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[31658] アルベルト・ゲーリング奮闘記【転生仮想戦記】
Name: キプロス◆6129d03f ID:076f5f59
Date: 2012/05/12 13:46
※報告※

本作は大幅な改訂を行います。ご了承下さい。



●序章 改訂

●第1話及び第11話以降~ 削除

●第2話~第9話 改訂






● ● ● ● ● ●


 


《第1話『アルベルト』 1895年3月9日》



ドイツ帝国領植民地の国家弁務官の息子、アルベルトは生まれながらにして変わっていた。

純粋無垢な赤子には似合わぬ、ふてぶてしい表情。

しきりに泳ぐ視線。

未熟な手足が見せる、挙動不審な動き。

そして何より――一度もアルベルトは泣かなかった。

大声一つ、喚き声一つ上げず、口は真一文字に噤まれたまま。

いや、時折り口をパクパクと魚が餌を食べるが如く動かしてはいた。

両親は困った。何か重大な病気なのではないか? と。幼き頃から病を抱えた子は国家の癌であり、悪であり、罪である、というのが世の中の見解であった。

「しゃ……喋れないなんてことはないだろうな?」

父親であるハインリヒ・エルンスト・ゲーリングは医師を問い詰めた。

「まさか。これは一時的なことで、よくあることですよ」

医師は務めて冷静に言ったが、これは嘘である。
憤怒するゲーリング氏の気を落ち着かせるがための。

「見て下さい。この子は感性豊かな子だ」

そう言われて息子の顔を見ると、確かにそうだと認めざるを得なくなった。
アルベルトは物を言わぬままだったが、こちらに大きな興味を示している。こちらの表情をそれとなく観察していたのだ。

「あ……あぁ……そのようだな」

父親はそう呟き、静かに息子を抱きかかえる。

「アルベルト、お前は俺の息子だ」

当の息子は取り留めも無い顔を浮かべ、沈黙を守るばかりであった。

「ゲーリングさん。今後の事についてですが……」



           1



――“ゲーリング”



その単語が医師の口から漏れた時、俺は唖然としていた。

部屋の窓の外に広がる古めかしい街並みと、それに溶け込む古風な人々。
街道を駆け抜ける馬車。
空を闊歩する一隻の巨大な飛行船。

俺の脳裏に過ったのは、不快な記憶だった。

足を滑らせ、頭部を強打して呻き声を上げる自分。

視界はみるみる真っ赤に染まり、ピントが合わないようにぼやける。

そして――真っ白な世界と“神”

その“神”――と名乗る奇妙な老人から託された一つの“要求”

――“日本とドイツを救え”

無理難題を押し付けられ、その後、意識は飛んだ。

ところが目覚めてみればこれである。

アルベルトという名の赤ん坊へと生まれ変わっていたのだ。


しかも時代は1895年。
聞けばここはドイツらしい。ということは、ドイツ帝国時代。

軍事知識に明るい俺は、必要最低限の常識としてドイツ帝国の末路を知っていた。1914年、ドイツ帝国はオーストリア皇太子夫妻の暗殺事件によってセルビアへ宣戦布告、結果的にロシア帝国を敵に回してしまうのだが……。

正直、どうしろと?
ただの一国民(赤ん坊)に何が出来る、と?

――否、“神”は俺に『切り札』を用意してくれた。

一つは脳内の記憶領域に集積された、Wikiのような知識。

そしてもう一つは――“ブルーダー”(兄弟)

簡潔に言えば、俺はヘルマン・ゲーリングの弟である。
意味が分からないかもしれないが、事実なのだ。

ヘルマン・ゲーリング。
ドイツ第3帝国の国家元帥であり、事実上のトップ2。
そんなヘルマン・ゲーリングを兄に持つのが、俺である。

そう……アルベルト・ゲーリング。
ヘルマン・ゲーリングの弟であり、実業家であり、反ナチ活動家。
ユダヤ人を支援し、ナチス=ドイツを非難したという。
そんな兄貴とは正反対の人物だが、終戦後には弟だったということだけで逮捕され、数年を牢屋で過ごした悲しい人物でもあった。

俺は今、そんな人物に――“転生”している。
そのまま同様の歴史を繰り返し、平穏に人生を終えるのも良いかもしれない。

だが、俺には使命が課せられていた。
“神”が与えた不条理な使命。

チャンスは一度、二度目は無い。


その日、俺の人生の歯車は産声を上げ、動き始めようとしていた。






-----後書き-----

始めまして。キプロスと申します。

本小説は、ひょんなことからナチスの大戦犯ヘルマン・ゲーリングの弟、実業家で
反ナチス活動家のアルベルト・ゲーリングへと転生してしまった某航空会社パイロ
ットが、兄ヘルマンをモルヒネ中毒や急降下厨にさせんと奮闘しつつ、未来知識を
活かしてドイツを改変していくという物語です。

転生改変物は初の試みとなりますが、宜しくお願いします。

 




[31658] 第2話 痛い子と悪ガキ
Name: キプロス◆6129d03f ID:076f5f59
Date: 2012/05/12 13:45
第2話『痛い子と悪ガキ』



月日は流れ、5年が経過した。
つまりは現在6歳、但し“人生2度目”というのが注意点だが……。



「アルベルト、アルベルト!」

兄ヘルマンがそう叫びながら駆け寄る。
中世ヨーロッパの貴族服に身を包み、乗馬用の鞭を右手に持っている。
何か嫌な予感が……。

「アルベルト! 馬だ、馬になってくれ!」

ああん? 何、抜かしてんだお兄ちゃん?
そんな言葉を言いたげな表情を俺は浮かべた。
しかし、自由奔放な兄にそれが通じるとは思ってはいない。

最終的に折れるのは俺だ。


まぁ、ロデオみたく暴れ回って床に落としてやるけどな。


この5年間は、そんな調子だった。
大胆不敵な兄ヘルマンさんと、内気な弟である俺。

いや、別に狙って内気になった訳じゃない。
確かに社交的ではない。だが、これには理由があった。
俺は1歳ぐらいから沸々と頭の奥底に眠る知識が蘇り始めたのだ。


大半は俺が趣味としていたミリタリー関係。
特に航空機とか戦史とかである。
その脳裏に、まるでパソコン画面を見ているかのように鮮明な未来知識が映り始めたのだ。

そう、例えばWikiとか海外のソースとか、あとは国内外の書籍類。
ある時期を過ぎた頃には、航空機やら戦車の設計図まで。
何ともご都合主義な展開だったが、無理ゲーなこの状況を打開するには、そういった情報に頼るしかない。

俺は父ハインリヒの書斎に籠り、そういった情報を写し始めた。
何故、そうしたかというと、それには2つの理由がある。
1つは、他者に理解し易くするため。
そしてもう1つは、そういった鮮明な情報が幼少期しか得られないと直感したからだ。

これは現実に前世の記憶を持つ人間が、その記憶がもっとも鮮明だったのが幼少期だった、という体験談に基いている。
まぁそれよりも、実際に第六感で感じたから……という、またもやご都合主義的なものが大きいのだが。
とにかく、俺はそれらの情報を移すことにした。

結果的にそれで両親から“内気”な子供とみられるようになる。
何しろ、他の兄妹が遊んでいる時間も、食べる間も寝る間も惜しんでの作業だった。
父にBf109戦闘機の設計図を見つかってからはなおさらだ。
当の父は『メッサーシュミット』も『戦闘機』の三面図も理解出来なかったようだから、助かったが。
まぁ、1923年に設立される企業が製作する戦闘機の図面など見せられて理解しろ、などという方が無理なのだが。

残念ながらその事件以来、両親は俺を痛い目で見ている。
兄ヘルマンや、他の兄妹達も同様だ。

両親はともかく、ヘルマンとの関係を損なったのは痛かった。
第一次世界大戦に不干渉な方向で行く以上、後のナチス台頭では彼の口添えが必要となる。
さらに先の話だが、ヘルマンが次期総統になった暁には、ユダヤ人虐殺を止めるよう説得するだけの信頼関係が必要となる。

まぁ、第二次大戦で勝利しないと元も子もないが。




時は経ち、そして1900年の初夏に至る。

オーストリアはザルツブルク州、マウテルンドルフ城。

ここは、俺の実父からもしれない男、ヘルマン・リッター・フォン・エーペンシュタインの所有する城だ。

エーペンシュタインはベルリン出身の裕福な大地主貴族の医者だった。
また、プロイセン王室の侍医でもあった。
つまり、プロイセン宮廷にもパイプを持つ。

但し、俺は敢えてそれを使わないつもりでいた。
この時点でプロイセン王国はドイツ帝国に組み込まれ、皇帝ヴィルヘルム2世はその権威を失っている。

それにだ、たかが5歳の子供の話を聞くとは到底思えない。
まぁ、4年後に開戦する日露戦争を言い当てれば、聞く耳を持ってくれるかもしれないが。

だが、それは希望的観測に過ぎない。
どうせヴィルヘルム2世も側近も、『まぐれ当たり』として話を済ませるだろう。


だから敢えて、この時代を俺は情報の整理とヘルマンとの関係構築に消費した。
『模型飛行機製作』という前世の趣味がここで役に立った。
俺はグライダーなんかを作り、それをヘルマンと楽しんだ。
もちろん、人力飛行だ。
何回も挑戦しては失敗したが、成功した時は達成感があった。
おそらくヘルマンも、“空を飛ぶ”楽しさに心を惹かれたことだろう。
まぁ、一歩間違って大怪我でもしたら大変なので、それ以上はしなかった。


逆に大変だったのが、ヘルマンの趣味に付き合わされることだ。
彼の趣味は専ら『登山』や『狩猟』といった豪快なものだった。

ヘルマンは10歳、俺は8歳の頃だが、彼は登山にハマり始めた。
毎日のように「山に行こう。山に行こう」と急かすヘルマン。
そして重たげにリュックを背負い、彼や両親にSOSを送る俺。

……なにこのクソライフ?


そんな厳しい時代は、3年で幕を閉じた。
ヘルマンは11歳となり、アンスバッハのギムナジウムに通うことになったからだ。

彼の通うギムナジウムとは、ヨーロッパの中等教育機関だ。
修学期間は9年。

因みに小学校は4年制である。
いわば大学までのエスカレーターだ。
しかしヘルマンは、寄宿制だったこのギムナジウムの質素な寄宿生活に耐え切れず、入学翌年には家に帰ってきてしまった。

この時、俺は10歳。ギムナジウムに進学間近だった。
但し、9年間をギムナジウムで過ごす気はなかった。

翌々年、俺はプロイセン王国陸軍幼年士官学校に入学した。
ここは、あのヒンデンブルクやモルトケも通っていたという由緒正しき学校だ。
帝国陸軍の『陸軍幼年学校』も、この学校を手本としている。

ここに入学できたのは、一重にエーペンシュタインあってだ。
流石は実の父かもしれない男のことはある。
これは、彼なりの愛情表現だったのだろう。


一方この頃、兄ヘルマンはカールスエールの士官学校に通っている。
何故、カールスエールの士官学校に行かなかったかというと、出来るだけ優れた知識・技能と経験が欲しかったからだ。
6年後には、ヘルマンも通うプロイセン王国高級士官学校に入学したかったから、その布石でもあった。


こうして俺の士官候補生生活は――幕を開けた。





[31658] 第3話 士官学校の変わり者と危ないお友達
Name: キプロス◆6129d03f ID:076f5f59
Date: 2012/05/09 19:55
第3話『士官学校の変わり者と危ないお友達』



こんにちは、アルベルト・ゲーリングです。


突然ですが、友達が出来ました。

彼の名はフリードリヒ・カール・フォン・エーベルシュタイン。

俺とは1歳年上で、幼年学校では先輩に当たる。


「アルベルト! アルベルト!」

と叫びながら、エーベルシュタインは俺の所に歩み寄ってきた。

ありえないくらいテンションが高い。

「アルベルト! お前が話してた『戦車』の話、感動したよ。
まぁ皆は“変人”とか“死ねばいいのに”とか言ってたけど」


……マジでか!?

俺、「変人」とか「死ねばいいのに」とか思われてんの?


「まぁ俺もちょっとはそう思うけど、それでも俺達は親友さ」


いや……それ慰めになってないよ……。

むしろ心、抉られたよ。

俺のか弱いチキンハートがズタズタだよ……。

「?」

屈託のない笑顔でこちらを見るエーベルシュタイン。

彼は後にSS(親衛隊)大将となる人物だ。

そして同時に、あの“ラインハルト・ハイドリヒ”をSSのヒムラーに引き寄せる人物でもある。

いわば、ユダヤ人にとっての“死亡フラグ”だ。

あの金髪の小僧……もとい、金髪の野獣は危険過ぎる。

最初はこのエーベルシュタインを通じて接触しようとも考えたが、
半ユダヤ人疑惑の掛けられている俺が近付こうものなら、粛清される気がしてならいない。

何しろ、あのハイドリヒも最初は反ユダヤ人疑惑が掛けられていたのだ。

結局、それは事実無根のことだったが、そのせいで彼は陰湿な少年時代を過ごす羽目になった。

もし、そんな過去を思い出す羽目になったと八つ当たりでもされたら、堪ったものではない。

とりあえず、ハイドリヒの件は放置する。


「それにしても、『戦車』なんてどうやって思い付いたんだ?」

「あぁ、まあ……“ホルトトラクター”の話を聞いたからさ」

ホルトトラクターとは、アメリカのホルト社が開発した履帯式トラックだ。

当時としては革新的な『無限軌道』を最初に実用化したトラックで、
各国はこのホルトトラックを参考に戦車開発を推進した。

そうして誕生したのが、イギリスのマークⅠ戦車。
フランスのシュナイダーCA1戦車。
そしてドイツのA7V突撃戦車だ。


しかし俺が提案したのは、その発展型ともいえるルノーFT-17だ。
いわゆる『戦車』としての形を最初に完成させた車輛である。
完成は1917年で、その先進性から各国でライセンス生産された。

その一方、ドイツは立ち遅れていた。

最初の戦車であるA7Vが実戦配備されたのは1917年10月。
一方、英仏は既に戦車を実戦配備させ、塹壕戦を変えていた。
国力差、技術差はあるとはいえ、この戦車がもう少し早く完成していれば、戦局はやや違っていたかもしれない。
だが、機動力・火力は黎明期の菱形戦車には欠如していた。

その一方、フランス軍が開発したルノーFT-17は戦車の完成形である。
初期の菱形戦車よりも整備性・輸送性に優れ、何より次世代の指標だった。
開発ノウハウを付けておくだけでも、後々の戦車開発に貢献することだろう。


また、俺が提案したのはそれだけではない。

短機関銃のMP18。

対仏戦でしのぎを削った浸透戦術。

そして――航空機だ。

航空機については、積極的に推したのは雷撃機だ。
ただ、雷撃といえば海軍なので、お門違いと一蹴されてしまったが。

それらの中で、もっとも注目されたのがMP18短機関銃だった。

世界初の短機関銃MP18は、まさに新時代の兵器だった。
1918年3月、ドイツ帝国軍は鎮静化した東部戦線から西部戦線へと主戦場を移し、一大攻勢を画策していた。
それが1918年春季攻勢――『カイザー攻勢』である。
重砲、A7V戦車、浸透戦術、そしてMP18はその力を如何なく発揮した。

特に目覚ましい戦果を挙げたのが、MP18短機関銃であった。
MP18はこのカイザー攻勢において、ドイツ帝国軍の突撃歩兵――『シュトース・トルッペン』に配備されていた。

そしてそのシュトース・トルッペンの戦果は驚異的なものだった。
浸透戦術も併用し、西部戦線に築かれた塹壕群を次々と制圧。
無論、彼らはMP18を装備していた。
MP18は、歩兵一人に機関銃並――というよりその通りなのだが――の火力を持たせ、尚且つ機動力も保つ優れた兵器だったのだ。

MP18の戦果もあり、ドイツ軍は60キロという空前の前進を見せた。
そして1918年7月、『第二次マルヌ会戦』の勃発。
開戦以来、2度目となるパリ攻略のチャンスだった。
ここを制すれば、ドイツ軍はパリの街に行軍することが出来ただろう。
残念ながら、ドイツ軍は圧倒的物量を誇る連合国軍の前に敗れたが……。

今回、俺が提案したのはそんなMP18とMP28、そしてMG08/15だった。
MG08は今年、ドイツ帝国軍が制式採用した重機関銃だ。
このMG08は『マキシム機関銃』を基に設計・開発されている。
非常に優れた機関銃で、実はこの幼年士官学校にも数挺、教材として保管されていた。

俺が提案したMG08/15とは、MG08を軽量化し、銃床&二脚構造にしたものだ。
本来なら1915年に派生型として登場するが、そこは未来の知識である。
学校長や教師に提案し、改良を加えた試作型を造って貰った。

完成品は酷く不格好だったが、対塹壕制圧力は本物だった。
何しろ重機関銃の火力と小銃の機動力を兼ね備えているのだ。
その実用性に気付かない人間は居なかった。

というよりは、ドイツ軍人だったからかもしれない。
当時、各国軍は重機関銃を大隊で何挺か、という具合に運用していた。
その一方、ドイツ帝国軍は独立した兵科として『機関銃中隊』なるものを編制、運用していた。

ドイツ人というのは先進的な技術を嗅ぎ分ける能力でもあるのだろう。
短機関銃、通商破壊戦、長距離砲などはその代表例だった。
ところがそこで分かると思うが、ドイツというのは先取りし過ぎている。
10年先を行く技術で作られた兵器も、数を揃えられなければ意味は無い。

結局の所――『戦争は数』なのだろう。

閑話休題。
結局、俺が考案したMG08/15はドイツ軍にいたく気に入られ、MG08の派生型として開発、製造されることが決定した。
来年には完成し、ドイツ帝国の各植民地に配備される予定だ。

1908年現在、アフリカの植民地はとにかく荒れていた。

ドイツ領東アフリカでは1905年から勃発した『マジ・マジ反乱』が未だに尾を引いており、各地で残党が抵抗戦を展開。
またドイツ領南西アフリカでは1904年から続く現住民族の反乱により、多数のドイツ人が犠牲となっていた。
カメルーンでは全土併合の真っ最中。
トーゴランドでも内紛は絶えなかった。

その荒れ具合はドイツ帝国が課す過酷な政策によるものに間違いは無かった。
また、ドイツ帝国植民地軍の横暴ぶりも世界が知る所だ。

現地民の制圧に強力な火力は欠かせなかった。
力による支配はドイツのみならず、列強諸国が行ってきたことだ。
そして今回、その役目を任されたのがMG08/15改め、MG08/09なのだ。


「なんでアルベルトはそんなアイデアを次々と生み出せるんだ?」

と、エーベルシュタインは目を輝かせながら訊ねる。
間違っても『前世が未来の日本人だから』とは言えない。


「エーベルシュタイン、あんまりアルベルトを困らせるなよ」

と、横から割り込むように響いてくるうら若い声。

彼の名はフリードリヒ・ヴィルヘルム・クリューガー。

未来のSS(親衛隊)大将であるが、
民間人虐殺、ユダヤ人迫害、強制収容所の設置と、
まるでナチスドイツの権化のような人物でもあった。


なんで俺のまわりには、危ない奴が集まるんだ……。



● ● ● ● ● ● ● ● ● ●


6年後、アルベルト・ゲーリング18歳。

俺は現在、プロイセン王国高級士官学校に在学している。

兄ヘルマンも在校しているという、プロイセン王国最高峰の陸軍士官学校だ。

ここで俺は、プロイセン王国軍人の何たるかを教わる事となる。

残念ながら、エーベルシュタインは入学せず、ハレ大学に進んだ。

まあ少し惜しいが、ラインハルト・ハイドリヒという凶器に触れる可能性が少しばかり減ったので、これはこれで良しとする。


しかし初年度は災難ばかりだった。

教師や同級生には“変人”扱いされるわ、

久しぶりに再会した兄ヘルマンには、ボディスラムを決められるわ、

父親ハイドリヒは死んでしまうわでとにかく災難続きだった。


そして来年はついに運命の年、1914年。

第一次世界大戦の勃発の年であり、俺が士官候補生として野戦部隊に配備される年でもあった。

 



[31658] 第4話 第一次世界大戦勃発
Name: キプロス◆6129d03f ID:076f5f59
Date: 2012/05/12 13:08
第4話『第一次世界大戦勃発』


今は1914年8月、第一次世界大戦真っ盛り。

アルベルト・ゲーリングは御年19歳。
プロイセン王国第1近衛師団第1歩兵連隊に少尉として、配属された。
いわゆる『士官候補生』だ。

この第1近衛歩兵連隊は代々、王族の男子が形式的に中尉として配属される部隊である。
いわば『お飾り』のようなもの。
大抵のプロイセン王族の皇太子達は、名誉中尉の称号を持っている。

俺は第一次大戦勃発に伴い、少尉としてプロイセン王国高級士官学校からこの第1近衛歩兵連隊に配属された。
兵科は情報科である。
何故かと言うと、情報将校であれば前線に送られる可能性が低いと思ったからだ。

まぁ、実際には前線にいる訳だが……。




そもそも何故、第一次世界大戦が勃発したか?
経緯を簡単に話そうと思う。

時代は欧米列強が覇権を争う1900年代。

そんな中、ドイツ帝国は1890年、ロシアとの同盟関係を破棄。
その理由は――領土拡大を狙ったドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の『3B政策』
これは、ベルリン・ビザンティウム(イスタンブール)・バクダードという3つの都市を鉄道で結ぶというものだった。

一方、大英帝国もケープタウン・カイロ・カルタッタ(コルカタ)を鉄道で結ぶ『3C政策』を狙っていた。

両者の政策は当然ながら衝突、外交関係は劣悪なものとなった。

そしてそこに台頭するのが、ロシア帝国だ。
ロシア帝国はバルカン半島・中東・極東における『南下政策』を実施。
この主な目的は『不凍港』の確保ですが、ドイツ・イギリスにとっては好ましくない政策でした。

そして1878年、ロシア帝国は『露土戦争』でオスマン帝国に勝利。
ロシア帝国は多額の賠償金、領土、そしてバルカン半島における確固たる地位を獲得する。

勿論、英独は焦った。

そこで先手を打ったのがドイツだった。
ドイツは自国を除く列強6ヶ国をベルリンに招き、『ベルリン会議』を開催する。
『ベルリン会議』における主な議題は、『露土戦争』で締結された『サン・ステファノ条約』の破棄。

これは成功し、ロシアはバルカン半島における南下政策を断念せざるを得なくなってしまう。



そこで始まったのが、『日露戦争』だった。

『ベルリン条約』によってバルカン半島の南下政策が困難になったと判断したロシアは、その矛先を極東に向けたのだ。

しかし結果は――引き分け。
それは貧乏国日本にとっては“敗北”に等しいものだった。
そして、それはロシア帝国にとっても同様だ。
極東の小国に負けずとも勝てなかったロシア帝国の権威は失墜。
他の列強諸国や衛星国は、対露姿勢を強硬なものとする。

そして、極東における南下政策が失敗したロシアは、その矛先を再びバルカン半島に向けた。
しかしこの時、バルカン半島を狙っていたのはロシアだけではない。
ドイツやオーストリアもまた、ここを狙っていた。

当然、両者は対立。
板挟みとなったバルカン半島では泥沼の民族紛争が勃発。
第一次・第二次と2度に渡って『バルカン戦争』は繰り広げられた。

そこに繋がってくるのが、『サラエボ事件』だ。
『サラエボ事件』はフランツ・フェルディナント皇太子夫妻がボスニア州都サラエボを視察中、セルビア人青年によって暗殺されたという事件だ。

この背景にあるのが、『大セルビア主義』だった。
バルカン戦争によって多くの領土を獲得したセルビアは、拡大を続けていた。
一方、ボスニアはこのセルビアや他の南スラヴ諸国との統一を望んでいた。

そんな中、その想いが強過ぎたのが、このセルビア人青年だった。
――セルビアはもっと強く、もっと大きくならねばならない。
これが『大セルビア主義』――すなわち民族統一主義、拡張主義である。

そんな思想を持つ青年は、ボスニアを軍事占領し続けるオーストリアを討つべしと考え、その親玉とも言える皇太子暗殺を実行に移したのだ。


激怒したオーストリア帝国はセルビアに権利を侵害する要求を突きつける。
しかし受け入れないとセルビアは拒否。
そこでオーストリアはセルビアに宣戦布告。

これにロシアはボスニア併合によって結ばれていた『セルビア独立』の約束が破られたと反応を示し、セルビア支援に動き出す。

1914年7月31日、ロシア皇帝ニコライ2世は総動員令を布告。
これに対し、オーストリアを支持していたドイツが反応。

1914年8月1日、ドイツは仏露に宣戦布告。

ここに第一次世界大戦は幕を開けたのだ。


● ● ● ● ● ● ● ●


1914年8月1日。

ドイツ軍は『シュリーフェン・プラン』を発動させた。

これはドイツ帝国軍のアルフレート・フォン・シュリーフェンが考案した軍事計画である。

計画はまず、全力でフランスに侵攻して独仏戦争を早期終結させる。
次にフランスに差し向けた軍を反転させ、ロシアにぶつけるというものだ。

しかしこの計画には無理があった。
この計画は、敵の戦力を過小評価していたのだ。
列強の一国であるフランスの軍は精強であり、また要塞も強固だった。
そして、日露戦争で弱体化していたとはいえ、ロシア帝国はまだまだ強かった。
ドイツ軍はフランスを中々落とせず、『二正面作戦』を強いられてしまうのだ。


俺は今、そんなクソ喰らえな計画に基いて行動している。

西部戦線の一翼を担うドイツ帝国第2軍は、あの『リエージュの戦い』にこの近衛第1師団を投入したのだ。
やや史実と異なっているような気がする。

その理由は一重に、『MP18』短機関銃が早期配備されたせいだろう。

その原因は俺にある。
プロイセン王国幼年士官学校で俺が提案した『短機関銃』のコンセプトとその銃設計図が学校長のお眼鏡に適い、ドイツ帝国陸軍上層部に回したのだ。

そして陸軍は、『短機関銃』のコンセプトをベルクマン社に打診する。
しかしこの頃、MP18を生み出した『サブマシンガンの父』こと、ヒューゴ・シュマイザーはベルクマン社内には居なかった。
だがベルクマン社では、既に短機関銃の研究開発が活発だった。
ほぼ完成型に近い設計図を受け取ったベルクマン社はなんなくMP18を完成させてしまう。

この結果、俺も特許料という恩恵に預かることができて嬉しかった。

しかしこのピッケルハウベ……角の付いた帽子……。
見栄えもそこそこ、敵兵の標的になることこの上ない。
角は騎兵によるサーベルの打撃に対して、歩兵を保護する役割を持っている。

まぁ、騎兵が戦場に居ない訳ではないが……無駄だ。
冷蔵庫で冷やされてる宝くじ並に無駄だ。
それにこのピッケルハウベ、高価な牛革を何枚も使っているのだが、如何せん防弾性が無い。

つまり、身を護れない。
ヘルメットなんて大抵そんなものだから、と納得したいのは山々だけど、これじゃあなぁ……。

ピッケルハウべがシュタールヘルム(鉄兜)に更新されるのは、残念ながら2年後の1916年のことである。
近衛連隊となると、さらに掛かるだろう。

実は幼年学校時代、俺はこのピッケルハウベが無駄だという事を述べている。
しかしお堅いプロイセン軍人は決まって首を振らない。
だからMP18とピッケルハウベという、おかしな組み合わせがここに実現していた。


そして戦いは始まる。

戦場となるのは、ベルギーはリエージュ。
ベルギーにおける交通の要衝であり、フランス侵攻を目論むドイツ軍には必要不可欠な地点である。

リエージュには堡塁が計12個、環状に築かれていた。

これこそが『リエージュ要塞』である。
各堡塁は乾壕と有刺鉄線によって守られ、機関銃や火砲が配備されている。
史実、ドイツ兵はこの機関銃掃射の前に次々と命を奪われてしまった。

そこで出番となるのが、MP18である。
第1近衛師団はこのMP18を優先的に配備されていた。

ドイツ第2軍から抽出された『ミューズ軍』に所属する我が第1近衛歩兵連隊は、
リエージュ要塞東側の堡塁制圧を下命され、順次展開中だった。
手にはMP18、腰には手榴弾。
勿論、相手はコンクリート製の堡塁に籠っている訳だから、そう易々と制圧出来るとは思っていない。

だが、史実よりは楽になることは確かだった。


● ● ● ● ● ●

リエージュはベルギー東部、ミューズ川とウーズ川の合流地点に位置する都市である。
そんなリエージュは、ドイツ国境からは約30kmの距離にあった。
ドイツのアーヘンからブリュッセルを経由してパリに至る鉄道の中継地点であり、同時にナミュールにも鉄道が伸びていた。
町は南をアルデンヌの森に囲まれ、通行が難しかった。
しかし北と西には平原が広がり、西に行けばすぐフランス国境に到達できる。

『シュリーフェン・プラン』を忠実に実行するならば、フランス早期制圧は必須である。
ならばフランスに一日も早く到達できる道を通るのが、当然の帰結と言えた。
たとえそこに難攻不落の大要塞が横たわっていても――だ。

――“リエージュ要塞”

1880年代、フランスの工兵中将アンリ・ブリアルモンは当時、最も権威ある要塞設計家であった。
第一次大戦時、ドイツとロシアを除いた国々の要塞はその殆どが、ブリアルモンによる設計だった。
彼は1880年代、このリエージュに古くから存在する要塞の強化を推し進めた。

それが――『分派堡塁式要塞』である。
その基本設計は街を取り囲むように、環状に堡塁を配置するというものだった。
計12個の堡塁が街の中心から半径6.5なしい8kmの位置に、平均2kmの間隔で築かれた。
各堡塁は相互に火力による防御支援が可能であり、たとえ1個の堡塁が陥落したとしても、隣接する2個の堡塁がその間隙を塞ぐことができた。
まさに難攻不落。

しかし理論上はそうだが、ドイツ軍には問題無かった。
ドイツ軍はアルベルト・ゲーリング少尉が考案した『浸透戦術』により、敵陣地後方に潜り込んでいたからである。
それが『浸透戦術』の恐ろしさだった。
塹壕や堡塁といった防御陣地に潜むのだ。
敵に気付かれることなく、奇襲的突破を目指す。
それが『浸透戦術』の真髄だった。


「ゲーリング少尉! あのベルギー野郎の機銃を黙らせてこいッ!!」

「ヤー(了解)!!」

屍の山が累々と築かれてゆく中でそんな命令を下したのは、第1近衛連隊長のファーレンシルト大佐だった。
アルベルト・ゲーリング少尉は情報将校である。
しかしそんなことは関係無かった。
彼はピッケルハウベを頭に被って小奇麗な軍靴を履き、MP18を携えて突撃する。



「行け行け行けぇぇぇぇッ!!」

アルベルト率いる小隊が銃弾飛び交う戦場を突っ切り、埃を蹴立てながら、リエージュ要塞の一翼たる堡塁へと突進した。
その手には、様々な突撃用の武器が握られていた。
MP18短機関銃、MG08/09重機関銃、ルガーP08、そしてショベル。

しかしこの時点で、誰として発砲する者は居なかった。
拳銃で狙うには距離がありすぎ、短機関銃でもやや足りない。
射撃は、出来るだけ敵堡塁に近付いてから開始することになっていた。

アルベルトの小隊と堡塁の敵兵、彼らは同時に相手の姿を目に捉え、呻きとも溜め息ともつかない声を漏らした。
刹那、敵兵の重機関銃が唸りを上げた。

「突撃ッ!!」

アルベルトは爆発しかねない心臓の鼓動を抑えつつ、小隊に命令を下す。
彼は一早く敵塹壕に潜り込むと、内部に立て籠もる敵兵相手にMP18短機関銃をぶっ放した。
MP18から解き放たれた9mmパラベラム弾は砂埃を舞い上げ、ベルギー兵の一人の左脚を撃ち砕いた。
声にならない悲鳴を上げ、ベルギー兵は地面に倒れる。
止めを刺したのは、小隊の兵士が持つショベルだった。
天高く振り上げられたショベルの切っ先は、その兵士の喉笛を切り裂いた。
まるで間欠泉が如く噴き上がる紅い血。
血飛沫が軍服に飛び散り、アルベルトは渋面を浮かべた。

「これが……戦争ってヤツか……」

朦朧とする意識。
鼻先を擽る硝煙と死体の臭い。
飛び交う怒声と悲鳴。
ごく当たり前のように平和を謳歌していたアルベルトには、想像し難い現状だった。
しかしそれは想像ではなく、現実としてそこに存在する。

「もう後戻りは出来ない……のか……」

アルベルトはMP18短機関銃を構えた。
彼は普段、悪ふざけをし、皮肉を語る男だ。
現実の全てを否定し続け、自分好みの世界を作り上げる。
そしてそれをこれまで、一つの“使命”として続けてきた。

だが、戦場が彼の価値観を変えた。
現実には想像し得ない凄惨な光景。
人が死に、人が生き延びる境目。
それは戦前ドイツでも、戦後日本でも見た事の無い光景だった。

しかし今、彼はそれを直視していた。

「これは“使命”じゃない、“運命”だ」

アルベルトは呟き、MP18の引鉄を絞って射撃する。
フルオートのMP18は断末魔の如き射撃音を迸らせながら、塹壕の敵兵に次々と銃弾を浴びせ掛けた。
残念ながら、全ては明後日の方向に飛び去った。
実際に敵兵を仕留めるのは、部下の兵士達だ。

「ドイツ野郎ッ! これでも喰らえ――」

罵声をぶちまけ、ベルギー兵の一人が手榴弾を持った右腕を振り上げる。
しかし次の瞬間、ドイツ兵が一斉射撃を開始し、その直後にベルギー兵が喉を押さえてよろめいた。
いまにも投げようとしていた手榴弾は落ち、爆発した。
爆煙が塹壕内を包み込み、ベルギー兵が吹き飛んだ。
また破片が飛散し、ベルギー兵の身体を切り裂いた。

その後、塹壕内は騒然となった。
地面や壁面には四散した人体の血肉がこびり付き、悪臭を放っていた。
誰もが一度は鼻を押さえ、その悪臭を吸い込むまいとした。
だが、次の瞬間にはそれが無駄な努力であると悟る。
彼らは銃を構え、敵兵に照準を合わせる。
それが当然の動作だった。


数時間後、堡塁は制圧された。
多大な犠牲は払ったものの、数時間程度で制圧できたのは上出来だった。

「ゲーリング少尉、見事だ」

ファーレンシルト大佐は無愛想な表情でそう言い、一枚の書類をアルベルトに手渡した。

「次の任務だが、貴官には鉄道トンネルの爆破阻止を頼みたい」

それはアーヘン=リエージュ間を繋ぐ鉄道線の一つで、ドイツ軍にとっては重要な輸送路の一つでもあった。

「堡塁の位置といい、敵戦力といい、貴官の情報収集能力は本物だ」

「はぁ……それは光栄の至りであります」

「大本営は貴官を高く評価している。MP18に浸透戦術、貴官の提案は各戦線で多大な戦果を挙げているのだ」

それは当然と言えば当然だった。
MP18は戦争の在り方を変えた兵器の一つであり、浸透戦術は塹壕戦の在り方を変えた戦術である。
先取りしたそれらの技術が実を結ばない筈が無かった。

また、アルベルトの情報収集能力も、だ。
彼の情報は全て未来の海外ソースや書籍からきているもので、これは“神”を名乗る人物から与えられたハンデの一つだった。
残念ながら制限も多く、完璧ではないが。
それでも士官学校で情報将校としての訓練を受けてきた彼は、大まかな情報から大体の予想を付ける能力を身に付けていた。
それが今回の『リエージュの戦い』で見事に当たったのである。



結果、『リエージュの戦い』は大成功の内に幕を閉じた。






[31658] 第5話 マルヌの戦い
Name: キプロス◆6129d03f ID:076f5f59
Date: 2012/05/12 13:17
第5話『マルヌの戦い』
 


俺は今、フランスはマルヌに居る。

そう、あの『マルヌの戦い』だ。
対仏戦の雌雄を決する戦い。
いわば、第一次世界大戦のターニングポイント。

史実では、東部戦線とベルギー軍の残党のためにドイツ軍は多大な戦力を捻出。
これは全力を以て敵を討つ『シュリーフェン・プラン』としては失策。
そして戦力の欠如に加え、パリ軍事総督ガリエニによる“奇策”

それはパリ中のタクシーを徴発し、完全武装の兵士をマルヌへと送り込む――というもの。

この奇策によって補強戦力を得たフランス軍は体勢を立て直し、
さらにイギリス遠征軍がドイツ第1軍と第2軍の間隙を突くことで趨勢は決した。

ドイツ軍参謀総長のモルトケは撤退を下命。
結果、ドイツ軍がパリに進むことはなかった。



この『マルヌの戦い』のドイツ軍敗北には、複数の要因があった。

1つは、ドイツ帝国軍におけるバイエルン王国軍の優越。
そもそもドイツ帝国というのは複数の国から成る連邦国家な訳だが、
そこで独自の軍を保有していたのは4つの国だけだった。

・プロイセン王国
・バイエルン王国
・ザクセン王国
・ヴュルテンベルク王国

その中でもっとも影響力を誇るのがプロイセン王国な訳だが、次に影響力を有していたのが、バイエルン王国だった。
特に、バイエルン王国軍は他の王国軍とは別格だった。
軍を指揮するのは、バイエルン王太子のループレヒト・フォン・バイエルン。
しかも、バイエルン王国軍――ドイツ帝国第6軍――はループレヒト直属で、ドイツ帝国軍の指揮の範疇からは逸していた。

そしてその独自性は徹底していた
バイエルンでは、領内のドイツ帝国軍部隊にわざわざバイエルン独自の番号を付け、他のドイツ帝国軍とは一線を引いたのだ。
そんな独自意識の強い第6軍はマルヌ攻勢時、左翼に展開していた。

一方、東部戦線におけるロシア軍の侵攻を受け、
モルトケは右翼から3個軍団及び1個騎兵師団を捻出。
これは右翼戦力を重要視する『シュリーフェン・プラン』に反する行為だった。
そしてそこには、バイエルンの独自性が密接に関係していたのだ。

無論、兵站の問題もあった。
が、バイエルンの独自性が絡んでいるのは、間違いない。
ドイツ帝国軍は『プライド』という内なる敵を有していたのだ。

また、先の『リエージュの戦い』で敗走し、アントワープに逃げ込んだベルギー軍残党の討滅も重要案件だった。
これにドイツ帝国軍は1個軍団を捻出。
東部戦線、アントワープに捻出した兵力は4個軍団1個騎兵師団に及び、
これは1個軍に相当する兵力の喪失を意味する。

結果、マルヌの戦いはドイツ帝国軍の敗北に終わり、『シュリーフェン・プラン』は頓挫。

フランス戦線は塹壕戦に移行する。


● ● ● ● ● ● ● ●


……しかし、歴史は新たな分岐点を迎えることとなった。
この『マルヌの戦い』で割かれたのは、たった2個師団になっていたのだ。

もちろん、自然にそうなった訳ではない。

転生者たる俺の介入が絡んでいるのだ。



まず、俺はモルトケと接触することにした。

実は、この『マルヌの戦い』において、モルトケは失策を講じている。
これは3個軍団の東部戦線への捻出だ。
ロシア帝国軍は予想以上の早さで東プロイセンに進攻を果たし、『タンネンベルクの戦い』が繰り広げられることになる。

この時、ロシア軍は2個軍を展開。
一方、ドイツ軍は1個軍しか保有していなかった。

これに焦ったモルトケは、西部戦線から3個軍団1個騎兵師団を捻出する。

一見、この判断は堅実なものに見えるかもしれないが、行動が伴っていなかった。
ドイツ軍増援の行軍速度は遅かった。
だが、なんとドイツ軍はこの増援兵力がタンネンベルクに到着する前に、ロシア第2軍を壊滅、第1軍を退却に追い込んでしまったのだ。

一方、西部戦線はこれによって敗北を喫する。
これなら送らなければ……と、誰もが思うことだろう。
実際、そう思った俺は、行動に移した。


まずやったのは、プロイセン宮廷の接触。
つまりはドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム2世を橋渡りにモルトケを何とかしようと考えた訳だ。

ヴィルヘルム2世への介入は5歳の頃に断念してはいたが、
今は19歳。エリート士官候補生であり、MP18や浸透戦術の発案者だ。

それに俺が何とかしたいのはヴィルヘルム2世ではなく、モルトケだ。
だから必要以上の介入は行わないよう、心がけていた。
これには、プロイセン宮廷侍医のエーペンシュタインに協力を要請した。

彼はヴィルヘルム2世とも面識があり、実父かもしれない人だ。

また、俺は兄ヘルマンにも協力を要請した。

癪ではあったが、MP18などからくる特許料を彼に提供し、
ベルリン社交界で確固たる地位を確保してもらった。

ヘルマンは1913年からベルリン社交界に足を踏み入れており、上流階級と関係を持っていた。

そんなヘルマンを通じてアウグステ・ヴィクトリア皇后に接触、
ヴィルヘルム2世にアプローチを掛けようという寸法である。

アウグステ・ヴィクトリア――“ドナ”――は、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の妻だ。
ベルリン社交界にも度々、足を運んでいた。

そこを狙って、ヘルマンにアプローチを掛けさせようという訳だ。

一歩間違えれば皇后に気があるとでも見られて、ヘルマンが絞首刑……なんてこともあるかもしれない。

まぁ、その時はその時だ。

……そんな軽い気持ちで兄を決死の任務に送り込んだ俺、どうなんだ。

いや、会う度にキャメルクラッチ決められてることを考えれば、妥当か。

そして『ボクシング』と称された、実質人間サンドバック状態にされてしまう所業のことを考えれば……。

――いや、これ以上は何も言わないことにする。



そして1914年9月。

これらの企ては実を結んだ。


ヴィルヘルム2世と関係を結んだ俺は、皇帝を通じて軍上層部と接触。
モルトケとの対面を果たし、ロシア軍の具体的な戦略・輸送能力・戦力を教えた。
もろちん、そのまま語っても信じてもらえる筈もなく、逆に疑われてしまう。

だから、全ては“ヴィルヘルム2世直属の秘密諜報機関”の情報で、
俺、アルベルト・ゲーリング少尉はその情報将校――という事にした。

実際、ゲーリング少尉の噂はモルトケの耳にも入っていた。
『リエージュの戦い』をドイツ軍の歴史的勝利に導いた情報将校。
堅牢なリエージュ要塞の攻略と、輸送網の確保に対する功績は、計り知れないものとしてドイツ軍上層部も見ていたそうだ。

無論、バレてしまうと厄介だから、ヴィルヘルム2世の口から語られない限り、
その件を他者に口外することは許されない、と釘を刺しておいた。

当のモルトケはドイツ帝国軍の全てを知り尽くしている『参謀総長』というポスト、
シュリーフェンの弟子、そして大モルトケの甥であるというプライドもあって、それ以上言及しようとはしなかった。

こう思うと、プロイセン軍人のプライドも良いものだ。

それに、モルトケは1916年に脳卒中を起こして死去する。
俺の正体は墓まで持って行ってもらう、という寸法だ。

まぁ、バレたら厄介なことにはなるが……。
正直、MP18辺りで止めとくべきだったとは思うが……。
しかしやってしまったものは、仕方が無い。

それに、フランスを獲るぐらいの戦果を挙げておけば、ヴェルサイユ条約である程度は融通が利くだろう。
軍備規制の緩和ぐらいは考えてくれるかもしれない。

まぁその場合、ヒトラーの台頭が無理な気もするが、
既に第一次世界大戦の勃発前からドイツ皇帝の権威は失墜している。
『デイリーテレグラフ事件』や『ツァーベルン事件』でそれは明らかだ。
間違いなく帝政は瓦解する。

また、1320億マルクとは言わずとも、膨大な賠償金をふんだくられるのは明らかだ。
ヒトラーのような独裁者が育つ土壌の余地は十分にある。

まぁ、日本の経済にも影響してくる点も否めないが、
それはドイツ系企業の進出や、資源開発の面で何とかカバーしよう。



1914年9月4日。

MP18の活躍もあってか『リエージュの戦い』は史実よりも1日早く終結。
その兵力はマルヌ攻勢に向けられることとなった。

英仏側は史実通りの兵力だが、一方のドイツ帝国軍は史実よりも12万名近い数の兵力が増強されている。
また、各軍ではMP18の配備が進んでいる。
浸透戦術についても、モルトケの命令の下、全軍が利用している。

少しずつだが確実に、『マルヌの戦い』は変貌を遂げていた。
ドイツ軍は浸透戦術で増援を待つフランス軍陣地を突破、包囲殲滅に掛かる。

何の防御策も講じていなかったフランス軍は崩壊、パリからのタクシーを待つ前に敗走を始めた。

一方、ドイツ軍は飛行船によってパリとの交通路を断ちにかかっていた。
追撃するドイツ軍はこのフランス軍に全面攻撃を仕掛け、フランス軍は壊滅を喫した。
同行していたイギリス軍も同じく壊滅。

英仏軍は30万名近い損失を出しながら、フランス奥地に逃げ込む形となった。










[31658] 第6話 西部戦線異状あり
Name: キプロス◆6129d03f ID:076f5f59
Date: 2012/05/12 13:44
第6話『西部戦線異状あり』


1914年12月8日。

あの『マルヌの戦い』から約3ヶ月経過した。
俺は今、パリに居る。『光の都』パリだ。
流石は世界都市。街観は華々しく、荘厳で、それでいて洗練されている。
エッフェル塔が見える。
観光客には人気のエッフェル塔だが、パリ市民やドイツ兵にとっては、それはただの“鉄塔”でしかなかった。

しかしそのエッフェル塔を俺は見下ろしている。
そう、俺は飛行機乗りになっていたのだ。

理由は2つある。

1つは、前世が曲りなりにもパイロットだったからだ。
某大手航空会社に勤めていた。
21世紀のジェットと20世紀の単葉機では全く異なるが、空を飛ぶ耐性はある。
もちろん、全身に風を浴びて操縦したこともなければ、機械に頼らずジェットを飛ばしたこともないが。
それでも、一般人よりはマシというものだろう。

そしてもう1つは、戦後のため。
戦後、パイロットという職業は優遇されていた。第一次大戦で航空機の可能性が広がったからだ。
特にエースパイロットは、曲芸飛行士になったりして生計を立てることができた。
中堅パイロットにしても、国外の航空機会社や1926年に創設される『ルフトハンザ』のパイロットに雇われている。
いわば、パイロットというのは大きな“スキル”だった訳だ。
一日の食事にも事欠く戦後ドイツのことを考えると、スキルの獲得は必要不可欠だった。



そんなこんなで現在、俺はアルバトロスC.Ⅰ偵察機に搭乗している。
と言っても、観測員な訳だが。
陸軍航空隊の情報将校として、上空から戦域を把握するという役所だった。
その護衛として、フォッカーE.Ⅰがパリ上空にて滞空中だ。

フォッカーE.Ⅰとは、世界初の『プロペラ同調装置』付き航空機である。
史実では1915年5月に初飛行し、6月に実戦投入されている。つまり、6ヶ月近く早い登場という訳だ。

これは、俺が提案した『プロペラ同調装置』による結果だった。
プロペラ同調装置を付けたMG08/15機関銃を1門取り付け、完成したのがフォッカーE.Ⅰだ。

初期型の戦闘機としては、まずまずのものだった。
何しろ当時、空戦というのはレンガや石を投げつけたり、ピストルで撃ち合ったり、可動式機銃で撃ち合うというのが殆どだったからだ。

しかしフォッカーE.Ⅰは、そんな従来の空戦を根本から覆す機体だった。
機体前方に機銃を据え付け、命中精度は向上。
空戦は大きく様変わりするだろう。

事実、この『パリの戦い』において、フォッカーE.Ⅰは空の覇者足り得ていた。
フランス軍側の軽武装偵察機は次々と沈黙。ドイツ軍は制空権を得る。
史実より7ヶ月も早い『フォッカーの懲罰』時代の到来だ。

ただ、弱点もあった。

1つは、フォッカーE.Ⅰはその配備数が圧倒的に少ない。
そしてもう1つは、対空砲火に弱いということだ。
さらに新機軸の技術なので、故障が多かった。

しかし敵側に戦闘機が存在しないこの『パリの戦い』では、それでも十分だった。
偵察機によって空からの情報を断たれたフランス軍は、孤立した。

一方ドイツ軍は、空から有益な情報を幾つも仕入れていた。
この情報を得たドイツ軍砲兵隊は砲撃を開始。
パリに展開していたフランス軍砲兵隊や堡塁は軒並み破壊され、ドイツ軍はパリ攻略に一歩近付いた。

MP18によって武装した歩兵は、浸透戦術によって敵陣を突破。
首都パリを目前とする中、その近郊で血みどろの戦いが繰り広げられた。



1914年12月23日

フランス政府はパリから撤退。

首都パリには『無防備都市宣言』が出され、ドイツ軍は無血占領を果たした。
これによりフランス国内では、“停戦”が密かに囁かれるようになる。
フランス軍は先の戦いで50万名もの死傷者を出していたからだ。

それに季節はクリスマス。イギリス内でも、停戦気運が高まっていた。
ドイツ軍としても、これ以上の損失を負う前に対露戦に移行したかった。

翌々日の1914年12月25日、ドイツはフランス政府に降伏を要求。

しかしフランス政府は、断固たる抗戦を宣言。
これに業を煮やしたドイツ軍は、フランス政府臨時首都トゥール攻略に乗り出す。
また、ドイツ軍航空隊はフランス軍航空兵力の殲滅作戦を発動した。

この頃には、俺も戦闘機乗りに転身していた。
当時、フランス軍は23個の飛行隊を有していたが、ドイツ軍はその倍の兵力を投入した。
また、こちらにはフォッカーE.Ⅰがあった。



年が明けて1915年1月10日。
『トゥールの戦い』が始まる。

ドイツは北フランス一帯とパリ周辺を制圧し、炭田や鉱山といった地下資源を獲得していた。
一方、先の戦闘で痛手を被っていたフランスは、持久戦に突入する。
しかし既にフランス側は物資乏しく、敗走に次ぐ敗走を見せていた。
頼みの綱はイギリス軍だが、その動きは国内の停戦議論で遅かった。

こうして始まった『トゥールの戦い』だが、防戦一方だったフランス軍が反撃に回った。
『浸透戦術』に対抗する『攻勢防御戦術』を発動する。
これによりドイツ側の圧勝かに思われた『トゥールの戦い』は、泥沼化の様相を見せるようになった。

しかし、攻勢防御戦術への対抗策が無い訳ではなかった。
そもそも、攻勢防御戦術とは浸透戦術の弱点である『補給』の弱さを突いた戦術であり、いわゆる持久戦だった。

これを突き崩せるのが、『戦車』だった。
戦車は突破力に富み、歩兵とは違って塹壕等を容易に突破することができる。
しかしこの時点でドイツ軍はまだ戦車を有しておらず、どうしようもなかった。


1915年1月14日、トゥール攻勢開始から4日。

ドイツ軍はフランス軍の攻勢防御戦術によって撃破されつつあった。
臨時都市トゥールを目前しての敗北。
それを避けたかったドイツ軍司令部は、他方面からの増援を以て、フランス軍に最終決戦を仕掛けることにした。

すなわち、第一次世界大戦の帰結――人員消耗である。

ドイツ軍は『マルヌの戦い』のガリエニのように、パリから接収した車輛――それこそ、タクシーから一般車輛に至るまでに完全武装した兵士を乗せ、トゥールに送り込んだ。
また、そのタクシーに装甲板を取り付け、装甲車輛に改造。
送り込まれた増援軍は、軽機関銃を据え付けた装甲車輛を用いたフランス軍陣地突破を敢行する。
この奇策にフランス軍は動揺した。既に補給物資の貯蓄は乏しく、兵士の数も減っていた。


1915年1月17日、フランス政府はトゥール放棄を決定。


またもや脱出を企むフランス政府は、その臨時都市をボルドーに移すことを決めるのだった。








[31658] 第7話 東部戦線異状あり
Name: キプロス◆6129d03f ID:076f5f59
Date: 2012/05/12 13:35
第7話『東部戦線異状あり』



時に1915年5月12日。
史実のように西部戦線は塹壕戦に突入する(フランス側だけが)

北・東フランスはドイツ軍の手中に収められ、首都パリも占領中。
臨時首都であるトゥールも、1915年1月に陥落している。
そして、そんなトゥールから逃亡したフランス政府が次に選んだ臨時首都が“ボルドー”だった。

ボルドーはフランス南西部に位置する都市だ。
1871年の普仏戦争では、このボルドーで国民会議が開かれ、政府が置かれたという歴史がある。
第二次世界大戦においても、フランス政府はこのボルドーを臨時首都とした。
いわば、敗走するフランス政府の行き着く先だった。

1915年1月以降、ドイツ軍はフランス南西部に進撃を開始。

無論、目標は臨時首都ボルドーである。
対露戦に早く移行したいドイツ軍は、一挙に攻勢を仕掛けたのだ。

しかし、フランス軍は防衛戦を展開した。
イギリス海峡を背に、背水の陣で挑むフランス軍は長大な塹壕線を形成。
一方、イギリスは遠征軍を差し向け、戦力増強に努めた。

だが、ドイツ軍は善戦した。
鉄道網を復旧させ、占領地から徴発した車輛を全面的に使用することで補給の問題を改善。
また、パリ・ダンケルクといった地域の工業地帯を拠点に、物資生産を開始する。
これは同時に、フランス軍側の物資不足にも繋がった。
フランスはイギリスに物資補給を依存し、イギリスは日本等からありったけの物資を買い付けたのだ。
これは日露戦争以降、消沈していた大日本帝国にとっては喜ばしい戦争特需だった。

イギリスに依存しつつ、塹壕線や攻勢防御戦術で対抗するフランスだったが、ついに1915年4月、大勢が決した。
ドイツ軍が第2の臨時首都ボルドーに侵攻。
フランス軍は善戦したが、敗北したのだ。
しかし、フランス政府は第3の臨時首都バイヨンヌに逃げ込んだ。

バイヨンヌはスペイン国境に程近い都市である。
しかしスペインは、この第一次世界大戦では中立を取っていた。
つまり、フランスにとっては後がないということだった。

1915年5月2日、ドイツ軍は進撃を開始。
しかしドイツ軍は既に攻勢限界点に達していた。
補給もままならず、先行軍と後方軍の間には30km近い間隔が開いていた。
これにドイツ軍上層部は、ここが終結点だと敗北を覚悟した。



だが、天はドイツ軍に味方した。
1915年5月12日、フランス政府はドイツ政府に“停戦”を提案した。

ドイツ軍はバイヨンヌの北東約15キロの地点に布陣、準備砲撃を加えている最中だった。
この砲撃にフランス政府は動揺し、停戦を決意したのだ。
イギリス政府もそれに承諾した。

理由は、独露の弱体化である。
イギリスは、ドイツとロシアを戦わせ、両者を弱体化させ、漁夫の利を狙おうという魂胆だった。
『3B政策』や『南下政策』のように、両国は“栄光ある孤立”から脱し、国際化を進める大英帝国にしてみれば目障りだったのだ。
また、西部戦線における兵と物資の喪失が多過ぎるというのもあった。

1915年5月13日、『独英仏停戦協定』調印。

これにより、西部戦線の戦闘は終結。
フランス、イギリス及び植民地国、さらに大日本帝国は中立を宣言した。

ドイツ帝国は対仏戦で獲得した領土を返還。
代わりにフランシュ=コンテ地方と、フランス領西アフリカ・マダガスカル・フランス領インドシナの3つのフランス植民地領土が譲渡されることとなった。

しかし、賠償金が支払われることはなかった。
これに激怒したのが、ドイツ帝国国民である。
先の『ツァーベルン事件』等から英国との繋がりを批判されていたドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の権威は、より低落することとなる。

さらに追い打ちを掛けたのが、ロシア帝国による東プロイセン侵攻だった。
これはがら空きだった東部戦線に対し、ロシア軍が一大攻勢を仕掛けたのだ。

『パリの戦い』以降、調子に乗ったモルトケは、東部戦線の兵力を削り、西部戦線に送り込み続けていた。
実際、フランス軍の防御陣は堅牢で、突破するには人海戦術しかなかったのだ。
そこを今回、まんまと突かれてしまったという訳だ。

1915年5月、東部戦線ではアレクセイ・ブルシーロフ将軍率いるロシア軍第8軍、
及び第7軍が東プロイセンはガリツィアに侵攻、瞬く間に掌握してしまう。
ドイツ軍・オーストリア=ハンガリー軍は大敗を喫した。

東部戦線のドイツ軍は、兵力の半数を喪失してしまう。

また、1915年6月17日にはイタリアが連合国側に参戦。
これは“未回収のイタリア”が要因だった。
連合国側に参戦すればこの領土の返還をすると、ロシアが約束したのである。

こうして、ドイツは新たな敵と対峙することになった。



ドイツ軍は一部を残してフランスから撤退。

その戦力は、東部戦線とイタリア戦線に振り分けられた。
しかしこの時、ドイツ軍はフランス軍の執拗な持久戦によって消耗していた。

またイギリスは中立を謳いながらも、対露寄りの支援を行っていた。
中立国アメリカ、及び大日本帝国も同様だった。

ドイツ軍は疲労困憊の中、乏しい物資を糧に、ロシア軍とイタリア軍に立ち向かわなければならなかったのだ。


それぞれの国の思惑と策謀が渦巻きながら、第一次世界大戦は新たなる局面を迎えるのだった。






[31658] 第8話 勝利という名の敗北
Name: キプロス◆6129d03f ID:076f5f59
Date: 2012/05/12 13:39
第8話『勝利という名の敗北』



1915年5月に『独英仏停戦協定』が締結された後、色々な事が起こった。

第一に、ロシア軍による予想外の進撃。
ロシア軍は東プロイセンの要所を次々と攻略、占領下に収めていった。
しかし対仏戦で消耗していたドイツ軍は、これに対抗することもままならなかった。

東部戦線に一定の目途が付いたのは、1916年夏に入ってからだった。
ドイツ軍は史実に先駆け、一早く『ゴーダG.Ⅳ』双発爆撃機を投入。
ゴーダG.Ⅳは飛行船とともにモスクワやペトログラードといった主要都市を空襲した。
これに対し、ロシア軍は『イリヤー・ムーロメツ』4発重爆撃機を首都ベルリンに差し向ける。

まさに、戦略爆撃史の始まりであった。

また、ドイツ軍は『LVG-C.Ⅳ』偵察爆撃機や『ハルバーシュタットCL2』複座攻撃機を東部戦線に投入した。
これらの機体の爆撃方法は、投下装置等を用いたものではない。
人間の力、すなわち手動だ。
といっても、もちろん投下するのは通常の大型爆弾ではない。
手榴弾のような小型爆弾を掴み、機体を地上すれすれに接近させて、後座搭乗員がそのまま敵塹壕の中へと投げ込むのだ。
正気の沙汰ではない原始的戦法ではあったが、効果は抜群だった。

1916年11月、『第2次ガリツィア会戦』において、ドイツ軍はこの攻撃機を投入、組織的に運用したことで同会戦を勝利に飾ることとなった。

その後、東部戦線はこのガリツィアを境に停滞。
両者は塹壕を築き、睨み合いを始める。


なおイタリア戦線については、言うまでもないだろう。

イタリア戦線異状なし。今日もイタリア軍は調子良く敗北を続けていた。


● ● ● ● ● ● ● ●


1917年2月23日、ロシア帝国首都ペトログラード。

何気ない日の何気ない朝。
『ドイツ的』としてその名を“サンクトペテルブルク”から改称したばかりの首都ペトログラードのヴィボルグ区には、いつも通りの喧騒が訪れる筈だった。

金槌の音、ブーツの足音、古びた機械の悲鳴にも似た駆動音。

しかしそれは、いつもとは違った。
金槌は天高く振り上げられ、石畳の路肩に轟く足音は統制を成していない。
そして、機械の駆動音は全く聞き取れない。

この日は、いつもとは違った。
この日、2月23日(グレゴリオ暦3月8日)は『世界婦人デー』だった。

ヴィボルグ区の工場でいつも通り働く筈だった女性労働者達は、「パンをよこせ」と声高らかに主張しながらストライキを始めたのだ。
やがて、男性労働者達もストに加わり、その数は9万人にも達した。

このストライキはたちまち他の区にも広がり始め、25日にはペトログラード市内の労働者の半数がこれに加わっていた。
この事態を収拾しようと、コサック騎兵が鎮圧を任務に投入されたが、その一部が反乱に加わってしまうという結果に陥った。

26日、ストは拡大の一途を辿っていた。全市の労働者9割がこのストに参加、警官隊も手に負えない状況だった。

そんな中、ロシア帝国皇帝ニコライ2世に騒乱鎮圧命令を下されていた軍は、ついにデモ隊に対して発砲。
これを機に、軍内部では反乱が拡大化し、上官を下士官が、下士官を兵士が射殺するという事態が発生した。
ここに市内の軍の統制は崩壊、脱走と内乱は増加の一途を辿った。

28日、反乱兵の数は12万6700名にも達した。(革命勃発前の首都の兵力約15万に対し)
ペトログラード軍管区司令官のハバロフ将軍は僅かな部隊とともに海軍本部に籠ったが、昼過ぎにはその部隊も解散した。

ここに、ペトログラードの防衛軍は瓦解し、皇帝ニコライ2世の権力は失われたのだ。

これこそ、『2月革命』である。




皇帝という存在が消滅し、宙に浮いたロシア帝国。
それを統一し、秩序を取り戻すために唱えられたのが――『ソヴィエト』の結成だった。

これを呼び掛けたのが、『メンシェヴィキ』議員や労働者の代表である。
そして『臨時委員会』と『ペトログラード・ソヴィエト』がここに樹立されたが、これは二重権力と言われた。

そして革命はロシア全土に拡大。

『臨時委員会』は『ロシア臨時政府』を設立し、史実通りに戦争継続を宣言した。

これに対し、反旗を翻したのがウラジーミル・レーニン率いる『ボリシェヴィキ』だった。

しかし臨時政府は戦争を続行。

1917年6月、ロシア軍は『第3次ガリツィア会戦』の戦端を開く。
しかしこの時、ドイツ軍は『A7V』戦車を実戦配備していた。
またドイツ軍では、既にMP18が1万挺以上生産され、次々と部隊配備されていた。

結局、質の差においてロシア軍は敗退。
臨時政府はロシア国民からの信頼を失い、ソヴィエトの支持が高まった。

そして1917年10月。

ロシア首都ペトログラードで『10月革命』が勃発。
これを引き起こしたのは、レーニン率いるボリシェヴィキであった。

これにより、ロシア臨時政府は解体。
全ての権力はソヴィエトに移され、新たな臨時政府として『人民委員会議』が設立された。



1918年2月、『ブレスト・リトフスク条約』が締結される。

この『ブレスト・リトフスク条約』は、ボリシェヴィキ政府とドイツ帝国、オーストリア帝国=ハンガリー帝国、ブルガリア王国、オスマン帝国の間に結ばれた条約だった。
この条約によって第一次世界大戦はその大部分が終結、残すは対伊・対セルビア戦のみとなった。
ドイツ帝国は、多くの領土を獲得したが、その全てはドイツ帝国の傀儡国家として独立を果たした。

また、ドイツ帝国はボリシェヴィキ政府から多額の賠償金を獲得。
第一次世界大戦はここに終結の兆しを見せ始めたのである。

しかし、ドイツ帝国の栄光が訪れることはなかった。


● ● ● ● ● ● ● ●


1918年4月19日、フランス。

この日、『パリ講和会議』が開かれた。

主な目的は、第一次世界大戦の完全終結。
この会議上でイタリアは“停戦”を要求。
オーストリア=ハンガリー帝国はそれを受諾する。

しかし、話はそれだけでは終わらなかった。

英仏政府はドイツ政府に対し、第一次世界大戦初期に行った中立国ベルギーへの越境・侵略行為を不法なものであると非難。
30億マルクもの補償金をドイツ政府に突き付けたのである。

これにドイツ政府側は難色を示した。
何しろ、30億マルクといえば戦前ドイツの国家予算に匹敵する額だ。
露仏二大国に勝った筈の戦勝国が払うような額では無かった。

また、講和会議には『中立』のアメリカも参加。
史実同様に勃発した『ルシタニア号事件』を盾に、多額の補償金を迫った。
これは『無制限潜水艦作戦』や1916年以降の東部戦線で行われた『毒ガス使用』にも繋がり、その戦争犯罪性をアメリカは批判した。

アメリカは『パリ戦争補償基金』とその運用組織である『戦争復興委員会』の設立を要求。
その頭金として、ドイツ政府に対し10億マルクを要求。
もし要求に応えない場合には、即宣戦布告をすると表明。
これは事実上の脅迫であった。

それに乗る形で英仏両国も『独英仏停戦協定』の破棄を表明。
ドイツ政府はただただ沈黙するしかなかった。
既にドイツ帝国は多額の戦費負担を強いられており、人員消耗は半端な数ではなかった。
戦争継続は不可能であり、ましてや米英仏を同時に相手取るのは無理な話だった。

ドイツ政府は渋々ながらもそれを受諾。
補償金40億マルクの支払いを約束する。
これにドイツ帝国国民が激怒するのは、間違いなかった。



時に1918年4月、『ドイツ革命』直前の出来事であった。








[31658] 第9話 騎士アルベルト
Name: キプロス◆6129d03f ID:076f5f59
Date: 2012/05/12 13:41
第9話『騎士アルベルト』


1918年5月、ドイツはポツダム離宮。

ドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム2世から召還された俺は、結構なビビり様だった。

当然と言えば当然だろう。何しろ、兄ヘルマンを使って妻アウグステ・ヴィクトリア皇后に接触したのだ。下心見え見えというか、何というか……。

それに、モルトケの件もある。
戦局転換のきっかけとなった『マルヌの戦い』における身分偽造は、自分の名を使われたヴィルヘルム2世にしてみれば不愉快極まりない筈だ。

処刑なんてことは、十分にあり得るだろう。

1918年4月に締結された『パリ講和会議』以降、ドイツ帝国における皇帝の権威は失墜の一途を辿っていたが、近衛兵や司法を動かす力はまだあった。

しかしこの頃、ベルリン市内は戒厳令寸前の危険地帯と化していた。

だが宮廷の広報が発表する公式情報によると、皇帝ヴィルヘルム2世はベルリン宮で執務をこなしている筈だった。

今回の一件からすると、それはヴィルヘルム2世の身を守るための偽情報らしい。
ヴィルヘルム2世はポツダムの離宮に居るのだから。

やっぱり死亡フラグ?

そんなガクガクブルブルを体現するチキンな俺を尻目に、ヴィルヘルム2世との謁見の儀は正式なしきたりに則って、厳かに進められた。



昼下がりのポツダム離宮。

陽光が差し込む謁見の間の奥で玉座に踏ん反り返る御仁こそ、
第3代ドイツ帝国皇帝にして第8代プロイセン王国国王で在らせられるヴィルヘルム2世その人だ。
純白の軍服と複数の勲章を身に纏い、カイゼル髭が特徴的だった。

「アルベルト・ゲーリング中尉」

「はッ!!」

ヴィルヘルム2世の声とともに、俺は一歩前に出る。
顔っ面こそ尊大なプロイセン軍人風に厳格に、そしてふてぶてしく仕上げてはいるが、膝は震えっぱなしで腰は引いていた。

「予は、ここに貴官の功績を認め、ホーエンツォレルン王家勲章を授与する」

臣下から手渡された羊皮紙を手に、粛々と読み上げるヴィルヘルム2世。

第一次世界大戦中、俺は西部戦線において2機、東部戦線において4機の敵機を撃墜し、エース・パイロットになっていた。
なお、兄ヘルマンは18機の敵機を撃墜している。
史実より4機少ない戦果だったが、それも無理はなかった。
何故なら、マンフレート・フォン・リヒトホーフェンやマックス・インメルマンといったエースパイロットが大戦終結まで生き残っていたからだ。

ただ、歴史の修正作用かもしれないが、ヘルマンの親友であり、エースであり、ナチス・ドイツ時代の急降下爆撃主義者であるエルンスト・ウーデットが戦死している。

この点が吉と出るのか、凶と出るのかは俺としても定かでは無かった。

リヒトホーフェンやインメルマンは、俺にとっては憧れの人だが、果たして第一次大戦以降の航空技術についていけるのだろうかと、不安にもなる。
事実、ウーデットも総撃墜機数62機のエースだったが、ヘルマン同様に極度の急降下爆撃厨だった。
ドイツ空軍の至宝となるか、老害となるか……。
そこが心配で仕方がないのだ。

「ははッ、ありがたき幸せ……」

勲章の授与式だったのかと、内心ホッとする俺。

しかし、本題はここからだった。

「して、貴官は敵機6機の撃墜記録も然ることながらMP18、戦闘機、
及び戦車といった技術分野においても類稀なる成果を残したと聞く。
その数々の功績を認め、貴官に一つ、望みを叶える権利を……授けよう」

権利? 俺は首を傾げた。

「皇帝陛下、恐れながら“権利”とは?」

「うむ。要するに、一つだけ願いを叶えてやろうと言っておるのだ」

「は……はぁ……」

俺は間の抜けた声を出した。全く状況が掴めていなかったのだ。
確かに俺は、MP18といった新兵器を提唱し、第一次世界大戦におけるドイツ帝国軍の勝利を裏で支えはしたが、これは破格の待遇だった。

「ん、どうした? 何か望みを申して見せい」

ヴィルヘルム2世に急かされた俺は、突拍子も無い望みを思い付いてしまった。

「陛下、先の大戦で我がドイツ帝国はフランスの植民地を獲得しましたね?」

「ああ。だが、それがどうかしたか?」

「仏領インドシナを大日本帝国に売却して下さい」

俺の唐突な言葉を前に、ヴィルヘルム2世は唖然としていた。

「ちゃんと理由は御座います。日本という国は、ロシアとの戦争以降、
急速に国力増強に努めてきました。かの国は、アジアの覇者となりて、
唯一無二の大帝国を築きたいと考えておるのです」

俺は淡々と語る。

「先の大戦で我が国は、莫大な負債を抱え込みました。が、ソビエトから獲得した賠償金程度ではどうしようもない。
となると、我が国は国内外の貯蓄した資産を放出し、売り払う他ないのです」

「しかし、だからといってフランスから勝ち取った領土を……」

「では、陛下は賠償金を返す充てがあると?」

その言葉に、ヴィルヘルム2世は沈黙した。

当然といえば当然だろう。何しろ、ベルギーへの補償金30億マルク。『パリ戦争補償基金』設立費に10億マルク。
さらに『パリ戦争補償基金』の年間運営費として、1億マルクの請求が米英より届いていた。
この戦争補償基金の運営期間が30年なので、ドイツは実質30億マルクを支払い続けなければならないのだ。
これを加えれば、ドイツ帝国が被った戦争賠償金は総額約70億マルクに上る。
米英への諸賠償金、戦費、国内復興費を含めれば、その額は計り知れない。
そんな状況でドイツは、フランスより勝ち得た植民地を開発する余裕は無かったのである。

「実際、仏領インドシナに有益な資源はありません。あそこは極東の僻地ですよ」

とはいうが、実際の所、仏領インドシナは石油・スズといった資源に恵まれ、石油についてはインドネシア、マレーシアに次ぐ埋蔵量を誇る。
しかし大戦の傷跡と理不尽な賠償金に苦しむドイツとしては、その仏領インドシナを開発できる余裕は残っていなかったのだ。

「だからといって日本に――」

「だからこそ、日本なのです。かの国は、資源も持たない島国であるにも関わらず、清国に勝利し、あのロシアとも互角に戦ったのです。
あの国は、エネルギーに満ち溢れております。新しいエネルギーに。
しかし、方向性を見誤っている。軍が影響力を付け、政治家から導き手としての座を奪おうとしている。
誤った方向に向かおうとしているのですよ、日本は。
可能性のある国に啓蒙を示し、我がドイツがその恩恵を勝ち得ることが出来れば……良いとは思いませんか?」

「……なるほど。かの国を予とドイツ帝国が導くか」

「皇帝陛下もご存知でありましょう。あの国の勤勉さ、手先の器用さは、このドイツに通ずる所があることを」

ヴィルヘルム2世は頷いた。「ああ、古い話だが、10年ほど前に伊藤公をこの離宮に招き寄せた時、予は伊藤公の為人に惚れた。
あの田中正平(純正調オルガン発明者)を知らんというのには、少々驚いたが……」

ヴィルヘルム2世は少し寂しそうに言った。

「日本人には、確かに我がドイツと通ずる所がある。そして日本は、新たなるエネルギーにも満ち満ちた国である。それは認めよう。
対してこちらはどうだ? 仏露に勝利したというのに、予はこんな離宮に葉隠れしておる。これでは臆病者ではないか!
予がオーストリアへの支援を確約し、予がモルトケの案を呑んだというのに、国民というのは……」

憂いのある表情を浮かべ、ヴィルヘルム2世は語る。

「我が帝国は、予の代にてその幕を閉じるであろう。
“栄枯盛衰”――日本の諺だ」

そんなヴィルヘルム2世に対し、俺はかぶりを振った。

「栄華を極めたといっても、それが永遠の衰退に繋がるとは限りません。
その気になれば、黄金時代はいくらだって訪れるものです」

「一度枯れた花が、もう一度咲き誇るとでもいうのか?」

「花は枯れても、種を残します。栄華は脈々と受け継がれるのです」

俺は話を続けた。

「これは先行投資です、皇帝陛下。日本という“栄華”への。
そのまま美しい姿を見るも、養分を吸い取ってドイツ帝国という栄華に注ぐも、陛下の御意のままに……」

なんだか銀●伝のチンケな下級貴族の言いそうな台詞だな、と俺は内心呟いた。

が、四方八方に敵を抱え、孤独だったヴィルヘルム2世には効果てきめんだった。

「宜しい。貴官の望み、叶えて遣わそう」

「御意(ヤー)」

満足そうな笑みを浮かべ、さらにヴィルヘルム2世は続ける。

「貴官の功績にはもう一つ、特典がある――“騎士”の称号だ」


騎士位、それは俺の実父かもしれないエーペンシュタインも持つ階級称号だ。
ドイツ帝国の準貴族(ユンカー)においてはもっとも低い爵位ではあったが、至上の名誉でもあった。

「騎士となった以上は、土地が必要であろう。
我が居城の一つ、オー・ケーニグスブール城を授けよう」

オー・ケーニグスブール城は、アルザス地方にあるヴィルヘルム2世の城だ。
史実では第一次大戦後、ヴェルサイユ条約に従いフランスに賠償金の肩代わりに没収されている。

「そんな、滅相もない」

「謙遜するな。貴官には、久しく有意義な時間を与えて貰った。これはその礼だ」

話の礼が城1個って……皇族って怖い。

「して、貴官は何時革命が起こると思う?」

ヴィルヘルム2世は真剣な表情で問いかけてきた。

「革命……でありますか」

「うむ。予がここに隠れ住んでおるのも、元々はヒンデンブルクめの指示でな。
なんでも、ベルリンでは統制が執れておらんから危険だというのだ。
そりゃあそうだろう。皇帝不在の帝都が、どうやって統制を執れるというのか?」

ヴィルヘルム2世は不満そうに頬を膨らませる。

「ここだけの話……これは貴官を信用しているから申す事だが、予はいざ革命が起これば、オランダへと亡命する手筈となっておるのだ」

ここだけの話とはいうものの、転生者の俺はそのことを既に知っている。
後の計画のためにも、ホーレンツォレルン家の血筋は残しておきたいと、俺は考えている。

「皇帝陛下、そのことについてお話したいのですが……」

「何をだ?」




「帝国を“転生”させるプランについてです」


● ● ● ● ● ● ● ●


1918年7月、『ドイツ革命』は勃発した。

史実とは違い、革命の発端は首都ベルリンにおける警官とデモ隊との対立によるものだったが、その後の経緯はほぼ同じだった。

ドイツ帝国の崩壊。

ヴィルヘルム2世のオランダ亡命。

そして、議会制民主主義共和国である『ヴァイマル共和国』の誕生。

その時、アルベルト・リッター・フォン・ゲーリングは、次なる計画に向けて着々とその準備を進めている所だった。



場所はアルザス地方、オー・ケーニグスブール城。

『ゲーリング財団』の本拠地である。








[31658] 第10話 ゲーリング財団創設
Name: キプロス◆6129d03f ID:076f5f59
Date: 2012/05/12 13:51
第10話『ゲーリング財団創設』



どうも、アルベルト・リッター・フォン・ゲーリングです。

長ったらしいです、すみません。

いっぺん死んできますね、はい。




ドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム2世からユンカー(準貴族)の称号を貰った俺。

しかし1918年7月、ドイツ帝国は瓦解した。

新たに誕生した『ヴァイマル共和国』

ドイツ旧領、オーストリア(同国革命により併合)、旧植民地領、
エルザス=ロートリンゲン地方、フランシュ=コンテ地方、
仏領西アフリカ、マダガスカル島、リビア(イタリアから割譲)、
そして東欧諸国(各国独立し、ヴァイマル共和国寄り)。

これらの領土を保有するヴァイマル共和国だが、その前途は多難だった。
累計70億マルクに及ぶ賠償金、莫大な戦費、足りない復興予算。
これらを返還するのに旧ドイツ帝国は仏領インドシナを1918年6月に大日本帝国に売却し、2000万マルクの購入金を受け取っていたのだが……。

なんと、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世がその金を持ってオランダにトンズラしてしまったのだ。

当然、この事実にドイツ国民は憎悪するかに思われたが、ヴァイマル政府はこの時期にオランダと対立するのが適当ではないとして、情報公開を避けた。

はたしてその金は今、何処にあるのか?

それはオランダではなく、エルザス=ロートリンゲン地方にあった。

そう、今や俺のポケットマネーと化していたのだ。



エルザス=ロートリンゲン地方。

ここに元ドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム2世が保有していた城がある。

その名は『オー・ケーニグスブール』

現在、その城の所有権を有するのは、俺ことアルベルト・リッター・フォン・ゲーリングと『ゲーリング財団』である。

『ゲーリング財団』とは、1918年10月に旗揚げした財団だ。

主な事業内容としては、兵器開発、無線・レーダー開発、資源開発、航空機開発、
造船、医療・医薬品研究などが挙げられる。

その設立金として提供されたのが、ドイツ皇帝の私産と仏領インドシナ売却金の2000万マルクだった。

このため、俺は一旦軍から退役することにした。

このままドイツ空軍に移籍する――という方法も考えられたのだが、
賠償金やプロイセン軍人によって重い枷がはめられた空軍では限界があった。

何より、陸軍や海軍に手が回らない。

借金が多くて、新兵器をそう簡単に造ることは出来ない。
たとえ提案したとしても、途中で破棄されることだってあるだろう。

それなら財団なり何なりを作って、自分で武器を作れば良いのだ。

そう考えた俺は、空軍における仲介役として兄ヘルマンをこしらえ、航空機や戦車開発、資源採掘、医薬品開発に力を注ぐことにした。

兄ヘルマンは既にベルリン社交界では知らぬ者が居ないほどの有名人であり、その影響力は諸外国の上流階級にも及んでいた。
無論、国内の財界関係者にも――だ。

兄の人脈と皇帝の金脈。
それを用いて創られたのが、『ゲーリング財団』だった。



● ● ● ● ● ● ● ●



ゲーリング財団の事業の柱となるのは、やはり資源開発だった。

枢軸国にとってはお馴染みの悩みとなる『油不足』等の解消である。

仮想戦記でもよく取り上げられるジャンルだ。

そこで俺は、油田開発の主軸として『3つの柱』を立てて、事業の核とした。

・リビア『サリール油田』
・イラク『キルクーク油田』
・満州『大慶油田』

――である。

第1に挙げたリビアのサリール油田は推定埋蔵量120億バレル。
これはヴァイマル共和国の領土となっているので、もっとも開発が容易だった。

第2に挙げたイラクのキルクーク油田は推定埋蔵量160億バレル。
これはオスマン帝国領であり、英国との関係悪化に繋がるので危険ではある。
しかし発見は1927年、開発は1934年で、イギリスの重要な燃料補給線の一つと成り得る油田でもあった。
史実では第一次大戦後、イギリスの委任統治領となってしまうが、この新たな歴史においてオスマン帝国は敗北していない。
同盟国という関係もあって、開発は捗ることだろう。

そして第3に挙げた満州の大慶油田は、推定埋蔵量160億バレル。
ドイツ財団として、アジアに進出することはそれほど大変ではないが、日本や英国との折り合いを付けるのは難しいだろう。
その上、アメリカまで割り込んでくる公算が大きい。
何しろ、1920年代には米英はこの満州の土地に石油が眠っていることを既に知っていたからだ。

一方、当の日本はというと、お粗末な掘削・精製技術によって物にできないという事実が存在する。
しかしこの油田を獲るか獲らないかでは、日本の命運も大きく変わる事だろう。


うーん……どうするべきか……。

一番楽なのはリビアだが、ここはイラクから攻めた方が良いかもしれない。
何しろイラクには、キルクーク油田の他にルマイラ油田(200億バレル)や西クルナ油田(300億バレル)がある。
オスマン帝国との関係が良好なうちに、これらの資源採掘権を掌握しておきたい。

だが、本命は隣接する国、クウェートのブルガン油田だ。

ブルガン油田の推定埋蔵量は600億バレル。
しかも原油が地表に自噴(自然に湧き上がる)ので、生産も容易だ。
おそらくこれ一つで、ドイツ第3帝国は数十年の安泰を約束されるだろう。

しかし問題は、これがイギリスの保護領であることだ。

万一にもこれを1920~1930年代に発見したとなれば、対英・対ソ戦フラグが立って、二正面作戦でジ・エンドだ。

触らぬ神に祟りなし。
これは保留しておく。



● ● ● ● ● ● ● ●



次は陸戦兵器開発。陸軍国家であるドイツとしては、もっとも重要な案件だ。

まずはアサルトライフル開発。
これはStG44を当面の目標としておく。

StG44というのは、第二次世界大戦中に開発されたドイツ軍のライフルだ。
現代のアサルトライフルの基礎を築いた銃であり、あの『AK-47』の基となった銃でもある。
開発者はMP18を開発した『サブマシンガンの父』ことヒューゴ・シュマイザー。

今物語において、第一次大戦中にシュマイザーはベルグマン社に入社、俺が提案した『MP28』の開発責任者として手腕を揮った。
MP28は1918年、つまりは今年制式採用され、3月の終戦間近に実戦投入されてその高い性能を見せている。

俺はこのシュマイザーをベルグマン社から引き抜き、
先の東部戦線から鹵獲・回収したロシア軍自動小銃『フェドロルM1916』とStG44の設計図を基に、その開発を命じた。

現行では銃の生産ラインは無いので、その生産は他社に委託することになるだろう。

今の所はそれで十分だった。



次に戦車開発。

史実には第一次大戦後、ドイツはヴェルサイユ条約に従って戦車の製造保有を禁じられる。

そのため、ドイツ軍は『ラパッロ条約』等で苦し紛れの言い訳をしながら、張りぼての戦車を造っていくことになる。

しかし、今物語でドイツは戦車の製造保有を禁じられていない。

張りぼてでない戦車を堂々と造れる訳だ。

これに俺が提案したのが、『Ⅲ号戦車』

もちろん、ただのⅢ号戦車ではない。
傾斜装甲を備えたⅢ号戦車だ。

何故、傾斜装甲を備えたⅢ号戦車を造るのかというと、それは後の『パンター』戦車のためである。

傾斜装甲というのは、敵戦車等から放たれた徹甲弾に対し、
装甲を傾斜させることによってその運動エネルギーを拡散させ、逸らして弾くという概念である。
当時としては新機軸の技術であり、効果は抜群であった。
しかしその分、構造が複雑となり、生産効率の低下とコスト高は免れない。

だが、その試みをごく初期のうちに進めておき、国内で十分なノウハウを確立しておけばどうだろうか?
Ⅲ号戦車の値段9万6200ライヒス・マルクに対し、パンターは12万5000ライヒス・マルクととてもリーズナブルな値段だった。
戦車開発の縛りを受けていない1920年代にこの傾斜装甲技術を確立しておけば、
パンターの開発・製造日数とそのコストを削減することが出来るだろう。

それが俺のねらいだった。

何しろパンターは強い。
日本軍が悪戦苦闘していたM4中戦車を平均5輌撃破していたのだ。
これに対し米軍は、M4を4輌1組のチームにし、1輌のパンターにぶつけた。
正面戦闘では敵わないM4は、側面や足回りに攻撃を仕掛け、これに勝利した。
まさに物量の勝利である。

だが、パンターも物量で行けばどうだろう。

流石にM4やT-34並とはいかないものの、史実以上の数を揃えることが出来るだろう。


このパンターや他の戦車・自動車開発には、米自動車メーカーのフォードに支援を受けながら、大量生産のノウハウをつけていくつもりだ。
もちろん、重機開発も忘れずに……。

うん、まさに王道パターンだな。

また、無線機開発も優先的に進める。
相互連携を重要視する『電撃戦』には必須だからだ。

とりあえずは米のモトローラー社(ウォーキートーキーやハンドトーキーで有名)
から技術者を引き抜いて、米国の無線技術を停滞させてやるつもりだ。

まぁ、あの国なら代用品なんて幾らでも造れそうだが……。


陸戦兵器はこれくらいにして、航空機や艦船を……と言いたい所だが、この時代ではやはり遅々として進んでいない。
戦艦や空母も設計プランはあるが、建造出来る見通しはない。

また航空機についても、ユンカース社・フォッカー社と共同で全金属製機の開発を押し進めている。
しかし、それが実を結ぶのは、当分先になりそうだ。



1918年~1920年代におけるゲーリング財団の主な事業は、資源開発と技術者のヘッドハンティングに絞られてくる。

ドイツ国内からヨーロッパ、しいてはアメリカまでその手を伸ばし、片っ端から使える技術と技術者を買い漁るのだ。


そして世界の叡智を我が手に収めるのだ。



……うーん。

まるで独裁者みたいだ。






[31658] 第11話 兜町の相場師
Name: キプロス◆6129d03f ID:076f5f59
Date: 2012/05/13 00:24
第11話『兜町の相場師』



《第2章 1919年7月 ヴァイマル共和国 バイエルン州》



『ホーフブロイハウス』はミュンヘンの中心部、マリエン広場から徒歩で約5分近いに立つ、大きなビアホールだった。
観光客に人気のある店だが、地元の人間からも深く愛されていた。
鉛で枠付けした窓の内側では明りが煌々と輝き、陽気なピアノ演奏が店先までお構いなしに轟き、カウンターは絶えず混み合っていた。

酔った男達の歌声はうるさいほどに響いた。
バイエルンの男達は酒を飲んでも飲まれることはなかった。
皆、半端に酔うほどに酒の飲み渋りをせず、したたかに酔っ払う。
そして輪を囲い、宴が始まる。
それが普段のスタイルであり、日常的風景であった。

「……これが本場に白ビールですか」

男はやって来たウェイターの姿を見て、満足げな笑みを浮かべた。
ウェイターの右手の盆に載せられた1杯の“ビール”が、ジョッキの淵まで泡立ちながら鎮座している。
それは白ビール――または“小麦ビール”と呼ばれるものだ。
通常のビールよりも小麦の割合を多くして醸造されており、果実のような甘味と酸っぱさが特徴的なビールである。
色は薄黄色をしていて、ジョッキの表面には水滴が滴っていた。

男はそれをゆっくりと飲み、満足そうに口を拭いた。

「うーん……やはり日本のものとは訳が違う」

その男――日本人が白ビールを胃に流し込んだ頃、また同じウェイターが1杯のビールを盆で運んできた。
今度のは色が違う。
“ダーク・ビール”――すなわち“黒”だ。

「お隣、宜しいですか?」

「えぇ……どうぞ」

不敵な笑みを浮かべ、日本人は頷いた。
一人の客が日本人の座るテーブルの空き席に腰を下ろした。
ホーフブロイハウスは原則、相席である。
だから誰と誰が席を同じにしても構わない。
ここはバイエルンでも一、二を争う酒処だ。
酒の席において、そしてビールをこよなく愛するバイエルン人にしてみれば、ビールで縁を持つことは少なくなかった。

だが今回はその例に漏れず……という訳ではなかった。
元々、2人はこの店で会う予定を取っていたのだから。

「“ゲーリング財団設立。ドイツ期待の新興財閥”……」

日本人は脇に挟んでいた新聞紙を広げ、読み上げた。
その頬はほのかに赤みを差し、目は据わっていた。

「……大丈夫ですか?」

日本人が再びビールを煽った時、男は心配そうに言った。
ビールは2杯目。白から黒に変わっていた。
その脇には山盛りのソーセージとポテト料理が並び、湯気を立たせていた。

「ええ……。しかし驚きましたね」

「何が?」

男は首を傾げ、日本人に訊いた。

「まさか私と“同類”が居ただなんて……」

日本人のそんな言葉に男は笑みを浮かべ、かぶりを振った。

「それは私の方ですよ。連絡を頂いた時には、驚きましたからね」

「我々には共通の“神”がいる」

日本人は言った。

「そう、ご都合主義で身勝手だけど面倒見は案外な……奴が」

男はそう呟き、静かに天井を見上げた。
何故だかは分からないが、そうする気持ちになったのだ。
気付けば日本人もそうしていた。
その背後では、ビールに酔っ払ったバイエルン人達がやんやと沸いていた。

「最初、『ゲーリング財団』――という聞き慣れない財団の存在を目にした時、私はどうとも思っていませんでしたよ。恐らく、私が知らないような小規模の財閥か、歴史の中で倒産した財閥かと推測していましたから」

「私も貴方のことを目にした時には、何とも思いませんでしたね。株で荒稼ぎしている日本人……ただそれだけのことだと」

と、男は煙草に火を付けた。

「改めて自己紹介をしましょう。私はアルベルト・ゲーリングです」

男――アルベルトはそう言い、静かに右手を前に出した。

「初めまして。私は鈴木隆――貴方と“同じ者”です」

日本人――鈴木隆もまた右手を前に出すと、二人の右手は握られた。
握手をし、互いを見据える彼らを尻目に、ミュンヘンの夜はゆっくりと更けていく。



● ● ● ● ● ●


――鈴木隆。

彼は史実における“伝説の相場師”である。

だがしかし、その人生は奇々怪々であった。
明治15年(1882年)、千葉県の農家に生まれた彼は東京府師範学校に入学し、卒業後は小学校の教師なった。
ところが鈴木隆という男は、政治家となって国を変える――という壮大なる野望を胸に抱いていたのだ。

ところが彼がその野望を実現するには、資金が足りなさすぎた。
公務員とはいえ、給与は乏しい。
膨大な選挙費を必要とする政治家になるには、金がなかったのである。
渋々、彼は副業として甘酒の原料である麹造りに励む。

そしてその時、彼は人生の転機を迎える。
なんと彼の父が株を買い、勝ちに勝って300円も儲けていたのだ。
その300円は現在価値にして300万円に相当する。
一日の食事にも困窮していた鈴木隆にとって、父の話は衝撃的だった。
その時、彼は株によって一攫千金を実現してやることを心に決める。

鈴木隆はそこから2年間、株について学んだ。
教師の職を続けつつ、日本の金融中心地である兜町で株取引のイロハを学ぶ。

また、株の“仮想”売買も行った。
これは新聞の株式欄を見ながら“買った売った”のつもりで売買を行うというものであった。
貧乏教師の彼にとって、勝負の回数は限られていたからである。
万全を期し、勝利を掴む。
かくして明治40年(1907年)、株式市場に飛び込んだ。

兜町と仮想売買で培った経験・知識を武器に戦いを挑む鈴木は、そこで見事に成功を収めた。
日露戦争の戦勝バブルで儲けたのである。

その後、味をしめた鈴木は明治43年(1910年)に教師を辞職。
株に本腰を入れ、株屋の顧客相手の歩合店員に転身した。

そして明治45年(1912年)。
明治天皇崩御の報が世間に伝えられる中、鈴木は何を思ったか猛然と株を買いに出た。
しかしこの時、株価は明治天皇崩御による影響から大暴落。
遂には信用取引の追証(信用取引における“委託保証金率”が大きく下回った時、発生)で首が回らなくなってしまう。
ところが元号祝いの大正相場に突入し、大きく価値を落としていた筈の鈴木の株は、一気に高騰。
首の皮一枚で繋がったどころか、鈴木は空前の“勝ち”に回ったのである。

その後も鈴木の活躍は止まらない。
直後、第一次世界大戦が勃発し、日本に好景気が訪れる。
大戦期のバブルは留まることを知らず、鈴木も大儲けを繰り返した。

また、大正9年(1920年)3月15日に発生した『戦後恐慌』の大暴落時には、逆手の売りで瞬く間に当時の金で300万円を稼ぎ出した。
これは、現在価値に換算すると100億円に達する。

そして1920年、鈴木は千葉1区から立候補し、見事衆議院議員に当選。

野望を果たした鈴木だが、その相場師としての命脈はまだ断たれてはいなかった。
むしろ、政治家という立場を利用したのである。
すなわち政治家としての人脈を活かした――インサイダー取引である。
無論、彼は勝った。

この時、鈴木の儲け総額は3000万円。
現在価値にしてみれば、約2200億円にも及ぶ莫大な金額だった。
これだけの金を個人で、そして株で稼ぎ出せる人物はそうはいない。

まさに鈴木隆は怪物じみた相場師であった。

ところが世の中というのは、上には上がいるものである。

アメリカの株ブローカー、ウィリアム・D・ギャンがその一人だ。
彼は生涯に渡り、約5000万ドルを稼ぎ出している。
現在価値にして、その額は50億ドルに相当する。

しかもこのギャン、1929年の『世界恐慌』も予言していたという。
まさに伝説的な人物だった。

閑話休題。

株売買に勝利し、2200億円もの大金を稼ぎ出していた鈴木だが、その栄華は長くは続かなかった。
昭和9年(1934年)、買った株が大暴落し、大負けしてしまったのだ。
かくして、鈴木は相場師を廃業に追い込まれた。


しかし今物語において、彼は全く別の人物に生まれ変わっていた。
生まれながらの運の強さと、“明日”を正確に予知し得る人物に、である。

すなわち――転生である。

アルベルト同様、“神”と名乗る謎の老人によって理不尽な要求を突き付けられた彼は、ただただ唖然とするしかなかった。

「私は一介の株トレーダーです。株を売り買いする以外に何が出来ると?」

鈴木は不思議そうに言った。

「鈴木さん。私もその口ですよ」

アルベルトはうんうんと頷き、同情した。

「私は“ドイツと日本”を救えと言われましたよ」

「ほぉ……私は“日本とドイツ”でしたね」

2人は「ん?」という具合に顔を見合わせた。

「つまり、利害が一致したようですね」

「そのようです」

アルベルトは笑みを漏らし、注いだビールを飲み干した。

「私はヴァイマル共和国が建国される前、ドイツ皇帝の私産によって多数の株を買いました。当時はドイツ革命の只中であり、株価は軒並み暴落していましたからね」

前世において、アルベルトは株売買の心得があった。
無論、株トレーダーを本業とする鈴木には敵わないまでも、ある程度の取引ならば行えたのである。

「未来を制すること、すなわち株を制する」

鈴木は言い、ビールを口に付けた。

「私は軍事の方面には疎いですが、金融の方面ならば過去の情報もいくらか知っておりました。1907年のアメリカ恐慌では、幾らか儲けさせて貰いましたよ」

「ほぉ……」

「まぁ、本当に些細なものですが」

この頃、今物語の鈴木は史実の2倍は稼いでいた。
一つに株トレーダーとしての経験・知識の豊富さ。
一つに鈴木隆という男の持つ勝負強さ。
そして――未来を見透かせる頭脳。
これらの条件から鈴木は、多額の利益を生み出していたのである。

「今回、ヴァイマル共和国の建国による株価高騰で儲けさせてもらいました」

アルベルトは言った。

「来年、我が財団は金融業界に参入します」

「金融界ですか……ある意味、第一次大戦よりも過酷ですよ?」

鈴木は口に笑みを含みながら言った。

「だからこそ、貴方の力をお借りしたい」

アルベルトの提案に対し、鈴木の顔色は芳しくなかった。

「ゲーリングさん。私は来年、選挙を控えています」

「それは、承知しております」

アルベルトは静かに頷いた。

「“特別顧問”――というポストを用意しています」

「なるほど」

やはり反応が薄い。
そう感じたアルベルトは、次の一手を繰り出した。

「鈴木さん、“世界”を相手にしたいと思いませんか?」

アルベルトの提案に鈴木の手は止まった。

「……世界ですか」

「日本だけで稼いでいては、金融大国アメリカを下すことは出来ない」

アルベルトは更に続けた。

「このヨーロッパには、金融の土壌があります。ドイツのフランクフルト、スイスのベルン、フランスのリヨン、そしてイギリスのロンドン」

ロンドンのシティはこの時代、世界の金融中心地であった。
確かにアルベルトの言う通り、世界の富は此処、ヨーロッパに集まる。
それは認めざるを得ない事実だった。

「そもそもここに来て下さったのは、“神”のお告げでしたね?」

「ご都合主義の神様……ですね」

夢の中にその姿を現した“神”を名乗る人物は、語った。
自らと同じ境遇を生きる者の名と住所、そして協力の必要性。

何故、全知全能の存在がそこまで面倒なことをするのかが理解に苦しむ所であったが、気付けば二人は出会い、こうしてビールを飲み交わしていたのである。

「しかし本当に……」

鈴木はビールを飲み干し、口に付いた泡を拭きとった。

「何故、神様は自分の手で日本とドイツを救わないのでしょうか?」

「……これは“戯れ”なのかもしれませんね」

「戯れ?」

「ええ、神の戯れ。ただのゲーム。自分達とこの世界が過去であり未来であるかも怪しい所ですよ」

つまりアルベルトはパラレルワールド――並行世界の可能性を示唆していた。
それならば多少の歴史との食い違いも納得できるというものだ。

「この戯れを無事に終えれば、我々は元の世界に戻れると?」

「一回は死にましたがね」

アルベルトは言った。

「とにかく、日本とドイツを救えば、これは終わる」

「それまでは共同戦線を……というですか……」

二人とも、過去と未来の知識を明確に記憶領域に保存しておけるという能力を持ってはいるが、それは前世における知識のみである。
前世で学ばなかったことについては頭に浮かぶ筈もない。
だからこそ二人は、足りない知識を補い合い、この戯れをクリアしようというのである。

「……分かりました。力を貸しましょう」

「本当ですか! 有難うございます」


かくしてここに、奇妙な同盟が結成された。
それは、神の“戯れ”に対抗せんとする同盟である。



1919年の初夏、アメリカが金本位制に移行する直前の出来事であった。



● ● ● ● ● ●

御久し振りです。キプロスです。

思えば3月下旬から一度も新作を更新していませんでした。

と言うのも私事では御座いますが、春から社会人となりまして……。

ところが入社早々、右手薬指を骨折するというハプニング。

幸い、骨は二週間程度で良くなりました。

皆様には是非、他人の行動に注意を払って「誰々が何々をしないだろう」という思い込みを持たないようにしてほしいなと思います。

先輩曰く、まずは「他人の行動を疑え」ということです。

あと、プレス機の鋼鉄の扉は挟むとヤバイです(笑)




本作は第1話でもお伝えしていますように改訂中です。

第11話以降を完全に削除し、新たに作成していきます。

更新速度は何とも言えませんが、尽力します。

今後もご意見・ご感想等お待ちしております。


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