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[31552] 魔王降臨【モンハン×オリ】
Name: 周波数◆b23ad3ad ID:22b3f711
Date: 2017/09/27 20:26
旧題「【ネタ】モンハン竜を異世界にぶち込んでみた【モンハン オリ】」

とある異世界の砂漠地帯。一人の冒険者と強力なドラゴンの戦端が開かれる間際に、巨大な片角の"竜"が姿を現した。
その世界の理から外れた、砂漠地帯に君臨した砂色の巨大な"竜"。それと対峙するはあまりにもちっぽけな冒険者たち。
ここには伝説の勇者や狩人などは存在しない。強大な砂漠の魔王、それを打ち倒すための戦いの火蓋が切られた。

*オリジナル異世界にとあるモンハンモンスターが現れたらどうなるかというモンスターパニックです。
*牛歩の感じになると思われますが、オリジナル作品の息抜きでこっそりと修正し始めてます。
*ハーメルンの別名義でも投稿しております。



[31552] 一話目 魔王との"遭遇"
Name: 周波数◆b23ad3ad ID:22b3f711
Date: 2017/09/27 20:26
「暑いし、喉乾いたし……あー早く帰りてぇ……」

 照りつける太陽の光、そして容赦なく吹き出る汗。乾燥地帯の気候故に汗はすぐに乾いてしまい、結果として額はべったりとぬめっていた。その上からさらに降り注ぐ日光から少しでも逃れる為に、巨大な岩の影に逃げ込んだ。その隣では5メートルには達してるか、濃緑のがっしりした体に立派な四本の足と一対の翼が生えた大きな龍が同じく岩陰に突っ伏している。厳つい見た目でそれをやるのは正直言ってシュールだ。

「グゥ……」

 鱗の上に少し羽毛が生えて熱が逃げにくいのだろう、コイツも相当参ってるように見える。時折風は吹くのだが、多量の砂を含む上に生暖かいを通り越してもはや熱風となったそれを浴びるのは結構辛い物がある。

「ハー……何時になったら奴さんは現れるんかねぇ……」

 岩陰の向こうに広がる無駄に大きな荒野を眺めながら、今回の仕事の確認をしようかと思う。



 依頼の内容は極々単純なものだ。辺境の村の付近の砂漠、つまり今俺が居る場所で最近出没した龍を追っ払うといった物だ。殺すのも良し、ただ言葉通りこの区域から追っ払うも良し。その上手段は問わないと来た。

 しかしその出没した龍とやらがちょっと厄介だ。火炎龍の成体で、且つ雄。冒険者ギルドの教訓に、とりあえず見かけたら相手取ろうなんて考えずにまず逃げろ、とまで言わしめた危険な龍の、しかも凶暴な雄。数多くの魔物の中でもかなりの戦闘力を持ち、吐く炎はどんな鎧でも瞬く間に消し炭にする、ランクの高い冒険者にしか斡旋されない、まさに化け物。

そんな物が日常生活を送る場所の近くに出没したのだ。その村の方々には同情を禁じ得ない。対して俺らはギルドランクG~Sで分けられた中のAランクの龍騎士と、その相方に火炎龍ほどではないがそれでも文句無しの強さの森緑龍、因みに名前はイト。
 難関と呼ばれる依頼をそれなり程度にはこなしているからか、今回の仕事でお声がかかったのだ。しかし当初から乗り気では無かった。当たり前だ、誰が好んで修羅場に赴く物か。まあ、冒険者のなかにはそういう向上心や闘争心の塊みたいなのも居るが。しかし結局は依頼を断ると信用に関わると言われて今現在砂漠の一角、小ぢんまりとした泉から少し離れた岩陰で待機中である。

「クー……」

 ドサッと音がしたので見ると、腹が熱いのかイトが横向けに寝転がっていた。これから激しい戦いになるかも知れないのにコイツは完全になまってしまっている。まあ暑い中でただひたすら待機なのだから仕方がない。

 だが今俺が取っている方法は別に間違っちゃいない。いくら生命力の高い龍とは言えども、結局は動物だ。水が無いと生きられない。先ほど述べた村の長の話では、この岩陰の脇の泉が砂漠で一番大きな物であるらしい。という事は火炎龍は絶対にこの場所はキープしているはずである。下手に広大な砂漠岩地をイトに乗って飛び回るよりも待ち伏せた方が、体力的にも効率的にも宜しいのだ。

「ほら、また水でも浴びてこい。それに暑いのはお前だけじゃねーんだから我慢しろ」

相棒の体を軽く叩き、水辺を指さす。イトはヨロヨロと立ち上 がって水辺を目指した――その時だった。



 突如風の音とは違う、鋭く空気を切る音が一帯に緊張感を張り巡らせた。イトはすぐさま上空から見て死角になる位置へ身を隠し、俺もそれに続く。死角という事はこちらからも見ることは出来ない。ただ音だけが岩の向こうから聞こえてくる。力強く羽ばたく音、それが段々と近くなっていき、ドスンと地面に足をつける音が続いた。
 ある程度離れてても感じるその衝撃の元を見る為に岩陰からそっと顔を出し、その瞬間息が詰まる感覚が体中に張り巡らされた。赤黒く染まった鱗に翼、野太い爪の生えた腕、鋭く尖った角、挙句の果てにイトよりも二回りも大きな体。ぱっと見ただけでもヤバい敵である事がわかる。

 奴は回りを見回した後、その大きな顎を開け、野太い声で咆哮した。その音はまるで砂嵐のように荒れ地を巡り、遠くの岩山で反響した。ぴりぴりと、指の先にまで感じる空気の震え、そして空気の震えから段々と自身の体自体への震えと変わっていく。


 トン、とふと肩に軽い衝撃を感じた。後ろを見るとイトが鼻先を俺の肩に当てていた。その途端、スッと震えが体から引いて行った。イトはまるで、「大丈夫、大丈夫」と言ってるかのようにもう一度鼻を当てる。その目は今は何よりも自分を落ち着ける物だった。
 そして自然と、俺の手はイトの鼻先を撫でていた。龍に宥められる龍騎士は如何なものだろうか、ふとそんな考えが頭を過る。だがそれは互いの信頼の上に成り立つ物だ。龍を従える騎士がいるなら、龍と協力する騎士もいても良いではないか。笑いがふいにこみ上げてくる。こんな事を考えられるような余裕が心に戻ってきたのだ。

「有難うな、イト」

 小声で笑いかけると、イトも満足したように鼻を鳴らした。


 俺らは揃って火炎龍に目を向ける。奴はこちらの精神的葛藤なんて知る筈もなく、大きな口を開けて泉の水を啜り始めた。口から覗く牙は龍の名に恥じない、むしろ立派すぎる程に野太く、鋭い。後ろにイトの存在を感じつつ、背中に差してある剣の柄を撫でる。その冷たさが俺を闘争の雰囲気へ持って行く。奴が水を飲んで背中を向けている最中がチャンスだ。早く岩陰から飛び出ないとそのチャンスは失われる。
 もう一度イトの方を向くと、了解の意を頷く事で返してきた。鞘から剣を抜き、構える。狙い目は後ろ足の、鱗の覆ってない腱の部分。イトが陽動する間に懐へ入り、一気に腱へ叩き付ける。手順が頭の中を巡り、整理される。

「オーケィ……もうなるようになれ!」

 そして剣を掴み一気に駆けだし――


――ズ ズ ズ ズ ズ――


 辺り一面に地鳴りが響き渡った。反射的に、飛び出そうとした岩場の中に身を隠す。その地鳴りと共に足元が、そう変に揺れている。これは地震の揺れとも違う、規則の無い揺れだ。すぐさま構えを解き、後ろを確認する。そこには同じように警戒しているイトの姿しか無い。ならばと前を確認する。火炎龍も"同様に"して"足元"を警戒している様子である。
 そう、火炎龍による揺れでは無いのだ。もちろんイトが地団駄踏んでいる訳でも、俺の気のせいでも無い。今この場にいる何者も、この揺れには関与してないのだ。そうこうしている内に、更に揺れと音は大きくなっていき、ふと止んだ。

 空を飛ぶ鳥の鳴き声や風の音が嫌に耳についた。火炎龍が降り立った時よりも輪をかけて緊張感が一帯を支配する。音が止んでも緊張感は膨張を続けている。何かヤバい事態になった、それだけが頭の中を駆け巡る。

 ヤバいヤバいヤバい、本当にヤバい事が起きる前は何時だって今のように静かなんだ。そう今みたいに――



 地面が爆ぜた。そう表現するしかない。そうとしか言いようがない。静かな空間にその音が響き渡り、弾けた礫や砂が空を舞う。この場にいた皆が弾けたようにその音源を見つめ、見つけてしまった。

 照りつける太陽を後ろに、体に被っている砂を振り落している余りにも巨大な"竜"。イトよりも二回りも大きかった火炎龍の体格を鼻で笑うかのような、もはや要塞と見紛う砂色の巨体だ。表面を覆うのは、もはや鱗なんて生易しい物ではない、あれは甲殻だ。
 見たことも聞いたこともない容貌の"竜"は"二本"のがっしりとした足で大地を踏みしめて、これでもかという程に野太く、長い尻尾を振った。ただ振っただけなのに、まるで槌のようになった先端が地面を抉り、砂煙が舞い、大きな音を立てる。そしてふと、一方が先端で折れているねじ曲がった二本の巨大な角を生やした、これまた巨大な頭をフルフルと振った。


 気が付いたら、剣を落としてまで俺は両耳を抑えていた。冗談みたいな音量で"竜"は吠え、その音量は離れた位置の俺でさえ耳を塞ぐほどだ。そしてそれは、決して音量だけではない。己の中の動物的な本能が、理性を無視して腹の底から竦み上がっている。"竜"の口が閉じた後も、遠くの渓谷で反響し、残り続ける。
 咆哮に乗った砂が舞いあがり、"竜"の顔にかかる。それを鬱陶しそうにしながら"竜"は火炎龍と向き合った。
"竜"と火炎龍は離れて向き合っている。火炎龍は突然の侵入者に対して猛烈な敵意を放っているようだった。唸り声と炎が口から見え隠れしている。しかし対する"竜"は動じず、ただ火炎龍を睨み付けている。

 今にも弾けてしまいそうなこう着状態に耐えられずイトを見ると、同じ心境なのか見返してきた後、小さく鼻を鳴らした。既にこの水辺で火炎龍と戦う事は叶わないだろう。それ以前にあの"竜"に見つかる前にこの水辺を早々に離脱しなくては、俺たちの身が危ない。あの"竜"の戦闘力が如何な物なのかは全くの未知数である。しかしどう見積もっても、あの風貌で並みの強さという事は無いだろう。

 見ず知らずの魔物に出くわした。そんな状態で戦いを仕掛けるのは勇敢を通り越して、もはや愚か者のすることだ。このような事態ではまずギルドに報告をするべきであろう。適当な隙を見計らって脱出をしよう。そうしよう。別に俺は悪くない。


 そうこうしている内に動きがあったようだ。火炎龍がその巨大な口を開き、その中に見る見るうちに炎が溜められていく。ブレスだ。火炎龍を強力な魔物足らしめる要因の一つだ。火力は他のどんな魔物にも引けを取らず、人に当たれば言うまでもない。奴はそのまま"竜"に向かって思いっきりそれを吐き出した。"竜"は驚いたように顔面への直撃を免れようとするが、もう遅い。
 熱せられた大地の、更に何倍もの熱量を持った火球は、ただでさえ短い距離を豪速で迫り、直撃した。瞬間、先ほどの地面が爆ぜる音に勝るとも劣らない大きな爆音が響き渡った。圧縮、内包された炎が舐めるように"竜"に絡みつき、周囲に飛び散る。その対象が人間であったならば、その身にまとう鎧も含めて消し炭すらも残りはしない。さすがに"竜"もこの爆発には堪えただろう。これで耐えていたらその時点で火炎龍に並ぶ化け物だ。


 しかし火達磨になった"竜"は、数歩よろめいた後小さく唸り声を上げ、そして前を見据えて首を大きく上げた。闘争心に燃えた目が炎の中から火炎龍を睨み付ける。


 もはや耳を防ぐことすらもままならない。足が、手が、体の各所が逃げ出すということすらも放棄をした。それほどの大音量が、この一帯に響き渡る。大気が、まるで霞んだような錯覚を見た。この先ほどにも増して更に大きな咆哮を上げた瞬間、燃え盛っていた炎が一気に消え去る。打ち震える空気の中で、砂色の巨体がまた露わになった。少し焼けて黒ずんでいる物の、それ以外にはダメージらしき物は見当たらない。
 口からはまるで激昂を表すかのように白い息が上がり、その立派すぎる捻じれた角が火炎龍に向けられる。結局、"何もかも焼き尽くす炎"は"竜"に対しては闘争心に火をつける程度の物だったのだ。

 "竜"は角を向け、構えた。一体何をするつもりなのか、それは何となく予想が付いた。端からこの"竜"は炎を吐いたりするような、"魔力"を使うような物では無いのだろう。そしてその予想通り、"竜"はただ駆けだした。ただ走るなんで生易しい物ではない、"突進"だ。巨体を生かしたその一撃は、例え王都の城壁でさえも一撃で粉砕するだろう。その巨体からは考えられないほどの速度で、"竜"は砂煙を上げながら火炎龍へと駆ける。一歩毎にまるで地響きの如く、巨大な振動が伝わってくる。

 火炎龍は慌てて翼を開いた。気性の荒いこの雄でさえ、今は撤退という考えしか浮かんでないのだろう。
離陸の素早さは全て龍種の持つ、彼らの象徴とも言える能力だ。現にもう火炎龍はその体一個分以上はまで浮き上がっている。しかしもう"竜"は目の前に迫っており、体高がどう見ても小型の矢倉は超す"竜"の突進から逃げられるかどうかはギリギリだろう。

 ふと、火炎龍を目の前にした"竜"は、あの速度から突如急停止して、頭を振り下げた。突進のままだったら火炎龍は逃げ切れたのだろう、しかし"竜"は振り下げた頭を、左足を軸にして体全体ごと思いっきり振り上げた。見えたのも一瞬、鋭い角は巨体の回転で恐ろしい程の速度で突き出され逃げる火炎龍に迫り……貫いた。そう、完全に貫いたのだ。
 硬い鱗に覆われている筈の赤黒い体を野太い角がなんの抵抗もなく貫通し、遅れて鮮やかな赤い液体が空中に舞う。ほとんど一瞬の出来事だった。

 ほとんど一瞬だ、ほとんど一瞬で"ギルドに恐れられていた高ランクの魔物"が正体不明の"竜"に負けたのだ。

「あ……あぁ」

 言葉にすら出来ない。今俺たちは一体何を前にしているんだ?"正体不明の竜"?そんな、"そんな優しい物"では断じてない。"竜"は頭を振り、角から火炎龍"だった物"を強引に振り落した。体が地面に打ち付けられ、ドサッというの後、ピクリとも動かなかった。そして血を浴びて所々赤く染まった頭を上げて、"竜"は勝利の雄たけびを上げた。

勝者と第三者しか居なくなった荒野に強烈な咆哮が響き渡り、その足元に砂煙を上げさせる。そう、あれは、あの"竜"は"高ランクの魔物の命を一瞬にして奪った正真正銘の化け物"だ。魔力を使う連中と異なり、己の体力のみで全てを退ける、まさに暴君。

 体がブルブルと震える。止めようと思っても上手くいかない。イトのフォローも入らない。コイツも俺と全く同じ心境なのだろう。怖い。本当に怖い。もしあの"竜"に見つかったら、いや、もしこの岩陰から一歩出よう物なら俺やイトは一体どうなるか言うまでも無い。

「……早いうちにずらかるぞ」

「クルル……」

 イトも全く同感のようだった。素早く翼を広げ、俺はそれにそそくさと跨った。暑い荒野の中でも、イトの温もりはどこか俺を落ち着かせる。首に駆けられた手綱につかまり、背中をポン、と叩いた。

「飛べッ!!」

 大きく翼をはためかせ、空気の流れを一瞬で掴み、イトの体は岩陰から空中へと一気に飛び出した。"竜"は急に姿を現した俺たちを首をもたげて発見したようだ。離れていく地面の上で、砂色の巨体が俺たちをその緑色の双眼で見据える。

 心臓が鷲掴みされたような感覚が体を駆け巡る。どんどん上昇している筈のに、威圧感は纏わりついたまま離れない。もしかしたら巨体の脇で横たわる火炎龍が俺たちだったかもしれない。そう考えると熱風が吹きつける中でも俺は首に冷や汗がかかるのを感じた。ある程度上昇した後、イトは滑るように空気中に身を走らせる。そして瞬く間に"竜"の姿は岩の影に見えなくなった。

「やっと帰れる……一体何なんだよ、アイツは」

 やっと照りつける太陽の光が熱いと感じられるようになった。早く村長とギルドにこの事を伝えなくては。それが今俺がするべき唯一にして最重要な行動だ。まるで"魔王"でも前にしたような感覚は、中々忘れられる物ではなさそうだ。

「……当分この砂漠は立ち入り禁止かね」

 後ろに広がる広大な荒れ地を見ながら、俺はそうポツリと呟いた。








ギルド報告書

名前:ネイス・ウェイン

階級:ランクA 龍操士(森緑龍)

内容:未確認の魔物の発見

詳細:レヴィッシュ領ゴゾ村付近の砂漠岩地にて二脚の竜種に遭遇
   30メートルに及ぶ砂色の巨体に片方が先端の折れた二本の巨大な角を持ち、太く発達した尻尾を持つ、既存のどの竜種にも当てはまらない模様
   一撃でAランクの魔物の火炎龍を打倒しており、戦闘力は非常に高いと思われる
   
補足:ゴゾ村の住民には隣村への自主的な非難を提案し、村長はそれを了承





170918 こっそりと修正。やはり昔と今じゃ文体が結構違います



[31552] 二話目 不可解な"飛竜"
Name: 周波数◆b23ad3ad ID:22b3f711
Date: 2017/09/27 20:26
 ほの暗い執務室の一角、無造作に積み上げられた書類の前で一人の男が一枚の報告書を見ながらため息をついた。

「正体不明の竜の出没……か。また随分と突飛な話が舞い込んだ物だ」

 彼は机の上に置かれていたまだ湯気の立っている紅茶を啜りつつ、報告書をパラリと一枚めくった。顔を顰めるその男の視線は、報告書に掛かれた荒唐無稽な内容へと向けられていた。とある冒険者が遭遇した、正体不明の竜種に関するもの。その竜はかの獰猛な火炎龍と戦い、一撃で下したと記載がされている。

 まるで冗談のような話だ、と彼は内心で一笑に付した。それもそのはず、まず前提条件の時点でおかしいのだ。遭遇したと自称する冒険者――ネイス・ウェインによれば、その竜は二脚のいわゆるワイバーンに分類される。
総じてワイバーンとは、ドラゴンと呼ばれる種族よりも体格は小さく、そして群れで生活しているはずなのだ。しかし彼の記載した"竜"とはそれに全く当てはまらない性質なのだ。
 体格が大型の矢倉を優に越しており、火炎龍を一撃で下した。その話だけで、伝説上の化け物に匹敵しうる代物だ。どう考えても既存のワイバーンのスペックをかなり、いや話にならない程に圧倒的に上回っている。そして大きさに至っては巨龍種とためを張る程だ。

 そして第二に、なぜこんな「化け物」という言葉に足を生やしたかのような存在が今更になって発見されるのか。彼がこの地に赴任されて以降、少なくともそんな竜が出没したなどと言う話は、噂をされることすらも無かったのだ。

 彼は考える。もしこの話が嘘ならばネイス・ウェインの階級を2ランク程下げれば良いだけの話だと。だが仮に嘘でなかったら、これは10年に一度あるかないかの大事件となる。そうなれば緊急に手配しなくてはならない。

「……仕方がない。私名義で調査依頼を出すか」

 情報は大事で、そしてどんな内容であれ報告書の情報は確かめる義務がある。虚実をはっきりさせないとまず足を踏み出す事すら出来ないのだから。無意識の内に彼は自分の尖った耳に手をやって無造作にかきむしった。面倒事が入った時の、何時もの癖だった。そして彼は1枚の紙を取り、ペンを走らせる。脇目で報告書の竜の説明を読み、その姿を空想しながら。


* * *


 今俺は相棒のイトと別れ、高級感溢れる会議室的なところの椅子に掛けている。ふっかふかの感触。こんなものには久しく座った覚えがない。精々故郷の町で、ちょっとお偉いさんの元に用があった時くらいだろうか。そして驚くべきことに、目の前には普段であればまずお目通りには敵わないこの街のギルドの統括、ニーガって名前のエルフ男が座ってらっしゃる。

 砂漠から帰還したすぐ後にギルドへ報告書を提出した俺は、その次の日、つまり今日こうやってギルドのトップにお目通り叶った。やはり緊急事態として受け止めてもらえたのだろう。本来なら俺のような下っ端は会見何て出来やしないんだから。かなり心臓がバクバクと言っている。その原因はこの部屋の雰囲気に当てられて等では無く、昨日の"竜"についての質疑応答になんて答えようかずっと考えているからだ。

「よく来てくれた。貴方がネイス・ウェインで宜しいかな?」

 まるでどこか劇のような重たい口調で、統括は口を開いた。

「はい、その通りです」

 この場に流れる空気は昨日と違った意味で緊張感が流れている。統括は、「すべて本当の事を言え」と言わんばかりに鋭い目で俺を見つめてくる。ならば俺も胸を張ってそれに一切の虚構抜きで答えてやろうじゃないか。

「以降は全て事実のみを話すように。昨日貴方が確認した竜、それは本当に存在するのだな?」

 定型文抜きにいきなり入るか、まあ仕方がない。実際見た俺でさえ、あの化け物の存在が何所か今でも信じられないのだ。目の前に座る男はその化け物を実際には見ていない、しかも統括なんて役職の人間なのだ。その位疑ってもらわないと、むしろ下っ端の俺の目にはあまりに頼りない人物に映ることとなるだろう。

「ええ、信じられないとは思いますがあの報告書に書いた通りです」

 ならこっちは胸を張って肯定させてもらおう。

「そうか……しかし私はともかく、他の理事がそれだけで頷くとはとてもではないが思えないのでね、今日はあるパーティーに依頼して巡察に出て貰ったのだ」
「あるパーティー……? それはどう言ったメンバーですか?」

 まさか既に偵察隊が出ていたとは。まあ、此方の話の裏を取るには偵察が一番手っ取り早い。そのような偵察を一つの依頼として張り出すことはそれ程おかしい事でもないが、どこか嫌な予感を感じ取った。

「ああ。本来なら極秘だと言って突っぱねるんだがまあ良い。ゴンゾが率いるメンバーだったよ。貴方も知っているだろう。Aランクの中でも特に腕の立つ奴だ」

 ゴンゾといえば――確かそいつはとても、とても好戦的な性格で、見た魔物には積極的に戦いを仕掛けるような、あの若造のゴンゾか。別にこれは俺自身の思い込みではない。一定数の魔物を討伐せよという依頼を受けて、指定数どころか群れ全てを駆逐するような奴だ。それも快楽的ではなく、魔物を打ち倒すことを己の使命として燃えるような、まあ勇者的な性格だったはずだ。

 ゾクリ、と冷たい物が背中を駆け上がる。確かにそのゴンゾが率いるパーティーは腕が立つ奴の集合体だ。一度興味本位で戦績を伝手で聞いてみた時に、各メンバーの実績を見て絶句した物だ。しかしいくら精鋭を集めたところで、あの片角の化け物相手に通用するのか?
 ゾクリ、と首までがどこか冷たく感じる。強力な魔道師に、強力な戦士。前衛後衛がともにエースの集団だが、それでもたかがエルフや人間だ。アイツは、あの化け物は、そんな連中で通用するような温い物では断じて無いのだ。

「……彼らは、いつ此処を発ちましたかッ!?」

 身を乗り出し、迫る俺に一瞬統括が気圧されたがすぐ俺を軽く睨んだ。

「今日の早朝だ。もう彼らは現地入りしている頃だ。それにお前は彼らを見くびり過ぎだ。そんな軟な連中じゃないし、戦闘狂とは言えども引き際は弁えている」
「そう……ですか」

 この男も戦闘狂という点は把握しているのか。言葉の上では引き下がったものの、心の奥ではまだザワリ、と嫌な予感が蠢いている。窓から入ってくる優しい日の光が、そして緩やかな風すらも、今は随分と場違いな物に感じられた。この感覚はすぐに引きそうに無いだろう。どこか気落ちした顔で俺は統括との話を再開した。


* * *


「何なんだよ……何なんだよ!! 何なんだ、この怪物はッ!?」

 一人の青年が、汗だくの手のひらで剣を構えなおして、その眼前で暴れまわっている砂色の巨体を改めて見つめなおした。砂と礫を辺り一面に弾き飛ばして暴れまわる、手の付けられない災厄がそこにいた。巨体が吠える。今まで彼が聞いたことのない程の大音量で。退却すらもままならないほどの威圧感と震えがその体に叩き付けられる。

 ただの偵察依頼に色を付けようとして、結果的に無残な状況へと追い込まれたターニングポイントは一体どこだったか。彼は慢心していた。今まで多くの龍種を仲間と共に打倒してきた自信が、彼の行動指針の源だった。氷龍も風龍も、さらにはあの火炎龍すらも、打ち倒してきた。前衛の剣士たち、後衛の魔法使いたちで、彼らは毎回勝利を収めてきた。そう、絶対的な布陣だった。この化け物だって結局は大きいだけだろう、彼はそうどこか見くびっていた。

 だがなんだ、この有様は。

 彼らがやっている事は、もはや戦いなどとは言えない逃走だった。前衛陣は体格の違いすぎる相手に対して全く何も出来ずにいる。後衛陣も高威力の魔法を叩き込んでいるものの、全く効果が見込めなかったのだ。

 炎を放てど、その奥から超音量の咆哮が火炎を打消し。雷を放てど、全てが分厚い甲殻に阻められ。水を放てど、精々表面に付着したた砂が弾けるだけで。風を放てど、その巨体はいくら吹きつけられても何とも無しに太い足で大地を踏みしめるだけ。何をしようが化け物はそれを正面から食らい、何事も無かったかのように反撃をしてくる。
 その体からは考えられない位の速さで暴れまわる化け物は、この短時間の間に何度もオレ達を絶体絶命のピンチへと貶めた。もはや歩く要塞だ。周囲に聳える巨岩にも勝るとも劣らない巨体で全てを打ち消してくる難攻不落の要塞なのだ。

 幸いにも、その巨体故に細かな動きは苦手なようだ。現に今、奴の近くを彼は行き来して隙を探している。そう、逃げる為の隙を。もはや攻撃なんて無意味なのだ。今までどんな龍の鱗でも、魔力を籠めれば両断出来た青年が持つの剣ですら、この化け物相手には傷一つ付ける事すらも困難だ。彼の視線の先で同じく逃げ惑う青年の振るう大斧ですら、刃が完全に欠けてしまって使い物にならないという有様だ。

 魔力が枯渇した魔法使い達を逃がす為、彼ら前衛が懸命な抵抗を続けている。それがこのパーティーの精一杯の行動だった。最初に彼が殿を務めるべく「逃げろ」と言った時は彼女たちは涙を浮かべて反対した。置いて行くなんて絶対に無理だと。しかし魔力切れを起こした魔術師は、戦場では全く役に立ちはしない。倒すどころか退ける事すら非常に困難な今、するべき事は素早い撤退だ。
 だが体力に優れた前衛ならともかく、後衛はそれがどうやっても欠けていた。ならば今は戦いの時に活躍できなかった前衛が仕事をするべきなんだと、彼は震える体に精一杯言い聞かせた。

 魔術師たちに迷う時間は無い。彼はすぐさま洞窟に向かって走らせた。

「カリマ!! 隙を見て一気に駆けだすぞ!!」
「おぅ!! 解ってらァ!!」

 "竜"の前は完全に危険地帯。周囲も尻尾の範囲内は全てが危険。前に立たず、中距離を保って二人の青年は走る。段々と狭い洞窟の入り口が近づいてくる。中からの冷たい空気が彼の頬にかかる。あと少しだった。もう目と鼻の先、まだ逃げ切れていないが、やっと安心できると安堵のため息を吐いたその時だった。

「な……何のつもりだ!?」

 周囲の岩を砕きながら追ってきていたはずの"竜"は、足元の砂を掘り返し始めた。角や翼で巻き上げられた砂が宙を舞う。器用なもので、その巨体は見る見る内に砂の中へ埋まっていき、とうとう槌のような尻尾すらも隠れてしまった。最後に砂煙が舞いあがり、完全に地面に潜ってしまったのだ。一帯は突如、今までの乱闘が嘘のように静寂に包まれた。

「ゴンゾ……どうする!?」
「何だか解らんが、走るぞ!!」

 彼らはそれぞれその竜からある程度の距離を離れた状態からそのまま一気に駆けだした。早く、早く、早くと心の中で叫ぶ。あとたったの少し。駆けろ、駆けろ、駆けろ。

 その彼らの足元から、不気味な音が、そして振動が伝わる。明らかに自身の体の震えでは無いそれが、全身を揺さぶり続ける。足元の振動はどんどん大きくなっていく。根拠のない恐怖が、彼の足を完全に竦ませた。

「何をしてるっ!?早くしろ!!」
「う……ぁ……」

 青年は、相方が何か叫んでいるのをスローモーションを眺めるかのようにぼんやりと見つめていた。もはや頭が回らず、足も思い通りに動かない。吹き付ける熱風の熱さを感じることさえ出来なかった。
 おそらくどこか心の奥では彼は足元のナニカの正体に気付いているのだろう。一瞬の間の中で、彼の頭の中を考えが変に駆け巡った。足元の振動は更に大きくなっている。

「いい加減に……」
「近づくな!!」

 あぁ、ちゃんと声が出たじゃないか。何故か、青年はそんなことを想いながら、歪んだ笑顔を浮かべていた。狙いは彼自身であり、相方では無い。これから何が起こるか、彼は何となく理解をしていた。だから彼は仲間を巻き込むわけにはいかなくなった。

「リーダーとしての命令だ。早く行け。もう手遅れだ」
「……一体何だって」

 そのちっぽけな体が、次の瞬間には砂の爆発へと巻き込まれていた。

 彼の足元が爆ぜ、その体が空中に投げ出される。肺の空気が一気に吐き出され、ありえない位に体が反り返る。
もはや彼は痛みなど知覚をしてはいなかった。薄れゆく意識の中でただ一つ解るのは、"竜"が地下から足元一帯ごと空中へ放り上げたであろう事実くらいだった。
 そして唐突に意識が遠のいていく中で、この爆発に巻き込まれた相方の青年が面白い位に地面を勢いよくゴロゴロと転り、洞窟の入り口へ入っていく光景が彼の目に映った。

「あぁ……ちく……しょう……」

 視界がどんどん暗くなっていき、彼は背中に大きな衝撃を感じたような気がした。


* * *


 ネイスの聴取を終えた後、彼――ニーガ統括はまた執務室に戻ってきた。まず部屋に光を入れる為、窓に掛かったカーテンを一気に引く。ちょうど良いくらいの日光が部屋の机を照らした。そしてたくさんの書物が並べられている本棚の中から目当ての物を探す。

 どれもこれも黒系の色のために見分けは付きづらい。あると思われる段を見てみるものの、光明は掴めそうになかった。

「……"検索"」

 それらを須らく取り出して題名を一冊ずつ確認する作業など、彼はやりたくは無かった。そのためか、あっさりと彼は魔法に頼ることにした。その一言を唱えたすぐ後に、右奥の方から一冊の本が埃と一緒にピョンと飛び出してきた。

"生態不明の魔物の生態"

 題名からして何かが間違っているのではと彼は首をひねる。たが検索魔法をかけて出てきたのだから、先人たちが誤ってなどいなければこの文献は信用に値するということなのだ。公式書類には結局何も情報が見つからなかった話題の竜。もしかした非公式書類のこの本には載っているかもしれないのだ。案の定、彼が手に取った本はギルド秘蔵の物らしく、一般人は閲覧できないように魔術的なロックが掛かっている。そのため手を掛けてもビクともしない。

「"解除"。意外と重いな……」

 それを彼はいとも簡単に解錠をする。一言唱えただけで、本全体が淡く光り、すぐさまその光は立ち消えた。試にパラパラとめくり、解除されたかどうかを確かめる。長い間閉じられたままだったのか、捲るごとに古紙特有の匂いと埃が舞った。

「では早速見てみるか」

 執務用の机の前に座って、彼は重たい表紙を開いた。一ページ、また一ページと捲りながら、双角の巨竜を探す。本の構成は右側に絵が、左側にはその説明が描いてあると言った物だ。しかしどれもこれもまるで夢物語のような獣だ。例えば翼も何もないのに空を飛ぶ長い蛇や、人間が到達できそうもない深淵を彷徨う巨大な魚など。これは記録媒体というよりも、過去のおとぎ話を集めただけの分遣なのではないかと彼は眉を窄めた。

 どの絵にも縮尺を表す棒人間が描かれている。伝説的な獣の絵は技巧を凝らしているのに、棒人間は文字通り、丸い頭に細い体を生やしたお粗末な物なのが妙に浮いていた。殆ど全てが人間の大きさをはるかに凌駕している。そして多くが巨龍種にも勝る体格で描かれている。どうにも現実味の欠ける獣ばかりだった。実際に一度見てみたら、網膜に焼き付いて離れないような存在ばかりが、幾多もの項目の中に描かれていた。

 眺めていて心浮くような獣の説明が続くものの、捲れど捲れど彼が知りたい情報は出てこない。だんだんと最初は浮かべた高揚感が、苛々とした気分に置き換わっていく。パラリ、パラリと紙をめくる音だけが部屋のなかを支配する。やはりおとぎ話のような物しか扱ってないのか、と彼はため息を吐いた。間違っても、彼が今探している"竜"の特徴は、おとぎ話の様な物では無い。

「はぁ……結局見つからないか」

 もうこの本の最後の方に差し掛かったが、それでも内容は相変わらずだった。半ば彼は諦めかけて次のページに指を掛けて、捲る。

「……ん?」

 そこには砂の付いた"一本"の巨大な角を掲げて首を上げる一頭の竜の絵があった。伝説的な龍でなくワイバーンが登場したことが特異性を際立たせる以上に、その絵には纏わりつく雷といったような超自然的な要素が描かれていない。ただ二本の太い足で地面を踏みしめる立派な竜のみで右ページは埋まっている。
 そしてどうやら、それは彼が探していた"竜"の特徴と一致する点が多数存在していた。違いは浅黒い体色と鼻先に聳える一本の角だろうか。なるほど、よく言う"ワイバーン"の容姿とは大分異なるようだ。大きさ然り、体型然り。細かな部位から大きな部分に至るまで差異が目立つ。

 左側のページには、見たまんまの名前である"一角竜"と書かれている。そして説明の内容も、今までの様な修飾語ばかりの雑然とした物ではなく、きちんと説明文になっている。

「ふむ、十年前に突如として砂漠岩地の一角に出没。私がまだ王都にいた頃か、随分最近だな。一度倒された以降出没報告は無し、よって生態不明に分類か……」

 更に有難いことに、討伐したメンバーの名前すらも記載してある。人数は四人、皆凄腕の冒険者なのだろうか。
しかし、ふと最後の名前だけが彼の記憶の端に引っかかった。

「ハンス・ルベルド……それは確か……」

 その人物の冒険者ランクまでは流石に彼の記憶の中には覚えきれてはいなかったが、この町の冒険者に名前を連ねている者の一人の筈として認識はしていた。彼は勢いよく椅子から立ち上がる。立ち眩みなど構っていられない。先ほどまで顰め面をしながら本を眺めていた時が嘘のように、軽い足取りで彼は執務室を後にした。



[31552] 三話目 冒険者の"常識"
Name: 周波数◆b23ad3ad ID:22b3f711
Date: 2017/09/27 20:27
「はっはっは、そりゃ本当に化け物だ!!」

 無精髭を生やし、ヒョロリとした男が目の前でパンパンと手を叩き、何が可笑しいのか馬鹿笑いしている。喧騒溢れる定食屋の中でも、今俺らは一際目立っている。隣のカップルなんぞちょっぴし引いているではないか。それを見ながら俺はどうしてこうなった、と心の中で悪態をついた。



 俺はニーガ統括との会見を終わらせた後、イトと適度なスキンシップ、もとい模擬戦をした。訓練所の一角を貸し切りにして、木剣をもって相棒に挑んだ。結果は上々、本気モードではないイトは何度かのぶつかり合いの後に負けを認めてくれた。しかし実戦ではこんなに甘くはない。特にあの"竜"には既存の戦い方は通用しないだろう。俺が大地に立っているとするならば、奴は聳える霊峰の上から俺を見下す、もはや馬鹿げた程の戦力差であろう。
基本的に冒険者達は魔物に対して真正面から戦いを仕掛ける事が多い。多対一や巨龍種相手など極端な場合を除くとだが。
 何故かは単純。オーク鬼やゴブリン等は勿論、龍種ですら大きいとは言えどもあんな要塞みたいな大きさでは無い。下手に小細工を仕掛けるよりもその方が効率が良いのだから。

 しかもそれに拍車をかける物が存在する。騎士道だか王道だか知らないが、そんな最近になって冒険者達に根付いた固定観念だ。使える物は何でも使え、裏回りなんぞ基本中の基本、といった俺とイトの戦い方とは違い、ただひたすらに正面からの戦いを好むのだ。有名どころのパーティーなんかは揃いも揃ってそれを信条としている。

 確かにご立派で堂々とした物だ。しかしそれは冒険者の命を無駄にゴリゴリと削っていく考えにしか思えない。少なくとも俺には。結果が揃えばそれで良いんだ。たとえ卑怯だとか外道だとか言われても、だ。王道で挑んで失敗した人間が、外道で挑んで成功する人間をとやかく言うのは筋違いだ。

 俺はそんな事を模擬戦が終わった後、イトに向かって述べていた。イトも同感なのか、コクリコクリと話の節々で頷いてくれた。しかしその一人と一匹の対話に耳を傾けていた輩が存在した。柱の影からひょっこり現れ、小振りの剣を腰に据えた、ヒョロリとしたエルフみたいな体型の男。いきなり近付いてきたと思ったら――

「兄ちゃん、話が解るなぁ!!」

 ご覧の有様だ。話は聞かせて貰った、とばかりに色々話しかけきた。話の中で確かに共感できる物が有った。俺同様の信条を持った冒険者など殆ど会った事が無いのですぐ打ち解けてしまった。声はデカいけれども。そしてあれよあれよという間に気付いたら街の定食屋で討論会がスタートしていたのである。



「ああ、あんな竜見たことが無いよ。あれを見て正面からぶつかろうなんて野郎には金貨3枚くれてやるさ」
「そりゃトンだ猪突猛進野郎だ!!」

 ガッハッハ。この男、笑いが止まっていない。この街である程度の帰還は冒険者として活動していたためか、その顔くらいは見覚えはある。まだしかし互いに名前も知らないのに、話が進む進む。むしろ今までこう意気投合をしなかったことが不思議なくらいだ。やってきた焼肉定食が腹の中に消えるのにはまだしばらく時間が掛かりそうな勢いである。

「今更だが名前を聞いていいか? 俺はネイス・ウェイン。ランクAの下っ端あたりで燻ってる龍操士だ」
「ランクAかい、流石だな。んじゃ、俺の名前はハンス・ルベルド。ランクBの、一応は剣士だ。騎士道なんざ糞食らえだがな!!」

 ガッハッハ。また笑う。そんなに笑っていて、腹筋とかは大丈夫なのだろうか。

「ハンスさん、か。東部の出身で?」
「さんなんぞ要らん。よく解ったな。確かに出身はあの無駄に名前がカッコいい連中が集まった区域だ。ここの言葉に慣れると地元の方言や訛りが妙にむず痒く感じる。で、お前さんは?」
「俺は南部の湖水地方さ。相棒もそっから連れてきたんだ。本当、西部の空気はカラッとし過ぎだ。共々時々体に堪えるよ」
「なるほど、あのご立派な森緑龍は南部系か。ここいらでは殆どお目に掛かれないからさっきは非常に目に付いたぜ?まあ慣れないと辛いのは解る。しかしワインが旨いっつーのはかなりのアドヴァンデージだと思うがな?」
「ああ、違いない」

 この地方の特産のワインは渋みや甘味、辛さが絶妙なバランスで飲む人の舌を魅了する。現地贔屓ではなく、ここに勝るワインはそう無いだろう。その甲斐あって需要は国内に留まらず、隣国にすら渡る。そんな訳でワインは主要産業の一つとなっているのだ。しかし、あの"竜"の存在が恐らくそれに待ったをかけるだろう。

「今回の一件、長引くとかなりこの街のワイン業者にはキツイ物になるだろうな。そのうち王都のワイン中毒者な貴族が喚きだすぜ?」
「確かにな。砂漠は隊商にとっては王都へ通じる有用な道のり、しかも途中休憩ポイントとしてのゴゾ村は民が隣村に避難中だ」
「それにしても"双角の竜"か……先にいた火炎龍なら腕利きの冒険者で何とかなったろうに、こればっかりは辛いな」
「"未確認の"って言うオプションも漏れなく付いてくるよ。一応俺がその何とかしようとした冒険者なんだよな。腕利きなんかじゃ無いけどさ」

 きちんとした確認が取れない今、この"竜"の話はギルドは全体に向けて喋ってはいない。偶然にも今は砂漠方面への仕事は舞い込んでいないようで、話を知る冒険者は殆ど居ないのだろう。それに全体に知り渡ってでもしたら、すぐさま、「俺が」「いや、俺が」「いやいや、俺が」「じゃあ俺が」といったように腕に自信のある皆様方が実態を詳しく知らないままこぞって名乗り出るに違いない。

「しかし手早い撤退、か」
「ははは……そこは勘弁してくれ。俺だって命は惜しいんだ」
「いやいや、むしろかなり評価できるぜ?ギルドや村に情報を伝えるといった最重要な事柄をすぐさまやっている。見敵必殺しか頭に無い連中には逆立ちしても出来ない行動だからな」

 威勢よく笑うだけかと思っていた彼は、今度は一点して真面目な顔でそう言ってくる。このアップダウンの激しい感じが、彼の特徴なのだろう。

「まあ一人で挑むのが完全に無理な状況だったからな……現実的にも、加えて精神的にもさ」
「そんなもんさ、気に病む話じゃねェよ。そう言えば今朝方ギルドの酒場で酔いつぶれてた時に砂漠の偵察依頼に行った連中が居たな。今考えてみると"竜"関連なんだろうかねェ」

 それは多分ゴンゾのメンバーだろう。砂漠までは馬を飛ばして凡そ五時間余り。そして今はもう正午過ぎだ。早朝に出て行ったという事は、もう既に"竜"と遭遇してもおかしくは無い。

「統括の話じゃゴンゾのパーティーだそうだ。依頼は偵察のみと言っていたが……果たして我慢出来ているかな?」
「ゴンゾ……ゴンゾ……あー思い出した、バインバインのネーちゃん引き連れたあのガキか。いやー、難しいだろうな。なんたって連中は俺らとは対極にいるようなモンだろーからな」

 対極、か。勝てば良いんだ、という共通認識を持つ俺たちに対して、ゴンゾ達は全く逆の見解を持っている。いや、むしろそれが冒険者の"普通"だ。

「なんで敢えてゴンゾのメンバーに託したのか……俺にはさっぱり解らないよ」
「まったく同感だ。どーせ下手にちょっかいでも出して手痛い反撃食らってんじゃねーかね?」
「……あの"竜"に反撃を受けても、それで帰還出来たらほぼ満点だ。最悪なのは情報を持ち帰らずに、そのまま砂漠で息絶える事だな」

 言ってて自分が同じような境遇だったのを思い出し、今更ながらに寒気が走る。俺はこうやって五体満足で飯を食ってるが、それはちょっかいなんぞ出さずにすぐに逃げてきたからだ。下手に手を出して、本当にあの化け物から逃げ切れるのか?もやもやとした考えが頭の中で燻る。

「まあ、何とかなるんじゃねーか?諦めて逃げるにしても、たしか腕の良い魔道師が居ただろ?下手に攻撃に魔法を使わず、ひたすら閃光やら煙幕とかをぶっ放し続けてりゃその内逃げられるさ」
「いや……随分と好戦的な連中だから最初に大魔法をバカスカ撃ち込んでいる可能性がある。下手にあの"竜"を怒らせてみろ。連中、全員揃って帰ってこない可能性も否めないよ」

 俺がそう言うと、ハンスは「ふんっ」と鼻で笑った。

「妙に心配してるじゃねーか。まあ仮にそうなったとしても、連中そがの程度の人材だったって事だけだぜ?」

 確かにその通りだ。結構残酷に聞こえるが、依頼主が余程貶めようとして無い限り、生きて帰ってこない方が悪い。今回はちゃんと"偵察"とあったのだから、依頼主のニーガ統括には非は無い。敢えて言うならば、バトルジャンキーって事を把握してたんなら別のパーティーに斡旋すれば良かったのに、という事くらいか。

「まあ中途半端なランクの俺が言うのもアレだがよ、戦う前からある程度の戦力把握が出来ない奴はザルだ。腕が立つにしても、これが出来ない奴はずーと雑魚のままなんだよ」
「ははは……つまり戦力把握してから、その敵に合った戦い方を編み出すような冒険者はパーフェクトと言った所か」
「ああ、違いねぇ。まあそんな完璧者なんぞ最近はいねーさ」

 そう言うと、ハンスはジョッキに並々と入ったビールを煽った。グッグッ、と喉を鳴らす音が聞こえる。ジョッキに付着した水滴、勢い良く飲むハンス。それは妙に板につく光景だ。

「かーっ、ワインも捨て難いが、冷やしたビールも堪んねえな!!」
「真昼間からか。東部の方はビール産業が盛んなんだっけ?」
「おうよ!! やっぱりビールは東部地方産に限るな。まず麦が違うんだよ」

 そうしてあっという間にジョッキは空になり、ハンスは泡の付いた口を手で拭った。本当、見ていて気分が良くなるほどの板についた飲みっぷりだ。どうも俺も喉が渇いてきたようだ。昼間だが、別に少しくらい良いだろう。手を挙げてウェイターを呼ぼうとして……ハンスの後ろに居る、変に爽やかな笑顔を浮かべた女の人を見つけてしまった。

「至福の所悪いが……ギルドの方でなんかやらかしたのか?ツケを溜めてるとか、受付の人とアレな関係持っちゃったりとか……」
「へ?いきなり何を……」
「ちょーっとすいませんねー?やっぱここに居たー」

 後ろに居た女の人、もとい受付嬢がズズイと前に出てきた。皆の憧れ受付嬢。見た目は可憐だけど実態は冒険者相手にヒラヒラと隙を見せずに舞う狸と言った所か。さまざまな漢達が突撃し、ことごとく撃墜されたとか。名前の通り受付を根城とする狸が、何故こんな時間に受付を離れて定食屋にまで出向いているのか。俺には心当たりは無い。

「あははー。私がこんな細マッチョ無精髭と関係持つわけ無いでしょー」

 そんな彼女は、こちらの内心を見透かすかのように真意を感じさせない口調で言い放った。

「げぇっ!?なんでお前がここに居るんだ!?あとネイスや、俺もこんなチビ狸は興味無いね」

 おお、ハンスは見た目に騙されない派か。ここでも気が合うとはな。

「ツケの件は、まあ今は置いといて。それよりもハンスさん!! 統括からお呼びが掛かってますよー」
「統括? 何でまた……ん……あぁ、まあそうか。そーゆー事か」

 ポンと手を叩き、何処か納得した様子のハンスが食器を置いて立ち上がった。何だろう? やっぱり何かやらかしたのか?
 と言うか統括か。いつもはあんまり動かないイメージがあったんだが、今日は随分と忙しいんだな。しかしこのタイミングで統括が話を伺うなんて……まさか"竜"関連か?

「さてネイスよ、俺はちょっと外せない用事が入ったんだが……面白そうだからお前も付いて来いよ」

 今まで普通に会話をしていた相手が、この件の関係者である事に驚きが隠せない。だが今はそんな事には構っていられない。"竜"関連ならば興味がある。何たって俺は一応第一発見者なのだから。ここで断る理由など欠片も存在しない。

「ならば遠慮無くご一緒させて貰うよ。確かに面白い事になりそうだからな」

 そう言うと、ハンスはニヤリと意味深な笑顔を浮かべた。まるで「どういう件か解っているんだろう」と言わんばかりにだ。確かにこれは面白い事を聞けそうだ。なので俺はその笑顔に対してニタリ、と笑い返した。

「んー、ネイスさんも事情はご存じなんですよね? ならば別に良いでしょー。ささ、付いて来て下さいな」

 受付嬢は踵を返した。混雑した中を器用にヒョイヒョイと出口に向かっていく。何とも言い難い、まるで中身の解らない宝箱を前にしたかのような感覚が胸の中に沸き起こった。


* * *


 双角の竜が出没した砂漠の北部、ゴツゴツとした岩場を小さな二つの黒い影が駆けていた。彼らは後ろを振り返らず、ただ一心不乱に前を目指す。照りつける太陽や、吹き付ける熱風にも屈せずにひたすら前へ前へと進んでゆく。

「ギィ!!ギィ!!」

 前からの風で片方が纏っていた黒いフードが捲れ、ゴブリン特有の茶色い顔と尖った耳が露わになる。しかし彼はそれにも構わずひたすらに走り続けている。入り組んだ岩場を縫うようにして彼らは前へ前へ、彼らの集落を目指していた。

「ギギギ!!」

 片方がもう一方に何かを合図した。そして両者は走りから一変して岩壁を背にして蹲った。その瞬間、二匹の頭上を大きな岩塊が通り過ぎ、前の岩壁にぶつかり、爆散した。一瞬で通り過ぎたソレは、もし彼らが走り続けていたら彼らをペーストのように押しつぶしただろう。
 それを確認した二匹はまた前に駆けだす。だたひたすら、後ろから迫りくる"捕食者"から逃げ切るために。入り組んだ岩によって目視することの出来ない、彼らを追いかける"捕食者"の気配が刻々と近付いてくる。発達した"四本"の脚で邪魔な岩を砕きながら強引に走り進む音、それが絶え間なく彼らの尖った耳を刺激し続けていた。耳障りな音と共に響く振動は、既に彼らの唯でさえ少ない理性を根こそぎ奪い去っていた。彼らは気付いていない。この逃げるという行動が、集落へ破滅を導いている事には。

「ギギィ!!」

 やっと見えてきた天然の中身がくり抜かれた巨岩を用いた集落の入り口。大きな岩壁に小さなトンネルの付いたソレは、外敵の侵入を防ぐ強固な門として岩地に聳えている。目視出来る範囲に入った事で彼らは最後の踏ん張りと走るスピードを速める。しかしそこで"捕食者"の走る音が急に止む。

 片方は先ほどと同じようにして壁に張り付き、もう片方はそれに気付かず、見えてきた集落に向かってひたすら走り続けた。状況を把握した一匹は、頭の上を岩が通り過ぎるのを待とうとした。しかしその瞬間、彼は黄色の瞳に驚愕を浮かべ、目をこれでもかと言う程までに見開いた。

岩は飛んできていない。しかし別の、巨大な影が飛び掛かってきている光景が目に映った。

「ギィィィ!!」

 開かれた大顎、黒光りする爪、黄色と青の縞模様の巨大な影、すべてを把握した所で彼の小さな体は押し潰された。グシャリという音が、その後に続く大きな着地音によって打ち消される。

 走り続けたもう一方は仲間の最期にも後ろを振り返らずに、やっと入り口に辿り付いた。
何かを噛み砕く音が彼の耳を刺激する。体中を震えが走る中、暗いトンネルの中で足掻き続け、やっとの事で集落の中にまで入った。

「ギギギ……」

 そこに待ち受けていたのは、外からいきなり聞こえてきた"捕食者"の音に怯える同族の姿。ちゃんとした出入り口は彼の後ろのトンネルのみだ。彼らは音と共に入ってきた一族の一人を見つめた。

"お前、変なの連れてきた!!"

 ギィィギィィと全員は彼に向けて非難を浴びせた。泣きわめく子供を抱えた雌のゴブリンは刺すような目つきで彼を睨み付ける。しかしその膠着は一瞬にして止む事になる。岩の向こうから、ドンと地面に何かを押し付ける音が二回響いた後に、そのちっぼけな体ごと吹き飛ばされるような爆音が響き渡ったのだから。

 トンネルの向こうから爆音によって飛ばされた砂が入り口から一気に舞い上がる。殆どが耳を塞いでなく、彼らの多くが一瞬の内に鼓膜を破壊された。赤ん坊、雌、雄、老体、多くのゴブリンが尖った耳の奥から血を流す中で、逃げてきた彼は後ろの岩壁を茫然と見つめていた。そこには大きなヒビが走っていた。外敵からの脅威を守ってくれる筈の大岩にだ。

 ブルブルと彼は震える。頭の中を巡るのは、自分を追ってきた"四本脚の捕食者"が岩壁を突き破って入ってくるイメージだけ。そしてそれは直後に事実となった。

 ヒビの入った分厚い岩壁は、大爪の生えた"捕食者"の強靭な前足によって一撃で粉砕された。弾け飛んだ礫が集落の中に降り注ぐ。そしてぶち抜かれた大穴を起点にして、集落を覆う巨岩が崩れ始めた。巨大な岩盤が老いた仲間の上に落ち、悲鳴が上がる。子供を抱いた雌のゴブリンの逃げ惑う声がする。突然の集落の崩壊の中で、彼はただ前を見た。

 大穴の向こうから見据える、緑色の目。開かれた大顎に並んだ鋭い牙。それが彼の最期に見た光景であった。



 僅か二時間後、砂漠を通る上で慢性的な問題となっていたゴブリンの群れは、強大な"捕食者"によって、拠点ごと殲滅された。食事を終えた"捕食者"は、ゆっくりとした歩調で血やボロキレが散乱し、瓦礫と化したゴブリンの集落を後にした。
 ズシリ、ズシリと足音を立てながら、彼は熱風の吹く荒れた大地を徘徊し続ける。ただ食物を探す為に。



[31552] 四話目 暴君への"憧れ"
Name: 周波数◆b23ad3ad ID:22b3f711
Date: 2017/09/27 20:27
「何だかなー……さっぱり解らない」

 見張り矢倉の上で僕は愚痴を吐いた。何故かって?単純さ。何でこの暑い中、直射日光が照らす中で見張りなんてしなきゃならないかって事だ。

 今僕がいる場所はこの街の監視塔だ。まあ塔なんて堅っ苦しい名前が付いているけどその実ただの矢倉だ。上からのお達しにより、今日は砂漠方面を普段以上に熱心に監視中だ。果たして何かあったのか、そんなことは一切聞かされていない。僕たち監視員は、ともかく何らかの異常がないのかを見つけるのが仕事なのだ。因みに実際に監視しているのは僕の使い魔である鷲のヒュールだけど。
 そのヒュールは今、砂漠の中でも気候的な意味で一番の危険地帯である砂原へと飛んでもらっている。時折送られてくる彼の視界を見て、僕はどこに向かわせるかをその場その場で指示するのだが、別にこれは屋内でも可能な事だ。所長曰く「監視とは矢倉の上で集中力を切らさずに全周囲の光景を瞬時に認識すること」らしい。彼は監視を匠の仕事か何かと勘違いしているのではないだろうか。
 そんな彼の指示で炎天下の屋外に僕は放り出されている……と、何か動きがあったのか。ヒュールから念話が入ってきた。

"ヒュール?何か見つかったのかい?"
"ええ、今私は砂原の上空を監視しているんですが……どうも何かが動いた気がして。あ、映像送りますね"

 彼の念話からすぐ後に、目を瞑ったその網裏に空高く舞う彼の視界が同期する。ぼんやりとした暗闇の中に浮かび上がるは、一面砂色の世界だった。細かな砂の海で埋め尽くされた、僕たち人間が踏み込むことは出来ない広大な砂丘領域。そんなところで何かが動いたということは、果たして砂嵐でも起きたというのだろうか。

"うーん……このだだっ広い大砂原で? 小規模の砂嵐とかじゃないのかな……監視を頼んでいる僕が言うのもあれだけど、気のせいじゃないかなあ。わざわざそんな所で生活している魔物なんていなかったと思うけど"
"いえ、何かが動いたというよりも……むしろ砂全体に動きがあったというかなんというか……少しの間だけですが見た感じ砂嵐って訳ではないんですよ"

 彼とて僕の使い魔になってから数年は経過しており、この手の監視業務も板についたものだ。そんな彼がそう言うのだろうから、もしかしたら本当に砂嵐以外の何かがいるのかもしれない。

"まあ一応報告はしてみるよ。ヒュールはまだ監視は続行できそう?"
"正直辛いです。何たってこの炎天下ですからね"
"んじゃ今すぐ帰還してね。おいしい物用意しておくから"
"了解しました。期待してますね"

 ヒュールはとても賢い。使い魔にしてから半年で念話での意思疎通が叶ったのだ。当初、魔力量の少ない僕は碌な物を呼び出せないと散々言われてきたが、結果は大満足だ。確かに高位な魔物は来なかったけど、一生の友達を手に入れることができたのだ。今日はちょっと無理をさせてしまったから早い所所長に連絡してヒュールの為に市場で何か買ってこないと。

「局長ー!! 報告です!!」

 こなれた風に矢倉の梯子を駆け下り、矢倉の中で地図と睨めっこしている局長の元へと急いだ。


* * *


 凡そ三時間ぶりか、俺はまた高級感溢れる部屋にまで来ていた。正午を大分過ぎたということで朝よりも日光が奥まで差し込み、先ほどとはまた違った雰囲気が感じられる。改めて見直してみると……おお、ブルジョワジー。鮮やかな紺の絨毯や木目のくっきりした、でも表面に光沢の走る机、年代を感じさせる大きな古時計などなど、世間の平均とは明らかに違う物が悪目立ちしないようにさり気なく置かれている。
 統括は結局ハンスに付いてきた俺の姿を見て少し訝しんだ後、どこか諦めた感じで部屋に招き入れた。俺もそう簡単に引き下がるつもりは無いんだぜ。俺たちを椅子に座らせた後、統括は向かいに座り、真っ黒な大きい本をちょうど両者の間に置いた。その表紙に書かれたタイトルは、"生態不明の龍の生態"。何だソリャ。

「よく来てくれた、ハンス・ルベルド……そして先程ぶりだな、ネイス・ウェイン」
「すまんねェ。面白そうだからコイツも連れてきちまったが、まあ良いだろう?」

 少しの間の後、やれやれといった調子で彼は頷いた。もとより梃でも動かぬつもりでいたのだから、この流れは歓迎だ。

「……別に良いか。では早速だが、昨日ネイス・ウェインが砂漠地方である"竜"を発見したのだ」
「ああ、そりゃもう聞いてるぜ? 火炎龍を一撃で粉砕した化け物だろう?」
「……ネイス・ウェイン。一応私は情報統制を掛けているつもりなので軽々しく漏らさないで貰いたい」

 統括は俺をカッと睨みながらそう言った。確かにこれがハンスではない別の冒険者だったら結構な問題になっただろう。なので俺は素直に謝ることにした。

「はい。思慮が至らず、すいませんでした」
「まあ、宜しい。今後は気を付けるように。で、本題だが……ハンス・ルベルド。貴方は10年前によく似た状況にあったようだな?詳しく話を聞かせて貰えないだろうか?」
「やっぱりそう来たか……あの"一角竜事件"だな?」

 "一角竜"。冒険者稼業を始めてからそんな名前の魔物については終ぞ聞いたことが無い。果たしてそれが今回の件とどう関連しているのか。

「その通りだ。この資料の最後の方にその絵が載っていたんだが、ネイス・ウェインの話の"竜"によく似ているのだ」

 統括はそう言い、机の上に置かれた重そうな本を開いた。重厚な表紙が机に当たり、パラリパラリとページが静かに捲られていく。垣間見える挿絵はどれもこれも神聖っぽいものである。正直な所、俺の見た"竜"に似た物がここに記載されているとは到底思えない。

「貴方が10年前に倒したのはこの竜だな?」

 統括がページを捲る手を止め、そこの絵を指し示した。そこに描かれているのは、今までの伝説感丸出しの神聖チックなモンスターの絵ではなく、妙に現実的な姿で天に向かって吠える一体のワイバーンの姿だった。褐色に近い全身像に、天に伸びる一本の角。細かな差異は確かに認められるが、大まかなシルエットについては確かに似ている。その細かな違いと言えば、精々体色や角の数位であろう。これは今回の"竜"の同族か何かだろうか。

「ギルドの連中こんな胡散臭い本に資料を残していやがったんだな……ああそうよ、確かに俺が10年前この竜を倒した冒険者だ。まあ仲間と一緒にだがな」
「それでは一体どのようにして倒したんだ? この竜は説明を見る限り、相当巨大だが」

 そんな統括の言葉を、こともあろうかハンスはいきなり笑い飛ばしやがった。ギョッとして思わず彼の姿を見つめるが、すぐに彼はその表情を引き締めた。

「ハッ、統括さん、前もって言っておくよ。俺がやった方法は多分今回の竜相手には通用しない」
「……一体どういう事だ?」
「簡単さ。格が違い過ぎるんだよ。記憶の限りではアイツは凡そ体長20メートルはいってたっけかな。それだけでもアホみたいな大きさだが、今回の竜はそれを遥かに上回っているそうじゃないか」

 俺が見た奴の体格は、記憶違いでは無ければ彼の言う大きさを二回りは上回る。改めて考えれば、確かに最早ギャグの領域だ。

「それでも、通じる所はあるのではないのか?」
「まあ確かに有るかもしれない。だが甘いな。正直言うと俺たちの10年前の勝利は、窮地に陥った俺たちの一種の賭けだったのさ」

 そうしてハンスは10年前の戦いを話し出したが、要約するとこんな感じか。

ハンス達四人の冒険者は砂漠にて竜に戦いを挑んだ。しかし状況は悪く、戦士の剣撃や魔道師の魔法は共々分厚い甲殻で阻められてしまった。急遽逃走に転じるも、体格の大きな竜からは逃げ切ることなど出来ずにこう着状態に。そこでハンスが竜を砂巨虫の生息地へおびき出す事を提案。生息地はちょうどその場所から近かったのでその案は即採用された。
 地面に穴を掘り、地下で生活する砂巨虫の巣穴は、上を人や普通の龍種が通る分には問題無い位の頑丈さだが、この竜相手にはどうやら耐えられなかったらしく、上手い事竜は地面に半身を埋まらせた。突然の衝撃に竜はもがく事しかできずに、その隙に詠唱を終えた二人の魔道師が大魔術を弱点と思われる首に叩き込んで無事に倒すことが出来た、との事だ。

「あそこで竜が地面を早々に抜け出していたら俺は今ここに居ない。不意打ちでも無い限り、あの竜は倒せなかったよ」
「……なるほどな。今回の、大型の矢倉を超す体格の竜にその戦法を仕込むのは少々危険が過ぎる」
「少々なんてモンじゃねえ。精々深さ人間三個分位しか無い穴にどれだけの時間その巨体が埋まっているか分かったものじゃ無い。第一そこで仕留められなかったら即人生終了だ」

 その笑顔とは裏腹に、ハンスの意見は全てが的を突いていた。彼の話を信じるならば、スケール感を落としたとはいえそれでも化け物級のモンスターに挑んだのだ。言葉端から感じる重みが、それに説得力を持たせる。

「ふむ、では率直に聞かせて貰おう。貴方は今回の竜はどこかのパーティーで討伐することが可能だと思うか?」

 その言葉を受けて一瞬ハンスはキョトンとした後、急に腹を抱えて笑いだした。

「カハッ!! 何言ってるんだアンタ!! 10年前の一件だって当時強豪と謂われた2つのパーティーが全員死亡、崩壊しているんだぜ? それだというのに2回りも巨大にした悪魔に勝てるパーティーなんぞこの街に居るものかよ」
「……どう言う事か説明してくれるかね?一応この街に高位の冒険者が揃ってる中で断言できるその理由を」

 ハンスの言葉は、言ってしまえばこの街の冒険者全てをこけ下す、そしてそのトップに君臨する統括の顔に泥を塗るようなものだ。若干統括の目付きが鋭くなるが、全く気にした風もなくハンスは統括を正面から見つめなおした。

「別にこの街の冒険者が雑魚揃いなんて言う気はねェよ。むしろ個々の戦力でいえば俺なんて何も意見できねェし。で、理由だな? ネイスにはさっき昼飯食っている時に言ったが、まあもう一度言わせてもらう。どんな勇者譚にあてられたか知らんが、昨今の冒険者は魔物という物は対等的に戦う物と考える傾向がある。勿論彼らは魔物は自身よりも格上の存在と捉えている。しかし本心では同じ土俵でぶつかり合うべきだと考えているんだ」

 一旦ハンスは言葉を切り、「その通りだな?」と目で統括に告げた。対する統括も思うところがあるのかゆっくりと頷き、先を促した。

「その考えは適量なら別に悪いとは言わない。しかし最近はいくら何でも過多気味だ。確かに冒険者の力量は上がってきているが、それと共に魔物達に対する考えが甘くなってきたんだ。いくら殺す覚悟死ぬ覚悟が出来てようが、自分の腕を過信したままでは碌な人材にはならない。この街にはそんなパーティーばかりだ」
「確かにその傾向は有るが、しかし……」

 統括の言葉が詰まる。その瞬間を、ハンスは逃がさなかった。

「しかしも案山子も有るものかよ。断言してやる。真正面から戦うしか能の無い奴はあんな竜相手にまともに立ち回れる訳が無い!!」

 最後の方は半ば怒鳴りながらハンスはそう締めた。だが顔をすぐにニヤニヤした笑みに戻し、また口を開いた。

「まあ確かに倒せるパーティーは"今は"居ない。だが別に倒せないとは言ってないぜ?」
「ほう、これを機に新しいパーティーでも設立して貰うと?」
「まあそんな感じだ。俺やネイスみたいに一人で活動している連中の中には少数だが冒険者の"普通"に毒されてない奴がいるし、希望を捨てるのはまだ早い」

 そう言うと、急にハンスはニヤニヤとした顔をクルリとこちらに向けてきた。

「何なら別に今作っても良さそうだなあ、ネイス。圧倒的な相手に向けて足掻くのは俺は結構好きなんだが、お前はどうだ?」

 一瞬ハンスの言ったことが理解出来なかったが……どうやら今俺はお誘いを受けているらしい。色々あって冒険者稼業を始めてから早5年、俺は殆どパーティーに誘われたことが無かった。なんでも龍操士は他のメンバーと組み合いにくいらしい。しかし今は、俺基準から見てマトモそうな人間から真っ当な誘いを受けている。急すぎるし、場所もアレだが断る理由は無い。それに組んだらあの"竜"へ挑む事が出来るかもしれない。あの霊峰の上から俺を見下す存在にだ。

「奇遇だな。俺も裏をかいて戦うのは大好きだ」
「ほお、そいつはよかった」

 統括の目の前だが俺らはガシッと互いの手を取り合った。その様子を少し呆れた様に見ていた統括はやれやれと言った感じで口を開いた。

「全く……私が言うのも変だが一応ギルドのトップの前では礼儀を慎むようにしろ。それにまだ貴方達の即興パーティーに依頼するなんて決まってない。まだ理事会との折り合いが全く付いていない状況でぬか喜びはしないように。まあ、今日は有難う。実際に戦った者からすれば、今のままでは全くなってないという事か。考えておこう」

 統括は喋り終えると、椅子から立ち上がり俺らを見つめた。

「とりあえず一旦はその"竜"に関する依頼については凍結処置を行うこととする。パーティーと言う存在自体が固定観念の温床みたいだからな」

 うんうんと頷いた後、ハンスも立ち上がった。

「最低でもそれくらいはして貰えねえと今日ここに来た意味が無くなっちまう。勿論俺とネイスの即興パーティーを贔屓してくれ」

 最後に俺が立ち上がった。長い間ではなかったものの、少し凝ってしまったようで節々が痛い。

「まあまあ、ともかく今日は話を聞かせて貰って有難う御座いました。期待して待ってます」

 この言葉で会談はお開きとなった。両者共々お辞儀をして、俺らは後ろの立派な扉からこの部屋を後にした。扉が閉まる直前に後ろを振り返ると、統括はすっかり考え込んでしまっているようで、顎に手をあてて顰め面をしていた。

「なあネイス、さっきはノリでああ言っちまったがきちんと聞いておく。お前は本当にその竜と戦いたいのか?」

 唐突にハンスがそう聞いてきた。そう言われると、俺は実際の所どうなのだろうか。遭遇してからまだ1日、別に親が殺されたなんてバックストーリーなんてある筈も無い。しかも命が惜しくて戦わずして逃げ出してきたのだから今更戦いたい理由なんてある筈も無いのだ。
 でも実際はどうだ。先程ゴンゾのパーティーが行ったと聞かされた時、あの"竜"への恐怖と共に、俺はまた何か別の感情を抱いていた。そう、ほんの一かけらの羨望だ。もしかして、俺はどこか心の奥底であの"竜"に憧れているのではないか?全てを己の身一つで跳ね除けるあの砂色の怪物に。

「何だか変なんだがな……戦いたいよ。あの時逃げ出したような人間の言うような事じゃないけどさ、俺はあの"竜"に惹かれっちゃったよ」

 魔力を体力で圧倒する、馬鹿馬鹿しいまでの強さを誇る、雄々しい巨体。昔から魔力が足りないと散々言われて、半ばコンプレックスになっていた俺にとって、その戦い方は強く心の中に刻みつけられた。そう、俺はあの"竜"に憧れたんだ。最悪とも言っていいようなあの状況の中で恐怖と共に心に刻み込まれた憧れ。

「ははは……俺も解るさ。俺も10年前、有力な連中が次々と屠られてんだっつうのに、あの一角竜に憧れたんだよ。アイツは俺に格上と戦う事の恐ろしさと素晴らしさを伝えてくれた。今でも目を瞑ればあの戦闘が頭の中に蘇る」
「今回は更に格上だ。一体乗り越えた先には何が待っているんだろうな……って取らぬ狸の皮算用か」
「違いねぇな。まだ俺らに斡旋されるかなんて欠片も決まってないんだ。ともかく今はテンション上げて行こうぜ?」

 少し強くハンスは俺の肩を叩き、目の前を指し示した。通路の奥のドアの向こうから聞こえてくる喧騒。もうギルドの酒場は開店したようだ。今はまだ太陽が傾き始めたような時間帯だが、別に良いだろう。会話のネタも尽きそうに無いだろうし。

「ちょっと、今日は羽目を外すか」
「おうよ!!」

 俺たちは互いに馬鹿笑いしながら酒場への扉を開けた。いつもは微妙にうるさく感じる騒ぎ声など全く気にならない程に、俺の心は軽やかだった。


* * *


 夜の砂漠は昼間とは全く違い寒冷地と化す極端な場所である。暗くなった空に、砂漠特有の乾燥した空気もあってか、満天の星空が広がっていた。そして天を走る天の川は、大砂原の地平線の奥まで伸びている……筈であった。

 大砂原のど真ん中に聳えた巨大な岩壁が、天の川の流れをプツリと断ち切っていた。周囲に他に岩など無く、ただそれのみが大砂原の中で一つだけ存在している。その巨壁は、ゴツゴツとした砂色の表面で月や星の光を反射している事もあり、夜の闇の中で小さくは無い存在感を放っていた。

 所々ヒビの入ったその岩壁はまるで"本当はそこには何も無かった"かのような、不気味な雰囲気を感じさせる。
表面に付着した砂が自然さを感じさせ、周りに何もなくただ一つで存在している所が不自然さを感じさせる、ある種異常な光景。自然さと不自然さを併せ持ったその壁は、突如として砂漠の完全な静寂を打ち消した。

 地面が揺れ、周囲の砂が流砂の如く細かく動き出す。

 突然の地響きが大砂原に響き渡り、聳えていた岩壁が動き出した。いきなり揺れだした岩壁は、付着した砂が振り落される中、ゆっくりと地響きと共に地面へと埋まっていく。何かに引きずり込まれるというよりもむしろ岩壁に意思があるかのように、岩壁はただゆっくりと沈んで付く。

 見る見るうちに大半が砂に埋まり、押しのけられた砂が周囲に岩壁を覆うようにして溜まっていく。小さな砂は、昏々と湧いてくる砂に押しのけられて外へ外へと流れていく。そしてとうとう岩壁の頂点まですっかり沈んでしまった。沈みゆく岩壁に巻き込まれたきめ細やかな砂が、まるで液体のようにして渦を巻きながら地中に引き込まれていく。周囲に盛り上がった砂は、今度はその流れに乗って中心へと集まっていく。そして頂点が少しだけ見えるといった具合まで沈んだ岩壁を完全に覆い尽くした。
 しかし岩壁が見えなくなっても地響きは止まらず、砂の流れも止まらず、まるで何かがそこにあったと主張し続けるかのように残り続けた。

数分後、地響きは止み、大砂原には再度静寂が訪れた。なだらかに広がる砂原の中心、こんもりと砂が溜まっている事以外はただただ普通の夜の砂原と大差はない。天の川は障害物が無くなったことで地平線の奥まで続き、星々は変わりなく輝き続ける。そこに一陣の風が吹いた。それは溜まった砂を吹き飛ばし、辺りと同じ平たんな地面へとならした。

 不自然さは完全に地中に隠れ、自然さだけが一帯を支配した。まるで"何もそこに無かった"かのような、ごく自然な光景が広大な大砂原に広がっていた。誰がその光景を見ても、岩壁が聳えていたという光景を想像出来ないくらいの美しい夜の砂漠が残った。



[31552] 五話目 今できる"対策"
Name: 周波数◆b23ad3ad ID:22b3f711
Date: 2017/09/27 20:27
「ふむ、これは承認するかな」

 暗い執務室の中、ボンヤリと机を照らすロウソクの灯りを頼りに、ニーガ統括は書類にサインをしていった。すっかり日が落ちてしまった時間。空には砂漠岩地の山から上がった月が明るく輝いているが、それなりに広い執務室の中を照らすまでは至らない。窓の傍だけが照らされている。その窓から突如、風が舞い込んできた。彼は慌てて書類が飛ばないように抑える。冷たい風が頬をなで、夜勤の気力を少しばかりか削り取った。
 初夏の頃ではあるが、近くに砂漠があることもあってか、この街の夜は季節を問わず常に冷え込むのだ。吹き込む風などはいつも冷風である。

「さて次は……他国からの襲撃の際の軍事援助か。去年の引き継ぎで良い気もするが……一応理事会で協議しなくてはならないか」

 この「軍事援助」とは大砂原を挟んで遠く離れた場所にある、あまり関係が宜しくは無い帝国に対しての防衛協力を意味している。本来であれば正規軍によって対処される案件に対して、ギルドからも人員や費用の供出を怠ってほしいほいうものだ。この手の書類は毎年こうやって執務室の机の上に現れる。いつでも迎撃できるようにとの事だろう。しかしわざわざ用意する防衛のための人員以上に、街の北方に広がる大砂原が敵国侵略に備えて非常に大きな役割を果たしていた。

 この街はその立地上、過去何度か北方の帝国人の襲撃を受けてきた。しかし北方から訪れる遠征軍の3割が毎回大砂原で命を落とす。何故かはその大砂原の存在自体にあった。昼間は熱砂による灼熱地獄で、夜は一転して極度の寒冷化。そして何より特有の強風だろう。日中は強烈な上昇気流が発生して頻繁に砂嵐が吹き荒れる。それに伴い、恐ろしく細かな砂がまるで波のように襲い掛かるのだ。
 一応無風時間帯なども有るとされてはいるが、その期間や何時起こるかが解明されていないがために、大砂原の縦断にはかなり大きなリスクが伴うという。

 この件はとりあえず保留という扱いにして、彼は次の書類へと捲ろうとした。紙の端に指を掛けたその時に、ドンドン、と扉が激しく叩かれて一人の局員が部屋に飛び込んできた。許可も得ずに執務室へ入ってくるなど何事だとばかりにニーガはその局員を睨め付けた。しかし彼は臆することなく切らした息をすぐに整えて、真っ直ぐ執務机の先を見据えた。

「失礼します統括!! 砂漠に派遣していたパーティーが戻ってきました!!」

 そろそろか、という予想はしていたのだろう。彼は特に驚きはせず、落ち着いて局員に向かって答えた。

「ゴンゾのパーティーが戻ったか。すぐに話をしたい。手配出来るか?」
「恐らく不可能と思われます。リーダーのゴンゾ氏が意識不明の重体、他が魔力枯渇などで今はとても話せる状態では無いかと」

 その報告を聞くや否や、彼は眉間に大きく皺を寄せた。彼らは偵察だけでなく結局戦いを挑んでしまったのか。そしてあっけなく返り討ちにあったか。内心でそう吐き捨てると共に、額へと手を当てる。全ては、ハンスが忠告したままとなっていた。

「……今回の依頼は完全に私の人選ミスだな。リーダーへの聴取はまあ無理として、他のメンバーの意識が戻ったらすぐに知らせろ」
「了解しました。では失礼します」

 局員はそう締めると丁寧に礼をしてそのままドアを閉めた。そんなに直ぐに彼らは目を覚まさないだろうに、扉の外から響く廊下を走る音からして彼は急いで伝令を出しに向かったようだ。

 その様子を見送った後、すぐに新しい紙出して彼は自身の名前をサインする。こうする事で、この紙に書かれた内容は"統括令"として強い力を持つ伝令書となる。内容は単純。「砂漠立ち入り禁止」である。今日こそ砂漠方面の依頼は無かったものの、明日以降もそうとは限らない。まだ"竜"とは断定出来ないものの、Aクラスの冒険者四人を返り討ちにできる何かが砂漠に潜んでいる件については事実となった。そんな中で依頼など出す訳には行かないのだ。

 締めに明日の日付を記すと、彼は更にもう一枚新しい紙を用意した。そうして同様に自分の名前を書くが、此方は宛名は街議会である。この一件は、もはやギルドだけの手に負えるものではなくなった。
 問題となっている砂漠岩地のエリアは、週末付近に通商隊が通っている道と非常に近い場所である。この状態の中、不用意に通られたら被害が拡大してしまうのは明らかであった。

「……明日は大分ハードだな」

 明日に開催されるであろう街議会において、並みいる出席者の首を縦にふらせるための、恐怖を与えるような文言を考えなければならない。彼の呟きは自分一人の執務室に空しく響く。そしてふと窓に視線を向けてみれば、明るかった月が雲に隠されていた。雲の隙間から見える明かりが段々と厚い雲の中に隠れていく様は、何とも嫌な予感を感じさせる物であった。


* * *


 ズシリ、ズシリと暗い岩地に大きな足音とそれに伴う振動が響く。雲の影から覗く月明かりに照らされてぼんやりと浮かび上がるシルエットは、巨大な双角を上に向けて夜空を見据える砂色の"竜"。彼はその大きな口を開けると、大地に足を踏みしめ、大きく吠えた。

 決して侵入者へと浴びせるような大きな音量ではない。それでも、"竜"から隠れて岩場や草の影に隠れる小動物たちを怯えさせるには十分過ぎた。

 静かな夜の砂漠岩地の隅々まで咆哮は響き渡り、冷えた空気を震えさせ岩山で反響した後、そのまま夜空に消えて行った。震えた空気によって、地面に生えた雑草がさわさわと音を立て、その咆哮の強烈さを物語る。聞く者に恐怖と畏敬の念を抱かせる咆哮に、威嚇や咆哮でもって答える者は周囲にはいない。なぜなら彼が今の砂漠岩地の支配者だからだ。
 小型や中型の魔物はその全てが本能からか、この"竜"に立ち向かう者など居る筈も無く、ただただ見つからないように岩陰に潜む。一時期この岩地を支配していた強大な魔物である火炎龍が一撃の元に下された事で、砂漠の勢力図が一新されてしまったのだ。今や彼にかなう魔物は周囲には存在しない。何者にも屈服しない、孤高の頂点と彼はなっていた。

 新たなる支配者となった彼は、また静かになった岩地の中、ゆっくりと水辺へと歩き始めた。普通ならば魔物の一体や二体は必ず居る筈の泉には、そういった影がまったく見受けられない。彼が歩くその脇には、先日倒された火炎龍の亡骸が横たわっていた。立派だった姿は見る影もなく、日中に陽射しに照らされ続けた表皮は完全に干乾びている。胸に大穴を開けて横たわる亡骸を一瞥することなく、彼は泉へと歩き続けた。
 それなりの大きさを誇るはずの泉は、ゆっくりと近づく"竜"の大きな体格のおかげか、今はひどく小さく見える。穏やかだった水面には、一歩踏み出すごとに波紋が広がる。竜が近づくにつれて段々とそれは大きくなっていった。水辺にいた魚たちも振動に驚き、すっかり泉の奥深くに逃げ込んでしまっている。

 泉に辿り付いた彼は、その大きな口を泉に押し当て、水をすくい上げるようにして飲み始めた。バシャバシャと、それ程大きくは無い音も静かな岩地では目立つ。ある程度飲み終えた後まだ口から水の滴る大きな頭を上げると、"竜"は辺りを見回した。周囲には彼一頭のみ。岩地には少しばかりの草が生え、夜空には完全に雲に隠れてしまった月がある、変わり映えのない光景が彼の目に映った。
 目を凝らして縄張りへの侵入者を見つけようとする"竜"は、さらに注意深く辺りの気配を覗う。彼を狙う、"狩人"のような不届き者を探し、殲滅する為に。そんな中、ある音が一帯に響き渡った。


 遠くの岩地から響いてきた、何かが破裂するような乾いた音。幾つもの岩山を越えた先からの爆音は、注意深く聞かなければ分からない物だったが、"竜"に対してはしっかりと伝わったようだ。即座に頭を低くして構えを取り、彼は音のした方角、岩山が多数聳える北を見据えた。大きな口からは唸り声が漏れ出す。何が出てきてもいつでもその巨大な角で迎撃が取れるよう、彼は警戒を強めた。


 もう一度、今度は先ほどよりも大きな音だった。それは爆音に近い、特徴のある咆哮だ。高めの快音であったそれは、"咆哮の主"が遠く離れているにも関わらず、岩地一帯に響いた。"竜"の咆哮とはまた違う迫力を持つそれは、尾を引くように静かな岩山に反響し、"竜"を刺激し続けた。彼の目は見る見るうちに闘争心に満たされていき、切っ掛けがあればすぐさまに戦闘が開始されるほどまで高められた。
 北側の岩山を見つめる竜は、まるでその先にいる何者かを見据えているかのように、ただじっと構えを取り、鋭く睨み付ける。静かな岩地には、張り詰めたような空気で満たされ、時折吹く微弱な風の音が嫌に響いて聞こえた。睨み付ける先にいる、"咆哮の主"の周辺も同様の空気が流れているのだろう。

 咆哮が止んだ後は、また元のように静かにはなったが、場の空気は張り詰めるばかりだ。もし両者の間に岩山がなければ、すぐさまに戦いが始まるだろう。幾つもの岩山を挟んだ、否応無しに夜の岩地一帯の緊張感を高め続ける睨み合いは、まだしばらく終わりそうに無い。


* * *


「かなりの被害を負ったと聞いたが、任務達成ご苦労。生還したことは何よりだ」

 昨夜の急な曇り空とは打って変わってすっかりと晴れ渡り、陽気な太陽の陽射しが会議室の窓から中を照らしていた。今この部屋には、ニーガ統括の他に2人の少女が机を挟む形で向かい合っている。これが、彼が執務室に人を呼んで質疑応答を行ういつものスタイルであった。
 どこか居心地が悪そうに立っている少女たちの姿を、ニーガは細目で眺める。彼女たちは、現時点における重要参考人たるゴンゾが率いるパーティーに所属しているメンバーであった。一夜が明けて立ち上がれるまでには体力が回復した彼女たちを、早速会議室に呼んだのである。この後には街議会での打ち合わせも控えており、彼は早々に証言を聴き、報告書をまとめ上げなければならなかった。

「では早速だが報告を始めてくれ」

 会議室の一角で、彼は二人の冒険者少女の2人が椅子に座るや否や報告を促した。彼が事前に知っているのは、ゴンゾのパーティーの被害が散々な物であったということだ。前衛のうち、一人が瀕死の重傷。もう一名は頭を強く打って気絶。そして魔道師二人はそろって魔力切れ。そんな彼女たちが、動けない前衛二人を何とか連れて街へと帰還を果たしたのだ。奇跡的にも死者は出てはいない。しかしこれは文句無しの壊滅である。
 その経緯を頭に浮かべながら顔を険しくするニーガ統括に向かい、少女の内、赤色の短い髪を持つ方がおずおずと喋り始めた。

「……砂色の竜は、確かに確認したよ」

 二人目の証言が手に入ったことで、"竜"の存在はより確固たるものとなった。今現在、ギルドの受付には砂漠方面を原則立ち入り禁止にした事によって、冒険者達が何故なのかを問い詰めようと押しかけていた。大きな脅威が存在する"可能性"があるが、今は調査中。受付嬢達は徹底してこう答えている。この報告が終わり次第、彼女たちの定型文は、大きな脅威がほぼ確実に存在するというものになるだろう。しかし現状では、それには少々問題があった。

「事前に最初の情報提供者たちから少しの話は伺っているが君にも問おう。あれは普通の冒険者達が敵う相手か?」

その問題とは、公表した瞬間に数多くの冒険者が名声や何かを求めて依頼を受けようと殺到し、収集がつかなくなる可能性だった。今の所、彼は一応の経験者であるハンスを討伐隊に抜擢しようと考えていた。しかし彼のランクはB、多くの冒険者が文句を言うのは間違いない。
 ならばゴンゾのパーティーが返り討ちにあったと言うかと彼は一瞬考えたが、それも大きな不備があった。そんな事をすれば、自分のパーティーがゴンゾの物よりも優れていると証明する為に、逆に挑戦者が増えかねない。

「叶うわけ無いじゃないッ!! 大魔術を顔面から二つ同時にくらって平然と反撃してくる化け物なんだから!!」

 問われた少女は顔をゆがめながら叫ぶようにして訴えた。それは、ネイスやハンスが述べていたものと概ね同じ感想だった。既存の冒険者の戦い方では叶うはずがないと昨日念を押された戦力は、やはり伊達ではないのだろう。そうなると討伐隊の選抜は腕がなる者のみでは不味い。彼は改めてそう感じさせられた。

「やはりな……では続いてその魔物の容姿についてだ。報告書にまとめるうえでは、敵の全体像をつかんでおきたい」
「それは私がご説明します」

 この場にいる魔法使いの内もう一人の方、栗色の長い髪の少女が口を開いた。"竜"の事を思い出して取り乱した赤髪とは打って変わって、こちらは少し落ち着いた様子だ。

「片方が先端で折れた二本の巨大な角を持ち、先の方が大きく発達した太い尻尾をもつ、ワイバーン種よりも縦に高い砂色の巨体をした竜です。あの全長は……目測ですが一般的な火炎龍の倍はありました」
「此方も事前の報告と一致している。攻撃方法についてはどうだ?」
「はい、その大きな体を生かした突進や体当たりなど……あと戦況が乱れていたためはっきりとした自信はありませんが、地面から奇襲も行っていました」

 炎魔法や風魔法を使う龍達とは一線を画す、体一つでの雄々しい戦い方。ただの突進と侮るなかれ、火炎龍を下すほどの勢いなのだから威力は凄まじい物なのだろうと彼は予想した。

「では次だ。君達から見て、"竜"のどのような点が特筆すべき物だったか?」

 彼が現状において一番聞きたい事はこれだった。これこそ、実際に戦った者にしか分からない事である。彼女たちが偵察だけで済ましていたなら聞けなかっただろうが、実際に彼らは戦いを挑んで、敗北している。だからこそ分かる事もあると踏んでいた。

「……一番はやはりいくら大きな魔法でもまったく怯んだ様子が無い事です。確かに甲殻には傷こそ付きましたが、それだけです」

 確かに魔法が効かない魔物はこの広い国土の中にも存在する。しかしそれは殆どが同じ魔法によって無効化されているに過ぎない。そのため、より強い魔力によって攻撃を行えば、あっさりと貫通してしまうのだ。しかしこの"竜"は、己の身体能力のみで、普通の竜ならば即死するほどの威力を持つ大魔術士の大魔法を凌ぎ続けたという。

「……纏めると魔法による殲滅の効かない、己の体だけで戦う巨竜か」

 "街議会"への報告書には"魔法の効かない"という部分が大きな力を持つと彼は確信する。それほどまでに強大であるという事の証明なのだから。

「それと……巨体の割には走る速度がかなり速かったです。細かな動きは苦手でも、速さだけならば私の知る魔物の中で最上位に位置します」

 魔法を凌ぐタフな巨体に、走るのが速い。報告書に列挙している情報だけを読めば、正に昨日彼が目を通した伝説級の魔物たちに比類するような存在が出来つつあった。大きな体を持つ魔物は基本的に動きが遅いという冒険者の常識を完全否定する、それだけでも正真の化け物となる。

「……私の報告は以上です」

 最後にペコリと頭を下げて、彼女は話を締めた。それを涼しい様子で受け流す彼は、しかし内心で焦りを感じていた。こんな報告書を提出しようものならば、議会で何を聞かれるか分かったものではない。どう低く見積もってもギルドにおけるAランクの魔物と同等かそれ以上の戦闘力、そして既存の戦い方の通用しない事もあり、下手をせずともSランク認定を下される可能性もある。
 しかもSランクの魔物の多くが人里離れた場所に潜むのに対して、この"竜"は街の近くの砂漠に存在している。何も知らずに隊商が通行したら間違いなく大惨事となるだろう。何時の間にでた冷や汗が彼の首を濡らした。

「ご苦労。状況は急を要する物のようだ。早急に対処させて貰おう」

 これだけ情報があれば、ネイス・ウェインの報告も含めて報告書は十分完成させることができる。一刻も早く"街議会"へ報告を済ませなければならない。それがギルドの統括たる彼に出来る、唯一にして最善の行動だった。隊商の一団が壊滅する前に事を済ませなければ、被害は拡大していくに違いない。

「あの……ちょっと」

 報告を終わらせて立ち上がった内の赤髪の少女が、なにか思い出したように口を開いた。

「どうした?」
「いや……今回の竜ってさ、今まで隊商の一団や冒険者が襲われたという被害届も、それどころか目撃報告も無かったんだよね? それってのはいくらなんでもおかしいんじゃ……」

 彼もそれは考えてはいた、今回の一件の大きな不可解な点が、今まで目撃報告が無かったということだ。少ないのではなく、全く無いのである。ハンスが戦った一角竜は、形こそ似てはいるものの、別種と考えた方が良く、しかもその戦闘は10年も前の話だ。
 今回の一件はあまりにも突発的過ぎた。どれ程の希少な種であろうと、その巨体であれば報告がゼロというのは変だ。しかも大人しい魔物ならまだしも、その"竜"は大変に攻撃的な性格である。

 この不自然さには、一応の説明はつけられるものの、どれもこれも説得力に欠けるものだった。
 まず、まだ探索のされていない砂漠の奥地から紛れ込んできたという考え。しかし陸続きの大砂漠で10年間一度もこの周辺に居ないというのはおかしい。次に、かなりの希少種であり、現存する個体が非常に少ないという考え。だがこれも変な話だ。あれだけの巨体が絶滅間近になる要因など食糧問題以外に考えられず、しかもその食料でさえ、"竜"の生活地の大砂漠では食性が何であれそう簡単には尽きやしない。
 最後に、北の帝国から送り込まれた刺客という考え。これは考え付いた瞬間彼は己の心の中で一笑に付した。そんなことが可能ならば今頃はこの街は蹂躙されている。今も砂漠に留まっているはずなど無いのだから。他にも突然変異、大魔道師のゴーレム等という予想が浮かんできては、どれもこれも突飛すぎる物だとして消えていく。

「確かに報告の無さはおかしいを通り越して、不気味であるくらいだ。しかしこれは考えても仕方がない。今は我々に出来る事を早急にするべきだ」
「まあ、そうだけどさ……」

 少女は何処か納得の行かない感じで答えると、もう一度礼をして会議室を後にした。完全に部屋の前から気配が消えると、彼の口からため息が漏れ出した。ここまで取り繕うことが出来ただけでも上出来だった。何故なら今まで無かったような事がいきなり彼の前に突き出されたのだから。

「……納得の行かないのは私だって一緒だ」

 急に転がり込んできた、相当の危機。王家の雅な方々が気まぐれでこの街を訪れるなんて事よりも、よっぽど大変な事態だった。理不尽にも程がある。だが頭を抱えている訳には行かない。

「まずは報告書への追記だ」

 やらなければならない事を口にだして気が立った心を落ち着かせる。
 出来る事を確実に。ただそれだけを頭に思い浮かべ、報告の続きを書くため、彼は書きかけの報告書にペンを走らせていった。スラスラと、ペン先はただその"竜"の恐ろしさをこれでもかという程に綴っていく。その報告書で救える物があると信じて。



[31552] 六話目 荒れ地の"悪魔"
Name: 周波数◆b23ad3ad ID:22b3f711
Date: 2017/09/27 20:22
「これは……本当かね!?」

 私の目の前の男、この街の首長であるレヴィッシュ伯は、まるで悪魔でも見たかのような目つきでそう言った。
そして、同じく隣に座る副首長も同じような反応をしている。この"街議会"の他のメンバーは、二人の様子が普通でないことを訝しんでいるのか、隣同士で顔を見合している者もいる。初夏の陽気で部屋の温度は暖かいものの、瞬く間に部屋に走った緊張のおかげか肌に感じるのは感じるのは温かみでは無く寒気である。

「ああ、ギルドの冒険者が半死半生で持ち帰った情報だ」

 レヴィッシュ伯の手に持たれている書類、それは私が先程、街議会が始まる直前に仕上げたばかりの報告書だ。内容は勿論、砂漠岩地に現れた"竜"についてである。危機感を感じさせるように煽り、そして且つ簡潔に書かれた書類を、レヴィッシュ伯は改めて食い入るように読み直した。

 凄まじい体格と耐久力、それに起因する魔法への圧倒的な耐性。そして何より危険な、自分から攻撃を仕掛けていくことから推察できる、縄張りを犯そうものならば容赦なく戦いを挑んで来るであろう好戦的な性格。並みの冒険者は勿論、腕利きでさえ勝てるかどうか、いや生きて帰ってくるかも分からない、非常に危険な存在である。そんな事を報告書には書いておいた。

「何という事だ……」
「とりあえず、全体で対策を話し合って頂いても宜しいな?」

 断る理由など有はしない。そういった目で首長は私の言葉に頷いた。少しざわついていた部屋は、首長の頷きと共に静かになっていった。机に座る面子が、皆真剣に聞く姿勢になってるのを確認した後、私は口を開いた。

「さて諸君、この度ギルドは災害級の魔物をこの街近郊で発見するに至った」

 単刀直入に、全体に向かって私は話す。

「ギルド内での暫定ランクは、冒険者の報告からAからSとなる程の凶暴な魔物だ。容姿に関しては後程資料を見てもらう」

 伝説級の代名詞ともいえるSランクと言う響きが効いたのか、静かになった部屋は少しざわつき始める。しかし一つ咳払いをするとまた静かに戻った。

「今回重要になっているのは、その魔物の出現した場所の付近に我が街にとって動脈とも言える街道が有る事だ。この魔物は非常に縄張り意識が強い物と思われる。今まで隊商が被害を受けなかったのは殆ど奇跡と言って過言ではない」

 そこまで言い終えたとき、一人が手を挙げた。髭を生やした、本当に軍と言う物に対する一般的なイメージを形にしたような、荘厳な感じの軍務長だ。

「どうぞ」

 了解の意を示すと、彼は厳つい顔をしたまま立ち上がり、私を睨み付けた。

「何故今更になって報告した? そのような危険極まりない物が街の近郊にポッと出てくる訳がなかろうに。それに今までの貴様たちギルドの報告では、砂漠にはAランク級ですら稀にしか現れないとの物だったはずだ」

 やはりか、と言った気持ちでそれを聞く。この話を聞く誰しもが浮かべるであろう疑問である。しかし生憎、私はこの問いに対する最善の答えを持ち合わせていない。それ以前に、私自身も同じ疑問を前にして、答えを見つけられていないのだから。

「それに関しては、本当に急に発見したのだから説明のしようがない。我々ギルドとしても、今回の一件については首を捻る事ばかりなのだからな」

 そう返すと、まだ不服そうな顔をしてるものの、軍務長は椅子に座った。これを続けても良いという合図と取り、説明に戻る事にした。

「王都に通じる街道の中でも、南部と北部の街道は主要交通路に入る。それを使用している隊商は多数存在している。言ってしまえばこの街の経済は、南部と北部の街道の二つで賄われていると言っても良い。しかし件の魔物をどうにかするまで、北部の街道は通行禁止とする処置を行うべきであろう。これに関して産業長の意見を伺いたい」

 北部の街道の一部は、例の"竜"が出没した傍を走っている。ここで産業長に聞きたいのは、南部の街道だけでどれだけの間この街の産業が持つのかと言うことである。
 実際の所、北部の街道に関しては砂漠岩地を走っているという事で非常に乾燥しており、ここを通る隊商の殆どは主にワインの運搬くらいしかしてはいない。だがそのワイン産業こそがこの街の主要産業として街の経済を回していた。先程の厳つい軍務長とはまた違った硬い表情の産業長が立ち上がった。

「……我が街グラシスは王都のように穀物を他の地域から多くを頼っている訳ではないから食糧事情に関しては問題は無い。しかし主要産業であるワイン製造業は大きな打撃を受けるだろう。行路は殆どが北部の街道で、しかもワインの出荷先の殆どは中央地方だからな……通行禁止が長く続けば、最悪廃業に追い込まれる業者も多く出るだろう」
「ならばどのくらいの間は通行禁止を実行しても大丈夫なのだ?」

 仮に討伐等の対策が不可能ならば、実質的に北部の街道は使い物にならなくなる恐れがある。しかしそれではこの街の経済が回らなくなってしまうのだ。そういったときの最終手段としては、王都の中でもトップクラスにエリートである聖騎士団に討伐して貰うしか無いのだ。ギルドとしては本当に不本意ではあるが。
 しかし、その聖騎士団に依頼しても、すぐにやってきて貰えるものでは無い。確かにこの街は国の中でも大きい部類に入るのだが、それでも王都を守る騎士の編隊を辺境の魔物一頭に回すには、かなりの交渉時間を要するだろう。短く見積もって、交渉に1週間、受理されて命令として伝わるのに2週間、実際にここに来るまでの時間や諸々を加えると、1か月は掛かるであろう。

「今度のワインの運搬業者がここを発つのは明日の朝だ。そこから通行禁止にすると……凡そ10回の運搬分が常に王都の倉庫には溜めこまれているから、それが尽きる前までには解除をしないと厳しい。だから大体だが20日程だ」

 王都の騎士に頼るには、明らかに短い日数。ならば我々ギルドのメンバーでどうにかするしかない。だが、いたずらにメンバーを増やして犠牲者の数を増やすのはいただけない。一体どうするべきか……そう考えていると、急に会議室の扉を叩く音が、静かな部屋に響き渡った。

 コンコン、という規則正しい音に、軍務長などはあからさまに不機嫌な顔になったが、レヴィッシュ伯は顔色一つ変えずに言った。

「入りなさい」

 低く、しかし周りに響く声の後、若い男が扉を開けた後、頭を下げて言った。

「会議中失礼します。只今、王国庁の方から伝令が入りました」

 王国庁。その言葉と共に、会議室は先ほどに増してざわついた。一体全体王家一族の政治と執務を司る省庁がこの街に何の用だというのか。別段今日は祭事など無く、王国庁がこの辺境の街に構う理由など存在しない筈である。

「宜しい、話せ」
「はい、伝令には"ダイサンオウジョガ、ソチラノマチニ、オハイリニナル。コウヒョウハセズニ、ホクブノカイドウニテ、ムカエルベシ"とありました」

 その瞬間、私を含めた議会の議員全てが比喩抜きにして、固まった。一体何を言ったのか、それを理解するのに数秒の時間を要するかのような、そんな文章。北部の街道。今まで散々封鎖するかしないかで議題に上がっていた、
 "竜"の出没した街道。ガリ、と無意識の内に歯を噛みしめる。凡そ通常ならば、ため息と共に迎えるであろう第3王女の忍びの偵察、もとい遊覧。だが、今は事情が違う。人が必死に悩んでいる最中に、遊覧だ? まるで出来の悪い喜劇みたいなタイミングだ。思わずふざけるなと言いたくなる。相手が雅な身分な事も忘れてだ。

 しかし、そう苛々もしていられない。第3王女の御一行がもし、もし仮に"竜"と遭遇しようものならば――いくら側近の騎士達のレベルが高くとも、ただで済むとは到底思えない。迎えどころか、守護しなければならないと来れば、今すぐに人員を割かなければならない。そうなると、おちおち会談を続けていくわけにも行かなくなった。
いつもはしっかりした表情の筈のレヴィッシュ伯も、当初に増して顔面蒼白になりつつある。第3王女に何かがあったら、責任はまず街の首長に行くからだろうか、全く酷く迷惑極まりない話だ。

「あのお転婆娘が!!」

 少し肥満体型の法務長が怒鳴り声を上げた。議会の真っただ中の其れに対して、しかし誰も顔を顰める事は無かった。誰彼も全く同じ感想を抱いているからだろう。何分私も全く同じ思いを持っている。この声が切っ掛けで、議会の面々は文句を言い始めたが、副首長の「静粛に!!」という一声で、再度静寂が訪れた。その中でなるべく落ち着くように深呼吸をし、叩き付けたくなる拳を必死に抑え、私は手を挙げた。

「軍務長、其方はすぐに兵を動かせるか?」
「……今すぐは少し無理がある。街の守護が一気に減少するからここばかりはギルドに頼っても宜しいか?」

 時折ギルドをライバル視してくる彼でも、非常時においてはその頭は理性の元で働くらしい。間髪入れずに、私は大きく頷いた。

「ならばこちらで即刻緊急依頼として公布しよう。予備の兵は集められるか?」
「早急に対処する」

 いつもならば文句の1つは言ってくる軍務長も、今ばっかりは反論無しに肯定した。取って湧いたかのような事態に態々人員を回さなければならないという共通認識の成せる業か。

「我々議会は封鎖処理について話を進めておく。君達二人は即刻対処に当たってくれ。一番の問題は、王女一行がどの地点に居るかがまるで分からない事だ。出来るだけ早く街道に人員を向かわせろ!!」

 ならば話は早い。私と軍務長はすぐに立ち上がり、全体に向かって一礼をした。数分前まではこんな事態になるなど、一かけらも想像していなかった。そんな不条理さは議会の面々も共有しているのだろう、何時もよりも皆、殺気立った様子で、しかし意欲的に会議に参加している。

 例えどういう状況下においても、王女側の不手際でギルドまでもが責任を負わされたら堪ったものでは無い。とにかく、まず向かうはギルド本部だ。私は足早に扉へと向かった。


* * *


 お世辞にも通りやすいとは言えない、ゴツゴツとした荒れ地の道を、二台の竜車がゆっくりと進み、真っ白な鬣を生やした1頭の龍がそれに付き添うように歩いている。ガラガラ、と時々石に乗り上げながらも、照りつける日差しの中を進み続ける竜車には、王家を表す花の紋章が側面に描かれている。その脇を歩く一頭の龍は、竜車に負けない大きな体格を持ち、立派な角を生やした頭を時折振りながら周囲を警戒していた。一般には雷龍と呼称される龍は、高々竜車二つの護衛としては立派過ぎる物だった。

 荒れ地の照りつける日差しをしっかりと防いでいる屋根つきの竜車の中で1人の少女が鈴の鳴る様な声で、前に座る尖った耳を持つメイド服の女性へと問いかけた。

「後どのくらいですか? もう王都を発って1週間も経ちましたが」
「そうですね……もう砂漠岩地の半ばまで来ていますから、このペースではグラシスに入るのは今日の夜頃になりそうですね」

 窓の向こうの、大きな岩山の向こうにあるであろう、1年前に訪れた綺麗で活気ある街に想いを馳せながら、少女は口を開いた。

「去年もすんごい綺麗でしたからね。楽しみです!! でも……本当に事前に知らせておかなくて良かったのですか?」

 去年に、目の前のエルフの女性の親族が統括をやっているというギルドを見学したとき、その統括に切れ長の瞳で睨まれた事を思い出した少女は、少し震えた。

「大丈夫ですよ。嫌な顔をしたのは精々ギルドのトップになって調子に乗っているニーガくらいでしょうし、それに街の人だって王都の貴族集団みたいに貴女様を見た瞬間にヘコヘコお辞儀してくるわけでも無いのですからね」

 一年前の訪問で訪れた時に会った、王都の人々よりもどこか小ざっぱりしたような性格のグラシスの人々は、この少女にとっても悪くない印象を与えていたようだ。少女はニッコリと笑い、女性に抱き着いた。

「レーナがそう言うんなら間違い無いですねっ!!」
「姫様……いくら竜車の中とは言えども行儀悪いですよ」

 少女――王国の第3王女は、咎める声も何のそのスリスリと頭を押し付けたままだ。それを女性の従者は、苦笑いしながらも優しく頭を撫でた。

「お城の中じゃ規律ばかりでろくに甘える事も出来ないんだから、これぐらい良いですよね」
「はいはい」

 まるで親子のように見える2人は、暫くの間はそうしていたが、ふと従者の方が顔を上げた。
 彼女は窓の方を見つめたが、どうも竜車は段々とスピードを落としているようだ。注意しなければ分からないくらいにゆっくりと減速していき、とうとう完全に止まってしまった。景色を見ても、どう考えてもまだ道の途中である。耳を澄ませても、特に喧騒など聞こえず、盗賊の類では無いようだ。

「どうしたんですか、レーナ?」
「いえ、急に竜車が止まったのですから……何か起きたのでしょうか」

 目を細めながら景色を見ても、何ら変わりない、変わり映えの無い岩山と荒野が映るだけだ。ならば何故止まったというのか。彼女は御者の居るであろう前の窓から身を乗り出した。首を出すと、荒れ地ならではの乾燥した熱風が彼女の髪の毛をすくい上げたが、手で少し直すと直ぐに問いかけた。

「どうしたのですか? 急に止まるなんて」
「いや、俺にもよく解らないッス……前の竜車が止まっちまったんで仕方なくこっちも止めただけですンで……」

 全く分からないと言った感じで、若い御者の男は首を振って答えた。ならばと前の、此方よりも質素な感じの竜車を見ると、一緒に連れてきた騎士達が降りてきた。全員が既に武器を構えている。

「貴方達、一体どうしたのですか」

 後ろで少し怯える王女の気配を感じながら、彼女は大きな声で騎士たちに聞こえるように問いかけた。それに対して、隊長が雷龍を指さしながら応える。

「はい、急に雷龍が立ち止まって警戒しだしたものですから、一応竜車を止めたんです!!」

 確かに、見ると雷龍は街道の脇に広がる荒野を睨み付けている。しかしその先には、だだっ広い荒れ地と、その奥の幾つも聳える岩山しか無い。だが雷龍が警戒しているというならば、何者かが潜んでいるという事なのだろう。しかし相手が潜んでいるというのに、わざわざ出てくるのを待つ理由など無い。

「ならば貴方達は武装したまま竜車に乗って下さい。ここは早い内に出発した方が良いでしょう」

 いくら強力な雷龍が護衛に居るからとは言えども、ゴブリンのような小型の魔物の大群が現れたら王女を守り切るのは少々難しい。何が居るか分かったものではないなら、下手なことはしない方が良いのだ。

「し、承知しました!!」

 騎士達は各々武器を手にしたまま、竜車へと戻っていく。前の竜車が動き出したことを確認した従者は、また王女の前へと腰を下ろした。王女は相変わらず不安そうな顔をして言った。

「レーナ、竜車はなんで止まってるの……?」
「大丈夫です、姫様。すぐに荒野を抜けますから」

 そう優しく笑いかけながら、彼女は竜車が動き出したのか、細かな揺れを感じた。

「ほら、ちゃんと動き出した……え?」

 指さした窓には、まだ動かない風景がただ映っていた。そう、竜車は走り出してなどいない。しかし揺れは小刻みながら、きちんと体に伝わっている。どういう事だ、と反対側の窓、先ほど雷龍が睨み付けていた荒野を振り返ると、遠くの方の地面に異変があった。
 風が吹いているにしては不自然な、砂の舞い方。ただ一直線に砂煙が舞っている。砂煙は、まるで近づくかのように直線状に舞い上がり、その直線上にはこの一団の竜車が居る。ゾワリ、と寒気が彼女の背中に走った。同じく横でその光景を見ていた王女は、彼女にしがみ付きながら震えている。

「何……あれ……?」

 小刻みな揺れは、どんどん大きくなっていき、まるで竜車が全力で走っているかのような錯覚を受けさせる。

「……すぐに降りましょう!!」

 なんでこんな選択をしたのか、ともかくレーナは震える王女をその細い腕で担ぎ上げ、竜車の外へ飛び出した。そして取り残された若い御者は、事態を把握することもままならず、混乱した様子で先ほどよりも大きく近づいている砂煙を見つめていた。竜車を揺らす地響きは大きくなる一方で、その砂煙はひたすらに近付いてくる。

「な、何だアレは……」

 前を行く竜車から展開した騎士達は直ぐに陣形を組んで後方へ駆け寄り、降りた王女を囲うようにして砂煙の粟立つ荒れ地へと武器を構えた。

 雷龍、騎士達、そして従者と王女は、まるで地下に"何か"が蠢いているかのように巻き上がり近づく砂煙を凝視し続けていた。既に直接的な地面の揺れだけでなく、それが巻き起こす地響きの重い音も彼らの恐怖を煽っていた。騎士達は一歩、そして一歩と二人を囲ったまま後退し、震えて動かなくなっている御者は、震える手で手綱を握りしめ、それに繋がれた竜は何かに怯えるかのように鳴いている。騎士の1人が揺れに耐えきれず尻餅をつき、王女が泣き始めた――その時だった。

 すぐ傍まで近づいた砂煙はいきなり止み、辺りが突然静かになった。聞こえるのは、怯えて暴れだしている竜のみ。ドスンドスン、と足音を立てて逃げ出そうとするが、手綱が着けられているためにただその場で音を立てるばかり。
 レーナは、無意識の内に杖を抜いていた。王女を庇うようにして前に立ち、荒野をただ睨めつける。ここに潜んでいる"何か"は、とんでもなくまずい物だ。直感が彼女にそう告げていた。
 護衛の雷龍はいつでも戦えるように、鋭利な角を前方に構えて、同じく荒野を睨み付ける。熱風、車引きの竜の足音、それのみが空間を満たし――弾けた。

 荒野に吹き荒れる風の音をかき消す爆音。見上げるまでに高々と舞い上がる砂と礫。そして、その直後に襲い掛かる強烈な衝撃波。

 一瞬の内に、先ほどまで騎士達が乗っていた竜車が砂の爆発に飲み込まれた。まるで炎の大魔法を直接地面に向けて解き放ったが如くの衝撃が一帯を飲み込み、半歩遅れて竜車の残骸が辺りへと飛散した。王女たちが乗っていた竜車も衝撃で横転し、御者が投げ出され、押し倒された竜達が絡まった手綱によってもがき続けている。騎士達や雷龍の後ろにまでも、砕け散った竜車の破片が音を立てて落ちた。レーナはすぐに王女の頭上を背の高い自身の体で覆い、爆発地を見据えた。

 砂煙の上の方から段々と晴れていき、"襲撃者"の姿が明らかになった。砂の煙幕の向こう側でその襲撃者が野太い尻尾を大きく振るうと、彼に纏わりついていた砂や枯れ草が飛散し、彼の体を隠す砂塵を散らしていく。そしてとうとう、砂色の巨体が露わになった。尻尾に掠った竜車の破片が砕け散る中で、全員がその姿を見据えた。

 全てが規格外の大きさを誇る、砂色の巨体。その先端の折れた角ですら威圧感を発するかのような、途轍もなく野太い捻じれた双角。竜車のあった所には、砂色の要塞が鎮座していた。

「ば、化け物……ッ!?」

 騎士の一人がそう呟く。幾ら腕の立つ騎士でも、流石に巨竜に引けを取らない体格の竜などは相手にするどころか、見たことも無いのだろう。その体格に負けない程に大きな翼を振るい、"竜"は付着した砂を払い落とした。だたそれだけの動作でも、ここに居る全てには威圧感を与える物だった。

 雷龍が皆を庇うかのように一歩前へ出るが、まるで幼子と大人程の体格差がある"竜"相手には、非常に滑稽な光景に見える。"竜"は大きく上げていた頭を下ろし、雷龍の挙動へと目を移した。しかしその体格差から、ある程度離れていても見下す形になる。その巨体が振り返ろうとすると、ただ足踏みをしただけなのに小さな地響きが生まれた。

 雷龍と向かい合う形になる"竜"。その光景を小さな王女は震えながら見つめていた。
王国の所有する最高戦力の1つである、雷龍。昔から王家の威信として、何者よりも強い龍と教わってきた。
しかし、それと対峙する"竜"は何だ? 唯でさえ大きな雷龍の、更に倍以上の体格を持つ、絵本の中にでてきた悪魔の様な角を持つ"竜"。もはや化け物としか思えない。幼いころから教え込まれた強者ですら、この"竜"の前では霞んで見えてしまっている。

「う……ぅぅ」

 王女の目には見る見るうちに涙が溢れていく。まだ幼い彼女には、まるで"竜"は悪魔の様な物として映っていた。それを見たレーナは、彼女の目にこれ以上"竜"を見せないように王女の前に立ちはだかった。しかし、彼女自身も震えは隠せない。見たことも聞いたことも無い"竜"は、この場の全ての者を威圧した。そして皆が慄く中で、"竜"は野太い首を振り、天高く持ち上げた。

 空気が震え、何名かの騎士たちが剣を取り落として地面へと倒れて狂ったように耳を塞ぐ。

 大音量の咆哮。音を通り越して衝撃波となり、荒れ地の枯れ草たちを激しく震わせた。レーナは自分の耳を塞ぐのも忘れ、王女の頭をすぐに抱え込んだ。咆哮は、一帯に響き渡り、砂を巻き上げて消えて行った。舞い上がった砂が、咆哮の強烈さを物語る。

 砂漠の魔王は、再度縄張りに侵入した不届き者達を睨み付けた。



[31552] 七話目 舞い込む"情報"
Name: 周波数◆b23ad3ad ID:22b3f711
Date: 2017/09/27 20:27
「へェ……大魔道師をサポートに使うか。確かに相手さんからしたら頭に来るだろうな」
「ああ。それっきり俺はパーティーからお呼びが掛からなくなったよ」

 ギルドの酒場で俺はハンスと話しながら昼食を食べていた。周りにも、同じく腹を減らした冒険者が自身のパーティーメンバーと飯を食らいながら賑やかそうにしている。流石はギルド。色んな流通業者に顔が効くだけあってか、保存の効く物ならば国の端っこの珍しい物でさえ、こうやって手頃な値段の料理の食材として机に並んでしまう。

「しかし実際の所は、サポートに徹する攻撃魔法メインの大魔道師ってのはかなり強力な物だと思うんだ。別にダメージを与えるだけが戦いじゃあ無いんだからさ」
「まァ、結局それは理解はされなかったんだ。俺にしてみればネイスのように話が分かる人間の方が珍しいぜ。どこでそんな割り切った考え方を付けたんだか」
「……龍騎士なんて珍妙な物やっているんだ。そりゃ価値観のちょっとやそっとは捻くれるよ。なんたって強力なドラゴンをサポートに使っているんだからな」

 ハンスの疑問に半ば苦笑いを浮かべながら答えた。確かに龍使いというのは確かに強力だ。なぜなら文字通り、高位の魔物である龍を使役出来るからだ。それこそ、自分でいうのも変な話だが龍騎士は単体でも戦力はかなり高い部類に入るのだろう。

 しかしその強さを差し引いても、冒険者という特殊な環境においてはマイナスとなる要素があり過ぎると考えている。それを裏付けるものとして、冒険者で龍使いというのは殆どと言っても良い程に存在しないのだ。この国における龍使いというのは、大方が国の衛士に属している。それもそのはず、強力な龍を扱うことが出来るという事は本来であればかなりのステータスなのだ。余程経歴に傷が無い限り、衛士を志せば殆どが上級の兵士までのし上がれる。彼らの多くは汗水垂らしながら死ぬ気で龍使いになっていったのだろう。その努力を以て冒険者を志す者なんて皆無に等しいのだ。

 そんな龍使いを俺自身が冒険者に向かないと裁断する理由はただ一つ。龍使いを様々な戦いを行う人間たちとの連携に組み込むというのは意外と難しいという事だ。一般的に想像される冒険者のパーティーとは、例えば前衛の剣士、戦士、魔術剣士等々。後衛の魔道師、弓使い。さて、一体龍使いは何処に放り込めば良いのだろうか。
 前衛につぎ込むと、もう一人戦士か何かが居る場合では、龍使いの大雑把な攻撃で連携を組むのは至難の業だ。だからと言って後衛にしても、あまり上手くは行かないだろう。遠くから龍の魔法で援護するにしろ、それでは魔術師と役割が被る。それも火力は上回るかもしれないが、攻撃精度については二の次というおまけもついてくる。下手をしたら前衛の剣士達が目の前の魔物と同時に、気まぐれで空から攻撃してくる龍使いにも警戒しなくてはならないかもしれない。
 このように龍使いは、それ単体でもオールマイティーに戦えるからこそ。普通のパーティーに組み込むと途端に器用貧乏になるのだ。ある意味龍使い本人とドラゴンの二人パーティーとして完成してしまっていると考えても良いだろう。

「確かに、一人と一頭だけで魔物との戦いがマトモなレベルで成り立つんだ。人間同士で連携組むような冒険者ん中じゃ珍妙ではあるな」
「まあ、そんな珍妙な物でも自分にとってみればすっかり板に付いた戦い方さ。なんたってかれこれ六年間通しているんだからな。しかし、そんな大魔道師をサポートなんていう豪華な戦い方でもしない限り、あの"竜"には打ち勝つどころか傷を与える事も難しいと思う」

 屈強な甲殻、豪壮な双角。砂漠の炎天下の下で平気に暴れまわる化け物だ。いくら魔法が強力な物だとは言えども、真正面から砂色の鎧を打ち砕くほどの効果が見込めるとは思わない。なにしろあのスピードだ、詠唱に時間をかけていたら直ぐにお陀仏だろう。
 足止めや威嚇、その他様々な"攻撃目的以外の"攻撃魔法によって戦いを形作らなければ、まず奴と戦う権利すらも受け取れない。小手先だけの戦い方だけでは決して届かない化け物。あいつはそういう魔物だ。

「言っちまえばそーゆーこった。確かに俺達自身、敵の恐ろしさは理解してはいるつもりだが、だからこそ自分たちの力だけではどうにもならない事も分かるだろ?」
「そうなると、今するべき事はそういったサポート大魔術をやってくれる魔術師を探す事か。だがこう言ってしまうのも何だが、俺はこの街にそれなりに長い事居るが、人脈など縁が無いに等しいぞ?」

 情けなくはなったその言葉を、何故か彼は自身満々の笑みを浮かべて返してきた。

「安心しな、俺もだぜ」

 果たしてその言葉のどこにを安心するというのか、さっぱり理解出来ない。彼はそう言いながら、ニヤニヤとした笑いのままビールを一気に煽る。また真昼間からビールか、こうも何時も飲んでいる光景を見てしまうと東部出身者は皆ビール中毒なのかと疑ってしまう。それはあながち間違ってはいないのだろうか、と考えている内にハンスは空になったジョッキを机に叩きつけ、口を開いた。

「人脈は確かに無いけどよ、あの化け物の存在を知りつつ、尚且つ魔法が効果が無いと理解している奴が居ただろ?」

 そんな都合の良い冒険者など――確かにいた。ハンスの言葉を訂正するならば、魔法の効果が無いということを理解したというよりも、どちらかと言えば理解させられたといった所だが。

「あのゴンゾのグループの魔術師2人の事か。確かにその条件には当てはまっているけどな……しかしリーダーのゴンゾが確か重体だろ? そんな中であの二人が動くと思うか?」
「あのネーちゃん方にとってみれば"竜"はゾッコンの男を生きるか死ぬかの瀬戸際に叩き込んだ憎き敵って訳よ。俺達が何かをしなくても、連中絶対に行動を起こすぜ」

 そこまでうまく行くものなのか、自分は大切な人が云々などと言う経験なぞ生憎持ち合わせてはいないから分からない。しかし、一応はこの希望観測を自分も認める事にしよう。酒の入ったハンスの勢いである可能性も否めないが、残念なことにそれ以外に頼る伝手が無い以上、自分たちは行動を起こしたくても起こせないのだ。

 この話は一旦は止めだ、これ以上考えると折角の飯が不味くなる。そこで悩みを紛らわすために、ふと周囲を眺めてみると、この時間にしては珍しい人の多い酒場の光景が目に入った。俺とハンスが入った時はそれほどでは無かったのだが、話している内に結構な人数が入ってきていたのか。しかし人の多さはあれど、喧騒さはそれに比例していない。
 二つ離れた机には、そこそこ名の知れた冒険者の一団が座り皆で食事をしているが、その顔はにこやかと言うよりも険しさの方が浮かんでいる。反対側の机を見てみても、普段頭の悪そうな言い争いをすることで地味に有名な美形カップル冒険者も、普段とは違い困惑したかのような空気に包まれている。

 そんな光景を見た俺の顔に怪訝そうな表情が浮かんだのを見逃さなかったのか、ハンスも俺の目線を辿り、辺りを見回した後シニカルな笑顔を浮かべた。

「ああ、周囲の変な空気だろ? こうさ、何か分からない事が有りますって面を誰も彼も浮かべてやがる」

 解決しない疑問を目の前に突き出されてその答えを暗中模索している、確かに言われてみればそういう表情に見える。しかしそれを皆が抱えるというのは、その疑問が全員共通の物なのか、そうでないのか。もしそうであるならばその疑問は何なのか。全員が疑問に持つほどの公共性を持つような問題。そう言われると、その候補に俺は心当たりがある。

「全員、あの"竜"関連の事でなにか悩んでいるのだろうか?」
「そりゃあ当たり前だろ。あのニーガも言ってたろ。砂漠関連の依頼はすべて取り下げるってよ。土地柄もともと依頼が奮発するような物騒な場所でもねェし、あったとしてもゴブリン討伐が関の山だ。それでも依頼が一つも無いどころか砂漠岩地に入る事すりゃ禁止となれば、普通だったらあんな顔を浮かべるさ」
「という事は、彼らにしてみれば事前に事を聞かされていていて何もおかしく思っていない俺達の方が違和感溢れる存在なわけか」
「そゆこと」

 多分統括は今頃街のの上層部と流通の一時的な停止について話し合っているのだろう。そうした話し合いの鍵となるのが、その期限である。一体どれほどの間は流通が滞っても大丈夫なのか、その間における損失はどれほどか、等々。今でこそ冒険者達は、"竜"の存在など全く知らされていない。しかし、何時かは公開しなければならない時が来る。その時は少なくとも――

「えー!? 今砂漠に行けないんですかー!? お金が底をついちゃいますよー!!」
「レルネ君、分かってちょうだい!! 今日は砂漠は絶対駄目なの!! 代わりに南部の方は行けるから、ね?」
「今の僕じゃゴブリン以外は倒せないんですよー!!」

 ――少なくとも少年よ、今砂漠に居座っている重鎮はゴブリン所の話ではない強さだぞ。受付嬢とワーキャー口論している少年を横目で見ながら心の中でそう呟く。砂漠と言う不毛な地では、魔物も馬鹿みたいに強い物は今のところの見解では存在しない事になっている。時折、この前現れた火炎龍のような強力な魔物が現れることもあるが、それは常ではない。砂漠にワイバーンが一体現れたと言っても多くの冒険者はそこまで強い物としては認識しないかもしれないだろう。
 なので無駄な犠牲を出さないためにも、"竜"の恐ろしさが分かるように説明しなければならない、少なくとも俺はそう思う。

「あのガキ、砂漠に行って"竜"見たら心臓飛び出るだろーな」

 ケタケタとハンスが笑いながら少年を眺めつつ、残った肉を一気に口に押し込んだ。少年はと言うと、すっかり肩を落としてトボトボと出口へと向かっていった。まだ若いのに哀愁漂う光景である。まあ、砂漠で化け物とエンカウントするよりは良かったじゃないか。彼にしてみれば砂漠入りを断られたのは理不尽以外の何物でも無いのだろうが。
 酒場に残されたのは、先ほどよりかは緩くなった空気。某パーティーや美形カップルの顔には苦笑いが浮かんでいる。少年よ、君の犠牲は無駄にならなかったよ。俺も皿に残った野菜をかき込み、長い昼食の時間を終わらせた。食った食ったと腹を撫でるハンスは、此方が食べ終わったのを見ると受付を指さして口を開いた。

「んじゃま、これから行動起こす前に受付にちょっと話を聞きに行くか」
「……別に良いが、一体何を聞くんだ? 碌な事も話してくれなさそうだし、第一彼女が知っている事は俺達も分かっているだろ?」

 あそこまで情報統制をしている上に、なんなら"竜"についての話だったらこの俺の方が詳しいまである。そんな疑問に、ハンスは少しだけあきれたように口を開いた。

「いやいやいや。アイツが知ってそうで俺達が知らなさそうな事が一つだけあるだろ?」
「まさか、ゴンゾの入院先か?」
「そーゆー事だ」

 例の魔道師2人と話をつけておきたいが、生憎彼女達の居場所など俺達が知るわけが無い。ならば彼女達が一番行きそうな場所へ行くのが無難な方法って訳か。そうと決まれば話は早い。椅子から立ち上がると、カチャカチャと皿同士の擦れる音を聞きながら皿の載ったお盆を落とさない様にカウンターへと運ぶ。
 その際カウンターから離れた場所に座っていたから、必然的に別のテーブルの脇を通る事となったが、やはりその机に座る彼らの多くは怪訝そうな顔をしながら仲間同士で話し合いをしている。特に耳をそばだてる気も無かったが、それでも会話のごく一部は聞こえてきてしまう。その断片的に聞こえた会話の中には、砂漠やら禁止などと言った単語が混じっている。とすると、彼らの怪訝そうな顔の要因はやはり砂漠岩地への出入り禁止なのだろう。

 カウンターへお盆を乗せて、それを奥の流しへ持っていく店員へ軽く会釈をしていると、後ろから同じようにしてお盆を運んできたハンスが小声で口を開いた。

「連中の話題、やっぱり砂漠についてだったな」
「ああ、しかしさっきは今思うと不注意だったか……"竜"とか砂漠とか、そこらへん周りに聞こえてなければいいけど」
「大丈夫だって。少なくとも俺の視界にゃ耳をそばだてていた輩はいなかったからよ。みんな、仲間同士のお話に花咲かせたまんまだ」

 改めてそれと無く後ろを振り返るが、別段此方を見ている人物など居ない。それぞれが各々の仲間と話しているだけだった。少し敏感すぎる気もするが、酒場が冒険者にとって情報収集の場でもある以上、やはりそれなりの注意は払うべきであると思う。そう考えると注意不足であった事は否めない。今回は昼時でそこまで混み合っていなかったから良かったものの、人が沢山いるような時間帯なら話を盗み聴かれる可能性もあったのだ。
 ともかく心の中で胸をなで下ろし、受付へと目を向ける。今日になって一体何人に砂漠は出入り禁止云々などと言ったのかは分からないが、決して少なくなかったであろう事は分かる。離れていても受付嬢はげんなりとした表情を浮かべているのが簡単に見て取れるのだから。

「おゥ、どーしたチビ狸。尻尾が垂れていやがるけどよ。あぁ当ててやろう!! 男にでも逃げられたな!!」

 いきなり受付嬢に対して喧嘩を売りながら……というよりも喧嘩を投げつけるハンス。この空間においてデカい声でしゃべるだけでも大概なのに、内容がそれだなんてもう頭を抱えたい。先程は仲間内のお話で夢中だった後ろの皆様方の目線を感じる。俺は関係ないんだと、心の中で自己暗示を唱えた。ゆっくりと疲れた顔で彼女はハンスを見上げると、わざとらしいため息を吐くと、更に疲れたような調子で口を開いた。

「そうですねー今日は砂漠は行っちゃ行けないんですよー」
「そうかボケたか、逃がした魚はデカいとか言うけどよ、テメェが逃がした男は伝説のドラゴンか何かか?」

 わざとらしく棒読みで返答する受付嬢を、ハンスはまだまだ煽り続ける。そのこめかみに皺が寄っていて、眉なんてヒクヒクと動いているのに、この男は全く気にした様子すら見せやしない。

「あーもう!! グチャグチャ煩いですね!! あのですね……あなた方は事情を知っているんでしょ? 朝からその対応ですっかり干上がっちゃったんですよ。あとお二人は私の心配よりも御自身の心配をした方が良いですよ。何が、とは言いませんけど」

 どうやら彼女にとって俺もクチャグチャ煩い存在で居るらしい。あと失敬な、俺は恋人もしくはそれに類する存在を作れないのではなく作らないのだ。そうったらそうなのだ。何ならイトという最高のパートナーだっているんだぞ。そして予想通り彼女は色々と対応に追われていたようだ。御愁傷様である。

「冗談はこの辺にしとくか。ちょっとお前に頼みがあるんだけどよ、聞いては貰えねェかな?」
「面倒事はお断りです。書類作成はもっとお断りです。砂漠関連を聞こうものなら死んでください」

 どうやら俺達は死刑執行を免れたようだ。ゴンゾの入院場所がトップシークレット扱いなら分からないが、まあそこまで面倒な物でも無いのだろう……と思いたい。本当に疲れているのか、と生暖かい目で彼女を見つめたら、きつい目で睨みかえされた。理不尽である。

「まあまあそう睨み付けないで……俺達が聞きたいのは、ゴンゾの入院場所について。それだけだ」

 なるべく穏やかな口調で、それと同時に少しばかり小さな声で彼女に話しかけた。どうにも俺達が受付嬢と話し始めてから、他の冒険者の注意が此方に向いている気がするのだ。砂漠の事を聞き出そうとして収穫なく終わった人たちにとってみれば、受付嬢と誰かが話すという場面は重要な情報が掴めるかもしれないチャンスであるのだから、今この場の注意をひいてしまうのは仕方がないのかもしれない。それに先ほどあそこまでバカ騒ぎを起こしたんだから、注目の増し方も二倍だ。
 だがこちらも易々と情報を洩れさせるつもりは無い。ならばするべき事は、出来るだけ自然に内容を悟られない話し方をすることだ。

「ゴンゾさん……ですか。今までも数回程その質問を受けてきたんですが、全て知らぬ存ぜぬで通したんですよ。あなた方はどういった理由でその質問を?」
「……あの化け物相手に自分たちの力だけじゃ太刀打ちする事なんか出来ない。だからあの"竜"の恐ろしさを理解している、レベルの高い冒険者を引き入れたい。そして俺にはそうした冒険者に心当たりがあるんだよ」

 ハンスと受付嬢も同じように声を小さくして話し始めた。ハンスは相変わらずニヤニヤと笑っているが、それに対して受付嬢は、顎に手をあて、疲れた顔から一転して険しい顔をしている。

「……彼の仲間の冒険者達ですか、あなた方が会いたがっているのは」
「ああ、分かってくれりゃ話は早い。んで、どォなんだ?」

 身を乗り出して受付嬢に迫るハンスに対して、彼女は一度俺にも目を合わせると申し訳なさそうに首を振った。

「……すいません。彼が何か知ってるに違いないと考えている他の冒険者にも教えていない中、あなた方に教える事は出来ません」
「そう言えばギルドのポリシーか何かにあったな、全ての冒険者に公平な対応をって奴か――んで今それを掲げようかってか?」

 ニヤニヤとしていたハンスの顔は一転して、ドスの効いた険しい表情へと変化した。言葉も刺々しい語調になり、普段とはまるで違う印象を与えるような態度である。軽薄そうな様子から一転してそれとは、冒険者というよりも若干後ろ暗い世界で生きている人間かのような気配すらも感じさせた。しかし、それを前にしても受付嬢は申し訳なさそうな顔を崩さない。

「……ギルドとしても報告をしてくれたネイスさんや昔に同型の魔物と戦った経験があるハンスさんには非常に感謝をしています。でも、だからと言って他の冒険者達と違う扱いにはできません……本当にすいません」
「テメェ……」

 横顔を伺っているだけでも、彼の異常に鋭い視線には思わずこちらが身震いしてしまう。そしてそんなものを真正面から向けられてこれとは、もう脅してどうのこうのいうような話ではないということだ。

「……ハンス、これは彼女の独断では無く、ギルドの総意として捉えた方が良いんじゃないか? だから彼女をそこまで追求してもあまり意味は無さそうだぜ」

 ドスを効かせたを通り越して、何か色々ヤバい事に手を染めている感じの顔になってきたので慌てて仲裁を入れる。実際、自分にとってみてもこの答えは内心腹の立つ物ではある。折角情報を明け渡したのに、此方が知りたいといった物は貰えないのだから。
 しかし、特定の冒険者を肩入れしたとなると、ギルドの信用は着実に落ちてしまうことは少し考えればわかる。自分が仕入れる事の出来なかった情報を他の誰かが簡単にギルドから教えてもらっていたら不満は溜まる。俺だってそう思う。
 今のような状況でも、それだけは守らないとギルドの統制が効かなくなってしまうのかもしれない。そう考えると、その組織としての体面を守るために色々な冒険者からの矢面に立たされている彼女を不憫に思えてしまって、無理やりな追求がとても居心地の悪い物に感じてきてしまうのだ。

「……あー、わかったわかった。これじゃ梃子でも動かんか。こんな中年親父が年甲斐もなくドス効かせて悪かったな、お嬢ちゃん」
「馬鹿にしないで下さいよ……本当にすいません」

 ともかく話は聞けなくなった。つまりゴンゾが入院している場所は何処にあるのかが全く分からないのだ。
この街は広い。それこそ入院が出来るような診療所は、両手で数えきれないという事は無いにしても複数はあるだろうし、しかもどの部屋なのかを虱潰しするという事は不可能だろう。
 それに、いざその診療所が特定できたとして、果たしてそこの看護師は患者の場所をそう易々と教えるだろうか。大方ギルドからの情報統制によって口を噤んだまんまであろう。

「これでゴンゾの居場所の特定は無理か。となると、どうするべきか」
「規制が入る直前になっての、砂漠から大怪我で帰ってきたパーティーと言ってみりゃ、確かに人は群がるよなァ。ああ面白くねェ、他の連中も俺達と同じことを考えているなんてよ」
「……ここだけの話ですがね。一番の問題は、ゴンゾさんたちが大怪我をしたという情報が漏れ出ちゃった事なんです。どうにも職員達がそれを話しているのを聞きつけた冒険者が居るみたいで」

 確かにその情報がリークされなければ、問題は少なかったように思える。実際に俺がゴンゾのパーティーが負傷して帰ってきたのを聞いたのも、朝に酒場を訪れて本当に砂漠の依頼が無くなっているか確認した時であったし、結構な人数が知ってしまっている情報なのかもしれない。

「そしてあなた方は、ゴンゾさん達よりも更にトップシークレット扱いなのですよ……そこらへんを自覚してください」
「へぇへぇ、分かった分かった。まあこれで出来る事がすっかり無くなっちまったか。一体どーすりゃ良いんだ」
「そこらへんは追々考えよう。別にゴンゾの居場所の特定は方法であって目的では無いんだしさ」


――バンッ――


 そう言い終えた直後、酒場の扉が勢い良く開かれた。酒場の皆が驚いたように入り口の方を見つめる。受付嬢や俺達も、話を一旦止めて入口へと目を向けた。外の明るい陽射しが見えたのも束の間、すぐさま戸を開けた人物によって遮られる。入ってきたのは、きちんとした身だしなみの、あの服は確か街の事務局員だろうか。ともかく彼は扉から受付、つまり此方へと真っ直ぐ向かってくる。酒場の殆どが、その闖入者を何事だ、といった目で見つめる。
 若干の早足で急いだ様子で受付までたどり着いた彼は、俺とハンスを一瞥すると、カウンターへの戸を開けて受付の中へと入っていき、そして受付嬢の耳元で何かを伝え始めた。さすがに声は全くとも言っていいほど聞き取れないが、酒場の皆はしんと静まり返り、その光景を見つめた。

 そして話している内に見る見る受付嬢の顔が青ざめていき、机に置かれた手がカタカタと音を立て始める。どう見てもただ事の様子では無い。静まり返った酒場に、震える手の立てる音だけが響き渡るのは非常に不気味な物に感じられる。話を聞く彼女は、俯きながら小さな手を握りしめている。
 話し終えたのか、彼は最後に「それでは後は頼みます」と言い残すと、また同じようにカウンターの戸を開けて受付から出て、冒険者達の視線を背中に受けながら、また急ぎ足で酒場を後にした。酒場の扉が揺れてキーキーと音をたて、冒険者達が互いに顔を見合わせている中、彼女は意を決したかのように顔を勢いよく上げた。同時に小さな握りこぶしを机に叩き付けて、バンという音を辺りに響かせた。

 酒場の扉を見ていた者達は、何事だと言った調子で彼女を見る。俺とハンスも、一度顔を見合わせて彼女の方を見た。大方の視線が自分に向いていることを確認した彼女は、強い調子で話し始めた。

「皆さん!! 只今緊急依頼が入りました」


* * *


 砂どころか、足元に転がる小石大の礫さえも空高く巻き上げるような勢いで"竜"は吠える。騎士達は己の誇りたる持っている剣を投げ捨ててまで必死に耳を覆い、レーナは第三王女の頭をきつく抱え込んだ。皆の目線の先には、堅牢な矢倉を更に大きくしたかのような、物語に出てくる悪魔の様な風貌にも見える"竜"の姿だった。体が砂色であるという点を除けば、頭の角、尻尾、そして翼など正に恐ろしい悪魔として君臨している。

 雷龍は角にバチバチと電気を纏わせ、警告の意を示す。これ以上近づいたら手加減はしない、と。見る見るうちに蒼白い雷が雷龍を覆い、辺りに細かな雷の音が響く。しかし、"竜"は全く気にした様子も無く、雷龍を真正面から睨めつける。そうしている内に騎士達の中に動きがあった。

「レーナ殿、あの向こうの岩山まで一気に走りましょう!! 入り組んだ中では少なくともあの"竜"は追ってはこれないでしょうから!!」
「……この"竜"がそんな隙を見せるとでも?」
「何が為の雷龍ですか!! 少なくとも彼は時間を稼ぐ事くらいは容易いはず!! お前たち、用意は良いかッ!?」

 王女の無事を正確な物にするためには、いち早くこの場所から逃げさせる事であるという事は、皆も重々把握しているのだろう。隊長の言葉に、誰一人反論することなく意思の籠った眼で騎士達は無言で頷く。それをみたレーナは、"竜"から視線を外さずに、抱きしめる王女へと語りかけた。

「いいですか、今から私が貴女を抱いて走ります。瞑ったままでいてください。絶対にあの化け物を見てはいけません」
「……はい、分かりました!!」

 一触即発の空気の中、レーナは素早く王女を抱き上げ、騎士達にむかって頷いた。そうするとすぐさま彼らはレーナを守るかのようにして囲う。雷龍は囲いを作った彼らを一瞥し、"竜"へと向かい直り、ここは通さないと言わんばかりに睨めつける。ズシリ、と"竜"が一歩踏み出し、バチリ、と雷龍がそれを威嚇する。両者の距離はそう遠くない。なにか切っ掛けがあればすぐさまに戦いが始まってしまうのは誰の目にも明らかであった。

「……行きますよ!!」

 その隊長の言葉を合図に、皆が二頭を背にして一斉に走り出す。そして雷龍も同時に動き出した。

 走り始めた彼らを目で追おうとした"竜"の顔、その角の付け根の緑色の目に向かって、満身の力を込めた雷撃を見舞う。まるで雷が落ちたかのような轟音が荒れ地に響き渡り、その衝撃で"竜"は数歩後ずさった。放電の影響で辺りの草には焦げてしまった物も目立ち、舞い上がった枯草が電気に当てられてバチリバチリと燃えていく。
 振り向くことなく走り去る騎士達を確認すると、雷龍は更に攻撃体制を整える為に蒼い身に電気を纏う。出来るだけ長くこの化け物を相手取る為に。轟雷に当てられた"竜"は、呻き声を漏らすと、分厚い甲殻に覆われた瞼によって無事のままであった緑の双眼を見開いた。所々黒く焦げ付いた甲殻は電撃の強さを物語るが、しかしあくまでも焦げただけである。

 雷龍は警戒も構えも解くことなく、その"竜"を化け物足らしめる要因を見据えた。瞳から近い所が大きく焦げているのも気に留めた様子も無く。まるで何かを堪えるかのように砂色の巨体を震わせ。開かれた口から吐かれる息は、白い色から段々と真っ黒にと変化していき。天高く二本の巨角を掲げ、勇猛な翼を大きく広げ。

 そして極限にまで息を吸い込んだ"竜"は、高貴な佇まいで攻撃の準備を緩めない雷龍を見下すと、これでもかと言うほどに口を大きく開いた。そして限界まで吸い込まれた息により、"竜"の胸部は大きく膨らむ。その莫大な体積の空気が、一気に放出されて"竜"の声帯を極限まで震わせた。


 音なのか衝撃波なのか、それともその両方なのか。最早その判別すらも付けられない爆音が、周囲の何もかもを巻き込んで破裂した。砂も礫も、舞い上がるどころか爆心地から弾け飛び、何本もの草が外側へと勢いよく靡く。雷龍の纏っていた電撃さえも、その衝撃波に負けて勢いを無くしていく。そして咄嗟に聞き耳を守るために右耳を庇ったせいで、彼の左耳の鼓膜は爆音の衝撃によって容易く破壊された。しかし、痛みに負けて目を閉じれば殿も務められなくなってしまう。そう考えたのか、血が流れだした左耳を無視して、彼は前を見据えた。

 咆哮をひとしきり一帯へと響かせた"竜"は、黒く染まり切った息を吐き出し角を構えた。片方はどの様な物でも貫けるほど鋭く、もう片方は先端が折れてこの"竜"の獰猛さを物語る、熱砂で鍛えられた双角だ。対する雷龍も、神々しくもあり、同時に威圧的でもある蒼い雷を纏い直し、何が来ても対処できるように構えた。

 ちっぽけな人間など入り込める隙もない、王国の象徴と片角の魔王の、文字通りの死闘が幕を上げようとしていた。



[31552] 八話目 激昂する"魔王"
Name: 周波数◆b23ad3ad ID:22b3f711
Date: 2017/09/27 20:23
 西部地区独特の高温乾燥の気候ゆえに、額に吹き付けるのは熱風であれど、実はそこまで気持ちの悪い物ではない。一緒に運ばれてくる砂が無ければの話だけど。今自分がいる監視矢倉は、木で作られた簡単な屋根がついているから強烈な日差しは遮ることが可能である。しかし監視の邪魔になるからか、窓や壁に相当する物が存在せず、中途半端に高い位置にあるから街の外壁で遮れなかった風に乗った砂が時折口の中に侵入してくるので、鬱陶しいことこの上ない。

 幸いいつも防砂メガネが支給されているから、それを掛けている限り目に砂が入ってくる事はない。しかしこうも砂が舞っていると、結構な集中を要する念話の阻害になりかねない。現に今、僕は上司から非常に重要な任務を仰せつかって此処にいるが、先ほどから何度も集中を阻害されてきた。
 先ほどまでは僕は街の自警団の監視舎の中で使い魔のヒュールと一緒に寛いでいた。昼時という事で多くの仲間が昼飯で出払っていて、監視舎には僕の他には殆ど人が居なく、のんびりとした空気が流れていた。しかし慌てた様子の役人が大きな音を立てて入ってきてから、その空気は一気に霧散した。

 大変な事件が起きたものだ。ウチの国の王女様が高位の魔物の雷龍をお供にお忍びでやってくるのも大概だが、その王女様が通ると思われる街道付近の荒れ地に最近とんでもない魔物が目撃されたそうだ。公式にはまだ伏せており、今のところヒュールの監視ではそのような魔物は確認できなかったが、この街でもなかなかの実力を持った冒険者の一団が返り討ちに会ったという実績もあるとの事。更にギルドの見解では雷龍の守護があっても危ないと思われるほどの脅威らしい。
 そんな中で僕に課されたのは、王女様のご一行を見つけ出して彼女たちの安否を確認すること。万が一にも一行が魔物に遭遇している恐れもあるため、可能な限り迅速に発見し無くてはならないという追加条件付きで。
僕はすぐさま所長に指示をされてヒュールを飛ばした。時間的には既にヒュールは街道沿いの監視に入った筈である。「荒れ地の魔物が出没してませんように」と神頼みをして、ヒュールに念話を飛ばした。

"ヒュール、確認は出来たかい?"
"まだです、たった今街道に入った所なので。王家と言うからには立派な馬車なんでしょうが、今のところはそんな大きな物はありませんね"

 街にほど近い街道の周囲にいないとなると、捜索は困難になるだろう。それか、探すべきものの形状が違うだけなのかもしれない。

"もしかしたらお忍びというだけあって小さいのをチョイスしているかもしれないなぁ。ともかく異変があったらすぐ知らせてね"
"了解です、マスター……っと少々お待ちを!!"

 念話を切ろうとしたその瞬間に、彼の叫び声が脳内に鳴り響いた。

"どうしたの!? 何か発見した!?"
"……発見しました。しかも状況は最悪の一言に尽きますね。今すぐ所長に伝えて下さい!!"

 思ったよりも早く見つかったようだけど、どうやらヤバい状況らしい。二段飛ばしの勢いで矢倉の梯子を駆け下りながら、ヒュールに再度念話を飛ばした。

"王女様の一行は大丈夫そう!?"
"既に馬車は大破し、数人が荒野を駆けています。そして……俄かには信じられる光景ではありませんが、役人の言っていた魔物の姿も確認できます"

 ヒュールからの念話が一時的に途切ると、梯子を降りるのを一旦止めて目を瞑った。そうすると真っ暗だった瞼の裏が段々と明るく感じられ、ぼんやりと荒れ地の光景がその中で構成されていく。そして見る見るうちに草の一本すらも見分けられるほどまで完全に構築され、完全に荒れ地の一場面が再現された。しかし構築された光景は、その中心に写る"何か"によって現実離れして見える物だった。
 一瞬まるで誰も住んでいるわけのない荒れ地の中心にポツリと砂色の矢倉か何かが建っているようにも見えてしまう、異様な風景。よく見れば、その魔物は高度から見た光景であるにもかかわらず不自然なまでに巨大な姿で風景の中に存在している。街道に散らばった金属製の竜車の大きな車輪も、その魔物の大きさと対比するとまるで小さな塵のように見えてしまう。

 二本の野太い足に一対の頑強な翼。体格は巨龍種に匹敵するものの、その体の作りは一応はワイバーンの物である。湾曲した巨大な双角を前に突き出しながら佇む様には、まるで嵐の前の静けさを思わせる威圧感を感じられる。一方で、その傍らでこの魔物に向かい合う雷で覆われた小さく見える蒼い四足の龍は、初めて見るが王家の守護龍たる雷龍だろうか。聞いた話では、大型で且つ龍種の中でも高位であるとされている種類であったが、この化け物の前では酷く小型の体格に見えてしまう。
 どう考えても普通でない光景を認識したからか、吹き付ける熱風がまるで冷たい北風であるかのような錯覚すら感じる程に、気づかないうちに僕の首筋には冷や汗が浮かんでいた。

"なんだよアイツ……想像していたよりもよっぽど酷い相手じゃないか……"

 念話にも関わらず、僕の声は掠れているかのように感じた。
既に瞼は開けており、送られてきた風景はもう消えてしまっている。しかし使い魔の目から一度姿を確認したにすぎないにも関わらず、あの巨体が瞼の裏に鮮明に焼き付いて離れない。

"体の構造はワイバーンの物と似通ってますが……奴から発せられる威圧感はそこらの龍種を遥かに上回ってますよ"

 どうやら彼も僕と同じ感想を抱いているのだろう。大きいだけじゃなく、その異常に攻撃的なフォルムも竜の範囲を超えた威圧感として僕たちの目に映っている。

"規格外過ぎる……あんな魔物聞いたことすら無いよ"
"まったく同感です。あれはもうワイバーンの規範を超えてますよ。ともかく雷龍殿があの化け物を抑えている内に何とかしなければなりません"
"了解!!"

 それを最後にヒュールからの念話が途切れた。無駄に高い梯子を降り終えた後、ブチ破らんばかりに思いっきり監視舎の扉を開け放つ。腕を組みながら此方を鋭い目で見つめる所長の所まで大股で歩み寄り、僕は深呼吸してから大きな声で言い放った。

「緊急報告!! 第三王女一行は既に魔物と遭遇し、馬車は大破、雷龍が交戦を開始しようとしています!! 一行は撤退している模様ですが、時間に猶予はありません!! 発見地点は――」

 矢継ぎ早に報告を述べていく。僕にはこれしか出来ないが、僕しかこれを出来ない。願わくばこの報告が一行を救う手助けにならんことを。


* * *


"指定地:砂漠"

 先ほどまでの酒場の状況、様々な一団が砂漠の進入禁止措置に疑問を持っていた矢先にこれだ。"竜"への対策を講じようとしていたギルドに舞い込んだのは、朗報でなく凶報だったか。受付嬢が放った言葉は、冒険者達の思考を凍らせるのには十分すぎる物であった。

「おいおい……マジかよ」

 ハハハ、とハンスはらしくない乾いた笑い声を漏らし、呆然とした様子で受付嬢を見つめている。なまじ他の冒険者よりも事を多く知っている分、俺達は周囲よりも状況をうまく飲み込む事が難しかった。理解しようとしても頭が認めようとしない、酷くもどかしい状況に立たされている。

「――なので、今すぐに出来る限り受けて下さい!!」

 その言葉を最後に、受付嬢は頭を下げた。その先にいる冒険者は、困惑した顔をしている者も、獰猛な笑みを浮かべている者も居る。

 王国の第三王女の救出。しかも監視塔の報告では王女の一行は既に交戦中だという。とてもじゃないが今後このような依頼が回ってくる訳が無い。そしてこの依頼で成果を上げれば、名実共に周囲に知らしめる事が可能であることは容易に考えられる。さらに襲撃者が"正体不明の大型竜"とくれば、熱心な冒険者達はそれも倒してしまおうと考えるに違いない。
 しかしだ。一体どれ程の人間が"竜"の恐ろしさを理解してくれるだろうか。受付嬢がちょっと話したくらいでは、とてもじゃないが伝わっているとは思えない。魔剣の一撃や大魔法の直撃ですら止められない"竜"を、何も知らない人間がどうやって倒せようか。ギルドは運に見放されているとしか思えない。こんなタイミングで厄介な依頼が舞い込んでくるなんて。

「これじゃあ例の魔導師二人の囲い込みは無理だろう……どう考えても今この状況下で時間の猶予があるとは思えない」
「だがまだ運が尽きた訳じゃねェ。今回は"竜"との顔合わせみたいな物と思えば良いんだよ。どうせこの中には奴を倒せる冒険者は居ねえだろォし、仮に手を出したところで返り討ちだ」

 ハンスはすぐに普通の調子に戻ったようだ。多様な反応を示す冒険者達を意地の悪そうな笑みを浮かべながら見回している。俺もこのままではいけない。確かに今はチャンスを失ってしまったがそれは一時的な物だ。俺にできることは唯一つ、今回依頼された仕事をこなす事だけだ。

「むしろ逆に考えようぜ。今回の一軒で"竜"への危機感が浸透すれば、無茶な戦いを挑もうなんて輩は居なくなる。更には俺達みたいな裏をかいてでも相手に勝つような、奴らに言わせりゃ卑怯者を仲間にしようっていう人間も現れるかもしれねェ」

 「可能性が増えたんだよ」と笑いながら零すハンスからは、こういう予期できない場面での精神的な面での強さを感じさせる。楽観的と言ってしまえばそれまでだが、こういう時にマイナス思考をするよりも余程格上だと思う。

「しかしそう言われても心残りはあるんだよ。やはり"竜"の強さを知らない人間はゴンゾ達のように無意味に戦いを挑み、そして返り討ちに会うかもしれない。もし本当に奴を怒らせたら、王女を含めた全ての人間が死にかねないぞ?」

 一番の心配事を彼に言うと、さっきよりも意地の悪い笑みを浮かべて、中途半端に残ったビールを彼は飲み干した。一気飲みしたのかと思っていたが、なんだまだ残っていたのか。そして空になったジョッキを思い切り上げて何をするのかと思えば、あろうことか思い切り机に叩き付けた。

 ゴン、と大きな打撃音が酒場に響き渡り、昼食が載せてあった皿達が衝撃で騒がしい音を立てた。なまじ中途半端に静かであっただけに、冒険者たちの多くが何事だと言わんばかりにハンスと俺の方に振り返った――っていきなり何をしてくれるんだこの無精髭はっ!?

「さァて皆さーん、ここで重大発表が有る。ここに居るネイス・ウェイン君は、今回の一件を巻き起こしたとある"竜に"、なんと一日も前に遭遇していらっしゃる!! それも、あのゴンゾ一行を叩きのめした奴だ!! その彼が今から君たちにお話が有るってんだ。聞きたい奴は耳をすませろ」

 ハンスは無駄に大きな声でそう述べた。頭を下げていた筈の受付嬢は唖然とした表情で此方を見ている。秘匿していた"竜"の存在は大体的に明らかとなり、ただの与太話にしてはここまでの状況から否定をするのも困難だろう。先ほどまで各々話し合っていた冒険者達も殆どが俺達を、否俺を見つめている。
 酷く新鮮なものだ。今まで俺は竜騎士という珍妙さゆえにパーティーに誘われたことも無く、こうして注目を集めるのもこの街では初めてかもしれない。しかしできればこんな新鮮さは味わいたくなかった。

「……なんだ、このあんちゃんが、そのよく分からん魔物について知ってるって?」
「へえ、どんな話を聞かせてくれるんだろうね。もう今の時点で腕が鳴るなあ!!」
「坊や、面白い話じゃなかったら……分かるわよね」

 見知らぬ連中から注目されるのはここまで居心地の悪い物なのか。穴があるなら入りたいと思えたのは本当に久しぶりだ。故郷から街に逃げ出した時以来だろうか。そいうえばあの"竜"は自分で穴を掘って潜ることも可能なのだろうかと、割とどうでも良い事が頭の中を巡り始めた。


* * *


 どれほどの時間が経っただろうか。爆ぜる落雷によって引火した枯草達は、乾燥した風に煽られて他の場所にまで火をつけ始める。まるで魔王の玉座を彩る業火のよう、荒れ地は文字通り灼熱の大地と化している。照りつける太陽も、燃え盛る炎も、どちらもが荒れ地を決戦の地たる場所にしたためている。

 荒れ地の魔王と王国の象徴の決戦は未だ勢いが衰えることを知らない。激昂して我を忘れたかのように、正に阿修羅の如く暴れまわり、砂塵を巻き上げながら炎が覆う大地を駆け穿つ"竜"。華麗に身を翻し、寸での所で"竜"の攻撃を避けて、お返しとばかりに鋭い雷撃を放つ、翼を持たない代わりに強靭な脚部を持つ雷龍。
 一撃必殺の剛角の一撃は雷龍に掠りもぜず、渾身の威力で撃ち出された轟雷も砂色の甲殻に傷一つ付けられない。踏み荒らされ、その捻じれた角で抉られた大地に、狙いが逸れた雷撃が突き刺さる。二頭が混沌と暴れまわる戦場は、踏み荒らされて燃やされて、とてもではないが元の姿を留めてなどはいない。

 自身の攻撃が当たらなく、相手の攻撃ばかりがダメージは無いにしろ当たる。そんな状況に業を煮やしたのか、"竜"は雷龍を見据えて一段と大きな咆哮を上げる。片角を生やす巨大な頭から発する桁違いの爆音が焦土に響き渡り、燃え盛る炎も一瞬陰りを見せた。
 既に何度も咆哮にあてられた雷龍の鼓膜はとうに破壊されており、音を音として認知することはできない。しかし空気を震わして衝撃と成さんばかりの轟音に、一瞬だが雷龍は目を瞑る。しかしすぐさま咆哮を放ち硬直しているに有りっ丈の雷を放った。燃え盛る大地から砂礫を巻き上げながら、雷は"竜"に迫る。
 瞬間、青白い光が周囲を照らし、空気を震わす衝撃が周囲に響き渡る。"竜"はもろに正面から特大の雷撃を受け、雷撃の残り香は舞い上がった砂や枯草の破片を弾き飛ばす。しかし極度の興奮状態に陥っている"竜"は、たとえ今の雷撃によって胸の甲殻に火傷が出来ようとも、衰え知らずの闘争心を以てして怯みもせずに雷龍を睨めつける。

 そして、不意に"竜"は強靭すぎる後ろ足を使い足元の砂を掘り返し始めた。赤黒く灼けた草や砂礫を押しのけ、その強大な角も使いながら、慣れたように素早く器用に大地を削っていく。突然の行動に警戒心を露わにする雷龍は何が来てもすぐに対応が出来るように構えを取るが、"竜"はただ足元の土を掘り返すだけ。見る間にその巨体が頭から掘り返した大地の中に潜り込んでいく。舞い上がる砂の中に、地中へと埋まる巨体の影が映り、そして野太い尻尾までもが大地の中へと飲み込まれていった。

 掘り返された土砂の山が積り、一帯には不自然な地響きが轟く。激しい戦闘から一変して、戦場は不気味な静けさに包まれた。雷龍は警戒して周囲を見渡すも、風に煽られた砂埃や炎が舞うだけだった。そして何かに気付いたかのように雷龍は突然走り出した。方向は王女たちが駆けて行った向きとは別の方角。
 今まで厳かに存在していた雷龍に初めて焦りが浮かぶ。咆哮にあてられて使い物にならなくなった耳では、姿が見えなくなった"竜"の位置など把握できない。業を煮やした"竜"は最後の一撃を与えようとしているのだ。例えどんなに早く逃げようが、其れすらも無駄になるほどの広大な範囲の大地を一気に抉る業で。

 雷龍は左右へのステップやフェイントを織り交ぜながら、なるたけ大きな音を立てながら王女たちとは反対方向へと駆けていく。翼を持たない雷龍は耳が聞こえなくなった時点で本当は勝敗は決していたのだ。飛んで逃げることも出来ず、雷龍の瞬発力を以てしても、聴覚を失ったおかげでどこにいるか分からない"竜"の急襲を避けるのは十中八九無理な注文だ。
 ならば彼にできる最期の抵抗は一つのみ。"竜"の気が変わらないように自身の位置が分かるように音を立てつつ、出来るだけ遠くに"竜"を誘う事。王女たちの逃走時間を稼ぐには、最早それしか方法が残されてないのだ。
雷龍が走り始めてから少し遅れて、地響きが急に巨大なものに変わる。とうとう"竜"が必殺にして止めの一撃を与えんと動き出したのだ。右に跳び、左に跳び、必死にフェイントを混ぜて雷龍は"竜"をおびき寄せる。王家の守護の誇りを捨てずに、撤退した王女の安全を祈って。
 そして、地震と見まごうまでに巨大になった地響きによって、ちょうど飛び跳ねようとした雷龍の右後ろ足が、一瞬。ほんの一瞬だけぶれた。すぐさま体制を立て直そうと踏み直したが――

 街道から離れた荒れ地の一画で、爆音と共に天高く砂と礫が巻き上げられた。

 大地を突き破る砂色の影が彼の体を捉えた。有りっ丈の爆薬を足元で爆破させたかのような非常識な威力に、立派な体格の筈の雷龍が砂礫と共に塵のように空に舞い上げられる。しかし砂礫と共に空中高く放り上げられた体よりも早く、その真下から多くの砂で塗れた鋭い剛角が地中より豪速で迫る。そして、熱砂で鍛えられ幾多の敵を貫いてきたであろう角は、新たな獲物を貫かんと肉薄し――

 空中に投げ出された彼の眼の先には、偶然にも王女たちが逃げて行った方向が有り、非常に遠くの方に小さな影が街道上を駆けている、そんな光景を彼は最期に見た気がして。

――雷龍の心の臓腑を何の抵抗もなく貫き通した。強靭な背甲を弾き飛ばしながら貫通する、真っ赤な血潮に染め上げられた角の切っ先。蒼い龍と紅き鮮血という真逆な組み合わせが荒れ地の空を彩り。それもつかの間、雷龍の骸は砂色の大地へと投げ出された。



[31552] 九話目 混沌する"状況"
Name: 周波数◆b23ad3ad ID:22b3f711
Date: 2017/09/27 20:28
「……最初に一つ。奴は並みの強敵ではない。この街屈指の冒険者パーティーが本気で挑んで壊滅したほどだという事を頭に入れて欲しい」

 新しい相方の突飛な行動によって、普段であれば自分の存在を食い入るように見つめるわけがない冒険者連中を前にして俺はなし崩し的に"竜"について説明することになっていた。ハンスの半ば暴走にも思えるような言動が巻き起こしたその騒動を受けて、最初こそ硬直していた受付嬢は、とっとと済ませろと言わんばかりに此方を睨んでいた。もはや"竜"の存在が一般に知れ渡るのは時間の問題だった。ならばせめてそんな話は適当なところで早く終わらせとということだろう。
 それにしても、やはり大人数の前で話すという行動そのものは結構緊張する。出だしを述べて周囲の反応を伺うが、目も前の面々の中には納得するような顔をしている者も、胡散臭げに聞いている者も混在していた。もう少し"竜"の危険性を強調したいが、仮に依頼の方が既に結構な状況に陥っているならば説明している時間もそうなさそうだ。受付嬢のプレッシャーに屈するわけではないが、出来るならば早めに切り上げたいところではある。

「数日前火炎龍の討伐依頼を引き受けた際に、奴と遭遇した。此処にいる皆ならば火炎龍がどのようなものかは知っているだろうが、大変危険な魔物だ。だがそいつは、戦う直前に突如オアシスに乱入してきた"竜"によって呆気なく屠られた」

 獰猛なドラゴンのが一撃で殺された。そんな通常ではありえない事柄を、それでも俺は事実として淡々と語っていく。話を変に彩るよりも、己の見てきたものについて忠実正確に伝えた方が良いだろう。

「半信半疑でも構わないし、何なら頭の隅に置いておくだけでもいい。奴は根本的に今までギルドが確認してきた魔物とは違う。小手先の強さじゃない。その強さの根源は、龍種に真正面からぶつかって勝てる頑強さと、異常なまでに奴を昂らせる闘争心だ」

 大きく息を吸い込み、力強く全員を見据える。たかが若造の空想話と思われようと、これだけは伝えないといけない。無意味な犠牲者を出さないために、そしてまだ共感する者が現れるのを期待して。

「……正攻法では奴に勝てる見込みは無いに等しい。頭から火炎龍の渾身のブレスを被ったのに、その結果が敗走でなく激昂だった!! そんな化け物相手に、龍種のブレスに劣る威力の魔法や、岩山崩しなんてまず敵わない剣や斧の一撃で何ができるっていうんだ」

 戦ってすらもいない、様子を見ただけの、決して経験豊富であるとは言えない自分がここまであの"竜"を語るのは、それは大変におこがましい事なのだろう。しかしいくら自分があの"竜"と釣り合わないと思われようと、それでも俺は彼らに伝えたい。今俺らが前にしている壁の高さを、そして堅牢さを。

「だから裏回りするんだ。魔導師の大魔法をサポートに使う、煙幕を投げつけて戦場をかく乱させる。ひたすらに奴と同じ土俵で戦うことを避けるんだ。それが奴と戦う唯一の攻略だと俺は信じている」

 これで話は終わりだ。簡単に纏めすぎたような気もするが、自分が伝えたいことだけは言う事が出来ただろう。
もしこの話に共感してもらえる人物が居るのならば、その冒険者達と今回の件に関して手を組めるかもしれない。そしてもし居なければ、改めて仲間となれる人物を探し出す。そう、たかだかそれだけの話なんだ。
 椅子に掛け直し、今まで向かい合ってきた面々を見つめる。彼らの反応は色々だ。歴戦の冒険者の中にも腕を組んで考え込んでいる者もいれば、はたまた此方を軽蔑するかのように薄笑いを向ける者さえも居る。ただ、わざわざ若造の話を聞き入れてくれたというだけでも、今回のお話は上出来といったところだ。

「なかなか面白い事を言うわねぇ。そんな強い魔物が居るなんて、お姉さんわくわくしてきちゃった」
「へぇ期待して聞いてみれば、なんという弱腰な発言だ。ガッカリしたよ全く……」
「結局は与太話ってか。まあちょっぴし参考にはさせて貰うけどよ。取りあえず今は依頼が優先だな」

 しかし話し終えてから少し経てば、声の大きな人々の反応を聞く限りでは、概ね肩透かしという感じに見えた。結局はそういう層は引き込めなかったのか。彼らは此方から顔を逸らし、受付嬢へと向き直っていく。とんだ道化だ、こんだけ注目を集めておきながら彼らを引き込むことが出来ないなんて。
 予想と覚悟はしていたとは言え、手ごたえの無さに肩を落としてしまう。仕方がないと言えばそうなのだろう。百聞は一見にしかず、一度自身の目で見ない限り一向にこんな話など信じられる物ではないのだろう。しかしいつまでもがっくりはしていられない。深呼吸をして息を吐き出す。ともかく今は心を入れ替えなければ。"竜"の件もそうだが、今はそれよりも重要な依頼が舞い込んでいるのだろう。本当はこんな話をしている暇など無いほどに切迫しているはずなのだ。

「……良いんじゃねェの? 要点は突いていたし、俺達の信念もアピールすることは出来た。後は話を聞く方の問題だ。折角の金言を与太話と捉える輩には、たとえ今回は生き延びても冒険者としての将来性は真っ暗だ。下手に落ち込むんじゃねェよ」

 今回の元凶が励ましのような言葉を語りかけてくる。まあ確かにアピールするにはいい機会ではあったのには違いない。もしかしたら気まぐれに共感する人間も現れるかもしれないと、今はそうポジティブに考えるべきなのだろう。

「そりゃどうも……で、王女の救出依頼はどうするんだ? 受けるか、それとも断るか。正直な所いくら緊急性が高かろうが、今は"竜"関連に集中したいんだけどなあ」
「おいおい、この流れでどう断るんだよ。今回の依頼ってのは、要人をとにかくとっとと戦線離脱させりゃあ良いんだろ。そんな役回り、お前が避けられる訳ねェだろうが」
「はあ? なんでそんな役目を……あ」

 頭の中でイトが手を振りながら元気に飛び回っているような、そんな変な妄想が過る。俺のパートナーであるイトは、まだ幼いとはいえども立派な龍種である。緊急性を要する依頼において、飛行という手段により馬よりも速く移動することが可能なイトは、それはそれは大変に役立つものであって。

「ネイスさん、あなたは強制参加です!! ついでに脇の無精髭も!!」
「……俺はお目付け役ってか」

 とにかく現場に急行する際には優秀過ぎる乗り物だった。そんなわけか、俺は受付嬢に隣のハンス共々完全に目を着けられることとなった。いきなりのご指名に、周囲の冒険者から何故だという視線が集中する。本当に何故なんだろうね、俺も分からないし分かりたくもないよ。二度目の視線の集中に怯んでいる俺を見据え、受付嬢は似合わない凛とした目つきで、掴みかけた獲物は逃がさんと言わんばかりに続ける。

「そしてなんと!! 参加してくれた暁には酒場のツケをチャラにしますよ!!」
「オーケィ、参加してやんよ小娘!!」

 間髪入れずに飛びつくハンス。ツケなど無い自分には酷くどうでも良い報酬ではあるが、どうやらこの無精髭にはそうでもないらしい。以前に火炎龍の話が上がった際も、やれランクを下げるだとか、信用を失うだとか、引き入れ文句には俺にとって利益となる物は殆ど聞いたことが無い気がする。鋭さを増す冒険者の目線に、そろそろ腹が痛くなってきた。これもイトをパートナーとして、真っ当な人間や亜人と話した経験が少ない弊害なのか。

「いや……え、ちょっと待――」
「ならばお二人は今すぐに出発してください!! 後から別の参加者を急行させますので、まず要人を救出して下さい!!」

 何か言おうとしても、受付嬢の勢いをかき消すことはまるで敵わない。それどころか、ついさっきまで「お目付け役かよ」と少しばかりやれやれといったオーラを出していた相方までが、非常に乗り気へなってしまっていた。

「おうよ!! やってやろうじゃねーか!!」
「いや、だから」

 反論を許さぬままに、ひょろ長い体のどこにそんな力が有るのやら、ハンスに肩を抱えられて強制的に酒場の出口へと連れられていく。冒険者の中には半ば睨めつけるような視線も混じっていた。最初に手柄を挙げようとする俺が気に食わないのだろう。確かにその不満は至極当然の事であり、自分が当事者でなければ共感すらも感じたかもしれない。
 しかしいざ当事者になってみれば、その視線が理不尽な物に思えてしまう。別に此方もやりたくてやっている訳では無いんだよと声を大きくして叫びたい。そんな事を考えている内に酒場の入り口にまで引きずられてしまっていた。受付嬢も既に此方など見てもいないし、剣呑な目つきだった冒険者の青年は既に依頼の詳細に聞き入っていた。

「……別に酒場のツケだけで釣られた訳じゃねェよ。こんな依頼ちゃっちゃと終わらせるぞ。俺達の目的は他に有るんだからよ」

 肩を掴んでいたハンスは、その顔には軽薄そうな笑みを浮かべて周囲には振りまいていながらも、その実小声でそう言った。そうだ、こんな救出依頼なんかで足止めされている場合なんかではないのだ。彼はいつでもその依頼の先、"竜"への挑戦を見据えている。その言い出しっぺの俺が、それに追従している訳にはいかない。むしろ先導するべきだ。

「そうだったな。あくまで目的は"竜"。唯一の心配なところは今回の依頼で誰かが下手に手を出して――っと、すまない。前をよく見ていなくて」
「いたた……ったく、気をつけろよ」

 考え事をしていたからか、目の前から早歩きでこちらに向かってくる人影に気が付かなかった。避ける間もなく、ドン、と酒場に入ってきた二人組の女性と肩をぶつけてしまう。方や真っ赤な短髪に、もう片方は栗色の長髪だ。肩がぶつかった方の赤髪は、そう強い衝撃でもなかったはずなのに妙に大袈裟に肩を押さえている。そして微妙に見覚えが有るのが気になる。
 一瞬思い出そうとしてみたが、ぶっきらぼうに注意をしてきた後二人組はすぐ酒場の空気の異変に気付いたようで奥の方へ早歩きで去って行った。

「……んで急いで出てみたのは良いんだけどよ。龍舎ってどこに有るんだ?」

 結局誰だったのかが分からず釈然としないが、今はそれどころではないのだろう。ハンスの能天気な問いに、失礼だが少しだけ吹き出してしまった。


* * *


 "竜"の出現に混乱の境地へと突入した街グラシス。その街から一国の領土を誇るほどの大砂原を挟みんだ砂漠北部。かなりの距離が離れているにも関わらず、南部と変わらず土地は乾燥していた。開けた荒れ地の周囲一帯には強大な砂色の岩山が聳え立っている。その岩山達の間には、まるで谷間を思い起こさせるかのような細長い道が続いていた。広大な乾燥地帯の南北を隔てる広大な大砂漠は、実質的にどちらの側からしてみても難攻不略の要塞となっている。

 普段ならば、大砂原にほど近いこの地域は砂嵐によって塵や砂が舞い散らかされ、だた辺り一面、地面も空気も砂色の景色を見せるだ。殺風景な荒れ果てた大地、草原すらもありやしない。増しては人が定住するには無理のありすぎる環境と言える。
 しかし今この瞬間ばかりは違った。燦燦と照り付けるぎらついた太陽光を防ぐ皮の鎧に身を包んだ大集団が、乾燥した大地の一画を埋め尽くさんばかりに理路整然と整列している。彼らの構える大槍は、砂の巻き上がる天に向かって一様に向けられていた。その数は一個大隊を簡単に上回るほど。まるで繊細な彫刻を一様に配置しているかのような錯覚すらも覚える。そして整然と並んだ軍集団の前を、軋むような音を立てて木製のレールを進む、巨大な影が存在した。

 それは、黒い帆をはためかせた巨大な船だった。辺り一帯に小さな泉すらも存在しないにも関わらず、幾多もの人員を収容することが可能なほどの巨大帆船が、大砂漠に向けて走る木のレールを進む。重厚な黒木が悲鳴のような軋みを上げることから、その船の巨大さが見て取れた。そしてそれは一隻などでは無い。見上げるほどの威容を誇るその船の後ろには、同等の大きさを持つ船が後三隻も同様にレール上に存在していた。計四隻、その巨大な存在感は、兵士の大集団が発する異様とも言える熱気をかき消すほどだ。

 そして彼らの前には、一対の剛翼を揺らす、成人男性の10倍は有ろうかと言うほどに立派な体格の漆黒の龍が、立派な飾りをあしらった銀甲冑を纏う大男を背中に乗せて、大集団の列の間に作られた道を悠然と歩いていく。一歩ごとに厳かな足音を立てながら、微動だにしない兵士達の間を抜けて、遂に漆黒の龍は彼らの前へと躍り出た。

 その龍は、一様に砂の大地を照らしつくす日の光の中でも一切染まらない闇色の翼を一気に広げ、大砂漠南部の人間の言う帝国の首都から遥々この地へとやって来た彼らの視界を黒で埋め尽くす。そして背に乗っていた大男は、甲冑の見た目に反して軽やかに大地へと降り立った。静寂を続ける兵士達を前にして、大男は大きく両手を掲げる。

「これよりツェーザル皇帝閣下の命に従い、蛮人の住まう国へと電撃的侵攻を開始することを宣言する!!」

 その瞬間、静寂を保っていた集団は激変した。誰も彼もが天に向かい掲げていた長大な槍の柄を地面へと打ち付けた。そして応、と誰も彼もが叫ぶ。一斉に鳴り響く軍集団の咆哮が、この砂漠の一画を埋め尽くした。地面へ打ち付けられた槍たちは再度天高く掲げられ、大量に上げられた白銀の刃が照りつける太陽の光を反射して一層鋭い鉾先であるかのような印象を植え付ける。

「皇帝閣下がお造りになられた砂上要塞グラーフ・ツェッペリンを旗艦とした砂上艦隊は、貴君らを油断なく南部戦線へと送り込むであろう!!」

 背後に控える巨大艦をその剣で指示し、将は誰しもにもその耳に届きうる大声で宣言した。

「もはやこの大砂漠は我々の足を止めることは敵わぬ!! 天然の要塞はたった今この瞬間に崩落した!! このエーベルハルト艦隊により、我らは壮大な歴史の一枚目を綴るのだ!! だからこそ諸君らは今、その一枚目に記されようとしている。諸君らの役目とはいったい何か!?」
『我らは帝国の剣なり!! 皇帝閣下の命に従いて、いざ南部を統ベらん!!』

 兵士達が一斉にそう叫び、静かだった荒れ地に響き渡る。統率の取れた宣言は、まるで一つの咆哮であるかのようにして岩山に反響した。

「宜しい、ならば私はこの艦隊を率いて、諸君らを皇帝閣下の命において戦場へと導こう!! 今やただの砂場と化した大砂原を超えたその先へ!!」

 その瞬間、もはや統率をすべて放棄したかのような雄たけびが兵士達から沸き上がった。今まで幾度となく大きな成功を収めては来なかった南方征伐。その根源とも言える大砂原を踏破する兵器を味方につけた彼らは、もはや恐怖も脅威も感じる余地などは無かった。すべては、南のその先に控える豊潤な大地。先祖代々喉から手が出るほど欲しては潰えた望みが、この砂上艦によりとうとう手中へと収まる時代が来たのだ。

「発艦の時は来たれり!!各員、戦闘配置!!」
『応!!』

 全員が一斉に槍を地面へと打ち付けた。そして整然と並んでいた兵士達は、一斉に乱れぬ動きで眼前に停泊する砂上艦に向けて行進を始める。甲冑に包まれた足が大地を踏みしめる度に重厚な音が鳴り、一個大隊に並んでいた彼らは、一切の無駄もなく四隻の砂上艦に向けて分かれ始める。
 先頭に立った者は、迷いなくそれぞれ別の船へと歩き出す。四隻の船はいずれも大砂原まで続く黒木のレールの上に一列に乗せられていた。既に帆は熱風の中で大きく張られている。それらの艦首から伸びた黒鉄の鎖が、目を見張るほどに大きな巨龍と言われる龍種に対して、それぞれの船を引いて運ぶための手綱として括り付けられていた。
 四列に分かれた甲冑兵達が乗り込んでいく。船から降ろされたタラップを鎧を震わす音を立てながら彼らは上っていった。そして将を乗せた漆黒の龍は剛翼を大きくはためかせた後、重厚な見た目に反して軽々と空中へと浮かび上がり、四隻の砂上艦の先頭、旗艦グラーフ・ツェッペリンへとゆっくりと近づいて広い甲板へと降り立った。
将の大男は軽やかに龍から降りると、谷間のその先に見える大砂原を見据えた。近頃になり妙に激しくなった砂嵐の中では、とてもではないが歩兵や竜車は碌に進行すら出来ずに流れる砂の中へと飲み込まれ、熱砂に蒸し焼かれて死ぬだろう。
 しかし幾多もの計画と破綻を乗り越えてようやく完成に至ったこの砂上艦隊は、荒れ狂う砂嵐にも耐えきれる、大砂原の横断を可能とする乗り物だ。今回の南部進行で手柄を上げた暁には、砂上艦が更に生産されて本格的な王国への侵攻が始まるだろう。この侵攻は言ってしまえばその大きな計画への第一歩であるのだ。これが頓挫してしまったら、皇帝は大変に落胆するだろう。大男は、大荒れの砂嵐を睨めつけた。意地でも侵攻を成功させるためへの第一関門を。

「将軍、お願いします」
「ああ、分かっている」

 脇に駆け寄ってきた甲冑兵の一人と極短い言葉を交わし、砂上艦隊を率いる北の帝国の将軍は大股で甲板から船の先頭へと上った。四隻の砂上船に乗った全ての兵達を視界の中に入れる。全ての艦を率いる役目を仰せつかった巨龍の乗っている兵隊達も、船の上で整然と並ぶ兵士達も、その全てが今から彼がいう事を心待ちにしているのだ。将軍は大きく両手を広げ、全ての部下を鋭く見据え、そして叫んだ。

「第四次南部進行作戦、開始せよ!!」
『応!!』

 今までと比較にならないほどの団結の咆哮が岩地に響き渡る。整然とした姿勢は既に崩れ、全ての兵が武器を掲げたり、天に手を突き出したりなど、思い思いの方法で侵攻への抱負をアピールする。巨龍に搭乗する兵隊たちも雄たけびを上げながら、それぞれが持つ手綱の先に居る龍へ指示を与えた。

 総勢四頭の巨龍達が巨大な声を以て吠え、満身の力で前へと踏み出した。強大すぎる第一歩目は、砂の大地を軽く抉りながら巨大な地響きと共に砂煙を散らした。砂上艦に繋がれた黒鉄の鎖は、千切れんばかりに巨龍達に引っ張られた。巨龍の体格すらも上回るような大きさの船だ。例え彼らが己の倍近い岩塊を引くほどの晩力があろうと、この船に対しては一筋縄ではいかない。だがそれでもギチギチと音を立て、巨龍達は懸命に鎖を引く。その背後から、ひと際強力な熱風が吹き荒れ、砂上艦に張られた帆が推力を生み出した。熱風と巨龍の二つの力により、砂上艦の下に付けられた鉄製の車輪が、とうとう重い音を立てながらゆっくりと回り始めた。
 四隻の砂上船は、お互いにぶつからない距離を保ちつつ、同じレールの上をゆっくりと走り始めた。超重量の砂上船を乗せたレールは、その重さに耐えるかのように車輪との間で軋む音を立て、兵達の雄たけびも大きさを増していく。
 谷間を走るレールの向こうから吹き付ける砂混じりの風が、荒れ果てた大地へ足を踏み入れようとする彼らを出迎えた。しかし巨龍達は全く気にせずに大砂原の入り口へと足を進める。砂上艦に乗り込んだ兵士の先祖たちは、これまで何度か行われた南部征伐作戦の中、この熱風を受けて死地へ赴く絶望感をその胸に抱いたことだろう。しかしその死の砂風も、今やこの砂上艦の動力源として彼らの背中を押すのだ。

 砂上艦隊は向かう。何者をも寄せ付けなかったはずの砂の大海原へ。そしてその砂の大海は、生きる霊峰が住まう冥府の淵でもあるのだ。砂上艦隊から遥か離れた大砂漠の中央部で、大規模な流砂が発生しようとしていた。



[31552] 十話目 去らない"脅威"
Name: 周波数◆b23ad3ad ID:22b3f711
Date: 2017/09/27 20:28
 人と龍との間には言葉は通じない。念話が使えるなどの先天的な才能が有る場合はその限りには無いにしろ、人と龍を会話という絆で繋ぐことは基本的には不可能なのだ。しかし意志が通じないという訳では無い。頭の良い龍種は喋れはしないけれども此方の言葉をある程度は理解し、そしてパートナーである人間も彼らの身振りを見て、伝えたいことを悟っていくのだ。
 念話が先天的な才能と言うのならば、龍との意思疎通も立派なセンスの一つであると俺は思っている。彼らの挙動から、意志の疎通を試みる。それが龍使いの基本中の基本だ。

「クルルル!!」

 そして今も、俺は自身のパートナーとの意思疎通を図っていた。龍舎の中で退屈そうにしていた森緑龍のイトは、俺が手を振りながら近づいているのが見えると、すぐに翼をはためかせながら歓迎してくれた。
 イトの面倒をみるにあたっては、街の外れにある竜車を引かせるための地竜や馬を飼育するための小屋である建物の一部を借り受け、目立たない一角に実質イト専用の龍舎として使わせて貰っている。

 本当はこの街には他にも龍使いが少しは居るだろうと思ってシェアする気で借り受けたのだが、予想は外れて未だに自分一人でこの一角を借り受けている。おかげさまで月々の維持費はかなり高く、依頼で得た報酬の多くが龍舎を管理してくれている竜車組合へと流れ出てしまっている。家畜特有の臭いの中で、仲間の龍種もいない状況では彼も当然退屈だったのだろう。俺が近づくと立派な緑色の尻尾をワサワサと揺らし、心なしかにっこりと笑っているかのようにさえも見えた。しかしそんな団欒も長くは続かなかった。

 一緒に来たハンスが物珍しそうな目でイトを観察し始めた時点でイトの翼が垂れ下がっていたから、この時にはもう機嫌は良くなかったのだろう。柱に括り付けてある縄を外しながら、どこかムスッとした態度のイトに無駄話や今回の依頼に対する愚痴を垂れ流すと、それは酷いねと言うかのようにイトは鼻息を深くついた。
 早く外に出たいと鼻先で肩をつつくイトを宥めつつ、首にかけられた手綱を引き、ハンスと共に龍舎の外へと向かった。そしていざハンスと共に彼の上に跨ろうとした時に問題が発生した。

「クルルル?」

 言葉にするならば「え? コイツ乗せんの?」といったところだろうか。ハンスが背中に乗ろうと鞍に足をかけたところ、イトが困惑したかのような声で鳴いた。そういえば、いくら龍使いの保有する龍とは言えども主人以外が乗ろうとすると嫌がる個体も居るという話を聞いたことが有る。いくら人間に慣れているとは言えども流石に赤の他人には背中を許したくないのだろう。イトも同様なのだろうか。首を傾けながらイトを見ている内に、彼は背中に跨ろうとするハンスをふさふさな翼でどうにか阻止しようと妨害をし始めた。

「このバカを早く説得してくれ!! ったく緊急時なのによ、ウグッ!? この野郎、口の中に羽毛を突っ込むんじゃねェ!!」
「クルルルルルル!!」

 一瞬の攻防だった。無駄に軽やかな動きで鞍の足場を蹴り、手綱の一端を握りしめて強引に背中に飛び乗ろうとするハンスの顔面に羽毛たっぷりな翼をぶつけることで寸での所で阻止するイト。ハンスは無様に空中に投げ出されたが、空中で手綱を引き寄せて瞬時に体勢を整え、鮮やかな動きで地面に着地した。そしてどこか勝ち誇ったかのようにフンと鼻息を鳴らすイトを睨めつけ、俺に大股で詰め寄った。

「なんであんなに強引なんだよ!! ペッ、口ン中が毛だらけだ。お前が説得しないとこれじゃあ埒が明かん」
「コイツが抵抗することなんて滅多に無かったが、今まで俺以外に人を乗せたことが無いからかな……まあ、頼み込んでみるか」

 理由ははっきりはしないが、ともかくイトはハンスを乗せるのは嫌なのだろう。しかし非常時なだけあって、彼には言う事を聞いてもらうしか無い。フンスと鼻を鳴らし勝ち誇るイトの前に立ち、手を伸ばして鼻先を撫でると、イトは気持ちよさそうに鳴き声を上げた。不機嫌だった彼も俺に対してはいつも通りの反応だ。
一通り撫で終えて、イトと向かい合う。彼の目をじっと見つめ、決して離さない。此方の意志の固さを知らせるためのコミニケーションの取り方だ。

「イト、気に入らないのはまあ分かる。だが今は非常時なんだ。俺の言うとおりにしてくれ」

 決して頭は下げない。頼み込んでいるのではなく、こういう言い方をするのは嫌だが命令しているのだから。イトも中々逸らさずに俺を見つめている。龍と言う種族は聡明だ。彼らは言葉を発する事は出来ないものの、人に慣れた彼らは言葉を理解することが可能なほどの知性を持っているからだ。
 かれこれ5年以上俺のパートナーで有り続けたイトだから、流石に俺の言わんとする事が分かったのだろう。時折ハンスの方をチラリと見ながら俺を見つめて来た。両者とも顔を縦に振らずしばし沈黙が訪れたが、その中で俺は状況を打破すると確信できる一言を放った。

「……サーディン5尾でどうだ?」

 この街から更に西へと行った先には少々大きな港町が有り、サーディンはその港で取れる魚の中ではごく一般的な物だ。保存の効く油漬けもよくそこらへんで売ってるが、鮮魚はそうはいかない。その港町から離れた砂漠が近くにあるこの街において、加工をしていない鮮魚と言うのは魔法で冷凍でもしない限り手に入る物ではなく、市場でも手ごろな価格では手に入らないのだ。イトにとっては中々食べることのできない御馳走。量も含めて交渉材料としては十分だろう。

「クルルルル」

 しかし彼は首を横に振った。どうやら彼にとっては命令を飲むには相応しくない条件らしい。どうしたものかと首を捻っていると、イトは俺に見えるように大袈裟に首を縦に振った。その回数は10回。これが何を意味するのかは明白だ。

「二倍の10尾か……値が張るんだけどな、まあ良い。それでハンスも乗せてくれるんだな?」
「クルル!」
「今すぐに依頼で赴かなくてはならないんだぞ?」
「クルルル!」
「ちなみに行先はあの"竜"の出没地点の近くだがな」
「クルルル……ググルッ!?」

 順調に頷いていたイトにも流石に動揺が走ったようだ。こちらを見ながら急に落ち着きなく彼は震えだした。コイツも"竜"の恐ろしさを分かっているのだろう。何なら、一応同族にあたる火炎龍が目の前で殺される瞬間を目の当たりにしているのだ。だからこそ退避する事を選んだ時になんの文句も無く俺の意見に従ってくれたのだろうし、現に今も出発するということ自体に乗り気という訳ではなさそうだ。

「……確かに俺はあの"竜"と向き合いたいとは思っているがな、だが別に今から戦いを挑もうって訳じゃあない。今はただの緊急依頼。"竜"と鉢合わせている可能性のある要人救助だ。此方から突かなきゃ、命に関わるような依頼じゃないんだ」
「クルルル……」

 なんとなく分かったそうな雰囲気を醸し出すも、イトは渋るように嘶いた。確かにいくらその"竜"と戦う訳では無いとは言えども、その近くに赴くことには変わらない。そんな状況に、絶対の安全なんてものは存在しないのだ。そもそもそんなものが有ればこの依頼は出されちゃあいない。だが、それでもイトを安心させようと説得を続ける。

「そうだ、お前も分かるだろう? なんの準備も無しで死地に赴くほど俺は愚かじゃない。今は決して"竜"に手を出さないと約束するさ」
「ググ……クルル!!」

 最後までイトの目を見続け、下手な手出しはしないと念を押すと、彼もようやく納得してくれたようだ。強く此方を見据え、フンスと意気込みを入れるかのように鼻息を鳴らしている。コイツは聡明な龍だ。俺の言いたいことをきちんと把握してくれているし、彼自身が納得するまではいくら使い主の俺の命令でさえ簡単には頷かない。俺と自身の双方の安全を踏まえて、彼も色々と考えてくれているのだ。

「へぇ……随分と頭の良い奴だな、コイツ。体格はしっかりしているが、見た感じではまだ成龍じゃないんだろ? それでもここまで主人と意思疎通が出来る物なんだな」

 ハンスはイトの様子を見て、珍しく真面目な顔をして頷いていた。彼も少しは龍について嗜んでいるのだろう。成人男性よりも余程大きいコイツを初見で幼龍と見抜ける人は中々居ないのが、ハンスはすぐに見抜いていたようだ。彼は一通り感心した後、再度イトの首にかけられた手綱を手に取り、鞍に足をかけた。少々イトは不満げにしているが、先ほどとは違い振り落とそうとするような素振りは見せていない。流石に龍種に乗った経験は無いのだろうか、ややぎこちない様子でハンスは彼の背中に跨り、そしてニヤリと笑顔を浮かべた。

「おお、初めて龍ってのに乗ったがそんなに悪くはねェな!! ふーむ、馬とはまた違って背中が広いから跨るのは難しいと思ってたけど、意外とそうでもないんだな」
「慣れるまではきつい筈なんだがな。へえ、すぐ適応出来ているじゃないか」

 昔、故郷に手て龍使いになることを志していた頃の話だ。己が初めて龍種の背中に乗った時は、その背中の広さから自身の体を固定することが難しく、慣れるまで中々時間がかかった物だ。それに比べれば、ハンスはもともとの身のこなしの軽さというのもあるのだろうが、一見すれば慣れたものに見える。
 ハンスが足場に両足を固定出来ているのを確認した後俺も鞍に足をかけ、イトの深緑色の鱗と羽毛で覆われた背中に跨った。ふかふかの羽毛のおかげで、乗り心地は悪いどころか俺にとってはそこらの馬よりもよほど快適に思える。

「よし……そろそろ飛ぶか。ハンス、絶対最初は慣れないと思うから、無理しないで俺の背中にでもつかまっててくれ」

 後ろに乗っているハンスにそう伝え、イトの背中を軽く叩いた。

「んじゃ遠慮無くそうさせて貰う。年甲斐なく緊張してきた。龍の背中もそうだが空なんて飛んだことなんて無いからな」

 イトは龍舎の前から開けた広場の方へと俺達を乗せて歩き出した。今から空へと飛び立つのに、小屋や木などは障害物となるからだ。一歩イトが歩く度に腰から振動が伝わってくる。初めてイトと会ったころは、こうして飛び立つ前でさえ結構怖がっていたものだが、今ではすっかり慣れてしまっている。

「んじゃイト。行こう」

 短くそう言うと同時に、イトは鮮やかな緑色の翼を大きく広げた。頭上からさす太陽の光を微かに通すかというほどに厚い翼膜は、日光によって真夏の新緑を思わせる色を発している。数回大きく翼を震わせた後、彼は強靭な四肢でもって大地を蹴りだし、同時に緩やかに翼をはためかせながらとうとう空中に躍り出た。一度空へと舞いあがったら後は早い。鋭く翼を振りイトは器用に風の流れを掴み、高度を上げていく。

「うおっ、すげェな!! やっぱり龍ってすげェよ!!」

 ハンスが興奮したように背後で騒いでいる。そうだろう、この空に飛びだすという感覚は龍に乗ることに慣れた今になっても興奮する一瞬だ。広場の外れに生えていた巨大な木の高さを優に越し、そして眼下に見える通りが段々と小さくなった辺りで、再びイトの背中を叩いた。この近辺の人々にとっては今や見慣れた光景だろう。眼下で飛び脱俺たちを眺めていた人々は、空高く上がるこちらからだんだんと目を離していった。そんな彼らの視線を引き離すがごとく、イトは稼いだ高度を推進力へと変えるべく、細かく翼を震わせた。それと同時に、彼の背中を小さくたたいた。
 その合図と共にイトは頷くと、翼で羽ばたくのを突如として止めた。しかし真っ逆さまに落ちるなんて事は無く、イトの体は高空での静止から一転し、鋭い速さで空を切って街道が続く方角へと突き進む。

「取りあえず先ずは街道へ出よう。そこから進んでいった場所にお目当ての要人たちは居るようだからね」

 馬なんか比較にならない速さで空を駆けるイト。一分も立たずに、眼下の光景はグラシスの城壁を抜けていた。風を切って進む俺たちの正面には、その城壁からずっと続く街道が見えていた。あれこそが、今回の目的地へとつながる王国の北部主要交通路だ。その街道は小規模の岩山の間へと続いており、その岩山などで遮られた先に王女一行が居るのだろう。
 
 高度からの滑空によって速度を得ながら、時折翼を羽ばたかせてイトは俺達を乗せて街道の先へと向かう。あの"竜"と遭遇なんてしませんようにと心の片隅で祈りながら。


* * *


 ドサリという音が一瞬荒れ地に響くが、すぐ周囲で枯草が燃え盛る音にかき消されるほどに呆気の無い物であった。大地に投げ出された雷龍だった肉塊は、胸を向こう側が見える程までに抉られており、その大穴からはまだ温かい紅い血液が湯水の如く流れ出ている。赤と黄色の炎と、灰色の燃え滓、そして大小の砂色の砂礫が埋め尽くす大地を、鮮血は赤く染め上げていた。
 間違いなく、即死。心臓を貫かれたと言うよりも、心臓を含めた胸部の肉をすべてまとめて抉られたと言った方が正しいと思えるほどだ。それくらいに穿たれた胸の穴は大きく、1か所しか目立つ外傷は無いにも関わらず遺体の損傷も激しかった。

 蒼い体からどくどくと鮮血が流れ出る脇で、その骸がまるで小動物かのように思える程に大きな者が、ゆっくりと巨大な頭を振っていた。雷龍の心臓を貫いた、先が折れていない方の角は、付着した血液や肉片で真っ赤に染め上げられている。時折先端から血がポトリと滴り落ちる程までに濡れており、角の根元までに血液は流れ伝っている。
 それが鬱陶しいのか、"竜"は不機嫌そうに頭を振って角から血液を払い落とそうとする。しかしそれでも中途半端に血のりで濡れたままで、所々が血によって黒ずみ始めている。要塞のような体格を持つ体を持ち、片方の角を赤黒と砂色の迷彩の様に染め上げている。そう表現すると酷く恐ろしい、この"竜"には相応しい佇まいと言えよう。しかし折れたほうの角と折れてない方の角とが違う色であることが、どうしても彼には気になったのだろう。

 "竜"は大きく斜め上に巨大な角を生やした頭を振り上げた。遮る物の無い強い日差しが砂色の折れた片角と赤黒く染まった片角の双方を明るく照らしあげる。そして片足に体重をかけて、巨大な剛角を砂色の大地へと向けて、彼は勢い良く荒れ地の地面を抉った。瞬間、穿たれた砂と枯草達はその勢いを示すかのように舞い上がり、まるで地面が破裂したかのように弾け飛んだ。そして勢いを殺せずに天へと突きだされた頭の先には、血糊によって大量に砂が付着した角の姿があった。
 体勢を立て直した"竜"は、今度は軽く頭を振るう。角に付着した余分な砂はふるい落とされ、荒々しく捻じれた角の均整な造形を殺さない程にまで砂が付着している程度となった。その身に似つかわしい砂色に染め上げられた角に満足したのか、"竜"は改めてその大きな頭に聳える双角を殺風景な荒れ地の空へと向けた。


 決して弔いの叫びなどではなく。ただ敵を下したという勝鬨として荒れ地に咆哮は轟く。遮る物の無い開けた大地を流れるようにして伝わり、遠く、王女たちが逃れた岩山まで咆哮の残り香は響き渡った。そして、その岩山の果て。街道が伝わるその先へ"竜"は目を向ける。なわばりの一角を犯した者たちを睨めつけるようにして、時折唸り声を漏らしながら彼は翡翠色の双眼で見つめ続けた。

 王女たちの一行は既にもう岩山の影に隠れて見えない。しかし縄張りに足を踏み入れた次なる標的の影を追うために、"竜"は先ほどと同様にして地面を掘り返し始めた。手慣れた動作で足を角を、そして退化した翼までもを用いて、器用に素早く穴を掘り進めていく。そしてある程度の深さまで穴が達すると、彼は柔らかく解された砂礫の中へ頭から巨体を地中へとねじ込ませていく。掘り返された砂煙が空を舞い、巨体に押しのけられた土砂が辺りへと積もっていく。そして巨大な尻尾までもが埋まり、さながら先ほどの決戦の終着眼前かのような静けさが周囲を支配した。

 強くなってきた熱風が、炎に焼かれた枯草の灰を吹き飛ばし、穴の周囲に積もった砂も一緒に舞う、そんな唯の野火事があっただけかのような風景の中に、雷龍の死骸がポツンと置かれている。そんな不気味な光景が存在している。そして一瞬地響きが辺りに響いたと思うと、埋まりかけている大穴を始点にして、急に砂煙が立ち込めた。まるで意志を持っているかのように、砂煙は地響きと共に一直線上に発生し続ける。

 突き進む砂煙の向かう先は、岩山が乱立する荒れ地の外れ。未だ災厄がこの地を去る気配は無さそうだ。



[31552] 十一話目 街道での"謁見"
Name: 周波数◆b23ad3ad ID:22b3f711
Date: 2017/09/27 20:28
 時折吹く風が砂を散らす、両脇に大きな岩山が立ち並ぶ渓谷を縫うようにして造られた、言ってしまえば殺風景な景色の広がる街道を、この場にそぐわない集団が駆けていた。軽甲冑の上から上品な青色の布を装飾品の様に纏った騎士達、そしてそれに囲まれるようにして走るメイド服姿の女性、そして彼女に抱かれた高貴な服を纏う少女。
 もし大きな竜車に乗ってゆっくりと進んでいるならば高貴な身なりと合わさって非常に絵になる集団だろう。しかし彼らは砂埃の舞う街道を生身で駆け抜けているせいで酷く浮いた光景となっている。ペースは小走りと全力疾走の中間程か、そのスピードで結構な時間を走っていたようで彼らの顔からは疲労が容易に読み取れる。

「はぁ……はぁ……一旦止まりましょう」

 メイド服の女性、レーナはそう提案した。もしもの襲撃に備えて武器を構えながら走っていた騎士は勿論、王女を抱えていた自分自身も流石に息が切れてきた。彼女の言葉を聞き、レーナと王女を囲っていた騎士たちはそれぞれ立ち止まる。そして面々は膝に手をついたり、喉に入り込んだ砂や塵を吐き出すべく咳き込みつつも深呼吸をした。
 相当に疲れたのだろう。武器を構えながら全力に近い速さで、尚且つ強敵に背を向けながら王女を守るという途轍もない状況。体力面では自信がある彼らでも、そんな環境に置かれたおかげで肉体的だけではなく精神的にも疲れ果てていた。

 その彼らが逃げている中で絶え間なく響いてきた"竜"の咆哮、そして威圧感。いくら離れていても何度も腹の底まで響いてくる咆哮の大きさと荒々しさは、王国に仕える騎士であるという誇りによって守られた精神をこれでもかと言うほどに傷つけていた。

「……レーナ殿、このまま街道を突破しますか?」

 鎧に付けられた蒼い装飾羽が目立つこの護衛隊を率いる隊長は、一息ついた後王女を一度おろしたレーナにそう問いかけた。息を切して、地面に手をついている程に疲れている騎士も居る中で、彼は一見してそこまで疲れた様子が無い。しかし彼の膝は無意識のうちに震えており、彼は自身の脚を憎々しげに見つめた。護衛隊長になるほどに経験をつんだ彼をしても、"竜"の威圧感は規格外なのだろう。

「ええ、なるべく早く向かいましょう。ここは入り組んだ谷間なのですぐに追いつかれるという事は無いでしょうが、それでも万が一という事もあります。それに雷龍が居ない今、規模次第では下級魔物の群れでさえも脅威になるかもしれません」

 遠く続く岩山の間の街道を見つめながらレーナは答えた。彼らのいる岩山は曲がりくねっており、未だこの位置からは確認することが出来ない場所にある。しかしこの岩山で入り組んだ谷道は砂漠地帯の中でも街に程近い場所に存在しているため、今の正確な位置は分からないがこのまま順調に走っていけばそう遅くない時間に街道を抜けて街の敷地へと入る事が可能だろう。彼女はそう考え、砂埃が立ちめく街道の先からは一度目を離した。そして彼女は厳しい表情を解き、心配そうな顔を浮かべている第三王女へと向き合った。

「グラシスまでは後少しです。そこまで行き着いたらもう大丈夫ですよ。後少しの辛抱です」

 まるで母親であるかのように、王女の淡い金色の髪をなでながらゆっくりと落ち着いた口調でそう話す。しかし王女の顔はすぐれないままであった。小さな手は握り拳を作っており、何かを耐えるように震えている。そして若干俯き加減だった、まるで精巧な人形であるかのように整った顔を上げた。
 涙で濡れてしまってはいるものの、その顔に浮かぶのは恐怖などではなく、怒りにも似た、険しい表情であった。それを見たレーナが少し驚いた顔を浮かべる。

「……ごめんなさい。私がレーナのお荷物になっているせいで……私が何も出来なくて……ッ!! 私も!! 私も皆さんと走ります!!」

 静かな街道に、場違いなほどの澄んだ大声が響いた。手を握り締めて啖呵を切った後も、彼女は震えながらもレーナを見つめ続ける。騎士たちは驚いた様子で王女を見つめ、レーナも一瞬間の抜けたような表情を浮かべた。全員の動きが一時止まる中、吹き付ける熱風が彼女の長い髪を泳がせるかのように揺らす。

 揺れる金色の髪の中で見つめる彼女の決意に満ちた表情は、しかしすぐに彼女の顔よりも広い何かで覆われてしまった。

「……姫様も立派になられましたね。本当、昔から甘えん坊でしたが、人の成長は早い物ですね」
「は、はわわわ……」

 レーナが王女を胸に抱きしめていた。その様子は本当の母と娘さながら、母が子をあやす様にレーナは彼女の頭を優しく撫で上げた。肌に吹き付ける熱風ではなく、人肌の温かさだ。胸を顔に押し付けられた王女は、先ほどの覚悟を決めた強気の表情を段々と崩しながら、混乱した様子で何とか離れようとレーナの胸の内でもがく。しかし彼女の小さな頭は、細いながらもしっかりと抑えたレーナの腕で固定されていた。

「まったく……姫様、私知ってますよ? 昔から好奇心旺盛で優しくて、でも走るのは遅く、運動なんてもの凄く苦手でしたよね。だから今は無理しないで頼って下さいな」
「レ、レーナ?」

 周囲の騎士たちもいつの間にか穏やかな表情を浮かべており、二人を微笑ましそうな様子で見ている。彼らの暖かい視線が集中し、王女は見る見るうちに顔を赤らめてしまう。そして顔を隠す為にレーナの胸に顔を埋めてしまった。

「……レーナのバカ」
「ふふふ」

 レーナは胸に顔を埋めたまま動かない王女の頭を軽く撫でた後、先ほどまでと同じように軽々と王女を抱き上げた。王女も抵抗はしない。改めて考えると自身が頑張って走ったところで、すぐにばててしまって彼らの足を引っ張るのが御の字だからだ。

 そうしているうちに、上がっていた息も全回復とはいかなくても逃亡を再開する程度までは治ったのだろう。護衛隊の一行は皆既に武器を構え、彼女たちに何か起きてもすぐに行動に移せるように準備を終えていた。そして隊長が彼らの一歩前に進み、王女を抱いたレーナの前へと歩み出た。

「レーナ殿、準備はよろしいですか?」
「……はい、行きましょう」

 既に笑顔は消え、また険しい顔をして二人は同時に頷く。騎士たちは再び素早くレーナ達を取り囲み、隊長は彼らの前に立った。そして改めて目の前に続く街道を睨めつけた。相も変わらず砂煙が立ち込めていて、岩山が入り組んでいるために遠くまでは見えない街道。正午近く、彼らの頭上まで上がった太陽は死角なく大地を照らし、入り組んだ街道に殆ど影は見当たらない。
 下手をすれば日射病で手痛いダメージを負いかねない程に強い日差しに気温という条件だが、しかし彼らは一様にこの街道を走り抜ける覚悟を胸に持っていた。いざ号令をかけ、走り出そうと空を見上げた隊長は、だが不意に何か可笑しな物を見た気がして、その方向を凝視した。


 街道の両脇に聳える岩山、そしてその上に見える雲が殆ど存在していない青空。太陽は反対側に有るので、逆光によって景色が見えづらいなどと言う事は無く、彼の眼には綺麗な青空が広がっている。その青空の中心、何か黒い点のようなものが、徐々に大きくなりながら近づいてきているように彼の眼には映った。

「全員、敵襲に備えろ!!」

 そのシルエットが何らかの龍種であると把握した瞬間、考えるよりも早く彼は条件反射で騎士たちに鋭い声で指示を飛ばした。右手には素早く剣を握りしめ、近づきつつある黒影へと向け、その方向を鋭く睨めつける。レーナも速やかに、しかし優しく王女を降ろすと、彼女を後ろへと庇いながら腰に差していた短めの杖を構えた。騎士たちも彼女を取り囲んだ状態のまま剣を構え、あっという間に迎撃態勢を整えた。
 熱風が彼らの頬を撫で上げ、伝わる冷や汗を蒸発させる。誰しもが鋭い目つきで隊長の剣の先に居る何者かを睨めつける。庇われている王女も、決して弱腰な構えでは無く、彼ら同様にその方向を睨めつけていた。

 一行が敵襲に向けて構える中、その黒影は刻々と彼らの方へ一直線へと向かってきていた。離れていても分かる程に広げた翼、そして鳥にしては立派過ぎる足。隊長の見た通り、黒影の主は龍種そのものであった。青空との対比で黒っぽく見えていた影は、近づくにつれて段々と深い緑色へと変化していく。
 隊長が強く剣を握りしめ、レーナが一層険しい顔を浮かべるまでに龍は彼らに接近し、遂にはっきりとした姿が分かる程までに近づいた後、龍は立派な翼をはためかせながらゆっくりと地面へと足を付けた。

 その龍が地面に降り立つと同時に、翼が巻き起こす風が遠目に見ても分かるくらいに街道の砂煙を巻き上げた。そしてここまで来て、初めてレーナの頭に困惑が浮かぶ。

(濃い緑に羽毛……まさか森緑龍!? なぜこんな荒れ地に居る!?)

 目の前の龍が持つ様々な特徴的な見た目から、彼女は龍種というくくりの中で森緑龍であると判断を下した。しかし彼女の記憶している限りでは、森緑龍という種類は木や水が豊富にある場所を好んで生息し、その真逆とも言えるこんな乾燥した荒れ地には姿を表さないはずだった。
 彼女が混乱する中で更に動きがあった。大地に降り立った森緑龍から人が飛び降りた。それも1人では無く2人。ここにきてようやく騎士たちにも困惑が走った。

(まさか龍騎士? でもグラシスの自警団は龍騎士を抱える程に大きな物ではない……)

 彼らの困惑など知らぬと言わんばかりに、降り立った2人は警戒している素振りも見せずに此方へと小走りでやってくる。そして彼らの後を追うようにして、森緑龍も小歩きで向かってきた。それでも一行は困惑しながらも武器を構えたまま、王女を守るべく、彼らを警戒し続けた。
 しかしそんな奇妙な時間は長くは続かず、侵入者の顔が把握できるまで両者の距離が縮まると、2人組の内の片方、ひょろ長い背丈の男が大きく手を振った。

「ハイ注目!! 俺達は緊急の依頼につきここに赴いた冒険者だ!! 武器は構えたままで良いからこっちの話を聞け!!」

 王位継承権は低いながらも、この場に居る人物は王家の第三王女に他ならず、彼のそんなぶっきらぼうな言葉づかいに一行は怒りよりも先に呆気にとられた。一行が更に困惑しているのを知ってか知らずか、彼らはさっきよりもペースを早めて此方へと向かってきて、そしてようやく彼らは話し合いが可能な距離にまで近づいた。
 レーナは二人の様子を観察した。片方はエルフ顔負けのひょろ長い背丈を持つ、短く髭を生やした黒髪の男。そしてもう片方は、黒髪の男よりも少し背が低い、黒っぽい茶髪の若い男。
 前者は何が面白いのかニヤニヤとした笑顔を浮かべており、もう片方は何処か不機嫌そうな、仏頂面にも似た表情をしている。どちらも共通して王族を前にした雰囲気とは思えない表情だった。そして問題の森緑龍はと言うと、後ろから茶髪の男の肩を突っついたり、此方を興味深そうに観察していたりなどと落ち着きがない。

「さァて……あんたらが問題の第三王女様一向さんか。その様子じゃ、竜車を乗り捨ててここまで走ってきたんだろ。こんのクソ暑いなか災難だったなァ」

 まるで気の知れた人間に話しかけるかのような調子。到底王族に対するものには思えない言葉遣いで彼は一向を眺めながら口を開いた。これに反応したのは護衛隊の隊長だった。流石に礼儀を掻きすぎている彼の態度に怒りを隠せなかったのだろう。怒声を発せようと剣を構えながら口を開くが、それよりも早くもう一人目の、茶髪の男が慌てた様子で口を開いた。

「ちょ、相方がこんな口調ですいません!! 俺たち――いや私達は皆様の救出のためにグラシスから出向いてきた者です。襲われたのでしょう、あの化け物に」

 仏頂面ながらも、その口から出てくる言葉は辛うじて敬語の域をとどめて居る。そして出てきた"化け物"という抽象的な表現を、一行は何を意味する言葉なのかを瞬時に把握をした。一行の竜車を一撃で大破させた、雷龍が食い止めているであろう砂色の巨大竜。その姿が騎士たちの頭の中に浮かび上がる。

「聞いた通り竜車をやられたんですね……でもあの"竜"相手でよくここまでご無事でした」

 そう言って仏頂面を浮かべた茶髪の男はたどたどしい振舞のまま頭を垂れた。黒髪の男とは違い、彼は言葉に関して言えば一向に丁寧に接している。そんなアンバランスな二人組を前にして、レーナは王女を庇う騎士達や隊長の前へと歩み出た。

「私は姫様の侍女を務めているレーナと申します。以降お見知りおきを。ただ、以降があるかは分かりませんがね」
「……ええと、それはどういうことでしょうか」

 茶髪の男は、視線を強めて警戒感をあらわにするレーナに、思わず一歩後ずさった。そうさせるだけの威圧感を、彼女は二人組の男へと向けている。冒険者、この状況において降って湧いた存在としては飛びつきたくなるほどの助けかもしれない。しかし、もし彼らが冒険者を騙る悪漢なのだとしたら、そんな人間に第三王女たる国家の至宝を扱わせるなど出来やしない。 

「貴方達が本当に冒険者であるか否かはこの際関係ありません。わざわざ此方にまで赴いていただいた方に言うのも心苦しいものはあります。ですが、我々の身を貴方たちに預ける事など出来ません」

 もしここに現れたのが街の警備隊など公的な身分を持ち合わせた者ならば、王女のみを先に街へと送り届けてもらう事も可能だっただろう。しかし良くも悪くも、誰でもなれる冒険者では訳が違う。例え彼らの身分証を一見しても、彼らの本当の素性は分からない可能性が有る。そんな人物に王家の一角である王女を預けるというのは、分の悪い賭けどころの話ではない。周囲の騎士たちも同様に険しい表情で二人を見つめていた。
 幸いなことに、現時点では雷龍があの化け物を足止めしている。その確信が彼女にはあった。雷龍が囮となっている内に街までたどり着くことが出来れば、こんなリスクのある賭けなどしないで済むのだ。

「し、しかし事は一刻を要するのですよ!? もし万一の事があってからでは遅い!!」

 予想していなかった彼女の応対に、茶髪の男――ネイスは狼狽えた。彼の考えでは、交渉次第で王女のみを先に街に送り届けるつもりでいたが、そんな交渉に入ることすらできずに門前払いされたのだ。慌てて脇に立つ黒髪の男――ハンスへ視線を向けるが、彼は彼で一行を先ほどまでの笑みとは一転して鋭い目つきで睨めつけていた。

「このままあの化け物にそこ姫さん共々襲われたいなら俺は止めねーよ。別にそれで俺らが困る訳じゃねェし」
「私が命を懸けて姫様を御守りします。せめて貴殿方が街の警備隊なら……いえ、何でもありません。ともかく我々は先へと進みます。お気遣いだけは受け取っておきましょう」
「そうかい。わざわざやって来たこっちの手を突っぱねたんだ。ならば後は助かるなり死――まあ、何だ。勝手にしな」

 一瞬「死ぬなり」と言いかけたハンスも、流石に無礼すぎると思ったのか寸での所で言葉を止める。そして吐き捨てたハンスはすぐにレーナ達から顔を逸らし、態々聞こえる音で舌打ちをした。当事者である第三王女はそんなハンスの態度に流石におろおろとしだしてしまい、ネイスも、もう俺は関与しないとそっぽを向いてしまったハンスと王女一行をそれぞれ酷く狼狽した様子で見つめている。
 騎士たちは既に先ほどまでの布陣を組み直しており、隊長の一声が有ればすぐさまに王女たちを護衛したまま走れる準備を整えていた。ネイスは何時もならば気にならない程度の軽い風でさえ、今は酷く邪魔な物に感じる程に考え込んでいた。なにか良い策は無いか、短時間ながらに精一杯考えて、今まさに走り去ろうとする一団に大声で呼びかけた。

「ならばッ!! ならば、貴方達の内の一人も一緒に連れて行こう!! ならば俺達が不自然な動きをしているならばすぐに分かるだろう!? 其方だけでなくこっちにも急を要する事態なんだ……信じてくれ」

 別に彼女たちが助かろうが無かろうが、彼の身には何も影響は無く、精々依頼を達成できなかったという理由でランクを落とされたり、街の信用が落ちるだけだ。しかし今まさに見送ろうとしている一団がよりにもよって、ある意味で自身が肩入れしている"竜"に襲われるんじゃ話が違う。彼はいつになく強い目つきで彼らを見据えた。

「……お気遣いだけは感謝します」

 だが彼の言葉は通じず、レーナはそう言い終えると、まだ動揺している王女を抱きかかえ護衛隊へ合図を送ろうとして――しかし、それは叶わなかった。

「クルルルルルル!!」

 今までずっと黙っていた内の一人、いや一匹。森緑龍のイトが急にけたたましい鳴き声を上げた。静かな空間に彼の甲高い鳴き声が響きわたる。驚いたようにネイスはイトに駆け寄り、走ろうとしていた護衛隊の一行も何事かと彼を見つめた。

「まさか……クソッ、時間が無い!! ハンス、イトに乗れ!! 逃げるぞ!!」

 舌打ちと共に森緑龍の背中へとまたがるネイスを他所に、ハンスは最後通告だとばかりに一向へ睨みを向ける。

「エルフのねーちゃん。最後に言わせてもらう。このままじゃ死ぬぞ? 王女諸共な」

 ネイスは彼に早く乗るように指示をするが、彼は王女一行を睨めつけたまま動かず、更に強い調子で怒鳴りつけた。そして、騎士の一人がイトの見ている方向を見ようとして――倒れた。周囲の騎士たちは何事だと倒れた騎士を見つめる。彼らの視線の先で、腰を抜かした騎士は震える手で今まで走ってきた街道を指差した。遠く広大な荒れた草原地帯へと続く道。その途中には、風の強さの割には、不自然すぎる程にまで立ち込めている砂煙の姿があった。

「た……隊長!! 奴が、奴が追ってきました!!」

 その言葉で一斉に皆が振り返る。その視線の先には遠くからぐんぐんと意志を持って街道を突き進む砂煙。彼らの竜車を大破させた"竜"が出現する時と全く同じ物が背後から迫ってきていた。そして遅れて段々と響いてくる地響き。まだまだ小さな物であるが、それでも彼らの恐怖を煽る物には十分すぎる物であった。

「馬鹿な……雷龍が食い止めていた筈では」
「簡単な事だ。食い止めきれなかったんでしょう」

 震える声で呟く隊長の問いに、ネイスがその砂煙の下に居るであろう"竜"の姿を見据えるかのように砂煙を睨めつけながら答える。

「畜生め……オイ!! この中にデケェ魔法を使える者は居るか!? ああ、ねーちゃん、その杖から見るにどうせお前使えるんだろう!? なあそうだろう!?」

 一行が呆然とする中半ば問い詰めるかのような口調でハンスは大声でレーナへと詰め寄った。厳しい表情で街道の先を見つめていたレーナは、ハッとした様子で王女を抱きかかえた姿勢のままハンスと向き合うと、力強く首を縦に振る。それを見たハンスは、焦りと笑みのまじりあった壮絶な歪んだ表情を浮かべた。

「そうか、そうか!! あの化け物に通じるかわかんねェけどよ、一角竜には通じたんだ。ならばすこしはいけるはずだ」

 いつの間に額の端に浮かべた冷や汗をハンスは強引に手で拭い、独り言かのような小さな声で自分に言い聞かせるかのように言った。その最中、王女を隊長たちへと預けたレーナが彼の隣に並んだ。彼女も同様にして冷や汗を地面へと落とし、そして腰に差した杖を取り出し、構えた。

「御二方……先ほどの否定、やはり撤回させて頂きます。姫様を、どうか無事に送り届けて下さい!!」
「ネイス、適当に騎士一人選んで、王女と一緒に街に送り届けてくれ。あと俺の回収も忘れずにな」
「……ああ、分かった。ここは一応経験者のお前に任せておく。それに言われなくとも直ぐに戻ってくるさ!!」

 ネイスはすぐさま騎士たちの一団へと目を向けた。怯える王女に、呆然とした表情の部隊長、そして各々取りあえず武器を構えている騎士たち。そんな中、ネイスは先ほど地面へと尻餅をついた騎士の青年へと歩み寄った。腰が抜けており、中々立てずにいる青年へと彼は手を伸ばす。

「貴方に決めたッ!!」
「ええと、すまない?」

 手を貸された青年は何故か疑問形でネイスに感謝を述べるが、しかしネイスは既に青年から目を離し、部隊長と、その脇にいる王女と向かい合っていた。そして強い口調で青年の手を無遠慮に取りながら啖呵を切った。

「侍女さんの許可は取りました!! さあ、来てください。この騎士殿も護衛として連れて行きましょう」
「……ええ!? 私をか!?」

 少し遅れたタイミングで青年が非常に良いリアクションで大声を上げる。非常時にも関わらず、ネイスは彼の驚きように呆れつつも苦笑してしまった。部隊長は一瞬考えたような素振りを見せるが、迫りくる砂煙を一瞥した後、負けず劣らず強い口調で答えた。

「……冒険者君、頼んだぞ」
「ええ、後々ギルドから高い請求が行きますので覚悟しておいて下さい」

 ネイスは初めて仏頂面を崩して笑顔でそう言い、手を差し出した。部隊長も普段なら不敬だと怒声を発する場面であるが、ネイスの手を力強く握り、笑い返す。そんなやり取りの間にも、刻々と砂煙は彼らを目指して突き進んで来る。それに伴い、地響きも大きな物へと変わっていく。
 ネイスが険しい顔をしながらイトに飛び乗り、騎士の青年と第三王女が慣れない様子で鞍に足をかけるのをニヤリとした表情でハンスは見送り、そして真正面へと向かい合い、大声で告げた。

「ねーちゃん、奴の近くの地面へ炎魔法をぶつけろ。そこに爆音をまき散らす感じでな!! それで、少なくとも俺達が一網打尽にぶっ飛ぶのは防げる筈だ」
「……分かりました」

 一瞬怪訝そうな顔を浮かべたレーナだが、彼の指示に従って直ぐに詠唱を始めた。彼女の歌うような詠唱は、しかし前方から響いてくる地響きにかき消される。それほどまでに彼らと砂煙の距離は縮まっていた。足元に響いてくる揺れに気圧されず、最後まで言葉を継ぐんだ彼女は、杖を振り上げて前を見据える。狙うは砂煙が走る先の地面。バクバクと音を立てて震える心臓を抑え込むように深呼吸をして、彼女は標的へ向けて杖を突き出した。

「"爆ぜろ"!!」

 凛とした声が、地響きに負けずと皆の耳に届き、杖から眩い光が漏れ出す。そして一瞬遅れて砂煙の向かう先、お世辞にも整備されているとは言い難い一角の地面に衝撃が走った。彼女の唱えた物は別段大魔法と呼ばれる物ではない。しかしエルフ族特有の優れた魔法の才能を持つ彼女から放たれた炎魔法は、砂色の大地を穿つ分には十分すぎる威力を持っていた。
 火炎龍のブレスにも迫る威力の魔法によって、迫りくる砂煙が全く見えなくなるほどに地面からは砂礫が飛び散り、地響きを打ち消すまでに轟音を立てる。今まさに飛び立とうとしていたイト達も一瞬爆心地へと目を向けた。段々と飛び散った砂礫が地面へと落ち、景色が晴れていく中、更にレーナは杖を構えて、ハンスも"竜"に対しては焼け石に水であるだろうが、腰の鞘から刀身が"真紅"で染まったショートソードを抜いていた。

 騎士達も各々の剣を構えて、熱風によって浄化された爆心地へと目を向ける。しかし砂煙が晴れた皆の眼の先には、ただ奥へと延びていく街道のみが存在していた。こっちに迫りくる砂煙は立ち消え、否応無しに此方の理性を削り取っていく地響きも立ち消えていた。病的にポジティブな人間ならば、敵が去ったと喜ぶかもしれない。しかしこの場にいる全員は、未だ地響きの主が攻撃の時を伺っている、まさに今は嵐の前の静けさであると疑いもせずに信じていた。

 王女たちを一緒に乗せて、なるたけ音を立てずに離陸したイトに乗ったネイスは、上空から街道の一角を見つめる。初めて"竜"と遭遇した時も全く同じ状況であった。彼の目蓋の裏には、既に"竜"が砂の大地を突き破って天高く角を振り上げている。

 そしてその予想通りか、それなりに離れた地点、丁度レーナの魔法が炸裂した地点を中心に不自然な地響きが復活した。まるで煮立った熱湯であるかのように街道の表面を覆う砂が跳ね、段々とその規模を増していく。そして最高潮に達した揺れは、しかし一瞬だけ静寂を挟んで。跳ねまわっていた砂が一瞬だけ止まり、響き渡っていた地響きが一瞬だけ止み。


 魔法による物よりも余程威力があるのではないかと思い起こさせる、砂色の爆発。当然火薬を破裂させたのでは無いにも関わらず、ハンスたちにはまるでそんな火薬を有りっ丈纏めて火をつけたかのような衝撃波。最大にまで膨れ上がった皆の緊張を一気に爆発させるかの如く、"竜"が再度不届き者共の前に姿を現した。

 交易の要である街道が酷く小さな細道に見える程に大きな小山のような体格、それに押し飛ばされて盛大に弾け散る砂や小石が、離れた場所にいるハンスたちの足元まで勢いよく転がってくる。"竜"は余裕を見せつけるかのようにゆったりと翼を広げ、身に付着した砂を払い落とした。そんなゆっくりした動作でも、小さな人間にとっては脅威ある物として目に映る。
 彼にとってはもはや誇りと化しているのだろうか、先端が折れた片方の角は、折れていてもなおさらにその威圧感を増すばかり。そしてその折れた角が、もう片方の剛角を引き立てる物として皆の目に映った。彼との再会を果たした騎士の面々、そして彼の姿を上空離れた場所から見つめてるネイスでさえも、相変わらず気温の高さにも関わらず鳥肌が立つのを感じた。そしてハンスは、過去に戦った一角竜との違いに冷や汗を垂らした。

「……こりゃあ想像以上だ。やっぱとんでもねェ敵だな、オイ」

 半ば呆然と吐かれた彼のセリフに、だが反論しようと思える人間はこの場には皆無であった。



[31552] 十二話目 超戦略的"撤退"
Name: 周波数◆b23ad3ad ID:22b3f711
Date: 2017/09/27 20:24
「やっぱりそううまくはいかねーモンだな……この化け物め」

 彼らの眼の先、ようやく此方を向いた"竜"を冷や汗を浮かべながらもハンスは睨めつけ、真紅の剣を汗で濡れた右手で握り直した。過去に相手取り討伐へと至った一頭の魔物と、今現在彼らと対峙する片角の魔王。体格こそ似ているものの、しかしその威圧感は全く違う物であるとハンスは理解させられた。
 彼にとっては一角竜こそが今までの彼の人生の中では最強の敵であり、そして自身が超えることの出来た最大の壁であった。しかし今目の前に聳えるのは、一角竜と比較してしまえば壁などと言う生易しい物ではなく、高く切り立った断崖絶壁であるかのようにさえも感じてしまう。
一角竜もその戦闘力は大概な物であったと彼は記憶しているが、この"竜"はそれを超えた、正真正銘の化け物として一行の前に立ちはだかっている。

「アイツなら……アイツにならば爆音の一つでも響かせれば隙の一つくらいは作れたのによ。これが格の違いって奴か」
「貴方の言うアイツとは、一体誰の事ですか?」

 同じく半ば引きつった顔で"竜"を見つめるレーナがハンスの呟きに反応する。白く綺麗だった長髪はすっかり砂埃で汚れてしまい、額はびっしょりと冷や汗で濡れてしまっている。しかしそれを払い落そうともせずに、彼女も眼前の化け物へ杖を構え、何時でも攻撃が出来るようにと準備を終えている。

「いやァな。昔あの化け物よりも二回りくらい小さい、まあそれでも十分過ぎる化け物を相手取った事があってよ……ちょっと思い出に浸ってただけだ。これが噂に聞く、走馬燈って奴かもしれねェな」

 その暴虐的とも思える程に雄々しい巨体とは裏腹に、玉石の如く綺麗な翠色の双眼がハンス達を射抜く。砂色のシルエットから見える翠色の二つの点は、"竜"が決して自分たちを路傍の石などでは無く、紛れもない敵であると認識している証であると示し、排除するべく敵に向けて立ち竦まんばかりの威圧感を放つ。何人もの騎士たちがその剣を無意識のうちに震わせ、もはやその切っ先は碌に敵に向けられてすらも居ない。そんな彼らの様子を瞬時に把握したハンスは、大きく息を一つ吸い込んで叫んだ。

「焦るなァ!! 今は俺の指示に従え!! 戦うのではなく撤退を優先させるぞ!! 今のこの戦力じゃ、怒らすことは出来ても、傷を付けることが出来る事かも疑わしいからなァ!!」

 決して"竜"から目を逸らさずに、そして大きな声でハンスは指示を飛ばす。剣を向けたまま、腰を引かせずに撤退を指示するというのは矛盾しているのかもしれない。しかしその弱腰ではない姿勢が、一行の信頼を集める助けにはなったようだ。

「……ああ、ここは貴様の指示の通りに動こう。お前らも文句は無いな!?」
「ヘヘッ、オッサン。アンタみたいな話が早い奴は助かるよ」

 "竜"を前にしてほとんど硬直してしまっている護衛隊の面々に喝を入れる部隊長を見てニヤリとした笑みを浮かべると、ハンスは深く呼吸をした。大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐く。生暖かい空気に混じっていた砂埃によって口の中がざらつくが、むしろそれが彼の冷静さを引き立てた。

「ふん……あくまでも俺の中の最強さんは一角竜なんだよ。そう易々と更新されてたまるかっつーんだ。この化け物め。だからそのイメージを崩さない為にも、今はテメェの相手なんぞしてやんねェよ!!」

 規格外の"竜"の巨体を全て視界に納める程にまで目を見開き、向けられる翠色の眼光を逆に睨み返すと、砂埃が目に入るのも厭わずに、大声で彼は言い捨てた。ハンスは真紅色に染まったショートソードを握りしめている右手の甲で大雑把に冷や汗を拭い取りながら、もう片方の腕をまるで背後に居る一行を庇うかのように大きく横へ突き出した。

「いいかねェちゃん。奴に絶対に魔法を当てるな。これだけは必ず守れ。善処じゃない、徹底しろ。良いな?」
「ええ、分かりましたが……それではどのようにして撤退する時間を稼ぐのですか?」

 汗を拭うとと共に武者震いで口の端を歪ませて震わせるハンスは、この場で使える撤退の術を瞬時にあまたへ浮かべていき、その内容を喋りながら撤退手法の取捨選択を同時並行で行う。

「奴がどこまで引っかかってくれるか怪しいが……ともかく閃光魔法に加えて煙幕をばら撒いて隠れる――否、それは悪手だ。ならばこの場から撤退できるか、それとも奴が興味を無くすまで根気よく繰り返す……早い話が根競べだ。ねェちゃんには負担を強いるが、頼めるか?」

 頼むとは言っているものの、その言葉は彼女が作戦をこなすのが可能であることを確信した上での確認作業であるかのようにレーナに伝わった。そしてレーナも、この非常事態で不可能だと甘えを言う気は欠片も起こらず、一瞬の迷いなく大きく頷き、ハンスはそれを見てニヤリとした笑みを浮かべた。

「そんでもってこれがもしもの時の手製の煙幕だ。数は五つ、範囲はそこそこ、この街道の幅ならば覆える。そして煙の濃さは抜群だ。もし魔法での煙幕が頼りないならこれでサポートをする」

 ハンスは腰に巻かれたベルトに水筒と一緒に糸で括り付けられた球状の濃緑色の煙幕弾を左手で触りながら言った。大きさは握り拳と同じくらいだろうか、その内の一つをベルトから引きちぎり、そして汗で濡れた手で握りしめる。指の間からは煙幕弾に繋がった縮れた導火線が見えており、いつでも着火出来るようにとハンスはそれを出来る限り伸ばした。

「ふん……奴は待ってはくれないそうだな」

 作戦と言うには相当にお粗末な物。騎士たちの対人戦における撤退と比べると余りにも大雑把過ぎる。しかし現状での最善策は、ただ我武者羅に障害物をばら撒くこの作戦に他ならない。対人戦訓練で騎士たちが培った小細工をしようと、敵はそんなものに引っかかる程軟な存在などではないのだから。険しい顔を浮かべていた部隊長は、此方にと視線を向けて唸り声を漏らす"竜"を睨めつけ、そして震える足を無理やりに押さえつけた。

「まあ流石にまだ本気で殺しには来ないだろうさ……さてと、そろそろおっ始めるか」

 此方の出方を伺ってたのか、今まで立ち止まっていた"竜"は、野太く発達した足を上げ、此方へと第一歩目を踏み出そうとした直前。決して"竜"からは目を逸らさずに、そして決して恐怖を抱かずに。皆の意識が崩れてしまわぬように。ハンスがまるで挨拶でも告げるかのような軽い調子で言った。

 瞬間、レーナが素早く詠唱を開始し、騎士たちは一斉にレーナを護るように囲い各々武器を構える。そして先頭に立つハンスは水筒の口を素早く開けて、導火線の先を湿らした。

「皆さん、目を瞑って下さい!!」

 "竜"の大きな大きな一歩が砂の大地に付くよりも早く、詠唱が完了し、杖の先から抑えきれなくなった光が漏れ出した。そして天高く杖を掲げ、"竜"の目線が一瞬向くその間際。最後の発動の言葉と共に、大規模戦闘で使われるほどの閃光魔法が炸裂し、辺り一帯を眩い白光で照らしつくした。

「さあ、行くぞ!!」

 腕で閃光を遮りながら、薄く空けた視界の先では"竜"が突然の光に驚いている様子が映っている。逃走開始の合図に皆が一斉に駆け出し、一目散に街の方角へ向けて走り出した。これから長く続くであろう"唯の逃走劇"の開幕は好調だ。ハンスは眩い光が一帯を照らしつくす中で、薄く口元を歪めた。


* * *


「彼らは大丈夫だろうか……姫様をグラシスへ届けたら私も早く戦場へ向かわなくては……!!」
「……騎士様も大概にしつこいですね。さっきから何度同じことを口にしているんですか」

 一心に空を駆け抜ける森緑龍イト。彼の体格は人間と比べると非常に大きく、大の大人三人を縦に並べてもまだ御釣りが来るほどだ。だがいくら体格が立派であろうが、勿論世の中には限度という物が存在する。具体的に言うならば、今自分たちが彼に強いている状況は結構無茶だという事だ。

「グルル……!!」
「ほら、頑張れ!! 後少しだ、外壁も見えてきたぞ!!」

 先頭に俺、そして後ろに第三王女に王国の護衛騎士隊の青年。後にも先にもこんな状況になるのは今だけだろう。まあ乗っている人間の地位は関係なしに、今イト上には三人跨っている。そう、三人だ。装備の重さを含めたらかなりの重さに行くのではないか。
 段々とふらふらと飛び始めたイトに、若干冷や汗が浮かぶ。最初から少し不安な気はしていたものの、やはり彼にはこの重さは結構きついのではないか。いつも一人で乗っていたからイトがどれだけの重さに耐えられるかをすっかり失念してしまっていた。

「後少しでグラシスへと着きます。到着したら殿下には直ぐにギルドの方へと向かって頂きます。宜しいですね?」
「……はい」

 背後に居る第三王女はすっかり口数が減ってしまっている。返答も力の無いもので、彼女の心の内を表しているように感じられる。こうも王家の人間の内面を推し量るのは不敬かもしれないが、多分不甲斐ない気持ちで一杯なのではないだろうか。
 自身の力ではどうにもならず、部下を置き去りにして逃げなくてはならない状況。自分もあの"竜"と遭遇した時は迷わずに逃げ出したが、置き去りにするような仲間も居らず、だから彼女の気持ちの様は完全には推し量りきれない。しかし彼女が悔しさを感じているという事だけは分かる。

「……安心しました」

 彼女はそんな悔しさを感じている。しかし俺はその状況に一種の安堵を覚えていた。つい口から出た言葉に対する返答は無く、ずっとうるさかった騎士の青年も何故か静かにしている。

「お忍びでうちの街に来ているという事を聞いたときはどんなわがままな姫かと思っていましたが……心配して損しました。わがままだけの人間だったらこんなに悔しさを感じませんよね。あまつさえ自分だけ助かって喜ぶ人間だったらどうしようかと思ってましたよ」

 口下手な自分の口から、下手すれば不敬罪を問われてもおかしくはない言葉が驚くほどスラスラと出てくる。
後ろで自分と一緒にイトに乗っている王族は、権威に溺れたような、言ってしまえばよく噂話で聞くような悪徳貴族とは正反対の、責任感を兼ね揃えた人なのだろう。

「彼らの心配をなさっているのは分かりますが、大丈夫でしょう。俺の仲間は結構すごい奴でしてね。言葉端はあんな有様ですが、それでも彼らを無事に撤退させてくれるでしょう」

 段々と街の壁が近づいてくる。監視矢倉の姿もぼんやりとだが確認できるほどにまで近くに来れたようだ。
上空にも関わらず、砂が混じる熱風は健在のようで、言葉が途切れ静かになった中でも相も変わらず細やかな砂が時々当たる感触が頬から伝わってくる。

「……信じます。護衛騎士隊の皆も凄い人たちなんですから」
「そうですよ!! 彼らなら私が居なくとももう問題無にあんな化け物から逃げれますよ!! ……私が、居なくとも……うぅ」

 あまり大きな声ではない返答、それに引き続き騎士の変な宣言が背後から聞こえてくる。彼はあの騎士団の中では地位は下の方だったのか、それとも単にアホなんだろうか。第三王女がやっとまともな返しをしてくれて、少しではあるが肩の荷が降りたような気がする。このまま街に到着するまでずっと無口なままというのも少々辛いから助かった。

「ええ、信じましょう。そして皆が帰ってきたら精一杯出迎えましょうね……ん、あれは……?」

 皆の雰囲気が少し柔らかくなったのを感じとり、そして見慣れたグラシスの街並みが後少しと言うところで、視界の端に何かが映った。今まで岩山で遮られていて見えなかった街道上に、どうやら何かが居るようだ。良く目を凝らすと、自分たちが向かう方向とは正反対に、街道上を十数頭の馬が駆け抜けている。皆がかなり速い速度で走らせているのか、彼らが通った後には地面が遮られるほどに砂煙が舞っているのが確認できた。

 茶色の毛並みの馬たちに跨る集団は、すれ違いざまに確認してみると皆それぞれ異なる鎧を身に着けている。街の警備兵では無く、自身と同じ職の冒険者達だ。しかし一般的なグループの人数を大きく上回る、パッと見ても十人を容易く超える冒険者達は一様に同じ方向を目指して街道を駆け抜けていく。みるみる内に彼らは街道を進み、イトの速さと相まってか彼らの後姿しか見えなくなった。

「彼らは……正規に依頼を請け負った他の冒険者でしょうね。依頼内容は殿下の一行を救出するという物だったが……」

 彼らの顔に浮かぶ表情までは確認することは出来なかった。もしかしたら使命に燃えた険しい顔だったかもしれないし、もしくは強者の姿を一目見ようという好奇心を押し出した嬉々とした表情だったかもしれない。本当に彼らは一行を救出するに留めるのだろうか。下手に手を出さないだろうか。そして仮に手を出してしまったとして、それが逃走の障害になってしまったら。

「……大丈夫だと良いが」

 一人零すその呟きに誰も答えてはくれず。俺は腹の中がざわめく様な、そんな気色の悪い感覚を覚え始めていた。



[31552] 十三話目 統括者の"本音"
Name: 周波数◆b23ad3ad ID:22b3f711
Date: 2017/09/27 20:25
  巨体が大地を踏み荒らす音、聳え立つ岩壁が崩れ落ちる音、耳を掠める向かい風の音、激しく動く心臓の鼓動の音。全てがぐちゃぐちゃに混じり合わさり、弾け飛びそうになる逃亡者たちの理性を無理やりに抑え込める。息継ぎと同時に砂が入り込み、口を閉じる度に普段ならば不快に思うであろうジャリジャリとした刺激を感じ取っても、今の彼らにはそれを気にするような余裕は無い。懸命に腕を振り、地面を蹴って、一行は街道の出口を目指し続けていた。

「次!! 行きますッ!!」

「了解!!」

 走りながら詠唱を終わらせたレーナが自分を囲うようにして走る周囲の騎士たちに大声で合図を出した。右手に持った細長い杖の先からは、準備が出来た事を示す様に淡い白光が漏れ出ている。彼女の合図を聞いた騎士たちは瞬時に足を止めて、意味は無いにしろレーナを庇うようにして各々の武器を構えて、後ろへと振り返った。

 彼らの目の先には白い煙がまるで霧のように立ち込めており、その煙の中からは地響きと共に絶え間なく岩壁を砕く大きな音が聞こえてくる。どれ程の威力で岩壁が破壊されているのだろうか、衝撃で弾け飛んだ石が彼らのすぐ傍にまで飛んでくる。彼らが走り続ける街道は、人の大きさからしてみれば特に狭くは無く、むしろ大きいと言っても良かった。竜車が二台並んで走行してもお釣りが来る程だ。しかし人などよりも余程大きく、矢倉のような規格外の大きさの者からすればどうだろうか。

「チッ……この猪野郎め、無理やりに追いついてきやがる」

 息を少し切らしながら、ハンスは腰に付けられた煙幕玉を握りしめて呟いた。
 強烈な閃光で目を焼かれ、その上霧の中にいるかのような濃い煙幕によって完全に視界を奪われても、"竜"は諦めることなく彼らをしつこく追い続けていた。天然の台地の境目に作られた街道は決して真っ直ぐとは言えず、所々曲がりくねっている。とんでもなく巨大な体でこの狭く蛇行した道を目も見えず、加減をしないで追いかけた結果が今の状況だった。
 何度も何度も街道を挟む岩壁にぶつかり、そしてその度に2本の巨大な剛角や頑丈な翼で岩壁を砕き、角が真正面から刺さってしまった時は、強引に頭を振りぬき巨大な岩盤を破壊し大穴を開けた。"竜"が通過した後に残された街道は、まるでこの場で激しい砲撃戦でも行われたのかと思ってしまう程にまで破壊されていた。
 街道を吹き抜ける風によって煙幕から放たれた白煙が少し晴れ、煙の奥で暴れまわる巨大なシルエットが次第に明らかになっていく。砂色の巨体は未だに一行の位置が掴めていないのか、角を生やした頭を振り回しながら此方の場所を探っているようだった。

「"光よ!!"」

 二本の剛角が此方を向く寸前、レーナは煙の向こうに聳え立つ"竜"に向かって詠唱を締めた。
 締めの一言と共に構えた杖の先に輝く白光は突然沸騰するかのような勢いで膨れ上がり、街道を照らす陽の光すらも凌ぐ輝きで周囲一帯を照らした。光の勢いは凄まじく、一瞬で周囲から影という影は消え失せ、すぐ傍に居たハンスや騎士達は杖とは別の方向を向いていたにも関わらず思わず目を閉じてしまった。目蓋を通してまで強烈な光は彼らの目に届き、明るさの余り鳴ってもいない衝撃音までも聞いたような錯覚に陥る者も居た。
 凄まじい明るさの光は白煙を通して"竜"にも届いた。辺りに漂う白煙の中から目を凝らして一行を探していた彼の緑色の双目に、少しは軽減されてはいるが、それでも強烈な光が襲い掛かる。既に2度程白光に目を焼かれてはいる物の、再度視界を奪うには十分過ぎる明るさだった。

 "竜"がよろめきながら堪らず呻き声を漏らす。光から目を守ろうと甲殻に覆われた目蓋を閉じるが、その目蓋の裏でも白光の衝撃の残り香が彼の目を刺激し続ける。
 巨体の進撃が止んでから、レーナが構える杖の先から光は段々と失われ、魔法の発動前と変わらない尖った先端が姿を現した。勢いに負けていた太陽の光は、ようやく邪魔する物が居なくなり、白光に変わって周囲を照らし始めた。

 光が収まったのを確認したハンスは、腰に紐で括り付けられていた煙幕玉を引きちぎった。そして砂埃にまみれた小さな水筒の蓋を開けた。手に付いた砂煙が水筒からこぼれた水滴で泥状にるがそれを気にすることも無く、中に満たされている水で導火線の先端を濡らし、煙幕玉をしっかりと握りしめた。

「おまけだッ!!」

 湿った先端部から炎が出始めると同時に、彼は思い切り煙幕玉を投げつけた。砂礫が転がる街道上を1回2回とバウンドし、一行と"竜"との中間地点に煙幕玉は転がっていく。

「援護します!!」

 レーナは更に杖を振り上げ、短い詠唱を終わらせて新たな魔法を発動させた。一瞬淡い光を放った尖った杖の先からは冷気を伴った霧が溢れ出す。それたは砂埃が漂い乾燥した大気の中を舐めるように流れ、拡散していく。放射状に広がる霧は白煙を上げ始めた煙幕玉も取り込み、双方の煙で辺り一面の砂色の風景が一転し急速に白で染まっていく。背後から緩く吹き付ける風にも乗り、再度"竜"の視界は閃光と白煙で覆われた。
 
「奴との距離は順調に開いていくな……行くぞ!!」

 魔力の消耗で少しふらついたレーナを支え、騎士隊長が皆に指令を出した。巨体は立ち込める白煙の向こう側で未だ視界が戻らないのだろうか、岩壁を粉砕する音が彼らの耳へ届く。騎士たちは号令と共にレーナと取り囲み、一斉に走り出した。
 "竜"との距離が近くなったら閃光魔法と煙幕で相手の足を止めて、また距離を離す。この方法は撤退し始めてから既に三度目に上っていた。ハンスの額に冷や汗が浮かぶ。幾ら獰猛な魔物とは言えども、此方が直接危害を与えずにしつこく逃げているならばいつかは追いかけるのを諦めるだろうと思っていた。しかし"竜"は未だ諦めず、しつこく縄張りに侵入した者たちを追いかけているのが実状だ。腰に括り付けられた煙幕玉の残りは2個。既に半分を切った生命線へと目をやり、憎々しげに舌打ちをした。 

 曲がりくねった台地の谷間の街道と閃光魔法、そして霧の魔法と煙幕玉。この全てが揃って初めてこの撤退は形を成す。街道を抜けた先に広がるのは、岩が所々に転がる開けた荒れ地。そこへ到達するまでに逃げ切れなかったら自分たちの命の保証は存在しない。広い草原では巨体の暴虐を遮る物など存在せず、残った煙幕玉を投げつけても白煙はすぐに風に吹かれて開けた大地には留まらないだろう。

(谷間を抜ける前に逃げ切れればこっちの勝利だ……諦めるな!!)

 ハンスは強く心の中で自分に呼びかけた。未だ谷間の出口は近くなく、今の調子で問題なく行けば次の煙幕玉を使うか使わないかという所で"竜"と自分たちの距離は安全圏まで広がる事が可能であろう。此処まで来て負ける訳にはいかない、いってなるものか。彼は懸命に振る拳を一層強く握りしめた。


* * *


「ネイス・ウェイン、ただ今戻りました」

 酒場の扉を勢いよく開けて、まず最初に帰還したことを大きな声で宣言した。
 いつもならばそれほど多くは無い冒険者達が食事をしていたり、あろうことか昼間っから酒を煽っているような緩い空気が流れている筈の酒場は、張りつめたような雰囲気で覆われている。カウンター前に立つ普段はいない筈の街の自警兵達が戸を開けた瞬間に此方に鋭い目線を飛ばし、まだ若いと思われる新人の冒険者も机の前に掛けながら緊張した表情で此方を見つめる。

 彼らの目線を気にしながら後ろを付いて歩く二人の救出者を先導し、長い机の間を進み、目的の人物が居るカウンターの前へとたどり着いた。自警兵達もそうだが、今自分の目の前の人物も普段ならばこの酒場には居ないが、この緊急事態だから彼が居ない筈がない。栗色の長髪を揺らす長身のエルフの男、このギルドの統括であるニーガが目を細くしながら佇んでいた。

「ご苦労だった、ネイス・ウェイン。一応確認させて貰うが、後ろの二人の他にも襲われている者は居るのだな?」
「はい。少なくとも、彼らを含めて計七人があの"竜"の急襲を受けていました。残りの五人は未だハンスが率いて撤退中です。そして救出したのは第三王女殿下と見張りの護衛騎士です」
「そうか……後ろの二人、前へ出てきて貰えますか?」

 後ろの二人、王女と若い護衛騎士の方へと統括は目を向けた。口調自体は敬語であるものの、その声は底冷えするように冷たい物で、彼らに向ける目線は刃物のように鋭い。しかしそれを前にしても王女と騎士は表情を変えずに前へ出て、その目を見つめ返した。

「王女殿下とその護衛の騎士殿ですね。伺いたい事は山ほどと有りますが、今はそれどころでは無いのは貴女も重々承知していることでしょう、殿下」

 自分へ向けられている訳では無いのに、体の芯から冷えそうな雰囲気が彼の言葉から発せられる。彼の蒼い目は一層細くなり、静かに冷たく燃える怒りをこれでもかと言う程に表している。

「……はい、重く承知しています」

 しかし自身よりも二回りも幼い筈の王女は、ニーガの絶対零度の視線を向けられても怯まずにしっかりと言葉を返した。この彼女の反応にニーガは細くしていた目を少し見開いている。彼女もやはり幼いとは言えども今回の一件への責任を感じているのだろうか、落ち着いた対応に内心で感心してしまった。

「今貴方達に出来る事は何も、何一つだろうとありません。貴女方には応接室の方へ待機していただきます。宜しいですね?」
「……分かりました」

 短くそう述べて固い表情で小さな手を握りしめる彼女と騎士から目を逸らし、ニーガは脇に居る2人のギルドの職員へと合図を出した。

「では殿下と騎士殿、此方へ」

 ニーガの脇に控えていた職員達は、カウンターの中から出て来て小さく会釈をすると、彼らを酒場の奥へと連れて行こうと歩き出した。連れて行かれる二人の足取りは重く、酒場の中にいる全ての者たちからの視線を背中に受けながら、先導する職員たちの後をゆっくりと歩いていく。そして酒場とギルドの本部を隔てる扉に職員が手を掛けた時、今まで押し黙っていた騎士の青年が此方へと振り向いた。

「姫様は……姫様は信じておられる。私の仲間とあの冒険者が皆無事にいきて帰ってくるのを心から信じている……だから彼らが帰ってきたときには姫様に真っ先に知らせて欲しい」

 決して大きくは無い声でそう言い残すと、彼らは職員の後を追いほの暗い扉の向こうへと消えて行った。古い木の軋む音を残しながらゆっくりと扉は閉じ、完全に彼らの姿が見えなくなった。

「……その言葉を自分の口から言えないようじゃ、あのお転婆娘はまだまだ大人になりきれてはいない。だがまあ、人間の成長も早いものだ」

 ニーガはぼそりと扉の方を見ながら呟いた。冷淡な雰囲気は既に纏っておらず、彼は疲れた様子で大きくため息を吐き、改めて此方へと向かい合った。

「待たせてすまない。さて、これから此方から君に命じるのは一つだけだ。君達が出発した後に別働隊として依頼を請け負った冒険者達が騎士達を救出する為に既にここを発ったが、もしもの事が起きたら……出来る限りの人員を救出してくれ」
「……もしもの事ですか。統括は彼らに"竜"の危険性を示したのですよね?」

 その問いかけに、彼は間髪入れずに大きく頷いた。

「当然だ。無論下手に手を出すなとも伝えている。本来ならば少ない人員で早急に事を済ませたかったが、街会議では救出対象が王族関連である以上、人員は出来るだけ多い方が良いという決断になった。しかし人数が増えた分、君や私が危惧する冒険者と"竜"の衝突が起きるかもしれない。それを出来るかぎり防いでくれ」

 どうやら、今回の裁断については彼自身の意志よりも大きなものが動いてしまっていたようだ。例えこのギルドの長たる彼でも、それを支援する立場であり活動の場を与える街の上層部が言う意見をすべて無視することは敵わない。

「……全く、君達にはいらぬ迷惑を掛けるな。すまない」

 彼はそう言うと深々と此方へと頭を下げた。彼、ないしはその上層部の言い分も分からなくはない、救出対象が王族、下手をしたらギルドに向けられる王国からの眼は厳しいを通り越した敵意にすら変化しかねない。常識的に考えるなら、この案件を少数メンバーで解決しようというのは少し無理があるのだ。俺にだって決定者がいたずらに被害数を大きくしたいなどと思うはずが無い事は分かる。

 しかし、なんだ。こう他人に謝られるのは酷くむず痒いものだ。加えて相手は普段はあまり表情を変えないと思われるギルドのお偉いさん、というかトップ。街の会談にすら顔を連ねるスゴイ人。そして自分はAクラスの下の下で冒険者をやってる若造。なんだこの格差は。
 それとなく周囲を見回してみると、自警兵達は唖然とした表情で固まっており、いつの間にかカウンターの向こう側にいた受付嬢は何かあり得ない物を見たかのような顔をしている。先ほどから酒場は静かだったが、今の静けさは何か質が違う物に感じてしまう。

「ええとっ、あの、大丈夫です。あの"竜"には個人的にもちょっと見逃せない相手ですし、それに面倒な依頼だって今回が初めてでは無いです。なので頭を上げて下さい」

 そうだよな? そこで目を逸らす受付嬢よ。"竜"との遭遇の切っ掛けとなった火炎龍討伐の指令はお前が無理やり俺へと斡旋したのを忘れてはいないぞ。しばらく彼は頭を下げていたが、再び上げられたその目には普段の印象とは違った力が込められていた。
 
「犠牲となる者を一人でも出したくない。これが、私の願いだ。頼んだぞ、ネイス・ウェイン」
「分かりました、ニーガ統括」

 言葉と共に出された出を固く握り返す。彼がエルフという種族であることや今までのイメージから、統括は常に冷静で冷やかな人物だと思っていたが意外とそうではないようだ。

 もう何も言う事は無い。これからは自分の出来る事をやるだけだ。さあ、まずは今も"竜"から逃げているであろう、ようやく出来た最初の仲間の手助けだ。あの図太い性格だ、矢倉のようなデカさの化け物に追い回されていても、ノリの良い悪態でもついているに違いない。俺は入ってきた時よりも軽い足取りで酒場の出口へと向かっていく。開け放った扉のから吹き付ける砂埃混じりの風は、心なしかいつもよりも不快には感じなかった。



[31552] 十四話目 冒険者の"不安"
Name: 周波数◆b23ad3ad ID:22b3f711
Date: 2017/09/27 20:29
「そらッ!! もっと急げ!!」

 勇ましい声を上げながら、疾走する馬に跨った若い男が鞭をふるった。激しく砂埃を舞い散らせながら、馬は乗り手の指示のままに更に勢いよく地面を蹴り進んだ。そして蹄で蹴られた砂煙はゆっくりと空中を漂う暇もなく、後ろから続いて走ってくる別の馬によって押しのけられた。
 先頭を走る男に続いて10頭を超える馬が荒れ地の街道を駆け抜けていた。それに跨る彼らは、皆が立派な鎧に身を通し剣や弓、そして杖などの武器を携えている。馬が地面を蹴るたびに鞘に入れられた剣が金属質な音をたて、蹴散らされた砂が一団の後ろの方へ取り残される。

 丈の低い草がまばらに生えて、むき出しになった小さな岩が転がる荒れ地の中を通る街道。彼らが疾走するその先には横にひどく長く伸びた岩山が聳え立っている。地盤そのものがせりあがったかのような広大な台地はまるで崖のように切り立った急斜面で荒れ地と隔たれている。急な斜面で地上と台地を隔てる様はさながら天然の砦と言っても差し支えがないくらいだ。
 この街道が続くのは非常に長く伸びた崖のど真ん中、せり立つ台地の間にポツンと存在する谷間だ。街を出た時から通常よりも早いペースで馬を走らせ続けていた為か、まだ街から出てそう時間は経ってはいないものの、既に視界に台地の巨壁の両端が映らないほど一団は谷間の入り口に近づいていた。

「そろそろか。奴さん方は街道上に居るんだったよな」
「そうだろうね。あの谷間か、それか越えた先の平原かな?」

 一団のちょうど真ん中を並走する二人の男は、自分たちのお目当ての物が存在するであろう谷間道を指差しながら薄く笑顔を浮かべた。余程彼らは目的の物に執着しているのだろう。その笑顔は澄んだ物では到底無く、まるで獲物を見つけた猛禽類のような鋭い眼光を伴った表情であった。
 先頭を走る馬がスピードを上げたのを見て、彼らも負けてはいられないと自身の乗る馬へ鞭をうち付けた。頬をうつ風は熱く乾燥しており、その風に乗った砂が汗が滲んだ頬や首筋にへたり着く。しかしそれによる不快感など気にも留めた様子は無く、自分たちの受けた依頼を達成する事のみを考えて馬を走らせている。

「そう言えばよ、お前は例の魔物についてどう思う?」
「さあね。話だけ聞いてれば凄そうな魔物ってのは分かるけどさ、突拍子が無さ過ぎて正直信じられない」
「やっぱそうだよなぁ。あの若いのはまだしも、その後のゴンゾの仲間の二人の話なんか、まあ言ってしまえば唯の負け惜しみにしか聞こえなかったしよ。俺としてはこの目で見てからじゃないと到底信じる気にはならねぇぜ」

 彼らが思いだすのは依頼に出発する前に酒場で聞かされた、今回の依頼の原因となった魔物についての心構えのような忠告だ。すこし無愛想な表情を浮かべた青年と、その青年が酒場を出発した後に入れ替わりで入ってきた二人組の少女の話。どちらの話も実体験に基づいた物なのだろうが、彼らにとってみれば敗者の言い訳のような意味をなさない拡大解釈に聞こえてしまった。

「まあ彼女達にしてみればさ、信頼できる仲間二人を治療所送りにしたんだから少し過大な印象を持っててもしょうがないと思うよ。そして青年君の話だけど、火炎龍が倒されるっていうと凄い魔物なんだろうけど今一想像が湧かないね。君はどう思った?」
「さっきも言った通りだ、信じる気にはなれねぇ。まあその話が嘘でも本当でも、どんな魔物なのかは少し見てみたいな。最近は小物しか相手にしてなかったからデカい奴の相手をしないと腕がなまっちまう」
「ははは……君の戦闘馬鹿も大概だね。まあ僕自身話は信じてはいないけど、その魔物自体には興味はあるしね、僕も一目見てみたいよ」

 細身の方の青年冒険者は相方の大柄の男が背中に背負う巨大な剣を見ながら若干呆れたように言った。扱いやすさや切れ味といった武器の重要なステータスを無視して、その重量でひたすら破壊に徹する剣。大柄な体格や中途半端に伸びた髭といった風貌の男に似合った、粗暴な見た目の武器だ。今まで何匹もの獲物を叩き切ってきた大剣の刃は、晴れきった空から容赦なく照りつける陽の光を鈍く反射した。
 武器は使い手に似る、そんな言い回しが青年の頭に浮かぶ。重量級の武器に見合った相方の無茶な戦い方を思い出し、彼はため息を吐きつつもなんだかんだ頼りになる前衛役を心の中で静かに称えた。
 
「そして……さっきから黙ってる君はどうかな?」

 青年は一旦顔を後ろへと向けた。相方の後ろ、そこには大きな背中に隠れるようにして、日差し避けの外套を羽織った少々小柄な少女が馬から振り落とされないように男にしがみ付いていた。急に話を振られた彼女は少し目を見開いて驚きはしたものの、すぐ思案顔になって彼女なりの考えをまとめた。

「……彼女たちの話は信じられる。特に矛盾は見当たらなかったのに加えて、今朝はギルドの動きが少しおかしかった。今回の依頼の内容も対象の救出のみで、救出後は即時撤退まで推奨されている。だから例の魔物が危険な存在なのは間違いない……と思う」

 慎重な様子で言葉を選びつつ話す彼女の言葉を、その前に座る大柄の男は軽い様子で笑い流した。

「そう言えば今朝の砂漠地方立ち入り禁止っていう指令はその魔物による物だったのか。ここまで来るとどんだけヤベエ敵が待ち受けてんのか楽しみになってきたぞ」
「まずは依頼の達成が第一だよ。でも、確かに心は惹かれるよね。なんたって彼女達の話が本当ならば、その魔物を打ち倒せばゴンゾ君達のグループよりも実力が上である事を示せるんだから」

 未だ若くて伸びしろがあるにも関わらず、現時点で街の冒険者達の中ではトップクラスの実力を持つパーティー、それがゴンゾのグループについての周囲の印象だ。そんな完璧なメンバーに対して嫉妬を抱く冒険者の数は1人や2人ではなく、彼らもその一員だ。そんな完璧彼らを出し抜ける切り札が今彼の前に提示されている。それはこの依頼を達成することで得られる報酬よりも余程魅力のある物として彼の眼に映った。
 しかし少女の方は、どこか影のある笑顔を浮かべる青年とは違って、ギルドの酒場で話を聞いて以降ずっと慎重そうな表情を浮かべている。青年と大柄な男の様子を少し見つめた後、彼女はおずおずと口を開いた。

「私は、この依頼はとても危険な物だと思う。何が起きるか分からないから、せめて最悪の事態だけは避けなくてはいけない……だから貴方達には無理をしないでほしい」
「ふうん……君はいつも通り慎重だね。僕にしてみればこの依頼は危険だけどそれ相応、いやそれどころかかなりの見返りがある物だと思ってるんだけどなぁ」

 大分近づいてきた谷間道を細く開いた目つきで見つめながら、少々残念そうな口調で青年は言った。まるで茶を濁すようなような飄々とした態度では、彼がどこまで例の魔物に執着しているかははっきりとは掴めない。少女はそんな彼の様子を怪しんでか、疑心を孕んだ目つきで彼の横顔を見つめた。
 大柄の男は少しため息を吐いた。少女が此処まではっきりと消極的な姿勢を示すのは別段珍しい事ではないが、青年が他のメンバーの意見に反対するような事を言うのは稀な事だった。普段ならば彼が先走って、少女が反対して、青年が納得できる打開案を出すというのが彼らのグループのセオリーだった。しかし現状では青年と少女は正反対の意見を持っているようだった。
 彼自身今回出没した魔物には興味を抱いており、一目見てみたいというのが本音だった。しかしそれを口にすると少女の機嫌は最悪になり、もしかしたら依頼に影響するかもしれない。彼はやれやれといった調子で首を振り、柄ではない仲介者として口を開いた。

「お前らなぁ、俺が言うのもちょっとおかしいけどよ、少し冷静になれ。確かに俺も魔物には興味があるけどよ、だからと言って無茶までする気は無いぞ。それに今回は俺達だけじゃなくて他のグループも参加した依頼だ。手柄は自分たちの物にだけはならない事を念頭に置いとけ」
「おお、君に諭されるとはね。少し目先のモノに執着し過ぎたかな。これは失敬、ちょっと落ち着かないといけなかったね」
「……ともかく危ない橋は渡らないで。私が言いたいのはそれだけ」

 青年は口頭では非を認め、少女もこれ以上は追及する気は無いのか青年から目を離した。一旦は落ち着いた二人の様子に改めて男はため息を吐き、疲れた様子で景色へと目を移した。

 既に一団は谷間道へと差し掛かりつつあり、街道の両脇には小規模の岩が先ほどよりも多く転がっている。谷間道を吹き流れてきた熱風が一行の顔にかかり、彼らの中には砂が目に入らぬよう手綱を片手で持ちながらもう片方の手で顔を覆う者も居た。風に煽られて谷間道の球状に固まった枯草が数個転がってきており、段々と周囲から緑という色が消えつつあった。
 まるで干上がった大河のように谷間道は蛇行しており、入り口から出口まで一直線で街道が通っている訳では無い。谷間道の入り口から見える景色は最初の谷間の曲り道の岩壁によって途切れており、谷間道がどれ程長く続いているのかを判断することは出来ない。更に馬を一団が前へと走らせると、とうとう街道の周囲からは緑が消え失せ、砂色の大地がむき出しになっていった。切り立った崖が既に傍にまで近づいており、谷間の奥から吹き付ける砂混じりの熱風も勢いを増した。

「乗合竜車でしかこの場所は通らなかったけど、やっぱり馬だと辛いねぇ……」
「まあな。喋っていると口の中があっという間に砂だらけだ。それでこの向かい風だろ……あー、我慢ならねぇ」

 大柄の男は腰に着いている水筒を乱雑に掴み取り、すでに生暖かくなっていた水を口に含ませた。口内に付着した砂埃共々飲み込むと、彼はまだ蓋の空いている水筒を背後へ突き出した。急に目の前に水筒を出された少女は一瞬驚いた風な顔をしていたが、すぐにそれを受け取り「ありがとう」と小さな声で言った。

「うーん、見ていて色々と温まる光景だねぇ」
「うっせ、茶化すな」

 中身が半分ほどになった水筒を受け取りつつ、彼は隣で並走する仲間の生暖かい目線を無視しながら、目の前に迫った谷間の入り口へ目を移した。
 程なくして先頭を走る馬がようやく谷間道へと入り、後続が彼を追うようにしてスピードを落とさずに次々に谷間に続く街道を駆け抜けていく。砂を乗せた煽り風は谷間道に進入したことにより勢いを増し、防砂具を纏っていなかった冒険者達は一様に馬上で顔をしかめた。無論同じく防砂具を着用していなかった青年にも砂が混じった風が勢いよく吹きかかり、彼は苦い表情を浮かべ、そして直ぐに何かを訝しむような顔へと移り変わった。
 
「……おかしい。どう考えても不自然だ。君も何か気付かないかい?」
「はぁ? 一体どうしたっていうんだよ。別に谷間道に入って風が強くなっただけだろう。砂混じりなのは仕方がないとしても、向かい風があるってのはそれなりに心地が良いが、まあ若干温度は上がった気はする。それがどうかしたのか?」
「確かに向かい風があるのは良いんだ。でもさ、微かに谷間道に入るまでの風とは性質が違うんだ」

 大柄な男は少々困惑したような表情を浮かべて相方を見つめたが、青年は彼に顔を向ける事は無く、目つきはまるで戦いの最中のように鋭く、険しい表情で前を見据えている。

「"湿って"いるんだよ。ホンの微かにだけど、この風は湿り気を含んでいるんだ、体感的に温度が上がったのはこれが原因だろうね。でも荒れ地のど真ん中、水気がほとんど存在しないところでこんな風は普通は吹かないはずさ」
「……何らかの外的要因が生じてる、そういう事か。標的も案外ここからそう遠くない場所に居るのかもしれないな」
「そういう事だろうね。君達、気合入れてくよ?」

 無言で大柄の男が頷き、彼らの会話を聞いていた背後の少女も表情を硬くした。周囲の冒険者達も彼らの会話を聞いていたり、同様に風の変化を感じ取ったのか、表情を引き締める者も居た。
 曲がりくねった谷間道の中では、谷間の向こうなど見渡すことは出来ず、標的は何処にいるかなど判断は出来ない。しかしその姿の見えない標的の気配が、一行の纏う空気を徐々に鋭くさせていく。緊張した空気の中で先頭の男の掛け声が鋭く響き、そして冒険者達の走るペースがまた一つ上がった。


* * *


 草を揺らす緩やかな風と共に重く低い唸り声が荒野に響き、そして連続して小さな地響きが周囲を揺らした。砂上艦の運搬という大役を終えた四頭もの巨龍達が荒野に開かれた道をゆっくりと連なって進んでいた。人間の胴回りを優に超える太さの立派な脚で大地を踏みしめて一般的な平屋の家よりも大きな体格の彼らの背中には、龍使いや兵士達が手綱を持ちながら跨っている。

 一歩地面を踏むとその重さを証明するように小さな地響きが発生し、人ならば一抱えもある岩も簡単に踏み潰し、彼らはゆっくりとした進行を続けていた。彼らが進む、道と言っていいのか躊躇われるくらいに荒れ果てた街道の先には帝国の都が存在している。しかし普通の馬では到着までにおよそ一週間は必要なほどここから王都までの距離は遠い。
 すでに彼らが歩む位置からは侵攻先と帝国を隔てる巨大な砂の海は見えず、振り返ってみても延々と荒れ地が続いているだけだ。先頭を進む特に大きな巨龍に跨った男は、前方に見えてきた小規模な岩山を確認すると小さくため息を吐いた。この岩山の付近には中規模の泉が存在していることを彼は記憶している。

「一旦の目標までは来れたか……ここからが長いな」

 この一団を束ねる立場にいる彼に託されているのはただ一つ。一行を道沿いの最寄りの街まで引き連れていく事だけだ。巨龍の一団が運搬して見送った砂上艦隊が戦績を上げるまで、彼らは一旦砂上艦の発着場から離れて帝国領にある街で待機をすることになっている。荒れ地の果てに存在するその街までこのペースでは二日ほど。彼は水の補給も兼ねてその泉の付近で一旦休憩を取ることに決めた。

 彼は自身の乗る巨龍の手綱で指示を出し、進行方向を荒れ果てた道から草原へと移した。ゆっくり方向転換し、小高い岩山の近くを目指しながら巨龍は進み始め、後続の龍使い達も兵長に従い各々の龍に指示を出した。まばらにけたの高い草が巨大な足で踏み倒され、道から外れた草原に新たな道を生み出していく。少しずつ近づいてくる岩山を見ながら、部隊長の龍使いと共に先頭の巨龍に跨る一般兵士は口を開いた。

「最近は巨龍達も休めていませんでしたからね、まだ歩き始めてそれほど経ってませんが一旦休憩しましょうか?」
「ああ、ここで彼らに十分な休息を取らせれば、後は休憩無しで一気に街まで行くことは出来るだろうさ。まあ流石に夜中まで歩き続ける事はさせないよ。龍使いならばまだしも君達一般兵の体力が持たんからな」

 龍使いと巨龍の護衛として、武装を施した軽装備の兵士たちが一団の周囲を囲みながら進んでいる。一部の兵士達は巨龍の背に乗せられた籠で索敵を行っているが、大部分は己の足でこの荒れ地を歩いている。照り付ける太陽の直下では、相当に体力を使うことだろう。

「私たち一般兵も体力は自信が有りますが、龍に乗ったまま長時間同じ姿勢っていうのは慣れませんね」

 彼は少々大袈裟に腰をさすり苦笑いを浮かべ、部隊長はつられて小さく笑う。岩山の脇まで巨龍たちが近づき、その巨体がようやく日陰の中に入った。部隊長が一旦龍の歩みを止めると、巨龍は黒い鼻から大きな息をゆっくりと吐きだした。疲労が溜まっていたのか、周囲を囲う兵士たちが慌てて離れる中、巨龍は一息つくとその場に屈みこんでしまった。

 部隊長はそれを制止する事は無く、むしろ労わるように巨龍の背中を数回優しく叩き、彼も龍の背中から飛び降りた。器用に草原に降り立つと、少し離れた場所を此方に向けて歩いてくる後続の龍の群れへと目を向けた。休息地点と判断したのだろう。日陰があると分かり歩行のペースを上げた後続の巨龍に少しの笑みを浮かべた彼の脇に、ドスンという音が響いた。

 目を遣ると、拳よりもふた回りは大きな石が草が生い茂った中に落ちてきていた。この場所は岩山のすぐ傍、落石があったのだろうと彼は判断し、後続の兵士たちに落石に注意せよとの命令を出すことを決めた。稀に落石はあるにしてもこの場所は休憩には最適であり、巨龍が屈みこんでしまった今、ここから別の場所へ移ろうという考えは彼には無い。
 ドスン、また同じような音が鳴る。そして少し離れたところにより大きな石が落ちるのを彼は目撃した。巨龍ならまだしも、自分たちのような人間が頭からぶつかろうものならば、当たり所が悪ければ重症は避けられない。自身もより一層の注意を払う事を心に決める。
 ドスン、ドスン、更に二回も同様の音が響き、近くに音と同じふたつの石が岩山の上から落下してくる。とうとう彼は自分の頭に手を被せながら、別の場所への移動を考え始めた。幾らなんでも落石の発生するペースが速過ぎる。少々の落石ならば目をつぶれたが、短い時間に四個も巨大な石が降ってくるところは巨龍はともかく龍使いや兵士には危険過ぎる。もしかしたら岩盤そのものが脆く、巨龍が出す少しの振動で簡単に崩れてくる危険すらもあるやもしれない。

 安全のためならば、絶好の休息地を諦めて他の場所を探すしかない。それを他の龍使い達に伝えに行こうと、部隊長は巨龍と同乗していた兵士を残し後続の巨龍にむけて足を向けた。

「しかしここ以外に日陰が有り休める所は……ん?」

 彼の視線の先、少し離れて後続の龍に跨る龍使いが驚いた様な表情を浮かべながら上に手を伸ばして何かを指差しながら叫んでいる。距離があるせいで何を伝えようとしているのか聞き取ることが出来ないが、酷く切羽詰って様子は離れていても彼に伝わってきた。

「―――!! ―――――!!」
「一体どうしたと言うんだ。何かがあるのか……ッ!?」

 部下の龍使いが指を示す先、彼が今まで乗っていた巨龍の頭上。今まで自分たちが目指していた、先ほどまで自分が居た岩山の上に、恐ろしく巨大な"何か"が下を見下ろしていた。その何かは巨大な顎を大きく開き、眼下にいる巨龍を見つめている。黒々とした野太い爪が岩山の頂を固く踏み直す毎に、岩山の一部が削れて落石となって地上に落下してくる。開かれた口から見える歯は野太く鋭利に生えており、細かく動く上あごの動きは息遣いが聞こえてきそうなほどだ。

 全身は見えないものの、視線の先に居る化物は巨龍達に匹敵しそうな程の体格を誇るのだろうか。どう控えめに見ても大人しい魔物とは見えないその姿に、部隊長は冷や汗を垂らし、そして自身の危険を全く考えずに力の限り未だ巨龍の上に居る兵士に向かって叫んだ。

「今すぐにそこから離れるんだッ!! 早くしろ!!」
「部隊長、どうかしたんです――ッ!?」

 部隊長の大声に気付いて、彼の見つめる先に視線を向けた兵士が見た物は、走行に特化した翼を大きく広げた巨大な竜の姿だった。緑色の双眼と彼の目が合った瞬間、巨大な竜は大きく顎を開けて小さく咆哮を挙げた。衝撃で数個の石が纏めて岩山の上から落下し、混乱し恐怖に陥っている兵士の周囲に降り注ぐ。

 異常に気付いた巨龍が首を擡げたのと、竜が上半身を勢いよく前に出したのは同時だった。鍛えられた剛爪で崖を踏みしめ、発達した後ろ足で地面を蹴りだし、瞬く間に黄色と青色のストライプ模様の巨体が太陽を背に空中へと飛び出した。
 慌てて兵士は巨龍の上から飛び降りようとするが、恐怖で竜から目線をずらす事が出来ず、竦んでしまった足は彼の言う事を全く聞かない。翼を持ちながらも、竜は風を捉えるというような、飛竜として基本である行動を全く行うことなく、爪を前に突き出しながら地面へ勢いよく落下していく。

 巨龍が慌てて立ち上がろうとし、兵士の青年が本能のままに腕を前に突き出し、部隊長が彼らに向けて走り出したが、その全てが遅かった。落下の勢いを全く殺さずに構えられた黒々とした爪は兵士の上から巨龍の背を捉え、グシャリとした音を響かせる。そして直後に"竜"の巨大なアギトは巨龍の首筋に食らいついた。
 巨体が着地した衝撃で部隊長は後方に弾き飛ばされ、首元に食らいつかれた巨龍が苦痛の呻き声を挙げた。硬い鱗の上から深々と抉られた背中の傷を庇う事もせずに、自身の上に伸し掛かる竜を振り落とそうと巨龍はひたすら暴れようとする。しかし首筋に噛みついた大顎は刃のような歯を食い込ませて巨龍を離す事などせずに、そして更に竜は顎の力を強めた。
 竜は更に全身を使い、未だ立ち上がろうとしていた巨龍を横に引き倒した。周囲の草を倒しながら、巨龍はどうにか竜をどかそうと四本の太い足を暴れさせるが、竜はたとえ腹部を勢いよく蹴られようが首筋に噛みつく大顎を外そうなどと言う素振りは見せない。露わになった腹部に向けて剛爪の生える大きな前足を振り上げ、竜は容赦なく振り下ろした。

 遮る物なしに振り下ろされた爪は、分厚い鱗や皮の抵抗を無視して巨龍の肋骨を砕きながら肉を抉る。鱗や肉片が竜の腕を振るった先に飛び散り、荒れ地を歪に彩る。その中で巨龍は苦痛の咆哮を上げ、なんとか逃れようと暴れ続けた。しかし抵抗は全く意味を成さず、鮮血が抉られた腹部から流れだし、竜の黄色い前足や黒い爪を赤く染め上げ、地面へ垂れていく。竜はより一層前足に力を込めて巨龍を押さえつけ、逃れようとする巨体を更に封じ込める。

「な……なんなんだよ、一体……?」

 弾き飛ばされた部隊長は自身の管理する巨龍が段々と抵抗する力を失っていく様を見せつけられていた。暴れる四本の脚は次第に力を失っていき、苦痛から逃れようと首を大きく反らすと、竜の牙が一層深く突き立てられる。別の龍使いや兵士達が彼を助けようと後方から走ってくるが、彼はそれに全く目を向けることなく、死にゆくかつての相棒を見つめ続けている。

「部隊長ッ!! 奴が巨龍に夢中になってる内に逃げますよ!!」
「何で……一体ッ!?」
「お前らっ、部隊長を連れて行くぞ!!」

 一人の兵士が放心したまま動けない部隊長を無理やりにでも連れていく事を指示し、皆がそれに頷いた。自身の肩を抱えられて無理やりに連れていかれる中、彼の目線は竜に向けられたまま動かない。そして後続の巨龍達の方へ逃げてゆく人間たちになど全く関心を示さずに、竜は狩りの仕上げへと入った。

 竜は、既に弱弱しく抵抗をするのみとなった巨龍から一旦口を離した。開かれた顎からは鮮血と入り混じった唾液がこぼれ落ち、幾多の牙で抉られた巨龍の首筋は血や唾液で汚され無残な様を晒している。一瞬首が自由になった巨龍は竜の拘束から抜け出そうと暴れようとしたが、すぐに空いていたもう片方の前足で動きを封じられた。両方の前足で首と胴を押さえつけられた今、体力を消耗しきった巨龍にもはや抵抗する余地など残っていない。
 弱弱しい呻き声を挙げる巨龍を前にして、竜は巨大な口を極限まで大きく広げた。彼の目標は邪魔な骨で覆われていない柔らかい腹部。巨龍を押さえつける両翼が勢いよく開かれる。新鮮な肉を前にしてあふれ出る涎が、鋭利な牙の間から滴り落ちた。



[31552] 十五話目 逃亡者の"焦り"
Name: 周波数◆b23ad3ad ID:22b3f711
Date: 2017/09/27 20:30
 背後から轟く足音や小さな地震にも匹敵する地響きが、腹の底に重く伸し掛かる現実離れした重低音から段々と小さい物へ変化していく。谷間道の半分ほどまで逃げてきたハンス達と、音と地響きの発生源である"竜"との間の距離は当初よりも確実に広がりつつあった。
 散々閃光と煙幕で相手の視界を焼いたにも関わらず、一切直接手を加えるようなことはせずに逃走に徹したのが功を奏したのか、"竜"の人間たちへの執着心が薄れつつあるようだ。剥き出しに近かった闘争本能は既に鳴りをひそめ、勢い余って街道の両脇に巨体をぶつけるような事は無くなっている。
 当初こそは一行を追い詰めようと岩壁を砕きながら迫ってきていた"竜"だったが、今現在ではむしろ縄張りに侵入した小動物を軽く追い払おうとしているような変貌ぶりだ。ハンス達を追いかけているのは変わらないが、そこには当初の此方を殲滅させようという勢いは見られない。

「ハッ、ようやく諦めがついたか。しかしまだ気は……抜けねえよなァ」

 順調に走っていてもこの気温と日差しの中では谷間を抜ける所で自身のスタミナは尽きてしまうだろうと彼は確信していた。そして周囲の護衛隊の面々の表情にも疲れが明確に表れている。仮にまだ"竜"が此方を本気で殲滅しようと追いかけてきていたら、少しでも距離を空けようとハンスは腰に括られた最後の煙幕玉を躊躇いなく投げつけていただろう。それほどに一行の体力は消耗していた。

「レーナ殿、あと少しで奴を振りきれます!! あともう少しだけ辛抱を!!」
「ええ……分かってます」

 一行の中で特に疲労しているのはレーナだ。部隊長の励ましの言葉に答えながら彼女は懸命に足を動かし、どうにか全員のペースへと合わせる。"竜"と一行の距離が短くなっていった際、ハンスは拳程の大きさの煙幕玉を投げるだけで良かった。しかしレーナは息が切れつつある中で正確な詠唱をしなくてはならず、尚且つ魔法による体力の消耗も重く伸し掛かる。
 そろそろ逃走にも限界が近いのではないか、という心配がハンスの心の中を過る。しかし如何に逃げ切れそうな状況であろうとも、果たして休息を入れるような余裕が存在するのだろうかという気持ちも同時に沸き起こった。

 ともかく状況を確認しようとハンスが足を止めずに顔だけ後ろへと振り返った先には、既に歩調を緩やかにして侵入者が逃げるのを見届けようとしている"竜"の姿があった。舞い上がる砂埃によってかすれて見える折れていない方の巨大な角は所々不自然に黒ずんでおり、"竜"は二本の剛角を生やした頭を震わせながら低い唸り声を上げてハンス達の動きを見つめている。
 周囲に圧倒的な威圧感を与える"竜"の威嚇をその身に受けているが、そんな存在に今まで散々追い掛け回されていたハンスにとっては、むしろやっと向こうの歩みが止まりつつあると安心感すらも感じていた。"竜"が頑強な尻尾を地面に打ち付ける音が響く中で、彼は大きく深呼吸をついた。

「お疲れさん、騎士さん達。奴はもう此方を追う気は無さそうだぜ?」

 息を荒くしながら未だ走り続ける騎士達に向かって、ハンスは勝ち誇った笑みを浮かべた。彼にとって"竜"が足を止めたという事は、逃走劇という我慢比べにおいて巨大な"竜"に打ち勝った以外の何物でも無い。懸命に走っていた騎士たちは驚いた様に各々背後へ視線を向け、"竜"が既に接近してきてないことにもう一度驚き、そして皆が歓喜の表情を浮かべた。

「はあっ……ようやくですか……ッ!!」

 全員がゆっくりとペースを落としていく中で、気の緩みからか歩幅を緩めようとして前のめりに倒れそうになったレーナを、近くにいたハンスがしっかりと抱き止めた。彼女の細い体を支える腕には柔らかい感触が伝わり、立ち止まったことで一気に疲労が押し寄せてきたレーナはそのまま全体重をハンスに預ける恰好になってしまった。普段なら下品なニヤけ笑いの一つも浮かべるハンスだったが、この時ばかりは滅多に見せない穏やかな顔を浮かべていた。

「お疲れ様だ。アンタが居なけりゃこの状況までたどり着けなかった」
「ええ……本当に疲れました。侍女生活が長すぎて体力が落ちてしまいましたね……」
 
 深く息をつきながら、ハンスに体を預けたまま彼女は後ろへと振り返った。全員の視線が、直前まで一行を激しく追い立てていた砂色の巨体へと向けられる。おそらく殿となった雷龍を貫いたのであろう、砂に混じりながら所々赤黒く染まった剛角を前にして騎士達が恐怖と共に悔しそうな表情を浮かべる。
 巨大な頭の角の生え際に光る翠色の澄んだ瞳が騎士達全員を隈なく見渡した。その視線に震える者も居れば、逆に睨み返す騎士まで居る。そしてこの場に居る全員が、今のこう着状態がいつ崩れてもおかしくない物だという事を直感で悟った。
 騎士達を見据える"竜"がふと巨大な翼を少し広げながら一歩力強く踏み出し、踏み抜かれた地面が細やかな砂埃を撒き散らした。たったの一歩にも関わらず、僅かな地響きと共に込められた強大な威圧感が騎士達を襲う。

「……あまりゆっくりと休んでいる訳にもいかなさそうだ。冒険者殿、すまぬがもう少しだけ我々と生死を共にしてもらうぞ?」
「ハッ!! その心意気には感服するがな、ここまで来て死を共にするのだけは勘弁だぜ?」

 騎士達が素早く隊列を組み直す中、ハンスは調子よく部隊長へ冗句を飛ばし、対する部隊長も厳つい表情を幾らか崩した。未だレーナはハンスの腕の中で息を整えつつあるが、落ち着きを取り戻した騎士達がその様子を見て段々と生暖かい笑みを浮かべ、一方で部隊長は少々バツの悪そうな顔を浮かべた。

「あの、レーナ殿? あともうひと踏ん張りです。なのでその、まずは一旦冒険者殿に抱きついている体勢を戻しましょうか」
「……えっ!? あの、すいません!!」

 部隊長の申し訳無さそうな言葉を聞いから数秒後、しっかりとハンスに抱かれているという状況に気付いたレーナはまるで疲労を感じさせないような素早い動きで腕の中から離れた。少し顔を赤らめて慌てながらハンスへと向き直ると、彼はいつもの様なニヤニヤとした笑いを周囲の騎士達と共に浮かべていた。

「まあ良いって事よ。こっちとしても殺伐とした雰囲気を拭ってくれたしなァ」

 ワキワキと怪しげに手を動かすハンスから彼女は直ぐに目を逸らしたが、普段ならば間違いなく感じるであろう強い嫌悪感は不思議と心の中には沸き起こらなかった。ハンスの脇で笑顔を浮かべる護衛隊の面々は、その殆どがそれなり以上の貴族出身の騎士で閉められており、冒険者であるハンスがしたような下品な口調は下賤な物として蔑まれても別に可笑しなことではない。
 しかしごく短い時間であっても極限状態で逃亡を共に続けたからなのか、ハンスと護衛隊達は間違いなく出会った当初よりも心の距離は近くなっていた。それはレーナも同様であり、彼女はこれは一種のつり橋効果なのだと結論付け、小さく頭を振りハンスへと向き直った。

「ともかく、皆の息も戻ってきた訳ですし早めにこの道を抜けましょう!!」

 足元の砂礫を踏みしめ、谷間道の奥へレーナは振り向く。曲がりくねっているために出口は未だ見えず、荒れ地の乾燥した熱風が彼らの背後から道の奥へと細やかな砂を乗せて吹き抜けて行く。部隊長は照りつける日光で熱せられた肩当てに付いた砂埃を軽く手で払い、大きく頷くと厳かな雰囲気で護衛隊達に指令を下した。

「全員このままレーナ殿を囲い進め。いつでも走れるように完全な武装はしなくても良い。そして私か冒険者殿の合図があったら即刻走り出せ」

 唸り声を時折上げながら段々と殺気を大きくさせていく"竜"を刺激しないよう小さな声で言い終えると、護衛隊全員が一様に頷いた。彼らはレーナを取り囲んだ状態で道の奥へと歩き始め、その少し後ろからハンスが最後の一つとなった煙幕玉を手に、隊長が軽く装飾を施された長剣を握りしめ、一行の後を歩き出した。
 ザクリと乾燥した砂礫を踏みしめる音が足裏から響く。走っていた時に首や背筋に湧き出していた汗の存在がようやく邪魔に思えてきて、ハンスは手で乱雑に首筋を拭った。砂埃と混じりジャリジャリとした細かな不快感を首に感じつつ、茶色に汚れた手を防具の端で拭き、彼は背後を少し振り返った。

「化け物め、動き出す気配はねェな……あとは大人しく立ち去るだけだ」

 自分たちの後ろで威圧感を放ちながら縄張りを主張し睨みつけてくる巨大な"竜"に対して、彼はあろうことか大人しい魔物であると感想を抱いていた。護衛隊の話を聞く限りでは、どうやら彼らと同行していた強力な龍種を倒されたようだが、その倒した張本人の"竜"は今此方に襲い掛かるなどという事はせず、それどころか一歩引いたところで此方の動向を見張っている。
 ネイスが倒した火炎龍などの獰猛な龍種は、たとえ明確な危害を与えてなかろうと、そして冒険者達が縄張りの外に逃げようと、執拗に襲い掛かる。そして場合によっては縄張りを大きく外れた場所まで追いつめて来るという。彼らは持ち前の飛行力で冒険者をしつこく追い掛け回し、疲労が蓄積し動けなくなった獲物に炎の息を吹き付けて喰らうと冒険者達の間では恐れられている。龍種の執拗な追跡から逃れるためには、ネイスのように仲間の龍種に跨って飛んで逃げるといった特殊な方法を除いて、ただ逃げるだけでなく隠れる場所を探したほうが安全である。

 散々追い掛け回した一行に対して、一転して威嚇をしながら追い払おうとしている。ハンスは"竜"が一般的に知られている龍種と、外見以外にも異なる点が多いと結論付けた。

「奴は端から俺達を敵だとは認識していない……もしくは最初は敵と見なしていたが、途中から俺達が敵対するほどの力がないと判断したか」

 解釈次第では"竜"に見下されているとも取れるハンスの独り言にも、隣を歩く部隊長は憤りを感じてはいない。むしろ矢倉の様な大きさの魔物が、危害を与えてこない自身よりもずっと小さな人間に対して敵意を抱くとは考えづらいとさえ感じていた。肉食の危険な龍種は追いつめた敵を喰らう事が多い。それは彼らが敵を獲物として追いかけているとも言い換えられるが、一方でこの"竜"は去りゆく彼らを見張るだけ。

(つまり……この強さで草食系の魔物か!?)

 過剰進化、そんな言葉がハンスの中に浮かんだ。草食系の大型の魔物と言えば普段は比較的大人しく、怒ればそれなりに危険というのが常識であったが、"竜"にその考えは当てはまらない。荒地の環境は確かに厳しいが、これほどの異常な戦闘力を持たなければ生きては行けぬほど危険な魔物が多量に生息している程、この乾燥した大地は豊かな地域では無い。おまけにこの地域一帯で観測されたことの無い魔物、ハンスの頭には一つの仮説が浮かんだ。

「なるほど……随分と厄介な"流れ"だな」
「"流れ"だと? あの魔物が」

 "流れ"とは何かの拍子で本来の生息地を離れてしまった魔物の通称だ。それを聞いて部隊長はそれに対し疑問の声を上げる。ならば一体どこが奴の本来の生息地なのか、と。

「湖水地方か砂原の奥地か、一体どこから流れてきたかは知らねェ。だが今の今まで発見されなかったところを見ると"流れ"と考えるのが確実だぜ?」

 ハンスにとってもこの"竜"が一体どこから流れ着いたかは検討も着かない。しかし本来の生息地が危険な魔物の多い場所であったのは間違いない。あの"竜"はその危険な場所でこの体格になるまで生きながらえ、片方の角の先端が折れる程戦い抜いてきたのだ。過去に仲間と挑んだ一角竜に匹敵、もしくはそれすらも凌駕する歴戦の猛者なのだろうと彼は思いを馳せる。

「もしかしたら、あの一角竜も同郷なのかねェ」

 一角竜という聞きなれない魔物の名前に怪訝な表情を浮かべる部隊長を無視し、彼は大きく深呼吸をした。乾燥して熱せられた空気と共に、浮かんでいた細かな塵が粘ついた口内に不快感を行き渡らせる。
 ハンスは苦虫を噛み潰したような表情で口に沸いた不快感を唾液と共に飲み込むと、ふと心臓の鼓動が大きく感じられることに気付いた。既に走った時の息切れは収まっており、その時以上に心臓が締め付けられるような感覚と共に大きな音を鳴らしている。
 まるで強大な試練に直面したかのような感覚、しかし既に"竜"と遭遇してからそれなりに時間は経っており、彼は一体自身が何に対して一番の恐れを抱いているのかが分からずにいたが、すこし考え込むとすぐに答えを見出した。

(なるほどな……危険な依頼の達成間近。ここで奴の気が変わったら台無しか)

 やっと危険な任務から解放されるという感覚にばかり気を掛けていると、肝心なところで失敗を犯してしまうかもしれないというのは冒険者でなくても注意をしなければならない事であった。
 難しい依頼を久しく受けていたかったハンスにとっては少し新鮮な感覚であり、若干の苦笑いを浮かべつつ胸をなでおろした。

「久しぶり、か。あの時に比べりゃ腕も落ちたしなァ……うん?」

 昔を思い出し、少しだけ懐かしんでいたハンスだったが、ふと足に不思議な振動が微かにだが伝わった。
 別に地震という訳では無く、背後の"竜"の足踏みにしては小さ過ぎ、何しろ振動が細かすぎる。まるで複数名で馬でも走らせているような振動に似ている、ここまで考えたところでハンスの心臓がドクンと一つ大きな音をたてた。

「もしや……このタイミングでか!?」

 かなりの暑さにも関わらず背筋が薄ら冷えるような感覚がハンスを襲う。ハンスとネイスはあくまで先陣に過ぎず、彼ら二人だけが第三王女一行の救出隊であるとは限らないのだ。
 前を歩く護衛隊の騎士も数名ほど異常に気付き、冷や汗を垂らしつつハンスは雷に打たれたように後ろへと振り返り、そして絶句した。目線の先、静かに鎮座する砂色の巨体は首を上げて翠色の双眼で前を見据えている。一行の更に先、谷間道の奥を。

「マズイ、全員前へ走れ!! "竜"が事を起こす前に、早く!!」

 ハンスは"竜"を刺激するのでは、という危険性を度外視して大声を出し全員へと命令を下した。逃亡を開始してから初めてハンスの表情に大きな焦燥が浮かんだ。怪訝そうな表情の騎士も居るが、全員がハンスの指示で道の奥へと走り出した。
 あくまで此方が危害を与えないと理解をしたうえで"竜"は一行を追い払おうとしていた。そしてようやく侵入者が退散するのを見届けようとしたその時に、まるで増援のように"竜"の目の前に冒険者達の一帯が姿を現したらどうなるか、ハンスの頭に最悪の想定が浮かぶ。

「ああ畜生!! もう少し時間が経ってから、せめて数分でも後ならば!!」

 例えば"竜"の視界から離れた場所で冒険者達と遭遇出来れば、彼らと一緒に馬で街まで一気に逃げる事が出来た。例えば逃亡を開始した時点で冒険者達と一緒に居れたならば、撤退がより個々の負担が小さく行えただろう。
 冒険者達は"竜"が街道のこの場所にまで浸出しているという事はおろか、存在すらも信じていない者も居る。そして"竜"は既に曲がり道の向こう側へ警戒心を向けて、此方へと大きな一歩を踏み出した。一行の先にある大きな曲り道の先に冒険者の一団がおり、何の情報も無く急に巨大な"竜"と遭遇をして、そして一団の中の誰かがパニックに陥り攻撃を仕掛けようものなら。

「一体どうしたんです!? 既にあの魔物からは逃げられたのでは、なかったのですか!?」
「そろそろ冒険者達が直ぐに合流してくるが、"竜"が連中を敵と認識したら収集がつかなくなる!!」

 ほんの数分前、"竜"から逃げ果せた瞬間、確かにハンスの頭からは冒険者達との合流など消えてしまっていた。逃亡を開始した時でさえ、彼らとの合流に危険が孕んでいると考えていたかも怪しいものだった。
 自分の失態だとハンスは大きく舌打ちをする。危険性に気を配れていたのならば、まだ他にやりようはあった筈だ。決して走りを止めずに冒険者達の一団と出会うまで走り続けるか、もしスタミナが怪しいようならばいっそのこと酒場で事前に谷間道の外で合流するように話を付けておけたならば。彼の頭の中に既にどうしようも無くなった案が数個浮かぶたび、後悔の念が襲い掛かる。

「クソッ、最低でもあの曲り道を越えた所で連中と合流しなけりゃヤベェ!!」

 そして彼らの居る場所も運が悪かった。目の前には谷間の中でも最も急な曲り道の一つがあり、向こう側から此方はカーブがきつ過ぎて死角になっている。もし"竜"の歩調が早まって何も知らない冒険者達と鉢合わせになってしまったなら、どんな冒険者でさえパニックに陥るのは想像に難しくない。
 せめて"竜"と冒険者達が遭遇をする前に情報を伝える為に一行は走る速度を速めるが、それ以上に"竜"が歩くペースを上げる。一行は確実に曲がり角へと近づいてきているが、"竜"との距離は広がらないばかりか、段々と狭まってきていた。"竜"が地面を踏みしめる地響きが段々大きな物へと変わっていき、それに急かされるかのように護衛隊達は更に走るスピードを上げた。地響きによって冒険者達が乗っていると思われる馬の蹄の音が覆われてしまうが、ハンスはもう既にそう距離は無いと判断した。

「光魔法なら、まだ魔力は少し残っています!!」
「ダメだ!! 今使ったらもう逆効果、後戻りだ!!」

 散々足止めに使ってきた閃光魔法と煙幕玉は、最初こそ形振り構わず使ったものの、此方がそれらを使用している時に決して攻撃を仕掛けて来ないと"竜"が判断している、一種の信頼関係によって安全に使用できていたのだ。増援が来ているのかも知れないという所で使用するのは、"竜"へ不意打ちを仕掛けようと誤解をさせる可能性が有り、そうなると完全に手に負えない事態に陥るとハンスは判断をしていた。

「あと少しだ!! ペースを上げろッ!!」

 比較的重装備の護衛隊を大きく迂回する形で軽装のハンスは先頭へと移り、より走るスピードを上げる。ようやくどんな状況下に置かれているのか理解した騎士達が懸命に走りながら焦りを顔に浮かべた。
 もう既に息は切れかかっており、ただ叫ぶのさえも非常に辛いが、ハンスは懸命に目の前に迫った曲がり角へと向かった。あと十数秒あれば彼らと合流でき、更に十数秒あれば彼らに事情が説明できる、それだけを考えながら。

「あっ、地響きが……」

 それは前方から複数頭の馬が地面を蹴る音に混じって微かに聞こえた声だった。

 ハンス達が曲がり角に到達する前に、死角から勢いよく砂埃が舞うのが見えた瞬間、散々後ろから響いてくる巨大な音がまるで全く聞こえなくなったような錯覚にハンスは囚われた。時間切れという言葉が彼の頭を駆け巡り、苦しかった息切れさえもまるで最初から無かったかのように感じてしまう。しかしそれも一瞬の事、護衛隊達の目の前に次々と疾走する馬の姿が目に入り、乗っている冒険者達が一行へ驚いた表情で目を向け、そして更にはハンス達の後ろに鎮座する物へと目を移し、絶句した。

 視線の先には砂色の大きな何かがあり、その先には何か綺麗な翠色の物がある。それが巨大な"竜"の二つの瞳だと完全に認識した瞬間。冒険者の先頭を走っていた男の目線が、此方を向く翠色の双眼とピタリと合わさってしまった。無意識の内に馬を無理やり止めて、彼は吸い込まれるほど綺麗な翠色に言葉を失い、そして唖然とした表情で口を開いた。

「何だ……あの、化け物は」

 次々と冒険者達は馬を止めて、大同小異は有るが同じような感想を口にする。数多くの視線をその身に受ける"竜"は、小さく翼を広げ、唯でさえ巨大なその身体をまるで一回りも大きくなったかのような姿を見せつけ、二本の剛角を照り付ける太陽へと向けた。唖然とした表情を向ける冒険者を鋭く睨めつけながら、"竜"は大きく口を開いて息を吸う。その瞬間、呆然と立ち止まっていたハンスは口を開いた"竜"の姿を見て弾かれたように叫んだ。

「今すぐ耳塞げェ!!」

 その言葉に気付いて耳を塞いだ者たち、呆然としたまま動けなかった者たち。それぞれが居る中で"竜"は大きく首を揺らし、極限まで大きく口を広げる。
 
 その身に合わず驚くほど澄んだ高い咆哮が、再度谷間道の風に乗りって響き渡った。



[31552] 十六話目 精一杯の"陽動"
Name: 周波数◆b23ad3ad ID:22b3f711
Date: 2017/09/27 20:30
「アアあぁぁ!! 耳が!!」

 大地を轟かす高音が街道に響き渡り、耳を閉じる間もなく直接聴いてしまった男が耳を狂ったように押さえつけて馬から転げ落ちる。辛うじて耳を塞いでいた冒険者達も、規格外な音量の咆哮に当てられて発狂した馬を抑えられずに多くが地面へと叩き付けられた。

 咄嗟の判断で指示を出したハンスによって護衛隊の面々は僅差で耳を塞ぐのが間に合った。その彼らは、馬が暴れまわる中耳を押さえて放心している冒険者達の姿を目の当たりにして息を飲んだ。止める事など到底出来やしない馬達は、悲鳴のように嘶き本能的な恐怖に駆られて止めに入る冒険者を蹴散らして一目散にこの場所を離れようと走り出す。しかしパニックに陥ってるためにあらぬ方向へと走り出す馬が続出した。
 人の指揮から外れた馬たちは、恐怖に駆られて我先に逃げようとする。しかしもはや目に見えている情報を認識する事もままならないのか、倒れ伏す冒険者を蹴散らし、馬同士でぶつかり合う者まで存在した。何とか振り落とされないように手綱を引きしがみ付こうとする2人の冒険者が乗る馬に発狂した他の馬が勢いよく衝突し、乗っていた2人が勢いよく地面へと投げ出さる。小柄な少女を抱きかかえながら地面を転がる大柄の冒険者は苦悶の呻き声を漏らした。
 
「グランド!? 大丈夫か、うぐっ」

 仲間が弾き飛ばされたのを目の当たりにした青年がふら付きながら彼らの元へ向かおうとする。だが普段ならば何事もないような小石に足元を取られ、体勢を立て直そうにも頭の中に響く猛烈な耳鳴りに感覚を狂わされて無様に地面へと倒れ伏した。
 半ば壊滅した冒険者の一団を驚愕に開かれた瞳に捉え、ハンスは染み出した汗に塗れた手を震える程に強く握った。冒険者達が折角引き連れてきた馬は"竜"の咆哮ひとつで容易く壊滅し、後に残ったのは当初よりも酷い混沌とした状況。これ以上ない最悪のタイミングで冒険者達と"竜"が出会ってしまい、そしてハンスはその状況を想定できておらず、防ぐことも出来はしなかった。事前に冒険者達と話をしておくだけでこれほどの事態にはならなかった筈だったのに、とハンスは自分の不甲斐なさに一番の憤りを覚えた。
 谷間を吹き抜ける風が急激に強くなり、地面に積もっていた砂塵が熱風に乗り冒険者達に容赦なく襲い掛かる。思わず彼らが目を覆う中、巻き上げられた砂の霧の中で砂色の剛角を携えた頭が容赦なく全員を見渡し、全ての元凶の唸り声が重く響き渡った。

「畜生ッ……アン、しっかりしろ!!」

 片腕でぐったりとした少女を抱きかかえ、背負っていた巨大な大剣を杖代わりにして大柄の男は立ち上がった。防具越しとは言え背中から肩にかけて強く地面に打ち付けており、剣に体重を掛けようとすると彼の右肩を容赦のない鈍痛が襲う。装飾が存在しない無骨な柄に置かれた手が小さく震え、薄く髭が伸ばされた頬に汗が伝う。
 敵意を隠そうともしない猛烈な威圧感が冒険者の一団から投げ出された2人を真正面から捉える。"竜"が一歩踏み出す毎に大地が揺れ、心臓の鼓動が一段と大きく感じられる。彼は地面に突き立てた大剣を引き抜き、男の腕から離れて立ち上がった少女は馬から転がり落ちた拍子に地面に投げ出されていた杖を拾い彼の脇に並び立った。大男が腕を伸ばして少女を背後へ下がらせようとするが、彼女は頑なに杖を構えたまま彼の脇を離れようとはしない。

「守られてばかりじゃダメだから……私は大丈夫」

 砂礫を乗せる熱風は勢いを弱めることなく街道を吹き荒れ全員の視界を砂色に染め上げていき、じわりじわりと一団と"竜"の距離が短くなっていく。ゆっくりと頭を振らしながら歩み進める"竜"から逃げるように冒険者達は後ずさりを始めるが、震える膝を止める事など出来ず腰が抜けて立ち上がれない者はただ恐怖に瞳を広げるばかり。前に取り残された2人は動くことすらままならず、今までに見たことすらも無い程の巨体を見上げた。
 護衛隊の最後尾でじりじりと後退を続けるハンスは、最後に残った煙幕玉を強く握りしめた。"竜"の警戒心が再び沸き起こった今、煙幕玉が手元に一つのみしか残っていないのは非常に心許なく、今は何も付けられていない腰のホルダーを彼は小さな舌打ちと共に睨みつけた。その視界の端に、前方に取り残された2人組が武器を構える姿を見つけたハンスは驚愕に息が止まり、間髪入れずに大声を張り上げた。

「手ェ出すんじゃねェ!!」

 ハンスの渾身の大声も、"竜"が軽く上げた唸り声が完全に覆い隠し、他の冒険者達も煽られるように震える手で己の武器を手に取り始める。杖、斧、弓に大剣、傍目に見ても"竜"の甲殻に傷を付けるのさえ困難と思えてしまう武器を構えた冒険者達を前にして、"竜"の細められた双眼が彼らの手に構える物を一つずつ見据え、段々と唸り声を大きな物としていく。

 護衛隊達が長剣を軽く構えていたのとは違い、冒険者達が各々に手に持つ装備はそのほとんどが"竜"へと向けられており、そして彼らを一通り見渡した"竜"の瞳が大きく開かれた。一度大きく首を振って2本の角が空高く掲げられて、先端が折れた砂色の剛角の断面が照り付ける日の光によって不気味な白さを帯びた。形状がバラバラな武器を構えた敵を前にしたことは"竜"にとって決して初めてなのではなく、むしろ下手な大型の敵よりも危険な存在なのだという事を経験から知ってしまっていた。再度角を一団へと向けて、"竜"は一歩大きく足を踏み出した。突き出された角は油断なく敵を捕らえ、踏み出していない方の足へと体重を掛けた。冒険者達は"竜"の動作に底知れない不安を抱き、ハンスは弾かれたように叫んだ。

「ヤベェ、走れッ!!」

 頭の中に湧き上がるのは同じような姿をした一角竜の姿。十年経とうとその姿はハンスの中に強烈に刻み込まれ、ハンスの声を聞くや否や護衛隊の面々が後ろを振り向くことなどせずに一斉に走り出した。
 低く唸り声を上げつつ、小さく翼を広げて頭をゆったりとした動作で右から左へと動かす。大きく開かれた翠色の目は目標を油断なく見据え、軸足に極限まで大きな力を込める。一団が一歩後ろに下がるよりも早く、溜めこまれた力が一気に解放されて大量の砂礫が"竜"の後方へとはじき出される。その瞬間、野太い足が地面を力強く捉え砂色の巨体が前方へと勢いよく走り出した。

「ッ!? "光よ"!!」

 砂塵を巻き上げ歩くのとは比較にならない速さで巨体が冒険者達へと肉薄し、最後尾に立つ少女が弾かれたように杖を前へと突き出して瞬時に魔法を唱えた。ズン、と連続した巨大な地響きが鳴り渡るのと同時に、巨体の眼前に輝く白い大きな球が現れて瞬時に冒険者達の視界が真っ白に染まる。
 杖を突き出した少女自身も自分が発した魔法の明るさに顔を覆うが、脇に立つ男が間髪入れずに小柄な彼女を脇に抱え走り出した。背後で"竜"の駆けだす音が鳴りやんだのを皆が理解した瞬間、冒険者達は一斉に"竜"とは反対側の方向へ走り出した。もはや武器を構える事などせずに一心不乱に腕を振って走る背後で、少女を抱えた大男が2人の近くで呆然とした様子で佇む一頭だけ残った馬の手綱を強引に引き寄せた。暴れまわる馬は首を絞めるかのような勢いで引かれた手綱によって強引に従わせられ短く嘶いた後に大人しくなり、その瞬間を見逃さず彼は馬の上に跨った。

「さあ行け!!」

 後ろに手慣れた動きで少女を座らせると、勢いよく馬の背を叩いた。驚いた馬が2人を乗せて地面を蹴りだすのと同時に、光に飲み込まれていた"竜"の唸り声が背後から再び響き始めた。
 地団駄を踏むかのように地面を大きく踏みつけ、目を慣らすように数度瞬くと、事前に数度強烈な白光に当てられた"竜"の瞳は驚くべき早さで視界を取り戻していく。晴れていく白い靄の中央に走り出した馬の姿が目に入り、その背に跨る白いローブを纏った少女を発見すると、翠色の双眼は彼女に焦点を絞った。再度目を焼かれる間際に杖を構えて光を放った者が纏っていたローブと同じ色だと理解した瞬間、"竜"の口の奥から白い息が漏れ始める。怒りに染まっていく"竜"は一度大きく瞬くと、ゆっくりと角を前へと向けた。怒りに震える彼の狙いは冒険者全てではなく、光を放った白いローブの少女へと絞られた。


 白息を咆哮と共に撒き散らし、再度"竜"は駆けだした。一段とスピードを上げた巨体は嵐のような風に煽られて出来た砂の霧を強引に切り裂いていく。おろおろと行き場を無くした馬たちが身体を揺らして駆ける巨体に軽々と弾き飛ばされていく。
 轟音に驚き後ろを振り向いた少女の目は、その背後から走り出す"竜"の翠色の双眼と視線が合わさったのを理解し、恐怖と驚愕で限界にまで開かれる。全力で駆ける馬は逃亡を始めた冒険者達の一団に追いつこうと懸命に足を動かすが、地震の如き音を響かせながら全力で駆ける巨体の速さにはどうやっても適わない。
 馬が正気を無くさないのが奇跡と思えるほどの地響きが伝わり、2人のすぐ後ろまで近づいた"竜"は走る速度を落とさずに頭を斜め上に掲げていく。走る体のバランスを崩さずに完全に上から彼らを見下すまで頭をもたげると、"竜"は角の先端を馬の背中へと向けた。

「チッ……追いつかれて堪るかよ!!」

 怒号と共に更に手綱を叩き付けるが馬の限界以上には決して速くならず、日に照らさる角の先端を見た少女は思わず前の男の背中に頭を押し付けた。

「早くするんだ、アン!! グランド!!」

 ふら付く体を無理やり起こして冒険者の一団の最後部を走る青年が、後ろを振り返り馬に跨った仲間の姿を見て叫ぶが、そのすぐ後ろにまで迫った巨体に息を詰まらせた。頭を振り上げた姿は唯でさえ大きな巨体を更に大きく見せ、口を開いたままの青年を強引に黙らす。振り上げられた角の狙いは既に定まり、"竜"は左足を大きく踏み抜いて突進の勢いを急激に緩め、大量の砂礫を前方へと飛ばした。それらは前を走る2人にも容赦なく襲い掛かり、急に背中に鋭い痛みを感じて振り返った大男は、大きく掲げられた角に言葉を失った。

 急に止めた左足を軸として、殺しきれなかった突進の余力により"竜"の体全体が大きく前へと突き出される。滑るようにして右足が弧を描きながら地面を爆音を響かせて削り、それらに付随して巨大な頭まで斜め下へと突き出された。ごう、と風を切るような音が鳴り、その剛角が馬の横から自身に襲い掛かる間近。青年が何か大きな声で叫び、大男が狂ったように手綱で馬を叩いて急かす中、少女は酷くゆっくりと周囲の光景が移り変わっていくかのように感じた。向けられた角は恐ろしいばかりではなく、陽光を反射して乳白色に光る様は荒々しさを内包して存外に美しく、彼女はその角が馬へと突き立てられる瞬間までまるで芸術品を見るかのような目で眺めていて――


* * *


「もっと穏やかに飛んでよ、落ちたらどうするのよ!! うわっ、また揺れた!!」

 ハンスに護衛隊の避難引率を頼み、王女と見張りの騎士の2人のみを無事に連れて帰り、さあハンス達の元に戻ろうとした所でトンだお荷物を引き連れてしまった。乾燥した空気を切り裂くようにして進む中、背中に背負った準装備の弓が当たらないようにしてイトに跨る女性が2名。片や見なければ良い物を眼下に広がる荒れ地の平原を見て絶叫を繰り返し、片やひたすら無言でイトの背中にしがみ付いている。
 イトへの褒美のサーディンを更に5尾追加し、自分と一緒に現場に急行したいと必死の交渉を持ちかけてくる女性冒険者2人をイトの背中へと乗せている。最初こそはイトに無駄な負担を掛けたくなく、更に彼女達が手負いに見えたために断ろうとはしたが、最終的には連れて行った方が得になると判断をした。なぜなら彼女達がグラシスのギルドでも屈指の強力な魔法使いであり、更には……

「ええとアリサ……さん? 君達は本当に"竜"を激昂させて生き延びられたのか?」
「しつこい、生き延びていなかったらあたし等はここには居ないよ!! あとその仏頂面でさん付け止めろ気色悪い、あんぎゃっ!?」

 背後に居るアリスと言う名の赤い短髪の冒険者は、全てを言い終える前にイトが急に高度を落とした為に、女性が出して良いとは到底思えない叫び声を上げた。別に強い向かい風も無く、フンスとイトが小さく嘶いた所から、どうやら彼がアリスの俺に対する微妙な悪口を強制的に終了させてくれたようだ。
 アリスとその後ろに同じくイトに乗っているリンという名の冒険者2人組は、彼女達の話を聞いたところゴンゾのパーティーの魔法使いであり、俺とハンスが探していた2人組その人であった。"竜"に対して惨敗を喫し、てっきり魔力が底をついて数日は到底戦えるような状況では無いと考えていたのだが、既に2人共魔力は半分近くは回復している……らしい。
 ハンスと合流した後は、皆をイトに乗せるなどという事は到底無理であるため、イト共々死なない程度に"竜"を陽動して撤退時間を稼ぐのだろうと予測はしているが、その際にこの2人に攻撃魔法を直接当てるのではなく、"竜"の足止めに使ってもらおうかと考えている。彼女達もパーティーメンバーを瀕死の重傷にした"竜"の危険性は俺以上に十分把握しているようで、攻撃魔法をサポートに使ってくれという頼みに対してあっさりと了解をしてくれた。

「君達はともかく、パーティー長のゴンゾは重症で病院送りになったんだろう? よくもまあアレを怒らせて死なずにすんだと思うんだが」
「そうね、ゴンゾはあの化け物の突き上げを正面から食らって地面に投げ出され、誰がどう見ても瀕死だったわよ。動かなくなった彼を見て興味を無くした魔物が去った後、アマネが半狂乱になりながら回復魔法を掛けて、それでも全治に幾らかかるか……」
「……彼の鎧が純ミスリル製だったのが幸いしました。鎧の中心に突き立てられた大きな角の跡が残ってましたが、でも生きててくれてよかったです」

 アリサの後ろの少女、リンが小さな声で囁くように言った。ミスリルと言うと、急所を覆う部分にのみ使うのが一般的であるが、鎧全部に使うとなるとかなりの金額になるのではと予想できる。値段が高い、加工が難しい、それ以上に希少であり量を揃えづらいと三重苦が詰まった代物であるが、衝撃に強くしなやかで頑丈であり、特に刺突攻撃に強いと言われる良質な金属だ。
 そのミスリル鋼の鎧に刺突で跡を残すとなると、もの凄い衝撃が必要になる。大の巨漢が長槍を振りかぶって突き立てても、余程の事が無い限り傷すらも付けられるかは怪しい。そんな"竜"の一撃を食らおうものなら、ゴンゾがもし普通の鉄製の鎧を身に纏っていたのでは胸に大穴が開くどころか、そのまま衝撃で身体が飛散してもおかしくは無い。

「そういえば、もう一人君達の仲間にはメンバーが居た筈だが、その人は大丈夫なのか?」
「カリマね……あたし達を先に逃がす為に魔物をゴンゾと一緒に引き付けて、直撃はしなかったものの、奴の突き上げに巻き込まれたのよ。幸い大けがはしなかったけど大事を取って入院してる。街を出る前に見舞いに行ったら、ぐっすりと寝てたよ……本当にみんな生きて帰れて良かった」

 数々の困難な依頼を容易く成功させてきた、街の中でもトップレベルの冒険者達でさえ"竜"に有効な手立てを組めなかったのかと思うと、いつか"竜"と戦いたいと思う身としてはまるで巨大な壁を前にしているかのような感覚を感じてしまう。
 そしてその一方でその2人が無事で良かったと聞くと俺はどこかホッとしていた。彼らとの接点など職業が冒険者である以外には見つからないが、しかしただの同業者であってもなるたけ死人がでたなどと言う話は聞きたく、それが命を落としやすい冒険者という職ならばなおさらだ。少なくとも危険な依頼の最中、命を落とした物が居ると聞いて気分を下げたくはない。

「ところでハンスさん、だっけ。アンタの仲間で先に王女様の護衛隊を引率しているのって。同じ冒険者だから会ったことはあるのかも知れないけど、龍種を連れているアンタ程は有名じゃなかったからね、どういう人なの?」
「ああ、彼についてはまだ分からないところも多いが、不思議と頼りになりそうな……オッサンだ。少なくとも俺は彼以上にあの街で頼りになりそうな人間を知らない」
「ふうん。アンタよりも一段低いBランクなのに、随分と評価が高いのね」

 未だ知り合ってから数日しか経っておらず、互いを知るには短すぎる時間ではあるが、俺はハンスに対して彼のランク以上に結構な信頼を置いている。何しろ数年前に同じような敵と戦い、スケールの違いはあれど確かな経験をを積んでいるのだ。冒険者の固定観念に囚われない彼の戦略やアドバイスはかなりの参考になるだろう。
 一度大きく深呼吸を吐き、前へ向き直った。イトが街道上を飛び続けること十数分が経ち、グラシスが近くにあることの目印として親しまれている巨大な台地が見えてきた。地上を馬で走っているのならばまるで広大な壁が眼前に広がっているように見えるのだろうが、街から移動する際には俺はイトに乗る以外の方法を採ったことが皆無に等しい。この台地の間を縫うようにして通る谷間は入り口から少し進んだ所で蛇行を始めるため、たとえ上空から見ても死角が多い。一体ハンス達がどこに居るのかは、近づいてみるまで分からないのだ。しかし曲がりくねっているのは今回に限っては欠点ではなく、あの"竜"の巨体が全力で走るにはちょうど良い障害になってくれるだろう。

 荒地と台地の境目付近は上昇気流の強弱の差が比較的大きいため、巻き込まれて飛行のバランスを崩してしまうと自分はともかく後ろ2人にはきついかもしれない。軽く手綱を引き、若干高度を上げるようにイトに指示を出すと、飛びなれてはいない後ろの2人を気遣ったのか、イトは普段よりもゆっくりと上昇し始めた。

「そろそろ目的地に着くが、何度も言うように奴に直接魔法をぶつけることは、こちらが指示したとき以外は行わないでくれ。遺恨はあるかもしれないが、"竜"を怒らせるとどうなるかは俺以上に2人共理解はしていると思う」
「当然よ。アタシもあんな危険な爆弾にもう一度火を付けようなんて思わないわ」
「……私たちは復讐ではなく一番に緊急依頼の達成、二番目に魔物を見極めるためにあなたに同行させて貰っています。皆さんが危険に陥ることは決してしないと事前に言った通りです」

 2人の口からは淀みなく同意の声が返ってきた。彼女達は最初に乗せてくれと持ちかけて来た時から俺の意見に対して大きな反論は行ってきてはおらず、自分が持っていたゴンゾのパーティーのイメージとは少し異なっていた。彼らは行き過ぎた騎士道精神、足を掬うような戦い方ではなく真正面から対峙するという、聞こえは良いかもしれないが実力が揃わないなら酷く危険な戦い方をしていたのだと聞いていた。

 魔法を正面から放ち、有無を言わさぬ間に魔剣の一撃で敵を葬り去る。まるで物語の英雄のような戦い方は彼らが相応の実力者であるから実現した物であり、冒険者達の羨望と嫉妬を集めた。そして4人の英雄たちは持ち前の正面からの戦い方を持って"竜"に挑み、見事なまでに粉砕された。"竜"は彼らの戦い方を否定し、そして彼らもそれを痛いほど分からせられたのだろう。仲間の敵を目の前にして自分たちの戦い方とは違う事をしろという提案に対してすぐに了承を出来る辺り、彼女達が才能だけの存在では無いのではと感じさせられる。

「全く、君達は凄い。戦略、それが特に自分の得意な物だったのを大きく変えろと言われてすぐに納得するなんて、そう簡単に出来る事じゃない」
「自慢じゃないけどあたし達は失敗を犯したことはそう多くは無いわ。でも失敗から何も学べない程馬鹿じゃない。それに最近あたし達は慢心を持ち過ぎていたのでしょ、出る杭は打たれるってね」

 どこか自嘲するかのような口調でアリサが言うのを聞きながら、ゆっくりと手綱を緩めていく。もしかしたら彼女達には俺とハンスの戦い方を説明しても見下すような事はないだろうという確信が胸の中に沸き起こる。ハンスの提案した彼女達を味方に引き入れるという案は、意外とすんなり決着しそうだ。

 広大な台地の上に差し掛かり、気流が乱れる荒地との境界を超えたため、イトはゆっくりと速度を落としながら降下していく。谷間の両脇の崖よりも少し高い位置に落ち着き、谷間道に沿いながら飛行を続ける。街道上ではどうやら自分たちの進行方向とは逆向きに風が吹いているらしく、目を凝らすと砂埃や枯草が風に流されていくのが見える。背中に照り付ける日光は相変わらず熱く、草が殆ど生えていない台地の上は想像以上に気温が高い。向かい風も生暖かい為に体温を逃がしてくれるような事は無く、額に浮かんだ汗が眉間を伝って滴り落ちた。イトはまだスタミナが尽きてないのか疲れた様子は見せていないが、元の生息地が湖水地方の龍種である為にこの暑さに参っているのは想像に難しくは無い。
 イトがカーブを曲がりながら飛ぶ際に体を内側に傾けるために、その都度後ろの2人の悲鳴が上がる。それを半ば無視しつつ目を凝らしながら街道の先を見つめるが、まだ入り口辺りであるためかハンス達の姿や、街に引き返す時に見つけた冒険者達の姿も見えない。もしかしたら彼らは既に合流を果たして共に馬での逃走を開始しているのかもしれない。

「そろそろいい加減に慣れたらどうなんだ。行きにハンスも乗せたが彼はそこまで驚いては居なかったぞ?」
「で、でもさ、やっぱ高い所は怖いじゃないか、ひっ!?」

 再度イトが身体を右に傾けて大きく曲り、アリサは悲鳴を上げる。確かにハンスは驚きはしていなかったが、スゲェスゲェと途中から楽しむかのように叫び声を上げており、彼女達の悲鳴とうるささに関しては大差無かったりするのだが。
 大きく右に方向転換した先には、少しの真っ直ぐな道の先に、おそらく谷間道では最大と思われる曲がり角が存在する。風で大きく煽られた砂煙によって残念ながら曲がり角の方までは見渡せないが、その地点が凡その街道の中間地点であるとされている。段々とその地点に近付くにつれて、砂煙が分散していき、街道上が少しだけ露わになっていく。そして一瞬街道の奥に日光とは違う白い光が瞬いた。

「なっ……ここまで追いかけて来たのか!?」

 薄れていく砂色の霧の奥には、同じ色をした巨大な物体の影が微かに覗く。街道の幅と比べておよそ半分、まるで縮尺の感覚がおかしくなりそうな巨体が道の奥に立ちはだかっている。その朧気に見える巨大な角の姿に、思わず息が詰まるような感覚を覚える。そしてハンス達や冒険者の一団の姿が未だ見えない事に底知れぬ不安を抱き始めた。
 街道上を疾走する"竜"はその角を生やした頭を振り上げ、地面を踏み荒らす音と共に微かに響く唸り声を発した。掲げられた角の先は眼下に見渡す街道に向けられているのだろうか、なぜか妙な寒気を感じた。どこかで見たかのような動きで、まるで何かに狙いを付けるかのように頭を固定させる"竜"の姿に、火炎龍に止めを差す瞬間の姿が頭の中に急激に浮かび上がってきた。

「ッ!? まずい、誰か狙われている!!」
「何だって!?」

 勢いよく手綱を引き"竜"の居る場所まで急行しろとイトを急かすが、高度を下げて速度を上げようとイトが胴体を下げた瞬間には振り上げられた頭が動き始めていた。まるで残像を残すかのように振り下ろされた頭は、砂煙に隠されて見えない街道上の"何か"を抉り飛ばす様に動き、殺しきれなかった反動によって反対側へと突き上げられ、立ち込める砂塵の上にまた2本の角が姿を現す。
 間を置かずに不明瞭な視界の奥から茶色い何かが弾き飛ばされ何度か勢いよく地面をバウンドし、その物体が最後に大きく跳ねて地面に打ち付けられ止まると同時に、砂の霧の奥から何かが駆け出てきた。懸命に腕を振って街道を走るのは、蒼い防具を纏った一団や、統一されてない服装の冒険者と思われる集団だった。投げ出された茶色い物体は、すっかり砂に塗れながらも地面に何かどす黒い物を垂れ流しているように見える。

「居たぞ!!」

 大きく声を張り上げると同時に地面を走る何人かが此方へと目を向ける。冒険者達は馬に跨り出発した筈だったが、誰一人と馬で逃げている者は居ない。彼らとの距離が狭まってくると、"竜"に弾き飛ばされた茶色い物体の正体が段々と明らかになっていった。茶色だった表面は赤黒い血で覆われ、力なく垂れ下がった尻尾が此方へと向けられている。冒険者の誰かが乗っていた馬なのだろうか、後ろ足はピンと張って伸ばされ、立派な体格だったはずの胴体が途中から消えてしまっている。
 力なく横たわる馬の下半身からは血が止め処なく流れだし、砂色の大地を小さく赤い色に染めていく。それを見て恐れる冒険者達の奥で、"竜"が朱に染まった角を揺らし、重く伸し掛かるような唸り声を響かせた。

「ネイスかッ、どんな手でもいいから奴を陽動してくれ!!」

 一団の先頭を駆ける護衛隊の面々の中に混じる冒険者、俺達を見つけたハンスが切羽詰った表情で叫んだ。彼の姿を見つけて安心したのも束の間、彼らの後ろには冒険者の一団が懸命に走り、更にその後ろには前へと向き直った"竜"が新たに現れた侵入者である俺達へと目を向けた。一瞬身が竦みそうになるが、震える手を無理やり動かして鞍の足元に括り付けた矢筒から一本の金属製の矢を引っ掴み、背負っていた折り畳み式の弓を展開して構える。
 貧弱な短弓から放たれる矢の一本程度では重厚な砂色の甲殻に間違いなく傷一つ付けられはしないだろう。いいとこ巨体の興味を自身へと向けるだけに過ぎない。それでも弓を引く手を緩めはせず、矢じりの先端を"竜"の頭へと向けた。地面を砕きながら走る"竜"と空中を疾走するイトの距離は瞬時に短くなり、限界まで引き絞られた弓からキリキリと音が鳴る。

「何でもいいから攻撃魔法の準備!! それとしっかりイトにしがみ付いて、絶対に振り落とされるな!!」

 矢を番える後ろでリンとアリサが詠唱を開始する。ただの一瞬でも良い、"竜"が標的をハンス達から俺達へと変える瞬間が一度でも来ればいい。叫びながら羽根を掴む手を緩め、その直後に手綱を手に取り大きく引いた。
 弓から解放された矢は一直線に巨体へと突き進み、目の前まで"竜"が迫った瞬間イトが大きく羽ばたいて高度を急激に上昇させた。後ろからは2人の今日一番の悲鳴が響き、流れるようにして変わる方向感覚や内臓が下に押し付けられるような苦痛に思わず呻き声が漏れ出すが、それに耐えてイトの背中へしがみ付き、"竜"の巨大な頭へと目を向けた。

 イトよりも早く"竜"へと到達した矢が頭の先端部分である口の外まで牙が生えた上あごへ到達する。鉄製の矢じりは2本の牙の間へと突き刺さろうと迫るが、その場所すらも覆う砂色の甲殻はいとも容易く衝撃を退けて矢はあらぬ方向へと弾き飛ばされた。しかし外敵の攻撃に当てられた痛覚はしっかりと"竜"へと伝わり、攻撃の発生源を見つけようと冒険者を蹴散らそうと走り続けていた足の動きに急な制止を掛けた。首を後ろにもたげた"竜"の目が、今しがた奴の身体を飛び越した俺達へと向けられ、ようやく期待していた瞬間が訪れた。前言撤回、いったん奴を極限まで怒らせて、こっちに無理やり意識を向けるのが最善だ。

「こっちを向いたぞ――顔だ!! 奴の顔にぶっ放せ!!」
「り、了解です!! "氷の槍"!!」
「あてないんじゃなかったのかよ!! チッ、"雷の矢"!!」

 2人が身体を大きく捻り、此方へと向けられた巨体な頭を標的にして術式を仕上げて杖を掲げると、その先端に片や荒地には場違いな冷気を纏った大きな氷柱が、片や陽光にも負けないほど輝きながらバチバチと音をたてる蒼い光球が現れる。初めてこれほどの近場で見る綺麗な魔法の姿に目を奪われるのも束の間、彼女達が同時に杖を振るった瞬間に2つの魔法が"竜"へ向けて飛び出した。
 光の帯を引いて突き進んだ2種類の魔法の矢は、放たれた途端に"竜"の角の付け根へと吸い込まれていく。俺達を見据えていた"竜"は、迫りくる2種類の光の矢に驚き、寸での所で目を固く瞑った。

 瞳を保護する無骨な甲殻に寸分の狂いなく2つの魔法が着弾し、砕かれた氷柱が冷気で目蓋を麻痺させ、蒼い雷が甲殻を黒く焦がす。予期せぬ衝撃に"竜"は堪らず大きくのけぞり、苦悶の呻き声を上げた。しかしいくら急所に魔法が決まろうと、俺は決して効果的なダメージを与えられたなどとは考えてはいない。
 敢えて挑発するかのように、苦痛を堪える"竜"から少し離れた場所で、急上昇させたイトを大きく旋回させる。ゆったりとした飛行で再び"竜"の姿を正面に置くころにはアリサとリンが既に次段の魔法の準備を終えており、ぎこちない動きで目蓋を少しずつ空けていく"竜"の様子を油断なく見つめていた。

「なりふり構っちゃあいられない。"竜"の標的を俺達に絞り続けさせる。もう少し協力してくれるか?」
「当然です。ここまで来て何もしないなどあり得ません」
「ああもうっ、アタシもリンに同じく、最後までやらせて貰うよ!!」

 2人の力強い同意を聞き、身体は少し震えつつもこの状況を楽しむかのような感情が胸の奥から湧いてくる。"竜"の侵攻は一時的に止まり、奴の目線は逃げ続けるハンス達ではなく巨体の先で滞空を続ける俺達の方へ向けられていく。"竜"が此方の挑発に乗り俺達へ攻撃対象を向けたら依頼は辛くも達成でき、挑発に乗らずハンス達へ"竜"が追いついてしまったならば失敗となる。
 遂に大きく開かれた翠色の瞳が完全に俺達の姿を捉えて、猛烈な怒気を示すかのように唸り声と共に白い息が口の中から漏れ出し始める。何とも恐ろしく逃げ出したくなる光景だと思いながら、いつか戦いたいと憧れる"竜"と対峙しているという高揚感が恐怖を上回り、思わず背筋に両方の意味で鳥肌が立つ。

 "竜"が怒りを露わにして届きもしない俺達へと角を振りかざし、離れていても腹の底に響いてくる咆哮を張り上げ、俺は意味もなく腰に差された剣を抜き放った。

「さあ、敵はここに居るぞ!!」

 騎士道精神の欠片も存在しない陽動作戦の開始だ。俺は胸の内で小さく笑った。



[31552] 十七話目 堅城壁の"小傷"
Name: 周波数◆b23ad3ad ID:ac5d2e4f
Date: 2017/09/27 20:30
 杖の先から後方へ飛んでいく随分と小さな火の玉は、巨大な筈の標的を掠りもせずに岩壁に衝突して消滅した。意図して避けた訳では無い巨体の持ち主は飛行を続ける俺達を打ち落とす為、絶えず体の一部を乱暴に壁に激突させながら疾走を続けている。そして驚くことに空を飛んでいる俺達を射程圏内にいれた"竜"は、突進の勢いを地面を踏みしめて殺し短く屈んだ。

「避けろ!!」

 俺達に向けられた角に冷や汗を流しつつ、俺はイトに短く叫ぶ。当然彼は完全に俺を信頼しており、自身で後ろを確認することなくすぐに指示に従い風を巻き起こして上空へと躍り出た。そしてその直後、振りぬかれた角が今までイトが居たであろう空間を風切り音を残して切り裂いていた。勢い余って頭が岩壁に激突したにもかかわらず、全く気にした素振りも無く"竜"は間髪入れずに巨大な咆哮を腹の奥から巻き上げた。
 とんでもない大きさの高音がすぐ下から響き渡り、両手が手綱で塞がり頭を押さえることが出来なかったおかげで耳の中へ音が何の抵抗も無く侵入する。イトも驚きで体勢を崩してあわや岩壁に激突するところを寸での所で高度を保ち、爆音と不規則な浮遊感覚でまるで頭を思い切り殴られたような衝撃を感じるのも束の間、何とかして歯を食いしばりながら飛びそうな意識を保ち、すぐさま背後からの殺気を感じ取り目を向けた。白々とした息を吐きながら殺気を込めて此方を見据える"竜"は角が届かぬ先に居る標的に業を煮やしたのか、いきなり街道の岩壁へ頭を勢いよく突き立てた。

「手を、離すんじゃないぞ!!」

 もろに耳元に食らった爆音のせいで自分の大声すらも擦れて聞こえる。上下左右の揺れに加えて巨大な咆哮のおかげで満足に精神力の維持をすることが出来ず、もはや魔法の詠唱どころでは無い少女達に短く伝えると、手綱を数度引いてイトへいつでも急上昇できるよう指示を出した。

 "竜"が何をしようとしているのか、戦闘中にいきなりそっぽを向いて壁に角を突き刺した後の行動など、普通の敵ならば悪戯に隙を晒しているようにしか見えず、裏をかいて此方をおびき寄せようとしているようにも感じたかもしれない。しかしアレは違う。あれほどの殺気を放ちながら隙を晒す訳が無いし、あれほどの闘争心に燃えながら搦め手を使おうなどしている訳が無い。一見して間抜けな隙晒しに見える行動だが、そんな生やさしい物であるはずがないという確信があった。
 中ほどまで角を街道の壁へ押し込んだ"竜"は、すぐに足元へ大きく力を込めた。遠くから見ても砂や小石が足元から弾き飛ばされる様が確認でき、その瞬間俺は手綱を大きく引いた。

「上がれッ!!」

 大きく叫ぶと同時に木々の香りを内包する突風が周囲に巻き起こり、風の流れを掴むべくイトが翼を大きく羽ばたかせた。その直後、片足を軸にして"竜"が渾身の力を込めてもう片方の足で地面を蹴り出した。急激な回転力が"竜"の身体全体へ伝わり、岩壁へ突き立てられた頭が岩盤を粉砕しながら俺達の方へ勢いよく突き出される。急激な上昇に備えてイトに体が密着するほど伏せたものの内臓が地面へと引き付けられる強い不快感が体を襲い、背後からも短い呻き声が発せられる。そうして俺達を乗せて高空へと離脱するイトのすぐ下を、何かが突風と衝撃波を残しながらもの凄い速さで通過していった。

「……本当、何でもアリね。アイツは」

 やや苦しげな様子のアリサの呟きはまったくもって自然な反応に思えた。俺達が呆然と眺める先では、イトが間一髪で避けた何かが形を崩しながら地面を転がっている。"竜"に無理やり投げ飛ばされた岩盤の一部は、何度も地面や街道壁にぶつかって大きな音や砂埃を巻き上げながらようやく回転を止めた。直撃していればまず原型を留めないほど潰されていたであろう大岩から目を離し、未だ唸り声を響かせる巨体を見据える。

 翠色の双眼は相変わらず俺達から放されることなく向けられ、激昂させることを覚悟で放った攻撃魔法による傷が僅かに頬の周囲の甲殻に認められる。怒りが峠を越しやや落ち着きを取り戻したのか口から白煙は止んだものの、尻尾を地面に打ち付けて軽く足踏みをしながら唸り声を漏らして此方を威嚇し続ける。"竜"の脇の岩盤には角で抉り取られたため大穴が開き、多くの小石がその強引さを物語るように大穴から崩れ落ち続ける。そして無理な動きで巨岩を投げ飛ばしたにもかかわらず、2本の剛角は新しく傷がついた様子もなく此方へ向けられていた。

「顔面に直接魔法をぶつけても僅かな傷が少々……本当始末に負えませんね」
「おまけにこの怒り狂いぶりだ。緊急時だから止む無しだったけど、俺達がイトに乗ってなければ今頃はミンチだ」

 岩を空中へ遠投するという奇策を使ってまで攻撃を当てられない"竜"、そして一度狙われてからは逃げるだけでも精一杯で魔法を当てるどころの話ではない自分たち。"竜"の顔面へ魔法をぶつけることで勃発した逃走劇は一種の膠着状態へ陥っていた。ひたすら街から反対方向へ"竜"を誘導し、やや低空飛行を続けることで挑発を行いながら咆哮や角の振り上げを寸での所で避け続けた結果、ようやくこの状況まで持ち込めたとも言えるかもしれない。
 ハンス達が逃げる時も相当暴れまわっていたのだろうか、ここまで飛んできた時に見かけた街道の岩壁は所々盛大に抉れている場所が点在し、まるで戦場のような無惨な見た目へと変化してしまっていた。そんな相手に対して命知らずな挑発行為を行い、まだ五体満足であるという事実は何とも幸運な物に思えてしまう。やや遠くを見ればようやく街道の出口が見えており、おそらくはその先の岩山が立ち並ぶ荒れ地平原がこの"竜"の縄張りになったのだろう。街道は広大な岩盤エリアを抜けた後この荒れ地を通って遠く離れた首都へと繋がっていく。随分と厄介な場所に縄張りを持たれたものだ。

「距離と時間は十分稼いだ筈だ。あとは向こうが此処を立ち去るまで根競べだ」

 いつの間にか頬を伝うまで噴き出た汗を乱暴に拭った。最初に自分が目撃した場所や"竜"の移動経路から見てこの街道は縄張りのかなり外れ、もしくは縄張りの外なのだろう。ハンス達は辛くも街道の外へ逃げ切りつつあり、今のところは"竜"も彼らを追撃する素振りは全く見せてはいない。敵が此方を攻撃することを諦めて自分の縄張りに帰っていくことが、この緊急依頼の成功条件なのだ。

 森緑の風を撒き散らしながら浮遊するイトと、砂色の大地の上で仁王立ちを続ける"竜"の目線が交差する。あれほど地形が変わるくらいに暴れまわった巨体は、一転して静かに佇みつつ俺達の小さな動きひとつ見逃さないように睨みつけるのみ。景色の中で動いて見えるのは大穴から崩れ落ちる小石たちのみであり、古代悪魔の彫刻の如き威圧感が街道を飲み込んでいた。
 その異様な空気にも遂に終止符が打たれようとしていた。角を俺達に見せつけるように"竜"はゆっくりとした動きで頭を天高く掲げ、大きな口を可能な限りまで開いた。遠くからでもわかるほど胸を大きく膨らませて極限まで息を吸い、街道の両端の岩盤にぶつかるくらいに砂色のごつごつした翼を大きく広げる。唯でさえ大きな体がまるで一回り以上大きく見えるような錯覚を感じ、どこか放心したような様子で俺達は眺めていた。

――キ ア ア ァ ァ ァ ア――

 初めて彼の咆哮を聞いた時とは印象が異なるような気がする。これは勝鬨でもなく怒りの主張でもなく、おそらくは彼の警告なのだろう。これ以上刺激をすればただではおかない、縄張りには近づくなと。巨体からは不釣り合いな高い音の響きは、まるで無数の小さな針のように俺の肌へと突き立てられた。
 雲一つなくどこまでも青い空へと咆哮が吸い込まれ、長く続く岩壁に何度も音が反響する。ようやく音が立ち消えるまで、まるで自分の咆哮の残り香を楽しむかのように"竜"は翼をゆっくりと動かしながら此方を見据えていた。まるで麻痺毒を浴びたかのように体がうまく動かない。逃走中に何度も耳へはいってきた轟音と同種の音であるはずなのに、面と向かって響き渡る咆哮からは本能的な恐ろしさと一緒に高貴さも感じていた。
 呆然とただ滞空するだけとなった俺達にもう用は無いのだろうか、"竜"は此方からゆっくりと目を逸らすと、悠然とした様子で足元の砂礫を器用に掘り返しながら地面の中に沈み込んでいく。動きにまるで無駄が無く、あれよと言う間に立ち上る砂埃の中に巨大な尻尾までが埋もれてしまった。

「逃げ切った……いや、見逃されたのか」

 立ち上る砂煙を眺めて大きくため息をつくと同時に、照り付ける太陽の熱さがようやく肌から伝わってきた。初めて遭遇した時も同じだ。翠色の双眼に見据えられてまるで全身が麻痺したように硬直をしていたとこと思い出して俺は小さく笑うとともに大きな安心を感じた。2度も生き延びたのだ。あんな規格外の怪物と遭遇しておきながら、自分の心臓は動きを止めていない。結局2回とも敵として相手にされなかったというオチだが、それでも安心するなというのは無理な話だ。

「でも問題は解決してない。第三王女が襲われた場所は街道上だから、アイツの縄張りに街道は一部掠っているはずよ」
「おそらくこの街道はあの魔物をどうにかしない限り安全な通行は保障されません。それはグラシスにとって大きなダメージになる筈ですよ」

 軽く手綱を引いてイトにグラシスへと戻る方向へと飛ぶよう指示を与えながら、アリサとリンの言葉に頷いた。まず一番の大打撃を受けるのはこの街が主要産業としているワインの販売ルートが閉ざされることだろうか。それと同等以上に隊商の行き来が完全にストップしてしまうのは大問題だ。滑るように空中を進むイトの背中に跨りながらこれからのグラシスの冒険者ギルドが取りうる行動を考え込む中、そんな考えから無理やり俺を現実へと引き返すような光景が街道上に広がっていた。

「……ちくしょう。なにが見逃されただ」

 眼下に見えた光景に、思わず歯ぎしりをした。あくまで自分たちが助かったのはイトに乗っていて"竜"の攻撃が届かなかったからに過ぎないのだろう。地面を走って逃げていた冒険者達の中には無惨な姿に変わり果てた者も居るはずなのに、それを僅かな間でも忘れていた自分に腹が立つ。

 やや急な曲がり角の先には、冒険者達がなんとかして逃げようとした跡が生々しく残っていた。道幅の半分以上を占める巨大な"竜"に追い掛け回されて、馬がパニックにならない筈がない。落馬した衝撃でも人には甚大なダメージであり、そんな状態で迫りくる"竜"から逃げ切れる訳が無い。
 道の端に転がる蹴り飛ばされた馬の死体、投げ出されてあらぬ方向へ首を曲げた冒険者、踏み潰された跡のみが残る砂混じりの血溜まり、岩盤に残る何かが叩き付けられた跡、胸に大穴を空けた胴体部のみのプレートメイル、その脇に転がる赤色と砂色で汚れ果てた小さな白い布の塊。すべてが身動き一つせずに日の光に晒し出されている。

 己の身体を武器として時に護衛をしたり魔物を掃討する。冒険者はたしかに死にやすい職業だ。だからといって禄な抵抗をすることも出来ず、正体不明の敵にいとも簡単に殺されてしまうのはいくらなんでも不憫過ぎる。

「この冒険者達、多分何かあの魔物に対して攻撃行為を行ったわね。ただ逃げてただけならば踏み潰されるのはまだしも、岩盤に叩き付けられるような事は無い筈よ」

 眼下の光景を眺めて妙に冷静に判断するアリサの声を聞いて思わず振り返る。なんでそんなに冷静にいられるんだ、人が死んでいるんだぞ。彼女に向けた俺の表情は多分怒りが浮かんでいるのだろう。しかし口を開いて文句を言う前に、更に鋭い目で睨みつけられて思わず黙り込んでしまった。

「もしかしたらアンタは死っていう物に耐性がないのかもしれない。でも死者を悼む前にあたし達はやる事があるのよ。いち早く頭を入れ替えて対策を練らなきゃ被害は止められない。祈るのはそのあとで十分よ」

 何かを反論しようにも思うように言葉が口をついて出ず、結局間が悪くなって目を逸らしてしまった。人と手を組むことなくイトと共にほとんど魔物を相手にして冒険者業を続けてきた俺は、冒険者というカテゴリの中においてもしかしたら異様に人の死との関わりが薄いのかもしれない。その一方彼女達は若く見えてもかなりの人の死が関係する修羅場をくぐり抜けてきたのだろう。
 思わず彼女達との間に壁を感じてしてしまう。栄誉ある龍騎士への道から目を背けてからずっと、イトと共に歩んでいける場を目指して冒険者へとなった。ハンスと以前言っていた、最近の冒険者達の勇猛的な思想の蔓延。俺はその思想を持ち過ぎるべきではないと信じているし、その結果としてより正しい冒険者へ成れるものとも信じている。だが世間一般の冒険者から見て、人の死から遠くを歩き続ける俺ももしかしたら間違った存在なのだろうか。

「……冒険者としては人の死への割り切りも必要なのか。駄目だな、どうにも感情的になってしまう」

 彼らが何をして殺されたのか、どうすれば助かるのか。本来そう持っていかなければいけない思考が、記憶の片端に残っていた彼らの生前の姿へと移り変わる。依頼を受けるため酒場へ行くと時折見かけた3人組。いつも3人でつるみ、巨大な男が何か勇み過ぎな提案をして、白いローブの少女がそれを諌めて、ニコニコと笑う青年が彼らに妥協案を出す。人とコンビを組むとすれば彼らのような人間的にも交流し合える仲がいいと、いつかの自分は思っていた。

「どうでしょう、私たちが切り替えが早いだけかもしれません。それに仲間が傷つけられた時には私も感情的になりましたよ」

 誰に向けた訳でも無い言葉にリンがわざわざ答えてくれたようだ。思えば彼女も仲間2人を"竜"との戦いで傷つけられていた。

「何をすれば正しいのかじゃなく、一種の成功を収めた時にしていた生き方が正しい生き方なんです。私の魔法の師匠が言ってました。多分まだ私たちと年はそう変わらないのでしょう? 時間はたっぷりあるのだからあなたなりに模索をしていってもいいんじゃないですか」

 枯れた土に水が染み込んでいくかのようにして彼女の話がすんなりと頭の中へと入っていく。何ともまあ、まるで僧侶の説法のような言葉だ。彼女達の冒険者としての生き方を模倣するのではなく、自分にあったものを追々見つけて行けという事か。
 少しだけ気が楽になった。やっと考えを建設的な方向へと持って行ける。今自分にとっての成功とは一つしか考えられない。なあなあで続いてきた今までの冒険者暮らしを力強く肯定することが出来る確固たる目標など一つしか考えることは出来ない。

「結局のところ、いかにして"竜"に一泡吹かせられるかだ。今後の街にも、自分にも建設的な選択は」
「そうよ。対策をキリキリ考えなさい。今のところ一番アイツを知ることが出来ているのはあたし達とアンタのお仲間だけなんだからね」

 ニヤリと笑った彼女につられて俺も小さく吹き出す。あくまで亡くなってしまった冒険者を割り切った訳では無い。俺は彼らの死を悼みきちんと誠意を持って受け止め、そして何とかして"竜"を打ち倒す為に方法を考えるのだ。
 しかしあくまで今は逃走を終えて精神的に辟易している状態だ。呼吸をするたびにどんどん疲れが沸いてくる状態で、スラスラと斬新な考えなど出てくるはずもなく、答えが出ないままに首を捻って考え込む背後の2人の様子におもわず苦笑してしまった。
 彼女達を真似るようにしてわざとらしく唸り声を上げながら目を閉じてみる。しかし脳裏に映るのは冒険者達の遺体、追いつこうと爆走を続ける巨体、そして首を高く上げて咆哮を挙げる"竜"の姿だけだ。少々嫌な気分に陥って目を空けようとしたその時、ふとした違和感が頭を過ぎった。

 圧倒的な"竜"の耐久力。それを生み出す源とも見える砂色の甲殻は、大魔法の一撃や火炎龍のブレスさえも防ぎきってみせた。この大きな盾を超えない限り、たとえどんな方法で攻撃を加えようが意味は無いに違いない。しかし違和感を感じる光景、限界まで息を吸い込んだ"竜"の姿には、一部だけ強大さを感じない部分が存在した。

「……胸から下の部分は甲殻に覆われていない?」

 息を吸い込み、皺が走る胸部が膨らむその様を確かに俺は目撃していた。腹が弱点なのは岩を纏うような特異な例を除いて魔物にとっては万物共通であり、"竜"がそれに含まれていてもなんら不思議な話ではないかもしれない。だがその常識が巨大な堅い城壁に走るごく微小な、しかし致命的な傷跡であるように感じられてならなかった。



[31552] 十八話目 攻城への"計画"
Name: 周波数◆b23ad3ad ID:0ddb1844
Date: 2017/09/27 20:31
「辛うじて救出そのものは成功したものの……怪我人多数に加えて死者は5名、か」

 執務室の椅子に掛けるニーガが抑揚のない調子で報告書を見つめ、ため息とともに独り言を漏らした。紙の端を握りしめる手は僅かに震え、無意識の内に苦々しい表情を浮かべていた自分の顔を手で覆い隠す。簡素な紙に並べられた団体名、18個の人名、そしてその中の一部の隣に記載された赤い5個のチェックマーク。その味気ないただのチェックマークが、"竜"の急襲で命を落とした冒険者を表していた。
 依頼の発令当初にその場に居たメンバーの寄せ集めとはいえ、ニーガは彼らの名前をそれなり以上の活躍をしていた冒険者達だと認識している。普段から依頼の失敗などはほとんど無く、グラシスギルドの信用と発展に欠かせない存在であった者達。その大半がこの依頼において命からがら逃げ帰って来るのでも精一杯だったということに、彼は未だに驚きを隠せないのと同時に、見通しの甘さへ後悔を覚えた。冒険者達には逃走をしている筈の近衛隊の救助を要請し、"竜"との交戦はなるべく避けろと指令を出していた。此方から手を出さない限り少なくとも最悪の事態は避けられる筈。しかしそう信じていた彼の予想と結果は、大きく食い違う物となった。

「……そして、"彼ら"が出張ってくるとはな」

 おそらく、この後に控える街議会の中でも大きな目玉となるであろう議題が、報告書の最後に付け加えられた文言に記されていた。王女の窮地について、規則に従って嘘偽りなく伝書の術式で王都に伝えたすぐ後に、その王都から返事が返ってきたのだ。王女救出の助力、そして危機の排除。王都が持つ最大戦力の一つが、この辺境の街に訪れようとしている。それは、今回の犠牲に関する話や"竜"への我々が行うべき対応と同じく、皆で情報を共有しなければならない重要な議題なのだ。

「ニーガ統括、街議会の招集時間です」
「……ああ、今行く」

 控えめのノックの後に入るギルド職員。彼は、これまで見たことがないくらいに眉間に皺を寄せたニーガの姿を目に入れた。感情を表に出さない普段の様子とはまるで別人のよう。思わずギルド職員は彼に駆け寄った。

「統括、無理をなさらないで下さい。議会には代理の者も――」
「馬鹿を言うな。ギルドの統括たる私が行かずして誰が行くというのだ。無用な心配は、要らない」

 感情を押し殺した冷徹な声が、夕暮れ過ぎのほの暗い執務室に響いた。いつの間にか机に押し付けていた握りこぶしをほどき、彼は何枚かの報告書を掴んだ。

「……ネイス・ウェイン達はどうしている」
「先ほどまではハンス・ルベルドとギルドの酒場にいることを確認しました」
「分かった。私が議会から戻った後に話せるよう、手配をしておいてくれ」

 ギルド職員の了解しましたという返事を背中に受けながら、ニーガは執務室を後にした。

 王女の救出と引き換えに失われた冒険者たちの命。事実上のギルドの敗北、そして封鎖が続く北部街道。その折に招集された臨時の街議会。レヴィッシュ伯が重い腰を上げて街の守護兵の運用を考え始めたか、外部からの冒険者受け入れを要請されるか。何が話し合われるのかはさておき、少なくとも現状打破に向けたものにならなくてはならない。ニーガは、書類を持つ手の力をわずかに強めた。


* * *


「生きて帰って来れたことに、乾杯」
「……ああ、乾杯」

 繁盛する時間のはずなのに、普段の活気はすっかりなりを潜めた夕暮れ過ぎのギルドの酒場。そんな静かな空気の中で、木製のジョッキが打ち鳴らされた。
 小柄な少女を真ん中において仲良さげに杯を交わす三人組も、他の冒険者の羨望と嫉妬を受け流しながら勝利を祝う四人組も、酒場にその姿は見えない。静かになった空間でそれを気にするあたり、普段から自分の考えている以上に周囲を気にしていたようだ。

「……ハッ。散々玄人風出して逃げ惑う連中の先頭に立って威張り散らして、なのに今になって手が震えてきやがる」

 中身が半々程度で、ハンスはジョッキを机に置いた。ジョッキの持ち手を握る彼の手は、確かに小さく震えている。王族に対してすらも礼儀を無視し、最悪な状況下においてもむしろ笑みを浮かべていた彼は、自身の震える手を見て嘲笑うかのように息を吐きかけた。
 グラシスに戻ってアマネとリンの二名と別れ、街の城門で冒険者たちの帰還を待っていた俺とイトの目に入ったのは、笑顔なんて全く浮かべていない、疲れ果てた表情のハンスの姿だった。彼が引き連れていたエルフの女性や王女護衛の騎士たちが城門を前にして笑顔を浮かべていたのとは対照的だった。今にも倒れそうなその姿を目にして、イトとともに駆け寄ったその瞬間に、ハンスはとっさに取り繕ったぎこちなく歪んだ笑顔をこちらへ向けた。彼の精神は疲れ果てている。それは誰の目に見ても明らかだった。

「敵うはずもない化け物をわざわざ怒らせて死んでいった連中も、昔の思い出にしがみついて気丈にふるまおうとした俺も、みんな大馬鹿野郎だ」

 昨日や一昨日とは全く違う、自嘲気味に笑うハンス。この彼さえも、この静かな酒場の雰囲気に取り込まれているように見える。

「……初めて奴のことをお前から聞いた時に、正直チャンスだと思った。一角竜と戦った時の、強大な敵を万策尽くす寸前に打ち倒した高揚感。あれをもう一度味わえるだなんて。しかもそれを珍しく俺と考えを同じくする奴から聞くだなんて。ラッキー、俺はなんて恵まれているんだろうかと思った」

 ハンスの独白は続く。彼と初めてまともに会話をした日、あの馬鹿笑いを繰り返す彼の内面には、そのような意図が隠れていたなど終ぞ気が付かなかった。

「今日その実物を初めて目にして、自分を殴りたくなった。規格外、化け物。そんな相手にわざわざ挑もうなんぞ、普通じゃない」

 普通、つまりは平均的な冒険者。その普通の規範から外れていることを時折むしろ誇っていた時とは、彼の言い方に違いが感じられた。

「……そうか。普通じゃないんだな」
「ああ。間違いなくお前は普通の規範から外れている。そして、散々こんなことを言っているこの俺も、普通じゃあないんだよ」

 彼は残ったビールを一気にあおった。まるでうっぷんを晴らすかのように勢いよくたたきつけられた木製のジョッキ。そこから視線を上げれば、幾分か引き攣っているとはいえ、先ほどよりかはマシなハンスの笑顔が目に入った。

「どんな手を使っても、奴を打ち倒す。そうだろう?」
「その通りだ。俺は、あの"竜"を打ち倒す。打算も欲望もないけど……何故だろうな、あんな化け物に惹かれるだなんて」

 俺たちは狂ってる。そう自覚したら、何故か妙に気が晴れるような錯覚を感じた。狂った人間同士で改めてグラスを打ち鳴らし、互いの異常性をここにきてようやく認め合うことが出来た。
 ふと、周囲へ視線を回した。誰かがこの狂った二人の話を聞いているんじゃないか。これからハンスに打ち明けようとしている内容を、他の人間に聞かれるのは困る。奴の攻略情報の断片だけ盗み聞きされてあの"竜"によって更なる犠牲者が出るのも避けたいし、本気で挑む気の人間以外には絶対に話したくはないからだ。

「……ハンス。俺はあの"竜"を見て少しだけ気になったところがある。一角竜を相手取ったお前に、それを聞いて欲しい」

 声のトーンを落としてそう持ち出した。そして見る間に、ハンスの口端が吊り上がる。黄ばんだ歯が覗き、下手な猛獣よりもよほど狂暴そうな笑顔が向けられた。ゆっくりと机に置かれる木のカップ。舐めるように周囲を見渡した後に、話してみろと言うかのように、無言で彼が肘をついた。

「今まで、あの"竜"は全身刃が立たないと思っていた。魔法を弾く強度の甲殻で全身を包んだ化け物。そのイメージばかりが先行していた」

 まるで、動き回る堅牢な装甲城。それこそ随意を凝らした攻城兵器でも持ち出さなければ勝ち目の欠片もない敵だと認識をしていた。その上攻城兵器というものは、その対象が動くことのない城であることを前提としている。何人もの兵士によって運用される鋼鉄の突撃巨槍や、規格外の大きさを持つ岩を放る投石器が、どうしてあの暴れまわる災厄に通用するというんだ。そうだ、こんな考えは真正面から戦おうと超えも出来ない壁を上ろうともがく、己が排除すべきと信じている思考にとらわれたままだ。

「だがそれ以前に、あいつは生き物だ。生き物なのだから全身隈なく甲殻で覆うなんてことは無理だ。生き物である以上動けなければならないし、時には肺も膨らませることもあるだろう」

 息を限界まで吸い込んだあの"竜"を見て、当然のことと見落としかけて気が付いたある当然とも言える事実。そんなもの、今更言ったところでどうしろというんだ。自分の中の冷静な部分がそう問いかけてくるが、それでも口を止めることはしない。

「……アイツの肋骨部分。あそこは、甲殻で覆われていない。息を吸い込んだ時に、あの部分だけは明確に膨らんんでいた。生き物である以上、その部分の表皮はある程度の遊びが無ければならないんだ」

 鱗ではなく甲殻を持った"竜"の姿を思い起こす。もはや正面から打ち破ることが実質的に不可能である俺たちに残されたのは、防御が薄いところを狙うという、至極真っ当で誰もが考え付くような結論だった。

「ハンス、どう思う」
「……そりゃあお前、どう思うって言われても、そうですねとしか言えねェよ。」

 そんな俺の説明を前にしてもにべもない彼の返答に対し、顔を顰めつつなんだそりゃと思わず返した。だがそう話す彼の口調こそは軽いものでも、表情はみるみる内に笑みを深めていく。狂奔、他者を追い立てるかの如く獰猛な笑顔を浮かべた彼の表情は、とてもじゃないが他人に見せられるようなものじゃあない。

「別に馬鹿にしたわけじゃねェよ。当然あって然るべきことも、立ち止まって見なければ簡単に見落とす。散々追い掛け回された俺でさえ見失っていたんだ。考えてみれば当然じゃないか。胸まで甲殻で覆われていたら、外的要因による内臓の膨張に耐えられる訳がない。だからこそ、狙うならその一点のみだ」
「そうだ。奴は魔物という化け物であり、そして魔物という生き物だ。そこに至る手順はさて置き、その最終段階については朧気ながら浮かんできたよ」

 だからこそ、そこに至るための手順が非常に重要なのだ。急所を狙うには、まず急所を晒させなければならない。脚の腱を斬って転がす、視覚外から不意を打つ、攻撃を受け流して懐に飛び込む。そのどれもが、到底あの"竜"には通用するようには思えなかった。脚全体を覆う甲殻、縄張り意識の高さ。そしてあんな巨体が繰り出す逃げ場のない面攻撃をどう受け流すというのか。

「このお伽噺の頭と尻はもう決まってるんだ。ハンス、お前ならどんなシナリオを描く?」
「……自明なのは、俺たちの地力ではハッピーエンドはあり得ないというこった。面白くなってきたじゃねェか。俺たちらしい。地力以上のことをやれだなんて、そんなもの――」
「――周囲の環境を使え、ってところかしら」

 彼の意思を代弁する一つの声が、頭上から聞こえてきた。流石に日中極限の撤退戦において散々背後から浴びせられた声色を、その日の内に忘れることなんてあり得ない。

「まったくヒロイックじゃないわ。街の子供達が憧れる龍を倒す格好良い冒険者じゃなくて、小難しい本に書かれた軍師のようね」
「……冒険者とは本来後者だ。ねーちゃんみたいな一騎当千の魔術師ならいざ知らず、泥塗れで這えずりまわり日銭を得る連中はそうやって生き残ってきた。だからこそ、冒険者という職業は立ち消えずに、今日この日まで残ってきたんだよ」

 一度別れたはずの魔術師の内の一人、赤い色の髪の毛を揺らすリンが、興味深そうな様子でハンスを見下ろしていた。彼女のとなりには、普段のようなメンバー達の姿は見られない。直接的な被害を受けた男性陣はまだしも、相方とも言えるもう一人の女性魔術師の姿もなかった。
 怪訝そうな表情に気がついたのか、彼女は俺の方を向いて渋い顔を浮かべて口を開いた。何故この場所に、たった一人でいるのか。

「……肺が片方潰れていたのよ、うちのリーダー。冒険者稼業の続行は絶望的。本人の意識が未だ戻らない中、それを医者から聞かされたアマネの様子はもう見てらんなくてね……なのであたしだけ先にこっちに戻ってきたのよ。あんたの相方の信頼性をこの目で確かめるためにね」
「人を詐欺師かのような扱いしてんじゃねェよ。何年ここで生きてきたと思ってる。顔くらいは見かけたことはあんだろ。んで、お前さんが例の勇者主義んとこの魔術師か」

 そのまま俺の隣に腰を下ろした彼女は、真正面からハンスと向き合った。冒険者という狭い世界の中で、顔くらいは見かけたことはあるだろうが、実際に顔を向けって話すのはこれが始めてのはずだ。散々取り込もうと言っていた魔術師の片割れが目の前にいる。そんな状況で、ハンスは涎を垂らすどころかその目付きを更に凄めた。

「さっきも言ったが、俺たちはお伽噺の英雄じゃなく、地面を這えずりまわりしぶとく生きる人間だ。アンタはこちらの仲間に引き入れたいが、理念に共感出来なければ願い下げだ。奴を倒す確率よりも、全滅する確率を上げる気は生憎ねェんだわ」

 誘う気が有るとは到底思えないような発言だ。街のギルドを代表するパーティーの一員に対してこの言い方だ。少しくらいは腹もたつだろうに、言われた張本人も面白いものを見るかのように口元をつり上げた。

「面白いわね。隣の仏頂面があそこまで言うからどんな人間かと思えば、このいいぐさ……本当に面白いくらいに腹が立つ。理念がどうとかはどうでもいいけど、この際方法も問わない。あたしは、あの化け物に一泡吐かせるために、最短の道のりを歩むだけよ。だからアンタの前に来た」
「……いいねェ、その表情。仲間が半殺しになったのにその狂った笑顔、採用だ。このイカれた世界にようこそ」

 そう、彼女は楽しそうに笑っていた。それも年頃や見た目に似合わぬ、獰猛な表情。散々ハンスに見せられたそれと、性質は同じものに違いない。
 恐らく仲間の見舞いから帰って来た直後だというのに、こいつの腹のなかには仲間を伸した敵への復讐心などはなく、ただ純粋に己よりも強い化け物を倒したいという欲求のみ。行動だけ見れば英雄物語の主人公を張れても、その腹のうちは英雄的でもなんでもない。一度は無惨な敗けを喫した相手に何故そんな欲望を抱けるのか、それは俺たちと同族だからだ。

「……狂っているとは失礼ね。強い化け物の打倒を目指して何が悪いの?」
「英雄思想も上限を振り切れば俺らと同族だ。これから仲良くやろうじゃねェか」

 ようやく交渉成立、といったところか。ゴンゾのパーティーの生き残りを引き入れるというミッションは、とうとう決着がついたのだ。これはスタートラインだ。あの"竜"をこそこそと裏側から搦め手で打ち倒すための、準備体操を始める準備ができたに過ぎない。
 さあ、何から考えはじめてやろうか。相手は格の違う暴君、挑むのは自殺行為。そうだというのに、不思議と高揚感が浮かんできている。多分仲間の数が揃ってきて取れる戦略の幅が広がってきたからだろう。昔から、こんな卓上での考え事は嫌いではない。

「……アンタも相当ね。この中で一番ネジが外れているのは、もしかしたらアンタかもしれない」
「はぁ? それは少し酷いんじゃ――」

 そこまで言って気がつく。自分の口へと手を触れて、その手触りによりどうやら自分が相当に歪んだ笑顔を浮かべていたことを自覚した。口の端は震えて、頬はひきつる。あのハンスですら怪訝そうな顔を浮かべているのだから、その表情の見た目は察して知るべきだろう。それでは人のことは言えたものではない。

 だがしょうがないじゃないか。こんな心がたぎるようなことなんて早々ない。こんな楽しい考え事を無表情で出来るほど、俺は人間が出来てはいないんだ。


「――なあ、聞いたか? 今回の一件で、王都から支援があるって」
「ああ。なんでも虎の子の龍騎士の一部隊が――」


 そんな、背後から聞こえてきた話し声を理解した瞬間。自分の口に浮かんでいる笑みが、自覚できるほどに歪みを増した。ハンスとリンのギョッとしたような表情を目に入れるまで、俺はその馬鹿みたいな笑顔を収めることすらも忘れて作戦の方針転換について楽しく考えを巡らせていた。風向きは、間違いなく俺たちへ向いている。


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