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[31770] パートナー ~竜使いと竜殺し~   (異世界現代ファンタジー)
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2013/06/21 09:23



十二歳の誕生日、この世界の全ての人間が生まれたときから持っている卵が孵る。
姿は異形のモンスター、しかし彼等は人と一つの命を共有する双子にして、能力を分け合う相棒。
故に彼らの呼称は『パートナー』。
唯一無二の隣人だ。

平凡な人生を送ってきた水城歩もまたその日を迎えた。
ぴくりとも動かない卵にやきもきしたが、生まれてきたのは最上級のパートナーである竜。
竜使いは最高の栄誉であり、将来は約束されたも同然だ。
しかし歩はそんなことは考えず、ただ目の前の幸運に感動していた。
一方で、奈落に落ちるものもいた。

五年後、両者の運命は交差し始める。

そんな少しずれた人間が住む現代風異世界ファンタジー。






*不定期更新

*小説家になろうにも投稿中



[31770] 幼竜殺し 0-1 第二の誕生
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/04/28 13:03
 序章



 水城歩は、病院の薄暗い廊下を歩いていた。
 消灯時間も過ぎているため、硬質ゴムで覆われた足元を照らす光は青白い無機質なものしかなく、深夜の病院は一層怪しく見えた。ほの暗くしか照らしていないのは、蛍光兎の毛でできたフィラメントの中でも、細いものを使っているせいだろう。

 蛍光兎。
 間違いなく最も人類に飼われている生物だ。その毛は電気を通すと多種多様な色で光を生み出し、夜の帳を軽減してくれる。気性もおとなしく、人とうまく共存できている好例だ。ペットとしての人気も一番だ。

 そうこう考えている内に、ようやく薄暗い廊下を抜けることができた。大きく開かれた戸を目の前にし、歩はほっと息をついた。

 やはり、夜の病院は怖い。板張りの廊下に反響するコツコツという自分の足音すらも、歩の背筋を冷たくした。必死で色々なことを夢想して、ようやく戻ってくることができた。

 どうして十二歳の誕生日にこんな思いしてんだよ、とひとりごちりながら外に出る。
 外に出て向かう先は、玄関からすぐそこにある建物。学校にある物置を大きくして三つつなげたような、長方形の建物だ。オーソドックスな四角形の窓と戸が一つずつ付いており、そこから光が燦々と漏れ出している。大型の蛍光兎からとったフィラメントなのだろうが、先程までの薄暗い光とは段違いだ。

 ひんやりとした寒々しい風に身を強張らせながら、早足で駆けこむ。
 入った先は、手前から数えて三つ目の部屋。

「大丈夫だった? 道中ちびらなかったか? いや、ちびったから一人でトイレ行ったのか。夜の病院なんて怖くてなんぼだから、仕方がないよ。お姉さんに白状してみなさい」
「……なんとも母親らしいお優しい言葉で」

 迎えて第一声は、母親のなんとも心温まる煽り文句だった。
 肩にかかる位の黒髪を後ろで軽く縛っており、スーツと相まって活動的な印象を受ける。ただ顔に浮かべているにやついた笑みのせいで、多分に意地悪な印象がした。
 彼女の名前は、水城類。歩の母親だ。

「っていうかお姉さんってなんだ? それを言うなら、おばさんだろ?」
「おばさんって誰のこと? ここには可愛らしい女の子が二人とクソガキしかいないんだけど」
「何が女の子だ。一児の母で三十路越えが、女の子ってどうよ」

「あら、年齢なんてのは目安に過ぎないのに、見た目でしか事を測れないなんて。お姉さん悲しいわ。そんなガキに育てた覚えはない!」
「母親が女の子とか言ってんの流すほうが子供としては悲しいわ! 言ってて悲しくなんねえのか?」
「全然。十代の子にナンパされる内は立派な女の子でしょ」

 確かに類の見た目はお化けの類だ。一緒に歩いていると、類のことを知らない友人から、どうやってこんなお姉さん捕まえた云々聞かれるのが定番となっている。
 だからといって母親の女の子発言は、息子にとっては違和感しかない。

「年甲斐もない。それに十代の『子』って完全にババア目線じゃねえか」
「あら、そりゃ年季が違うからね。いい年のとり方をすると、女の子といい大人の両立はできるもんよ? 覚えておきなさい、馬鹿息子」

「何いってんのかわかんねえよ、クソババア」
「あら、なんて口の悪い! 誰に似たのかしら」
「間違いなくお母様にございます」
「あの、喧嘩は……」

 声のほうを向くと、そこには歩と同年代の、正真正銘の女の子がいた。
 
 うつむきがちにこちらを覗っている彼女は、能美みゆきというらしい。昨日、類から「家族増えたから」といきなり紹介された。これから類が彼女の親代わりになるらしく、仲良くするようにと言われたのだが、それからまだ二十四時間もたっておらず、いまいち会話できていない。

 ちらりとみゆきを覗った。
 長い黒髪は艶やかで、怯えた様子には似つかわしくないきりっとした眉が美しい。その下の瞳は薄めの茶色なのだが、左目はどこか灰色がかって見えた。全体に華奢なつくりをしており、美少女というにふさわしい姿だと思った。会話をしてもいまいちはずまないのは、歩がどぎまぎしてしまうせいもある。

 彼女はおどおどとしながらも、華奢な両手で大事そうに『卵』を抱えていた。
 それが歩達が深夜の病院にいざるをえない、諸悪の根源だ。

「喧嘩じゃないよ。しつけしつけ。ごめんね、うちのガキ、しつけがなってなくて」
「親子喧嘩とも言わないか?」
「あんたが引けばいいのよ」

 言い合いが再開するかと身がまえたが、みゆきがびくつきながら割って入ってきて止まった。

「あの、私、余計なことしました……?」
「全然ないよ。しつけにも飽きてきたところだから」
「そんなことないよ。むしろありがたい位だよ。ありがと」

 いい加減類のことは放置して、みゆきに声をかける。
 怯えるみゆきに声をかけずにはいられなかったのだが、やはり気恥ずかしさが先に来てしまう。肩を縮こまらせている彼女を見ると、どうかリラックスしてもらいたいのだが、上手く言葉をかけられなかった。悔しさばかりが募る。

「そもそも私いないほうがいいんじゃ……? 十二歳の大事な誕生日なのに」

 十二歳の誕生日。生まれた時から持っていた卵が孵化する大事な日だ。今病院にいるのは、卵の孵化は指定された病院で迎えることになっているからだ。
 そこから様々な姿の『パートナー』が生まれてくる。

「そんなことないよ。居てくれてうれしい」

 卵の孵化は『第二の誕生』とも呼ばれるほど大事なイベントだ。それを迎える今日は確かに楽しく過ごしたい日ではあるが、別に身内だけで過ごししたいわけではない。母親との煽り合いで迎えるほうがどうかとも思う。

「こんな口の悪い息子だけど、よろしくね。それにしても誰に似たのかしらね」

 相変わらずの母親にツッコミたいと思ったが、みゆきを見て思い留まる。
 何かみゆきも参加できる話題はないかと考えていると、すねに何か柔らかい感触を感じた。
 目線を下げると、身体をすりつけてくる白猫が見えた。甘えるような動作で、愛らしいことこの上ない。

「どうした、母さんになんかされたか?」
「ひどいな。流石の私も『パートナー』にはしないって。なあミル」

 ミルと呼ばれた猫はにゃーんと鳴いた。どこか品のいい声音は、パートナーの片割れである母親とは似ても似つかない。
歩はため息をつきながら言った。

「どうしてこんな落差あるかな。片や口うるさいおばさん、片や洗練された美しい猫。『パートナー』にこんな差があるもんかね」
「それを今日あんたは知るんでしょ。さっさと済ませてくれないかね、仕事たまってるのに」
「俺にはどうしようもないんでね」

 歩はちらりと視線を移した。
 そこにあるのは歩の『卵』だ。なめらかな表面には傷一つない。歩が生まれた時から傍に置いていた割に、まるで傷ついていないのはいつ見ても不思議だ。

 この卵からどんなパートナーが生まれてくるのか。

「早く生まれないかな。この際なんでもいいから」
「あら、竜がいいとか昔は騒いでたもんなのに。今日、夢で見たんだ! 僕、竜の背に乗ってた! とかさ」
「何年前の話してんだよ」

 小さい頃の話を持ち出すあたり、やはりクソババア。竜に憧れるなんて、この世界に住んでるやつなら皆そうだろう。

「もうキメラ以外ならなんでもいいや」
「不埒なやつめ。フラグになっちゃうぞ?」
「俺、迷信とか興味ないんで」
「迷信を迷信と断じちゃうなんて、まだまだ子供だね~」
「あ、あの」

 みゆきが話に入ってきた。こころなしか先ほどよりも顔色が青ざめている気がする。

「キメラって、その、どんなのなんですか?」

 ようやく話ができそうだ。歩は慌てつつ、表面上はおだやかに取り繕って言った。

「色んなのが混じった感じ。一般的なのは頭が獅子で胴はヤギ、尾は蛇とかかな。聞いたことない?」
「は、はい。そ、それで何か悪いことがあるんですか?」

 こころなしか青ざめた

 すこしためらってはいたが、パートナーに関しての興味は躊躇に勝るようだ。
 類が内心嬉しく思いながら答える。

「生まれる前から色々考えるのも、まあ不埒なことなんだけどね。キメラは特殊だから」
「どんなですか?」
「他の人の『パートナー』を食べて、その能力を手に入れられる、っていう能力。いわば同族殺し」
「……なるほど」

 青ざめていた顔が一層青くなっているように見えた。嫌な想像が頭の中を駆け巡っているのだろう。
 慌てて歩は補足する。

「まあ実際誰も見たことはないけどね。おとぎ話の類だよ」

 勇気を出して、みゆきにすっと近寄ってみる。
 みゆきは一瞬身体を強張らせたが、歩から身体を遠ざけるようなことはしなかった。
 歩は明確に拒否されなかったことに安堵しつつ、みゆきの卵に視線をあわせて言った。

「どう? 生まれそう?」
「あ、いや、わかんない……」

 そりゃそうだ、自分も全く分からないのに。
 自分の質問があまりにも馬鹿らしかったことに気付き苦笑しながらも、再度会話を続ける。

「そりゃそうだね。馬鹿な質問だったよね」
「いえ、その……」
「じゃあさ、どんなパートナーがいい?」
「えっと、その。生まれてきてくれればなんでも……あ、でも、やっぱり、その、キメラは。って、あ……」
「そんな気にしなくていいよ。母さんの言うことなんてさ」
「あらひどい言い草」

 母親のフラグ発言を思い出してか、みゆきは黙り込んでしまった。
 母親の言を無視して、歩は必死に言葉を探す。こういうことは苦手なのだが、怯えるみゆきを見てられない。
 必死に頭に血を巡らせ、なんとか絞り出した。

「パートナーって、どんななのかな」

 出てきたのは余りに抽象的で、場を盛り上げるには向いていない質問だった。

「なんか、こうやって一日がかりで待ちかまえて、人生を左右しちゃう存在ってさ。人の方もいろんな影響受けて、変わっちゃうし。『人は二度生まれる』って格言もあるくらいだけど、不思議な存在だよね」

 みゆきは黙り込んだままだ。歩がいきなり語りだしたのだから当然だろう。どうも上手くいかない。
 それでも歩はなんとか言葉を紡いでいった。

「でも、生まれるならやっぱ竜だよね。かっこいいし、強いし、その後の人生も順風満帆だし。みゆきさんはどう?」

 いきなりの質問に戸惑ったようで、なかなか返答はなかったが、少ししてしぼりだしたようなかぼそい声で答えてきた。

「私は、なんでも……」
「キメラでも?」
「……それはちょっと」
「ごめん、ちょっと意地悪だったね」

 歩が渇いた笑いをすると、みゆきもほんのすこしながら微笑んできた。

「え、と、歩……君は?」
「竜かな。まあ、一番っていうと竜じゃん。現実的な意味でも」

 強さ、カッコよさ。それらに加えて、竜をパートナーとしたもの――俗にいう竜使いは、社会的地位を約束される。その地位は貴族と呼ばれるほど高く、安定している。俗に、竜は宝くじ一等よりも価値がある、といわれるが、それは金銭的なものでも根拠があった。

 みゆきの声から少しだけ緊張が解けていっていた。歩のはしゃぐ様子が功を奏したのかはわからないが、内心ほっとしていると、小さく硬質な音が聞こえてきた。

「あっ」

 みゆきの視線が、彼女の手のひらの卵に向かった。
歩もそちらに視線をやると、卵がぴくりと動くのが見えた。

「時間ね」

すぐに卵の表面にヒビが入った。時折揺れ、そのたびにヒビがひろがってゆく。

 類が彼女に近寄って声をかける。

「そのまま焦らず待って。ゆっくり出てくるから、何もしなくていいよ」

 みゆきはこくりと頷くと、それから微動だにしなくなった。
 そんな彼女とは対照的に、卵は少しずつ動いてはヒビを広げていく。ヒビが入るたびに、小気味良い音を立てながら細かな破片がこぼれていく。
 教室の中にいる人間は固唾を呑んで見守っていた。歩も、類も、みゆきも全く口を開かず、ただ小さな響く音だけが部屋を満たしていく。

 一分とかからずヒビが卵全体にまんべんなく行き渡ったところで、急にヒビから淡い光が漏れ始めた。
 それが合図だったように、一気に卵が崩れた。

「っ」

 反射的に光を手で遮ったが、遅かったようで、目がくらんでしまった。
 視界が戻ったのは数秒後。まだ少しかすむ目を凝らして卵のあったところに目をやった。
 そこにはもう卵はなかった。残骸もない。
 代わりにいたのは、『パートナー』だ。

「精霊系かな? 綺麗なパートナーだね~」

 類が声をかけるが、みゆきは驚きに目を見開きながらただじっとパートナーを見つめている。
 パートナーは、重力を失った水のような姿だった。手のひらの上で漂うように鎮座している。無色透明で不純物が一切なく、奥が綺麗に透けて見える。掌の上で踊るように形を変えていくのが、幻想的で美しい。

 生まれたばかりのパートナーは少しずつ動き始めた。最初はぐにょぐにょと、身じろぎをするように。その動きは序々に規則的になり、同時に形が定まり始める。
 まず机の上にこぼした水のような不定形から、ゆっくりと太い棒状に伸びていった。そこから更に四本の棒が飛び出し、上部にくびれができる。変化は加速度的に起こり、動きも確かなものとなっていくのがわかった。ところどころ膨れたり、細くなっていったりしていくころになると、ようやく全体形が見えてきた。

 それは人型だった。輪郭はまだあやふやに変化していたが、それは間違いなく人間状だった。のっぺらぼうだった頭と思しきところからも、見る見る内に髪が伸び、横から気泡とともに耳状のものがぽこんと浮きあがる。
 最後に顔ができてきた。鼻が伸び、口がへこみ、瞳のない目ができる。その顔は、どことなくみゆきに似ていた。

 歩は綺麗なパートナーだと思った。みゆきに似た造詣も、まじりけない透明な質感も、ただただ綺麗だ。
 顔が先程と真逆に赤らんでいるみゆきに、類が言った。

「いい感じのパートナーだね、おめでとう。そしてハッピーバースデイ」
「ありがとうございます」

 みゆきは頬を上気させていた。類への感謝の言葉も、いつもよりこころなしか感情がこもっているように見える。
 その様子をみて、歩はふと自分の卵に視線を向けた。部屋の中央に置かれた机の上に、ぽつんと置かれた鶏のものより少し大きな卵。自分の脳みそが完成する前の段階から手に掴んでいた代物。

 歩はなんとなく近付いていき、卵を手の上に乗せた。これまで二十時間近くじっと待っていたためか、いつの間にか存外に扱っていた自分が恥ずかしくなってきた。

 顔の近くまで持ち上げてから、卵の表面を軽く指で撫でる。一切ヒビはなく、中から返ってくる反応もなかった。
 反応の無さに少し落胆して卵への注意が薄くなった瞬間、目の端に母親の顔が映った。母親がにやにやしているのを見て、顔が熱くなった。

「現金だな~ みゆきちゃんのが孵る姿見て、急に愛おしくなったって感じかな? いや~見え見えすぎてお姉さん恥ずかしくなっちゃうわ~」

 頬が急激に熱くなっていくのがわかる。

「うるせえよ、だれがお姉さんだ。三十も半ばを過ぎたおばさんが何言ってんだよ」
「残念ながら見た目若いからさ」
「あら、生まれましたか?」

 そう言い、入ってきたのは、見知らぬ若い女性だった。白衣を着ており、おそらく病院の人だろう。

「はい、おかげさまで」
「それなら、書類に記入していただいていいですか?」

 類が近付いて行き、なにやら書類を受け取った
 その時。
 手のひらに、振動が伝わってきた。
 離しかけていた手を戻し、両手で抱える。

「どした? 始まった?」

 母親の言葉もどこか遠くに聞こえた。
 こつこつと殻が叩かれるのがわかる。些細な力だが、それは確実に殻の中から返ってきている。

「あわてんなよ」

慌てるもなにも、掌に全神経が集中していて、瞬きひとつ自由にできる気がしない。

中から伝わってくる力は序々に力強くなっていき、卵を揺らし始めた。
 ぴしりとヒビが入る。
 入った亀裂は大きなものだった。一気に卵を両断するような、そんな大きさだ。
 続くひと揺れで、卵の表面が斑状と化した。

 歩は激しく狼狽した。先ほどのみゆきの時とはまるで違う。何か不穏なことが起こっているのだろうか。自分が放置していた天罰だろうか。

 類がなだめてくれているのはわかるが、よく聞こえない。目の前の異変ともとれる光景に、ただ動揺するしかできなかった。

 卵の変化はなおも加速していく。
 先程の廊下で見た光よりもかぼそい光が点ったと思った次の瞬間には、光が膨張した。
 狼狽は自律神経にまで伝わっていたのか、まぶたの反応が遅れてもろに目に光を浴びてしまった。目を焼かれるような痛みに、喉から形容しがたい音が漏れた。

 痛みが少しおさまったころ、まぶた越しに光がやんだのがわかったが、すぐには目を開けられなかった。
 生殺しに近い状態では、いやな予感ばかりが先に立つ。どうして自分の場合は早かったのか。もしかして、キメラだろうか? 自分が卵を放置していたのが悪かったのだろうか?

 十秒程度たったころ、なんとか瞼をこじ開けた。
 心臓の音を肌で感じながらの視界は白濁しており、目の前にいるはずのパートナーの姿があやふやにしか写らない。更に続く生殺しにいらだちを覚えた。

 その間に思考はどんどんマイナス方向に向かう。反応がないが、類やみゆきも見えないのだろうか? もしかして見えているのに生まれたパートナーを見て声を出せないでいるのだろうか。もしかして、本当にキメラなのか。

 視界はなかなか戻らないが、怖くて周りに聞くこともできない。
 ただただ焦燥感だけが増していく。

 視界がようやく像を結び始めたころ、声が聞こえてきた。
 渋く、深い、威厳のある声だ。

「視界が戻らぬか」

 その発言の後、すっと視界の靄が消えていった。急激に目の焦点が結び始める。

「我が生まれたことで貴公の身体は進化し始めた。視界の回復も速くなろう」

 大雑把な輪郭が見え始めた。尖った口、やや前傾姿勢ながら二つの足で手のひらに立っているようだ。身体にしては大きな足に、一転してちょこんと前に出る形の小さな腕。
 
 そして……翼。
 ばさりという音とともに手のひらの感触が消え失せ、代わりに軽く風が流れてきた。
 風の起こる場所がだんだん上昇していく。
 歩の顔位まで上がったところで、歩の視界は完全に戻っていた。

「竜……」

 みゆきのつぶやきが聞こえてきた。
 続くのは、先程の渋い声。

「その少女の言うとおりである。竜の中の竜、そして貴公のパートナーである」

 竜! それも、言語を解するインテリジェンスドラゴン! 人語を自在に操り、竜の中でも最も格式の高い存在。人語をしゃべることのできるパートナーなど、竜以外のものも含めても、インテリジェンスドラゴンだけだ。

 一角獣のような額の上から真っ直ぐ伸びた角の下に、大きな目があった。
 透き通るようでいて深みのある緑の瞳と、黒真珠のような艶のある体が競うように強調し合い、それでいて協調のとれた姿だ。
 翼をはためかせ、空中で静止しているその姿は、卵のときとさほど変わらない大きさだが、雰囲気を持っていた。
 『強者』の持つ、絶対的なまでのオーラ。

 竜が言った。

「貴公と命を共にし、生を分かち合い、力を高め合う。我がこの世に誕生したこの瞬間、貴公との契約が成立した」

 歩の喉が鳴った。
 竜、それもインテリジェンスドラゴン。
 余りにも予想外な僥倖に何も言えないでいると、竜の雰囲気が柔らかいものに変わった。
 続いて響いてきた声も、幾分砕けたものだった。

「ハッピーバースデイ」

 歩の頬が咄嗟に歪んだ。現れたのは、すこしばかり意地のわるい笑顔だったように思う。

「ハッピーバースデイ、パートナー」



[31770] 幼竜殺し 0-i 幼竜殺し
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/05/30 20:45
 アーサーが生まれるずっと前、似た場所にて。



「おめでとう!」
「ありがと」
 ×××は、○○○のパートナーの誕生を祝福した。○○○は全身で喜びを表しており、×××も人ごとながら嬉しく思った。○○○とは同じ施設で暮らしており、友人と家族の間のような関係で、○○○の喜ぶ姿を見ると×××も嬉しくなる。

 今二人が一緒にいるのは、来たことのない病院。誕生日が同じ日だからで、十二歳の儀式を一緒に迎えている。

 それにしても――驚いた。

「竜なんてすごいね」
「へへへへ」

 友人のパートナーは竜だ。いわゆる宝くじに当たった感覚だろう。黄褐色の鱗に包まれた細長い竜は、○○○の手のひらで穏やかに身を伏せている。大きめの翼はおさまりきらず、手のひらから外れて、だらりと垂らしていた。
 ×××は正直羨ましく思った。パートナーが竜である人、竜使いともなれば後の人生は約束されたようなものだからだ。両親がいない自分達にとってみれば、それは何にも増す保証になる。
 自分の卵を見る。
 全く動きはなかった。

「○○○君、おめでとう」
「あ、ありがとうございます」

 大人の人がやってきて○○○に声をかけた。病院の人らしく、書類やらなにやらの記入を進めてきた。

「それにしても、竜とはね。すごいな」
「ありがとうございます」

 本当に――うらやましい。手のひらにおさまるほどの竜を見て、そう思った。
 再び、自分の卵に視線を移すと、既にヒビが入っていた。
 孵るのだ。
 慌てて近寄り、両手で包むようにして持ち上げた。

「お、君もか」

 病院の人が興味深げに覗いてきた。
 卵のヒビはすぐに広まっていく。ものの数秒で――生まれた。

「これは」
「おやおや」

 炎に燃えるたてがみに、獅子の勇壮な顔。身体もライオンのものだが、ところどころ鱗も見える。尻尾はヘビとなっており、尾の端には蛇の下が覗いていた。
 その姿は、今日まで思い描いてきた中でも最悪を想定したものと、余りにも似通っていた。それは多種多様な姿を持つパートナーの中でも、特に様々な姿を持っていると聞く。これが確実にそうだ、という証拠はない。
 しかし。
 しかし、余りにもテンプレートな姿だ。
 この雑多なパートナーは――

「キメラだね」

 最も忌避されるパートナーを引いてしまった。他のパートナーを糧に成長する、忌まわしい存在。百人に見せれば百人ともが顔をしかめる、そんな忌み子だ。
 絶望感が押し寄せてきた。

 うなだれていると、肩に手を置かれた。

「そんな肩を落とさなくていいよ。大丈夫、全部おじさんにまかせなさい」

 病院の人の声がいやに優しい。
 声はすぐ後ろから発せられており、自分のすぐ後ろに立っているのだろう。すこしぞっとしながらも、視線は目の前のキメラから外せない。
 病院の人が言った。

「さあ、眠りなさい」

 いきなり口に何かを当てられた。息が苦しくなり、必死であがくが、大人の力には叶うわけもない。
 よくわからないまま、意識は消え失せた。



[31770] 幼竜殺し 1-1 パートナー
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/04/28 13:04



 歩は目を覚ました。目を開けて見えたのは白紙のノート。机に突っ伏すように寝ていたことを思いだすと、はっと口元でよだれの感触がしていることに気付いて、慌てて顔を上げた。幸いなことにまだ垂れていなかったようで、綺麗な白紙のままのノートを内心安堵した。
 ぼうっとする頭を覚ましながら、目の前の黒板に視線を向ける。寝てからそれほど経っていないようで、ノートはまだ間に合いそうだ。それにしても冬も半ばを過ぎたとはいえ、ひんやりとした空気と窓際の陽気のコラボは凶器だと思った。

 教師の声が聞こえてくる。

「では最後にまた基本に戻りましょう。何度も言いますが、魔物史Ⅱと召喚史Ⅱはそれぞれ細かい生態ばかりを問うているように見えますが、なにより基本部分をしっかり理解していないといけません。両者とも有機的に複雑に絡み合っており、根幹がしっかりしていないとすぐにごちゃごちゃになってしまいますからね」

 担任の中村藤花が熱弁を振るっていた。華奢な身体からは想像できない、教師としての威厳に満ち溢れた授業をしている。出張から帰ってきたばかりだというのにまるで疲れを見せないのも、教師として素晴らしい。
 黒板に走らせていたチョークを止めると、くるりと振り返ってこちら側を見てきた。

「それでは、先程まで船をこいでいた歩君、『魔物』とはなんでしょうか?」

 しっかり見られていた。下の名前で呼ぶのがこの先生の癖だが、そのおかげか、皮肉も余り嫌みに聞こえない。
 すこし驚きつつも、立ち上がって答える。

「魔物とは、人と卵生生物を除いたC級以上の生物のことです。社会に害を為すことができるだけの能力を持ち、一般に人間とは相いれません。現在、人間のテリトリーの外でしか見ることはできませんが、テリトリーを侵食してきては、戦争となっています。中には『蛍光兎』や『黒蛇』のように、人にとって有益な存在もいますが、基本的には有害な存在です」
「正解です。授業はしっかり聞きましょう。座ってください」

 ほっとしながら腰をおろした。

「ではみゆきさん、卵生生物とはどういった存在でしょうか」

 藤花が最前列中央の席に座った生徒を当てると、彼女は長い髪を散らしながら立ち上がった。

「卵生生物とは、私達人間が生まれた時に手にしていた卵から生まれた存在です。生まれる際の状況から召喚獣とも呼ばれますが、一般にはパートナーという呼称が一般的です。姿形は魔物と同様多種多様ですが、命が人とリンクしており、人と卵生生物、どちらかの命が尽きるともう片方も死ぬという点が大きく違います」
「いい答えです。座ってください」

 はきはきとした声に、ぴんと背筋を伸ばした姿が目に入った。五年前より随分大人びて、凛としている。
 この五年で彼女はずいぶん変わった。歩と初めて会ったころのおどおどとした様子はなく、凛と佇み、藤花の質問にも躊躇なく丁寧に答える姿は、自信と品に満ちていた。

「では、慎一君、それ以外に魔物との相違点はありますか?」

 指名された歩の右隣に座る男子生徒が頬をかきながら立ち上がった。

「え、と。パートナーの力が人間にフィードバックされるみたいな、パートナーが強ければ強いほど、人間も強くなるって感じで……」

 教師の顔色を覗う男子生徒に、教師たる藤花は優しく座ってください、と声をかけた。

「大筋はあっていますが、もう少し丁寧に言うといいですね。パートナーの能力と召喚者たる人の能力がリンクしています。たとえば、パートナーの腕力が優れていれば、人の腕力も大きなものになり、パートナーの視力が高ければ、人の視力もよくなります。それにより、同じ人間でも全く違った性質を持つことも多いです。このクラスにいる人のなかでも、かなり違いがあることはみなさん言うまでもないですよね?」

 クラス全体の雰囲気がうなずいたような気がした。藤花が尋ねてきたことは、模擬戦や身体測定で嫌というほどわからされれている事実なのだ。
 藤花は教室をざっと一瞥してから授業を続けた。

「三人が言ってくれたように、魔物とパートナーは非常に似通っていますが、人間にとっては全く違う存在です。そこを常に忘れないようにしてください。テストにおいて、そこを勘違いさせようとする問題が非常に多いので、相当重要です。テストの後も常に付きまとう問題になるので、身にしみこませてください」

 そこまでいうと、藤花はちらりと壁時計のほうに視線をやった。視線をやると、まだ終了まで五分ほど残っている。

「ここで終わりと行きたいところですが、残念なことに時間が余っています。何か質質問はありませんか?」

 教室に微妙な空気が流れる。質問なんてないから早く終わって欲しいと思っているが、そんなことはできない。誰か手頃な質問をしてくれないかと歩が願っていると、一人の男子生徒が切り出した。

「せんせー、自分いいですかー?」

 声の主は先程の慎一と呼ばれた男子生徒だ。

「どうぞ」
「なら、テストに出てくるとこお願いします! 今度、赤点とったら小遣いやばいんすよ! ほんと、なんでもいいんでよろしくお願いします!」

 どっと笑いが起きた。半分ネタなのだろう、全く悲壮感のない調子に、藤花までも笑っている。
 ひとしきり笑ったところで、不意に藤花が何かを思いついたように目を大きく広げた。
 すぐににんまりという笑みを浮かべて、教卓の端を両手で掴んで前傾姿勢となる。

「じゃあ竜についてでいいわね」

 クラスの空気が一瞬で変わった。やっちゃった、といった感じだ。
 藤花は嬉々として話し始める。

「やっぱり竜は最高よね。テストで最頻出科目の一つになっているのが、注目度の高さを表してるわ。いわゆる『パートナー』の中でも別格の存在で、他の種族とは一線を画してる最強の生物。全てを踏み抜く膂力! 圧倒的なまでの威力を持つ多彩なブレス! 巨体に似合わぬ俊敏さ! なによりも大空を駆け抜ける飛行能力! 飛べる種族は他にもたくさんあるけど、あの巨体で一、二を争う速度なことは流石の竜! 『竜は飛んでこそ竜。その姿に並び立つものは無し!』」

 目をキラキラと輝かせながら、一人暴走する藤花だが、歩達にとってみれば、面倒なことこの上ない。
 出張が多いことと、ドラゴンに対する有り余る熱意を除けば理想の教師、とは副担任の弁。歩は今それを実感していた、

「社会的立場は非常に高く、竜使いになった瞬間、一生を約束されたに近いわ! その分、竜殺しに狙われる危険はあるけど、それも有名税として帰って名誉なことだわ! 貴族にもなれるし!」

 この国は民主国家だが、貴族が存在している。彼等は全員竜使いであり、その選民意識の高さ、同族意識の強さ、そして一般的な地位の高さは他と一線を画している。竜使いは人にあらず、と竜使いからもそれ以外の人達からも声があがる位だ。

 歩はそういった類の話題は苦手だ。憂鬱になってしまう。

「歩君!」

 うんざりといった感じで聞き流していると、自分の名前が呼ばれた。
 慌てて見返すと、藤花の視線は主に自分と教卓近くの女子生徒に向いていることに気付いた。
彼女を見て、歩は自分が一段と気落ちするのがわかった。

「私、竜使いの学生を受け持ったことって、担任どころか授業すらなかったのよね! なのにいきなり竜使いが担当のクラスに二人もいるなんて! 最高だわ! 今度の学年末模擬戦も、楽しみにしてるから!」

 藤花はこう言っているが、期待にはこたえられないのはわかっている。正真正銘の竜使いである唯と自分では、差がありすぎる。

 藤花の熱弁がひと段落したところで、都合よくチャイムが鳴った。

「あら、残念。じゃあ次の模擬戦授業も遅れないように、よろしくね」

 そう言うと、藤花は手早く荷物をまとめて出て行った。戸が閉まる音がした瞬間、クラスに安堵のため息が木霊する。
 歩もため息を漏らしたが、気のせいか他の人より重く聞こえた。
 机の上でうなだれていると、先程歯切れの悪い返答をした男子生徒が声をかけてきた。

「さっさと行こうぜ。相方のお迎えもあるし」
「ああ、慎一」

 気をまわしてくれるのがわかる。岡田慎一というクラスメイトは、本当に気配りが上手い。歩は、はあと再度重いため息をついて立ち上がった。
 歩の様子を見てか、慎一が苦笑まじりに声をかけてきた。

「まあ、おつかれ」
「さんきゅ」

 ここでぐだぐだしても仕方がない。
 歩はパートナーを迎えに行くことにした。




 水分高等学校。
 それが歩達の通う学校の名前だ。水分という地方にある学校だから、水分高等学校、そのままのネーミングだ。まだ歴史が浅く、校舎が新しいのが一番のセールスポイントという、ままある平凡な高校である。

 歩達が向かったのは、水分高校の教室棟と対になるようにして建てられたパートナー用の待機棟だ。デザインや色は教室棟とほとんど変わらないのだが、高さや横幅は倍ほどもある。大きさに応じて構造も強化されており、教室棟はただの鉄棒とコンクリートなのに対して、待機棟は鋼金虫の殻を混ぜて作ったコンクリートが使われており、強度を大きく上げられている。

 巨大なパートナーの重量に耐えうるようにというのが目的だが、これが時折、物議を醸す。鋼金虫は数こそ多いが、その体長は三メートルに及ぶ上に気性が荒いため、狩りには危険が伴う。狩れる軍や民間会社は多いため、天井知らずというほどではないが、それでもただの鉄筋コンクリートと比べて三割増しではきかない。

 鋼金虫を使っていることと大きさのために、待機棟の建設費用は教室棟の二倍以上したらしい。そのことに関して人よりもパートナーのために金をかけるとは何事か、と不満をもらす保護者がいるのだ。時折、怒鳴りこんでくる光景を目にすることもある。

 パートナーと人の関係を考えれば、そんな苦情は馬鹿らしいことこの上ないのだが。

 歩と慎一の二人は、二つの校舎を繋げるように作られた渡り廊下を渡っている。歩達のクラスだけでなく、他のクラスの人達もいるため、かなり混雑している。

「あー面倒」
「もうちょい広くつくってくれりゃよかったのにな」

 ぶっくさ言いつつも、流れに任せて進んで行くと、そうたたない内に中に入れた。
 入口から横にだだっ広い廊下が広がっており、ところどころに巨大な横に引く形式のドアがある。人間用の体育館が横にいくつも連なっているような感じだ。
 歩達は迷うことなくその中の一室に進んだ。

 中に入ると、様々な生物の姿が目に入ってきた。
 犬、猫のような比較的シンプルな動物から、妖精、ユニコーンまで多種多様。似たような犬型でも、目の色、数、尾の形など、ところどころの差異も多い。
 見回していると、目の端に自分達に向かってくる姿が写った。テンポ良く板張りの床を駆け抜け、慎一の前で腰を下ろしたのは、少し大きめの狼型のパートナーだ。青い目は二つ、毛並みのいい尾は一つ、健脚そのものといった四脚と、シンプルな造形をしている。

「おう、マオ」

 慎一はそう言うと身をかがめ、マオと呼ばれた狼の首をわしわしと撫で始めた。
 気持ちよさそうに半目のマオと、嬉しそうにそれを眺めている慎一。人とパートナーのあるべき姿とでも言うような、なんとも微笑ましい光景だ。

 一通り撫で終わると、マオが歩の方をぷいと向く。
 嫌な予感がしたころには、すでに飛びかかってきていた。

「おい、マオ! あぶねえよ! それに舐めるな!」

 体長一メートルを超す狼を受け止めたが、両肩にがっしりと前足をのっけられたため、舐めることまでは止められない。
 仕方なく口で言うのだが、歩の言葉などどこ吹く風という様子だ。手足をばたつかせ、尻尾をはちきれんばかりに振り回し、一向に止める気配はない。

「おい、慎一!」
「そんなこと言いながら、内心喜んでるくせにー」
「なつかれるのは嬉しいが、これは嫌だー!!

 こうして全身全霊で喜びを表現されるのはどこか嬉しいものだが、それでも巨大な舌で顔をなめまわされるのは御免こうむりたい。時折刃のように尖った牙が頬をかすめるのも、慣れたとはいえぞくっとするものがある。

「ほら! あぶねえから! 重い、マオ!」
「お前なら大丈夫だろ。一応、体力だけは学年でも一、二争ってんだからさ」
「その言い方、なんか気になるな、おい!」
「気のせいだ」

 慎一がちらっと巨大な部屋の中央に位置する大時計に目をやった。

「マオ、やめ」

 掛け声と同時にびたっと舐めるのをやめ、お座りをする。相変わらずの忠犬っぷりだ。
 べとつく顔面を袖でごしごしと拭っていると、慎一が言った。

「ほら、相方呼んで来い。時間もあんまないし」

 誰のパートナーのせいで時間がなくなったのかと言いたいところだが、時計を見ると確かに残された時間は少なかった。
 マオの頭を軽く一撫でしてから、部屋を見回す。部屋の端当たりで、身体よりも大きなクッションに全身を埋める姿が目に入った。

「おい、アーサー」

 返答がないため、仕方がなく迎えに行くと黒い竜が見えた。角は鈍く光り緑色の目が輝いている。世界を牛耳っていると言っても過言ではない種族、竜だ。
 ただし、その身体はその勇名にはふさわしくない。

「おい」
「うむ、時間か」
「さっさと来い」

 アーサーは翼を二、三振ってから飛び上がると、歩の肩に乗っかってきた。
 その小振りな身体は、歩の肩でも十分に止まることができた。

「お前、いい加減自分で飛ばない?」
「この位いいであろう」

 アーサーは五年前からほとんど成長していない。その小さな身体は、歩の肩にのっても動きに支障が出ないほどしかない。両手の上に乗せられる位だ。この五年間で、同級生達のパートナーは大なり小なり身体を伸ばしていき、人の何倍もの速さで大きくなったが、アーサーだけが成長しなかった。慎一のパートナーであるマオも生まれた時は卵大だったが、今では逆に人間が乗る位だ。
 アーサーだけが時から取り残されている。

 歩はひとまず走って慎一達のところまで戻った。

「おう、相変わらず偉そうだな」
「竜の威厳故、仕方なかろう」

 うそぶくアーサーを見て歩がため息をついていると、慎一がポケットからなにか取り出した。

「まあこれでも食って落ち着け」

 慎一が取り出したのは牛肉のジャーキー。真ん中を綺麗に裂くと、片方をアーサーに向かって投げた。

「これはかたじけない」

小さな両手で器用に受け取ったアーサーは、途端にかじりはじめた。目を輝かせてただ目の前のジャーキーをかじる姿は、くやしいことに見慣れた歩でも可愛らしいと思った。この姿を見たがる人は多く、しばしば餌付けをされるアーサーの姿を目にする。
 その姿を満足そうに見つつ、慎一は残った片割れを自分のパートナーに差し出していた。こちらも大きな体で嬉しそうに噛みつく。

「あんまりあまやかすなよ。肩に乗せるこっちの身にもなってくれ」
「まあまあ。こいつの食う姿は見てて飽きないんだよ」

 軽くたしなめたが、慎一はまるで聞いていない。
 そうこうしている内に、ジャーキーを堪能し終えたアーサーが口を開いた。

「相変わらず気が利くのう。お前もそういうところ見習ったらどうだ?」
「お前が太ったら、直視に耐えない姿になるのは目に見えている」
「竜であれば、直視に耐えないことなどありえん」
「相変わらず尊大な口ぶりで」

 慎一が楽しそうに声をかけると、鼻を鳴らしてからアーサーが答えた。

「竜であるが故」
「ほんと竜のこと誇りにしてんのな。他の竜が苦手なくせに」

 慎一の笑み交じりの揶揄にアーサーがふんと鳴らして答える。

 このパートナーは、竜のくせに同族を苦手とするのだ。テレビなどで竜の映像が出てくると途端に変えようとする。直接会うことなどもってのほかで、同じクラスにいるもう一体の竜とは決して顔を合わせようとしない。

全くもって変な竜だ。

「ふん、竜の高貴なる姿など、己を見ておれば十分だ。我が勇壮なるすが」
「もう時間ないし、行くか」

 ひとまずアーサーは無視し、マオが満足気に鼻を舐めているのを横目に確認してから言った。慎一が「そうだな」と答えるのを確認して、足を外に向ける。

 慎一と適当に会話をしながら、横目で無視されて少しだけ不満そうにしながらも、腹が満たされて基本的にご機嫌な相方を見る。
 本当にアホな竜だ。



[31770] 幼竜殺し 1-2 日々
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/03/02 22:14



 二人と二体はグラウンドにやってきた。容易に巻きあがる砂を敷き詰めただけの、だだっ広い簡素な運動場だ。

 周りを見渡すと、皆似たような服を着た同期達が談笑している。
 ぴったりと張り付くシャツに大きく膨らんだカーゴパンツ、それにブーツ。三種とも全て黒を基調とした無地の代物だ。学校指定の運動服で、体育や模擬戦の時間はこれを着るようになっている。これは他の学校と同じだ。

 ただ他の学校と違うのは、その上からパーカーやTシャツなど思い思いの服を羽織っている点だ。基本的にはシンプルなものだが、着こなしは千差万別。パーカーのチャックを上までぴっしり上げている真面目な男子クラス委員や、逆に薄でのものをただ羽織るだけの眼鏡の女子生徒。身体のラインを強調するように、薄いシャツの脇を絞って着ているクラスの中心的な女子もいて、歩は少し気恥ずかしくて、真正面から見るのはできなさそうだ。

 学校の授業の風景としては変わったものだが、これは生徒からの非難があったかららしい。
 学校は当初三点セットのみの着用を強要してきたのだが、ぴったりと張り付くタイツのようなシャツに関して、女子からの非難が凄まじかったらしい。女子生徒からの苦情はそのまま保護者達の苦情に形を変え、結果、学校側は上に何か羽織ってもよいと決定した。

 歩が入学するより前に起こった話だが、結果は今目の前に広がっている。

「我に返ると、変な光景だな」

 唐突に慎一が言った。

「なにがよ」
「いや、学校で私服を披露する機会があるなんてさ」
「おれらは私服来てないけどな」
「ま、そうだけど」

 お互いの三点セットのみ着用している姿を見て、笑いながら言った。まあ、別に構わないし面倒だからなのだが、そう思うのは二人以外にもちらほらいて、三点セットのみのクラスメイトも少なくない。

「まあ、確かにおかしいわなー。思いきって変えちゃえばいいのにね」
「それが裏話があるみたいよ」
「裏話?」

 勿体ぶるように笑みを浮かべる慎一に尋ねる。

「裏話って?」
「この服って『黒蛇』製じゃん?」
「ああ」

 『黒蛇』
 体長二メートルを越える大きな蛇で、その皮膚は堅牢、並みの刃物では刃がたたない魔物だ。たまに住宅街に出てきては、軍を出動させてニュースをにぎわしている。つい最近も巨大黒蛇が出没したらしくニュースで流れたが、まだ捕えられていないらしい。

 そんな黒蛇だが、抜け殻は有用な素材となる。抜けがらを獣の皮などのようになめした後、特殊な薬剤に漬けることで、服の生地に使える布になるのだ。しかも加工手段によって様々な性質に変化し、肌にはりつくようなタイツ状にも、ブーツに使えるほど堅くもできるなど、利便性にも耐久性にも優れた逸品なのだ。軍が用いる布関係の装備のほとんどが黒蛇製であり、戦場では黒い影が行き交って見える、と言われている。

「最初はめっちゃ興奮したけど、慣れると野暮ったいだけだけどな」
「まあデザインは置いとくとして、まあクソ高いじゃん?」
「おう、よく学生の運動服に使うなとは思ったな。実際高かったし」

 黒蛇はその高性能故に、値段も相応なものとなっている。他の学校の二倍はした。模擬戦による怪我を抑えるためだろうが、他の学校が導入していないことを考えると、疑問に思う。

「これでも相当値引きしてもらったらしいのよ。代わりに色んなとこ犠牲にして」
「というと、デザインとか?」
「それもだけど、契約期間も。何年だと思う?」

 学校とメーカーの契約が通常どの位なのか歩は知らないため、見当もつかない。とりあえず、適当に言ってみる。

「え、と。十年位?」
「いや、百年」
「百年!?」

 慎一は深く頷いた。
 最初は驚いたが、序々に納得が行きはじめた。いざ考えると二倍なら他の学校も導入してもおかしくないが、近場ではこの学校位しかない。実際はもっと値段が張るのだろう。
 それをどうやって二倍程度にまで抑えたか。それが契約期間の長さだったのか。メーカーとしても、百年間一定の需要があるのは悪くなく、勉強したというところだろう。

「なるほど、考えてみりゃそうか」
「ま、そういうことらしい」
「つっても、よりにもよってこのデザインはねえよ。こんなの思春期の学生が皆受け入れるかっつう話だよな」
「このタイツ見て何も感じなかったのかね」
「はい、みんな黙ってー、始めるよー」

 愚痴を遮るように授業の開幕を告げる声が聞こえてきた。
見ると、生徒と同じ三点セットの上から緑色の上着を羽織っている担任の藤花がいた。彼女は模擬戦の担当もしている。

「そこ! 始まったよ!」

 藤花がぱんぱんと手を叩いて沈黙を促すと、あっという間に喧噪が止んだ。こういうところ、人望の差だと思う。

 藤花は全員が鎮まったのを確認してから、よく通る声で言った。

「いつもどおり、クラス毎に分かれての模擬戦です。ウォーミングアップと柔軟が終わったら、各自の集合場所に集まること。では、外周を始めてください」

 藤花が一度、パンと手を鳴らすと、それを合図にバラバラと走り始めた。歩もクラスメイト達の流れに任せて走り出す。
 一周一キロになるように引かれた白線の円を淡々と進んで行く。歩は走る集団の最後尾の辺りから動くことなく走り終えた後、屈伸、前屈など一通りのストレッチを手早く済ませてから、自分の模擬戦クラスの集合場所に向かった。

 模擬戦クラスは、模擬戦における能力の差によって分けられている。学年辺り四百名程の生徒を十に分け、一クラスに四十人ほど配分される。この授業は学年全体ではなく通常クラスを三つ合わせて行う合同授業のため、歩の前にいるのは十四名だ。
 
 集合場所に集まった面々を見渡す。皆自信にあふれて見える。当然だ。歩も所属するこのクラスは最上位クラスだ。自分の得意な科目では、自然と自分への信頼が顔に出るものだ。
 
「水城。今日もよろしく」
「ああ」

 隣のクラスの巨人使い、大楽昭が意地悪そうににやにやしながら声をかけてきた。すぐ後ろに巨人がいるが、ただ立っているだけなのに、強烈な威圧感を放っている。模擬戦の戦績も高く、この模擬戦のクラスでは五指に入るだろう。最上位クラスにふさわしい能力を備えているのだ。

 他のパートナー達も含め、壮観な眺めだと思った。グリフォン型やオルトロス型、ゴーレム型など、見るからに強いパートナーが多い。牙や爪などの鋭い部分には黒蛇製のサポーターが当てられているが、それでもなお戦闘能力に陰りを見せない。例外とも言えるのは、見た目は美しく身体能力もそれほど高くない精霊型位だが、伸縮自在の身体を持ち相手を選ばない応用力を備えている。

 一方の歩のパートナーはというと。

 ちらりと視線をやると小さな竜が写った。時折鼻から漏れるかぼそい炎がぼそっと消えるところを見ると、なんだか儚くなってきた。最上位クラスには、正直場違いな姿だ。

 そんな歩達が何故最上位クラスに在籍しているか。歩が超絶な身体能力を持ち合わせて、怪物達と対等にやりあえるから、というわけではない。アーサーが竜だからだ。

「まあ手加減するから。保健室には行かなくて済むよう気を付けるわ」
「有難すぎて涙が出てくるわ」

 大楽の揶揄に、力なく答える。相変わらず性格の悪いやつだが、反論しようもない。

 竜は基本的に圧倒的な膂力を持つ。下手に戦わせると対戦相手の命の危険がある位だ。
 そのため、竜使いが在籍するのは最上位クラスもしくは、特別クラスという決まりがある。実際、同じクラスに所属するもう一人の竜と竜使いはこの模擬戦に参加していない。

 残念なことに、歩達にもその決まりが適用された。身体の小さいアーサーが最上位クラスで戦うかというとそんなことはなく、結果、歩対学年上位のパートナーというなんとも言えない事態が生まれてしまっている。

 歩にとっては、裏目に出ているだけの憎たらしい制度でしかない。
 
 歩の内心をよそに、やってきた担任が言った。

「みんなー武器取り行くよ。着いてきて」

 担任のそばには、彼女のパートナーがいた。巨大な狼の輪郭に炎を纏った姿は、周囲を圧倒して余りある。名前はユウ、彼女達が戦闘にも長けているのはその姿だけでもわかる。

 最上位クラスのメンバーは、その場にパートナーを置いて、グラウンド脇にある個人武器倉庫に向かった。

 入っていった倉庫の中はとてつもなく広い。同じロッカーがずらりと並んだだけの光景がずっと先まで続いている。全校生徒の武器を一カ所に集めるため、そう作ったらしいのだが、小さい体育館ほどの広さのだだっ広い空間に、同じものがずらりと並ぶ光景は異様だ。

 歩は自分のロッカーのところまで進んでいき、鍵を開けた。取り出したのは、槍。刃の部分は待機棟にも使われる鋼金虫入りの鉄、直接手にする柄の部分は霊峰産樫の木でできている。
 模擬戦のため、刃の部分を外しロッカーに仕舞う。これでは槍ではなく棍棒だが、歩はどちらも扱えるため、支障はない。

 それから外に出た。皆そろったところで、藤花が言った。

「はい、皆さん揃いましたね。それでは始めましょう。ただ、明後日には学期末模擬戦が控えていますので、無理をしないようにお願いしますね。みんな少しそわそわしてるけど、絶対怪我だけはしないように」
 
 明後日に迫った学期末模擬戦は、ただの模擬戦ではない。教育委員会、企業、大学などから多くのお偉いさんが観戦しに来る。彼等の目的はスカウト。故にこの一戦での印象はそれこそ一生を左右する。周りを改めて見回すと皆気がたっているように見えた。アーサーをパートナーにして以来、立身出世を諦めている歩にとっては、どうやり過ごすか位の感覚しかないが。

 藤花は倉庫の壁に今日の対戦表を貼った。遠目に見ると、いくつかある第一試合の欄に自分の名前がある。
 相手の名前を確認しようとしたが、前のやつの頭が邪魔で見えない。
 隙間から見ようと頭を軽くずらそうとした時、不意に肩をたたかれた。

「一戦目、私達みたいね。よろしく」

 みゆきだった。
 長い髪を頭の後ろで結わえ上げて、腰には一番扱う人の多い両刃の剣をさしている。模擬戦用の三点セットの上には何も纏っておらず、スタイルのよさが強調されているが、決して下品になっていない。カタログにでも出てきそうな姿だ。全く面白みのない仕事をさせられたデザイナーも、彼女の姿を見れば少しはすくわれるだろう。

「よろしく」
「アーサーも、よろしくね」
「ふむ、良き戦を」
「じゃあ、行こうか」

 みゆきは顔に冷たく感じさせない微笑を浮かべると、一番近くにあった円を描く白線の中に入って行った。
 後ろに従えているのは、歩も誕生の瞬間を見た精霊型のイレイネ。大きさはみゆきとほぼ同じ位まで成長しており、顔や輪郭も今のみゆきに瓜二つになっている。違うのは半透明な身体と、形作られた格好。風になびく長髪に、月桂樹の葉をより束ねたような冠を付け、一枚布の絹をくりぬき、腰の帯で縛った姿――つまるところ、西方の女神のような装束になっている。二人が並んだ姿を見ると、妙な感じがした。

「行かぬのか?」

 アーサーに促され、慌てて歩も後に続く。
 気を引き締めないといけない。みゆき達は、見た目とは裏腹に、学年で三つの指に入るほどの実力者だ。模擬戦ではいつもトップ争いをしている。

 中央まで歩いていき、二本引かれた白線の片側に立った。
 すぐに藤花も中に入ってきた。傍らには燃え盛るパートナーの姿もある。

「それでは、注意です。装備はちゃんと整えましたね? 寸止めを心がけること、無理はしないこと、ちゃんと心得てますね? 一応、危険を感じたら止めに入りますが、それでも十分に警戒してくださいね」

 歩とみゆきが頷くと、藤花は白線の中から出た。アーサーが飛び上がったのを確認してから、歩は腰を落とし棍棒を構えた。基本的にアーサーは全体を俯瞰し、歩に指示を出す役目をしている。それしかできない、とも言えるが。

「それでは怪我に気を付けて。始め!」



[31770] 幼竜殺し 1-3 模擬戦
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/03/03 20:00
 開始の合図と同時に、イレイネが仕掛けてきた。
 開幕の一撃は、左腕を伸ばしての突き。空手の演武のように、その場で突きだされた左腕は、そのまま細く長く伸びてきて、歩に襲いかかってくる。先の部分のみを圧縮、硬化することで十分な威力を持たせており、凶悪な得物になっている。不定形であるが故の技だ。

 歩は棍棒を一閃して弾いた。突くことが主眼ではあるが、棒部分を用いた払いでも防御には十分だ。
 飛んできた手首のような部分に衝突させると、呆気なく散った。地面にぼたぼたと飛散したが、地面で蠢いてイレイネの元へ戻って行くのが目に入る。身体から離れた部分も操作できるため、いくら散らそうとほとんど意味がないのだ。

 間髪いれずに、二の槍が飛んできた。一応の警戒のため、地面にちらばるイレイネの破片を避けるように動きつつ、歩はステップを踏んで避ける。右に左に身体をぶれさせ、的を絞らせない。避ける動作でそのまま前へと進み、序々に距離を詰めようとするが、相手もそれに合わせて後退し、決して距離を詰めさせてくれない。

 すぐの一定の展開になった。イレイネが仕掛け、みゆきも寄り添う形で一緒に動き、なんとか離れまいと歩が追い掛ける。そんな鬼ごっこの様相を呈していた。

 一見すると鬼たる歩が劣勢に見えるが、それほどでもない。何度もみゆき達と模擬戦してきた結果、歩はだいたいの動きがわかっている。伊達に一人で怪物達を相手にしてきたわけではないのだ。主導権は握られてはいたが破局は全く見えない。

息が荒くなってきはじめたころ、不意にみゆきが声をかけてきた。

「歩、新技試したいんだけど、いい?」

 少し茶目っ気のある笑顔を浮かべる。実戦にはそぐわない行動と変に律儀なみゆきの言動が重なり、思わず苦笑してしまった。

「どうぞ」
「では、お願いしますね」

 そう言うと、いきなりみゆきが仕掛けてきた。
 これまで後ずさりするように下がっていたのを一転し、前方に身体をはねさせる。一瞬で距離を縮めると、手にした剣を振るってきた。
 歩は余裕を持って棍棒で受けた。十分見切れる速度と威力だ。人同士のタイマンであれば、歩はまず引けを取らない。

 そのまま二度、三度と撃ち合うが、振るってくる剣にはさほど力が込められていない。簡単に防げる。何か仕掛けがあると思っていい。横目でイレイネを見たが、みゆきが仕掛けてきたところから動いていない。ただ突っ立っているだけだ。周りをみても、特におかしなところは見受けられなかった。

 仕掛けがわからない以上、発想を変えた。ここで勝負をつけてしまえば、イレイネがなにをしようと歩の勝ちになる。

 そう考え、四度まで受けたところで歩は動いた。
 大きく剣を払った後、さっと棍を向け、出来る限りの速度で突いた。
 一度で決めようとせず、二度三度と突く。息もつかせないよう、余裕がなくなるよう、追い詰めるように突き、引き、また突きを繰り返す。
 みゆきはなんとか避けてきたが、序々に剣で受けることが増え始めた。歩に剣が向かなくなるまでに、そう時間はかからなかった。

 劣勢のあまりみゆきが押されて後退の第一歩を踏んだ瞬間、歩はその場にとどまり棍棒を振り被った。
 全身の筋肉を引き絞り、すこしだけ助走をつけて、一撃。。

「はああっ!!」

 雄たけびと共に、渾身の横薙ぎを見舞った。
 後退しかけのみゆきにもろに棍が入る。剣越しに、衝撃が突きぬけたのがわかった。そのまま力を込め、みゆきを吹き飛ばす。

 みゆきの身体が砂地に線を描くのを傍目に、歩はイレイネを注視したが、まるで動きが見られない。イレイネの仕込みは見つけられない。

 ならば、このまま勝負をつけようと、地を蹴ろうと足に力を込めたとき、唐突にアーサーの声が響いた。

「上を見よ!」

 アーサーの声で咄嗟に真上を見上げると、透明な槍が落ちてきた。
 その場で転げるように身をひるがえし、なんとか避ける。槍は地面に深く突き刺さると、すぐに形が崩れて、地面に水たまりを作った。イレイネの奇襲だ。これが新技か。

 しかし、歩は避けた。奥の手まで避けたならば、後は歩の――

「周囲警戒!」

 アーサーの声に感応し、辺りを見回した。
 しかし、何も見えない。聞こえない。臭わない。おかしなところといえば……唇が少しべとつく位。五感では何も感じられない。

 そう考えたが、なにかが違う。違和感があるのだ。なにか、全く別の。
 額に冷たい汗を感じ始めたころ、見えはじめた。

 宙になにかごくごく小さなものが浮かんでいる。
 加速度的に膨らんでいったそれは、雨粒に見える。
 これが――本当のイレイネの新技!?

「大分コントロールができるようになったね」

 身体から離れたパーツもコントロールはできることは知っていた。ただ見えないほど薄く操作できるとは思わなかった。それに量も違う。目に見えぬほど薄い状態から、次々と生まれ、膨れ上がり、空間を満たしていった。
 そこでイレイネを見直し、気付いた。身体がいつもの七割ほどまで縮んでいる。気取られぬよう、ゆっくりと身体を細分化し、空中に仕込ませていたのだろうか。見事としかいいようがない。

「イレイネ、行きなさい」

 みゆきの合図と共に、雨が降ってきた。
 歩に向かって収束、文字通り雨あられと降り注いでくる。歩は反射的に両腕で顔を庇うが、お構いなしに雨粒は叩きつけてきた。
 威力はさほどでもない。小石を投げ付けられた位のもので、日々鍛えている歩にとっては、一つ一つはどうとでもなるレベルだ。
 だが、量が多すぎる。身体の至る所を殴りつけられるような状況だ。一つ一つに気を配るのは不可能で、目や鳩尾といった急所は晒せない。

「あ……! よ……よ!」

 アーサーが何か言っているが聞こえない。スコールの如き大雨は、外と内を音の面でも遮断していた。

 腹のあたりに重い衝撃が突きぬけた。
 地面の感触が消え、雨の感覚がなくなったかと思うと、今度は背中ががりがりと削られる。ほこりの匂いがして、砂利を含んだ地面の上を滑っているのがわかった。
 身体が止まると同時に、なんとか平静を取り戻して起き上る。先程まで歩のいたところに立つイレイネの姿が目に入った。先程の衝撃はイレイネの蹴りか。
 と、首元に冷たい感触がした。鋭利なものが、皮膚に当てられた感じだ。

「降参?」

 両手を上げると、すぐに冷たい感触が消えた。振り返ってみると、みゆきが剣を納めていた。素早く回り込んでいたようだ

「どう?」
「驚いた。いきなりやられると頭が真っ白になるね」
「慣れるまでは、拘束できそうだね。感想、後でもう少しおねがいしていい?」
「全身ねらうより、頭とか目とか一点集中で狙った方がいいかも。感想の件はいいけど、イレイネは大丈夫なのか? 明後日学期末模擬戦だけど」

 みゆきの隣にいるイレイネの身体はいつもの八割ほどまで縮まったままだ。あの技は大分負担をかけるようだ。

「二日もあれば大丈夫。まあ、感想考えといて」

 歩が頷くと、藤花のおつかれさまでした、という声が聞こえてきた。
 その場を離れ、次の人に受け渡す。倉庫の壁に背を預けるようにして座りこんだみゆきの隣に歩も続いた。

「ふむ、壮観であった。いい技だ。模擬戦前にこんな目立つところで使っていいのかは気になるが」
「ありがと」

 空中から降りてきたアーサーがみゆきに言った。
 歩がふ~っと息を吐くと、アーサーが声をかけてくる。

「それにしても情けない。あっさりとやられおって」

 少し頭にきた。

「二体一なんだから仕方がないだろ」
「技を見抜き、警戒を促したのは誰だ?」
「口動かしただけじゃん」
「ふん、我が英知をなんとするか。深い洞察とたゆまぬ鍛錬によって我が見識は……」
「生後五年が何言ってんだ」
「年月などただの目安に過ぎぬ」
「それなら百年早いも意味ないだろ。お前は何様のつもりだ」
「何様もなにも、竜だ」
「竜が苦手な癖になに言いやがる」
「はい、そこうるさいですよ。余りうるさいと私達と模擬戦やらせますよ」

 藤花の声に反応し、隣で睨みを聞かせている彼女のパートナーを見た。ユウと言う名の、燃える巨大な狼。背筋に冷たいものが吹き出してくる。
 歩とアーサーはあっさりと黙った。脇目でみゆきが吹き出すのが見えた。



[31770] 幼竜殺し 1-4 帰り道、小学生
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/03/04 20:34

 模擬戦は散々な結果だった。
 結果は全敗、藤花には小言を、保険教諭には模擬戦そのものへの不満も兼ねた愚痴、隣で飛んでいる小竜には散々な煽りを入れられた。

 なんとか模擬戦を終え、帰途についた。歩く振動で傷がひきつる感触がなんとも言い難い。

「はあ」
「おつかれさまでした」

 隣で歩いているみゆきは髪を下ろしており、模擬戦の後だと感じさせない優雅な姿だ。イレイネも多少身体が縮んではいるが、激戦の後を感じさせない。アーサーはのんびりと夕餉の匂いによだれを垂らしそうになっている。

「あそこの肉まんなどいいのう。もう一週間も行っていないのではないか?」
「相変わらずの食い意地で」
「育ち盛り故。お前の傷にも効くのではないか? 旨いもの食えば痛みも忘れよう」
「お前が食いたいだけだろ」
「何を言う。お前への配慮というに」
「よだれ垂れてるぞ」

 大きな口からよだれをこぼすアーサーは、歩とは対照的に無傷だ。飛んでいただけで直接対峙したわけではないから当然だ。それは歩も同意していることだし、アーサーの指示は役に立つことも多いので、不満はない。ただぼろぼろの自分とアーサーを身比べると、恨めしく思うことはある。

 よだれを垂らす能天気な姿を見ると、パートナーとはなんなのかと今更ながら考え込んでしまう。みゆきの三歩後ろで粛々と従っているイレイネを見ると、余りの落差に泣きたくなってきた。

「家まで我慢しろ」
「嫌じゃ」
「酒飲ませんぞ」
「何の権限があって左様な外道を!」
「そもそも五歳にゃまだ早い!」
「法律では我に飲酒制限はないぞ!?」
「自分から飲みたがるパートナーなんて普通いねえからだろうが!」
「まあまあ。私がおごってあげるからさ」

 隣で歩いているみゆきが言った。

「なんでお前らはそう甘いかなあ」
「まあまあ。私も小腹が空いたしね。分けてあげる位ならいいでしょ?」
「本当か!? なら、あそこの肉まんがいいぞ!」

 『あそこ』とは、アーサーお気に入りの駄菓子屋のことだ。風体は昔ながらの駄菓子屋ながら、中身は駄菓子だけでなく肉まんをはじめとした軽食類、野菜、酒、挙句の果てには花火や武器の類まで扱っている、とんでもない店なのだ。営業時間は基本的には朝十時から夜九時までとなっているが、深夜でも多少の色を付ければ店を開いてくれるという、自由すぎる営業をしている。家までの帰り道にあることもあって、歩達は常連になっていた。

「こうしちゃおれん! 早くいくぞ! 肉まんが我を心待ちにしておるわ」
「肉まんの気持ちがよくわかるな」
「我は先に行くぞ! フハハハハハ!」

 歩のツッコミにもまるで反応せず、アーサーは飛んでいってしまった。
 それを見て微笑みながら、みゆきが問いかけてくる。

「追わないの?」
「あそこのおっちゃんも馴染みだから、勝手にしてくれるだろ」

 みゆきは柔らかい微笑を浮かべているが、少しだけ苦笑が混じっているように見える。

「無理しすぎたね。そんなに傷一杯作っちゃって、藤花先生怒ってたよ」
「……言うな。アーサーと一緒に震えあがらされたんだからさ」

 怒った藤花は本気で怖い。『もし学期末模擬戦が明後日じゃなかったら、私達としごいてあげたのに』と聞かされたときは、初めて学期末模擬戦の存在に感謝した。

 怖いものなしに見えるアーサーも彼女達は苦手なようで、積極的に関わろうとはしない。闘争心がかきたてられる己が怖いのだ、などとうそぶいていたが、半ば怯えている様子は消えなかった。特に、藤花のパートナーであるユウが苦手なようだ。
 みゆきは笑った。

「相変わらず仲がよくていいね」
「どこがだよ」
「二人揃って先生怖がってた姿とか。それに言いあいできるのは仲が良い証拠でしょ?」
「お前らみたいな阿吽の呼吸の方が羨ましい」

 我ながら今日は本当に愚痴っぽい。藤花のドラゴン話からこっち、気落ちすることばかりだったからかもしれない。空気を重くしているのも、なんとなくわかる。
 みゆきには悪いとは思うが、それでも容易く気分は変えられそうになかった。

 なんとなく町を見回してみる。人間と多様なパートナー達の営みが目に入ってきた。
 足早に帰途につく学生、なめした竹で作った買い物籠をさげる主婦と思しき女性、威勢よく呼び込みをかける売り子の兄さん。
 学生の足元では、ピンと背筋を伸ばした猫が寄り添って歩いている。主婦の頭上では、四足の鳥が少し小さめの買い物袋をくわえている。売り子が威勢よく呼び込みをしている後ろで、サンタクロースのような可愛らしい小人が、陳列した野菜を丁寧に並べ直していた。

 歩達が今歩いている道を見ても、そこかしこにパートナーの存在が見えた。
そもそも道そのものが人だけが通るためにしては広すぎる。全ての道が大型のパートナーも通れるように作られているためだ。砂地の道路を見るだけでもパートナーの息吹を感じる。

 歩の脇を大型の牛車が通り抜けていった。巻き上がった砂に辟易しつつも、角をそびえ立たせた巨大な牛が引きずる荷台には、『最大積載量十トン』と書かれているのが見えた。

「あー、なんかなー。うん」
「どうした?」
「いや、なんかなー、もやもやする」

 ぱっとみゆきとイレイネを見た。イレイネは巻き上げられた砂を防ぐべく、みゆきの横で手を広げていた。本当にみゆき思いのパートナーだ。それを見て何故だか嬉しくなった。

「ほんといい子だな」
「アーサーも可愛いと思うよ? 素直で」

 素直というより、我がままなガキだと思ったが、そのことを口にはしない。

「アホなのはいんだけど、やっぱ模擬戦がなーあいつのせいじゃないんだけどねえ」
「歩は一人でも十分戦えてるじゃん。最上位クラスのパートナー相手に人間だけで勝ててるんだから、自信を持っていいよ」
「十回に一回も勝ってないんだけど」
「それだけでもすごいよ。今日だって、私、すぐにやられちゃったし」

 確かに人間相手のタイマンではまず負ける気がしない。模擬戦の度に強力なパートナーと張り合わないといけないということがあり、日々鍛えている。毎朝ジョギングしているし、休みの日は筋力トレーニングと槍を使った型の練習。たまにイレイネやユウに手伝ってもらって、組手もしている。その成果もあってか、人間としての身体能力には自信があった。

「先週とか一撃で巨人倒したりしてたし。あれどうやってるの?」
「巨人とかは皮膚と筋肉ぶ厚いから、避けながらだと大したダメージになんない。だからリスクもでかい一撃にかけて、捨て身でやってるんだよ。うまくいかなかった場合は反撃喰らって即終了なんだけどな」

 思い返してみると、今日はそうした捨て身の行動が多かった気がした。少し自暴自棄になっていた部分があったのかもしれない。今だからわかることではあるが。
 みゆきが呆れたように言った。

「十分すごいって。捨て身の一撃なんて、よほどの度胸がないとできないよ」
「度胸だけってのもねえ」

 ここでみゆきが身をひるがえして歩の前に立ち、歩のペースに合わせて後ろ歩きを始めた。長い髪とスカートがはためき、夕日を反射させてまぶしく輝く。みゆきの造詣の美しさも相まって、眼前の光景は一枚の絵になっていた。

「そんなことないって。歩はすごいよ。私が保証する」

 にっこりと笑みを浮かべたみゆきに真正面から褒められると、どうも照れる。

「ありがと」
「いーえ、どういたしまして」

 そうこうしている内に、アーサーが飛んで行った駄菓子屋に着いた。
 中に入ると、すっかり馴染みになっている店主の顔が見えた。白いものが混じり始めたひげが印象的なおじさんで、アーサーが勝手にツケても快く受けてくれる。
 軽く会釈した後、尋ねた。

「アーサー、どこいます?」
「あっちでアイドルやってるぞ。折角の好物も食わずに。とりあえずほら」

 店主は肉まんの入った包みを渡してきた。慌てて受け取り、代金を渡した。
 歩が受け取るのを見て、店主は奥の方で小山になっている学生達の人だかりをさした。冬服の制服を見るに、歩も通っていた小学校の生徒か。身体の大きさからして、小学五年生といったあたりか。

 乱雑に積まれた菓子の山を脇に通り抜け近寄って行くと、小学生達の甲高い喧噪の間から、アーサーの声が聞こえてきた。
 いつも通りの尊大な口調だが、応対は心なしか優しい気がした。

「そんな無茶をするでない。我はモノではないのだぞ」
「うわ~すげ~」「本物の竜だぜ? 角かっけー」「馬鹿、翼のほうがかっけえよ」「やっぱ竜いいなー。俺も欲しい」「最高!」

 アーサーは全身を無遠慮に触られていた。角を撫でまわし、翼をぱかぱかと広げて閉じるを繰り返していたり、尻尾をひっぱったりされている。困った様子ではあるが、怒気を見られない。

「相変わらず、子どもには甘いんだね」
「自分もガキだからだろ」

 歩達の会話も届かないほど、小学生達の興奮は冷めやらないものだ。目は爛々と輝いており、頬を上気させている姿を見ると、自分が年をとった実感がわいてくる。

 一番前で、最も興奮していた少年が言った。

「ねえねえアーサー、俺のパートナーも竜だったりしないかな?」
「それは我にもわからぬが、どうしてだ?」
「俺、軍に入りたいんだ。やっぱり軍隊っていったら、パートナーが重要だろ? 俺のパートナーが竜の可能性ってある?」
「うむ。皆も軍志望なのか?」

 アーサーが見回しながら尋ねると、結構な人数の子どもが頷いた。自分の小学校のころの記憶を思い起すと、将来軍に入りたいというやつはやっぱり多かった気がする。社会的な保証もあり、親の支持があることもあるが、パートナーと共に闘う、というのは男の夢の一つなのだろう。
 アーサーはすこし考え込んだ後で答えた。

「可能性はあると思うぞ。実際、卵が孵ってみないことにはわからんからな」
「何言ってんだよ。竜が生まれるかなんてほとんど血筋だろ。貴族ばっかじゃん」

 空気に相反する冷えた声が聞こえてきた。声の方を向くと、アーサーを取り囲む輪から、離れた場所に座っている少年がいた。ただ一人輪から外れ、群がる同級生達を小馬鹿にしているように見えた。
 先程一番に質問をした少年が笑いながら言った。

「何言ってんだよ。アーサーは一般人のパートナーって今さっき言ってただろ。普通にあり得るって」

 一般的に誕生するパートナーに法則はない。親が犬型だからと子どもに犬が生まれるわけではなく、トンビが鷹を生むなんてことはざらにある。
 だが竜のみ違う。ほとんどは血筋であり、親から子へ受け継がれるケースばかりなのだ。竜使いはその能力故に社会的地位が高くなるため、それも受け継がれた結果、竜使いは貴族になっているのだ。

 冷めた少年は、重く嘆息した。どこか呆れた感のある、絶望感が伝わってくる声音だ。続いた声は、小学生の甲高いものなのに妙に重く響いた。

「貴族の血筋じゃない竜使い、全国でどの位いるか知ってる?」

 唐突な問いに、迷いつつ先程の少年が答えた。

「え、と。百人位じゃない?」

 冷めた少年はつぶやくように言った。

「五人」
「えっ?」
「だから、五人。三世代さかのぼっても竜使いがいないのに、当人だけが竜使いの人。突然変異の竜使いは、五人だけ。世界の人口一億人の中で、代々竜使いばかりを輩出する貴族の家系で千人、親戚に竜使いがいる人で二百人。全く関係がない突然変異は五人だけ。その五人のうちの一人がアーサーの相方」

 凍りつかせるような少年の言葉が、場の空気を一気に冷やしていく。アーサーの回りで起こっていた熱気は一気に昇華していった。

「ざっと計算して、十年に一人位。まずないよ」

 一番興奮していた少年はなんとか反論しようとしていたが、何も浮かばないらしく口をもごもごさせるだけで、言葉が出てこない。それ以外の同級生も皆同様だった。
 全員が押し黙り、背筋に流れる汗が感じられる空気が蔓延した。歩も何か声をかけるべきかと思ったが、かける言葉がみつからなかった。

 しばらく続くかと思われた空気を切り裂いたのは、良く耳にする渋い声。
 アーサーだった。

「貴公は竜が好きか?」
「へっ?」

 突拍子のない問いに、少年の口からすっとんきょうな音が漏れた。
 アーサーは何も聞こえなかったように、厳かに続けた。

「貴公の語った詳細は、相当の熱意を持って調査されたことは察して余りある。竜に対する熱き思いを我は感じ取ったが、違うか?」

 冷めていた少年の顔が真っ赤になった。図星なのだろう。
 一番熱意を持っていた少年が笑みを浮かべ、真っ赤になった少年に声をかけようとしたが、途中で止まった。
 アーサーが頭を下げたからだ。

「感謝の意を述べさせてもらう。竜に対しての熱き愛情は、竜として何よりもうれしきことだ。ありがとう」

 意外だ。こんなアーサーの姿を見たのはいつ以来だろう。今アーサーが心から人に頭を下げているのは、誰でもわかる。竜に対する愛着は相当なものだとわかっていたが、まさか他の竜と対面することはおろか話題さえも避けるアーサーが、これほどまでに真摯な思いを抱えていたとは。

 小学生達は黙りこんでしまった。何を答えればいいのか、どう受け止めればいいのか、よくわからないのだろう。熱気のあった少年も、冷めた少年も、等しく黙ってしまっている。
 そのまま一分ほどが過ぎたころ、アーサーが歩に気付いて声をかけてきた。

「おう、来たか」

 小学生達の視線が一斉に歩に向けられた。
 驚きと羨望と、淡い嫉妬が入り乱れたが、すぐに別なものに変わった。

「ああ」
「では帰るか」

 翼を上下に羽ばたかせ、歩のところまで飛んできた。肩に乗り翼をたたんだところで、一番の熱気を持っていた少年が、怪訝そうに尋ねてきた。

「お兄さん、高校生?」
「ああ、高二だ」
「ってことは、アーサーってE級?」

 人間以外の生物は五段階にランク分けされる。
 A級は竜。B級は天使族、悪魔族、機械族が振り分けられる。C級は上記以外で、人間社会にダメ―ジを負わせることが可能とされるA級でもB級でもない生物。ここまでの生物で、パートナーではないものが、魔物と呼ばれている。
 D級は、一般に食肉や卵、毛等を採取するための家畜のこと。

 そして、E級。
 それは生後五年経っても身体が三十センチ以上に成長しなかった生物を指す。
 俗称は『外れ』。文字通りの意味だ。

 一週間前、アーサーはE級と判定された。

 場が一気に白けていくのがわかった。「何だE級か」「竜じゃねえじゃん」「つまんね、帰ろ」など次々と聞こえはじめ、ぞろぞろと連れだって外に出て行った。先程の少年二人が慰め合うように一緒にいたのが、妙に目に残った。

 あっという間に、小学生たちはいなくなった。残ったのは、歩とアーサー、みゆきとイレイネ、そして店主だけ。
 歩はなんと声をかけていいかわからなかった。自分が近寄らなかったらこうならなかったのではないかという思いもあり、何をするのも躊躇われた。

「肉まん、あるか?」

 アーサーに言われて、手に持った肉まんを思い出した。何も考えずに持ち上げたが、持ちあげてから冷めてしまっていることに気付いた。

「あ、冷めてるから……」
「ふん、かまわん」

 歩が下ろそうとした袋を掴むと、アーサーは食べ始めた。
すぐに平らげたが、横から温かい肉まんが差し出された。店主だった。

「ほら、食え。俺のおごりだ」
「いいのか?」

 店主が頷くのを見てから、アーサーは手を伸ばした。一気に胃に納める。
 あっさり食べ終えたア―サ―が口を開いた。声音はいつもどおりだ。

「帰るぞ、歩。別にそこで呆けていても構わんがの」
「あ、いや、うん」
「何をしておる? 怪我は脳まで及んだか?」

 少しいらつく言い方は、いつものアーサーだ。へこんでいる様子は見られない。

「ま、帰るか」
「うむ、さっさと帰るぞ。時間ももう遅い。足早にな」
「なんだそれ。走れってこと?」
「当然」
「飛ぶ気はない?」
「面倒だ」
「まあまあ二人とも」

 みゆきが間に入ってくれるのもいつも通り。
 店主に礼を言い帰途についた。
 いつもどおりのアーサーとやりとりをしつつ見上げた空は、真っ暗だった。



[31770] 幼竜殺し 1-5 飲み友、パートナー、そして幼竜殺し
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/03/07 20:59
 帰途はアーサーといつものように軽口を叩き合い続けて、たまにみゆきが入ってくるという、小学生たちのことを忘れてしまいそうなほど、いつもどおりだった。
 途中でみゆきと別れてからも平常通りで、結局やむことはなく今になっている。

「「ただいま」」

 歩は玄関のドアを開けて、先にアーサーを入れてから中に入った。

「お帰り」

 玄関を通り過ぎリビングに行くと、グラスを傾ける母親の姿があった。テーブルの上には、半分ほど減ったウィスキーの瓶がある。
 母親の類が片方の眉を傾けて言った。

「みゆきは一緒じゃないのか」
「ああ。ってか別に来る日じゃないだろ?」
「なんだけどね、来るかなーとか思ってたのよ」

 半年ほど前まで、みゆきはこの家に住んでいた。事情は結局教えてもらっていないが、養子のような形にしていたらしい。突然できた妹のような存在に戸惑ったが、一緒に暮らす内に逆に世話をやかれるようになり、最終的には逆に姉のように振る舞っていた。

 ところが一年前、みゆきは独立する旨を言い、家から出て行った。といっても仲違いしたわけではなく、ただ独立したかっただけと言っていた。金銭面で特に苦労していないらしい。類は寂しがったが最後は快諾し、親子三人+三体の生活はそこで終わった。

「残念。いっぱい作ったんだけどねえ」
「まあ、そう言うなって。週末一緒に飯食ってんじゃん」

 類は交換条件として、みゆきに週末は家に来てご飯を一緒にとるように言いつけている。みゆきもそれを快諾したため、週末になるとこの家に来て泊まっていく。独立したとはいえ部屋もそのままにされており、大学になって出ていった姉のような状況だ。高校で同じクラスが続いていることもあり、未だに関係は薄くなっていない。

 そういった経緯があるため、歩にとってみゆきは、姉であり、妹であり、同級生であり、親友であるという、なんだかよくわからない存在になっていた。

「ってか、酒飲むのはええよ。まだ七時だぞ」
「お固いこといいなさんな。飯はもう作ってあるから、風呂はいってこいや」

 台所を見ると机の上にはもう準備がしてあった。後は温めてよそうだけ、といった感じで、完全に歩を待っている状況だ。
 さっさとシャワーを浴びようと自分の部屋に向かおうとすると、歩の隣をさっと飛び抜けたやつがいた。

「我が杯の用意はあるか!?」
「飲み友の分、ないわけないじゃん。ほれ、駆けつけ一杯」
「これはかたじけない」

 早く戻って来ないと飲兵衛ができあがってしまう。半端に酔ったアーサーのたちの悪さはいつもの比ではないため、自室に向かう足を速めた。
 ドアをあけてすぐのところにバッグを放り適当に服をひっつかむと、急いで脱衣所を兼ねた洗面所に向かい、服を脱ぎ捨てて烏の行水。大雑把に身体を拭いて居間に行った。
 時計を見ると所要時間は五分ほどだったが、それでも遅かった。
 アホが歩に向かって飛んできた。すさまじい酒の匂いも一緒に流れてきた。

「おーい、こっち来いよ歩。一緒に飲もうぜ~」

 アーサーは酔いが回ると口調が若くなる癖があるのだが、それは大抵潰れる直前。
 いくらなんでも速すぎるだろうと嘆息しながらもからまれずに済んだことに安堵しつつ、アーサーに声をかける。

「飲まねえよ。お前、そんなんで飯食えるのか?」
「あ~余裕っしょ。じゃあ飯食うか。母上殿、お願いします」
「はいはい」
「おい、あぶねえよ」

 翼を広げて宙に浮いているのだが、右へ左へふらふらするばかりで、いつ墜落するか見られたものではなかった。

「あーもう」

 下からすくいあげるような形で両手にアーサーを受ける。
 小さな身体が歩の手の中に綺麗に収まった。

「あー、あんがと」
「おい、アーサー?」

 そのまま言葉にならない言葉を二、三呟き、アーサーは眠ってしまった。
 ひとまずソファの隣にあるアーサー用の籠に乗せて、毛布を被せる。歩の部屋にもこれと似たものがあり、いつもはそこで寝ているのだが、今日はここで朝を迎えることになりそうだ。
 頭だけが毛布から出る態勢で眠りこけるアーサーを眺めていると、母親の笑い声が聞こえてきた。

「あはは、相変わらず弱いわね」
「わかってんなら飲ますなよ」

 アーサーをそのままにしてリビングに向かうと、もうご飯がよそってあった。献立は、アジの塩焼きにすき焼き。どうもミスマッチだ。
 これはおそらく。

「このアジはつまみの分?」
「ハハハ、作り過ぎちゃってさ―」

 文句を言いつつも、アジを摘まんで口に入れる。脂ののった温かい味が口中に広がった。母親の顔を見ると、満足そうにこちらを眺めていた。

 恥ずかしい気持ちはあるもののおとなしく食べ続けることにした。黙って箸を動かしていると、母親がテーブル傍の足元に屈みこんだ。見ると、そこには類のパートナーである白猫のミルがいた。歩のものと同じ焼き魚をもらうと、勢いよく食べ始める。文字通りの猫舌のミルがすぐに食べられるあたり、先に焼いていたようだ

「どう?」
「旨い」
「そう」

 歩はすき焼きにも手を伸ばす。すき焼きにしては甘さが薄めなのだが、これで育った歩にとっては逆にこれ以上甘いと美味しく感じられない。外で食べるすき焼きは逆に食べられない位だ。

 黙々と箸を進めていく。お腹が減っていたのもあり、今日の夕食は格別だった。隣で張り合う相手がいないのが、寂しいといえば寂しいが。

 黙って食べ始めると、つけっぱなしになっていたラジオの音が食卓を満たし始めた。『目で見ず頭で見ろ』を信条としている類の意向で、水城家においてテレビがつけられることはほとんどない。そのかわりにラジオが常時稼働していて、ニュースを届けてくれる。

 ラジオは異常増殖した黒蛇の対処に、軍が出動したというニュースを流していた。魔物は頻繁に人間の生活圏内に姿を現すため、こうしたニュースは多い。普通の学校でも模擬戦などが行われている理由だ。竜が異常なまでに特別扱いされている理由でもある。

 しかし歩はそうした実感が湧いたことは今でもない。他の一般生徒達でもそうだろう。こうしてニュースで見聞きする位で、ほとんどは軍によって処理されるためか、返って全く別の世界の話しを聞かされているような気がしている。

 鍋の中身が七割ほどまで減ったころ、ニュースの内容が変わった。インタビューに移るようだ。みゆきが言った。

「あ、今大人気の隊長さんか」

 インタビューの相手は国軍の第一陸戦部隊隊長だった。第一陸戦部隊隊長といえば、国でも屈指のパートナーを持つものでしか務まらない役目なため、竜使い以外がなることは少ないのだが、今の隊長のパートナーはペガサスのような外見の機械型だ。親近感から大多数の竜使い以外の人から人気がある。
 若い女性の声のインタビュアーが尋ねた。

「それでは、少し踏み込んだところの話をお聞きしてもいいでしょうか?」
「どうぞ」
「竜使いでないものが、今の地位にまで上り詰めた秘訣は何かあるでしょうか? 卓越したレーダー機能によるところも大きい、と言われていますが、そこについてもお願いします」

「レーダー機能は、確かに有効なものです。敵味方の場所を捕捉、識別できるというのは、戦場においてかなりのアドバンテージですからね。ですが、同じ機械型の中にはレーダーを無効化できるものもおります。事実、私のパートナーも無効化できますしね。ですので、一概に優れているとは言えません。やはり日々の鍛錬と自己の克己、それに尽きます。竜使いに及ばないことは確かですが、象と蟻ではなく、象と猪位までならなることは可能だ、と個人的には思っています」

「なるほど。では次の質問は不躾なものですが、答えてくれますよね?」
「プライベートに関しては黙秘させていただきます」

 冗談まじりに答える隊長の姿が目に浮かんだ。以前見たことがあるが、随分な美丈夫だった。俳優といっても通用しそうな柔らかい雰囲気をもっており、それは声しか聞こえないラジオでもよくわかった。

「以前所属しておられた後方支援部隊は画期的な部隊でした。戦場で行き交う情報の収集、伝達を全て一元化することで、総合的な戦力を強化することに成功。あなたが第一陸戦部隊隊長に抜擢されたのも、後方支援部隊の設立者であったことが大きいと聞いています」
「まあそうですね。いい部下に恵まれましたから」

「そのいい部下とおっしゃられた隊員達の内、一人も第一陸戦部隊に引き抜くことはしなかった、というのはどうしてでしょうか? 腹心の部下も三名までなら連れていける、と聞いたことがあるのですが。それは第一部隊は隊長を除いて全隊員が竜使いだからでしょうか」

「また随分ときついことを」
「どうかお願いします」

「部下を連れていかなかったのは、純粋な実力の問題です。後方支援部隊は文字通り、正面から戦うものではないですが、第一陸戦部隊ともなると相応の力は求められます。魔物相手の戦場では何が起こるかわかりませんから、最低限自分の身を守れる位、足手まといにならない位は必要です。ですが私自身、なんとかついていっている、というレベルですので、彼等には難しいのではないかと思いました。それ故です」

「一部では、竜使いの方々が嫌がった、という話もありますが」
「全くそんなことないですよ。逆によくしてもらっている位で、こちらが申し訳なくなることも多々あります。私自身、時折この地位にふさわしくないのではないか、という疑問を持つことも多いですし」
「また御謙遜を。では……」

 これ以上聞く気はなくなってきた。過剰なまでの竜に対する謙遜と卑下は、歩にとってはこそばゆいどころか皮膚をがしがし削られている感覚がする。

「消していい?」
「いいよ」

 立ち上がり、ラジオの電源を落とした。そこから再び席に戻ろうと振りかえったところで、母親の類がなにやら自分をみつめているのに気付いた。嬉しそうでもあるが、どこか影のある感じだ。なにはともあれ、みつめられるのは気恥ずかしい。

「なんだよ」
「いや、なんでもない」

 適当に答えてきた類は半分程残っていたウィスキーを喉に押し込み、更にグラスに注いだ。

「みゆきやアーサーがいたほうがいいけど、あんたと二人きりってのもたまにはいいね」
「たまにはね。争う相手がいないのは楽だ」
「みゆきはともかく、アーサーはどこに入るのかってくらい食べるからね。食い意地汚いし」

 水城家の家族構成は母親に息子にそれぞれのパートナーを加えた、二人+二体。みゆきが加わる以前と以後は、ずっとこうだ。俗に言う母子家庭であり、母親たる類は日頃忙しく働いているため、歩とアーサーの二人だけで夕食を済ませることが週に二、三回はある。
 手元のグラスの中でウィスキーと氷をくるくると回しながら、類が言った。

「ねえ、今日何があったか話してよ」

 たまにこんな風に大雑把に話を振られることがあるのだが、嫌がっても大抵押し切られてしゃべることになるため、歩は諦めて話すことにした。

 話題は、一時間前にあった出来事。
 甘みの少ないすき焼きを堪能しつつ、思いつく限り駄々漏れで口に出していく。
 全て話し終えると、それまで聞き役に徹していた類が口を開いた。

「――そんなことあったんだ」
「ああ」

 類がずっと手のひらで弄んでいたグラスをタン、と置いた。

「あんたはどう思った?」
「え?」
「アーサーが受ける扱いと、そんなアーサー自身について」

 少し考えてみて、答える。

「しょうがないんじゃないかな。くやしいし、どうにかしたいという思いはあるけど、どうしようもないし。アーサー自身も小憎たらしいまんまだったし」

 豆腐を卵にからませてから口に入れた。すき焼き特有の甘辛い味から、肉や野菜のうまみが広がった後、微妙な甘さが口に残る。それでお腹いっぱいになった。
 母が唐突に言った。

「アーサー酔うの早かったよね」
「そうだな、相変わらず弱い」

 氷がからり、と音を立てた。

「いや、今日は特に早かったよ。いくらなんでも五分で酔い潰れるなんてできるもんじゃない。竜のあの子だからまだ無理がきくけど、そんな飲み方したら病院連れて行かないと駄目だよ。そもそもあの子は酒量をコントロールしてできるだけ長く楽しもうとするしね。何よりあの食いしん坊がご飯を忘れて酔い潰れるなんてことはありえない」

 思い返してみると、確かにそうだ。食い意地の張るアーサーが夜飯前に酔いつぶれたのはそうなかったように思う。
 いや、最近あった。

「あいつ、E級判定受けた時もこんな感じだったかな」
「そうね」
「……内心、ショックだったのか」
「表には出すまいと振る舞っていたんだろうけどね。どうしてだと思う?」

 類がグラスの中にとくとくと注ぎ始めた。
その音が妙に小気味よい。

「気を――使ったのかな?」
「そうだね。なんだかんだで優しいし、空気読むから」
「なんでわかるの?」
「飲み友だからねー」

 ハハハと乾いた笑いを吐きながら、琥珀色の液体を喉に押し込んだ。

「……アーサー、そんなことできたんだ」
「あの子は特別だと思ってた? 子どもで、竜で、大きくならなくって、それでも傍若無人に振る舞う、全てが特殊なパートナー」

 今思えば、歩は知らず知らずのうちに特別に思っていたのかもしれない。良くも悪くも他とは違う、と。

「内面は普通だよ、アーサーは。竜で、言葉をしゃべって、大きくならないで、それでも傲慢に振る舞って、そこそこ可愛らしくて。特別に思えるけど、普通に傷つくし、普通に他人を思いやれる。あんたと変わらないさ」
「……俺、何を知ってたのかな、あいつの」
「誰よりも知ってるよ。だけど、近すぎるが故に見えないものも多かったろうね」

 歩の中で、アーサーは別格だった。優れているとか、劣っているとかではなく、他とは隔絶したところにいる感じだ。生まれながらに言葉をしゃべり、古臭い言葉づかいを用いて、傲慢で、無邪気で、小さくて、竜のことが好きなくせに他の竜との交流を避ける、たまに可愛らしい特殊な竜。他とは違う存在だ。
 だがその心の内まで違ったのだろうか。

「さて、もう終わりかね。ミル、美味かったか?」

 類の声で、なんとなくミルを見る。まんぞくそうに食後の洗顔をした後、のびをした。

「あんたももういい?」
「あ、ああ。ごちそうさまでした」
「いーえ。ミル、お願い」

 ミルが一度ニャーと鳴いた後、背筋をピンと伸ばした。目の色が、濁った青から金色に変わり、そのままどこか遠くを見て、全身を震わせはじめた。
 それと同期するように、テーブルの上の食器が震えたかと思うと、浮いた。
 歩が食べていたアジの骨を乗せた一枚が洗い場に飛んでいくと、雪崩をうったように次々と続いていく。

 ミルの念力だ。なにげない日常生活に使える程、ミルのそれは洗練、熟練されている。
 全て運び終えると、ミルの目が戻った。

「おつかれさま、と。口開けて」

 類はミルの首を撫で始めたが、何かに気付いて口を開けさせた。歯の間に指を突っ込んだ。歯に魚の骨がひっかかっていたようだ。

 類とミルは互いを理解しあえている。それこそがパートナーのあるべき姿だ。
 自分はアーサーをどれだけ理解しているのだろうか。

 類は洗い物を始めていたのだが、ふと何か思い出したように振り返り、聞いてきた。

「今日のすき焼きどうだった? 甘さどう?」
「あ、ああ美味しかったよ」
「なら良かった」

 類のパートナーは猫のミルであり、その影響を受けている。それは身体能力、敏捷性の上昇といった面もあるが、味覚などにも影響してしまう。猫は甘さをほとんど感じられないため、類もまた甘さがよくわからないらしい。

 まさに一心同体。

 歩はリビングに戻り、寝ているアーサーの顔を見た。のんきに鼻ちょうちんを膨らませて眠りこける、なんとも間抜けな姿だ。
 この小さな身体に、何が詰まっているのだろうか。何を思っているのか。

――とりあえず、この間抜けの味方でいるか。

 風呂に入ろうと風呂場に足を向けようとしたとき、再び類が声をかけてきた。

「歩、ラジオ」

 台所に向かい、耳を傾ける。
 通る声で、アナウンサーがニュースを読んでいた。

「本日、竜使いの死体が発見されました。被害者は、十九歳の学生とそのパートナー。警察による発表では、十年前に起こった『首都幼竜殺し事件』の犯人である『竜殺し』の仕業であるとのことです。長い沈黙を破っての犯行ということですが、犯行現場から……」



[31770] 幼竜殺し 1-i キメラ
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/04/28 13:04



 ×××は目を覚ました。
 目に入ってきたのは白一色の天井。壁紙は勿論のこと、純白の蛍光兎のものを使ったのか、ライトさえも混じり気のない白だった。

 ここはどこ。そもそもなにがどうなってるのか。

 周囲を見渡そうと手をついて起き上ると、ひどいめまいがした。ふらつく身体の様子を見ながら身体を起こし、ゆっくりと周囲を覗ってみる。
 
 天井以外も白一色で、何もない。軽く身体を動かせる位の広さがあるが、置いてあるものはいま自分が寝ているベッドと、籠。そこでベッドの隣に小さめの籠があることに気付いた。
 中を覗き込んで見ると、見慣れない姿が目に入ってきた。

「キメラ?」

 口に出して思いだした。意識を失う直前に見た、自分のパートナーだ。暇だ、といった感じであくびをしている。その姿に他のパートナーを捕食して強くなる化物の面影はない。

 じっと眺めていると序々に思い出してきた。
 ○○○と十二歳の誕生日を迎え、自分の卵からキメラが生まれた。それがショックで茫然としていたところ、見知らぬおじさんに眠らされたのだ。
 
 なんであんなことをしたのか。キメラだからか。それでも何故自分が。
 意識がはっきりしてくると、疑問ばかりが浮かび始め、同時に不安と焦燥が増していく。

「起きたね?」

 おじさんの声が部屋に響いた。肉声ではない、マイクを通したひび割れた声だ。
 ×××は反射的に抱いた疑問をぶつけ始めた。

「あの、どういうことですか? ここはどこですか? なんでここに連れてこられたんですか?」
「×××君、君のパートナーは何かわかっているかね?」

 自分の質問は無視されてしまったが、答えるしかない。

「キメラ、ですか?」
「その通り。君はキメラ使いになったわけだ。だからここにいる」
「それがどうして?」
「君は、キメラ使いと会ったことはこれまであったかね? 話を聞いたり、ラジオや新聞で見たことでもいい。キメラ使いの実在を聞いたことはあるかね?」

 都市伝説としてはよく聞くが、実際に目にした話を聞いた覚えはない。

「ないです」
「それは、キメラ使いは生まれてすぐに隔離されるからだ。いまの君のように」

 意味がわからない。人権やら法律やらがまるで考慮されていない。

「それって違法じゃないんですか?」
「そうだね。でも、実際は起こっていることだよ」

 そこでいきなり声音が変わった。ねっとりした猫撫で声に、怖気が走った。

「しかし私は大変かわいそうに思っている。同情している。だから君にプレゼントを上げよう」
「チャンス?」

 突然、ガコ、という音がした。音の方を向くと、真っ白な壁の一部分がずれている。隠し扉になっているようで、そこから○○○が乗っているベッドと似たようなものが押されてくる。上にはシーツがかけられており、中央がこんもりと盛り上がっていた。
 それを運んできた真っ白い服を着た人は、すぐに元の戸に戻って行った。再びただの壁に戻ってから、自分が逃亡の機を失ったことに気付いた。

「×××君、中身を見たまえ」

 従うしかなく、ベッドから降りたって運ばれてきたものに近付いた。なにか勘づいたのか、キメラも隣によってきた。
 シーツに手をかけられる位まで近寄ると、一気に生臭い匂いが鼻に入ってきた。それになにか息使いのようなものが聞こえてくる。それらの発生源は、シーツの中のように思えた。

「どうした? 早くしたまえ」

 覚悟を決めて、勢いよくシーツをはぎ取った。
 息を呑んだ。反射的に後ずさった。

 そこにあったのは、全身ぼろぼろの狼だった。
 身を横たえ、口から血を流し、腹からは何か黒い物が覗いている。ベッドの上は一面血の海なのだが、更に地面にもぽたぽたとこぼれ落ちはじめた。

 瀕死の狼の目を見ると、敵意が伝わってきたが、身体を動かす気力もないらしく、ただこちらを睨むだけだ。
 全く展開についていけずただ茫然としていると、おじさんの声が聞こえてきた。

「さあ、そいつを食べたまえ」

 意味がわからない。食べる? 何を?
 ×××が戸惑っていると、ベッドの上になにかが乗っかった。キメラだ。その姿に先程までののんきさはなく完全に『キメラ』になっている。大きさこそ小さいものの、目は鈍く光り、牙をひんむいており、獰猛な肉食獣と化していた。

 キメラが狼のはらわたに突っ込んだ。
 狼は最後の力を振り絞り、精一杯の慟哭を吠えたが、まるで意味がない。全身に血を浴びながら、首元まで狼の腹の中に埋まっている。
 キメラが嚥下する音が聞こえはじめた。ごくんごくんという音が、×××の頭に響く。耳からではない、奇妙な感じがした。

 それを聞いていると、×××も変な感覚が強くなっていく。すこし熱っぽくなったのか、頭がぼうっとしていく。感覚だけが鋭くなっていく。濃厚な匂いが鼻腔をくすぐり、狼の荒い息使いと飲みこむ音が脳内で木霊する。全身の肌が鳥肌を覚え、口の中は唾液で満ちていく。唾液は次から次へと湧き、溢れだしそうになり、こらえきれずに一度ごくり、と呑みこんだ。

 おじさんの声が再び木霊した。

「どうした? 君も食べないのか?」

 驚愕の言葉だ。人に生のパートナーを食べろというありえない言葉。
 だがなぜか腑に落ちる。先程まで気味が悪かった目の前の狼が、ごちそうにしか見えない。

「人はパートナーの影響を受ける。ならばキメラの食欲もまた人に影響を与えて当然なのだ。もう一度言おう。食べないのかい?」

 一歩近寄った。
 狼の半死体を見る。まだ息があるのか、それとももう死んだのか。
 どちらにしろ関係ない。

 手を伸ばし、狼の瞳を抉る。
 ぐりゅりと音がして、目玉と赤い紐のようなものが持ち上がった。
 
 それを口に含む。
 キメラがどういう存在か、ようやくわかった。
 ×××は、ただ本能に従った。



[31770] 幼竜殺し 2-1 小
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/03/07 20:06


「マサハル! 行け!」
「グオオォォォォ!!」

 マサハルと呼ばれた巨人が駆けてきた。膂力だけで言えば、この模擬戦クラスのなかでも一番だ。ただまっすぐに走り棍棒を振るうというシンプル極まりない一撃だが、受け止められるものはクラスにほとんどいない。

 歩は手にした棍のことを考えるまでもなく、避けることを選んだ。横薙ぎの一撃は身をかがめて避けたが、髪が振り払われる感触に背筋が冷えた。
ひとまず反撃の一手と、身をかがめた態勢からマサハルのすねに向かって棍を振るったが、返ってきた感触はぶ厚いサンドバックでも叩いたようなものだった。巨人の顔を見るが、苦痛は見てとれない。やはり無駄か。

そのまま横に身体を流して距離を取った。
巨人の主たる大楽が煽ってきた。

「相変わらず避けるのは上手いな! けど、逃げるだけじゃ意味ねえぞ!」

 巨人の奥で腕を組み突っ立っている大楽を見る。どこかパートナーに似た大柄で粗暴な姿は見ていて面白いのだが、暴力的な性格なのは不快だ。

「ほらほら、このまま終わるか!? さっさとこいやチキン!」

 煽りこそ立派だが、パートナーの影に隠れるようにしての野次はどう見ても虎の威を借る狐だ。立ち位置そのものは珍しいものではなく、模擬戦で前線を張る生徒は少ないが、狐を地で行くのはこいつ位だ。

 いや、もう一人いた。正確には一体か。

「何を言うか! パートナーの影に隠れて出て来ぬ貴様こそ臆病者であろう! そういうのはこいつの眼前に立ってから抜かせ!」

 頭上から降り注いでくる罵倒は、小さな身体から出てきているとは思えない声量だ。

「パートナーの癖に戦力にならないお前が言うな!」
「貴様の目は節穴か! 我は頭、こやつは身体を動かすのが我らの戦! 貴様のようにただ罵倒しているだけの脳なしと同じにするな!」

 確かにアーサーの指示や警戒は役に立つ。宙から俯瞰して見ているため、歩よりも確実に戦況を見渡せるのだ。悔しいことだが、アーサーの戦術的思考は歩のそれを大きく上回っているのもあり、アーサーの指示は金言になることばかりだ。当人が胸を張ってそれを言うのは、なんだかもやっとしたものが残るが。

「なんだと!? 俺だって指示出してるじゃねえか!」
「戦況を把握し、要所を指してこその指示である。うるさいだけの戯言を指示など呼ばぬわ!」
「お前が口出ししてんのは、それしかできないからだろ! チビた身体で偉そうに言ってんじゃねえよ!」
「同等の身体のくせに、歩から逃げ回っている貴様がなにを言っておる! 少しは働けグズ!」
「……ウゴォォ?」
「……お互い大変だなー」

 代理人による悪口をよそに、巨人のマサハルとの模擬戦は続いていたが、指示がなかなか来なかったためか、マサハルは大楽の方を向いていた。歩にとってはチャンスだったが、余りにも馬鹿らしい外野にそんな気は失せた。

 息を整えながら、馬鹿二人を見る。
 片や頭上で宙を舞う黒い小竜、片や顔を真っ赤にした暑苦しい男子生徒。
 どう見ても同レベルかつ低レベルな争いだ。

 あまり意味はないが、口げんかの勝敗はいつも通り小竜の圧勝に終わった。汗で顔を光らせる大楽が、怒声交じりの指示を出した。

「マサハル!! あの馬鹿竜をここに引きずりおろせ! ついでに目の前のもとっちめろ!」
「俺はついでか」
「ウオォォ!」

 わかりやすい指示に巨人は猛った。怒号とともにこちらに突進してくる。

「大振りをしっかりと見極めろ! 一点に全力でぶちこめ!」

 上空には巨人の方を睨みながら声を荒げて叫ぶアーサーの姿がある。

 泥酔して眠った翌朝、アーサーはいつもと変わらぬ憎まれ口を叩きながら目を覚ました。昨日の夕食を食べ損ねたことで歩に八つ当たりをしてきた挙句、類から自分の分を取ってあると聞いて途端に機嫌を直す、いつも通りの子どもっぽい行動だった。歩の目から見て、純粋すぎる小学生達との一件から立ち直っているように見えた。

 歩の目には、わからなかった。パートナーがショックを受けているのか、立ち直っているのか。そもそもなにを考えているのか。

「おい! 集中せよ!」
「わかってる!」

 こういうところは察しのいいアーサーに返しつつ、棍棒をさける。次々と襲いかかってくる凶器の圏内から、ステップを踏んで逃げていく。追いこまれないように円を描くように動きながら、どのタイミングで動きを変えるかを探る。それが今すべき最優先事項だ。

 しかし自分がどこか集中しきれていないのが自分でもわかった。一度気が抜けてしまったからか、頭上の住人のことばかりが気になる。

 何をすべきか、どうすべきか。
 マサハルの巻き起こす暴風から避けつつも、頭の中はごっちゃになっていた。

 思考が停止してしまっているのがわかる。そもそも今日は頭のキレが悪い。先程無駄な攻撃をしてしまったのが、模擬戦に集中できていない証明だ。どうも色々半端な現状に、苛立ちばかりが募り始めた。

「集中せよ! 単調な行動をしっかり見取れ! 相手は一切の小細工をしてこぬ!」
「わかってる!」

 苛立ちのせいか、予期できていた大きく薙ぎ払う棍棒を避け損ねてしまい、マサハルの棍棒が歩の腕をかする。態勢を崩すほどではないが、ひりひりとした痛みが伝わってきた。

「歩! 一回距離を取れ! 呼吸を整えよ!」

 アーサーのもっともな言葉だったが、苛立ちの種にしかならない。
 歩の中でこのぐだぐだした現状が嫌になってきた。はやく決着をつけて、この場から離れたいとすら思い始めた。

「歩!」

 歩は一度大きく後方に飛んでから棍を構えた。正面には相変わらず馬鹿の一つ覚えの巨人。
うやむやを振り切るように、飛び出す。

 指示を出すアーサーの声もどこか遠くに聞こえる。空を切り裂きながら全身を凶器と化し向かってくる巨人にのみ意識が集中する。

 まずは振り下ろされた棍棒。
 ギリギリのところを読んで、左腕に棍棒の感触を覚えるほど近くで避ける。そしてその省略した分の回避動作の分だけ、棍に力を込める。

 全身をバネと化し、突きこんだ。狙いは腹。

 狙いどおりの位置に棍は突き刺さった。歩が驚くほどに棍が肉の壁に埋まっていく。内臓にまで至っていそうだ。

予想以上の出来に驚きつつ、歩は巨人の足元を抜けるべく身体を滑らせようとした。巨人の勢いは歩では受け切れず、このままでは正面衝突してしまうからだ。

しかし強すぎる反動は、歩の身体の動きまでぶれさせた。歩の腰が猛烈な勢いで向かってきた巨人の足にひっかかった。

 歩の胴体ほどもある左すねにあたり、身体が跳ね上げられる。超高速の牛車にひっかけられた小石のように、歩は弾き飛ばされた。

 久しぶりの感覚だ、と歩は思った。上下の感覚がない。重力がどちらに向かっているかわからず、ただ苦しい。痛みが遠のき、頭の回転が恐ろしく鈍る。最近は機会がなかったが、昔は毎日のように経験させられたものだ。
気絶する前の感覚。

 全身を衝撃が突き抜けると、遅くなっていた思考が完全に止まった。




 気が付いたとき、歩は保健室で横になっていた。すぐに腰の鈍い痛みが意識を鮮明にし、なにが起こったかを思い出させてくれた。

「馬鹿者」

 目が覚めたのに気付いたアーサーが声をかけてきた。
 失態した自覚のある歩としてはまともな返答を返せない。

「あほ」
「……うい」
「戦に臨む心遣いがまるでない。精進せよ」
「反省します」
「みゆきが心配して、来てくれてたぞ。制服も持ってきてくれた。後で声をかけとけ」
「……了解」

 言っていることは正しく大人しく聞くことしかない。
幸いアーサーもこれ以上言うつもりはないようで、はあとため息を残すのみで終わった。

 居心地の悪さを感じつつ、その場で伸びをしてみる。ひきつった感触が腕と腰、それと背中全体でして、痛みが同期して起こる。痛みの具合からして、そう重傷というわけではなさそうだ。

「なんとか大丈夫か」
「いや、一概にそうは言えん」

 アーサーに視線をやると、深刻そうに眉を曇らしていた。そんな顔をされると、こっちまで不安になってくる。

「どうした? 何かあったか?」

 アーサーはぽつりと呟くように言った。

「昨日の模擬戦の後、藤花が言ったこと、覚えておるか?」
「えっと、なんだっけ?」

 考えてみるが、心当たりはない。

「お前が無茶をして、藤花に何事か言われなかったか?」
「えっと、確か、学期末模擬戦がなかったらしごいてあげたのに、だっけ」
「そう」

 そのときばかりは学期末模擬戦が間近でよかったと思った。明日に迫った今も、有難い位だ。

「それがどうした?」
「わかれ」
「だから、どうなった?」

 アーサーが歩を恨めがましい目で見てきた。

「あんまりだったから、学期末模擬戦が終わった後に個人授業を開催するそうだ」
「……マジ?」
「マジ」
「……やめて」
「お前が悪い」

『ドキッ、藤花先生の個人授業』

 藤花の個人授業は男子の間でそう呼ばれている。
 命名者は、最初に個人授業を仰せつかった男子だ。何も知らなかった彼としては、見目麗しい女性教師から個人授業すると言われると、男子として色々妄想をかけめぐらせて当然だ。自慢するように盛大に振れ回ったのは仕方のない話だ。

 意気揚々と放課後を迎えたそいつだったが、次の日、制服の下から包帯をちらつかせて登校してきた。顔は絆創膏まみれ、たった一晩たっただけとは思えない青白く豹変した顔色、足をひきずりながら黙々と席に着いたそいつは、何も語ることなく、余りの異常な様子に誰も声をかけられなかった。

 そして授業になって現れた藤花に向かって、勇者がおそるおそる何をしたのか聞いたところ、返答は「『ドキッ、藤花先生の個人授業』受けたい人は好きにお茶目しちゃってくださいね」

 それ以来、『ドキッ、藤花先生の個人授業』は畏怖を伴った正式名称になった。

 それが明日以降、待っているという。
 最悪だ。
 歩は似たようなことで以前受講させられたことがあるのだが、内容を思い出すといまでも身体が震えだす。

「……一週間、まともに寝られなかったな。痛くて」
「口の中が裂傷まみれで、酒どころか飯を食うのも難儀した」
「消毒液の匂い、制服に染みついたな」
「包帯まみれのせいで、マミーと呼ばれたのは屈辱であった。誇り高き竜が」
「……実際受けた個人授業の内容、覚えてるか?」
「悲劇をいつまでも覚えておられるほど、我は強固にできておらぬ」

 悲劇が繰り返された。自業自得とはいえ、泣くしかない。
 深く息を吸い、自然と大きく吐き出した。ため息というには、余りにも大きな呼吸だったと思う。
 突然、声をかけられた。

「辛気臭いため息、やめてくれないかな」

 声はカーテンで遮られた隣のベッドからだ。

「あ、ごめん」
「竜使いなら気丈な振る舞いをして」

 いつもなら揶揄されているのかと思ったが、声音に嫌らしい意図は見えなかった。それ以上に、声に聞き覚えがあった。

 がらりとカーテンが開けられて見えた顔は、案の定見覚えのある顔。
 整った眉を不機嫌そうにひそめ、小さな口をとがらせている。燃えるような暗赤色の髪は長く、うなじの辺りで二股に分かれ腰まで伸びていた。どこか幼さの残る風体に、吸い込むような漆黒で大きめの瞳は可愛らしい。
 しかし、その実態は大きく違う。
 彼女は歩とアーサー双方から返答がなかったからか、再び口を開いた。

「保健室なんだから、静かにしようよ」
「ごめん、平さん」
「水城君には、もっと落ち着いてほしい。同じ竜使いとして」

 彼女は本物の竜使いだ。名前は平唯。余り見かける機会はないのだが、彼女のパートナーは紛うことなきAランク生物の、正真正銘の竜だ。

 唯はすねたように口をとがらせたまま続けた。

「そっちの竜も、もっと毅然と振る舞って。小さい姿でも竜は竜なんだからさ」

 アーサーにちらりと視線をむける
 どこか及び腰ながら、こめかみのあたりに皺が寄るのが見えた。アーサーは自身が竜なのに、他の竜を苦手にしている。それは竜使いである唯にも適用されるらしく、彼女とも余り顔を合わせようとはしない。
 ただし、例外はある。こめかみの皺はそれ故だ。

「小さい? 誰がだ?」
「あなた」

 手を伸ばして抑えようとしたが既に遅く、アーサーは飛び立った。
 唯と目線の高さを合わせて、アーサーが言った。

「なんだ小娘? 小さいなりはどっちだ?」
「あなた。手のひらサイズ」

 アーサーの鼻から深紅の炎が漏れでた。完全に忘我したときの癖だ。

「そういう貴様は何故ここにおる? 中学生は家に帰れ」
「私、立派な十七歳だから」
「年齢詐称もほどほどにせよ。狼少年の末路は知らぬか? なんなら本屋に連れていってやろうか? 貴様ならまだ童話を読んでも違和感はなかろう」
「決めつけないでくれない!? そんな口叩くのは私の頭より大きくなってからにして!」
「お前のでかい顔の話はしていない!」
「私の顔はそんなでかくない!」

 むしろ小顔に分類されるであろう少女は、顔ともども真っ赤に燃えあがらせており、歩では止められそうにない。アーサーを止めようにも、この剣幕だと決して止まらない。

「頬をりんごの如く赤らめる小娘は、幼稚園に帰れ!」
「黙れチビ竜!」

「黙るのはお前らだ」

 一人と一匹に拳骨が見舞われた。
 ゴッ、という余りにも良い音が聞こえてきた。アーサーはふらふらと身体を漂わせ、唯は頭を抱え込む。

「ここ、保健室だから」
「っ長田先生! 最初にいちゃもん付けてきたのはアーサーですよ!」
「結果的に騒いだなら同罪」
「ふん」
「偉そうにしてるがお前が主犯だからな」

 拳の主は歩達の副担任である長田雨竜だ。いつのまにか保健室に入ってきていたようだ。まだ二十代なのだが、黒髪の中に白髪が混じっている。百八十センチを超える長身から振り下ろされた拳には迫力があった。
 年代の近いのもあり、他の教師よりは考え方や感覚が生徒に近いのだが、それでもこうして締めるところは締めてくる。

「水城、お前もパートナーを止めろ。一番扱いになれているのはお前だろうに」
「すみません」

 矛先が歩にも向いてきて、ほとんど反射的に謝った。
 雨竜は謝る歩を見た後、未だにいがみ合う唯とアーサーを斜め見しながら言った。

「とりあえずお前ら。退場」



[31770] 幼竜殺し 2-2 竜
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/03/08 20:04



 戦闘服から制服に着替えた後、歩は保健室近くの空き教室へ移動した。

 入ってすぐに、直立するように言われて並んで立った。並びは、唯、歩、そして置かれた机の上にアーサー。
 鼻から重い息をもらしながら、雨竜が言った。

「お前らさ、高二にもなったんだから自制しろ。分別っつうもんを理解してくれ」
「「すみません」」「ふん」

 鼻を鳴らしただけのアーサーに視線を合わせたが、雨竜は何も言わなかった。

「私にもうこんなんことさせんな。わかった?」
「「はい」」「ふん」
「アーサー。ふん、は返事にならない」
「わかった」

 雨竜はざっくばらんな口調に似合わず、一人称は私だ。一時期男好きなのではという噂が出回ったが、林間学校という名のサバイバル訓練前夜、クラス全員揃った場での野郎トークの結果、少なくとも男子生徒が同性愛者扱いすることはなくなった。

 唯の様子を覗うと、無駄に抵抗するアーサーを睨んでいたあ。
 雨竜は疲れたとでも言うようにため息をつくと、再度の鉄拳をアーサーに振り下ろした。アーサーがたたらを踏みながら短い手で頭を抱え、恨めがましく雨竜を睨んだ。

「返事は、はい。しっかり返せ」
「はい」

 返事だけは良くなったアーサーを見て、雨竜が言った。

「お前らさ~、明日の学期末模擬戦のトリ務めんだから、仲良くしろとは言わないが喧嘩腰はやめてくれ。醜態さらすのは学校側としても痛いが、一番はお前らだぞ?」
「私は相手に応じてです」
「相手によって対応を変えるなど低俗に過ぎる……」

 唯のアーサーを見る視線が更に鋭くなるのを見て、歩は自分が動くことにした。流石にやりすぎだ。

 アーサーの手を掴み、親指の付け根あたりに歩の人差し指をつきこんだ。アーサーの顔が面白いことになった。そこは竜の急所の一つで、圧力を加えると激痛が走る。その威力は凄まじく、これをやるとアーサーの機嫌が三日は傾く。八つ当たりされるのはまず歩なので余りやりたくないのだが、仕方がない。

「ぉ、ぃ」
「やりすぎ」

 消え入りそうな声でアーサーが不満を垂らすが、歩はやめなかった。そのまま五秒ほど掴んでいると、雨竜が声をかけてきた。

「もういいよ」
「わかりました」
「……裏切り者め」

 手を離すと、アーサーが恨めがましくこちらを睨んできた。
 まだ懲りてないのか、と歩がもう一度手を伸ばそうか迷っていると、こんこんと戸が叩かれる音がした。

 雨竜がどうぞ、と促すと、担任の藤花が入ってきた。彼女は一人だけでなく、後ろに巨大な影もあった。
 その影を見て、唯がそれまでしかめていた顔を一転させて叫んだ。

「キヨモリ!」

 藤花の後ろにいたのは、竜だった。隣でアーサーが更に身体を震わせたのが分かった。アーサーが苦手とする、本物の竜だ。

「長田先生、二人とも連れ出されたと聞いたのですが、何をしたんです?」
「いえ、少し言い合いをしていて、迷惑になっていたので。私が説教しておいたので大丈夫ですよ。な、お前ら」

 じろりとこちらを見ながら、雨竜が言った。歩はこくこくと頷いて返す。
 返答もそこそこに、唯が藤花に尋ねた。

「先生、キヨモリ大丈夫でしたか?」
「ええ。軽い風邪でしょうって。明日の模擬戦にも出ていいとのことです」
「そうでしたか。わざわざ病院まで連れていってもらって、ありがとうございます」
「いえいえ」

 どうやらキヨモリこと彼女の竜は病院に行っていたようだ。担任がわざわざ連れていったあたり、流石特別扱いの竜だ。

 キヨモリは、藤花の後ろからのしのしと唯のところまで歩いてきた。アーサーの身体をそのまま大きくしたような姿だ。ちょこんと突き出た二本の腕に、大木のような両足。たたまれてはいるが、広げた姿は容易に想像できる。角はなく、ごつごつとした鱗が後頭部を包んでいた。巨躯はこの教室にはおさまりきらないようで、天井で頭を擦りそうになっている。

 唯の隣まで行くと、ぼう、と鼻から炎を漏らした。アーサーと似たような癖だが、まるでスケールが違った。

「寝惚けてるなー、身体は大丈夫?」

 唯が嬉しそうに言葉をかけると、キヨモリは大きな首を下に伸ばし、唯の肩口あたりで制止させた。無邪気に喜ぶ顔には、先程アーサーとやりあった剣幕は消え去っていた。もしかしたらアーサーにつっかかったのは、キヨモリが心配で苛立っていたからかもしれない。

 唯はキヨモリの喉元と額に手を伸ばし、上下からさすり始めた。途端にキヨモリは目を閉じ、リラックスした様子で頭を委ねていた。尻尾が時折左右に振られ、地面を強烈に叩いている。

 地面を叩いた時の力強さと、鈍く光る爪と大木のようなふともも、そして今は折りたたまれてはいたが、広げるとこの部屋が占領されてしまうような翼。
 そのたくましい姿を見ると、どうも悲しくなる。これが明日の学期末試験の模擬戦相手だとはわかっていたが、いざこうして目の前にすると、逃げたくなる。
 ただ、今はそれ以上の心配の種があった。

 ちらり、と相方の様子を覗う。
 やはりおかしな挙動をしていた。背筋を伸ばし、前を向いて精一杯気丈に振る舞ってはいたが、歩の眼には時折ぴくぴくと震えているのがわかる。必死に自分を抑えつけているのだ。

苦手な竜を目の前にすると、アーサーはいつもこうなる。この姿が何故竜を苦手にするか聞けない理由だ。こんな姿を見せられると聞くに聞けなくない。懸命に耐えるこの姿は、余りにも痛々しい。

速くこの場を離れたいと思い、もう要件は終わったのか聞こうとしたところ、先に雨竜が言った。

「ま、そういうことだから。お前ら、明日は分かってるな?」
「「はい」」
「……ならいい。教室に戻っていいぞ」
「いえ、少し待ってください」

 ここで、藤花が割り込むように言った。早くこの場から離れたいというのに、もどかしい。

「丁度良いですし、『竜殺し』について言っておいた方がいいでしょう?」

『竜殺し』
 歩にとっては非常に遠く感じるが、危険な話だ。

「ニュースで見ましたか? 『竜殺し』については勿論知っていますよね?」

 歩はこくりと頷いた。
 『竜殺し』とは、意図的に竜を殺した人、魔物、パートナーのことを指す。そのあだ名には強力な竜を殺すことができたものへの憎悪と憧憬が入り混じっている。

「報道の通り、『首都幼竜殺し』が出てきました。十年前から未成年の竜を対象として犯行を続けている竜殺しです。みんな知ってるよね」

 歩は頷いて返した。首都幼竜殺しは有名だ。
 首都幼竜殺しはその名の通り、生まれてそれほど経っていない竜ばかりを狙う。被害者は二桁に登っているが、犯人は捕まる気配すらなく、その完璧な犯行は史上最悪の竜殺しとも呼ばれている位だ。

 通常、竜殺しの犯人は簡単に捕まる。まず竜殺しを出来るもの自体が少ない。竜の膂力は他をよせつけないためだ。狙われたのが若い竜とはいえ、それは変わらない。そうなると最初から容疑者が絞られ、特定が容易になる。

 竜使い達の逆鱗に触れることも要因だ。竜使いの社会的地位を考えると、警察も全力をあげて捜査をせざるをえない。軍も動員される上、いざ捕まえる際には多くの強力な竜使いが場に現れる。逃げきることは困難なのだ。

 だが、幼竜殺しは未だに捕まっていない。有名にならないわけがない。

 続けて藤花が言った。

「『幼竜殺し』の件で学校に通達がありました。あなたたちのことに気を配っておくように、とのことです。外出もできるだけ控えるよう言うこと、登下校の際には教師が付くことにも言われました。帰るときは歩君には雨竜先生が、唯さんには私が同行するので、待って置くようにしてください」
「はい、わかりました」
「じゃあお前ら、帰っていいぞ」

 予想外に早く済んで拍子抜けした。なにはともあれ、この場を早く離れられるならそれに越したことはない。
そう思い、廊下に足を向けようとしたとき、重苦しい声が聞こえてきた。

「それだけか?」

アーサーだ。顔を横に向けてみると、いつになく真剣な表情をしているアーサーが写った。先程までのじゃれあっていた様子も、キヨモリの姿を見ての震えもない。歩は目を凝らしたが、本当になくなっていた。どういうことだろうか。

 アーサーがもう一度言った。

「それだけか? 自分達を狙う馬鹿者がいるが、各自で気を付けておけ、一応教師も見ているから、とはどうか。相手は竜殺しぞ?」

 アーサーの強い口調というのは聞き慣れたものだが、これほどまえに真剣味に溢れるものは余り聞いたことがないように思った。
 雨竜が答えた。

「それだけだ」
「お粗末すぎやしないか」
「大丈夫です! 私とキヨモリは『竜殺し』ごときには負けませんから! むしろ捕まえてやりますよ!」

 話を遮るように、唯が勢いよく言った。隣にいるパートナーの絶対的な力を考えると、歩には虚勢には聞こえなかった。むしろこの竜なら竜殺しでも倒せてしまいそうだ。
 雨竜は便乗するように言った。

「まあ、そんな感じだ。こっちもできるだけお前らから目を離さないから。アーサー、頼む」

 アーサーは顔をしかめていたが、首肯した。それを見て雨竜と藤花が出ていった。

ふと隣に目を向ける。
『竜殺し』のことなど気にも留めず顔をほころばせている唯の隣で、アーサーは深刻そうに顔をしかめたままだ。

『竜殺し』といえばアーサーの天敵であり、ひいては歩の命を脅かす存在ではある。しかし歩には妙に実感がわかない。ニュースで聞いた程度の存在でしかない『竜殺し』に実感を持つのが難しい。先程の唯の返答にも、それが現れていた。アーサーも同じはずだ。
なのに何故これほどまでにこだわるのか。近くに竜がいることも忘れるほどに。

 理由はわからないが、ひとまずアーサーに声をかけた。

「アーサー、帰るぞ」
「ん、うむ」

 声をかけるといつものように歩の肩に飛び乗ってきたが、顔は厳しいままだ。ひとまず空き教室から外に出て歩は自分の教室に、アーサーはパートナー用の待機棟に向かうことにした。今いる教員棟からは途中までは同じ道のりのため、ア―サーを肩に乗せて歩いているのだが、アーサーはなにやら黙りこんだままだった。
 口を挟んでいいのか迷いつつも、気になったことをたずねてみる。

「なあ」

 アーサーは視線を動かさず、声だけで答えてきた。

「なんだ」
「そんなに竜殺し気になるか?」
「当然であろう。何を言っておる」
「いや、そうなんだけどさ、いまいち実感湧かなくないか?」
「危機感が薄い」
「いや、なんつうかさ。……お前、キヨモリがいたこと忘れてないか?」
「……なにがだ?」

 とぼけるように曖昧に返して来る。相変わらず自分の弱みは見せようとしないやつだ。こう返されると、これ以上突っ込めない。
 だが意外にも、アーサーは少しためらった素振りを見せながら、視線をどこか遠くを見やるようにしながら続けた。

「……まあ、忘れていたのは違いない。竜を弑すものなど、この世に存在していいのかわからぬ代物故。忘我しても仕方あるまい」

 確かに竜にあり得ないほどの愛着と苦手意識を持つアーサーなら、自分とは違う感覚を持っても仕方のないことなのかもしれない。

 丁度よく教室棟と待機棟二つに分かれる分岐についたので、話題はそこで終わった。



[31770] 幼竜殺し 2-3 貴族様
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/03/09 20:56

 教室に戻り席につくと、みゆきに声をかけられた。心配していたようで、制服の件で感謝の意を伝えると、みゆきは優しく微笑みを返してきた。

 その後、唯の後に続けて藤花が入ってきて、ホームルームが始まった。藤花は大雑把に伝達事項を伝えると、オリエンテーションがあるため学期末模擬戦の参加者だけ残るように言い、クラスを解散させた。

ざわざわと荷物をまとめはじめたクラスメイト達の中、歩は藤花に言われて教室前方の教卓近くに行った。集まったのは歩、みゆき、唯の三人。事前に聞いていたので戸惑いはない。

「じゃあ行きましょうか」
「はい」

 それから歩達はパートナーを迎えに行き、集合場所に向かった。唯のパートナーであるキヨモリは別の場所にいるらしく、唯のみ別行動となった。アーサーのことを考えると、キヨモリと別行動できたのは幸いだった。

集合場所は武道場だ。武道場といってもこの学校のものは特殊で、体育館より広い空間に霊峰のいぐさでつくった畳を敷き詰めており、小規模な大会でも使用される。学校を作る際、余り使われていなかった会場を整備して武道場にしたらしい。

 場所は体育館のすぐ隣で、教室棟から体育館へと伸びるロータリーをそのまま進んだ先だ。
 中に入ると、既に他の参加者達が揃っていた。竜こそいないが、竜に次ぐ格式を備えている悪魔型のパートナーもいるなど、歩は自分達が場違いな気がして、気後れしながら集団の後ろについた。

 しばらくして唯とキヨモリが入ってくると、その場にいる人の目線が一斉に向かった。キヨモリは余り表に出てこないのもあるが、彼等の目には嫉妬の入り混じった畏敬の念が宿っていた。歩達とは大違いだ。

 アーサーの様子が気になって肩の上を見ると、空き教室の時ほどひどくはないが、やはり様子がおかしかった。隣のみゆきに顔を向けて話しかけているだけだが、決して他の方向を向こうせず、無理をしているのがわかる。

 唯達が自然と割れた生徒集団の中を通り一番前まで行ったところで、藤花が言った。

「みんな揃いましたね。ではオリエンテーションを始めましょう」

 そう言うと、藤花は前の方にいた生徒数人に指示して、端に置いてあった籠を持って来させた。籠が六つあり、一番上に性別と大きさが書かれたプレートが置かれてある。

「明日用の模擬戦服です。事前に答えた大きさのものを取っていってください。前の人からお願いします。あ、唯さん、ちょっと待ってください」

 唯を除いた生徒達が動きだした。生徒たちの動きが流れとなり、歩もその流れに身を任せる。最後尾にいる歩は、そのまま列の最後についた。

 列が流れていき、後は前にいるみゆきと歩のみとなった。みゆきが『女子S』に手を伸ばしたところで、歩も取ろうと手をあげたとき、みゆきが突然立ち止まった。

「あの、先生、一着足りません。水城君の分がないですが」

 『男子M』のところを見ると、そこにはプレートしか無かった。どういうことか。

「歩君と唯さんの分はこちらです」

 藤花を見ると、どこから持ってきたのか知らない紙袋を二つ両手に持って、胸の前に上げていた。近寄ってくると、唯に小さめのものを、歩に大きめのものを渡した。

「あの、どうして別に?」
「二人はトリを飾りますから、特別製です。元のところまで戻ってから開けてみてください」

 また特別扱いかとうんざりしつつ、元の場所に戻っていくが、周りの視線が自分に集まっているのがわかった。唯のときとは違い、好奇とは別の少し嫌な感情が混じっている。竜であるだけの自分達が特別扱いを受けているのだから、彼等のそうした感情は当然ではあるが、だからといって慣れることはできない。

 足早に後方に戻っていき、袋の中身を取り出す。いつもの模擬戦服かと思ったが違った。ところどころ金の糸で装飾されており、いつもの野暮なだけの服から高級感を醸し出す礼服に姿を変えている。生地もいつもよりなめらかだ。
シャツとカーゴパンツ、ブーツの三点セットだけでなく、上着も入っていた。肩に大きな衝撃吸収パッドが埋め込まれた厳めしいジャケットで、これにも金糸で刺繍が入っている。軍服みたいに見えた。

「先生、この金の糸ですが、強度は大丈夫ですか? 華美なのはいいんですけど、邪魔になったら嫌なんですが」

 唯の声が聞こえてきた。

「その金糸は悪食蜘蛛の糸でできているので大丈夫です。服よりもむしろ丈夫な位じゃないですかね」
「そうですか、ありがとうございました」

 悪食蜘蛛は文字通り悪食で、鉱物すら口にする大蜘蛛だ。成竜にも匹敵する巨体と強靭な足を持つが、一番の特筆すべき能力に尻から出す糸がある。口にしたものをただ栄養にするだけでなく、素材の特性を糸に反映させるのだ。鉱物を混ぜ込まれた糸などは、世界最長のつり橋の素材に使われている。

この金糸の場合、おそらく材料は金。とんだぜいたく品だ。藤花の返答を聞いた皆の視線が、いっそう厳しくなったような気がした。

「まあ帰ってから着てみてください。サイズが合わない場合は、明日変更も可能ですので。前日になって渡す羽目になり、申し訳ないです」

 それからプリントが配られ、ごまごまとした説明を続けた。明日の集合時間、場所、それぞれの出番、相手。事前に聞いたことばかりだったが、再度確認の意味があるのだろう。

 一通りプリントに書かれた説明が終わったところで、突然、部屋の中にどよめきが走った。顔を上げると、皆、武道場の入口当たりに顔を向けている。
 何があるのか振り向いて確かめようとした矢先、声が聞こえてきた。大人になりきっていないが、子どものものでもない声質だった。

「私に構わず続けてくれたまえ」

 声の感じは若いのに、ずいぶん偉ぶった口調だ。アーサーで聞き慣れているが、若い声質と組み合わさると変な感じがする。

 振りかえって見てみると、声に似つかわしい男が立っていた。歩達とそう変わらないのではと思うが、見覚えがない。おそらくこの学校の生徒ではない。身につけているフォーマルなスーツ、磨き上げられた皮靴のせいか、高貴な印象を受ける。このままパーティーにも出られそうな服装と雰囲気だ。顔に浮かべた傲慢そうな笑みが、少し嫌らしい雰囲気をしている。

 だが皆見ているのはその隣だろう。

「ふむ、まあ私達の姿を見れば仕方があるまい。そこの教師、私の出番はいつだ?」
「ちょうどよかったです。どうぞ」

 彼の隣には竜がいた。彼のパートナーだろう。キヨモリと比べれば幾分か貧相な身体をしているが、翼は身体そのものより随分大きく頑健そうだ。前足がなく、後ろ足だけで立っている姿から見て、この竜の翼に対する比率は相当なものだ。いわゆる翼竜に分類される竜だろう。飛ぶことに関しては、他の追随を許さないパートナーだ。

 新たな竜の出現に、アーサーを覗いてみた。不意をつかれたせいか取り繕うこともできず、目が見開いて肩を震わせている。

 流石に心配になり、外に出ようか迷ったが、この状態で外に出れば偉そうな男の目に入る。そうなれば半端な竜のアーサーに接触があるのは確実だ。

 歩の焦燥を煽るように、偉そうな男は勿体ぶるようにゆっくりと歩きはじめた。その横で翼竜がペンギンのように可愛らしい歩き方でついていくが、その巨体と『竜』であることの威圧感のせいで、妙におかしく写る。

 彼等が歩達の後ろから回り込むように藤花のもとへ歩いていく。翼竜の変な動きに、参加者の集団の視線が、彼等と糸で繋がったように同期して動く様は、異様な光景だった。

 集団前方の角を周ったところで、それまで生徒の集団をなんの気なしに眺めていた男の目が、一か所に止まった。その先にいたのは、唯とキヨモリ。

 顎に手をあてながら近付いていき、値踏みするようにぶしつけな視線を向けている。何か不穏なものをかぎとったのか、キヨモリが唯を庇うように一歩前に出ようとしたが、唯はそれを手で制した。
 男はそんなキヨモリを見て、口元を歪めた。

「ふむ、なかなかに素晴らしい。主にも忠実。翼も大きい。『竜は飛んでこそ竜』というが、十分にその役目を果たしそうだ。市井にありしとは思えぬ格式高さだ」
「どなたです?」

 唯がまっすぐ見つめて尋ねた。唯の知り合いというわけではないらしい。

「私を知らぬというか?」
「ごめんなさい、知りません」
「おい」

 男が顔をしかめながら歩達の後方を見やった。同時に学生たちも一気に後ろを向く。
そこには隣のクラスの担任と、歩達の副担任の雨竜がいた。二人ともなかなか綺麗なスーツを身に纏っているが、隣のクラスの担任はハゲた頭をてからせながら顔を青くしているのとは対照的に、雨竜は悠然としている。

「おい」
「すみません、説明しておりませんでした」

 雨竜はしれっと答えた。慇懃ながら、それ以上しゃべる気がないのがわかる。隣の男性教諭は、はっと雨竜の顔を見て顔を更に青くした。
 幸いなことに、男は不満そうにしながらも、自ら自己紹介を始めた。

「我は中央第二竜学校に籍を置く、ハンス=バーレである。先の高校生全国大会にて飛翔部門第七位になりしパートナーを所有している、無論、聖竜会にも属しておる」

 聖竜会。

 その単語を聞いて、同級生達がはっと息を呑んだのがわかった。

 聖竜会とは、竜使いの中でも優れたものだけが選ばれて入る組織だ。その権力は国家を越えるとも言われ、世界を牛耳っているといっても過言ではない。所属できるのは竜使いの中でも更に選ばれた存在である貴族のみで、一般の世界とは文字通り別世界の生活を送っている。

 男の態度からうすうす感づいてはいたが、隣のクラスの担任が顔を青くしている理由が確定した。ハンスの、ひいては聖竜会の権力の前では、一教師の首など、どうとでもなる代物だからだ。

「これが私のパートナーである。名はミッヒ。全国七位の竜であるので、相応の礼を持つように」

 ハンスの偉ぶった態度は聖竜会所属だからとわかったが、それでもはあ、としか言いようがない。歩が曲がりなりにも竜使いだからかもしれないが、ハゲ教師のように黙って首を垂れる気持ちにはなれそうにもない。

「それで、何故ここにいらしたのですか?」

 唯の声にいくらか苛立たしさが混じっていた。
ハンスはおお、と思い出したように答えた。

「我も今回の模擬戦を見るに、予め知らせておった方がいいのではと思ってな。そう思うだろう? 感謝したまえ」

 意味がわからない。割と本気で。
 後ろから雨竜が補足した。

「ハンスさんは今回、聖竜会への推薦状を持ってきている。だから今回の模擬戦を見て、所属するに値すると思えば、平と水城を聖竜会へ推薦してもいいそうだ。二人以外にも聖竜会直属の組織への斡旋もするそうだ」

 下部組織であっても、聖竜会に関係のあるところは待遇がいい。国家公務員よりも安定し、収入は倍とも言われる。同級生達が活気づいたのがわかった。

「この学校には竜使いが二名いると聞いてある。故にこうして足を運んでやったというわけだ。ついでに他のものらにも職の斡旋をしよう。私は竜使いでなくとも、優秀な人材は相応の評価と栄華をもらう権利があると思っているのでな。無論、引き換えとして我への感謝と敬意は誓ってもらうのだが」

 先程から、はあ、としか返答のしようがない。なんというか、全く別の生き物を見ている気がした。

「それで、もう一体はどこへ行った? 先程から姿を見せぬが」

 藤花に促されハンスが歩の方を向いた。さっと人垣が割れ、歩とアーサーの姿が露わになる。ハンスはこちらを見て、一瞬眉をひそめた後、さっと歩達のところまでやってきた。

近付いてきて、さっとアーサーを向いた。すぐに浮かべていた傲慢な笑みが消えた。

「雨竜、これがもう一匹の竜か?」
「はい」

 雨竜の返答にハンスは眉根を寄せた。両手で頭をつかみ、世界の嘆き全てを背負ったかのように大袈裟に身体を捻ってみせる。演劇でも見せられているかのような気分だ。

「雨竜、貴様は無知か? このようなものを竜とは呼ばぬ。区分もE級であろう?」
「しかし、これから成長する可能性もありますので」
「はっ。初めから血は出るものだ。竜使いと一般人に差があるように、竜とそれ以外には比べるまでもないものがある。そんなことも知らぬのか? こやつはもはや竜などではない。ただのまがいものの外れだ。E級などという、この世で最も低俗な存在の一つだ」

 歩はぎゅっと強く拳を握った。いますぐ殴りつけたい衝動にかられるが、そんなことをしても意味がないし、誰も望まない。
 ハンスはため息をついた後、足早に唯の近くまで行ってから言った。

「このようなもの相手に何が見せられるか、かすかに期待させてもらおう。まあ、何も見せずとも、竜であることが確認できればそれでよい。では雨竜、いくぞ。このようなまがいものは見ているだけで穢れる」

 ハンスは出ていった。ミッヒという名の翼竜も足を交互に出しながら後に続いた。
 残されたのは、重苦しい雰囲気。ここにいる同級生の中にも、日頃よく侮蔑の視線を向けてくるやつらがいたが、彼等も居心地が悪そうに歩達をちらちらと見てきた。二日前の駄菓子屋と、夜に母親から聞いたアーサーの内面を思い出す。

 何をいっていいかわからず、とりあえずアーサーの顔をおそるおそる覗いてみた。
 アーサーの様子は予想外だった。

「ふん、つまらんやつめ」

アーサーは日頃と変わらない姿だった。どこか辛そうにしているのだが、ハンスに手荒な扱いを受けたこと自体にはまるで堪えてないように見えた。竜そのものへの拒絶反応しか残っていないように見えた。口を開く余裕も残っている。駄菓子屋の時のように、無理をしているのかと注意深く観察してみても、歩の眼にはそうした傾向は見られなかった。

躊躇しつつ探りを入れてみる。

「アーサー? 大丈夫か?」

 アーサーはこちらを振り返り見た。不思議そうな表情を浮かべている。

「何が大丈夫か? まさかあの馬鹿の言葉を真に受けたとでも思うのか?」
「いや、前の駄菓子屋のときはショック受けてたんじゃないか、と思って」

 いつものようにふんと鼻を鳴らして答えてきた。

「純真な子どもらの言葉は多少重かったが、あのような馬鹿の戯言、初めから聞くに値しない」
「そうか」

 正直なところ、歩には駄菓子屋の時と今のアーサーの差が分からなかったのだが、それでもなんとなく大丈夫そうだ、とは思えた。
 藤花が流れを断ち切るように言った。

「以上で終わります。皆さん、おつかれさまでした」

 ひとまずこの場を離れようと、足早に外に向かった。最後尾だったのが幸いして、みゆきとイレイネが着いてきている以外は誰もいない。

 ひとまず他の竜から離れられたことに安心して、ア―サーを見る。
 少し疲れた様子ではあるが、特にショックを受けている感じではない。

 この竜のことは、ほんとによくわからない。



[31770] 幼竜殺し 2-4 戦前
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/03/13 15:47


 歩達は教室に戻り、帰途についた。護衛として雨竜も同行した。
 みゆきとも途中まで一緒で、互いの明日の健闘を祈りながら別れた。

 家の前で雨竜と分かれ中に入ると、足早に風呂に入ってから夕食。類は残業で今日帰らないことを聞いていたので、冷蔵庫の中に作ってくれていたものを温めて食べた。明日の模擬戦に来られるように今日残業をしているらしいが、少し本末転倒ではなかろうか。

 アーサーと食器の後片付けを終えたところで、明日の準備をする。

 必要なのはもらったばかりの晴れ着と、武器。いつもは学校に置きっぱなしだが、今日は持って帰って整備するようになっているからだ。

 分解していた穂先をつけ、棍を槍へと変貌させる。鋭い音をたてて刃は所定の位置におさまった。それから軽く振るってみて、何かおかしな動作をしないことを確認。それから再び外した。

 華々しい学期末模擬戦とはいえ、やはり刃物は使えない。なんとなく槍として整備したが、残念ながら使えない。この穂先が活躍する日は来るのだろうか。

 歩が槍を調整する間、ア―サーは半ば眠ったように、専用の籠に身を埋めていた。夕食を終えた後、いつもアーサーは横になるが、眠りについていることは少ない。話しかければすぐに返答が来る。本人いわく、食後の瞑想だそうだ。おそらく今もそうなのだろう。

 ひとまず明日の準備を済ませようと、貰った晴れ着を着てみることにした。

 いつも着る模擬戦服と同じように身に着け、その上からジャケットを羽織ってみた。案外動きやすい。大仰な見た目とは裏腹に、動きの邪魔をしない。伊達に特別扱いされてないといった感じか。

「アーサー、どう思う?」
「豚に真珠、馬子にも衣装、役不足、好きなのを選べ」
「お前はどう思った?」
「全部だ」
「ひでえな」

 薄らと目を開けたアーサーの口から、手厳しい言葉が飛んできた。余り腹が立たないのは、自分でも格好と実情があっていない気がするからだろう。

明日の学期末模擬戦はただの模擬戦ではない。教育委員会、企業、大学などから多くのお偉いさんが観戦しにやって来て、目に止まった人物をスカウトするのが目的だ。ここでの印象は一生を左右する可能性が高く、皆一様に気合が入っている。

 ただ、歩は余り興味が持てなかった。
もうそういったものを中学時代に捨ててしまった気がする。

「どうした、明日のことが気がかりか?」

 顔に出てしまっていたのか、アーサーに声をかけられた。

「うんにゃ、別に」
「覇気がない。晴れの舞台を前にして、明日は重要な一日であろうに」
「俺は日々過ごすだけで精一杯なの」

 アーサーが生まれたばかりのころは、歩も人並みかそれ以上に将来に期待を持っていた。なにしろ竜使いになったのだ。しかもアーサーはインテリジェンスドラゴンと呼ばれる知恵のある竜であり、世界のヒエラルキーの頂点に君臨できる可能性すらあった。

 しかし、半年がたつ頃には消えた。アーサーはほとんど成長せず、竜としての膂力を発揮できそうにもなかった。となると後に残るのは周囲の失笑の視線と、竜使いとしての歩にとっては有難く無い特権の数々。有難いはずの特権も、逆効果にしかならなかった。模擬戦での特別扱いなどはそれの最たるものだ。今度の模擬戦でも、なまじアーサーが竜であるからと、本物の竜であるキヨモリの相手をさせられるようになったのだ。泣くしかない。

 ときどき自分でも悲観的すぎるとは思う。だが一度期待を抱いた分、消えさってしまった後の失望感は尋常ではなかった。下手な希望など思い浮かべるだけ馬鹿らしいのだ。

 ア―サーは言った。

「やる気を出せ。馬鹿はおいといて、良き戦はしたかろう?」
「やる気出してもできることできないことあるだろ」
「我はお前を買っているのだぞ? みゆきも高く評価している」
「みゆきは身内。あいつは俺にもお前にも甘いだろ」

 ふとアーサーが籠から飛び出てきた。立ったままの歩の頭と同じ位まで飛び上がり、目線を合わせてくる。

「なにはともあれ、明日は勝つぞ。あの小生意気なチビと雌雄を決するのだ」
「つってもねえ」

 相手を思い浮かべる。
 本物の竜とそのパートナー、キヨモリと唯。
 勝てる見込みは少ない。

「何を情けない顔を」
「相手竜じゃん」
「我もそうだろう」
「……明日ははれるといいなー」

 適当に流したところで、ジャケットを脱ぎ始める。もうそろそろ寝る時間だ。
 脱いだジャケットを適当にたたんだ後、腰をおろしてブーツを脱ぎはじめたところ、アーサーが提案してきた。

「歩、賭けをせぬか?」
「賭け?」

 聞き返すと、アーサーは大仰に頷きながら返してきた。

「うむ、賭けだ。明日、いつもより働いたほうが相手になんでもおごる」
「なんだそれ。どうやって決めるんだよ。そもそもお前、金あるのか? 飲み食いしすぎて残ってないんじゃないか?」

 ずいぶん大雑把な賭けだ。どうやって勝敗を決めるんだろうか。それに奢ると言っても、アーサーは類からもらったこづかいをノータイムで使いきる輩だ。宵越しの銭は持たない主義らしいがそれでどう賭けをするのか。

「ふん、我もいざというときのために残しておるわ。ほれ、あれを見よ」

 アーサーが指したさきには、ちびた猫の置物があった。背中に何やら細長い穴があいてあるのが見える。

「貯金箱?」
「類に言われて、小銭を入れていたのだ。我が生まれてから一度も開いておらぬ」
「知らなかった」
「黙っていたからな。切り札は秘密裏に最後まで取っておいてこそだ」

 得意満面の笑みを浮かべるアーサーになんかいらっときた。

「軍資金はいいとして、じゃあどうやって勝敗きめるんだ? 誰かに頼むか?」
「基本は我とお前の合議、そうでなければ、みゆき、類、それと慎一の多数決でどうだ?」

 こんな抽象的な内容だと、アーサーと歩では決まらない。となると残りの多数決。何かと歩にきびしい類はアーサー寄りになるかもしれないが、みゆきと慎一は公平な案を出してくれそうだ。実際に戦うのは歩で、アーサーは基本指示のみ。ならば頑張りようがあるのは歩のほうだ。分は悪くない。

「乗った」
「言ったな。後で吠え面かいても知らんぞ」
「お前こそ」

 誓約書の作成に取り掛かる。適当に書きなぐり、交互に名前を書いた。抱きかかえるような態勢で、ペンを両腕で掴んで書くアーサーの字は相変わらずダイナミックだ。
 最後に誓約書の上で握手をする。アーサーのチビた手を握ると、すこしだけ明日が楽しみになってきた。



[31770] 幼竜殺し 2-5 緊張の一時
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/03/11 20:02


 靴紐をブーツに通していく。滑らかな黒蛇皮の表面を撫でるように紐が動き、ブーツが足にひっつき、身体の一部と化していく。
最後に余った紐を固く結んだあと、出来た結び目をブーツの中に入れこんだ。座ったまま足を踏みしめると、返ってくる力は足全体に分散された。ぴったしだ。

「歩、出番だ」

 慎一が呼んでくる。今日の学期末模擬戦のスタッフをしているらしい。

 ベンチで横になっていたアーサーが身体を起こし、肩に飛んできた。慣れた荷重が緊張した身体をほぐしてくれるような気がした。

 棍を手にとり、歩も立ち上がる。

「行くか」
「頑張って来い!」

 慎一の激励を背に歩きだした。

控室から奥に入る。先は薄暗い廊下だ。床も壁も石造りで、一時代昔の雰囲気を醸し出している。水分初の『闘技場』を作るに当たってずいぶん予算が下りたらしく、豪勢な作りになっていた。円形の闘技場の一階部分の内、会場を除いたドーナッツ部分の廊下は全て石造りになっているが、それだけでなく外観も世界遺産をそのまま移植したような形になっており、初めて見た時は町の中で一カ所だけタイムスリップしたかのように見えた。

 入り組んだ廊下を歩いていく。事前に話を聞いており、道に迷うことはない。

 入場口にまで着き、角を曲がると、既に唯とキヨモリがいた。見知らぬ人がもう一人いたが、おそらく係の人だろう。

「少し遅くない?」
「主役は遅れるものだ。覚悟を決める丁度よい暇になったのではないか?」
「そんなことないから」

 アーサーは竜と対面しているというのに、余り変わりはない。最近気付いたが、アーサーは事前に会うことがわかっていれば、多少竜にも耐性ができるようだ。覚悟を持って臨んでいるのだろう。

 対戦相手の姿を見る。
 唯は歩のものと似た戦闘服を身にまとい、装飾過多気味の剣を左手にだらりと垂らしていた。ズボンがカーゴパンツではなく、ショートパンツとストッキングを組み合わせたものになっていた。無骨なカーゴパンツより、唯に似合っている気がした。

 その隣のキヨモリはというと、少し変わった姿だ。
 四肢の爪に黒革のサポーターを付けられている。これは殺傷力を下げるためだろう。そこまではいい。しかし何故か黒革のベルトで身体をぐるぐる巻きにされていた。その下で折りたたまれた翼は痛々しい。それのせいだろうか、キヨモリは心なしか苛立っているように見えた。

「空を飛ぶことも禁止されたんだよね。竜は飛んでこそ竜なのに」

 キヨモリを見やった。
 これほどの巨躯が高速で空を駆け抜け、その力をぶつけてきたら、歩などミンチ状になってしまうだろう。それは確かに必要な措置だが、すこし悔しさも残る。
 だが、気が楽になったのは事実だった。

 そのまま少し時間が過ぎた。前の試合の後片付けが長引いたのだろうか。

「ねえ、一つ言っていい?」

 唯が話しかけてきた。なぜか少し挙動不審で、かけてきた声も珍しく気弱な感じがした。
歩が促すといきなり頭を下げた。

「この間はごめんなさい。いらいらしてて、あなた達にあたってしまいました。チビとか言ってごめんなさい」

 なんとも律儀な。長い赤髪が一部流れて、顔の前に長い垂れ幕を作っている。それくらい深く頭を下げていた。

「いや、そんなことしなくても。うちの馬鹿、相当なこと言ってたし。ごめん」

 そう言って、アーサーの頭をひっつかんで強引に下げた。すこし反抗があったが、簡単に下げられたあたり、アーサーにも自覚があったらしい。

「もうよかろう、戦の前に慣れ合うのも良きことではない」
「っアーサー。――まあそういうことだから、頭上げて」

 歩が促すと、唯は少し恥ずかしそうにしながら頭を上げた。

「まあ、いい模擬戦しよう」
「よろしくね」
「存分に暴れようぞ」
「平さん、キヨモリさん、水城さん、アーサーさん、時間です。入場してください」

 丁度よくアナウンスが流れ、歩達は光が漏れる奥へと足を進めた。石床と靴がこつこつと響く音と同期するように、序々に観衆のざわめく音が大きく聞こえてくる。嫌が応にも緊張が高まり始めた。

 肩口には、鼻から炎をもらしながら目をギラつかせているパートナーの姿。手垢のしみた棍を左手で握りしめ、鼓動の昂りを抑えるように息を吐いた。

「緊張しているのか?」
「少しね。色々あって抜けてもきてるが」
「良い塩梅だ。相応の張りを持たせて己を律せよ」

 偉ぶった言葉だが、アーサーにとってはこれが激励なのだろう。これから苦手な竜と戦うというのに、アーサーには日頃との差異は見えない。いつものように胸を張っている。
 ほんの少しだけ頼もしく思いながらも、苦笑と共に返答した。

「お前も働けよ」
「応。賭け、忘れるなよ」

 左足が出口から差し込んでくる光の影を踏んだ。
 一度息をすってから、一歩外に踏み出す。

 踏み出た瞬間、全身を眩い光と怒号が包んだ。大気を震わせる振動は腹の底まで伝わり、内臓から気分を高まらせる。

 周囲を見渡すと、三百六十度観客がひしめきあっていた。ほとんどは学生だったが、ちらほらと部外者の姿もあった。竜対竜の戦いを生で見る機会は、そうそうないからだろう。少しだけ探したが、類やみゆきの姿はわからなかった。

観客席の一部に、ゆったりと座席が配置されたところがあった。おそらく貴賓席であろう座席には、タキシードやドレスといった、歩には馴染みのない服装を身に付けた人ばかりがいた。その中には先日の馬鹿貴族、ハンスの姿もあった。おそらくキヨモリの品定めが目的だろう。彼だけではなく、ほとんどの人はキヨモリの姿を見て興奮しているのがわかる。歩とアーサーのことなど見ていないように思えた。

 足を進めて事前に言われた立ち位置につく。目の前には歓声を受けた唯とキヨモリ。
 ごくり、と唾を飲み込んだとき、拡声されて少しひび割れた担任の声が聞こえてきた。

「本日の最終戦を始めます。目、金的等急所は不可。悪質とこちらが判断した場合、没収試合となるので注意してください。時間は無制限、気絶、降参により勝敗を決します」

 ルールは模擬戦とほぼ同じだ。

「両者、礼」

 軽く頭を下げ、すぐに上げた。
 唯が数歩下がり、キヨモリが前に出てきた。苛立ちの混じった双眸が歩を捕えている。歩はそれを真っ向から受け止めると、腰を落とし両手で棍棒を構えた。

 観客席との間になにやら膜が広がっていく。これは観客を守るためのもので、出場者と観客を隔離するようにしている。みゆきのパートナーであるイレイネと同タイプの能力持ちがやっているのだろう。

 これで場が整った。
 一息深く吸い込み、一気に吐いた。
 アーサーが飛び上がる。

「始め!」



[31770] 幼竜殺し 2-6 対竜 前編
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/03/12 17:42



「キヨモリ、行け!」

 先手はキヨモリ。巨体で地面を揺らし咆哮を上げながら、驚くほどの速度で迫ってくる。重い巨躯を膂力で強引に動かしているのだ。初期速度こそそれなりだが、最高速度はすさまじいものになっている。

前傾姿勢のまま突っ込んできたキヨモリは、黒革で包まれた右腕を単純に突き出してきた。正面から受け止めると、棍棒が折れてしまう可能性が高い。

 軽く屈みながら、歩もまた前進した。相手の左脇の横すれすれを通るように身体を流し、キヨモリの右腕だけでなく身体からも全身を避けさせる。さながら闘牛士のようにキヨモリをやり過ごし前に出ると、後方からはキヨモリがたてた轟音が響いてきた。

 身体を半回転させて、キヨモリの様子を見る。
 黒革を付けたはずの爪が地面に溝を掘りつけ、粉塵が巻き上がっていた。地面についた傷は、模擬戦で見たことがない深さだ。
 やはり――竜。
 段違いの力だ。

 竜がこちらを向いた。ゆったりと身体を回転させる姿は思ったよりも鈍い。十分、つけ込む隙はある。

 歩は一気に踏み込んだ。キヨモリが加速を付ける前が勝負だ。勢いに乗られると、あの体重ではどうやっても力負けしてしまうし、歩の棍棒など弾かれてしまう可能性が高い。
 だが逆に考えると、速度がなければキヨモリの巨躯はデメリットも大きい。鈍さがそうだ。

 案の定、突っ込んだ歩への迎撃は遅かった。迎撃に振るわれた左の爪はしっかり見て取れる。

迎撃を右方向に屈んで避けると、棍による全霊の突きを差し込んだ。

 突きは狙い通りキヨモリの脇腹に入った。強固な鱗と棍がぶつかり、ガッと音をたてた。

 が、それだけだった。

 柄の先はほんの数ミリ程度しか入りこまなかった。鱗に押され下の肉が変形したかな、位。歩を見下ろすキヨモリの視線にも、敵意の変化はない。開幕前と同じくただ苛立っているだけの、八つ当たりにも近い感情。ぶ厚い皮膚と筋肉が歩の棍棒を完全に上回っているのだ。

 何事もなかったように、キヨモリはぐるりとその場で回転を始めた。
 一瞬戸惑ったが、すぐに狙いがわかり棍棒を左半身に添えるように構えたのだが、その上から襲ってきた衝撃は予想以上だった。
 振るわれたのは極太の尾。その太さ、しなやかさ、そして自重を使った遠心力による一撃は、四肢での一撃よりも上かもしれない。

 なんとか棍棒を間にさし込んだのだが、威力は尋常ではなかった。耐える間もないほど一瞬で、真横に弾き飛ばされてしまった。

 すぐさま観客席との間に敷かれた膜に激突。膜が柔らかい分、衝撃は吸収されたのだが、それでも痛みで数瞬身体が動かない。

 わっと観客が湧くのが聞こえてきた。完全に見世物だ。

 膜が序々に形を取り戻すべく反発し、めり込んだ歩を押し出す形になった。ずるりとすべりおち、全身で砂の味を分からされる。膜からほんの少し受けた水分のせいか、軽く汗をかいたような状態の身体に、砂が張りついた。

 くらくらしつつも身体を起こすと、仁王立ちするキヨモリの姿が見えた。向かって右には眼光鋭い唯の姿。

「言いたくないけど、降参してくれない? キヨモリは力の加減が下手なのよ」
「それは有難い申し出だな」
「事実だから」

アーサーの揶揄に、唯は端的に返してきた。つまり精一杯の手加減をしてこれなのだ。

 唯は本当に気遣って言ってくれたのだろうが、歩としては悔しさしか生まれてこない。口の中に入った砂も無視して、ギリと歯を噛んだ。
 前傾姿勢のキヨモリが歩を睨んでくる。今にもこちらに突っ込んできそうだ。
 唯はキヨモリのふとももの辺りを撫でながらなだめるように言った。

「飛べないのきついのね」

 キヨモリの苛立ちは飛べないのが原因。自分はまるで関係ない。
 歩は気合を入れるべく腹から大声を出した。

 観衆も、対戦相手の余裕も、全て脳から押し出す。後の打算も何もかも押し出して、ただ勝利のために動く、そう決め込む。
 腹を据えた。

「行くぞ」
「歩、無茶はするなよ。見極めろ」
「キヨモリ、来るよ」

 すっと両足に力を込め、地を這うように駆けだした。
 応じるようにキヨモリが前に出てくる。唯は手を引き、後方に下がって行った。

 この瞬間、歩の狙いは決まった。

 正面からキヨモリが迫り、歩もまた一直線に駆けるという、剣豪同士の真っ向勝負のような形になる。正々堂々とした勝負。

それを歩はただのワンステップで変えた。
 愚直なまでに真上から振り下ろされた爪を寸前で方向転換。キヨモリの爪を危なげなく避けられたが、同時に歩の棍も到底届かないほどの距離をとった。

 キヨモリはそのまま連続して両の爪を振るってくるが、それも余裕を持って避ける。臆病な闘牛士のごとく振る舞い、決して爪の圏内に入らない。キヨモリの苛立ちを更に募らせるべく、達振る舞う。

 そうしていく内に、キヨモリの動きが序々に雑になっていった。爪が空を切った回数が二十を越えると、最初のものとは比べ物にならない動きに変わっていった。隙だらけの、ただの暴走と化していく。十分すぎるほどの隙が歩の前に晒され始めた。

 それでも、歩は仕掛けない。狙いは別だ。
 唯が指示を飛ばしはじめる。

「キヨモリ、慌てない!」

唯の言葉に耳を傾けたせいか、キヨモリの爪のテイクバックがゆるんだ。予備動作を少なくし、威力の代わりに隙も減らす、そういう動きだ。

このキヨモリの変化の瞬間を、歩は狙った。
それまでとテンポを変える。悠々とした動きから、稲妻の動作へ。直線的に動きキヨモリの爪の風圧を感じる位、ギリギリを狙う。肝が冷えるほど密着ながら、なんとか避けられた。
目の前には、隙だらけのキヨモリ。思考の変化を狙ったのだから、身体でなく心が止まっているのがわかる。虚をつけたのだ。

しかし、歩はその隙をつかない。そのまま脇を駆け抜けた。

 視線の先は、だらりと剣を下げたままの唯。驚きで目を見開いている。

 歩の狙いは唯だ。心の隙は、唯も同じ。指示を出し、うまくいった瞬間こそ狙い目になる。唯の不意を突き、一瞬で勝負をつけるというのが狙いだ。身体が小さく、戦闘に長けているとは思えない唯を狙うのは姑息かもしれないが、当然の戦術でもあるのだ。

 そのまま息をつかせぬよう、神速で棍棒を振るう。身体を捻り、一気に棍を払った。棍の射程の長さを活かした、咄嗟に避けにくい一撃だ。唯は剣で受けるしかないが、歩の全霊の一撃ならばガードの上からでも態勢を崩せる。ましてや反撃まではされないだろう。そのまま連撃に移り、畳みかける絵図を脳内にたてた。

 唯がだらりと下げた剣を上げ、受けるべく態勢を整えるのが見えた。無理に避けようとはしなかった。最善の策だろう。

 想像通りに棍と剣がぶつかる。
 しかし返ってきた感触に歩は驚いた。

 両腕でしっかりと構えた剣で、完全に防がれた。唯の足元が砂埃を上げただけで、ときには巨人すら沈める全霊の一撃が止められたのだ。目の前のまだ幼さの残る少女に。

 さらに唯の剣が動いた。棍を防いだ剣を滑らせるようにしながら、切っ先が歩に迫ってきた。逆に虚をつかれる形になり、慌てて棍を引きもどし止めた。

 力を込めて、唯の剣を押し返し、再度棍を振るうがあっさりと斬り結ばれる。突けば避けられ、払えば剣で受け止められる。形を変えても、唯は隙を崩さない。やりとりは互角で、歩の思い描いた一方的には程遠い状態だ。歩と唯の力は拮抗していた。

「私も竜使いだよ。なめないでよね」

 少し笑みを浮かべた唯の言葉で、歩は気付いた。
 人はパートナーとリンクしている。パートナーが犬ならば、人は足が速くなり、嗅覚が鋭くなる。竜のパートナーたる唯にも、相応の力が備わっていて当然なのだ。戦闘に参加しないのが不思議なほどの膂力が、目の前の少女然とした同級生にはあった。

 驚愕で棍が鈍ってしまう。半端に差し出した棍をいなされ、歩はたたらを踏んでしまった。逆に押し込められるほどの大きな隙が、歩に生まれた。
だが唯は仕掛けてこなかった。ぱっと二歩引いて距離をとってきた。
 ただ一言、口から吐く。

「キヨモリ、スナップブレス」
「歩! 右に避けよ!」

 咄嗟に身体を投げ出そうとしたが、遅かった。

「がっ」

 背中の中央辺りを、強烈になにかが突き抜けた。再度宙の人となり、今度は地面に鋭角に突っ込む。右肩から突っ込んだのだが、砂利でがりがりと削られるのが伝わってくる。

 勢いがおさまり身体を動かせるようになってから、よろめきながらも強引に立ち上がった。手をついたときに、手首の部分からだけ出血しているさまが見えた。戦闘服のおかげで腕は無事だったが、外気に晒されていた手首部分の皮がはげており、皮膚の下の真っ赤な肉がのぞいていた。

 痛みを押し殺しながら、視線を正面に向ける。キヨモリは大口を開けた態勢のまま固まり、唯は歩のほうを警戒しながら、キヨモリの隣まで移動していた。キヨモリの口からは薄く煙のようなものが立ち上っている。

「空気の圧縮弾。溜めがないやつだけど、効いたでしょ」

 答えられない。なんとか立ち上がりはしたのだが、息がうまくできないのだ。肺を衝撃が突き抜けたせいだろう、ヒューヒューとかすれた音しか出てこない。

これが竜。

 唯が歩の隙をついてこなかった理由がわかった。そうする必要がないのだ。十分戦力になりうる唯でも最小限しか動かず、あくまで基本は竜任せ。圧倒的な力を持つものはリスクを背負う必要はなく、ただ相手を受け止め、捻り潰すだけ。そういった立ち回りだ。
 最強であるが故にできる、最も安定して実力の差を決する戦い方だ。

まだ足元のおぼつかない歩に対し、唯が言った。

「降参してくれないかな」

 歩は首を振った。反射的なそれはただの意地でしかない。

「仕方ない。キヨモリ、決めて」

 再度キヨモリの突進。
 再度同じ技。腕を振り上げ、振り下ろすだけのシンプルな一撃。
 故に最強。

「歩、受けよ!」

 足が言うことをきかず、避けられそうにない。アーサーの指示で反射的に動くしかなかった。なんとか頭上で腕を交差し、せめてものクッションと化す。

 肉がわなないた。受け止めた力はあっさり突き抜け、頭に、首に、腰に、足に、そして地面へと次々と伝播。地面が陥没した。
 額より少し上の辺りが切れ、目の間をつうと血が流れていく。

 なんとかその状態で持ちこたえた。竜の膂力を考えれば、それだけでも考えられない成果だと思った。

 だがその状態から、キヨモリの次撃の予兆が見える。竜の口が開かれるのが見えた。

先のブレスを思い浮かべたが、避けようにも上から押さえつけられて身動きが封じられていた。力を緩めた瞬間押しつぶされる、そんな状態だ、

 絶望が頭をよぎったとき、アーサーの声が聞こえてきた。

「突っ込め!」

 頭上からのパートナーの声に、咄嗟に動いた。
 ほぼ反射で上へ張り詰めた力を抜き、身体を屈ませながらキヨモリ側に身体を倒す。
 己の全力をただ全面に弾くように込めた。

「あああああぁぁぁぁぁぁぁ!」

 全身を振り絞り、ただ前へ。上から身体を抑えつけていた圧力がなくなった瞬間、いままで経験したことがないほど、身体が加速した。歩を抑えつけていた力が、弦を引き絞った弓のように作用したのだ。
 矢たる歩はただ前に突き抜けるだけ。

 棍棒の先をキヨモリの腹につきたてる。先程の一撃はまるで効果がなかったが、今度はかなり手応えがあった。棍がめり込んでいる。様々な要因が重なっての、会心の一撃だ。
 ブレスを放とうとしていたキヨモリの顎が上がるのが見えた。無防備に喉元が晒された。

 この機を逃しては、歩に勝ち目などない。

 キヨモリが後ずさったため、棍棒を支えているだけで腹から得物が抜ける。歩はそのまま棍を上に跳ね上げた。丁度喉の辺りにぶち当たった。
キヨモリの口を強制的に閉じられる。すると中で収縮していた暴風が荒れ狂い、口の中から目に見えるほどの風が漏れだした。

「ギャアアオオオオォォ!」
「キヨモリ!」

 唯がはっきりとうろたえていた。こんなことは初めての経験なのかもしれない。なにしろ、この学校で唯一かつ特別の存在だったのだ。

 更に追撃をかけようと、かなり無理をさせた全身にさらに鞭打とうとしたそのとき。
 思わず後ずさりしてしまうほど、はっきりと場の空気が凍った。



[31770] 幼竜殺し 2-7 対竜 後編
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/03/13 21:18

「歩!」

 アーサーの声が聞こえてきたのは、歩が弾き飛ばされたのとほぼ同時だった。
 爪の先が腹にめり込み、会場を覆う膜に再び叩きつけられる。衝撃吸収用の膜がところどころ弾け飛び、観客席に座った女子学生に膜の破片が飛んでいくのがわかった。
 腹には相当の鈍痛。骨にヒビでも入っているのではないかという錯覚すら覚えた。いままでの一撃とはまるで違う。

 膜が序々に収縮し、会場内に押し戻されて行き、砂地に滑り落ちていった。鈍痛がやまない腹に手を当てながらどうにか着地した。
 前を向くと、そこには怒り狂ったキヨモリの姿が見えた。
 その目には燃えあがるものが見え、ギラつき、明確な意思を歩に叩きつけてくる。

 ばちん、と音がした。
 その身体を拘束していた黒革が次々と弾かれて行く。バチバチバチバチと加速度的に音は増し、最後の一音が響いた後。
 ばさ、と翼が広がった。会場が狭くなった気がした。
 まさか、飛ぶ気か!?

「キヨモリ! だめ!」

 唯の叫びは、キヨモリの羽音で消された。
 二度、三度はばたくと、足が地を離れ、一気に飛び上がった。

 上空で何度も旋回し、飛び回る。飛ぶ姿は、先程までのどこか鈍重な姿とは似つかわしくないほど、優雅でなめらかだ。膨大な質量を持つ生き物が自由自在に空を飛びまわるその姿は、種族の頂点にふさわしい。
 これが、竜。
『竜は飛んでこそ竜』という、担任の言葉が脳裏をよぎった。

「歩!」

 少しぼうっとしていると、アーサーの声が響いてきた。
 そういえば、アーサーは大丈夫なのか? 勇壮なキヨモリの姿を見て、竜を苦手とするアーサーは気が気でないのではなかろうか。
 そう思い、アーサーを見る。

「馬鹿者! 我でなく、やつを見ろ!」

 むしろ闘志が燃え上がっているようだ。少し安心した。
 だが、考えている暇はない。
 疑問をよそに置きひとまず気を取り直して上空を見やると、近付いてくるキヨモリの姿が見えた。

 咄嗟に身体を転がしその場を離れると、数瞬前に自分がいたところから暴風が巻き起こる。
 二度身体を回転させ、片膝をついて起き上り、自分のいたところを見ると、そこには三本の不快溝が走っていた。溝だけでなく表面の土が削り取られているのは、指が完全に地面をもぐりこみ、手のひらぎりぎりまで抉ったが故だろう。
 背筋が凍る。模擬戦なのに、完全に生死の段階だ。これは最早模擬戦ではない。

 羽音を探る。音は上空からで、キヨモリはふたたび飛びまわっているのだろう。
 先程から唯が叫んでいるが、聞こえていないのかまるで降りてくる気配がない。
 上空で飛びまわるキレたキヨモリに、歩に何ができるのか。

「歩! 唯! アーサー! 退け!」

 突然、雨竜の声が聞こえてきた。同時にキヨモリの身体に何かが巻きつく。

「中止だ! ここは俺にまかせて退け! もうそこに着く!」

 まきついている半透明の綱の先は、観客を守っていた膜。そこから伸びた綱はキヨモリの身体を次々と拘束していき、飛行に支障をきたし始めたキヨモリが墜落し始めた。

 指示に従い歩は逃げようとしたが、その前にパートナーの姿を確認する。幸い逃げ始めるアーサーの姿が確認できたのだが、地面の上に茫然と佇む唯の姿が見えた。

「平さん!」

 声をかけても反応はなく、仕方なく駆け寄った。

「歩!? おい!」

 アーサーの声を無視して、唯の腕を手に取った。唯は完全に無抵抗だ。
 そのまま入口へと引っ張って行こうとしたとき。
 咆哮が鳴り響いた。

「ウォォオオオオオオオオオオオオ!」

 キヨモリが咆哮と共に、全身の筋肉を振動させるのが見えた。翼を展開させようとしているようだ。拘束していたはずの綱は一息で無残に散らばされ、ぼたぼたと砂地に水たまりのようなものを作る。

 キヨモリは、そのまま滑空。進む先は歩の方。

「っ!」
「歩!」

 咄嗟に唯を弾き飛ばし、巻き添えにせずにすんだのだが、歩は遅れてしまう。
 そのとき、ばさっと目の前に何かが降りてきた。
 アーサーだ。

「おい!」

 キヨモリと歩の間に入り込んでいる。歩を庇おうとでもしているのだろうか。このままではキヨモリの牙がアーサーに向くことになるが、アーサーの後ろ姿から逃げる気配はない。どこか超然とした雰囲気さえある。

 反射的に、アーサーに手をかけて退けた。尻尾をつかみ、宙に舞わせる。

 次の瞬間、キヨモリの手が歩の身体を掴んだ。そのまま地面を削りながら、キヨモリは着地。背中で地面を抉りながら、歩はただ耐えるしかできなかった。

完全に歩は磔にされた。地面に縫い付けられている。脇の下からしっかり掴まれており、びくともしない。

 キヨモリの顔を見ると、目が自分に集中していた。口の中ではブレスの気泡。完全に狙いは歩。

 このままブレスが飛んできたら、地面と挟まれる形になる。先程は宙に飛んだ分、衝撃が緩和されたが今度は違う。確実に命を危ぶむ傷を負わされるだろう。だが拘束されたままで逃げることも難しい。
 受けられるはずも、避けられるはずもない。

 あきらめかけた瞬間、唐突に響いたのは、アーサーの声。

「歩! 呆けるな! 我が止める!」

 いまさら何を言うのかと思いつつ、声がした方を向くと、アーサーが唯の顔の辺りで留まっていた。
 唯はなにがなんだかわかっていないようで、眼が虚ろだ。完全に忘我してしまっている。そんな彼女をアーサーは正面から見据えていた。

 何をしようとしているのか。
 目端でもう極大まで大きくなっているキヨモリのブレスが見える。もう時間はない。

 アーサーは、いつものように響く低音の声で、いつになく慈愛のこもった口調で言った。

「平唯。耐えろ」

 思い切りアーサーは息を吸い、背をそらせる。それからすぐに大口を開きながら頭を返し、首を突き出した。
アーサーの口から炎が吹き出した。
 それは一瞬で唯の頭に流れた。小さなアーサーの口から出たそれは、唯の頭を越えてなお勢いを衰えさせず、キヨモリの全長ほどまで伸びていた。アーサーにそれほどの力があったのかと驚いたが、それが唯に向かってのものだとわかると驚愕した。

「きゃあぁ!」

 唯の悲鳴が会場に木霊した。いきなり視界が炎に包まれたらそうなるだろう。彼女の身体は大丈夫なのだろうか。
 唯を心配していると、何故かキヨモリの力が緩んだ。これまでいくら唯が叫ぼうとも、届かなかったキヨモリなのに、何故か。悲鳴が特別大きいわけではない。むしろキヨモリに向かって叫んでいたときのほうが、声量としては大きい。

 そこで気付いた。
 パートナーだ。唯の危機はキヨモリにつながり、キヨモリの危険は唯に繋がる。命が繋がっているからこそ、何よりも優先して届く声なのだ。理屈を越えた絆がある。

 キヨモリの注意が歩から逸れたのがわかる。
 この機を逃してはならない。

 棍棒を両手で握り、不自由な態勢から竜の手に見舞う。人差し指と中指の中間辺りには竜の急所がある。竜使いたる歩はそれを熟知していた。これ位密着して、じっくり狙えるのであれば、そこを正確に突くのは可能だ。

 突いた途端、歩を拘束する力が抜けた。圧縮空気を内包した顎から、短い悲鳴が聞こえた。
 すかさず棍棒を支点に抜けだすと、身体を起こし即座に態勢を立て直す。
 腰を低く構え、両腕で棍棒を持ち、相手との間合いを測る。
 万全の状態。
 狙いは竜の首元。そこもまた急所だ。

「ウェアアアアアァァァァァ!」

 的確に捉えた。
 歩の巨人をも倒す一撃が正確に入った。竜の強固さは巨人を大きく上回るが、どうなるか。

 ぼん、と何かが弾けるような音がした。
 キヨモリの口にあった圧縮空気が抜けた音だった。
 竜は声にならぬ声を上げ、倒れた。



[31770] 幼竜殺し 2-i もう一人のキメラ
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/04/28 13:04



「×××君、本日の食事だ」
「はい。食べるよ」

 隣にいた自分のパートナーの△△△に許可を出した。×××の脇のあたりまで背丈が伸びたキメラは、牙をむき出しにする。
 目の前には本日の生贄。翼の折れまがった鳥型のパートナー。
 生贄を前にして、やることは一つ。

骨を砕き、肉を咀嚼し、血を嚥下する。快楽に身を任せて何も考えず、ただ喉を潤し腹を満たす。

 もう手慣れたもので、この程度の大きさなら、×××とキメラの二人で十分もかからない。今回は七分で済ませられた。
 予め用意してあったタオルでキメラの口をぬぐった後、自分の口元と手を綺麗にする。

 汚れたタオルをどうしようか迷っていると、△△△に変化が訪れた。
 背中がばきばきと音を立てながら割れ目を作る。中からは血みどろの肉の塊が出てきて、二つに広がった。

 そのまま大きく伸びていき、扇のような形を描きだす。最後に凹凸ができ、見覚えのある代物になる。
出来上がったのは鳥の翼。食べた相手の能力を奪ったのだ。これがキメラが忌むべき存在とされるゆえんだ。物理法則すら無視して質量すら変化させる驚愕の能力だが、もう見慣れたものでなんら思うところはない。

「終了ですか?」
「ああ。美味しかったかい」
「はい」

 △△△の背中に再び割れ目ができ、中に翼が戻っていく。バキバキバキと音をたててはいるが、その顔に苦痛の様子はない。

 翼を収納した背中の割れ目はすっと閉じていった。手にしたタオルで軽く拭うと、そこにはもう傷口すらない。△△△は手に入れた能力をこうして収納し自由にコントロールできる。
 タオルを手にしたまま出口に向かったところ、『おじさん』の声が聞こえてきた。

「おつかれさま」

 『おじさん』の声は、意地の悪い何かを含んでいた。



 ×××がこの施設に連れてこられてから、三年が経っていた。
 △△△は勿論のこと、×××の背丈が伸びている実感があり、年月が経過しているのがわかる。三年間一度も施設外に出たことのないキメラでも年をとる事実が、何故かひっかかる。
 『食事』を終え、殺風景な施設の廊下を歩いていると、『おじさん』から声をかけられた。

「×××君、今日の講義は後日でいいかね? 少し用事があってな」

 作り笑いを浮かべて答える。

「いつも教えていただけるだけ有難いです。正直なところ、私も仕事が溜まっていた仕事があるので丁度良かったです」

 ×××はこの施設内で、他の『実験動物』の扱いを任せられるようになっていた。従順に従いつづけてきた結果、ある程度の信頼を得ることができたからだ。同じ『実験動物』の身ながら、×××はそれなりの自由と教育を受けられている。言うなれば、牢名主だ。

 知識を得るのは『食事』の次の楽しみなのだが、仕方がない。あらがっても何も好転しない。それなら尻尾を振った方がマシだ。

 『おじさん』は、形だけ取り繕った謝罪を告げた後、正面の大きな出口から走っていった。
 ×××もそちらに用があるので向かうと、出口のドアをあけたところで『おじさん』と同僚が話しているのが聞こえてきた。直角に曲がった角の先にいるのか、姿は見えない。

「×××に色々教えてるみたいだけど、大丈夫か?」

 『おじさん』は豪快に笑いながら言った。

「心配性だな。パートナー喰いにまともな生活ができると思うか? あいつらは外に出てもいずれ耐えきれなくなり、襲いだすさ。そんな自覚もあるのか、抵抗する素振りもない」
「けど、闇討ちの方法だったり、戦術とか教えたりするのは流石に危なくないか? お前が被害者になっても知らんぞ」
「大丈夫だ。それにな」

 見えなかったが、おじさんの醜悪な笑みが目に浮かんだ。なんとなくどんな表情をしているかわかる。

「無抵抗なのも面白みがないだろう? 希望を持たせた方が、絶望も深くなるってもんだ。色んな事を知れば知るほど、自分の境遇に自覚が出る。そうした姿は、どうしようもなくみじめだと思わないか? ただ淡々と動くモルモットより、苦悩する姿の方がそそるもんがあるだろう? 不死鳥を食って臓腑を燃えあがらせていた時の顔なんて、最高だったぞ」
「相変わらずの悪趣味で」

 ガハハという笑いが遠のいていく。その場を離れていったのだろう。
 そのままその場に立っていると、角の先から若い男が歩いてきた。おそらく、おじさんの話し相手であった彼は、×××の姿を見ると、ぎょっと身体を強張らせた。

 ×××は作り笑いを浮かべ会釈した。顔を上げると、若い男の表情は凍ったままだったが、何も言わずに隣を通り過ぎていく。
 先の角を曲がり、先程まで『おじさん』達がいたであろう廊下を歩く。

途中で△△△が身体を擦りつけてきたが、軽く首元を撫でるだけで済ませた。
こんなことは驚くまでもないし、悲しむことではない。こうした嫌がらせを受けるのは慣れた。用事があるといったのも嘘だろうし、今のも×××に聞こえるように言ったのだろう。嫌らしいなぶり方だ。

そんなことされずとも、自分のことは理解している。この場から逃げられるとも、キメラの宿命を避けられるとも、自分達がまともな扱いを受けられるとも、思っていない。
 自分達は実験動物であり、キメラなのだから。



 今日は『新入生』が来るらしい。
 時折、新たな『実験動物』が増えることがあるのだが、×××はそうした新入生の世話も任せられている。

 『おじさん』からの情報によると、新たな新入生のパートナーは同じキメラだとのこと。パートナーが生まれた瞬間、捕まえてきたのも同じ境遇だと言われた。名前は□□□というらしい。×××の三歳年下。この施設に入るにあたっての儀式も、×××同様に行われるとのことだ。

 時間の五分前になり、指定された部屋に向かう。真っ白な廊下をいくつか過ぎて着いた先は×××が二年前に連れてこられた部屋だった。
 一分前に到着、その場で待つ。廊下を挟んだ先にはシャワー室があり、着替えや大量のタオルが置いてある。×××の役目は、血まみれになることも少なくない『新入生』の身づくろいを補助することだ。

 時間になってすぐにドアが開いた。廊下側にはドアノブが付いているが、ドアの内側の壁は白一色の壁紙だけだ。

 出てきたのは、ぱっと見て少年か少女かわからないが、十二歳にしては大人びて見えた子どもだった。全身血まみれで、顔の表情もどこか虚ろ。自分もこんな顔をしていたのだろうか。
 足元にはパートナーと思しき小型動物。犬をベースに、背中にこうもりのような羽、尾が二股と細かい差はあるが、その雑多な姿は間違いなくキメラ。
 とりあえず話かけてみた。

「大丈夫? とりあえず、身体綺麗にしようか。そこシャワー室だから、中に入ろう」

 反応がない。足元にいる□□□のキメラはなにやらこちらをにらみながら唸り、敵対心を露わにしていた。脇に控えていた△△△も、威嚇するように唸り始める。

 いきなり□□□が飛びかかってきた。奇声を上げながら×××に向かって全身を投げ出して来る。足元では彼女のパートナーも駆けてくるのが見えた。

 ×××は彼女のキメラは無視して、□□□だけを身をくねらして避けた。□□□が反対側の壁に頭から突っ込み鈍い音を立てる。すかさず彼女の首筋に手刀。おじさんの講義の一貫として武道も習っており、その中でこれも教わったのだが、×××の成功率はそれほど高くない。
 それでもなんとかなったらしく、壁からずるりと落ちて行き、地面に突っ伏した。

 ふっと息をついたところ、悲鳴のようなものが聞こえてきた。音のした方をむくと、△△△がもう一体のキメラを締めあげていた。尻尾の蛇が身体にまきつき拘束している。尾の蛇が赤く長い舌のようなものが出し入れしていた。

 □□□とそのパートナーの無様な姿を見て、×××はため息をついた。



「はい、ココアでよかった?」
「――重ね重ねすみません」

 温かいココアを手渡すと、□□□は申し訳なさそうに身を縮めて受け取った。

 あの後、まだ気を失ったままの□□□の服を脱がし、シャワー室にぶちこんだ。同性なのが幸いした。気を失ったままの□□□の身体の湿り気を拭いとり、多少てこずりながらも服を着せ、談話室に連れていった。その間、□□□の小さなキメラは△△△が拘束したままだった。

 談話室に寝かせて数分たったころ、□□□は目を覚ました。少し距離を置いて話しかけてみたのだが、こちらを見る目には戸惑いと敵意が宿っていた。当然だ。

 それが無くなったのは、□□□が×××のキメラである□□□に気付いたときだ。そこからは人が変わったように素直に応対し始めた。おそらく、ある種の仲間意識が芽生えたからだろう。同じキメラ使いという、決して有難くないものだが。

 そこで一通り状況を説明した。大雑把にはおじさんが伝えていると思うので、質問に答える形にしたのだが、質問は次から次へと続いた。やはり自分の新たな境遇が気になったのだろう。
矢継ぎ早に繰り出された説明の途中、ふと飲み物を出していないことに気付き、自販機で買って渡した。

 □□□は黙ってココアを飲んでいる。心なしかほっとしているように見えた。

「さて、まだある?」
「……思ったより、待遇いいんですね。もっと悲惨な目に合わせられるかと思いました」

 たしかに衣食住は保証されており、身体的には保証されている。説明された内容だけでは、それほど悲惨には思えないだろう。
 問題なのは、精神面。そればかりは経験しないことにはわからない。ここは牢獄以下の場所だということに。

「ひどい拷問を受けたりはなかなかないからね。私自身、そうした経験はないし。他には?」
「あの、全く関係ないことでもいいですか?」
「答えられることなら」
「あの、その、貴方の生い立ちを聞きたいんですけど」

 意表を突かれた質問だったが、なんでも答えてあげた。といっても、薄っぺらな両親の記憶と、孤児院でのそれなりの暮らしはそう面白いとは思えなかったが。記憶があいまいな部分もあったが、□□□は満足したようだった。

 ×××が語り終えると、代わって□□□が話し始めた。
 □□□もまた孤児だった。五歳の時に両親を亡くし、施設へ。施設の暮らしは随分辛いものだったらしいが、明るく語った。もう会うことはないであろう友達のことも、全く悲壮感を感じさせずに離してくれた。

 一通り話終えると、□□□は躊躇しつつも勢いに任せるように言った。

「僕達、仲間ですよね? 境遇も似てますし、パートナーも同じで」

 そうだね、と×××は答えた。少しだけ親近感らしきものが感じられた。あっさりと自分の境遇を話したのも、仲間意識があったからかもしれない。

「僕、この後どうなるんですか?」
「色んな魔物やらパートナー喰わされて、能力手に入れて、データ取られて。後はただ生きるだけ」

 □□□は少し考え込んだ後、尋ねてきた。

「外に出る可能性はないんですか?」
「できない。私の場合、戸籍も死亡扱いにされてるしね。□□□はまだなってないだろうけど、それも手続きだけの問題だから」
「そうですか……」

 この施設内でその手続きの一端が行われることを×××は知っていた。流石にその仕事が回ってくることはなかったが、『おじさん』に聞いたことがある。なんでも、その書類を提出したら、属している組織が手続きしてくれるらしい。その書類の提出は、週末にまとめてやるとも言っていた。

 □□□は再び考え込みはじめた。×××が手にしたココアを飲み終えたころになって、ようやく口を開いた。

「あの、僕の服どうしました?」
「ここにあるよ。はい」

 血まみれになった服を渡す。
 自分の起こした惨劇を思い出したのか、身体をビクつかせながら受け取ると、中を探り始めた。上着の内ポケットに手を突っ込み、そこからなにやら取り出す。
 それは□□□のIDカードだった。本人の名前と性別、生年月日、そしてパートナーの名前が書かれており、自分の戸籍を証明するものだ。

「これ、持っててもらえませんか? もう何の役割も果たせませんが、それでも持っていてほしいんです」

 象徴みたいなものだろう。相手に自分が存在した証明を持ってもらうことで、相手との絆を深めて、仲間意識を強固なものにする。孤独は避けたいのが痛いほどわかった。
 これからの生活が不安で、仲間を作りたいのだろう。同じ異端のキメラ使いであることも、それを助長している。
 受けとってポケットの中に突っ込んだ。□□□は嬉しそうに顔をほころばせた。己のパートナーをまず見て、△△△、×××と視線を送る。奇妙な連帯感が生まれた。

「その子、なんていうんですか」
「△△△」
「へえ、いい名前ですね」
「君のはどんな名前付ける?」

 □□□は照れたように頬を染めながら答えた。

「実は生まれる前から決めてました」
「ずいぶん楽しみにしてたんだね」

 □□□は更に頬を赤らめて言った。

「はい! やっぱり一生を左右するパートナーですから。実はIDカードにもう書いちゃってるんです。待ちきれなくて」

 一生を左右するパートナー。□□□は気付いていないが、ずいぶん皮肉な言葉だと思った。文字通り、二人のパートナーは人生を大きく左右した。泥沼に突っ込んだのだ。

 初々しい反応に少しためらいを覚えていると、突然怒号が鳴り響いた。
 同時に警報。電灯が赤い緊急用のものに変わる。

「あれ!? なんですかこれ!?」

 □□□の困惑する声が聞こえてきたが、それは×××も同じだ。避難経路がぱっと思いつかず、壁にかかった案内板に目をやった瞬間。
 何かが崩れる音がした。首筋に衝撃が走り、続いて全身が叩かれる。
 意識はあっさりと無くなった。



 頬に冷たい感触がして、目が覚めた。目の前には△△△の顔。目を覚まさせようと頬を舐めていたようだ。

 起き上って周囲を見渡す。
悲惨な光景が広がっていた。
 ところどころ怪しい炎が立ち上り、形のあるものは全て壊れている。炎に焼かれてパチパチと弾ける音がしていた。炎以外に動く影は見当たらない。

 随分と呆けた後、ふと自分の身体を見回してみた。至る所に裂傷があり、痛みもあるがそれほどではない。ぱっと見てわかる重い傷もない。
 なぜ無事なのか。

 答えは△△△だった。パートナーの身体は全身血でまみれていた。特に背中の傷が酷い。中途半端に展開された翼が無様に折れまがっている。尾は根元から引きちぎれており、舌を出し入れしていた蛇はなくなっていた。能力を出し入れするときに見せる、異常な復元力でも回復しきれていない。

 これらは、おそらく×××を庇ってできた傷。
 申し訳なく思いながら、声をかける。

「ごめんね、ありがとう。動ける?」

 キメラはクゥーンと鳴いた。その声は悲痛なものが籠っていたが、声そのものに濁りはない。×××に纏わりつく動きも、傷だらけの痛々しい身体のものとは思えないほどだ。知らない内に、随分と強くなっていたようだ。

 安心して息をもらした後、ふと立ち上がり、空を見上げてみた。
 三年ぶりの夜空は、ひどく美しい。
 周囲で炎がゆらめいているせいか、空気が妙に透き通って感じられた。焦げくさいが、空気の不純物すら燃やしているかのように、空がすっきりとしている。久しぶりの夜空だから、余計美しく感じたのかもしれないが。

少しの間無言で空を見上げた後、現実に返る。これからどうするか決めなければいけない。
今なら簡単に逃げられる。追う者がいるかもしれないが、この惨状では死体の確認もホネのはずだ。もしかしたら死体不明の行方不明者としても片づけられるかもしれない。これ以上ないチャンスではある。

 外に出てどうするか。外に出たところで自分の戸籍はもうない。戸籍がない人がどうやって暮らしていくかわからない。アンダーグラウンドな世界で過ごすことになるが、はたして自分のそんな暮らしができるだろうか。全てを諦めて、ただ日々を過ごしていた自分に。

なにより、最大の問題はパートナーにある。キメラ使いがはたして一般世界で過ごせるのだろうか。

――どうするか。

 ひとまずこの場を離れようと瓦礫の上に足をかけると、すぐそばに小さなキメラの姿があった。腹が裂かれ、目は白く濁っている。死んでいるのは明らかだ。
 となると□□□も死んだはずだ。パートナーと人は命を共有している。
 ほんの数時間だけの関係でしかなかったが、仲間のことを思う。最後のほうは随分と人懐っこい顔をしていた。

 そこでふと思い出し、ポケットを探る。
 そこには、□□□のIDカードがあった。入ってきたばかりの□□□は、まだ戸籍抹消は終わっていないはずだ。抹消のために必要なものは、全て瓦礫と炎の中。IDカードに顔写真はない。性別も同じ。

 □□□の顔を思い出す。
 どうするか。



[31770] 幼竜殺し 3-0 貴族
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/03/17 22:51


「なんだあれは! クズに負ける竜など、竜ではない! とんだ無駄足ではないか!」

 ハンス=バーレは憤慨していた。
 わざわざ全国七位の実力を持つ彼が足を運んだというのに、そこにいたのは竜と名乗るのもおこがましいクズと、そのクズに負けるただの木偶の坊だったからだ。
 会場で木偶の坊が暴走したところで、ハンスはその場を離れようとした。力とは己の意思のもとにおけて初めて価値がある。主の指示を無視して好き勝手に暴れまわるなど、竜どころかパートナーとしても問題外だ。

その場を離れようとパートナーの背に乗り、飛び上がった。そしてそのまま帰ろうとしたとき、更に問題の光景が目に入ってきた。木偶の坊が人にやられたのだ。

 竜が人に負けるなど、あってはならない。名目上、相手が竜使いであったとはいえ、パートナーは竜とは名ばかりのE級生物である。そんなものは竜使いとは呼べない。

 またがった己のパートナーを見る。
 ハンスが乗ってもびくともせず、空を悠々と飛ぶ翼竜。全国七位の空戦能力を持つ竜。勇壮に翼をはためかせ、大空を駆ける王の中の王。その竜に手綱と鞍をつけ、その上にまたがっている人。
――これこそ竜なのだ。
 あのような雑種とは違う。あれは全くの別物。竜とは特別な存在なのだ。

今もそうだ。この広い大空を飛んでいるのはハンスとミッヒだけ。いわば空を占有している状態だ。これは幼竜殺しが出現したため、周辺一帯を飛行禁止にしているからだ。

だが竜には、ハンスには関係ない。幼竜殺しだろうとなんだろうと、負けるはずがないのだ。殺された竜など、竜ではない幼竜。ハンスは違う。証拠として、申請すれば簡単に飛行許可をもらえた。特別なのだ、竜は。

 ただ一人で空を占有する気分に浸っている内に、少しだけ溜飲が下がってきた。そうだ、あれらは竜ではない。我こそが竜なのだ。

 そうして悦にひたっていたが、すぐにその時間は終わった。正面になにやら飛行する物体が見えた。自分の庭が汚された気がして、途端に眉をしかめる。
 よく見えないが、相手は大きな翼ではばたいて飛行している。竜ではないし、悪魔や天使、機械族でもない、完全な雑種だ。大きさは先程の木偶の坊と同じ位か、かなり大きめだ。

 なんにしろ飛行許可を得ていないものだろう。舌うちをしながら、喉を張り上げた。

「そこの貴様! 何をしている! ここは飛行禁止である! ただちに飛行を辞め、警察に出頭せよ! 命令に従わないのなら、この私が叩き潰すぞ!」

 正面の影は序々に大きくなっているが、まるで動く様子がない。竜相手に喧嘩を売っているのか。なんたる不遜だ。
 野良の魔物かとも思ったが、背中にはその主人と思しき姿がある。マントを全身に巻きつけており、顔どころか髪すらも見えないのだが、大きさや影の形からしておそらく人であろう。それも不遜極まりない。

「よかろう! ならば私が直々に相手をしてやる! 五体満足で帰れると思うなよ!」

 鞭を入れ、ミッヒに空戦へと移らせる。ハンスも腰の剣を抜き、気合を入れた。

 相手の姿がはっきりと見え始める。その姿はどこか竜に似ていたが、違う。翼や体型は少しらしいが、頭は全くの別物で、獅子に似ていた。

 足元で流れる景色が加速する。耳元であばれはじめた風がうなりをあげ、ハンスの身体を宙に投げ出そうと襲い掛かってくる。

 それらを無視し、迫った不埒者に合わせるように剣を振り下ろした。

 爪が、牙が、そして剣が交わされた。ハンスの剣に手応えはなかった。背中に乗った主と思しき人物を狙ったのだが、上手くかわされたようだ。振り返ってみたが、獅子もどきのほうも壮健そのもの。ミッヒも不発だったようだ。

 手綱を操り、ミッヒを獅子もどきに向かせる。久々の戦のせいかミッヒの反応が鈍いため、少し旋回に時間がかかったが、後方を向いた時には獅子もどきもこちらを向いていた。戦う気だ。

逃げる獅子もどきを追うのも一興かと思っていたが、正面勝負のほうがいいに決まっている。内心喜びながら、軽く腰を浮かし、再度の交錯にそなえる。

 獅子もどきが目の前に迫り、剣を振り上げた瞬間、視界が赤い炎で包まれた。
 炎が全身を舐める、と思った直後、足元がぐらつき身体の態勢が崩れる。足場になっているミッヒが落下しはじめていたのだ。先程交錯した際、なにかされていたのか。

 ちっと舌うちをして重心を下げ、パートナーの身体に張り付かせる。炎が周囲を満たしていたが、竜使いたるものこの程度の炎はぬるま湯にすぎない。

 炎の嵐から抜け落ち、空が見えた。しかしそこに何か赤黒い液体が舞っていた。
 なんだ、と思い手を伸ばす。
冷たい感触がつき手を引っ込めようとしたとき、その手がぐらりとゆらめいて見えた。続いて平衡感覚も消え失せ、視界が白濁する。間際に鉄臭い匂いをかぎとった後、嗅覚も消えた。思考もどんどん遅くなる。

己の体調の異変を、ようやく理解した。赤黒い液体は血だ。宙を舞っている血液の量は、ハンスの全身からしぼりとったものより多そうだ。
そして自分自身の体調の変調。自分自身、全く痛みがないのに全身が消えていくような感覚。

おそらく、これは、パートナー死。命が、リンクした人と、パートナーの、一心同体と、呼ばれる、一番の、理由。
 ミッヒが、やられた。竜が。
 や、ら、れ――



[31770] 幼竜殺し 3-1 模擬戦の顛末
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/03/21 22:18



 歩は唯達との模擬戦に勝った。
 だがもう一つの勝負には負けた。
 その代償がいま歩の手の中にある。

「歩、買ってきたか?」
「……おう」

 手にもった紙袋は、昼休みになるなり、校外へひとっ走りして買ってきたものだ。教室棟四階にある空き教室で待っていたアーサーに、それを差し出す。
 アーサーは両手で受け取るなり机に飛んでいき、紙袋を破り開けた。

 中身は特製の肉まん。小学生との一件もあった駄菓子屋のものだ。大きさは通常の半分もないのだが、値段は一つで五倍以上。『ネタでつくった』らしく、値段を考えずに材料を吟味したとのことで、前日の予約必須の非常にプレミアムな代物だ。

 それが紙袋の中に五つ。勝った代金は全て歩持ち。
 アーサーが袋から肉まんを取り出すと、デフォルメされているような三頭身の身体で、短い両手を必死に伸ばして肉まんを取り出し、大口を開けてかぶりついた。
途端に大きな目が蕩けた。見ている方までも嬉しくなるような、そんな素直な反応だ。こういうときに限って、こいつは小動物特有の愛らしい反応をする。本当に卑怯だ。

「ふむ、上手い。勝者の味よな」
「……クソババアめ」
「誓約書は絶大よのう」

 模擬戦は歩もアーサーも働いた。直接キヨモリと戦って勝った歩は勿論、アーサーの指示はいつもよりキレていたし、最後唯に炎を吐く機転は、悔しいながらも見事だった。

 そうなると歩とアーサーの話し合いで決着がつくはずもなく、勝者は類、みゆき、慎一にゆだねられた。
 みゆきと慎一はお互い頑張っていたで棄権した。少し不満ではあったが、まあ仕方がない。

 残された類が決めた勝者は、アーサー。歩が不満をいうと、類はきっぱりと答えた。

「『いつもより働いた』って仮定なら、アーサーでしょ」
「でも! 相手竜だよ!? 直接戦った俺だって」
「まず決定打を生み出したのはアーサー。指揮官として、勝ち目のない戦いに機転でもって勝機を生み出したのは、十分特別な働きだね。対するあんたは、竜相手に対峙して勝った。確かに十分以上の戦果」
「なら」
「だけど、あんたが傷だらけになるのも、自分より強い相手と戦うのも『いつも』でしょ。強さの度合いは違うけど、『いつも』死に物狂いでやってるあんたなら『働き』一点で考えるなら『いつも』との違いに関してはアーサーに劣ってしまう。アーサーは『いつも』は物理的に戦うことはないんでしょ?」
「いや、でも」
「恨むなら馬鹿な前提呑んだ自分を恨め」

 肩を落とす歩とは対照的に歓喜にわくアーサーは、特製肉まんをリクエストしてきた。

 歩も金欠だったため、奢りは一週間後の今日まで伸びたが、その分アーサーの要求は強いものになった。

 今日の昼食は、白米+たくあんだけという時代錯誤なもの。冷蔵庫にそれしかなかったのだ。

 馬鹿だった自分と類と目の前のアホを呪いながら肩を落としていると、落した肩にぽん、と手を当てられた。

「私の弁当、少し食べる?」
「……みゆき……ほんとに?」

 みゆきだった。
 少し楽しげに苦笑していたが、今は素直に嬉しい。
救いの手が差し伸べられたと思った矢先、アーサーが口を挟んできた。

「賭けに負けた分際で、他人に憐れみを乞うか。敗者ならば粛々と罰を受けるのが道理ではなかろうか?」
「別に憐れんでるわけじゃないよ~」
「どちらにしろ救われているのに変わりない。昼飯を抜いた位では死にはせん。そもそも賭けごとという勝手きわまりない行為で受けた罰だ。なのに助けを乞うなど、いつから腑抜けになったのか」

 肉まんから決して手を離さず、にやにやしながら煽ってくるアーサーを見て、伸ばしかけた手を止めた。腑抜け云々はともかく、これから当分このネタで煽られるのかと思うと食べられないが、やめたところでアーサーの手のひらで踊っているようで気持ち悪い。
 歩は悩んだ結果、みゆきに丁重に断りを入れた。

 ひもじくたくあんにかじりつく。
 敗者の味がした。

 呆れたような声が聞こえてきた。

「あんたら、いつもこんななの?」

 口に物を詰め込んでいた歩とアーサーに変わり、みゆきが愉快そうに答えた。

「面白いでしょう?」
「面白いとはなんだ。野郎のプライドをかけた熱い戦いであろうに」
「はいはい、分かりづらい冗談はやめようね」
「我は冗談など言わぬ」

 アーサーの言葉をみゆきが流したところで、近くにあった机が二つ歩のそれにくっつけられ、そこに二人の女生徒が座った。

 一人はみゆき。後方には液状の栄養剤をもらっていつもより張りのあるイレイネ。
 もう一人は――

「唯さんも私の弁当つままない? 今日少し量多めなんだ」
「あ……、ならちょっとだけ」
「どうぞ」

 後ろにキヨモリを控えさせた竜使い、平唯だった。



[31770] 幼竜殺し 3-2 気丈
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/03/24 23:20



 キヨモリとの模擬戦から一週間が過ぎた。
 あの後、気絶したキヨモリは厳重に拘束され、檻の中に入れられた。我を失い飛行禁止を破った挙句、一歩間違えば歩の命を奪うところまでいった。その罪は軽くないように思われた。

 しかしやはりそこは竜だった。特別扱いはここにも及んだ。模擬戦そのものも没収試合ということになり、公式結果は両者引き分け。なんとも言い難い結果に終わってしまった。

 解放されたキヨモリは今、歩のすぐ近くでのんびりと欠伸をしている。食事は既に済ませていたらしく、夢心地にうつらうつらしていた。
 その主たる唯はというと、差し出された弁当に手の伸ばし口に入れると、途端に目を見開いた。

「美味しい! これ、自分で作ったの?」
「うん」
「すごい! 料理上手いんだね」

 唯はわざわざみゆきの方を向いて言った。なんとも無邪気な様子だが、模擬戦以前とは少し様子が違っている。腰まであった長い赤髪が短くなっていて、肩位までの長さに綺麗にまとめられている。

 唯は炎を浴びせかけられたというのに、髪の端が軽く焦げていた位で、火傷一つなかった。これは唯が竜使いだからだ。アーサーの炎は見た目には巨大なものだったが、竜の堅牢さを受け継ぐ竜使いにとって、それほど威力のあるものではなかったようだ。

 それでも炎に視界を埋め尽くされて正常でいられるものなどいない。唯はつい悲鳴を出してしまい、キヨモリの注意がそらすことに成功した。
 アーサーにここまで計算していたのかと聞いたが、例え計算していなかったとしても、こいつが偶然だと答えるわけはない。真相は闇の中だ。

 好物を手に御満悦のアーサーが言った。

「ふむ、みゆきの料理はなかなかのものだからな。我もこいつらがなければ、手を伸ばしておるところだ」

 アーサーが乗った机の上には、まだ肉まんがいくつも残っている。食い意地の張るアーサーでも、流石に満腹になる量だ。

少し照れながらも、みゆきがさらに唯に差し出す横で、歩はむなしく白米とたくあん。なんともわびしい。
 そこで唯の視線が歩に向いていることに気付いた。

「どうした?」
「あのさ、もしかしてこれって水城君の分だったんじゃない?」

 みゆきの弁当を見てみると、確かにいつものものより大きい。二倍はありそうだ。言われてみれば、みゆきならそういう気遣いをしてもおかしくない。

 みゆきを見ると、少し困った表情を浮かべていた。一度断った以上、歩が翻意してみゆきの弁当に手を出すのは決まりが悪い。しかしそれではみゆきの気遣いが無駄になってしまう。みゆきからしたら、自分の気遣いで歩の意地を無下にするのも、余り居心地のいいものではないのもある。
どうしようと思っていると、アーサーが口を挟んできた。

「構わん構わん、自ら招いたツケだ。むしろ今になってようやく気付いたそこの馬鹿が馬鹿だっただけ。安心して頬張るが良い」

 アーサーのことはむかつくが、ひとまずみゆきと視線を交わした。申し訳なさそうなみゆきに、両手でおがむように詫びをいれた。

「え、と、本当私食べていいの?」

 申し訳なさそうな唯に、歩は慌てて答えた。

「いいっていいって。この馬鹿のたるみになったら俺も困るからさ。俺がいうのもなんだけど」
「そうだそうだ。存分に喰らうがいい」
「お前のいうのもなんだけどな!」

 みゆきと唯の二人がくすっと笑った。どうもアーサーとの会話はこうしたコントみたいになってしまう。
 最後の一つを呑みこんだアーサーが、みゆきの弁当を見て言った。

「まあ気が引けるというなら我も手を伸ばすが。思ったよりも腹にはスキがある。やはり旨い飯はいくらでも入るの」

 お前はただ食いたいだけだろと思いつつ、みゆきを見てみた。
みゆきは少し小悪魔的な微笑を浮かべて言った。

「平さん、ぜーんぶ食べちゃって」
「みゆきーーーーーーーーー!」
「それだけ食べれば大丈夫でしょ」

 みゆきがぴしゃりと断言するように言った。珍しい口調だ。
 顔を見ても、微笑を浮かべたままで特にいつもと変わりない。優しい姉のような感じだ。
 アーサーがみゆきをうかがいながら尋ねた。

「……もしかして、怒った?」
「何が? 私の気遣いより自分の食い気を優先させたアーサーのこと? 全然怒ってないよ」

 みゆきの顔はあくまでにこやかだ。
 だがそれだけに怖い。声音にも何の変化もないが、それだけに皮肉がきつく響く。
 アーサーもあっさり白旗を上げた。

「まあ、その、なんだ。深く考えての行動ではなかった。我も浅慮だったように思う。まあ、その、すまんかった」

 殊勝に謝るアーサーに対し、みゆきは許したようだ。もともと本気では怒っていなかったのだろう。
今度は本当に優しく言った。

「今度作ってきてあげるよ。歩の分もね」
「本当か!? 嘘ついたらお前の乳もむぞ!? 歩が」
「なんで俺が!?」
「いいわよ」
「みゆきも乗らない!」

 歩は、は~っとため息をついた。

「毎度毎度すまんな」
「いえいえ」
「何故お前が言う。みゆきも家族だろうに」
「仲いいのね」

 唯がややノリに遅れながらも言った。

「まあ、一緒に住んでたしね」
「そうなんだ……」

 唯は顔を落とし、なにやら数秒ほど考え込んだ後、顔を上げて言った。

「ねえ、一つ、聞いていい?」

 真面目な口調だ。学期末模擬戦のときも似た状況になった。あのときと同じく、どこか不器用な言い方ながらも、本人が真剣なことはわかる。

「なに?」
「やっぱ私混ざんないほうがいいんじゃない? 家族の団欒、邪魔してない?」
「そんなことないよ。家族っていっても、一緒に住んでないしね」
「模擬戦で、あんなことあったでしょ? キヨモリも私も、結局おとがめなしに終わっちゃったけど、やっぱり私達何らかの罰を受けるべきだよ」

 実際、普通に考えたら何らかの遺恨があって当然だ。我を忘れ相手を殺しかけたキヨモリと唯。かたや殺されかけた歩とアーサー。ひどい被害はなかったとはいえ、やはり被害者たる歩達からしたら、なにやら思うところがあって当然だ。少なくともこうして打ち解けるはないだろう。加害者にほとんど罰がない以上、それらはより強いものになる。次の日に誠心誠意の謝罪を受けたとはいえ、全てを水に流すのは難しい。

 ただ、歩の中に不思議と二人を憎む感情はなかった。

 ふとキヨモリに視線を向ける。
 完全に眠りこけており、鼻ちょうちんをふくらましている。尾をだらりと伸ばし、巨躯を窮屈に縮める雰囲気は、自分を殺そうとした竜とは似ても似つかない。

 こうしたどこか可愛らしい姿は、謝罪に来たときも変わらなかった。唯が悲愴なものを浮かべて頭を下げている横で、キヨモリも謝っていたのだが、その姿は悪戯をして叱られる子供の姿を思い起こさせた。大きな身体をしゅんと縮め、どこか泣きだしそうに見えた。
 そんなキヨモリの姿を見て、歩の毒気は抜けてしまった。普通なら怒るかあきれてしまったように思う。だが歩は違った。
 それはアーサーも同じだったようで、表向き唯を非難していたが、いつもほど舌鋒は鋭くなく、むしろ擁護するようですらあった。

 そうなると、逆に唯とキヨモリに対して同情の念が生まれた。
 模擬戦以前は、どこか『孤高の竜』として遠巻きにされながらも、丁重に扱われていた。特別扱いを常にされていたが、それでも不満はなかった。実際に戦うところを目にしたことは誰もなかったのだが、皆敬意を持っていた。

 しかし一種のネタとして扱われていたアーサーと歩に負けてしまった。
 以来、それまでとはうってかわって、学校の人間は侮蔑のまなざしを向けるようになった。歩達に負ける程度のものなのに今まで特別扱いを受け、これからも受け続けることへの反動からか、こちらの胸糞が悪くなるほど彼等の態度はおかしなものだった。

 唯とキヨモリは苦境に立たされた。
 そんな姿を見て、内心歯がゆく思っていた歩も、どうすることもできなかったのだが、そこに手を差し伸べる人が現れた。
みゆきだ。

 みゆきは歩とアーサーに相談した後、声をかけた。戸惑う唯を強引に誘い、歩達のところに連れてきた。歩達を見て、唯の戸惑いは更に増したが、歩達もみゆきと共謀して有無を言わせず、なあなあの内に共に構想することを習慣づけさせた。ここのところ昼食も共にしている。

 しかしここにきて、唯はなあなあのまま済ませることをやめた。
 再度、問いかけてくる。

「やっぱり、私いない方がいいよ。誘ってもらったのは嬉しいし、感謝もしてる。ただ、水城君もアーサーも、内心複雑だと思うんだ。水城君を殺しかけたキヨモリがいるのは団欒の邪魔になってるよ。それを止められなかった私もね。それにアーサーはキヨモリのこと苦手そうにしてたでしょ? 今も無理してるんじゃない?」

 内心、歩は唯に好感を持った。
 嬉しかったのは本当だろう。昼休みになる度に誘われて戸惑いつつも、それを嫌がったところは見なかったように思う。みゆきの弁当を食べた時は、ほんとうに美味しそうだったし、本当に楽しんでいるように見えた。

 なのに、それを自ら手放すという。
 それはおそらく、歩とアーサーに対する気遣いや優しさ、そして自分への厳しさから来ている。
 本当にいいやつだ。
 彼女を拒絶する理由は歩にはなくなった。

 だがそれを伝えようにも、気にしてない、と言ったところで本人は真に受けないだろう。恨んで当然の関係だからだ。

 どうするか悩んでいると、アーサーが口を開いた。

「舐めるな」

 アーサーの声にはほんの少し、怒気が込められていた。

「少しばかり痛めつけられたからといって、相手を恨むほど度量は狭くないわ。我には当然及ばぬが、そこの呆けておるアホもそれなりの度量は持ち合わせておる。そもそも、戦に臨んだ時点で命のやりとりの覚悟は必定。いくら安全を期そうと、心がけずに挑むは愚者である。殺されかけたからと恨むなど、竜どころか人の風上にも置けん」

「でも、アーサー、キヨモリ見て少し震えてたじゃない。今は大丈夫そうだけど、内心不快じゃないの?」

 そうなのだ。こいつは竜のことが苦手なはずだ。なのに唯が、ひいてはキヨモリと共に昼飯をとることを許諾し、こうして擁護すらし始めている。
実は、歩は昼食の件について断ろうと思っていた。アーサーが辛い思いをするのは、やはりためらうことだ。みゆきが一緒にいるだけで、唯は随分救われるだろうとも思っていた。

 だが、アーサーは許諾した。理由はわからないが、そうなると歩が断ることもできない。
 それでも本当にいいのか、未だにおもうことがある。

 アーサーは言った。

「何を言う? そんなことはない。もしあったとしても、このアーサー様がいつまでもそこの幼竜を苦手とする? そんなことはあるわけはなかろうが」
「でも」
「でもではない。我を舐めるな」

 アーサーの言葉は強い。ぶれることなく、確信して言葉を放つからだ。話す内容がどんな詭弁でも、相手を信じさせるパワーがあるのだ。慣れるまで歩が雰囲気だけで何度この竜にやりこめられたことか。

 唯はうろたえ始めた。まさか説教されるとは思っていなかったのだろう。
 うろたえる唯に対し、口調を一転させてアーサーが言った。少し意地の悪い、煽るような言い方だ。

「まあ、加害者意識に苛まれて、我らと食卓を共にできぬというのであれば仕方ない。まだ幼いのであれば、物事の複雑な問題から目を背けても許されよう。まあ所詮竜といえど、幼竜。まだまだお子ちゃまには厳しいのかもしれぬな」

 唯の目に、燃え盛るモノが見えた。

「そんなことはない! キヨモリは立派な竜! 私だって立派な竜使い!」

 ここで歩が口を挟んだ。

「なら、一緒にご飯食べてくれるよね? 俺もアーサーもなんとも思ってないなら、当然できるよね? 俺らはなんとも思っちゃいないからさ」

 唯は顔を赤らめた。こうなると、ノーとは言えない。
 更にアーサーは追撃する。

「誇り高き竜と竜使いを自称するのならば、まさか断るまい? 己の呵責に負けるなど、まともな竜なら耐えられて当然だからな。まあ自身を幼竜だと認めるならばそれで済むがな」

 唯の負けだ。
 ふとアーサーを見ると、楽しそうに顔を歪めている。いじめっこの顔だ。言っていることは大層でも、その姿はどうも子供っぽい。

 おそらく、これがキヨモリに毒気を抜かれた原因だろう。大きさこそ違うが、キヨモリとアーサーはどこか被る。似たような竜だから当然だろうが、子供っぽい仕草をさせると、本当にそっくりだ。大きさが違うだけの、兄弟にしか見えない。
 優しくみゆきが言った。

「そういうことで、食べちゃってよ」
「なんなら、我が食うぞ? 幼竜にはこの味などわからぬであろうからな。食すべきは我であろう。自分の弁当でも食っておればよい」

 唯の机には、どこかで買ってきたような味気ない包装の弁当がある。小柄な唯がそれとみゆきの弁当両方を食べるのは難しそうに思えた。
 唯は頬を赤くしつつも、しっかりと言った。アーサーに食われるのは勘弁、ということであろう。あれだけ煽られた相手に、悔しさが残らないわけがない。

「それなら大丈夫。キヨモリ!」

 唯が包装をばりばり剥がし始めた。呼ばれたキヨモリは、腕をまくらに地面に横たえていた頭を起こして、唯の近くに伸ばしてきた。
 唯は弁当のふたを開けると、箸を手に持った。

「はい、あーん」

 キヨモリががばーっと口を開けた。巨大な口とそこに居並ぶ鋭い牙を視界に広がり、ぎょっとする。
 その巨大な口に、弁当を持っていくと、唯は一気に傾けた。
 ばさ、と竜の口の中に中身が落ちた。唯は更にその上で容器をひっくり返し、箸でこびりついたものもこそぎ落とす。その間、キヨモリは口を開け続けており、歩はカバの餌やりを思い出した。

「はい、いいよ」

 唯の合図で、キヨモリは口を閉じ、数回咀嚼しただけで一気に呑みこんだ。豪快すぎて呆気に取られるしかない。

 残った空の容器を適当に脇に避けると、唯はみゆきに席を寄せた。みゆきも一瞬呆けていたが、すぐに我に返りみゆきの弁当を唯に寄せる。
 みゆきの弁当に箸を伸ばし、嬉しそうに笑みを浮かべる唯。隣ではキヨモリが再び眠り始めている。
 歩は最後のたくあんをかじった。残るは黄色い汁が少しだけかかった白米。
 少しだけ、先程より美味しく感じた。やはりひもじいが。





[31770] 幼竜殺し 3-3 予兆
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/03/28 10:14
所要のため速めに投稿させていただきました。
よかったらどうぞ。




「ごちそうさまでした」

 唯とみゆきが食べ終えた。歩とアーサーは先に終えており、既に食後の余韻にひたっている。
 時計を見ると、昼休みは後三十分ほど残っていた。次の時間は、学期末模擬戦以来、久々の模擬戦で移動して着替えを済ませるのは十分ほどかかる。自由な時間は二十分かそこらだ。

「みゆき、本当においしかった。ありがと」
「そう言ってもらえてうれしい」

この短い時間の間に、歩達は下の名前で呼び合うようになっている。

「本当みゆきはすごいね。模擬戦でも活躍してたし」
「竜使いにそう言われると、なんだか皮肉っぽく聞こえちゃうな」

 笑み混じりでみゆきが言うと、唯が勢いを増して言い始めた。

「そんなことないよ。模擬戦のトーナメントで優勝したんでしょ? 学年最強ってことじゃん」
「唯と歩達は出てないでしょ。クジ運にも恵まれたし、実際のところはわからないよ」

 学期末模擬戦は歩と唯のものを除いてトーナメント形式で行われた。歩は見られなかったのだが、そのトーナメントでみゆきは最後まで勝ちぬき、優勝したらしい。歩達の一戦の直前に、後片付けに手間取っていたのは、みゆきの決勝戦が激戦になったからのようだ。

 後で録画を見たのだが、凄まじい戦いっぷりだった。相手は歩が知らない離れたクラスの男子だったようで、パートナーは悪魔型だった。身体は二メートルを少し超える位か、馬面にヤギのようなねじ曲がった角が五本。直立態勢で腕と足が二本ずつ、筋骨隆々の人の身体をしており、背中には翼膜がぼろぼろのコウモリのような翼が二対背中にあった。指のあるべき部分は代わりに蹄になっていた。

 馬面の悪魔は凄まじい力を持っていた。キヨモリには及ばないが、空中からの自重の全てを込めたふみつけは、地面に大きな穴を穿った。拳ならぬ蹄の一撃は、イレイネの身体を容易く貫き、黒蛇製の模擬戦服を破いていた。

 そんな相手にイレイネとみゆきは果敢に立ち回り、傷つきながらも何度も攻撃を加え、最後には悪魔を倒していた。決め手は歩に見せた雨。ひるんだ悪魔に、みゆきは手にした刃引きの剣を腹に一撃。それで呻いた悪魔にイレイネの本体がとりつき、締め上げて気絶させた。男子生徒はそれを見て、降参。

 素晴らしい試合だった。

「そ、そういえば、次の授業は模擬戦だよね。いつも見ないけど、唯はいつも何してるの?」

 みゆきが強引に話題を変えた。この話題は気恥ずかしいらしい。
 ねむりこけるキヨモリの背をなでながら、唯は答えた。

「キヨモリと一緒に自主練。っていっても、キヨモリはいつも一人で過ごして寂しがってるから、遊んだりすることのほうが多いかな。ここだとあんまり暴れられないし」

 キヨモリは自分の部屋を与えられていると聞いたが、裏を返せば、唯が授業を受けている間ずっと孤独に待たされるということだ。
 考えてみれば、随分辛い状況なのかもしれない。

「訓練ってなってるんだけど、相手もいないしね。たまに雨竜先生が相手してくれるんだけど、やっぱ人相手だと全力出せないから、いい練習にはならないのよね」
「随分豪気な話だ」

 アーサーがいれた茶々に唯は真面目に返す。

「いや、雨竜先生が弱いっていうより、手加減したキヨモリの攻撃が当たらないのよ。なんだかんだで小回り利かないのもあるとは思うけど、雨竜先生の身のこなしって尋常じゃなくて。全力出したらわからないとおもうんだけど、それだと雨竜先生のほうが洒落にならないだろうし。直撃したことなんて、ほんと数えるほどしかなくて」

「雨竜先生ってそんな強いの?」
「うん、すごい。動きが全然違う。歩もすごかったけど、雨竜先生はそれに輪をかけてるよ。本当、当たる気がしないもん」

 雨竜が戦っているところを見たことはないが、話を聞くと気になってきた。
今度手合わせ願ってみようかと思っていたところ、校内放送が鳴った。

「中村です。水城歩君、アーサー君、能美美雪さん、イレイネさん、平唯さん、キヨモリさん、南校舎一階にある一番端の空き教室に来てください。繰り返します。水城君……」

 担任の藤花の呼び出しだった。丁度ここに揃っている面子全員だ。
心当たりがなく、歩はみゆきや唯と疑惑の視線を交換したが、全員心当たりはないようだ。
とりあえず向かうことにして教室を後にした。

 食後の倦怠感が漂う廊下を通り過ぎ、一階へと降りていく。歩達が昼食を取っていたのは同じ南校舎の三階で、そこが二年の空間だ。下って二階は一年、上って四階は三年。一階は様々な用途に使えるよう、意図的に開けてあるらしい。
 一年生達の喧噪を背に、更に一階へと降りた。放送では端としか言っていなかったので右と左、どちらに行くか迷ったが、右側の端にこちらに手を振る雨竜の姿が見えた。おそらくそちらだ。

 雨竜も歩達に気付いたらしく目を合わせてきたので、近寄っていくと、中に入るよう促された。ドアを開けると、教卓の前に藤花がいた。
藤花は五つ置いてある椅子を指して言った。

「どうぞ座ってください。キヨモリさんに合う椅子はないので、申し訳ないですが床にそのままでお願いします」

 歩、アーサー、みゆき、イレイネ、唯、そしてその隣にキヨモリが座りこんだ。
 雨竜も中に入ってきて、ぴしゃり、とドアを閉めた。雨竜はそのままドアに身体を預けて経っている。
 視線を前に向けると、藤花が口を開いた。

「わざわざ昼休みに呼び出しをして申し訳ありません。お昼ごはんはもう済ませましたか?」

 歩が頷くと、藤花は続けた。

「今回呼び出しをしたのは、二人に護衛をつけることになったからです」
「……はい?」

 おもわず、間の抜けた返事をしてしまった。
 藤花は表情を固くひきしめたまま続けた。

「はい。護衛です。歩君、アーサー君、唯さん、キヨモリさんには護衛を着けさせてもらいます。基本的には二十四時間、同行することになるので、どうかよろしくお願いします」
「二十四時間って、ご飯食べる時も寝る時も?」
「基本的には」
「幼竜殺しか?」

 低くて深いアーサーの声が響いて気付いた。幼竜殺しのことはニュースでもあったし、藤花達からも聞いていた。
 だが、何故それで自分達に護衛がつくことになるのか。

「はい」
「それでなぜ、我らに護衛が? 近くで新しい被害者が出たのか?」
「その通りです」

 少し合点が言った。すぐ近くで被害者が出た、つまり幼竜殺しが近隣に出没しているといえば、歩達に護衛がついてもおかしくない。

「被害者は?」
「ハンス=バーレさんです」
「たしかこの前の模擬戦で閲覧席に来ていたとかいう、貴族様でしたっけ?」

 藤花の返答に、みゆきが返した。
 あの鼻もちならない貴族様の顔を思い出す。タイミングが悪かったせいもあるが、正直なところ、彼が死んでも悔やむ気持ちは持てない。

 しかし幼竜殺しの仕業ともなれば話は別だ。
雨竜が更なる説明を始める。

「やられたのは、先週の学期末模擬戦の直後だ。飛んで帰っているところを狙われたらしく、ここからそう離れていない。貴族様は空から降って潰れた蛙みたいな有様だったよ。ああなっては貴族も肩なしだったな」
「まるで見てきたみたいな言い草だな」

 アーサーの問いに、雨竜はすぐに答えた。

「まさか。聞いただけだ」
「竜はどうした? 連れ去られたか?」

 アーサーの質問は続く。やはり竜殺しに対する関心は高い。

「痕跡は散乱した血液だけだ。爪のかけらもなかったらしく、全て回収されたと考えるのが妥当だ。竜の身体は基本高価だから仕方がないが」

 竜の身体は色々なものに使える最高の素材になる。血を一滴飲めば半日動け、鱗に取っ手を付ければ精錬された鉄に勝る盾になると言われている。自然、その身体は高値で取引されるため、竜殺しの一番の犯行理由は金品狙いだ。

「それで、我らに護衛を?」

 雨竜が頷いた。

「ならば我らがどうこう言うべきではあるまい。逆に有難く受け入れるべきか」
「そう考えてくれると助かる」

 アーサーは承諾したようだ。ちらっと見た唯の顔も、プライバシーが無くなることに不満そうではあったが、何も言わないところを見ると受け入れるつもりらしい。
 タイミングをはかっていたようで、ここでみゆきが口を開いた。

「質問いいですか?」
「どうぞ」
「それで、何故私も呼ばれたのでしょうか?」

 みゆきは竜使いではない。強いていえば歩と関係が深く、最近では唯とも交流があるといったところ位だ。それでも歩とはもう一緒に住んでいないし、学校でもいつも行動を共にしているわけではない。昼食も、唯とのことがあるまで最近は少なくなっていたくらいだ。唯に至っては、仲良くなったのは極最近のこと。なのに何故みゆきが呼ばれたのか。

 真っ向から見つめるみゆきに対し、言いづらそうに眉尻を下げながら、藤花が答えた。

「勿論、みゆきさんに護衛をつけるという話ではありません。かといって、この話と関係ないわけでもありません」
「なら、何故じゃ?」
「その護衛になってもらいたいんだ」

 代わって答えた雨竜の回答は、思いがけない内容だった。馬鹿げているといってもいい。
 言われた当人はというと、きょとんとしている。意味がわからないのだろう。それは、藤花と雨竜以外同じことだった。
 アーサーが尋ねる。

「何を馬鹿なことを。みゆきに竜殺しと相対するかもしれぬ護衛などさせるわけにはいかない。そもそも竜を何体も屠ってきた幼竜殺し相手の護衛に、学生を使うとは何事か」

 アーサーの語気は、後にいくに連れ怒気をはらむようになっていた。
 対する教師二人はというと、苦渋の表情、といった感じだ。

「実は、私達もよくわからないんです。ただ、校長から『上からの指示だ』と言われ伝えているだけで、言われたこっちからしても面くらっている状態です。ただの仲介役に過ぎないんです。大変申し訳ないのですが、受け入れてください、としか言えません。みゆきさん、なんとか引き受けていただけませんか? 私達も色々探ってみますから」

 藤花の懇願には、学校と生徒の間に挟まれた苦悩がにじみ出ていた。
 これ以上不満を言うのは気遅れしたのか、アーサーがため息をつきながら言った。

「みゆき、いいか?」
「仕方がないよ。このまま放置するのはできないし」
「助かる。仕事としての報酬もあるから、それについても後で説明しよう」

 雨竜の返答に、みゆきはなにやら複雑なものを浮かべた。
 気を取り直して、アーサーは質問を続ける。

「みゆきの件はいいとして、まさか護衛がみゆき一人ということはあるまいな」
「後一人つく」
「一人か。大した護衛だな」

 アーサーの口調はいつになく皮肉に満ちている。

「それで誰だ?」
「私だ」
「……お前か?」
「頼り無くてすまんな」
「どれだけ内々ですませようとしてるんだ? 本当に守る気はあるのか?」

 驚きを通り越して、白けてしまった。幼竜殺し対策のための護衛なのに、肝心の人員は学生と教師。形を取り繕うだけのアリバイ護衛もいいところだ。だからといって、藤花や雨竜達教師陣のせいというわけでもなく、歩はただ呆れかえるしかなかった。
 それは皆同じようで、冷めた沈黙が流れる。

 空気を変えたのは、アーサー。
 再度一際大きなため息をついた後、言った。

「藤花、雨竜、それでこれからどうするのだ?」
「とりあえず、放課後まではいつも通りに。あなた達はできるだけ一緒に行動するようにお願いしてもいいですか? それからのことは、また放課後に」
「わかった。みゆき、唯、それでいいか?」
「はい」「……うん」

それを合図に、ぞろぞろと外に出ていった。
 外に出る時に見た藤花と雨竜のなんともいいがたい顔が、中に妙に印象深かった。



[31770] 幼竜殺し 3-4 パートナー
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/03/31 15:50



 午後の模擬戦はいつも通りだった。歩はアーサーに煽られつつパートナー達の攻撃を必死にかいくぐり、隙を見つけては棍棒による一撃を狙う。みゆきとイレイネは、主にイレイネが矢面に立ちつつ、要所を狙いみゆきも参戦する。唯とキヨモリは、別室で自習。歩の戦績は完膚なきまでの全敗で、それもいつもと変わらない日常。

 いつも通り傷の手当てを受けた後、教室に戻りホームルームを終えると、藤花が声をかけてきた。
 内容は昼休みの時と同じ。空き教室に集まっておいてくれ、とのこと。ただ少し遅れるので適当に時間をつぶしておいてくれ、と言われた。
 仕方なく適当に雑談していると、三十分ほどして、藤花と雨竜は現れた。
 藤花は申し訳なさそうにしている一方、雨竜はかなりいらついて見えた。

「ごめんね、遅れて」
「いえ」

 昼休みと同様に、藤花が教卓、雨竜はドアの前に立つと、まず藤花が口火を切った。

「まず始めに、大変勝手なお願いになることを謝っておきます」

 歩達が頷くのを見て藤花が一呼吸置いた後、言った。

「単刀直入に言います。今晩から、学校で寝泊まりをしてください。今から二手に分かれて家に戻り、当面の生活道具を準備してすぐに学校の宿直室に。そこで、男女それぞれで一部屋ずつに分かれて夜を過ごしてもらいます。食事は学校側が準備しますし、宿直室にはシャワーが備え付けてあります。服に関しては、後で私が回収し、クリーニングに出します。それ以外に何か不都合な点がありましたら、言ってください。できるだけのことはします」

 ある程度は予想ができていた。護衛するなら、対象を一カ所に集めた方がいいに決まっているからだ。各自の家に配置するというのも考えられるが、護衛役に教師と生徒を選ぶ位だ。そんな手間をかけるとは思えなかった。
 だが、もやもやとした不満は残る。

「護衛は生徒と教師。場所は学校の宿直室。本当に守る気あるんですかね」
「私も知りたい位です」

 藤花の口調は申し訳なさ半分、呆れ半分といった感じだ。藤花自身、じくじたる思いを抱えているのは同じなのだろう。
 雨竜が割り込むように言った。

「とりあえず、これからすぐに家に行こう。平と能美には中村先生が、水城には私が付いていく。身の回りのものを持ち出して、宿直室に集合で。陽が沈む前に済ませたい」

 誰も反論はしなかった。
 ただ、心の中にある種のもやを誰もが抱えていた。



 歩とアーサーは、適当に身の回りのものの回収を済ませ、母親である類に伝言を残してから再度学校に戻ってきた。幸か不幸か、類は今日から長期出張中であり連絡先もわからないため、伝言を残すことしかできなかった。

「ここだ」

 雨竜に先導されて連れて行かれた先は、教員棟一階の端。宿直室と書かれたプレートがかけられている部屋が三つある。

「一番端が私と水城、真ん中が平と能美の部屋だ。パートナーもそれぞれの部屋で頼む」

 ドアを開けて中に入ると、部屋の中央にちゃぶ台があった。床は畳を敷き詰めてあり、入口の土間で靴を脱ぐようになっているようだ。
パートナーが泊まることも考えてか、それなりの広さがある。キヨモリでも、十分過ごせそうだ。

「ここにあるものは好きに使ってくれ。冷蔵庫は中身がないけど、後で適当に補充するから。シャワーはいつでも使える。冷蔵庫の隣にある棚には皿やらコンロやらあるから、それも自由に使え。ゴミはそこ」

 雨竜が入口の土間の端にある、鉄色のバケツを指した。
 歩は靴を脱いで畳に上がり、荷物を下ろすと、部屋を見回した。右奥にシャワーと書かれた戸があり、手前にタオルが積まれて置いてあった。更に手前には水場がある。淡い青色のタイルが貼られた、廊下においてあるものと同じもののようだ。

部屋の反対側に目をやると、冷蔵庫が木の棚と寄り添うように置かれてあるのが見えた。その木棚に皿とコンロが置かれているのだろう。隣に布団が積まれてあったが、遠目に見てもほこり臭そうだ。

 ぱっと見た限りでしかないが、案外居住空間としては十分なように思える。

「ふむ、これが飯か」

 声の主はいつのまにかちゃぶ台の上に移動していたアーサー。
 ちゃぶ台の上には古めかしい布巾で包まれたものがあったのだが、アーサーはその包みを開け、中を覗き込んでいた。

「ああ。それで頼む」

 答えた雨竜に視線を向けると、土間から上がらず時計に目をやっていた。

「私はまだやることがあるから席外すが、できるだけここから外に出ないでくれ。後で色々持ってくるから。まあ頼む」

 そう言うと雨竜は出ていった。
 残された歩は、とりあえずもう一人の同居人の所に近付いていった。同居人の顔をのぞくと、なにやら不満げに鼻から炎をもらしていた。

「これを見よ」

 包みを解かれた中身は弁当だった。少し安っぽいだけで、何もおかしくないように見えた。

「これがどうした?」
「このような粗末なものを夕食にするのか?」
「粗末?」

 顔を近づけて注意深く見てみる。米は潰れているし、煮物の表面には白い脂が浮いていた。揚げ物も見るからに脂っこい。アーサーが開けたせいで漂ってくる匂いも、生臭いとまではいかないが、余り食欲を湧かせてくれるものではない。確かに粗末な食事だ。

「このような飯で過ごせるか。我の舌はこんなもの受け付けんぞ」
「一日位我慢しろよ」
「いーや、嫌だ。買いに行くぞ」
「幼竜殺しがいるかもしれんぞ? 雨竜先生も外出るなって言ってたじゃん」
「少し位ならよかろう。まだ人通りもある」
「そんなことより、アーサー、いいか?」

 まだ続くアーサーのぼやきを遮って尋ねる。歩には気になることがあった。

「飯はそんなことではないが、なんだ」
「お前、キヨモリと一緒に住むようになるけど大丈夫か?」

 このところキヨモリに対して拒絶反応は見せていないが、それでも腑に落ちない部分がある。無理をしているのではという疑念は、ずっと残っていた。もし昼食の時も我慢をしてきたというのであれば、それがこれから一日中になるのだ。部屋は別とはいえ、壁を挟んで隣でもきついのではなかろうか。
 アーサーは冗談めかして答えてきた。

「我は別に構わんぞ。あの図体ではいびきがすさまじそうだが、まあ、しばらくなら」
「真面目に答えろ」

 アーサーが歩の顔を見てきた。こちらが本気だとわかったのか、あきらめたように重い口を開いた。

「もう慣れた」
「慣れたってやっぱり無理してたんじゃねえか」

 やはりこの竜はいらん空気を読んでいやがった。

「お前が無理してまでは誰も望まん。唯にも事情話せばどうとでもなるだろ」
「お互いいらん気遣いする位なら我が耐えたほうがマシだ。それに丁度乗り越えねばならんと思ってた頃でもある。卒業した後のことを考えれば、避けてばかりはいられまい」
「なんでお前だけが割くうんだよ。一人で背負いこむな」
「別にかまわんだろ」

 突き放す言い方が頭に来た。
 その勢いも乗じて、これまで聞けなかった疑問を尋ねてしまった。

「そもそも、なんで竜のこと苦手なんだよ。俺の知らないところでなんかあったのか?」
「言わぬ」
「なんで言わない」
「言わぬ」
「……おれのせいか」
「それはない」
「ならなんで」
「言わぬ」

 ここにいたってまだ言わないのか。言えないのか。
 昔は何度も聞いたが、そのたびにはぐらかされて終わった。最近ではもうほとんど聞くことはない。少なくとも、これから言うことは一度も言っていない。
 だが口からこぼれおちてしまった。

「パートナーにも言えないのか」

「……言えぬ」

 アーサーの返答は弱々しいものだった。聞こえてきた声も、悲痛なものが混じっていた。なんとか絞り出したというのが、限界まで努力したことが、その声には詰まっていた。
 しかし歩の胸に、寂しい冷えた一滴がおちてあっという間に広がった。

 歩もアーサーも黙りこんでしまった。蛍光兎の毛でできたフィラメントの、じじじという音がはっきりと聞こえている。風さえもこの場には踏み込んで来ない。

 そんな沈黙破ったのは、入口から聞こえてきた声。

「あ、もう来てたんだ」

 みゆきだった。後ろにはイレイネと唯の姿も見える。

「って、どうしたの? なんかあった?」
「少しな」
「まあ些細なことだから気にしないでくれ」

 みゆきに二の句を言わせないよう、歩は続けて言った。

「二人の家行くみたいだから、もうちょい時間かかるかなと思ってたけど、早かったんだな」
「ん、と。まあ私の家こっから近いからね。歩く距離としては、みゆきの家との往復だけみたいなもんだったから」

 唯が少し躊躇しながらもはきはきと答えてくれた。
 その後をみゆき、イレイネと続いてきたが、キヨモリの姿はなかった。

「キヨモリはどうしたの?」
「隣の部屋で寝てるよ。あいつねぼすけだから」

 唯は上がってくると、興味深そうにあたりを見回した後、クシャっとした笑顔を浮かべた。

「うん、あんま変わんないね。それでどうする?」
「適当に飯食ってシャワー浴びて寝るだけじゃない?」

 そうか、と唯はまた笑った。笑いの意味がわからないが、少し困ったような顔だ。
 ここでアーサーが口を挟んできた。

「ところで飯は見たか?」
「いや、まだだけど、それ?」

 唯がちゃぶ台の方に寄ってきて、アーサーの頭越しに弁当を見ると、途端に顔をしかめた。

「美味しくなさそうだね」
「これが一日の締めくくりを担う食事などありえん」

 アーサーはけわしく眉をよせて言った。我がまままじりの苦情の場合、いつもなら歩に顔を向けて言ってくるのだが、今は唯のほうを向いている。

「まさかこのような飯で満足しろと」
「っていっても、どうする? これを食べなかったら夕食抜きになっちゃうよ。外に出られないんだし」
「いっそのこと、外に出ちゃわない?」

 みゆきの冷静な意見に対し、唯が過激なことを言った。

「買いだし行こうよ。みんなで動けば大丈夫だよ。まだ人通りもあるし」

 時間を見ると、夕方六時位だ。もうそろそろ人通りもまばらになってくる頃だろう。

「そうだ、行くぞ! こんなところに来させられた以上、旨い飯がないとやってられん」
「そうだ! 行こう! 美味しいご飯があればどんなとこでも都だよ」
「二人とも息あってるね」
「旨い飯の前では皆平等に仲間になるのだ」
「……狙われてる当人達がそんなんでいいのかよ」

 助けを求めようとみゆきを見る。この中では常識人のみゆきなら、止めてくれるはずだ。
しかしみゆきの顔には柔らかな微笑が浮かんでいた。止める気はないようだ。
歩は一人ためいきをついた。

「じゃあ行くぞ。今から行けばまだ店も空いてる店がある」
「本当?」
「本当。前に話したなんでも売ってる駄菓子屋は二十四時間空いてるし、他にも伝手があるよ」
「何故我に言わん」

 唯がみゆきに確認をとったことに、アーサーが不満をもらす。
 夕食の買い出しには遅い時間になっていたが、歩もなんとかなることがわかっていた。みゆきの言う伝手も、母親の類経由のものだと知っている。社交性的で面倒見のよい性格のせいで、商店街での類の幅の利かせようは凄まじいものがある。

 ただ歩自身、いまいち乗り切れない。
 何故皆ここまで乗り気なのか。特に幼竜殺しの狙いの範疇にあるアーサーや唯。
 アーサーは置いておくとしても、唯の態度は奇異に写る。少し頬を赤らめて興奮しており、竜殺しのことなど忘れきっているように見えた。
みゆきもおかしい。いつもなら抑える側に回っているはずなのに、今はむしろ助長している。

 結局、歩は燃えたぎるアーサーと興奮する唯を止めなかった。



[31770] 幼竜殺し 3-5 宴
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/04/04 20:54


 買い出しは予想以上にあっさりと終わった。
 教師達に見つからないよう表からではなく、学校の塀を乗り越えて外に出ていったのだが、誰にも咎められなかった。当初はキヨモリに乗って、空を飛んで行こうと考えたのだが、飛行禁止令がでているらしく、断念した。幼竜殺しの一件らしく、普段飛行許可をもらっている唯には話が来ていたらしい。

 近くの商店街に行き、買い物を済ませた。顔見知りの八百屋のおじさんに、両手に花と言われたり、唯がちんちくりん扱いされたりしたが、特に問題は起こらなかった。問題なのは、アーサーが酒を買ってきたこと位か。

 帰りも行きと同じようにしたのだが、難なく帰りついた。本当に呆気なかった。

 そして今、料理をしている。コンロと大きい鍋があったので、冬も過ぎかけていたが鍋にした。手軽だし、キヨモリの分も作りやすいからだ。キヨモリには学校に置いてある専用の肉があったが、やはり一人参加させないのも寂しいだろうからという判断だ。分量の問題もあり、肉のほうも食べるが、やはり食べた感覚位はキヨモリも欲しかろう。

 まな板代わりの厚紙の上で、果物ナイフが次々とより分けていく。地鶏の堅い肉質を、ちゃちな果物ナイフで切れるか心配だったが、みゆきはなんなく捌いていた。包丁の事を失念していたが、なんとかなりそうだ。イレイネがところどころ補佐をしながら、効率よくどんどん肉類を小分けしていっている。
 歩も手早く野菜を水にさらしていく。きのこ類は表の汚れだけをぱっと拭い、葉物を適当にちぎっては皿に盛り付けていった。

 そして唯はというと、おろおろしていた。
 ちらっと見ると、自分にすることは何かないかと言った感じで挙動不審になっている。料理ができず、自分が役に立てていないのを申し訳なく思っているのだろう。

「唯、これ持ってって」
「あ、うん!」

 盛り付け終わっている皿を唯に渡した。元気よく受け取ると、唯はちゃぶ台の方にぱぱぱ、走っていき置いた。歩の受け持ちは終わったので自分で持っていってもよかったのだが、唯の顔を見ると頼んでよかったように思う。

「こっちも終わったよ。唯、アーサー、お願い」
「うむ」

 みゆきが唯に皿を渡した。肉が山盛りになったものと、切り分けた野菜の二つだ。洗い場にはまだまだたくさん残っているが、全部持っていくと邪魔になるからだろう。

「じゃあ、私、鍋の方に移るから」
「よろしく」
「アーサー、できた」
「うむ、至極の出来だ」

 アーサーはちゃぶ台の上でタレを作っていた。舌が肥えているアーサーは、細かい味見が得意で、ソース作りなどは類も任せることがある位だ。
 まだわだかまりのあるアーサーを横目に、歩も自分の仕事を再開する。まだ大量に残っている具材の内、痛みそうなものだけ冷蔵庫に移した。使った厚紙や包丁を水で丁寧に流し、壁に立てかけておく。

 ざっと後始末を終え、ちゃぶ台に戻った時、既に準備は完了していた。
 醤油と酢を混ぜて作ったポン酢の入った小皿と取り皿が並び、中央の鍋の中では、昆布で出汁を取ったのだろう、ほんのり黄色に色づいた液体がゆだっていた。火の通りにくいものは既に投入しており、ぐつぐつと煮えていた。

「じゃあいただきますか」

 適当に座る。歩とアーサー、角度を変えてみゆき、その後ろにイレイネ、歩と対面になる位置に唯。キヨモリは目をしぱしぱさせて唯の後ろに座っている。

「ではいただきます」

 みゆきの掛け声で、一斉に箸が動いた。鍋に入れられた箸の数は四つ。イレイネとキヨモリを除いた数だ。
 さっと豚肉を取り、ポン酢に着け、口に含む。美味だ。

「美味しい! やっぱみゆきって、ほんと料理うまいね!」
「あんま手はかけてないけどね」

 イレイネにだし汁を注いだ器を渡しながら、みゆきが言った。
 唯が美味しそうに鍋に箸を突っ込んでいると、唸り声が聞こえてきた。
 キヨモリだ。

「ああ、ごめんごめん」

 唯は忘れていた、と笑いながら立ち上がると、冷蔵庫の方に走っていった。
 中から取り出したのは、巨大な肉の塊。帰って来てから、キヨモリの待機室から取ってきたらしい。歩が野菜を洗っている時にそれを持って戻ってきたのだが、その量を見た後、一日分といった唯の言葉に納得しながらも圧倒された。

 それをキヨモリの前にどん、と置いた。下はそのまま皿になっており、キヨモリはそこに口を突っ込んでむしゃむしゃと食べ始めた。

「キヨモリの分も鍋あるから、食べ終わったらあげるね」

 巨大な鍋は、今なかに入れている分だけでも四人が満腹になる量がある。洗い場や冷蔵庫にまだ大量に残っていることを考えれば、確かにキヨモリの取り分はそう少なくない。

「ごめんね、キヨモリが大食らいで」
「いえいえ」
「たまにはよかろう」

 隣でアーサーがほくほく顔で白菜を口に入れる。至福そのものといった表情を浮かべた。器の隣には封を開けられたウィスキーの瓶があり、小さめのグラスまで用意されてある。

「飲み相手がいると最高なんだがな。誰か呑まぬか?」
「ここには未成年しかいねえよ」

 思わずアーサーに突っ込みを入れた。

「イレイネやキヨモリならよかろう」
「お一人でどうぞ」

 アーサーがしょぼん、と肩を下ろし、熱い地鶏を口にして目を白黒させている。それを見て、笑いが巻き起こった。

 それからは和気あいあいとした時間が過ぎていく。
 途中、アーサーがイレイネにも酒を飲ませ、輪郭がぶよぶよになってしまったり、鍋の入れ替えを待てないキヨモリが残っていた弁当を、本人はこそっと動いたつもりのようだが、実際には豪快に一気食いして唯に怒られたり、楽しいことばかりが起きる。途中、歩はアーサーへのわだかまりを忘れていつも通りツッコミを入れている自分に気付いた。

 不謹慎かもしれないが、竜殺しに対する感謝の気持ちすら起こりはじめた。
 それくらい楽しい時間だ。



[31770] 幼竜殺し 3-6 花火
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/04/11 18:10

 突然宿直室のドアが開けられた。
 音にびっくりして視線を向けると、副担の雨竜がいた。脇には大きめのバッグを抱えていた。そういえば、雨竜もこの部屋に泊まるのだ。なんで忘れていたのか、自分でも馬鹿らしい。
 瞳だけ動かして部屋を見渡すと、雨竜は歩達を睨んできた。

「お前ら、外出たな」

 それまでの喧噪が嘘のように静まった。蛇に睨まれた蛙のように、歩は一瞬で身体を強張らせた。みゆきや唯も同じだろう。
 雨竜はバッグを持ってないほうの手を頭にやりながら、ため息混じりに言った。

「お前らさ、色々た」
「まあまあそんなこと言うなって」

 雨竜の言葉を遮ったのは、酔ってやけに若い口調になった馬鹿。
 アーサーだ。

「そんな堅いこと言うなよ。お前も内心上司には色々あるんだろ? まあまず一献」
「いや、お前な、そんな」
「俺の酒が飲めんと言うのか? ほらほらこぼれるぞ」

 雨竜向かってふらふらと飛んで行く。泥酔しているのは、口調が変わる癖が出ていることから見て確実だ。両腕で先程まで使っていたものとは別のグラスを掴み、今にもこぼしそうになっている。アーサー自体も右に左にゆらゆらと揺れて、いつ墜落するかわかったものではない。
 それは雨竜も同じだったようで、慌てて両手を前に差し出し、アーサーを受け止めた。

「お、これはすまんな。お礼に一杯」
「いや、おま……」
「飲めないわけではないだろう?」
「いや、飲めるけど、そういう問題じゃ……」
「飲めるのか? ならいいではないか」
「いやな、な」
「いいから飲めやー!」

 再度ぱっと飛びあがり、雨竜の口元に強引に注ぎ込んだ。
 ウィスキーが雨竜の口の中に一気になだれ込むのが見えた。アーサーはウィスキーをストレートで飲んでいた。ウィスキーのアルコール濃度は高い。その上雨竜の性格を考えると、歩達を放ってご飯を食べてきたというのも考えにくい。

 つまり雨竜は空きっ腹に酒を注ぎこまれたことになる。
 当然、むせる。

「げほ! げほ!」

 むせる間に、アーサーは雨竜が落したバッグにゆるりと目をやった。挙動が完全に酔っ払いになっている。
 雨竜を放置してそちらに飛び乗ると、じりりとファスナーを開けた。
 中身を見て、にへっと破顔した。

「なんだ、雨竜も遊ぶ気だったんじゃないか。ほら、お前らも見てみ」

 バッグを横に倒し、歩達に中身を見せてくる。
 そこには大量の花火があった。線香花火だけのようだが、バッグ一杯に積みこまれている。おそらく、歩達のためのものだろう。雨竜は本当にいい教師なのだと思った。

 慌てて水を持って行こうとすると、アーサーが歩をじっと見てきているのに気付いた。酔っているはずなのに、妙に目が鋭い。酔っていないのだろうか。
そこでア―サーの意図にはっと気付いた。急いで雨竜に近付いていった。

「ほら~。雨竜お前も飯食え。上手いぞ~」
「すみません、うちの馬鹿竜が。どうぞ水です」
「ゴホッ。ありがと……だが」
「それにありがとうございます! 俺達のこと思って持ってきてくれたんですね! ほんとう雨竜先生は最高です! お返しといってはなんですけど、俺達の作った飯も食ってください! 旨いですよ!」

 まだ少しむせている雨竜の腕を掴み、強引にちゃぶ台の前に連れていく。ちゃぶ台を囲む四方向の内、唯一空いている席に座らせた。
 そこにみゆきが新たな椀をすっと差し出した。

「ほらほら雨竜、飯冷めちゃうぞ~ 飯を大事にしないのは、教師として、子供を導く者として、足らないところがあるとは思わないか?」
「先生、どうぞ。花火のお返しといってはなんですが、味わってください」
「いまならアーサーの買ってきた酒もありますから。先生が折角買ってきた花火もまず腹を満たしてからです! 花火も後で一緒にしましょうよ!」
「……お前ら後で覚えとけよ」

 雨竜は仕方なく椀を受け取った。すかさずみゆきがポン酢の入った器を滑らせ、雨竜の正面にくるように置く。歩は新しいグラスを置き、そこにアーサーがそこにウィスキーを注ぐ。イレイネが腕を伸ばして箸を渡した。四者息の揃った連携プレー。

 困惑する唯をよそに、雨竜は差し出された椀の中身をすくい口に入れた。

「クソっ、マジでうめえ」
「ほらほら、酒も飲めや。濃くて飲めないっていうなら、水で薄めてくるぞ?」
「そのままでいい」

 雨竜は黙々と食べ始めた。
 歩はほっと一息をついた。ひとまず、いますぐ説教というのはなくなっただろう。うまく槍過ごせたか。
 唯は一人展開についていけなかったようだが、雨竜がフォローを入れた。

「……平、もう怒鳴る気は失せたから大丈夫。お前らが腹立つのはわかるし、花火も持ってきたし、私がいうことじゃねえから。明日、中村先生に怒られて、それでチャラだ」

 雨竜がウィスキーで唇を湿らせた後、見回して言った。

「お前らもう飯はいいのか?」
「あ、はい」
「なら折角だから花火してこい。教室棟と囲われた場所なら、外部からは見えないだろ。あんまはしゃぐなよ。一応、こんなとこで竜殺しはおそって来ないと思うが、気を配っとけ」

「はい! ありがとうございます!」
「アーサー、お前は残れよ。酒も残ってるし」
「当然。やっと飲み相手ができたのにうせる道理はない」
「あんま早く潰れんなよ」

 雨竜は黙々と食べ始めた。
 歩は雨竜に向かって軽く頭を下げた後、雨竜のカバンを掴むと、まだ少し固まっている唯に向かって言った。

「ほら、先生もそう言ってることだし。花火しようぜ。キヨモリ! お前も行くぞ!」

 みゆきが唯の腕を掴んで、一緒に行くよ、と笑顔で引っ張りはじめる。それを見てようやく状況がつかめた唯は、雨竜に向かって軽く一礼した後、キヨモリに声をかけた。

「キヨモリ!外出るよ!」

 まず歩が外に出て、みゆき、連れられて唯、その後ろをそっとイレイネ、そしてのっしのっしとキヨモリが続いた。
 廊下に出ると、すぐそばの出口から外に出て内庭に出た。ベンチや木がまばらに配置されており、規模は小さいながら中央は砂場の遊歩道を作っている。昼飯のときなど、ちょくちょく拝借している場所だ。キヨモリが自由に動くには物足りないが、羽を伸ばす位はできる位の広さがあった。

 草の生えていない砂地のところにいき、雨竜のカバンを下ろした。中腰になりカバンの中を探ると、ろうそくとマッチが見つかった。用意がいい。

「ほら、選んどいて」
「唯、どれがいい?」

 みゆきにカバンを渡すと、二人で中をごそごそと当たりだした。その間に歩はろうそくに火をつけ、平らな地面にろうを垂らし、そこにろうそくを立てた。それほど強度があるわけではないが、風もそんなに強くないので十分だろう。

 ろうそくが安定したのを確認し、みゆき達の方を向くと、二人とも選び終えていた。唯は赤と黄色のもの。みゆきは緑と青で、イレイネに淡い青色のものを渡していた。
 歩も近付き、花火を選ぶ。一番上にあった、銀色のものを選んだ。

「キヨモリ、どれがいい?」

 唯がキヨモリに向かって尋ねた。身をかがめ、カバンの中をのっそりと覗くキヨモリ。
 人間でいう人差し指の爪で、緑一色のものを指した。
 唯がそれとつかんだところで、皆ろうそくの回りに移動する。

 四方から伸びた花火の先がろうそくの炎に差し向けられた。
 ちりちりと焦げる匂いが辺りを漂い始め、唐突に火花が散りだした。

「はい、キヨモリ」

 キヨモリは向けられた花火を口の一番先で掴んだ。本当に器用な竜だ。

 色とりどりの火花がその場を満たす。
 赤、青緑、銀。淡い青、そして緑。火花は一転に集うように向けられ、中心部では色の氾濫を巻き起こしている。季節は違うが、それでも十分に美しい代物だ。

 花火の光は、女性陣を淡く映し出してもいた。
 唯は桃のような赤っぽい色で柔らかく、みゆきは青緑で綺麗に、イレイネは青空のもと澄んだ海のような色に。歩が思わず息を飲んでしまうほど、眩い光景だった。

 それもすぐに終わる。
 線香花火の先がぽつり、と地面に落ちた。同時に皆を照らし出していた光も消え、闇と戻る。花火の残光が目に残り、余計暗く感じた。火薬の匂いがぷーんと臭う。

「次行こう! 次は三本まとめていくよ!」

 唯が一気にはしゃぎ始めた。カバンの中に手を突っ込み、何本か適当につかんで、一気にろうそくに差し出した。
 再び火花が散り始める。三種類の色が混じり合い、なんとも形容しがたい色で、それでも綺麗にはちきれていく。唯の楽しそうに両目を広げる顔が、なんとも可愛らしい

「グルルルル」

 いきなりの唸り声はキヨモリだった。自分のことを忘れるな、と言いたいのだろうが、巨躯に似合わぬ可愛らしい反応だ。威圧感すら漂う竜のそんな姿に、大笑いしてしまった。

「わかったわかった。ほら今度は五本一気にね」

 唯が今度は五本持ち出した。キヨモリにはその位の大きさが丁度いいのかもしれない。
 それから、花火は加速度的に消費され、その度に歩達は笑った。



[31770] 幼竜殺し 3-7 秘密
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/04/11 18:09



「お前さ、あれは卑怯だろー。ああ言われたら私なんもできねえじゃん」
「まあまあ。ほれ一献」
「あ、どうも……つっても騙されねえぞ!」
「まあまあ。教師は大変だねえ」

 雨竜は手に持ったグラスをテーブルの上に乱雑に置いた。

「他人事みたいに言いやがって。大変なのの理由に結構お前も入ってんだぞ?」

 アーサーを睨んだが、涼しく流された。

「だからこうして愚痴、聞いてんだよ。そういやまた藤花は出張か?」

 中村藤花のことを思い出す。彼女は本当に有能な教師をやっている。あの若さと見た目で、学校だけでなく学会でも一目置かれている。
 だがそれだけに雨竜も辛い。

「竜関係の講演あるとすぐ行っちゃうわ、挙句の果てには自分で講演しちゃうわ。それはいいとしても、なんで私が穴埋めしないといけないのかっての。知ってる? おれ副担任なのに、担任と全く同じ扱い受けてんだぜ? 仕事だけはな」
「ほんと大変だな」
「そうそう、って話変えるな。全くお前ってやつはいつも」

 まあまあ、となだめながらアーサーがグラスに注いできたので、雨竜は舐める程度に口に含んだ。最近飲んだ覚えのない、芳醇な香りが鼻に広がった。上品なのにパンチの強い、本当にいい酒だ。

「なんだノリわりいな、男ならガバっといけ。ガバっと。一人称が私のやつは、飲みっぷりも悪いな」

 いらっとする口ぶりながら、負けるの癪なので、グラスを一気に傾けた。喉が焼けるように熱い。

「やればできるじゃん」
「うっせえよ。これは前の仕事の癖なんだよ。めっちゃ上品なやつらに囲まれてたし」
「ほう、どんな仕事だ?」
「秘密事項だ。つーかお前だってなんで口調若くなってんだよ。気取ってんのか? ああ?」
「平時と酒の席は分ける主義なのでな」

 ほんと、こいつは口が上手い。頭の回転が速いというか、こまっしゃくれてるというか。身体が小さい分、頭に栄養が行っているのだろうか。マンガのような二頭身サイズの身体を見ていると、そう思ってきた。
 アーサーが更に注いできたので、口に含んだ。旨い。仕事中ということを忘れそうになる。

「いや、忘れてたわ。そういや私、護衛役だった」
「まあそう言わず食えよ。鶏肉もういいんじゃないか?」
「おっ、いいねえ」

 指摘されて、鍋の中で踊っていた肉をポン酢に入れてから口に入れた。やはり美味い。

 念のため、一度立ち上がり廊下に出て、中庭の様子を確かめた。全員はしゃぎながら花火をしていた。水城歩、能美みゆき、イレイネ、平唯、キヨモリ。雨竜の与えられた任務は、竜使い達の護衛だけだが、かといってみゆき達を放置することはできない。教師だから。

「教師、か」
「なんだ?」

 つい独り言になっていたらしく、なんでもない、と慌ててごまかした。

「それにしても、よく花火持って来たな。楽しんでるようでなによりだが、良かったのか?」
「まあ苛立つのはわかるからな。ギスギスした空気の中で過ごしたくねえし」

 照れくさい話になりそうで、逆に急いで話題を振った。

「そういや、お前の相方。もともと下地はあるの分かってたが、あの平達を倒すとはなあ。大金星だわ」
「我の相方としてはまだまだ物足りぬんがな」

 小生意気にうそぶく小竜に突っ込もうと思ったが、やめた。
 元から考えていたことがあるからだ。

「お前さ、力隠してない?」
「あん?」

 アーサーが雨竜の顔を見返してきた。何を言っているんだ、という呆れたような表情をしていた。

「何をいまさら言うんだ?」
「いやだってさ。水城って身体能力学年でもトップだろ? 努力しているのは知っているけどさ、やっぱおかしくないか? 多分、平よりも上だぞ。竜使いの平より。おかしすぎる」

 人はパートナーの影響を受ける。足の速いパートナーなら、人も速くなる。パートナーが剛腕なら、人も剛腕になる。それが自然の摂理だ。

 それは勿論竜使いにも反映される。そして竜の膂力は他の追随を許さない。故に、竜使いの身体能力もまた、人類の中で抜きんでている。

 水城歩は竜使いではあるが、肝心の竜のほうはコレだ。戦闘に参加しないあたり、身体能力は高くないはずだ。なのに水城歩が学年一の身体を持っているのは、パートナーの影響ではなく、才能と努力の結果だと思っていた。

 しかし最近大きなイベントがあった。学期末模擬戦だ。そこで水城歩は平に勝った。それも本物の竜と真正面から闘ってだ。色々な要素もあったし、アーサーの機転もあったが、ここまでくると流石に異常すぎる。

 こいつは何か隠しているのではなかろうか。

「それは俺の影響だな」
「真面目に答えろ」
「俺は竜だぞ?」
「真面目に」

 アーサーがじっと見つめてきた。大きな瞳の、深い緑に引き込まれそうになる。

「ない。そんなものがあったらとうに披露しておろう。そもそも隠す理由があるか?」
「私には思いつかんが、言いづらい理由があってとか」
「たとえば何が」

 目の前の大きな口からは、間断なく言葉が発せられる。そうされると、嫌応にもペースは握られてしまう。こんな話術、どこで身に付けたんだ。

「たとえば。うん。お前が他の竜が苦手なことと関係しているとか? そういやお前キヨモリと同じ部屋いて大丈夫だったのか?」
「それは今関係ない。だから具体的にどんな理由だ? 周囲からの屈辱に耐え、栄光を遠ざける理由に勝る理由がだ」

 そう言われると、なかなか見つからない。

「ないであろう。ならばそういうことだ」

 アーサーはそこで切ると、がばっと酒を口に含んだ。雨竜は言い返せず、黙るしかなかった。
 しかし逆に疑念は強まった。ただないという割に、応答に熱意がこもっていたからだ。狡猾な論法を使っていたし、なによりアーサーの対応は余りにも本気だった。自分は無力だ、と言わされるのが嫌だから、という可能性もあったが、雨竜は前者の理由しかないと思っていた。理屈以外の、何かで。

こいつには、何かあると。

 ひとまずこの場での追及はやめにした。

「ふむ、まあ言いたくなったら言えばいいさ」
「しつこいやつめ。女にもてないな、お前」
「うるせえよ」

 この竜は今後どうしていくのだろう。
E級判定を受けた以上、差別の目は一生付き纏ってくるだろう。見た目が竜であることは。かえって災いにしかならない。竜使い達が有り余る力と権限を持っている現状、彼等は尊敬もされるのだが、嫉妬もされる。いくらその権力にふさわしい力を持っていても、いや持っているからこそ人は彼等を妬む。

普通なら、そうした妬みは影口で終わる。竜使いを表だって馬鹿にすることは、聖竜会を敵に回すことにつながる。そうなると、身の破滅しか待っていない。

 しかし宏とアーサーは違う。公に竜未満だと認定されてしまった。
竜の見た目をした竜未満は、竜使い達への嫉妬のはけ口となるだろう。今はまだ大丈夫みたいだが、学校でいついじめの対象となってもおかしくない。よほど上手く立ち回らない限り、苦境に立たされるのは時間の問題だ。

 そんな彼等に教師として自分になにができるのか。教師のできることは多いようで少ない。権限はあっても、雑事が多すぎるのだ。単純に忙しい上、何かあれば様々なところからクレームが来る。保護者、教育委員会その他、わずらわしいことはなんでもある。何かしようと思っても、できないのが現状だ。

 実際、雨竜に何ができるか。

 そう考えていたとき、ふと我に返り、つい笑ってしまった。

「どうした?」
「いや、なんでもない」

 自分のことを教師として認識していることに気付いた。
 雨竜にとって、教師は手段の一つに過ぎない。本業は別にある。なのにふと気付けば、教師として、なんて考えている自分がいた。

 不審そうにこちらを見てくるアーサーに、返答した。

「いや、面白い状況だな、と」
「ふむ」

 アーサーは何か納得したように頷いた。

「まあ確かにお前とこうして二人で話すことになるとは思わなかったな」
「教師と生徒のパートナーが一対一になるとか珍しいわな。しかも酒飲みながら。とんだ不良教師だ」
「そういえば、お前のパートナー見ないな。どこにおるのか?」

 痛いとこをつかれたが、何気ないように装って答える。

「秘密」
「何か理由があるのか?」
「黙秘権を主張します」
「いいから」
「さっきの仕返しか? しつこい男はもてないぞ」
「いいから答えろ」

 気付いたころには、アーサーの語尾が確かなものに変わっていた。それまでどこか語尾の抜けた、酔っ払いの口調だったのに、酔いが抜けている。瞳にも強い意思が宿っていた。
 こいつ酔っ払ってたんじゃねえのか?

「なんだ急に」
「こっちも元から気になってたんだよ。なんでお前のパートナーは姿を見せないのかって。普通一緒に過ごすし、なんらかの理由があっても、一年も姿を見ないことなんてないだろ。そもそも一緒に暮らせない仕事につくやつはいない」

 確かにその通りだ。人とパートナーは影響しあうだけでなく、命もリンクしている。いわばもう一つの心臓だ。パートナーと離れ離れになるということは、もしかしたら知らないところでもう一つの心臓が破裂して、突然死ぬかもしれない、という恐怖を常に背負うということだ。
 それを許容できる人間はまずいない。

「家では会ってるぞ。恥ずかしがり屋なんだよ」
「あり得ない。パートナーにあった職業につくのが普通なこの世界で、そんな理由で離れ離れになることを許容するものはいない」

 酔っぱらっていたはずなのに、舌鋒が鋭い。かわしきれない。

「嫌だ。それより、このまえの模擬戦のこととか聞かせろよ。特等席で見てたし、いいとこかっさらってったんだから」

 アーサーは押し黙った。
 そちらを見ると、真剣にこちらを見つめている。酔いはなく、戦場に挑むかのように緊迫した表情をしていた。
 雨竜は、目の前の小柄な竜に気圧されているのを感じた。

「何故そこまで嫌がる? 何か特別な理由があるのなら、何故教師という職業についた?」
「特別な理由ってなんだ? 具体的な例を上げて答えろ」

 背筋につぅ、と汗が流れ落ちる感触を自覚しつつ、先程くらった論法で返した。
 アーサーは雨竜を見たまましばらく黙っていたが、おもむろに口を開いた。

「たとえば、教師には手段としてなっているだけとか。学校でやることがある、とかな」
「具体的に言えよ」
「たとえば、監視。誰かお前の本業の対象がいるとかな」

 首のあたりから全身に寒気が走った。
 この竜、鋭すぎる。

「想像力豊かで先生嬉しい。ただの平凡な一教師として、教え子に作家の卵がいるのは嬉しい」
「ただの平凡な一教師?」

 アーサーの声はどんどん凄みを増していく。

「何を言っている。お前がただの平凡な一教師であるわけがなかろう。我に普通に接している時点で普通じゃない」
「それなら中村先生だってそうだろ」

 言い逃れるべく必死に口を動かすが、そこから洩れるのは子どもじみた弁明ばかりになってきた。

「そう、あれもおかしい。我を前にした教師は、へりくだるか、邪見にするか、どちらかだ。なにしろ竜だ。それも、やつらのいう竜未満のな。竜として扱いに困るか、竜もどきとして馬鹿にするかだ。それ以外にはまず出会わない。少なくとも積極的に関わってくるやつはな。
だというのにお前達は違う。特にお前とはこうして酒を飲み交わす位だ。媚びへつらわれたことも、蔑まれたこともない。お前は竜に慣れ過ぎてるんだよ」

 心臓がうるさい。加速しきってもなお速度を増そうとエンジンをふかし続けている。その余波を髪の下の汗腺が受けて、首の後ろに熱い液体が垂れ始めた。

「模擬戦のときもそうだ。怒り狂う竜に対し、俺に任せろといった。そんなことを平凡な教師が言えるわけがない。相手は竜だぞ? 教師としての自覚が強く、犠牲心に溢れる人であってもなお恐れるのが竜だ。なのにお前は任せろと言った。そこに気負いも何も感じなかった。お前、竜と対峙することにも慣れているな?」

 アーサーの視線が怖い。服も、皮膚も、肉も、骨も、全て透過して自分の核を見抜かれているような気がした。自分の頭の中から直接抜きとったのではないかと思う位、その言葉は当たっていた。
 視線をそらすことすらできず、ただ押し黙る雨竜に対し、アーサーは更に続けた。

「どうした? 答えぬか? 貴様は何者だ?」
「私は……」

 どうすればいいのか。答えは見つからない。教師と生徒の立場が逆転し、こちらが問い詰められている。

 本来ならやり過ごせる。どんなやりとりだろうと、お互いの立ち位置が対等であれば、決着をつけないことは簡単だ。ただ認めなければいい。何を言われようと、ただ流せばいい。顔に鉄仮面をつけることを、雨竜は得意としていた。

しかしタイミングが悪かった。教師としての自分が浮かびあがってきていた。それを自覚したとき、雨竜には迷いが生じていた。本当に目的を果たしていいのかと。教え子たちを亡き者にしていいのかと。ただの贄として扱っていいのかと。

――本当に、いいのだろうか。

 自問自答しているときほど、感情を隠すことが難しいときはない。
 思考が散逸してしまい、ここをどう切り抜けるか考えないとならないときでも、下手な状況分析ばかりしてしまっていた。

 どうすれば、どうすれば、どうすれば。
そうした問いが頭の中を占めていたとき、ふとももに冷たい感触がした。
視線をふとももに向けると、何かがテーブルからこぼれおちているのが見えた。テーブルの上に視線を向けると、倒れて中から中身を漏らしている酒のビンがあった。

ビンによりそうようにして、アーサーは眠っていた。倒れたグラスに頭を預け、静かに寝息をたてている。寝落ちだ。

 ふとももにこぼれ続ける酒を無視して、天井を見上げた。深く息を吐く。

 三回ほど呼吸をし、落ち着かせる。
 手を握り、開くを三度繰り返し、正常な動作を感じ取るようにした。酔いは血の気とともに引いていた。

大分落ち着いて、息をもらした。
そういえば歩達は何をしているのだろうと思い、外を覗った。アーサーとの問答に集中してしまっていたせいで、全く注意していなかった。

 そこにいたのは、三人だけ。水城歩、能美みゆき、イレイネだけ。平唯とキヨモリがいない。

 慌てて立ち上がり、中庭に走っていった
 これは目的を果たす機会が来たのかもしれない。だが、本当にその目的を果たしてもいいのだろうか?
どう転ぶのが自分にとってベストなのか迷いながらも、雨竜は駆けた。



[31770] 幼竜殺し 3-8 祭りの後
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/04/24 08:56



 七つの色が歩達をほのかに照らしていた。

七色の火花が弾け、綺麗な円を作っていた。緑ががった黄色の光が、唯の満面の笑みを浮かび上がらせている。その隣で巨躯を窮屈そうに縮めつつも、両手と口に薄緑の花火を持ち、リラックスした表情のキヨモリ。そっくりな一人と一体はそれぞれ赤青二色に照らされ、優しげな表情を淡く色づいていた。

 しかし線香花火の命は短い。夜風にゆらされ、ぼつん、と火のしずくが落ちて、途端に薄暗闇の世界に戻された。
 これが最後の花火だ。

「終わっちゃったね」
「そうだねー」

 祭りの後、といった感じだ。花火はカバン一杯にあったが、夢中になっていたせいで、一瞬で終わった気がした。まだまだ物足りないが、もうないのだから仕方がない。

戻ろうか、と歩が言おうとしたが、先に唯の声が響いた。

「そうだ! 私、買ってくるよ! キヨモリでひとっ飛びだし! 駄菓子屋ならまだ空いてるよね?」

 確かにいつも世話になっている駄菓子屋なら、二十四時間だし、花火も置いてある。
 だが、時間はもう夜中で、人通りはほとんどないだろう。そこに唯とキヨモリを行かせるのは流石にできない。実感は余りないが、自分達は幼竜殺しに狙われている。

 それがわかっているのはみゆきも同じようで、口を開いた。

「もう時間遅いからやめよう。行くとしても、私とイレイネが行くよ」

夜中に女子学生が出歩くのはいいことではないが、まだ唯達が行くよりはマシだ。みゆき自身、少し物足りなく思っているのかもしれない。
 しかし唯は少し困ったような笑みを浮かべながら、言った。

「大丈夫だよ。この位大丈夫だって。ちょっと飛んでくるだけだから」
「それでも、危ないでしょ?」
「それに実際会っても、私とキヨモリなら負けないよ。歩とアーサーには負けちゃったけど、これまで一度だって負けたことなかったんだから」

 さすがに止めようと、歩は口を開こうとしたが、止めた。
唯の瞳が少し潤んでいるのが見えたからだ。
歩とみゆきが何も言えないでいると、唯が照れくさそうに言った。

「それにさ、楽しいんだ。本当に。私はご飯作る時も何もしてなかったし、ただ食べて、遊んだだけじゃん。参加したいんだ、私も」

 唯の声は震えていた。内心を吐露したせいだろう。それだけに、唯の言葉には真に迫ったものがあった。心からの言葉であることは明白で、歩は何も言えなくなってしまった。
 沈黙が続いた後、みゆきが口を開いた。

「でも危ないよ。私が行くよ。また次のときがあるよ」
「ごめん、みゆき。行きたいんだ。このままだと私はお客さんで終わっちゃう。私も何かしたいんだ」

 歩と同じ心境だったろうが、それでも覚悟を決めて止めようとしたみゆきも、それを聞いて黙ってしまった。
 冷たい風が吹きすさぶ中、みゆきと歩をすっと見た後、唯は言った。

「じゃあ、行ってくるよ! キヨモリ! 行くよ!」

 その場の空気を理解できなかったのか、きょとんとしていたキヨモリだったが、唯がざっと飛び乗のると、ぱっと翼を広げた。そのまま空に飛び上がり、二人の影はまたたく間に遠くなっていった。

「唯! 気をつけて!」
「危ないと思ったら、すぐに引き返してね!」

 歩とみゆきの声が聞こえたかはわからなかった。

 残された歩とみゆきはしばらくその場でじっとしていた。途中で、風を防ぐようにイレイネが身体を広げてくれたせいで、余り寒くはなかった。
 みゆきが口を開いた。

「良かったのかな」
「……さあな」
「……だね」

 唯が飛び立ってから、時がたつほどに後悔は積もっていく。

 それからみゆきと話すこともなく、風が唸る音だけが歩の耳に響いていた。花火の焦げくさい匂いは消え去り、初春というにはまだ厳しい空気が鼻を刺激する。空を見上げると、厚い雲が漂っており、月の姿はまるで見えなかった。

五分ほどたったころ、雨竜の声が聞こえてきた。

「平とキヨモリはどうした?」

声の方に振りむく。その顔は心なしか青い。
 正直に話しをすると、雨竜が片手で耳の上あたりを掻きながら言った。

「どうして止めなかったんだ!?」
「すみません」

 今になってみれば、なんとか止めればよかったと思うが、出来なかった。
 更に怒鳴られるかと思ったが、雨竜はそれ以上続けず、冷静な声で言った。

「とりあえず、私は追い掛ける。お前らは中に入っててくれ」
「すみません」
「いや、悪いのは私だ」

 そう言うと、雨竜は室内履きのまま中庭に降りると、中を抜けて外に走っていった。
 残された歩達は、待つ以外できることはない。どうか、凶報だけは届きませんように、と祈るしかなかった。



[31770] 幼竜殺し 3-iー1 安穏
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/04/28 13:04



「いらっしゃいませ」

 来店した客に向かって、×××はつとめて礼儀正しく挨拶をした。
 場所は首都の雑貨屋。個人経営のこじんまりとした商店で、大型店舗におびえるよくある店舗に思える。

しかし実際は違う。普通なのは見た目だけで、取り扱っている商品はどれも癖のあるものばかりだ。冷凍庫の中に置いてあるのは牛や豚の肉ではなく黒蛇の肉だし、マネキンに着せてあるコートは桃毒虫で染めたもの。昔狩人をやっていた店主の交友関係で、一風変わったものばかりを取り扱っている。

そのため、客層も様々だ。怪しげな人物も多く、今入ってきた男もマスクにサングラスといういかにもな風体。この男が店の一番の常連なことから考えれば、客層もわかったものだ。

 男はつかつかと×××のところまで来ると、何も言わずじっと×××を見てきた。×××もそれを受けて、客側からは見えない位置にある棚から、新聞で包まれた拳大の品物を取ると、男に渡した。男は中身を確かめることなく手にした紙袋の中に突っ込むと、代金を机の上に置いて去っていった。×××も念のため代金を確かめてから、レジの中につっこんだ。

それからしばらく客は来なかった。そうしたことは珍しいことではなく、×××も客が物色した後を整える時以外は、レジにある丸椅子に座っている。
時間が拘束されるわりに余り給料はよくないが、これは×××にとっては有難い仕事だ。



 『家』となっていた場所の崩壊から二年がたった。
×××は崩壊の後、すぐにその場を離れたが、現在地すら全く掴めなかったため、三日ほど森の中をさまよう羽目になった。生の肉を食べることに慣れていたのが幸いして、食事の面は苦にはならなかったが、追手のことを考えると悠長には過ごせなかった。

 なんとか近くの町につき、現在位置の確認をすると、そこが全く知らない土地だったのがわかった。昔住んでいた町からも遠かったが、一応同じ国に所属し、いる人種もほぼ変わりなく、方言が少々きつかった。
現在位置を掴むと、地図を片手に急いで近くの都市に移動した。流石に四日目ともなると足が痛んだが、傷が癒えたキメラに乗れるようになってからは、随分楽になった。

□都市につくと、『家』から持ち出した金品を怪しげな店で売り、当座の生活費を作り、住むところを探し始めた。難航はしたが、死んだ□□□の戸籍があったおかげで、割高だがなんとか住むところを確保できた。

 それから仕事を探し、採用条件は店主の印象のみというこの店でバイトを始めた。



「□□□! もう上がっていいぞ!」
「はい!」

 ×××は、□□□と呼ばれて返事をした。□□□のIDカードで暮らしているためだ。。
 やってきたもう一人のバイトと交代する。適当に談笑したりする相手なのだが、余りに可愛らしい思考の女性なので、余り長話をしたくない。会釈し、足早に事務室に戻った。

 そこには店長がいた。黒いもじゃもじゃした髭に、小さめの瞳、いまにもハゲそうな頭。柔和な雰囲気を醸し出していて、バイト皆から慕われている。この男が怪しすぎる店をやっているのだから、面白い。

 店主は地面に屈みこみ、小柄な犬を撫でていた。真っ白な体毛に真っ赤な三つ目の、どこか不吉さを感じさせる外見だが、今はリラックスした様子でゆったりと背を伸ばしていた。
 これが今の×××のパートナー、キメラだ。

「おつかれさま」
「おつかれさまです」
「あのさ、ちょっといい?」
「はい?」

 更衣室に行こうとしたところで、呼び止められた。
 申し訳なさそうに、くしゃっとした笑みを浮かべて、店主は言った。

「明日、シフト入ってくれない? 朝十時から五時まで」

 本来なら、×××は明日休みのはずだが、別に用事はなかった。

「いいですよ」
「本当? いつもいつも気軽に頼んで悪いね」
「いえ、私は暇ですから」

 バイト以外には特にこれといったことは何もしていない。空いた時間はだいたい本を読んで過ごし、たまにバイト仲間に誘われて飲み会に行く以外はパートナーと二人で過ごしている。飲み会といっても酒を飲むわけではなく、酔っ払い達の愚痴を聞かされながらご飯を食べるだけだが、最小限のコミュニティ維持は必要だと『おじさん』から教えられた×××は、毎回参加していた。

 バイト代に色つけとくよ、という店主に愛想笑いしながら更衣室に入ると、着替え始めた。ファッションにもこだわりがないので、適当にスーパーで買ったTシャツにジーパン、スニーカーだ。

 すぐに着替え終えると、荷物を抱えて事務室に出る。そこにはまだ店長と白い犬がいた。

「帰るよ」
「ほら、ご主人様がお呼びだ」

 白い犬が駆けよってきた。キメラの擬態能力を生かし、可愛らしい姿に変身している。家でも生まれた時の姿に戻ることはなく、ここ半年以上、ただの子犬として暮らしてきていた。

「じゃあな、***。また良い物食わせてやるよ」
「店長、またなにかやりましたね」
「まあいいじゃないか、この位」

 書類上、パートナーの名前は***になっている。死んだあの子のパートナーが付けていた名前だ。
 二人を本名で呼ぶ人は、もうどこにもいない。

 ×××は店長に一瞥してから、事務室を後にした。



 家に着くと、すぐにカバンをおろした。六畳一間でぼろぼろのアパートだが、ユニットバスではあるが、風呂便所付きなため、十分満足している。

 家具は布団と冷蔵庫、洗濯機など必要最小限のものしかないが、様々な本が壁際に積まれてある。そこだけ床が沈んでおり、いつか抜けるのではないかとは思うが、そのまま放置している。

×××はそこから一冊、抜き出すと、壁を背にあぐらをかいた姿勢で読み始めた。

 読書は唯一の趣味だ。色々な世界があり、実体験するよりは薄い感触しか得られないが、それでも知識としては積み重ねられる。施設にいたときにおじさんの講義を受けていたせいか、頭に何かを叩きこむ作業は、楽しかった。

 今読んでいるのは、ダークファンタジーだ。
 作家はこれ一つしか書いておらず、評価を受けているわけではないようだが、×××はこれまで何度も繰り返し読んだ。

 ストーリーは、キメラに母親を殺された竜使いの少年の英雄譚だ。少年が正義の名のもとにキメラを何匹も殺していく話だ。

少年は軍に入り、キメラを初めとする魔物の討伐に精を出していたのだが、途中で一般家庭出身の同僚と恋に落ち、結婚した。

その過程で少年から元少年になった男は、キメラを好んで討伐している自分に違和感を覚え始めた。それまで何の疑問も抱かずキメラの虐殺をしていたのだが、キメラにも命があることに気付き始めたのだ。

その疑問は息子が生まれて更に大きなものになった。同僚が忠告してくるほど、キメラ殺しに突出していた剣先が、序々に鈍り始めたのだ。作戦を危うくしてしまうほどのミスも多くなり、出世街道をひた走っていた元少年の地位は怪しいものに変わっていった。

元少年は軍もやめようか、というところまでいった。元少年のキメラ殺しに対する執着をもともと嫌がっていた元少年の妻の薦めもあり、実際上司に辞表を提出した。

 それから妻の実家に戻り、樹木を伐採する仕事を始めた。義理両親も竜使いの後継ぎができたことを歓迎し、孫と生活できることを喜び、元少年を大事に扱ってくれた。

元少年は穏やかな日々を過ごした。キメラへの執着も、軍にいたときのスキルも忘れさせるほどに、心穏やかに生活していた。

しかし元少年に悲劇が襲った。息子がキメラに殺されたのだ。

元少年は息子の亡骸を前に、憎しみを暴発させた。

 軍にいたころのノウハウから、キメラ専門のギルドを作った。能力はあるが問題を起こして軍から抜けた人材を集め、キメラ殺しを始めた。初期メンバーに竜使いは元少年一人だったが、組織が拡大するにつれて、竜使いも集まり始めた。そうなると、自分の編み出した対キメラ用の戦術を彼等に教えることで、キメラは見つけることさえ出来たら、簡単に狩れるようになった。

 ただキメラを殺すためだけに生きはじめた元少年に対し、妻と実家は何度も説得をしてきた。生き残った娘はどうなる、死んだあの子もこんな父親を望んでいないなど、心からの言葉だったが、元少年は聞かなかった。最終的には一方的に離婚を切り出したが、妻は同意せず、そのままとなった。

元少年は最後までキメラを憎み続け、最終的にはキメラを殺すための社会システムまで構築し、キメラそのものの排除を成功した、というところで物語は幕を閉じる。

 これを読んだ時の×××の内面はいつも同じだ。
 何度もキメラが殺されるのを想像し、キメラに殺された主人公の感情を感じ取る。それが×××の心を浮き出たせた。興奮も湧きたてられた。

 だが本を閉じると、途端にそれらが冷めた。キメラに対しても、どこか他人事のように感じるようになる。それがよかった。

この生活を始めた当初、×××達はキメラとしての本能に押され、パートナーを食べたいという衝動にかられた。魔物は口に合わなかった。やはり、パートナーでないといけないが、パートナーを食べるのは、人を殺すことに繋がり、殺人ともなれば警察が動き出す。逃亡生活を送る×××としては、それはできるだけ避けたかった。

仕方なく餓えを我慢していたのだが、今度はパートナーが擬態を維持できなくなった。生まれたときの姿とは違うのだが、明らかにキメラであるその姿は、生活を送るのに余りに適していない。

 どうしようか、と考えているときに、この本を読んだ。
 すると不思議なことに、食欲が消えた。全くない、というわけではないのだが、それでも薄れていった。それはパートナーにも影響し、擬態も随分安定するようになった。
 そうしてこの本は、必需品となった。

 なぜそうなるかは、わからない。分析もしない。小説を読むとき、×××は作者の意図や技術を見定めようとは思わない。ただ自分が読み終えてどう思ったか、それだけを大切にするようにしている。重要なのは、自分がどう感じたか、それだけだと思っているのだ。

 物語は終盤にさしかかった。

 元少年はいつもどおりキメラを追い詰めた。このあたりになると、元少年が直接キメラに手を下すことは減っていたが、元少年は定期的に現場に出ていた。それはキメラへの殺意を維持するためだ、と元少年は考えていた。

 追い詰めたキメラに、元少年は剣を突きつけた。
 適当に切り刻み、再生するキメラを見て、なかなかの大物だな、と思っていると、そのキメラの使い手が出てきた。そのキメラは魔物ではなく、パートナーだったようだ。

 それでも構わずキメラに向かって剣を振り下ろしていると、キメラ使いの顔のあざに気付いた。

 それは息子を殺したキメラ使いにも、あったものだ。

 元少年は、お前が息子を殺したのか、と尋ねた。
 キメラ使いは頷いた後、語りだした。

 自分の親もキメラ使いだったが、周りの迫害に耐えつつも、時折魔物を食うだけで穏やかに過ごしていた。しかしそこにお前がやってきて、強引に犯罪をでっちあげ、両親を殺した。だから自分はお前の息子を殺したのだ、と。

 その間も元少年は手を止めなかった。冷たく、ただ作業を繰り返した。

 序々に弱っていき、息も絶え絶えになったキメラ使いは、醜悪な笑みを浮かべて言った。

 お前も俺と同じだ。ただの復讐者だ。そこに正義はなく、自分が拒否したものを殺すだけの、殺人者だと。

 次でキメラは死ぬと、これまでの経験からわかった元少年は、冷酷に告げた。

 だから何だ、と。

 そこまで読んだ時、不意に玄関から戸が叩かれる音がした。

「□□□さん、いますか?」

見知らぬ声だった。若い男のようだが、それ以上の要件を言わなかった。キメラが寝そべりながらも、耳をたてて警戒しているのを横目に、注意しながら玄関に出た。

 木製の古びたドアを開けると、意外な顔があった。

「やっぱり、×××だったか。ずっと探してたよ」

 ひどく驚いた。まさかの人物だったのだ。五年を経ても、あまり顔が変わっていない。

「○○○君………」

 パートナーが生まれた時に一緒にいた、竜使いだった。



[31770] 幼竜殺し 3-i―2 竜使い、キメラ使い
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/04/21 18:55



 とりあえず○○○を部屋に上げた。○○○は何もない部屋に驚いていた。

「生活厳しいの?」
「まあ」

 冷蔵庫から紙パックのお茶を取り出し、彼に手渡した。それくらいしかもてなすものはない。
 ×××はお茶の隅を手で裂きながら、心臓の鼓動が強く打つのを感じていた。

 何故ここに? 何故私のことを知った? 私がキメラ使いだと知っているのに、何故来たのか? そもそも、自分が昏倒させられた後、なんて説明されたのか?
 そのどれもが、×××を危機に陥らせる可能性をはらんでいる。

 ×××の焦りとは逆に、○○○は落ち着いた声で尋ねてきた。

「今どんな生活をしているの?」

 ×××は、バイトして暮らしていること、学校には行ってないこと、平穏に暮らしていること、などを話した。その間も常に○○○の様子を覗っていたが、笑顔を浮かべて頷くだけだった。

 話し終えると、今度は逆に質問した。

「○○○君は、どんな生活?」
「学生やってる。中央第二竜学校に通ってるよ」

 照れくさそうに○○○は言った。

 中央第二竜学校は、認められた竜使いだけが在籍できる、エリート学校として知られており、名前だけは×××も知っている位だ。

「すごいね」
「ありがと」

 照れくさかったのか、○○○は話題を変えた。
 視線を×××のパートナーに向け、言った。

「これが君のパートナー? 随分可愛らしく変わったね」

 『変わったね』
 これはどういう意味か。○○○は×××のパートナーが、キメラが生まれる瞬間を見ている。キメラに擬態能力があることを知っているのか?

 問い詰めようとした瞬間、唐突に○○○のお腹が鳴った。時計を見ると、もう七時を過ぎている。
 顔を赤らめた○○○が言った。

「夕食、どうかな? いいレストラン知ってるんだ」

 ×××は従った。



 流石のエリート竜使いだと思った。
 連れて行かれた先は、なにやら怪しげな感じのビルだった。
 一見エリートの通う場所には見えないが、本当に秘密にしないといけない場所は目立たないようにしていると聞く。

 案の定、古びたドアを開けて中に入ると、別世界だった。
 そこは全室個室になっているようで、薄暗い廊下にいくつも枝分かれした道がある。話し声は全く聞こえず、よくわからないクラシックだけが耳に入ってきた。

一番奥の部屋に案内され、中に入った。
それまでの薄暗い廊下とは正反対の空間だった。×××のアパートの三倍以上のスペースがあり、中央に巨大なテーブルと十脚以上の椅子。そこから少し離れたところにソファが置いてあり、ゆったりとくつろげるようになっていた。

「二人にはちょっと広いけど、いつも使ってるからここでお願い。俺のパートナーもここじゃないと入らないしね」

 そういえば、彼のパートナーを見ていない。

「○○○のパートナーはどこにいるの? やっぱ竜ともなると、なかなか外に連れ出せないもんなのかな」
「もうちょっとで来るよ。少し用事があってさ。まあ座ってよ」

 促され、入口から見て巨大なテーブルの奥に座った。足元にパートナーがうすくまる。○○○はその対角線の席についた。

「料理はおすすめがあるんだけど、それでいい?」

 頷いた。おそらく、どんなものでも美味なことには変わりない。

 それより大事なのは、何故いまさら訪ねてきたかだ。
 このままぐだぐだやっても仕方がない、と率直に切り出すことにした。

「私のこと、どこで知ったの?」
「たまたまさ。ここらへん学校に近いからね。何度かここらへん通ったとき、みかけてあれ? と思ってたんだ。それで少し調べたら、名前を変えて雑貨屋で働いてるっていうじゃないか。気になってね、あの後どうなったか」

「それは私も聞きたかった。私のパートナーがキメラだってこと、知ってるよね? あのおじさんからはなんて説明されたの?」

 ○○○は少し眉を寄せて答えた。

「キメラだから隔離しないといけないって。このことを言っちゃいけないって」
「それだけ?」

 ○○○はちらっと壁に視線を寄せた。×××もそれにつられてそちらを見ると、そこには壁時計がかかっていた。それも何やら品のよさそうな代物だった。

「君は今日から竜使いだよねって。だから相応の特権と地位を引き換えに、義務と秘密を身に納める必要があるよね、って」
「だから従った?」
「それだけじゃない」

 ○○○の顔は、相変わらず笑顔だった。しかし序々にそれが硬質のものであることに気付きはじめた。仮面だったのだ。

傍らに寄り添うキメラの毛が逆立っている。赤い目の正面の空気が、陽炎のように揺らいでいるのが見えた。熱を持っているのだ。

「僕を紹介してくれたんだ。ある組織に。そこは国に連なる、栄誉ある仕事をたくさん承っているんだけど、常に人手不足なんだ。優秀な人材が足りないせいだって。その優秀な人材が集う組織に、僕も入らないかって誘われたんだ」
「それで、どうしたの?」

「受けるしかないじゃないか。僕みたいな孤児でも、そんな立派な仕事ができるっていうんだ」
「あなた、竜使いだよね? そんな危ない橋渡らなくても、十分いい地位に付けるんじゃ」

 ○○○は首を振った。相変わらず顔には笑みが張り付いていたが、口元がなにか忌まわしいもので歪んだ。

「ダメなんだ。今の学校に入って分かったよ。竜使いだから偉いんじゃなくって、貴族の家に生まれた竜使いだから偉いんだよ。僕が入れたのは組織のおかげで、個人だと全くダメみたいなんだ。
 同じクラスにいるんだ。縁もなにもなくって、竜使いになったから入学したやつが。そいつ、みんなからいじめられてるよ。後ろだてがないから、みんな好きにいじめられるんだ。学校に来てるのが不思議なくらいだよ」

 ○○○の顔は、歪んでいた。相変わらずの笑みらしきものを顔に浮かべていたが、もう笑みには見えなかった。今にも泣きだしそうに見えるが、逆に野良猫を熱湯の中に突き落しそうな、嗜虐的にも見える。

 ×××は背中に冷たいものが垂れたのがわかった。これは、あの施設で出会った中でも、最も気味の悪いものと同種だと感じた。
 そこで、ばん、とドアが開いた。何か大きな影がいる。

「ただ、組織にいるにもちゃんと仕事を果たさないといけない。特に、功績を残さなくちゃいけないんだ。特に、僕しか知らない情報源で、僕一人で動いて、危ないやつを僕一人で捕まえたりするといいんだ」

 影が動いた。座った○○○の何倍も大きな背丈で、鱗の生えた身体をのしのしと動かし、近付いてくる。

 その全貌が照明に照らし出された。

竜だ。

 ○○○は言った。

「だからさ、僕のポイントになってよ。キメラ使いの逃亡者さん」
「どうして、私を捕まえるとポイントになる?」

 ×××は質問を飛ばした。幼なじみの自分に、とは言わない。

「君が逃げ出したからさ。キメラは普通、閉じ込められたまま一生を終える。なのにどうして外にいるんだ? 逃げ出したからでしょ」
「逃げだした、と聞いたわけじゃないの? その組織から」

「違うよ。僕がたまたま君がキメラ使いであることを知っていて、探し当てたからさ」
「組織に報告は?」
「しないよ。僕一人で済ませたほうがポイント高いでしょ。調べたけど、組織は君を察知していないみたいだし。組織も知らないお尋ね者を僕が一人で見つけるなんて、大手柄だと思わないか?」

 幸運が重なる。こいつは馬鹿だ。紛うことなき馬鹿者だ。
 こいつを消せば×××は助かると、分かった。
 だが、相手は竜使い。できるか?

 自分のバイブルとなっている小説を思い出す。いくつものキメラを殺した元少年は竜使いだった。殺すに際し、ほとんどてこずった話はなかった。それほど特別な力を持つのが竜だ。
 登場したキメラは成すすべなく押しつぶされたものばかりだ。

どうするか。
 迷っていると、突然○○○が声を上げて笑いだした。気持ち悪い声だ。

「そんなにびびらなくていいよ。漏らすなら上からじゃなくって下からでしょ。よだれ垂らすなんて汚いね」

 言われて、手を伸ばす。顎のあたりからぼたぼたとよだれが垂れてきていた。
 これは、どういうことだろうか?

 否。
 理解はすぐに終わった。
 例のファンタジー小説を思い浮かべた。

 まるで意味はなかった。落ち着くどころか、逆に目前の竜に対する関心が増していく。

「じゃあ、もう終わろうか。叩き潰しても、君たちがキメラだってわかるよね?」

 ○○○が一歩引いた。竜が机を挟んでそびえ立つ。
 ×××は思った。

 なんて美味しそうなんだ。

 つばを飲み込んだところで、足元の白い子犬が変体しだした。見ずともわかった。五感を使わずわかった。私達は二つで一つのキメラなのだから。
 巨大化する。真っ赤に燃え盛る。尾が伸びる。羽が生える。

 どれも×××は五感ではないもので感じ取った。まるで自分の身体がそうなったような、そんな感覚がした。

 目の前の竜を見た。
 キメラと同時に飛びかかった。



 ばりばりぐちゃぐちゃごくごく。
 ああ、美味しい。少し焦げた表面も、噛みちぎるたびに顎が外れそうになる肉も、蕩けそうなほどに熱い血液も、なにもかもが美味しい。久しぶりの『食事』は、最高だ。
 ああ、なんて美味しいんだ。竜はこんなにも美味しいモノだったのか。いままで知らなかったことは最早罪だ。

 もうやめられない。やめるつもりもない。
 こんなにおいしいものはそうはない。これほど良いものはない。
 キメラも全身を真っ赤に染め、皮膚でも味わうかのように竜の臓腑にもぐっている。キメラが身体を動かすたびにぐちゅりという音がしたが、先程聞いたクラシックより心に響く美しい音に聞こえた。

 絶対にやめられない。
 決めた。パートナーを、特に竜を狙って食す。法を犯し、警察に追われる身になってもかまわない。

 もっと美味しい肉が食べたい。

目の前の竜の肉は極上だったが、どうも堅すぎる。顎が痛い。
 もっと柔らかい肉がいい。次は柔らかそうなやつを狙おう。

 柔らかい肉、というと若い肉だろうか。羊肉は、年老いたマトンよりラムのほうが柔らかい。竜も似たようなものだろう。
 中高生の肉。それも小さいほうが美味しそうだ。

 それを喰らう、それもたくさん。
 どうすればいいか。

 竜使いは貴族ばかりから生まれ、皆似た、豪華な学校に通い、一人一人にプロの警護がつく。彼等を出しぬき、襲うことのできる状況が必要だ。それに竜使いの名簿も手に入れなければならないし、品定めもしたい。

学校の先生なんてどうだろう。
 生徒達の近くにいれば、よりどりみどり。それなりに転勤があるため、犯行現場も散らばるし、なによりより多くの幼竜を選別できる。教師同士の交流を通せば、情報を得ることも容易い。まさか教師が、とは思わないだろう。

 そのためには、大学に行かないとならない。まあなんとかなるだろう。高校を経ずとも大学に行く方法はある。

 この後の方針は決まった。後はこの場をどうにかすればいい。
 食べ終えた後、何もかも焼き尽くそう。炎は全ての証拠を隠滅すると、おじさんも言っていた。
 さあ、残りの竜をたいらげよう。
 ああ、なんて美味しいんだろう。



[31770] 幼竜殺し 3-9 バックグラウンド
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/06/02 16:32
 
 唯とキヨモリが襲われたと聞いたとき、ああやっぱりという冷たい感覚と、まさかという熱くたぎる思いが同居して、不思議な感じがした。藤花の制止もほどほどに、夜の学校を飛び出したとき、どこかそれを冷静に見つめていた。

 病院につき、深夜用の入口から中にすべりこむと、向かって正面に雨竜がいた。壁を背に突っ立ち、腕を組む姿は平静に見えたが、顔には疲れの色があった。

 雨竜の傍に行き、息も絶え絶えに尋ねた。

「先生! 唯は!?」

 雨竜は目の前の部屋を指した。
祈りながら扉を押しあけた。
傷一つない唯の姿があった。

「唯! 怪我は!?」

 みゆきの声が先に飛んだ。唯が頭を軽く横に振った。見る限りだが、傷一つないようだ。本当に無事に見える。

 だが、肩の力を抜くことはできなかった。唯の顔に一切の表情がないからだ。感情が欠け落ちた、と言った感じで、能面のようにのっぺりしている。
 そして気付いた。

「キヨモリは?」

 みゆきが尋ねると、すぐに唯の腕がゆらりと上がり、カーテンに囲まれた一角を指した。

 カーテンを勢いよく開ける。

そこには、包帯で全身をグルグル巻きにされたキヨモリがいた。頭は目と鼻を除いた箇所は全て白い包帯に包まれており、口を開くことすらできそうになかった。身体のほうも、ところどころ血のにじむ包帯が痛ましい。

 だがなにより歩を驚かせたのは、キヨモリの背中だった。

 あるはずのものがない。
 翼が、ない。

「キヨモリ、飛べなくなっちゃった」

 竜は飛んでこそ竜。空の王者たる証。模擬戦の際、ほんとうにいらついていたキヨモリの様子を思い出す。

 唯の仮面のような顔から一筋の涙が流れるのが見えた。



 その後、歩達が移動した控室では、重苦しい空気が淀んでいた。歩、アーサー、みゆき、イレイネ、だれも口を開くどころか、みじろぎの音すら立てない。何かすること自体が不謹慎だ、とでもいう風に。アーサーすら口を開くことなく、憮然とした顔で机の上で直立していた。

 雨竜には、自分を責めるな、と言われた。お前達は学生で、それを守るのは大人の役目。無茶をしたのも、雨竜達が不都合を強いた結果。悪いのは、自分だと。

 雨竜が駆けつけた時、既に犯人は逃げていたらしい。現場には、翼をもがれ、傷だらけのキヨモリと、泣き叫ぶ唯の姿しかなかったようだ。すぐに病院に連絡し、救急車が来るまでの間、手当てをしていた。夜間の救急車は、夜目の効く馬の手配が必要なため、最悪雨竜が担いで運ぶことまで考えたらしいが、案外速く来て、一命を取り留めることはできた、と言っていた。出血量はかなりのものだったらしい。

 説明を終えると、雨竜は学校に戻っていった。

「止められなかった」

 みゆきがぽつりと漏らすように言った。

「止めるべきだった。だけど、できなかった」
「お前のせいではない」

 アーサーの気休めも、みゆきに効いたようには思えなかった。それもそうだ。雨竜に歩達の責任ではないと言われたときも、逆効果だった。アーサーもわかっているのだろうが、他にかけられる言葉がなかったのだろう。

「お前が止められなかったのだ。日頃誰よりも人のためを思い、故に先まで読んで発言をするお前が、だ。誰も止められなかったのだ」
「いや、違うんだ」

 みゆきはパイプ椅子の上で、両肘をそれぞれ膝に突き、両手を合わせて頭に当てて、祈るような姿勢をしている。

「……荷物取りに家に帰ったとき、色々話したんだ。本当に嬉しそうだった」
「嬉しそう?」

 歩の質問に、みゆきは祈る姿勢のまま頭だけで頷いた。

「唯、同級生と仲良く遊ぶってことなかったみたいなんだ。この学校だと、特別扱い受けてたからだけど、その前の学校でも。だから、下の名前で呼び合う友達ができて本当に嬉しかったみたい。今日の唐突な泊まりも修学旅行みたいな感覚だったと思う」

 それで宿直室に来たとき、浮足立って見えたのか。

「私も同じ感覚だったし、唯が楽しんでいるのもわかったから、買い出しに行ったりしたんだけど、やっぱりやり過ぎだった」
「……お前のせいじゃないよ」

 みゆきは本当にこういうところがある。全てを背負おうとしてしまうところが。そんな彼女に、ちゃちな言葉しかかけられない自分が恨めしい。みゆきと出会ったときと、何一つ変わっていない。

みゆきは続けて言った。

「それだけじゃないんだ。私も唯といて、楽しかったんだ。あの時間を続けたかったんだ。初めて似た境遇の友達ができたから」
「似た境遇?」

 みゆきは歩の質問に答えず、続けた。

「どういうこと?」
「私と唯は貴族なんだ。両親がどちらも貴族の純血」

 歩ははっと息を呑んだ。
 貴族。国家レベルの権力を持つ聖竜会に所属する竜使いの一族。
 言われてみれば、唯が貴族というのは納得できる。学校での特別扱い、孤高とも言うべき姿、どちらも貴族であればこその立ち回りだったように思える。

 しかしみゆきまでがそうだったとは。

「しかしみゆきは竜使いではなかろう。二人の竜使いからは竜使いが生まれるはず」
「滅多にないけど、前例はあるみたい」

 口元を歪めてそう答えた後、みゆきはさらに続けた。

「私が類さんに預けられたのもそれが関係してる。実は卵が孵る前に、竜か竜でないか、ほぼ百パーセント判別する方法があるんだけど、それに私が引っかかっちゃったんだ。そうしたら、縁を切られた。類さんに紹介してくれたり、お金をくれたりはしたから、今こうしてられるけどね」
「腐っておるな」

 憤慨するアーサーに、みゆきはふっと軽い、悲しげな苦い笑みを浮かべた。

「唯も似たようなものみたい。お家騒動に巻き込まれて、一般の学校に通わされてる」
「だから、似た境遇」

 みゆきはこくりと頷いた。
起き上ってきたとき、口元に浮かべていた笑みが、自嘲したものに変わっていた。

「馬鹿だよね。あの時間を続けたかった。唯に楽しんでほしかった。お客さんでなく、一員として。私もそう思ってた。自分は安全なところから。なんなんだろうね」
「それは俺も同じだよ。唯が買いに行くっていったとき、危ないとは思ってたけど、正直、嬉しい気持ちもあったように思う」

 今思うと、あのとき、歩は止められなかったのではなく、止めなかったのではなかろうか。唯が無事に帰ってきたら、心配だったとか言っておきながら、結局花火を再開したのではなかろうか。その時間を楽しみにしていたのではないか。だから、止めなかったのではないか。

 考え過ぎな部分があるのはわかっている。だがその加減がわからない。
 止められなかったのか、止めなかったのか。その天秤の傾き具合は、歩には判断がつかなかった。

 再び沈黙の時が流れた。先程より重く、全身に纏わりつくようにねっとりとした時間だ。口から吸う空気は歩を咎めるようにゆっくりと入り、吐き出される空気には異臭が混じっているような気がした。鼓動までもが苛立たしいほどに粘っこい、ヘドロが波を作っているような感覚があった。

 唐突に、アーサーが言った。

「何故か殺されなかったな」

 まるで場にそぐわない不穏な質問だ。咎めるようにアーサーを見ると、先程から変わらない憮然とした顔をしていた。

「何だ唐突に」
「いままで、幼竜殺しに狙われ、生きていたものはいない。なのに何故キヨモリは助かった? 翼は喪われたが、生きている」
「雨竜先生が近付いているのがわかったからじゃないか?」
「そうかもしれんが、不自然だ。これまでの犯行は完璧だった。未だに聖竜会も捉えきれてない位にな。なのに何故今回だけ?」

 アーサーは冷静だった。口調は淡々としており、世間話でもしているかのような自然な声をしていた。
 それが何故だか無性に腹が立って、皮肉っぽく返答してしまった。

「冷静だな」

 それまでと変わらない、渋い響く声で答えてきた。

「有事ほど冷静にならねばならん。冷たく、静かに、己を制御し、冷酷に」
「冷酷になって何をするのさ」
「決まっている。幼竜殺しを捕えるのだ」

 至極当然といった様子でアーサーは言った。

「幼竜殺しを捕まえる?」
「うむ」

 端的に答えたアーサーに、みゆきが感情の熱を取り戻した。

「何を唐突に」
「何を戯けたことを。お前達は悔しくないのか? 恨めしくないのか? 憎くないのか? キヨモリの翼をもいだ輩が。胸の内に熱く滾る感情がないのか? やつを灼熱の炎で炙りたいと、鍛え上げた剣で地に這いつくばらせたいと、思わないのか?」

 過激極まりない発言にも関わらず、アーサーの声は平然としていた。それだけに余計怖かった。この竜は冷たく怒り狂っているのだ。
 もしかしたら歩と同じなのかもしれない。熱く滾る感情と、それをどこか遠くで見ている自分の同居。

 臆することなく、みゆきは言った。

「どうやって? 今まで何度も竜を殺して、それでも聖竜会でも捕まえられていない竜殺しの中でもトップクラスの犯人だよ? キヨモリが呆気なくやられた相手に、どうやって? そもそもどうやって発見するの?」
「簡単だ。逆にこちらが罠を張ればいい」
「どうやって」
「恰好の餌がいるではないか」

 そこまで聞いて、歩の背中にぞくりとしたものが通った。

「自分を囮にするつもりか?」

 アーサーは鼻を鳴らしただけだった。答えるまでもないのだろう。
 みゆきが声を張り上げた。

「危なすぎる! 唯のことがあったばかりだよ!?」
「来るとわかったならば、勝てる。我がいるからな」
「なんでお前がいれば勝てるんだ?」
「勝てるものは勝てるのだ」

 これ以上尋ねたところで、アーサーが答えないのはこれまでの付き合いからわかる。

「アーサー、わかってるよね。これはアーサーだけの問題じゃないんだよ。歩の命にも関わってる」
「無論」

「それでも何も言わず、やるの?」
「勝てるからな。我の真の力をもってすれば」

 人とパートナーの命は繋がっている。アーサーが餌になった場合、それが食いちぎられたとき、同時に歩もまた引き裂かれることになる。

 それでもアーサーは譲らない。ならば勝算は確かにあるのだろう。アーサーは勝てない戦はしない。それは今まで共に闘ってきた歩はわかっている。いつもはわがままで、衝動にしたがって動いているが、いざとなったとき、アーサーの思考はどこまでも現実的に動く。こいつが勝てないといったとき、勝てたことはない。そして負けないといったとき、負けたことはない。

 アーサーは、憮然とした表情のまま、歩の方を向いて言った。

「歩。やるぞ」

 その瞳に陰りは見られなかった。



[31770] 幼竜殺し 4-1 隠しごとと計画
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/04/28 15:43

のっけからすみません。
一つ前、3-9の最後の部分に手を加えました。違いは微々たるものかもしれませんが、よかったら目を通しておいてください。






 夕日で真っ赤に照らし出されている廊下で、歩は慎一に声をかけられた。

「歩、今日も図書館行ってたのかよ」
「まあね」
「何この優等生。この前の模擬戦勝ったからって、いまさら何真面目ぶってんだよ~ 仲良くカンニングの研究に勤しもうぜ。いつものように」

「勝手に共犯者にするな」
「なんだよー。俺達友達じゃん?」
「おう。お前が捕まったときは声を上げて笑ってやるよ」

 慎一の隣には、彼のパートナーであるマオの姿があった。わしゃわしゃと首を撫でてやると、嬉しそうに目を細めた。尻尾をぱたぱたと振っている。なんとも可愛らしい。

 パートナーの可愛らしさを五分でも分けてもらえていたら、もっとなんとかなってるであろう慎一が、演技がかった口調で言った。

「なんてひどいやつだ。これだから竜使いは。いきなり昼飯の友じゃなくなったと思ったら、女のところ行ってるし。しかも平と能美の高嶺の花ツートップ。ぐれるぞちくしょう」
「俺はいつからお前の保護者になったんだ。友達じゃなかったのかよ」
「友人であり、保護者であり、唯一無二の親友。いいねえ。オンリーワンな関係じゃん?」
「はいはい」

「流すなこらー。もう少し親友との歓談を楽しめー。んで頼みを聞けー」
「紹介しろ、とかなら断らせていただく」
「言葉にせずとも分かりあえるとは、まさに親友!」
「はいはい」
「ナンダカツメタイネー ワタシ、カナシイヨ」

 片言になった慎一を笑み混じりに無視して、マオの首を撫で続けた。首周りの皺がなんとも柔らかく、気持ちがいい。
 慎一が更にいじけるのを見て、苦笑しながら言った。

「まあ口通し位ならしよう」
「本当か! 言質はとった。いざめくるめく官能の世界へ!」
「やっぱやめるか」
「ピュアボーイ宣言をさせていただきます」
「よろしい」

 区切りがついたところで、歩は立ち上がり、慎一たちに分かれを告げた。

 それから仮の宿になっている宿直室に戻った。

 宿直室のドアを開けると、ちゃぶ台を三つの影が囲んでいるのが見えた。

「ただいま」
「おかえり」

 みゆきが視線をちゃぶ台の上に乗せた資料から動かさず言った。
 歩は畳に上がり、ちゃぶ台の空いている席につく。抱えている荷物を脇に下ろした。

「収穫はあったか?」

 アーサーもまた視線は資料に向けたまま質問してきた 歩はいくつか手応えのあった資料をカバンから出しつつ、答える。

「いや、ない。やっぱもうあらかた探しつくした感があるな」
「大分読んだからね。もう当分活字は見たくない気分だ」
「そっちはどう?」

 みゆきは持っていた鉛筆でモミアゲの辺りを掻いた。

「ちょくちょくって感じかな。同じ記事も間をおいてもう一回見ると、感じが変わるね」

 そう言うとみゆきはふうと重い息を漏らした。ここのところずっと泊まり込みで調べ続けていたから、疲れが溜まっているのだろう。目も少し充血している。

「とりあえずお茶入れるから、三人とも休め。今夜から始めるんだから」

 直接調べているわけではないが、イレイネもずっと動いていた。アーサーの手の代わりとなりページをめくったり、みゆきの持ってきた新聞を運んだりしている。一つ一つの仕事は大したことないのだが、腕を文字通り伸ばし、マルチタスクをこなしているため、疲労度はそう低くない。

 部屋の端に移されていたコンロに近付き、火をつける。その上にヤカンを置き、急須と茶飲みの準備をしながら、歩は今日の夜行う予定の決戦に思いを馳せた。



 唯とキヨモリが襲われてから三日が経った。

 唯達はまだ入院中だ。唯は特に怪我をしていないが、キヨモリの傍から離れようとしなかったからだ。パートナーが傷ついた人にはままあることなので、病院も学校も許可を出している。雨竜も病院に泊まり込んで唯達の護衛の任を果たしているらしく、この三日間授業も全て休んでいた。

 一方の歩達はというと、幼竜殺しについて調べていた。身に迫った危険はなかったため、幼竜殺し自体についてよく知らなかった。相手するとなれば、まず相手のことを知らなければならない。

皮肉なことに、学校に泊まり込んでいることが幸いした。図書館にある新聞や雑誌を自由に見ることができた。古いものは立ち入り禁止の地下書庫にあったのだが、竜使いの特権はそこでも通用した。

 昼間は普通に授業を受け、放課後から寝るまで新聞と雑誌で幼竜殺しの情報収集、そして軽いトレーニング。その生活を二日続けた。
 そして今日。
 当初決めた期限だ。

 歩は淹れたお茶を三者に出した。みゆきには渋いお茶を、イレイネには薄めのお茶を、アーサーには中間の濃さのものを小さめの湯飲みで。
 適当に注いだ自分用のものをちゃぶ台の上に置いたところで、歩は皆に話しかけた。

「じゃあ最後のまとめしようか」

 伸びた腕が差し出してきたのは、大まかな幼竜殺しの犯歴と主な報道をまとめたファイルだ。これは歩が調べたもので、昨日までにおおかたまとめてある。

 最初の一ページ目は、新聞をコピーして抜きだした切りぬきだ。表題は『首都で竜殺し発生』

「最初の事件は今から十三年前。全焼したレストランから当時十七歳の竜使いの少年の遺体が発見された。竜の身体が跡形もなかったため、竜の身体を目的とした竜殺しと認定だれた。

 それから半年、立て続けに発生。竜使いの遺体だけが発見され、竜の身体が消え去っている事件が八件。その相手がまだ若い未成年であったこと、竜使いの死因がパートナーを殺されたことによるショック死だったことから、一連の事件は同一犯だと警察が発表し、『幼竜殺し』と呼ばれ始めた」

 十三年前というと、歩は幼稚園位か。
 それから十三年も経っていると思うと、ぱっと思い浮かんだ幼竜殺しの姿は、おどろおどろしい中年の男になった。

「幼竜殺しが特別なのは、人ではなくパートナーを狙うことにある。フィードバックを受けているとはいえ、人は竜よりも狙いやすい。竜の身体を狙っているのなら、綺麗に確保するという意味で人を殺して竜を回収するのが一般的だ。

しかし、幼竜殺しは人には見向きもせずに竜を直接狙っている。未だに捕まらない位完璧な犯行を重ねているということと合わせて、幼竜殺しが有名な理由だ。俺のは以上」
「じゃあ次私ね」

 代わってみゆきが口を開く。みゆきが担当したのは、幼竜殺しの犯行そのものの詳細だ。

「まず、幼竜殺しはその名の通り十八歳未満の若い竜を狙ったのが特徴。犯行については、時間と場所両方に規則性が見つからなかった。夜が圧倒的に多いけど、昼間の犯行もあった。捜査が難航したのはここも理由だね」

「昼間の犯行は山だったか? 林間学校でサバイバル訓練していたが、集合時間になっても見つからず、捜索したところ、遺体で発見。どうやったにしろ、一目につかないところでの犯行か」

「アーサー、みゆきの役目奪うなよ」
「暇だったのだ。仕方がなかろう」

 アーサーが眉間にしわを寄せながら口を挟んだが、みゆきは苦笑しつつ続けた。

「歩も言ったように、幼竜殺しは必ず竜そのものを狙うんだけど、それで竜殺しの傾向がかなり絞れた。

一般に、竜殺しの意図は四パターン。一、組織間のパワーバランスに関する政治的発想、二、竜の希少な身体を狙った金銭狙い、三、特定の人物および竜に対する怨恨、後は精神異常者による無差別テロだとかだね。
政治関連、金銭狙いは非効率な殺し方から除外。被害者に関連が見つからなかったことから、個人に対する怨恨もなし。後は竜全般に対する怨恨と異常者の犯行。

そうなると、組織的な犯行ではない。幼竜殺しは単独、もしくは少数による個人的な動機による犯行であると断定されるに至ったわけだけど」

 そこまで言い終えると、みゆきがちらりとアーサーは見た。それを受けて、憮然とした表情のアーサーが口を開く。

「そこで我の担当、警察の動きに関してだが、まるで何もなかった。神出鬼没で国内を転々としているため、出現位置の先読みは不可能。遺留物も特定できるものはない。
目撃証言は一つだけあったが、それもあやふやだ。二件目の犯行の際に、空を飛んで現場から去る影を第一発見者が見かけたらしいが、深夜だったため、よく見えなかったようだ。輪郭も覚えていなかったようで、わかったのは身体がかなり大きめだったこと、飛行可能なこと位しかわからなかった。
故に十三年たった今でも全く逮捕できておらん。賞金首にもなっておるのに、情報すら出てこないのだからな。大したものだ」

 幼竜殺しを褒める言葉とは裏腹に、アーサーは不機嫌そうに鼻をならした。成果が上がらなかったせいだろう。
しかしそれも当然だ。警察が捜査方法まで詳しく発表するわけもないし、そもそもが未解決事件だ。報道する側としても警察との協定で、捜索の邪魔になる情報は明かせない。結果が出てみてから考えると、初めから徒労に終わる可能性は強かったのかもしれない。

 歩は口を開いた。

「それで現在につながる。犯行が一時小康状態にあったりしたんだけど、最近になって一件あって、直後にハンス=バーレ、そして唯」

 キヨモリのもがれた翼と唯の能面を思い出す。なんとも言えない思いが湧きおこった。
 歩の内面を知ってか知らずか、みゆきがいつもと変わらぬ様子で言った。

「間が空いたことで模倣犯も考えられたけど、やはり人ではなく竜そのものを狙うのにデメリットが大きいことで、その可能性はない。捜査のかく乱だけじゃ釣り合わないね」

 竜の強さを目の辺りにしたことがあるものなら、おそらく皆同じ結論に至るだろう。歩も異論はない。
 ひとまず、仇は十年前からの幼竜殺しであることは確定したわけだ。

 だが。

「……三日調べてわかったのはこんくらいか」

 調べて歩達の計画に使えそうなのは、幼竜殺しの犯行の手口位だ。人気の少ないところ、飛行すること、それなりに大きな身体。その位のものは、全部初日にわかった。残りの二日間は前日の焼き増しを繰り返しているようだった。初日から手応えの無かったアーサーがいらつく気持ちもわかる。

「まあ、詳しく調べたおかげで手口に関してはわかったしね。それだけでも十分な収穫だよ」
「それはそうなんだがな」

 どうにも割り切れない、みゆきがまとめるように言った

「ひとまず最低限必要な情報はあるね。これで次の段階に移ることができる」

 おおよその犯行時刻、現場の状況、襲われた被害者の共通点。
 深夜、人気のないところ、それから未成年の竜。

「ああ」
「初めから駄目もとだったしね。これだけわかったなら、十分だよ」

 歩は頷いたが、実は他に調べていたことがあった。

被害者の大きさだ。アーサーのようなE級の身体の持ち主も被害者に含まれるかが気になったのだ。狙われたのは全て竜とはいえ、アーサーのような竜ではないとも言えるE級も狙うのか、心配になったのだ。

だが、それをアーサーがいる前では言えなかった。だから一人で調べた。

 いまその結果は、持ち込んだカバンの中にある。五番目と六番目の竜は、どちらもE級とまではいかないが、アーサーより少し大きい位だった。おそらく大丈夫だろう。

 本当に最低限だが、一応は情報が揃った。
 後は決行の時を待つのみだ。

 だが歩はここで一つ切りだした。

 アーサーの顔を向き、呼んだ。

「アーサー」
「なんだ」

 アーサーも歩の目を見てきた。大きな緑色の瞳には陰り一つない。強い意思を放っている。

「幼竜殺しに何故勝てるか、聞いたが答えなかったよな。ここまで来ても言わないか?」

 答えなかった。アーサーの瞳にも何も変化がない。
 ここに至ってまだ言わないか。

「言わないのは、計画の都合上言えないのか、他の理由か」
「後者だ」
「ならば周りのためか、それともお前個人のためか」

 ここで、アーサーの瞳に初めて不純物が混ざり込んだ。一直線に放射していた意思が、弱々しくぶれ、戸惑いの色を見せ始める。

 数秒止まった後、それでも歩から目線を話さないまま、アーサーははっきりと答えた。

「後者だ」

 歩は盛大にため息をついた。アーサーは変わらず歩に視線を向けてきていたが、先程までとはまるで違っている。気丈に胸を張ろうとしていたが、いつにもまして小さく見える。

 歩はアーサーを見たまま、みゆきに言った。

「みゆき、だってよ。死ぬかもしれない戦場に向かうのに、こいつは勝算を語ろうとせず、黙ったままだ。それも自分のためにだ。どうする?」
「どうするって?」
「本当に計画を実行するかどうか。今なら引き返せるぞ」
「やるに決まってるじゃん」

 みゆきは即答した。それを聞いて、アーサーの顔がゆるむのが見えた。なんとか強く、気丈にあろうとしていた糸が、ほつれたように。

「ここまで来てはないよ。それに、アーサーがどうでもいい理由で話せないとは思ってないしね。アーサーの個人的な理由にしても、聞けば肯定はできずとも否定はできないと思う」

 アーサーのすこし間抜けな顔を見て、歩はにやりと笑みを浮かべた。

「なら仕方がないな。よかったなアーサー」
「分かってたくせに。そう言う歩はどうなの?」

 みゆきのどこか楽しげな質問に、こちらも即答する。

「やるしかないでしょ。分かれ道はとっくの前に過ぎた。後は進むだけだ」
「また偏屈な答えしちゃって」
「パートナーのが写ったんだよ」
「意趣返し、すんだ?」

 アーサーの瞳の奥の虹彩が大きくなった。口が薄く空いており、よだれが垂れてきそうな感じだ。
 その口から、ぽつりと漏れる。

「そういうことか」

 歩は満面の笑みを浮かべて答える。

「なにがあろうと、ここでお前が理由を話さないのは、流石に駄目だ。このまま重大な隠しごとをされたまま黙って計画に乗るのは、色々違和感がある。この位、お前も追い詰められないとやってられんよ」
「意地が悪くなったな」
「お前につきあってるからな」

 茫然とするアーサーに向け、最後に強く言った。

「この場はこれですますが、終わったあと話せよ」

 アーサーは答えなかった。ただ歩の瞳を見てきていた。

「では始めましょう」

 みゆきがそう言った。
 歩達は計画を実行に移した。





[31770] 幼竜殺し 4-2 夕暮れ
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/05/02 18:17



 中村藤花は教室に向かっていた。

 先程までテストの採点に勤しんでいたためか、夕焼けが目にしみる。傍らには静かに燃えるパートナー、ユウがいたが、彼もまた周囲を淡く照らしていた。見慣れた廊下も、この時間になるとまた違ったものに見えた。

 担当クラスの教室につき、中に入ると、教卓のあたりに目当ての生徒達がいた。

「歩くん、アーサーさん、お待たせしました」
「いえいえ、お疲れ様です」
「大儀である」

 歩は教卓近くで手持ちぶたさに突っ立っていた。模擬戦で使う、運動服を身に纏っている。パートナーであるアーサーは教卓の上に寝そべっていたが、目を開き、警戒する犬のように気を尖らせている。

 藤花はアーサーの返事に笑った。

「またいい言葉ですね」
「すみません、偉そうな口で」
「何をいう。われは……」

 歩がアーサーの頭を軽く小突いて中断された。恨めしげな顔を向けるアーサーを無視して、歩が話しかけてくる。

「それでは行きましょうか。余り遅くなると、藤花先生の帰りも遅くなっちゃいますし」
「気遣い嬉しいです。では行きましょう」
「お願いします」

 そう言うと、歩はバッグを掴んで藤花のほうにやってきた。丸めた制服が入っているせいで、バッグは大きく膨らんでいる。

 歩が教卓の横を過ぎたあたりで、アーサーがばさりと翼を広げて飛び上がり、パートナーの肩に乗った。何も言わずにそうするあたり、この二人は本当にパートナーらしいパートナーだ。

 階段を下り、玄関口から外に出て、歩の家に向かった。

「護衛おつかれさまです」
「いえいえ。これも仕事ですし」

 他愛ない会話をしつつ、歩達の帰宅につきあう。これがここ一週間ほど続いている藤花の仕事、護衛だ。

 唯の事件から三日後、歩とアーサーの学校での泊まりが解除され、同時にみゆき、イレイネの護衛業務も終了を告げられた。

 理由は明かされなかった。もう幼竜殺しは近くにいないという判断かもしれないが、それは性急すぎる。確かに歩達をずっと宿直室にとまらせておくのは色々と問題だったが、それでも安全だと判断するには速すぎる気がした。

 それは行政の怠慢なのだろうか。それとも歩達E級の竜未満に対する扱いなのか。

 ひとまず、歩達の護衛任務には藤花がつくことになった。雨竜は唯についているし、他の教師ではいざ幼竜殺しが現れたときに頼り無い。結果、定期的に行われる教員資格検査において、十分な実戦成績を残している藤花が毎日面倒を見ている。

 そもそも、竜殺しに狙われる生徒の護衛を一介の教師に求めることがおかしいが。

 歩が話しかけてきた。饒舌なアーサーがしゃべることが多いのだが、最近は口数が減っている。常に気を張って過ごしているようで、幼竜殺しを警戒しているのだ。当事者の竜だからこそだろう。

「もう一週間になりますね。幼竜殺しももうどっか行ってるころですかね」
「そうですね。幼竜殺しの犯行は、かなりばらけますから。二件続いたのも珍しい位ですし」
「調べたんですか?」
「ええ」

 藤花は微笑みながら端的に答えた。護衛を務めるにあたって、報道された幼竜殺しの情報を調べてある。

「それなら、もう大丈夫ですかね。先生ももうそろそろ飽きたでしょ?」
「いえいえ、こういうのも楽しいです」

 常にぴんとした緊張感を漂わせているパートナーと比べ、歩は気が抜けて見えた。危機感が薄いというか。自分の命を狙う異常者が傍にいるという自覚があるとは思えない様子だ。

以前から、歩の自意識の薄さは目についていた。模擬戦での自棄とも思える闘い方や、学校でのどこか冷めた立ち振る舞い。彼のそうした姿には身を削る鉛筆のような儚さがある。自身を鋭く鍛えれば鍛えるほど、いつかぽおきりと折れてしまうような。

所詮自分なんて、という気持ちがあるのだろうか。半端な竜使いとしての立場による、嫉妬と憐れみの入り混じった周囲の視線と、それに伴って困窮を極める自己評価。

 歩は藤花の顔を見て言った。

「先生は優しいですね」
「あなた達がいい生徒だからですよ。手はかかりますが。そういえば、個人授業いつにしましょうか」

 藤花の言葉に、黙っていたアーサーまでもがぎょっと身を強張らせた。

「色々あってすっかり忘れてましたね。希望があれば、一か月以内なら自由に決めていいですよ」
「とりあえず、幼竜殺しが捕まるまで延期というのはどうでしょうか。ほら、僕らもいざとなったら素早く動かないといけないですし」

「大丈夫ですよ、加減しますから。まあ半日もあれば回復できる程度にはしときます」
「……前回受けたとき、明日には治るっていってたのに、一か月痛みが抜けなかった覚えがあるのですが」
「最近の子はひ弱ですね」

 顔をひきつらせながら必死に抗弁してくるが、その程度で手を和らげる藤花ではない。先程までどこか遠くを見ていたアーサーも、どこか情けない顔で藤花を見てきている。

「大丈夫ですよ。二人とも唯さん達に勝ったじゃないですか。学校を代表する優等生ですよ。私のしごき位、簡単にこなしてください」
「しごきって言っちゃてるし、もう……」

 歩が肩を落とした。アーサーは先程と同じく遠い目をしたが、少し趣が違っている。

 藤花は笑いながら言った。

「一週間後くらいならいいですかね。この見送りも、後一週間位で解けそうな感じですし」
「そうなんですか?」

 尋ねてきた歩に藤花は頷いて返す。学校側の通達には何も書いていなかったが、最初指令を受けたとき、煮え切らない態度に定評がある校長が一カ月以内には終わると言っていた。藤花達には話せないが、上から聞いていることがあるのだろう。

 歩は一転して明るい表情で言った。

「ならもう大丈夫ってことですかね」
「まあそういうことですね」
「ならちょっと行きたいとこあるんですが、いいですか?」
「行きたいところ?」

 歩は、はい、と短く答えた。

「まあ別にいいけど」
「やった。なら少しつきあってくれます?」
「デートですね」
「こぶつきですけど」

 歩がアーサーを見て言った。アーサーは眉を寄せてふんと鼻を鳴らしたが、それ以上は何も言わない。

「じゃあ行きましょう」

 そう言うと、歩は先導して動き始めた。
 藤花は空を見上げた。もう夕焼けは赤黒くなっていた。



[31770] 幼竜殺し 4-3 悲しい話
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/05/05 23:44



「歩君、さすがに危ないですよ」
「大丈夫ですよ」

 陽は完全に落ち、辺りは真っ暗になっていた。歩の持っていた電灯がなければ、こうして歩くこともままならないだろう。

 歩に連れて行かれた先は、近くにある森だった。

 その森は商店街を抜けてすぐにあり、気軽に入っていけるようになっている。人の手が入っているおかげで、小振りな樹木がほどよく並び、足元は多少の起伏はあるものの、意図的に残された部分を除いて、芝生程度の雑草しか残っていない。魔物もほとんどいないため、昼はやんちゃな小学生達の遊び場に、夜はお金のない男女の大人の遊び場になっている。

 しかし、それらは一定の区域までで終わる。その先に進むと、光景が一変する。一気に木々は太くて高いものに変わり、居並ぶ密度も上がる。木のない場所には雑草が鬱蒼と茂り、濃密な青臭い匂いと湿気を漂わせていた。

「こんなところに行きたいところがあるんですか?」
「ええ。少し用事がありまして」

 藤花の足元には雑草が足首位まで伸びている。今歩いている道は、元は馬車が行き交う道路だったようで、木々が一本もない。かなり広い幅に雑草だけが生えた道が、延々と続いている。時折、野生動物のものらしき糞が転がっている以外、雑草だけが広がっていた。

 アーサーを肩に乗せた歩は、その道をしっかりと踏みしめ歩いていた。足首程度の雑草でも、実際歩くとかなりの負担になるのだが、歩は最初からしっかりと一定のペースを保って進んでいる。かなり体力がある証拠だ。

 しかしどこに行こうとしているのか。幼竜殺しに狙われているかもしれない状況で、人気のない森の中に進んでいくとは、危機感が薄いというより、もはや頭のネジが外れているように思える。

 仕方がなく、藤花は前を行く歩を強く呼びとめた。

「歩君、どこに行くつもりですか? これ以上は危険ではないですか? 帰りましょう」

 歩は振り返らず、答えてきた。

「もう少しなので、お願いします。もう三分もかかりませんから」
「十分前に、後十分って言ってませんでしたっけ?」
「すみません、あのときは後十五分位かな、と思って言いました。けど藤花先生の健脚のおかげで、予定より速く着きそうです」

 藤花は、はぁと息を漏らした。平然と歩く足元のパートナー、ユウを見ると、真っ暗な周囲を淡く照らしている。

「懐中電灯を二本もってた位です。もともと連れてくるつもりだったんでしょう?」
「すみません、どうしてもやらなければならないことなので」
「その様子だと、何をと聞いても答えないですね」
「申し訳ないです」

 歩の意思は固い。護衛として、教師としての自分は、いますぐ首根っこを捕まえて家に連れ帰れと言っていたが、藤花はしなかった。

 今度は歩の言った通り、三分後に着いた。

 そこは雑草まみれの道のつきあたりにある、広場だった。
 それまでの道と同じように、足元は雑草が生えていたが、ところどころ大きな切り株が残っていた。その内、いくつかは芽が生えている。
 その広場を囲むように、円形の掘りがあった。右奥に川があり、そこと繋がっているようだ。逆方向を向くと、そちらにも川があった。川の一部を変形して作っているのだ。

「あの道過ぎた先に、こんなところがあるなんて」
「もともとは国立公園作る予定だったみたいですよ。途中で頓挫して、こんな感じになっちゃったみたいです」

 何故こんなところに作ろうとおもったのか、疑問に思ったが、あるものはあるのだ。それよりも、優先すべきことがある。

 歩は堀に渡された橋を越え、近くの切り株に座った。歩が腰かけたところで、アーサーは宙に飛に、歩の座った同じ切り株に腰を下ろした。

 藤花は近寄って行くと、声をかけた。

「それで、どうしました?」

 歩が藤花の目を見て言った。その瞳には深みがあった。

「先生、雨竜先生のことをどう思いますか?」

 雨竜? どういうことだろう。

「いい教師だ、と思いますけど」
「そういうことじゃありません。あの人、あやしくないですか?」

 藤花は眉をしかめた。何を言い出すのだろう。

「あやしいとは?」
「この前の貴族が来た時とか、かなりぞんざいな扱いしてたじゃないですか。それに俺達と唯達がやった模擬戦のときに、暴走するキヨモリを俺に任せろとかも。普通の教師がそんなことできますかね?」

「雨竜先生は有能ですから、あり得なくもないと思いますが」
「いや、おかしいです。唯に聞くと、キヨモリとも戦えるとか言ってたし」

 歩の顔は真剣だった。真っ直ぐに藤花の目を見つめてきている。まだ若く、屈折したことのない、怖さを知らない目をしている。置かれた状況からしたら、羨ましくなるほどいい目をしている。

 それだけに、藤花も真剣に答えた。

「それで歩君は雨竜先生をどんな存在だと思っているのですか?」

 歩は藤花の目を見て言った。

「幼竜殺しではないか、と思っています」

 驚いたが、それを顔に出さず、重ねて尋ねた。

「何を根拠に?」
「まず、これしかないというタイミングで、唯達を襲ったことです。あまりにもタイミングが良すぎるのではないか、と思いました。あのときを逃したら、以降は学校の保護のもと、当分はまともに外出できなくなります。唯達の近くにいないと、無理ではないかと」

「他にはある?」
「雨竜先生ならば、竜も狩れるのじゃないかと。雨竜先生自体、ものすごく強いなら、まだ見ぬパートナーも相当なものじゃないのかと。先生、見たことあります?」

 藤花は首を振った。雨竜のパートナーは病気だとかいう理由で、一度も表に出てきたことがない。年の近い教師が尋ねたこともあるらしいが、雨竜は決して見せようとしなかったらしい。
不自然なことだが、校長も何も言わない以上、どうしようもない。

「どちらにしろ、一番怪しいのは雨竜先生ではないかと」

 歩はそう言い終えると黙った。藤花が口を開くのを待っているようだ。
 藤花は歩の期待に応えた。

「二、三疑問は残ります。何故唯さんを殺さなかったのか、とかですね」
「そこは俺達も疑問に思っています」
「答えは出ましたか?」

 歩は首を振った。
俺達、と言う言葉を聞いて、アーサーが何も言ってこないことに気付いた。こういうとき、率先して口を開くのはアーサーで、歩はどちらかというと仲立ちのような役割をしていた。どんな心境の変化があったのだろうか。

 疑問をひとまず置いて、藤花は続けた。

「それで、どうするつもりですか?」
「俺達を餌に、雨竜先生を誘ってみようと思っています。藤花先生をここまで連れてきたみたいな、こんな感じで」
「私は何をすればいいんですか?」
「雨竜先生に話を通してほしいんです。俺が呼んでいると」

 藤花はそこで黙った。
 考えれば考えるほど、粗が見える計画だ。学生らしいといえばそうなのかもしれないが、仮に雨竜が幼竜殺しだとして、正体を現すのか。その場合はどうするのか。万が一、それで正体を現したとしても、捕まえることができるのか。釣りの餌が、そのまま食われたらただの寄付だ。まるで意味がない。

 しかし藤花はゆっくりと頷いた。

 歩の顔がほっと安らいだ。

「よかった。どうなることかと思ってたんですよ」
「まあ普通は受けないですよね」

 歩は笑った。無理な行動だと、薄々感づいているのかもしれない。しかしもうはじめた以上、最後までやりとおすつもりなのだ。

 そのとき、強い風が吹いた。森がざわめき、藤花の髪が散らされた。年中緑色に色づいたままの葉っぱが、いくつも風に飛ばされてきた。

「じゃあ受けたついでに、質問してもいいですか?」
「どうぞ」
「それだけを言うならどうして私をここに連れてきたんですか?」

 歩は少し申し訳なさそうに笑みを浮かべた。

「実は藤花先生も少し怪しいと思ってたんですよ。それで本番用の練習も兼ねて、こうして隙を見せたと。この状況って、もし藤花先生が幼竜殺しなら、犯行が可能じゃないですか。誰もいない、人気の少ない空間ですし」

 なんだか呆れた。色々無鉄砲な話だし、当事者の藤花からしたら悲しい話でもある。

「それは悲しい話ですね」
「すみません。それも杞憂で終わってよかったです。では帰りましょうか」

 歩は頭を掻きながら立ち上がると、アーサーが肩に飛び乗るのを待ってから歩きだした。

 藤花の横を過ぎ、掘りを越える橋のあたりまで進んだ。
そこでは藤花は聞こえないよう、本当に小さな声で呟いた。

「本当、悲しい話です」



[31770] 幼竜殺し 4-4 学生
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/05/24 16:27


 病院のドアを開けると、ベッドに寝そべるキヨモリとその隣で椅子に座る唯の姿が見えた。キヨモリはまだ包帯を巻かれていたが、のんきに大口を開けて欠伸をしており、それを唯が優しげな眼差しで見つめていた。

「平」

 声をかけると、唯がこちらに振り返ってきた。

「雨竜先生、おつかれさまです」

 ねぎらいの言葉に答えず、雨竜は顔を厳しく強張らせて言った。

「今日で護衛は終わりだ」
「聞いています。明日、キヨモリも退院ですし」
「いや、そうじゃない。この件は終わりだ」

 唯が怪訝そうに眉を寄せて立ち上がった。キヨモリも唯の異変を感じ取ってか、鋭い視線を雨竜に向けてきた。馴染みがなければ、それだけで委縮してしまいそうな威圧感を放っている。
 雨竜は威圧感を受け流し、告げる。

「もう終わりなんだ」
「どういうことです?」
「幼竜殺しが動き出す」

 唯の表情が凍った。

「幼竜殺しがわかったんですか」

 雨竜は答えず、唯に近付いた。

「誰なんですか、先生」
「平、無駄に苦しませてすまない。でもそれも今日で終わりだ」
「先生」

 雨竜は答えず、かつかつと音を立てて近付いていく。キヨモリがむくりと身体を起こし、敵意を向けてきた。それもかまわず、雨竜は進んでいく。

「先生」
「……」
「先生、軍が動くのですか? あなたの所属している」

 唯の言葉に、雨竜は硬直した。
唯の顔を見返すが、表情に変わりはなかった。

「気付いていたのか」
「はい」
「いつ」
「確証を得たのは、泊まり込みで私の護衛を始めたからですが。幼竜殺しが確定した今、貴族の護衛をするというなら、一介の教師が務めるなんてまずないですから。もともと、身のこなしがそっちの人だな、とは思ってましたが、それで確信しました」

 雨竜は固まっていた。平唯。真っ当な竜使いにして、貴族。一般校に通っていたとしても、その血は確かだ。
 貴族としての彼女を見誤っていたのかもしれない。

 唯は続けて言った。

「軍属のあなたが言えないことが多いのはわかります。ですが、答えてください。なんなら私に強制されたということでもかまいません。貴族に強制されたならば、仕方がないですから」

 貴族。彼女は生まれてからずっとその立場にいた。相応の見識と処世術は身につけていて当然だ。

 彼女は強く、しかし純粋な瞳で雨竜を見つめ、尋ねてくる。

「犯人は誰です?」

雨竜は答えた。

「中村藤花だ」









 中村藤花こと幼竜殺しは、背を向けて家に帰ろうとしている歩と、その肩に乗る黒く小さな竜、アーサーを見ていた。

 この世界の大半は、人が頭脳を、パートナーが身体を分担するのに対し、彼等の役目は逆転している。歩が身体を動かし、アーサーが指示を出す。人としては学年トップクラスの力を持つ歩と、インテリジェンスドラゴンであるアーサーだからこそ成り立つ関係だ。

 ここにはそんな稀な彼等と、自分達しかいない。

 竜使いと竜、キメラ使いとキメラ使い。竜と竜殺し。獲物と捕食者。

 彼等は藤花達がキメラであることも、竜殺しであることも知らない。故にこうして無防備な姿を晒すのだろう。だからこそ食われるのだ。

 ここで狙わないことはできる。そうするべきだ。今歩達を捕食すれば、疑いは自然と自分に向く。そうなると以後の摂食活動に支障をきたしてしまう。

これまで完璧な犯行を重ねられたのは、パートナーならばなんでも、不死鳥から機械族まで食したが故に、数百に及ぶ能力を身に付けたユウの力が主な理由だが、藤花の慎重さも大きい要素だ。十代前半、周りの人間の動向を観察しつつも、それを表に出せない日々を過ごした結果、身に着いた己を殺し、俯瞰する能力。それがなければ、今歩達とこうしていることはできなかっただろう。

しかし藤花達の本能はもう我慢できそうになかった。先日、失敗してしまったからだ。雨竜に邪魔され、半端に刺激された食欲は、もう抑えられそうにない。

 歩達は自分に背を向けている。自分達の目的を果たし、気が抜けてしまっている。そして周りには誰もいない。これ以上ない捕食のタイミングだ。

 食うしかない。

 足元のユウの身体が膨らんだ。捕食の態勢だ。パートナーも、もう抑えることはできないようだ。そしてそれは藤花も同じだ。

 小声で、ユウにだけ聞こえる位微かな声量で、呟いた。

「行くよ」

 それを合図に藤花とユウは飛び出した。
 歩とアーサーの姿がすぐに大きくなる。目と鼻の先まで近付いた。あとは牙をたてるだけだと、腰に下げた剣を抜き、そのまま切りつけようとした。

 その時、藤花とユウの身体に何かが巻きついた。



 物音に気付き、歩は後ろに振り返った。

 そこには、月の光に照らされ、黒く光る皮にがんじがらめにされた藤花と、そのパートナーであるユウの姿があった。黒い皮の上には、半透明なジェル状のものがまとわりつき、拘束をより強固にしている。

 ジェル状のものは、掘りの下から伸びていた。そこからぱっと身体をひるがえして、二つの黒い影が飛び上がった。
 みゆきとイレイネだ。みゆきは歩達と同じ黒蛇製の模擬戦服をきていた。その手には、歩の槍が握られている。

「ナイス」
「いい囮でした」

 みゆきの手から槍を受け取った後、再び藤花の方を向く。

 完全に虚をつかれ、目を大きく見開いていた。

「みゆきさんと、イレイネさん」
「どうもこんにちは、幼竜殺しさん。その皮、黒蛇製ですので、まずほどけないですから、無理なさらぬようにお願いします」

 幼竜殺しと言われ、藤花は顔をびくりとふるわせたが、拘束された身体はびくとも動かなかった。足元のユウは、簀巻きにされ、口の端だけが開けられた状態で横に倒れている。

「気付かれていたんですね」

 ちらりとアーサーの顔を覗うが、顔を険しく強張らせたまま口を開く様子がないので、歩が答えた。

「いいえ、ひっかけたんです」
「雨竜先生を疑っていた云々は嘘?」
「いいえ、それも狙いの一つです。俺達は、幼竜殺しとして疑わしいのは、あなたと雨竜先生の二人だと考えていましたから」

 藤花が目のあたりをぴくりとひきつらせたのを見て、歩は更に続けた。

「唯達のあのタイミングを狙えたのは、学校関係者だと思いました。その内、キヨモリを倒せそうな可能性が少しでもあるのは、パートナーが不明で、唯いわくかなり強い雨竜先生とあなたの二人しかいない」
「なぜ一介の教師に過ぎない私が?」

「簡単です。対峙して怖いからです。そして、あなたの底を見たことがない。だからです」
「そんな些細な理由で?」

 歩は頷いて返した。歩はこれまで多種多様なパートナーと正面きって闘ってきた。その多くは学生だが、その中には竜であるキヨモリも含まれている。

しかし歩が心底怖いと思った経験はほとんどない。キヨモリにすら対峙できないほどの恐怖心は抱かなかった。なのに、藤花にはそういう感覚を覚えた。

口に出せるものではないが、アーサーが言いだしたとき、すんなりと納得できたのは、それが理由なのだと思っている。

「それだけでは足りないのは自覚があります。だからひっかけた。そしてあなたは尻尾を出した。それで確定しました。先程、肯定しましたから」

 藤花は再度目をひきつらせた。自分が失敗したことを理解したのだ。イレイネに拘束された時点ではまだ言い逃れが効いた。しかし、幼竜殺しと呼びかけられ肯定してしまった今となっては、誤解では済まされない。

 藤花が一言もらした。

「失敗しました」
「そうですね。悲しい話です」

 一転して、藤花がにやりと笑みを浮かべ、尋ねてくる。

「それでこの後はどうするつもりですか? 学生のあなた達が、幼竜殺しを捕まえましたと学校の担任教師を警察に突きだしますか? 信用されますかね」
「大丈夫です。私、貴族ですから。もう限りなく貴族ではないですけど、それでもまだ警察や軍、聖竜会に動いてもらう位はできるでしょう。幼竜殺しを躍起になって探している現状もありますしね」
「そうですね。それは正しいです。ですが、あなた方は一つ間違いを犯しています」

 藤花の言葉が閉じられるのを合図にしたように、細くて赤黒い閃光が宙に走った。綱を宙で振り回したときのような、ヒュンヒュンと風を切る音がしている。

 その赤黒い閃光が藤花とユウの周りを飛び交った次の瞬間、彼女達は立ち上がった。足元に、黒蛇製の拘束具とイレイネの残骸が散らばった。

 万全の状態に戻った藤花の顔には、毎日見ていた穏やかな笑みが張り付いていた。

「黒蛇如きで、幼竜殺しを拘束できると思っていましたか? 落第ですね」

 『落第』を合図に、ユウが飛びかかってきた。同時に肩に乗っていたアーサーが飛び上がる。それはアーサーの戦闘の合図だ。

 歩は咄嗟に身体を左に投げ出した。なんとか突進してきたユウの射線上からは避けることができ、すぐに身体を起こす。幸運なことに、藤花は腕を組んで動いていなかった。自分が出るまでもないということか。

 くやしいが、正直、今は有難い。

 草地に弧を描きながら、再度ユウは迫ってきた。速度は尋常ではない。草を上空に巻き上げながら、それが落ち始める頃には、既に目と鼻の先にいる。

歩は覚悟を決めた。タイミングを計り、衝突の間際、今度は真上に飛ぶ。同時に槍の穂先を下に向け、交差法気味にユウにぶつけようという試みだ。賭けといってもいい。下手な当たり方をすれば、槍は逆に歩を地面に叩き落とす。

飛び上がった歩の下方向を烈風が駆け抜け、槍にはかすかな感触があった。

 成功だ、と思おうとした瞬間、歩の身体は急に引っ張られた。途端に地面と叩きつけられ、上下に激しく揺さぶられる。序々に上下の間隔がなくなり、重力を感じる暇もなくなる。

叩きつけられる衝撃で息が詰まり、草と擦過した頬に鋭い痛みが走る。三半規管はマヒした。

 それでも必死に目を凝らすと、腰に巻きついているものに見覚えがあった。ユウの尾だ。先端が赤黒く光り、熱を放っている。これが黒蛇を焼き切ったのだろう。

 ユウの咆哮が耳をつんざいた。

「ウォォォォォォォォ!!」

 同時に身体が宙に浮かびあがった。尾の先を見ると、ユウと、その先に月が輝く夜空が見えた。飛び上がったのか。

 そのまま自由落下し、地面に強く叩きつけられた。左肩で鈍痛と軋む音がし、顔が地面に突っ込む。草の青臭さの中に土のほこりの匂いが香りだす。

 再度引きずられ始めるかと思ったが、その場で放置された。腰に巻きついていた尾が撫でるように引き抜かれ、どこかへ行った。

 くらくらする頭と肩の痛みに意識を支配されつつも、歩は立ち上がる。そいつらには慣れている。今まで何度も経験したものだ。

起き上った歩の視界に入ってきたのは、みゆきとイレイネ対ユウ。剣を構え、ゆらりと立っているみゆきの足元で、イレイネが半透明の棘を形成していた。槍衾だ。突っ込んできたユウに、突き刺さるように配置している。

だが、そこを白い疾風が駆け抜けると、棘はあっさりと崩壊した。みゆきは身体をひるがえし、コンマの差でその場から離れる。そしてまたイレイネが棘を形成する。今度は少し配置と大きさが違う。

しかしそこにユウが突っ込み、崩壊。回避。棘形成。それが繰り返されている。

 三度目、みゆき達は動きを変えた。それまで避けられるよう、態勢を楽にしていたみゆきが腰を落とし、斜めに剣を構えたのだ。ユウの動きにあわせてか、向かう方向は変えていたが、機敏に動ける構えではなかった。

 歩が意図を察する前に、そこにユウが突っ込んだ。弾けるようにみゆきの身体も後方に飛んでいく。

 そのまま一つの塊となったみゆきだが、その速度が序々に落ち始めた。白い疾風にしか見えなかったユウの身体も、まともに見えるようになってくる。その身体は白一色で、燦々と輝いている。両足をたえず動かし、牙と剣をかち合わせてみゆきを押し込んでいく。

 みゆきが真正面からユウと拮抗しているのに驚いていると、みゆきの後に仕掛けがあった。小さくなったイレイネがみゆきの背にくっついていた。身体を伸ばし、イレイネの足を、手を、剣を後ろから支えている。その補助があるからこそ、みゆきは持ちこたえられているのだ。

 しかしこのままでは持たない、と思っていると、話しかけられた。

「すごいですね、みゆきさん。まあ長くは持ちませんが」

 藤花だ。手にした剣をほうきでも持っているようにゆったりと掴んでいる。仕掛けてきそうにはなかった。

「どうして、あなたは動かないんです?」

 歩の問いに、みゆきの方を見たまま藤花は答えた。

「なんとなく。生徒の成果は見たいじゃないですか」

 生徒。まだ教師のつもりなのか。

 歩は立ち上がると、意地で掴んでいた槍を藤花に放った。しかし藤花は笑みを浮かべた顔をこちらに向けると、手にした剣で槍を弾いた。

「危ないですね。他人の戦闘は、静かに見ましょう」
「うるせえ幼竜殺し」

 余裕で奇襲を退けられたことに苛立ちを覚えつつ、連続で小刻みに突いた。

 それら全てが、あっさり藤花に捌かれた。軽く身を傾け、同時に剣で槍の表面を滑らせる。それだけで槍は穿つべき箇所からずれた。完全に身切られている。

「ほらほら甘いですよ。いつもと同じじゃ、生徒は教師に勝てませんよ」
「くそっ」

 六度目、七度目。何も変わらない。
余裕が過ぎてなのか、槍を向けられているとは思えない顔で藤花は言った。

「そういえば、私達のこと怖いとか言ってましたけど、そんな素振りは全くないですね。恐怖の相手に、そこまでいつもと同じように立ち回れるもんですかね」
「うるさい」
「あらあら口が悪い」

 このままではらちが明かないと思った歩は、意表をつくように、引き戻した槍を突かずに振りかぶった。藤花の身体に直接当たらなくても、立ち位置を替えられるかもしれない。

「いかん!」

 だがそれは失策だった。どこかにいるアーサーの指示が飛んだが、それはもう遅かった。
 藤花がその隙を初手で見抜き、歩に向かって踏み込んできたのだ。

 強引に振り切ろうとするが、当たったのは槍でも中央に近い部分。そこでは振り被った槍の威力が半減されてしまう。

 案の定、槍は藤花の横に張った右ひじで容易く止められた。そこから藤花は左手一本で剣を振るってきた。

歩はとっさに槍から右手を放し一歩踏み込むと、剣を持つ藤花の手首を掴んだ。それでなんとか剣を止めた。

 不思議な四角が作られた。互いが敵の得物を受け、かつ自身の得物も握ったまま。

 そこからは力比べと思い、全身に力を込めようとした次の瞬間、あっさりと、槍を奪われ、柄をそのまま腹に叩き込まれた。痛みが内臓を突き抜け、全身の筋肉を弛緩させた。その場に膝をつき、右手も藤花の腕から外れた。

 藤花のどこか楽しげな声が聞こえてきた。

「左肩、打ってるみたいですね。力がまるで籠ってないです」

 とっさに右手を放した時点で気付くべきだった。それまで左手を庇って槍を振るっていたではないか。左手一本になった時点で、槍越しの力相撲なんてしてはいけなかったのだ。

 見上げると、藤花は槍と剣を無造作に掴んでおり、顔は余裕のまま。見上げる苦悶の表情の歩と、見下し笑う藤花。如実に力関係を表している。

「さて、どうしますかね、と」

歩から奪った槍を無造作に地面に放ると、藤花はゆるりとした動作で首筋に手をあて、すぐに手を離し、その手に視線を向けた。
手のひらに赤い血がついていた。槍を振るっていたとき、首筋にかすっていたようだ。

「やりますね」

 にやりと笑みをむけてきた藤花に、歩は何も言えなかった。たかが些細な傷一つ付けられたところで、なにというのだ。

 それでもなんとかつけた些細な傷を見ていると、傷口が不自然に蠢いているのが見えた。ごくごく小さな蛇がのたうちまわるかのごとく、傷口が動いているようだ。その動きは明らかに、人のものとは思えなかった。
 歩が驚愕の眼差しで見ていると、藤花が言った。

「ああ、これですか。私とユウの能力です。この位の傷ならすぐ回復しますよ」
「まさか」
「まさか、じゃないですよ。拘束をしていたユウの尾もおかしくなかったですか? 伸びていただけでなく、大きくなってたんですよ、あれ。膨らんだのではなく、大きく。質量も増しています。パートナーは、ほんとなんでもありですよね」

 藤花がしゃべっている内に、脈動はおさまった。藤花が手で軽く拭ったそこには、傷の跡すら残っていなかった。
 化物だ。



[31770] 幼竜殺し 4-5 教師達、パートナー
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/05/16 22:24
「ああ、あちらも決着がつきますね」

 藤花が無防備に後ろを向いた。歩もそちらに目を向けると、目を奪われた。

 みゆきたちを掴んだまま、ユウが飛行していた。月を背にし、自在に宙を駆け抜けている。背中には見覚えのある翼が生えている。キヨモリのものだ。わけがわからない。何が起こっているのか。

みゆきは歩と同じように尾で縛られて、空中で振り回されていた。イレイネも背中についたままだが、半透明なゲル状の身体がこぼれ、振り落とされていっている。イレイネの身体は、いつもの半分も無くなっていた。

「ユウ。こちらに」

 藤花が声をかけると、ユウは歩達のほうを向いて飛んできた。そのまま突進してくるのかと思い身体を強張らせたが、途中で舵を上空に切り、代わりにみゆきが放られ、歩の隣に叩きつけられた。

「ゴホッ!」
「みゆき!」

喉から大きな音をもらしたみゆきに近寄って様子を見る。みゆきの顔には強い苦痛が見て取れた。急いで身体を見回す。

表立った傷は少ない。頬にある擦り傷以外は、出血箇所はない。頑丈な黒蛇製の服に守られた形だ。

ただ、両腕と両足の筋肉が微細に震えて、けいれんしていた。考えてみれば当然だ。あのユウと力比べをしていたのだ。イレイネの補助があっても、負担は相当なものだったろう。耐えられていたのが不思議な位だ。これではまともに動けない。

 藤花の立つ方から、ざっと音がした。振り返ると、藤花のすぐそばにユウが降り立っていた。たとえ再生しているとはいえ、二人の無傷な姿は、歩達の完膚なきまでの敗北を思い知らされる。

「さて、どうしますかね……っと」

 そこでいきなり、藤花達に赤い閃光が伸びた。一瞬で現れたそれは、同じく一瞬で地面を巻き上げた。途端に起こった疾風が肌を撫でる。咄嗟にみゆき達の前に身体を投げ出しつつ、両腕で目をかばったが、上げた両腕に気味の悪い熱が襲いかかってきた。真夏の太陽の光を浴びたときに感じる、肌を目に異常に細かい針でさされたような感触を、何倍も強くしたような感触だ。

 光はすぐにおさまった。用心しながら見ると、藤花達のいたところは、真っ黒に焦げていた。地面には穴があき、その土も焦げているように見えた。

しかし藤花達の姿はそこになかった。周囲を見回したが、どこにも姿はない。どこかに避けたのか、もしくはあの光で消し飛んだのか。

 ひとまずみゆきの身体を起こし、近くの切り株に背中を預けるようにして座らせていると、妙な音が聞こえてきた。ガスバーナーのような音が、微かではあるが耳に入ってきた。

 序々にその音は大きくなっていく。発生源はここまで来た道の方だ。振り返り、じっとその方向を向いていると、居並ぶ木々の頭の部分が押しつぶされていくのが見えた。押しつぶされかたも、音と同期するように序々に大きくなっていき、上空からなにかがやってくるのがわかった。

 音量が頭痛を起こす位までになったころ、月明かりを鈍く反射させる影が見えた。

 それは竜の形をした機械だった。アーサーと似ている。やや前傾姿勢の二足歩行、脚が二つ、腕も二つ、伸びた細長の頭に、翼、尾。

しかしその皮膚は鈍く光る銀色の鋼鉄でできていた。輪郭も角ばっている。爪も剣をそのままくっつけたようにしか見えない。背中からは炎が噴き出しており、そこから轟音と木々を押しつぶす風が生まれていた。目にあたる箇所には、怪しく光る真っ赤なルビーのようなものが一つだけ嵌めこまれていた。

 その機械竜は、そのまままっすぐ飛んでくると、歩の目の前に降り立った。ゆっくりと降りてきたのだが、それでもどすんと音をたて、地面を軽く振動させた。近くまできてわかったが、身体はキヨモリよりも二周りほど大きい。

「水城、能美、大丈夫か?」

 突然聞こえてきた声は、聞きなれたものだった。
 機械竜の背中から、声の主がすっと顔を出し、歩の前に降り立った。

 雨竜だ。彼もまた歩達と同じ黒蛇製の運動服を着ている。手には少し大きめのグローブをつけていた。

「先生!」

 すっと降り立つと、機械竜はぱっと身をひるがえし、明後日の方向を向いた。
 雨竜はみゆきに声をかけた。

「能美、具合は?」

 みゆきは微かな声で、なんとか答える。それしか出せない、といった感じだ。

「死には、しませんね」
「まあいい。後は俺が」
「先生、どうやって、ここに?」

 弱々しい声ながら、みゆきの目はしっかりと雨竜を捕えていた。
 確かにそうだ。歩達が藤花をおびき出す、というのは誰にも言っていない。なのにどうしてここに来たのか。

 雨竜ははっきりと答えた。

「お前らが馬鹿やってるのが、サコンの能力で見えたからだ」
「サコン?」

 代わって歩が尋ねると、今度は雨竜の視線がこちらにむいてきた。表情は呆れたように微妙な笑みをしていたが、どこか吹っ切れたような印象を受ける。

 雨竜は背にした機械竜の尾をこつんと叩きつつ、言った。

「こいつだ。私のパートナー。見ての通りの機械型。でかい図体と、それに合わないデリケートな身体のせいで、滅多に表に出られないんだがな」

 機械族。強力な膂力と固い装甲を持つ上、レーダー等の他にはない特殊能力を持つ。燃費の悪さや耐久性の低い内部構造など、デリケートなところがたまに傷だが、天使、悪魔族を並んでB級に分類される強力なパートナー。

 サコンは紹介されてもこちらを振り向こうとしなかったが、一度大きく尻尾を上下に揺らした。それが挨拶代わりなのだろう。

「こいつにはレーダー機能がある。それでお前らの動きを監視して、なにやら不穏な動きをしていると読めた。んで、位置も分かるから、ここにやってきたわけだ。色々準備に手間取って、遅れてしまったがな」
「さっきの閃光は?」
「それもこいつだ。口からの粒子砲だ。火力はかなりあるんだが――アーサーはどうした?」

 不意に尋ねられ、歩も空を見上げたが、アーサーの姿は見えなかった。どこに行ったのか。

「あいつ、どこに」
「まあお前が生きてるってことは、無事なんだろう。それより、中村藤花が幼竜殺しなのは確定か?」

 歩が頷くと、そうか、とだけ雨竜は答えたとき。

 雨竜が突然歩の方に身を投げ出してきて、押し倒された。

「先生!?」
「やつだ」

 雨竜はすぐさま立ち上がると、素早く右から左へ視線を横切らせると、すぐにサコンに指示を出し始めた。

「サコン、レーダー全解除。赤外線による視認に移行。対A-7防御壁展開。それと粒子砲準備。水城、能美を連れてサコンの尻尾側に移動しろ」

 なにやらわけのわからない単語が飛んだが、雨竜の様子から、おそらく藤花達との戦闘のために態勢を変えているのだろう。
 ひとまず指示に従い、近くにいたみゆきに肩を貸し、サコンの後方まで移動する。その間、雨竜は注意深く周囲を覗いつつ、歩達をいつでも庇えるように動いていた。

 歩達がサコンの尾の近くで身を屈ませた頃、ガツンとなにかがぶつかり合う音が聞こえてきた。同時にサコンの身体が大きく揺れた。

「水城、そのままでいろ。そう簡単に突破はされない」

 サコンの巨躯の脇からのぞき見ると、行き交う白い閃光が見えた。ユウだ。歩やみゆきと戦っていたときと同じくらい、いやそれ以上の速度で、地を、宙を駆けまわっている。

 その閃光が描き出す軌跡は、サコンまで近付いていったが、触れる寸前で弾かれていた。目を凝らして見ると、弾かれる瞬間、空中に奇妙な円が輝いていた。真円を大小いくつも重ねて描き、それぞれの間を針一本位の隙間しか残さないようにしている。それがユウと衝突する度に展開され、その牙からサコンと歩達を守っていた。

 それがサコンの能力だと気付いたころ、後ろの方から先程よりも軽やかだが、金属同士がかち合う、甲高くて重い音がした。

 振り返ると、歩達を庇うように陣取った雨竜と、そこから少し離れたところに藤花の姿が見えた。藤花の顔には、驚きの色が見える。

 すぐにその顔はいつもの微笑へと変わり、途端に藤花が動いた。雨竜に向かって鋭く踏み込むと、剣を振るう。

 それを雨竜は拳で受けた。手の甲を真正面から剣の刃に当て、すぐさまもう片方の拳で藤花を狙い打つ。予想していたのか、藤花は後方へとステップを踏み、避けた。

 藤花は剣を正面にやや傾けて構えた態勢で、口を開いた。

「どうなってるんです? その手、グローブに何か仕込みが?」
「こっちこそ。レーダーに写らないのはなんでだ? 危うく奇襲受けるところだった」
「私もレーダー持ちですから。ステルスもあります。私の質問に返答は?」
「ない。どうなってんだお前のパートナー。どう見ても機械には見えないが」
「いけずな人には教えません」

 そこで雨竜は黙ると、じりじりと藤花ににじり寄りはじめた。藤花はそれを斜めに下がりながら受けつつ、更に言葉を発し続ける。

「グローブに仕込みといっても、金属板を入れる位はしているかもしれませんが、それでは衝撃を防ぎきれない。防ごうと思えば、衝撃吸収材をかなり入れなければなりませんが、それでは攻撃もできないし、見たところそんなスペースもない。となると、あなたの素の力ですか」

 雨竜が仕掛けた。一気に踏み込むと、藤花の足に向かって回し蹴りを放つ。
 それを藤花は剣で受けたが、またしても硬質な金属音が鳴り響いた。雨竜の足は、確かに金属音を発している。

 雨竜は猛攻を始めた。前蹴りが藤花の剣と真っ向から行き交ったかと思うと、次の瞬間に逆の足で剣を持つ藤花の手を狙う。剣を地面に向かって下ろして回避した藤花に、更に踏み込み、後ろ回しの真っ直ぐな蹴り。藤花は身をそらしてやり過ごしたが、そこに突っ込む勢いを利用して肘をひっかけるように放たれる。藤花は背中をそらしてなんとか避け、苦し紛れにクワでも振り上げるように剣を振るったが、その時には既に雨竜はいなくなっていた。

 雨竜は姿勢をなんとか取り戻そうとする藤花を尻面に、獲物を狙う狼のように、じりじりと円を描くように歩いていた。

 少し苦しい感じの微笑を浮かべつつ、藤花は再度口を開いた。

「ずいぶん身のこなしがいいですね。やっぱ本業は軍人か何かでしたか。あらかた唯さんの護衛とかですかね」

 雨竜の本業? 軍人? どういうことか。
 藤花の視線がぱっと歩に向いてきた。微笑をにやりと歪め、藤花は続けた。

「歩君が驚いているようですよ、雨竜先生。説明されてはいかがですか?」
「幼竜殺しは随分と多弁なんだな。闇に紛れて不意打ちしかしないあたり、じめじめした根暗だと思ってたんだが」

 そう言いながら、雨竜はじりじりと藤花ににじり寄り始める。雨竜は背を向けて闘っているため、歩に顔を覗うことはできないが、声に少し怒気が混じっている。
 藤花はどこか嬉しそうに答えた。

「軍人さんは黙って動くのが美徳ですけど、私は違いますから。唯さん本人にも言わずに勝手に護衛するために、教師になるなんて、それはそれで泣ける話だと思いますよ」
「ただの任務のどこに泣ける要素があるんだ」
「あら、答えてくれましたね」

 雨竜のにじり寄る動きが、一瞬びくりと止まった。すぐに動きだしたが、それは歩でも見てとれる動揺だった。

「図星。人は核心をつかれると、どうしても表に出してしまう。特に当人の精神状態が安定していないときは」

 雨竜が仕掛けたが、これまでとは少し様相が変わっていた。

 雨竜の足が襲い掛かる前に、剣が先に振るわれていた。自然、雨竜は受けるしかなく、攻撃は中断される。

 そこから藤花は小刻みに剣を振るい始めた。小刻みに結界を張るかのように、繰り出される剣戟に、雨竜は攻め入ることができなくなっていた。射程に勝る相手にこう動かれると、雨竜としては何もできない。

 剣戟の隙間を縫うように、藤花は語りかけを続ける。

「護衛。良い話じゃないですか。なのにどうして、そんなに辛そうなんです? 影から守っていた、ってだけなら、経緯はどうあれ美談じゃないですか。失敗しましたが、そんなに落ち込まなくていいと思いますよ? 唯さんが襲われて以来、ずいぶんと思いつめていたようですが」

 雨竜は答えず、じっと藤花を狙い続けている。隙を見せないか、その隙をつけないか。
 しかしその時はなかなか訪れようとしない。歩でもその位はわかった。藤花の動きは、完成されていた。

「そこで、考えました。雨竜先生は実は後ろめたい事情も隠してたんじゃないかと。たとえば、私が幼竜殺しだという疑いを持って、私の監視任務も同時に行っていたとか。なのに、唯さんを守り切れなかったとか」

 雨竜の動きがまた揺らいだ。先程よりも大きい。歩にも見て分かる位の隙だ。
歩がそう考えたときには、藤花は動いていた。

 剣を鋭く振るったかと思うと、更に一歩踏み込み、雨竜の腹に前蹴りを放った。それまでとは速さの質が違った。いわばこれまでの動きはこのための布石だったのだ。
 雨竜はそれを真っ向から受けてしまった。通常時の雨竜なら受け切れてもおかしくなかった。しかし剣を振り払おうとしたその動作は、どこか緩慢だった。剣をなんとか弾いたところまではよかったが、藤花の前蹴りをまともにお腹に受けてしまった。

 雨竜は膝から崩れ落ちた。よほどひどいところに入ったのか、立ち上がれそうな気配はまるでない。

 そのとき、後方からずどん、と大きな音がした。同時に、サコンの尾が大きく揺れた。
 振り向くとサコンの身体に、直接ユウが体当たりをしていた。例の円は展開されていたが、ユウはそれを貫き、サコンの身体に直接攻撃を与えている。白い軌跡がサコンに当たる度、大きな音を上げ、サコンの身体が揺れる。

 サコンは生身でもユウを受けようとしていたが、その動きは緩慢だった。

「講義です。機械族の弱点は何ですか?」

 機械族。強力な膂力と固い装甲を持つ上、レーダー等の他にはない特殊能力を持つ。燃費の悪さや耐久性の低い内部構造など、デリケートなところがたまに傷だが、天使、悪魔族を並んでB級に分類される強力なパートナー。

 燃費の悪さ。それが今のサコンの窮状の原因だ。絶えず攻められ続け、あの円の展開を強いられ続けた結果、サコンの燃料は尽きてしまったのだ。

 そこで更に歩は気付いた。強力な装甲、耐久力の低い内部構造。そしてパートナー。

 それらが示すのは、雨竜の戦いぶりだ。

「気付いたようですね」

 藤花は歩に話しかけてきたようだが、歩は何も返せなかった。ただサコンの声にならないうめきを、感じるしかできなかった。
 声は更に続いた。

「雨竜先生が直接剣とやりあえていたのは、パートナー由来の体構造にあります。おそらく、別に金属片も身体に仕込んでいたのでしょうが、もともと雨竜先生の身体は物理的に固い。だからこそ剣と正面からやり合うこともできた。
 しかし、パートナーからの影響は弱点にも及びます。前蹴りを腹に一撃くらっただけで、いまもうずくまっているのは、内部構造が、つまり内臓が衝撃に弱いから。動きが鈍くなっていたのも、燃費の悪さ由来の体力の無さもあるのでしょう」

 雨竜に視線を合わせる。
 いつの間にか顔を上げ、藤花を睨みつけてはいたが、うずくまったままほとんど動いていない。もろに前蹴りを喰らったからといって、今も動けていないのは、雨竜が痛みに弱いからではない。単純にもろいからだ。

 サコンの右足が浮いた。それまで地に根を張ったように、揺れても動かなかった機械竜が、倒れる寸前まで来ているのだ。歩はイレイネが張り付いたままのみゆきを抱え、身体を投げ出した。一応藤花の警戒もしていたが、動く気配はなかった。

 ずしんと音をたてて、サコンが倒れるのが見えた。そしてその上にユウが飛び乗り、尾を伸ばして、サコンに赤い軌跡を描くのをただ見ていた。サコンは音を立てながら、ばらばらになった。

 ユウはサコンを解体し終えると、トコトコとこちらに歩いてきた。今度は歩達かと思って身をかまえたが、ユウはまっすぐ藤花の傍まで行くと、その隣に腰を下ろした。

 藤花はその背を撫でた。その姿は、学校で何度も見た、担任の姿だった。



[31770] 幼竜殺し 4-6 裏話
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/05/24 18:34
 五月十六日 4-4と4-5に大幅修正を加えました。よかったらそちらからおねがいします。




 この衝動は本能だ。

 生まれついて持っていた、衝動。唯一無二の異常な感覚。
 衝動が抑えられないほど強くなると、目の前のそれは獲物にしか見えない。

 毎日のように学校で顔を合わせ、談笑し、交流を深めた間柄。それは小柄な身体に、何か秘めたものを持った、不思議な存在だった。絶対的な強者の雰囲気を身に纏っていた。

 今、自分はそれを獲物としている。否、昔からそうだった。それと顔を合わせる度、内心で湧きおこる途方もない欲求を押し殺していただけだった。

 今もそうしていた。これしかない機会に遭遇し、後は本能を解放するだけだった。しかしそれもできなかった。自分の中の何かが、それを押しとどめていた。時間をかければかけるほど、危険だということがわかっていても、なおできなかった。

 だがそれも限界だ。もう猶予はない。これ以上は危ない。
 何度も悩んだ。親しくなる度、相手を殺したくなる自分を殺したくなった。

 しかしできなかった。どうしてもできなかった。

 そして今、やらねばならない事態に陥ってしまっている。

 いつしか目の前の獲物しか目に写らなくなっていた。もう我慢できない。

 後は解放するだけだ。本能を。呪われた血を。血ぬられた宿命を。

 自身の不明をあざ笑いながら。








 歩は身がまえたが、内心途方に暮れていた。

 相手は幼竜殺し。つい先日までただの教師だと思っていた、可愛らしい女性とそのパートナー。たった一人と一体だけの、社会からの逸脱者だ。見た目だけでは覗い知れない、歩の人生最強の相手だ。

 対する味方は壊滅状態にある。意識は大分戻ってきたようで、藤花を驚愕の瞳で見つめているが、抱えているみゆきの身体からは微細な振動が伝わってきている。その背中に張り付いたイレイネも散々無理をしたせいか、体積はいつもの五分の一もない。まともな技を繰り出すことは不可能だ。

 雨竜はというと、まだ動けていなかった。顔色は青を通り越して土気色になっており、復帰は難しそうだ。そのパートナー、サコンは雨竜が生きているため、命はあるのだろうが、身体が完全にばらばらにされてしまっている上、燃料はほとんど尽きてしまっている。

 残るは歩とアーサー。しかし歩は左肩を怪我している上、相手は通常時でも格上である藤花にユウがついている。そしてアーサーは行方不明と来た。生きているのだろうが、この事態にどこへ行ったのか、何か秘策があるのか。歩と命がつながっていることと、アーサーの気性を考えると、逃げたわけではあるまいが、一体何をしているのだろう。

 藤花の視線がいきなり自分に向いて、歩はびくりと身体を震わせたが、藤花は微笑むだけで何もしてこなかった。

 ひとまず最後のあがきにと、抱えていたみゆきを横たえ、起き上った。槍は藤花に放られたまま回収していなかったため、仕方がなく徒手空拳で構える。雨竜が来たとき、拾っておかなかった己の不明を恥じるしかなかった。

 藤花は視線を歩から雨竜に向け、ユウに「捕まえてきて」と言った。ユウは即座に反応し、尾を太さはそのままで伸ばしていく。雨竜は反応してはいたが、やはり身体が満足に動かないのか、呆気なく捕えられた。

 縛りあげられた雨竜は、そのまま強引に引っ張られ、歩と藤花との間に三角形を作る位置に、叩きつけられた。

 雨竜の拘束を解かせることなく、藤花は口を開いた。

「それでは、いくつか質問に答えていただきましょうか。軍人さん」

 雨竜は口をつぐんでいたが、藤花がちらりと歩達に視線を振ると、顔を歪めた。

「それでは、始めます。あなたは何故学校に来たんですか?」
「平唯の護衛だ」
「どうして? そもそもなんで唯さんはこの学校に?」
「そこは平のプライバシーにかかわる」
「時間稼ぎ、したくありません?」

 藤花がにこやかに、だが冷たく言い放つと、大人しく雨竜は語りだした。

「平唯の一族は、祖先に聖竜会の会長がいる位の由緒正しき家系だ。現在の家長は一世紀近く生きている老人で、聖竜会の顧問のような役職についており、権力は推して知るべし。平唯は、その家長の実子だ。平の年から逆算しても、かなりの年寄りだが、これは確証があるらしい。お盛んなこった」
「そこはいいです。それでどうして唯さんはこの学校に?」

 藤花の声はぴしゃりとしていた。その話題はいらない、ということか。
 雨竜は語尾を変えず、淡々と続けた。

「問題は、平唯がいわゆる妾腹だったことだ。年老いた権力者の、愛人の娘。一族の権力闘争がそのまま反映される貴族の学校において、かなり異質な存在だ。本家のやつらからの干渉はなかったようだが、保護されることもなかった。直接的ないじめはなかったが、存在を半ば無視されるような状況だったようだ」

 歩には馴染みのない話だ。映画のストーリーを聞かされているような気がする。
 しかし唯はそんな映画の世界に住んでいたのだ。まるで想像がつかないが、学期末模擬戦以前の孤高の姿と、花火をしていたときの本当に嬉しそうな顔が浮かびあがってきて、何も言えなくなった。

「中学まではそれでも通っていたが、高校に入る直前、平の異母兄弟にあたる後継者が、急死したことで状況は変わった。平の異母兄弟はいることはいたが、どれも子を産む前に早世し、その後継者と平の二人しか残っていなかった。
 そうなると当然家の継承は平に向かう。しかし妾腹の子が家長になることを、一族が許すはずはなかった。それを事前に読みとった平の父が、圧力をかけた一般の学校に転校させた上で、懇意にしていた軍部、俺のいた後方支援部隊にお願いをしたというわけだ」

 後方支援部隊。一時期話題に上った、情報収集及び伝達のエキスパートたちの揃う軍隊だ。雨竜はそこの出身だったのか。たしか現在の第一陸戦部隊の隊長が以前所属していた。

「どうしてそこに? わざわざ軍ではなく、腹心の部下なりを送り込めばよかったのでは?」

 藤花の質問に、苦り切った顔で雨竜が答えた。

「腹心の部下でも、平が後継者とするのは反対が多かったらしく、ごく一部を除いて信頼することはできなかったらしい。そのごく一部は本業に使うため、平には回せない。だから関係があったうちに依頼してきた。おそらくレーダー持ちを使いたかったのもあったろう。襲撃者を事前に察知できるからな」

 雨竜は自嘲するように笑みを浮かべた。現実は失敗してしまったがな、と言外に言っている。

「まあ私もレーダー、ステルス持ちですからね。例外に当たってしまったわけです」
「それだ。見たところ、あんたのパートナーが機械型には見えない。何かあるのか?」

 藤花は無視して更に質問を重ねた。

「そこまで深い繋がりがあったんですか? 子の安全を任せる位。それとも何か見返りがあったんですか?」

 藤花の問いに、雨竜の顔は更に歪んだ。

「見返りだが、その結果はお前らも知っている。うちの部隊に関連して、異例なことがあっただろう?」
「第一陸戦部隊隊長、ですか」

 歩の頭にどす黒い風が吹いた。
今まで竜使いで占められていた第一陸戦部隊に入隊、それも隊長になった現隊長。
その裏側には、そんな大人の汚いやりとりがあったのか。
歩は特別尊敬していたわけではなかったが、それでも気が滅入ってしまった。

「わかりました。では後ろめたい理由はありますか?」

 雨竜は観念したようにすぐに口を開いた。藤花とやり合っていた際、監視していたんじゃないかと指摘された瞬間、歩でも分かる位雨竜は動揺した。ないと答えた瞬間、藤花が動くとわかっているのだ。

「あんたの監視をやれと言われたのは、半年ほど前だ。依頼主は聖竜会。難航していた幼竜殺しの捜査だったが、ようやく共通点が浮かび上がった。数年前からだが、現場から一日かければ移動できる範囲で竜に関する講演があった。普通ならそんなこと気付くはずもなかったが、あんたの熱弁を覚えているやつは多くてな。それで気付いたわけだ」
「やりすぎましたか」

 藤花に特に後悔した様子はなかった。自分が追い詰められるきっかけになったというのに、まるで人ごとだ。どんな思考をしているのか。

「うちに依頼が来たのは、俺が潜入しているからだ。更に続けて潜入させると、あんたが勘づいて逃げるかもしれない。それは避けたかった。すくなくとも、あんたが幼竜殺しだと確証が出るまでは」
「それでどうして監視を? 唯さんの護衛はどうしたんですか?」
「中止の命令は受けていない。だが『幼竜殺しの監視をしろ』と言われた。も、ではなく、を、だった」

 その意味は、幼竜殺しの監視を第一にしろということ。
 つまり監視が唯の護衛よりも優先される事態になったわけだ。
 
「隊長さんが変わったんですか?」
「いや、違う。今は第一陸戦部隊の隊長をやっているが、実質的には後方支援部隊の隊長も担っている。現在の隊長は逐一連絡して指示を仰いでいる状況だ」
「平さんの父親の権力が弱まったんですか?」
「倒れた。回復したが、以前の威勢はなくなってしまっている。表に出せない契約なんて、そんなもんさ」

 なんとどす黒い世界だろう。
 そんな世界に生まれたときから巻き込まれ、成す術もなく踊り続けるしかなかった唯。
 結果が、キヨモリの翼。
 唯を憐れむ思いよりも、なにかに突き放された思いが強かった。



[31770] 幼竜殺し 4-7 アーサー
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/05/19 12:27



「さて、聞きたいことはこの位ですかね」

 問答の終わりは歩達の終わりを意味する。それを忘れ、完全に話に聞き入ってしまっていた。
 慌てて質問しようかとも思ったが、その前に藤花がにこりと笑った。

「それでは、もうそろそろ終わりにしますか。最後のお祈りを済ませましたか? 十秒くらいなら待ちますよ?」

 十秒で何ができるか考えたが、できるはずがない。

 一縷の望みに、アーサーを探したが、いなかった。アーサーの勝利への根拠はどうなったのだろうか。不発に終わってしまったのか。

 最後にと雨竜を見たが、肩を丸めて頭を垂らしている姿には、何も望めそうになかった。

「それでは、まずは年長者から行きますか」

 藤花が一歩踏み出した。

 そのとき、見覚えのある赤い閃光が藤花とユウに伸びた。続いて起こる熱風と、不気味な煙、大気を揺るがす野太い轟音、そして肌をさすような奇怪な熱。

 雨竜が登場するときに発した、アレだ。

 閃光の先を見ると、首だけになった雨竜のパートナー、サコンの口に辿り着いた。一つ目のような宝石が真っ赤に輝き、断たれた首の先との間に赤黒いスパークを発生させている。そしてそれと同じものが、口から藤花達に伸びていた。首から先の草地は炎を上げる間もなく焼け焦げており、黒煙を上げていた。

 視線を雨竜に戻す。上げた顔は青白いままだったが、口をきりっと結ばれており、鋭い視線が閃光の先、幼竜殺しに向けられている。その表情に驚きはなく、これが狙っていたものだということがわかった。

「先生」
「黙っていてすまんな。予兆無しの完全な奇襲を仕掛けたかったんだ」

 赤い閃光が止まった。同時にサコンの頭と首の間から発せられていた強い光が消え、最後にゆっくりと一つ目の宝石の色が失われて行った。最後の力を使いきった、という感じだ。

それは同時に命が消え失せたようにも見え、雨竜のほうを見ると、青白い顔のままではあったが、その目には力があった。

「先生?」
「死んでない。が、サコンは予備電源も全て使い切り、自閉症モードに入った。もう動けない」

 つまりこれが最後の乾坤の一擲。これが失敗に終われば、歩達の命も終わる。

 藤花達のいたところに視線を移す。まだもうもうと煙が立ち込めており、先は見えない。どうなったのか。煙の晴れた先には骸が転がっているのだろうか、それとも死体ごと蒸発してしまっているのか。逆に生きていて、深い傷を負って動けないのか、ぴんぴんした身体で逆に奇襲をかけるタイミングを覗っているのか。

 そのどれもがあり得そうで、歩は身構えつつも、煙が晴れるのをじっと待つしかなかった。

 煙がおさまり始めた。同時に、黒い影が写る。

 予想外だった。その影は、どう見てもユウのものとも、藤花のものとも思えなかった。大きい。直立していたサコン位はある。なんとなく影も似ている。どういうことか。

 声が聞こえてきた。何度も聞いた変わらぬ藤花の声だった。

「驚きました。いい奇襲でした。流石の機械型ですね」

 その声には、いささかの欠陥も見られなかった。痛みも、怒りも、何も込められていない。教壇に立っていたときと同じ、健全な声だ。

 生きている。それもおそらく傷一つ負っていない。

「あれの直撃を……」
「危なかったです。ユウの力が役に立ちました。温度変化を敏感に察する、蛇型パートナーを食していてよかったです」
「食べた?」

 煙が晴れた。

 黒く焦げた巨大な翼が目に入った。二つの翼がクロスされて、卵を守る親鳥のように中のものを隠している。完全に焼き焦げており、触れればすぐに砕けてしまいそうな、消し炭に見えた。

 その翼には見覚えがあった。最近よく目にするようになり、そして直近失われたと思い、つい先程、見た大きくて勇壮な二対の翼。

 キヨモリの、翼。

「ええ。私、キメラですから。食べたものの能力や身体を得られる。レーダーもその一つ。今はつい最近食べたものを使いました。見覚えありますよね?」

 炭化した翼にヒビが入った。それが合図だったかのように、翼はそっけなく崩れた。
 そこから見えたのは、藤花と――竜。

 歪ながらも、それはどう見ても竜だった。
 心臓の音が跳ね上がった。
 喉から声が漏れる。

「竜?」

 藤花の視線がこちらを向いた。その視線を受けて、身体が熱く燃え始めた。強く、血がたぎるように。

「私、幼竜殺しですから。キメラに例外はありません」

 つまり目の前の竜はユウなのだ。狼型のころは、歩よりも少し大きいくらいだったのに、今はその何倍もの大きさがある。風船のように膨れ上がっているわけではあるまい。おそらくその大きさと同じく、質量も何倍にも増大しているのだろう。物理法則を完全に無視している。

 全体が燃えるかのように赤い。両手は三つ指で、爪は狼型のころの尾のように、赤熱している。腹はでっぷりと出ており、そこだけ白くなっていた。
 胴体から伸びた首には、獅子のようなたてがみのようなものがついていたが、それは物理的に燃え盛っていた。角はなく、顔は竜のものだったが、どこか狼のころの面影がある。角はない代わりに、牙が異様に長い。

 歪だったがこれは竜だ。いくつか他のものも混じっているが、ユウの姿は間違いなく竜のものだ。なにより、サコンの赤い閃光を受け切ったその膂力は、竜以外の何物でもない。

 背中から何かが蠢きながら大きくなっていった。翼だ。キヨモリのもの似ていたが、赤く光っていた。それは全く別の竜の翼だ。

 アリ塚の作成を、早回しに見ているような光景は、翼の先まで出来上がったところで終わった。そこには、歪な、完全な竜がいた。

 胸が再度どくんと大きく高鳴った。

「竜」

 雨竜がそれだけ言い、肩を落とすのが見えた。終わった、という感じだ。五体満足な竜をしのげるほどの戦力はもうない。

 竜の脇にいた藤花がそっと微笑んだ。柔和な、優しい女教師の顔だ。

「それでは終わらせましょう。どうせなので、今回は全員頂きます。骨も残しません」

 藤花が竜となったユウから横に離れた。

ユウが足を踏み出した。どっしりと、重量感のある足音をたてた。やはりその身体には肉が詰まっている。

 それを歩はじっと見ていた。不思議と恐れはなかった。代わりに、身体が熱かった。汗は全く出ない。鉄が火にあぶられているように、ただじっと熱を蓄えている。しかしその熱は外部から受けたものではなく、歩の身体の芯から発せられていた。

 これは何なのか。恐怖を越えた先にある、なにかか。

 不思議な感覚があった。近付いている。翼を動かし飛翔している。耳には風が唸る音。前面からの風が、燃える身体を冷まそうとしていたが、熱はおさまらない。逆にその風がその熱を煽っているような気すらした。

 その感覚は歩のものではない。しかし、歩にはわかる。

 ユウの前に立ちはだかるように、舞い降りた。

 アーサーだ。

「どうしました? 手間が省けてよかったですが、わざわざ捕食者の前に出てくるのはどうかと思いますよ?」

 藤花の声に反応せず、アーサーは口を開いた。

「我はずっと竜が怖かった」

 脈絡のない吐露に、藤花が戸惑うのが見えたが、アーサーは構わず続けた。

「本当に、怖かった。畏敬と憧憬の念は尽きることなく存在したが、実際には近付きたくなかった」
「アーサー、私は知っていましたよ。ですが今それがどうしたというんです?」

 アーサーは淡々と続ける。

「我はそなたが怖かった。そならの器量、頭の回転、能力、どれも尊敬に値するものであった。会話も楽しかった。しかし怖かった。だから逃げていた。そなたについて考えることを放棄していた」
「時間稼ぎならもういいですよ?」

「故に、悲劇は起こった。唯とキヨモリだ。やつらの翼は我が折ったも同然だ。我は忘れようとしていた。自然と恐怖の源から、ただ耐えるだけとなっていた。ほんの少しでも頭を使えば、そなたの内に竜が潜むのは自明であったのに」
「なるほど、私への恐怖は、竜へのそれと同じだったと。だから今どうしたんです?」

 藤花がだらりと垂らしていた腕を上げ、アーサーに剣を向けた。顔には苛立ちが見えた。
 アーサーはそれに構わず、続けた。

「我は竜を前にすると、身がすくんだ。思考には鎖が巻かれ、頭の中を醜悪な泥が満たした。それは竜への恐怖だと思っていた。
 しかし違った。我は竜そのものを恐れていたわけではなかった」

身体がひどく熱い。先程、光線の余波で受けたものとは比べ物にならない灼熱が、首の後ろあたりに生じていた。それは周囲のあらゆるものに伝播していく。脳髄からは脳に。血液から血管を通して全身に。行きつく先の心臓で熱く速く鼓動させる。

 不思議と気だるさはなかった。むしろ意識は霧が晴れたようにすっきりとしている。視界は鮮明になり、川を越えた先で、風に煽られている葉の葉脈すら数えられた。鼻腔には焼け焦げた草の香りが満ち、耳は目の前にいる藤花の身体の軋みを捕えた。生物としての能力が上がっている。

 怪訝な表情を浮かべる藤花の顔を見る。
 ああ。そういうことか。

「我は、己を恐れていた。竜を前にした己に。竜を目にしたとき、力が湧きおこってくる竜に。竜の存在を知覚したとき、それを殺そうとする不埒者に」
「どういうことです?」

 藤花の声はいつもとなんら変わらぬものだったが、今の歩にはなによりも艶めかしく聞こえた。獲物のあえぎ声。

 この感情はアーサーから伝わってきている。身体を駆け巡っている力も、アーサーの力だ。熱だ。アーサーは今、発火しそうなほどに身体が、精神が、魂が熱くなっているのだ。

 アーサーが言った。

「我は竜殺しの竜。目前の竜を弑するものなり」



[31770] 幼竜殺し 4-8 竜殺し
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/05/23 16:13



 アーサーの身体が炎に包まれた。否、身体が炎となった。

 口も、頭も、首も、胴体も、腕も、足も、翼も、尾も、ただの灼熱に回帰した。舞い上がる炎は、すぐに竜と化したユウほどまで膨らんだ。ほの暗かった周りを明るく照らし、切れはしの火の粉がさらに光源を広めていく。

炎が形づくり出す。炎が密集し、物質と化していく。熱量と引き換えに、骨を、肉を、牙を、爪を、角を、翼を次々と獲得していく。破裂しそうなほど詰まった筋肉に、黒光りする肌。角も爪も傷どころからくすみ一つなく、名刀のような趣がある。

それらは直接見ることはできない。渦巻く炎がそれらを全て覆い隠している。それでも歩には見て取れる。パートナーだから。

 翼が出来上がったころ、閉じられていた瞼が開けられた。中から緑に輝く瞳が見えた。

炎が一気に弾けた。中から出てきたのは、歩が見ていたものと全く同じ黒竜。今まで見たどれよりも強く、堅牢で、勇壮な竜だった。

 理解が及ばなかったのか、たじろぐ藤花を、竜と化したアーサーがじろりとにらんだ。
 間髪いれず、一言漏らす。

「行くぞ」

 アーサーが大きく顎を上げると、それを見たユウと藤花が身をひるがえした。

直後、振り下ろされたアーサーの口から炎を奔流した。
途端に、煌々と赤く燃える炎が視界に広がる。アーサーの口を起点に扇形に広まり、掘りのあたりまで赤い大地と化した。圧巻の光景。
まさしく竜の、竜と化したアーサーの炎だ。

 アーサーが口を閉じると、炎の扇もすぐに消え去った。足元に残ったのはささやかな煙を上げる真っ黒な大地。数秒もなかったのに、これだ。

 だが、目標には全くあたっていない。藤花とユウが逃げるのは見えていた。

「歩、みゆき達を頼む。我はユウを追う」

 アーサーの声はいつもよりも野太く聞こえた。身体の大きさと比例して、反響しているのだろう。歩はさっと身を走らせ、地面に転がる槍を掴んだ。

 それからすぐに状況確認。茫然としているみゆきとイレイネ、後方で両膝をついている雨竜と、転がるサコンが見えた。アーサーは意識して炎を吐いたようだ。歩の身体の中をかけ巡る熱は、時折全てを忘れさせるような勢いがある。アーサーはここでも冷静だ。

 ユウと藤花の姿はどこにもなかった。藤花はともかく、ユウの巨体が目に入らないのはおかしい。森の中まで引いたか。
 いや、もっと避けられる空間がある。

「上か」

 アーサーの声より若干速く、上空を向く。そこには首元の炎の輪に照らされて、ほのかに写る幼竜殺しの姿があった。背中に藤花を乗せたユウが、前傾姿勢で迫ってきている。

 歩は真横に飛んだ。アーサーも巨大な身体を機敏にくねらせ、その場を離れる。
 直後、砲撃の如き突進が歩達のいた地面を襲った。大きく陥没し、土砂をまきあげる。地を揺らす振動で、足元が震えた。

 そこにノータイムでアーサーが突っ込んだ。巨体が風をひしゃげさせ、踏み込む一歩が地を揺るがす。衝突した瞬間に、それらを轟音と大気の震えがかき消した。

 アーサーの肩はユウの首のあたりに当たっていた。無防備になった首を右腕で掴むと、アーサーはユウを押し切るように突進。そのまま一体となり、土砂を巻き上げながら、鎮座していた大岩向けて地を蹴っていった。

 大岩にぶつかった瞬間、大気を揺るがせるような音が耳に入ってきた。その中には喉から押し出たユウの野太い悲鳴も混じっていた。

 アーサーはユウを大岩に押しやると、首を掴んでいた手を頭のあたりまでずらし、その喉元に首を伸ばした。喰らいつく気だ。もう決めるつもりだ。

 牙がユウの首を捕えるかという刹那、アーサーの首に鞭というには太すぎるものが巻きついた。ユウの尾だ。ユウの首にまきついたそれは、強引に軌道修正を強いる。アーサーの狙いはずれて、鼻から大岩に衝突した。

 痛みにアーサーが一瞬怯んだところで、ユウはアーサーを振りほどくように、強引に身体を捻らせた。ユウの翼が首筋に入り、アーサーの身体がかたむく。そのまま身体ごと翼を振り切ると、拘束していたアーサーの身体を弾いた。

 そこから攻守交代かと思いきや、ユウはぱっと翼を広げると、空へと飛び上がった。巻き起こる風は離れた歩のところまで届いてきた。
 すぐにもう一陣の風が続く。アーサーもまた飛び上がったのだ。見上げると、巨大な二体の竜が大空を飛びまわっている。

 なんという壮大な戦闘。
 これが、竜同士の戦いか。

 そう思っていたところ、歩はさっと身を転がした。次の瞬間、歩が佇んでいた地面に、剣が突き刺さる。

「あら、見えてたんですか? 竜の戦闘に見とれているかと思ったのに」
「勿論」

 歩は藤花の動きを眼端に捉えていた。アーサーたちの戦闘も見守っていたが、歩がすべきことは藤花の相手。アーサーの炎に炙られたかのような身体とは対照的に、歩の脳は冷え切っていた。思考速度も、その幅も、段違いな感覚。今なら誰にも負けない気さえした。

 歩は槍を掴んで腰を下ろした。左肩はまだ痛むが、アーサーが竜殺しとなってから随分と調子は良くなってきている。それでも動きに支障はでるが、許容範囲だ。

 剣を地面から抜き取った藤花に視線を合わせる。身体の熱が更に増し、思考が目の前の竜を殺すことしか考えられなくなる。

 歩のやる気を見てとってか、藤花が言った。

「あら、攻めてくるんですか? アーサーに任せたほうがいいんじゃないですか? 私に勝てるとでも?」

 藤花の言うとおりかもしれない。増大した歩の力でも、藤花に及ぶかは未知数だ。負傷もあるため、竜殺しの竜となったアーサーに任せるのが上等なのかもしれない。
 しかし歩は守勢にまわるつもりはなかった。一つは歩の中で湧きおこる竜を殺したいという感覚を、止められそうにないから。
 そしてもう一つの理由。

「俺が少しでも隙見せたら、みゆき達にとりつくでしょう?」
「ばれてましたか」

先程の不意の一撃には明確な殺意があった。これまではどこか弄ぶようだった藤花だが、そこにもう容赦はない。
ならば、戦術的にこちらの弱点を突くのにためらうわけがない。そして、ただ守りきるには、雨竜とみゆきの二人を同時に守りきるのは難しい。

「さっきから二人を守れる立ち位置にいたのは、狙ってでしたか」
「――行きます」

 藤花もまた剣を構えた。正面に剣を伸ばし、両手で掴む型。その瞳には軽口に合わない本気の意思が見て取れる。
 歩は、軽く息を吐き、それよりさらに軽く吸った。

「手加減はしませんよ? 竜殺し」

 藤花の揶揄に応える。

「望むところです、幼竜殺し」

 竜殺し同士の争い。

 その火蓋を切ったのは、歩の槍だった。

 初撃は様子見。
 軽くついただけですぐに手元に戻す。槍の間合いは剣のそれよりも長く、槍対剣の場合、槍はとどくが剣は届かない距離を保つのが重要。牽制を多めにまき、まずはペースを握る。

 前の戦闘と同様に、息をつかせぬように突く。一度、二度、三度、四度。
 五度目まで狙いは変えても、それ以外は特に変化がないように見舞った。そのどれもが藤花にあっさりと捌かれた。以前のときと、ここまではほとんど変わりはない。

 違うのは、状況。あの時はみゆきの援護に行くために強引に押し切らねばならなかったのだが、今は違う。好きなだけとはいかないまでも、時間を惜しまなければならない立場にはいない。

「様子見だけですか? 大口叩いといて、攻めてこないんですか?」

 藤花の揶揄も無視する。今は落ち着いて、隙を探ることに集中した。
 そのまま牽制をまき続ける。今度は時折タイミングをずらしたり、フェイントを織り交ぜたりして的を絞らせないように立ち回る。

 十五合ほど得物を交わしたところで、歩は一定の成果を上げていると思った。少なくとも、対等。隙に付けいることはできていないが、逆に付けいらせてもいない。

 十六合目を放った瞬間。
 藤花は、一歩深く踏み込んできた。その速度は歩の予想外、雷光のごとき一歩であった。既に差し出した槍を止めることもできず、穂先は藤花の頬をかするにとどまった。歩はそこから即座に戻すのだが、それよりも藤花の剣のほうが早かった。

 伸びた腕を狙い、剣が振られた。藤花の所作から、先読みはできていたのだが、それでもなお遅い。
 強引に左腕をひねり、柄を向けてなんとか直接刃が腕に触れるのは避けたが、及ぼされる力まではどうしようもない。腕にひっぱられる形で歩がたたらを踏んだところに、藤花は背中に向かって剣を振るってきた。歩はとっさに地面に身を投げ出し、転がることで距離をとった。

 すぐさま起き上り、顔についた泥と灰を無視して藤花を見た。既に猛然と迫ってきている。

 歩は横薙ぎの一撃を槍で受けた。藤花は防がれたが、更に剣に力を込めてきた。
 自然、変形の鍔迫り合いの形となった。歩の槍と、藤花の剣。完全に密着状態で、槍の間合いなど全く活かせない状態だ。

 全身の力を振り絞って抗いながら、歩は藤花の顔を見た。
 笑みこそ浮かべているが、そこに油断や慢心といったものは見受けられない。完全に殺しにきている。
 鍔迫り合いをしてきた時点で、それは明白だ。歩の左肩に傷があること、槍の長い間合いを殺すこと、一石二鳥の判断だ。

 鍔迫り合いを続けるうちに、基礎能力の違いも感じ始めた。序々に主導権を取られつつある。これは左肩が万全でもおそらく変わりない。先程の踏み込みから見ても、藤花の膂力は歩の一つ二つ上を行っている。竜殺しと化し、能力の上がった歩よりも、藤花の力は勝っているのだ。

「ずいぶん余裕がないんですね」
「余裕がないのはそちらでは?」

 今度は歩から揶揄してみたが、そっけなく返される。声が震えており、逆効果だった。その間もじりじりと歩は後ろ足を踏んでいた。

 ここで藤花が更なる力を加えて、突き離してきた。思わず歩が二、三歩さがったところに、万全の態勢から剣を振るってきた。

 歩はなんとか受けたが、そこから怒涛の斬撃が始まった。
 一撃受けるたびに、左肩の傷に響く。忘れていた痛みがぶり返してきて、苦痛で思考がよどみはじめたのがわかる。切りつけてくるのに混じって、時折高速の突きが飛んでくるのをなんとか避けつつ、歩は必死に考えていた。最早心境は、いつもの模擬戦で自分の何倍もの背丈のパートナー達相手のときより悲痛なものになってきている。今の藤花は、彼等異常の手ごわい相手だった。
 なんとか読めた剣閃に合わせ、強引に振り払った。それでなんとか藤花の猛攻は止まり、歩は数歩一気に下がって距離を取った。

「あら、臆病風に吹かれましたか?」

 もう答える余裕もない。

 このままではじり貧だ。藤花の力量は、歩のそれを大きく上回っている。なんとかひっくり返そおうにも、隙がまるでない。膂力だけでなく技術でも、藤花は歩の数段上にいる。

 さて、どうするか。
 迷っていると、藤花が見慣れたものより少し意味ありげな微笑を浮かべた。

「あんまり迷ってると、みゆきさん達のとこ行っちゃいますよ」

 藤花は歩を圧倒している。だから歩を放ってみゆきや雨竜を人質にとることは可能だ。歩もそれを防ごうと立ちまわっていたが、力量差は何度も危うい機会を作り出していた。

 しかしおかしい。何故藤花はこのタイミングでわざわざそんなことを言うのか。そして何故人質を取ろうとしないのか。

 これまでの軽口と違い、今の藤花は全力で殺しにきている。余裕の問答ではない。
 なのに、何故か。

「歩君、どうしました? 相手してくれなかったら、今にも行っちゃいますよ?」

 今にも行く。警戒感を煽るように、歩に仕掛けてくるように仕向ける言い方。
 歩に仕掛けてきてほしいのだ。
 だが、なぜか。このままやっていても、自然と秤は藤花に傾く。
 歩が仕掛ける。ならばどうなるか。歩はそう長くは持たない内に、藤花に負けてしまう公算が高い。
 速く負けてしまう。

それだ。

「そんなにユウが心配ですか?」

 藤花の完璧に作られた微笑が、一瞬緩んだ。すぐに戻ったが、それは歩の返答が、痛いところをついていたからだろう。

 覚醒したアーサーの力はすさまじかった。竜と化したユウを圧倒し、あと少しのところまで瞬時にもっていった。躊躇なく息の根を断とうとしたその姿は、冷酷な王の姿だった。
 そんなアーサーの相手をしているユウがどうなるか、藤花でも読み切れるはずがない。
 つまり速めに歩を片づけ、アーサーの脅威を退けたいのだ。

 当初はさっさと歩を片づけようと動いていたが、思ったよりも歩の能力は上がっており、すぐには殺せそうにない。だからこそ、口で揺さぶりをかけてきたのだろう。

「先生、意外と過保護ですね」

 藤花がふっと息をもらした。顔に張り付けた微笑にも、どこか疲れが見える。

「命が繋がってますからね」

 そこで藤花は剣先を歩に向けた。戦の前の宣誓のように、その態勢から語りかけてくる。

「ですが、歩君も同じでしょう? アーサーが勝てるかどうかわからない。下手に動けば、みゆきさんや雨竜先生を人質に取られるかもしれない。私としても避けたいですが、それは歩君も同じでは?」

 歩は藤花に顔を向けたままちらりと上空を見やったが、アーサーが闘っている姿ははっきりとは見て取れない。時折巨体が行き交う姿は見えたが、それだけでは戦況を覗い知ることはできなかった。歩が竜殺しと化したときの不思議な感覚はもう無くなっているため、アーサーが今どうなっているかを知る術はない。

 みゆきや雨竜の件もそうだ。人質にとられることなど、どんな展開でもあって欲しくはない。今は早めに歩を片づけることを優先しているため、人質を取りはしないが、劣勢になればどう動いてもおかしくない。人質をとればアーサーを止めることもできるかもしれないが、時間をかければ今度は雨竜達の同僚がやってくる可能性もある。そもそも今のアーサーを止める方法はあるのか。呼び止めようとした瞬間、アーサーの牙がユウを、藤花を切り裂いてもおかしくはない。藤花はどちらにしろ時間がないのだ。

「さて、どうします?」

 藤花が似たような問いをかけてきたが、そこには機があったら仕掛けますよ? というのが見え隠れしている。どちらにしろ、この膠着状態を長く続けることはできないのだろう。

 どうするか考えていると、頬を汗が垂れる感触がした。身体が熱い。アーサーが覚醒したときの熱ではなく、身体的なものだ。激しい運動をした後、問答で少し身体を休めたせいか。疲労も重なっている。

唇がべとつく感触がある。湿度が高いのだろうか。舌で軽く唇を舐める。
 既視感があった。いつのことだろうか、記憶にある。

「さて、では行きましょう。言い残したことなどはありますか?」

 必死に考える。いつのことだろう。それほど昔のことではない。同じく身体を動かしていたときだ。そのときも槍の感触があった気がする。
 脳裏を探る。

 不意に閃いた。

歩は大声で吠えた。



[31770] 幼竜殺し 4-9 既視感
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/05/26 15:10


「あああああああああぁぁぁぁぁ!!」

 身体の空気を入れ替えるように、全てのもやを吹き飛ばすように、喉から息を放出する。
 全て出し終えた感触の後、一気に吸った。身体がぎりぎり動く範囲で、一瞬にかけるべく身体を調整する。
 腰を落とし、槍を構える。視線はぶらさず、ただ藤花のみを注視する。湧き立つ闘争心を収束し、意識をただ藤花へ。

 剣を構える藤花めがけて、歩は地を蹴った。一歩、二歩、三歩、四歩。四歩目に藤花もまた動きだした。初めはゆっくりとスムーズに、序々に速く、鋭く、衝突点に全てを出し切ることができるように、全身を絞り上げていく。

 イメージは弓。弦をひきしぼり、さらにひきしぼり、限界を越えてもひきしぼる。キリキリと悲鳴を上げる身体をよそに、さらに絞る。

 二人の間合いが残り三歩まで来たとき。
 歩は矢となった。足、膝、腰、肩、肘、全てを連動させ、一点に集中させる。

 目標は、藤花の腹部中央。
 歩が矢となった瞬間、藤花の驚く顔が見えた。

 槍は何にも邪魔されず突きぬけた。途中添えるように触れてきた剣をものともせず、ただ真っ直ぐに。

 だが。

「残念でした」

 槍は、戦闘服の脇腹部分を裂くにとどまっていた。皮膚に擦過しているのかもしれないが、血は見られないため、大した傷ではない。藤花は、なんとか身をひねってかわしていた。

 藤花はまるで動きに支障がない。
 対する歩はというと、全身全霊の一撃を放った直後で、隙の塊でしかない。

 藤花が動いた。
 首の後ろにある襟首をつかみ、硬直している歩の両足を払ってきた。歩は成すすべなく転がる。手にしていた槍はどこかに蹴り飛ばされた。
 点を見上げる歩の上に、すぐ藤花がまたがってきた。腰の辺りに重心を置き、両手を逆手にして剣を掴んでいる。切っ先は歩の胸のあたりに向いている。

 藤花が思い切り振りおろそうとした。
 その瞬間。

 藤花の頭の回りに雨つぶのようなものが現れ始めた。
 ぽつりと浮かんだそれは、序々に数を、加速度的に大きさを増していく。藤花も気付き、虚にとられた。

 ここまで黙っていた声が、突然響く。

「イレイネ、行きなさい」

 少し震えたみゆきの声が響いた瞬間、雨が弾けた。
 全てが藤花の頭に収束していく。

 歩が唯、アーサーが駄菓子屋での小学生とのやりとりで傷ついた出来事の前、みゆき、イレイネペアといつもの模擬戦をやったときに新技と称して喰らった技だ。大気中にイレイネの身体を仕込み、相手を囲んだところで突然雨あられと降り注ぐものだ。あのときもまた、歩は唇がべとつく感じを覚えたのだ。

 雨粒が、今度は藤花の顔に殺到している。咄嗟に腕で防いだようだが、虚をつかれたことと、一番の急所に叩きつけられていることで、藤花は完全に隙を見せてしまっている。

 これを逃してはならない。このタイミングを狙っていたのだ。そのために大仰に気合を入れたのだ。

 歩は硬直する藤花をのせたまま、強引に両手で地面をつき、半ばブリッジのような態勢で起き上った。そこから腹筋で上半身を持ってくると、落ちていく藤花の頭を掴んだ。態勢を変えても追尾していた雨は、歩が手を差し出した部分だけ避けるように消えていった。

 藤花の髪をつかみ、引き寄せる。それと同時に右足のひざを振り上げた。
 鳩尾に綺麗にひざが入る。藤花の口からこもった音が抜けた。
 追撃をかける。顔を覆っていた両手の隙間から見えた眉間に向かって、思い切り拳を伸ばした。完璧にとらえた。殴った拳も痛い位だ。

 最後の締めにと、脱力した藤花の身体を掴み、そのまま引きずっていく。全身を振り絞り、叫びながら走った。

「うああああああああああああああ!!」

 振り被り、思い切り投げた。目標は、アーサーたちがぶつかっていった大岩。
 狙い通り、そこに受身もとれずに藤花はぶちあたった。鈍い音をたててぶつかった後、石の上に血の痕跡を残しつつ、藤花はずるりと落ちていった。

 歩はふっと息を吐いた。その後すぐに槍を拾い上げ、みゆき達のところに駆け寄る。

「ナイス。イレイネ、大丈夫か? お前も」
「私は動けそうにはないけど、大丈夫」

 みゆきが力なく笑いながら言った。まだ全身の筋肉が震えていて、顔色も悪い。身体の前に重ねた両手が、拍手をするようにこまかく振動していた。

 みゆきがおり重ねていた両手を開くと、そこには生まれたときの半分ほどまでちぢみ、まったく動かないイレイネの姿があった。形もなにもなく、ただのゲル状の物質に変わっている。

「……生きているのか?」
「私、生きてるからね。けどもう動けそうにないな。あの技を発動するのに、地面に転がってたイレイネの残骸を強引に使ったみたいだけど、それももう戻す力は残ってないみたい」
「生きているなら、それでいい。ありがとう、助かった」

「いーえ、こちらこそ、そんくらいしかできなくでごめんね。後、おねがい」
「ああ」

 突如轟音が鳴り響き、すぐ後に地が揺れた。
 音のした方を向くと、そこには二体の竜がからみあって盛大に墜落していた。アーサーの身体は端々に傷があったが、ユウは無傷。

 ただし、優勢なのはアーサーだった。
 アーサーの牙が、ユウの喉元に深々と突き刺さっている。真っ赤に燃え盛るたてがみごと喰らいついていた。

 ユウの首からは赤黒い液体が脈に合わせて吹き出しており、アーサーの顔は血まみれになっている。腕がアーサーの身体を必死で引き離そうとしているが、もう力が入っていないのが歩からも見てとれた。大量に流された血といい、死に瀕しているのは明らかだ。

「アーサー! 大丈夫か!?」

 返事はなかったが、アーサーが一瞬こちらを見た。大きさこそ違えど、振り返ってきた目はいつものアーサーだった。興奮の色はあったが、それでも安心した。

 歩は投げ捨てた藤花の方に視線を移した。熟れすぎたトマトを塗りたくったような跡はあるが、量としてはそれほどではない。ユウを見ても、まだ生きていることがわかる。

 藤花が立ち上がった。
 口の端からは血を流しており、よろめいている。大岩に手をついてなんとか立っている様子だ。歩の膝と拳、大岩との衝突は流石の幼竜殺しも堪えたようだ。
 歩は大声で言った。

「ユウ、死んじゃいそうですね。一応聞いときますけど、降参しませんか?」

 藤花が口元にうすら笑いを浮かべるのが見えた。

「今にきて言いますか」
「別にさっさと片してもいいんですけど、念のため。僕ら殺人鬼じゃないので」

 それに、できれば早くみゆき達を病院に連れて行きたい。今は生きているが、どちらも瀕死といっていい状況だ。

 歩は藤花をじっと見た。何を考えているのかまるでわからない。

 拘束するために、ゆっくりと藤花に近付きはじめる。序々に、藤花の姿が大きく見えてきた。
 そのまま注視していると、藤花の口元がにい、と歪んだ。うすら笑いが、もっと気色の悪いものに変わっている。

「拒否します」
「死んじゃいますよ? 何か手があるのですか?」
「今、思いつきました」

 藤花が大声で叫んだ。

「ユウ! 燃えろ!」

 はっとアーサーのほうをみやる
 ユウのたてがみが大きく燃え広がり始め、全身を包もうとしていた。

「アーサー!」

 巨大な口で舌打ちをした後、アーサーは機敏な動作でユウの上から飛びのいた。アーサーが牙を外した瞬間、一際高く血が噴き出すのが見えた。

 すぐにユウの身体は炎の塊となった。煌々とあたりを照らしはじめ、竜の身体は陰影でしか判別できなくなっている。

炎の塊と化してからすぐ、ユウは悲鳴か雄たけびかわからない咆哮をあげた。空へと飛び上がり、のたうちまわるかのように空を駆け巡っていく。その内に炎がおさまり焼け焦げた皮膚が見え始めた。先程の咆哮は悲鳴の要素が強かったようだ。

 なんとか、といった感じで炎を止め終えると、ユウは半ば墜落するように藤花の横に降り立った。片膝をつくように降りた後、すぐにひれ伏すように態勢を崩した。アーサーに大穴をあけられた首筋は、幸か不幸か炎で焼かれて傷口が悲惨なことになっているが、出血は止まっている。

 藤花は即動いた。歩達が見入っているなか、まだところどころで煙を上げているユウによじ登り、首のあたりに乗った。
 そして飛翔。瀕死に見えたユウが力強く飛び上がった。キメラの再生力を侮っていたのかもしれない。

「歩!」

 アーサーが声をかける直前に、歩は動きだしていた。幼竜殺しを逃すわけにはいかない。アーサーの駆けより、首の付け根あたりによじ登った。

 歩がよじ登ると、アーサーもまた飛翔。身体にかかってきた強烈な風で、一瞬滑り落ちそうになったが、慌てて腕に力を入れて留まった。
すぐに立ち並ぶ木々を追いこし、夜空が正面にいっぱいに展開されたかと思うと、すぐにそこから地面に向かって方向転換、身体が浮き上がる感覚と同時に、風が歩の身体を引きはがそうとする。
なんとかアーサーの首にしがみついていると、序々に風が落ち着いた。

 まだ吹きすさぶ風は強かったが、なんとか開けた目で、前を見る。
 幼竜殺しがそこにいた。身体の至る所に痛ましい傷を負い、どこか弱々しく飛行している。

 終戦は近い。



[31770] 幼竜殺し 4-10 決着
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/05/30 08:02



 吹きすさぶ風が強くなったアーサーを物語っていた。ごつごつした背中に身体を張りつかせておかないと、今にもどこかへ飛ばされてしまいそうだ。なんとか目を開き、幼竜殺し達の姿を追っていたが、目が乾いて仕方がない。

 風の唸り声ばかりが聞こえ、耳がおかしくなりそうになる。髪は一本一本が後ろに引っ張られているようで、皮膚からは熱がかすめ取られて行く。少し寒くなってきた、

「歩、大丈夫か?」

 内心を読んだように、アーサーの声が聞こえてきた。首の後ろに乗っかているため、アーサーが一音発する度に、全身を揺さぶられるような波が駆け巡った。

 そうして初めて、自分が乗っている巨竜があのアーサーだという実感がわいてきた。

 空中にいるというのにどっしりとして安定感のある巨体、隣では巨大な翼が力強く空気をはらみ、暴風を生んでいる。触れる肌から伝わってくる感触はごつごつとした硬質のもの。

 アーサーをなんだか遠く感じた。吹きすさぶ風の中、口を開くことが億劫だったのもあるが、声をかけてきたアーサーに返答できなかった。

 しばらくそのまま飛んだ。吹きすさぶ風の音をBGMに、沈黙が一人と一体の間に横たわっていた。
 風にも慣れ、藤花との戦闘で高まった熱があらかた削り取られたころ、アーサーが言った。

「――怒っているか?」

 図体に似合わない、弱々しい声だった。小動物だったアーサーからも聞いたことがない位、弱い疑問だった。
 怒っていない、と言おうとしたが、やめた。

 代わりに質問することにした。
 もう答えのわかりきっている質問を尋ねる。

「どうして竜殺しの竜であることをずっと黙っていたのか」

 語尾を上げた疑問形ではなく、教師が授業をする際に使う、自問自答の自問の形で尋ねた。
 アーサーの返答も、自答のときのように落ち着いていた。

「気付いたのは、キヨモリとの模擬戦のときだ。せめて最後位は身を捧げようとしたとき、湧きおこる感情に気付いた。その後、驚き悩んでいる間に、今回のことが起こった。後は流れに身を任せたら、こうなった」

 学期末模擬戦のとき、暴走したキヨモリが襲いかかってきた際、アーサーは歩を庇うように立った。あのとき、アーサーの内ではそんなことが起こっていたのか。
 同じように続いて質問する。

「唯達が襲われた後、病院での控室で言っていた勝算は、これか。そのとき、実際に何が起こるかわかっていたのか」
「わかってはいなかった。だがなぜか確信した。誰にも負けない力が手に入ることを」
「言わなかったのは、俺のことを信用できなかったからか」
「違う。言えなかった。怖かった」

 実際、直接聞かなくても、アーサーの答えはわかっていた。

 覚醒したとき、アーサーの感情はおぼろげながら強く伝わってきた。竜のことをどれだけ誇らしく思っているか。そんな竜を殺す存在である竜殺しをどう思っていたか。自分が竜殺しの竜であることを知ったとき、どれほど悲嘆にくれたか。そして竜殺しの竜である自分を、そんな自分を周りが、歩がどう思うかを恐れていたか。

 聞かなくてもよかった。今のアーサーの心境を考えると、これは傷口に塩を塗る行為だ。
 しかし歩はやるべきだと思った。傷口の消毒だ。なあなあで済ませてしまうと、後々傷口は化膿してしまう。アーサーは再び一人で抱え込み、また同じことを、今度はもっと悲惨な形で繰り返す。

 これもアーサーをパートナーとする、歩の務めだ。
 歩はそこまで聞き終えると、一転して明るい調子で言った。

「それにしても、ずいぶんでかい図体になったな」

 アーサーも口調を変え、いつもと変わらぬ調子で返答してきた。

「ふん、我が真の姿に恐れ入ったか。これを機会に我を侮っていた己を改めるがいい」
「はははは」

 笑えているだろうか。風のせいで正面を向いてしゃべることができず、アーサーの首の横に頭を押し込むようにして、大声を出している。そのせいか、歩の言葉は声帯ではなく、振動で伝わっているような気がした。

「まあ、なんだ。とりあえず俺の肩にはもう乗れそうにないな」

 口に出すと、さびしく聞こえた。
 ふん、とアーサーは鼻を鳴らした。

「何を言っておる。我はこれが終われば元の姿に戻るぞ。そうたやすく輿を辞められると思ったか」

 あいかわらずひどい言い草だ。

「ひどいやつだ」
「我が輿の役目をなんと思っているか。ここは謹んで承るところだろうに」
「何様のつもりだ」

「貴様のパートナーだ」

 何か温かいものが胸の内に生まれるのを感じた。
 もう寒いとは感じなかった。藤花との一戦での疲れも、左肩の怪我も、意識から消え去った。

「もう近いぞ」
「ああ」

 だいぶ藤花達に近寄っていた。歩は槍を握りなおした。

「やるぞ、パートナー」
「遅れるでないぞ、歩」

 最終決戦は、近い。






「歩、前を」

 アーサーに促され前方を見ると、目前に飛ぶ藤花達が進路を変えるのが目に入った。それまでは歩達の住む町と並行に進んでいたのだが、町中の方へ、斜め前に進路変更をしている。目的地はともかく、そう飛ぶと歩達との距離が余計に縮まってしまうことを、知らない藤花ではなかろう。

「アーサー、どういう意図かわかるか?」
「わからん。とりあえず追うしかあるまい」

 そのまま追って行くと、自然と加速度的に距離が縮まっていくが、藤花達には動きがない。どういうことだろうか。

 覗いつつも、結局声の届く位の距離まで近づいた。

 そのときいきなり藤花達はほとんど真上に飛び上がった。

「歩、つかまれ!」

 アーサーもすぐに続く。歩にかかる圧力と風圧は何倍にも膨れ上がったが、慣れていたのと覚悟があったので、こらえることができた。

ユウ達を追いかけ高さはどんどん上がっていく内に、藤花達との距離も更に縮まって行く。

 アーサーの牙がユウの尾を捕えられそうになったころ、ユウはいきなり翼を大きく広げ、急ブレーキをかけてきた。アーサーは咄嗟にひねるようにして身体をずらし、避ける。

 自分達より低い位置にいったユウを見る。
 ユウはすぐに下に頭を向け、滑空態勢に入っていた。そのまま角度のきつい弧を描くように旋回しはじめる。

 アーサーも上昇をやめ、地面に向かって降りはじめる。その間に、横っ腹が見える位までユウは旋回していた。不敵にこちらを覗く藤花が見えた。

「歩、正面から仕掛けるぞ!」

 声に反応し、片手をアーサーの首から外し、身体の間に挟み込むように保持していた槍を強く握りしめた。耳元で唸る空気の音に負けないよう、叫ぶ。

「しくじるなよ!」
「お前こそ!」

 滑空が序々に角度を垂直からずらし、こちらも弧を描くように旋回していく。

 正面にユウと藤花の姿。やや歩達側が高所から仕掛ける形となった。

 そのまま交差。ぶつかるかと思った瞬間にどちらもが軽く方向を変え、どちらの牙も空振った。行き交う際に、不敵に笑みを浮かべる藤花が見えた。

 それから何度も交差していく。爪が、牙が、相手を斬り裂こうと空を切り、お互いの身体を傷つけていく。歩も何度か槍を差し出したが、どれもが空を切るか、固い肌に弾かれるに留まった。

 互いの傷が十を越えはじめたあたりで、変化が生まれた。

 ユウの口から大量の血が漏れ始めたのだ。おそらくアーサーが噛みついてできた傷が開いたのだろう。見る見る内にユウの飛行速度が落ちていった。

「終わりか?」

 そう歩が口から漏らした時、アーサーが一段と速度を増した。飛ぶ方向を若干上に向け、上昇し始める。

「決着をつけるぞ」

 すぐに上昇をやめ、身をひねり一点に飛んでいく。行き先は、弱々しくなりながらもこちらに向かって飛んでくるユウ。背中には藤花の姿もある。

 最後の、一合。

 歩はしがみついていた身体を上げ、両足に力を込めてなんとか立ち上がった。吹きすさぶ風は、気を抜けばすぐにでも歩を弾き飛ばす。それでもアーサーの首にかかったままでは何もできない。極端な前傾姿勢とアーサーの首の後ろの、筋肉が盛り上がった部分に足をかけ、身体を安定させた。
そして両腕で槍をつかみ、目線は藤花へ。

暴風の中、取れる限りの戦闘態勢を形作った。

お互いチキンレースのような状況だ。意地を張ったかのように進路を変えず、このままでは正面衝突する。それでも引かない。

ユウが突然発火した。先程離脱するときに使ったアレだ。おそらくこのままぶつけてくるつもりだろう。捨て身の勝負をしかけてくたのだ。

 しかし、歩は即座に別のものに目を凝らした。ユウはアーサーが担当すべきもの、歩の受け持ちは別。

――見つけた。

 発火する直前、藤花は飛び上がっていた。歩達に向かって飛び込んできたのだ。

 やらせるわけにはいかない。歩はそれに合わせるべく全身に力を込める。アーサーに進路変更させるのも手だが、少しでもアーサーの気をそらせば、ユウの渾身の体当たりがアーサーに入る。藤花の対処は、歩がやるべきなのだ。

 ぎりぎりまで待つ。己の全てを弓に変え、弦を引き絞り、矢と化す。歩のすべきことはそれだけだ。

 ユウとアーサーの身体がぶつかる前の寸暇。

 歩は飛んだ。

 すぐに響き渡る轟音と衝撃。それに身を煽られながら、ただ目標を見つめる。
 逆手に握った剣を振り下ろす藤花。全身を矢と化す歩。

 あとはただぶつかる瞬間の見極めと――なにより運。

 衝突した。

 剣が背中をなぞるのがわかった。序々に刃が役目を果たしはじめ、裂いていく。

 槍にも手応えがあった。

 確かめる前に、身体そのものも正面衝突して全身をちぎれんばかりの衝撃が走った。お互い全霊で飛行する竜の背に乗り、その速度にのってぶつかったのだ。その衝撃は、模擬戦で受けたどんな一撃よりも身体を揺さぶった。槍も手放してしまった。

 胸の辺りに衝撃が走り、空中で身体が回転していく。なにがなんだかわからない。アーサーとユウが激突したときに生じた轟音で、耳が効かなくなっていた。

咄嗟に両腕で顔をかばい、落ちていく。

 身体を草木が撫でていく。ひっかいていく。引き裂いていく。ばさばさばさばさと枝と葉をちらし、途中でひっかかった枝の先が、歩の晒した肌に細かい傷を付けていく。背中の傷もなぶられ、そのたびに神経が鋭い悲鳴をあげた。

 直前で再度轟音、衝撃波。一瞬自分の身体がふわりと浮かぶ感じがした。先に何かが地面に衝突したのだ。

葉や枝の感触が消え去った後、再度衝撃。どこかに衝突したようだ。地面にしてはやわらかく、弾力性があった。はずみで顔を覆っていた腕がずれた。

 二度三度とはずんだ後、急にリズムが崩れ、堅い場所に転げ落ちた。背中の傷口に土が入り、鋭い痛みが走る。

 目だけで辺りを見回す。どうやら自分が落ちたのは、アーサーとユウのどちらかの上だったようだ。視線の先では、巨躯が二つ転がっていた。鎮火したユウとアーサーが、からまるようにして地に伏せている。どちらも正面衝突したせいか、意識が薄れているようだ。

 自分が今転げ落ちているのは、二人が作ったクレーターのような場所。草がめくれあがり、土を表面に露出させている。それが背中の傷に入っているらしい。

 指に力を入れようとするが、動かない。身体の感覚がマヒしてしまっている。痛みもどこか遠のいていく。

 目の端になにか動くものが見えた。
 藤花だ。
 歩の持っていた槍を杖のようにして、こちら側に這いずってきている。

 どうにかしたいが、動けない。藤花の脇腹から大量の血が漏れているのが見え、歩の槍がそこを貫いたのだとわかったが、どうしようもない。

 藤花はゆっくりとだが着実に近付いてきた。その動きは亡者のよう。五歳児でももっと早く歩く。だがそれを止める術は、歩にはない。

 歩の傍まで来ると、倒れ込むように歩の上に乗っかった。うっと息がもれ、呼吸がきつくなった。

藤花が歩の上にまたがった。そして両腕で槍を振り上げる。腕を上げた拍子に口から大量の赤黒いものが漏れて、歩の顔にかかった。
 藤花の顔が見えた。血に濡れていたが、その顔には微笑がはりついていた。なんとも悲しげな、いままで見たことがない表情だった。

「私の、勝ちです」

 槍が振り下ろされた。弱々しく、振り下ろすというより落したといった感じだが、穂先は確実に歩の胸の辺りに向いている。

 ゆっくりと迫った剣先が肌に触れる。

突き刺さる。

 そう思ったとき、伸びてきた手が槍を掴んだ。
 穂先は歩の胸に触れていたが、そこで止まった。

 声が聞こえてくる。

「そこまでです」

 その声は、最近になってよく聞くようになったものだ。声が少し震えていたが、強い意思が感じられた。
 驚愕に目を見開いた藤花が、槍を食い止めた手の持ち主に向かって言った。

「唯さん……」

 少しだけ間を開けて聞こえてきたのは、間違いようのない唯のものだった。

「雨竜先生に頼まれてきました。雨竜先生のパートナーに乗れるのは一人だけなので送れちゃいましたが、間に合いました」

 藤花が笑った。乾いた笑いだった。なぜか泣き笑いにも聞こえた。
 直後、歩は意識を失った。



[31770] 幼竜殺し 5-1 その後
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/06/02 15:47



目をあけたとき、温かみのある白色の天井が目に入ってきた。どこか硬質な、科学的な匂いが鼻につき、誰の匂いも染みついていないまっさらな布が身体を受け止めている。

「お、とうとう目覚めたか馬鹿者」

 アーサーの声だとはわかったのだが、どうにも思考がふわついていて、それがどういう意味なのか、どういう状況なのかが理解できない。うつ伏せで寝ているせいで、いまいち血の巡りが悪い感じがする。

「あら、起きちゃったか。相変わらず運がないねこの子は」

 この声は、母親の類。ここは家なのかと思ったが、首を回して眺める景色と匂いは、家のものではない。
 白を基調にした内装、清潔すぎるほどの匂い、自分が来ている服も、じんべえみたいな、簡素で薄っぺらい布でしかない。その下では、大量の包帯が身体にまきついていた。

 ――包帯。主に背中に重点的にまかれており、そこからは鈍痛がしている。
 自分の状況を理解したところで、視界に黒い物体が現れた。
 小柄で小憎たらしい竜だ。

「今どこにいるのかというのもわかっておらぬのか? ぼけるには些か早いがそれも運命。母上殿、大変な息子を持たれたが、どうか気を病まず」
「本当にねえ。老後のことを考えるといまから憂鬱になるわ。今夜は飲むよ」
「今夜は存分に悲しみを分かち合おうではないか」
「……酒のむための口実にしてんじゃねえよ、クソババアとクソ竜」

 歩はまだ動きの堅い両腕で身を起こした。背中の傷がうずいたが、痛みで倒れ込んでしまう程ではない。
 起き上り類の顔を見る。目の下にクマができていた。

「あら、もう起きられんの。ずいぶん元気そうね」
「元気そうで悪かったな」
「いーえ、これで存分にやれるわ」

 何をやるのだろうかと思ったが、不意に類が横に顔を向けてそちらを見ると、みゆきとイレイネ、唯とキヨモリがいた。

「歩起きたのね。具合はどう?」

 みゆきは車いすの乗っており、それをイレイネが後ろから押していた。イレイネの身体は小学一年生位の大きさにまで戻っている。

「意外と平気。それよりみゆきこそどうした? 車いすに乗るほど悪いのか?」
「身体のあちこちで筋断裂してたみたいで、お医者さんに乗るようにって言われたのよ。大袈裟だとは思ったけど、指示されちゃ仕方がない」

 みゆきが苦笑しながら言った。車いすにはのっているが、体調はだいぶいいらしい。

「あの、背中、大丈夫?」

 唯が心配そうに言ってきた。後ろには包帯のとれたキヨモリがいたが、その背中をみて申し訳なく思った。

「ああ、少し痛い位かな。もう動けそう」

 軽く腕をまわしてみたが、ひきつる位でこらえきれないほど痛むということはなかい。
心配そうな唯をなだめようと、歩は笑みを浮かべた。

「ほら、こん位ならもう動けるよ」
「よかった」

 唯が本当に安心したように、重く吐息を漏らした。
 それを見て、唯とまともに話すのはあの夜以来だということに気付いた。
 少し迷ったが、思い切って声に出した。

「あのさ、この前の夜のことだけど、ごめん。あの時止めとけば」
「いや、あれは私が悪かったし。自業自得だよ」

 唯は困ったような笑いを浮かべて答えた。だいぶ吹っ切れたようだ。
 内心ほっとしていながら更に謝罪をしようかと迷っていると、いきなり唯が少し怒ったような表情になった。

「それより、その後のことだよ。幼竜殺しに四人だけで挑むなんて、やっちゃダメでしょ。私の仇打ちにいこうと考えてくれるのは嬉しいし、結果は良かったけど、なかなか目覚めなくてほんとに心配したんだから。歩達と雨竜先生が運ばれてきたときなんて、ほんと驚いたよ。類さんもここんとこ泊まりっぱなしだったし」
「そこまで。唯、そっからはちょっと場を変えてだね」

 類が唯に言った。歩が眠っている間に、ずいぶん親しくなったみたいだ。
 にこやかな笑みを浮かべた類が、部屋視線をすーと横切らせる。
 初めはみゆき、そこからイレイネに向き、飛んで歩、そしてアーサーのところで止まった。

「みゆき、イレイネ、歩、アーサー」

 類はあくまでもにこやかだった。それはどう見ても穏やかな笑みだ。
しかし歩は知っている。背筋に冷たいものが流れ出すのを感じた。
それは本気で怒っているときの類の顔だ。

「お前らそこ並べ」








「つまり、幼竜殺しをおびき出そうと学校抜けだして? 死にそうになって? なんとか勝って? ふんふんそれで病院に担ぎ込まれたと、そう言うことね」
「「「……はい」」」

 棘しかない類の説教を、歩達四人は黙って拝聴していた。歩たちがなんでこんなことになったかということに関して、唯が病院に入ってからの行動を逐一話し、合間に罵倒されるのが、三十分ほど続いている。

 歩はベッドの上に正座で、その前にアーサーが足を奇妙に折り曲げて正座のようにして、ベッドの上の簡易机に座らされている。ベッド脇には仕方がなく車いすの上に腰掛けたままのみゆき、その膝の上にこちらもまた正座のイレイネ、といった配置だ。

 類はその前で、仁王立ちしていた。顔はおだやかな笑み、しかしそれだけに怖い。

「そこの馬鹿一号、ちゃんと聞いてる? 声が聞こえなかったけど」
「はい」
「声が小さい!」
「はい!」
「お前ははいしか言えんのか! たまにはすみませんの一つも言え!」
「すみませんでした!」

歩はこの顔を前にすると、喉が詰まってしまう。幼いころからの習慣というやつで、こればっかりはどうしようもない。類の目元の隈を見ると、申し訳なさに一杯にもなった。

「類さん……もうこのへんで……ここ病院だし、そんな大声はやめたほうが……それに病人に正座の強要も……」

 類はにこやかな顔のまま、唯の方を向いて言った。

「ああ、ごめんね。少し怖がらせたね。それでもこの馬鹿共のためを思ってだから、病院の人達も許してくれるよ、きっと。それにしつけはしっかりしないとね」
「さっきから看護師共が覗いておるのが、分かっている癖によく言う」

 アーサーの呟きはすぐ近くの歩でもかろうじて聞こえた位なのだが、類は聞き逃さなかったようだ。

「馬鹿二号! 言いたいことがあるならはっきり言え!」
「なんでもありません、母上殿! 不肖、アーサーは大変申し訳なく思っております!」
「ならしゃべるな! お前が口から出していいのは、謝罪の言葉だけだ! そんなこともわからんのか! 貴様は身体だけでなく、脳みそもノミ程度か!」

 普段のアーサーならキレるところだが、反応はない。なんだかんだ言いつつ、こいつも反省しているのだろう。歩と同じく、こうなった類に抵抗できないのもあるだろうが。

 アーサーの顔をじろりと睨みつけた後、類はみゆきに向いた。

「ねえ、みゆき、イレイネ。私や唯がどんな思いであんた達が目覚めるの待ってたかわかる? 何も知らされてなくっていきなり病院に呼ばれて、そこであんたらの包帯ぐるんぐるん巻き見せられて、どう思ったかわかる? 目の前の惨状が、自分の仇打ちとかいうしょーもないことのためとか聞かされた、唯の気持ちがわかる? わかるよね、みゆきなら。ねえ、分かるよね?」
「はい……すみませんでした……私達が軽率でした……」

 先程までの怒声から一転して、猫撫で声に変わっている。柔らかい棘をなぶるように突き刺しているのだ。そちらのほうが、みゆきにとって辛いというのをよくわかっている。

 案の定、みゆきとイレイネは泣きそうに顔を歪めていた。年の離れた姉妹が揃って説教を受けているように見える。類の説教はこれ以上ないほど効果的だった。

 みゆきとイレイネをひとしきりじっと見つめた後、類はのどに手を当てた。鼻のあたりをひくひくさせ、口と罵倒をまとめて口から漏らす。

「あー、喉痛い。なんでこんなに痛むのかね。ああ、馬鹿共のせいだね。あーなんか疲れたわ―、ほんと疲れたわー。肌のノリもなんか悪いわー。ほんとどこの馬の骨どものせいかね。そういや仕事が二日分もたまっちゃってるなー。ああどこの馬鹿のせいかね」
「あの、類さん、これでもどうぞ」

 そう言って唯が差し出したのは、水の入ったコップだった。

「あー、ありがと。その優しさをこの馬鹿共にはちったあ見習ってほしいもんだね」

 類が一気に飲み干した。本当に喉が渇いていたようだ。
 唯に感謝の言葉を述べながら、類は手元の腕時計に目をやった。

「私も暇じゃないし、この位で終わらせるけど、あんたら分かってるよね?」
「「「はい! もうしません」」」

 三者そろった声が響くと、類はぱっと雰囲気を変えた。意識して変えたのだろうが、何度見てもこういうところはすさまじい。どうやっているのか、歩にわかるわけもない。おそらく理解できるときは来ないだろう。
 類は歩のすぐ隣にある患者用の机までやってくると、そこから大きめのバッグを手にとった。

「んじゃ、私は帰るから、後よろしく。唯、今度家来なよ。料理教えたげるからさ」

 唯が嬉しそうに、はい、楽しみにしてます、というのを聞いた後、類は足早に外に出ていった。去り際に、バッグからちょこんと彼女のパートナーであるミルが顔を出してニャーと鳴いた。もうするなよ、という感じか。いつも類のバッグの中に入って連れられている猫型パートナーだが、そういうところは類そっくりだ。

 病室の前でたむろしていた看護師さんたちに、類が慇懃に頭を下げてでていくと、病室ではっと重い息が突かれた。歩は正座を崩し、痺れた足をさすった。

「カミナリ、きつかったぁ」
「まったくだ」
「久しぶりにきついのが来たね」
「それだけ心配してたんだよ。類さん、二日間ずっと付いていたんだから」

 唯の言葉に、母親の目元の隈を思い出した。かなり心配をかけてしまった。今度何かするか。
 アーサーはその場でこてんと横に転がった。体裁を取り繕うのも面倒だ、といった感じだ。その姿に、あの竜殺しの竜の面影はまるでない。

 それから歩はあの後のことを聞いてみた。

 歩が気絶した後、すぐに藤花も気を失ったらしい。ひどく傷ついた歩と藤花に加え、見慣れた姿に戻ったアーサー、ユウをも抱え、唯がしばし途方に暮れていると、そこに見知らぬ男達がやってきた。
 彼等は雨竜の同僚を名乗った。タイミング良く現れた彼等を、唯は疑いながらも、ひとまず歩達を雨竜達がいるところまで移動した。そこで意識のあった雨竜が同僚だと認め、手際良く病院に連れていってくれだそうだ。

「そういえば、雨竜――先生はどうしてる? 入院中?」
「今日退院みたいだよ。後でこっちにも顔を出すって言ってたけど」

「入っていいか?」

 扉の方から聞こえてきた。
 そちらに目をやると、雨竜が少し困ったような顔で突っ立っていた。見た目にはどこも気づ付いていなかったが、動作がゆったりとしている。
 後ろには黒服の男が二人ほどいた。雨竜の部下だろうか。

「身体大丈夫なんですか?」
「一発腹にくらっただけだからな。それだけでここまで後引くのは、情けない限りだ」

 しかめっつらの黒服を置いて中に入ってくると、雨竜は扉を丁寧に閉めた。

それから雨竜は丁寧に自分の出自を説明し始めた。教師生活で培った技術で整地された話は、すっきりと脳内に整頓されていった。護衛から監視に任務が変わり、結果キヨモリが傷つく結果になってしまった話をした後、雨竜は唯とキヨモリに深々と下げたのだが、それを唯が何も言わずに受け入れていたのが印象深かった。

雨竜の説明が終わったところで、藤花について尋ねたが、雨竜は何も言わなかった。おそらく話せる領域の外なのだろう。

「勝手なことだが、今話したことは機密事項だ。半端に聞きかじってしまった現状、尾ひれがつかないように私の口から話したが、本来お前らが知っていいことではない。他言するなよ。いまさっきの母親にもだ。今も外に漏れないよう、見張ってもらってる位だから」

 先程の黒服達はそういう役目でいたのか。
 きっと背筋を伸ばした唯が尋ねる。

「もし口が滑ったら?」
「お互い不幸なことになるだろうな。すまんが、私もかばいきれないと思う」

 ここで、真剣な表情をしていた雨竜が一転して笑った。

「まあ、脅すわけじゃないが、そういうことだから、よろしく頼む」
「わかりました」
「それで、用事は全てか?」

 何故か険しい口調のアーサーが尋ねる。

「そうだな」
「先生はこれからどうするんですか?」

 歩が質問した。

「教師をやめて、もとのむさっくるしい世界に戻るよ」
「そうですか……残念です。一度お相手願いたかったんですけど」

 歩にとって、雨竜の戦闘時見せた動きは、藤花と並んでレベルの違う代物だった。練習相手としては滅多にいるものではない。
 フォローするように、みゆきが言う。

「まあでも、先生やめたからって、別に会えなくなるわけじゃないですよね? 連絡先とか聞いていいですか?」
「すまない。仕事の都合上、決まった住所とかはないから、そちらからの連絡は難しい」

 申し訳なさそうにそう告げた雨竜に、歩は元気よく言った。

「それなら、別に僕達のは問題ありませんよね? なら先生から連絡くださいよ。副担任なら、私達の住所とかは知ってますよね?」
「あ、ああ」
「なら、連絡ください。できれば、今度は何かおごってくださいね」

 歩が茶目っ気たっぷりに言い、雨竜はゆっくりと返事をした。
 そのとき、こんこんとドアがノックされた。

「時間だ。当分会えなくなるとおもうが、頑張ってくれ。影ながら応援してるから」
「連絡くださいね」
「ああ、いつか、必ず」

 雨竜は扉を開け、廊下側に出ていった。
しかしそこで立ち止まった。くるりとこちらを向き、頭を下げた。

「すまなかった」

 その言葉には色んなものが含まれていた。護衛を果たせなかったこと、幼竜殺しの正体を知っていたのに、当事者である歩達に話さなかったこと、そして幼竜殺しにキヨモリの翼を奪われてしまったこと。

 何も言えないでいると、スライド式の扉が勝手に閉まって行った。残された部屋には、どこか寂しげな空気が流れた。

「先生のせいってわけじゃないのにな」
「けじめであろう」

 歩はふと思い出し、アーサーに目を向けた。

「そういや、なんか聞きたいことでもあるのか?」
「まあ、な」
「聞きたいことがあるなら、行ってきたら? もう当分会えないんだよ?」

 みゆきにそう促されてもなお悩んでいたが、少しして、アーサーは飛び上がった。

「すこし、雨竜のところに行ってくる。まだ間に合うだろう」

 唯に扉を開けてもらい、アーサーはばっさばっさと音を立てながら、廊下に出て行った。



[31770] 幼竜殺し 5-2 その後 結末
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/06/06 19:41



 雨竜は病院の外に出た。

「雨竜さん、やはり車いす使ったほうが」
「いや、いい」

 少し歩いただけで雨竜はお腹に痛みを覚えていた。
実は、医者からは絶対安静を申し渡されていた。雨竜の体構造は固いがもろい。治りも遅いため、こうして一度怪我をするとかなり長引いてしまう。幼竜殺しの一撃は今まで経験した中でも一二を争うものだったが、たった一度の蹴りでこの様だ。その弱点に勝る特技があるからこそ、軍にいられるのだが、やはり情けない。

それでも強引に退院したのは、もうこの場にいる資格が雨竜には無くなったからだ。

「雨竜さん、あれ」

 部下にうながされ振り返ると、自分に向かって飛んでくるアーサーの姿が見えた。
 慌てて全力で飛んできたようで、雨竜の傍まで来たときには息が上がっていた。

「どうした?」
「いや、少し話したいことがあってな。いいか?」

 部下にちらりと視線を送ると、少し困った様子だったが、特に口出ししてこない。好きにしていいということだろう。相変わらず部下に迷惑をかける上司だ。

「まあ少しなら」
「なら場を移しても構わぬか? できるだけ人に聞こえぬところがよい」
「それなら、屋上いくか」

 近くに都合よく外階段があったのでそれで登っていく。急な階段が病み上がりの身体に堪えた。なんとか二階分の階段を登りきったが、息がきれるどころか。
 色あせた木製のベンチに座ると、隣にアーサーが飛び降りてきた。

「それで話の内容はなんだ?」
「できれば二人きりで頼む」

 部下に目配せし、下がらせた。

「これでいいか?」
「ああ、すまぬな」

 アーサーは一息吐くと言った。

「これから話すことは、誰にも言っておらぬ。これからも言わぬ。歩にも言わぬ」

アーサーの重苦しい口調で、雨竜は話の内容がわかってしまった。
 それは雨竜が迷った挙句、結局言えなかったことだ。
 歩達に頭を上げている間、裏でずっと悩んでいたことだ。
 ぽつりとつぶやくように尋ねた。

「わかっていたのか?」
「わかったのは終わってからだ。ならばこそ今こうしておる。言えぬ理由もわかる」

雨竜が何も言わないでいると、アーサーは語りだした。

「疑問を感じていたことがいくつかあった。一つは、雨竜とみゆきが我らの護衛につくという話だ。説明はされたが、その内容はどう考えても不可解なものだ。ただの学生を護衛につかせる意味はまるでない。どんな理由だろうと、そこには何か意図があると考えるのが自然だ」

 アーサーは一度も雨竜に視線を向けなかった。ただ良い天気だな、とでも言っているかのように、天を見上げて口だけ動かしている。

「他にもある。学校への宿泊を強制された際、我らが楽に外出できたことだ。これこそ本末転倒であろう。せめて教師陣にそれとなく見張っておくようにしておけば、簡単に見つけられただろう。なのに、それもなかった。本気で守ろうとする意識がないとしか思えない」

 実際、藤花を除く教師達には歩達にできるだけ接触しないよう、行動を阻害しないよう校長命令が出ていた。建前は、全て雨竜達が意図してやっていることだからとなっていたが、実際は違う。

「では何故そんなことをしたか。歩と我、唯、キヨモリ、そしてみゆき達を集め、監視を緩くして起こるのはどんな事態か。これまでの一週間、仲よさそうにしていた我らを、不平を抱いている学生を、しかもある意味特別扱いを受けているものばかりを集める。どうなるか?
 危機感がまるでない集団の出来上がりだ。幼竜殺しにとって、我らはどう見えたか。
 地面に寝っ転がり腹を晒す獲物に他ならない。つまり、我らは幼竜殺しへの贄に使われたのだ」

 そうだ。
 雨竜達が色々面倒なことをした本当の狙い。
 幼竜殺しをおびき出すために、歩達を囮にすることだ。

 そこからは、雨竜が続けた。

「幼竜殺しの捜査をしていた連中は焦っていた。捜査に進展はなく、被害は増えるばかり。しかも竜にだ。被害者家族のクソ貴族どもは無節操に圧力をかけ続け、軍や警察の関連部署はパンク寸前になっていた。
 そこに容疑者が見つかった。中村藤花だ。手段を選んでいる暇は、どこにもなかった。囮捜査をすることに異論のあるものはいなかった」
「何故直接捕まえなかったのだ? 容疑ならば強引にでも縛りあげ、吐かせればよかったのではないか?」

 雨竜は首を振った。

「彼女にはファンが多かった。彼女の竜に対する造詣の深さ、愛情は学会でも飛びぬけていた。彼女のファンの中に、聖竜会の幹部も含まれていたため、そう簡単にはできなかったんだ」

 今になれば、そのとき捕まえておけばよかったように思う。その幹部も是が非にもという感じではなかった。彼等にとっての藤花は、貴族ではない雑種に過ぎなかった。そのとき決断しておけば、キヨモリの翼は健在だっただろう。貴族におもねることに慣れ過ぎた結果、唯に被害が及んでしまった。

「しかしいざ囮捜査を始めるとして、肝心の餌に貴族が使えるわけもなかった。そこで浮上したのが、歩とお前だ。お前を竜として認めていない聖竜会からすれば、当然の帰結だ。
事前に他の竜には護衛をつけた。幼竜殺しが狙いやすい相手として、お前達を選ぶように。

しかしなかなか動かなかったため、新たな囮を放った。ハンス=バーレだ。新たな竜、しかもあつかいづらいことこの上ない聞かん坊を餌としてちらつかせた。あいつの家は没落していたから、大きな反対の声は出なかったんだ。
家が没落していくさまを苦々しく思っていたハンスに、公安は手下になるかもしれないやつがいるって言って、お前達に引き合わせた。私が戸惑うほどに上手く嵌っていったよ。ハンス=バーレが死んでからは、それを利用してお前達で釣り。結果、成功した」

 雨竜はそこで一息ついた。一気に話したせいで息が上がっていた。病み上がりの身体は熱っぽくなっていたが、それは身体が悲鳴を上げているからだけではなかった。

 ようやく息が落ち着き始め、さてもう一つの真実を話そうかと思っていたとき、アーサーが尋ねてきた。

「我と歩が、と言ったな。やはり唯は別口なのか?」

 雨竜はぱっとアーサーの顔を見た。
 アーサーの瞳は雨竜をじっと見ていた。そこに怒りの感情はない。ただ寂しげに瞳が潤んでいた。泣いているわけでもないのに、どうしてそんな目をすることができるのだろうか。

「そこまで読めたか」

 それ以上何も言わないでいると、アーサーが口を開いた。

「そこに唯に関する胡散臭い話にひっかかるところがあった。唯の護衛任務の優先度が下げられ、幼竜殺しへの監視任務が言い渡される。
そのとき、雨竜ではなく、別のやつを潜入させればいいのではなかったのか? 何故わざわざ教師以外にも、事務なりなんなりどうとでもなっただろうに」

 雨竜があえてぼかして言った内容を突っ込んでくる。細かいやつだ。

「そうなると、別の考えが浮かんでくる。唯の護衛任務は優先度が下げられたのではなく、逆転したのではないか。唯を幼竜殺しに食わせようとする輩が、お前の組織に接触してきたのではないか。唯を疎ましく思う輩は、少なくないと聞いた。唯の父親の権力が弱まったのならば、まず動くのはその輩であろう。
 これらを総合すると、見えてくるものがある」

 雨竜は唾を呑みこんだ。自分でも緊張しているのがわかる。

「幼竜殺しへの監視とは別に、新たな任務が出ていた。平唯を幼竜殺しに差し出せという内容の」

 雨竜は何も言えない。当たっていた。
 雨竜は、唯を見殺しにしようとしていた。

「お前達は何を考えていたんだ? ハンスの命を捨て、歩達をひどく傷つけた。挙句の果てには、唯を殺そうとしていた。何の権利があって、そんなひどいことを?」
「幼竜殺しをこれ以上放置することはできなかった。犯行は一時おさまっていたが、またいつ起こるからわからない。それならば、事前に被害者を決め、確実に犯人を取り押さえるべき、そう思っていたんだ。
 平唯もその一環だ。平唯が死ねば、組織への便宜を払ってくれることになっている。そうなれば、今以上に強力な力で、取り締まることができる」

「傲慢だな」
「そうだな。傲慢極まりない。だが、それが俺達の考え方だった。被害を未然に防ぐためには、小さな被害を躊躇ってはいけない。軍隊としては当然の発想だ」

「事件が終わった現在、歩達に知らせるのが筋ではないのか?」
「これは決して漏らしてはいけない情報だ。お前達に伝えるのは、そのままリスクの増大につながり、最悪殺さなくてはならなくなる。それはしたくない」

「ただ罵倒されるのが怖いのではないか?」
「――そうかもな」

 アーサーの発言は雨竜を誘導するように続いた。ひどく責める言葉なのに、口調はただの世間話のように穏やかだ。
 雨竜は耐えきれず、尋ねた。

「アーサー、どうしたんだ? 何故責めないんだ? 罵倒しない? 私のやったことは、決して許されるものではない。なのに、どうしてそんなに優しいんだ?」

 アーサーはあっさり答えた。

「お前が思い悩んでいたことを知っているからだ。宿直室のときに花火を持ってきたこと。我に追求されて狼狽していたときの様子。みゆきが人質にとられたとき、肝心なところを隠しつつも、機密を語ったこと。そして先程の謝罪のときの様子と、歩達に懐かれたときの態度。どれもあいつらを囮として使っただけとは思えなかった。そうなると、お前の抱く罪悪感は推して知ることができる。なればどうして責められよう?」
「お前、ほんとにすげえよ」

 完全に心の内を読まれていた。
 打算も、思いも、全て。
 その上で――許されていた。

 雨竜はつぶやくように言った。

「私は、もっと罰を受けないといけないと思うんだがな」
「何を言う。過去から今まで、そして未来永劫、抱き続ける苦悩は十分罰に値する。それに。命令違反で受ける罰もあるのだろう?」

 そこまで読んでいたか。
 雨竜が何も言わないでいると、アーサーが説明し始めた。

「唯を殺させなかったのは、明らかな命令違反だ。具体的に言えば、幼竜殺しとの一戦で、単独で来たことだ。あれは幼竜殺しが唯を殺すまで放置するという任務に、明らかに背いている。お前の同僚が現れたのは、全て終わって作戦の失敗が確定してからだ。図ったようなタイミングだったのは、事実図っていたのだ。
更に加えるならば、みゆきが人質になったとはいっても、雨竜が公安の人間であることを語ったのも、機密漏洩にあたろう。それらの責は、軽いものではあるまい」

 本当に、すごい。
 この竜は本当にすごいとしか言いようがない。

 アーサーが尋ねてきた。

「お前はこれからどんなことをさせられるのだ?」
「おそらく最も激しい対魔物の戦場だろうな。住所どころか自由時間もあるか怪しいな。それも多分クソ貴族どもの使いっ走り。昔からやってるが、うんざりするわ」

 だから、歩達に自分の住所を言えなかった。

「昔から?」
「貴族への奉公はガキのころからだ。家柄だな。代々貴族に滅私奉公してんのよ。一人称が私なのも、そのせい。しつけなんだよ」
「なるほど」

 気をとりなおして、アーサーは言った。

「どうなるにせよ、今までの苦悩はこれからも続く。更に過酷な現場に赴かされる。お前の受ける罰は、罪よりも重い位だ」
「しかし被害者からしたら、そうは思わない」

 アーサーは答えなかった。代わりに質問をしてきた。

「それで幼竜殺しはどうなった?」
「わからん。俺の手からは離れたからな。まだ生きているとは思うが」
「そうか」

 それだけでアーサーの質問は終わった。

横目でアーサーの様子を覗う。空を見上げ、どこか遠い目をしていた。縁の下で茶をすすっているような、そんな顔をしている。

 その顔が気になって、聞いてみた。

「幼竜殺しのこと、憎くないのか?」

 幼竜殺しと対峙したとき、アーサーの剣幕はすさまじいものがあった。口ぶりこそ変わらないものの、身体から殺気がにじみ出ていた。相手を殺さずにはいられないという風に、ユウに襲い掛かって行った。

 だというのに、相手のことを尋ねてきたアーサーはまるで気にしていないように見えた。あやふやな返答しか返されなかったのに、そうかの一言で済ませた。気にしている様子がない。隠しているようにも見えない。おかしくないか。

 アーサーは少し考え込んだ後、答えた。

「いざ我に返ると、憎悪はない」
「どうしてだ?」

 返答はすぐに返ってきた。

「藤花も悩んでいたから」
「どういうことだ?」

 幼竜殺しが悩んでいた? 何を? そしてそれがどう関係している?

 アーサーを見たが、特に変わった様子はなかった。

「あやつもお前と同じだ。本当に我らを、唯を殺していいのか迷っていた」

 意味がわからない。

「キヨモリの翼を奪っただろう? それに実際、私が乱入したり、お前が真の力を見せなかったら、今頃俺達はあいつの腹におさまっていたぞ?」

「あやつ、無駄に多弁ではなかったか?」

 話が飛んで、一瞬戸惑ったが、すぐに気を取り直し考える。相手の動揺を誘っていたのもあったが、思えばずっと何かを説明していた。

「言われてみれば、ずっと口を開いていたが、それがどうした?」
「あれはあやつなりの時間稼ぎだったように思う。時間稼ぎとはいっても、何か特定のものを待っていたのではなく、ただ後回しにするといった類のものだ。夏季休暇の課題のようなものだ」

 夏季休暇の課題? ただ後回しにしていただけ? 何が? まるで信じられない。
 雨竜が根拠は、と尋ねると、アーサーはすぐに答えた。

「これまでの幼竜殺しの犯行は、どれも一筋の痕跡も残さぬ完璧なものだった。ならば犯行そのものもシンプルに行われてきたと考えるべきだろう。場が整った瞬間、奇襲、一撃でしとめ、即連れ去る。そういったものだったろう。
 なのに今回は違った。映画の三流悪役の如く、いらんことまでしゃべっていた。そこには、藤花がそうした理由があったはずだ」

「しかし、何年も犯行を重ねてきた幼竜殺しが今更何を迷うんだ?」

 いきなりアーサーが雨竜のほうを向いた。突然の変化に身をびくっと震わせたが、アーサーの表情は今までと変わらない、淡いものだった。
 その口から端的な言葉が漏れた。

「お前と同じだ。教え子に感情移入してしまった。だからだ」

 幼竜殺しと同じと言われて、咄嗟に反論が口をついた。

「それもいまさらだろう。中村藤花はこれまでずっと教師をしてきたのに」
「中村藤花は、これまで竜使いを教え子に持ったことがなかったと言っていた。通常、竜使いは一般の学校には通わない故、当然だ。教え子を獲物にするのは、初めての体験だったのだ」

 雨竜はそれが本当かどうかは知らない。信じられなかった。幼竜殺しに、そんな情緒があるとは思えなかった。
 しかし話の筋は通っているということも、否定できない。

「唯達が生きているのもそうだ。あの晩、出て行った唯の後をお前は急いで追ったが、それでも幼竜殺しが殺す時間は十分にあった。実際、牙はキヨモリの翼を引き裂いた。しかし、何故翼なんだ? あれほどの技量を持つ幼竜殺しならば、一撃で仕留められただろうに。相手がキヨモリだからというのも理由にならない。完全な不意打ちというのは、それ自体で決着がつくものだ。それこそお前らのようにレーダーでも持っていない限り」

 幼竜殺しは完璧な犯行を繰り返してきた。犯行の目撃者は一人もいなかった。それはつまり奇襲が百パーセント成功してきたことを意味する。ならば、その奇襲の能力は相応のものを持っていたということだ。

 なのに、平唯のときに限って失敗した。そこには要因があったと考えるべきだ。それをアーサーは指している。

 しかし納得できない。あの幼竜殺しがいまさらそんなことを? ありえないという気持ちは、消えない。しかし。

そうして雨竜が終わらない思考を続けていたとき、ばさりと音がした。
見ると、アーサーが翼をはばたかせて飛び上がっていた。

「もう語るべきことは語られた。我は戻る。呼び止めて悪かった」
「あ、いや。こちらこそ助かった」

アーサーが離れていくのが見えた。
これから当分会うことはないと思うと、途端にさびしくなった。唯一、口に出せない雨竜の内心を読みとった理解者がいなくなるかと思うと、つい口から出てしまった。

「アーサー、ひとつ、いいか?」
「なんだ?」

 アーサーがその場で振りかえった。

「おれは、歩達に言うべきだったか?」
「甘えるな」

 アーサーはすぐに答えた。端的だが、ぴしゃりと断じた。雨竜のそれは甘えだと。

「……厳しいな」

 雨竜もわかっていた。たしかに甘えなのだ。アーサーに今尋ねたことは。

 アーサーはそのまま去っていった。外階段を下りていき、姿が見えなくなった。
 雨竜はなんとなく顔を上げた。空が青く、雲が白い。陽が身体を照らし、汗をかいた身体には少し暑く感じた。

「雨竜!」

 アーサーの声が響いてきて、声のほうを向いたが、姿は見えない。階段を少しおりたあたりにいるのか。
 姿が見えないまま、アーサーの声が聞こえてきた。

「また酒を飲もう! 今度はお前が持ってこい!」

 それだけだった。雨竜はずいぶんと呆けていたが、それ以上は何もなかった。
 雨竜は再び顔を見上げ、顔に右手を当てた。口元が歪んでいるのが、自分でもわかった。

 アーサーは降りてきたのに姿を見せない雨竜を心配したのか、部下がやってきた。

「大丈夫ですか?」
「……ああ、大丈夫だ。行こう」

 そう言うと、雨竜は立ち上がった。階段をおりていくが、少し力が戻ってきているように思った。
 自分だけに聞こえるよう呟く。

「厳しいやつだ」

 喜びを隠し切れていなかった。






「おう、おかえり。なんだったんだ?」

 アーサーが戻ってきた。意外と時間がかかった。
 戻ってきたアーサーは、いつになく元気がない。

「アーサー、どうした?」

 今度は唯が聞いた。

「重大な事実を知らされた」

 なんのことだろうか。息をのんでアーサーを注視する。

「雨竜は本当にひどい裏切り者であった」
「何を言われたの?」
「ひどすぎる……」

 皆が固唾を飲んで見守る中、数秒溜めた後、アーサーが語気を強めて言った。

「雨竜のやつ、秘蔵の酒を持ってくるとかぬかしたくせに、持ってないとか言いおった! 我がどれほど待ち望んでいたか! やつは死して償うべきである!」

 病室の緊迫した空気が、一瞬で腑抜けた。そんなことで、追いかけて行ったのか。

「お前、それのどこが重大な事実だ」
「あの野郎、酒を飲んだ勢いとはいえ、そんな嘘を吐きおったのだぞ!? これを裏切りと言わず何と言うのだ! 酒飲みとして、いや、人間として、最悪の蛮行だ!」
「だからなんだっつうんだよ」

 飛んできたアーサーの手をつかみ、痛覚のつぼを突いた。アーサーは間抜けな音を漏らして、歩の寝る布団の上に、ずさっと落ちてきた。

「アーサー、それはないよ」
「まあらしいっちゃらしいけどね」

 唯もみゆきも苦笑している。イレイネとキヨモリも、場の雰囲気に流されて気が抜けたような態勢に変わった。

「お腹空いたね。なにか買ってこようか」
「私も行くよ。歩は何いる?」
「俺も腹減ったんだけど、固形物って食っていいのかなあ」

「歩なら大丈夫でしょ」
「ひでえ」
「じゃあ、言ってくるよ。キヨモリ、お前も来る?」

 歩とアーサーを除いた全員が出ていった。キヨモリも窮屈そうに身を屈めながら付いて行った。

 人が減り病室の中が途端に静かになると、眠気が強くなってきた。そういえば意識を取り戻したばかりだった。派手に説教も喰らったのもあり、身体がずいぶんと重い。

 眠気に身を任せて、歩がベッドの上にうつ伏せになると、アーサーが声をかけてきた。

「なあ、歩」
「なんだ?」

 うつぶせに寝ているため、アーサーの顔は見えない。

「あの、その、なんだ。まあ、死者が出ずにすんでよかった」
「そうだな」

 歩は目をつむった。アーサーが何を言いたいかわかっているから。
 アーサーはそれから不明瞭な言葉を続けた。見ずとも、落ち着きなく視線を乱高下させながら、迷っている姿がありありと脳裏に浮かぶ。歩はそれを黙って聞いていた。眠気に意識を揺さぶられながらも、アーサーの最後の一言を聞き逃さないよう、それにちゃんと答えられるよう。

 無駄な言葉を吐き続けていたアーサーが、不意に黙り、息をすっと吸った。
 アーサーが端的に言った。

「色々すまなかった」

 歩も端的に答える。

「……あいよ」

 初めてといってもいい位、珍しいものを聞きながら、歩の意識は消失した。






 歩はわかっていた。アーサーがまだ何かを隠していることを。

 しかし歩は黙って見守ることにした。

 これもまた聞かん坊をパートナーに持つ者の役目だろう。





幼竜殺し、終了です。
お付き合いいただきありがとうございました。
引き続き投稿していくので、よかったらどうぞ。



[31770]  * ここまでのキャラと世界観の設定です
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/06/20 21:05
 『幼竜殺し』までの設定およびキャラです。
 改稿に時間を費やしてしまい、長らくお待たせ? してすみませんでした。
DDSは読んだけど忘れてしまった方や、ちょっと目についたけど一章全部を読む気になれない、という方、全貌がよくわからなかったという方用に作りました。
 よかったらどうぞ。






設定解説

 パートナー

 人が生まれたときから持っている卵から孵化する異形の生物でA~Eまでランク分けされる。
竜、悪魔、天使、機械、精霊、狼、巨人、鷲など、なんでもあり。
人とリンクしており、パートナーの特性は人にも受け継がれる。たとえばパートナーが巨人であれば力が強くなり、犬であれば嗅覚が上がる。長所だけでなく短所も影響を受ける。猫がパートナーだと味覚の内、甘さを感じにくくなるなど、些細なことから。
命もリンクしており、片方が死ねばもう片方も死ぬ。パートナーの呼称はこれが一番の要因。






 世界観

 一般の人の暮らしは、携帯とパソコンのない現代位。街並みは高層ビルが都市の中でも限られた一部にしか無い位で、同等。らしい下町も残っている。庶民に普及している科学技術も同レベルか若干下位。(機械型パートナーとか異次元の科学技術レベルもあるが)
 車もあるが、それよりパートナーを活かした馬車や牛車が一般的。基本的にエコ。






 魔物

 パートナーではないが、同じく異形の生物。
 パートナーと同じ区分がされており、人と密接していること以外はパートナーとほぼ同じ。
 基本的に人とは相いれず、そのためこの世界の学校では、模擬戦と呼ばれる授業が組み込まれている。軍や民間会社による、討伐も多い。
 人間の生活の役に立つ素材となるものがある。


 蛍光兎 毛が電灯のフィラメントに使われる。毛を抜けばそのまま使え、長持ちして便利。
 黒蛇 頑丈な皮を持ち、戦闘の際の服などに使われる。






 聖竜会
 この世界で最も強力な生物である竜をパートナーにもつ人達の集団。ここに所属している人間が貴族であり、様々な特権を得る。全ての竜使いが貴族になれるわけではない。中はかなりどろどろ。








主要人物紹介



 水城歩
 主人公。パートナーは竜のアーサー。ほんの少し世捨て人のようなところがあるが、基本は真面目なツッコミ役。自己評価が低く、自暴自棄なところがある。実際は、人間としては最高レベルの身体能力を持っている。聖竜会には今のところ関係なし。


 アーサー
 もう一人の主人公。意味もなく傲岸不遜でうざい。竜だが、生まれたときから成長しておらず、歩の肩に止まれる位の大きさしかもっていない。身体能力も大きさ相応。頭が回るため、実戦では指示役に回っている。竜ではあるが、竜を苦手としている。
 実は強力な力を持っているのだが、竜相手にしか力を発揮できない竜殺しの竜。竜を前にしたとき、身体が巨大化、最高クラスの力を持った竜となる。他の竜が苦手な理由は、竜を前にしたときの自分が怖いから。





 能美みゆき
 主人公の友人兼妹兼姉兼クラスメイト。パートナーは精霊型のイレイネ。中学に入ったときに歩の母親に引き取られ、三年間歩と一緒に生活していたが、高校入学を機に独立。すらりとした体型と身のこなし、優秀な頭脳と身体能力、社交性の高さなどから、人気がある。
 実は両親が聖竜会に所属する貴族。通常、竜使いからは竜使いしか生まれないのだが、彼女は例外。実家の権力争いの激化と、竜使いなどではないことから、歩の家に引き取られた。

 イレイネ。
 みゆきのパートナー。見た目はみゆきをゲル状にしたもの。身体を自在に変形させることができ、応用力に長ける。単純な力はそれほどでもないが、竜使いを除いてではあるが、学年トップの成績を残している。





 平唯
 もう一人の竜使い。パートナーは竜のキヨモリ。本人は小柄な可愛らしい外見。特別扱いを受けているのもあり、学校で孤立していたが、歩と模擬戦で戦ったのを期に、歩、みゆきと交流を深め始める。子どもっぽいところがあるが、貴族として暮らしてきた経験から、大人な考え方も身についている。竜がパートナーであるため、本人も相当な戦闘力があるのだが、キヨモリの圧倒的な膂力に任せ、自身は最低限の自衛しかしない横綱相撲的戦闘法なども、貴族故のもの。
 聖竜会に所属する貴族だが、いわゆる愛人の子。そこに本家の継承権も重なり、複雑な環境に身をおいている。貴族の通う学校ではなく、一般学校にいるのもそれが理由。

 キヨモリ
 竜らしい竜だが基本的にのんきで子どもっぽい。歩達との模擬戦の際、初めて痛みらしい痛みを覚え暴走するなど、そういう意味でも子ども。ただし本人には悪気がない。能力はまともにやれば、学校でも相手になるものがいない。幼竜殺しに襲われ、翼を失ってしまったが、それでものんき。






 中村藤花。
 歩達の学校の担任を務める女教師。パートナーは狼型のユウ。かわいらしい外見だが、教師としての能力は折り紙つき。話のわかる教師として生徒の人気も高く、その有能さから学校側の評価も高い。模擬戦授業でも一番上のクラスを担当している。
 教師としての生活の裏で、幼竜殺しとして多数の竜を殺してきている。パートナーも実はキメラ型で、他の生物、特にパートナーを好んで食べる習性がある。食べた相手の能力を得ることができる。幼竜を殺すのは、味覚に合うから。幼竜殺し事件後、軍部に捕まり、なんらかの処罰を受けていると推測される。

 ユウ
 中村藤花のパートナー。普段は狼型に擬態しているが、実際はキメラで、どんな姿にもなれる。人と一心同体のパートナーが多いが、その中でも人との結びつきが特に強い。






 長田雨竜。
 副担任の男性教諭。パートナーは不明。三十前にしてちらほら白髪が見えるが、それ以外は体格のいい青年と壮年の境目。目線が生徒に近いため、人気もある。
 実際は軍人。唯の護衛役として学校にもぐりこんだが、途中から幼竜殺しの拿捕に任務が変更された。しかし聖竜会での権力争いのため、唯を見殺しにしろという計画を納得できず、キヨモリの翼がもがれたのを期に反抗。計画を崩壊させてしまった。幼竜殺しを捕まえることはできたが、命令違反の咎を受け、厳しい戦場へ投入されることが決定している。

 サコン。
 雨竜のパートナーで機械型。見た目は機械の竜。レーダーや粒子砲など、逸した技術レベルで構成されている。戦闘能力も非常に高い。
 欠点は燃費の悪さと構造のもろさ。その影響を受けた雨竜が、藤花の蹴りを受けただけで戦闘不能になったほど。超攻撃特化で、本来ならレーダーおよび超科学のギミックでの、不可避の一撃必殺で運用される。





 水城類。
 歩の母親。パートナーは猫型のミル。ざっくばらんながら、いい親をしている。見た目が若く、歩の同級生からナンパされたことも。

 ミル。
 品のいい猫型。念力持ち。






 岡田慎一。
 歩の男友達で、クラスメイト。社交性が高く、クラスのにぎわし役。悪食蜘蛛から話に入ってくる。

 マオ
 慎一のパートナーで狼型だが、歩になついている。その様は完全に犬。慎一に対しては忠犬ハチ公。







他にも気になった設定などがあれば、気軽に質問ねがいます。



[31770] 悪食蜘蛛 0-1 新しい風と陰謀
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/06/09 14:02



 歩は全身に蒸気を上げていた。激しく動かされた結果、発熱しようともがく身体の意思だ。神経は疲労を嘆く嘆願書を脳に送りつけてくるが、歩はそれを破って捨てた。

頬に流れ落ちる汗を、無視して正面を見据える。

 乾いた黄色の大地の先に、竜がいた。キヨモリだ。大木のような両足は、そのまま根でも張ってあるかのように、どっしりと地面にそびえている。上げた両腕の先に、曲刀と見紛わんばかりの爪。一端振るわれれば、軍でも使われる黒蛇製の防御服でも簡単に引き裂く代物。それを越えても、先にあるのは爪をいくつも束ねたような牙と強靭な顎。しかし引くと、大木のような両足よりもなお太い、山を切り崩して作られたような尾が襲いかかってくる。

 歩は両手に掴んだ棍棒を握りなおした。どこかおさまりの悪い感じが抜け落ち、代わって腕の先に手があるように、手の先に棍棒があるような、身体の一部と化す一体感が生まれた。

 正面の瞳を見る。そこに敵意はない。

 一歩踏み出した。じりじりと距離を詰めて行く。キヨモリは動かない。双眸でしっかりと歩を捉え、時期だけをしっかりと見極めようとしているのが伝わってきた。

 歩は走り出した。同時に進行方向を変え、キヨモリを中心に円を描くように動く。

 キヨモリはその場で身体を回し始めたが、歩が走るよりも遅かった。巨躯ゆえ、どうしても反応が鈍くなってしまうのだ。最終的には、首をも回して歩を見るしかできないのだが、自然、追いつかない現状、限界まで首を回したところで、見えなくなってしまう。

限界を越え、キヨモリが逆方向を向いて歩を捉えようとした瞬間、仕掛けた。手にした棍を抱えるように掴み、一本の矢と化して竜に襲い掛かる。

そこに極太の尾が振るわれた。鞭のようにしなりながら、丸太の質量をもって飛んでくる。

歩は縄跳びの要領で飛んで避けた。危うく足の先が尾にかすったが、態勢も崩さずに済んだ。そのまま宙で棍の掴み方を変え、棒高跳びのように逆手でしっかりと抱える。

 突っ込んだ。キヨモリは転換と同時に、巨躯と比べると若干小振りな腕で裏拳を放ってきたが、歩の後方で空を切った。

 棍は、肩に当たった。しかし返ってくる反応は鉄のような固さを持ったゴムだった。ぶ厚い皮膚と肉に阻まれ、それ以上の侵攻を許してくれなかった。

 歩は手応えに落胆しつつも、キヨモリの肩を蹴って前方に身をひるがえし、地面につく。

 すぐに振り返ると、ほぼ同時にキヨモリの瞳も歩を捉えてきた。若干怒気が混じっていたが、それほど濃くない。痛かったが、それだけと言った感じだ。やはり、弱点を狙わないと、どれだけ力を込めようが、歩では痛苦の一撃まで至らない。

 歩は次撃を加えるべく、棍を握った。キヨモリもまた次の衝突に備え、やや身体を傾ける。次は竜から仕掛けてくるつもりなのだろう。

 そこでぱんぱんと手を叩く音が聞こえてきた。そちらに振り向くと、竜の使い手である唯が苦笑いを浮かべていた。

「終了、終了。もう時間だよ。私の部屋でお茶にしよう」

 歩はほっと息を漏らした。途端に全身から力が抜ける。

 近付いて行くと、タオルと金属製のコップが差し出された。みゆきだった。

 ありがとう、といいつつ受け取り、そのまま口に含む。中身は水だった。有難く口の中をゆすぎ、粘っこい唾液を洗い流した。

 ゆすいだ水を下水に吐き、今度は喉をうるおそうと水を含んでいると、声をかけられた。

「凄まじいなおい。曲芸かなんかかあの動き。お前さ、最近化物じみてきてないか?」

 三年に上がっても同じクラスになった慎一だ。傍らには彼のパートナーである、狼型のマオもいた。

「そうか? 最近身体の調子がいいのは、そうだけど」
「調子がいいじゃねえよ。容易く人が空飛ぶな」

 雑談しつつ、校舎の中に入って行った。

 向かった先は、教員棟の一角にある、唯の個室だ。模擬戦の授業中、他の生徒とは別行動をとることが多い唯のために、学校が応接室を改造して作った、竜使いの特権を象徴するような部屋だ。

壁はくすみ一つない白。板張りの床は明るい色を保っており、机にひっかかれ、学生の適当な掃除にお目にかかったことがないのが一目でわかる。壁際に置かれた背の低い書棚は、濃い色をした木彫で、表には綺麗なガラスが嵌めこまれている。学校の中の、それも学生一人に与えられている部屋とは思えない。応接室の名残か、黒く光るソファ黒檀のテーブルもある。

 歩がソファを避け、地面にそのまま座りこむと、唯が言った。

「そんな地面でなくって、ソファに座ればいいのに。多少の汚れ位、気にしなくていいよ」

 歩は笑いながら首を振って、そのまま地面に座り込んだ。タオルで首元を拭いつつ、ソファに視線をやる。

 色は照りのある黒。腰かけると身体がゆっくりと沈んでいくのだが、不思議と身体にかかる負担が少ない。それまで座ったソファとは、段違いの代物だ。

初めて腰掛けた際、余りの心地良い感触に唯に尋ねたところ、ライトシープ製だと聞かされ、納得すると同時に、座りづらくなった。ライトシープ製のライトは明かりではなく、丁度いいという意味だ。その名の通り、柔らかさと堅さのバランスに優れており、最高級品の家具に使われている。駅前の高級家具店でディスプレイ表示されているものを見たことがあるが、高校を二回行ける位の値段だったのを覚えている。

壁際にある大きめの冷蔵庫から、オレンジジュースのビンを取り出している唯が、無造作に言ってのける。

「学校からもらったもんだから、適当でいいのにね。今キヨモリが寝そべっているクッションも、同じ素材だし」

キヨモリのほうを見る。板張りの床の上に寝そべっていた。うつ伏せになった身体の下では、ソファと似た黒革のクッションがはちきれんばかりに押しつぶされている。表面にはいくつもひっかき傷があり、ところどころよだれの跡が見えた。これがセレブか。

「同じ素材って?」

 ソファに座った慎一が尋ねた。慎一はこの部屋は初めてなのだ。

唯がライトシープと端的に答えると、途端に慎一の身体が強張った。

 視線を向けてきた慎一に、歩は苦笑で返した。その顔はなんとも情けない表情をしている。おそらく初めて知った自分もこんな表情をしたのだろう。隣で床におすわりをしているマオが不思議そうに見つめていた。

「うむ、確かにこれは居心地がいいからのう。歩、うちのソファもこれにせんか?」
「無理」

 テーブルを挟んだ先の同じソファに、みゆきとイレイネ、そしてアーサーが座った。

みゆきは自然な様子でソファに腰掛けている。その様は絵になっていた。馴染んでいるのだ。背中に張り付いているイレイネもなんら普段と変わりない。豪華なソファや内装に、全く気を払っていないのがわかる。つい最近、みゆきが貴族だと知ったのだが、初めて実感したのはこの部屋での所作だった。

 アーサーは、小さい身体で一人用のソファを占領していた。大きすぎる背もたれに背中を預け、玉座に座る王のように胸を張っている。巨人の王座に強引に座る人の王とも見えるが、どちらにしろ態度は王だ。

 イレイネが不定形の腕を伸ばして、オレンジジュースの入ったコップをテーブルに並べている間に、唯もやってきた。

一つ残った少し使いこまれた感じのするソファに身を預け、イレイネの差し出したコップをありがとうと言って受け取った。

一口飲んだあと、唯は顔を慎一に向けた。

「それで例の件だけど」

身の置き所が悪そうにおっかなびっくりとしていた慎一が、途端に背筋を伸ばした。

「はいはい、決めてくれたでしょうか!」
「決めるも何も、最初から言ってるでしょう」
「俺は聞いたことなんてないって!」

 とぼける慎一に、唯は冷えた調子で言った。

「断らせていただきます」
「そうか。ではもう一回尋ねるよ。ギルド、作らない?」
「では、に繋がってないんだけど」
「細かいことは気にしない」
「……嫌」
「嫌よ嫌よも好きの内?」

 おどける慎一に冷えた視線を送りつつ、唯はため息をついた。










 綾辻明乃は聖竜会本部ビルの廊下を歩いていた。

床には赤い絨毯が敷かれ、等間隔に観葉植物が並んでいる。いかにも、といった空間だ。空調が行き届いているが、慣れない身としては逆に息苦しく感じた。いつも身につけている自分のパートナーの感触がないのも、息苦しさを助長している気がした。防犯上の理由とはいえ、パートナーと離れ離れにさせられるのは、ずいぶんと辛い。

身を奮い立たせながら目標の部屋に行きつくと、ドアをノックしてから入室した。

 部屋の中は真っ暗だった。明かりは消されており、向かって正面にあるデスクに置かれた、テレビ電話の画面だけが機械的な光を放っている。

デスクには聖竜会副会長であるミカエル・N・ユーリエフが座っていた。なにやら電話をしている。出なおしたほうがいいかと思ったが、ミカエル副会長が手ぶりで置いてあるソファを指したので、そこに座った。

 部屋を見回す。ライトシープ製の最高級ソファや、落ち着いたアンティーク家具が並び、重厚に仕立てられている部屋では、外界の音は聞こえてこない。ソファに腰掛けた明乃の耳に入ってくるのは、電話から微かに漏れ聞こえる声だけだった。

 それまで黙って聞いていた副会長が、声を荒げた。

「会長、そんなに悠長では何も片付きません! 彼等は既に静観できるラインを越えてしまっている! 調査しなければならない!」

 副会長の語尾は強いものだった。会長の竜に対するありあまる愛情が、鷹揚な対応を引き起こすことは有名だ。その下にいる副会長としては、歯がゆい思いをすることが多いのだろう。

 それにしても、副会長の剣幕は強すぎる気がした。件が件だけに、仕方がないのかもしれないが。

 電話から会長のしわがれた声が聞こえてきた。音量は小さいが、静まりかえっている部屋の中ではよく響く。

「この件は私に任せてくれ。なに、悪いようにはせんよ」
「そうではありません! 即急に対処する必要があります! 何の役にも立たないと思っていたあのE級生物のインテリジェンスドラゴンが、幼竜殺しを瀕死にしたんですよ? 明らかにおかしい! やつには何かあります! 全ての竜のためにも、聖竜会のためにも、その謎はすぐに解明しなくてはなりません!」

 会長のひび割れた笑い声が聞こえてきた。邪気のない、子どものような笑いだ。

「彼等は確かに些か特殊だが、竜だ。竜同士、敬意と愛情をもって接さねばならん。しかし皆少しばかり彼等に悪感情を抱いておるのでな、公平に接することは難しかろう。だから私が出張っておるのだ」

 少し前に目を通した資料を思い出す。

 水城歩。高校三年、公立水分高等学校所属。身体能力は竜使いとしても上位、つまり人間の中ではトップクラスの力を持つが、それだけ。卵生生物の上層に勝てる程ではない。

 そのパートナー、アーサー。インテリジェンスドラゴンにして、E級生物。特異な存在ではあるが、現実的な戦闘力は皆無。特殊な能力もない。頭の回転は優れている。

 人としては最強クラスだが、それだけの水城歩と、頭は回るがパートナーとしては最弱のアーサー。稀な存在だが、ただ珍しいだけ。報告書にはそう断じられていた。

それが最近覆された。事の発端は彼等が幼竜殺しに襲われたことだ。幼竜殺しは今まで何体もの竜を暗殺してきた有数の竜殺しで、その力はかなりのものと推察されていた。実際、戦闘した軍関係者の報告によると、軍の中核を担う竜クラスに勝るとも劣らない力とのこと。

ただ珍しいだけだった水城歩とアーサーは抵抗することすら難しいと思われた。
だが彼等は勝ってしまった。それもアーサーが巨大化し、成竜となって対峙し、正面から打ち破ったというではないか。

巨大化自体はまだよかった。多種多様で想像外の所業を見せるパートナーならば、それほどあり得ない話ではない。稀なだけだ。問題なのは、特異な存在であるアーサーに、まだ秘められた力があったことだ。

最近になって目覚めた力なのか、気付いた力なのか、はたまた隠していた力かはわからないが、捨て置ける話ではない。

しかし会長はそれを拒否している。副会長が憤るのもわかる。

「彼等はE級です! 正確には竜ではありません!」

 副会長の叫びに、会長の落ち着いた、のんきな声が飛んだ。

「そもそも私はE級を竜に当てはめるべきではないと考えておる。竜は竜だ。それは置いておくとしても、アーサー君に関しては、身体を大きくしたという話もある。もうただのE級とは捨て置けないであろう」
「それです! 彼等はまだ見ぬ力を隠していたんですよ? 以前尋問した際、彼等は何も隠していないと言いましたよね? 結果はこれだ! 以前よりも更に厳しい尋問が、場合によっては教育が必要です!」

 教育。いい言葉だ。

 その言葉が気に障ったのか、会長が少し口調変えて告げた。

「それもまだわからぬであろう。アーサー自身が知覚してなかっただけかもしれん」
「それを白黒付けるためにも、尋問を――」
「副会長、彼等の監督責任者は誰だ?」

 副会長は一瞬間をあけた後、答えた。

「会長です」
「そうだ。彼等の特異性から、昔から私が請け負っている。そしてそれはまだ続いている。私が白と判断したならば、白なのだ」
「しかし彼等はともすれば竜全体にも影響を――」
「くどい」

 強い口調に、副会長は黙った。

「この件に関しては、会長である私が私個人の責任でもって対応する。異論は認めぬ。よいな?」
「――はい」
「よし。ならばこれで終わりだ」
「待ってください。まだ議題が」
「他は任せる。いつも通りに差配せよ」

 その一言で、電話が切れた。

 ツーツーと耳に触る音はすぐにやみ、副会長はデスクに肘をついたまま、両手を組んで祈るような態勢になった。

「待たせてすまなかったな」
「いえ」

 思っていたより、その声はいつも通りだった。最高権力者の機嫌を損ねたというのに、平然としている。

「あの」
「気にする必要はない。会長はすぐに忘れれられる。そういう意味でも鷹揚な方だ。
 重要なのは、私が他を任せられたことだ」

 明乃は一瞬戸惑ったが、少し頭を巡らすと、気付いた。

「その一言が欲しかったんですか?」
「会長のことはわかっている」

 液晶から洩れる光のもと、副会長が口を歪めるのが見えた。憤っているように見えたのは、演技だったようだ。

「これで、最後の懸案が片付いた。君もようやく仕事に取り掛かれるということだ」

 明乃は背筋を伸ばした。背中にすっと張りができる感覚があった。その張りは首を通じて脳にまでおよび、意識をすっとクリアにした。

「さて、綾辻明乃。指令の復唱を」

 これを答えると、もう退けなくなる。副会長の手駒となり、非道を行うことになる。

明乃は心の中で天秤にかけた。人道を外れることと、大事なもの。どちらが重いか。どちらに傾くか。

秤はすぐに音を立てて一方を突き落とした。からからと音を立てて、冷たい鉄の台座を人道が転げていった。すぐに台座から外れ、外にあった汚泥の中に入り込んでいき、見えなくなった。

 事前にもらった参考資料を思い出す。水城歩やアーサーの写真があった部分より、もっと手前の、最も詳細に書かれていた対象。そこにはまだ幼さの残る女子生徒の顔が写った写真があった。

「水分高等学校の教師として潜入、平唯の傍につき、副会長の指令を待ちます」
「よろしい。これが教員の任命書だ。一両日中に、飛んでくれたまえ」

 明乃は副会長が差し出した封筒を受け取ると、部屋を後にした。



[31770] 悪食蜘蛛 0-i 遥か過去
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/06/09 14:04



 一番古い記憶は、母さんの幸せそうな顔だ。それに続いて、じいさまがやってきたときの嬉しそうな顔が浮かび上がる。じいさまの顔は、今よりは少しは若かった。

 生活は安定していた。歩達が驚いていたソファも、生まれたときから使っていたものと同質だ。おそらく値段もそう離れていない。

 母さんのパートナーは精霊型だった。名前はシズカと言った。姿が使い手である母さんに似ていたのはみゆき達と同じだが、水を媒介にしたイレイネとは違い、風を媒介にしていた。

 自分にとってのゆりかごは、母さんではなく彼女の手の中だった。彼女の手は柔らかかった。風だから当然だ。優しく身を包む感触はどんな布団よりも温かく、優しかった。

 じいさまは月に三度ほど家に来た。特に優しくされた憶えはないが、彼が来ると家がなんだか暖くなっていた感覚を覚えている。母さんの関心がじいさんに向くのがさびしくて、纏わりついてはしきりに泣いたが、じいさまは怒ることなく、柔らかな笑みを浮かべて私を見ていた。

 ただ素敵な時間だった。みゆきや歩と出会うまで、忘れていた位に。




情景描写無し、『私』の名前も出してませんが、うっすらわかる感じになってるといいのですが



[31770] 悪食蜘蛛 1-1 余波
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/06/13 17:55



 幼竜殺しの正体は元担任の藤花。仮初の教師だった元副担の雨竜。そして真のアーサー。

 そのどれもが普通の高校生では知り得ない、体験しえない秘密だった。もう普通には戻れないような、そんな事件だった。

 だが現在、歩は無事に一つ進級して、普通の高校三年生をしていた。

「歩、課題見せて」
「お代は?」
「昼飯に好きなパン一つ」
「よし、交渉成立」

 三年になっても同じクラスになった慎一に、英語の課題を渡す。次の時限までは五分位しか残っていないが、まあなんとかなる量だ。

「藤花先生とかだと、写すと一発で読んでくるからできなかったんだよな。助かるわ~」
「いつもは藤花先生が恋しいとか言ってたくせに」
「飴にはなびいて、鞭には逃げる主義なんで」

 藤花は身内の不幸で退職したことになっている。離任式にも姿を見せず、当たり障りのないお別れの手紙が届いたが、本物のはずもなかった。

 幼竜殺しは、歩やみゆきが襲われたその場で殺害されたことになっている。各種メディアではそう報道され、世間の反応も最初は沸いたが、すぐに落ち着くべき所に落ち着いた。藤花が幼竜殺しであったことは、竜の面子のためか、彼女がキメラであることを隠すためか、また別の理由からなのかは知らないが、完全に隠されている。

 当然そんなことは知らない慎一が、必死に課題を写すのをよそに、歩は事件を振り返った。

 体調が戻ってから、歩は質疑応答を受けた。どこの組織かは名乗らなかった。歩も敢えては聞かなかった。

 歩はほとんど包み隠さず答えた。藤花と、未遂ではあるが雨竜への罠、罠を仕掛けた理由、動機、藤花と対峙して怒ったこと全部。

 その中にはアーサーが巨大化したことも含まれている。到底隠せるものではないと思ったからだ。

 隠したこと二つ。アーサーの巨大化の条件と、藤花を幼竜殺しだと睨んだ理由の内、アーサーと歩が怖く感じたということ。

 その二つはどちらもアーサーが竜殺しだということを示している。聖竜会が牛耳るこの世界において、それは致命傷になりかねないものだ。雨竜が話したり、アーサーの口上を同僚が耳にしたりしたかもしれないが、ひとまず隠すことにした。

 結果、何もなかった。少なくとも、そこで面と向かって言われることはなかった。

「終了! あんがと」
「どういたしまして」
「報酬に関しては、できるだけ手加減していただけると助かります」
「では三段重ねのカツサンドで」
「鬼」

 三段重ねのカツサンドは、購買で一番高いやつだ。

 歩は笑いながら言った。

「冗談冗談、焼きそばパンで」
「了解、買ってくるわ」

 慎一からノートを受け取ったところで、教室のドアがガラリと開けられた。

 見ると、英語の課題担当の教師がやってきていた。新任の女教師だ。

 名前を綾辻明乃という。

「授業を始めます。席についてください」

 彼女は歩の新しい担任でもある。藤花よりも更に若い二十五歳だ。

しかしその声は藤花とは比べ物にならない位堅い。首元まできちっとボタンを止め、紺色のパンツスーツに身を包んでいる姿もそうだ。新任だからというわけではなく、これが生来の性格なのだろう、亀のような人だ。綺麗な人ではあるが。

 慎一がぎりぎりだった危ねえと笑みを浮かべながら席に戻っていくのをよそに、自分の机に教科書を取り出す。

 明乃の授業が始まった。口調と同じく、授業内容も無難で堅かった。









 授業がつつがなく終わり、昼休憩の時間になった。

「じゃあちょっくら行ってくるわ」
「よろしく」

 慎一が購買へと走っていく音を聞きながら、歩も立ち上がると、三年でも同じクラスになった唯に目を向けた。歩と唯の模擬戦から始まった昼食会は今でも続いている。

歩は新クラスでも慎一、唯と仲のいい友だちと一緒になれたが、残念ながらみゆきは別のクラスになってしまった。新クラスが発表されたとき、泣きそうになっている唯と、少しさびしそうな笑みを浮かべるみゆきを覚えている。

彼女に近寄り、声をかけた。

「では行きますか」
「岡田君は?」

 唯は何気ないように装って、しかし嫌悪感が拭いきれていない声で言った。

 唯は慎一のことを岡田君と呼んでいる。内心、歩とみゆきとの昼食には来てほしくないのがありありと見える。歩とみゆきが下の名前で呼ぶ中、唯は頑なに上の名前で呼び続けている。

「昼飯買いに行ってる」
「そう」

 これだ。

 そのまま連れだって、昼食場所に向かう前にアーサーを拾おうと教室から出たとき、ドアのところで唯が男子生徒とぶつかった。

「あ、ごめんなさい」
「――」

 相手は何も言わずに、教室の中に入って行った。一瞬その目に驚きが浮かび眉をしかめた後、鼻で笑う仕草が続いた。

 唯は気にせずそのまま外に出た。その後を歩も追う。

 歩との模擬戦、幼竜殺しと続いた事件の後、唯の評判はガタ落ちした。前者では模擬戦クラスこそトップに所属しているが、E級生物をパートナーに持つ歩に負け、後者では成す術なく翼をもがれた。

 それまで唯は遠巻きにではあったが、尊敬されていた。崇拝といってもいい。竜使い、それも二足歩行の翼と腕が一対ずつという、最も格式の高い竜であるキヨモリをパートナーとする唯は、雲上の人だったのだ。

 それが成すすべなく墜ちた。

 現状、唯を取り巻く環境は最悪に近い。これまで特別扱いを受けていたのも拍車をかけた。実際行動するものはいないが、きっかけがあればすぐにいじめに発展してもおかしくない空気を、学校全体が持っている。歩も唯に関わっているせいか、新クラスでは微妙な反応を受けている。慎一は最近になって唯に近付いたのと、もともと持っていた人懐っこさから、クラスでもいい立ち位置を確保しているが、唯が転んだ瞬間、危うい。

 歩は歩きながら、努めて明るく声をかけた。失墜の一因を作り出してしまった歩としては、唯に暗い思いはしてほしくない。

「今日の昼飯はどんな出来?」
「まだまだかな。難しいね。また今度類さんに会うまでにはもっと形にしておきたいんだけどね」

 唯が苦笑しながらそう言った。その顔に先程の不愉快な男子生徒の残滓は見えない。少し安心した。

「今週末もあるっけ? うちの母親、邪魔してないかな?」
「いや、全然。類さんとみゆきが来ると、家が明るくなって嬉しい位」

 歩の母親である類は、みゆきと連れだって週末になる度に唯の家に邪魔している。なんでも弁当を作れるように、唯を仕込んでいるらしいが、朝十時に出て夕方になるまで帰ってこないのを見るに、それ以外も色々やっているようだ。

 その成果か、少しずつ弁当は進展しているように見える。最初の頃は焦げた卵焼きと、べちゃつくご飯が目についたが、今では至って普通の弁当と化している。

「みゆきや類さんに追いつくには当分かかりそうだけどね。あの二人、完全に超人だよ。うちでご飯作ってもらってるお手伝いさんより上だもん。類さんは精力的に仕事こなして、みゆきはあの見た目で成績優秀、それでいて細かい家事にも長ける。すごすぎ」
「息子としてはコメントしづらいな」

 そうこうしている内にアーサーのいるパートナー待機棟についた。昼飯の時間になって、少し気が立っている動物状態のアーサーを肩に乗せ、そこから唯の個室に向かった。

 唯の個室に入ると、すでにみゆきと慎一はついていた。テーブルの上には重箱と、購買で買ったらしいパンと飲み物がいくつか転がっている。

「おー、お二人さん、いらっしゃい」

 ライトシープ製の豪華なソファに慣れて、リラックスした様子の慎一が言った。

「ここはお前の部屋だったか?」
「細かいこと言うなよ~さっさと飯にしようぜ」

 適当に受け答えしつつ席に座ると、イレイネが弁当を広げた。

「キヨモリとイレイネにはもうあげたから、私達もご飯にしよう」
「そうか、では早速」

 重箱の蓋が取り払われると、慎一が嬉しそうに声を上げた。

「何度見ても凄いもんだ。歩、アーサー、俺らは幸せもんやな~」

 事件以後、みゆきと唯は毎朝どちらかに家に集まり、一緒に弁当を作っているのだが、そのおこぼれを歩達も頂いている。最初のころは歩達もばらばらに買ったり、母親に作ってもらったりしていたのだが、アーサーが二人の弁当に突っ込みはじめたのを皮切りに、二人分も四人+αも大して変わらないからと、歩達の分まで作ってくれるようになった。代わりに材料費は歩、アーサー、慎一の三人で出している。

 早速卵焼きに手を伸ばしたアーサーが咀嚼した後、口を開く。

「全くだ。唯の腕も序々に上がっておるしのう。ああ、塩はもう少し減らしてよいぞ」
「偉そうなやつめ」

 みゆきが四人に行き渡るよう皿を回しながら言った。

「料理について具体的に言ってもらえるのは助かるよ」
「ほら見よ!」
「あんまり言いきられちゃうのも、嫌だけどね」
「どちらにしろうまいことには変わりない! いやー料理上手が二人も揃って最高!」

 拒絶感のある相手とはいえ、手放しの賛辞に若干頬を染めて唯が反論した。

「ほとんどみゆきだよ。私はまだ不格好な卵焼きとか、簡単なのだけだし」
「十分上手いよ。形も、まあ前はアレだったかもしんないけど、今は綺麗なもんだし」

 卵焼きをつかみ、歩が言った。多少の焦げはあるものの、それもいい色どりとなっている。口に含んでみたが、特に苦味は感じない。上手いこと出来ている。

「味もいいよ」
「そうかな。ならよかったけど、やっぱみゆきには勝てないよ」
「野郎からしたら、女の子が作ったってだけで、最高に決まってるじゃん!」
「中身は関係ないとか、それはそれで傷つくんだけど」
「そうか! でも事実だから仕方ない!」

 そこまで言い切られると、唯も苦笑するしかなかった。



[31770] 悪食蜘蛛 1-2 ギルド①
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/06/16 08:03








 弁当をつつがなく食べ終わり、慎一の買ってきたパンに手を伸ばそうとして、気付いた。

「これ、買ってくれたのか? 冗談だったのに」

 少し他と違う包装のパンを手にとり、慎一に向かって言った。慎一が買ってきたままだったパンの山の中に、冗談で言ったぜいたく品が混じっていたのだ。
 満足そうに茶をすすっていた慎一が、そのままの態勢で言った。

「財布出してから最近バイト代入ったこと思い出したのよ。ならいつものお礼も兼ねて、ってね」

 歩はそれで納得したのだが、代わって唯が質問を飛ばした。

「そんな使ってよかったの?」
「まあそれなりに稼げてるから」
「稼げてるって?」

 唯の関心が向いてきて嬉しかったのか、慎一は勢いを増して答える。

「俺家業手伝ってんのよ。そんでちゃんと時給換算してバイト代もらってんのよ」
「へえ、意外としっかりしてんのね」
「意外とってひどいなおい! ま、そんなわけで、歩、いただいちゃってくれ。お前に写させてもらって、課題するはずだった時間が短縮できて、短縮した分バイトできたと考えれば、婉曲にバイトを手伝ってもらったことになるし」
「んじゃありがたく」
「我にもよこせ」

 腹が満たされ寝惚け眼になっていたアーサーが、唐突に身体を起こした。このパンが好物の一つだからだ。

「モノの聞き方がなってないな」
「くださいおねがいします」
「おし」

 身を預けていたソファから飛び上がり隣にきた馬鹿に一切れ渡すと、すぐに頬張った。

「うむ、なかなか。やはりええのう」
「食いすぎ」

 何食わぬ顔のアーサーに続いて、歩もかぶりつく。まだ温かい肉は柔らかく、噛んだ途端に肉汁が溢れだした。そこに濃い目に味付けされたソースが加わると、濃厚すぎる旨味が口内を満たしたが、それを刻んだキャベツと食パンが緩和して丁度よい濃度を保ってくれる。逸品だ。

 堪能する歩とアーサーをよそに、慎一が唯とみゆきに残りのパンを薦めた。

「ってことで、どうせだからみゆきちゃんたちも食べちゃってよ。作ってくれた弁当には勝てないけど、旨いし。いつも作ってくれるお礼」
「えっと――」

 唯が慎一とみゆきの顔をちらちらと覗う。満腹で、もういらないが断りづらいのかと思ったが違う。身体を鍛えているせいか、四人ともかなりの大食いだ。最近では重箱でも若干足りなくなってきている位なのだ。それはない。

少しして気付いた。本当にもらっていいのか、わからないのだろう。唯はこういうことに慣れていないところがある。

 世話焼きな姉のように柔和な笑みを浮かべながら、みゆきがパンに手を伸ばす。

「ではいただきます」
「どうぞ」
「えっと――じゃあ私もいい?」
「好きなのとっちゃって」

 慎一に促され、唯は少し迷って小さめのものを手にとった。
 おずおずとパンを包んでいた紙を外し、口に入れる。それを見て、慎一も適当に包みを取り、口に入れる。

「どう?」
「うん、美味しい。――ありがと」

 慎一は黙って笑った。

「それにしても、結構な量だよね。家業って何してるの?」

 パンは四人に各三つずつ、つまり十二個あった。他にも飲み物を買ってきているため、一回の昼食には多すぎる。

 慎一は一瞬とぼけた顔をした後、ひきつった苦笑いを浮かべた。

「どうしたの?」
「いや、うん。まあ何。ミスったなと」
「何が?」
「両親の仕事はギルドの経営」

 唯の顔がこわばり、手にしたパンに目線をやった。もう半分も残っていなかった。
 慎一が慌てて声をかける。

「機嫌覗うために買ってきたわけじゃないから! そこは信じて!」

 慎一は三人に学生ギルドを作らないかと声をかけている最中だ。昼時のなごやかな時間に忘れていたが、直接関係ないとはいえ、ギルドという単語を聞かされると思い出してしまう。

そこに毎日の食事にしては金のかかりすぎているパンの山がからむと、つい邪推してしまう。

「下心は一切なかったって言うと嘘になるけど、それが本命じゃないからさ」

 唯は答えない。失敗した、という感じで表情を固くするだけだ。
仕方なく、歩は慎一に助け舟を出すことにした。

「唯、信じてやって。慎一はそういう立ち回りばっかするやつじゃないからさ」
「――歩がそういうなら」

 なんとか誤解が解けて、慎一がほっと胸をなで下ろしたが、唯が続けて言った内容を耳にして、すぐに身体が強張るのが見えた。

「けど、このままじゃ駄目だね。学生ギルドの結論出そうか」

 唯が歩に視線をぱっと視線を向けてきた。

「歩はどう?」

 半ばひきつる慎一の顔を見て、すぐに答える。

「俺は賛成。この面子で何かやるのも楽しいだろうし」

 もともと歩は賛成派だ。唯もそれをわかっている。
それ以上は何も言わず次に移った。

「アーサーは?」
「反対だ。危険を犯すのは大人の仕事。学生がすべきことではない」

 意外に固い理由だが、これで賛成一、反対一の同数だ。

 唯にさされる前に、みゆきが口を開いた。

「賛成に一票。折角だからね。イレイネも同じ」

 これで賛成三、反対一だ。残るは唯とキヨモリ。キヨモリは感心なさげなので、唯が二票持つことにしているが、答えはわかりきっている。

 慎一が理由を聞いたときの、はっきりと答えた唯の声が思い出される。

『竜は強い影響力を持つ。竜が二人もいるギルドを作ったら、学生ギルドの領域を越えてしまう。こなせる依頼には中堅ギルドでも受け切れないものも入るし、そうなると色んなところからの接触がある。最初は大手竜ギルドからのお誘いかな。断ったとして、それで大手の機嫌を損ねなかったら、各種中堅ギルドからの勧誘合戦。贈り物もかなりのものになる。中には足を引っ張ろうとするものも含まれている。違法薬物とかね。そうなると、ただの学生ギルドであり続けることは難しいよ』

 貴族としての冷めた一面だった。説得力があった。それ以上、何も言えなかった。

 それを聞いてもなお、慎一が誘ってきたのは意外だったが、それでも唯の態度は頑ななままだった。

 慎一がじっと見つめる中、唯が口を開いた。視線は慎一に向けられている。

「あのとき言ったこと、覚えてる?」

 慎一が頷くと、唯は続けた。

「それでも誘ってきたのはなんで? 理由を教えてくれる?」

 少し口ごもったが、慎一は意を決したように背筋を伸ばすと、口を開いた。

「もったいないと思ったんだよ」
「もったいない?」
「ああ」

 少し意外な言葉だ。

「どういう意味?」
「俺がギルドの手伝いしてきたのはさっき言ったけど、実は結構奥深くまでやらせてもらっててさ。討伐任務とか参加して、実際に魔物とやり合ったりしてんだ」

 驚いた。手伝いというからには、事務とか、そういったこまごましたものかと思っていたが、実際に矢面に立つところまで行っているとは思わなかった。

 慎一は穏やかな口調で続けた。

「現場は実際きつい。重い装備を抱えて山をいくつも越えたり、森の中を分け行ったり。相手にする魔物もかなり強い上、命がけだし。けどさ、依頼を終えて、家に帰って宴会するとものすごく楽しいんだ。協力して仕事をやり遂げた後の達成感とか、なんとも言えない仲間意識っていうか、とにかく酒も飲んでいないのに一晩騒ぎ通したりとかさ。それが忘れられなくて、辛い仕事もなんとかこなしているんだと思う」

 想像でしかないが、わからないこともない。幼竜殺しに襲われる前に、雨竜も交えて学校に泊まり込んだときのことを思い出す。途中で悲惨な事件を起こしてしまったが、楽しかった。あそこに達成感だったりが加わると、どんな心地良い時間ができるのだろうか。

「そうやっていると、どうしてもお前らが気になるんだよ。学校でも特別扱い受けて、ただ日々を漫然と過ごしているっていうか、悲嘆に暮れてるっていうか。好きでそうしてるならいいんだけど、お前らそうじゃないじゃん。長いこと付き合いある歩は確信あるし、みゆきちゃんも他の人にはどっか一線置いてる部分あるし。平さんもそうじゃない? 勿体ないじゃん、そういうの。押しつけがましいかもしんないけど」

 慎一の顔を見た。少し気恥ずかしそうにしているが、しっかりと唯の顔に視線を向けていた。
 こんな一面があったとは。自分のことをそんなふうに見ていたのか。

 表情に少しだけ赤みを増した唯が言った。

「ギルドなのはなんで? 家業に関係してない? 今後の人生で、竜使いとギルドを組んだ経験が生きるとか、コネを作れるとか」

 この発言に、唯が慎一を拒絶しようとしていた理由があったように思えた。いきなり自分に接近してきた相手に対し、竜使いのおこぼれを頂こうとする輩には、歩もごく短期間ではあったが経験があった。
 慎一は少し間を置き、しかし一度も視線をぶらすことのないまま、答えた。

「正直、そういう感情がないとは思ってない。ギルドにしたのは、自分の保身もないとは言い切れないと思う。人間、そういうもんだから。けど、ギルドなら俺も色々ノウハウがあるし、すぐに活動するまで持っていけるってのが一番の理由なのは確実だと思う。竜使いでも、満足に参加できるのは、文化系を除くと極少数だから」

 竜使いの膂力は他を圧倒する。そのため一般の運動部が参加する大会には、出場できないきまりがある。別に竜使い用のものがあり、逆にそちらがメインといっても過言ではない位、盛り上がるのだが、それはまた別の話だ。特にそちらの将来への結び付きは尋常ではない。

 慎一の語る内容には説得力と生の感情があった。

 しかしそれと唯の語った竜使いがギルドを作ったときの予測とはまた別の話だ。結論を出すのは、唯に託されている。

 唯が口を開いた。

「もし学生ギルドを作るとしたら、これから何をすればいいの?」

 慎一の顔が破顔した。それから勢いよくしゃべりだす。

「まずは手続き。申請書類書いて、学校に許可もらって、担当してくれる教師探して、その後学生ギルド連合に。そこで適正試験を受ける。ここまでで多分一週間位。全部パスできたら、学生ギルド連合から送られてくる依頼なり、一般のギルド連合のとこ行ってもらえる依頼なりを選別、準備、実行。全部で二週間もいらないと思う」
「なら早速始めよう。みゆき、歩、いい? アーサーも」
「我は決に逆らったりせぬ」

 決定だ。歩、アーサー、みゆき、イレイネ、唯、キヨモリ、そして慎一、マオの学生ギルド。

「職員室いって、申請用紙もらってくるわ」
「あ、ちょっと待って」

 唯に呼び止められ、早くもドアに駆けよりはじめていた慎一が振り返る。

 唯が頭を下げた。律儀な面が表に出た。

「ごめんなさい。あなたも竜使いに媚を売る輩だと思っていました。ギルドの件も、これまでの態度も、許してください」

「いや、そんな、頭上げて。疑って当然だし」
「ではもう一つ」

 頭を上げた唯の顔は、少し気恥ずかしそうだった。

「慎一って呼んでいい?」
「ああ、是非!」
「あと、ちゃん付けは気持ち悪いから、歩と同じように呼び捨てで」
「よろしく、唯」
「よろしく、慎一」



[31770] 悪食蜘蛛 1-3 ギルド②
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/06/20 21:04
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 手続きは、あっさりと進んでいった。

 まず申請書類への必要事項の記入。代表者は唯にした。それが一番てっとりばやいからだ。代表者を別にしたところで、すぐに竜使いがいることはバレてしまう。ならばいっそのこと表に出し、面倒なことはさっさと済ませつつ、竜使いであることを利用しよう、という少し姑息な発想だ。

 担当してくれる教師については、慎一があっさりと見つけた。新任で担任の綾辻明乃だ。申請書類を取りにいったときに声をかけられ話したら、自分から名乗り出てくれたらしい。残り一年もない活動期間のことを考えると、できるだけすんなりと決めていったほうがいいでしょう、と。お固い印象があったが、案外生徒思いの良い先生なのかもしれない。

 学校の許可は、唯が出張ると一瞬で下りた。

 そして現在。

週末まで待って、歩達は学生ギルド連合へと赴いていた。

「へえ、ここそんなのもやってたんだ」
「ギルド連合としても、試験のためには一定の場所が必要だからな。ここなら普段は何もないし、試験もできる。ああ、事務所があるのはあっち」

 目の前にあるのは、学期末模擬戦が行われた、歩達と唯達が戦ったコロシアムだ。模擬戦の際は、建物の周りには人が溢れ、出店も出ていたが、今日は何もイベントがないらしく、閑散としている。歩達と同じくギルド連合に用があるのか、コロシアムに隣接した建物に向かう人が、まばらにいるだけだ。

「人いないね」
「ま、何もなけりゃこんなもんだわな。その分、手続きする人が少なければいんだけどなー。三日前に連絡したときは、誰もいないとか言ってたけど」
「時期がずれてますから。普通は四月中にすませるのでしょう」

 今日も襟元までぴっしりとボタンを占めた明乃の推論に、唯と慎一が頷いた。確かにもう五月になっている。ギルドの設立申請と試験は、学生ギルドでも一般のギルドでも、新年度始まってそう経たない内に済ませるだろう。

 納得した慎一が、ふいに話題を変えた。

「そういえば先生、今日はありがとうございます。わざわざ休日だってのに」

 明乃が笑みを浮かべた。他所いきの笑顔だったが、それでも雰囲気が柔らかくなった。

「いえ。私もいい経験だと思っているので。竜使いを教え子に持つなんて、そうあることではないですし。実はあのタイミング狙ってましたし」
「えー! そうなんですか!?」

 他所いきの笑みを浮かべたまま、明乃が言う。

「はい。最近岡田君が平さんと懇意にしていることを知っていたので」
「そうだったんですか!」
「普通そうなると思いますよ?」

 色々あって、学校では唯や歩に積極的に関わろうとする人はいないが、まだ新任でこれまで竜や貴族と関わった経験がない人なら、そういう風に考えてもおかしくないのかもしれない。

まばらだが道を行き交う人達が、歩達に向けてくる視線に黒い感情が見られないのも、明乃と同じく、遠くからしか竜を見たことのないギャラリー故だろう。それはここに来るまでも同じだった。多くの人がキヨモリに視線を向けているのがわかる。口を半開きにして、視線を縫い付けたように、キヨモリを凝視している人もいた。貴族にまつわるいざこざを知らず、ただ憧れの存在として竜を見る人は、案外多いのだ。それもいざ触れると変わってしまうものだが。

 そうこうしている内に、ギルド連合の建物についた。模して造られただけとはいえ、時代の趣を感じるコロシアムとは全く違う、薄い木目の壁にガラス戸が並び屋根はこげ茶色の、現代的でオーソドックスな建物だ。

 慎一を先頭に中に入ると、役所のようにずらっと窓口が並んだ空間が見えた。実際に窓口で手続きをしている人は一人だけだったが、壁側には何人かが黒いボードを前になにやら話し込んでいる。そこには依頼書が貼っているのが見えた。

 全員入り終えたところで、場の空気が変わったのがわかった。皆が見ているのは、やはりキヨモリ。

 歩達が何をする間もなく、窓口の隣の通用口が開き、そこからスーツを着た、頭が後退しかけの中年男性が出てきた。

「水分高校の方ですね? どうぞいらっしゃいました。こちらにどうぞ」

 旅館にでも来たかのような応対に面食らってしまった。慎一にぱっと視線を向けると、ぶんぶんと首を振った。いつもはこんなことはないようだ。これも竜故か。

 歩と同じように明乃もうろたえていたが、みゆきと唯は平然として、静かに中年のおじさんに従って、入口から左にある応接室に歩きはじめていた。各パートナーもそれに従っている。

 慌てて歩達も着いて行き、応接室の中に入った。学校にある唯の特別室のような設えだった。中央にテーブルを囲むようにソファが配置されている。

「どうぞお座りください。パートナーの方々には、あちらを用意しております。よかったらお使いください」

 並ぶソファの横には、いくつもクッションが並べられた場所があった。言われた通りに、そこにパートナー達は進んでいって腰をおろしたが、アーサーだけは行かず、歩の肩にとまったままだった。

 歩達がソファに腰掛けたとき、歩達が入ってきたドアから、ティーカップが並んだお盆を持った女性と、それぞれ大きめの洗面器のようなものを持った男性が入ってきた。女性はテーブルにティーカップを並べ、男性はパートナー達のほうに行った。

「そちらの方には、何をお出ししましょうか?」

 中年男性の視線が自分に向いているのを見て、初めてアーサーのことを言われているのに気付いた。

「いえ、おかまい」
「こやつらと同じものを頼む。できればカップは小さめのもので」

 アーサーの声を聞いて、中年男性は一瞬目を見開いたが、すぐに元の表情に戻った。人語をしゃべるパートナーはまずいないため、初対面の人はいつもこうした反応をしてくる。すぐに取り繕えたのが意外だと思った位だ。

「では用意させていただきます」

 下がろうとした女性に中年男性は目配せし、女性が頭を下げて戻っていった。

 それから上着のポケットにポケットに手をやり、名刺を取り出して唯に差し出した。

「ギルド連合水分支店支店長の上橋業平です」
「水分高等学校三年、平唯です。こちらから、能美みゆき、水城歩、そのパートナーのアーサー、岡田慎一、それと受け持っていただく綾辻明乃教諭」

 支店長と目があったとき、ぺこりと頭を下げた。
挨拶が終わり、ふとした間が空いた瞬間、おずおずといった様子で、慎一が言った。

「あの上橋さん、えっと、この対応は?」

 慎一の顔を見ると、実は知り合いなんだ、と返ってきた。
 その後を続けるように、上橋が話しだす。

「慎一君の両親はギルドを経営されていますから、その関係で懇意にさせていただいているのです。両親の手伝いをしている慎一君とも面識があります」
「それで、このやたら肩こるような対応ってなんです? 竜使いが代表だからですか?」

 ドアが開き、先程の女性がお盆に小さめのカップを持って入ってきた。同じようにテーブルにそれを置くと、一礼して戻っていった。

 上橋は困ったような表情を浮かべ、唯に視線を向けた。

「私ももっと率直な対応で構いません」

 唯の言葉を聞いた後、上橋はふっと息をもらして気を抜いた。
 張っていた肩を下ろし、口調も柔らかいものに変えて、上橋が言った。

「竜使いの方には、こういった対応をしないと、機嫌を損ねられる方もいらっしゃるんだよ。対応はマニュアルにもなっている」
「普通、応接室使って支店長が直接応対したりしませんよね?」

 上橋は頷いた。

「本来なら、一般向けのギルド連合が学生ギルドを扱うこともね」
「竜使いさまさまですね」

 竜使いである唯の毒のこもった言葉に苦笑しつつ、上橋は脇に抱えていた封筒から書類を取り出し、それをテーブルの上に広げた。そこには注意事項や契約内容が書かれており、その中に混じって認定書があった。

「まあ平さんがこういう方で助かったよ。おかげで手早く済ませられる」
「この後は、試験ですか?」

 事前に聞いた話によると、この後ギルド連合側の担当者と模擬戦、その結果に応じて、ギルドを作る能力があるか、あるならばギルドのランクはどれくらいのものか、決められるとのこと。ランクはE~AAA+まであり、学生ギルドの場合は、だいたいEかE+で、よくてもD-に振り分けられるらしい。

 上橋はさっと首を振った。

「いや、試験はない」
「え、それじゃどうやってランク分けするんです?」
「もう決まっているんだ。君たちには、C+のギルドランクが当てられる」

 慎一が固まった。思考毎凍りついたようだ。口元がわずかに動き、ありえない、と呟くのが聞こえた。

「竜使いだからですか」
「その通り。模擬戦も下手打って被害が出るのはギルド側だしね」

 唯の質問に答えたところで、慎一は動きだした。両手で頭を抱え、なんともいえない声をもらした後、激しい口調で口を開いた。

「ありえねえ。C+って一般ギルドでも最初っから割り当てられるなんてないのに。うちでもBB+だぜ?」
「竜使い無しの上限だね。岡田屋さんは、うちで一番のギルドだ」
「余計な補足説明いいっすよ。なんすかそれ」

 余計といいつつ、慎一の頬が一瞬ぴくりと動くのが見えた。嬉しかったのだ。自分の家が褒められて。慎一がギルドに、自分の家にかなりの誇りをもっているのが透けて見えた。普通の学生生活と並行して、ギルドとしての活動も行ってきた慎一だ。ギルドの世界、コミュニティを、慎一は身内の庭のように思っているのだろう。

その庭をただ竜をパートナーに持つというだけの新参者が踏み荒らしている。しかもその新参者には、自分も含まれている。なんともいえない、無情な現実だ。竜使いである歩も、背中がむずがゆくなった。

 明るい調子で、上橋が言った。

「まあ今回に限れば悪いことではないよ。おかげでC+依頼までこなせるんだから。後で依頼書を郵送しておくよ。宛先は学校でいい?」
「はい、おねがいします」
「宛名はどうするかい? ギルドの名前は決まってる?」

 そういえば考えていなかった。慎一以外の三人がぱっとお互い見回し、ばつの悪そうな表情を浮かべた。上橋がふっと笑み混じりの息を漏らした。

「それなら水分高等学校ギルド部にしておくよ。たしか水分高校には他にギルドはないからね」
「おねがいします」
「じゃあ、はいこれ。認可書が入ってるから、部室の壁にでも貼っておいて。無くしても再発行するけど、できれば無くさないでね」

 広げた書類を封筒に戻し、唯に渡すと、上橋は立ち上がった。

「じゃあこれで終わりです。おつかれさまでした。あ、綾辻先生には、学生ギルドの担当講習がありますから、残っていただけますか?」
「はい。わかりました。あなたたちは先帰っておいてください。結構長いみたいですから」
「すみません、色々と」
「いえ」

 端的な返答しかしなかったが、明乃の顔に不快な感情は見えず、歩は内心で肩をおろした。
 明乃は新任の教師だ。かなりの激務をこなしているはずだ。歩達はそこに更に仕事を上乗せしてしまっている。今もそうだ。今の口調だと、結局、折角の休日をまる一日潰させてしまうことになるのだろう。それを申し訳なく思っている。

 まだ頭を抱えたままの慎一を立たせ、応接室から出て、窓口のあるところまで戻り、そこで足を止めた。

 窓口で奇妙な光景が広がっていたのだ。

「おねがいです! 速く依頼を受けてください! 村はいまにも駄目になりそうなんです!」
「そう言われても……」

 髪の乱れた女性が窓口にしがみつくように身を乗り出し、必死の形相で叫んでいた。服は地味目なロングスカートに、簡素で質素な上着を着ていたが、ところどころほつれ、色あせていた。靴は泥でまみれ、靴下にも跳ねている。

「どうしました?」
「あ、支店長! えっと、この方がまた――」

 女性がこちらを振り向くと、ホラー一歩手前の動きで走ってきて、上橋の両腕を掴んだ。

「お願いします! うちの村を!」

 上橋はそっと腕を掴んでいる手を外すと、頭を下げる女性に向かって優しく声をかけた。

「申し訳ありませんが、うちではどうしようもない案件なのです。紹介した他の支店でないと、受けられません」
「受けてもらえなかったから、ここに来たんです! お願いします!」
「無理です。お引き取りを」

 女性が頭を上げ、その顔が歩達に晒された。涙を散々流してきたのか、目元は赤く腫れ、大きな隈ができている。髪には艶がなく、ほつれているのが遠目でもわかった。

 その目が、キヨモリに合った。

「竜! いるじゃないですか! 彼等ならばう――」
「彼等は学生ですし、今ギルドを作ったばかりです。当ギルドとしては、許可が出せません」
「そんなこと、関係ないです! うちの村に一度来てみてください! あなた達! どうか」
「お引き取りを。警備員! おねがいします!」

 警備員がやってきて、女性を摘まみだした。騒動の種がいなくなった後も、事務所はざわざわとざわついていたが、上橋がパンパンと手を叩き、業務に戻ってください、というとそれで従業員のざわめきはおさまった。

「気にしないでください。こういうことはたまにあるんですよ。私はこれで」

 そういうと、上橋はまだ居心地が悪そうにしている、依頼書が貼られたボードの辺りにいる人達のところにやっていき、談笑し始めた。プロだ。

 しかし歩は連れ出された女性のことが気になったままだった。それは皆同じようで、てっとりばやい慎一が窓口に走っていき、尋ねた。

「あの女性は、どうされたんです?」

 窓口の女性はなかなかしゃべろうとしなかったが、熱意に負けてか、話してくれた。

「討伐依頼なんです。彼女の住む村が被害にあっているから、討伐してくれって。だけど、本部が竜使いの方でないと討伐許可が出せない、って言いだして、それでうちでは無理なのでお断りしたのですが」
「他でも断られたと」
「みなさん、お忙しいですし」

 窓口の女性は作った笑みを浮かべたが、そこにはなんともいえない悲しみが見えた。先程の女性は、この世界の、ちょっとしたどうしようもない壁の一つにぶち当たったのだ。

 歩達にはどうしようもない。竜使いはいる、しかしギルドとしては初心者もいいところだ。支店長も反対をしている。何もしたことがない歩達が勝手に突っ込めば、二次被害が増えるだけだろう。

 歩はその場を後にしようと、みゆきに目配せし、うなだれる慎一の肩に手を当てた。
慎一が顔を上げ、受付の女性に礼を言ってくるりと後ろを向いた後、不意に質問が思い浮かび、それをそのまま口にした。

「その討伐対象は、何なんです?」

 女性は答えた。

「悪食蜘蛛、だそうです」



[31770] 悪食蜘蛛 1-4 開始
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/06/27 18:58







 歩達はひとまず簡単な依頼からこなしていった。竜使いがいるため、ランクの高い依頼も受注することができたのだが、やはりある程度は経験が必要だと思ったからだ。

 やったのはEランクの依頼。養殖場で黒蛇の世話、忘れ菜の採集、霊峰の登山清掃の三つだ。

Eランクの依頼はギルド初心者のためのレクチャーのようなものらしい。慎一曰く、依頼をこなすための基礎事項を学ぶ場として、各所と連携して利益度外視で用意しているもの
歩達に支払われる報酬は現場支給の食事だけだった。

 それらを終え、ある程度ギルドとしての活動の目途がついたのが、ギルド設立から二週間の後。

 週末、初めての本格的な依頼、『鋼金虫(こがねむし)の討伐』を行うために、水分高校ギルド部の面々は国境端の『うたかたの森』に来ていた。









 歩の前には夜の森が広がっていた。鬱蒼と茂った木々が月明かりを遮断しているためか、よく混ざっていない墨のような、濃淡にしか見えない。森だと判別することはできるが、これからこの中に入っていくことを考えると、なんだか背中がうすら寒くなる。

「準備はできたか?」

 森から視線を離し振り返る。慎一がいた。学校の模擬戦の時に着る、ブーツとカーゴパンツ、身体に張り付くシャツの三点セットの上に、『岡田屋』と書かれた濃い緑色のジャケットを着ている。

「装備の点検はもう一回、メモと照らし合わせながらしっかりと確かめろよ」

もう一度バッグの中身を確かめる。今日の昼飯と携帯食糧、包帯や消毒液といった応急キット、非常用の発煙筒、地図とコンパス、懐中電灯、時計、多機能ナイフ、ライターと、清潔な予備タオル。バッグにくくりつけるようにして水筒。その他もろもろ。

そしてなによりの槍。鋼金虫混じりの鉄で作られた刃と、榎田霊峰で取れた樫の木の柄を繋げた一品物だ。買って三日ほどだが、三日間の訓練のせいか大分手に馴染んできている。

「OK」
「こっちもいいよ」
「私も」
「いいですよ」

 歩、唯、みゆき、そして明乃の順に答えた。みんな学校の戦闘服を着ており、その上に歩と唯は学期末模擬戦のときにもらった特製のジャケットを、それ以外は岡田屋から借りたジャケットを羽織っている。パートナー達もそれぞれの身体に合わせた荷物と装いをしていたが、こちらは急に戦闘に入った際、簡単に外せるように量は少なめにしてある。

「そんな奥深くまで行かないけど、抜けがないようにな。何が起こるかわからないんだから」

 慎一が深い森を背景に、腰に手を当てて言った。リーダーとして、タクトを振るう姿だ。今回の討伐依頼は、慎一が中心となって行う。初めての歩には、たのもしく見えた。

「荷物が重かったら、やりくりして減らすから、言うように。行くだけで体力使いすぎたら、意味ないからさ」

「二(ふたえ)、とうとうこの日が来たか」
「感無量です。あの馬鹿ばかりしていた私達の息子が一人立ちするなんて」

 そこに茶々が入った。

「時が過ぎるのは早いもんだ。こけて泣きべそたれてた小僧だと思ってたのにな」
「全くです。先日まで鼻を垂らしていたクソガキが、こんな立派な猛者と華麗な花を伴って森に分け入ろうなんて。みなさん、どうかご無事でね。色々足りないところが多いバカガキですが、いざとなったら盾にしてでも生きてくださいね――あ、クソガキ、あんたも死ぬなよ。あんたが死んだらパートナーまで死ぬんだからね。可愛い可愛いマオを死なせたら、三代祟るから」
「――三代祟るって自分二代目なんですけど」

 妻の肩に手をかける立派なヒゲと少し豊かな腹を持つ中年男性と、丁寧だった口調に合わない、見るからに肝っ玉な中年女性。この二人が慎一の両親、岡田一と岡田二(ふたえ)、つまり地域で一番のギルド、『岡田屋』の社長と副社長である。足元には彼等のパートナーの白と黒の犬もいる。

 邪魔されて恨めしそうに両親に目線を向ける息子に、にやりと笑みを浮かべて父親が言った。

「まあ無理はするなってことだ。お前も今まで散々雑用やってきたとはいえ、指揮を執るのは初めてだ。危ないと思ったら、すぐに逃げろ」
「煽った後で真面目なこと言いだすとか、サイテーな親だな。ありがたく心に留めておきますよ、畜生」

 息子に訓示を終えた一が、歩達のほうに顔を向けてきた。

「不肖の息子だけど、どうかよろしく。平さん、能美さん、歩」
「こちらこそ」
「先生も無理をしないで。危なくなったらお願いします」
「はい」
「じゃ、俺達は自分の仕事に移るから。後はそっちでな。慎一、しっかりやれよ」
「はいよ。後よろしく」
「お前に言われるまでもねえよ」

 息子ににやりと笑みを投げ掛けたあと、一は妻を連れてテントの方に戻っていき、そこにいるギルド『岡田屋』のメンバー達に指示を出し始めた。彼らには歩達が狩った鋼金虫を回収、業者に移送という仕事がある。

本来ならば岡田屋がするレベルの仕事ではないのだが、慎一がお願いした。基本的には歩達がやることに手出ししないが、万が一歩達が危険にさらされた時、すみやかに救助できるようにするためだ。通常の学生ギルドでもこうしたバックアッパーがつくこともあるようだが、地域で一番のギルドがそうした仕事を請け負うことは余りない。慎一さまさまだ。

 気を取り直した慎一が皆に声をかける。

「まああんなだけど、腕は確かだから。危なくなったらすぐに来るし、安心して依頼を果たそう。それじゃ依頼の確認」

 慎一は顔をきりりと引き締めた。仕事の始まりだ。

「相手はここのところ増えている鋼金虫。固い甲殻に大柄な身体を持つ、オーソドックスな魔物だ。カブトムシのメスをそのまま大きく、強くした感じ。甲殻は少々の刃物位なら簡単に弾くから、首元を集中的に狙うように」

 歩は頷いた。事前に鋼金虫の構造は頭に入れてある。
 全員の顔を見回して確認しおえると、慎一が続きを言い始めた。

「行軍は俺とマオが先頭、二番目に歩とアーサー、みゆきとイレイネ、唯とキヨモリ。最後尾は先生、お願いします。後方警戒は難しいですが、先生が適任ですから」
「わかりました。ツクヨミの温度感知ですね」

 明乃の足元で彼女の蛇型パートナー、ツクヨミがとぐろを巻いていた。濃い緑色が斑模様を描いている身体は、とぐろを巻いても明乃の腰ほどまである。蛇としてはかなりの大型だ。時折舌をちろちろと出し入れする姿は、学校の女子生徒にはかなりの不評だ。

 蛇型の特徴に、目ではなく温度で周りを見ることがある。大きさや距離までわかるため、犬型同様、探知能力が高い。隊の最後尾に配置したのは、そのためだ。

「基本は俺が先導して鋼金虫のところへ。開けたところに出たら、アーサーが空から偵察。イレイネは皆の指示にすぐに対応、唯とキヨモリにはいざ接敵したときには、主力になってもらうから。先生は何かあったらすぐに言ってください。以上、何か質問ある?」

 慎一がすっと全員を一瞥した。誰も質問がないことを、顔でも確認しているのだろう。

「それでは、行こう。実質初めての依頼。しっかりやっていこうか」

 慎一がすっと森の中に入っていく後ろに、歩もすぐに続き、後ろからみゆきが来るのをさっと見る。

 これまで森の入口にある切り株に腰をおろしていたアーサーが肩に乗ってきた。

 『鋼金虫の討伐』開始だ。



[31770] 悪食蜘蛛 1-5 初めての実戦
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/06/27 22:52





 しばらく行くと、歩くのもままならないほど密集していた森が、途端に開けた。

 木々一つ一つが大きくなり、その分間隔が空いている。背の高い木々のせいで光が届かないせいか、足元の雑草も背丈がほとんどなく、コケのような、ぐしゃっとしたものばかりだ。

 絶え間なく鼻をひくひくと動かし、鋼金虫の匂いを追っていたマオが、ワンと軽く鳴いた。

「もうちょいか。気を引き締めて」

 慎一とうなずきあい、集中する。

 少し進んだところで、今度は地面に異変が見られ始めた。

 大きな溝のようなものが、いくつもある。深さは数センチもないが、幅がどれも一メートルはある。巨大なタイヤの車が行きかったような、そんな感じだ。

「慎一、これは」
「鋼金虫の跡。やつら身体ひきずって移動するから。巨体を足だけじゃ支えられないんだよ」

 マオが低く唸るように鳴いた。
 立ち止まり後ろを振り返ると、慎一が小声でメンバーの顔を見渡しながら、見つけた、荷物下ろして、と口にした。

 背負ったカバンを下ろし、パートナーのを外した後、そろりそろりと歩いて行くと、今はゴマ粒のようにしか見えない、巨体が目に入った。

 卵を半分に切ったような殻がいくつも並んでいる。埃やコケがついているが、驚くほどその殻はつるんとしていた。よく見えないが、資料によれば濃い茶色。殻の先二割ほどのところで、すっと切れ目があり、そこに虫特有の複眼が一対並んでいた。

 その巨体の中、一番外にいた小さめの鋼金虫が、こちらを向いた。途端にピーっと甲高い音がした。

 鋼金虫が一斉にゆっくりと回転し始め、歩達の方を向いた。

 更にゆっくり、はじめは見間違いかと思ったくらい、本当にゆっくりと動きだす。目標は歩達。

「警告もなしか」
「人間の匂いが嫌いなんだよ、こいつら――来るぞ。キヨモリ、よろしく。先生は危なくなったらで」
「わかりました」

 キヨモリがのっしのっしと歩いてきて、先頭に立った。今回、キヨモリが主役だ。鋼金虫の巨体と真正面からやりあえるのは、キヨモリしかいない。

 鋼金虫の移動速度は、序々に上がっていった。巨体故、動き出すまでは遅い。しかし速度を得た瞬間、転がる岩のような、絶対的なエネルギーを得る。それをつぶそうにも、やつらの触覚は容易く人をかぎ分けてしまうため、隠密に近付くことはできない。

 故に歩達は十分な加速を得た鋼金虫と、正面から挑むしかない。

 鋼金虫達の集団に微かに土砂が混じり始めた。地面を巻き上げているのだ。もうかなりの速度を得ている。ゴマ粒の大きさだった虫達はもう卵大にまで見える。地面をえぐる鈍い音が、うるさくなってきた。

 後数秒で接触する、というところまで迫った時、慎一が、今だ、と叫んだ。

 キヨモリが正面に向かって地を蹴り、歩達は真上に飛び上がった。

 頭上に生い茂る木の枝を掴み、飛び乗る。キヨモリを除いた全員が、森の上にいた。

 途端に響く轟音。キヨモリと鋼金虫の集団がぶつかった音だ。

 キヨモリは正面から鋼金虫を受け止めた。圧力に押され地面に溝を描いたが、しっかりと両腕で掴んだまま止まった。キヨモリの呆れた力だ。強引に力で押しつぶしてしまった。

その後ろから、何体が掴まれた鋼金虫の尻にぶつかった。ぶつかるたびに、キヨモリの身体が何度も震えたが、それだけで終わり、逆に衝突した虫達は、派手に転がった。

残りの鋼金虫キヨモリの横を通り過ぎた直後。

「今だ!」

慎一の掛け声に合わせ、歩達は地面に降りた。

 まず動いたのは唯。キヨモリによると、捕まえた鋼金虫の甲殻の隙間に、剣を差し入れた。蠢いていた虫は、甲高い音で鳴いた後、すぐに動かなくなった。

 同じことを、転がっている鋼金虫にやっていった。歩も巨木にぶつかり、態勢を崩していた一匹に、槍を突きいれた。少し固い感触を突き破ると、途端に手応えがなくなった。その奥で柔らかい何かを裂いた。命を裂いた感触だ。

 初めての感触に一瞬手が止まったが、慌ただしいアーサーの声で我に返った。

「後十秒!」

 鋼金虫が戻ってきたのだ。歩達に仕留められた分だけ戦力を減らしていたが、その分だけ獰猛さを増しているような気がした。

「みんな、上がれ!」
「キヨモリ、またおねがい」

 慎一の号令に、槍を引き抜き、再び飛び上がった。唯に声をかけられたキヨモリは、ぶるると鼻を鳴らした後、大群へと向きなおした。

 待ちかまえるキヨモリに、向かってくる大群。先程と同じ光景。

 衝突するかと思った直前、先頭にいた鋼金虫が少し方向を変えた。

そのままキヨモリを避け、奥に進んでいく。後陣も先頭に習ったかのように、キヨモリのところだけを避けて行った。そこは危険だと、わかっているかのように。

 虚にとられた歩を引き戻したのは、足元の轟音だった。

 キヨモリを避けた集団が、そこらじゅうにある木に体当たりをしたのだ。

 轟音は一度では終わらなかった。断続的に何度も続く。すぐにミシミシと何かが割れるような音がしはじめ、ゆっくりと木が倒れ始めた。

 初めに倒れたのは、みゆきが乗っている木だった。

「みゆき!」
「大丈夫!」

 倒れ行く木の中、イレイネの腕が歩の乗っている木の、更に上に伸びた。腕が手近な枝を掴むと、イレイネと一体となってみゆきが宙を横切り、歩のすぐ隣の枝に着地した。

 しかし歩の乗っていた枝も、激しく振動した。歩の乗っていたところにも、鋼金虫の敵意はやってきていたのだ。

 別の木に飛び移ろうかと考えたが、見回した木はどれも激しく揺れていた。逃げ場がない。

 降りようと地面を見ようとした瞬間、無防備に宙を飛ぶ姿が目に入った。

 明乃だ。

 歩は反射的に枝を蹴った。

 落ち行く明乃を追い越すと、その腹に腕を回し、斜めに地面へと降り立った。勢いを殺すこともできず、地面を覆う雑草を両足でめくり上げた。

 衝撃をまともに受けた両足に痺れを感じたが、眼端に突進してくる鋼金虫が見えた。明乃の腹に腕をまわしたまま、さらに地を蹴って、なんとか鋼金虫の射線上から退くが、身を投げ出すようにしか飛べなかった。

 そこに更に鋼金虫。一直線に歩にめがけてきている。両膝を突く態勢のせいで、動けない。

 やられる、と思った瞬間、視線に巨体が写った。

キヨモリだ。

 頭を押さえる形で、キヨモリが斜め前から鋼金虫に突進していた。斜め前から弾かれ、鋼金虫はキヨモリと共に歩の横を通り過ぎ、その先にあった木にぶつかり、勢いを止めた。

 木が折れる高い音と、折れた木が地面に落ちる重い音の中、真横を通り過ぎた超重量に首のあたりを冷えたなにかが登っていった。

少しして我に返ると、起き上り、キヨモリの後を追いかけた。まだ蠢く鋼金虫を抑え込んでいるキヨモリを飛び越え、鋼金虫の甲殻の隙間に槍を差し込む。再びの感触の後、鋼金虫が甲高い悲鳴を上げた。

「助かった。ありがと、キヨモリ」

 ゴウ、と答えたキヨモリが立ちあがったところで、周りを見回す。

 木々が何本も地面に転がる中、鋼金虫が十体以上ひっくり返っていた。さすがの鋼金虫も木を貫くことはできなかった。木を折るのに、轟音が何度も続いたことからわかる。ならば木にぶつかった反動で、動きが止まってしまう。捨て身の戦術だったのだ。

 明乃を見ると、腹にラリアットをくらったせいか、ごほごほとせき込んでいたが、大丈夫そうだ。

「まだ残ってる! 手が空いてるやつは、次が来るまでに転がってるのに止めを!」
「いや、大丈夫だ。残りは逃げた」

 慎一が叫ぶ中、落ち着いた声でアーサーが告げた。先程から宙を飛んでいるアーサーは、冷静に鋼金虫の後を目で追っていたようだ。

「なら、止めに集中! アーサー、何かあったら頼む!」
「了解」

 そのまま周りを見回した。唯とみゆき、慎一がどんどん鋼金虫に剣を突き刺して行った。歩も槍を掴み、動き出した。

 歩がそれから二匹止めをさすと、それが最後だったようだ。慎一が明乃に声をかけていた。

「先生、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です。足引っ張ってしまいましたね、ごめんなさい」
「いえ、構いません――歩、お前は大丈夫か?」
「ああ、俺はなんともない」
「ナイスだった。実戦初めてとは思えなかったわ」

 幼竜殺しとの一戦があり、初めてではなかったが、苦笑するだけで何も言わなかった。

「水城君、ありがとう」
「いえ、お腹大丈夫ですか? かなり強引に掴んでしまったんですが」
「仕方がないです、助かっただけ有難いです」

 そう言い終えると、明乃が再度せき込んだ。そこにみゆきが寄ってきて、手早く取ってきていたカバンの中から、水を差し出した。

 みゆきに背中をさすられつつ水を口に含む明乃に安堵しつつ、歩は周りを見回した。

 鋼金虫が何体も転がっていた。もう動くことのない遺骸を見ていると、手にいまさらながらの感触が蘇ってくる。柔らかい、大事なものを突き破った感触。そしてこれから何度も味わうことになる感触。

 これも生きる上での犠牲だ、と納得しようと思ったが、まだ割り切れない。

 感触を振り払おうと、空を飛ぶアーサーに声をかけた。









 明乃は教え子たちと共にキャンプに戻っていた。

「先生、おつかれさまでした」
「いえ、不出来な教師で申し訳ない。足を引っ張ってしまいました」

 岡田屋の当主、岡田一が声をかけてきた。

「いえいえ、先生には感謝しています。実地に付き合う教師なんてほとんどいないですから。こんな危ない仕事、給与はでるとはいえ、なかなかしたがりません」

 それは明乃がたくらんでいるからだ、とは言えない。困ったような笑みを浮かべて、やり過ごした。

 何か必要だったら言ってください、と言って、学生達のところに戻っていった。その先では、初めての大きな依頼を果たし、興奮した様子の平唯がいた。

 さすがの竜だった。あれほど巨大な鋼金虫を真っ向から掴む。事前の計画でそうすることは知っていたが、正直、目にするまでありえないと思っていた。内心、これで自分の計画が終わるかと思っていた位だ。

 驚いたのは他のメンバーもそうだ。学生の身分なのに、落ち着いて指示を出していた慎一、あっという間に見つけたそのパートナー。岡田屋の息子とはいえ、ありえないほどギルドメンバーとして洗練されていた。

 能美みゆきもだ。彼女は元貴族だが、詳細は謎だ。副会長に全てを聞くことはできず、自分でも調べてみたが、何が起こってこの学校にいるか、全くわからない。初めての現場とは思えない落ち着き、咄嗟の判断、そして自分を気遣う余裕。学校での模擬戦を見ていても思ったが、大人すぎる。パートナーのイレイネとの連携もそうだ。何があれば、あそこまで練られた十七歳になれるのだろうか。

 そして水城歩。助けてもらってわかったが、その身体能力は確実に学生レベルにない。桁が違う。報告よりも更に力を増しているのではなかろうか。咄嗟の判断も、誰よりも早かった。学生達のすさまじい動きに気をとられ、失敗してしまったときは死ぬかと思った。彼には感謝するしかないが、心からできない自分が、なんだか情けない。今回は出番が少なかったが、アーサーの視野の広さ、落ち着きもすばらしかった。水城が命の危機に瀕したのに、あれだけ落ち着いて自分の仕事ができたのは、本人の資質か、パートナーへの信頼か。

 どちらにしろ、学生ギルドとは思えない、ありえないレベルの仕事だった。

 この程度は軽くこなすだろうから、安心して付いていけという、副会長の言葉も、今なら納得できる。

 これまではまず副会長の計画通りにいっている。平唯と親しい友人達の輪に、自分も入ること。ギルドを作ると決めてからは、そこにも深く関わること。討伐の標的をできるだけレベルの高いものにすること。できるだけ万事障害なく進めること。

 明乃が受けた指示はそれだけだ。それ以外は知らされていない。正直、何から何まで腹芸ができるとは思わない自分としても、副会長のやり方は正しいと思う。不安なことはいくつもあるが、内に秘めてただ耐えるしかない。

「先生、どうぞ」

 はっと我に返り、差し出された金属製のカップの先を見ると、慎一の母、岡田二がいた。

「あ、ありがとうございます」
「疲れましたか。仕方がないですよ。これでも飲んで落ち着いてください」

 頂いたお茶を口に含む。初めは味がわからなかったが、序々に分かりだす。温かく優しい味だ。

 ありがとうございます、と答えると、笑みを浮かべて、二は外に出て行った。

 再びカップを傾ける。喉を通り、胃から広がる熱は、自然と身体を弛緩させてくれた。

 しかし。

 自分はこの温かい感覚を覚えていいのだろうか。












悪食蜘蛛初めてからレスないのでわからないですが、どうなんですかね。ひとまず一章終です。i挟んで次行きます。



[31770] 悪食蜘蛛 1-i ひきこもり
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/06/30 09:50



 今思えば、不思議なことはたくさんあった。

 友達はいなかった。母さんにもだ。家にやってくるのは、通いのお手伝いさんと、黒服のボディーガードと、じいさまだけだった。

 出歩くこともなかった。食べ物や衣服、本や食器なども、すべてお手伝いさんが買ってきていた。

 それでも何も不自由に感じなかった。もっぱら絵本を読んで過ごした。最初のころは母さんと一緒に、次第に一人で読むようになった。竜が出てくるものばかりだったが、どれも飽きなかった。

 身体を動かしたいときは、庭に出ればよかった。庭にはなんでもあった。芝生の広がった先に池があり、背丈位までの小山もあった。

 四季も楽しめた。春には桜と舞い、夏は木陰で昼寝をし、秋は紅葉の中で転げ回り、冬は家の中から雪を眺めた。それだけでよかった。ひきこもっていたが、それを感じさせない確かな世界があった。

 小学校に入学すると、その世界もほころび始めた。完璧だった唯の世界に、陰がさし始めた。

 入学して早々、同級生に面と向かって愛人の子と言われた。彼の顔には明確な敵意があった。入学式の際、母さんが辛そうな顔をしていたのは、それが原因だったと気付いたのは、ずいぶん後だった。

初めてのクラスに入った瞬間には、ほかの同級生は私を疎んでいた。貴族の集まる学校で、私は異物だったのだ。

 教師は分け隔てなく扱ってくれたが、庇ってくれもしなかった。必要最小限のやり取りしかしなかった。それが貴族の学校での、処世術だったのだろう。

 友達は一人もできなかった。話しかけても無視された。愛人の子と私に言った、藤原の名を冠する同級生の嫌がらせだった。私の苗字は平だったけど、序列は私の方が上だった。家長の直系だったから。だから直接的ないじめはできず、無視したのだろう。所詮は愛人の子だから、その程度は許されるだろうと思って。実際、許された。

 母さんに学校を変えたいと言ってみた。辛かったからだ。

しかし母さんはできないと言った。じいさまがこの学校に入学しろと言ったから、無理だと。そう辛そうな顔で言われた。それ以上、何も言えなくなった。

 母さんは弱い人間だった。本当に弱かった。じいさまに捨てられることを恐れ、何も言えなかった。ただ耐え忍ぶことを是とする人だった。

 何もしようとはしなかった。できなかった。ただ、私がじいさまに直接お願いすると言ったときも、同じ顔をされたのが辛かった。

 それ以来、私はひきこもることにした。内に内に。母さんを悲しませないよう、いつも努めて笑いながら。今思えば、笑いになっていたか怪しいけど。

 それからしばらくの間の記憶は今も抜け落ちている。



[31770] 悪食蜘蛛 2-1 宴会
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/07/04 01:59






 難易度C依頼 『鋼金虫の討伐』

 歩達が達成した依頼だ。難易度CとはCランク以上のギルドでなければ受けられないという意味で、通常Cランクから中堅と称されるようになることを考えると、決して低くない難易度の依頼だった。

 歩達の属する水分高校ギルド部は、学生ギルドだ。しかし特例によりいきなりC+ランクと認定された。その後、数回のオリエンテーションの依頼を終えた後、いきなり社会人のギルドが請け負うべき依頼を受け、結果、無事に達成した。

 その結果、歩達はどうなったか。

 成金だ。





 水城家のリビングにて、慎一がコップを掲げて叫んだ。

「ではでは、水分高校ギルド部、C級依頼、『鋼金虫の討伐』達成を祝して、かんぱーい!!!!!」
「かんぱーい!」

 音頭と共に、六つのグラスと、大きめのスープ皿、そして巨大なスープ皿が、音を立てた。

 歩は中身を一気に飲みほした。中身は買い出しに行った店にあった一番高いノンアルコールシャンパン。味はもちろん最高だったが、以前飲んだときより何倍も旨く感じられたのは、気のせいではないだろう。

 同じく一気に飲み干した慎一が、おっれいっちばん♪ とリズム良く叫びながら、テーブルの上に置かれたチキンを手にとり、頬張った。

「うめえ!」
「うむ、なにより。一番は我だがの」

 アーサーを見ると、両腕に肉が半分むしられたチキンがあった。至高の表情を浮かべならが、口から油を垂らしている。

「いつの間に!」
「一番槍は男の誉れよ」
「飯で張り合ってんじゃねえよ」

 そういいながら、歩もチキンに手を伸ばす。

「つまらん男め」
「なんでもいいさ! 最高の仕事の後なら、もうどうでもいい!」

 立ち上がり、慎一が声を張り上げた。

「オレの目に狂いはなかった! この面子は最高だ! 唯とキヨモリの力! みゆきイレイネの余裕のある落ち着き! それに歩の反応と、アーサーの俯瞰! そこに俺らの鼻と経験! 史上最強の学生ギルドだ! 伊達のC+じゃない!」
「最初はショック受けてたくせに」
「へいへいアーサー、細かいこと言うのはつまらんぜ!」

 見回す皆も楽しそうだ。女性陣は慎一がおどける度に笑みを浮かべ、口に運ぶ度に頬をほころばせる。キヨモリとマオはリラックスした様子でごちそうに集中している。イレイネはみゆきの背につき、みゆきが微笑むのと同期して頬を動かす。アーサーはがっついているが、会話に入ることを忘れない。

これが仕事の後の宴会か。確かに、悪くない。
心残りがあるとすれば、つきあってくれた、明乃の姿が無いこと位だ。

「それにしても、先生来れなかったのが残念だね」

みゆきも歩と同じだったようだ。

「そうだね。出張らしいけど、ほんと残念」
「また次がある! 色々買いこんだし、オヤジたちは協力してくれるって言うし! 言うことない!」

 慎一が誇らしげに言った。今回の報酬で、装備を色々買い揃えることができた。服は黒蛇製であることは変わらないが、学校で使っているものよりもっと上質なものを発注したし、こまごまとしたものも、耐久性や利便性を上げたものにした。食べ物なのか疑わしい味のする簡易食糧は、軍が使う最先端の糧食になった。武器も歩以外の三人が新しいものにした。歩は今のが慣れたばかりというのもあり、変えなかったが、いずれ返ることになるだろう。

 いずれにしろ、順風満帆だ。










 明乃は久しぶりに聖竜会本部に来ていた。

 赤い絨毯、観葉植物、そして整いすぎて息苦しい空気。全く変わりない。

 副会長の部屋の前につくと、ノックして入った。

 副会長はデスクで書類仕事をしていた。

「およびでしょうか」
「ああ、まあ腰掛けてくれ」

 促され、ソファに浅く腰掛けると、そう経たない内に副会長も立ち上がり、デスクの上にあった茶封筒を持って、明乃の対面に座った。

 すっとテーブルの上を滑らせ、茶封筒を渡してきた。

「次の指令書だ」

 明乃は受け取り、中を取り出す。さっと目を通したところで、疑問が湧いた。

「用事はこれだけですか?」
「ん? どうしてだ?」

 眉を大きくしかめた副会長に、慌てて答える。

「いえ、これだけのために、ここに呼び出したのか、と思いまして」

 指令書に特に注意しなければならない内容はなかった。それならばこれまで通り郵便を使えばよかったのではないか。

 副会長はすっと笑みを浮かべた。

「相変わらず聡い。君を選んだ甲斐があったよ」
「ありがとうございます。それで、どうしてですか?」
「まあ、様子見だ。とうとう山場を一つ越えたのはいいが、鋼金虫の際、君に危うい場面があったと聞いたからな。臆してないか、この目で確かめようと思ったのだが――どうかね」
「何も。残念なことに、彼らが優秀だったので」

 そう。残念だ。色んな意味で。

「そうか。なら大丈夫だな。潜入に戻ってくれ。ここまで御苦労だった」
「いえ」

 明乃は立ち上がろうとしたが、膝に力を入れたところで止めた。
 代わりに尋ねた。

「一つ、お聞きしてもいいですか?」
「なんだね?」

 柔和な笑みを浮かべた副会長に、思い切って尋ねる。

「お願いした件、大丈夫でしょうか?」

 副会長が豪快に笑った。似合わない、少しオーバーな仕草だった。こんな笑い方もするのか。

「何も心配しなくていい。今も君の母親は平穏に過ごしている。君が任務を達成したとき、彼女の平穏は死ぬまで続く。安心してくれたまえ」
「そうですか。ありがとうございました。任務に戻ります」

 明乃は頭を下げ立ち上がると、廊下に出た。

部屋の中にいる副会長に向かってもう一度頭を下げると、ゆっくりとドアを閉める。

息をついた。

 なんとか上手く行っている。母親も無事なのは、本当だろう。任務を終えるまで会わないとは決めたものの、いつも気になってしまう。母親の無事を聞かされると、例え副会長の口からでも、嬉しくなる。

 母親の顔を思い出す。匂いを思い出す。触れたときの手の感触を思い出す。もう二度と光を写すことのない、母の閉じられた両目を思い出す。

 覚悟がじりじりとねじあげられる気がした。

 そこに悲鳴が木霊する。

 それは幻想だ。ただし、このままでは現実に具象化する声だ。

 今ごろだと、宴会をしている頃だろう。流石に部室ではできず、水城の家にすると聞いた。明乃も誘われていた。

 参加することもできた。副会長は多忙だが、指令には平唯とその仲間と、ある程度懇意になることも含まれている。予定変更を申し出れば、可能だったろう。

 しかし明乃はそうはしなかった。できなかった。これ以上近付くと、必ず駄目になる。

 平達は本当にいい子ども達だ。あの集団に入っていると、自分もその一員になりたくなる。彼等はどこかしら孤独を抱えている。人を惹き付けるのは、そのせいだろう。孤独を知るものは、いざ他人と結びつき始めると、強固で確かな、さわり心地のよい糸を構築する。その糸に明乃も惹かれ始めていた。

 しかし。



[31770] 悪食蜘蛛 2-2 竜使い
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/07/07 22:26







 翌朝、歩は教室につくと、クラスメイト達の雰囲気が変わっていることに気付いた。

「歩」
「おう」

 席についてすぐ、固い表情の慎一が声をかけてきた。

「なんか空気おかしくないか?」
「少し場所移そう。アーサーももっかい拾って」

 真剣な慎一に押され、すぐにパートナー達の待機棟に移動した。次から次に学生がやってきては、待機棟にパートナーを置いて、自分達の教室に向かって行く。そんな朝の光景の中、アーサーを連れ出し、部室に向かった。

「ぁーあー」

 登校後の昼寝を邪魔され、生あくびを漏らすアーサーをよそに、慎一が切り出した。

「時間もないから、さっさと本題に入るぞ。歩、クラスの空気わかった?」
「ああ。最初は勘違いかと思ったが、クラスのやつら、ちらちら俺を見てた。いらついてる感じだったな」
「昨日のことがバレたんだ。盛大な宴会したって」
「そんなことでか?」

 友人同士でお祝いをしただけだ。なのにそれがどうして歩達を疎むことにつながるのか。

「唯がたいしたことないくせに特別扱いを受けていると思われているのは知ってるな? それでハブられそうになってるのも」
「俺も余波受けてるな」

 慎一の顔に苦々しそうな皺が寄った。

「それがギルド部にまで波及したんだ。俺らもともと設立から竜使いの特権使ってたろ? 唯代表にして」

 確かに、歩達は手続きをさっさと済ませるため、故意に唯を代表にした。

「それくらいで?」
「それまではまだ良かった。だが、ギルドランクまで特別扱い受けはじめたあたりから、雲行きが怪しくなった。唯を疎ましく思ってた教師が授業中に話したのをきっかけに、ギルド部の発足と特別扱いが学校中に広まった」
「そういや、最近風あたり強くなってたな。それが理由か」

 唯や歩に対するクラスメイトの態度は悪化していた。それまでは二言三言会話すること位はあったのだが、今では伝達事項など最低限の会話しかなくなっている。遠巻きにされることは慣れていたのと、ギルド活動に集中していたのとが重なり、気にしていなかった。

「それでも直接動くやつはいなかった。ただの特別扱いならこれまでもあったことだからな。問題だったのは、そうした特別扱いを受けていた俺達が、かなりまとまった金を得たことだ。部活で金を稼ぎやがったってな」

「俺らがもらったのは正当な報酬なのに? 危ない目にもあったし」
「それは関係ねえんだよ。周りに過程は見えないからな。見えるのは、特別扱いを受けてきた連中が、部活動で金銭を得たってことだけ」

 そうなると、周りの人間には特権を利用して楽に金を稼いだようにしか思えない。

「宴会の買い出しやるところを学校のやつが見たらしく、一晩で学校中に」
「――失敗したな」
「いずれは発覚したことだろうけどな」

 ここでチャイムが鳴った。時計を見ると、後五分でホームルームが始まる。

 慎一と顔を見合わせ、走り出した。職員室の前を走る時だけ早歩きで、それ以外は全速力だ。

 走りながら、そういえば一度も声を発していない肩に乗る相方のことを思い出した。

 見ると、盛大にあくびをもらしていた。歩と慎一の会話を聞いていたのに、まるで緊張感がない。

「アーサー?」
「ん、なんだ」

 あまりに変わらない態度にこちらが面くらってしまった。
 二の句を告げないでいる内に、待機棟についた。周りには息を切らして遅刻間際の攻防を繰り広げる、学生達がいた。

「歩、慎一」
「なんだ」

 速く下りろよと思いつつ、端的に答えると、それを知ってか、アーサーがぱっと飛び上がった。
 すぐに帰ろうとしたところで、アーサーが言った。

「心配するな。そう遠くない内に終わる」
「え?」
「ほら、遅刻するぞ」

 振り返ろうとしたが、本当に遅刻しそうなので、悠々自適なアーサーにいらつきと困惑を覚えながら教室に戻った。なんとか遅刻は免れたが、入ったときの突き刺さるような視線に、余計に焦燥感が募った。






 昼休憩になった。

 いつも通り部室に集まろうとした矢先、唯が担任に呼ばれた。なにやら用事があるらしく、先に食べてて、というと担任と一緒にどこかへ行ってしまった。

 仕方なく慎一と二人で部室に向かったのだが、和気あいあいとした昼食にはならなかった。

 そこで話したことだが、慎一とみゆきの二人には案外唯の余波はないらしい。二人とも顔が広いため、心配されることはあっても、ハブられる気配はないとのこと。最上級生ということも僥倖だったようで、すくなくとも二人がどうこうされる気配はないとのこと。

「ただ、唯に対してのを辞めさせるのは難しいんだよな。色々話してみたけど、やっぱり内心竜使いの特権にいらついてる部分がみんなあるみたいだ。普段それが色んなもので隠されてるけど、唯みたいにぶつけてもいい対象を発見した瞬間、解放されるって感じで」
「たまんねえな」

 ソファの背もたれに思いっきり身体をのっからせながら歩はそう呟いた。主犯がおらず、みなが少しずつ悪い、どうしようもない悪意だ。

「そういう歩はどうなの? 歩も竜使いでしょ。危なくない」
「一応だけどな」

 食事を終え、早くも午睡に入っているキヨモリと、同じくソファに横になっているアーサーを見ながら答える。条件付きでしか竜になれない、E級生物。それをパートナーに持つ自分。竜使いというには、足りない気がした。
 実際、周りからの扱いもそうだ。

「どっちにしろ、俺がされるとしたら、唯のおまけだ。俺自身がうらやむ特権持ってるわけじゃないし。唯がどうなるかで決まる」
「どっか投げやりだな」
「――そうか?」

 ほとんどが遠巻きで、たまに意地のわるいやつだけが絡んでくる現状。どう変わろうと、自分が脇役であることは変わりない気がした。

 さらに慎一が何かいようとしたが、その前に歩は口を開いた。

「それにしても、唯遅いな。何があってんだろ。なんか聞いてる?」

 みゆきも慎一も首を振った。何があるのか。

 さらに質問しようとしたとき、コンコンとノックされ、ドアが開いた。

「唯。おそかったな」
「遅くなってごめん。みんな食べちゃったね。私の分ある?」
「もちろん、はい」

 ソファにどさっと座った唯に、みゆきが取り分けておいた分を差し出す。

「さっすがみゆき。ありがと」
「どうぞおかまいなく」

 唯はさっそく箸を動かし始めた。時計を見ると、昼休憩は後十五分ほどしか残っていない。
 慌てた様子で手早く食べる唯に、みゆきが声をかけた。

「そんな急がなくてもいいよ。午後は模擬戦だし。なんならそのときに食べればいいんじゃない?」

 言われて時間割を思い出した。確かに午後は模擬戦、しかも全クラス合同のだ。いつもより張りきるやつが多いため、その分激しいものになる。何も考えずに昼食をとった自分が恨めしくなった。

「忘れてた。ならさっさと戻らないと」
「そうだな。全クラス合同だと混むし、さっさと行くか。唯、すまんが、先行くぞ」

 慎一がそう声を駆けたが、口いっぱいにつめた唯は首を振った。意図がわからない。
 咀嚼し終え、水で喉を洗い流した唯が言った。

「私も行くから、待って」
「え?」

 唯は今まで模擬戦に出たことがない。竜の強すぎる力のためだ。それ以外にも他の生徒と同じカリキュラムを過ごせないことの多い唯達のために、今は部室となっているこの部屋が与えられている位だ。

 なのになんでいまさらそれが変わるのか。

「どういうこと?」
「もともと申請してたのよ。授業の模擬戦に参加させてって。その許可が下りたみたい。今までかかったのは、誓約書を読んで、サインしてたから」

 ごちそうさま、と手を合わせ終え、時計に視線を向けた後、唯はすっと立ち上がった。

「そういうことだから、みゆき、連れていってくれない? 勝手がよくわからないから」
「あ、うん、わかった。なら歩、慎一、ここ任せていい? 私ら時間かかるから」
「おう」

 口だけで答えると、唯とみゆきがパートナーを連れて出て行った。
 残された歩達もそう時間があるわけではない。テーブルの上を片付け、模擬戦服に着替えに教室に向かい始めた。

 その道中、やはりお互い疑問をぶつけあうことになった。

「どういうこと?」
「わからん。それに唯自身、これからのことどう思ってんだろ」
「わからん」

 教室に着き、着替え始める。クラスの大半は着替え終え、教室から出ていくところだった。急がないと遅れてしまう。

「こんな状態で、模擬戦どうなるかね」
「決まっておろう」

 服を脱ぎ、上半身に張り付くシャツに袖を通していたとき、アーサーが口を開いた。視線を向けると、盛大に欠伸をもらし、ばきばきと音を立てて大口をあけているところだった。やっと目が覚めたようだ。

 着替えながら、尋ねる。

「何が?」
「決着がつくであろうことが」
「決着?」
「わかれ」

 着替え終えたとき、教室にはもうほとんど残っていなかった。歩達は走り出した。

 道中、肩口に乗ったアーサーが言う。

「それにしても、そう遠くない内に来ると思っていたが、案外早く来おったな」
「唯の模擬戦参戦のこと?」

 アーサーは首を振った。

「違う。チャンスだ」
「チャンス?」
「唯が現在の状況になったのは何故だ?」

 きっかけは、歩に負けたこと、幼竜殺しに翼をもがれたことの二つ。

「負けたから」
「唯を疎ましく思っている輩目線で答えよ」
「――たいしたことないくせに、何特権もってやがんだ――あ」
「そういうことだ」

 そういうことか。

 模擬戦会場についた。場がざわめいている。多くの視線が、唯とキヨモリに向けられていた。

 その中で、唯は毅然と立っていた。その隣にいるキヨモリは、眠たげに大口をあけていた。アーサーと同じ、しかしサイズのちがう、文字通りの大口だった。










 初めての模擬戦授業は、学年全体での合同授業になったため、いわば完全な晒し場になっていた。

 初めに教師から唯とキヨモリがこれから参加することになったと説明が入った。

 その知らせを聞いて、一部の生徒が意地悪そうに笑うのが見えた。後で慎一に聞いたところによると、そいつらはいじめを始めるとしたら、まず動きだしそうな輩だったらしい。

 唯の最初の相手を務めたのは、大楽昭。歩にもよくつっかかってくる、マサハルと呼ばれる巨人の使い手だ。彼は唯に対しても、わかりやすい下種な精神を発揮して、にやにや笑みを浮かべながら、唯の相手に立候補した。

 そこで完全に子ども扱いを受けた。

 開始の合図と共にマサハルは直進、いつものように棍棒振るったのだが、キヨモリは無造作に素手でつかんだ。何が起こったかわからない様子のマサハルを尻目に、棍棒をひっぱり、地面に転ばせる。
そこからさらに足を掴み、片手で持ち上げると、校舎に向かって投げ飛ばした。

そのまま校舎にぶつかると、マサハルは気絶した。その様は起きた轟音と震動で窓の外に顔を伸ばした学生たちの見るところとなった。やりすぎだと説教をする唯とそれをしおらしく受けるキヨモリの姿に、その場にいた学生は皆目を丸くしていた。

 大楽はともかく、彼のパートナーである巨人型のパートナーは、かなりの能力がある。伊達に模擬戦クラスのトップに呼ばれておらず、膂力だけで言えば学年でも一、二を争っている。

キヨモリはそれを幼稚園児を扱うようにあしらったのだ。

 皆が驚く中、歩はアーサーに話しかけた。

「問題だったのは、多くの人が唯とキヨモリの力を実感したことがなかったことなんだな」
「普段模擬戦に参加しない唯達の戦う姿を見れたのは、我らとの一件のみ。だが我らの戦術は異質だ。実際の強さを測るには、些か相手が特殊すぎた。しかも負けた。ま、わからんくても仕方あるまい。喧嘩売ったアホにはいい薬だろう。しっかり相手を見極めよ、とな」



 その後、トップクラスの学生たちが挑んだが、どれも相手にならなかった。神速の狼型を的確に手で掴みあげ、空を飛び仕掛けてくるグリフォンには、その爪とくちばしを平気な顔で無視しながら地に落とし、挙句の果てには、学期末模擬戦でみゆきと決勝を争った総合力ナンバー1の悪魔型を、何もする暇を与えず尾で弾き飛ばした。牽制を多用し、巧みな逃げを見せたみゆきにだけは決定打を入れられなかったが、それは何の問題にもならなかった。





 模擬戦を終えた後、唯を取り巻く環境は一変した。それまでとは逆方向に。



[31770] 悪食蜘蛛 2-3 その後、そして
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/07/11 18:41







 キヨモリ無双の次の日、昼休み。

「平さん、今度お茶行こうよ」
「あ、うん、今度ね」
「平! 放課後模擬戦つきあってくれない!? 俺聖竜会の下部組織行きたいからさ、竜に慣れておきたいんだ!」
「うん。時間が空いてたら」
「平先輩! サインください!」
「それはちょっと……」
「平唯。俺はお前のことを信じてたぞ!」
「……どうも」

 唯が人に囲まれていた。多くが同級生だったが、無邪気な一年も混じっている。全員が全員、悪意の欠片もなさそうな顔をしている。

「大人気だな」
「これぞ大衆。もし唯が無邪気なだけだったら、人間不信なるな」

 悪戦苦闘している唯をよそに、歩は慎一と一緒になって適当なことを言っている。時折、唯の視線がこちらに来るのは分かっていたのだが、歩は自分が悪者になるつもりはない。苦笑して合掌するだけだ。

「平さん!」
「平!」
「平先輩!」

 次から次へとかかってくる問いは、みゆきがやってきてやんわりと断るまで、続いた。






「平さん! これ、どうぞ!」
「……殴るよ? キヨモリが本気で」
「それは勘弁してください」

 場所をギルド部部室に移した。

おどける慎一に対し、唯の顔には疲れが見えた。たった数分で、模擬戦の何倍も疲れているように見える。実際、疲れたのだろう。慣れないことを強制されるのは、本当に疲れる。

「まあまあ、ご飯にしようよ」

 苦笑しつつ、みゆきが重箱の蓋をあけた。

「みゆきが言うなら」
「さっすがみゆき先生! 天下の平唯を黙らせるとは!」
「……本気でなぐっとこうか」
「今度は止めないよ」
「やりすぎちゃいましたごめんなさいもうしません」

 女性陣二人の声が断定口調だったのを聞いて、慎一は即座に謝った。
 それを見て、アーサーが不機嫌そうに言う。

「コントはその位にして、飯にするぞ。我は腹が減った。のう、みゆき」
「はいはい欠食児童を放置してちゃ、保護者の責任問題なるもんね」

 アーサーはふんと鼻をならしただけで、特に反論はしなかった。

これでようやく昼食の開始となったが、今日から少し事情が変わった。歩達が材料費を出すことがなくなったのだ。これはもともと友人同士でお金のやりとりをするのに難色を示していた唯の希望で、歩達は代わりにギルド部の事務を請け負うようになっている。

「それにしても、唯の人気はすごいな」
「……まだ懲りないの?」
「いやいや、煽りぬきで。純粋に思ったからさ」

 唯はきつく睨んでいたが、慎一は続けた。

「昨日までは、真逆だったのにさー。平さん平さんって。大楽とか見た? 巨人使いで、最初にぼこられたやつ。『おれは信じてた』とか、わけわかんねえよな」

 そういえば、声が大楽のものだったような気もする。気にしてなかったので、わからなかった。

「んでさ、唯はどう思ってんのかなと思ってさ」
「どう?」
「うざいとか、変わり身ひどくない? とか」

 かなり突っ込んだ、直球な質問だ。それを軽い調子で聞く慎一が、すごいというかなんというか。
 唯はすっと答えた。

「どうも。そんなもんだし」
「悟っちゃってる?」
「慣れたって感じかな。中学時代も似たようなの受けたし」
「へえ。そうなんだ」
「そうなんです」

 そういうと、唯は平然とした顔で湯飲みを傾けた。達観しているように見える。どういう背景があって、こういう姿勢を身につけたのだろうか。












 昼食が終わった。いつもはこれから適当にだべり、時間になったら戻るのだが、今日はやることがあった。
 ギルド部の次の活動内容だ。

「それじゃ、次の決めようかね。希望ある?」

 重箱がどけられたテーブルの上には、依頼書が広げられている。全てCランクのものだ。

「Eは入門でやりがいなしだけど、Dはどうだったっけ?」
「単純な肉体労働系。山にハイキングとかもあるから、それならいいかも」
「そうか。一応見てみるかな」

 立ちあがると、みゆきは部屋の隅に置いてあった段ボールに寄った。ダンボールは二つあり、それぞれEとDと書かれている。

「私はこれかな。海亀蛇の捕獲。この前山だったから、今度は海で」
「あーそりゃきつい。海の中だし、なにより数が多い。人数多い所が、ローラー作戦でやるようなのだ」
「そうか、残念」

 唯が手にした紙を部屋隅のゴミ箱にぴっと投げると、かしゃりと音をたてて中に入った。

「歩はなんかある?」
「え? う、ん」

 先程から見ているのだが、いまいちピンとこない。魔物の討伐依頼は余りなく、ほとんどが採取や調査だった。やってもいいのだが、どうせなら槍を振るいたいというのがあった。
――いまさら気付いたが、自分はけっこう脳筋だったようだ。

「Bはまだ遠い?」
「通常は十やって、試験受けてだけど、ここの場合はよくわからない。けどBは人数いるのも多いから、試験が厳しいかもね」
「そうか」

 なんだか手づまりだ。

 それから二、三案を言い合ったが、どれもピンと来なかった。いや面白いのはあったのかもしれない。しかし鋼金虫の群れとやりあったことを考えると、どれもやり応えがなさそうに見えたのだ。

 結局、放課後に回すことになった。






 放課後。

 また依頼書を前にうなっていたが、そこに呼び出しが鳴り響いた。

 慎一が行って帰ってくると、手には大きめのファイルがあった。

「なにそれ?」
「新しい依頼書だって」
「どこから?」
「えーっと……聖竜会!?」

 ぱっと皆寄っていった。

「聖竜会が送ってくることとかあるの?」
「俺の知る限りない」
「中見てみよう」

 見守る中、慎一が一枚目をめくると、そこに説明書きがあった。
 慎一が音読していく。

「『水分高校ギルド部様。この度は鋼金虫の討伐、完遂、おめでとうございます。つきましては、竜所属のギルドの皆さまにお送りしている、竜専用の依頼書、Cランクを郵送させていただきました。こちらも依頼を受ける場合は、通常通り、ギルド連合の方で手続きするよう、お願いします」――こんなのあったんだ」
「知らなかったの?」

 慎一は頷いた。そういえば、登録にギルド連合に訪問した際、支店長が竜専用の依頼があると聞いた気がする。

「ひとまず、見てみる?」

 唯の一言を合図に、一枚目をめくったとき、歩ははっとした。さっと視線をめぐらすと、みんな同じように息を呑んでいた。

「これって」
「ああ」

 そこにあったのは、悪食蜘蛛の討伐だった。



[31770] 悪食蜘蛛 2-4 分岐
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/07/14 23:55







 慎一が部室に返ってきた。

「どうだって?」
「当たりみたい。歯切れが悪かったけど、教えてくれた。この依頼は、あの女の人が頼んだものだとさ」

 悪食蜘蛛の討伐といっても、歩の想像した、ギルド連合に尋ねたときに女性が訴えていたものと同じとは限らない。その可能性を確かめるため、慎一は職員室に行き、ギルド連合水分支部に電話した。

 結果、確定。

 息を切らせて戻ってきた慎一が、ソファに腰掛けた。他の面子は既にソファにおり、テーブルの上にあるのは悪食蜘蛛の討伐依頼書のみ。慎一が職員室に行っている間、部室は無言に包まれていた。皆ギルドで見た女性の剣幕を忘れられなかったのだ。

 最初に口を開けたのは、アーサーだった。

「対象は一体。村を荒らす悪食蜘蛛を退治。書かれているのはこれだけか。慎一、悪食蜘蛛とやった経験は?」

 慎一は淀みなく答えた。

「一度だけ。俺がやったのはキヨモリ位あった。だいたい平均してそれくらいみたい。外見はオーソドックス。力も大きさ相応。俊敏性は巨体の割にはある。鋼金虫よりは強敵だと思うけど、キヨモリなら勝てると思う」
「悪食蜘蛛って、私と歩がもらった模擬戦服の糸を作ったやつだよね? 糸に食べたものを混ぜ込む習性があるっていう。その能力は、なにか注意するところある?」

 唯が尋ねた。二年の学期末模擬戦で、歩と唯は特製のジャケットをもらった。そのときの素材に、悪食蜘蛛の金糸が使われていた。悪食蜘蛛には口にしたものを糸に混ぜ込む習性があり、その金糸には本物の金が含まれていたため、かなりの強度をもっていた。

 額に皺をよせてしばらく考え込んだ後、慎一が口を開いた。

「俺らが戦ったのは、特に何もなかった。巣の上じゃなかったし、糸をはいて攻撃してくることもなかった」
「そう。なら討伐そのものならなんとかなるかな」
「後は場所かな」

 そういうと、みゆきは身を乗り出し、テーブルの上に置いてある依頼書に手を伸ばした。

「場所は――外地に近いね」

 歩も身を乗り出した。

 同封された地図を見ると、赤く×された箇所があった。そこは歩達のいる国のかなり端にあった。×の端が国境を越える位だ。

 そして国境の先は、黒く塗りつぶされており、中央に赤字で外地と書かれていた。

「これが竜使い以外は受けられない原因?」
「……かもしれない」

 外地。人をよせつけない未踏の地。陸続きに繋がっており、物理的には歩いて行けるのに、決して踏み入ることは許されない、未知の空間だ。

 そこには人が住む内地の魔物とは比べ物にならない力を持つ個体が存在する。彼等は外来種と呼ばれている。三年ほど前、一体の外来種が迷い込んできたことがあった。軍の竜使いが二名殉職した。

 しかし人が外地に踏み入れられない理由は他にある。

 龍の存在だ。

 龍は竜に非常に似ている。むしろ同じ種族だといってもいい。多様な外見ながら、他の種族とは簡単に見分けがつくと言われるほど圧倒的な力も共通している。

 両者を分かつのは、人を見て襲ってくるか、共に歩むか、それだけだ。

 五十年ほど前、領土拡大のため、隣の国が外地に侵攻した。その国は当時最大数の竜使いを擁した軍を持っており、その大半を侵攻部隊に送り込んだ。

 結果、軍は半壊した。その国は数年後、歩達の隣の国に併合された。

 教科書にも載っているその事件は、龍を直接見た経験のない現代の人間にも、外地は決して足を踏み入れてはいけない場所だと、知らしめている。

「慎一、外地との境界線まで行ったことある?」
「何度か。近付いたら、外地まで後何キロって書かれた看板がいくつもあるから、わかると思う。間違って踏み入れることはなさそう」
「だからといって、近付いていい場所でもない、か」

 歩がそういったのを最後に、部室を沈黙が満たした。黙りこみ呼吸の音と、壁を越えて漏れ聞こえる放課後の喧噪の中、どうすべきか考えているようで、実際は何も考えられていない時間が過ぎていった。

 日が赤みを帯び始めたころ、アーサーが口を開いた。

「ひとまず決を取るか。賛成、反対で」

 皆従った。

「では決を取る。歩と我が一票ずつ、唯、みゆき、慎一が二票ずつでよいな。棄権はなしで」

 首を振り、反対者がいないことを確かめると、アーサーが言った。

「賛成の者、挙手」

 歩は手を上げた。他にみゆきと慎一が手を上げた。これで賛成に五票入ったことになり、決の結果が確定した。手を上げなかったアーサーと唯の表情は変わらなかった。予想していたのか、それともどちらでも受け入れる覚悟ができていたのか。

「では、反対の者、挙手」

 アーサーと唯がさっと手を上げた。すぐに二人の手は下ろされた。

「賛成の理由から言っていく?」

 皆が頷いたのを一瞥すると、みゆきが言った。

「もうちょっと悪食蜘蛛と状況を調べてからだと思うけど、やっていいと思う。私達ならできると思うし」
「俺もやるべきだと思う。やりたいとも思う。外地の近くなのは怖いけど、このギルドにはその力がある。助けられるものは、助けたい」
「……俺言うことないな」

 歩がぽつりとつぶやくと、放課後になって初めての笑いが起きた。恥ずかしかったが、少し雰囲気が和らいだのを見て、自然と頬が緩んだ。

「唯、アーサー、反対の理由は?」

 微笑んでいた唯が、みゆきの問いに答えた。

「なんだかきな臭いなってのがあったから。それだけ」
「きな臭い?」
「我も同じだ。だが我の場合、危機感があるがの」

 追随したアーサーの顔を見る。険呑とした皺が目の間に刻まれていた。途端に空気が引き締まった。

「どういうこと?」
「どうも上手くいきすぎておる。たまたまあの場にいた竜使いに、竜使いでないと果たせない依頼を持った女性が、竜使い達が出てきたタイミングで騒いでおる。臭わんか? 仕組まれているような感覚がせんか?」
「仕組むってどこが? 得するところがどこかあるのか?」

 慎一の問いに、しばらく間を開けた後、アーサーが力なく言った。

「――ないか?」
「少なくとも、見当たらないと思う」

歩がそう答えると、アーサーはその場にいる一人一人と視線を合わせていった。歩、みゆき、慎一、そして唯と合わせていき、終わると、アーサーは黙った。

 みゆきが言った。

「ひとまず、調べてみよう。その後でもう一度多数決しよう。それでいい?」

 これでその日は解散となった。道中、アーサーは口数が少なかった。







 その後、三日を下調べに費やした後、多数決が行われた。

 賛成七票、反対一票で、悪食蜘蛛の討伐が決定した。














「――仕組まれているような感覚がせんか?」

 盗聴器から聞こえてくる深く渋い声に、明乃は息を呑んだ。一瞬、テストの採点をする手が止まってしまった。職員室に備え付けられている、湯飲みに赤ペンの先があたって、かつんと音を立てた。

 はっと気付き、慌てて採点を再開する。幸いなことに、アーサーの感覚は他の者にはなかったようで、否決された。

「先生、何聞いてるんですか?」

 声に振りかえると、明乃が請け負っているクラスの女子生徒だった。

 微笑を浮かべ、耳にしていたイヤフォンの左側を渡した。
 イヤフォンを耳にはめたとたん、女子生徒は顔を曇らせた。

「これは」
「あなたたちには早いかもね」

 女子生徒はイヤフォンを渡してきた。

「これって、落語、ですっけ?」
「そう。どう?」
「よくわかりません」

 イヤフォンの左側からは落語が流れている。カモフラージュだ。イヤフォンの右側から流れるのは、ギルド部部室に仕掛けた盗聴器からの音声だが、それだけ聞いていては、今のようなことがあれば都合が悪くなってしまう。

諜報部時代からの、明乃の愛用品だ。

 女子生徒は本来の用事である、提出し忘れた課題を渡し終えると、スカートをひるがえして出て行った。迷いのないその動きを見ていると、自分がなんだか年を取ったような気がした。

 再び採点に戻ろうとしたところで、みゆきの総括が聞こえてきた。おそらくこれで決まりだろう。

 悪食蜘蛛。それがとりあえずの最終地点だった。

 そこに何が仕掛けられているのか、明乃は知らない。そこにはなんらかのたくらみがあることしか、知らない。

 しかしもう走り出した。

 明乃はふーと息をつき、天井を見上げた。覚悟は決まっていた。なんだか全てのものがぶよぶよとした膜越しに感じられる。自分自身からも遠ざかっている感触。これが俯瞰か。

「先生、お疲れですか?」

 副教頭が声をかけてきた。職員室の中で落語を聞くという暴挙を、笑って許してくれた小柄な男性教諭だ。この学校は、そういうところは大変緩い。

「新任なのに、担任ですから、無理しないでくださいね。この学校離職率高いんですよ」
「そうなんですか」

 おそらくその指標を自分も上げることになるだろう。少しだけ申し訳なく思ったが、それも他人の感情のように感じられた。大丈夫、自分が見えている。

 教頭が離れた後、再度採点に取りかかった。思考がシンプルになっているような気がした。



[31770] 悪食蜘蛛 2-i 形成
Name: MK◆9adc7e33 ID:c48724ad
Date: 2012/07/18 17:16







 小学五年に上がったころ、母さんが自殺した。

 自殺現場は見ていない。通いのお手伝いさんが見せてくれなかったから。葬式のときに見た母さんは特に汚れた様子はなく、ただ眠っているようにしか見えなかったが、触れると固くなっており、人形のようだと思った。

 母さんの死と同時に、母さんのパートナーであるシズカの身体は消えた。精霊型パートナーの死はそういうものらしい。彼女の生きた痕跡は、彼女が死んだ後に残った、水のしずくを固めたような宝石だけだった。それは今でもだいじにとってある。もう一人の母さんの遺品だ。

 葬式が終わり母の骨を墓に埋めたあと、じいさまが聞いてきた。これからどうするのかと。

 私はどうでもいいと答えた。もうなんでもよかったからだ。母さんが死んだ実感もなく、記憶がない位日々が薄れていたせいか、ただ茫然としていた。

 母さんの死も、私のそんな態度も、じいさまがどう思ったかは知らない。聞くつもりもない。

 じいさまは、私を特殊な学校に入学させた。そこは一般には貴族の学校として知られていたが、実際は貴族ではない、複雑な事情を抱えた子ども達が集められた場所だった。

 そこでも友だちはできなかった。しかしそれはいじめられたなどではなく、自分のつっけんどんな態度のせいだったように思う。人との接し方もわからず、ただぼうっとしていた自分は、小気味悪かったのだろう。

 それでもしばらくすると、話しかけてくれる人も出てきた。彼等も貴族という慣例に翻弄された人達だ。そう遠い人達ではなかった。少しずつ会話することを思い出していった。母親やじいさまとの、小学校入学前の、歪だが美しかった世界を。

 そのまま過ごしていれば、彼女達と仲良くなれたかもしれない。

 しかし十二歳の誕生日、キヨモリが生まれた。

 それで全てが変わった。

 母のパートナーは精霊型だったが、父は貴族、つまりパートナーは竜。百パーセントというわけではないが、私が竜使いになる確立は低くなかった。私にはその自覚がなかった。だから何も考えていなかった。

 竜。それも直立二足歩行で、腕と翼が二つずつ。その造形は最も格式が高いとされている。

 キヨモリが生まれた次の日から、周りの目が変わった。

友だちになろうとしていた人達は、遠い世界へ行ってしまった。身体の変化、強化はすぐにあったが、私の内面は何も変わっていない。しかし彼女達の目は私を見なくなっていた。彼女達の目に写るのは、尊敬と嫉妬と憎しみで色づいた貴族だった。

 もう友だちにはなれなかった。

そこをそのまま卒業した後、中学では貴族たちのもとに戻った。そこでも私を見る目は生暖かい遠くからのものだったが、直接間接を問わずいじめはなかった。キヨモリの存在はそれほど大きかったのだ。私に媚を売って近付いてきた者もいたが、相手をしないでいると、すぐに消え去った。

 代わりに始まったのは、じいさまからの教育だ。

 貴族としての礼儀作法から始まり、基礎学力、教養。国語や外国語、歴史や科学、数学などの授業は苦にならなかったが、絵や歌、琴などはてこずった覚えがある。

 武芸の鍛錬も始まった。竜に任せ、最小限の自衛と指示だけで済ませる、竜使いの武術はそのときに習ったものだ。

政治や謀略も学ばされた。それで当時置かれていた自分の現状を理解していった。

それらの教育は、じいさまからだけではなく、知己の友人や若い家庭教師も巻き込んで行われた。特に政治や謀略に関しては、じいさまは不得意らしく、講義は専らじいさまの年少の友人が受け持った。竜への愛情と、それに反する現実的な思考の持ち主だった。

最近になってわかったが、それらは私の教育と同時に試験の意味もあったようだ。私が藤原の名を継ぐに足る力量があるかどうかの検査だ。後継者は別の人に決まっていたが、これまで次々と後継者を亡くしていった経験から、予備はいくらでも必要だったのだろう。

 教育が一定水準を越え、後継者候補に足る力があると判断されたのは中学を卒業したとき。

 じいさまは、私に首都の貴族の高校に進むように言った。そこは格が一番上の、貴族でもごく一部の上澄みが通う学校だったようだ。

 しかし私は拒否した。初めての反抗だった。



[31770] 悪食蜘蛛 3-1 村
Name: MK◆9adc7e33 ID:24e2bda1
Date: 2012/08/02 13:56




 悪食蜘蛛の討伐にあたり、まず依頼者のいる村に向かった。

 村は外地に近い、国の端のほうにあたるところにあった。特産品はキノコと炭用の木々、そして石油で、多くの人達が農業をしている、ほそぼそとした村のようだ。

 そこへは今回もバックアップを担当してもらうことになった、慎一の両親が経営するギルド、岡田屋の牛車で移動することになった。岡田屋の面子は慎一の両親と四、五人いて、どれも二十代位の若い青年達だった。

 そして当日。

 半日かけてようやく村に着いた。小振りな一軒家位の大きさの村の集会所に行くと、事前に通達していたおかげで、既に村の主な人々は揃っていたが、揃いの戦闘服を身に纏った歩達を見ての村の住人達の反応は意外なものだった。

 彼らにはギルド連合で見た女性のようなせっぱつまった様子がなかった。

「悪食蜘蛛の討伐に来たのですが、依頼されましたよね?」

 慎一がそう尋ねると、応対してきた、細い枯れ木のような中年男性の村長はあっさりと答えた。

「はい、そうです。ありがとうございます」

 柔和に言いきられ、歩が困惑していると、その様子を不審に思ったのか、村長が尋ね返してきた。

「それで、なにか問題があるのですか?」
「あ、竜だ」

 子どもの声だ。

 声のほうを見ると、そこには小学校低学年位の子ども達がたくさんいて、目を輝かせていた。視線の先を辿ると、牛車から降りるキヨモリがいた。

 その中の一人が村長の顔を、なにか期待しているような目でじっと見てきた。

「あの話しの途中ですが、この子たちがあの立派な竜に興味があるみたいで、少し、あの」
「いいですよ」

 唯がそう答えた途端、喜びの声を上げながら、子ども達がキヨモリに殺到した。

 「すげー」「本物だ」「かっけー」「かてえ」「あんまり獣臭くないね」「……思ったよりあったかい」など、思い思いの感想を漏らしながら、キヨモリをぺたぺたと触っている。キヨモリは困惑しているようだったが、少し離れたところに移動し、されるがままになった。

 ほほえましいその光景に、歩は一層違和感を覚えた。

 あの女性は、なんだったのだろうか。

 唯が率直に尋ねた。

「私達は以前、この依頼を必死になって訴える女性をみたことがあったのですが、彼女に心当たりはありますか?」

 女性の容姿を言うと、村長は唸った。心当たりはないようだ。

「そもそも、うちはそれほど困ってはいませんから。もともと外地が近い関係もあって、深いところまでは行きませんし」
「危ないんですか?」
「いえ、やっぱり気味が悪いじゃないですか」

 そこまで言うと、村長は口の形を『あっ』という形にした後、口ごもった。今からその気味の悪い場所に行く、歩達に向かって言うことではない、と思ったのだろう。

 もじもじとし始めた村長に、みゆきが言った。

「それで心当たりはありませんか? 他の方にも聞いてくださると、助かります」

 それで呪縛が解かれたのか、村長は周りにいた人達に声をかけ始めた。

「なんか心当たりあるか?」
「おまえんとこの、娘はどうだ?」
「妊娠中だぞ? ない」
「外れのやつら、どうです?」

 ほとんどの人が白髪交じりの老人たちばかりだったが、その中にいたおじさんとお兄さんの中間くらいの人が問いかけるように言った。

「たしかに、やつらならあり得るな」
「やつらってどなたです?」

 村長はあっけらかんと言い放った。

「この村から少し離れたところにある、森の中に住んでいる連中です。やつらは代々山の中にある臭水をとって、売っている連中なんです」
「くそうず?」

 オウム返しをしたのは慎一だった。

「臭い水と書いて、臭水と呼びます。一般には石油って呼ばれますね」

 そういえば、村の特産品に石油があったような覚えがある。

「その中に、おっしゃられた女性がいるかもしれません。よかったら案内しましょうか?」
「お願いしていいですか?」

 村長は、こちらこそ喜んで、と答えた。

 案内人は、最初に『やつら』と言いだした、若めの男の人が仰せつかった。村長が迷わず指名したあたりに、村社会のピラミッドが見えた気がした。

 歩達は、村に拠点を作り出した岡田屋の面々を残し、学生と教師だけで向かった。

 序々に細く、荒れ果てて行く道の中、案内人と談笑していく中、慎一が言った。

「それでやつらって、なんか嫌ってるみたいな言い方ですけど、なにかあるんですか?」

 案内人は眉間にしわを寄せ笑いながら、愚痴を言うように口をすぼめた。

「やつら、臭うんですよ。石油の匂いぷんぷんさせて。それと以前、運んでいる最中に石油の入ったタンクを落としてしまって、川に石油を流したことがあるんです。川の魚は死ぬわ、農業用水としては使えなくなるわ、大変でした。国に頼んでなんとかしてもらったことはしてもらったんですが、それまでの間に、かなりの損失出してしまいましたから、きっちり保証はさせたんですが、それでもこっちとしちゃ納まらないですよね」
「なるほど」
「あ、もう着きますよ」

 匂いがしだした。石油の鼻につく匂いだ。

 さらに進んでいくと、山小屋が見えてきた。かなりの大きさだ。脇には大きなドラム管があり、奥にはそれを運ぶ巨大なリアカーが見えた。おそらく『やつら』のパートナーが引くのだろう。

「おーい、客だぞ!」

 案内人のおじさんがそう叫ぶと、おそるおそると言った感じで、入口のドアが開けられた。そこから出てきた顔が、すぐにはっと息を呑んだ、歩もあ、と漏らした。あの女性だった。

 数瞬置いた後、女性はぱっと出てきて、唯にすがりついた。

「助けてください!」
「落ち着いてください」

 唯が声をかけたが、女性は変わらなかった。必死の形相で訴えかけてくる。

「お願いします! はやくやつらを!」
「落ち着けおめえ」

 案内人に怒鳴られると、女性はようやく離れた。

 そのまま自分が進めたほうがいいと思ったのか、案内人が話を進めてくれた。

「んで、なんでおめえはそんな必死なんだ?」

 どこか他人事のような物言いだった。女性は再び燃え上がった。

「言ったじゃないですか! 私達にとっては死活問題なんです!」
「死活問題?」

 女性は視線を唯に戻し、懇願するような目で続けた。

「私達は石油をとって生活しています。代々の家業です。ですが長いことやっていたせいで、近場が取りつくしてしまって、もう奥にしかないんです。なのに悪食蜘蛛が現れて、行けなくなって。収入が途絶えてるんです」

「ならもうやめて、普通に畑やら田やらやればええでないか。おまえら長年溜めこんだ金で、ぎょうさん土地もっとろうに。いくらでもやりようがあろうに」

 案内人の口調に訛りが入ってきはじめた。気が抜けてきたのと、『やつら』への不満が募ってきたからだ。

「私達にはこれしかないんです。山の分け入り方、石油の見つけ方、組み上げるやり方、運搬方法、一杯積み重ねてきました。代々培ってきたその技術を、伝統を捨て去るなんて、できません」
「何がだ。金になる仕事ができなくなるのが、嫌なだけだろ」
「お金になるんですか?」

 石油の使用は、一般には薄い。機械型の運用や、発電所、一部の暖房器具、しか歩は用途を知らない。精錬すると、プラスチックなどもできるらしいが、一般には出回らない。

 尋ねた慎一に、案内人のおじさんが口先を尖らせて答えた。

「あんま馴染みはねえけど、値段は馬鹿みたいに高けえんだ。需要が高いとからしく」

 なんとなくやつら呼ばわりの理由がわかった気がした。妬みだ。それに先程の流出事件が重なった結果、いまの扱いになっているのだろう。

 歩達は村に帰った。うやむやとしたものは残ったが、受けた依頼をほっぽりだすことはできない。

「困ってることは本当ですし」

 案内人に依頼をやめてもいいんですよ、と言われた唯はそう返した。


 甘いやつらだ、とはアーサーの弁。



[31770] 悪食蜘蛛 3-2 悪食蜘蛛?
Name: MK◆9adc7e33 ID:24e2bda1
Date: 2012/08/03 14:58






 森の中を歩いていると、ぱっと開けたところに出た。群生していた木々はなりを潜め、変わってむき出しの土と岩と、その隙間にそっと入り込んだかのような、ささやかな雑草だけになる。濃密な生臭い香りは跡形もなくなり、荒涼としたほこりの匂いが鼻腔を満たした。

 悪食蜘蛛がいるのは、この荒涼とした山間部らしい。村人や例の女性からの情報と、マオの鼻、双方がそれを支持している。

「さて、これから気を引き締めていこうか」

 鋼金虫のときと同様、一行のリーダーとなった慎一が、全員に語りかけた。

 それに頷いて返すメンバーは、学期末試験のときにもらったジャケットと戦闘服を来た歩、その肩にアーサー、同じ格好の唯、関節を黒蛇製のサポーターで固めたキヨモリ、岡田屋のジャケットと戦闘服のみゆき、いつも通りのイレイネ、若干ひいたところに同じ格好の明乃、足元に彼女のパートナーである蛇型のコトヨミ。ギルド部の制服は、この日に間に合わなかった。頼んでから数週間たち、連絡もしてみたのだが、軍からの大量発注が入ったとのことで、謝罪の嵐にあった。

 メンバー以外にもう一人いた。

「おー、らしいじゃん。頑張ってんのね」
「――そういうとこ、オヤジ達に似なくていいんすけど」

 慎一に煽りを飛ばしているのは、岡田屋のメンバーの一人で、今回、歩達と岡田屋の間の連絡役を受け持った青年だ。名前は山田直。よく日焼けした肌に、高身長、引き締まった身体に、余裕のある態度は、ギルドメンバーとしてよく鍛えられているのがわかる。慎一の兄貴分にあたるらしく、頭が上がらないようだ。

 その隣には、彼のパートナーがいた。大型の二つ首を持つ狼、オルトロス型のアカメだ。体躯は相方の直よりも大きく、体長は二メートルを大きく越している。いざ何事か起こったとき、直はこのパートナーに乗って、高速で移動するようだ。

「おやっさん達ほどきつくないだろ? こん位余裕を持って返せや」
「ほんとうちはスパルタで」
「愛の鞭、愛の鞭」
「いきすぎた鞭は虐待だっつうの」

 そのやりとりを見ていると、自然と身体から無理な力が抜けていくような気がした。これもギルドとしての、気の抜き方なのだろうかと一瞬思ったが、これはおそらく考え過ぎだ。

 そうしている間にも、行軍は進んだ。山道を登っていると、自然と汗が出て、息が少し苦しくなってきた。標高が高いようだ。

 周りを見ると、多かれ少なかれ皆疲労が見えた。特に明乃は見るからに息を切らしていた。みゆきも疲れが頬に出て、時折袖で額を拭っている。

 察してか、慎一が休憩を宣言した。

「目的は悪食蜘蛛の討伐だから、行軍だけで体力使い切ったら元も子もない。疲れたら、遠慮せず言えよ。水もちゃんと飲むこと」
「立派立派」
「そこ、黙れ」

 兄貴分の煽りを流しつつ、慎一も大きな岩の陰に座りこみ、手慣れた様子で水筒のふたを開けていた。慎一の体力はみゆきに劣る位のはずだが、余裕があるのは、経験が多いからだろう。家業のギルドを手伝っていたのは伊達じゃないようだ。

 慎一以上に余裕のある直が、話の矛先を変えた。

「そういや、竜使いの二人はなんで岡田屋のジャケットじゃないの?」

 歩が答えた。

「本当は俺らも着ろうとしたんですけど、明乃先生がこっち着なさいって」
「へえ。どうしてっすか、先生」

 まだ頬が上気したままの明乃が引き継ぐ。

「私も校長に言われたんですよ。それ、黒蛇製でも最高のものらしくて、かなり丈夫で」
「校長直々のお達しか。竜使いは気使われてんのな」

 嫌みかと思ったが、直にはそうした棘は見られなかった。単純に感想をもらしているといった感じだ。

「もうそろそろ行こうか」

 慎一がそう言うと、再度行軍を開始した。

 時折、外地まで後何キロという立て看板を発見した。それを見る度、ここが世界の果てだという実感がわいてくる。幸運なことに、後何キロの数字が小さくなることはなく、間違って外地に入り込むようなことは避けられそうだ。

三十分ほどたったころ、慎一が全員を止めた。
悪食蜘蛛が近いらしい。

「最後の休憩取ろう。身体が冷えない程度に休んだら、いくぞ。先生は後ろのほうでお願いします。直さんは、俺らと離れて、なにかあったら岡田屋に連絡頼みます」
「了解。では仕事モードに入りましょうか」

 全員が息を整え終えると、出発した。

 出発した直後から、アーサーは歩の肩から飛び上がり、周囲に目を光らせていた。小さな身体が、卵よりもさらに小さく見える高さにまで高度を上げている。より遠くを見通すためだろうが、いつもよりもより高く、より注意深く見やっているのがわかる。最後まで今回の討伐に反対したアーサーには、やはり思うところがあるようだ。

 それを見て、歩も気を引き締めた。戦場だ。

 連絡役の直と分かれ、十分ほど後、左に岸壁、右に断崖の、横に広い山道を登っていた頃、いきなりアーサーが叫んだ。

「身がまえよ! 来るぞ!」
「いたのか!?」
「それどころではない!」

 慎一の質問をはねのけ、更にアーサーは続ける。

「明確に我らに向かってくるぞ! 大きさはキヨモリより二周りでかい! それに――足には金属光沢がある! 気をつけよ!」
「どういうこと!?」

 不穏な言動を聞いている間に、さらに不穏な音が聞こえてきた。

 ザクザクザクザクという音。絶え間なくスコップで地面を掘り返しているに聞こえる。

 その音は息を着く暇もなく大きくなった。方角は正面、坂を上がった先。そのため姿は見えない。

 歩は槍をにぎりしめ、前に出た。動揺はある。しかしそれはアーサーの役目だ。歩がやることは、躊躇いなく動くこと。脊髄で考え、だからこそ一歩先んずること。

同時にキヨモリも出る。両雄並び立つ、とまではいかないが、この場でのツートップが揃った。キヨモリにも動揺は見られない。これこそ竜だ。

 すぐ隣に巨大な質量を感じつつ、視線は正面へ。

 出た。

 蜘蛛だ。いやしかし、違う。

「なんだこれ」

 事前に調べた悪食蜘蛛は、黒に近い灰色の体毛を生やし、キヨモリ以下の巨体を揺らしつつ、八つ目を光らせる、オーソドックスな巨蜘蛛だった。特筆すべきは、無機物でも好んで食べ、それを糸に反映させるだけだったはず。

 目の前にいる巨蜘蛛を見やる。

 まず大きさが違う。アーサーが言った通り、二周りほどキヨモリよりでかい。距離があるため正確にはわからないが、少なくともキヨモリより小さいということはない。

 なにより異なるのは、八つの脚だ。全ての脚に鈍色に光るランスのようなものが付いている。三角錐の尖った金属靴を履いているようだ。その靴ともランスともとれる代物は膝を越えてもなお伸び、頭より少し上くらいの高さまである。

 その逆さに林立する八本の鉄製クリスマスツリーの間に、灰色の身体に埋め込まれた紅い八つ目。その目には感情が見えた。殺気だ。

 巨蜘蛛が動き始めた。

 ガンガンガンガンと音を立て、乾いた地面を掘り起こしながら、まっすぐに突っ込んできた。

「皆、避けよ!」

 アーサーに言われるまでもなく、タイミングをはかって射線上から退く。

 しかし大蜘蛛の脚の一本は、退いた歩を追うべくほんの少しだけ、確実に動いた。

 鋭い痛みが走る。いや、それほどではない。皮膚の表面を裂かれただけだ。黒蛇製の戦闘服を引き裂いて。

 ガンガンガンガンと音を立て、巨蜘蛛は過ぎ去っていった。

 皆避けていた。陥没した地面の横、岸壁を背負うようにして、身を投げ出している。

 皆無事か、と思おうとしたとき、赤いものが見えた。

 唯だ。

「唯!」
「大丈夫。それより巨蜘蛛を」

 唯の瞳はしっかりと現実を見ていた。確かな意識がある。ただ頬には血がついており、左腕で右腕の肘あたりを抑えていた。黒い戦闘服の裾をしたたり、地面に赤い液体が落ちる。

 その先に視線を向けたとき、すっと喉の上あたりをなにかが通った。地面には唯の剣があった。刀身がまっぷたつになったものが。

「受けたらこうなった。避けるしかないみたい」

 淡々と告げる唯の頬に、苦い笑みが刻まれた。初手の失敗で、手ひどい痛手を受けてしまったのだ。

 気を落ち着かせる暇もなく、音が聞こえてくる。穴掘りの音であり、そして自分達を襲ってくる予兆でもある。

 どうするか考えるまでもなく、ひとまず道の中央に戻ろうとしたとき、背中のほうから轟音。

 耳をつんざく、咆哮だ。

「ウゴオオオオォォォォォ!」
「キヨモリ! ダメ!」

 キヨモリだった。

 唯の声も届かず、巨竜は地を蹴った。

 強烈な振動が二つ。一方は穴をあけ、一方は地面を陥没させていく。

 ぶつかった。

 キヨモリは正面から受け止めた。巨蜘蛛の振り上げた前足二本の間に身体を入れこみ、胸のあたりで巨蜘蛛の頭に強烈な一撃を加えている。巨蜘蛛の動きは止まり、心なしか揺らめいて見えた。

しかし代償に赤い鮮血を払っていた。振り下ろされた両足がキヨモリの背中に赤い線を描いている。そこからは液体が垂れていた。まず見ることのない、竜の赤。

 キヨモリはそこから両腕を差し込むと、半ば右肩で担ぐようにして、巨蜘蛛を投げた。

 方向は絶壁。巨蜘蛛の姿は消えた。

「キヨモリ!」

 腕を抑えたままの唯が寄ると、キヨモリはそれまでと一転して可愛らしい声を上げた。背中からはこんこんと血が溢れている。投げたときに傷つけたのか、右肩にもぱっくりと割れた痛々しい傷が刻まれていた。

「お願い! 誰かキヨモリの手当てを!」
「慎一、指示を!」

 アーサーに促され、慎一がはっと動いた。

「みゆきとイレイネでキヨモリの傷を。明乃先生も補助で。俺が唯のを見る。歩は警戒、落ちていった先に注意して」
「了解」

 みゆきは既に動いていた。すっと寄っていく間にカバンを外し、中をひっくり返すと、そこから救急キットを取り出した。

「みんな、包帯出して。私のだけじゃ、キヨモリには足りない」
「わかった」

 歩もカバンを下ろし、救急キットを取り出すと、中から包帯を取り出した。

 みゆきはパートナーと協力して、手際よく巻きつけていた。イレイネが手を伸ばし、キヨモリの巨体にすっと白い布を回していく。回した途端に赤く染まっていくが、続けて重ねていく。足りなくなったみゆきの手に包帯を渡すと、それをすぐに前の包帯と結びつけ、イレイネに再度回させる。不定形故のイレイネの利便性はここでも発揮された。

 それを見ていたのもつかの間、歩も自分の仕事に戻り、巨蜘蛛が落ちていった先を見た。

 かなりの高さがあった。正確にはわからないが、先に並ぶ木々がおもちゃに見える。

巨体が落ちていった余波で転がる石や舞いあがる砂の中、土気色の中に鈍く光るものが見えた。普通の蜘蛛と同じく、身体を丸めて転がっており、身動きしない。

「いた。動かない」
「わかった。続けてみて」

 報告がてら、横目で慎一と明乃、手当てを受ける唯を見た。ジャケットの上から包帯を巻かれて、最後に結ばれるところだった。しかし既に包帯は血に染まり、唯の左眉が痛々しく傾けられていた。

 そして意識を大蜘蛛に戻すと、丸まっている身体が、くるりと転がるところだった。きっちりと八本脚で大地を捉えると、崖を落ちていったとは思えぬほど何気なく立った。

 戦慄を覚えるなか、いつのまにか下りてきていたアーサーの解説が飛ぶ。

「生来の蜘蛛の強度もあるだろうが、一番はあの鋼鉄か。あれで傘を作れば、尖ったものでもないと、直接肌には当たらんか」
「なんだこれ。悪食蜘蛛ってこれか?」

 手当てを終えた慎一が横にやってきた。

「匂いはそうだな。村でもらった、悪食蜘蛛が残していったのと同じ。けど、これが悪食蜘蛛か? ありえねえ」

 慎一は目を細めたが、すぐに見るのをやめ、後ろに戻っていった。見えなかったようだ。

「それより、これからどうするかだ」
「逃げるしかないよ。キヨモリがこれだからね」

 みゆきが言った。両手についた血をタオルで拭っている。

「そうだな。崖の下までいったんだから、距離は取れたはず。逃げられる」

 その先のキヨモリには、腹巻きのように包帯が巻かれ、その一部が右肩にもかかっていた。自然と幼竜殺しのときのことを思い出す。これで二度目か。

 その隣で肩腕を釣った唯が口を開く。

「逃げよう。私達じゃ無理だ。あれには軍レベルの武力がいる」

 同感だ。そしてそれは皆同じようで、誰もが逃げ支度を始めようとしていた。

 そこで気にかかった。明乃の顔だ。血の気が引いている、しかしどこか迷っているように見えた。何も言わない、何もおかしなところはない、ただこころなしか動きが鈍い。

「先生!」
「――ええ。逃げましょう」
「やつは下だけど、まあルートを変えればなんとかなるか。迂回すれば、全く別のところに――」

 不審を覚えつつ、再度崖の先に視線をむけると、はっとした。

 明らかに巨蜘蛛の八つ目が歩を捉えていた。殺気も残っている。

 動いた。崖に向かって猛進すると。

 ガンという音が聞こえたような気がした。巨蜘蛛の脚が壁面に振られていた。

 そのままロッククライマーのように、脚を壁にうちつけて上げってくる。序々に速度が上がる。あの巨体でそんなことができるのか!?

「みんないそいで! 来る!」
「来るってなにが?」
「やつは壁を登ってきている! じきに来るぞ!」

 初めはきょとんとしていたが、すぐに意味がわかり、驚愕の表情のまま走りだす。

「上に行くぞ! 下に行くとやつに追いつかれる!」
「けど道が」
「逃げるのが先決だ!」

 慎一にアーサーが怒鳴り、みんな山道を上に走り出した。

 ガンガンガンガンという音が耳に木霊した。それが実際の音ではないことはわかっていたが、耳にしみついて離れなかった。



[31770] 悪食蜘蛛 3-3 そのとき
Name: MK◆9adc7e33 ID:24e2bda1
Date: 2012/08/04 18:00





 つい先程まで歩達と行動を共にしていた山田直は、己のパートナーであるオルトロス型のアカメに乗り、森を駆け抜けていた。

直前に見た獲物を思い出す。巨大な蜘蛛。それもどう見ても尋常ではない力を持った、どちらが獲物か錯覚してしまいそうな魔物。

 あいつは竜使いをけちらした挙句、巨大な竜とも渡り合っていた。それも優勢だった。崖の上から落とされたにも関わらず、傷一つ負った様子はなかった。

 アレは違う。悪食蜘蛛ではない。少なくとも、これまで岡田屋が対峙してきたものとは違った。

 このままでは、後輩兼未来の神輿を含む学生ギルドは壊滅する。

 すぐにアカメに飛び乗り、全力で走らせた。自分が乗らない方が速いが、説明が必要だ。どれほど相手が馬鹿げていたか、どれだけの戦力が必要か。

 いくつもの草花を散らし、代わりに頬に擦り傷と髪と服に残骸を乗せていった後、ようやく拠点を作っている村に着いた。

「おー、お帰り。どうした?」
「おやっさんとおふくろさん、どこいる?」

 同僚の話を遮り尋ねると、何が起こっていることを理解した同僚は、何も言わずにさっとテントの内の一つを指した。

 その中に入ると、メンバー全員のバッグの中身を点検しているおふくろさんと、ジャケットのジッパーを窮屈そうに締めているおやっさんが目に入ってきた。

「うーむ、縮んだか。新しいの買わんとなあ」
「あんた太り過ぎだよ」
「おやっさん、おふくろさん、問題が起きました」

 二人がぱっと顔を向けてきた。視線がきりっとしたものに変わった。

「何が起きた」

 声が一気に太く締まったおやっさんに、ここに来るまでの間考えていた文面を吐く。

「目標の悪食蜘蛛は、普通のものではありませんでした。身体の大きさはあのキヨモリ以上、膂力も相当なもので、両足を金属でコーティングして、刃物と化していました。初撃は退けましたが負傷者が出た上、巨蜘蛛は健在で、おそらく今もギルド部は逃走中です。負傷者は竜使いの平唯、そのパートナーキヨモリ。どちらも活動はできそうですが、怪我は軽くないです。至急、増援がいります」
「わかった。ふたえ、準備を。まずここにいる面子だけで行く。俺は増援を呼ぶ・直、他の集めて、説明しろ」

 自分の妻に指示を出すと、おやっさんは村役場に走っていった。電話を借りるのだろう。電話先はここにいない岡田屋の面子と、ギルド連合、もしかしたら聖竜会にも連絡を入れているかもしれない。

 直は外に出ると、各自作業をしていたメンバーを集めた。もともと少人数だったため、二人しかいないが、これも貴重な人材だ。

荒げた息が落ち着いたころ、おやっさんは戻ってきた。

「準備は」
「できた」

 おふくろさんの前には、それまで準備していたものより、一回り大きなカバンが並んでいた。カバン以外にも、それぞれ形の異なる巨大な棒状のものが、専用の袋に包まれて置いてあった。重装備だ。

 おやっさんが言った。

「これから救出に行くが、決してまともに戦うな。正直俺達の戦力は、平唯君一人以下だ。勝ち目はない。牽制、負傷者の救出、逃走経路の確保、それだけに努めろ」

 それからおやっさんが一人一人に役目を振り向けると、全員カバンを背負って外に出た。

「直、頼む」

 現場までの経路を知るのは、直だ。そこまでは直が道案内し、その後はおやっさんとおふくろさんのパートナーの鼻で、慎一を追う。

 準備は全て終わり、先頭の直が森の中へ踏みこんだとき、上からばさりという音が聞こえてきた。

「直、奥へ行って隠れろ」

 おやっさんの指示に咄嗟に反応した。アカメと一緒にすばやく生い茂る雑草の中に身を伏せた。

 その態勢から見上げると、ぐるりと旋回する竜が目に入ってきた。それなりの大きさの飛竜タイプだ。勿体ぶるように序々に減速していき、余韻たっぷりに降りてきた。

 その背中には黒いスーツを来た男がいた。狐目の、見覚えのある顔だ。

 下りてくると、男はこちらに近寄ってきた。

 待つのももどかしいと、まだ途中の狐目に対し、おやっさんが尋ねた。

「どうされましたか、瀬崎さん? 少し問題が起きたので、手短にお願いしたいのですが」

 思い出した。聖竜会の瀬崎だ。竜使い達と岡田屋の間を取り持ち、よく下請けの依頼を持ってくる男だ。決して丁寧語を崩さない、しかし決してうちを敬わない、貴族だ。

 狐目の貴族が口を開いた。

「いえ、ギリギリでした。こちらもそちらが御懸念の件についてですから」

 それを聞いても、おやっさんの顔は何も変わらなかった。ただ即座に返答した。

「では何を?」

 おやっさんの目の前まで来て、隠れた直以外のメンバーをすっと一瞥した後、狐目の男は宣言した。

「ただいまから、この件は我ら聖竜会が受け持たせていただきます。悪食蜘蛛の回収、その糸の発見および収集もこちらでやらせていただきます。岡田屋の皆さまは撤退いただくよう願います」
「えあっ?」

 メンバーの一人、直よりも若いまだ血の気のあるやつが、唸るように言った。元ヤンキーの面目躍如という感じの、堂にいった威嚇だ。

 それを涼しげな顔でやりすごした狐目に、おやっさんは丁寧に、敵意を持って尋ねる。

「ただいま、水分高校ギルド部の方々は、重大な危機に陥っております。そのことを御存じですか?」
「いえ、しかし全てお任せください」
「私の息子も含まれております」
「はい」
「我々の仕事を奪うのですか?」
「その件については、十分な補償をいたします」
「――お早い対応をおねがいします」
「全て我らにお任せください」

 驚いて思わず立ち上がりそうになった。すんでのところで思い留まり、代わりにおやっさんの顔を見る。今にも噴火しそうな顔だった。鼻の穴が膨らみ、紅潮して、今にも破裂しそうな赤風船のようだった。しかし決して噴火しないのは、明らかだ。

「おやっさん!?」
「黙れ」

 元ヤンは黙った。野太く深みのある声だった。

「瀬崎さん、後はお任せします」
「はい。村役場を案内してくれますか? これから話を通さねばならないので」
「はい。――おい、頼む。カバンは置いていっていいぞ」

 夫妻と直を除いた二人のメンバーの内、元ヤンキーではない方に声をかけ、瀬崎を案内させた。不満たらたらだったが、そいつは大人しく動いた。

 元ヤンが声を再び吠えた。

「おやっさん! 慎一のやつはどうなるんです!? それにおふくろさんも、何黙ってんすか!」
「それ以外になかろう。ここで抵抗すれば、うちは聖竜会に睨まれることになる。この業界にいるお前ならわかるだろう?」

 元ヤンがくやしそうに口をつぐんだ。聖竜会の権力は全ての分野に及ぶが、とりわけギルドではその力は強い。単純な戦闘力がモノを言う世界では、竜の力は強いものになる。

 もし岡田屋が面と向かって抵抗した場合、おそらく岡田屋の面子はそう遠くない内に路頭に迷うことになるだろう。全てのメンバーがブラックリスト入りし、三代先までギルド活動ができなくなる。実際そうなったギルドを、直はいくつか知っていた。

 しかし、と直は言いたくなる。その先は何も言えないが、その思いは消えない。時と共に膨れ上がっていく感触すらある。後輩を、将来の上司を、見捨てることはできない。しかし、できない。

 苦虫をかみつぶすべく、顔をしかませていると、不意におやっさんが口を開いた。声量は小さい、独り言のようであったが、確かな声だった。

「そういえば、直はどこに行ったかな、お前知っているか?」

 何を言っているのか、ぽかんとしてしまった。さきほど自分に指示を出したのは、誰だと思っているのか。
 元ヤンもぽかんとしていると、その隣にいたおふくろさんがおやっさんに答えた。

「まだ帰ってきませんねえ。ほんと、どこまで着いて行ったんですかねえ。あんな大荷物抱えて」

 そう言うと、おふくろさんは背負っていたカバンをばっと投げた。カバンは放物線を描き、直の隣にある茂みに消えた。

 二人の行動が異次元すぎて、理解できない内に、今度はおやじさんがカバンを投げてきた。同時に足元に転がっていた、瀬崎を役場に連れていったやつの分も、缶蹴りのように蹴りとばし、どちらもおふくろさんのカバンと同じところに落ちた。

「おやっさん? おふくろさん?」

 元ヤンのことを放置して、二人は続けた。

「ほんとどうしたもんかな。連絡手段もないから、どこに行ったのかもわからんしなあ。慎一達のところに張り付いとけって言ったきりだからなあ」
「そうですねえ。まあちゃんとギルド部のみなさんの、助けになっていることでしょう。もし傷を負ったとしても十分な救急道具と色んな装備を、カバン四つ分も持っていってるわけですし」
「おいおい、五つ分だろ。なあ」

 元ヤンに向かって、おやっさんはそう言った。元ヤンがえ、と間の抜けた声を漏らすと、おふくろさんがその背中にあるカバンに手を伸ばし、それも同じように投げた。

 ようやくわかった。これはおやっさんの機転だ。聖竜会の圧力がかかった以上、動けないが、その中でもなんとか動ける最小限、直を狐目から隠し、ギルド部の増援とするために。

直は急いでバッグを五つ集め、アカメにくくりつけた。

 終えると、すぐに動いた。初めは茂みに隠れるようにしていき、他の人の目が届かないところまで行ったら、すぐに起き上って駆ける。

「おやっさん、すげえっす」
「何がだ? それにしても、聖竜会にはこの件の賠償、どうするかねえ」
「向こう一年分の活動費とかどうですかね。結果次第で、百年分にもなりそうですけどねえ」

 ようやく気付き、顔を真っ赤にして興奮する元ヤンをいなしつつ、とぼける夫妻の問答が聞こえてくる。

 それをBGMにしばらく進んだ後、聞こえなくなってから立ち上がると、直をパートナーの背に乗った。重くなった荷物にも関わらず、駆けだしたアカメの速度は、先程とほとんど変わらなかった。



[31770] 悪食蜘蛛 3-4 真相
Name: MK◆9adc7e33 ID:24e2bda1
Date: 2012/08/05 17:34





 単調な音が耳に染みついていた。鋼のランスが地面につきささり、土を掘り起こす。ワイヤーを束ねて作ったピアノの速弾きのような、絶え間なく続く大地の悲鳴。それがすぐ後ろまで迫ったとき、悲鳴は己の喉から上がることになる。

 それを避けるべく、歩は走っていた。懸命に、決して追いつかれまいと、しかしどこか追いつかれるであろうと思いつつ。

それは周りのメンバー達も同じだったが、特に一人と一体の消耗が激しかった。

「唯、大丈夫か!? キヨモリも!」
「まだいける」

 まだ、と返す唯の顔色は、体内で発生した熱に炙られ赤みを帯びていたが、不健康な白さを伴っていた。包帯ににじむ血も増えているような気がする。体調が刻一刻と悪化しているのは明白だった。

 それはキヨモリも同じで、巨体は速度を保っていたが、一つ一つの動作が緩慢になっていた。脚の爪が地面に溝を掘っているが、序々に深くなっていっている。今にもつまづいてしまいそうだ。

どちらも持たないな、と背中に冷たい汗をかいていると、声をかけられた。

「歩こそ、大丈夫な?」
「大丈夫、なんともない」

 みゆきだったが、実際なんともなかったので、そのまま返した。唯と同じタイミングで追った歩の脚の怪我は浅かった。鈍痛はあるが、血は止まっているし、何の支障もない。

 大丈夫でないのは、現在の状況だ。

 後ろを振り返る。巨蜘蛛の影は着実に大きくなっている。このままでは追いつかれる。

 その上、純粋に体力が厳しいメンバーもいた。慎一と明乃だ。ちらと横目で確認すると、ぜーぜーと息を漏らし、もはや根気で走っているのがわかる。破局へのカウントダウンを始まっているのだ。

 どうするか、と考えていた矢先、ちょっとした上り坂を登り終えると、目の前がぱっと開けた。

 崖だ。

「みんな、とまれ!」

 なんとか強引に身体を止める。歩が先行する形になっていたのが幸いして、後ろにいたメンバーも踏みとどまれたようだ。

崖を挟んだ先は、とうてい飛び移れそうな距離ではなかった。崖を見下ろすと、音を立てて流れる急流があった。山の急峻にそって、勢いよく流れている。

 後ろを振り返る。巨蜘蛛まで二百メートルもない。左右に逃げるのも難しいし、戦うのは無理だ。

 やばい、と思考が固まってしまったとき、肩に慣れた重みが乗っかった。

「イレイネ、橋を!」

 肩口からアーサーの声が響いて、はっと気をとりもどした。ほぼ同時にイレイネの透明な全身が薄く伸び、人一人が通れるほどのカーペット状の橋が二本、目の前の崖に渡された。

 間髪いれず、歩はその上に乗った。思ったより足元は強固で、十分に駆け抜けられそうだ。

「それほど強度ないから、注意して」
「キヨモリ、二本とも使って上手く渡れ!」

 みゆきとアーサーの声に従い、動き出す。歩の隣のもう一本に唯が、その後に二本それぞれに脚を一本ずつ乗せたキヨモリが続いた。キヨモリが乗った瞬間、足元のイレイネの身体がたわんだ。

 流石に厳しいかと思ったが、ひとまずそれでおさまり、向こう岸まで駆けだす。

 崖の中央まで来て、そのままいけるかと淡い期待が生まれ始めたとき。

 ざっと宙を大きくて黒い影が飛んで行った。

 向かい岸に着地したそれは、八つの脚で地面にざっと穴を穿った。ぎろりと赤い八つの目が歩に合わせられた。

 追いつかれた、と思った瞬間、がくん、と足元が揺れた。

 まず足元を見た後、そこに繋がる対岸を見て、理解した。巨蜘蛛の足元が崩れたせいだった。そこと繋がっていたイレイネの身体が、ひっかかりを失ったのだ。イレイネ自身でも宙に受けるのだが、ここにいる全員を支えられる力はない。

 川に落ちた。

 視界が全て水で埋め尽くされ、方向感覚が無くなった。全身を水の流れが包み、身動きできなくなる。

 こういうときの対処法を、身体が思い出した。全身の力を抜く。すると序々に感覚が落ち着いてきて、自然と身体が浮かびあがる。

 身体の浮遊感がすんと途切れた瞬間、頭を上げると、新鮮な空気が口に入ってきた。我を忘れて吸いあげると、頭がすっと澄みわたった。

 周囲を見回す。一緒に落ちたのは、誰がいるのか、確認しなければならない。

 まず目に入ったのは、キヨモリだった。やはり落ちていた。巨石が川中で浮かびあがっているように見える。目にはしっかりとした光があった。

 続いて、唯が顔を上げた。片方の手でさっと拭い、ぱっぱっと顔を回したところで、目が合った。

「歩!」
「唯! 意識はあるか!」
「大丈夫! それと――っ」

 顔をひきつらせながら、水中にあるもう片方の手を上げると、アーサーが出てきた。意識がないようだ。

 泳いで唯に近付いていくと、途中でアーサーの喉から水が噴き上げられた。二、三回吐きだした後、せき込み、目を開いた。

「生きてるか?」
「なんとかな。クソ、お前の肩になんざ飛び移らなければよかった」
「減らず口は死んで良かったのに」

 安堵と共に毒を吐きだしたが、アーサーの足元の水が黒く濁っていることに気付いた。

「唯、傷が」
「開いたね」

 唯は苦笑しながらそう言ったが、途中で顔を大きくしかめた。包帯をあっという間に染め上げた傷が、固まる暇もなく急流の中にさらされたのだ。当然のことだ。

「キヨモリも、きついね。顔には出ないけど、私より傷深いよ」
「ならさっさと上がらないとな、と」

 どこか掴まれる箇所はないかと見回すと、キヨモリの更に奥で、何かが浮かびあがった。

 なんだろうと思い、目を凝らすと、岡田屋のジャケットが見えた。急いで近寄った。

 反動で歩の身体が水中に追いやられて行くのを感じながら、ジャケットごと下にあったものを起き上らせると、それが明乃だと気付いた。意識がない。

 さっと首筋に手をあてる。鼓動はしっかりしていた。気を失っただけか。口元に耳を近付けると、呼吸も感じられた。

「明乃先生だ! 意識はないけど、呼吸はある!」

 それを聞いて、唯がほっと息をもらすのが見えた。

 明乃をひっぱりながら唯とキヨモリの方へ近寄る。

 それからしばらくは急峻な崖が続いたが、しばらく行くと崖も低くなり、なんとか登れそうな箇所を見つけて、身体を起こした。

「唯、手当てを」
「先に先生を」
「――わかった」

 平なところを選び、明乃を横にした。背負っていたバッグを枕にし、息ができるように胸元をゆるめる。

「唯、次はお前」
「おねがい。包帯は後、私のバッグの中にしかないから。歩と先生の分はもう使っちゃった」

 バッグから応急キットを取り出した。防水になっていたため、中は無事だったが、前に手当てした分で、とてもではないが量が足りない。ひとまず他の濡れた布をきつく絞り、アーサーに軽くあぶってもらったもので、代用することにした。

まず唯の手当てを始めたのだが、その途中で包帯を巻く手を唯が止めた。

「後はキヨモリに」
「けど」
「どっちみち足りないんだから。しょうがないよ」

 唯の切なげな微笑みに負け、明らかに足りていない量の包帯を結んだ。

 続いて今度は歩と唯とアーサーの三人で協力して、キヨモリにとりかかった。イレイネの役をアーサーにやってもらい、滞ることなく終わらせることができた。

 それを終えると、力が抜けたといった感じで唯がその場に崩れ落ちた。

「無理しすぎ」
「少し休ませて」
「全く」

 唯の前に着地し、小言を垂れようとしているアーサーと唯を尻目に、様子を見ようと、気絶したままの明乃に近寄った。

 呼吸と鼓動、双方ともに変わらず存在しており、ほっとしたところ、視界に明乃の枕になっているバッグが入った。そういえば、この中身はまだ物色していない。

 包帯が足りず、その上に唯は来ていた黒蛇製のジャケットを、キヨモリはタオルや予備のシャツを裂いて繋げたものを巻いていたが、手当てしてすぐに布の八割が血で染まった。やはり足りない。

 包帯はもうないが、明乃のバッグにもまだ使えるものが残っているかもしれないと思い、そっとバッグを取った。

「唯、先生の分も使おう」
「あ、そうだね。キヨモリに」
「お前もな。後は俺とアーサーがやるから、もう動くな」

 唯に近寄っていき、バッグの中を取り出した。

 包帯のなくなった応急キット、発煙筒、懐中電灯、多機能ナイフ、などに混じってタオルを見つけて取り出そうとしたところ、タオルの中に妙な感触のするものがあった。

 取り出し、タオルを外すと、四角い鉛色をした箱があった。

「何それ?」
「なんだろう」

 三者で顔を見合った後、その箱を外した。

 予想外の代物が中にあった。












「副会長さん、私は言われたことを済ませましたからね! ちゃんと契約は守ってくださいよ!」
「分かっている」
「分かっているなら、早く済ませてください」

 口やかましい女に、聖竜会副会長、ミカエル・N・ユーリエフは閉口していた。どうも策を練るにあたり、丁重に話をすすめたおかげでこの女は錯覚しているらしい。聖竜会副会長と、ただの一石油業者に過ぎない自分の力関係を。

 それを強いてここで言うのも面倒なので、後になって思い知らせてやればいい、と思っていたが、流石に小うるさすぎる。

「私は頼りにならない夫や義理両親の分も仕事したんですからね。ちゃんと上乗せしてもらいますよ」
「わかったわかった。後は事務に通せ」

 強引に切った。もう用はない以上、副会長が応対する必要もないだろう。

 息を吐きながら、背もたれにゆっくり乗っかった。今回の策略のことを思い返す。

 石油業者の仕込みはまず上手くいった。ギルド連合での出会いの場面はいささか演出過剰だったが、平唯達にインパクトを残す必要があったし、その後で上手くフォローできたからよかった。

 石油業者のキャスティングは上手くいった。あの石油業者は、数年前に川に原油を流出した保証金で、莫大な借金を抱えていた。確かに石油の採掘は割のいい仕事ではあったが、報酬が異常に高いわけではない。儲かるのならば、村の連中がやつらに任せっきりにするはずがないのだ。借金は、十年先でも返せる金額ではなかった。

 その上、巨蜘蛛以前に、石油そのものも近隣は取りつくし、危ない外地近くまで取りに行かなければいけない状況になっていた。竜使いすら容易に踏み入らぬ土地に近寄らないとできない仕事に、正直あの石油業者は辟易していたのだ。先祖代々の仕事とはいっても、現実の前には無常だ。巨蜘蛛が現れればなおのことだ。

 それを知って、仕込んだ。平唯達が巨蜘蛛に挑むきっかけと、決して退けぬ理由付けとして。

 結果、上手くいった。

 満足気に口元を歪めていると、閉じていたまぶたに光が差し込んだ。目の前のコンピュータにメールが入ったようだ。

 会長からだった。外来種の悪食蜘蛛の件、いつ処理するかという話だった。

 一ヶ月後に討伐隊を派遣する予定です、と返しながら、直接平唯達を始末する仕掛けを思い出す。

 あの巨蜘蛛は外来種の悪食蜘蛛だ。通常の悪食蜘蛛とは文字通り桁の違う存在だ。外地で進化した、悪食蜘蛛らしき蜘蛛なのだ。以前、聖竜会が撃退したことがあったが、死亡者は出なかったが、一年間を棒に振った隊員が出た。それほどの力を持っている。

 少し前、その個体が再度現れたと聞いたとき、これは使えると思った。竜使いを真正面から殺しうる魔物。そして、以前やったときに回収した、その魔物の糸。

 悪食蜘蛛にとって、糸は自分の一部だ。それを身につけた、以前戦った相手がいればどうなるか。

それを考え、昨年の学期末模擬戦にて、平唯と水城歩に渡したジャケットにはこの個体の悪食蜘蛛の糸を使った。そしてそれを着らせるよう、綾辻明乃に言い渡した。

 結果はどうなったか。まだはっきりとはわからない。しかし岡田屋に割り込ませた瀬崎の報告によれば、既に危うい状態に陥っていると考えられる。

 それ以外の仕込みも色々あったが、おおむね上手くいった。外来悪食蜘蛛の討伐を、普通の悪食蜘蛛の討伐として依頼申請させ、認可、さらに竜使いのみとすること。さらにその依頼書を頃合いを測って平唯に送ること。山場に入っての岡田屋への妨害。綾辻明乃。

 綾辻明乃が懸念材料といえばそうか。しかし彼女は諜報部に所属し、戦闘には長けていないものの、エージェントとしての力量は相当なものだ。そしてなにより、やつには目的がある。

 どちらにしろもう大詰めだ。岡田屋の反応からして、外来悪食蜘蛛とは接触している。

 戦力は竜一体と雑兵。竜殺しの竜も力は発動しえない。









――竜殺しの竜。水城歩とアーサー。あの奇怪な竜もどき。そしてもう一つのターゲット。

会長は任せろと言っていたが、それはできない。あれは忌避すべき存在だ。竜を殺すために生きる竜など、存在そのものを抹消しなければならない。

 故に今回の任務でも表だって狙いと伝えたことはない。やつらの死は平唯の余波を受けてのものだとおしか、誰も考えていない。そう意図して計画をすすめた。何故やつを狙わなければならなかった、とも思わせてはいけないのだ。

会長にも知らせていないのはそのためだ。存在そのものを、できるかぎりの少数人数に抑えなければならない。それは会長ですら、会長だからこそ知らせてはならない。

聖竜会において、現会長は象徴だ。英雄だ。そして歪な形をした聖竜会をまとめる巨大で荘厳な器だ。だからこそ、その器にひびを入れるような存在は、出来る限りの力でもって排除しなければならない。器に入れるものの選別こそ、歴代副会長の役目だ。

 平唯、キヨモリ、水城歩、アーサー。すべていらない、排除すべきものだ。

 さて、処分は完了しただろうか。



[31770] 悪食蜘蛛 3-5 漂白
Name: MK◆9adc7e33 ID:24e2bda1
Date: 2012/08/06 17:43






 鈍色に光る箱の中には、二つの注射器と小型カメラ、針、それとドライアイスがあった。
注射器の本体は手のひらに収まるほどの大きさだったが、その先についた針が長い。それだけでボールペンほどはある。
別の針はそれより少し短い位だったが、それでも長い。一見ただの針に見えたが、目を凝らすと、太さが両端で違うことに気付いた。ろうと状になっており、太い方は注射器の先端より少し太い位で、もう片方は髪よりも更に細い位だった。針には穴もあいていた。
いったいこれは何なのか。
皆目見当がつかない。他の二人はなにかあるのかと視線を向けてみると、唯は顔をしかめ、アーサーは目つきを鋭くしていた。

「これ、何かわかる?」
「わからんが、この針は心当たりがある」
「何なんだ?」

 アーサーは忌々しそうに言った。

「この針は竜に注射するときに使うものだ。竜の皮膚は強固でぶ厚い。故に通常の注射器の針では、刺さらない。そのための器具がこれだ。使い方はまずこの針を竜に刺す。先端が細いため、竜の堅固な皮膚でも簡単に突き刺さる。そしてこうする」

 そう言うと、アーサーは手を伸ばして、注射器と針を掴んだ。ろうと状の針の太い方に、注射器の針を差し込んだ。ぴったり重なった。
 しかしアーサーはそこから更に注射器を差しこみはじめた。すると、すぐにろうと状の針が太いほうから裂けていった。裂けるチーズのように簡単に。

「おい、アーサー」
「これがこの針の用途だ。なにより壊して何の不都合がある。どうせまともな使い道ではない」

 止める暇もなく、アーサーは力をいれていった。すぐに針は真っ二つに裂け、二本の、よく見れば断面が半円状になった針となった。

「今のを皮膚に刺しこんだ状態ですると、注射器が皮膚に刺さった状態になる。先に針で穴をあけ、皮膚の間に隙間をつくり、そこにより太い針を強引に入れこむ。そうすることで、堅固な竜の皮膚でも刺せるというわけだ」
「私も見たことがある。キヨモリもそうやって注射されてたから」

 なるほど、竜であるキヨモリでも、注射を受けることがあるだろう。そのときに今見た方法で注射を受けても、おかしくない。

「ん、アーサーはそんなことされてなかったよな?」
「我の皮膚は強固だが、デリケートだからな。左様な荒々しいやり方は拒否する」

アーサーはうそぶいたが、小さい身体では皮膚も厚くないため、今のやり方をする必要がないのだろう。
 強いて突っ込むことはせず、話を進めた。

「で、後はカメラとドライアイスか。注射器とあわせて、何のための道具だろ」
「予想はできるが、確実なことはなにもわからん。ただこの注射器が竜から血を取るための代物だということは確かだ。この中でこれが必要なのは誰かといえば」
「キヨモリだね」

 唯が答えた。さっとキヨモリを見ると、のんきにまぶたを下ろし寝ていた。
 この竜に、明乃は何の用事があったのか。それも血液を抜くという。

「何か腹に潜むことがあったということだ」

 反射的に抗弁する。

「いや、ちょっと待て。あの巨蜘蛛のためってのも考えられないか? あんな化物なら、対竜用のでもなければできないかもしれないってのを考えてとか」
「何のために、悪食蜘蛛の血液を採取するのだ? そして何故それを我らに隠したのか? そもそもお前の考えを肯定するなら、明乃は相手がただの悪食蜘蛛ではなかったことを知っていたということになる。ならば何故我らに警告しなかった? どちらにしろ、明乃に隠された、それも我らに悪影響のある意図が隠されていたことは、確かだ」

 アーサーに正面から打ち砕かれてしまった。もしかしたら、今歩が言ったことをアーサーは既に吟味し終えていて、その上で明乃は敵だと、言いきったのかもしれない。
 明乃を見る。まだ意識は戻っていない。もう一度脈を確かめようかと思ったが、やめた。何度やろうと、結果は変わらないだろう。
 それでもまだ擁護したくて、何かポジティブな理由を探そうと思った矢先、アーサーが不意にごろりと横になった。重い息をもらしている。

「どうした、疲れたか」
「少しな」

 力なくそう答えたアーサーに、驚いてしまった。少しでも、自分の弱みを認めるのはこの竜には珍しいことだ。それほど疲れているということか。問答をやめることにした。
 それから沈黙が続いた。時折キヨモリが寝息をもらすだけで、歩もアーサーも唯も、何もしゃべろうとしなかった。急流の何もかもを巻きこんでその身に閉じ込めてしまうような、耳に触る音ばかりが脳裏を蝕んだ。
 しばらくして、明乃が目覚めた。

「あ、うん――ここどこです? そもそもなんでここに? 慎一君達は?」

 前後不明になっている明乃に、アーサーは言った。

「崖を覚えているか? そこに落ちたことも。ここはその下にあった川の下流だ」
「ああ。私、慎一君とみゆきさんに促されて渡ろうとして、途中で足元が崩れて、落ちたんですね――ここまで運んでくれたんですね。ありがとう」
「では、これについて答えよ」

 アーサーがハンマー投げのように箱を投げて、明乃の目の前に転がした。

 それを見て、まだ意識がはっきりしていなかったのか、明乃はぼっと眺めていたが、不意に頬に赤みがさした。見開かれた目が細かく震えて、思考がぶれているのがわかる。突然始まった血液の乱気流に脳が振り回されているのだ。
 少しして、それでもまだ混乱したままの明乃に、アーサーが言った。

「それは竜に使うための注射器だな。それをなんでここに持って来たんだ? 目的はなんだ?」
「それは――」

 そこで口を閉じた。代わりにアーサー、次に歩、最後に唯と視線でなぞっていった。その間、誰も何も発さなかった。
 観念した、というような緩い穏やかな笑みを、明乃は浮かべた。

「言い訳は無駄ね」
「わかっているなら、早く吐け」

 急かすアーサーに、明乃はゆっくりと語りだした。

「私は教師ではなく、教師のふりをした諜報部員よ。聖竜会の諜報部第二支部所属のエージェント。これまで騙してごめんね」
「聖竜会なのに、貴様は竜使いではないな。何故だ」
「聖竜会の諜報部ではなく、それの第二支部所属。聖竜会から枝分かれした下請けの内の一つよ。いくら竜といえど、万能でも神様でもないからね。強力じゃなくても、細かな動きのできる手足は必要。諜報部もその一つ。ってかなんで竜じゃないってわかるの、って、そういやあなたそういう力持ってたわね」
「我のことも知っているのか」
「幼竜殺しのときの活躍も知ってるよ」

 話すにつれ、仮面がはがれていった。口調が丁寧からざっくばらんにかわり、表情も固く教師然としたものから、茶目っ気のある顔へと変わっていく。いや、違う。この顔は、真面目だな人間が何かをあきらめ、投げやりになった人のだ。

「目的はなんだ」
「平唯の殺害の補助」

 端的に答えた。気温が二度ほど下がったような気がした。

「正確には」
「私がやったのは、学校にもぐりこむこと、あなた達を誘導することね。ギルドの設立に際し、各種障害の排除、できるだけあなた達を調子にのらせる。悪食蜘蛛とあなたたちの意思で対面するように。あ、あと水城歩と平唯のジャケット着用も。はっきり聞いてないけど、多分それが悪食蜘蛛の目印になってる」
「――ギルド設立は慎一の働きかけだったはずだが?」
「予定が繰り上げられただけ。本当は別の計画があったみたいだけど、ギルド設立に限らず、いくつかある平唯を仕留めきる自然要素のどれかにぶつけるっていうのが基本方針で、そこにもっと手早く利用できそうな話があったから、乗っただけ。岡田慎一は不運だったってことかな」
「ひどい言い草だ」
「どうも」

 自嘲するように笑った。思わず罵倒しようと口を開きそうになったが、途中でやめた。それを一番したいのは唯だ。
 唯の様子を覗う。瞳には怒りが見えたが、それ以上に悲しそうな表情をしていた。怒りを発散しそうにはなかった。
 それを知ってか知らずか、アーサーが怒気を伴って、しかししっかりとした尋問者の口調で尋ねる。

「ではなぜそこまでしゃべる?」

 肩をすくめて答えた。

「さあね。もう終わっちゃったからかな」
「何がだ」
「私も、あなた達も。あなたたちが悪食蜘蛛から逃げられるとは思わないし、あなたたちが私を逃がすとも考えづらい。なにより私自身どうでもいい」

 明乃は投げやりになっていた。見ればわかる。
言っていることもおかしい。歩達が悪食蜘蛛から逃げられる公算も十分ある。今は現在地もわからないが、悪食蜘蛛に捉えられていないし、バッグの中にある道具を使えば、時間はかかっても帰りつくことはできる。ジャケットを脱いで別のところに放置すれば、見つけることも出来ないかもしれない。確立はわからないが、まず確実に歩達が死ぬとは考えづらい。
 明乃に至ってはなおさらだ。悪食蜘蛛に追われる歩達が、明乃を監禁するのに労力を費やすことはできない。いくらでも逃げるチャンスはあるだろう。
 なのに、明乃は投げている。なにもかもを。

「せんせ――綾辻さん。尋ねていいですか?」

 声の主は唯だった。表情は変わらず悲しげなものだったが、しっかりと意思が点っている。唯らしい顔だ。
 明乃は例の笑みを浮かべたまま答えた。

「なんでもどうぞ」
「あなたがこのようなことをした理由を聞かせてください」
「仕事だったから。社会人ってたいへ」
「違うでしょう」

 即座に遮られ、明乃の顔が一瞬強張った。
 それもすぐに体裁を取り繕うと、笑みを浮かべて明乃は続けた。

「それ以上何かあると?」
「はい」

 少し時間をおいてから、明乃はもう一度尋ねた。

「根拠は?」
「あなたの投げやりな態度です。仕事を失敗したからといって、全てを投げ出すなんてことは普通しません。そんな弱い人間には見えません。少なくとも、私達をここまで騙しきったあなたが、そんなにもろい人間なわけはありません」

 明乃の顔を見ると、笑顔のままだったが、違和感があった。全てが半端なところで止まっている感じだ。笑みを形作る頬の上がり方が八割ほどのところで止まり、口角が苦笑いのようになっている。目だけがしっかりと唯を捉えている分、奇異に写った。

「ならどういった理由で?」
「そこまではわかりません」
「半端だね。だけど、こたえてあげる」

 明乃は口調だけはどうでもいいといった感じで、しっかりと答え始めた。

「個人的な理由よ。家を守りたい。それだけ」
「どういう意味の家だ?」
「物理的な家よ。それなりの広さをもった、貴族が使う家。使っているのはその愛人の母と子どもの私だけど」

 愛人とこどもいう言葉に、反射的に唯を見てしまった。唯も愛人の子どもだからだ。
 意外にも、唯には何の変化もなかった。歩には見えないだけかもしれないが。
 唯を覗いつつも視線を戻すと、目があった明乃はふっと息を漏らした後、続けた。

「よくある話よ。貴族が愛人つくって、愛人に家あげたってだけ。そしてその貴族が死んで、愛人がその家に住む権利はなくなってしまった。そこまではよくある話ね」

 馴染みのない世界の話だ。それだけに淡々と話す明乃が、なんだか雲の上の人に見えた。

「問題なのは、私の母がその家でないと住めなくなってたこと。以前、貴族のだんなの怒りを買って、両目失っちゃっててね。それもあって貴族は死ぬまで愛人を養ったんだけど、それが裏目にでて、愛人は慣れ親しんだその家じゃないと、なかなか一人では暮らせなくなってしまったんだ。本人も外に出るのが怖くって、十年以上外に出てなかったしね。買いものとかは全て宅配に任せてたからなんとかなったんだけど、それも外に出るとできなくなる。その愛人にとって、その家が全ての世界になってたんだ」

 母親のことを愛人と呼ぶ。もとから冷めた関係なのかと思ったが、母親が住む家を守るために脱力するまで任務に没頭したということは、違うだろう。おそらく客観しているのだ。俯瞰しているのだ。主観が抜け落ちるほど、どうでもよくなっているのだ。

「そこにつけ込んだのが、聖竜会副会長。どこで知ったのか知らないけど、私に目を付け、話を持ちかけたってわけ。言っちゃなんだけど、私は潜入工作員としてはそれなりに経験積んでたからね。そこに個人的な動機も加われば、より強力なエージェントになると思ったんでしょ。幼竜殺しのときの失敗の反省点を、そこに見出したわけね」
「ずれたやつだ」
「そうかしら? 少なくとも詰めのところまでは来てるでしょ?」

 ふんとアーサーが鼻を鳴らした。罠にひっかかってから、これは罠だと気付いたところで、意味がないのは確かだ。仕掛けがばらけて空中分解した幼竜殺しのときより、今回のほうが上手くいったのも間違いない。

「しかしお前は今そうなっている」
「そうね。これも計算の内ってわけではないと思う。廃棄処分にするには、私はまだ使えただろうし」

 明乃はふっと淡い笑みを浮かべた。やるべきことは全て終わったという顔だ。

「もう終わりね。あなた達が死ねば、私の目的は達成される。もう終わりよ」
「お母さんが悲しまれるんではないですか? 盲目のお母さんを残して、放り出すんですか?」
「そうかもね。だけど、それを考えて何の意味があるの?」

 唯は黙った。納得したわけではないが、これ以上の問答は無意味だと思ったのだろう。全てを投げ出した人とまともな会話はできない。歩でもわかる。
 最終通告といった感じで、アーサーが告げた。

「申し訳ないと思う気持ちはないのか?」
「ない。というより思ってはいけない。越えるべきラインを越えたものが、そんなことをしてはいけない。そうでしょ?」

 申し訳ないけど、やりました。それが被害者にとって、何の慰めになるか。

 明乃の顔を見た。見たことのない、漂白された顔だった。



[31770] 悪食蜘蛛 3-i しあわせ
Name: MK◆9adc7e33 ID:24e2bda1
Date: 2012/08/08 19:12
3-4の最後に修正加えました。よかったらみてください。












 私が反抗した理由はなんだったのか。

 今でもなぜかわからない。黒い粉雪が降り積もったような、それまでに積み重なった貴族への嫌悪はあった。気持ち悪い空間にいることが耐えられなかったのかもしれない。キヨモリがいたからかもしれない。

 言ってから私は覚悟を決めた。自分の運命を握っているじいさまへの明確な反抗だ。目下の者に逆らわれた経験など、ほとんどなかったにちがいない。どんな怒りが向けられるのか、のどの奥を固くして待った。

 だがじいさまは怒らなかった。その目には純粋な悲しみしかなかった。

 じいさまはどうして、と聞いてきた。辛そうな顔をして。

 その顔に母親の面影を思い浮かべた瞬間、私は内心を吐露していた。淡々と、しかしはっきりとした口調で。

 途中からじいさまの目には涙が浮かんでいた。

 最後まで言い終えると、今度はじいさまが語りだした。

 じいさまは本当に何も気付かなかったらしい。母さんが何を思い死んだのか、私がなぜ凍りついたような表情をしていたのか、どうすれば解消できるのか。小学生時代、私がいじめられていたことを知り、犯人を見つけ一応の始末をつけたが、それ以上何をすればいいかわからず、ただ見守ることしかできなかった、と言った。あの中学に通わせたのも、それしかできることがなかったからのようだ。

 じいさまは生まれたときからの貴族だった。藤原の直系の長男として生まれ、何不自由なく育ち、竜使いとなり、訓練を経て軍に入り、竜使いとして最前線で戦いに明け暮れ、常に貴族の中核にいたじいさまにとって、雑事は全て他人に任せるもので、じいさまが労することではなかった。そう思っていたのだ。

 事実、それでうまく回っていたようだ。生まれたころは親が、学校では取り巻きが、軍では副官が、家では妻が、妻が死んでからは秘書が、全てフォローしていたようだ。それでよかったのだ。ただ一つ、愛人とその子どもを除いて。唯に言われ、ようやく気付けたのだ。唯に教育を施したのも、唯のためになるからだと思ったからのようだ。

 じいさまは謝らなかった。立場上、そんなことはできなかった。

 ただ、唯は貴族の高校ではなく、今の高校に入学した。それまで受けていた教育も、唯の希望により内容が改められた。頻度は少なくなり、政治や謀略はごくたまになった。代わりに武術と、自由に本を読む時間が増えた。

 そして、時折二人とそれぞれのパートナーだけで話すようになった。といっても、お互い何を話せばいいのか、相手が何を望んでいるのかわからず、談笑になっていなかったが、なんとか会話はしていた。

 今の唯は、対外的にはかなりややこしい話にしているらしい。同時期にあった、もう一人の後継者の死亡も重なったことも事態を複雑化させた。少なくとも、唯が望んで今の学校にいることは、貴族関係者にはほとんど知られていない。

 継承権を私からはく奪することも考えたが、しなかったようだ。直接言いこそしなかったが、私には才能があると教育を受け持った人達が認めており、彼等の反対があるようだ。それにじいさま自身も、私に継いでほしいと思っていると、自身のエゴだと認めながら話した。将来、私の選択肢として残しておきたいという思いもあるようだ。

 雨竜の件もまだ聞けていないが、おそらく何らかの政治的取引と、雨竜の人柄を考慮してのものだろう。それもじいさまが倒れて、狂ってしまっているようだが。

 じいさまが倒れたと聞いたとき、思いのほかショックだった。今ではだいぶ持ち直したようだが、以前の覇気はなくなってしまっているようだ。周りの反対に負け、唯との面会も果たせないでいる。唯に好意的な人達も、自分の仕事に忙しく、なかなか動けないようだ。

 会えなくてさみしく思うときもあったが、生きているならそれでよかった。またいつか会えるし、一人ではない。キヨモリもいる。

 そうしてゆっくりと過ごしていたが、序々に空虚になっていっていたころ、みゆきと歩に出会った。

 幸せだった。幼竜殺しの事件で、キヨモリの翼を失ったりもしたが、それでも幸福だった。担任が幼竜殺しだったことも、藤原の謀略も、どうでもよかった。キヨモリもそう感じていたようだ。友だちができたのだ。

最近になって慎一も増えた。初めは竜使いに媚売る輩かと思い、自分だけでなくみゆきや歩のためにも警戒していたが、それもないようだ。楽しかった。

 これから更に増えるよ、とみゆきは言ってくれた。実は模擬戦以前に、少し話しをした人達がいた。内容は取るに足らない雑談だった。ただのクラスメイト同士がするような、他愛のない世間話だった。みゆき曰く、最近の険呑とした雰囲気になる前には、私と話してみたいけど、勇気が出ないといった人達がいたらしい。打算抜きの純粋な興味で。それもいじめの対象となりかけた空気の中では、なかなか二の足を踏めずにいたらしいが、それでもほんの少しだけ、声をかけてくれた人もいた。それも空気が一変した今なら、容易くなる。
 しかし。

 私は自分の都合にみんなを巻き込んでしまった。

 もう潮時なのかもしれない。



[31770] 悪食蜘蛛 4-1 鬼ごっこ
Name: MK◆9adc7e33 ID:8821586a
Date: 2012/08/11 20:11





 明乃の独白が終わり、沈黙の帳が下りた。
 何も言えなかった。言いたいことはいくらでもあったし、それを言う権利もあった。
罵倒し、殴ったとしても、それを責められることはない位だろう。
 しかし明乃の解脱したような顔を見ると、そんな気分は胡散霧消した。
 代わって川の荒々しいざーざーという音が場を満たす。
 ひとまず場を変えようと歩は発言した。

「悪食蜘蛛の対策を考えるか」
「そうだな」

口にして初めて、他のことに気をとられて、悪食蜘蛛対策を何も考えていないことに気付いた。
手当まではいいとしても、明乃関連に集中しすぎた。最優先事項じゃないか。
 背中に冷たい汗を感じ始めていると、アーサーの声が聞こえてきた。

「心配するな。我には策がある」
「本当か」

 アーサーはふん、と鼻を鳴らした。

「お前には特にきついところを受け持ってもらうが、よいか?」
「もちろん」

 仕事があるほうが正直有難い。

「ならば、唯、お前のジャケットを歩に」

 明乃曰く、ジャケットは巨蜘蛛をひきつける撒き餌だ。
 それを渡すということは、つまり自分を囮にするということ。
 それはわかって、歩は指示に従った。不安そうな唯だったが、歩が笑いながら手を差し出すと、血まみれのジャケットを渡してきた。
そこでふと思いついたといった様子でアーサーが言った。

「そこの裏切り者を囮にして逃げるのもありだな」

 明乃に視線を合わせた。ここに至っても、柔らかな笑みを浮かべていた。

「馬鹿言わないで」

 唯の返答に、アーサーはふむとだけ返した。もとからそのつもりはなかったようだ。
 歩は手にした血まみれのジャケットをどうするか考えたが、腰にしばりつけることにした。
 動きの邪魔にならないのを確認していると、唯がちらりともらすように言った。

「二人とも巻きこんでごめんね」
「唯のせいじゃないだろ」

 自分でも何の意味もない発言だとはおもったが、言わずにはおられなかったのだが、その後にアーサーが続いた。

「お前が追うべき責任ではない。それに似たような責任なら、我にもある。唯が狙われているのを知っていたが、それを伝えなかった」
「どういうこと?」
「幼竜殺しの一件にはまだ裏があった。しかし故あって言わなかった。それがこの様だ」

 アーサーが珍しく毒づくように言った。

「その件については、この場を切り抜けてみゆきと慎一も揃った場で話す。ひとまず、悪食蜘蛛だ」
「そうだな。んで、策って何だ?」

 そのとき、聞き慣れてしまった、忌まわしい音が耳に入ってきた。
初めはゆっくりとしたリズムで微かな音だった。
つるはしを振り上げ、地面に叩きつけながら散歩しているような、そんなリズムだった。
それはすぐにやんだ。続いてガンガンガンガンと、絶え間ない不協和音。地面を砕き疾走する音だ。
方向は川の上流からだった。

「アーサー、唯! 来るぞ!」
「キヨモリ、起きて――」

 寝ているキヨモリを起こそうと唯が近付いたが、キヨモリはその前に目を開けた。
 目には力があった。ただのんきに寝ていたわけではなさそうだ。

「あやつはどうする?」

 アーサーが首でくいっと明乃をさした。
 明乃を見ながら、唯は憂いを持った顔で、冷たく告げる。

「明乃さん、自分の身は自分で守ってください」
「なら、着いていこうかしらね。一応、確認はしないといけないから」
「どうぞご自由に」
「唯、悪いが我を運んでくれ」

 唯と目配せして、アーサーを掴んでもらい、走り出す。
 川の脇からそれ、走りやすいところを選んで駆けていく。
砂と岩でできたなだらかな下り坂を、砂埃を上げて、脚を動かす。
すぐに水の匂いは薄れ、ほこりっぽい、山の空気一色に変わった。
 走る順番は、アーサーを掴んだ唯が先頭、その次に歩、巨体を震わせながらキヨモリ、明乃だった。
 悪食蜘蛛の姿はまだ見えない。

「アーサー、策ってなんだ!?」
「少し静かにしろ」

 アーサーは目を閉じ、鼻をひくひくさせていた。何を嗅いでいるのか。
 少しして、苦々しそうに目を開けた。

「まだわからんが。悪いがまだしばらく走ってくれ」
「何を嗅いでいる」
「石油だ」
「やつを落とすのか?」

 アーサーは頷いた。

「ここの油田はため池のように地表にまで出ている」
「なぜ知っている」
「事前の調査だ。特産に見つけた段階で、使えないか、いざとなったときに使えないか、調べておいた」

 こいつはそんなことをやっていたのか。
 ひとまず狙いはわかった。シンプルな策だった。しかし疑問は残る。

「やつだけを落とす方法があるのか!?」
「現場を見ないことにはわからんが考えてある! だが、ひとまず探さないとならんのだが、どうも我の鼻では届かん」
「じゃあどうする!?」
「走るしかない!」
「いや、俺がいるぞ」

 声と同時に、走る歩の隣にざっと何かが下りてきた。
 続いて二つの影が下りてきて、歩達と並走しはじめる。先頭は腰ほどまでの四足獣だ。

「慎一! みゆき!」
「ようやく追いついた」

 二人とも元気そのものといった感じだ。どこも怪我をしていない。
息は上がっているが、それもまだ余力が覗えた。
それぞれのパートナーも無事だった。
イレイネはみゆきの背中に乗るように、マオは先頭を走っていたが、どちらも健康そのものだ。

「よく無事だったな!」
「ああ。あの蜘蛛、案外逃げる隙はある」
「隙?」

 うなずくと、慎一は続けた。

「感覚器官はそこまで発達してない。十分逃げられるぞ。お前らが流されてから、俺は固まってしまってたんだがみゆきに引っ張られて、岩場の影に隠れたんだ。したらあいつ、きょろきょろし始めた。俺らの位置がわからなくなったみたい。五十メートルも離れてないのにな」

 慎一の顔は紅潮していた。化物じみた相手から付けいる隙をみつけられて、興奮している。

「そのまましばらく動きまわっていたんだが、あきらめてお前らが流された川の下流に向かった。俺らはその後を追ったんだけど、それも気づかれなかった。お前らを見つけるのも俺らのほうが先だった。上空からイレイネが見つけたんだ。どちらにしろ、やつ鈍いぞ。十分逃げらるぞ」
「ただ問題もあって、最初に接触したとき、悪食蜘蛛がなんで私達を見つけられたかってことなんだけど、心当たりある?」

 みゆきの問いに、アーサーが手早く答えた。

「ジャケットだ。これがあの悪食蜘蛛の目印になってるそうだ」
「――どういうこと? それになんで歩が二枚とも」
「嵌められたのだ。詳細は後で話す。優先すべきはやつの対処だ。歩には囮役をやってもらう」
「ジャケット捨てて逃げれば」
「もう遅い。見つけられた」

 後方に視線を向けると、巨蜘蛛の八つ目が光っているのが見えた。捕捉された。

「こうなると流石に全員が全員見逃されるとは思えん。やつを倒すか、追跡不能にまで追い込まねばならぬ」
「――どうするか、決まってるの?」
「やつを油田に放りこむ。それで慎一、マオの鼻を借りたい。油田の位置はわかるか?」
「余裕。ってかこの山来てからずっと臭ってる」

 歩は鼻に意識を向けたが、ほこりっぽい乾燥した山の匂いとしかわからなかった。やはり狼型のマオと、それをパートナーに持つ慎一だ。

「ならば、慎一とマオで油田探しに先行。唯とキヨモリは二人に着いて行け。油田を見つけたら、石油を地面にばらまいておいてくれ! できれば、大きな水たまりになる位に!」
「わかった」
「了解――マオ、来い」

 慎一の指示に、マオが速度を落として慎一の隣までやってきた。
その耳元に慎一がなにやら囁くと、マオが一度わんと吠えた後、再び先頭に戻り、走る向きを少し曲げた。

「アーサー、私は!」
「イレイネと一緒に、歩についてくれ。歩、この場で適当にいなすぞ」
「適当にって、本当に囮だな、おい!」
「我も残るから我慢しろ! 本来なら、油田の状況を見て作戦を立てたいんだが、お前が死んだら元も子もない。唯、離してくれ」

 唯の懐から翼を広げてアーサーが飛び立った。

「指示は我が出す。慎一、見つけたらマオを我らのとこに使いにやってくれ!」
「わかった!」

 手にした槍を握りしめる。アーサーの指示とイレイネとみゆきの補助で、悪食蜘蛛相手に時間稼ぎか。

「では始めるぞ――綾辻明乃、お前は好きにしろ!」

 隣を走るみゆきが訝しげにアーサーに視線をやった。うってかわったぞんざいな扱いに、何があったのかという感じだろう。
 幸いみゆきは何も言わず、明乃は黙って唯達の方に行った。
 そうしていく内に、目の前に道が二本できた。
一方は太いままの下り、一方はそりたった壁と道の分岐でできた崖で、人一人通れば一杯になる程度の幅しかない登り。

「慎一達は下に! 居残り組は上だ! みゆきは隠れて、イレイネに指示を! 歩、上へ進み、あの岩の上に!」

 歩は一行から逸れ、細い道を駆けあがり始めた。
駆けあがりながら後ろを見ると、悪食蜘蛛は確実に歩を捉えていた。やはりジャケットを目印にしている。
 細い道をかけあがった先は、少し広めの開けた空間になっていた。
岩が点在し、地面がでこぼこしている。
アーサーの指示に従い、一番手前にあった大岩に飛び乗る。
そこから下を見ると、悪食蜘蛛が身体を横向きに傾け、強引に細い道を駆けあがってきているところだった。

 悪食蜘蛛が登り切り、岩に突撃する間際、歩は行き違う形で宙を飛んだ。
 後方から轟音が鳴り響き、代わって悪食蜘蛛の足音が遠のいていく。
 着地してすぐに後方を見やる。悪食蜘蛛は円を描きながら再度こちらを向こうとしていた。再度の突進をよけようと身構えたが、悪食蜘蛛の走る速度が減速していることに気付いた。

「やつは切り結ぶつもりだ! 構えよ!」

 歩は意図に気付き、するすると横に向かって移動を始めた。
 それに対応するように、速度を落とした悪食蜘蛛がにじり寄ってくる。
 体当たりの応酬だけで捉えきれないと考え、じっくりと追い詰める方を選んだのだ。
 歩はそれに対応するべく、逃げ場を失わないよう注意しながら距離を取り始めた。
相手が一息で飛びかかれず、それでいて真っ直ぐ追いかけるには躊躇するような距離を保つ。
 間合いの取り合いだ。しかしそれも長くは続かなかった。

「来るぞ!」

 アーサーが叫んだすぐ後、悪食蜘蛛の足元が弾けた。
 ゴムまりが弾むように悪食蜘蛛が飛び込んできた。
 歩はそれを歩いていた方向に大きく踏み出すことで避けたが、すぐに悪食蜘蛛の後を追う。
 案の定、悪食蜘蛛は地面に八本の溝を描いてすぐに止まり、次の瞬間には歩に向かって飛び、前足を振るっていた。

 歩はさっと下がってやり過ごしたが、続く二本目のために、さらに一歩下がらなければならなかった。
 悪食蜘蛛の猛攻が始まった。
六本の足で的確に逃げる歩に食らいつき、二本の前足を蟷螂の斧のごとく振り回してきた。
 間断なく迫る斧に歩は身体を振って避けるしかなかった。
この足の切れ味は尋常ではない。唯の剣は容易く両断された。
槍で受けられない以上、歩はただ避けることしかできない。
時折イレイネの手槍が飛ぶが、動き続ける鋼の脚に散らされて終わった。

そうしていく内に、逃げそこなう時が来た。逃げる後ろ脚が崖の宙空を踏んだのだ。
見誤った、と思った瞬間、身体が宙に投げ出される。

「イレイネ!」

 すかさずみゆきの指示が飛んだ。するりと透明な不定形の腕が歩の腰にまきつき、弧を描きながら落下の力を横へ流す。
猛烈なスピードで進みながら、飛行挺の着陸のようにして、なんとか崖下の地面に着地した。

 しかしそのとき視界が暗くなった。見上げると、巨体が上空を遮っていた。
悪食蜘蛛が歩を追い掛けて、そのまま崖を飛び降りてきたのだ。
 歩は身を前に投げ出し、転びながらもなんとか落下地点から身を抜けだした。
 続いて聞こえる大地の悲鳴と、巻き上げられる埃。とっさに顔を隠した。
 飛んでくる小石や砂がおさまったところで顔を上げたが、視界はほとんどなくなっていた。
埃がそのまま煙幕となったのだ。
悪食蜘蛛を見失ってしまった。
 このままでは、いつ仕掛けてくるかわからない。

「アーサー!」
「歩、槍を真上にまっすぐ掲げろ!」

 言われて、ただの荷物になっていた槍を突きあげると、すぐにぎゅんと槍が持ち上げられた。
 慌てて全身に力を込めると、身体も引っ張り上げられる。
そのまま頭が煙幕の中から抜け出たとき、足元をなにかが過ぎ去り、歩の後方で轟音がして、再度突風が背を撫でた。

巻かせるままにしていると、先程落ちた崖の上まで引っ張り上げられた。足が届いたところで、引っ張り上げていた手応えがなくなったので、すっと着地する。
 そこにはみゆきと少し下りてきたアーサー、そしてみゆきの背で手を収納するイレイネがいた。

「助かった」
「一番辛いとこやってもらってんだから、これ位は当然。それより」

 みゆきが崖まで進み、下を見下ろした。
歩も続くと、舞いあがった埃から鋼鉄のランスが壁に杭を打つのが見えた。
 すぐに悪食蜘蛛の巨体が埃の中から抜け出てくる。

「やっぱりきついね」
「慎一達次第だな」
「歩、気を張れ」

 みゆきが離れていき、アーサーが更に上空に飛んで行く。
 歩も崖から離れ、簡易広場のほぼ中央に向かう。辿り着いたころには悪食蜘蛛が崖を登り終えていた。
 目と目があったとき、命がけの鬼ごっこは再開された。



[31770] 悪食蜘蛛 4-2 決戦
Name: MK◆9adc7e33 ID:8821586a
Date: 2012/08/15 06:09




 ジャケットが汗で肌に張り付き始めた。
内にこもった熱が体力と共に放出されるが、すぐにわきあがる熱は、更なる体力の犠牲を声高に叫ぶ。

「歩!」
「わかってる!」

 頬の脇を流れる汗をぬぐう暇もなく、両足に力を込めて縦横無尽に大地を蹴る。
一の斧を避けても、さらに二撃三撃と刃は続く。
 右に左に身体を振り、的をしぼらせないと同時に、隙を見て大きく回り込む。
大岩に乗り、場所を変え、悪食蜘蛛の視界から消えたほんの瞬間に、一息つく。
しかし二息目をつこうものなら、すぐに悪食蜘蛛は迫ってくる。

 その応酬を、どれだけ続けただろうか。
足が粘っこくなり、視界には濃い霞がかかりはじめている。
それは時間がたてばたつほど、歩を緩慢にしていった。
 その緩慢さにささいな油断が重なったとき、自分は破局を迎える。
 あの巨大な刃なら歩の身体はいとも簡単に両断され、血のあぶくがもれ、アーサーの身体がぽてんと地に落ちる。
 歩はそこまで想像できてしまっていた。それほど疲弊していた。

慎一はまだか、という思いも薄れ始めていた。
そのとき、雄たけびが聞こえてきた。
 マオの合図だ。油田を見つけたのだ。
 吠え声のほうに視線を向けると、舌を出して荒い息をするマオが見えた。

「歩!」

 はっと意識を取り戻し、大きくバックステップを踏む。
すんでのところで、悪食蜘蛛の足から避けられた。

「よし、行くぞ! マオ、先行してくれ! みゆきもマオの近くに! 歩、気張れ!」

 歩はすぐには走りださなかった。悪食蜘蛛と見合い、じりじりと期を覗う。
 そして不意に背中を向け、走り出した。すぐに悪食蜘蛛も走り始めたのが、音でわかった。
 道路工事の業者がひっきりなしに着いてくるような感覚だ。これが終わったら、完全に夢で見るだろう。

 ただ走る。マオとみゆきとその背中に張り付き、こちら側をむくイレイネめがけ、渾身の力を振り絞る。
 ゴールが見えたおかげもあって、なんとか走れていた。

 ちらと後ろを覗う。距離は詰まっている。
イレイネがしばしば投石や手槍で牽制を加えていたが、効果は薄い。
数回だけ蜘蛛の目にかけらがあたって、ほんの少しだけ減速したことがあったが、それだけだった。
このままゴールまで行けるのだろうか不安になってきたが、歩には走ることしかできない。

 しばらく行くと、目の前の道がせばまった先で、きつい上り坂が現れた。
 ここにきて、これかよ。
マオは軽々と駆けていくが、後ろをいくみゆきは目に見えて減速し、マオとの距離が離れていった。
歩もそこに行きあたった。
一歩目を踏み出し、二の足を出そうとした瞬間、足の倦怠感が痛みにも似た警告信号に変わった。
神経細胞が無理だと叫んでいる。
 それをなんとか受け流し足を進めていくが、後ろから聞こえる大地の悲鳴の音量が、加速度的に増した。
近くなっているのだ。

 それでもなんとか振り絞り、坂の頂上が見えるところまで来た。
 後もう少しで登りきる、というところで、不意に、

「歩!」

と声がした。方角は坂の上の方だ。視線を上げると、差し伸べられた手が見えた。
 わけもわからず手を伸ばすと、その手が歩の手首を掴み、引っ張り上げた。
 手の主は慎一だった。そしてその後ろから、今まで見えなかったことが不思議な、大きな岩が転がってきていた。
 危ういところだったが、慎一が再度横に引っ張ってくれると、大岩の射線からずれることができた。

土の壁に背を預けて尻もちをつく。すぐ隣を転がっていく巨石に視線をやると、その後ろに唯とイレイネがいて、押しているのが見えた。
 二人は坂の手前で踏みとどまったが、大岩は慣性に従った。
狭まった上り坂の七割ほどを占有して、大岩は落ちていく。
巨体を誇る悪食蜘蛛がよけられるはずもない。

正面からぶちあたった。
すさまじい轟音の後、大岩は完全に停止した。悪食蜘蛛が受けとめたのだ。
呆れた膂力だが、さすがに足が止まっていた。ほんの少しだけ悪食蜘蛛の限界が見えた。
衝撃が意識を揺さぶったのか、悪食蜘蛛の足がぴくぴくとひきつっていた。
しかし数秒もたたない内に、その震えはおさまった。
悪食蜘蛛はすぐに平静を取り戻すと、足を伸ばし、大岩をどけようともがきはじめた。
そこで歩は強引に脇を引っ張られて現実に戻された。

「いくぞ! 時間稼ぎにしかならねえ!」

 またも慎一だった。歩はそれでさっと意識を取り戻し、立ち上がると、走り始めた。
 身体の辛さは変わらずあったが、少しだけましになっていた。

「慎一! よくやった!」

 アーサーのシンプルな褒め言葉に、慎一は息を切らしながら、頬を赤く染めて言った。

「石油を広げるのはキヨモリだけでもできると思ったから、探している間できること考えてたんだよ。そしたらあの坂と大岩が近くにあったのを見て、あれを思いついたわけよ。油田見つけて、マオを戻らせるときに、唯にも話して二人でここにきて、作業したわけ。なんとか間に合ってよかった」

 慎一が言い終えたところで、どん、と大きな音がした。
巨石がどけられ、どこかに落下したのだろう。

「早いな、畜生」
「けど時間が稼げた。後は走るだけね。歩、いける?」

 声をかけてきた唯に、歩は一度だけこくんと頷いて返した。しゃべる体力もなかった。
 それから走った。なだらかな上下を繰り返す荒野のような光景の中、ひたすら走った。
もう体力という言葉は消え去っていた。
 いくつもの肉体的なしがらみを、意思でうちやぶる。それだけだった。
 後方からの例の杭を打ち付けるような音が序々に大きくなり続ける中、両脇を崖で囲まれたくねくねとうなる道を駆けあがっていると、唯が叫んだ。

「この先にあるから!」

 大きな角を曲がると、ちょっとした小山が目に入った。小山といっても、高さは歩の何十倍以上、ビルほどの高さがある。
 その小山には半月状にえぐれた箇所があり、その空いた空間には今歩達が走っている道と段差なくつながる平らな場所があった。

そこには鉄塔と鋼鉄の箱、複雑にからみあったパイプが一体となったものが壁際に、そして全身をところどころ黒く塗装されたキヨモリがいた。
足元が畑のように耕されており、土は黒く濁った液体と入り混じっている。ぷんとした匂いが臭ってくる。ここが舞台か。
キヨモリの両手両足の爪にはそれらがこびりついている。包帯にも飛んでいる。舞台を作る大道具に相応しい出で立ちだ。

更に近付いていくと、舞台の細かなところが見えてきた。
思ったより広い。楕円形に黒く耕された場所だけで、模擬戦に使う広さほどある。
その楕円形の黒い畑が小山がえぐれた空間の中央に鎮座し、その両脇に砂色の大地がある。
そりたつ壁には人が一人通れる位の穴が、いくつもあいている。

「あの壁の穴はなんだ?」
「穴の中には色々道具があった。採取用に、あの人達が穴あけたみたい」

 なるほど。
 穴を注視すると、その一つに明乃がいることに気付いた。
ぼっとしているが、先程までの超然とした雰囲気は薄れ、戸惑っているように見えた。
もしかしたら、が起こりかけていることに気付き始めたのだろう。
ひとまず舞台の全貌か整った。

 歩はアーサーに視線をうつした。そういえば、アーサーもこの舞台は初見だ。
いざ悪食蜘蛛を火の海に落とすとして、どうするのだろうか。

「アーサー、落す方法だけど」

 唯も同じ心配をしていたようだが、アーサーは、待て、と言うと、十秒ほど黙りこんだ。

「――よし、歩だけ右側、他全員で左側の砂地のほうに行くぞ! キヨモリも左側に移動しろ!」

 淀みなく指示を出している。おそらく既になんらかの作戦を考えついたようだ。
 事前の時間はあったとはいえ、実際の舞台を見て十秒で考えた作戦。ほんとうに上手くいくのか心配になるが、指示に従うしかなかった。

 一人方向を変え、一人右側の砂地に立った。
 歩はそれから小さい円を描くようにぐるぐると歩きはじめた。
倒れ込みそうになる身体を必死で律し、なんとか動かす。
一度止まれば、当分動けなくなるからだ。
黒い畑をはさんで向こうの砂地では、全員歩いているわけではなかったが、身体を冷やさないよう、身体を動かしていた。
その間を縫うようにして、アーサーが指示を出していた。
距離が離れているのと、間断なく続き音量を上げ続ける悪食蜘蛛の足音のせいか声は聞こえなかった。

その足音が一段と大きくなったとき、悪食蜘蛛が道の先に現れた。八つ目が歩を捉えた。
轟音の中、悪食蜘蛛は真正面から突っ込んできた。
足を踏み出した数だけ地面に大穴をあける。
土を巻きあげ石を跳ね飛ばし、巨大な質量を伴って猛然と突っ込む、ただ一つの弾丸。

「歩、一度中に引き込め! その後、こちらに来い!」

 狙いはわかった。仕込みは他にもあるのだろうが、歩に限って言えばシンプルだ。
 湯だった頭には有難い指示だった。

 来るぞ、と両足に力を入れようとした瞬間、逆に力が抜けた。
あれと思う間もなく、身体ががくんと落ち込んだ。
 限界だった。歩く程度では何の意味もなかった。
常にエンジンを全開にしておかなければ止まってしまうポンコツになっていた。

「歩!」

みゆきの声も、歩の身体は何も良くならなかった。
 正面からやってくる悪食蜘蛛に対し、ゆらゆらとしか動けない身体の歩。どうやってやり過ごすのか。
 不意に思いつき、ゆらめく両足をなんとか動かし、後方へ身を投げ出すように動いた。
 もう限界と尻もちをついたところで、一気に視界が暗くなった。穴の中へ入ったのだ。

 尻もちをついた態勢のまま後ずさりする。穴は悪食蜘蛛が入れる大きさはない。ならば奥に行けば、なんとかやり過ごせるかもしれない。
 少しだけ、なんとか三メートルほど奥まで行けたとき、悪食蜘蛛がそのまま体当たりをしかけてきた。
 轟音と共に、山が揺れた。尻越しに大地の悲鳴が聞こえてくる。天井から埃や小石がいくつも降ってきた。
 悪食蜘蛛の身体は当然引っ掛かっていた。八つ目だけが歩を捉えている。

 その八つ目がじろりと穴のふちを見回したと思った次の瞬間、足が動き始めた。
 山が削られていく。がりがりがりがりと、まるでスプーンで豆腐をすくうように、容易く削岩し始めた。
 歩は後ろに視線を向けた。それほど深さはない。
このままでは、あの足は歩をも削り始める。
 だが何ができる。ぽんこつと化したちっぽけな身体しかもたない、竜使いなだけの歩に。
 ひとまず更に穴の奥へと進んだが、それでも悪食蜘蛛が進む速度のほうが早かった。
 悪食蜘蛛の鋼の足が歩のつま先のほんの先を掻いたとき、叫び声が耳に入ってきた。

「歩! 槍だ! 槍でやつの目を突け!」

 言われて初めて、握りしめたままの槍を思い出した。
ここに至ってまだ掴んでいたのは、完全な癖だ。もう一つの相棒だ。
しかしそれを振るうには、重大な欠陥があった。

悪食蜘蛛の足は間断なく振るわれている。
その中をかいくぐり、槍を悪食蜘蛛の目に突き刺すことはできるか。
ギロチンがいくつも飛び交う中、身をなげだせるか。
 躊躇していると、アーサーが二の句を告げてきた。

「歩! 分かっている! しかし、やれ!」

 やれ。
 なんと気ままな命令か。
 だが発したのは命を共有するパートナー。人生を共に歩むもう一人の自分。
 その言葉は重い。主観の責任が伴った客観。
やるしかない。

 歩は槍を両手で掴み、渾身の力で突きこんだ。
 両腕の表面に刃が入る。悪食蜘蛛の鋼の足だ。肉が切り裂かれる感触。
 その忌々しい感触を無視して、歩は更に槍を突き進めた。
肉が更に深く裂かれる感触の中から、手にした槍に手応えが生まれた。
ぷつんと、何か膜に穴をあけた手応え。

悲鳴が上がり、悪食蜘蛛が大きくのけぞった。そのスペースに歩は身をねじ込んだ。
腕の痛みが身体を突き動かした。
穴の外に出ると、身体を起こし、走り始めた。目標は黒い畑を挟んだ、スタートラインと瓜二つのゴール。

足がぐじゅぐじゅとした大地を踏みしめたとき、後方からの圧力を感じた。
聞き慣れた音が、これまでで一番の勢いでもって鳴り響いた。それはすぐに音量を上げていった。
歩は走った。これが正真正銘の最後だと、あそこまで行ったら、もう当分動かないぞと言い聞かせつつ、身体を鞭うって動かした。

ゴールの先で、舞い降りるアーサーの姿が目に入った。
黒い畑までぎりぎりのところに両足を置く。
そして大きく頭を振り被った。
嫌な予感がした。おいおい、と独り言までした。

予感は的中した。アーサーの口からは、炎が噴出され、それはすぐに黒い畑に燃え移った。
目の前に炎の波が生まれた。恐ろしいほどのスローモーションで、しかし恐ろしいほどの速度でもって波は襲い掛かってきた。
死ぬ、と思った瞬間、その炎の中を斜め上から突き進むものが見えた。
半透明の棒状のものが、二本。

それらは瞬時に歩の方に巻き付くと、歩を大きく引っ張り上げた。
足元の感覚がなくなり、視線が大きく上がっていった。
半透明の棒の先は、そりたった山の岸壁の上のほうにつながっていた。
そこにはイレイネの姿があった。両腕を伸ばし、そちらに体積をとられ、少し小さくなっていた。

歩はつま先の下で勢いを増す炎を尻目に、向かい側の砂地に膝をついた。成功だ。
そこにいるみゆき達の顔を見て、成功したという確信は疑惑へと変わった。目を見開き、歩の後方を見ている。

 身体をひねって後ろを見ると、宙に浮かぶ巨大な影が見えた。
 悪食蜘蛛はあの場から飛び上がって、炎の海を越えてきたのだ。
 その軌道を考え、その先が丁度炎の海から越えていることに気付いた瞬間、終わったと思った。
 そのとき。

「キヨモリ!」

 アーサーがかすれた声で叫んだ。同時にウォーという叫び声がして、歩の横顔に猛烈な風を叩きつけながら、キヨモリが駆けて行った。
 悪食蜘蛛が着地したか否かの刹那、キヨモリの全霊のぶちかまし。
 悪食蜘蛛に避ける術はなかった。
 八本もある足のどれもが宙をかき、炎の海に仰向けに飛び込んだ。

 耳をつんざく甲高い悲鳴、異形の叫び声、生理的に頭をかき乱す弦楽器に力一杯弓をあてたような音。反射的に両手で耳を塞ごうとしたが、途中で起こった腕の鋭い痛みに手が止まった。
 それは数秒でおさまった。頭も腕も凄まじい痛みだった。
槍をついたときに負った傷から、どくどくと血が滴っている。

 最初に動いたのは、みゆきだった。
さっとジャケットを脱ぐと、消毒液をぶっかけ、腰に下げた剣で二つに裂き、歩の両腕にあてた。

「あ、ありがと」
「どうしたしまして」
「あ、キヨモリはいいのか? あいつまた刃の上から構わず突っ込んだけど、大丈夫か?」
「後で。見た感じ歩の傷のほうがきつい」

 笑みも浮かべず、声だけでそう言った。表情は真剣な厳しいものだった。
 慎一が近付いてきた。満面の笑みだった。

「おつかれさま」

 その声を聞いて、ようやく終わったのだとわかった。
 ほっと力が抜けた。
 地面に倒れ込もうとして、慎一に受け止められた。

「手当て受けてんだから、動くなよ」
「ふむ」

 アーサーもやってきた。目の前に降りた。
 気を抜きながら、先程のきつい役目を負わされたことについて、相方に毒づく。

「お前に殺されるかと思ったわ」

 更なる毒で返されると思ったが、反応がなかった。
視線をむけると、アーサーはそのまま下りていった。
途中でいきなりふらふらと不安定となり、着地はぐにゃりとゴム人形のように落下した。

「おい!」

 慎一が近付き、拾いあげると、微妙な顔をした。
そのまま花束を持つような持ち方で歩の前まで持ってきた。
 アーサーがぴくぴくと生まれた子馬よろしく震えていた。目は半開きになっている。

「もてばわかるが、全身の筋肉が震えてる感じだな」
「――歩が悪食蜘蛛とやりあってるときから、ずっと飛んでたもんね。ここまで来るとき、私達のペースに合わせたのが特に。一番の難所だから、できるだけ自由に高所から指示を出したかったんだろうけど、あれは無理だったね」
「……ぅむ」

 完全にぼろきれだった。歩といい勝負かもしれない。
 それもこれで終わりだからだ。悪食蜘蛛は炎の中でうずくまったままだ。
あの中で平然とした顔でいるわけがないことは、あの悲痛な叫び声が物語っていた。

「なんとか終わった、かな?」
「待って!みんな見て!」

 唯の声に反応し、炎の中を見る。
 猛然と燃え続ける中、こんもりとした黒い影が起き上っていた。
 その影が、動きだした。第一歩からまっすぐに歩めがけている。
 影が突進をはじめた。炎の海を越え、なお燃え続ける、火車となっていた。
 対する歩には、もう立つ気力もなくなっていた。動けない。

 一瞬死を覚悟したが、衝突の間際、身体が後ろに引っ張られた。それで射線上からどくことができた。
みゆきが引っ張ってくれたのだ。手当てをしたまま近くにいたのだ。

「先生!」

 慌ただしく響いた慎一の声に反応して、過ぎ去っていった火車を目で追う。
その先には明乃がいた。
 明乃は固まっていた。気が抜けた様子だったが、動けないのか、動かないのかはわからない。
 どちらにしろ、このままでは火車に押しつぶされてしまう。

 ぶつかる、その直前。
射線を唯が横切った。
火車は盛大に壁にぶつかった。
頭から突っ込んだ態勢のまま動かなくなり、ぱちぱちと音を立てながら燃えつづけた。

目線を横にずらすと、身体を投げ出した態勢の唯と、唯の頭を見る明乃の姿がうつった。
明乃は全く動かなかった。ただ大きく目を見開き唯を見つめていた。
何事もなかったように立ちあがった唯は、明乃に一瞥もせず、淡々と歩達のいるほうに歩いてきた。

「キヨモリの手当てどうしようか」

 余りにも平然とした態度に何も言えないでいると、みゆきが答えた。

「とりあえず、慎一のジャケット位? ほとんど使っちゃったしね」

 それを聞いて、慎一が慌てて自分のジャケットを脱ぎ、唯に手渡した。
それに消毒液を乱暴にかけおえると、キヨモリの傷を縛り始めた。
キヨモリは包帯のほうで悪食蜘蛛に突っ込んだようで、包帯は汚れ、ぼろぼろになっていた。
それを選別し、結局八割以上を取り除いたが、なんとか見た目上の傷を塞ぐことはできた。

「唯、いいのか?」

 何が、とは言わなかった。
 返答は、いいの、と一言だけだった。



[31770] 悪食蜘蛛 4-3 疑惑
Name: MK◆9adc7e33 ID:a6184066
Date: 2012/08/18 12:04






 これからどうしようと半ば途方に暮れていたころ、岡田屋との連絡役をしていた直が現れた。他の岡田屋のメンバーがいないことを不審に思ったが、なにより有難かったのは、彼とパートナーで背負った大量の医薬品だ。
 それに直は緊急医療の資格も持っていた。それも竜まで手当てできるらしい。

直は悪食蜘蛛を倒したことに驚いていたが、慎一が声をかけると、すぐに手当てを始めてくれた。
一端手当てした布を外すと、洗浄して、傷口を縫い、清潔な布で覆う。
傷口を縫っている間、痛みに歯を食いしばらなければならなかったが、手当てが終わると、不思議と安心できた。

 全員の手当てを終えると、慎一が他の岡田屋の面子の不在と、一人には多すぎる荷物の理由を尋ねた。
 聖竜会だ、と直は言った。

「現場に来てから、後はうちらでしますから~ってさ。どう考えても俺らより遅れるだろうに。ちんたらやりやがるし。それでオヤジさんたちが機転利かせて、俺とこいつだけでも送り込んでくれたんだよ」
「聖竜会がそんなこと? なんで?」
「それについては、私が原因だよ」

 詳しい説明は帰ってからにさせて、と唯が言うと、慎一は訝しがっていたが、ひとまず納得してくれた。
 直はなんだかうやむやとしていたが、慎一がいいなら、と黙った。

 それで後は帰るだけだ、となったとき、疲労困憊で横になっていたアーサーがいないことに気付いた。
 周囲を見回すと、悪食蜘蛛の死体のあたりでちょこんと座りこんでいるのが見えた。
 近付いていき、声をかけた。

「アーサー、帰るぞ」
「――ああ」
「何してんだ?」

 屈みこんで横からアーサーを覗きこんだ。
 アーサーは超然としていた。
両足を投げ出し、尻を地面についた、人間で言えば体育座りを崩したような姿勢だったのだが、背筋はすっと伸び、眼光は鋭く、穏やかだった。
 なんだか、座禅を組んでいるように見えた。

「――少し、思索をな」
「思索?」

 アーサーは悪食蜘蛛の亡きがらに視線を向けたまま、声だけで答えてきた。

「この蜘蛛にとっての、今回の騒動はどんな事件だったのか」
「蜘蛛にとって?」

 アーサーはこくりと頷いた。そんなこと、考えたこともなかった。
 何も言えず、そのまま歩が黙っていると、しばらくしてからアーサーは語りだした。

「ジャケットに使われていた糸は、何だったのか。こやつのものだったのか、それとも伴侶だったのか、それとも子どもだったのか、親だったのか。そうでもなければ、こやつがあれほど怒りを露わにし、固執することはなかったろう」

 悪食蜘蛛を思い出す。崖に落されようと、大岩に潰されそうになろうとも、懸命に追いかけ続けてきた。
目はぎろつき、歩を直視していた。怒りの感情だったと言われれば、そんな気がしてきた。

「キヨモリがこしらえたこの舞台も、なんだったかやつは知っていたのではなかろうか。だからこそ、燃え始めても即座に反応できた。だがそれでも追い掛けた。お前、というかジャケットめがけて」
「――すごい執念だね」

 後ろからのみゆきの声に後方を振り向くと、皆寄ってきていた。
 かまわずアーサーは続ける。

「一体なんだったのかは、結局はわからぬ。我らとは住む世界が違うからな。しかし我の中で、ただのその他で終わらすには、余りに強い生き物だったのでな。どうも気になった」

 この場合の強いは、歩達を蹴散らした物理的な強さではないだろう。
 思いの強さだ。
 こうして考えると、歩は自分達がやったことについて気になりだした。

 殺したのだ。
 考えてみれば、鋼金虫のときもそうだった。
命を奪うという行為について、腑に落ちない部分はあった。
解決する類のものではないと、放置したが。

「そんなこと考えてたら、何もできなくないか? 生きてりゃ他の命奪うだろ」

 慎一が言った。ギルドとしての活動を続けてきた慎一は、いわば歩達の先駆者だ。
こういうことはいままで何度も経験している。
 アーサーはふっと口元を歪めると、答えた。

「そうだな。ただ何も感じずに殺したままにしとくのは、なんとなく心残りだったのでな。せめてもの弔いとして、思いを馳せ、祈ることにしている」

 意外な反応だった。てっきり言い返すかと思った。

「祈る?」
「弔うといってもいい。仲間が死んだとき、我らは涙を流し、故人を話題に登らせ、夜を徹する。それと同じだ。こやつは何を思って行動し、何を感じながら死んだのか。それらを想像し、思う。欺瞞かも知れんが、やった後、腑に落ちるのは確かだ。何かが整然となって、己に蓄えられる。物理的な意味以外にも糧とする。その行為こそが、死者を無為としない、世界の摂理ではなかろうか」
「詩人だね」
「そうだな。語りすぎた」

 アーサーは大きな口の端でくっくっと笑い、立ちあがった。

「では帰るか。歩、帰りはイレイネに頼むからいいぞ」
「肩に捕まる体力もないか」
「お前の傷を思ってのことと考えないあたり、素性が知れるな」
「お前も同じだってこと忘れずに。それと今言ってたこと、母さんに伝えてもいいのか?」
「止めておけ。お前も一緒に罰受けることになるぞ」
「……減らすか」
「何をだ」

 それ以上何も言わず、放置した。こちらのほうが嫌だろう。
 代わって悪食蜘蛛のことを思う。
 強大な膂力。剣をも両断する切れ味の、鋼鉄の足。ぎょろりと光る八つ目。必死の形相。

 槍を合わせることはなかった、しかし確かに戦った――相手。
 死者に対して生者は何もできない。それは何でも同じ。
 偲ぶ。
 不思議とほんの少しだけ、つっかえていたものが無くなった気がした。

「おい、歩」
「なんだ」
「酒を減らしたら七代祟るからな」
「わかった」

 ならば飯を減らそう。米になんか混ぜてかさ増しすれば気付かれないか。
 アーサーを見る。

ふと、いまさらながら、思った。
先程言った死者云々をこいつはどこで身につけたのか。
あれは経験を伴った知識だった。口先だけとは思えない。
しかしこいつが葬式に参加したことはない。歩もない。
親戚付き合いがほとんどないため、そうした催しを経験することがないのだ。
それをこいつは一体いつ身につけたのか。

インテリジェンスドラゴン? 生まれながらの知恵ある竜?
本当にいまさらながら、不思議に思った。
この竜は一体何者なんだろうか。










「そうか。失敗したか」
「申し訳ございません」
「申し訳ない、というのは次があるものが言うことだ。お前はもうないだろう? そこに何の意味がある? 謝罪程度で私が溜飲を下げるとでも思ったのか?」
「――いえ、思いません」
「ならいい。おって始末を言い渡そう」
「はい。今までありがとうございました」
「おつかれ」

 言い終えると、聖竜会副会長のミカエル・N・ユーリエフは静かに電話を切った。
 背もたれに身を預けて目を閉じる。

――失敗したか。

正直、それも予想できた結果ではあった。
非常にまわりくどい手を使ったせいで、不確定要素が多すぎた。
仕方がないことではあるのだが、結果泡と消えれば何ともなくなる。

そもそも今回の件は、会長が水城歩とアーサーに目をつけていたのが最大の難点だった。
会長は鷹揚な方だが、正面切って暗殺するとなると、流石に身咎められる。
平唯だけならばなんとかなったかもしれないが、それでは竜殺しの竜が残ってしまう。
単品で殺すとなると確実に会長の思慮の内に入ってしまい、できなくなる。
水城歩とアーサーを巻きこんで殺さなければならない。

会長を説得すればよかったのか。だめだ。
竜殺しの竜などという存在を知られるわけにはいかない。
龍殺しに忙しい会長にそんな雑事をさせるわけにはいかない。
全竜使いの頂点に立つ者として、高潔で戴かねばならない。

 やはりまた同じように仕掛けるしかないか。次はどうするか。
 事前の策として用意していた資料を呼び出そうとしたとき、電話が鳴った。会長からだった。
 すっとコンソールに手を伸ばし、着信をオンにする。

「会長、お疲れ様です。どうしましたか?」
「水城歩の件だ。謀ったな」

 どっと汗が出たが、表には出さず、続ける。

「――ばれましたか」
「うむ」

 会長は静かに続けた。

「平唯も含め、後のことは私に任せよ。これは命令だ」
「はい。ペナルティは甘んじて受けます」
「ペナルティなどない。お前が考えでもって臨んでいることはわかっている」

 予想された答えだ。だからこそ、これでもう終わりだということがわかった。
 しかしそれで終わらせることはできない。

「部下に詳細な報告を渡すように。それから今回の件で使った人材のリストと活動内容も。処罰は全て私が決める」
「わかりました。ですが会長、私はやはり水城歩とアーサーを放ってはおけません」
「竜殺しの竜だからか」

 すぐに返答できなかった。
 少しして、そこまで会長が待ってくれたことに感謝しつつ、言った。

「お気づきでしたか」
「私にもお前の知らない情報網位はある」

 知らぬ間に、自分は会長を見くびっていたのか。
 ただの愚鈍なジジイと言う、馬鹿なやつらと同じく。
 会長は言った。

「副会長」

 その声は慈愛に満ちたものだった。

「お前が暗部全てを担ってくれてきたことに感謝している。しかし竜殺しの竜に関しては、私にも任せてくれ。確かに聖竜会にとって最も薄汚れた話にはなるが、同時にそれは聖竜会を揺るがす大きな危機でもある。それを一人で背負いこむでない」
「はい」

 色々な思いが複雑に絡み合い、そう答えることしかできなかった。

「情報は共有しよう。主導権を握らせてもらうが、お前にも十二分に働いてもらう。いいな?」
「はい」
「ではまた連絡する。少し休め」

 電話はそれで切れた。
 ふっと重い息を吐き、天井を見上げた。何も変わっていなかった。










「これで良かったか?」

 デスクから立ち上がり、来客用のソファに移動した会長が声をかけた。
 対面には女性が座っていた。髪を肩位まで伸ばした、年よりずいぶん若く見える美貌の持ち主だ。その隣には大きめのバッグが置いてあった。
 女性が口を開いた。

「はい、十分です」
「すまなかったな。平唯と親交があることは知らなかった上、真の狙いが歩とアーサーにあることは見落としていた」
「あの程度で死ぬほどやわに育てていませんから」

 女性――水城類はティーカップに手を伸ばした。
 音を立てずに持ち上げると、静寂のまま一口飲み、同じように戻した。

「綾辻明乃はどうする?」
「こんな感じでいいでしょう」

そう言うと類は、カバンの中から封筒を出して、渡してきた。
中には一枚の便せんが入っていた。
三つ折りにされたそれを開けて見て、絶句した。

「いい出来でしょう?」

 その便せんは、芝居の小道具にでも使うような、新聞を一文字一文字くりぬいて、それを張ることで文章を書くという、脅迫文調になっていた。
 気を取り直して文を読むと、『副会長からのペナルティはないが、報酬もない。自分で
稼げ』と書いていた。

「これを投函するだけでいいでしょう。仕事も辞める手立てになっていますし、これからのことを考えれば、それだけで十分な罰となります」
「そうか。まあ任せる」

 封筒を返すと、女性は大事そうにしまった。
 それを見て、会長は懐かしく昔を思い出した。
 そのときもまた自分は会長だったが、類は全く物怖じせず、今のように淡々と茶目っ気のあることをしたものだ。

「本当に変わらないな君は」
「私魔女なんですよ。年を取らない魔法使ってます」
「それもそうだが、内面もだ」
「あ、そうですか」

 これだ。

「本当に、息子が君を連れてきたときから、変わらない」
「はい。夫にもよく言われました」

 死んだ息子には勿体ない、よくできた嫁だ。



[31770] 悪食蜘蛛 5-1 結末
Name: MK◆9adc7e33 ID:a6184066
Date: 2012/08/22 22:47
すみません、めっちゃ短いです












 直の誘導で帰っている道中、聖竜会直属のギルドに出会った。
 たくさんポケットの着いた黒色の強い迷彩服を着た人間が十名ほど、大きな荷物を抱えた巨大な猿型のパートナーが五体、そして大小様々な竜が五体いた。
竜を見た瞬間、アーサーの胸中で炎が舞いあがるのがわかった。
 咄嗟に覗いたアーサーの顔は平然としていたが、確かに竜殺しの竜が刺激されていた。
 幼竜殺しの時の、脳裏を埋め尽くす敵意の感覚は忘れていなかった。

 その反応もこの場で激発してしまいそうではなく、ひとまず置いておき、話を進めた。
彼等の対応は予想に反し、丁寧なものだった。
奢りの無いきちんとした敬語だったし、悪食蜘蛛を倒したことを知ると、素直に驚いて称賛の声を上げた。
奢れる貴族という印象はそこで消えたが、だからといって自分達を始末しようとしている現状を知っている歩達は、慣れ合うことはなかった。
それを知らない慎一や直も、仕事を横取りされた岡田屋のメンバーだ。
好意的な反応をするわけもなく、大人の対応ですませた。

 しかしその間に事件が起こり、終わっていた。
帰りの案内を断っているころになって、綾辻明乃が消えていることに気付いたのだ。
悪食蜘蛛を倒した解放感やそれまで脱力したままだった態度もあり、縛ることもしていなかったことをいまさら後悔したが、後の祭りだった。
当然、目の前の聖竜会を疑ったが、彼等に嘘をついている様子はなく、こんなところではぐれて大丈夫なんですか、と別のところで驚いていた。
聖竜会と別れた後、みんなと話し合ったが皆同じように感じたようだ。
現場には知られていない何かが動いたのだろう、と適当な結論を出したが、一つ確かなことは、逃げられたということだけ。
明乃と共に全ては闇の中へ消えてしまった。



 そして翌日。

「色々あったけどひとまず、依頼達成に、乾杯!」
「乾杯」

 歩の家でグラスがぶつかり合う音が響いた。ささやかな打ち上げの合図だ。
 鋼金虫のときと同じノンアルコールシャンパンで喉を潤し、ふうと息をついた。

「まあ誰も死なずにすんでよかった」
「全くだ」

 慎一もしんみりと返してきた。
 ふと見回しても、被害が目立った。
松葉杖をソファにたてかけた唯と、全身包帯まみれの歩、キヨモリはともかく、慎一とみゆきにも包帯がまかれていた。
歩が気付かなかっただけで、二人とも怪我をしていたようだ。
各種パートナーも同じで、不定形のイレイネ以外は、皆どこか激闘の後を身体に刻んでいる。
 そのせいか、鋼金虫のときと比べて、落ち着いた宴会になっていた。

「はい、歩」
「あ、あんがと」

 みゆきが料理をよそった皿を歩の前に置いてくれた。

「おうおう甲斐甲斐しいねえ。羨ましい嫁だこって」
「誰が嫁だ。腕動かすと痛いの知ってるくせに」

歩は悪食蜘蛛に槍を突く際、かなり深い切り傷を折ってしまった。
あの場を切り抜けるためには必要な代価だったのだが、そのため力を入れるとひどく痛む。
先程乾杯するのにグラスを持ち上げた際も、顔をしかめていた位だ。
 それを知っているため、みゆきは気を配ってくれたのだが、慎一やアーサーはいたわるどころか逆に煽りを入れてくる。

「みゆきも過保護だのう」
「ほんとほんと」
「湿布臭いチビは黙れ。もう一人は――黙って食え」
「俺の扱いひどくない?」

 慎一は流して、アーサーを見た。
 アーサーは見た目いつも通りだが、全身から鼻につく匂いを撒き散らしている。
 激しい運動の結果の筋肉痛で、塗り薬を全身に塗りつけているのだ。
一日経ち、大分ましになったが、朝はひどい匂いを部屋にまきちらしていた。

「酒の味も変わってんじゃないのか? あ、馬鹿舌にはわからんか」
「これも戦士の味よ。それもわからん腑抜けとは情けない」
「戦士は血の匂いはしても湿布の匂いじゃ酒飲まねえよ」

 唯がくすくすと笑った。その反応が妙に目に残った。

「唯、どうした?」
「いや、こうしてられるのって、幸せだねって」
「そうだよなー」

 本当に言われた通り黙って肉を頬張っていた慎一が、相槌を打った。

「本当死にかけたもんなー。岡田屋の経験含めても、あれは最強だった。ほんとよく勝てたよ」
「これも我の」
「筋肉痛のおかげだな」

 アーサーがなんとも言い難い顔をする中、歩は平然とフォークを動かす。
 それを見て唯が再び笑った。やはり違和感があった。



[31770] 悪食蜘蛛 5-2 結末②
Name: MK◆9adc7e33 ID:acb7022a
Date: 2012/08/30 10:39




 テーブルの上の料理のほとんどが胃の中におさまり、ゆったりとした空気が流れていたころ、アーサーが話をぶった切って言った。

「全員もう満足か?」
「おう、十分食った」
「美味しかったねー」

 突然言い出したアーサーに違和感を感じつつも、それぞれが答えると、それを聞いて、ふむ、ならば、とアーサーがおもむろに言いだした。

「歩、唯、幼竜殺しの一件には裏がある、と言ったことを覚えているか?」

 幼竜殺しの単語一つで、ほのぼのとした空気がひきしまった。
唯と目合わせした後、アーサーに頷いて返すと、慎一の声が聞こえてきた。

「なんだそれ? 聞いてねえぞ」
「お前とみゆきと分かれている間のことだ。それに綾辻明乃についても語らねばなるまい」

 慎一とみゆきは明乃の独白を聞いていない上、明乃が消えた後、不機嫌なアーサーに、やつは裏切り者だったのだ、としか説明されていない。
 二人は聞きたそうだったが、死闘で疲れ果てた身体でアーサーの剣幕に押され、そのまま今に至っている。

 皆が見守る中、アーサーはテーブルの上に立ち、滔々と語りだした。
 初めは明乃について、二人に説明をした。
 明乃の裏切りの内容を知ったとき、慎一は時折毒づき、みゆきは目に強い光を灯したが、話を止めることはなかった。
 慎一が聖竜会ってそんなことやってんだ、と感想を漏らしたところで、アーサーが、次は幼竜殺しの件だ、と言った。

 そちらは歩も初耳で、驚くべき内容だった。
 昨年の幼竜殺し事件の際、副担任で色々と関係のあった雨竜にはまだ裏があったというのだ。
 歩達が知っていたのは、彼が軍の人間で、最初は唯を守るために、途中からは幼竜殺しの監視のために、学校に潜入。
 そして最終的には、幼竜殺しの監視の任務がメインで、唯を守るのをおろそかにしてしまった、ということだった。

「実際には違う。やつの任務は幼竜殺しが唯を殺すのを見守ることだったのだ」

 そう言ったとき、思わず唯の顔を見た。
 ああ、と声には出さなかったが、その唇がかすかにあけられるのを見た。
 驚いた、といよりも、やっぱり、という感じだった。
 その可能性に薄々気づいていたようだ。

 聞いてみれば、筋の通った話だった。
 そもそも幼竜殺しの監視にシフトした時点で、唯を守るために転校なりなんなりすればよかった話だ。
 なのにそうしなかったということは、唯がどうでもよかったというより、むしろ被害者になってほしかった、と考えるのが自然だ。
 歩が想像していたよりも、もっと事態は深刻だったようだ。

 雨竜についても話が及んだ。
 当初はただの任務で、途中から葛藤し、最終的には軍を裏切ってまで歩達を守ろうとした元副担任。
 全てを許すには、失われたキヨモリの翼と、幼竜殺しと対峙した際の恐怖が邪魔をした。
 しかし、今雨竜がこの場にいても、罵倒することはできなかったと思った。
 全てを語り終えた後、アーサーは頭を下げた。

「黙っていて、すまない。我は任務に従ったとはいえ、葛藤し、結果我らを選んだ挙句、軍で懲罰人事を受けるであろう雨竜に、鞭うつことはできなかった。同情してしまった」
「いや、分かるよ。その気持ち」

 唯が言った。顔にかすみがかっているかのような微笑を浮かべていた。
 どんな心境で、そんな達観した笑みを浮かべられるのだろうか。
 ひとまず、それで一件は終わった。
 一番の当事者である唯がそう言っては、それ以上誰も続けることはできなかった。
 唯が宴の後の部屋を見回し、言った。

「これで終わりかな」
「そうだね」

 みゆきに相槌に、慎一が場を変えようとしたのか、少しおどけて続けた。

「まあ次があるさ。次は何する? 俺はもっと楽なのやろうぜ。もうこんなのはこりごりだ」

 誰のものでもない力ない笑いが続いたが、唯だけは頭を下げて首を振っていた。

「唯?」

 みゆきが眉をひそめて怪訝そうに尋ねると、唯が顔を上げた。
 悲しげな笑みが張り付いていた。

「ねえ、聞いてほしいことがあるの」
「ギルド解散と、昼食会の中止とかか?」

 唯の言葉が終わるや否や、ぶったぎるようにアーサーが言った。
 はっとした後、すぐに深い笑みを浮かべた唯が答える。

「……気付いてたんだ」
「分かってたんだ。でも言わせてよ、最後位」
「言わせんよ。機先を制すのは戦の常道故」
「戦って」
「戦いだ。逃げるお前と、追う我らのな」

 唯がさっと見回し始め、歩は急いで顔をひきしめた。
 決して視線をそらさない。アーサーの意図を決して見逃さない。
 そうしないといけない。
 唯が三度笑みを浮かべ、言った。呆れたような笑みだった。

「みんなどうして? 私と一緒にいたら、またこんな目に会うかもしれないんだよ? アーサーが言ったでしょ? 私が狙われたの、二回目で、それも相手は聖竜会の上層部。どうしようもないよ」
「だからといって、共に戦った仲間が、一人になるのを見過ごせると思うか? お人よしの我らが」
「慎一、岡田屋の人達にも色々影響出るかもよ? 今回だって圧力かかったんでしょ?」
「ああ、聖竜会からいくら取れるか、悪だくみしてたよ」

 慎一は苦笑しながらそう答えた。
 返答はそれだけだった。
 こいつもすごいやつだ。色々思うことはあっただろうに、すんなりと終えた。

 唯がもう一度見回した。今度も目をそらさないでいると、四度目の笑みを浮かべた。
 嬉しそうな、泣きそうな笑みだった。

「アーサーはキヨモリいいの? 竜苦手なんじゃない?」
「我の乗り越えるべき課題だ。取りかかっている最中に課題にいまさらいなくなられても困る」
「何それ」

 唯が笑った。その目に涙が浮かび、つーっと頬を流れた。

「そういうことだから、唯」
「そうそう」
「……言うことねえ」
「みんな仲良すぎ」

 唯が背もたれに身を預け、苦笑した。

「みんな、よくこんなに上手い連携プレイできたね。事前に聞いてたの?」
「慣れた」
「私は基本アーサーに任せただけ」
「俺は口挟めなかった」
「こんなの見せられたら、離れられないじゃない」
「いいじゃんそれで。折角作ったギルドも一カ月足らずで解散勿体ないし」
「C+だしな」

 口元を意地わるげに歪めたアーサーが言うと、慎一は悔しそうに頬をひきつらせた。
 いまだに自分達が受けた竜使いの特別扱いに悔しがっているようだ。

「ま、折角あるなら使うさ。次何するかね」
「そんな慌てんな時間はあるだろ?」
「そうだね」

 歩が唯に向けて尋ねると、端的な答えが返ってきた。

「乾杯するか」

 アーサーがグラスを引きずりだしてきた。

「何に?」

 口ではそう尋ねたみゆきだったが、既に人数分のグラスとキヨモリとマオ用に皿を出していた。
 その後ろでは、イレイネが冷蔵庫に向かって手を伸ばしている。

「我らがギルドに」
「いいね。――キヨモリ」
「マオ、来い」

 パートナーも呼び寄せ、それぞれに杯を手にし、テーブルを囲む。
 頬に線を描く唯、寝起きで半開きの目のキヨモリ、気を取り直した慎一、忠犬らしくぴしっとしたマオ、瓜二つの柔らかな笑みのみゆきとイレイネ、自分、そしてアーサー。
 音頭はアーサーがとった。

「では我らがC+ギルドに」
「性格悪いね、お前」

 ぼそっとつぶやいた慎一に柔らかな笑いが周囲で木霊した。
 笑みを浮かべず、少し待っただけのアーサーが、言った。

「乾杯」

 からんと高い音が立てられ、何度か音が続いた後、歩はグラスの中身を口に注いだ。
 中身は何度も飲んだノンアルコールシャンパン。
 だがこれまでで最高の極上の味だった。






悪食蜘蛛編、完です。
ありがとうございました。
続きは一カ月以内にでも書きだすので、よかったらどうぞ。



[31770] ここまでの設定&キャラ解説
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2012/09/23 19:15

 幼竜殺し、悪食蜘蛛までの設定およびキャラ解説です。




設定


 パートナー

 人が生まれたときから持っている卵から孵化する異形の生物でA~Eまでランク分けされる。
竜、悪魔、天使、機械、精霊、狼、巨人、鷲など、なんでもあり。
 卵の持ち主と命が繋がっており、片方が死ねばもう片方も死ぬ。パートナーの呼称はこれが一番の要因。
 命以外に能力もリンクしている。
パートナーが巨人なら力が強かったり、犬なら嗅覚に長けていたり、逆に猫がパートナーだと猫舌になったり、鳥だと骨が弱くなったりして、同じ人間でもパートナーによって大きく能力が異なる。そのためその人の人生はパートナーによって左右される。
 特に竜の力は飛びぬけており、竜をパートナーにしたもの、竜使いは全く別のカーストに位置している。



 世界観

 一般の人の暮らしは、携帯とパソコンのない現代位。街並みは高層ビルが都市の中でも限られた一部にしか無い位で、同等。らしい下町も残っている。庶民に普及している科学技術も同レベルか若干下位。(機械型パートナーとか異次元の科学技術レベルもあるが)
 車もあるが、それよりパートナーを活かした馬車や牛車が一般的。基本的にエコ。

 魔物

 パートナーではないが、同じく異形の生物。
 人との繋がり以外はパートナーとほぼ同じで、分類のされ方も同じ。
 基本的に人とは相いれず、頻繁に争いが起きているため、軍や民間ギルドなどに大きな予算と人材が割り当てられているだけでなく、高校では模擬戦と呼ばれる実戦授業が組み込まれている。
 人間の生活の役に立つ素材となるものもある。


 蛍光兎 毛が電灯のフィラメントに使われる。毛を抜けばそのまま使え、長持ちして便利。
 黒蛇 頑丈な皮を持ち、戦闘の際の服などに使われる。



 聖竜会
 この世界で最も強力な生物である竜をパートナーにもつ人達の集団。ここに所属している人間が貴族であり、様々な特権を得る。全ての竜使いが貴族になれるわけではない。中はかなり政治が渦巻く世界。子どものころから家柄や権力争いに晒される。



 外地

人間が暮らす領域外のこと。強力な魔物や竜と同種の龍が存在し、人の存在を拒む。
時折外地からの魔物が人間の領域に入ってくることがあり、その度に大きな被害を出している。




主要人物紹介




 水城歩
 主人公。パートナーは竜のアーサー。自己評価が低く、自暴自棄なところがあるが、人間としては最高レベルの身体能力を持っている。聖竜会には今のところ関係なし。

 と思われていたが、実は聖竜会会長の孫。知っているのは極一部のみ。

 悪食蜘蛛の一件では、副会長による隠れた標的になっていたが、現在は会長によって抑え込まれている。

 現在水分高等学校ギルド部所属の三年。


 アーサー
 もう一人の主人公。インテリジェンスドラゴンと呼ばれる、人語をしゃべる竜。
中身は意味もなく傲岸不遜でうざい。各種能力に優れる竜なのだが、生まれたときから成長しておらず、歩の肩に止まれる位の大きさで止まってしまっている。身体能力も相応。頭が回るため、実戦では指示役に回っている。竜ではあるが、竜を苦手としている。

 実は竜相手にのみ本領を発揮する竜殺しの竜。竜を前にしたとき、身体が巨大化、最高クラスの力を持った竜となる。他の竜が苦手な理由は、竜への殺意を抑えきれない自分を直視しなければならないから。




 能美みゆき
 主人公の友人兼妹兼姉兼クラスメイト。パートナーは精霊型のイレイネ。中学に入ったときに歩の母親に引き取られ、三年間歩と一緒に生活していたが、高校入学を機に独立。すらりとした体型と身のこなし、優秀な頭脳と身体能力、社交性の高さなどから、人気がある。
 実は両親が聖竜会に所属する貴族。通常、竜使いからは竜使いしか生まれないのだが、彼女は例外。実家の権力争いの激化と、竜使いなどではないことから、歩の家に引き取られた。

 歩と同じくギルド部部員で三年。

 イレイネ。
 みゆきのパートナー。見た目はみゆきをゲル状にしたもの。身体を自在に変形させることができ、応用力に長ける。単純な力はそれほどでもないが、竜使いを除いてではあるが、学年トップの成績を残している。





 平唯
 もう一人の竜使い。パートナーは竜のキヨモリ。本人は小柄な可愛らしい外見。特別扱いを受けているのもあり、学校で孤立していたが、歩と模擬戦で戦った のを期に、歩、みゆきと交流を深め始める。子どもっぽいところがあるが、貴族として暮らしてきた経験から、大人な考え方も身についている。竜がパートナー であるため、本人も相当な戦闘力があるのだが、キヨモリの圧倒的な膂力に任せ、自身は最低限の自衛しかしない横綱相撲的戦闘法なども、貴族故のもの。
 聖竜会に所属する貴族だが、いわゆる愛人の子。そこに本家の継承権も重なり、複雑な環境に身をおいている。貴族の通う学校ではなく、一般学校にいるのもそれが理由。

幼竜殺し、悪食蜘蛛と狙われ、一時歩達の前から姿を消そうとしたが、説得されて現在も水分高校ギルド部所属。こちらも三年。

 キヨモリ
 竜らしい竜だが基本的にのんきで子どもっぽい。歩達との模擬戦の際、初めて痛みらしい痛みを覚え暴走するなど、そういう意味でも子ども。ただし本人には 悪気がない。能力はまともにやれば、学校でも相手になるものがいない。幼竜殺しに襲われ、翼を失ってしまったが、それでものんき。



 岡田慎一。
 歩の男友達で、クラスメイト。社交性が高く、クラスのにぎわし役。
 ギルド岡田屋の一人息子で、将来の社長。昔からギルドで働いており、ギルド関係の知識、経験ともに豊富。学生ギルドを提案した。

 所属学年ともに以下同文。


 マオ
 慎一のパートナーで狼型だが、歩になついている。その様は完全に犬。慎一に対しては忠犬ハチ公。






 中村藤花。
 歩達の学校の担任を務める女教師。パートナーは狼型のユウ。かわいらしい外見だが、教師としての能力は折り紙つき。話のわかる教師として生徒の人気も高く、その有能さから学校側の評価も高い。模擬戦授業でも一番上のクラスを担当している。
 教師としての生活の裏で、幼竜殺しとして多数の竜を殺してきている。パートナーも実はキメラ型で、他の生物、特にパートナーを好んで食べる習性がある。 食べた相手の能力を得ることができる。幼竜を殺すのは、味覚に合うから。幼竜殺し事件後、軍部に捕まり、なんらかの処罰を受けていると推測される。

 ユウ
 中村藤花のパートナー。普段は狼型に擬態しているが、実際はキメラで、どんな姿にもなれる。人と一心同体のパートナーが多いが、その中でも人との結びつきが特に強い。






 長田雨竜。
 副担任の男性教諭。パートナーは不明。三十前にしてちらほら白髪が見えるが、それ以外は体格のいい青年と壮年の境目。目線が生徒に近いため、人気もある。
 実際は軍人。唯の護衛役として学校にもぐりこんだが、途中から幼竜殺しの拿捕に任務が変更された。しかし聖竜会での権力争いのため、唯を見殺しにしろと いう計画を納得できず、キヨモリの翼がもがれたのを期に反抗。計画を崩壊させてしまった。幼竜殺しを捕まえることはできたが、命令違反の咎を受け、厳しい 戦場へ投入されることが決定している。

 サコン。
 雨竜のパートナーで機械型。見た目は機械の竜。レーダーや粒子砲など、逸した技術レベルで構成されている。戦闘能力も非常に高い。
 欠点は燃費の悪さと構造のもろさ。その影響を受けた雨竜が、藤花の蹴りを受けただけで戦闘不能になったほど。超攻撃特化で、本来ならレーダーおよび超科学のギミックでの、不可避の一撃必殺で運用される。



 綾辻明乃
 悪食蜘蛛で赴任してきた教師。幼竜殺しで止めた中村藤花の後を引き継いで、歩達の担任となった。物分かりがよく、歩達がいきなり作った学生ギルドの担当を快く引き受けてくれた他、実際の狩りでも現場に来てくれた。

 実際は唯を殺すべく聖竜会副会長に送り込まれた工作員。崩壊寸前の母親との暮らしの維持を餌に参加したのだが、自分の都合でもって子どもを殺す自責に何度も苦しむが、悪食蜘蛛と平唯を接触させるという任務を最後までやり遂げた。
 しかし予想に反して歩達が悪食蜘蛛を撃退した揚句、命を救われてしまう。
 半ば放心状態の中、行方をくらませた。

 ツクヨミ。
 蛇型のパートナー。熱感知を持つ。戦闘は一度も行わなかった。





 水城類。
 歩の母親。パートナーは猫型のミル。ざっくばらんながら、いい親をしている。見た目が若く、歩の同級生からナンパされたことも。

実は聖竜会会長の息子の妻。正確に言えば故人のため元妻だが、会長とは連絡を取り合える状況にある。

 ミル。
 品のいい猫型。念力持ち。




 岡田一、岡田二。
 慎一の両親にして、ギルド岡田屋の両輪。息子の学生ギルドに協力したり、大人の立ち回りを見せる。岡田屋のギルドは竜使いがいないギルドの内では、かなり上層。



 ゼッセル・コントラスト
 聖竜会会長。鷹揚な性格の主で、基本的に放任主義。英雄と呼ばれている。
 基本的には聖竜会内部の政治は副会長任せで、全体の取りまとめ役の象徴となっていたが、歩関連のみ自分で処置を行っている。



 ミカエル・N・ユーリエフ
 聖竜会副会長。陰謀に陰謀を重ね、唯と歩を狙い続けた。幼竜殺しと悪食蜘蛛、双方の指揮者。
 しかしどちらも失敗に終わった挙句、会長から禁止令を受ける。
 一方で会長との信頼は変わらず、咎めを受けることなく進行。

 私情からではなく、聖竜会や人間社会全体を見て行動しているが、やり方はえげつない。






 その他モブ。

 ハンス・バーレ
 馬鹿系竜使い。幼竜殺しにて死亡。

 大楽昭。
 馬鹿系巨人使い。歩につっかかり、ぼこってきたが、現在多方面からぼこられ中。

 上橋業平。
 ギルドをまとめるギルド連合の水分支部支店長。

山田直
岡田屋メンバーその1

元ヤン
 あだ名でしか出てない岡田屋メンバーその2

 女
 名前もあだ名もない、石油関連の仕事をしていた女性。唯達を悪食蜘蛛に誘い込む副会長の仕込みに使われた。

 瀬崎
 悪食蜘蛛関連で救援を送ろうとした岡田屋を制止した聖竜会のメンバー。



後アーサーを煽った無邪気に容赦のない子どもとかいた気もしますが、割愛で。



[31770] 貴族からの刺客 0-1 転校生
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2012/09/23 19:20



新章開幕です。よかったらどうぞ









 人が異形のパートナーと共生する異界は、地図上では不格好な楕円形で示される。

 楕円を見ると、中央に地図をそのまま手で引き裂いてできたような形の青い面がまず目につく。それが海だ。人間にとって唯一の海だ。

残る大陸部分は三つの色があり、それぞれに国家がある。
 海によって両断された楕円の右側にあるのが、面積としては狭いが起伏と四季に富んだ国土を持つ『月の国』。
 残る左側の上部にあるのが『ケーニッヒブルグ』。伝統と実利の両立に成功した最も力のある国だ。
残る左側下部にあるのが、砂漠と樹海の両極端な大地で鍛えられた人とパートナーが多数存在する『タオ』。
 これら三つの国と海で世界地図は構成されている。

 しかしそれが世界の全てではない。
地図に描かれていない外にも大地は広がっている。
 何故描けないか。
 人が進出したことがないからだ。
そこには強力な魔物達が跋扈し、人を決して寄せ付けないのだ。

 その空間は外地と呼ばれ、人とパートナー対魔物の争いが、時に戦争と呼ばれるほどの規模で起こり、たびたび世界地図を変えている。
 それはいつからか知れぬほどの過去から続き、今もなお変わっていない。







「転入生? こんな時期に?」
「おうよ」

 夏休みを終えて初日、なお残る残暑と休みボケでゆっくり登校してきた歩に、慎一が刺激的な噂を拾ってきた。

「職員室行って、実際に盗み聞きしてきた。マジだ。それもうちのクラス」
「だからみんなそわそわしてんのか」

 慎一は興奮気味ににやりと笑みを浮かべた。
夏の間に家と学校双方のギルドで鍛えられ、黒く染まった頬が皺を作り出す。

 見ると、教室のところどころで仲の良い者同士のグループ毎に集まっていた。
夏休み後のけだるい感じがなく、わいわいと話している。
 噂はもう出回っているようだ。

「みんな朝から元気だねえ」
「ただの転入生じゃないからな」

 意味ありげに唇をくいと上げた。

「どういうこと?」
「また一人厄介者が増えるってこと。その転入生ってのは――」
「はい、みんな席に着いて」

 担任教師が入ってきた。
中途退職した綾辻明乃の後を受け、このクラスの担任になった老教師だ。
 薄い頭皮同様、年を感じさせる落ち着いた足取りで、すっと教壇に上がる。

「はいはい、みんな席着いて。転入生の紹介さっさと聞きたいでしょ」

 その一言で、全員さっと席に着いた。
 年季のいった教師の現金な生徒を上手く扱う技術を、歩は見せつけられた気がした。

 こうした扱いの旨さこそ、竜使いが二人もいるクラスの途中からの担任という面倒な仕事を、目の前の老教師が仰せつかった理由だろう。

 ゆったりと、しかし生徒に苛立ちを覚えさせない速度で、老教師は言った。

「最後の夏休みを終え、これから受験なり就職なり忙しいあなた達に言うべきことはありますが、省略。転入生、入ってきなさい」

 息を詰める学生たちの視線が集まる中、転入生は入ってきた。
 わっと同級生が息を呑むのがわかった。

 まず目についたのはさらりとした長い金髪。
風にあおられ、その細さを強調するように、舞う金の糸。
CMでも見せられているような気分になった。

 金髪の間から見える顔は、彫の深い完全な異人種のもの。
 化粧をしていない唇でも、くっきりと浮き立たせる白い肌。
 釣り上がり気味の目には、強い意思がのぞき、それが存在感を増している。
 微笑と交わり、隙のない美しさを醸し出していた。

 慎一の意味ありげな笑みはこれか、と合点がいった。
 クラスの間でも、徐々に感嘆の息が漏れ始めた。
 しかし教室に更なる影が写ったとき、クラスがすっと息を吸ったのがわかった。

 竜だった。またしても竜だ。だからといって慣れることはない威容だ。
 飛竜型の少し小振りな身体だったが、それでも二メートルを越えている。
 翼を身体の前でクロスさせ、お邪魔する、とでもいう風に教室のドアをくぐった。
 足取りは人間のように確かな二足歩行。
他の竜やパートナーのような、どこかぎこちないよちよちとした歩き方ではなく、むしろ紳士然とした歩き方だ。
 中に人間が入っていると言われても、驚かないほど、竜の姿がかぶり物に見えるほど、所作が洗練されている。

 呆気にとられる生徒達を尻目に、老教師がいつもと変わらぬ様子で言った。

「自己紹介をどうぞ」
「はい」

 凛とした声だ。歩はみゆきを思い出した。そういえば、どことなく似ているような気もした。
 彼女は微笑から更に笑みを深めてから口を開いた。

「始めまして。リーゼロッテ・A・ハウスネルンです。リズと読んでください。皆さんよろしくおねがいします」

 なめらかな口調だった。竜使いによくある尊大さが、かけらも見えない。
 語彙に少し訛りがあったが、それも響きが美しく聞こえた。

「彼女はケーニッヒブルグから来ました。それも見ての通りの竜使いで、三年二学期からの中途というかなり変わった経緯を持っています。でもまあ仲良くするように――何かある?」

 最後の部分はリーゼロッテに向けられたものだった。
 彼女はそれに頷くと、じゃあどうぞ、と促した担任に一礼した後、一歩前に出た。
 隣まで来た彼女のパートナーに手を添え、口を開く。

「私は竜使いで、それも聖竜会に所属しています。ここに転入してきた理由もありますが、言えません。我ながらかなりややこしい転入生だと思います。
ですが、私はこの半年間をただのお客さんで終えようとは思っていません。卒業の際にはみんなと一緒に泣き、笑いたいと思っています。どうかみなさん、仲良くしてください」

 そう毅然とした笑顔で彼女が言い終えたとき、クラスは鎮まっていた。
しかしすぐに彼女の笑顔に照らされていくように、クラスに笑顔が連鎖していった。

「率直な演説ありがとう。ま、このクラスには竜使いが二人いるから、なんとかなるでしょ。
誰か聞いてる?」
「はい」

 彼女の視線がまず唯に、その後歩に向けられた。
 歩と目があったとき、彼女は意味ありげな笑みを浮かべた。
 驚くと同時に、少し鼓動が増したのがわかった。

「ま、なら大丈夫ね。席はあそこね」

 そう言うと、担任は教室の後ろの方を指した。
指の先は教室の廊下側から二番目の列の最後尾で、そこにはいつのまにか新しい、しかし使い古された椅子と机が置かれていた。

「じゃあ彼はパートナー棟に――では、おねがいします」

 担任に指示され、新たな竜はリーゼロッテに鼻のあたりを撫でられると、廊下にいた事務員に連れられて戻って行った。
 それから彼女は颯爽と歩いていき、古びた席についた。

 それから始まった担任の注意伝達事項を聞きながら、歩は何度か新たな転入生をチラ見した。
 竜使いと、洗練された外国人美女、それに残り半年間の理由あり転入。
 そのどれもが彼女の存在感を浮き立たせていた。

 朝のホームルームが終わり、夏課題の提出を終えた後、彼女の周りには慎一を初めとしたクラスメイトがファンよろしく沸いた。
 様々な質問が飛び交う中、彼女はそれをそつなくこなしていった。
 その輪を歩は遠くから見ていたのだが、なんだかみゆきを思い出した。




 彼女の扱いに慎重な立場を見せる教師陣の授業が終わり、昼休みになった。

 今日は部室に集まる日だったので、唯、慎一と一緒に向かおうとしたとき、歩君、と呼ばれた。
 振り返ると、笑顔の転入生がいた。

「お昼一緒に食べない?」
「あ、いや」

 いきなり下の名前だったことと、急な申し出に少し驚きどもってしまった。
 彼女が異質な美形だったことも、理由の一つだった。

「ごめんなさい。今日は部活のメンバーで集まることになってるから」

 唯が申し訳なさそうに代弁してくれた。
 それを聞いて、リーゼロッテはきょとんとした後、急に笑顔を意味ありげに深いものに変えた。

「あなたが平唯さんね。よろしく。竜使い同士、仲良くしましょう」
「よろしく」

 唯の反応は固かった。最低限の礼儀しか通さないという感じだ。警戒している。
 考えてみれば、当然かもしれない。
 竜使いの世界には陰謀が渦巻いている。
その結露をこの一年足らずで歩は二度も経験した。そのどちらも唯が狙われたものだ。
唯が竜使いに対し警戒する意味もわかる。

 それに彼女は理由ありだ。異常といっていい、残り半年のみの外国からの転入生。
 唯に対する新たな策でもおかしくない。

 気をひきしめよう、と注意深く彼女を観察しはじめようとした。
 その矢先、彼女が突然両手を上げた。

「敵意はないよ。その針ねずみみたいな視線、やめてほしいな」

 降参というポーズだった。
洗練された彼女に似合わぬ、しかし堂に入った行為に、歩は少しあっけにとられた。
しかし横にいる唯は、そう、とだけ答え、警戒する様子を隠そうとしなかった。

「こういうのが狙いじゃないんだけどな」
「じゃ、そういうことで」
「待って。じゃあ少し時間くれない」

 去ろうとした唯に、リーゼロッテがそう言うと、唯は少し溜めた後、息をもらした。

「いいよ。ここでいいの?」
「屋上で」
「じゃあ行きましょう。さっさと済ませたいから――歩、慎一先行っといて」
「ちょっと待って。私が来てほしいのは歩君なんだ」
「――えっ?」

 てっきり唯かと思ったが、そう言えば声をかけられたのは自分だったなと思い返した。
 思わず彼女を凝視すると、彼女が目を合わせてきた。
 何故だかぱっと彼女の頬が少し染まった。

「歩、どうする?」
「あ。まあ、行くわ。唯、慎一、先行っといて」
「――わかった」
「それじゃあ、屋上行きましょう。場所わからないので、連れていってくださる?」

 唯の疑う視線を背にし、リーゼロッテを連れて屋上に向かった。
 途中すれ違う視線がなんども歩の後ろに集まり、なんだか居心地が悪かった。

 屋上にはまだ誰もいなかった。

「ここ、いいね。空気がきれいで、がらんとしてて」

 そう言うと、リーゼロッテは後ろから飛び出して、舞台の上のような踊るような仕草で歩き始めた。
 絵になる光景だった。

「それで何の用? ってか俺に?」

 スカートと金髪をひるがえし、彼女がくるりとこちらを向いた。

「はい」

 彼女が意味ありげにふっと笑みを浮かべた。

「何か接点あったっけ?」
「どうでしょうね」

 曖昧な彼女の答えに、記憶を思い返してみたが、この金髪にはまるで記憶がない。
 見たら忘れそうにない姿だ。

「で、何?」

 彼女はくすくす笑い始めた。何故だかはわからない。全くもって理解できない。
ただ頬が少し赤くなっていることに気付いた。
 階段をいくつも上がったからか、踊るように歩いたからか。
 わからないが、一つ確かなことはこれまでのどこか完璧だった洗練された竜使い像からは、かけ離れた姿だった。

 彼女はふーと息を吐いた後、言った。

「では、単刀直入に。歩君、私の婿になりませんか?」
「――――はあ」

 気の抜けた返答にも、彼女は美しい笑みを浮かべたままだった。














「そういうことなので、取次、お願いします」
「はいはいわかりました」

 廊下で柔和な笑みを浮かべた男子を背にし、教室に向かって、河内恵子は声を張り上げた。

「みゆき~! お客さん!」

 机の上でなにやら大きめの包みを取り出していたみゆきが、ぱっと立ちあがった。

「恵、もっと静かに言ってよ」
「別にいいじゃん。恒例行事なんだし。いつものよ」
「意地悪なんだから」

 少し恥ずかしそうにみゆきがぽつりと言った。
 本当にむかつくやつだ。くそ。今度家に上がりこんで飯食ってやる。

「いい加減なれなよ」
「嫌よ、そんなの」
「今まで何匹も退治してきたんだから、いい加減あきらめなさいよ」

 それか誰か特定の誰か作れ、高嶺の花め。
今もクラスの男子の何人かが、居心地悪そうにしてるじゃないか、かわいそうに。
 さすがにそこまでは言わないけど。

「じゃあ、行ってくる」
「場所は体育館裏ね」
「相手は?」
「財前敬悟。悪魔使いの」

 確か去年の学期末模擬戦決勝の相手だ。
 みゆきも覚えていたようで、ああ、と言った。

「彼ね」
「まあ行ってらっしゃい。今日は部活仲間の日でしょ? 私食べてるよ」
「はい」

 本当にむかつくやつだ。聞く前から断る気でいやがる。

 ひとまず残った面子と適当に机を並べて、昼食を始めた。
 話題は次なる生贄。

「彼、なかなかよね。恰好いいし、頭いいし、模擬戦も強いし。今度こそ成功するんじゃない?」
「じゃあ賭けようか。帰りのアイスね」
「嫌だよ、最近小遣い減らされたんだ。もっと勉強しろってね」

 なんか笑える会話だ。色んな意味で。

「それにしても」
「どした?」
「うんにゃ、なんでもない」

 あいつ落せるやついるのかねえ。

 十分ほどで、みゆきは帰ってきた。五分以内に帰ってくるかと思ってた。
 おかげで賭けに負けちゃったじゃないか。
 そう言おうとしたのだが、みゆきの顔を見て、止めた。

「どした?」
「うーんとね、とりあえず保留ってことで」
「なにそれ!」

 クラス中の視線がみゆきに集った。特に男子の目がきもい。
 周りを放置して、言った。

「どういうこと?」
「うん、まあ、そういうこと」

 どないやねん、と言おうとした瞬間、クラスがわっと沸いて、かき消された。
 お祭り状態だ。もうどうにもならない。

 しかし、どういうことだ?



[31770] 貴族からの刺客 0-i 罪
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2012/09/23 19:21




私の生まれはまず幸運といっていいものだった。
双方竜使いの貴族同士で、しかも恋愛結婚の父と母。
 貴族としての格の高さと、それに付随した何不自由な暮らし。
 地位のため父は忙しかったが、それも誇り高い理想の父親だろう。
 母にとっては、十三で知り合い、恋人となり、五年後には夫となった理想の人。
これ以上妄想すらできないであろう、理想の家庭だった。
 私が生まれるまでは。

 父の家系は代々オッドアイ、つまり両目の色が違うという遺伝的形質を持っていた。
 代々男子からのみ受け継がれ、オッドアイの男から生まれる子どもは性別関係なくオッドアイ。
それとは逆にオッドアイの女児から次に生まれてくる子は、必ず同じ色の目をしていた。
その性質は優性遺伝であり、条件さえそろえば必ず発現する、一族の証明であった。

 しかし私には、その性質は受け継がれなかった。
 薄めの茶の双眸からは、どう観察しても差は見つけられなかった。
 現存する全ての鑑定を用いたが、どれ一つとしてオッドアイであるという結論を出したものはなかった。

 当然、両親は困惑した。意味がわからなかった。
 そしてすぐに最も説得力があり、最も下劣なウワサが出回った。

――奥様が忙しい旦那様の目を盗んでオイタをなされた。

 もちろん母は否定し、激昂した。
父も母を信じ、共に怒り、外部には絶対に漏らさせなかった上に、ウワサの流通と出所を徹底的に調べ、厳罰に化した。
 おしゃべり好きな使用人が不敬罪で罰せられてからは、表立ったウワサは完全になくなった。

 ただ、それから母にボディーガードを兼ねた使用人が、二十四時間体制で張りつくようになった。
 目的は明白だった。

 以上のことを私が知ったのは、高校に入って一人暮らしを始めてからだ。
初めての一人暮らしのため、実家から派遣されてきた使用人から聞いた。
彼女は初めは渋っていたが、序々にその重い口を開いてくれるようになった。

 そのときになってようやく全てを理解できた。
 私との距離感がどこかおかしかった父と、時折向けてくる母の頭蓋骨の裏をそっとなでるような底冷えする視線。
 そして、何故母が私の目を焼こうとしたのか。



[31770] 貴族からの刺客 1-1 婿と家族とその他
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2012/09/27 15:19







 歩が部室の中に入ると、慎一と唯二人と目があった。

「歩、どうだった?」
「スカウトだった」
「スカウト? 外国のギルドかなんか?」
「いや、婿」
「婿? おムコさん? あの『お嬢さんを私にください』の逆版?」

 歩がこくりとうなずくと、慎一は両手で覆った頭を振り被り、唯は苦々しげに眉を寄せた。
 どちらも大げさな反応だな、と思った。

「貴族にして謎の外国産美少女転校生にいきなりお婿さんになりませんこと? ――なんだこれ! アホじゃねーのー!!」
「同感」
「しかも当人こんな反応! もっと喜べよ! 色んな意味で!」
「実感がわかん」
「そりゃそうだー! ちくしょー!!」

 何が悔しいのか知らない馬鹿を置いておいて、歩は屋上のことを思い出していた。

 婿になりませんか? という問いの意味がわからず、当初、歩は呆気に取られてしまった。
 ただじっと目の前の外国風美人に視線を合わせ、言葉にならないはちゃめちゃな思考をすることしかできなかった。

 そんな歩に対し、彼女は何もしなかった。それまでより一層頬を赤くしながらも、ただ視線を合わせてくるだけだった。
 気丈な、しかし恥ずかしそうな笑顔が妙に印象的で、目を離せなかった。
 しばらくして、声かけてきたときからの彼女の頬の赤さは、そういう意味だったのかと歩はいまさら理解した。

 またしばらくして落ち着き、ようやく質問しようとしたところで、彼女はあっと声を上げた。

「そういえば、もうお昼ご飯だよね。私、お誘い受けてるんだった。歩君も、平さんや岡田君待たせちゃ悪いよね――じゃあ、またね」

 そうして彼女はぱっと反対側の出入り口に駆けだし、階段を下りて行った。
 蛇の生殺しだと思い、天を見上げるしかなかった。

「歩、それでなんて答えたの?」

 冷たくて腹からの太い声、しかし男の野太いものとは違う声に、歩は現実に戻った。
 唯に視線を向けると、歩をじっと見つめてきていた。
思いつめた顔をしている。
なんだか少し気を押されてしまったが、ひとまず気を取り戻し、答えた。

「何も。それだけ言って、彼女いなくなっちゃったから」
「いなくなったって、辻告白?」
「いや。俺がしばらく呆けてたから」
「そりゃいきなり言われりゃそうなるわ」
「慎一、黙って」

 ぴしゃりとした声に、慎一は黙るしかなかった。
 唯はそれから忌々しそうに眉間に皺を寄せると、じっと何か考え始めた。
 その深刻そうな表情に、新たな策略の一貫なのかと推測しているのかと思い、何も言わなかった。
確かにその可能性はある。
ただ歩は彼女の照れたような表情を思い出すと、不謹慎な気がして考えることはできない。

「ねえ、みゆき、遅くない?」

 静まった部室の中で、突然唯はそう切り出した。
 そういえば遅い。一人別のクラスになったため、どうなっているか知らなかった。

「そういやそうだな。遅れてんのかね」
「うむ。いい加減我は腹が減ったぞ」
「――お前のことも忘れてたわ」

 アーサーがぱさぱさと音を立てながら、歩の隣に飛んできた。
 しっかり眠り込んでいたようで、口の端によだれの跡が着いている。

「アーサー、聞け! なんとそこのとぼけた兄ちゃんが、」
「馬鹿が色ボケした話など聞きとうない」

 訂正。夢心地のまま聞き流していたらしい。

「アーサー」
「ふむ。なんだそんな顔して」
「あなたはいいの? 歩が受けたら外国行きだよ? それに人生も色々変わってくる」
「ふむ」

 唯の固い声に、流石のアーサーも居住まいを正した。

「といっても我はこやつに任せるぞ。色事は当人に任すが一番。出ることではなかろう」
「アーサーの今後にも関わるよ?」
「我らパートナーに色事の感情はないからのう。わけのわからぬものに手を出しとうない」

 パートナーに性別はない。
だから友情や肉親の愛情はあっても、異性や配偶者という感覚はないらしい。
インテリジェンスドラゴンのアーサーでもそれは同じようだ。
少しなんだかわびしい気持ちになるが。

「ま、そういうことだ。さっさと飯にするぞ。みゆきはどうした? まだか?」
「あなたねえ」

 唯がそう重いため息をもらしたところで、ドアががちゃりと音を立てて開けられ、みゆきが入ってきた。

「みゆき、遅い。我は腹が減った」
「ごめんごめん」
「ん、どうした?」

 みゆきは入ってきたのだが、ドアを閉めずにそこに立ったままで、中にまで来なかった。
 何かあったのか? よ聞こうとしたが、先にみゆきが動いた。
申し訳なさそうな笑みを浮かべて、手を合わせながら、言った。

「ごめん、ちょっと用事ができた。今日は私とイレイネ抜きで食べて」
「用事? 何それ?」
「野暮用ね」

 唯の問いに、みゆきは簡潔に答えた。

「今日だけじゃなくって、しばらく来れなくなるから、当分私達抜きで」
「ちょっとみゆき?」
「大丈夫、唯ならもう一人で作れるよ。かなり上手くなってるから」

 それは歩も知っている。
初めのころはみゆきが作ったものと唯が作ったものがはっきりと判別できたが、最近はほとんどわからない。
細かい好みの差、味付けの濃い薄いとか卵焼きの具材でわかることはあるが、美味しさでいうならもうほぼ同等だろう。
 しかしそんなことより、もっと聞きたいことがあった。

「みゆき、何かあったのか?」

 みゆきの視線がこちらに向いた。しかし目があった瞬間、ぷいと顔をそむけられた。
 なんだこれ?

「大丈夫。そんなたいしたことじゃないから。ちょっと、その、色々、ね」

 歯切れも悪い。こうしたみゆきを見るのは初めてだ。
 もっときちんと聞こうとしたのだが、その前にみゆきは一歩下がり、部屋の外に出てしまった。

「そういうことで、後、お願い。これから学校でもなかなか会えなくなると思うけど、心配しないで」
「みゆき! 待って!」
「それじゃ」

 ドアがぱたん、と閉められた。
 しばらくして、追いかければよかった、という唯のつぶやきが、静寂の部室に響いた。



 それから機械的な昼食を終え、教室に戻ると、みゆきの異変の理由を知った。

「告白を保留?」
「そうみたい」
「保留なら」
「今まで即座に断ってきたみゆきが、保留だからね。脈ありって思っても当然だろ」
「はい、授業はじめるぞー」

 空気を読まずに入ってきた英語教師により、中断された。
昼休憩が終わった後のほんの少しの時間に聞いたのが、逆効果だった。
五限の授業は長く感じると同時に、どうしようもなくいらついた。
視線で人が殺せるなら、何度英語教師を殺したか。

 今日は五限で終わりなため、授業が終わってすぐに入ってきた担任がホームルームを始めた。

「課題出さなかったのがある人は残ってください。逃げたら色々倍になります。夏休み後だけど気抜かないでください。もう受験なり就職なりで忙しくなります。気抜いてない人も多いと思いますが、そういう人達は気詰め過ぎないでください。何かあったら気兼ねなく私のとこへ。それが私の仕事ですし、なによりそういうのが教師の醍醐味です。来なくて問題起こされるほうが痛いですし。以上。わからないことあったら配ったプリント読んで。伝達事項終わり。掃除当番はさっさとすませちゃいましょう。では、解散」

 字面だけは長いが、短くまとめてくれた有難いホームルームを終えると、さっと慎一の方へ寄った。
 慎一は歩と話すのもよろしく、すぐにみゆきのクラスに行った。
本人に事の真相を問いただすつもりらしい。
しかし慎一はすぐに帰ってきて、もういなかった、とだけ言った。
 その後、慎一は情報収集に乗り出したのだが、相手のことやら告白の前後位しかわからなかった。

「みゆきもどうしたんかねえ。彼氏? ができたのを用事って。それに当分会えなくなるって。それになんか大仰すぎだわ」
「そうだな」
「相手の悪魔使い? 去年の学期末模擬戦が出会いなんだとさ。まあエリートだな。格付けとしても竜に継ぐB級だし。そいやみゆきはそんなやつに勝ってんだな。いまさらすげえな」
「みゆきはできるやつだからな」
「本当水臭いっつうかなんつうか」

 本当だ。小六から家族同然なのに、水臭い。
 水臭い。
 本当に? このいらつきは水臭いからか?
 姉をとられた弟の気持ち? それとも妹? 家族をとられた痛み? それともみゆきの突き離された気がして?
 それとも?

 そこで慎一が黙って自分の顔を見つめてきていることに気付いた。

「なんだよ」
「いや――お前はどう思ってんのかなって」

 俺も知りたいわ。

「歩君」

 背中側から声をかけられ振りかえると、そこに異国の美女がいて、一瞬止まってしまった。

「今日は部活ないの? ないなら一緒に帰らない? 話もしたいし」

 屋上で見た頬の赤みは当然なくなっているはずだが、ほんのりと色づいて見えた。
 今ならわかる照れた頬笑みも魅力的に写った。

「あ、うん。そうだな」

 何度かうめくようにそう言って、もう一つ大事なことがあったことに気付いた。

「慎一、今日はもう部活なしでいいよな?」
「おう。ちゃんと聞いてこい」
「じゃあパートナー拾って帰ろっか。竜を二体ひきつれての帰宅なんて、ちょっとあれかもしれないけど」

 そのときになってアーサーの竜嫌いを思い出した。
 大丈夫だろうか? いやしかしアーサーはどうでもいいなんて言っていたが、歩の将来はアーサーにも当然関わってくる。
 少し迷ったが、竜の苦手意識を乗り越えるべきことと言ったアーサーに、頑張ってもらうことにした。
 パートナー棟に行きそのことを話すと、存外なことに、アーサーはあっさりと了解した。

「言っといてなんだが、いいのか?」
「乗り越えるべきことだ。キヨモリには大分慣れたしのう」
「無理なら言え」
「誰かさんに似て、お前も過保護だの」
「誰だよ」

 少なくとも母親じゃない気がした。
 ひとまずそれで障害はなくなり、帰途につくことにした。




[31770] 貴族からの刺客 1-2 ファン
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2012/09/30 13:28






 リーゼロッテの家は歩の家に近かったため、歩達はいつもどおりの帰り路を歩いていた。
通い慣れた商店街を通る。時折大型の牛や大型犬の各種車が行き交う道に、夕方の喧噪が響き、赤く色づき始めた夕焼けがなんとも美しい。
しかし隣にいる彼女の存在感はもっと上だった。
見慣れぬ竜の存在も拍車をかけたが、歩にとっては彼女のほうが上だった。
赤い光に照らされ少し白くなった金髪が、足を上げる度にふわふわと端が持ち上がり、煌めいて見える。
スカートも小刻みに揺れ、夕日に照らされたすらっとした身体の曲線は、どこかなまめかしい。

「それで少しお話したいんだけど、どこかいいとこないかな? 家でもいいけど、初対面の人の家ってのも、なんか緊張するでしょ?」
「ならあそこ行くかの」

 そう言ってアーサーが先導したのは、学生が行くにしては高めな喫茶店だった。
 客は少なく、ムードたっぷりの音楽がかすかに流されていた。
人に聞かれたくない話をするにはぴったりの場所だった。

「ふむ、マスター、いつもの」

 自分で飛んで移動してきたアーサーは、座席に座りこむと息をつきながらそう言った。
 悪食蜘蛛の一件から、アーサーは歩の肩に乗らず、ちゃんと自分で翼を動かし移動するようになった。
 やはりなんにしろ、体力を付けるに越したことはないのだと痛感したようだ。

「いつものってそんな来てないだろ」
「類とのデート終わりはいつもここだったぞ。最近は来てないが」
「あのクソババア。俺のときは適当に済ます癖に」

 類は買い出しに行く時、歩とアーサーのどちらかを連れていく。
 いつも一緒だと気が詰まるでしょ、という気遣いらしい。
 ただの荷物持ちか、と昔は思っていたが、アーサーがそんなに役立つわけはないことに気付いた今となっては、会話要員だと思うことにしている。

「味より量なお前に気遣ったのであろう」
「クレープやらハンバーガーやら、だいたい露天の適当なやつだぞ」
「いいお母様ね」

 そう言いながら、リーゼロッテは席に座りメニューを広げると、すぐに頼んだ。
 続けて、竜の飲めるものはありますか、と尋ね、マスターがこちらになります、とメニューの後ろ側を示すと、それもさっと選び告げた。
 リーゼロッテの洗練された対応もだが、それ以上にマスターの竜使いに対する畏れを全く見せない、他の客に対してと変わらないプロの態度に、歩はなんだか圧倒された。
 歩がアーサーと同じもので、と頼み終えると、マスターは過不足ない頬笑みの後、さっと引いていった。
 背筋のあたりに心地良い鳥肌が流れ、もやもやしたものが洗われた気がした。

「ここいいね」
「ああ」
「我の眼力よのう」
「言わなければもっと良かったのに」

 くすくすと笑いながらリーゼロッテはそう締めくくった。
 しばらくして出てきたコーヒーの香りを堪能した後、歩は切り出した。

「それで婿の話だけど、色々聞いていいかな?」
「はい」
「我はほとんど何も言わんから、勝手にな。マスターもう一杯。今度はおすすめを」

 アーサーは本当に何も言わないつもりみたいだ。

「婿っていうと、なんていうか、どんな?」

 自分の問いの馬鹿さ加減がなんとも言えなかったが、リズは笑うことなく言った。

「私の実家は、ケーニッヒブルグの聖竜会所属の貴族で、家格としては中堅上位ってとこですかね。おじい様のおじい様が聖竜会幹部の一人を務めました。代々学者気質で、出世に興味が薄いこともありまして、その程度ですが、望めばもっと上に行けると思います。仲のいい方々にはいいところも多いですし」

 いきなり話が生臭くなった。彼女の口調も丁寧なものに変わっている。
気を引き締め、具体的な質問を口にした。

「それでなんで俺を婿に?」
「私が歩君のファンだったから、って言ったら変ですか?」

 にっこりと笑みを浮かべ、リーゼロッテは言った。
 少しくらっとキた。

「流石に」

 ふっと息をもらした後、笑顔のままリーゼロッテは続けた。

「三つあります。まず一つ目は歩君の活躍です」
「活躍?」

 きょとんとしてしまった。
 活躍? 俺が?

「人の身でキヨモリさんと渡り合い、倒したこと」
「いや、あれは」

 アーサーがいなければ負けていた。
 その他にも最近色々あったが、活躍と呼べるものはあっただろうか。
 どれもあくせくした揚句、病院にお世話になりまくったものばかりで、頭が痛くなる。

「アーサーいなけりゃ負けたし、今やっても十に一位だよ」
「御謙遜を」

 謙遜っていうか、事実だし。
 なんとも言えないと思っていると、彼女はすっと笑顔から力を抜いた。
 笑みではある。しかし他所いきの顔。

「では幼竜殺しの一件では? 最近では外地の悪食蜘蛛も倒されましたね」

 脳が一気に冷えた。
 幼竜殺しも悪食蜘蛛の一件も、表には出ていないはずだ。
前者は歩達の関与すら、後者は特別な悪食蜘蛛だったことを、隠しているはず。
 なのになんで知っている?
 それに悪食蜘蛛に関しては、外地のものと断言までしている。
 これは確実に。

「すみません、調べさせていただきました。聖竜会副会長の企み、ということもです」

 そんなところまで知っているのか。
その上副会長? そんな高いところからの命令だったのか。
ならば一層公にしないよう、犯人達は気を配ったはずだ。
なのに知っている。
目の前の女性とその背景は、完全に唯を狙ってきた彼等と同じ世界の住人だ。

「蛇の道は蛇、っていうと引きずり込もうとしている身としてはなんか嫌ですね。あ、副会長は会長に抑えられたようなので、もう安心なさっていいと思いますよ」
「それはいいニュースだ」

 信頼できるかはわからない、と頭の中だけで付けくわえる。
 目の前の人間は、二回も殺されかけた陰謀の主達と同じ領域に住むもの。
 信用できたものではない。

「そんな目で見ないでください。少なくとも私はあなたを貶めることはないですから」

 それには答えず、問いで返した。

「それで何が評価されて、俺を婿に?」

 彼女が一瞬悲しそうな顔を浮かべたが、引きずり込まれそうな自分を止めた。
 彼女との間に見えない膜を張る。決して感情移入しない。してはやられる。

「唯さんの戦い方ってどうか知ってますか?」

 話が飛んだ。

「それに何の関係が?」
「本人に戦える力があるのに、竜を前面に押し出し、守りに徹するといったものじゃないですか?」

 頷いて返す。
 以前唯と刃を交える機会があったが、歩の槍を十分に捌いていた。
 全力でやりあったら、流石に負けはしないかな、というレベルだったが、今まで戦った人間の中では、少なくとも五本には入る。

「それで?」
「その戦い方は、竜使いとしては基本の、王道です。というのも、竜使いは強いですが、それ以上に竜が強いからです。どんなに強くても竜使いも所詮人。竜にとっては些事です。犬猫の喧嘩みたいなものです。なのに、その竜にとっては犬猫位でも、人が負けて死ねば竜も死んでしまう。パートナーですから。そんな馬鹿なことはありません」
「だからそれが何?」

 思わず強い言い方になってしまった。
早く本題に移って欲しいというのが理由だと思ったが、違う。
自分は目の前の外国人に好意を抱いていた。
異性としてではなく、もっと前の段階の、人としての好意。
この人は良い人だという、純粋な感情。
それを裏切られた気がしていたのだ。
 それを自覚して、更に続ける。

「早く終わらせたいんだ、が」

 そこまで言って、止めてしまった。
 驚いたからだ。

 目の前の女性が泣いている。
 いや、泣いていない。涙は流れていない。微笑んでさえいる。
 しかし彼女は泣いていた。親に手を撥ね退けられた子どものような顔だ。
 泣きだす前の、え、という顔のまま固定したような、そこでなんとかとどめた表情。

 何も言えないでいると、彼女は口を開いた。

「歩君は人としてなら世界で五指に入ります。全竜使いも含めてです」

 きっぱりとした断定口調だった。
 聞くこちらが気持ちよくなる位、過大評価だと照れてしまうのが逆に恥ずかしくなるような、そんな力強い言葉だった。

 歩はまたも何も言えなかった。
展開に頭がついていかない。
 先程の悲しそうな表情に人生で一番の褒め言葉が交わり、ごっちゃになっている。
 言葉が、出ない。

「人間最強クラスだから何だ、パートナーの前じゃ何にもならない、と思われるかもしれませんが、相応の敬意は発生します。それが一つ目の理由」

 彼女は更に続けた。

「二つ目が、アーサーさんです。インテリジェンスドラゴン。伝説上の竜。私の家は伝統と学者気質が相まって、関心が高いんです。それに十分な威光もある。幼竜殺しのときの真の姿があれば、E級だなんだは無意味ですし」

 アーサーに視線をやったが、目を閉じて静かにコーヒーを傾けていた。
 両手を一杯に広げてカップを持つという、まあ、可愛らしい姿なのに、厳かな雰囲気を纏っている。

「我は構わず、続けよ」
「三つめ、聞きますか?」

 自分に尋ねられていることに気付き、慌てて返す。

「あ、ああ」

 しかし彼女はすぐに返答してこなかった。これまでとは違っていた。
 笑みにどこか自嘲の色が混じり、赤みが増す。目も潤んだ。そして寂しさの色合いが強まった。

 少しして口を開いた。

「私が歩君のファンだからです」
「えっ?」

 それって、うん、なに?
 彼女ははっきりと照れながら言った。

「リンドヴルム――私のパートナーは竜ですが、飛竜型で、特別大きな力を持っているわけじゃありません。勿論普通の他のパートナーには負けませんが、竜の中に入ると、まあ真ん中から上に行けたら僥倖ってとこです。生まれ持った才能というやつですね。
 そういった先天的な条件を越えるために必要なのは、努力です。それしかありません。しかし私には何もできない。所詮人ですから。歯がゆいことこの上ないです」

 彼女の声には力があった。感情が込められている。おそらく事実だろう。

「そんな私にとって、人の身で竜を、キメラを、外地の魔物とやり合うなんてのは、おとぎ話の憧れの話ですよ。まず越えられない壁です。なのにあなたはそれをやってのけている。キヨモリさんから、理想的な竜から十の一取れる? 尋常じゃないです。私にとっては夢みたいな憧れの存在ですよ」

 彼女の表情に変化はなかった。ただ全体に赤らみ、少し汗ばんでいる。
 手をみると、姿勢よくテーブルに置かれていたが、ぎゅっと握られていた。

 こそばゆい。そう思うと同時に、全身に心地良いうずきが這っていく。
 なんとも言い難い幸福感。他人に認められ、好意を向けられるという事実。
 幸せ。脳を突き抜け飛翔していくような感覚。

 それらは目の前の女性が授けてくれたものだ。
 しかし、自分は彼女に何をした。
 そう気付いた瞬間、反射的に頭を下げ、喉から声が漏れた。

「ごめん」
「謝らないでください」

 ひどいことをした。いや、最低なことをした。
 本物の好意をもっている人を邪険に扱った。
悲しんでいるのに気付きながらも、敵意が明らかな視線を浴びせ続けた。
彼女は本心で自分のファンだと言ったのに。

人生でこれほどまでに人を踏みにじったことがあるだろうか。
仇で返したことがあるだろうか。

自分は悪くない。彼女が勝手にやっただけ。打算だ。演技かもしれない。こんなことになるなんて思ってなかった。誰も予測できなかった。仕方がない。

反射的にそう思った。自己防衛の本能だ。
身勝手な理屈だったが、ただ今回の場合、いざ考えてみると、おそらくどれも当たっている、と思った。

歩を婿に迎えるのは、勝手に彼女達が考え、いきなりぶつけてきたもの。
当然政治的な利害にのっとってのもので、打算がある。
彼女が好意を持っていたとしても、それだけで歩を婿に呼ぶというのはない。
実際、彼女は歩の婿としての価値を語った。
そのために彼女は自分に嫌われまい、好かれようと演技をしていたのは間違いない。
そしてそれらは予測できるものではなかった。
歩が警戒したのも当然だ。

しかし歩は思った。
だったらどうというんだ。
自分は好意を持てるすばらしい人を傷つけた。それ以上に何が必要なんだ?

「ごめん。俺は最悪だった」
「いえ」
「本当にごめん」

 何ができるか考えたが、何もなかった。
 なんでもする。薄っぺらな言葉だ。
 何を言っても自己弁護に過ぎない気がした。
 いっそのこと、罵倒でも、なんでもしてほしかった。

「一つ願いを叶えてくれるってのはどうですか?」

 顔を上げた。彼女の茶目っけを捻りだした顔が写った。まぶしい。

「いくらでも」
「一つでいいです」
「では何を叶えようか」
「何にしよっかな」

 いたずら気にリーゼロッテは言った。
 かわいい、と素直に思った。

「では婿になってください」
「――それはちょっと」
「いくらでもって言ったじゃないですか」

 それはなんというか言葉の綾というか、決めるには大きすぎるというか、もっとちゃんと決めるべきというか。

「冗談です」

 ほっとしたが、彼女は続けて言った。

「では別枠でささいなお願いを」
「どうぞ」
「リーゼって読んでください。それと歩君って呼び名を認めてください」

 少し戸惑ったが、こくんと頷いた。

「歩君」
「何?」
「歩君」
「……」
「歩君」
「リーゼ」
「はい、歩君。コーヒー美味しかったね」
「ああ」

 こそばゆい。

「マスター。クーラーの設定温度下げてくれ」
「アーサーってほんと一言多いよね」




[31770] 貴族からの刺客 1-3 やるか
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2012/10/06 00:19









 告白の翌日、リズは早速『お願い』してきた。
内容は、ギルド部に入りたいというもの。
少し困ったお願いだったが、歩は唯と慎一にリズの入部の意思と、歩自身の推薦、その経緯を伝えた。

慎一は無条件で大賛成だったが、唯は反対だった。
リズ自身がどうであろうと、歩のスカウトは政治の話だし、そもそも彼女の好意そのものが演技の可能性もある、という現実的な理由だ。
幼竜殺し、悪食蜘蛛と続いたのもあり、唯のそうした判断は理解できた。
しかしだからといって、はいそうですかと引き下がれない。
それから、見極めは入部してからでもいい、いや悪いしアーサーはどうなる、アーサーなら乗り越えるべきことだって、我慢してるんじゃないそれにみゆきの同意もない、などやりあった。
結果、しぶってではあったが、唯は折れた。
それでリズは晴れて水分高校ギルド部の五人目のメンバーとなった。

 そして放課後、歩はリズを連れて部室に行き、みゆきを除いた四人での部活が始まった。

「平さん、岡田さん、入部許可ありがとうございます。不肖の身ですが、足を引っ張らぬよう精進していきますので、よろしくおねがいします」
「よろしくおねがいします」
「竜使いが足引っ張るとかないって! よろしく! 以後敬語抜きで!」

 唯と慎一の返答は、両方とも推薦したときの反応と同じだな、と思った。

「それにしても、この部屋すごいですね。学校の中だって忘れちゃいそう」
「確かに。俺ら最初入ってきたとき、度肝抜かれたもん。あ、あと、敬語抜きでおねがい。俺も岡田さんじゃなくって、慎一で」
「わかった、慎一。私のことはリズで。唯さんも、いい?」
「いいよ、リズさん」

 さん付けだったが、リズはじゃあ唯よろしく、とだけ言い、にこやかに流した。

「それじゃ部活に入るか、っと思ったけど、当分みゆき抜きだしな」
「この部活のもう一人ね。今日だけじゃないんだ」

 リズがちらっと覗ってきたので、自分の番かと口を開いた。

「ああ、なんか事情があるみたい」
「噂の人よ。リズさんも聞いたでしょ?」
「ええ」

 みゆきの一件は絶好の噂の的になっており、転校生のリズでも耳にしている。

「まあそれは置いとくとして、これからどうしようか」
「ギルド活動はしないんですか?」
「最近ずっとやってないね」

 最近どころか、悪食蜘蛛の一件からこちらずっとやっていない。
 飽きたからというわけではなく、また悪食蜘蛛の一件を繰り返したくないから、というのが理由だ。
 注意していてもギルド活動には危険が伴うし、それ故に何かまた策略にはめられる可能性も高まる。
 やりたくてもできない、というのが現状だ。

「やりたいねー。岡田屋の方でもやってるけど、こっちは後半年も出来ないからなあ。ちょっとやりたいねえ。リズも入ったことだし」
「夏休み、だべるだけだったもんなあ」

 まあそれもそこそこ良かったけど、と歩は思っていたが、言わなかった。
 歩自身は性にあっているのか、日々漫然と過ごすことが嫌いじゃなく、夏休みのただ部室に来て適当にしゃべって、適当に組手して、たまに遠出して、という日々は楽しかった。
 ギルド活動をしたそうにしている慎一と唯の前では、はっきりと口に出したことはないが

「つってもすることもないしな。また適当に組手でもする?」
「あ、私したいな」
「そういうのもいいけど、なんかはっきりした活動もしたい。なんかない?」

 その後せっかくだからといくつか案を上げてみたが、結局いいものは見つからずにお開きとなった。
 一応、各自で探すことにはしたが、望みが薄いのは誰もがわかっていた。



 翌日。
 意外なところから見つかった。

「大会?」
「ああ。噂の二人で出るみたい。うちのナンバーワンとナンバーツー。例外二つ、今は三つか。除いて」

 昼休み、部室に集まる日ではないため、歩は慎一その他と五人で飯をとっていた。
 ちなみに唯とリズはクラスの女子十人ほどに連れられて、別のところで食べている。
 唯はリズと一緒に食べることを内心嫌がっていたようだが、結局されるがままに着いていった。

 箸片手に、噂を聞きつけてきたらしいその他の一人、藤村が続けた。

「今度いつもの闘技場で開かれるやつみたい。プロアマ関係無しのフリーなやつで。竜使いも少し出る位の」
「ああ、最後のアピールに使うやつね」
「最後?」
「進路のだよ」

 歩が尋ねると、藤村のからっとした答えが帰ってきた。それでわかった。

「ああ、そうか。そういう時期だもんな」

 今は高校三年の秋だ。つまり半年後には大学か、社会に出ることになる。
 いままでどこにいっても親の庇護下にあった学生から、変わる日だ。
 厳しい競争の場に出ることになり、自然と皆やる気になっている。
 ただ、歩はかなり危機感なく過ごしているのだが。

「他人事だな、おい。お前進路とかどうなってんの?」
「まだ決めてないけど、ま、なんとかなるでしょ。E級とはいえ、一応竜使いだし」
「これだから竜使い様はよー」

 竜使いの優遇は大学や就職にまで及ぶ。
国立中堅位までの大学なら、ほぼ無条件で入学が可能だ。
正直自分でも卑怯な特権だが、歩は色々辛い目にあってきた分の代金として甘受している。

「それは置いとくとして、んで話戻すんだけど。大会ってツーオン?」
「そ。二対二。能美みゆきと財前敬悟、ミスパーフェクトとミスターパーフェクトのコンビだって言われてんぜ」
「そんなあだ名あったか?」
「さっき俺がつけて、広めた」
「アホじゃねえの」
「進路でぎすぎすしてるとさ、ちょっとみんなで盛り上がりたいじゃん?」
「お前よー」

 適当につっこみあいながら、昼食の時間が過ぎていく。
 部活仲間でのんびりとしたのもいいが、野郎の馬鹿話もなかなかおもしろい。
 それにしても、ミスパーフェクトとミスターパーフェクトか。
 なんだかいらっとくる名前だ。





 その日の放課後もみんな集まったが、結局誰もいい案は持ってきていなかった。
 そう簡単に出るようなら、夏休みの間をだべって終わらせたりはしなかっただろう。

 ひとまず今日は実家手伝うわ、といって慎一が帰ったところで、リズが言った。

「せっかく竜使い三人揃ったことだし、組手しない?」

 そういえば昨日そんなこと言ってたなと思いつつ、唯に目配せする。
 賛成という感じではなかったが、反対でもなかった。

 それから近くのスポーツ公園に移動し、使用許可を求めに事務室へ向かった。
 当初予約があるからと事務員は冷たく断ってきたが、三体の竜と美少女二人を見ると慌てて動きだし、少しして、なんとか一時間だけあけましたから、どうかそれでお願いできませんか、と今度は逆に土下座せんばかりの勢いでお願いしてきた。
 こちらこそ無理なことさせてすみません、とは言ったが、リズに礼の言葉を言われて嬉しそうにしている事務員を見ると、ま、いっかと済ませることにした。

 事務員が明けてくれたのは屋内の体育館のような場所で、かなりの広さがあった。
 ここなら十分にやれそうだ、と思った。
 しかし柔軟体操を終わらせ、十分に身体を温めた後、さあ始めようかと思った矢先、乱入者が現れた。
 例の二人だった。

「こんにちは、竜使いの皆さん」
「みゆき」

 唯が男を無視して、後ろにいるみゆきに声をかけた。
 代わりまして、といった感じでリズが応対し始める。

「こんにちは。えっと」
「実は今日ここを予約してたの僕達だったんですよ。事務員の方にお願いされて、一時間融通することにしたんですが、竜使いと聞いて、これはと思いましてね。折角だから挨拶しとこうかなと」
「そうですか、それはすみませんでした」
「いえ、竜使いの方々の模擬戦なんて滅多なことじゃ見れませんからね。一時間位ならむしろ進んでお願いしたい位です」

 目の前の男、確か財前敬悟とかいう悪魔使いは確かにいい男だった。
 少し細めだが切れ長のすっとした目に、綺麗に整えられた少し長めの髪。
 体型はすらりとしているが、学校のぴったりと張り付くシャツで案外鍛え上げられていることがわかる。
 動作は高校生離れした丁重な振る舞いで、王子様、といった感じだ。
それは如才ない言葉にも表れている。
パーフェクトと形容したクラスメイトの気持ちがわかった。

 後方で牛顔をした悪魔型のパートナーが待機していれば、影のある黒衣の騎士という印象を受ける。

 その王子様だか騎士だかの視線が自分に向いてきた。

「どうも、はじめまして。財前敬悟と申します。以後、お見知りおきを」
「こちらこそ。水城歩です」
「はい、聞いています。みゆきさんとは兄弟のような関係だと聞いてます」

 確かにみゆきと似た部分がある。こういう如才ない部分とか。
 しかしなんだか腹が立った。
 男の後ろで、ひっそりとたたずむみゆきに視線を合わせる。
 何も言わず、ただ笑みを浮かべるだけだった。
 いったい、お前は何を考えているんだ?

「そういえば大会に出ると聞きましたが」
「耳が早いですね」
「噂になってますから」
「気になりますね」
「それで二人はどういった関係なんですか?」

 リズが途中で入ってきた。
 最初は驚いたが、少ししてナイスだ、という声と、いや待って、という両極端の声が自分の中で木霊した。
 歩の内面はそのままに、財前敬悟は口を開いた。

「秘密、です」
「みゆき」

 唯がみゆきの矛先を向けたが、みゆきは曖昧な笑みを浮かべるだけだった。
――怒りが湧いてきた。
 どうしようもない、自分でもわからない、ただかなり勝手な、自己完結的な熱情だった。

「では後五十分ほどはあなた達の時間ですから、僕達は見学させていただきます」
「いえ、帰ります」

 決めた。

「ほう、どうして」
「大会出るので、あなたとみゆきと敵になるでしょうから」
「ほう」
「リズ、唯、いいか?」

 リズと唯を見る。二人とも驚いていたが、反対の意思はなさそうだ。

「では、帰ります」
「なんだか早急ですね」
「時間がありませんから」
「そうですか。では大会ではいい戦いができるといいですね」
「全くもってそうですね」

 それから外に出ると、学校に戻った。

「歩」

 ここまで一言もしゃべらず粛々と着いてくるのもだったアーサーが、口を開いた。

「なんだ」
「やるからには勝てよ」
「もちろん」



[31770] 貴族からの刺客 1-4 婿
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2012/10/07 23:45








 翌日、慎一に大会参加の話をすると、どうせだからギルド部で出よう! という話になった。

「丁度暇してたとこだし。やること見つかって丁度いいじゃん?」

 というのが慎一の弁。
 歩にとっても、啖呵をきったはいいが、後になって相方がいることに気付いた位だったので、丁度よかった。
 誰が誰と組むかは、リズの要望により、歩とリズ、慎一と唯が組むことに決まった。
 書類申請まで済ませると、事務は全て終わり、後は本番までにしっかりと鍛錬することのみとなった。

大会の一回戦は二週間後。
それまでに急造のタッグをどうにかしなければならないということで、鍛錬の日々が始まった。
しかし。

「なまってんな」

放課後、また割り込むのもアレなので、慎一が頼んで借りた岡田屋の屋外鍛錬場にて。
キヨモリと軽く手合わせした後、歩はそう呟いた。

「そうね。キヨモリも同じみたい」
「ここのところ、ずっとだべってたからなあ」

 ギルド部に所属していることもあり、みんな毎日なんかしら身体を動かしてはいた。
 しかしずっとイベントがなかったため、気が抜けてしまっていたのだ。
ただのルーチンワークと化した訓練は、河原のジョギング位の効果しかない。
手にした棍棒も、ただ振るだけならよかったが、態勢を崩した状態からだと、途端にひどくぶれる。
二週間は短いものになりそうだ。

「ひとまずやるしかないね。次は、どうせだからお互いの力量調査兼ねて、相方同士でやる?」
「いいね。私、実際に歩とやってみたいし」
「……キヨモリ、わかってるよね?」

 ぽん、と太ももに置かれた慎一の手に、意図がわからなかったのかキヨモリが首をかしげる。
威圧感さえある巨体の可愛らしい動作に、慎一以外の全員がぷっと吹き出してしまった。

「私が相手するよ。手加減なしで」
「えっと、お前、竜使い、俺、ただのパンピー。いじめ、よくない」
「大丈夫。怪我はさせないから」
「歩、行こう」

 白線で仕切られただけの訓練場に歩き始めたリズ飛竜型パートナー、リンドヴルムの後を追った。
途中、慎一の背中をばんと叩くと、力ない声が漏れて、また笑ってしまった。

「今回、我は指示せんぞ」
「どうして」
「一人立ちせい」
「ま、いいか」

 訓練だからいいかと納得したところで、リズがまず人同士でやろう、と言った。

 リズはやはり竜使いだった。
手にしたのは唯と同じ基本の剣だったが、アグレッシブに振ってくる。
時折、こちらがひやりとするほどの一撃もあった。
 人相手では感じたことのない、うすら寒さも感じた。
 これは十分な戦力になりそうだ。

 手合わせの後、そう感想をもらすと、リズが呆れた笑いをもらした。

「私は一度も当たる気がしなかったよ。ほんと、すごいな歩は」
「そうかねえ」
「自信もってよ。頼りにしてるから。けど本番じゃリンドヴルムと一緒に私もしっかり働くから」
「へえ、やっぱ竜騎士?」

 竜騎士は竜の背にのって人も武器を振るう戦法のことだ。
 飛ぶことに関しては他の追随を許さないが、じゃっかん膂力にかけてしまう飛竜において、そこそこ見られる。
 ただ、いくら武器を持とうが所詮は人の力でしかなく、大した効果はない、とも最近は言われてしまっている。
 なんともロマンのない話だ。

「まあ所詮は人の力でしかないけどね。でも最近になってようやく動けるようになってきたんだ。でまだ必要なものがないから見せられないんだけどね。一週間後には届くから、楽しみにしてて」

 にこやかに笑うリズの髪は、激しく動いてもいいように、後頭部で折り畳まれ、大きめの銀製クリップで止められており、活動的に見えた。
 少し変わった一面を見た気がして、なんだか照れてしまった。





 その後、順調に訓練は進んでいった。
岡田屋の人にも相手してもらい、大分勘が戻ったところで、リンドヴルムに乗り空を飛びまわるリズとの連携練習に切り替えた。
その姿はまさに竜だった。宙を飛びまわり、下りてきては強烈な一撃を見舞うだけで、岡田屋の人も相手にならなかった。
頼もしすぎるほどの相棒だ。

しかし歩は少しだけ寂しさを覚えていた。
アーサーは常時空中で指示出しだ。
リズまで飛翔すると、歩は地上で一人になってしまう。
味方は二人と二体もいるのに、背中に誰もいないのがなんだか物足りないのだ。
だからといってリズに降りてという選択肢は当然なく、歩はなにも言わず、ただ槍を振るうことしかできなかった。





 一週間後、ひさしぶりに授業でも身体を動かす機会を得た。
 久しぶりの学年合同模擬戦だ。
 いつもの模擬戦授業では、集まるクラスがいつも同じのため、面子も固定してしまっている。
 だが今回は全クラスが集まって、能力別に分かれる。
 いつもとは違った相手に自分の力を試せる、絶好の機会なのだ。

 大会を控えた歩としては、調整にかなり有難い時間になるはずだった。
 しかし歩はいらだっていた。

「あの二人、付き合ってるよね」
「だよね。これは決まりだ! 私の勝ち!」
「まだ結論出てないから。賭けは最後までわかんないよ」

 よく知らない同級生の噂話に、頬のあたりに力が入る。
 もう忘れて調整に集中しようと何度も思うが、できなかった。
 自然と目が二人の影を追ってしまう。
 五センチと離れていない距離で立ち、にこやかに談笑している、少女漫画にでも出てきそうな完璧なカップル。
 みゆきと敬悟だ。
 クラスも違い、強いて見ようともしないのでどうなっているか知らなかったのだが、こんなことになっていたのか。

 こんなことになっていた。
 いやこれもよくある光景だ。
 片方がみゆきに変わっただけだ。姉のような妹のような存在がそうなっただけだ。
 しかしどうも――いらつく。

「歩?」
「――ああ、出番か」
「気をつけてね。相手巨人だよ」

 隣にいたリズが、アドバイスをくれた。
リズと唯は最後に竜同士の演武を見せることになり、それまでは暇なので、こうして傍についてくれている。

「おう。慣れた相手だし、いつも通りやるよ」
「頑張って」

 にこやかな笑みで送りだしてくれるリズを背にし、白線で仕切られた円の中に入った。

「おうおう似非竜使いさんよお! E級だとさぞ大変な就活に追われてんだろうに、俺の相手とはお疲れさん! それか受験か? まあちびっこごときが行ける大学なんて……」

 いらついていたので、一気に馬鹿狙いで行った。
 巨人を適当にいなし、隙を見つけて馬鹿に一撃。
 最短で決着がついた。






「すごいよ、歩は。リンドヴルムでもあんなに早く終わらせられないよ」
「そうかな。馬鹿狙っただけだし」
「それでもすごいよ! 巨人の動き完全に見切ってたからできたことでしょ? 完璧だよ」
「ありがと」
「ケーニッヒブルグでもでもそんなことできる人ほとんどいないよ。少なくとも同世代にはほとんどいない。ケーニッヒブルグは竜騎士の本場って思われてるけど、実際はかなり違ってきてさ」

 その日の帰り道。
 最近はリズと帰るのがいつものことになっている。
 外国人のリズは歩の知らない外国事情をよく知っていて、かわりに歩の国のことは疎い。
 自然と会話のネタには困らなかった。
その上リズは語り手と聞き手双方ともに上手く、帰宅のときのこうした他愛ない会話は、ここのところの楽しみの一つだった。
 歩もまた盛り上げようと、普段そんなに達者に動かさない口を動かしていたのだが、今日はそんな気にならなかった。

「それで私が竜騎士やるって言ったら、友達がみんなえって顔してさ。嫌になっちゃうよね」
「本当にね」
「全く。パートナー頼りにしてたら、なんのための人間かって話だよね」
「全くだ」
「私胸Eあるんだ」
「そうなんだ」

 一瞬ぴくっとした後、ぱっとリズの顔を見た。
 いたずらな笑みを浮かべていた。

「いきなりなによ」
「上の空だったから」
「――ごめん」
「実際ありますけどね」

 少し間を開けた後、リズは言った。

「ちょっと寄りたいとこあるんだけど、いい?」
「いいよ」

 今日も放課後みっちりと訓練をしたせいで、周囲は真っ暗になっていたが、断れなかった。

 それからリズの誘導で移動したのだが、たまにちらっとリズの胸元のふくらみに目が行ってしまったのは、仕方がないと思うことにした。


 ついていった先は、リズの家だった。
 アパートの一室だったが、入口には電子錠がついており、パスを知らない人は入れないようになっていた。
 ガラス越しに中を除くと、綺麗な内装に温かな光がちらばめられ、落ち着いた雰囲気が覗える。
 貴族の女子学生にはこれでも足りないかとは思ったが、今まで歩が見てきた中で一番高級そうなアパートだ。
 しかしそれとこれとは話が違う。

「えっと」
「どうぞ遠慮なく」
「ってかいきなり行くのは」
「四の五の言わずに」

 こんな時間に女子の家に入るなんて、それもリズの家に、そういえばみゆきや唯の家にも入ったことない、ってかこれなんの用なんだ。
 色んな言葉が頭をかけめぐり、だからこそ口からは何も出ないでいると、

「ではお邪魔しよう」

 とアーサーが中に入ってしまった。
 もう後に続くしかなかった。

 中は思ったよりもシンプルな部屋になっていた。
 入ってすぐに洗濯機や台所、逆側にトイレと浴室、奥に居住空間と、よくある間取りだ。
 それでも一つ一つになんだか落ち着いた印象を受けるあたり、おそらくただの量産品というわけではないだろうが。

 そのまま奥に進み、差し出された座布団の上に座ると、こたつ机を挟んで向かい側にリズも座った。

「それでなんでここに?」
「婿候補を呼んじゃいけなかった?」
「あ、まあ」

 そういえばそういう関係だった。

「ごめんなさい。勝手なことばかり言って」
「いや、こちらこそ」

 寂しそうに笑うリズを見て、いまさらになって自分の考えなしを自覚してきた。
 正面から好意を向けてくれる女の子に対し、自分はただ受けるだけで、何もしようとはしていない。
 受けることも、断ることもせず、だらだらと過ごしている。
 どうも自分の考えなしが、色んな事をダメにしている気がしてきた。

「では本題に入ります」

 今はリズの話に集中するのが大事だ。
 ひとまず後悔と反省は置いておくことにして、しっかりと聞くことにした。

「一つ謝らなければならないことがあります」

 意外だった。

「えっと、何?」
「私はまだ言っていないことがあります。アーサーに関しての重大な秘密です」

 アーサーに関しての秘密。
 そういえばインテリジェンスドラゴンについて、知っていると言っていた。
 そのことだろうか。

「それって?」
「そして謝らなければならないのは、それを言えないことです」

 一瞬ぽかんとした後、じっくりと理解がおよび始めた。
 勿体ぶった秘密がある。挙句、まだ言えない。
 余りにも人を馬鹿にした話だ。そんなことで人を家に連れ込んだのか。
 ふざけるな、と言いたくなる。

しかし熱情はすぐに萎えていった。
リズの瞳にこらえきれない何かが見えたからだ。
言えないのが歯がゆくて仕方がない、しかし言うしかない、と思っているのが、ありありと見えてしまった。
 歩は責められなかった。
 代わりに静かに尋ねる。

「言えないというのは?」
「家の秘儀だからです。世界の秘密といっても、言いすぎじゃないと思います。少なくとも、私はそう考えています」
「どんなこと?」
「インテリジェンスドラゴンの出自。なぜ伝説上の存在なのか。そしてなぜ竜殺しの竜なのか。そういったことです。アーサーは知りたくて仕方がないことだと思います」

 アーサーに視線を向ける。
 超然としていた。だから? とでも言いそうなふてぶてしい表情だった。
 しかし興味がないわけはない。あえてこうしている。
 理由はわからないが、ひとまず話を進めることにした。

「それで実際に言えない話を、今になってしたのはなんで?」

 リズはきっぱりと言った。

「大会後に、答えが欲しいからです。一週間後、どんな結果に終わろうと、決勝の次の日に答えを聞きに、学校の屋上で待ちます」

 宣告だった。何も答えを出さない半端な自分に対する、最後通告だ。
 続けてリズは言った。聞いていてこちらが惚れぼれする位、きっぱりとした言い方だった。

「私はここに来るまではあなたのファンでした。それはただの憧れでしかありませんでした。婿に来てほしいというのは、あくまでも家の意見が主で、私にとっては都合がいい、という代物でしかありませんでした。
しかし今は違います。こうして一緒に過ごして、確信しました。この気持ちは恋なんだと。あなたは強くて、どこか抜けてて、優しくて、そして恰好いい人です。
私はあなたが好きです。結婚してください」

 プロポーズだった。学生には不釣り合いな、しかし完璧な求愛の言葉だった。
 歩は答えられなかった。答えをなんら用意していなかったからだ。
 ただ漫然と過ごし、どこか他人事だと思っていた。
 正面から受け止めるどころか、悩みもしなかった。
目の前の人は常に自分を意識してくれていたのに。
 答えなんて出せるわけがなかった。

 それがわかっていたのか、リズはすっと立ち上がると、言った。

「もう暗いね。お母さん、今日はいるの?」
「ああ」
「ならもうご飯用意してるね。はやく帰らないと」
「――お邪魔しました。アーサー」
「おう」

 そのまま立ちあがり、顔も見ずに家を後にした。
 道中の寒さがひどく堪えた。



[31770] 貴族からの刺客 1-5 友人
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2012/10/11 21:35







 久しぶりの学年合同模擬戦があった日の屋上にて。

「やっと二人きりになれたね」
「強引すぎるけどね」

 河内恵子は、能美みゆきを連れ出してきていた。
 風が吹きすさび、みゆきのスカートと黒髪はばさばさと音を立てる中、恵子は言った。

「わざわざどうしてこんなとこに?」
「言うまでもないでしょ。話がしたいからよ」
「毎日会ってるのに?」
「みんながいるところでね。あんた、私と二人きりにならないよう逃げてるでしょ」

 腹がたつやつだ。その位わかるっつうの。

「それで、みんながいるとこじゃできない話って?」
「あの悪魔使いとのこととか。あんた本当にいいの?」
「いいも何もないよ。仲良くしてるだけ」
「恋人なの?」
「――候補、かな」
「恋人に候補も何もあるの? そんなのやるのは小悪魔ぶったクソアマでしょ。いつからそんな女のゴミための住人になったの?」
「恵子、口悪すぎ」
「あんたがさせてるんでしょ」

 みゆきの表情を覗うが、煽られた長い髪が、顔を覆ってしまっていて、ほとんど見えない。
 風は強く、執拗なまでに顔にまとわりついている。しゃべるのも億劫そうだ。
 そんなのは当然当人も鬱陶しいはず。
しかしみゆきは両手を後ろ手に組んだまま動こうとしない。手で適当に遮ればいいのに。
おそらくわざとだ。顔を見せたくないのだ。
詰め寄って髪かきあげたろかとも思ったが、止めて、代わりに質問を続けた。

「あの悪魔使い評判いいね」
「そう」
「あんたと瓜二つの評価ね。お似合いだってさ」
「そう」
「でも私にはわかる。アレ、性格悪いでしょ」

 一瞬だけくちごもったが、それまでと変わらない口調で、返答された。

「そんなことないよ」
「実はさ、私平唯とも最近話してるのよ。あの子もいいやつね。頭良すぎるけど」
「唯も喜んでるでしょうね。恵子と友達になれて」
「それでスポーツ公園での一件とか聞いたんだけどさ、それわざとでしょ」
「何を根拠に」
「女の勘」

 ギルド部一行とみゆき達の予約がバッシングしたまではいい。
 あそこは学校に近いから、学校帰りに使うには一番良い場所だ。
 そしてみゆき達は大会に向けて日々練習していて、そこを使っていてもなんらおかしくない。
 歩達が予約したのも、当日行って使えるとか考えるのは少し甘すぎるが、なくない。
 浮世離れした三人だ。

 しかしその後の行動がわざとらしすぎる。
 大会直前の練習時間を、それも竜使いの対抗馬にすんなりと明け渡す?
 敵情視察のため? 人がいいから? 竜使いだから?
 そんなのよりもっと自然な理由がある。

「あれ煽りでしょ。あなたたちのみゆきさん、いただきましたよ、っていう」

 みゆきが何も言わないので、続けて言う。

「今日の模擬戦でもそうだよ。これ見よがしにずっと一緒にいてさ。あんなあほなバカップルごっこをあんたがするわけないじゃん。しかも恋人候補とか言ってる相手に」
「あ、ごめん、この後用事あるんだ」
「あいつと練習? 対して好きでもないやつと? 底意地の悪い表面だけの馬鹿と?」
「ひどい言い草」
「何かあるの? あいつと」
「何も。じゃ」
「逃げんな」

 止める間もなく、みゆきがぱっと走りだした。
 私がいる方とは反対側の出口に向かって、本気で逃げる。私じゃ追いきれない。

「ほんと、不器用なんだから」

 風だけが、私の独り言を聞いていた。






短いですが、こんなもんで。次回iです。



[31770] 貴族からの刺客 1-i 転落
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2012/10/14 12:20





 当時の私は何も考えずに日々を送っていた。
 優しいがダメなことは厳として認めない使用人頭のじいやに、気兼ねなく遊んだ貴族の友人。
 貴族としての、理想の生活だった。

 そんな日々を過ごせたのは、幼小でも関係なく蠢くはずの醜い権力争いに、ほとんど巻き込まれなかったのだ。
 小学四年生のことにじいやに聞いたところ、それは能美家の地位によるところらしかった。
 じいやは能美家の地位を上流中層と称した。
他の貴族からしてみれば子分になるには低く、逆に子分にするには高すぎるという、半端な位置。

 誰も利用しようとせず、それでいて地位を維持できるため、希望すれば権力闘争の荒波から、そっと抜け出ることができる。
 能美家は代々その地位を望み、現在もそれを維持している。
 それがじいやの説明だった。
 当時の私としては理解できない話だったが、一つ確かだったのは、私がおだやかな日々を送っていたということだ。

 しかし私は知らず、気付きもしなかったが、その裏で父と母は苦悩の日々を送っていた。
 まず私の同じ色をした両目は、片側のみの色つきコンタクトレンズで対外的には通した。
 私には決してそのコンタクトレンズを外さず、万が一外れたときは、決して目を開かないことを強く言いつけた。

 各種検査も行われた。
 遺伝子検査も行われた。
結果は、私が父と母の子どもである可能性はほぼ百パーセントというもの。
 だからといって私の目がオッドアイになることは、勿論なかった。
 その他の検査結果も、全て白だった。

 科学的には白。しかしオッドアイという伝統には黒。
 その間に立たされた両親の内情は、想像すらできないほど苦しく、割り切れないものだったに違いない。

 その苦悩から二人が解放されたのは、私が十一になったときだった。

 貴族の中でも上層の一部のみで共有されている秘密に、パートナーの誕生前選別がある。
 通常、卵を破り出てくるまでわからないパートナーの種族を、竜かそうでないかだけ判別できる、預言者のような存在がいるのだ。

 私の卵を判定したのは、まだ若いが、青白い顔に今にも叫び出しそうな笑みを浮かべた、近寄りがたい雰囲気を持った男だった。

 面会したのは、ネズミ色で乱雑に塗られた壁に囲まれ、粗末な鉄製の椅子が置かれただけの、刑務所のような一室。
 拘束着を身にまとい、両腕を自分の身体を抱きしめるように張りつけられた男は、私を見るなり、にやついた笑みを浮かべた。
 ねちゃりと音を立てながら口を開き、ひび割れた声で男は言った。

「大変心中お察しする結果ではありますが、竜ではありませんね」

 後ろから私の肩を掴んでいた父の手に大きな力が入り、私は痛いと漏らした。
 父ははっと身を震わせ手をどけたが、私を見るその目には明らかな嫌悪感が覗いていた。
 続いてカタンという音がして、そちらを振り向くと、両手を頭の上に組んで突っ伏す母の姿があった。
 今にも消え入りそうな声で、違うの、違うの、と何度も繰り返し呟いていた。

 それからの一年間、父が家に帰ってくることはほとんどなかった。
 私に声をかけることは、ただいまやおはようさえも、一度もなかった。
 母親が笑うこともほとんどなかった。最初の一カ月は、全く表情がなかった。

 何が起こっているのか、断片的にしかわからなかった私だが、すぐに暗くなりがちの家を明るくしようと頑張った。
 使用人の名前は全て覚え、明るく挨拶をした。
 にっこりと笑みを浮かべて返答してくれるのが半分、もう半分はなんとも言い難いあやふやな表情で、小さく頭を下げてきた。

 夕食の席では、学校で起こったことを楽しげに話した。
 母は聞いてくれたが、反応はささやかな笑みを浮かべる位しかなかった。
 テストの点は基本満点を維持し、交友関係にも全く問題を起こさなかった。
 家庭訪問に来た教師からは、絶賛の声しか上がらないようにし、実際そうなった。

 私のそうした目論見はほとんどが成功した。
 しかし何も変わらなかった。

 そして私の誕生日の一カ月前、事件は起きた。
 私自身にはほとんど記憶はない。ただ出来事として記憶されているのみだ。
 私は母に右目を炙られた。



[31770] 貴族からの刺客 2-1 変化
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2012/10/26 21:39






 大会三日前になった。
 大会前日と二日前は調整に、軽く流すだけの予定なので、練習としては実質最終日だった。

「じゃあ行くか」
「……おう」

 着替えを済ませ、テンションの低い慎一とパートナーズを連れて運動場に向かった。
 大会参加を決めてからこちら、ずっと岡田屋に、つまり慎一の親御さんにお願いして場所を借りてきたのだが、それも今日で終わりかと思うとなんだか感慨深い。
 後ろに森が広がっていること以外は普通の一軒家の中を通り抜けると、奥に広大な運動場やギルド関連の倉庫があるのも、もう慣れっこになっている。

 運動場に着くと、既に唯とリズ、それとお互いのパートナーがいた。
 リズがにこやかに話しかけ、唯がぼそぼそとではあったが受け答えをする。
 それが二人だけの時のいつもの光景で、唯が嫌がっているのかな、と見えるが、リズ曰く十分仲良くしているらしい。

 確かに最初の頃、唯は本当に警戒していて、リズが話しかけても強引に話しを終わらせていた。
 それに比べると十分マシにはなってきている。
 みゆきとの仲まではまだまだ差があったが、こうしていればその内はためにも仲のいい姿が見られるかもしれない。

「あ、歩」
「慎一もね」

 こちらに気付いて、二人の視線がこっちに向いた。
同時に忠犬よろしくリンドヴルムの顔もこちらに向いた。
キヨモリはのっとりとしたまま、ぽけっと運動場を囲む森のどこかを見つめている。
こうして見ると、竜にも色々いる。
とりわけ特殊な相方を持つ歩だが、いまさらになってそう思った。

それから準備運動を三十分ほどかけて済ませると、運動場の中心に四人と四体が集まった。
 その内三体が竜。なんとも豪華な布陣だ。

「じゃあ始めますか。二対二の模擬戦」
「……おう」

 慎一は変わらずテンションが低い。

「慎一」
「わかってる。オーケーオーケーアーサーはE級。アーサーはE級」
「――まあ今日は許してやろう」

 アーサーが眉の間に深い溝を刻みながら、唸るように言う横で、リズがそっと寄ってきた。

「慎一、今日どうしたの?」
「大会前で緊張してたところに、自分以外竜使いの二対二でなんかキタみたい」
「へえ。気負うタイプなんだ」
「ギルドのときは結構しっかりしてんのにな」

 猫背でなにやら延々呟いている慎一の姿は、傍目に見ると完全に他人の振りをするレベルだ。
 リズは薄い苦笑いを浮かべた。

「慎一も大変だね」
「本当」
「歩は大丈夫? 大会経験って、そんなないでしょ?」
「いまんとこ大丈夫。見られるのには慣れてるし、勝ったからどうってわけでもないし」

 昨年の唯、キヨモリとの一戦はよく覚えている。
 あのときの好悪入り混じった視線と雰囲気は、なかなか忘れられない。
「ならよかった。歩のかっこいいところ見たいしね」

 突然言われ、どきっとした。
リズのいたずらっぽい笑みを見て、更に心拍は早くなったが、何気ないよう装って返答する。

「ま、やるさ」
「頑張ってね。私も働くから」

 力強くそう言い添える彼女を見て、やっぱり彼女は強いな、と思った。

 逆プロポーズ以降、リズとの距離感は変わらなかった。
 翌日から、リズがいつもどおり元気に挨拶してくれたからだ。
そういう際は第一声が大事なのだが、それをリズが上手くこなしてくれた。
 それから、お互い基本的には友人の領域の付き合いを続けているおかげで、意識してぎくしゃくするようなことは一切ない。

歩はそれが本当に有難かった。
しかし同時にこのままリズの好意に甘えていてはいけないことは、しっかりと自覚していた。

「オーケーオーケー。キヨモリ、歩と闘う。俺達、リンドヴルムから逃げる。オーケー?」
「締まらねえなおい」

 その後、なんとも締まらない模擬戦を終え、解散した。
 帰りの道は同じだったが、リズとは別の帰途についた。









 翌日の放課後になって、部室に大会の組み合わせ表が届いた。
自然、岡田屋に向かう道中での話題は組み合わせの話になった。

「本番二日前に配布ってどうよ」
「敵情視察と対策すんな、ってことじゃね? それより本番のことだ! 明後日だぜ! 今日は眠れねえ!!!」

 やたらとテンションの高い慎一が叫んだ。昨日とは真逆だ。

「何か変なものでも食いおったか?」
「腹くくっただけだぜ、いぇい!」
「なんだ空元気か」
「なんだろうが元気が一番!! よし、やるぜ!」
「ひとまず私達がぶつかるのは決勝までなさそうね」

 騒ぐ馬鹿を放置して、唯が静かに言った。その手には組み合わせが書かれた紙がある。
 トーナメント形式で、大きく二つに分かれたブロックに、それぞれの名前を見つけた。

「で、例の二人は――」
「あった。ここね」

 一瞬こめかみのあたりに力の入った歩をよそに、リズが組み合わせ表を指さした。
唯慎一組がいるブロックだった。

「順調に行けば、ベスト八で当たるね」
「まあこんなもんか」
「勝てそう?」
「負けないでしょ」

 唯は平然と言い放つ。
 いつもより冷たい感じがしたが、唯の目には強い感情があった。
ここのところ顔を合わせようとしないみゆきに、唯なりに怒りを感じているのかもしれない。
 それを差し置いても、負けないと言った唯の声には、強い確信が満ちている。
やはり自分達、ひいてはキヨモリの力に絶対の自信があるのだ。
 よく相手してもらっている歩も、出場するが、唯慎一ペアが妥当に優勝だろうなとは思っている。

「そうだそうだ! 俺らにはキヨモリがいる! 最強! 最高!」
「慎一、お前は?」
「俺は負けなきゃいい! 逃げればいい! おおおおおおキヨモリさいきょおおおおおお!」

 全く、と誰ともなく呟いたその時、バンと乾いた音がした。
 聞き慣れない、嫌に硬質な音だった。何が起こったのか、わからない。

 混乱する歩をよそに、すぐにキヨモリが低く唸りはじめ、リンドヴルムとマオがすっと背を伸ばし、アーサーが飛び上がった。

「キヨモリ!」
「皆キヨモリとリンドヴルムの間へ! リズ、リンドヴルムをキヨモリの寄せろ!」

 アーサーの指示に、半ば反射的に従った。
少し遅れてリズも動きだし、道の端に腰を下ろして俯くキヨモリの巨体とリンドヴルムの翼で、四人が囲われた。

「アーサー! 何が起こった!?」
「撃たれた! 唯、傷は!?」

 撃たれた!? 何に!?
 疑問はあったが、それより傷と言われ、キヨモリが傷ついていることがわかった。
 唯にぱっと視線を向ける。
キヨモリの右翼の根元あたりに手を当てていた。
 すぐに唯は答えた。

「――大丈夫。血も出てない。へこんでるだけ」

 全員の息がもれる音が同時に発せられ、まるで木霊したようになった。

「ただの拳銃だったみたい。キヨモリにはなんともないね」
「ただのって、拳銃? 鉄砲? 警察やら軍が使うやつ?」

 唯が頷いた。

「よほど大きなものでもないと、パートナーには、取り分け竜には効かないからね。そういう意味じゃよかった。麻酔銃も竜に効くほどのものになると、違法に手に入れるのも難しくなるしね」
「だから武器としても余り開発されてない、機械族でも実弾やらは使用されにくい、ってわけだけど、それ人間には効くよね」
「下手なところに当たると即死だね。対人暗殺にはよく使われる。だからあんまり出回らないようにしてるんだけど」

 今回はキヨモリに当たった。
 しかしそれが唯に向けられていたら?

「竜使いだからまあ助かるとは思うけど、眉間とかピンポイントだと危ういかな」
「冷静に言ってるけど、それ!」
「命の危機だね」

 唯が平然と呟くように答える。それが冷ややかな現実を余計に引き立たせた。
 ずっとキヨモリの方を向いていた唯が、ぱっとこちらに振り向いた。
 表情をいつも通り、しかし確かな竜使いだった。


「もうそろそろいいかな」
「ならば早急に移動せねばなるまい。リズ、唯を連れてリンドヴルムで空を」
「貴族二人が、ってことね」

 狙われるとすれば、まず唯、続いてリズだ。
 唯には狙われた前科があるし、リズは正真正銘の貴族。
 竜使い未満の歩と、一般人の慎一が狙われた、という可能性は少ない。

「移動先は岡田屋の運動場でいい?」
「うむ。即屋内に移動せよ。我らは走って戻る」
「本当はキヨモリも危ないんだけど、しょうがないか。リズさん、お願い」
「了解」

 それから空と陸に分かれて移動した。
 歩はキヨモリの地響きのような足音と一緒に走ったが、二分とかからずについた。
 岡田家の中に入ると、奥の事務室のほうにリズと唯、リンドヴルムがいた。

「狙われたのは、私だよね」

 椅子に座ってすぐに、唯が言った。

「誤射はまずないね。他に狙われてるっていうのは? 銃使えそうな立場にいる人で」

 歩と慎一は除外だ。慎一は完全に、歩もほぼない。

「私もないと思う。家は政争から遠ざかってるし、それでここ十年以上安定してる」

 リズも弾かれた。となると、唯しか残らない。
 ここにきても、授業中を受けているようないつもどおりの唯は、呟くように言った。

「悪食蜘蛛からこちら、なかったんだけどな」
「リズ、お前の家に入ってきたとかいう唯関連の情報を詳しく」

 こちらはいつもより深みのある声でアーサーが尋ねる。
 場を落ち着かせるため、わざと出しているみたいだ。
 困惑した様子のリズが答える。

「副会長が平家の跡継ぎ候補を狙っていたが、会長に止められた、ってことだけ。それ以上はない。歩の周囲について調べたついでだから、そこまで詳しくは」
「リズさん、その情報の確度は?」

 唯の質問に、語りだしているからか、少しずつ落ち着き始めたリズは答えた。

「うちの実家は権力こそないけど、学者気質っていうか、毒にも薬にもならないけど伝統はあるっていう家柄。それで代々お偉いさんの愚痴聞き兼、誰にも話せない相談の相手とかしてる。それで出来たパイプで知ったから、間違いないと思う。騙されて、何かに利用された可能性はあるけど、最近したのは歩のスカウトだけ。歩が権力闘争に巻き込まれてないなら、うちもないかな」
「そう――副会長、ね。それ以外も、か」

 唯が天井を向いた。
壁を突き抜け光の膜を越え、星空を見ているような、そんな顔をしている。

「ごめん。勝手なこと言って」
「いや、それだけで十分だよ。ありがとう、リズ――うん、リズ」

 これまでずっと付けていたさんではなく、呼び捨てだった。
 すっと立ち上がると、キヨモリの方へ寄って行く。

「念のため、これからキヨモリ見てもらいに病院行ってくる。慎一、最後の調整できなくてごめんね」
「いや、それはいいんだけど。明日もあるし。けど」
「出るよ。ひきこもっても、何も変わらないってわかったから」

 声音は何気ない感じなのに、妙に耳に残った。
 ひきこもっても、何も変わらない。

「多分大丈夫だとは思うけど、一応みんな気をつけててね」
「わかった。お前もな。なんなら手を貸すぞ」

 答えたのはアーサーだった。
唯の確信に満ちた一言で、歩達を凍りついていた。
アーサーがいなかったら、おそらく唯は何も言わずに出て行くはめになっていただろう。
 唯がほんのりと微笑んだ。

「そのときはよろしく」

 唯は出て行った。
 それから歩とリズも身体を動かすことなく家に帰った。
そんなことをする気にはなれなかった。

 帰ってベッドに転がった。
 じっとしていると、何もなかった夏休みの分まで押し寄せてきたような、ここのところの喧噪が浮かんでくる。

リズ。
インテリジェンスドラゴン。
みゆき。
大会。
そして先程の襲撃事件。

頭が痛くなってきた。



[31770] 貴族からの刺客 2-2 やばい
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2012/10/21 15:24
 すみません、短いです。






 よし、今日こそは決着をつけよう。
 そう思って、河内恵子は能美みゆきが住んでいるマンションの入口に立っていた。
 それなりの高級マンションで、入るには鍵を使うか住人に呼び出してもらう必要があり、一人暮らしの女子学生の家としては華美な位だが、今から会う住人にはよく似合っている。

「やっぱり正面からやらないとね。何事も」

 時間は夜八時。この時間なら大会が二日後に迫ったみゆきも、家に帰っているはずだ。
 もし帰っていなくても、少し待てばいい。
 一度大きく深呼吸した後、入口に置かれたコンソールに、みゆきの部屋番号を入力し始めた。
 五○三と入力を終えて一秒ほど待つと、ツン、という音がして、インターフォンで音声が繋がった。
 これでみゆきの声が聞こえてくるはずだ。

「はい、どなたでしょうか」

 しかし聞こえてきた声は、男のものだった。柔らかい口調だが、決してみゆきのものではない。

「――あんた誰?」
「あなたこそ」
「みゆきのクラスメイト。ここみゆきの家だよね?」
「ああ、みゆきのクラスメイト。みゆき、呼んでるぞ」

 なんか妻でも扱う呼ぶような呼び方だな、と思い、そこでようやく声の主がわかった。
反射的に顔をしかめてしまった。

「はい、変わりました」
「恵子よ。あんたなに馬鹿を家に上げてんのよ」
「馬鹿って、ずいぶんなクラスメイトだな」
「馬鹿を馬鹿といって何が悪い、馬鹿。馬鹿は黙れ」

 馬鹿が黙った。案外撃たれ弱いのか。ちょっとした収穫だ。

「恵子、口悪いよ」
「こんな夜中女子高校生の家に上がりこむ男なんてろくなもんじゃないわよ」
「古風だね」
「あんたにゃ負ける。んで、そこの男はなんでいるの? あんたが不純異性交遊で教師に捕まるとこなんて、私は見たくないんだけど」
「婚約者だから別にいいでしょ」

 聞き捨てならない単語が男から飛んできた。
 普通なら無視するところだが、みゆきに聞いても流されるだけだろうから、仕方なく男に聞いてみる。

「いつからよ」
「最初っから。みゆきは照れて恋人候補とか言ってるけど、実際はもっと進んでるよ」

 進んでる、という単語がなんかひっかかった。

「みゆき、馬鹿にどこまで許した?」
「直球だね」
「キスどころか、手すら触れさせてくれないんだよ。外でも上手いこと逃げるし」
「そう、どうもありがと。後は黙っていいよ。女同士の話だから」

 威勢よくいい返したが、内心でほっとした。そこまで自棄にはなっていないらしい。
 インターフォンの奥から、がさごそと物音がした。
 馬鹿が離れたか。丁度いい。

「で、みゆき」
「何?」
「あんたいつから一緒住んでんの」
「一週間位前からかな」
「知られたらやばいんじゃない?」
「――かもね」

 なんだか投げやりに聞こえた。声にも力がない。
 これは――やばい。

「あんた、ちょっと出てこい」
「今から? もう暗いよ」
「いいから」
「夫としては承諾できない」

 馬鹿が遮りやがった。どっか行ったわけじゃなかったのか。

「あんたまだいたの?」
「もう遅いし、そんな口の悪い友人との付き合いなんて、好ましいもんじゃない」
「もう拘束か。あんた女に逃げられるタイプでしょ」
「別にやっていい相手にはやるだけ。なあ、みゆき」

 何気ない口調で言いきった。
この馬鹿は、馬鹿だが女慣れはしているようだ。
確かに見た目も中身も、外野で見れば抜群だ。転がる女も多いだろう。
ただそんな馬鹿に、みゆきが転がるなんて許せるはずもない。

「みゆき」
「ごめんね」

 しかし返答は拒絶だった。しかも消え入りそうな声で。

「あんたね、いい加減意地張るのやめなさい。ときには――」
「ま、そういうことだから」

 冷酷な男の声に遮られ、すぐに再びツンという音がした。
 待とうかとも思ったが、そんなことしても意味がない。
 下手に私が騒いだところで、本人同士で完結する話は変えられない。
 やったところで私が変な目で見られるだけだ。
 別の方法を考えなくちゃ、と思いつつマンションを後にするしかなかった。











[31770] 貴族からの刺客 2-3 放送
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2012/10/25 23:02






 一目の多いところにいる。暗くなっての移動は避ける。
根拠がなくても、何かを感じたと思ったら、ひとまず逃げる。

 襲撃の日の夜、アーサーと二人で対策を考えたのだが、その位しか思い浮かばなかった。
 翌日になってみゆきを除くギルド部のみんなとも話したのだが、歩達のものと対して変わりはなかった。

「リズはこういう経験ないの?」
「私も狙われるような政治的立場に立たされたことないから。ごめんね」
「いや、十分だよ」

 申し訳なさそうなリズに、歩は口だけの慰めしかできない。
 改めて自分の無力さを思い知らされて、何も言えなくなってしまった。

そのままの四人をよそに、授業が始まった。
 集中できるわけもなく、歩はぼんやりと聞くに任せるだけだった。
 当てられても、不明瞭な答えしかできない。
 それはリズも同じだったようで、いつもなら簡単に答えそうな質問も答えられなかった。
大会前だから仕方ないな、と教師からフォローを受けた始末だ。

 何に実りもない時間を終え、昼休み。
 部室に集まったが空気は重く、弾まない会話の中、持ちよった弁当を食べはじめた。
 幸か不幸か、放送部主催の校内放送があり、夏の大会を終えて各部活の成績やコメントを流し始めて、無音の食事は避けられたが、それが返って場を重くしていたような気がした。

 栄養の摂取作業を終えても解散するでもなし、その場で漫然と過ごしていた頃。
 耳障りな声が聞こえてきた。

「それではここで、明日の大会を控えたお二人に登場していただきました! それぞれ自己紹介お願いします」
「こんにちは、財前敬悟です」
「能美みゆきです」

 思わずスピーカーを見返すが、箱に無機質な黒網が張られた機械が見えただけだった。
 それでもそのまま視線をずらさず、ひたすら次の声を待った。

「お二人は明日開催される、第三十一回水分タッグバトルに出場されます。みなさん御存じかもしれませんが、この大会は一般人も参加し、歴代優勝者には竜使いも名を連ねているという大規模なイベントです。一般の学生がベスト四に残るのも事件と呼ばれるほどです。
そんな大会に、今回出場されるということで、大会前日だというのにお二人に来ていただきました。お二人とも、ありがとうございます」
「いえいえ、ここで聞いて、明日応援に来てくださる方がいらしたら、それが僕達の力になりますから」
「他にもギルド部所属の平唯さん、岡田慎一さん、水城歩さん、リーゼロッテさんも参加されます。是非明日は会場に行き、みんなで応援しましょう」
「おまけ扱いかい」

 慎一の軽い突っ込みに誰も返さなかった。

「唯、我らに話は」
「来てない」

 変わって出たアーサーの質問に唯が答えた。

「変な話だな。今は嫌われてなかろう。むしろ好かれておる位ではないか? インタビューがこちらではなく、あちらに行くとは」
「ま、あっちも人気あるからねえ」
「三人とも、今は放送に集中しよう」

 リズがそう窘めると、三人は黙った。

「それでは、今回の大会の抱負をお願いします。まずは財前さんから」
「それはもちろん優勝です」
「ほう」

 アーサーが感心したように言った。
それはつまり歩どころか唯、キヨモリを倒すということ。
アーサーの好きそうな、大言壮語だ。
そして、歩にとっても意外な一面だった。
案外、好意の持てる男なのかもしれない。

「というと、竜使いの方々にも勝てると?」
「勝ちます」
「勝算の程をお伺いしてもいいでしょうか?」
「みゆきとのコンビですね。正直、ここまで来るとは思っていなかったほど、いい関係を作れていますから」

――ふん。そこでこれか。

「つまらん男め」
「そう? 協力しあう関係も、いいと思うけど」
「それとこれとは別だ」

 部室の喧噪をよそに、インタビューは進んでいく。

「みゆきさんとはいい関係を築いている、ということですか」
「はい」
「それは恋愛面でもですか?」

 放送部員が少し茶目っ気を入れて尋ねた。
 いらっとした。

「いきなり話が飛びましたね」
「お二人はお付き合いをされている、というのは専らの話題ですから、やはり気になるじゃないですか。お二人がこの大会に出るようになったのも、それがきっかけと聞きましたが」
「まあそうですね」

 この放送部員、将来芸能関係にでもつくつもりか。

「なんでみゆきがしゃべんないのよ」

 唯がそう言った。
そういえば、みゆきがしゃべったのは最初の挨拶だけで、それ以降は何も発していない。
今回に限ったことではない。
最後に部室で別れてからこっちずっとそうだ。
みゆきがなんらかの意思表示をしたことは一度もなかった。
話そうともしなかった歩も歩だが、みゆきは敢えてこちらを避けているようだった。
その理由がわからない。
みゆきは一体何を考えているのだろうか。

「ここで一つ、ちょっとした秘密をお聞きしたのですが」

 ひっそりと、という感じで放送部員が言った。
 本当に人の醜聞だけで生きている芸能レポーターのような口ぶりだ。

「なんでしょうか」
「お二人が同じ家に住んでいるのでは、という情報を耳にしたのですが、本当でしょうか。朝、能美さんの家から財前さんが出てくるところを見たという人がいるのですが」

 思わずのどが鳴った。
 全身に冷たく、しかしたぎったものが流れだした。
 皮膚の薄皮一枚の下すぐのところにそれは流れ、叫びたくなるような気分にさせた。
 しかしそれは歩の意思ではどうすることもできない。叫んでもむなしく終わるだけ。
 決定権はスピーカーを隔てた先にしかない。

だがなかなかそこから答えが出てくることはなかった。
やたらと長い数秒の後、スピーカーから少しひび割れた声が出てきた。

「困ったな」
「というと?」
「こういうことはばれたくないじゃないですか。特に教師の方々には」

 ということはつまり、そういうこと。
 一気に思考が冷えた。
 視界が途端にクリアになり、驚きの表情でスピーカーに注視する慎一も、しかめっつらの唯も、ちらっと歩を覗うリズも、全く悟らせない顔のアーサーも、一瞬で見とおせた。

「大丈夫ですよ。そういうところはうちの学校緩いですから」
「ならよかった。まあ、そういうことですね」
「そういうこと、ですか」
「ですね」

 下らん茶番だ、と思った。
 やはりこの男は気に入らない。

「能美さん、ここで否定しておかないと本当のことだってなっちゃいますが、いいんですか?」
「散々煽ったのになんですかそれ」
「一応ニュースには両方から見ないと」
「将来マスコミ関連に就職するつもりですか?」
「そうですが、私のことは置いておいて、能美さんいいんですか」

 そのまま待ったが、声はいつになっても聞こえなかった。

「まあみゆきも大会控えて緊張しているので、これ位で。声は出ませんが、否定はしませんでしたから、みなさんも納得してください」
「ではミスターパーフェクトとミスパーフェクトのお二方でした。ありがとうございました」

 なんですかそれ、という声がフェードアウトしつつ、放送は終わった。
 部室はシーンと静まっていた。
 何を言えばいいのかわからない、と誰もが思っていたのはわかった。
 歩はどうでもいい、という感じだったが。

 しばらくしていきなり唯が立ちあがった。
 忌々しそうな顔をしながら、みんな先帰ってて、と言うと部室から出て行った。

 それから慎一が何故か歩をちらちら見ながら、じゃ俺も、と出て行った。

「じゃあ私達も戻ろっか」
「我は一人で戻るからの。見送りはいらん」
「じゃ真っ直ぐ帰りますか」

 廊下を歩いていると、リズが尋ねてきた。

「歩?」
「何」
「――明日、頑張ろうね」
「おう」

 それから午後の授業を受け、放課後。
 流石に前日は調整したいと、四人で揃って岡田屋に行こうと思ったのだが、その矢先、唯に止められた。

「歩、ちょっとお願いがあるんだけど」
「何?」
「何も言わずにちょっと屋上行ってきてくれない? 私達ここで待ってるからさ」
「なにそれ?」
「いいから」
「まあいいけど」

 唯の剣幕におされ、屋上に向かった。
 そこにはみゆきがいた。



[31770] 貴族からの刺客 2-4 不器用
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2012/10/28 22:48












 屋上に出て見えたのは後ろ姿だったが、歩はそれが誰か一目でわかった。
 黒絹のような長髪に、すらりとした肢体。
 ストッキングに包まれた細すぎない足がスカートから伸び、なだらかな曲線を描いて茶色の靴に納まっている。
 殺風景な屋上には不釣り合いだと思わせる凛とした姿。

「みゆき」

 思わず声をかけると、黒髪がくるりと翻り、驚いた様子のみゆきの顔が見えた。
 少し疲れているのか、頬の色が薄く、目元には微かな影がある。

「どうしてここに?」

 歩の問いに答えようとしてか、みゆきの口は一度ぱっと開かれたが、途中で止まり、ゆっくりと閉じられた。
 目を見ると、微細に震えている。困惑しているのだ。
先に見ていたから落ち着いていられたが、自分もいきなり声をかけられればこうなっていたかもしれない。

 しかしそれもすぐにおさまり、頬にはいつものやわらかい微笑がはりついた。

「恵子に言われて――クラスの友達ね。歩は?」
「おれは唯に言われて」
「二人とも、本当に仲良くなったんだね」

 感嘆したように言った。妙に演技臭い言い方だった。

「その恵子さんはなんで呼び出したか言った?」
「いや、有無を言わせないって感じだった。唯もそうだったんじゃない?」
「マジおねがいだった」
「ほんと、いい二人だね」

 それから少し間が空いた。何を言えばいいかわからなかったからだ。
 それはみゆきも同じだったようで、表情こそ落ち着いていたが、実際は言葉を探しているのだと、長い付き合いからわかった。

「えっと、ひさしぶり」
「ひさしぶり」

 仕方なく、歩から切り出した。

「どん位話してなかったっけ? 二週間位?」
「かな。忙しかったからね、お互い」

 忙しかったのはあいつと一緒にいたからだろう、と言いそうになってやめた。
 代わりに何か当たり障りのないことはないか探し始める。
 しかしそれもすぐにやめた。

 リズに本当の告白をされたときのことを思い出す。
 あのとき、歩が今まで色んなことをなあなあで済ませ、逃げてきたことを知った。
 今もそうだった。
 もう立ち止まっている時間はない。

「あいつとは?」

 みゆきの顔が一瞬ゆらいだ。
こうして見ると、いつも微笑を浮かべているみゆきの顔にも素の感情が出ているのがわかる。

「あいつって?」
「いつも一緒にいる、なんだったかな。悪魔使いの」
「財前敬悟?」

 フルネームかよ。

「そうそう。最近よく一緒にいるじゃん。この前放送で婚約宣言してたけど」
「聞いてたんだ」
「聞いてないやつのほうが少ないんじゃない?」

 歩が軽い笑みをうかべるとと、みゆきも軽く笑うように息をもらした。

「それで、どうしてそんなことに?」
「おかしい? 健全な高校生でしょ、私達?」
「婚約、それも付き合い始めて二週間、ってのはおかしくない?」
「たしかに」

端的な言葉だったが、濃い自嘲の色が見えた。
 みゆきはくるりと身体を真横に向け、空に向かって叫ぶような姿勢で、ぽつりと言い始めた。

「私が貴族だってこと知ってるよね」
「ああ。幼竜殺しのときに。それまで知らなかったな」
「あまり知らせたいことじゃないしね。特にアーサーをパートナーに持つ歩には」

 知らせたくないのは、歩のためか、それとも自分のためかはわからなかったが、ひとまず置いておくことにした。

「それで何かあった?」
「お父様がね、お見合い相手だって彼を紹介してきたの。それなりの相手を見つくろってきたから、って」

 お父様。お見合い。それなりの相手。
 それまでただの称号でしかなかったみゆきの元貴族が、少しだけだが現実のものに感じられた。

「いきなり?」
「それどころか相手づてよ。私が知ったのは、彼に呼び出された体育館裏でよ。『能美殿から預かった』って言われて、封筒の中見て、なんだか笑っちゃった」

 そのときのことを再現するように、さげすんだ笑みを浮かべた。
 みゆきには珍しい、他人に見せるには好ましくない笑いだ。

「ずっと連絡もなかったのに、いきなりそれだからね。父親っていうかなんていうか、へん」
「それで受けるの?」

 嫌な感じがして遮ると、はっとした後、みゆきは元の微笑に戻った。

「まだ保留中」
「だけど拒否はしてないし、外堀はどんどん埋められていっている」
「そうね」
「このままじゃ承諾したってなるけど、いいの?」

 しばらくしてぽつりと言った。

「父には逆らえないから」

 その余りにも痛々しい声に、思わず言い返す。

「親の言いなり? それもいままでずっと放置されてきた相手に? 相手もなんかうさんくさいのに?」
「歩にはわからないよ」

 思わずカチンとした。

「んなのわかるか! そんなの放っとけよ!」
「歩もわからないといけないよ」
「なんでだよ!」
「竜使いだからだよ」

 思わず黙ってしまった。予想外だった。

「今まではよかったかもしれないけど、社会に出たら竜だってことは嫌でもついて回るよ。わかるでしょ、何度も竜の世界の話に巻き込まれたんだから」
「俺E級だし」
「変わらないよ。竜使いだよ、歩は。将来のこと考えてる? もう三年も中盤だよ。そのまま大学に進むつもりだろうけど、本当にそれでいいの?」
「お前はどうなんだよ」
「大学行くけど、ちゃんと選んでる。将来のためにね」
「相手の家に入る嫁入り修行かなんか? 楽でいいね」

 説教臭さに思わず言ってしまったが、後になって失敗したことに気付いた。
 みゆきの顔が大きく歪んだ。目が大きく開かれ、口がわなわなと動く。
 怒ったようにも、泣きだしそうにも見えた。
 それらは像を結ぶ前におさまり、代わってきっと凄みのある嫌らしい笑みに変わった。

「いずれはそうなるかもね。彼、稼ぎはいいみたいなこと散々言ってるから」
「あ、そう」
「『父はこの町の署長で、俺もその後継ぐ予定』なんだって。『給料はそんなでもないけど、色んな特権があるんだ』ってさ」
「馬鹿みたいだな」
「歩はどうなの? 最近転校してきた外国の人と仲いいみたいだけど」

 いきなり話が飛んで、何気なく答える。

「リズのこと?」

 みゆきの鼻がぴくりと動いた。

「呼び捨てなんてずいぶん仲がいいのね。どういう関係?」
「スカウト」
「なんの?」
「婿」

 みゆきの口元が大きく歪んだ。

「受けるの?」
「保留中」
「それなのにいつも一緒にいるの?」
「お前と一緒じゃん」

 終わった、と思った。もう話すことはない。できないし、必要もないし、する気もない。
 それはみゆきも同じだったようで、しばらくした後、どちらからとも言った。

「「それじゃ」」

 階段を下りて行くと、階段の真ん中にアーサーがいた。

「着いてきてたのか」
「パートナーだから余り離れるのもよくなかろう。して結果は」
「相手知ってんのかよ」
「相談受けておったからな」

 唯と見知らぬ恵子さんのか。

「言う必要ある?」
「ない。顔を見ればわかる」
「ならいくぞ。明日は大会だ」
「それにしても」
「なんだ」
「お前ら、ほんと不器用じゃのう」

 歩はふんと鼻を鳴らしただけで済ませたが、しばらくその声が耳の中で響いていた。




















三章2-1修正しました。

あまりにもアレなミスでした。

気付いた方、ほんと申し訳なかったです。

そうない方、作者の精神衛生的な理由でスルー願います。
マジでお願いします。



[31770] 貴族からの刺客 2-i なぜ
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2012/11/01 16:19





 何を思って母が私の目を炙ったのか。
 どこから持ってきたのか、昔ながらの松明に火をつけ、私に押し付けてきたのは何故か。
 色が変わると思ったのか。意味がないのに。
 年中付けていたコンタクトを固着させようとしたのか。寝ていて付けていなかったのに。
 それとも私そのものを燃やしたかったのか。

 今となってはもうわからない。
 母はすぐに病院に送られ、今現在もそこにいる。おそらく死ぬまで出ることはないだろう。
 彼女にとっての理想の子ども、両目に違う色のボタンを付けた人形と共に。

 その後の環境は、私の理解を得ることも落ち着くことも許さずに、粛々と進んだ。
 それを知ったのは、事件から三日後に学校に行ったときだ。
 右目に眼帯をした私を見て、それまで仲良くしてくれた友人たちは、何も言わなかった。
 話しかけてもこなかった。私から話しかけても無視した。
 その目にはあざけりが見えた。

 私が違うと思っていただけで、彼等は実は能美家の取り巻きだったのだ。
 それを決して悟らせない演技者だった。

 家に帰っても同じことが続いた。
 優しく厳しかったじいやは私を完璧に空気として扱った。
 後で知ったことだが、父が、アレは私の子ではない、と言ったそうだ。
 それを知った各人が、そうした態度をとったらしい。

 泣いた。しかし誰も構ってくれなかった。
 学校に行かずとも、風呂に入らずとも、暴れようとも、ベッドでただ丸まろうとも、誰も何もしてくれなかった。
 食事の用意と目の手当てだけはしてくれた。
 幸いなことに、右目は特に障害は残らず、五日ほどで眼帯も外せた。どうでもよかったが。

 涙も枯れ果て、混乱もおさまり、うすうすと自分の置かれた状況を理解しはじめ、絶望が影を指し始めたころ。
 私は捨てられた。

 その日、一年ぶりに父に呼ばれた。
 わかりきっていたはずなのに、私はかすかな、本当にささやかな、自分でも九分九厘ないと思いながら、一厘以下のほのかな期待をしてしまっていた。
 そんな私に冷たい目をした父は、お前はこれから別の家に住むことになった、と告げてきた。
 荷物をまとめなさい、と遠足に行く時位の小さなバッグを渡してきた父を見て、私は理解した。
 一厘の奇跡は起こらなかったのだと。

 泣きたかった。しかし泣いても何にもならないと、身体が理解してしまっていた。
 冷え切った孤独な一年間が、私を大人にしていた。
 実用的なシャツやズボンを数枚と下着だけをバッグに詰めた。スカートは入れなかった。
 五分ほどで下りてきた私を、父は応接室に連れて行った。

 そこには類さんがいた。
 紺色のパンツスーツに黒のインナー、小振りなイヤリングと薬指につけた簡素な指輪。
そして肩ほどまでのまっさらなストレートの黒髪。
顔には柔和さと自信の入り混じった余裕を感じさせる笑顔が張り付いている。
今と変わらない、類スタイル。
私はそのとき、ほんの一瞬だが、類さんに身とれてしまっていた。

 父は類さんに、ではおねがいします、と言うと、私の背中をぽんと押した。
 服越しの冷たい手から伝わってくるぬくもりは、すぐに消え去った。

 そのまま二歩三歩と進み類さんのすぐそばまで行ったとき、足が何か言うことはないの、と類さんが言うのが聞こえてきた。
私はびくっと身体を震わせた。何と言えばいいのかわからなかった。
 それでも言葉を探しつつ、覗うように見上げると、彼女の視線は私ではなく父に向けられていることに気付いた。

 父は何も言わなかった。
 類さんは少しだけ待った後、ぱっと私の方を見て、じゃ行きましょ、と手を伸ばしてきた。
 了解を得ることなく私の手を掴むと、類さんが身をひるがえし、外に出て行こうとした。
 そのとき、父が、金は渡してあるから生きていける、と言うのが聞こえてきた。
 ああ、と私は口の中だけでもらした。
 類さんはため息をつき、私をひきつれ外に出た。

 それから当時の私には粗末にしか見えなかった馬車に乗り、移動した。
 その間、類さんは何もしゃべらず、じっと外を見ていた。
 そんな類さんを見て、これからどうなるのかと、私は初めて思った。
途端に実感を伴った危機感がわいてきた。
初めての経験だった。
先のわからない、目を閉じて歩くような感覚が、全身に鳥肌を立たせた。

 そうこうしている内に、馬車が止まった。
 類さんに促され外に出ると、目の前に水城と書かれたプレートのかかった家があった。
 初めは使用人の家かと思ったが、類さんに、これが私達の家だから。あなたも貴族の外の世界を知らなくちゃね、と言われ、これが新しい家なのだと理解した。

 こじんまりとした部屋の隅に荷物を置くと、それからすぐに病院に移動した。

 そこには歩がいた。私を見て、彼はびくっと身体を震わせた。
意図がわからなかったが、少ししてその動きに見覚えがあったことを思い出した。
女性慣れしていない男子が、私を見たときの動きだ。

それで少し落ち着くことができた。
 着くなり類さんは、ごめん、ちょい野暮用、と言うと出て行き、歩と二人きりになった。

 歩は話しかけてこなかった。
最初によろしく、とだけ言い、後は手持ちぶたそうにうろうろしていた。

私はそれが気恥ずかしいからだとわかっていた。
自分で言うのはなんだが、自分の容姿がそれなりのものであることは理解していたし、その結果の歩の反応だとも把握できていた。

歩に近付こうとしたとき、気付いた。
私のこれまでの人間関係はどういったものだったのか。
父の言葉一つで、誰もが私を無視するようになった、アレを。

途端に怖くなった。
歩が何を考えているのか、私をどう思っているのか、自信がなくなったのだ。
 見知らぬ他人がいきなり家族になるなんて、嫌に決まっている。
 それも物知らずの貴族だ。
 よろしく、と言われた後、はっきりと返事していない。
 不作法だと思われなかったか。
 歩を見て、私はどんな表情をしていた。
 くすっと笑ってしまっていた? 最悪だ。意地悪な顔をしていたに違いない。

 それに歩の評価はこれからの人生に直結する。
 歩に嫌われたら、当然類さんもいい顔はしない。息子と他人の娘、どちらを選ぶかなんて決まっている。
 なのに私は。

 嫌な想像ばかりが浮かんだ。
 私は身体を固くすることしかできなかった。

 類さんが帰ってくると、歩と他愛ない会話を始めたが、そこに入って行くことはできなかった。
 類さんも軽く話しかけるだけで、私を輪の中に入れこもうとはしなかった。
 私自身に任せるような形だった。

 私は逃げたかった。この部屋から、類さんから、歩から、あらゆるものから。
帰りたかった。何も知らなかった私に。一年以上前の仮初の日々に。

 しばらくして、真夜中、歩がトイレから帰ってきたとき、歩と類が軽い口論のようなものを始めた。
 そのとき何を思ったのか、私は口を挟んでしまった。

 そんな私を二人は優しく受け止めてくれたのだが、しかし咄嗟に、私なんていないほうが、と言ってしまった。

 何を馬鹿なことを言ったのか、と思った瞬間、歩が勢いよく否定した。してくれた。
 ほっと胸をなで下ろした。
すると歩が近付いてきて、話しをしてくれた。

 わかった。歩はいい人だ。嘘まみれの経験ばかりの私でもわかった。
 演技かもと思ったが、すぐに違うとわかった。
 歩は不器用で、それでも自分を焚きつけて、なんとか私を楽しませようと、馴染ませようとしてくれている。
いきなり増えた見知らぬ私を気遣ってくれている。
そして私を支えようとしてくれている。安心させようとしてくれている。
それらは不器用だからこそ懸命な姿で伝わってきた。

私は笑うことができた。笑えた。正真正銘の、久しぶりの笑みだ。
本当に温かいものが、胸の内に芽生えるのがわかった。

そうこうしている内に、イレイネが生まれた。
ぐにょぐにょとした不定形が、序々に身体を形作っていく。
ミニチュアサイズの子どものような愛らしい姿。
どこまでも透きとおった身体。
なめらかな表面はゼリーのように柔らかな光を反射させる。
そのときになって竜が生まれなかったな、と思ったが、なんだかどうでもよかった。
自身の中に芽生えた温かなものが、嫌なものを全て忘れさせてくれた。

しかし。
肝心の歩のパートナーが生まれたとき、私の中で嫌なものがどっとわき起こった。

竜。アーサー。インテリジェンスドラゴン。竜使い。貴族の証。
 心臓の音と共に、頭の中で木霊した。

 なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ。
 なぜ歩に竜が生まれる。
 なぜ私じゃない。
 なぜ貴族であるはずの自分じゃない。
 もしかしたら、本当にもしかしたら、私のパートナーが竜だったら、家に帰れるかもしれないのに。
 なぜ。
 なぜ歩に。
 なぜ。



[31770] 貴族からの刺客 3-1 大会
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2012/11/05 00:00







 みゆきとの屋上での邂逅の後、少し困惑した様子の唯達を尻目に手早く調整を済ませた翌日。
 快晴のもと、学期末模擬戦でも使われたコロシアムの舞台に、多くの選手達と一緒に歩は入場していた。
 学校の戦闘服を身に着け、棍を持ち、肩口にアーサーを乗せたいつもの姿だ。

 入場が終わり、所定の位置についたが、まだ全選手の入場が終わるまでは時間があった。
 てもちぶたさに、目だけで周りを見回す。

 居並ぶ選手はやはり男性が多いが、女性もいた。
 ざっと数えると三割位だとわかり、意外に多いな、と思った。

ほとんどが歩達より年長で、戦士といった雰囲気を醸し出している。
恰好は上半身裸から軍の迷彩服まで多様だが、その顔にはどれも濃い皺や傷が覗く。

 多様なパートナー達も似たような感じだ。
 隣にいる巨人型は、傷だらけの肩当てとヘルメットをがっしりと付け、刃こぼれだらけの巨剣を手にしている。
皮膚にもいくつもの傷跡が残り、隆起する筋肉で今にもぱっくりと弾けそう。
巨人型特有の寝惚けたような目は変わらないが、雄たけびを上げて巨剣を振りまわす姿を想像すると、学校で戦う巨人型とは二周りは違って見えた。

 他にもグリフォンや土蜘蛛、ゴーレム、多脚の巨馬のスレイプニルなどもいるが、どれも学校でやりあった相手とは違う感じだ。

勝てるかな、と少し心配になり始めたころ、マイクの電源が入り、開会の宣言がされた。
続いて選手宣誓が始まる。

 登壇したのは、品のいいおぼっちゃまが大人になりかけているところです、といった感じの竜使いだった。
 後ろには蛇型を三体くっつけたような竜がいる三つある首をもたげている。

「宣誓! 我々選手一同は、日頃の研鑽を発揮し、正々堂々と戦うことを誓います! 選手代表、東宮博文」

 ぱちぱちぱちと拍手の中、降壇する竜使いを見た。
雰囲気は貴族っぽいとは思ったが、貴族特有の傲慢さや嫌らしさは見えない。
本性はわからないが、多分もてるんだろうな、と思った。

 続いて意味のなさそうな演説と紹介が長々とされて開会式は閉幕した。
 規則正しく退場し、控室に移った。

 すぐに控室に移り、唯達と四人で隅のベンチに陣取った。
 背伸びをしながら慎一が言う。

「お疲れ様、っと。俺らはいつだっけ?」
「すぐだね。二個後位?」
「ほんと早いね」

 軽く体操していると、最初の呼び出しが入った。

「財前敬悟さん、能美みゆきさん、コロシアム会場にお越しください」
「みゆき達最初か。相手誰だろ」
「まあみゆきなら負けぬであろう」
「ギルド部でも鍛えられたからねっと」

 歩は会話に参加せず、黙々と身体を伸ばし続けた。
 そうこうしない内に、続いて唯と慎一が、そして歩とリズも呼ばれた。
 それぞれ外の別会場で行われるみたいだ。

 お互い健闘を祈りあった後、歩はリズと一緒に移動しはじめた。
 コロシアム内の廊下を歩きはじめると、すれ違う人と目があった。
 無骨な甲冑を着た鳥使いだったが、歩と目が合ったとたん、慌てて目をそらした。
 なんだかきまずいな、と思いつつ、リズに話しかけた。

「緊張する?」
「意外と平気かな」

 また向こう側から人がやってきたが、歩達を見てびくっとした後、目線を壁のほうにずらした。
 三度目の人も同じように動いたとき、気付いた。
彼らが見ているのは、歩達ではなくリンドヴルム一体だけなのだ。
そういや竜は普通そんな感じだよな、そんなことにも気付かないとか、俺緊張してんのかな、と思っていると、会場についた。

 しかしそこで出番はなかった。




 控室に戻ると、慎一が居づらそうに座っていた。
隣には唯もいたが、そちらはいつもと変わらない様子だ。

「おう、そっちも棄権されたか」

 歩は頷き、その隣に座った。
 さらにその隣にリズも座り、少し困ったね、といいたげな顔をしながら言った。

「竜使いってこんなこともあるんだね。長年竜使いやってきたけど、初めてだ」

日に熱せられ少し暑かった会場の上で、相手が棄権しましたので控室に戻ってください、と言った審判の顔を思い出す。
業務中です、といった感じの平然とした顔だった。
よくあることなのだろうか。

「慎一、この大会前に見たことある?」
「あったけど、知らなかったな。毎回こんなのかな」
「なんとなく審判も慣れてる感じだったけど」
「そういや竜使いの出番は後の方ばっかだったな。今思えば、こういうことだったのかな」
「わかってて参加したのにね」
「覚悟が足らんな」

みんな竜と戦うより棄権を選ぶのか、と思っていると、昔のことがぱっと頭に浮かんだ。
そういえば、唯と戦うことになった学期末模擬戦で、自分も似たようなもんだった。
 かなりげんなりしていたが、不思議と棄権しようとは思わなかった。
 なんでだろう、普通にそれでもよかったのに、と思ったが、わっと沸いた歓声に押し流された。

 周りを見回し、皆同じ方を見ているのに気付くと、更にその視線を辿り、納得した。
設置されたディスプレイに、舞台の映像が流れていたのだ。
ディスプレイの存在は知っていたが、音が流れていないせいで、気付かなかったみたいだ。

 なんか面白いことあったのかな、とディスプレイに移った映像を見る。
 映像は滲んでいた。雨が降っているようだ。
それも豪雨と言っていい位激しいもので、実際、映像は乱れて選手の姿は影でしか見えない。
しかし、それは変だ。今日、雨は降っていない。
つい先程、きつい日差しを浴びたばかりだ。

「これってイレイネ?」

 そういえばさっきみゆきが呼ばれていたな、もしかしてまさか、と歩が連想したころ、唯がそう言った。
 幼竜殺しこと、中村藤花と戦ったとき、みゆきが似たような技を使った。
 直前の模擬戦でも披露していた、イレイネの身体を見えない位の濃度で宙に分散させ、突如宙から雨あめあられと攻撃を繰り出す、というものだ。
 あのときは身体の周り位のごくごく限定された空間だったが、今は広い会場全てを覆っている。
 いつのまに、これほど進化させたのか。

「広範囲をカバーしてるから、直接的なダメージを加えるのは難しそうだけど」
「すげえな。いきなりこんなもんやられたら驚くし、怖いもんな」

 周りを見回す。
 みんなディスプレイに釘付けになっていた。
 感心するもの、見るからに悔しそうにしているもの、顔を青くしているもの、様々いた。

 くやしいな、と思った。



[31770] 貴族からの刺客 3-2 主人公とボス
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2012/11/08 18:54






 イレイネによる豪雨の中、いくつかの影が幾度も交わる映像がしばらく続いた後。
 しばらくして、突然カーテンを下ろすようにぱっと全ての雨粒が地面に落ちた。
舞台の中央には対戦相手の首筋に剣を突きつける敬悟。

 途端に観客がわっと沸いたのが、無音で見ているこちら側からもわかった。
控室でも何人か拍手した位だったから、その熱狂ぶりはわかるというものだ。

 敬悟もかなり興奮している。
満面の笑みで手を上げ、観客に手を振る姿は、絵になる位洗練された姿ではあったが、びっしょりと濡れた頬は赤く上気している。
 彼の悪魔型パートナーは観客に応えたりはしなかったが、腕を組む姿は誇らしげだ。

 彼等ほどではなかったが、みゆきとイレイネも嬉しそうだ。
舞台の端でそっとたたずんでいたが、かすかな笑みで互いをいたわるように寄り添っている。
 イレイネは、技で水を消費して小学一年生位の姿だったが、地面に落ちた水分をどんどん回収し、続々と元の身体を取り戻しているようだ。

 対する敗者は水たまりに腰をつく無精ひげの男と、ぼっと突っ立つ色黒の女性といういかにもな姿。
それぞれのパートナーは、主人をいたわるように傍に寄りそっている。

 まさに勝者と敗者の絵図だ。

「今日の主役だな」

 アーサーが独り言のように言うと、誰と言わず頷いた。







 その後、二回戦と三回戦と進行していったが、歩とリズ組、唯と慎一組の双方とも、全試合を棄権された。
 肩すかしを喰らった気分だ。
 なんだか鈍りそう、とリズが苦い笑みを浮かべながら言うと、本当にそんな気になった。

 一方の敬悟みゆき組はきちんと試合を消化していった。
 二人の戦いは目を惹くものだった。
他の試合ではパートナーに任せた戦いばかりが行われる中、二人は積極的に自分も戦ったのだ。

 敬悟の戦法は、積極的に対戦相手の人間を狙うというもの。
普通にやるとしたらそれしかない、という戦法だったが、ただ狙うだけではなかった。

 人とパートナーが共に戦場に戦う場合、パートナーの意識は主に二つに向けられる。
対戦相手と、自分の主人だ。
 対戦相手は言うまでもないが、そこに主人の死はパートナーの死というこの世界の理が加わると、パートナーを縛りつける鎖となる。

 二つの物に対し意識を割くというのは、かなりの重労働だ。
 右手と左手で別の字を書くというのはその代表格だ。
訓練すれば克服できないことはないが、それは慣れるというだけで、更に負担が増えればおのずと失敗が増える。

 そこを敬悟は突いた。
 敬悟の動きは今にも仕掛けそうで仕掛けない、しかし今にも仕掛けそう、とディスプレイ越しでも思ってしまうものだった。
 距離調整がメインだが、それ以外にも武器だったり、視線だったり、ありとあらゆるものを使い、見る者に危機感を抱かせた。

 そうなると、パートナーは敬悟への、つまり対戦相手と主人以外の第三者にまで注意を向けなければならなくなる。
 通常、主人の安否確認の中にその動きは入るのだが、敬悟はそこを刺激し、自身を第三の要注意人物にまで仕立て上げるようにしていた。

実際に戦う対戦相手パートナーと主人の安否双方への意識。
その二つだけでも苦労するのに、そこに第三者の動きまで加わるのだ。

 その上、その揺さぶりは計画的だった。
強弱を付け、相手が嫌がるところに嫌がる動きをする。
相手が混乱するように、相手そのものをコントロールしていく。
 相手が限界点に達したところで、人なりパートナーなり狩れそうな方を狩る。
 そういう戦法だった。
 歩もやる類の技だが、敬悟の巧みさ、念の入れようは桁違いだった。

 こいつやっぱ性格悪いね、と唯が漏らしたが、誰も答えなかった。
 見事すぎるほどの戦術だった。






 一方のみゆきの戦いは非常に華やかなものだった。
 みゆきはイレイネと完全に負担を分かち合う、コンビプレイだ。

 一回戦で見せたほどの大技は使わないが、巧みな連携で相手を崩していく。
 相手がパートナーだけをけしかけてくるのに対し、主にイレイネが対峙する中、みゆきも半歩ひいたところから、時を見て果敢に攻め入る姿は、戦乙女のよう。

 特に二回戦で見せた動きは、控室も静まるほどだった。
 その試合のとき、棄権されて時間の空いた歩達は、自然と備え付けのディスプレイから対戦を見ていた。

「お、みゆきのだね」
「相手は――なかなか辛いね」

 相手は巨大な狼型だった。
鼻先にユニコーンのような角と、キヨモリほどある白い巨体。
 動きも俊敏で、会場を所狭しと駆けまわる姿は、白い布がたなびいているかのよう。

「こやつらになら一矢報いられるかもしらんな」

そうアーサーが言ったほどだ。

 巨大質量の高速移動。これほど単純な破壊力のある技はない。
 自然、イレイネとみゆきに受けるという選択肢はなく、避け続けるしかなかった。
 幾度となく自分に向かって引かれる白い線上から、戦乙女がなんとか身をくねらせて逃げる。
 一回戦のヒロインが巨狼になぶられる映像は、誰もが息を飲んで見守っていた。

 ただ歩は割と余裕を持って見ていた。
 幼竜殺しのとき、似たような状況になったからだ。
 あのとき、最後は捕まってしまったが、みゆきは長いこと耐えていた。
 そして今対峙している巨狼は、犬形態だった幼竜殺しより遅く見えた上、なにより怖くなかった。

 場が動いたのは、しばらくして後のほんの一瞬だった。
 巨狼の相方、白一色で染め上げた甲冑とコートを纏う騎士風の男が、早まって剣を抜いたときだ。

 圧倒しながらも決定打を浴びせきれない状況にやきもきした結果なのだろうが、彼が近寄ったことで均衡が崩れた。

 いきなりみゆきが騎士風の男に向かって駆けだした。
 当然巨狼は主人を守りに向かうのだが、主人が近寄っていた分だけ、対処する余裕がなくなっている。
 その上、これまでただ立っていただけの男の動きは鈍く、危機感を増した巨狼の動きから、その分だけ余裕がなくなる。
 そして余裕を失ったときの動きは単純化し、読みやすくなる。
全ての対戦に通じる真意だ。

 そうして読みやすくなった白い暴虐を、みゆきは読んだ。
 突進してくる巨狼の線上から、ぎりぎりのところで宙を飛んでかわし、まばたきほどの猶予でイレイネによって引っ張られ、巨狼の無防備な背中にとりついたのだ。

 落ちる勢いも込めて、刃引きした剣が首筋を強く叩く。
斬ることはできないが、それでもそれなりの威力を伴った一撃にはなる。
急所に衝撃を受けた巨狼は、動きが鈍ってしまう。

そこにイレイネがとりつくチャンスが生まれた。
 首の周りにぐるりと纏わりつき、締めあげ始めた。
 イレイネの単純な膂力は低く、高速移動の最中にはとりつくことさえできず、とりつくことができても、窒息させるまでは行けない。
それでも首を絞められて力の入る生物などいない。

そう経たない内に巨狼はへたり込んだ。
みゆきとイレイネの勝利だった。

「本当、みゆきはいつの間にこんなに強くなったんだろ」
「さあな」

 唯とアーサーのやりとりだったが、歩も同じことを思った。







 三回戦を終えた頃、歩は不穏な場の空気を理解した。
 それまでもなんとなく感づいてはいたが、その正体がわかったのがそのころだった。

「あの二人が主人公で、私達が嫌な敵役、って感じだね」

 リズが言ったその言葉に、うすうす感じ取っていた全員が頷いた。

 この場にいるのは、社会人が多い。少なくとも、社会に揉まれた経験を積んでいる人ばかりだ。
 そうなると、自然と聖竜会の現状がわかってしまう。
 竜に対する畏敬の念はある。
実際にこうして肉体を動かす以上、竜の能力を肌で感じている。
だからこそその待遇もわからないまでもない。

 しかしそれでも嫌な感情は残る。
 どうにもならない生まれ持ったものへの嫉妬、自身の待遇の不満、特別扱いへの嫌悪。
 いくつもあるが、そのどれもがどす黒いが、人間らしい感情だ。
 どれだけ苦心しても、消すことはできない。
 それは何かのきっかけがあれば、噴出してもおかしくない代物だ。

 不幸なことに、歩達はそのきっかけになりうる立場にあった。
 妬ましい竜使い。自分達の苦労を知らない学生。歩達に非はなくとも、卑怯と責めたくなる不戦敗の数々。
 大人の空間に、我がもの顔で居座る子ども達。

 そこにヒーローとヒロインが現れた。
 学生だが見栄えのする外見、研鑽が覗える戦闘、思わず応援したくなる熱い戦い。
 にっくき敵役を、打ち倒す主人公にはもってこいの姿だった。
現状、敵役が主人公達を上回る力を持っていることも都合が良かった。
敗北必死の戦いに臨むものほど、心躍る戦いはない。

 完全に、歩達が敵役に、みゆき達が主役に、それぞれなる土壌が育っていた。
 自然と歩達に対する周りからの無言の圧力は相応なものになっている。

 これまでも嫌な視線だったり、視線を合わせようとしないことは多かったが、今は明確な敵意が覗き見えた。
 負けろ、消えろ、ひどい目に会え、俺達の溜飲を下げさせろ、被虐心を楽しませろ、そういう悪意が伝わってきた。

 時折口に出すやつもいたが、そういうやつは大概そそくさとその場から逃げて行った。
 一人だけ場に居座るやつもいたが、そいつはどうやら一回戦で負けたやつのようだ。
 自棄になっているのかもしれない。

 どのみち、歩達を取り巻く環境は最悪に近かった。
 場所を変えることも考えたが、

「何も変わらない。それどころか逃げる姿を見せたら、余計に状況は悪くなる」
「我も同意だ。馬鹿に尻を向けるなど、臆病者のすることだ」

 唯とアーサーの反対でとん挫した。

「それに次の試合で状況は変わる」

 唯が言った。
 対戦表を見れば、一目瞭然だった。
 唯と慎一組の次の対戦相手はみゆきと敬悟組。
 観客達も、選手たちも、おそらく歩達以外全員が浸っている、物語の山場だ。





「慎一、気張れよ」
「唯、気をつけてね」
「キヨモリ、思う存分男の方を食いちぎってやれ。失格になってもかまわん」

 久しぶりにアーサーの手の急所を掴んでやろうか、と思ったがやめた。
 唯と慎一が苦笑しながら、廊下を進んでいった。

 その後ろ姿を、だいぶ減った周りの選手も見ていたが、うすら笑いを浮かべているものもいた。
 おそらく会場もそうだろう。
 完全なアウェーの中での戦い。

「二人、大丈夫だよね」
「大丈夫でしょ。キヨモリはああだし、唯は俺らの中で一番落ち着いてたし、マオはマイペースだし、慎一は足には自信がありそうだし」
「慎一の扱いひどくない?」
「それ以前にリズが言っておることとは違おう」

 二人の返答に乾いた笑いを漏らしながらも、歩はそんなこと位お前に言われるまでもなくわかっていると内心でぼやいた。
 リズが言ったのは、雰囲気に飲まれるかだったり、散々肩透かしくらった後の強敵だったり色々あるが、総じて今の不吉さに飲みこまれないか、ということだ。
 なんとなく空気が悪い、というのは、どんな理屈や理性的な現状見込みよりも不安になる代物だ。
 なにせまともな対策を何一つ立てることができない。
 神頼みしかない、というやつだ。

「まあまともにやったら勝ちだから」

 それは唯一のいい材料だ。
 勝てば、おそらく場は白けるが、少なくとも歩達が粗雑に扱われる空気は薄れる。

「まともに出来るかのう」
「アーサー、不吉だよ」

 しばらくして、解説やらなんやらが写っていたディスプレイ画面が変わり、四人と四体が写った。
 慎一は緊張しているようで、若干顔が青白く、表情が固くなっていた。
マオも釣られてか、不安げに耐えず動きまわっている。

 それを見て、敬悟は見るからに嬉しそうにしていた。獲物だ、と言った感じか。
 ただ手の甲を絶えず掻いており、やはり緊張しているのだ、というのがわかる。

 みゆきと唯はいつも通りに見えた。
ただお互いの顔をまっすぐ見やっており、画面越しなのに近寄りづらい感じがした。

 キヨモリだけが一人いつもと変わらない様子でのほほんとしていた。


 お互い握手した後、試合が始まった。

 まずみゆきが動いた。
なんと、迷わず真正面から唯に仕掛けたのだ。

 唯は落ち着いて一撃を避けると、さっと距離を取り、いつものキヨモリに任せる態勢に入った。
 唯とみゆきの間にキヨモリが割って入り、みゆきから唯へのアクセスは遮断される。

どうでるかと思っていると、またもみゆきは正面からキヨモリに剣を向けた。
 真っ直ぐ突っ込み、剣を振るう。
それとキヨモリの腕が交差すると、途端にみゆきが弾け飛んだ。

 桁の違う膂力さがそこにあったが、弾け飛んだみゆきを風船状に膨らんだイレイネが受け止める。予想していたようだ。

「派手ね」
「全くだ」

 リズとアーサーもそれだけしか言わなかった。熱戦の予兆があった。

 みゆきはそれからも幾度となく仕掛けた。
時にイレイネの補助を借り、宙空で姿勢制御をしてキヨモリの目測を誤らせたり、イレイネそのものに仕掛けさせたり。
一度、キヨモリの肩に飛び乗り、首に向かって剣を振り下ろすところまで言ったが、腕に弾かれたシーンは、控室がどよめいた。

「この戦い方、歩に似てない?」

 リズに言われ、少し考えたが、よくわからなかった。

「自分じゃ自分の動きは見えないからな」
「お前にはもう少し俯瞰というやつをだな」
「試合見ようぜ」

 冷たく言うと、アーサーはふん、と鼻を鳴らした。
 その間も、みゆきはキヨモリに果敢に仕掛けていたが、序々に手が少なくなってきたのか、キヨモリがみゆきを追うようになっていった。

「見ずとも、少なくともお前よりかは試合の流れがわかっておるからのう」
「何かわかったことある?」
「当然であろう」

 リズの質問にアーサーが少し弾んだ声で答えた。そう言えば、素直に質問されるのって珍しかったかも。

「まず一つ。キヨモリの動きが悪い。どうも加減してしまっておるようじゃの」

 画面上ではまた変化があった。
キヨモリが優勢なのは変わらなかったが、どうも攻めあぐねているようだ。
腕を、尾を振るうが、そのどれもが空振りに終わっている。
空を切り裂くような速度で、まきあがった塵の渦は、どれもが必殺の一撃のようで、みゆきが避ける度に控室には息を飲む音が聞こえたが、一度も当たることはなかった。

「知り合いだから?」
「それもあるが、おそらく癖でもある。今まで満足に正面からやりあったことなど、少ないだろうからな」

 アーサーが言ったことを、歩はなんとなくわかった。。
 これまでキヨモリは常に加減しなければならない世界にいた。
 歩が手合わせしてもらったことは何度もあるが、強弱以前に人間が竜の全力を受け切れるわけがない。
何度か手合わせしてもらった、といっていた雨竜も同じだっただろう。
そこまでやっても、普通の模擬戦でも加減ができず、唯に叱られるハメになっていた。
 考えてみれば、キヨモリはなんて窮屈な世界にいたんだろうか。

「キヨモリとまともにやりあうのは、リンドヴルムでも難しいもんね。飛竜型はキヨモリほどの膂力ないから」
「――強すぎるのも考えもんか」
「ふむ、まあそれはそれとして、二つ目に移ろうか」

 ディスプレイ上では、みゆきが動いていた。
攻めあぐねてキヨモリの動きが雑になったところに、不意にみゆきが飛び上がりキヨモリにとりついたのだ。
しかし剣を振るう前に、キヨモリがぐるりと身体を回転しただけで、画面外に飛ばされた。
 画面が慌てて軌跡を追うと、コロシアムの壁を背に立つみゆきが写る。
背中にイレイネがいて、クッションになっていたようで、怪我はなさそうだ。
しかし劣勢は変わらない。

「では、二つ目。非常に簡単な話だ。画面にみゆきとイレイネしか写っていない。それが問題だ。画面外こそ重要であるのに」

 あ、と歩も気付いた。

「どういうこと?」

 リズの質問に、アーサーがあっさりと答えようとしたとき。

いきなり画面が止まった。
 いや、戦闘が止まった。
 キヨモリに仕掛けようとしていたみゆきが止まり、キヨモリもその場でびくりと制止した。
後ろの方を見て不満そうに強靭な顎をぱくぱくと動かし始める。
 唯に何か言われたのか、と歩が気付いたときには、イレイネがみゆきの背中に現れ、集合し始めていた。

 控室がざわめき始めた。無音なため、何が起こっているのかわからない。

「何が起こっているの?」
「多分、負けたんだ」

 アーサーの前に歩が答えた。
 自分のセリフをとられた、とアーサーが機嫌を損ねるかと思ったが、その口から漏れたのは、ほう、と嬉しそうな声だった。

「気付いたか」
「まあ」

 リズや周りがわかっていない上、悪い話なので、余り手放しに喜ぶ気になれない。

 画面が変わった。
途端にいつか見たときと同じように、観衆に向かって手を振る敬悟の姿が写った。
その少し離れたところで、うずくまる慎一もいた。
 アーサーが解説を始めた。

「我らが危惧すべきは、慎一だったのだ。正直、唯とキヨモリが負けることなどありえぬ。それこそ我ら位だ。しかし今回、唯とキヨモリが負けずとも、慎一が負ければ終わりだ。つまり注意すべきは慎一。それが見えてないのだから、我らが見ているのは小競り合い程度のものでしかない」
「そういえば、一度も慎一達を見てないね」

 ディスプレイに写っていたのは、全編を通してみゆきと唯の戦いだけだった。
 慎一と敬悟が写ったのは、始まる前に選手紹介をしていたとき位のものだった。

「みゆきとイレイネ対キヨモリは絵になっていたからのう。カメラもそちらに目がいってしまっても仕方あるまい」
「だけど勝負の核は慎一対敬悟だった。あの男の戦い方もかなり厳しかったし」
「戦い方?」
「相当嫌らしい戦い方するから。慎一、精神面からやられたのかも」
「お前も気付いていたか。少しは我が慧眼が」
「それより、問題だよ」

 正直、ここで勝てばそれでこの空気も終わりだと思っていた。
 しかし周りがヒーロー達の勝利に終わったことに気付き、にわかに騒ぎ始めている。
 それ自体は問題ではないが、騒ぎが終わった後が問題だ。

 奇跡を起こしたヒーロー達と、まず負けるはずのなかった中ボスに、どう見ても中ボス以下のボス。つまり歩達。
 この後どうなるかを考えると、重い息がもれた。



[31770] 貴族からの刺客 3-3 物語
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2012/11/15 17:47







「マジですまん。面目ない」

 うなだれた様子で帰ってきた慎一は、顔を合わせるなりそう言った。

「本当、マジ最悪だった。俺は何もしなけりゃそれでよかったのに」
「だからやめて。さっきからずっとこの調子なのよ」

 困り半分怒り半分といった感じで、唯が言う。

「唯もほんとうすまん。キヨモリもすまん」
「いいって、もう。そもそも私は慎一が何もしないのは反対だったし」
「そうなの?」
「だってつまらないでしょ? それじゃあ」

 呆気なく言い放つが、慎一が重ねて謝ると、唯は困り九割といった感じで苦笑いをした。
本当に勝敗はどうでもよかったように見える。

「――どっちにしろ、俺の責任だ。すまん」
「そう思うなら、もう謝るのやめて。そっちのほうがきついよ」
「本当に勝敗どうでもよかったの?」

 歩が尋ねると、唯がぱっと答えた。

「負けたところでどうってことはないと思うしね。この大会のために、高校三年間頑張ってきましたってわけでもないし――大きな声じゃ言えないけど、思いつきで参加しただけだしね」

 最後の部分は小声だった。周りのどう見ても本気な参加者達に聞かれたくないみたいだ。
 まあそりゃそうだ。

「だからさ、もうほんとやめて」
「慎一、どういった状況だったのだ? カメラはずっと唯のほうを写していたのだが」

 何むしかえずの、と唯がきつい視線を向けるが、アーサーは飄々としている。
 戸惑いつつも、慎一は二人の顔を覗いながら答えた。

「あいつは悪魔型を前に出して、俺とマオを攻めたててきた。正面からじゃ勝ち目はないから、俺はずっと距離とりつつ動いてたんだけど、あいつはずっと唯の方を見てたんだ。狙ってますって感じで。だけど唯は指示出せるように、みゆきとキヨモリの一戦のほうに集中してて」
「危ない、と思ったと」

 慎一は苦々しそうに頷いた。
 まんまと術中にはまったと自覚しているのだ。

「ブラフだな。奇襲だろうと竜使いに勝てるなんぞ思っておらぬであろう」
「面目ない」
「最後の決着もそれ?」
「悪魔型パートナーの攻撃が当たりそうになって、冷や汗掻いた瞬間に、あいつが唯に仕掛けてるの見えて俺が固まってしまって、そこを悪魔型に」

 くやしそうに慎一が言った。

「ほんと、すまん」
「もういいって。アーサーも、蒸し返さなくてよかったのに」
「何も言わず蓋をしめただけじゃ何も変わるまい」

 何も変わるまい、とアーサーが言ったところで、唯がぴくりと頬をひきつらせた。
 アーサーの物言いにむっとしたというのではなく、自分の失態に気付いたという感じだ。

アーサーは唯の反応に気付かなかったように続きを言い始めた。

「まあ慎一も自覚があるならそれでよかろう。相手が一枚上手だったということだ。負けたら命を取られるというわけでもあるまい」
「けど」

 慎一が目だけであたりを覗った。
 歩も軽く見回して見たが、案の上だ。
 何人か、うすら笑いを浮かべてこっちを見ている。
 竜使いが一般に負けてどんな気持ち?
 顔を見ただけでそう伝わってくる。
 主人公に負けたボスは、民衆の慰み者となる。
 なんかみじめだ。

「けど何か失われたわけではない。命も未来も身体も何も奪われておらん。それ以外は些事だ」

 しかしアーサーはそう言い放った。周囲の様子に気付かないはずもないのに。
 顔を見ると、強がりだけで言っているわけではなさそうだ。
 本当に些事だ、と思っている。

「あの~、すみませんね、竜使いさん~?」

 そこでいきなり後ろから声をかけられた。
 振り返ると、そこにはにやついた笑みを浮かべた男子学生がいた。じっと歩を見てきている。
 服装は迷彩服で、周囲の大人達と変わらないが、顔がどことなく同世代だ。
 ただこんな意地の悪そうな笑みは、浮かべた覚えがない。

「なにか?」

 歩がそう言うと、ふざけた笑みを更に深めた。

「あなたたち負けたならさっさと帰ってもらえます? 場所とって邪魔なんですけど」

 慇懃無礼にも程がある。

「負けた人は外に出ないといけない決まりでもあるのか?」
「別にないですけど、帰ってる人も多いですよ? なにより、その」

 男はちらっと一瞬だけキヨモリを見たが、おっかなびっくりと言った感じで歩に目線を戻した。

「でかい図体が邪魔っかしくて仕方がないんですよ。みんな思ってるけど、竜使いだからって言えなかったのわかりません? 蒙昧無知っていうんですよ、そう言うの」

 言い終えると、目の前にいる馬鹿は言いきってやった、という顔になった。
 自称勇者。中学生特有の、どう見ても馬鹿にしか見えない英雄ごっこ。
 そういう類の、本物の馬鹿だ。

 しかし馬鹿の動きは伝染した。
 見回すと、皆こちらを見ていて、にやにやとしている。
 そうだそうだ! 帰れ帰れ!
そう今にも言いだしそうだ。

普段ならそんな口は聞こうとも思わないはずだが、今の雰囲気と、歩達が学生なこと、そして唯が負けたことで、竜使いへの畏怖が薄れているのだ。
つまり調子にのっている。

「わかった、慎一、場所移そう」
「唯、そんな必要ないよ」

 リズがぱっとにらみを散らすと、慌てて目をそらした。やはり竜使いは怖いようだ。
 しかしそれでもにやにや笑いをやめないあたり、集団の勢いは強い。

「リズありがとう、けどいいよ。こんなとこいても気持ち悪いし」
「唯」
「慎一、いい?」
「俺はなんとでも」
「次の呼び出しをさせていただきます。水城歩様、リーゼロッテ様、中央コロシアムにお集まりください」

 歩、リズ組の出番だ。

「じゃあ頑張って」
「――歩、気を付けろよ」

 リズはまだ何かいいたげだったが、唯達は出て行ってしまった。
 その後をじっと見ていると、周囲にいる馬鹿達がにやついた顔で目を追わせているのが目に入ってきた。
 馬鹿ばっかりだ。

「歩、行こう」
「おう」

 さっさとこの場から離れよう、と置いていた棍を手にしたとき、話しかけてきた馬鹿学生がいなくなっていることに気付いた。

「そそくさと逃げて行ったぞ」
「いまさら怖くなったのかな」

 二人はそう言ったが、もうどうでもよくなっていた。
 ただこれから相手がいるかもわからない会場に行くのが、ひどく馬鹿らしい。

「次は相手いるかね」
「いてほしいね」

 なんだか暴れたい。
 リズもそう思っているのだ、と歩は思った。








 幸いなことに、今度の相手は棄権しなかった。

 薄暗い廊下を抜け会場に入ると、三百六十度観客に囲まれた闘技場に出た。
 円形の壁まで砂が敷き詰められた舞台と、その壁の上にすり鉢状に設計された観客席。
 唯とやったときと同じく、観客と会場の間には精霊型が防御用の薄い膜を広げていた。
 今は試合の休憩時間で、観客は思い思いにざわついていたが、それが序々に大きくなっていった。
 歩達に気付いたようだ。正確にはリンドヴルムに。

 正面には既に対戦相手がいた。
 ずんぐりした背の低い禿頭の男と、どこかひょろひょろした背の高い男。
 それぞれガーゴイルと、陸蛸を従えている。
 ガーゴイルは猿の口元を前方にそそりだたせ、角を付けたような頭をしている。
体つきは全体的に絞ったゴリラといった感じ。両手足の爪には黒いカバーがかけられている。大きさは三メートルほどだ。
陸蛸は名の通り陸棲のタコだが、足を広げると、広い会場の五分の一ほどを占めているように見えるほどの巨体だ。
 足も通常の八本ではなく、はっきりと数えられないが、二十本はありそうだ。

「結構な相手だね。だから棄権しなかったのかな」
「注意しなくちゃ」
「ようやくそれも出番であるしのう」

 アーサーがリンドヴルムの背中を見ながら言った。
 そこには巨大な剣が結び付けられている。
 リズが実家から送ってもらったという、竜騎士用の巨剣だ。
刃渡りだけで二メートルは越している。
 剣といっても実際に手に持つ柄の部分が長く、両刃のなぎなたといった形だ。
 竜騎士と言えば華麗な姿を思い浮かべるが、リンドヴルムの背にある剣の刃は何も装飾がないただの鉄の塊で、柄も黄色く変色した布をぐるぐると巻きつけているだけ。
 かなり無骨な代物だ。

「意外とシンプルだな」
「実用的じゃないとね。歩に負けないように」
「実戦となったら、主役はリズ達だよ。こっちこそ、足引っ張らないよう頑張るからさ、頼りにしてんよ」
「――うん」

 審判が入ってきた。
 両者を近寄らせ、ぱっと確認事項を済ませる。
 あっという間に出て行った。

「歩、私達は私達。周りに構わずやろう」
「おうよ」
「なに、お前がまともにやりゃ負けんよ」

 その通りだ、と慎一の二の舞にはならない、と思いつつ、相手と距離を取る。
 リズがリンドヴルムの背中にまたがると、固定していた巨剣を外し、両手で抱えるように持った。

 相手は両方とも隠れるように陸蛸の後ろに移動した。
 なんだかんだでやはりパートナー任せの戦いか。

 これで準備は整った。
後は開始の合図を待つだけとなったとき、アーサーが声をかけてきた。

「歩」
「なに」
「今日は指示出さんからな」

 振り返りアーサーの顔を見ると、普段通りの澄ました顔だった。

「いい加減、自覚せよ」

 何を、と聞こうとしたとき、ぱっと砂が舞い上がった。リンドヴルムが飛び上がったのだ。
反射的に目をかばい、その後で急いであたりを覗ったが、アーサーはいなくなっていた。
そして会場に開始のアナウンスが鳴り響いた。

 後でとっちめようと思いつつ、意識は前方へ写す。
まずガーゴイルが動いた。
 四足で砂地を殴りつけるように駆け、猛然と迫ってくる。

 距離が十メートルまで縮まり、ガーゴイルが右腕を大きく振り被ったとき、歩も動いた。
棍を構えつつ、見計らって横に身を移し避けた。
避けられても直進する相手の裏周りがてら、棍を振るってみたが呆気なく弾かれた。

やはり自分が勝つのは難しそうだ。

 振り返ったガーゴイルは続けざまに両腕を振るってきた。

――速い。

 斜め上からの爪を交わしてすぐに二撃目が飛んできたとき、歩はそう思った。
 無造作な動きだったが、機敏な動作だった。隙が少ない。学校のやつらとは違う。
 三撃目が頬をかすった。爪にかけられたカバーが擦れ、ひきつった痛みが走る。

続いて四撃目をさけたところで、ガーゴイルは五撃目を振るわず、代わって右腕を腰のあたりに引きつけた。

 次の瞬間、閃光の如き突きが飛んできた。
 それも一息で四度。
 三度目までは棍で流したが、四度目が耳のあたりを擦った。

 たまらず歩は思い切り後方に飛びのくが、ガーゴイルは読んでいたように着いてきて、思い切り身体をねじったフルスイング。
 歩は棍をクッションにして両腕で受けたが、衝撃は骨にまで衝撃が突き抜け、弾き飛ばされた。

ずささ、と足元の砂を削りつつ止まるが、腕を振るった姿勢の怪物の姿を見て、思わず喉から音がもれる。

 呆れた威容だった。

 しかしこれで距離が取れた、なんとか棍で牽制しつつ立ち回ることを考えはじめた。
 その瞬間。
風切り音を耳に捉えた。
 咄嗟に身体をのけぞらせる。
一瞬前に歩がいた空間に、一筋の光が二本流れた。

 光の出元をたどると、そこにはボウガンを構えた人間が二人。
 対戦相手だ。二人とも外れるや否や、手早く装填をしている。

 ボウガンか、なるほど、それなら安全圏に身をおきつつ攻撃できる。
そう考えついた時、次の可能性に気付き、あわてて視線を戻した。

 案の定、振り被るガーゴイルの姿があった。
突進の勢いも込めた一撃が飛んでくる。
 なんとか棍で受けたが、どん、という音が身体を駆け抜けた。
先程と同じように吹っ飛ばされる。

しかし先程とは違い、ガーゴイルは更に追い掛けてきた。
咆哮まじりの拳。それも間違いない連打。
 なんとか避けようと身をくねらせるが、何発かかすりを通り越えた一撃が入った。

 右肩と脇腹の痛みと衝撃に耐えつつ、咄嗟に隙を見てガーゴイルの脇をなんとか通りぬけた。
 そのままガーゴイルの後方に三メートルほど走り、振り返る。

 ガーゴイルは既に振り向き、まっすぐに歩を捉えている。突進前コンマ数秒。
 しかしその前に矢が飛んでくる。
 そう読み、ぱっと後方に飛びのくと、通り過ぎていく矢が見えた。

 これが相手の戦法か。ガーゴイルメインの、ボーガン補助。
 シンプルだが、わかりやすく強い。
 おそらく、これがあるから竜使いにも挑んできたのだろう。
 このままでは、そうもたない。

「アーサー!」

 苦し紛れにそう叫んだが、返答はない。本当に指示を出さないつもりか。
 何のつもりだ。
 仕方なく、次の案を出す。

「リズ!」

 叫びながら、空中を見やる。
 空中では幾本もの足が振るわれていた。タコの大足だ。
 うねうねと動く吸盤が、宙を所狭しとはいずり回っている。

 その内の一本が突如ずれ落ちた。
 リズとリンドヴルムだ。全くの無傷で、自在に空を飛びまわっている。

「ごめん! てこずってる!」

 しかしすぐに返ってきた答えは残念なものだった。

 負けはしない。竜だ。しかし何十本もの足。本体までは遠い。無理するとリズが危ない。
 そうなると慎重になるしかない。しかし時間がかかる。

 歩はぱっとそこまで思考を巡らしたが、それまで歩が持つのか、という疑問が浮かぶと同時に、ガーゴイルと正面からぶつかった。

 両腕を振り下ろしてきたガーゴイルに、棍で双方を受けると、そのまま力比べの態勢となる。
 相手は三メートル以上の体躯。人外。
 当然勝てない。

 このままだと背骨が折れそうだと、咄嗟にガーゴイルの足の下めがけて身体をすべらせてみた。
 うまいことずささと滑っていけ、四足態勢になったガーゴイルの背中をとれる。
 しかしやはりそこに矢が飛んでくる。そう読んで身体をずらすと、案の定矢が飛んで行った。
 その間に起き上ったガーゴイルは、突きを放ってくる。
なんとか身をよじって避ける。
しかし間髪いれずガーゴイルの一撃。なんとか防ぐ。

さらにガーゴイルの攻勢は続く。上段からの引き裂くような一撃。棍で受けた。
 そこに腹めがけた拳。避けるしかない。
が、よけきれなかった。拳の三分の一ほどが歩の脇腹を捉えた。

「っがぁ……」

 鋭い痛みと共に息がもれる。
更には身体に回転が加わり、身体のコントロールを失う。

そこに拳の追撃。
 無様に身体を投げ出して避けるしかなかった。地面に転がりながら、最悪だけは回避する。

 そのまま地面を転がり、少しでも距離を取ろうとするが、そこに風切り音。
更に身体を転がし矢の射線上からどくが、その避けた分だけガーゴイルに先をとられ、起き上ったときにはガーゴイルの姿。
息を突く暇がないのに、喉からは荒い息が絶えずもれる。

 じり貧。もたない。

「歩!」

 そのとき、アーサーの声が聞こえてきた。
 指示を出さないとか言ってたが、気を変えたか。
 一瞬見上げると、すぐ近くでぱたぱたと飛んでいるのが写った。

「お前いつまでそうしておる?」

 しかし続く言葉は全く意味がわからないものだった。
腹がたってきた。
 思わず叫ぶ。

「何!」
「そんな雑魚にいつまでやられているのだ、と聞いているのだ」

 ガーゴイルの裏拳を避けながら、はああ!? と声が洩れた。
 洩れた分だけ息が辛くなるが、それでも叫ばずにはいられない。

「どこが雑魚だ!?」
「幼竜殺しに比べれば雑魚だ!」

 幼竜殺し。
 汗と疲労で粘りはじめた思考でも、あの異形と恐怖は鮮明に再生された。
目にも止まらず速度、びくともしない膂力に加え、再生能力、多彩な個別能力。
弾き飛ばされるみゆきに、アーサーとの巨獣決戦。
最強の生物だ。
しかしそれがどうした、という内なる声に、ガーゴイルの突きをくぐりつつ、答える。

「あれと比べんな!」
「ならばあのときの我と比べよ」

竜殺しの竜。その幼竜殺しと真っ向からやりあい、喉元を噛み破るまで至った。

「だからどうした!」

 しかしそう叫んだ。思いついたことがそのまま出た。

「いい加減気付け!」

 意味がわからない。

「俺は人間だ!」
「お前はなぜそこまで自分を過小評価する!」
「あぁっ!?」

 過小評価? 自分を?

「俺はこんなもんだろうが!」

 そう叫んだ。全身がわっと沸いた気がした。

 そのとき、いきなり叫びながらガーゴイルが飛びかかってきた。
 慌てて身を横に投げ出し、なんとか射線上から退く。
 意図はわからないが、アーサーとしゃべりながらだとやはり危ない。
 というかよくここまでなんとかできたもんだ。

 答えずにいると、アーサーもまた黙った。
 代わりに始まるガーゴイルの猛攻。
 無数の攻撃。どれもが必殺。なんとか避ける。

 そのとき、仕方がない、という声が妙に響いて聞こえた。
それがアーサーの声だ、と気付いたとき、不意にボウガンを構えた対戦相手との間に、黒い小さな影が見えた。

 アーサーだ。そして敵の視線が、そちらに行った。
 もっと簡単な相手がいる、と対戦相手が舌舐めずりしたような気がした。

「アーサー!」

 矢が飛んだ。
幾度となく巻き上げられる砂が混ざってしまったようなざらついた空気を切り裂き、真っ直ぐに飛ぶ。
黒い翼に当たった。

 刃はなく、貫きはしなかった。しかしアーサーの身体は、二回後方にぐんと弾かれた。
 そして墜落。黒いぼろ布が地面に落ちたようだった。

 歩は目の前のガーゴイルを見た。突きを放っている。
 それは避けた。しかしそれだけだ。こいつには勝てない。

 もう一つの戦闘を見る。タコの足は大分減っていた。地面には何本も落ちている。
 しかし宙を行き交う足は、まだまだ濃い網を作っている。リズも無理だ。

 対戦人が動くのが見えた。
一人だけ、小太りのほうが墜落したアーサーのほうに駆けだした。もう一人はボウガンを構えている。

 やばい。しかしリズは動けない。歩は勝てない。
 ガーゴイルが諸手を上げた。そのまま斧を振りおろうように、両の手が降ってくる。
 歩はそれを棍で受けた。棍の真ん中で受けると、途端にみし、と音がした。亀裂が入ったのだ。
 続いて受けた腕を通じ、衝撃が肘へ、肩へ抜け、肩甲骨から後方に噴出。
 肉と骨が変な音をたて、痛みが生まれる。

 痛い。辛い。しかし。アーサー。危ない。しかし。リズ動けない。
 己が動く。無理。勝てない。

――過小評価をしている。

 アーサーの声が再生された。

――俺は、そんなもんだ!
――E級。その相方。竜使い。見かけだけのインテリジェンスドラゴン。アーサー。

竜殺しの竜。幼竜殺しと並ぶ、歩史上最強の生物。

そのパートナー。

「ぁぁぁぁああああああああ!!!!!」

 だからどうした。
 動け、自分。

 全身の感覚が失せた。
 代わりに思考がクリアになる。

 みしみし、という音。続いて硬質なものが弾ける、棍が折れる音。
 散乱する木くずと、それを切って振り下ろされる巨躯の拳。

はっきりと見えた。
 そして考えるまでもなく動いた。

 身体を一瞬後方へぶらす。そこに拳が突き抜ける。空を切る。
そして少し上に遅れてガラ空きの顎が続いた。

 考える前に膝が出た。骨っぽい感触が膝のあたりに。轟音。そしてガーゴイルの顎が跳ね上がる。
 歩の足元を中心に、砂が大きく飛び上がった。ガーゴイルの上背よりも高くまで散っている。湖の中に、巨石を落したような光景だ。

 そこに赤も混じった。ガーゴイルの口と、耳から漏れた血だ。

 巨躯はそのままばさりと崩れ落ちた。

 アーサーの元へ走った。対戦相手は止まっていた。
その顔は間抜けに凍っており、アーサーまで三メートルほどまでで止まっていた。

「アーサー!」

 膝をつき、アーサーの身体をすくい上げた。
 顔を見る。目は閉じられていた。全身砂まみれで、まぶたまでびっしりとくっついている。
 大丈夫か、と言おうとしたとき、そのまぶたがぱっくりと開いた。
 濃い緑がぎょろりと剥いた。

「よっこいせ」

 そう言い、何事もなかったように手をつき、起き上った。

「おい」
「何がだ。我は実際飛べんぞ」

 頬のあたりが引きつき、ふざけるな、と叫ぼうと思ったが、声は喉元でとまり、全身の強張りが、頬のひきつりごとがっくりと落ちた。

 途端に耳をつんざいた。
歓声だ。

 えっと、どういうことか。

「お前の勝利だ」

 アーサーがそう言い、ああ、と理解した。



[31770] 貴族からの刺客 3-4 その後、嚥下
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2012/11/15 17:49
前回できなかったので、二つ続けて投稿しました。









「歩すごかった! 何あの動き! しばらくわけわかんなかったよ!」
「あ、ありがと」
「我が芝居を打たねば気付かぬあたり、間抜けだがのう」
「うるせえよ」

 歩達は石畳の廊下を歩いていた。
 背中の方からは、まだざわつく会場の音が聞こえてきている。
 信じられないことだが、その中心には自分がいた。アーサーでも誰でもない、歩が。

「もともとすごいと思ってたけど、実際は予想以上だったよ! パートナーを正面から、それも一撃で倒しちゃうなんて!」

 リズも興奮した様子で自分をほめたたえてくれている。
 もともと歩のことを、自分のムコにスカウトするほど評価してくれていたが、今はそれにもましている。
 すごい、と言う言葉に熱がこもっている。

 自分の手を見る。歩みを進める膝を見る。
 生まれてきてずっと付き合ってきた身体なのに、どこか全く別のものを見ているような気がした。
 これまで自分の感覚としてあった身体とは、全くの別物のようだ。

「あの程度、我がパートナーなら当然であるが、まあ今回ばかりは褒めてやろう」
「そんなこと言っちゃって、嬉しいくせに」
「何を言う」
「それともほっとしたのかな? 自分の捨て身の演技が上手くいって」
「二人とも、ありがと」

 歩がそう言うと、リズは満面の笑みで、アーサーは鼻を鳴らした、ふん、という音で、それぞれ応えてくれた。

 会場へつながる石畳の廊下が終わり、控室へと繋がる会場を一周する廊下にまで出た。
 隅に立っている他の選手と目があう。
 途端に目を見開き、どこか怖そうに後ずさりした。
驚きと困惑、そして後悔に襲われているのが見てわかる。
 竜使いもどきと思っていたやつが、実は化物だった。
 そんな化物を自分はぞんざいに、それも本人にわかるよう、扱ってしまっていたと。

 歩は彼から目線を外した。
それから廊下を進むたびに現れる似た人達にも、横目では確認するだけで目が合わないようにする。
そうされるのも悪くはない気分だが、余り浸っていいものではない。

「ふむ、なかなかに壮観よのう」
「アーサー、性格悪くない?」

 アーサーもリズも同じことを思ったようだ。

「馬鹿にはいい傷よ。調子にのって、己の立ち位置を巻きまえぬから怯えねばならぬのだ」
「ひどいパートナーに巡り合ったのに、歩は本当すごい」
「さきほどからリズはすごいとしか言わぬな」
「だってそれ以外言う言葉がみつかんないんだよ」

 他愛ない言葉を聞きつつ、元の控室に戻った。
 そこにいた人達の反応も同じだったが、一人だけ、本当に怯えているやつがいた。
 先程、唯達に出て行けと言った子供じみた男だ。
 直接無礼なことをしてしまったことを思い出し、そこから逃げることもできずにいたみたいだ。
 今にも泣きだしそうに見える。失禁してもおかしくない感じだ。
 これほどまでに縮こまった人間を見るのは、初めてだ。

 このままほっといて唯達のところに行くか、と思っていると、翼をはばたいて彼に近付いていくアーサーが見えた。
 止めようとしたが、間に合わなかった。

「おい」

 ヒッ、と男は泣き声をあげた。本当に言う人間がいたんだ。
 アーサーは何を言うのか、余りひどかったら止めよう、と思っていると、アーサーが言った。

「我らといた竜使い達がどこにいるか知らぬか?」
「えっ……あ、はい」
「知らぬのか?」
「は、はい」
「ならいい」

 そう言うと、相手を捨て置くようにアーサーは戻ってきた。

「さっさと唯達のとこに行くぞ」

 歩達のところで立ち止まらず、そのまま飛んで行った。
慌てて後を追い、声をかける。

「お前何してんだ?」
「ささやかな意趣返しと、優しさ」
「どういうこと?」
「前者はそのまま、優しさというのは、あのまま無視してもやつは勝手な妄想をしては怯えていただろうから、お前なんぞ気にせぬ、と言外に伝えてやったことだ。まあまだ妄想はするだろうが、多少は軽減されたろう」

 なるほど、というと同時に、やはりこいつは性格が悪いなと思った。

 演習の外に向かう廊下を進んでいくと、出口のところで慎一とマオがいるのが見えた。
 こちらに気付くと、手を上げて横に振ってきた。嬉しそうだ。

「見てたぜ。歩、いつからあんな強くなったんだ?」
「唯はどうした?」
「別の場所。キヨモリいると目立つから。んで歩、質問に答えろ」
「わからん。無我夢中」
「なんだそりゃ」

 それから慎一に連れていかれた先は、学生ギルド設立のときにお世話になったギルド連合の建物だった。

「キヨモリがあんまりにも目立つんで、お願いしたんだ」

 それから中に入ると、業務をしていた人達の視線が一斉に歩に集まった。
 称賛の目だ。
ギルド設立のときにお世話になった一度きりだが、好意を持ってくれていたのがわかる。
 戸惑いつつも、軽く首だけで会釈をした後、慎一に促されてすぐ横の応接室に移った。

 ドアを開け中に入ると、ソファの座る唯と、その対面に座る中年の男が見えた。
 たしかここの支店長だ。
 奥のほうで、キヨモリが身体を丸めるようにして寝ている。

 二人が振り向き、両方の目が歩に来た。なんかこそばゆい。

「おめでとう。素晴らしいものを見させてもらったよ」
「あ、ありがとうございます。えっと支店長さん」
「上橋だよ」
「上橋さん」

 無礼に全く機嫌を損ねた様子を見せず、上橋さんは出ていった。

「歩、すごかったよ」
「またすごいか」
「それ以外何かいい言葉ある?」
「さあな」

 一瞬溜めた後、みんなで笑った。
 それでふっと身体が軽くなり、自分が慣れないことに強張っていたことに気付いた。









 そのまま借りた応接室で試合の感想なりをしゃべっていると、大会を中継していたテレビで、今日の試合は終わりだということを知らされた。
 念のため会場に向かい、事務の人に確認したが、今日はもうそれで終わりらしい。予定よりずいぶん時間がおしていたようだ。

それからギルド連合の人達にお礼を言い、帰路についた。

 明日も試合あるからと、どこにも寄らずに家に帰った。
 幸か不幸か母さんはいなかった。仕事のようだ。
 台所に行くと、いつの間に作ったのか知らないが、後は温めるだけの晩飯と共に書き置きがあった。

 ごめん、仕事。勝ったかどうかはわからないけど、しっかり寝なさい。勝ってたら明日いくかも。

 とのことだ。簡潔ならしい書き置きだったが、明日来るかもしれないというのを見ると、なんだか気恥ずかしくなった。

 それからすぐにシチューの入った鍋を温め、サラダとパンと共に食べた。
冷えた身体が暖まり、食後に一息つくと呼吸と共に身体の強張りが一緒に抜けていったような気がした。
 食べ終わると、アーサーは珍しく歩の部屋にある自分の寝床に行き、即寝た。
普段は居間の自分の定位置につき、寝酒しながら寝ることが多いのだが、本当に疲れていたようだ。

 歩もさっさと風呂に入り、身支度を済ませた後、床についた。
 ベッドの中に入ると、途端にまどろみはじめる。
 しかしなかなか寝付けない。
眠いことは眠いし、実際まどろんではいるのだが、頭が冴えてしまっていた。

 まどろみながら、浮ついた思考が始まる。
 今まで自分は何をしていたんだろう。
 さんざん戦闘をこなしてきた。自分の力量を知った気になっていた。
 常識に考えれば、所詮人なんだから、そう言っては自身を卑下してきた。

「アーサー」

 起きていれば、と思い口に出した。
 反応が返って来ず、やっぱ寝入っちゃってるかと諦めたところで、

「なんだ」

 と聞き慣れた声が聞こえてきた。声は少ししゃがれている。起こしてしまったのか。

「起きてた? 起こしたならすまん」
「いいから話せ」

 天井を見上げたまま、尋ねる。

「おれが自分の力に気付かなかったの、なんでかわかる?」
「んなものわかりはせん」

 きっぱりと言い切られると、そうだよなあ、と苦笑してしまった。

「だが思うことはある」

 ぱっと横に寝るアーサーを見た。身体を丸めて眠るアーサーの尻尾が見えた。

「何」
「我が生まれたとき、どういう風に感じた?」

 唐突な質問だが、まどろんでいるのもあり、さっと答えた。

「すげえ。竜だ。竜使いだ」
「期待した?」
「それは当然」

 期待しないほうがおかしい。その後へこまされることになったが。

「が、その後期待は消えた」

 同じことを、と思った。

「我のせいだな」
「誰のせいでもねえよ。強いて言えば運命位のもん」
「だがお前はそこで諦め癖がついた」
「ん?」
「生物はどうしようもなく打ちひしがれると、期待することができなくなることがある。竜使いとしての栄光から転落させられた挙句、周りから憐れみと嘲りの混じった視線を向けられるようになったお前は、まさにそうだった。お前は何かを望むということを基本的にしない。してもうちひしがれるだけ。いや、転落されることが怖い。希望を持っても、また絶望させられるのが怖い。ならば最初から希望を持たない方がいい」

 アーサーはそう一息で語った。たまっていたものを、一気に吐きだすように。

 言われて、少し前の自分を思い出す。
 少し前の自分。
これまでと違って見える。

 幼竜殺し以前の学校での無気力な一日を過ごす自分
唯との一戦前の最初から諦めた自分
勝ってもただのまぐれだと頑なだった自分
唯が襲われても、やっぱり、と諦観した部分もあった自分。

 悪食蜘蛛のときは、今思い出しても向こう見ずなところがあった。
生きていられたのが不思議な位だ。
あのときはそれしかない、と思っていたが、少し考えればもっと違う方法もあったのではないか?

 リズのこともそうだ。どこか他人事だった。貴族からの婚約という、ある意味栄光。
 リズ自身もいい人だし、いい女性だ。勿体ない位純粋な好意を向けてくれている。

……勿体ない。
それも自虐か。

 そしてもう一つ。

「アーサー」

 返答は帰って来なかった。再び眠りについたみたいだ。
 そう気付くと、歩も眠くなってきた。
 本物のまどろみに身を任せると、またたく間に意識は溶けていった。

 意識が消える直前、すまぬ、と聞こえた気がした。



[31770] 貴族からの刺客 3-5 決着
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2012/11/18 16:51








 翌日、試合は粛々と進んでいった。

 次の試合は相手が棄権した。しかし特にいらだつことはなかった。
 控室で顔を合わせた残りの選手達の顔に、居心地の悪さと、恐怖の奥底に尊敬を抱いている様子を感じたからかもしれない。
 これが竜使いが向けられる畏敬の念か、と思った。自分に向けられるのは、初めてだった。

 午前中の終わりに準決勝を迎えた。

 相手は選手宣誓をした竜使いだった。
東宮博文というらしい。三つ首の陸棲竜だった。
彼の組んだもう一人の相方は三頭犬使いだったが、こちらは代々の主従関係です、といった感じで、服装も竜使いの着ているものより抑え気味で、一歩引いているのがわかった。
顔が主人と同じ位の大学生といった印象を受けたが、雰囲気だけが老成していた。

「昨日の見ましたよ。よろしくおねがいします」
「よろしく」

 余りにもにこやかにそう言われ、なんだか面食らってしまった。
 これまで会った竜使いの中で、最も礼儀正しく社交的な人だ。

 試合が始まると、リズ、リンドヴルム対三つ首の竜、歩対三頭犬となった。
 相手を見る限り、長年連れ添った関係ということで、ガーゴイル戦のように連携を組んでくるだろうと思ったのだが、こちらに合わせて一対一を二つ作るという形になった。
 付け焼刃の連携しかない歩とリズにとっては都合がよかったが、なんだか不気味だった。

 しかし試合内容は素晴らしいものだった。

 竜対竜。
空を駆ける竜騎士と、地で待ちうける竜の交差。
咆哮とともにやりとりされる牙と剣の応酬。
一度交わる度に硬質な音がつんざき、砂が大きく舞い上がる。
いつしか観客と舞台を分かつ精霊型の膜には大量の砂が付着してしまい、歩側から観客が見えなくなった位だ。
ただいま洗浄しますのでお待ちください、と観客に向けたアナウンスが慌てた様子で流れた。

 その時以外、観客からはほとんど何も聞こえてこなかった。
息をのむ戦い。
まさしくそれだった。

 相手が仕掛けてこず逃げに回っていたのもあるが、いつしか足を止め、歩もまた竜同士の戦いに魅入った。
 真のアーサーが幼竜殺しとやりあったときと同じ、最強同士の戦闘。
 自分はやはりまだまだだ、とどこか愉快さを伴った自戒をした。

 決着は、耐えきったリズがもたらした。

 超弩級の戦いを、人の身でありながら一度も下りることなく戦い抜いたリズの峰打ちが、相手の胸に入った。
 大きく悲鳴を上げる竜を見て、見守っていた竜使いは白旗を上げた。

「すごかったです」

 観客が大きく沸く中、負けたにも関わらずむしろ試合前より増した笑みで、竜使いは言った。

「まだ戦えたのでは?」

 死力を尽くした戦闘に、汗で頬に砂と髪がはりついたリズがそう言うと、負けは負けですから、と竜使いは澄ました顔で言った。
 息も荒いリズとこのままディナーにでも赴けそうな竜使いは、一見どちらが勝者かわからない有様だ。

東宮博文、とリズは覚えこむように呟いた。




「リズ、お疲れ。歩なんかよりすごかったよ」
「おい」
「まあまあ。だけどこの大会で一番の戦いだったことは間違いないよね」

 控室に戻った歩達を唯と慎一が迎えた。
 前日に試合を終えてもう選手でない唯と慎一だったが、誰も身咎めない。

「私らが勝ち残ってたら、一番かどうかはわかんなかったと思うけど」
「唯も言うようになったのう」
「その節は大変申し訳なく」
「もういいって」

 昨日とは違い、おどけて言った慎一に唯が突っ込むと、誰ともなく笑った。
 そのとき。

「あら、皆さんおそろいで。昨日負けましたが、平さん達は入っていいんですか?」

 悪魔使いの敬悟だった。後ろには牛顔の悪魔を従えている。
 その後ろにはみゆきとイレイネがいた。
 歩がそちらに目線をやると、目があったみゆきが不意に目線をずらした。

 みゆきの様子など気にせず、悪魔使いは頬に笑みを浮かべた。
 いつもの脱臭したような万人向けの笑みではなく、底意地の悪さが透けて見えた。

「私達はこれから準決勝ですが、まず負けないでしょう。リーゼロッテさん、決勝ではよろしくお願いします」
「どうも」

 悪魔使いは歩のことをまるでないかのように扱っている。
 おまえなんか眼中にない、と言外に言っているのだ。

しかしそれは歩も同じだった。
 最初にちらりと見ただけで、あとが悪魔使いがなにやらくっちゃべっているのを完璧に聞き流し、ただじっとみゆきを見ていた。

 対するみゆきだが、決して目を合わせようとはしなかった。
 はりついたような微笑での、一見いつものみゆきだ。
ちらちらと唯や慎一のほうを覗う姿はいつもの凛とした姿からは離れていたが、それでも決して歩のほうには目を向けない。

しかし、ただ一度だけ、歩に目がいき、慌てて戻すという仕草をした。
それは一度だけだったが、その後も歩は何も変わらず、じっと見つめ続けた。
 それでいいの? と言外に尋ねるように。

 そうこうしている内に、敬悟が、ではリズさん、健闘を祈ります、と言い、くるりと踵を返した。
 だが一歩も踏み出さず、何か忘れ物でもしたかのように再びこちらに向いて、言った。

「あ、忘れてました。平さん、昨日はどうも。強かったですね」
「あんた性格悪いわね」

 間髪いれずに唯は返した。
 するとわかりやすいほどに、悪魔使いは反応を示した。
口と目がくっつきそうなほど歪んだ顔。
英雄でもミスターパーフェクトでもない、ただの醜悪な憎しみに溢れた表情だ。
それは一秒も経たない内にしまわれ、にこやかに、では、と言い残して去っていったが、完全にキレていた。

 みゆきもその後をそそくさと着いていった。

「私とリズしか見てなかったね。品がない」
「顔もね」

 リズは汚物を見たときのような、今にも鼻をつまみそうな表情を浮かべた。

「ほんと性格悪い。唯、あたりすぎ」

 しばらくして、ディスプレイに悪魔使い達が写った。
 敬悟はいつもと変わらぬ、しかしあの表情を見た後では、猫を被ったとしか思えない顔をしていた。
 しかし歩にとってはどうでもいいことだった。

「リズ」

 歩は他の面子に聞こえないよう言った。

「何?」
「少しいい?」
「いいけど」
「場所移そう」

 そう言い、外に向かった。
 リズは何か言いたげだったが、何も言わず、歩もまた言及しなかった。










 部屋を貸してくれませんか、と突然訪ねてきた歩に、ギルド連合の大橋さんは何も言わずに応じてくれた。
 決勝前のミーティングに使うと思ったのか、それともこれから歩がすることを察したのかはわからない。
 上橋さんはただ、応接室の防音は完璧です、とだけ言った。

 対面に座ったリズに、歩は言った。

「結婚の話だけど断る」
「……」

 リズは何も言わず、ただ悲しそうな顔をした。薄々勘づいていたみたいだ。
 しばらくして、ぽつりと言った。

「どうして」

 歩はすぐに答えられなかった。
 ここまで来る間、ずっと返答は考えていた。
しかし土壇場になって、用意した返答が全て空虚なもののような気がして、何も言えなくなってしまった。

「正直、わからない」

 正直に言うしかなかった。
 リズはこらえきれなかったといった感じで、乾いた笑いを漏らした。

「何それ」
「リズのことが嫌いなわけじゃない」
「うん」

 歩は言葉を探した。
 うわべだけじゃない、自分の本当の想いを。
 それがリズを傷つけることだとしても、今までの自分のような考えなしのその場限りの返答よりはマシだと信じて。

「ただ一番じゃない。生涯を共にするパートナーとは思えない」

 言ってしまって、本当にひどいことを言ったのだと気付いた。
 だが今更言いなおすことはできない。

 リズの顔を見る。
 不思議なことに、どこか晴れやかな顔をしていた。
 ただ目の端に滴がたまっていた。

「答えはわかってたけど、実際言われるときついね」

 歩は何も言えなかった。何を言ってもリズを傷つけてしまう気がした。

「私、わかってた。歩の隣に私がいたことは一回もなかったって。物理的な意味じゃなく、心の意味で。異性とか以前に、人として」

 リズの手が顔を覆うのと、頬を滴が伝るのはほぼ同時だった。










 応接室にリズを一人残し、大会の控室に戻った。
 ディスプレイを見ると、既に誰も写っていなかった。

「勝ったよ」

 唯がそう言った。

「知らない間にどこ行ったんだよ? それにリズは? 連れていったんだろ?」
「ちょっとな」

 歩はそれだけしか言わなかった。
 慎一はまだ聞きたそうにしていたが、先に歩は尋ねた。

「試合はどんな感じだった?」
「あっさりみゆきが決めたよ。相手は弱くなかったけど、みゆきの出来が良すぎる感じ」
「そうか」
「けど波乱はあったよな」
「波乱?」

 慎一はふん、と誰かさんのように鼻を鳴らした。

「周りの反応気付かない? どっか変でしょ?」

 言われて見回して見ると、確かにざわついている。
 そういえば、慎一の顔も少し興奮したように赤くなっている。

「普通気付くでしょ。ほんと、リズと何してたの?」
「まあそれは後にしてくれ。何があった?」
「みゆきが悪魔使いをビンタした」
「ビンタ?」
「見てるこっちが気持ちいい位のやつをね」
「理由はわかる?」
「さあ。カメラはずっとみゆき写してたから、悪魔使いが何をしたのかはわからない」

 そのとき、周りの視線が廊下の方へ集まるのが見えた。
 その先に目を凝らすと、そこには険しい表情でこちらへ来る敬悟がいた。
 競歩でもしているかのような早足で、後ろのパートナーは空を飛んでいる。

 その目がこちらに向き、目があった。明らかな敵意を向けてきた。
 しかし敬悟は何もせず、歩の横をぱっと駆け抜けて行った。

「なんだあれ?」
「さあ」

 そしてみゆきも来た。
 こちらは颯爽と、という感じで歩いてくる。
 目があった。
 ちょっとだけ色が違う両目の瞳は、くっきりとした明かりを灯していた。
 意思が垣間見えた。強い、はっきりとした意思が。

 しかし何も言わず、みゆきも横を通り抜けて行った。
 ふわりと、どこか懐かしい匂いが香い、なんとも言い難い浮遊感をもたらした。

「少し変わったのかな」

 唯がそう言った。



[31770] 貴族からの刺客 3-i どうしようもないもの
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2012/11/22 16:52








 イレイネが生まれた翌日、私は歩も通う、普通の小学校に入学した。
 貴族の世界から一般の世界へと遷移した身にとって性急で、息をつく暇もなかったが、それが逆に有難かった。
 家のことも、歩とアーサーのことも忘れられたから。

 私にとって、それは初めてのまっとうな学校だった。
 策略のない、普通に子どもを成長させるための場所。
 家柄や親の立場に左右されない、一から社会を築く学び舎。

 初めは不安だったが、自己紹介を終えて、自由時間になり、少し過ごすと、安堵できた。
 想像していたのと違って、彼らは私の知っている小学生、元友人達と変わらなかった。

 思ってみればそれもそうだ。
元友人達とは足し算やひらがなやっているときからの付き合いだ。
家の意識があったとはいえ、それも子どもに過ぎない。
 彼等もいつも演技していたわけではなく、ただ親に言われて仲良くし、無視しただけかもしれない。

 だからといって、もう彼等と道が交わることはないだろうが。
 重要なのは、新たな生活だ。

 男子からも女子からも受けは悪くなかった。
 ちやほやされる転入生にいらついた様子の人も、話している内に仲良くなれた。
 これまでの経験が十二分に生きた。
 特に最近一年間の公私にわたる優等生としての経験は、私の身となっていた。

 久しぶりの気兼ねなく過ごせる日々が私を迎えてくれた。
 ただ一つのしこりを除いて。

 同居する歩とアーサーと、私は未だに馴染めなかったのだ。
 どうしても歩とそのパートナーを見ると、嫌なものが胸の内に湧いてきた。
 それはいけないことだとわかっていた。
 しかしどうしようもない。
当然の感情だからだ。

イレイネが竜だったら、目の前の歩とアーサーから、竜使いの部分だけを私がもらえたら。
もしかしたら、実家に帰れる。
父と本当の意味での家族になれ、母は正気にもどり、使用人たちもお嬢様と呼んでくれる。

夢想でしかないことはわかっていた。しかしやめられなかった。
そしてだからといって、私の中の嫌なものを他人にぶつけてよくも、当然ない。
私はただ歩を遠ざけることしかできなかった。

 話しかけることなんてできないし、話しかけられても上手く返せない。
 必要最小限の会話しかなかった。

 一か月ほどたっても、何も進展がなかった。
半ばこのままで過ごしていくのかと思っていると、夜ごはんの後、類さんがいきなり、一か月家を留守にするから、と言いだした。

 長期の出張が入ったらしい。
 私を迎えたことと、歩が特異な竜を産んだことで、様々な手続きや付添に時間をとられ、大分仕事がたまっていたらしく、仰せつかったとのことだった。
 類さんは言わなかったが、貴族とそれ以外との生活の差を、私に教えるのにも大分時間をかけてくれていたのもあった。

 文句を言えるはずもなく、歩、アーサー、私、イレイネの生活が始まった。
 私はようやく一人でシャワーを浴びたり、脱いだものを指定の場所に入れることなど慣れたばかり。
勿論家事は何もできない。
歩はいくらか類さんから仕込まれ、説明を受けていたようだが、それも手慣れるところまでは至っていなかった。
インテリジェンスドラゴンにも、そうした実務はできない。
イレイネは生まれたばかりで私と同じ。

悪戦苦闘の日々が始まった。

歩は率先して家事をこなした。
アーサーも、なんだかんだ言いながら手伝っていた。
見てはおれん、なんて言いながら、料理関係には積極的に動いた。

大して私は何もできなかった。仕事を探しても手間を増やすばかりで、かえって邪魔になる。
初日は歩の後をついていくことしかできなかった。

申し訳ないと思いながらも、どうしても歩達と触れあいたくない私は、ただごめんねと言うしかできなかった。

話しかけてきた私に、歩は驚いたが、すぐに俺も似たようなもんだから、ご飯美味しくなくてごめん、と言った。
アーサーは特に何も言わず、無表情に私を見るだけだった。

屈託のない歩を見て、私は何も言えなかった。
ただ私の黒い部分は、自分に向けられている部分が多いんだな、と思った。

 一日が終わり、なれないことで疲れた身体をベッドに横たえる。
 不思議と眠気は薄かった。色々考えてばかりだったからかもしれない。
 床についても、考えごとは次から次へと湧いてきて、私を休ませなかった。

 精一杯頑張っていた歩と比べ、私は何ができるのだろうか。
 嘘ばかりだと思った。
 ここに来るまでの生活は嘘まみれだった。
 ここに来て、学校での生活も、思ってみれば嘘だらけだ。
 相手の視線に立ち、都合のいい自分を演じる。不快に思われない言動に気をつける。
 どれも嘘みたいなものだ。

 意義のあることは何ができるのか。
 勉強? そんなものが何の役に立つ。少なくとも家事には何の役に立たない。
 なんて自分は空虚なんだろう。
 皆、なんてすごいんだろう。
 気にしていなかった使用人たちの仕事も、こんな感じだったのか。

 気付けば、朝になっていた。
 一応、眠れたようだった。

 一週間はまたたく間に過ぎた。
 家事に追われた。
 洗濯一つにも発見がいくつもあり、人の生み出したものがいくつも見えた。
学校でも余裕がなくなった。
いつもなら細かな言動まで気を配っていたが、ふと振り返ると何を言ったか記憶がなかった。

二週目に入ると、今までになかった感情が芽生え始めた。
感謝だ。
こんなにも大変なことを、面倒なことをやってくれている人達。
それ以外の仕事も、苦労している。
ありがたい、と思った。

三週目に入ると、頭が軽くなっていることに気付いた。
 不思議と、元友人達のことを思い出しても、何とも思わなくなっていた。

 四週目。
 ありがたい。
 この四週で一番そう感じたのは、歩に対してだった。
 家事をしてくれることも、歯切れの悪い私に話しかけてくれることも、全て。
 いつのまにか、憎しみも嫉妬も薄れていっていた。
 このころになると、アーサーも話しかけてくるようになった。

 類さんが帰ってきた。

 何もなかった、と類さんが聞くと、歩が悪態混じりに自分と私の成果を誇るように色々言った。
対して類さんは当然、と答えたが、しょげた歩を見て、ま、あんたにしちゃよくやった、と加えることは忘れなかった。
 歩は嬉しそうだった。アーサーも似たようなものだった。

 それから私に視線を合わせてきた。
 その瞳はしっとりと濡れ、包みこむような視線をむけてきていた。
 それでわかった。
 彼女は私のために家を空けたのだ。

 ありがたい、と思った。

 そして隣にいる歩を見た。

ああ。思わず漏れた。思い出した。堰とめられていたものが、一気に吹き出した。

 再度類さんを見る。
 煽るような、挑戦的な眼差しで、にやりと笑みを浮かべていた。理解していた。

 夕飯を食べ、風呂に入り、ベッドにもぐりこんだ。
 それまで漫然とこなしていたそれらが、全く別の視点で見えた。

 瞼を閉じて、類さんに対して思う。
 ごめんなさい。
 私はあなたから大事なものを奪います。

 そして歩に対してまだ届かないでほしい思いを口にする。
 あなたが好きです。



[31770] 貴族からの刺客 4-1 決着① はじまり
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2012/11/25 23:04








 決勝の組み合わせは敬悟、みゆき組対歩、リズ組になった。
 かたや華麗な戦いを見せ、竜使いをも破った英雄。
かたや竜使いながら、人メインと竜騎士という一風変わった竜使い。
否が応でも盛り上がる展開だ。
実際、観客の盛り上がりは相当らしく、観客席に移った唯と慎一は席を探すのに苦労したようだ。

「ま、そういうことで、席の確保で動けない慎一の分も負って、私だけ来たんだけど、みんな頑張ってね」
「おう」

 歩は軽い笑みを浮かべて答えた。
既に準備は万端で、ベンチに深く腰掛けて待つ態勢だったが、どこか身体が昂っている。
 なんとなく落ち着かず、棍を両手でころころと転がしている。

「任せよ。竜使いの威厳を見せつけてやろうではないか」

そんなパートナーを尻目に、アーサーはいつも通りだ。
ベンチにちょこんと座っている。
饒舌なのもいつも通り、隣で大剣に切れ味防止用の黒い布を巻いている、リズに話しかけた。

「相手は知り合いといえど、今は戦のとき。存分に戦おうぞ、なあリズ」
「うん、任せて」

 リズはそう毅然と答えた。先程歩に断られた様子はなく、いつも通りに見える。
 それは歩に遅れて控室に戻ってきたときも同じで、唯と慎一に軽く問い詰められても困った顔で、後で、と答える様子に、ふられた様子は見られなかった。

 だが流石の歩も、ショックを隠して強がっているだけだということはわかっている。
 リズが強いから耐えられているということも、そう仕向けたのは自分であるということも。
 そして、自分にできることは、もう何もないということも。

 視線を戻すと、どこかリズの顔を覗う唯が見えた。
 やはり何かあったと勘付いている。
その視線が時折自分に向いていることからも、何か、も察していることもわかる。
 歩は唯と目を合わせられなかった。

 結局、唯は何も言わず、出て行った。

 控室に残されたのは、ベンチに腰掛けた歩とアーサー、そして準備をしているリズとリンドヴルム。

 歩はなんとなく周りを見回した。
 少し蒸す位だった熱気は消え失せ、殺風景な部屋の端には弁当や紙くずが転がるだけになっている。
 祭りの後、と言った感じで、自分にねばついた視線を向けていた人達さえも、懐かしくなってきた。

「歩」

 リズの声に、歩は身体がびくっとなってしまった。

「な、なに」
「それぞれの相手、どうする?」

 実務的な内容で、どこかほっとした。
 だがどこか慌てて返す。

「えっと――精霊使いと悪魔使いか。相手の動き次第だけど、リズはどっちがいい?」
「どっちでもいいよ。コンビ組んでくる可能性もあるけど」
「……それはないんじゃない? ビンタしてたらしいし」

 それにもうみゆきは敬悟と組まないんじゃないか、と思ったが、それは言わなかった。
 ただすれ違い間際の、みゆきの何かを決めたような目を思い出した。

「俺が精霊使い、悪魔使い、お願いしていい?」
「わかった」

 そう言うと、リズは立ち上がった。準備ができたようだ。
 丁度よく呼び出しも入り、無言のまま歩達は廊下を進みはじめた。

 控室と同じく、廊下はがらんとした殺風景な空間になっていた。
道中には他の選手は残滓もない。どこか酸っぱい空気だけが、ここに戦士達がいたことを証明している。

リズが先頭にすたすたと、続いてリンドヴルムが同じくすたすた、しかし巨体故に地面を揺らすようにしながら、そして最後にアーサーを肩に乗せた歩が進んでいく。

リズの背中を見る。毅然としたその姿は、なんだか妙に小さく見えた。
そう仕向けたのは自分。仕方のない結果かもしれないが、しかし目の前の人は自分のせいで傷ついている。
そう思ったとき、反射的に名前を呼んでしまった。

「リズ」
「何?」

 返答に、しかし何も言えなくなった。
 言葉を探している内に、会場に直接繋がる廊下についてしまった。
そこにいたスタッフらしき若い男性は、歩達がつくなり、丁度です、すぐに始まります、ご入場ください、と言った。

歩は従い、石畳に変わった廊下に足を踏み入れる。

「歩」

 思いのほか、その声はやわらかなものだった。
 面食らってしまうと同時に、どこかほっとし、そのことがどうしようもなく恨めしかった。

「私、しっかり戦うから、歩も頑張って」
「おう」

 そうとしか返せなかった。

 序々に歓声と光が強くなっていく。
 会場の熱狂ぶりがわかる。唯、キヨモリとの一戦を思い出した。
 あのときは挑戦者だった。しかし今回は違う。
 おそらく、どちらが挑戦者でも王者でもない、純粋な戦いになる。

「歩、決着をつけよ」

 アーサーの声を背に、会場に踏み入った。

 歓声。野太いものも黄色いものも混じり、なんとも言い難い腹に響く怒声だ。
 天気は快晴、太陽が眩しいほどに照りつけ、足元の砂地をきらめかせている。

 周りを見回すと、悠然とたたずむキヨモリの巨体が見えた。
円形の観客席の一番前に陣取っている。
竜だからか、関係者だからか、誰かが譲ってくれたのだろう好位置だ。
隣には見るからにテンションの高い慎一、少し抑えて唯、はっはと舌を出しているマオ、そして何故か母親の類の姿もあった。
明日行けるかも、と書き置きがあったが、本当に来たようだ。
自信に溢れた顔で、慎一と同じくはしゃぐ母親の様子に、なんだか恥ずかしくなってきた。

 それから視線を会場をなぞるように進め、正面に向く。

 みゆき、イレイネ。いつも通りの姿。視線はきりっと自分に。少し微笑している。
 その隣に悪魔使いの敬悟。観客に向かって手を振っている。
先程の形相は面影もなく、ヒーローと呼ばれた顔のままだった。
しかし歩には本当にどうでもよくなったが。
二人が人三人分位離れて立っているのも、確信になった。

 審判が来て、確認事項。観客の歓声に、大声になっていた。
 それからアーサーと、リズを乗せたリンドヴルムが飛び上がる。
 みゆきの背中に張り付いていたイレイネが離れ、宙に浮き、悪魔型も軽く浮かび上がった。

 コールが入る。

「では、決勝戦! 始め!」

 決着をつけよう。



[31770] 貴族からの刺客 4-2 決着② 理想の女
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2012/11/30 00:25








 歩が最初に動いた。
 合図が終わると同時に身体を撥ねさせる。
 様子を見るなんて、一切しない。

 狙いは、みゆき。
 戸惑う敬悟と悪魔を横目で確認しつつ、数秒でみゆきのもとに辿り着くと、槍を振るった。

 身体ごと叩きつけるような横薙ぎの一撃。
 それをみゆきは正面から受けた。
 歩の捻る方向とは逆に身体を捻り、同じようにして剣を振るう。
 同時にイレイネが身体の各所に展開、ふくらはぎの裏、肩、背中、首、つっかえ棒のようにして、みゆきを支える。

 目が合う。不惑な笑みを浮かべていた。
しかしそれは歩も同じだった。

 激突。
 十字に剣と棍が交わった。
 ガン、という音と共に足元の砂が舞い上がる。
 歩の身体の中を骨と筋肉の悲鳴が通りぬけ、びりびりと全身が震える。

 そして手応え。
 みゆきはイレイネごと後方に飛んで行った。

 やはり膂力は自分が上だ、と確かめつつも、身体は更に地面を蹴った。
 地面を削って減速するみゆきに向かい、雨あられと棍を浴びせ始める。

 みゆきはそれを剣で防ぎつつ、避けてきた。
 が、全ては防ぎ切れない。
 何撃目かで、肉をこそぎ取りそうな一撃が皮膚上を擦過する。いける。

しかし次撃でみゆきとの間にいきなり透明な膜が滑りこんできた。
イレイネだ。とわかったときには棍を突き入れてしまっていた。

 ほんの少しの感触を残し、棍は膜を貫いたが、その先の標的には楽に避けられた。
 そして引き戻すときの感触がぬるりとする。

 膜に掴まれる、距離を取るべき、と反射的に体重を後ろにかけた。
 瞬間、膜を貫き、剣先が飛んできた。

 とっさに避けるが、頬にひきつる痛み。
 やばいと全力で後方に飛びのいた。

 数歩分の距離でみゆきと見合う。
 みゆきは軽く息が上がっていた。しかしどこか満足気だ。
 歩の知るみゆきなら、あの場面で反撃は返って来なかった。成長している。

 くい、と小首をかしげた。どう? と言った感じだ。

 どっと観客が湧いた。怒号となって全身を包む。

 一息、少し大きめに空気を吸った後、棍を構える。
 みゆきもまた剣を前へ。背中にいるイレイネの両手が前に突きだされ、先がとがっていく。
 少しだけ見合った後、同時に地を蹴った。








「あら、見ない間に、二人ともそこそこなってんのね」

 うるさい位に周りが盛り上がる中、類さんがそう呟き声が聞こえ、そちらをばっと振り向いた。

「そこそこって、類さん、めっちゃくちゃじゃないですか、あいつら」

 同じように振り向いた慎一が言った。唯は知らなかったが、二人は知り合いのようだ。
 歩と慎一が仲がいいことを考えると、自然なことだが。

 それは置いておいて、会場を見る。
 そこには見たことのない光景があった。

 どっしりと構える美剣士、その周りを駆け続ける影、そして影に飛び続ける槍。

影の、歩の動きは人というより犬型のそれだ。
 顔がほとんど見取れないほどの速度で、流麗に動き続けている。

 そしてそのすぐ後ろを、通り抜ける数多の槍。透明で巨大なそれは、円の中心、みゆきの背にかまえたイレイネからだ。
 太陽の光できらめくそれは、イレイネの腕から離れると途端に巨大化、超速で歩に飛来、そして足元に穴を開け続けている。
 そしてその槍は、始まってから絶えたことはない。常に歩を狙い続けている。

 しかし歩は一度も直撃を受けていない。それどこか時折反撃をしている。

 円形の動きを続けていた歩は、くん、と方向転換した。
 そう見えた瞬間には、がん、という金属同士がぶつかりあう音。剣と棍が交わった音。そして巻き上がる砂。

 だが砂が落ちきる前に、二人は離れている。そして槍が飛び、歩が影となる。

「壮大だね」

 唯は思わずそう漏らした。

「確かに、絵になるね」
「じゃ、ないですよ!」
「まあまあ慎一落ち着きなさい。そんなはしゃいでると疲れない? ほら飴ちゃん」
「どもっす、ってあんたどこのおばさんですか!」
「種別はおばさんよ」

 本当にいつも変わらない類さんだ。
 ひょうひょうとして、つかみどころのない、そして恰好いい。
 職場からそのまま来たのか、パンツスーツ姿だが、女の私でも身惚れそうになる。
 昼も過ぎたのにぱりっと糊のきいたスーツ、品がたもたれる程度に胸元があけられ、そこにはささやかなネックレスがおさまっている。
 セミロングの髪は毛先まで輝き、気の強そうな眉と自信に満ちた顔には微笑がたくわえられている。
 仕事バリバリの理想のお姉さん。そんな感じだ。

「見た目は負けないけどね~」
「類さんは、二人の動き、そこそこですか?」

 飴を慎一に押し付け、黙らせた類さんに、唯は尋ねた。

「あの二人なら慌てるポテンシャルじゃないでしょ。精霊型と、竜使い」
「二人とも、その限界クラスじゃ?」
「二人とも私の子どもみたいなもんよ?」

 母親は全てを知っている。そういうにやっとした笑みを浮かべた。
 そう言われると、何も言えない。

「まあ後は試合見ようか。慎一、見えてる?」
「見えてますよ」

 むっとしつつ試合から目を離さない慎一を見て、そっか、頑張れ、と類さんは言うと、ぐっと私に寄ってきた。

「慎一、どう?」
「どうとは?」
「頑張ってるよね、って話。超人に囲まれて」

 歩、みゆき、そして僭越ながら私。

「貧乏クジひいてもらってますね。ありがたいことに」
「申し訳ないことでなく?」
「友達ですし。ありがたい、のほうがいいかと」
「あんたもいい子だ――んで、相談の件だけど」
「ちょっと待ってください。ここでいいんですか?」

 横目で類さんを見た。いつも通りで、息子の試合を身に来た姉といった感じだ。
黒い話を切り出したようには見えない。

「こういうとこだといいのよ。こんだけうるさきゃ聞こえないし」
「でも」

 ちらりと視線をやると、慎一と目があった。咎めるような目をしている。
 試合中、なにひそひそ話てんだ、って感じだ。

「大丈夫、中身まで聞こえてないよ。それに――慎一! 女子同士の話にからむような男はモテないよ! それとも試合が目で追えない?」

 わかってますよ、というと慎一は試合の方に目をやった。

「こうやっとけばいいでしょ」
「悪女」
「まっさらな聖女なんてつまらないでしょ? みゆきは勘違いしてたけど」

 それには唯も同意だった。
 そう、みゆきは勘違いしていた。

「理想の異性になろうとして、聖女を描くあたり子どもだよね。ほんと、不器用な子」
「歩に惚れられるように、ですよね」

 今思えば、みゆきにとって歩は特別だった。
アーサーも交えてとはいえ、一緒に帰ったりもしていたし、誰よりもフランクに接していた。
義理の兄妹みたいなものだから、といえばそうかもしれない。
しかし、一緒に弁当を作り始めると、みゆきの歩への好意は、兄妹のものではないのがはっきりわかった。

 最初はみゆきと唯の二人分だったのが、歩と慎一、アーサーの分も入れるようになったとき、作り方が変わったのだ。
 何が、とは言えない。手順は全て変わらない。
若干丁寧な作り方になったが、それも明確な差じゃないと思う。大人数になったから、というのも違う。
 多分これが恋する乙女の弁当作りなんだな、と思ったのは、歩が食べているときのみゆきの顔を見たときだ。

 苦笑いしながら、類さんは頷いた。

「清廉潔白、誰にでも優しく、自分に厳しく、なんにでも取り組み、こなし、いつも人より一歩ひいて動く。大和撫子、理想の嫁、ってとこかな」
「でも理想の恋人じゃない。まるで現実感がない」
「だってそんなの異性じゃないもんね」

 歩とみゆきの間にあった壁は、そういうことだったんだろう。
 類さんは、どこか悲しそうに、今にも消え入りそうな儚い顔をした。

「本当に、不器用な子。生き方も何もかも。こんな男同士の殴り合いでしか、思いを交換できないなんて」

 言われて、二人を見てみる。遠目で激しい動きになかなか見えなかったが、目を凝らすと、二人の顔が見て取れた。
二人とも笑っていた。一種の凄絶な笑みではあったが、楽しそうだ。
 類さんに言われて、これは二人は初めての夫婦喧嘩みたいなものなんだな、と思った。

「凄まじい夫婦げんかですね」
「お、いい言葉。全くだね――で、本題に移ろうか」

 本題。
 言われて思いだした。
 そう、これは本題じゃない。別にある。
 少し頭を切り替えようと、少し類さんに抗弁してみた。

「さっきもそんな切り出しでしたね」
「人を驚かすの好きなの」

 背中をつーっと撫でられて、首のあたりが寒くなった。
 抗議の目を向けると、にやにやとした笑みで、で、本題、と言ってきた。

「依頼された資料は後で渡すよ。みゆきの両親のこととか、今回の顛末とか」
「お願いします」

 三日程前に、歩に聞かれないよう、学校が始まった後を見計らって、学校をさぼって水城家へ行った。
 そしてそこで、類さんにお願いをしたのだ。

「急なお願いしてすみません」
「そりゃ藤原の御嬢さんにお願いされちゃね」

 藤原。聖竜会でも名高い名家だ。
 そして、私が卒業後に背負う名でもあり、使って行く権力だ。
 その手始めが、類さんへのお願いだった。

「あんた、背負うつもり?」
「できることだけ多くを」

 幼竜殺し、悪食蜘蛛。どちらも防ごうと思えば防げた事案だ。
 私が藤原の後継者となろうとすれば。
 そしてそうなれば、より多くを助けられる。
 たとえば、今回のこととか。

「襲撃は誰の仕業かはわかった?」
「あそこの馬鹿です」

 会場の隅で、リズにあしらわれている悪魔使いを指して言った。

「兄が警察官で、拳銃はそっから手に入れたみたいです」
「そんなまでして勝ちたかったか」
「欲しかったんでしょうね。実績が」

 卒業後、それなりの進路に進もうと思えば、実績が必要だ。
 警察にしろ軍にしろ、幹部は八割竜使いだ。
残りの二割に入りこむには、個人でも実績がいる。
それをてっとりばやく手に入れようとした、馬鹿とその家族の暴走が、キヨモリが撃たれたあの事件の顛末だ。

「みゆきの力を目にして、変わったんでしょうね。勝てるかも、って」
「みゆきのお父さんも見る目がないですね」
「あそこも色々あんのよ。それも資料に入ってるから」

 観客が湧いた。会場に変化があったようだ。

「ま、これで終わり。私達も試合を見ましょう」
「一つ、質問いいですか?」
「何?」
「類さんは一体何者なんですか?」

 竜使いの奇形児であるみゆきを預かり、変型の竜であるアーサーと歩の母。
 そして藤原家の後継者が、自身の襲撃について調べていたことを知っている人。

「秘密」

 類さんの顔を見る。いつも通りの笑みだった。勝ち気な大人の笑み。
 そしてそれがこれから私の行く世界に必要なもの。
 後半年か、と思うと、泣きたくなった。

「ちなみに襲撃事件の話はかまかけね。あったのは知ってるけど、後はさぐり。どうせ調べてたんでしょっていうね」
「それもかまかけですか?」
「やるじゃん」

 乾いた笑いが漏れた。



[31770] 貴族からの刺客 4-3 決着③ 狂人
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2012/12/07 00:50








 槍が降ってくる。走る。更に降ってくる。更に走る。
 時折、仕掛ける。交差する。そして次の瞬間には、また走って槍を避ける。

 言葉にすればそれだけの簡単なやりとり。

 しかしどうしようもなく楽しかった。

 対戦相手を見る。
 カーゴパンツに肌にはりつくシャツ、ブーツという模擬戦用の服装。
両手で正面に剣を持つ、オーソドックスな構え。
滑らかな長髪は首元でまとめられ、柔和で凛々しい顔には薄い笑み。見慣れた絵だ。

しかし目が違う。爛々と輝いている。
おもちゃを与えられたこどものようだが、一種の凄絶さを伴った光が見える。
いけない遊びをしているような、そんな感じだ。

頬はほんのりと赤く染まり、身体はゆっくりと上下している。疲労がたまり始めている。
しかしそれも楽しい。わかる。自分もそうなのだから。

 ぱん、と地を蹴る。途端に近付くみゆきの姿。ぴくりと腕が動き、剣を動かすのが見える。

 目と目が合う。それだけで何かを分かり合ったような気がした。

 ギルド部で別れてから、何をしていたのか。屋上での邂逅の後、何を思ったのか。
やつと二人きりだった時間はどうだったのか。どう思っていたのか。

 疑問はいくつもあったが、どうでもよくなってきた。

ほぼ無意識に棍を振るう。がん、と手応え。剣と交わる。その瞬間も何かが弾ける。
 何とも言い難い、感情の、思いの、破裂。同時に凝り固まった何かが霧消していく。
 みゆきとの間だけでなく、自分自身の中のものまで消えていっている。

 禊。それだ、今やっているのは、と思った。

 みゆきと目があう。笑み。いままでのみゆきにはない凄絶な笑み。
 みゆきも歩と同じ。わかる。分かり合っている。
 意外とこどもっぽい、脳筋なところもあるんだなと思いながら、そんなことも知らなかったの、と突っ込まれる。
 そんな気がした。

 しかしそれももう終わる。

 ふとみゆきの後方に目をやれば、イレイネが見えた。
 みゆきと同じ位の通常の大きさから、半分ほどまで小さくなっている。
 槍で放出した分だ。狙いを外しくだけた水は、そのまま捨て置かれることなく、本体の方へずりずりと移動しているのだが、それが槍の放出分に追いついていない。
 序々に足元の水たまりのかさは増しはじめている。踏み抜くときの感触が序々に厚くなっているのでわかる。

 破局はいずれ訪れる。それもそう遠くない内に、歩にとって有利な方へ。

 そう思っていたとき、みゆきが、イレイネが動くのが見えた。
 構えがやや前傾気味になり、イレイネの手から槍が伸びなくなった。

 代わりに、イレイネがゆっくりと両手を上げはじめた。
みんな立って、と言うように、あまごいをするように、手のひらを上に向け、ゆっくりと。

 同時に前面で浮きあがる。水たまりと思っていたものが、一斉にきらきらと光る粒へと変わり、宙を満たしていく。

 雨だ。

 とっさに両腕を上げ、目を庇った次の瞬間には、全身を雨粒が叩き始めた。

 それは横殴りだった。文字通り、無数の雨が真横から叩き続けてくる。気を抜けば飛ばされそうだ。
 おそらくこれは、雨というより竜巻。雨粒の竜巻。
視界が両腕の隙間から、ほんの少しの見通ししかないが、おそらくそういうことだろう。

 飛ばされないよう腰を低く構え、雨粒を受ける。
全身を無数の小さな腕で殴打されるような感覚が走り、ざーざーと轟音が聴覚を占める。
視界はなく、水の匂いしかしない。舌には粘っこくなったつばの微かな酸っぱさと苦さののみ。
頭がぼうっとしそうになる。わけがわからない。

 そのとき何かが見えた。
ばっと身体を後方に飛ばすと、ばしゅんと抜ける音。
水を斬る音。みゆきの剣だ。

 続けて後方に飛ぶ。後を追って剣が振るわれる。その繰り返し。
 棍は使えない。使おうと腕をどければ、かすかな視界がなくなってしまう。
 かすかとはいえ、なんとなく動きを察せられるのは、そのかすかがあるからだ。
 できるのはただ避けるのみ。それも微かな五感と、その情報を元にした勘頼りの。

 ただ一生このままされっぱなしでいるしかないかというと、違う。
 一度だけ――確実な一撃を狙うとき、一度だけ振るえる。
 成否がほぼ結果に反映される、賭けだ。

 狙うなら、みゆきが攻め疲れたときか、空振りすることに慣れたとき。

 さあ行くか、と思い始めたときには、全身を叩きつける雨の感覚が薄れはじめていた。
代わりに冷えた感触、全身の肌を覆う雨つぶが、熱を奪っている。
剣をよけようと激しく動かしているため、身体の芯の部分は熱い。しかし寒い。
真冬に軽装で激しい運動をしているような感じ。
そして遠からず体調が崩れそうな悪寒。

やるしかない。

 バシュン。剣が雨粒を裂く。
 バシュン。まだだ。
 バシュン。変わらない。
 バシュン。まだか。
 バシュン。――ほんの少し、音が低いかも。
バシュン。気のせいか?
 バシュン。間違いない。キレが鈍くなってきている。
 バシュン。――次だ。

 棍を握る。こころなしか、きりきりと全身が締まった感じがした。

 バシュン。

 そう聞こえそうな一瞬前、目をつむり棍を振るう。
 両腕で、渾身。
そのはずが動き出した瞬間鈍い感覚がした。
途端に続く、あ、これだめだ、という感触。
空振り。

 まぶたに水が張り付いた。
異物がアウトの目と、皮膚一枚挟んでの精霊型の水。
 視界は完全に塞がれた。

 そして続く衝撃。身体が真横へ、こんどこそ吹っ飛ばされる。

 肩に当てられた。剣の、おそらく刃ではなく横の部分。
 だがそれでも十分な一撃だった。

 ずささー、と地面を滑る。「くっ」と声が漏れた。
 すべっていると途中で全身を包んでいた感触が消えた。雨の圏外にまで飛んでしまったようだ。
 背中にどん、という軽い衝撃を受け、ようやく止まった。おそらく壁だ。

 痛みに抗いつつ、なんとか起き上る。すぐに目をごしごしと擦り、水をあらかた飛ばし、おそるおそる目を開けた。
途端に広がる光景。勢いを失っている雨に、きょとんとした観客、反対側端の悪魔使い組とリンドヴルムに乗ったリズ達、そしてすぐそこにみゆき。

 爆発する歓声に乗り、みゆきの声が聞こえてきた。

「上」

 言うが否や、みゆきは突進してきた。
 それを見ながら、ちらりと上空確認。

 巨大な槍。いや、棘。下向きに向いた、透明の円錐がそこにあった。
 透けて見えた円錐の底の部分に、小さなみゆきに似た――イレイネがいる。
この円錐が本体。つまり、強度の高い、受けてはならない武器。

 そこまで至った時には、みゆきはすぐそば。振り被った剣。
 気付くまでにかかった時間は一秒に満たなかったが、余りにも遅れてしまっていた。

 慌てて棍を握り、前へ。
棘はダメ、避けたらみゆきに狙われる、ならみゆきに向かう。
 ほぼ反射の思考だった。

 剣と棍が交わる。幾度となく繰り返したもの。そして常に歩が勝った。それも向かった理由だった。

 しかし棍を振った瞬間、右肩に鈍い痛みが走った。
みゆきの一撃による負傷。
そう頭をよぎったときには、歩が弾かれていた。
 身体は元いたところ、つまり棘の下。
 急場作りの姿勢、万全の態勢から勢い付けての一撃、負傷、疲労、一個前の攻防の結果での雰囲気。

 それらが全てよぎり、雨にぬれてどこか艶めかしくなったみゆきの、見開く眼が見えた後、背中でぷつり、という音がした気がした。

 すっと滑る。左肩から真下に、肌を肉を。
そしてすぐに激痛。雨でうっすら濡れた肌を、血が滴る感触。

ああ、これはダメな感触だ。そう思った。怪我の経験が多いだけに、歩は自分の傷の程度には詳しい。

「歩!」

 剣を半ば捨てるようにしながら、駆けよろうとするみゆきが見えた。

 対戦相手に傷を負わせて慌てるなんて言語道断かもしれないが、それも仕方ないか、とも思ってしまった。
 そもそも今回の大会はぬるい。剣は刃引きするし、パートナーの牙や爪にはサポーターをする位だ。
 選手同士でも暗黙の了解として、やりすぎないのはある。棄権が多いのもそのためだ。

 この後、試合はみゆき達の勝ちで終わり、歩は勝者であるみゆきに付き添われ、担架で退場、病院へ移動。そしてそれらは自分が意識のない中、行われる。
 大会は後味の悪い決勝で終わり、盛り下がって終了。喜ぶ姿は、何故だか悪魔使いだけ想像できた。
 そして気がついた歩。そしてずっと付きそっているみゆきを見る。自分が負わせたため、おそらくみゆきはずっと自分につくだろう。
 そのとき、目があう。喜ぶみゆき。涙を流す。そして途方に暮れる歩。

 それじゃ、だめだろう。
 そこに先程までの夢のような共感と理解はない。
 そして一生、ない。

 歩は、声も漏らせない痛みの中、それはダメだ、と思った。

 ノスタルジックになっていた脳みその幻想かもしれない。
 しかしみゆきにここで助けられては、この戦闘はそんな終わらせ方ではいけないと思った。

「あああああああ!!!!」

 振るい起こす。怪我? 傷? 冷えた身体? 疲労。

 そんなもの何もない。

 あるのは、一つ。

 棍。

 背中の傷を無視して、全身を振り絞る。傷から血が流れ出る。だからどうした。

 え、という口の形できょとんとしたみゆきを見て、軽くしか握られていない剣に向かって、思い切り振るった。

 がん、と当たり、剣が飛んで行く。そして余力がみゆきの右腕に。
 骨が折れる感触はなかった。しかし確実な一撃だった。
 当てた瞬間、歩の右肩と背中の傷もはげしく呻いたが、満足な一撃だった。

 そのまま倒れこみそうになったが、なんとか踏みとどまる。
 棍を左手で地面に刺す。そうしないと持ってられそうになかった。

 飛んで行ったみゆきに視線を向ける。
途中、あぜんとした観客が目に入ってきたが、無視した。

 みゆきは既に立ち上がり始めていた。右手はぶらんとさせている。
 顔が見えた。
 笑っていた。これまでで一番の凄絶な笑みだ。ぞくりと冷たい血が巡るような、妖艶さがあった。

 歩も笑った。なんて馬鹿な二人だ。

「甘かったな」
「だったね」

 みゆきの声には力がない。自分で言うのもなんだが、かなりの一撃だったようだ。

「では、行こうか」
「はい」

 お互いの声は本当に小さい。聞き取れているのが不思議なくらい。
 しかしお互い聞こえている。わかる。

 棍を抜き、左手で構える。右手は添えるだけ。背中からはだらだらと力が抜けていっている。

 次で決まる。そして、みゆきもまた同じ気持ちのようだ。

 ああ、なんて気持ちのいい勝負なんだろう。

 笑みがこぼれる。みゆきもまた笑う。
狂人同士だ。観客には間違いなくそう見えているに違いない。
だが何故かそれがどうしようもなく嬉しかった。



[31770] 貴族からの刺客 4-4 決着④ 蚊帳の外
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2012/12/23 02:16








 蚊帳の外。

試合中だというのに、リズの脳裏にはその単語ばかりがぽつりと浮かんでいた。

 それは文字通りの意味だった。
 今行われているのは、二対二形式の大会だったが、実際リズと歩がやったのは、一対一を二つやっているだけ。
 にわか仕込みの連携を組むなら、いっそそうしたほうがいいだろうという判断だったが、今はそれが完全に裏目に出ている。

一応自分の対戦相手――悪魔型と愚にも着かないその使い手――を目の端でとらえながら、舞台中央に突如としてできた雨に向ける。

 それは異界だった。外からは、おそらく中からもだが、先が見えないほどの豪雨。
しとしととした湿り気は、離れて空を駆け廻っているリズのところにも届いてきている。
 自分で身体を自在に操れる精霊型とはいえ、呆れた技だ。

 しかしリズにとって重要なのは、それが異界であるということだった。
 リズのいる外とは、異なる世界。
 まるで二人だけの空間に入ってくるなと言われているような気がする。
 そうなると、自分がただのピエロだったということを思い知らされるのだ。

 耳元でびゅうびゅうと唸る風はそのまま心に吹き込むよう。抱え持った人一人の大きさがある大剣は、妙に重く感じる。
 そう感じるのはおそらく気のせいだけど、ただの気のせいじゃない。
 失恋の寂しさであり、重さだ。

 私は歩が好きだ。今でもそうだ。断られたとはいえ、はいそうですかと捨てられるものではない。

 しかし今思えば、最初から勝ち目のなかった戦いだったのだろう。
 最初から歩には相手がいたのだ。

 私が初めて能美みゆきを見たのは、インテリジェンスドラゴンの使い手としての、歩の調査報告を聞いていたときだった。
 家族構成の欄の枠外で、一時期同居者だったという、同年齢の少女。

 写真を見たとき、綺麗だが、不幸そうな顔をしているな、と思ったことを覚えている。
 写真下の調査報告に目を通し始めると、それが当たっていたのだと気付いた。

 貴族の家系に突如として生まれた疑惑。そして最悪の結果。
 本人には一切責任のない、どうしようもない話だった。
 家族は崩壊し、本人は放逐された。

 かわいそうな話だった。同情もした。
 しかし正直なところ、そのときの私は、歩が彼女のことをどう思っているのかが気になった。
 いきなり美少女が同居することになったら、なんて想像は大体下世話な方に行くものだ。

 それは実際にこちらに来ても同じだった。
 不幸だったのは、彼女を取り巻く環境が変わり、実際に二人が一緒にいるところを見れなかったことだ。
 そのせいで、歩と彼女の関係を測りかねてしまっていた。

 いや、おそらく違う。考えることを放棄していた。
 逃げていた。歩に特定の相手がいる、という可能性から。

 彼女と悪魔使いの交際疑惑を聞いたときの歩の態度は、嫌な予感をもたらすものだった。
それが兄妹のものか、異性のものなのか、事実としてはわからなかった。
 しかし後者のときを想像すると、いてもたってもいられなくなった。
結果、私は本当の意味での告白をしてしまった。

 その結果がこれだ。

 本当に、どうしようもない。

 誰にも見えない雨のカーテンの中、二人は何をしているのだろうか。
 戦っているのは、九割九分そうだろう。
 しかしリズには、それが何か嫌らしいことでもしているような気になる。
 そう思うのは嫉妬しているからだ、ということはわかったが、だからといってどうにもならない。

 雨中の戦いになる前の二人を思い出す。
 おそらく二人は戦いを通じて言葉を交わしている、と思う位、二人は喜びの中にいる顔をしていた。
 なのに自分は何だ。

 対戦相手、空を飛びまわる私達を、精悍な顔つきで、しかしどこかしらおっかなびっくり見る悪魔使い。
 目があったが、そこに相手を倒してやろうという覇気は見えない。

「どうした! さっきから一度も仕掛けてこないけど、怖いの!?」

 うすら笑いを浮かべた男が、そう言ってきた。
剣を構え、私は戦っています、というかのように目を鋭くとがらせている。
 だがそれは形だけ。

 張りぼてをはがそうと、足でリンドヴルムの腹を叩き、仕掛ける。
 途端に身体に叩きつけてくる風が増し、光景が数多の線となる。

 ものの数秒でひきつった男の顔が近付き、もう少しで手が届く、というところまでなる。
だがその直前、間に悪魔型パートナーが立ちふさがった。

 大剣の峰と、悪魔型の交差した両腕が、衝突。
 ばん、という音とともに、全身がもってかれそうなほどの衝撃を耐えるのは一瞬、すぐに再び舞いあがった私の眼下では、悪魔型がもんどりうってひっくり返っていた。

 なんとか立ち上がるが、悪魔型の両腕はぶらりと下げられていた。
 折れてはいない、痺れと痛みで動かない、って感じか。
 さすがの悪魔型、されど悪魔型。

 ならば近付いても問題ないか、リンドヴルムに合図を入れ、もう一度下降する。
 今度は仕掛けず、二人の周りをぐるりと旋回。先程の歩のような動きだ。

 そして言った。

「本気出していいの?」

 途端に男の顔に苦いものが浮かんだ。

 結局のところ、それが目の前の男の限界だった。
 私と戦う気がない、勝てるわけがない、しかしそれは表に出せない。
 男の顔には、それがずっと透けて見えていた。
 パートナーをすぐ近くに配置しているのも、自分がやられて負けないように、という配慮だけでなく、怖いから、というのもあるだろう。

 そう思うのは仕方がないのはわかっている。実力差のある相手に、勝とうと思えるやるが何人いるか。
しかし隣で凄まじい勝負の最中の二人と比べると、なんとつまらないことか。

 早く勝負を終わらせ、こんな不毛な輩との相手は終わらせたい。
 しかし、できない。
 その苛立ちをぶつけるように、言葉を続ける。

「つまらないやつ」

 返答も反応もないが、さらに続ける。

「この前、昼休みでやってた放送。あれもつまらなかったね。仕込みでしょ」

 男の鼻のあたりがひくっと動いた。当たりか。適当だったけど。

「あんなせこいことしなきゃ、納得できなかったの? 能美みゆきは自分のものだって。誇示したくなった? 小さい人間だね」
「そう言うあなたはどうなんです? つまらない人間につまらないっていうの楽しいですか?」

 虚勢の笑みを貼り付けた男が返してきた。どうだ、という感じだ。

 残念なことに、彼の言葉は真実をついている。それは私の痛いところだ。
 今私がやっているのは、馬鹿に馬鹿といって自分を慰める行為。決して褒められたことではない。

だがそんなことはわかっていた。言われれば少し傷つく。けど、それだけ。

「そうね、それもつまらないね」
「それになんで勝負を終わらせないんです? 本気出せばいいでしょう? なのに?」
「さあね。少なくとも、あんたが怖いからじゃないから、安心して」

 今私が決着つけたら、もう一つの勝負も終わってしまう。
それは楽しくて仕方がない時間を過ごしている二人に水を指すということ。
そうしてもいいじゃない、と言う内の声はある。
だけどそれをしたら、私はきっと将来にわたってこの日を忘れられない。傷になる。
それはしてはならない。耐えなければいけない、二人に水を指す誘惑に。

 そう言外に締めくくったところで、現実に戻り、対戦相手の顔を見る。
あっさりと返す私の反応に、失望の色が浮かんでいた。
 勝てっこない、と今にも言いだしそうな顔だ。

 さあ、後は二人を見守るだけ、と更に高度を上げようとして、気付いた。

 二人の勝負の決着。おそらく、極限のところとなる。
 二人ともボロボロで、押せば倒れてしまうようになって、それでも最後の人刺しを狙う。
 そうなってもおかしくない。

そのとき悪魔使いはどうするか? 当然、狙うだろう。
自分が勝負をつけられる瞬間、歩を狙える機会を。

 そのとき私はどうするだろうか?

 そう考えていたとき、はっと自分に向けられる視線に気付いた。

 それはアーサーのものだった。
 振り返ると、宙空で浮くように飛ぶ黒い小竜がいた。
 その濃い緑色の瞳が、自分を捉えている。
 そこには何か今まで見たことのないものが宿っていた。
 わからない、しかし目が離せない、わけがわからない。
 ただ、それでいいのか? と聞こえたような気がした。

 首のあたりを冷たい汗が伝わり、身体がぶるりと震えた。



[31770] 貴族からの刺客 4-5 決着⑤ 幕切れ
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2012/12/23 02:17
一個前の決着④を改稿しました。
よろしければ、そちらからご覧になってください。









 決着はすぐそこ。

 それがここにいる全員の総意であることは、朦朧としている歩の頭でも理解していた。

 ちらり、と一瞬だけ背中のほうに視線をやると、ゲル状の塊が地面に転がっているのが見えた。

 それがイレイネか、大規模な雨の後、人を切り裂ける刃をもった巨大な錐を作ったのだ、力尽きるのも当然か、と思考を済ませ、目前にみゆきに視線を戻す。

 一対一。ここにきて、アーサーが入ってくることもない。

 そう確認するように、視線を交じあわせる。

 みゆきの顔には笑みが張り付いている。
歩がずっと見てきた気取った笑みではない。
幼竜殺しとの一戦で見せたような、堅苦しいものを全て脱ぎ捨てた笑みに、何かとちくるったものを付けた笑みだ。

 結局、みゆきも馬鹿だったのか、と思いつつ、棍を握りしめる。
 もう一つの相棒。本来の穂先はないことに慣れ、槍であることを忘れたかのような得物。
 アーサーみたいだな、と思いつつ、それを両手で握り、構える。
 背中を伝う熱い液体が、痛みを伴って流れているが、もう少しと無視した。

 みゆきも剣を構えた。少し右手が下がっている。歩の一撃で力が入らない、実質左手一本。
 一瞬それで自分と撃ち合えるのか、と思ったが、肩と背中の痛みに現実を思い出し、徒労だったと思いなおした。

 今の自分なら、アーサーにも負けそうだ。

 どちらか、と言う感じもなく、足を踏み出す。

 ざっざっざ、という音。
 振動と筋肉の動きに、肩と背中は悲鳴を上げる。
 足の動きは鈍い。気を付けなければ、つま先をつっかけて転んでしまいそうだ。
 軽く動かした腕はそれ以上に鈍く、棍を振り被ったらすっぽぬけそう。

 みゆきと目があう。
 同じだ。走るだけでも億劫そう。
 そうか、己から一歩先んじたほうが勝ちか、と思うと、嫌なことが全て吹き飛んだ。

 始めは小さな音。

「ぅぉぉ」

 唸るように。舌の奥底の部分が細かく振動しただけ。

「うおお」

 次は喉を動かす。吐く息に、音を少しだけ混ぜ込むように。
 続いて、息を吸い込む。これが最後と、次は吐き出すのみと。
 そして、叫ぶ。

「うぉぉぉぉおおおおおおお!!!!!」
「はああああ!!!」

 少し高いみゆきの怒号と交わる。
 剣を振り被るみゆきに対し、歩も同じように棍を動かす。

 音はない。痛みもどこかへ消え失せた。雑音ばかりだった身体からは、力の確かな流動が聞こえ、全てがクリアになる。

 澄みきった水のような、透き通った瞬間。

 みゆきの顔には笑み。おそらく自分の顔にも。
 全てがクリアな中、澄んだ感情だけが残る。言葉にならない、するのが億劫な感情。

 今はどうでもいい。ただ身体を動かせ。

 振り下ろす。

「歩!」

 そこにアーサーの声が響いた。

 視線だけで音の方を見ると、すぐそばに悪魔使いがいた。
 目は血走っている。自分達とは別の狂気がのぞいた。
相手をめちゃくちゃにしたい、それだけを凝縮したような、暗い喜びの光。

 棍は止まらない。身体はそのためだけに終始していた。いきなり止まれない。
 いや、それも散漫になってしまった。とまれ、そう一瞬思った自分の反射が、ただ動きを鈍くするだけの結果をもたらしている。

 みゆきの剣と交わる。渾身のはずだった一撃は意外と澄んだ音を立て、両者すぐに跳ね返った。みゆきも驚いていたようだ。

 剣と棍、双方とも手から離れ、砂地にざっと落ちた。

 目の前のみゆきとばんと衝突し、二人とも跳ね返った。
身体が現実に戻り、衝突した痛み以上のものが、肩と背中で鳴り響く。
なんとか悪魔使いを避けないと、という思いはあった。
だがそれも思いだけで終わり、身体には伝わらなかった。
なんとか立っているだけ、今にも倒れそう、それが今の限界だった。

 剣が見えた。悪魔使いの渾身の横薙ぎ。横から背中を狙った一撃。

 避けられない。

 触れる。やられる。

 そう思ったとき、悪魔使いが消えた。
 消えたとしか思えない速度で、跳ね飛ばされた。

 数瞬遅れて眼で追うと、地面に描かれた溝の先に、悪魔使いの身体があった。

 動かない、動けないのがわかった。全身を投げ出した姿に、意思は見えない。

 その横に、ばさりと大きな影が降り立った。
 リズとリンドヴルムだ。巨竜と、その背に乗った女騎士。
 リズが下りた。抱えるように持った大剣を地面に突き刺し、腰に差していた、剣を抜く。

 剣を片手に構えた態勢で、悪魔使いの身体を転がした。
 歩から顔は見えなかったが、全く動かない悪魔使いの姿に、気絶しているのは明白だった。

 歓声が鳴り響く。同時に起こる試合終了のコール。

 振り返ってみたみゆきの顔には、仕方がないなあ、という諦めまじりの笑みがあった。
 歩はその場に座り込んだ。

 なんて呆気ない幕切れ。せつないなあ、と思いつつ、気を抜いた瞬間、顔が砂まみれになり、あ、倒れちゃったと言う間もなく意識が飛んだ。



[31770] 貴族からの刺客 5-1 目覚め
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2012/12/29 20:04









 目覚めてすぐそこが病室だと気づける人間は二種類いる。
不幸な人間か、馬鹿な人間だ。
 そして間違いなく、自分は後者だ。

目覚めてすぐそこが病室だとわかった歩の頭に、そんな言葉がふと浮かんだ。
そしてすぐに、今自分頭悪いんだな、と思った。

ノリが効きすぎて固いベッドシーツの感触に身じろぎしていると、お、と声が聞こえてきた。

「おはよう、馬鹿息子」

 声の主は、パイプ椅子に座ったパンツスーツ姿の母親だった。
 口元をニヒルに歪ませ、すっと足を組んでいる。絵になる母親だ、みゆきやリズとは別の意味で。

「おはよう」
「悪口には悪口で返す。そんなことも忘れた?」
「起きぬけには勘弁して……」

 全く、貧弱な息子なことで、と言いつつも、類はそれ以上言ってこなかった。

「慎一達は――学校か。アーサーは隣で寝てんのか」

 ベッドの隣に置かれた机の上の籠を見て言った。
 籠の中は毛布がかけられており、見えなかったが、その中にアーサーがいるのはなんとなくわかった。

「今日平日だからね。後で来るんじゃない?」
「俺、どの位寝てた?」
「一日ほどね。今回は短かったわね」
「そりゃすんません」

 また仕事休ませてしまった。そう思っての割と素直なすんませんだった。
類はほんとよ、全く、と言うと、それで黙った。
 珍しく口数が少なく、何かあったのかな、と思ったが、目元の濃い隈を見て、ただ疲れているように見えはじめた。
 これまでも濃い隈の姿を見たことはあるが、こうして本当に疲れてそうな素振りを見せるのは初めてだ。

 見た目はアレとはいえ、母親も年をとっているんだな、と思うと同時に、自分の今後のことも気になった。

 これから自分は何をしていくのか。どうなっていくのか。
 そもそも卒業後はどうするのか。大学に行く、とは大雑把に決めているが、それだけ。
 適当に入試を受けて、受かったところに入る。それだけ。
 よくある無気力な学生の思考。
 それでいいのだろうか。

 今更過ぎるが、唐突にそう思った。

「何考えてるの?」

 さすが母親。目ざとい。

「色々。そういう母さんも疲れてんじゃない?」
「こっちも色々あんのよ」
「アーサーもねこけてるしね」
「うちはみんなお疲れモードか」

 確かにそうだ。

「じゃあ私帰るから、後よろしく」
「今日はありがと」
「なんか今日は調子狂うねー」
「全く」



[31770] 貴族からの刺客 5-2 その後
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2013/01/06 21:04








 母親が帰ると、途端に身体が重だるくなった。
 まる一日寝込んだ直後なのだからそれが当然だといまさら気付いたが、そう思っている間にもどんどん意識も糊のようにねばついていく。
外界と意識の間に膜がかかり、五感と時間の感覚が薄くなる。
時計を見ると、秒針が十秒分だったり、二十五秒分だったりを一度に刻んでいた。
壊れた時計なのか、自分の目が壊れたのか。
当然後者だ、と気付いたときには、もう時計は見えなくなっていた。

 「竜使いでも人間です、無理はしないでください」という医者の声はなんとか聞きとれたが、それも隣の部屋の蚊の音位かぼそかった。
 そしてそれ以外は何も聞こえなくなった。

 おもゆの中にいるような静寂の中、唐突に、変わらなければならない、とい聞こえてきた。
それはいつかの唯の声だ。
たった一度しか再生されなかったが、妙にはっきりと聞こえた。
それだけが頭蓋骨のふちにひっかかったように、意識の中に残る。

 変わらなければいけない。そうだ。その時期が来ていた。自分が気付かない内に。

たとえば、半年後の進路。
本当に、自分は今まで何も考えていなかった。なんでそんなに考えなしだったんだろう、と思う位漠然と、他人事のようにしか思っていなかった。ほんの数日前の自分を思い浮かべると、嫌に間抜けに見えた。

 さっき見た母親の疲れた姿もそうだ。自分が子どもから大人に変わる時期だったという合図だった。

 実際にどうするか? 
 大学へ行く? 一番妥当で、漠然とした答えだ。ただし逃げともとれる。
就職するか? 一応竜使いで、ギルド部での実績もあるため、就職口はある。お誘いの手紙の中には、今になっても受けいれてくれるところはあろう。だが一生のことを、そんな簡単に考えていいのだろうか?

そもそも今後のことはアーサーと話しあわなければいけない。
言葉の通じない通常のパートナーなら、意見は聞きつつも、基本は人間が決めればすむ。
しかしアーサーはインテリジェンスドラゴン。人間と変わらない思考を持っている。
ならば聞かなくてはならないだろう。

そう思ったとき、ふと何かがつながった。
アーサー。インテリジェンスドラゴン。竜殺しの竜。

竜殺しの竜となった後のアーサー。その態度。
そしてリズの言った、インテリジェンスドラゴンに関する情報の存在。

 すべきことが、見つかった。


 そのとき、重苦しい糊のような意識がさっと覚めた。

 部屋を見回そうと首を回そうとしたとき、背中に鈍い痛みが走って、身体がびくんとなった。
 そういえば自分重傷だったな、と今更になって思い出しつつ、ゆっくりと身体の緊張を解いてうつぶせに倒れこむ。

 母親が来て話をしているときは、まるで痛まなかった。
 もしかして、かなりやばい状態だったのかもしれない。
 けど、母親も医者も普通に話しかけてきてたっぽいし、そうでもなかったのかね、と思っていると、ドアが開く音がした。

「ども、生きてる?」

 慎一の声だ。

「生きてるよ」

 そう言いつつ、ゆっくりと身体を起こす。少し痛むが、案外身体は動く。

「おはよう、って感じかな?」
「だな。おはよう」

 唯がそう言った。後ろにはキヨモリもいた。慎一は既に中に入っており、その横では上げ敷く振られる尻尾ものぞいている。
 手をぶらりとベッドの横に差し出すと、熱くてざらざらとした舌が舐めまわし始めた。
 後で手洗わないといけないけど、少し気持ちいい感触だった。

「で、体調はどうよ?」
「まあ生きてるからいいんじゃない?」
「おいおい適当だな」
「生きてる? とか聞いたやつよりはましじゃね?」

 ふっと笑うと、背中が痛んだ。

「やっぱ痛むのね」

 心配そうな唯の顔が見えた。
 そんな大したことない、慣れてるし、と言おうと思ったが、それより話を変えようと思い、

「俺が倒れた後、大会どうなった?」

 と聞いてみた。
 すると歩の意図を察してか、慎一がぱっと答え始めた。

「ああ、お前が担架に運ばれた後、そのまま閉会式。リズが優勝旗受け取ってたよ。ってか最後、リズが悪魔使いに剣突きつけたの、覚えてる?」

 歩がうなずいた。うなずいてから、そういやリズが来ていないことに気付いた。
 そしてもう一人も。

「えっと、リズは――どんな感じ?」

 ひとまずリズのことを聞こうとして、けど来てない? と言うのは、無神経な言葉な気がして、そう尋ねた。
 すると、慎一がにっと意味深な笑みを浮かべた。

「いつも通り。少なくとも、周りからは」
「リズの告白、断ったんだって?」

 そう言った唯の顔は、気まずそうな顔だった。
 慎一のように面白がっているようでも、怒っているようでもなく、気まずそうな顔。
 なんとなく、どんな顔をしていいのかわからないのだろう。

「うん、断った」
「あんな綺麗で良い子振っちゃうなんて、なんてひどいやつだ!」
「慎一、黙ったほうがいいよ」
「で、どうして断ったの? 正直、嫌いじゃなかったでしょ?」

 笑い混じりだったが、マジの声だった。慎一を咎めた唯も、黙って歩をみてきた。
 だから歩も真面目に答えた。

「一番じゃなかったから。それしか、言えなかった」

 歩がそう捻りだすと、二人は黙った。
 それで二人もリズを好ましく思っていたことがわかった。
そして気付いた。リズを含めて四人で過ごした関係はかげがえのないもの、それは失われてしまったんだ、と。
もう一つの四人の関係との両立も、五人での関係の成立も、不可能なことだったが、それでも大切なものを失ってしまったことには違いなかった。

「まあなんにしろ、今回も我がギルド部はしっかりと成績を残せたわけで、部長としては鼻高々だわ」

 慎一がおちゃらけてそう言うと、少しだけ空気が和らいだ。
 それで息もつけないような雰囲気が解けて、ようやく息継ぎできたように唯がもらした。

「最後の大きなイベントも無事に終わってよかったね」
「だな~ あとは卒業までの準備って感じだもんな」

 これでギルド部ももう終わりか~、という二人の顔は、寂しそうな、しかし決まったもののあるように見えた。
 そういえば聞いたこともなかったが、二人は進路どうするんだろうか。

「慎一は進路どうする?」

 歩がそう言うと、お、と意外そうな慎一の声が返ってきた。

「おう、ようやく歩さんも考えだしたか」
「っつっても、そういや慎一は家業継ぐのか」

 言ってから、慎一が実家のギルドを継ぐこと位決まってたと思いだした。
 慎一は含みのある笑みを浮かべた。

「おうよ。ギルド部もそのためだったしな」
「箔はついた?」
「ここだけの話、かなりね」
「ギルド部やって、一番実になったのは慎一だったかな」
「まあそう言うなよ。楽しかっただろ?」

 そう楽しそうにいう慎一だったが、そうした余裕のある態度にも、卒業後のためにもしっかりと準備をしているのが感じられた。
 聞いているこちらが嬉しくなる位、充実しているのがわかる。

 羨ましいな、と思いつつ、次は唯に聞いてみようか、と思ったが、口に出す前に止まってしまった。
唯はくすくす笑っていた。そんな唯だが、生い立ちはかなり複雑だ。当然進路もそうだろう。
 となると、この空気のときにそれを聞くのは、水を指すことになる。
 また後でいいか、と結論づけようとしたところで、

「そういや唯はもう決めた?」

 となごやかに慎一が尋ねた。
 いいのか? と身体を強張らせながら、唯の顔を見る。
意外に、くすくす笑ったままだった。特に無理をしているようには見えない。

「決めたよ。藤原を継ぐ」
「そうか」

 二人は全く変わらずそう言った。
 なごやかな様子と、口にした言葉の重大さの差が大きすぎて、歩はほぼ脊髄の赴くままに尋ねてしまった。

「どういうこと?」

 唯の顔に、少し困ったものが混じったが、それでもなごやかなままで、答えた。

「実は私、最近慎一と二人で話すこと多かったからね」
「お前らのことでな」

 お前ら、つまり歩、リズ、みゆきのことか。それなら歩が知らなくても仕方がない。

「それで行き詰ったときに、進路のこととかも話してたから、それで知ってんだよ」
「慎一のギルド関連の話はためになったしね」

 だけど、なんかのけものにされたような気がして、少しもやっとしたものが残る。
 それが顔に出ていたのか、唯は困ったようにしながら、言った。

「んで、私の進路についてだけど、私の家の話はしたっけ?」
「だいたいだけど」

 みゆきからのまた聞きだったりも多かったが、おそらく大事なことは知っているはずだ。

「なら話は早い。んで結局、私は藤原を継ぐことにした。だから卒業後はあんまり会えなくなるかもね」
「激務なの?」
「多分。実績作りしに現場にも出ないといけないし、勉強も多いし。キヨモリも寝てばっかりはできなくなるね」

 そう言うと、唯はキヨモリの頬を撫で始めた。早くも目を閉じて寝息を漏らしそうになっていたが、キヨモリは唯がなでやすいように、顔の位置を調整した。
 それはあたかも、撫でる側の唯が、逆にいたわられているように見えた。
 実際、そうしたスキンシップは、むしろ唯のためだったのかもしれない。

「色々辛いことも増えそうだな」
「ならどうして?」
「幼竜殺しと悪食蜘蛛、どっちも私が継いでいたら防げたと思ったから」

 唯の答えはシンプルだった。

「もちろんそんな短絡的じゃないよ。ただ、実際はそうだったんだろうなって。自分から動いて、初めて世界は変わるんだって、わかったから」

 悟ったような、しかし妙に地についた、格言だった。
 それは、まぎれもない唯の人生が生み出した本物の言葉だと思った。

「実際、なってよかったことはあったしね。この前の銃での襲撃事件も片ついたから。詳細は言えないけど、もう狙われることはないよ」
「もうそういう世界に入りこんだってわけだ」

 慎一の尋ねかけに、唯は頷いた。辛い話のはずなのに、そうは見えなかった。
 念願の初仕事をしっかりやりとげた、そういう顔だった。

 それを見て、正直、歩はくやしいと思った。慎一と唯はもう踏み出している。
 地に足のついた、広大な世界への確かな一歩を。
 だからこそ思う。歩はこれから何をすべきなのか。

「と、ここで歩君に難問を出しましょう」

 慎一が心の内を呼んだように言った。

「何?」
「ちゃんと潜り抜けましょう、って話。俺らは退散します」
「だから何を?」

 悔しくて、いらついた感じで行ってしまったが、二人は何吹く風といった感じで、廊下に出ようとしている。

「ではさようなら」
「おい」

 本当に出て行ってしまった。結局謎のまま帰っていった。
 ドアがばたんとしまる。くそ、そう毒づこうとしたとき、ドアが開いた。
 慎一達か、と思って注視している。
 そして驚いた。

「久しぶり」

 そこにいたのは、みゆきだった。
 演技の好きなやつらだ。



[31770] 貴族からの刺客 5-3 幕
Name: MK◆9adc7e33 ID:a4fbf450
Date: 2013/01/13 00:00











 余りにいきなりすぎて、何も言えなくなってしまった。

 すらりとした線で描かれた造形。
 なだらかに波打つ黒髪に、清潔そうな制服、切れ長だが、強さよりも柔らかさを秘めた目。いつもどおり、頬には薄い笑みを浮かべている。両手にはなぜか大きめの旅行鞄。

 みゆきだ、とはわかったが、そこから思考が進まない。
 まるですいぶん昔の、竜と対面したアーサーみたいに。

「ひさしぶり」

 少し上ずった声が聞こえて、それでようやく呪縛が解けた。
 同時に、みゆきの笑みが少しぎこちないものだということに気付いた。

「ひ、ひさしぶり」

 なぜか軽く手を上げて答える。
 滑稽な姿に見えないだろうか、と思ったが、みゆきに笑う感じはなかった。
 どこかぎこちない。顔だけでなく、全体的に。そんな感じだ。

 それはいつもいる姿がないからかもしれない。
 イレイネがいなかった。この前の大会で消耗しすぎたのかもしれない。

 そこまで来て、大会以降、みゆきのことをほとんど考えていなかった自分に気付いた。
 なんて馬鹿なんだ、大会中好き勝手やっといて。つい先程までの自分が馬鹿みたいだ。

 けど、なんで忘れてたんだ、そんな大事なことを、と思っていたとき、みゆきの声が聞こえてきた。

「えっと、これ、歩の服」

 そう言って、両手に持った旅行かばんを上げた。学校指定のバッグをそのまま大きくしたようなやつだ。

「ああ、ありがと」
「えっと、どこ置こうか?」

 そこらへん置いといて、と言おうとして、途中で止まった。
病院では、私物はベッド隣の簡易デスクに置くことになっている。
つまり、みゆきに言うならば、そこに置いておいて、となる。
しかしそうなると、みゆきがすぐ隣に来ることになる。
それは嫌だった。
みゆきが嫌いになったわけじゃない、だが今みゆきとすぐ近くに居るのは抵抗があった。
 今はみゆきとの間に適度な距離が必要なんだ。少なくとも、今は。

「そこ置いといて」

 そう思って、ベッドの脇、歩の足元の方を指した。
 その意味がわかってか、みゆきはうん、と答えつつ、そっとバッグを置くと、二歩ほど歩から離れていった。

 それから沈黙が続く。どちらも何も言いだせない、しかしこの時間を終わらせることもできない、そんな時間だ。
喉のあたりがむずがゆい。しかし腹にたまったものをそのまま口にすることはできない。
そんなことをしたら、壊れてしまうような気がするのだ。
何が、とも言えない。それすらも怖い。

 しばらくそのままでいた。ここが個室でよかった。こんな気まずい雰囲気を人に見せたくはない。
そこでふと、なんで母親はみゆきに服を持って来させたんだろう、と疑問が湧いた。
 そして気付いた。きっと歩とみゆきが合う口実を作ってくれたんだろうと。

「えっと、みゆき、怪我はどう?」

 意を決して、そう言った。
 すると、みゆきは歩の顔を見て、数瞬ほどその態勢で固まって、それから、ああ、と声を漏らしてから、答えた。

「大丈夫。運動はできないけど、こうして類さんの頼みを聞く位はね」
「イレイネの姿は見えないけど」
「それがね――ほら」

 そういうと、みゆきはその場でくるりと回転した。
 髪とスカートが横に広がり、少しだけ覗いたふとももとうなじの白さに一瞬どきっとしたが、それも一瞬だった。

 背中には小さくなったイレイネがいた。どこで覚えたのか、みゆきをアニメ調にデフォルメしたような外見をしている。激闘の余波か、赤ん坊ほどの大きさしかない。

 だが様子がおかしい。歩の方をちらちらと、上目づかいに覗っている。
まるで窓ガラスを割ってしまった子どものよう。

「もしかして俺の傷のこと?」

 身体をひねり、顔だけでこちらを見ているみゆきが頷いた。
 歩が今病院のベッドにお世話になっているのは、みゆきイレイネペアとの試合で負った傷が原因だが、その中で最も重い傷は、背中のもの。
 イレイネの円錐に変型しての一撃で受けた傷だ。
 それをイレイネは気に病んでいるのだ。

「そんな気にしなくていいのに。勝負の結果だろ?」
「私もそう言ったんだけどね」

 イレイネの半透明な顔を見ると、いつもうるうるとしている瞳が、一層揺らいでいる気がした。でもそうやって寝てるじゃない、と言っているように見える。

 ならば、と歩は足をベッド脇に下ろし、立ち上がろうとした。
 が、そこで背中の傷跡にそうように痛みが走り、思わず顔をしかめてしまった。

 失敗した、と慌てて顔を取り繕ったが、イレイネにはきっちりと身咎められていた。
 目の潤みが激しくなっている。完全に逆効果だった。
 馬鹿してばっかりだ、ほんとうに。

「歩――座ってても――」
「いいよ」

 こうなったら最後までするしかない、と立ち上がる。痛みはあったが、一度経験すれば噛み殺せるものだった。こんなもののために、自分はイレイネを悲しませたのかと思うと、怒りが湧いてきた。
 歩はその勢いで立ちあがると、そのままイレイネの方へ寄っていった。
 一端立ち上がり、痛みに慣れると、案外楽に動けた。
こういうとき、自分の頑丈さが有難い。

「ほら、大丈夫だからさ」

 少し屈んで、同じ目線になってイレイネの顔を覗いつつ、言ったが、イレイネの顔は晴れなかった。
 どうやったらいいのだろう、と途方に暮れつつも、頑張って舌を動かす。

「そりゃ少しは痛いけど、それを言うならみゆきだってそうだろ? それもひどいやり方で負わせた怪我だし」

 みゆきの負った肩の傷は、歩が背中の傷を負い、反射的にみゆきの意識がゆるんでしまった瞬間、負わせた。
 それはなあなあで勝負を済ませると、あの奇跡的な時間が空気が抜けた風船のようにしぼんで終わってしまう、と咄嗟にやった行動だったが、今になると、けっこうひどいことをしたようにも思える。

「な、悪いことをしたっていうなら、俺の方が悪いって」

 イレイネは納得したわけではなさそうだった。だが、先程よりも潤みが落ち着いている。
 ならばこれが最後だ、イレイネの小さな手に手を伸ばした。

「それにイレイネが小さくなったのも、俺と戦ったからだろ? おあいこだよ。な? だから、これで仲直り」

 握手。軽く上下に振ると、イレイネの半透明な腕もちぎれることなく続いた。しっかりしている。

 まだ何かを怖がっているような顔だったが、もう大丈夫そうだ。

 さあ、と思い顔を起こすと、すぐ近くにみゆきの顔が見えた。
 固まっている、それもそうだ、こんなに近くにいるのだから。みゆきも二人の間には距離が必要だ、と思っていたようだ。

 歩も強張る。ただ身体は二歩ほど距離を取らせた。

 みゆきがくねらせていた身体を元に戻し、歩に向かって正面を向いたが、顔は俯き気味だった。

その肩口から、イレイネが顔をのぞかせる。
先程の親の機嫌を覗うような子どもの顔だが、怖がっているようには見えない。
もしかして、イレイネの策だったのかも、歩とみゆきを近付ける。

 それは考え過ぎか、と思ったところで、俯いたままみゆきが言った。

「大会の決勝、素敵な時間だったよね?」

 素敵な時間。歩が奇跡的な時間と思ったものを、みゆきはそう言った。

「ああ。奇跡的、と思った」
「だったよね。なんだか、こう――通じ合った、って感じの」

 そういうみゆきは恥ずかしそうだ。俯いていても、頬が赤らんでいるのがわかる。
歩も同じ気持ちだった。同じように顔が熱くなり、俯いてしまう。
 あの全てをさらけ出しぶつあうような感覚は、そういう類のものだった。
なんて無防備で、気恥ずかしい状態だったんだろう。それも剣と棍を交える場でだ。
高校生同士のコミュニケーションにしては、あまりに無骨すぎるし、場にそぐわない。

 あ、とそのとき思った。そうだ、わかりあっていた気がしたのだ。
 全ての問題がなくなったような感覚。少なくとも二人の間には。
 だから歩は、いざ会うまでみゆきのことを忘れていたのだ。間にはもう何も問題がなかったような気がしていたから。

「今思い出しても、恥ずかしくなる位だったな」
「――歩にとって、あの時間は大事なものだった?」

 目と目があった。俯いていたみゆきの目と、しっかりと交わる。
 そこには何かが揺らいでいた。

「大事だった。とてつもなく」

 だからそう答えた。そうすべきだと思った。

「――歩、私、財前敬悟と婚約解消したから」

 顔を上げ、みゆきはそう宣言した。頬はまだ赤い、しかし眉には力が、目には確かな光があった。揺らぐことのない、大事な柱を得たのだ。

「たった一日で、全部片付いたの?」
「うん。実際、断ろうと思えばいつでもできたから。財前敬悟がなんだかんだ私に触れられなかったのは、そのせいだったし」
「お父さんとの兼ね合いはいいの? それが一番の問題じだったんじゃない?」

 歩はそう石を投げた。柱に向かって。しかしそれはきっとやらなければならない、しかしみゆきからはしづらい行為だった。

「うん。父にも、話をした。それに私はもう一人で生きていけるから。今まで苦労ばかりかけてごめんなさい、って」

 みゆきの目尻に、温かいものが見えた。それはみゆきが今まで背負ってきた、そして捨てたものだと。
 みゆきを抱きしめたかった。そうすべきでもあった。そうすればきっと、全てがまるくおさまる。少なくとも二人の間は。そう思った。

 しかし歩はやらなかった。
 代わりに、言った。

「リーゼロッテ・A・バウスネルンさんの告白は断った」
「――よかったの?」

 よくはなかった。失ったものは大きい。

「選んだだけだよ」

 だから、そう答えた。

 すると、みゆきの顔が赤くなった。
うん、今自分何か赤くなるようなこと言ったっけ、と考えて、気付いた。

 選んだだけ。つまり、リズを選ばず別のものを選んだだけ。という意味になる。

 そしてこれまでの流れから、選んだものはまずみゆきになる。

あなたを選びました、って完全に告白じゃん。

 なんて間抜けな愛の言葉だ。
 背中がひどく痛んだ。力が抜けてしまった。今日一番の馬鹿だ

「それって、どういう意味?」

 そうみゆきは言った。いつの間にか俯いていたが、その目はしっかりと歩を捉えている。
 やばい。これは言わなければならない。だけど、歩は言えない。
 でも、言わなかったら――どうにか、して。

 そのとき、間抜けな、んあぁ、という音がした。
 これ幸いと音の方を向くと、大口を開けるアーサーが見えた。
 感謝。今度いい酒買って来てやろう。

「――ん、みゆきか。どうだ、仲は治ったか?」
「おかげさまで」

 みゆきはいつになく機嫌悪そうに言った。顔は見ない。見れない。
 それを無視するように、アーサーは、そうか、と答えた。

「アーサー、本当に寝てたの?」
「ん? うむ。快眠であった」
「寝過ぎじゃない? 大会でも、指示出しもしてなかったんでしょ? 疲れるときなんてなかったでしょうに」

 確かに、アーサーは大会で何もしなかった。本当に仕事量ゼロだ。
 幼竜殺しは言うまでもなく、一見働いていないようだった悪食蜘蛛のときも、最後は倒れ込んだ位だったが、今回は何もしていない。
 だがアーサーはよく寝ていた。多分、本当に。

「ん、何かあったか? すまんな、寝起きが悪くて。察しておれば、おのずと消えておったのにのう。んで、どうなった?」
「知りません」

 みゆきは怒り半分拗ね半分といった感じだ。そりゃそうだ。
 しかし、歩は言わなければならないことがあった。

「アーサー、聞きたいことがある」
「何だ、改まって」
「マジな話だ」

 アーサーがむくりとこちらを向いた。深緑の瞳が見える。
 飲みこまれそうな色だ。

「私達、いなくなろうか?」
「いや、みゆき達にも聞いてほしい」

 そう言いながら、歩はアーサーに寄っていった。
 背筋を伸ばし、アーサーを見下ろす。それを見て、アーサーは飛んだ。
 そして同じ目線の高さのところで、止まる。
 そういえば、最初にアーサーと会ったとき、アーサーが生まれたときもこんな感じだったな、と思いだした。

「して、なにか」

 歩は一度深く息を吐いた後、言った。

「お前、言ってないことあるだろ」
「そりゃいくらでもあろう。我も一角の男子故」
「そうじゃない。大事なことだ。いずれ生活が崩壊してしまうかもしれない、危険のある話だ」

 みゆきが息を吸い込む音がしたが、歩も、アーサーも動じなかった。
ただ目を合わせる。みゆきとの奇跡的な、素敵な時間とは違うが、これも何かを言いあう時間だ。

「何の話だ」
「お前、半年位前から口数減ったよな。特に最近とか」
「なんだそれは」

 呆れたように言うアーサーに向かって、歩は頬がぴくりと動いた。
実際のところは、歩自身、はっきりとした確証がない話ではある。
だが当たっているという感覚があった。

「お前、竜苦手だったよな。キヨモリと初めて会ったとき、亀みたいになってた」
「だからなんだ? 我を馬鹿にするのか? それを乗り越えるべく、努力したのではないか!最近では何かおかしな様子あるまい! 我を馬鹿にするでない!」

 そう、おかしな様子はなかった。
 しかしそれは歩も、他の誰も気づかなかっただけ。こいつの嘘が上手いだけだ。

 アーサーを見る。怒ったような口調だったが、顔は平然としていた。翼だけがばさばさと動き、他は何も、瞳の光さえも揺らがない。
 強いやつだ。だが、強すぎるのも考えものだ。

「お前、今でも竜苦手だろ。ってか最近、もっとひどくなってないか?」
「……何を根拠に?」
「口数が少ない、ってのは俺の気のせいかもしらんが、酒の量は減ってるだろう。少なくとも、泥酔はないな」
「それが何を?」
「抑えが効かなくなるのが怖かったんじゃないのか? もしかしたら、起きたときにはキヨモリやリンドヴルムを喰い殺してしまってるんじゃないか、っていう風に」

 ここまで言っても、アーサーの様子に変わったところは見られなかった。
 今になって、思う。こいつはどんな経緯で、こんな強いやつになったのだろうか。
 生まれたときから? そんなことがありうるのか?
そもそもインテリジェンスドラゴンってなんだ?

「よく寝てたのも、実際疲れていたからだろ? 衝動を我慢しまくるのって、辛いもんじゃないのか?」
「だからみゆきに直接的な行動に出れなかったのか」

 やっぱこいつ狸寝入りしてたんだな、と思ったとき、みゆきがどういうこと? と言った。
 そういえば、みゆきは知らなかった。リズの家がインテリジェンスドラゴンについての、資料を持っているということを。

「アーサー自身、自分の出生については無知だ。竜殺しの竜であることを、幼竜殺しとの一件で知った位だからな。だけど、アーサーが耐えるだけで疲れきって眠りこんでしまう位になった今、直面しないといけない。インテリジェンスドラゴンについて」
「それが、どう繋がるの?」
「だけど情報はほとんどない。だいたい竜殺しの竜なんて存在が知れ渡ってたら、俺らもう死んでるしね」
「だが、こいつが断ったリズは、インテリジェンスドラゴンについて情報を持っている」

 みゆきが黙った。おそらく、理解と嘆きが胸中でうずまいているんだろう。

「だから、リズとそのことについて話をしなきゃならない」
「情報を人質に、結婚? そんなひどい人なの?」
「そういうわけではない、いい人間だし、いい女だ。こいつには勿体ない位のな」

 そういう不穏な言い方やめてくれないかね、と思いつつ、核心を言う。

「だけど、多分みゆきと付き合ったりとかはできないと思う。リズがいい顔するわけないから」
「リズね」

 あ、ミスった。そう思ってみゆきの顔を覗ったが、そこに怒りはなく、諦めたような顔をしていた。

「私、歩とアーサーについていくために、強くなったんだけどなあ」
「ふむ、決勝はなかなかであった」
「頑張ったんだよ、私。隠れて特訓して、歩の背中は守れる位にはなりたかったんだけど」
「十分だよ。けど、これからはな」

 はあ、とみゆきが息をもらした。

「卒業後?」
「ああ。その間も、リズと話をしなくちゃならないけど」

 みゆきが天井を見上げた。釣られて、歩も見上げたが、そこにはただ白しかなかった。

「ひとまず、これで幕だな」
「幕?」

 アーサーを見る。いつのまにか籠の中におさまり、身体を丸めて寝る態勢に入っていた。

「子ども時代が終わるのだ」
「嫌な終わり方だな」
「本当」

 そう言うとアーサーはすっと目を閉じた。本当に寝始めたのは、今ならわかる。

 少しだけ、思う。こいつは今まで本当に眠れたことがあったのか、常に竜殺しの竜である自分を恐れながら、ぐったりしていただけではないのか。

 そう思うのも、子ども時代との決別だろう。

 そう締めくくって、歩はみゆきの方を振り返った。



















貴族からの刺客、終



[31770] ドラゴン 0-1
Name: MK◆9adc7e33 ID:ea58d22f
Date: 2013/05/04 15:26
遅れてすみません!

毎週土曜更新で復活するので、よかったらどうぞ!!













 私は勘違いをしていた。聖竜会という組織について。ドラゴンという存在について。


「藤原様、時間です」
「はい――キヨモリ、行くよ」

 その呼び掛けに、唯は隣で寝息をたてる巨躯を叩きながら立ち上がった。

 ゆるりと風が起こる。ささやかだが力強い空気がながれてくる。かぎなれた、獣と鉄と人を足したような匂い。竜の匂い。

 岩のようなごつごつとした肌と、張り裂けんばかりに隆起した肉。
棍棒のような両足と、鈍く光る両腕の爪、角がないシンプルな頭。体色は新緑。
理想的な竜とよくため息をつかれる立派な姿。
しかし唯にとっては、受けた恩恵よりも乗せられた荷物のほうが多い、呪いだった。今までは。

「体調はどうですか」

 呼びに来た連絡係の人が言った。黒蛇製の迷彩服をまとった、お兄さんでもおじさんでもない軍人。

「良くも悪くもないです」
「そうですか」

 寝起きで大口のあくびをするキヨモリを見ながら言った。
牛を丸のみしそうな大きな口にはずらりと牙が並んでいたが、怖くはなかった。
 緩慢で、どこか心地良さげな動作に、牙を剝くなんて想像はまるで働かない。

 唯はキヨモリを連れ、それまでいたテントの出入口に向かった。
入口脇に置いてあった、剣を手にとる。
使い始めて二カ月だが、もう一つの相棒になった、装飾を削った常寸だが幅広の刃物。

「正直、うらやましいです」

外に出ようとテントの分厚い布をすくい上げたとき、伝令の男がそう吐露した。
顔にはにじみ出るような悔しさが表れていた。

「戦場に出られること?」
「出陣直前まで寝ていられる肝の太さも、強さもです」
「あなたのパートナーは?」
「外に出てすぐのところにいます」

 テントの外に出ると、竜がいた。立派な翼を生やした翼竜だ。
確かに少し小振りでがあるが、引いたらそれだけで栄光が待っていると言われる竜の一体。
 だが竜と竜使いしかいないこの場では、羨まれるのではなく、羨む側なのかもしれない。

「あなたはあなたの仕事をお勤めください。それが前線の私達の力になります」
「――はい。失礼しました、他の方々は皆さんお揃いです。お急ぎください」
「わかりました」

 テントから出て、集合場所に向かう。
巨大な竜が入れる大きさのテントが林立した場所から、作ったばかりの林道へ。
木々を倒したばかりで、湿った黒土の足元。
鳥のさえずりと、木々のざわめきが本来満たすべき空間。

 だが今は全く別の、強い音が混じっている。一つ一つがお腹に響く声だ。強靭な肺から押し出された空気が、人の頭ほどの喉を通り、分厚い舌の上で踊って空気に大波を起こす。竜の悲鳴だ。

どれもが悲痛だった。鼻の頭の皺が乗り移ったような、細かい憎悪のこもった唸り声。今にも途絶えそうな、竜らしくない泣き声。自分を焚きつけるべく、どこに向かってか遠吠えする声。

 そのどれからも強い感情が伝わってくる。殺す、死にたくない、生きたい。

「おう、藤原の。遅れたな」
「申し訳ありません」
「いやいや、殺伐とした空間が、一気に華やいだよ。若い美人はありがたい存在だ」

 集合場所は開けた空間に、布と棒で囲いを作っただけの場所だった。
 中では人が十名ほど、同数の竜を後ろに控えさせて、パイプ椅子に座っていた。

 その中の一角、上座の方に唯は向かった。一番奥の上座の右隣りが藤原の席だ。
 途中、何人かと目があう。
若い男は苦々しそうな睨みを、中年の男は柔らかい会釈を向けてきた。

「失礼します、敵が姿を現しました」

 唯が席についてすぐ、報告が上がってきた。先程とはまた別の伝令役だが、その顔には固い緊張が見て取れる。
 その緊張が伝わったかのように、居並ぶ一面の顔がひきしまった。

「そうか、では行くか」

 隣に座った男の合図で、みんな立ちあがった。唯もまた従って、外にでていく。

 先程来た道から更に奥に進んでいくと、道の先で、突然森が途切れ、荒野になっているのが見えた。そして同時に整列した人と竜の後ろ姿もあった。
 林道が途切れ、人と竜でできた林道に入る。
壮観な光景だった。竜は小型のものはおらず、全てが中型かそれ以上。
竜使いは皆黒蛇製の浅黒いジャケットとパンツに身を包んでおり、腰には剣を指している。
竜と人双方の顔はきりりと引き締まり、強い緊張が走っていた。

 その群れの先頭につくと、唯達はずらりと横に並んだ。
数百数千の竜と人の集団の中、十の長。

「では向かうぞ。皆、気張るように」

 そう簡潔に挨拶が済むと、荒野の先への行軍が始まった。
 一面の荒野の中、時折煤けた切り株が見える。
ぽつりぽつりとあるそれは、切り株になってからずいぶんと時間が立っているように見えた。
ここがはるか昔から戦場であった痕跡だった。

 坂にさしかかった。曇り空が目に写る。雨が降りそうな、重い雲。士気が落ちなければいいが。

 だがそんなどこか悠長な思案も、坂を登り終えたところで消えた。

 一面のドラゴンがそこにいた。翼をもったもの、獣のように四肢で地をかけるもの。後方でずでんと構えるもの。共通するのは、彼らが唯達の隣にいる生物と似ているということだけ。

 龍。人の世界の外にいるらしい、竜に似て非なるもの。
 唯はつい先日までそうとしか聞かされない、一般人にしか過ぎなかった。
 だが唯は藤原の名を冠するようになって知った。
 聖竜会が守ってきた秘密、特別だった理由――
龍の侵略が、世間一般に認知されている規模ではないことを。
これまで人間は常に戦争状態であったことを。

「総員、戦闘配置!」

 ぴりりと緊張が走る。それもそうだ。竜対龍。人類最強である自分達と、同等以上の存在との戦いが始まるのだ。

 唯はゆっくりと剣を抜いた。
 いつのまにか、笑みがこぼれていた。
 だって隣にはキヨモリがいて、そして自分は初めて、真実と現実に向きあっているのだから。


















以下言い訳。

北海道とかだと桜咲くの四月末だよね? とか言い訳しつつ四月中にはあげようと思っていたところ、
月末風邪ひいて寝込む事態になってました。

夏休みの課題残す派はほんといかんです。

ほんとすみません。まじで。



[31770] ドラゴン 1-1
Name: MK◆9adc7e33 ID:ea58d22f
Date: 2013/06/19 13:17







 戦場は、ドラゴンの咆哮で満ちていた。
 大地を蹴る音、空が切り裂かれる音、途方もない力がぶあつい肉を叩く鈍い音。
そのどれもが耳をつんざくような喧噪だったが、唯にはドラゴンの声ばかりが聞こえた。
 竜と龍。似て非なる両者の、おたけびが、悲鳴が、断末魔が、耳に染み入ってくるのだ。

 それは多分、その一音に命の嘆きが含まれているからだろう。
 そして今、自分達はその嘆きを生み出している。

「藤原!」

 遥か後方からの声を聞くまでもなく、唯はするりと身を宙空に飛ばした。
 空を切り裂かれる音が耳のそばで聞こえ、続いて巨大な爪が見えた。
 当たれば簡単に引き裂かれるであろうその刃物、だが唯には当たらない確信があった。

 身をひるがえし、その勢いのまま剣を振るう。
 目標は爪の先の頭、こちらを睨む龍、そのぼんやりと開いた口、正確には牙と唇の間の、歯茎。
 牙の表面を滑りながら、剣が柔らかい肉を裂き、血が噴き出した。

「キヨモリ」

 龍の肉と悲鳴を感じながら唯がそう呟くように声をだすと、他の龍と身体をぶつけていたキヨモリが、相手をぱっといなした。
 相手の龍がたたらを踏む中、キヨモリはすっと口の痛みにうめく龍にすっと寄り、爪を一閃。内臓まで深く抉る。断末魔を聞くまでもない致命傷。
 その傷跡を見るのも束の間、唯は腰につけたナイフを投げた。目標は先程キヨモリがいなした龍、その目。
 研いだばかりのナイフが目に当たった、と思ったとたんに弾かれた。瞳の表面が鈍く光っている。
目を薄く固い膜で覆っているみたいだ。防護用のコンタクトレンズの龍版。

無駄だったか、と思ったが、防いだはずの龍がふらつくのが見えた。軽い痛みでも動揺は増せさせられたか。
ならばともう一度キヨモリを呼ぼうとしたが、既に血に濡れたばかりの爪は動いていた。流れるように一閃、龍の屍がまた一つ。

「いい感じだね、キヨモリ」

 周囲に気をむけながら、ふっと息をつく。返り血でキヨモリはどす黒くなっている、ふと落ち着いて、ぎょっとしたが、だがそれは唯も同じだろう。
戦場なのだから、当然のことではあったが、いざ気付くと、むせ返る匂いと嫌悪感は付きまとう。

 龍が一体突っ込んできた。四足で駆けるまだら色。血ぬられている。
 唯は周りをぱっと見回し、軽く下がる。キヨモリが前で、唯が後ろ。
敵は当然小動物である唯を狙うが、決して触れさせない立ち位置をとる。キヨモリも唯に合わせて、ほんの少し位置をずらす。
それで敵はキヨモリを無視して、唯を襲うことはできなくなる。重点的に訓練しているため、その動きに淀みはなかった。

 衝突、大気を揺らす振動、その間、唯は周囲を警戒。
自分を狙うやつはいないか、キヨモリに横やりを入れようとするやつはいないか、腰元の投げナイフに手をやりながら、視線で一撫でする。

生憎、大丈夫そうだ。それにキヨモリも既に相手の顎をあげさせている。
これなら自分の補助はいらないだろう。
投げナイフは後六本。最近では剣よりも活躍の場が多く、生命線になっている。だがもっと改良できそうだ。そもそも刃物ではなく、爆薬や催涙系のほうがいいかもしれない。

そんなことを考えながら、唯はぽつりと思った。ドラゴンばかりの空間の中、唯一混じっている小動物である自分を、龍達はどう思っているのだろうか。







「おつかれさまでした」
「こちらの被害は?」

 唯が自陣に返ると、柔らかい笑みを浮かべた男が出迎えた。
自分の小姓として、聖竜会から派遣されてきた男だが、初めてあったとき、唯は驚いた。
 半年ほど前、ギルド部で出た大会で選手宣誓を務め、歩とリズの前に敗れ去った竜使いだったからだ。

 名は東宮博文。
 唯や歩のことを嘲ることも、負けたからといって悪態をつくこともせず、さわやかに去った姿そのままの、正統な貴族。

「五十組ほど、未確認ですが、おそらく相手方は百五十といったところでしょう。けが人はお互いその倍ほどかと。発展することなく、相手が引いてくれて幸いでした。数では負けていましたから。お二人とも、ご無事でなによりです」

正統貴族がそう言った。そこには何の嫌みもない。主人に対する執事のそれだ。

唯はふと今いるテントの奥の方を見た。彼のパートナー、三頭を持つ、バトラーという名前の龍が、甲斐甲斐しく三つ首を動かし、キヨモリの身体を大きな布で拭っていた。

「なんでそこまで私に尽くすの?」
「命令ですから」

 間髪いれず答えてきた。
たしかにそうではあった。唯が藤原の名を継ぎ、少しして戦場に出ることになった際、身の周りの世話をする副官として、彼は派遣されてきた。

 だが不思議な点があった。

「あなた十分戦場に出れる力あるでしょう? 私の小姓役なんて、普通戦力にならない子を選ぶでしょうに」

 東宮博文とそのパートナーが戦う姿は、出会った大会で知っている。自分達と歩、みゆき達を除けば、ダントツの優勝候補だったし、実際強かった。
 リズの前に敗れたものの、その力は今日唯が戦った龍達と引けをとるものではなかった。

「それは私ではなく、パートナーであるバトラーだけです」

 だが帰ってきたのは、煙を巻く返答。

「みんな一緒でしょ、それは」

 戦う、といっても基本、人間は戦わない。それはパートナーの役目だ。
ちっぽけな人間が、比べ物にならない体躯を持つパートナーと張り合えるわけがない。
多少竜使いが龍の恩恵を受けているとはいっても、所詮は人間。
パートナーや魔物と対等に戦えるなんてのは、ほとんどいない。

「唯様は違いますが」
「はぐらかさないで」
「事実ですから。今日戦場にて、龍と剣を交えたのは、唯様だけです」
「褒めてうやむやにするつもり?」
「事実ですから」

 博文の顔を見る。猫のような目に、微笑がはりついている。
その顔を崩して、奥にあるものを見るのは、少なくとも今は難しい。

「いずれ聞くからね」
「はい、あと一つ、熊倉公がおよびです」
「それを先に言いなさい」

 今回の総大将、熊倉『公』。会長副会長に次ぐ地位の大貴族。
 僧兵のような風貌を見れば、名ばかりの貴族ではないことが一目瞭然の、本物だ。

「場所は」
「案内します」

 そういうと、博文は踵を返して外に出ていった

「一つ、質問してもよろしいでしょうか」

 無言で林道を歩いているとき、そう尋ねてきた。

「自分は答えずに質問?」
「あなたが実際に戦場に立つことを決めたのは、いつですか?」

 慇懃無礼。だが唯は質問の内容を聞いて、ふと自分でも答えたくなった。
 いざ考えてみると、実際にそれを口にしたことはなく、自分に言い聞かせてみたくなった。

「可能性を見たからかな」
「可能性」
「あなたも見たでしょう?」
「――ああ、ですか」

 パートナーを戦わせ自分は高みの見物、それがこれまでの人類の戦いだった。
 だが唯は見てしまった。人の身で怪物たちと戦い、勝利する人を。雄姿を、そしてパートナーとの真の共存を。

「危険では? 竜や龍に比べて、人は余りにももろい。人間が死んで、竜を巻き添えにしてもいいと? 非効率ではないと?」
「変わるべきときが来てる、と思ったの」

 理屈じゃない。感覚でしかなかった。だけど唯はその感覚を大事にしたかった。

 現代には、様々な考え方や理論がそれこそ無数に存在する。
それはこれまで先人達が積み上げてきたものだ。一人一人が必死に生き、結果生み出した段。より高みへ登るための、足場。
その上に立つことで、唯達はいい暮らしを送ってきた。
電化製品、各種マニュアル、社会構造。そもそも効率という思想そのもの。
それがあったからこそ、人類は他の種族の上に立てた。
限られた土地とはいえ、王様をやってこられた。

 だが唯はもういいんじゃないかと思っていた。
段を一つ一つ勉強し、無数の理屈を飲みこみ、自分の中の非効率、非論理的なものを吐きだし、最後にちょっとだけ、自分が生み出した段差を置く。
そんな連鎖を繰り返すだけの日々に。

ピラミッドを、必死に盲目に登る人達を見て、自分はその上に行きたくない、という感覚を大事にしていいんじゃないか。
 どれだけ考えても正しさしかないそのピラミッドの、どこか歪な部分を嫌ってもいいんじゃないか。
そう思うのだ。

「わかります」

 唯は前を行く博文の後ろ姿に視線を合わせた。

「意外ね」
「なにがです?」
「いや、なんでもない」

 わかります、という博文の声は、ため息をもらしたような声だった。
それがまるで本心から言っているようだった。

「着きました」

 そこは出陣前にも来た、布で囲っているだけの陣だった。

「くれぐれもお気をつけて」

 博文のその言い方が、戦場に出る主人への言葉みたいだ、と思い、その意図を理解した。
 龍の軍勢から人類を守り、その存在すら世間には知らせない聖竜会。
これまで知らなかったその真の姿。
 だが実際の中身は、やはり唯が味わってきた集団、そのままだった。

「また最後ですね。さすがは龍と生身で戦う勇者様は違いますなあ」
「遅れてすみません」
「丁度あなたについて話しているところです」

 となると、今回の恩賞を決める論功がこの場の目的か。

「まあそれでも殺した数を見れば、認めざるをえませんがね。ああ血なまぐさい」
「いくら活躍しようと、スタンドプレー。列を乱す行為でしかない」
「それよりも全体に及ぼす士気の方が深刻では? 藤原様の勇気に当てられて死んだ同胞は相当数いるでしょうから」

 唯が着くなり、面と向かっての悪口が始まる。
 椅子にどっさりと座りこみ、たるんだ腹と赤らんだ顔の目立つ女々しい中年、定規を背骨にしたような痩せた二十代の男、ふんわりとした顔で毒を吐く女らしい女。

 共通しているのは、貴族らしい品とおごり、竜使い、それと唯に敵意をもっていること位だ。

 手柄を競いあうわけで、当然ではあるのだが、一番目立つ上に、妾腹の分際で藤原を継いだ唯への風あたりは強い。

「戦場に出て日がないのだから、多少の荒は多めに見てやれ」

 その中で割合マシなのが、この場の主、熊倉公だ。
 大柄な身体を鉄板に貼り付けたような姿勢で座る、薙刀の似合う男。
三十五にして、既に主たる貫禄がある。

「今回の戦での一番の功は間違いなく藤原だ。初陣からの数度を除いた戦全てでもな」

 反論はなかった。多くが忌々しそうに顔を歪め、残る数人が涼しげな顔でやり過ごす。
 実際に、唯がこの数カ月で倒した龍の数は、熊倉と唯を除いた残りの面子全員が生涯で倒してきた数を上回っている。
 唯が面と向かって悪口を言われてもなんともないのは、これがあるからだ。

「藤原。一つ、要望がきている」
「はい」
「戦場を移す気がないか? 西の国の、外国境なのだが」

 熊倉の発言に、場がざわついた。

 西の国、というと、唯達のいる国と海を挟んだ先にある、二つの国の片方のリズの故郷の方。そして外国境というのは、国境ではなく、外の世界との境のこと。
確か今そこは。

「最近、龍の動きが激しいところでしたか」
「人と龍の屍で谷が埋まる、と言われているところだな」

 聖竜会に入ってから、龍との戦争状況を知った。
 何百年もの敵対関係だが、意外と全面戦争は少ない。一般に真実が知れ渡ることがなかった位なのだから、言われてみればそうなのだが、でも意外さは残る。

 だが現在、そこに今変化が生まれている。
 西の国の国境沿いで、一年ほど前からこれまでにない龍側の侵攻が起こっている。
 聖竜会戦力の三分の一が投入されているが、その数を三割ほど減らしても現状維持で精一杯という状況らしい。
 だがそれは裏を返せば、そこは今絶好の名を残す場ということでもある。
 これまでにない侵攻、それを食いとめたときの功績はどれほどか。
 もしそこで一等級の活躍を残したらどうなるか。

 先程周りがざわついたのは、そこが余りに危険なだけでなく、栄光へのかけ橋にもなっているからだ。

「行く気はないか?」

 熊倉の顔を見る。三十五にしては貫禄のある、皺が深く刻まれた彫の深い顔。
 竜のように口が大きく、がばりと大口を開けると、飲みこまれてしまいそう、だが本人は常に渋面で、ほとんど表情を崩すことがない。
 唯にはこの人が何を考えているのか、全く読めない。

「断らせてください」
「そうか」

 だからそう答えた。




「唯様、よかったのですか? 断って」

 軍議を終えて、藤原のテントに戻るなり、博文が言ってきた。

「せっかくのご指名でしたのに」
「罠とも限らないから」

 唯は最も汚い貴族のやり口を知っている。キヨモリの翼を失ったり、外来種の悪食蜘蛛に襲われたり、散々な目にもあった。
 だからこそ、唯は用心している。それが例え、一見尊敬に値する人物だろうと、どれほど美味しそうな道でも。

「戦場ではあんなに大胆に振る舞うのに、ずいぶんと慎重なんですね」
「あれとこれとは別」
「彼の影響ですか?」
「彼?」

 唯は雑草まみれの地面に横たわるキヨモリの首元を撫でながら聞き返した。

「人の身でパートナーと渡り合う彼です」

 唯は撫でる手を止め、あたりを見回した。
 むき出しの地面に、生地のテントを組んだ、だだっぴろい殺風景。
 入口近くには剣が数本たてかけられ、その横に木棚、お茶を飲めるよう湯沸かし器、それとベッド。それだけのさびしい空間。

 昔の自分なら、本当にさびしくなっていたかもしれない空間だ。

「影響はあるね」
「好意からですか? 男女としての」
「ずいぶん直球ね」
「聞いておきたいですから」

 博文の声は面白がっているようだったが、どことなく固く聞こえた。
 なんとなくその顔を見たくなくて、きっぱりと答えた。

「違うわ――っとごめんごめん」

 キヨモリに催促の唸り声をあげられ、慌てて撫でる手を再開する。

「彼は何をしているんでしょうね」

 唯はさあね、と答えながら、そういえば歩は今先程激戦になっている西の国に行っているんだっけ、戦場には出ないでほしいけど、とぼんやりと思った。





本当ごめんなさい、めっちゃ遅れました。
ついでに更新不定期にもなります。
すみません。


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