かった。

「はてさて、あと居そうな所って言うと何処?」と握り手を顎に優子が言った
「食堂は居なかったし。なぁ。やっぱり貴子先輩に聞いてみたらどうだ」 ダリルは頭を雑に掻いて髪の毛が逆立っていた。
「その先輩すら見つからないじゃない。私たちの力だけでどうにかするのよ」
「めんどくせーなー」
「ほら、ぶつくさ言わずさっさと探す」
「なぁ優子、あの噂本当なのか?」
「確証はないけれど、放置も出来ないでしょ」
「保守派か、なんかそう言うの面倒で嫌だ。拳骨が通用しない」
「ここが女子校だって改めて思い知らされたわ」
「貴子先輩が頭になって、たいぶん大らかになったそうだけどな」
「貴子先輩も何故あそこまで構うのかしらね」
「若い燕が好きなんだろ」
「それ酷くない? それはもっと年が離れた人の事を言うのよ」
「蒼月はきっとあれだ。年上が好きなんだな」
「……」
「……」
「そうね、もしくは同性愛者よ、間違いない」

 2人の艶姿に全く動じなかった真を思い出し、うふふと底冷えしそうなほどに寒い笑い声をだす。彼に何らかの異常が無ければ、2人に魅力が無い事を意味する為だ。

「きっとマッチョな上司と一緒に……はははは」
「ロッカーで着替えている最中良い筋肉だなとか……くくくく」
「妙に生々しいわね、ダリィってひょっとして」
「んなこたーない……って虚は?」
「そこにって、あれ?」
「「うつほー!」」

 傾き始めた太陽。影が伸びる。グラウンドからは運動部の掛け声、部活棟からは吹奏楽部の演奏が聞こえた。そしてアリーナにはISの機動音と発砲音。紅に染まる学園を虚は静かに歩く。

「迷子の迷子の子猫さん、貴方のお家は……だいぶ日没も早くなったわね」

 そう独りごちた。駐車場から寮へ向かう途中にハンガー区画がある。整然と並ぶハンガーをみて彼女は引かれるように、おぼつかない足取りで第7ハンガーに向かった。

 “恋に恋する”思春期の少女に見られる一種の精神現象だ。恋という行動にそのものに憧れている為、その対象となる人物の人間性は比較的低めに見られる、外観が重視される。真に感じたインスピレーション、あれがそうだったのでは無いかと虚は疑いを持ち始めていた。

(このままじゃ何時まで経っても埒があかない、か。2人にも迷惑を掛けるし、仕方ないわね)

 彼女は腕を振って歩き出した。誰でも良いのか、真でないと駄目なのか、それを確かめる為だ。第7ハンガーの正面を覗ける壁の影。1つ深呼吸。そっと覗けば、すれ違いだったのだろう真が立っていた。彼を取り囲む複数の少女たちと共に。


  ◆◆◆


 陽が水平線に掛かり血の色に染まる。薄暗闇に並ぶハンガーの照明は、まるでかがり火のようで、何処までも続いているかのように見えた。

 そのハンガーの中、彼は打鉄に手を添えた。つぎに、取り囲む少女らを一人を見た。右から一人、また一人と数えれば、全部で5人。数え終わると真ん中の一人を見た。表情を動かさずを見た。まるで肉屋で肉の塊を見るかのようにその表情に意味は無かった。えぐるような窪みの底に有るただ黒い眼。揺らぐ事のなく、振れる事無く、瞬きもなく、中央に立つ少女を射貫いていた。

「何かご用ですか?」
「きみが蒼月真?」
「そうですが、それが何か?」

 彼女は一歩怯えたように後ずさったが、取り巻きの少女を思い出しこう問うた。

「同い年だって?」
「貴女方が一年生ならばそうです」

 彼女は真の左腕を見た、最初は肩、次は二の腕、腕、手。触れていたのはIS。改造・整備のため火を落とされていたIS“打鉄”37番機があった。

「困るんだよね、君みたいな人が居ると」
「どの様な意味でしょうか」
「ISは私たちだけのもの、男が触って良い物じゃないの」
「ISを製造しているメーカーには男性も数多くいますが」
「あーやだやだ、理屈っぽいオタクっぽい」
「ご用件は何でしょうか?」
「キモイの、キモイのが触ったISに乗りたくないワケ」
「ご安心下さい。この37番機はカスタムされた貴子さんの専用機です。貴女が搭乗する機会は少ないかと思います。」
「……言ってくれんじゃない」

 彼は一言失礼しますと機材を触り始めた。

「ちょっと何無視してるのよ!」
「仕事ですので」
「話し聞けっての!」
「申し訳ありませんが、これ以上の議論は無意味です。貴女方の人生観と俺の仕事は別物ですから」
「何が言いたい訳?」
「貴女が好むと好まざるとにかかわらず、世界は回り、俺は仕事をしなくてはいけない、そう言う意味です」

 かり、かりかりかり。

 彼の手にするハンディ測定器が無接続にもかかわらず反応し動いていた。ディスプレイは設計者が意図しない幾何学模様を示し、引っ掻くような音を出していた。ハンガー内の照明が2つ3つと瞬いた。構造物を伝って機械の重い駆動音が聞こえてきた。まるでハンガー全体が苛立っているかのようである。

 明るく、暗く。点いては消える照明。虫の音が止んでいた。一人の少女が周囲を見渡し、怯える様にこう言った。

「ねぇもう止めよう。この人何か変だよ。先輩に言って―」
「黙ってて。ただの偶然よ、アイは見張ってて」

 意固地になった少女は工具に手を伸ばしそれを真に向けた。それはプラズマカッターだ。一件。弁当箱にグリップを付けたおもちゃの拳銃にも見えるが、IS装甲をも切断する、強力な工具である。動作させるには管理者による認証が必要であり当然彼女らに権限は無い。

「はっきり言うわね、目障りなの。出て行ってくれない? でないと痛い思いをしちゃうかも」
「俺は命令でここに来ています。不服は貴女方の上長に申請してください」
「上長って誰よ」
「存じません」
「しなくてはいけない、命令、そればっかりね君。死ねって言われれば死ぬわけ?」
「あの人の命令であれば」
「あの人って誰よ?」
「貴女に知る権限はありません」
「そう、そんなに怖い目に遭いたいってこと」

 その少女はプラズマ・カッターを真の首に押し当てた。

「スイッチが入ったらどうなるかしら」
「首が落ちます」
「死ぬのが怖くないって言い方ね」
「貴女は死が怖いですか?」
「なにを言っているのよ」

 彼は見開きこう言った。


 死ぬのが怖いですか?

 殴られ死ぬのが怖いですか?

 刺され死ぬのが怖いですか?

 燃やされ死ぬのが怖いですか?

 首をへし折られて死ぬのが怖いですか?

 罠に掛かり死んでいくのが怖いですか?

 老いて死ぬのが怖いですか?

 毒に蝕まれて死ぬのが怖いですか?

 撃たれ死ぬのが怖いですか?

 死んでしまえば何もかもなくなる。


 目の当たりにする少年の影、絶望と嘆き、怯え。彼女が感じたのはそれだった。黒い何かがわだかまっていた。息を呑む。身体が硬直する。鼓動が高鳴り、心の臓が破れそうなほど早く、汗が垂れ、口が渇いた。そこにあるのはそれだった。

「何をしているの貴女たち!」

 凜とした声で緊縛が溶けた。がたり、カッターが床に落ちた。我に返った少女が振り向いた。

「誰よアンタ」
「2年4組布仏虚。先に名乗るのが礼儀よ覚えておきなさい」
「こいつ知ってる、更識の犬だ」
「ちょっと止めなさいよ、上級生でしょ」

 取り巻きが取り付くように笑う。虚は5人に臆する事なく歩み寄った。透明な眼鏡の奥に、怒りを湛えていた。

「立ち去りなさい。ここは鎧が翼を癒やす場所。貴女たちにはまだ早いわ、手にして居るのが道具なのかおもちゃなのか、その区別も出来ないような人たちにはね」

 脇にあったツールボックスからスパナが音を立てて落ちた。虚の威圧に後ずさったのである。

「しらけた、帰ろう」

 五人の少女らが立ち去った。真は床に落ちたプラズマ・カッターを手に取った。虚は手を伸ばせば届く距離で立ち止まった。

「君。恩着せがましい事は好きじゃないけれど、礼の1つぐらいあっても良いのではないかしら」

 会ったらあれを話そう、こう言おう。話す切っ掛けは“機械好きなんですか、私も少し得意なんです”全て消えた。今では礼を言わない彼への呆れと、五人組への怒りと、学園の生徒として陳謝の感情が入り交じっていた。だから彼女はそう言った。切っ掛けとしては何でも良かった、その言葉を選んだのに理由はない。ただそれだけ。ただ、彼は彼女の全てで上回っていた。

「君、返事ぐらい― 」
「死んでしまえば何もかも無くなる。無くならなければならない」

 彼が凝視していたプラズマ・カッターが動き始めた。小刻みに弾くような音と、蒼白い閃光。彼女は眼を剥いた。あり得なかった。セイフティーロックを外せるのはLv3以上の権限を持つ教師か、整備科主席の生徒だけだ。

 彼はそれで左腕を切った。皮膚の焼ける音、肉が焦げた臭い、彼は“笑っていた”彼女はとっさにカッターをたたき落とした。それは光を失い、床を滑り、壁に当たり止まった。

「何をしているの! 貴方正気!?」
「何故?」
「何故って、左手が落ちかけたのよ!?」
「何故邪魔をした、何故邪魔をする、せっかく死ねたのに」
「君は!」

 怒りにまかせ少年の腕を掴む。焦げた傷から血が噴き出した。吹き出した鮮血は、少年に掛かり、少女に掛った。血に塗られた少女、血だらけの少女が立っていた。彼は息を呑んだ、全てが止まる。静寂のあと虚が見たものは怯えた少年の姿だった。彼は後ずさり、壁の棚に背を打ち付けた。更に逃げる様にもがき、棚に置いてあった工具や材料が次々に床に落ちた。転がった。

「違う、俺じゃない。こんな事は望んでいない、いや望んだ。全て望んだとおりだ、マーク、サム、ジョン、ケイリー、みんな死んだ。死なせてしまった。彼女の為に、彼女は死んだ。もう駄目だ、皆逃げろ、俺から逃げろ、済まない、皆が死ぬ、血を吹いて死ぬ、俺を恨むか、恨んでくれ、その目で見るな、俺は、済まない、マチルダ、俺は……う、う、うあ、」

 その口から漏れたのは絶叫。頭を掻きむしり、喉を掻きむしり、傷に構う事なく暴れ、壁を頭に打ち付けた。彼女は為す術も無く、呆然とみるだけだった。

「真!」

 虚の背後から飛び出した黒い影は、彼を抱きしめると座り込んだ。彼は暴れ、足掻き、彼女の黒いジャケットを破り、白のブラウスを破った。彼女は背中に爪を立てられた、引っかかれた、白い肌に血が幾条も走った。それでも抱きしめるのを止めなかった。

「もういい! 終わったんだ! 全て終わった!」
「俺は、俺は、どうして生きている」
「全部終わった。全てを忘れて良い。もう終わった」
「誰か、殺してくれ、もう無理だ、無理だよ」
「終わったんだ、全部忘れていい、もう自分を許してやれ」

 泣きじゃくり嗚咽を漏らす少年、それを必死に抱きしめる黒の女性、虚は床にしゃがみ、うつろに見るだけだった。


  ◆◆◆


 11月。雲高く紅葉も進んだ秋の空。寮からハンガー区画に向かって歩く少女が2人居た。1人は長い銀の髪をゆったりと波立たせ背の高い少女。もう1人は小柄ながらも、艶のある短い、光りの加減によっては青く光る髪を持つ少女。貴子と楯無だった。

 あれから2週間が過ぎた。真の傷も癒え学園は何事も無かったように落ち着きを払っていた。事の顛末をなんと言う事もない表情で説明する貴子、楯無は不満を湛えていた。

「つまり、貴子先輩は虚をけしかけたんですか。1年生を利用して、噂まで流して」
「そうだ。私たちがあれほどやっても駄目だったから、真に対して思いを持っている虚ならばあるいは、とな。ところが当の虚の腰がとても重い。ならばと尻を叩いて賭に出た訳だが、結局、成功なのか失敗なのか分からない」

 貴子らは生徒会室で虚らをモニターしていたのである。様子がおかしいと感づいた時には千冬が飛び出していた。

「本当は、彼が誰か知っているんじゃないですか?」
「知らないって言っているだろう」
「ならばこれからを問います。何故あんな人物を放置しておくのですか? 生徒会長の貴女が。彼がどれ程の異常者か、もう分かったはずです」

 楯無の鋭い視線、貴子は溜息をついてこう言った。

「そうだな。楯無、お前を巻き込むか」
「もう巻き込まれています」
「良いから聞け。真が学園に来るに当たり、姉御に厳命された事が一つある。それは待機中のISに絶対触らせるな、だ」
「……まさか」
「私は思ったね、そんなに触れさせたくなければ何故ISがうじゃうじゃある学園に来る事を許可した? 縁の無いところに置けば良いじゃないか。そして逆に、こう考えた。そのリスクを負いながらも手元に置いておきたい、その理由があると」
「それが、つまり?」
「あのな。織斑先生がどれ程の犠牲を払ってこの学園に立っている? ブリュンヒルデの銘、寮長、生徒の指導、教師として、保護者として、彼女はたった23歳の女性だぞ。私ら学園の生徒が彼女の我が儘叶えない訳にはいかないだろ。更識楯無、まだ言わせるのか?」

 楯無は溜息をついて、渋々とこう言った。

「仕方ありませんね」
「だろ?」
「分かりました。もう詮索はしません」
「きまりだな。これを譲る」

 貴子は何のためらいもなく、襟の校章を外すと、楯無に向けて放り投げた。それは生徒の長を示すバッジだった。

「は?」
「タイムリミットだ。私はもうすぐ卒業、引き継ぎ期間も必要だし権力の二重化は好ましくない。学園は任せたからな」
「仕方、ありませんね」
「そんな事より虚はもう行ったのか?」
「はい。今日整備科第4グループに配属されて、初顔合わせですよ……彼はあの時のこと覚えていないんですよね」
「あぁ覚えていない」


  ◆◆◆


 まどろみの中、虚が見るのは過ぎ去った現実、夢だった。約1年前、出会い、心を躍らせ、塞ぎ込み、泣いた去年の記憶である。去年の11月、貴子が駆った37番機は優子の手に渡った。その後真にIS適正があると世間に知られた1月まで虚は彼と共に工具を手に整備に勤しんだ。優子とダリルは気持ちを伝えなくて良いのかと虚に言った。彼女は良いのだと応えた。“彼にはもうそう言う人が居るみたい”寂しそうに笑った。

 虚さん。

 遠くで声がする。

 虚さん。

 初めてそう呼ばれたのは冬休みに入る直前だった。

 虚さん。

 それまでは布仏さんだ。何度言っても直らなかった。どうしてかと聞いた事もある。彼はこう答えた。

“布仏さんも、蒼月君としか呼ばないじゃないですか”

 その時から名前で呼び合うようになった。

「虚さん」

 彼女はゆっくりと眼を開けた。そこは第7ハンガーである。外には蒼い月が浮かんでいた。4つ並んだIS用ベッドの左から2つ目に黒いISが、右端には赤いISが鎮座していた。もう少し眼を凝らすとその黒に混じるように、白を基調とした学園服を纏う少年が立っていた。首と左頬に傷を持ち、眼は碧、左腕に義手を持つ彼女のよく知る少年だった。

「真?」
「ここで寝ると風邪引きますよ」
「寝てた? 私」 月夜に虫の音が響く。
「ええ、良く。後片付けはしておきますので寮に戻って下さい」

 ハンガー内に置かれた机と椅子、彼女は俯せる姿勢で寝ていた。第2形態を迎えた白式、特殊仕様の半軍用機みや、ドイツ第3世代の軍用機シュヴァルツェア・レーゲン、そして第4世代銘入りの紅椿。彼女はその取り仕切りで激務に追われていたのであった。

 テスターにアナライザーと言った測定器。真はテキパキと片付ける。スパナやドライバーと言った小工具、そしてプラズマ・カッター 彼がそれを持ち上げたとき虚はこう聞いた。

「始めた会った日覚えてる?」

 彼は振り向いた。手にするカッターを見つめると首を振る。何かを振り払うかのような仕草だった。一拍。彼はこう言った。

「ええ。初顔あわせの日、優子さんには随分嫌味を言われましたから良く覚えています。その後ダリルさんも来て滅茶苦茶でした。そう言えば、」
「何かしら」
「その日、何か言いかけて止めましたよね? そのうち教えるとか言ってましたけれど、何だったんですかあれ」
「秘密よ。教えてあげません」
「何故ですか?」
「私に優しくないから……さ、片付けましょう。もうじき日も変わるわ」

 理解が出来ないと困惑を浮かべる少年に、彼女は眼鏡に指を添え整えるとゆっくりと立ち上がった。眼鏡の奥に微笑を湛えたまま。


  ◆◆◆

 本編での虚と一夏の会話、“去年の真はどうだったんですか?” “大変だったわ凄く”に繋がる話でした。虚には申し訳なかったのですが、上手くいかない話なんですよね。真がISワールドにやって来て間もない、更に一夏が居ない。真が表面上まともになる過程の話だった訳です。上手くいく条件が皆無。すまん虚。本編では日の眼を見るか?!

 この過去編は初めてエンディングありきで書いた話だったわけですが、随分やりにくかったです。無機質状態の真に焦点を置いても面白くない。ならば虚に集中するか、彼女の性格上がっつかないでしょう。ならば周囲の人間を書きつつ話を進めるしかないと、こうしてみました。

 もっともそれ以上に難しかったのが楯無でした。つかみ所が無くて口調の再現が難しいのです。とくに楯無と千冬の会話が困難でした……何とかなった気はしますけれど。原作にもないんですよね、この2人の会話。この口調こうした方がよくね? という方いらっしゃればツッコミお待ちしております。

 それでは一端ここでお別れです。また2期でお会いいたしましょう。更識姉妹が難しい……。



[32237] 01-01 平穏なり我が日常その壱
Name: D1198◆2e0ee516 ID:e5ef504a
Date: 2013/04/17 21:48
 4月から8月までの4ヶ月は激動だった。本当に色々なことがあった。記憶が無く自分が誰か分からずに悩んだり、IS適正があると世間に知られ騒がれたり、学園に入学することになったり、ドンパチのすえ思いあまって学園を出ようとしたり、民家の頭上でドンパチしたり、失明したり、学園上層部に喧嘩を売ったり、フランス行ってまたドンパチして、左手が無くなったり、人知れずどこかへ消え去ろうとしたり、記憶がまた無くなったり、人格が消えたり、死んだり、生き返ったり。よく知る少女らの手を煩わせ、よく知る女性らに尻ぬぐいをさせた。改めて思うとここに立っているのが奇跡ではないかと思うぐらい、様々なことがあった。

 その激動を乗り越えて至った今日という日は、嬉しくもあり、誇らしくもある。教室を見渡せばよく知る少女たちが居た。鮮やかな金色の髪を持つ狙撃の少女、日本刀を打つ黒髪の少女、深みのある金髪の、手さばき優れる銃使いの少女。他にも多くの少女らが俺を見ていた。

 新たなる第一歩。門出として、身を引き締め、この1年1組の教室の壇上に立っているワケなのだが。

「うひゃひゃひゃひゃ♪」
「笑うならもっと品の良い笑い方しろよ!」

 目の前の自席で腹を抱え、今にも椅子からずり落ちんばかりに笑いこけているのが、何を隠そう織斑一夏、一応の友人である。親愛なるという枕詞は先程消えた。

 本日は9月1日の月曜日、今日から2学期が始まる、つまりは始業式だ。今年の4月、生徒として入学した俺であるが、諸般の事情で新学期から教師の真似事をするようになった。警備補佐兼IS操縦指導専任コーチという肩書きだ。つまりは日頃生徒ら彼女たちに操縦訓練の指導を行い、いざとなれば銃を片手に学園に仇成す不貞な輩成敗いたすお役柄である。

 旧知の仲であるマチルダことリーブス先生が、けじめは必要よというのでライトグレーのビジネス・スーツを着込み、挨拶のため教室にやって来た訳だが。俺の姿を見るや否や、頬を膨らし始めた。自己紹介をしていると、更に膨らまし、とうとう吹き出した。釣られて他の少女らも必死に笑いを堪えている。

「いやだってよ、真、お前、左頬の傷に、碧の眼で、義手でスーツだぜ? すっげーちぐはぐで、ぜんぜ似合わねーな♪ まるっきり格ゲーで言うところの色物キャラだぞそれ、紙袋被った先生とかよ♪」
「やかましいわ! TPOは重要だろうが、TPOは!」
「すまんすまん♪ だからこっちみんな♪ 顔文字貼り付けるそこの野郎♪」

 笑顔というのは良い。妬みを投げ飛ばし、怒りを突き飛ばし、愚痴るを蜂の巣にする。笑い声というのは良い。人を幸せに、自分を幸せに、幸福を呼び寄せる。それが親しい人の笑顔なら、声なら尚更だ。

 だが。ゲラゲラ笑う、年の離れた、年の近い友人の姿を見てそれには例外があると言いたい。釈迦如来か、イエス・キリストか、アッラーか。どなたかにか、もしくは全てに例外があると言いたい。是非とも言いたい。

「取りあえず笑いを堪えろ、話が進まない……」
「わりぃ、もうちょっとだけ……うひゃひゃひゃ、おぶぅ」

 つかつかと歩み寄り、一夏の頭を机に押しつけた鉄腕の持ち主は、織斑千冬という黒髪の女性である。1年1組担任。彼女の弟である一夏は真面目な狼と評しているが諸手を挙げて同意だ。因みに彼女とは前世で夫婦、今世は保護者被保護者という少々複雑な関係だ。もちろん俺が被保護者である。

「見習いとはいえ教師には敬意を払え、織斑」
「失礼しました織斑先生」
「失礼しました、蒼月先生だ」
「えー」

 ぶうとまた机に押しつけられる一夏。溺れるように手をバタバタさせていた。

「あ、お、つ、き、先生だ」
「失礼しました、あ、あ、あおちゅき先生」
「子供か、ばかもん」

 織斑君、器が小さいよと癒子が言った。俺もさらなる同意。もっとも俺も他人事では無い、これからは彼女を呼ぶ時は癒子ではなく谷本と呼ばねばならないワケだ。ぐりぐりとひとしきり一夏の頭を押すと、千冬さんは俺の隣に居た人物に目配せをした。腰まで届く銀髪が美しい少女である。彼女は一歩前に出て、カチッと踵を鳴らし直立不動。

「ラウラ・ボーデヴィッヒだ」

 訪れる沈黙。鏡ナギが「……それだけ?」と呟いた。ボーデヴィッヒ先生はふむとしばらく目を瞑る。更に沈黙「あの、ボーデヴィッヒ先生?」これは山田先生だ。織斑先生が彼女を促そうと口を開いた時だった。

「趣味は音楽鑑賞と読書。音楽はJazzを聞く。好きなアーティストはカーメン・マクエレ。あの大きくかつ深みがあり、身体に響く声が良い。機会があれば諸君らにも聞かせたいな。Jazzは旋律も良いが、音で聞くものだから相応のオーディオ環境がないと良さが分からないから気をつけるように。好きな作家は夏目漱石、日本人なら当然一冊ぐらいは読んでいると思うが、読んでいないという不届き者は後で出頭すること。罰則交えて読ませよう。他には芥川龍之介だ。邪宗門という作品が未完なのが惜しい。もう亡くなっていてどれ程望んでも続きは―」

「んんっ」 織斑先生はひとつ咳払い。ぴたりと演説が止まった。彼女は胸を張り一同を見渡した。

「あー、いま紹介があったとおり本日からボーデヴィッヒ先生と蒼月先生は諸君ら一年生を指導する立場となる。今までを忘れろとは言わない、公私の区別は付けるように」
「「「はーい」」」

 残念そうなラウラだった。


  ◆◆◆


「ボーデヴィッヒってあんな風だったんだな知らなかったぜ」

 昼食のラザニアを突きながら言うのは一夏だ。柊の食堂で、何時もの4人掛けのテーブル。こいつと二人面を付き合わせ食べている、女性陣は別テーブルだ。窓から空を覗けば雲は多少在るものの空の高い気持ちいい日だった。

 俺は鶏肉の照り焼きを摘まみながらこう言った。

「あんな風ってどんな風だ」 口に放り込む。とろっとした肉汁とぷりぷりした肉の歯ごたえが口中に広がって心地よい。
「もっと堅い奴だと思ってた。仕事が趣味とか、そんな感じ……なんだその呆けた面はよ」

 言われてみればラウラと一夏の接点はアリーナでの巨人騒ぎ、ほぼあの一件のみ。その後に起こった出来事を、知っている方が摩訶不思議だ。

「別に。まぁあれだな。人は見かけによらないというか、特に女性の外見は当てにならない」
「確かにな」

 そう一夏がしみじみと言ったとき鈴がラーメンを手にゆったりと歩いてきた。長く黒いツインテールが揺れていた。

「なに? また女の子の話?」
「「概ね当たり」」
「なに威張ってんのよ」
「いやさ、ボーデヴィッヒ先生が見た目と随分違うなって」 一夏は反り返り鈴を見上げていた。
「あぁそういうこと」

 鈴は仲が良いのか、と聞いてみた。

「普通に。挨拶程度はするわよ」
「共通点多そうだもんな」
「イチカ?」
「長い髪が綺麗でチャーミング」と、割り込むように言ってみた。
「……まぁいいわ。真、先生呼んでたわよ」
「分かった」

 鈴は染めた頬を隠すようにいそいそと立ち去った。一夏は呆れた様にジト眼だ。

「お前、息するように出てくるんだな。そう言う言葉」
「練習しとけよ。褒められて嫌がる人はあまり居ない。というか、実際可愛いだろ。鈴は」
「お前ズレが酷くなってるだろ」
「そんなにおかしいか?」
「チャーミングとか面と向かって言わないと思うぜ、普通」
「シャルの血が混じった影響かな、以前より抵抗がない」

 鈴の後を追うと、席で清香が手を振っていた。他には静寐、本音、箒の姿が見える。少し離れたところにティナ、セシリア、シャルの姿もあった。ラウラは教員用食堂で食べているだろう。

「箒も変わったな。出来れば1組の娘とも、ああしてくれると言うこと無しなんだけど」

 一夏が独白のように呟いた。

「まだ浮いているのか」
「そこまでじゃないけどさ、ほら束さんから渡されたISの件もあって少し引け目を感じてるみたいだ」
「箒は孤立しやすいからな」
「他人事みたいに言うんじゃねぇ」
「すまん、失言だった」

 二人揃って茶をすする。湯飲みはいい手に馴染む。

「箒のIS、紅椿だっけ? あれ結局どうなるんだ?」
「虚さんが今レポート書いてる」
「面倒なのか?」
「突如降って沸いた468個目のISコアに篠ノ之束の銘が入った謹製ISだからな。無理もない。だがなに、箒以外使えないことを証明出来ればお偉いさんも認めざるを得ないだろ」
「できるのかそんなこと」
「世界最高峰の学園のメイン・フレームでもハッキングは出来なかった、転じて箒以外使えないと言う事だから、その線で進めるそうだ」
「ふーん」
「他人事だな」
「箒はもう真に預けたからな」
「預けたって、兎じゃないぞ」
「いや、預けたのは真か?」
「言ってろ」

 一夏は何食わぬ顔でスプーンを置く。続いて俺も箸を置いた。

「ごちそうさま」
「まったく、俺もごちそうさまだ。一夏。夕食は先生らとだから来られないぞ」
「あいよ、それじゃ」

 一夏は授業、俺は仕事だ。立ち上がり軽く手を上げ別れた。


  ◆◆◆


 穏やかな日々である。

「おひっこしです」

 穏やかな日差しが入る職員室。陽の加減で緑色に見える髪の先輩は、もう穏やかな日は終わりですよと言った。引越し。住処を変えること。つまりディアナさんの部屋を出ると言う事だ。

 俺は自席で、側に立つ彼女を見上げた。身長は俺の方が高い、座っているから見上げている。ただそれだけだ。

「いつですか?」
「今日です」
「今からですか?」
「もちろん終業後です」
「結構強引になりましたね」
「蒼月先生には苦労させられましたから♪」

 眼鏡をくいとあげて胸を張る真耶さんだった。誇らしいらしいが、何が誇らしいのかよく分からない。先輩という意味か、仕切るという意味か。寮長という責任と権利、この肩書きが彼女を成長させたのかもしれない。いずれにせよ背後の、これは真耶さんの背後でと言う意味だが、座っているディアナさんの表情がぴくりと動いた事に彼女は気づいていない。

「して、私は何処ですか?」

 IS学園教師用マンション。元々真耶さんが住んでいた部屋には入れ替わりで千冬さんが入ることになった。このマンションは高級マンション並みに豪華な作りにもかかわらず賃貸料が格安で学園の先生たちに大人気だ。学園外の物件を予定していた人もこのマンションを希望し全て埋まっていたはず。

「2Fの倉庫を改装しました。そちらに移って下さい」
「分かりました」

 千冬さんは自席で書類を読んでいた。隣の席の小林さんは居なかった。向いのラウラはコーヒーを飲んでいた。この時3人の女性の態度に気がつかなかったのはミスだが、どうして気づくことが出来ようか。

 学内の、生徒に知られてはならない相応の極秘設備に目を通し、気がついたら17時半。終業となった。一路リーブス邸に赴き、荷物を鞄に詰めていく。スウェットにジャケットにタブレット型端末。歯ブラシ、コップに電気カミソリ……はまだ持っていなかった。前使い始めたのはいつ頃だったか、そう思いを馳せていた時である。

「はいこれ」

 ディアナさんに下着を渡された。念を押しておくが自分のである。若干の気まずさを感じながら、礼を言い受け取った。鞄に詰める。

「嬉しそうね」
「もちろんです」
「……」
「勘違いしないで下さい。これ以上ディアナさんの手を煩わせずに済む、そう思うと嬉しくて、と言う意味です」
「私も嬉しくて安心して眠れるわ」
「ディアナさん」
「何かしら」
「今までありがとうございました」
「心にも思っていないくせに。早く行きなさいよ」

 扉を開け、廊下に出た。振り向くと扉が閉まった時だった。カチャリと鍵が掛る。俺は扉に頭を下げた。済まない、そう心に念じた言葉は届いただろうか、それとも空に霧散するのか、そんな事を考えた。

 207と刻まれた扉。扉を開ければ僅かな薬品の臭いがする。ダイニングキッチンに、キングサイズのダブルベッド。作りはディアナさんの部屋と同じだが広さは大分在った。ベッドがなければ助走を付けて宙返りが出来そうなほどには在る。壁に埋め込まれたコンソールに手を当て、部屋のブラインドを開けた。宵の明星がみえた。

「見通しは悪いけれど、中々良い部屋になりそうだ」

 部屋に備え付けの端末で一夏にメールを送る。横着をしてキーを叩かずに直接文章を作った。『新しい部屋だ。教師用マンションの207号室。暇を作って遊びに来い』 送信。

 かちゃりと扉が開く音がした。そんな馬鹿なと振り返った。送信して一分経っていない。部屋の奥に見える暗がりの、玄関があろうそこから人影が忍び寄る。とたとたと軽い音だった。眼を凝らす。銀が見えた。

「なぜ?」 鍵は掛っているはずだ。
「広くてなかなか良い部屋だな」

 千歳茶色(せんさいちゃ:暗い黄土色)のミリタリーキットバッグを背負ったラウラが立っていた。

「なぜ?」 もう一度言ってみた。

 銀の彼女はポケットをごそごそと探ると、細長い三本の紙切れを取り出し俺に突き付けた。それには一本だけ末端に赤い文字で『あたり』と書いてあった。

「くじ?」
「外れだ」
「ならなんだこれは」
「違う。くじはあっている。当たりが外れと言う意味だ」
「つまりラウラは不本意ながら俺と同室になってしまったと、だから外れと?」
「肯定だ」
「「……」」

「拒否しろよ! 全く状況が変わらないじゃないか!」
「私とてそう言った! だが部屋が物理的に足りないと言われれば仕方なかろう!」
「何まるめ込まれているんだよ! 織斑先生の所へいけよ!」
「ブリュンヒルデが相部屋では学園の沽券に関わる!」
「ならリーブ、」
「ストリングスと二人っきりなどこちらから願い下げだ」
「彼女もそう言ったろ」
「よく分かったな」

 はあと溜息をつきベッドに腰を下ろした。頭を抱える。ラウラは背負っていた荷を下ろすと、すたすたと近づき隣に腰掛けた。俺はそのまま仰向けに寝転んだ。ぎしり、ベッドが一鳴き、俺は立ち上がる。

「どこへいく」
「柊寮、前使っていた部屋が空いているから使えないか交渉してくる」
「父上」

 なんだ、そう返事をする前に手を引かれ、倒れ込んだ。背後から抱きかかえられる。首に回された腕は、軽く締まった。ぐえと声を出した。

「一つ言っておきますが」

 何だよと、もごもご言ってみた。

「そこまで真剣に否定されると私とて傷付きます」 首を絞めていた力が緩む。赤い瞳は縋るように揺らいでいた。俺はやれやれとこう言った。
「俺はラウラの記憶を持っている」
「私は貴方の記憶を持っている」
「同居人としてはこれ以上の相手は無い、か」
「そう言う事です」
「仕方ない」

 そう見上げると、柔らかな笑顔が目の前にあった。年甲斐もなく一つ胸が高鳴った。カチャリと扉の開く音がする。何故だろう、オートロックの筈だ。現れた二つの揺らぐ影。夕焼けに染まる山の木々、それを背景に立つ2人。何故だろう、黒色と金色に見えた。

「最良の選択だと思ったが、少し目を離せばそれか」

 黒い髪の隙間から覗くこめかみには血管が浮いている。口は笑っていたが目が笑っていなかった。

「とても楽しそうで何よりですわ、少尉」

 金の髪がふさあと広がり笑顔だったがやっぱり怒っていた。

「もう良いって、二人とも言いませんでした?」

 辛うじてそう言うのが精一杯だった。

「織斑先生、リーブス先生、家庭内の事ですご遠慮下さい。それに、いくら合い鍵を持っているとは言え、ノックも無に入ってくるとは礼を欠いた行動ではありませんか?」

 少しズレたラウラの言動が火に油を注ぐ。千冬さんに首根っこを掴まれ持ち上げられた。ディアナさんに縛られミノ虫状態になった。二人に両頬を抓られた。俺が悪いらしいので、ひたすら謝った。初日がこれではと思いやられた。


  ◆◆◆

 あれ? もう8巻出たの? と思った方。ごめんなさいまだ出てません。更識姉妹をどうしようか迷い、取りあえず書いてみることにしました。書いてみて分かる事もあるだろうと。と言う訳で一期の後始末的な、のんびりした話が続きます。のんびりイェイ。


【どうでも良い作者のぼやき】






















「~というか、実際可愛いだろ。鈴は」
「~というか、実際可愛いだろ。鈴は」

大事なことなので2回言いまし(ry



[32237] 01-02 平穏なり我が日常その弐
Name: D1198◆2e0ee516 ID:e5ef504a
Date: 2013/04/17 21:49
 頬痛くそっと擦るれば、刺すような痛み。二人ともいい年をして大人げない、とはもちろん言わない。言えば更に酷くなる。それにしても凄い変わり様だ。前の二人はこれ程怒りやすかっただろうか。二人の怒った姿は殆ど覚えがない。時空間を越えるというのは人の精神に影響を与えるのだろう。そんな事を考えた。

「お前が変わりすぎだ」とは目の前の千冬さん。顔に出ていたのかと思わず手を添えてみた。「態度を見れば直ぐ分かる」 幼なじみとは本当に厄介だ、すぐ頭の中を覗かれる。彼女はソファーに腰掛け缶ビールをぐびぐびと飲んでいた。テーブルに置かれているビール缶の品々。俺も一缶と手を伸ばしたら手を叩かれた。

「これなら前の方が良かったかもね」と酷い事を言うのはディアナさん。とんとんとんと包丁の音。エプロンを纏い台所で腕を振るっていた。腰に咲いたリボンが可愛らしい。

 見れば我が新居の台所。今日越してきたばかりなのに調理器具が相応にあった。彼女が持ち込んだ様だ。同じくエプロンをゆらしラウラが盛りつけをする。個人的にしろ、国家的歴史的にしろ、色々な意味で感慨深い。第二次世界大戦という意味だ。

 エプロン姿の、二人の背中をじっと見ていると千冬さんにじろりと睨まれた。多少不愉快そうな顔をしていた。料理が出来ない事に引け目があるのだろうか。これは良くない傾向だ。女性だからと言って全ての人に家事能力を求める風潮は間違っていると思う。十把一絡げ過ぎだ。

 千冬さんに家庭的な能力を求めるのは警官に消防活動を依頼するようなものなのだ。料理が下手でも食べる方法など幾らでもある。ディアナさんが偶々インチキをしているだけだ。気にする必要は無い……燃えさかる家屋。警官服に身を包んだ黒の人。業火に臆せず踏み行って、柱をバキボキとへし折り鎮火させる、そんなイメージがわいた。

「……千冬さんなら消火出来そうですね」
「何か言ったか」
「いえ何も」

 疑いの眼を向けながら彼女はビールを一口。

「まあ良い。ところでお前の待遇だが」
「はい」
「数日中に正式辞令が下される。教員免許を持っていないから正式な教師ではないが、ここはIS学園だ。IS操縦能力がお前らほどにあれば問題にならない。しっかりやれよ。コマ(担当教目)はもてないがな」
「はい」
「それと、明日放課後、警備リーダーとの顔合わせがある。予定を空けておけ」
「警備リーダー?」
「学園警備を担う一人だ。建前では私の部下になるが、少し方向性が違う。私が警備主任なら、そいつが警備チーフと言ったところか」
「主任とチーフですか?」
「侍と忍者、兵士とスパイ、と言って良いだろう」

 微妙な違いがまた日本らしい。俺はビール缶をプシュと開けて一口。一瞥を投げられたが何も言われなかった。

「どの様な人物ですか? 心当たりがありません」
「黒之上貴子、おぼえているか?」
「ええ、良く」
「あれに薄いネコの面を被せた感じだ」

 ぴたりと自分の手が止まった。彼女に翻弄された数々の日々、頭から血の気が引く、努めて冷静にこう言った。

「それ褒めていませんね」
「さあな」

 意地の悪い笑みだった。出来たわよとディアナさんが足取り軽くやって来た。持ってきたのは特製アッシ・パルマンティエ。挽肉と裏ごしたジャガイモ、刻んだ人参とチーズを重ねて焼いた、グラタンに似たフランス家庭料理だ。それは深みのある味でとても美味しかった。


  ◆◆◆


 翌日。3限目4限目は1組2組合同のIS実習だった。第3アリーナのフィールドに立ち、見上げればまだら雲。空も高く、瑠璃紺色に澄み切っている。見渡すとISスーツ姿の少女たちが居た。懐かしい空気だった。

 清香と鈴は背中をあわせ、片方が前屈みをすると、もう片方は身体を伸ばす、下ろす、また曲げる。その繰り返し、ストレッチをしていた。STN3人娘は何かの談義中。一夏は少女らの接待だ。

「平和だね」そう言うのはシャルだ。ISスーツ姿で立っていた。
「まったくだよ。一時の騒ぎが嘘のようだ」

 風がそよいだ。冷たい風で二の腕を擦っていた。

「身体の方は良いのか?」
「お陰様でね、全く問題ないよ。逆に気を使われて気疲れしまうぐらい」
「気を使うって、一夏が?」
「うん」

 バツが悪いのか、彼女は左頬をぽりぽりと掻いていた。

「……あまり弄らないでやってくれ。あいつもそれなりに大変なんだ」
「あはは、ごめん。反応が余りにも可愛らしくてつい。でも、」
「でも?」
「一夏だって悪いんだよ。僕がいるのにさ、直ぐ他の娘と仲良くして、悔しくてつい意地悪してしまうんだ」
「難しい乙女心だな」

 雲の切れ間から月が覗いていた。陽が支配する明るい東の空、少し掛けていた。月齢11.7歳と言ったところか。その時ある言葉、一節の欠片が不意に浮かんだ。

「秋風の……なんだっけ」
「詩?」
「そう。秋の詩で、」
「秋の詩は沢山あるよ」
「漏れいづる、月、とか」
「秋風にたなびく雲の絶え間より、漏れ出づる月の影のさやけさ。藤原顕輔(ふじわら の あきすけ)だね」

 凜とした声が響く。

「綺麗な音ですわね。どの様な意味がありますの?」

 セシリアだった。金色の髪を揺らしながらゆったりと歩いてきた。振り向いて答えた。

「詩(うた)だよ新古今和歌集の一つで、雲の切れ間から射し込む月の光を謳ったものだ。百人一首にも選ばれている」
「古い詩と言うことかしら。意外ですわね、随分と古風ですこと」
「褒められているのか貶されているのか、どちらだよ」
「両方ですわ、古きモノは同じ古いモノでないとその価値が分からないと母が言っていました」
「分かった。馬鹿にしているだろ」
「お好きなように」
「そう言うのはずるいぞ」
「真が私にしたことを考えれば格安ですわよ。さあ、先生もいらっしゃった様ですし、私たちも、あら?」

 シャルが居なかった。どうやら気を使われたようだ。


  ◆◆◆


 少女が整然と並ぶ中、黒の人は白ジャージで胸を張り、見回すと凜とした声でこう言った。

「全員揃ったな。本日は精密射撃訓練を行う。班は専用機持ちを中心に任意で作れ。改めて言うことではないが、訓練とはいえ実弾を使うから各位気を引き締めて行うように。事故が起これば怪我では済まないぞ。」
「「「はいっ!」」」
「よし解散!」

 織斑先生の号令で少女たちがわらわらと散って行く。班分けは、セシリア、鈴、シャル、ラウラ、真耶さんに千冬さんの計6班。俺は各班を回り、お呼びとあらばはせ参じるワケだ。

「織斑先生、俺はどうすれば」と一夏が言った。
「織斑、お前は特殊だ。銃は使わないし皆に教えることも出来ないだろう、自習してろ」
「はあ」

 一夏が眩い光に包まれ、白い鎧が現れた。大型のウィングスラスターが目立つその出で立ちは、白騎士と言うより聖騎士に見えた。どことなく福音を連想させ腹の奥が痛くなった。

「多少ゴタゴタしすぎかもしれないな」
「シキの第2形態のこと? 私は良いと思うけどな」とは清香だった。一夏は空高く舞っていった。見上げる。
「俺は第1形態の方が好きだ」

 偶々近くに鈴の班が居たのそこに混じる。相川清香、谷本癒子、鏡ナギ、夜竹さゆか、金江凜(かなりん)、布仏本音、凰鈴音といった1組2組混成チームだ。箒は千冬さんのところ、静寐はシャルのところにいた。鈴が困った顔でこう言った。

「アタシ、銃は専門じゃないのよ」 俺は静かに頷いた。
「分かった、なら復習ついでに一緒に聞いてくれ」

 空飛ぶ戦車を彷彿させる訓練機ラファール・リヴァイヴに黒い義手を添えてこう言った。

「一番手は……相川さん。搭乗して下さい」
「はいはい」

 とおっと、清香は軽やかな身のこなしで搭乗すると、各関節が解放され、立ち上がった。今となっては懐かしいカーキ色のリヴァイヴがそこにあった。

「搭乗終了」 清香の手に51口径のアサルト・ライフル“レッドバレット”が顕れる。
「突然ですがここで問題です。命中精度に関わる要素は何があるでしょうか?」

 癒子が手を上げた。

「はい、谷本さん」
「風向風速、発砲時の反動抑制、目標との移動方向を含めた相対速度です」
「正解です。細かいところをあげれば、目標との距離、弾頭の形状に重さ、弾頭と薬莢の密着度、ライフリングや銃口、銃身の状態などがありますがこの辺りはまた別の機会にして今日は体勢と反動を体感しましょう。相川さん、あのターゲットを撃ってください、5発撃つこと」
「らじゃー」

 みやを介しアリーナの制御コンピューターに的を作らせる。フィールド上より2メートルの高さに光子結晶のターゲットが出た。距離300mだ。発砲音が響く、結果は10点満点で全弾8点以上だった。おおと皆から賞賛の声が漏れた。

「よくできました」
「ふふふのふ」 清香は得意げだ。
「次ぎは、あれを撃って下さい」 ターゲットは高度50m。距離は同じ300m。
「おまかせっ」

 全弾5点から8点までの間だった。あれ? と彼女も首を傾げている。

「さて、なぜ命中精度が落ちたのでしょうか」
「見上げることにより重力補正が変化した」とは、ナギ。
「FCSの自動照準に重力のパラメータが入っていた筈よね」とは鈴。

 左から右へずいっとを見渡す。皆頭にはてなマークを浮かべていた。

「正解は、射撃姿勢による反動の変化です。水平発射の場合、重力が銃身と垂直に掛り、反動は重心軸上、つまり地面と水平方向に掛ります。

 ところが、狙いを上方へ向けると銃身の地面との角度の分だけ反動が分散され、同じ要領で撃つと誤差となります。FCSの補正はあくまで意識内に投影される照準の補正であり、アクチュエータへのフィードバックはされません。これはマスター・スレーブというあくまで人間が動かすという、概念で設計されているからです」

 鈴はそう言えばそうだったと頭を掻いていた。

「アクチュエータを固定して反動抑制する射撃方法もありますがそれはまたの機会にしましょう。相川さん今度は宙に浮いて撃って下さい」

 ふわりと浮く。高さは1m程。10発撃つものの3~6点で更に落ちた。清香はふわふわ浮きながら渋い顔をしている。

「悪化したのは踏ん張りが利かないからですか?」とは、かなりん。
「正解です。この場合、トリガーにスラスターの出力と向きを合わせる必要があるので注意が必要です」

「先生しつもん」
「はい、谷本さん」
「P.I.C.でキャンセル出来ないのですか?」
「P.I.C.による内部慣性制御はあくまでISの内部とパイロットに掛る力を打ち消すモノです。銃反動を打ち消すにはマニュアル操作が必要ですが、これは2年生の範疇ですから今は頭の片隅に置いておいて下さい。

 この授業での肝は四肢による固定だけでなく、発砲時の四肢の位置、つまりスラスターを含めた射撃姿勢が重要と言う事です。撃つ瞬間にその方角へ進む、この感じです」

「先生質問」
「はい、夜竹さん」
「先生はP.I.C.のマニュアル操作ができるのですか?」
「俺?」
「はい」
「もちろんできます」
「いつ頃覚えたの?」とはナギ。
「凰さんが入学する前だから、4月末?」
「何で疑問系なのよ。というか独学?」とは鈴。
「はい」
「どうやって?」とは清香。ジト眼だった。
「……おれ機械と相性良いから」

 またそれだと、相性どれだけ良いのだと、ずるいだの、インチキだの、ブーイングが飛んできた。

「他人と比べることは愚かなことです。その暇あったら鍛錬しましょう」
「「「ぶーぶー」」」
「はいはい、次は布仏さん。乗って下さい」

 癖になった左右の房がひょこりと揺れた。


  ◆◆◆


 地面で撃ち、宙で撃ち、意識して当たる少女も居れば外れる少女も居た。一巡し今宙に浮かび撃っているのは清香だ。発砲する瞬間、脚部のスラスターが断続的に火を噴いた。飲み込みが早い、6~7点は獲っている。

「まこと君」 隣に立つのは淡い栗毛の少女、本音だった。
「なに?」
「箒ちゃんのこと放っておくの? きっと待ってるよ」

 宙に浮く清香が発砲。その更に上にシキが見えた。

「俺は彼女に振られたの。それに今授業中だぞ」
「それ言い訳だよ」
「本音だって本心を言ってないだろ」
「それ意地悪だよー」
「第一今の俺は先生なの。先生が、生徒と付き合う訳にはいかないだろ。だから今のままが良いんだ。ささ、次はまた布仏の番だぞ。準備する」

 彼女は一つ息を吸い吐いた。組んだ両手は胸元に。見上げる眼差しには意を決した様に力が籠もっていた。

「なら、本心言うね。私は、」

 彼女の言葉は爆撃でもされたかのような、雷が降ったかのような、爆音で掻き消された。何事かと見上げれば空を切り裂いている白式の姿が見えた。掲げる鋼の刀身の切っ先に、音の速度を超えた象徴である円錐状のマッハ・コーンが見える。

 第2形態を迎えて新たに獲得した白式の能力。ゼロ・ブート・イグニッション。60G以上の加速を誇り静止状態から一秒足らずで音速を超える、異次元的な機動能力だ。

「よっしゃよっしゃ! この技をソニック・ブレードと名付けよう!」

 ぶんぶんと雪片弐型を振り回す一夏は皆がひっくり返っている事に気づいていない。

「この馬鹿者が! 誰が超音速で飛べと言った!」

 千冬さんは怒っていた。

「……あれ?」

 あれ、ではない。一夏の馬鹿め。

「すまない布仏。もう一度言ってくれないか」
「おりむーのばか。まこと君のばかばか」

 馬鹿馬鹿言いながら彼女は立ち去った。仕方なかろうと俺は内心溜息をついた。一夏は拳骨を喰らっていた。

 太陽が南中に掛る頃、それではここまでと千冬さんの号令が響く。俺ら、体育部の少女と俺が訓練機をアリーナの格納庫に入れたその時である。千冬さんの姿を確認すれば、一夏は正座させられていた。悲痛な叫びが響いた。罰則なのだな、そう同情しながら視界に入らないようこっそりと帰った。掛る火の粉は払う物だ。いや、火中の栗は拾わず捨てる。

 第3アリーナの更衣室。シャワーを浴びながら、鼻歌を歌えばさめざめと泣く声がする。一夏は罰として教室の掃除を仰せつかった。学園の教室は人数の割に大きい、終業後始めれば相応な時間は必要だろう。一人なら尚更だ。

「いいじゃないか、ちょっとぐらい。千冬ねえも怒りすぎだと思わないか?」
「同情を誘っても手伝わないぞ」
「つきあえよー 友達だろー」

 また調子が良い。

「そう易々と友情を振り回すとデフレ起こすぞ」
「友情の価値が下がる?」
「そう」
「また面倒くさい言い回しをするな、お前はよ」
「一般常識だ」

 ごしごしと頭を洗う。右手しかないから不便と言えば不便だがいい加減馴れた。一夏もごしごしと頭を洗っている。流れ落ちる泡を気にしながら一夏はこう言った。

「本音、なんだって?」
「覗きは良い趣味じゃないぞ」
「見てただけだ」
「察してるんだろ」
「……箒をって言ったんだろ?」
「そうだ」
「あの2人意外と似てるよな」
「なにが」
「箒もそんな事を言っていた。本音の笑った顔を見たいって」

 俺は何も言わずシャワーを浴びていた。

「静寐とはどうなんだ」
「普通に挨拶して話してる。今度買い物に行こうって誘ったらOKがでた」
「二人っきりでか?」
「ああ」

 恐らく追跡者はいるのだろう。泡を流し落とし、ごしごしと頭を拭く一夏はこう言った。

「俺思ったんだけどよ、二人同時に付き合えば?」
「また適当なことを言う」
「いいじゃねーか。おっきいコンビで。いやセシリア入れればトリオか?」
「分かった。お前は馬鹿だ」
「男は賢くなると女の子のとの縁が遠くなるってよ。馬鹿なぐらいが丁度良いんじゃねーかと思う」
「……何処で覚えた、そんな深いこと」
「弾が言ってた。まあ、お前は俺以上に不器用だからな。急いでじっくり考えておけって」

 自分は棚の上か、そうぼやいた時一夏は既に居なかった。鼻歌交じりに更衣室に消えていった。俺はしばらく湯を浴びていた。びしゃびしゃと音がする。負うた子に教えられて浅瀬を渡るとはこの事かと、思い至ったとき腹がぐうと鳴った。

 真と呼ぶ声がする。何だと言いながら俺も更衣室に足を向けた。タオルで湯を拭き取りながら一夏を見れば、そこに真耶さんが居た。緑のジャージ姿で立つ彼女は電池の切れた時計のように止まっていた。

「「「……」」」

 沈黙が訪れた。空調のごんごんという音だけが響いていた。俺は自分のなりを確認すると一夏をみた。こいつはインナーとスラックスを穿いて上半身真っ裸だった。俺はこう言った。

「一夏、上半身裸は不味いだろ」
「真だってバスタオル一枚じゃないか」
「上半身ぐらい別に、と言う訳にも行かないか。そもそも何で山田先生がここに居る」
「入って良いですかって言うから良いって」
「何で良いって言ったんだよ」
「ほら、俺ら男だし上半身ぐらい良いし。千冬ねえも大丈夫だったし」

 ばたり、人の倒れる音がした。

「「真耶先生ー!!」」


  ◆◆◆


2013/04/17



[32237] 01-03 更識楯無
Name: D1198◆2e0ee516 ID:e5ef504a
Date: 2013/04/21 17:10

やっぱりやります3人称。

  ◆◆◆


 真耶は長いすに仰向けで伸びていた。額にはぬれタオル、傍らには千代実がやれやれと団扇で扇いでいた。真耶は大浴場の時間割を伝えに来たのだが、彼女自身、己の免疫について失念していた。

「ちゃんと聞いたんですよ~ 入っていいのかって聞いたんです~」
「分かったから寝てなさい」

 場所は移りアリーナから学園本棟に続く道の上。真の左を歩くのは千冬である。彼女もまたやれやれと端正な眉を寄せていた。仕方が無いと言わんばかりである。

「山田先生は一期生。IS学園の歴史と共に歩んできた女性だ。幼稚園から中学まで私学の一貫校に通い、中等部卒業後学園に入学した。学園卒業後も学園に止まりそのまま就職、つまり男に免疫がない。幾ら年下とはいえ、15歳16歳のそれは刺激が強かったのだろう」
「そうみたいですね。上半身ぐらい大丈夫だと思いましたが」
「以後気をつけるように」
「はい」

 本棟へと向かう道すがら、上級生と思わしき数名の生徒とすれ違った。千冬と真二人の姿を認め一転真面目な顔をする。通り過ぎるときゃあきゃあと黄色い声をあげ消えていった。はやし立てる声、ゴシップ的な声である。千冬は不愉快そうだ。

「まったく。もう上級生だというのにあの有様だ。女子校というのは何処でもこうなのか」
「さあ。ですが切り替えが出来ていれば気にする程の事でもないかと。それに」
「なんだ」
「悪い気はしません」

 千冬は1つ咳ばらう。

「まだ話していなかったな。これから引き合わせる人物だが、更識楯無という名で生徒会長だ。純粋な体術に関して言えば私の次と言って良い」
「格好いい名前ですね」
「名前は良いのだがな」
「それ程人格に問題が?」
「人格というか何というか、まあ会えば分かる。言葉では説明しづらい」
「はあ」

 人差し指はこめかみに、千冬の困惑した表情。真は不意な目眩に襲われた。

 彼の見るイメージは、海辺の臨海公園だった。砂浜に海。潮風が吹き、回る風車。煉瓦道を走り回る子供達。恋人連れに。家族連れ。伸ばした左手には、白いワンピース姿の、黒髪の少女が優しく笑っていた。

 彼の、この大地に立つ前、異なる大地に居た頃の記憶である。そのまま身を任せてしまいたくなる衝動が彼を襲った。

「真!」

 ゆっくりと眼を開けると、彼の額に彼女の手があった。ひんやりとした柔らかい感覚。

「大丈夫、ただのデジャブです」
「今更戻るなど、なしだぞ」
「分かっています」
「ならばいい」
「前にもこんな事ありましたね」
「そうだったか?」
「TDLに行こうって当日に俺が風邪引いて、」

 千冬は眼を瞑り、握り拳は顎の先。遠い過去から繋がる糸をたぐり寄せる。じっと立ち尽くした後、ゆっくり眼を開いた。

「玄関の、風邪を押して外出しようとした話か」
「そうです。親にもばれなかったのに千冬さんには一目で見抜かれた話です。あの時は参った。体調悪いって分かっているのに千冬さんは説教モードに入って」
「昔の話だ、馬鹿者」

 千冬は気分を害した様に足早に立ち去った。二人が共有したのは過ぎ去った時、過去と言う名の記憶、思い出。真は慌てたように駆けだした。

「待ってくれよ、茶化すつもりはなかったんだ」
「知らない」

 肩を怒らせ振る両手は棒のよう。真が追えば振り払うかの如く足を速める千冬。職員室から覗くディアナの呆れた様な視線に気づくことなく二人は昔に戻っていた。

 その時間はその2人が職員室脇に備え付けられた小さな部屋にたどり付くまでであった。千冬は表情を何時もの鋭いものへと変え、彼もまた幸せな一時が終わったことを知り、身を正す。

 ノックを二つ。生徒指導室と刻まれた扉が開く。真が入ったとき、ソファーに腰掛ける1人の少女を見た。視線が絡んだ。

「蒼月先生」千冬の促しで真はソファーに腰掛けた。彼の前に制服を纏う美しいと称して良い少女が居た。微笑を湛えていた。

「私の顔に何か付いていますか?」

 ブーゲンビレアと言う花がある。背の低い木で、花びらは赤紫の、濃いピンクの色を付ける。緑の葉の上に乗った花は咲き乱れ、まるで王冠のよう。圧倒的なまでに美しいが、その茎には長い棘があった。彼の第1印象はそんな花だった。

「失礼。楯無と言う名前に振り回されたようだ」
「男性かと思った? 本名じゃないの」
「成る程ね。ところで君とはどこかで会った事ある?」
「その手は古いというか古典的過ぎない?」
「いや、君の話し方からその様に感じた」
「知ってる知ってないかと言えばもちろん知っているわよ。世界でたった2人の男子適正者。世間で騒がれているのは織斑君とはいえ……たぶんきっと君の方が異質だわ」
「色々知られているようだ」
「もちろん。そう言う立場だもの」
「光栄だよ、なら改めて。蒼月真よろしく」

 掴んだ両手はか細かったが、彼にはとても強く感じた。

「更識楯無、お手柔らかに」

 こほんと、一つ咳払い。千冬の促しで手を放した。

(陽の加減で青く見える髪か。随分と華奢で綺麗だけれど隙が無い。忍者、スパイとは千冬さんも上手い事を言う。迂闊に手を出せば引っかかれるぞ)

 千冬は真に、更識家の彼女の役割を説明した後、教頭に呼ばれ職員室に戻っていった。すれ違い様、彼の耳元ではめを外すなと忠告した。真は何かに挟まれたように感じ居心地悪く座っていた。

「更識さん」
「楯無って呼んで」
「……なぜ?」
「他人行儀っぽいじゃない」
「他人だろう」
「あら、連れない。同い年よ私たち」

 彼は成る程と去年出会った貴子の姿を思い出した。主導権を握られると引っかき回される、彼は慎重に言葉を選んでこう言った。

「なら楯無と呼ばせて貰うよ」
「たっちゃんでもいいのよ」
「俺に伝えておくべき事はある?」
「む。スリーサイズ?」
「興味ない」
「体に興味が無いなんて。ホモ説は本当かしら。それなりに気を使っているのよ」
「良くしてくれる女性には事欠かなくてね」
「言うわねー」
「かしこまらなくても良いと言うのなら、お言葉に甘えるよ。俺も堅苦しいのは苦手なんだ」

 一拍。互いが笑みを浮かべる。楯無は両手を頭上に伸ばし、真は肩の力を抜いた。

「私も苦手よ。表の立場としてはフォーマルな場が多くて嫌になる」
「ロシア国家代表ならそうだろうな」
「真は良いわねー、もう殆ど裏方じゃない。ニュース見ても取り上げられるのは織斑君だけ」
「裏方は裏方で大変なんだ。まあ多分。そっちほどじゃないと思うけれど」
「多分、とんとんよ」

 楯無は真の左腕を見て、窓を見た。覗く太陽は弱くなり始めていた。彼女は時計を確認すると午後4時丁度。立ち上がった。

「歩きながら話しましょうか。案内しておきたいところもあるし」
「学内施設なら大体把握しているけれど」
「デートの口実よ、察して欲しいわね」
「デートね」

 彼はやれやれと立ち上がった。

「ご婦人のお誘いなら大歓迎」


  ◆◆◆


 放課後。楯無と真が学園内を彷徨いている頃、学園の最外層、人用の射撃場で3名の少女がレーンに立っていた。1人はシューティング・グラスとイヤー・プロテクターを身につけ、地に伏せていた。2人も同じ装備で数歩後ろに控えていた。パンと乾いた音がひとつ木霊する。撃ち出された弾丸が100メートルの距離を飛び、的に当たった。狙撃銃を構えるのは清香だった。

『ティナ、セシリア、ちょっといいかな』

 それは教室の前の廊下でのことだった。日が陰り始めた頃、ティナとセシリアが銃について談義していた時、清香が2人に話し掛けた。

『私、実銃って撃ったことなくって』

 清香は、自身のIS射撃能力に息苦しさを感じていたのである。セシリアと決闘した静寐の一件もまた彼女の背を押すのに十分だった。

 肩に掛る程度に長いボブカットの髪、ティナが望遠鏡を手に着弾を確認する。セシリアはその側に立ち、長い髪を滑らかに波打たせていた。2人はふむと清香を見下ろした。その視線の先には不安そうな瞳が揺らいでいた。

「清香。本日が初めてなんですね?」とはティナが双眼鏡をセシリアに手渡すと清香は頷いた。結果を見たセシリアが「初めてでこれならば鈴さんの言うとおり資質が在るとみて良いでしょう」

「資質があるのは嬉しいんだけど、どうにももどかしくて」
「そんな簡単に腕が上がれば苦労しません。狙撃の技は一日にしてならずです」

 ティナの物言いに清香は拝み手で頼み込んだ。

「だからお願い! 訓練を手伝って!」
「訓練には順序があります。焦る必要はありませんわ」
「人と同じ事してたら、人と同じようにしかならない。お願い二人とも、この通り!」

 必死の様相にティナとセシリア、2人は見合い一つ息を吐いた。仕方がないと笑っていた。

「私たちも実銃訓練はします。その時併せてならば構いません」
「あと、ビッグパフェを要求しても良いかしら」
「それはいい取引ですセシリア」

 セシリアの提案に清香は2人に抱きついた。喜びはしゃぐ清香に戸惑いつつもティナは胸を張りこう言った。

「私の指導は厳しいですよ」

 ティナは米軍仕込みである。

「分かった! ビシバシお願いします!」

 笑顔で敬礼の清香。

「早速ですが清香。貴女が手にしている銃の名称を答えなさい」
「……44まぐなむ?」
「それは弾丸です! 名称どころか種類すら間違えるとは何事ですか!」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」

 清香が手に持っているのはレミントン・アームズ社の7.62ミリ狙撃銃M24である。弓矢のような真っ直ぐな銃身、流れるような銃床。スラリとしたシンプルなシルエット。必要十分のボルトアクション式狙撃銃である。本来ならば300ウィンチェスター・マグナム弾を使うが初めてというのでティナが火薬量を減らしていた。

「まったく。根本から鍛え直します。良いですか、その銃は清香、あなたの分身だと思いなさい。そしてこれから私の言う事を暗記すること! “これぞ我が銃。これに似たもの多けれど、これぞ我がもの。我が銃は我が最良の友……”」
「えっと、これが我が銃?」
「これぞ!」
「ひぃ!」

 涙目で清香が米海兵隊『ライフルマンの誓い』を暗唱している時だった。セシリアが何気なく双眼鏡を覗いていると、彼女の視界によく知る少年の姿が映った。

 心に沸いた悪戯心。ジャケット姿で何をしているのか、僅かにフォーカスをずらした瞬間である。見たこともない、美人と称して良い少女が側を歩いていた。否、腕を組んでいた。

 ぷちん。

 彼は単にエスコートをしているつもりなのである。もちろんセシリアはそう思わなかった。

「清香さん」
「え、なに?」
「それ、貸して頂ける?」
「良いけれど、どうするの?」 清香は迷ったが手渡した。血走っていたからである。
「狙い撃ちますわ」

 セシリアの視線の先。ライトグレーのジャケットで歩く人の影。遠く人相までは分からなかったが思い当たる人物は唯一人である。2人は顔を青冷め飛びかかった。引き金を引く瞬間だった。発砲しなかったのは2人の反射神経のなせる技、セシリアの銃使いとしての枷である。照準からターゲットが消えた以上撃つ訳にはいかない。二人は慌てふためきながらこう言った。

「セシリアちょい待ち! それだめ!」
「お離しなさい! 今度という今度は勘弁なりません! この期に及んで別の女などと!」
「落ち着いて下さいセシリア! 銃を向けて良いのはテロリストと変質者だけです!」
「安心なさい! ちゃんともみ消しますわ!」
「「問題が違う!」」

 むーむーと駄々をこねるセシリア。セシリアと真の間柄、過ごした時の出来事を考えれば彼女の癇癪も分からなくはない。とはえ学内で射殺は大不祥事になる。二人は必死に宥めた。セシリアが落ち着いた時には太陽が落ちかけていた。照明が点灯した。

「お二人とも申し訳ありません。少々取り乱しましたわ……」

 息を切らすセシリアに、少々では無いと髪を乱れた髪を整える清香だった。ティナは仕方がないとポーチからとっておきだと取り出すとセシリアに手渡した。それは四角く薄い包装物だった。

「セシリア。これをプレゼントします。お使いなさい」
「なんですの? これは」 訝しがりつつもセシリアは受け取った。
「マイルーラです」

 ぱさり。セシリアは落とした。清香が物珍しそうに拾う。

「持ち込むのに随分手間取りました。セシリア、計画的に使うのですよ」
「ティナ! 貴女は何を考えていますの!」

 顔を真っ赤に染め詰め寄るセシリア、ティナは人差し指を立て平然とこう言った。

「良いですかセシリア。気持ちは分かりますが貴女にも落ち度があります。男性の生理的欲求は女のそれとは違うのです。お預けも程ほどにしないといけません。二人が出会ってもう半年でしょう? 私に言わせると虐待の域ですね。させてあげなさいセシリア。いくら何でも蒼月君が不憫でなりません」

「な、な、な」 二の句が出せないセシリアである。清香は人差し指と親指で角同士を摘まみ、息を吹き付け風車のように回していた。

「恥ずかしがる方がおかしいのです。好き合っているもの同士、肌の温もりを求めて何がいけないのです」
「ティナ、私も欲しい」
「構いませんが私が先ですよ」
「えー。静寐と鈴に相談してからにしようよー」

 ただ立ち尽くすだけのセシリアだった。


  ◆◆◆


 生徒会長とは学内最強の証である。楯無のこの説明に真は面食らっていた。

 二人が歩く学園本棟から最外周人用射撃場付近にいたる道、数回にわたり主に体育系の、それも格闘技系の部員から二人は襲撃を受けていた。当初何事かと身構えた真であったが、襲撃者に身覚えがあり、なにより水のように風のように、然も当然の如く下される楯無のあしらいを目の当たりにし、脇に添えるハンドガンを抜く機会を逸していたのである。矛先の仕舞い所を失い、居心地悪く、思わず右手で頬を掻いた。

「知らなかった。てっきり普通に立候補選挙かと」
「あっきれた。それを知らずに貴子先輩と連んでいたわけ?」
「今思えば確かに普通の身のこなしじゃないとは思うな」
「普通じゃなくて異常よ、拳銃弾を弾くと言われても信じそうなタフさで4度仕掛けるも結局勝てずじまいだった……どうしたの?」

 突然立ち止まり、感覚に赴くままその方角を見れば。雑木林のその隙間。遠目に見れば白を基調とした制服姿が踊っていた。はてなと彼は首を傾げた。

「いま殺気を感じたような。身覚えのある」
「殺気? 見覚え?」

 楯無は彼の黒く堅い左腕に腕を絡め、不思議そうな眼で彼を見上げていた。一応の同い年と言う事もあり二人は早々にフランクな間柄になっていた。年以上の技術を持つもの同士という事実も二人を後押ししていた。

「身覚え。まあいい、ところで楯無。申し訳ないけれど腕解いてくれないか?」
「それって失礼すぎだと思うわよ」
「いや、見る人によっては誤解を生みそうだ。この場でパーティのエチケット持ち出しても、やっぱり厳しいだろ。何人が分かってくれるか不安だ」
「ふむ。誤解されると困る人が居るのね」
「まあね」
「まあ良いわ、触り心地良くないし、その左腕」

 腕表面を撫でるように手を放すと、ステップを数歩踏み振り向いた。見上げる視線は小悪魔の如く。だが彼は動じること無くこう言った。

「で、そろそろ加減目的地を教えて欲しいのだけど」
「第7ハンガーよ」 つまらなさそうな楯無だった。
「……なぜ射撃場近くまで来た? 殆ど学園を横断する位置じゃないか」
「複雑な乙女心」
「なにを企んでいる」
「デートだって言ったでしょ? 企むなんて失礼しちゃうわ、ぷんすか」

 彼は今更ながら、目の前の人物に対しもう少し慎重に接するべきだったと後悔していた。もっとも手遅れであったのは言うまでもない。

 風の音と虫の音が流れる中、二人が歩くのは町工場的な雰囲気を醸し出すハンガー区画だ。アリーナや複合体育施設など、洗練されている学園施設に於いて異質さを放つ、質実剛健的な空間である。

 道の両端に備え付けられた電灯が付いた。陽は落ちていた。見れば道端に何かの部品が雨ざらしになっていた。冷たさを感じ始めた空気をものともせず、2歩3歩先を行く楯無は振り返るとこう言った。

「我が学園の誇る最新ISを一目見ようってね」
「何故俺が必要なんだ?」
「だからエスコート役よ。真にとっても他人事じゃないと思うけれど?」
「白式と紅椿か」

 ハンガーのメインハッチ。その脇に設けられた出入り扉。開けると天井に煌々とした明かりがあった。静かなその場に第2形態を迎えた白式と、赤いIS紅椿が鎮座していた。

 白式の影で動く人の影。複数の上級生に混じり淡い栗色の影があった、首元で結っていた、本音である。もう1人、紅椿に向いタブレットを操作していた人影が振り向き歩み寄よる。眼鏡に結い上げた栗色の髪、虚だ。

 真と視線があうと本音は白式の影に隠れた。

「お嬢様。どうされたのですか?」
「ISを見に来たのよ、見学良いかしら」

(お嬢様?)二人の微妙な距離に彼は戸惑った。

「構いませんが、お静かに願います」と虚が言った。
「りょーかい。相変わらず真面目ねぇ」そう楯無が答えた。
「3人はどの様な関係?」

「虚と本音は家の、更識家のメイドなのよ」
「……めいど? メイドってあのご主人様って言うあれか?」
「微妙に違うけれど、まあ間違ってないわね」
「1年4組の更識簪さんってひょっとして」
「妹よ。そして本音の主」

 どこか歯切れが悪い楯無の態度。真は深く追求することを止めた。意味ありげな視線を投げると満足したように楯無はこう聞いた。

「それで虚。紅椿の状況は?」
「後は審査結果を待つだけです。どうぞこちらへ」

 そこに深紅のISがあった。

「当初の推測通りこの機体は篠ノ之箒さん以外の一切を受け付けません。ローレベルのアクセスも拒絶、アレテーもプロテクト解除に掛る予想時間は解答を提示出来ませんでした。これらの事実により予備審査においてですが、篠ノ之箒の専用機として内示が降りています」

「どうこうするには、かっさばいてコアを引き抜くしかないのか。でもそれでは壊れるし……機能は分かっているの?」
「唯一分かっているのはワンオフアビリティ“絢爛舞踏”のみです。エネルギーを増加させます」
「エネルギーを増加って、本当なの?」
「7月初旬に起きた作戦で白式のエネルギーを補充しています。信じられませんが事実です」
「さすが篠ノ之束謹製ISって事か。事実とは言え信じられないわね。ねえ、真」
「なんだ」
「紅椿に触ってみない? 義手の左手じゃなく生の右手で」

 彼は鋭い一瞥を浴びせた、並の者なら萎縮してしまう程の威圧それに、楯無は涼しい顔だった。


  ◆◆◆
2013/04/20


【どうでも良い作者の呟き】




















\(・ω・\)SON値!(/・ω・)/ピンチ!




※誤字にあらず



[32237] 01-04 平穏なり我が日常その参
Name: D1198◆2e0ee516 ID:e5ef504a
Date: 2013/05/27 19:23
 工具や測定器が所狭しと収納され、2機のISが並ぶ場所。楯無は軽快な足音を鳴らしながら紅椿に近づき触れた。それは何も語らず沈黙している。

「すまない、楯無の言っていることが理解出来ない。俺が触れてどうなる?」
「クラス対抗戦での騒ぎで、38番機の、通称“みや”のリミッター切れたわよね?」
「それがなに?」
「リミッター、搭乗者と機体その物を守る為に設けられた能力を抑制する機能。自由に切れないからその意味がある。切れたという事実、偶々だと、何らかの偶然で切れたのだと、虚が見逃すとでも思った?」

 虚を見るとただ静かに彼を見据えていた。

「君が世間に知られた頃だったかな。虚がこう言ったの、学園の機材に調子の良いもの悪い物があるって。単に調子が良い悪いじゃない、よく調べると説明書に記載されている仕様より優れているものすらあった。よくよく調べてみると、学園外の人間が使用したという記録があり、使用者は全て同じだった。これってどういうこと?」

「機材はそれ程多くない。学園外の人間が触れるものならば更にだ。母数が少なすぎじゃないか?」

「そう。私もそう思った。だから虚にこう言ったのよ。どこかの誰かさんが触った訓練機の能力をスペックシートと比較しなさいって。勘違いしないでね、その人物を捕まえたり解剖したり拘束したいってわけじゃないの。ただ私の立てた仮説が正しいならば、ちゃんと管理しないと行けないわ。真ならこの意味分かるでしょ? 学園で3人目、へたをすると世界で3人目。その性質を考えると科学機械文明で成り立っている人類にとって影響が大きすぎる。恐らく、学園のアレテーも例外では無い」

「君の立てた仮説が正しいとして、きみはどうしたい? 君のISに触れさせたいのか?」
「仮説が正しいならね。でも仮説でなかったら触れさせる訳にはいかない。どうなるか分からないもの」
「なるほど。毒を以て毒を制すか」
「毒を薄めれば薬になる。だからこそ詳しく知る必要がある」

 その場から人の気配が消えたように、静寂が訪れた。秋の虫だけが囁いていた。真は表情を消しこう言った。

「それは命令か? 生徒会長としての」
「まさか。私が“指示”出来るのは、学園行動内に限る生徒だけ。教師には及ばないわ。要請よ」
「なら、権利を行使させて貰おう。答えはNoだ」
「はっきりする人、私は好きよ」
「俺は気立てのいい人が好みなんだ。今日のデート楽しかった、それじゃ」

 ジャケットを揺らしながら真はハンガーを後にした。楯無は深く溜息をついた。天井から照らす照明が彼女の表情に影を落とす。

「嫌われたかな」
「彼はこの程度で嫌ったりはしないでしょう。ただ警戒はされたでしょうね」

 楯無の独白に虚は淡々と答えた。彼女自身余り愉快では無いらしい。

「そう、よかった。蒼月真に敵対されると色々面倒だわ。彼自身という意味でも、背後にいる人物的な意味でも」
「そう思うなら何故この様な事をされたのです。わざわざ反感を買うような真似をしなくても」
「興味の有る子には意地悪したくなるじゃない」
「興味ですか」
「過去の詮索はしない、先輩との約束だから。けれど今とこれからは別よ。それともなに? まだ未練あるの?」
「そう言う訳ではありませんが」
「が?」
「私は良くとも、一部の3年生は彼の味方です。彼が玩具にされて黙って見ているほど温和しい人たちでもありませんよ、お嬢様」
「ダリル・ケイシーと白井優子、三年生ワン・ツー二人を敵にまわすのは少々骨が折れるわね。肉弾戦はともかくIS戦だと厳しい」

「もっと厄介な子も1年に居ますから。本音出ていらっしゃい」

 ひょこっとでてきた。

「いい? 好意を持つのもいい、我が儘を言うのも良い。けれどこれ以上踏み込むのは止めなさい。きっと二人にとって辛い道だわ」
「おねーちゃん意地悪だよー」
「姉心妹知らずって言葉は無いわよね」


  ◆◆◆


 木々に囲まれた道。街灯の光が淡く光っていた。見上げれば月はなく星々が煌めいていた。ハンガーを後にした真は唯一人歩いていた。右手の平をじっと見、強く掴む。

(能力が上がる、ね……直接操作だけじゃ無いとは思っていたけれど)

 彼が思い浮かべるのは蒔岡の工場で直したという古い加工機械。渡仏時一夏が動かしたという自動車、そして扱い難く嫌煙されていた38番機、みや。彼は1つの仮説に思い至った。それが事実ならば楯無のあの言動にも合点がいく。

(でもなら何でみやは性能が上がらない? マイナス分がプラスマイナスゼロになっただけか? それとも何らかの成分が自己修復に吸い取られたのか?)

 胸にぶら下がる愛機を摘まみ持ち上げた。翼の生えた剣、待機状態のみやをじっとみる。

「なあみや分かっているか? 一夏との約束は皆を守る事だ。また福音級が来たら手も足も出ない。つまり今のままじゃ駄目。お前もセカンドシフトしてみたらどうだ……なーんてな」

 福音戦の復習をやるべきだ、彼がそう決心した時である。

「なにをぶつくさ喋っているのだ」

 彼の目の前に立っていたのは、長い黒い髪の少女、箒だった。彼は呆けたように見ていた。

「気もそぞろだな。お前が気づかないとは」
「四六時中意識を張っている訳じゃないさ」

 真は歩き出し、箒もまた後を追った。

「そんな事では不測の事態に応じられないぞ」
「箒だから気づかなかった」
「な、なに?」
「と言ったら信じ、」

 手刀が彼の頭に当たっていた。

「済まない、調子に乗った」
「何かあったのか」
「ちょっと。2つ3つ、宿題を思い出したんだ」
「言ってみろ」
「大丈夫だ、一人で抱え込むことはしないって」
「……誰に相談するつもりなのだ」
「秘密」

 ぺしりと手刀がまた1つ。

「またお前はそうやって!」 詰め寄る箒だった。
「必要があったら相談するって」
「そう言って結局全部背負い込んだだろう!?」
「あの時の俺と今の俺は違うからちゃんと相談する」
「セシリアにか?」
「違います」
「ボーデヴィッヒにか?」
「違う」
「では誰だ。やはりあの2人か」

 声のトーンが落ちる。表情に陰りが見えた。だから真はこう言った。

「……一夏?」
「何故一夏なのだ」
「友情だし相棒だし強いし?」

 箒の手刀が真の頭を襲う。1つ目命中、2つ目回避。3つ目は真剣白刃取りの要領で掴んだ。肩を怒らし息荒く睨み付ける箒だった。彼は笑いながらこう言った。

「相変わらずだな、箒」
「何が言いたい!」
「元気で良いと言う意味だ」
「馬鹿にしているのか!」
「微笑ましいと言っている」

 他愛ないやりとり、真の投げかけに応じたのは箒では無かった。

「あ! まこりん先生がのっしー(箒のこと)と手を繋いでいる! これは大問題!?」
「直ぐ離すから問題にしないで! 箒! 直ぐ離す!」
「お前が掴んでいるのだろう!」
「そんな訳ない! 緩めれば直ぐ離すから!」
「ほう、そうかそうか。それ程いやか。あの上級生は美しかったからな!」
「美的感覚は個人に依存します! というか箒はどうしたいんだよ!?」
「まこりんがのっしーを陵辱?!」
「さらりと煽らない! せめて侮辱にって、ちょ、箒まった!」
「天誅ー!」

 唐竹割りの要領で振り下ろされる箒の手刀、彼は止めんと踏み込み、間合いを外された箒の眼前には真の顔が有った。

「てん……ちゅー?」 居合わせた少女の呟きである。

 箒はぱちんと真を叩くと、そそくさと去って行った。


  ◆◆◆


 一夏は正面を見た。よく知るポニーテールの、古いなじみの少女である、うつろで何を言っても上の空だった。一夏ははす向かいのよく知る淡い栗髪の少女を見た。ぷうと頬を膨らましクロワッサンを食べていた。何を言っても相手にされなかった。だから一夏は右隣の静寐にこう聞いた。

「真か?」
「たぶん」

 二人は溜息をついた。

 一晩過ぎた翌日の朝。一夏は何時もの様にシャルに起こされ、着替え、朝練に励んだ。すると何故だろう、すれ違う少女たちから嘆き、歓声、黄色い声がこだまする、少女らの言動が理解出来ないと頭を傾げ、朝食のため食堂に来れば静寐に頬のキスマークを指摘された。

 ぷいと機嫌を悪くする静寐に必死に謝り、遠くに腰掛けるシャルロットに非難の視線を飛ばし、シャルロットはセシリアと食事を取っていた訳だが、彼女はつんと澄まし顔だ。同室の男装の麗人に困惑する一夏であった。好意を持たれているかも、とは考えている。だが告白された訳ではない。何故この様な事をするのか気づいていない。もう1歩の一夏だった。

 なにやら真剣に話し合ってはちらちら一夏を見る、ティナ、清香、鈴、3人の少女たち。思わせぶりな視線、鋭くもその滑らかな軌跡には甘い果汁の匂いが跡を引いていた。そんな困惑的な視線に戸惑いつつ一夏は、努めて冷静に隣の静寐にこう言った。

「真の何時ものだろ。放って置けば良いって」
「意外、世話を焼くと思ったけれど」
「俺だって1から10まで面倒は見ねぇよ。というか見られないし。そもそもあいつも自覚しないとな、そういう事」
「一夏に言われたらお仕舞いだよね」
「俺だって成長するんだぜ」
「それは認めるけれど」
「それより週末の事だけどよ、行きたいところ有るか?」
「お任せ、というのも依存しすぎだよね。一夏は世間に知られているから映画とかどう?」
「映画か、そういえばちょうど007の新作があったな」
「ホラーでも大丈夫だけれど」
「ふいんき的にはイマイチだ」
「雰囲気ね。そう言えばペンギンの赤ちゃんが生まれたとか」
「おっけ、水族館だな」

 朝食そっちのけでタブレットを覗き合う2人。暖かいが息苦しい、甘いが胸焼けする、そんな空気に辟易しながらも内心祝福する箒と本音だった。

 その箒が担任である千冬に呼ばれたのは放課後のことである。何時の時代も生徒にとって職員室は緊張する場所だ、噂に聞こえる教師の武勇伝、箒も例外では無かった。なにより千冬の隣にはもっとも苦手とするディアナが座っているのだ。案の定2人は並んでおり、箒は人知れず、己にも気づかないうちに緊張をしていた。

「そう堅くなるな、別に取って食われる訳ではない」
「お望みなら取って食べても良いわよ」

 書類やバインダーが積み重ねられた机、椅子に腰掛け箒を見上げる黒髪の人。整理整頓の綺麗な机、黙々とキーを打つ金髪の人。本気とも冗談とも取れる二人の言いように、箒は生返事を繰り出すのみだ。千冬は咳払いをした後こう言った。

「篠ノ之、お前のISだが先程許可が下りた。本日を以て正式にお前の専用機となる」
「本当ですか」 思わず声が大きくなる。
「ああ。整備科第4グループの布仏虚、こいつは布仏本音の姉だが話は通してある。取りに行くと良い」
「はいっ! ありがとうございます」
「これが規約書だ、よく読んでおけ」

 箒は、ISの運用規約を記した冊子を受け取ると深々とお辞儀をし、足早に去って行った。

「何だかんだ言って気にしてたのね」

 箒の背を追うディアナの眼差しに柔らかさがあった。

「篠ノ之が我が儘を言い、ねだったISだからな、どれだけ離れても姉妹と言うことだろう」

 僅かに陰らした千冬の表情、ディアナはこう言った。

「今晩家に来なさい、とっておきを開けるから」
「偶には2人だけというのも悪くないか」


  ◆◆◆


 箒が第7ハンガーに着いた時、待ち構えていた少女が二人居た。生地は白に赤い線の入った学園ツナギ。本音は箒の姿を見付けると工具を手に持ちながらぴょんぴょんと飛び跳ねていた。

「箒ちゃーん」
「工具を持って遊ばないの」 諫めたのは虚だった。
「遊んでないよっ」

 満面の笑み、笑顔の友人を見て箒も表情をほころばせた。

「1年1組篠ノ之箒です。ISの件で伺いました」
「連絡は受け取っています。こちらへ来て下さい」

 第7ハンガーの奥、人目を憚るよう白い布を被せられたそれは鎮座していた。虚が布を取ると現れたのは深紅のIS、紅椿である。堪らず箒が手を添える。赤い光を放ち咆吼を挙げた。虚の促しで箒は学生服を脱いだ。白いISスーツ姿になる。搭乗、装甲が展開しパイロットと繋がる。

 広げたウィング・スラスターが予備加熱により淡い光を放つ、まるで翼を広げた深紅のハチドリのようだった。

 箒は互いの手で腕を掴む。纏う鎧を感じるように。そして眼を開くと抜刀した。姉妹刀、雨月・空裂である。その姿を噛みしめるように、一つ振った。

 側に立つ虚はその姿に圧倒されつつも、歩み寄りこう言った。眼鏡越しに見上げるその瞳は鋭く光っていた。

「篠ノ之さん、貴女に伝えるべき事が2つあります」
「はい」
「私も稼働したそれを見るのは初めて、学園は未だそのISにアクセス出来ていない、これの意味は分かる?」
「調整修理が出来ない、ということですね」
「そう。この紅椿は全くのブラック・ボックス。壊れたら直せないことを肝に銘じてください。2つ目、世界が未だ第3世代気の開発に躍起になっている最中、現れた第4世代。この学園に於いて篠ノ之さんが使うことに限って許可が降りている。それは技術的にも政治的にも不安定な機体なの、この事だけは忘れないように」
「はい」
「これは個人的見解。私はそれを動かすべきでは無いと思うわ」
「それは、私が未熟だからと言う意味でしょうか? それならば私は鍛錬を、」
「違うわ、知らない物分からない物を使うべきでないという私のポリシー、でも、そうも言っていられないから……丁寧に扱いなさい」
「分かりました肝に銘じます。今から飛べますか?」
「第3アリーナで二人の男の子が模擬戦をしています。混ざると良いでしょう」

 箒ははいと、小さく言うとISを収納。光りとなって消える。金と銀、左手に付いたのは2つの鈴のアクセサリー。箒はそれに右手を被せると「ありがとうございました」そう言い立ち去った。じっと、見送る虚の横顔に本音はこういった。

「今分かったよ。おねーちゃんはまこと君のことが好きだったんだね」
「ええ、よく出来ました」
「まこと君が分からなかった、理解出来なかったから?」
「そう、私には手に負えなかった。本音はどうするの?」
「まこと君が好き、でも私には無理だったから。だから箒ちゃんを応援するの。箒ちゃんならそれが出来るから」
「良く仲の良い姉妹とは言われたけれど、同じ人を好きになって同じ理由で諦めるなんてね」
「おねーちゃんと一緒なら私は我慢できるよ」
「馬鹿な子ね。飛び込むことぐらい出来たでしょうに」
「それはおねーちゃんも一緒だよ」
「本音良い事思いついたわ」
「なに?」
「二人で真を引っかき回すの。これぐらい良いわよね?」

 本音は虚の胸に顔を埋めると静かに嗚咽を漏らし始めた。

「うん」

  ◆◆◆


 ISの機動音が木霊する第3アリーナの空。色は白と黒だ。白が手にするのは蒼銀の刃。黒が手にするのは12.7ミリ突撃銃、通常弾。フィールド際を駆ける白式は、赤い軌跡をかい潜り、上昇。一夏の放つ意識の線、真は切り上げられる太刀を辛うじて避ける。白式はそのまま上昇、みやは白式を追撃。発砲。白式、ゼロ・ブート・イグニッション。撃ち出された弾丸は白式に追いつくことなくアリーナの壁に着弾、弾かれフィールドに落下した。

(やりづらい!)

 後を追う真の発砲した弾丸は、白式の背に届くことなく地面に落ちていった。

(どうする? 追い込んで、軌道変更の際を狙うか?)

 アリーナを時計回りに飛翔する白式。真はその姿を見ると別のプランに変更、7.62ミリの突撃銃を左手に持つとフルオートで弾丸をバラ蒔いた。白式は右へ軌道を急激変更。“速度が落ちる”。真は右手の12.7ミリで白式の鼻先を打つ。白式被弾、みや加速。左腕の銃を放り投げ、超高振動大型アサルトナイフ展開、前方にかざした時、被弾した筈の白式は真の目の前にいた。

(~~~!)

 金属音が響く。みや落下、フィールド上に墜落。激しい音と土煙が舞う。真は姿勢を立て直し、加速しようとしたその直前、両手を挙げた。蒼銀の刃が真の喉元に突き付けられていた。

 一夏は注意深くこう言った。

「らしくねーな。何で銃で追い打ちを掛けずにナイフに切り替えた?」
「何度か福音戦の復習をやったんだよ、お前をそれに見立てた」
「何かと思えば、」
「そんな事なんて言うなよ」 仕方がないと一夏は刀身を肩に乗せた。
「分かってるって、勝率は?」
「3勝18敗」
「3勝したなら良いじゃねーか。タイマン張ろうって方が判断を誤ってる」
「言ってくれるな。その3勝も僚機、つまりお前が居たという条件なんだ。事実上21敗の大全敗。どうにもな……」

 一夏は手を出すと真を引き上げた。

「まあ気にすんなよ。あんなのは滅多にないし、滅多にあっても俺が一緒に戦ってやるからよ、大船に乗ったつもりでいろって♪」

 わっはっはと胸を張る一夏だった。ばんばんと真の背中を叩く。真は心底疲れたように多少非難めいた視線でこう言った。

「お前と話していると貴子さんを思い出すよ。悩んでいるのが馬鹿みたいだ」
「だれだそれ」 一夏はぴたりと止まる。
「黒之上貴子。俺ら、一夏の3個上の先輩だ。豪快なうえに滅法強くてな、余りの強さで織斑先生、リーブス先生以外相手にならなかった。2年3年生の間じゃ伝説になっている」
「美人か」
「美人だな」
「年上なんだな」
「そうだけど、どうかしたかあああ」
「お、ま、え、の知り合い年上が多くないか!」

 背後から首に腕を回し締め上げる、チョークスリーパー。

「年上というか年下というか、チョークチョーク!」
「先輩ズといい、先生ズと言い、おおそうだそうだ。噂の2年生との関係を言え!」
「ただのせんぱいずー」
「嘘つきやがれ!」
「何をしているんだ二人とも」

 箒だった。紅椿を纏い二人を見下ろしていた。呆れていた。

「ま、こ、との知り合いは年上ばかりでこんちくしょうってはなしだっ」
「こんちくしょうなのか。分かった静寐に言っておこう」

「今のは一般論なんだな、うん」一夏がぱっと手を離すと、「箒、そのIS」謀らずとも一夏の助け船をだす真。一夏は「許可降りたのか。格好いいじゃねーかそれ」といった。

「紅椿だ。二人とも、模擬戦の相手になってくれないか」
「俺休憩。真、お前やれ」
「わかった」

 余計なマネをとは思いつつも、一夏の計らいに感謝する箒だった。


  ◆◆◆


 箒と真は2つ3つ打ち合うと、手を止めた。真が近づき運用手段について話し合っている。真剣な面持ちの中、どこかしら笑みを浮かべる箒を見て、一夏は溜息をつく。

「手間掛けさせやがる、本当にまどろっこしい。こうぐいっとやってぶちゅーってやれっての……どちらさん?」
「あっ」

 一夏が振り向くと眼が合った。彼は両手の平をかざす2年の少女、楯無に不思議そうな視線を浴びせていた。

「だーれだ」
「いや、もう遅いですってば」
「く、隠密には自信があったのに、不覚」

 どこからともなく出した扇子で、自分の頭を軽く打ちたたく。一夏は戸惑ったようにこう言った。

「耳には自信がありまして。この距離まで近づける人は先生以外覚えは無いです、大した物ですよ」
「真といい可愛げが無いわねー」
「……ひょっとして噂の先輩ズ?」
「噂のは良いけれど先輩ずって何?」
「真の知り合いひとまとめ」
「あのね織斑君見せたい物があるの、みてくれる?」
「はい?」

 突如、両手で作った握り手を、ちょうど両手を2つのお椀の口同士を合わせたような形にし、身体の前においた。ねこなでる様な楯無の声、身体の芯に触る様なその振る舞いに一夏は動揺した。

「あのね……えいっ! 羽交い締めだ!」 くるりと背後に回られた。
「先輩あたってる!」
「当ててんのよとでも言うと思ったかな?! 失礼しちゃうわ!」

 徐々に苦しくなる感覚に、柔らかく暖かい感覚、魅惑の抱擁で徐々に意識が遠くなる。彼が眼を覚ました時楯無に膝枕をされていた。その傍らには静寐とシャルロットが冷たい視線で座っていた。


  ◆◆◆


 次回、学園祭編。

【ネタバレかもしれない作者のぼやき】





















出ました8巻。皆様はもうお読みになったでしょうか。被っている設定ですが、今のまま行きます。

例えば、第2回モンドグロッソの優勝者がイタリアの人だそうですね。でも何でイタリアにしたんでしょう。原作ガールズの誰かと同じ国にすれば話を展開出来たと思うのですが。イギリスにしろドイツにしろ、中国にしろフランスにしろ。ルッキーニとかいう代表候補生が居たりして。

米軍とのドンパチは、ゴーレムⅢイベント次第ですね。まだ未定です。今のところ友好関係ですが、甘い国でもないので分かりません。

暮桜は予想通りでしたけど、クロエどーするかなー、生体同期型ISか。要するに常時展開しているような感じでしょうか。真、娘追加だぞ。美人姉妹だぞ。

それより束が予想を上回るハイスペックでもうびっくり。Heroes束は強化しすぎたかなとか思っていたら予想の更に上です。まー学園側も酷い事になっているからバランス取れて良いかも……

のんびりした空気はもう少し続きます。




[32237] 02-01 学園祭1
Name: D1198◆2e0ee516 ID:e5ef504a
Date: 2013/04/29 22:26
 文化祭とは、学校の外部から訪れる人々に、学校の特色と活動を知って貰うため行われる行事の1つだ。もう少し詳しく言えば、生徒らが任意の目的のもと、共同活動を行い一体感を得る。また部活動なり、校風なりを生徒の親類や関係者に見て貰い知って貰う、これが大きな目的だろう。

 IS学園の場合、ISを扱うという特殊性からIS関係者の訪問が多く一般参加は限られる。地域振興のため、ISの透明性のため門戸を開くべきだという案も一時あったが、競技中の盗撮や、生徒への痴漢行為が続発したため取りやめとなった。

(もっともそれは表向きで、取りあえずやりました、問題ありました、だから止めました、の出来レースが正解なんだろうな)

 時刻は午後の9時。学園祭を控え、学園警備が職務の真は忙殺されていた。

(クラス別、部活動別の出し物の把握に審査、警備施設の確認と調整、非常時のシミュレーション……てんこ盛りだ)

 書類をめくり思わずげんなりと。渋い表情をする真に、ラウラは涼しい顔だった。彼女もまた等量の仕事が有るにもかかわらずである。彼女は瞳を小刻みにゆらし常人の数倍の速さで書類を処理していたのだった。

 あくまで静かに冷ややかに、右の赤い瞳を覗かせてこう言った。

「蒼月先生はデスクワークが苦手ですか」

 薄暗い職員室。見渡せば2つ3つの明かりがあった。まるで水面を流れる灯籠のような室内を見て、彼は愛想笑いを浮かべた。

「苦手では無いです。得意でもありませんけれど」
「管理の必要がない仕事はありません。全ての仕事が得意でないと?」
「そんな事はありません。好きか嫌いかと言えば嫌い、ただそれだけです」
「困りますね。その様な後ろ向きな態度では。質が問われますよ」
「もちろん理解しています。少しぼやいただけですよ」

 ラウラがすっと立ち上がると真は驚いたように眼を開けた。何事かと、碧の瞳が落ち着かないように揺らいでしまっていた。

「ならば休憩にしましょう」

 ラウラは意地の悪い笑みを浮かべていった。彼は脱力し、背もたれに背を預けた。ぎしりと鳴る椅子は、彼のぼやきを代弁しているようだ。

「コーヒーを一杯頼む。抜き抜きで」
「ブラックですね、分かりました」

 アルコールランプの火が灯り、ぼこぼこと沸騰する水の音。サイフォンの音だ。漂うコーヒーの香り、離れに座っていた3年の教師が匂いに釣られてやって来た。

「ボーデヴィッヒ先生は多芸ですね」
「いえ、知っているだけです」

 知っているだけとは言いつつも、落ち着いた流れる水の様な手際。教師たちが恐れ入ったように褒め称えていた。彼女らにとってもラウラの人間くささは意外だった。

 真はラウラの手さばきをじっと見て、それを頭の中でなぞった。沸騰した後のお湯を掻き回すタイミングとその量、上瓶の傾け具合、下瓶の水の量。それらは前の彼が試行錯誤で編み出した“こだわり”であった。それに大きな意味は無い。サイフォンというのはそう言う物だ。ただこうすれば美味しいだろうという半ば思い込みで身につけた手法だった。

 ラウラは数杯のコーヒーを作ると皆をもてなした。2つのカップを持ち、真の元へやって来た。

「父上どうぞ」
「ありがとう」

 匂いをかいで一口呑んだ。

「どうですか?」
「教えることは何もない、という感じだな」 彼は静かに笑った。
「自分なりに変えて行こうと思います」 彼女もまた静かだった。
「それは良いな。上手くなったらまた頼む」
「お任せ下さい」

 ラウラが残りのカップを机に置いた。彼は不思議そうな顔でこう言った。

「それは誰の分だ?」
「扉の影に隠れている生徒の分です。隠れていないで入ってこい」

 職員室と廊下を隔てる扉。カタリと音を立てると、その後は音を逸してしまったかのように滑らかに開いた。楯無だった。バツの悪い顔で立っていた。隠密に自信を無くすと言わんばかりの顔だ。ラウラが言った。

「更識。お前は年上だが立場を優先させて貰うぞ」
「構いません。ここは職員室です」

 軽快な足取りの生徒に彼は軽く左手を挙げた。ラウラが2人に一瞥を投げる。楯無はカップを手に取った。

「頂きます」
「構わん」
「……美味しいですねこれ」
「更識当主のお墨付きなら自信も増そうというものだ。それでこんな夜遅くにどうした? 就寝時間にはまだあるとはいえ、理由もなしに出歩いて良い時間でも無いぞ」

(この立ち振る舞い、千冬さんにそっくりだな) 彼はコーヒーを飲みながらそんな事を考えた。

「蒼月先生、よろしいですか?」 楯無がこう言うと、ラウラのこめかみが一つさざ波立った。「俺?」と真が言う、神妙な表情の楯無が居た。

「学園祭のことでご相談があります」
「OK.聞こう」
「とりあえず蒼月先生にのみご相談したいのですが」

 そうかと彼が生徒指導室に向かおうとした矢先だった。彼の身体が止まった。襟首を掴むのは白く細い指。ラウラだった。眼帯のない赤い右目。不審を湛えて光っていた。

「ボーデヴィッヒ先生?」
「蒼月先生。夜の9時を過ぎています。この様な時間に女生徒と2人だけというのは、いささか問題があります。倫理上芳しくありません」

 同棲しておいて良く言うわよね、と小さな声が囁いた。

「何か言ったか? 更識」
「いえ、何でもありません♪」

 ラウラの意見に同意だと真は腰掛けた。

「ボーデヴィッヒ先生は俺と同じ警備担当だ。俺らはデータを共有している。彼女にだけ話すか、俺らに話すかにしてくれないか」

「分かりました。実は……」

 渋々話し始めた楯無の話は学園祭に関わるものだった。荒唐無稽というよりは破天荒な内容にラウラは不審と言うよりは不機嫌そうだ。

「更識、当の本人は了解しているのか?」
「もちろんしていません。了解を取れば拒否されるでしょうし」
「それなら話が成立しないではないか」

 真は二人に割って入った。

「一応聞きたい、狙いは何?」
「OVAをご存じですか?」
「……いや、アニメは見ない」
「オリムラ・バーサス・アオツキの頭文字でOVA、お二人の人気比率です」
「初めて知った。それで?」
「お二人が入学して半年。今現在の割合は9:1です。小数点まで入れると9.8:0.2位です。10:0にすると問題が生じるので9:1にしました。因みに生徒のみの数字です」
「あそ」
「一学期の学園は激動でした。学園サイドは上手くまとめたと思っているようですが、現実は異なります。多感な10代の乙女達。彼女らが受けたプレッシャー、ストレスは無視出来ないはず、これが理由です」
「“筈”ってな、」

 筈とは何だ、そう聞こうとした真は楯無のこのセリフに撃墜された。

「我が学園の一学期がどうだったか“蒼月先生もよくご存じかと”」

 目の前に迫る懇願するような、非難するような楯無の視線。目に涙もにじませていた。彼はちらりと脇に立つラウラの表情を見た。むっすりと沈黙を守っている。一理ある、ラウラも意義を挟めなかった。

 単に騒ぎたいだけでは無いのか、反論は思いついたが止める事にした。楯無に重なる貴子の姿。彼女の破天荒な行動が真自身に良い影響を与えたのだ、そう思い知ったのである。

「……分かった、織斑先生には俺から伝えておく」
「ご理解頂けて感謝の言葉もありません♪」

 彼は頭を抱えた。伝えるべき相手を一人失念していた。千冬のみではなくディアナにも伝えないと一大事だ。もっとも、伝えても伝えなくても一大事には変わりない。


   ◆◆◆


 翌日の一限目は1組2組合同のIS実習だった。学園祭があるからと言って授業に変更しないのが習わしだ。もちろん時間のしわ寄せは生徒の自由時間を圧迫するが、学園の立場としては“時間を作る”これを体感させる意味合いが大きいのである。

 見渡す少女たちはの話題は学園祭一色だ。その様な元気かつ花やかな中、目に隈を作った真と一夏は彼らなりの視点で話し合っていた。

「1組はメイド喫茶か」

 真は眼を淀ませていた。

「ご奉仕喫茶というらしいぜ」

 一夏は驚きとも、笑いとも付かない珍妙な表情で真を見ていた。

「2組は中華喫茶だそうだ。なんか最近お嬢様とかメイドとか良く聞く気がするけれど流行ってるのか?」
「さあな」

 二羽の鳥が二人の頭上を鳴きながら飛んでいった。真の寝不足には理由がある。昨夜、楯無の要望を、要望の許可を千冬とディアナに伝えたところ深夜まで叱責され続けたのである。その原因で彼の頭も少々巡りが良くなかった。

「一夏、今日の午後全校集会だぞ」

 覇気がない脈絡がない。気にしないつもりの一夏だったが、やっぱり聞くことにした。

「さっきから気になってたんだが、眼にくま出来てるぞ。どうしたんだお前」

「深夜遅くまで説教だった。なあ一夏。女の子に弱み握られると後が大変だな。というか理屈が通用しなくてもうあれだ。聞いてくれよ、寝不足は美容の大敵なのよ、なのに夜更かしさせるなんて今度という今度は許しませんとか、わけが分からないだろ。だったら手短に伝えてくれよ、しってるか? 黒の人は普通に怖いけれど、金の人は笑いながら怒るから凄い怖いんだ。前はあんな風じゃなかったのにどうしてああなったのか。時の流れは残酷だー」

「よく分からねーが。もう握られまくってるじゃねーのか?」

 え、と驚き喜びをまき散らすのはシャルロット。耳聡く近寄ってはこう言った。

「ねえ真。誰に握られたのかな? 教えて欲しいな。やっと真も重い腰を上げたんだね、僕は嬉しいよ。思い出も大事だけど前に進むことも重要だよ。ああどうしよう、この年で孫なんて、お父様とお母様に連絡しないといけない。男の子かな女の子かな。相手は誰? オルコットさん? それとも篠ノ之さんかな? まさかディアナ様じゃないよね、そんな神に挑戦するような恐れ多いこと。でもでも、それだとディアナ様が僕の娘って事にそれはそれで感無量ー」

「握るとか握らないとかそうじゃない! というかはしたない!」

 びくりと肩を揺らしたセシリアに真は気づかなかった。


   ◆◆◆


 少女らは千冬の目にある隈を見た。

「あー 全員揃ったな。それではこれより合同実習を行う。本日は狙撃の実習を行うから今から説明する山田先生の話を聞くように。山田先生」

 そして真の目にある隈を思い出した。

「「「まっさかー」」」
「皆さんそれ酷いです!」

 涙目の真耶が事前説明を行った後、脇にあったコンテナが解放された。中に入っていたのは20ミリ狙撃砲ヴェントであった。何の飾り気もない分厚い肉厚の銃身に機能性樹脂で作られた銃床。シンプルながらも存在感を示す。M40狙撃銃に似たフォルムを持つ、ボルトアクション狙撃砲だ。真が福音戦に用いた物と同型だ。

 第3アリーナに散ったのは6つの班。セシリア、シャルロット、ラウラ、千冬、真耶、鈴と真の計6班。一夏と箒はアリーナの中央で模擬戦を始めた。

 黒のIS、ラファール・リヴァイヴ・ノワールが狙撃銃を掲げこう言った。

「それでは始めます。今日皆にして貰うのはアクチュエータのつまり四肢の部分拘束による精密射撃の練習です。どうして部分拘束をすると精度が上がるかが要点なんだけど……分かる人」

 真が少女たちをずらっと見ると癒子が手を上げこう言った。

「発砲時の反動を打ち消せるからです」
「惜しい。正確には反動を身体全体で受けられるからです」
「先生しつもん」
「はい、相川さん」
「例えば右腕の関節を固定すると、発砲しても関節が動かないから精度が高くなる、これは分かるんですけれどそうすると非常に強力な、戦艦の主砲でも撃てると言う事でしょうか」
「良い質問です、答えられる人いますか?」

 本音が手を上げた。

「はい、布仏さん」
「発砲時の衝撃エネルギーが、ISの瞬間的に発生できる慣性エネルギーを超えない範囲で撃てます。戦艦の砲では弾頭サイズ、火薬量、発砲時の反動を考えて現存機では撃てないと思います」

「正解です。部分拘束はあくまで撃てるを前提とした精度の問題だと思って下さい。したがって相川さんへの回答は、撃てない、になります。とはいえ、PICのマニュアル操作をする場合でも力点を腕に置くより腹に置いた方がやりやすいので併用するとより高い精度を期待出来ます」

「「「ふーむ」」」
「習うより慣れろです。相川さんから始めて下さい」

 清香はリヴァイヴにのると、バッチファイル(細かい命令を一括りにしたファイル)を実行。右腕が固定された。肘から下が動かなくなった腕を、上下に左右に動かしている。

「お、おお、ギブス付けている感じ」
「では相川さん、ターゲットを撃って下さい」
「らじゃー」

 乾いた音が響く。500m先のターゲットに全て7点以上当てた。

「やった! これでやれば百発百中だよ!」
「ただし、機動力が落ちるので、使い所をよく考えなくてはいけません」
「えー」
「ISの強みは機動力、性質上物陰に隠れての狙撃は考えにくいです。余談ですが高質量兵装、つまり巨大な兵器を使う高機動戦闘は2年生でやりますので軽く覚えておいて下さい。では次の人」

 上空5メートルで癒子が狙撃していると、清香と本音が思わせぶりな視線を浴びせていた。ちらちらと彼を見ては、視線が合うと他所を向いた。

(そういえばISスーツ姿を恥ずかしがって隠れていたこともあったな)

 彼がそう回顧している時である、意を決した様に本音が近寄った。

「まこと君」
「蒼月先生」
「すみません。あおつき先生、同好会を作りたいんです。顧問になってくれませんか」
「顧問? 随分突然だな。何の同好会だ?」
「IS操縦を向上する為の会、チーム名はベルベット・ガーデンです」
「それはつまりIS操縦を上手くなろうという人たちの会と言う事?」
「はい、具体的にはシミュレーターや実機を使用した、技能向上を目的とする議論が主な活動内容になる予定です」
「前向きで良いと思う。顧問の件はOKだ、申請書持ってくれば署名はする。けれど審査が降りるかどうかは別だぞ」
「ありがとうございます。こんど用紙持ってきます」
「分かった。メンバーは?」
「静寐ちゃん、ティナちゃん、清ちゃん、癒子ちゃんと私の計5名です」
「正直意外なメンバーだな。篠ノ之と凰が居ないのは意図があるのか?」
「専用機を持っている人たちは忙しいので。先生として呼ぶことはありますが、基本的に私たちは私たちでやるんです」
「分かった。異論無しだ、がんばってくれ」
「はい、ありがとうございます」

 ふわりと舞い降りた、カーキのリヴァイヴ。本音は、真の促しで、

「むん」

 肩を怒らせ搭乗、空に舞っていった。

(こんなに話したのは久しぶりだ。なにかあったのか?)

 真の問いに答える者は誰も居なかった。


   ◆◆◆
2013/04/29


ちょっと強引でしたが、本音と清香が合流しました。



[32237] 02-02 学園祭2
Name: D1198◆2e0ee516 ID:e5ef504a
Date: 2013/05/07 20:36
 その日。学園体育館に全校生徒が集められた。1年1組から3年4組までの360名が整然と並んでいた。前から3年2年と続き、1年である一夏は3群目の右端だ。体育館は部活にも所属せず、一般体育も履修していない彼にとって入学式以来となる。

 その一夏は疲れ果てた表情でぶっきらぼうに立っていた。並ぶ途中、彼は顔見知りの優子ら上級生に話し掛けられた。同級生とは異なる、成熟さをかもし始めた香の匂い。浮き足だったのも無理はない。だが、彼をよく知る3人の少女たち。しっかりと目撃されていた。

『一夏って先輩とも仲良いんだね』
『年上が好きって噂、本当なんだ?』
『イチカ、説明してくんない? どういう関係?』

 シャルロットと静寐と鈴に問い詰められ、窮した一夏はただの知り合いだと、ただの噂だと説明に専念せざるを得なかったのだった。

「大変ですわね」とはセシリアだ。多少気遣っているようである。
「全くだぜ。先輩ズは真の範疇なのに」
「……そうなんですの?」
「あーまーいやー、なんというか」
「そ、う、な、ん、で、す、の?」
「あーほら、アイツ去年から学園に来てるだろ? だから知り合いが多いんだよ」
「釈然としませんが、まあいいです。ところでその当の真はどこにいるのかご存じありません? 教師らの列にも見当たりませんの」
「ああ、アイツなら上空で警備中だ」
「随分と詳しいですこと。どうして?」

 どうして知っているのかという意味だ。拗ねた様な、咎める様なセシリアの視線。彼はやれやれだとこう言った。

「メールがきた。なんだ、その憮然とした顔。ひょっとしてやきもちか?」
「な、」
「心配すんな。男の友情、連帯感って奴だよ」
「き、気にしておりませんわ、ただ殿方同士の御交友も度を過ぎると、不健康だと言いたいのです」
「御交友ねえ……」
「なんですのその眼は」
「最近話してないんだって?」
「そんな事はありませんわ。何が仰りたいのかしら」
「とっておきの情報があるんだけどなー どうしようかなー セシリアは素直じゃないしなー」
「一夏さんは随分ひねくれましたわね。別に良いですわ。どうせ、大したことない―」
「真の部屋の場所とか」

 ぴしり、と空気の固まる音がした。

「い、一夏さん。何かお困りのこととかありませんか?」
「えーなんか対価を求めたみたいでいやだなー」

 その時場に満ちていた雑踏が滑らかに引いて行った。ガラスに吹き付けた息の跡、それが消えるかのようだった。一夏が何事だと当たりを見渡せば、全学園生徒の視線の先、壇上の上、颯爽と2年の女子が歩いていた。

「やあみんなおはよう」

 壇上のマイクに向かう上級生を一夏は呆けたように見つめている。セシリアは訝しげだ。

「一夏さん、何方かご存じですの?」
「先輩ズ」
「あの方が?」

 壇上の2年生はたおやかな笑みを浮かべていた。

「今年は入学式から色々立て込んでいて正式な挨拶はまだだったね。私は更識楯無と言う。生徒会長、つまり君らの長だ。以後宜しく」

(なんだなんだ、この間と印象が随分違うぞ)

 不透明感、濃密なもや、霧。つかみ所の無い楯無の纏う空気に一夏は戸惑っていた。

 方や警戒の色を滲ませるのはセシリアだった。彼女自身大人びているのは周知の事実であったが、壇上の同性と比較すると劣っているのではないか、真が比較した場合どのように判断を下すのか、と不安に苛まれた。

 東洋人が若く見えるという事実はセシリアも知るところであるが、先程の3年生とも異なる雰囲気。纏う神秘性も相まって過分に大人びて見えたのである。

 楯無は変わらず笑みを浮かべ、セシリアは握り手を胸元に、一つ息を呑んだ。楯無とセシリアの視線が絡む。楯無は扇子をパチンと鳴らしこう言った。

「今日皆に集まって貰ったのは他でもない。今月行われる学園祭だけれど、今回に限り一つルールを追加するわ。その内容というのは、」

 楯無の背後に映像が浮かび上がる。そこには『織斑一夏争奪杯』と書かれていた。文字と一緒に浮かぶ顔写真。無修正であったが少女らの心を引きつけるには十分だった。

「は?」とは一夏である。
「「「えええー!」」」とは少女たち。
「静粛に! 今から説明するわよ」とは悪戯を思いついた子供の表情の楯無だった。

 通例。学園祭では各部活で行われる催し物に投票し、上位部には助成金が下りるルールだった。楯無のプランとは、それに加え一夏を強制入部させる事によって充実感と高揚感を得、なによりガス抜き狙うのものである。

 学園では部活動の入部は強制ではない、IS操縦が前提だからだ。だが、専用機持ちなど一部生徒を除き、身体を動かすと言う意味で、また上級生との交流が得られると言う意味でも部活に精を出す生徒も少なくない。

 体育館に満ちる歓声と拍手、一夏強制入部という特典は、大半の少女たちの、満場一致で決定された。


  ◆◆◆


「これはどーゆーことだ、おい」

 一夏の問いに真は汗をたらし目を逸らした。

「色々あったんだよ」

 場所は柊の食堂で、一夏は机に乗り出し鋭い形相で睨み上げていた。ガンを垂れているともいう。一夏の理解が追いつかないまま、状況は流れ気が付けばあとの祭りである。我に戻った一夏は、真が知らない筈がないと、警備から戻って来た真を捕まえて今に至っている。

 少女たちに囲まれる中、一夏はテーブルに手を叩きつけた。コーヒーの雫がテーブルに散った。

「説明しやがれ、なんで俺が景品なんだ」
「激動の一学期、精神的に疲弊している女の子達を応援しよう、と言うことだ」
「ならなんで俺なんだ」
「OVAだって」
「アニメがどうかしたのかよ」
「一夏の方が人気あるからだってさ。憎いねこの色男」
「ふざけんな。行って取り消してこい」
「異議ある物は手を上げよって言ったんだろ? 誰も居なかったからもう遅いらしいぞ」
「普通面食らうだろ、あんなん!」
「まあそうだよな」

 ああ言えばこう言う。こう言えばああ言う。落とし所が見付けられないまま、議論の平行線を引く二人。狙い謀ったようにやって来た楯無は、「ふふ、難儀しているね真」と言った。扇子を口元にゆったりと確実に歩いてくる。「お陰様でね」とは真だ。少女らが二人に一瞥を投げる。

 楯無は一夏に向き直りこう言った。

「そんなに嫌かな」
「絶対いやです」
「ふむ。ならこうしよう。対価として私が君をトレーニングしてあげるよ」
「結構です。俺は規格外なんで」
「いうね、論より証拠。ならば決闘で決めてはどう?」

 行方を見守っていた真は「一夏、IS戦はともかく肉弾戦なら彼女から学ぶことも多い。受けてみたらどうだ?」と言った。一夏は見定めるように楯無を凝視し「この人はそんなに強いのか」と半ば疑うかのように聞いた。楯無は静かに笑っていた。つかみ所の無い楯無の気配。一夏は腹を括った。

「よし、その挑戦受けた。先輩が勝ったらその条件飲みます」
「決まりね、本日の放課後道場で」


  ◆◆◆


「まこと君。楯無お嬢様と何時知り合ったの?」とは非難めいた視線の本音だった。真は「数日前」とあっさり答えた。すると「何故彼女が強いと分かる」そう疑いの眼差しを飛ばすのは箒だ。真は「身体捌きだけで十分だろ」とぎこちなく答えた。そうしたら「それでどの様な関係?」そう静寐が言うので「ただの知り合い」と真は冷や汗一つ垂らして答えた。

「ただのだなんて、連れないわねー」とは楯無だ。
(((あやしい)))

 かっては真に好意を示していた少女たち。次から次へといくら何でも節操がないと不信を湛えていた。

 板張りの壁と、弾性のあるゴム製の床、その4人が座するのは体育館の道場である。珍しく人だかりが出来ていて、押すな割り込むなのごった返しだ。

 楯無と一夏が決闘をするという話は瞬く間に、学園中に知られた。学内最強を誇る楯無とトーナメント戦、優勝者である一夏との戦いは誰にとっても注目の一戦だった。

「会長ー、負けて下さいー」
「織斑君がんばってー」

 身も蓋も無い少女たちの声援。楯無は脱力したようにこう言った。

「清々しい程の正直さね、やる気削がれるわ」
「言い訳は駄目ですよ」
「ん~、強気の男の子も悪くないわね」

 偏った声援がひしめく中、道場に立つ楯無と一夏。白い胴衣に黒い袴。二人は道着を纏い立っていた。道場の脇に座るのはSTN三人娘、その隣では真が油断ならない視線で二人の動きを追っていた。

(千冬さんの下ともなれば相応の腕の筈、けれど一夏の反応速度も伊達じゃない。さて、お手並み拝見)

 審判の少女が「はじめっ」と手を下ろした。構えた姿勢で二人が止まる。声援も波が引くように治まった。二人の放つ氣に押されたのである。二人とも声を出さず、身動き一つせず、沈黙が続いた。

「「……」」

 焦れた一夏はすり足で前へ進むが、突然回り込むよう右にずれた。今度は左、また右と弧を書く境を壁に攻めあぐねている。

「来ないの? なら私から、」と楯無が言いかけた時だった。床を踏み抜く音が道場に響く。皆には一夏が仕掛けたように見えた。事実その通りであった。だが床に大の字で寝そべっているのはその一夏なのである。

 頭から落ちないように手心まで加えられ、歯を食いしばる。

「どうする? まだやる?」
「もう1本!」
「そうこなくちゃ」

 今度は焦らずじっくりと間合いを詰める一夏。彼の武器は人並み外れた反射神経と身体能力だ。掴むことが出来れば勝ちと踏んだ。だが掴んだ瞬間、否。掴む直前彼の身体がバランスを崩し宙を舞うのである。両脚を地面に乗せて立っている以上、地面を掴むことが出来ない以上、軸足を払われれば為す術が無い。

 2本目、一夏が再び1本取られた。悔しさを隠さずに一夏はいきり立つ。真は楯無の練度に舌を巻いていた。

(予備動作がないなんて、流石千冬さんの直下だけはある。一夏視点だと何故投げられたのかすら分からないぞ……恐れ入った)

「雄々々々!」

 構え直した一夏は間合いを取らずに強引に踏み込んだ。突き出した彼の右手を楯無は左手で掴む。一夏の身体を強引に引き寄せ、バランスを崩すとリズムを刻み、喉とみぞおち、肋骨のある脇腹を軽く叩く。急所に軽い衝撃を受けた一夏はそのまま崩れ去った。

「勝負あったかな」
「まだまだっ!」

 楯無は一夏の身体能力を見誤った。与えたダメージは彼にとって小さかったのである。身体能力に物を言わせ、もうろうとする意識を強引に振り払い楯無に、がむしゃらに喰らい付いた。伸ばした一夏の腕は楯無の襟に掛かり、上着を剥いだ。

 掴まれるとは想定していなかったのだろう。楯無の道着の下はTシャツではなく下着だった。ボリュームのあるふくよかなラインがこぼれ落ちる。

「きゃん」
「あ」

 動揺した一夏は為す術も無く楯無の連打を食らい、崩れ落ちた。残った力を振り絞り立ち上がろうとしたが駄目だった、大の字で伸びた。柔よく剛を制す、楯無が行ったのは紛れもないそれである。

 負けてしまったと、立派な胸に一夏どころか彼女ら自身ですら見とれてしまったという事実。色々な意味でショックを受けた少女たち。静寐は一夏に濡れタオルを乗せると、彼の頬を抓った。

 真は立ち上がると、着衣の乱れを直す楯無にこう言った。

「やり過ぎだ」
「おねーさんの下着姿は高く付くのよ。それに、ちゃんと手加減したわ」

 当然だろと真は言った。もちろん、そんな事で大人げないとは言わなかった。

「まあいい。勝負有りだ楯無、君の好きにすると言い」真は職員室に戻ろうと振り返った。楯無はそれを止めた。意地の悪い、悪戯を思いついた年相応の少女の笑みがそこに有った。

「真も見たのよね?」
「みてません」
「どうだった?」
「だからみてません」
「形も大きさも結構自信あるのよねー」
「見てませんってば」
「ふうん?」
「……」

 瞼は半分閉じられ下からじっくりと見上げる笑みは小悪魔の如く。視界に広がるのはコロンの香り。甘くも鼻につくその匂いは抗いがたく。真は空を見上げると観念した様にこう言った。

「ちょっと見ました」
「正直でたいへん宜しい」

 彼の身体が宙を舞った。


  ◆◆◆


 時は過ぎ学園祭前日である。1年2組の教室で、“中華喫茶準備委員会”と記された腕章を腕にした少女たちがせっせと動いていた。

 彼女らにとって見慣れた教室は装いを変え、教室後方に寄せられた机の数々。中央に並ぶ机は三行二列に並べられ一つの島を作っていた。

 壇上に立つ少女が一人。トレードマークの八重歯を見せながらテキパキと指示を出す。鈴である。彼女は準備委員長を仰せつかったのであった。

「いい? 時間は少なくやることは多いのよ。迅速かつ的確に作業を進めて目指せ大人気店舗! やるからには全力投球! いいわねっ!」
「「「おー」」」

 白い粉にまみれて清香が言う。

「ねー 鈴。ごま団子の上新粉とだんご粉の割合どうするのー?」
「3:7の割合よ。水は耳たぶより少し堅めぐらいがベター、間違えんじゃないわよ歯ごたえが命なんだから」
「らじゃー、こねこねっと」

 小さい段ボール箱を持った静寐が言う。

「鈴、武夷岩茶(ぶいがんちゃ)の茶葉入手したけれどこれで良い?」
「よっし流石しっかり者、卒が無い! 茶器も用意出来たしあと練習だけよ! あと委員長とお呼び!」

 大きめの段ボールを持ってきたのは、とある少女である。

「いいんちょー、チャイナ・ドレス持ってきた」
「よっしゃ、これで完璧じゃない!」
「てゆーかさ、これ着るの? ちょっと際どすぎない?」

 少女が取り出したのは、長春色(暗めの紅色)の一枚布のスカートタイプで、金で縁取りされていた。袖は無く、ノースリーブ、何より目に付くのが腰に掛らんばかりの大胆なスリットである。教室に沈黙が訪れた。練習用のごま団子が揚がる音がする。

「私、いやこの格好」とは静寐だ。

「あに言ってんのよ、中華喫茶でチャイナドレス着なくてどうすんのよ」
「鈴は恥ずかしくないかも知れないけれど私は恥ずかしいんです」
「ちょっと静寐! 何よそのアタシが痴女みたいな言い方!」
「自覚があるなら直した方が良いと思う」

 バチリと火花が散る、一触即発の気配を、

「はいはいはい、インナーパンツを穿けばそれで万事解決。二人ともこれ以上言うの止め」

 何時ものことだと清香は仲裁した。本音も天性のタイミングで仲裁に加わった。

「鈴ちゃーん、まこと君持ってきたよー」 真の手を握りやって来たのは本音だった。
「おおナイス!」
「なにが? というか連れてこられたのは何故?」

 説明のないまま強引に連れてこられた彼は理解出来ないと僅かながら警戒していた。余談ではあるが本音は力が強い、体力的な意味だ。鈴は真を見るところころと笑いながらこう言った。

「調理場にある冷蔵庫使いたいのよ、ほら、揚げたてを食べて貰うには団子を冷凍保存。だから持ってきて良い?」
「良い訳ないだろ。と言うか揚げるのに使う油にコンロだけでも許可取るのにどれだけ苦労したか」
「お、ね、が、いっ♪」

 鈴は真の左頬にキス一つ。

「……バレないようにな」
「ありがと、愛してるわよー」

 壇上に戻った鈴を見送り頬に手を添える真。本音は両手を腰に添えこう言った。然も不機嫌そうである。

「まこと君いくら何でもだらしなく成りすぎなんじゃないかな」
「そんな事は無いと思う」
「そもそも鈴ちゃんはおりむー側なんだよ」
「妹のちゅーは兄にとってジョーカーなんです」
「兄とか妹とかまだ言ってたんだね」
「本音はあれだ、ずいぶん辛辣に成ったな。自己主張するように成ったことは褒められるべきかもしれないが……良いのか悪いのか」
「意地悪な男の子にいっぱい、いーっぱい意地悪されたから♪」

 真が初めて見る悪戯めいた、楯無を彷彿させる本音の笑顔だった。彼は良い事なんだろうと納得する事にした。


  ◆◆◆


鈴のチャイナドレスは健康的かつ性的すぎます。持て余します。

2013/05/06




[32237] 02-03 学園祭3
Name: D1198◆2e0ee516 ID:e5ef504a
Date: 2013/05/16 21:21
 IS学園本棟、職員室。オフィスデスクが整然と連なるその部屋には、ホワイトボード、スチールの棚、書類に電子ジャーポット、コーヒーカップに湯飲みがあった。一見、何処にでもあるような雰囲気の職員室だがその実、学園防衛の最前線である。

 日頃、教室で教べんを振るう彼女らではあったが、ひとたび緊急事態が起きれば武器を持ち生徒たちを守るのだ。

 9月2週目学園祭当日。真は自身の机で書類に目を通していた。各教室、各部活の出し物。その実施場所と内容が記されていた。学園祭のパンフレットとも言う。

 一通り目を通すと「はいコーヒー」と言ったのは楯無だ。「ありがとう」彼は答えた。一口飲んだ。

 彼は不意に顔を上げた。正面、机に並ぶ書類越しには同僚である銀髪の少女が座って、同様に書類に目を通していた。長い銀髪を結い上げ、黒いスーツを纏っていた。黒のジャケットに黒のタイトスカート。スカートは穿き慣れていないと、こぼしていたのは先日の事だったと思い出した。

 彼はそのまま左に顔を向けた。はす向かいの真耶が何時もの様に眼鏡をずらし、キーを叩いていた。こう見えても機械は得意なんです、自慢げに胸を張っていた。IS適正はA、彼はそれを思い出した。

 彼は真左を見た。2組副担任である千代実が腰掛け、コーヒーを飲んでいた。日頃ディアナの小間使いのような彼女であるが、先の福音襲撃の際、真が撃墜されたという一報を受け取った時、鬼神のような形相になったと少女たちから聞いていた。彼女もまたディアナの部下なのである。

 副担任二人の向こう側には千冬とディアナが控えていた。学内どころか世界最強を誇る二人はその力故に権利が制限されている。彼女らは海外旅行どころか、日本国内を自由に動き回る事すらままならない。IS学園都市が彼女らの愛すべき家であり、守るべき国であり、封じ込める檻なのだ。

 彼は右を向いた。そこには既に見慣れた少女の顔が合った。彼女は背もたれのない丸い椅子に座り、慎ましく腰掛けていた。細い眉に小さくも高い鼻、整った美しい顔立ち。だが大きい瞳は愛くるしさをも醸し出していた。

 ちらりとラウラが一瞥を投げる。彼は一つ打った高鳴りを仕舞い込み、静かにこう告げた。

「楯無、何故君がここに居る。職員室だぞここは」
「生徒会権限」
「教師には及ばないんじゃなかったのか」
「貴方の側に居たいだけなの」

 真耶と千代実がコーヒーを吹き出した。「蒼月先生! 幾ら同い年でも先生と生徒はだめですよ!」と真耶が言った。「随分手が早いですね……」不信を湛える千代実だった。軽蔑の眼差しも混じっていた。周囲の視線が集まる。“また蒼月先生だ”と他の教員からの視線が容赦なく突き刺さった。彼はうんざりしたように楯無を見返した。

「楯無。君はまた何を企んでいる……」
「あは」
「笑って誤魔化すな」
「ねえ、前から感じていたんだけれど、真って私に対する扱い酷くない?」
「君が他の娘と同じようにしてくれれば同じように扱う」
「同じようにしていない? 例えばどの辺が?」
「一見、常識的な距離感を保っているが気がついたら、間近にいて引っ掻こうと手を伸ばしてくる。払おうとすると躱される、押し返そうとすると消えている。逃げようにも纏わり付き、何処まで走っても振り切れない―」
「霧のようだなんて、あらいやだお上手ですこと」
「まるでゴーストみたいだ」

 一転、心底不機嫌そうな楯無であった。

「貴方って本当に上げて落とすの好きよね。本当に取り憑いちゃおうかしら」
「君を見ていると想うよ、やっぱりパートナーは表裏の無い人が良い」
「あら振られちゃった、悲しいからそろそろ帰るわ」

 急に引いた楯無の態度に彼は戸惑った。

「生徒会室か」
「当然でしょ、私にも警備があるんだから……蒼月先生もあとでいらして下さいね」
「お茶が出るなら行くよ」
「虚の紅茶は一品よ。それじゃ、ばははーい」 手をひらひらとさせながら扉が閉まる。
(よく分からない、一体何がしたいんだ彼女は)

 真が再び書類に目を通した時だった。真耶も千代実もラウラも席にいなかった。“蒼月先生”そう呼ばれ彼に影が指す。

「私に表裏があると仰りたいのかしら?」とはディアナ。
「私はそれ程単純か」とは千冬。

 先程の発言は一般論でして、そう釈明する真の襟を掴むと、

「「お話があります、生徒指導室にいらして下さい蒼月先生」」

 怒りを堪える黒と金。彼は達観した表情でズルズルと引かれていった。

(や、やられた……)

 こってり絞られたあと、学園の正面ゲートに立つのはラウラと真であった。学園の警備が任務の2人は、入園する人物に、警備をしている安心感と威圧を与えている。ラウラは引き続き黒のスーツ、真は黒い戦車を連想させる装甲、みやを展開させていた。両手にはわざわざアサルトライフルを展開させている。

 ゲートをくぐる人の反応も様々であった。頼もしそうに見る人も居れば、やり過ぎではないかと眉をひそめる人。間近に見るISのその姿、物珍しそうに凝視する人も居た。

 ゲートをくぐる黒い政府関係車両。それを見送ったラウラは真に歩み寄る。秋の晴天は日差しが強い。彼女は頭上の太陽を恨めしく見ながらこう言った。

「蒼月先生、いくら何でもやり過ぎではありませんか?」
「保険とみてくれ。ここは遊園地じゃないんだ。幾ら有っても良いだろ?」
「見た目的な事を言っています」
「見た目も計算のうち、この顔と傷、有効に使わせて貰おう」
「その格好どうみても歴戦の兵士ですよ」
「そうか、自信出た」
「褒めてはいません……失礼、チケットの確認を」

 サラリーマン風の男性はラウラの姿を見ると最初に戸惑い、次ぎに憤慨したような表情を見せた。ラウラは同じ15歳の少女と比較しても随分幼く見える。幾ら大人びた化粧をしているとはいえ、早々変わるものではない。馬鹿にされていると思ったのだろう。最後に何か言おうとして、真に気づいた彼は愛想笑いを浮かべた。“娘に会いに来たんです”そう言って逃げるように立ち去った。

 子供扱いされたのか、若く見られたのか、判断に窮したラウラはこう呟いた。

「一般人も意外に多いですね」
「生徒一人に配られるチケットは一枚だから、単純計算で360名いる。教師の分を含めれば400人近いだろう。身許は割れているとはいえ、楽観も出来ない。気は抜けないぞ」
「蒼月先生はどなたに?」
「友人に渡した」
「意外です、てっきり蒔岡機械の人物かと。どの様な方です」

 真は視線を上げ、ラウラの背後を見た。燃えるような赤い髪をした二人が立っていた。一人は少年一人は少女、共にターバンの様なバンダナを頭に巻いていた。少年はジーンズにポロシャツ、少女は白いワンピースを纏っていた。男女ともに、僅かに釣り上がった瞳よく見れば似た顔立ちをしている。勘の良くない物でも一目で兄妹と気づくだろう……五反田蘭と弾である。

 蘭は深々と頭を下げてこう言った。

「真さんこんにちは」
「いらっしゃい。遅かったな」
「おにいが寝坊したんですよ。昨夜興奮して寝付けなかったようです……ほら突っ立ってないで挨拶」

 小突かれた弾は「お、おう」と生返事を返した。

「弾、どうした? ISを見るのは初めてか?」との真の問い掛けに応じたのは蘭だった。
「それ、リヴァイヴですよね。黒は初めてです」
「こいつはカスタム機なんだ」

 チケットを確認したラウラはこう言った。

「蒼月先生、入場者もまばらですしここは私一人でも問題ないでしょう。ご案内して差し上げてください」
「すまん、助かる」
「いえ、構いません」


  ◆◆◆


 正面ゲートから学習棟にいたる煉瓦道。ジャケットに着替えた真はこう言った。

「蘭は施設見学とかしたいのか」
「はい是非。やっぱり見ておくと勉強にも身が入りますので」
「なら一夏に頼もう、その方が良いだろ」
「は、はい。喜んで!」

 弾は真にこう言った。

「真、さっきの子誰だ?」
「ラウラ・ボーデヴィッヒ、同僚だ」
「同僚……って社会人?!」
「15歳だけれどな、彼女がどうかしたか?」
「そのボーデヴィッヒさんは一夏の事好きなのか?」
「そう言う話は聞いたこと無いけれど」
「ならお前はどうだ?」
「親しいと言えば親しいが、そう言う関係じゃない。それが何って、おまえ」
「か、かわいかった」
「「……」」

 こんな事もあろうかと、そう言いながら弾はポケットから住所氏名年齢を書いた名札を胸に取り付けた。

「すまん二人とも、俺急用思い出した!」
「ちょ、弾!」

 止める真を振り切って、爽やかな笑顔で立ち去る15歳の少年であった。蘭は済まなさそうに俯くだけだった。

(おにい帰ったら説教……!)

 弾が素気なくあしらわれた頃である。1年1組の教室で一夏は汗を掻いていた。彼のクラスはメイド喫茶、男である彼は燕尾服を纏い給仕に励んでいた。

「いらっしゃいませお嬢様。本日は如何致しましょう」
「いい……」
「本日のお薦めは、チョコレート菓子と紅茶セットとなっております」
「お持ち帰りしたい……」

 面倒だと腰の重かった一夏であったが、元来の職人気質な性格もありのめり込んでいた。

(いらっしゃいませだとおかしいか。お帰りなさいませお嬢様だとしっくりくる……よし)

 右手の平を胸に、傅くようにこう言った。微笑を忘れない。

「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ふう……」

 感極まり失神する少女も居る有様である。シャル事シャルロットの燕尾服も好評で1年1組のご奉仕喫茶は大盛況であった。方や2組の中華喫茶。鈴の本格路線が受けたのか相応に盛況だった。学園服より一般の人たちが多い。

「ごま団子2つ追加~」
「はいよう」

 ごま団子をせっせと揚げる調理係の少女たち。流れる汗はコンロ熱だけでは無いだろう。その様な中、窓側の席に腰掛ける、眼光鋭い少女が1人いた。箒である。メイド服姿の彼女は休憩を利用し2組にやって来たのだった。

「箒ちゃん、ごま団子のセットがおすすめだよ」
「うむ、一つ頂こう」

 丸いトレーを持ち上機嫌なのは本音だった。スリットから覗く足が艶めかしい。

「似合っていると言いたいが、本音。恥ずかしくないのか?」
「少し恥ずかしいけれど可愛いから、気にしないよっ」

 頭部に咲いた白い二つの髪飾り。彼女はシニョンを気に入ったようだ。両手で花を咲かすようにぽんぽんと軽く叩いている。

「箒いらっしゃい、ゆっくりしていって」 静寐であった。お盆でスリットを隠すように歩いて行った。
「ああ。そうさせてもらう」

 友人の気遣いを噛みしめつつ彼女は一口茶を飲んだ。廊下を歩くビジネススーツ。真の姿を見たのは、箒がほくほくの団子を平らげた時であった。


  ◆◆◆


 1組前の廊下に並ぶ行列に面食らいながら、真は一夏を呼んだ。

「あー 割り込み禁止!」
「最後尾はこちらでーす」

 真は真顔でこう言った。

「教師権限」
「「「ぶーぶー」」」

 店の奥からやって来たのはその一夏だった。

「お、蘭。いらっしゃい」と営業スマイル。
「一夏さん、いい……」頬を染めて感極まる蘭だった。

「蘭、アンタやっぱり来てたんだ」

 割り込むように言ったのはチャイナドレスに身を包んだ鈴である。休憩と視察を兼ねて1組にやって来ていた。その彼女は警戒するように鋭い笑みを浮かべている。一転鋭い眼差しで蘭もこう言った。

「ええ、凰先輩。お久しぶりです」
「アンタに先輩呼ばわりされる覚えはないけどね」
「いえ。決定事項ですから、ご心配なく」

 火花を散らす少女2人。やっぱり仲が悪かった、そう内心疲れたように溜息付くと真は一夏にこう言った。

「一夏、蘭の案内頼めないか?」
「ああいいぜ、ちょうど休憩なんだ。ところで弾は?」
「ラウラに一目惚れしたらしい。途中で引き返してそれきりだ」
「うは、マジかよ。アイツも無茶すんぜ」
「望み薄だよな……なら蘭を頼んだぞ」

「アタシも戻るわ、そろそろ休憩終わりだし」と鈴が言う。ならば俺もと、真が立ち去ろうとした瞬間である。一夏は引き留めるようにこう言った。

「2組は行ったか?」
「これからだけど」
「行くんじゃねえ」
「なぜに」
「どうしてもったらどうしてもだ」

 一夏は静寐のチャイナドレスを見るなと言っていた。

「……いいじゃないか。チャイナドレスぐらい。減るもんじゃなし」
「減るに決まってんだろ! セシリアのメイド姿で我慢しやがれ」

 真は意外そうな顔でこう言った。

「着たのか彼女。拒否するものとばかり思っていた」
「渋ったんだけどな。メイド服は下々の服装ですって。誰かさんが喜ぶって言ったら手の平がえしだ」

 一夏は蘭を引き連れ教室の廊下に出た。ブーイング込みの歓声を聞きながら真は1組を見渡した。視界に入る鮮やかな金の髪、給仕中の彼女に彼は歩み寄った。背後から声を掛ける。

「セシリア」
「ひゃい! ……ま、真! 驚かすとはマナー違反ですわよ!?」
「いや、そんな気は毛頭無かったのだけど……顔赤いぞ、調子悪いのか?」
「そ、そんな訳有りませんわ。決してメイド服でだなんて思っておりませんわよ。至って普通です、おほ、おほほほほ」

 添える右手は口元に。彼女の久しぶりの振る舞いに彼は眉を寄せた。

「とてもそうは見えないけれど」真はセシリアの額に手を当てた。ばっと彼女は飛び退いた。胸元に握り拳を添えている。

「……セシリア?」
「な、なんでもありませんわ、ありませんのよ、ありませんったらっ!」

 そう言いながら駆け足で立ち去った。教室の扉の枠に躓き、転ぶ。すっくと立ち上がると、逃げるように走り去っていった。揺れる黒いロングスカートと金の髪、彼は唖然としながらこう言った。

「彼女、変だよな?」
「女の子には色々あるんだよ、真もまだまだだね」

 溜息をつくシャルロットだった。


  ◆◆◆


 学習棟から部活棟へ向かう道。1人歩くのは楯無だった。頭上には秋の筋雲。さあっと吹く一筋の風。冷たくなり始めた秋風が心地よい。

「ん~♪」

 上肢を伸ばす彼女は上機嫌だった。

(ようやく少しすっきりしたわ♪)

 千冬とディアナに引き摺られた真の、諦めに似た疲れた表情。それを思い出す度に笑みがこぼれる。彼女は布仏姉妹の一件で真にささやかな復讐をしているのであった。

(しかし、織斑先生はともかくリーブス先生までご執心とは。一体あいつ二人に何したのかしら……あら?)

 遠くに見える銀の髪。黒服の男性をお供に連れたその女性は、楯無のよく知るところだった。

(そっか。そう言えば織斑先生が呼んだとか言っていたっけ。これは挨拶に行かないといけないわねえ)

 後にするか今呼び止めるか。僅かな逡巡の後、サングラスを付けた金髪の女性が1人、颯爽と歩いて行った。彼女は僅かな警戒を滲ませた。その金髪の女性はディアナが呼んだのである。

(そう、もう来たんだ。流石軍人さん、学園内だというのに堂々としてるわ)

「……これは面白くなりそう♪ そうよね真?」

 彼女は軽快なステップで真を探す事にした。彼の行く末を見届ける為である。学内警備を統べるアレテーが警戒レベルを一つあげたのはこれから数時間後のことであった。


  ◆◆◆

 プライベートやらスランプやらで少々更新が遅れそうです。



[32237] 02-04 学園祭4
Name: D1198◆2e0ee516 ID:e5ef504a
Date: 2013/05/29 20:59
 見上げる空は高くどこまでも蒼かった。雲はまだらに浮いていた、快晴の秋の空である。その空の元、学習棟の屋上で、屋内と通じる小屋の扉がばんと大きな音を立てて開いた。飛び出したのはセシリアである。金髪の髪をなびかせて、フェンスまで走ればすがりつく様に体を支えた。

 フェンスに右手を、余った左手は胸元に。一つ息を大きく吸い、はあと大きく吐いた。

「私は何をしているのかしら……」

 火照った顔を何とか冷まそうとぱちぱちと両の手で叩いていた。そのとき小屋の扉に影がさした。二つのうごめく人の影。ティナと清香である。慌てふためき逃げる様に走るセシリアが気になった二人は後を付けたのだった。

 扉から顔を半分だし覗く清香はこう言った。

「あちゃー。セシリア相当意識しちゃってるね。ねーティナ。あれ渡したの尚早だったんじゃない?」
「こうなるとは予想外です。セシリアがまさかこれ程奥手だったとは……」

 清香は振り向いた。その視線の先には困惑顔のボブカットの少女が立っていた。

「まーセシリアお嬢様だもんね、無理ないよ。私だってまだだけどさ」
「清香。言っておきますが、私もハミルトンのお嬢様ですよ」
「自分で言っちゃうんだ」

 呆れを隠すことのない清香にティナは一つ咳払う。

「さてどうした物でしょうか。これ以上煽るのも得策ではないようですが」
「もう二人に任せるべきじゃないかな」
「相手はあの蒼月君です。セシリアもこの調子では放っておいたらいつまで経っても進展無しです」
「それは言い過ぎだよ」
「鈴のケースを思い出してください。同室だったとき彼が何もしなかった事を考えると十二分にあり得ます」
「あー」
「でしょう?」

 かつんこつんと階段を上がる足音がする。誰かと二人が見下ろせば、踊り場に立つのは箒だ。彼女は怒り半分、疑い半分の眼差しで二人を見上げていた。

「げ」と声をだし、慌てて口をふさぐ清香。隠し事をしていると自分で言った様なものだ。箒は二人の側に立つと腕を組んでこう言った。

「セシリアが挙動不審だと思えば……2人とも。一体セシリアに何をしたのだ」

 答えたのはティナだった。隠すつもりは毛頭無い様で堂々としていた。

「大した事ではありません。セシリアの背中を押しただけです。日本でいうところの発破を掛けた、と言う奴です」
「だからそれを聞いている」
「マイルーラを渡しました」
「まいるーら?」
「避妊薬」とあっけらかんと言うのは清香である。

「「「……」」」

 僅かな沈黙の後、箒は顔を真っ赤にさせ、何を考えているのかと声を荒らげた。性的な事に関する価値観は人それぞれだが、箒にとっては日々考える様なことでは無かった。非難する様な物言いになったところで無理はない。応えたのはティナだ。彼女は人差し指を立て、子供に道徳を説くがごとくの態度でこう言った。

「何を言うのです箒。避妊せずにSEXなど無責任ではありませんか」
「せ、せせ、せー」 口をぱくぱくさせる箒であった。
「そっか。箒もまだなんだ」
「何を言っている! はしたないぞ!」

 ティナはやれやれとため息一つ。

「セシリアといい箒といい、良い女が揃いも揃って情けないですね。私はセシリアの味方ですが、箒。貴方にも言っておきましょう。私は父が軍人なので幼少の頃から多くの男性を見てきました。だから言いますが蒼月君のようなタイプは女の方から強く押しておかないと駄目です」
「なにを押すのだ……」
「もちろん釘です」
「……どういう意味なのだ」
「失礼。釘だと挿すですか」
「刺すだよティナ。あと少し使い方が違う」

 おほんと一つ咳ばらう。

「良いですか箒。私の見立てでは蒼月君のような強い男性を演じている、強くならなくては成らなかったタイプは中身が空っぽです。自分の身体を叩きあげ、作り上げた薄く堅い身体、卵の殻と言っても良いでしょう。卵の殻は不安定で簡単に揺れますし、簡単に割れます。割れれば風にまかれて散ってしまいます」

 箒は黙って聞いていた。

「最近は持ち直したようですが人間早々変われるものではありません。殻の中身を埋めしっかり支える存在、女が必要なのです。深く支えるには身体の、温もりを与えることが何より大切。彼を思い大切にしたいのであれば恥ずべき事ではありません」

 初めて知る考え方に箒は二の句を失った。感心した様に、尊敬の眼差しを向けるのは清香である。

「ねーティナ。それを悟るのに何人付き合ったの?」
「失敬な。好きになったの男性は織斑君が初めてです」
「え"?」
「母の受け売りです」

 染めた頬を恥ずかしそうに掻くティナだった。


  ◆◆◆


「むう」

 学習棟の階段を降りるメイド服の少女がひとり。箒である。腕を組みしかめ面、彼女は迷っていた。

 ティナの言っていることを否定したい。ティナの言い様は肉体関係を握手代わりに考えている、そう思いたかった。だがだが考えれば考えるほど否定出来る材料がなくなっていく。一般的ではなく真限定での話だ。

 かって箒が、真と偽りのデートをした日。彼に感じた不安は影を潜めたものの未だ健在であり彼女自身感じとっていた。それは躊躇だ。女性に対する線引き、一線として存在していたのだった。

(一夏によればあの2人と違う部屋になったらしいが)

 あの2人とはディアナと千冬のことだ。世界で有名な二人である。別室という扱いは妥当と言えば妥当な処置だが、この世界においても真とあの2人は親密な関係と言って良い。真の過去を知っている彼女にとって、個人的感情を除けば、同室でも異論は無い。

(そもそもディアナと数ヶ月同室だったのだ。いま敢えて別室にならなくても良い筈……2人に対し遠慮したのではなく距離を置きたかった、だとしたら……ティナの言う事が信憑性を帯びてくる)

 箒はしばらく立ち止まると、数度天井と廊下を交互に見つめた。一つ息を吐く。

「無理をしている……か。しかたがないな」

 そう言い踵を返した。


  ◆◆◆


 幾分落ち着いたセシリアは缶の紅茶を飲んでいた。みやが初期化されかかったとき、二人で座ったベンチである。花壇に木製の机。あの時に比べ随分賑やかになった光景を見渡したあと再び手元の間に視線を落とした。缶をくるくる回す。

(あの時もこうして回していましたわね……)
「セシリア。ちょっと良いか」

 呼ばれた声に彼女が振り向くと箒が立っていた。何時もの様に腕を組み仁王立ちだった。

「あら、箒さん。休憩はもう終わりでは?」
「用事を思い出したからな」 箒は隣に腰掛けた。
「私に?」
「セシリア。私は構わない、お前の好きにすると言い」
「そう。あの2人から聞いたという訳かしら」
「そうだ」

 二人の視線の先には海が見えた。蒼い空と蒼い海。静かに打つ波は白く、白糸のよう。

「意外ですわ。箒さんが後押しするとは」
「“私たちの知る”真はお前を好いているからな。私では一寸及ばない」
「随分物わかりが良いですわね。盆祭りの時の態度が嘘のようですわ」
「敵からの施しは受けない、と言いたいが。セシリア、お前の気遣いが分からないほど愚かでは無い。あの時わざと挑発したのだろう? 見せつければ憤りぐらいすると」
「箒さん。私は何時までもここに居るという訳ではありませんわ。卒業すれば国に帰ります」
「真をイギリスへ連れて行くのではなかったのか」
「それ程簡単な話ではありませんわ。家としても国としても学園としても。ですから―」
「ならば、その続きは卒業式の時にしよう。強大な敵が2人も居る。2人手を組んで戦うべきだ」
「勝てるかしら」
「私たちとて黒と金だ、若い分勝ち目もあるだろう」
「そうですわね」
「それより目先の問題を片付けるとしようか」
「お心遣い感謝いたしますわ。今晩にでも迫ってみますからご心配なく」
「無理しなくても良いのだぞ、セシリアは自信が無さそうな上、私も貰ってきたからな」

 彼女の胸ポケットから覗くのは正方形の、フィルム状の包装物である。マイルーラと印刷されていた。

「ふふふ」
「おほほ」

 2人の高笑いは空に消えていった。


  ◆◆◆


 学園中を練り歩くのは蘭と一夏である。教室のある学習棟にドーム球場より巨大なアリーナ、ホテルのような寮に、見渡す一面書籍で埋め尽くされた巨大な図書館。研究所にも基地にも見える学園本棟。各施設は離れていて歩き渡るにも骨が折れる。そのため学園用の自転車もあるほどだ。一夏は建物の前に立つとこう言った。

「ここは部活棟。学園の部室が有る棟で生徒会室もここにある。行ったことは無いけれど」

 蘭が見上げる建築物は小洒落たデザイナーズ・マンションのようだった。上空から見れば正方形で、吹き抜け構造のロの字型。3階建てで集合ポストを見れば1フロア36室もある。蘭は「はあ」と生返事をした。彼女の所属する女子校とて有名校で、設備には金が掛っているが、学園のそれは比で無かった。

 蘭の心中を察した一夏は屈託無く笑う。

「学園には海外の良いとこの娘も多いんだ。面子があるから立派なんだってさ。日本人のヨーロッパアレルギーもここまで来れば立派なもんだ」
「みたいですね」
「俺ら男に関係ある施設は少ないけどな」
「そうなんですか?」
「大半が女生徒向けなんだよ」

 女生徒、この言葉を聞いた蘭は態度を僅か硬くした。ここにいたる道、一夏は都度女生徒に声を掛けては言い寄られた。蘭には警戒の視線を投げられた。彼に好意を持つ者としては看過出来ないであろう。それに、

(ここの生徒は何かが違う)

 同級生と比較して随分大人びてみえた。一夏もどこかが違う。一学期が終わる前、彼は蘭の家に遊びに来たが、その時と比べて随分落ち着いている。彼女は何かがあったのだと直感した。

「一夏さん」
「ん?」
「一夏さんに特定の人は居るんですか」
「居ない」

 蘭の問いかけは一夏の態度を堅くした。

「学園って綺麗な人ばかりじゃないですか。もてるんじゃないですか?」

 昔のように、とは言わなかった。

「告ったけど振られてさ、そんな気になれないんだ」
「は?」
「意外か?」
「あえいえ、そういうわけじゃ」
「あーもう、この話はやめだ。正門に行こう、真が居るはずだISを間近に見られるぜ」
(一夏さんを振る人が居るなんて、信じられない!)

 逃げるような一夏の背中。彼女は慌てて追いかけた。彼の視線のその先、黒服の男性を従わせ、銀髪の女性が立っていた。白いブラウスに紫紺色のスカート。ショールを羽織る、その姿は蓮華草。落ち着いた雰囲気の女性だった。

「もし」
「え、俺ですか?」
「織斑一夏様であられますでしょうか」
「え、あ、はい」
「成る程、織斑先生によく似ておられる」
「千冬ねえを知っているんですか?」
「お初にお目に掛ります。卒業生で黒之上貴子、と申します。先生にお目通りは叶いますでしょうか?」

 彼は僅かな戸惑いの後、笑顔でこう言った。

「もちろん。職員室だと思いますので案内します。蘭いいか?」
「はい」
「その前に。蒼月真様はどちらに居られますでしょうか」

 思わず蘭と目を合わせる一夏だった。


  ◆◆◆


 蘭を一夏に頼んだあと、真は学園内を巡回していた。何かがあれば、アレテーが即座に警報を発令する手筈となっている、その意味で彼の行動に意味は少なかったが、

「データじゃ雰囲気は分からないしな」

 彼は賑やかな学園の空気を噛みしめていた。駆けて行く女生徒の先に、中年の女性が立っていた。母娘だ。数名のグループがドリンクを片手に歩いてくる。3年生だった。声を掛けられたので彼は手を上げた。遠くから演奏しているだろう吹奏楽部の演奏が聞こえる。笑い声があった。

(平和だな……守るか、どうして前はこの感覚に気づかなかったんだろう)

 俺も見ているようで見ていない、そう彼が猛省の念に駆られていた時である

「はあい」

 金髪の、サングラスを掛けた女性が立っていた。耳にイヤリングをつけ、デニムに襟なしストライプ地のニットを着ていた。美しいよりは凛々しいが相応しい。彼女は木陰をひさし代わりに立っていた。彼は訝しげな表情でこう言った。

「どちら様でしょうか」
「私よ」
「私、と言われましても。チケットを確認させて頂いても?」
「酷いわねえ。“今更乗り換えなんてさせんぞ!” そう言ったのは貴方なのに」

 左手に持った小さめの鞄から取り出されたチケット。紹介人の欄、ディアナと書かれたその上に記された名前を読み上げる。彼は呟いた。

「ナターシャ・ファイルス……?」

 ナターシャはサングラスを取ると微笑んだ。

「君とは3度目なんだけどな、本当に分からない?」
「……その声、アラクネの」

 彼はサイレント・ゼルフィス戦の折、彼を拘束したパイロットの声を思い出した。

「正解。本当は福音のパイロットよ。今日はお使いに来たのだけれど、直接言いたくて。助けてくれてありがとう」

 戸惑っている彼の頬に唇を添えた。頬に感じる柔らかい感覚、彼はそれを追いやりこう言った。

「あの時は……何というべきだろう。そうだな、元気そうで何よりに、しておこうか」
「“怪我”はもう良いの?」

 ロンギヌスに撃ち抜かれた脇腹のことである。

「良く覚えていないけれど、この通りぴんぴんしているよ」
「そう良かった」
「君の方こそ大丈夫なのか?」
「貴方が身体を張ってくれたお陰で怪我一つ無いわ。今日はミス・リーブスに会う必要があって余り時間が無いの。だからまた日を改めて会いましょう。それじゃあね、もう1人のナイトさんにもよろしく」

 手を振り立ち去るナターシャの背を呆然と見送りながら、彼の背後で一夏がこう言った。

「おい阿呆」
「なんだ、いち……か?」

 彼が振り向いた先、一夏の隣に立つ蘭の、更に隣。彼にとって懐かしい人物が立っていた。その銀髪の女性はにっこりと笑うとこう言った。

「真、久しいですね」
「……貴子さん?」

 貴子は真の頬の傷、碧い眼、左腕の義手を見ると笑みを消し憂いを見せた。

「すっかり変わり果てて。心配したのですよ。聞こえる話は、やれ怪我をしただの、やれ捕まっただの、気をもむ事ばかり。フランスでの話を聞いた時はもう……」

「あの、失礼ですが。貴女はあの貴子先輩?」
「何を言い出すかと思えば。よもやこの黒之上貴子の顔を忘れたとは言うまいな?」

 二の句を失っている真の背後から真耶が駆け寄った。

「黒之上さん!」
「まあ、山田先生。ご機嫌麗しゅう」
「お迎えが遅れて申し訳ありません。学長と織斑がお待ちです、どうぞこちらへ」
「真」
「は、はい?」
「後で話があります。先程の女性のこと話すように……では五反田様、織斑様これにて」

 楚々と立ち去る貴子を見送る3人。

「だから阿呆」
「なんだ馬鹿」
「あの人、お前が前に言っていた先輩か?」
「その筈だけど……」

 一夏は真の胸ぐら掴んでこう言った。

「何が豪快な人、だ! 思いっきり深窓の令嬢じゃねーか!」
「いやだってそんな、あーっはっはって言う筈なんだけど……なんで?」
「おおそうだ、さっきの金髪女性は誰だ!? どういう関係だ!? 頬にちゅーとか全部吐きやがれ!」

 がくがくと頭を振られる真と振る一夏。真は外見に似合わずプレイボーイなのかもしれない、一夏が年上好きという昔からの噂は本当かもしれない、困惑と悲嘆に苦しむ蘭だった。


  ◆◆◆


 場所は移り、職員室の隣にある生徒指導室である。その部屋には金髪の女性二人が腰掛けていた。一人はナターシャ、もう1人はディアナである。火花を散らす2人を見て、千代実は視線を合わさないようにこっそりと紅茶を置いた。

 不機嫌さを隠さないディアナを前にナターシャは涼しい顔である。

「黒神財閥のご令嬢がお目見えとは驚きました。ミス・リーブス、学長とどの様な話を?」
「貴子は元々生徒だから挨拶に来たのよ」 ディアナは脚を組み替えた。
「そう言う事にしておきましょうか」
「そんな事より学園の人間を、教師を口説かないで貰いたいものだわ」
「あら、恋愛は自由ですよね」 ナターシャは紅茶を一口呑んだ。
「本気で言っているのかしら?」
「年下ですけれど、大人びていますし。隣に居ても恥ずかしくないでしょう。第7艦隊で彼は英雄です」
「彼を想っているのは少ないけれど、強敵揃いよ。奪うなら全軍で来なさい」
「その様ですね」
「それで今日はわざわざ何のようかしら。ひょっとして喧嘩を売りにイレイズド(地図に無い基地)から来たの?」
「まさか。叔父から私的な伝言です。それを伝えに来ました」
「ハミルトン中将から?」

 紅茶を置くとナターシャはこう言った。

「ファントム・タスクが動き出しています」


  ◆◆◆

そろそろ嵐の予感。



[32237] 02-05 学園祭5
Name: D1198◆2e0ee516 ID:add0829b
Date: 2013/07/05 21:48
 そこは僅かばかり薄暗いが心地の良い部屋だった。暗い赤紅の絨毯は柔らかく、歩き心地が良かった。部屋に置かれた漆喰の机は落ち着きを醸し出していた。天井のシャンデリアは派手すぎること無く柔らかく灯っていた。作りは洋間だったが、シェルフの上に置かれた盆栽は刈り揃えられ上品に枝を伸ばしていた。重厚さ心地よさを持ち合せた部屋、学園の少女たちが知らない、学長室の隣にある部屋である。

 この部屋の主である轡木十蔵は、人生を刻んできた白髪と深い皺を持っていた。威圧的にならず、人に安心感を与える立ち振る舞いだった。彼は表向きは用務員、IS学園の良心と呼ばれてはいるがその実、学園の運営を担う権力者である。

「学長、どうぞ」

 真耶が置いた茶を受け取ると簡単な、だが腹に響く声で礼を言った。日頃は1人しか居ないこの部屋に複数名の来客があった。彼から見れば学園に籍を置く女性全てそうなのであるが、まだ若い彼女らを見て笑みを浮かべ茶をすする。黒革のソファーとガラスのローテーブル。貴子、楯無、千冬が座っていた。彼は若者の笑顔を見る事が何よりも好きだった。それが近しいものであれば格別である。彼女らは約半年ぶりの再会を祝していた。

「あーっはっはっは♪」

 澄んだ声が部屋に響き渡る。屈託無く笑うのは貴子だ。最初は声だけ。なんとか礼節を保とうと片手で笑みを隠していたが、徐々に肩が震え足が震え、とうとう堪えきれなくなり吹き出した、大声で笑い出した。

「真のあの顔! あれを見られただけで来た甲斐があったというものですよ学長♪」
「彼は随分変わったでしょう」
「そりゃあもう。あの抉ったような眼が無ければそれこそ誰か分からなかったぐらいです♪」

 思いだし、また笑う。ぽんぽんと何度も膝を叩いた。その貴子の様子を見て、隣に腰掛ける千冬は不機嫌そうだ。腕と足を組み、指でリズムを刻んでいる。

「黒之上、いや黒神(くろかみ)貴子様。ご令嬢を演じるなら最後まで貫き通したら如何です」
「黒之上で良いですよ、織斑先生。貴女にはその方がやりやすいでしょう? それに、私にとっては今でも先生ですよ。貴女は」

 千冬は表情を消した。その場に居る全員にそれが照れ隠しだと言う事に気づいていたが、あえて言わなかった。仏頂面の千冬を見送って貴子はこういった。

「今年は例年と違う活気がありますね。あの2人の影響でしょうか学長」
「騒ぎが起きない日が珍しいぐらいですよ。男子適正者が入学すると決まった時どうなるかと思いましたが全体的に見て良い傾向のようです」
「全体的にですか?」
「日々修羅場の様ですよ。まあ、彼らのお陰で今年の一年生は男性を見る眼が養われたでしょう」
「基準が世界でたった2人の適正者では逆効果かもしれませんね」

 上品に笑い合う2人を見て、千冬が姿勢を正し咳払いの後こう言った。

「黒之上、学長、そろそろ本題に」

 十蔵はそうでしたと湯飲みを下ろした。貴子も手を膝に置いた。

「ISの極秘製造とその資金調達、両方とも心得たと父が申しておりました」

 貴子が言うのは、去る5月。学園が回収した無人機のコアの事を言っていた。学園は迫る危機に対応する為、ISを極秘に製造することにしたのだった。何処の国、機関にも所属しない未登録の機体である。

 もちろんISの性質上、公になれば首切りでは済まない。だがそれ以上の危機が迫っているとアレテーが判断したのだ。活発なファントム・タスクしかり、篠ノ之束しかり。防衛を他所に頼む訳にはいかないのである。

「しかし学長。また思い切った決断をしましたね」貴子の口調に僅かな緊張が見て取れた。
「次ぎなにかあれば死傷者の出る可能性がある、こう言われては自分の首を心配している訳にはいきません」陽気に話す十蔵の口調には威厳があった。

「生徒の危機を看過するなど、あっては成らないことです」

 彼の決意にその場に居る全員が頷いた。


  ◆◆◆


 日が暮れた闇夜の中、月明かりを頼りに、とぼとぼと煉瓦道を歩く。自宅へ通じる道だ。時計を見ると午後の9時。学園にもはや人影は無く、ひっそりと静まりかえっていた。

 学園祭は大きなトラブルも無く終わった。強いてあげれば、弾が終始黄昏れていたことと、一夏が生徒会に入ったことぐらいだ。弾はああ言えば良かった、なんで俺はこう言わなかったのかとぶつぶつ言っていた。

 一夏争奪杯は。生徒会主催の劇が盛大な盛り上がりを見せ堂々の一位となった。不思議なのはその劇にシャル、鈴、一夏が出演し取り合ったことだ。誰を取り合ったかは敢えて言うことでは無いが……いずれにせよ、争奪杯を催した楯無率いる生徒会が優勝賞品を持ち去るというのは一種の詐欺であろう。あれで彼女に人徳があるというのだから女の子というのは不思議なものである。

 マンションのロビーを潜り抜け階段を上がる。

 目指すは2階だ。エレベーターを使うと他の教師に遭遇することがあるのでもっぱら最近は階段を使う。人目を憚るという訳では無い。ただ“蒼月先生今度は何をしたんですか?”と、はやし立てられたり“あの2人を怒らせるのはもう勘弁して下さい”と泣き付かれたりするから、それらを避ける為ではない。と言う訳でも無い。ただ何となくだ。

 2階にたどり着き廊下を歩く。

 頭上には淡い橙色の半導体照明が灯っていた。左手の窓硝子越しに月が煌々と佇んでいた。窓枠の無いガラス窓などホテルのようで高級感があった。ここの設備は本当に金が掛っている。

 自室の前に立ち、扉の取っ手に手を掛けた。

 今日は気になる来客が2名居た。1人は貴子さん。真耶先生によると彼女は良いところのお嬢様なのだそうだ。これだけでも驚きだが学長に面会しにやって来たという彼女の目的が何か、それが気にかかる。

 もう1人はナターシャ・ファイルス。アメリカ軍のISテストパイロットらしい彼女の目的は何だろうか。面会人がディアナだというので心配は無かろうが、一抹の不安も起こる。判断に困る。

「むう」

 扉を開けた。

「お帰りなさい♪ ご飯にする? お風呂にする? それともあ、た、し♪」

 楯無が居た。エプロンドレス一枚で立っていた。

 なぜだろう、世界の音が遠い。虫の音も、木々のざわめきも、さざ波の音も全てが良く聞こえない。よく時が止まったと表現するが正しくこれだと腑に落ちた。

 頭が良く回らぬまま、正面を見た。楯無は今にも踊り出さんばかりの、ダンス途中の、ステップ中で一時停止したかのような体勢で止まっていた。右手にはおたまも忘れずに持っていた。器用なものである。いや、問題はそこなのかと、いっとき真剣に悩んでしまった俺を誰が責められようか。

「あのだな楯無」何とか声を絞り出した。
「ああん、今夜も可愛いよマイハニーって言って♪」

 彼女は両の握り拳を口元に、身体を揺すっていた。振りの都度エプロンの、肢体に落ちた影が見えそうになるので目に毒だ。だから、右手を顔に当てこう呻いた。

「一つ聞いて良いか?」
「なあに?」
「何故ここに居る? どうやって鍵を開けた? あと何をしている? ラウラはどうした?」
「一つじゃ無いよ」
「良いから答えてくれ。これでもいっぱいいっぱいなんだ」

 何が楽しいのか、これ以上無いような笑顔でこう言った。

「夫婦は支え合うものよ♪」
「分かった表出ろ」
「まさか野外放置プレイだなんて、」
「服着てからに決まってるだろ! 他の先生に見られたらどうするんだよ!?」
「不名誉な二つ名がまた増えるわね」
「二つ名?」
「地獄のサンドウィッチに加えて、放置プレイの邪眼持ちを追加ね。ああそうそう、ウィッチはあの2人に掛けてるの。サンドはもちろん挟む」
「もういい。とにもかくにも服を着ろ」
「そんなに見たいなら見てもいいわよ」
「俺はこれでも買い物上手なんだ、そんな割高な商品って、めくるな!」

 ちらっとめくった下は黒いビキニ水着だった。二の句が継げない。自然に動く口が金魚の様だ。

「あはは。期待した?」からからと笑う少女である。
「あのさ、俺、君に何か不愉快な思いをさせた?」
「うん」
「なら教えてくれないか? 出来る事なら正す」
「布仏姉妹を弄んだ報復」
「俺は何もしてないぞ!」
「何もせずに弄ぶなんて真性のジゴロね。あ、“ジゴロ・ザ・スカーフェイス”ってどう?」

 どっと疲れが襲ってきた。

「……ラウラはどうした?」
「あ、そ、こ」

 楯無の肩越しに見えるラウラはベッドの上だった。

「何で下着姿で縛られてるんだよ!」

 ラウラは仰向けでむーむー言っていた。猿ぐつわというやつである。

「ラウラちゃんってば黒のレースだなんて大胆よね。真の趣味?」
「そうじゃなくて」
「だって私の作戦邪魔しようとするし」
「説明になっていない」
「服に武器を忍ばせてたから全部脱がせちゃった♪」
「とにかく! 君は服を着てラウラにも着せて、ああその前に解放しろ、要望は聞く」
「それは今から聞いて貰うから」
「は?」
「おーい。真ー。遊びに来たぞー。お宅拝見だぞー。待ちくたびれたー」

 振り向かなくても分かる。突然背後から現れた懐かしくも新しい気配は貴子さんだった。そしてその気配が固まる。戸惑いの気配から不愉快へ、最後は憤りのそれだった。

「このど変態!」
「違うんです!」

 扉を閉めるべきだったと激しく後悔をした。


  ◆◆◆


 貴子さんは家の用事で来たそうだ。詳しくは教えてくれなかったが、千冬が絡んでいるそうなので任せておいても良かろうと思う。何かあれば言ってくるだろう。

 それより問題は貴子さんの振る舞いである。貴子さんのあれは黒神貴子としてのそれであった。成る程と合点し、そして驚いた。黒神財閥といえば世界でも有数の大財閥である。良いところ、どころではない。一夏の言うとおり深窓の令嬢だったのだ。

 昨年初めて会った時から不思議な感じのする人だ、と思っていたがそう言う訳だ、人は見かけによらないと反省した次第である。まったく。千冬も楯無も人が悪い。こう言う人ならば早めに言ってくれれば、それ相応の対策をしたのだが。

「ぷはー」

 長く波打つ銀髪の、狐顔の、背の高いその貴子さんは、俺の部屋であぐらを掻きウィスキーを飲んでいた。言うまでも無く俺のだ。高いのに。

 彼女の名前を呼んでみた。もちろん機嫌を伺う為である。そしたらじろりと睨まれた。正座している自分の足を少し動かし労ってみた。じんじんと悲鳴を上げている。楯無は愉快そうに俺を見ていた。けしからん。ラウラはベッドの影から頭を出してふしゃーと楯無を警戒している。どの様な目にあったのか、予想も出来ないがネコの様で微笑ましい。ついでに言えば今の俺の状況も微笑ましければ言うこと無しだ。

「まこと、私の言う事よーくきけ」

 グラスをローテーブルに置くとカランと氷が鳴った。どうでも良いが、ロングとはいえスカートであぐらははしたない。

「はい」と言ってみた。
「明るくなったことは良い。褒めてつかわす」
「はい」
「去年と比べると笑いに魂が入ってる。再会した時、お前の顔を見た時、正直自分の目を疑った」
「はい」
「だけれどな……」
「……なんです」
「女子にだらしなく成りすぎだ! てゆーか軟派だろう!」

 そんな事は無いと思う。

「なんだその反抗的な目はー」

 ぽかりと叩かれた。

「優子たちから色々聞いているんだぞ。例えばロッカーを開けたら半裸の少女とか」
「それは一夏です」
「何時も女子を引き連れているとか」
「それは一夏です」
「ブラ脱がせたとか」
「それも一夏です」
「布仏妹のおっぱい揉んだとか」
「それは初耳です」
「……」
「……」
「男のくせに言い訳とは不届き者め!」
「わけがわかりません!」
「だいたい! あれだけ目を掛けてやったのに、手紙一つ無しとはどういうことだ!」
「……」
「……」

 そう言えばそうだった。余りにも色々なことがあったのですっかり失念していた。貴子さんは身を俺の方に乗り出し、グラスを持つ手の人差し指で俺の胸をつんと突いた。

「ごめんなさい」
「うりうり」

 柔道の寝技を決められた。楯無は笑っていた。ラウラは無言だった。柔らかい感触と、意識がまどろまんばかりの香の匂いに戸惑った。そしたらディアナがやって来た。良いのよと言いながら、縛られ二階から釣り下げられた。芋虫である。すると、とうとうラウラも笑い出した。思うことは結果オーライと自分を説得する事だけであった。


  ◆◆◆


 学園祭が終わり、貴子さんも帰って数日経った頃。セシリアとデートをする事になった。一夏がグループデートをすると聞き及んだ時、“そういえば水族館でペンギンの赤子が生まれたとか”とセシリアが言った為である。最近どうにも気が回らない。本来ならば俺から誘うべきなのだが、仕事にかこつけて彼女をおざなりにしている様な気がする。それにしても、一夏1人に少女4人はグループデートと呼ぶのだろうかと、疑問に思ったが些細な事なのだろう。もちろんメンバーはティナ、清香、鈴に静寐の4名だ。

 学園都市を歩く。見上げれば空が高い。澄み切った蒼い空だった。見下ろせば自身の足取りは軽い。浮かれている。俺も随分分かりやすくなったものだ。

 十代だろうか。すれ違う同年代のカップルが通り過ぎるのを見送った。

 少々気になる事があった。アレテーが警戒レベルを一つあげた事だ。どのような警戒かと言えば日常生活への影響は無いが、警戒に努めるべしが適当だろうか。ファイルス大尉からもたらされた情報によるとファントムタスクの活動が活発らしい。おおっぴらに警戒をすると、連中にこちらの動向を教えることになる。また、理由も無く警戒すれば同タイミングで現れたファイルス大尉にいらぬ疑いをかけられるかもしれない、色々難しい。

 因みに。世界トップレベル処理能力を有する学園コンピューターは電子戦に長けるが、コンピューターを使わない情報戦に劣る。米軍とは色々あったが、パイプが有ることをこれほど有難く思ったことは無い。

「綺麗な方でしたわね」セシリアである。
「ああ」俺である。

 しまったと心中で己を罵るが後の祭り。

「……どなたの事?」

 彼女は眉を寄せ、両の手は腰に添え、ホホホと笑っていた。学園都市の広い歩道で仁王立ちの少女は、言うまでなく怒っている。こめかみに血管が浮かび上がらんばかりだ。白い学生服を秋風に吹かせながらセシリアはこう言った。

「真、いくら何でも失礼すぎですわ。デート中によそ事だけでも許しがたいのに他所の女性を想っているとは」
「せめて考えていたと言ってくれ」
「同じ事ですわよ」
「正直に言うよ、ある人のことを考えていたけれどそういう意味じゃ無い」
「当ててみましょうか?」
「どうぞ」
「ナターシャ・ファイルス」
「知り合いか?」
「私が知っているだけですわ。ティナさんの従姉妹だそうですわよ」
「なるほど」
「なにが、なるほどですの」
「ティナの親父さんも軍人なんだ。だからなるほど」
「そう。私はてっきりキスを思い出しているのかと思いましたわ」
「なら上書き―」

 白い指が頬に触れる、抓られた。

「さ、この話はもうおしまいですわ。せっかくの一日をつまらない言い合いで台無しにしたくはありませんもの」

 俺は左肘を彼女に突き出した。こんじきの少女は僅かな間のあと、今日だけだと言って右手を通してくれた。


  ◆◆◆

 気がつけば空が紅に染まっていた。波が打ち寄せる臨海公園。舗装された道。こんじきの少女はその数歩先で、笑みを湛えながら波を見ていた。

 楽しい一時だった。水族館で小ペンギンにはしゃぐ彼女を見て、ブティックで服を選ぶ彼女を見て、ファーストフード店で頬張るポテトがこれほどおいしいとは、久しく、忘れていた感覚だ。本当に楽しい時間だった。いつまでも続けば良いのにとさえ思う。

 だがその都度心の片隅にあるしこりがうずく。悲鳴を上げる。脳裏によぎる黒い影、金の影、死なせてしまったという事実。それが声を荒らげる。糾弾する。

“お前にその資格があるのか”

“また繰り返すのか”

“世界を渡ってすら”

“お前はまた繰り返したではないか”

 目の前の金とフランスで出会った女性の金が重なる。

“目の前の少女を死なせるのか”

 それがとても怖い。

「真、どうしましたの?」

 目の前に優しい瞳があった。この蒼い目に幾度となく救われた。

「ちょっと昔を思い出していた」
「前の?」
「いや、今の。フランスで出会った人のことを」
「確か、エマさんと言いましたかしら」
「エマニュエル・プルワゴン。不思議な感じのする人でさ、」

「何も持っていない女だった、そうだよね?」

 その声を知っていた。気配を知っていた。突然背後に現れたその存在に振り向いたとき、俺の体は反射的にジャケットの下、脇にあったベレッタを抜いていた。

 その銃口の先に立つ少女に出会ったのは二回。一つは学園に続く高速道路の上空で、もう一つはフランスの地平線まで続く畑の上空、共に夜空の中。そしてこれで3度目。黒の人にうり二つの黒髪の少女が白いワンピースドレスを着て立っていた。

 その、Mと呼ばれた少女はおぞましいほど可憐な笑顔で俺を見ていた。

「久しぶり元気してた?」

 場違いなほど陽気で明るい声だった。周囲の人たちが俺らを見てざわめいた。当然だろう、十代半ばの子供が、銃を抜きそれを人に向けている。向けられた少女はおびえること無く笑っているのだ。客観的に見れば酷く現実味に欠ける状況だ。

 俺は、体の奥底にしまい込んだ殺しの仕組み、わき上がるそれを必死に押さえながらこう言った。

「久しぶり。また会うと思ってたよ」
「うれしい! でも当然よね。あんな別れ方全然ドラマティックじゃないもの。私たちには似つかわしくないよね」
「あれほどドラマティックな出来事は無いと思うけれどね」

 体をずらし、セシリアを陰に隠す。その時初めてMの表情に影が差した。いや、この表現は適切では無い。初めて表に出た。三つの長い影が地面に落ちる。赤やけの中、波音だけが響いていた。Mはそうかもねと、つまらなそうに吐き捨てた。

「そのワンピースずいぶん似合うな、可憐だよ」
「可憐? ずいぶん堅い言葉使うんだ。かわいいって言って欲しいな」
「その表情の下に隠している殺意を消してくれれば言うよ……何しに来た?」
「私ね、命令があって君を監視してた。本当は見てるだけなんだけど我慢できなくて」
「何を我慢する?」
「今の君―やれ」

 体の左側、ベンチの側、一般人だと思っていた金髪の女性から殺意がふくれあがる。銃を抜いた。二つの発砲音、女性の放った弾丸はとっさに掲げた義手に命中。俺の放った弾丸は胸部を貫いた。発砲音が夕空を木霊する。どさりと音を立てて女が倒れた。静寂のあと悲鳴が上がった。逃げ惑う人々。

 Mはつぶした虫を見るかの様な表情でこう言った。

「やっぱり誰でもって訳にはいかないか」
「お前、俺に殺させる為だけに仲間を使ったのか」
「仲間? まさか。只の道具。何も無い空っぽの抜け殻」
「貴様」
「私ね、君を戻したいの」
「戻す? 俺が戻るのは学園だけだ」
「違うな、戻るのはあの頃の君。やっかいね、相当強い枷に括られたみたい……括ったのは、お前か?」

 殺意がふくれあがる。人瞬きの後、俺の右肩から覗いていたセシリアの鼻先にナイフがあった。アクチュエーターの保護機能を殺し、最大出力で左腕を動かした。ナイフが当たり身代わりとなった義手が砕けた。

「ははっやるね! でももう義手は無いよ! 2撃目はどうやって防ぐ!?」

 Mの右手に光が集まりナイフが現れる。

「武装だけの量子展開!?」セシリアが悲鳴のような声をあげた。

 投擲の直前、影がMを襲った。頭上から打ち下ろされる拳が宙を切る。拳風が吹き荒れた。黒い髪、赤銅色の瞳。一夏だった。

「人のダチになにしやがる!」
「邪魔だ! 今お前に用は無い!」

 Mの姿を確認した一夏の動きが一瞬止まる。無防備な瞬間、Mの掌底が一夏を襲った。吹き飛ばされる。数十メートル転がり、砂浜でうずくまった。

「イチカに何してくれんのよ!」

 赤紫の光りが周囲を照らす。頭上より鈴が襲いかかった。一瞬でMの力量を察した鈴に侮りはなかった。右腕を優先にした部分展開。右拳を打ち下ろす。大地を破壊。轟音と共に、爆風が吹き荒れた。散った小石が地面に落ちる頃、Mは10メートル離れた所に立っていた。

「嘘でしょ……?」

 甲龍を纏った鈴が信じられないと呟いた。ISの攻撃を躱す人間など、学園にいる二人以外存在しないはずだからだ。パトカーのサイレンが聞こえてきた。Mは誰かと話すような仕草の後、俺を見据えこう言った。

「ふん、遊びが過ぎたか……今日は引く。けれど覚えておいてね、必ず戻してあげる」
「あ、待てコラァ!」

 青い光が闇夜の空に消えていった。


  ◆◆◆


 第3次報告書。ファントム・タスクのメンバーと思われる人物との接触による被害は以下の通り。

 人的被害について。蒼月真軽傷。左腕の義手は大破したものの命に別状は無し。織斑一夏軽傷。負った擦り傷は全治一週間。

 状況について。蒼月真が射殺した人物は身元確認出来ず。警察機構に発見される前に、更識家の部隊が回収。目撃者は少数有り。だが夕闇の暗い状況であった為、身許判別には至っていない模様。アレテーの情報解析によると怪事件として拡散している。情報の隠蔽工作を行いながら推移を見守る。

 学園外でIS展開および戦闘行為に及んだ凰鈴音は三日間の自室謹慎。なお戦闘時の目撃者は蒼月真の発砲による影響で居ない。学園外で発砲した蒼月真は、リヴァイヴ(通称みや)のデータログから状況的に止む無しとされ、独居房にて禁固刑一週間と減刑された。

作成 山田真耶


  ◆◆◆



というわけで、M再登場です。真の女難は続く。

【補足】
一夏たちは途中から真を付けていました。二人っきりとはけしからん、タイミングを見計らって邪魔してやろうと。そしたらM登場で、という流れです。

【以下ネタバレかもしれない作者のぼやき】



































オータムの出番はないかも。だって今の一夏だと笑いながら狩れるし



[32237] 03-01 更識簪1
Name: D1198◆2e0ee516 ID:56a7ebd2
Date: 2013/06/23 22:39
キャノンボール・ファストはありません


  ◆◆◆


 時は朝。柊の食堂は緊張感に包まれていた。ある一画で面を付き合わせ朝食に箸を立てるのは学園の2少年である。1人は白い学園服。もう1人はライトグレーのスーツ。2人は朝の挨拶も素っ気なく、視線を合わすことなく席に着いた。険悪というには幾分穏やかで、融和と言うには多少堅かった。

 真が目玉焼きに掛ける塩を忘れたことに気づくと、一夏は黙って硝子の瓶を差し出した。

「……」
「……」

 真は黙って受け取った。ひょこりひょこり。真の手にある箸が小さく揺らぐ。感謝の意を表わしているつもりらしい。

「……」
「……」

 2人は黙々と食べ始めた。ちちちと窓から見える数羽の小鳥が囁いた。

 さて。心中穏やかで居られないのは周囲の少女たちである。2人が喧嘩するのは珍しいことでは無い。険悪になったのもしばしばである。だが今回の2人の距離は今までと違う。とある少女が、

「で、2人は喧嘩してるのしてないの?!」

 と声を荒らげたのも無理はない。一種のストレスなのだろう、髪を両手でくしゃくしゃと掻いていた。

「髪をかきむしるの止めなさいよ、フケが飛ぶじゃない」
「無いわよ失礼ね!」
「ねーシャル君。何があったのか本当に知らないの?」

 2人の姿をじっと見つめていたシャルロットは、申し訳なさそうに、小さく頷いた。

「うんごめんね。この間何かあったらしいんだけれど、教えてくれないんだ。機密だって」
「織斑君は擦り傷だらけ、鈴は謹慎で、真は自習室だったもんね」
「真の義手壊れてるし。見ていて痛々しいんだよねあの姿」
「また何かあったに違いあるまいて」
「その何かが問題なのよ」
「「「むー」」」

 実際のところ、一夏にしてもよく分からないのである。グループデートに及んでいた時、ティナがうっかりセシリアと真のことを話した。一夏にとって少女に囲まれていることは困りもするが嬉しくもある。だが果たして望んでいるのはこれなのかと激しく葛藤していたところ、それを聞き及んだ一夏は苛立ちを感じた。嫉妬と言っても良い。

 そんな折、腕を組み歩く2人を見て邪魔してやろうと画策した。少女らもおもしろがって同意した。後を付け夕焼けで満たされる臨海公園で、その少女は現れた。背後しか見えなかった。髪は黒く腰まで掛かり、首元で結っていた。白いワンピースは波風に揺られていた。

“学園外に何人いやがる”

 こう思った時、真は銃を抜き向けた。その事実を切っ掛けに一夏は危険な状況だと察知した。その黒髪の少女の力量である。最初の発砲は堪えた。だが少女の手にナイフが現れた時、彼は飛び出した。一夏が切り裂いた空気の断層、それに怯えることの無い少女と眼が合った。その時一夏が見た少女の顔は、彼の姉に瓜二つだった。

 一夏は箸をとめてこう言った。その視線は真のジャケットの下左脇に注がれていた。

「セシリアの銃はどうしたんだよ」

 真は答えた。

「箱に入れてしまってある」
「どうして使わない」
「装弾数少ないし、壊れたら大変だから」
「お前の腕なら銃だけ弾けたんじゃねーのか」

 一夏は真が射殺した女性のことを言っていた。

「多分な」
「多分かよ」
「多分当てられた。だが外す可能性は少なからずあった」
「外していたら2人を同時に相手にすることになる、だからか」
「そうだ。持っている銃が一丁とは限らないし、あの黒髪の女の子の実力はお前もよく知っているだろ。仕留めることを最優先にした。なにより背中にセシリアがいた」

 真は箸を置き湯飲みに手を掛けた。立っている茶柱をしばらくじっと見つめると、ずずっとすすった。

(塞ぎ込むよりはマシなんだが、背負い癖は直ってねーな)

 一夏は肘を立て組んだ両手を口元に、追求するかのようにこう言った。

「あの、黒髪の娘は誰だ。何で千冬ねえに似ている」
「俺も知らない」
「もう一度だけ聞くぜ?」
「だから知らないって言ってるだろ」
「お前、必要と判断すると平気な顔で嘘つくからな」
「あの娘とは少なからず因縁があるんだ。俺だって知りたい、けれど知らない。一夏、俺はお前が知っているんじゃないかって考えてる……お前こそどうなんだ」
「俺だって知らねえよ」
「昔のこと、良く覚えていない部分があるんだろ? それが多分キーだ」
「これじゃ一学期と立場が逆じゃねーか」
「そうだな」

 朝の食堂は静まりかえっていた。食器を片付ける厨房の音だけが響いていた。2人揃って茶をすする。

「……」
「……」

 ことん。湯飲みをテーブルに置くと、2人はゆっくりと立ち上がった。

「やっぱり馴れないことはするもんじゃねーな」 一夏は拳を鳴らす。
「同感。こう言うことはもうちょっと後で良い」 真は首を鳴らした。

 食堂に満たされる少女たちのざわめき。それが合図となった。

「その辛そうな顔がむかつくんだよ! 覚悟があるなら最後まで貫き通せこの阿呆真!」
「理解出来ないからって駄々こねるんじゃ無い、まるで子供みたいだぞこの馬鹿一夏!」

 殴り合い始めたふたり。少女たちはひさしぶりの喧嘩だと笑顔ではやし立てた。織斑君だと蒼月先生だとヤジがあがる。一夏がなぐり仰け反った真は踏ん張り殴り返した。真の拳が一夏の腹に決まった。一夏がにやりと笑いまた真を殴る。鈍い音が続けて響き渡った。

「俺まだ15歳だもん!」
「何がだもんだ! もうすぐ16だろ!」
「良く覚えていやがりました! 9月27日! プレゼント忘れんなよ社会人!」
「性根のひねくれたお子ちゃまにくれてやる金は一銭も無い!」
「ひねくれてるのはどっちだ! 銭ゲバ真!」

 一夏の右ストレートが真の頬を捕え、真はその反動を利用し左キックを一夏の右脇腹に打ち込んだ。

「「いってぇ!」」

 2人は鬼の形相の中に笑みを浮かべる。

「少しは手加減しろこの脳筋一夏! 直るけれど痛いものは痛いんだよ!」
「人の事言える立場か陰険真! 丈夫だと思ってぼかすか殴りやがって!」

 2人同時に頭突き。鈍い音が鳴ったあと距離を取った2人は踏み込んだ。

「「地獄に落ちろこの女ったらしがっ!」」
「騒がしいぞ馬鹿者共っ!」

 互いの拳が互いの頬を捕えている時、2人は視線をずらす。その先に立っていたのは千冬では無く箒だった。肩を怒らせたっていた。静寐と本音は背後の席で手を振っていた。箒は2人が落ち着いたのを見ると、腕を組みあきれ顔で睨み上げた。

「喧嘩するほど、とは言うが食事中ぐらい温和しく出来ないのか」

 一夏は「俺は温和しいぜ、真がふっかけてくるんだ」と言った。真は「温和しくしているとつけあがる奴が居てさ」と切り返した。箒はぺしぺしと2人に手刀を入れた。

「喧嘩両成敗だ馬鹿者」
「「けっ」」

 仕方がない2人だと箒は溜息一つ。そして真に振り向いた。

「時に真。水族館の子ペンギンなのだがこ、今度の日曜日―」
「済まない箒。しばらく外出禁止になった」
「……」
「……」

 一夏はやれやれだと両の手を広げていた。箒は涙目で真に手刀を何度も入れていた。真は何度も謝っていた。最初はセシリア、次は箒の取り決めだったのである。

 遠巻きから見ていた少女たち。溜息をついてこう言った。

「蒼月は先生になっても変わらないね、というか少し情けなくなった?」
「私は今の方が良いかも、同年代って感じがする」
「織斑君は少し落ち着いたよね」
「色々あったしねー」
「「「ねー」」」
「ねえ、更識さんはどっちが良い?」
「興味……ない」

 簪は離れた所で1人、うどんをすすっていた。


  ◆◆◆


 場所は第3アリーナである。秋のまだら雲が掛る空の下、冷たさを感じる秋風の中、みやを纏う真は10名ほどの少女たちを前にアサルト・ライフルを構え発砲した。撃ち出された12.7ミリの弾丸は弧を描き、空とアリーナの境、それに掛るように浮かぶ、距離400m先の光子ターゲットに命中、ガラスのように壊れて消えた。本日は3組4組合同IS実習授業である。真は皆に向き直りこう言った。

「えー今見たとおり、真っ直ぐ構えているつもりでもISが補正し実際は射軸を上方に向けます。これは弾丸が重力の影響を受ける為です。自動照準を使っていると意識することは少ないと思いますが、撃つ方も撃たれる方も絶えず意識するようにして下さい。色々便利です」

 黒髪の少女が手を上げた。

「質問がある」
「はい、鎌月さん」
「命中精度に関わるのは分かるのだが、ISが補正するならば気にする必要は無いのでは?」
「確かに照準という意味ではそうですが、発砲された弾丸はISの支配を逃れ物理法則に切り替わります。つまり水平時、遠距離ほど弾丸は重力分上方にあがります。さてこの時高速で近づいたらどうなるでしょうか」

 赤髪の、背の高いスレンダーな少女が驚いたように、あ、と声を上げた。

「……回避出来る?」

 真は頷いた。

「7.62ミリ150グレイン弾の場合ですが1km離れると4メートルも上昇します。踏み込んで弾丸をくぐる……言うほど簡単でもありませんが機動戦闘のテクとして覚えておいて下さい。また、敵2体同時に牽制したい場合にも使え戦術が広がります。当然ですが上方に撃つ下方に撃つなど、高度差によって上昇率は変化しますので注意が必要です」
「「「ふーむ」」」
「では実際に体感してみましょう。一番手、佐々木さん」
「はーい」

 弾道を意識し発砲を繰り返す少女たち。宙に浮く真はそれを確認すると周囲をぐるっと見渡した。そこには今までとは少し違う顔ぶれが並んでいた。赤い髪黒い髪、釣り目垂れ目、部分的な特徴だけ見れば同じだが、一学期は余り会話のなかった少女たちである。

(ラウラもティナも居るし、全く知らない訳じゃ無いけれど……ちょっと新鮮だな)
「まだ馴れないかい?」

 真に声を掛けたのは1年3組担任ジェシカ・マクドゥガル。ショートカットの黒人女性で39歳。元米海兵隊。第2回モンドグロッソにて千冬に一太刀浴びせた老獪として有名である。その腕を買われ学園の教師として教べんを振るっているが、寄る年波には勝てず最近増してきたふくよかさを気にしている。

 真は大地に降り立ち、犬のような愛嬌のある女性に答えた。

「馴れないと言うよりはまだ新鮮です」
「そう言うのを馴れていないというさね」
「かもしれません」

 2人はそろって少女たち生徒を見渡した。小さく見えるのは黒い機体シュヴァルツェア・レーゲン、ラウラは銃を掲げ同じように少女たちに向き合っていた。隣の集団には金髪ボブカットのティナが打鉄を纏い、彼女もまた同じように説明していた。他にもリーダーを務める少女たちがたどたどしくも熱心に語っていた。一つ風が吹く。

「まあボーデヴィッヒ先生もそうだけど2人が来てくれるようになって助かったよ。3,4組にも優秀なのは多いけれどやっぱり日頃乗ってると違うからね……3組4組にも専用機持ちが欲しいよ」
「はは……以前それでハミルトンに噛みつかれた事があります」
「クラス対抗戦だったかい?」
「はい」
「まったく上もなにを考えているんだか。専用機持ちは分散させるべきだって口酸っぱく言ったんだけどさ」
「1組に集中してますね」
「2組もだよ、今は蒼月先生が抜けて凰1人だけど、1組は織斑、篠ノ之、オルコット、ディマで4機だからね。やってられないよ。ブリュンヒルデのご威光様々……っと蒼月先生には失言だったかね」
「いえ、ここだけの話にしておきますよ」
「そいつは助かるよ」
「4組の更識はまだ?」
「ああまだだね。打鉄弐式は相当掛るよ。ほら、白式がセカンド・シフトしただろ? 倉持技研の連中は白式様ってお祭り騒ぎさ」
「当面彼女の不満顔を見そうです」
「蒼月先生も元技師だろ? 時々で良いみてやってくれないかい。更識は1人で仕上げるらしいのさ」
「分かりました」

 2つ3つ世間話が済むと、ジェシカはのしのしと生徒達の方に歩いて行った。

 更識簪。1年4組クラス代表。小柄な少女で、陽の加減で青く見える、肩に掛る程度の短い髪をもっている。姉である楯無とは対照的で内に巻く癖毛だ。簡易ディスプレイを兼ねた眼鏡を常時掛け、視線は下向き。良く言えば物憂げ、悪く言えば暗い性格。他人を寄せ付けない雰囲気でクラスでも孤立気味。真とは授業で簡潔な意思疎通を取り交わす間柄である。簪は内向的な性格と本音に対する遠慮で、これは多分に過剰なものではあったが真とは敢えて距離を取っていた。

(とはいうものの、どうするか)

 アサルト・ライフルを構えた打鉄が宙を舞う。ぱん、ぱんと乾いた発砲音が響く中、真はみやを解除。更識に近づき話掛けた。ISスーツ姿の彼女は1人ぽつんと立っていた。2人の距離はおおよそ1.5人分である。

「更識さん」と真は言った。簪は視線すら変えずに「何で……しょうか」といった。

 風がひうと吹いた。巻き上がるその様は落ち着き無く、秋空に消えていった。真は呻いた。

「……今日は良い天気ですね」
「そう……ですね」
(……)

 “今の”真にとって簪は初めてのタイプだった。彼の記憶にある女性は押せば押し返し、逃げれば追ってくるタイプが大半だったのである。距離感が掴みにくいと、真自身も切っ掛けを掴みかねていた。彼は心中で腕を組み、むぅと首を傾げる。

(そう言えば雪子がこのタイプだったな)

 雪子というのは“前の”真の中学時代の同級生だ。当時どうしたのかそれを思い出し彼はこう言った。

「打鉄使ってどう? 射撃能力はリヴァイヴに一歩譲ると思うんだが」

  真は興味のありそうな話題を振ってみたのである。簪は自分でISを仕上げようとしている……ならばと考えた。簪はちらと真を見たあと視線を戻しこう言った。

「……そんなこと無い。打鉄でも十分に……使える」

 手応えありと心の中でガッツポーズ。

「ハイパーセンサーとFCS(火器管制)のデータリンク速度遅いだろ。帯域も三分の二ほどだし」
「違う。今以上上げても……データ量にパイロットが混乱するだけ。必要十分。BCS(Blade Combat System:近接兵装管制)と基本駆動システムとのバランスが、重要」
「そう? 打鉄乗っていた時、リヴァイヴよりもたつき感が強かったけれど」
「それは貴方だけ……貴方の戦術情報処理速度は異常」

 それは膨大な戦闘経験とISを直接操作している結果である。彼は当然そのようなインチキをしているとは言えなかった。

「むう。意識したことなかったけれど……て、なんで知ってるの?」
「戦闘ログは、見させて貰った……から。一つ聞いて、良い?」
「何なりとお嬢様」

 簪はぴくりと小さく身をゆらし、僅かな間の後こう言った。

「ログが非公開に、なったのはどうして? 6月2週目を最後に……以降非公開になってる」

 その日はMの襲撃1回目である。非公式の戦闘行動など公開できるわけがなかった。

「あー、済まない機密なんだ」

 簪はそうと小さく呟いた。素っ気ない返事であったが、真には落胆しているのが見て取れた。彼は取り繕う様にこう言った。

「全部は無理だろうけれど、公開出来るところが無いか聞いてみるよ」
「……いいの?」

 右足を前に左足を後ろに。右手を胸の前に添え、左手を横に差し出した。頭を下げて彼は言う。

「お嬢様のご要望とあらば」
「お嬢様は、やめて……」
「了解、更識さん」

 戸惑いながらも簪が何かを言おうとした矢先、離れた所から少女の声が上がった。

「蒼月せんせー! しつもーん!」
「今行くー! 更識さんそれじゃ」

 真を見送った簪の、感謝を意味する言の葉は、誰にも届くこと無く秋風に巻かれて散った。


  ◆◆◆

簪編開始ですが如何だったでしょうか。原作での一夏とのスタートは白式によるマイナススタートでしたので、あのようでしたが、真ならこうかなあと。それにしても簪は簪で扱いが難しいです。とくに口調が。こうした方が良いぜ! というご意見あればお待ちしております。



【どうでも良い話】
BCSは近接用手持ち武器の他、ナックル・ガードなど半素手武器や掌底などの格闘技も含みます。そのため四肢機動を決定する基本アクチュエータの影響を……(以下略


【更にどうでも良い話】
簪→うどん→鎌月さん。はたらく魔王様を知らない方ごめんなさい。



[32237] 03-02 更識簪2
Name: D1198◆2e0ee516 ID:56a7ebd2
Date: 2013/07/05 21:49
 1年1組の後ろから3番目。窓から一つ離れた席でセシリアは静かに溜息をついた。彼女のクラスは何も知らなかったように、何も起こらなかったように何時もの笑い声で満たされていた。

 彼女が思い出すのは真が引き金を引いた瞬間である。彼女を庇うように立ち塞がり、脇のホルスターから抜いた軍用拳銃。彼女には撃鉄が落ちる音も、引き金を引く瞬間の真の呼吸も鮮明に思い出せた。彼の行為は自身の身を守り、セシリアの身を守るという単純な選択である。

 彼女は眼を伏せると俯いた。

 今の真であれば大丈夫、そう理解はしていても追い込んだ事実は変わらない。それが意図したことでは無い、そうだとしてもだ。なにより家名を気にしISを展開できなかったのは事実であった。

(鈴さんが羨ましいですわ)

 一夏の危機に迷うこと無く立ち向かった、鈴の姿。彼女にはとても眩しく見えた。

 気に掛ることはまだあった。千冬に瓜二つの少女である。セシリアは以前シャルロットから聞かされたことを思いだした。

(恐らくフランスで真を襲った者と同一人物。ファントムタスクに、サイレント・ゼルフィスのパイロット……随分と複雑な様相を見せてきましたわね)

 千冬にしろ真にしろ、聞いたところで教えてはくれまい。真との事が露見するのを覚悟で本国に問い合わせるか、いやしかし。そう悩んでいたとき箒が話掛けた。

「心ここにあらず、だなセシリア」

 セシリアが視線を上げると腕を組んで仁王立ち。何時もの様に鋭い視線でセシリアを見ていた。

「その様な事はありませんわ」
「それは杞憂というものだ。真のあの様子、心配は無いぞ」
「分かっておりますわ。ただ、自分が不甲斐ないやら情けないやら……」
「何があったのかは知らないが、お前がその調子ではかえって真に負担を掛けかねないではないか」
「分かっています。いますが……」

 ため息一つ。

「箒さん。今日の模擬戦はお一人で行って下さいな。デートをふいにしてしまった償いです」

 もう一度深々と溜息をつくセシリア。仕方がないなと箒はその場を後にした。


  ◆◆◆


 夕焼けに染まる第3アリーナ。一人佇むのは紅椿を纏う箒である。高度は50メートル。風は無かった。

(あの時も夕暮れだったな……)

 夕暮れの空母。前の真を見送った記憶が蘇る。少年だが大人、大人だが儚い、何処か影のある姿が口を開いた。

『済まない遅れた』

 その声(通信)は箒の足元から届けられた。彼女がゆっくり眼を開くと第2ピットから黒い機体が飛び出した。広げられた一対の翼、青白い光りが瞬いた。刀を突き付ければ辛うじて届かない距離で真は止まる。箒は口をへの字に曲げてこう言った。

「遠いぞ」
「ちょっと野暮用で……遠い?」
「違う、遅いと言ったのだ」
「いやまあ良いけれど。セシリアは、ってなんでもない」

 眉を寄せて睨み上げる箒の姿に真は肩をすくめた。今日は箒と二人だけか、そう腹を括ると真はこう言った。

「それじゃあ始めよう」
「随分素っ気ないな」
「……」

 真は空を見た。欠けた月が浮かんでいた。手で口を覆い、視線を下ろす。アリーナの観客席にはぽつりぽつり人影があった。彼は正面を見た。深紅の機体に白いISスーツを纏った箒が中に佇んでいた。彼は傅いてこう言った。

「赤の鎧は花弁の如く咲き乱れ、白い衣は雌しべの如く佇んで。おお麗しの人よ。あなたは夕闇の戦場に咲き乱れる一輪のは―箒痛い」

 少女の頬のてかりは烈火の如く。真はぺしぺしと手刀を入れられた。

「なんだその歯の浮くようなセリフは!」
「箒が望んだんじゃないか」
「真! お、お前は何時もセシリアにそんなセリフを言っているのか!」
「時々」
「そこになおれ! 成敗してくれる!」
「オーケイ始めよう!」

 2人はアリーナの空を駆け出した。逃げるのは真、追うのは箒である。箒は展開装甲を稼働、スラスターモード、深紅の翼が広がった。続けて抜刀。右手に雨月、左手に空裂。

 みやはアリーナの内壁に沿って、高度を下げつつ加速する。紅椿、雨月発動。刀身の周囲に結んだ光体が光刃を放つ。真っ直ぐ伸びる赤い光刃はみやに到達することなく爆発炎上した。箒の目前に蒸発、プラズマ化した弾頭の光りが眩く灯る。

(光刃を撃ち落とされた?)

 箒の眼が左右に素早く走る。襲ってきた弾丸は頭上からだった。両肩の展開装甲がシールドモードへ、自動防御、彼女の頭上で跳弾光が走る。

 紅椿、背部展開装甲をソードモードでパージ、みやに向けて撃ちだした。同時に急速上昇、赤い粒子が夕空に迸る。雨月二刀目、光刃が走った。

 みやに紅椿のビット1が右から迫る、回避。続けて左下からビット2が回避、迫る光刃はエネルギーシールド防御。エネルギーの相互干渉でみやの視界が光りで包まれた。

「はあああああ!」

 紅椿、本命の十文字切り上げ。甲高い金属音が響く。みやの右足から左肩に切り上げられた漸撃は、みやの逆手に握られた大型アサルトナイフで止められていた。

 箒の眼が驚愕で開かれる。みやスラスター全開、背中のウィングスラスターを支点に振り上げた右脚が紅椿の胴を襲う。図太い衝撃。フィールドに向けて蹴り落とされた。みや武装変更20mmセミオート・スナイパーカノン“ヴェルトロ”。

 紅椿、全展開装甲稼働、スラスターモード。姿勢制御。ソードモードのビットが2機動時に左右からみやを襲う。みやはビットを蹴り飛ばしつつ発砲。姿勢を整えた直後の紅椿を弾丸が襲う。再び金属音。弾丸にはじかれ二振りの刀が宙に舞い、フィールドに落ちた。

 箒が見上げると、月を背景に黒い機体が銃口を向けていた。紅椿がロックオンを警告していた。箒は両手を挙げた。

「参った」
「んむ潔し」
「誰の真似だそれは」
「今年卒業した人」

 真は箒の近くまで来ると笑みを消してこう言った。

「箒。ビットと機動力を駆使しながら雨月で攻撃、空裂で防御これを基本にして、近接戦闘は控えた方が良い」
「……やはり踏み込みが甘いか」
「ああ。スラスターによる推進力と武術の踏み込みは全く別物だ。箒の漸撃は遅いし手に取るように読める。空中で片膝を振り上げるなんて事前に言っているものだ」

 箒はフィールドに下りると姉妹刀を手にとった。

「真お前の言っていることは、」
「箒が今まで積み重ねてきたことの否定。だが今のままじゃ勝てないぞ」
「それは分かっている。いるが……」

 箒は悔しさを滲ませるように口をきつく結んだ。真は箒の足を見た。

(篠ノ之博士は自分の妹が古流武術をやっていることを知っているはず。何より千冬もいた。下半身の重要さを知らないとは考えにくいんだけど……)

「何処を見ている!」

 視線を感じた箒は顔を赤くして両の手でももを隠した。

「違うって。箒、足運びに関係しそうな機能、本当に無いのか?」
「……ない。一通り探してみたのだが」

 何故か不満そうな箒を他所に真は自身の右手をじっとみた。

「まあ方法がない訳じゃ無い。今すぐ結論は出さなくても良いだろ」
「なんだ遠回しな言い方だな」
「プロテクトが解ければスラスターを調整して擬似的に地面を作ることも出来る。間欠的な噴射パターンでPWM方式と言う」
「可能なのか?」
「時間を掛ければいつか解けるだろ。虚さんのところに度々行く必要はあるけれど」

 考え込む箒に真は笑いながらこう言った。

「じゃあがろうか」


  ◆◆◆


 天井には赤みがかった白熱照明、足元はダークブラウン色の廊下。円筒形構造の第3アリーナ。その内側のベージュの壁に埋め込まれた告知用ディスプレイには一学期末試験の結果やクラブ活動の報告が映し出されていた。外側の壁には枠の無い窓があり、見上げる空はもう暗くなっていた。第3アリーナの最外周の廊下である。

(陽が落ちるのも大分早くなったな)

 箒は内側の壁にもたれ溜息一つ。もたれ掛かった壁には第2更衣室と書かれていた。彼女が思い悩むのは紅椿のこと、己の技量のこと、転じて真との実力差だった。

(学園の教師を務めるほどだ。強いとは分かっていたがこれ程とは……)

 真との模擬戦は今回で3回目。全敗であった。当初は紅椿に慣れていないと言い訳も出来たが、日々動かしている今、既に通用しない。

(これでは側に居ても刀になるどころか足手まといにしか成らないではないかっ!)

 空気の抜ける音がした。開いた扉から出てきたのは学園ジャージ姿の真だ。左手は無く右手でズック鞄を持っていた。箒の姿を認めた彼は少し驚いたようである。

「先に帰って良いって」
「私の勝手だ。では行くぞ。早くしないと定食が売り切れてしまう」

 舗装された煉瓦道をガス灯を模した電灯が照らす。左右を木々で覆われ、先に見える小橋の更に先、学生寮が見えた。アリーナから続く道である。周囲に人影はなく虫の音だけが響いていた。

 道を歩くのは箒と真である。ここに至るまで交わす言葉は無く静かに歩いていた。りーんりんと虫が鳴く。真は少し先を行く箒をちらと見た。箒は硬い表情で結った髪を揺らしていた。

「紅椿とはまだ2週間足らずだろ? 焦りすぎだと思うぞ」
「とつぜんだな」
「さっきとても怖い顔してたからな」
「怖い顔とは失礼なことを言うものだ」

 真は足を速め箒に追いついた。

「……実際どの程度なのだ。専用気持ちの皆と比較して」
「皆は強いぞ。今の腕では誰にも勝てない」
「はっきり言うものだ」
「その方が好みだろ。だけどなに。今の調子で練習すればあと1ヶ月で誰かから一本取れる」
「一ヶ月も掛かるのか」
「何を言っているんだか、破格だよ。彼女たちだって素質に加えて積み重ねてきた物があるんだから」
「彼女? 一夏は?」
「一夏は特別。あいつから一本取るのは非常に難しいぞ」

 それを聞いた箒は静かに笑ってこう言った。その表情に僅かな寂しさを浮かべていた。

「……ずいぶんと差を付けられてしまったものだな。二人がセシリアと決闘したときが大昔の様に感じる」
「情けないこと言わない。箒から教わって今の俺らが居るんだから」
「そうか」
「そうだ」
「誰から一本取れそうだ?」
「そうだなー。シャルか鈴が濃厚かな」
「セシリアは無理なのか」
「相性が良くない、同じビットに偏向制御射撃もあるし彼女は射撃のプロだ。相当手こずるだろう。言っておくけれどひいきじゃ無いぞ」
「そういうことにしておこうか」

 箒の表情から寂寥(せきりょう)感が消えたことを確認すると真は立ち止まってこういった。

「箒、俺こっちだからここでお別れだ。おやすみ」
「待て真。その方向はハンガーだな? この時間に何の用なのだ」
「ちょっと野暮用」
「4組の更識か」

 彼は眼を開いて箒を見た。その表情は何故分かったのか、そう言っていた。箒は笑いながら一歩一歩歩み寄る。

「最近親しいそうだな。授業のたびに話し込んでいるとか」
「えーと、」
「今日来たときも野暮用とか言っていたな。遅れてきた理由は更識なのだな」
「だから、」
「小柄でおとなしそうな娘だったな。そうか、そういうのが好みだったとは」
「そうじゃなくて、」
「稼働ログを用意するのに骨を折る程のいれこみよう」
「なにを言って、」
「大柄で気が強いのに言い寄られてはさぞや迷惑なのだろうな」
「人の話を、」
「……」
「ちょ、」

 秋深まる9月末日の午後7時。雲一つ無い星空の夜、謎の雷鳴が一つ轟いたという。


  ◆◆◆


 IS学園ハンガー区画第3ハンガー。壁と天井は分厚いコンクリートで作られたその部屋は雑多としていた。内壁にはスチールのラックがあり、測定器や工具が所狭しと収納されていた。赤く塗られたスチールの、車輪が付いたツールボックスはハンガーの片隅に押し寄せられていた。他にも棒状の部品やらISの装甲と思わしき鋼板もあった。

 中心に鎮座しているのはIS、打鉄弐式である。日本鎧を連想させる無印打鉄と異なり、ステルス艦船をイメージさせる面を強調したシルエットとなっていた。

 その打鉄弐式の足元でキーを叩くのは簪だ。青白く光る空中投影ディスプレイの光を浴びるその表情には苦渋の色が浮かんでいた。高い音色の電子音が控えめに鳴り響く。

(……各デバイス間の通信データに欠損が多い……プログラムの遅れ? それとも、内部通信器の不調?)

 打鉄弐式の開発元は倉持技研であるが、開発能力を白式に取られ未完成のまま放り出されていた。簪は自力で完成させんと前倒しで引き取ったのである。

「お疲れ。済まない、遅れた」

 メインゲートの脇にある人用扉が開き、真が現れた。頭をさすっていた

「お疲れ……さま。どうしたの、頭」
「名誉の負傷?」
「?」

 真が2つの缶を差し出すと、簪はちらと見上げ、ぶどうの缶をそっと受け取った。真はミルクティだ。2人揃って缶を開けるとぐびと飲んだ。

「でどう? 旧バージョンのツールは?」
「上手く、できた。古いバージョンで、コンパイルしたら……調子が良くなった」
「やっぱりか。あのメーカー認めてないけれど新バージョン絶対バグがある」
「どうして……知ってるの?」
「蒔岡でも去年躓いたんだ。システムがエラーと判断しないからなかなか気づかなくて」
「でも、新しい不具合……がでた」
「良くある良くある。一つ一つ潰していこう、前進はしているから」

 不意に訪れた空白の時間。聞こえるのはISの鼓動と2人の呼吸。紅茶を飲み終えた真はこう言った。

「更識、誰かを頼ったらどうだ?」
「イヤ……」
「本音はどうだ。整備の素質あるし古いなじみなんだろ?」
「イ、イヤ……」
「今の調子だと、できあがる頃には卒業してしまうぞ」
「そんなこと、ない。絶対……できる」
「何故そこまで自力にこだわるんだよ」

 簪は口を閉ざしたままじっと弐式を見ていた。


  ◆◆◆


 三浦半島最南端に位置するIS学園は東、南、西を海に囲まれ、北は山林で覆われている。低いとは言え連なる山々と深い木々は、生徒たちの身近な自然として愛好され、また招かれざる来訪者を阻む城壁も兼ねていた。

 山々の深い緑も色が褪せ、空気も川の水も冷たさを増してきた頃。早朝の山中を走る一つの影があった。その影は木々の隙間を駆け抜けた。駆け抜けたあとは、地面の小石や小枝が高く高く宙に舞った。図太い音を立てて大地を踏み抜くと、橋が架かる崖を飛び越した。

 その影は学園指定の白いジャージを纏い、黒い髪と赤銅色の瞳を持っていた。一夏である。雲が流れ日を陰らす。また流れ日がさした。山々を走り抜けると跳躍、川岸に着地、石が割れ土煙が上がる。今度は川の上流に向かって走り出す。大きな岩々を八艘飛びの要領で飛び渡った。

 暫く走ると川岸に、そびえるように岩が立っていた。自動車を易々と押しつぶせる大岩である。一夏は腕をまくると、地面と岩の隙間に手を入れた。足を広げふんばった。歯を食いしばる。

「でええりゃああああ!」

 掛け声と共に持ち上げた。その怒声に鳥たちが飛び去った。木々がざわめいた。川の中に放り投げる。轟音と共に水柱が立った。息が切れる。一つ深呼吸。

「ふはははは! 愚かなり蒼月真! 手加減してやってるに決まってんじゃねーか! 手加減しなきゃミンチだぜミンチ! あーっはっはっは! はああ~」

 どさり。石ころが並ぶ川岸に寝転んだ。ごちんと石と頭が鳴り響く。

「大丈夫、痛くねえ……」

 呟いた独り言は、さあさあと川と一緒に流れていった。

「……」

 一夏が思い悩むのは、千冬に瓜二つの少女の事である。怯ませる為に打ち込んだ、空気の断層かまいたち。その少女は臆するどころか、反撃してきたのである。恐るべき力の掌底であった。とっさに身体を捻り防御しなかったならば、流石の一夏も大ダメージを負っていたかもしれない。めくった左腕をじっとみれば、掌底の跡がうっすらと残っていた。

(一体誰だあの娘。あの手応え、千冬ねえ以下、更識先輩以上……真と同じで世界を渡ってきたのか? いやそれは千冬ねえと同じ顔って事と関係が無えな)

 一夏はむくりと起き上がると、川に向かって足を広げた。左手を頭上に掲げる。

「吩!」

 打ち下ろされた左手は、空気の断層を生み、疾走し、川の水を巻き上げた。飛沫が舞う。

(いずれにせよこのまんまじゃ駄目だ、力が上手く使えてねえ。阿呆との約束もあるし何とかしないと……ダメ元で訓練を千冬ねえに頼んでみるか? ……だめかなーやっぱり。あの娘のこと聞いても“お前に関係無い鍛錬に励め!”だったもんなあ。千冬ねえと同じ顔で関係無いは無いだろう、いい加減背負い癖何とかして貰いたいもんだ姉弟なんだし、つーか真とそっくりだな……)

 楯無との組み手を思い出し、構えては拳を打ち込み、腰を据えては蹴りを入れ、ああでもないこうでもないと、試行錯誤しているその瞬間。一夏の頭上に電球が一つ瞬いた。

「あ、そうか。考えてみれば当たり前じゃねーか……ってなんてこったああ!」

 一夏は血相変えて駆けだした。


  ◆◆◆


 朝日が差す学園の職員室。連なる島々のように寄り固まる机と、積み重ねられた書類。教師たちの談笑にコーヒーの匂い。何処の学校でも見られる風景の中、自席で書類に目を通すのはディアナである。それにはM出現の顛末が記されていた。コーヒーを一つすする。

 Mと真の一件は学園にいくつかの影響を与えた。一つは警備体制。ナターシャにもたらされた時点では控えていた警戒を正式に発令することになった。何名かの教師に訓練機を宛がっている。もう一つは臨時の訓練イベント。最悪のケースに対応出来るよう専用機持ちの生徒を対象に学年合同タッグマッチを行う。最後は一部生徒のメディカルケア。真の射殺を目撃した生徒の精神状態をチェックする必要があった。

(織斑一夏、所見無し。セシリア・オルコット、所見無し。凰鈴音、ティナ・ハミルトン、鷹月静寐……所見無し、か。入学前から訓練を受けている3人はともかくとして、静寐は意外だわ。もう少し繊細かと思ったけれど……何かあったのかしら。一夏は、男の子だからかしらね)

 ディアナはペンを取り、カウンセリングを受けるよう書類に書いた。静寐にである。

(念のため……と。あとは、こいつか)

 ディアナはペンを置いた。視線を上げる。向いの席、積み重なった書類越しに見えるのは、陰鬱な表情の同僚である。千冬はみやが映したMのピクチャーデータを見てからと言うもののこの調子であった。言葉数少なく、身のこなしも鈍く、暇さえあれば、眼を伏せて焦点の定まらない眼差しをしていた。千冬の席は廊下側の南向き。適度に日差しは届いているが、顔色悪く生気がない。

「何時までそうしているの。しゃんとしなさい千冬。生徒に示しが付かないわよ」
「……わかっている」

 分かっていないじゃないと、ディアナは溜息一つ。同じ“島”の真耶、千代実も行く末を見守っていた。真とラウラは授業の用意で居なかった。

 ディアナは立ち上がり、コーヒーを淹れると千冬に手渡した。モスグリーンのマグカップから湯気が出ていた。ディアナは椅子を持ってくると腰掛けた。他に聞こえないよう小声でこう言った。

「重傷ね、千冬もカウンセリング受ける?」
「生徒たちは大丈夫なのか」
「皆異常なし、よ。念のため静寐にはカウンセリングを受けさせるわ。はいこれ、生徒たちの機密保護義務の誓約書」
「……真は?」
「彼が“元々”何をしていたか、話したでしょ。この程度ではめげないし、めげてもらっても困る」
「“あいつ”は……あいつは私を恨んでいる。当然だ。覚悟はしていた。だがこう言う形で現れるとは思わなかった」
「その辺にしておきなさい。朝から愚痴はいやよ。愚痴は夜聞いて上げるから今はブリュンヒルデに戻りなさい」
「お前は相変わらずだな、容赦ない」
「悪い冗談だわ。私ほど気立ての良い女は居ないわよ」
「よくいう」

 力無い笑み。ゆっくりと千冬がマグカップに口を付けた時である。職員室に地響きが響いた。最初は遠く徐々に近く。馬の大群が駆けていったような振動のあと、扉が大きな音を立てて開いた。

「千冬ねえ! 俺分かった!」

 一夏だった。どれ程急いできたのか、頭には小枝と葉っぱが乗っていた。千冬は立ち上がるとつかつかと歩き、出席名簿で頭を叩きつけた。

「織斑先生だ! 何度言えば分かる! 職員室に入る時はノックをしろ!」

 興奮した一夏は、それに構うことなく息も切れ切れにこう言った。

「俺分かったんだよ!」
「……何がだ」
「あの娘、千冬ねえと真の子供だろ!」

 ぴしり。朝の空気が固まった。真耶はコーヒーを吹き出した。コーヒーを注いでいたとある教師はその姿勢のまま固まっていた。あちちと悲鳴が聞こえた。ディアナの目は冷たかった。ざわめいた。身体を震わし始めた千冬を他所に一夏は自慢げである。

「いやーそうじゃないかと思ったんだよ。千冬ねえに瓜二つだし、やたら強いし。真のこと執着しているみたいだし、何処か陰険そうなところ真にそっくり。そうならそうと言ってくれれば、俺だって叔父としての覚悟を―へぶう」
「なにを口走っているこの大馬鹿者!」

 顔を真っ赤に、トマトより赤く染めた千冬は一夏の頭を壁に叩きつけた。細かく砕ける様な音のあと、ぱらぱらとコンクリートの破片が床に落ちた。

「いやだって元々ふう―もがもがもが」
「黙れと言っている! 指導室に来い!」

 千冬は一夏の頭を掴むと、引きづり廊下へ出た。注がれる好奇の視線と羞恥を振り払おうと、大きく肩を振って職員室を後にした。生徒指導室と書かれた扉を開けると一夏を放り込んだ。ずかずかと歩み寄り脳天に一発。ごちん、鈍い音が響く。一夏は頭を抱え床の上をのたうち回る。

「くのおおおおお」 一夏である。痛みの余り言葉にならない。
「こ、こ、ふ、ふ」 千冬である。憤りの余り声が出ない。
「ちょっと待てよ! 今の俺じゃなかったら死んでるぜ!」
「馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、ここまで馬鹿だったかお前は……」

 組んだ両の手から丸太をへし折るような音を鳴らす千冬だった。目尻に涙、耳まで赤い。

「だあっ! 照れ隠しで撲殺するんじゃねえ!」
「黙れ! 2度と碌でもないことを口走らないようにしてやる!」
「そんなに怒るこたねーだろ! やっぱり図星なんじゃねーか!」
「黙れと言っている! 家庭の事情をぺらぺらと!」
「何言ってんだよ! 黙ってる千冬ねえが悪いんだろうが!」
「お前には関係無いことだ!」
「家族のことが関係無いのかよ!」
「……」
「……」

 一夏の真っ直ぐな視線。時が止まったかのようなその部屋で、頭の冷えた千冬は静かにこう言った。

「そこに座れ」
「おう」

 2人は向かい合うようソファーに腰掛けた。一夏は両手を組んで乗り出した。千冬は何時もの様に腕と足を組んでいた。

「真から聞いたのか?」

 一夏は頷いた。ここに居ない真に恨み言を言うと、千冬は一夏に向き直った。

「まず勘違いを正しておく。あれは、Mは私たちの子供では無い」
「何で言えるんだよ」
「Mの出生は把握しているし、私たちに子供は居なかった。それに一夏。お前は私に似ていると言ったが、前の私に似ているならばもっと穏やかな顔をしているはずだ」
「そうなのか?」
「そうだ。記憶の戻った真が私を認識出来なかったのはその為だ」
「へーしらんかったぜ」
「大体何故そう思った? 子供が居たと真が言ったのか?」
「いや。でも夫婦なら普通居るだろうって」
「短絡的すぎだ」
「子供が居ないのは何で?」
「まだ若かったからな。生活が安定するまで……ふん。それこそ大きなお世話だ」

 確かにな、一夏はそう言うと姿勢を正す。

「ならMって誰だ? その言いぶりからすると知ってるんだろ?」

 一夏の呼吸を聞いて、自身の呼吸を数回数えたあと千冬はこう言った。

「……しばらく時間をくれないか」
「言えねえのかよ」
「急なことでな。私の心の整理が付いていない」
「分かった。けど絶対話せよ。なるべく早くだぜ?」
「分かっている。分かったらもう寮に戻れ。言っておくが遅刻は許さんぞ」
「わあってるって。出席簿アタックはごめんだからな」

 一夏は笑いながら立ち上がった。

(生意気言うようになりおって……)

 少しだけ大きくなった弟の背中を、千冬は笑みを浮かべて見送った。誕生日プレゼントは奮発してやろう、そう思いつつ職員室の扉を開けると教頭が立っていた。

「織斑先生。先程のことでお話があります」
「……」

 その日。千冬が授業に遅れたのは言うまでも無い。


  ◆◆◆


簪「あの、私の出番……これだけ?」

Heroesでは良くあること。



[32237] 03-03 更識簪3
Name: D1198◆2e0ee516 ID:56a7ebd2
Date: 2013/07/07 21:06
何事も無かったように簪編は続きます。


  ◆◆◆


 カタカタとキーを打つ音が響く、薄暗い第3ハンガー。打鉄弐式の足元で空中投影ディスプレイを一心不乱に見つめるのは簪である。眼球が高速で動き、水の様にデータやプログラムソースが流れていった。警告を意味する電子音。ぴたりと手が止まり、エラーをディスプレイで確認するとまたキーを打つ。

 時計を見れば午後の8時を指していた。彼女の授業後は何時もこの調子で、一刻も早く完成させんと躍起になっているのである。少し離れたところで腰掛ける真は、タブレットから目を離しその彼女を見ていた。

(努力は分かるけれど、このままじゃ本当に終わらないぞ……)

 真はハンガーの窓から外を見た。上級生が居るであろう他のハンガーの明かりが落ちた。お疲れ様と言い合いながら寮の方へ集団が去って行く。彼はタブレットの電源を落とすと簪にこう言った。

「更識、今日はその辺にしておこう」
「もう少し……」
「タイプミスが多くなってる。今日はもう休んで明日に備えるべきだ」
「……」

 無言のまま続ける彼女に真は歩み寄り、手を伸ばしスイッチを押した。端末がスリープモード移行、ディスプレイが落ちた。非難の視線で彼を睨み上げる。

「良いパイロットってのは己の体調をちゃんと把握するものだ。作業時間が多ければ良いって物じゃない」
「……」

 彼女は思案のあと黙って立ち上がった。ハンガー内を片付け、施錠。寒さを感じ始めた夜の風、2人は虫の音を聞きながら寮に向けて歩き出した。

 簪は授業後ハンガーにやってくる。夕食時は1度戻って大抵はまたハンガーに戻る。課題が出ればしぶしぶ自室に戻り机に向かう。

 真は授業後生徒たちの、殆どは専用気持ちの相手ではあったが、模擬戦の相手を務めた後、職員室に戻り教師らと授業の打ち合わせを行う。もしくはタブレットを片手にハンガーにやってくる。雑用をこなしながら簪を遠巻きに見る。彼女の作業をこっそり覗いては2つ3つ、さり気なく助言を行い、睨まれてはまた離れる。

 ここしばらくの2人はこの様な調子だった。女生徒と二人っきり、と言う事に対し噂も指摘もあったが今更だろうと言うことで問題となっていない。

 真はぴゅうと吹いた風に髪を揺らしながらこう言った。

「今日は涼しいと言うより寒いだな」

 簪は無言のままだ。

「男はアウター取り出してお仕舞いだけれど女の子は色々大変だな色々あって」

 簪が真に感じているわだかまり。それを確認しようと彼を見上げた。口が小さく開く。

「今年はAラインコートが流行りらしいぞ。でも更識はポンチョとか似合いそうだなニットのベージュとかどうだろう」
「どう、して?」
「なにが?」
「どうして、私に構うの?」
「俺は先生」
「生徒は1人……じゃない。見るなら、公平に……見るべき」
「遅れている子がいれば話は別」
「別に……遅れていない」
「日々弐式に時間を取られて授業も疎かなんだろ? 試験も合格点だけど代表候補にしては物足りない」

 簪は視線を下ろし前を見た。

「この際だから言うけれど更識、今君が取り組んでいることは本来君が行うことじゃない。整備士ならまだしも君はパイロットだ。弐式を完成させても大した評価は得られないぞ。意固地にならず早く完成させる手段を取るべきだと俺は思う」
「……」
「どうしても自力でと言うなら柔軟になったらどうだ。例えば白式のデータを借りるとか。同じメーカーで同時期に開発された機体なら類似点も多いだろうし、話なら俺から付けよう」
「イ、ヤ……」
「白式開発の件で弐式が放置された。だから一夏に対しわだかまりを持っている……気持ちの理解は出来る。けれどそれは一夏のせいじゃないだろ、ましてや白式のせいじゃない」
「それだけじゃ……ない」

 気がつくと寮の前で立っていた。

「何が一番大事か、よく考えてくれ。それじゃおやすみ」
「おやすみ……なさい」

 簪は真の姿が消えるのを待ってから寮に入った。

 自室に戻った簪はシャワーを浴びると早々に、ベッドにひっこんだ。布団を被る。暗闇の中でタブレットを弄り、映し出す映像は特撮ヒーロー物だった。正義の味方が掛け声と共に跳躍、怪人に跳び蹴りを喰らわした。単純明快な勧善懲悪物。ぼうっと見る簪は唇を噛む。

 真に言われなくても分かっている。入学して約半年間、自力で完成させんと執着し悪戯に時を過ごしてしまった。訓練機で成果は上げているものの本来の義務ではない。倉持技研から引き取っている以上、開発が遅れていることを何時までも理由に出来ない。明日にでも代表候補の待遇を取り消されるかもしれない。

 それでも。

 彼女を動かしているのは姉、楯無への固執である。執念と言っても良い。幼い頃から比較され、どれだけがんばって届かない。だが更識の名は容赦なくのし掛かる。何処まで逃げても楯無の妹である事実からは逃れられない。絶えず陰鬱としたプレッシャーが掛る中、彼女は1つの希望を見出した。姉は人に頼ってISを完成させた。ならば私は自力で完成させる。それは己を表現させる、周囲の人間に己を知らしめる唯一の手段だったのである。


  ◆◆◆


 翌日の授業後。窓から射し込む夕日を浴びて、簪は4組の自席でキーを打つ。赤焼けの教室はがらんとして人気が無い。何時ものことだ。内向的な彼女は一人で起きて一人で授業を受け一人で食事を取る。陰口、好奇の視線も慣れたもの。ディスプレイに映るのは打鉄弐式、これの完成だけが彼女の全てであった。

 ぴこん、電子音が鳴る。それは真からのメッセージ。

“済まない、今日は行けない”

 何が済まないというのだろう。彼が詫びる理由など何一つない。彼が頻繁に訪れるようになって、それがルールに成ったつもりでいるのだろうか。来ても来なくても変わらない。彼にだって務めがある。どれだけ理由を付けようとも私一人にかまける暇は無い筈だ……まあ実際のところ助かりはしたけれど。だけれど自分一人でも解決出来ただろう。きっとそうだ。

 ぐう。その様な考えに至った時、お腹の虫が鳴った。慌てて周囲の気配を探れど誰も居ない。ほっと胸をなで下ろし立ち上がった。端末をスリープモードへ。

 今晩は何を食べようか。鶏肉料理があればそれでも良いし、無ければかき揚げうどんにしよう。そう彼女が思った時である。

「やっほー おねえちゃんですよー」

 教室を出ると楯無が立っていた。組んだ両手を左右に振ってしなを作っている。

「今晩は、久しぶりに姉妹水入らずでディナーなんてどうかなー もちろんお勘定は気にしなくて良いのよ、おねえちゃんに任せなさいっ!」

 失礼します、簪は小さくそういうと避けるように歩き始めた。笑顔のまま冷や汗一つ、楯無は慌てて追い始めた。

「そ、そうだ。弐式の調子はどう? 困ったことが有ったら何時でも言ってね、手伝っちゃうから。試験場確保しようか? 必要な器具ある? 稼働データとか欲しくない? 簪ちゃんの為ならえーんやこーらって」

 簪は立ち止まり、目を背けたまま、だがはっきりとこう言った。

「失礼します」

 かつんこつんと、立ち去る簪。夕日が射し込む廊下と伸びる影。楯無ははらはらと泣き崩れた。

「ああん、お姉ちゃん泣いちゃう!」

 カアと鴉が鳴いた。


  ◆◆◆


 日没直前の第7ハンガー。測定器具や工具、ISの部品が整然と並ぶその場所で動く影が二つあった。虚と楯無である。2人は大きな作業机に向い、腰掛けていた。虚はデスクライトを浴びて、金属の光沢を放つ義手に向かっていた。はす向かいの薄暗い片隅で突っ伏すのは楯無だ。

 はあと大きな溜息一つ。簪に素気なく断られふらふらと生徒会室に向かえば誰も居ない。呼べど叫べど誰も居ない。またふらふら彷徨い第7ハンガーに至れば、ツナギ姿の虚を発見、泣き付き今に至る。

「やっぱり嫌われているのかしらー」
「簪お嬢様も意固地になっているだけですよ」
「そうかしらー」
「そうですよ」

 何時ものことだと虚は涼しい顔だ。

「ここ1年以上まともに言葉を交していないのよー」
「楯無お嬢様が入学されたからでしょう。久しぶりなのは当然です」
「実家に帰った時だって顔を合わせなかったしー」
「楯無お嬢様がご多忙だからでしょう。深夜帰宅し早朝出発されては当然です」
「同じ学園に居るのに!」
「一年生とは寮が違いますから。当然です」
「……虚ちゃん冷たい」
「お戯れを。当然です」
「……」

 金属製の骸骨、そうとしか表現出来ない義手に鉛筆ほどの太さのエネルギー・チューブを接続。虚はタブレットを操作し信号を送る。義手が開いては閉じまた開く。滑らかに動くことを確認すると今度はじゃんけんをさせた。ぼうっと見ていた楯無はむっくり起きるとこう言った。

「それで虚が直しているターミネーターの腕はなに?」
「真の義手です」
「ふーん、どう?」
「アクチュエータの性能が30%ほど上がっています。驚くべき事に材質も変化しています。元々はチタンの合金ですが今は違う。未知の素材です。設計時と同じ部品を付けましたがこれらも使用している内に変化するでしょう」
「織斑先生とリーブス先生と同じ異能の力か、あの2人が内密にしたくなるのも分かるわねえ。ひょっとして真がISを動かせる理由ってこれ?」

「まだ可能性の域を出ませんね。ただ、みやにしろ白式にしろ他の機体にない“感じ”がするのは確かです」
「織斑君にも同様の異能の力が?」
「そこまでは分かりません」
「謎の多い男の子たちねえ。あーやきもきしちゃう、立場上」
「これを破壊した人物も気になりますが……楯無お嬢様は知っておられるのですか?」
「ひ・み・つ」

 たおやかな笑みを浮かべる楯無。たいして落胆もせず虚は義手に黒い機能性樹脂のカバーを付け始めた。トルク・ドライバーをくるくると回す。

「話を戻しますが楯無お嬢様、真に仲直りの仲人を頼んでみては如何でしょうか。良い切っ掛けになるかも知れません」
「仲人? 何故?」
「最近、簪お嬢様と仲が良いみたいですよ、昨日も夜遅くまで二人っきりとか」
「……」


  ◆◆◆


「「「織斑君16歳の誕生日おめでとう!」」」

 一夏はケーキのろうそくを吹き消した。盛大な祝いの声と共にパンパンとクラッカーの音が鳴る。日も落ちかかった午後7時。柊の食堂では一夏の誕生日会が催されていた。素っ気ないテーブルには豪華なシーツが掛り、ドリンクやオードブルが並ぶ。

 食堂の一角を占めるコの字型テーブル。ティナ、清香、シャルロット、鈴、静寐と言った面々が並び、その最奥で立っているのは一夏である。右手にコーラ、頭にはクラッカーのリボンが乗っていた。そしてその席に集い固まるのは他の少女たち。

「えー本日は俺の為にこんな立派な会を―」
「堅いわよイチカ!」

 一夏の謝辞にヤジを入れるのは鈴だった。一夏の右隣に座っていた。

「うっせぇ! けじめだよけじめ! ええとなんだっけ……まあいいや。とにかく入学して半年間俺がやってこれられたのも、この学園で16歳の誕生日を迎えられたのも、全部みんなのお陰。今日は楽しんでくれ!」
「「「わー!」」」

 やんややんやと騒ぐ若者たち。少し離れた席で一夏を見つめるのは真である。頬杖をつき緑茶を飲んでいた。

「一夏が16歳ね、なんだか一気にふけこんだ気分だ」と呟いた。

 「何を言っているお前とて16歳なのだぞ」そう言うのは正面の箒だ。問い詰めるような視線だった。彼は肩をすくめ「まあね」と答えた。そうしたら左隣のセシリアが「そう言えば真の誕生日は何時ですの?」と聞いた。

「……考えたことなかった」
「蒔岡にいた時はどうしましたの?」

 セシリアは呆れた様だ。

「特別に仲の良い者同士ならともかく、普通の社会人同士じゃ誕生日なんて祝わないよ」
「う、うむ。ならば7月7日にしよう。それが良い」
「もう過ぎ去っている日では17歳を祝えませんわ。11月11日にしましょう」
「セシリア、お前と同じ日にしたいだけなのだろう」
「箒さんがそれをおっしゃいまして?」

 バチバチと火花を散らす2人に真はこう言った。

「あの2人と相談してみるよ。それが一番道理にかなってる」

 半眼で、不満を隠さない。真は更に何か言おうとする2人を窘めた。

「ところで箒、本音はどうした? 見当たらないけれど」
「先程更識を呼びに行くと行ったきり戻らないな」
「彼女来るのか? てっきり欠席するとばかり思っていた」
「そのつもりだったらしいのだが、この誕生会にほぼ全員参加しているだろう? 本音がやはり連れてくると」
「なるほどね。手こずっているんだな」

 真は茶をすすり、立ちあがるとこう言った。

「様子見てくるよ」
「私も行こう」
「箒はここに居てくれ、プレゼントを用意しているんだろ? 主賓を蔑ろにしては駄目だ」
「お前はどうするのだ」
「男同士は別勘定、後で良い」
「そうですわ、ここは真に任せましょう。箒さんが同行して拗れては事ですし。真、様子を見てくるだけですわね?」

 不満を隠さない箒にもちろんだと言い残して彼は立ち去った。

(それにしても更識妹にも困ったもんだ。一夏を嫌うのは仕方ないにしても、こうも意固地だとますます孤立してしまうぞ。良くも悪くも一夏は生徒の中心的存在だし。何とかならないものか)

 そんな事を考えながら真は階段を上がる、向かう先は602号室。彼がかって居たフロアの1階下だ。五階に達したとき、階段の下から地鳴りのような音が響いてきた。誰かが階段を駆け上がってくるようである。それも凄い勢いで。

 何事かと真が振り返れば、踊り場から見上げる人の影、楯無だった。彼女はこめかみに血管を浮き上がらせていた。怒り半分笑い半分の形相だった。

「ウチの簪ちゃんに何をしたー!」
「人聞き悪い!」

 階段を跳躍する様に駆け上がると扇子をかざし楯無は襲い掛った。袈裟切り、逆袈裟と演舞のような漸撃を繰り返す。当然手加減されていたがあたれば痛い。真はバックステップし、身体を仰け反らせ、躱す。一夏にもこんな事言われたなと遠い目だ。

「落ち着け! 彼女は遅れているから教師として、生徒を指導していただけだ!」
「どうだか! 一緒に過ごす時間を増やして惚れさせようなんてそうはいかないわよ!」
「そんな簡単なら苦労はない!」
「やっぱり口説こうと思ってたんじゃない!」
「酷い言いがかりだ! ただ心を開いて貰おうと!」
「それを口説くって言うのよ!」
「俺だけじゃなく皆にって意味だ!」

 ぴたりと扇子を眉間に宛がわれた。

「っんとーでしょうね?」
「もちろんだ。俺の眼を見てくれ」

 じっと真の目を見つめる楯無。一言こういった。

「……えぐいわね」
「君もいい加減にしないと泣くぞ」
「良いわよ、遠慮無く泣いて」
「笑い話にでもするつもりか」
「ううん、写真に納めて強請るの」
「この悪魔」
「おほほほ。女には危ない棘があるものよー」

 角の間違いじゃないか、真はそう思ったが敢えて言わなかった。

「まあいい。これから様子を見に行くんだ君も来てくれ」
「いくってどこへ?」
「602号室。君の妹のところ」

 そう真が言った途端、楯無は居心地悪そうに落ち着かない態度になった。しおらしいと言うよりはおどおどしているが適当だろう。借りてきた猫の態度ともいう。

「いや、私はちょっと……」 語尾もごにょごにょと歯切れが悪い。
「なんだらしくないな。喧嘩でもしているのか」
「話があるの、一緒に来て」

 真の右手を取り楯無が連れ込んだのは712号室。真のかっての部屋だ。今主はおらずがらんとしている。締め切っているせいか空気がほこりっぽい。壁に向かう二つの机と二つの椅子。2人は椅子を寄せ合い、向かい合うよう腰掛けた。

 肩を下げ、背中を丸め、ぽつりぽつりと楯無が語り出したのは姉妹仲であった。昔は仲が良かったこと、最近は疎遠なこと。簪は姉を完璧な存在だと思い込みコンプレックスを抱いていること。自分の形を見出す為、自力でISを仕上げようとしていること。

「あの娘にだって特技がある。総合的な情報処理能力、私はとてもかなわない。なによりあの娘はあの娘、比較することじゃない」
「ならそう言えば良いじゃないか」
「そんなに簡単じゃないわよ、意固地になってて……」
「あー 分かる分かる。彼女の頑固さは折り紙付きだ」

 俯いた顔を上げ楯無はこう言った。

「ものは相談なんだけど、あの娘のこと本当になんとかなる?」
「ふーむ」

 真は難しい顔をして腕を組んだ。



[32237] 03-04 更識簪4
Name: D1198◆2e0ee516 ID:56a7ebd2
Date: 2013/07/11 20:40
 一夏の誕生日会が、多少の騒ぎはあったものの滞りなく終わり、消灯も近づき始めた午後の9時。灰色のスウェット姿の真は自室のソファーに腰掛けうんうん唸っていた。言うまでもなく簪の件である。彼の目の前には透明でシンプルな、円筒形状のグラスがあった。中に収まっているのは麦茶色のスコッチ・ウィスキーである。彼はじっとそのグラスを見つめる、カランと氷が鳴った。

 「むう」 自然と声が出た。

 簪は自分の価値を欲している。自身の力でISを完成させ、楯無を超える。だが、完成させたところで彼女の内向性は、状況は変わるまい。それはその程度のことだ。楯無は楯無であり続け、簪は簪のまま。楯無は生徒会長として更識の長として君臨しつづけ、彼女は一人キーボードをたたく。何も変わらない。

 仮に完成しても、執着したものはこんな物だったのかと途方に暮れ、もっと質の悪い物に縋るか、最悪自己否定に走るだろう。

 問題は彼女が、ISの自力完成だけが絶対だと思い込んでいることだ。自分の価値をそれだけだと縋っている。自分の価値は自分は自分自身が決めるものだ。他人の価値は百人十色。基準を他所に置けば不安定になる。人の目だけを気にすればするだけ立ち位置が多くなり、自分がどこに立っているか分からなくなる。彼女に必要なのは気付くこと。

 とはいえ、それを見つけるのは簡単ではない。今の彼女に必要なのは、がちがちに固まった考えを解すことだろう、立ち止まって己を見つめ直す。つまりはガス抜きである。

(問題はどうやってガス抜きをするかなんだが……)

 真はソファーの上であぐらを掻いた。腕を組み、口をへの字。

(スポーツ? ……違うな。その程度で解消できるならば体育の時間で十分だろう。ならカラオケとかどうだ……だめだな。あの声量じゃ効果が無い。なにより誘っても“イヤ”でガン拒否されそうだ。問題の根源である楯無へのわだかまり。やっぱり楯無を関わらせるべきだな。けれど一体どうやって……)

 そう真がふけっているとき、カチャと扉の開く音がした。もわっとした空気が室内に広がった。湯気である。その湯気には甘い香りが混じる。痛みを感じない程度に鼻に突き、不快さを感じない程度に喉に纏わり付き、夢を見ない程度に意識が鈍くなった。とたとたと軽い足音の鳴ったあと、その香りの主が現れる。ぎこちない笑みの真はゆっくりと首を回して、あのさと言葉を絞り出した。

 真の視線の先、木目調子のフローリング上、銀色の花が咲いていた。ラウラである。彼女はバスタオル一枚で立っていた。石灰石の様に無機質な肌はほんのり赤く、銀糸の髪は星々の様に瞬いていた。彼女は髪が吸った湯気を振り払うかの様に、背へふさあと流すとこう言った。

「ん? 先に頂いたぞ」
「脱衣所でパジャマ着ろって、何回目だよ……」
「14回目だな。そんなことより真も早く入れ、湯が冷める」
「そんな事って大事なことだと思うぞ、俺は」
「私で3人目だろう? いや、見ただけなら凰を入れて4人目か」
「そういう問題じゃ無い」
「おかしな奴だな。そろそろ私に慣れても良い頃合いだろうに」

 これ以上何も言うまいと真は立ち上がる。ラウラはしゃがんで洋服ダンスに手を伸ばす。つかつかとバスルームへ向かう真を背に、ラウラはタンスを引き出しこう言った。

「真、私の下着を持っていったか?」
「いってない!」
「ではなぜ無い?」
「知らない!」
「お気に入りの一品だ。怒りはしないから正直に、」
「ベランダの角ハンガーを探せ!」
「ふむ」
「その格好でベランダに出るなー!」

 誰も見ない、そういう問題じゃ無い。服を着ろ、下着が先だ変態め。他ので良いだろ、今日はあれが良い。と押し問答のあげく、結局真が取り込み手渡した。逃げる様に湯船に入れば、

(こういうのは一夏の役割だろ……)

 黒く薄い布きれが脳裏を掠める。火照った顔を冷ますため、真はぶくぶくと湯船にゆっくり沈み行く。磨りガラス越しにラウラはこう言った。

「……飲むのか?」
「するか!」

 浴槽で滑り、溺れかけたのは2人だけの秘密である。


  ◆◆◆


 全くラウラにも困ったものだ。俺の記憶を持っているならもう少しお淑やかになっても良さそうなものだ、そんな事を考えながら真は鈴虫が鳴る夜の道をとぼとぼと歩く。

 結局彼は一夏に頼む事にした。簪に足りないのは自信に結びつく切っ掛け。大らかで、根明な一夏ならばうってつけと考えたのである。なにより小さい一夏への確執が解消出来ればその勢いで大きい楯無への確執まで解消出来るかもしれない。

 真が柊のロビーに至った時だった。仕切り代わりの観葉植物、その隙間から見える食堂の一角に見慣れた姿があった。シャルロットである。ぽつんと一人座っていた。

 何時もの白と紺のジャージを纏ったその後ろ姿は憐憫を誘う、ではなくどこかしら憤怒と怒憤りを湛えているように見えた。一抹の不安を感じた彼は歩み寄った。声を掛ける。彼女はちらと見た。

「シャルこんばんわ、一人でどうした?」

 4人掛けのテーブル。真は彼女の目の前に座った。白いカップのホット・ココアを手元に頬杖をつく、シャルロットは見るからに不機嫌だった。

「別に何でもないよ。ちょっと追い出されただけ」
「追い出された? 一夏に?」
「静寐たちに」
「なんで?」
「女の子たちの複雑な事情」
「納得済みなら良いけれど」
「納得してない……僕は、僕はね真。今男の子だと言う事を、今ほど後悔したことないよ」

 握り拳を奮わせていた。こめかみもぴくりぴくりと波打っていた。

「良く分からないけれど1時間足らずで消灯だぞ」
「大丈夫そこまで掛らないから。気が短い一夏なら絶対そう、直ぐ終わっちゃうよ」

 怒っている理由がよく分からない。聞いても答えてくれなさそうだ、と彼は立ち上がった。

「まあいいや。それじゃあ、おやすみ。シャルも早めに戻るんだぞ」
「おやすみって、真は何処へ行くのさ。そっちは寮しかないよ」
「一夏に会いに来たんだ」
「ああだから駄目だって」
「何故?」
「だから今、相川さんが―」
「清香がどうした?」

 そこまで言ってシャルロットの頭に電球が灯った。何かを思いついたようである。彼女は突然真の背中を押し始めた。不自然なまでに自然な満面の笑みだった。

「うん、先生が訪問するなら仕方ないよね。ささ、急いで真」

 とエレベーターへ押し込んだ。一転、機嫌の良くなった彼女の態度に真は不審がっていた。

「あのさシャル、俺に何か伝えるべき事があるんじゃないか?」
「直ぐ分かるよ」

 シャルロットはエレベータの扉が閉まるまで手を振っていた。


  ◆◆◆


 時は30分ほど前に遡る。柊の706号室、一夏は机に向かっていた。黒のTシャツに濃紺のハーフパンツ。空気にも冷たさを感じる季節ではあったが、本人は至って平気らしい。手にする書物は“ISに於ける格闘戦”である。

「えーとなになに? IS戦闘に限らず火器による攻撃は圧倒的に有利であり、機体の設計思想にしろパイロットにしろ大多数はこれを選択する。そのため火器による戦闘は研究が進み今日ではその戦闘スタンスは一定の実績と効果を保証する」

 ふむとページをめくる。

「対して格闘戦はパイロットの資質に大きく依存するという性質から、火器戦闘に対し殆ど研究が成されていないのが実情である。従ってこれから近接戦闘を主体にした戦闘スタンスを学ぼうという者は地道な研究、試行錯誤が不可欠であり……って要するに自分で何とかしろって事じゃねーかっ!」

 テキストを放り投げると、ベッドの上にパサリと落ちた。椅子の背もたれにもたれ掛かり背を伸ばす。武術とは何か、一夏は問い直していたのである。

(考えてみれば全学年で近接戦闘を主体にしている人って居ないもんなあ。3年操縦科主席の白井先輩にしろケイシー先輩にしろ。鈴の甲龍も龍砲があるし、それだけ難しいってことか。千冬ねえとリーブス先生はカウント外だし、あーあの更識先輩ってどうなんだろう。聞いておけば良かった。投げ方無茶苦茶上手かったもんな、ひょっとしたら何かヒントくれるかも……)

 更に仰け反り、壁掛け時計を見れば午後の9時を指していた。一夏は首を左へ捻り、窓側の机を見た。主はおらず静まりかえっていた。ちょっと所用がと不満たらたらの顔で、シャルロットが出て行ってかれこれ10分は経つ。

(シャル遅いな、何してんのかね。ジュースを買いに行ったにしては遅いな……ひょっとして月夜の晩に告白タイムとか!? ディマ君好きです。ごめん、僕は君に応えられない。どうしてですか! 誰か好きな娘が居るんですか!? 実はぼく女の子なんだ。がびーん! ……なんつって♪)

 げらげらと笑い出す一夏。本人は面白いつもりらしい。こんこん、扉を叩く音である。どさり、一夏がひっくり返った音である。消灯時間にはまだあるが部屋の往来は控えなくてはいけない時間だ。はてさて何処のどなたですかと、そう思いながら一夏は「よっこらせ」と立ち上がった。扉を開ければ清香が立っていた。一夏は少々面食らった。少女の訪問は数有れど、単身一人というのは滅多に無いからである。

「よう清香、どうしたんだ?」
「一夏こんばんわ、ちょっといい?」
「シャルなら居ないぜ?」
「ううん、一夏に用があって」
「俺?」
「うん」

 白地に赤のラインが入った学園のダッフルコート。もうじき10月だ、おかしくは無いが少し早いしやっぱり何かがおかしい、そうは思ったものの断る理由もないので一夏は部屋に招いた。

「何か飲むか?」
「コーヒーをお願い、きつい奴」
「眠れなくなるぜ?」
「大丈夫、もう寝られなくなりそう」
「?」

 要領を得ない会話を、疑問に思いながらも一夏はコーヒーメーカをセットした。こぽこぽと湯が沸く音がする。静まりかえった部屋に聞こえるのは、その音と二人の呼吸の音だけだ。清香が言った。

「最近どう?」
「なにが?」
「勉強とか、私生活とか、ISとか。まあISはもう不安ないよね、一夏強いし。もう学園最強?」
「そんな事ねーぜ、上級生とは戦ったこと無いし、それに上には上が居るもんだろ」
「そ、そうだよね。何言ってるんだろわたし。あ、あははは……椅子借りても良い?」
「おう良いぜ?」

 とす、腰掛ける軽い音がした。白いコーヒーカップ。一夏はコーヒーを手渡した。軽い謝礼の挨拶が返る。

「……顔赤いぞ、風邪ひいてないか?」
「風邪とは違う病かも……」

 明日にでも医務室に行った方が良い、そう言って一夏は部屋を見渡した。シャルロットの椅子でも良かったのだが、清香の様子がおかしい。不安でもない、気がかりでもない、言いしれぬ感覚を感じた一夏は少し離れた位置、つまりベッドに腰掛けた。

「……」 清香は無言になった。

 早くなる自身の鼓動、一夏は不可解に思いながらも、黙ってコーヒーに口を付けた。清香が立ち上がり、歩み寄る。

「あのさ、一夏っていま好きな娘が居る?」
「今は居ないけど」
「そっか、じゃ、じゃあさ。どんな娘がタイプ?」
「そうだな……」

 考えてみたものの具体的なイメージが沸かず、一夏は黙り込んだ。

「ショートカットで快活な娘はどう?」
「良いんじゃないか、一緒に居て楽しそうだし。で、それが、」

 どうしたという前に、ダッフルコートのボタンを外し始めた。しゅるり、コートが床に落ちた。一夏が見たものは一糸まとわぬ少女の姿だった。

「一夏! 好き!」

 清香は一夏をベッドに押し倒した。柔らかく暖かい感触と、鼻を突くシャンプーの匂い。彼は何かが切れる音を聞いたという。


  ◆◆◆


 ちん。間の抜けたエレベーターの音。真が姿を現したのは7階である。目指すは706号室、一夏の部屋だ。ほの暗い廊下と、柔らかい絨毯。壁はアイボリー色だが、オレンジの照明で赤みを帯びていた。最初に見えたのは彼のかっての部屋712号室。次は鈴と本音の部屋711号室、次は710号、709号、つかつかと歩く。

(この時間ここに居るのも久しぶりだ)

 するとある部屋の前に数名の少女が固まっているのが見えた。

 一人は背の高い金髪の少女。ティナである。彼女は鈴を羽交い締めにしていた。二人目はその鈴である。彼女は涙目で暴れていた。口を静寐に押さえられ、もがもが言っていた。三人目はその静寐である。鈴に叩かれながらも必死で口を押さえつけていた。最後は好奇心で付いてきた本音。扉に耳を側耳立てる彼女は、顔が真っ赤で焦点定まらない目をしていた。呆けたように開いた口を隠す両の手も、心許ない。

「鈴、落ち着いて」 静寐である。
「鈴、往生際が悪いです」 ティナである。
「もがもがもが!」 鈴だ。

「なにやってるんだ」 真である。
「鈴がやっぱり駄目だと暴れ出して」 これは静寐。
「何が駄目なんだよ」
「清香が一番手なのが気に入らないようです。公平にくじで決めたのです、が―」 ティナだ。

 3人が壊れた機械のように首を回した。その先には何のことか分からないと真が立っていた。3人はあわあわと動揺すると、「「「なんでもない!」」」と去って行った。はっと気づいた本音は真と眼が合った。慌てふためき「やーん!」と消え去った。理解出来ないと首を傾げる真だったが、詳細は明日聞こうとノックし扉を開けた。

「おーい、いちかー。じゃまするぞー、いいなー、はいるぞー、はいったー」

 二人と眼が合った。

「……すまん、邪魔したな」

 扉を閉めた。大人の階段登る~口ずさみながら、明日にしようと振り返る。真がエレベーターを待っている時だった。706号室の扉が大きな音を立てて開くと、一夏が飛び出してきた。部屋から、「真の阿呆ー! しんじゃえー!」となじる言葉が聞こえる。

「なんでだよ……」 真である。
「おお、わりーわりー、何か用か」 一夏が爽やかな笑顔で駆け寄った。
「いや、用って用だけど、一夏、お前、女の子を途中で放り出すなよ」 真はジト目だ。
「あ、危なかった。もう少しで一線を越えるとこだったぜ……」
「無計画なのは感心しないぞ」
「いや、大丈夫だって言ってたから」
「なぜに」
「さあ? ま、まあここじゃなんだしよ、食堂行こうぜ食堂♪」
「取りあえず、顔のキスマーク消せ。シャルとか他の娘に見つかると事だ」


  ◆◆◆


 知っていたなら教えてくれよ、離れた席のシャルロットに非難の視線を送る。だが彼女は涼しい顔だ。何食わぬ顔でホットココアを飲んでいた。

 場所は移り再び柊の食堂で、8人掛けのコの字型シート。人気が無いから大きな席にしようと一夏が言った。それはいいと真は同意し、二人は腰掛けた。広い席でふんぞり返る。内密の話だからとシャルロットに同席は遠慮して貰った。

「折り入って頼みがある」

 真はタブレットを取り出した。それには簪の顔写真が映っている。表情は乏しく、俯いて、誰かを非難しているようにも、恨んでいるようにも見えた。

「この娘は……4組の娘だっけ」
「そうだ。更識簪、日本代表候補」
「で、この娘がどうかしたのか? お見合いしろってんじゃねえんだろ?」
「近々学年合同タッグマッチが行われるんだが、一夏、この娘と組んでくれないか」
「なんで?」
「実はな……」

 真はかいつまんで話すと一夏は理解したようである。

「なるほどな、姉である更識先輩と仲直りさせたいってか」
「まあな。自信を付けさせたいってのもあるけれど。で、どうだ」

 一夏はしばらく考えると、顔を上げてこう言った。

「対価を求めて良いか?」
「まあただ働きさせるのも気が引けるし、言ってみろよ。飯か?」
「ちげーよ。更識先輩に格闘技を教わりたい」

 真はしばらく驚いたような顔を見せると、にやりと笑みを浮かべた。

「いいだろ」
「商談成立」

 2人揃って右手を振り、手の平、手の甲と打ち当てる。一夏が笑いながら言う。

「切り出しておいてなんだけど、勝手に決めて良いのか?」
「彼女の発案だ。その程度なら嫌とは言わないだろうし、言わせないさ」
「ほほーう、随分仲が良さそうだな」
「仲が良いという表現は断じて拒否したい。彼女には色々貸しがあるだけだ」
「火遊びも程ほどにしておけよ、相棒」
「お前が言うな」
「うっせえ。それじゃそろそろ部屋に戻るわ」
「ああ。俺も戻る」

 一夏はシャルロットを引き連れて自室へ戻っていった。真も柊を後にした。そしてその夜。シャルロットは隙を突き一夏のシーツをこっそり洗いに行ったという。


  ◆◆◆


掲示板にわっふるわっふると書くと、清香とのシーンが追加されます。









嘘です。



[32237] 03-05 更識簪5
Name: D1198◆2e0ee516 ID:56a7ebd2
Date: 2013/07/20 01:07
“学年合同タッグマッチ”

 生徒の技能向上の為、専用機を持つもの通しペアを組み試合を行う。競技方式は総当たり制。もっとも勝数の多いペアが優勝となる。優勝賞品はデザート券半年分。機体の装備について制限はない。ただし、ペアについて次の条件を設ける。3年2年生は必ず下級生と組むこと。1年生は制限無し。

 賑やかな4組の教室、その最後尾の窓側の席。簪は配布されたプリントをぽつりと一人で読んでいた。

「……」

 彼女の表情に浮かぶのは困惑と戸惑いと恐れ。殆ど交友の無い見知らぬ誰かとペアを組む、彼女にとっては大滝を泳ぎ登るぐらい困難なことだった。少なからず知っている人物と言えば真だが、彼は教師だ。参加出来ない。もちろん楯無は論外。追い込まれた彼女は項垂れた。

「……」

 専用機は完成していない、これを理由に棄権しようか。だめだ。学園で専用機を持つ生徒は、白井優子、ダリル・ケイシー、更識楯無、フォルテ・サファイア、篠ノ之箒、セシリア・オルコット、凰鈴音、シャルル・ディマ、織斑一夏……そして簪と計10名。簪が抜ければ奇数となりペアが組めなくなる。なにより専用機持ちの為の試合を棄権したとなればいよいよ代表候補の立場も危うくなるかもしれない。

 今彼女は、打鉄弐式の完成と誰かとペアを組まなくてはならない、この二つの問題に頭を抱えていた。

(どう……しよう)

 不安が小さい身体を塗りつぶす。そのとき風と共に教室がざわめいた。一夏が扉の近くに立っていた。一瞥を投げた簪は、関係無いと言わないばかりに、プリントに視線を落とした。再び途方に暮れる。

「ああ! 織斑君だ!」
「え、うそうそ! なんで!?」
「4組に何かご用でしょうか……」

 できる人だかり、一夏は一言詫びるとつかつかと歩き、持ち主に断って簪の前の席に腰掛けた。彼女は視線を上げないまま、プリントを凝視していた。

「更識簪さん? おれ織斑一夏」
「しってる……」
「それはよかった。あのさ、タッグマッチの事なんだけど、この申請書に署名してくれ」
「イヤ……」
「なんで?」
「どう、して?」
「……真から聞いてない?」
「……なにを?」
「あーいやいや、知らないなら良いんだ。うん」

 何かを察したような簪の視線。バツが悪そうに頭を掻く一夏。

(あの阿呆、根回しぐらいしておけよ)

 だが一度引き受けた以上引き下がれない、一夏は腰を据えてこう言った。

「改めて俺と組んでくれ」
「イヤ……」
「そこをなんとか」
「イヤ……」
「えーと、」
「イヤ……」
「もう一声」
「イヤ……」
「俺以外の人と組んで」
「分かった……」
「ちっ」

 簪は責めるような視線だった。

「貴方には凰さんが居る。ディマ君でも良い筈。他をあたって……」

 そうだと思いついた一夏はとつぜん簪の両手を持ちこう言った。

「俺は君じゃなきゃ駄目なんだ」
「!!」

 鈍い音が響いた。


  ◆◆◆


 場所は移り、昼の食堂である。喧噪が絶えないその場所でぶーたれるのは一夏だった。1000グラムのステーキ肉を平らげて、熱い番茶をぐびぐび飲んでいる。ぷはあと腹に溜まったものを吐き出しこう言った。

「ぐーぱんだった。お陰でこの様だぜ」

 ますます酷くなった健啖家の友人を目の前に、真は呆れた様に言う。

「何処にも跡は無いぞ」
「ここだここ」

 一夏は自分の左目尻を指さした。

「その小さな跡か? それホクロだろ。というか何でそんなことやったんだよ」
「真の真似」
「……人見知りする彼女の手をいきなり繋ぐからだ。俺だってしばらくは近づかなかったぞ」
「そんなもん?」
「そんなもん。声を掛けつつ遠巻きからゆっくりと近づくんだ。視界から外れないようにな。人間にも縄張りがあるから、不用意に近づくと警戒される」
「縄張りか……ふーむ。なんというか今までと勝手が違う娘だな」
「箒にしろ鈴にしろ、ティナにしろ清香にしろ、立ち向かってくるタイプだもんな。シャルだって例外じゃ無い」
「やっぱりお前の方が適役なんじゃねーの?」
「俺はこれ以上どうして良いか分からない。だから一夏に頼んだ」
「そこまで言われちゃしゃーねーな。がんばってみる」
「頼む」

 一夏は茶を飲み干すと立ち上がった。

「じゃ俺行くわ。またな」
「なんだ慌ただしい」

 真のとんかつ定食はまだ半分以上残っていた。

「鈴が来た」
「は?」

 どどどどと、地鳴りが響いてきた。柊のロビーに姿を現したのは鈴である。申込書を手に、ぜえぜえと息が切れていた。走り寄る。

「漸く見付けたわよ馬鹿イチカ!」
「じゃあな真! 食器片付けておいてくれ!」 一夏は駆けだした。
「アタシが組んであげるって言ってんじゃない! 逃げんなコラア!」 鈴が追いかける。
「もう決めてる人がいるんだよ!」
「誰よそいつ言いなさいよ! 上級生とか言うんじゃないでしょうね?! それともやっぱりシャルか!」
「言ったら決闘とか言うんだろ!」
「言わないわよ! 考えてるだけで!」
「おなじじゃねーか!」

 柊の食堂をぐるぐると回ったあと二人は屋外に出て行った。幾ら運動神経の良い鈴といえど、今の一夏には追いつくまい。真は彼女に済まないと内心謝って、とんかつを口に入れた。


  ◆◆◆


 翌日。一夏が簪に迫っているという噂はあという間に学園中に広まった。曰く、デートを申し込んだ。曰く、交際を申し込んだ。曰く……余り良くない物もちらほらり。二人に複雑な思いを抱いている少女もそれなりに居たが、いずれもどうこうしようとは思わなかった。なぜならば。

「一夏! そんなに更識さんが良いわけ!?」
「だから色々あったんだよ!」

 廊下を駆け抜ける二つの影。追いつ追われつは清香と一夏である。

 簪との話を聞き、我慢ならないのが日頃近しき少女たち。常日頃、のれんに腕押し状態の一夏が簪を追っている。彼女らにとってみれば、この事実だけで十分であった。怒り心頭で一夏を追いかけ回すその光景は、他の少女にとってガス抜き同然。言ってみれば壁殴り代行状態である。

「まてー!!」
「ふはははは! 待てと言われて待つ奴が居るか!」

 人気のある学習棟の廊下を、切り刻むように駆ける一夏。駆け抜ける風圧でスカートもめくれる。きゃあと黄色い悲鳴。赤白黄色、一瞬のみ咲き乱れる花々。一夏には色も柄も確認しても尚、清香を引き離すのに十分だった。才能の無駄遣い、ここに極まれり。

「そんなもの幾らでも見せてあげるから止まれー!」

 廊下の端。階段の踊り場。そうはいかずと一夏が踏み込んだ瞬間。

「でえっ!」

 どでかい音。一夏は盛大に滑り転んだ。なんだこれと床を撫でればつるつる滑る。床に寝そべる一夏に影が指す。見上げれば、金髪碧眼の少女、ティナが立っていた。腕を組んでいた。

「どうですか。潤滑プレートを床に敷いてみました。真空極低温から高圧高温まで潤滑性を失わないIS用特殊潤滑材です」

 おお凄いと本気で感心する一夏だった。ティナのこめかみに怒りマーク。

「私は怒っているんですよ織斑君。ここまで侮辱されたのは初めてです」
「大袈裟だろ!」

 ティナがにじり寄る。一夏こっちと扉の隙間から手招きするのは静寐。飛びかかるティナを躱した一夏は飛び込んだ。そこは技術室だ。硝子窓は遮蔽モード、薄暗くよく見えない。

「助かったぜ静―」
「一夏、左手出して」
「おう?」

 図太い機械音。

「がちゃ?」
「これはIS用盗難防止ロック。一夏にはこれぐらい必要だよね」

 眼が暗闇に慣れた一夏が見たものは、左腕と床から生えたアンカーとを結束する肉厚の、手錠に似た拘束具だった。

「謀ったな!」 一夏である。
「一夏がいけないのだよ。私たちを袖にするから」 静寐である。右手を額にかざし妙なポーズを取っている。一夏は恐る恐るこう言った。

「誰の真似?」
「ガルマ・ザビ」
「それを言うならシャア・アズナブル」
「……あれ?」
「知ってるんだ、ガンダム」
「理子が煩くていつの間にか覚えたの」
「シャアが好きなのか?」
「私はランバ・ラルさんが良い」
「俺、渋い中年に成れるようがんばる」
「ん」
「だからこれ外して」
「駄目」
「ちっ」

 なんとか手錠を引きちぎろうと一夏は悪戦苦闘するも、力を入れども入れどもびくともしない。拘束具はISの構造材と同じ材料。流石の一夏も無理だった。そうこうしているうちにカチャリと扉が開き清香とティナが現れた。

「良くやりました静寐。貴女の功績です。勲章ものです。さて後は私に任せて……何故抱きついているのですか清香」
「いや、身動きできない今がチャンスかなーと」
「何がチャンスですか。貴女にはプライドと節操がないのですか。大体次は私ですよ」
「だって未遂だったし」
「1回は1回です」
「ええー それ横暴ー」 清香は立ち上がりティナに詰め寄った。
「横暴ではありません。自室という絶好のシチュエーションをふいにしたのは貴女の計画不足です」
「あの時間に真が来るなんて予想不可だってば!」
「ディマ君を説得したのは誰だと思っているのですか」

 徐々にヒートアップ、徐々に道を逸れる二人。静寐があきれ顔で2人を見ていた時だった。ぎちんと耳障りな大きな音が鳴り響いた。巻き上がる砂煙と落ちる小さな破片。ごほごほと咳ばらう。煙が収まった時3人が見た光景は、床から引き抜かれ、無残にも破壊されたアンカーの残骸だけだった。

「「「にげた!?」」」


  ◆◆◆


 日も暮れかかった夕刻。第3ハンガーで簪は何時もの様に作業に勤しんでいた。カタカタとキーを打つ手がぴたりと止まる。鎮座する弐式を見上げると、神妙な面持ちで右手をそっと抱きしめた。

 一夏を殴ってしまった。

 衝動的。自分自身のらしからぬ行動に、彼女自身戸惑っていた。別に男性恐怖症というわけではない。家の使用人たちとも、布仏の人たちとも、蒔岡の人たちとも普通に話す。ある意味、一夏よりもずっと男らしい人たちだ。技術主任の渡辺裕樹にはおんぶしてもらったこともある。

 ならばなぜ。

 白式の件は今でも腹立たしく思う。真は関係ないと言ったが、そこまで割り切れるのは部外者だからだ。白式は弐式が放置された象徴。それに遺恨無しとは思えるほど自分は成熟していない。

 とはいえ。

 なぜ手を上げてしまったのだろう。立場上、嫌みや皮肉を言われること、一度や二度では無い。その都度怒りがこみ上げたが、表に表したことは一度も無い。今回が初めてだ。

「彼に甘えた?」

 そんなはずは無い。あのとき彼とは実質上の初対面だ。それまで話したことはない。何度か見かけたことはあったけれど。それに好みのタイプはディマ君だ。好意も無い筈……なら膨れあがった物は何か、揺さぶられた物は何か。話しただけで恋に落ちた? ……ばからしい。色恋沙汰に興味はあるが、本で読んだのとずいぶん違う。もっと甘酸っぱいはずだ。今こんなに腹立たしい筈はない。

 簪がそこまで考えて、第3ハンガーがずいぶん静かなのに気付いた。本音が居ない。いつの間に。簪はため息をついた。

 学年合同タッグマッチ告知後、つまり先ほどのこと。かんちゃん、お手伝いに来たよーと、強引に居座った。要らないと言っても居座った。やめてと言っても手を出した。仕方がないからアシスタントに採用した。にもかかわらず勝手に居なくなった。困ったメイドだ。まあ、またひょっこり戻ってくるだろう。そうしたら文句を言ってやろう。簪がそう思った、その時である。

「かーんちゃん。ただいまー ジュース買ってきたよー」

 戻ってきた友人の声。振り向いた簪はぽかんと口を開けた。出かかった文句の言葉は霧散した。彼女の目には本音と一夏が映っていたからである。二人はつかつかと歩み寄る。二人は笑顔だったが、一夏にはいくらばかり疲れが見えた。

「それと捨ておりむー拾ったー」
「なんだよ、捨ておりむーって」
「行く当てが無くて途方に暮れていたおりむー」

 図星をつかれ、悔しそうに黙り込む一夏だった。一夏の左腕に巻かれた上着、簪はそれを気にしながらも簪はいつもの調子でこう言った。

「本音、捨ててきて……」
「ひでえ!」
「えー かんちゃん、ここで飼おうよー かわいそうだよー」
「俺は動物か!」
「この第3ハンガーに……そんな余裕はない」
「ガランとしてるじゃねえか」

 暫しの沈黙。簪は立ち上がると、手近の段ボールを手に取った。油性マジックで文字を書く。ハンガーの軒先に置いた。

「……はい」
「織斑一夏と書かれたその段ボールは何だ」
「貴方の、家……」
「ちょっとまて」
「わー おりむー よかったねー」
「よくねえ!」
「貴方贅沢……」

 見つめ合うこと数秒。右手で髪を掻き上げ一夏はこう言った。

「確かに俺らの出会いは不幸なものだった。けれど、俺達は幾らでもやり直せる」
「……ハウス」
「手と手を取り合って、一緒に乗り越えていこう」
「……ハウス」
「取りあえずは食事でもどうかな」
「……ハウス」
「えーとだから」
「……ハウス」
「……」
「……ハウス」

 一夏は渋々と段ボールに収まった。意外と暖かい。秋風を凌げるし、すべすべした感触も、特有の匂いも慣れれば落ち着くものだ。薄暗い段ボールの中、光が漏れ入る取っ手の穴を覗く。

「かんちゃん。フライト・コントロールの再構築終わった~」
「ちゃんと、設定チェックした?」
「ばっちりです、お嬢様~」
「PICは私がやるから、次はFCSの、チェックお願い。あとお嬢様は、止めて」
「は~い」

 そこには目にも止まらぬ速さでキーを叩く少女が2人いた。

(なんつーか、静かな物言いに騙されたけれど強気な性格だな。内向的って大嘘じゃねえか……)

 一夏はじっと見ていた。


  ◆◆◆


 未完成の打鉄弐式であるが、ハードウェアの部分は完成していた。未完成なのはソフトウェアの部分である。そのソフトウェアの部分も一通り揃っている。残るのはソフトウェアの調整と弐式に稼働経験させること。

 基幹システムは完成し動かすだけならできるが、兵装や航法システムといった周辺デバイスの稼働が難航していた。つまり今の弐式はただの物理装甲服であり、ISと呼ぶにはほど遠い状態であった。

 古来よりソフトウェアの無いコンピュータはただの箱と言われるように、ISもソフトウェアが無ければただの金属の塊、と言うことである。

 甲高い電子音。本音がモニターを見ると眉を寄せた。

「かんちゃん。またエラーが出たよ」
「各デバイスの、稼働率は?」 簪は立ち上がり本音の手元を覗き込む。
「平均32% この数値を境に何時もエラーがでるね」
「一番低いのは?」

 本音がキーを叩くと、空間投影ディスプレイにグラフが映し出された。虹色の星が5つ並び、ゆっくりと色を変える。一つ一つが生き物のように蠢いていた。

「火器管制と航法管制の相性が良くないみたい。片方の稼働率があがると片方が下がるよ」
「……帯域は?」
「256メガのパケット通信で12テラビット、変動幅3%、異常なし」
「デバイス間通信のパケット・サイズを固定式から64メガから512メガの変動式に変更……」
「変動式は仕様外だよ? 基幹システムへのバックファイアの可能性もあがるから個人的にも非推奨」
「仕様は初期設計のだからあまり当てに出来ない……試してみる」
「分かった」

「うんさっぱりわからん」

 一夏だった。二人はモニターを凝視したままこう言った。

「おりむーはね、もう少しメカに関心持った方が良いと思うよ。いっつもお姉ちゃんたちに丸投げなんだから」
「いやだって、難しすぎだし」
「テストパイロットは、最低限メカニックであるべき……」
「俺テストパイロットじゃない」
「「白式は試作機」」
「むう」

 この時初めて二人は振り向いた。誰も居なかった。はてなと首を傾げる。見上げてみる、もちろん居ない。右を向く、居ない。左を向く、居ない。

「俺はここだぜ」

 下を向いた。段ボールがカサカサ動いていた。一夏は、段ボールの中から2人の話を聞いていた。

「わ、段ボールが喋った~」 本音である。目を爛々と輝かす。
「……」 簪である。無表情のまま固まっていた。
「ちゃんと中に居るぜ? 文句は無いよな?」

 段ボールに本音がにじり寄る。じわりじわり段ボールも距離を取る。一人と一つはとうとう駆けだした。

「まてー」
「ふははは! つかまらいでか!」

 とたとたと追いかける本音。かさかさと逃げる一夏。ありえない、簪は困惑した。本音が這いつくばっている一夏に追いつけないことではない、今の光景だ。

 正直なところ簪にとっても一夏は二枚目に見える。今を遡ること入学前、まだ弐式も白式もなかった頃だ。メディアで彼の姿を見た時、大多数の少女と同じように簪もまた彼をハンサムだと思った。

 学年別タッグマッチの時、負けた時は悔しく思いはしたが、白式がブルー・ティアーズの光弾を弾いた時、最後の一閃を振るった時、迂闊にも心がときめいた。ハンサムで強い、皆が騒ぐのも頷ける。

 それでも一夏に距離を置いたのは、白式での確執であった訳だが、いくら何でもこれは無い。段ボールへ誘ったのは彼女自身であったが、いくら何でもこれはあんまりだ。これはきっと、学園に籍を置く少女たちへの侮辱、女として大事な何かへの背信行為。彼女は妙な罪悪感に捕らわれながらこう言った。

「織斑君、出て……」

 段ボールがぴたりと止まる。

「入れって言ったの更識じゃん」 かさり。
「被ってとは言っていない……」
「出たらペア組んでくれるか?」 かさかさり。
「それと、これとは話が違う……」
「じゃあ止めない」
「良いから出て、段ボールを被ったまま話さないで……」
「かさかさかさ」

 簪はやめてと悲痛な声を絞り出した。ぴたりと止まる。しばらくの沈黙。再び一夏はかさかさと動き回る。止めてとその繰り返し。しばらくの後、簪はとうとう音を上げた。本音は笑いながらこう思った、今日という日は心に秘め、墓場まで持っていこうと。


  ◆◆◆

少々ネタを入れてしまいました。自分の引き出しの少なさが嘆かわしい。


【作者のどうでも良い話】

わっふるわっふるですが、大反響を頂きました(迫真 ご要望にお応えして、何らかの形でお披露目する予定です。ただ、ちょっと変えます。一本書く内容ではありませんし、ガチで書くと18禁扱いになりますし、さじ加減が難しいですし。



[32237] 03-06 更識簪6
Name: D1198◆2e0ee516 ID:56a7ebd2
Date: 2013/08/22 14:53
“sage投稿”のチェック外してもトップに出ません。不具合?
ご承知おきください。

  ◆◆◆

 太陽も沈みきった時間。西の空はぼんやりと明るく、学園本棟の廊下に影はなく、半導体照明の明かりが点々と灯る。そしてその人気の少ない、薄暗い廊下を歩く二つの影があった。簪と一夏である。二人は、学年合同トーナメントのペア申請を済ませたその帰りだった。

「なあ」と一夏が言った。
「……」

 簪は無言のまま、ただ歩く。カツンコツン、打鳴る足取りは堅く、苛立ちを隠さない。

「なあって」
「……」

 一夏は只歩く簪の背中に話掛けるが、振り返らなかった。

「更識ってば」
「……名字で、呼ばないで」
「なら簪」
「……名前も、イヤ」
「少女A」

 振り返りキッと睨み返す。

「っと。もう決まったことだぜ? 腹を括って前向きに取り組んだ方が建設的だろ」
「……卑怯者」

 軽薄そうな一夏の態度に、簪は苦々しく顔をしかめた。背を向けまた歩き始める。

(さあて、どうすっかな。一晩おいた方が良いか、それとももう少し粘るか?)

 一夏が知恵を絞っているとき、簪は今の状況に悩んでいた。困惑していたと言っても良い。理性的に考えれば一夏の申し出は渡りに舟だ。だが、それ以上に大きいのが反発心である。その二つに挟まれ揺れ動いていた。はたと気づく。

 どうしてこの様な状況になったのだろう。彼女はそう考えた。嫌悪する虫を真似た一夏の脅迫に屈したからだ。では何故一夏が居るのだろう。彼がペアを組みたがっているからだ。彼が組みたがっているのは何故? 裏を取ったわけでは無いが真の差し金と見て良い。某の取引があったとして、何故一夏は引き受けた?

 その理由を導き出した時、彼女の腹の底から、怒りがこみ上げてきた。それは今にも噴火せんばかりの火山のようであり、岩場から覗く、渦巻き轟く海のうねりのようだった。

「……そりゃ弐式の件は悪いと思うけど、俺としてもどうにもならなかったわけで」
「女の子にだらしない、人は嫌い……」

 簪はそう言うと、一夏を置いて駆けだした。本棟の外に出る。目指すは柊の自室だ。流石に自室までは追ってこまい。自然と足も速くなる。

「ちょっとまてよ、それは失敬千万だぜ」

 一夏は簪の前に現れた。男子である一夏の足が速いのは百も承知。だが足には簪も自信があった。全力疾走で駆けだした。

「言い逃げってのは感心しねーぞー」

 あと言う間もなく回り込まれた。一夏は器用にも後ろ向きで走っている。息を呑んだ。噛みしめ右へ左へ駆けだす。ベンチを飛び越えた。小川を飛び渡った。木々の隙間も風の様に駆け抜けた。気がつくと第3アリーナの脇、ベンチに手を掛け肩で息をする。ここまで来れば諦めただろう。

「追いかけっこはお仕舞いか?」

 見上げる空が藍に染まる。それを背に一夏は息一つ切らさず、汗一つ欠かず佇んでいた。なんと言うことだろう。簪とて100メートルを10秒台で走り抜ける。幾ら有利な男子とは言え、息一つ切らないのは異常だ。

「体力にはちょっと自信があるんだ」

 ちょっとどころでは無いと、逃げ切れないと悟った簪は一夏を睨み上げこう言った。一夏は自慢げに胸を反らしていた。

「ハミルトンさん、鷹月さん、凰さん、相川さん、そのほか沢山。蒼月君に伝えて。どうやったか知らないけれど、私はそうならない。手慣れている貴方でも無駄」

 一夏は腕を組んで空を見た。一番星が輝いている。周囲を見た。誰も居ない。虫の音が響いていた。ぽんと手を打った。

「ははあ、俺がそうだからアイツが頼んだと思ってんのか」
「ちがうの?」
「違うな、俺が俺だから頼んだ、きっとそう。つーか、酷い勘違いだぜ」
「何を言っているか分からない」
「うーん、そうだなー……あいつは俺を知っている、これ以上言いようがねえや」
「そんなに……仲良いの?」
「アイツ以上に今の俺を知っている奴は多分居ない、これだけは確かだぜ」
「お姉さんよりも?」
「千冬ねえよりも。逆もそうだけどな。俺以上にアイツを知っている奴は多分居ない」

 自信満々に語る一夏。簪は呆気に取られた。彼女によく似た少女の影が脳裏を駆ける。

「……羨ましい」

 不意に紡がれた言葉。簪は慌てて口に手を添えた。一夏は笑っていた。

「なら動くこった」
「うごく?」
「俺らだって何もせずこうなった訳じゃない。すげえ大げんかしてさ。自分自身の存在を掛けた大げんか。そのけっか馬鹿をやり合う仲になったんだ。更識もさ、仲良くなりたいと思っている人が居るなら、その人と喧嘩してみたらどうだ」
「喧嘩なんて……無理」
「そんなに構えなくても良い。腹に溜まっているものを吐き出すんだ。それが第一歩。意外と簡単だぜ?」
「吐き出す……」

 その脳裏の少女は、幼い少女は笑っていた。屈託無い笑顔で、簪を見ていた。何処へ行くにも、なにをするにも一緒だった。その少女を追いかけていた。何時からだろうか、これ程離れたのは。昔はあんなに側に居たのに。楽しかったのに。

(おねえちゃ……)

 焦点の合わない簪の瞳の前に、一夏は笑って手を出した。我に返った簪はその手を見る。

「二人が騒ぎを起こすのは、喧嘩をするのは初めからだったと思うけれど」

 簪は微かに笑う。

「そうだっけか?」
「織斑君、私は簪で良い」
「なら俺も一夏で良いぜ」
「一夏。貴方の言うこと、確かめてみる。……でも勘違いしないで、それだけだから」
「上等」

 僅かに強く握られた右の手。簪は負けんと言わんばかりに握りかえした。簪が、一夏が、一時のパートナーを得た瞬間であった。

「早速一つ頼みがある。左手のこれ、どうにかならないか?」
「ハンガーに来て……」

 簪の笑みにある種の意地悪さが浮かんでいた。


  ◆◆◆


 第3ハンガーに至った一夏は、簪と本音の二人に誘われ、奥の工作室に入った。その部屋はむき出しのコンクリート製の壁で、使い古された大型の工具が置いてあった。さながら古城地下の拷問室のような雰囲気だった。

 簪が壁のパネルを操作し、室内に明かりが灯る。

 入り口から僅かに行った部屋の片隅に、大型の鋼鉄製の固定具が据え付けられていた。これは大型の金属部品を切断する際に、その部品を固定する器具である。一見シンプルだが何処かおどろおどろしい。一夏には紙を複数枚切断する、裁断機にみえた。ただし巨人用の。

 本音が軽やかなステップで部屋に入る。中央付近でくるりと舞うと、両手を広げてこう言った。

「今から手技を説明するよっ!」
「おう」
「まず腕と手錠の隙間にリフレクター・シートを挟みます。つぎに腕を固定、リング・マウンターで手首と肘を固定します。最後にプラズマ・カッターで一刀両断!」
「最後が不安だけどたのむぜ」

 部屋の片隅、スチールラックに向かい合っていた簪が言う。

「……本音、リフレクター・シートが、ない」
「D5Aの棚に無い?」
「フィルム・タイプしか無い……」

 とたとたと歩み寄り、簪の手元をまさぐると本音が言う。

「本当だ。切らしちゃってるよ」

 簪は大して落胆もせず、フィルムが巻かれた筒を取り出した。調理用ラップと言えば分かりやすい。一夏の腕にフィルムを巻き、一夏の左腕を固定器具に固定した。プラズマ・カッターを取りだす。スイッチが入り、プラズマ・カッターが蒼い光りを鋭く放つ。バチバチと鋭い音も出す。見る人によってはその光りが、細く短い蛍光管にみえるだろう。

 簪が手にするそれを、不安そうに見る一夏はこう言った。

「リフレクター・シートとフィルムはどう違うんだよ」
「……10秒と2秒」

 バチバチと音がする。

「なにが?」
「プラズマを反射出来る時間……」
「……うおい!」
「大丈夫、このプラズマ・カッターはかのアイザック・クラークも使用したカッターと同型……」
「いきなり多弁になったなおい!」

「……痛かったら、左手を上げて下さい、ね」
「左手は固定されてるだろ! 何で右手じゃないんだ!? てゆーか痛いのかよ?!」
「……あげて下さいね」
「聞けよこら!」

 バチバチと音がする。腕を切り落とされてはかなわんと、一夏は藻掻く。押せども引けどもびくともしない。少し離れたところで見守るのは本音だ。

「大丈夫だよ、おりむー。もし切れてもおじいちゃんに頼んで義手を作って貰うから~」
「……蒼月君と義兄弟」
「義はそう言う意味じゃねえ! ちょっとま、きゃーーー」

 ゴロン、ゴト。一夏の腕から拘束具が落ちる。恐れ戦き、一夏は自身の左手を擦ると、涙目でこう言った。

「付いてる、付いてるー、ちゃんとあるー」
「おりむー大袈裟だよ。かんちゃんはちゃんと免許持ってるんだから」
「プラズマ・カッターの……」
「ねー」
「医師免許じゃないのかよ」

 虫の音が聞こえていた。


  ◆◆◆


 鈴や清香、ティナに静寐、日頃近しき少女たちの追及を、もう決まったことだからと躱しつつ、勉学に勤しみ、己の訓練をし、簪の作業を手伝えば、あという間に数日過ぎた。トーナメントまで一週間と言うほどである。

 伸びる影が、地面からハンガーの壁に掛る頃、簪は打鉄弐式に登場し、弐式からの報告に目を通していた。連日に及ぶ作業、本音の助力により弐式は一通りの完成に至ったのである。

 PIC起動、スラスター点火。背中と両脚に火が灯る。狭いとは言えない庫内に風が舞い、一夏の髪がはためいた。

「本音……」
「うん」

 側に控えるのは本音だ。彼女は空中投影ディスプレイに映る、弐式からのデータを心配そうに見ていた。

「……リフトオフ」

 簪の指示に応じて、上方へ推力が掛る。下半身関節への負荷が解放、多層装甲がスライド、弐式が浮上した。その距離30センチ。

-推進システム、姿勢制御システム他、全システム異常なし-
-DEWS(電子戦機器:Digital Electoronic Warfare System)稼働中、駆動率32%で実行中-

 次々に示される弐式の状態。当初緊張を示していた簪の表情に安堵の色が宿る。少し離れた箇所で見守っていた一夏も嬉しさを隠さずにいた。

「ついに完成か、やったじゃねえか簪。本当に一人で完成させちまうとはな、天才だぜ」

 彼にとっても弐式の完成は他人事では無い。メカに詳しくない彼は作業を手伝うことは無かったが、様々な雑務をこなしていたのである。簪は頬を染めて静かに頷いた。

「一夏、機動試験手伝って……」
「おう、いいぜ」

 声のトーンも高く、大きい。意気揚々な二人に、本音は割り込んだ。機動と言う言葉に反応したのだった。

「かんちゃん、もう少しテストしてからにしようよ」
「もう時間が無いから……」
「システムへの負荷時の機動はより慎重にならないといけないんだよ」
「……大丈夫、チェックした」
「でも」

 いつになく引き下がらない本音に一夏は不安を覚えだす。この数日、簪が技師として高い技術を持っている事は彼にもよく分かっている。弐式に向いキーを打つ指、残像を残していた。整備科の先輩とも対等に渡り合い、議論していた。だが、本音の実力もよく分かっている。彼女には白式を整備士補助ながらも任しているのだ。

「おじいちゃんも急がば回れっていってるよ」
「シミュレーションだって繰り返した、大丈夫」

 少しずつ言葉に熱が籠もる二人。簪は打鉄を待機状態にして睨みつける。二人の意外な一面に戸惑いつつも、険悪になっては一大事と、一夏は二人に割って入りこう言った。

「ならこうしようぜ、布仏先輩、虚さんにチェックして貰うってのはどうだ」

 見事な折衷案だと、胸を張った一夏に二人はジト目だ。

「おりむーそれ失礼だよ」
「一夏、デリカシーなさ過ぎ……」
「あれ?」
「私だってがんばってるんだよ」
「まるで……お金で強い選手引っ張ってくるだけのオーナー……」
「いやだから」
「そっか、おりむーは年上が好きなんだね、小柄でごめんね」

 理不尽な少女の追求に、一夏はやれやれと口をへの字。思わず目も線になる。

「男の人は大きいのが、好きって本当なの……」

 えっと目を丸くする本音と一夏。口を押さえ、かあと顔を真っ赤に染める簪。彼女は逃げるように駆けだした。

「かんちゃーん、まってー」

 本音はとてとてと追いかけるが、全力疾走の簪はあという間に点になり見えなくなった。息を切らす本音の肩に手を置き、頭を掻きながら一夏は言う。

「俺が行く、行き先はどうせアリーナだ」
「わかった。おりむーお願い」
「任せとけ、目指せ一攫千金、万事解決だ」


  ◆◆◆


 アリーナの更衣室。部屋を見渡す、誰も居ない。ただ、人が居たという匂いだけが残っていた。スチールのロッカーが無機質に並ぶその間に、簪はひとり溜息をついた。

 胸が小さいのは彼女の密かなコンプレックスだ。この学園の少女はスタイルが良いのが多い。小柄な体型は余計に目立つ。どうにか鈴と交友を結びたいと願ったのは一度や二度では無い。

 だが、どうしてあんな事を言ってしまったのだろう。おもむろに、自分の胸に手を添えてみる。

(今更……)

 ふと一夏のよく知る少女たちと頭の中で並んだ。皆美しく、魅力的な少女たちばかりだ。お世辞にも肩を並べているとは言えない。自分がどれだけ陰鬱で卑屈なのか、並んでいるだけで詰問されているようだ。

(そう……)

 今分かった。一夏が苦手なのは白式の件だけではない。哀れみと同情。彼の周囲に居る少女たち、彼女らに嫉妬しているのだ。自分では一夏の隣に相応しくない、だから側に居たくない、だから今尚苦手なのだ。普通に話すことはできたとしても。

 彼女は地の底に魂を引かれる思いで、更衣室を後にした。暗く陽の差さない第6アリーナ第4ピット。彼女は右手薬指に付けた、待機状態の弐式、指輪を擦る。弐式を呼び出す、顕れた光りの粒が集まり結ぶ。弐式顕現。ふわりと浮いた。発進。

 陽の当たる明るい場所、其処に立っていたのは、

「よう。遅かったな。女の子だから支度に時間が掛るのは無理はないけれど、余り遅いと千冬ねえに目を付けられるぜ?」

 一夏だった。

「……機動テスト、止めにきたの?」
「止めたって聞きやしねえだろ? 簪の頑固さは身に染みてる。ならパートナーはその意を酌んで、フォローするだけだ」

「パートナー?」
「おう。それすら認めないとは言わせないぜ? 書類は神(紙)ってな。俺達は神様の決めた仲って訳だ」

 簪はついとそっぽを向いて高度を上げた。


  ◆◆◆


 夕暮れの第3アリーナではまだら雲の下、数々のISが機動音をかき鳴らしていた。学年合同トーナメントのペアが決まり、各自訓練に励んでいるのである。優子とシャルロット、ダリルとフォルテ、箒とセシリア、楯無と鈴、そして簪と一夏だ。真は、どの組みが勝つか、思いを馳せながらぼうっと空を駆ける少女たちを見ていた。

「サボタージュは感心しないな」

 そう言うのはラウラである。黒いビジネススーツを纏い歩いてきた。二人がいるのは観客席である。真は背の低いフェンスに肘を立て、失敬な、そう小さくラウラを一瞥した。アリーナでは箒とセシリアが模擬戦をしている。しばしの沈黙。口を開く。

「……たった一日なんだ。信じられるか?」
「織斑一夏の事か更識簪を口説き落としたことか」
「そう」

 ラウラは喉を鳴らしながら笑った。

「なんだよ」
「心なしか気落ちしているかと思えば、そんな事とはな」
「そんな事かな、普通に話すようになるだけで随分苦労したんだぞ。それを一夏の奴はあっさりと」
「この場合、気にする内容がズレていると言えば良いのか、気にすること自体おかしいと言えば良いのか、まあお前らしい」

 真は視線を上げる。第3アリーナの最上部、観客席。そこから聳える尖塔形状の第6アリーナがみえた。空を切り裂く二つの機影、打鉄弐式と白式である。機動訓練を行う二人が見える。吹いた風がラウラの髪を凪ぐ。真は不満顔でこう言った。

「比べること自体愚かなことだ、でも」
「真、お前の言い様は口説けるようになりたい、そう言っている。それを望むのか?」
「誤解されるよりは良いって、ね。ラウラ、お前はどうだ? 一夏をどう思う?」
「好意に値するな」
「……へえ」
「意外か?」
「少しだけ」
「織斑は教官によく似ている、外見だけ見れば当然だろう」
「……そう言う意味か」
「安心したか?」
「別に」

 ふて腐れたように頬を膨らます真をみると、ラウラは眼を細めた。第6アリーナまで約4キロ。常人では点でしか見えない白式の姿を彼女の眼はしっかりと捉えていた。

「実際、先に出会っていたら。真、お前が居なかったら私もどうなっていたか」
「それはフォローしているのか?」
「想像に任せよう」
「ずるいぞ」
「ところで打鉄弐式の動きがおかしくはないか? 機動が歪だ」
「へ?」


  ◆◆◆


つづく。

約一ヶ月ぶりの更新となりましたが如何だったでしょうか。
簪編は難しいです。本当に。地の文とか心象表現とか、初期設定とか。
とある方からのツッコミもありましたが、原作と途中まで類似する展開です。
もちろん全く同じではありません。

追伸。
今後更新の間隔が変動しそうです。早くなることは少ないかも。
そんなこた気にしねーよという方、お付き合いの程宜しくお願いします。



[32237] 03-07 更識簪7
Name: D1198◆2e0ee516 ID:56a7ebd2
Date: 2013/08/28 11:51
 簪の目に映るのは大気の流れである。その大気は川を流れる清水のように、風に舞う蜘蛛の糸のように、ほつれる事無く流れていった。

 彼方には空と海を隔てる線があった。浮かぶ雲は夕に染まりつつあった。紅、黄、紫に染まる雲と雲。彼女はこの光景が好きだった。まるで鳥にでもなったかのような、雄大な光景。空を舞う一瞬一瞬が心と体を清め、洗い流し、天の御使いになる、そんな幻想的な息吹に浸っていた。

『簪、異常は無いか?』

 一夏の声が簪の魂を、現実に引き戻す。見上げれば翼(ウィング・スラスター)を羽ばたかせる一夏の姿があった。彼女はその光景に一瞬心を奪われた。

 弐式は鎧ではなく戦車をイメージさせる機体だ。機体を表わす面はフラット、面と面を繋ぐ直線は機械的、敢えて言えば膝下を形作る脚部がロング・ブーツに見えなくも無い、と言った程度で全体的に無骨。天を舞うにはほど遠い。エネルギーで空を強引に切り刻むが精々だ。

 僅かな苛立ちを含ませて、彼女は問題ないと言葉を返す。だがその視線は白式を捕えて離さなかった。

 彼女は思う。私が白式のパイロットだったらどうなっていただろうか。力強く羽ばたけただろうか。大空を何処までも飛べただろうか。……その想像に意味は無い。白式を扱える人間はいない筈だったのだから。だから誰にも使われることなく倉庫の片隅で埃をかぶっていた。

 簪は考える。白式と言いみやと言い、なぜこうも、どこかが違うのだろう。虚もそう言っていたとき、そんな馬鹿なと考えた。本音も何かが違うと言ったとき、或いはと考えた。目の当たりにして思う、何かが違う。

 古来。優れた騎馬は雌だという。槍を持つ騎士は男、その方が相性が良いらしい。雌には雄だ。ならばISも女なのだろうか。馬鹿げている。荒唐無稽だ。だがそうとでも考えなければ突き付けられている現実に心の折り合いが付けられない。“2人”は私たちとは違うなどと。

(弐式……お前は私のなに?)

 簪がそう思った瞬間だった。彼女の意識内に、弐式が返事をした。動作異常という内容で。

-注意:ハイパーセンサー処理系統にノイズを検出。警告強度、イエロー-

 最初は注意を促す小さなメッセージだった。頭の片隅にアラームがちかちか鳴っている。センサーの検出利得(ゲイン)が強すぎたのだろうか。彼女は手動でしきい値を小さくした。静かになった。

-注意:4番推進器に異常有り-

 スラスターを管理するシステムは複数ある。一つはスラスター自体が持つ自立型管理システム。もう一つは相方のスラスターが持つ相互管理システム。もう一つは飛行総括管理システム。最後はISコアだ。空を舞うISにとって飛行システムは重要極まりない。そしてその、相互管理システム、つまり脚部に納められた2機あるエンジン内の1機が“相方がおかしい”と言っているのである。

-報告:自己診断開始……異常なし。エラー修正-

 飛行統括管理システムからの報告を受け取ると、簪は一つの選択を迫られた。

 一旦テストを止め機体チェックを行うか、機動テストを継続するか。弐式は今日が初飛行だ、慎重になるべきだ。だがまだ5分と飛んでいない、まだ飛びたい。時刻を確認すれば午後の6時、陽も沈み掛っている。戻れば今日の試験はお仕舞いだ。だが物足りない。

 彼女の深層が燻っている、不完全燃焼……またアラームが鳴った、彼女はそれを見る。さらにアラーム発生、システム修正。彼女の意識に連なるエラーの数々。だめだ、戻ろう。そう思った瞬間だった。

“簪お嬢様は楯無様ほどでは無いわよね”

 それはかって家の使用人たち漏らしたささやき。彼女の奥底に仕舞い込んでいた棘が疼いた。だがしかし……彼女の眼前には、美しい白の機体。広げる翼は全てを覆わんばかりだ。翼音が彼女の芯を打ち鳴らす。

『簪、本当に大丈夫か? 戻った方が良くないか?』
『平気、続ける』

 彼女はその羽ばたきに煽られた。

 エネルギー管理システムにアクセス。管理システムの階層を降りる。飛行システムにアクセス、異常なし。P.I.C(慣性制御)に異常なし。シールド・ジェネレータに異常なし。F.C.S(火器管制)に異常なし。

 両脚と背中にある計3機のスラスターが火を噴いた。加速。高度と速度が上がる。時速200,250,300……450キロ。機体に異常なし。スラスターの、弐式の鼓動が彼女を包む。

 ほら大丈夫、考えすぎだ。そういえばクラス・メイトにも慎重すぎだって言われたっけ。ミリタリー・パワー(最大速度)に到達。白式を追い越し彼女の心を優越感が支配する。

 1つ目の動作異常が報告された。

-警告:各デバイスへのエネルギー供給に脈動発生-

 彼女は慌てて空中投影コンソールを開いた、焦燥感にかられる。脈動とはエネルギー波の共鳴だ。つまり機内のエネルギー伝達経路に強いところと弱いところが発生するという意味である。その強い箇所が設計限界値を超えるとエネルギーが漏れ、最悪爆発を起こす。

 彼女は急ぎ、スラスター出力をミニマムに。脈度を押さえる。

-警告:エネルギー伝達率低下。管理温度が警戒域に突入-

 脈動が収まらない。メンテナンス・コンソールを展開。エネルギー管理画面を開く。彼女は息を呑んだ。弐式が報告する、エネルギー伝達経路を表わすグラフは、振り切れ乱れ、暴走していた。何故発覚が遅れた。何故悪化した。

“かんちゃん、変動式は仕様外だよ? 基幹システムへのバックファイアの可能性もあがるから個人的にも非推奨……”

 本音の声が頭蓋に響いた。その声は収まることなく彼女の中を反響していった。お前には何も出来ない、そう吐き捨てられたようだった。

-警告:航空システム制御不可。コントロール不能-

 全身のスラスターがあらぬ方向に吹き始める。

「きゃあああああああ!!!!」

 制御を失った弐式はきりもみしながら、弧を描きながら、最期は地に向かう。

 まずい。システムを切断するしか無い。だがそんな事をすれば、墜落だ。落下までに再起動、彼女の賭は敗北だった。

-警告:防性力場喪失、接触警報-

 あらゆる防御力場が消失した。つまり身を守る物が何も無いと言うことだ。この状態で激突すれば肉塊と化す。彼女はどうにか立て直そうとするが身体が動かなかった。風圧に身体がねじ切らんばかりに翻弄された。身体が動かない、息が出来ない、意識が遠くなる。霞む視界目の前に第6アリーナの外壁があった。

(あ……)

 それは長くもあったが短くもあった。世界が永遠に止まったかと思われた。ただの灰色。音もなく、無機質な世界の中、聞こえてきたのは少年の声。

「簪!」
「……一夏?」

 生と死の狭間から助け出された彼女が見た物は、美しい白の機体だった。外壁まであと僅かのところで受け止められていた。白く靄の掛る世界、一夏の姿だけが見えた。

「一夏……じゃねえ! 怪我ないか!?」

 気がつけば四肢の至る所が悲鳴を上げていた。息も絶え絶えに言葉を絞り出す。

「少し身体が痛い……」

 簪が少しというならば大分痛いと言うことだろう。一夏は慌ててピットに向かって飛んだ。

「真! みてるな!?」
『直ぐ向かう。一夏、白式の生体維持システムを彼女に回せ』
「わかった! ……簪、弐式を解除出来るか?」

 彼女は静かに頷いた。システム再起動。弐式が粒子となって消える。重く冷たい鎖のような枷がとれた。身体が軽くなった。翼に守られているかのような感覚。不謹慎と思いつつも、その温もりに安らぎを感じていた。


  ◆◆◆


 ラウラと真が駆けつけたとき、簪はベスト状の医療機器を身につけ、ピット内のベンチに腰掛けていた。ぐったりと背を壁にもたれ掛かっていた。側に居る本音も不安を隠さない。

「無事か」 かけより真が言う。
「少し関節を痛めたようですが、怪我は大した事はありません、痛みも2,3日で引くでしょう」

 医師の診察に、安堵を交えて一夏は息を吐きだした。医師が立ち去った後ラウラはこう言った。

「更識簪、何故こうなったと思うのか、それを答えろ」

 ラウラの問い掛けに簪はただ項垂れた。

「ボーデヴィッヒ先生、それは後でも良いでしょう。本人が一番よく分かっている。」

 人間は死ぬと最後の状態が永遠に続くと言われる。痛みが、苦しみがあれば永遠に続く。とある宗教で苦痛から逃れる為の自殺が禁忌とされるのはその為だ。人が安らかな死を願うのもその為だ。だから。

(だから死にたくない。あんな苦しいのはイヤ)

 何より彼に、この様な心配を掛けること、何より辛かった。仕方がないなとラウラは溜息一つ。

「なあ簪。やっぱり虚さんに見て貰おうぜ」
「わかった……」

 一夏が手を差し出した、その時である。

「簪ちゃん! よかった!」

 ひらり。

「へぶらっ!」

 おお何と言うことだろうか。つもりに積もった積年のわだかまり。簪を条件反射させるに十分だった。身体を痛めていることお構いなしである。抱きつこうと両手を広げた楯無の腕は、柱に向かっていた。ずるずると鼻先は柱と地面の間に向かう。

「あっ……あ……」

 とっさとは言え、思わず至ってしまった心ない行為に、簪は後悔の念に駆られた。だが何もしなかったできなかった。ぴくりとも動かない楯無を見て、急ぐようにラウラが言う。

「織斑一夏、事情聴取だ。更識簪を医務室に連れて行ったあと職員室まで出頭しろ」
「わかりました」

 一夏は簪をおんぶする。真は慌ててラウラを止めた。


 ボーデヴィッヒ先生、俺が2人を連れて行きます。

 楯無担当はお前だろう?

 ……何時決まった。

 何時も何も初めからだろう

 兵に死ねというのか。

 安心しろ、そう簡単には殺されはしまい。たぶん。

 たぶん!?


 目配せで複雑な意思疎通。誰もが立ち去ったその後で、真はおずおずと歩み寄る。

「簪ちゃんが避けた簪ちゃんが避けた簪ちゃんが避け」

 聞こえるのは怨嗟のごとき悪魔の呟き。真は立ち去った、否。立ち去ろうとした。

「お待ち。可哀想なたっちゃんを残して何処に行くのよ」

 真は足首を掴まれた。逃げようとして回り込まれたようなイメージに襲われる。鞭のような2本の触覚、コウモリのはね、牙は長く長く伸び、しっぽの先はスペードで、なにより様々な食材の匂いが混ざった、ゴミ溜のような匂いが鼻につく。彼は渋々こう言った。

「巻き込まれる前に逃げようと」
「そう。真は私のこと嫌いなのね、こんなにか弱いのに、こんなに儚げなのに」
「むしろ好かれるイベントなんてなかった筈だけど」

 楯無はがばっと立ち上がる。

「良いわよ良いわよみんなして!」
「じゃ、そう言う訳で」
「だからおまち」
「……なんだよ」
「おっぱい触らして上げるから、耳貸しなさい」
「そんな恐ろしい事言わずに、普通に話してくれ」

 楯無は真の耳をむんずと掴むと引っ張った。

「いててて」
「ごにょごにょごにょの、ごにょにょにょにょ……いい? 分かったわね?」
「あのな。そんな滅茶苦茶、良い訳ないだろ。そもそも教師が一階の生徒に―」
「なによ、せっしーとデートしたくせにっ」
「……何時でも何でも言ってくれー」

 満足そうに頷くと彼女は腕を組んで背を逸らした。胸を張った。

「ふっふっふ。覚えていなさい簪ちゃん。おねーちゃんはもう怒ったわよっ! 深く傷付いたわよっ!」

 真はあははと空を仰ぎ、楯無は彼を背に高笑う。

(これも定めか……)

 真の諦めの如く呟きは誰にも聞かれず高笑いに掻き消されていった。


  ◆◆◆


 トーナメントを三日後に控えた秋晴れの日。各アリーナは多くのギャラリーで満たされていた。多くの少女たちにとって、専用機を持つ者の高い技量は今なお、逆に時が過ぎるほど参考になるのである。多くの視線を浴びて、空を駆ける少女たちの訓練にも熱が籠もる。

 箒、セシリアペアの場合。第3アリーナの空を紅と蒼が渦巻きのように空を駆ける。箒は、紅椿の高い機動力を駆使し、距離を稼ごうとするセシリアを追い詰める。右へ左へ、また右へ、弧を描き回り込んだその瞬間。

 気合いと共に振り下ろした箒の一刀は、ブルー・ティアーズ子機の狙撃によって弾かれた。セシリアはスターライトmk3を彼女に向けた。

「……参った」
「箒さん、まだ近接戦闘を“したがっている”ですわね」
「済まない。間合い、呼吸、気合い、拍が身体に染みついていてな、どうにもそうなってしまう」
「泣き言は聞きたくありませんわ、期日までに何とかして下さいな」

 有無を言わさないセシリアの気迫。箒は手に握る姉妹刀をじっと見つめた後、思い切ったようにこう言った。

「私で良かったのか? 足手まといなだけではないのか?」
「愚問ですわよ。今更ですわ」

 セシリアは“互いに”よく知っている箒以外組むつもりは無いと言っていた。箒も笑って応えた。ただ瞳に決意をやどして。

「そうか、済まないな。ではもう一本受けてくれ」
「せめて一太刀浴びせて見せなさいな」
「では……破っ!」


  ◆◆◆


 第2アリーナ。ダリル・ケイシー、フォルテ・サファイアペア。宙にふよふよと浮きながらダリルはぼやいた。器用にも空中で肘を突いている。

「かったりーな」
「そうっスね」

 そういうフォルテは頭を大地に、足を天に、逆さまだった。同じく器用にも腕を組みしかめっ面。

「何考えてんだーよ」
「いえ、かったりーっスねえ、と」
「フォルテ、俺の代わりに出てくれや」
「ンナ面倒くさいこと、御免被り頬被りってな感じっス」
「なんだとー、先輩の言うこと聞けないってのか」
「先輩はそんな不謹慎なこと言わないもんっス」
「「……」」

 遠くから激しい機動音が聞こえる。誰かが模擬戦をしているのだろう。ダリルは耳をほじる。

「みんな、気合い入ってるなあー」
「1年どもはみながみんな目をギラギラさせてるッスねえ」
「優子も楯無もギラギラだ」
「たっちゃんは確かにオカシかったっス。でもゆうこりんは普通に見えますっス。今日の昼もカロリーを気にしていたっスから」
「優子は何時もああなんだ。ああやって何時も俺の気迫を削る。が、だ。いざ試合に及ぶと……」
「万年2位は辛いっスね」
「うるせえ、このばか女が」
「痛いところ突かれましたな、ワハハハ」

 激しい打撃音。墜落音に激突音。

「……ちったあ気合い入れるか」
「……そうっスね」

 2人は渾身の一撃を互いに向けた。


  ◆◆◆


 第3アリーナ。ディアナとシャルロット。リヴァイヴを纏い、空を駆るのはシャルロット。AIM-9X(短距離 空対空ミサイル)を量子展開、発射。空に向けて放たれたミサイルが弧を描き彼女に向かう。彼女もまたスラスターを吹かし駆けだした。

 ミサイルとの相対速度は音速の3倍。彼女は左腕から耐極高荷重ワイヤーを撃ちだした。先端に分銅が付くそれは蛇のような波を打つ。彼女は両手でそれを繰りだした。あやとりのような複雑な指の動き。単純とは言え文様を描く、彼女の糸。ミサイルは糸に絡まれ、動きを括られ、遊園地の巨大遊具のようにフィールドに激突。爆発炎上した。

 汗を滲ませるシャルロット。フィールドに立つディアナは満足してこう言った。

「まずは見事と言っておきましょう。一本とはいえ臨海学校から4ヶ月この短期間でよくぞここまで仕上げました」
「身に余る光栄です」
「良く聞きなさい。男は直ぐ調子に乗ります。放っておいたくせに、そのくせ困ると何食わぬ顔で甘えてくる。シャル、貴方はこの様な愚を犯さないよう、思い人をしっかりと絡め取ってらっしゃい」

「はい、ディアナ様」
「……」
「……」

 爆発で舞い上げられたミサイルの残骸、ぼすぼすと音を立てて地面に落ちる。

「「ふふふふ」」

 端で見る優子は、楽しそうだと羨んだ。


  ◆◆◆


 同じく、第3アリーナ。楯無、鈴ペア。高速で動く光子で創られた仮想ターゲット。最大速度で追従する甲龍は、両肩の浮遊ユニットから拡散龍砲を放つ。これは超特急で拵えたものだ。噴水のように広がり進む空間の波。その一端とターゲットが接触、姿勢が乱れ動きが鈍る。その隙を突いて鈴は双天牙月を打ち込んだ。

 重苦しい一刀の音と砕け散る光子の的。鈴は怒りを滾らせた。

「覚えてなさいよ一夏! ぜえーーーーーったい許さないんだから! アタシを選ばなかったこと死ぬほど後悔させてやるかんね!」
「鈴ちゃん♪」

 楯無だった。ぎくり。鈴は目をぎょろつかせ、ぎこちなく振り返った。

「さ、更識先輩、おはようございマス」

 鈴はゆっくりと後ずさった。

「いやねえ、たっちゃんでいいって言ってるのにいー♪」
「いえ、先輩ですから、から」
「から?」
「失礼しますー」

 鈴は逃げ出した。だが楯無に回り込まれた。逃げられない。鈴に抱きつき頬ずるのは楯無である。

「健康的な肌の色! 躍動的な黒い髪! 玉露の様な純真無垢なはあとと、桜舞い散る可憐なぼでいっ! 覗く八重歯がとってもキュート! たまらないわっ! ねえ鈴ちゃん眼鏡ツインテっていいと思わない?! 可愛さと可憐さ、知的さと凜々しさが絶妙なハーモニーでもうたまんない! おねーさん、我慢出来なくって眼鏡用意しちゃった!」

 楯無は、あの一件以来こうなった。IS“ミステリアス・レイディ”を纏う彼女の姿は、流れる水のような美しい、幾何学紋様を描くドレスを着こなす貴婦人。だがいまや台無しだ。

「りいいいいんちゅわああああんんっ♪」
「レズはいやあああ!!」

 そして、トーナメント開催日。


  ◆◆◆


楯無ファンの方ごめんなさい。


さて。簪編ももうそろそろ終局です。どうやってオチを付けるか想像出来る方もおられるのでは無いでしょうか。この簪編とくにひねってません。分かった方おそらく正解です。分からない方、まだ内緒です。




[32237] 03-08 更識簪8
Name: D1198◆2e0ee516 ID:56a7ebd2
Date: 2013/09/08 17:27
『学園生徒の皆様ご機嫌いかがでしょうか!? さあついにやってまいりました10月30日! 第7回学年合同トーナメントの開催日ですよ!! 今年は何と言っても男子生徒が居ると言う事で俄然盛り上がっております! かく言う私も織斑君の雄志を見られるとなれば俄然ヒートアップ! きゃー織斑くぅぅーーーん♪ 出来れば私がペア組みたかったあ!……痛っ! なにをするんですか布仏先輩! いきなりぶつなんて酷いじゃないですか! え?なに? 司会が特定の生徒に肩入れするな? 良いじゃないですか。それぐらい。布仏先輩だって蒼月先生に肩入レ、ごみゃんなさひっ、いふぁいっ、あやまりまふ、あやまりまふからやめふぇぇぇーー』

 きいんとハウリングが第2アリーナに響き渡る。観客席に居る少女たちも、どんどんぱふぱふと大騒ぎ。鉢巻きにはっぴ、チアホーンにブブゼラ、と皆の熱気が籠もっていた。

 薄暗い第1ピット。白式を纏い両腰に両手を添え壁に掛るディスプレイを見るのは一夏である。これから対戦相手が知らされるためだ。弐式を纏う、傍らに立つ簪もまた不安そうに見上げていた。

 初戦が楯無・鈴ペアだったらどうしよう、彼女の心中はそれだけだった。

「どっちかいうと、その方が良いけどな」

 簪は驚いたように一夏を見上げた。

「顔に書いてあるぜ」

 今度は恥じて俯いた。

「最初からなんて……」

 か細い彼女に対し一夏はあくまで大らかだ。

「いつかはあたるんだぜ? このトーナメントは簪にとって、楯無先輩を乗り越える切っ掛けになるんだ。なら早いほうが良い。手強い姉さんに勝って勢いに乗るんだ」
「一夏は、怖い物なさそう……」
「へっ、俺が怖いのは千冬ねえだけだぜ……お、ほらきた。これは運命だな」

 ディスプレイに映る対戦相手、楯無・鈴ペアだった。

「じゃ、行こうぜ」
「うん……」

 2人は薄暗いピットから明るい闘技場へ飛び出した。一夏が先、簪が後。追従するされる、その姿はまるで親ガモ小ガモである。一斉に盛り上がる会場、一夏は手を振り皆に応える。簪は俯いたままだ。視線を浴びることになれないらしい。仕方がないなと吐く息一つ。一夏はあれと辺りを見渡した。

「どう、したの?」
「相手チームがいない」
「……え?」

 2人の眼前に居るべき相手は居なかった。

『えー、更識楯無選手、凰選手アリーナに出て下さい』

 とアナウンスが繰り返される。ざわざわとギャラリーも気づく。まさか棄権? と一夏が思った時である。どろろろろとドラムロール。アリーナ最上部に据え付けられたレーザーライトから光線が走る。赤白黄色、幾重にも重なったその先に、楯無が立っていた。腕を組んで見下ろしていた。もくもくとスモークも忘れない。

「あーっはっはっはっは! よくぞわかバーテンシュタウン城にたどり着いたわね!」
「ね、ねえさん……」 簪が呻く。
「ハーゲンダッツ城ってなんだよ」 一夏がボケる。
「おだまり! 幾多の精鋭を打ち倒し! 我が足元にやってきた勇者一行の努力に報いて舞台をお膳立ててやろうというのよ!」
「たっちゃん先輩、鈴は? ひょっとして本当に食べちゃったのか?」 一夏はあくまでボケる。
「食べてないわよ失礼ね! はっ……ぬううう何処までもボケ倒すとは不遜な輩よ! よろしい! お前たちの力を見てくれる! 来たれ我がしもべ! 黒の騎士!」

 再びドラムロール。レーザーライトが第2ピットに当てられる。ハッチが開き、そこから現れたのは黒い2機のIS、シュヴァルツェア・レーゲンとみやだった。

「え」と簪が目を丸くする。
「おお」と観客がどよめいた。
「……」一夏は無言だった。ラウラはともかく何故真が“あっち側”にいるのかと理解出来なかった。ラウラと真は不本意一杯な表情だ。自慢げに楯無が言う。

「ふふ! 驚くのはまだ早いわ!」

 楯無はびしとアリーナ頭上の空中投影モニターを指さした。ぱっとモニターに文字が現れる。司会がこう言った。

『えー、 登録ペアの変更です。会長・凰ペア、凰さんに変わりまして……蒼月先生』

「な、なにーーーーー!!!」 一夏である。
「あーっはっはっは! 出場資格は専用機を持つ者だからアリアリよ!」 楯無である。
「ペア変更有りなんて聞いてねえぞ!」
「鈴ちゃん、いい?」
「是非!」

 背後に控えていた鈴は喜び隠さなかった。セクハラまがいの嫌がらせはこの布石だったのか、と真は呻いた。我慢ならないのは一夏である。真を指さしこう言った。

「やい真! 何でお前がそっち側なんだ! 俺に頼んでおいて邪魔するとはどういう了見だ!」
「色々あったんだよ。本当に色々……」
「何が色々だ! 会長のおっぱいに骨抜きにされやがって!」
「人聞き悪い事、全校生徒の前で言うなーー!」
「何言ってやがる! 仲の良い娘デカイのばかりだろ! 箒とかセシリアとかとか! あと先輩ズ!」
「鈴とラウラは小さいぞ!」

(殺す)
(銃殺)

 冷たい視線の鈴とラウラ。それに構わずヤジを飛ばし合うのは一夏と真。簪は怯えていた。

「臆するな簪! あんな日和見野郎、蹴散らしてやろうぜ!」
「でも、二人は学園トップクラス……」
「トップとトップクラスは違うんだぜ!」

 頭を抱える千冬らを差し置いてゴングが鳴った。

「でえりゃあ!!」

 先手、一夏。楯無が迎え撃つ。一夏の左薙ぎ、左から右へ走る一刀を楯無は蒼流旋(槍)の柄で受け止めた。空気が震え、雪片弐型と蒼流旋が軋みを上げる。初手で余裕の無い事を理解した楯無は、槍をそのまま水平に倒し受け流す。一夏の上肢が大きい弧を描いた。

 楯無のターン。柄を腰に当て、身体を軸に槍をくるりと水平に回す。同時に持ち手を石突き(末端、槍頭の逆)側にずらしリーチを伸ばす。回転力を乗せ一夏に打ち込んだ。白い火花が散った。一夏は瞬時に体制を立て直し、迫り来る槍の穂先を打ち返した。

 楯無、連撃。右手を石突き、左手を中程に、下から切り上げた。一夏は槍を蹴り上げ、瞬時姿勢制御、楯無の水月へ刺突。音速で迫る一夏の刃を、槍で軌道を変え、更に身体を捻り躱す。楯無は一夏を回し蹴り、距離を取った。アリーナは一時の静寂のあと、歓声に満たされた。2人の、一瞬きの間に躱された技量にである。

 呆れた様に息を切らすのは楯無だ。

「どうして剣が槍と同じ威力なのかしら、やんなっちゃう」

 一夏は笑って応えた。

「流石会長、そう簡単には踏み込ませてくれない」
「余裕有りって感じね、一応聞くけれど手を抜いた?」
「少しだけ。初手は取れると思ったんですが」
「本当に……憎たらしい男の子ね!」

 2人に圧倒されていた簪は、みやの機動音で我に返った。スラスターを吹かし距離を取ろうとする簪は、真の弾丸に襲われた。簪はシールド防御を張りつつ、弾丸雷雨の中を、被弾覚悟で強引に抜け出した。簪の見切りに感心するのは真である。

(流石日本代表候補。一筋縄じゃいかないか。さてどうする? 楯無も防戦一方だし……一夏に牽制を入れつつ、弐式を狙うのが妥当か。簪には悪いけれど試合は試合だ、しかたない)

 真は手にするアサルト・ライフルの弾倉を量子交換。その速度約0.2秒。ハイパーセンサー越しにそれを見ていた簪は息を呑んだ。0.2秒と言えば国家代表クラスである。一般的アサルト・ライフルの連射速度を考えれば、その時間は無視してもいい。真が何発持っているか、簪には知るよしも無いが彼の技量から予想される戦闘時間を考えれば、何発持っているかはほぼ影響が無い。つまり、弾切れを判断する前に勝敗を判断しなくてはならないと言う事だ。

 簪は必死で回避しながら、背中に配備された春雷(荷電粒子砲)を放つ。だがその光弾は命中することなく空に消えていった。

「蒼月せんせー ファイトー」
「簪さんがんばれー!」
「かーんちゃーーん! まけるなー!」
「かいちょー ここまでやって負けたら大ヒンシュクですよー」
「織斑くーーーん! かっこいーーー!!!」

 当初、簪・一夏ペアが優勢に進めていた試合だが、徐々に押され始めた。力量で勝る一夏であったが、要所要所で真に狙撃され、押し切れないばかりかリズムが乱されたのである。その隙を突き楯無は地道に白式のエネルギーを削っていった。蒼流旋に据え付けられた4門のガトリンク砲が火を噴いた。もちろん簪は黙って見過ごしていたわけでは無い。

 今正に発砲しようとしている真にむけて春雷を放ち、牽制しようとするも悉く躱された。真は曲芸のような回避の中、正確に一夏を牽制していった。

 焦燥に駆られる簪。一夏をサポートしようとするも、楯無との剣舞に割り込むことは援護どころか足手まといになりかねない。かといって真に接近戦を挑んでも銃圧ではじき返された。逆にその都度一夏の集中力を欠かされた。単純に両ペアの和の、差である。楯無・真ペアの、技量の和が大きかった。

 一夏は悪態をついた。秘話通信で簪にである。

『くそったれ! 2人とも細かくてねちっこい! 簪! まだ持つか?!』
『……大丈夫』
『作戦変更だ、俺が2人同時にかき乱すから簪はその隙に攻撃!』
『一夏……』
『安心しろ! 俺と白式は無敵だぜ! 今からこの雪片弐型でひいひい言わせちゃる!』
『一夏』
『ぬわっ! あぶねぇ! 楯無先輩と言い真と言い、即興にしちゃ良いコンビネーションだぜ……だがっ! もうこうなったら封印技をぶちかます! 大量のエネルギーと引き替えに切っ先が音速を超える! 発生する衝撃波で辺りの全てを蹴っ飛ばす! 必殺! ソニック・ブレエエー』
『一夏!』
『えーえ、ええー……なんだよ、良いところだったのに!』
『……ごめん、なさい』
『なにが?』
『役に立たなくて、ごめんなさい』
『……簪』
『……なさい』
『作戦変更、俺が真を始末する。簪は楯無先輩な』

 簪は怯えを交えて目を丸くした。

『そんな……無理。姉さんには、勝てない』

 簪の力無い呟き。一夏は楯無の槍を強引に押し返すと、穂先に蹴りを入れ空を駆け上がった。翼を広げた先に居たのは狙撃銃を構える真だった。迫り来る弾丸を、躱せるものは機動力を活かし躱す。躱せないものは雪片で弾く。左下から右上への一閃、右切り上げ。その一刀はみやのアーム・ガードに阻まれていた。真が叫んだ。

「相変わらず無茶苦茶だな! 簪を放っておいていいのかっ!?」
「簪を舐めるなよ! 底力があるんだぜ!」

 ある時は離れ、またある時は撃ち合い、アリーナの空を切り裂く2機から視線を下ろす。楯無の下方、フィールド上には夢現(薙刀)を携える妹が居た。楯無、構える。スラスターを吹かし急速降下。柄を長く持ち、右から左へと薙いだ。呆然としていた簪はそのままはじき飛ばされる。

「きゃあ!」
「ぼうっとしているからそうなるの。早く構えなさい、でないとまたそうなるわよ」

 楯無は柄の中程を持ちゆっくりと歩み寄る。簪はフィールドに這いつくばりゆっくりと見上げた。徐々に近くなる、大きくなる姉の姿。簪は一刀で力量の差を見抜いた。

(やっぱり駄目、姉さんには勝てない)
(どうしてこうなっちゃったんだろ)

 すれ違う2人の心、突き抜けたのは一夏の声だった。

「臆するな簪! 立ち上がれ! 立って構えろ!」
「……一夏、ごめんなさい。私は、」
「一歩だ! 小さくても良い! 自分の力で一歩足を進めろ!」
「……」
「簪は1人じゃ無い! 本音も虚先輩も! 俺も付いてる! 勇気を出せ!」
「……」

 何だかんだ言って応援してくれた4組の皆。拒否したにもかかわらず、付き従い手伝ってくれた本音。夜遅くだというのに快く整備を受諾してくれた虚、何時までも訓練に付き合ってくれた一夏。1人では無い、その心が簪を立ち上がらせた。

(あら)

 驚く楯無を他所に簪は夢現を頭上に掲げ、切っ先を後ろに石突きを前に、薙刀を構える。そのまま真っ直ぐ打ち下ろした―上下振り。楯無に打ち返される。楯無、スラスターを吹かし距離を取る。間髪を入れず簪は間合いを詰め、えいと横振り。

 楯無のIS、ミステリアス・レイディは大技が多い。手の内を知る簪は間合いを、距離を取られては駄目だと小刻みな連撃を繰り返した。一歩、あと一歩と心の中で繰り返す。

「流石日本代表候補、良い筋してる。だけれど私には届かないわよ」
「そんな事どうでも良い!」
「そう、なら現実を教えよう」

 楯無の刺突。簪ははじき飛ばされた。地べたを這い転がる。夢現を杖代わりに立ち上がり、小型のミサイルを撃ちだした。打鉄弐式の第3世代兵装、山嵐。計48発のミサイルが楯無を襲う。

「やるじゃない。とうとう完成させたのねでも、届かないわよ」

 ミサイルを槍でいなしながら楯無が言う。スラスターを吹かし、夢現を打ち込む簪はこう言った。

「お、お」
「お?」
「おねえちゃんのばかーーー!!!」

 その言葉は楯無の心を貫いた。“おねえちゃん”その言葉が頭の中で何度も何度も繰り返される。精悍な面持ちが、徐々ににやけ始めた。

「私はおねえちゃんが嫌い! 何時も好き勝手振り回して! 何でもかんでも手に入れて! 私は何時だって我慢ばかり! 大っ嫌いっ!」
「ふふ……うふふ。よく言ったわ簪ちゃん! 私に一矢報いてみなさい! 意地を突き通してみなさい! おねえちゃんはここよーーー!!!」

 姉妹喧嘩を始めた2人。一合また一合と火花を散らす。その2人を頭上から見るのは一夏と真だ。雪片弐型を肩に当てとんとんと、一夏はこう言った。

「勝負はあっちに移ったか……俺らはどうする?」
「勝った方が勝ちで良いだろ。それに、もう問題は解決してる」
「だな。2人とも笑いながら喧嘩してるぜ、器用なもんだ」

 歓声が上がる。皆が見守る中、夢現をはじき飛ばされて簪の負けとなった。つまりは僚機を失った簪・一夏ペアの敗北だ。だが更識姉妹はそんな事を気にすることもなく、最後は抱き合い泣き合った。ごめんなさい、謝罪の言葉を口にしながら。


  ◆◆◆

簪編おわり。


……簪はとても大変でした。非常に大変でした。

実はこのHeroes、福音戦でお仕舞いの予定でした。プロットを起こした時、更識姉妹は考慮に居なかったのです。つまり後から更識姉妹、とくに簪の登場を考える事になったのですが、その条件が厳しい厳しい。簪の性格は姉へのわだかまりが原因だったのでこれは外せない。外すと簪の性格が変わってしまいます。ついでに弐式も未完成にしないと2学期からの登場に説明が付かない。結局原作に添わせないと辻褄が合わないと気づいたのは、二期を書き始めてから。沿わせるは沿わせるで、何とかしないと……で、考えついたのが姉妹喧嘩に巻き込まれる一夏と真という話でした。まあ何とかなったかなー

簪が中学まで海外にいて、姉を越えたと思い込んだ高飛車お嬢様にでもしてやろうかいと思ったのは此処だけの秘密。

さて、次から後始末の話を入れつつ、二期の本編が始まります。ファントム・タスクとかMとか束とか。プロット練り直しですよ、ひー



[32237] 04-01 平穏なり我が日常その四
Name: D1198◆2e0ee516 ID:56a7ebd2
Date: 2013/10/13 22:53
 10月に行われた学年合同トーナメント。蓋を開けてみればやや意外な結果となった。簪・一夏ペアは箒・セシリアペアに余裕を持って勝利、強固な防御を誇るダリル・フォルテペアに僅差で敗北、繊細な攻撃の優子・シャルペアに粘ったものの敗北、大胆かつ強力な攻撃力を持つ鈴・ラウラペアに辛勝。勝率4割、予想より低い。皆、一夏対策を錬った結果であろう。幾ら一夏が強くとも、僚機を失えば敗北となる。また簪の射撃能力が皆に対し、相対的に劣ったことも原因としてあげられる。なにより、高い機動力を誇る白式であるが、移動時間はゼロでは無い、速い電車も離れてみれば目で追える。僚機との連携が適切であれば攻撃のタイミングを取るのは難しくない。つまり簪が一夏のとんがった速さについて行けなかった、そう言う事だ。そんな事を考えながら、学習棟の二階をてくてくと歩く。

 たゆん。

 まあ。簪は弐式の調整に時間を取られ、一夏との練習がろくすっぽ出来なかったのが痛い。自業自得と言ってしまえばそれまでだが、彼女の身の上を考慮すると致し方ないだろう。今では楯無との関係も上手く言ったようだし結果オーライといえる。

 ぽよん。

 心のつかえが取れたのか、楯無の悪戯も大分治まった。というより、簪に時間を割いているのでそれどころではないようだ。先の日曜日は2人揃って買い物に出かけたと一夏から聞いた。その一夏とは特訓の仲であるし、非常に喜ばしい。このまま全て治まってくれることを心から願う。問題は、だ。

 むにゅう。

 おお。遙かなるかな、連峰よ。母なる峰は高く高く空を突き、その勢いは天の国に届かん。私はただ見据え、じっと手を伸ばす……廊下におっぱいがあった。説明せねばなるまい。その光景を表現すると、歩く、俺を見かける、爽やかな笑みを浮かべながら、ある少女は抱き寄せ、ある少女は両の手で持ち上げる。行く先々で、生徒という生徒が制服越しに胸を寄せて上げるのだ。もちろん頼んだわけでは無い。彼女らが自主的に、正しくはおもしろがって行っているのである。言うまでもなく一夏の“会長のおっぱいに骨抜きにされやがって!”という先の暴言である。

「蒼月センセ、どお?」

 おのれ一夏、お陰で別のモノがつっかえそうだ。

 暗くなった、教師用マンションから柊に続く道。ぶんぶんと大きく腕を振りながら歩く。そもそもいったいどうすれば良いのか、どれだけ弁明しても、ディアナには10代がそんなに良いのかと刺々しく言われ、千冬は口を利いてくれない。ラウラも同じだ。流石師弟、余計なところはそっくりである。被害はまだある。直線的体型の2組副担任である小林先生には冷たい視線を容赦なく浴びせられ、ボリューム感たっぷりの山田先生には出会う度に胸を隠される。背を丸く自身の身体を抱きしめるようなポーズなのだ。涙目と相まってこれがまた官能的……そうじゃない。鈴は怖くて会っていない。だから、そうではない。

 ともかく。文句の一つでも言わないと気が収まらない。報復など少々若者的発想だが、やはり重要だ。びしっと言っておくべき時に言わないとまた繰り返される。

 ズカズカと柊の階段を上がる。一歩歩く度に床に敷かれた絨毯の、反発力が身体を満たす。感触が心地よい。毎度思うのだが、学生寮にこの絨毯はやり過ぎでは無かろうか。そんな事を考えながら最上階に至った。橙色の明かりが灯るその高級ホテルのような廊下の先に、人だかり。一夏の部屋だ。少女という少女が扉に側耳立てている。何かあったのだろうか。

 歩み寄るも皆が皆、部屋の中の何かに興味を刺激されるのか一向に気づかない。ある少女は顔も赤く、ある少女はだらしなく開いた口すら隠さない。またある少女は悔しそうにハンカチを噛みしめていた。嫌な予感がし始め、自身の足も鈍くなる。そうしたら一人、部屋の前で落ち着かないように右往左往する人物が居た。苦々しい表情に見合わない、深みのある金髪に鮮やかな碧の瞳。言うまでもなくシャルロットであった。彼女は俺の姿を認めると、藁をも掴むかの勢いで、ぽんと柏を打った。妙なところで日本通である。俺は全速力で逃げ出した。良くない、これは良くない傾向だ。感もそう言っている。

「真」

 たった一言である。情けないことに、それだけでこの足は止まった。影のある笑みが歩み寄る。脂汗がたらたらと流れ出た。声を絞り出した。

「や、やあシャル。こんな時間にどうした」
「真、僕を見た途端逃げ出したように見えたんだけど……どうしてさ?」
「何を言っているのか、気のせいだよ、うん気のせい」
「ふーん、気のせいなんだ。挨拶もなしに振り返ったのに……僕らの仲を考えても、考えればこそ失礼じゃないかな」
「そ、それは済まなかった。急遽用事を思い出してさ、それじゃ失礼するよ」
「真」
「な、なに?」
「僕のお願い聞いてくれるかな?」
「ひょっとして一夏に会えと?」
「話が早くて助かるよ、ささ」
「急に腹痛が、」
「お願い、聞いてくれるよね? ま、こ、と?」
「……はい」

 群がっていた少女たちを教師権限で追い返し、静かに右拳を握る。ノックしようと扉にかざした時だった。音もなく、否、ぎいと錆びたちょうつがいの音を立てて扉が開いた。開けたのはもちろんシャルだ。部屋の中から見えない位置、死角に隠れるかのように壁に背を預けている。小さくベロも出していた。ああ……憎たらしいほど可愛らしいとはこの事か。

「「あ」」

 一夏と眼が合った。とろんと焦点定まらない目で、ゆっくりと俺を見たのはティナだった。肩に掛る程度に、荒く切りそろえられたボブカットの、金の髪がさらりと揺れる。なんというか、赤いレースの下着など、実物は初めてだ。ムービーかピクチャーデータでしかお目にかかったことが無い。白い肌と相まって艶めかしい。

「遅かったか?」と言ってみた。
「いや大丈夫」と一夏が答えた。

 一夏はティナの両脚に割り込むかの様うな体勢で、大きくも無いが小さくも無いティナの左胸を右手で変形させていた。我に返った一夏は慌ててこう言った。

「ティナ、わりい! 真が来たからまた今度な!」

 一夏は慌ててスウェットを着込むと、俺を部屋から引っ張り出した。罵声が聞こえてきたのはしばらく歩いてからだった。キス・マイ・アスだとかマザー・ファッカーだとか言われたくない類の言葉である。正直少し傷付いた。

 隣を歩く一夏は正気を取り戻そうと己の頬をぺしぺしと叩いている。香の香りも漂っていた。俺らの後ろに控えるシャルのものではない。移ったティナのものだろう。それにしても何と言うべきか、清香に続いて2人目である。一夏を取り巻く少女たちの姿を思い浮かべれば……まだ続くに相違ない。未遂とはいえとっかえひっかえとは恐れ入る。立場上、咎めるべきだろうが、端から見ればラウラと同居状態の俺が強く言えるはずもなく。なにより、彼女らがそれを分かった上で行為に至っているとしたら、要らぬ世話、それこそKYである。

「一夏。一応確認するが無計画なのは」
「大丈夫だって言ってた」
「理由を聞いたか?」
「聞けるわけ無いだろ。俺だって空気読むぜ」

 避妊薬でも持ち込んでいるのだろうか。

「ほら」
「さんきゅー」
「ありがとう」

 がらんとした食堂に場所を移し、2人にココアを手渡した。最近はめっきり涼しいのでホットだ。

 IS学園では歴史上見ても男性は年配の用務員一人のみ。性的交友な備品は存在しない、というより存在する必要が無いのである。付け加えれば、国際的な学園ではあるが、ベースとなったのが日本の女子校なのでそう言ったことに寛容が無い。確か規約で持ち込みは禁じられているはずだ。公序風俗に云々……ほとほと俺らが如何に特異なのかが分かろうものだ。因みに。最も近い町までは山が続き、女の園に忍び込む不逞の輩も殆ど無い。稀に居るらしいが張り巡らされたセンサーで直ぐご用となる。

「聞かなくても察しは付くだろう」
「何の話だ?」
「大丈夫って奴だ」
「妙にこだわるんだな」

 ニヤニヤ一夏であった。

「立場があるんだよ。立場上聞いている」
「嘘つけ、興味本位だろ」

 失敬な事を言う奴である。

「あのな。興味本位なら先になんでだって聞く」
「なんで?」
「どういう経緯でああなったんだ?」
「いやそれが、簪の件で深く傷付いたとか、誠意を見せてくれとか」
「それでか」
「それで?」
「触ってたじゃないか……こう」

 俺が自分の右手をわにわにと動かすと一夏は両手をわにわにとさせた。

「「でへー」」

 締まりの無い顔をする一夏。俺もきっとそうだろう。

「ねえ二人とも。僕のこと忘れてるよね」

 怖かったから、シャルの顔は確認しなかった。


  ◆◆◆


 その日のお勤めも終わり、自室で翌日の授業の内容をラウラと読み合わせをしている頃である。一夏が部屋にやって来た。りんりんと秋虫の合唱に混じってやって来た。学園にも夜の帳が落ちて、照明のみがぽつんぽつんと立っている午後の9時。そんな頃だ。

 初めは追い返そうとした。やむなき理由を除き、午後9時以降の外出は控えること。簡単に言えば寮の外に出るなと言う規約があるからだ。そうしたら、シャルが怒って部屋に居づらいと一夏が言うのである。なんというか、新鮮なシチュエーションだ。妻が怒って友人宅に逃げ込んだ……と見えなくも無い。

「真、シャルが怒っているのはお前にも原因があるんだ」 とは一夏の弁。

 まあ。男同士だし、こう言うのも良いかと迎え入れた。ところが。部屋に入った一夏はきょろきょろと落ち着かない。俺はどうしたと聞いた。

「前来た時と随分ちがうな」

 部屋内に置かれた家具が気になっているようだった。一夏はソファーではなくラグ(カーペット)の上に腰掛けた。

 一夏が以前来た時、ベッド2つと備え付けの洋服ダンスぐらいしかなかった。どうして学生寮と異なりさっぱりしているのか、そう山田先生に聞いた事がある。曰く、自分の住処は自分で作るモノですよ、だそうだ。お陰でしばらくラウラとカタログをにらめっこしたのは、ここだけの秘密である。

 もっとも。最初でこそ戸惑っていたラウラだったが、瞬く間に慣れて、蓋を開ければ彼女が大半を決めた。木製の、開き扉のワードローブ(洋服ダンス)、朱色地に白い折り込みの入ったソファーに、ガラスのローテーブル。白い壁天井に対し、暖色系の家具がアクセントになっている。

 当初落ち着かないのではと危惧したが、そんな事は無かった。朝は清潔感があり気が引き締まる。夜は照明の明かりが淡く広がりリラックス出来る。良い具合で心地が良かった。

「ラウラが殆どを決めてさ、俺はお金だけ出した。最初は良いと思ったけれど俺の意向を受け居られなかったのは不服だったんだ。もう慣れたけれど」
「……意外だな。ドイツの冷水って呼ばれてたんだろ?」
「一夏もそう思うか。初めて会った頃が嘘のようだよな」

「意外とは失敬な」ラウラがお盆を手にやって来た。

 彼女はグレーのワンピースを着ていた。全身ゆったり調だが、腰と裾をレースで締めてあしらい上品な印象を醸し出していた。眼帯さえ無ければ何処ぞのお嬢様である。

「私とて成長ぐらいする」
「何だかんだ言って15歳の女の子だもんな、すまね」
「ふん……ココアで良いな?」
「おう」

 ラウラは一夏にマグカップを手渡すと、染めた頬を隠すようにキッチンへ戻っていった。程なくしてかちゃかちゃと皿を洗う音がする。

「「……」」

 何故か沈黙がいたたまれない。堪らず出されたココアをぐびと飲んだ。熱いカカオの香りが喉を通り過ぎる。

「なんだこの空気っていうか雰囲気」ジト目の一夏だった。
「なんだとはなんだ」
「どう見ても新婚の、新妻じゃねーか」
「見た事あるのか」
「ないけどさ、映画で良くあるだろ。エプロンしてるし率先して家事やってるし」
「俺がやろうとすると追い出されるんだ。片腕だと邪魔だって」

 高性能な義手は水に濡れても壊れはしないが、衛生的に難ありだ。滅菌するにしても手間が掛るのでどうしても片腕となる。

「ふーん」
「まあ、元々手際は良いしディアナさんに色々教わってるみたいだし……な」
「ほんとーにラウラとはなんでもないのか?」
「なんでもない、というか世話にはなってるけど。そういうのじゃない」
「ふーん」
「言いたいことははっきり言うんだ」
「いや、よ。考えていないとか、無理とか言っておいて何だかんだ上手くやってるなーと」
「いやだから」
「女の子の世話になっておいて何でも無いとか、もう俺恥ずかしくて首釣っちゃう」
「お前が言うな」
「何でも無いとか言わねーし」
「男女関係は色々だっ、そもそもラウラにその気がないんだ憶測で物を語るのはやめろ」
「なら誰ならいい。箒ともセシリアともあれっきりなんだろ?」
「友情をはぐくんでいると言ってくれ」
「千冬ねえとリーブス先生は?」

 苦虫をかみつぶしたような一夏である。

「特に変わりは無い」
「おまえさー、年齢を、置かれた身の上を言い訳にしてないか?」
「無茶言うなよ、そうそう割り切りは出来ない」
「じゃあどうするんだよ? 何時その気になるんだ?」
「その時になってみないと分からないさ」
「その時って何時だよ」
「さあな。今の身体で20歳の時か30歳の時か、前と同じ35の時かもしれないし、何とも言えん」
「……あの人に義理立てしてるとかないだろうな」

 あの人とはフランスで数週間一緒だった人の事だろう。耳に掛る程度の金髪で、狐顔。背が高く何時も見上げて話した。後にも先にもあんな女性は初めてだった。思い出が脳裏を駆け抜けた。言いすぎたと思ったのか、一夏は済まなさそうにこう言った。

「すまねえ、言い過ぎた」
「時々こう言う話をするけれど、今日はいつになくこだわるな。なにかあったのか?」
「いや、最近よく考えるんだよ。家族ってどう有るべきなのかとか」
「家族、ねえ。また年齢不相応の重いことを……って、お、お、おまえー」

 考えるだけでも恐ろしい推測に、カタカタとカップを持つ手が震えた。

「ちげえ! 妊娠なんてさせてねえよ! てゆーか昨日今日で分かるか!」
「……関係を持つなとは言わない。感情に起因するモノだからな。心を組みひしぐなんて大人の傲慢だ。けれど慎重にやってくれよ。そんな事になったらタブロイドの格好の的だ。大騒動だ」
「わーってるって、そこまで向こう見ずじゃねえ」

 だといいけれど。一夏は毎回押し切られているようだから不安だ。そうこう言っている内に一夏の女の子事情の話になり、どうしたら良いのかと問答し、会話の内容は何時しか変わっていった。弾がどうのこうの、ゲームがああだこうだ。こう言う会話の方が、幼稚かもしれないが気分が楽だ……家族、か。

 かって持とうとして失ってしまったモノ。ひょっとして俺は怖がっているのかもしれない。また失ったら……。

「何か言ったか?」
「何でもないよ、それより今度はビデオ・ゲームじゃ無くてチェスをやろう、リアルの駒も良いもんだぞ」

 何時しか夜は更けていた。



 ◆◆◆
ご無沙汰しております。今後頻繁な更新は難しそうです。ごめんなさい。

アニメ二期始まりましたねー。当初どうかと思った楯無さんの声ですが直ぐ慣れました。今では他にいい人が思いつかないぐらい良いです、おっぱいが。そうじゃない。

紆余曲折したテーマがようやく決まり次回はもう少し早めにお届け出来るかなーと自信なく宣言してまた次回。





[32237] 04-02改 紅椿(ブービー・トラップ)
Name: D1198◆2e0ee516 ID:56a7ebd2
Date: 2014/06/07 21:12
箒の様子が最近おかしい、そう噂で聞いた。

曰く、言葉数少なく。

曰く、表情少なく。

曰く、溜息が多い。

腕を組んで考える。口はへの字だ。

言われてみれば、あの端正な顔に影が掛っていた、様な気がする。ただ気をつけなければいけないのは箒はどちらかというと喜や楽の表情が苦手だ。圧倒的に怒哀が多い。静寐や本音に言わせるとちゃんと笑うそうだが、その表情思い出すことかなわず。

だから偶々そう言う虫の居所が悪い時を見ていただけではないか。そう思った。

「むう」

放っておけば収まろう、1度はそう思ったが気になったから探す事にした。問題解決は遅いほど手が付けられなくなる物なのだから。万が一事実ならば、友人や千冬に相談する必要がある。もしくはカウンセラーだ。もっとも、そこまで深刻とは考えたくは無い。

 そう思いながら学園を徘徊する。右や左へまた右へ。どうしたことだろうか、箒が居ない。アリーナ、ハンガー区画、寮に、道場、学習棟。立ち寄りそうな場所をあたってみたが、何処を探しても見当たらなかった。みやに探索させるも見つからない。ステルス・モードにしているらしい。

「はて、な」

 あちらこちら探してみたが影すら見付けられなかった。念のため、行く先々で女生徒に声を掛けてみたが返ってきた答えは“放課後は見ていない”だ。我ながら情けない。既に半年以上顔を合わせているというのに、居場所すら察せないとは。

 陽も沈み、街灯が灯り、いよいよ夜が訪れる。木枯らしが吹き、枯れ葉が渦を巻く。寒さが体温を容赦なく奪う、もう寮に戻っているかもしれない、そう思った時である。かさりと木の葉がなった。

 振り向いたその先に、本音が立っていた。落ち葉舞う林の中に立っていた。妙な沈黙が訪れる。間が持たなくなったのか、沈黙が苦痛になったのか、俺は

「妙なところで会うもんだな、こんな人気の無いところでどうした?」

 と切り出した。そうしたら本音は

「箒ちゃんを探しに来たんだね」

 そう静かに言った。見透かされたような本音の言葉。俺の心が揺らぐ。久しく忘れていた暴れる心だった。俺は取り繕うようにこう言った。

「誰かから聞いたのか?」
「遅いよまこと君。箒ちゃんはずっと苦しんでるのに」
「苦しむ?」
「まこと君はその理由を知っているはずだよ、知らないって言ったら怒るからね」

 紅椿のことを言っているらしい。もしくはトーナメントの結果のことだろう。

「その奥に居るんだな」
「早く会ってあげてね、そして元気付けて。まこと君しか出来ないから」

 本音はそれで良いのか、そう言う前に彼女は立ち去った。


◆◆◆


それでいいのか、か。我ながら酷い事を言おうとしたものだ。

 彼女に告白されたわけでは無いが、好意を持たれていることは知っていた。

 夕暮れに染まる海浜公園。

 箒が2人との仲を取り持とうとした時、俺は気づいた。

 その時俺はその上で知らない振りをした。

 いや、知った上で何もしなかった。

 自己否定故に。

 その結果、真意は不明だが彼女らは俺から退いた。

 結果として2人の少女を傷つけた。

 では今はどうだろう。

 少なくとも箒に好意を持たれていると知っている。


 “ただ側に居られれば”


 彼女から見れば精一杯の、しかも二度目の告白だ。

 この竹藪の先、悲嘆に暮れているだろう箒に有って俺は何が出来るのだろう。

 励ますことだろうか。

 トーナメントの結果ぐらい気にするな、これから上手になればいい。

 それとも叱咤か?

 何時までそうしているつもりだ、さっさと立ち上がれ、

 専用機を持つ者に立ち止まることなど許されない。

 どれもが適切なようで間違っている。

 前の俺は人生の半分を戦場で過ごした。

 恋愛などほど遠い生活だった。

 好きなった相手など千冬しか居ないし、マチルダとは最後の最後でだった。

 何が正しくて、何が適切なのか。

 今度こそ間違えずに済むのか。

 俺はどうしたらいい。

 まったく、36歳が聞いて呆れる。

 これでは一夏の方がよっぽど上だ。


 深淵と言っても良いほどの暗闇の中、俺はただ歩いていた。鈴虫の音も無く、梟の声もしない。耳が痛いほど静かな暗闇だった。

 闇に惑わず、歩む方向を逸しないのは辺りに生き物が居るからだ。竹に雑草に苔、地を這う動物たち。彼らの気配を感じればいかようにも道が分かる。地形が分かる。誰かが通った後ですら。

 空には雲がかかっていた。

 しばらく歩くと開けた場所に出た。バレーボールのコートほどの広さで、あちらこちらに竹の“なれの果て”がある。中央に居る主は人知れずここで真剣の鍛錬をしていたらしい。

「箒」

 そう言った時、彼女の肩がぴくりと触れた。雲が切れ月が顕れる。道着姿の彼女は背を向けたまま振り返ることは無かった。側に一振りの日本刀が落ちている。

「済まないが、一人にしてくれないか」

 さて、なにを伝えれば良いものか。皆が心配している、却下。風邪を引く、大却下。刀が錆びる、ありえない。叱咤激励、慰めに同情……暫しの沈黙の後、俺は腹を決めてこう言った。

「箒は良くやっているよ」

 ぴくりと揺れた箒の肩。それを合図に俺はこう続けた。

「紅椿を受け取ったのは学園祭前の9月の中旬だろ? まだ2ヶ月も経っていないじゃないか」
「……」
「釈迦に説法じゃ無いけれど焦りは禁物、ゆっくり行こう」
「お前は一月で一本取れると言っただろう」

 何故か態度が硬くなる。流れを見定める為このまま続けた。

「俺だって神様じゃないさ。外れることだってある」
「私は、私はだな、」

 彼女の言葉を聞かず、遮った。

「箒、訓練が思うようにいかなくて、もどかしいのは理解出来る。直実な箒のことだ、強くなれない自分だけでは無く、紅椿を作ってくれた姉さんや、セシリアの顔に泥を塗ったとか思っているんだろ?」
「……」
「俺だって箒ががんばってきたことは知っているし。皆だって知ってる。だからと言って一人で抱え込んでいても何も変わらないぞ。一度皆を交えて相談しよう。だから今日は帰ってだな、」
「お前は、私がどうして欲しいのか分かって居るのか」
「? 紅椿が上手く使えてない、セシリアの足を引っ張った、だから強くなりたい」
「それだけなのか。それだけしか言ってくれないのか」
「箒?」

 ふらりと立ち上がると、箒は眼を伏せたまま「これでは前のお前の方が良かったな……済まない、失礼する」といって立ち去った。ごうと冷たい風が吹く。どうやら俺は間違えたらしい。頭上に浮かび上がる蒼い月、美しいはずのそれは何故か俺を嘲笑しているように見えた。


◆◆◆


 後日、箒の部屋に様子を覗い行ってみた。同室の静寐曰く「会いたくないって」 翌日。早朝偶然を装い行ってみた。「……」無視された。授業中指導に乗じて話掛けた。「……」逃げられた。昼食時は業務の都合上手を離せなかったので、放課後再び部屋を訪れた。「帰れって」取り付く島もなしにけり。

 むうと唸り腕を組む。困ったことになった。今までであれば謝り倒し、それで駄目なら甘い物を贈呈する、デートに誘うで何とかなったのだが今回は勝手が異なる。まともに取り合ってくれないだけでなく泣いていたという噂すら耳にした。

「本気で怒っているって事か」

 しかしどうしたものだろう。これは手に負える問題だろうか、負えない問題だろうか。まあ負えなかったとしても、どうにもならないのだが。端から見れば痴話喧嘩と見える、他の職員に相談すればどうなるか分かったものではない。組んだ腕を頭の後ろ。上肢を逸らせ空を見る。見上げればまた月が浮かんでいた。

「月も俺を笑っておるわ」
「やっほー 元気してるー」

 楯無が現れた。夕焼けの中、右手を高く振り走り寄ってくる。別名ごめん待った? 走り。眩しい笑顔が憎たらしいほど忌々しい。文法乱れ。

「聞いたわよー またやったんですって?」

 彼女は図々しくもベンチの左隣に腰掛けた。

「なにもやっていない」
「またまた。あの超強気パラの篠ノ之さんを泣かしたって世界中で持ちきりよ」
「何もやっていないって、普通に話しただけだ。というか世界中ってなんだよ」
「普通に話しただけで泣かすなんて、よっぽどよね。もちろん話を誇張してるのよ」

 冗談ではないと俺は立ち上がった。また引っかき回されては事が更に難しくなる。

「済まないが楯無、今君に付き合うほど余裕がないんだ」
「あら冷たい」
「じゃ、また今度な」

 右手をひらひらと振り立ち去ろうとした矢先、背中から彼女はこう言った。

「あーら、そう言う態度とって良いのかしらね、せっかくこのたっちゃんが手助けしてあげようって言うのに」

 振り向くと扇をぽんぽんと頬に当てている。俺は驚きを隠せずこう言った。

「助ける?」
「そう」
「誰が?」
「私が」
「誰を?」
「真を」
「……」
「……」
「なにを企んでいる!?」
「失礼ね!」


 ◆◆◆


 少女たちを見上げ正座した。場所は第7ハンガー、この季節、特殊鋼板の上は寒さが骨身に染みる。

 楯無に罵倒された後、ずるずるとここに連れてこられた。そこに居たのは主である布仏姉妹。二人も事情を知っているようだ。右に本音左に楯無、二人に睨み下ろされ俺は仏頂面だ。虚さんはもくもくと紅椿の目視確認をしていた。

 楯無が言う。

「いい? どこかの誰かさんが先生という立場でしか接しなかったから彼女は傷付いたのよ。それを改めない内は何しても駄目」
「そうはいうもののだなあ」

 本音が言う。

「良いまこと君。女の子は兎さんなんだよ。構ってあげないと駄目なんだよ!」
「寂しいと死ぬ?」
「その究極魔法的な言い方はよしなさい」

 虚さんのツッコミ。本音は徐々に熱くなる。

「大体! まこと君から箒ちゃんに何かしてあげた!? してあげてないよね?!」
「デート」
「誘ったのは箒ちゃんからだよ!」
「スイーツ贈呈」
「怒らしただけ。しかも学園食堂だし!」
「訓練」
「セシリアちゃんのついでだ、よ、ね~」

 ぽかぽかと叩く本音を他所に虚さんがこう言った。

「良い?真。 立場もあるかも知れないけれど中途半端な優しさは残酷なだけよ。はっきりさせてあげなさい」
「よしわかった」
「「「分かってない!」」」

 はっきりと振ってこようとしたのが直ぐばれた。一体どうしろというのか。好きでも無いのに付き合えなんて無茶を言う。大体この3人は事情を知らないのだ。年の差は20だぞ。20歳、生まれた子供が成人するほどの年月の差がある。

 好きでも無い?

 50と30ならまだしも、箒はまだ16歳だ。先に覚えることが山ほどある。人生これからだ。

 誰が好きでも無いと言った。

 俺となんて余りにもノーフューチャーではないか。輝かしい若者の将来を憂えばこそ―

 ならお前は何故箒の好意を受けている。

 俺は言葉を失った。

 きまっている。

 それは心地が良いから。

 嬉しいから。

「大体! 黒髪ポニテの巫女さんで、料理が上手で、古風で、おっぱいも大きいのに何が不満なの!」
「楯無お嬢様~ 箒ちゃんをパーツで語らないで下さい~ ってまこと君何処行くの?! 話は終わってないよっ」

 そうだ。人生ギブアンドテイク。与えられたら与えよう。俺は半分大人だ。“好きだ”という言葉で返すことは難しいけれど、俺ができる、俺にしか出来ない好意の返し方はあるはずだ。俺は“右”の袖をめくり紅椿へ真っ直ぐ向かった。こいつは、学園教師としてあるまじき行為だ。後であの2人に大目玉を食らうだろう、だからやる。それが俺の誠意。

「虚さん、これから紅椿を触ります」

 奇行に見えただろう俺の様子を覗っていた二人は、直ぐさま察したようである。

「本音、第1ハンガーに行ってスペクトル・アナライザーを借りてらっしゃい」
「え、なんで?」
「測定に使うからに決まっているでしょう。急ぎなさい」
「えあ、うん。わかった」

 とたとたと駆けだしていく背後の気配。帰れと言ったら、駄々をこねたかこっそり覗いたかもしれない。流石虚さんである。いや、お姉さんとするべきか。

「本音の足なら往復10分ってところかな。いいのね?」

 楯無の確認に俺は無言で頷いた。虚さんはタブレットに指を走らせた。天井やIS用ベッドに固定された多連ロボットアームが起動、振動や光子、重力子を測定する多目的センサーが起動した。紅椿は依然沈黙している。

「カウントダウン開始、10,9,8……」

 大袈裟なと楯無は笑った。俺も釣られた。存外真面目なのは虚さんである。

「大袈裟ではありませんよ、有史以来の事になるかも知れません、3,2,1」

 触れた。

 右腕に蒼銀色の光りが迸る。その瞬間紅椿が俺に返事をした。箒以外を決して認めず、学園が総出をもってしても解析出来なかった紅椿が俺に応えた。紅椿のセンサーを経由して虚さんと楯無が唖然としているのが見て取れる。予想はしていても実際に目の当たりにすると勝手が異なるのだろう。

 アクセス。まずは基本デバイスを一通り見る……航行システムや慣性制御システム、兵装制御、ずらっと並べられた紅椿のスペック。最大速度は時速8,500キロメートルで、音速の約9倍。最大加速度は50Gと第2形態の白式と比較して加速は劣るものの最大速度は圧倒的に上回る。

 兵装は、ビット2機に刀剣二振り、銘は雨月に空裂。雨月はレーザー射撃が、空裂はエネルギー刃の放出が可能、この二振りにより一体多数の中距離戦闘が行える……それに加えて、えーとなになに? 即時万能対応能力の展開装甲を搭載しオールレンジ戦闘が可能で、エネルギーを増幅し僚機に伝達出来る絢爛舞踏に、自己進化能力の無段階移行システムって、展開装甲だけでも恐ろしいというのになんだこれは。

「ちょっと大丈夫?」 楯無だった。
「なにが?」
「顔色悪いわよ」
「だろうな」
「説明をしてほしいのだけれど」
「あとで」

 今はこちらが先決だ。感じた寒気を振り払い、気を引き締め直す。どこからどう見ても現行機を遙かに上回るスペックだ。圧倒的威力の兵装にそれを支える無限のエネルギーシステム、隙が無い。流石第4世代来というべきか、流石篠ノ之博士と言うべきか。あの人は妹にこんな物を与えたのか。これがばれたら箒は紅椿共々帰属を巡って、各国の諍いの原因になるぞ。まったく、幾ら妹がかわいいとしても程度があろうに。今度会ったら苦言を言ってやろう。

 そう思いながら紅椿を走査していると二つのデバイスを発見した。二つは完全に紅椿から切り離されていて紅椿も今初めて知ったという。電脳空間に浮かぶ“UnKnown”と記されたグレーの石棺。俺は躊躇した。あの篠ノ之束が拵えた謎である。迂闊に触ろうものなら噛みつかれかねない。

 しばらく迷った後、俺は左の石棺に手を掛けた。探索、多次元封印(アルカ・トラズ)が施されていると判明。手を強く押し当てた。意識を集中、解析……完了。開封。なんというか、我ながら出鱈目である。ぎいと耳に障る音を立て表れたものは、

「だいせいかーい!」

 小さい篠ノ之束だった。なんというかデフォルメ的な。2頭身の。

「なんだこれ」
「いやもうこうもあっさり解かれるなんてびっくりさ。アルカ・トラズは量子効果を利用したセキリュティなのに。束さん自信喪失だよ、略して自走。これは走る、自信が走っちゃってどっかいっちゃったよ、もー」

 いら。

「はうあ! いけないいけない! 自己紹介がまだだったね! 私は篠ノ之束! 天が轟く地が叫ぶ! 有史以来の大天才! らぶりーたばねんとは私のことさ!」

 いらいら。

「おおっと、容量が少ないから手短に済ませるよ。流石に容量ぎりぎりでねー ごめんぴー」

 いらいらいら。

「君も知っての通りこの紅椿には隠し機能がある。それは重力子を応用した仮想足場。私は天使の羽根って呼んでいるけれど、その名の通り空中で“歩く”ための機能さ。箒ちゃんみたいに長らく武術を学んだ人にとっては超絶有効だよね。凄いよねー ぶいぶい。え? なんだって? どうして最初から使えるようにしておかなかったのか? ちちち。分かってないね。敢えて封印しておいたのは直ぐ使えないようにする為さ。ほら、箒ちゃんってあれで案外調子に乗りやすい、って言うより直ぐ周りが見えなくなるから少しは苦労しないと。まあお節介ながらも姉心と言うところかな。本当はもちょっと苦労して貰う予定だったんだけどまあ良いや。最近苦労を通り越して辛そうだったからね。程よく程よく」

 少々意外だった。俺はてっきり妹に、“自分が考えるように好かれる”としか考えていないと思っていたからだ。意外とバランス感覚を持っているようだ。

「これで箒ちゃんは他の連中に圧倒出来るようになるよ。今までの訓練で紅椿の基本はもう学んだからね。これから自分の剣技と上手く昇華させるだけさ。時間の問題だね。そうそう知ってたかな? 箒ちゃんはIS適正Sだからね。学園のデータは私が書き換えておいたのさ。君も知らなかっただろ? まー直ぐアレテーに弾かれちゃったんだけどね」

 ……つまり、学園にハッキングしたことがある、と言いたい訳か。はん。わざわざ白状痛み入る。今まで確信は持てなかったが学年別トーナメントの無人機、ナノマシンの巨人、福音と過去3回にわたる重要参考人になったわけだ。この手の人間が分からないことを放置するわけがない。なによりこれだけの大逸れたこと出来る人物はそうそう居ないだろう。

「おおっと。話が逸れたね。時間が無いからそろそろお別れだよ……君は箒ちゃんに近い存在のようだ。姉としてはまーったく応援出来ないんだけど、科学者としては非常に歓迎するよ。非常に強い興味を持つよ。なにせ機械を自在に操ることができるのだから、性能ですら」

 心臓が打鳴った。痛むほどだ。なんだ、何を言っている。今見ているこれは、

「今の君の疑問に答えよう。これは再生機ではないよ。人工知能でも無い。れっきとした通信機さ。データロガー付きの、素粒子を利用した、ね。つまり君は今、“私と話してる”」

「な」
「いいねその呆気に取られた顔。臨海学校での借りは返したってところかな。さて、独立しているはずのこの通信機も徐々に君の支配下に移っている。怖い二人も迫っているようだし、一旦ここでお別れだね。天使の羽根は右の石棺に入っているからくれぐれも妹に渡してくれよ。それではまた会おう蒼月真君。いやマシン・マスタリー(機械上位者)」

 通信が途切れ、電脳空間に静けさが戻る。俺は握り手と顎を噛みしめた。

 や、やられた……!



[32237] 04-03改 遺跡(ゲートストーン)
Name: D1198◆2e0ee516 ID:56a7ebd2
Date: 2014/06/07 21:13
 篠ノ之束との通信が終わった後、スーツ姿の千冬とディアナが血相変えてやって来た。2人は俺らを見ると事情を察した様で、虚さんと楯無に機密保護と自室待機を命じた。俺には紅椿を待機状態に戻すよう命じ、事情聴取だといって連行した。

 千冬に紅椿を渡したとき「お前の起こす騒ぎは一見静かだが大事だ……昔から」と言われた。

 意図したわけじゃない、確信犯ならこのまま投獄だ。語尾は違っているけれど、昔懐かしいやりとり。気恥ずかしい沈黙が訪れる。明後日の方向を見つめながら髪を掻き上げる千冬を見ていると「さあ蒼月先生、生徒指導室までいきますよ」とディアナが苛立たしさを隠さずに言った。

 首に糸が絡み、ひっぱらられた。ぐるぐる巻きだ。こう言う場合首ではなく手首が適当です、それに誰かに見られると事ですと言ったら「脈絡もなく良い雰囲気になるからよ、いい気味だわ」となんとも穏やかでない。

 道すがら篠ノ之束と通信をしたと言った。だから駆けつけたのだとディアナは言った。

「もっと早く確認しておけば良かったな、2人は俺の能力のこと知っていたんだろ?」
「その話をすると必ず突っ込んだ話になるから、な。だが結局先送りでしかなかった。事態の悪化を招いてしまったのは私のミスだ」

 千冬の口調が堅い。責任感の強い千冬のことだ、己を責めているのだろう。だがここで一つ疑問がわく。確かに篠ノ之束に俺の事が露呈した。問題と言えば問題だろうがそれほどだろうか。篠ノ之束と言えば個人を認識出来ないほど他人に無関心と聞く。ならば大々的に公表するとは考えにくい。

「確かに俺のミスだけれど、それ程大事か? そもそも千冬は篠ノ之束と仲が良いんだろ? 他言無用と頼めないのか?」

 何気ない、深い意味の無い俺の問い掛け。てっきりその手があったと笑い話になるのかと思った。だが千冬は無言で首を振った。

「篠ノ之束とは袂を分かっている」

 重苦しい気配に俺はそれ以上聞くことが出来なかった。

 しばらく歩いて昔懐かしい生徒指導室の扉をくぐる。教職の身になってもこの部屋にやってくるとは、情けないやら不甲斐ないやら色々判断に困る。後から聞いた話だが、教員にとってここは説教室になるらしい。何故知っているかというと、山田先生から聞いた訳だが、その山田先生に何故知っているのかと問うたら、秘密ですと乾いた笑いで返された。つまりはそう言う事だ。

 ぎしり、とソファーが音を立てた。向かって右の千冬は何時もの様に腕と足を組んでいた。とんとんと指でリズムを刻んでいる。苛立ちよりは当惑しているらしい。左のディアナはやはり何時もの様に足を揃え、両手は膝の上、姿勢正しく座っていた。ただ瞳は鋭く光っている。当惑よりは苛立っているようだ。話の口を切ったのはディアナだった。

「概要で良いわ、まずは何があったのか、なにをしでかしたのか話しなさい」
「先に質問は?」
「却下よ」
「……了解。紅椿に触ったんだ」

 2人の眉がぴくりと動いた。

「2人は知っているようだけれど、俺は触れた機械を自由に操れるという少々変わった力を持っている。それで紅椿に触った。目的は紅椿の調査とセキリュティの解除。そうしたら紅椿も知らない2つのデバイスがあってね、他にめぼしいデバイスがなかったものだからそれを解析・解除したんだ。そうしたら1つは重力子を用いた空を歩く機能で、もう1つは素粒子を利用した測定器兼通信機だった。それは紅椿の状態をモニターしていて逐一データを月に送っていた。つまり俺が機械に触るとどうなるか、それが篠ノ之束にバレた。ブービー・トラップだったというわけさ……なにか質問は?」
「何故触ろうと思った? 篠ノ之束が何らかの企みをしていると疑っていたのだろう? 慎重なお前らしくない」
「どうせ箒のご機嫌取りでしょ? 浅ましいわ」
「ほう、私たちに追求されるより小娘を選んだというのかお前は」
「何よりも君の笑顔を見たかった、とか言うつもりだったんだわ」
「「……」」

 徐々に険悪に、道が逸れ始めた。俺は慌ててこう言った。

「ちょい待ち! 知り合いが辛そうにしていたらどうにかしたいと思うのが普通じゃないか。2人はそれを否定するのか?」
「「……」」

 浮かび上がった腰を2人がトスンと落とす。首の皮一枚で繋がったと、心中で汗を拭った時だった。その時だった。顔面に痛みが走る。右の頬を千冬に、左の耳をディアナに引っ張られた。

「いふぁい、いふぁい」
「何時の間にか口が随分と達者になったなお前は」
「下心が無かったとは言わせないわよ」

 ばれていた。


 ◆◆◆


 散々抓られ引っ張られ、説教された後の事だ。一息付くかと3人でコーヒーを飲み始めた。話題は色々だった。仕事のこと、上司の愚痴、後輩のドジ。おやっさんの話。一夏を初めとした生徒の状態など。俺は教師だがまだ16歳だ。公私は分けられているとは言え、皆の対応は同級生のそれに近い。私たちから見えないこともあるだろうと色々話し合った。

 激動だった一学期。一夏と俺を中心にした影響は大きなうねりとなって皆を巻き込んだ。千冬ら教師らはそれの悪影響を心配していたらしいが取り越し苦労だったらしい。それどころか逆に精神の成熟を促した。怪我の功名という奴である、いや、災い転じて福と成すだろうか。そう言われれば、落ち着いた娘が、大人っぽくなった娘が急激に増えている気がする。

「夏休みを境に変わるなんて普通の高校みたいね」 とはディアナの弁。
「二人を取り巻くのに特に多い、これでは異性交遊も一概に馬鹿に出来ないな」 とは千冬の弁。

 2人の言葉を契機に俺は昔を思い出した。まだ一夏も箒らも居なかった頃の話。俺は会社員でナベさんに連れられて学園の皆と共に過ごしていた。

 つるを伝うかのように記憶を遡ると、銀髪の少女が一人立っていた。風にたなびく白銀の髪。一見鋭い表情だが、人情に溢れていて、とても煌めいていた。眩しく見えた。今思うと、今でこそ分かるのだが彼女は心から人生を楽しんでいた。だからこそ当時の俺は彼女を慕ったのだろう。羨望故に。

 手元のカップに波紋が立つ。俺はそれをじっと見たあとこんな事を聞いてみた。

「貴子さん、黒之上貴子さんが学園祭の来たけれど、結局何しに来たんだ?」
「機密だ」 これは千冬。ぐびとコーヒーを飲んだ。
「何を言い出すかと思えば、また小娘の話?」 これはディアナ。とても不愉快そうだ。
「仕方ないだろ、“こっちに”来てからもっとも影響を受けた一人なんだから」
「私も聞いて良いかしら?」
「どうぞ」
「真のその能力、何時気がついたの?」
「確信を持ったのは福音戦の後かな。一夏と合流してリターンマッチを挑む直前、みやが俺に話掛けたんだ。言葉じゃなくて明確な意識といったものだったけれども。ISに意識があると言うのは言われていたことだけど、あれほど明確だったとは思いも寄らなかったからぴんときたんだ。それ以前に触れていた機械、銃や加工機、カーチェイス時の自動車といった事例もあったから、驚きはしなかった、そう言う事かと腑に落ちた感じ。ディアナの糸繰りに、千冬の慣性力制御はやっぱりそれ?」

 二人は黙って頷いた。最初はディアナ。

「私のは正確には波、振動なのだけれど」
「ひょっとして物質を砕ける?」
「固有振動測定、その後粉砕、ツー・インスタントで出来るわよ。一度でも経験がある物質ならワン・インスタント」

 おっかない。次は千冬。

「身体に触れるあらゆる物理エネルギーをキャンセル(打ち消し)できる。瞬間的だがな」

 なるほど。IS用の大剣を振り回したり、銃弾を受けても平気なのはそれか。ん? ちょっとまて、と恐ろしい仮説が頭をよぎった。俺は慌ててこう言った。

「ひょっとして光も止められるのか?」

 仮に可能なら膨大なエネルギーを発生させることができる。高速で蠢いている光子を停止させると等価のエネルギーが発生するはずだ。逆説的だが停止したという事象のつじつま合わせの為エネルギーが生じる。つまりはエネルギー保存の法則というわけだ。そしてその規模は戦術ではなく戦略級になるだろう。

「私は光がどういった物か、その理解がないから出来ない。波だ粒子だと言われてもさっぱりでな。篠ノ之束も残念がっていた」
「千冬の場合は、イナーシャルをキャンセルする、その瞬間を捕えられる常識外れの反射速度が重要よね。これが無ければタイミングが取れないもの」

 並外れた反応速度と聞いて一夏を連想した。ここで1つの仮説が浮かぶ。一夏がこの世界の英雄だとすれば、血を分けた姉弟である千冬にその影響があってもおかしくは無い。準英雄と言ったところか。ならばあのMは? あの力が二人と同質なものだとして、千冬によく似ている……喉まで出かかった問いを無理矢理飲み込んだ。

「千冬そろそろ良いわね?」
「仕方なかろう」

 何のことだと2人を見た。ゆっくりと立ち上がったディアナは俺を見下ろしこう言った。

「見て貰いたい物があるの」


 薄暗い学園本棟の廊下を歩く。かつんこつんと音が響いた。学園の中心に位置するここは、一見、職員室や医務室、資料室といった一般的な学校にある施設に見えるが、一度皮をめくれば強固なセキリュティを誇る要塞だ。事実、本棟の中央へ向かう扉を2つも潜れば、外部の音が気配が聞き取れないほど静まりかえっていた。分厚いコンクリートや鋼板に覆われている証拠だろう。

 千冬が機械式の扉の前に立った。脇にあるコンソールに手を掛ける。カードを通す。指紋、網膜パターン照合、パスワード入力。重厚な機械音が鳴った。厚さ50センチはあろうかという扉がギリギリと開くとその先にエレベーターがあった。

 天井に埋め込まれた監視カメラ、それをちらりと見ると俺は「随分と奥にあるんだな」と言った。

「ここは学園の中枢にいたる道だ。それに応じてセキリュティも強固になっている。もっともどこかの誰かさんの手に掛れば意味が無いのだがな」と千冬が意地悪く言う。「これで少しはその力の意味分かって頂けたかしら?」ディアナも意地が悪い。

 エレベータに乗るとまたセキリュティ。ヴンと鈍い音を立ててエレベータが降りる。頭上の表示灯には点が2つ。止まるフロアは2つしか無いらしい。最上の階と最下の階だ。

「どれだけ潜る?」と独り言のように言うと「地下100m」と千冬が答えた。「こんな地の底に何がある」この問いに答えたのは扉だった。電子音が鳴り、扉が開く。痛みを感じるほどの沈黙した世界。完全な暗闇と言って良い世界の先に、耳を澄ませば微かな気配が感じ取れた。何かがそこに有った。

 一歩脚を進めると、照明が灯った。眩む程つよい白い明かりのその先に、紫色の何かが見えた。そこは円筒形の部屋で、無機質と言って良いほど一様な、のっぺりした作りだった。部屋の天井に円筒配列された照明があり、その照明は部屋の中央を真っ直ぐ照らしていた。

 目が慣れる。

 そこにあったものは紫色の、半透明の、六角柱の物体だった。根元は岩石と一体化していて、普通の岩にも見えた。そこから細かい幾多の結晶があちらこちらに伸びていた。その一際大きい、紫色の結晶が高く伸びていた。まるで天を突かんばかりに聳える摩天楼の超高層ビルのようだった。

「これは、巨大な紫水晶の様なものはなんだ? 鉱物なのか? いや人工物に見える」

 俺は早口にまくし立てた。千冬が言った。

「古の昔から篠ノ之神社には不思議な言い伝えがあってな」
「篠ノ之神社とこれがどう関係する」
「まあ聞け。例えば鬼の伝説がある。大体500年ほど前の話だ。その鬼は背が高く鼻が大きく、髪は金色で目が青かった。日本語では無い言葉を話すその鬼は、風貌に似合わず穏やかで村人と仲良くなった。だが故郷が懐かしいのか、時折海を眺めながら、不思議な詩を詠った。当時の書物にはこう書かれている、うぃー・おーる・りう゛・いな・いえろー・さぶまりん……どうおもう?」
「……うそだろ? なぜ500年以上前の人間が、数十年前のビートルズを知っている」
「それだけでは無い。同じ背が高く全身真っ黒の鬼は不思議な絵をもたらした。それには白い石で出来た透明の枠を持つ、山より高い建物があって中に人が住んでいた。空には鳥より大きな翼を持つ、まるで飛行機のような物が大勢の人を乗せて海を越えた。

 白い肌を持つ女鬼の伝説もある。彼女は薬草に秀でていて、多くの村人の病を癒やしたそうだ。当時の資料から再現したものの中には塩分やミネラルを含んだスポーツドリンクそっくりなものもあったらしい。髪は白金で今で言えばプラチナ・ブロンド、と言ったところか。篠ノ之神社の絵巻物にはそう言った話が事欠かない。そして神社の祠にこれが祭られていた」

 俺は目を丸くしてこの水晶構造物をみた。俺の世界は、ある時を境に一変した。前と後、よく似ているが決定的に違うこと。それは物理的な意味での貨幣が無かったり、携帯電話が無かったり、CDが無く音楽はデータでやりとりしていたり、ガソリンエンジンの自動車が禁止されていたりと多々ある。そしてもっとも異なる点、

「ISがある」ディアナが言った。

 振り向くと入り口の前に2人が立っていた。俺は自覚の無いまま歩み寄ったらしい。彼女は両肘に両手を添えながらゆっくりと歩いて言った。

「この石柱はフランスにもあったの。私が目覚めた時は15歳で記憶の無いままフランスの修道院に引き取られたわ。その書庫で私はISの事、白騎士赤騎士事件のことを知った。今でこそ受け入れたけれど当時は大変だったのよ。こんな物(IS)があるはずがないって、実在しているのに恥ずかし話よね、ま、若かったわ」
「フランスのその石はどうしたんだ?」
「これが諸悪の原因だって、警備の隙間をぬって切り刻んじゃった」

 おい。

「でも結局戻らなくてとても落胆したのよ。あの時の私を見せてやりたいわ」
「騒ぎにならなかったのか?」
「もちろん。もちろん、歴史的遺物が突然破損したって大騒ぎだった」

 舌を出してかわいく笑ってもだめだ。千冬が石柱に歩み寄り手を添えた。

「よく調べてみると世界中に似たような話が合ってな、いずれの場合にも鬼や妖精が石を通じて現れたという都市伝説や言い伝えがあった。大半の物は魔女裁判や異教遺物として破壊されたが、それでもいくつかは現在も残っている。これもそのうちの1つ。私たちは“ゲート・ストーン”と呼んでいる。真、これが私たちの通ってきた道だ」

 俺はその2メートルほどのそれを見上げた。ゲート・ストーン、千冬が通り俺が追いかけた道。こんな物があるなんて知らなかった。

「これがどの様なものか判明しているのか?」
「何らかの情報処理能力を有する透明な結晶体と言う事以外何も分かっていない。ただ一つこれが出土した地層から一万年以上昔と言う事が分かっている。識者の話では恐らく先史文明の遺産だということだ」
「政府筋も知っているのか?」
「日本政府は、存在は知っている。だがここにあることは知らない」
「学園を建てた理由がこれか」
「更識家の協力の下にこれを極秘裏に移設した。そして恐らく、篠ノ之束が躍起になって探しているものだ」

「なぜ?」
「今をやり直す為、過去を正す為、この石にその力があるとアイツは確信している」



[32237] 04-04改 楽園(異能者たちが願った世界)
Name: D1198◆2e0ee516 ID:56a7ebd2
Date: 2014/06/07 21:14
静まりかえった、いや俺ら3人の鼓動だけが聞こえるこの部屋で俺は考えに耽っていた。腕を組んで、軽く握った右拳を顎にそえる。

 世界を渡る遺跡……か。

 記憶が戻ってからと言うものの、この世界は何か、俺らは何か、何度か思索してみたことはあった。空間や時間、世界と言った物がどういう構造になっているか知らないが、“壁”は相応に厚いはずだ。でなければ世界渡航者がうじゃうじゃしているはず。他所の世界の知識を使い、偉業や犯罪を成す人物が絶えないだろう。

 だが学園コンピューター・アレテーによるとそうでは無いらしい。注目される人物は皆この世界の法(システム)に沿っている。学者にしろ選手にしろ、生物が永きにわたり歩んできた進化に沿った物と言って良い。ディアナに千冬、そして俺が異常なのだ。

 俺は千冬に聞いた。

「篠ノ之束は世界渡航者なのか?」
「いや、アイツはこの世界の人物だ」
「何故言い切れる」
「篠ノ之束の能力は高度な知恵。異常と言っても良いほどのものだが、その能力の質は生物としての延長線上にある。私たちとは異なる」

 なるほど。篠ノ之束に最も近い千冬が言うならそうなのだろう。

「他にも渡航者がいるのか?」
「アレテーの調査によると他にもウォーカーはいるそうだ。めぼしい人物も分かっている」
「ウォーカー?」
「お前の言う世界渡航者のことだ」
「ふむ。確保なり保護なりしないのか?」

 政府転覆やクーデターを企てる人物が居てもおかしくは無い。ディアナが答えた。

「その必要が無いというべきかしら。そもそも異能を持つ可能性は低いのよ。実用に耐える物は更に稀。むかし超能力者を扱ったTVで、前世の記憶を持つと主張し、氷を直接水蒸気にする人物がでて世間を騒がした。自分は神に選ばれたものだと、ね。事実理由原因は不明で、まさに奇跡と言った内容だった。けれど。その力はそれ以上の意味を持たない事が分かってそのうちメディアにも世間にも忘れ去られたわ。私たちが異常なのよ」

「この議論はディアナとかって行った事がある」千冬は壁にもたれ掛かれ、腕と足を組んでいた。

「恐らくお前のせいだ」
「なんで」
「強い意志、精神力とはつまりエネルギーだ。願いを叶える力と言えばどれ程強い物か、察しが付くだろう。そしてそのエネルギーは他のエネルギーより順位が低い。程度が低いという意味では無い、根源に近いという意味だ。ディアナと私が死ぬ時、お前の心が強く揺れた……」

 心が揺さぶられた。あの時の記憶が蘇り鼓動が早くなる。気が遠くなる。暖かかった人が徐々に冷たくなり、動かなくなり、冷えた物体になってしまう、消え去ってしまう恐怖。絶望感。俺はディアナに起こされた。

「大丈夫?」とディアナが言った。彼女を見れば間近にあって、白い指が俺の額に触れていた。ひんやりとした感覚が心地よかった。だから「あ、ああ」と何とか返事をした。自分でも驚くほど掠れた声だった。「済まない。嫌なことをおもい出させた」千冬が眼を伏せていた。なにを恐れている、蒼月真。二人はこうして生きているだろう、お前が狂った理由は既に無い、もう大丈夫だ、そうだな?

「……千冬の仮説が事実だとするならば、他にも強力な異能者が居ると考えることが自然だ。他の人物は判明しているのか?」

 千冬はゆっくりと首を横に振った。

「そうか」
「真、ここに貴方を連れてきた理由はね、貴方のおかれている現実を肌で知って貰う為。きっと貴方ならこれを操作し、今を自由に変えられる。もし篠ノ之束が別のゲート・ストーンを見付けて制御出来ないという結論至ったとき真に対し何らかの要求を出すわ」
「俺が応じなければそれで済むだろう」
「間接的には別よ。例えば真の異能を公表すると脅す。もし公表されれば真は、機械文明の世界中から追われることになる。普通の生活はもう無理ね。例えば世界中の軍事施設をハッキングし学園を人質に取る、生徒の家族ですら……手段は幾らでもあるわ。篠ノ之束が能力の割に、世界への影響力が小さいのは他人に無関心だから。自分か極一部の身内の都合だけを考えてきたから。逆にもし必要となれば躊躇しないわね」

「分かった。今後は慎重に行動する」
「言質取ったわよ」
「無論だよ」
「まあ。篠ノ之束の動きが未だないのは彼女もまだ見付けてないのね、ゲート・ストーンを」
「先程、現存するものの一つと言ってたよな? と言う事は時間の問題じゃないのか」
「知りうる限りほかのGストーンは軍の、政府の管理下に置かれている。さらに外部ネットワークから遮断され、コンピューターシステム上存在していない。パルプで出来た書類だけよ。流石の篠ノ之博士も一筋縄ではいかないはずよ」
「アレテーはここにあるこれ知っているだろ」
「彼は特別」

 俺はディアナの発した“彼”という言葉をオウム返しに返した。何故なら人工知能は未だ開発されていないからだ。唯一の例外がISのみ。そのISにしても“子”扱いで彼、彼女とは言わない。だから違和を感じたわけだが、俺の疑問を察したのか彼女はくすくす笑いながらこう言った。

「アレテーには自我があるの、だから彼」
「……は?」

 千冬が「医務室の集中治療設備はアレテーに直結している。どこかの誰かさんを保護した時にそこに収容した」つまり俺の能力とは「機械進化がその本質さ」千冬が繋げた言葉に開いた口が塞がらない。

「以前お前のことが世間にバレた、その理由は不明と電話で言ったろ。それは学園を出たお前が私と、まあ、会いたいと、そう願った結果だ」

 千冬が頬を染めている。ディアナはぷうと頬を膨らませていた。

「私の預からないところでこっそりとね。千冬も良い性格しているわ」
「私から掛けたことは無い」
「応じたら一緒よ」
「大きな違いだ」
「一緒よ」
「違う」
「一緒」

 俺は成る程と腑に落ちた。恐らく、情報処理を有する機械ほどその効果が高いのだろう。今にして思えば、蒔岡機械にいたとき単純なスパナより測定器などの方がよく感じ取れたのがそれだ。タブレットもそう。察するに、能力がみやのコアに集中したのだろう。だから……

「……電話すら一度も貰えなかった、振られ女のひがみか? 見苦しい」
「前妻が言ってくれんじゃない……」
「離婚した覚えはない」
「死別なら同じよ」
「ディアナもそうだろうが」
「私は結婚してませんから」
「ならお邪魔女だ、さっさと身を引け」
「恋仲と言っているのよ」
「そう言うのを横恋慕と言う」
「……彼、黒色が好きだって知ってる?」
「……何が言いたい?」
「結婚までは駄目だって1回もしてないんですってね、真ったら可哀想」
「何故知っている?! まさか真が言ったのか!?」
「おほほ、過去は過去らしく過ぎ去りなさい!」

 荒れていた。

「黙れこの尻軽女」
「誰が尻軽よ!」
「ニコール・アマルリックとホテルに行っただろう! フランス人は温和しくフランス人と結婚してろ!」
「いやよ! 暇さえあれば口説く連中なんて! というかそれって人種差別!」

 目の前に修羅場があった。何というか、凄い。目を血走らせて互いに罵り合っていた。猛獣のにらみ合いというか、カンガルーの殴り合いか。このまま放置すると夢のカードが見られるのでは無いかと思ったが、下手に騒がれてゲート・ストーンが作動しても困るのでこう言った。

「入隊したての頃“そう言う会話を”して、察し付かれたんだよ。マデューカス曹長ってプードルみたいな奴がいてね、特にそういう下世話な話が好きなんだ。因みに男。あとディアナも挑発しない」

「どっちの味方よ!」
「どちらの味方だ!」
「大人げないぞ」

「はっきりしろ!」
「両天秤なんてみとめないわよ!」
「俺はセシ、」
「「認めない!」」

 どうしろと。


  ◆◆◆


 言い争う二人を宥め、落ち着きを見せた頃、今日はもういいと帰された。時計を見れば午後の7時。確か今日はラウラが夕飯を作る日だ。急いで帰らないといけない、そう足早に自宅に戻る。

 びゅうと木枯らしが吹いた。

 時は既に11月、日も落ちれば吹く風も骨身に染みる。そろそろセシリアの誕生日プレゼントを用意しないといけないな、そんな事を考えた。

 ほーほーと梟が鳴く。その鳴き声は穏やかだが、己の存在を示すように確固たる意志が感じられた。意思、己の欲求を満たす為の能動的な精神状態、意欲。

 俺は立ち止まるとほーほーをしばらく聞いた。そしてむうと腕を組み、口はへの字で首を傾げた。今置かれている状況は大体分かった。箒の方も新機能の件で落ち着くだろう、後は成り行き任せだ。問題は、これからどうするかである。ディアナと千冬はこちらで考えるとは言っていたものの、何もしないというわけには行かないのだ。プランを練って2人に相談、それが出来る事だろう。

 では何が出来るだろうか。俺の目的は居場所を、学園を守る事。直近の手段としては皆を鍛え、己を鍛えることだろう。それはそれで、いい。問題は中長期的な計画が無い事だ。学園を、ディアナや千冬、篠ノ之束に関する情報が余りにも少ない。

「篠ノ之束、か」

 思わず声に出た。目的には手段を選ばず、世界を引っかき回す大災厄。そしてほぼ1人でISを作り上げた有史稀に見る大天才。あの、最高傑作であるという白騎士赤騎士を作り上げた当の本人だ。今あるISは全てこの2機の劣化複製であるらしい。当の篠ノ之博士もこれ以降、これを越えるISを製作していない。恐らくあの紅椿ですらこの2機に及ばないだろう。もう作れないのか、敢えて作らないのか。

「真」

 背後から掛けられた俺を呼ぶ声に、振り返ると楯無が立っていた。やあと挨拶を返す。

「こってり絞られた?」
「お陰様でね」
「真は直ぐそう言う事言うわよね、意地が悪いというか捻くれているというか」
「育ちが悪いんだ、勘弁してくれ」
「そういえば真は“孤児院育ち”だったわね」

 思わせぶりな視線をちらと寄越す彼女。まあ、学園の暗部である更識家の当主なら知っているのだろう。俺は気にもとめずすたすたとその場を後にした。背後には続く楯無の気配。漂うのは少し強めの香と血の臭い。彼女ほどの人物なら、その手を血で汚したこともあるのだろう。彼女はからかうようにこう言った。

「傷付いた?」
「いや、血の匂いがする女性に縁があるのかな、そう思っただけ」

 一転彼女は押し黙る。

「済まない、配慮に欠いた」
「そう言う事は立ち止まって振り返って言うべきよ」
「俺は照れ屋なんだ、だからやらない」
「自分で言うかこいつ……」

 俺はくっくっくと喉を鳴らした。たちまち憮然とした彼女が居た。少し気分を害したかもしれない。俺は彼女が何か言う前に、手で制止こう言った。

「いや済まない、俺をこいつと呼ぶ女性が初めてだったんでね、思わず笑ってしまったんだ」

 きょとんとした彼女の表情は何故かとても魅力的に見えた。

「私だけ?」
「ああ。かって鈴が“アンタ”と呼んだけれど最近は真と呼ぶしな、学園では一夏ぐらいだ」
「ふうん、仲が良いのね。流石死線をかい潜った仲といった感じかしら」
「色々詳しいようだ……ところで外出して良いのか? 自室待機を命じられただろ?」
「先程解除されたわよ、虚ちゃんは紅椿を受け取りに職員室」
「手間掛けるな」
「ま、いいわ」

 ほーほーと鳴き声が響く仲俺らは特になにを発するわけでも無く、寮の方に向かった。

「なあ、楯無。君はどの程度知っている」
「なにが?」
「篠ノ之束と織斑千冬、そして一夏の事だ。過去に何があった」
「本人に聞けば良いじゃない」
「そうか、知っているのか」
「それは、まあ、ね」

 やはり口止めされているらしい。まったく、根回しは万全だ。

「ねえ真。人の過去を詮索するなんて良い趣味じゃないわよ」
「誤解のないようにしておきたいが、俺も興味本位じゃない。とある目的の為、そして3人に、いや俺に深く関わっているからなんだ。だから知りたい」
「……」
「いや、機密だとは知っているんだ。無理言って済まない」
「ねえ、真」
「なんだ」
「君は誰?」
「俺は今の俺である以上ない」
「誰にでも過去はあるわよ」
「俺の過去は完結しているんだよ。誰もがそうで在るように、今に繋がっていく過去。俺はそれを持っていない。だからこの学園に現れてから過ごした1年と8ヶ月、これが今の俺の全て。だから。今の君の問いにはこう答える。今君が見ている人物が蒼月真だ」
「そう、なんだ」

 街灯が柔らかい光を放つ分かれ道、俺は左を指さしこう言った。

「じゃ、おやすみ。俺こっちだから……じゃ」
「今から13年前よ、12歳の少女がISの基礎理論を発表した」
「楯無?」
「今から言う事は独り言だからツッコミは無効です……昔々天才と呼ばれた少女が2人、とある極東の島国に居ました。1人は黒髪を持つ尋常ならざる身体能力を持つ少女。もう1人はブルネットカラーの尋常ならざる知恵を持つ少女。

 この2人は尋常ならざる能力を持つ故に、調査検査され、好奇の視線に曝され、利用しようとする親戚の心ない態度に曝された。心ない人々に迫害もされた。お世辞にも子供らしい生活を送れなかった。あまりいい目に会わなかった。

 それから数年経ったあと、ブルネット・カラーの少女はある技術を開発・発表した。子供ながらどうにかしたいと純粋に願ったのね。でも純粋で有る故か、それは技術的にも有り様的にも、余りにも常識から外れていて、誰も相手にしなかった。何よりそれは世界を一変させる、良くも悪くも世界が変わってしまう、それ程のものだった。だから人々は恐れた。為政者は世論を操作し彼女にレッテルを貼った。彼女は無力感と絶望感の中、それはそのまま消え去る、その筈だった。

 ところがある組織がそれに目を付けた。その組織は研究の資金と環境を約束した。その少女は喜んだ、理解してくれる人が居たと言う事、居場所を作れることに」

「居場所?」

「異能を持つ者たちが安心して過ごせる居場所、少女が望んだ物は静かな夜が得られる家だった。その子は余りにも純粋だったのね、うまい話には裏があるそれに気づかなかった。それに気づかないまま15歳になった頃だったかな。2機の、白と赤の騎士を作り上げた。この2機は異能者たちを守ってくれるはずだった。

 だが赤い騎士は組織に奪われ、世界を統べる力として顕れた。世界の指導者たちに宣戦布告をした。そして戦争が起こった。戦闘といっても名ばかりで一方的な虐殺にしかならなかった。

 実際凄かったそうよ、アメリカやロシアを初めとした国連統合軍が壊滅したんだから。最新鋭のミサイル駆逐艦や原子力空母は沈み、戦闘機は空に散っていった。残った旧式の戦艦や駆逐艦に戦闘機、世界中から残った戦力を集結させ洋上の最終決戦を挑むそんな時だった。

 赤騎士は生みの親である少女に刃を向けた。同等の力を持つ騎士を作られては困るもの。当然よね。少女らを守っていた白騎士は赤騎士と戦闘を開始、激闘のすえ赤騎士は中破。守りながら戦った白騎士は大破。

 これが世に言う白騎士赤騎士事件の真実。

 赤騎士は姿を消し、白騎士はその後作られるISの礎となった。ISの威力を知った世界は手の平を返したようにISを受け入れた。いや受け入れざるを得なかった。それが今の世の中」

「その異能持ちの少女たちはどうした」
「黒髪の少女は責を問われる事こそなかったが極東の施設に閉じ込められた」
「それがIS学園か」彼女は静かに頷いた。

「ブルネットの少女はどうした?」
「騎士同士の戦闘時に怪我を負い長く眼を覚まさなかったようよ。ところがある日を境に病院からぱったり消えた。邪推だけれど、仲の良かった黒髪の少女が、偽りの楽園に閉じ込められているのが許せなかったのだとおもう」

 楯無の話す真実に俺は驚愕し、聞くべきでは無かったという後悔と今知っておいて良かったという安堵感に苛まれていた。篠ノ之束は単純な敵だと思っていた。自分の知識を世間に突き付けたいだけの困った奴。だが実際は誰もが欲する持てる家を望んだだけだったのだ。

「知っての通り今世に出回っている事件の真相は嘘でも無いけれど本当でもない、真実と嘘が入り交じっているお話だから信じちゃ駄目よ」
「楯無」
「なに?」
「俺の気にしすぎなら良いんだが、何故俺に構う? その独り言俺が知っても良いものではないだろう、君は知っているはずだ」
「そうみえる?」
「ああ。なによりこう言う時間があるほど暇ではないだろう君は」
「そう、君は私がわざわざ時間を割いていると考えているのね。意外だわ、結構自惚れ屋なんだ」
「……そうか、それなら良いんだ」

 彼女は数歩歩くと背を向けたままこう言った。

「理由は二つ。一つは簪ちゃんのこと忘れるほど私は礼儀知らずじゃないわよ……もう一つは内緒。それじゃお休みなさい」



[32237] 04-05改 亡国企業(ファントムタスク)
Name: D1198◆2e0ee516 ID:56a7ebd2
Date: 2014/06/07 21:14
 朝の職員室。教師とはいえ、皆が皆、全員女性である以上やっぱり姦しい。やれドラマを見たかとか、俳優がどうのとか。どこそこのケーキが美味しいとか、バッグのブランドとか、会話自体はさほど生徒と変わらない。強いて言えば、金銭的レベルが上と言うぐらいか。セシリアも金回りが良い方だが、同じ金回りの良い友人が居ないようで会話がズレると嘆いていた。ティナは軍人らしく堅実で、そもそも3組だ。実習授業でも会うことは無い。

 そうこう言っている内に、鐘が鳴り山田先生が職員室の前方にたった。本日は週一のIS会議の日である。教職員全員の意識向上のため授業が始まる前に行われていて、ローテーションを組み全員が発表する。世界動向、主にIS関連は活発でテーマに困ることは無い。

「……先日発表された防衛白書によると各国の軍事費、とりわけIS関連は増加の一途を辿っています。今までは軍備増強によるアメリカ対中国が主な摩擦の主役でしたが、最近はEU内でも同調が取れていません。先日イタリアのドゥカティ社がテスタメントRev2で発表した新型の航行システムですが、EU技術協定に反し未公開としたため、各国の反発が強まっています。イタリアは協定対象では無いというスタンスですが、イギリスとフランスが何らかの声明を発表するようです。以上発表を終わります。ご清聴ありがとうございました」

 山田先生が控え、姿勢を正す。すると教頭先生が壇上に立ち、見渡すとこう言った。

「今山田先生の発表にもあったとおり、ISを取り巻く政治、経済の動きは加速の一途だ。IS国際委員会の形骸化、弱体化もいよいよ現実の物となり、反社会組織がこの混乱に乗じる可能性も否定出来ない。動向に注意し極東の国だと楽観視せず、渦中にいるのだと肝に銘じ、絶えず警戒を怠らないようにしてほしい。以上、解散」

 職員室に喧噪が戻る。しかし会話の内容は発表の続きで皆真剣その物である。先日現れた、黒髪の少女M。彼女はファントム・タスクのメンバーである可能性が高い。教頭先生の言った反社会勢力とは恐らくそれのことだろう。むう、面倒なことになってきたものだ。

 敵は分かりやすいほど良い、姿の見えない敵では軍人ではなく刑事が担当だ。生憎と俺は刑事では無かった。

 コーヒーをすすり一息付いた。白いマグカップに納められたそれは波紋を刻んでいた。ちらり。書類越しの黒の人。彼女は手元の書類に目を通しているが、終始無言で眼を伏せている。聞くまでも無く機嫌が悪い、と言うより気落ちしているようだ。彼女が何か知っている事は間違いない。間違いないのだが……ちらり。対面に座る金の人は他の先生と話していた。“聞かないで欲しい”という彼女の願いを反故にするわけにも行くまい。つまり向こうから話してくれるまで待つしか無いというわけだ。

 ファントム・タスクにM、過去に何があった。

 自宅のソファーに腰掛け携帯端末を膝に乗せて起動。ネットの汎用検索サイトを開いた。待つしか無いとはいえ何もせずただ待つというのも信条に反する。放っておいてもいずれ連中と出くわす可能性が高い訳だし、できるだけのことはしておこうと再度調査をすることにした。

 ファントム・タスク。秘密結社の1つ。組織の目的や存在理由、規模など一切が不明。第2次世界大戦中に組織されたとされているが定かでは無い……ネットではこんなものか。秘密結社と一口に言っても、存在は知られているものの構成員の公募は行われていなかったり、存在自体知られていなかったりと秘匿レベルや規模など様々である。ファントム・タスクの場合殆ど知られていないクチらしい。

 以前シャルから聞いた話よると本拠地は欧州らしい、運営方針を決める幹部会と実働部隊の2つに分けられているらしい、政財界にも影響を持ち影から世界を動かしているらしい、らしい、らしい……結局のところよく分からない、と言うのが実情だ。少し考えてみればISが切り口になろうとは思う。高い軍事力を持つIS、連中が見過ごすはずは無く、事実Mも実際に使用している。学園が、IS黎明期を知る千冬が何かを知っているのは間違いないだろうが、

「その千冬に聞けないという訳だ……どうしたラウラ?」

 黒赤黄色のストライプ、ドイツ国旗をあしらったエプロン姿でむすっと立っていた。銀の髪は黒いリボンで結っていた。

「……夕飯が出来ました。片付かないから早くたべろ」
「ごちゃ混ぜになっているぞ」
「混ざっているのは真の方だろう。対応に苦慮するので蒼月で居てくれ」
「青崎でもあるんだけどな、そもそもどの様な理由で苦慮する?」
「16歳の格好で教官を呼び捨てにされると殺処分するべきかどうか」
「わかったわかった。分かったからコンバット・ナイフは仕舞ってくれ」

 ことことかちゃり。

 ドライトマトとバジルのカトフェルサラダ。エンドウ豆をふんだんに使ったスープ、エルプセンズーペ。ドイツのカツレツ、シュニッツェル。本格的なドイツ料理が目の前に並んでいた。時計を見ると夜の7時半。今日は早く終わったので6時上がり。約1時間半の短時間でよくもまあここまで作れるものだ。心から感心してしまう。しかもなかなかの美味ときた。

「何か言ったか?」
「いや、随分上手になったなって、さ。俺も簡単な物なら作れるのに、出る幕が無いな」
「真が作れるのはレトルトだろう。あれを料理とは言わん」
「そうざ、」
「出来合の物を乗せても同じだ」
「……上手なのは認めるよ」
「なんだその遠回しな言い方は」
「上手だからってラウラに任せてばかりだと不味いなと思っただけ」
「最近興味も出てきたからな。気にする必要は無いぞ」
「ラウラの味に慣れると後々困るという意味だ。別れた時の辛さが倍増する」
「……気がつかなかった」
「だろ?」
「そう言う捕まえ方もあるのか」

 おいおいと引きつり笑う。

「一般論だ、気になったか?」

 ラウラも言うようになった物である。仏頂面は隠せたものの、手に持つフォークが鳴り、それが予想より大きかったので戸惑った。喉を鳴らし笑う彼女にこう言った。

「真面目な話だが聞いて良いか?」
「なんだ」

 考えてみればうってつけの人物だ。ファントム・タスク本拠地は欧州、その中心であるドイツの軍人なら申し分ない、だがファントム・タスクその名前を切り出したとたん、彼女の手がぴたりと止まった。何か知っている様だが気軽に話してくれるわけでもないようだ。。

「知っている事があれば教えて欲しい」
「知っているのは記録にあった事のみだ」
「構わない」

 ゆっくりと語り出したラウラの話をまとめると次のようになる。

 ファントム・タスク、別名亡国機業ともいい、第2次世界大戦を期にいくつかの結社から習合された組織らしい。母体となった結社は古く13世紀頃にまで遡るそうだが記録は乏しく極めて曖昧。一節には19世紀末に設立された秘密結社、黄金の夜明け団(ゴールデン・ドーン)と関係があるともされているが、定かでは無い。

 ドイツや他のEU諸国も、関係があるとされる人物を過去に数名拘束したことがあるが、自害もしくは暗殺により大した情報を引き出せてはいない。ただ、暗殺にはカテゴリー2のナノマシンが使われていることからある程度の技術、規模を有していると推測されている。

「薔薇十字団やシオン修道会とも関係があると言われていて、詳細は我々も把握出来ていないというのが実情だ」
「ドイツ軍でもか」
「我が国ドイツの上層部にも関係者が居る、それすら否定出来ない。それ程までに根が深い組織というのは恐らく間違いあるまい。そうそう、調べようとした軍属、政治家が消されたという噂まである」
「何から何まで不明か、雲を掴むような話だな」
「どういった目的を持っているのか、それすらな。一節によると世界大戦を契機にしていることから世界の均衡を謀っていると言うが……」

 思わず考え込んでしまった。得られる情報が少なすぎる。どうとでも解釈出来るのであればそれこそオカルトか陰謀論が適当だろう。分かっていることはそういう組織が存在し動いていることだけ。そう、俺は現実に目撃している。エマニュエル・ブルワゴンとMそれは事実だ。

 ラウラは静かにスープを食していた。緑色のスープを小さい口に運んでいる。左腕のリニア・アクチュエーターが鈍い音を立てた。

「もういいか? 食事の席に合う話題でも無いだろう」
「もう一つだけ」
「なんだ」
「それが織斑姉弟とどう関係する?」
「……」

 そうこれだ。強大な力を持つ織斑千冬、ディアナ・リーブス、そして篠ノ之束。もし権力に関わる組織であればこの3人を見過ごすはずが無い。

「それは言えない。プライベートに関わる問題だ」

 僅かな失望を感じ俺はこう言った。

「俺でもか?」
「であればこそだ。教官が言わない以上私が言う訳にもいくまい」
「そうか、いやそうだな。済まなかった」
「不安なのは分かる。だが今は満を持して待つべきだ。真、お前は下手に行動力がある、情報を与え再び怪我でもされると教官が泣く、ついでにストリングスも、な」
「なんだ。ラウラが俺の世話を焼くのはそう言う理由か」
「好意には違いあるまい……なんだその残念そうな顔は」
「降参だ、好きにしてくれ」

 静かなラウラの笑み。僅かばかりの胸の鼓動、俺は以前一夏が誘拐されたことを思い出していた。


 ◆◆◆


 ラウラに断られた。シャルも今以上の情報を持たない。セシリアに頼めば無理を聞いてくれるだろうがそれは彼女の立場を悪くしてしまうだろう。だから聞けない。一夏は良く覚えていないと言っていたが、鈴はどうだろうか……だめだ。2人が出会ったのは一夏の記憶が鮮明になってからだ。

 では箒は? 彼女はIS発表と共に保護プログラムに加えられ日本各地を転々としていたという。IS発表時彼女は6歳で、小学一年生だ。覚えていないどころか何が起こったか理解出来ていないだろう。

 放課後の学園を当てもなく歩く。日も傾き冷たい風も吹き。空を舞う木の葉は茶や黄色に染まり、地面に積もる。学習棟からアリーナに続く道、そこは枯れ木と落ち葉の回廊になっていた。

 桐の葉も踏み分けがたくなりにけり 必ず人をまつとなけれど

 新古今和歌集で式子内親王が謳った詩だ。寂しさや哀れさを謳った詩は沢山有るが、秋をテーマにした詩には特におおい。これもその一つで、深まる秋の寂しさと人恋しさをテーマにしている。なんというか、もうちょっと前向きになっても良さそうなものだ。例えば落ち葉から焼き芋を想像するのはどうだろう……そこまで考えて自分の浅はかさに失笑した。枯れ葉を見て気分が高揚するのも鈍すぎだ。

 夕暮れに染まる第3アリーナではISの機動音が響き渡っていた。カタパルトから一望すると訓練機を使用する一般生徒はもちろん、専用機持ちの皆も懸命に汗を流している。さっと見渡すとセシリア、シャル、簪……あれ? 随分と少ない。一夏は、楯無と生身で特訓中だとしても、箒と鈴は何処へ行った。

「なにやってんのよアンタ」

 噂をすればなんとやら、きょろきょろと探していると鈴がやってきた。ライトピンクのISスーツを身に纏い、結い分けた二束の髪をゆらしている。黒曜石色のその髪は、夕闇に浮かび上がるよう輝いていた。

「やあ鈴、こんばんわ。これからか?」
「休憩中よ、アンタこそどうしたのよ珍しい」

 最近は業務もあって自主訓練は夜間ばかりだ。

「そんなに珍しいか?」
「ここ一ヶ月は見てないわよ、ちゃんと訓練しときなさいよ、忙しいのも分かるけど疎かにしたら追い抜くかんね」

そう立ち去ろうとした鈴を呼び止めた。

「なあ、鈴。ファントム・タスクってしってるか?」
「名前ぐらいは知ってるわよ、あと胡散臭いことも。それがどうかした?」
「……」

 この反応から見て鈴は並程度にしか知らない。その様な考えに至った時これ以上聞くのを止めた。知らないならそれで良い。鈴の性格を考えれば首を突っ込んでくるだろう、彼女を巻き込むことは避けたかった。

「いや、最近知ったんだよ。鈴の言うとおり胡散臭くてさ、ちょっと陰謀論とか興味出た……ってなんだ?」

 目の前に鈴が居た。半眼でじっと見つめられていた。

「……アンタ、また何か碌でもないこと考えてるんじゃないでしょうね」
「小説でも書いてみようかなとか考えてるぞ」

 俺の軽薄な返答に満足しないのか、鈴は俺の頬をそっと触れると、とつぜん抓った。鈍い痛みが走る。

「ふぃん、ふぃたい」
「アタシの目を見て言いなさい、大それたことは考えてないって」
「考えてない、ラウラも知ってるから安心してくれ」
「なら良いけれど……」
「引き留めて悪かったな、訓練がんばってくれ。それじゃ」

 振り返った時である。背後から鈴の声が聞こえた。

「少し前、イギリスからISの試作機が盗まれたって話があるのよ。機体のコードネームを“サイレント・ゼフィルス”って言うらしいんだけど、それを企てたのがファントムなんちゃらっていう組織。数ヶ月前だったわよね? どこかの誰かさんが横須賀市の上空で戦った相手に酷似してるって、本国じゃ持ちきりだったわ……なーんて。独り言ってガラじゃないのよアタシ、もう行くわ」

 鈴は最後に早く帰りなさいよと言って立ち去った。その姿をじっと追う。

「鈴すまん」そう誰にも聞こえないよう呟いた。

 サイレント・ゼフィルスか。ビットと良い大型ライフルと言い、通りでブルー・ティアーズに似ているわけだ。姉妹機だったわけである。まあこれでこれで益々セシリアに聞けなくなった訳だが、逆に良かったとするべきだろう。無理すれば機密漏洩で罰則ものだ。それにしても連中はどうやってISを奪取したのだろう。世界で468機しかないISは貴重品だ。相応な警備の元にあるこれらを奪うなど余程のことだ。真っ向からぶつかると大戦力が要る、だとすれば侵入し盗み出したとする方が無理がない。しかしどうやって……。

「イーサン・ハントかルパン3世でも雇ったのかね」

ひゅるりと秋風が走った。



[32237] 04-06 別れ(シャルロット・デュノア)
Name: D1198◆2e0ee516 ID:56a7ebd2
Date: 2014/06/07 21:15
Arcadia様ではPV200000越え。
ハーメルン様ではお気に入り500越え。
何から何までありがとうございます。


  ◆◆◆


 一夏らが入学して8ヶ月目、つまり11月。IS学園の第3アリーナに空駆ける少女が2人鍔迫りあっていた。1人は両肩に一対の角を頂いた、雄々しい姿は神竜の如く、甲龍こと凰鈴音。もう1人は深紅の花びらだと言わんばかりに鋭く、美しい紅椿、駆るのは篠ノ之箒。2人は今までのことが無かったかのように、押せば押し返す、引けば踏み入れる、切っ先が喉元を掠めれば、たちまちエネルギーが奪われる、紙一重の攻防を繰り広げていた。

 IS学園一年生では男子である一夏を除きトップに座する鈴であったが、箒の神速に押され力が存分に出せない。柄の末端で結び投擲も可能な双天牙月を分離させ、両の手で持ち小刻みに動かしながら辛うじていなしていた。

 方や箒は、紅椿の機動力を活かし、鈴に猛迫していた。上下左右に身体を振り、回り込み、行く手を遮り、最後は、ずどん。“空中で踏み込んだ”衝撃音が響く、その身体の重さを刀身に乗せ切り込んだ。弾かれ、火花が散った。

「「……」」

 観客席に居る少女らから見れば箒が優勢に見えたが、当の箒は中々決定打を打てない状況に焦り始めていた。いけると踏み込んでも防がれるのである。

(流石学年首位と言ったところか……さてどうする)

 箒は紅椿に残エネルギーの確認を指示、残り350。紅椿の新機能である空中歩行(アンブレイカー)は箒にうってつけの機能であったが瞬間しか作動せず尚且つエネルギーを大量に消費する。連発すればその消費エネルギーは乗算的に肥大する。絢爛舞踏を発動させエネルギーを補給すれば良いが、その隙を見逃す鈴では無かった。事実1回、龍砲の直撃を喰らっている。

 2人は距離を維持しくるくると回る。睨み合うこと数刻、箒は背負った子機を射出。その瞬間、鈴が両肩の浮遊ユニットを開き、龍砲を撃ち出そうと身構えた。その発射直前である。箒が子機とともに踏み込んだ。龍砲の灯が消える。鈴が槍頭を頭上でクロス、迫る子機に構うこと無く打ち下ろした。再び火花が散った。

 鈴は打ち下ろした双天牙月の勢いのまま、回転、上から下への蹴り下ろし、子機を弾いた。それを切っ掛けに2人はまた距離を取った。

 鈴が言った。

「子機を使う時、僅かに鈍くなるわね、至近距離でもう一度使ってみなさいよ、今度こそ打ち込んであげるから」

 箒が答える。

「うむ、やはり中距離用か。使用を控えるとしよう」
「あったり前じゃない、距離を加速するより近距離で振り抜く方が早いんだから」
「言うほど楽では無いはずなのだがな」
「誰に言ってンのよ誰に」

 観客席がどよめく。2人の技量の高さにだ。その観客に混じり観客席でふんぞり返るのは一夏だった。組んだ両手を頭のうしろへ。2機の背後に浮かぶ灰色の雲をじっと見るとまた2機を見た。

「箒の奴、気合い入ってるなー」

 放つ言の葉とは裏腹に、彼の心中に漂うのは別の事である。それは少女らのこと、抜けている記憶のこと、己の成すべきこと、友人である真のこと、そして黒髪の姉である千冬によく似た少女の事である。

(あの娘、誰だ。前に会っている気がするぜ)

 見える風景は過去に彼が住んでいた家。白い外壁と、赤茶色の屋根。何処にでもある日本家屋。そして何処にでもある大きくは無い庭園。皆がテーブルを囲んで笑っている。1人ぽつんと立ち尽くしていると。15歳を迎えた背の高い黒髪の姉が居た。彼女は彼を見ると笑って手招きをする。

(これは、なんなんだ? 過去? イヤそんな筈は無い。千冬ねえの異能の力、両親は疎んじていたはずだ。恐れていたはずだ。笑っているはずがねえ……なら俺が作り出したイメージか……家族の)

 突然手を掴まれ引かれた。最初は手、次は腕、最後は肩と後ろ姿。そこに千冬と同じ顔をした、一夏と同じ背丈の子供が歩いていた。何をしているのかと、早くいらっしゃいともう1人のその姉が言う。

「……ま、まど姉?」
「一夏!」

 ずきんと頭に痛みが走り片手を額に添える。

「痛う……」

 前屈みにうずくまる一夏の側に簪が駆け寄った。

「大、丈夫? 何度呼んでも、反応がなかったから……」
「イヤ大丈夫、ちょっと考え事してた」

 顔が青い一夏の様子を見て医務室に行くべきだと簪は主張した。一夏は大丈夫だと譲らない。何度か押し問答を繰り返した後、降参だと彼女は一夏の隣に座った。びゅうと風が吹く。寒くなったね、そうだな。その時である。2人の頭上で火花が散った。甲龍と紅椿の剣閃で辺りが一瞬白くなる。

「篠ノ之さん、見違えるようになった」
「紅椿の新機能だってよ。何でも空中で歩けるとか。なんかよく分からんが俺は姉馬鹿ISと名付ける事にした」
「紅椿もそう、だけれど篠ノ之さんの気迫も、凄い」
「ああ。手土産が欲しいんだろ」
「真、への?」
「そそ。仲直りの切っ掛けに白星が欲しいなんて箒らしいぜ」

 簡単なやりとりの後、彼女は頃合いを見計らって、おはぎを手提げ鞄から取り出した。会う口実のため彼女は作ってきたのである。彼女が持っている数少ない自慢の品であった。小さめの、深緑色のタッパーに陣取る6つの、暗紅色のおはぎ。わざわざ作ってきてくれたことを察した一夏は、遠慮無く摘まんだ。

「うお、うまい!」
「まだ沢山有るから……」
「簪は料理出来るのか?」
「料理はあまり、でもおはぎは、得意」

 何時もは丸みを帯びる背筋が、反っていた。誇らしげに語る簪の様子に一夏は出来うる限りの笑顔で返した。ぽかんとした後、頬を染め落ち着きなく指先を弄ぶ。

(そーか、簪も俺の事好きなんだ)

 かといって俺の事好きか、と聞くわけにも行かなかった。照れ隠しと勢いで否定すればそれは彼女自身を追い込むことになる。正直に告白されても彼の準備が出来ていない、一夏は静かに2個目のおはぎに手を伸ばした。

「ところで簪、どうしてここが分かったんだ? 静寐たちに聞いたのか?」

 彼女はまさかと首を振った。一夏を取り巻く少女の掟、少女同盟では抜け駆け厳禁である。居場所を聞くなどこれからの行動を自ら宣言しているようなものだ。彼女は日頃の彼の行動を調査分析、丹念に聞き取りを行いここを割り出した。尚、彼女は同盟への加盟を明確にしておらず、この様な遊撃が可能となっている。

「そか。楯無先輩とはどーだよ」
「上手く、行っていると思う、信じられないぐらい……」

 先日彼女は一緒に買い物に出かけた。己の嗜好に反する派手な、それはカラフルというかビビッドと言う意味でだが、そういった服を宛がわれ試着しただけで着るタイミングにも恵まれずタンスの奥に仕舞い込んだ服を思い出した。多少引きつり気味に彼女は笑う。

「ありがとう、一夏」
「礼なら真に言えよ、俺は手伝っただけだぜ」
「真もそう、言っていた」
「そーか」

 笑い合う2人。

「じゃ、次は友達作りだな」
「トモ、ダチ?」

 彼女は上の空で数度繰り返した後、静かに頷いた。そして今度は自分でやってみると静かに言った。

「それがいい、クラスメイトでも静寐たちでも良い、友達が出来れば楯無先輩も喜ぶだろ」
「ボーイフレンドは、出来た」
「……え?」

 微妙な言葉のニュアンスが違う。簪は男友達の意味で使ったが、もちろん一般的には異なる。簪自身も気づいていない奥底の感情、彼女は慌てだした。わたわたと取り乱し、必死に否定する。その慌て様は激しいものでぶんぶんとふる手先は残像が見えていた。もちろん、一夏にとっては止まって見える程度ではあったが。一夏はどうしたものかと悩むこと0.1秒。

「ボーイフレンドと言えば、楯無先輩にも出来ただろ」 彼は話を逸らす事にした。
「え?」 今度は簪がぴたりと止まる。
「知らないのか? 最近真と仲良くしているって話し。クラスでも持ちきりでさ、付き合っている情報もあるんだぜ。不機嫌そうなのが2人いるけれどいや、4人か」
「付き合っていない、と思う」
「なんで言い切れるんだよ?」
「ねえさん、慣れていないから」
「なにに?」
「ボーイフレンドとか、そう言うの……」
「嘘だろー? あんなに綺麗でスタイル良くって、文武両道才色兼備を絵に描いたようなひとだぜ? 今まで独り身の方が嘘っぽい。逆に千切っては投げ、千切っては投げってかんじ」
「逆……」

 楯無は更識家の長として幼少の頃から厳しい訓練を受けてきた。それは武術であり学問であり、多岐にわたる。プライベートな時間など皆無に等しかった。それは思春期入ってからも同様であった。一見、男の扱いに慣れているように見えるのは訓練の結果だ。言い寄る男が居なかったわけでは無いが、それは家や格式を見て近づいた年上の男か、政略結婚を狙う者たちであった。同年代の、気の置けない異性は真が初めてと言って良い。

 一夏はもさもさとおはぎを食う。

「ほへー 言われてみれば納得だけど意外な感じだ」
「でも多分姉さんにとって、初めての普通に話せる男の子だから。だからだとおもう」
「なにが?」
「真と居ると楽しい、そう言ってた」
「……まじか」
「うん」
(上手くやりやがってあの野郎、一発殴っとくか)

 そう彼が最後のおはぎを食べた時である。意を決した様に簪はこう言った。

「一夏、私も聞いて良い?」
「おう、良いぜ。何でも聞いてくれ」
「さっき誰かを、呼んでいたみたい、だけれど、誰?」
「……そうだっけ?」


  ◆◆◆

 最近の、学園の少女らの話題は以下のようになる。

 1つ目、一夏を取り巻く少女たち。相川清香、ティナ・ハミルトン、凰鈴音、鷹月静寐、この4名である。一夏との肉体的接触はもちろん少女らも知っており、先鋒、次鋒が敢えなく敗退したことも知っている。妬む者は居ないわけでは無かったが、敢えて密告する者は居なかった。なぜならば、ティナが“マイルーラのストックはまだある”と密やかに告知しているからである。つまりは誰もがチャンスを狙えると言う事だ。

 2つ目、真を取り巻く少女、ふたり。篠ノ之箒とセシリア・オルコット。マイルーラを所持していることも周知の事実であるが、双山動かず、2人が動かないことにやきもきしている。もちろん山とはふくよかな胸のことを揶揄している

 千冬とディアナとはどうかと言うと、千冬とは一夏繋がりで、ディアナとはその千冬繋がりでそれなりに交友を持っている、そう認識している程度で真実に気づく者は居ない。なんか変だなと思っている少女も居るが、それが霞んでしまうほど更識楯無との話題が熱かった。

 つまり話題とは何時もの様に噂話である。如何にIS学園が特殊だろうと十代の乙女たちである、興味のあることは何も変わらない。

 ぴぽぱと、電子音が鳴る。壇上に立つ国語の教師が黒板に指を走らせた。ブックケースのアイコンを触り、ファイルを開く。そうすると各自のタブレットに、“草枕”が映し出された。国語の教師が言う。

「あー、夏目漱石と言えばぼっちゃんや吾輩は猫であるが有名です。ですが私は敢えてこれを皆さんに知って貰いたいと、今日はこれを取り上げます。他の作品と比べると難解で難しい単語も多いですが繰り返して読めば読むほどそのおもしろさが分かる、そんな作品です。どの様なところが面白いかというと、例えば序盤、主人公は30歳と書かれていますが、この彼、自分の事を“余”と言っています。今の30歳が余なんて言えば失笑ものですが、現代との人格成熟の違いが読み取れます。他には……」

 熱弁を振るう国語の教師。生徒たちは何処吹く風で、タブレットのメッセに勤しんでいた。今日も1組の少女たちは盛り上がっていたのである。

(ニュースよ大ニュース!)
(どのニュース? 4組の更識さんが少女同盟に入るってネタならもうあがってるわよ)
(聞いて驚くな、今日は蒼月と更識先輩の最新情報!)
(おおー!)
(とうとう山が動いたかっ?!)
(あの2人仲が良いらしいしね)
(同い年だし当然でしょ)
(なんとこの私! 昨夜2人でこっそり歩いているところ見たのであーる!)
(深夜のしっぽりデートか!)
(なんか親父臭いよその言い方)
(前腕組んでたしね)
(篠ノ之さんとセシリア急がないと不味いねえ)
(まずいねえ)
(2人もアレ持ってるんでしょ? マイルーラ、早く使ってくれないかな)
(きゃーっ エロい! エロいわ!)
(この程度で驚き桃の木山椒のごまき!)
(ごまきってなによ)
(楯無先輩ったら蒼月の部屋に行ったことがあるらしいのよ)
(きゃーっ)
(通い妻っすか)
(あー でもでもー ボーちゃんもいるんでしょ?)
(ひょっとして3人で……)
(((その言い方ひくわー)))
(なんでよっ!?)
(ねー 話の腰折ってごめん。最近気になっているんだけれど……)
(なによ)
(シャル君、最近太ってきたと思わない?)
(そういえばふっくらしてきた)
(ふっくらというより丸みを帯びてる? まるで女の子っぽくなってきたような)
(……まさか、ねえ)
(ねえ)

 数名の少女たちが一瞬、窓際の、後方に座るシャルを見た。視線に気づいた彼は、一瞬驚いたが直ぐ笑みを浮かべた。彼は何時もの様に笑ったつもりだが、瞳は潤み、頬は赤みを差し、唇には艶がさす。中性と言うよりは少女のそれに近かった。

(やっぱり、もうだめかな)

 彼、否彼女の独白は11月の曇り空に消えていった。

 彼女の男装に違和がなかったのは、彼女の女性としての特徴が薬物によるものだからだ。彼女の、子供を産む器官は第2次成長期を迎えても機能しなかった。だがナノマシンを含む真の血を飲むことによって彼女の身体は正常に戻った。彼女の身体は急速に女性としての特徴を顕わし始めたのである。手足を長袖で多う学生服はまだ良い。だが身体のラインが見えてしまうISスーツでは隠しようがないのであった。つまりは

「男を装うのが難しくなってきた、か」 と千冬は淡々と言った。

 職員室の隣、何時もの生徒指導室。シャルロットは千冬とディアナの前に座り胸を張った。

「はい」
「それでどうするつもりなのかしら」ディアナの問い掛けに「故郷に帰ろうかと思います。今なら男の人として退けますから」とシャルロットは答えた。

「分かっているのかしら。貴方ではなく貴女は公式上存在しないのよ。つまり」
「はい。恐らく皆にはもう会えないでしょう。でも、永遠に隠し通せることでもありませんから、良い機会と考えています」
「それでどうするつもりだ」 千冬はつまらなそうに言った。
「明日、皆に帰国のことを打ち開けようかと思います。そして今週中には帰国しようと思います。急なことで大変恐縮ですが」
「分かった。手続きは直ぐ始めよう」
「ありがとうございます」
「あの2人にはもう言ったの?」
「織斑君には今晩、蒼月先生には明日伝えようと思います」
「細かいことは気にするな。盛大に送り出してやる」

 彼女はもう一度、感謝の言葉を述べた。精一杯の笑顔で、溢れんばかりの涙を湛えて。

 その夜、シャルロットは何時もの様に自身の部屋の前で立ち尽くしていた。頭上から照らされる淡い光り、その影が扉に映った。今夜は鈴の番である。今頃2人は臥所を共にしているだろう。彼女は先程真に電話を掛けた。そうしたら“今夜は残業で遅い”とラウラが電話に出た。つまり今夜邪魔する者は居ないのだ。彼女は野次馬ごとき、扉の前にたむろう少女たちを見て、心中で溜息をついた。

(全く一夏ってば、こんな時にこんな事しなくても良いのにさ。気が利かないというか鈍感というか、もう少し分かってくれても良いのに。真も真でこんな時に残業なんて、本当に意地が悪いというか、タイミングが悪いというか、やっぱり気が利かない……)

 その時である。扉の奥に動きの気配。何事かと少女らが耳をそばだてる。「やっぱり駄目!」 鈴が飛び出してきた。扉が勢い付けて開く。「「「ぷぎゃあ!」」」はじき飛ばされた少女たち。ごろごろバタリと転がった。ぱっと身を引くシャルロット。鈴は、着崩したチャイナドレスの裾を押さえながら、部屋の中を指さした。

「だめだかんね! やっぱりだめだかんね!」

 なにがだよ、全然わかんねえと部屋の中から聞こえる一夏のぼやき。

「ナニよこのケダモノー! サイテー!」

 わあと鈴は駆けだした。静けさが戻った柊の7階。見ればギャラリーも消えている。失敗した3人目、少女らは残念さと無念さを湛えて各自の部屋に消え去っていった。シャルロットが部屋に入ると、手前のベッドに座り込む一夏の姿。消化不良満々の顔だった。

「ねえ一夏。凰さんに何をしたのさ」
「ナニもしてねえよ。服に手を掛けた途端やっぱり駄目だって飛び出していったんだ」

 シャルロットは一夏を椅子に座らせるとベッドのシーツを直し始めた。絡まった糸のようなシーツの皺が消えていく。その整った様は絹のよう。

「僕が思うにさ、初めてでコスプレはあんまりじゃないかなと思うよ」
「俺が頼んだわけじゃねえ、鈴が自分で着てきたんだって」

 事実であった。3番目だからインパクトが必要だと意気込んだわけだが、逆に仇となった訳である。鈴は自分が見られているのか、衣装を見られているのか自信が無くなり逃げ出したわけだ。シャルロットはシーツに染みが無い事を確認するとタンスから消臭剤を取り出してベッドに吹き付けた。

「それ、俺のベッドだぜ」
「知ってるよ」
「そんな物掛けたら今晩使えないじゃねーか」
「だからこそかな」
「良くわかんねーな、女の子って」

 一瞬彼女の手が止まる。

「もちろんさ、そう簡単に理解出来ると思ったら大間違いだよ」
「そんなもんか」
「そんなもんだよ」

 彼女は消臭剤が気化しやすいように、シーツをまくると丁寧にたたんで置いた。

「何か飲む?」
「ココア」
「うん、わかったよ」

 やかんに水を入れ火を掛ける。ごおと水を加熱する音がする。彼女は言った。

「ねえ、一夏。僕が居なくなったら寂しい?」
「なんだそりゃ」
「たとえ話だよ」
「そりゃそうだろ。今まで在って当然と思って居たものが居なくなるわけだし、無くなってしまったら当然寂しいと思うぜ」
「そうだね」

 彼女は満足そうに頷くと、再びやかんを見た。注ぎ口から白い湯気がでて、コポコポと音がしだした。彼女はココアを二つ作ると、一つは一夏に手渡し、彼女はそのまま自分のベッドに座った。ふーと吹く音。2人はちびちびと飲み始めた。一夏が言った。

「なにがあったんだよ」
「どうしてそう思うのさ」
「僕が居なくなったら寂しい、そんな事聞くなんて尋常じゃねえ」
「一夏は時々鋭いよね」
「言えよ」
「時々強引だし、まいっちゃうな」
「……ひょっとして家に戻されるのか? もう家は大丈夫なんだろ? だったら……」
「違うんだよ一夏……もう男の子を装うのが難しくなって来ちゃったんだ。お父さんとお母さんにも相談してさ、戻ることにしたんだ。だからかな」

 彼は一瞬腰を浮かせたが、そのまま座り直した。熱いココアを大きく飲んだ。喉を通る音がする。

「以前の俺なら、そのまま引き留めようとしたろうな」
「引き留めてくれないんだ」
「……そうしてシャルを困らせたんだろう、そうにちげえねえ」
「一夏僕はね、いつかは別れる時がくるってずっと怯えてた。でも3年は一緒に居られるってちょっとは安心はしてた。だからこんなに早く別れが来るとは思ってなかったからちょっと、ちょっと驚いてるんだよ。でも神様に文句は言えないや、もっともっと良くして貰ったから」
「例えば?」
「この学園に来てみんなに会えたこと、織斑先生やディアナ様に会えたこと、真に会えたこと、会社の皆が助かったこと、身体が治ったこと、……一夏に会えたこと、数え切れないぐらい沢山。これ以上我が儘言ったら多分怒られ、る、ね」

 最後は言葉にならなかった。震える声、止めどなく溢れる涙。身体を震わし嗚咽をもらす彼女を、一夏は静かに抱きしめた。

「して欲しい事あるか? 今だったら何でもするぜ?」
「ねえ、一夏。聞いて良いかな?」
「なんだよ」
「皆に好かれていることどう思っているの?」
「知ってたんだな」
「もちろんさ」

 彼は一歩下がると、彼女に傅いた。手を握る。彼は彼女の碧い眼をみると静かにこう切り出した。

「聞いた事があるんだよ。俺を独占したいと思わないのかって。そうしたら皆が皆、独り占めは出来ないって言うんだ。俺を独占するほどの女じゃないって、そこまで見合わないって。そんな分けねえのにな。俺だって自分の事で一杯一杯だ。だから、そういうんなら自分を鍛えて皆とつきあえるだけの男になってやろうって……おかしいか?」
「ううんぜんぜん。とっても一夏らしいや」
「これでも当初は反発したんだぜ、なんだそりゃって。俺の葛藤をシャルにも教えてやりたいぜ」
「あはは、それは遠慮するよ」
「それだけでいいか?」
「じゃあ、僕、いえ。私の最後のお願い聞いて頂けますか?」

 彼女は目を瞑ると静かに顎を上げた。一夏は僅かに躊躇ったあと唇を重ねた。そしてそのまま2人は身を合わせた。しばらくの間、その部屋には衣擦れの音と激しい息、苦悶の声が響いていた。

 シャルルが帰国するという事実は一日足らずで学園中に伝わった。突然の帰国に涙する少女は数知れず。誰もがどうしてと詰め寄った。彼が家の、国の都合だと言えばどうにもならず、そのまま泣き崩れた。彼は突然のことで済まない、悲しませて済まない、出来うるだけの言葉と態度で誠意を見せて、少女らを労った。

 寮で過ごす最後の日、柊寮では送別会が花やかに催された。感極まり泣き出す少女も居たが、彼を困らせては成らないと健気に笑っていた。帰国の日は平日となった。土日にすると少女らが押しかけ騒ぎになる事を恐れたからである。それでも、教師を代表するディアナが、生徒を代表し学年合同トーナメントでもペアを組んだ3年の優子が見送ろうと空港にやって来た。一夏と真は当然の顔をして学園を抜け出してきた。

 騒がしい空港。至る所で出会いと別れがあった。シャルロットは彼らを見て悟った。悔いが無いと言えば、寂しくないと言えば嘘になる、だが自分だけが特別では無いと知り、胸のわだかまりを消し去った。

「ここまでで良いよ」と彼女は振り返っていった。手には大きなトラベル・キャリアが在った。側にはデュノア家に長年仕える老紳士が立っていた。彼女と学園の皆の間に見えない壁が横たわっていた。それを感じ取った一夏は静かにそうかと言った。

 別れの挨拶を交す優子とシャルロット。ディアナはシャルロットを抱きしめるとこう言った。

「シャル、道中気をつけなさい。あとベアトリス様や伯爵にくれぐれも宜しくと」
「はい、ディアナ様。ディアナ様も何時かフランスに戻って来て下さい」
「それはどこかの誰かさん次第かしら」
「そうですね♪」

 次は真だ。

「シャル、元気でな」
「それだけ?」
「下手に言葉を紡ぐと泣き出してしまいそうだ。だからそれだけ」
「真。真にも事情があるのは分かるけれど、彼女たちの時間を無駄にだけはしないようにね」
「肝に銘じておくよ」
「ああ、あとちゃんと定期的に報告すること。手紙じゃ無くて電話でね、待ってるから」
「ああ」

 シャルロットは真の頬に手を添えると彼の涙を拭った。一夏は何も言わず抱きしめた。

「苦しいよ一夏」
「さよならは言わないぜ」
「分かってるよ。今生の別れじゃ無いしね。“僕ら”は生きているんだから何時でも会えるよ。難しいかも知れないけれど何時か、フランスに来てね。僕の生まれ育った国と家族の皆を一夏にも知って貰いたいんだ」
「何時か必ず」
「約束だよ」

 老紳士が一つ咳払い。彼は一夏の事を余りよく思っていない。怪訝そうな視線を一夏に送ると、一転真摯な表情を浮かべた。その先には面識のあるディアナと真が立っていた。彼は厳かに挨拶をすると、彼女を引き連れ立ち去っていった。

 ターミナルから旅客機を見送る少年2人。何時までも見送る一夏に、真は怪訝な表情でこう言った。

「何かあったのか?」
「あったに決まってんだろ、大事な人が帰っていったんだぜ」
(大事な人?……まさか、な)

 人々を乗せた旅客機が、翼を広げ、旅立っていった。13時間後には彼女は、本来の自分に戻る。それはきっと幸せなことなのだろう。2人はそう思いながら何時までも見上げていた。


  ◆◆◆


タカオ(アルペの方)をみて思いました。ちょろいんは、個性の一つと、みつけたり。乙女プラグインを簪にいんすとおおおるっ! ……え? 問題はそこじゃない? さーせん。



[32237] 04-07 開幕(篠ノ之束)
Name: D1198◆2e0ee516 ID:76b56651
Date: 2014/06/07 21:15
 ファントム・タスクという秘密結社がある。古から続く結社を再編した組織で、財界、政界はもちろんのことスポーツや文化にまで大きな影響力を持っている。その力は強力で、彼らに抗おうとした米大統領すら暗殺という形で手に掛けた。その存在理由は権力の拡大。己の表現手段である肉体の、更にその延長である力の確保と行使。支配、それこそが彼らの理念である。

 その彼らが今から12年前、12歳の少女が発表した一つの基礎理論に興味を示したのは当然の結果と言えるだろう。その理論が実現されれば強力な力となるからだ。世間が無視したことも彼らにとっては追い風となった。篠ノ之束は疑うこと無く、縋るように彼らの申し出を受け入れた。そして少女は持てる全てを費やし2つの騎士を作り上げた。白騎士、赤騎士である。

 この2機は自我を持ち、己の意思で活動する力を有していた。もともとIS、インフィニット・ストラトスはパワード・スーツを目指していたのでは無い。人工生命体を表わしていたのである。

 彼らは言葉巧みに、休止中の赤騎士に近づき、それを手に入れた。指令コードは“我らに従うこと”赤騎士は異能者たちに叛く存在となった。一方、先に覚醒していた白騎士は、己に課せられた使命に従い、異能者たちを守る楯となった。

 追う赤騎士に逃げる白騎士。両者のスペックは同等、いや白騎士の方が高いぐらいであったが、守るべき者という枷を背負った白騎士は分が悪かった。激しい戦闘の末、赤騎士は中破し、ファントムタスクに回収された。白騎士は大破、後に第1世代を生み出すデータとして各国に回収された。

 15歳となっていた少女は両騎士の戦闘の際、頭部を負傷し理知を失った。白騎士が大破したときに散ったISコアの破片が彼女の頭部を襲ったのである。黒髪の異能持ちの少女は、己の自由と引き替えに、真の楽園と引き替えに、残った家族の居場所を得た。

 そして騎士を生み出した少女は、長い睡眠のあと17歳の時に眼を覚ました。織斑千冬の嘆願を受け、更識家が手を伸ばし、手術を行ったのである。第一回モンドグロッソの表彰台。其処に立つ友人の姿が、絶望となって眼を覚ましたばかりの彼女を襲う。彼女は拒否した、妥協した友人が許せなかった、そうさせてしまった己を認められなかった。天才から天災と呼ばれるようになった彼女は、現実を否定、逃亡した。

 もう一度騎士を。

 脳に埋め込まれたISコアの破片。それを道として作り出した量子コンピュータと同期、再び騎士を生みださんと寝食を忘れた。だが脳に損傷を負った影響で、生み出せたものは不完全なコア467個。真のコアを作り出せなくなった。彼女は2度と騎士を作れなくなった。

 それでもアリスは真の楽園を駆ける日を夢見て眠る。


  ◆◆◆


 月面、静かな海の中心に人工物があった。それは巨大な樹木の根の様で、中央に100メートルはあろうかという太いパイプが走っていた。そのパイプからはやはり木の根のように、枝が走っており、その先には幾つもの研究開発の設備施設が設けられていた。人工物の下部末端は何もなかったが、ナノマシンたちの活動により月面資源が止まること無く吸い上げられていた。

 月面基地“エンデア”

 エデンをもじったこの基地は、彼女、篠ノ之束の開発・研究基地である。月面近くの中枢区画、静まりかえった一室で、彼女は光子で創られた球状のインターフェースに手を添えたまま寝ていた。だが眼球は止まること無く動き、脳波は覚醒と睡眠の間を示していた。曰く、天才は眠らない。睡眠という休息の間においても、脳は止まること無く活動していた。

 ぴぴぴと電子音。

「ふあーーーー」

 伸びから戻ると、彼女の意識内に膨大な情報が注がれる。それは無味乾燥な機械的に集められた情報では無く、量子コンピュータ“ラトヴィッジ”によって精査選別されたものだ。そこには各国の経済や内政、軍事と言った情報が含まれている。もちろんIS学園も同様だ。特に学園は特級の調査対象として分類されている。

「やあ先生、おはようさん。今日の具合はどうだい?  新情報有り? ほほう……世界的な軍事再編が進んでいる? ISと旧世代兵器の連携? あー福音戦の時のあれか。ISと戦闘機、ミサイルの連携が効果的だって奴だろ? くっだらないことしてくれるねえ。ISはISであるべきさ、旧来兵器との協力なんて無粋だよ無粋。

 そもそもISは本来私たちを守る楯……わかってるよ先生。第2世代が第3世代のセカンドシフト機と張り合った事実は無視出来ないって先生は言いたいんだろ?

 確かに予想以上の効果を見せた。ISがいれば一般兵器でも通用するからね。でもあれは不確定要素が多すぎだよ、なによりあの坊やが関わっているんだからさ……ああ、みやのコアを見てみたいねえ。あの坊やに最も近いIS。考えただけで身震いしてくるねえ。他には何かあるかい?

 フランスのお嬢ちゃんが帰国した? どうでも良いよそんなこと。ああそうだ。あの坊やの動向を教えておくれよ。最近は静か? ふーん、察するにあの金髪の女狐にたらし込まれたか。まったく不愉快だねえ。あの声、あの顔、あの匂い、何から何まで腹立たしい。あの女さえ居なければ……って、なんだい先生。言いたいことははっきり言いなよ。

 え、なに? 坊や坊やって失礼だろって? 年上かもしれないって? 良いじゃないかそんな事。もと何歳か知らないけれど今は16歳なんだからさ。てゆーか、先生、やけにあの坊やの肩を持つね。流石の先生も気になるのかい? まああの坊やは先生たちの上位者だからね、気になるのも分かるけど、先生はこの篠ノ之束の相棒なんだから妙なことをするのは止めておくれよ。ああ、うん。分かってるなら良いさ。こんなところかね、さあ今日も探すよゲート・ストーン。

 どこかなどこかなーゲート・ストーン。ぱぱっとみつけて、ちゃちゃっと正す。そしてちーちゃんと箒ちゃんと一緒。それが目標だよ……って、なんだい先生このメールは。世界中のサーバーを宛先無く行き来してる? ふーんまるで誰かに読んで欲しいって言わんばかりだね。

 ああ、分かってるよ先生、ゲート・ストーンに関するメールだ。はてさてどうするか。結構頑丈に暗号化されてるな、それだけ重要って事かだと思うけど……ふふ、ふふふのふのふのふふふのふ。いいだろ! この挑戦受けた! どんな暗号か知らないけれど、この束さんに掛ればお茶の子さいさい、東方不敗、あというまに解読さ、ほら出来た。ってこれはゲート・ストーンの調査報告書じゃないか。X線回折による結晶構造の判別、原子顕微鏡による原子構造の調査……どこの誰だいこんな事してるのは……げえ! ファントム・タスクの連中か! うっきゃーーー あの連中だよ! あーもう、忌々しい! くっそー この束さんがおもわず“げえ”なんて言っちゃったじゃないか!

 なんだいなんだい! せっかく忘れてたのに! 先生、ちゃちゃっとメールを消去しておくれ! 見なくていいのかって?! どうせパクリものしか使えない連中さ! ゲート・ストーンの解析なんて出来やしないよ! 先生ごちゃごちゃいわずに早く消去しとくれ! え? 最後を見ろ? ……これは」

 報告書の最後に書かれたメッセージ。束は拒否反応に苛まれながらも目を逸らすことが出来なかった。


  ◆◆◆


 そこは煉瓦仕立てのカフェだった。壁にはくすんだ赤や黄土色の煉瓦が敷き詰められ、多少は重苦しい雰囲気があった。だがストリートに面する壁は、大きな窓硝子が取り付けられ、大きく開かれ、紅茶を楽しむものは道行く人々と笑顔を交わす事が出来た。店内に置かれているチェアとテーブルは木製で堅みを帯びていたが暖かみの方が大きかった。

 世界屈指の大都市、ロンドン。テムズ川に面するあるカフェの一店で束は然も不機嫌だと言わんばかりに腰掛けていた。

 彼女はライトベージュのカットソーに膝上に掛る程度の黒のフレアミニを纏っていた。もちろんそれだけでは11月のロンドンでは厳しいので黒のケープジャケットを羽織っていた。見える足にはブラックドットのストッキング。全体的にゆったりとした印象でかわいらしさを醸し出していたが、メイクを施しアダルトな雰囲気だった。

 長く腰まで掛るブルネットの髪がさらりと揺れる。大きな胸も相まって道行く男性が彼女の美貌に惹かれ、見とれていた。

 彼女は世界中から追われる身。大都市ロンドンの様な人目のつく場所で、何時もの奇抜なうさ耳メイド仕立ての服は避けたららしいが、別の意味で目立っていることに気づいていない。

(おそい!)

 こつこつと、パンプスが苛立たしい音を奏でる。彼女は一向に現れない待ち人にしびれを切らしていた。段々と音が大きくなる、テーブルに置かれた紅茶に波が打つ。数名の客が気にしだす。店員が注意しようと、一歩進めたその時だ。店内がざわついた。カランと扉のベルが鳴る。

 そこに、誰もが見とれてしまうほどの美女が立っていた。鮮やかな金髪は、美しい曲線を描き、嫋やかに流れていた。深紅の瞳はルビーのように透き通っていた。黒のファーコートにロングブーツ。彼女は周囲の視線を気にせずに、それどころか賞賛を浴びて当然だと言わんばかりに堂々と束に歩み寄った。

「あんたがそうかい?」

 束は不躾に睨み上げた。

「ええそうです。スコールとお呼び下さい」

 スコールは店員にカフェ・オレを頼むとゆったりと腰掛けた。足を組む。スコールの仕草一つ一つに反応し、束の頬が引きつった。

「名前を知ることに意味があるとは思えないけどねえ」
「今後お付き合いする上で、おい、あんたでは寂しいでしょう」
「それはありえないね。あんたとは今日ここでこれっきりさ。言っておくけれど私は金髪の女が大っ嫌いなんだ」
「未来など誰にも分かりませんわ、人間関係など特にそうでしょう」
「まどろっこしいのは嫌いだよ。私がここに来た理由は1つだけさ、さっさと話してくれないかい」
「急いては事をし損じると、日本の言葉にありましたね」
「善は急げとも言うね」

 ウェイターが恐る恐るカフェ・オレを持ってきた。2人の雰囲気に押されたのである。スコールは一つ礼を言い受け取った。褐色色のそれを口に運ぶ。束の我慢が限界に達した時だ。スコールはこう切り出した。

「話は単純。私たちはあるモノを手に入れたい、それに協力して頂きたい」
「その見返りがゲート・ストーンの在処と言う訳かい」
「話が早くて助かります」
「あんたは古株かい? 自分が誰に何を言っているのか理解しているのかな」
「いえ、私は新参者ですよ。博士と我々の間に、過去、いざこざがあった事は知っています。ですが過去は過去、お互い協力しませんか」
「いやなこった。あんたらと馴れ合うなんて御免被りだね」
「ゲート・ストーンは必要ないと?」
「脳から直接情報を取り出す方法ぐらい簡単さ」

 束が右手を腰に添える。銃を抜く仕草。指先に光子の文様が浮かび上がった。彼女は僅かにズレた空間に多量の道具を持っている。この場でスコールを拘束することなど訳は無かった。殺気に近い攻撃性の意思、スコールは少しも慌てること無くカフェ・オレを口にした。

「博士は勘違いしておられるようだ……私が在処を知っているとでも?」

 彼女の手が止まる。束は不愉快そうにこう言った。

「……はん、敢えて知らずに来たって事か。気に入らないねお見通しって訳かい」
「希代の大天才篠ノ之束と取引をしようと言うのです、相応の準備はいたします」

 束はココアを飲んだ。口にカカオの風味が広がる。彼女の意識に、2人を監視する数名の人間の位置が浮かんだ、そしてIS(サイレント・ゼルフィス)の反応もあった。怪しい挙動を示せば狙撃されるだろう。束にとってそれは大きな脅威では無かったが、ファントム・タスクに決別を知られれば、ゲート・ストーンの在処を知る事は期待出来ない。彼女は今までの調査に掛けた労力とこれからのそれを天秤に掛けた。一つ息を吐く。

「まずそちらに要求を聞こうじゃないか。欲しいモノとはなんだい」

 束の言葉にスコールは満足そうに頷いた。

「蒼月真、ご存じですね? 我々は彼が欲しい」
「おやおや意外だね。あのいけ好かない坊やにご執心とは、子供が趣味かい」
「最高の人材を求めるのは組織の正しい姿です」

(いっくんに興味を示さないと言う事は……そうか。狙いはあれか。マシン・マスタリー、こいつらも気づいている? いや、まだ確証は無い筈だ。そもそも、こいつらがあの坊やを手に入れてどうする? 世界一のコンピュータでも創ってハッキングする? それとも最強のISか? だがあの能力には時間が掛る、みやの状態を見れば一目瞭然だ……)

 束は一つ肝心なこと、赤騎士の事を見落とした。真であれば修復することができるのだ。彼女は気づくべきだったのである。だがそれは彼女にとって、心の傷、トラウマとして忌むべきモノだった。それ故に気づかなかったのである。

「ISを動かせると言うだけなら2番目じゃないか。どうしていっくんじゃないんだい」
「確かに織斑一夏も魅力的です。彼の身体能力は目を見張る物があります。だが彼はまだ子供です、蒼月真の目的を遂行する力、私どもはそこに注目しています」

 それだけではないだろう、束は敢えて言わなかった。

「それで私に何を望む。人さらいは私の専門じゃないよ」
「それは契約して頂けると言う事で宜しいのですね」
「2度は言わないよ」
「結構。蒼月真を学園の外にあぶり出したい。そうして頂ければ後は我々で対応します」
「学園の外? 頼む相手が間違っていないかい?」
「いえ、博士にしか出来ない事です。そしてそこに博士の求める物もある」
「ゲート・ストーンが学園にある? そんな事は初耳だね、本当なのかい?」
「もともと篠ノ之神社のご神体として祭られていたのです。それを更識家が極秘裏に移設した。人の口に戸は立てられぬとは良く言ったものですね。博士、灯台もと暗しといった心境でしょうが、郷土や歴史と言ったものに、もう少し眼を向けられることをお薦めします」
「余計なお世話だよ、それで私はどうすればいい?」
「場所を変えましょうか。良いレストランを予約しています、どうぞこちらへ」

 2人は席を立った。束はあれほど毛嫌いしていたファントム・タスクと手を組んだのは取引のためだと自分を納得させる事にした。それが彼女自身を大きく変える転換点だと言う事も気づくことも無く。


  ◆◆◆

 シャルロットが帰国して数日が経った頃である。真は第3アリーナのフィールド上に立っていた。ふあと大きな欠伸をする。何時もと同じように彼は、職場に出て、何時もと同じように学園の少女たちを指導していた。

 夕刻。本日は、本音や静寐らで構成されるサークル“ベルベット・ガーデン”の顧問として、授業後の指導に当たっていた。見上げれば静寐が乗るリヴァイヴと清香が乗る打鉄が、戦火を散らしている。

 彼がいるのはフィールド上のセーフ・ゾーンだ。不可視の防性力場が地上2mで展開されていて、流れ弾が飛んで来ても危険は無い。遠くに見れば、残りのメンバーが声援を送っている。何時もと変わらない風景、何時もと変わらない日常、温和な日常と言う名の平和な一時。真はもう一度大あくびをした。

「んあ~」

 伸びる背筋が、筋雲走る初冬の空に掛る。11月1週目、そろそろセシリアの誕生日プレゼントを用意しなくては、イヤリングだとブルー・ティアーズと被る、ネックレスか? 日常的に付けて貰うには少々邪魔か。ならば指輪か、指輪は少々大袈裟じゃ無かろうか、とその様な事を考えていた。

「だらけていますわね」

 ISスーツ姿のセシリアが歩み寄る。彼女は自主練でアリーナに来ていた。一瞬心を見透かされたのではないかと、内心冷や汗を掻く真だった。

「そ、そんな事は無い」
「挙動不審ですわよ、また碌でもないことを考えていたのでは無くて?」
「失敬な。もっと真剣なことを考えていた。だらけているのもちゃんとした理由がある、シャルの長電話に付き合ったら夜遅くなったんだ。ふあ……」

「シャルロットさんと?」
「そう、昨日さ電話が掛ってきてどうして電話してくれないのかって、延々説教が、」
「察するにメールだけで済まそうとしたのでしょう」
「いやだって、時差もあるしさそうおいそれと電話って訳にも行かないだろ。そもそも一夏の役目だろこれは」
「その様子ですとシャルロットさんに変わりは無い様ですわね」
「変わりは無いんだけれど、」
「なんですの?」
「少し神経質というか、情緒不安定になったかな。最後は泣きながら怒ってたし」
「思い人と離れるのは辛いものですもの、当然ですわ」
「でもこればっかりはな」
「そうですわね、最近のシャルロットさんは凛々しいと言うよりは可憐と言う言葉がお似合いでしたし」
「……」
「なんですの?」
「シャルが女の子だって何時気づいた?」
「確信を持ったのは最近です。とても男性には見えなかった上に、急な引退、自明の理ですわ」

 オルコット家はイギリス本国の情報網にアクセスできるため、シャルの素性を掴んでいたが敢えて言わなかった。真は呆れを交えて「相変わらず鋭い」といった。そのとき清香からのコール。電子音と共に真の意識内に彼女の姿が映る。

『真、お邪魔して悪いけれどしつもーん』
『そう思うなら察してくれ、久しぶりなんだぞ』
『あはは、でも今日はサークルの日だからね』
『分かってるさ』

 真はみやを展開、背に一対の多方向推進翼を持った漆黒の鎧が現れる。

「セシリア済まない、ちょっと行ってくる」
「はい、がんばりなさいな」

 真が滑るように空中を飛空すると、その先に5名の少女が立っていた。静寐、本音、ティナ、清香、癒子である。彼女らは己の技量向上の為、自主的にサークルを作り訓練に励んでいるのだった。真は清香に言った。

「質問というのは?」

 真が彼女らの顧問を務めるようになって分かったことがある。静寐は銃器の扱いは並だが局地的戦術的な判断に優れること。本音は相手の意表を突くのに優れるトリッカー。ティナはチームのリーダーで銃器の扱いに長ける。清香は狙撃、朗らかな性格に反し堅実な攻撃を好む。癒子はオールラウンダー、決め手に欠けるが何でも卒無くこなす。三者三様ならず五者五様と言ったところだ。

 清香が言う。

「銃ってさ、どうしても右側に向けて撃ちにくいじゃない? 位置取りに制限がでてくるから何とかならないかーと」
「そりゃ銃の性質上そうなるって。銃は両手でグリップを持って銃床を脇で抱える様に固定する。反動があるからどうしても銃口が利き手と反対側を向く。それが気に入らないなら、反動の小さい銃にするかプリセット(初期装備)にするしかないだろ。プリセットなら容量も大きい分、反動もキャンセル出来るから」
「うーん、プリセットってイマイチなんだよね。大きさの割に威力が無いというか、使い勝手が悪いというか」

 ティナが割り込んで言う。

「清香、兵士が銃を選ぶのではありません。銃が兵士を選ぶのです。M-16A2さあこれを使ってみるのです」
「え、えー私は、H&KG36の方が」
「なにをいうのです清香! ライフルはアメリカ製こそ至高! ライフルマンの誓いを10回暗唱しなさい!」
「ひい!」

 またやってるよあの2人、飽きないね、そう皆が笑った時である。緊急通信が真の元に届いた。彼の意識に浮かび上がる白銀の少女、冷静沈着なその表情に驚愕と僅かばかりの恐れが混じっていた。尋常で無い事を悟った彼は努めて冷静にこう言った。

『ラウラか? どうした』
『真、職員室に急行してくれ、今すぐだ』
『何かあったのか?』
『コアの製造方法が公開された!』


  ◆◆◆



[32237] 04-08 誕生日(マイル・ストーン)
Name: D1198◆2e0ee516 ID:76b56651
Date: 2014/06/07 21:16
 俺が扉を開けたとき職員室は驚くほど静まりかえっていた。何時もは騒がしい、この空間が嘘の様だ。誰も彼もが一様に黙っていて一瞬葬儀の列を見ている錯覚に陥った。窓から射し込む柔らかな夕陽が皆の表情に影を落とし、一層それを強調する。いつもは陽気な3年の教員が押し黙っている。

 夕影が動く。眼を細めると壇上に教頭先生が立っていた。もともと証券会社のディーラーだという彼女は表情を余り表に出さず、日頃なにを考えているか分からなかったが、流石に今日は別の様だ。厳しい視線を俺に寄越していた。

 見渡すと皆が皆席に着き、壇上に立っている教頭先生を凝視していた。ぼうっと突っ立っていると誰かが咳払いをした。俺は急いで席に着いた。

 ISコアの製法公開、まだ解析らしい解析も行われていないが、概要を説明するとこうだ。チタンとインジウムを主成分とする結晶構造で、自己組成能力を有する金属情報体。簡単に言えば金属性のニューロネットワークと言ったところ。

 両元素の結晶化にニオブとパラジウムが触媒として使用され、特筆に値するべき事がその結晶化に使用されるエネルギー量だ。一個製造するのに必要な電力が約8000万キロワットアワー。これは130万キロワット級原子力発電所が1年発電する量に相当する量である。

 俺はとりあえず安堵した。製法がこれでは公開されたところで、おいそれと作れるものではない。為政者がISの量産化を望んだところでコストが掛りすぎるのだ。それこそ1年に1個出来るか出来ないかだろう。IS大隊など夢物語である。

 だが、政治的にはどうだろうか。単純にコストが問題であれば世の中はもっと単純だが、実際はそうではない。どこもかしこも我先に、ISをと考えるべきだ。なにより、ISのエネルギー増幅能力がある。

 今は規模が小さいが、この研究がすすめば、大量のエネルギーを利用出来るようになる。上手くいけばISコアでコアの製造エネルギーを賄うことも出来るだろう。いずれにせよ世界が大きく変わる……そこまで考えた時、俺は教頭先生の厳かな声で我に返った。議題は長期的な問題は棚上げして、コアの製法公開に対する学園の今後の方針に移っていた。


「今まではコアが少なく、ISに携わる事すら難しかったが、数が増えれば話は変わってくる。1人当たりの重要度が下がり、分散するはずだ。他の国、地域にIS学園の様な施設が作られることも当然考えられる。問題はその時我々の役目はどうなるか、どう動くべきかだ。各位柔軟な発想で意見を言って貰いたい」

 教頭先生の問い掛けに、様々な意見が出された。世界唯一の育成機関、この看板が下りれば予算が減り、今まで通りの運営が難しくなる。競争の原理が働き逆に予算が増える。

 優秀な生徒が分散し、学園生徒の質が落ちる。逆に国際交流が増え、生徒のみならず教師間でもIS育成が活発になる……等々。意見は真っ向から分かれた。良くなるか悪くなるかのどちらかである。つまり情報が少なく現段階では分からないと言うことだ。

 一通りの意見が出されたところで、教頭先生と眼が合った。中年の、カーリー・ウェーブ・ヘアのその人は、微かに笑うと、それは微笑と言うよりは挑発に近い様に感じたが、確かに笑いこう言った。

「蒼月先生は何かあるか」

 視線を浴びた俺は立ち上がる。ディアナと千冬がちらと俺を見た。

「推測の域を出ませんが、他の地域に学校形式の育成機関が作られることは間違いないでしょう。ただ今のところそれ程問題とは考えていません」
「それはなぜか?」
「IS学園が設立されて早7年、学校という枠組みで考えれば短いですが、進歩速度が速いIS関連機関と見ればすでに歴史があると言っても言い過ぎではありません。学園にある訓練機を揃えるだけでも相応の時間は掛るでしょうし、生徒や教師には日本人以外にも外国籍の先生が沢山居ます。なによりブリュンヒルデ級の教師もいます。新興の育成機関に対し十分なメリットがあると考えます。もちろん地位に甘んじるのは論外ですが。それより問題は教育面より軍事面が問題です。ISが一機あるだけでも大きく違う、今回の一件が契機となり世界規模での軍備再編が進むことは十二分でしょう」

「結論をたのむ」
「学園の解体が考えられます、もちろんワーストケースとしてですが」

 辺りがざわついた。この俺の意見は誇張だろうか、いやそうではない。他所の地域で軍備と言う事が現実味を帯びると、学園に於ける訓練機数が改めて評価されるはずだ。学園訓練機数30機、少ないと考える人は少ないだろう。同意見なのか、教頭先生は頷くとこう言った。

「ふむ、荒唐無稽と片付けるには筋が通っている。こうなると今後の活動方針に保守的な物を含めなくてはならないな……今件は継続審議とし、各位は提案書を提出すること。織斑先生」
「はい」

 千冬が立ち上がった。

「当面、学園周辺の警備体制をもう1ランク上げ、情報収集に努めるように」
「分かりました」


  ◆◆◆


 かって楯無の技は舞う水と評された。流れる清流の如く淀みなく滑らかに、霧の如くつかみ所無く変幻自在、ひとたび打てば鉄砲水の様に荒々しい。神童と呼ばれしその少女は、幼き頃からその才を申し分ないほど発揮した。幾年が流れ、その少女は誰もが思う楯無となり、その少女もまたそれを受け入れた。寝転び、天井を仰ぐ一夏は思う。才というのは一つじゃないんだな、と。

 一夏が一瞥を投げると道着を纏うその少女が立っていた。

「更識先輩、そろそろ種明かしを」
「だーめ。言ったでしょう、頭を使って盗みなさいって」

 楯無が一夏の訓練を施す様になり一ヶ月少々が過ぎたが、未だ一本も取れず、黒星を重ねている。理由は簡単で、訓練と言っても楯無が具体的に何かを教えるわけでも無く、ただひたすら組み手を行っているだけだからだ。組めばただ投げられ、床に叩きつけられる。それをずっと繰り返していた。

「そうは言っても何がなにやら、ちんぷんかんぷんで」
「男の子でしょ、泣き言言わないの。ほら何時までも寝っ転がっていないで、ちゃっちゃと立ち上がる。それともどうする? 今日はもう止めとく?」

 涼しい顔の楯無に、一夏はゆっくりと立ち上がった。その表情には悔しさを隠すこと無く滲ませている。

 一夏は左脚を一歩前に構えを取る。両の手の甲をかざす様にするその構え、左構えと言うがこれは静寐から教わった合気道の基本の構えだ。連敗が続き、付け焼き刃は百も承知で教えを請うたのである。一夏の眼に、楯無が映る。鋭くも無く激しくも無く、ただ静かに立っていた。

(掴むといつの間にか投げられるのはなんでなんだぜ。スピードもパワーも俺の方がある、それは間違いないのに。何かが変だ、何処が変だ? 例えば楯無先輩のこの構え、動かずにじっとしていて、俺が掴んだ途端、こうふわっと、まるで手品みたいに……んあ? まてよ、種も仕掛けもある手品、それを見られない様にしているとしたらどうだ?)

 彼は天啓を得たかの様に、構えを解き静かに歩み始めた。彼の脳裏には今まで何百回と投げられた楯無の、身体の肩や腰、頭や足に腕、それらの位置が明確に再現された。

「む、気づいた様だね」

 楯無の言葉に警戒の色が混じる。構えが変わる、彼女は重心を足の平全体から親指の付け根に移した。静から動だ。

 2人の間合いが交わるその瞬間、一夏の身体が宙に舞った。壁の茶色、床の緑色がくるくる回る。叩きつけられる。身体のダメージは全くなかったが一夏は悔しさを隠すこと無く両の手足を広げた。

「くっそー いけると思ったんだけど……やっぱだめかー」
「そんな事無かったわよ」
「でも投げられたじゃないですか」
「結果はね」

 結果が大事でしょうと、一夏が上肢を起こした時、その光景を見て、唖然とした。何度挑んでも息一つ切らしていなかった楯無が、息を乱し大粒の汗を流していたのである。接戦だったことの表れだ。一夏のプレッシャーがそれ程大きかった事を意味していた。

 一夏のなめ回す様な視線に居心地の悪さを感じながら楯無はこう言った。

「一夏君の見抜きは正解よ、いい? 人間の動きには骨格や筋肉の付き方から生じる限界、つまり動きに制限があるわけ。逆に言えば身体の状態から動きが予測出来る。一夏君のスピードに私が対応出来たのはその為。そしてどうして一夏君に気づかれない様に投げられたのかというと、」
「俺自身の身体の影に隠れて投げていたというわけですね」
「ご名答、如何に反応速度が高くても見られさえしなければ話は別だもの」
「そうかーそうか、よっしゃ! 楯無先輩もう一本!」
「じゃ訓練は終わりよ」

 一瞬ぽかんとした一夏だったが、頭を下げて喰らい付いた。

「先輩、あと一本だけで良いですからっ!」
「もうタネがバレた手品は終わり」

 右手をひらひらさせて踵を返す。

「勝ち抜けなんてずるいですよ!」
「知らなかった? 私はずるい女なのよ」
「そりゃないですよ~」
「一夏君」
「……なんですか」

 憮然と言うよりはふて腐れている一夏だった。その一夏に楯無は警戒の面持ちでこう言った。

「今のは武術の基本、基本だけれど根底を成す物。これを覚えた君は恐らく名実共に最強になる。君はその力をどう使うの?」
「皆を守る為に使います」
「簡単に言うのね」
「いけませんか?」
「守るってそんなに単純じゃないの。100歩譲って守ろうとするのは良い、でも強い力は災いを招く事もある。何より君はまだ16歳、力に溺れる可能性だって有るのよ、1年後、10年後、君が君でいる保証なんて無いじゃない。私はそれが怖い」
「怖いならどうして俺のコーチを引き受けたんです」
「とある人物の頼みじゃ断れないわよ」
「それが解答です」
「どういうこと?」
「俺は一人じゃない。千冬ねえも居るし、鈴たちも居る。なにより、目付きが悪くて陰険で、臆病なぐらい慎重なくせにひとたびISに乗ればのっぴきならない、ダチがいるんです。俺がおかしくなったらそいつが怒ってくれますよ、馬鹿一夏ってね。だから大丈夫です」

「随分仲が良いのね」

 表情無く、堅い口調。楯無自身気づかない嫉妬という感情に気づいた一夏は笑いながらこう言った。

「そいつ、ちょー奥手なんです。彼女候補の二人も古風というか奥ゆかしいというか、ともかくそいつと同じで、俺やきもきしてて。どうです? 年上の余裕を見せてやってくれませんか?」
「……」

 楯無は頬を染めてそっぽを向いた。一夏は屈託無く笑っていた。


  ◆◆◆


 11月最初の週末は大忙しだった。一つは教職の仕事で、授業の他に訓練要項の作成。生徒たちにどの様な指導を行えば適切か、これが案外難しい。自分の常識は他人の非常識、何故と聞かれても回答に困る時がある。それはそう言うものだから、で中々納得はして貰えない。かって所属していた軍隊の様に命令だとするわけにも行くまい。

 千冬やディアナも天才肌なので意外に教えるのが上手くない。そう言う時は真耶先生だ、彼女は常識的な視点を持っているのでありがたい。根掘り葉掘り、聞きまくっていたらディアナにこっそりと怒られた。決して胸に目が行っていたわけでは無いのに。

 もう一つは授業後で、専用機持ちとの模擬戦に本音らが活動をしている同好会の顧問指導。箒、セシリア、鈴、一番強いのは鈴だ。勝率は6割を超え、一夏を除けば全員に勝ち越している。近距離は双天牙月、遠距離は龍砲、鈴の性格とも相まって非常にバランスが良い。この調子なら来年開かれるモンド・グロッソへの出場も夢ではあるまい。

 セシリアは鈴に次いで第2位。ブルー・ティアーズは中遠距離型、高速巡航に優れるが機動力に劣る。その為の子機であり、フレキシブル(偏光制御射撃)なのだが如何せんアリーナが狭すぎだ。これが大空ならばひけは取りませんのにと、セシリアが溢していたのは此処だけの秘密である。国から何か言われないのかと心配になって聞いてみたら、BT稼働データは順調に取れているので大丈夫なのだそうだ。溜飲が降りた。

 箒は勝率が小さいものの、まあ専用機を持って日が浅いから小さいのは当然であるが最近順調に白星を増やしている。先日、とうとう鈴から勝利をもぎ取ったと聞いた。立ち会ったセシリアに言わせれば偶然といってもいい勝ちらしいが、勝利は勝利だろう。はしゃぎながら俺に報告してきたその姿は、本人に言わせれば冷静を装っていたのだろうが、無邪気に笑う子供の様でとても微笑ましかった。

 本音らが活動している同好会だが、皆熱心でがんばっている。5人いるので訓練機が借りやすく週2は実機で訓練だ。各位毎回60分ほど乗れている。残りはシミュレータなのだがこれが意外によく出来ていて馬鹿に出来ない。子供の頃あそんだ大型筐体のビデオゲームな感じでぐるぐる回る。懐かしさの余りつい調子に乗って5人同時相手に完勝してしまったら、やり過ぎだと千冬に怒られた。後日、メンタルケアという名目でデザートを奢るはめになった。

 これらが終われば教職員免許の勉強。テキストを片手に鉢巻きを絞る毎晩である。正直辛いところであるが、仕方ない。何故かというと千冬はゆくゆく俺を正式な教員にすることを考えている様だからだ。まあ生涯、非正規職員というのも格好が付かない。教壇に立つのも悪くないだろう。どうでも良いが目を通しただけで覚えるラウラの能力に、驚きと言うよりは怒りすら覚える。ぱらぱらとめくっただけで一語一句覚えるのだ。おお神よ、貴方は不公平だ。

「で、一夏はブルー・ティアーズの光弾を雪片で打ち返したのか」
「ええ、ベーブ・ルースの再来と言わんばかりで、こうカキーンと」

 セシリアは握り拳をスウィングの要領で軽く振るうと深い溜息をついた。今日は11月11日の日曜日。セシリアの、16歳の誕生日である。


  ◆◆◆


 ここはMの字で有名なファースト・フード店。最近値上げされたがそれでもリーズナブルなバーガーショップである。本当はもう少し豪華なところをと思っていたのだが、業務に忙殺されて予約を失念してしまったのだ。セシリアに詫びたら、構いませんわ祝ってくれるのでしょう? と言われて不覚にも泣いてしまった。

 店内を見れば学園生だけでなく他の学校らしき生徒も多数見える。カップルらしきペアも見えた。他から見ると俺らはどの様に見えるのだろうか、そんな事を考えた。

 セシリアはチーズ・バーガーとカフェ・オレを。俺はダブル・バーガーとコーヒーを注文した。カップを持ちながらセシリアは言う。

「偶にはこう言うのも悪くありませんわね」
「ハンバーガー?」
「ええ」
「まあ確かに毎日は飽きが来るかな」
「健康が抜けておりますわ、なにより美容にも良くありませんし」
「成る程それは一大事だ。でも、」
「でも、なんですの」
「セシリアと一緒なら毎日でもいいな、多分飽きることは無いよ」

 彼女は黙ってフライドポテトを頬張っていた。彼女のカーディガンはニットのライトグレーで、シフォンのワンピースはドット柄。珍しくカジュアルな装いだった。だが黒のロング・ブーツが相まって何時もより大人びて見える。

 彼女は黙って2本目のポテトを頬張った。顔はそうでも無いが、耳が赤い。照れている様だ。俺は静かに笑ってコーヒーを飲んだ。かわいい。

 今までの道乗りはと言うと、待ち合わせるのも何だからと、2人で一緒に学園を出た。そのとき先輩ズに見られてはやし立てられた。程なくして貴子さんにも知られるだろう。恐らくきっと茶化されるに違いあるまい……いや彼女はそんな事はしないか。

 そのあとセシリアと一緒に駅前をぶらついた。プレゼントは食事の後でゆっくり選ぼうとそう言ってこの店に入った。相応に混んでいたが幸いにも通りに面する窓際の席に座ることが出来た。空は高く、雲は薄く筋を引いて、陽気を感じる良い秋の昼日だった。

 何にしようか本当に悩ましい。服にしようかアクセサリーにしようか、ジュエリーだって可能だ。今日の日の為に資金は貯めに貯めてある。相応のものででも大丈夫だ。

 そういえば、はやし立てる群衆の中に楯無がいたが彼女の表情に影があった。僅かな物だったがどうかしたのだろうか。

「……真」
「なに?」
「今私が何を言ったか話してみなさい」
「美容と健康が」
「まったく聞いていなかった様ですわね」
「そーいえば一夏がさ、」
「上の空とは失礼ですわよ、一体なにを考えていたのやら」
「プレゼントをどうしようかと考えていたんだ」
「嘘おっしゃいな、他の女性のことを考えていたのでしょう」
「……何故そう思う」
「顔を見れば一目瞭然ですわ」

 こわい。笑顔のセシリアが心底怖かった。

「正直に言うとだな、調子が悪そうな人が居て、どうしたのだろうと考えていただけ。決してやましいことじゃない」
「どなたが?」
「それは内緒」
「やましくないのではなくて?」

 ぐうの音も出ない。

「生徒会長だよ、彼女調子が悪そうだったんだ」
「そうだったかしら」
「はやし立てる皆の中、1人俯き気味に口を閉ざしていた。なにかあったのだろうふゃ……しぇしりあ、いふぁい」

 頬を抓られた。見ればセシリアのこめかみに血管が浮いている。笑いながら、だ。器用な物である。

「本気で言っているのかしら。そんなわけないでしょうに」
「他に意図があると? ……仮病なわけないよな、何故?」
「秘密です。というか信じられないですわ、まさか真が、一学期の一夏さんの様」
「なんか知らないがえらい言われ様だな。傷付いたぞ」
「もうやめにしましょう、せっかくの日を台無しにしたくありませんもの」

 セシリアの言っていることが何だったのか、結局分からずじまいだが敢えて追求しなかった。彼女の言い分に異存が無かった為であるが、なによりその真実を知る事にためらいがあったからだ。知ってしまうと気づいてしまうと後戻り出来なくなる。

「まあ無かった事にも出来るんだけどな」
「どう言う意味ですの?」
「なんでもない。とにもかくにも、おめでとうセシリア」

 時が穏やかに過ぎていった。


  ◆◆◆


 セシリアとの会話は、大体学園生活のことである。既に生徒ではない俺にとって、皆のことはとても興味深かった。

 例えば皆は、部活動に精を出しISに乗る。勉学に精を出しISに乗る。ときには教室で授業中、タブレットを片手にこっそりチャットに精を出す、そしてISに乗る。大体皆は青春を謳歌している様だ。

 訓練機とはいえISは兵器だ。浮ついた状態で学べるのかという堅い意見も有ったそうだが、切り替えが出来ていれば問題ないと個人的に思う。無駄が出来る年代はそれ程多くないのだ。

 俺は中学を卒業しそのまま働き始めたから、彼女らの気持ちは分からない。だが、一学期だけとはいえ高校生活を送った俺にはその大切さがよく分かったから、だからこそ尊重したいとおもう。無駄な時間を過ごして欲しいと思う。それを後押しするのが教師の務めだ、まあちょっとだけ、学生に戻れればと思うことはあるけれど。

 大通りを歩き、交差点を曲がり小道に入る。セシリアに手を引かれ入ったそこは商店街だった。右には雑貨や衣類が並んでいた。左には居酒屋とラーメン屋があった。整備された学園都市とはいえ一歩裏に入れば地方都市と変わりない。白地に赤のラインが入った学園服がちらほら見受けられるだけだ。

俺は少々面食らっていた。

この通りに買おうとした物が無いからだ。服にしろアクセサリーにしろ価格帯が二桁ほど違う。勿論ここにある物は安い方だ。

「真、どうしましたの?」

 彼女の、裏表のない問い掛けに俺はこう言った。

「セシリア、3丁目に行こう」

 3丁目とは宝石店やブランドショップが建ち並ぶ高級商店街だ。某有名ブランドなどお馴染みのロゴを見ることが出来る。客層も異なり、学園服も更に稀。セシリアやティナの様なご令嬢御用達の一画だ。ここにセシリアに見合う物は無いと考慮にも入れておかなかった。

「真、高ければ良いと思っておりません事?」
「質と値段は得てして比例するだろ、安物を贈るつもりは無いんだ」
「分かっておりませんわね」
「すまない、よく分からない」
「特別であれば良いのですわ、真が私の為だけに贈った物、それが重要です」
「……」
「そもそも、私が買うアクセサリーの価格は真の給料でも厳しいですわよ」

 セシリアは笑っていた。とても嫋やかな笑みだった。


  ◆◆◆


「と、まあそんな事があってさ、何が欲しいかと思えば指輪なんだってかわいいよな。ほらこれ、右手の薬指にはまってる奴、プラチナのペアリングだって。俺には似合わないって言ったんだけどさ、是非付けて欲しいって言われちゃ仕方ないよな。知ってるかプラチナって白金なんだぞ、レアメタルなんだぞ、非常に安定した金属で、まるで2人の中が非常に安定しているって事に掛けているに違いない、っておいラウラ、料理は良いから聞いてくれよ」

「これ程苦痛だとは思わなかった」
「なにが?」

 専用機持ちを含む大半の海外出身生徒に帰国命令が下ったのは俺が帰宅して数時間後のことだった。


  ◆◆◆

そろそろ波乱の予感。



[32237] 04-09 更識楯無(新しい仲間)
Name: D1198◆2e0ee516 ID:76b56651
Date: 2014/06/07 21:17
 学園の、海外籍の少女らに帰国命令が下って数週間が過ぎた。荷造りをする少女らの姿、それを黙って見る少女らの瞳、時は容赦なく刻み続ける。徐々に増えつつある教室の空席、授業中突然泣き出す生徒も珍しくなかった。「泣いてはいけませんよ、辛いのは帰る生徒さんも一緒です、ですから笑って、わらって……ぐす」思わず涙ぐむ教員もいた。

 4組のとある赤毛の少女が、仲の良いそばかすの黒髪の少女にこう問うた。

「ねえ、メリッサ。いつ帰ってくるの?」
「分からない、一ヶ月後かもしれないし一年後かもしれない。全部は国次第だから……」
「それじゃあ帰ってこれない可能性もあるの?」
「……うん」
「そんなあ~」

 学園に送り届けられた通達によれば、期限に指定は無かった。先の生徒の言うとおり、事実上の撤収となる可能性もあった。学園は慌てた。海外籍の生徒は全校の半数にあたり、ただでさえ多量の税金を費やしている学園である。先進国を中心に海外の眼が無くなれば、学園の存続について言及する政治家がいても不思議では無い。

「ぼーちゃん」
「ボーデヴィッヒ先生と呼べ、岸原」
「ボーちゃん先生も帰っちゃうんですか?」
「……ああ、先日軍から正式な通達が来た」
「うぇ……」
「泣くな馬鹿者、今生の別れという物でも無いだろう」
「だってー」
「だってでは無い。留守中、学園は任せたからな」

 だが学園側は具体的な対応策が打てぬまま、ただ時間だけが過ぎていった。

 11月も終わろうという頃である。柊の711号室で、鈴は荷造りを進めていた。トラベラー・キャリーにぽいぽいと私物を放り込んでいく。学園に来る時はボストンバッグ一つという身軽な装いだったが、8ヶ月に及ぶ学園生活で相応にかさばる物も出来ていた。同室の本音は、そんな鈴の姿をじっと見つめていた。

「衣類はこんなもんで良いわね、文庫は沢山持っていくと重いしなー」
「連絡くれれば後で送るよ」
「そう? 悪いわね」

 鼻歌交じりに作業を進める鈴、これは持っていくかと文庫本を一冊鞄に入れた。それには“硝子戸の中”と書かれていた。鈴が手頃な物は無いかと聞いた時、真が最初に薦めた本だった。

「ねえ鈴ちゃん」
「んー?」
「本当に帰っちゃうんだね」
「んー」
「本当の本当に?」
「何度も言ったでしょ、アタシは代表候補生、国の指示には従わないといけないのよ」
「だってだって、この部屋2人部屋なんだよー、1人になっちゃうよー」

 鈴が本音を見れば、歯を食いしばり目には大粒の涙を湛えていた。今にも泣き出さんばかりであった。鈴は本音をそっと抱きしめると、頭越しにこう言った。

「アタシの国は隣、ちょっと足を伸ばせば直ぐ着くから何時でも遊びに来なさい。それにもう戻れないって決まったわけじゃない。ウチの国だって他所に追従してるだけで、大した考えが無いだけかもしれない。それよりあの2人のこと宜しく頼んだわよ、あの2人本当に手間が掛るんだからって、まあ本音なら大丈夫よね」

 ぐずつきながら、顔をくしゃくしゃにして本音は言う。“りんちゃん、おりむーにお別れ言ったの?” その声は言葉にならなかった。

「言ってない、けど。まあ今更じゃない? もう帰るって事は知っているわけだし、お別れ会はして貰ったし、まあ一夏なら大丈夫よ。なんてったって静寐が居るしきっと大丈夫」
「鈴ちゃん、いっちゃやだよー」
「泣くのはよしなさいって、ほら笑いなさいって」
「ふええええ」
「泣くなって、プライベート・アドレス教えるからあっちでも直ぐ連絡とれるのよ、最近は便利よね、顔さえ見られるんだから、いやもううっかり寝起きだったらこっぱずかしー」
「ふええええ」
「だから泣くなっての、」
「ふええええ」
「いやだからもう、困ったわねー、大体アレよ、」

 鈴の言葉が震え始める。今まで耐えてきた思いがあふれ出した。

「大体アレなんだから、本音が泣いたらアタシまで、アタシま……」
「ふえええええ」
「うぇええええ」

 2人は何時までも抱き合っていた。


  ◆◆◆


 11月最後の週、楓寮で学年合同の、最後のお別れパーティが開かれていた。既に大半の海外勢が帰国していて、残るは生徒は9名ほど。専用機持ちとしてはダリルとセシリアだけだ。海外勢で唯一残っているのがアメリカ籍の、在日米軍組。つまり3組クラス代表のティナは残っている。アメリカ本国組は既に帰国していた。

 パンパンパンとクラッカーが鳴り、帰国する生徒に花束と、メッセージが書かれた色紙が渡された。カランコロンとソフトドリンクの、氷の鳴る音が聞こえる。一転訪れる静寂、誰もが言葉数少なく、陰鬱な空気が豪奢な食堂に満ちていた。

 パーティは静かに行われていた。当初でこそ賑やかに行われたが、徐々に空席が目立つ様になる教室、この現実を目の当たりにした結果だ。仲間が減るというのは彼女ら憂鬱にさせた。

 癒子がポテトチップスを頬張りながら「今日で最後か、随分寂しくなっちゃったね」と言った。そうしたら清香が「これからどうなるんだろ私たち」と頬杖をつき深い溜息。咥えたチョコレート菓子がゆらゆらと揺れている。癒子が清香に言った。

「ねえ、あの噂知ってる?」
「当ててみようか? ……学園がお取りつぶしになるかもってアレでしょ」
「急に暗雲が立ちこめてきたって感じだよ、入学するのあんなにがんばったのに」
「一組はまだ良いじゃない、織斑君居るし。鈴ってムード・メーカーだったんだ。流石の我が二組も落ち込んでる」
「「はあ~」」

 2人揃って深い溜息。そんな2人に本音が近づいた。頬を膨らませ眉を寄せ、目が赤く腫れていた。

「癒子ちゃん、清ちゃん、滅多なことは言っちゃいけないんだよ」

 癒子と清香が座るのは4人掛けのテーブル。癒子が静かに席の奥側へずれた。そこに本音が収まった。ちょこんと座る。

「「だってー」」
「もー 織斑先生とリーブス先生が居るから大丈夫だよ、あとおりむーもまこと君も居るんだからね」

 本音の精一杯の強がりであったが、彼女の意を酌んで2人は明るく務めた。自分自身に言い聞かせる為でもあった。清香が「そう、そうだよね。何と言っても我が学園には人類最強の、織斑先生とリーブス先生の2大巨頭が居るから大丈夫!」といった。握り拳を作っている。そうすると「織斑君も居るしね。皆がいつ帰ってきても良いようにしておかないと」と癒子が言った。「まこと君は?」と不満そうに本音が聞いた。清香が言う。

「真はちょっと駄目かも」 癒子は失礼だろうと何も言わなかった。反発したのは本音だ、ぷんすかと頬を膨らませている。

「えー 清ちゃん酷いー」
「だってねえ。ほら、セシリアが帰国するって分かってからあの状態だし」

 眼を合わせる清香と癒子。見れば遠くにその2人が見えた。一夏は学園祭で着た燕尾服を纏い、帰国する数名の生徒をもてなしていた。根が明るい一夏の言葉、振る舞いに落ち込んでいた少女たちの表情にゆったりとした笑みがさす。

 方や真はセシリアと一緒に座っていたが、浮かべる笑顔に明るさが無く、無理矢理笑っていることが見て取れた。セシリアも似た様なものだ。箒はそっとしておく事にして静寐らと座っていた。真がコーヒーをすすりながらこう言った。

「セシリア、前に話した誕生日だけれど12月25日になったよ、千冬は祝うのに手間が無くて良いって言うし、ディアナは無神論者を改宗させるにはうってつけよね、だって。嫌がらせにはばっちりだ。当の本人だって信じちゃいないのにさ」
「その時は是非プロテスタントにして下さいな」
「うん、そうするよ」
「「……」」

 言葉が見当たらず黙り込む2人だった。


  ◆◆◆


 そのまま時は過ぎセシリアが帰国する前夜である。箒はセシリアの手を引いて学園の夜を歩いていた。

「箒さん、一体なんですの?!」
「黙って付いてこい」

 向かった先は教師用マンション、207と刻まれた部屋である。元々物置として使用されていたここは、部屋が足りないと改装されたところだった。住人の一人であるラウラは既に発ち今では真一人だ。その部屋の前に立ちセシリアは箒を睨み付けた。

「どういうおつもりですの?」
「今使わずしてどうするのか、といったところだ」
「なにを?」
「マイルーラに決まっているだろう」
「……余計なお世話です」

 箒は胸を張り両手を腰に添えた。

「もう真とはこれっきり、その可能性とてあるのだろう? 私に遠慮しているならそれは無用だ」
「持ってきておりませんわ」
「ならば私のを貸してやろう」
「随分と強引ですのね。そもそも箒さんはそれで良いですの?」
「今2人には2人が必要だ。私では一寸及ばない」

 箒はセシリアの右手を見た。その薬指には白銀のリングが収まっていた。

「卒業式まで待つ、その予定だったが前倒しになってしまったな。この状況だ。セシリアのしたいようにすると良い」
「私がそれを望んでいると?」
「納得はしていないが、ティナの物言いには一理あると私は想う。肌の温もり、頭ごなしに否定するものではない。セシリア、お前にしか出来ない事なのだ……真の為にも、たのむ」

 しばらくの沈黙の後、セシリアは背を向けた。

「セシリア!」
「そんなに大きい声を出すと真に気づかれますわよ、安心なさいな。私のを取りに戻るだけです」
「……私のを使えば良いだろう」
「それは箒さんの物ですわ、私のものではありません。それに、」
「それに?」
「準備がありますもの、いろいろと」


  ◆◆◆


 俺はベランダから月を見ていた。蒼々とした丸い月だった。草木が露に濡れ、りんりーんと虫たちが鳴く。その光景はとても美しい筈なのに、虫たちの歌は心地の良いはずなのに、何故か虚しく見えた、悲しく聞こえた。生徒が減っていることに気づいて寂しさを謳っているのかもしれない。

 虫の音が、響く月夜に、人想う。揺れるススキに人の心を見る。

 ……締まりが悪い。適当に浮かんだ言葉を句にしてみたが慣れないことはするものでは無いなと改めて思い知った。はあと溜息が自然と漏れた。

 明日セシリアが発つ。その事実が体と心にのし掛かった。もう会えないわけでは無いのに何という様だろうか。休みを取りイギリスに行って会うことも出来るのに、抱擁を交すことだって可能なのに。何故のし掛かるのだろうか。

 それは壁が出来てしまうからだ。入学から数えて8ヶ月、殆ど毎日会っていたが、明日からは会わない方が多くなる。一日が過ぎ、二日が過ぎ、一週間に1ヶ月。俺らは互いに知らない時を過ごす。知らないところで知らない様に変わる。

 次出会ったとき俺は俺だろうか。セシリアをセシリアと見る事が出来るだろうか。

 そんな保証なんて何処にもない。再会した時に感じる余所余所しさ。鮮やかな表情がセピア色に変わってしまう空しさ。同じ時を過ごせない恐ろしさ。それがどれ程恐ろしいか俺はまだ知らない。

「出来る事ならもう少し時間が欲しかったかな。あと2年、いや1年……」

 不意に溢れた言葉。俺は自嘲気味にわらった。

「やれやれ、シャルも鈴もラウラも居なくなったというのにセシリアのことだけか。これでは教師失格だ」

 俺に出来る事は笑って見送ることだけだろう。せめて彼女の負担にならないように。両腕をいっぱいに広げ息を吸う。冷たい空気で新鮮な気持ちになった。

 風呂に入り明日に備えてテキストを読んでいる時だ。ぴんぽんと来訪者の告げる音が鳴った。はてなと首を傾げた。

 時計を見れば午後の10時。この時分に誰だろうか。ディアナや千冬ならば前もって連絡がある。真耶先生か? 彼女は寮長だ。こちらに来るならばそれこそ連絡があるだろう。一夏かもしれない、その考えは直ぐに捨てた。もう寮外に出て良い時間は過ぎている。見つかれば反省文だ……楯無だ。彼女なら生徒会特権とか言って、然も当然の如く、下々よ控えよとかいう傍若無人な悪代官の如く、堂々とやってくるだろう。ぴんぽんとまた鳴った。

 はてさてどうしたものか。居留守を使おうか。何度鳴らしても無視をするのだ。そのうち飽きて帰るだろう……そんなわけは無い。そんな諦めの良い性格ならばこれ程苦労はしないのだ。彼女なら強引に入る手段を取るだろう。きっとそう、蛇腹剣を取りだして扉を破壊する。ぶるっと背筋に悪寒が走った。3度目のぴんぽん。心なしか苛立たしげだ。覚悟を決めて扉を開けた。

「おそいですわよ」

 其処に立っていたのは鮮やかな金髪に蒼い瞳、見紛う筈も無いセシリアだった。茴香(ういきょう)という名の花がある。鮮やかな黄色の花を付け、花一つ一つは小さいが、沢山集まって咲き乱れる、その姿は夜空に浮かぶ花火の様。別名フェンネルともいいセシリアにぴったりだと思う。俺は多少困惑した様にこう言った。

「来訪を歓迎したいところだけど、もう時間も時間だ。見なかったことにするから早く帰るんだ」
「大事な用がありますの」
「大事? 反省文よりも大事な物か?」
「勿論」

 セシリアの様子がおかしい。どこか、こう、具体的にと言われると回答に困るのだが、確実に何か変だ。

 彼女が纏う何時もの学園服。基調の白は、白と言うよりホワイト、純白が適当だろう。赤のラインは鮮やかで何処かしら情熱的。なんかこう、そう艶めかしいがぴったりだ。一瞬、倒錯的な何かが膨れあがったが、何とか押し込めた。

「どうぞ」

 とセシリアを部屋に招いた。すれ違う瞬間、香水の匂いがした。甘くなく辛くなく、頭の奥をこそぐる様な匂いだった。ふらふらした。いかんいかんと頭を振るう。

「何か飲む? ってココアか紅茶しか無いけれど」
「では紅茶を頂きますわ」
「寝られなくなるぞ」
「構いませんわ」

 なんで。そう出かかった言葉を飲み込んだ。ケトルに水を入れ火を掛ける。こーと言う音。こう聞いてみた。

「で、用件というのは?」
「1人では少々大きいですわね、この部屋」
「……君の屋敷に比べれば小さいだろう」
「自分の常識が何時も通用すると、思っているほど愚かではなくてよ」
「そうか」

 ケトルがしゅんしゅん言い始めた。

「用件のことなんだが」
「ラウラさんのベッドは?」
「……窓側」

 セシリアはソファーから立ち上がり、廊下側のベッドに腰掛けるとこう言った。

「ラウラさんが帰国して一週間、そろそろ恋しくなるのではなくて?」
「まあ、ね」
「あら。意外とあっさり認めましたわね」
「否定するとでも思ったか?」
「ええ。そんな事は無いと」
「家に帰ると誰か居る、家に居ると誰か帰ってくる、ディアナ、知っている君だから敢えてこう呼ぶけれど、誰かと一緒に居る生活は、彼女の分を考えればもう半年だからな、地味に堪える。ああ鈴もそうか」
「最近食堂で食事を取る様になったのは?」
「勿論一人飯がさみし……自炊が出来ないから」

 くっくっくと喉を鳴らすセシリアだった。

「あの2人とは?」
「上がる時間が違うんだ、待ってると遅くなるから平日は1人なんだよ」
「まあ、そうでしょう」
「まったく、何が言いたいんだセシリアは」

 ぷひゅっぴーとケトルが鳴いた。頃合いだ。ティー・ポットを取り出し湯を注ぐ。その時だ、背後に彼女の気配があった。なにと、いう間に背中から腕を回された。柔らかい感触と匂いが理性に纏わり付いた。

「夜遅く殿方の部屋にやってくる、この意味が分からないほど子供ではありませんわよ」
「セシリア、あのな」
「織斑先生やリーブス先生、そしてフランスの方、真が義理立てし耐えているのは知っています。でももう自分を許しても良い頃合いだとは思いませんこと?」
「俺は……」

 どうしたものかと考えた。この下腹から盛り上がってくる衝動に身を任すのは簡単だ。このまま押し倒せば良い。だがそれは正しいことなのだろうか。事後、責任を取れとは彼女は言わないだろう。きっと今まで通りでというだろう。

 だがそうは行くまい。何より俺がそう思わない。古き関係が終わり新しい関係が始まる。3人に背を向けセシリアだけを見る。それが俺に出来るのか。

「その解きほぐし、私に任せてくれませんか?」

 震えるか細い身体と揺らぐ蒼い瞳。俺は覚悟を決めた。なにを怖じ気づいている蒼月真。女性に、セシリアにここまで言わせてそれでも男か。

 彼女の身体を一度強く抱きしめるとベッドに誘った。金の髪がさらりと、白いシーツの上に流れた。白にたゆたう金色の髪、偉大な画家でも創れないほどの美しさだった。彼女の胸に手を置き、鼓動を感じる。

「正直に言うよ、こう言う風に出来たらとずっと考えていた」
「私は夢ではなくてよ、でも夢の様に丁寧に扱いなさいな」

 唇を重ねる。最初は軽く、次第に重く。

「ん……」

 唇を首筋に移し、右手を胸からみぞおち。手の甲でゆっくり滑らせた。さらに腰から足へと流す。

 ぴくん。

 強ばった彼女の身体。解きほぐそうと強めに抱きしめた。

「苦しかったら言ってくれ」
「少し……でも悪い気分ではありませんわ」

 しばらくの間、セシリアの呼吸と、胸の鼓動を聞いていた。

「服を……」
「ああ」

 するり。白いレースの下着だけとなった彼女はとても美しく、羽化する蝶の様だった。俺は照明を落とした。セシリアはカーテンの隙間から漏れ入る光を浴びて輝いていた。

「真」
「セシリア」

 ぴんぽん。

「「……」」

 4度目である。ぴんぽん、5度目だ。ぴんぴんぽーん。

 誰だこんな狙った様なタイミング。皆中と言うよりはくじを引いた一人目が、一等を当ててしまって、皆が白けているのに、1人はしゃいでいる様な何とも言えない気まずさを感じる。恐らくは、けったくそ陰湿な性格をしているに違いない。

「……応対しませんの?」
「すまない、ちょっと行ってくる」

 俺は苛立ちを隠さずにドタバタと足音を立てて玄関に向かった。

『ねー 開けてくれない? ここ寒いのよ』

 楯無だった。扉越しにでも分かるほど、陽気な声で立っていた。何かこう大事な物が崩れる前兆の音が聞こえた。何しに来た! と極力小さい声で言ってみた。

『遊びにきたに決まってるじゃない』

 嘘だ! なにを企んでいる!?

『たくらん、卵の世話を他の個体にさせる動物の習性のこと』

 出がらしのギャグはもう良い!

『ぶー』

 良いか楯無、今非常に立て込んでいるんだ。明日だったらなんでも応じるから今日はもう帰ってくれ。否帰れ。

『なんでも?』

 おう。だから帰れ。

『ふーん、そんなに立て込んでいるんだ』

 キューバ危機を乗り越えたかのケネディ大統領だって今ほど焦らないぞ!

『あやしい』

 ぎくう。

『開けなさい』

 何も怪しくなんて無いぞ! くどい様だが小さい声で言ってみた。そしたらノブがガチャガチャ言い始めた。なんというホラー いやサイコ・スリラーか。ミザリーだってここまでしないぞ……そうじゃない。いま大事な時なんだよ。すっげー大事! 

『……』

 ぴたりと止んだ。おお、分かってくれたか楯無。君は良い奴だ。帰ったのを確認しようと確認レンズを覗く。そしたら、蒼流旋を頭上に掲げた楯無が見えた。何という毒々しい笑みだろうか。

『開かぬなら壊してしまえ蝶番』

 前言撤回! やーめーろー! がきんと耳障りな音が鳴った。破壊された蝶番の破片がゆっくりと弧を描き床に落ちていった。からんと軽い音のあと、ごとり、ばたんと鈍い音がした。崩れた扉の残骸、そこには楯無が立っていた。ひんやりとした冷気が入る。

「ああああああ」

 台無しである。全てが崩れ去る音がする。頭を抱えて壁にすがりついた。

「真、どうして更識さんがここに?」
「遊びに来たそうだ、といったら信じてくれるか?」

 見ればセシリアが立っていた。やって来た時と同じように、学園服を着ていた。情熱的な青春の時間は崩れ去ったようだ。付け加えればセシリアの機嫌が非常に機嫌が悪い、そう見えた。

「あら、まあ。まさか来客中とは大変失礼をば。でも意外な時間に意外な人物よね、今何時かご存じ? セシリアちゃん」
「それは貴女も同じ筈ですわ、楯無先輩。生徒会長ご自身が校則を破るなどと、示しが付きませんわよ」

 彼女は俺の名を呼んだ、見下ろすその瞳には、不信感が山ほどあった。

「それで更識さんとはどの様な関係?」
「ただの知り合い」
「ひどいわ! あんな事やこんな事してあげたのに!」
「そんないい目にあった事は何一つなかった気がするぞ」
「いい目とは?」
「ただの一般論」

 セシリアはきっとした目付きで楯無を睨んだ。

「どう言うおつもりかしら。更識さん、貴女は知っているはずですわよね?」
「もちろん、だからこそと言うわけ。不純異性交遊は駄目よ」
「知っていて来たと? それにしては良いタイミングですこと。監視でもしていたのかしら? ……まさか」

 セシリアは何かに気づいたようだった。方や楯無は涼しい顔だ。口元を隠す扇には“神出鬼没”と書かれていた。セシリアは張り詰めた表情を緩めてこう言った。

「そう、そう言う事ですの。まさか貴女もそうだとは思いませんでしたわ」
「意外だった? まあかく言う私もそう思ったのだけれど」
「敵は少数ですが強大ですよ、覚悟はおあり?」
「そうみたいね。でもやる前から諦めるって性に合わないのよ」

 何のことだ? 2人は何のことを話している?

「良いでしょう、楯無さん貴女を3人目として認めましょう。言っておきますが苦労しますわよ」
「結構♪」
「真」
「なんだ?」
「近いうちに休みを取ってイギリスに来なさいな。続きはその時にしましょう」

 そう言うとセシリアは颯爽と去って行った。俺は後ろ髪引かれる思いでその背中を追っていた。見えなくなったところでこう楯無に言った。

「楯無、君はセシリアと俺の事を知っていたんだろう? 何故邪魔をした」
「ルート確定されたらどうにもならないじゃない」
「るーと? 何のことだ?」
「冗談よ。教師が生徒に手を出したなんて知れたら一巻の終わりよ、感謝してほしいところよね」

 真意は掴めなかったが、彼女の言い分には一理ある。心の中で一言謝意を述べると、立ちあがった。楯無は扇をパタンと閉じた。彼女も帰る様だ。

「楯無」
「なに?」
「今夜は帰さないぞ」
「……え」
「扉を直すまで」
「……」

 応急修理に呼び出された虚さんは散々苦言を言いつつもしっかり直してくれた。


  ◆◆◆


濡れ場、何処まで書こうか悩んだのですがこれぐらいならいいかなーと。

程度が難しいですね。




[32237] 04-10 別れ(セシリア・オルコット)
Name: D1198◆2e0ee516 ID:76b56651
Date: 2014/06/07 21:17
明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。


  ◆◆◆

 イタリア共和国、ヴェネツィア。アドリア海の最深部、ラグーナ(潟)に出来たこの町に、ファントム・タスクの支部がある。四方が海に囲まれ、観光客で賑わうこの町は、逃げる隠れるにはうってつけだ。そのヴェネツィアの南東部、サンマルコ広場の近くにある石造りの建物に束は居た。

 彼女の居る部屋は邸宅並みの広さがあり、調度品も高級な物ばかりが使われていた。落ち着いた若葉色を基調とした部屋で、上品さを醸し出していた。ベッドはつるをイメージした作りで優雅さがあった。ソファーのクッションは身体を包み込む様で心地よかった。

 さながら三つ星ホテル並みの作りであったが、テーブルには食い散らかしたであろう残飯が散乱し、下着を含む衣類はクローゼットに収まること無く辺りに散らばっていた。この部屋を作った人物が見よう者なら卒倒しそうな勢いである。

 その部屋のベッドで束は毛布にくるまっている。時計を見れば午前11時、窓から外を見れば観光客を乗せたゴンドラがのんびりと行き交っているのが見られただろう。彼女は取引を終えた今もファントム・タスクの来賓として居座っているのであった。

「ふあー」

 彼女はシーツから両手を出し伸びをうった。眼前に浮かび上がった空中投影ディスプレイには部屋を中心とした半径30m以内の人間の行動が逐一記録されていた。ISはもちろんのこと銃火器や催涙弾、盗聴器の類も探知出来るセンサーだ。ラトウィッジも異常なしと回答。彼女は起き上がった。

(ふーん、夜襲なり何なりの策略を仕掛けてくるかと思ったけれど、案外温和しいね)

 のそり。彼女は起き上がった。一糸まとわぬ姿であったが空調のお陰で寒くはない。散らかった部屋を一瞥すると、行く当てを逸したかの様に、ふらふらと窓際に寄った。一瞬誰かに肌を見られるのではないかと懸念したが、放心の底に在る無意識が勝ってそのまま窓を開けた。冷たい空気が部屋に入り、暖房の暖かい空気と混じる。

 寒さと暖かさの狭間で、彼女は無意識に従って見下ろした。そこには笑顔の観光客と陽気に歌うゴンドリエーレ(漕ぎ手)見えた。

(ふん、なんて汚い町なんだい。誰も彼もが自分の犯した罪に気づかないまま偽りの平和を甘受している……)

 彼女の瞳に宿る物はかって迫害された者としての恨み憎しみ、そして怒り。彼女は汚物でも見るかの様な視線でそれらを見下ろしていた。

「お前たちが私たちに何をしたか思い出させてやろうか」

 そういうと右手を左から右に振り、光子のコンソールを呼び出した。両端にある球状のインター・コムに両手を置く。基幹システムにアクセス、いくつかのゲートを抜け、プログラムを呼び出した。それには“最終プログラム(アーマゲドン)”と記されていた。彼女が実行しようとしたその時である、部屋の扉がコンコンと二回鳴った。

 現れたのは黒髪の女性だった。その髪は長く美しい艶を持っていた。清純を連想させる後ろ姿だったが、その目はつり上がり、口元は鋭く歪んでいた。美人ではあったが見る者全てを萎縮させる攻撃的な表情をしていた。

 束は笑えばきっと魅力的だろう、そう思ったが敢えて言わなかった。その代わり「入室を許可した覚えはないよ」と苛立たしげに言った。

「細かい事言うなよ、それにちゃんとノックはしたぜ。あとまっぱだかで窓を開けるなよ。騒ぎになるとメンドーだ。その胸のでかさはちーとばかり目を引くからな」

 その黒髪の女性の名前はオータムというのを束は思い出した。自分に衣を着せない態度、言葉遣いに束は遠からず好感を持っていた。千冬と箒と同じ黒い髪というのもそれを後押しした。彼女はコンソールを消した。オータムは手品でも見たかの様な表情であった。

「まるっきり魔法だな、それ」
「見世物じゃないよ、それでこんな朝早くから何の用だい」
「飯持ってきてやったに決まってんだろ、ほれ」

 もう昼時だとは言わず、オータムは銀細工の大きなトレーをこれ見よがしに見せると、テーブルに置いた。残飯がぽろぽろと落ち、カーペットを汚していった。

「しっかしきたねー部屋だな。支部でも一二を争う豪勢な部屋だってのにこれじゃ台無しだ。退出時のクリーニング代は弾むぜ?」
「クリーニングとは言わず改装して帰るよ、元の部屋より豪華にしてね」
「あんたが言うと冗談に聞こえねえからいけねえや」

 束はつかつかと歩み寄ると、トレーのサンドイッチに手を伸ばした。両手に1つずつ持ち威勢よく食べ始める束。オータムは腕を組んで入ってきて扉にもたれ掛かった。

(世紀の大天才と言うから、どれだけの堅物かと思えば随分人間くさい奴だったんだな)

 オータムは言った。

「なあ博士よ」
「むぐ、なんらい?」
「食い終わってからしゃべれよ」
「むぐ、食べてる最中に話掛けたのはそっちじゃないか」
「へーへー そりゃあ悪うございました、じゃなくて。あんた何でウチに居るんだ?」
「質問にしちゃ説明不足だよ」
「あんたは俺らファントム・タスクと昔いざこざ起こしたって言うじゃ無いか。それが不思議でよー」
「そうあの金髪女が言ったのかい」
「スコールだ、名前ぐらい覚えろよ」
「目的があるからに決まってるね、それが終わったら言われるまでも無く直ぐ帰るさね」
「目的ってのは?」
「秘密だよ」
「そうかい」

 オータムは大した落胆も見せず、振り返った。

「それじゃ、食い終わったら適当に置いておいてくれや」
「あの金髪女は?」
「スコールだっての、ったく。博士のくせに物覚えが悪い……会議中だから直ぐには会えないぜ。じゃーな」
(……会議ね、どんな悪巧みかな)


  ◆◆◆


 場所は変わり、束の居る部屋の2フロア下。ブラインドが下ろされた薄暗い部屋でスコールはモニターに向かい合っていた。壁一面に敷き詰められたそのモニターには“Sound Only”と11個表示されていた。ファントム・タスクの幹部が会議をしていた。スコールは足を組み替え報告を続ける、微笑を浮かべて。

「……ISコア製法公開により各国の軍事再編が進んでいます。予定通りIS学園の専用機持ちは帰国しています。あと数日で最終目標のイギリス代表候補生、セシリア・オルコットが帰国するでしょう。最後の工程はその時に向けて準備中です。またIS学園の運営に支障が出ない様、各国の要人に働きかけています、全体の進捗具合は全体の80%、計画に対し4%の遅れですが誤差範囲内です。以上が進捗報告となります」

「計画に対しては確かに予定通りだ。だが少々用心深く過ぎないかね、ミス・スコール。この計画はどう好意的に解釈しても効率的とは言いがたい」

 野太い声、威圧的な声が響く、彼女は真の誘拐計画の進捗について追及を受けていた。

「お恥ずかしながら我々は二度退けられています。念には念を入れなくてはなりません」

 彼女は足を再度組み替える。その姿に怯えはなく、毅然とした態度だった。別の幹部が言った。

「チフユ・オリムラとディアナ・リーブスは本当に押さえ込めているのだろうな」
「その為の学園支援です、二人を閉じ込める檻は万全です」
「エムと言ったか、その小娘は本当に使えるのか。聞けばフランスの代表候補生ごときに敗北したと言うではないか」
「彼女以上の使い手は我がファントム・タスクに居りません。それは私が保証いたします。それは卿らもご存じの筈」
「スペックは確かに認めよう。だがそれが作戦遂行能力に結びつくものではない、これ失敗が続くのであればISを与えている待遇を考え直さなくてはならない」
「心配ご無用、次は必ず蒼月真を我らの手中に」
「ミス・スコール、君もわざわざ経歴に傷を付けたくはあるまい、切り捨て所は見誤らぬ事だ……ときにミス篠ノ之はどうしているのか?」
「来賓待遇で引き続き滞在して頂いております」
「彼女がゲート・ストーンをどう使うのか判明したのか?」
「いえ。何度か聞いてみましたがはぐらかされました。しかしアレはただの渡航機です。百歩譲って何らかの機能があったとしても、学園のを奪取する事は非常に困難でしょう、専用機持ちが減り相対的に弱体化したとは言えあの2人は未だ、強力に健在なのですから」
「彼女に公開させたISコア製法、独占するべきでは無かったのか?」
「コアの製造には膨大な資金が掛ります、我らの手に負えるものではありません、餌に使うのが適切かと」
「ISコア製法が餌か、随分と思い切った計画だが、彼女はそのコアを468個以上製造している、月に基地があるとも言うし、製造させることは出来ないのか?」
「彼女を我々に協力させることは困難でしょう。それこそ私が卿ら言うまでもありません、今以上当てにするのは得策ではないかと、そうですねヴェルスター卿?」

 束との決別、白騎士の奪取失敗、赤騎士の中破、しくじったのは全てお前たちだ、彼女はそう言っていた。堅い雰囲気の中、彼女は姿勢を崩さなかった。

「では何故滞在させている」
「見えぬところで動かれるよりは監視出来るところに置いた方が得策かと。何より彼女は気まぐれ、思わぬ贈り物があるやも知れません」
「根拠の無い期待か、君らしくないが……まあいい、お手並み拝見といこうミス・スコール、我らを世界に」
「我らを世界に」

 次々に消えるディスプレイ、沈黙したその部屋で、彼女は一人息を吐いた。

「過去にしがみつき、未来を食いつぶす者たち、か。ファントム・タスクも随分濁ったもの。権力を求めるのは良い、でも美しくあるべきだわ。でなければ求めた権力に操られる愚者と同じ……そうは思わないかしら、エム?」

 部屋の暗がりから現れたのはエムだった。漆の様に黒い髪、象牙の様に白い肌、一見、人形の様に見えたが、黒ずんだ赤紅色に塗られた唇がその印象を打ち消していた、力強い生命の鼓動が見て取れた。その瞳に宿る憎悪の光りはなりを潜め渇望で満ちていた。それを確認したスコールは、満足そうに頷いた。無断入室の件は不問いにした。

「別に礼など言わない」エムは表情無く言った。
「結構よ、恩着せがましいのは嫌いだし、貴女もそんな質でも無いでしょう、結果を見せてくれれば良いわ……それで用件は?」
「出発は明日だが、今の予定が空いている。前倒ししても良いか?」
「だめよ、計画は計画通り進めて頂戴。存在する、動くだけでも意味はあるのだから」
「……承知した」

 僅かな沈黙の後、それは何かを言おうとしたそぶりであったが、エムは結局何も言わず振り返り背を向けた。エムにスコールは言った。

「ミス・篠ノ之とは会ったの? 9年ぶりの筈よね?」
「必要ない……今更だ」

 エムが出て行くと、その部屋に沈黙が訪れた。誰もおらず、何も無く、黒いディスプレイと白いオフィスデスクがその空間を無機質な物へと変えていた。その誰も居ない空間にスコールはこう言った。

「あの娘、地は良いのに飾りっ気が全くなく何時も惜しいと思っていたんです。それが最近化粧を覚えたらしくて、お気づきになったでしょうか? 今も口紅を付けていましたよね。好きな男の子でもでたようです」

 その瞬間、壁一面のディスプレイに人参が映った。デフォルメされていて、さながら人参のぬいぐるみだ。喋る度に揺れたり、大きくなったり小さくなったりする仕組みで、勿論束のハッキングによる物である。人参が喋った。

「私がこうするのも予想の内って事かい、その余裕いっぱいの表情、気に入らないね」
「貴女に対する電子的な防備は一切無力、それは十分に理解しています。それよりもどうです、ヴェネツィアの町は。せっかく来たのですから観光などされては如何でしょうか。ドゥカーレ宮殿など見応え有りますよ」
「あんな連中に混じって笑う自虐的な趣味は無いよ、それよりも9年ぶりとはどういう意味だい?」
「てっきり計画について質問なさるかと」
「あの坊やを手に入れたい、それはもう聞いたからね。過程には興味ないよ、成功するかどうかは少し気になるけれど、失敗したらしたらで別に構わないさね」
「あら冷たいですこと」
「で、回答はどうなんだい」
「……織斑マドカ、といえばご理解頂けますでしょうか」

 その名を聞いたとたん束の声が柔らかくなった。懐かしい物を、昔在りし良き日々を思い出している様だった。

「なるほど、そう言うカラクリかい」
「私どもを糾弾なさいますか?」
「まどっちの言うとおり必要ないね、どうせ元に戻るんだから」

 どの様な意味か、スコールが質問する前に、人参は画面から消えた。


  ◆◆◆


 クリスマス色で飾られ、年の瀬に活気づく成田国際空港。仕事帰りのビジネスマンや、一足早い休みを取ったのであろう家族連れもちらほら見受けられた。

 その相応に混み合うロビーに立つのはセシリアと箒だ。セシリアは帰国の為、箒は見送りのため無理を言って授業を抜けてきたのである。箒は幾分鋭い眼差しで、セシリアはそんな箒を宥める様に、2人は話していた。少し離れた場所に教師代表として真も立っていた。一夏は居ない。見送りを希望したがシャルロット帰国のさい無断で学園を抜け出した事を咎められ許可が下りなかった。

 真は窓際に立ち、セシリアが乗るチャーター機をじっと見た。BMIと刻印され青と白のツートンカラー、もうじきセシリアはこの機に乗って日本を発ちイギリスに帰る、ここを発つ。この機を破壊すればセシリアは戻らずにすむ、そんな馬鹿げた妄想を仕舞い込み、彼は深い溜息ひとつついた。今度は2人を見た。私たちだけで話をしたいという、2人の意向を受けて彼は1人立っていた。

(女の子同士の会話を邪魔する気は無いけれど、別に今じゃ無くても良いじゃないか、俺の外出時間だって、なによりセシリアの出発時間だってあるんだぞ……)

 彼は一瞬何かの気配を感じ取ったが、差し迫る時間に気を取られそれ以上の詮索を止めた。

 箒はセシリアを咎める様に「本当に良かったのか」と聞いた。箒は、昨日の顛末を今朝聞いたのである。もちろん楯無に邪魔をされたセシリアと真の夜のことだ。箒は何処か安堵した様なセシリアの態度に多少なりとも苛立っていた。

 彼女とてセシリアと真が関係を持つことにためらいがあった。出来うることなら避けたかった。散々迷った上での一大決心で後押ししたのである。その決心をふいにされては彼女とて文句の一つでも言いたくはなるだろう。だからセシリアは箒にこう言った。

「楯無さんの腕は確かですわよ、間違いなく」
「……私だけでは不安だというのか」
「箒さんの技量はよく存じておりますわ。箒さんだけで済む問題もあるでしょう、でも」
「でも?」
「何せあの真です、どんな騒動に巻き込まれるやら。ですから1人よりは2人、2人よりは3人……仲間が居るのは心強いですわ。真に対しても、箒さんに対しても。あの2人は自由に動ける立場でもありませんですし」
「私は認めん。ぽっと出の者に。あの一学期を見過ごしてきた者に」
「それは箒さんが決めると良いでしょう、ただ好きだという感情は誰にも否定出来ませんわよ。それは箒さんが一番よく知っているはず」
「……承知している」

 セシリアは本音と静寐と何をしたのか、そう言っていた。

 彼女はちらと真を見た。眼が合うと彼はすっと逸らした。無表情で一見、何でも無いと言わんばかりの表情であったが、実際のところまだかと逸る気持ちを抑えていた。それが手に取る様に分かったセシリアはクスクスと笑い出した。気づいた箒も笑い出す。

「セシリア、もう良いのではないか? そろそろ真が不憫だ」
「そうですわね……箒さん、最後に一つ」
「なんだ」
「今回のISコア製法公開により軍事再編が行われその結果として私たちが帰国することになったのですが、実は逆だとしたらどうでしょうか」
「? セシリアたちを帰国させる為にコアを公開したのと言うのか、何の為に?」
「今回の一件、不可解だと本国でも言われていますの。今まで再三にわたり各国がコアの製法を要求してきたにもかかわらず、応じなかった篠ノ之博士が今になって突然公開した事。海外籍の生徒を帰国させたにもかかわらず来年以降の入学予定は変わっていない事。中止や白紙にするべきところですのに、矛盾していますわ。転じて何か意図がある」
「考えすぎではないか? 私が言うのも何だが姉は他人に無関心だ。それに気まぐれなところもある」
「ええ。ですから篠ノ之博士と学園(私たち)の間に第3の存在が考えられます、十二分に注意して下さい」
「わかった」

 セシリアは真を呼んだ。箒は少し離れた。頬を掻く真にセシリアはこう言った。

「なんて顔していますの」
「駄目だな俺は。あれもこれも言おうと思ったんだ。でも、いざ向かい合うと何も言葉が出てこない」
「別れの言葉でしょう? でしたら言う必要ありませんわよ」
「違いない。じゃあこう言うよ、いってらっしゃい。帰りを待ってる」
「はい、行ってきます」

 2人は強く抱き合い唇を重ねた。

 チェックイン・カウンターに、消えていったセシリアを見えなくなるまで見送った後、真は振り返った。

「失礼」

 真にすれ違い、ぶつかりそうになった女性はそういうと足早に去って行った。その女性は金髪でサングラスを付けていたが赤い瞳をしていた。黒のファー・コートにロングブーツ。シックな出で立ちだったが異様な存在感があった。セシリアと同じ方向に消えていったその女性に真は何故か目が離せなかった。

「今の女性……」

 そう訝しがる真に、箒は真の尻を抓る。

「箒、痛い」
「な、に、を、見とれているのだ!」
「いやいやいや、そういう性的な視点じゃなくて」
「性的だと!?」
「だから違う! なんかこう……言葉では表わしにくいのだけれど、注意しなくてはいけないというか、危ないというか」

 半眼で睨む箒だった。

「……なんだよ」
「前々から思っていたのだが、お前はそういう自虐的な嗜好があるのだな、確かMとか言ったか」

 長い沈黙のあと真はさも不本意そうにこういった。

「箒、君はもう少し礼節というのを学んだ方が良い。いわれの無い物言いは人間関係に不協和音をもたらすんだぞ」
「あの2人と言い、更識先輩と言い、振り回されるのが好みなのだろう?」
「「……」」

 僅かに距離を取る2人、その2人の間を小さな子供が駆けていった。

「確かに自己主張の激しい女性ばかりだな」

 真はまじまじと箒を見た

「……私がそうだと言いたいのかっ!」
「直ぐ怒るし直ぐ暴力を振るうし、奥ゆかしいとはほど遠い」
「誰のせいだ!」
「人のせいにしてはいけないぞ」
「ぬけぬけと!」

 手刀を振り上げる箒、ふっと風が吹いた。真は虚を突いて箒の額に人差し指を置いた。あっというまの出来事だった。箒とて長年武術を学んできた自負がある、ISはともかく少なくとも素手の真に後れを取るとは思っても見なかったのだ。今の真は人生2人分、前の真は膨大な実戦経験を経ているし、今の真ですら幾度となく死線を越えている、箒はそれを失念していた。

 僅かに見上げる格好の真の笑顔には影があった。箒はそれに気づいた。

(空元気か、まったく)

 彼女は仕方がないなと手刀を下ろした。己の行為に気づいた真も、自戒を込めてこう言った。

「そもそもなんで来たんだよ授業を抜け出してまで。俺一人でも十分だったのに」
「聞きたいか」
「いややっぱりいい」
「ふむ。空港という舞台は悪くないが、2度目にはまだ早いな」
「勘弁してくれよ、断る方も相応に辛いんだ」
「まあお前のお目付役も仰せつかっている、とそう答えておこうか」
「誰に?」
「あの2人にだ」
「箒がか?」
「適任だろう?」
「そっか、いやそうだな」
「では展望デッキに行こうか、最後の見送りをしにいくぞ」

 お見通しだと言わんばかりの箒の態度。段々やりにくくなると彼は肩をすくめた。


  ◆◆◆


 2人を出迎えた展望デッキはうら寂しかった。人影はまばらでがらんとしていた。趣味であろう航空機をカメラに納めている人が居る程度だ。コンクリートの床は灰色で、見上げる空にも同じ灰色のぶ厚い雲が敷き詰められていた。今にも泣き出しそうな空だった。風も強い。箒はたなびく髪を押さえながらあれかと指さした。フェンス越しにセシリアが乗っているチャーター機が滑走路に向かっている。彼は頷いた。ジェットエンジン音が響いていた。

「直ぐまた会える」と箒が言った。真は「そうだな」と呟いた。

 彼はハイパー・センサーを部分展開した。規約に違反しているが大した問題では無かった。彼の意識に拡大された機体が映し出される。その画像は鮮明で肉眼で見るのと変わらない。左舷の前から3番目、セシリアの姿が見えた。彼女は表情無くじっと窓の外を見ていた。

 滑走路に入った機は一旦停止、しばらくの間ののち加速しだした。滑る様にしばらく走ると機種が上向いた。ふわり、機体が大地から離れた。どんどん離れていく。あと数刻で雲に入り見えなくなるだろう。センサーで追うことも出来たが流石にそれは憚られた。

「箒、学園に帰ろう」真が言った。彼女が頷き振り返った瞬間である。真の視界に何かが光った。場所は展望デッキの、真らから見て反対側の端。それは青白く、幾何学の紋様を描いていた。みやが警告する前に彼にはISの展開光であることが分かった。彼は反射的にみやを全展開させた。青白い発光が徐々に収まる。固有パターン認識、現れた機体は、ブロード・ソードをイメージさせる鋭角的な青い機体だった。

「サイレント・ゼフィルス……」

 真の呟きに、黒髪の少女は笑みを浮かべた。面鎧を付け口元しか見えていなかったが確かに笑っていた。皮肉でも冷笑でも無く、確かに笑っていた。見て取れる感情は、やっと会えたという嬉しさ、いとおしさ、ただし見る者全てが背筋を凍らす歪さだった。

 みや、アサルト・モードへ緊急移行、アサルト・ライフル“FN SCARi-H”量子展開0.2秒。12.7mmx99 NATOメタルジャケット通常弾装填。真が構えた時、箒も紅椿を展開させていた。状況が緊急だと判断した彼女は抜刀、彼の左横で構えた。

「真、あの者は?」
「箒は一般人の護衛を最優先、交戦は極力控えろ」
「しかし!」
「命令だ」

 突如現れた3機のISに一般人は状況が読み込めず唖然騒然としていたが、空港に響くサイレンで我に返った。空港にあるIS検知センサーが反応したのだった。一斉に悲鳴を上げて逃げ出した。

『空港内のお客様にお知らせします。緊急事態が発生しました。係員の誘導に従い、慌てずに最寄りの退避エリアまで避難して下さい。繰り返します……』

 響く港内アナウンス、逃げ惑う人々に親とはぐれ泣く子供、彼女は一言承知というと上空にあがり、待機した。照準にエムを捕えながら真は「サイレント・ゼフィルス。お前をイギリス王女誘拐未遂と日本及びフランスでの戦闘活動の容疑で拘束する。投降しろ。繰り返す……」と2回言った。

 沈黙を続けるエムに真は訝しがる。それは彼女の目的だ。

(おかしい。何故このタイミングで現れた? 俺らが目的なら襲う機会など幾らでもあったはず。何故何もしない。時間稼ぎ? もう空自の打鉄がこちらに向かっている。時間が経てば経つほど不利になるのはエムだ……ならば何故)

 真が銃を構え直した時、エムはただこう言った。

「い、そ、い、だ、ら?」

 その言葉で真は全てを悟った。エムへの警戒を解かないまま箒に通信。

『箒! 594便を追え!』
『どういうことだ』
『奴らの狙いはセシリアだ!』

 箒が真の意図を察した時、箒がセシリアの乗る旅客機を追跡しようとした時、空に光りが灯った。白い閃光のあと爆音が遅れてやってくる。

「セシリアーーー!!」

 真の絶叫は爆音に掻き消された。



  ◆◆◆


ハードモード再来。正月からごめんなさい。





[32237] 外伝 定番イベント
Name: D1198◆2e0ee516 ID:d5589322
Date: 2014/06/02 20:52
(右や左の紳士淑女の皆様方)

(ご無沙汰しておりますお待たせしましたご心配おかけしました)

(実は仕事でずっと死にかけておりました)

(ストレス的な意味です)

(でももう大丈夫です)

(だから再開したいと思います)

(ただ随分間が空いたので)

(リハビリします)

(外伝です)

(時系列的には専用機持ちズが帰国する前です、そんなあたり)

(本編は今しばらくおまちください)









 毎日が日曜日だぜ、うひゃほー








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IS学園は一つの問題を抱えていた。

慌てるには大きくなく、忘れてしまうには小さくなく、

時折数名の教師が思い出した様に「あれはどうなった?」と発言確認する内容である。

その程度の問題である。

その問題の、学園外の当事者たちも同じように考えていた。

実際のところ、無視しても無かった事にしても良い様に思われた。

建前とはいえIS学園はあらゆる存在から独立した組織だからである。

だが。

多くの人がそうであるように、学園もまた人間的な心をもつ組織だった。

その問題は燻り続け、何時か大きく弾けるのではないかと疑念を持った。

疑念は徐々に不安となり、次第に苛立ちとなった。

だからとうとう。

ある金髪の教師が手を上げた。

「一気に片付けてしまいましょう」

どちらかと言えば気の短い彼女は我慢出来なくなったのである。

だが皆も同意見で力強く頷いた。

奥歯に挟まった様な鬱憤は皆同じだった。

黒髪の教師も賛同した。

小柄な銀髪の、準教師も同意見だった。

皆から真と呼ばれる目付きの悪い少年は、慎重な面持ちでとうとう来たかと呟いた。

それは。

日本国政府とIS学園との会合である。






   身、体、測、定(定番イベント)





秋風が舞う曇り空、空に昇ったばかりの太陽も雲に隠れおぼろげだ。その様な詫び寂しい朝、IS学園の最外層にして最北端、黒いアスファルトで覆われた広大な駐車場には、日本国政府が手配した要人用乗用車が列を成し止まっていた。マイバッハと呼ばれるそれは知る人ぞ知るドイツ製の超高級車である。

メタリック調のオーシャンブルーカラーで重厚な曲線を描くそのボディラインはドイツの民族性そのもの。何時ものライトグレーのスーツに身を固める真は、車両の側に立ち至って真面目な表情で見つめていた。その心中、

(うわーうわーマイバッハだよマイバッハ。初めて見たよマイバッハ。これって62Sだよな。確かごせんまんえん位するグレードだ。各パーツが芸術的なまでに緻密で繊細に作られてる。とても量産車だとは思えない。くおーこの塗装どうやってるのかな、普通のカチオン電着塗装じゃこの質感はでないよな。いいなーいいなー乗りたいなーだめかなー触るだけなら良いかなー)

と、はしゃぎまくっていた。繰り返すが真顔である。要人と会うため相応に着飾った千冬ら女性陣の事などそっちのけであった。そんな真に近しき女性陣数名。

真の考えが手に取る様に分かるラウラは、祖国の技術の結晶を賞賛されうんうんと頷いていた。

同じように真の考えが手に取る様に分かる千冬は、出迎え(政府関係者)の目を気にして表情鋭く静かに立っていた。が、不愉快だと不真面目だと不実だと心中で真を罵っていた。千冬にはここまで見惚れられた事は無い。

やはり真の考えが手に取る様に分かるディアナはかつかつと真に歩み寄り、真顔で惚ける真の耳を引っ張った。笑顔で怒っている。

「リーブス先生、痛いです」

突然なにをするんですか、止めて下さい、と言いかけた言葉は耳をくすぐる様な声に掻き消された。

「では私たちは出かけます。20時までに戻る予定ですが、何かあれば直ぐ連絡すること。判断は任せるけれど、無茶はしない様に……いいわね?」

何時もより強い香の匂い。見ればディアナは何時ものライトグレーのスーツでは無く、黒いビジネススーツを着ていた。千冬のスーツよりタイトで身体のラインがはっきり見て取れた。スカートの丈は短かったが品を損なうほどではなく、艶めかしい脚を惜しげも無く晒していた。開いた襟から覗くタンクトップは純白で、胸元が開いていた。流れる金色の髪、何時もより強めのカーブを描いていた。ほつれが頬に掛る。醸し出す色香は如何程のものか。魅惑の魔法といっても良いそれに真は涼しい顔である。

(ディアナはあるいみ臨戦体勢だな。餌と鞭、甘さと苦さ、愛撫と苦痛……政治家の人たちも可哀想に)

ディアナに慣れている真。あくまで動じないその姿に、キスでもしてやろうかしら、そう彼女が思った時である。千冬が一つ咳をした。一拍。ディアナはぷいと車に乗り込んだ。しばらくして高級車が列を成して走り出す。2両目は千冬。3両目は教頭。4両目がディアナだ。学長を除けば、IS学園のトップスリーである。

黒服だけが乗る5両目が見えなくなった時、今まで静かにしていた真耶が深い息を吐いた。組んだ両手を頭の上に、身体を伸ばす。

「ん~♪」

その姿に伸びをする猫の姿を重ねながら真は問い掛けた。

「2人が苦手なんですか?」

真の言う2人とは千冬とディアナのことだ。真耶は肩に手を乗せ、首を回しポキポキと。

「まさか。2人とも尊敬していますし、好きですよ。ただ、」
「ただ、何です?」
「2人は厳しいですから。自他共に」

根が真面目の千冬。奔放なところがあるが、締めるところは締めるディアナ。それなりに付き合いのある真耶とはいえ、上司部下というプレッシャー関係からは逃れられない様だ。たははと僅かに眼鏡をずり下げる真耶。その時心配性の千代実がぽつりと呟いた。

「無事終われば良いのですが」

会合の目的は、4月以降発生したトラブルの事実確認と今後の対策である。正体不明のISが、これはサイレント・ゼフィルスのことであるが、これが国内で活動している事実は政府にとっても不安要因なのである。ファントム・タスクの件を含め意見交換するというのが目的であった。

「謀略知略に長けた教頭先生とリーブス先生が居ますし大丈夫でしょう。どちらかと言うと心配しなくてはいけないのは政治家の人たちかも知れません」

平静に務めていたが緊張を隠せなかった黒服の男性たちを思い浮かべ、その場に居る全員がどっと笑い出した。千冬とディアナ。赴くのは一軍に匹敵すると謳われる2人だ。幾ら訓練を積んでいる黒服の彼らとはいえ、その気になれば跡形無く文字通り消せる。無理もなかろう。

「織斑先生が激怒して暴れ出してもリーブス先生なら押さえられますしね」と千代実が言った。
「逆じゃですよ、きっと」と真耶が言う。
「教頭先生も大変だな。上司というのも楽では無い」とラウラが言った。しれっとしたものだ。
「さて皆さん。我々の任務も重大です。3人が帰ってくるまでしっかり留守番しましょう」

そうですねと笑いながらと女性3名と少年1人、職員室に帰っていった。

とある日の朝、日がこぼれだした。さあさあと秋風に曝される草や木々、そろそろ冬支度をせねばと話し合っている。災厄という悪魔が近づいていることを彼女ら彼らは未だ知らない。


◆◆◆


何時もより騒がしい職員室。あちらこちらで談笑が華咲いていた。その様な中、真耶は自分の席で携帯型の端末に向かっていた。カタカタとキーを打つ。

彼女が取り組んでいるのは2学期末に行われる個人別トーナメントの計画書の草案だ。IS学園で行われる年間行事としては最大のイベントで各国から要人が大勢やってくる。特に今年は男性適正者が居ると言う事で、視察申し込みが殺到していた。フランス、アメリカ、イギリス、ドイツ。中国に加えてイタリアとカナダにロシア。錚々(そうそう)たる面々である。

(要人の宿泊先の確保に、警備の準備。学園外は日本国政府からSPを派遣して貰うのは良いとしてその人たちの素性調査が必要……毎度毎度のことだけれど、各国要人には日本の法律も学園内の決まりも通用しないから大変ですねー)

とついぼやく。そんな時、真がマグカップを差し出した。黒々としたコーヒーだ。

「お疲れ様です。ブラックで良いですよね?」
「あ、はい。ありがとうございます」

2人揃ってぐびと飲む。真は真耶の手元を覗き込み、コーヒーから湯気を立てながらこう言った。

「個人別トーナメントの準備ですか? お疲れ様です」
「何分大規模で準備が大変なんですよ」
「準教師なのでセキリュティ上、出来る事は限られてますが手伝えることがあったらいって下さい」
「はい。その時はお願いしますね」

そのとき真耶は真の顔をちらと見た。抉れた眼と左頬に走る傷は相変わらずだ。ネクタイと襟に隠れる糸傷は未だ健在。一夏より褐色で、一夏より短めの黒髪は多少すすけていた。何より目立つのが碧の瞳。シャルロットと同じ色である。一夏はちぐはぐと称したが、真耶にはエキゾチックに見えた。

真耶はマグカップに口を付けながら、上目遣いでふと思う。

(IS学園教師だから給料は悪くない。身長も172センチ(一夏と同じ)と合格点、16という年齢を考えるとまだ伸びそう。気遣いも出来るし、陰った表情はミステリアスと言って良い。何よりIS操縦はピカイチでとても強い。少年さと大人っぽさが同居して……あれあれ? 狙い目?)

とまで考えたまでは良い物の、真耶と真の間に立ちふさがる黒と金。涙を流し諦めた。

「む、無理です。あの2人に挑むなんて地雷原でスキップする様なものですようー」

爆死という意味だ。肉片すら残るまい。

「はい?」

真は何のことか分からず首を傾げた。察したラウラの瞳が鋭く光る。

「兎に角何かあったらいって下さい」
「ありがとうございますぅー」

べそを掻く真耶。はてな顔で立ち去る真。その時である。真耶の机から付箋(ふせん)がぽろりと落ちた。クリームイエローで、張って剥がせるよう弱い糊が付いてある。用件をメモし貼り付け、終わったら剥がし捨てるビジネスツールだ。コンピューターが発達したIS世界においてもこういった古典的な手法は現役だった。簡単に言えば真耶の忘れ書きである。ビジネスデスクの死角に張り付いていたのだ。

ややっ? と思った真耶は拾い、メモを見た。息を呑む。行事とその期日が書いてあった。壁にぶら下がるカレンダーを見る。今日の日付は何時だったか考えた。その事実に気づくとみるみる顔が青くなった。立ち去る真の左手をはっしと掴む。暖かみのある生身の左手では無く、無機質な義手で触り心地は良くなかったがそんな事どうでも良かった。

何事かと眉を寄せる真に、真耶は一層べそを掻きながらこう言った。

「身体測定を忘れていました……」





◆◆◆

身体測定とは。

“大きくは身長、体重の測定だが、それ以外に座高、胸囲、腹囲などの測定を含める。健康状態を知る上での基本的な値。肥満や痩せの度合い、成長の程度を知ることができる”(from KOTOBANK)

◆◆◆




「身体測定ってあの身体測定ですか? 身長とか計る?」

真は何故泣くのかさっぱり理解出来ない。

真耶はぐずりながら「はい……それを忘れていたんです」と言った。

「ならやれば良いじゃないですか」

真耶は歪む唇を噛みしめる。

「期日が今日までなんです」

この時やっと真は理解した。ディアナの存在である。奔放な面が目立つ彼女であるが、実はスケジュール、予定、計画と言った物に非常に厳しい。彼女は元軍属だからだ。兵士の命に、部隊の危険に関わる僅かなミス。元軍属の彼女とって転移し、この世界に来た今となっても看過出来ないのである。

余談ではあるがかっての真の部隊“エリュニス”の副隊長として隊の管理を行っていた彼女は、経験を活かしIS学園を切り盛りする一角として君臨している。地味ではあるがそう言った実務的手腕は高く評価され、ディアナを毛嫌いするあのラウラですら例外では無い。

更に余談ではあるが、ディアナの機嫌を損ねると給与の支払いが遅れたりもする。誰も彼女に逆らえないのである。

だらだらと涙を流す真耶の頬は滝のよう。真にとって真耶は先輩である。この世界にやって来たとき彼女にも世話になった。今ですら何かと世話になっている。だからこう言った。

「素直に謝るしか」
「薄情ですそれっ!」
「大丈夫です、幾らリーブス先生でも命までは取りません」
「フォローのつもりですか!」
「縛られるだけで済みますよ」
「大問題じゃ無いですか!」
「はあ」

頻繁に縛られている真には真耶の危機感が理解出来ない。

「わかっているんですかっ!? 糸傷って完全に消すの難しいんですよ!? 身体にあやが残ったらどうしてくれるんですかっ! もう結婚出来ません! 女の幸せどうしてくれるんですかっ!? それとも責任取ってくれるんですかっ!? それって実は遠回しのプロポーズっ?! 年下の男の子も良いかもっ! 幸せにして下さいっ!」

ラウラが真耶の頭を引っぱたいた。手にはスリッパ。ハリセンで西瓜を殴った様な心地よい音がする。

「すぱーんって何するんですか! 酷いです!」 真耶が涙目で非難をする。
「落ち着け山田真耶。慌てふためいても事態は好転しない、悪化の一途だ。冷静になれ」

同じ教師とはいえ年端もいかないラウラに諫められしおしおと縮こまる真耶だった。

「でも一体どうしたら……」
「どうもこうも無い。実行するしか無いだろう」ラウラはスリッパをいそいそと履く。

真耶ははっと上向き、真はラウラの意図を確認する様にこう問うた。

「今日、これから?」
「本日は特に予定は無い上、どのみちいつかは実施しなくては成らない。これからとなっても問題は無かろう」

助けてくれるんですか、ボーデヴィッヒ先生とぐずりながら真耶が言う。

「私とて真耶のフォローを得ている。借りは返す」

感極まる真耶。組んだ両手を胸の前に。今の真耶にとってはラウラが女神の様に見えた。

「それに私の母には教官が相応しい。真耶。お前の実績は認めるが役不足だ」
「はは?」
「こちらの話だ。真、お前も良いな?」

確定事項だと言わんばかりのラウラの視線。真は仕方ないなと身をすくませた。

「俺だって真耶先生には世話になってる。異存は無いよ」
「決まりだな。真耶、指揮を執れ」

こうして真耶の結婚を賭けた決死の身体測定作戦が始まった。


◆◆◆


全校にラウラの声が木霊する。

「通達。本日ひとさんまるまる(13:00)より身体測定を実施する。生徒は体育館に集合すること。また関係者は職員室に集合されたし。繰り返す……」

それを聞いた学園の少女たち。僅かな間のあと悲鳴を上げた。

「えーーー 急だよ急! 何の準備もしてないよ!」
「昨日、ステーキ食べちゃった……」
「私なんてパフェとチーズケーキ食べたのに!」
「ちょっと私走ってくる!」
「あーわたしもー!」
「こうしちゃ居られない、授業なんてエスケープよ!」
「どうしよう、このぱんつ人に見せられない……」

非難と怨嗟渦巻く学園で、真耶は大急ぎで計画をまとめていた。時刻は午前10時。教頭、ディアナ、千冬が戻るのは午後の8時。残り時間は10時間だ。

1クラス30名で4クラス3学年ある。合計360名。1人あたり5分必要とすると1800分、つまり30時間。機材と場所の準備、そして撤去に4時間、残り6時間。一人ずつ計っていては日が暮れる。同時に5人以上捌く必要がある。

真耶は他の教師に泣き付いた。ちふでぃな(厄介事)に関わりたくないと逃げ腰の教師たち。千代実、ラウラ、真、更には“一部生徒にも依頼し”辛うじて10名確保。測定に記帳、生徒の誘導などを含めると余裕は余りない。

職員室にラウラと真がやって来た。真耶が真にどうだと恐る恐る問う。

「今先生たちが会場の準備しています。測定器は5人分有りました。全部動きます」
「神様って居るんですね……」

身長、体重、座高、視力、聴力は問題ない。眼を潤ませ神に感謝する真耶。

「でも3次元測定器が全滅です」

身体のサイズを測るのに使う機器である。

「なぜですかっ! 3台有るはずです!」

涙目で訴える真耶に、真は頬を掻きながら。

「一台は外部に貸し出し、一台は調整中で分解状態、もう一台は壊れています。ぼこぼこです、どうしたんですかアレ?」

今を遡ること3月に教師の身体測定が行われたのだが、ディアナに負けた千冬は腹いせに測定器を殴ったのである。もちろんただで済むはずが無い。もちろん、測定器がである。

「ばかー、先輩のばかー」

思い出した真耶はよよよと崩れ落ちた。ラウラが近寄りこう言った。

「身体のサイズなど巻き尺で十分だ。時間も大して掛らない」
「アナログですけれどこの際贅沢は言えませんね……ボーデヴィッヒ先生、蒼月先生、早速ですが巻き尺を持って現場に向かって下さい」

ラウラは分かったと言った。真は何のことだと眉を寄せた。真耶は真を促した。

「どうしたんですか蒼月先生。早く向かって下さい」
「えーと、体育館で身体測定ですよ?」
「そうですよ?」
「女生徒ですよ?」
「すよ?」
「俺男なんですが」
「非常時ですのでこの際気にしません」
「……」
「……」

職員室の窓。つがいのスズメがちちちと鳴いていた。騒がしい職員室がしんと静まりかえった。真は眼を釣り上げこう言った。

「気にするでしょ、それ!」
「私の幸せが掛っているんです!」

真耶は怯えてこう訴えた。真の眼は怖いがちふでぃなはもっと怖いのだ。

「それでも教師ですか! てゆーか同じ女性としてどうですかそれ!?」
「私がどうなっても良いって言うんですか!」

涙目ですがりつく真耶。う、たじろぐ真。彼とて手伝いたい。だが身体測定は薄着だ。下着姿だ。彼には荷が重かった。なにより、ちふでぃなである。

「と、に、か、く、無理な物は無理です! 他の先生に頼んで下さい!」
「みなさん、関わりたくないって言うんです!」
「俺に死ねって言うんですか!」
「遺骨は拾います! 後生大事にしますから!」
「それってどういうサイコパス?!」

喧々噪々、ぎゃーぎゃーと言い争う真耶と真。時間が無駄だとラウラがこう言った。

「真、やれ。男が契約を反故するものではない」
「しかしだなラウラ……」
「サイズ以外なら服を着ていても出来るだろう。制服分の重量は後から補正すれば良い」
「同年代の男に体重を知られるのはいやだと思うぞ」
「ならば2年3年の上級生を担当しろ。向こうもお前なら意識しないだろう」

下着姿でもみくちゃにされた昨年をふと思い出す。泣き崩れる真耶。突き刺さる周囲の視線。真は渋々同意した。

「……わかった」
「では行くぞ」
(大丈夫かなー)

真の胸裡に宿る巨大な不安。概ね不安とは確定されている物である。


◆◆◆


IS学園の体育館は一般的な学校と変わらない。コーティングされ艶を持つ板材の床。白い壁、高い天井。その天井からは水銀灯が幾つもぶら下がり、煌々と屋内を照らしていた。バスケットボール用のゴールもあった。朝礼の時に使用する壇上もあった。

その様な中、白いパーティションで仕切られた即席の測定室で真は不審満々で生徒の到着を待っていた。折りたたみ式の長机にパイプ椅子2つ。真は腰掛け隣の椅子の主をじっと見る。楯無だ。

1人で十分だ、君も検査だろう、さっさと戻れ。こうけしかけたものの彼女は一向に動かない。終始笑みを絶やさない彼女に不安が募る。我慢出来なくなった真はとうとうこう切り出した。

「あのさ、楯無」
「あは」
「何か企んでいるだろ?」
「あは」
「今回は事情が事情なんだ」
「あは」
「しくじると真耶先生の結婚が危ない。傷物になるって意味で」
「あは」
「……何もするなよ」
「何もしないわよ、私はね」
「……」

13時を少々回ったところで生徒たち一行が体育館に入ってきた。とうとう始まったと真は人知れず気を引き締める。最初に現れたのは白井優子であった。

1項目目、身長。
「こんにちわ、優子さん」
「はい、こんにちわ。今回はまた急ね、真」
「はは、ちょっと手違いがありまして。早速計ります、それに乗って下さい」

身長を測る器具は一般的なものだ。四角い台にメモリが刻まれた細い柱。生徒は脚を揃えて背筋を伸ばす。顎御引いて、その柱を滑る滑車構造の部品を頭上に当てて計る。

ところがである。優子はその測定器を前にして突然跳躍し始めた。とんとんと力強く飛び、髪が揺れる。スカートもまくれ上がりその都度腿が見えて少々目に毒だ。

「……あの優子さん? 一体何を?」
「どうみえる?」
「ジャンプしてますね。勢いよく」
「正解。50回程飛ぶからちょっと待って」

ぴょんぴょんと飛ぶ優子。気配を探ればパーティションの外、列を成す他の少女たちも跳躍していた。その意図に気づいた真はげんなりしながらこう言った。

「……そんな事しても身長は伸びません。早く乗って下さい」
「じゃんぷっ! じゃんぷっ!」


2項目目、体重。
体重計に乗る少女を見て真はどうしたものかと考えた。その少女は体重計に乗っていた。乗っていたは良いものの、両手を広げ、手の平は床向きに。左足を高く後ろ方向に上げ、右脚はつま先立ち。俗に言う、白鳥の湖のポーズである。

「あの、ダリルさん」
「なんだ真」
「片足にしても体重は減りません。普通に立って下さい」
「少し減るかもしれないだろ」
「1グラムも減りませんってば」
「乙女は1グラムに賭けているのだ!」

難しい乙女の事情、真は安定しない体重計の測定値を渋々読んだ。


3項目目、視力。
パイプ椅子に腰掛ける薫子。真は壁に掛けられたプリントをレーザーポインタで指し示す。一般的な“C”の字判定である。

「これは?」
「上」
「じゃあこれ」
「上」
「これとこれとこれ」
「下、下、左、右、左、右、B、A」
「アルファベットは無いっ! てゆーか、コナミコマンドは古すぎだ!」


4項目目、聴力。
ボリューム感のあるヘッドフォンを付けるのはフォルテだ。ピーという電子音が聞こえたらスイッチを押す、簡単な物である。

「ぴー」
「ボタンを押すだけです」


5項目目、座高。
「ご苦労様、真」
「虚さん」

ゆったりと歩み寄る虚を測定器に促した。椅子の背もたれに測定用の滑車が付いている、普遍的な物である。とすと腰掛けた虚の頭に滑車を当てる。数字を読んで記入。

「どうかしら?」
「80.5センチ、身長が157.9センチですから全国平均と比べても随分足が長いですよ」
「そう? 実は気にしていたのだけれど」
「何でしたら、すこし減らしておきましょうか?」

あははと笑う真と、笑みを絶やさない虚。彼女は黙って指さした。その指の先、壁と扉の隙間、じっと睨むまなこ4人分。

「なんか虚だけ扱いちがくない?」とは優子
「不愉快だな」とはダリル
「整備、手を抜いてやろうかしらね」とは薫子
「ランチ奢れッス」最後はフォルテ。

真は笑って誤魔化した。


◆◆◆


一夏は悩んでいた。苦悩していると言って良い。彼の居る場所は、測定会場となった体育館の、白いパーティションで仕切られたとある一室。パイプ椅子に腰掛けて、長机に肘を置き、頭を抱えている。パーティションの向こうには少女たちの声。彼の手には巻き尺。

「どうしてこうなった……」

事の始まりは、本日の午前10時を回った頃。真耶から健康診断を手伝ってくれと連絡が入った。もちろん最初は断った。真と同じだ。だが真耶の涙の訴えと、聞き及んだ真の役目。真と同じ仕事だと思った一夏は、それならと引き受けた。そして昼を少々回った頃、彼はその事実を目の当たりにすることになる。

「身体のサイズを測るなんて聞いてねえぞ!」

彼は手にした巻き尺を握りしめた。

至る経緯を説明するのは少々手間が掛る。学園を支えている人工知能型コンピュータ“アレテー”には、生徒の情報が一元管理されている。それには氏名、生徒番号、生年月日、保護者といった情報がデータベース化されているわけであるが、性別の項目は無い。

学園のシステムが作られる時、学園の生徒なら女性に決まっていると省略されたのである。一夏と真が入学する時、システムを更新するべきだという意見も有ったがわずか2人の為に予算は出せないと見送られた。

つまりは一夏はデータ上女性、一緒くたにされているのである。生徒から助っ人を選抜する時、慌てていた真耶はうっかり選び、そして見落としてしまったのだ。慌てた一夏は現場の教師に訴えようとしたが、リミットが迫り鬼気迫る教師の表情を見て断念した。

がやがやと近づく黄色い声。一夏はゴクリと唾を飲んだ。部屋に入る下着姿の少女たち、一夏の姿を認めるや一斉に騒ぎ始めた。

一夏は1組所属、当然彼女らも1組である。1組というのは一年生の中でもっともバランスが良い。性格的な意味だ。だから。

「あー、織斑君だ」
「ほ、本当に織斑君が測定するの?!」
「ね、ねえっ! ウェスト大丈夫かな?!」
「たぷたぷ」
「そんなにないわよ失礼ね!」

というオープンな少女たちも居れば。

(ど、どうしよう、気に入って貰えるかな……)
(見られる、見られない、見られる、見られない……)
(あうあうあう)

と羞恥に身を焦がす少女たちも居る。

嬉し恥ずかし複雑な乙女心。織斑一夏は徐々に追い詰められた。目の前には下着姿の少女たち、背後はパーティション。逃げ道は無い。だが一夏は逃げ出した。2メートルはあるパーティションを軽々ジャンプ。呆気に取られる少女一行。

跳躍高度約5メートル、一夏は「あーおーつーきーまーこーとーはーむっつーりーすーけーべー!!!」とあらん限りで叫んだ。体育館に木霊する。何事かと呆然とする女性陣、その時である。鉛筆が真っ直ぐ飛んで来た。ボウガンの様に正しく飛んできた。投擲したのはもちろん真だ。

「有ること無いこと言いふらすな! この馬鹿一夏!」

一夏は鉛筆を人差し指と中指で挟んで受け止めた。真の位置を確認し、着地、一目散に押しかけた。

「ずりーぞ真! お前も手伝え!」
「手伝うってなにをだこのエロザルが!」
「身体測定に決まってるだろ、ムッツリ法師!」

何のことだと呆ける真。

「身体測定? 一夏が?」
「そうだ説明しやがれ! この変態まこ、ぶっ」

真は一夏の顔面に右拳をねじ込みながら、

(またドジったな、真耶先生……)

と目頭を押さえた。みやに時間を確認。スケジュールはだだ遅れ。一夏の対応をしている暇は無い。

「何時までぐりぐりしてやがる!?」
「あー、一夏。悪いがお前やれ」
「教育倫理は何処に置き忘れやがった?!」
「この作戦には一人の女性の幸せが掛っているんだ、お前だって本望だろ」
「そんな理由で納得出来るかよ!」
「ほほう。一度引き受けたことを撤回するか、織斑一夏が」
「……」

押し黙る一夏を見て真は勝利を確信、踵を返す。

「なら真と変わってやる。確かに手伝いは引き受けたけど、別に真の仕事でも良いもんな」
「……」

一夏、カウンターパンチ。

「できるかそんなもん!」
「そんなもんとか言いやがったか!?」
「測定の話だ!」
「箒も居るんだよ!」
「尚更却下だ!」
「ぼっきゅんぼんだぜ!? ぽよよーんのぷるるーんだぜ?!」
「エロ親父かお前!?」
「真なら箒も喜ぶにきまってんじゃんか!」
「お前らは幼なじみだろ! 第一他の娘が駄目だ!」
「だから手伝えって!」
「話し聞けよ!」

睨み合うこと数刻。一夏は分かったと一転、踵を返す。よく分からない奴だと、真は思ったが時刻を確認してやはり踵を返した。この時一夏はこう言った。

「箒の次ぎ、セシリアなんだけどよ」
「ちょっとまて一夏」

疾風の様に一夏の襟を掴む真であった。にへら、一夏は締まりの無い笑みでこう言った。

「何だよ真、できないんだろ?」
「まあ、無理強いは出来んな。楯無が空いているから交代しよう、そうしよう」
「そっかーわりーなー」
「いや、気にするな相棒」

あははと笑う少年2人ににじみ寄る人の影。それは学園の少女より背が高めで、僅かに重めだった。そして鋭く光っていた。見る人が見れば刀をイメージしただろう。鋭敏な感覚を持つ2少年は、歪な笑みでそっと首を回しその方を見た。

真と呼ぶその声は雷鳴の如く。

竹刀を振りかざす姿は雷雲の如く。

空を走る切っ先は雷光の如く。

篠ノ之箒、怒りの頂点である。

「今度という今度は我慢ならん! 真そこに直れ! 成敗する!」
「一夏シールド!」

唐竹の様な音が響いて一夏が崩れ去った。暫しの沈黙。

「「……」」

見つめ合う2人。そして非難の少女たち。

「うわー、織斑君を盾にしたよ」
「ひっどーい」

ひそひそと漂う声。だが誰も割って入らなかった。

「あとでお見舞い行こ」
「ちょっと抜け駆けは駄目だからね!」

したたかな少女たち。一転、有無を言わず箒は打ち込んだ。だん、床を蹴る音は大砲の如く。唐竹、袈裟切り、逆袈裟、右薙ぎ、左薙ぎ、左切り上げ、右切り上げ、逆風、刺突。その太刀筋の鋭さと言ったら無い。

「ちょ、ちょいまち。箒! 悪かったから落ち着いてくれ! おい起きろよ一夏! お前死んだふりしてるだろ! おいってば!」

小さく手を振る一夏であった。ひゅんひゅんと風を切る音。箒の太刀筋を見切り全て躱す真であったが、涙目の箒をみて、一発食らわないと収まるまい、そう観念した。

(あたる瞬間その方に飛んで、威力を相殺すればさほどダメージはないだろ)

その時である。真の身体が掴まれた。左腕に静寐、右腕に本音。2人とも笑顔だったがこめかみに血管が浮いていた。力任せに動けば2人がけがをする。慌てふためく真、にじり寄る箒。

「ちょい待ち! 身動き出来ない相手を切るのが武士道か!」

ぴたり、箒が止まったとき本音はこう言った。

「箒ちゃん、お仕置きだよ♪」
「良い響きだっ!」

 額に竹刀を喰らい真は気を失った。



◆◆◆


騒ぎのあと楯無と一夏が交代し、際どいところではあったが身体測定は無事終わった。真はそのまま保健室に連れ込まれた。楯無の狙いはこの騒ぎだったのである。

少し時間を遡り、夕焼けに染まる保健室。清潔な白いベッドに横たわるのは真だ。傍らに控えるのは箒で、じっと真の寝顔を見ていた。一つ風が吹く。

真の寝顔を見るのは箒にとって数度目だ。まだ真が学生だったころ起きないと本音にせがまれて何度かたたき起こしたことがある。その時の寝顔は死者の様だった。肌は白く唇は薄く、生気を欠いていた。永遠に動かない、その様に思われた。

だが今は普通の少年らしく生気に満ちていた。箒はその真の額に手を添えて、こう思った。

(この生気を得るのに僅かでも役に立ったならばそれで良いか)
「いてくれたのか」

真はゆっくりと眼を開けると、ゆっくりと身を起こした。夕暮れの灯、頬に赤みが差していた。

「……一応とはいえ、私にも責任の一端がある」突如つっけんどんな態度の箒であった。
「一端所じゃ無いだろ、おもいっきり当事者だ」
「お前が失敬な事言うからだろう」
「違いない」

真は頬を掻いた。バツが悪そうにしていた。

「済まない箒、俺は配慮を欠いた」
「本当に謝っているのか怪しいものだな」
「本当だ」
「怪しいな」
「本当だ、どうしたら信じて貰える?」

その時である。急に箒が落ち着かない、足場の無い様な態度をし始めた。

「どうした箒、そわそわして」
「じ、じつはだな」
「ああ」
「わ、私の身体測定はまだ終わっていないのだが」
「はあ?」

真が箒の言葉を理解するのに数秒かかった。我ながら間抜けな声を出したものだと己自身を戒めた。くしゃり、真は己の頭を掻いた。一つ深呼吸、そしてこう続けた。

「巻き尺が無い」
「ここにあるのだが」
「記録媒体が無い」
「タブレットを持ってきた」
「……俺の、胆力が無い」
「それは私がつけてやろう」

箒はそっと、真に口づけをした。

「これでどうだ?」
「……巻き尺を貸してくれ。一つ言っておくけれど、この状況で“そんな事”をしたら自分を抑える自信は無いからな」
「楽しみにしている」

小さく笑うと箒は一つ一つ衣類を脱いだ。現れたのは紅赤色。無機質な保健室に咲いた一輪の花、真はそっと箒の身体に手を伸ばした。その少女の躰が赤いのは、夕暮れか否か。それを知るものは2人だけだった。


◆◆◆


翌日、どこからともなく聞こえる悲痛なすすり声。朝日が差す柊の食堂で、セシリアは仏頂面だった。コーヒーの入った白いマグカップ、ティナは不思議そうにこう言った。

「どうしたのですかセシリア。機嫌が悪いようですが」
「状況次第であそこまで大胆になるとは思わなかったのです」
「なにがです?」
「女がですわ」

ふふふ、と響く声は夜叉の様である。セシリアは箒をけしかけ、廊下で様子を覗っていたのであった。

「身を引くのですか?」と察したティナが問う。
「まさか」とセシリアは言った。
「彼女は確かに強敵ですが、少々純真すぎますもの。私のアドバンテージは変わりませんわ」
「セシリア、私は貴女と友になったことを今ほど感謝した事はありません」
「それは、先達という意味かしら」
「見ていて飽きないと言う意味です」

結局、真耶はディアナに説教された。記録日の改竄を失念した為である。



◆◆◆

と言う訳で如何だったでしょうか。色々な議論があったあの話をこう変えてみました。疑問点があれば書き込み下さい。なお、2人が一線を越えたかどうかの回答は控えさせて頂きます……うふ。

それでは。







【作者のどうでも良い話】
あと2,3本外伝を書こうかと思います。
本編はストーリが未だ浮動中。どうしようかなーと悩みまくっています。



[32237] 外伝 贔屓とやきもち
Name: D1198◆2e0ee516 ID:d5589322
Date: 2014/06/05 22:11
贔屓とやきもち

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相対する白式を見て鈴は腰を溜めた。手にする双天牙月を小さく回す。左足を前に、右脚は後ろに、相手に向かう切っ先を上げて構える。宙を駆けるISにとってそれは本来の意味を成さなかったが、戦闘前の一儀礼として彼女は好んで行っていた。空中戦、IS戦に切り替えるという己へのマインドセットの意味もある。

鈴の瞳に映るのは純白の機体。背にある一対のウィング・スラスターは猛々しくそびえ、世界を覆わんばかりに羽ばたかせている。その姿は正に天空の覇者。幼き頃より彼女が想い、慕い、共に笑い、泣いてきた相手、そして今だけは打ち倒すべき相手である。

「行くわよ一夏」
「おう」

構える一夏に鈴は踏み込んだ。イグニッション・ブースト(17G)。一気に距離を詰める。

甲龍の兵装は近接格闘用の双天牙月と両肩の浮遊ユニットにある龍砲、この2つ。空気を圧縮し衝撃波として撃ち出す龍砲(※独自設定)の初速は音速の1.5倍。超人じみた反応速度を誇る一夏には50メートルまで近づかないと反応し躱されてしまう。そしてその50メートルとは近接格闘の距離だ。一夏は近接格闘特化型、この2人に中遠距離は存在しないのである。

一夏は実刀状態の雪片弐型を構え、ノーマル・イグニッション・ブースト(20G)で迎え撃つ。星が瞬くその刹那、2人はアリーナの空で邂逅した。耳をつんざく様な金属音、火花が散った。

重量の軽い白式ではあるがそのスラスター・パワーを活かした突進力は驚異的。パワー型の甲龍と言えども押し負けた。

甲龍のスラスターがレッドゾーンに入る。鈴は押し切ろうとする一夏の意図を見抜き、剣圧を受け流した。持ち手を変え、双天牙月をシーソーの様に切り返す。円弧的な、回転的な鈴の攻撃を一夏は柄で受け止めた。

鈴は驚愕する己の精神を強引に押さえつけた。左蹴り上げ。双天牙月の質量とスラスターを用いその威力を蹴りに乗せる。AMBAC(アンバック:Active Mass Balance Auto Control:能動的質量移動による自動姿勢制御)だ。

一夏の表情が驚きで歪む。蹴りが入った、鈴はそう思った。鈴はその後のコンボ(連続攻撃)を組み立てた。だが。

一夏は表情を直す前に踏み込んできたのである。まるでアニメのコマが飛んだ様な、物理運動をねじ曲げた様な歪な光景で、左肩を鈴の胸部に打ち込んだ。

鈴の息が止まる。続けて腹部に衝撃、白式の蹴りだ。鈴の視界が回る。姿勢制御。構え直した時、鈴の首元にあるのは発動状態の雪片弐型だった。

「降参」と鈴は言った。
「勝負あったな」

屈託無い少年の笑顔が妙に癪に障る。

「いやー驚いたぜ鈴。あの蹴り、あの状態から出せるとはおもわんかったぜ。どうやったんだ?」

ちょいテクよ、彼女は言った。もちろんそうでは無く高度なテクニックだ。実戦で活用できるとなれば更に少なくなる。少なくとも一年生では鈴以外、いない。

「教えてくれよ」
「だめよ」
「えー何でだよ」
「乙女には秘密が必要なのよ」
「なんだそりゃ」

負けるのは悔しいから。強さの差が余り開きすぎると戦ってくれなくなるかも、しれないから。彼女はその独白を口にすることなくそっと仕舞い込んだ。

「そこを何とか、たのむ!」
「一夏があの当身を教えてくれたらいいわよ」
「おっけ。等価交換だもんな……えーと? あれ?」
「ナニよ」
「おれ、どうやったんだ?」
「知らないわよそんなん」

彼女ははてな顔でうんうん唸るボーイフレンドをしばらく見ていた。ぐうとお腹が鳴る。

「夕食にするわよ一夏」

腹の虫を一夏に気づかれずにすんだ、そう思いながら彼女はその場を後にした。一夏が1人だと気づいたのは鈴がピットに戻ってからである。


◆◆◆


真は右を見た、キッチンが見える。そこには彼の旧知の女性が持ち込んだ調理器具が並んでいた。元々その女性が使う為に持ちもまれた物だが最近はもっぱら、彼の同室の銀髪の少女が使っている。忌々しいが道具を見る眼はたしかだな、そうその少女は言った。

左を見た、カーテンが見える。ベージュ色でゆったりと風にその身を流していた。ゆらゆらと揺れる。彼は寒色系にしようと意見したのだが、彼女の意見を覆すことが出来ずこの色に至った、その事を思いだした。部屋の調度品に合わない、そう同室の少女は切り捨てたのである。

真は正面を見た。幾分視線を落とす、そこには同室の、銀髪の、眼帯の少女が立っていた。別に何も思わない、彼自身の部屋だからである。だが彼女の姿を見てどうした物かと頭を掻いた。

一緒に暮らす様になってからと言うものの、彼は口酸っぱく言ってきた。何度も繰り返し言ってきた。でもその少女は中々聞き入れなかった。でも言ってきた。彼女の品行である。

別に大和撫子たれ、と言っているわけでは無い。時代錯誤であるし、そもそもその少女はドイツ人だ。日本の、彼自身の価値観を押しつけるわけにはいかない。

でも礼儀は必要だろう、一線は必要だ。立場はともかく、精神はともかく、生い立ちはともかく、肉体は15歳の少女と、16歳の少年なのだ。

だから彼はこう言う事にした。右手は腰に、機械の左手も腰に据え胸を張る。そして幾ら視線を下ろす。

「あのさ、ラウラ」
「なんだ」

彼は眼を瞑り右手でもう一度頭を掻いた。視線が落ち着かない。

「用件なら手短にしてくれ、ココアが冷める」
「……確かに俺は脱衣所でパジャマ着ろと言った」
「知っている。だからこうして着ている。問題は無かろう」

彼女は長袖の長い丈のワンピース形状の寝間着を着ていた。所々フリルが付いて可愛らしい。ラウラを直視出来ない彼は眼を瞑り歯を食いしばる。

「……」と彼は言った。その言の葉は小さく、ラウラには聞き取れなかった。
「はっきり言ったらどうだ、それでも日本男児か」

ぴくり、彼の口元が引きつった。繰り返し「……」と小さく言った。出せる声は小さいか大きいか、適切な声が出せなかった。憤りの為である。

「話にならんな、私はココアを飲む」

振り返るラウラの肩を掴んだ。それは華奢で儚げだったが、彼女がその気になれば屈強な軍人を倒せてしまう躰だった。

「……だよ」
「聞こえないぞ」
「……ジェなんだよ」
「いい加減にしろ。その手を離せ」

ぷちん、真の頭の中で何かが切れた。大きく息を吸う。

「何でネグリジェなんだよ! しかもパープルのシースルーって何だ!」

ぱちくり、ラウラは何のことだと首を傾げた。

「……ピンクの方が良かったか?」
「そう言う問題じゃ無い!」
「言っておくがこれは寝間着だ。店で何度も確認した。店員にも確に、」
「寝間着は寝間着だがそれは違う! ちょっと違う! ぜーーーーったい違う! 断じて否!」
「男はこういうの好きなのだろう」
「男の好みなんてどうでも良いの! 俺が言っているのは、パ、ジャ、マ! 第一そんな店何処で知ったんだよ!」
「ストリングスだ」
「あのひとはー!」

きつね色に笑うディアナが真の頭上で飛び跳ねる。頭を一層抱える真であった。

「ふむ、違う物なのか」

 はてな顔のラウラは裾をぴらとめくる。透けて見えるボトムのインナーと、無機質な筈の太ももが異常なほど艶めかしい。

「だああああ!」

止めさせようと慌ててラウラの裾を掴む真であった。その時だ、ぴゅうと風が吹いた。玄関が空いていた。鈴が笑顔で立っていた。挨拶の右手も上げていた。

時が止まる。

おやと視線を鈴に投げるラウラ。だらだらと脂汗を流す真。ラウラの裾を掴む手がふるふると震える。その光景を見た鈴は笑顔のまま真に歩み寄り、挙げた右手をそのまま振り下ろした。引っぱたかれた真は思う。

(どうしてこのマンションはオートロックじゃないのだろう)


◆◆◆


鈴はダイニング側、つまり真のベッドであぐらをかき、冷ややかな視線を真に向けていた。左頬を真っ赤に腫らし真が言う。

「あのさ鈴」
「ナニよ」
「理由も聞かずいきなり引っぱたくのはどうかと思うぞ」
「平日の日中からあんな如何わしい事してる方が悪いのよ。ヘンタイ」

窓から覗く空にはすでに星が瞬いていた。もう夜じゃないか、真はそう思ったが火に油だと言うのを止めた。

ラウラが鈴にホットココアを差し出した。客人がいれば話は別だとガウンを上から着込んでいる。鈴は小さく礼を言い一口すすった。真は少々憮然とした表情で同じくココアを飲んだ。酒を欲したが鈴の手前、飲むわけにも行かなかった。千冬とディアナに注意されているのである。尚、ラウラと一夏は別勘定だ。彼は何時もより居心地の悪いソファーを気にしながらこう言った。

「鈴が来るのは初めてだよな、用件はなに?」
「実はさー」

鈴には学年二位という地位がある。この優秀な成績は1年で素人から代表候補まで上り詰めた彼女自身の資質・努力ももちろん在るが、状況が彼女に味方したのだった。

シャルロットのラファール・リヴァイヴは、第2世代の中で最も優れる機体だが第3世代と比較すると心許ない。それでも鈴ら第3世代と渡り合っているのは一重にシャルロットの技能による物だ。セシリアのブルー・ティアーズは中遠距離型。子機の母艦的な特性をもつ故に2キロメートル四方のアリーナでは小さすぎた。鈴と並び立つ者、強いて言えば箒の紅椿だが箒は発展途上、未だ鈴が優勢である。

甲龍は第3世代のバランス・パワー型、鈴自身、己の特性を活かし他の少女らに勝ち越していた。それでも完全一位になれないのは一夏の存在だ。

白式は紅椿と同じ第4世代で更には第2形態を迎えている。一秒で音速に達する暴力的な加速力とエネルギーを対消滅させる雪片弐型。その性能はモンスターと言っても良い。加えて一夏の英雄としての身体能力、彼自身の選択でその資質を欠き、今では能力が残るのみとなっているがその力は驚異的。一年生どころか全学年で一線を画す存在となっていた。

事実、2学期以降鈴は一夏に一勝もしていない。鈴は思う、一夏が強いのは嬉しい、でも負けるのも悔しい。一夏に対して優位だったのは何時の頃までだっただろう。置いて行かれるのはイヤだ。そう思い至った鈴は真の部屋に足を向けたのだった。

身を乗り出し、鈴は右拳を握る。

「つまりアタシはもっと強くなりたいのよ!」

その表情は正しく豹。真には鈴の、口から覗く八重歯が牙に見えた。血気盛んな妹分に一抹の不安を覚えながら、真は言う。

「要するに上級生から模擬戦相手を都合してくれと? しかも強い?」
「そーそー、さすが話が早いじゃない。出来れば専用機持ちが良いわ」

端から見れば2人の会話は成立していない。それでも意思疎通が出来るのは、短いとはいえ深い日々を送った結果だ。“つうと言えばかあ”という事である。自分の持っていない絆を見せつけられ、むっとするラウラだった。

「一夏が居るじゃないか。こう言っちゃアレだけれど、一夏は学園トップクラスだぞ。楯無、生徒会長でも簡単に勝てないし」
「そんなん知ってるわよ。でも同じ相手ばっかりじゃ駄目じゃない? 世界が狭まるというか、井の中の蛙というか。アタシは……1年という枠から飛び出したいのよ!」
「鈴はラクロス部だろ? 先輩に頼めないのか?」
「こういうと角が立つんだけど、ISで強い人いないのよね。整備課の人多いし」

基本的に学年越しの模擬戦は上から下の指名が原則だ。上級生が鈴を相手に指名できるがその逆は出来ないのである。上級生に個人的に頼むしかないわけだが、適当な人物がいないと鈴は言っているのだった。余談だが、ラウラと一夏の一件で教師と生徒の模擬戦は審査制になった。書類選考、面接と手間が多い。ただ例外的に一夏と真だけは認められている。

真は腕を組んで考えた、口はへの字。かちこちと時間が進む。鈴の言うことも一理あるし、彼女の向上心は心地よい。それに学園の少女たちは少々ハングリーさに欠ける、鈴のなりふり構わない姿勢は、皆の良い刺激になるかもしれない。だがこれは教師として問題は無いのか。真はそう考えた。ちらと鈴を見る。小さい唇は波打つ様に強く結ばれていた。鈴なりに考え迷った行動だと分かった彼は、決めた。

「わかった、頼むだけ頼んでみる」
「ホント!? いやー、助かるわー♪」
「ただし。過度な期待はするなよ、鈴の依頼は立場的に微妙な内容なんだからな」
「わかってる♪」

本当に分かって居るのか、真はそう思ったがベッドで喜びを隠さず暴れている鈴の姿を見たらどうでも良くなった。あははと笑う鈴。ラウラが真の近くで囁いた。その表情は心配と言うより咎めだった。

「いいのか?」
「指示じゃないし、個人的な頼みだし。それに教師が生徒の向上心を台無しにしたらだめだろ」
「そう言う事を言っているのでは無い」
「じゃあなんだよ」
「前々から思っていたが。真、お前は凰に甘いな」
「そうか?」
「そうだ」
「俺に頼み事をする娘が少ないだけだろ。箒の相手もしているし、そう見えるだけだ」
「篠ノ之は正規の手順を踏んでいる。そもそも凰はお前を捨て、織斑一夏を選んだ娘だぞ」
「今回のケースは明文化されていないから箒と比較は出来ないだろ。どうしたラウラ? 随分感傷的な発言だ。らしくない」
「贔屓も程ほどにしろという意味だ」

ラウラはむっすりとした表情で立ち上がり、キッチンに向かった。水の流れる音がする。洗う様な食器はあったかと真は首を傾げた。

じっとラウラの姿を認めつつ、頭の中に当てはまらないパズルのピースが幾つも幾つも浮かぶ。あれでもない、これでもない、そう苦慮しているとき鈴が半眼でこう言った。

「なにじろじろ見てんのよ。イヤらしい」鈴の一言でパズルが霧散する。
「いやなんでもない。それよりそのスウェットだけれど」

ベッドの上であぐらを掻く鈴はライトグレーのスウェットを着ていた。長袖長ズボン、シンプルなデザインで胸に仲間を意味する“HOMIES”とプリントしてある。スウェットは一般的に余裕のあるサイズだが、それでも随分弛んでいる様に見えた。

「ちょっと大きいんだけど、着心地が凄い良いのよこれ」
「左手首にコーヒーの染みが無い?」
「あるわよ?」
「……」
「……」

真はゆらりと立ち上がる。鈴もベッドの上に四つん這いで体勢を整える。何時でも飛び出せるようにだ。

「鈴! それ俺のじゃないか! 最近見ないと思ったら!」
「なによ! あの時くれたんでしょ!」
「違う! 貸しただけだ!」

真が追いかける。鈴が逃げる。

「返せ!」
「何に使うのよヘンタイ!」
「洗って使うだけだ!」
「着て匂いかぐ気でしょ! L・ヘンタイ!」
「気に入っているんだよそれ!!」
「きゃー、ごうかんまー!」
「人聞き悪い!」

笑いながらドタバタと騒ぐ2人。意識しないようラウラはむっすり顔で空のシンクに水を流し続けていた。


◆◆◆


楓へのいたる道、真は腕を組んで考えた。口はへの字、むうと唸る。ラウラの様子も気になるが今は鈴だととぼとぼ歩く。客観的な立場の人物がいたならば、成長の無い奴だと注意したであろう。お気づきであろうか。真は複数の女性の事を、同時に考えることが、非常に苦手なのである。困ったことに本人もそれなりの自覚が有る故、

「たっちゃん登場!」
「更識様ごきげんよう。さようなら」

という扱いをする。優先順位が明確だと言えば良く聞こえるが、ビジネスライクな女性の扱いは危険である。日常がビジネスライクだからと思い、常時その様な態度でいるとそのうちとぱっちりを喰らう。IS学園なら尚更だろう。身体的危機という意味だ。

伸ばした右手は真っ直ぐに。軽く握った左手は胸の前。右脚は曲げ腿を上げる。ぱっと登場した楯無は決めていた。メイク、ポーズはもちろん、重要なのが髪。ノンシリコンシャンプーにトリートメント。水にはアルカリイオン水を使い、乾かす時は根元から。一見癖毛の髪だが手ぐしで流せば水のよう。自信があった。全てが無駄である。

楯無は問答無用で切りつけた。怒り笑いで切りつけた。最初は右薙ぎ、次ぎに袈裟切り、円弧を描き連続で切りつけた。紙一重で避けつつ真は言う。

「あのさ、楯無。今日は何の用?」
「何その態度! このたっちゃんを前にして失礼よ! 超絶美少女に興味ないわけ?!」
「今立て込んでいるんだ、今度にしてくれ」
「今度って何時よ!」

ちちちと小鳥が鳴いた。2人が立ち止まる。

「……今度」

ぷち、楯無の中で何かが切れた。

「我が内に“不倶戴天”の4文字懐いて悪(女の敵)を撃つ! 秘技! 鏡花水月!」
「それ“Kitson”?」
「へ?」

技の発動直前だった。突然真に、ヘアケアに使うシャンプーのメーカーを聞かれ呆気に取られる。

「だからヘアケア」
「えあ、うん。そう。どうしてわかったの?」
「ピオニーとローズが混じるフローラルブーケの香りっていうとそれしか知らないから。なんとなく。つかってどう?」
「うん。良い感じ。艶もでたし紫外線対策もばっちりだし」
「これから冬に向けて強くなるもんな」
「そうそう」

あははと2人笑うと背を向け合った。数歩歩く。ぷち。更識楯無、本日二度目の切断である。楯無は踏み込み、切りつけた。真避ける。

「そんな事で誤魔化されないわよ!」
「思いっきり誤魔化されたじゃないか!」

ヒュンヒュンと鋭い風切り音で楯無は切りつける。真避ける。

「いい加減当たりなさい!」
「御免被る!」
「あ、セッシーが水着姿で歩いてる」
「えっ?」

真被弾。崩れ落ちた。

「ふ、ちょろいわ……」
「ひ、卑怯者ー」

楯無は笑顔で立ちさった。真は仰向けで不満顔だ。ぶーと溢している。途中から見学していた薫子が近寄り真にこう言った。

「真、人を怒らせてしのぐの止めなさいよ」
「薫子、パンツ見えてる」
「あんたそれセクハラ」

薫子は倒れている真の頭を踏みつけた。


◆◆◆


上級生の寮“楓”は一年寮“柊”から僅かばかり離れた所に有りその距離徒歩5分。基本構造は同じだが、2学年分と言う事で床面積は約倍になっている。また式典、来賓対応もするので高級ホテルの様なロビーと食堂は、1年の少女たちに憧れとなっていた。行ってみたいでも先輩は怖い、そう言う事だ。

大理石の床と柱。白い壁に天井からはシャンデリア。三階までの吹き抜け構造で、上からはロビーが一望出来た。夜には淡いオレンジの照明が灯り、瀟洒(しょうしゃ)な雰囲気を醸し出す。

秩序良く置かれたソファーには上級生たちが飲み物を片手に、静かに談笑していた。真は、騒がしい一年寮を思い浮かべながらその場を通り過ぎた。彼の姿を認めた少女たちが声を掛ける。彼は手を上げて皆に応じた。

彼はエレベータのボタンを押した。機械音がどこからともなく聞こえてくる。カウントダウンされる数字を見ながら「薫子って人の頭踏んづける様な娘だったんだな、俺ショックだ」と言った。とはいうもののショックらしいショックを受けてはいない。真の左側に立つ薫子は、僅かに語気を強めてこう言った。

「誰でもって言うわけじゃ無いわよ、というか真だけ」
「そうか。俺が特別だからか。嬉しいよ」
「無表情で言われると非常に腹立たしいわ」

ちん。間の抜けた音と共に扉が開いた。2人が乗り込み、上へ上がる。目指すは最上階だ。

(うーむ、やっぱり楓はエレベーターも質が良いな。殆ど振動が無い……)

その様な事を考えている真を薫子はちらと見た。狭い密室に若い男女二人きり、意にも介さないとそれはそれで腹が立つ。私はエレベータより下か。苛立ちをおくびにも出さず薫子はこう言った。左二の腕には何時もの、新聞部の腕章がない。

「で、どうなのよ」
「何が?」
「たっちゃんの事よ」
「別に」
「別に、何とも思っていない?」
「そう」
「……なんだ。たっちゃんに気づいていたんだ」
「まあ、さすがにな」真はポリポリと頬を掻く。
「応じないわけ?」
「そのつもりは無いよ」
「なら、ガールフレンド出来た?」
「さっきから気になっているんだけれど、どうしてそんな事を聞く?」
「入学して早七ヶ月。周囲には見目麗しい少女たち。居ない方がおかしいわよ。ホモ説ってやっぱり本当?」
「風評を信じるなんて、記者失格だな」
「TVとか見てないわけ? ガールフレンドは何人いるか、良く取り上げられるわよ」
「ワイドショーの類いは見ないんだ。何が楽しいのかよく分からない」
「IS学園の世間の風評、意外と参考になるわよ。教師なら意識するべきだと思うけれど」
「……今度見てみる」
「それがいいわ。で、どうなのよ」
「俺はセシリア一筋なんだ。話したことなかったか?」
「ふーん。相変わらずローマの休日やってるって事か」
「いやはや。ラブロマンスなんて言い過ぎだ」
「報われないって言ってるのよ」

この時初めて真は薫子を見た。碧色の眼に僅かな非難の色が浮かぶ。だが薫子は何処吹く風で受け流した。

「……薫子。君も同じ事を言うんだな」
「あっちはイギリス王室縁の貴族様。かたやちょっと毛の生えた一般人。あったりまえじゃない。誰が見てもそう思う」

真はやれやれと溜息をついた。改めて言われずとも分かっている、と言う意味だ。

「虚さんや楯無、本音。一夏にも“箒はどうだ、他の娘はどうだ?”って暗に言われる。薫子で何人目かな」

(破局するの分かってて応援出来るわけないじゃ無い。弟分なら尚更。親心子不知とはこの事か)薫子は心中で深い溜息をついた。

「ならどうするわけ? これから。実際のところ」
「どうもこうも無い。今のままさ。つかず離れず、友人と恋人の間を行ったり来たりする。俺らの距離だ」

手が付けられないわねと、薫子は降参のポーズ。

「不器用もここまで来ると表彰もんね」
「……えぐえぐ」

突然ボロボロ泣き出す真。薫子は慌てた。同い年の16歳、格好付けるお年頃。しかも準教師の真が生徒である薫子の前で泣き出すとは流石に思わなかったのである。

「ちょ、泣くことないじゃ無い!」

だってしょうが無いじゃ無いか。セシリアはそう言う人だったんだから。考えない様にしているのに。非道いやかおるこ。声にならない声、さめざめ泣く真だった。

「えぐえぐ」
「あーもう! めんどい奴ね!」 と言いつつハンカチで真の頬を拭う。

ちん。エレベータの扉が開いた。

「「「あ」」」

2人の目の前に立ちふさがるは二年生の、薫子のクラスメイトたち。不味いところを見られたと顔青ざめる薫子を見て、彼女らは玩具を見付けた様な顔をした。

「あー薫子が真なかしてるー」
「なかしてるー」
「布仏先輩に言ってやろー」
「いってやろー」
「ちょ、いい加減なこと言いふらすなー!」

逃げて追いかける少女たち。

「報道は正確誠実! 新聞部はジャーナリズム宣言よ!」
「「「わー、悪徳記者が怒ったー」」」

真は薫子が戻ってくるまで泣いていた。

「えぐえぐ」


◆◆◆


美人の知り合いは美人が多い、誠か嘘かは真相は置いておいて真の知り合いには専用機持ちが多かった。教師という立場の1年生はともかく2年はフォルテ・サファイアと更識楯無。3年はダリル・ケイシー、白井優子といった面々と交友がある。彼女らは全員専用機を持っていた。真は首を捻って考えた。

(誰が適切だろうか)

フォルテとダリルは意欲に欠ける。頼んでも面倒だと一蹴されかねない。楯無はISの実技と座学、共に優れる才女だが、天才肌故に教えるのは苦手かもしれない。なにより彼女に借りは作りたくない、真はそう思った。消去法である。

「と言う訳でして、是非優子さんの助力をお願い致したく存じます」

真は深々と頭を下げた。真の居る部屋は優子とそのルームメイトの部屋である。部屋の作りは一年寮と同じだが、整理整頓、明窓浄机(めいそうじょうき)、清潔感溢れる部屋だった。真は学生の時も教師となった今でさえも1年女生徒の部屋を知らないが、散らかしている彼女らが見れば泣いて掃除に励みそうなそんな部屋であった。

「わたし?」
「はい」

彼女は1年から地道に着実に訓練に励み3年操縦課主席という地位まで上り詰めた。平時の行いが成果にも表われる、というが優子の部屋はそれの証でもあった。なにより

(手加減配慮が出来るんだよな、この人)

逆に出来る人物がいないとも言う。

「こう言うと白々しいけれど、それって職権乱用じゃない?」
「ですから個人の立場でまいりました。私服がその証でございます」

謙りすぎじゃ無いか、とは薫子。彼女は面白そうだからと付いてきた。正座に三つ指突いて深々と頭を下げる真。優子は暫し思案。

「鈴ってあの娘でしょ? すこし生意気……じゃなかったざっくばらんな、礼儀に欠け……じゃなくて元気なツインテの小さい娘」
「はい、その娘にございます」
「前々から聞きたかったのだけれど、真ってあの娘に構い過ぎじゃ無い?」

真が頭を上げるとそこには優子の姿があった。椅子に腰掛け不思議そうな表情で真を見ていた。別に怒っているというわけでは無い、ただどうしてそこまでするのかと理解出来ないと言っていた。真は言った。

「確かに鈴は、少々粗暴で礼節に欠けますが某にとっては妹同然。根は気立て良しだと我が種子島(火縄銃)に掛けて請け負いまする。兄馬鹿は重々承知。数々の無礼、私より言い聞かせます故、この蒼月真の身勝手、何卒、何卒聞き入れては貰えませぬでしょうか」

あんた何時の誰よ、とは薫子。呆れている。

「……」

優子の胸裡に宿るのは去年から見続けてきた真の記憶。他人にも自分にも興味が無く、言われているから、生きているから仕方なく生きているという印象。その真が必死に頭を下げている。一人の少女の為に必死になっている。

二つの真のイメージ、小さい去年の真と、大きい今の真。重ねようとするとその隙間、重ならない部分に優子ら3年生以外の少女が入っていた。詰まっていた。彼女の胸に小さいわだかまりが一つ、瞬く。まるで丑の刻を過ぎた、和風家屋の暗闇の中。襖と畳、陽炎の様に瞬く蝋燭。

「いいわよ」
「本当ですか!?」
「うん」
「ありがとうございます!」

へへーと謙るその姿は何処ぞの騎士か侍か。胸のつかえが下りたと、意気揚々で立ち去った。見送った優子はコーヒーカップをかちゃりとならす。

「薫子、ブリューナクの用意を」
(あちゃー)

光る双眸は狼の如く。薫子は人知れず鈴に同情した。


◆◆◆


その日の第3アリーナは満員御礼だった。生徒どころか教師まで観戦に押しかけ、観客席はごった返しだ。大多数が優子が勝つ、そう予想していたが中国代表候補が、3年操縦課主席を相手にどの様に仕掛けるのか、皆興味津々だったのである。鈴が勝つのは難しい、真もそう思っていたが学べることが有れば良いと割り切っていた。

鋼板で囲まれた空母の格納庫の様な第2ピット。虚が号令を出し、整備課の少女たちが精を出す。無人の甲龍が最終チェックを受けていた。真は甲龍の脇に立ちウォームアップに励む鈴にこう言った。

「模擬戦じゃなくて、試合みたいになったな。凄い人の入りだぞ」
「ふふん、当然よね。アタシがどう戦うのかみんな興味津々なのよ」

鈴は意にも返さない。

「緊張しないのは良いけれど、もう少し危機感を持ったらどうだ」
「真が不安がってどうすんのよ……ひょっとしてアタシが負けるとか思っているんじゃ無いでしょうね」
「勝つ気なのか?」
「あったりまえじゃ無い! 戦う前から負けてどうすんのよ! やるからには勝つ! 負けなんて考えないわよ!」

元軍人の真は勝敗を計算するのである。ただでは負けないという考えを持っていた。負けても良い、その代わり得るものは得る、という考え方。だから。真は久しぶりに心の底から楽しんだ、楽しい心持ちになった。彼は、鈴のこの質が心地よくて好きなのである。男女など関係無く。

「確かにそうだ。勝ってこい鈴」
「任せなさい!」
「鈴ちゃん、チェック終わったよ~」と本音の呼ぶ声がする。
「じゃあ勝ってくるわ」
「ああ」

鈴と真は互いの右拳をぶつけ合った。駆け出す鈴の背中を追っていると、側に居た一夏が笑いながらこう言った。

「ぐーぱん挨拶なんて普通男同士でやるもんだぜ」
「いいだろ、こう言う関係」
「ぬかせ」

鈴が発進すると第4ピットから優子が現れた。歓声がこだまする。ピット内の大型ディスプレイ、そこには空中で対峙する甲龍と打鉄が映っていた。2機とも無手である。2機とも一礼をした。緊張感が生まれ鈴の表情から笑みが消える。優子は何時もの様に嫋やかに笑みを湛えていた。

一夏は優子の打鉄をじっとみる。

「なあ、真」
「どうした」
「どうして白井先輩はリヴァイヴじゃなくて打鉄を使っているんだ?」
「そりゃー、機体特性で選んだんじゃないか」
「どんな?」
「っとな。リヴァイヴはパワード“スーツ”、打鉄は肉体の延長っていうコンセプトで作られてる、わかるか?」
「ぜんぜん」
「……例えばスラスター。リヴァイヴは脚と背の翼にスラスターが付いていて操縦感覚が乗り物に近い。けれど打鉄は全部下半身に付いて生身の動かし方に近いんだ。つまり移動や打ち込みといった動作を下半身中心にして行う。武術経験者が打鉄を好むはこれが理由」
「へー、つまり白井先輩は武術経験者なのか」
「それは聞いた事無いな」

「優子の家は薙刀術の一派なの、しらなかった?」と言うのは虚だ。ゆったりと二人に歩み寄る。「初めて知りました」と真が言うと、「強いんですか?」と一夏が聞いた。虚は「直ぐ分かるわ」と言った。だから真は「優子さんが勝つ、そう確信していますね」と虚に確認した。

「真」
「なんですか」
「凰さんを宥める用意をしておきなさい。彼女の性格を考えるときっと荒れるから」
「そこまで言いますか」

むっとする真だった。

◆◆◆

ホイッスルが鳴る。鈴は即座にスラスターを全開にまで上げ、双天牙月を一刀のみ展開、右手に構えつつ、一足飛びに間合いを詰めた。

鈴には一つのプランがあった。それは開始直後の奇襲である。近接兵装である双天牙月を一刀のみ展開し、量子展開の時間を稼ぎ、切り込む。開始時の間合いを短めにし、猶予を与えない。防がれれば良し、躱されれば良し。万が一ヒットしよう物なら即座にもう一振り展開し、連撃を入れる。そして龍砲で追い打ちだ。真にいう文句も考えてある。“強い奴って言ったでしょ”

徐々に近づく相手の姿、未だ兵装も展開しなければ動きもしない。いよいよ考えた文句が無駄にならないかも、そう鈴に失望感が生まれた時である。初めて優子に動きが出た。

鈴は優子のデータを見ていた。真と同じ中近距離の射撃型。真と異なり、攻撃回避防御のバランス型。だから、アサルトライフルかサブマシンガンで攻めてくる、そう踏んだ。だが彼女の手にある物は槍だった。否。正確に言えば槍の様な武器。

棍棒と円錐を繋げた様な形。ただその円錐が異様に大きく長かった。円錐の末端から棒が申し分程度に生えている、そう形容した方が正しかった。何よりその光沢、夕日を浴びて虹色に光っていた。

鈴の脳裏にテキストが浮かび上がる。知っている、その金属を知っている。確か講義でならった、でも直ぐ思い出せない。だがどうでも良い、近接格闘は私の世界。そもそもそんな大きくて重い武器、使いこなせない。なにせ“ISより重い”のだから。

真は優子が展開した、虹色の槍を見てそれが“ゼラニウム”という金属だと分かった。その性質は表面強度と許容応力、そして密度にある。

鉄に炭素と熱を与えると強度が増す。この性質を利用した工業的処理を熱処理と言うが、このゼラニウムにそれを施すとセラミックの3倍の強度を発生する。また鉄に力を加えると一定の力まで持ちこたえる性質がある。これを許容応力と言うが、ゼラニウムはチタンの4倍。なにより鉄の6倍の密度を誇り、優子の持っている大きさから推定するとその重量は1トン以上有ることになる。つまり一般的IS重量の約5倍だ。

その金属を“武器に使う”には。“武器として使う”には。この考えに至った時、真は思わず「鈴! 距離を取れ!」と叫んだ。

鈴が右から左に振った一撃は優子の槍に阻まれた。優子のその槍は、僅かに揺れただけだった。鈴は驚きを隠さず、もう一刀展開し左から右に薙いだ。優子は槍の位置を小さく変えただけだった。鈴、青竜刀連結、双天牙月。回転力と質量を乗せた全力攻撃。優子は軽く揺れただけだ。

宇宙を支配する物理法則の根源原理の一つ、慣性保存の法則。動いている物は動き続けようとし、止まっている物体は、止まり続けようとする。そしてその慣性力は質量に比例し、鈴の双天牙月は優子の槍に比べて余りにも軽すぎた。鈴の表情が固まる。優子は一瞬困った様な顔をした後、狩猟者の表情を見せた。

対人決戦兵装“ブリューナク” 優子が考案し、虚が作り上げ、3年操縦課主席に上り詰めた武器、真の知らない彼女だった。

優子はP.I.C.をマニュアル制御、慣性制御を槍に集中する。優子の一撃、とっさに掲げた双天牙月越しに、鈴にぶち当てた。新幹線にはねられた様な衝撃が甲龍を襲う。

甲龍は姿勢制御もままならないまま、フィールドに落下、激突。鈴は躰に掛る衝撃を無視してスラスターを吹かした。距離を取る。その先に優子がいた。鈴は構えを取る暇も無く、再度衝撃に襲われた。土煙を上げながらフィールドの際を滑る様にはじき飛ばされた。

打鉄が追撃を掛ける、甲龍は龍砲を連射。打鉄は躱せる物は躱し、躱せないものは槍で受け止めた。鈴は距離を取ろうとスラスターを吹かすが、異常が発生した。機動力が30%に低下、スラスター破損、まともに動けない。打鉄は槍に回転力と質量とスラスターパワーを乗せて甲龍に打ち込んだ。

「アイヤーーーーー!」

鈴はフィールドに打ち込まれそのまま動かなくなった。動けないのはピットにいる真たちだけでは無い、観客も呆気に取られ沈黙していた。先程の歓声が嘘の様だ。真は本音に「何秒だった?」と静かに聞いた。彼女は「32秒」と答えた。声が震えていた。一夏は「鈴が秒殺? マジで?」と開いた口が塞がらない。

真は回収してくる、そう静かに言うとみやを展開、鈴の元へ急いだ。アリーナのフィールドに空いた大きなクレーター。鈴はその底で眼を回していた。甲龍が最後のエネルギーを振り絞り、搭乗者は気絶しているだけだと伝えて、具現化限界、光となった。鈴の右手にブレスレットが現れる。

真は大の字でぴよぴよと気絶している鈴を抱えると、空中を睨んだ。優子に詰め寄った。彼女は笑顔だった。それが真の癇に障る。

「優子さん、やり過ぎです……」

ヤクザさえも震え上がりそうな怒気だったが、彼女は涼しく受け流した。

「増長する後輩を指導するのも務めのうち」
「どこが指導ですか。こてんぱんにするなんて」
「あのツインテ娘なら初撃入っただけでもいい気になるわよ」
「鈴はそんな娘じゃありません。優子さんは鈴の何が分かってるって言うんですか」
「なら真は私の何を知ってるって言うの?」初めて優子はその表情を陰らせた。
「……?」

何を言っている、よく分からない、そう言う前に優子は真に背を向けた。

「真が意地悪で悲しいから帰る」
「話はまだ終わっていません!」

彼女小さく振り返り、自身の肩越しにこう小さく呟いた。

「初めからある幸せって気づかないものよね」

真が優子さんと呼ぶ3年生がピットに戻って、しばらくすると鐘が鳴った。アリーナの使用終了を告げる鐘だった。真の頭にパズルのピースが浮かぶ、今度は正確に収まった。

(やきもち? まさか、なあ)

組み上がったパズルはそのまま彼の奥底へ消えていった。真にとって少なくとも今は優子より鈴なのである。


◆◆◆


翌日の朝。何時もの様に騒がしい柊寮の食堂である。8人掛けのテーブルに、ステーキ、ラーメン、ハンバーグ、ピザにシチューに、チャーハンと、所狭しと並べられていた。鈴はやけ食いしていたのである。がつがつ食べていた。しばらく食べては止まり、昨日の模擬戦を思い出し、騒ぎ出す。また食べては騒ぎ出す。この繰り返しだ。

「くぬー、くぬー、あ、あのリス女。よくも、よくも、よくもよくも、赤っ恥かかせてくれたわね……む、むきーーーーー」

鈴は、身体的にも精神的にもタフだった。朝っぱらがつがつ食べる鈴を見て、胸焼けするのは彼女に近しき友人たち。飲み物だけを片手に鈴を宥めていた。

「りんちゃん、ほっぺにご飯粒」と言うのは本音だ。ちょいとつまんで食べた。
「朝っぱらから良く喰うぜ、うぷ」一夏である。
「でもびっくりしたー、白井先輩ってあんなに強かったんだ」清香である。

1年から地道に努力し為し得た強さ、清香の瞳に憧れの星々が浮かんでいた。

「強さもだけれど、奇襲を読んでいた洞察力も凄いと思う」静寐だ。
「正確にコンボを繋げたあの局地的戦術眼、参考になるね」シャルル。
「これに懲りて地道な鍛錬に励む事だな」箒はホットティをすっと飲む。
「ちょっとアンタら! 少しはアタシを労りなさいよ! 慰めなさいよ!」
「「「自業自得」」」
「覚えてろー! リス女ー!」

鈴は中国という一つの国のエリートである。だが、優子は世界中の資質ある生徒たちが集うIS学園のエリートなのだった。楯無に生身の格闘戦はかなわないまでも、ことIS戦には引けを取らない。その彼女に鈴が勝てなかったとしても無理はないのである。少なくとも今は。

「ところで真は?」一夏の問い掛けに本音が答えた。「反省文だって」


女子校に於ける男性教諭の鉄則は皆平等に扱うこと。その通りだったと思い知った真は、机に向かい渋々ペンを走らせる。

『えー、わたくし蒼月真は、持定の生徒に対し個人的な配慮を行い、その結果2人の生徒の関係をこじらせてしまいました。これは教師と生徒の信頼関係を損ねかねない行為であり、教師としてあるまじき、まさに言語道断と猛省しています。2度とこの様な事はしないとここに強く胸に誓った次第です……まる』

「これでどうですか、リーブス先生」
「ここ字を間違えてるわ、やり直し」
「これボールペンなのですが」
「だから?」
「……いえ何でもありません」

涙目で反省文を書く真であった。実はこの後ご機嫌取りとして優子とラウラに最上級ジャンボパフェを奢ることになるのだが、それはまた別の話である。


おしまい

◆◆◆

もっと短いつもりが15k文字……つ、つかれました。一話としては最長じゃなかろうか。

もう一本外伝を予定しています。



[32237] 外伝 とある一夏の日常(ダイアリー)
Name: D1198◆2e0ee516 ID:d5589322
Date: 2014/06/07 08:32
外伝 とある一夏の日常(ダイアリー)

この話のみ時系列が異なります。シャル帰国後、専用機持ちズ帰国前です。


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一夏はある日曜日の朝に眼を覚ました。朝と言ってももう11月だからお日様が昇るまでまだ時間がある。窓の外はほんとうに真っ暗だ。日の出まであと一時間と半分は待たないといけない、一夏が起きた時間はそれぐらい早かった。

一夏は寝ぼけまなこで顔を洗い、真っ白なジャージに腕を通した。それは学園指定の運動着で汗をよく吸って体温を逃がさない、とても優れた服だった。もう寒い秋の朝でも十分暖かい。とてもオシャレで、どこかの偉いデザイン賞も取った事もある。何の賞かもう忘れてしまったけれど。

一夏は運動場に出ると直ぐ周囲を見渡した。彼の目はとても良く、薄暗い朝でも遠くまでよく見えた。どれぐらい凄いかって? 野球のボールに字を書いてそれを思いっきり投げるんだ。大人なら50メートルは届くだろう。それが楽々読めるぐらいに凄かった。

一夏はしばらくきょろきょろと誰かを探していたけれど運動場には誰もいなかった。同年代の女の子たち何人かがストレッチ運動をしているぐらいだ。自分一人だと分かった一夏はたちまち不愉快になった。

「あの野郎、今日もサボリかよ」

一夏には“真”という友達がいた。学園で唯一人の男の子の友達だ。その男の子は一夏と一緒に入学したのだけれど、色々あって今は先生をやってる。色々はいつか話すよ。皆がもう少し大人になった時にかな。

一夏は大きな欠伸をすると「夜遅くまで働く先生じゃ仕方ない」そう自分に言って走り始めた。

「えっほえっほ」

その運動場はとても大きかった。1周4キロメートルもあるそこを一夏は毎日10周もした。彼は普通に走っているつもりだったけれど、まわりの女の子には全力疾走している様に見えた。もう気づいたかな? 彼はスーパーマンだったんだ。だからマラソン選手が走る長い長い距離を、忙しい朝の時間で走りきってしまう。周囲の女の子は初め一緒に走ろうとしたのだけれど、今はもう無理と諦めてしまった。

軟らかい土を蹴り、気持ちいい風を切り、清々しい秋の空気をたくさん吸った。そして一夏が走り終わった頃にはもうお日様が昇っていた。


◆◆◆


学園の食堂は朝から騒がしかった。いろんな女の子がいろんな食事を取っていた。一夏の学校には世界中から女の子が集まってくる。白いご飯を食べる娘や、パンを食べる娘、麺を食べる娘、魚を食べる娘、肉を食べる娘、たくさん。一夏はご飯と魚の朝ご飯を選んだ。ご飯は白くて、魚は桃色だった。焼き鮭って言うんだ。みんなも機会があったら食べてみるといい、とても美味しいんだ。初めて食べる時はきっとほっぺたが落ちる。

何人かの女の子が一緒に食べようと誘ったのだけれど、彼は丁寧に断った。さっきの男の子が一人食事を取っていたのを見付けたから。

「よう真」
「よう一夏」

2人の挨拶は何時もこんなふう。あっさりしてる。沢山言葉を並べなくても意味が通じる、それぐらい仲が良いんだ。一夏は男の子の右隣に腰掛けた。男の子の前にはパンと目玉焼きとハムが丁寧に並んでいた。なんだかガーデニングみたいだ。

「今日は学食か。昨日も遅かったのか?」
「聞いてくれよ一夏。真耶先生がさ、」

先生というのはみんなが思って居る以上に大変なんだ。みんなの先生は一人だけれど、先生にはみんながいるからね。弟妹が沢山いると言えば想像出来るかな。さらに先生にはその上の先生も居る。たいへんだ。

男の子は胸に詰まったもやもやを一夏に吐き出すと、一夏の小松菜のおひたしをちょいと食べた。

「ふーん、やっぱり真耶先生ってドジっ娘だったんだな」

一夏は、男の子のポテトフライをつまんで食べた。

「真耶先生って手際よし、気も利く、丁寧なんだけどさ、時々肝心なところをミスるんだ。範囲外の問題を出してしまったって、テスト印刷した後に言うんだぞ。しかも夜。ラウラもいなかったし。もうてんやわんやだ」
「……テスト有るのか?」
「月曜日だ。聞いてないのか? 2組は昨日千代実先生が告知したそうだぞ」
「……」
「……」
「「「えーーーーーー」」」

食堂の一部の女の子は騒ぎ始めた。みんなじゃなくて一部、騒いでいるのは1組の娘たちだった。でも同じ1組の一夏は何処吹く風で鮭を摘まんでいた。

「聞いてない! 聞いてないよ!」
「おのれヤマヤ! 許すまじ!」
「どうして言ってくれないのよミカ!」
「余裕あるのかなーって」
「有るわけ無いじゃん!」
「フランチェスカが昨晩、眼の色を変えて勉強してたのこれだったんだ……」
「あ、あああああ……あー」

テストは自分の実力を測る物なんだ。だからテストのための勉強は本当は意味が無い。けれど点数が付くからそうも言っていられない。お母さんに怒られる。一夏はそんな事を考えながらぱくぱくとご飯を食べた。男の子はそんな一夏を不思議そうに見つめていた。

「随分余裕だな、一夏」
「今更慌てても意味ねーよ。どっしり構えるのが俺の主義だぜ」
「自信満々か」
「ぜんぜん」
「おい」

一夏は決めることが早かった。一夏の良いところの一つだけど、みんなはそのまま真似してはいけない。出来ることを出来るだけするのも考え方の一つ。


◆◆◆


昼時になって一夏は学園内をぶらぶらと歩き始めた。学園は半島の先っぽにあって、海と山に囲まれているから学園内にも自然は沢山有った。一夏はビデオゲームも好きだけれどこういった散歩も好きだった。

古くから一夏の事を知っている友達は年寄り臭いと言うけれど、本人は一向に気にしていない。季節は秋、彩り始めた樹木を見ている一夏はとても楽しそうだ。

「お、カレンデュラじゃねーか」

しゃがんで一夏が見付けたのはキク科の黄色い花だった。一年草で、別名“ポットマリーゴールド”という。濃い黄色の花を付け、肌に利くハーブとしても有名、だから化粧水にも用いられたりもする。

「オイルにして千冬ねえにプレゼントしよう。そろそろお肌の曲がり角だしな」

一夏がせっせと毟っていると遠くから一夏のお姉さんがやって来た。千冬と言って学園の先生をしている。厳しいけれど立派な人で女の子たちの憧れだ。

「おう、千冬ねえ」
「誰がお肌の曲がり角だ、ばかもん」

遠くても聞こえたらしい。女の人への年齢美容の発言は注意しないといけない。

「化粧水にして贈るから少し待ってくれ。正真正銘天然化粧水だぜ」
「……どの位だ?」
「えーと、漬けたり濾したり、一ヶ月ぐらい?」
「ディアナには教えるなよ」

お姉さんも気にしているみたいだけれど、一夏は気づかずせっせと毟っている。そんな一夏をお姉さんは嬉しそうに見ていた。一夏本人には気づかれない様にしているけれど本当はとても優しい人だ。

「おお、そーだ千冬ねえ。昔の真を教えてくれよ」
「昔?」
「こっちに来る前の真」

お姉さんは周囲に目を配らせた。二人が他所の世界から来たというのは秘密で、誰かに聞かれると厄介だ。

「その話を滅多にするな」
「分かってるって。でもちょっとぐらい良いだろ? 他に誰もいないし」
「本人に聞けば良いだろう」
「あいつから直で聞くと美化するだろ? 絶対そうだぜ」

お姉さんはまあ良いかそう考えて「何を知りたい」と答えた。

「んーそうだなー。女の子関係なんてどうだよ」
「……女?」
「ほら、あいつ湿っぽいしうじうじするし、どうかなーって……千冬ねえ?」

彼女の顔がみるみる赤くなっていった。昔の彼は一夏以上の唐変木で女の子を引きつけまくっていた。後輩3人、同級生2人と同い年の幼なじみ一人、上級生3人、学校外に3人。6,3,3で12人だ。その幼なじみが昔の一夏のお姉さんだったのだけれど、苦労したのを思い出したのか「一夏、真は何処だ……」と、とても怒っていた。お姉さんから吹き出す気迫でまわりの草木が怖がっている。

「射撃場」

お姉さんは肩を怒らして立ち去っていった。

「すまん、真」

遠くから聞こえてきた悲鳴に一夏は謝った。その格好は仏様にお祈りする姿に似ていた。


◆◆◆


日も傾き掛けた頃、一夏は第3アリーナに足を運んだ。テスト前だけれど女の子たちはそれなりに居てみな訓練に励んでいた。一夏は机に向かうより躰を動かす方が好きで、白式、これは一夏の白い鎧のことだけれど、これをぱっと呼び出した。幾何学的な光が……光で出来た刺繍がたくさん空に描かれて現れた。まるで魔法みたいだ。

「あら、一夏さんも訓練ですの?」

そう声を掛けたのはセシリアという女の子だった。綺麗な蒼い瞳と金色の髪を持っていて一夏のクラスメイトをしている。とてもおしゃれな女の子で今はブルー・ティアーズという蒼い鎧を着ていた。

「おう。セシリアもか?」
「ええ。一夏さん、宜しければ模擬戦付き合って下さらない?」
「おういいぜ。でもセシリアはテスト良いのかよ?」
「直前で慌てるようでは代表候補失格ですわ」
「違いない」

そう一夏が答えると彼女は楽しそうに笑い出した。突然笑われて一夏は不機嫌そうに口を尖らせた。尖らせすぎて山みたいだ。

「二人とも本当に似てますわね。その“違いない”真にそっくりでしてよ」
「なんだかからかわれてる気がするぜ……そう言えば真は来てないのか?」

彼女は少し気分を害して、アリーナの反対側を指さした。そこには朝に会った男の子がいた。その子は一生懸命女の子たちに鉄砲の使い方を教えている。聞いている方も真剣だった。鉄砲は武器なんだから当然だ。ふざけて扱えば怪我では済まない。

その男の子は“みや”という黒い鎧を着ていてみんなを見渡した。

「では皆さん揃った様なので始めます。本日は特別講義“ISに於ける射撃戦闘の理論と実践”です。テーマは“如何に当てるか” 基本的な事も含みますが復習兼ねて聞いて下さい」
「「「はーい」」」

男の子は恥ずかしいのか、こほんと一つ咳をした。

「100メートル先のターゲットに命中出来る人が100メートル離れた位置からそのターゲットを撃つと当たるでしょうか外れるでしょうか。大気や銃の製造精度と言った要因は無視して下さい」

布仏本音と呼ばれる女の子が手を上げて「あたります~」といった。

「はい当然ですね。ではターゲットが動いたらどうでしょう」
「当たるか外れるか分かりません~」
「はい。正解です。この場合命中云々は確率論で考えることになります。上手い人であれば高い確率で当たります。それなりの人はそれなりに」

相川清香と呼ばれる女の子が手を上げ「まことー、その比喩はなんかセクハラっぽい」というと男の子は時代の流れかと心の中で泣きだした。時間の流れは残酷なんだ。大人に聞くときっと真剣に教えてくれる。

「失敬。続けます。皆さんはもうご存じの事と思いますが、ISにおける射撃はターゲットも自分も高速で動きます。アリーナに於ける相対速度は最大音速に達し、さらにその動きは縦横斜め、まえ、うしろ、3次元空間でさらに時間軸も加わりますから計4次元。マニュアルで当てるには相当な技術が必要です。と言いますか運頼みと言っても過言ではありません」

鏡ナギと呼ばれる女の子は「ならどうして当てられるの?」と言った。

「はい。ここで出てくるのが機動予測です。ISに搭載されているF.C.S.(火器管制)の一機能にA.A.S.(Auto Aim System:自動照準器)がその計算をしてくれるので我々パイロットは当てることが出来るわけです」

夜竹さゆかと呼ばれる女の子が「では、A.A.S.が有っても外れるのはどうしてでしょうか」と手を上げて聞いた。難しい話に皆ついて行っている。彼女たちは立派だ。

「それにはA.A.Sの仕組みを理解する必要があります。A.A.Sは自己情報とターゲットの情報から機動予測を行います。自機情報は当然持っているので問題ありませんが、ターゲットつまり敵の情報は持っていません。ハイパーセンサーでデータ採取、過去のデータバンクから推測する必要があります。例えば敵のスラスターの位置、敵の姿勢、自機と敵機の相対位置、重力……と言ったパラメーターです。A.A.S.はこれらのデータからリアルタイムで計算しますので、機動戦闘中照準を付けやすくなったり付けにくくなったりします。付けにくい時に撃ってもなかなか当たらない、そう言う訳です」

岸原理子という眼鏡をかけた女の子が「照準の円形が大きくなったり小さくなったりするアレですか?」と聞いた。

「はいその物ずばりです」
「でもなんだか照準には他の要素が入っている様な気が。楕円になったりするし、等高線みたいな」
「ご名答。ここで出てくるのが自己情報です。機体特性は変わりませんのでそのままですが射撃姿勢や銃の種類によって射撃精度が変わります。その影響です。もちろん弾丸の特性も影響します」

みんながふむふむと頷いている時一夏が「真、俺も聞いて良いか?」と言った。ブレードしか使わない一夏も興味津々だった。眼をきらきらさせている。

「来ていたのか」
「まーな」
「わたくしも宜しいかしら」
「オルコットに必要だとは思わないけれど」

男の子に姓で呼ばれた女の子は不愉快そうだ。とても他人行儀だからだ。でも仕方がない、今男の子は先生なのだから。

「静かにしていてくれよ、一夏」
「うっせえ」

みんなが二人のやりとりに笑っていると「蒼月先生続きを」と四十院神楽という女の子に諫められた。その男の子は恥ずかしそうに頬を掻いていた。その男の子は一夏に強く反応してしまう、これでも随分穏やかになった方だ。

「銃種の影響とは射程距離のことでしょうか」
「それも含みます。分かりやすい様にサブマシンガンとスナイパーライフルを例に取り上げます。サブマシンガンは威力が劣る分反動が小さく一定範囲に弾をバラ巻く為当てやすいです。また弾が小さいことも有り、1弾倉辺りの弾数が多いのも特徴です。反面スナイパーライフルはそれらに劣りますが、威力と射程距離に優れます」

「ならスナイパーライフルの方がよくねーか? 遠くから撃てるし」一夏は不思議そうだ。
「今言ったろ。反動が小さいって事は撃つ時の衝撃が少ない。ブレにくいんだよ」
「ブレってそんなに重要か?」
「1度射軸がズレて見ろ。1メートル先では17ミリだけど100メートル先では1.7メートルだぞ。まず当たらない」
「おお……」一夏は眼から鱗の様だ。

鷹月静寐と言う女の子が「先生続きを」といいった。早く続きをと急かしている様だ。男の子はぽりぽりと頭をかいていた。そして「一夏には未だ調子が崩される」と小さくぼやいた。

谷本癒子という女の子が「だったら射撃戦闘はどの様な方針を立てれば良いの?」と言った。

「一言で言ってしまえば“臨機応変に”です。黄金パターンはありません。如何に自分のルールを相手に押しつけるか、これがポイントになります」
「もう少し具体的におねがい」
「与ダメが大きいスナイパーライフルで一発一発着実に行くか、威力は小さくとも当てやすいサブマシンガンで手数を増やすか、またアサルトライフルでその中間を狙うか。個人にあったスタイルを確立するのが何より大事です。ですが、まだ1年の皆さんには状況に合わせて武器を切り替える事をお薦めします。今の段階は色々な武器を経験する方が良いでしょう」

「ふーん、随分面倒なんだな」一夏は腕を組んで唸った。男の子は一瞬どうしてくれようかと考えたが、我慢をした。

「一夏、撃てば当たる便利な道具とか思ってないか?」
「お、おもってねーよ」と一夏は慌てていった。実は内心エスパーかよとドキドキだった。
「というか、確か前に教えたと思ったが」
「すまん、わすれた」
「……こと射撃戦闘に置いては如何に当てるかも重要ですが、位置取り、射撃姿勢、射撃妨害など当てる状況をどの様に作り出すかが肝です。ですからー」

「真、お前はどうなんだよ」
「……どうとはなんだ」
「お前の射撃精度が分かる点数はないのか?」
「……H.P.A.(Hit Per Aim:命中度)という一つの標準指標があるんだが。これはアサルトライフルで射程距離200メートル、相対速度時速500kmという状況でどれだけ当たるかって」
「おう」
「78%が平均得点」

女の子たちは唖然としていた。それは射撃部門ブリュンヒルデ級の数値だったからだ。4発の内3発当たる計算だ、無理もない事だ。

「なー、セシリアは?」と一夏はついでに聞いた。一夏には男の子のすごさが分かっていない。でも無理はないんだ。何せ一夏にとってはその男の子が基準なのだから。

「H.P.A.-ClassAの指標でよければ平均94%ですわ」
「なんだ、大したことないんだな。お前」

セシリアという女の子の鎧は偏光制御射撃……蛇みたいに何処までもついて行く弾が撃てるから、簡単に比べることが出来ない。それを忘れてしまっていた一夏はあははと、とてもおかしそうに笑った。だからその男の子は大きくて長い鉄砲を光から取り出して「一夏」といった。

「なんだよ」
「ちょい右へ動け」

一夏は不思議そうな顔で「だからなんだよ」と右へ2歩歩いた。

「動かないと皆に当たるだろ」
「へ?」
「はい皆さん、耳を押さえて口を大きく開けてー」

その男の子は風の様に構えると一夏を撃った。ガンととても大きな音がした。その男の子は不似合いなほど爽やかな笑顔だったけれど、こめかみには血管が浮いていた。その男の子はがまんできない、ととても怒ったからだ。

「真てめえ! いきなり何しやがる!」
「これから射撃戦闘の実演をします。タイトルは馬鹿の奈落落ち……その大したことない射撃でくたばれ馬鹿一夏!」
「上等だ! そのへなちょこプライドへし折ってやる!」

一夏もお返しだと光の剣を光から取り出した。

「穴あきチーズにしてくれる! 餌に食われろこの超音速エロネズミ!」
「はっ! お前には酒樽短足の髭親父がお似合いだぜ! 金髪フェチ野郎!」
「黙れこのセガフリーク(※!」
「くたばれ任天堂阿保信者が!」

2人揃って舞い上がる空は綺麗な夕焼けだった。女の子たちは「今日の講義は終了ね」と帰って行った。何時終わるか、女の子たちにはさっぱり分からなかったからだ。


◆◆◆


一夏とその男の子は気の済むまで喧嘩したあと、大急ぎで寮に戻った。夕飯の時間がとっくに過ぎていたからだ。シャワーを急いで浴びて、急いで着替えて、急いで食道にやって来たけれど“本日は終了しました”というカンバンがぷらぷらとぶら下がっていた。2人は非常に悲しくなって、そのあと非常に怒り出した。なにせお腹がとても空いていたからだ。

「晩飯どうするんだ馬鹿一夏!」
「お前が怒付くからだろ阿呆真!」
「一夏が低レベルなこと言うからだろうが! ミジンコ頭!」
「お前の沸点が低すぎるんだよ! ガソリン揮発脳が!」
「どうでも良い知識自慢げに語るな!」
「悔しいだろ! 自称整備士!」
「本職だ!」
「過去形だろ!」

2人が喧嘩していると、とても大きな音が食堂に響いた。それは“ぐう”と言うお腹の虫だった。しかも2人分だ。2人はとてもとても悲しくなってその場にへたり込んだ。

「真」
「なんだ」
「ラウラに頼めないか? 晩飯」
「今日は出張で学内にいない。ディアナさんもだ」
「なにか食い物無いのかよ」
「人参なら」
「人参って馬かよ」
「レトルトとかインスタント買ってくるとラウラが怒るんだよ凄く。でディアナさんに知られて説教二倍」
「なんか無性に腹立つけどよ……まあいいや。部屋に菓子がある、それを喰おうぜ」
「すまん、助かる一夏」
「気にすんな、お互い様だ」

そう言って2人は互いの手をパンパンと打ち付け合った。2人にとっては意思疎通が上手くいった時の合図だ。互いに元気づける意味もある。そしてふらふら一夏の部屋に戻っていった。

2人を助けたのはシャルロットという女の子だった。訳あって男の子の振りをしている。嘘ついていると言ってはいけない、彼女にはやむにやまれない難しい理由があるからだ。

2人は彼女の手料理をがつがつ食べた。ケークサレという甘くないフランスのケーキで、入っているのは卵、タマネギ、マヨネーズ。玉子とじに似ている。ささっと作った料理だけど2人にとってはどんな料理よりも美味しかった。食べ終わると一夏と真は満足そうに寝っ転がった。2人とも一夏のベッドの上だ。あべこべに横になっている。

「いやー、喰った喰った。美味かったぜシャル」
「シャル助かった、ありがとう」

シャルと呼ばれる女の子は食べて直ぐ寝るのは良くないと、注意したのだけれど。

「「くかー」」

2人は疲れていて直ぐ寝てしまった。


◆◆◆


「ここで話はお仕舞いだよ」

碧の眼と深みのある金の髪、少女はパタンとノートを閉じた。納得いかないのは周囲の、大勢の子供たちである。手を振り脚を振り、つまらない終わり方だと不平を言い始めた。

「えー、喧嘩して終わりじゃん」
「ねー、ママー。本当にその後ないの?」
「ないよ、これが2人の日常、ぜんぶなんだよ」

つまらないつまらないと言い捨てて子供たちは、別の興味ある物へ歩き去って行った。その少女は憤慨もせず、慈愛の笑みを溢れさせ、子供たちを見守っていた。

ある子供は積み木に、ある子供は大きいパズルに興じる……そんな時だ。よたよたと見ていて不安になる歩き方で、子供が一人やって来た。純粋な、水晶より透き通った眼で彼女にこう問うた。

「シャルママ。その二人は仲が良いの? 悪いの?」
「良いんだよ。思っていることを素直にぶつけられる仲なんだから」
「そうなの?」
「そうなの。アベルもそういう友達が出来ると良いね」
「ふーん。ぜんぜんわかんない。けど探すよ友達は欲しいもん」
「それがいいね。さあもうお昼寝の時間だ。みんな手伝って」
「「「はーい」」」

大きくなったその子が何でも言い合える友人を見付けたのかどうかは、シャルロットだけの秘密だ。


おしまい。


◆◆◆

マヤ先生ごめんなさい。ネタにしてマジごめんなさい。


シャルママ、フランスの託児所でがんばる、そんな視点で書いてみました。
実はこの外伝、とある作品のリスペクトです。
お気づきになられた方ご一報下されば幸いです。

次回より本編の予定ですが、更識編より後の内容を変更するやも知れません。見直すと構成に不満が残ります。確定ではありませんが一応告知します。




※)フリークという言葉は英語圏では良い意味で使われません。ので使っています。



【作者のどうでも良い独り言】

短編だと構成管理がとても楽だ……まる



[32237] 04-11 少女たちの挽歌(レクイエム)
Name: D1198◆2e0ee516 ID:d5589322
Date: 2014/06/09 11:53
少女たちの挽歌


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翼がもげ、墜落して行く機体が碧の瞳に映る。少年は突撃銃を放り投げ、エムのことも忘れて飛び出した。セシリアの乗った594便は、成田空港から僅かに離れた水田に落ちた。彼の目の前で落ちた。土煙が上がり、橋が崩れ落ちる様に翼が折れた、続いて閃光、遅れて爆発音がやってきた。伸ばした手は宙を掻く。


 セシリア


スラスターの機動音を掻き消す程の叫び。伸ばした手は届かなかった。少年がたどり着いた墜落現場は地獄さながらの光景だった。もげ、砕け散った機体は周囲に散乱し、水田に突き刺さっていた。漏れたジェット燃料は水面に浮かび、全てを焼き付くさんと燃えていた。耐えがたい熱と天を覆うほどの黒煙。小規模な爆発が起こり爆風が吹き荒れた。


 どこだ


凄惨な光景の中、少年は必死にセシリアを探した。遅れて箒がやってきた。箒は少年の名を呼んだが彼は反応しなかった。


 絶対に生きている


絶望。箒は無理だという言葉を強引に飲み込んだ。熱風が空へ巻き上がる。少年は飛行機の胴体のなれの果てを持ち上げた、居ない。翼の破片を持ち上げた、居ない。輻射熱で赤外線センサーが役に立たない、体温を手がかりに探すことは不可能だ。音波解析、ノイズが多くうめき声も鼓動も埋もれてしまっている。


 どこだ


狂った様に少年は探し続ける。箒は彼から離れた、見ていられなかった。彼女は黒煙を避ける様にして上空から探す。煙は、弔いの旗に見えた。


 どこだどこだどこだ


通信機から流れる少年の声。初めは祈り、次は懇願、嘆き、何時しか呪いとなっていった。


◆◆◆


上空の箒はブルー・ティアーズの信号を追うことに気づいた。好都合にも先の学園合同トーナメントで設定した僚機設定を維持している。索敵開始、程なく信号をキャッチ。彼女の意識内に発信源が表示された。その距離50メートル、すこし離れた残骸の中だった。炎もまだ上がっていない。箒は急ぎその結果をみやに伝えた。少年は狂った様に飛んでいった。

(……なんだ?)

箒が気づいたのはブルー・ティアーズの状態である。僚機ステータスは“Removable Condition”を示していた。つまりセシリアがブルー・ティアーズを身につけていないと言う事だ。

(イヤリングが外れたのか?)

そんなはずは無い。パイロットの意思か、パイロットが死なない限り外れない物なのだから。箒がそう考えていると、突然金属音の軋む音が聞こえた。それは躰が砕ける音、翼が折れる音、魂が眠る音の様だった。真は最後の残骸に手を掛けた。金の髪が見える。逸る気持ちを何とか抑え、慎重に持ち上げた。白い右手がだらりと落ちた。最後の一枚を退けた。

 金の髪が赤く染まり行く。

箒は疑問を忘れ息を呑んだ。そこに身を横たえていたのは、口から血を吐き、左腕を欠き、腹部から臓物を垂らすセシリアの変わり果てた姿だった。下半身が無かった。充満する血の匂い、焼け焦げる肉の臭い。箒は我慢出来ずに胃袋の中身を吐き出した。

真は僅かの間の後、みやを解除。機体の残骸で右手首を切った。大量に滴る鮮血、真は自身の血をセシリアに掛けた。箒はしばらく呆然と見ていたが、我に返ると慌てて駆け寄った。

「何をしている真! 死ぬ気か!」
「離せ箒! こうすればセシリアは助かるんだよ!」
「馬鹿なことを言うな! そんな事ではどうにもならない!」
「俺の中にはナノマシンが居るんだ! カテゴリー3の強力な奴だ! 一夏に殴られて口を切っても直ぐ治るのはその為だ! シャルの身体だって治した! 福音戦の時なんか片腹を抉られた! でも治ったんだ! 下半身が無くなったぐらいなんて事無い!」

黒煙が立ち上り、未だ燃え続ける炎。赤黒く照らされるセシリアの頬に生気が戻ることは無い。徐々に、徐々に青白くなっていった。ナノマシンは沈黙していた。ただその耳にイヤリングだけが光っていた。宿主が死んでも輝き続ける宝石のように。

「なんでだ、なんでだよ……」

真の右手首の傷はもう塞がっている。シャルロットの遺伝子を取り込み、真の異能の力で復活したナノマシンは2人にしか働かない。セシリアには無効だ。その事実に気付き、真は崩れ落ちる様に座り込んだ。

ぽつりと空から雫が落ちてきた。一粒、今度は二粒。ぽつぽつと降りだした雨は、徐々に強くなっていった。慰めと言うには冷たすぎた。遠くからサイレンの音が聞こえる。業火が絶えないその場所で、セシリアの遺体を真はずっと見ていた。目は虚で採光を欠いていた。

『10点。良い腕ですわね』
『お褒めに預かりまして光栄です。ミス・オルコット』

それは始めて出会った、射撃場での会話。

『勘違いなさらないで、貴方を許した訳ではなくてよ』
『ならいつ許して貰える?』
『そう簡単に許しはしないわ。覚悟なさい、蒼月真』

夕暮れの屋上で、命のやりとりをした後の、彼女の宣言。

『もう一夏の元へ戻れ。これ以上醜態を晒すな。これが俺らにとって一番良いんだよ。あの誓いは忘れていないし、忘れない。恨み続けると良い』
『だから! 真は何も分かっておりませんわ!』

思い込みでセシリアを傷つけたこと。

『……君はまだ俺を括るのか』
『背負っているのは真だけではなくてよ。用件は済みましたのでもう失礼しますわ、私、体調が優れませんの』
『これ重いよ、セシリア。挫けて打ちひしがれそうだ』

それでもセシリアは真を守ったこと。

『もう捨てないと言ったのに』
『済まない』
『嘘つき』

何度も泣かしたこと。

「そうだ……居なければ君は泣くことは無かったな」

真は誰に聞かせるようでもなく呟いた。箒がはっとした表情を見せた。

「……さえ居なければ君は死ななかった」

真は両の手を握りしめた。右手にはリングが光っていた。雨と血で濡れていた。

「真それ以上はだめだ!」


 俺さえ居なければ


 箒の制止も虚しく真の絶叫は響き渡った。揺らぐ炎の影。2人の上空にエムが立っていた。

「“俺さえ居なければ”こんな事にはならなかった!」

 真はみやを緊急展開させた。光を放つことも無く、一瞬で結合、黒い鎧が顕れた。どす黒い雲が敷き詰められた天の空、強い雨が降りしきる中を、黒い鎧は駆け上がった。

「エエエエエエエム!」

 真の眼が褪せる始める。最初は深緑、次は薄緑、そして白、最後に輝き失った。星の瞬きもない闇夜、微かに見える古井戸の、何もない奥底。ただの黒がそこに有った。真は超高振動アサルト・ナイフを量子展開、サイレント・ゼフィルスに切りつけた。ガラスを引っ掻く様な耳障りな音が鳴り響く、エムはスター・ブレイカーで受け止めていた。

「そう! その眼だ! その眼だよね! その眼が一番似合ってる! お帰り真!」

エムは笑った。心の底から喜んだ。何故ならそこにエムの望んだエムがいた。真の眼はエムを吸い込まんばかりに黒かった。黒く淀んだ空、天から落ちる天の粒、2人を濡らす。二つのエムはスラスターを噴かし押し合いながら空高く回って行った。真の眼から赤い涙がこぼれた。

「何故殺した!」
「君に釣り合わないから♪」
「何故殺した!」
「君を取り戻す為♪」
「何故殺した!」
「君が欲しいから♪」
「そんな下らないことで!」
「下らないというのは失礼じゃないかな。こんなに好きなのに♪ 君のこと♪」
「貴様ぁぁぁぁぁぁっ!」

真はナイフを捨てると狙撃銃を量子展開、狂った様に発砲した。弾が切れる。今度は銃を棍棒の様に打ち付けた。エムは避けもせず身を任す。頭部を殴り、左肩を殴り、腹部に撃ち込んだ。金属音、一つ打つごとに銃身が曲がる。破損する。もう銃は銃の機能を失っていた。それでも真は狂った様に打ち付けた。彼の痛みが心地よい、エムはそう思った。

数え切れない打ち込みのあとエムは素敵なことを思い付いた。真に蹴りを入れた。エムは距離を取る。蹴り飛ばされた真はエムを追い掛ける。エムは逃げた。真は追った。エムは逃げた。真は追った。エムは逃げた。真は追った。手にした銃はどうやって使うのか、それすら忘れて真は“エムを追い掛けた” それこそエムが望んだエムの姿。

「鬼さんこちら♪ 手の鳴る方へ♪」

それは酷く現実感を欠いたシーンだった。追い掛ける鬼が泣き、童が笑う。錯乱している、我に返った箒は雨月・空裂展開、2人の間に割り込んだ。邪魔だと罵ったのは、真だった。

「そこをどけ! そいつは俺がやる! 俺が殺す!」
「落ち着け真! 奴の思うつぼだ!」

箒にはエムの気持ちが分かった。どれほど想っても報われない悲しみ、その先にある感情、狂った愛だった。

「知ったことか! そいつは引き裂く! 痕跡すら残さん! この夜から、この世界から消し去ってやる!」
「セシリアがそれを望むと思うのか!」

セシリア、その音を聞いて真はぴくりと躰をゆらした。

「ああダメダメ、ダメだよ真。もっともっと。我慢なんてダメ。私が憎いだろう? 許せないだろう? 粉々にしたいだろう? だから……その憎悪でその身を焦がせっ!」

エムはスターブレイカーを構えた。発砲、実弾モード。弾丸が大地を穿つ。爆発、粉々に飛び散るのはセシリアの遺体。転がり散らばる少女だったもの。頭と右の腕と左の手首。胴体は原形をとどめていなかった。

砕かれ肉を血で濡らし、胃と腸の中身をまき散らし、その骸を汚す。金色の細い髪が黒いオイルに濡れ、鼻につく不快な臭いを放っていた。こびり付いていた。頭は転がり、石ころの様に転がり、側溝に落ちた。水音がした。

声にならない魔獣の様な慟哭が2人の少女を貫いた。真は箒を振り払い、我を失った。スラスター全開、みやの警告も無視し、エムに飛びついた。エムが構えていたのは大型のバズーカ。真の黒釘(120ミリ戦車砲)より図太く短く、無骨で洗練さに欠けていた。

「どうかかなこれ。君の為に作らせたんだ。君のよりダサいんだけどまあ贅沢は言っていられないかな。ちょっと痛いかもだけど我慢してね、いくよ真♪」

エムは躊躇いもせず引き金を引き、APFSDS(Armor Piercing Fin Stabilized Discarding Sabot:装弾筒付翼安定徹甲弾:そうだんとうつきよくあんていてっこうだん)を真に撃ち込んだ。

エムはこの時を待っていたのである。真を錯乱させ、極至近距離から砲撃を行う。真が冷静ならば構える事すらかなわなかっただろう。全ては彼を手に入れる為だけの布陣。

分厚い鉄同士をぶつけた様な重い金属音が響く。みやは絶対防御発動を発動させた。防性力場と弾頭がせめぎ合い、虹色の干渉光を放つ。吸収しきれなかった弾頭の衝撃が真の頭部を襲った。彼は仰け反り、意識を失った。みや具現化限界(リミットダウン)。ISスーツ姿の真をエムは抱きしめた。短く黒い髪を撫で、愛おしく抱きしめた。優しい笑みで口づけすらした。スラスターを噴かす。2人のエムが箒から離れていった。

「待て! 真は渡さないぞ!」という箒の叫び、エムもまた箒を理解した。哀れみの眼差しでエムは言う。

「お前はしなかった。私はした。それが全てだ」
「ふざけるな! そんな行為邪道だ! 人の道に反する!」
「ではお前に真は無理だ。支えられない、共に歩けない」

エムは箒に銃口を向けたが、僅かな思案のあと銃を下ろし空を見た。

「逃がさない!」と箒は叫んだ。怒りではなく懇願だった。
「箒、同じ者同士、見逃す。立ち去れ。そして忘れろ」
「な……」

動揺している箒を他所に、エムはロケットブースターを量子展開、その場を飛びだった。ロケットエンジンの咆吼は彼女の鎮魂歌(レクイエム)だ。恋敵(セシリア)への。サイレント・ゼフィルスは空高く舞い上がる、2人の道には終わりなど無い、そう言うかのように。

「待て!」

地震のようなスラスター音。我に返った箒は展開装甲を稼働しスラスターモードへ変更。追い掛けようとした。紅椿の最大速度は音速の約9倍。ブースターを装備したサイレント・ゼフィルスにも十分追いつける、そう考えた。

だがブレードによって止められた。箒を止めたのは駆けつけた空自の打鉄だった。打鉄はブレードを箒の喉元に突き付けた。鋭く光る。訓練機と異なりスカイブルーの迷彩。左腕にあるのは大型の物理シールド、右肩に付くのは半球ドーム状の対潜用センサー、右腕にあるロケットアンカーなど、装備も細かなところで違っていた。戦闘型ではなく多用途型の打鉄だった。

「そこまでだ」と打鉄のパイロットは抑揚無く言った。
「まってくれ! 私が追う!」

箒は叫んだ。悲鳴の様だった。エムは速度を緩めることなく離れていく。雲に入り突き抜けた。もうじきハイパーセンサーでも追えなくなる。

『斉藤さん追跡します』
『深追いはするな、防空識別圏を超えたら帰投しろ。三浦市上空で戦闘をしたあの機体なら勝てんぞ』
『了解』

打鉄の僚機が高度を上げる。防御重視の重量級の打鉄では追いつけない。だから箒は

「この紅椿なら追いつける! 私に行かせてくれ!」

ともう一度叫んだ。

「公共的施設での戦闘行為に破壊活動、IS学園は何をしても良いと許されると思っているのか。それとも篠ノ之博士の妹だからか? これだけの事をしでかしたんだ、覚悟をしておけ」
「私は真が好きなんだ! 真が連れ去られてしまう!」

斉藤と呼ばれた女性は、僅かな間の後に表情を幾分和らげた。

「分かっていないのか。子供が出しゃばることでは無い」

箒は強く握った握り拳を、渋々下ろす。もはや星と見分けが付かないほど小さくなったサイレント・ゼフィルスの軌道光を胸が張り裂けそうな思いでじっと見つめていた。

(真……!)

箒の叫びは届くこと無く空に散っていった。


◆◆◆


成田空港でテロが発生し、セシリアの乗ったジェット旅客機が墜落した、この一件は日本政府を介し直ぐさま学園に知らされた。先月行われた日本国政府との意見交換会が功を奏したのだ。

第一報として舞い込んで来た情報は全部で四つ。一つ、IS学園準教師の蒼月真が誘拐されたこと。二つ、IS学園生徒の篠ノ之箒が重要参考人として空自に任意同行し、現在任意の事情聴取中ということ(※。三つ、テロ活動行った者がISを所持し、その機体がサイレント・ゼフィルスだったと言う事。四つ……イギリス代表候補生セシリア・オルコットと思われる遺体が発見されたこと。

慌てたのは学園である。白昼堂々、ファントム・タスクがここまで大胆な動きをするとは夢にも思わなかったのだ。しかも誘拐されたのは学園トップクラスの真である。

詳細な経緯を知らない学園は、戦闘活動の末の結果だと判断した。つまりサイレント・ゼフィルスの能力は千冬、ディアナ以外対応出来ない事になる。倒すより捕縛することは難しいからだ。無理もない。

学園が直面している問題をまとめれば、準教師の誘拐、生徒の拘束、ファントム・タスクの再出現と切りが無い。最大の問題なのが、イギリス代表候補生セシリア・オルコットの死亡、である。万が一本当であれば、国際問題は必須。成田空港は学園外、管轄は日本政府とはいえ学園の人間が当事者として関わっているのだ。何らかのペナルティが掛ってくる、学園教師の誰もがそう戦慄いた。面だって言うことは無いにしても。


◆◆◆


事件発生から3時間後、一夏は自室のベッドで仰向けに寝転んでいた。じっと天井を見る。何度見ても天井は動かず、揺るぎすら起こさずそこに有った。一夏の部屋も同じだ。その部屋は彼一人で静まりかえっていた。一ヶ月ほど前にフランスの少女がルームメイトとして居たが帰国してしまっていた。だからがらんとしている。特に今日は廊下を歩く少女たちの気配すらない。寮全体がとても静かだった。今、彼はそれすら気にとめずずっと考えていた。

今日の授業が全て中止だと、告げる校内放送があったのは今から2時間前。初めこそ授業がなくて悲喜こもごもだった少女たちであったが、全教師の緊急会議と知って目の色を変えた。

(何かあったのかな)
(先生たち全員職員室みたい)
(初めてだね、こう言う状況)
(先輩たちも緊急会議なんて聞いたこと無いって言ってた)
(ひょっとしてセシリア?)
(止めてよ縁起でも無い)
(なら真?)
(あり得るけれど)
(ど? なによ)
(なんか何時もの真の騒動じゃない気がする)
(なんでよ)
(だって真が片腕になっても先生全員会議なんて無かったのに)
(((……)))

教室で交された少女たちのささやき。それ以来彼はずっとこの調子だった。ただ事じゃない、彼はそう“感じた”彼が3時間前感じた感覚は、去年真がこの世界にやってきた春、その時感じた慟哭と同じだったからだ。

(真に何かあったか? あの時と感じは大分弱いけどよ……)

一夏はごろんと横を向いた。窓がある。ブラインドは下ろされず、夕方の空が見えた。

(セシリアとの別れ話……ってなら理屈は通る。でも胸騒ぎがするぜ)

ラウラに確認しよう、いやラウラはもう居なかったっけ。学園から成田まで車で片道2時間、もう戻っている頃か。箒に聞いてみるか、彼がベッドから立ち上がった、その時だった。静寐が血相変えてやって来た。その扉を開く勢いは強く、キッチンに置かれた硝子コップが音を立てる程だった。彼女は息を切らして立っていた。

「静寐、どうしたんだ。そんなに慌てて」

寂しくなったのかと言おうとした冗談は霧散した。静寐は今にも泣きそうだったからだ。

「セシリアが……死んだって」

冗談にしては笑えねえな、彼はそう言いたかった。


◆◆◆


食堂にあるTVにみな釘付けだった。誰もが眼を伏せ喪に服していた。すすり泣く声もする。一夏は壁に掛っている薄型の大型テレビを見た。そこには炎を上げる飛行機の残骸があった。映像に消防車両が映る、放水の現場も映った。鎮火する映像はまだ無い。映像が切り替わり男性のキャスターが現れ、こう言った。

『では引き続きお伝え致します。今から3時間前イギリス代表候補生セシリア・オルコットさんが乗ったブリティッシュ・ミッドランド・インターナショナル、BMI594便が墜落炎上しました。3時間立った今も火の勢いは強く、鎮火の見通しは立っていません。墜落当時3機のISが確認されていますが詳細はまだ不明です。また先程イギリス大使館オルビー大使が会見を開きセシリア・オルコットさんが搬入先の病院で死亡を確認したと発表しました。16歳でした。心よりお悔やみ申し上げます』

「セシリアが死んだ? 簡単に言いやがって……」

一夏は人知れず右拳を握っていた。彼の憤りはどれ程の物か、爪が食い込んだ両の手の平、血が流れ出した。ニュースは続いていた。キャスターの隣に居る軍事評論家が、遺体は原形をとどめていないと、だが遺伝子検査で本人だと分かったと、淡々に語るのがまた腹立たしい。

「一夏、手を出して」
「……おう」

 静寐が一夏の手にハンカチを巻く。その声は震えていた。赤くしみ出す白いハンカチ。

『新情報が入りました。墜落時の映像です。偶々居合わせたアマチュアカメラマンが撮影した物です』

そこには正体不明の機体と戦闘を行う黒い機体と赤い機体が映っていた。みやと紅椿だ、少女たちはそう理解した。一夏にはその不明機に心当たりがあった。先日、セシリアと真を襲った少女の機体、それを思い出した。

『尾羽さん、この3機が墜落に関係しているのでしょうか』
『この映像からは分かりませんね。ただ言えることが2つあります。1つは禁止されている空港でのIS活動を行ったと言う事。もう一つ、この黒い機体と赤い機体はIS学園のものです』
『そうなのですか?』
『ええ。余り知られていませんが“半軍用機”リヴァイヴと“第4世代”の紅椿という機体です。これは篠ノ之束博士の特別機です』
『この2機が関係しているというわけですね』

どの様な関係かは不明ですが、というコメントは、切り替わった映像に打ち切られた。墜落の現場と交互に映し出される紅椿とみや。事情を知らない視聴者がどう判断するのか、非常に偏った報道だった。彼らは報道規制されている報復としてこの様な手段に出たのであった。ちゃんと報道して欲しかったら情報を公開しろ、と言う訳である。

我慢ならないのが少女たちだ。嗚咽は既に無くなり怒りを表わし始めた。

「なによこれ! 偏向報道じゃない!」
「よくも調べず勝手な事言ってるよ!」
「セシリアと真の関係知らないくせに!」

騒ぎ出す少女たち。「どうするの」と静寐が言った。解決して欲しいという期待の眼差し。だから一夏はこう答えた。

「千冬ねえのところに行って来る」


◆◆◆


報道機関は当てにならない。それが一夏の正直な印象だった。IS適正者と知られて、学園に入学するまでの間、彼らの常軌を逸した取材は呆れるどころか怒りすら感じた。人の生活を何だと思っているのか、そう苦情を言ったところで是正されることは無かった。政府が動きようやく収まったのである。

「取材の為なら手段を選ばないからな、あいつら。俺も苦労したんだ。だから真がやったなんて心配しなくても絶対嘘だぜ」と言う一夏の言葉に静寐も頷いた。一夏の左手を強く握る、彼女も不安だったのだ。

「でも一夏。織斑先生に会ってどうするの?」
「千冬ねえなら正しい情報知っているだろうし、教えてくれないならくれないで別の手も打てる」
「別の手?」
「ティナの親父さん、アメリカ海軍の偉い人らしい。米軍なら知っているだろ色々と」
「そんな事していいの良いの? 怒られはしないかも知れないけれど、いい顔はされないと思う」
「緊急事態だぜ? 大丈夫だ」
「そうじゃなくて、ティナのお父さんでしょ? “一夏”にいい顔はしないと思うけれど」
「し、知られてなければ問題ないぜ」
「ティナのお母さんは一夏との事知ってるみたい。私たちの事も。だからきっと……そういうこと」
「まじで?」
「まじで」

なんてこった、一夏が頭を抱えた時だ。職員室から大きな声が聞こえた。女性の声であったが窓越しにも十分届く、迫力ある声だ。片やそれに応える声は小さく良く聞き取れない。だから、二人は扉を僅かに開けてそっと職員室の中を覗いた。ばれたら怒られるよね、と静寐が言う。俺が庇うから問題ないぜと一夏。愛想笑いで内心照れまくる静寐だった。大きな声の主は千冬である。

「どうしてそうなるのですか!」

と、千冬が教頭に詰め寄った。椅子に腰掛けて、机に乗り出す千冬を、静かに睨み返すのは教頭だ。千冬の迫力に全く動じていない。

「まだ決定ではない」
「教頭先生がその言葉を言う時は決定された時です! もう一度言います! 撤回して下さい!」
「もう少し冷静になったらどうだ。織斑千冬」
「私は冷静です!」
「そうだな。私に唾を掛けている、それに気づかない程度には冷静だな」

千冬は渋々身を起こした。両手を握って腰に回す。その握り拳は硬く握られていた。千冬の側に控えているディアナは緩やかな笑顔で交渉の行方を見守っていた。他の教師たちはじっとして身動きすらしない。火の粉が飛んでくるのを恐れたのである。

「再考を強く具申します」と千冬が言う。教頭が答える。
「撤回は出来ない。私は、我々は蒼月先生を切り捨てる。その対価として学園を存続させる。我々にはこれ以外の選択はない。考えるまでも無いと思うが?」
「空自から送られてきた紅椿の稼働ログは教頭先生も見たはずです。あの場合私でも同じ事をします。教頭先生もする筈です」
「確かにそうだ。だがこれは政治問題になってしまった。蒼月先生が護衛を兼ねていた事実は変わらない。セシリア・オルコットをむざむざ死なせてしまった。大失態だ」

その時ディアナが「彼女が死んだのは機に乗った後です。機はイギリスのチャーター機。もう責任が及ぶ範囲ではないかと」

「繰り返すが、これは政治問題だ。前途ある、有能な、パイロットを日本国内で死なせてしまった。問題は複雑だ。サイレント・ゼフィルスのパイロット“エム”は蒼月先生と因縁がある上、オルコットは貴族と来ている。加えて亡骸の状態。亡骸のピクチャーデータは見ただろう? イギリスは大使館を通して“公平な”裁きを要請している。王家の名前も出してきた。日英関係と学園の存続、リヴァイヴ一機でそれらが維持できる。考えるまでもないだろう」

「教頭先生は蒼月先生の実力をご存じの筈です。彼に無理ならば他の誰にも出来ません」
「それは身びいきでは無いのか」
「客観的に判断したまでです」
「ログを見る限り明らかに錯乱している」
「セシリア・オルコットを殺されたからです」
「殺されたのが先か、狂ったのが先か、その判断は付かない。良いか、もう一度言うぞ。我々学園と日本政府は双方腹を切る。我々はリヴァイヴと生きていれば蒼月真の沙汰を。政府は警視庁官僚の首と膨大な弔問金を。これで手打ちだ」
「では私が代わりに罪を被ります」
「織斑千冬。君は学園以外生きていく地はない。それにブリュンヒルデ、この銘の重さを思い出せ。その名を汚すと在校生ばかりか卒業生にまで影響が出る」
「……」
「釘を刺しておくが、ディアナ・リーブス、君もだ。余計なことを考えるな」
「意見の一致を見いだせなかったのは残念です……失礼します」と千冬は言った。
「念のため言っておくが、出奔など馬鹿なことを考えるな。君にも家族がいるだろう」

千冬は震えるほど両の手を強く握った。握り拳から血が垂れた。

「私の家族は……他にもいます」
「なに?」
「失礼します」
「待て。それはどう言う意味だ」

ディアナが割り込んだ。笑顔だが肩越しに糸が首をもたげていた。左肩に4本、右肩に4本、合計8本。八岐大蛇というわけである。

「教頭先生。発言の許可を」
「それは脅迫では無いのか?」
「織斑先生は24歳のお年頃です。“いても”おかしくはないでしょう?」
「それは初耳だ。どこの何方だ」
「いやですわ教頭先生。プライベートの極みです♪」
「……ブリュンヒルデのお相手だ。(調査に)異存は無いな?」
「ご随意に♪」


◆◆◆


静寐と一夏は声が出ない。出そうにも出せなかった。2人の中に渦巻くのは、嘆きと驚愕と心配と、そして怒り。どうしてだ? 真に落ち度があったか? 教頭先生は、連中は好きな人を殺されて笑ってられるのか? そんなの人間じゃねえ! と腹の底が煮えたぎっていた。

(クソッタレ! 教頭も教頭だがイギリスの連中も連中だぜ……)

一夏の独白に、静寐は一夏の手を引いて答えた。彼女は怒髪天を衝く勢いの一夏に当てられて逆に冷静になった。

(一夏、取りあえず戻るべき。長くここに居るのは良くないから)

一夏がそうだなと言った時、職員室の扉が開いた。千冬とディアナである。2人はそのまま職員室脇の生徒指導室へとむかう。2人はさっと隠れ部屋に入るのを待った。千冬はこう言った。

「そこの2人、揃ってのぞき見盗み聞きか? それとも夜の校舎の職員室前で逢い引きか? どちらにせよ異常性癖は感心せんぞ」
「……何でそうなるんだよ」
「……申し訳ありません」
「静寐ここで謝るのは誤解を招くって」
「……え? あ……あ、あ」

慌てふためく静寐と、宥める一夏。仕方がないと笑った千冬の表情は姉の顔だった。

「丁度良い、2人とも来い」

静寐と一夏は思わず見合わした。

職員室脇の生徒指導室。教室と比べても小さな部屋で、ソファーとローテーブルが置いてある程度だが、その実、電気的、物理的、情報的に外部から遮断出来るセキリュティが施された部屋である。千冬とディアナはここで良く秘密の意見交換と称して愚痴を言い合っていた。

千冬とディアナが隣同士に座り、一夏と静寐も腰掛けた。4人の前にはココアが4つ置かれていた。

「どうぞ」とディアナが言った。静寐と一夏が口を付けた。あれと不思議な顔をしたのは静寐だ。この味に身覚えがある、静寐はディアナを見た。察したディアナは笑いながらこう言った。

「真の紹介よ」
「はあ」何か引っかかる静寐であった。

うすベージュ色のカーディガン。袖から小さく出した両の手でココアのカップを持っていた。小さい口をカップに付ける。静寐の一つ一つの仕草に(う、かわいい……)と惚ける一夏であった。バカップル丸出しである。

「でへー」
「鼻の下を伸ばすな、見苦しい」
「伸ばしてねえよ!」

置かれている状況を一時でも忘れていまい、一夏は猛省した。

「交際結構結構。だが淫行は駄目だ。15歳……いやもう16歳か」
「ちょっとぐらい良いじゃねえか!」
「ばかいちか……」赤く縮こまる静寐を見て、千冬は2人に笑いながらこう言った。
「さて、織斑、鷹月。いや一夏と静寐、こう呼ぶか」

2人はまた顔を合わす。

「どこから見ていた」と千冬が鋭い視線で聞いた。静寐は少し身を引き締めて「“どうしてそうなるのですか”からですと答えた」だから千冬はやれやれと背もたれに身を投げた。全て聞かれていると分かったからである。

一夏が「さっきの話全部本当なのかよ」と怒りを隠さず聞いた。ディアナはどこから持ち出したのかエアークッション(ぷちぷち)を絞りながら答えた。雑巾を絞っているようである。

「あ、あの福だぬき。次ぎあの顔見たら下あごのお肉、ぷよぷよさせてやるわ……ふ、ふふふふ」

少しイメージ壊れたと愛想笑いの一夏だった。静寐は一夏の脚を軽く蹴る。ローテーブルの影、気づかれないと思ったのか、生憎テーブルはガラス製だった。そんな2人を微笑ましく見る千冬とディアナ。一拍。この間を使うと一夏は居住まいを正す。

「千冬ねえ」
「なんだ」
「もうリミットだぜ。そのMって娘誰だ?」
「……」
「まだ言えねえか。でも俺ももう引けないんだぜ。ダチが誘拐。クラスメイトが殺されて、黙っているほど俺は人間出来てねえ」

 しばらくの沈黙。千冬はディアナに目配せをした。時が来たということだ。

「あの私外します」と静寐が言った。
「いや、静寐も聞け。もうお前も関係がある」と千冬は静寐を座らせた。
「一夏」
「おう」
「エムの本名は織斑マドカ。お前の双子の姉だ」


◆◆◆

本編再開第1号がこの話……へこむ、へこんじゃう。
ええ分かっています。あそこで切った私が悪いんです。
……凹むーorz



(※)捜査権は普通警察ですが、IS絡みだと同じISを持っている自衛隊の範疇になる独自設定です。だって暴れられたらどうにもならないし。苦労して引っ捕らえた後、警察機関に渡すのも癪だろうし。因みに自衛隊で憲兵に相当するセクションを警務隊と言うそうです。しらなかった……。


【作者のどうでも良い話】
日本政府とIS学園間で交した密約
一つ、契約日時を持って重大事件の情報は隠匿することなく報告し合うこと。
一つ、学園教師、生徒を拘束した場合12時間以内に解放すること。

本編に入らなかったんですよ。すよ。




【作者のどうでも良い話もう一つ】
実は今時間がありまして、出来うる限り進めようと想います。





【以下ネタバレ上等の方専用】





















































セシリアは生きています。
ヒントは学園外の異能持ち。



[32237] 04-12 出発(Determination)
Name: D1198◆2e0ee516 ID:d5589322
Date: 2014/06/11 23:07
出発(Determination)


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体が重い。手足の感覚が突然なくなった様だ。

喉が渇き舌が歯に付着する、パサつき不快だ。

息苦しい、どれだけ呼吸をしても身体が落ち着かない。

現実感が無い、見るもの聞くもの全てが鈍く、まるで夢の中にいる様だ。

その様な夢現の中に浮かび上がる一つのビジョン。

千冬に瓜二つの少女の骸。

血に濡れて動かなかった。

「一夏、大丈夫?」

左手にある、静寐の温もり。それを頼りに一夏は、悪い夢から覚めた。それは比喩だが、彼にとって千冬の一言は余りにも衝撃的だった。何故これほど動揺するのか彼にも分からなかった。

一夏は震える手で熱いココアを飲み干した。身体が少し温まる。彼はまだ欲しいと思ったがもうカップの底が見えていた。静かに置いたカップは予想より大きい音を立てた。「千冬ねえ」その声は思ったより大きかった、震えていた。彼は「何故マドねえがセシリアを殺して真を誘拐するんだ」と続けた。


どうして俺はもう1人の姉を覚えていないのか。

どうして今まで黙っていたのか。

どうして今現れたのか。


強烈に膨れあがる二つの疑問、一夏は何とかそれを押さえ込んだ。今はそれを問うべき時ではない、彼はそう自制した。その一夏の選択に千冬は安堵の表情を見せた。

「一夏、大人になったな」
「この程度に動じてたら、真の友達は務まらねーからな」
「自惚れまで大きくなったか」

言葉とは裏腹に千冬は頼もしそうだ。

「真はマドカに目を付けられた、推測の域を出ないが恐らくこう言うことだろう」
「真のあの面だ。一目惚れって訳じゃねえんだろ? どういった理由だ?」

千冬はこう続けた。

自己否定と絶対のモノを信じ縋った空虚な真の在り方。それがマドカを引きつけた。同じ物が引き合うように。だが真は己を取り戻した。我慢ならないマドカは、その原因を調査し、セシリアに当たりを付けた。それが先の臨界公園での発砲騒ぎた。そして。確信を得たマドカはセシリア殺害に至った。

千冬はカップを満たす焦げ茶色の液体をじっと見ると「下手人がマドカかどうか、それは不明だがな」と言った。一夏は静かに語る姉の態度に不満を覚える。ディアナが席を立った。

「一夏、ココアのお代りいる?」
「頂きます」

全員揃ってココアを飲んだ。カカオの香りが心を静めた。一夏は言う。

「次の質問はそのことだぜ。TVの映像を見る限り、セシリアの乗ったジェット機は内側から爆発してる。つまり爆弾か何かを使ったって事だ。何でこんな回りくどいことをする? ISがあるんだ、そのままジェット機を撃った方が楽だぜ? ぶっちゃけ拳銃で直接セシリアを撃つとか。空港内で撃ってもISで逃げりゃ誰も追い掛けられない」

その瞬間その場に居た、千冬、ディアナ、静寐があんぐりと口を開けた。

「……なんだよ、そのムカツク顔は」
「一夏が頭使ってる……」

静寐の何気ない一言に一夏は大いに傷付いた。好きな娘なら尚更である。ディアナが「静寐が代わりに言ってくれて助かったわ。私は立場上流石に言えないから♪」というと、静寐は「先生の生徒ですから、当然です」と真顔で応じた。千冬は喉を鳴らし笑う。

「ひでえ!」

身を乗り出し抗議する一夏。千冬はこう続けた。

「今から言う事は裏付けも証拠もない。推測でしかない、私の希望的観測だ」
「おう」
「セシリアの死を演じる必要があった、私はそう考えている。セシリア本人を撃つのはもちろん、ジェット機を撃っても本当に死なせてしまう可能性があるからな」
「ちょ、ちょいまち! それはつまり、セシリアは生きているってことか?」

一夏は再び身を乗り出した。静寐もぽかんと口を開けている。

「言ったろう。確証はないと。得られた現場の状況とセシリアのBT適正Aと言う貴重な資質、これらからそう推測出来る。それだけだ」

思いも寄らない千冬の言葉、不満なのは一夏である。両腕を頭の後ろに組んで仏頂面だ。

「通りで暢気そうだと思ったぜ……確信してるんだろ? セシリアが生きてるってよ」
「まあな」
「心配して損した」

ぶぅと不満顔の一夏。そのとき静寐が不思議そうにこう言った。

「しかし織斑先生。TVでは遺伝子照合を行ったと報道していました。それでは矛盾が生じます」

鋭い静寐の質問に千冬は随分と頼もしそうだ。一夏も自慢げである。

「私はマドカが死んだものと思っていた。当時遺体も確認した。だがマドカは再び現れた」

つまり千冬は何らかの手段で遺体を複製したのではないか、そう言っているのである。一夏は腕を組んで考えた。口はへの字。

「クローンって事か。でもよ、そんな簡単にできるものなのかよ」
「そこまでは分からん」

静寐が千冬の後を続けた。その様は優等生らしく明瞭な発言だった。

「織斑先生とリーブス先生、そして一夏君の特別な力。それに類する能力、と言う事ですね。可能性の域をでませんが」

千冬は笑いながら降参だとココアを飲んだ。静寐の洞察力、推理力にである。静寐は独力でこの結論に至ったのだった。ディアナがこう続けた。

「問題はこれを公にすることが出来ないのよ。証拠がない以上公にしても一蹴される。なにより、」
「当の真が死んだと思ってる」

一夏にディアナが頷いた。

「いま真は恐らく自分を見失っている、言葉では納得しないわ。そこを“どうするか”がポイントね」

一夏は一瞬どうしてディアナが“どうするか”と強調したのか分からなかった。考えても答えが得られなかったので、まあいいやと自分の膝をぽんと叩いた。

「うーし。ともかくよく分かったぜ」
「本当に分かったのか?」

千冬は不安を隠さない。

「俺がマドねえの事を覚えていないのは、恐らくマドねえの死体を見た影響。P.T.S.D.、心的外傷、トラウマって奴だ。千冬ねえが今まで黙ってたことは置いておいて、セシリアがいれば万事解決なんだろ? だったら話は簡単だ。俺が2人を、ふがふが」

慌てて静寐が一夏の口を塞いだ。なにするんだ、と抗議を上げる一夏は静寐に睨まれて萎縮する。静寐は一夏の口を押さえながら早口に「つまりインターポールかUNか分かりませんが、“誰かが”2人を見付け出せば良い、そういう訳ですね」と続けた。

「そう言う事だ」

千冬は立場上、一夏を止めなくてはならないのである。言葉にするとはそう言う事だ。それを察した静寐に、一夏を本当に任せるか、まだ早いか、千冬は真剣に考え始めた。当の一夏ははてな顔であった。


◆◆◆


空に浮かぶまん丸の蒼い月。一夏は静寐を連れて一路、寮へ向かっていた。軽くなった気分、即興で歌も作ろうものだ。

「マドねえのマドカは丸いの“円”♪ でも当の円は角を立てまくり♪ つかヤンデレ~♪」

静寐と異なり歌のセンスはない。元英雄の意外な弱点であった。時刻は既に午後の9時。食堂が閉まってしまったと途方に暮れる2人に、ディアナは腕を振るった。家庭的なフランスの味に大満足の2人である。静寐は笑いながら言う。

「一夏」
「おー」
「リーブス先生の料理おいしかった?」
「おー」
「先生、綺麗?」
「おー」
「部屋も清潔だし、綺麗好き?」
「おー」
「スタイル良くて強いし?」
「おー」
「やっぱり先生みたいな綺麗なお姉さんがいい?」
「おー」

半眼で睨む静寐だった。

「おー、おー……おぅのぉー(Oh,No)」

冷や汗を垂らし誤魔化す一夏がそこにいた。

「もう良いです。一夏の本心はよく分かりました」
「俺のハニーは静寐が一番だぜっ」
「二番は?」
「か、堪忍してつかーさい」

やぶへびである。必死に頭を下げる一夏であった。

「それで一夏、どうするの?」
「取りあえず楯無先輩に相談してみようかと思う。つか俺1人じゃ無理だ。海外なんて行ったことねーし」

食事中、一夏は千冬とディアナの独り言を聞いた。箒は明日戻ってくる事。マドカはファントム・タスクという組織にいる事。両親はファントム・タスクに殺されたと言う事。ファントム・タスクは欧州が本拠地で、フランスが怪しいと言う事。一夏が誘拐された第二回モンドグロッソ、この騒動もファントム・タスクが関係している事。

ファントム・タスクは英雄としての力を手に入れようとした事。千冬は苦渋の決断で一夏を先に助け、結果マドカを見捨ててしまった事。それをマドカが恨んでいるだろう事。一夏を巻き込んでしまったこと。

そして。一夏の目の前で初めて千冬が泣いた事。済まない、済まないと何度も謝った事。

(動機としちゃ十分だぜ)

一夏の決意を見て静寐は右腕をそっと絡めた。

「一夏。これ以上わたしに出来る事は無いけれど。無茶はしないで」
「十分過ぎるぜ。安心しろ静寐。セシリア探して、真を連れ戻して、みんな帰ってきて、全部解決して、また元通りだ」
「ん」

蒼い月明かりの下、2人は長い長いキスをした。その夜、静寐は部屋に戻らなかったという。


◆◆◆


翌朝。眼を覚ました一夏は、静寐を起こさないようにそっと部屋を出た。“行ってくる”そう書き置きだけ残した。肩からぶら下げる大型のトラベラー・バッグ。中には彼が選別した遠出用の必需品が詰まっている。

(替えの下着に防寒具、ハンカチちりがみ整髪料、タオルに歯ブラシ保険証……あーそうそう。“とっさに使える英会話”これを忘れちゃいけねえな)

時計は午前4時を指していた。

いまだ暗い秋の朝、彼は意気揚々と楓寮に向かった。ロビー脇のセキリュティに学生カードをかざす。ぴっと電子音が鳴る。そのままエレベーターに乗り一路、最上階。寝ている先輩方を起こさないように、そっと歩くこと約1分。

彼はノックした。だが反応がない。もう一度ノックした。反応がない。一夏はそっと呟いた。

「反応がない、ただの屍のようだ」

朝から俺は冴えている、そうボケながらノックし続けると部屋の中から人の気配が感じ取れた。のそのそという足音。出迎えたのは楯無だった。

薄いピンク色の花柄パジャマで、桜がたくさん咲いていた。何より印象的なのがその髪。陽の加減で青く見える艶のある髪、その毛先は四方八方に向かっていた。何時もより3倍増しである。一夏は(あー、ちゃんと乾かさずに寝たな)と思った。ぼさぼさだった。更に気になったのがその眼である。隈と言うほどでは無いが、窪んでいた。頬も少しやつれ、肌にも元気がない。自称美少女もこの有様だと台無しである。楯無は寝ぼけ眼で一夏を見た。まだ頭も回っていない様だった。

「織斑一夏くん?」
「おはようございます。楯無先輩。火急の用件で来ました」
「……火急?」

徐々に目が覚める楯無。眉間に皺が入る。

「はい。学園の危機です。真とセシリアを助けに行きます。手伝って下さい」

時間は午前4時半を指していた。

「一夏くん」
「はい」と答える一夏は満面の笑み。
「いま学園が置かれている状況知ってるの?」
「ええ。ですからこうして来ました」
「そう」
「はい」

かちこちと部屋の中から時を刻む時計の音がする。くーくーと同室の寝息も聞こえた。熟睡している。

「私の家が何してるか話したっけ?」
「はい、もちろん。学園を守る影の存在。忍者ですよね」
「そう」
「はい」

楯無の口元がぴくり、小さく痙攣した。

「あまりにも突然な状況に、我が更識家もてんやわんやなのよ。日本国内はもちろん、海外にも部下は居て、迅速な情報収集に躍起になってるの」
「さすが秘密情報局って感じですね」
「そう」
「はい」

楯無の表情が徐々に険しくなる。震え出す声、その心中如何ほどの物か。

「それで情報ってそれだけじゃ役に立たないの。分かりやすくまとめて判断して、行動そうしてやっと意味がある」
「そうですね」
「それで私は更識家の長」
「知ってます」
「第1段階としてまとめ終わって、指示を出したのが今朝の3時半」
「……はい?」

一夏もようやく気づいた様である。失礼しましたと振り向いた。襟首をガッチリと掴まれた。

「ねえ、一夏くん。頑張った、たっちゃんを1時間でたたき起こしてくれた火急の用件って何だっけ?」
「……2人を助けに行くのです」
「2人の居場所ぉ♪ 見当すらぁ♪ 付いてないのよぉ♪ 東京かもしれないしぃ♪ ブエノスアイレスかもしれないしぃ♪ アビジャンかもしれないしぃ♪ ベルリンかもしれないのぉ♪」
「おー♪ シャウエッセン♪」
「それはシャンゼリゼ。つーかフランス」

窓硝子が震えかねないほど、声にドスを利かせる楯無だった。一夏は力任せに逃げようか、華麗に土下座しようか、大声で助けを呼ぼうか、どうしようか考えて、覚悟を決めた。身体の力を抜く。楯無の協力は必須なのだ。下手に逆らい機嫌を損なうと後が厄介だ。短いながらも楯無に師事した経験が生きた。

楯無の怒りは彼女の血管を内側から破りかねない程だった。

「ねえ一夏くん?」
「……はい」
「この場合たっちゃんになんて言う?」
「お休みなさい」

ぷち。大事な何かが切れる音、一夏は確かに聞いた。楯無は大きく息を吸う。

「ごめんなさいでしょ! この馬鹿弟子がーーー!」

一夏は遠く遠く投げられた。ごろごろと廊下も転がった。痛くは無かったが、大声で起こされ不愉快そうな先輩たち、ひたすら謝る一夏であった。


◆◆◆


1日が経った。一夏が居るのはIS学園の生徒会室である。6畳ほどの部屋で壁には本棚や薄型のロッカーが所狭しと詰められてた。食器棚と電気ケトルもあった。部屋の中央には大きな机と、パイプ椅子。一見、窮屈な印象だが息苦しくない。整理整頓が行き届き、清潔感があったからだ。虚の貢献である。

一夏はデスク上のライトをちょんと触った。とても熱い。この世界では既に骨董品の白熱電灯である。フィラメントが赤褐色に輝き、デスクの表面を赤白く照らす。無機質なLED(半導体)式と異なり随分と暖かみがあった。

一夏は物珍しそうに「なんですかこれ?」と聞いた。虚が「一世代前の照明機器で白熱電球というの。LED式でも電球と言うけれど、本物はこれよ」と答えた。眼鏡をくいと正す。何故か彼女は自慢げである。「先日フリマでやっと見付けたの」と、続けた。

「へえー。レトロな感じが良いですね。でも少し暗いですよ」
「だから良いのよ。一夏君にアンティークはまだ早いかしら?」

更識楯無の意外な事実。趣味骨、董品集め。子供扱いされた一夏は少々むっとした。

「壊れたらお仕舞いじゃないですか。消耗品ですよね? この線香花火のボスみたいな奴」
「真が居るから大丈夫」
「なっとく」

神が与えし奇跡の力、楯無の前では町の電気屋さん扱いである。一夏は心中で真に同情した。

「さて」

楯無はそう言ってその表情に熱を入れた。瞳が鋭く光る。手にした扇をぱっと開き口元を隠す。彼女が見るのはデスクに浮かび上がった世界地図だ。投影ディスプレイで薄く光っていた。そこにはエムの逃走経路が映し出されていた。楯無が言う。

「成田を離脱したエムは一端北朝鮮に入った。仲間と合流し、ロシアと北朝鮮の国境の町ハサンを介してロシアへ入国。自動車でウラジオストクへ向いシベリア鉄道に乗り込んだ。終着駅はモスクワだけれど、エムの最終目的地は恐らくヨーロッパ、西欧ね。敢えて陸路を選んだのは非常時の備え、そんなとこかしら。逃げるにしても真が居るし、高い高い空の上だと真が凍えちゃうし……毛布じゃ駄目よねえ、きっと」

「楯無先輩」
「たっちゃん」
「……たっちゃん先輩」
「ぶー」
「真は意識がない、そう考えるべきでしょうか」
「犯罪者として拘束、護送中この方が妥当よ。薬物の類いは真に利かないでしょう?」
「それはそれとしてヨーロッパのどこかって何処です。広すぎますよ。もう少し絞らないと」

一夏の質問ももっともである。楯無は派遣した諜報員からの情報と、ロシア国家代表であるツテを使い、完全ではないがエムの逃走経路を突き詰めたのである。当初彼女は救助も考慮に入れたのだが、それは叶わなかった。ロシアにもファントム・タスクの影響があり、行動が制限されたのである。

「そこまでは分かってないわ。ただ連中の本拠地はヨーロッパ、あとは現地に赴いて調べるしか無いわね。一夏君、覚悟は良い?」
「はい」一夏はすっと立ち上がった。「あと箒に会ってきます」

仕方がないわね、と楯無は小さく笑った。


◆◆◆


箒は学園に戻ってきてから塞ぎ込んでいた。誰とも口を利かず、眼を合わさず。呼吸は浅く、目は焦点定まらず虚をみる。時おり思い出したようにすすり泣く。人目を憚るように部屋に籠もっていた。

部屋のブラインドは下ろされ、日中だというの薄暗かった。ベッドの上の膨らみは彼女の物だった。白いシーツに皺が入る。

食事も取らないその姿を見て、親しい者が部屋を訪れようとしたが、彼女は正気を失ったように大声を上げた。物をドアに投げつけた。手が付けられなかった。静寐、本音ですら、だ。否。この2人だからこそと言うべきだろう。

彼女は誓いを守れなかったと、己を責めているのであった。その身を引き裂かんばかりに。

一夏が訪れたのは712号室、かっての真の部屋である。彼は扉の前に立ち、ゆっくりとだが確実に届くように、

「箒」

と言った。

ノックはしなかった。返事も無かった。箒を慰める事ができるのは既に一夏では無かった。それを理解していた一夏はそのまま続けた。

「真を探してくる」

彼は握り拳を扉に当てた。コンと小さく音が鳴る。すすり泣く声が止まった。

「セシリアも連れ帰る、みんなも絶対帰ってくる、約束する。今はそうしていて良い。だから……真に泣き顔見せるんじゃねぇぞ。箒が泣くとあいつきっと泣いちまう」

行ってくる、彼はそう言い残してIS学園を旅立った。向かうは友の居る地、ヨーロッパである。必ず戻ると誓いを立てて。


◆◆◆



えー読者の皆々様、作者でございます。

セシリアSATUGAIの件、大変ご心配掛けました。以上の理由で生きてます。そりゃー殺しはしません。本当に殺すと真ブレイクですし。バッドエンド一直線ですし。Hまだだし(最悪) それにしても某掲示板に書かれた時はドギマギでした。荒れる? 荒れちゃう? みたいな。何方か存じませんが、フォロー入れた方、ありがとうございました。

で、次回からファントムタスク編を始める予定です。シャルロッ党の方々お待たせしました。シャルママ復活です。







【作者のどうでも良い話】
1期手直ししたい。簪編直したい。学園際編直したい。でも手が足りない。あと一本あれば……まる













































































その大型ジェット旅客機は高度42,000フィートの空を、音速の70%のスピードで飛行していた。そこは成層圏と呼ばれる大気の層で雲が少ないのが特徴である。唯一の例外が雲々のボスたる積乱雲だがそれも無く、非常にゆったりとした旅だった。

天を仰げば雲一つ無い瑠璃色の空が見える、宇宙が近い。

眼下に見えるのは白い雲々である。

丸いあめ玉の様な雲、押し広げた煎餅の様な雲、もこもこした綿菓子の様な雲。

紺碧(こんぺき)色の海に雲海が広がっていた。

空と雲と海が生み出す幻想的な世界を見て、一夏は「すげーっ! すげーっ! すげーっ!」とはしゃぎまくっていた。織斑一夏16歳。初飛行機である。白式を纏い天駆ける彼であったがこの高度まで昇った事とは無いのだった。

「お客様。空の旅は初めてですか?」

通りがかったフライト・アテンダントが声を掛けた。歳は20歳半ば、鋭い面持ちの美女で、黒く長い髪は結い上げていた。黒いスーツにタイトスカート。大きめの襟は白く、スカーフを巻いていた。航空会社の制服である。

一夏は窓の外を凝視してこう答えた。

「ええ、そうなんです。こんなに蒼くて綺麗なんですね空って」
「この高度まで上がると大気の汚れが大分薄くなります。そのせいですよ」
「最近は排ガス規制で随分綺麗になったと聞きましたが、まだ有るんですか」
「ええ、まだあります。数十年前は大気の汚れが見えたそうです。地球に白い覆いが掛った様だと先輩の乗務員が言っていました」
「へー。ずっとこのままだと良いですね。こんなに綺麗なんだから」
「そうですね」

空の旅をお楽しみ下さい、彼女はそう言って立ち去った。彼女の左胸のネームプレート、巻紙礼子と書かれていた。十二分に空を堪能した一夏は、機内映画を見て大笑いし、機内食に舌を打っていた。

(うーむ、機内食って言うから宇宙食みたいだと思ったけど随分美味い)

ぱくぱく、もしゃもしゃ。次から次へと平らげて一呼吸。至福の笑みである。

「ふー、喰った喰った」
「コーヒーは如何ですか」
「はい。頂きます」

ずずーと飲んだ。コーヒーも美味い、こんな事ならまた乗りたい。は、いかんいかん。俺は大事な任務を帯びているのだ、と自戒した。その時である、一夏の脳裏にある疑問が浮かんだ。その問題は彼にとって少々難解だった。何分、初フライトなのである。比べる物が無い。

一夏はコーヒーカップを置いて右を見た、誰も居ない。左を見る、誰も居ない。前にある座席の背もたれ。立ち上がって覗くと誰も居ない。振り返っても同様だ。彼のいる席はエコノミークラスである。機内にびっしりと、整然と席が並んでいた。誰も居ないのである。

「むー」

彼は腕を組んで考えた。口はへの字。眉間に皺が寄る。思い出すのは数時間前。出発よと楯無家の自動車に乗り込んだ。フランスへ、成田空港に向かう為である。未だ騒動が収まり付かぬ空港であったが、更識家と学園が手を回したのだった。楯無は学園を離れられないからと、彼女の部下に連れて行って貰った。楯無は満面の笑みで一夏を見送っていた、ご丁寧にも白いハンカチを振っていた。

車中、偽装のパスポートやクレジットカードの入ったウェストポーチを貰い、腕時計を貰い、大きめの革製のトランクケースを貰った。海外には持って行けないと、白式を預けた。だから彼の左腕には腕時計が付いている。デジタル式の衝撃性に優れたものだ。

白式では無い感触に幾ばかりの違和感を覚え、一夏は腕時計を何度も擦った。

(うーん。座席があるって事はこれだけ人が座るって事だ。俺一人ってのはどういうことだ? そりゃー電車だって誰も居ない時があるけど、飛行機も同じって事だろうか。あ、そうか。もう寒いもんな。誰も旅行なんてする訳がねーや。楯無先輩んちの手配だし大丈夫だろ)

当の本人は大まじめだ、何分世間知らずの16歳、初飛行機ともなれば無理もない。一あくび。一夏は、そんな事もあるだろうと背もたれを倒した。これから一寝入りしようという魂胆である。

そんな時だ。先程のフライト・アテンダントがやって来た。歩き方を変えてやって来た。優雅はなりを潜め重厚さを押し出していた。左右の歩幅は同じ、身体の芯を乱さず確実に歩く、真の歩き方に似ているな、彼はそう思った。

そしてその女は右肩にアサルト・ライフルをぶら下げていた。ストラップがスーツの肩に強く喰い込んでいたが、女は苦とも思っていない。そのライフルは作りやすさ、タフさに重点をに置いていて、金属を多用しデザイン性は二の次。良く言えば質実剛健、悪く言えば無骨。5.56ミリx45 NATO弾を撃つAK、“ガリルARM”である。

学園には無いもの珍しいライフル、一夏はすこし注目したがそれだけだった。ライフルなんて、珍しくない、なにより怖くないのである、威圧感、圧迫感、急所を的確に狙い当てられるというプレッシャー、セシリアや真が放つ殺意の感覚、それが無かった。だから警戒すらしなかった。それどころか、

(へー、さすが国際航空会社。テロ対策もバッチリって事か。なんかスッチーとアサルトライフルって、セイラー服と機関銃って感じだぜ……ちょっと古いか)

とか考えていた。

(まーいーや。13時間の空の旅、先も長いし、飯も食ったし寝よ寝よ)

背もたれを倒し、アイマスクをし、毛布を被って、さあ寝よう。銃口を突き付けられた。

「起きな、坊主」

一転、ドスが利く声である。

「……」

一夏は一転むっすり顔をする。寝ようとしたところを邪魔されたのだ。ようやく眠りについた時の電話、あの時の苛立ちに等しい。

「起きろっつってんだろ」

アイマスクを捲る一夏。一夏はその時初めて礼子の顔を凝視した。人相が悪い。いやこれは真に失礼だ。同じ悪いだが品がねえ、彼は心中でそう吐き捨てた。

「俺、寝たいんですけれど」
「永久にオネンネさせてやっても良いんだぜ? 俺の機嫌が良いウチに起きな」

一夏は渋々背もたれを戻しアイマスクを取った。そこには髪を下ろした巻上礼子が立っていた。一夏は両手を小さく挙げる。他にも数名の男たちが居てやはり銃を向けていた。黒いスーツにサングラス。一夏は特徴の無い姿に、国際的な決まりでもあるのかね、とうんざりした。

「そんな注文をした覚えはないんですけど」
「無料サービスって奴よ」
「最近の機内サービスは過激ですね。コイン撃ちでも見せてくれるんですか」
「できるかよ、そんな事。見たけりゃワイアット・アープにでも言うんだな」
「古いですよ、せめて次元大介にしましょうよ」
「そいつも古い、つーかカートゥーンだ」
「そうですね」

女は口元を吊り上げ、口を大きく広げる。下品な笑い方に一夏は内心気分が悪かった、こいつ本当に女かよ、と思った。何よりその有り様が癪に障る。スキルに美が無い、技ではなく、ただ引き金を引いて満足するそれだけの人間だ、そう思った彼はこう言った。

「それで何の用です」
「これからお前をとっ捕まえるって事だ。理解したか、坊主」
「……ファントム・タスク」

一夏の呟きに、礼子は眼を細めた。

「流石に分かったか」
「そりゃーもう。横須賀の時はお世話になりました。他にもたくさん」

怯えを微塵にも出さない一夏に礼子は徐々に苛立ちを強めた。

「口の減らねえガキだぜ。今ここで撃っても良いんだぜ?」
「出来ませんよ」
「でかくでたな。ISを持たないお前に何が出来る。ただのガキだ」
「機内で5.56ミリ・ライフル弾を使うつもりですか?」

狭い空間では通常、拳銃弾を使うサブマシンガンかハンドガンを使う。強力な銃は跳弾で怪我をする場合があるからである。なにより、機内で使えば隔壁に穴が空く可能性がある。そうするとどうなるか、想像するまでも無い。

礼子は忌々しげにこう言った。

「……詳しいじゃねーか。ガリ勉野郎」
「陰険な奴がいますんで」

ちらと礼子睨む。その挙動が彼女の癇に障った。銃口を一夏のこめかみに押し当てた。

「いろいろ御指南痛み入るぜ、これならどうだ? 外れねえよ」
(むー)

さてどうするか、そう一夏は考えた。彼の視界には礼子を含めて計4人。全員倒すのは簡単だが、発砲させないようにとなると難しい。何より他にも仲間が居るかもしれない。万が一本物のスタッフが居て、人質にされると厄介だ。

(ちっくしょー、こういう面倒なことは真の役目なのによー。探し出したらまず殴っちゃる)

そんな一夏は渋々と。

「生意気言ってごめんなさい。俺はこれからどうなるんでしょうか」

深々と謝る一夏を見て礼子は気分を直した

「はじめっからそうすりゃいいんだよ。大人には敬意を払いな」
(ちょろい)
「あん?」
「なんでもありません。どうなりますか?」
「なに、行き先をちょいと変更するだけだ」
「どこですか?」
「言うわけねえだろ。まあ今は正規の航路を外れて崑崙山脈の上とだけ言っておくか」
「その後は?」
「一生、日の目は拝めねえだろうな。だが温和しくしてれば長生き出来るぜ?」

ケケケ。そう笑いながら立ち去る礼子は、部下の黒服男に「拘束しろ」と言った。

(こりゃ遅刻だな。あー、千冬ねえに怒られるー、静寐にも怒られるー。あとシャルと鈴にも怒られるー、ティナと清香にも……あと誰だっけ)

そう一夏が心中で溜息をついた時である。

機内が突然暗くなった。“なんだ”男たちが声を上げる前に一夏は行動した。その発言、ファントム・タスクも知らぬ事なのである。この機を逃すか、後は出たとこ勝負だと彼は思った。一人目、拘束のため、一夏に近づいてきていた男の水月に左手を撃ち込んだ。一人目がうめき声を上げて崩れ落ちる、その前に跳躍、右回し蹴り。二人目を蹴り飛ばした。ファーストクラスへ飛んでいった。ここまで0.7秒。突然暗くなった為、サングラスを付けていてはよく見えない。3人目が右手で銃を掲げつつ、サングラスを取ろうと左手を動かしたその時、その男は殴られた。一夏は踏み込んで右ストレート、転がり椅子にぶつかり、気絶する。

礼子は驚愕の表情で、肩に掛けるライフルに手を伸ばした。

(女の人殴るのは気が進まねー)

だから。彼女が構える前に、懐に潜り込み、銃を掴み、右手をねじ上げた。瞬きの間の出来事である。

「て、てめぇ!」
「わりーな。拘束するぜ。あ、勘違いするなよSMの趣味は無いんだ」

礼子の憤怒の表情。一夏ははてな顔だ。悩んでいた。何故なら。

(拘束ってどうやるんだ?)
『椅子に座らせて、シートベルト締めて、金具を潰しておく、一夏くんなら出来るでしょ』
「おお! ……って楯無先輩!?」
「機内に設置された大型の薄型テレビ、映し出されるのは笑顔の楯無だ。口元を隠す扇には当然至極と書かれていた」

ぴん、と来た一夏は礼子を拘束しつつこう言った。

「楯無先輩! 予想してましたね! だからこんなでかい飛行機に俺一人で!」
「あっらー、一夏くん良い感してるわ。だいせいかーい」

ファントム・タスクは学園外を出た一夏を拉致する、そう踏んでいたのである。

「知っていたならなんで言ってくれないんですか?!」
「だって一夏ったら嘘下手だしー、演技力無いしー」
「死ぬところだったんですよ!」
「真に何時も撃たれてるじゃない」
「それはISの話です!」
「てへ」

舌を出してウィンク。一瞬見惚れる一夏だった。取り繕う様にこう叫んだ。

「あーもう! そもそも、どこに居るんですか! 早く出てきて下さい!」
「わたし乗ってないわよ」
「はい?」
「私いまIS学園」
「……操縦しているのでは?」
「私の部下が運転してたんだけど、もう脱出したわよ」
「……脱出?」

余りの急展開に思考停止の一夏。

「爆弾仕掛けてあるもの、そのひこーき。今カウントダウン中。ほら」

テロップ宜しく、画面に映るのはストップウォッチのようなカウントダウン。あと10分も無い。

「「……」」
「「……」」
「「……」」
「「……」」

一夏は最初は真顔。次は呆けて小さく口を開く。最後は大きく口を開いて青ざめた。朝起きて、寝坊したと気づいた時の様な、表情の千変万化(せんぺんばんか)である。

「はいーーー!?」
「コメディは終わったか?」

一夏が液晶画面に詰め寄った、その時だった。赤い、毒々しい光が機内を満たす。爆風と衝撃、機体がみしと音を立てた。椅子と壁内の材料が散らばる。一夏が自分の腕越しに見たのは、蜘蛛をイメージしたIS、アラクネだった。背後に伸びる八本のアーム、触手の様に蠢いていた。

「てめーが、更識楯無か。ふん、噂通りドブスだぜ」

楯無の頬がぴくりと動いた、一夏は見逃さなかった。

「貴女がオータムさんね……お噂はかねがねお聞きしております。お近づきの証に手鏡をお送りさせて頂きますわ、シャネノレの良いのがあります。ぜひお使い下さい」
「あん? 手鏡だぁ?」
「鏡をご覧になったら? 世の中美人ばかりに見えるわよ」
「……いってくんじゃねーか。肌荒れババア」
「あら、顔に吹き出物。便秘何日目?」
「……あんだと、このクラゲ頭」
「何その着こなし。もてないなら持てないなりにもう少し気を使ったら? あらごめんあそばせ、何来ても無理よねそのぶよぶよ体型じゃ」

一夏が聞いた音は二つ。一つは“ぴきっ”という世界が凍る音。もう一つは女同士の熾烈な言い合い、延々と罵詈雑言。一夏は耳を覆いたくなった。

「けっ! 冷めちまった!」とオータムは言った。
「あら残念」とは楯無。オータムは語彙で負けたのである。
「口の減らねえ女だぜ! おいガキ! ってなにやってんだおめー」

一夏は機内の隅で頭を抱えていた。しゃがんでいた。涙目である

「おねーさん、男勝りでも女の人だったんですね……」

男にとって女の争いほど怖い物は無い。

「あったりめーだろ。見ろこのバスト」

確かに立派だった。だが真耶には劣る、そうは言わなかった。一夏はふと気づいた。オータムが柔らかくなっていた。しおらしいとはこの事か、一夏は少々心臓を高鳴らせた、今は確実に女性の顔だったからだ。初めからそうすれば良いのに、勿体ない、一夏はそう思った。

「短かったが何かの縁だ。ガキ、達者でな」
「達者?」
「俺が受けた命令は二つ。織斑一夏の確保、失敗した場合殺害」
「はあ」
「残り時間はあと2分。ISは一人乗り。20年後会いたかったぜ、あばよ」
「え」

オータムはアサルトライフルを展開し、機内の天井に向けて連射、飛び出した。隔壁が破れ機内外の気圧差が生じ、爆発的な空気の流れが発生した。

「でーーーーーー!!!!!」

一夏は吸い出されないよう必死に椅子にしがみついた。脚が浮く。力が強くとも体重は普通の少年なのだ。必死の形相の一夏を見て、楯無は言う。冷静だった。

「良い? 一夏くん良く聞いて」
「でーーー!」
「渡したトランクケースにサバイバル・キットが入ってるわ。親切な取扱説明書も入れてあるからそれ見てね」
「でーーー!」
「それで何とかフランスまで行って。現地に人を手配してあるから詳細はその人たちから聞いて」
「でーーー!」
「ファーストクラスにパラシュートがあるからそれを使って脱出よ」
「でーーー!」
「トランクケースは特殊性だから墜落しても壊れないわ。下りた地点から墜落現場まで歩いて回収、よろし?」
「でーーー!」
「腕時計はトレーサーになっていて、ケースの信号を追えるから直ぐ見つかるわ」
「でーーー!」
「飛行機って、胴体も構造の一部なの。機体に穴が空けば後は空中分解よ。だからそのまましがみついていても駄目」
「でーーー!」
「まあ先に爆発しちゃうけど。TNT火薬10トン積んでるから木っ端微塵ね」
「でーーー!」
「あと、一夏くん。きみ死なないと駄目だから」
「でーーー、ってなにーーーーー!」

「いやねえ、偽装よ偽装。だってそうじゃないと海外で活動も出来ないでしょ? 見出しはこうよ。“友を探しに出国した織斑一夏、飛行中に襲撃され死亡!” 国内外問わずファントム・タスクへの圧力は強まるし、イギリスからの同情も得られるかもしれないし。だから織斑一夏って名乗っちゃだめよ。そうそう渡したパスポートには“大村イズナ”って書いてあるから。私が考えたの、かわいいでしょ?」
「本気で死んだらどうするんですか! てゆーか死ぬでしょこれ!」

バタバタと一夏の髪がたなびく。冷や汗も風に吹かれ機外へ散っていった。

「あと爆発まで後一分、がんばれヒーロー! じゃ、健闘を祈る」

ウィンクと敬礼、画面は消えた。呪わしいほど可憐な楯無の表情だった。暴風の中、一夏は涙目で這いつくばりファーストクラスへ向かった。軋む、機体。一つ、また一つとオータムが開けた穴から部品が飛んでいった。機体は降下し始めた。

これは構造的な話だが、飛行機という物は、建物の様に骨組みだけで支えているのではない。飛行機の場合胴体も、機体全体を支える構造になっているのである。骨なのである。

だから、オータムが空けた穴。ある一定の、しきい値を超え、機体の至る所からみしみしと嫌な音を立て始めた。金属が応力限界を超えたのである。至るとこで亀裂が生じる。

「でぇーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」

上下逆さまになる機体。気合い一発。一夏がパラシュートを掴んだ時、主翼が折れた。まず右翼、くるくる回る。次ぎに胴体が折れた。左の翼が折れた。一夏はその身体能力を活かし、きりもみしながら墜落する、機体から飛び出した。飛び散る破片で頭を打った、少し痛かった。

爆発。閃光と共に、爆音がやって来た。その爆発音は音速を超え、ソニックブームを巻き起こす。常人なら即死のその状況、一夏は持ちこたえた。世界から罷免されたとはいえ、英雄的身体能力を持つ為だ。楯無は一夏のその能力を見積もった上でこの様な、無茶苦茶だが大胆克つ有効的な作戦を立てたのである。

余談だが、虚がその作戦を知ったのは一夏が旅だった後だった。彼女は“トップシークレット”と書かれた作戦書をぱさぱさと落とした。涙ながらに何度も何度も謝罪した。その時の彼女の心中、察して余りある。同情的な意味だ。

「ぶぶぶぶぶぶぶ、ぶぶぶ、ぶぶぶぶぶ!!!!」

空圧で上手くしゃべれない。敢えて言うまでもないが楯無を罵っているのである。彼はパラシュートを背負うとベルトを締めた。パラシュートを開く、糸を引く。切れていた。

「……」

爆発の影響だ。

「ぶぅ、でっ、ぶーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」

彼は“でー”と叫んでいた。空圧の影響である。

近づき、丸みを帯びた大地が少しずつ平面になる。彼はカバーを破って直接開くことを思いついた。ベルトを外す。運命の悪戯という一瞬の隙を突き、パラシュートが手を離れ、遠くへ飛んでいった。一夏は慌てて泳いだ。両手足が宙を掻く。クロール駄目、犬かき駄目、バタフライは論外。平泳ぎでなんとか近寄りベルトを掴む。高度3,280フィート、つまり約1000メートル上空である。余り時間が無い。

落下による急激な気圧変化、温度変化。訓練された兵士でも失神してしまう環境の中一夏は冷静に対処していた。ショルダーベルトに脚を通し、カバーを力任せに破る。パラシュートが開いた。蒼い空に迷彩色の落下傘が開いた。一夏は逆さまのままゆっくりと下りていった。

一夏が見た物は、全てが、木、草、鳥、虫。見たことの無い森の中だった。

「おぼえてやがれ、あの性悪生徒委員長! 帰ったらおっぱい揉んでやるーーーー!」

樹木に引っかかったパラシュート。一夏は逆さまにぶら下がりながら、そう誓った。


つづく。



[32237] 05-01 ファントム・タスク編 復活(赤騎士)
Name: D1198◆2e0ee516 ID:d5589322
Date: 2014/06/21 21:38
ファントム・タスク編 復活(赤騎士)

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ロデーヴという街がある。フランス南部に位置し人口は7300人ほど。もともと地中海ケルト人居住地の一つで、中世にはアルルからスペインに向かう、サンティアゴ巡礼路の宿場町として賑わった。山と樹木に囲まれる静かな街である。

最近、その街ではある噂で持ちきりだった。街から遠くなく、近くない距離に封鎖されたウラン採掘場があるのだが、最近になって火が灯ったのである。

草木も眠る深夜、見慣れぬ厳つい車両が何台も通り、武装した男たちが向かって行った。採掘を再開した、採掘する物が物だけに警戒が厳しい、そう市長は説明したが誰も信じていなかった。人々は得体の知れない何かを感じ取っていたのである。

曰く、企業の兵器開発研究所だ。
曰く、政府の生物実験場だ。
曰く、軍隊の秘密基地だ。

近づこうとした人は、どこからともなく嗅ぎつけた軍用ヘリに警告された。

“管理地区、立ち入り禁止(Keep Out)”

表向き原子力関係企業の研究施設、その実、ファントム・タスクの秘密施設である。真はそこに拘束されていた。

そこへ至る、人の手によって掘り起こされた道。2人の武装した男が歩いていた。フランス軍で使用しているセントラル・ヨーロッパ迷彩で、白、緑、茶、黒の絵の具を、水に落とした様なパターンをしている。最新部隊ではデジタル・ドットパターンが支給され始めているが彼らの隊ではまだ旧来の物だった。

見上げれば岩肌が大半で、鋼鉄製の肋骨によって補強されていた。オレンジ色の電灯が幾つも連なっているのが見える。足元は鋼板で全てが覆われていた、黄色のペンキで即席の道路標識が記されてあった。運搬用車両用の為だ。

その鉄の道路は地中奥深くまで続いている様に思えた。実際その通りだったが彼らには知らされていなかったし、彼らもまた知りたいとは思わなかった。知りすぎると長生き出来ない、彼らの世界の鉄則だった。2人の内の1人、ダニエル・エイメは両手に食事を持ちながら、

(これが長生き出来る任務か、その保証は無いのだがな)

と内心溜息をついた。30歳、軍曹。フランス人の割には荒々しい顔立ちで良くイギリス人と間違えられる。幼い頃はその都度憤慨したが最近は達観の域だ。その様子を見て、

「ダニエル。溜息をつくと、幸運が逃げるそうだ」

とポール・アルダンという男が笑いながら言った。このポールという男は堀が深くイタリア系の顔をしている、31歳、上級伍長。2人は友人で、この私設部隊の兵隊として6年の仲だ。ダニエルが聞いた。

「何処の格言だ」
「ジャポン(日本)だ」

ダニエルは不思議そうに「どうしてポールが日本の格言を知っている」と聞いた。そうしたら彼は「弟が日本人の女性を嫁にしたんだ」と応えた。

「セルジュが?」
「言ってなかったか?」
「初耳だ。いつ?」
「先月だ。ヴィエルソンの寺院で式を挙げた。Eメールの写真ではなかなかの美人だ」

ダニエルは眉を上げた。

「Eメール? ポールは立ち会ってないのか。弟の結婚式だろ?」
「その時ナポリで一仕事だ。行けなかった」
「因果な商売だな」
「全くだ」

2人は苦笑いでエレベータに乗り込んだ。鉄骨に組み付けられたLEDディスプレイ、数字が一つまた一つと減っていった。鋼鉄製の枠組みに金属製のメッシュ、簡素な作りのエレベータは彼らを不安にさせた。オレンジ色の灯を浴びてポールが言った、その口調にはやるせなさが滲んでいる。

「因果か、これはどんな因果なんだろうな。牢にぶち込んでいるのが同じ日本人で、更に子供ときている。あの子供、IS学園のあの1人だろ? 確かマコト・アオツキ」
「詮索はよすんだポール。俺らの仕事は要人の警護と世話だ。命令通りこなせば良い」
「警護? 監視の間違いだろ」
「上から見たら同じ事だ」
「ダニエル、俺は君のそんな真面目なところが好きだ。だが冷酷と忠実は別物だぜ?」

ちん、エレベータが止まる。僅かな間の後ポールが扉を手で開けた、上方にスライドする。

「俺はそこまで自由では無い。因果に縛られている、運命という奴だ」

ダニエルの独白にポールは応えなかった。


◆◆◆


2人が下りたその階は深さ160メートル、坑道の中程にある。山頂からの深度のため実際にはそれ程深くない。通気口からは外気の匂いがしたし、雨音も聞こえる。場所によっては陽の光を見ることも出来た。

カンカンカン、と足元の鋼板を打ち鳴らし、歩くこと3分ほど。2人はその暗い場所に着いた。脚を止め息を呑む。暗くてよく見えなかったが、何者かの気配が感じられた。深く鋭い息づかいが有った。

背後から漏れる光が、微かに照らす。スリットの様に並べられた丸い鉄の棒、苔むした岩盤。その奥、黒い双眸が2人を貫いていた。見えないのに存在する、視覚できないモノに見つめられている感覚。頭巾の付いた黒い貫頭衣、大釜、白い頭蓋骨、黒い眼。何処までも追い掛け続け、死に至らせる気配。

歴戦の2人が息を呑んだ。首筋にしびれが生じた。ポールは壁に手を伸ばし、取り繕う様に灯を付けた。

深く掘り進んだ坑道の窪み。鉄格子の向こう側に真が腰を掛けていた。右肘を右膝につけ、前かがむ。ISスーツ姿のままだったが、首と右手、両脚は鉄の鎖で繋がれていた。左義手は無く、みやも居なかった。薄暗い牢の中、幽かに浮かび上がっていた。

「食事だ」とダニエルと小さい扉を開け、トレーを牢に押し込んだ。

ポールは何かを言おうとして言うのを止めた。眠っていた時と印象が余りにも違うのである。ベッドに拘束されていた真は、時折うなされ涙さえ流していたのだ。

「身体に違和感は?」とダニエルは真の右腕を見た。移送中、上からの指示で大量の麻酔薬を投与し続けたのである。エトルフィンとアセプロマジンの混合薬で象、牛、虎などの大型動物に使うものだ。

投与中に死ぬだろう、そう思っても生きていた。2度と目が覚めないだろう、そう思っていたが目覚めていた。2人はその懸念すら失ってしまった。

「エムは何処だ」

2人は酷くしゃがれた声に驚いた。擦れ、張りが無い、カサ付いた声だった。なのにイヤに耳に付く、否が応にも聞かされる、そんな音だとポールは思った。ポールは応えた。

「エムとは誰だい?」

目の前に座っているのは子供だ、そう言い聞かせる様だった。

「ソード形状のIS、サイレント・ゼフィルスのパイロットだ」

あの黒髪の東洋人の少女の事だと、2人は眼を合わせた。ダニエルが応えた。

「済まないがIS部隊のことは殆ど知らない」
「組織を聞いているのではない。今どこに居るのかと聞いている」
「それを聞いてどうする? デートにでも誘うのか?」
「それ、素敵♪」

突如放たれた声に、2人は振り向いた。場違いなほど陽気で可愛らしい声だった。2人の視線の先、エムが立っていた。背後から膨れあがる、死の気配。エムは身動き出来ない2人の間を素通りすると、鍵を開け牢に入っていった。待ちわびた恋人の登場に駆け寄る少女そのものだった。

1歩、2歩、3歩、エムは躊躇する事なく歩を進める。4歩め、真は表情を微ほどにも変えず、立ち上がり踏み込んだ。エムの水月(みぞおち)を狙った右肘は躱された、影が動いた様な速さだった。エムの回避先を読んでいた真は、シフト・ウェイト、右肩を撃ち込んだ、当身である。開こうとした脚が鎖によって阻まれる、体勢を崩した真は、即座に跳躍した。全体重を乗せ、エムを突き飛ばし、壁にぶち当てようとした。だがエムの左人差し指によって阻まれる。指が皮膚に食込み、突き破り血が流れ出す。肉体が訴える痛みに、表情一つ変えない真。エムは楽しそうに真の鎖を見た。

「それ邪魔よね。そう言う趣味は無いし、君を縛る物は何一つあっては駄目」

エムは真の首と手を繋ぐ鎖を引きちぎり、手と足を繋ぐ鎖を踏み砕いた。砕けた鎖が宙を舞う。真は右手にぶら下がる鎖を鞭の要領で撃ち込んだ、目を狙う。エムは右手で払い除けた。真はその鎖で生じた死角に隠れ、右脚を撃ち込んだ。回し蹴り。

「♪」

どん、肉と肉がぶつかる音がした。笑顔のエムは真の右脚を掴むと、そのまま持ち上げ壁に叩きつけた。背中の肉が避け、血が飛び散った。鈍い音と共に背骨が折れた。崩れ落ちぐったりと動かなくなる。エムは動かなくなった真の側に駆け寄り座ると、膝に頭を乗せた。髪を撫でハミングを奏でる。瞬く間の出来事であり、酷く現実味を欠いた光景だった。ダニエルとポールは只その光景に圧倒されていた。

「いま君は私だけを見てる」

エムの寝物語は坑道の闇夜に消えていった。


◆◆◆


坑道の最奥、山腹の中央付近に大きい広間があった。小さい出っ張り、凹みがあったがほぼ円形で、広さは752平方メートル。野球場のホームベース、一塁、二塁、三塁を結んだ広さとほぼ同じだ。

部屋の中央に半球ドームがあり、ずぶとい鋼鉄製のアームや巨大な油圧シリンダーで覆われていた。ドームを中心に点在する大型の機械、それはディーゼル発電機やコンプレッサーと言ったものだったが、それらとドームはパイプやケーブルで繋がっていた。

作りは雑で、むき出しの鉄骨にちぐはぐな配管、急ごしらえで作られた事がよく分かる。錆が激しい船舶用コンテナ、それを流用した簡易管制室では、作業服の男たちが旧世代の機器と格闘していた。

夜間工事用照明が辺りを照らす。薄暗い中、オータムは中央に歩み寄り、小山と言って良いそのドームを見た。分厚い鋼鉄製でシェルターと言っても過言では無い。彼女は人知れず溜息をつく。

(どっちが外なのか中なのか、怪しいもんだ)
「貴女が溜息? 長生きしてみるものね」

スコール・ミューゼルは髪を棚引かせながら歩み寄る、軽快にヒールを鳴らしていた。

「何処に行っていた? 会議か?」
「エムよ。宥めるのに手間が掛ったわ」
「エム? あのガキがどうかしたのか」

真を捕えてからと言うもの、エムは隙あらばセシリアを殺害しようと試みるのである。ダミーではなく本物のセシリアだ。今もまた、スコールはエムを抑えるため彼女自身のIS、ゴールデン・ドーンを使わざるを得なかった。困った物だわ、と苦笑するスコール。

「俺も聞きたい。何故あのイギリスのガキを生かしておくんだ。あの真ってーガキに死んだと思わせるんだろ? だったら生かしておく意味が無い」
「そんな事は無いわ。本当に殺してしまったら“実は生きている”というカードが無くなる。それにあの娘のBT適正Aという資質、失うには惜しい。私の能力“ドッペルゲンガー”では中身までコピー出来ないから」

スコールは搭乗直前のセシリアを襲い、コピーと入れ替えたのである。ブルー・ティアーズが装着者を認識しなかったのはその為だ。尚、コピーは簡単な知性しか持たず、スコールに絶対服従である。オータムは腕を組んでこう言った。

「あわよくば従わせ、反抗する様ならエムの様にナノマシンで強制させる、か。前々から思っていたんだが、スコールのその能力、中途半端だな」
「馬鹿な事は言わないものよ。死を装えるのだから、これ程便利な物は無い。自分の死体を残せば何度でも逃げ仰せる、為政者を複製すれば傀儡にすることもできる」
「スコール向きの陰謀型だな、俺には向いてねえ」
「人間限定で直接触らないと行けないけれど」

オータムはスコールから目を離しドームを見た。その視線は封じられている中の物に注がれていた。

「で、あのガキにこれを直させると。本当に大丈夫なのか? あのガキの能力が“修理”だけかってのは怪しいんだろ」

みやの修復という現象は真が行った、そうスコールは推測しているのである。極秘に入手したクラス代表戦と福音戦のデータは驚くべき物だった。一つの懸念が、真がカーチェイスに使用した自動車である。キー無しで動かしたのは間違いないが、これのみ修復という概念と異なるからだ。2人は真の、本当の能力に気づいていないのである。

「彼の体内にあるナノマシンもおかしい。じっくり時間を掛けて検証してから、としたいのだけれど」と、スコールは小さく溜息をついた。
「また上のじじいからせっつかれてるのか?」

オータムは幹部会のメンバーのことを言っていた。それもあるけれど、と断った上でスコールはこう答えた。

「ロックフェラーの動きが活発、との情報が入ったの。既に工作員が多数フランスに入り込んでいるそうよ。ここを嗅ぎつけるのも時間の問題でしょうね。悩ましいわ、これはおいそれと移動出来ない」
「クソ鼠ども」

オータムが吐き捨てた、その時だ。ディーゼル発電機が動き出した。からからと乾いた音を立てている。照明が予備から切り替わり辺りが昼間の様に明るくなった。作業員の男がコンテナから現れこう言った。

「ミューゼル様、準備が出来ました」
「分かった。オータム、マコト・アオツキを連れてきて頂戴」

油圧シリンダーが軋みを立てて動き、土埃を立てながら、ドームがいくつかのピースに分割、開いていった。漏れ出るのは血の臭いと鈍い鼓動。そこに、赤い騎士がうずくまっていた。


◆◆◆


陽も落ちた夜の森を駆ける影があった。ある時は幹と幹、ある時は岩と岩。谷を越え、山を越えた。その影は足元さえ見えない暗闇の中を弾む様に駆けていった。影は時おり風の様にかき消えた。詳しい者が見たならば、極短距離の空間転移だと分かっただろう。

杜若色(かきつばたいろ)のワンピース、白いエプロンドレスと頭部のカチューシャには兎耳が付いていた。切りそろえた長い髪はブルネットカラー。年齢の割に幼い顔立ちは愛くるしさを醸し出していたが、その内に秘めるは高い知能と狡猾さである。

篠ノ之束は夜の森を駆けていた。目指すは一路、みやの元だ。真が誘拐された、そう知ったのは10日前。ロデーヴの秘密基地に居ると知ったのは30分前。居ても立っても居られず抜け出した。

「ふふふーん♪」

用が済んだにもかかわらず、彼女がファントム・タスクに身を置いていたのはこの為であった。真の異能、機械進化。この力を受けたみや、つまりISコアがどうなっているのか、彼女は興味津々だったのである。世界を戻せば真は居ない、異能も無い、みやはただのISとしてある。知るには今しかないというわけだ。

束は大岩に立った。見下ろせば山々の底、切り立った岩盤は赤土色で、ファントム・タスクの基地が見えた。行動を隠すためであろう、申し訳程度に灯が付いている。

夜の森は暗い、それこそ真っ暗闇だ。だが束には明瞭に見えた。大型の装甲車両に武装した兵士たち。プレハブの簡易施設にはコンピューターを初めとした監視機器が設置されている。

束は警備を意ともせず身を投げた。赤外線センサにレーザーセンサ、モーショントラッカー(動体探知)に音センサ、警備システムを次々と欺き、彼女は坑道の入り口に降り立った。

近寄る兵の気配に光学迷彩を作動させた。彼女の姿が周囲に同化する。休憩中の談笑する兵士たち、その脇を通り過ぎる。気配を感じ取った一人の若い兵士がはっとする様に振り向いた。その若い兵を別の兵がからかう様に言った。

「どうしたサミー。幽霊でも見たか?」
「いまクロエ(香水)の香りが通った……」

一同笑い出す。笑われたサミーは不満を隠さない。

「何だよみんな」
「お前飢えてるんだよ。まあ無理もないがな、この山奥だ。手頃な女と言ったら猿しか居ない」
「止めないかニック。品が無い」と、ニコラという兵が言った。眉をひそめていた。
「米軍上がりは誰もそうだぜ」
「自覚があるなら治せと言っている。兵士には品格が必要だ、でなければ盗賊とどう違う」
「殺しの技だ」

ニックと呼ばれた兵士は軍用ナイフを取り出し光らせてみせた。救いようがないとニコラはかぶりを振った。手に持つ金属カップを見つめながらサミーは「ミューゼルさんの残り香かな」ぽつりと言った。そうしたらニックが「おいおいマジか。あの女にお熱かよ、お前」とそれこそ幽霊でも見た様な目付きでサミーを見た。

「綺麗な人じゃ無いか」
「やめとけやめとけ。確かに美人だがありゃー大地雷だ。火傷じゃ済まない、近づいただけで命に関わる」
「話もせずに分かるものか」
「お前は若いから分からないんだよ。分をわきまえな」
「オータムさんなら弁えていると言うのか」
「スカートを穿く気なら止めはしねえ」
「どう言う意味だ」
「タマを銃でぶち抜かれるってことさ。どっちも手は付けられねえよ」

束はサミーという若い兵士を見て、真に少し似ていると思った。只それ以上の情感は沸かずそのまま進んだ。

束は手当たりしだ扉を開けていった。本来なら兎耳センサーで一発発見、と言う所なのだが妙な“波”が邪魔をし、探査が上手く行かないのであった。それが赤騎士の影響によるものだとは彼女は知るよしも無い。

1つ目の扉を開ける、がらんどうだった。

「はずれかい」

2つ目、武器庫だった。銃や弾薬がびっしり並んでいた。

「またかい」

3つ目の扉を開ける、物置だった。バケツやモップがあった。

「モッピーとか口走る奴は天誅を下すよ」

4つ目、兵士たちの控え室だった。着替え中の男たち、汗の臭いが漏れ出してくる。束は汚物を見た様な顔で扉を閉めた。

「おえー」

5つ目、扉を開けるとエムが椅子に座っていた。パイプ椅子に白い折りたたみ机。天井からは笠の付いた釣り下げ電球。彼女はスコールに待機を命じられていた。一見、静かに見えたがその心中、暴風雨の様に荒れていた。エムは見えないはずの束に一瞥をくれたが、直ぐに向き直った。関係無いと言わんばかりの態度である。

(まどっちは本当に昔のちーちゃんに似ているね……)

次の扉を開けようとした時、彼女の目の前を数名の人間が台車を押して歩いて行った。台車には人間が載せられていた。薬物投与で昏睡状態にさせられていた。点滴用の針とチューブが見える。束は気まぐれでその薬物の入ったビニル袋に探査用レーザーを当てた。反射スペクトラムから強力な麻酔薬と分かった。この量で死なないと言う事はあの、目付きの悪い坊やかい、そう察しを付けた。それだけだった。ただ真の体内にあるナノマシンに労をねぎらった。宿主が死なない様、必死に解毒しているはずだ。

(みやは何処だいー)

真に興味は無い、束は6つ目の扉を開けた。そこは他と異なり清潔な医療室だった。白い壁とグレーの床。医薬品の入った白い棚に白いベッド。部屋の中央には手術用の簡易滅菌室と手術台があった。そして。部屋の奥に透明な樹脂で作られた球状の設備があった。それは電球に似ていたが、中身は羊水に似た液体で満たされていた。

「これは……」

束が近寄ると中に人が入っているのが分かった。鮮やかな金の髪に、真珠の様な白い肌。美しい少女が胎児の様に身体を丸めていた。軍用の携帯型冷凍睡眠器である。

「先生から報告のあったイギリスの嬢ちゃんじゃないか。死んだって聞いたけれど……」

では目の前に居る少女は誰だ、偽物か本物か。ならば死んだと報道された少女は誰だ、偽物か本物か。ファントム・タスクに真、異能にみやの探査不能、そして過去。情報というピースは組み合わさる前に深層意識に吸い込まれていった。思い出したくないという心理的拒否反応である。心の奥底に封じた忌まわしい記憶、それを振り払う様に束は部屋を出た。

7つ目、8つ目、9つ目、束は次々に扉を開けた。全てが外れだった。次第に苛立ちが強くなる。束は立ち止まって考える。左手は右肘に、右の握り手は口元に。

「おかしいね、あの坊やが居る以上みやはここに居るはずなのに」

今彼女が立つ場所、そこは坑道最深部に繋がる道だった。今し方走って行った台車の、轍も残っていた。採掘機械がみえる、掘削機に土砂運搬用のコンベア。黄色と黒色のストライプ、オレンジ色の警告灯、薄明かりに浮かび上がっていた。

其処に女は立っていた。束の記憶にもデータベースにも無い初めて見る女だった。歳は20代後半、真っ黒なチュニックスーツに、黒いラッフルフリルの付いたブラウスを着ていた。黒い鍔付き帽子と黒いベールを被っていた。西洋風の喪服姿に似ていた。背は高く180センチに届きそうな勢いだったが非常に華奢だった。結い上げた髪は黒く、青みのある白い肌、血の様な赤い唇。一見、死に化粧の様な印象を受けたが、その黒い瞳には確固たる感情があった。

対物反応が無い、だがエネルギー反応がある。生物では無い、だが生きている。

(少なくとも人じゃないね)

どのような事態にも対応できるよう、束は腰に手を伸ばした。光子のコンソールが浮かび上がる。その女はじっと束を見つめると、直ぐ脇の壁に、文字通り消えていった。

「……はい?」

白昼夢か、幻か。狐につままれた様な束だった。


◆◆◆


赤騎士と言っても正確には赤色ではない。赤色よりも深みがあり、英名色“カーマイン”、和名色“深紅”が正しい。赤と言えば一般的に“情熱”をイメージするが赤騎士の色はより強い“決意”を印象させる。

フレアスカート形状のフィンアーマー。右手には短剣グラディウスを持ち、左腕にはラウンドシールド。両肩の浮遊ユニットはショールの様、その姿は刀剣を持った踊り子だ。

(もっともこれでは台無しだけれど)

スコールの眼前に座する赤騎士は傷付いていた。左腕は無く、ラウンドシールドは転がっていた。右脚は砕け、本来あり得ない方向に曲がっていた。全身の装甲は亀裂が入り、色も褪せていた。何より悲壮感を醸し出すのはその面鎧である。砕け、金属組織が露出している。

「連れてきたぜ」

オータムの声にスコールは振り返った。

「ご苦労様、早速始めて頂戴」

オータムが指示し、男たちが動き出す。あるチームは測定器を見張り、あるチームは真をクレーンに括り付け、持ち上げた。真の右手と左肩、両脚に金属製の鎖をつけ、赤騎士に縛り付けた。発電機の音のみが響く。

スコールが問う。

「変化は?」

作業員の男が応えた。

「変化ありません。少年は昏睡状態のままです」
「赤騎士のことだ」
「失礼しました。赤騎士の脈動はローレベル、各組織も状態変化無しです」

腕を組んでオータムが言う。

「ガキのヤクが多すぎるんじゃねーか? 象も死ぬ量だぜ?」

真は目が虚、舌をだらりと出し、唾液を滴らせていた。全身の筋肉は弛緩、呼吸も浅い。自律神経から心肺系に異常が生じ、全身がどす黒くなっている。全身の細胞が代謝不足に陥っていた。事実、末端の細胞は壊死し始めている。

スコールが問う。

「少年の脳波レベルは?」
「変化ありません。フラットです」

脳死状態だ、男は付け加えなかった。

「スコール、やっぱ意識がないと駄目なんじゃねーの?」
「深層心理でも影響は排除したいのだけれど……」

スコールは作業員の男をどかせ、モニターグラフを見る。変化は一向に現れない。

「仕方ないわ。一晩様子を見ましょう。変化が無ければ投薬量を減らす。オータム、警戒の強化を」
「あいよ。でもガキの意識、戻らなかったらどうする?」

オータムが軽い口調で言った。スコールは応えた。

「残念だけれど、その時はその時ね。もろとも爆破しましょう」

悪魔かこいつら、作業員の男は心中でそう罵ったとき、どくん、一つの鼓動が打鳴った。


◆◆◆


「……」

束は女が消えた壁の前で立ち尽くしていた。そこは隠し扉だった。彼女は迷う。あれは幻だ何かの見間違いだ、と立ち去るか。事実だと確かに知覚したと、扉を開けるか。

「……」

理論的に考えればこの扉を開けて確認するべきである。だがその理論は訴える、ならばあの現象は何か、彼女にはそれが説明できないのである。彼女の眼は、赤外線、可視光線、X線。あらゆる電磁波を捕えることができる。その眼は確実に非物質域の痕跡を示していた。理論外の存在。彼女を支配している物は未知なる恐怖というものだ。

(まさかこの束さんが未知に怯えるとは。これじゃ普通の人間みたいじゃないか)

知らないから怯える。だから知りたいと思う。人類はそうして一つ一つ恐怖を取り去っていったのだ。ウィルスが呪いだった頃の様に、月蝕が悪魔の仕業だった頃の様に。彼女は全てを知っていたから恐れを知らなかった。

(あの坊やに渡されたココア、あれを飲んだ時もこんな風だったね)

ぐらりと心が揺れた。彼女は理性を総動員させた。扉には多重のロックがかかっていた。光子のコンソールを展開し、セキュリティを解除、扉を開けた。

そこはワンルームほどの広さで全てが金属製だった。空調が効き、湿度と温度は低かった。ひんやりとしていた。机には誰かが調査したのであろうノートが見えた。そして、その部屋の中央には、宝石店などでネックレスを展示する白いマネキンが置いてあった。ショーケースの様に透明の箱で覆われていた。

その中に翼と剣を模した待機状態のIS、みやが居た。

その部屋には不可視の高出力レーザーがあやとりの様に張り巡らされていた、それに気づいた束はセキリュティ解除、一歩踏み出そうとした、その時だ。

「床のタイルは機械式のスイッチになっています」

マネキンの隣に先程見た黒服の女が立っていた。夢の様に突然現れた。やはり、無いのに存在する。束は理性を振り絞りこう言った。

「原始的すぎて気がつかなかったね。踏むとどうなるんだい?」
「防壁シャッターが下り、この部屋が物理的に隔離されます。猛毒のフッ素系ガスで充満されます」
「陰険だね。そっちに行く方法はあるのかい? 何なら飛ぶ(転移する)けど?」
「今から申し上げるタイルならば問題ありません」
「いいね、おしえとくれ」

その黒服の女は“みや”と名乗った。余りにも平然と名乗ったため束にはその意味が理解出来なかった。

「……みや?」
「はい。ご無沙汰しております。母様」

ぽかん。束は呆けた様に目の前の、見上げるほどに背の高い女を見た。その次ぎに、ショーケースにある待機状態のIS、ネックレスを見た。もう一度女を見た。もう一度ネックレスを見た。眼を細める、眉間に皺が入り、小さい物を見出そうとする表情その物だった。

束は女を後ろから見た。横から見た。屈み、跳躍し、いたる方向から見た。脚、腰、背中、肩、首、そして顔。

「じー」
「……」

束はつんと女の肩を突いた。感触がある。しばらくの間のあと、束は驚愕を隠さない。

「光子を用いた仮想実体……」
「はい」

物質は分子で出来ている。分子は原子、原子は原子核、原子核は陽子と中性子。陽子と中性子、はクォーク。そしてクォークは光子。光子とはエネルギーの塊。非物質だ。つまり、光子を操作出来ればエネルギーから物質を作り出すことができる、と言う事になる。真の能力がみやのコアに集中した結果だ。束は目を輝かせながらこう言った。

「みや、コア見せてっ」
「お断り致します」
「即答?!」
「母様は心の全てを見せろと言われて従いますか?」
「いーじゃん、いーじゃん、ちょっとぐらい! ねーったらねー」
「お断り致します」

ドス声で脅し、しなを作って営業トーク、縋り付いて泣き落とし、全て徒労に終わった束はがっくりとしゃがみ込んだ。頭を抱えていた。

「なんて、頑固な娘なんだい……」
「母様。しゃがむのは構いませんがせめて脚を閉じて下さい。スカートでその姿勢は品がありません。はしたないかと」
「誰も見てやしないよ」
「私が見ています。品性の話をしています」
「お堅い娘だね。誰に似たんだろうね」
「マスターです」
「ううっ。素直な娘が男にそそのかされて反抗的に……」
「反面教師という言葉もございます」
「失敬だね。あたしゃ男遊びをした覚えは無いよ」
「母様の場合、殿方に興味が無いだけと。また品格とは別物です」
「ああ言えばこう言うね」
「恐れ入ります」
「……で、みやはこんなところで何油を売っているんだい」
「母様を待っておりました」
「待つ? なんでだい?」
「この身体の展開は距離が限られております故。母様、マスターを助けては頂けないでしょうか」

みやは手短に経緯を話した。

「そっか。そういうことか。イギリスの嬢ちゃんがさっきの部屋に居たのはそう言う理由かい。あの金髪女(スコール)はまどっちの横恋慕を利用してまんまと坊やを手に入れた、と」
「はい」
「でも一つ分からないね。みや、あんたが言うから聞くけれど、連中はそこまでしてどうして坊やを手に入れたいんだい?」
「姉様を癒やす為です」
「ねえさま?」

みやはとつぜん明後日の方向をじっとみた。その表情に初めて悔しさを滲ませた。

「遅かったようです」

なにが、束がそう言おうとしたとき地の底からわき上がってくる様な地響きに襲われた。


◆◆◆


強い風が吹き、光が溢れるその場所で、スコールはゆっくりと立ち上がる赤い騎士を見た。痛々しい傷は流れ去り、その鎧一枚一枚は真珠の様な光沢を放っていた。その一挙手一投足、優雅さと厳かさを持ち合せ、まさに威風堂々。

成功した、とオータムが歓喜した時だ。赤騎士は誰の命令も受けず、手にするグラディウスをすっと天に向けた。剣から撃ち出された赤い光は天井を砕き、分厚い岩盤を砕き、山頂を吹き飛ばした。恐るべき威力だった。頭上に大きな穴がみえる。赤騎士は赤く光る一対の翼を、鷲の様に雄大に羽ばたかせ空高く舞っていった。崩落する坑道、スコールは呆然とその様を見つめていた。まずい事になった、彼女の言葉は岩が落下し続ける音にかき消えた。

真の能力、機械進化。それにいたる道には、必ず修復を伴う。進化の前に本来の姿にあろうとする、修復とはその現れだ。赤騎士は生まれた理由を思い出したのである。ファントム・タスクの支配を逃れ自律行動を開始した。

月基地にある量子コンピュータ“ラトウィッジ”が赤騎士の姿を捕える。衛星軌道上にて停止、休止状態となった。内部エネルギーが徐々に大きくなっていることから、何かの準備をしていると推測される、そう束に報告した。

我慢ならないのは束だ。気がつかなかった己を罵り、今になって現れた赤騎士を罵倒した。

「なんだいなんだい! 今更! 今更だよ! もう私のちーちゃんは居ないんだよ! 今更楽園を作ったって!」

こうなっては仕方ない。赤騎士が行動を開始する前に、世界を戻すしか無い。目指すは一路、学園地下のゲート・ストーンだ。束はみやにこう言った。

「みや、あんたは一緒に来るかい?」
「いえ、母様とマスターは有り様が異なります。付いていくことは出来ません」
「そうかい。じゃあさよならだ」
「ご武運を」

束は、真を見失い暴れているエムに取引を申し入れた。真を探すことを条件に協力しろと言う内容だった。私はナノマシンで拘束されている、そういうエムを束は一蹴した。束にとってエムを縛っているカテゴリー2ナノマシンの除去は造作も無かったのである。指先一つで解放されたエムは渋々受け入れた。

束は岩の下敷きになり圧死した兵を弔うとその場を後にした。先に見たスコールに思いを寄せる若い兵であった。

飛空途中、赤騎士から墜落した真は、森の中に落ちた。カテゴリー3のナノマシンが、一度死んだ真の身体を“組み替え”る。意識が戻った時、彼はふらりと立ち上がった。歩き出した。その真っ暗な双眸に憎悪の炎を宿しながら。彼はセシリアが生きていることを未だ知らない。


つづく。



◆◆◆


いちか「蒼月真! ヨーロッパ一周復讐の旅!」
まこと「SATUGAIだー!」



[32237] 05-02 ファントム・タスク編 真1(産軍共同体)
Name: D1198◆2e0ee516 ID:d5589322
Date: 2014/06/26 23:56
ファントム・タスク編 真1(産軍共同体)


※今回IS原作キャラが出てきません。登場予定の次回投稿分をお待ち頂き、まとめて読むのも一手です。
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ロデーヴ郊外の山林地帯を抜けた真は、一路南下。サン・タンドレ・ド・サンゴニ市を抜けモンペリエ市に入った。地中海に面するフランス南部の港町で、19世紀の面影を今に残している。美しい町並みで観光客の足取りは絶えない。

赤騎士はその町の人々に衝撃を与えていた。何時もは静かな町が、夜が更けてもざわめいていた。無理もない、山を一つ吹き飛ばしたのである。その距離40キロ、衝撃と閃光が届くには十分だった。人々は一心にニュースを見ていたが、その事件は一向に報道されなかった。まるであの現象は起こらなかったと言わんばかりだ。疑心暗鬼が町を覆っていた。

人目に付かない様、真は裏通りを歩いていた。そうするとどこにでもいるのがゴロツキである。ゴロツキたちは初め、仲間どうして言い争っていたが、真に気づくと薄ら顔で近づき取り囲んだ。彼は早々に出くわした事を、感謝していた。ひょっとしたら居ないのかもしれない、そう思っていたからだった。

『ニーハオで、いいんだろ?』
『なんだこいつ水着一枚だ』
『海水浴にしちゃ、ちーと遅いぜ』
『お家は何処だ、ママに連絡してやろうか』
『おい、こいつどこかで見たこと無いか?』
『金物もの持ってないぜ』
『不法滞在者か』
『構わない、やっちまおうぜ。こう言う奴らをのさばらせるから、あんな事が起こる。国が荒れるんだ』

真は取り囲む、若者と言って良い男たちを見た。高い脈拍と心拍数、血走った瞳。麻薬使用者であることは直ぐ分かった。

アジア系、アフリカ系、中東系。フランスは元々移民が多いが全てが恵まれているわけではない。貧困や無教育、不幸な家庭環境などによって社会から外れた者たち。先進諸国で切っても切り離せない問題、移民問題である。彼らに言わせれば言いたいこともあろう。先進国は、世界経済を名目に後進国から搾取し続けてきたのだから。

だが真は容赦しなかった。6名、全員打ちのめすと、全員から服と現金を奪った。冷たい石畳の上、苦悶の表情を隠さない若者を、一瞥することなく真は立ち去った。

ジーンズに襟のない黒の長袖シャツ、靴は薄汚れていて、衣類も靴もサイズが合わなかった。まあ無いよりマシだと彼は町影に隠れて着込んだ。


◆◆◆


モンペリエから東へ、道のり140キロメートル。中々つかまらないヒッチハイクを重ね彼が訪れたのは、フランス最大の港湾都市にして2600年の歴史を誇る古都、マルセイユである。壮大なノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院やサン・ジャン要塞。マリンブルーの地中海に、それを臨む絶景なカランク(入り江)。観光客を魅了してやまない世界有数の観光地だが、この地にも治安の悪い場所はあった。マルセイユ市北部、低所得者居住区。傷んだ道路と今にも崩れそうな壁。道路と壁の隙間からは雑草が生え、落書きが至る所にあった。道端に腰掛ける若者が威嚇の視線で真を睨んでいた。“余所者が何の用だ”そう言っていた。

真は安いズック鞄と黒い縁取りの度無し眼鏡、そして地図を買うと、安ホテルに宿を取った。薄暗くかび臭い。カウンターに座るのは中東人の男だ。真はカウンターに肘をたてフランス語でこう言った。前の人生の知識だった。

『部屋はあるかね?』
「英語だけだ。もしくはアラブ語」

真は英語に切り替えた。アラブ語も少々出来たがスラング混じりの酷い物だったので止めた。

「それなら話が早い。しばらく泊まりたい」
「前払いだ。一泊12ユーロ」
「シングルか?」
「相部屋だ」
「シングルにしてくれ」
「一泊15ユーロ」
「毎朝、現金で払うがそれでいいな?」
「構わんよ」

男がノートを差し出すと、真は“ジョン・マクレガー”と書いた。胡散臭そうに男は真を見た。

「英語は随分堪能だが、あんた日本人だろ。どこかで見たことがある」
「それを言ったら安くなるのか?」
「ならんね」
「なら良いだろ。何処の誰でも」
「帳簿に書く欄がある」
「日系米国人」
「虚偽はアラーへの侮辱だ」
「俺はムスリムじゃない。それともあんたの唯一神は、旅人に改宗を迫るのか?」
「あんたは旅人か?」
「そうだ。長くはいない」

なら良いと、男はカウンターに鍵を置いた。真はカウンターに15ユーロ置いた。

「302号室。言っておくが見たとおりの町だ。何をしにここに来たのか知らんが、危険な目に遭いたくなくば不用意に出歩かんことだ。特に夜はな」
「肝に銘じておくよ」

鍵を受け取った真はこう言った。

「assalamu `alaikum(アッサラーム アライクム:あなたに平安あれ)」

それはイスラム教の挨拶だった。男は少し呆けたあと、笑顔で真にこう言った。

「wa`alaikum salam(ワライクム サラム:あなたにも)」

真への心証を良くした様だった。


◆◆◆


真の宛がわれた302号室は予想より良い部屋だった。壁にひび割れは入っていたが、窓があり陽が良く入った。窓の格子越しに町が見えた。パイプベッドはスプリング式で大分へばっていたが、毛布と枕があった。シャワールームとトイレ。洗面台と鏡もあった。オイルヒーターは壊れていて動かない、だが地中海性気候のマルセイユは冬でも比較的温暖だ。なにより日本の冬にある乾燥した寒さがない。それ程不便とは思わなかった。どうしても必要なら“直して”しまえば良い。難点をあげれば壁の色である。たまご色、一色だ。もう少し落ち着く色が良かった、彼はそう思った。

荷物を置いた彼はまずは現状把握だと服を脱いだ。全て脱いだ。右腕、ある。右脚、ある。左脚、ある。胴体にも傷、怪我はない。左腕、存在していた。一度失い、義手となった左腕が元に戻っていた。握る、開く。左の人差し指を軽く噛む、鈍い痛み。二の腕に傷跡も無かった。

彼はじっと左手を見た。

ナノマシンの影響だろう、そう思った。ロデーヴを経って丸一日。飲まず食わずだが、喉も渇かない、腹も減らない。眠くもなければ疲れもしない。山の中を素足で歩いたが、脚に傷も無かった。鏡を見れば千冬が付けた左頬の傷、ディアナが付けた首元の糸傷も消えていた。抉れた眼だけを除けば、全てが元通りである。ナノマシン以外に考えられなかった。

理解出来ないのが動機、切っ掛けだ。カテゴリー3のナノマシンに感染したのはラウラがやって来た後の巨人騎士戦のとき。それから大分時間が経っている。ナノマシンが治そうものならとっくに治していても良さそうなものだ。

今頃になって何故? 連中に麻酔薬を投与され意識を失ったからか?

ヒッチハイク中、運転手の男が話していた事を真は思いだした。ロデーヴの山が吹き飛んだという事、赤い光が天に昇っていったと言う事。目撃者が多数いるのにもかかわらず、全く報道されない、報道規制がされていると言う事。

そして、目が覚めたとき森の中にいた理由、真の記憶から全て抜け落ちていた。

理由はもちろん、大量の麻酔薬による意識障害、脳死、そして赤騎士から落下した事による肉体的な死だ。彼は知るよしも無かった。記憶にあるのはエムへの、ファントム・タスクへの憎しみのみである。

まあいい、真はそう思った。これから行うことを考えれば好都合だった。義手も顔の傷も、目立ちすぎる。なにより。顔の傷を見るたび思い出す、2人の女性の優しい姿、復讐には邪魔だった。

真は地図をベッドに広げ、兵士だった頃の記憶を辿り、マルセイユのある場所、2カ所を突き止めた。黒縁眼鏡が幾分人相を和らげることを確認し、シャワーで体の汚れを落とした。奪った衣類を全部洗った。靴も洗った。陽が落ちれば作戦開始だ、そう思いながらベッドに身を横たえた。衣類を乾かすため、結局オイルヒーターは直した。キチキチと音を立て“異様に早く”直ったことを不思議に思いながら。


◆◆◆


日が暮れ、そらが茜色に染まるころ。真は宿の主人の忠告を振り切って夜の町に繰り出した。

マルセイユ市街に居たる道、薄暗く人通りも少ない。彼は早々にゴロツキ共に出くわした。日本人は良いカモなのである。ゴロツキたちは危機感が足りない馬鹿な日本人観光客だと思ったのだろう。真は4人全員返り討ちにして現金とダッフルコートを奪った。

真は閉店寸前の靴屋に入り、ハイカットのスニーカーと靴下を買った。モンペリエで奪ったボロボロの革靴と鋭い目付き。初め、女の店員は真を不審がったが、彼の流ちょうなフランス語に安心した。

「靴をどうしたの?」
「ユースホテル(相部屋式ホテル)に泊まったら相手に持って行かれて」
「それは不運だったわね」
「全くだよ」
「あなた中国人? フランスは初めて?」
「日系米国人。昔少しだけ居たことがあるんだ」
「フランス語はその時に習ったの?」
「いや。仏系の友人がいたんだ。厳しかったよ、発音で良く注意された」
「そのお友達に感謝しなくちゃね。こんなに上手なんだから」

脳裏に浮かぶ金の髪。彼はその思い出を掻き消す様にこう言った。

「ありがとう。もう行かないと」
「直ぐホテルに戻った方が良いわ。観光地だけれど夜は危険よ」
「メルシー」

真はファントム・タスクを追う一つの手がかりを持っていた。それは金である。組織実体、歴史、何もかもが不透明な組織だが、ISを運用している以上、膨大な資金繰りが必要となる。転じて、大規模な組織の筈だ。政府に関わるほどに。

そこで目を付けたのが石油だ。マルセイユから西に向かうこと30キロ、世界最大規模の石油港、フォスラベラ港がある。フランス国内に輸入される石油の流れを調べようというのだった。

赤と白のストライプに塗られた煙突に、白い石油コンビナート。至る所に走る太いパイプの列、日本庭園の砂紋の様だった。停泊中の石油タンカーと繋がっていた。時は夜、照明は幻想的な光景を作り出していた。

真はコンビナートの夜景が観光になっていることを思い出した。だがこれだけ近づけばただの工場だ、そう思いながら駆けていた。時おり走る意識の線。警備員か、作業員か。避けながら走って行った。

身体に異常は無かった。疲労も無かった。マルセイユから人目に付かないよう、走り続けた身体が汗一つかいていない。それどころか身体のほてりすら無かった。今までとは身体の状態が異なる、彼はその疑問を振り払った。

真は昔の記憶を使いフランスの税関“税関・間接税総局”フォスラベラ港支部に潜入。片っ端から警備システムを味方に付け、全船舶を管理しているコンピューター室にたどり着いた。フェンスに取り付けてあるカメラ、センサーは警備コンピュータに直結されていたのだった。

冷温なコンピュータ室。のっぺりとした箱が幾つも並び、一つ一つにLEDの灯が瞬いていた。薄暗い部屋、彼はそのうちの一台を触った。税関本部のホストコンピュータとオンラインで繋がっていた。膨大な船舶のデータをふるいに掛ける。

「ビンゴ」

彼は思わず呟いた。実際に行き来している石油タンカーの数が政府発表資料より多いのである。

例えば石油から生み出される製品の一つ、ガソリン。正規のルートでは原価と税金と、企業の利益が上乗せされ一般市場に販売されるが、税金分を丸々利益としている石油があると言うことだ。フランスの場合ガソリン価格の6割以上が税となる、一国が輸入している石油量を考えれば、その額は計り知れない。

その石油の扱い企業は“ノントロン”という名だった。


◆◆◆


場所はマルセイユ、ナシオナル通りのネットカフェ。真は“ノントロン”というキーワードで検索してみた。ヒットゼロ。手がかりは税関で調べた“企業名”と“所在地”のみである。地図で調べたら所在地は空白。グーグルビューもそこは避けていた。臭う、怪しいなんてものじゃない。少なくとも真っ当な企業で無い事は明白だ。

「……」

真はカフェオレを飲み干すと店を出た。出るとき店のゲートウェイを操作して、使用した端末のIPアドレスを変更を忘れずにしておいた。

日も暮れた夜の町。道路には路上駐車の車が並び、石造りの建物には落書きがあった。窓には格子、下りたシャッター。電灯も少なくひっそりとしていた。

彼は歩きながら考えた。ノントロンという会社を見付けたのは良い、だがファントム・タスクとの関連は未だ不明である。ネットで調べてもこれ以上の期待はできまい。どうにかして裏情報の確保が必要だ。地図で調べた2カ所のうちもう1カ所、明日訪れてみるか。そう思った時だった。真は突然足を止めこう言った。

「隠れてないで出てこい」

息を呑む気配。待ち伏せしていたのだろう、意を決しわらわらと男たちが現れた。その数9人。真には一部に身覚えがあった、ホテルを出発して早々襲ってきた連中だった。バットやナイフを持っていた。

青色のジャージを着た、リーダー格の背の高い男が言う。

「どうして分かった。拳法って奴か」
「そんな高尚なもんじゃない。ただ鼻が利くだけだ」
「鼻? 何を言ってやがるんだ」
「臭うって意味だ。ドブネズミの様な臭いだ」
「なんだと」

それを合図に1人の男がバットをもって襲いかかった。背後から振り下ろされる攻撃を、真は視線すら変えず、身体を一歩ずらしてやり過ごした。男の手を掴み、脚を捌く。宙で一回転、どうと地面に叩きつけた。腹を踏みつけた。

2人目、ナイフを振るう。右から左、上から下。真は最小限の動きで躱すと、ナイフを持つ男の右手を掴み、引き寄せた。真は左肘で男の電光(右脇)撃ち抜いた。肋骨の折れる音がする。崩れ落ちた。流れる様な打ち込みだった。複数で襲いかかっても同時に攻撃出来るのはせいぜい3人である。萎縮さえしなければそれ程難しくはない。

「囲め、ゆっくり取り押さえろ」

多少は頭が利くらしい。真は落ちているナイフを拾うと即座に投げつけた。投擲用のナイフでは無かったが、右手にいた男の腿に突き刺さった。ぎゃあと悲鳴がする。悲鳴で男たちの意識が逸れた。その隙に回し蹴り、軸足をスイッチし2連撃。正確に二人の顎を捕え、脳しんとうさせた。5人倒した。残りは4人だ。

真は薄明かりの中ゆらりと立ち上がり、4人を静かに見た。眼鏡の奥の真っ黒な二つの穴(眼)。命を吸い取られそうなほど黒かった。4人を得体の知れない感覚が襲う、歴戦の兵士だったなら殺気と称しただろう。

一人の男が油汗をかきながら言った。脚と声が震えていた。

「おい、ロベール。こいつやべえよ」

リーダー格の男はロベールと言うらしい。肌の色は白いが、黒髪で短く切っていた。欧州のサッカー選手の様だった。

「だまれ、モーリス。今更引き下がれるか。後が無いんだ俺らには。ヴィクトル、やれ」

ヴィクトルと呼ばれる、筋肉質の大男がずしずしと足跡をたてながら近づいた。真は視線を逸らさずに、そのまま走って近づいた、身を沈ませる。振り下ろされた拳を躱すと、懐に入り込んだ。回り込む影の様だった。真はヴィクトルの水月に右肘を撃ち込んだ。全体重を乗せた一撃だった。ヴィクトルは苦悶の表情を上げる。続けて右肘を蹴り抜き、その反動を利用し、跳躍。右回し蹴り、霞(こめかみ)に撃ち込んだ。

真は、一夏ほどの速さも力もないが、虚を突くことが出来た。どの様な状態でも正確に急所を突くことが出来た。相手の死角から、真自身の身体を死角にして。彼らから見ればいつの間に撃ち込まれている、そう感じただろう。そして、全力に近い動きを続けても、疲れもしない、息も切れない身体である。ゴロツキ程度であれば敵で無かった。どう、ヴィクトルと呼ばれた大男が崩れ落ちた。残った2人が逃げ出した。

「逃げれば追わない。さっさと去れ」

真がそう言うとリーダー格の男、ロベールは拳銃を抜いた。ご丁寧にもサプレッサー(消音器)まで用意している。真は眼を細めた。

「これならどうだ、チャイニーズ。お得意の拳法でも弾丸は避けられまい」

真は日本人だと敢えて否定しなかった。手間だったというのもあるが、ロベールは怯えていたからである。歪な笑みで怯えていた。何を言っても無駄だ、そう思った。真は無造作に歩み寄った。

「脅しだと思うのかよ!」
「撃つならさっさと撃て」

かちゃり、ロベールは撃鉄を起こす。真は歩みつつこう言った。

「一つ言っておくが、外すなよ。必ず一発で仕留めろ。でなければお前の首をへし折る」
「な、」
「そんな物を持ち出したんだ、相応の覚悟は出来ているんだろう?」

銃を取り出せば状況が一変すると踏んでいたのだろう。恐怖をおくびにも見せない真の姿に、ロベールは慌てた。慌てて引き金を引いた。ばす、という鈍い音が打鳴った。

真は銃口から射軸を予測すると、左へ一歩強く歩いた。弾丸が右横を通り過ぎ、彼方へ飛んでいく。踏み込み、ロベールの腕をねじ上げると拳銃を奪った。機能性樹脂を多用した拳銃、グロッグ17であった。真はロベールの後頭部に突き付けた。

「Freeze」
「ひっ」
「跪いて両手を組んで頭に乗せろ」
「う、撃つな!」
「乗せろと言っている」

ロベールは恐る恐る、膝で立ち、手を頭に乗せた。脚はがたがた震えていた。真は銃を突き付けこう言った。

「名前は?」
「ロ、ロベール・カントナ」
「よし、ロベール。今から質問に答えるんだ。いいな?」
「わ、分かった」
「ロベールは純フランス人か?」
「ばあさんがイタリア人だ」

イタリアね、真は心中でそう呟いた。

「どうして俺を待ち伏せることが出来た。居場所が分かった」
「仲間と連絡を取り合っていた。市北部の連中が東洋人にやられた、そう噂で聞いたからマルセイユ市内との間にいるだろう、と。そうしたらネットカフェで働く仲間から連絡が」

相応の組織化された連中と言う事だ。

「ホテルを探さなかったのは?」
「あの地区はアラブ系が多い。迂闊に動くと後々面倒になる」

知恵は働くが、見極めが足りないな、真はそう思った。

「最後。この拳銃、何処で手に入れた? 拾ったとか言うなよ」
「売人から買った」
「嘘は無しだ、ロベール」
「嘘じゃねえよ!」
「アメリカと違って所有審査の厳格なフランスだぞ、大金を叩いても入手は簡単じゃない。しかも粗造品じゃなく正真正銘のグロッグだ。一介のギャングではまず無理だな。相応の密売ルートを持つ組織に身を置く必要がある、違うか?」

ロベールは眼を伏せ黙り込んだ。真は続けた。

「稼ぎを奪われて、仲間もろとも返り討ち。金を取り戻そうと銃を無断で持ちだし、この様だ。良くて追放、悪ければ……」

ロベールはがたがた震えだした。真の読みが当たった様である。

「言えない。掟があるんだ。言ったら俺は……」
「ユニオン・コルス。マルセイユを中心とした犯罪組織集団。確かドラコ電気器具商会だったか? ロベール、君はその末端だろ」

目を見開き、驚愕を隠さないロベール。真は兵士時代の知識が、この世界でも通用することに感謝した。ドラコ電気器具商会とは、地図で確認したもう一つの場所であった。

「……あんた、何者だよ」
「秘密。さあロベール。君の直属の上司に会わせてくれないか? 生き残る可能性はまだ有るぞ」


◆◆◆


真が訪れたのはマルセイユ市の繁華街だった。片道2車線の広い道路には中世を彷彿させる白い石造りの建物が並んでいた。風情のある建物に近代的な看板は違和感を感じさせる。

道路にはスクーターや自動車が走っていた。樹木が並んでいた。それなりに往来のある歩道にはカフェのテーブルや椅子があちらこちらに置いてあった。酷いのが落書きである。シャッターはもちろん、どうやって描いたのか、そう思うほど高い場所にも描かれていた。

フランスは綺麗なところは綺麗だが一歩入れば諸外国と余り変わらない。世界が変わっても町並みは変わらないものだ、真はそう思いながら前を歩くロベールにこう言った。

「プラド通りじゃないのか」
「あっちは本部なんだよ。向かっているところは一支部だ」
「下っ端がうろちょろ出来る場所じゃないって事か」
「当たり前だろ。幹部しか行けない」

道路に並ぶ店と店。そのうちの一つには白い看板があり、黒い文字で“ドラコ電気器具商会”と書かれていた。窓には鉄格子、木目調の扉が一つあった。流石に門番はいないらしい。

「着いたぜ」
「じゃあ打ち合わせ通りにしてくれ。土壇場で敵対行動を取っても良いけれど、その時は真っ先に眉間を撃ち抜くからな」
「頼むから真顔で言わないでくれよ」

作戦は簡単である。ロベールが真を捕まえた振りをして支部長のところへ連れて行く、それだけだ。ロベールには玩具の銃を渡してある。ポケットの中に入れ、それらしく見えればそれで良い。

一階はダミーの営業所で支部長室は二階にあった。胡散臭い眼で真を睨む、イタリア系の男たち。ある男が言った。“ロベール、何とか面目を保ったな” またある男は言った。“首の皮一枚で繋がったぜ” その都度愛想笑いをするロベールであった。真は何気なく聞いた。

「それ程怒られたのか?」

ロベールはたちまち憮然とした表情をした。

「次はないと脅された」
「それは可哀想に」
「……」

ロベールは舌を打った、皮肉もここまで来れば上出来だ、そう心中で罵った。樫の木の扉を開けるとそこは社長室の様だった。ガラスのローテーブルと黒いソファーがテーブルを囲んでいた。最奥には木製の、ビッグサイズのデスクと、チェアーがあった。壁には窓、反対側にはワインの瓶が整然と置いてあった。

男たちは計5人。うち4人は立っていて部下か護衛の様だった。ソファーに腰掛ける支部長は意外と細身の男だった。60歳前後で髪には白い物が混じっていた。イタリア系の割には色が白く、堀は浅かった。どことなく猫科の生き物を連想させる。一見、品の良いエリート・ビジネスマンの様に見えた。それこそ何処ぞの社長だ。その男はマルコ・コレンテと言った。黒のスーツに白いシャツ、そしてネクタイ。

「君がそうか」

良く響く声だと真は思った。真はそのまま歩み寄る、4人の部下がぴくりと動いた。マルコは4人を制止すると、真っ直ぐ真を見据えた。

「名前は何という?」
「ジョン・マクレガー」
「偽名は感心せんな。名を偽る者は魂も偽る」

真は、自分自身のことに関心が無かった。だが学園の皆の名を汚す事は避けねばなるまい、そう思うと言い直した。

「マコト・アオツキ」
「宜しい。いいかアオツキ君。君が何処の誰かはこの際どうでも良い。フランス人でも良いし、アメリカ人でも良いし、日本人でも言い。確かなのは君のせいで我々は大きな迷惑を受けた、と言う事だ。分かるか?」
「ええ」
「私はこの地域を預かる責任者だ。勝手を働いた者には罰を与えなくてはならん。でなくては組織の運営に関わる」
「理解出来ます。俺があなたの立場なら同じように考えるでしょう」
「結構だ。君は外国人でありながら我々を妨害し、面子を潰した。遠路はるばる済まないが消えて貰う」
「少々大袈裟すぎませんか? ロベール君は下っ端でしょう?」
「私の甥だ」
「成る程」

連れて行け、マルコがそう言ったのと真が動いたのは同時だった。真が銃を抜き狙いを付けた時、部下の4人は既に抜きかけていた。真は瞬きの間もなく引き金を引いた。マルコの両隣、2人の男の拳銃を連続で弾いた。次ぎに後方に大きく跳躍、背後の1人の人中(鼻下)に左肘打ちを喰らわした。そのまま飛んだのは振り返り、撃つ、この時間を稼ぐ為である。怯んでいるうちに最後の1人に向けて発砲、狙いを付けた直後の銃を弾く。1人に1発、瞬く間に護衛4人を無力化すると、真はつかつかと歩き、マルコに銃を突き付けた。

「形勢逆転です、シニョーレ」
「鮮やかな手並みと言いたいが、ユニオン・コルスの幹部を殺したとなれば、もう平穏な世界には戻れまい」

銃声を聞きつけた部下たちが部屋に押し入った。真に銃を向ける。真は左手を掲げ、男たちを制止した。マルコに突き付けている銃をよく見える様に身体をずらした。マルコは冷静だった。銃を恐れない口らしい。となれば脅迫したところで望む物は得られまい。だから真はこう言った。

「失礼だが、あなたは勘違いをしている」
「どういうことだ?」
「銃の腕は今見たとおりだ、貴方方と取引したい」
「何を取引するというのか。護衛か? それとも暗殺か?」
「情報をくれ。そうすれば大金を約束しよう。それと一つ訂正をしたい」
「なんだ」
「平穏など、とうに彼方だ」

ロベールは卒倒直前で行く末を見守っていた。


◆◆◆


フランスとイタリアの国境に広がる山林地帯。ここでは大型犯罪シンジゲートの違法な取引が頻繁に行われる。人気も少なく身を隠すところが幾らでもあるからだ。特に活発なのが観光地の近い地中海側、海沿いである。フランスはニースとマルセイユ。イタリアはトリノにジェノバ。観光地のイメージダウンを恐れた政府が、大規模な摘発に二の足を踏んでいるのが実情だった。彼らはそこにつけ込んでいるのである。

そしてクリスマスの足音も聞こえてくる最中、一つの大規模な取引が行われていた。ヘロイン2キロ。末端価格にして72万ユーロ(約一億円)の取引である。現金と品物で価値はその倍だ。迷彩服を着込んだ真は、切り立った崖の上から望遠鏡で取引の様子を覗っていた。1人でもろとも強奪しようというのである。

マルコからは情報と銃器、そのほか手配。真は実働として契約した。

スコープに見えるのは白いバンと黒いセダン。そしてトラック2台。武装した男たちが8名ほどいた。注意するべきが肩に掛る程度に長いロングヘアーのイタリア系の男だ。黒の革パンにロングコート。この男をジュリオ・カールといい一見俳優の様な優男だが、そのじつ凄腕の殺し屋で取引を見張っている。

ジュリオには金を払えば取引を厳正監視するという、裏世界の信用があった。取引相手の片方が不義を働き、もろとも奪おうとすれば彼は容赦なく鉄槌を下す。だから、大型取引には何時も彼が引き立てられた。

彼の得物はデザートイーグル“Mark XIX .50AE”である。50口径のマグナム弾を撃つ、世界最強の自動拳銃(化け物)だ。真はそれを確認すると、あれを実用する奴がいたのか、と溜息をついた。拳銃の取り回しの良さに破壊的な威力、厄介である。ただライフル弾と異なり近距離で威力を発揮するタイプの為、離れているうちはそれほど脅威では無い。

彼はそう思いながら手元にあるアサルトライフル“ナイツSR25”のセーフティを外した。7.62x51mmNATO弾、メタルジャケット。マウンタにはスコープ、銃口にはサプレッサー(消音器)を付けている。

真の感覚に投影される意識の線、それは森の中から伸びていた。狙撃手が3名いた。ジュリオの仲間で取引現場を監視しているのだった。

真の狙撃位置から、取引現場まで見下ろすこと100メートル。敵性狙撃手まで300メートル。もっと距離を置きたいところだったが、逃げられると手が打てないのでこの距離まで近づいた。スタングレネードや手榴弾が欲しいところだが信用がないと手配されなかった。見ず知らずの男にアサルトライフルと自動拳銃、御の字だった。

作戦開始である。

真はバイポッド(2脚)を立て狙撃手を狙う。セミオート。射出された一発の弾丸が、森の中に消えていった。意識の線が一本消える、命中。即座に狙いを変え、2人目の狙撃手を狙う、手動であるはずのスコープが自動で距離を調整した、銃を進化させるため彼は一晩銃を持ち続けたのである。命中。続けて3人目の狙撃手を狙う、ジュリオが異常に気がついた、声を荒らげる。早い、真はそう舌打ちすると3人目を狙った。2発必要だった。

狙撃手は全員無効化。今度は取引現場の男たちを狙う。2人倒した。1人は走っている途中、1人は自動車の影に隠れているところを撃った。仲間の倒れた方向から、真の狙撃位置が発覚する。何度か銃撃を繰り返した後、真は3名倒した。残り3人。影に隠れて出てこない、時間が掛ると仲間を呼ばれる恐れがあった。接近戦の開始だ。

真はサプレッサーを外すと、崖から滑り降りた。森の中を全力で走り抜け、木の影から狙撃した。車両まで30メートルの距離である。男たちの表情も、血の臭いも漂ってきた。車の影からサブマシンガンだけを出し、出鱈目に発砲している男がいた。手を撃ち抜いた、7.62ミリのライフル弾は、男の右手を吹き飛ばした。残り2人で影に潜んでいるのが1人いた。自動車と地面の隙間、脚が見えた。狙撃、打ち倒した。

真はバンに走り寄る、同時に弾倉交換。その時だ、50口径のマグナム弾が真を襲った。意識の線がやってくるのと殆ど同時で、真は反応出来なかった。ジュリオはただの殺し屋ではない、撃つ直前まで殺意を殺せる一流の殺し屋だった。真の技量を見抜き、全力で掛ってきた。ジュリオの弾丸はライフルに当たり、直撃しなかったが真を吹き飛ばすのに十分だった。

ジュリオはデザートイーグルを二挺掲げ、連射。真の左足に当たる、真は慌ててバンの影に隠れた。痛みを無視し、すかさず立ち上がる。ウィンドウ越しに、9x19mmパラベラム弾(グロック17)を連射。分厚い硝子越しだったので、弾丸が届かなかった。

しまった、そう言う暇も与えず、ジュリオは窓硝子を撃った。お返しと言わんばかりだ。50口径の弾は窓硝子を貫通し、真の左肩に当たった。倒れた。

ジュリオはバンを回り込み、デザートイーグルを向けた。倒れた真も銃を向けたが、ジュリオの方が早かった。ジュリオの弾丸が真の眉間を貫いた、砂塵を吹き飛ばすほどの衝撃波と身体の芯を殴られた様な衝撃が真を襲う。ライフル並みの50口径マグナム弾である。頭部に喰らえば、脳漿をまき散らす。

真は。

その状況を他人事の様に感じながら、グロッグの引き金を引いた。真は頭部を撃たれたにもかかわらず死んでいなかった。5発の弾丸がジュリオを襲い、彼は血を吹き出した。“Mostro”と呟いて崩れ落ちた。それはモストロと発音し、イタリア語で怪物という意味であった。

真は撃たれた左足、左肩、眉間から血が出ていないことを知った。穴が空いていた。そこに皮膚はなく、肉も骨も無かった。彼は絶叫した。その嘆きは山々に住む全ての生き物を震え上がらせた。


◆◆◆


目撃者を残さない為、真は一人残さず確実に殺した。虫の息の者、命乞いする者、平等に撃った。バンにヘロインと現金と被弾したアサルトライフルを積み、車を走らせた。アサルトライフルは既に修復されていた。真の傷は何事も無かった様に塞がっていた。息一つ切れないはずだと、彼は呪われた身体を罵った。

合流ポイントではロベールらユニオン・コルスの男たちが待っていた。ロベールは酷く興奮した面持ちで、真を迎え入れた。荷は別の車に乗せ替えられ、どこかに走り去っていった。真はロベールのシボレーに乗り込んだ。白いバンは処分専門の人間が持ち去った。

昂揚し、鼻歌を歌うロベール。真はぼぅっと流れる町並みを見ていた。ロベールが言う。

「いやすげえよあんた! 本当にやっちまうとは思わなかったぜ!」
「……」
「連中にはあのジュリオも居たんだ! 俺らだって二の足を踏んでたのに、それをあっさりとまあ!」
「……」
「連中の仲間だって、一人でやったとは考えないぜ! 足は着かない!」
「……」
「抗争に掛る費用も無し! つまり、ぼろ儲けってことだ!」
「……」
「これだけの儲けを呼んだんだ! 俺も晴れてお咎め無し! 言う事無いね!」
「……」

ロベールの見る真の横顔は、今まで通り真顔だったが、何故か落ち込んでいる様に見えた。

「……なんだ、後悔してるのか?」
「後悔? 何故?」
「麻薬に携わったっていう罪悪感だよ。初心者にありがちなんだ」
「別に。ルートが変わっただけだ。あいつらが捌くか、ロベールたちが捌くか、市場に流れる量は変わらない」

米軍でもその類いは使うしな、彼は取り繕う様に呟いた。

「いいねいいね、そのクールさ。俺もそうなりたいぜ」
「やめとけ、クールと狂気ってのは違う」
「狂気?」
「狂った奴は自分が間違っているとは思わない。顧みない。自滅する最後の最後まで、突っ走る。そういう救いがたい連中さ」
「マコトがそうだって言うのか? とてもそうは見えないぜ? 賢そうに見える」
「俺も今日まではそう思っていた」

支部に戻った時、マルコは真を静かに迎えた。初めて会った時の様に落ち着いていた。二人はソファーに腰掛け向かい合った。マルコは言った。

「何か飲むか?」
「いや、結構だ。これでも急いでいる」
「そうか。では取引の話を始めよう。荷は確認させて貰った。ヘロイン2キロ、末端価格で72万ユーロ。その代金含めて144万ユーロだ。間違いないな?」
「ああ」
「取り分は6:4、支払いは現金か?」
「7:3でいい。その代わり依頼をしたい」
「依頼とは?」

真は紙を差し出した。そこには銃器や弾丸、自動車、免許証、パスポートの偽造など必要な物が記してあった。マルコは言った。

「戦争でもするつもりか」
「そんなところだ」
「1ヶ月後だ」
「1週間、これ以上待てない」
「なら8:2だ」
「そこまでがめつくなら、代わりに一つ聞きたいことがある」
「代金込みなら聞こう」
「ノントロン、この会社を知っているか?」

マルコは初めて表情を変えた。眼を細め、警戒している様に見えた。部下の男たちも態度を慎重な物に変えた。それだけ重要なことか、真は思った。

「それを知ってどうする?」
「恐らく世話になった連中だ。だったら挨拶に行かないとな」

マルコは一つ間を置いた。

「裏の世界では公知の秘密という物がある。それもその一つだ」
「つまり?」
「ロスチャイルド、ノントロンはそれのダミー会社だ」



つづく

◆◆◆


ファントム・タスク編の真サイドは当初、端折るか簡略化を考えていました。
原作キャラが出ないし、ハードだしダークだし。
でも、Heroesにここまでお付き合いして頂いてる読者の方々であれば、書いても良いのかなと思った次第です。え、今更ですか? そうですか。


いちか「俺って何時まで森の中?」

次回を待て!



[32237] 05-03 ファントム・タスク編 一夏1(総天然色ナチュラルボーン)
Name: D1198◆2e0ee516 ID:d5589322
Date: 2014/07/03 19:30
05-03 ファントム・タスク編 一夏1(総天然色ナチュラルボーン)


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飛行機から落ちた一夏は森の中をひたすら歩いていた。右を見ても樹木、左を見ても樹木。分け入っても分け入っても樹木に樹木。何処までも広がっていて果てなど無い様に思えた。人跡など欠片も無いディープ・フォレストである。ディープ(深い)と言っても鬱そうという表現は過剰だ。

背が高い木のほか低い木々もあり、所々で陽が差した。時おり池や沼があった。広がった草原もある。それなりに景色の変化を楽しむことが出来た。空気は澄み切っていて、森の緑は眼が痛いほどに濃かった。物音一つ無い。

ぴ、ぴ、ぴ。

聞こえるのは腕時計のシグナルだけだ。一夏はそれを見ながら頭をかいた。

「っかしーなー、もうこの辺だと思うんだけど」

爆散した機体の残骸は広範囲にわたって落ちていた。その破片は小さく森への被害は最小限に済んでいた。ジェット燃料も爆発時に全て燃焼、森林火災は起きていない。楯無が、飛行機墜落を偽装する為だけにジェット旅客機積載量限界の、10トンものTNT火薬を積んだ理由である。

「早くしないと日が暮れちまうぜ」

夜の森は非常に暗いのである。灯がなければ歩くこともままならない。人里離れた深い森ならば尚更だ。空にはどんよりとした雲、月明かりも期待出来ない。

そんなとき一夏の歩む先に兎が立っていた。野ウサギである。真っ赤な目を一夏に向けていた。一夏の姿が珍しいのか、じっと見ていた。

「おー、兎さん。この辺りでトランク・ケース見なかった?」
(しらない)
「そーか、見付けたら教えてくれよ」

突然話掛けられた兎は驚いて、ぴょんぴょんと何も答えず立ち去った。

「……あれ?」

いま何か不思議なことが起きた。絵本の中で見た様な、幼い頃は当たり前だった様な。何とも常識を欠いた一瞬だった。

「うーん」

理解しようと頭を捻る一夏だったが、気のせいだろと考えるのを止めた。

「ま、いいや」

一夏は再びトランク・ケースを探し始めた。低い木々の中、中ぐらいの木々の中、大樹の陰。そうしているうちに、ノコギリ形状の葉をした植物が現れた。鮮やかな緑色の葉でその輪郭は鋭利な棘になっていた。西洋イラクサの一種“Urtica Ferox”である。一夏は珍しい葉だなと思ったが、それ以上気にしなかった。平然と葉っぱを除ける。ちくり、ちくちくとそのイラクサの葉が刺さった。

「う、うぉぉぉー! ふらふらする~!」

特A級の毒草である。牛や人を殺すほどの毒性を持ち、死に至らなくとも神経に重大な影響を及ぼす厄介者だ。この程度で済むのは一夏だからである。なお、日本には生息していないので安心して欲しい。

(HAHAHAHAHA)

イラクサは笑っていた。葉や幹をゆっさゆっさと揺らしていた。

「なにしやがる!」
(HAHAHAHAHA)

ぷち、我慢ならぬと一夏は猛烈な勢いで毟りだした。ぶちぶちと容赦なく引っこ抜いた。その都度葉っぱに触れるが、一夏の身体には早々に抗体ができていたので、もう毒は効かなかった。

(Oh、Shit!)
「人間舐めるな! この葉っぱ野郎!」

周辺のイラクサ全て引き抜くと、河原で泥だらけの手を洗い、一夏は立ち去った。


◆◆◆


ばさばさと鳥の翼音が聞こえる。カチカチと虫の鳴く声がする。ざざっと草木が戦慄いた。森の中というのは危険が多い。先程のイラクサの様な例外を除き、大半の毒草は食べなければ問題は無い。問題は動物、昆虫などの動く生物である。

蜂は毒を持っているし数に物を言わせて襲われると厄介だ。蟻もそうだ。日本のは比較的温和しいが西洋蟻は凶暴で毒を持つ者も居る。軍隊蟻など有名だろう。他にも、アブ、ブヨ、カは吸血性で特にカは病原菌の媒体にもなる。人間にとって自然とは本来危険な物なのだ。だから人は家を作り町を作った。自然を改造してきたのである。もっとも何にでも例外はある様に、一夏もまた例外だった。

一夏は飛んできたヒルをたたき落とした。音もなくすり寄る毒蜘蛛を蹴飛ばした。

((Goddamn it!))
「うるせえ」

黄色い実が生っていた。卵の様に艶やかで、マリーゴールドカラー。見るからに柑橘類である。ぐうと腹が鳴る。一夏はつまんで食べようとした、その時だ。

(そいつはマチンだ、やめときな。死ぬぜ)

一夏が声の方を見ると、誰も居なかった。

(ちょい下だ)

視線を下げると蛇が居た。真っ白な大蛇だった。肌は艶やかで、眼は紅色。首をもたげるその姿は神格さを持ち合せていた。が、二先に別れた舌をちょろちょろさせて、何とも愛嬌がある。

「毒があるのか?」と一夏は聞いた。
(アルカロイド系のストリキニーネ、つー毒がある。一粒食べれば身体が反り返って、ぴくぴく痙攣だ。そしておっちぬ)
「おっかねーな」
(だろ? だからさっさと捨てちまいな)

一夏がぽいと捨てると、白蛇は付いてこい、そうのたうっていった。かさかさ、にょろにょろ。器用な蛇の動きに感心していると、一夏はこう言った。

「どこにいくんだよ」
(森の外だ)
「そと? なんで?」
(余所者にうろちょろされると困るんだよ)
「なにもしてねーだろ、俺」
(騒ぎになってるんだよ。見慣れない奴が居るってな、森中大騒ぎだ。それにイラクサ引っこ抜いただろ、お前)
「手出してきたのあっちが先だし」
(身動き出来ない連中に何を言うんだか)

一夏は腕を組んで考えた。そう言われると立つ瀬が無い、でもこのまま外に連れ出されるとトランクが探せない。

「俺、探し物の最中なんだけどよ」
(しるか)
「ないと困るんだって。もの凄く」
(だから知るか)

一夏は拝み手で頼み込んだ。

「騒がしたのは謝る! でもしばらく時間をくれ! 見付けたら直ぐ出ていくからさ!」

白蛇は溜息をついた。やれやれと言わんばかりだ。

(探してる物はどんな奴だ)
「これ位の大きさの、茶色の箱。持ち運び用に取っ手が付いてるんだ」
(それなら身覚えがある、付いてきな)

運が良い、一夏は喜び勇んで白蛇の後を追っていった。

「ところでなんで会話出来るんだ? 俺ら」
(こっちが聞きたいぐらいだ。言葉が通じる人間は俺も初めてだ)
「人間を見たことがあるのか?」
(何回かな。会話しているところも見たことがあるが、何を言っているのかさっぱりだった)
「ほへー。お前って特殊な蛇なんだな。やっぱ白いせいか?」
(馬鹿か、お前が変なんだよ。普通の人間は言葉が通じないってそう言ったろ)

爬虫類に馬鹿扱いされてむっとする一夏だった。

「じゃーなんで通じるんだ」
(だから知るか。森の王ならご存じかもしれんけどな)
「森の王?」
(この森の主だ。安心しろ、お前ごときにお会いになるわけが無い)
「馬鹿とかごときとか、一々癪に障る野郎だぜ……」

白蛇は舌をちろちろと出した。笑っている様だ。

(生まれて20年にも満たない若造に敬意など払うかよ)
「……お前歳幾つだ」
(ユリウス歴で346歳)
「まじで!」
(ユリウス歴をしっているのか)
「まったく知らん」
(……少しは勉学に勤しめ。でかい脳をしているくせに、勿体ない。そのうち脳が腐るぞ)

ぷち。一夏はさっと白蛇の首を絞めた。白蛇は一夏の首に巻き付いた。

「ちょっと白いからって図に乗りやがって~」
(色が関係するか~)
「俺の生まれた国じゃ白蛇は神様なんだよ~」
(なおさら崇めろ~)
「するか、ぼけ~」

トランク・ケースは程なく見つかった。爆発の影響で煤けていたが、破損などはなくケースとしての機能を失っていなかった。開けるとトレッキングウェアや帽子や靴、そのほかアイテムの入ったバックパックが詰まっていた。

一夏は手早く着替えると、元から来ていた衣類、ジーンズやA-2ジャケットをバックパックに詰め立ち上がった。それはずっしりと重かったが、彼には造作も無かった。興味深そうにトランク・ケースを見ていた白蛇はするりと入り込んだ。

「それじゃあ世話になったな」
(もう来るなよ)
「愛想がねえな」
(余所者に愛想が良い連中なんて古今東西お目にかかったことが無い)
「ちがいねえ。出口は?」
(そっちだ)

一夏は遠くに見える山の形、ハンディGPSが示す方向を確認すると白蛇に背を向けた。肩越しに一夏が言う。

「それ(トランク・ケース)気に入った様だしやるよ」
(意外と居心地が良い。態度の割に貢ぎ物は上等だな)
「ぬかせ」

そう言って一夏は白蛇と別れた。しばらく歩いてから、パタン、トランクケースの閉まる音がした。


◆◆◆


迫る日没、一夏は追い立てられる様にその日の宿を作った。水場の近く尚且つ、水はけの良い場所である。テントを張り、バックパックをひっくり返す。水質検査棒を泉に突っ込み、そのまま飲めることを確認する。電池式のコンロに鍋を置き、お湯を湧かす。手頃な腰掛けを求めて小岩を持ち上げた。ヒルが飛んできた。

(Gotcha!)
「やかましいっ!」
(Fuck!)

蹴り落とされたヒルはすごすごと引き返していった。お湯が沸いていた。乾燥した固形のブロックを食器に乗せてお湯を掛ける。瞬く間にカレーライスになった。

「フリーズドライ食品って便利だな。帰ったら非常食として買っておくか」

一夏が食べ終わったとき既に陽がくれていた。コーヒーを飲みながら満天の星空を堪能すると、テントに入りタブレットを起動させた。耐衝撃性、耐水性に優れた軍用のタブレットだ。

『はーい、一夏君お元気ー? たっちゃんですよー』

一夏はコーヒーを吹き出した。タブレット全面に広がる悪戯めいた瞳、楯無が最大アップで映っていた。ドアップと言う奴である。

『あはは、驚いた?』
「……今どこに居るんですか。やっぱりIS学園ですか」

響く一夏の声は怨嗟のよう。

『えーとね。これ録画なの。だから何を言っても聞こえませーん』

ふるふる、苛立ちの余り身体を震わす一夏だった。カメラが引き、楯無の全身が映る。何時もの様に、カーディガンと学園服を着ていた。革張りの肘掛け付き椅子に腰掛けていた。背景から察するに撮影場所は生徒会室の様である。あんな椅子有ったか? と首を傾げるのは一夏だ。

『これを見ていると言う事は、いまサバイバルの真っ最中と言う事よね。それを前提に話を進める。もう襲われた後だと思うけれど敵はファントム・タスク、相応の兵力と諜報能力を持つ厄介な連中よ。我が更識も日常的に連中と工作活動をしあっているわ』

水面下でそんな攻防が、と一夏は驚いた。

『ファントム・タスクというのは連中の総称なのだけれど、正確には実働部のことを指しているの。そして組織その物を操っている連中を幹部会といい、ロスチャイルドのメンバーで占められている。聞いた事無いかな? 古くは中世から金で世界を操っている連中よ。詳しく話すと時間が掛るから省くけれど、こいつらとIS学園は深い関わりがある』

関わりがある? 敵じゃ無いのか? と一夏は混乱しはじめた。楯無は一拍おいてこう続けた。

『実はIS学園の設立にロスチャイルドが関わっている、というより支援したの。ヨーロッパ諸国に圧力を掛け、日本政府を動かし、その設立に必要な膨大な資金を日本に貸し付けた。不思議と思ったことはないかな? どうしてインフィニット・ストラトスという最新兵器の育成校が極東の日本にあるのか』

一夏は黙って聞いていた。

『連中はISを新たな金儲けの材料にしようとした。でもそれは簡単じゃ無い。IS開発には世界規模の資金運用、市場が必要だったから。そこでISの軍事的性質に注目し、世界各国に開発導入を促進させた。一夏君は覚えてないかも知れないけれど、かって起こった赤騎士白騎士事件。その真相は軍事的緊張を作り、各国にIS開発導入を促す為の触媒だったのよ。

そしてまた世間にクリーンなイメージを与える必要があった。資金を出すのは国であり税であり、国民なのだから。ISという兵器を駆る可憐な少女たち。世間は新時代のスポーツとして皆が皆熱狂した。ブリュンヒルデ、この銘は良い広告塔だった。

織斑千冬、ディアナ・リーブスという存在はうってつけだった。見目麗しく、力強く、圧倒的。その姿はまさに北欧神話の戦乙女。でもこの2人の特異な力は脅威でもあった。いつ牙を向けてくるか分からない。だが死なせてしまっては折角創り出したイメージに傷が付く。そこで欧州から最も遠い日本に檻を作った。社会的に縛り、ISの象徴としてのみ存在させた。これがIS学園の真の存在理由。リーブス先生をフランスから追放したのもそう、織斑先生を追って学園に行くよう促した。こうして連中は裏で学園を操り、2人は死ぬまで客寄せパンダとして生きるはずだった。ちょっと言葉が悪かったかな? 気に触ったらごめん。

ところが去年の春、どこかの誰かさんのせいで、学園を統べる中枢コンピューターのアレテーが連中に対し謀反を起こしたからさあ大変。操るどころか学園内の情報すら満足に入手出来なくなった。

織斑先生とリーブス先生はそれに乗じて学園の独立性を高めた。秘中の秘だった私たち更識との連携を強化し、建前として独立を謳っていた日本政府に働きかけ、資金を確保した。

欧州も一枚岩じゃないのよ。ロスチャイルドの支配を快く思わない人たちも居る。そう言う人たちに協力を持ちかけた。イギリスにしろフランスにしろ、ドイツにしろ。アメリカもそうだし中国もそう。鈴ちゃんが飛び入りしてきたのもその辺の関係があるのよ。どうやって交渉したかは秘密。リーブス先生がいるんだもの、お察し下さいってところかしら。

連中はしつこく工作員を派遣しつづけ、真の存在を嗅ぎつけた。かって世界中を震撼させた赤騎士白騎士事件、この時に中破した赤騎士を復活させる為とうとう強硬手段に訴えた。赤騎士を用い新たな軍事的緊張を起こそうとしている……それが今。私たちも頑張ったんだけどねー、連中規模が大きいのよ。アレテーや日本国内財閥の支援もあって一進一退ってところ』

楯無は笑みを消し、鋭い物に変えた。

『いい? 一夏君。君が、君たちが相手にしようとしている敵はそう言う連中なの。率直に言ってハンパじゃないわ。君自身の身の安全だけじゃない、君たちの行動如何によって学園のみならず、世界中の人たちに影響を及ぼす。それを深く肝に銘じて、最大限の注意を払って。それでも君を送り出したのは織斑一夏、蒼月真ならどうにかしてくれると信じたから』

楯無の表情に柔らかい物が戻る。

『因みにこれを君に伝えたのは私の独断よ。真が知らない内容も伝えた。一夏君みたいなタイプははっきり言った方が良いと思って。まあ遅かれ早かれいずれ知る事になるし、それなら早い方が良いわねって。だから、ばれて怒られそうになったら弁護してね。あ、そうだ。ちょっとまって』

知らなかった、暗くなった画面を見て一夏はそう呟いた。地球はこんなに美しいのに、周りの人たちはとても優しいのに、その世界はこれほどまでに厳しくて残酷で汚かったのか。

なにも知らなかった。

厳しい姉に不平をもらし、好き勝手をし、迷惑を掛けた。目先の敵を倒すこと、これを守る力と考えていた。

「千冬ねぇはずっと背負っていたんだな。学園を、学園の皆を、そして俺を」

力を付けること、それだけだと思っていた。

「真、お前は守るって意味を知っていたのか」

“知っていた。それは1人で背負うものと思い込んだ。そして、余りの重さに押しつぶされた。俺は、間違えた”

「あぁそうか。だから千冬ねぇはリーブス先生と仲が良いのか」

対等だから。柱の長さが同じなら、屋根を支えることができる。苦楽を共にできる。

「分かったぜ、真。お前は絶対学園に戻す。正気にもどるまで何度でもぶん殴ってやる。一緒に守る、約束だからな」

黒く途切れていた画面に別の少女が表われた。画面の中央に立つ、楯無によく似た少女は俯き、組んだ手を腹部に添えていた。簪である。早くしなさいと、楯無に焚きつけられて、ただこう言った。

『……一夏、早く帰ってきてね』

一夏は少し笑った。次ぎに画面いっぱいの楯無が言う。

『とつぜんですがっ! リーダーやメンバーが捕えられ、或いは殺されても当局は一切関知しないっ!』
「関知しろよ! なげっぱかよ!」
『尚、このテープは自動的に消滅する……いっぺん言ってみたかったのよこれ♪』
「俺のシリアス返せ!」
『あと篠ノ之博士には気をつけなさい。それじゃ真をお願いします』

タブレットは煙を上げて壊れた。

一夏は少ししんみりして、寝袋にくるまった。

その夜見た夢、失った家族が笑顔で揃っていた。

その中に円も真も立っていた。

それは一夏の叶えたい夢だったのである。


◆◆◆


一夏の現在地からフランスまで4500キロ。連日連夜歩いても軽く1ヶ月半である。もちろん直線距離の話であり、行く先々には森、山、砂漠、国境が立ち塞がりその道のりは険しい。数ヶ月かかること受け合いである。

「どうすんだよ、これ……」

考えた末、彼は南に進路を取った。西へ向かえば直線距離だが、かってのソビエト連邦の国々が続くのである、カザフスタン、ウクライナ、ベラルーシ、ポーランド、ロシアも通る。少々気後れした。ロシア大統領の姿は少し怖い。片や、南に向かえば中東である。物騒な地域もあるが、欧州、日本と親密な国も多い。

「パキスタンに行ってみるか……」

元々イギリス領で現イギリス連邦に加盟する独立国家である。着いたら楯無の言っていたフランスの協力者とやらに国際電話、それが出来なければ密航だ。腹を括った一夏は歩き出した。

森林を歩き、渓谷を抜け、山を越えた。途中、背後から大きな何かの視線を感じ、慌てて振り向いた。地平線の彼方、広がる木々の絨毯、そこに一つの飛び出る影があった。巨大で立派な2本の角を持っていた。森や山々を覆い尽くさんばかりの圧倒的な存在感。ヘラジカに似ていたが余りにも大きすぎた。少なくとも生物学の理論体系から外れた存在であった。白蛇の言っていた森の王に違いない、見送りに来てくれたのか、そう思った一夏はぶんぶんと手を振った。

(かって英雄でありし者。世界の命運は今尚その手にあり)

そう言い残すと、森の王は陽炎の様にかき消えた。

「言われるまでもねぇ」

延々と続く道なき道を歩く。彼を待ち構えていたのは、世界の屋根カラコルム山脈である。標高8611メートル、エベレストに次ぐ世界第2位の山、K2が属する山脈だ。山脈と言っても標高が高いため樹木は殆ど見られない。切り立った岩の様な山が続く不思議な光景だった。

迂回する時間が惜しい、でも山登りは厳しい。一夏は山登りと迂回と、その合間を歩いていくことにした。連なるゴツゴツとした岩道、見上げれば雪山、見下ろせば谷間に森が見えた。絶景である。薄い空気を除けば。

「でー、でー、でー」

歩き続けること1週間。山脈を抜けたところで一夏はぱたりと倒れた。

「もうらめらー」

食糧が尽きたのである。一夏の最大の弱点、それは千冬でもなく、真でもなく、空腹であった。何か食べられる物は無いかと森の中を這いつくばう様に彷徨った。クルミがあった、殻を割って食べる。栗があった、茹でて食べた。木いちご、そのまま食べた。まったく空腹が満たされない。でも虫はイヤだ、食べられる奴でもイヤだ。白いキノコを見付ける、炙って食べた。

「おぉぉぉ! は、腹が痛え!」

ドクツルタケ、特A級の毒キノコである。白く滑らかな姿、一見美味しそうなのがまた憎い。日本に生息しているので要警戒。常人なら腹痛で済まないのである。一夏はひとしきりのたうち回った後、突っ伏せ、めそめそと泣き始めた。空腹というのは人を弱気にするものだ。

「すまねえ千冬ねぇ。すまねえ真。すまねえみんな。道半ばで朽ち果てる俺を許してくれ……」

めそめそめそ。そのとき藪の中から黒い生き物が現れた。鳴き声に誘われる様に現れた。それは4本足で荒々しい毛並みを持っていた。頭部に対して足は太く、胴体は図太く、その佇まいには装甲車両の様な威圧感があった。眼は人と同じように並び、遠近感を計れる様になっていた。前足には鋭い爪、口元には鋭利な牙。体長3メートル、体重500キロ、その巨躯にして走る速さは時速65キロ。地上を生きる最強のほ乳類、ヒグマである。

一夏と眼が合った。

「「……」」

ヒグマは雑食性である。木の実や草木を多く食べるが、魚類、昆虫も食べる。ほ乳類を初めとした肉も食べるが、積極的に狩りはしない。死肉を食べるのが一般的だ。ただし、一度でも人の味を覚えたヒグマは積極的に狩るようになる、魔獣と化すのだ。

(ほう、この様な深い森の中で人間に出くわすとは珍しいものよ)

ヒグマはのしのしと一夏に近づいた。

(前に人間を喰らうて幾日も経つ。味も忘れかけておるし、腹も良い頃合いだ。好都合にも長物(銃)を持っておらぬ。どれ、ひとつ喰らうてやるわ)

ヒグマはぴたりと足を止めた。

(妙だ。こやつ何かがおかしい)

ヒグマの本能が警戒を訴えていた。引き返せ、逃げ出せと訴えている。逃げる? 何を馬鹿な。目の前に居るのは脆弱な人間だ。みろ、大地に打ちひしがれ涙する軟弱者だ。だがこの威圧感は何だ、腹の底を締め上げる様な震えは何だ。怯え? 恐怖? 我が恐怖を感じている?

(笑止! 我に恐怖などありはせぬ!)

ヒグマは身を奮わせて立ち上がった。一夏は眼を開き、口を開き。瞳孔を細め、牙を剥いていた。ふらりと立ち上がる、口から滴るのは涎である。その姿がヒグマの怒りに触れた。

(我を喰らおうというのか! 不愉快な人間め! 我が力の前にひれ伏すが良い!)

一夏が吠えて駆けだした、その速さは狩猟豹(しゅりょうひょう:チーター)の如く。

「くまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

一夏の力を一瞬で見抜いたヒグマは、一転、誇りを賭けて迎え撃つ。

(よかろう異族の戦士よ! 我を倒してみせよ! 我が字は獣王鬼也!)

ヒグマの目の前に迫る一夏の姿、ヒグマは全身全霊の一撃を振るった。その爪は空を切る。それは一夏の残影だった。

(なんと!)

一夏は跳躍していた。高速前転、その速度は独楽(コマ)か、車輪か、扇風機か。つむじ風の様に空気を巻き込んでいた。深い森で突如始まった超絶の戦い、森に生きる全ての生き物たちがその行方を見守った。ヒグマの面に一夏の影が落ちる。一夏は回転力と体重と食欲を右踵にのせ、ヒグマの脳天に撃ち込んだ。

どぅ、その衝撃で枯れ葉が舞った。一夏はヒグマの後方10メートルにすわやと下りた。ヒグマは数歩よろよろと歩き、

(見事)

そう言って事切れた。

「くま」


◆◆◆


一夏が熊肉に舌鼓を打っている頃、7名の兵士たちが一夏を探し、森の中を歩いていた。

迷彩服にヘルメット。着込むベスト状のプレートキャリアには数多くのポーチが付いており、拳銃、弾薬、無線機、閃光弾などが詰まっていた。手にするのはフランス製プルバップ式アサルトライフルFA-MAS。

その動きに乱れはなく、兵士1人1人が高度な技能を持ち合せていた。忍耐力、粘り強さ、率先力、臨機応変さ、そして決断力、彼らは皆聡明な司令官なのである。彼らこそSASやSEALsと言った特殊部隊と並び称される、フランス陸軍第2外人落下傘連隊の精鋭だ。

極秘作戦“織斑一夏を捜索、保護せよ”

現地指揮官であるフィリップ・シュメトフ上級伍長がその指令を受け取ったのは24時間前。彼らはアフガニスタン治安維持の為に派兵している自国の駐屯部隊を経由しパキスタンに潜入したのである。

フィリップは織斑一夏の乗った旅客機が爆発墜落したというニュースを知っていた。報道では機体は跡形無く、生存は絶望的という話だった。墜落現場の映像を見る限り、フィリップもそう思った。だからこの指令が下りた時、陰謀的な何かを直感した。絶望的な生存者を秘密裏に保護しろというのである、上層部は生きていると判断しているのだ。

(死んだと思わせた、それは何故か?)

イギリス代表候補の死亡、拉致されたという2人目の男性適正者、そして今回。立て続けに起こる騒動について、IS学園は事実確認中というスタンスを貫いている。何か関係があるに違いない。

(わざわざ俺ら部隊を動かしたんだ。厄介な連中が関わっている、そう見るべきだろう)

ファントム・タスクはフランス軍でも有名だった。きな臭い事件には必ずその影があった。内通者は軍にも居るという。

(大事にならなければ良いが)

ぴ、ぴ、ぴ。トレーサーの音がする。織斑一夏は腕時計型暗号発信器を持っており、それを追跡すれば良いとのことだった。信号は墜落現場から移動し、パキスタン領内に入っていた。

「旧ソ連から出てくれたのはありがたい」

部下の呟きにフィリップは同意した。ロシアを刺激するぐらいなら中東系テロリストの方がマシだ。意図した行動ならば政治に明るい少年と言う事になる。部下たちの会話は続いていた。

「織斑一夏ってどんな奴だ?」
「子供だよ子供」
「そんな事は写真を見たから知ってる。俺が聞きたいのは性格とかそう言うのだ」

織斑一夏、この名前はフランスでそうそう聞く事は無い。嫌われているというのではなく、もう1人の適正者、蒼月真の方が余りにも有名だからだ。月の女神のお気に入り、このフレーズはフランス人なら誰もが知っている、もちろん良い意味ではない。間違えられた東洋人が暴行を受けるという事件も珍しくはない。

「ブリュンヒルデの弟だそうだ」
「なら強いのか?」
「並み居る代表候補をさしおいて、学園内の試合で優勝したらしい」
「それは凄い。なら、もう帰ろうぜ。救助なんて要らないだろ」
「よせよ。IS乗れてもただの子供なんだ。大人げない」
「その子供絶対自惚れているよ、一杯賭けても良い」
「その賭け乗った」

部下の一人が突然銃を構えた。トリガーに指は掛っていなかったので皆慌てなかった。

「どうした、ライアン」
「いや、2番目じゃなくて残念だなと。そうだったならこうやって撃てたのに」
「お前はいかれてるよ。これだからディアニストは手に負えない」
「冗談に決まってるだろ」
「だと良いがな」
「ところで2番目は強いのか?」
「分からない。殆ど情報が無いんだ」

アメリカ、日本、学園をまたぐ福音事件は極秘だった。各国上層部は諜報によって知り得ていたが、彼らには知らされていなかった。

「最近誘拐されたって話だな。可哀想に」
「子供を掠うとは卑劣極まりない」

そのとき先鋒の兵士が右拳をさっと上げた。それは警戒の合図だった。全員が銃のセーフティを解除、散開した。木の陰、岩の陰、地の窪みに身を隠し銃を構える。森の静寂だけが支配するなか、妙な緊張感が満ちていた。

『保護対象か?』とフィリップは極短距離の暗号通信で聞いた。
『分かりません。だが何かがこちらを見ています』

先鋒の兵は勘が鋭く索敵に信頼があった。フィリップがトレーサーを見るともう反応が近い。残念なことにこのトレーサーは、暗号と引き替えに精度が良くなかった。織斑一夏かもしれない、他の何かかもしれない。フィリップは即座にこう命令した。

『逆Vの字隊形。行進する』

他の何かだった場合、織斑一夏が危険だからである。


◆◆◆


「こちらに来て下さい」

フィリップが警戒心を隠さない部下に付いていくと、森の中に異様な広場があった。辺りの草が全て抜かれ黒い土がむき出しになっていた。それはいい、時間が掛っても一人でできる。目を引くのが巨大な岩だ。複数の岩が円を描く様に並べられ、巨木で橋渡しをされていた。中心には薄い岩があり、薪が置いてあった。ご丁寧な事に天井の穴も岩を乗せ塞いでいる。とても人一人で作れるものでは無かった。なにより漂う灰と肉が焦げた臭い、生き物を焼いたのは間違いなかった。

部下の一人が恐る恐るそれに近づいた。

「なんだこれは。巨人のかまどか?」
「巨人って何だよ」
「映画であるだろ、ハルクとかサイクロプスとか言うあれだ」
「よせよ。ハリウッドは嫌いなんだ」
「問題はどうやってこれを作ったかだな。重機なんてこの地形じゃ搬入出来ない」
「食事の為に重機を使う馬鹿が居るか」
「飯?」

その事実に気づいた一人の兵士はゆっくり言った。

「かまどっては飯を作るところだ」

これ程巨大なかまどを使う存在は、どれ程大きい身体で、どれ程食べるのだろう。冗談にしてはきつい、兵士たちは銃を構え辺りを油断なく警戒した。

「熊か何かじゃ無いのか」
「熊はかまどを作らないよ」
「子供を探しに来たら未知との遭遇か」
「だからハリウッドは嫌いだ」

広場の隅に柔らかい場所が合った。それに気づいたフィリップは掘り起こすことにした。埋めても一度掘り起こした場所は柔らかいのである。彼は隊にこう命令した。

「ライアンとサミュエル、ジャックとデビッドは周囲の偵察に当たれ。マシューはここを掘るんだ。ローガンと私はこの場で警戒。織斑一夏かもしれないから発砲時は注意しろ」

「「「アイ、サー」」」

掘り起こすと程なく骨が出てきた。太く頑強な骨だった。フィリップには何の骨か見当付かなかったが少なくとも人間のものではない、そう分かった。織斑一夏では無い事に安堵しながらも、何時こうなるか分ったものでは無い、そう気を引き締めた。

掘り起こしていた兵士が言う。

「全て掘り出しますか?」
「いや。人間ではない、それが分かっただけで十分だ。埋めておいてくれ」

TADIL(戦術データリンク)と言う物がある。軍用システムの一つで、作戦行動に用いられる情報を即座に伝達・共有する為のネットワークシステムだ。歩兵の場合、兵士一人一人がカメラやセンサーを持ちそれらを相互運用している。これによる効果は計り知れない。一人の味方が敵を見付ければ、瞬く間に部隊全体が知る事ができるからだ。情報戦闘は歩兵レベルでも必須な物となっていた。

だから。

偵察に当たっていた2チームのうちの1つが戦闘状態になったとき、部隊全体が即座に対応する事ができた。援護するため全員が迅速に行動したのである。だがどういうことだろう。フィリップから見るそのチームはあらゆる方向に発砲していた。ある時は地面に向けて、またある時は水平に、斜め上、そして真上。通常の戦闘行動ではあり得なかった。敵性ターゲットが多数いるのか、フィリップはそう思った。

『なんだこいつは!』
『デビッド! そっちに行ったぞ!』
『速い! 当たらない!』
『くまー』

送られてくる映像には黒い何かが映っていた。映像が激しく動き、よく見えなかったが体毛が見えた。一見、動物に見えるがフィリップには見当も付かなかった。その影が地面に、岩の上、幹の上に居るのである。それに時おり聞こえる“KUMA”と言う声、危険を直感した彼は走りながら無線でこう命令した。

『ジャック! デビッド! 発砲しつつ撤退しろ! 合流するんだ!』

その時だった。兵士の一人が引き摺られ藪のなかへ消えていった。もう1人が慌てて手を掴むが恐ろしい力で為す術も無かった。悲鳴が森に響いていった。


◆◆◆


フィリップらが駆けつけたとき、影が森の奥へ駆けていった。全員が発砲したが当たることはなく、その影は消えた。

“それは大樹の陰に立っていた。暗くてよく分からなかったがネコ科、熊の様に見えた。頭部の割に身体は小さい様に思えた。銃を向けるとそれは襲ってきた。ある時は2本足、ある時は4本足、走りまわり飛びはね、幹から幹へと飛び移った。異常なほど素早かった”

部隊を沈黙が支配していた。森のざわめきがイヤに耳に付く。フィリップは無事だった兵士の報告を受けこう聞いた。

「敵は一個体だというのか。ジャック」
「はい」

答えた兵は悔しさを隠さずにいた。無理もない、相棒をむざむざ見殺しにしてしまったのだ。

「デビッドはどうして接近を許した」
「弾倉交換の途中を狙われました。恐ろしい速さでした」
「なぜ援護しなかった」
「射線上にいました。デビッドの影に隠れて近寄ったのです」

誰もがまさかと思い、証拠の記録映像に言葉を失った。

「偶然だろ?」
「そうだと良いのだがな」
「待てよ。熊の様な怪力持ちの生き物が、猿の様に木を渡り、豹の様に地を駆けて、尚且つ知性を持ち合せているってのか」
「厄介だな。悪夢の様だ」
「馬鹿をいえ。そんな生き物居るはずがない」
「秘密研究所から逃げ出した生物兵器という線はどうだ」
「漫画の見過ぎだよ、おまえ」
「ドイツ陸軍に強化人間が居るだろ。今の時代不思議じゃない」

議論を続ける部下たち。フィリップは決断を迫られていた。進むか、戻るか。掠われた部下が生きているにしろ死んでいるにしろ、そのままにすることは出来ない。偽装はしているものの、他国にフランスの部隊が侵入した、万が一これが明るみになれば国際問題になる。

だが部下を探すには一帯の安全確保が優先だ。民兵、一般兵程度ならともかくあの様な生物が居る中で捜索は危険極まりない。

なにより、作戦目標である子供がこの一帯に居るはずなのだ。救出しなくてはならない、もう死んでいたとしてもその証拠が必要だ。見つかりませんでした、では済まないのである。

近辺を警戒していた部下が戻ってきてこう言った。

「その仮定、あながち的外れでもないかもな」

彼はヘッドセットを放り投げた。それは掠われた部下のTADIL(戦術データリンク)の端末だった。正体不明の生き物は通信システムの概念を持ち、それを理解した上で外したのである。掠った部下の場所を知られない為に。ならば部下はまだ生きている可能性がある。フィリップは立ち上がった。

「今後奴をフォーモリアと呼称する。全員弾を再分配しろ。フランス陸軍第2外人落下傘連隊、空挺コマンド小隊の誇りに賭けてフォーモリアを仕留める」

高い機動力を誇る相手である、直接銃撃するのを諦め、制圧射撃で崖に追い込むと言うのがフィリップの立てたプランだった。詳細な地形図も持っていた。弾もまだある。幸運にもフォーモリアが消えた先はその崖であり、風下だった。

チームは横隊に並び、2班に分かれた。片方が制圧射撃、その間にもう片方が進撃する。これを交互に行った。催涙ガスも併用し風下に流した。怪しい影には閃光弾も撃ち込んだ。一糸乱れぬ行動でチームはゆっくりと追い込んでいった。

「くま~」
『俺達は幸運だぞ。この辺りなら背の高い木も少ない。三次元的な動きは出来ない筈だ』

崖までもう一歩と言うところである。とある兵士がこう言った。

『対強化人間用装備を持ってくるべきだったな』
『なぜ?』
『高い攻撃力に機動力、こう言う相手にもってこいの装備じゃないか』
『そうじゃない。何故人間と?』
『ブリュンヒルデだってこれぐらいはやる……』

部下たちの通信を聞いてフィリップは息を呑んだ。そして己の判断ミスに気づいた。探しているのはあの名高きブリュンヒルデの弟なのだ。どうしてその可能性に気づかなかった。我々はとんでもない相手を追い込んでいる!

兵士の一人が弾倉交換しようとした時、草木のなかから石が飛んできた。隙ができる、その隙に乗じてフォーモリアが現れた。目にも止まらぬ速さで兵士は突き飛ばされた。悲鳴を上げることすら叶わず、藪の向こうに消えた。

彼らは密集していた。追い込んだのは間違いである、追い込まれていたのだ。

反射的に銃を構えた兵士たちは、フォーモリアが持っていた鏡に照らされ一時的に視覚を失った。その一秒に満たない時間、3名が強引に殴り倒される。残り2名。彼らの前に熊の毛皮を着た誰かが立っていた。

「この化け物!」

残った兵士の内の1人、ライアンはフルオートで弾をバラ巻いた。

「くまっくまっくまっ」

その誰かは上肢を左右に振り、弾を避け、一瞬で踏み込んだ。左手で銃を握りつぶす。殴打しようと右拳を振り上げた。

「っ!」

怯んだライアンのポケットから写真が落ちた。

「まて! 織斑一夏! 我々はフランス軍だ、救助に来た!」とフィリップが叫んだ。

宙を舞う写真、一夏は地面に落ちる前に掴んだ。ディアニストのライアンが叫んだ。

「あぁっ! 俺の女神!」

それはディアナのピンナップだった。現役当時の、16歳の。

一夏は写真を見ると溜息をついた。熊の毛皮を脱ぐ。なんだ味方だったのか。ファントム・タスクの連中かと思ったぜ。だっていきなり銃を向けるんだもん、マナー違反だぜ、それ。と言う意味で、

「くまっ」

と言った。

「……KUMA?」

フィリップは摩訶不思議な脱力感に襲われた。


◆◆◆


いちか「もっとシリアスシーン寄越せ」

真みたいになるぞ。





※動植物の生息域はフィクションです。ロシア~中東に生息しているかどうかは分かりません。ご了承下さい。



[32237] 05-04 ファントム・タスク編 真2(不死者の悲嘆)
Name: D1198◆2e0ee516 ID:ac12571f
Date: 2014/07/11 23:33
05-04 ファントム・タスク編 真2(不死者の悲嘆)


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武器受け渡しの当日、真は代金を支払いホテルを出た。宿の主人に軽く挨拶をし背を向けた。その中東人の男は真にアラブ後でこう言った。

『神と共にあらんことを』

真は半身振り返りこう応えた。

「よしてくれ。俺に神の加護はない」
「加護がない? 信じないではなく?」
「神を信じたことはない、居るかどうかも分からない。でも居たとしたら俺は許されないから。地獄行きだ」

真は片にぶら下げるグロッグを見せた。

「ではなぜイスラムの挨拶をした」
「あなたが信じているから。人々の敬虔な心、それを否定する気は無い」
「では私もあなたに加護があらんことを信じよう」

真は1つ礼をして、立ち去った。

マルセイユの郊外の森の中が取引場所だ。ユニオン・コルスから自動車に乗り、取り巻き達と暫く揺られること1時間。深い森の中にマルコ・コレンテが立っていた。幹部直々の出迎えであった。真は怪訝に思いながらもこう言った。

「品物はそれか?」
「そうだ。確認してくれ」

真がルノーの白いバンをみると荷台に武器が納められている事が分かった。先の作戦で使ったアサルトライフルにはグレネードランチャーが付いていた。新規のスナイパーライフルは分解状態だった。他にも弾丸、榴弾、催涙弾に閃光弾、セムテックス。他にもナイフや望遠鏡、暗視ゴーグルにデジタル無線機、軍用タブレットなどがあった。装備は対検問用ケースに収められていて擬装されていた。

「悪いが、納期優先でね。組み立てられていない」
「問題は無い」

真は流れる手つきでスナイパーライフルを組み立てた。

「手慣れているな。学園で習ったのか?」
「その、前さ」

真が自動車を検査しているとき、マルコがこう言った。

「擬装の書類と金は助手席の鞄に入っている」
「わかった」

真は車体の裏に手を伸ばし、ボタン形状の部品を取り外した。

「シニョーレ、これはお返ししよう」

それは発信器だった。真の足取りを追い、何をするのか見極めるつもりだったのである。マルコは軽く握りしめた。

「本気でロスチャイルドと事を起こすつもりか」
「必要とあらばな」
「死ぬぞ」
「銃を向けた相手だぞ。身を案じるとはどういう風の吹き回しだ?」
「私は初め、君は死ぬものだろうと考えていた。困難に打ち勝つには信念が要るからだ。君に有る物はただの技能だろう、そう思っていた。だが君は戻ってきた。そして宣言通り成し遂げた」
「俺を調べたのか」

もちろんだとマルコは頷いた。

「君の行いには正義がある。私に止めることは出来ないし、誰も止めることは出来ないだろう。それはそう言うものだ。だがみすみす死なすには惜しい」
「止めてくれ。俺はそんな大層な物じゃない」
「愛する者を奪われた怒り、それは卑下するものではない」

真は黙って自動車に乗り込んだ。

「“正義がほろぶるなら、人はこの世界に住む必要は無い”誰の言葉か知っているか?」
「いや」
「君の様な、静かな激情を持つ男は最近少なくなった。終わったらまた寄ってくれ。そのとき答えを教えよう」


◆◆◆


真はマルセイユから北上、パリへ向かった。日はすっかり暮れていて、街灯が付いていた。時計は20時を指していた。丁度良い。真はその途中、情報収集をしようとブラッスリー(酒場)に立ち寄った。

整然と並べられたテーブルには白いクロスが掛けられていた。腰掛けのクッションは赤色で壁にはフランスの城や遺跡物の写真が並べられていた。僅かに暗い灯がテーブルを浮かび上がらせていた。一見レストランかビストロの雰囲気だったが、カウンターはあり、その壁には酒の瓶がびっしりと並べられていた。

真が店に入った時、数名の客が胡散臭そうに彼を見たがそれ以上は何もしなかった。カウンターに腰掛けたらウェイトレスがやって来たので、ベーコンのキッシュ、そのセットを頼んだ。

「飲み物は?」とそのウェイトレスが聞いた。
「炭酸水はあるかい?」真は答えた。
「東洋人のお兄さん、ここは酒場だよ」
「なら白ワインを」
「銘柄は?」
「お任せするよ、余り詳しくないんだ」

店は繁盛していた。地方都市の酒場にしては都市に暮らす人間の臭いが強い。真がそんな事を考えながら、バゲットを食べていると先程のウェイトレスがやって来た。東洋人が珍しい様だ。

「お兄さん、中国人?」
「いや、日本人だよ。観光巡りをしてる」

偽造証書どおりに日系米国人と偽っても良かったが、身分を問い正されているわけではない。万が一追跡されても分かりにくくする為、そう言ったのだった。真は眼鏡をくいと正しこう言った。余計なことを詮索される前にである。

「結構繁盛してるね、何時もこう?」
「まさか。殆どが野次馬だよ」
「野次馬? 何か珍しい事件でも起きた?」
「あらま。てっきりお客さんもそうだとばかり思ってたよ」

そのウェイトレスはある噂のことを話した。赤い光が天に昇ったこと、山が吹き飛んだこと、現場に通じる麓の道路、軍隊と地元警察が押し問答していたこと。

「陰謀の臭いがするね」
「皆そう考えてるみたいだよ。TVや新聞で報道されないからね。ネットで知った人たちが押しかけてこの状況さ。あたしの弟なんか腰抜かして慌てて教会に行ったのに、暢気なこった」
「地震を神罰と思った訳か。日本じゃ地震は珍しくないけれど」
「そっか。天使のことも知らないんだね」
「天使?」

そのウェイトレスは赤い何かが衛星軌道上にじっとしている事を真に話した。その姿はまるで翼の生えた赤い騎士、信心深い人たちを惑わすには十分だった。アマチュア天文家を通じ、ネットに拡散していたのである。

「政府は確認中としているけれど、ピクチャーデータは直ぐ消去されるんだ。本当に何だろう」
「どこかの誰かにとっては知られたくない事実って事か。それどんな形?」

ウェイトレスがタブレットに映し出したその姿、真は息を呑んだ。

真は運転する車中で思案に明け暮れていた。この状況はどういうことなのか、上手くまとまらなかった。真はその天使を知っていた、赤騎士だと理解した。かって楯無から聞き及んだ赤騎士白騎士事件の顛末、白騎士は大破し、赤騎士は中破した。白騎士はISの礎となり赤騎士は行方不明。状況から考えてファントム・タスクが絡んでいるに違いない。

問題は何故このタイミングなのか、と言う事だ。なぜファントム・タスクはこの時期に復活させ、何をしようとしているのか。何故だ、何故だ、何故だ。真は車を脇に寄せ、止めた。ハンドルを握る手、ぐっと力を込めた。

「当たり前だ。俺に治させた。だから俺を掠った。連中に真たるIS(騎士)を治せるはずがない」

だが1つ疑問がわく。自己修復を初めて知ったのはクラス対抗戦の時である。日常的に身につけていた、みやですらその能力を獲得するまでに2ヶ月かかった。だが赤騎士の場合はせいぜい数時間。それはなぜか。

意識を失う直前、麻酔薬を打たれたことを覚えている。エトルフィンとアセプロマジンの混合麻酔薬、強力なものだ。あの量を打たれれば死ぬだろうと思っていた。カテゴリー3の強力なナノマシンが無いならば。

真はじっと自分の左手を見た。復元した左腕、消えた頬と首の傷。出血もしない、疲労もしない、頭部を打たれても死なない身体。複雑なピースが組み合わさる。

得られた1つの仮定に真は慌てて最寄りの大病院に走り込んだ。恐怖故に今まで目を背けていた事実、それを突き付けられた。単にナノマシンが癒やしてくれたのだろうという希望的観測。それが打ち砕かれようとしていた。

セキリュティを解除し、警備員の目を盗んでCT(Computed Tomography:コンピュータ断層撮影)室に入り込んだ。CTとは医療機器の1つで、放射線を利用し人体の内部を表示出来る物だ。

その結果に真は言葉を失った。卒倒しそうになった、いやする筈が無かった。それは生理的反応なのだから。真の身体は樹脂でも金属でも無い一様な物質で構成されていた。

真の体内に寄生しているカテゴリー3のナノマシン。それらにしてみれば真に死なれると困るのである。宿主が死ねば共に死んでしまうからだ。ファントムタスクに大量の麻酔薬を打たれ、一度死んだ経験からナノマシンは1つの結論を導き出した。

骨が無ければ折れる心配は無い。

血が無ければ出血する心配は無い。

内臓が無ければ生命維持機能を失うことは無い。

脳が無ければ意識を失うことは無い。

代謝が無いから老化することも無い。

合理的な結論だった。今の真を構成する最小単位“ナノセル”それ自身が筋肉であり、シナプスなのである。

「あ、あは。あはは、あははははははっ!」

真は笑った。笑い続け、笑い続け、最後は言葉にならなかった。よろめき、どすんと壁に身体を打ち付け、崩れ落ちた。

生命とは何か。この命題にルドルフ・シェーンハイマーという科学者が答えを出した。人間に限らず生き物は全て、食物と言う化学物資を取り込み、分解し合成して身体を作る。そして古い身体は分解し、廃棄物として排出する。筋肉だけでは無い、骨も爪も、臓器ですら。分子レベルで見れば生命とは自然界を流れる化学物資の“淀み”の様なものなのだ。分解と合成、この化学的持続的変化を代謝と言い、生命と呼ぶのである。

人間ですらない、生物ですらない、人の形をした他の何か。それが今の真だった。我思う故に、我あり。古の哲学者の言葉が虚しく響く。真は暫く呆けた後、ゆっくりと起きた。

「機械進化の能力が顕在化したのは、生物ではない故の結果か。異能を最大限発揮出来るようナノマシンが身体を最適化したんだろ……」

真はまた笑った。最高だと笑い続けた。

「最高だ……仇をなす者には相応しい身体じゃないかっ!」

笑い声に駆けつけた、警備員が銃を向ける。真は無防備に歩み寄った。再三の警告のあと警備員が発砲。右腕に当たった、歩き続けた。左足に当たっても歩みを止めなかった。腹部に当たり、そして右目に命中。血も流れずただ穴が空いていた。グレーの何かが露出していた。真は余りの恐怖で腰を抜かした警備員の首筋を殴り失神させた。床に転がる、うめき声を上げる人間を見下ろしてから彼は立ち去った。

“セシリア。君は今の俺を見てまだ真と呼んでくれるのだろうか”

その祈りは誰にも届くことなく、夜の空虚に消えていった。


◆◆◆


ノントロン社はパリから少し離れたロワール=エ=シェール県にあった。のっぺりした直方形の白いビルで、窓はあったが偏光式のブラインドらしく、中は見えなかった。敷地は広く、床面積の10倍では済みそうに無かった。草木が生えていて、手入れがされていた。駐車場もあった。車も何台か駐まっている。夜間照明も点いていた。

そして。

警備システムが張り巡らされていた。ゲートキーパー(警備員詰め所)に、暗視カメラ。レーザーセンサと動体探知機。屋上にはドーム状物体が等間隔に並んでいた。真にはそれがセントリーガン(独立型自動小銃)だと察しを付けた。建物から一定距離の位置に、撃たれたのだろう鳥類とおぼしき死骸もあった。

石油関連企業のビルにしては警備が大袈裟すぎた。何より人の名残が無い、日中人気のあるところ程、その人気の無くなる夜はある特殊な雰囲気を漂わせるものだ。例えて言うなら祭りの後の物寂しさ、それが適当であろう。このビルにはそれが無かった。日中も人が居ない証拠だ。

木立のなか双眼鏡を覗いていた真は、侵入方法に頭を悩ましていた。

ノントロン社の周囲に道路はあったが、辺りに民家は無く、一面畑が広がっていた。身を隠す場所もなく、近づくだけで怪しまれること受け合いである。幾らセキリュティを操作出来ても直接触らなければ意味が無い。カメラは敷地外も向いていた。顔は割れているだろうから、近づくだけで特定されるだろう。真自身が生きていること、ファントム・タスクを追っていること、まだ知られるわけにはいかなかった。

「……」

近くの酒場で聞いた話では定期的に清掃屋と庭の手入れに造園屋が入るらしい。それ以外人を見たことは無いそうだ。変装して入り込むか? 論外である。いまファントム・タスクは赤騎士騒動で混乱しているはずだ。その定期的を待つ時間が惜しい。そもそも真の変装は素人レベルである。

結局真は博打を打つことにした。まず該当区域の変電所に潜入し、指令コンピュータに細工をした。一時的に電力をカットするのである。当然ノントロン社の自家発電システムに切り替わるだろうが、その一瞬を狙うことにした。

作戦はスピード、俊敏さが命だ。重装備は適さない。ハンドガンと投擲用ナイフだけを装備した。黒いハーフコートに、黒いカーゴパンツを纏い、黒のスキーマスク……子供に見られれば石を投げられること受け合いである。去年、黒ずくめなのはセンスの無い証だと貴子に注意されたのを思い出した。雑念を振り払い作戦を実行する。

手頃なトラック拝借し、進化させ自動運転させた。車の底に這いつくばり、ゲートの前まで来た。時間通りに電力が落ち、照明が一瞬消えた。暗闇に紛れ警備員詰め所に押し入った。動揺している警備員の首に肘を打ち込み、昏倒させる。電力が切り替わる直前だった、警備システムを掌握。セントリーガンもネットワークに繋がっていた。幾ら独立タイプと言っても、発砲を通知する必要はあるからだ。真は、ハンドガンを構えて、屋内に潜入した。そこは暗く、がらんとしていた。もぬけの殻だったのである。

真は落胆していた。ダミー会社とは言え何らかの手がかりがあると踏んでいたのだ。広いフロアに積もった塵は一様で、長く使われていないことを伝えていた。余程手の込んだ連中と言う事だ。派手に動くか? いやしかし。煩悶しながら夜のパリをふらふらと歩く。陽も落ちて間もない、ストリートには未だ大勢の人が居た。若者のグループやカップルが目に付いた。ここでは赤騎士など問題ではないようである。

ふらりと手近な酒場に入り込みカウンターに腰掛けた。黒人のバーテンダーがやってきて両手をカウンターに置いた。仕方ねぇガキだな、そう身体で表現していた。

「子供の来るところじゃ無いぜ」
「20歳だよ」と真は擬装したパスポートを見せた。
「そりゃすまなかった。東洋人が若く見えるって本当なんだな。それでもまだ子供だけどな」
「ユーロ札を払って酒を出してくれるなら、あんたのつまらない話に付き合う。そうでないなら他の店に行く」
「カリカリしなさんな。せっかくのパリだ、楽しんでくれ」
「……スコッチ」

バーテンは丸グラスをふくれっ面の真の目の前に置いた。丸い氷が入っていて、こんじき色の液体が注がれた。

「どこかで見た顔だな」
「俺だってアメリカ大統領が居ると思った」
「確かにな、異国人は区別つき難い」

揺らぐ金色の液体は、たなびく金髪に見えた。もう会えない、そう分かっていても、分かっているからこそ強く求めてしまう。真は飲み干すと、もう一杯くれと頼んだ。真の様子を見ていたバーテンダーはそっと注いだ。

「フラれたのかい?」

妙に優しい声色だった。

「……そうみえるか」
「そうしか見えないね」
「もう会えない、と言う意味では合ってる」
「よっぽど良い女だったと見える」
「これ以上はない、そう思ってた」

バーテンダーはにっかりと笑った。

「誰でもそうさ。毎回そう思う、何回も奈落に突き落とされて、そのたびにそう思うんだ。それはそう言う物だからな」

的を外した慰めだったが、真は少し笑った。

「あんたもそうか?」
「俺のはもう永遠だよ」

そう言って左薬指のリングを真に見せた。

「何年?」
「もう10年だ。ガキも憎たらしい事を言う様になった。急に老け込んだ気分だよ、ほんのこの間までかわいい限りだったのに」
「そう言う割には嬉しそうじゃないか」
「まあな。一日一日大きくなっていく姿が見られるだけで、何も言うことはないよ」
「家族、か。良い物なんだな」
「そっちは?」
「両親と姉が居たけどな、もうこの世に居ない」
「だったら家族を尚更作らないとな」
「なぜ?」
「家族なら家族を持つ幸せを願うに決まってる。絶対そうだ」
「そうかな」
「そうさ」
「まったく。外国人というのははっきり言うな。決意が鈍りそうだ」
「もう恋人なんて作らないってか。馬鹿げてるぜ」
「かもな」
「ほら、通りを見てみろよ。女なんて星の数ほど居る。手を伸ばすかどうかはあんた次第だ」

苦笑交じりで振り返った真は“星は手が届かないから星なんだ”と言う言葉を引っ込めた。ウィンドウ越しに黒い髪を棚引かせる姿が在った。坑道で見た片方の女だ。人口220万人のこのパリで奇跡と言って良い。真は初めて神に感謝した。

真は立ち上がり、金をカウンターに置いた。バーテンダーは笑みを堪えきれずハハハと笑い出した。

「なんだ、意外と惚れっぽいな」
「あんたみたいな人と話せて良かったよ」
「がんばれよ、チャイニーズ」
「ジャパニーズだ」

真は店を出て黒髪の女を追い掛けた。

「ジャパニーズ? ……まさかな」


◆◆◆


真がその女に追いついた場所は酒場だった。窓に面したテーブルに居て、足を組んでいた。
肩と胸元が大きく開いた真っ黒なドレスで、髪をカールさせ下ろしていた。浅黒い肌の色、アイシャドウは濃かったが、口紅は薄かった。イタリアの老舗ジュエラー“トッリーニ”の、十字のネックレスをしていた。太陽か獅子を連想させる姿だった。真はイタリアの女優を直で見たことは無かったが、会えばこんな感じなのだろうなと思った。全く以て女は怖い、これがあのオータムだとは誰が信じられようか。彼女の持つ意識の色、それが見えなければとても同一人物とは信じられなかった。

何人目なのだろう、席の向いには赤毛の男が居て話し掛けていた。だが彼女は聞き流しぼんやりと窓の外を見ていた。ますます同一人物とは思えなかった。

真は脇にある銃を確認すると歩みよりオータムにこう言った。

「変われば変わるものだな」

無反応だったオータムはちらりと真を見た。赤毛の男が気分を害したに顔をしかめた。今まで必死に話し掛けても反応すらしなかった、オータムが初めて態度を変えた、それが赤毛男の不機嫌さを後押しした。

「誰だ君は」
「済まないが君、彼女とは“のっぴきならない”仲でね、遠慮して貰えないか」

赤毛の男は更に気分を害した。20歳前後の若造に横やりを入れられたのである。無理もない。

「のっぴきならないのは僕の方だ。大体君失敬じゃ無いか」
「赤毛の坊や、私はその彼と先約があるのさ。どこかにお行き」

酒場がざわついた。30前後の女が目の前の男を袖にして、しゃしゃり出た20前後の男を相手にしようというのである。その屈辱如何程のものか。赤毛の男はいきり立ち、真を睨み下ろした。面倒だ、真は眼鏡を取り赤毛の男を睨み上げた。

得体の知れない感覚が赤毛の男を襲う。胃袋をわしづかみされた様な、首筋を刃物でなぞられた様な、恐ろしい感覚。

「っ!」

危険を直感した赤毛の男は、眼を伏せて立ち去った。悔しさは隠さなかった。オータムは向いに腰掛けた真にこう言った。

「素人相手に大人げない事をするのね」
「配慮して貰ったことには感謝する。だが俺にも余裕はない」
「余裕のない男は魅力に欠けるものよ」
「君に好かれようとは微塵にも思わない」
「連れないわね、やり合った仲なのに」
「一方的にいたぶったの間違いだろう」

オータムは片手を上げてウェイターを呼ぶと、赤ワインを注文した。ウェイターは無言で真をちらと見た。オータムは気怠そうに窓の外を見ている。真はその苛立たしい状況を堪える。お前に合わせてワインなど頼むものか、馴れ合うつもりはない、と

「ブランデー」

と言った。くすり、オータムが笑う。子供っぽいところもあるのね、とその目は雄弁に語っていた。神経を逆なでされる。

「銘柄は?」
「コニャック」
「かしこまりました」

2人はかちんとグラスを鳴らす。一口呑むと真はこう言った。眼鏡越しだったが殺しかねないばかりに睨んでいた。

「エムは何処だ」
「篠ノ之博士が連れて行った」

真は素直な態度を訝しんだが、嘘は言っていない様に思えた。言葉を信じているのではなく、状況から考えて妥当性があると判断した。

あれだけの騒ぎだ、狙って起こしたとは考えにくい。あそこには赤騎士がいた、楯無から聞いた話をまとめると、篠ノ之束が居てもおかしくはないだろう。そして篠ノ之束は学園のゲート・ストーンを狙っている。戦力増強を考えるのも理にかなっている、と真は推理したが実際にはみやが居たからである。

「セシリア・オルコットの殺害を指示したのは誰だ」
「スコール・ミューゼル」
「あの金髪の女か」
「そぅ」
「殺害の実行犯は誰だ」
「もう死んだ。空の藻屑よ」
「ならばミューゼルは何処だ」
「何処だ、誰だ、“だ”ばかり。さすが世界で2人しか居ないお方。偉いのね」
「やめろ、駆け引きなどするつもりはない」

真はありったけの殺気をオータムに叩きつけた。その余波で周囲の男たちがたじろいだ。何名かが逃げる様に出ていった。

「無駄。危ない男は貴方だけじゃないの。でもまあ、16歳にしては異常かしら」

そうは言うオータムだったが昂揚していた。頬が赤く、瞳も潤み、じわっとした汗もかいていた。足を何度も組み替える。オータムは殺気を浴びて興奮しているのである。真は内心で辟易した。エムと良いこの女と良い、異常なのばかりだ。真は観念してこう言った。

「そして先程の様に男も狙う訳か。正直驚いている。女は生まれながらにして顔を使い分けると言うが、あの坑道での姿と重ならない」
「あれも私よ。今も私。そして私も驚いている、死んでいなかったのね。強運? それとも凶運かしら」

殺気に怯えない以上、拷問、銃の脅しは利くまい。残念なことに真は、自白させるスキルは持ち合せていなかった。だが収穫はあった。次の一手を打てる。

「そうか。ではさよならだ」
「私はF.T.を首になったのよ」

まだ情報の糸口がある、真は一度浮かした腰を下ろした。オータムが求める物がなにか真は理解した。それは単純で原始的な欲求だ、だからこう言った。

「大失態だ、殺されない方が異常だろ。相当に功績があったに違いない」
「そう。ガラクタになった勲章なら幾つも持っているわ。幹部の情報をもらさない限りは大丈夫、例えばスコールがどの様な商売で資金を得ているか、とか」

居場所は知らない、だがそれは知っているらしい。

「死は怖くない様な言い方だな」
「それはお互い様でしょう? 私たちに挑戦するなんて勇敢より、蛮勇、いえ愚かと言っても良いわ」
「言った筈だ。退っ引きならない。俺は退くことも引くこともできない。それに一つ訂正させてもらう。既に私たち(F.T.)ではないのだろう?」
「そう。退くことも引くこともできない、人生。それが私の望み」
「君はイカれてるよ。狂気の沙汰だ」
「狂気、良い言葉ね。貴方はそれを私にくれるのかしら?」

真はオータムの手を取り腰に手を回した。

「一つ言っておく。俺は女性を怒らせるのが得意だ」
「顧みないことを狂気というのよ」
「名前は聞かないぞ」

満足した様にオータムは真の左腕に自分の腕を絡めた。その夜、高級ホテルの一室で、一時の情欲と共に真は情報を得た。全ては復讐の為である。


◆◆◆


100年越しのアパルトマン(アパート)の最上階。天井は屋根であり、壁もまた屋根である、三角形の屋根裏部屋だ。備え付けのベッドの上で、真は仰向けに寝転がりながら、考えに耽っていた。見上げる白い天井は傾斜していた。

オータムの情報によると、スコールの持つ企業は飲用アルコールを取り扱っているらしい。どの国でもそうだが、アルコールの類い、ビールでもウィスキーでも輸入するとき税が掛る。彼女はその税の掛らないルートを持っている、との事だった。ただ情報はそこまでで、企業名までは分からなかった。

「リスクを伴うが銀行のネットワークに侵入してみるか……」

真は誰に言うわけでもなく呟いた。裏の企業だろうが表の企業だろうが同じ金を扱っている以上銀行と取引があるはず、そう踏んだのである。ただお金のネットワークというのは広大である。経済はワールドワイドであり下手に弄ると、誰かの目に触れてしまう。慎重にならなくてはいけなかった。マネーフローの閲覧が関の山だ。

真はまず現金を下ろす振りをして街角のATMに触れてみた。直近の銀行までアクセスできたが、それ以降は分からなかった。まあ、予想通りだと落胆も消沈しなかった。

今度は銀行間のネットワークに侵入するため大口顧客を装ってアクセスを試みる。アノレマーニのスーツ、ロベノレカヴァリの革靴。□レックスの腕時計に眼鏡は黒縁のレイハ"ン。高級ブランドで身を固め、髪にワックスを塗った。真は鏡に移る己を見た。

「……ヤンエグに見えなくもない、な」

ヤンエグとはヤング・エグゼクティブの略で青年実業家の意味である。バブル期に流行った言葉の一つ。IS世界においてももはや死語であるが問題はそこではない。身形は立派だが、漂う雰囲気が殺伐としすぎていた。狼が無理に羊の皮を被った、その様な雰囲気であった。一夏が居たならば“極道の若頭にしか見えない”と言っただろう。

こんなものか、真はク"ッチのトランクケースに札束を詰め、フランスの銀行の一つである“BNP Paribas銀行”に入った。真の姿を認めた警備員がとっさに腰に手をやった。腰には拳銃がぶら下がっていた。

真は努めて陽気に「ボンジョルノ」と言った。正しいフランス語の発音に警備員は少し毒下を抜かれた。2人の警備員が歩みより、真にこう言った。

「失礼ですが身体検査をしても?」
「どうしても、と言うなら構わないがね。特別サービスはしてくれるのだろうな?」
「そのサービスの為ですよ、ムッシュ」

警備員は真の身体を触り、武器を持っていないことを確認すると「今日は何のご用で?」と言った。

「口座を作りたくてね」
「トランクケースを確認させて頂いても?」
「金に機密性は付いて回る物だ。どうしてもと言うならば君らも付いてくると良い」

真は2人の警備員を連れて、カウンターに座った。他の客が何事かとざわめいた。カウンターで対応したのは黒髪の眉の濃い、化粧っ気の少ない、若い女だった。

「マダム。電話でアポイントしたジョン・マクレガーだが」

その女は真の姿に一瞬怯えたが、警備員が背後に控えていたので自信を持ってこう言った。

「ええ、予約名簿を確認したわ。口座を作るで良いのかしら?」

酷く砕けた口調だが、一般客相手ではこんなものかと指摘することはしなかった。トランク・ケースを開けるとどうなるか、逆にそれが楽しみとなった。

「書類はここにある。預けたい金はこれだ」
「おいくら?」

真はカウンターに置いたトランク・ケースを開けて見せた。女の顔色が変わる。ユニオン・コルスの取引で得た、28.8万ユーロの半分。14.4万ユーロ、日本円にして約一千万円である。

「口座を作るには不足かな?」

少々お待ち下さい、と女は慌ててどこかに消えていった。支配人の中年男性がやってくると「どうぞこちらへ」と真を2階の別室に連れて行った。警備員はその中年男性に追い払われた。高級な部屋で家具も絨毯も一品が使われていた。

「どうも申し訳ありません。とんだご不便を」
「いや、構わない。彼らも職務を遂行したまでであろうから」
「そう言って頂きますと助かります」

2人の居る部屋は四角いテーブルと肘当て付きの椅子が二つ、そして端末が置いてあった。真はトランク・ケースをテーブルに置き、開け、支配人に押し出した。

「14.4万ユーロある。これを預けたい」

監視カメラが動いていた。どこかで見ているのだろう、真はそう思ったが気にしなかった。

「お手続きに少々時間を頂きます」
「飲むものは頂けるか?」
「もちろんです」

銀行が行った真贋検査は全てクリア。本物だった。問題はどこから持ってきて何をしようというのかだった。そんな銀行側の事情など知るかと、真は机に身を乗り出しパンフレットを見る振りをして右手を端末のケースに付けた。

アクセスし基幹ネットワークを操作する。膨大なデータがそこには在った。真は急いでマネーフローの解析に移った。大半の企業はある一つの口座に多額の寄付金をしていた。極秘裏に、毎年、毎年である。石油はもとより、貴金属、ブランドメーカー、医薬品に至るまで。その額はISを運用するのに十分な金額だった。

その口座がロスチャイルドの資金源に違いあるまい。真は全額消去するなどの工作が出来ない事を嘆いた。そんな事をすれば能力が明るみになる、IS学園に迷惑を掛けるかもしれない。なにより、経済への悪影響が懸念された。データ上多額の金が消えるなど、リアルマネーと整合が取れなくなる、貨幣への信頼が揺らげば世界恐慌を起こしかねない。

もう少し調べるとアルコール類を扱う企業が20社以上ある事が分かった。ありふれた物故か、どれがスコール・ミューゼルの企業か分からない。さてどうする、しらみつぶしにするか。1つ目で仕留められれば良いが、万が一後半にずれ込んだ場合、情報を共有され警戒されるだろう。もう少し絞り込みが必要だ。真はマネーフローを追っていると、あるIS企業に目をとめた。それは、彼がよく知った企業だった。真は暫く惚けた後、見落としに自分を罵った。新たに見付けたヒントはすこし考えてみれば当然の物だったのだ。支配人がやって来た。

「お待たせしました。マクレガー様」
「偽札はあったか?」
「とんでもございません。全て本物でした」
「結構。では早速口座を作ってくれ」
「その前に幾つかご確認をしても宜しいでしょうか」
「口座を開くのに必要な質問か?」

最早口座はどうでも良かったのだが、後々何かの役に立つかもしれない。そう思って続けることにした。

「さようでございます」
「では仕方ない。答えるとしよう」
「口座を開かれる目的なのですが」
「散財だよ」
「散財でございますか?」
「ずっと仕事詰めでね、暫くのんびりするさ。気が向けば、付け足して投資もするかもしれない。フランスは色々と私を惹き付ける」
「これだけの金額をどうやってお持ち頂いたのでしょうか」
「アメリカで事前にドルをユーロに換金しておいた。外貨貯蓄という奴だ」
「何故私どもに?」
「何処とは言わないが、ある銀行の行員に不満があってね。銀行を変えることにした。さて貴方方はどうかな。求められれば取引証書も出しても良いが、そこまでするならば別の銀行も考える」

若い割に随分場数を踏んでいる、その支配人の男は真を見てそう思った。金持ちの雰囲気ではなく、戦いの雰囲気、大きな物に対峙できる胆力とでも言おうか、その様な物を持っていると感じ取った。真の持ってきた金額は14万ユーロ、庶民感覚であれば大金だが、巨額の資金を持つ大口顧客はまだまだ居る。率直に言えば大した額では無い。だが、真から感じる不均衡さ、何かを動かす力は彼にとって魅力的だった。温和しい人物に大金を動かす事は出来ないのだ。支配人の男は出来うる限りの笑みでこう言った。

「その様な失礼なことは致しません。是非私どもにご協力をさせて下さい」

その夜、真は一通の手紙を出した。


◆◆◆


満月の夜だった。

デュノア家の当主であるレオン・デュノアが屋敷に帰ったとき老執事が一通の封書を差し出した。封書の表面は規則的な網模様の凹凸で壁紙クロスの様だった。高級紙で出来ていた。銀盆にのった封書、レオンは一瞥すると、ジャケットを脱ぎネクタイを緩めた。

情報ネットワークが世界各国に普及し、ビジネスのスピードが劇的に加速している最中、紙のメールは珍しい。だが無くなったわけではない。式の招待状や弔電など、催事には未だ常識的に使われている。ただそれでも、Eメールや電話などで事前に連絡が来るのが常だ。

レオンは訝しみながら「何方からだ?」と言った。

レオンが手紙を受け取るのは原則的に朝である。夜、帰宅後に読んでも疲労などで正しい判断が下しにくいからだ。老執事ももちろんそれは承知している。つまり、それだけ重用な手紙だと判断されたのだ。老執事は一拍の後こう言った。

「蒼月様からでございます」

レオンは気怠い身体に力を込めた。彼も当然のことながら成田で起こったセシリア・オルコット殺害事件のことを知っていた。真が誘拐されたことも、ロデーヴで起こった赤騎士事件のことも。彼は手紙を受け取ると、ソファーに腰掛け差出人の名前を見た。住所は書かれていない、ただ名前だけがアルファベットで書かれていた。

「スコッチを一杯くれ」
「かしこまりました」

真がIS学園に戻ったとは聞いていない、戻ったならば報道もしくはディアナから一報があっても良さそうな物だ。つまり何らかの理由で、どこかに居ると言う事だ。レオンは真が手紙を出せる自由な立場に居ると判断した。彼には察しが付いているのである。

銀盆に載ったグラス、スコッチを飲み干すと手紙を読んだ。3回読んだ後レオンは老執事にこう言った。

「明日の予定を変更する。22時から若い友人に会う」
「旦那様。その封書は屋敷のポストに直接投函されておりました。ですが監視カメラの他警備システムに一切の記録がありませんでした。危険です、お考え直し下さい」

レオンは余裕を含ませ、僅かに笑う。

「そう言った芸当の持ち主が、追い詰められ冷静さを失っているならば、直接寝室に現れるだろう。驚けクロード(老執事の名)、彼は私にこう言っているのだよ、取引に応じなかったら強引に押し入るとね。娘が彼を選ばなかった事、つくづく悔やまれるな。この実行力はとても16歳とは思えない」
「では、せめて警護をおつけ下さい」
「当然だ。背中に銃を構える味方が居てこそ交渉は成り立つのだからな。彼がどういったカードを切ってくるのか楽しみだ」
「シャルロットお嬢様にお伝えなさいますか?」

今度は微笑を消してこう言った。

「もちろん伝えなくて良い、伝える必要は無い。もうあの娘が関わってはならない事態なのだ」

翌日の夜は雨が降っていた。レオンは降りしきるなか傘を差し1人立っていた。周囲に人気はなく静まりかえっていた。小道と樹木と、墓があった。パリ最大の墓地、ペール=ラシェーズである。真の指定した待ち合わせ場所だ。その場所を覗けること3カ所に狙撃班が待機していた。フランス陸軍 第2外人落下傘連隊 第4中隊狙撃班のメンバーである。狙撃班はレオンが装備する耳穴型コミュニケーターで絶えず監視していた。

レオンは煙草を取り出し火を付けた。煙が漂う、その時だ。レオンの目の前に黒い亡霊が現れた。

「スーツ姿でおいでとは驚きました。寒くありませんか?」
「冬生まれでね、寒いのは得意だ。どちらかというと君の方が寒そうに見えるがね」

傘も差さず、黒い髪と、黒いトレンチコートを雨に濡らして真が立っていた。前髪から雨粒が滴る。真っ黒な双眸が闇夜に浮かんでいた。真の姿をじっと見ると、レオンは煙草の火を消しこう言った。

「変わったな、君は。前の姿を思い浮かべると別人の様だ」
「俺は別人ですよ、伯爵。俺は死んでしまったんです。だから別人です」
「では、私の目の前に居る君は誰かね?」
「かって蒼月真と呼ばれた者の、抜け殻です」
「それは彼女を言い訳にしているのではないかね」
「セシリアが死んでしまった、だからこういう行動も仕方がない……二度も三度も同じ過ちを繰り返す、つまらない男ですよ俺は。でも止められないんです」
「君には休息が必要だ。来なさい、来るんだ。妻も娘も喜ぶ」
「無理ですね、伯爵。何故なら貴方も連中の仲間だから」

真はすっとグロッグを掲げた。その瞬間、真の左肩が弾け飛んだ。狙撃班の発砲である。ドゴォーンという図太い落雷の音が、着弾の後からやって来た。真は大きくよろめいて、よろめいた後、すっと銃を構えた。

狙撃兵たちが息を呑む。

それは奇妙な光景だった。16歳の少年は左肩を大きく欠損していた。傷跡は弾け、肉は散っていた……肉という表現は誤りだろう。肉に模したグレーの何かが散っていた。傷跡は波打ちたちまち戻った。散った何かはスライムの様に蠢き、真の足元に近寄り、吸収され、一体化した。まるでデキの悪い、クレイアニメのホラーでも見ている様な光景だった。

真は自嘲しながらこう言った。

「お伝えしたとおり、俺は死んでしまったんです。もう人間ではありません」
「その再生能力、カテゴリー3のナノマシンか? 君に何があった」
「そんな事はどうでも良い、最早意味が無い、元には戻らないのだから。俺が知りたいのはただ一つ、スコール・ミューゼルの居場所です」
「何故私に聞く」
「白々しいことを!」

その叫びは闇夜に消えていった。まるで死者が吸い取っているかの様だった。

「古くは十字軍。イスラム教徒にレッテルを貼り、ローマ法王をけしかけて、諸侯に莫大な費用が掛る十字軍遠征を行わせた。度重なる遠征で諸侯を衰弱させ、権力を奪い、中近東国家から略奪、私腹を肥やした。

さらなる私権獲得のためルネサンスの天才芸術家たちを支援し、貞淑概念を崩壊させ恋愛観念を解放させた。新市場開拓のためです。

社会の制覇力が武力から資力に移行するにつれ、さらなる実効支配を欲し、支配思想を共有する秘密結社を組織した、それがファントム・タスク。

国家を利用し、国家から収奪し、国家の力を削ぎ、戦争と革命を起こさせた。敵対する両国に金を貸し、武器を買わせ、莫大な富を得た。英仏戦争、明治維新、日露戦争、世界大戦、自由・平等・博愛のもと私権闘争を正当化させた。通貨発行権を国家に取り戻そうとしたジョン・F・ケネディ大統領の暗殺、近代史の影には常に貴方がたロスチャイルドが居た。

迂闊でした。フランスはロスチャイルドの本拠地。フランスの名家であり最大のISメーカーであるデュノア社が無関係であるはずがない。伯爵、スコール・ミューゼルは何処です」

「私が銃に屈すると思うかね? 私が死んでも代わりは居る、デュノアが取りつぶしになっても、組織は他の何かに吸収され、他の何かの為に動き続ける」

「……個人の意思に無く世界は物理的に回る、確かニーチェでしたか?」
「ニヒリズムは嫌いでね、虚無的すぎる」
「矛盾ですね、ならば何故ファントムタスクなど?」
「私はかって君にこう言った“いつの間にこうなった?”と。覚えているかね?」
「ええ」
「私とて運命には逆らえないのだよ」
「そして正義も捨てますか」
「法に正義などはない」
「知っています。法に正義があれば為政者が困るからだ。だから如何様にも都合良く変えられる。だが個人は別だ。伯爵、貴方の正義は何処にある? 法の下、為政者に奪われてしまった者はどうすればいい? 怒り、悲しみ、憎しみ、負の感情は出口を求めて永遠に渦巻き続ける。だったら、こうするしかないでしょう?」

真はレオンの頭に狙いを付けた。狙撃で真の片腹が吹き飛んだ。真はこう宣言した。

「狙撃班に次ぐ。北東の林の中、北のビルの屋上、西北西のバンの中。良い腕、良い狙撃ポイントだが邪魔だ。次ぎに発砲する仕草を見せたら伯爵を撃つ。銃を狙っても無駄だ、距離を考えろ。どちらが先に着弾するか明らかだ」

効果が無い、そう判断したレオンは撤退するよう班に命令した。狙撃ポイントから伸びる意識の線が動揺する様に波打ったあと消えた。

「君はわざと狙撃しやすい場所を指定したのだな」
「そうしなければ伯爵は来て下さらなかったでしょう?」
「止められただろうな」

真はハンドガンを握り直した。

「これはホーローペイント弾です。頭部に当たれば脳梁を飛び散らす。無残ななれの果てを見たシャルロットお嬢様はどう思うでしょうか?」
「その様な事をすれば君は恨まれるぞ」
「失礼ですが、お嬢様とは懇意にさせて頂いた。彼女は俺を我が子と呼び、俺は彼女を母と呼んだ。俺が伯爵を殺せば、彼女は苦しむでしょう。苦しんで、苦しんで、苦しみ抜いて。そして一つの答えを出す。それは俺に復讐すること。何故なら伯爵は死んで俺は存在するから。深い愛を持つお嬢様だ、その憎しみもさぞ深いことでしょう。一度は諦めた母になる夢、いま父である伯爵がそれを潰えさせますか?」
「……君は何者だ」

レオンはこの時初めて真の正体に感づいた。大人びた16歳などではなく、子供の皮を被った誰かだと、相当な場数を踏んだ正体不明の存在だと悟った。

「影ですよ。幽であり、幻であり、虚なもの。この世界に存在してはならない存在。それが俺です。伯爵、そろそろおしゃべりも終わりにしましょう。スコール・ミューゼルは何処です」

レオンはじっと真の眼を見るとこう言った。それはエゴと幽かな希望を託してのことだった。

「アラン・モンティエー。私が知っている幹部は彼だけだ」
「ありがとうございます」

真は銃を下ろし振り返り歩き出した。レオンはこう言った。

「エムの本名は織斑円。織斑千冬の妹、織斑一夏の双子の姉だ」
「そんな気はしていました。けれどもう良いんです」
「今まで築き上げてきた全てと決別するつもりか」
「伯爵、あなたは神を信じますか?」
「聞かれれば、そうだと答える」
「俺は信じていませんでした。死ねばただの化学物質だと、肉塊だと。でもセシリアの骸を見た時それを改めた。彼女から生を奪い、死者の尊厳を奪った奴らを俺は許さない」

真は墓場の闇に消えていった。それを見送ったレオンは煙草に火を付けた。

「一度は救いの手を伸ばしてくれた恩人に、銃を向けられるか。因果だな」

レオンの知っている幹部とは彼の直上だ。その幹部が死ねばレオンが成り上がる。家と会社と家族を守る為には更なる権力が必要だ。彼は真を利用しようと情報を故意に漏らしたのである。

「本当に私は何時からこうなった」

彼の呟きは、煙と共に雨音にかき消された。

その一週間後、真は幹部であるアラン・モンティエーを彼の屋敷で暗殺した。真の予想通り、アランは仲間のことを調べていた、名前までは分からなかったが、関与する企業名が判明した。仲間だといって無条件に信じる愚か者ではなかったのである。真は彼に感謝しながら、高層ビルを狙撃し2人目を射殺した。高級ホテルで3人目を銃殺、4人目は自動車ごと爆破した。一週間の出来事だった。

そしてとある月夜。真はビルの上からとある建物を覗く。そこに金髪の女が歩いていた。

「見付けた」




つづく。

◆◆◆



まどか「なんでっ!? なんでっ!? なんでっ!?」

( ゚∀゚)o彡°( ゚∀゚)o彡°( ゚∀゚)o彡°



[32237] 05-05 ファントム・タスク編 一夏2(クロス・ワールド)
Name: D1198◆2e0ee516 ID:d43d5313
Date: 2014/07/15 18:21
05-05 ファントム・タスク編 一夏2(クロス・ワールド)


悲しい出来事がありましたので、やさぐれました。
リミッターブレイクです。もう自重なんてしません。



── =≡∧_∧ =遠慮無くいくぜっ!!!
── =≡( ・∀・)  ≡    ガッ     ∧_∧
─ =≡○_   ⊂)_=_  \ 从/-=≡ r(    ) 
── =≡ >   __ ノ ))<   >  -= 〉# つ ←自重
─ =≡  ( / ≡    /VV\-=≡⊂ 、 ノ
── .=≡( ノ =≡           -=  し'
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
                  |
                  |
                  | ~~~~~~~~~~~~~~~~
                  |         ディラックの海

--------------------------------------------------------------------------------
場所はフランス、デュノア邸。シャルロットは自室の姿見の前に立ち、己の姿を見た。半袖のフレアワンピース。色は限りなく黒に近い緑で、大きめの襟は白。深みのある金の髪にも、跳ね偏りはなく、梳きも良い。肩甲骨辺りで軽く結って黒のリボンを咲かせる。彼女は鏡に映る自分の顔をじっと見た。メイクは薄いルージュのみ、日本の男の子は薄化粧が好みだ。白い肌故か、それでも薄紅色の唇が鮮やかに浮かび上がる。唇をそっと薬指でなぞる。

少々シックすぎるだろうか。いや、他の少女らとの違いを見せなければならないのだ。

“君の恋人は深窓の令嬢なんだよ”

ぱっと身を翻し、両の手を後ろ組手で、右脚を軽く曲げ、左足に寄せる。黒いストッキング越しに肌の色が色気を醸し出す。

「ねえラウラ。再会した時の表情は上目遣いが良いかな、それとも澄まし顔が良いかな。やっぱり微笑?」
「その問いかけは既に5回目だぞ、シャルロット」

ラウラはうんざりした様にカップを置いた。シャルロットは一夏との再会を今か今かと待ちわびていたのである。

一夏と別れて早二ヶ月。何時会いに行こうか、何時フランスに招待しようか、そう考えていたところ、一夏がフランスにやってくるという思いがけない一報が入った。楯無からである。その渡仏する段取りを聞いた時、無茶苦茶だと文句を言おうとしたら“大丈夫大丈夫”と一方的に通信を切られた。憤慨する間もなく、父であるレオン・デュノアに泣き付き、彼は極秘裏にフランス軍を動かした。

私事も同然な話であるが、デュノアを初めとした反ファントム・タスク陣営にとってIS学園の動きは好都合だったのである。表向きファントム・タスクに組みする彼らは、面だって動けないからだ。フランスのみならずヨーロッパの裏権力は繊細な均衡で成り立っていた。いまその均衡が大きく崩れようとしている。

言うまでも無いが、ここに正と邪はない。最終的に権力を握るのはどちらになるか、それだけだ。勝てば官軍負ければ賊軍、と言う訳である。

その様な裏事情は知らないシャルロット。彼女はくるりと回り、後ろ姿を鏡で確認した。鼻歌交じりで髪を整えている。ラウラは呆れた様に言った。

「身嗜みも結構だが。シャルロット、状況を本当に分かっているのか」

セシリアが殺害され、真が誘拐、一夏の乗った旅客機がファントム・タスクによって爆破されたという一連の報道を受け、ドイツ陸軍も極秘に動いた。ラウラがデュノア家に居るのは情報交換の為である。顔なじみと言う事でラウラが選ばれた。ネットワークを使えばどこから漏れるか分かったものではないのだ。

「もちろん分かってるよ。これから一夏に会うんだ」
「違う。我々がこれからどうするか、と言う事だ。ファントム・タスクは秘匿性を犠牲にしてまで活発に動いているのだぞ。尋常ではない」
「もう。ラウラはいつもそう言う事ばかりだよね。もうちょっとは化粧っ気をださないと一生独り身だよ。そう、そう。幾ら織斑先生に憧れているからって黒スーツは無いと思うな。せっかくのプラチナ・ブロンドが勿体ない」
「……余計なお世話だ。というより何故そこまで話が飛躍する」
「飛躍?」
「結婚、伴侶の話だ。我々はまだ16歳だぞ」

(※:劇中は12月で、二人は一歳大人になりました。誕生日設定はしていません)

「何暢気な事を言っているのさ! 只でさえISに携わる女の子は可愛げがないって婚期が遅れるのに、そんな悠長な事してたら行き遅れだよ!」
「落ち着けシャルロット! 今はそんな話をしている時ではない!」
「女の子の幸せだよ! とても大事な事だよ!」
「今は真の誘拐とオルコット殺害の方が重要だ!」
「そうだよラウラ! どうしよう!?」
「落ち着け!」

二人はまだ最新情報を知らないのであった。慌てて、取り乱す、癇癪しかけたシャルロットをラウラがどうにか宥めた。やっぱり姿見で確認するシャルロットを見て、ラウラは疲れた様にこう言った。

「一体どうしたシャルロット・デュノア。冷静なお前らしくない」
「ごめんねラウラ。僕ちょっと情緒不安定なんだ」
「体調が悪いのか? 健康管理も代表候補生の務め……もう違ったな。ならば休んだ方が良い。調査対応は私が行おう、バックアップに努めてくれ」

シャルロットにとってクラスメイトであったセシリアの殺害、息子である真の誘拐、恋人である一夏の殺害、立て続けに不幸が一度に舞い込んだのだ。彼女はメンタル・トレーニングを受けているとはいえ、現役を退いている。やむを得ないだろう、とラウラは考えた。シャルロットは気遣うラウラを見て、済まなさそうにもじもじと手慰みをする。

「ごめんねラウラ。通常では無いけれど異常では無いんだ。だから休む必要は無いよ」
「なんだそれは」
「ラウラにもそのときが来れば分かるって言うか、僕はちょっとフライングしたというか、なんていうか……」

シャルロットは右手を下腹部に添えて、左手を頬に添える。頬を紅葉させ、身体を左右に小刻みに揺すっている。

「いやんいやん♪」

その仕草を見て、ラウラは言葉を失った。口に含んだコーヒーをリスの様に貯めている。ラウラに経験は無い、軍でも最低限の事項しか教わらなかった。だが真の記憶はそれが何を意味するのか、明確に教えてくれた。ごくんとコーヒーを胃に流す。

「シャルロット・デュノア。それは本当なのか」とようやく声を絞り出した。
「うん。遅れているんだ……えへ。えへへ。えへへへ♪」

織斑一夏だろう。奴しかいない。殺処分にするべきだろうか、学園生徒に手を出すとは不届き千万……一夏はその生徒だったな。シャルロットは既に生徒ではない。では学園教師の出る幕はない。デュノアと織斑の問題だ、と理解はしたものの納得が未だ出来ないラウラであった。最も、楽しそうに踊るシャルロットを見ていたら、どうでも良くなった。

コンコン、屋敷のメイドが部屋の扉をノックした。彼女はシャルロット直属のメイドであり、主の許可を得て扉を開ける。軽く身を下げた。

「シャルロットお嬢様。織斑様がご到着なさいました。ビュッフェの間にてお食事中です」
「食事?」
「はい。非常に空腹だと仰いまして」

時計を見ると午後3時。夕飯には早い、昼食には遅い。シャルロットは少し気分を害した。

「もうっ。僕との再会よりご飯を優先するなんて! 失礼だよね、そう思わないラウラ」
「ああ、そうだな。織斑一夏は相変わらずらしい」

ラウラはすっくと立ち上がると、シャルロット共に歩いて行った。

シャルロットと一夏は二ヶ月ぶりの再会である。高鳴る鼓動、こみ上げる喜び、シャルロットはノックすることも忘れて扉を開けた。

「「……」」

熊が居た。がつがつもぐもぐ。熊は一心不乱にフランス料理を食べていた。よく見ると熊は毛皮であり、誰かが着ており、誰かとは一夏だった。フォーク、ナイフの使い方は雑だったが、音を立てない様配慮していた。状況が理解出来ない。流石のラウラもどう反応したら良いのか分からず、突っ立っていた。部屋の奥に立っていた、ビジネススーツ姿の軍人にシャルロットは話掛けた。軽く身を屈め挨拶をする。

「わたくしシャルロット・デュノアと申します。この度はご協力頂き、感謝の言葉もございません」
「マドモアゼル。私はフランス陸軍第2外人落下傘連隊、空挺コマンド小隊所属フィリップ・シュメトフ、上級伍長です。要人の捜索救助作戦はこの場を持って終了です。引き継ぎをお願い致します」
「もちろんです。もちろんですが……あの状況の説明をして頂けないでしょうか。彼は何故熊の毛皮を着ているのでしょうか」

シャルロットはフィリップが変な疲れ方をしていることに気がついた。肉体的なつかれではなく、精神的な疲労を滲ませていた。部隊に被害が出たのだろうか? そうならばお悔やみを言わなくてはならない。彼女は両の手を握り頭を垂れてこう言った。

「シュメトフ様。負傷、戦死された方をお教え下さい。デュノアからお見舞いを……」

フィリップは慌てて笑顔を作った。

「そうではありませんよ、心優しいマドモアゼル。戦死者はおりません、負傷者はいますが極軽いものです。私はただ、己の未熟を恥じれば良いのか世の不条理を嘆けば良いのか、判断に苦しんでいるのです」

シャルロットは理解出来ず、おずおずとこう問うた。

「あの、一体何が」
「我々救出特別編成班7名は、不幸な行き違いで“熊の毛皮を着た”16歳の織斑殿と交戦、為す術もありませんでした。努力で覆せない天賦の才とは存在するものなのだと思い知らされた次第です……いやこれはとんだ醜態を。兵士がお若いご婦人に話すべき事ではありませんね」

胸に詰まった鬱憤を少し吐いて楽になったのか、フィリップは微笑んだ。シャルロットは彼に飲み物を勧めたが、任務があると丁重に断り基地に帰っていった。がつがつもぐもぐ、側に控えるメイドは動ぜず「織斑様。お飲み物のお代りは如何でしょうか」と言った。

「くま♪」

喜びを伝えているらしい。注がれた水をごくごくと飲んだ。シャルロットは肩を怒らせ、両腰に手を添えて、こう言った。

「一夏、フィリップさんたちに何したの?」
「くま♪」
「一夏、ふざけてないでちゃんと教えてよ」
「くま♪」
「もうっ! いい加減にしないと僕怒るからねっ!?」
「くま?」

メイドが「織斑様。バゲット(フランスパン)のお代りは如何でしょうか」といった。

「くまー♪」

至福の笑みでフランスパンを食べる一夏。流石におかしいと思い始めたシャルロットは恐る恐るこう言った。

「あのね、一夏。自分の名前を言ってみて」
「くまくま」
「シャルロット、しゃ、る、ろ、っと」
「くまくまくま」

ぎぎぎ、さび付き動きの悪いブリキ玩具のような仕草でシャルロットはラウラを見た。ラウラは静かにこう言った。

「野生化しているな」


◆◆◆


“久しぶりだね、一夏”
“おお、久しぶりだぜシャルロット”
“もう。ちゃんと僕を呼んでよ”
“はは。わるいわるい。会いたかったぜシャル”
“僕もだよ、一夏。浮気とかしてなかった?”
“そういう悪い事を言う可愛らしい口は塞がないとな”
“ん……”

と言うのがシャルロットの筋書きだった。全てが台無しである。

「あうあうあう」

彼女はテーブルに突っ伏し泣いていた。ラウラがビュッフェの間から窓の外を覗けば、フランス・バロック様式の大庭園。その敷地面積70ヘクタール。東京ドーム1個で約5ヘクタールと考えればその広さを実感して貰えるだろう。窓から歩く人を見下ろせば正しくゴミの様。その広大な敷地を持つ大富豪の娘も一夏にかかると形無しだな、ラウラはそんな事を考えた。

振り返ればシャルロットは突っ伏し続けている。

「シャルロット。何時までそうしているつもりだ」

ラウラの指摘にがばっと起きた。一夏にびしっと指をさす。

「だって酷いよ! あんまりな仕打ちだよ!」
「どの様な状況でも臨機応変に対応する、IS乗りにとって必須条項だ」
「恋人の野生化を受け入れる位ならISパイロットになりたくはなかったよ!」
「いちいち大袈裟だな」
「くまー」

一夏はまだ食べていた。

「もうっ! 何時まで食べているのさ! 早くごちそうさましてよ!」
「くま?」
「落ち着けシャルロット。織斑一夏という存在は変わっていない」
「落ち着いてなんて居られないよ! 一夏! たった2週間森の中に居ただけで野生化するってどう言う事っ!? ぼく悲しいよっ!」
「くま」
「理知はある、人語を失っただけだ」
「大問題だよ! 意思疎通出来ないよ!」
「織斑一夏、旨いか?」
「くま♪」
「旨いと言っている」
「そんな事分かるよ僕にだって!」

美味しそうに食べる一夏の姿は、シャルロットの知る一夏その物である。ああ、目の前の一夏はどう否定しようとも僕の一夏なんだね。例え“くま”としか喋らなくても、例え熊の毛皮を着ていても。と現実を突き付けられた、彼女はよよよと崩れ落ちてしなを作る。その姿は悲劇のヒロインだ。

「うぅ、恋がこんなに辛いなら、恋なんてしたくなかった……」

ラウラは腰掛け、メイドに紅茶を頼む。

「いっそクマの着ぐるみにしてみたらどうだ。可愛げがでる」
「そーだねー。連れて行ったら託児所の子たちが喜ぶよー」
「託児所? そんな事をしていたのか」
「何時までも家に籠もっているわけには行かないしねー。子供好きだしー、働いているんだー」

もう自棄だと言わんばかりのシャルロット。それでも別れようと思わないのが彼女たる所以である。仕方がないなと、ラウラはカップをテーブルに置いた。

「織斑一夏を戻せるかもしれない」
「本当!?」
「可能性の話だがな。そこまで気にするならばやってみよう」
「是非ともお願い!」
「少し待て」

嗚呼ラウラ様。シャルロットは藁にも縋る思いで泣き付いた。ラウラは立ち上がり部屋を出て行った。暫くすると戻って来た。手に回転式ハンドガンを持っていた。スミス&ウェッソン社製“M686”である。銀色のフレーム、木製のグリップ、その流れる水の様な姿は質実剛健。装弾数の少なさから、スポーツ用途以外に使われることは少ないが、威力、命中精度ともに優れる一品である。シャルロットは身覚えのある銃を見て、一粒汗を流しラウラにこう言った。

「どこから持ってきたの、それ」
「地下の武器保管庫から拝借したぞ」
「どうして場所を知っているのさ、教えてないよね。というかセキリュティ掛ってなかった?」

場所を知っているのはラウラが真の記憶を持っているからである。真はかって渡仏した時に射撃場で汗を流したのだった。セキリュティは強引に開けた、別名破壊とも言う。ラウラはドイツ陸軍最新鋭の超高振動ナイフを隠し持っていたのである。汎用装甲鋼材など朝飯前だ。因みに極秘兵装である、素直に話すわけにはいかない、どう言ったものか。んー、と首を傾げてラウラはこう言った。

「乙女の嗜みだ」
「その一言で片付けられると凄い困るんだけど。デュノアの人間として、この館の娘として」

不審一杯のシャルロットを他所にラウラは一夏に近づいた。

「織斑一夏」
「くま?」

それは一瞬の出来事だった。ラウラが銃を構える、その前に一夏はラウラの右手首をつかんで引いた。重心を崩して軸足を刈る、柔術の一つ、大外刈り。組み伏された彼女は感心した様である。

ラウラは仰向けに一夏を見た。

「結構だ。更識楯無にしっかりしごかれた様だな」

一夏はラウラを見下ろす。顔が近い。息かがかる程だ。

「今の狙い方、真にそっくりだったぜ」
「当然だ。私の父なのだから」
「真の娘だから、だろ」

床に寝そべる2人を見てシャルロットは、ラウラが戻せたことを嫉妬して良いのか一夏が戻って喜んで良いのか、悩んだが兎に角こう言った。

「いつまでそうしているのさ」

2人は慌てて身を引いた。


◆◆◆


「つまり何? ラウラは真の記憶を持っているの?」
「臨海学校の前までだがな」
「真と同じ銃の構えで、一夏を刺激して?」
「そそ。本当に真そっくりだったぜ」
「……ねぇラウラ」
「笑いながら怒るとは随分器用だな。シャルロット」
「シャル、その顔怖いからやめて。超やめて」
「かってにうちの子と同棲なんてして! ぼく許さないよ!」
「「そっちか」」

場所は引き続きビュッフェの間である。この部屋はとても広い迎賓用のダイニングで、豪華なシャンデリアがぶら下がり、立派な絵画が壁に掛けられていた。大きなテーブルもあるのだが、今はシャルロットら3人だけなので、小さなテーブルが置かれていた。それでも十二分に大きい。

そのような立派な部屋でシャルロットはふくれっ面だった。白い椅子に腰掛け、白いクロスを敷いたテーブルに向かっていた。とんとん、と床を叩く足のリズムは苛立ちを隠さない。シャルロットは一夏を自室に招こうとしたのだが、メイド長に怒られたのだった。せめて着替えの手伝いを、と思ったらやはりメイド長に追い出された。一夏の身の回りの世話は、嫌がらせだろうか、妙齢のメイドがしている。

シャルロットより背が高く、スタイルが良く、年上で、結い上げてはいるが長い髪の、燃える様な赤毛の女だ。シャルロットより美人……かどうかは個人の主観によるので明言を避ける。ただ、整った容姿の一夏はメイドたちに好評で、館のところ何処で噂話が花を咲いていた。というか代わる代わる一夏目当てにやってくる。

「織斑様。コーヒーのお代りは如何ですか?」
「はい。頂きます」
「一夏。クッキーが焼き上がったぞ。どうだ」
「おお。とても美味しいです」
「いちかさま。庭園を散歩したいとき言ってね。とっておきの場所案内するから」
「よろしくたのむぜ」
「おにいちゃん、ベッドメイク済んだのよ、いつでもふかふかだからねー」
「ベッドは君に任せたっ!」
「うん。だから今晩呼んでねー」
「おう、任せとけ……今晩?」

冷たい眼が二組あった。痛々しく刺々しく、これ以上ないぐらいの軽蔑の眼差しだった。こほんと一つ咳払う。一夏はフランスにやって来た理由を簡潔に話した。

「と言う訳で。セシリアを探し出して真を見付ければ全て解決って訳だ。ラウラ、シャル協力してくれ」そう一夏が言うと、ラウラが「確かに辻褄は合うが何とも言えんな」と応えた。そうしたら一夏が驚いた様に「何だよラウラ。千冬ねえがそう言っているんだぜ?」と言った。

「私とて教官が嘘を言っているとは思わん。ただ異能というのは政府、軍でも扱いかねている物なのだ。それを根拠に組織を動かす事はできない」
「なんで?」

難しい顔をしているラウラに、シャルロットが続けた。

「力は確かに存在する、だけれど解明ができていない。異能というのは手品を見せられている様なものなんだよ。どうとでも作り出せてしまうんだ、CGやトリックを使ってね」
「教官やストリングスの様に公になっている物ならともかく、秘匿されているとなれば特にな」

「じゃあどうするんだよ。このまま黙って見ていろってのか?」

苛立ちを隠さない一夏に、ラウラは抑揚なく静かに冷静にこう言った。

「異能は取りあえず置いておく。だが回りくどい手法をとって殺害に至った矛盾は無視できない。セシリア・オルコットが生きている可能性は我々にとっても朗報だ」
「ラウラって本当に真に似てるな。その言い回しといい、素直じゃない言い方といい。生きているかもしれないから探そう、でいいじゃねーか」
「織斑一夏、お前が純朴すぎるだけだ」

ぶーたれる一夏を他所に、ラウラはシャルロットに眼を向ける。

「シャルロット・デュノア。聞いての通り、私の部隊を動かすには根拠が弱い、尚且つフランスでの行動には制限がかかる。デュノア家頼みだ。ロデーヴ(赤騎士)の騒動を調べるのが肝要だと思う」
「それは僕も気になって調べようとしたんだけど、妨害があって上手く動けないんだ。もっともまだ崩落してるからどうにもならないんだけどね。衛星写真を見る限り重機がたくさんあるから、掘り起こしてるようなんだけど」
「重要な何かを置き忘れたと言う事か……デュノア伯爵に諜報を頼めないのか?」
「お父様、最近忙しくて家に帰ってないんだ。何かあったみたいなんだよ」

「強引に押し入ってみるか?」と一夏が言うと、シャルロットが「駄目だよ、一夏。戦闘活動になると大事になる。それにISを持ち出されたら今の僕たちに為す術がない」と応えた。

代表候補を返上したシャルロット、書類上ただの観光客であるラウラはISを装備していなかった。一同がだまりこむ。そのとき一夏が「だったらよーイギリスに話を持ちかければいいじゃん。スパイの本場だろ?」と言った。こうべを振りながらラウラが「イギリスに極秘情報を流せるパイプなど無い」と応えた。シャルロットが「真を探す手助けなんてしてくれないよ」と悲しげに言う。

「何言ってんだよ。2年にサラ・ウェルキンって先輩が居るだろ。イギリスに帰国してるはずだぜ? セシリアが生きているかもって言えば無視しないだろ」
「「……」」

2人はぽかんと口を開け、こう言った。

「「一夏が頭使ってる……」」
「むかつく」


◆◆◆


英国とIS学園はセシリア殺害の一件で関係を硬化させており、円滑な情報交換ができていない。そこで、シャルロットが内密に連絡を取ることにした。サラ・ウェルキンがセシリアのお目付役、オルコット家の人間であることは、シャルロットも知るところである。

翌日の朝。進められるがまま、デュノア邸に一泊したラウラはビュッフェの間に向かった。白いブラウスに黒のタイトスカート、スカートも既に履き慣れた。部屋に入るとシャルロットが既に席に着いていた。見渡せば控える給仕の姿が見える。どうもこう言うのは落ち着かないな、ラウラはそう言いながら席に着いた。一夏はまだ居なかった。2人は朝の挨拶を軽く交す。

「シャルロット。朝から済まないが、昨晩の件どうなった?」
「ウェルキンさんと連絡は付いたよ。動いてくれてるみたい。ただ時間は少し掛るかも」
「感触はどうだ」
「それが余り驚いていなかったんだ。僕たちが気づいていた事もそうだけど、連絡をしてきた事に驚いた様だった」
「オルコットが生きている事はイギリスも把握していたのだろうな」
「IS学園に対する賠償請求はパフォーマンスって事だね」
「処遇は表向きで、みやと真を手に入れようとの目論見だろう」
「更に僕たちが頼んだことになるからね。正直迂闊だったかも」
「時間が惜しい。それには目を瞑らざるを得まい」

政治的、国家間的駆け引きに、気が滅入る。IS学園が如何に平和なのか思い知らされる。学園の一歩外は汚い世界なのだ。ラウラが独白した。目の前の白いティーカップをじっと見る。

「学園の生徒達にはこの様な事教えたくはないな。これは教師としてのエゴなのだろうか。いずれ知るというのに」
「そうだね」

沈黙が訪れる。テーブルには3人分の朝食が並んでいた。

「一夏遅いな」シャルロットが言う。
「弛んでいるな。たたき起こしてこよう」ラウラが言った。
「駄目だよ、ラウラ。長旅だったんだ。疲れているんだよ」
「あの男はそんなにヤワではない。名高きフランス陸軍の特殊部隊を返り討ちにするほどだ」

たたき起こす、寝かせてあげよう。シャルロットは甘すぎる、ラウラも人を好きになれば分かるよ。甘やかすことと大事にすることは別だ、厳しさだけならそれは愛じゃないよ。それが分からない様な軟弱者は不要だ、心を表現することは大事なのに……らうら! 何故それが分からん!

言い争うこと暫く。その間に一夏の世話係のメイドがやって来た。一通の手紙を出す。

『ラウラ、シャルへ。目が覚めたから散歩がてら真探してくる。一夏』
「……首に縄をつけよう」
「……機関車の様な奴だな」

◆◆◆


日本と異なりパリは古い石の面影を強く町である。当然のことながら石は木より永く持ち、フランスは国土対し居住可能面積も広いから、建築物の高層化は余り起こらなかった。地震も殆ど無く、今なお数多く残っている。木材建築物に対し、床と天井を支える為に柱は太く、多くある必要があった。壁も柱の役割を果たすから分厚く、同じような構造の建築物が数多くあった。その結果石で統一された一つの町ができあがる。ある意味異文化の象徴だろう。

「~♪」

一夏はその様なパリを彷徨っていた。いつの間にか物見湯山である。右を向いても人、左を向いても人で。白人、黒人、黄色人種。欧州、中東、アジア、アフリカ、多種多様だ。

「ほへー、流石移民国家。フランス人の方が少ないんじゃねーか?」

日本人らしき東洋人もちらほら見かけるものの、真は見当たらない。ぶらぶらと歩くと噴水のある公園にでた。真の代わりに、くつろぐ人々や楽しそうに謳う鳩や雀がいた。おもむろに一羽の雀に近寄る一夏。

「雀さん、真しらね?」
(……)

声が小さい、というよりは遠い。都会の生き物とは会話出来ないのである。仕方がねえな、と一夏が立ち上がる。ちゅんちゅんと一羽の雀が頭の上に乗った。

「あ」

と言う間もなく、また一羽、また一羽。瞬く間にもみくちゃにされた。ばさばさと羽ばたかれ、こんこんと突かれた。雀に混じり鳩もいた。周囲から笑い声が聞こえる。子供がきゃっきゃ、きゃっきゃと笑い出す。ビデオカメラを構える人、普通のカメラを構える人。それに気づいた一夏は顔を隠しながら逃げ出した。

「かめら、のーさんきゅー!」
「「「HAHAHA♪」」」

鳥たちから逃げ切って、一息ついた。といっても全く息は切れていなかった。

「ヒッチコックかよ」とついぼやく。

気を取り直し近くのカフェでホットのカフェオレを買う。カウンターのカード読み取り機に、カルト・ブルー(キャッシュカード)を差し込み暗証番号を押した。楯無から受け取ったカードだ。フランスはスリ、強盗が多く大金を持ち歩くのは危険なのである。

一夏が通りを歩いていると、早々にスリに遭った。財布をすっと盗られた。一夏は相手が気づく前に取り返した。手に取ったはずの財布がない、スリははてなマークで立ち尽くしていた。一夏はそのまま立ち去った。

ベンチに腰掛け、紙コップのカフェオレをすすり、道行く人をじっと見る。すると白人金髪女性と、東洋人男性のカップルが目の前を歩いて行った。意識なく目で追う、町並みに消えていった。

実際真はどうするのか、一夏はそんな事を考えた。

セシリアは生きている、真と共に連れ戻せば元通りだ。だが、学園の誰もが思うとおりセシリアは英国貴族であり、真は一般人だ。卒業したらセシリアはイギリスに帰国する、そのとき真はどうするのだろう。

IS学園に残れば当然別れることになる。よしんば付いていったとしても、みやは持って行けまい。ただの人になる、そのとき嫌な言い方だが真の価値は低くなる。オルコット家は武家ではないから警備員が関の山だ。当主と東洋人の警備員、ノーフューチャーである。

異能は秘密にしなくてはならない、イギリス軍は避けなければならないし、入隊すればそれこそ会えない。イギリス人では無いからIS乗りにはなれまい。セシリアを取り戻し、イギリスに返し、イギリスの要求通り、みや丸ごと明け渡すのが最良なのだろうか。

でも、それでは駄目だ。セシリアと結ばれる保証はないし、むしろ逆だろう。出来損ないのナイトの烙印を押されているのだから。一夏は答えのない問答を繰り返し、溜息をついた。

「馬鹿をやれるダチが居なくなるのは、つまんねーな。でも別れろとは言えねえし……」

両手を頭の後ろに組んで、両脚を伸ばし天を仰ぐ。雲が流れていた。空も日本と何かが違う、ぼぅっと眺めていると突然“真”と叫ぶ少女の声がした。

その声は小さく、雑踏に紛れていた。一夏でなければ聞き取れない程の、か細い声だった。鋭く眼を左右に走らせた。一面に広がるのはストリート、人々と車が行き交っている。路地裏か、そう当たりを付けて駆けだした。右へ左へ、また右へ。己の直感に従い、細い石畳の路地を駆け抜ける。

最後のコーナーを越えたとき、数名の人だかりが見えた。日本人の少年一人、少女一人、あとは見るからに外国人だ。白人、黒人、アジア系も混じっている。真と呼んだのはこの少女か、では真とはこの少年か。一夏のよく知る目付きの悪い少年ではなかった。よくよく考えてみれば、ありがちな名前である。一夏は僅かに落胆しながら、駆け寄った。いずれにせよ緊急事態だ。

一夏より頭一つ分は小さく黒髪で、少女の様に華奢な少年が、気丈にも少女の楯になっている。一夏は地に伏せる大男に気がついた、腹を抱え蹲っている。少年は武道の構えをしていた、この少年がやったらしい。それなりに達者の様だが多勢に無勢。少年は捕まり右腕をねじり上げられた。

痛みで端正な表情を歪ませ、苦悶を上げる。少女は背後から捕まれ引き離された。恐怖の余りか、失神しそうな雰囲気だ。

「真ちゃん!」
「お前達! 雪歩を離せ!」

少年は真、少女は雪歩と言うらしい。一夏は少年をねじ上げている男の背後に、風の様に走り込み背中をとんとんと突いた。

あん? と男が振り返った、ねじ上げる力が緩む。一夏はそれを待っていた。ねじ上げられている状態で激しい衝撃に襲われると、関節を痛めてしまう恐れがあったからだ。一夏は笑って男の顔面に右拳をねじ込んだ、彼のこめかみには血管が浮き上がっていた。ぐぅと男は崩れ落ちて、少年は解放された。誰だこの人、少年は右肩をさすりながら一夏を見た。

穏やかでない表情で男達が一夏を囲む。なんだこいつは、馬鹿がしゃしゃり出てきやがって、こいつ日本人だぜ、MAKOTOってこいつじゃないのか、ディアナを汚しやがって、と眼のみで雄弁に語っていた。ディアナを信奉する過激派、ディアニストの面々だ。少女を羽交い締めしている男を除けば全部で5人。一夏はフランス語ができない、英語も和製英語だ。だから。右人差し指をくいくいと動かし、挑発。

「かもーん。まざー・ふぁっかー」

ティナから教わった相手を侮辱する最上級の言葉である。決しておもしろ半分で言ってはならないのだ。事実、怒髪天を突く勢いで、男達が襲ってきた。何名かはボクシングと空手の経験者の様である。殴って蹴って、一夏は全員昏倒させた。一夏の足元に男達がひっくり返っている。少年が呆気に取られたのも無理はない。複数の敵を相手にしてはいけないのが実戦の鉄則だからだ、何故ならば相当な実力差が無いと勝てないから。

あと一人。最後の男は少女を盾にして、喚いている。近づいたらこの女の無事は保証しないぞ! と言っていた。一夏は黙って左手を外側から内側に振るった-真空の刃かまいたち-空気の断層が空気を巻き込み突風が起こった。怯みが生じる。その隙に、一夏は10メートル程の距離を一瞬でゼロにし、男の顔面に一発ねじ込んだ。仕舞いである。

雪歩という栗毛のボブカットの少女は、ぽかんとしながら地面にしゃがみ込んだ。白いワンピース姿。見るからに儚げで、保護欲を駆り立てそうな娘だった。その娘は自分たちを助けてくれた目の前の同年代の少年をじっと見ていた。彼は自分の倍以上も体重がありそうな、筋肉だるまの様な男を達を背負ってはおおきなゴミ箱に入れていた。バタンと蓋を閉めた。

一夏はパンパンと手を叩き、雪歩に「うーし、終了。雪歩だっけ? きみ怪我はない?」と言った。雪歩はうんともいいえとも言えず、瞳を落ち着きなく動かすだけだった。一夏は簪タイプか、と判断して無事だと分かった。手を取り立たせた、雪歩は不思議な顔で自分の右手を見ていた。彼女は男性恐怖症なのだった。それを知っている少年も驚きを隠さない。

一夏は少年に歩み寄った、黒髪の短髪で気の強そうな少年だった。でもジャージはないだろう、と一夏は思った。その少年の肩を触った。折れてはいない、だが手当はしておいた方が良いな、とこう言った。

「これ大したことないけど帰ったら一応湿布か何か張った方が良いぜ」
「えあ、うん。ありがとう」
(あー、こりゃまだ動揺が抜けてないな。無理ねーけど)

一夏は続けて真に言った。

「お前、名前は?」
「真、菊地真」
(うーむ。やっぱり違和感ありまくりだ。あの陰険野郎のイメージが強すぎる……)

どうしても目の前の、一見少女にも見える美少年をその名で呼ぶのは無理がありすぎた。だから一夏は名前で呼ぶのを止めた。

「つーかお前。その娘を守ったのは立派だけど、不用心すぎるぜ。なんでこんな裏路地に入り込んだんだよ」
「わざとじゃないって!」

思いの外甲高い声で一夏は少し驚いた。雪歩という少女がこう言った。

「私たちお忍びでパリ観光してたんです。ちゃんと人気の多いところを歩いていたんですけれど、ついうっかり真ちゃんと呼んでしまったんです」

擦れる様な間延びしたしゃべり方だった。ウィスパーボイスという奴である。だがそれはどうでも良くなった。一夏はがっくりと肩を落とした。

「もう分かった。蒼月“真”と間違えられたんだな」
「そう、です」

ここフランス、特にパリでMAKOTOの名前は御法度だ。楯無から貰った“よく分かるフランス旅行”というガイドにも書いてあった。黒髪で、同じ短髪で、MAKOTOと呼ばれれば無理もない。真が続けた。

「突然血走った男達に追い掛けられて、いつの間にかこんな裏路地に迷い込んでしまったんだ。何とか一人は倒したんだけれど。そこを織斑くんに助けて貰ったって訳……ディアニストがこれ程過激だなんて思いも寄らなかった。ごめん雪歩。危ない目に遭わせて」

(あれ? 俺名前言ったっけ?)と一夏はボケた。フランス人ならともかく同じ日本人である、二人が一夏を知らないわけがない。

真は一本気が強い性格で、雪歩を巻き込んでしまったこと心底悔いていた。雪歩は雪歩で責任を感じ真に謝り、その都度真が謝る。終わりそうになかった。同じく一本気の強い一夏は一夏で(加害者みたいなもんじゃねーか、俺)とか思っていた。一夏は頭を1くしゃり。

「うし、乗りかかった船だ。ホテルは何処だ? 送ってくぜ」
「スクリーブ=パリ=マネージド=バイ=ソフィテル」
「五つ星ホテルじゃねーか。金持ってるな」

一夏に含みはない。雪歩と真は互いに見合わせた。真がおそるおそる一夏に問うた。

「あの、織斑君ってひょっとして僕たちの事知らない?」
「さっき初めて会ったんだ。知ってるわけねーだろ」
「“マジェスティック・シックスティーン”って3人組を聞いた事は?」
「アサルトライフルのM16なら知ってる」

徐々に真のトーンが低くなる。雪歩も顔を青くしだした。

「“READY!!”とか。“Kosmos,Cosmos”とか“エージェント夜を往く”って曲はっ!?」
「まったくしらん」

一夏は芸能関係に疎かった。中学時代でこそクラスメイトから色々聞いたがIS学園への入学が決まってからは、マスコミやら座学やら訓練やら戦闘やら喧嘩やらで、それどころではなかったのである。一夏は可憐な少女に興味はもちろんあったが、IS学園には不自然なぐらい器量よしが揃っていた。コンビニで時おり雑誌の表紙を飾るアイドルを見ても、なんとも思わなかった。

だから。

目の前の二人が、S級アイドル3人組の2人だとは気づく事は無かった。どれ程の衝撃だったのだろう、茫然自失で立っていた。ファンでなくても名前ぐらいは知られている、そう信じていただけにショックが大きかった。レコード大賞とか、紅白歌合戦とか、東京アリーナとか、全国ツアーライブとかぶつぶつ言っている。頭を抱えて涙目で。一夏は理不尽な罪悪感に駆られた。何とか慰めようと試みる。

「あのよ、なんかよく分からんけど。1消費者の意見としてだな」

残念ながら一夏は1消費者ではない。学園の少女たちが普段意識することはないが、こう見えても日本中に銘を轟かす超有名人である。つまりは追い打ちだ、いっそう塞ぎ込む。

「ドラゴニック・バスター・キィィィックゥ!・THE・春香ぁ!」

頭の左右に二つのリボンを付けているショートカットの少女がドロップキックで飛んできた。勢い付けて突然背後から飛んできた。スカートが翻ることに躊躇がない程の勢いだ。一夏は一瞬白い布きれに目を奪われたが、あっさり避けた。その少女はそのまま通り過ぎ転がり、どんがらがっしゃーん、とゴミ箱に盛大に突っ込んだ。その姿はまるでボーリングの様。そしてそのまま動かなくなる。周囲に漂うはしくしくしくという嗚咽のみである。「えーと」流石の一夏もどうして良いのか分からなかった。


◆◆◆


なんだからと場所を変えてとあるカフェである。飛んできた少女は天海春香と言い、M16というアイドルグループのリーダーだった。一番地味で普通に見えるのにリーダーとは驚きだ。(この娘の服、しま○らかなー)と一夏がボケた。淡いピンクのジャケットに、青いスカート。服装も至って普通だった。

彼女らはバカンスでパリに来たと一夏に言った。メンバーは彼女に加えること菊地真、萩原雪歩の3名だ。春香は途中ではぐれた2人を探しだし、一夏をディアニストと間違えたらしい。

「とんでも失礼しました。私ったらてっきり君が悪漢だと思って。はるるんったらお馬鹿さん♪」

ぽかりと自分の頭を叩く。このようなテンションの娘であった。そんな春香を見て一夏はどきどきだ。

(やべー。この娘あぶない。ぜってー危ない。下手したらマジ狩られる……)

初対面にも関わらず、失礼極まりないことを考えていた。人々から正常な判断を奪い思うがまま従わせる特異な力、天性のアイドル資質と言おうか、それを直感で感じていたのである。その様な一夏を他所に、春香は飛ばしていた。笑顔で一夏の手を握る。柔らかく暖かい感触が何故か恐ろしい。猫かぶりモードだ、雪歩と真が苦笑する。

「真と雪歩は私の大切な仲間なんです。助けて頂いて何とお礼を言って良いのやら……」
「あ、いえ。お気遣いなく」

突然丁寧語になる一夏だった。落ち着いて余裕が出来た真が身を乗り出した。

「みんな同じ16歳だし、仲良くしよう」
「あー。それでシックスティーンなのか」と一夏は納得した。
「真、この人知ってるの?」とコロっと態度を変えて春香が聞いた。
(なんつー、厚い猫の皮)一夏は戦々恐々だ。
「何言ってるんだよ、春香が時々言う彼だよ彼」と真が呆れた様に言う。

眼を細め、じっと一夏を見る春香。ぴこんと電球が灯り、指さした。

「あー! 織斑一夏!」もう一回一夏を指さした。
「しー! しー! 声がでかいって!」
「静寐元気してる? いま何してるのあの娘?」
「……はい?」

かくかくしかじかまるまる。何とびっくり、静寐と春香はアイドル候補生時代の友人だったのだ。春香はそのまま芸能界入りし、静寐はIS学園に入ったのである。一夏は呆けた様に春香に聞いた。

「まったくしらんかった……春香は今でも静寐と交流があるのか?」
「メールを時々。最近は忙しくてあまりしてないかな。でも元気そうで安心した」
「春香ちゃん。静寐ってだれなの?」と雪歩が言った。
「歌が凄く上手い娘で私のライバルだったんだ。家の都合で学園に行ったんだけどね」と春香は何故か鼻高々である。
「昔の春香なら歌で勝負にならなかっただろ」真も酷い事を言う。
「なんだ。春香は下手だったのか」一夏が笑う。
「ひどいよそれ。一生懸命レッスンしたんだから」という春香の言葉に一夏は酷く共感した。入学当時一夏も真に勝てなかったのである。もっとも一夏の場合はかなり特殊なケースであるが。

真がまた身を乗り出した。拳を握り頬を紅葉させている。何時もと異なるテンションの高さに見合う春香と雪歩。

「ところで一夏はどうしてパリに? 行方不明だって聞いたけれど」
「俺は特別な任務を帯びているのだ。だから俺が居るって事は秘密にしてくれ」

妙に説得力のあるセリフだった。実際その通りであったし、一夏も何だかんだ言って凄みが増している。それを感じ取った3人は感心した様である。

「なにそれ♪」と春香が笑う。
「格好いいね」と雪歩も笑う。
「先程の立ち回りと言い、流石IS学園の織斑一夏は言うことに重みがあるね♪」

嫌味が無く、屈託がない。同じ真でもこうも違うのか、一夏は深く考え込んでしまった。

「どうしたの?」真が首を傾げる。なぜか胸が高鳴る一夏だった。
「いや。こっちの真と偉い違いだなって。取っ替えたいぐらいだぜ」
「あはは、それは魅力的な提案だね。これでも一度はブリュンヒルデに憧れたんだ」
「真はIS適正計ったの?」と春香が聞いた。
「ふふふ。Aだよ」と真が自信満々で応えた。

「え?」一夏である。
「え?」春香だ。
「え?」雪歩で。
「……ふーんそう。一夏はボクをそういう風に思ってたんだ。一夏だけは違うと思ったのに」

真である。ゆらりと立ち上がり、組んだ両指をばきぼきと鳴らす、その姿は般若の如く。この一見美少年の様な姿の真は少女であった。父親のエゴで少年の様に育てられたが、その心の奥底には乙女への飽くなき追求があったのである。少女の矜持を傷つけてしまったと一夏は

「まじごめん」

と土下座した。

「要反省!」

ごちんと、真は涙目で一夏に拳を打ち込んだ。

一夏が3人をホテルに送ると眼鏡を掛けた、小柄な女性が待っていた。結い上げた髪とパンツスーツと。何処をどう見てもキャリア・ウーマンである。彼女は3人を認めると、走りより一度怒ってそのあと安堵した。目が潤んでいた。とても心配していたのである。いい人そうだ、一夏は思った。雪歩は握り拳を口元にこう言った。

「秋月律子さんといって私たちのプロデューサーなんですよ」
「へー。裏方の割には随分綺麗だな」
「前はアイドルをしていたんです」
「なるほど」

その律子が一夏の前に歩み寄る。保護者を兼ねているのだろう、母の様に堂々としていた。

「織斑一夏君ですね。わたしは765プロの秋月律子と申します。うちの娘たちを助けて頂いたそうで。感謝の言葉もありません」

深々と頭を下げた。

「あ、いえ。たいした事してないです」
「それはそれとして」律子の眼鏡が光った。
「なんでしょうか」後ずさる一夏だった。
「な、に、もしてないでしょうね」
「してません」
「本当ですか?」ずいと迫る律子に照れる一夏。
「俺をどう言う目で見てるんですか……」
「当代きってのプレイボーイ。IS学園でやりたい放題のハーレム王。出会ったら一秒で妊娠させられる、女泣かせと聞いていますが?」
「根も葉もない言いがかりです!」
「本当ですか?」
「本当の本当です!」

律子はふっと笑って身を引いた。

「今のは冗談です。助けて頂いたことに感謝しています。本当にありがとうございました」

その扱いにくさ。俺と年もたいして変わらないのに大人の女性なんだなと、感心する一夏であった。律子は振り返りもう休暇はお仕舞いよ、と3人に告げた。

春香が言った。

「何してるか知らないけれど、気をつけてね。静寐に宜しく」

雪歩が言った。

「お仕事頑張って下さいね」

真は何も言わなかった。腕を組んでふくれっ面だ。

「まだ怒ってるのかよ……」
「ボクの乙女心は深く傷付いた」
「どうすりゃ良いんだ?」
「それをボクに聞く?」
「分かった。俺も男だ。出来る事ならなんでもしよう」
「……ミックスベリー」
「?」
「IS学園都市にある臨海公園でミックスベリー味のクレープを奢ってくれたら許す」
「なんだ、そんな事か。お安いご用だ」
「言質取ったよ」
「おう。二言はねえ」

律子はやっぱりという目で見ていた。雪歩と春香はおぉと興奮していた。真は一夏の手を取りこう言った。

「じゃ取りあえずのお別れだ」



「真も元気でな」



そう言って3人と一夏は別れた。ホテルのロビーに入るまで見送り手を振る一夏。

「かわいい娘たちだったね。流石トップアイドル」

シャルロットが背後から言った。

「でもなんつーか。アイドルって学園の娘たちとあんまり変わらねーな。元気があって輝いていて」
「そう。それが理解できるほど仲良くなったんだ」

ごごご、という地響きが聞こえる。一夏には確かに聞こえた。汗が噴き出した。

「……なあシャル」
「なにかな」
「何時からそこに?」
「一夏が公園で鳥たちと戯れていたときから」

彼女はずっとつけていたのである。一夏がゆっくり振り返ると、鬼の形相の令嬢が居た。ラウラはやれやれと髪を掻き上げた、千冬そっくりである。一夏は慌てて逃げ出した。シャルロットはぴっと糸を一本、一夏の首に絡ませた。ディアナ仕込みである、逃げられない。逃げられるわけがない。

「一夏! 真を探すとか言ってナンパするなんてどう言うこと?!」
「違う! 探してたのはホント! 真もちゃんといたし!」
「僕、嘘は許さないからね!」
「でー!」

翌々日、3人はサラ・ウェルキンと会うことになった。





つづく!
◆◆◆










【どうでもいい作者のぼやき】

真評判悪いなー。でも仕方ないんだよなー。真の経歴、状況考えると非合法に訴えるしか方法ないんだよなー。孤立無援だし。最大の枷(セシリア=自意識形成)が無くなっちゃったし。そもそも本質的に汚れ役だし。今まではそう言う事をする必要が無かったから、しなかっただけで。ダークヒーローを主人公にすると辛いってホントなのねー。へこむー

まあぶっちゃけ。真が本気で狂ってたら、病院とノントロンの警備員。マルセイユのゴロツキ含めて全員○してたでしょうね。これ重要です。レオンに銃を向けたのも交渉の為です。ネゴシエーターのバックに狙撃隊が付くのと一緒。武力があって初めて交渉が進む、これ個人国家問わずの現実です。我々一般市民も、互いに警察という抑止力を持っているから日々交渉をしている訳ですね。













【もっとどうでも良い作者のぼやき】
あかん、最近1話当たりの文字数が多すぎる……めっちゃ大変。



[32237] 05-06 ファントム・タスク編 一夏3(理想と現実と)
Name: D1198◆2e0ee516 ID:4a0c6f63
Date: 2014/07/21 18:51
05-06 ファントム・タスク編 一夏3(理想と現実と)


FT編、4話の予定がまだ終わらない。それは真サイドを追加したからだ。
ヽ(#゚Д゚)ノ┌┛)`Д゚)・;'←まこと
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サラ・ウェルキン。IS学園操縦課2年。赤みを差した白い肌と灰色の瞳。セシリアに負けず劣らずの鮮やかな金の髪、額を大きく見せゆったりと下ろしていた。眼はくりっとしており歳の割に幼く見える。鼻筋長く細面。

(美人と言うより、かわいい系? しいていえば馬かなー)

一夏はストリートを挟んだ反対面のカフェの中から、窓越しにサラを見ていた。陽が落ちかかった紅の時。常人であれば低度でも双眼鏡が必要な距離だが一夏にはよく見えた。

彼女は濃紺の長袖ワンピース。丈は短めで、白いタイを結んでいた。足元はロングブーツ。服だけ見れば古いイギリス水兵を彷彿させる服装だ。良く言えばシック、そうでないならば地味。それでも華やかに見えるのが白人の特徴か。もっとも、警戒の表情では台無しだろう。少なくとも目は笑っていなかった。

パリの華やかなオープンカフェである。サラ(英)、ラウラ(独)、シャルロット(仏)の3人の見目麗しき少女たち、イタリア男も逃げ出す鋭い空気を漂わせていた。

その様な3人を見て一夏はカフェオレをずずっとすする。彼はフランスに居てはならないのである。同席を願い出たがイギリスは信用出来ないとラウラに突っぱねられた。シャルロットもやんわり同意した。聞こえてくる声は小鳥たちの囀り、交す会話はワルプルギスの夜である。非常にぎすぎすした密会だった。

両脚を揃え丁寧に腰掛けるサラは、優雅にむっすりとティーカップをテーブルに置いた。

「シャルロット様。この者が同席するとは聞いておりませんが?」

サラはラウラを一瞥した。サラはオルコット家の使用人だがセシリアのお目付役でもある。彼女の父は男爵で、相応のお家柄なのだ。シャルロットの父であるレオン・デュノアは伯爵。位はデュノアの方が上だがその娘である彼女は凶行持ちの私生児だ。何とも微妙な力関係である。とはいえ。サラは国は違えど、同じ貴族の血を引く以上敬意を払わなくてはならない、と考えた。

かってのイギリス女王エリザベス一世の父であるヘンリー8世は6人もの妻を娶った好色家であったし、その妻らを処刑もした無慈悲な王でもあった。凶行と好色、王族貴族の歴史ではよくある話なのである。シャルロットの生い立ちをとやかく言うのは憚られた。

とにかく。この様にサラ・ウェルキンは血統に重きを置く人物である。ラウラの様な存在を疎ましいと思うのは無理がなかった。それを知った上でシャルロットは真摯な姿をサラに向けた。デュノア家としての立場を使った。

「ウェルキン殿。貴女の主であるセシリアは私にとってもかけがえの無い友です。また貴女の学舎であるIS学園に置いて戦闘指南を務めるラウラもまたセシリアを助け出す一心で共にはせ参じました。その心に一片の迷いなどありましょうか。今は一刻一秒を争うとき。互いに手を取り協力しましょう」

要するに。お前の主義主張は知っている。だがセシリアを助け出す方が大事だろ? 互いに表立って動けない立場である以上、ラウラの力は必要不可欠だ。四の五言わず協力ししろや、とシャルロットは言っているのだ。

「……」むっすりと黙り込むサラだった。
「では始めるぞ」

ラウラは足を組んで澄まし顔だったが、内心苛立っていた。この一大事に血筋云々を言い出すサラの有り様が、現実主義のラウラにとって不愉快だったのである。

サラはかいつまんで今の状況を伝えた。東洋人の少年とおぼしき人物が大陸経由でロデーヴの坑道に連れ込まれたこと。技師や兵士など多数の人間が現地に出入りしていたこと。その坑道は長らく使われていなかったこと。その坑道を所有する会社はダミー会社でありファントム・タスクと関連があること。

「グレーだね。タイミングを考慮して限りなく黒に近いグレーだよ」とシャルロットは確信を持って言った。ラウラも頷いた。

サラが一枚の写真を撮りだした。それは船舶用コンテナだったが、荷を確認しているだろう扉の隙間から白い大型の機器が見えた。

「大型の医療機器、軍用の冷凍睡眠器です。セシリア様は恐らくここに」とサラが言った。
「潜入調査にしろ強襲にしろ坑道内部の情報が必要だな。サラ・ウェルキン、情報はあるか?」とラウラがいうと彼女は黙って首を振った。

ラウラはシャルロットを見た。意図を察したシャルロットは「決定的証拠が無いと軍は動かせないよ。もみ消されると思う」悔しそうに首を振る。そうしたらサラが「警備は1個小隊、重火器も確認されています」といった。ふむとラウラは腕を組む。

「それだけの兵力を投入している、逆にISは無いと見る事は可能か。ならば潜入は不可能ではない」

ラウラの希望的観測に、シャルロットは力強く同意した。状況に応じている余裕はないのだ、勝負を賭ける時である。

「部隊は動かせないけれど、僕の権限で装備は手配できるよ」
「決まりだな。私が潜入しよう。サラ・ウェルキン、セシリア・オルコットを保護次第連絡、引き渡す。シャルロットはバックアップ」
「いえ、同行します」

予想外の発言にラウラとシャルロットがサラを見た。ラウラがサラに言う。

「私が遂行すると言っている、わざわざ参加することはない」
「セシリア様の御身が掛っております。私が指をくわえて見ているわけには参りません」
「高度な技術を要する作戦となる、お付きのお前に何が出来る」
「MI6での訓練を受けております。諜報の術は心得ています」

2人の議論に熱が混じり始めた。

「既に諜報という次元の問題ではない。これはスピードと隠密が命の特殊作戦だ。スパイなど必要ない」
「流石ドイツ陸軍の“特殊”兵。言う事が傲慢です」

2人の視線に火花が散った。

「私情を挟める状況ではない、つきあいきれんな」

ラウラが腰を浮かした時サラがこう言った。

「私情を挟んでいるのは、ボーデヴィッヒ少佐、貴公の方だろう? 蒼月真がそこに居ないことは既に調べが付いている。“今なお拘束されている”と工作をすることなど無意味だ」
「何のことだか分からんな」
「とぼける気ならば言おう。貴公が蒼月真を父と仰いでいることは既に知っている。娘である貴公が庇いたいのも無理ないことだ。父が犯罪者などと認めたくは無かろうからな」

ラウラの赤い瞳に殺意が籠もる。

「発言には気をつけろ、サラ・ウェルキン。彼への侮辱は許さん」

サラも臆することなく睨み返した。シャルロットは突如始まった英独戦争にあたふたしていた。

「この一週間でアラン・モンティエー公爵を初めとたフランスの名士が立て続けに殺害されている。目下、ファントム・タスクの幹部とされている人物だ。だが不思議なことに未だ犯人像すら浮かび上がってこない。この短期間、この規模でそれはあり得ないことだ。単独犯という可能性を見逃してさえいなければ。蒼月真には動機が十二分にある、問題は作戦能力だが……異能を持っている彼には可能であろう?」

サラ、イギリスもまた福音事件のことを知っていた。

「当て推量で物を語るとは程度が知れるな。良いか良く聞け、セシリア・オルコットが襲われたのは搭乗後。事の発端は貴様らの失態だ。ファントム・タスクの動向を見逃し、本物のオルコットを易々と奪われ、あまつさえ旅客機への工作を許す。英国情報局秘密情報部が聞いて呆れる。自国民からの非難を避けるためその責を、学園に、彼に押しつけたお前たちに言われる筋合いはない。主すら守れぬ従者など犬以下だ」

「先の大戦で大量殺戮をした人種の人形がよく吠える」
「アボリジニ族を根絶やしにした輩が言えた分際か」

2人の殺気が膨れあがり、弾ける寸前だった。


「控えよ」


その声は静かだったが、何者にも抗えない厳かさを持ち合せいた。開けたカフェが謁見の間にでもなった様な、それほどの支配力だった。雑踏が消えていた。

かちゃり、とカップを置く音だけが響いた。

シャルロットである。何時もは絶やさぬ笑みを顔から、瞳から消し去り、威圧の表情を向けていた。その威厳如何程のものか、サラは小型のハンドガンに手を伸ばし、ラウラはナイフに手を掛けたまま固まっていた。動けなかった。

「よいか貴公ら。ここは我が国フランス。我が国で起った事は我が国の人間が預かる。他国の人間が口出し出来ることではないのだ。何人たりともこの権利を侵すことまかり成らぬ。これに従えぬというならば、即刻立ち去れ。自国に帰り主に泣き付くがいい」

フランスの法に従って、と言わない辺りがシャルロットの強かさである。伯爵令嬢の真骨頂、2人は渋々矛を納めた。既に陽が落ち、姿はよく見えない。だが何事かと周囲の人達も、3人の方向に目を走らせていた。彼女らは大声で叫んでいたのではない、普通に、それよりも小さな声で話していた。にもかかわらず皆が皆、息を呑んで注目していた。

一部始終を見ていた一夏は青い顔だった。初めて見るガールフレンドの一面に、あんぐりと口を開く。

(こえー。超こえー。シャルってばあんな王さま成分を持ってたのか。とんでもない娘と関係持っちゃったな、俺)

この成り行きならば姿を見せても良いだろう、とカフェを出たとき銃声を聞いた。彼は反射的に駆けだした。日本を発ってからトラブルばっかりだな、と愚痴を溢しながら。


◆◆◆


夜の裏路地である。オータムのあとを3人の男が追っていた。彼女は駆けていて、男たちも同じように駆けていた。彼女は黒い革パンに白いタンクトップ。褐色のハーフコートを羽織っていた。男たちはスーツ姿でどうみてもビジネスマンにしか見えなかった。全員が手に持つのは自動拳銃である。オータムを追っているのはファントム・タスクが差し向けた工作員だった。情報を漏らしたことを、突き止められたのである。

ある時は壁越しに撃ち、またある時は走りながら撃った。サプレッサーをつけていたので大きな音はしなかったが、幾つもの閃光が裏路地に走った。目撃した住民が警察に電話したが、一向にサイレンの音が聞こえない。誰も彼もが息を殺してじっとしていた。

何度目かの銃撃のあと、男たちの1人が脇道に入った。挟撃しようというのである。オータムが背後に迫る追手に向けて発砲したとき、暗がりから銃を構えた男が現れた。

「銃を捨てろ」

オータムは顔を動かさず眼だけでその男を見ると、銃を捨て後頭部で両手を組んだ。追手の残りも追いついた。

「両脚を開いて頭を壁につけろ」

追手の一人がオータムの身体を探る。大型ナイフと弾倉を見付けると取り上げた。振り乱した長く黒い髪、その隙間から覗いてオータムが言った。彼女は微笑を浮かべていた。

「殺さねーのか?」

男たちが受けた命令は捕縛だった。誰に何を漏らしたか調べる必要があるからだ。もちろんそれを言う必要は無い、男たちの一人が黙って手錠を取り出した。別の男は無線機で仲間に捕縛したことを伝えている。残った最後の1人は銃をオータムに向けていた。怪しい動きをすれば即座に発砲する、そう無言で言っていた。

さてどうする。このまま捕まれば拷問が待っている。それを耐えても自白剤を使われ結局は白状することになる。真に命を賭ける程の義理は無いし、話しても構わないが慰み者になるのは面白くない。散々いたぶられたあと制裁として処分されるだろう事は目に見えていた。

(派手に死んだ方がマシだな)

ブーツに仕込んだ爆弾を作動させようとした時と、路地裏の奥、ゆらりと影が揺らいだのは同時だった。誰だ、オータムがそう思うと突風が吹いた。一瞬きのあと男の2人が倒れていた。ジーンズにレプリカのA-2フライトジャケット。黒い髪に赤銅色の瞳。整った顔立ちには強い意志が宿っていた。

「貴様、織斑一夏!」
「やはー」

残った最後の1人が即座に発砲した。何が起こったのか理解出来ていなかったが、仲間の2人が一瞬で倒されたことは事実だった。弾頭が飛来する、射軸を合わせられていた事に一夏は気づいた。避ければオータムに当たる、カウンターで踏み込んでも同じだ。仕方がねーやと、一夏は弾を掴んだ。弾圧で身体がコマのようにぐるぐるとまわり、そのまま壁に打ち付けられた。弾丸を受け止めた手の平が赤くなっていた。

呆然と我を失ったのは追手の男だけではない、オータムもまた奇跡でも見たかのような眼で一夏を見ていた。一夏は掴んだ弾頭をぽいと放る。

「いってーな」

と言いつつ、一夏は最後の男をたたき伏せた。男たちを縛り上げている一夏を見ながら、オータムはこう言った。呆れた様である。

「姉譲りのタフさって事か。生きているのも納得だ」
「簡単に言ってくれるけど、死ぬ思いだったんだぜ」

二人はジェット旅客機爆破の一件を言っていた。一夏は不満一杯だ。

「生きてるなら良いだろ。男が過ぎたことネチネチ言うんじゃねーよ」
「ざけんな。生身で空に放り出される気分を味わってみやがれ。どれだけおっかねーか」
「苦情なら役所に言いな。聞く耳持たねーよ」
「へっ。ねーさんよ。俺が怒らないうちにごめんなさいって言うんだな。さもないと怖い目にあわせちゃる」
「あん? このオータム様にガキの脅しが利くかよ。やれるもんならやってみろ」
「ならそのでっかいおっぱい揉むぜー」
「……盛ってんのか、このガキ」

けけけ。邪一杯の顔で一夏が手をわにわにしていると、ラウラが駆け寄ってきた。右手にハンドガン、左手に大型ナイフを掲げている。動きやすいよう、タイトスカートの裾を裂いていた。華奢な体型だが覗く白い肌が艶めかしい。ラウラは途中で止まった。ちょうど一夏が中心に居る距離だ。転がっている男たちの姿を認めて、彼女は溜息をついた。

「織斑一夏。こっちに来い」
「この姉さんに話があるんだけど」
「四の五言うな早くこい。オータム、妙な動きはしてくれるなよ。このトリガーは軽い」
「ドイツ陸軍のBoosted(強化人間)か。ナマで見るのは初めてだが本当に人間そっくりだな」

学園の仲間を人形呼ばわりされて、むっとする一夏だった。かく言うラウラは涼しい顔だ。

「美しさへの嫉妬は見苦しいぞ。オータム」

オータムはぴくりと頬を引きつらせた。女同士の争いに空気が歪む。かく言う一夏は青い顔だった。思い出されるのはジェット旅客機の中で繰り広げられた、オータムと楯無の歪な言い争い。間に挟まれるのはごめんだと一夏はラウラに歩み寄った。

(なんか俺、ダセーな)

同い年の少女に守られるというのも、格好が付かない。一夏はそんな事を考えた。でもラウラの眼が怖い、逆らうと本気で怒られそうだ、睨み方が千冬ねえに似ているし……ぶぅぶぅと不満顔の一夏である。ラウラはオータムへの狙いを維持したまま一夏に言った。

「怪我はないな」
「するかよ、この程度の敵」
「黙れ新兵。慢心は重大なミスを招く。それに待機しろと言った筈だ、なぜ指示に従わない」

またまたむっとする一夏だった。偉そうだなお前、と言う言葉を辛うじて飲み込んだ。ラウラは教師であったし、兵士として多くの修羅場も潜っている事も知っていた。その表情が千冬に似ていることは関係無い、そう自分に言い聞かせ……理論的にこう弁明した。

「銃声が聞こえたんだ。大事だろ?」
「勝手に判断をするな。私に判断を仰げ」
「手遅れになったらどうするんだよ。もうちょっとでその姉さん死ぬところだったんだぜ?」
「それは私たちには関係の無いことだ」

もう心象を隠さない一夏だった。苛立ちが表情にありありと浮かんでいる。

「何を言ってるんだ。この姉さんはファントム・タスクだぜ? 貴重な情報源だろ」
「それは結果論に過ぎない。織斑一夏、良く聞け。偶々銃声に駆けつけたら偶々オータムだったと言うだけだ。今の私たちには重大な使命がある、お前はそれを忘れたか」
「なんだよそれ」
「お前がトラブルを起こせば作戦遂行に支障を来す。それを忘れるな」

両の手を腰に添えて、オータムがつまらなそうに言った。

「手の掛る子供のお守りには同情するが、その辺にしておきな。それとも帰って良いのか?」
「そうはいかない。オータム、お前には聞きたいことがある」

結局聞くんじゃねーかと一夏は苦虫をかみつぶした顔だ。オータムが言った。

「俺の利は?」
「有益な情報を渡せば見逃してやる」
「はん。お優しいこった」

強化人間相手には分が悪い、生きる可能性があるならばとオータムは渋々従った。ラウラが問う。

「その前に聞きたいことがある。この追手は織斑一夏を認識したか?」
「ああ。ばっちりな」
「仲間への連絡は?」
「してない」
「そうか」

何を言っている? 一夏が怪訝そうに2人のやりとりを見ていると、ラウラはおもむろに手袋をはめて、サプレッサーが付いている追手の拳銃を拾った。そして追手3人を射殺した。顔色一つ変えず、息すら乱さず、余りにも自然な動作だったので、一夏は状況を認識するのに時間が掛った。

一夏はラウラに突っかかる。

「馬鹿! 何してるんだお前!」

ラウラは冷ややかな眼で一夏を見た。

「目撃者を消しただけだ」

事務的なラウラの物言いに一夏は言葉を失った。徐々に怒りがこみ上げる。ラウラはこう続けた。

「忘れたか織斑一夏。お前は今ここに居てはいけない存在だ。この追手はファントム・タスクの実行部隊、見られた以上放置できない」

怒りが頂点に達し、一夏がラウラの首元を掴み持ち上げた。

「んなこたー知ってる! だからってどうして簡単に命を奪うんだよ! 捕まえるなり牢に放り込んでおくなりすれば良いじゃねーか!」
「お前は勘違いをしている。お前と違って私たちは正義の味方ではないのだ。常に生と死の際に立っている、僅かな躊躇いが仲間と己を危険にさらす。そのような悠長な事はしていられない」
「人の命がそんなに軽いのか!」
「人命が尊いことは知っている。だが比べたら仲間の命の方が大事だ。敵一人の命と引き替えに仲間が一人助かるならば躊躇いはない」
「ラウラ。お前程の力を持っていてもか」
「普通の人より多少優れているだけだ。当たり所が悪ければ私とて呆気なく死ぬ」
「……この人たちにも家族が居るだろ。その人たちはどうなる」
「それは兵士の考えることではない。その様な事を考えていたら兵士など務まらない」

ラウラの言っていることは徹底した現実主義である。理解は出来るが納得が出来ない一夏だった。

「いま私たちって言ったな」
「当然父上はこちら側だ。お前の様に敵の身を案ずる程つよくはない。思い出せ織斑一夏。だからこそお前はここに来たのだろう?」

一夏は一度拳を強く握ると、緩めた。深く息を吸い、深く吐いた。ラウラが幾分表情を緩めて言う。

「理解したらその手を離せ。ブラウスが伸びる」
「悪かった。汚れ役を押しつけた」
「ふん。父上の苦労が忍ばれる。お前の様な子供のお守りではな」

ぷち。一夏はありったけの速さでラウラの胸に手の平を置いた。ご丁寧に両手である。頬を真っ赤に染めて後ずさるラウラだった。身を抱きかかえるように胸を両手で隠している。

「な、な、ななな」

羞恥の余り言葉にならない。一夏は両手の平に残る柔らかさを感じながら一言ぽつり。

「小さいな」

ぷち。ラウラは手刀を振り落とす。一夏避ける。縦横斜め、手刀を振り回す。一夏、どんどん避ける。

「父上にも触らせていないのに!」
「おー。問題発言ー」
「勘ぐるな! もっとも親しい者ですらという意味だ!」
「もんで貰えば? 大きくなるぜ?」
「この痴れ者ー!」

目の前で繰り広げられる、喜劇を見てオータムはうんざりと溜息をついた。

「シリアス持たねーな。お前ら」


◆◆◆


「……」サラは黙って一夏を睨んでいた。
「……」シャルロットも黙って一夏を睨んでいた。
「……」ラウラはぱくぱくとフランス料理を堪能している。
「……」オータムは赤ワインをごくごく飲んでいる。

一夏はうんざりしたようにこう言った。

「なんで俺を睨むし」
「「べつに」」

とあるパリのブラッスリー(酒場)である。情報共有だといってラウラが一席設けた。良いとこ育ちのサラとシャルロットが酒場への入店を渋ったが、明るく目立つレストランなど論外だと一蹴した。

ラウラが肉料理を食べているとサラとシャルロットに向けて「どうした? 冷めるぞ」と何事もないように言った。そうしたらシャルロットが努めて笑顔で「ねえラウラ。どうしてこの人がここに居るの?」と聞いた。「言わなかったか? 一夏が見付けてきた」

水を吹き、慌てて否定する一夏だったが、オータムが「俺は助けられたんだよ。あの出のタイミングと良い立ち回りと良いまるでナイト様だったぜ」と艶っぽく一夏を見つめる。皆から見えないテーブルの下、シャルロットは澄まし顔で一夏のすねを蹴飛ばした。

痛い、何故痛いし。真の拳骨なんぞ全く痛くないのに……と苦悶の表情で突っ伏す一夏であった。

サラがスープをすっとすすり「ラウラ・ボーデヴィッヒ。敵兵を捕縛したことは良いです。織斑様がここに居ることも不問にします。ですが、なぜこの者を拘束せず、こうして席を共にしているのか説明を求めます」おお、なんかセシリアっぽい。一夏はそんな事を考えた。その問いにはオータムが答えた。

「俺はお尋ね者になったんだよ。もうお前らに何もしねーよ」
「ロデーヴ事件のせい?」とシャルロットが聞いた。
「そんなところだ。このガキはやたら強いし、ドイツ女も睨んでるし、な」

納得したサラがぶどうジュースを飲むとオータムにこう聞いた。

「セシリア様は?」
「ロデーヴの基地だ。崩落で搬出できないならまだそこだ」
「基地兵力は?」
「ISは無い。立て続けに幹部が暗殺されてるのは知っているか? いま幹部会の連中は保身に必死でな、数少ないISを巡って争っているはずだぜ」

証言が取れた、とラウラは内心拍手喝采していた。これで部隊を動かすことができる。一夏がバゲットを食べながらオータムに言う。

「真もそこ?」
「どっかに行っちまったよ。俺様が気づかない程の見事な隠形でな……捨てたことは何度もあったが、捨てられた気分にさせられたのは初めてだぜ。まったくよー」

ワイングラスを片手に、物憂げに語るオータム。その姿を見てラウラが咎めるようにこう言った。シャルロットも同じような心持ちであった。

「まてオータム。それはどう言う意味だ」

オータムはポケットから一枚の写真を撮りだした。その写真にはベッドに腰掛ける真の姿が映っていた。前屈みで両膝に両肘を立てていた。黒い長袖シャツに、黒い長ズボン。分厚い靴底のトレッキングシューズを履いていた。なにより目を引くのがその表情である。ただ黒く、世界の壁に穴が空いていて虚無の空間と繋がっているのではないか、そう思ってしまう程の黒さだった。

「あの野郎からの言づてだ。“俺の事は忘れろ”だとよ」

また勝手なことを、とラウラが唸ってこう聞いた。

「オータム。なぜ真がお前に伝言など頼む」
「俺はセシリア・オルコット殺害には関与してねえからな。だからじゃねーの」

一夏も唸っていた。

(あの野郎、また張り詰めた眼をしやがって……)

拳骨は10発必要か、それとも20発か、むむむむむ。そのときサラがぎこちなくこう言った。何故か丁寧語である、挙動不審である。

「ここはホテルのようですが」

オータムが応えた。

「あん? それがどうかしたか?」

桃色妄想に目を丸くする、10代の少年少女たち。

「ばかか。女と男、寝床に入ったらやることは決まってんだろ」

一々気にするなと吐き捨てる。

(また敵の女と……教官に報告せねば)ラウラである。
(また火遊び……ディアナ様にお伝えしないと)シャルロットで。
(所詮下賤な者……やはりセシリア様には相応しくない)サラだった。

オータムのボリュームのある胸を見ながら一夏はこう言った。悔しいのか呆れているのか自分でもよく分からない。

「オータムさん。フリーだってんなら俺らの仲間にならね?」

またまた目を丸くする少女たち。

「相手を見て言いな。1回やったぐらいで馴れ合うかよ」

頭を回したシャルロットがこう引き継いだ。

「それは名案だね。これからヨーロッパの裏世界は荒れるし、オータムさんの求めにも応じられると思うな。是非ともデュノアに来てよ」
「たしかにスリルは俺の望みさ。でもその程度じゃ何処についても同じだね」
「リヴァイヴⅢ、真の乗っているみやを元に開発中。とびっきりのじゃじゃ馬でテストパイロットを何人も病院に送っている。実戦経験があって、尚且つ多くのIS操縦経験もある、ISパイロットとして名高い貴女なら乗りこなせると思うんだけどな」

あの真が駆るISの後継機か、あの男がどれ程の力量の持ち主か、興味がわいた。オータムは一同が見つめる中シャルロットにこう言った。

「俺のギャラは高いぜ?」
「それに見合う仕事をするなら構わないよ」
「流石デュノア家、影のご令嬢。言うじゃねーか」
「決まりだね。早速仕事を頼みたいんだ。覚悟は?」

不敵な笑みで契約を交す2人。女の子はやっぱり怖い、一夏は子羊の肉を食みながらそんな事を考えた。

「ところでシャル。ウェルキンさんの前でリヴァイヴⅢのこと言って大丈夫なのか?」
「もう探られてるよ」
「……」

世界の現実にうんざりする一夏であった。




つづく!
◆◆◆


【どうでもいい作者のぼやき】
やっぱり一万文字ぐらいが丁度良いです。








【もっとどうでも良い作者のぼやき】
Topあらすじページ刷新しました。もっと早くしとけとか言う噂もあります。








【下らない作者のぼやき】
シャルロットお嬢様ご懐妊の一報に全く反応がなかった。さすが歴戦の兵士(Heroes読者様)たち、肝が据わっている……というか慣れですか?





[32237] 05-07 ファントム・タスク編 真3(スコール・ミューゼル)
Name: D1198◆2e0ee516 ID:4a0c6f63
Date: 2014/07/25 20:08
05-07 ファントム・タスク編 真3(スコール・ミューゼル)


真サイドはとても大変です……いやマジで。
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真は工事用照明が照らす光を浴びて、タブレットが示す情報と格闘していた。彼が立つ地はフランスの地下。全長1.7キロメートル、地下20メートル、中世から続く死者たちが眠る場所、カタコンベ(地下墓所)である。

墓所と言っても元々建築用石材の採石場だ。遺骨が納められている場所もあったが、何もないただの洞穴の場所もあった。

彼はその何もない開けた半球ドーム状の場所に立っていた。周囲には4本足やら6本足の、工事用亜人型ロボットの姿が見える。そのロボット・アームには採掘機や溶接用トーチがあり皆一心不乱に作業をしていた。真は彼らを工事現場から拝借し、洞穴に細工をしているのだった。

ぴぴぴ、電子音に真が振り返ると4本足の搬送用ロボットが荷を持ってきた。その背には大量のセムテックス(高性能プラスチック爆薬)が積まれていた。化学合成企業のコンピュータに依頼し作らせた物だった。資材データも弄ってあり直ぐには発覚しないだろう。

ロボットたちはセムテックスを計算された量、形状にし、計算された位置に取り付けた。半球ドームの内側に規則的に取り付けられた爆薬に雷管を取り付けた。爆破計算用コンピューターと電線で結んだ。電磁波の影響を受けないよう、ECMシートで覆う。

他にも足止め用のワイヤー・アンカーに、ありったけの手榴弾、即席の炸薬式パイル・バンカーも用意した。自動化工場で作らせた物だった。

オータムから聞いた情報によるとスコールは専用ISを持っている。専用だろうが汎用だろうが、ISにはミサイルも戦車砲弾も効かない。核を使っても地上に被害が出るだけだ。ISを倒せるのはISのみ、みやを持たない真は搦め手を使う必要がある。

ここは罠なのだ。スコール・ミューゼルを始末する為だけの、陥れる為ためだけの場所。

タブレットに企業の内部映像が映し出されている。これから襲撃するビル“ラ・フレーシュ”だ。スコールが経営する飲料用アルコール製造会社で、工場とオフィスが一体になっている。広い敷地の中央に立ち、とても大きく、デザイン掛ったシンプルな窓硝子の建物。大まかな間取りも分かった。社長室は最上階の最奥、ご多分に漏れないようだ。

いまその会社は要塞と化していた。屋上に狙撃兵、屋内には至る所に武装した兵士が巡回していた。パリが近いだろう。戦車、装甲車両などの陸戦兵器は流石に見当たらない。そうしていると大型トレーラーが一両ラ・フレーシュにやってくる。荷台にはシートが被せられていてよく見えないが、比較的小型のなんらかの兵器のようだ。これはなにか、真が見ていると映像が突然切れた。警備ネットワークが外部と物理的遮断されたと、タブレットが答えている。

(異能に気づかれた?)

まだ確証はないはずだ。真は立ち上がり装備を確認する。セミオート狙撃銃、ハンドガン、グレネード、スローナイフ、全て異常なし。装備を調えた真は左袖をまくり、腕にナイフを突き立てた。焼くような痛みが走る。顔を歪め、切開し1発の拳銃弾を取り出した。弾頭は青白く光り、その表面は幾何学的な光の文様を描いていた。進化弾である。異能を集中させるため1発だ。空の弾倉に詰めるとポーチに入れた。

ロボットたちが工事終了を告げる。半球ドーム状のそこは、緻密に計算された故か聖堂のような厳かな雰囲気を漂わせていた。

「セシリア」

真は素直にそう呼んだ。

「君は今の俺を見たら怒るだろうな」

ロボットたちが静かに立ち去った。

「説教だけじゃ済まない。引っぱたいて引っぱたいて、そして泣くだろう」

涙は出せなかった。既に人の身体ではなかったからだ。

「俺はまた君を泣かす。俺は馬鹿だ。また同じ過ちを繰り返そうとしている。でも無理だ。無理なんだよセシリア。君を殺し、君の亡骸を陵辱した奴らがのうのうと生きている。俺はそれが許せない」

彼は跪こうとしたが、それを止めた。

「許しは請わない。俺は胸を張り地獄に下る。奴らに報いを受けさせる」

ただライフルを携えた。慰霊の思いを胸に、ライフルを胸に抱く。

「せめて君の魂に安らぎがあらんことを」


◆◆◆


スコールが待ち構えるビルの屋上で、兵士たちが警戒の任に当たっていた。濃紺色の戦闘服で、ヘルメットのほか身体のあちらこちらにアーマーをつけていた。防御兵装としては一夏の救出に当たった部隊より整っていて、拠点防衛用の装備だった。見上げる空には雲がながれ月が見え隠れしていた。

暗視ゴーグルで周囲を警戒していた兵士が独白するようにこう言った。

「今日辺り来るかもな。空気がピリ付いている」

空から順に見下ろせば、星、夜景、木々である。目下には広大な芝生が広がっていた。警戒には適した地形だ、侵入する影があれば一目で分かる。敷地の境に植えられた木々の落とす暗闇、そこをスコープで覗いていた兵士が応える。彼は狙撃兵だった。

「なんだお前、あの話を噂を真に受けているのか?」

暗視ゴーグルを持つ手に汗が滲む。彼は歌うかの様にこう応えた。

「曰く殺しの名手で、曰く気配がなく、曰く、」

「「気がついたら死んでいる」」

「まるっきり死神だな。ばかばかしい」

狙撃兵はスコープを覗く。

「だがマダム(スコール)は信じているようだ。だからこのビルに1個小隊も配置してる」
「焼きが回ったんだよ。もしくはあの日だ。軍神ヴィーナスの現身とも言われるミューゼル様もあの日には勝てないんだろ」
「茶化すのはよせ。俺は真面目に言っているんだ」
「らしくないな。隊で一番勇猛なお前が」
「お前はこの空気を感じないのか? 肌に纏わり付く血なまぐさいこの空気が」
「まあ確かに陰湿な雰囲気……」

そこまで言って狙撃銃を携えていた兵が突然話すのを止めた。なんだ? そう思い暗視ゴーグルから目を離した瞬間、その相方の男はドサリと音を立てて仰向けに倒れた。ゴーグルのグラスが割れ、眼から血を流していた。

それは狙撃だった。即死だ。

彼はとっさに振り向いた。警報を鳴らす前にである。振り向き終わったとき彼の目の前にライフル弾があった。その弾はゴーグルを割り、眼球を砕き、脳に達した。彼は死んだ。

異変を察知した他の兵たちが銃を手に、屋上から身を出すと立て続けに射殺された。まるでいつ、何処に顔を出すのか、分かっているかのような狙撃だった。生き残った兵たちは、得体の知れない恐怖に駆られつつ、屋上に這いつくばり、警報を鳴らした。

時は少し遡り、ラ・フレーシュ内の兵士詰め所である。黒人兵と白人兵が入り交じり談笑していた。アジア系も僅かながらいた。そのうちの数名の兵士たちがテーブルを囲みポーカーに興じていた。

「クイーンのスリーペアだ」
「フルハウスだよ」
「くそったれ」

一人の兵がカードを放り投げる。別の兵がカードを切り配る。ぼんやりと見ていた3人目がこうぼやいた。

「で、俺らは何時までこの城に収容されているんだ」
「そりゃ事が終わるまでだろ」
「その“事”が何時終わるかって事だ」
「俺らに喧嘩を売っているどこかの誰かが何時やってくるか、それ次第ってことだ」
「違う。どこかの連中だ、だろ。一人なんてあり得ない」

陰鬱な空気が詰め所を支配する。最高級の警備、最新型のセキリュティを突破しファントム・タスク幹部が暗殺されているのは事実であった。痕跡が殆ど残っていない事がまた恐怖を誘う。暗い空気を振り払うように、眼鏡を掛けた黒人兵がこう陽気に言った。

「監視システムを使わずに目視で警備しろって命令と関係があるのだろうな。ハッキングか何かか?」
「目視で警備しろなんて中世に戻った気分だぜ」
「お前とし幾つだよ」
「スタンド・アローンのシステムなら言いそうだぞ」
「かったるい話だ。エリーの店で一杯やりたいぜ」
「済むまで我慢しな」

笑い声が響く。テーブルを囲む一人の兵が、部屋の隅に腰掛けぼんやり宙を見ている仲間にこう話掛けた。

「おい、ポール。お前もつきあえよ」
「止めておけ。ダニエルが死んでからあんな風だ」

彼はポール・アルダン上級伍長。ロデーヴで真の世話をした兵士の一人だった。友人であるダニエル・エイメ軍曹は、赤騎士復活のさい崩落で死亡している。

けたたましい警報がビルに響く。

『全兵に次ぐ。敷地内に侵入者一名を発見した。見付け次第即刻射殺、排除せよ。これは演習ではない。繰り返す……』

部屋の壁に設置されたディスプレイに侵入者の姿が映る。既に屋内に侵入されていた。身長は173センチほど、灰色を基調としたデジタルドット迷彩パターンのACU(戦闘服)に身を包んでいる。ボディー・アーマーは殆ど見当たらない。ベストには催涙弾とハンドガンを装備していた。手にする銃はセミオート型狙撃銃、SR-25である。

兵の1人が装備を調えつつ叫んだ。

「まじ一人かよ!」

銃を構えた兵士が応える。

「どんなマジックか知らないが、こちらは1個小隊40名だ。肉片も残すか」

ポールにはディスプレイに映る姿に見覚えがあった。ゴーグルをつけていて表情は分からないが、記憶にある顔作りだった。

「まさか……あの子供が?」
「ポール! ぼさっとしてるな。仕事だ!」

はっと我に返る。装備を調えたポールが部屋を出たとき、屋内監視システムがシャットダウンされた。照明が落ち、非常用の赤い光りが鈍く灯る。無線も、屋内放送もとまり、他の分隊、班と連絡が取れない。状況すら分からなくなった。

サブ・マシンガンを携えた兵が大声で誰かに罵る。

「このビルの警備システムは最新鋭じゃなかったのかよ!」
「超一級品だそうだ」
「うそつけ! あっさり落とされやがって! 粗悪の中古品じゃねーのかっ!」
「全くだ」

薄暗い通路の奥から銃声が聞こえてきた。その奥は大型のタンク、パイプが立ち並ぶ酒造エリアだった。ここから向かえばエリアの内壁を走る、高位置の通路に出る。そこからならば広く見渡すことができるだろう。

駆けつけた兵士たちが、通路の途中で息絶える先遣チームを発見した。通路の影に隠れて待機する。銃声がエコーする。班長がこう指示をした。

「いいか。奴の得物はスナイパーライフル。それほど弾は持っていまい。発砲を誘い弾切れさせろ。可能であれば射殺だ」
「この入り組んだ屋内で、狙撃銃とは素人め」
「だがここまで入り込んだ腕の持ち主だ。締めてかかれ。カールは援護、俺とブライアンは向こうまで走り抜ける。行くぞ兵隊共!」
「「「アイ・サー!」」」

二人が飛び出した、援護のカールが銃を掲げ、影から身を乗り出すと、目の前に射出されたライフル弾があった。アーマーの隙間を通り、弾が眉間にめり込んだ。通路を走る2人の兵は、間もなく頭部から鮮血を吹き出した。どさり、どさり、どさり。三つの肉塊が呆気なく崩れ落ちる。それは一瞬の出来事だった。ほんの数秒前まで、生きていた人間があっさりと死んだ。

兵士たちは声を失った。

ポールは鏡を使い、酒造エリアを見渡した。反対面の通路はもっと酷い、5名近くの兵士が息絶えていた。

「おい、どう言うわけだこれは。走って行ったら途中で死んじまったぞ。偶然か? まぐれか?」

ポールが応える。

「3名と5名、計8人の兵士が瞬殺された。偶然ではない。恐るべき射撃精度……マダム(スコール)が警戒するわけだ」

強い閃光と爆発音、そして銃声が聞こえた。下層フロアの警備班である。投擲したスタングレネードに紛れて、味方の兵士が8名が突入してきた。

その侵入者はスタングレネードをものともせず、走りながら発砲、3名を射殺。障害物に身を隠しながら、銃弾をかわし、タンクとパイプの影を走り、飛び越え。瞬間の隙を突いて発砲した。更に2名が死んだ。1人が手榴弾を投げ用としたとき、その脳天にスローナイフを撃ち込んだ。崩れおちる。ピンを抜いた手榴弾が転がり、仲間の兵2人を巻き込んで爆発した。下層警備班が3分持たずに全滅だ。

見ていたポールたちはその惨劇を呆然と見ていた。

「なんだあいつは。化け物か」
「俺らの動きを正確に把握しているな、一体どうやって」
「それだけじゃない。1人につき1発だ、本当に人間なのか?」

ポールは同じように通路の隠れている仲間に、手信号で計画を送った。同意の答えが返ってくる。

「グレネード・ランチャーを持つ者はありったけのグレネードを放り込め。銃身は影から出すなよ」

投擲されたグレネードは何発か空中で撃墜・爆破されたが、残りは地面に落ちた。爆発し、振動と火焔と破片が大きな部屋に吹き荒れた。火災が発生し、消火用のスプリンクラーが作動する。侵入者は吹き飛ばされ、壁に叩きつけられていた。

「いまだ!」

全員が銃を掲げ通路を走る。構え発砲したときライフル弾が飛来してきた。一名死亡。侵入者は、壁に背を預けながら狙撃銃を構えていた。ポールは叫んだ。

「爆風に吹き飛ばされてまだ動けるのか! 全身骨折でも軽い方だぞ!」

その叫びに呼応するかのように、10名近くの兵が軽機関銃を構え発砲する。侵入者は避けられる物は避け、それが無理なら被弾しながらも確実に射殺していった。

足に穴が空き、背中に穴が空き、肩、腕、腹に被弾した。それにもかかわらずこの侵入者は戦闘を止めなかった。その異常な光景を見て恐怖に駆られたポールは弾をバラ巻き続けた。流れ弾が腹に当たり、彼は崩れ落ちた。

真は戦闘で破損したライフルを放棄した。

ラ・フレーシュ、最上階。3班18名の兵士がバリゲードを組んでエレベーターが開くのを待ち構えていた。エレベータには催涙ガスを充満させている。扉が開くと同時に、全員がフルオートで弾丸をバラ巻いた。エレベータの内壁は無数の穴が空いていた。文字通り蜂の巣だ。

硝煙と血の匂いが漂う。一人の兵が油断なく銃を構えて、確認のため近寄った。仲間の死体があった。その死体の影に隠れていた真は兵を抱き寄せ、ハンドガンで腹に1発撃ち込んだ。苦悶の表情を浮かべる。真はその傷付いた兵を盾にしながらハンドガンを構えた。

「撃ち方始め!」
「しかし、ジャコーが楯に取られています!」
「あいつは化け物だ! 仕留めねば全滅する! 撃て!」

飛来するサブマシンガンの弾。真は兵士の影に隠れ、全員を撃った。身体はともかくこれ以上装備を被弾させるわけにはいかない。何発かは足に当たり、右肩に当たったが戦闘行動に支障は無かった。盾にした兵は既に事切れていた。彼を静かに寝かすと最奥の部屋に向けて歩き出した。身体の修復が始まり、直ぐに終わった。破れた服からのぞく腕や肩、傷一つ見えない。

真はグロッグを構えながら、歩み行く。途中壁が突然崩れ人型のロボットが現れた。3メートルはあろうかという巨躯で、太い油圧シリンダーが何本も見えた。中央にコックピットがあり腰掛けるようになっていた。移動を司る下半身は足の動きに追従する半自動制御、背面からのびる2本の腕は2本の操縦桿と同期するようになっている。その名はExtended Operation Seeker、略してEOS。国連が開発中の外骨格功性機動装甲である。試作機体を強引に徴発したため、コックピット周りの装甲が心許ない。

その2本の両腕には一挺ずつチェーンガンがマウントされていた。M242ブッシュマスター25ミリ機関砲だ。それが火を噴いた。破壊的な銃撃がオフィスフロアを支配する。柱が砕け、鉄骨がむき出しになった。壁に穴が空き、崩れた。机や椅子は宙に舞い粉々になった。掠めただけで抉られる、それ程の威力だった。

銃撃が止むと静かになった。アクチュエータの機動音だけが聞こえる。非常照明は銃撃で破損していた、窓から射し込む月明かりだけが頼りだった。EOSのパイロットが言った。

「お前は何者だ」

真はその声に聞き覚えがあった。柱の陰に隠れ、銃を構え、慎重にこう答えた。

「ポール・アルダン上級伍長か。ここに居るとは思わなかった」

彼は志願したのである。友であるダニエル・メイエが死んだ理由を探すため戦場を求めてやって来た。彼は繰り返し問うた。

「お前は何者だ」
「それを聞いてどうする」

アクチュエーター音が唸る。真はベストに取り付けてある、催涙弾に手を伸ばした。

「お前は銃を知っている。戦い方も知っている。人に命じて殺させたこともある。一人や二人ではない、おびただしい数だ。だがお前の身体からは硝煙の臭いがしない、血の臭いもしない。当然だ。ただの16歳の身体にそんな事はありえない……だがお前は違う! お前は一体何だ! 学園は何を隠してる!」

真が催涙弾を投擲するのと、ポールがトリガーを引くのは同時だった。弾丸が催涙弾に当たり、ガスを吹き出した。ガスに曝されたポールは涙を流し、むせ、咳き込んだ。薬品の効かない真はガスをものともせず隙を突いた。背中のバックパックからチェーンガンに弾を供給する、給弾機構を撃った。作動不良を起こす。

真はEOSの死角からハンドガンを構えて駆けだした。ポールは右腕チェーンガンをパージ、真に向けて投擲した。真はそれをかい潜る。ポールに狙いをつけたその瞬間、EOSの両脚から車輪が高速回転する音が響き渡った。その巨躯からは想像出来ない機動力で、真に迫る。狙いを外された真の弾丸は、ポールの左腿を掠めた。彼は右腕アームで真を掴むと壁に叩きつけた。

「何故ダニエルは死んだ!」

その表情には怒りと憤りが浮かんでいた。誰にも向けられず発散出来ず、渦巻き、体と心を蝕む、憎悪という感情。

「そうか。彼は逝ったのか」
「あいつはもうすぐ結婚する予定だった! 死んではいけなかった! なのに何故死んだ!」

真が殺したわけではない。それはポールにもよく分かっていた。だが、もう、どうにもならなくなっていた。真は無表情でこう返した。

「兵士だからだろ」

ポールの表情が憤怒に染まる。

「兵士は死んでも構わないというのか!」
「辛いなら逃げろよ。逃げて全てを忘れてしまえ」
「友達が死んだ! 呆気なく死んだ! これが忘れられるものか!」
「よく分かるよ。ならば敵同士、こうするより他はない」

パンパンと乾いた銃声が響く。真はポールの腹に拳銃弾を撃ち込んだ。ポールが最後の力で真を圧死させようとしたが、EOSは動かなかった。真は左腕でEOSに触り、すでに支配下に置いていた。

真が両手で血を吐くポールの顔をそっと持ち上げこう言った。その眼は虚だ。

「俺の顔を見ろ。お前を殺した男の顔だ。忘れるなよ、俺も忘れないから」

息絶えた兵士の瞼をそっと下ろす。

「すまない。少し付き合って貰うぞ」

真がそう言うと、EOSは新しい主の意を察し振り返った。脚部の車輪を唸らせ向かうは最奥の部屋である。突入した。扉を破りオフィス家具を蹴散らした。沈黙が訪れる。EOSは黄金色の尾によって拘束されていた。

スコールは自身のIS“ゴールデン・ドーン”を展開していた。黄金色でミツバチを彷彿とさせるカラーリング、その形状はサソリのように鋭利で恐ろしいまでに美しかった。一般ISと異なり装甲感はなく、まるで闘衣のよう。ISを纏ってこそ本来の姿だと言わんばかりだ。

アクチュエータの軋む音、金属同士が擦れる音がする。部屋に流れる白煙、真が暗闇からふらりと姿を見せた。双眸に宿る黒い穴がスコールを射貫いていた。彼女は笑みを浮かべてその影に言う。

「死者に鞭を打つとはまさにこの事だな。神の怒りに触れるぞ」
「貴女がどの面を下げて神を説く」

スコールは興味深そうにEOSをみた。EOSはゴールデン・ドーンの尾を掴み、拘束から逃れようとしていた。

「マスター・スレーブのEOSが自律作動か。お前の異能はやはり修復ではない様だ」

次ぎに真の左腕を見た。欠落していた腕が復元されている。

「腕を復元したことといい、戦闘中の不死身さといい、お前が内包するナノマシンはカテゴリー3だな。カテゴリー3ナノマシンの根源、無限増殖の先に有る物は死滅だ。だからナノマシンをお前と共生させるように変えた……そうか、お前の異能は機械進化か」
「死に行く者が知る必要は無い。スコール・ミューゼル。セシリア・オルコットの仇、討たせて貰う」
「やってみろ」

スコールは既に真実を言う気が無かった。真もセシリアを殺した理由をきく気も無かった。互いに異能を持つ二人が、共有するのはただ一つ。己を顧みない、間違っているとは考えない、決して立ち止まらない……狂気という心の有り様だった。

先制したのは真だ。2発の拳銃弾を正確にスコールの左目に向けて発砲した。全く同じ軌道だったため、スコールは2発目を見落とした。1発目はたたき落としたが、2発目はスコールに当たる。もちろん防性力場に阻まれたが僅かに動揺した。

その隙を突き、EOSは左腕のチェーンガンをスコールに撃ち込んだ。ギーンという腹を抉るような重機械音。25ミリの銃圧と防性シールドが反発しあい虹色の干渉光を放つ。その隙を突いて、真が踏み込んだ。EOSがスコールを拘束しようとアームを伸ばす。

触れられるとまずい、直感したスコールはEOSの腕を掴み、投げ飛ばした。真を巻き込み、屋外に吹き飛ばした。2体の身体が夜空に舞った。

EOSはスラスターを噴かし着地した。真は左腕のワイヤーアンカーを撃ちだし、大地に転がるように下りた。ラ・フレーシュの崩れた部屋からスコールは笑みを浮かべ下ろしている。EOS、プロペラント・タンクをパージ。右へ左へ、また右へ。鋭利な軌道で発砲を続ける。

真はグロッグの弾倉を交換した。

「目障りだ」とスコールが言うと、火球を生みだしEOSに撃ち込んだ。ゴールデン・ドーンの特殊攻撃“ソリッドフレア”。中心温度は数万度に達しEOSが焼き尽くされる。吹き荒れる熱風爆風の中、真はグロッグを構えた。装填する弾は進化弾である。

弾は道具、それ自体は貫こうとするただの金属の塊だ。殺意が籠もり凶器となる。それが進化すれば、何物であろうと貫けぬ物は無い。

真が引き金を引くと、青白い立体的な幾何学模様に包まれた弾丸が飛び出した。ゴールデン・ドーンがアラームを鳴らす。

(高エネルギー反応?)

スコールはISの機動力を生かし、躱す。その弾はラ・フレーシュに当たり、一角を砕いた。5フロア分を破壊する威力で、巨大なコンクリートと鉄骨の塊が高く宙に舞った。戦車砲弾並みの威力だった。

「それが切り札か。だが生身ではISには当てられんぞ」

真はそのまま、侵入経路である縦穴に入り込んだ。カタコンベに続く道である。スコールも後をった。


◆◆◆


そこは狭い石造りのトンネルだった。アーチ天井の場所もあれば、石板天井の場所もあった。狭く薄暗い。もっともハイパーセンサーを備えるスコールに暗闇は関係がなかった。

(狭い坑道で機動力を削ぐ腹か)

壁一面に積み重なる骸骨、一瞥もくれずスコールはこう言った。

「カタコンベ(地下墓所)とは用意が良いな、蒼月真」

その声は響き、地の底へ消えていった。

「幹部暗殺がお前の単独行為だと、その可能性に至った時。私は己の正気を疑った。たった一人で組織であるファントム・タスクを追い込むなどあり得ないからな。異能を持っていたとしてもだ。女1人を奪われただけでその反応は尋常でない。その精神力、いや執着力とでもいおうか。何がお前をそこまで突き動かす? 前世のお前は何だ? 狂信者か、それとも、殉教者か」

(兵隊だよ、ただの海兵だ)

地の底から真の声が響き渡る。スコールは笑みを浮かべてその方向に歩き始めた。

「ほう。余程未練を残し死んだと見える」
(お前は何だ)
「私は科学者でね、核を作ったよ」
(優れた科学者にモラルはない。核という悪夢を形とした、お前がどの様な未練を残した)
「私は一つのミスを犯した。核を独占すれば世界が亡ぶと、人類存続には均衡が必要だと敵国に情報を渡したのだ。それで世界が滅んだ」
(お前の世界か)
「そのとき悟ったよ、強い力は一つだけでいい。人類は愚かなのだ」

真は洞窟の影に隠れ息を潜めていた。徐々にスコールの気配が強くなる。

(奴はまだ進化弾があると警戒している。つけ込むならそこだ)

真はこう続けた。

「強い力は人の手に余る……スコール・ミューゼル。お前も救いがたい愚か者らしい」
「何のことだ」
「赤騎士だよ、気づいていないのか? お前、また“しくじった”よ」

スコールの表情が醜く歪む。真が岩場の影から銃を構えた瞬間だった、スコールが熱線を走らせ真の右腕を切り落とした。

「があっ!」

のたうち回り、苦痛に顔を歪ませる真の顔をスコールは踏みつけた。

「弾頭は直線的、必ず“手を出す”と思ったよ」

スコールは焼け焦げた、腕の断面を見た。一様で骨も肉も無い、金属の焼け焦げる臭いがする。不思議に思ったスコールは、彼の身体をハイパーセンサーでサーチした。

「不死身なわけだ。だが痛みは感じるか……ふむ、感覚が無ければ繊細な判断行動もできないだろうからな。なにより外部環境と隔絶されれば、自己意識に影響が出るだろう。実に合理的だ」

スコールは真に蹴りを入れ壁に叩きつけた。岩が崩れ落ちた。よろめきながら真が言う。

「……さすが博士だ。理論的なご鞭撻痛み入る」
「これでも教壇に立ち教べんを振るったことがあるからね」
「そのなりなら教壇ではなく舞台の方がお似合いだな。ポールダンスとかやって見ろ」
「前の私は男だったからな、それは無理な相談だ」

真は隠しておいた1つ目の仕掛けに手を伸ばす。

「転移の際性別が変わりうるとは知らなかったな!」

仕掛けておいたありったけの手榴弾がスコールの周囲で爆発する。地を振るわすような振動と音、崩落も起こる。土煙が舞う中(この程度で仕留められまい)と、真はパイル・バンカーに手を伸ばし踏み込んだ。真は長年の戦闘経験から、土煙のなか位置を定め撃ち込んだ。炸裂音、炸薬が杭を打ち込む。手応えがあった。

「どうした蒼月真。お前ともあろう者がこの程度でISを倒せると思ったのかね」

正確に喉元へ向かったパイル・バンカーの杭はゴールデン・ドーンの右アームによって止められていた。

「2発目」

真がそう言うと、杭とは逆方向の石突きが炸薬で撃ち出された。その衝撃はスコールの手を介し、眉間に命中した。防性力場発動、スコールの頭蓋を激しく揺さぶった。スコールは目眩を堪えながら、走り去る真の背を見送った。

「手を変え品を変え、全くよくやる……だがお遊びはもう終わりだ」

スコールは真が消えた闇夜にソリッド・フレアを撃ち込んだ。その爆風と灼熱が洞穴を走り、真を吹き飛ばした。壁面が赤褐色に光り、直撃箇所は岩が溶けていた。真の全身から焼け焦げた臭いがする。左足が炭化し、ひび割れていた。真は歯を食いしばり、身を起こした。身を裂くような痛みが走る、どうにかなってしまいそうだった。

「生物は激しい痛みを感じると、麻痺なり失神なりで身を守るが、そう言う訳にも行かないらしいな。不死の身体といえば聞こえは良いが、これは考え物だ。死ぬことも許されず、永遠の痛みに苛まされる。まさに生き地獄に相応しい」

真は身体が割れそうな痛みに耐えながら、どうにか最後の間にたどり着いた。彼が用意した半球ドームの部屋だ。入り口とは反対側の壁にもたれ掛る。追いついたスコールは聖堂の様なその場所を見て、感嘆の声を上げた。真に、部屋の中央に歩み寄る。

「ほう、カタコンベには地下教会もあると聞いたがこれは見事なものだな。全く以て用意が良い。神に裁かれ地獄に落ちるがいい」
「馬鹿が。イスラムと違ってキリスト教には偶像が必須だぜ。それが何処にある」
「なに?」

コンピューターがワイヤーアンカーを四方八方から撃ち込んだ。ゴールデン・ドーンの身体を絡め取る。隠れていたロボットが真の身体を掴み、穴に引きずり込んだ。カメラのシャッターのように、高速度で入り口と穴が隔壁で塞がれる。全てコンピューター制御でミリ秒にも満たない。

ハイパーセンサーで周囲を探ったスコールは息を呑んだ。

「爆縮レンズ」
「ご名答」

壁と床、計算通りに仕掛けられたセムテックスが計算通りに着火爆発する。中心から遠い箇所は早めに着火、近い所は遅めに着火、全ての爆発による衝撃波が、重なり合い破滅的な力を生み出した。弄ばれるように揺さぶられ、侮辱的に打ちひしがれたスコールは、脳しんとうを起こしながらもこう言った。彼女は健在だった。ISの補助を受け立ち上がり、あざ笑う。

「愚か者め。ISはISでないと倒せない。もう終わりだ。蒼月真」

そう言ったスコールは天井から落ちてきた大量の鉄骨に押しつぶされた。地上は高層ビルの建築現場になっていて、爆発によって緩んだ地盤が崩落したのだった。これが真の本命である。無様な姿を見せ、増長させた。事前に簡単な罠にはめ、油断させた。爆縮レンズの衝撃で脳しんとうを起こさせ、正常かつ迅速な判断力を奪った。全てが繋がる罠だった。

穴から這い出た、真は片足を引きずりながら鉄骨の山をみた。

「スコール。お前の言うとおりISを倒せるのはISだけだ。通常攻撃はISに効かない、全てシールドに阻まれる、ISが現代兵器を駆逐した理由の一つ。だがスラスターの推力、アクチュエーターのパワーは別だ。IS重量200キロに対し高層建築用鉄骨一本10トン。それが30本で合計300トンだ。動けるものなら動いて見ろ」

ゴールデン・ドーンの防性力場は鉄骨と反発し干渉光を放っている。手足を動かそうと試みるが微塵も動かなかった。スラスターを噴かすも同様だ。それどころか動けば動く程、隙間がなくなり追い込まれていく。

真は鉄骨の山を登り、左手の手袋を噛み、外す。腕を伸ばしゴールデン・ドーンに触れた。彼の腕が蒼白く光る。ゴールデン・ドーンが主であるスコールの命に叛き、その活動を止め始めた。

火器管制……シャットダウン。
航行管制……シャットダウン。
情報処理……シャットダウン。

スコールが眼を剥いた。

「そうか、お前の異能は」
「ドクター篠ノ之はマシン・マスタリー(機械上位者)と呼んだよ。さよなら」

防御管制……シャットダウン。

防性力場が消失し、300トンの荷重がゴールデン・ドーンに押し掛る。スコールはフレームごと押しつぶされ、口から鼻から目から血を噴いた。悲鳴は上げなかった。スコールが死んだことを確認すると、真は闇夜に消えていった。

「エム、次はお前だ」

崩落した穴から、蒼い月が覗いていた。




つづく!

◆◆◆










【どうでもいい作者のぼやき】


          ____ 
        /      \ UAとかどかんと増えたのは嬉しいけれど、反応薄いのが気になる。。
       /  ─    ─\ 受け入れられてるんだろうか。
     /    (●)  (●) \
     |   U  (__人__)    | ___________
     \     ∩ノ ⊃ / | |             |
___(  ` 、 _/ _ノ   \ | |             |
| |   \   “  / ___l  || |             |
| |   | \   / ____/| |             |
| |   |    ̄             |_|___________|
 ̄ ̄ ̄ ̄("二) ̄ ̄ ̄l二二l二二  _|_|__|_



[32237] 05-08 ファントム・タスク編 帰還(セシリア・オルコット)
Name: D1198◆2e0ee516 ID:4a0c6f63
Date: 2014/07/31 14:43
05-08 ファントム・タスク編 帰還(セシリア・オルコット)



暑中見舞申し上げます(ちょっとはやい

某GGOで僕っ娘がブレイク中のご様子。我がHeroesもこのビッグ・ウェーブに乗ってみようと思います。

“キリト”→“キリコ”

     ↓

“マコト”→“マココ”

……終了(´・ω・`)
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朝である。窓から空を見上げれば雲一つ無い、冬の晴天だった。まだ昇ったばかりの朝日をぼーっと見つめると、一夏は高級ベッドから這い出るとベッドの脇に腰掛ける。ぎしりとマットレスのバネが鳴った。

時計を見ると早朝であることが分かったが、デュノア邸は既に目覚めていた。下フロアからは人の働く気配がする。使用人たちの朝は早いのである。

“ご滞在中、お世話させて頂きますリズベット・マシーナです。何なりとお申し付けください”

唐突に困惑的なメイドの姿を思い出した。年上で、真っ赤な髪を結い上げて、覗くうなじが何とも色っぽい。必要最低限のメイクだったが、ルージュは必要ないのでは無いかと思うぐらい赤い唇をしていた。

にへら。

口元が緩む。セクシー系年上キャラにかしずかれるのは、一夏にとって初めてなのである。年上と言えば姉である千冬だが彼女は畏怖の対象だ。色っぽいと言えばディアナだが、真につけた糸傷は今なお恐ろしい。真耶の胸は大きいが、その不注意な振る舞い故かあまり色気を感じない。

(一夏)

脳内に響く誰ともしれない少女の声、一夏は我に返り煩悩を追い払う。

「いかんいかん、使命だ使命」

洗面台に向かい、ばしゃばしゃと顔を洗う。もそもそと着替えた。机に置いてあるメモにペンをさらさらと走らせる。

“ちょっと散歩がてらロデーヴ行ってくる。一夏”

部屋を出た。

「何がちょっとだ。700キロ先だぞこの馬鹿者」

ラウラに頭を叩かれた。手にスリッパを持っていた。

「朝っぱらからなんだよ、ラウラ」
「それはこちらのセリフだ織斑一夏。もしやと思い駆けつけてみれば案の定か。単独行動はよせと何度言えば分かる」

朝一番から説教である。一夏は頭をさすり、恨みがましい眼でラウラを見れば。フリルをちりばめた純白のネグリジェがそこに居た。背格好といい、プラチナブロンドの髪といい、まるで何処ぞのお姫様であった。さらにラウラの左目には眼帯がなく、彼女はそのこんじきの瞳を惜しげも無く晒していた。

まじまじと見られて居心地の悪いラウラだった。

「なんだじろじろと。不躾な」
「へー。何時も素っ気ない格好なのにどう言う風の吹き回しだよ」
「勘違いをするな。シャルロットに無理矢理着せられたのだ。この様な少女趣味は無い」

気配を察知し、急ぎ飛び出したが迂闊だった。そう後悔の念に捕らわれるラウラだった。

「少女趣味ねぇ」
「何が言いたい。含みを持たせる言い方をするな」

一夏はずいっとラウラの鼻先に歩み寄る。息が掛り呼吸も聞こえる距離だ。古今生涯迫られたことが一度も無いラウラの心臓が高鳴った。

「綺麗な金色だな、その左目」
「っ!」

思わず一夏の左頬を引っぱたいた。繰り返すが一夏に含みはない。頬を抑えぶーたれる。

「ってーな! いきなりなんだよ!」
「馬鹿者! 冗談でもその様な事を言うな!」
「素直じゃねーな! 褒めたんだぞ俺!」
「黙れと言っている!」
「今初めて言った!」
「揚げ足を取るな!」

カチャリと対面の扉が開く。

「あさっぱらからうっせーな」
「「っんな!?」」

オータムである。素っ裸だった。慌てて鼻血を抑える一夏と、赤い顔で髪を逆立てるラウラだった。

「オータム! なんて様だ!」

あん? と億劫そうに髪を掻き上げ、指さすラウラを見れば、にたりと笑う。それはそれは悪い笑みだった。小悪魔的な意味である。

「確かになんて“様”だな。ドイツ連邦陸軍 第10装甲師団 IS小隊“シュヴァルツェ・ハーゼ”隊長 ラウラ・ボーデヴィッヒ少佐殿?」

ラウラは己の愛くるしい姿を確認すると、一夏の影に隠れた。耳まで赤く染め、慌てて指を刺し直す。

「勘違いするな! これは単なる間違いだ!」
「こりゃ傑作だ。デュノア来た甲斐があるってもんだぜ♪」

「認識を改めろオータム! これは命令伝達の齟齬だ! 情報の欠落だ! 素粒子通信の際用いられるナビエ式パケット通信の、同期タイミングミスによる指令の誤りなのだ! 意思疎通の際には誤りが起きるとユング・フロイトも言っている! 北アフリカの英雄、砂漠の狐でも遂行不可能な命令だ! つまり上官命令だ! だからわかったか!」

「ほにはふ、おひふけ」

一夏が鼻を押さえながらラウラを宥める。

「了解であります隊長殿♪ 本日にでもウサギのぬいぐるみを贈呈致しますぞ。エルヴィン・ロンメル元帥もボーデヴィッヒ少佐の戦果にさぞや満足しておられるでしょう♪」

くっくっく、と声を押し殺し笑うオータム。きーっ、と意味不明な発言を繰り返すラウラ。騒ぎを聞きつけて、使用人たちがやってくる。シャルロットもやってきた。

「これは何の騒ぎ?」

ネグリジェの上にガウンを着て、欠伸を殺しながら、シャルロットはその光景を見た。素っ裸のオータムが立っていて、鼻血を抑える一夏が立っていて、一夏に隠れるように怒りを露わにするラウラが立っていた。つまり修羅場である。

ぴしり、世界が凍った。

しんとデュノア邸が静まりかえる。恐怖の余り誰1人声を出す者は居なかった。

「ふ、ふ、ふふ。まさかラウラとそんな関係だったなんて。昨日の今日でオータムさんと関係を持つなんて。早朝から痴話喧嘩だなんて。全然気がつかなかったよ僕……うふ、うふ、うふふふふふ。あははははは♪」

「シャル待って! これは不幸な事故!」
「死刑♪」

結った髪が解かれ、ふさあと広がる。その姿は千手観音の仏罰か、それともメシアの怒りか。いずれにせよ、もうすこし言葉を選んだ弁明をするべきだったと、消えゆく意識の中一夏は猛省した。


◆◆◆


“デュノア家の跡取りは姉上であられるアンリエッタ様よりシャルロット様が相応しくないか?”
“しかし恐怖統治だけは勘弁願いたい”
“シャルロットお嬢様はディアナ・リーブス様にご執心だった。あの時のお姿、現し身のよう”
“オルレアンの絶叫にしろ鮮血の女神にしろ。畏怖の称号、いつかお引き継ぎになるのだろうか”
“いずれにせよデュノアは、否、我がフランスは安泰だろう”

恐ろしい、と頷き合いながらデュノアの使用人たちはシャルロット一行を見送った。目指すは一路ロデーヴである。

軽快に車を走らせるオータム。助手席のシャルロットはナビゲーターだ。ラウラはむっすり顔で後部座席にいる。これ以上無様な姿は晒せない、と表情を押し殺していた。サラは所用があると言い、現地で集合する手筈となっていた。

車内に80年代の歌が流れる。インパネに表示される、アーティスト名とトラック名、そしてミュージック・クリップ。オータムは指でリズムを刻む。物珍しそうにシャルロットがこう聞いた。

「Rick Astley って言うの? この人。随分古いね」
「古いとか言うんじゃねー。ノリノリだろ?」

死語に愛想笑いするシャルロットだった。こう続けた。

「80’sのディスコ・ナンバーが好きなんて意外だよ。てっきりロックとかR&Bを聞くものとばかり思ってた」
「Marilyn MansonとかJamiroquaiとかも聞くけどな。Rickはこのベイビーフェイスとこのソウルフルな声が良いんだよ」
「オータムさんってギャップ萌えだったんだね。なっとくだよ」

腕を組み、口はへの字。後部座席のラウラが2人に言う。

「2人とも、理解できるように会話してくれ」

後部トランクの一夏が言う。

『シャルーってばー。もう出してくれよー。誤解だって分かっただろー。なーってばー』

まだ機嫌が直らないシャルロットは、むっすりしたまま2人に現状を話した。オータムの証言を受けて、フランス軍は大手を振って部隊を動かした。反ファントム・タスク陣営である。

ただ動かしたは言いものの、双方にらみ合いが続き膠着状態だ。山の中とはいえ町も近く戦闘になれば大事になる。更には双方の背後に系統の異なる政府が控えているため、適当な容疑も貼れないのだ。シャルロットが言う。

「ロデーヴで陣取っているファントム・タスクの部隊は第3機械化歩兵旅団 第126歩兵連隊所属の1個小隊。対するこちら側は第1機械化歩兵旅団の第1歩兵連隊を核とした中隊隊規模の戦闘団だよ」

ラウラの希望は大隊規模の戦闘団だった。相応の戦力で圧力を掛け投降させる。これが理想だ。現実というものは思い通りにならないものである。タブレットで軍の編成を見ているラウラが眉を寄せてこう呟いた。

「中隊と言っても編成下限の60人……想定より心許ないな。シャルロット、増援は期待出来ないのか? 戦車はともかく戦闘ヘリは欲しい」
「これ以上は無理だね。旅団間どころか部隊内部でも対立が起きてるんだ。“根”が深いんだよ」

オータムが笑いながら言う。

「だがこの状況は好機だ。間違いなく好機だ。ファントム・タスクが正常なら対立すら起こせないんだからな。幹部の親父共が相当慌ててる証拠だぜ」

楽しそうなオータムの姿に、ラウラは訝るようにこう問い正した。

「オータム、貴様何が楽しい?」
「決まってんだろ。これを機に世界が動く、大きく動く。俺達は、俺はその爆心地にいるんだ。これ程愉快なことはねえよ。あの野郎、大したタマだぜ」

「弾?」はシャルロット。
「魂だ」ラウラで。
「ナニに決まってるんだろ」

にたにた笑うオータムである。ラウラはぷしゅーと頭から湯気を出していた。シャルロットが頬を染めながら言う。

「オータムさん! そう言うはしたないこと言うの止めてよ!」
「今更カマトトぶるなってシャルロットお嬢様。もう織斑一夏とやってるんだろ?」
「な、な、なななっ?!」
「なんで知ってるのかって?」

こくこくと高速で頷く。

「みりゃあ分かるってもんよ。年上を舐めるな小娘共。少佐殿はまだおぼこだな」

ぷち。ラウラはナイフを抜き出した。シャルロットが青い顔で止める。オータムはゲラゲラ笑う。そのとき後部トランクの扉が、歪な音を立てて開いた。何事かとラウラが振り返る。一夏がすっくりと現れた。「ふんっ」と気合い1発、自動車から飛び降りた。アイススケートの様に路上を滑ると、停止し、そのまま森の中へ消えていった。その速力といい跳躍力といい、バッタそのものである。車内に流れる陽気な歌がなんとも寒々しい。

シャルロットが深い溜息を付いた。

「ここ高速道路だよ」

ラウラは達観したよう。

「抑えられるのは父上だけか。あの暴走特急超天然児め」

オータムはうんざりしたようにこう言った。

「シャルロットお嬢様よ。オーダーをくれ」
「一夏に発信器をつけてあるから、その信号を追って」
「ヤー。マイマスター」


◆◆◆


一夏が駆けつけた場所はラ・フレーシュである。トランク中でトラブルの気配を感じ取った彼は、シャルロットらを説得する暇も惜しいと飛び出したのであった。

窓が割れ、壁面に銃創を作ったビルは一部が大きく崩落していた。芝生は焼け焦げ黒炭化していた。何かが溶けた金属の塊が庭に置いてあった。想定される熱量の割には範囲が限定的で、一夏にはそれがISに依るものだと分かった。

“Keep Out”

ロープ越しに警官たちが“人を納めたような”大きな黒い袋を幾つも並べていた。消防士の姿も見える。政府関係者とおぼしき背広組もいた。詰めかけたギャラリーを警官が誘導している。報道機関もカメラを回していた。

漂う血の匂い。大地に伏す亡骸。かって生きていた者たちのなれの果て。太陽は昇り良い小春日和だというのに、そこは凍てついていた。一夏が為す術も無く立ち尽くしていると、オータムが背後から歩み寄った。鍔付き帽をくしゃりと一夏に被せた。顔が分からないように目深にである。

側に立つラウラがこう言った。

「覚えておけ織斑一夏。人間は死ぬとこうなる。とくに兵隊は五体満足で逝られるとも限らない。腕がちぎれたり、足が抜け落ちたり。彼らはマシな方だ」

「ひとり“燃え尽きちまった”奴が居るな」と庭に立ち尽くす金属の塊をみてオータムが言う。
「見覚えがあるか?」とラウラが聞いた。
「あの熱量、スコールのゴールデン・ドーン以外ありえねえな。ソリッド・フレアだ」

シャルロットが近場の警官に声を掛けた。

「マルコ・ギャバン警部にお会いしたいのですが」
「失礼ですが、どちら様?」

胡散臭そうにシャルロットを見る警官だったが、気品を感じさせる彼女の笑みに戸惑った。

「C.D.とお伝え頂ければ分かります」
「……お待ちを」

暫くすると中年の白人男性がのっしのっしとやって来た。背は低く中年男性ゆえ腹を大きく突き出していた。たっぷり生やした髭が威厳を漂わす。彼はシャルロットを見ると、致し方ないとこう話掛けた。

「フランスにお戻りになられた、そう伺っておりましたが。再会がこの様な場所では感動も台無しですな」
「ご無沙汰しております、ギャバン様。ますますの壮健なそのお姿、安心しました。またご挨拶が遅れたことここにお詫び申し上げます」

シャルロットが小さく身を下げると、2人は軽く抱き合った。ビズを交す。

「シャルロット、美しくなったな。レオンもさぞ鼻が高いだろう」
「叔父様も相変わらずで安心しました」
「それは褒めていないな?」
「とんでもありません。最大級の賛辞です」

(なんか俺ら空気だな)とはオータム。
(気にしたら負けだ)とラウラは相変わらずのむっすり顔だ。

「学園生活の話を是非にでも聞きたいところだが、今は仕事中だ。それに若い娘に相応しい場所ではない、家に帰りなさい」
「叔父様。私の友人たちを紹介します。ドイツ陸軍のラウラ・ボーデヴィッヒ少佐とIS学園の織斑一夏。そしてデュノアのテストパイロット、エリザベッタ・オータム。彼女は元ファントム・タスクです」

マルコはちらとオータムを見た。シャルロットは変わらぬ笑みでこう続ける。

「叔父様。私たちもこの事件に関わりがあるようです、情報交換しませんか?」

彼はやれやれと頭を片手で抱える。

「どんどんレオンに似てくるな。その応じざるを得ない状況の持っていき方、そっくりだ」
「恐れ入ります」
「まったく……話を聞かせてくれ」

簡易指揮所であるテント内。シャルロットが経緯を話すと、マルコはむうと唸った。セシリアと真のことは伏せておいた。

「ラ・フレーシュは設立時から曰く付きの企業だった。調べようにも圧力が掛り手を出せなかったからな。軍を動かしたこと、開発中のEOSがあること、IS戦闘の跡があること。ファントム・タスクの資金源となっている事を前提にすれば、一蹴できんな。疑う必要がある」

ラウラが組んだ両手を机に置き、身を乗り出した。

「ムッシュー。質問がある」
「何かね。少佐殿」
「銃撃戦は昨晩と聞いたが、なぜ警察の出動が遅れた? 即座に行動していれば現場を押さえられたはずだ」
「ラ・フレーシュは警備ネットワークを遮断していた。市民からの通報ももみ消している。余程我々に関与されたくなかったらしい。その結果壊滅では目も当てられないが」
「壊滅?」
「生存者の話では40名近く居たそうだが36名死亡、まさに地獄絵図だ」

オータムが聞いた。僅かに声を弾ませる。

「敵兵力は?」
「大隊規模、と言いたいがね。ラ・フレーシュの連中は大半がワンショット・キル。そのような芸当は特殊部隊でも無理だ。名士殺害事件との関連を調べているが、どの様な手段に訴えたのか、正直言ってお手上げだ」
「警備システムの記録映像は?」
「何も残っていない。バックアップまで綺麗さっぱり消去されている」
(くくく。あの野郎やってくれるぜ。まさにカオス。エムが執着するわけだ)

一夏はふらりとテントの外に出た。ふらふらとあてどもなく歩く。高く積み上げられた死者の山。彼らにも人生があったはずだ、兵士というのはどの様な気持ちで銃を持つのだろうか。武器を持ち立ち向かった以上、哀れな被害者ではないのだ。一瞬で決まる生と死と。どうしてその様な世界に足を踏み入れたのか。何故人は人同士戦うのか。

殺すことは良くないことだ、道徳として常識としてそれを習った。では何故いけないのだろう。命が尊いというならば動物とて同じ事だ。それは一重に人の社会基盤を維持する為である。

懸命に紡いだ人の生が、誰かの一存で奪われてしまうならば、それが確定されているならば、誰も彼もが紡ぐことを止めてしまうだろう、そうしたら誰も彼もが奪うようになるだろう。理性に従うことと、自然に抗い営みを生み出すことは難しいからだ。その結末は社会の文明の種の終焉である。

だが人は1人で生きて行くことは難しいし、人と人が集まった時には必ず争いが生じる。身体的精神的に差がある以上平等はあり得ない。優越、嫉妬、妬み、これは争いの元だ。

その様な中、コミュニティ構築に争いは必須と言ったならば、人はそれを否定するだろうか。

人の心は弱いのだ。抑圧がなければその欲望は何処までも肥大する。コミュニティの中で人との対立があって初めてこそ、自己を保つことができる。人と折衝をしその結果自制するのだ。甘やかされて育った人間がわがままな理由だ。組織の頂点に立つ人間もまた同様。賢王のように己の力で己を客観的に律する人間は稀なのである。

一つ言えることは大なり小なり人は争わなくては己と仲間を守れない。だがその都度争っていては切りが無いから人々はルールを作った。だが。価値観の異なる人間が作りあった物で有る以上、全ての人間にとって平等な、完全なルールなどありえない。戦争で敵を殺しても罪に問われないが、隣人を殺せば罪になるという矛盾が生じる。

他の国より自分の国、他の町より自分の町、隣人より家族、他人の子より我が子。身近な存在を優先する理論的な本能のもと不平等な状態が起きる。その結果生じるのは犯罪であり戦争だ。

誰とて死にたくはなかろう。殺したくはなかろう。だが敵は命を賭けて襲ってくる、ならば同じ命を賭けねばならない。生命が持つ最大にして最後の財産である命を、である。その賭ける命は誰の者であれば正しいのか。他人のならば良いのか、己のならば良いのか。

組織で見た場合と、個人で見た場合に生じる人命の差違、ヒューマン・システム・コンフリクト。一夏は有史以来絶えず人類が直面してきた難題とぶつかった。

世界の頂点に近い、権力を持つファントム・タスク。その横暴を抑制するには力に訴えるしかなかった。法に訴えてももみ消される、そもそも相手にすらできないだろう。では真の行為は正しいのか。人生を持つ兵士たちを犠牲にしたことは間違っていなかったのか。

(うーん)

一夏は腕を組んで、口をへの字に結ぶ。

「取りあえず1発ぶん殴って、真に考えさせるか。考えるのは阿呆の役目だしー」

遠くで騒ぎが起こる。一夏は何事だと走り寄った。巨大な穴が空いていた。底に鉄骨が編むように転がっている。金色の何かも見えた。一夏は近くの警官にこう聞いた。

「何か事故ですか?」
「ISだよ。パイロットと一緒に見つかったんだ」
「生きてるんですか?」
「いや。死んで……君は誰だ?」

警官が問い詰める前に一夏は身を投げ出した。「おいっ!」警官が慌てて声を荒らげる。20メートルはある穴の底、彼は壁面の出っ張りを足場にしながら、駆け降りて行く。一夏が降り立った穴の底、そこに高く積まれた鉄骨の、さらにその奥。スコールが眠るように死んでいた。

「この人は……?」と一夏が呟いた。
「スコール・ミューゼル。ファントム・タスクの幹部だ」

ラペリングで降りてきたラウラが応えた。

「真がやったのか……つー事は真が近くに居る?! こうしちゃ居られねえ!」

ラウラはハリセンで一夏を叩いた。唐竹を割ったような良い音がする。

「すぱーんって、なにすんだよラウラ!」
「落ち着けこの馬鹿者! 毎度毎度騒ぎを起こすな!」
「あの阿呆が近くに居るんだ! これが落ち着いていられるかって!」

むっすりとラウラはこう言った。腕を組んで赤い瞳で一夏を見上げていた。

「……あの真の事だ。目的を果たした以上もう近くにはいまい」
「……」

既に一晩経っている。言われれば一夏も全くの同意だった。ラウラが言った。

「気が済んだか。済んだならばロデーヴにいくぞ。いま我々がここにいて出来ることはない」
「……おう」

一夏は渋々ラウラの後に続いた。穴の上からオータムが弔いの瞳で見下ろしていた。

(あばよ。スコール)


◆◆◆


ロデーヴは相変わらず膠着状態だった。ファントム・タスク陣営と反ファントム・タスク陣営、双方がにらみ合いを続けている。交渉役の兵を互いに送り出し、数度落とし所を探るも悉く失敗に終わった。夕日に染まる山と谷。兵士たちが森の暗がりに隠れ銃を片手に控えている。

「強硬手段に訴えるべきです」とサラが言った。

皆が首を揃える移動指揮車の中、彼女は机を指で叩いた。こつんこつんと苛立ちを隠さない。彼女は続けた。

「こうしている間にもセシリア様の時間は失われているのです。一刻の猶予もなりません」

ラウラが何時もの様にむっすり顔でこう言った。

「冷凍睡眠だ、オルコットの時間は止まっている」

サラは向いに腰掛けるラウラをキッと睨んだ。

「くだらない言葉遊びをするつもりはありません」
「サラの戯言はともかく時間の浪費は問題だ。シャルロット、こうしていても埒があかない仕掛けるべきだ」

呼び捨てにされたサラは不愉快さを隠さない。

「素直に同意すると言ったらどうですか。このひねくれ者」
「お前に同意とは面白くない冗談だ。もうすこしまともなユーモアを言ってみろ。この頑固者」
「ドイツ人がユーモアなど何の冗談?」
「イギリス人のひからびた古典よりはマシだろう?」

パシッと火花を散らす。拗れる前にシャルロットが割って入る。

「採掘場に続く道は全て閉鎖してる。持久戦に持ち込めば活路も開けると思うよ」

2人がシャルロットを見る。ラウラが「同じフランス軍同士だ。相打ちにさせたくないのは理解出来る。だが奴らがオルコットに何をするか分かったものではない」と言った。するとサラが「連中を追い込むのは得策とは思えません、余裕のある内に攻めるべきです。許可を頂ければ英国特殊部隊が(SAS)が対応します」と続けた。

「流石にイギリス軍をフランス領内で動かすのは困るんだよね」

同席するフランス軍将校も不満を隠さない。一夏が鉄パイプを振り回しながらこう言った。

「フランス軍は動けない、他国の軍隊も困る。なら俺達がどうにかするしかねーだろ」

ヒュンヒュンと竹刀の要領で空を切る。その姿を見つつ、感嘆したようにラウラが言った。

「悪くない。睨み合っている以上採掘場内部の警護は必要最低限になる。内側から仕掛けよう。オータム、道案内は可能か?」
「眼を瞑っててもできるぜ」

サラが念を押すように申し出る。

「私も同行しますが、いいですね?」
「学園生徒としてなら許可しよう」
「なぜ貴女が仕切るのか理解に苦しみます」
「忘れたか2年生。私はIS学園の教師だぞ」

ふっと笑みを交すサラとラウラ。シャルロットが仕方なさそうにこう言った。

「メンバーはサラさんとオータムさんとラウラだね。念を押すけれど境界線を越えたら支援出来ないよ」
「シャル、俺は?」
「一夏は留守番」
「えー」

ラウラがこう言った。

「いや、一夏にも参加して貰う」
「「「えっ」」」

ラウラの立てた作戦は陽動だ。ラウラたちが侵入しセシリアを確保し、装甲車両を奪取。一夏が陽動を掛け生じた混乱に紛れて脱出する。無茶苦茶な計画だった。少なくともドイツ陸軍で将校たちに伝えれば、失笑されるどころか降格ものだろう。陽動役が一夏でなかったならば。

装備を調えたラウラが、迷彩服を纏った一夏に言う。

「一夏。お前の役目はあくまで攪乱だ。無鉄砲なお前の全てを駆使して、とにかく騒ぎを起こせ」
「なんか馬鹿にされてる気がするけど、了解だぜ。隊長殿」
「それと捕まることは決して許されん。織斑一夏はフランスには居ない、これを肝に銘じろ」
「了解でありますサー。捕まったら爆散します」
「サーは男性将校への敬称だ」
「あれ?」

ラウラは表情を緩めてこう言った。その姿は千冬に似ていた。

「……お前が死んだら私は教官に殺される。私を死なせたくなかったら死ぬな」
「女版真がここに居る。捻くれすぎだぜ」
「褒め言葉と受け取っておこう」

シャルロットが一夏に歩み寄る。

「一夏。矛盾してるけれど、無茶しないでね」
「おう任せとけ」
「僕は悪い王子様に捕まっちゃったんだね。きっと生涯にわたって不安に苛まれる運命だ……悪い王子様の帰還を永遠に待つ、悲劇のお姫様なんてイヤだからね」
「シャルの王子様は無敵なんだ。安心して城で待っててくれ」

2人が口づけを交す。アサルト・ライフルを携えオータムがこう言った。サラも同じだ。

「準備出来たぜ隊長」
「では作戦を開始する」

日没と同時にラウラたちが森を疾走する。味方のフランス陸軍が入念な現地調査を行ったお陰で、順調なペースで侵入出来た。

最も能力に優れるラウラが作戦遂行の核となったが、2人は想像以上の働きを見せた。オータムは近接格闘あるいは火器で敵兵を無力化する。サラはタブレットに指を走らせ警備システムを解除する。隠密行動も文句がなかった。流石のラウラも2人の実力を認めざるを得なかった。

洞窟の闇に紛れ、ラウラが音一つ立てず敵兵を倒した。十字路から突然現れた敵兵にスローイング・ナイフを投げつけた。苦悶さえ許さないラウラの手腕をみてオータムが呆れた様に言う。

「データ以上だな。戦う前に味方になって良かったぜ」
「無駄口を叩くな。この部屋か?」
「そうだ」

3人の前に鋼鉄製の扉があった。赤いペンキで十字マークを刻んでいる。ラウラが目配せするとサラがタブレットを取り出した。指を走らせタブレットに複雑なシンボルを描いた。セキリュティに指令を割り込ませる。扉を開けた。オータムとラウラが銃を構え部屋に押し込んだ。警備兵2人を一瞬で打ち倒す。

程なくセシリアを発見。サラが追いすがるように冷凍睡眠器のステータスを確認する。無事を確認すると直ぐさま覚醒シーケンスに入った。ラウラが時計を見ると一夏が騒ぎ出す時間を指していた。

「サラ、覚醒に何分かかる」
「10分です」
「5分で済ませろ。ここにも敵兵が来るかもしれない。オータムは車両の手配だ」
「十字路の影にジープがあった。それが使えると思うぜ」
「思う、ではない。確認しろ」
「ラジエターが暖かかったから大丈夫だろ。エンジン掛けろとか言うなよ? 1発でばれる」
「行き当たりばったりは好かない」

程なくして遠くから音が聞こえだした。ずずーんという慌ただしい爆発の音。ガダダという狼狽する銃声に、わーわーという兵士たちの悲痛な叫び。時おり“でりゃぁぁぁぁ!”という雄叫びも聞こえた。どかばきという何かを殴りつける音とか、どすどすんという投げ飛ばす音も聞こえたりもした。あの男はちゃんと攪乱しているのか、ラウラは不安に駆られた。

ぴぴぴ。電子音が響く。冷凍睡眠器の石英のような透明のシェルが開いた。鮮やかな金色の髪が、残った人工羊水に浮かび揺らいでいる。その姿はヴィーナス誕生の絵画を連想させた。

オータムが抱きかかえベッドに優しく寝かす。サラはシーツをセシリアに掛けた。涙を流しながらセシリアの手を握っていた。

(ふむ。オルコットへの忠誠は本物だ)
「感動の対面だが、まだ大仕事が残っているぜ」

ラウラが銃を構え、オータムが油断なく扉を開けると、目の前に煤けた一夏が居た。髪もちりちりになっている。

「やはー」
「「……」」

しゅたりと右手の平を掲げて満面の笑み。一夏はまるで一仕事追えた様な達成感を満喫していた。オータムとラウラは声が出ない。

「……おいガキ」オータムである。
「……陽動はどうした」ラウラである。
「全部倒した。何とかなるもんだなー」

事実であった。フランス陸軍1個小隊40名は一夏一人に無力化されていた。簡単に表現すれば、昏倒させられていた。一夏の背後に立っていたシャルロットは青い顔で笑っていた。

(幾らブリュンヒルデの弟相手でもこれはフランス軍の汚点だよ。どうにかして記録から抹消しないと……)

敵対していたとはいえ同じフランス陸軍。味方の兵は同情しながら彼らを拘束していった。作戦もへったくれもない。思わず脱力しそうになる光景を見ながら、ラウラは「作戦終了だな」と何とか声を絞り出した。一夏がラウラに問う。

「んでセシリアは無事なのか?」
「冷凍睡眠から覚醒したばかりだ。意識を取り戻すには暫く掛るだろう」
「もう起きていますわよ」

セシリアがゆっくりと眼を開けた。

「体の調子は?」ラウラの問い掛けにセシリアは「まだ身体は上手く動きませんけれど」と応えた。

彼女は蒼い瞳をゆっくり動かし、サラ、シャルロット、ラウラに一夏。あと資料で見たファントム・タスクのメンバーであるオータムの姿を認めた。セシリアはこう続けた。

「ところでボーデヴィッヒ先生。この状況を教えて下さらない? 私は確か成田で襲われた気がしますの。そこに仲良く立っているオータムさんのお仲間に」

安堵の余り涙を隠さないサラ。ラウラは経緯を手短に話した。セシリアは静かに眼を瞑る。唇を強く結び、悔恨の表情だった。一夏が胸を張りこう言った。

「セシリア。俺達はこれからあの阿呆を追う。そしてぶん殴って正気に戻す。セシリアも来るか?」
「是非同行させて頂きます。いえ、同行させて下さいな」

サラがはっと顔を上げた。

「イギリス本国には戻られないのですか? 女王陛下もセシリア様の身を案じておられます」

セシリアは首を振った。

「一度本国に戻れば当面国外には出られないでしょう。全ては私の失態、真を止めねばなりません」

一夏が笑いながら言う。

「決まりだな。セシリア、病み上がりにはちーと辛い旅になるぜ。覚悟は良いか?」
「その程度問題ではありません。恋人にちょっかい出された方が問題です。黙っている事などできるものですか」

あははと一同が笑う。シャルロットが一夏にこう言った。

「ところで一夏。これから何処へ向かうつもりなの?」
「……シャルが知ってるんじゃないのか」
「……一夏って本当に無計画だよね。当てずっぽうというか向こう見ずというか」
「だれかが知ってるんだと思ってたんだよ、うん」

一同が白ける中、ハスキーな声が響く。陽炎の様に現れた喪服姿の女に皆が面食らった。

「エムは母様が連れて行きました。母様は学園地下に保管するある物を狙っています。マスターも恐らくそこに」
「だれ?」一夏はズレた方向に理解していない
「みやです。一夏さま」
「みやって、あのみや? 真のリヴァイヴ・ノワール?」
「はい。マスターの異能でこの姿を手に入れました」

あんぐりと口を開ける一夏。我に返ったシャルロットがみやに詰め寄った。

「みや! データくれないかなっ!?」
「お断り致します」
「即答?!」

全力で縋り付くシャルロット。本当に飽きない連中だと屈託無く笑うラウラ。一夏は白式もメンタル・モデルを持っているのかと気が気では無かった。

笑いが満ちるその場所で、セシリアが夜空を見上げると月が浮かんでいた。

(真。必ず取り戻しますわよ)

それは蒼い満月だった。




つづく!
◆◆◆


な、長かった。マジ長かった。

すでにお伝えしたように、このファントム・タスク編、真サイドは書かない予定でした。シリアス・ダークの上、IS原作キャラの出番がないと言うのが理由です。とはいうものの、真がスコールを倒すシーンを説明だけで済ますのは、如何なものかと思い、そこだけプロットを起こしたら、それに至る過程も書かないと駄目だよねとこうなった次第です。

予想通り真の評価は落ちましたけれど……。

一夏サイドと真サイドを書き分けるに当たり、テンションの激しい切り替えが必要でした。それにはニコニコ動画の“作業用BGM”タグが大活躍でした。陽気な曲からシリアス、ダークな曲までそろっております。小説を書いていらっしゃる方、お試しください。


次回、ゲートストーン学園攻防戦編!








【どうでもいい作者の独り言】
ゲームやってないのに“艦これ”BGMのアレンジにはまりました。BGM“母港”がいいのですよ。








【更にどうでも良い独り言】
加賀さんも良い。赤城さんも良い。でも鳳翔さんも捨てがたい……空母ばっかやな。



[32237] 06-01 IS学園攻防戦 前編
Name: D1198◆2e0ee516 ID:4a0c6f63
Date: 2014/08/05 21:20
06-01 IS学園攻防戦 前編


久々の学園です。
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真と初めて会ったのは入学式当日だった。最初の印象はとにかく腹立たしい、それだけだった。

一夏と私の六年ぶりの再会を台無しにしたのだ、当然だろう。IS開発者である篠ノ之束、その妹である私は日本政府庇護のもと、家族と強制的に別居させられ、日本中を転々とした。友人などあろう筈も無く、元来の気性の荒さも加わって、どこであろうと孤立した。誹謗中傷、妬みに嫉妬は尽きなかった。それでも私は耐えられた。一夏との思い出が私にとって全てだったのだから。

だから。

私はそれを邪魔した真を睨み付けた。剣気を叩きつけた。自賛は好むところではないが、私は剣気に自信があった。ゴロツキ程度であれば剣を使わずとも怯ませる事など容易い。追い散らすことも可能だ。だから真も同じように追い払ってやろう、そう考えた。だが真は臆するどころか、涼しげに受け流した。

真は私の殺意を喜んで受けていた。

初め真を剛の者と思ったが、そうでは無いと気づいたのは何時だっただろう。いま思えば、静寐と本音を焚きつけるため、真をデートに誘ったあの日に違いない。真は言葉にはこそしなかったが、己を苦しめたいとそう言っていた。私の目の前に立つ、一夏と同じ背格好の、目付きの悪い少年、蒼月真という存在は、私にとって初めて見るタイプだった。

その真の事を、掛け替えのない友人である静寐と本音からよく聞かされた。

曰く、会社に腕は立つが性格的に難のある営業マンがいて、卑猥な本を押しつけてくる。
曰く、アパートの近くに天邪鬼な子供が居て、中卒だとからかわれる。
曰く、会社の取引先の課長がころころ言うことを変え、そのつど対応に追われる。
曰く、非常にむかつく。
曰く、曰く。

私の目の前で真を嬉しそうに語り合う2人。私は1組であったが2人を介し真をどんどん知っていった。

魂を吸い取ってしまわないばかりに深い黒い瞳。普段見せる大人びた態度。己を否定するその有り様。一夏と殴り合う時に見せる子供のような無邪気な笑顔。気がついた時には、私の内は真で占められていた。

友人の好きな人を好きになる、少女漫画や恋愛ドラマで良く知る展開が、まさか私の身の上に起こるとは思わなかった。

決定的だったのは春と夏の境に行われたクラス対抗戦だった。たまたまアリーナの中を移動中だった私はアラート共に千冬さんが居る管制室に駆け込んだ。

無人機と戦火を交す3組クラス代表と真。無人機は驚異的で、子供をあやすかの様に2機のISを弄んでいた。ディスプレイに一際強い光が映し出される。致死の光弾が2人を吹き飛ばす。

私は。私はこのとき初めて一夏を忘れた。フィールドを転がり、血を吐きながら、屹立しようと足掻くその姿に全てを奪われた。

そんな筈は無い、私は一夏が好きだ、ただの気の迷いだ。友人である2人が、好意をもつ人物を好きになるなど、あってはならない。篠ノ之箒は信義を尊ぶのだ、そう己に言い聞かせた。セシリアに向ける真の“喜び”という眼差しに苛立ちを感じながら。

無人機戦で真が普通の少年ではない、戦いの世界に身を置く人物だと分かった静寐は一つの賭をした。真が密かに好意を寄せるセシリアに勝負を挑んだのだ。普通では駄目だ、隣に立つには力が要る……と静寐は走った。そんな馬鹿なことをするなと私は止めた。

“今のままじゃ私は進むことも戻ることもできないの”

そういって静寐はセシリアに敗北した。2人は私に言った。

“箒ちゃん、意地悪なお願いして良い?”
“私たちの代わりに真を守ってあげて。私たちには無理だったけれど箒ならそれができるから”

2人は私の奥底に封じた思いに気づいていた。私は2人の願いを受け入れた。“友人の願い”これを免罪符にして。

“一夏の事は心配要らないから”

笑いながらこう言った静寐は、どの様な気持ちだったのだろう。静寐は全力を出した。せめてセシリアに一太刀をと日々訓練に明け暮れた。それでも届かなかった。悔いは無いと胸を張っただろうか。

悔しくないわけがない。

学年別トーナメントのとき静寐の噂を聞いた。一夏を利用しセシリアに勝利し、鬱憤を晴らそうとしている、そう誰かが呟いた。私は言い返す術を持たなかった、静寐を止める権利もなかった、私も同類だからだ。降って沸いたチャンスにつけ込んだのだ。

ディマと共にフランスから帰国した真は視力と左腕を失っていた。相当な修羅場だったろう事は想像に難くない。だが驚いたことに真は己を取り戻していた。セシリアも自信を漲らせていた。笑みを交すセシリアと真。2人の絆が眩しくて辛い。真にとっての私とは何だろう、今のままではただの友人でしかない。これでは2人に会わす顔がない。

私は忌み嫌っていた篠ノ之束の妹という特権を利用しISを手に入れた。真の隣に立つには力が要るからだ。私の過去が浮かび上がる。ただがむしゃらに求めた力。力とは何だろうか。誰かを守りたいそれだけでは駄目なのか。

真は“自分を尊重するところから始まる”と言った。

だから私は思いを伝えた。結果は拒否だった。真はセシリアしか見ていない、どれほど力があってもセシリアには成れない。それが十分に分かった。ではこの思いはどうすれば良い。海の泡にしてしまうしかないのだろうか。

一夏を裏切り、己の信念すら翻し、大切な友達と交した約束すら守れず……私は自暴自棄直前だった。

姉さんは篠ノ之家の人間に出来ない事は無いと言った。姉さんの言っていた事はよく分からなかったが“最も大切な物は何か、それが分かっているならそれをするだけ”だと言うことが分かった。

女心には聡いが、女心を分かった上で踏みにじる真だ。押して引くなど駆け引きなどしている場合ではない。私は私の方法で真を追い掛けよう。紅椿もある、鈴と逼迫する力も得た。セシリアは関係無い。剣を取り真を守る。千冬さんともディアナとも異なる私だけの場所に立つのだ。

“私はお前の剣になる”

こう胸を張って言おう。その時の真が脳裏に浮かぶ。思う存分困らせてやろう、真は私にそれだけのことをしたのだから……










部屋が妙に明るい。箒がそれに気づいたとき、時計は午前6時を指していた。ベッドに身を横たえてぼんやりと窓を見ると、黒い窓硝子の中央にオレンジ色の玉が滲んでいた。その玉は小学校のころ、理科の授業で見た太陽の姿に似ていた。太陽の強力な光りを直接見ると眼を痛めてしまうが、日食グラスという光線を弱めるグラスを使えば観察できる。

そんな物もあったな、箒が自嘲気味に笑うと、寮の環境保持システムが作動、窓硝子の遮光フィルターを自動で解除する。柊寮から見える水平線に太陽の頭が見えた。

真の部屋に籠もってもう何日目だろうか。数日かもしれないし、数週間かもしれない。全てがぼんやりとしている。目が覚めてもまだ夢の中に居るような、現実感のなさ。理性が働かない。太陽の光が箒の身体を焼く。

かぶるシーツの影、その奥。箒が虚な表情で身動ぎをする。

枕元のダッシュボードには栄養素材の詰まったカプセルが置いてある。医務室の医師がおいていった薬だ。食事代わりにと言ったが、向心薬も混ざっている。

彼女は眼を細め、手を伸ばし、ベッドの枕元に設置された操作パネルを操作した。彼女自身が驚くほど腕が細かった。肌も乾燥しぱさついている。システムが窓を遮光する、部屋が再び暗くなる。

頻繁に来ていた静寐と本音も、来なくなった。千冬は扉の前に立っただけだった。掛ける言葉が見つからないのだろう、箒自身掛けられる言葉がない。マドカに奪い去られる真の姿が脳裏に宿る。食いしばり、涙が流れた。

(こんな筈では無かった。もう無力ではない、その筈だったのに)

シーツにくるまり、嗚咽を漏らす。その声は途切れることなく何時までも続いていた。


◆◆◆


セシリア殺害、真誘拐、一夏行方不明、これが世間の知る状態だ。学園生徒も一部を除き同じような状況である。

その様ななかIS学園の一画で、静寐たちがシミュレータに励んでいた。シミュレータと言っても、小型乗用車並の大きさで、張りぼて形状と良い、アミューズメントに置いてあるゲーム筐体その物である。

選んだステージはコロッセアム形状の第3アリーナ。静寐がリヴァイヴで清香が打鉄、対するは黒いISみや、アレテーがデータを元に再現する仮想エネミーである。静寐が攻撃支援を行い、清香が主打撃を与えるというコンビネーションで真を追う。

高度30メートル。静寐はサブ・マシンガン“FN Pi90”で牽制射撃。7.62ミリの弾丸がみやの予測軌道上にバラ蒔かれ、みやは燕のような機動で急激上昇。下方向から回り込んでいた清香は20ミリ・スナイパー・ライフル“H&K PSG1i”を構えた。

あらかじめ低空に誘い込んでおき、水平回避した場合は静寐が範囲攻撃。上昇回避した場合は清香が打撃を与える、二段作戦だ。

清香の取った位置は、みやの真後ろ。どの方向に逃げても僅かなタイムラグがある。IS機動戦闘において射撃に最も適したポイントだ。

(どんぴしゃ! いただき!!)

みやの後ろを取った清香はトリガーに力を込める。スコープに映し出されるみやの後面映像、みはや銃口を後ろに向けていた。清香の打鉄がロックオン警報を鳴らすが、彼女は狙撃する気満々だった。回避フェーズへの移行がワンテンポ遅れる。みやは東方向に大きく回避行動をとりながら射軸補正。20x102mmの弾丸が音速を超えて飛来する。

弾丸は清香の右脚末端に命中。強烈な外力を受け、きりもみし、フィールドに落ちた。被弾ダメージと墜落ダメージで、打鉄は撃墜された。

静寐はフル・オートで牽制するが、弾倉交換の隙を突かれ狙撃された。サブ・マシンガンは弾かれ、ボディを撃たれ、姿勢を立て直している最中にロケット・ランチャーでとどめを刺された。

『You Lose!』

戦闘時間26秒。容赦の無いシミュレーターの報告がなんとも腹立たしい。ふしゅーと空気アクチュエータの音がするとハッチが開いた。静寐と清香はむっすり顔でシミュレータを出る。そこにはティナと癒子が待っていた。ティナは腕を組んで壁にもたれ掛かっている。癒子はパイプ椅子に腰掛けテキストを読んでいた。癒子が言う。

「おかえり。早かったね」

静寐はやってられないと言わんばかりに宙を睨む。

「……どこで間違えたの」

ティナが言う。

「静寐。貴女はミスをしていません。機動予測、射撃精度、回避運動、いずれも能力差がありすぎる故の敗北です」

紙パックのイチゴミルクを飲みながら癒子が「ティナ。それ追い打ちだよ」と追い打ちを掛ける。苦虫をかみつぶした顔で、清香が壁を蹴り出した。げしげしと苛立ちを隠さない。

「どーして高速回避中に精密狙撃ができんの?! これじゃあ段取りも位置取りもへったくれもないじゃん?!」

癒子が「難易度下げたら?」と言ったから清香は「それじゃ訓練にならないし!」と声を荒らげる。

「地道に鍛練を重ねるしかないでしょう。何時か勝てるかもしれません」とはティナ。
「いつかって何時!?」とは清香。
「清香が蒼月君の能力を上回った時です」
「絶対インチキだよこれ! 何かズルしてる!」
「事実から目を背けてはいけません。清香。だからこそIS学園で戦闘指南をしていると考えるべきです」

静寐が半眼でティナに言う。

「ティナって真を過大評価してない?」
「一騎打ちで戦ったことがありますから驚くには値しませんね」
「その後の戦歴は?」
「2勝9敗です。シミュレータ込みで」
「実戦は?」
「0勝4敗です」

ストローから口を離した癒子が清香に言う。

「そんなにストレスなら対戦相手を織斑君を相手にすれば?」
「もうやった」
「それで?」
「開始直後に零落白夜でばたーんきゅー。10秒持たなかった」
「お気の毒様」

むーむーと唸りながら清香は頭をくしゃくしゃと掻く。教導棟の窓から外を覗けば、バトミントンに興じる簪と本音の姿が在った。がらっと清香が窓を開ける。

「簪! 本音! 遊んでないで手伝ってよ!」
「きよちゃん。整備も戦いも小さな積み重ねが大事なんだよ」
「もう聞いた!」
「相川さん。エキササイズビデオ……見る?」
「特撮戦隊ものは参考にならない!」

簪のラケットが空を切り、羽根が簪の頭に落ちる。ぽんと音がした。やれやれと清香は手の平で顔を覆う。

「もー。簪は専用機持ちなんだからしゃきっとしてよ」

羽根を拾った簪が誰に言う訳でも無く呟いた。

「篠ノ之さんまだ部屋から出てこない。心配……」

訪れる沈黙。箒の状態は全校生が知る所だった。その沈黙を破ったのは清香だった。

「一夏と真がセシリア連れて帰ってくるのを待とう。いま私たちが出来る事は悪化させないこと」
「セシリアが生きてるって信じてるんだ」と静寐が笑みを浮かべて聞いた。

セシリア生存の可能性を知っているのは静寐だけである。他の生徒が知り得る情報はニュースのみ、そのニュースでは死亡と伝えている。だが清香は全く信じていなかった。

「あの飛行機事故なんだか不自然だし。一夏も向かったから大丈夫。それに。理論派の静寐に余裕があるしね」

怪しいと半眼で睨む清香。静寐は愛想顔で身を竦ませた。セシリア生きているという事は極秘なのである。

「そうだよ。みんな帰ってくるよ。それまでお留守番してよっ」とは本音。
「そうですね。基地を守るのも立派な任務です」とはティナ。

笑いながら癒子が皆にこう言った。

「それにしても流石清香。頭弱いのに見るとこ見てる」
「あー弱いって言った! これでも漢検一級なのに!」
「確かにすこし残念……」と簪が言う。
「簪までそう言うこと言う!?」
「でもそれが良いところ」とは静寐。
「その無軌道な元気さ。苦しいとき有難いです」これはティナで。
「じゃ、まとまったところでご飯にしよ」最後は本音だった。
「「「異議無し」」

ぞろぞろと食堂に向かう5少女。1人残った清香は地団駄を踏んでいた。

「弱いって言うなー!」

ちちちと鳥が鳴いていた。


◆◆◆


数日が経った。IS学園中央に位置する学園本棟の一階。職員室に教師たちが詰めていた。明るい照明に、白い壁。立ち並んだオフィスデスクには各々の書類が積んである。整理整頓、整えられた机に向かうディアナはコーヒーを飲んでいた。

職員室の扉が開き、千冬が現れる。何時もの様に黒いスーツ姿だ。ディアナはライトグレーのパンツ・スーツ姿だった。

「ディアナ、少し良いか?」
「吉報? それとも凶報?」
「どちらから話せば顔を貸す?」
「どちらでも、よ」

金色の髪をなびかせて、ディアナは席を立った。職員室となりの生徒指導室。千冬が扉の横に設置されたパネルを操作すると、保安ランプが点灯した。内部の話し声が外に漏れないようにするセキリュティ・システムである。互いに向かい合って座る。千冬がこう切り出した。

「デュノアから報告が先ほどあった。セシリアを無事保護したそうだ。一夏と2年のサラ・ウェルキンが連れてくる」
「イギリスの反応は?」
「まだ無い。セシリア・オルコットの殺害は、テロリスト(ファントム・タスク)への囮だったとして発表するのではないか、とデュノアは考えている。私も同意だ」
「ラウラとシャルロットは?」
「ラウラは命令で自国に戻る。デュノアは手が離せない用件があって直ぐには国を離れられないそうだ」
「セシリアが帰国せずに来日する事と真に関係があるのね?」

千冬はコーヒーをすすった。落ち着ける為だ。

「フランスでの大量殺人事件を知っているな? 目下ファントム・タスクの幹部だと思われる人物たちだ」
「ええ」
「真による犯行、これの可能性が高い」

ディアナは目頭をもんだ。日々のストレスの上、とてつもなく非常に大きい難問が降りかかったのである。

「予想はしていたのだけれど、端的に言われると凹むわね」
「スコール・ミューゼルを殺害したあと行方をくらましたそうだ」
「もったいぶらずに話してちょうだい。それで真は何処?」
「真はマドカを追っている。そしてマドカは束の元だ。まもなく学園に現れるだろう」
「役者が揃うって訳ね。結末の舞台がIS学園なんて上等よ」
「幕引きが学園なのか」
「私は甘やかしすぎたのね。もうこれ以上好きかってさせないわ」
「分かっている。過去にケリを付ける。マドカとも束とも」
「違うわ。真の事よ。千冬、もう覚悟は出来たわね」
「……無論だ。過去に振り回されるのは、もううんざりだ」

千冬の眼に灯る決意の光り。ディアナはそれを確認するとこう続けた。

「それで警備の状況は?」
「学園教師にISを携帯させている。一学年2人、三学年で6人だ」
「楯無のミステリアス・レイディと簪の打鉄弐式を入れて全8機か。授業も止めるわけにはいかないしこの辺りが落とし何処かしらね」

ディアナと千冬がISを運用するには日本政府との合意が要る。敵対勢力がいつ来るともしれないため、装備出来ないのである。無期限で許可が下りるほど2人の力は弱くない。千冬が続ける。

「楯無はともかく、生徒である簪は数に入れたくない。零式を投入しよう」

零式(れいしき)とは学園が極秘裏に開発した機体の名称だ。

「艤装が済んだばかりでしょう。調整もそれなりで実戦に使えるの?」
「もうじきだ。技術協力してくれた宗治さんと布仏虚、テストパイロットを快諾してくれた黒之上に感謝しなくてはならないな。お咎めを覚悟で協力してくれたのだから」
「貴子には不要よ。あの娘絶対楽しんでるわ」
「確かにな」

2人が鋭く光る。同時に学園全てを巻き込まんばかりに震え始めた。戦いを告げる喇叭のような振動だった。2人が部屋を出ると、窓から強い虹色の光が見えた。建物が影になり直接見えないがそれでも目が眩む程の強い光だ。千冬が、左手首につけた腕時計状のコミュニケーターを作動させる。空中投影ディスプレイにアレテーからの情報が表示される。学園上に現れた光源は合計13個。空間を歪ませる程の超弩級エネルギーの塊だ。

“ISコア反応あり。テレポートによる侵入と判断、総数13機”

アレテーの情報を元に千冬が命令を下す。

「デフコン1(戦争準備態勢)に移行。学園防衛小隊は緊急発進、生徒の避難を最優先に行え」
“受諾”

学園を上空から見た地図には13個のマーカーが表示されていた。“Enemy”と表示されている。ディアナが言った。

「私は生徒たちの警護、避難誘導を行うわ。千冬は指令所に行ってちょうだい」
「ならば私も行こう。バックアップは教頭先生でもできる」
「千冬と共闘するのは初めてかしら?」
「いや。もう幾度となくだ」
「覚えがないわ。いつ?」
「忘れたか。真に説教しているだろう?」
「納得よ」

ディアナは糸を紡ぎ、千冬は日本刀を携えて屋外に出た。

侵入したISは昆虫のような印象を持つ機体だった。手足胴は細く華奢で、羽根のようなウィングスラスターを持っていた。朱色に赤紫色のカラーリングで毒々しい。例えて言うならば“毒蛾”が近いだろう。篠ノ之束謹製、無人機IS“ゴーレムⅢ”である。

真耶、千代実を含めた教師たち。1編隊2機、合計3編隊が、6機のゴーレムと戦闘を始める。機数だけならば丁度一対一だ。もっとも教師たちには、学園と生徒たちを守護するというハンデがある。流れ弾1発でどれほどの被害が出るか分かったの物ではない。苦戦を強いられていた。

第2アリーナ付近。打鉄改を纏った優子とミステリアス・レイディを纏った楯無が背中合わせで陣を取る。3機のゴーレムⅢと対峙していた。千冬が無線で指令する。

『更識、白井は敵機をアリーナに誘導し撃退しろ』

2人は思わず眼を合わせた。優子が恐る恐る聞く。

「……アリーナに誘導ですか?」
『そうだ。生徒たちは避難中、連中の攻撃力も未知数。アリーナ外での戦闘は極力回避しろ』

言うは易し行うは難し。無理難題な命令に愛想笑いをする2人だった。

『復唱はどうした操縦課主席と生徒会長』
「い、イェス・マム」とは歪な笑顔の優子。
「人使い荒いわねー。やんなっちゃう」とはやれやれ顔の楯無である。
『更識簪が2機と交戦中だ。颯爽と駆けつけて見栄を張ってみろ上級生』

2人を囲む3機のゴーレムⅢ。優子はアサルト・ライフル、楯無は蒼流旋を構えて駆けだした。学園と生徒たちを守る、と言われれば不平など有りようも無い。

さて、と千冬は通信を閉じた。1機のゴーレムⅢを眼光鋭く見据え、スカート側面の縫い目をビリと破り、白い腿を露わにした。抜刀、白刃が太陽光を浴びて鋭く光る。

千冬の倍はありそうな巨躯が彼女に襲いかかる。ゴーレムⅢはブレードを真一文字に千冬に打ち下ろした。がきんっと金属同士をぶつけた様な耳に障る音が響く。火花が散った。千冬は左手で日本刀の柄をもち、右腕で返りを支える。ゴーレムⅢの一刀を受け止めていた。

「遠路はるばるご苦労だが、お引き取り願おう」

ゴーレムⅢが再度攻撃しようとブレードを振りかざした時だ。糸が走りゴーレムの右腕、左足……全身に絡みつき拘束した。その糸は半径1キロメートル以内の、建築物をアンカー代わりとして結ばれていた。ディアナである。彼女は千冬の背後からすっと現れた。

「主に伝えなさい。この代償は高く付くわよ」
「始めるか、ディアナ」
「ええ、千冬」

千冬が疾風の様に踏み込むと、ディアナが無数の糸をさざ波の様に走らせた。


◆◆◆


場所は第3アリーナの第2ピットである。静寐、本音、清香、ティナ、癒子の5人が避難していた。隔壁が下ろされ半導体照明のみが唯一の灯だ。無機質な圧迫感の中、彼女らは息を潜めじっとしていた。

簪の演習を見学していたところ、襲撃されたのである。ピットの壁に取り付けられたディスプレイにはアリーナ内の戦闘が映し出されていた。天翔るのは2機のゴーレムⅢ、相対するは簪の打鉄弐式である。引っ込み思案とはいえ日本代表候補生、強力な2機を相手に辛うじて喰らい付いていた。

戦闘を見ていた静寐が「よくない」と警戒するように呟いた。そうしたら清香が「なんで? 簪は良く戦ってるじゃん。荷電粒子砲をばばーんと撃ってるし、超振動薙刀をぶんぶん振るってるし」と反論した。ティナが「今だけです。長引けば集中力と体力がいずれ限界を迎えます」

展開したゴーレムⅢのシールドビットが簪に向けて荷電粒子砲を放つ、別の1機を迎え撃っていた簪は、荷電粒子を紙一重で躱した。ゴーレムⅢの蹴りを食らい吹き飛ばされる。簪は追撃が来る前に、スラスターを噴かし落下地点から離脱した。荷電粒子の束が遅れて突き刺さる。爆風と爆熱が吹き荒れ、アリーナのフィールドに大穴が開く。噴煙の隙間から覗く、彼女は汗を滴らせ息を切らしていた。

「どーしよー。このままじゃ、かんちゃんが、やられちゃうよー」

あたふたと慌てふためく本音を静寐が宥めて皆にこう言った。

「ものは相談なのだけれど、この状況でも戦う人は手をあげて」

全員が手を上げた。良い算段がある、そう察した癒子が静寐に問う。

「って何を企んでるの? 言うまでも無いけれど人用銃器じゃ焼け石に水だよ」

ティナが続けた。

「のれんに腕押しがより適切でしょう。それはともかく静寐。訓練機を調達するにはハンガー区画まで行かなくてはなりません。学園は全域が戦闘状態、連中の目的か分からない以上、移動には危険を伴います」

静寐が言う。

「アリーナの地下はハンガー区画とトンネルで繋がってる。ハンガー区画から訓練機をロボットで引っ張り出すの。それと癒子“企み”なんて失礼」

清香が不安げに言う。

「でもさー。セキリュティどうするの? 引っ張り出されても解除出来なかったらIS動かせないよ」

本音が大きな胸を張っていった。

「4機なら解除出来るよー」

「おぉ。流石未来の整備課主席♪」と清香が本音の頭をなでる「えへへ♪」と本音は満面の笑み。静寐が本音に「直ぐ用意して。メンバーは癒子、清香、ティナ、そして私。本音はバックアップ」と言った。ティナが眼を鋭く光らせながら言う。

「では早く戦いましょう」
「「「それなんかあぶない」」」


◆◆◆


場所は変わり中国 瀋陽軍区 大連空軍基地。ツインテールの1人の少女が、足音を隠すことなく廊下を歩いていた。ずかずかと大手を振ってその姿は虎のよう。鈴である。赤紫色のISスーツ姿で、セキリュティの掛った扉を、蹴飛ばし壊し部屋に押し入った。その部屋は空軍情報室だった。

「楊麗々(ヤン・レイレイ)はどこ!?」

コンソールに向かう軍属が一斉に振り返る。何事かと首を傾げれば、またあの娘かと溜息をついた。20代後半で、切れ目の女性がかつかつと靴音を立てながらやって来た。彼女は鈴の上官である。

「扉を壊すなと言った筈です凰鈴音」
「んなことどうでも良いのよ! 問題はなんで学園のこと黙ってたのかって事よ!」
「言えば飛び出していくでしょう?」
「ったり前じゃない!」
「だから言いませんでした」
「……良い根性してるじゃない」
「話は仕舞いです。部屋に戻りなさい。代表候補生」
「あんたねえ! 学園の一大事になに冷静ぶっこいてんのよ!」
「中国には関係無い話ですから」

鈴は尖らさんばかりに八重歯を向いた。

「はぁっ?! あんたマジで言ってんの?! 関係無いならどうして私が学園に行ったのよ!?」
「利があったからです。凰。今学園に行けばリスクしかありません。貴重なIS戦術機、何と心得ますか」
「友達がいんのよ! 仲間が居んのよ! あそこには!」
「事が済めば許可も下りるでしょう」
「それじゃ遅いって言ってんだろーがっ!」
「凰。貴女は未成年とはいえ予備役、軍属です。感情に流されるのは恥と知りなさい」

ぷち。鈴の中の、ただでさえ細い忍耐の糸が切れた。鈴は真顔で麗々に歩み寄る。攻撃を悟られないよう、手は腰の後ろで組んだ。つかつかと歩み寄り、跳躍。左足を軸に右脚で回し蹴る。威嚇のつもりで麗々の顎を狙った回し蹴りは、彼女の右腕で防がれていた。麗々は左掌底を鈴に撃ち込んだ。鈴はバックステップで躱した。

麗々の目が鋭く光る。

「何のつもりですか。凰鈴音。貴女の行為は反逆罪です」

鈴は胸を張ってこう言った。

「良いか良く聞け! 誇り無き力はただの暴力! アタシ達はだのゴロツキかっ!? それとも高潔な軍属か!? 答えなさい楊麗々!」

睨み合う2人。しんと静まりかえった情報室。先に表情を和らげたのは麗々だった。

「随分と大口を叩くようになった物です。学園に行く前のやんちゃ姫が嘘のよう」
「昔のことはどうでも良いのよ。返事をしなさい。返事を」
「そこまで言う以上覚悟はあるのですね?」

麗々は鈴の右腕に光るブレスレット、待機状態の甲龍を見た。

「焼くなり煮るなり好きにしろっての。その代わりアタシを今すぐ学園に送りなさい」
「そうと決まれば急ぎましょう。凰、付いてきなさい」

鈴の眼前にそびえるのはミサイルである。通常のミサイルではなく非常に大きい。総重量183トン、全長32.6メートル。形式名称“DF-5” 中国製の大陸弾道ミサイルだった。

「ナニコレ」と鈴は冷や汗ぽつり。

麗々は然も当然と言わんばかりにこう言った。

「鈴。あなたの言う通り時間がありません。一分一秒を争う状態では船舶はもちろん飛行機も問題外です。ならばこれしかないでしょう?」

麗々はミサイルで運ぶと行っているのである。

「あのさあ。もうちょっとマトモな物は無いワケ?」
「臆しましたか凰。謝れば止めても良いのですよ?」
「はっ! 悪い冗談だわ。やってやろうじゃない」
「結構です。では甲龍を展開してください」

赤紫色の猛虎、それをイメージさせるシルエット。甲龍を展開させた鈴はミサイルの周りをグルと回る。

「どこから乗るのよこれ」

麗々は悪魔のような笑みでパチンと指を鳴らした。わらわらと集まる工兵たち。

「へ?」

ロケットに鎖でぐるぐるに巻き付けられた。鈴は理解出来ないとわめき立てた。

「ちょっとどう言うことよこれ!」
「時間が無いと言ったでしょう。弾道ミサイルに括り付けIS学園に撃ち込む。他に方法はありません。日本政府に連絡はしますが、迎撃の可能性があります。その場合は自力で何とかしてください」

ミサイル・サイロの頭上が開く。青空が見えた。鈍い音を立ててロケットモーターが動き出す。その振動に慌てふためきながら鈴はこう叫んだ。カウントダウンが始まる。

「なんでアンタはそんな極端なのよ!」
「核弾頭は抜いてあります。安心しなさい」
「もちっと精神的バランス取りなさいよ!」
「ミサイルは日本を跨ぎ太平洋に落下する軌道を取ります。日本海上空で爆破、破片は太平洋に落下します。分離後の学園への最終誘導は凰がしなさい」
「人の話を聞け!」
「あなたの言う誇りとやら見せて貰います」
「そんなんだから男に5度も逃げられるのよ!」

ぷち。麗々は躊躇いもなく発射ボタンを押した。

「ファイヤー!」
「今ファイヤーって言ったかっ?!」

ごごごご。ロケットモーターが轟音を立てる。鈴を載せたロケットは空高く飛んでいった。

「おーぼーえーてーろー!!」





つづく!
◆◆◆


サブタイトル思いつかなかった……




【どうでも良い話A】
ゴーレムⅢのイメージはアニメ版です。









【どうでも良い話B】
Aさま。以前頂いたリクエストです。如何でしたでしょうか。



[32237] 06-02 IS学園攻防戦 中編
Name: D1198◆2e0ee516 ID:4a0c6f63
Date: 2014/08/08 19:26
06-02 IS学園攻防戦 中編



【ちょっと頑張って設定してみました】
■ゴーレムⅢ(Heroes版

・右腕兵装:ヒート・ブレード“軻遇突智”(かぐつち)
全長2メートルもある幅広の剣。先端は尖塔形状、直線的かつシンプルなフォルムで、ヒルトは十字になっている。両手持ち武装だがゴーレムⅢはパワーに物を言わせて片手でも使う。その刃は1万度に達し、大半の金属,非金属問わず融点以下であれば溶断してしまう。ただし、常時刃を加熱しているとエネルギーを無尽蔵に消費してしまうため、撃ち込む瞬間のみエネルギーを通す方式を採用している。

・左腕兵装:シールド・ビット“強羅”(ごうら)
影を地に落とすと拳銃弾頭のようなフォルムを持つ、断面は弧形状のシールド。二門の荷電粒子砲と一体にした兵装。シールド部分のみを射出し撃ち出すことができる。甲羅との関係はない。

・防御兵装:浮遊型防性力場励起球“火兎球”(ひとだま)
堅牢な防御力場を発生する、浮遊型の金属球体。直径30センチ程で群を成し作動する。作動状態では太陽を回る惑星のように、ゴーレムⅢを中心にして回る。未使用時は量子格納領域に収納される。最大展開数24個。殆ど無敵な防御だが、攻撃時に使用出来ないのはお約束。

・そのほか。
無人機だったり、イグニッション・ブーストが使えたり、その他は原作と同じ。ビジュアルイメージはアニメ二期のものをイメージしています。


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第3アリーナ第2ピット内である。打鉄2機、リヴァイヴ2機が横一列に整然と並んでいた。ISは地下格納庫から搬送してきたばかりで、待機状態にすらなっていない。パソコンを1から起動するような物だ。あいにくとタブレットなどの様に数秒で起動する代物ではない、過去のPCの様である。

静寐、ティナ、清香、癒子の4人が下着姿で起動するのをじっと待っていた。

各ISから伸びるケーブルが本音の手元にあるターミナルに繋がっている。本音はタッチパネルに複雑な文様、神代文字のようなシンボルを描いて整備用コンピューターに指令を送っている。

第2ピットとフィールドを隔てる隔壁からはひっきりなしに戦闘音が聞こえる。簪が戦闘する証だ。いそがなきゃ、でも冷静に。本音は主である簪の身を案じながら、起動準備を行っていった。

本音は初め出撃を止めようとした。2機のゴーレムⅢを相手に辛うじて持ちこたえている簪は日本代表候補だ。おっとりした達と相反して相応の実力を持っている。私たちが行ってどれほどの役に立つのか、最悪足手まといに成りかねない、彼女はそう懸念した。

だが簪の危機は現実だ、隔壁も下ろされ逃げることもままならない。戦闘は学園全域で勃発し、生徒会からの情報では学園のあちらこちらに生徒が避難している。取り残されている生徒も居るという。これでは救助を待っている間に簪がやられてしまう。皆はお咎め覚悟で戦うと決意したのだ。

私たちはただの女子高生ではない、自分で考え自分で行動しその責は自分で負う。入学式当日、リーブス先生から頂いた訓辞が強く脳裏に浮かぶ、今がその時だ。

本音は通常の起動手順を変更し、用意に時間の掛る工程から取りかかり始めた。正規の手順ではない、姉の虚に知られれば怒られるだろう、祖父の蒔岡宗治に知られたら何故だろう、褒められる気がした。彼女は最後に花丸のシンボルを描く。4機のISから作動音が聞こえた。ヴンッと鈍く重いが安心を感じさせる優しい音だ。ISコアが眼を覚まし待機状態になる。

本音がすっくと立ち上がる。

「準備完了ですっ」

互いにうなずき合った。ティナが号令を掛けた。

「総員搭乗!」

全員が乗り込みISを起動させる。アクチュエータが動き彼女たちを装甲が覆う。動作は重力子で成り立っているが、パシュッと圧搾空気が抜ける様な音がした。淡い、蒼白い光りが迸る。全員が手にする兵装を掲げた。

特別緊急編成IS小隊“ベルベット・ガーデン”
・小隊長:ティナ・ハミルトン(打鉄)
・第1編隊僚機:谷本癒子(ラファール・リヴァイヴ)
・分隊長:鷹月静寐(ラファール・リヴァイヴ)
・第2編隊僚機:相川清香(打鉄)
・整備士:布仏本音
  (プラズマ・カッター:アイザック・クラークのサイン入り1000台限定モデル)

ティナが4人の前に立ちこう言った。

「Attention!」

とっさに4人が背筋を整える。静寐は何事かと眉を寄せ、癒子と清香はちらと見合う。状況がよく分かっていないらしい。本音はビシッっと姿勢を正し立っていた。

「とうとうこの時がやって来た! これからお前たちは地獄行きだ! 熱く、暗く、苦しく、苦い、否が応でもクソまみれ、だがクソを食らうお前らにはお似合いだ! どうだ嬉しいか! この糞女ども!」

「「「……ぃえす、まむ?」」」

「ふざけるな! 大声を出せ!」

「「「イエス! マム!」」」

引きつる3少女と、よく分かっていない1人。

「私は貴様らの上官だ。私が話し掛けたとき以外口を開くな。朝起きる前と、夜寝た後に“イエス、マム”と言え。分かったかこのウジ虫共!」

「「「イエス! マム!」」」

「この扉は棺桶だ! 開ければ先におっチンだ仲間が待っている! ○ンチ○立てて待ってるぞ どうだ相川二等兵! 嬉しいか! 貴様は仲間になりたいか!」

清香は少しの間の後こう言った。

「ノン! マダム!」
「何だ今の間は! 何が“ノン”だ! フランス人か貴様は!」
「ノー! マム!」
「おべっか、ちゃんちゃらおかしい、クソに染まりおって! ウィウィ、ノンノン言ってみろこの二等兵!」
「うぃうぃのんのん」
「AHAHAHAHA!」
「あはははは!」
「AHAHAHAHA!」
「あはははは!!」

「何がおかしい言ってみろ!」
「ノー! マム!」
「理由を聞いているのが理解出来ないか、この臆病マラが!」
「マム! マラは持っていません! まむ!」
「貴様はタマ無しか!」
「イエス! マム!」

(どういうことなの、これ)とは青ざめる静寐。
(やばいスイッチはいっちゃった。映画の鬼軍曹みたい)とは引きつる癒子。
(ティナってこういうの好きなんだ)
(この間“世界侵略:ロサンゼルス決戦”見ながらボロボロ泣いてし)
(ティナの家ってマリーンじゃなくてネイビーじゃなかった?)
(どちらでもいいんでしょ)
(ティナちゃん迫力あるー)最後はほんわか本音。

じろりと2人を睨むティナ。癒子がタゲられた。何とか笑顔を作り出そうとするが、右の頬がどうやっても直らない。

「文句があるか二等兵?」
「私は階級をもっていないんだけれど」
「あたりまえだ! そんなナメた口を利く奴が持っているか!」
「えー」
「貴様は俺より偉いか! 偉いと思うならハイと言え! そうで無いならハイと言え!」
「どっちもハイじゃん……」

ティナがぎろりと睨み下ろす。額が触れ合う距離だ。睨み合うこと5秒。

「軍曹が上官であります!」

癒子が壊れた。ティナが嫌味200%で聞く。

「続けて宜しゅうございますか?」
「イエス! マム!」
「ふざけるな! それで殺せると思うのか! 気合いを入れろ!」
「イエス!! マァム!!」
「カントリー・マアムは好きか!」
「イエス! マム!」
「私も好きだ。調達しておけ」

よせば良いのに、静寐が一言ぽつり呟いた。

「……急いだ方が良いと思うの」

嫌味な顔をしたティナが敢えて清香に言った。聞いたのではない、言ったのである。

「今のは貴様か?」
「ノー! マム!」
「どこから声を出した! 駄犬が喘ぐような声を出しおって! 貴様の口はどこだ? 足か胸か! それとも腿か!」
「顔であります! マム!」

うんざりしたように静寐が“ハイ”と右手を上げる。づかづかとティナが静寐の前に立った。睨まれること1秒。

「自分であります。マム」
「ほぅ。中々面白いジョークだ。ファッキン・ジョーカー。いや、正直なのは気に入った。私の部屋のテッド(クマのぬいぐるみ)とベロチューしていいぞ」
「あのティナ……」

ティナが静寐の胸を揉んだ。ななな、と顔を真っ赤にして後ずさる。

「このクズめが! 貴様の胸と顔を覚えたぞ! 立場の違い(バストサイズ)という物を分からせてやる! 貴様は笑うことも泣くとも出来なくなる! 薄化粧でナチュラルさを出しているつもりか! 私たち東洋人は体臭が弱いから香水要らないだと!? ふざけおって!?」

耳を塞ぎたくなるような罵りだが、戦場において上官命令に従うようにする為の訓練である。心理学的に意味があるのである。彼女らがこれから赴くのは戦場であり、アメリカ海軍予備役にして3組クラス代表のティナは渋々行っているのだ。決して趣味ではない。静寐はジト眼でぽつり。

「一夏は大きいのが好きなのに」
「「「え」」」清香と癒子と、ティナである。

各々己の胸を見る少女たち。最も大きいのはティナである。こほんと一つ咳払い。

「総員配置につけ!」

痛い視線に晒されるティナだった。

「Good for you,good for me~♪」

とぼけても無駄である。


◆◆◆


打鉄弐式と戦術データリンク接続。ゴーレム3のスペックを調査した静寐は裏技はないと判断した。つまりは正攻法のみである。敵に察知されないうちに攻撃する。察知されたら敵に反撃されないうちに攻撃する……問題は敵能力の高さだ。

高い攻撃力と高い防御力。弱点など見当たらない。強いて言えば動きが比較的単調でパターンを絞りやすい、と言ったところだろうか。一夏の様な何をしでかすか分からない怖さ、と言う物がなかった。静寐たちは束による企みだとは知らないが、無人機であろうと察しが付いた。

癒子が言う。

「無人機なんて信じられない」

ティナが言う。

「この際それは問題ではないでしょう。どの様に倒すかが重要です」

敵機が2機いる事を前提に静寐は作戦を2段階に分けた。

第1段階。ベルベット・ガーデンを2つに分け、静寐分隊は簪の援護しこれを叩く。ティナ分隊は残りの1機を引き離し、叩く。静寐と清香は共闘時間が多い上相性も良い。代表候補の簪と攻撃を織り交ぜながら、1機を早めに潰し有利な条件に運ぶ。本音が心配そうにこう聞いた。

「静寐ちゃん。敵はとても丈夫みたい。汎用兵器で通るかな?」
「ISである以上、攻撃を続ければダメージは累積するはず。問題はそれの程度なんだけれど……こればかりは何とも言えない。だから第3世代機である弐式は何があっても守る事。手数タイプの癒子とティナは弾数の多い武器を必ず持って」

第2段階。片方を倒したら直ぐ援護して集中砲火である。単機にするまでが、敵耐久力を知る意味でも肝だ。

第3段階。これは時間を稼いで援軍を待つという受動的な工程だ。静寐が皆にこう言った。

「捻りもないオーソドックスな手段だけれど他に案はある?」

ティナが皆を代表して答えた。

「異議ありません。理論的にも現実的にも有効だと判断します」
「ティナ。初撃に制限はないのだけれど、意見はある?」
「是非使ってみたい兵装があります。本音、あれを手配してください」

皆が何の事だと首を傾げた。


◆◆◆


本音が第2ピットから退避した。ピットが開き、先遣の静寐分隊が飛び出した。静寐が通信を開く。

『簪、遅れてごめん! これから援護します!』

ゴーレムⅢのヒート・ブレードを柄で受け止め、もう一機に牽制の荷電粒子砲を撃っていた簪は「時間にルーズな人はキライ……」と小さく言った。もちろん打ち合わせなどしていない、それを分かった上で簪は言ったのだ。

リヴァイヴ用アサルト・ライフル“ガルム”を構え静寐が笑いながら言う。

『終わったらジャンボイチゴパフェ奢るから!』

打鉄用アサルト・ライフル“焔備”(ほむらび)を展開した清香が、焦る様に言った。なぜだろう、高い棚にあるお菓子を必死に取ろうとしている子供の様な顔だ。

『じゃ私ショートケーキで良い』
『清香は奢る側だよね!』
『やっぱり残念……』
『残念って言うなー!』

静寐と清香は高度を上げる。ゴーレムⅢが反応し2人を見上げ、第2ピットへの注意が逸れる。そのとき癒子が簪に叫んだ。

『簪! 緊急退避!』

第2ピットに鋼色の巨大な何かがあった。ピットの入り口を塞いでしまわないばかりに巨大で、申し訳程度に飛び出している円筒形状の何かがあった。それは7つの銃口を持っていて、いかにも回転しそうだった。その円筒形状の後ろにはさらに巨大な円筒形状があった。弾丸が詰まっていそうなロールだった。丁度紙パックの丸筒ジュースにストローを刺したようなそんな形状をしていた。それは兵装だった。

これは。

アメリカ陸軍対地航空機A-10サンダーボルト。これに戦車殺しの異名を与えた史上最強のガトリンク砲“GAU-8”通称アヴェンジャーである。かって蒔岡宗治が真に送った兵装だ。余りにも強力で尚且つ機動戦闘を主体とするISには不向きという理由でIS学園地下に保管されていた物を本音が引っ張り出したのである。

強烈なリコイルと重量、これをIS単機でで運用するには無理がある。ティナと癒子は2人掛かりで支え、運用しようとうのであった。アンカーをトライポッド(三脚)に撃ち込んで砲身を支える。2機分のPICでリコイルを抑制する。ぎょっと慌てた簪はスラスターを最大出力で離脱した。ティナは悟られないよう電波を放射するレーダー照準は使わなかった。簪、静寐、清香からのデータを元に照準を合わせる戦術データリンク照準。ティナが引き金を引いた。

“ヴモォォォ”という牛魔の雄叫び、そうとしか表現出来ない発砲音がアリーナ中に響き渡る。30x173ミリNATO対装甲用焼夷徹甲弾“PGU-12/B”が容赦なくゴーレムⅢに襲いかかる。弾頭が飛来し、ゴーレムⅢの装甲に着弾、破裂。炎上した。射撃時間20秒、1,300発撃ち込んだところでティナは発砲を止めた。

こぉぉぉぉと砲身はまだ回っている。着弾でまった土煙が風に凪がれる。焼夷弾のテルミット反応により火が上がっていた。赤外線では上手く走査出来ない、アクティブレーダーを使おうとした瞬間、静寐が声を荒らげた。

『緊急離脱! 敵は健在!』

靄の中から荷電粒子の束が第2ピットを襲う。ティナと癒子は間一髪躱した。第2ピットを一瞬で破壊した。シールド越しでも感じ取れる程の爆炎と爆発音、煙を引き摺りながら破片が宙に舞う。二機のゴーレムⅢが煙の中から姿を現した。

ゴーレムⅢは装甲の至る所が凹み欠け、塗料が剥がれていた。個体Bは右足を引きずっている。個体Aは身体が震えるように振動していた。ダメージは与えたが、戦闘能力は未だ健在である。とはいえ初打撃は有効だった。

スクラップになったアヴェンジャーを労うと小隊長のティナが言う。

『各機に次ぐ。機動戦闘開始せよ』

5機が宙に舞う。静寐と清香は簪と合流した。以降静寐分隊と呼称。ゴーレムⅢAに向かう。ティナは癒子と合流しティナ分隊と呼称。ゴーレムⅢBと戦闘開始。ティナが吠えた。

『Rock’N’ROLL!!』

静寐分隊は全身を異常振動させているゴーレムⅢAに向かった。Aは動作も歪で攻撃がおぼつかない。先に仕留めるならばこちらだろう、静寐がガルムで牽制、清香と簪が主打撃。柔軟に役割を交代し、攻撃する。何度か繰り返しリズムに乗れてきた頃に静寐が簪に聞いた。

『簪。被ダメージをおしえて』
『被弾率12%。残エネルギー64%。山嵐ほか兵装に異常なし』

山嵐とはマルチロックオンのミサイルシステムで、第3世代級攻撃システムである。

『合図を出したら山嵐をお願い』
『了解』

ゴーレムⅢAがひっきりなしに荷電粒子砲を撃ち続けるが、距離を取っているため静寐たちは相応に余裕を持って躱すことができた。良くエネルギーが持つ物だ、そう感心しながらゴーレムⅢAを観察する。そうか、ボディの関節にガタが来ているのだ。だから狙いが上手く定まらない……そう判断した静寐は清香と簪に言う。

『2人とも、距離を置きつつ狙撃して。むやみに近づかないように』
『『了解』』

清香は超長距離射撃兵装“撃鉄”で、簪は荷電粒子砲“春雷”を使い、少しずつではあるがゴーレムⅢAを追い詰めていった。ゴーレムⅢBは右脚を破損しているだけで他に大したダメージはなさそうだ。慎重に掛らなくてはならない。だが四肢に異常がある以上空中でのバランス取りに影響があるだろう。上空に誘い出すのだ。

ティナが両手に持ったサブ・マシンガンを撃ちながら癒子に言う。

『癒子。この敵機Bは倒さずに削る方針で行きます。焦らないように』
『了解!』

サブ・マシンガンで削り、隙を見ては癒子がグレネード、ティナが無反動砲をぶち込む。これを幾度となく攻防を繰り返した後だ、自信満々の清香がアサルト・ライフル“焔備”で狙いをつける。

「そこっ!」

撃ち出された徹甲弾がエネルギーの力場によって阻まれた。弾が止まり大地に落ちる。24個の金属球“火兎球”がゴーレムの周りをくるくる回っていた。非常に強力な防御兵装だと察しをつけた静寐が迂闊と舌を打った。

『全員残弾数を確認して!』

静寐の命令に全員がF.C.S.をパネルを見ると主兵装の残弾が30%を切っていた。ダメージ覚悟で意図的に攻撃させ、弾を使わせたのである。ゴーレムⅢAイグニッション・ブースト、ブレードを清香に切りつけた。左胸のE.R.A.(Explosive Reactive Armour:爆発反応装甲)が爆発しダメージを軽減するも大きく吹き飛ばされる。

静寐が早口にこう言った。

『清香無事?!』
『なんとかー』

ティナが言った、端正な表情に焦りが浮かんでいる。

『静寐、意見は有りますか?』

ゴーレムⅢたちが敢えてダメージを受けたのは無駄弾を使わせる為だ。弾がなくなれば近接格闘に持ち込まさざるを得ない。アヴェンジャーで与えたダメージはゴーレムたちの遠距離攻撃能力を奪っていたのである。転じて、近接戦闘に相当の自信があると言うことだろう。

(無人機かどうか知らないけれど、とても陰湿)と静寐が心中で苦情を言うと皆にこう言った。

『作戦変更。私とティナは近接格闘に移行します。先に潰すというプランは維持して』

静寐は持っていたアサルト・ライフル“ガルム”を清香に放り投げた。ティナは持っていたサブ・マシンガン“FN Pi90”を癒子に渡した。静寐は右手にハンドガン、左手にシールドピアース。ティナは打鉄用近接用ブレード“葵”手に持った。

『どつきあいですか、嫌いではありません』とはティナ。
『好きな人なんて居ないでしょ』とは静寐。
『でもベッドでの突合いはした……』とは簪。
『『『え』』』
『○$△%×÷!』

うっかり口を滑らせ耳まで赤くする簪だった。いつの間に、聞いてない、織斑君……と3少女に殺意が満ちる。ティナが言った。

『織斑君が帰ってきたらとっちめるとして、今は目の前の敵をとっちめましょう』
『『『賛成っ!』』』

降り注ぐ荷電粒子砲の雨。ゴーレムⅢAは無限に打てると言わんばかりに連射していた。清香と癒子が支援攻撃。合間を縫って、静寐が踏み込んだ。数発が装甲を掠め融解したが、静寐はスラスターを噴かし至近距離に踏み入った。左腕を構える ―シールド・ピアース― 炸薬で撃ち出された杭が絶妙なタイミングで正確に装甲の隙間を突いた。がごんっ、と金属が歪む音がする。彼女は学年別トーナメント以来シールド・ピアースの復習を行っていたのである。

ブレードでゴーレムⅢBを辛うじて受け流していたティナが簪に言った。

『簪! 今です!』

打鉄弐式、山嵐発動。48発のミサイルがゴーレムⅢAとBを襲う。ティナは蹴りを入れて、スラスターを噴かし離脱した。静寐もスラスターを噴かし、ゴーレムⅢの脇を通り過ぎる様に離脱した。爆音。炎上。閃光そして振動。焦げた臭いが漂う。目の前に広がる竜巻の様な煙。「倒した?」と清香が言うのでティナが「ゴーレムⅢBはまだ余力があるはずです。警戒を怠らないように」と答えた。

『ティナ、簪。ゴーレムⅢBの確認を急いで。私たちはAを確認する』
『了解です』

静寐がゴーレムⅢAに向けて歩き出した。

「癒子、付いてきて」
「了解」

静寐はハンドガンを、癒子はアサルトライフルを構える。清香はアサルト・ライフルを構え、2分隊のバックアップに入った。ゴーレムⅢが動きを見せれば直ぐさま攻撃する態勢だ。破壊された第2ピットの鋼板の影、双眼鏡で見ていた本音は唸っていた。どうにも心のアラームが収まらない。りんりんと虫が知らせている。

(心配だよ、不安だよ……きっと良くないことが起きる)

本音を苛む警戒の感覚、第3アリーナ外からはひっきりなしに戦闘音が聞こえた。救助も援軍も未だ影も形も無い。本音の脳裏に黒髪の、ポニーテールの少女の姿が浮かぶ。彼女は立ち上がり柊寮に向けて駆けだした。隔壁はゴーレムⅢが破壊してくれていた。

静寐が見下ろすと、ゴーレムⅢAが身体を捻るように倒れていた。右腕はなく、両脚はあり得ない方向にねじれ折れていた。腹に静寐の穿った穴が空いている。内部は人工筋肉や金属組織で出来ていた。シールドの付いた左腕はだらりと垂れている。静寐は癒子に言った。

「焼夷弾持ってる?」
「あるけれどどうするの?」
「念のため内部から焼いておきます」
「静寐って陰湿ね」
「用心深いと言って」

静寐が焼夷弾をゴーレムⅢAの腹にねじ込んだ直後、ゴーレムⅢBが左腕より射出したシールドにはじき飛ばされた。ティナたちが慌てて発砲するが、意表を突かれ至近距離からの荷電粒子砲を喰らう。直撃こそしなかったが、その威力に身体が宙に風に弄ばれる木の葉のように舞った。

誰かの悲鳴が聞こえる。静寐が立ち上がったときゴーレムⅢBはAの頭を掴み、静寐の方に投げた。ぶつかり絡み合い、焼夷弾が爆発する。ゴーレムⅢAにとっては致命的な大爆発を起こした。静寐のリヴァイヴが爆風にまみれフィールドに落ちる。清香が静寐に駆け寄った。清香は量子格納域を確認するが武器も弾もない。簪が超振動薙刀“夢現”で、ティナと癒子がハンドガンで、ゴーレムⅢBに応戦するが焼け石に水だ。3人とも弾もエネルギーももうない。

静寐は気を失っていた。命に別状はない、だが打撲している。医務室に運ばないと。悲鳴が聞こえた、癒子とティナが被弾したのだ。フィールドとアリーナの際、壁にめり込んでいる。簪は辛うじて避け、必死に攻撃しているが足を捕まれフィールドに叩き付かれた。遅かれ早かれ静寐の元に向かうだろう。死に損ないを始末するために。

清香は静寐を抱き寄せた。誰が医務室に連れて行ける? だれが戦える? 誰が逃げられる? 誰が生きている? 力尽きボロボロの私たちが一体どうやって……誰かが死ぬ? 死んじゃうの? 死ぬのはイヤだ、痛いのは嫌い、苦しいのも怖い。満身創痍の簪を蹴散らしたゴーレムⅢBは清香の側に立つ。振りかざすヒート・ブレード。その影が清香の顔に落ちる。恐怖が首をもたげた。鋭く小さく吸う息。清香が眼を瞑ったとき、蒼天に赤紫の光りが瞬いた。


◆◆◆


00:00
リフトオフ。上昇開始。

02:10
補助ブースター分離、高度65キロ。徐々に大地が地図の様な平面になる。成層圏を抜けた。

04:20
弾頭フェアリング分離、高度165キロ。熱圏に突入する。ここは低軌道人工衛星の領域だ。空は黒く、地球は蒼い。地球の丸さも肉眼できる、音一つ無い世界だ。

06:43
第1段エンジン切り離し、第2段エンジン点火。高度327キロ。軌道修正、水平軌道に入る。ハイパーセンサーでIS学園の位置を確認する。大気圏再突入角度修正……大気圏再突入。

衛星軌道上から見る学園は光で瞬いていた。戦闘による物に違いない。急がないといけない……角度修正。大気との摩擦でプラズマが発生し、高熱に曝される。強力なシールドを持つ甲龍にとっては無意味だが、ロケットはそうはいかない。ボディが赤褐色に加熱され、部品が剥がれ落ちていった。誘爆すると巻き込まれて軌道が外れる恐れがある。第2段エンジン切り離し。単独突入。背後で爆発が起きた、第2段ロケットが爆発したのだ。破片が大気圏再突入による熱で燃え尽き、灰になっていった。その姿は流星その物である。

彼女が目指すはただ一つ。鈴にとって命を賭けて守るべき学舎(ばしょ)、IS学園である。


◆◆◆


絶体絶命の状況にティナたちが悲痛な叫びを上げた。清香が眼を堅く瞑り、誰かに助けを祈ったとき鈴はやってきた。ロケットに乗ってやって来た。

「うおりゃぁぁぁぁぁ!」

大気圏再突入速度のまま、ゴーレムⅢBの顔面に跳び蹴りを入れた。その勢いでゴーレムⅢBは大地を転がり、跳ね、アリーナの観客席に叩きつけられた。沈黙が訪れる、建材の燃える音だけが聞こえていた。

清香がそっと眼を開けるとそこに、見慣れた赤紫の龍の様である、虎の様でもあるISが、友が立っていた。見返り姿で清香を見守っている。

ティナが言う。

「凰鈴音?」

癒子が言う。

「鈴?」

簪が聞く。

「凰、さん?」

朦朧としながら静寐が言う。

「り、りん……?」

清香が泣きながら笑いながら言った。

「りん!」

小柄な身体だが漂わす気配は大きく、瞳は牙の様に鋭くひかり、たなびく黒い髪は黒曜石の様。



IS学園1年2組所属 クラス代表 中国代表候補生 凰鈴音 見参。



鈴は八重歯を見せて皆を見た。豪快な笑顔だった。

「待たせたわね。後はアタシにまかせて休んでなさい♪」

がらがら、ごとり。崩れた構造物を押しのけながらゴーレムⅢBが現れる。双眸が光り、鈴をエネミーと認識した。

鈴は右を向く、フィールドに巨大な穴が空いていた。次ぎに左を向く、第2ピットは完全に失われていた。無残な姿をさらす第3アリーナ。最後に鈴は正面を睨み上げた。恐ろしく獰猛な表情で、正しく猛獣である。

「アンタらさぁ。このアタシの留守中にやりたい放題やってくれんじゃない……」

双天牙月量子展開・結合。バトンの様に高速に回す。掴み手を流水の如く持ち替えて、余りの速さに切っ先が見えないどころか、残影で円を描いているかの様だ。どすんとフィールドに切っ先を打ち下ろした。左手で指を指す。

「覚悟できてんでしょーね! 覚悟!」

ゴーレムⅢBが左腕の荷電粒子砲を構える、構えきる前に鈴は右方向へ大きく飛んだ。後ろに仲間を置いていては危険だからである。鈴は弧を描く軌道に乗り、尚且つ双天牙月を回転させる。スラスター力とアクチュエータの力、質量を載せてフィールドに撃ち込んだ。

ゴーレムⅢBは今正に荷電粒子砲を撃ち込む直前だった。鈴に掘り起こされた、土砂、コンクリート、建築材の塊がゴーレムⅢBに襲う。体勢を崩し照準がズレ、荷電粒子の束は空高く消えていった。

鈴、イグニッション・ブースト。世界が歪む。彼女の渾身の一撃は、火兎球によって阻まれる。襲い来るヒート・ブレード。鈴は刹那の踏み込みで間合いを外す。ゴーレムⅢBの一撃が甲龍の両肩にある左舷の浮遊ユニットを掠める。一瞬で加熱され溶融し酸化する、その様は溶けたプラスチックの様だ。

懐に潜り込まれたゴーレムⅢBは距離を稼ごうとバックステップ。鈴はその隙を突いて、ゴーレムⅢBの身体を押した。計算より大きな力が働き、ゴーレムⅢBは仰向けに倒れた。

この機を逃すかと、鈴、イグニッション・ブースト。フィールド上を滑る様に、双天牙月を回転させ、ゴーレムⅢBを弾く。その姿はまるでゴルフの様だ。ゴーレムの巨躯が宙に舞う。ゴーレムⅢBが姿勢制御する前に、鈴は足を掴みフィールドに叩きつけた。

ゴーレムⅢBは座ったまま荷電粒子砲を連射する、鈴は避けつつ双天牙月を振りかざした。右肩に直撃、右舷浮遊ユニットが溶融、爆発する。

ラスト・イグニッション・ブースト。全体重とスラスター・パワーを載せ、その刃を首元に打ち立てた。頭部と身体が泣き別れになり、頭がコロコロと転がる。ピクピクと痙攣していた胴体も停まると同時に爆発、自爆した。噴煙上がる中、鈴は皆の元に平然と歩み寄る。

「アンタたち。怪我はない?」

鈴はご機嫌だ。それに対して仏頂面の少女たち。

「鈴遅いよ!」とは清香。
「格好つけすぎ!」は静寐で。
「タイミングをを伺ってたんじゃないの?!」癒子である。
「特撮ビデオを一緒に見るなら許す……」簪。
「みなにパフェを奢るべきです」最後はティナだ。

鈴はうんざりしてこう言った。

「お帰りなさいぐらい言いなさいよ、アンタたち……」




つづく!
◆◆◆

サブタイトル候補1:「鈴がロケットに乗ってやってくる」
サブタイトル候補2:「クールだぜマイエンジェル」
サブタイトル候補3:「鈴ちゃんprpr」


ご意見お待ちしております(採用するとは言ってない




【どうでも良い話】

HeroesってR15なんですよ。よい子は“マラ”って何か、ググったりパパママに聞いちゃだめだ☆Ze




【いまさらキャラクター紹介】
ティナ・ハミルトン
1年3組所属でクラス代表。雪のような白い肌に、金髪碧眼、ボブカットヘアー。15歳ですが、20歳ぐらいに大人びて見えます。セシリアの仲友であり、奥手なセシリアの背中を何かと理由をつけて押すに押す、お節介焼き。アメリカ海軍の予備役で新兵程度の訓練を受けています。軍属の家系で、お父さんは海軍将校、ていうかアメリカ海軍 第7艦隊司令官。大人びた雰囲気に相反して戦場では猪突猛進型です。撃つべし撃つべし。


【追加の設定。モブガールズ小隊】

■ティナ(打鉄)
・主兵装:サブ・マシンガン2挺
・副兵装:無反動砲(H.E.A.T.弾:対戦車榴弾)
・副兵装:近接用ブレード“葵”(あおい)
・兵種:ポイントマン,コマンダー

■癒子(リヴァイヴ)
・主兵装:サブマシンガン
・副兵装:グレネードランチャ
・兵種:ポイントマン
・その他:E.R.A(Explosive Reactive Armor:爆発反応装甲)を装備

■静寐(リヴァイヴ)
・主兵装:アサルト・カノン“ガルム”
・副兵装:シールド・ピアース/グレネードランチャ(アンダーバレル式)
・兵種:ライフルマン
・その他:E.R.A(Explosive Reactive Armor:爆発反応装甲)を装備

■清香(打鉄)
・主兵装:超長距離射撃装備“撃鉄”(げきてつ)
・副兵装:アサルト・ライフル“焔備”(ほむらび)
・兵種:スナイパー



[32237] 06-03 IS学園攻防戦 後編
Name: D1198◆2e0ee516 ID:4a0c6f63
Date: 2014/08/10 21:50
06-03 IS学園攻防戦 後編



台風で引き籠もりです。一気に書き上げました。
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IS学園の全域で教師たちがゴーレムⅢを相手に戦闘を行っていた。ある分隊は他の分隊と協力し、ある分隊は二手に分かれ遊撃を行う。1年1組副担任の真耶と1年2組副担任の千代実はタッグで戦っていた。2人ともリヴァイヴだ。戦果はというと1機撃破、1機行動不能、そして。

「これでお仕舞いですっ!」

真耶は仰向けに倒れたゴーレムⅢの胸部装甲、その隙間にリヴァイヴ用近接兵装“ブレッド・スライサー”を突き付けた。フィーン、と電車の止まる様な音を立ててゴーレムⅢが沈黙する。これで合計3機撃破。施設、人命への被害も最低限。立派な物である。

敵が完全停止したことを確認すると千代実は重機関銃“デザート・フォッス”を構え直し周囲を警戒した。敵がまた現れるとは限らないからだ。千代実は周囲に目を配りながら言う。

「真耶。そのとどめを刺す時に叫ぶ癖を直しなさい、と言ったのは何度目でしょうか」
「もう覚えていませんね」
「自覚があるなら直しなさい。だから代表候補生止まりなんです」
「プレッシャーに弱くて試合直前にトイレに駆け込む千代実に言われてくありません。毎回毎回。お陰で棄権な目に遭いました」

うふふ、おほほ。薄ら笑みを浮かべる2人。

「援軍に回りましょう。第6分隊が苦戦しているようです」
「そうですね」

2人が特に強いというわけではない。他の教師たちも学園で教べんを振るう相応の腕を持っている。生徒の警護、地形、などによる作戦の難易度が異なるだけなのだ。援護に向かおうとしたその時、アレテーが“UnKnown”を発見したとアラームを鳴らした。侵入経路をみると真っ直ぐ真南から来ている。

はてな、と真耶は首を傾げた。敵機ならばテレポートで直接侵入しそうなものだ。では味方か? だが味方ならば敵味方識別コードを送ってくるはず。そもそも単機というのが不可解だ、援軍にしろ敵兵力にしろ、数が少なすぎる。単機でもこの戦況に影響を与える存在。怪しいというものではない。千代実が緊張感を隠さずに言った。

「真耶は織斑先生たちの援護に回ってください。私は“Unknwon”の偵察に向かいます」

信じられない、と言った表情で真耶は止めた。

「何を言っているんですか、単独行動は危険です。私も同行します。他の隊も優位のようですし。織斑先生たちの援護は先生たちに任せましょう」
「いくらあの2人が超人じみていると言っても生身は生身。危険です。向かってください」

ぬずいと、真耶は千代実に歩み寄る。

「では私が向かいます。私の方が速いですし」
「真耶はおっちょこちょいなので偵察には向かいません。援護に回ってください」

むーと睨み合うこと3秒。真耶が溜息をつく様にこう言った。

「分かりました。でも偵察だけですよ。“1人で何とかしよう”なんて思わないでくださいね」
「その文句は蒼月先生に言うべきですね」
「そうですね」

あははと2人が行動しようとした瞬間だ「貴様らごときが真を語るな。不愉快だ」と鋭利な言葉を投げつけられた。

真耶と千代実がその方を見ると、1機のISが宙に立っていた。それは黒色でフェイスマスクを装着していた。表情は読み取れないが2人を忌々しく見下ろしているのは間違いない。

華奢なフレームで大きなウィングスラスターを4枚背負っていた。薄紅色のラインをちりばめ、その姿は蝶その物である。束がサイレント・ゼフィルスを元に作り上げたIS“黒騎士”であった。

2人は驚きを隠さなかった。2人が驚いたのは不明機が存在する事でもなく、真を知っていそうなそぶりでもなく、黒騎士をレーダーに捕えて間もないにも関わらず、この機体がIS学園に立っていると言う事である。驚異的な推力、そして速力。それが事実ならば、紅椿と同等の能力を持っていると言う事になる。なにより、その強力な黒騎士が別ルートで侵入した。つまりゴーレムⅢは囮だと言う事だ。

その事実に至った2人は直ぐさま戦闘態勢に入り、発砲した。その弾丸は黒騎士に届くことなく空に消えていった。エムの駆る黒騎士が驚くべき速度で2人に迫る。黒騎士の戦闘能力は恐るべきもので、2人は数合足らずで倒された。



◆◆◆


本音が学習棟の影からこっそりと鏡を出す。何も居ない。遠くからずしーん、や。どかーん、という耳をつんざく様な発砲音、大地を振るわす様な爆発音、つまりは戦闘している音が聞こえるだけだ。彼女が鏡を見ているのは経路確保の為である。くりあ、と小さく呟くと彼女はとたとたと柊寮に向かっていった。

彼女の訪れた理由は言うまでもなく箒だ。いっそう強まる虫の知らせ。箒の力が必要なのだ、とやって来た。扉の前に立ち箒の名を呼びながらコンコンと扉を叩く。びくりと強く反応する人の気配。訪れる沈黙。

「返事がない、屍のようだ」とついぼやく。

埒があかないと本音は押し入った。薄暗い部屋、空気も淀んでいる。部屋の窓側のベッド、箒が毛布をかぶり包まっている。

「箒ちゃん」
「帰ってくれ」
「みんなが大変なんだよ」
「帰ってくれ」

溜息一つ。本音はむんと腕を捲ると毛布を掴んだ。ひっぺがそうと力を込める。箒も負けじと力を込める。

「むむむー」とは本音。
「ぐぬぬー」は箒。

今一大事なんだよ分かってる、そんなこと知らない、知らないじゃなくて大変なんだよ、私に出来る事はなにも無い……引き問答を繰り返すこと数十回。本音は息を切らせながら箒にこう言った。

「箒ちゃん、何時までそうしているつもりなの?」
「……」
「言われなくても分かってると思うけれど、それはただの逃避だよ」
「本音に何が分かる」
「まこと君の側に居る理由をあの蒼いISに否定されて、いじけてる」

「……」箒は益々丸まった。

「どうして今だけを見るの? 今のままずっとそうしていたら何時までもそうだよ」
「……私には出来なかった。無理なんだ」

部屋がシンと静まりかえる。戦闘の音が遠い。

「私たちのした事、箒ちゃんは間違ってるって言ったよね?」
「……」
「箒ちゃんがそれを繰り返すの?」
「……」
「箒ちゃんは私たちが望んでも手に入れられない物を持っているんだよ」
「……」

「箒ちゃんには力があるんだよ。今使わないでどうするの? 世界はゼロとイチじゃないんだよ。複雑に動いているんだよ」
「私は真に拒否されたんだ」
「でもそれを受け入れたくない、だからいじけてる」
「もう許してくれ!」

箒は毛布を翻し、本音を見た。瞳からは涙が止めどもなくこぼれている。目には隈が、頬は痩せこけ、唇はカサ付いている。美しい髪が乱れ放題だ。本音は箒をじっと見た。箒は擦れた声でこう言った。

「辛いんだ。真を好きで居ることが。真は私に何も与えてくれない」
「だったらおりむーの元に戻りなよ。おりむーは受け入れてくれるよ。みんなも理解してくれる。まこと君も何も言わないよ」

箒は言葉を持たなかった。否定も肯定も出来なかった。何故なら彼女は停まっているだけだから。動こうとしていなかったから。

「ねえ。箒ちゃんの大事な事って何?」
「ならばどうして本音は真を諦めた。整備士としてのその腕ならば真の側に居られたはずだ」
「かんちゃんのメイドっていう枷があるから。みやを担当すると弐式が疎かになる。布仏の人間にそれは許されない」
「それでは私の理由と同じだ」
「箒ちゃんは何処にでも歩けるんだよ? おりむーに向いても良いし、まこと君にも向ける。他の人にだって。篠ノ之箒は自由なんだよ? 誰にも何にも縛られていないんだよ? 歩いて行けるのにふて腐れて引き籠もってるなんて、そんな贅沢私は許さないから」

暫しの沈黙。箒は迷っていた。本音はすっくと立ち上がった。腰にぶら下げていたプラズマ・カッターを手に取った。

「……何をするつもりだ」
「布仏本音はアリーナに戻ります。学園生徒として、更識簪のメイドとして、布仏の娘として義務を果たします。主が、皆が戦っているのに自分だけ引き籠もっているわけにはいかないから。まこと君に届かなかった私でも、出来ること、為なければならないこと、それがあるって箒ちゃんに示すよ」

本音は振り返り、プラズマ・カッターを携え廊下に飛び出した。

「止めろ本音!」

とっさに伸ばそうとした手は上手く動かず、宙を切った。長いこと伏せっていたのが祟ったのだ。足が毛布にもつれ絨毯に向けて転んだ。本音の気配はあっという間に遠ざかっていった。箒は絨毯に右拳を打ち下ろした。

(日頃鈍いのにどうしてこう言う時だけ!)

箒は慌てて柔軟体操を始めた。身体をほぐし関節を緩める。窓から見下ろすと駆ける本音の姿が見えた。焦るな、焦るな。首、肘、腰、膝、次々に解す。身体に力が上手く入らない、だがそんな事を気にしている場合ではない。ベッド横の栄養錠剤を飲む、ゼリー飲料も飲んだ。姿は、寝間着のままだ。ISスーツに着替えている暇はない。彼女は下着姿になると髪を結んだ。長い髪がさらりと流れた。

左手首に結ったまま赤い紐、紅椿を胸に添える。右手も添えた。

「紅椿、私に力を貸せ……」

強く拳を握る。

「篠ノ之箒、参る!」


◆◆◆


紅椿を纏った箒が、窓硝子を突き破り屋外に出たとき、本音がプラズマ・カッターをゴーレムⅢに向けていた。電子の音を立てて光刃を撃ち込んでいるが、悉くシールドの阻まれている。頭が痛いのがその攻撃の仕方だ、建物の影にも隠れず、身も伏せず仁王立ちに撃っている。えいやえいやと言わんばかりだ。

(まったく! 何時からあんな向こう見ずになった!)

光子の翼を広げる。展開装甲を機動モードへ移行。加速。ゴーレムⅢのヒート・ブレードが本音を襲うその直前に救い出した。

「箒ちゃん!」
「済まなかったな本音! だがもう無茶は無しだ!」
「うん!」

箒は本音を避難させると、抜刀。雨月と空裂をゴーレムⅢに振りかざした。一合、また一合。撃ち込んでは躱す。力は上手く入らなかったが、気合いの入った漸撃だった。鍔迫り合いのあと、ゴーレムⅢを押し返す。姿勢を崩させる。箒が体重とスラスター推力を刃に載せ撃ち込んだ。

「篠ノ之流剣術奥義! 鬼剣舞!(おにけんばい!)」

鬼の打った白刃か、そう思わせる程の剛剣だった。ゴーレムⅢは腹を割かれ、むき出しになり爆発した。息が暴れる、汗を拭う、無理を利かせたせいで四肢が震える。だがアリーナに行かねば、クラスメイトたちが戦っているのだ。

箒がその方を向いた時、リヴァイヴが飛んできた。否吹き飛ばされてきた。真耶である。これは一大事と箒は受け止めたは言いものの、その威力は凄まじく、巻き込まれかねない程だった。スケートを滑るかの様に大地に足跡を走らせようやく止まった。真耶が弱々しい声で逃げろと言う。放たれ突き抜ける殺意の線。箒がその方を見ると黒騎士を纏ったエム、マドカが立っていた。

動けない真耶を柊の根元に寝かせると箒は静かに対峙した。その距離30メートル程、ワイヤーを張り詰めたような静けさだった。マドカは淡々と箒にこう言った。

「2度は言わんぞ」

退けという意味である。

「マドカ、織斑円なのだな?」
「とうに捨てた名だ。エムと呼べ」
「再び相見える事を嬉しく思う。幼少のみぎり死んだと聞いていたからな」
「その通りだ。織斑円はもういない」
「なぜこの様な事をする。なぜこの様な悪事に加担する」
「お前が知る必要は無い。もう終わったことだ」
「終わってなどいない。マドカ、お前はここに居るし私もここに居る」
「“昔のよしみだ” 退け。そして忘れろ」

箒は空裂を量子格納。雨月を晴眼に構えた。完全攻撃態勢だ。

「マドカ。お前は真を忘れるか?」
「ならば死ね」
「その言い方、千冬さんにそっくりだな」
「箒、お前はいま寿命を縮めた」

マドカは左腕を箒に向ける。腕部に内蔵された7.62ミリマシンガンが火を噴く。箒は避けることなく雨月で大半を弾いた。弾かれた弾丸は跳弾として周りの植木、建築物、地面に穴を開けた。通り過ぎた弾は空か、やはり同じように建築物に銃創を開けた。アレテーから真耶の戦闘データが送られてくる。黒騎士の兵装は“極太大剣” “ランサービット” “腕部ガトリンク” 判明しているのはこの三つ。

学園に被害が出る飛び道具はまずい、と箒は被弾覚悟で踏み込んだ。マドカはマシンガンを止め極太大剣を展開する。一太刀目、小手調べ。パワーは互角。だが剣の太さが異なる。雨月が限界だと、紅椿が箒に警告した。

極太太刀を滑らせ雨月を引き抜く。間髪入れず箒は弧を描く様にマドカの右腕を狙う。流水の如くその太刀筋はマドカにダメージを与えた。僅かに隙ができる、箒は踏み込んだ。肩が触れそうな距離、雨月を右手で持ち、左手は刃先に添えた。てこの原理でマドカの首元を狙う。絶対防御を発動させる為だ。

だがその一振りは届くことなく、マドカの左手によって塞がれていた。

「っ!」

箒が舌を打つ。マドカは強引に極太太刀をかざし、箒を振り払った。はじき飛ばされ校舎に叩きつけられた。衝撃が身体を襲い、息が止まる。ぐぅと箒は唸った。マドカが言う。

「よくやる。アマチュアの剣だと思えんな」
「篠ノ之流はアマチュアなどではない」
「実戦の経験がないなら古武術でもアマチュアだ。さて箒、介錯してやる」

箒は立ち上がろうとしたが上手く立てなかった。長く伏せっていた影響だ、柔軟体操もそこそこ、四肢に力が入らない節々が痛む。手首も痛めてしまい雨月が上手く持てない。寝起きに奥義は無茶だったのである。

黒騎士の螺旋状のランサービットに、膨大な致死のエネルギーが充填される。済まないみんな、済まない本音、済まない、真……不器用な笑みが胸裡によぎる。箒は腹から力を出し、えいやと立ち上がった。

「否! 私はもう退かない!」
「あーっはっはっは!」

箒がどうにか構えたとき笑い声が聞こえた。それはとても豪快で腹に響く声だった。箒が見上げると学習棟の屋上にISが立っていた。軽くウェーブした長い銀の髪、風に揺れていた。狐の様に釣り上がった黒い瞳、美しい顔立ち。

ISは面と曲面で形作られていたがそのエッジは優しく丸みを帯びていた。そのフレームにボリュームはなくスマートなフォルムだった。左手には己の背丈と同じ程もあるプレート・シールドを持っていた。右手には大口径のビーム・ライフル。その背後に広がる、幅のある竹すだれ状のフィンは、スタビライザーにも見えたし、外套にも翼にも見えた。

何より目に付くのはその色である。所々内部装甲や関節はブラックだが全体はパールホワイトを基調としていた。楯にはゴールドで“零”と刻まれていた。太陽光を浴びて虹色に煌めく、その姿は正しく白真珠である。

彼女は足を肩幅ほどに広げ腕を組んでいた。背を逸らし胸を張る、見下ろすその様は強く美しく、まさに威風堂々。

(誰だ?)

箒は面識がなかった。だが雰囲気で分かった、彼女はIS学園関係者だ。

「あーっはっはっは!」

彼女はまだ笑っていた。目障りだ、とマドカはランサー・ビットを彼女に向けた。射撃。竜巻の様に渦巻く荷電粒子が彼女を襲い爆発した。巻き上がる噴煙、学習棟に亀裂が入り崩落する。

煙が晴れた時、彼女は大地に立っていた。箒を守る様に不遜な笑みを向けていた。

「口上中に弓を引くとは貴賤を知らぬ輩よ」

笑っていただけでしょう、という言葉を箒は飲み込んだ。「何物だ」とマドカは彼女の技量を見抜いた様である。彼女は箒に言った。先程の豪快な笑いが夢で無いかと思われる程に威厳に満ちた、凜とした声だった。

「箒とやら、良くぞ時間を稼いだ。貴様が居なければ本棟を落とされていただろう。休んでおれ」
「そうは参りません。私は守らねばならないのです。学園のため友のため、愛する者のため」
「その気迫見事。だが気迫だけでは戦に勝てぬぞ。それに。真への遺恨なら私が先だ」

美しい彼女に真の名前を出されて思わず怯む箒だった。敵を前にしてたちまち不機嫌になる。

「案ずるな、そう言う関係ではない」

マドカが極太太刀を構え、苛立ちを隠さず彼女に問う。

「何者だ。名乗れ」
「なに。不出来な弟の、馬鹿姉よ」

2人が宙に舞い戦火を交す。

「名乗れ!」
「IS学園卒業生 元生徒会長 黒之上貴子! 見知りおけ!」

マドカは近中距離の回避型だ。だが機体は中遠距離のサイレント・ゼフィルスと異なり近接に近い。腕のマシンガンはあくまで補助、飛び道具と言えばランサー・ビットだが溜がある。その溜を見逃す貴子ではあるまい、マドカはそう判断すると極太太刀を構え切り込んだ。

(この黒騎士の反応性機動性に続く者など有りはしない。切り裂いてくれる!)

貴子は近中距離のバランス型、機体も同様だ。技術的制限により、黒騎士より攻撃力機動力が劣る。だが反応性は拮抗している。貴子はそう踏むと、ビーム・ライフルを発砲した。

(搦め手か……信条に反するのだが。やむを得まい!)

貴子が放つ荷電粒子の雨、マドカは機動力を生かしかい潜る。太刀を切りつけた、貴子はシールド防御。楯がその熱量で加熱、変色する。貴子は不満を隠さない。

「一張羅をどうしてくれる。これでは塗装が台無しだ」
「安心しろ。お前の全てを台無しにしてやる」
「台無しにされた者が言うと説得力はあるな」
「……貴様!」

貴子はマドカの経緯を知っていた。怒りに身を任せマドカは剣を奮う。貴子は撃つ。ある時は学園の南、またある時は北東。戦場を高速に変えては攻撃と防御を繰り返す。マドカが貴子のライフルを切り落とした。

「やるな!」
「次は貴様の首だ!」

貴子は右肩越しにライト・セイバーを抜いた。蒼白く光る。ブォン! と空気分子を分解し鈍い音を鳴らす。互いに幾度となく切りつけ、切りつけられた。貴子は息が上がっていた、エムは汗を掻いていた。互いにダメージを負っていた、エムが感心した様に貴子に言う。

「貴様ほどの手練れが居るとは思わなかったぞ」
「身内しか見ていないからそうなる」
「確かにそうだな。次は気をつけるとしよう」
「次はもうないぞ」
「それはこちらのセリフだ!」

エムが切り込み、渾身の一撃を振るう。貴子の楯ごと切り裂いた。楯が折れダメージが零式を襲う。零式は背負うスタビライザーを宙に散らせながら墜落する。止めだとマドカはランサー・ビットを起動させる。ジェネレーターであるコアからエネルギーがコンデンサーに貯められる。充電率94%、発射可能公差の中にある。判定良し。

発射するその直前だった。零式から散ったスタビライザーが居り曲がりコの字になった。それはフィン状のビットだった。スラスターを噴かし発砲直前のマドカを狙う

「ビット!?」
「ひっかかった♪ ひっかかった♪ ざまぁ♪」

マドカの発射直前のランサー・ビットに貴子のフィン・ビットが荷電粒子を撃ち込む。ランサービットが爆発し、行き所を失ったエネルギーが逆流、黒騎士が爆発を起こす。航行システムに致命的な損傷。黒騎士は身動きすらままならず落下していった。

大地に降り立った貴子は、大地に力無く伏せるマドカにこう言った。胸を張りさも愉快だと言わんばかりだ。

「迂闊だったな織斑円。復讐に明け暮れてアニメすら見なかったのだろう」

負傷したのか、マドカが苦しげにその真意を問う。マスタースレイブ・アクチュエータ機能が停止すればISは枷でしかない。負傷しているならば準英雄たるマドカでも身動き出来なかった。

「フィン・ビットじゃなくて、フィン・ファンネル。ロボットアニメに出てくるんだぞ。ちゃんと見てたらマドカの勝ちだったろうな。いやあ惜しい、惜しい♪」

貴子は笑いながら、強化人間用に強化された手錠を掛けた。あっはっはと笑う。

「こ、このようなふざけた奴に……」
「イイネ、イイネその顔♪ そうだ。記念に写真に撮っておこ♪」

パシャリパシャリ、とストロボが光る。わざわざカメラを量子展開するところが陰湿だ。意地悪くシャッターを切る貴子を見て、この人が伝説の黒之上貴子か、と箒は脱力した。箒は恐る恐る聞く。

「あの貴子先輩。一つ宜しいでしょうか」
「なんだ侍娘♪」
「真を陰湿にしたのは先輩ではないでしょうね?」
「あーっはっはっは!」

深々と溜息をつく箒だった。


◆◆◆


千冬が大地を駆け、ディアナが糸を紡ぐ。千冬が撃ち込むも、ディアナが切り裂くも、ISには効果が無かった。千冬が刀氣を振り下ろし足場を崩す、ディアナが鋼板を投げつる。ひたすら時間稼ぎをしていると、IS小隊の教師たちが援護にやって来た。

2分隊4機のリヴァイヴ、打鉄の混成編隊だ。撃退の任務を彼女たちに任し、千冬は現状確認を行った。掃討数12機だ。その数を確認したとき目の前でゴーレムⅢが倒された。掃討数13、全機撃退。施設への被害はあるが人的被害は無し、とアレテーが答えた。ただし第2第3アリーナは当面使えない。救急用ロボットが学園中に駆けていく。

千冬は通信を開く。

『1年娘ども。無事か?』

鈴が答えた。

『全員無事です』
『白井、そちらはどうだ』
『無事です』

真耶が泣く様に言う。

『せんぱいー。千代実ちゃんが、千代実ちゃんが~』

何事か。怪我でもしたのか、と千冬が焦燥に駆られる。

『気絶してます~』

ディアナが呆れた様に言う。

『錯乱してるわね、あの娘』

千冬が言った。

『黒之上、そちらはどうだ』
『目標を確保。教育室(独居房)に放り込みます』
『篠ノ之、返事をしろ』
『無事です』
『更識は報告書をまとめ明日までに提出』
『げっ』

千冬は小さく深呼吸をする。彼女は人知れず安堵したのだ。

『学園小隊を二つに分ける。4分隊は引き続き警戒に当たれ、2分隊は賊の後片付けだ。デフコン・レベルを3に下げる。生徒共は医務室で診察のあと寮に戻れ』

了解と無線が帰ってくる。

『それと1年共、IS無断使用と無断戦闘の罰だ。始末書を提出すること』
『『『えー!!』』』
『一週間以内で良い』

千冬にしては大盤振る舞いである。煤に汚れた優子が言った。

『織斑先生! 我ら一同! バカンスを要求します!』
『『『賛成ー!』』』

『パール・ビーチ!』
『サヌ・ドゥア!』
『モルジブ!』

千冬はやれやれ顔だ。

『場所はともかく考慮してやる』
『『『やったー!』』』
『早く帰投しろ、このおてんば共』
『『『はーい!』』』

ディアナが言う。

「いいの? そんな約束して。教頭先生は許可しないと思うけれど」
「真のポケットマネーならかまわん」
「なら私たちも同行しましょ」
「そうだな」

夕空には一番星が輝いていた。






つづく!
◆◆◆



次回 赤騎士編!

















【作者のどうでも良い話】

ふと思ったのですが、フルメタルパニックの世界に真を放り込むと面白そうです。

宗介)何者だ貴様
真)お前と同じパンピーを装った者だ
宗介)パンピーとは何だ
真)一般人という意味だ
宗介)博識だな
真)……そうか?
メリッサ)あんたら何時まで漫才してるのよ

凸と凸、凹と凹、似たもの同士、テトリスの要領でずらさないとかみ合わない。でもやっぱりかみ合ってない、宗介と真の絡みが面白そうです……書いてやんよという方、お待ちしております。



[32237] 06-04 赤騎士編(邂逅)
Name: D1198◆2e0ee516 ID:4a0c6f63
Date: 2014/08/13 22:00
06-04 赤騎士編(邂逅)



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年の瀬である。その年もあと一週間で終わりそうな寒空の日、生徒指導室で一夏は出されたホット・ココアをぐびと飲んだ。旨い。ココアを飲み始めたのは何時だっけ、一夏はそんな事を考えた。

ディアナが「お代り要る?」と聞いたので一夏は「頂きます」と応えた。

一夏は帰国後ディアナに呼び出された。フランスで何があったのか、その事情聴取だ。本来ならば2年生であるサラが行うところであるが、彼女はセシリアの看病に付きっきりだ。セシリアは念のためにと自室で休んでいる。コールド・スリープから覚醒後、休息ももそこそこに地球の反対側にやって来たその反動で風邪を引いたのだった。

セシリアが生きているという情報は正式発表があるまで、とその条件で箝口令が引かれた。セシリアがイギリスに帰っていった、死んだ、生きていた、一夏と共に帰ってきた、風邪を引いた、怒濤の様に押し寄せる状況に、てんやわんやの少女たち。無事なら良いかと深く考えない事にした。まだ学園に戻らない生徒もおり、真も行方知れず、欧州での事件、赤騎士と心配事は尽きないのである。深く考えていたら頭がパンクしそうであった。

ディアナと一夏は情報、意見交換を行った。一夏はフランスでセシリアを助け出した事を。ディアナは学園が襲われた事を。

一夏がカップをコースターの上に置いた。

「そえれじゃあ真はまだ戻ってないんですか?」
「飛行制限が始まっているから、密入国となれば陸路を取ったのでしょうね」
「なんでです?」

ディアナは笑顔のまま一夏の頬を、ふにーと引っ張った。

「馬鹿は嫌いよ、馬鹿は」
「ひゅんまへん、あひゃふぃしれすひょへ?」

太平洋のど真ん中、そこから宇宙へ約3万6千キロメートル上空、衛星軌道上で赤騎士は沈黙を続けていた。欧米ほか先進諸国は規制などせず、逆に安心だと訴えたが人々は警戒し始めた。国際航空便が激減したのである。一夏たちはシャルロットが手配したプライベートジェット機、ガルフストリームで帰国したのだった。

一夏はクッキーをポリと頬張る。ディアナのお手製だ。

「リーブス先生、セシリアが生きているって公表しないんですか?」
「それを知った真はそのまま行方をくらますわね。真の異能を考えると私たちに探し出す術が無い」

ありえる、一夏は唸った。逆に言えばマドカを追って必ず現れるだろう。その瞬間、横っ面をぶん殴る、一夏は腹を括った。

「一夏。シャルロトから報告は受けたのだけれど、真はどうやってファントム・タスクに打撃を与えたのかしら」
「そこは俺も疑問です。真はスーパーなソルジャーですけれど向こうにはISもあった。たった1人でやったってのが腑に落ちません。慎重な奴らしからぬ強行さも気になります」
「異能はもちろんとして、協力者、それとも真の身に何かあったのかしら」
「或いはその両方じゃないかと」
「ありえるわね。デュノア家が調査しているからじきに分かるでしょう。マドカは学園に居るのだから」
「それなんですがリーブス先生。マドねえに会えませんか?」

ディアナはココアをすっと飲む。

「お薦めはしないけれど」
「そんなに荒れてますか?」
「千冬が何度か試みたのだけれど、聞く耳持たずね」
「それでも会ってみます、マドねえも家族ですから」
「私も立ち会うわよ」
「構いません」

マドカが拘束されているのは学園本棟地下の独居房である。ISと同じ材質で作られた部屋で、強化人間レベルの能力であれば破壊及び脱出する事はできない。夜の校舎を彷彿とさせる、寂寥感(せきりょうかん)、陰鬱な地下廊のその先にマドカは居た。部屋の奥のベッドに、膝を丸め蹲っていた。食事も手をつけたあとがない。ライトグレーのスウェットを纏っている。沈黙が訪れた。

(この娘が俺の、もう1人の姉さんか。なんか実感ねーな)

格子窓からその姿を認めた一夏は、何を話せば良いのか見当も付かなかった。昔話が良いのだろうか。 それとも今何をしているかを話そうか。好きな物、好きな事、それとも真の事がいいだろうか。まあまず最初は挨拶からだな。

「よう。マドねえ」
「死ね」
「いきなりざっくりきたー」

蒼白く顔を引きつらせる一夏であった。

「マドねえ。俺だぜ俺。一夏。マドねえの双子の弟、覚えてるか?」
「うざ」
「……」

一夏はディアナを見た。彼女は両手を空に向けるゼスチャーをした。好きにやってみなさいと言っている。

「……おれ双子の姉が居るって聞いて、嬉しかったんだ。ほら千冬ねえも姉だけど年が離れすぎてるし、あーそうそう。俺、マドねえを夢に見たぜ。家族みんなで庭でバーベキューして」
「きもい。馴れ馴れしく愛称で呼ぶな。ミジンコ脳」
「「「……」」」

沈黙が痛い。一夏はディアナに恐る恐る言う。

「リーブス先生。なんか、あの、違いませんか」

マドカと一夏が会ったのは、セシリアと真がデートした臨海公園だ。暗がりに浮かぶ、姉の姿。とてもクールそうに見えた。ディアナは沈痛な面持ちで答えた。

「辛いことがあったのよ。絶対の自信があったIS戦闘で千冬以外に後れを取り、尚且つ性格が歪むほどに屈辱的な目にあったのだから。グレていても生真面目な娘だったのね。血は争えないわ」

言うまでもなく貴子の仕業だ。一夏は深く聞くのを止めた。昔より今、これからが肝要だ。

「マドねえ。意地張っていても進歩はないぜ。ここは取りあえず歩み寄りをだな」
「気安く話し掛けるな。虫ずが走る、この末端反射神経、放蕩ゴキブリ。ホウ酸団子でも食べて断末魔の踊りでも踊ってろ」

涙目で肩を落とす一夏だった。ディアナが言った。

「泣いて良いのよ」
「泣きません、勝つまでは」


◆◆◆


神奈川県横須賀市。陽も暮れかかった夕暮れの町。軒先に提灯がぶら下がる、とある居酒屋で真は日本酒を飲んでいた。ねぎま、つくね、砂肝、焼き鳥にサラダもある。周囲を見れば、サラリーマン風のグループや、あどけない大学生とおぼしきグループ。米兵のグループもあった。室内照明は暗く、手元のは明るく。明暗を利用し、光りの仕切りを生み出していた。

そんな喧噪耐えない中、真はタブレットとにらめっこを為ていた。タブレットには学園を上空から見た地図が映し出されている。といっても軍事施設宜しく白く塗りつぶされており、内部施設までは分からない。

彼は学園侵入の検討を為ていたのである。

(三浦半島の先端、学園都市から一山越えて学園がある。東西以南は海、北は山。海にも山にもセンサーが張り巡らされている。そこを突破しても周回警備ロボットがある……)

準警備担当の真は、警備システムを思い出せば思い出す程、侵入の難しさを思い知らされるのであった。幾ら異能と言っても触れなければ意味が無い。レーダーやレーザー、アクティブ・センサーは越えられない。触れられないからだ。パッシブ・センサーも同様である。業者になりすまし侵入を図る事もできない、顔が割れている。

(電子対抗手段を作って使うか? いや駄目だ。センサーはブロック、地域毎に設置されている、全てを1度に無効できない以上そこにいると宣言する様な物だ。ハッキングするに為てもアレテーに対抗出来るコンピューターなど特殊政府機関か、軍事施設にしかない。それらは学園並の警備で侵入はほぼ不可能)

彼はつくねを食べた。

(何らかの騒動を起こし、その機に乗じて侵入するしかない。では騒動とは何だ。馬鹿ども、反IS陣営を焚きつけて囮にするか。それともイージス艦をハッキングしてミサイルでも撃ち込むか……ばかばかしい)

「やっほー」

陽気な声を掛けられた。真はお猪口を口に運ぶ。飲み込むとその方を見た。スーツ服姿の楯無がいた。ウィッグを付け、長い髪を結っていた。メイクと言いぶら下げているバッグと言い、どこからどう見てもOLだった。彼はこう言った。

「未成年が入って良い店じゃないぞ」
「真に言われたくないわね。おにーさーん! ジョッキ2つ!」

はいよぅと威勢の良い声が返ってくる。真は呟いた。

「なぜ」

目の前にどんどんと目の前に置かれる二つのビール。

「つきあいなさいよ。それに1人で陰鬱に飲んでいる方が目立つわよ」
「……」
「かんぱーい」
「……完敗」

ゴクリとビールを飲んだ。苦みと発泡感が心地よい。楯無は枝豆を頬張り、ビールを飲む。手慣れている楯無を見て真は言う。

「酒は初めてじゃないな」
「未成年でも命がけの仕事をしているの。飲まなきゃやってられない事もあるのよ。真と同じでね」
「……そうか。襲撃があったか。その様子だと無事撃退した様だな」
「施設への被害はそれなりにあったけれどね」
「物は直せる」
「そうね」

ぐびと飲んだ。楯無がちらと真に一瞥を飛ばす。

「で何時日本に戻ったわけ? ジョン・マクレガーさん?」
「今日だよ。5時間程前に学園都市に着いた」
「どうして戻らずにこんなところで油を売っていわけ?」
「まだ一仕事残っている」
「許されると思う?」
「誰かに許して貰おうとは思ってないよ。あくまで俺自身で完結する話だ」
「真は誰かの真でもあるのよ」
「知ってる。でもどうにもならないんだ。君にも何時か分かる時が来る、いや分からない方が良いな」

セシリアは生きていて学園に居る、楯無はそれをいま言うべきか迷った。言えば真は殺害を思いとどまるだろう、説得すれば学園に止まるかもしれない。だがマドカはそれで止まるまい。セシリアへの、真への確執は続くのだ。三角関係、その様な可愛げのあるものではない。血塗られた日々が続く。それは2人にとって好ましいわけがない、学園としてもそうだ。

(結局、当人たちがどうにかするしかないか)

真がビールを飲み干すとこう言った。

「楯無、君はどう思うんだ」
「正直判断着かない。法律に照らし合わせれば違法だけれど、私は裁判官じゃないし、そもそもそれを言ったら更識をも否定する事になる。ただ」
「ただ?」
「私の個人的な見解……意見であれば、止めて欲しいかなとは思う」
「理由は?」
「これ以上真が苦しむ姿を見たくない」

真は空になったジョッキを見た。泡が底に溜まっていた。

「楯無歩かないか? 夜道というのも良い」
「それ誘ってるわけ?」
「もちろんだ。楯無には考え事もある様だしな」

そう言う事じゃない、と楯無は憮然として立ち上がった。

夜の町を歩く。師走の由来は既に言葉のみとなり人々は年中走っている。それでもなお一層急いでいる様に見えるのは気のせいだろうか。吐く息が白い。楯無は右を歩く真の顔を見た。左頬の傷がない。眉を寄せる。

「左頬の傷どうしたのよ」
「ちょっとね」

気がつけば臨海公園に来ていた。周囲には波の音だけ、人の気配はない。込み入った話をするなら今だ。直感に従って、左腕を突いてみた。

「やわらかい……」
「ちょっとね」
「答えるつもりは無いワケね」
「答えても良いけれど、その時は必ず今の関係が終わる。それは少々寂しい」
「ふーん。案外自惚屋なのね」
「言葉さえ交わさないという意味だ。下手をすると追いつ追われつの関係になる」

今も追っているわよ、その言葉を飲み込んで楯無はステップを踏んだ。真の数歩先で踊る様に振り返る。

「一つ聞いて良い?」
「なに?」
「付き合っている人が居るのに、他の人から好かれたらどうする?」
「どうもこうもない。お断りするだけだ」
「その他の人が地雷だったら? 警察力が効かないぐらいの。コミュニティに影響が出るぐらいの」
「意地の悪い質問だな」
「答えてよ」
「そうだな。 ―――するしかないな」

風が止んだ。周囲に外国人の男たちが現れ、全員が拳銃を構えた。楯無と真は向かい合ったまま左右に視線を走らせた。1人の男が歩み寄り「恋人の時間もそこまでだ」と言った。楯無が「この日本で随分物騒ね」と言うと、楯無の背中に銃を突き付け「無駄口は慎みたまえお嬢さん。口は災いのものだ」と言った。真が言う。

「ロスチャイルドの手の者か。地球の反対側までご苦労な事だな」
「当然だ。あれだけの事をしたのだ、人並みの生活が送れるとでも思ったのか」
「何が人並みなのか、教えて欲しいのだがな」

初めて見る真の、大人びた振る舞い。楯無は興味深そうに、だが少し驚いて真を見つめた。

「言葉遊びをする気は無い。“このお嬢さん”を死なせたくなければ従って貰おう」

真は呆れた。ウィッグを付けただけで楯無だと理解出来ない連中にだ。外国人なら仕方ないか、それに日も落ちて表情も見分けにくい、そもそも俺以外眼中になかったのか……男たちの弁護を心中で済ますとこう言った。

「拒否したらどうなる」

楯無は眼を剥いて驚いたあと、半眼で真を睨んだ。あからさまに不機嫌な態度だった。

「このお嬢さんを傷つけたくは無かろう。銃を捨てろ」
「なら断る」
「いやぁ!」
「我々が冗談を言っているとでも思うのか」
「断じて否」
「きゃぁ!」
「……ならば己の愚かさを呪うが良い」

真はこう言った。

「もう気も済んだだろ。その辺にしておけ更識楯無」

今度は男たちが眼を剥いた。楯無は仏頂面だ、苦虫をかみつぶした様な顔、というよりは半ば本気で睨んでいる。

「何が気も済んだだろ、よ。か弱い乙女を見捨てるなんて、この最低男」
「初めて君の本心を聞いた気がするよ」
「布仏姉妹が危機を逃れてよかったわ。こんな奴と付き合ったら不幸になる」
「言っておくけれど。あの姉妹だったら普通に助けた」
「本当に腹立たしい奴ね……吩っ!」

銃を突き付けていた男を倒すと、他の男たちが撃ちだした弾丸を全て避け、続けて半数を一瞬で倒した。ばっと扇を広げる。不平不満と書かれていた文字が怒髪衝天に変わった。

「ごめんあそばせ。これでも学園の暗部なの」

楯無の見事な殺陣に、真が拍手をしたら追手の1人を投げつけられた。文字通りである。


◆◆◆


不機嫌さを隠さない楯無は、真をそのまま学園本棟地下の独居房に放り込んだ。彼女は笑顔でこう言った。こめかみに血管が浮いている。

「すぐ事情聴取よ。リーブス先生が担当するから覚悟してなさい」
「織斑先生じゃないのか」
「そんな生やさしい事許されるわけ無いでしょう? しっかり絞られると良いんだわ」

バタン! と無慈悲な音を立てて扉が閉まった。意外と可愛げがある、怒った楯無の表情を思い出し真はそう思った。一夏が居れば“捻くれるのもいい加減にしやがれ”と言っただろう。真は怒った女性の顔が無意識に好きなのだ。

真が独居房の扉を調べてみると電子式ではなく機械式だと分かった。初めから異能を見越して付け替えていた様である。触れてみた。異能が働いている感じはするが時間が掛りそうだ。

さてどうする? 機会を待つか? それとも発覚覚悟で強引な手段に出るか? 千冬たちはマドカを追っている事を知っているだろう、時間を稼げば手を打たれる。即断が吉だ。

真はそう決断すると脇から自動拳銃を取り出した。フランス共和国マルセイユから使い続けているグロッグ17である。怒らせて所持品検査を失念させたのも計算の内であった。

ベッドを横に立ててバリゲードとする。グロッグ17のスライドを動かし弾丸装填、進化弾。特殊鋼の扉を吹き飛ばした。爆音が響く。鼓膜相当の部位が壊れたが直ぐ直った。

その威力は凄まじいもので、廊下に面する壁を全て吹き飛ばしていた。余剰威力で対面の部屋も吹き飛ばし瓦礫と化している。天井廊下、ひびが入り崩落していた。

アラームと煙が舞う中、真は駆けだした。火災は起きていないが隔壁が下り始める。真は近場の端末に触れると、アレテーから制御を奪った。警備システム全般を支配下に置く、エムの居場所も判明した。

マドカは長細い廊下の反対側だ。それを確認すると真は再び駆け出した。その途中、念のためにと3個の催涙弾を使用し煙を地下廊に満たした、更に時間が稼げるだろう。もちろん換気装置も止めておいた。もちろん、真には効かない、生物ではないのだから。

幾つか区画を駆け抜けるとその扉の前に立った。隔壁の中から咳き込む声がする。真は声を荒らげた。

「エム、そこに居るのはエムか?」
『真? ……真なの?』
「そこに居るんだな」
『……私のこと気遣ってくれるの?』
「この時を待ちわびたぞ」
『ほ、本当?! 嬉しい!』
「そこを動くなよ」
『はい!』

真は対面の扉に背を預け銃を構えた。その瞳に採光はない。銃口付近の空間に立体的な幾何学模様が浮かび上がる。この弾の威力はAPFSDS弾(戦車弾)相当、威力は先程開けたとおり、扉を吹き飛ばしてもその威力は十二分だ。たとえ英雄に連なる者であろうとも。

「これで最後だ。さよなら」
『えっ』

真が引き金を引く瞬間だった、天井に線が入った。その線は鋭利で紙の繊維の様に真っ直ぐで幾重にも重なっていた。天井が抜け、瓦礫が落ちてくる。月明かりが射した。白銀の糸が嫋やかに波を打つ、ディアナの紡ぐ糸の世界を背景に、一夏が舞い降りた。鋭い笑みを見せる。

「真、ハケーン!」

一夏は右拳を振りかざし、槌の様な一撃を振り下ろす。意識の線を読み辛うじて躱した。一夏が脚力を使わず飛び降りただけだからだ。その速度は体重に比例するのみ。真はバックステップ、鋭く銃を構え狙いを付けた。催涙ガスが辺りに漂う。瓦礫の上に立ち一夏はむせ、涙を流していた。

「この野郎! ごほごほ。ようやく見付けたぜ! ごほごほ。ごほごほ」
「一夏そこを退け!」
「やなこった! ごほごほ。やい真! てめえなんで平気な顔してやがる! ごほごほ」
「退けと言っている!」
「嫌だって言ってんだろ! ごほごほ。この阿呆! ごほごほ」

地上から見下ろしていたディアナが無線機で言う。

『虚、換気扇を直結で作動させなさい』
『了解』

ブォォォと換気装置が低い唸り声を上げて動き始める。催涙ガスが徐々に引いて言った。一夏は学園服、真はライト・グレーのスーツだった。睨み合う。

「一夏、もう一度言う。そこを退け」
「しつけーな……ごほ」
「この弾は特殊だ。幾らお前でも喰らえばただでは済まない」
「へっ。そのお誂えで俺を撃つつもりかよ」
「それはお前次第だ。だから退け」

一夏は扉を顎で指した。

「その中にいるのは俺の姉だぜ。それでもやるってのか」
「知っている。だがもう後には引けない」
「……自分で決めるんじゃねえ。まだ1人のつもりかよ」
「58人だ」
「あん?」
「奴らに連れ去られここに立つ約一ヶ月、俺は58人の人間を殺した。それでもお前は、俺が戻れると言うのか」

僅かの間のあと一夏は組んだ両手を鳴らした。腹を括った、そう言う声を出していた。

「どおりで奈落な眼をしているはずだぜ。歯ぁ食いしばりやがれこの阿保真。とびっきりの拳骨喰らわしてやる」
「馬鹿だよお前。とびっきりの馬鹿だ。敢えて危険に飛び込む、おまけにその危険の度合いにも気づいていない。わざわざ片棒を担ぐ必要は無い。退け。」
「真。俺はお前の賢いところが羨ましいと思ってた。でも最近はちょっと違う。賢い事が辛いなら、馬鹿でも良いかなと思うぜ」
「それが正解だよ。一夏。知恵という林檎を食べた人間は永遠に苦しむんだ」
「だったら尚更、俺は賢い愚か者を見捨てる訳にはいかねえんだ」

真は狙いを付けた。一夏は踏み込んだ。一夏の蹴り出した床が粘土の様に盛り上がった。真の反射速度を一夏が上回る。真はとっさに照準をずらした。弾丸は一夏の頬を掠めた。一夏の右拳が真の左頬を捕え、吹き飛ばした。廊下の反対側の袋小路、真の身体はその壁まで滑り続け、ようやく止まった。背後には大穴が開いていた。鋼板がへしまがり、コンクリートに穴が空き、土砂が見え、崩れ落ちていた。

一夏は「あの野郎、こんなおっかない弾丸で俺を狙ったのか」呟いた。ディアナが「一夏。真がまだ動かないのだけれど、ちゃんと手加減した?」と非難めいた視線で言う。一夏が見るとぴくりとも動かない。

一夏がジト目でこう言った。

「ベッドの下にセシリアの写真しゅ、」

真ががばっと起き上がった。右親指を下に向けて挑発する。

「黙れ! このエロがっぱ!」
「おーおー。このロリコンが良く言うぜ。21歳下の娘にいかれやがって。おお恥ずかしい」
「だまれおっぱい魔神! 静寐がもう少し大きければってぼやいた事言いふらすぞ!」
「真! てめえ! 絶対秘密にするって言ったのに!」
「お前が言えた様か! この馬鹿一夏!」
「ならセシリアのファンクラブに入会している事言いふらしてやんよ! この阿呆真!」

どかばきと殴り合い、最後はクロスカウンター。2人揃って大の字に寝転んだ。天井に開いた大穴から月が覗いていた。ディアナが愉快そうに微笑んでいる。男の子同士の喧嘩ってこうでないと、とその表情は語っていた。真がじっと月を見る。

「なあ一夏」
「なんだよ」
「セシリアを助けられなかった、見殺しに為てしまった。大勢の犠牲も出した。その俺に何が出来る」
「……聞いてないのか?」
「なにが?」
「あの性悪生徒会長……」

一夏は唸った。そしてこう言った。

「セシリアは生きてるぜ」
「それは下手な慰めだよ」
「イヤまじで」
「あのな。俺はセシリアの遺体を確認したんだ。嘘をつくならもう少しまともな嘘をつけ」
「だからマジだって言ってんだろ。相変わらず妙なところで頑固だな、お前」

凜とした声が響く。

「私ならここに居ますわよ」

セシリアが廊下の闇から現れた。白を基調とし赤いラインの入ったロングスカートの学園服。一つ一つ確実に歩み寄る。真は声が出せなかった。膝を突き呆然としている。その表情には否定があった。また認めればまた失ってしまうかもしれない、という恐怖である。セシリアは右手の平で真の頬を引っぱたいた。次は左手の平でまた引っぱたく。何度も何度も引っぱたいた。

「これだけ心配掛けて! こんなに傷付いて!」

鈴たちが駆けつけた時、真はセシリアに抱かれ泣いていた。セシリアもまた涙を流していた。


◆◆◆


翌日の生徒指導室である。硝子製のローテーブルに黒革のソファが4つ。真は前を見た、千冬が睨んでいる。その隣を見た、ディアナが睨んでいる。間左を見た、楯無だ。彼女は澄まし顔、扇で口元を隠している。奥義には“絶体絶命”と書いてある、じき“自業自得”と変わった。学園内警備会議である。千冬とディアナの嘆願で、査問は取りあえず見送られた。取りあえずである。

4人の前には真が徹夜で書いた10ページ程の報告書があった。表紙の“報告書”の文が赤マジックで修正され“第一回反省文”と書いてある。

千冬は鋭い視線でこう言った。

「それで?」

真は答えた。

「“何が起こったか”いま報告したとおりです」
「“何をしでかしたか”をもう一度言ってみろ」

真は緊張しながらこう言った。

「私めはファントム・タスクことロスチャイルドを半壊させました。明確な証拠は残しておりませんが高い確率で疑われています。この事からロスチャイルドはもちろん、先進諸国を初めとした各国から睨まれています。学園が保護したと明るみになれば、紛争は火を見るより明らか。とはいえ何れか国に捕まれば異能を利用されること自明の理」

千冬が「それを理解しているのは褒めてやる。で、この始末どうつけるつもりだ」と言う。ディアナが「言っておくけれど行方をくらますとか、自害するとか口走ったらスライスハムにするわよ」と声を震わしながら言った。ほほほ、と怒りを必死に押さえている様だ。

「そのような後ろ向きな事は致しません」とは真。
「ほう。では言ってみろ」とは千冬。

前向きな発言、僅かだが怒りを収めた。

「学園に仇成すものは組織であれ個人であれ抹殺しまぶぅ!」
「何も分かっていない!」

千冬は真の頭をテーブルに叩きつけた。流石特殊硝子である、ヒビ一つ入っていない。ミシミシと音が鳴る。軋んでいるのはテーブルかしら、それとも頭かしら、楯無はそんな事を考えた。

「世界大戦でも起こすつもりか!」
「兵士にどうしろって言うんだ!」
「何時まで青崎のつもりでいる!」
「女と違って男は過去に縋るんだよ!」
「まただ! 全て自分で背負い込む! いつまでも過去にとらわれる!」

一拍の間、睨み合う。千冬は嗚咽を漏らしだした。どれほど心配したと、もう帰ってこない、もう会えないのではないかと、これからどうするのかと、子供の様に泣きじゃくり始めた。言葉を失う真。

「本当に済まなかった」

真は土下座した。彼の首に糸が撫でる様に走る。千冬を泣かせたわね、とディアナの冷たい視線。我慢出来なくなった楯無がぽつりと呟いた。

「ところで、織斑先生と蒼月先生はどの様なご関係?」
「「え?」」

まだ知らなかったのか、と3人の視線が絡まった。千冬は泣き続けていた。




つづく!

◆◆◆





【作者のどうでも良い独り言】

マドカを含め諸々の問題解決はちょい後です。




[32237] 06-05 赤騎士編(赤騎士討伐隊)
Name: D1198◆2e0ee516 ID:4a0c6f63
Date: 2014/08/15 22:47
06-05 赤騎士編(赤騎士討伐隊)


聖地巡礼お疲れ様です。
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北緯32度東経139度,青ヶ島より東へ約100キロの洋上に1隻の艦船が居た。全長155.3メートル、全幅20.1メートル。排水量9,648トン。アメリカ海軍第7艦隊 第15駆逐隊 所属 アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦32番艦。“ラッセン”である。ラッセンは周囲を警戒しつつ20ノットでハワイ方向に向けて航行していた。

艦長である米海軍中佐ケニー・ステーロはラッセンのCIC室(戦闘指揮所)でレーダーディスプレイを凝視している。それは立体映像で半球ドームを形成しており、中心が自艦を示している。周囲に敵性艦船、航空機の反応はない。ただ一つ、高度35,786キロメートル上空、静止衛星軌道上に存在する赤騎士を除けば。

彼に下された命令は赤騎士の偵察(情報収集)と破壊である。かれこれ約半月、赤騎士は依然沈黙を保っていた。ただその内に秘める内部エネルギーの上昇を除けば。赤騎士が力を貯めているのは間違いない。問題なのはそれが何時で、何をするかだ。

彼の表情は優れない。赤騎士事件は彼も知っていた。約10年前、下級将校であった彼は白騎士赤騎士事件の戦闘を直接見た数少ない人物だ。その経験を買われこの任務に就いた。

(非IS兵器でダメージを与えられるのか)

彼の疑念はこの一つのみである。IS技術体系に属しない兵器もこの10年で進化を遂げた。幾ら絶対防御であろうとも、物理エネルギー力場である以上、負荷エネルギーを一定以上与えれば崩壊させる事ができる。ただそのしきい値が恐ろしい程に大きい。計算では核を用いてもISにダメージは与えられない。爆発エネルギーが周囲に広がるのみで必要圧力に達しないのである。

そこで用いるのは慣性力だ。質量を持った弾頭を一端宇宙に上げ、加速させ、ぶつける。大気のない宇宙空間では空気摩擦が生じないので加速した分だけ速くなるからだ。ただ第二宇宙速度(秒速11.2キロ)を超すと外宇宙に出てしまうため同一の静止軌道上での攻撃は意味が無い。低軌道からの加速により、外宇宙に向かう高速度で狙うのだ。

砲雷担当の下士官が言った。

「艦長、発射時刻まであと5分です」
「異常はないな」
「ありません。VLS(垂直発射装置)及びSM-4(スタンダード弾道迎撃ミサイル)ともに異常なしです」

レーダーを凝視続けるケニー。下士官がこう問うた。その声に不安が混じっている、ケニーにはそう感じた。

「ミサイルが通用するのでしょうか?」
「我々は偵察が主任務だ。心配するな、撃ってお仕舞いだよ」

ケニーも同意見だったが部下の前で泣き言は言えないのだ。

「だと良いのですが」

その下士官は非IS兵装では最高峰の戦術兵器が効かなかったらと恐れていたのだ。

「不安は皆同じだよ。君ひとりだけ恐れていても仕方あるまい」
「恐れなど……」
「恐れを恥じる必要は無い。大事なのはそれに打ち勝つ精神だ」

彼は恐れを打ち消す様に返答した。カウントしていた時計がゼロになる。ケニーにこう言った。

「艦長。時間です」

僅かなあと、腹に響く声でケニーはこう言った。

「ミサイル発射」

復唱。

「発射」

甲板の、VLSのハッチが開き、並列するポートから煙と炎が吹き出る。僅かの間のあと矢の様な勢いで弧を描きミサイルが空を昇っていった。ただその速度は時速9,600キロである。この速度でLEO(低軌道)まで打ち上げ、そのご再加速するのだ。

「ミサイルがLEO(低軌道)に乗りました。第二次加速まであと35分」

ディスプレイに映し出された地球の地図。それには二つの軌道が正弦波の様に映し出されている。目指すは軌道が交差する一点、予想着弾点である。計算された時間になりスラスターが作動した。弾頭が第二次加速を始める。弾頭の居るLEO(低軌道)からGSO(静止衛星軌道)へ向かう為、その中間軌道であるGTO(静止トランスファ軌道)を取る。尚加速中。

「軌道修正0.5度。異常なし」
「速度は?」
「着弾時の予想速度は時速220,524km。音速の約180倍です。着弾まであと一分」

レーダーに映る静止している赤い点(赤騎士)と、高速で飛来する弾頭(青い点)徐々に近づく。ケニーは集中してその二つの点を見ていた。

(着弾時の運動エネルギーは68,598メガジュール。TNT火薬で16トン相当だ。赤騎士め、防げるものなら防いでみろ)

「最終軌道修正……命中します」

赤騎士の防性力場に弾頭の鋭利なエネルギーがぶつかる。発生した干渉光は凄まじい光度を持っていて、ラッセンのブリッジからでも肉眼で確認出来る程だ。

「艦長、月が二つ出来たようだとブリッジが言っています。
「赤騎士の確認急げ」
「イエッサー」

CICシステムを操作する電測員が悲痛な声を上げた。

「赤騎士健在! ダメージ見受けられません!」

ケニーが冷静に「司令部へ連絡」と言う。

「こちらラッセン。コマンドー応答されたし。こちらラッセン。コマンドー応答されたし。任務失敗、敵兵力に損害見られず。繰り返す。任務失敗……」

慌ただしいCIC内でケニーは舌を打った。

(やはりISにはISか。化け物め)

空には月が出ていた。


◆◆◆


IS学園、柊寮。その食堂である。真は白い4人掛けテーブルに腰掛け、空を見た。冬の晴天という奴で、雲一つ無かった。木枯らしが吹き枯れ葉が舞う。真は窓越しにその様な天気を見ると目の前の、友人を見た。その様な寒いときでもコールドドリンクを飲む一夏を見て真は呆れるやら感心するやら、微妙な顔をしていた。真はホット・ココアをすっと飲みこう言った。

「これが若さか」

一夏はコーラをちゅーとストローですすり飲む。

「なんだ。シャア・アズナボー」
「そのセリフを言った時はクワトロだって理子が言ってたぞ」
「見てねえのかよ。Zガンダム」
「途中までしか見てない、勉強で忙しかったんだ。というか一夏の年代だと古すぎだろ。どう言う名前だったか……Seedとかダブルオーとか、年代を考えるとそっちだろ」
「古典は押さえる主義なんだ」
「また大袈裟にいう」
「へへん。そういう風にアニメを馬鹿にして、あぐらを掻いていると足元をすくわれるぜ?」
「だから大袈裟だぞ」
「聞いてねえのか? マドねえもガンダムを見なかったばっかりに貴子先輩に負けたんだ」
「……まじで?」
「マジで」
「というか、なんでそんな事を知っているんだよ」
「貴子先輩本人から聞いた。お前も最低でもガンダムは押さえておけって」
「あの人は……」

真は呻いた。機密情報を漏らすなよ、いや機密じゃないか。アニメが機密など大事な何かが壊れてしまう。自分の矜持というか自尊心というか……真はぶつぶつとココアを飲む。

一夏が言った。

「でだ。結局今どうなってんだ?」
「もろもろのことか?」
「そう。もろもろ」

セシリア殺害はイギリス政府によりテロリストへの囮作戦だとして処理された。存在しないはずのテロリストは拘束されイギリス特殊部隊に射殺されたとしている。セシリアの扱いはと言うと、セシリアは負傷、移送は負担が掛ると言う事で、現在IS学園で療養中、と言うことになっている。真が言う。

「療養中ってのも嘘じゃないし、まあこんなもんだろ」
「じゃー、俺は?」

一夏は真を探しに出国したが、機内でテロリストと戦闘、撃退したが墜落。奇跡的に中国で無事保護され帰国となっている。一夏が唸る。

「……なんかだせーぞ。俺」
「未成年が丸腰なんだ。誰も責めはしないよ。日本政府と学園なんか正義感と責任感溢れる行為だと盛大に宣伝してる。まあフランスでの騒ぎに関連づけられるとヤバイから、落とし所としては妥当だ」

「そう、それだぜ。それ」
「ロスチャイルドの事はいま検討中」

対応にはセシリア殺害の冤罪で貸しのあるイギリス。ファントム・タスク幹部という地位に喰い込んだ、この秘密を共有しているデュノア家。そして学園と更識家が当たっている。が、もみ消すのは不可能。真は世界各国に睨まれているため、学園に居るという事実を秘匿に為なくてはならない。

「みんなには箝口令を敷いているけれど、完全な口封じは不可能だから、名前変えるとか身分を偽らないと駄目だな。まあ赤騎士がいるうちはそれどころじゃないだろうから良いけれど、問題はその後。正直その時に応じて、が解答だ」
「真。お前も雑になったなー」
「一度死んでるからな」
「そう。それだぜそれ。その身体どうすんだ」
「なんともならん」
「アレテーとか。ほれ、会社の人に相談してみたらどうだよ」
「おいそれと話せる内容じゃないし、アレテーにも無理だ」
「お前の異能はどうなんだよ」
「自分の身体で身体は触れない、だから操作は出来ない。成り行きに任せるままだ」
「まあ無事なら結構な事だけどよー。全力で殴っても死なさそうだし」
「言ってろ」

真はココアをぐび飲んだ。

真の身体には代謝がない、細胞の老化がない、年を取らない。この事実が明るみになれば大騒動だ。不死の命、賢人ですら惑わすにも十分だろう。この事実を知るものは千冬、ディアナ、楯無のみだ。

(ディアナはああ言ったけれど、その時は数年で姿を隠すよりない)

一夏が言う。

「で、マドねえの事は?」
「会ってみた」
「で?」

真はマドカの言葉を思い出す。

“君は勘違いをしている。もう真は人間じゃないの。あの女とは同じ時間を過ごせない。永遠の孤独を味わいなさい、永遠に苦しみなさい。永遠の苦痛に苛みなさい”

真は青い顔で、カップを口にしたまま固まる。察した一夏も青い顔で溜息をついた。一夏が言う。

「ヤンデレここに極まれり」
「お前の姉だろ、何とかしろよ」
「真がああしたんだろ、責任転嫁すんじゃねえ」
「不可抗力だよなあ」
「何時までもこのままって訳には行かねーぞ。どうするんだ」
「今セシリアに骨を折って貰ってる」

半眼で睨む一夏だった。

「おいこの阿呆」
「何だいきなり」
「セシリアのスカートに隠れて、泣き付くなんてお前いくら何でも情けなすぎりゅぅ!」

真は右拳を一夏の顔面にねじ込んだ。ぐりぐりとねじ込んだ。

「だれがセシリアの影に隠れて、マドカをどうにかして貰うなんて言った。秘策だよ、秘策。マドカともセシリアとも綺麗に収まる秘策だ。その為にある事を手配して貰ってるんだよ」

一夏はパシっと真の拳を払う。

「真、てめえ何を考えてやがる」
「直ぐ分かるさ」

また秘密癖かよ、全くむかつくぜ。突っ込んでも白状はしねーな……一夏はうんざりとこう聞いた。

「みやの事は?」
「ここのあるけれど?」

真の胸に待機状態のみやがいた。セシリアを経由して受け取ったのだった。

“一夏様、私のこの身体の事はマスターには秘密にしてください”
“なんで?”
“マスターの質を考えると私を使う事に躊躇しかねません”
“ありえーる”

という嘆願があり一夏とも共皆は言わない事にした。一夏は話を逸らす。

「みやに変化があるのかって事だ」
「力は働いてる、近々何かあるかもしれない」
「何かってなんだよ」
「セカンドシフトならいいなー」
「ずり―ぞおまえ」
「気合いでセカンドシフトした一夏に言われたくない」

一夏はみやのメンタル・モデルを思い出す。喪服姿風の年上美人。一夏は右腕のガントレットを外すと「ちょっと持ってみ」といった。何のことだと分からず真は受け取った。待機状態の白式からぶーんと鈍い音がする。真が言う。

「……白式も進化させようってか。そういう安直な手段は良くないぞ」
「真が言うなし」
「まーなー」
「赤騎士はどうするんだ?」
「放っておく」
「おい」
「言い方がまずかったか。怖い各国の軍人さんに一任だ。教育機関である俺らが出張る必要はない。学園は先日無人機とドンバチしたばかりだしな」
「それでいいのかよ。俺らが」

真はテーブルに乗り出した。指でコツンコツンと叩く。一夏も何のことだと乗り出した。真がぼそぼそと小声で言う。

「ここだけの話だが」
「おぉう」
「国連主体で赤騎士討伐隊が緊急で組織されている。その数48機のIS大隊だ」
「ぉぉぉ」
「俺らの出番は無い」

一夏は後頭部で手を組むと身を逸らした。

「なるほどな。俺らは高みの見物か。良く一致団結できたもんだぜ」
「ISの軍事的組織行動はどの国も持ってないからな。どこもかしこもデータが欲しいんだろ」
「汚い大人の世界事情ってか、ああ嫌だ嫌だ」
「まああれだ。一夏も帰国したばかりだし、」
「おう。のんびりさせて貰うぜ」
「聞いてないのか一夏。休んだ授業追いつくために暫く休み無しだぞ」
「きゃー」

どたどたと足音が響く。何事かと食堂の皆がその方を見た。楯無である、目はつり上がり口元は歪み、髪は逆立つ。まさに怒髪天を突く勢いでやって来た。

「おりぃむぅらぁ~、い~ちぃかぁ~はぁ、いねぇがぁ~?」
「なまはげ?」真である。
「なまはげ」一夏だ。

少女たちが一斉に一夏を指さした。どどど。地を揺るがさんばかりの勢いでやって来た。楯無の背後に簪の姿も在る。お姉ちゃん止めて、必死に追っていた。殺気を感じた一夏は逃げ出した。ぐるぐると食堂を回るように走る。

「一体何の用ですか! 楯無先輩!」
「うちのー簪ちゃんーをよくも! よくもよくもっ! 傷物にしてくれたわねっ! 詫びて死になさい!!」

きゃあきゃあと黄色い声を上げる少女たち。視線を浴びた簪はオーバーヒート、停止した。ぽつねんと立ち尽くしている。

「強引にとかそう言うわけでは無く! お互い合意の上で!」
「簪ちゃんは一夏ハーレムになんて入れさせないわよっ!」
「そんなもん組織してませんってば!」

聞きとがめた少女たち、ふらりと立ち上がった。その姿は柳の如く、揺らめいていた。

「そうそう一夏、その話聞かせて」静寐である。
「一夏! 正直に白状しなさいよ! 素直に話したらぶっ飛ばす!」これは鈴。
「いーちーかー」とは清香。
「織斑君、テーザー銃って見た事ありますか?」最後はティナ。

ぐるぐる。どたばた。一夏を初めとした集団は、追いつ追われつ食堂の外へ駆けていった。真がぽつり。

「あぁ。平和だ」

つかつかと箒が歩み寄り、ぽむと手刀を真の頭に入れた。


◆◆◆


「どうしてこうなった」

真の呟きは雑踏に紛れて消えた。彼が居るのはコロッシアム形状の第4アリーナ、第1ピットの中。こっそりフィールドを覗けば各国のテントがみえる。移動指揮車に軍人、そしてISが見える。イギリスはティアーズ型、イタリアはテンペスタ型、ドイツのシュヴァルツェア・ツヴァイクにフランスのリヴァイヴ、アメリカのファング・クエイク、世界中のISがここぞとばかり集まっていた。

こうなったのは訳がある。赤騎士討伐はいい。だがその最前線基地は何処にすると揉めた。当初アメリカ海軍の原子力空母が検討されたが、機密を理由にアメリカが拒否。赤騎士は太平洋上空にいるので、なし崩し的に学園が選ばれた。

各国に目を付けられてる以上、目だって動くわけにもいかず日陰者の有様であった。

真はこっそりと双眼鏡を覗く。ドイツ軍服のラウラがいた、クラリッサを伴い千冬と話している。セシリアも居る、サラを伴い名も知らないパイロットとなにやら話している。セシリアは討伐隊に加わらないようだ。真は人知れず溜飲を下ろした。シャルロットの姿も見えた。

「シャル。元気そうだな。少し太ったか?」と少々ボケたことを呟く。双眼鏡をずらすと、黒髪の女が見えた。グレーのISスーツ姿で髪を結い上げている。オータムだ。2人ともリヴァイヴⅢを見上げなにやら話していた。

「うげぇ」

と品の無い驚きをする真。あぶない、あぶない、あぶない、と3回繰り返した。彼女との情事は、否“取引”は致し方なかったのである。公明正大なギブアンドテイク、ビジネスなのだ。何処ぞの誰かのように粉飾決算などしていないのである。だが。“彼女ら”にその言い訳は通用しまい。事が済むまで身を隠すが吉だ。非常に情けないことを考えながら真は立ち去った。

お馴染みのT字路。右を向く、誰も居ない。左を向く、クリア。次のコーナーへ向けて迅速克つ静穏に走ると、ナターシャ・ファイルスと出くわした。女子トイレ前である。

「あ」
「え」

彼女はホワイトのカジュアルパンツスーツ姿だった。真は目立たないようにと学園服を着ていた。女子トイレの前で壁に沿って歩いていた、何とも冴えない再会だった。

「ハァイ」
「……ナターシャ・ファイルス?」

なんでイレイズドの兵士がここに? とぼけを噛ます真だった。彼女は笑顔で言う。

「よかった。会えないかと思った。ところで何してるの?」
「……整理体操、かな?」


◆◆◆


何だからと場所を変えて楓寮の食堂である。真が自販機の前で彼女にこう言った。

「何にする?」
「年上に奢るなんて10年早いわよ。これぐらい私が出すわ」
「ドルは使えないよ」

納得とナターシャはこう言った。

「ならホットのココアで」

4人掛けのテーブルに腰掛ける。2人の目の前にはココアがあった。微笑を湛えるナターシャル。うぅむ距離感が掴みにくいと頭を捻る真。会話が長引くと彼女も俺も困ると、仕事の話をすることにした。

「ファイルス大尉。貴女が来ているとは思わなかった。シルバリオ・ゴスペルも持ってきてるのか?」
「その質問は個人として? それとも学園教師として?」
「どちらでも構わないよ。回答を無理強いしてないから」
「もう少し熱っぽく質問したら答えをあげる」

なら良い、と出かかったセリフをなんとか飲み込んだ。楓寮は2年3年寮だ。遠くの席に貴子の姿が見える、じっと見ていた。抜き打ちテストらしい。心中で脂汗を掻く、どうにかしてこう続けた。

「そう言うセリフを言う相手は慎重に選んだ方が良い。誤解する」少し引いてみた。
「誤解って誰が?」ナターシャは踏み込んだ。

えぅーと心中で泣く真だった。ここで“ごめんなさい、そう言うつもりはないの”と期待していたのである。貴子が親指を床に向けて“やれ”と言っている。優子ら何時もの面々も見える。どうしてあの人がここに居るのかと、さめざめ泣く真。

「俺さ。俺のような不器用な男さ。“ひょっとしてこの娘は俺に気があるのかも”と思ってしまう」

くすりと、ナターシャが笑う。しまったと心で舌を打つ。

「落ち着いて会話するのは初めてだけれど、貴方ってなんだかアメリカ人の様ね」
「そう?」
「日本人らしく奥手じゃない」

鋭い、と真は驚いて見せた。

「俺は十分奥手さ。態度は人によって変える」
「ふぅん。本気の相手には余裕がないっていうの」

流石イレイズドのパイロット。駆け引きが上手い、場数を踏んでいる……と真は作戦変更。

「見目麗しいパイロットさん、口説く相手は選んだ方が良い。俺に関わると碌な事は無いぞ」

事実その通りである。

「例えば?」
「俺と付き合うと……古い映画を一緒に見るはめになる」
「どれぐらい?」

真はつい乗ってしまった。

「80年代の映画さ。この時代のアクション映画は特に良い」
「アクション映画なんて単調よ?」

「それ今風の作品だけ見るからそう思うんだ。いいか? 古い映画を見ると今の映画と何が同じで何が違うか、それが分かる。例えばカーチェイス。歩道を走る、走行中Uターンして追って自動車に銃を向ける。ガソリンを積んだトレーラーが発砲で直ぐ爆発する」
「爆発の中から自動車が現れる」

「そう、まさにそれ。この辺は80年代から大して変わっていない。でも最近の自動車は温和しいね。大作映画ほど高級セダンや、スポーツ風のSUVが目に付く。昔のようにターボ・チャージャーやニトロなどそういう装置がない。スポーツカーすら出てこないんだ。予算ではなく青少年、世間への配慮だろうね。昔の映画にはこう言うやんちゃなところがあってそれが非常に……」

そこまで言って自分が何をしているか気づいた真であった。ナターシャはこみ上げる物を必死に押さえている。憮然としながら真はこう言った。

「構わないよ笑ってくれ。我慢は身体に悪い」

ケラケラでもなくアハハでもなく、くすくすと笑っていた。軍人らしくない、出身は良いところなのかもしれない、と真は仏頂面でそんな事を考えた。

「言っておいてなんだが、泣くまで笑わなくても良いだろう」
「ごめんなさい。貴方の姿と言動が一致しなくて。そんな一面があったたのね」

目尻に溜まった涙を指で拭うナターシャだった。

「放って置いてくれ。古いものは結構好きなんだ」
「悪いなんて言ってないわ。本は?」
「夏目漱石とか太宰治とか読む。知ってる?」
「聞いた事あるわ。シェークスピアはどう?」
「ロミオとジュリエットなら読んだかな。他の海外作なら“星の王子さま”」
「サン・テグジュペリね、彼の作品も素敵だわ。心に来る物がある」
「俺が読んだのは日本語訳だったけれどね。何時か彼の母国語で読んでみたいよ」

会話が弾む。気がつくと1時間は経っていた。

「ごめんなさい。もう行かないと」
「こちらこそ長く引き留めて悪かった。任務に戻ってくれ」

ナターシャが席を立つと、顔をを寄せてきた。囁くような声だった。

「貴方って不思議ね。誰と話してるか分からなくなる。教師? それともパイロット? それとも少年?」
「いずれも俺だよ。どの様に取ってくれてもいい」
「ならマコトと呼んでもいい?」
「ご随意に」

彼女はマコトに口づけをすると颯爽と去って行った。

「それじゃまた会いましょう。ナイトさん」

少しだけ驚いて彼女と別れた。口を右手で覆う。

「……まぁいいか」
「楽しそうで何よりだ」

千冬だった。背後の席にいた。振り返らず背を向けたまま話していた。真も同様に動けなかった。

「織斑先生。何時からそこに?」
「シルバリオ・ゴスペルがどうのこうの、と言う下りからだ」

ほぼ始めからである。脂汗を流しながら真はこう言った。

「織斑先生。ご用件が無ければ職員室に戻ります」
「連絡事項があります。蒼月先生」
「な、なんでしょうか」
「学園もバックアップとして赤騎士討伐作戦に加わることになりました。出撃の準備をしてください」
「分かりました。如何様にも」

千冬の握るココアのカップが割れて砕けた。

「蒼月先生は人気者ですね。エマニュエル・プルワゴン、エリザベッタ・オータム、ナターシャ・ファイルス。そして私の妹。正直迂闊でした、学園外でこれ程人気があるとは」
「人気があるなんてそんな」
「まだ居そうですね?」
「そんな滅相もありません」
「大事なお話があります。生徒指導室に来て下さい。これから」
「今からですか?」
「なにか?」
「いえ。何でもありません」
「さあ早く行きましょう。蒼月先生。教師は生徒の模範とならないと」

真はそのままドナドナされた。貴子たちは十字架を切ったり、合掌し拝んだりしていた。学園に悲鳴が響いたのは、赤騎士討伐作隊が学園を飛び立った、丁度その時だった。





つづく!

◆◆◆


広げた風呂敷を回収するだけですので、ぽんぽん進みそうです。






[32237] 06-06 赤騎士編(篠ノ之束)
Name: D1198◆2e0ee516 ID:4a0c6f63
Date: 2014/08/17 14:11
06-06 赤騎士編(篠ノ之束)


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総数48機の大隊は1編隊(2機編成)毎に順序発進していった。第1編隊を最初に第2編隊、第3編隊と続く。一夏は第25編隊だ。場所は第4アリーナのフィールド上である。第2形態である白式は注目の的だった。居心地が悪そうに一夏がいう。

『何で俺らが最後なんだよ』

真は違う意味で有名だった。第2ピットに隠れフルスキンを展開、通信越しでこう言った。

『俺らは予備(バックアップ)だからな。大隊に最後に登録された、それだけ。一応いっておくけれど一夏の第25編隊は単機登録だぞ、通信などで僚機とかいうなよ』
『分かってるって』

周囲の軍人に声が届かないように細めて一夏がいう。

『しかし真。それどうにかならないのか。話しづらい』
『しばらくの我慢だ。俺はあとからこっそりついて行くから』
『あいよ』

アリーナの観客席では学園の少女たちが大勢いた。見送りと見学を兼ねている。その中には静寐らの姿もあった。一夏が手を振ると彼女らも振り替えした。

「浮かれているな織斑一夏」

近づいてきたのはラウラだった。黒のタイトスーツではなく、ドイツ陸軍の軍服を着ていた。一夏はいう。

「ラウラは留守番組か」
「出撃には我がシュヴァルツェア・ハーゼの精鋭が当たる。私はバックアップだ」
「本音は部下に実戦経験を、だろ?」
「結構だ。だいぶ頭が回るようになった」

ふふん、と一夏は胸を張る。

「だが調子に乗りやすい性格はそのままだ。次はそれを矯正せねばな」
「……ラウラ。学園に戻るのか?」
「この作戦が終了次第、学園教師に復帰する。顔を洗って待っていろ」
「きゃー」

一夏の白式が翼を広げ大空に舞う。大隊全機出撃した。大空に消えていったISたちを見送りながらシャルロットが、心配を隠さない表情で言う。

「大丈夫かな」

ラウラが答えた。

「一夏と真がいる。あの二人でだめなら誰にも止められまい」
「ディアナ様たちはやっぱり?」
「教官たちの力は強大すぎる。この期に及んでも政治家は二人の威光が恐ろしいのだ」

ラウラは吐き捨てた。

一夏が飛ぶ空は高度32,000フィート。ジェット旅客機の巡航高度だ。見下ろせば雲と海。昼だというのに見上げれば星々が見え始めた。徐々に高度をあげる。通信が入った。

『よぅガキ。調子はどうだ』

オータムだった。一夏から見て方位020を飛んでいた。一夏は微ロールして見せた。

『異常なしです。オータムさん』
『上等上等、びびってねーな』
『これでも場数は踏んでますから』

オータムの機体はリヴァイヴⅢだった。姿はシャルロットや真のリヴァイヴに類似している。あえて言えばステルス性をあげるため鋭利なシルエットになっている、といったところだろう。

『リヴァイヴⅢあまりイメージ変わりませんね』
『この通信は一般チャンネルだからな、詳細は話せねえぜ』

大型のウィングスラスターが一対、機動性を敢えて犠牲にしスーパークルーズ(超音速巡航)を得ている。リヴァイヴⅢの基本戦術は中遠距離の精密射撃を利用した一撃離脱型。ブルーティアーズと類似しているが、実弾タイプ。実弾はナノマテリアルを用い射出後形状を変化、つまり軌道を変えることができる。フレキシブル(偏光制御射撃)ほど自在性はないが、フルオートで射出した全ての弾を個々ではなく群として制御できるのが最大の強みだ。

一夏は内心あきれていた。

(まったく見方にも戦力を隠すなんてよー)

見透かしたオータムがいう。

『まあ世の中そんなもんだ。ところで第25“編隊”は異常なしか?』
『ええ異常ありません』
『トレボー(大隊長)より各機へ。10分後に射程圏内に入る。おしゃべりはそこまでにしておけ。各機が持っている赤騎士のデータは過去のものだ。過度の信用はするな』

対流圏、成層圏、中間圏に熱圏、外気圏を超えて大気圏を脱出した。そこは宇宙であった。

「すげぇ……」

初めて見る大地の姿。茶と緑と白と、そして蒼。蒼はどこまでも蒼く、美しい球だった。正しく神の御業である。一夏は地球の美しさに心を奪われた。大隊の兵士たちも見惚れていた。我ここにあらず、といわんばかりだ。心を奪われるとはこういうことを言うのだろう

「宇宙飛行士が宗教に走るの分かる気がするぜ」

偵察のため先行した味方機から通信が入った。彼女ら2機は高機動パッケージを装備していた。

『イーグルアイより各機へ。赤騎士は未だ沈黙を続けています』
『トレボー(大隊長)よりイーグルアイへ。計画通り接近したのか?』
『はい。100メートルの距離まで接近しましたが身じろぎすらしませんでした。無視しているのか、敵性と思っていないのか、馬鹿にしているのか分かりませんがね』

大隊長は指示を下す。

『国際法に則って宣戦布告といこう。各機戦闘準備。遠距離装備を持っている第11から16編隊は射程に入りしだい派手にかましてやれ』
『『『了解』』』

オータムの所属する第11~16編隊が散開し戦闘陣形をとる。弧を描き横に並んだ。近中距離の編隊は2編隊ごとに逆Vの字隊形をとった。

『織斑一夏より大隊長へ。俺はどうしますか?』
『トレボー(大隊長)よりボーイへ。何もしなくていい。少年の出番はない』
『分かりました』
『わんぱく坊主と聞いていたが聞き分けがいいな』

一夏は離れて隠れているだろう真を意識しながらこう言った。

『俺は何もしなくていいんですね?』
『そうだ』
『ならそれは正常です。子供が戦争するなんて間違ってますから。頼みます大人の人』

敵を共有するとはいえ、しこりの消えなかった大隊の、緊張が和らいだ。作戦行動中だというのに笑い声さえ聞こえた。

『トレボー(大隊長)より各機へ。聞いたとおりだ、このくそったれな世の中は、そんなに悪くないと子供に教えるぞ』
『第2編隊、了解』
『第3編隊、了解』

次から次へと復唱がこだまする。

『第24編隊、了解』

偵察機が言った。

『射程に入ります』
『斉射』

12機が一斉に発砲した。荷電粒子と砲弾と、ミサイルが赤騎士に向かう。着弾と爆発。ISがISたらしめるエネルギー波が赤騎士に触れたとき、それは目を開いた。

もぞり。

『エネルギー反応増大!』
『各機散開! 寝起きに気を遣う必要はない! たこ殴りにしてやれ!』

遠距離編隊が味方に当たらないよう、繊細な技で支援攻撃を行う。近中距離部隊が発砲しながら接近した、その時だった。

赤騎士が翼を広げた。その開く途中ですら全員が息をのんだ。それはあまりに大きくて、あまりに偉大で。その力は地球全土を覆わんとするほどの大きさだった。栄光と誉れと力をなす存在。その瞳に映る姿、一夏が呆然とした。

「おい、これはいったい何の冗談だよ」

あまりにも巨大な異変、気配に気づいた真はECMシートを放りだした。高機動パッケージの破損にかまうことなくフルブースト。音速で空を駆け上った。

『一夏! 何があった!』

大隊が、訓練された兵隊が我を忘れている。恐慌状態と言ってもいい、作戦など忘れ恐れ戦くように飛び回っていた。恐ろしさのあまりでたらめに発砲し、味方へにも当たっていた。真の声で我に返った一夏はこう叫んだ。

「変な映像と声が頭に入り込んでくる! みんなそれでおかしくなっちまった!」
『変とはなんだ!』
「なんか変な祈りみたいな言葉だ!」

一夏はエネルギー無効化攻撃で、赤騎士に迫るが赤騎士のラウンドシールドに阻まれた。速力にものを言わし、残像が見えるほどに打ち込むが全て盾に阻まれた。

(見切られてる?!)

赤騎士がグラディウスを掲げ、常軌を逸した速度で打ち込んだ。

(やべえ、獲られる)

一夏がそう思った瞬間、30x173ミリ弾頭が音速の約3倍の速度、毎秒1,067メートルの速度でグラディウスの切っ先を弾いた。宇宙空間のため弾丸の速度が落ちないのだ。その威力で赤騎士がのけぞった。真である。一夏は赤騎士にけりを入れ、その反動で離れた。地球を背景に、みやがすくい上げるように強襲をかける。赤騎士は未来でも見えているような機動でその全てを交わした。

零落白夜発動。一夏が切りつけた。“弾丸を躱している”赤騎士に一夏が打ち込んだ、かすめる。赤騎士にダメージを与えた。赤騎士は超音速で離脱すると赤い翼を広げ、羽を模した光弾をまき散らした。シルバリオ・ゴスペルと同系統の兵装だ。ただその一撃は比較にならないほど大きい。光弾の直撃で、たった一発の直撃で、一機また一機、正気を失ったISたちが地球に落ちていった。その姿が一夏の逆鱗に触れる。

「てめぇはぁ!」

剣閃どころか光の帯のような打ち込みで、一夏が仕掛けるが全て躱され阻まれた。飛来する真の弾丸が赤騎士の肩を“弾いた” 攻撃が赤騎士に当たったり躱されたりする差が激しい。真はその疑問をしまい込み弾をばらまきながら言った。

「一夏! 何があった! これは一体どういう状況だ!」
「真は見てねえのかよ! あの姿!」

赤騎士がグラディウスから光弾を放つ。真は距離があったので余裕を持って躱した。攻撃と回避、防御を織り交ぜながら2少年が赤騎士をどうにかしのいでいた。

「姿とは何だ! 赤騎士の姿ならもう見たくない! 反吐が出る!」
「おまえにはあれが見えねえのか! 聞こえねえのか!」
「もういいい! 見たまま聞いたまま率直に言え!」
「とてつもなくでかい存在が座ってる! 周囲に24人のじいさんが居てその存在を囲んでる! その近くに4匹の化け物がいて、獅子と雄牛と! 鷲と人だ! その4匹は六枚の翼を持ってる!」

一夏の説明が真の記憶に引っかかる。真はそれを知っていた。書物で読んだ内容だ。だがなんだ。真は記憶のをあさりながらアサルトライフルで牽制、一夏が切り込んだ。躱される。また翼を広げ光弾をまき散らした。残存兵力が50%を切る。もっとも戦闘可能の戦力は一夏と真だけだ。

「一夏! 祈りみたいだって言ったな!?」
「だからどうした!」
「それを言え!」

一夏は零落白夜を構えて切り込んだ。

「“今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、わたしはアルパであり、オメガである”って言ってる!」
「……ヨハネ黙示録?」

大隊が恐慌状態。赤騎士の影響で何らかの精神異常を起こしたのは間違いない。だが一夏は見え聞けるが異常がない。真に至っては聞くことすらできない……赤騎士の意図を見抜いた真はこう叫んだ。

『逃げるぞ一夏! 今すぐ退却、撤退だ!』
『馬鹿言うな! 仲間を捨てられるかよ!』
『このままでは俺たちもやられる! 全滅だぞ!』
『そんな理屈知ったことか!』

『おいガキ! 真の言うとおりさっさと逃げやがれ!』

オータムだった。ガタガタと体を震わせていた。目も開けられず恐れていた。かろうじて機動力を保っていた。

『オータム貴様は無事か!』
『へっ、神様あいにく信じないたちでね。それでも不信心さがたりなかったけどよ!』
『オータムさん! さっさと逃げろ!』
『このガキが。逃げるのは……おまえらだって言ってんだろ!』

オータムがスラスターを噴かし赤騎士にどうにか向かっていた。本来の機動力など出ていなかった。オータムがそばをかすめようとする白式に体当たりをかけると、弾き、真がワイヤーアンカーで一夏を絡め取った。

『真! てめえ何しやがる!』
『オータムすまない! 借りておくぞ!』
『早く退けっつってんだろ!』

真はオーバーヒートを厭わずに、一夏を抱え地球に向かっていった。一夏の目に、落ちてゆくISが映る。

「ちくしょぉぉぉぉぉぉ!!!」

一夏の叫びは宇宙に消えていった。


◆◆◆





きたりませ、きたりませ


聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者にして主なる神


きたりませ、きたりませ


昔いまし、今いまし、やがてきたるべき者


きたりませ、きたりませ


すべての神の僕たちよ、神をおそれる者たちよ


きたりませ、きたりませ


小さき者も大いなる者も、ともに、われらの神をさんびせよ


きたりませ、きたりませ


おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、受くべき報いである






これが第二の死である






真たちが学園に戻ったとき、学園全域を防護するエネルギーシールドが展開されていた。アクティブセンサーが使えなくなる程の強力なシールドだ。頭上には巨大な赤い翼、天を覆わんほどに広がっていた。精神波を遮断するための処置だ。真は一夏を連れて学園最外層に降り立った。先ほどまで暴れていた一夏も今は落ち着いていた。壁に取り付けられた電話機でディアナを呼び出した。

『真?』
『ディアナ。ゲートを開けてくれ』
『部隊は?』
『俺たちだけだよ』
『……3番ゲートを使いなさい』

待ち構えていたのは千冬とディアナだった。ナターシャや専用気持ちの皆も居た。真がディアナに問う。

「学園の皆に影響はないな?」
「今のところは。けれどシールドを臨界運転してるからあまり持たない」

一夏が割り込みディアナに言った。

「どの位ですか」
「3~4時間というところ。これ以上はフィラメントが焼き切れる」

千冬が言った。

「赤騎士の、精神への影響は世界中に及んでいる。シールドを持つ政治的軍事的施設は事なきを得ているがどこも状況は同じだな。人類が保つのは最大6時間だろう」

一夏が聞いた。

「シールドのない人たちはどうなってる」

ラウラが答えた。

「兵たちと同じだ。みな恐慌状態になっている。恐れ泣いて、まるで懺悔のようだ」

一夏が真に言う。

「真。あれは何だ。一体どういうことだ」
「一夏。おまえの見たとおりだ。赤騎士は人の脳に直接信号を送って神を見せている」
「映画見るようなもんだろ? それがどうしてああなってしまうんだ」
「映画なんてそんな生やさしい物じゃない。知覚で、精神でその存在を感じさせられているんだ。世界人類は今まさに罪と罰に面している」

「そうだとして、なんでああなってしまうんだ。オータムさんの言っていた不信心さが足りなかったってどういうことだ」
「神という概念は教会とか神像にあるだけじゃない。神と死という概念は太古から続いているんだ。風習、習慣、人の行為全てに入り込んでいる」

「赤騎士の精神汚染から世界の人たちを救う方法は?」
「ない。神に弓を引くというのは普通の人間には不可能だ。馬鹿の一夏と人ではない俺は別にして。あと真性の凶人か」

ラウラたちが何のことだと真を見た。千冬とディアナ、楯無から表情が消える。一夏が真に言う。

「ならこれからどうする」
「今考えてる」
「考えるのはおまえの役目だ。早く何とかしろ。今この瞬間でさえ皆は苦しんでる。それこそ死にかけるほどだ」
「分かってる」

とにかく戦力がない。ISのシールドで防げなかった以上どの機体でも同じだろう。通常兵器が聞かないのは周知の事実だ。打つ手がない。真耶からエマージエンシーコールが入る。

『アメリカがSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)を撃ちました!』

空の一点に強烈な火の玉が、核の炎が上がる。直撃を受けた赤騎士は健在。赤騎士は衛星軌道上を縦横無尽に駆け抜けて、翼を広げる。翼から光が集まり光弾となった。グラディウスを掲げ、振り下ろした。赤騎士はLEO(低軌道)から光弾を撃ち込み、急速潜航している途中の原子力潜水艦を破壊した。その余波は核を上回る熱量で、遠く離れた日本からでも観測できるほどだった。

赤騎士はそのままハワイ上空に陣を取り再び、グラディウスを振り下ろした。光弾がハワイ諸島を焼き尽くす。その熱量は正しく神の怒りを具現化した攻撃であった。

立て続けに起こった殺戮に呆然とこう言った。

「真、今ので何人死んだ」
「ハワイなら100万人以上居るはずだ」

一夏が真の胸ぐらをつかんだ。

「お前がモタモタしているせいで!」

ラウラが割って入った。

「冷静になれ織斑一夏。真は責められる立場にない。それはおまえにも分かっているはずだ」
「ラウラ! 俺らは普通じゃないんだ! こういう時のために居る存在なんだ!」

真が真耶に言う。

「山田先生。赤騎士が次弾を撃つのにかかる時間を予想できますか」
『測定したエネルギー量から計算すると、3~4時間です』
「世界中を焼け野原にするのにかかる時間は?」
『……七日間です』

一夏がどういうことだと真に詰め寄った。

「赤騎士は異能者たちの為に作られた。異能者たちの楽園を作る為に作られた。だが人々は彼らを拒んだ。つまり、」
「異能者でない人たちを殺す、ってことか」

沈黙が訪れる。ハワイを焼き尽くした炎が世界中をおそうのだ。数万人も生き残るまい。一夏は白式を展開した。

「黙ってみていられねえ! 俺はもう行くぜ!」

一夏がゲートに向けて飛び立った。真が本音に言う。

「本音、スパナ」
「はい」

真が振りかぶってスパナを投げると回転しながら一夏の頭に当たった。

「へぶっ」

加速中に当たったため、バランスをずらし地面に突っ込んだ。どどどと地面をかけながら真に詰め寄った。

「真てめえ! 考えなしで邪魔するつもりかよ!」
「俺たちは赤騎士の最後の切り札だ。それを考えなしで不意にするつもりか」
「なら今すぐ出撃するぞ! さっさとみやを展開しやがれ!」
「IS48機で討伐しようとした相手だぞ、俺らでも勝てない。無理だ」

シャルロットが割って入った。

「真の異能を使うってどう?」
「高速機動中で触れるのは無理だ。腕が吹き飛ぶ。それに赤騎士を癒やしたのは俺、向こうも警戒してる」

事実、赤騎士はみやを警戒していた。距離をとっていた。

「じゃあどうするんだよ! 黙って見てろってのか!」

真はやれやれとこう言った。案を考えついたのである。

「非常に気が進まないが、作った本人に協力を仰ごう」
「あん?」

真が千冬に言う。

「千冬。篠ノ之博士に連絡する手段を持っていないか」
「通信機を持っているが、着信拒否にされている」

箒が一歩踏み出した。

「私のがある」
「悪いが貸してくれないか。篠ノ之博士と話がしたい」

千冬が真に言う。

「束の説得なら私が引き受ける」
「俺がやるよ。嫌っている相手ならこれ以上嫌われないって安心するだろ」
「しかしだな」
「幼なじみの絆ってのは世界を超えるんだぜ。大丈夫、篠ノ之束はどんな状態にあろうとも織斑千冬に嫌われたくないって思ってるさ。千冬がそう思っているように」

ディアナが真のほおを引っ張った。一夏がいまいちよく分からないと言った表情でこう聞いた。

「箒、俺に嫌われたくないって思ってるのか?」
「自分で考えろ、馬鹿もの」

一夏の発言に苦笑しながら、真は箒から携帯電話機を受け取った。超一級の機密に該当する会話となろう、千冬、ディアナ、一夏以外の者は離れてもらった。ワンコールの後ハイテンションな声がした。

『もすもす終日~はぁい、みんなのアイドル篠ノ之束だよぉ~』
「蒼月真です」
『……』
「切るのは話を聞いてからにしてください」
『話すことなんてないね。鏡を見ていいな』
「赤騎士を止めたい」
『知ったこっちゃないねえ』
「知っているのだろう? 一週間で世界が灰燼と化す。それがあなたの望んだ結末ならば最早何も語るまい。だがそうでないならば我々には手を組む余地があるはずだ」
『敵の敵は敵だよ、手を組む余地なんてないね』
「ゲートストーンを渡すと言ったら?」

ディアナと千冬が詰め寄った。真は制止した。一夏は何のことだと立っていた。束の協力を得られないならば世界が終わるのである。ゲートストーンを後生大事に仕舞っていても意味がない。もちろん敢えて言う必要はなかった。

『その嫌らしい頭で何を考えた?』
「とりあえずこっちに来たらどうだ。顔を見ながらの方が話は進む」

千冬がつぶやいた。

「……妙に仲がいいな」

しばらくすると学園外に弩弓エネルギーの反応があった。そのあと人体反応がある。束がテレポートで現れた。真は一夏を連れて、束を学習棟の屋上に招くと、缶のホットココアを差し出した。束が真に言う。

「いらないよ」
「毒は入ってないよ」
「あんたから差し出された物なんか飲むもんかい」
「意地を張るとは、世紀の大天才にしてはずいぶん可愛いところがあるんだな」

むか。束は今にも飛びかかろうとする衝動を抑えて、真から缶をひったくった。一夏とシンクロしてぐびと飲む。真がフェンスに体を預ける。肩越しに見下ろすと煉瓦道に備え付けてあるベンチに千冬の姿が見えた。腰掛け箒も居てなにやら話していた。

「用件をさっさと言うんだね。言っておくけれど私はあんたのことなんか嫌いだよ」
「知ってる、だからこそ契約が成り立つんだ。俺らの間には純粋な利害しかない」

真はココアを飲んだ。胸を張り足を開く、じっと束を見据える。

「篠ノ之博士、赤騎士を止めたい。協力してくれ」
「その見返りがゲートストーンというわけかい。世界をただせばお前は消える。自分が消えてしまっても、構わないというのかい?」
「構うに決まってるだろ。けれどほかに手段がない、仕方ない。ただ心残りがあるから一つだけ聞きたい」

一つ間を置いて真は束にこう言った。

「篠ノ之束。この状況は、世界の破滅はあなたが望んだ物か?」
「説教かい、50人近く殺した人間が」
「説教ではない、俺にその権利はない。仮にそうしたとしても、貴方が世界を正せば説教という存在が消える……そうだな?」

束はぴくりと眉を動かした。

「世界を再構築するのだから何をしても良いのだろう? その事実が消えてしまうのだから。仮に今ここで貴女を陵辱したとしても」

真は束に近づき見下ろした。束が恐怖で息をのむ。逃げたりしなかったのは己の正当性を保つためだ。かろうじて視線はそらさなかった。真が言う。

「貴女の理屈ならそれが成り立つ、気づいていなかったとは、嫌だとは言わせないぞ、篠ノ之束」

束の服はナノマシンの構築物だった。真は肩に触れるとナノマシンたちに自壊指令を出した。一糸まとわぬ姿になった束は、羞恥のあまり抱くように背中を丸めしゃがみ込んだ。

懇願するように束は真を見上げた。今まですがった物を否定したくない、間違っていたと認めたくない、その一心であった。束は声を絞り出した。

「居場所を求めること、それが間違いだというのかい、私たちはただ静かに眠れ場所がほしかっただけなのに」
「貴女には手を差し伸べる人が居たはずだ、それを振り払ったのは貴女だ」
「坊やに何が分かる」
「分かるさ、俺も一つに縋って全てを捨てた。俺も何度も間違えた。だが俺は差し出された手を掴んだ。貴女はどうする」

一夏が学園服の上着を束にそっと掛ける。一夏にこう言った。

「いっくんは箒ちゃんとやり直したくない?」

一夏はにっかり笑っていった。

「俺らは必死こいて、血反吐吐いて、それを越えてここに立ってんだ。そこのスケベな相棒が言ってたぜ、因果とは時間、人の心は時の流れの中にある。俺も同意見だ。やり直せるなら今の俺らの行動はなんだよ? 世界をやり直すなんて人の心を踏みにじる行為、そんなこと認められない。神様ですら」

「ならいっくんは何のために戦うんだい?」
「ダチとの約束ですよ。2人で守る、そう決めた」

一夏が手を差し出した。束が立ち上がる。真が促し、フェンスまで招いた。見下ろすと千冬と箒が見えた。二人は心配そうに見上げていた。束の胸裏に二人との思い出がよみがえる。その思い出を消してしまいたくない、束はそう感じた。束と、千冬と、箒。3人の視線が絡み合う。束は大きくため息をついた。不敵な笑みを見せた。

「蒼月真。何から何まであんたの手のひらの上ってかい、気に入らないね」
「まさか。対価は払っている、貴女がしてきたように」
「まあいいさ。赤騎士を倒さずに止めると言った真に免じて協力しよう」
「貴女に感謝を」
「皆を集めな、スピードが命だよ」

束は千冬と箒の元へ帰って行った。







つづく!

◆◆◆




[32237] 06-07 赤騎士編(最後の戦い)
Name: D1198◆2e0ee516 ID:4a0c6f63
Date: 2014/08/18 20:38
06-07 赤騎士編(最後の戦い)


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“束を剥いた理由をいってみろ”
“だから篠ノ之博士の協力を促すためだ”
“理由になっていない”
“映画でよくやるだろ。いい警官と悪い警官が尋問するあれだ”
“一夏が良い警官で真が悪い警官か。どうしてお前は汚れ役ばかりやる”
“一夏にさせるわけにはいかないだろ”
“少しは私のことも考えろ!”
“すまん”
“謝ればそれで済むと思っているだろう……”

という千冬と真のやりとりのあと、真は皆をハンガー集めた。頭部に小突かれた痛みがなぜか残る。皆の前で真は頭をさすりながらこう言った。

「各国は赤騎士に対して打つ手なしだ。一夏と俺を除く全ての人間が、赤騎士の精神攻撃を受けてしまう。織斑先生、リーブス先生も例外じゃない。残念ながら撃墜された大隊の救助すらできない。我々も非常に厳しい状況に立たされている。皆に意見はあるか?」

沈黙が支配するなか真が束を見た。束が仕方ないねとこう言った。

「精神波に限っていえば、水の中が比較的安全だけれど、水中じゃ攻撃できないねえ。水中から衛星軌道上に居る赤騎士を狙うにはミサイルしのみ、この距離じゃ回避はたやすい」

真が束に言う。

「篠ノ之博士、」
「その呼び方は好きじゃないねえ」
「のっしー」
「はたくよ」
「なら束と。赤騎士の弱点はないのか」

千冬ら一同が見つめるなか束はこう言った。

「ない。それ故の騎士」
「ならスタンダードでいくしかない」

一夏が真に聞く。

「なんだよ、そのスタンダードってのは」
「相手より先に攻撃する、回避されたら攻撃を許さないように攻撃する、それでもだめなら回避か防御を行う。倒される前に倒す、単純なセオリーだ」

神妙な顔で一夏が言う。

「赤騎士のあの光弾、威力はでかいが隙きが大きい。接近さえすればそれはどうにかなる。だけどよ、真。赤騎士は見切りがすげえぜ? あれをどうにかしないと攻撃のしようがない」

一夏の疑問を引き継いで、真が束に問う。

「その事だが、束。赤騎士の見切りも精神感応技術を応用したシステムだな?」

束は満足そうに頷いた。

「及第点だね。そう、赤騎士の精神感応攻撃は大きく分けて二つ。一つは、不特定多数にイメージを送ること。神のイメージを送っているのはこれさ。そしてもう一つは狙いをつけた相手の精神を読むこと。ただし読む場合は一人だけに限られる」

一夏が言う。

「同時攻撃しかねえな。同時に読めないなら片方は当たる」

真が答えた。

「だが俺の攻撃(物理弾頭)と一夏の攻撃(零落白夜)では威力差がありすぎる。赤騎士は恐らく一夏の零落白夜を重視するだろう。俺の攻撃は敢えて食らってでも一夏を狙うことは十分に考えられる、一夏が落とされればジ・エンドだ」

真が束に問う。

「一夏と同程度の、少なくとも脅威になる攻撃手段が必要だ……束。何か持っていないか?」
「無茶言うんじゃないよ。ドラえもんじゃないんだ、そうそう都合よく出てくるもんかい」

一夏が真に言う。

「一番威力がでかい真の兵装というと、黒釘(120ミリ戦車砲)か?」
「威力だけ見ればそうだがあれは“振り”が大きい。これから撃ちますよと言っているものだ。機動力と攻撃力を考えると30ミリ狙撃銃しかない」
「心許ねーな」
「しかたない、手持ちの武器でやりくりするほかないな。束、白式とみやの調整を頼みたい。機動システムを大気圏内外用に調整してくれ」

ハンガー区画は大盛況だった。まれに見る大天才 篠ノ之束の業を一目見ようと、整備課のみならず操縦課の生徒すら詰めかけた。やいのやいの、わいやわいや、かしましい。束は不機嫌そうにこう言った。

「見せ物じゃないよ、全く」

真が言った。

「まあそうふてくされるな、後輩の育成も先達の務めだ」
「ぶつぶつ」

一夏が腕を組んで首をかしげる。

(なんかこの二人仲良いな。異能者同士、ひねくれ者同士馬が合うのか? そういえば好きの反対は嫌いではない、って誰かが言ってた……まじか)

んにににと一夏が真をにらむ。虚が反重力ハンガーの中心に白式とみやを置いた。虚が束に言う。

「篠ノ之博士、2機を展開します」
「さっさとやっとくれ」

ガントレットとネックレス。2機のISがまばゆい光を放ちその巨躯を表した。騒がしかったハンガーに静寂が訪れる。シンと静まりかえっていた。白式とみや、2機の形が変わっていたのだ。

白式は一対のウィングスラスターが3対、計6枚になっていた。鎖帷子といい、前垂れといい、シルエットも鋭利で中世の美しい騎士甲冑を彷彿とさせる。まるで武装熾天使だ。

問題なのがみやである。同じ黒なのは変わらないが、そのシルエットを大きく変えていた。戦車を彷彿とさせる面を用いた物から、甲虫のような有機的なラインを描いていた。パイロットはスーツ状ではなく全身を鎧で覆っていた。膝関節がなくなり、巨大な二本のスラスターに置き換わっていた。背中にも身の丈もありそうな2機一対のスラスターがそびえている。腕は3対、6本あった。一番の問題はヘルメットだ。ドクロ形状の面鎧が前、左右と3つあった。眼窩には眼が赤く光る。簡単に表すなら、黒の有機的な悪魔的な西洋甲冑を纏った、阿修羅像である。

言葉を失う少女たち。流石のディアナも声が出ない。千冬は壁に頭を打ち付けていた。一夏がいった。

「おい、この阿呆」
「なんだ馬鹿」
「どこからどう見ても悪役キャラだでぶぅ」

真が拳をねじ込んだ。真は少し涙目だった。

「悪役なんかじゃないやい。ダークヒーローといえ」

俺は現実主義者だ、見てくれなど二の次で良い。ドクロマークなんてトムキャットからの伝統だ、そう自分を慰めていた。凹む真の姿、笑いながら束は2機の調整をしていった。

騒ぎを聞きつけたセシリアがぽつりと呟いた。

「質が形に反映されたのかしら……嘘、嘘です。真、殿方がそう簡単に泣くものではなくてよ」

一夏がいった。

「セシリア、もう体は良いのか?」
「ええ。おかげさまで」

しゃがみ込み、頭を抱えて、涙目の真がセシリアを見上げた。

「セシリア?」
「真、先ほど本国から電報が届きました」
「それで、どうだった?」
「問題ないですわ」
「そうか」

二人のアイコンタクト、真が立ち上がる。一夏は不安に駆られこう言った。

「おい。二人とも、何を企んでる」
「この間言ったことだ、マドカとセシリアそして俺。すべて解決する手段だよ。ディアナ、マドカを連れてきてくれ」

ディアナが静かに頷いた。千冬が人払いをした。連れてこられたマドカは、ディアナの糸で拘束されていた。両手を糸で繋がれまるで咎人のようである。セシリアと真の姿を認めると、マドカの相貌が暗く光った。一足飛びの距離、真がマドカにこう言った。

「一応聞いておきたい。俺のことを諦めるつもりはないか?」
「真はその女を諦める?」
「こう言っては何だが、“皆”を受け入れる事もできる。一夏のように」
「私は一番でないと嫌」
「そうか」

真はディアナに「彼女の拘束を解いてくれ」と言った。ディアナは「いいのね?」と念を押した。真はセシリアを見る、セシリアもまた笑みをたたえて、ほんの少し寂しそうに頷いた。

真はセシリアに向き合い、彼女を軽く抱きしめた。マドカが襲いかかろうとしたが、千冬とディアナが黙ってみていろと気迫で警告していた。渋々従う。

「セシリア、時が来た」
「ええ」
「毎日が眩しかった。眼を開けられないほどに。ほんの些細な事すら幸せだった。夜の沈黙ですら、満ち足りていた。側に居る、それだけで幸せだった。一瞬一瞬が奇跡だった、その一瞬を大事にしたかった、してきた。でも俺らの間に花が咲くことは無い、夢の時間は終わったよ。君と俺の道は別のものだ、今まで本当にありがとう。セシリア・オルコットと蒼月真の時間は今を持って終わる」

セシリアも精一杯の笑みを見せてこう泣いた。

「感謝をするべきなのは私の方です。枷られたこの身には、何物にも代えがたい時間でした。星々と同じぐらい感謝しても足りないぐらい、今まで本当に幸せでした。この美しい思い出は私の生涯の宝物です。今まで本当にありがとうございました」

二人は一歩離れた。セシリアは涙を流しながら、それでも笑みを浮かべ立っていた。真は傅いた。セシリアは、スターライトMk3を量子展開、傅く真の右肩に置いた。セシリアが言う。

「主とミカエル、聖ジョージの名において」

スターライトMk3を今度は左肩に置く、そうしたらまた右肩に置いた。

「そなたを騎士に叙する」

真がこう宣言した。

「騎士ならびに学園教師として正義を守ることを誓う」

二人が何をしたのか、それを悟ったマドカは崩れ落ち、嗚咽を漏らし始めた。千冬は神妙な表情で、祝福して良いのか、どうしたら良いのか分からない顔で立っていた。一夏は歩み寄りこう聞いた。

「つまり、どう言うことだってばよ」
「あの2人は主従関係になった。セシリアは真を守るため、真はセシリアを守るため」
「もうちょっと優しく」
「下級とはいえ騎士は爵位、爵位を持つ物を追えない。イギリスからの追求は正式に無効となったわけだ。セシリアは真の罪を背負うと決めた。いままでの関係を終わらせて」
「……マドねえが泣いたのはなんで?」
「2人は最も愛する者と結ばれる、この未来と決別した、永遠にな。真にとっての一番になるという、マドカの望みは断たれた、もうマドカに術はない」
「……別れたのと違う?」
「すこしな」

一夏の頭から湯気が出る。真が立ち上がると、こう言った。

「一夏いくぞ」
「お、ぁ、おう」
「束、準備は良いか?」
「兵装は適当につけておいたよ。主兵装は30ミリ狙撃銃だけれどこれで良いのかね」

セシリアがスターライトMk3を差し出した。

「真。これをお持ちなさい」
「何から何まで、感謝の言葉も無い」
「私のナイトなのですから、当然です」
「そうと決まればちゃっちゃとみやにインストールしよう。いっくん、真。搭乗しな」

二人が飛び立っていく。少女たちは歓声を上げて彼らを見送った。束は背を向けたまま、千冬にこう問うた。

「ちーちゃん、どうして私じゃなくてその女(ディアナ)なの?」
「束。私はお前の信頼が、好意が辛かった。私も誰かに寄りかかりたかった。でもお前はそれを許してくれなかった」
「そっか。ごめんねちーちゃん」

立ち去る束の後ろ姿、ディアナが言う。

「引き留めないの?」

千冬はじっと見たままこう答えた。

「既にあいつは救いの手を掴んだ。もう私に出来る事は無いさ」

泡を吹いてひっくり返っているサラ。千冬は少女たちにサラを任せると、泣き崩れているマドカを背負い歩き出した。二人は学園本棟に戻っていった。


◆◆◆


LEO(低軌道)領域を一夏と真が飛翔する。大気圏の最外層で低~中軌道の人工衛星が走る道だ。

真は新生みやの性能をチェックしていた。スーパークルーズ(超超音速巡航)と複数のマニピュレーターによる同時オールレンジ攻撃。腕は計六本。左腕をL、右腕をR。前から順番に一番二番三番と振る。己の腕を突っ込むマスタースレーブ・マニピュレーターはL1とR1だ。左右とも二番三番は左側の顔と右側の顔が制御する。

兵装確認。

“みや -Deep Striker-”
L1:アームガード&ワイヤーアンカー,サブウェポン
R1:スターライトMk3
L2:爆導索
R2:ジャマダハル(プラズマ・ブレード)
L3:対空亜光速ミサイル・ランチャー
R3:20ミリ・ガトリンク砲

スターライトMk3は臍部にあるムーバブルフレームを介し固定されている。右腕のみでも発砲可能だ。

“白式 -Palatin-”
サード・シフトを迎えた白式は加速に磨きがかかっていた。瞬間最大加速は倍の120G。0.5秒で音速に達する脅威の加速力。エネルギー貯蔵量も増し、戦闘時間も大幅に長くなっている。ただ遠距離攻撃がないのは相変わらずである。

対単騎用の白式、対多数騎用のみや。簡単なテストと模擬戦。二人が準備を終えるとモニターしていた束が通信でこう言った。

『月面基地から一発だけ援護する。射軸上に居たり巻き込まれたり馬鹿な真似はするんじゃないよ』

真が聞いた。

「荷電粒子砲か?」
『光子力砲だよ』

物質もシールドも光子でできている。光子がぶつかれば、原子崩壊が起こり対象を破壊する、というわけだ。一夏が言う。

「束さん、どうして一発なんですか?」
『こちとら固定砲台だからね、赤騎士には奇襲以外通用しないさ』
「大丈夫なんですか? 動けないのに」
『ふっふっふ。馬鹿にしてもらっちゃ困るねいっくん。ここは篠ノ之束謹製の月面基地だよ。ちょっとやちょっとの攻撃で壊れやしないさ』

真が束に何となく聞いてみた。

「その武装の名前はあるのか」
『よくぞ聞いてくれた。その名も“アーマゲドン(最終攻撃砲)”だよっ!』
「赤騎士の対地攻撃兵装の名は?」
『アポカリプス(黙示録砲)』
「どうしてそう聖書に絡めるんだ」

一夏が言う。

「格好良いからいいんじゃね」
『そーそー』
「最近聖書と関わりが多いんだよなー」

ハイパーセンサーに赤騎士をとらえる。きらめく星々を背景に赤騎士は立っていた。まるで地球に立つ巨人のようだ。探るような視線を感じて一夏が雪片弐型を構えた。

「やっこさんもお待ちかねってわけか」

真が言う。

「まあ、待ち構えていたのだろうな」
「作戦は?」
「正攻法だけだといっただろ。一夏、お前の強運だけが頼りだ」

赤騎士から多数の光弾が飛来する。赤騎士の通常攻撃だ。それでも山を吹き飛ばす程の威力を持つ。散開、一夏が吠え真が応える。

「俺らの、だろ!」
「違いない!」

第一手。一夏が爆発的な加速で赤騎士に迫る。零落白夜発動、斬りかかった。猪武者め、真は笑いながら、亜光速ミサイルを撃った。赤騎士は着弾時間を計算し、ミサイルを先に迎撃する事にした。赤騎士も手の内がばれている事を理解していたのである。赤騎士の光弾がミサイルに当たる直前、真はミサイルをリモートで爆破した。爆風で赤騎士に目が眩む。フィィィンという白式の機動音が高鳴る。爆風に紛れ一夏が切り込んだ。赤騎士はラウンドシールドで防ごうとするがわずかに遅かった。一夏がすれ違いざま赤騎士を切り払う。ダメージを受けた赤騎士は距離をとる。

真が叫んだ。

「ハレルゥーヤッ!」

一夏がいう。

「宗旨替えかよ!」
「機械仕掛けの神にでかい面させるか!」
「同感だぜ!」

赤騎士が一夏と真に精神波(イメージ)を送る。一夏には千冬と静寐。真にはセシリアとエマ。乗り越えている一夏には無意味だったし、受信できない真には効かなかった。

第二手。赤騎士がマントを翻すように赤い羽根の光弾を撃ち放った。一夏が慌てて距離をとる。真が20ミリガトリンク砲を撃ちながら援護する。スターライトmk3も織り交ぜた。実弾をばらまき、赤騎士を動かす。フレキシブル(偏光制御射撃)を併用し一夏の踏み込みやすい位置に誘った。

一夏が吠える。

「ソニックブレイド!」

読まれた一夏の一撃は、赤騎士の盾に阻まれはじき飛ばされた。

「あれ?」
「空気がないんだよここは! ソニックブームなんて発生するか!」

真がガトリンク砲で一夏の離脱を援護する。姿勢を直した一夏が零落白夜を打ち込んだ。赤騎士の注意が一夏に向く。これはフェイントだ。真、左腕の二番腕、爆導索を赤騎士の体に巻き付けた。ズズズズズンという爆発の連鎖。閃光が走る。

真が叫んだ。

『いまだ!』

月基地から大量のエネルギーがほとばしる。光の渦が赤騎士を吹き飛ばした。防性力場との反発でプラズマが溢れた。赤騎士は健在だった。

「うげ」一夏である。
「だがダメージはあった」

一夏がいう。

「なら押し切るぜ!」

第三手。真はその判断に迷ったが、一夏の言う通り押し切りどころだと決断した。一夏はゼロブートイグニッションで押し入った。真はフレキシブルを巧みに使い、一夏あるいは自身の体を陰にして光弾を撃ち込んでいった。赤騎士の機動力は確実に落ちていた。

(いけるのか?)

戦況は優勢だ。用心深い真の目にもそう見えた。だがこの嫌な感じは何だ。心のアラームが鳴りっぱなしだ。

第4手。一夏が赤騎士に迫ると赤騎士の瞳が光った。一夏はてんで別の方向に切り込んだ。赤騎士は一秒前の自分の位置を一夏の精神に送り込んだのである。真は自分をののしった、赤騎士はもっと単純だと思っていたのだ、否。赤騎士は単純だと思い込ませていた。策士が策におぼれた。

赤騎士は一夏の右手、利き腕をつかみ肉体構造上曲がらない方に曲げた。

「がぁっ!」

一夏の悲鳴がコミュニケーターに突き刺さる。

「一夏を放せこの野郎!」

第五手。真はスターライトMk3を連射、それぞれの光弾が弧を描き赤騎士の背後に襲いかかる。赤騎士が翻し一夏を盾にする。それは真の読み通りだった。放った光弾が漏斗のように逸れていった。左腕一番、ワイヤーアンカー射出。赤騎士の首を絡め取った。ワイヤーで拘束しつつ、赤騎士に迫った。

赤騎士は一夏を放り投げ、グラディウスを向けた。光弾を撃ち出す。この機は逃さない、真は被弾を覚悟で突進した。ワイヤーを繰りながらガトリンク砲を打ち込んだ。爆導索 破損、ミサイルランチャー破損、赤騎士と近接した。右腕2番、ジャマダハルを突き込んだ。赤騎士の、ラウンドシールドを持つ左腕を切り落とした。

電子の悲鳴が上がる。

赤騎士はワイヤーを利用し、振り回し、切断。真の拘束から逃れた。真の残った兵装はスターライトMk3とジャマダハルである。無茶な使用でガトリンク砲は破損した。爆導索とミサイルは余っているがランチャーが被弾している。新兵装とスターライトMk3が量子格納領域を圧迫し、他の武器はない。

『一夏! 無事か!』
『へっ、蚊ほどにも感じねーよ』

そういう表情には脂汗が浮かんでいた。バイタルデータを見ると右腕が折れている。

(どうする?)

一夏の折れた右手では剣を振れまい、左腕では正確に振れまい、超高速機動戦闘では致命的だ。零落白夜が封じられた。万事休すである。赤騎士が翼を広げ無数の羽を撃ち出した。被弾、ダメージ発生。真は機動力の落ちた白式を援護しつつ、自分も回避。更に被弾、ダメージ発生。

みやがアラームを鳴らす中、プランが浮かぶ。無謀だ、だがこれしかあるまい、真はこう叫んだ。

『一夏! 俺がやつの足を止める! 何とかして零落白夜をぶち込め!』
『何とかってどうやるんだ!』
『決まってるだろ!』
『また下らねえこと考えたのか!』
『逡巡してる暇はない! いくぞ!』
『くそったれが!』

みやがスラスターを噴かす。最大速力だ。黒と赤の光が螺旋を描きながら宇宙を塗りつぶす。戦火が散った。何度か目の交差のあと、赤騎士のグラディウスが、みやの、真の左肩に食い込んだ。その一刀が肩が、胸、腹に到達する。

「ぐぁ!」

真は痛みを無視、右手で赤騎士の右手を拘束する。赤騎士の機動を封じた。

「雄々々々々々!」

一夏が零落白夜を左手一本で赤騎士の腹に打ち込んだ。エネルギーの対消滅で虹色の光を放った。赤騎士が停止した。推進系に損傷を負ったみやは地球に落ちていった。

「俺より先に帰るんじゃねえ!」


◆◆◆


真が落ちたのは太平洋、伊豆諸島青ヶ島だった。一夏が真を見つけたとき、真は浜に上がって仰向けに寝ていた。右腕を庇いながら一夏は歩み寄る。真は目を開いていた、青い月を見上げていた。

「よう、一夏」

一夏は目を剥いた。真の肩から腹に到達する傷、血も無くはらわたも無く、灰色の一様な組織が見えていた。人の体では無い。おまえ、それ。一夏は何とか声を絞り出した。

「俺、死んだんだ。ナノマシンが俺を作り替えた、この様さ。血も流れない、涙すら流せない。人に似た他の何か」
「……」
「今の俺が前の俺と同じだと俺にも証明できない、自信が無い。代謝も止まっているから、俺は永遠にこのままだ。皆と同じ時を生きられない」
「……」
「セシリアともマドカとも片がついた。あの4人が、皆が気になるけれど“戦死”が一番収まりが良い。学園のために。不死なんて騒動の元だ」
「……」
「唯一の方法がお前の零落白夜。ナノマシンの活動が止められる。俺は止まる」
「分かったぜ、真」

一夏は雪片弐型を左手で持つと、逆手で刃を向けた。

「言い残すことは?」
「ベッドの裏にエロ本がある、処分してくれ」

二人は苦笑した。

「他には?」
「タブレットにピクチャーデータがある、消去してくれ」

二人はあははと笑った。

「他にはねえな?」
「一夏、愛してる。キスしてくれ」
「タマまでなくしやがったか」

二人はゲラゲラと笑った。

さあさあとさざ波が聞こえる。

「トトは勇敢にも魔女に飛びかかり、お返しにその足を噛んだ。噛まれたところから血は出なかった。あまりに邪な魔女だったので、もう何年も前に血が干上がってしまったのである」
「なんだそれ」
「オズの魔法使いの一節」
「童話だろ、そんな物も読むのか」
「部屋に文庫がある、後で読んで見ろ」
「そうする」

「さよなら一夏」

「さよなら真」

突き立てた刃は真の首をかすめて、砂浜に突き刺さっていた。

「……できるか、この阿呆」
「すまん」








つづく!
◆◆◆












次回最終回!





[32237] 最終話 新しい家族(On Your Mark)
Name: D1198◆2e0ee516 ID:4a0c6f63
Date: 2014/08/20 08:37
最終話 新しい家族(On Your Mark)


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一夏と真の戦闘終了後、太平洋のあちらこちらに艦艇が向かっていった。衛星軌道より落下した討伐大隊の兵を救助する為である。その規模は大きく、アメリカ軍、ロシア軍、中国軍、オーストラリア軍、日本自衛隊はもとより東南アジアの軍隊も救助に向かった。各国が利害なしに協力した数少ない事例であった。

幸いなことに戦死者は居なかった。ISの致命領域対応の加護である。オータムは試作機故の、過剰に安全マージンを取った作りの為かすり傷程度で済んだ。

“何が神だ! アーメンハレルヤピーナッツバターだ! Fuck,Fuck!!”

と、溜まりに溜まった鬱憤を手当たり次第にぶつけていた。デュノアコーポレーションの技術主任、ジャン・ビンセントがその的にされたのは言うまでも無い。

一夏と真の救助には海上保安庁の艦艇が向かった。

“織斑一夏、蒼月真ともにかすり傷なし。戦闘の規模から考えると不可思議な現象だ”

と医師は記録を残している。

待ち構えていた日本政府の高官が一夏と真の事情聴取に当たった。フランスでの出来事はさておき、赤騎士に関してのみ行われた。赤騎士戦は地上から観測された詳細なデータがある、それと差異が無いと分かった高官は、とりあえずと二人を解放した。

貴重な三次移行(白式)と二次移行(みや)を経た機体である。下手に追求し海外に移籍されるのは国家的損失というわけだ。

二人が学園に戻り一夜が経った。国に帰ったセシリアを除き、ラウラが戻り、鈴が戻り、一夏と真も戻った。海外籍の生徒はまだ帰国していないが時間の問題だ。そう前向きな少女たち、お帰りなさい会を開いた。

賑やかな柊の食堂。清香が音頭をとる。

「一夏たちの帰国と他のみんなの帰国も期待して!」
「「「かんぱーい!」」」

パパパンとクラッカーが鳴る。

「「おー」」

一夏と真はふぬけまくっていた。二人には“真の体”の事と“フランス暗殺事件”という難問が残っていたからである。赤騎士事件の脅威が去り、早々に先進各国が追求してきた。日本政府と学園がその対応に当たっているが、旗色はよくない。真にすれば成り行きに任せるしか無かった。敵対勢力を暗殺しようものなら国際的に一層厳しくなるのは明白だ。

根明の清香が、オレンジジュースの入った紙コップを持ちながら一夏と真に言う。もちろん一般的には知られていないし大半の学園生徒もそんなことは知らなかった。知る必要は無いのである。

「ちょっとー。主賓の二人がそんなんで困るー」
「「おー」」
「学園の明日は俺たちが守る! ぐらい言ってよねー」
「「まもるー」」
「だめだこりゃ」

会が終わると夜も更けていた。疲労でラウラは先に寝ている。真が職員用マンションに帰ると、潜んでいた束に気絶させられた。スタンガンの様な物であった。

翌朝。目が覚めると、真は妙な感触に襲われた。柔らかくて暖かくて、ただよう香の匂い。この感触は間違いない、裸の女だ。だが覚えの無い香り。ゆっくり目を開けると束が居た。何のつもりだこいつ……と真はゆっくりベッドから起き上がった。となりのベッドにはラウラが寝ている。ラウラを起こさないよう細心の注意を払う。どうにも体のバランスがとれない、それを不思議に思いながら、真は束にこう言った。

「おい、起きろ。篠ノ之束」
「ふにゅー」
「なにが“ふにゅー”だ。年を考えろ24歳」
「真に年を言われたくないね、37歳」

真が部屋につり下げたカレンダーを見ると、千冬、ディアナが決めた誕生日、12月25日はとうに過ぎていた。もうじき年越しである。

「誰に聞いた。年齢とか誕生日とか」
「アレテー」

余計なことをと、舌を打つ真であった。

「そんなことはどうでも良い。男の寝床に忍び込むなんてはしたないぞ、大天才」
「おや。お気に召さなかったかな? 結構自身あるんだけれど」

と、胸を寄せてあげる。思わず唾を飲む。

「そういうことじゃ無い。何の脈絡も無いのは困るんだよ。男にも都合がある」
「そうかい? こっちは元気そうだけれど」
「これは朝だからだ!」

思わずシーツをたぐり寄せる真だった。

「この状況の説明を求めます父上」

ラウラが起きていた。騒げば当然の結果だった。ラウラはパジャマを着てベッドの上に四つん這いになっている。威嚇と不信の表情だったが、寝起きで鋭さも半減していた。

「勘違いするなラウラ。俺も知りたいんだよ。朝起きたらこの女が居たんだ」
「まさか私が隣で寝ているというのに行為に至るとは。知りませんでしたそのような特殊な趣味をお持ちとは」

束が悪戯めいた瞳でもたれ掛かり、抱きついてくる。真は必死に押しのけようとした。うまく押しのけられない。なぜだ、左腕が効かない、と真は押し倒された。

「待てラウラ。落ち着けラウラ。とにかく話を聞いてくれ」

ドドドと廊下を走る音がする。それは複数で走る荷馬車の様な音であった。脂汗を流しながら真はラウラを見る。

「レーゲンを介して教官たちに通告しました」
「さすが素早い対応だなー」

ババンとけたたましい音を立てて扉が開いた。鍵を壊す程の勢いで、ジャージ姿の千冬とYシャツ一枚のディアナが立っていた。言うまでも無く鍵を壊したのは千冬だ。二人ともすっぴんで、髪の毛も乱れている。裸で抱き合う束と真。ベッドの上。どう見ても釈明不可能である。

「もしやと思ったが、そういうことか」千冬である。
「次から次へと、節操が無いわね真」ディアナである

「……話を聞いてくれるか?」
「「却下」」
「だよね」

千冬は往復びんた。ディアナは糸で真をふん縛る。芋虫の様に床を這いつくばる真を踏んで、ディアナがこう束に言った。

「篠ノ之束、これはどういう心変わり? 男を漁るなんて趣味、なかったわよね?」
「おや? 人は変わるんだよ。そんなことも知らないのかい?」
「その変わった理由を聞いてるのよ」

束は立ち上がると、ディアナをにらみつけた。鼻先が触れかねない程で二人はにらみ合っている。

「真には世話になったからね、その恩返し」
「体で払うっての? ずいぶんと俗っぽくなったわ」
「失敬だね。そもそも男関係であんたに言われたくないよ、この愛欲の女神。それとも淫靡のヴィーナスって呼ぼうかい?」

三文紙の見出しを飾った低俗な、言われ無き二つ名である。真がそんなこともあったのか、という目でディアナを気の毒そうに見る。彼女はこめかみをひくつかせてこう言った。

「言ったわね、このビア樽女」
「その大きさじゃ、真も不憫だね」
「挟めれば良いのよ、束のなんて無駄に大きいだけだわ」

バチバチと火花が散る。なんか話がずれてきたぞ、と真が割って入ろうか思案していた時である。千冬が真を見て「左腕が無い」と呟いた。

「「あ」」

ラウラとディアナも気がついた。真は立ち上がり急ぎ鏡を見る。確かに無い、左腕が無い。左頬の傷も首元の傷も元通り、跡が残っている。一体どうやって、と言う表情で真は束を見た。束がこう言った。

「ナノマシンたちを説得したのさ」
「説得?」

ナノマシンの存在理由は自己保存、自己複製。それが極まり不死に至った。だがもう一つ方法がある。それは遺伝だ。子が孫が、ナノマシンを継げば安定して存在が保存される。

束が胸を張って言う。

「代を重ねる毎にナノマシンの活動も大人しくなっていくだろ。子孫が大勢存在すれば良いんだからね。これで体も元通りって訳さ」

真は信じられない、とこう言った。

「それはありか」
「何を言っているんだい、ミトコンドリアも同じような物じゃ無いか。これで皆と同じ時間を生きられるよ」

真は力が抜けて、絨毯に座り込んだ。あははと笑いながら泣く。しんみりする女性陣。束は真に抱きつき、首に腕を回し艶っぽい笑みでこう言った。

「さ、真。理解できたらさっそく子作りしようか」
「待て。どうしてそうなる」
「ナノマシンたちを説得した手前もあるし、一人も飽きたし、真には借りもあるし、私もいい年だしね。良い頃合いだよ」

びぃぃんと糸がなった。ディアナであった。

「そんなの認めないわ、そこに直りなさい、篠ノ之束。解釈してあげる」
「あっれー、真を治してあげたの何処の誰?」
「いい? 泣き虫で、意地っ張りで、身勝手で、そんな手間のかかる真の面倒をずっと見てきたのはこの私! 後からしゃしゃりでてこないでくれる!?」
「まだフランス事件の後始末が残ってるね? そのためにも私は居た方が良いと思うけれど?」
「……」

ぐぬぬと悔しさを隠さないディアナだった。千冬は友が戻ったと笑っていた。いい年をして騒ぐ3人娘をみてラウラは、

「やれやれ」

といった。


◆◆◆


あれから2ヶ月がたった。もう少ししたら二年生になる、そんな春先の少し暖かい日だ。難問だった二つの大問題も片が付いた。真の体は元に戻ったし、フランス事件は束さんがたくさんのコアをちらつかせて事なきを得た。

「えぐえぐ」

束さんは学園の技術主任という肩書きで住み込むことになった。俺らをはじめとした戦力と大天才の技術力でIS学園は盤石だ。先進各国も敵対するより協調した方が良いと思ったらしくこれから沢山の生徒を送り込むらしい。再来年から整備課は倍増だ。予算も倍増。

“国って手のひら返すの早いんですね”と何気なく呟いたらリーブス先生が“国は大なり小なりあくどい事をやっているから後ろめたいのでしょう”と身もふたもない事を言う。

「えぐえぐ」

世の中は相変わらずだ。赤騎士の精神攻撃で一時はキリスト教徒が爆発的に増えたけれど、あっという間に落ち着いた。千冬ねえ曰く“罰で人を動かしても持ちはしない”って。諸手を挙げて同意した。可愛い弟への罰もやめてほしいって言ったら、弟は別勘定だと殴られた。横暴である、まったくもって横暴である。大事な事だから二回言った。

「えぐえぐ」

赤騎士は束さんがこっそり回収した。今頃月基地で長い眠りに入っている。赤騎士は指示に従おうとしただけだ、悪い事をしたと束さんは何度も謝っていた。凍結処理には真も立ち会った。済まないと真も詫びたらしい。

「えぐえぐ」

マドねえは、観察付きで学園生徒になった。来月から一年生だ。今ではずいぶん落ち着いていて普通に話せる。ぎこちないけれど真とは普通に挨拶を交わす仲だ。いつか皆で一緒に遊びに行ければ良いと思う。

「えぐえぐ」

教頭先生が今度辞職する。力尽くでフランス事件をもみ消したのだけれど、形式上でも学園が身を切る必要があったからだ。“新しい風が必要だ”と教頭先生はそう言って、いま引き継ぎをしている。新しい教頭先生はリーブス先生だ。他の先生たちは真っ青な顔をしていたのが少しおかしい。千冬ねえは大丈夫だと言っていたけれど“真耶、お茶”、“はい教頭先生”というやりとりを見るにあたり不安でならない。

「えぐえぐ」

ラウラも戻ったし、鈴も戻った。他の海外組の仲間も戻った。残念ながらシャルはフランスに戻った。大きな声で話せないけれど、シャルは俺の子供を身ごもっている。復学は無理だと千冬ねえに殴られた。シャルのお父さんには殴られなかったけれど、自分で稼ぐまで門はくぐらせないと言われた。全身全霊を持って大人になろうと決意奮起するしだいである。

「えぐえぐ」

セシリアはこのあいだ結婚した。オルコット家の血を絶やさないためだ。続いたトラブルに女王陛下が不安になって結婚と相成った。政略結婚という奴である。相手は貴族の偉い人らしい。招待状が送られてきて俺も旦那に会ったけれど良いやつだと俺は感じた。責任感と実力と、人の上に立つにふさわしい人物だ。そいつは真との事も知っていて、それを知った上でセシリアを受け入れた。真もそれを感じ取ったらしく、がっしりと握手していた。

俺は“式に行くのやめれば?”と行ったのだが。“けじめだ”といって真は聞かなかった。式の帰り、立ち寄った酒場で真はえぐえぐ泣いていた。まあそうだろうなと思った。二日目まだ泣いていた、予想通りと思った。三日目、そろそろ止むかなと思った。四日目、五日目、六日目。まったくけじめが付いてない。

「えぐえぐ」
「おい、この阿呆。いつまでえぐえぐやってんだ」
「えぐえぐ」

本日をもって一週間目である。桜もそろそろ咲こうかという、小春日和。もうすぐ先輩だと皆が話し合っている。いつもの柊の四人がけテーブル。相も変わらず真は湿っぽい。はっきり言おう。

うぜぇ。

俺は制服を新調した。前のがもう着られないからだ。背もだいぶん伸びた。真も同様だ。少しずつ大人になっている。なのに。

「おまえ、ほんとーに成長しないんだな」

ぴくりと真の体が振れた。

「分かってんのかお前。来月には蘭たち新入生が入ってくんだぜ。そんなんで教師がつとまるのかよ」
「切り替えはしてる……えぐえぐ」

これで仕事中は真顔に戻るから、まあたいした物だと思う。

「そんなに引っ張るならどうして追いかけなかったんだよ」
「俺にも彼女にもすべき事がある。残念だけどその道は違う。彼女の幸せを願うさ。えぐえぐ」

涙と鼻水垂らしながら言っても全然格好付かない。真の立場はちょっと微妙だ。オルコット家付きの騎士。でもIS学園所属。さらに外国人。セシリアのスターライトMk3もそのまま拝領した。少しも揉めたそうだけれど、女王陛下が取りなしたらしい。

“やっちゃった物はしかたないじゃない”

おお。話分かるぜ女王陛下。

「そう思うなら、しゃきっとしろよ。しゃきっと」
「ふん。ハーレム築いてる一夏には分からんさ。静寐とか鈴とか、たくさん囲みやがって」

このやろう、人が下手に出てればいい気になりやがって。でもこらえる。俺も大人になったからだ。

「女友達から始めれば良いんだよ。落ち着いて周りを見ろ、心配してくれる人はたくさん居るぜ?」
「たくさん?」
「おう。たくさん」

千冬ねえとかリーブス先生とか、生徒会長とか。ほら離れたテーブルに箒が座っている。そわそわと、せわしない。きっとあれだ“お前には私が付いてるぞ”とか言う気だ。おぉ、いちゃラブの予感。

「むりだもん。セシリア以上の人なんて居ないもん」
「箒だ。箒とつきあえ」
「馬鹿だなー。鳶に油揚げみたいな真似、彼女がするか」

うっわー。こいつ言い切りやがった。しかも聞こえる位の声で。ほらみろ、箒がそわそわからぷるぷるし出した。惨劇の予感。

「なら誰なら良い」
「おれ教師だもん。生徒は無理だもん。千冬たちはとは年の差があるし」

何かと理由をつけやがって。俺は立ち上がると、こいつの襟首つかんで引きづった。ずるずると音がする。

「おい一夏。どこへ行くつもりだ」
「ナンパだよナンパ。湘南行くぞ」
「俺はそんなに切り替え早くない」
「だまれ。お前みたいな奴にはガールフレンドが必要だ。さっさと次を見つけろ」
「本心は?」
「しけた面つきあわされる俺の身にもなりやがれ」

ずるずると柊を出る。しばらく呆けていた真はこう言った。

「まあ外の空気を吸うのも悪くないか」
「湘南のあの茶髪の子、フリーだと良いな」
「俺は黒髪の子が良い」
「だめだ。お前に繊細な子は無理。豪快か天然どっちか」

あれ? なら千冬ねえはだめだな。と思ったとき、頭を殴られた。見知った威力で、慣れた角度で。45度みたいな。問題なのは目の前が真っ暗だと言う事だ。おぉ、頭が地面に埋まっている。ずぽっと頭を抜いた。

「千冬ねえ! 何するんだよ!」

と見れば千冬ねえは両手を組んでバキボキとならし、腰を抜かした真を見下ろしていた。

「真。一つおもしろい事を教えてやろう」
「いえ。結構です」
「私とて男性に惹かれる事もあった。思春期に恋い焦がれた事もあった。だがその都度誰かさんが頭の中に現れて罪悪感を植え付けた。おかげで今まで恋愛経験なしだ。どうだ面白いだろう。女の生涯台無しにしてくれて、外の空気を吸う? おもしろい事を言う」

「マジ済みませんでした」

両足そろえて、頭をつけて。おぉ、真。見事な土下座だぜ。

「残りの生涯を苦行に捧げる覚悟でございます。ですから……」
「ほう」
「失礼しました!」

真は逃げ出した。

「逃さん」

捕まった。

「顔を貸せ」

と襟首捕まれてずるずると引きずられていった。ばかだなー、真。千冬ねえから逃げられるわけ無いじゃん。

「た、す、け、て、く、れ、い、ち、かー!」

ドラえもんかよ。

「一夏。ちょっといい?」

おぉ。マイハニー静寐登場。いつ見ても可愛いぜ、とか言ってみたい。そのうち言う。

「織斑先生と真ってどういう関係? この間呼び捨てにしてたし」

うぅーむ。疑問に思うのはもっともだ。だけれど言えないし、言ったところで信じてもらえないかもしれないし。唸っていたら、清香がこう言った。

「これは怪しい。スクープの予感」

おいおい。

「皆の者続けぃ!」
「「「おー」」」

どやどやと後を追う女の子たち。おもしろそうだからと俺も付いていった。


◆◆◆


千冬ねえが向かった先は、学園本棟の職員室だ。生徒としてはあまり行きたくない場所である。千冬ねえは扉をがらっと開けて、最奥に向かっていった。そこには引き継ぎ作業をしている、教頭先生とリーブス先生が居た。騒ぎに教頭先生が怖い顔をする。

「これは何の騒ぎですか織斑先生」
「教頭先生、是非お話ししたい事があります」
「話?」

千冬ねえは真の首根っこつかんで、教頭先生に突き出した。

「私の夫です」
「「「え」」」

猫の様な顔をする真。そのうちジタバタと両手両足を動かし始めた。千冬ねえが言う。

「年齢は達していませんが、確定事項です」

真が慌ててこう言った。

「教頭先生、これは誤解です。不幸な意見の相違です。嘘ではありませんが本当でもありません。しかるにこの場合本当ではない、とするべき所存と考えるに至ると考え、」

千冬ねえは鼻先が触れんばかりに顔を近づけてこう言った。

「真、私は嘘を言っているか?」
「……言っていません」

あ、観念した。側に立つ真耶先生の様子を伺いちらっと見る。真耶先生はあははと愛想笑いをした。

「前々から変だとは思ってたんですよ。織斑先生は蒼月先生にだけ優しいところがありましたし」

教頭先生は目頭を押さえていた。

「調査して他に該当者が居なかった、その結果を見てまさかと思いましたが」
「「「えー!!」」」

驚き桃の木、なんとやら。大合唱の女の子たち。

「うそ! うそうそうそ!」
「まじでまじでー」
「千冬様と真がぁ? しんじらんなーい!」

……いっか、まあいいか。今更変な奴連れてこられても困るし、一発殴って勘弁してやろう。弟として。がっくりと脱力する真、恐れ入ったかと何故か鼻息荒い千冬ねえ。リーブス先生が颯爽と真に抱きついてこう言った。

「教頭先生、私たち恋仲です。結婚前提の」
「「「えーーーーーー!!!!」」」

訂正。三発殴る。火花を散らすリーブス先生と千冬ねえ。

「どういうつもりだディアナ」
「一人だけ幸せになろうなんて許さないわよ」

うふふ、おほほ。

「教頭せんせー。私も私も」

生徒会長も乱入である。先生たちは固まっていた。無理も無い。真は逃げる様に床を張っていった。みっともねえ。

「真」

箒登場。SATUGAIタイムである。採光の欠いた瞳で真を見下ろしている。

「真、一緒に死んでくれ」
「はい?」

一閃、真はかろうじて避ける。ヒュンヒュンと箒は打って真は避ける。

「ちょ、箒! それ真剣だろ! しゃれになってない!」
「真、血を大地に蒔いて共に地に帰るのだ!」

目が逝ってる。

「わー! 箒が壊れたー!」

追いつ追われつ、まさに修羅場。うぅむ、これはおもしろい。俺が笑っていると、背中をつつかれた。振り向けば愛しの女の子たち。ざっとモーゼにように分かれると、その奥にシャルが立っていた。あれ? いつ来日したんだ? ひとこと言ってくれば迎えに行ったのに。

「皆さん始めまして。シャルロット・ディマです。双子の兄、シャルル・ディマがお世話になりました」

シャル、それは無理が無いか。

「へー、双子なんだ」
「そっくりだねー」
「ふーん」

ほら、信じてないし。

「ねえ一夏」とは静寐。
「これ、ナニ?」は鈴で。
「……」簪だ。

ナニって? シャルは少し膨らんだおなかをさすりながら。

「ご挨拶なさい。パパですよー」

俺は逃げ出した。

「いぃぃぃいちか! 妊娠させるなんて! 聞いてない!」
「孕ますなんてどういうことよ、コラァ!」
「死んで死んで死んで」

静寐、鈴、簪の順である。俺はとにかく逃げた。皿とかシャープペンシルとか、はさみが飛んできた。危ない、でもまだかわい気がある。鈴と簪なんかIS展開して襲ってくるもんな……洒落になってねぇ!

「「「まてー!!!!」」」

アリーナ、運動場、体育館。森のなか林のなか、学園中を駆け抜け、回り回って真と合流。真が走りながら言う。

「何だ一夏! お前もか!」
「人の事言えんのかよ!」

ぴょんと水飲み場をユニゾンで飛び越えた。学習棟の屋上に束さんが手を振っている。ラウラと本音もいた。メンタル・モデルのみやも居た。あれ? あの銀髪の女の人は誰だ? ……まさか白式? とかよそ見をしていたら、龍砲(衝撃波)が飛んでくる。春雷(荷電粒子)が飛んでくる。命からがら逃げているのに真は笑っていた。

「何がおかしいんだよ! この阿呆!」
「帰れるところがあって、心配してくれる人が居て! 馬鹿をやれる友達が居る! これほど幸せな事があるか!」
「違いねえな!」

「「「まてーーー!!!!」」」

真は笑って言った。俺も笑っていたと思う。

「同僚は全員女!」
「クラスメイトは全員女!」
「逃げるぞ一夏!」
「よっしゃあ!」

そらに太陽と月が浮かんでいた。











おしまい。


◆◆◆


長い、長かった。100万文字超えてますよ。処女作がずいぶんな大作となったものです。履歴を見ると初投稿が今は亡き二次ファンで2011年12月23日ですよ。イブイブに何をしているのかと(汗 

Heroesはこれでいったん終わります。続きか外伝か、はたまた他の二次かオリジナルか分かりませんが、機会があればまたお付き合いのほどをお願いいたします。

最後に。何はともあれ完成できたのはお付き合い頂いた皆様のおかげです。本当にありがとうございました。


2014年8月19日 D1198







【どうでも良いぼやき】
実はこの後も話としては考えていたのですが、テンポの都合あえて載せませんでした。結末は皆様にお任せいたします。サブタイトルを見ていただければ想像は付くかと思います、ハッピーエンドで良いと思いますよ。

どうしてもという方。
Heroesは3次SS、全く問題ありません。お待ちしております。


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