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[31521] 銀愚伝 完
Name: 空乃無志◆90014c13 ID:91dc2ff1
Date: 2012/02/17 22:09
銀河英雄伝説のssです。
pixivで投稿中の作品です。
オリ主で原作知識あり、最凶(知謀オンリー)ものです。
原作描写は結構はしょってるので原作を読んだことがないときついと思います。
このssは、らいとすたっふルール2004にしたがって作成されています。



[31521] 銀愚伝1
Name: 空乃無志◆90014c13 ID:91dc2ff1
Date: 2012/02/18 00:45
自分と言う人間の一生を振り返れば、特に意味のある人生を送って来た訳でも無かった。

何故、一生について振り返ることができるのかと言うとつまり、私と言う人間は現状において、すでに故人だからである。

優秀さと言う意味では比類無かった私は生まれ育った環境においては政治家になることを希望していた。

特に夢としていた訳では無い。

憧れは無く、大志を抱いたこともない。

ただ、私と言う個が存在する社会を動かす仕組みに関心や興味はあった訳だ。

今、思い返して見ると当時は出世欲も多少はあったように思う。

若さというおよそやり場の無い雑多なエネルギーを向ける先としてエリート主義があり、其処にただ情熱をぶつけて生きていたのが、かつてのそう、私であった。


最終的に見て私にとって政治家になるという目標が身の丈にあったものであったのかとどうかと言う事は、実のところ、良くは分からない。

結局、私は挫折したのだから。

そう、私は挫折した。

政治家になるまでも無く挫折したのだ。

私は生前、政治家となるべく所属した政治会で、とある大先生の私設秘書として活動していた。

いずれは大先生の後を継いで政治家にと考えていたのだ。

ところが私はその志半ばにして、トカゲの尻尾きりにあう。

大先生の不正献金の泥を被って罪に問われ、政治家としては始まりすら得られないままに終わりを告げられたのだ。

これからの話にとって実にどうでもいい話ではあるが、ここであえて弁明させて貰うならば、もちろん不正献金に関して私に身に覚えなどあるはずがない。

ないのだが罪に問われ、有罪が確定してしまった。

こうなってしまうと残念ながら政治家になるという目標は断念するしかない。

このとき、私は人生を諦めた。

その当時の私をして、週刊誌にでかでかと私の名前が載っているのを見て、もはやその後の人生の軌道修正など不能な事は明確に知れたのだ。

このときの私がどれ程の諦観と、絶望と、憎しみと、怨嗟を抱いたのか実のところ良くは覚えていない。

激情とは一瞬のものであり、あとに尾を引くものでは無いのだ。

まして死んだ後にまで残っているものでもあるまい。

その後、大先生の別の使いの者がお金を握らせて私を黙らせようしに来たが、私はそれを断固として断ると粛々と身の回りの整理を始めた。

そして自死した。

わたしはこの世を去ったのだ。

ちなみに身の周りの整理の中には、私が私設秘書として握っていったあれやこれやのネタを冥土の置き土産として報道機関当てに投函とすると言うものもあった。

このような次第で、私という人間は当てつけに死んでやったのである。

私と言う人間は極めて矮小な人間なのだ。

私が死んだあとの結果になんて興味は無かった。

せいぜい満足のいく嫌がらせが出来て、それが冥土の土産としては十分であった。

それで満足して逝けた。

だから、私にとって最終的な末路はどうあれ人生なんてものはそんなものであり、良くも悪くももう十分に堪能した。

お腹一杯である。

だから、もう生まれ変わりたいだとか、やり直したいだとかいう気持ちは私の中に微塵も存在していなかった。

いや、もっと言えば、私は人間として生きる人生と言うものに大概に嫌気が差していて、もし万が一、面倒なことに生まれ変わらなくてはいけないならば、そう気楽な家猫か家犬になれれば良いのにとすら考えていた。

だから、これは罰ゲームなのだろう。

そう。

なぜか私は生まれ変わっていた。

彼のはるかなる銀河の海の下に。

産声を上げ、転生したのだ。

神もまったく馬鹿な事をしたものだ。

私は転生してまでもやりたいことも、やり残したことも無いというのに。

私は歴史に名前を残すことも英雄になることも無いだろう。



◇◇◇◇◇



難儀なものだなと私は頭を掻いた。

人の業と言うものは往々にして深い。

それは一度死んだくらいじゃ拭い切れないほどの深さのようだ。

一度死んで全てがリセットであったのならば、よかったものを、私は半端にも人間性の全てを引き継いで新たな世界に誕生してしまった。

この世界、銀河英雄伝説の世界に。

この世界において、なぜか、私は懲りもせず某政治家の政策秘書官をやっているのだ。

全く因果なものである。

まぁ、この選択は今後の予見があり、それに基づいて選択した結果なのだが。

しかし、だ。

これからわが身に降りかかるであろう物語のあれこれが容易に想像出来てしまうだけになおの事、嫌になる。

面倒になる。

私が生まれ変わった世界は私も一度は呼んだことがあるSF小説の金字塔、銀河英雄伝説の世界に非常に酷似した世界である。

というかおそらくそのままの世界であろう。

銀英伝は、生前は乱読家として鳴らした私が学生時代に呼んだ本の中の一つだ。

私の無駄極まりない記憶力によるとこの世界はあの小説の世界とまったく同じに思える。

しかし、転生するにも物語の中とは。

何故、そんな事が起こったのか大いに謎である。

あの馬鹿げた世界が実際に実在し、そして、何故かそのような世界に死んだ私が転生してしまったことは到底理解できるものではない。

しかし、残念ながら私は哲学者では無く、世界の謎を解明しようなんて気持ちは全く抱いていないので、おそらくこれからの私の人生においてこの件に関して万人が満足するような回答を得ることはまず無いのだろう。

この事に関して、私自身はもちろん理解も納得もできなかった。

が、しかし残念ながらこの状況に至ってしまっては諒解と諦観はするよりもほか無かったのだ。

一つ幸いなことは、今の私は少なくとも別世界の人間として召喚されてきたわけではなく、この世界に存在を得て、生まれ育つことができた事だろう。

さて、興味は無いかもしれないが一つ身の上話でもしよう。

私はルーアン・ヒィッドーと言う名前を授かり、この世界にまた新たな生を受けた。

私は自由惑星同盟(フリープラネッツ)の豪商の長男として育った。

父は政界進出を目論む程度には名の売れた起業家であり、そのため私は幼年期からそれなりに裕福な暮らしを得ることができた。

私が中等部に進むころには父の政界進出は失敗に終わったようだが、私の見立てでは父は有能ではあるが誠実さと人の良さが政治家には向いていないように見えた。

だから息子としては寧ろ父の政界進出は失敗して良かったと思っている。

政治家には何より人を食った性格と不誠実さこそ重要である。

それを私は文字通り、身を持って理解していた。

もちろんここで言う政治家とは悪い方の政治家の話ではある。

しかし、良い政治家になど目指してなるべきではないと言うのが、あの出来事を得て出た私の結論である。

政治家が誰かに怨まれないはずがないのだ。

人が良い政治家など何も為せない無能な政治家と大差は無いのだ。

さて、身の上話に戻るとして私の話だが、幸いにして私のこの世界に転生して来ても高い知性を保っており、そしてある程度の勉学は元の世界における知識が役にたった。

私が知る世界の常識より、より高度な技術や知識も存在したがそんなものは覚える必要がほとんど無かった。

あの時代においてですら、相対性理論を真の意味で理解している中学生などお目にかかったことは無かったのだから、相当に高度な専門知識はその道の専門家にでもならないかぎり必要とはされないのは当然だろう。

一般知識に関しては慣習が似通っているところが多々あり、元の知識で十分に通用した。

もちろん、一から勉強を必要とする学問も数多くあったのだけれど、自覚という意味において、とうに成人している私が当たり前に勉強して行けば相当に優秀な成績を修めて行くことになるのは言うまでも無い話だろう。


いくつかのクラスを飛び級し、大学入りし、若くして政治経済学の博士号を得、卒業した私は19歳という若さで最優秀と称される政治家ヨブ・トリューニヒトの陣営に参加し、23歳にして私設政策秘書官の筆頭となっていた。

両親はさぞ鼻が高かっただろうし、ゆくゆくは私自身が大先生の基盤を引き継いで政治家にとでも思い描いていただろう。

しかし、残念ながら、私自身にはトリューニヒトの陣営の後を継ぎ、政治家になるなどと言う野心はまったく無かった。

ただ、この時期にトリューニヒトの側近として付き従うというのは、良い意味で極上の観客席なのかもしれないと言う気ではいた。

期は奇しくもアスターテ会戦。

銀河の歴史が動こうとしているのが私には当然と分かった。



◇◇◇◇◇



アスターテ会戦。

あの稀代の名将といって過言ではない不敗の魔術師ヤン・ウェンリーと野心に赤く燃える超新星たる常勝の天才ラインハルト・フォン・ローエングラム伯とが互いに艦隊指揮権を持って、激突したとされる最初の戦いである。

彼の激闘は燦然と輝く銀河の歴史の一ページであり、多くの人が知るところであろう。

しかし、ルーアンたちはまったく別の場所で人知れず動き始めていた。

ここは彼の輝ける銀河では無く、とある政治家の執務室の中である。

格調高い調度品に囲まれたその場所は一見して、無味簡素が基本となる一般的な執務室としてはおおよそ似つかわしくない雰囲気を漂わせていた。

ここが国防委員長ヨブ・トリューニヒトの居城である。

国防委員長の地位に似つかわしくない男が座る王座は当然、似つかわしくなどあるはずもない。

ただ、此処にある調度品の品格は疑う余地なく一級品であった。

そして、並ぶ調度品のセンスも悪くは無い。

さて、彼の銀河では、狭い銀河に艦隊が犇きあい、開戦のときを今か今かと待っているのであろうが、一方、この執務室で主の横を主な戦場とするルーアン・ヒィッドーは思案にふけっていた。

傍らに控える秘書のその様子を面白そうに国防委員長の地位にある政治家のトリューニヒトは見ていた。

「何か不安でもあるのか?」

「特には。以前、申しあげましたように、この会戦では同盟は負けるでしょうから」

ルーアンのその素っ気ない物言いに、トリューニヒトは不思議そうに眼を細めた。

「ふむ、そこが実に不思議なのだがな」

この実に聡い秘書ルーアン・ヒィッド―と言う男は今やトリューニヒトにとって重鎮中の重鎮である。

彼はすでにその類まれなる機智で何度となくトリューニヒトを救い、大金星を与えてきたのだ。

それが故に、今やトリューニヒトは同盟の国家元首たる最高評議会議長の座にもっとも近い政治家としての地位を確立している。

国民、軍部の覚えも良く、この戦時下にあって押しも押されぬ大人気政治家なのだ。

さて、このアスターテ会戦だ。

今回の会戦にあっては、ヨブ・トリューニヒトもまたある程度の支持を口にしていた。

主戦派にあって、勝ちが決まった戦いにおいてするくらいの支持表明はした。

と言う意味である。

トリューニヒトの許にフェザーン陣営のリークが真っ先に入ったのは事実だが、彼はそれは横から横に流した。

無視したのだ。

故に戦端を成した政治家は別にいるわけだ。

つまり、今回の作戦の発案自体はトリューニヒトではない。

「我らは目下2倍の兵力を今回の戦争に投入している。常識で考えれば負けることなどまずありえないのではないか?」

「連携の粗を突かれればそうもいきますまい。今回に限って言えば上手くやられてお終いです。まぁ。多少はエル・ファシル輝ける英雄ヤン・ウェンリーが盛り返すのではないでしょうか」

トリューニヒトは鼻を鳴らした。

「そのヤン・ウェンリーとか言う若造と帝国のローエングラム公の二人を出世させておくために今回の会戦における同盟の失態を見逃すというのも実に不思議だ。そこまで重要な人物なのか?」

「才能と言う意味では比類ないでしょうね。しかしラインハルトの方はともかくヤン・ウェンリーは確実に野心家ではないですよ。閣下が上手く付き合うには最適な男です」

今回の会戦を期にヤンをトリューニヒト陣営のお抱えに取り込もうという案をルーアンは取っていた。

「まぁ、今回の会戦でヤンを持ち上げるのは良く分かる。してローエングラム伯を持ち上げる理由は?」

「逆に野心家のローエングラム伯の出世は帝国にとって分かりやすい火種となってくれましょう。我々にとって彼の存在は後々間違いなく役に立ちます」

ルーアンの目が思慮深く細められるのを見てトリューニヒトは満足げに頷いた。

この男の未来予想図では彼の男こそ重要なのだろう。

トリューニヒトは自ら吟味し入れることが多いこだわりの紅茶を口に含むと舌先で回した。

「まぁ、今の政権メンバーの分かりやすい失態劇を演じるのは政権交代という新陳代謝を促す意味で重要であろう。早くも私に御鉢が回ってきそうだな」

二倍という兵力でもってして帝国に負けるという失態を犯した重責は今の無能な軍部がとれば良い。

トリューニヒトは常識的に考えて勝っていたであろう会戦を支持していたくらいで失うものなど、何もないのだから平然としていられるのだ。

まぁ、トリューニヒトもまた国防委員長の地位にあるわけではあるが、それを差し引いても、次期評議長の筆頭株として今の政権運営が揺らいで得をする立場にはある。

今の政権が失脚した後の受け皿として、最高派閥の代表としてトリューニヒトは時期を得れば、当然と最高評議会議長の椅子に座ることを確信していた。

「しかし、だ。ヤンめは私を嫌っている。それでどうやって仲良くできようか?」

「仲良くする必要などありません。有能な人間を有効な立場に祀り上げる。それだけで閣下の慧眼を皆は認めるでしょう。あとはせいぜいこき使ってやればいいのです」

なるほど傍から見て仲良く見えればそれでいいのか。

有能であり、自分の利となるのであれば、トリューニヒトとてヤンを積極的に敵視する理由などない。

今のトリューニヒトは自分の人気に100%の自信がある。

ヤンめがどんなに名をあげようと自分の名声には到底及ばないだろう。

その確信があればこそ、怖いものではない。

むしろ有能であるのなら積極的に利用してやるより他ないであろう。

「では、ヤンとはひとつ仕事上の付き合いを心がけよう。ライクでもラブでもなくビジネスライクということだ」

トリューニヒトが心得た物言いで頷いた。

使える有能な駒は一つでも多い方が良い。

何より使いこなせる自信があれば当然のことである。



◇◇◇◇◇



アスターテ会戦はおおよそ史実通りの結果を得た。

ここでヤンやラインハルトの天才性について事細かに語ることにさして意味があるとは思えないので端的に語れば、このアスターテ会戦は同盟側約4万隻、帝国側約2万隻の大規模艦隊戦であった。

指揮系統については同盟軍が第二艦隊パエッタ中将、第四艦隊パストーレ中将、第六艦隊ムーア中将の3人によって個別指揮されていたのに対して帝国はラインハルトを総大将として一本の指揮系統に良く纏められていた。

およそ二倍の兵力を持った同盟軍は3個艦隊に分れて包囲網を敷いたが包囲網完成を前にラインハルトによって3分の1分割での個別艦隊戦を強いられ、結果2倍の艦隊を率いた同盟に対して帝国は3戦して2勝1敗の結果に終わった。

同盟側は死者150万人、対する帝国側の死者は15万人程度であった。同盟側は艦隊も2万隻余失っておりこの戦い会戦での同盟の負けっぷりは常軌を逸しているとしか思えなかった。

それでも途中から負傷したパエッタ中将に代わり指揮を取り、最後には一矢報いたヤン准将の奮闘は僅かばかりの希望を同盟内にもたらしたがそれとて無いよりまし程度のものに過ぎなかった。

敗戦の勝将という微妙な立場にあるヤン・ウェンリーは戦争を終え、同盟に戻ってきていた。

ヤンは同盟の本拠地がある惑星ハイネセンにある自宅でややゆっくりとした目覚めをえて、遅すぎる朝食をとっていた。

目覚めの一杯の紅茶の香りを楽しむヤンのその様子にヤンの保護下にある少年、ユリアン・ミンツは不思議そうに尋ねた。

「どうしてアスターテの英雄である准将がこんな所でのんびりしているのですか?」

「なんだいその物言いは?ここに居て不味いみたいじゃないか」

「今日はアスターテの戦死者に対する慰霊祭があるんですよね?」

慰霊祭はもう始まっているのではないか?

彼は養父に代わり、午後を僅かに回った時計を不安そうに見つめた。

いくら惚けたところのあるヤンとはいえここで「しまった、寝過ごしたよ!」なんて言って慌てはじめることは無いだろう。

そう信じたい。これでもユリアンにとっては自慢の養父なのだ。

不安げなユリアンに対して、彼はさっぱりした顔で、

「うん?ああ、なぜか慰霊祭への出頭は免除されたんだ。ああいう辛気くさい場所に行かなくてすむのは嬉しいことだね」

と言った。

ユリアンに何故か白い目で見つめて居心地悪そうにヤンは肩をすくめた。

ヤンに死んでいった同僚たちを悼む気持ちがない訳ではないが明日は我が身だ。

そう言う意味で言って、この非常時下に必要以上に感傷的になる必要はないだろう。

そもそも慰霊祭自体がプロパガンタ的な意味合いの強い行事だ。

あそこに参列した高級官僚の面々が本当の意味で戦死者を悼む気持ちを持っているか大いに疑問である。

しかし、今この時におけるこの部屋のこの居心地の悪さはなんだろう?

既にこの部屋の所有権が留守がちなヤンから傍らにいる戦争孤児のユリアン・ミンツに移動して二年になる。

それはもちろん分かってはいるが、しかし、本来の主にもうすこし優しさがあって良いと思う。

「呼ばれなくても出ていって武功の一つでも讃えられてくればいいじゃないですか?」

なんだ、それは厚かましい要求だな。ヤンは苦笑した。

「そんな余計なことはしなくて良い。しかし、私が出なくて良いとは思いきった判断だな…」

大胆だが決して悪い判断では無いだろう。

まぁ、軍部がヤンの精魂尽き果てた体と頭脳を労わってくれた訳ではないだろうが…。

その命はトリューニヒトが打診したものらしかった。

彼主催の政治ショーになど興味は無かったので欠席が許されるならそれに越したことはない。

参列する遺族としても、あるいは同盟唯一の勝者として評されるヤンの存在は微妙だろう。

どんなに目を背けても同盟は勝ってなどいないし、今回の大敗の責任の一端を将校の一人として参戦したヤンが担っていない訳では決してないのだ。

あの会戦を期に出世した人間がいると聞くのは遺族をして実に嫌な気分だろう。

「しかし、准将。替わりにこんなものを軍部の人間が寄こして来ましたよ」

ユリアンが封筒のようなものを差し出す。

「なんだい?給料明細か何かかい?こいつを数えるときだけだな、私が同盟に心から忠誠を誓えるのはさ…」

知性が尽きてまさに口からぽっと出たような軽口を叩くヤンに呆れた様子でユリアンは言った。

「そんなに良いものでもなさそうですよ。大体お金は使いきれないほど貰っているじゃないですか。なのになんでそんな拝金主義的なことをおっしゃるのです?」

「使いきれないって…そんなに高給取りでもないんだがね。貯蓄以外に趣味がないだけさ」

ヤンの父は守銭奴で有名だったことを果たしてユリアンには話しただろうか?

どうでもいい話なので話していないかもしれない。

まぁ、いずれにせよその貯蓄を使う前に死んでしまっては元も子もない。

独身貴族であるヤンとしてはこれが死ねない理由の筆頭にあがるのは何とも情けない話ではあるのだが。

しかし、重要なことではあろう。

お国の為ならぬお金の為にお国に命を懸けて仕事をしたきたのに死んでお金がお国の金庫に戻ってはミイラ取りがミイラになってしまうではないか。

「確かにお金のかかる趣味がないですね。お酒は嗜まれるのに」

「安酒で満足できる身の上を呪うよ。電子書籍は安く手に入るし、最近は戦争以外で外に出る必要すらもない」

休みともなれば、ヤンは日中、パソコンの前で読書に耽っている。

さすがに今日はその元気すらないが…。

ヤンは漸くユリアンの寄こした封筒に目を通した。

中には短文と食事券が入っていた。

ヤンは今夜の日付で食事券が1枚しか入っていない事に気づき、苦笑して言った。

「ディナーにご招待だそうだ。封筒の宛て名書きはルーアン・ヒィッドーってなってるな。トリューニヒトの私設秘書官?なんだこれは?」

得体の知れない男から手紙が来たものだ。

用件はなんだ?

一方、ユリアンが同封されたチケットを見て感嘆を漏らした。

「凄いですね、これ、話題の三ツ星レストランじゃないですか!予約殺到の。ソリビジョンで見ましたよ」

ヤンは若干羨ましがるそぶりのユリアンに苦笑した。

果たして使いきれないと噂のヤンの給料で、この少年をこのレストランに連れていけるのだろうか?

しかし、三ツ星レストランねぇ…。

ユリアンと違いそんなものは知らないし、興味もないヤンだったが短文に目を通して気が変わった。

料理はともかくもうひとつのほうには興味を覚えたのだ。

「アスターテの真実を魚に、美味しいディナーはどうでしょうか?だそうだ。ふむ…」

「おや、行かれるのですか?」

ヤンから見てもその文には強制力はないようだ。

であれば、極力この手の誘いには参加しないのが普段のヤンの流儀なのだが、珍しく悩んでいる様子である。

ユリアンは不思議そうに見つめた。

「あ、うん。どうしようかな…」

トリューニヒトはこの後も予定が詰まっているはずだ。今日に限っていえば政府の重鎮クラスが抜け出て来る可能性はない。

まさか、待ち構えているのは本当にこの差出人一人だけなのだろうか?

「まいったなぁ…」

ヤンのその「まいった」は自分に向けられたものであった。

実際のところ、これはどうしたって興味を引かれる。

ゆくゆくは歴史編纂を仕事としたいと考えているヤンにとって政治的な舞台裏というものは聞けるなら聞きたい興味深いお話なのである。

もしかして、ヤンがここでフリーなのもこの男の指示だろうか?

だとすれば、ヤンを待ち構える男は果たしてどういう人物なのだろうか?

会ってみようか。

「もしかして余計な事に首を突っ込もうとしていませんか?」

「今日に限っては慰霊祭に参加しなかったことで+-ゼロだ。そう言う事にしておこう」

そう言ってヤンは外行きの準備を開始した。

三ツ星レストランかぁ…もしかして、礼服を出さないといけないのだろうか?

以前使ったフォーマルをクリーニングに出しそびれたことを不安がってクローゼットを開くとヤンの服はすべてしっかりとクリーニングに出され、ビニール包装されていた。

ユリアンがやったのだろう。

まったく、齢の割に非の打ち所の無い優秀さである。

故人であるユリアンの父もさぞ優秀であっただろうに惜しまれることだとヤンは思った。



◇◇◇◇◇



完全予約制のレストランは中世風の立派な店構えだった。

しかし、看板が無い。

(おや?)

ヤンは来る場所を間違えていないかとチケットに書かれた住所と住所標示板を何度も見比べた。

間違いないようだ。

流行っているという話だったが、中に人に溢れるような様子は無く、この手の高級レストランが初めてのヤンはいささか緊張した面持ちで入っていった。

店内には品の良さそうな作りのテーブルと真白いテーブルクロス、テーブルとセットになったやや大きめの椅子が多数見えたが人はどれも座っていなかった。

ここまで見てきて、とても流行ってる店には見えないのだがどういう事だろう?

品の良い木目の落ち着いた造りのレストランを歩いて行くと一人の男が座っていた。

待っていた男はヤンの想像していたよりも遙かに若かった。

年の頃は23~4歳くらいだろうか。

髪は黒く、目も黒い、眉目秀麗だが不思議と衆目の関心を引く感じでは無い。

顔立ちから言ってヤン同様にルーツは東洋系にあるのかもしれない。

軍部において相当に若造と称されるヤン准将がまだ29歳なのだから、この若さであのヨブ・トリューニヒトの私設秘書をしているというのは

(相当な男なのだろう)

とヤンは当たりを付けた。

ヤンは男の鋭利で冷徹な瞳を見て、背筋を緊張させた。

これは考え無しにのこのこやってきたのは失敗だったかな?

内心で冷や汗をかきながら席に近づくと男はその様子に気づき、席を立った。

自然な動作でヤンの為の席を引き招く。

「よくぞ、おいで頂きました。ミスター・ヤン・ウェンリー」

「ミスターですか」

彼からの尊称にはてっきり准将がつくものだとばかり思っていたので、その物言いには面を喰らった。

「軍人扱いはお嫌いだとお聞きしております」

はたして、それは誰からの情報であろうか?

そのことはたしかに事実だが、公言しているつもりは無い。

いくらヤンでも、愚痴をこぼす相手くらいは選んでいるつもりだ。

彼らがこのような話を積極的に吹聴して回るということもないだろう。

まぁ、しかし、ヤン自身こういう発言をする際に場所を選んだ事が無かったので、相手がそのことを知っていたとしても、別に何の不思議は無いのだが…。

しかし、ヤンとしては、突然にこういうことを言われると弱みを握られているみたいで非常に不安になるのも事実だ。

すくなくとも相手に最初の段階でのペースを完全に握られたようだ。

その苦虫を噛んだようなヤンの顔を見て、少し男は苦笑した。

「心配なさらないでください。私には何の地位もございませんし、貴方を害する気もありません。私はトリューニヒト様にお仕えする、ただの私設秘書以外の何者でもありませんから」

ただの、ただのねぇ・・・その言葉を反芻して、ヤンはふと今は亡き父の言葉を思い出した。

商人として分かりやすく根っからの拝金主義者だった父が何度も口を酸っぱくしてヤンに語っていた教えの一つに、ただほど高いものはない、無償の善意ほど疑え、というものがあった。

話はまったく違うがニュアンス的なものは一緒だろう。

いや、ぜんぜん違うか。それでも良い。

とにかく『ただ』ほど厄介なものはいない。

つまりこの只ならぬ男が只の秘書な訳がない訳だ。

「私の名前はルーアン・ヒィッドーです。トリューニヒト様の元で私設政策秘書という肩書きでお仕事させて頂いております。ですからまぁ、その名の通りに主に政策関連の仕事をしております」

「その、主にとは仕事の内容にかかっているのですか?それとも…」

ヤンが何を聞いているのか分かったのだろうルーアンはわずかに目を細めて答えた。

「主にとは主にです。私がブレインなのかと聞かれれば、はい、そうですと、お答えしましょう。トリューニヒト様の提案議題を考える仕事はほぼ私に一任されています」

ヤンはルーアンのその明け透けな発言に背筋が凍るのを感じた。

この男は今、随分ととんでもないことをさらっと言ったのではないだろうか?

トリューニヒトが議会で発言した緒策は自分が考えたですと明言したようなものなのだからそれがどういう趣旨の発言か、まさか分からないで話しているなんてことはあるまい。

トリューニヒトは現状、扇動家としての才能と同じくらいに政策通ぶりや敏腕ぶりが有名なのだが、彼はつまりその部分を自分が担っていると言い切ったのだ。

ヤンは周囲を見渡した。

人の目を気にしたヤンだが、しかし、この店にはさっき程から客どころかウェイターの一人すらもいない。

「そのような発言を公言して君の立場は悪くならないのかい?」

ヤンは心持ち小さく低い声でルーアンに対し聞き返した。

今の会話の内容は少なくともヤンのようなトリューニヒトと因縁深い人間に対して話して良い内容ではないだろう。

そう思ったのだ。

彼は笑い、

「貴方はいろいろ誤解しているようですね。私はトリューニヒト様の私設秘書なのですからこの場で貴方とお話しているのも悪く言えば仕事の一環です。あのお方の意向に沿わない話は今のところしていませんよ?」

と言った。

正気か?ヤンは顔を歪めながら呻いた。

「悪いがまったくそうは思えない。説明してくれないか?」

今、此処でヤンに『あの』トリューニヒトの悪口を聞かせることがどのような理由で有益となるのであろうか?

理解できない。

「貴方はあのお方をどう考えていますか?率直に言ってもらって構いません」

その発言にヤンは一瞬ならず大いに悩んだが、悩んだすえに素直に心中を吐露した。

ヤンはこの場でトリューニヒトに媚びたい訳ではないし、この秘書の反応を試してみたかったのだ。

「・・・扇動が巧いだけのペテン師かな」

率直なヤンの発言にルーアンは満足した笑みを浮かべた。

「まぁ正解でしょう。そこに日和見主義者の厚顔無恥がつけば完璧です」

自分の雇い主に対してそこまで言うか!

とさすがのヤンですら驚愕して言葉を失う。

絶句するヤンに対してルーアンは眉一つ動かさず続ける。

「ですがつまり言い換えれば恐ろしく目鼻が効き、演説が非常に巧く、内心を出さずに誰とでも交渉や交流する事ができる神経の太い、非常に有能な政治家であるとも言えます」

この発言にヤンはまたも驚愕せざるえなかった。

「ええ…!?しかし…いや…なるほど、そうなるのか…」

トリューニヒトにその手の才能があること自体は否定のしようが無い。

まさにものは言いようと言う感じだがそれこそペテンのような話だとヤンは思った。

「あの方は利になると理解できればどんな状況でもそれに乗ることを恥とは感じない神経の持ち主ですよ。実に分かりやすい方だとは思いませんか」

そのような見解、発想は今のヤンには無いものだった。

良くも悪くもヤンはトリューニヒトには興味が無かったし、逆に興味が無いどころかその性質には嫌悪すら抱いていた。

であるからこれまでのヤンのトリューニヒト評には私情的な色眼鏡が入っていることは否定のしようがなく、ヤンの感情的な部分が正当な評価の弊害になっている可能性は大いにある。

もし、それが事実ならトリューニヒトは実はとんでもない男なのかもしれない。

もちろん、それは権力に住まう最悪の俗物にして怪物であると言う意味においてだが…。

「あのお方は権力と利益という餌さえ与えておけば、いくらでも利用することが可能です。そのことをヤン様にはぜひ理解して置きたいのです」

「その物言いは…つまり、トリューニヒトの力は彼の利になる行為であればどんな状況でも利用可能であると?」

「ええ、そうです。俗物ですから」

その断言にはヤンとしてはますます頭が痛くなる。

「悪いが毒の皿に手を出す勇気は私には無いよ。トリューニヒトなんて煮ても焼いても食えないし絶対に食いたくない」

今ですらこんなに頭が痛いのにそのうえ腹まで痛くするのは御免こうむる話である。

ルーアンは笑った。

「別に仲良くしてほしいとは言っておりません。むしろ表だって文官と武官が仲良くするなど良い話ではありませんからね。しかし貴方にトリューニヒト様に対して要望があれば私に申しつけください」

「いやでも…」

「貴方のその清廉たらんとする精神は立派ですが、トリューニヒト様の権力家としての手腕は群を抜いています。彼の権力を上手に料理するのが私の役目であり、そして貴方の役目なのです。よろしいではないですか、たとえ無能でも民衆に分かりやすいシンボルマークが居て、その下に有能な文官と武官がそれを支える。それは実に民主政治的に正しい」

「それは…」

たしかにヤンにとってもそれは分からない話では無かった。

冷静に考えてみれば、ヤン自身にも聴衆の面前に立って分かりやすく英雄になるような気位は望んでも持ちえないものである。

そういう役割を担う人材がいつの時代も必要なのは事実だ。

それがトリューニヒトなのか?

誰かが立たなければならない場所に嫌がるヤンの代わりにトリューニヒトが立つことに関して横から口を出して文句を言うと言うのもなんだか大人気ない話だ。

ことは本当にただの子供染みたわがままでしかない。

「ご安心ください。トリューニヒト様はいくら権力を握らせたところでゴールデンバウムのような独裁者にはなりませんよ。彼は君臨することに興味はあっても統治する事には全く興味を持たない男です。絶大なる称賛の中で陶酔し続けることが望みなのであって確固たる主義主張など持ち合わせていないのですから」

ルーアンのその言葉には確かな自信が見れた。

理解はできる。

彼はトリューニヒトからすでに絶大な信頼を得ているのだ。

彼は思考放棄をしたとてルーアンの指示に従うだけで絶大なる権力の中枢に苦も無く辿り着けるだろう。

煩わしい事は全てルーアンに任せればよいとトリューニヒトが思っている限り彼の暴走は起こり得ない。

「一つ聞いて良いかい。なぜ、貴方はトリューニヒトに組する?」

「トリューニヒト様の才能は私には無いものです。甘い蜜を嗅ぎわける鼻も蜂を集める花も私にはありませんから。それに私は統治・運用する事には多少興味はあっても君臨する事にあまり興味がないただの政策マニアなのです。故にトリューニヒト様とは良い関係と言えるでしょうね」

「なるほど」

確かにこの男からはトリューニヒト程の面の厚さは感じなかった。

もっとも怖さではどっこいどっこいだが。

この年で自分の限界を見切れる、見限れるとはさすがのヤンでも恐れ入った。

人間が自分の才能を最大限に生かすために必要な事は出来る事を知ることでは無く、出来ない事ことを知ることである。

限界を知れば、そうそう失敗しなくなるのは当然のことだ。

失敗することが予見できるのであれば、回避する事も容易だろう。

最もそれは賢者の選択かもしれないが若者の選択では決して無い。

チャレンジャー精神、若さとは対極にある思想的境地である。

その若さで既に人生を諦観しきっているかのような男の振る舞いはある意味、確かに賢者らしかった。

それは傍から見ればヤンにも言えることなのだが、さすがのヤンでもそこまで自分の事を客観的には見れない。

「同じことは貴方にも言えますよ。ミスタ・ヤン。貴方も外面を整える術は苦手なはずです。いや、苦手どころか嫌悪感すら覚えていらっしゃるはずだ。そんな貴方にとってもトリューニヒト様の存在はある意味都合が良い」

「私に貴方の共犯になれと?」

「まさか、ミスタ・ヤン。貴方にそこまでの自主性を期待する私ではありません。私が言いたいことはつまり、まぁ、それなりによろしくやりましょうということです」

「…なるほど、で、本題はなんだい?」

前菜はもう十分だろう。

彼のような人間が目的も無くヤンの前に現れるとは考えにくい。

こんな話がしたいだけならそもそも話さなくても良い。

勝手にヤンを利用すれば良い。

つまり本題は別に用意されている。

ヤンの透明極まる思考は本題が別にあることを既に見抜いていた。

「なるほど、さすがに切れ者ですね。では頼みたい事があります。一個艦隊を率いてイゼルローンを落としてくれませんか?」

え、ヤンは驚いた。

「そんなことができると思うのかい!?」

その要求にはヤンは驚きを隠せなかった。

「ええ、可能でしょう。貴方なら。調度良く作戦もありましょう」

確かにヤンにはイゼルローンに関してひとつの作戦があった。

それは事実だが、しかし。

「しかし、私に一個艦隊を指揮する権限はないですよ」

ヤンは准将にしか過ぎないのだ。

そもそも作戦に指揮官として参加する資格がない。

「伝達はまだでしたか…。今回の一件で貴方は中将に出世する事に決まりました」

「はぁ?」

なんだ、その異常な出世は!?

それではヤン自身をたしかに慰霊祭に参加させるのも不味かろう。

遺族がヤンに大いに憤慨することは免れない。

「この命はいずれトリューニヒト発案として正式に下ります。無事落とせれば貴方についた多少のケチも不満も一掃できましょう」

なるほど、確かに勝てばヤンに対する人事の反感を大いに黙らせることはできるだろう。

ヤンは試しに聞いてみた。

「貴方は私ならどうイゼルローンを制圧すると思いますか?」

ルーアンは目を細め言った。

「私はあれは卵だと思いますね。殻は固いが中身はそうでもない。しかも、もしかすると卵の中身は腐っているかもしれません」

その明瞭な答えにヤンはすっと背筋を伸ばした。

まさしくヤンがいずれやろうと考えたことを彼は口にしたのだ。

「私は成功すると思いますか?」

「私は保証しますよ」

ヤンは苦笑した。

まったく、どうしたものだろう。

ヤンとしてはアスターテの会戦であのラインハルトを前にした時のほうがまだ緊張しなかったのだが…。

「そう言えばアスターテの会戦の裏話をする約束でしたね。」

そう言って1枚の用紙をヤンに差し出す。

「アスターテ会戦を裏で糸を引き、起こしたのはフェザーンです。彼らが私たちに寄こした帝国の作戦決定書のコピーがそれです」

ヤンはそれを呆然と見た。

おそらくフェザーンの交渉官をもって同盟にリークされた内容の証明となるものが目の前にあることが信じ難かった。

「同盟としてはフェザーンの特に自治領主であるアドリアン・ルビンスキーは分かりやすく目ざわりなのです。あの自治区は諸悪の根源と言っても良いでしょう。だから潰したいのですがそのためにも是非、イゼルローンを落として戴きたい」

「フェザーンを落とす?そんなことが可能なのか?」

「ええ、それを含め国民感情に訴えるネタは多数所持しています。それらが公開されれば、いずれ同盟は怒りの矛先をフェザーンに向けることになるでしょう。が問題は時期ですね」

そう言って淡々とルーアンはヤンにフェザーンの寄越した計画を広げて見せた。

ヤンはルーアンの話を聴きながら、その脳内ではどのような詭計をルーアンが用意しているのかを考えて必死になっていた。

同盟の最高権力者といずれなる男の傍に立つ男からフェザーンを討つべしとのアナウンスが出たことは衝撃以外の何者でもなかった。

このことは絶対に誰にも聞かれてはならないはずだ。

「心配せずとも今後とも私にフェザーンのマークがつくことは無いでしょうね。貴方もぎりぎり現時点では大丈夫。このレストランも実は私が経営していまして、人払いは済ませてあります。ここでの話は誰にも漏れません」

「はぁ」

ヤンが気の無い返事をしたのは仕方ないだろう。

とんでもないフルコースが出てきたものである。

ふと、背中の方に人の気配を感じ、ヤンが緊張に身を強張らせた。

するとルーアンはそっちの方に目を向けながら席を立ち、ヤンに言った。

「息子さんが来られたようなので、私はここでお暇させていただきましょう。料理は彼と堪能してください。ここもなかなかに評判が良いようですよ」

その言葉にヤンが後ろを振り返れば、彼の保護するところのユリアンの姿があった。

ルーアンは言いたいことだけ言って、軽く会釈するとユリアンとも礼儀正しく挨拶を交わして去っていった。

ヤンとすれば、できれば先ほどのフェザーン陥落の計画をもっと詳しく聞きたいところではあったがユリアンが来たのではもはや聞けないだろう。

(なんという事だ)

ヤンは頭を掻いた。

ユリアンはヤンの向かいの席に座ると微妙な顔をしている保護者に対して言った。

「なんか招待券はぼくの分もあったみたいで、あとから呼ばれたんです」

「そうか、美味い只飯にありつけて良かったじゃないか」

ぜんぜんそう思っているようには見えない顔と口調でヤンは嘯いた。

「准将は目当ての話は聞けました?」

「想像していたのとは随分と違う話だったがね。あともうすぐ中将になるらしい」

その報告にはユリアンは満足気に頷いた。

「それは素晴らしい話が聞けましたね。またも異例な出世じゃないですか」

「異例と言うか異様だな。あの戦役での私の働きが二階級特進に値するとは思えない。要らん勘ぐりを受けそうだ…」

しかも、ヤンとしてはその替わりに、あのイゼルローンを落とす羽目になったりもしたのだがどうしたものかな…。

う~ん。ここにこなくても辞令は下ったのだろうから来たのは正解か。

そう思っておくことにしよう。

「では、中将の輝かしい前途を祝して乾杯しましょう。同盟万歳とでも言いますか?」

「おいおい、今日は150万人の通夜だってのに随分と不敬なことだな。その乾杯の掛声もどうかと思うぞ」

その物言いにはさすがのヤンでもユリアンを嗜めた。

ユリアンは素直にヤンの出世を喜んでいるだけだろうが、ヤンとしては美味い酒が飲める心境に無い。

まぁ、残念なことに酒はいつでも美味いのだが…。

「でも中将の同盟への忠誠もますます深まったのでしょう」

「なぜそうなる」

ヤンがユリアンの主張に眉を顰めた。

「だって分かりやすく年給の額が増えたじゃないですか」

「あっ…」

ヤンは出発前に自ら叩いた軽口の内容を思い出した。

やれやれ、このようにユリアンにやりこまれているような自分ではルーアンにやり籠められても仕方ないではないか。

ヤンは頭を掻いて、苦笑いを浮かべた。

そうやって軽口を叩いてるうちに食事が運ばれてきた。

その料理はヤンの想像以上に美味しかったのだが、明らかにヤンが賓客であることを意識したヤンスペシャルなコースの内容に、それこそ、「ここまで調べあげられているのか…」と別の意味で若干肝を冷やす羽目になった。

食事していても、色々な可能性が頭をよぎる。

色々と肝を冷やしたヤンではあったが実に興味深い話を聞くことが出来た。

「フェザーンか。大変な相手を指名したものだな…」



◇◇◇◇◇



フェザーン星系の第二有人惑星フェザーン。

そこにある自治領主の官邸のそのさらに中心、自治領主のみが座ることが許される椅子の上で一人の男が今回の戦いのレポートに目を通していた。

すでに内容は秘書官ボルテックから聞かされていたがこうして紙面で確認する事にも意義はある。

「どうやら今回のアスターテはそれなりに上手く言ったようだな」

フェザーンの自治領主(ランデスヘル)アドリアン・ルビンスキーが満足気に頷いた。

フェザーンの自治領主(ランデスヘル)の大きな目標には帝国48:同盟40:フェザーン12という美しい勢力の黄金比率を保つことがある。

今回はその仕掛けは上手くいたらしかった。

フェザーンは同盟と帝国を結ぶフェザーン回廊に自治領を持つ自治国家群である。

正確には帝国に所属しているがそれでも第3勢力として確かな存在感をもってこの銀河に存在している。

「しかし、この会戦に至る前のトリューニヒトの反応は不可解であったな。この会戦の結果を予想でもしていたか?」

その可能性は無いにしてもルビンスキーをしてトリューニヒトは掴みづらい人物ではあった。

大物なのか小物なのかそれすらつかめない。

なぜか、フェザーンの者がいつも手を出せず空洞地帯で一人益を得ている。

いずれは専用の交渉官を彼に向ける事になるだろうが、こうもその本質が掴めなくては手の打ちようも無い感じではある。

ラインハルトの出兵を意図してトリューニヒトの目の届く範囲に差し出したが彼はそれを適当に流してしまった。

相当なうつけもののようにも思えるが…。

それにしては今までの実績がアンバランス過ぎる。

部下の報告からはとるに足らない扇動家(アジテーター)の類のようにも思えるが…。

「やはり読めぬな…。まぁ、良い」

必要以上に不安がる必要もないだろうが、多少は気にとめておくべきだろうと言う気にはなっていた。

今、一番、気に留めて置くべきは帝国のラインハルトとかいう小僧とヤンという男の事だろう。

「ふふふ、時代が動いているな」

動乱とは上手く踊れた者のみが分かりやすく益を得る時代のことだ。

腕の見せどころではないか。

ルビンスキーは満足げに笑った。

すると足早に執務室に入ってくる音を聞いた。

この音からして何か予期せぬ事態があったらしい。

「自治領主(ランデスヘル)。大変です。あのヤン・ウェンリーがイゼルローンを陥落するため一個艦隊を率いてハイネセンを出港しました」

「待て、どうやって准将に過ぎないヤンめが一個艦隊を指揮できるのだ?艦隊指揮は中将をもって当てるのが同盟の慣例だろう」

ルビンスキーは不可解な表情に顔を固めて、入ってきた部下に問うた。

「まず、アスターテ会戦での労に報いる形でヤン准将には少将の地位が与えられたようですが、その後すぐにイゼルローンを一個艦隊にて陥落させるべしとの辞令を受けたそうです。これにより、中将への昇格とイゼルローンへの出航が決定したのです」

まさか、武勲の前借りとはな。

そこまでして、あのヤンであれば勝算ありとみるのか?

しかし、いくらヤンであっても果たしてあのイゼルローンをそう簡単に落とせるものだろうか??

ルビンスキーはかぶりを振った。

無理だ。

そのヤンをして、既に二度イゼルローンでの戦いに参加しているはずだ。

そして、そのどちらでも苦渋を舐めている。

事はそうそう上手く行くものでもない。

「ふん、して発案者は誰だ?」

そここそ重要であろう。

大胆な案を取りつけた大馬鹿者の名は是非とも知っておくべきだろう。

「ヨブ・トリューニヒトでございます」

その時こそ、ルビンスキーは眼を見開いた。




◇◇◇◇◇



イゼルローン回廊の掌握のため、ヤンには中将の地位に加えて一個艦隊が与えられた。

ヤン一人のために第13艦隊が新設される運びとなったのだ。

「悪くない人事だけれども」

ヤンは一人苦笑した。

人材不足極まる同盟においてかなり優秀な人材がヤンの元に集まったのは間違いない。

中でも艦隊運用の名人フィッシャーの存在はヤンにとって非常にありがたいものである。

ともなれば自宅に向かう道ですら間違えて迷子になるヤンにとってフィッシャーの存在は迷わぬ先の道しるべである。

ムライ、パトリチェフも自分の仕事を全うしてくれるだろう。

ただし副官の人事には一言、物申したいのだ。

「なんで女性の副官なんだろう?」

そのヤンの呟きを耳聡く聞きいれたヤンの副官である女性――フレデリカ・グリーンヒルが不思議そうに聞き返した。

「中将は女性嫌いでしたか?それとも、まさか、女性蔑視の」

そのフレデリカの物言いが少々、乱暴であったがためにヤンはすっかり彼女を怒らせてしまったと自らの軽口を呪いつつ、必死に弁明した。

「まさか!そういう意味では無い!しかし、なんだ、その…」

この一瞬、とっさのことにさしものヤンの思考も誤作動を起こしたようだ。

柄にも無い事を口にしていた。

「君のように可憐で美しいお嬢さんがそばにいると皆の気が散るかもしれないと思ってね」

すると目に見えてフレデリカの顔が赤くなったのでヤンはこれは益々怒らせたに違いないと逆に真っ青になった。

もし、このフレデリカ嬢が性差撤廃主義者ならば、美しいとか、可憐などという形容句を使うこと自体がそもそも大きな間違いなのだ。

さっきの発言と言い、その可能性は大いに在り得る。

女だてらに軍部に染まるとそういうお淑やからしからぬ女性は増えるものだ。

レディーファーストなど旧時代の化石に等しい。

更に怒らせてしまったのだろうか?

恐縮しならがヤンは良くは知らない副官の事をおそるおそる見た。

彼女は赤い顔で

「そんなことありません。でもそう言って戴けて光栄です」

と言った。

(お、おや?)

目に見えて上機嫌なフレデリカの様子にヤンは?マークを浮かべた。

まぁ、良いか。

しかし、彼女が優秀なのは認めるし、美人なのも認めるが22歳のうら若い女性はヤンの力量的に手に余るのは事実だろう。

まして、彼女はあのドワイト・グリーンヒル大将の娘だ。

引く手数多の彼女がなんでこんな出来栄えのしないおじさん艦隊にいるのだろうか?

これが同盟軍部の人事権を管轄する統合作戦本部長次席副官にしてヤンの悪友であるところのアレックス・キャゼルヌの分かりやすい嫌がらせなのだとしたら、なるほど、いずれは復讐せざるを得ないだろう。

うん、下に呼んでこき使ってやる。

しかし、ルーアン・ヒィッドーの手配なのだろうが、既に必要な物資が一通りそろっていたのは大きい。

そのため辞令が出た次の日にはヤン艦隊はそれなりの形でハイネセンを出航する事ができたのだ。

「ところで中将は出発前にソリビジョンをご覧になりましたか?新聞でも構いませんが…」

「いや、全然、全く」

まったく新設の艦隊の司令官などするものではない。

特に今回は始めも始め、ヤンの負担を軽減してくれるであろう副官や事務担当官は当初において存在していないのだから(これから決めるところであった訳だし)ヤンにしては、まぁ、よく一人で働いたものである。

故に今回の任務の準備に大忙しだったヤンにはニュースを見る暇(いとま)すらなかった。

しかし、そう言えば今までであればマスコミがうるさいくらいにヤンのまわりを飛び交うのが常だったのに、今回に限ってはその手のマスメディアの動きは何も無かったなぁ…。

ヤンが不思議がっているとフレデリカは手に持ったニュースペーパーらしきものを読み出した。

「ヤン・ウェンリーは今回、私の特命を受け、極秘の任務に就くため不眠不休で新しい作戦任務に付いている。ヤンは必ずや我らの期待に答え、輝かしい同盟の未来のため、素晴らしい成果をもたらすに違いない…」

ヤンはぽかんと口を開けた。

「その発言はトリューニヒトだな!!あの男はそうやって私を人気取りの出しに使う気か!!!」

ヤンは分かりやすく激昂し、吠えたがその様子をやんわりとフレデリカは嗜めた。

「しかし、中将の人気も上がります。中将は次の任務の為に不眠不休で働いていたと言うその事実は中将が慰霊祭をボイコットした理由付けとしては実にもっともらしいではないですか。失敗は次の軍事的成功を持って払拭すると…」

「ぐう…、確かに」

もしかしなくてもあの慰霊祭でそれらしいアナウンスがトリューニヒトから流れたのかもしれない。

あの日、慰霊祭の広場では「今。我らが英雄ヤンは~」とかなんとか。

まったくニュースペーパーの一つも読まずにいた自分自身が実に悔やまれる。

これでトリューニヒトとヤンは懇意にしていると世間さまに思われてしまった。

しかも、なんだこの状況は?

ヤンとしてはイゼルローンを落とさなければ帰れないような状況に追い込まれていないか?

トリューニヒトに、正確にはあのルーアンに確実に外掘りから状況を埋められて行っているようだ。

「まったくやるしかないか」

連中には上手くイゼルローンを落としたならば文句の一つでも言ってやらねばならないな。

ヤンはそう心に決めた。



◇◇◇◇◇



宇宙暦796年。イゼルローン攻略戦。

ヤンはこの地を陥れるため、一人の男の手を借りるより他なかった。

ワルター・フォン・シェーンコップ。ローゼンリッター隊、十三代隊長である。

かつて帝国軍に属し、同盟に亡命して来た彼らにしか出来ない詭計こそ、今回ヤンが仕掛けるものであった。

シェーンコップ大佐は旗艦にあるヤンの部屋を訪れ、ヤンから驚くべき作戦の概要を聞かされていた。

「作戦の概要は分かりました。して、私が今回の任務で裏切らないという保証は?」

「無い。けど、裏切られたら少し困るな…」

本当に困っているようには見えない口調で言うヤンをシェーンコップは不思議そうに見た。

「それはどの程度困ると言う事ですか?」

「失敗すれば退役した時の年金の額が下がる。おい、こら笑うところか?まぁ、実際、私の同盟軍に対する忠義心なんてその程度のものだよ」

その随分な答えに苦笑したシェーンコップにヤンは苦笑を返した。

「率直な方だ。好感は持てるがそれで私をその気にさせれるとは思わないでほしい」

「なるほど、ただ貴方も裏切る時はほんの少しは覚悟した方が良いと思うよ。私は正攻法でイゼルローンを落とせないとは一言も言っていない。貴方が裏切る相手は同盟の魔術師と呼ばれる男だ。肝に免じておくと良い」

眼光鋭く見やるヤンの放つ只者ならぬ気配にシェーンコップは驚いた。

「正攻法で落とせると?」

「一個艦隊と少々の小細工があればね。できなくはない。その案は君は話せないだろうけどね。私としては出来る限りの流血は避けたいところだ。上手く行くならこの案が至上だ」

シェーンコップはさすが同盟の天才はできが違うと肩を竦めた。

到底、はったりとは思えなかった。

「なるほど。確かにそれは御免被りたい事態ですね」

「うん、では、よろしく頼む」

シェーンコップは大げさな礼をしてヤンがいる執務室を去っていった。

「あるのですか正攻法?」

ヤンの傍らで副官であるフレデリカが疑問の声を発した。

「ある。正確には物量戦を仕掛ける準備が整ってる。詭計が外れれば最後には正攻法で行くしかない。トリューニヒトが分かりやすく増援をよこす手筈にあるんだ」

その程度の支援はあって良いだろう。

ヤンの力量であればイゼルローンを多大な犠牲を払う事にはなるが手にする事は可能だ。

彼の要塞が同盟にとってもその価値がある要塞なのは言うまでもない。

「ただ血は流れる。今更、善人ぶる気はないが良心と力量の範囲で上手くできることは上手くやりたいところではあるんだよなぁ…」

状況が揃っているせいもあるが、ヤンとしては困っている事と言えば、本当にその程度なのだ。

実際、あの要塞を落とせない最大の原因はイゼルローンを壊せないが故のジレンマによるものがほとんどなのだ。

同盟はあの要塞を出来れば、無傷で手に入れたい。

トリューニヒトの命令書はヤンに対してイゼルローンの最重要兵器であるトールハンマーの初期設計図を入手した旨が書かれていた。

つまり、トールハンマーはぶっ壊しても早々に直せると暗に示したのだ。

だったらやりようなどいくらでもある。

あれを無効化できれば要塞の威力は半減する。

ヤンとしてはそうなったなら、遠慮せずガンガンとぶっ壊してやる意気込みだったので怖いものなしだ。

「もう勝利の先を見ているとはいささか贅沢な悩みですね」

かもしれないな。

勝てる確定した訳ではないんだ。

肝に銘じるのは私も同じか。

しかし。

「私の仕事はイゼルローンを何とか調達して、まな板の上に乗せるまでだよ。ルーアンの奴どう料理するつもりだ?」

ヤンはにやりと笑った。

その好奇心があればこそ今回は少々やる気なのかもしれない。

今回のイゼルローン陥落は次のビジョンに先立っての一歩だろう。

どんなペテンが飛び出すやら。




◇◇◇◇◇



ヤンはイゼルローンを内部から制圧するためにゼークト大将率いる艦隊1万5千をイゼルローン要塞から引き離し、更に偽の救難信号にてシェーンコップをイゼルローン要塞内に侵入させた。

ほどなくヤンがイゼルローンに対して仕掛けた詭計は奏功し、第13艦隊はほとんど血を見ずにイゼルローンを制圧したのだった。

この一件に関してほぼ史実通りの結果に終わったのは言うまでも無いが、しかし一点において相違があったことを記述しておかなくてはならないだろう。

イゼルローンの危機を聞き付け大慌てで帰ってきたゼークト艦隊に対してヤンは手厳しいトールハンマーの挨拶を二発ほど入れてやった。

目に見えて混乱するゼークト艦隊を前にヤンは努めて冷静な声で発言した。

「降伏勧告を出してくれ。できれば帝国軍の艦隊と兵士を手に入れたい」

「おや、あの艦隊をですか?」

不思議がるシェーンコップにヤンは思慮深く頷いた。

「ああ、帝国の艦隊をまるまる手に入れることができる絶好の機会だからね。勧告文は君に任せるよ。エスプリの聞いた奴を一つよろしく」

「まったく盗人猛猛しいとはこのことですな」

シェーンコップはそういわれて少し悩み一文を敵艦隊に向け送った。

「勧告は無視して逃げるんじゃないですかね?」

「退路は無い。1万5千の艦隊を後方に待機させた。包囲網をしいて押し込めてやれば、相手はイゼルローンのトールハンマー圏内で戦い続ける嵌めになる。そんな状況で戦意を維持できる艦隊が果たしてこの銀河にあるかな?悪いけど無傷の艦隊を帝国側に返してやる義理はない」

最初からこれを狙っていたのだろうか。

ヤンの言うように敵艦隊を包囲するように1万5千の同盟艦隊がワープアウトして来た。

さすが艦隊運用の大名人のフィッシャーである。

第13艦隊は整然と動き包囲網を早くも完成させつつある。

「敵指揮官返答。汝は武人の心を弁えず…」

戦局は絶望的。この状況にあってなお戦うというのか。

「十分だ。馬鹿な指揮官に一撃を喰れてやれ!!」

全文は聞かずヤンは怒気のこもった瞳で艦影を睨む。

「トールハンマー発射準備。目標は敵旗艦!!狙い撃て!」

ヤンの鋭い号令に砲手が応じトールハンマーの極大の光線が敵艦隊旗艦を貫いた。

「再度全艦隊に対し伝達。降伏する艦は融合炉の炉を落とせ。従わぬものは戦闘継続の意思在りと見なす」

一度炉を落としてしまえば高性能艦は性質上戦闘可能な臨界を迎えるまでの致命的な時間ロスを抱えることとなる。

ヤンの目の前のモニターでは次々と敵艦隊の熱限反応が消えていく。

幸いなことにほぼすべての残存艦が無条件での降伏を聞きいれたらしい。

「炉を落としたとあれば空調も聞きませんね。あの中は相当にお寒いでしょうな」

宇宙服を着て鼻水を垂らし、凍える敵将校の間抜けな顔が目に浮かぶようだ。

「ああ、この戦いの結果と同様にね」

快勝しておいて、実に詰まらなそうに呟くヤンを見てシェーンコップは苦笑した。

こんなにつまらなそうに勝利を見つめる司令官も初めてだと思ったのだ。



◇◇◇◇◇



「まさか。1万近い艦隊が無傷で手に入るとはな」

分かりやすく上機嫌なトリューニヒトの横でルーアンは頷いた。

トリューニヒトはいつもの執務室で今回の戦果を並べて愉悦に浸っていた。

今回の件でトリューニヒトとヤンの名声はますます高まるだろう。

原作と違いヤンが降伏に拘った最大の理由はルーアンたちがそう命令文で指示したからに過ぎないのだが…。

あえて1個艦隊を与えたことでヤンにも余力が生まれた。

今回はその正しい活用をしたに過ぎない。

「ただ捕虜の数も相当数に上りましたが」

一隻100人計算なら単純に100万人に上る。

イゼルローンにいた50万人と合わせて良くもまぁ雁首揃えたものである。

「まぁ、私の例の提案にますます油が乗る。良いことだ」

しかし、真に驚くべきは救命艇に乗りゼークト大将を見限ったはずのオーベルシュタイン大佐が包囲網を完成させていたヤン艦隊に拿捕させてしまったことだろう。

この事態にはルーアンもさすがに驚き、眉をひとつ動かした。

「間抜けが幸運の星を逃しましたね」

捕虜交換の機会にでも上手くラインハルトに面通し願えれば復活もありましょうが…。

向こうにとってもいずれはキルヒアイスと対立する事が目に見えているだけに+とも-とも取れない微妙な男ではある。

まぁ、これからの大局に影響が出るような男では無い。

好きな運命に生きれば良い。




◇◇◇◇◇



「イゼルローンが陥落した?」

キルヒアイスの報告にラインハルトは眉を顰めた。

「ええ、今頃、王宮では軍事長官3役の皆様の顔から火が出ていることでしょう」

キルヒアイスがそう述べるとラインハルトは不敵に笑みを浮かべると歩きだした。

「どちらへ?」

「王宮へ行くぞ。そんな見ものを見逃す手はない。詳しい状況も聞けよう」

「お伴します」

王宮に行くと軍事三役は揃って辞表を出したらしい。

今回の一件の概要は誰が聞いても笑えないジョークの様な三文喜劇の題目だった。

否、帝国にとっては悲劇か。

イゼルローン要塞だけならまだしも1万五千もの艦隊を同時に全滅させれては彼らを留意することなどできまい。

否、正確には一万の艦隊は全て同盟に無傷で徴収されたのであった。

イゼルローンはどうやらとんでもないペテンに掛かって圧倒的に、壊滅的に破れたらしい。

「笑えるなぁ。イゼルローンばかりか1万の艦隊までもが全て連合に持ち逃げされてしまった、なんてなぁ…」

呆れて軽口を叩くラインハルトにキルヒアイスが真剣な面持ちで言った。

「笑えませんよ。ことはアスターテの勝利2回分以上の効果がありました。ヤンはラインハルトさまが殺した200万の将兵にかわり150万の将兵を捕虜としたのです。しかも自分たちは全く血を流さずに…」

分かりやすく戦慄した顔を浮かべるキルヒアイスにラインハルトは苦笑した。

一万隻の中古艦と鉄壁の要塞と150万の捕虜と今後の戦争のイニシアチブ。

その全てをヤンは自らは血を一つも流さず手に入れたのだ。

魔術以外の何者でもない。

帝国側も随分と安く買いたたかれたものだ。

情けない。

「ミラクル・ヤンか。私では無理だな。認めよう。彼は天才だ。ただし詐欺師のな」

そう言ってからラインハルトはやや真剣な顔で悩み始めた。

「なぁ、キルヒアイス。三役はどれがいいだろうか」

今空いた三役のポストのいずれかがラインハルトの元に転がり込んでくる予定である。

断る理由もないのでラインハルトとしては謹んでお受けする所存ではあった。



◇◇◇◇◇



「なんと言う事だ。まさかあのイゼルローンをこんな方法で落とすとはなぁ…」

ルビンスキーは眉を顰め、唸った。

彼らとしても状況は把握していたが、なんせ今回の一件は電撃戦過ぎた。

ヤンめは気づいたときには出航し、フェザーンが手をこまねいているうちにイゼルローンを落としてしまった。

なんとも手際の良い落としっぷりだ。

事前の準備や御膳立てをトリューニヒトが予めしていたのだろうか?

ルビンスキーたちがもっともらしく帝国にリークする暇すら無かったのが実情だ。

「どうしますか、自治領主(ランデスヘル)」

ボルテックのお伺いにルビンスキーは仕方無いとかぶりを振って言った。

「今の最高評議会長は我々のコネであの椅子に座った。その恩に報いるべきだな。奴に大規模侵略戦を具申させよう」

もっともらしい理由をつけて戦争を起こさせる。

同盟には勝ち過ぎたつけを払って貰わねばならない。

成功すれば同盟の国力を大いにそげるだろう。

今回の歴史的勝利を得て勝ち馬に乗る同盟の主戦派はこぞって大規模戦争を呼びかけるだろう。

故にこの詭計が成功する確率は高い。

しかし、不敵に笑うルビンスキーをやや冷やかにボルテックは見ていた。

理屈上ではその通りであろう。

しかし、今回の一件でトリューニヒトがほぼ議会の王者として光臨する事は眼に見えていた。

権威主義者のルビンスキーは最高評議長を動かせれば、全ての事が足りると考えているようだがトリューニヒト自体を動かせない今のフェザーンは同盟に対して無力に等しい。

ボルテックは自分の才にはさして自信は無かったが人を見る目は十分にあるつもりだ。

ルビンスキーの才智は疑う余地はないが、この男は木を見ず、森を見ず、山を論ずるようなところがある。

椅子に座ったままの名探偵なんて物語の中でしか通用しない事が理解できていないらしい。

肌感覚としてボルテックには当然と分かるトリューニヒトの実効支配にこの男は気がついていないようだった。

知ったような気でいる異様に頭が良い井の中の蛙。

それがルビンスキーだ。

ボルテックにはもう一つ気づいている事がある。

トリューニヒト陣営は明らかにフェザーンの勢力と距離を置いている。

いずれフェザーンは同盟のトカゲの尻尾切りに合うかもしれない。

その時、ルビンスキーはルビンスキー、ボルテックはボルテックだ。

自分の尻尾を振る相手ぐらい自分で選ぶつもりである。

「仰せのままに…」

そう言ってボルテックはルビンスキーの執務室から下がった。





[31521] 銀愚伝2
Name: 空乃無志◆90014c13 ID:91dc2ff1
Date: 2012/02/13 07:24
「憂国騎士団が動き回っている?」

ヤンは不思議そうにフレデリカの報告を聞いていた。

ヤン艦隊は今もイゼルローンに駐在しているが一時的にヤンとその副官、さらに昇進を受けるシェーンコップはハイネセンに戻って来ていた。

ヤンにとってはイゼルローンへのお引越しの準備もある。

ただこれについてはユリアンが家財品と一緒にイゼルローンについてくる気でいるのがなんとも、眉が一つ動くところではあるが…。

「憂国騎士団っというのはあれですよね?トリューニヒトが平然と飼ってる私設運動団の。連中め、いつものように戦争だ、戦争と騒いでいるのですか?」

疑問の声をあげたシェーンコップにフレデリカがやや声音を落として答えた。

「それが今回は厭戦的な事や一時停戦のメリットについて喧伝して回っているようなのです」

理的な人間には停戦を必要性を整然と、感情的な人間には悲惨な戦争の現状を説いて回っているらしい。

すでに相当な成果が出ているらしい。

「なに?連中、反戦派に鞍替えしたのですか?」

ヤンもそれを聞いておや、と思った。

あの憂国騎士団はトリューニヒトが持つ扇動機関だ。

ニュースを含めて今、同盟は次の戦いの為に力を溜める時期に入ったと声高に言う。

どういうことだ?

意図は読めないが世論の操作が始まっているは間違いない。

俗なソリビジョンや市民運動家を使って劇的に世論を動かすやり方はあの劇場型政治家の大天才トリューニヒトの専売特許とも言うべき手法である。

彼の力が動いている。

何かの下準備が入念に行われている感触。

「どうするつもりだ。どう動く。ルーアン」

ヤンは深い思索に入ったが明確な答えは見いだせなかった。

奇しくも今、同盟議会はアスターテ会戦の反省検証を含む、今後の同盟の方向性について議論する臨時議会を開催中である。



◇◇◇◇◇



同盟議会は紛糾していた。

同盟の経済状態は分かりやすく火の車にあって、戦費は嵩み正常化のためにも本来であれば一端は戦争を止めざる負えなかった。

しかし、度重なる敗走に国内世論の支持を失いかけている主戦派議員の多くは戦争続行を声高に呼びかけており、それを受けた現議長が支持率急浮上を歌って積極的大規模攻勢を提案するに至った。

この件に関してイゼルローンを獲得した事で同盟側に天秤のバランスが傾いた事に対してフェザーンが主戦派の一部に働きかけて、大規模戦争を起こさせようとしている事は明確だった。

無謀な戦いだ。

しかし、非常に多くの民衆が現議員の力量を大いに疑問視しているという状況は議員たちの心情を激しく圧迫しているのだ。

故に議会がアスターテ会戦での失態を拭う為にさらに勝ち続ける事で信頼を回復させなければならないと考えたとしてもおかしくは無い。

しかし、議会は思わぬ方向で動くことになる。

その引き金を引いたのはトリューニヒトであった。

「みなさんは即座に戦局を開くべきと考えているようだが私は断固反対です」

トリューニヒトの言葉に同じく主戦派のウィンザー夫人は驚きの声をあげた。

「主戦派の貴方がそうおっしゃるとは意外です」

トリューニヒトは心外だとばかりに肩をすくめ、

「意外とはなんだね?私がアスターテ会戦を支持する立場をとったのはそれが十分に勝算がある戦いだったからだ。事実二倍の兵を集めたアスターテは将が無能でなければ勝っていたであろう戦いであった。しかし、今回は違う」

と言った。

トリューニヒトは自慢の芝居がかった仕草で議員たちに呼びかける。

「民衆は深く傷つき疲れている。ここで連戦ともなれば士気の低い軍で勝つ見込みのない戦争を行うはめになる。そうなれば我が愛すべき同盟は取り返しのつかないほどに浪費する事になるだろう!」

「しかし、今、民の心は議会から離れています。戦いを起こし歴史的勝利を得なければ、先に示した不支持率を回復させる術など…」

先ほどの議長の積極的攻勢案に賛成していたウィンザー夫人がトリューニヒトに再度、問うた。

交代人事で入ったばかりで経験の浅い情報交通委員長である彼女は委員長の座を射止めたとは言え、まだまだ支持基盤が弱い。

彼女としては分かりやすく実績が欲しいのだろう。

トリューニヒトは芝居かかった声でもってその問いに答えた。

「それがあるのだよ、婦人。そう、あのヤン・ウェンリーのような魔法の手法で今まで出た問題を全て解決するする事ができるのだ」

トリューニヒトのその発言には議会が大いに揺れた。

「簡単だ。我々はイゼルローンの戦いでおよそ150万人もの捕虜を得た。今までに同盟の抱える捕虜の総数はおよそいくつか分かるかな?実に300万人の上る。しかし我々にはこれだけの捕虜を養っていくだけの財政的余裕はない。対して帝国には捕虜として我が同盟の愛すべき同士が同じく250万人はいる」

そこまで話せば誰もがトリューニヒトが提案しようとしている事が理解できた。

「帝国と捕虜を交換するおつもりですか!」

「その通りだ。まず300万人もの捕虜を維持する必要がなくなれば財政的な赤字は大幅に軽減できるだろう。いくらこの私でもさすがに400万人の人的不足を全て軍部から捻出する事などできはしないが、今は捕虜となっている250万の専門的な職業軍事技能者が職場復帰を果たせば、およそ300万人の本来別分野の技術者を軍部から引きあげることを約束しよう」

単純な引き算だ。

300万人もの捕虜の負担が減り、300万人もの働き手が帰ってくる。

これほど上手い話はない。

「しかしその交渉で得をするのは我々だけではない。帝国にも得をする余地がある!」

「しかし、我々はすでにイゼルローンを得ている。国力を回復させてしまえば今後戦局が我々に対して圧倒的に優位なのは間違いない。それに我々が今、真に猶予すべきなのは我らが愛する民衆の心が今、我々から離れつつあるというその現状だ。250万の帰還兵たちにはその数の10倍以上の親族・知人がおり、システム基盤、経済的な回復はより多くの民の心と懐を潤す。私にはこの捕虜交換を成功させたときの支持率の回復の試算が届いています。ふむ」

トリューニヒトは其処に表示されている試算に満足に頷いた。

「実に30%近い回復を得る事ができるそうだ。当然だな。アスターテで星と消えた150万人の命は確かにもう帰って来ないかもしれないが替わり250万人もの民を救う事ができたのだ。しかもイゼルローン回廊を我々は得た。結果としてこの一連の戦役は大成功だったと言えるのではないかな?」

「し、しかし、そんなに簡単に帝国軍と捕虜交換の話がつきますかね…」

「既に私が個人で出来る根回しは終えている。そもそもこの話が我が同盟から大ぴらに公表された場合、いくら帝国でも抱える民の感情的に断る事は難しいだろう」

そのことは十分に予見できた。

いくら帝国といえど無視できないものはあるのだ。

「つまりマスメディアなりを利用してこの交渉を公然と行うと?」

「そう、そしてこの案の最大のメリットは其処にあるのだ。万が一この要求を帝国が強情にも突っぱねた場合、我が同盟の民意はどうなると思う?」

「…帝国を憎み、賢明であった我々に同情する。逆に帝国側はその身に大きな民衆の不満を抱え込むことになる!」

「そう、たとえ失敗しても支持率は20%近く回復し、しかも帝国の基盤に少なからぬ打撃を与えることができるのだ!どちらに転んでも我々にとっては決して悪くはない案であろう。議長、貴方の案に対する対案として私の案を議題として上げてください」

採決の結果は火を見るより明らかであった。

まったく穴のない完璧なトリューニヒトの案が全会一致で可決され、同盟議会は帝国に対して大々的に捕虜の交換を呼びかけることが決定したのだ。

この議会を見届けたレべロとホワンは相変わらずのトリューニヒトの政治手腕の巧みさに舌を巻いた。

主戦派では無い二人からしても満足のいく案であったが議長案を押しのけてトリューニヒトの妙案が議会決定した、この事実を持って完全にトリューニヒトの次期議長の座が確定したと言う事に関する相当な憂慮が気持ちを重くしていた。




◇◇◇◇◇



この議会の模様をシトレ元帥から聞いたヤンはどこか平然とその内容を受け止めた。

「あまり驚かないようだが予想していたのか?」

「まさか。さすがに私でもここまで大胆な案は考えつきませんでした。ですがトリューニヒトがこのような案を提案したとしても驚きはしません」

捕虜交換を持ってして支持率強化と富国路線へ強力なシフト変更、さらにはこの停戦自体が反戦派のガス抜きにもなる。

何重にも得になる手だがことは政略の類なのだからヤンからすれば専門外ではある。

「どうしてだ?」

トリューニヒトという歪んだ巨星の影にはとんでもない一等星が隠れているからである。

あの男なら不思議はない。

「あの男にはとんでもなく凶悪な守護天使が憑いているんですよ」

「君にしては随分に酷い詩的表現だな。まぁ、トリューニヒトの奴が優秀なのは今に始まったことじゃない」

それはある意味正しく、ある意味とんでもない勘違いなのだがそれを是正しようとヤンは思わなかった。

そう認識させることが彼の望みであり、その試みは今のところほぼ完璧に成功している。

稀代の天才政治家というトリューニヒトの看板は今や一人歩きは始めたが彼はその偽りの看板を上手く利用する事に関しては病的なまでに天才的だ。

つまり上手くいくだろう。

彼のカリスマが匂ってきそうだ。

いずれ同盟はトリューニヒトを中心にかつてないほどに強大な組織に変わるかもしれない。

その可能性を予見してヤンはめまいを覚えた。

その未来予想図にはトリューニヒトに肩を並べる軍部において大元帥となったヤンの姿が一瞬写ったのだ。

冗談じゃない。

私はいずれは軍から足を洗い売れない歴史研究家になって余生を過ごすのだ。

面倒事は勘弁してほしい。

ましてあれほど毛嫌いしてトリューニヒトの横に並び立つなど…。

しかし、例の食事会以降、以前ほどの嫌悪感をトリューニヒトには感じなくなった。

食わず嫌いというと変だがヤンにとって全く理解の及ばないと言う意味で異質で恐怖の対象であったトリューニヒトの事があの一件以来、実は取るに足らない存在だとはっきりと理解できたからだろう。

だからこそ苦手意識が無くなったのである。

トリューニヒトにとってかわってやろうなどという大それた野心さえ抱かなければ良いだけだ。

多小、気に入らなくてもヤンにとって必要の無い名誉や功績を全て、あのくそ野郎にのしを付けてくれてやれば、それなりに上手くは付き合えるだろう。

その確証は得た。

「なお、この議会で君の昇進が決まった。おめでとう。君は今日から大将だ」

「嬉しくないですね」

「だがこの平和な時期に良い金を貰える役職に就けるんだ。君の舞台はしばらくイゼルローンに駐屯することになるだろうが、あそこは悪くはない城だろう」

「はぁ」

それこそヤンは気のない返事をした。

平和は喜ばしいことだがイゼルローンはまだヤンの手に渡って日が浅いのだ。

戻ってもやるべきことは多い。

「おそらく、この捕虜交換が成功すればトリューニヒトには国家元帥の地位がお前さんには元帥と同盟軍最高司令官代理の地位が転がり込んでくることになる」

「はぁ?」

今度こそぽかんとヤンは大口を開いた。

どういう冗談なのだろう、これは。

「同盟軍最高司令官代理は貴方でしょう」

「戦時にはな。常設となるとなかなか無いが前例がまったく無い訳ではない。元帥が三人になってそのうち一人が何の地位もないのは不味かろう。君は分かりやすく戦時にはこの同盟軍を全て指揮できる立場になる訳だ。もっともこれはトリューニヒトなりのわしに対する嫌がらせだがな。最高司令官の権限は本来、国家元首たる最高評議会議長にある。つまり代理人の任命権はトリューニヒトにある訳だ。軍部の権限と権威をせいぜい分断する腹つもりなのだろう。まったく食えん男だ」

なるほど、そうなれば事実、軍部は3分割される。

確かに人気者のヤンが元帥として顔を出してくれば軍部の勢力図は大いに割れるだろう。

敵対とまでいかなくても比較的外様な組織を殺さず、生かさず、弱らせず、驚異では無くする方法。

つまり分割してやれば良い。

権力分断。

それを必要な時集中する事が出来るのはあのトリューニヒトだけだ。

頭が痛くなった、ここまで頭が回るのかあの男は!

この妙案にはトリューニヒトも大いに満足言っただろう。

ヤンの人気を利用して元帥を一人仕立てるだけで戦時下にあって極度に肥大した軍部の権力を削いだのだ。

実質的には弱体化させることも無く。

「私としては捕虜交換が上手くいかない事を祈りますね。こうなっては」

「まさか!君らしくもないな。まぁ、この案は私も実は悪くないと考えている。君が司令官なら私の地位も安泰だ」

シトレ元帥としては確かに戦時における全ての厄介事を若い戦争の天才であるヤンに廻せて最高に気分が良いだろう。

自分は軍部の全人事権と言う最大の権限を手放してはいないのだから。

さっきほど一瞬、脳裏に走った青写真がこんなに近い未来の予想図だったとは。

ヤンが見るにこの捕虜交換は成功の目算が相当に高い。

こうなると年内にも史上最年少若干30歳のヤン元帥が誕生してしまう目算になる。

まったく。

「とんでもない男に目を付けられてしまったものだ」

ヤンの口をついて心からの深い溜息が漏れた。



◇◇◇◇◇



「捕虜交換?」

「そうです」

キルヒアイスの持ってきた報告にラインハルトはその美眉を顰めた。

今やラインハルトは宇宙艦隊司令長官の地位にあった。

「意図はなんだ?この時期に分かりやすい講和を望む意図は?」

「おそらく分かりやすい政治ショーでしょう。成功すれば政治的に見て分かりやすく受けが良いですし…」

「下らん衆愚政治のピエロか、こちらまで踊らされる必要はないな」

心底下らなそうにラインハルトは鼻で笑った。

が、しかしキルヒアイスは真剣な面持ちで報告を続けた。

「しかしピエロは分かりやすく人前にて踊ります。ラインハルトさま、この件は既にかなりの民衆の知るところであるようです」

「私は俗な立体TVなど見ないからな。必要な情報は部下が選別してあげてくればいい。で、つまりそのことは知る必要がある訳か」

「はい。すでに民衆は今回の捕虜交換に相当に期待しています」

ラインハルトはキルヒアイスの報告書を見て眉をさらに顰めた。

相当に広大な範囲に今回の同盟の捕虜交換の申し出の事実が流布しているようだ。

ほぼ全帝国内に知れ渡ってしまっている。

なるほど、確かにこれは感涙モノのショーらしい。

観客の意図にそぐわない出し物をすればいかに帝国といえど多かれ少なかれ民衆の反感を買ってしまう。

実にいやらしい遣り口だ。

誰だ?この意地の悪い相手は?

ヤンか?あの男の魔法だろうか??

「となると交換自体は防ぎようがないのか。しかし軍部も誰かが使者をやるとしてイゼルローン陥落で分かりやすく被害を被った連中では不適任過ぎるな。どうしたものか…」

思案するラインハルトが目くばせをするとキルヒアイスは頷いた。

「私が使者として参りましょう」

「すまないな、キルヒアイス。まぁ、民衆の為の人気取りなどに興味ないが平和の使者などお前向きな仕事だろう」

軍人としては少々優し過ぎるキルヒアイスに対しての褒美のつもりでラインハルトはこの件を諒解した。

講和がなればいよいよラインハルトも中央での政治闘争を激化しなければならない。

この銀河を得るのはこのラインハルトでなければならない。

そのためにまずこの帝国を完全に掌握する。

そのための布石は打ってきたつもりだ。

「しかし、やはりそのためにも参謀が欲しいな」



◇◇◇◇◇



「首尾はどうだ?」

「ええ、仕掛けは上々でしょう」

ルーアンのその報告に満足気にトリューニヒトは頷いた。

まったくこの男の才気には頭が下がる。

この妙案を聞いた時には鳥肌が立ったものである。

「捕虜交換で工作員を帝国に送るとは考えたな。」

その工作員の目的もまた秀逸であった。

「帝国を分かりやすく分断する方法は皇帝を暗殺することです。奴らが身内で分裂してしまえば、次の策を弄するのもまた用意でしょう」

「では工作員に皇帝を暗殺させるのか?」

ルーアンはさして面白くもなさそうに首を振りトリューニヒトに言った。

「その必要は恐らくないでしょうが万が一、皇帝がいつまでも退場しないのであれば考えます」

ルーアンはつまらそうにそう呟いた。

そう皇帝の寿命がそう長くない事はほぼ確定事項なのだ。

本来皇帝の崩御など絶対に予想できるものでは無い。

しかしルーアンには予想できる。

これは最強のカードだろう。

一応工作員の中にはそのためのカードもいくつか入れてある。

「カードは何枚用意したのかな?」

「何枚でも。しかし今回の目玉はこれです」

そう言って作戦草案をトリューニヒトに見せた。

「ほう、完璧だ。これで帝国のまず半分は潰せる。まったく素晴らしい。」

皇帝が崩御した時、分割した権力者のうち劣勢な方に同盟の艦隊が協力体制をとるのだ。

小国の戦争に強国が武力介入する。

実に分かりやすい構図ではないか。

そのための斥候となる工作員が今回の捕虜交換で帝国側に入りこむことになる。

上手く対立が長期すれば分かりやすく帝国は二つの国に分かれる。

もとは強大でも2つの国に分れてしまえば怖いものではない。

そうなれば、イゼルローン回廊を通して同盟と第二帝国の国交が開かれ、戦局は一気にフェザーン回廊が主戦場となることだろう。

当面最大の敵はフェザーンだ。

あんな何の役にも立たない国はさっさと戦場になって滅んでしまえば良い。

ルビンスキーが全銀河の経済的支配者となる夢を描いている事は知っている。

しかし、甘い。

この銀河を支配しコントロールするのはこのトリューニヒトだ。

ルビンスキーごとき小物には何も与えられないだろう。残念ながら。



◇◇◇◇◇



どうやらルビンスキーの仕掛けた策は失敗に終わり大規模な捕虜交換案が提示する運びとなったようだ。

和平の一歩とも取れる行動だけにルビンスキーは分かりやすく狼狽していた。

フェザーンの存在意義にも大いにかかわってくる決定である。

「まさかここまで頭が回るとはしてやられたな」

トリューニヒトという男がここまでに才気煥発な男だとは予想もしていなかった。

煽動の上手いだけのただの口先政治家だと思っていたのだが…。

しかし、回転の速さでは比類ないルビンスキーの頭脳が別の可能性を示唆していた。

「こうなったらトリューニヒトに取り入って同盟に銀河を取らせようか」

まだその判断は早計かもしれないがルビンスキーをして軍部のヤン、政治のトリューニヒトの二大看板を従える同盟は分かりやすく強固でそして強大に見えた。

彼等は今暫くは大人しくしているかもしれないが十分に力を蓄えた、次の機会にはその勢力と野心を帝国にぶつけるだろう。

そうなった時、あの金髪小僧は上手く対処できるだろうか。

「それを尻目に益を得る方法を考えるとするか」

今回の一件は想定外ではあったがフェザーンにとって帝国48:同盟40:フェザーン12の比率が多小変化し、同盟48:帝国40:フェザーン12に差し替わったとてさして違いはないのだ。

大げさに捉える必要はなかろう。

ルビンスキーはトリューニヒトに送る使者の選定に頭を思考を映した。

まぁ、ひとつよろしくやるとしようか。

お金が嫌いな政治家などこの世にはいない。

そしてこと、お金に関してはフェザーンの右に出る存在は銀河にはいないのだから。

しかし、それとは別にもう一つ、用意しておくべきものがある。

フェザーンの黒狐は配下の名を呼んだ。

「ボルテックはいるか?呼んで来てくれ」

「およびでしょうか。自治領主(ランデスヘル)」

すぐさまお呼びに参上したボルテックの慇懃さに苦笑しながらルビンスキーは言った。

「同盟内にクーデターの火種は無いか調べておいてくれ」

「調べるだけですか?」

「場合によっては支援しても構わない。トリューニヒトが我々の手に負えなくなったら退場させる装置に仕立てるのも良いだろう」

ルビンスキーは面白そうに笑った。

場合によってはトリューニヒトを排除しても構わない。

指し手は一人で十分。そう言う事だ。



◇◇◇◇◇



捕虜交換が帝国側であっさり了承され決定したのはヤンにとって意外だった。

一度はぐずって見せたもののどう考えてもこれはヤン好みの展開ではある。

ヤンとしては久々に気分よくその日を待っていた訳で、その浮かれようは浮かれて増えた酒の量をユリアンに怒られるくらいですらあった。

ただイゼルローンでは拿捕した大量の帝国艦を同盟艦に直す作業にてんてこまいで分かりやすく忙しそうではあった。

ヤンが1万隻も多く抱え込んでしまったがために、第13艦隊は1個艦隊でありながら2万5千隻を抱える変則的な2個艦隊編成となった。

しかもイゼルローンには大量の捕虜を抱えているとあって分かりやすく人手が足りない状況にあった。

そのため中央からかなりの人員が異例の増強体制で出向され、ヤンに半分嫌がらせで出向させられたイゼルローン要塞事務監のアレックス・キャゼルヌがそのヤンに向かって愚痴った。

「お前が楽をしているのを見ると戦争の方がまだ良かったって思えるよ。たく、何もしていないではないのか?うちの大将は」

ヤンは澄ました顔で、

「おいおい、何を言う。手を洗っているではないか」

と言い自らの手を示した。

それは調印式での握手の為と言う意味だろう。

なんにせよ、そのくらいヤンは楽しみにしているらしかった。

フレデリカはヤンの呑気に少し苦笑して言った。

「これで平和になりますか?」

「同盟はね。帝国にはもしかすると混乱が起こるかもしれない」

「というと?」

「皇帝が崩御するかもしれない。私はその兆しをつかんでいる訳ではないけど、トリューニヒトの奴はこれを期に何らかの仕掛けを張る気だと思う」

伊達に暇している訳ではない。

全容は知れないがあえて同盟が引いたと言う事実は何かしらのアクションが帝国に起こることを予期してのこととヤンは見た。

そのための布石を打っているのだろう。

あるいは皇帝あたりに暗殺者を仕向けているかもしれない。

「どのような」

「たぶん帝国が二つ無いし、いくつかに分かれる状況を促成するための方便だね。皇帝は世継ぎを今のところ指定していない。もし、ここらで崩御すれば分かりやすく帝国の覇権を求めて国が割れる状況になるはずだ」

フレデリカはその透明極まる知性で理解した。

「なるほど、その時、吾々はどちらか劣勢な方に恩を売るのですね」

「そういうことだ。帝国が二つの国に分れて乱立する機会を与えてしまえば同盟にとって脅威が分かりやすく半減する。国家版個別撃破さ。もっともトリューニヒトはそこまではやらないかもしれないけど」

ヤンが語尾を濁らせたのはルーアンならなんとなくもっと上手いやり方を考えついていそうな気がするのだ。

ここまでの緒案も所詮はルーアンの端端に隠れる策謀の一端に触れることで状況証拠的に知りえたものであって、ヤン自身の戦略的構想がルーアンのそれに完全に追いついているとはとても言い難かった。

「もし帝国がその状況を回避しようと思ったらどうすべきでしょうか?」

「同盟内にクーデターを起こすんじゃないかな。その可能性は十分にある」

ヤンは軽く言ったがフレデリカは大いに驚いた。

「そのことは中央にはお知らせしなくてよろしいのですか?」

「まさか、トリューニヒトなら私よりよっぽど上手くやる。私にとっては不得手もいいところだがこういう時クーデターを未然に防ぐ一番効果的なやり方はなんだと思う?」

簡単な謎かけのつもりだったが、人の良さそうなフレデリカ嬢には考えつかなかったらしい。

「分かりません。大将」

ヤンは上機嫌で答えた。

ヤンとしては明瞭な回答である。

「簡単さ。罠のど真ん中でクーデターを起こさせるのさ。裏切り者のミスターXを用意して成功すると信じ込ませた嘘のクーデター計画に乗せて憲兵に一網打尽。今に中央で軽く政変が起こるぞ。必ず、失敗するけどね」

一度罠にかけてしまえば、クーデターを考えていたであろう連中の運動も長期に渡って下火にならざるおえない。

起させる時期はかなり早いだろう。

皇帝の崩御というXデーがいつなのかは知らないが、それより早く同盟の禊は終わるはずだ。

ヤンがこのことを思いついたのはごくごく最近だがやる側はすでに随分と前から入念に計画を立てていただろう。

いずれにしてもイゼルローンにいるヤンにとってはあまり関係のない話だ。

ヤンとしては個人的に抵抗があったものの結局、ユリアンをイゼルローンに連れてきた最大の理由もそこにあった。

おそらく事件は全てが終わった後でニュースで見ることになるだろう。



◇◇◇◇◇



クーデターはヤンの読み通り起こり、まるで捕まるのを想定していたのかのように手際よく失敗して終息した。

これはただの防犯訓練ではないかと思ってしまう程の手際の良さだ。

死者どころか負傷者すら一人もでなかった。

おそらく今回のクーデターのメンバーは同盟の歴史上、もっとも間抜けな犯罪者として不名誉に歴史に名を刻むだろう。

しかし、ヤンは自分にはあまり関係ないと思っていた、このクーデター事件はイゼルローンに思わぬ余波を起こすことになる。

最新のニュースサイトを開いたヤンは目を見開いた。

未遂事件の首謀者にでかでかと副官フレデリカの父の名前が掲載されていたのだ。

執務室で思わず青ざめて崩れ落ちるフレデリカをヤンは支えながら医務室に運んだ。

「フレデリカ。大丈夫かい?しっかりしろ」

「はい、申し訳ありません。大将。私は大丈夫です」

そうは見えなかったがヤンとしてはほとほと困り果てた。

こういう時、どうすればいいのだろう。

「分かった。しばらくここで休んでいなさい」

「はい。申し訳ありません」

参った。

非常に参った。

22歳の女性が目の前で分かりやすく狼狽し傷ついているのを見て何一つ上手く出来ないのがミラクル・ヤンの実情であった。

しかし、ルーアンの奴め!

フレデリカの父がクーデター構成員の中に居たのなら連絡の一つもよこせばいいのに!!

完全に八つ当たりだったが怒りのぶつけようが他にはない。

ヤンは内心のムカつきに顔を歪めながら医務室を出て廊下を歩いていた。

すると状況を聞きつけたユリアンが姿を現した。

「閣下。フレデリカさんは大丈夫ですか?」

「大丈夫なものか。ニュースはどうなった?」

ヤンの問いかけにユリアンは答えた。

「どうやらクーデター自体未遂に終わったそうで今回に限っては死刑には問われないとか…」

「なるほど、どの程度の罪状に落ち着くものかな」

国家転覆罪が軽いわけはないが死刑はなさそうである。

死んでしまったのならともかくドワイト・グリーンヒル大将が生きている以上非常に長い裁判が始まる。

まぁ、軍法会議にかけられて即決死刑もあり得るが本当にどうなることやら…。

そうなれば娘であるフレデリカにはやるべきことが多いだろう。

残念ながら。

となると…。

「彼女はこのまま軍隊を去ることになるのかな…」

ヤンのつぶやきをたまたま通りかかったキャゼルヌ小将とシェーンコップ准将が聞き及んで言った。

「なんでそうなるんだ?このトンマ。どうせ執務室には今、お前の仕事はないんだ。男の裁量でお前にとっての勝利の女神さまであるフレデリカ嬢をとことん留意させてこい!」

「悲しむ女性をほっぽり出すのは感心しかねますね。私も閣下は戻るべきと具申します」

「なんでそうなるんだ」

ヤンが非難めいた声を上げたがそれに思わぬ反撃の声に変った。

「そりゃ、お前、フレデリカ嬢が軍隊に入ったのもお前さん目当てだったからに決まっているだろ。お嬢はお前が好きなのさ」

「ええ!?まさか!」

珍しく狼狽するヤンにシェーンコップの追撃が飛ぶ。

「まさか気づいてないとおっしゃいますか?貴方らしくも無い」

「それは私でも分かりましたよ。閣下」

ユリアンにまで援護射撃を撃たれてヤンは目を白黒させた。

「し、しかし、そ、それとこれとが同じ話なのか?」

「そうだよ。あの娘は親のコネまで使ってお前さんみたいなうだつの上がらない野郎の副官に進んでなろうとしたんだ。健気じゃないか」

「素晴らしい女性ですからね。羨ましいです」

そうなのか?

彼女がエル・ファシルでヤンに命を救われた話は聞きおよんでいたがしかし…。

答えのない袋小路にその明瞭な頭脳を落とされたヤンは混乱した面持ちになった。

ひとつその方向での思索を練った経験がヤンには無かった。

ノープラン。

キャゼルヌはそんなヤンをもと来た道につき返すと苦笑いを浮かべた。

どこか呆けた顔で医務室に戻っていくヤンの姿を見てキャゼルヌの苦笑が漏れた。

「お前の保護者はほんと締まらないやつだな」

「でも知ってます?あれでも同盟一の天才なんですよ?」

その発言には両者ともに大笑いで吹き出した。

その後、しばらく医務室ではヤンとフレデリカの秘密の会話が為されたがその内容は様として知れなかった。

ただその後、沈痛な面持ちのヤンにユリアンが聞き及んだところだと留意はさせたもののそのつけとして平和になったら結婚するとかしないとかの約束をさせられたとかどうとか、らしかった。

「それってつまり婚約されたんですよね?」

ユリアンからすればごく最近あったばかりとは言えフレデリカ嬢はいかにもしっかりしていてヤンにお似合いだと思ったから歓迎していたのだが…。

「どうだろう?そんな気がする…」

気がするって。

しかしユリアンも目に見えて憔悴するヤンにこれ以上のことは聞けなかったのだった…。




◇◇◇◇◇



「ルビンスキーめ、分かりやすく下手を打ったな!」

トリューニヒトがさも愉快に笑い声を上げた。

ルーアンの計画通り、フェザーンがクーデターに資金協力する現場を押さえることに成功したのだ。

クーデターを暴発させる作戦自体は当の昔から張っていた罠である。

ただ最大のネズミが引っかかるのを今か今かと待ちわびていただけの事であった。

「これでフェザーンに攻め入る口実ができましたね」

「ああ、この事実を公開すればいつでも首を掴みにいけるな」

苦笑したトリューニヒトの前には一人の男の姿があった。

狼狽したその男の名はニコラス・ボルテック。

フェザーン、ルビンスキーの側近の一人であった。

彼は今回のクーデター首謀者たちと同様に当局に身柄を拘束されていたのだった。

「お前に聞きたいことがある。何、心配するな全て話せば今度は私がお前を重用してやる」

そう言ってにっこりと笑うトリューニヒトの顔を見てボルテックは察した。

ルビンスキーどころでは無い本物の化物が目の前にいることを。

その隣にいる男にも強烈な狂気を感じた。

我々はこんな連中を相手と知らずに相撲を取っていたのか?

間抜けすぎる!!

「貴方に聞きたいことは同盟内にあるフェザーン経営のダミー企業と銀行の隠し口座。そのすべてです。ご存じですよね?」

「し、知ってどうするのですか??」

この期におよんでも虚勢をはる元気は彼にはなかったのでかなり狼狽し震えた声が上がった。

「分かりませんか?意外とフェザーンも人材に困窮しているのでしょうか?フェザーンと言う一地域は形式上は同盟では無く帝国側の自治領です。同盟では帝国を本拠を置く企業は経済活動をしてはならないと言う大原則がありまして…分かりますか?フェザーンに本拠を置く多数のダミー企業が同盟内において不正に業務を運用し、同盟国民から不当に利益を得ている可能性があるのです。政治家として許せませんねぇ。はい」

ボルテックは淡々と強烈な理屈を述べるルーアンの目に幽鬼のごとき恐ろしい冷徹さを見た。

ただの一瞥に背筋が凍り付く。

それは死の恐怖に似ている。

なんと恐ろしいのだ!

「フ、フェザーンの富は?」

「同盟内にある、そのすべては没収の上で国庫であります。当然でしょう。重要な法律違反です。自覚ございませんでしたか?」

ルーアンが厳しく追及した。

ボルテックは舌先が激しく乾くのを感じながら叫んだ。

「待ってください。そんな事をしてもフェザーンが帝国と協力して同盟と対抗する事になるだけです」

「甘い見通しですね。皇帝がもし崩御なさったらどうなるか分かりますか?」

ボルテックは眼を見開いた。

まさか!

「帝国が内輪揉めで混乱している隙にフェザーンを落とすというのですか!?」

「そのための工作員を送る手はずは整っています。彼らも貴方同様に良く踊ってくれましょう。遺産相続に揉める家族のごとき醜い争いを帝国の銀河全土で繰り広げるでしょうね。頼るべき帝国が身の振りで手一杯であればさすがのフェザーンも寄る大樹が無くて大いに困りましょう」

呆然とした。

そうなったらフェザーンは終わりだ。

同盟内の利権の全てが吹き飛び、頼りの帝国も大揉めでは話にならない。

そもそも帝国の国家体勢が分断してしまったら疎遠になった方のフェザーンの既得利権は消滅するのだ。

上手く生き残ったとしてフェザーンは皇帝の崩御を期に実に4分の3の経済力を失うことになる。

そしてフェザーンの富を吸収し肥大した同盟の口に丸のみされるだろう。

「大体調べはついているのですがね。いくつか不明な点があります。フェザーンのダミー企業のリストとフェザーンの隠し口座、送金の事実を示す書類のありかをお聞きしましょう。良いですね?」

「わ、私の身の安全は?」

「もちろん保証しよう。さらに働きによっては十分なポストを用意してやっても良い」

ボルテックは息をのんだ。

悪魔の囁きにしかし彼ごとき、矮小な人間は逆らえるはずはなかったのだ。




◇◇◇◇◇



イゼルローン要塞で捕虜交換式が行われた。

中央はまだクーデター騒ぎで大いに盛り上がっているようだがイゼルローン要塞は同盟内にあって実に静かなものである。

しかし事は両国間に渡ることなのだから中央の混乱などお構いなしに粛々と式を進めていくことになるのは当然の事に思えた。

ヤン大将はイゼルローン要塞にてキルヒアイス中将と対面した。

「貴方がミラクル・ヤンですか。素晴らしいご活躍お聞きしております」

そう言って笑いかけてきたこの好青年こそキルヒアイス中将であろう。

若い。20歳程度である。

「光栄です。多少聞き苦しい内容でしたでしょうが申し訳ありません」

たっぷりと皮肉の蜜を塗って返して見たが青年は苦笑するだけで咎めはしなかった。

随分と感じのいい青年だな。

こういう擦れてない人間が同盟にももう少しいればなぁ…。

ヤンは自分の事は棚に上げて本当にそう思った。

軽く握手を交わすとお互いの捕虜リストを交換した。

「これで多少は落ち着きますね」

「是非そうありたいですね」

ヤンからしてそれは心からの本音であった。

戦争は勝っても負けても楽しいものでは無い。

その様子に少し嬉しそうに笑ってキルヒアイスは心情を述べた。

「貴方が期待通りの人でよかった。ラインハルトさまも喜ばれます」

「それはどういう意味で受けとめて良いやら困りますね」

本当に謎のセリフである。

あるいはさっきのヤンの皮肉に対する意趣返しなのかもしれない。

何はともあれ捕虜交換は恙無く同盟と帝国の両国間にて執り行われ大量の捕虜は大量の帰還兵にとって代わられたのだった。



◇◇◇◇◇



今回の軍事クーデターを事前に察知し、納めたのはまたもトリューニヒトであった。

またイゼルローンで捕虜交換がミラクル・ヤンの手によって恙無く取り行われたこともあってトリューニヒトを次期指導者に推す声は日増しに高まっていた。

民衆はトリューニヒト最高評議長誕生を圧倒的に押しており、誕生はもう決定的となっていた。

現議長は最初難色を示したが既に再選は難しく、ぐずっても支持をより失っていくだけと言う状況に陥っており、その席を手放すのは時間の問題と見えた。

彼はクーデター後、トリューニヒトと会談の後、それなりに満足のいく天下り先を身繕ってもらったことに気を良くしてさっさと解散を決定したのだった。

トリューニヒトは最高評議長を正式に襲名すると新人事案を発表した。

そのメンバーは多少の変更はあったが従来の信頼のおける人材が残り、異才トリューニヒトにしては意外性に欠けるものではあったが政敵と見られていたジェシカ・エドワーズ代議員を法秩序委員長に抜擢したことに大いに驚きの声が上がった。

そしてヤン・ウェンリー大将がこの人事案に合わせて大将から一つ階段を上り元帥となった。

さらにそれに伴って同盟軍最高司令官代理の任を襲名する運びとなったのだ。

この人事には多くの同盟国民が喝采を上げ輝かしい同盟の未来を期待したのであった。

一方、ヤンはジェシカ・エドワーズの件を聞いて頭を抱えた。

「まさか、彼女がトリューニヒトの軍門に下るとはどういう事だろうか」

「どうでしょう。共闘しているようにも思えませんが。背中合わせで喧嘩しているような…」

フレデリカはやや不機嫌そうに言った。

その様子にヤンはこっそりユリアンに耳打ちした。

「なんで彼女不機嫌なんだい?」

「元帥が昔の女性の話をしているからに決まっているじゃないですか」

以前の三角関係的なものを週刊誌にフライデーされたヤンは滝の汗をかいたものである。

事実無根とは必ずしも言い切れず(少なくともヤンがジェシカを好きだったと言う事実はあるわけで)、フレデリカ嬢の不機嫌さも絶好調ではある。

この二人は婚約しても相変わらずらしい。

ヤンの朴念仁ぶりには益々拍車がかかっているような感じすらある。

独身貴族最後の抵抗だろうか?

「やめてくれ、元帥なんて…。しかし彼女が法秩序委員長か。大変だろうに」

帰ってきた捕虜の中には犯罪に走る者も多くジェシカはその対策を含め西に東に奔放しているようだ。

「彼女がいくら頑張ってもトリューニヒトの人気に拍車がかかるだけじゃないか。大変だなぁ、彼女は」

「それは元帥にも言えることですね。もっとも元帥は全然大変そうでは無いようですが」

えーと。ヤンは頭を掻いた。

平和な時期にヤンのする仕事などほとんどない。

最近した仕事と言えば帝国のやたらと紳士な中将と軽く握手したぐらいなものだ。

呆けの入った老人にだって出来る仕事ぐらいしかやっていないのが最近のヤン実情である。

「私はどうすればいいんだろう。ユリアン」

「黙れば良いんじゃないんですか。元帥」

なるほど、名案だ。昔から沈黙は金と言う。

ヤンはその忠告に従い、静かに電子新聞を眺めることにした。

タッチパネルをぐりぐりと動かしながら斜め読みする。

しかし、中央での新政権の支持率の高さは相当なものである。

期待感は簡単に失望感と変わってしまうがどういう手を次に撃つのだろう。

時期を見たとは思えない突飛なクーデターにこそ、その答えはあるのかもしれないとヤンは思った。

何か既に手は打たれている?

次の一手が一瞬透けてはまた見えなくなる。

ヤンはニュースペーパーを読み進め、部屋には電子モニターのニュースペーパーを捲る様な効果音だけが響く。

その深い思索の最中、経済面にてヤンの手が止まった。

「…フェザーン関連株の市場価値が落ちている…?」

それは僅かな変化だが経済面を見るヤンの脳には天啓が降りてきた。

「そう言う事か!ユリアン!我が家の家計で株を動かすことは可能か?」

「株なんかに手を出す気ですか?正気ですか?」

「ああ、いま微増している株はほとんど儲かるはずだ。地震の前の余震のようなものさ」

インサイダーに問われないことを祈ろうかな。

まぁ、その事実はまったくない訳だし多少は儲けておこう。

「たぶん年明け早々にフェザーン関連企業の株が大暴落を起こす事件が起こるはずだ。代わり同盟の二番手企業の株価が大幅に上がるはずだ」

「そんな事になったら今の政権は大打撃ですね」

「そうはならないよ。それを引き起こすのは間違いなくトリューニヒトだからね」

市場の混乱以上に国は国民は儲かるはずだ。

それも濡れてに泡のボロ儲けである。

「そうか…。凄い事、考えるなぁ。そうなれば経済的には同盟は完全に復興するだろうし…」

まさか彼女の登用もそれを狙って?

だとしたら…。

「心配だな。大丈夫かな。彼女」

思わず漏れた呟きにフレデリカ嬢が眉を動かした。

「元帥は女性の事だけはよく心配なさるのですね」

「…」

ヤンは黙って電子新聞を眺める作業に戻った。

どうやらヤンが心配しなければならないことは別の事のようだ。



◇◇◇◇◇



「また帰還兵の中から犯罪が…」

ジェシカ女史の口から苦悩する声が聞こえない日はない。

ジェシカ・エドワーズの法秩序委員長としての歩みは順風満帆とはいかないものであった。

法整備の不備もあって帰還兵による犯罪が急増している状況は戦後復興に向け、舵を切った同盟内に僅かならぬ影を落としている。

実際のところ頼るべき派閥も無いジェシカにしては融通がきかない官僚どもを相手に悪戦苦闘の日々が続いている。

今は懸命な彼女の姿勢を世間は好感を持って見てくれているがその状況がいつまで続くか。

試練の時は続いているのであった。

なぜ彼女が敵対していいると言って過言では無いトリューニヒト陣営に参加する事になったのか。

それはある男との面談がきっかけだった。

その日、ジェシカの選挙事務所にはトリューニヒトからの法秩序委員長就任の要請と一枚の食事券が届けられた。

ジェシカにとってはこの要請は勿論、寝耳に水でこれは未熟な政治家であるジェシカに対するブラックジョークなのだろうと思った。

ジェシカは反戦派を掲げて人気も高かったが同様にあのトリューニヒトに喧嘩を打った女傑として不人気も相当に高かった。

政治家にはなったもののトリューニヒトの柔剛自在で見事な政治手腕に世間の人気は集中し始めており、逆に反トリューニヒトが人気の肝だった彼女はその人気に陰りが見え始めていた。

そんなさなかの出来事である。

彼女はその形の良い眉を一つ動かすと食事券に描かれた地図に従いレストランに向かった。

たとえ未熟でも度胸だけはトリューニヒトに負けない自信があった。

其処は当然とヤンがルーアンに招待を受けたレストランであったのだがそんなことは露知らないジェシカはズカズカと入っていって問題の席の前に立った。

其処には当然とルーアンが座っていた。

「貴方は?」

「私はトリューニヒト様の腹心のルーアン・ヒィッドーです。ようこそミセス・ジェシカ。席にお座りください」

事実だろうか?

目の前の惚れ惚れするような美形の男はまだ23歳くらいの年齢に見えた。

「貴方が本当にトリューニヒトの腹心だとして、なぜこんなものを寄こしたのか説明くださいますか?」

そう言ってジェシカは男の顔の前に法秩序委員長要請の紙を突きつけた。

「ここにある最高評議長の刻印とホログラムは間違いなく本物です。貴方に我々は正式にお願いしているのです」

「理由は?納得できる説明をして頂戴!馬鹿にしているのかしら!?」

いきり立つジェシカにルーアンは端正な顔をさして動かさず事務的な口調で言った。

「まず一言。ジャン・ロベール・ラップ様の事は非常に残念でした。優秀な軍人だったと聞き及んでいます」

「そんな事は良いですわ。貴方達から冥福を祈って貰う義理はないですもの」

そう彼女は嫌悪感を隠さずに言った。

ルーアンはそれには全く動じず、

「ところでアスターテ会戦はある組織の手引きで起こりました。ご存じでしたか?」

とジェシカに問いかけた。

「え?」

目に見えて動揺するジェシカにルーアンは紙を差し出す。

それは以前ヤンに対しこの場所で開示したものと全く同じ紙である。

「フェザーンは帝国と同盟とを競わせ戦争をさせることで益を得る死の商人の集団です。彼らが引き起こした戦争は数知れず。アスターテもその一つです。貴方のフィアンセも彼らの御膳立てした戦争で彼らの策謀のうちに死んだのです」

「フェザーンが…」

絶句するジェシカはその紙面を見ながら再び驚愕した。

「貴方はこの世界に来て日が浅い。フェザーンがやってきたことを知らなすぎる。反戦派の真の敵が同盟主戦派でも帝国でもないことは明らかだ」

呆然と真実を聞く。

「勉強なさってはどうでしょう。トリューニヒト様のもとで、真に政局に触れることでしか学べないことも多いでしょう。それともう一つ」

「なにかしら?」

まだあるのだろうか。

不安がるジェシカにルーアンは真剣な顔で言った。

「吾々はフェザーンの不正を暴き、その組織を潰す気でいます。貴方にも協力してもらいたい。そのための法秩序委員長就任の要請です」

「どういう事?」

「来るべき日、フェザーンを告発しその関連企業に対し一斉監査を行います。証拠はすでに押さえてあるのでフェザーンの財産をその日のうちに同盟で没収できましょう。ただその為にはフェザーンの工作から遥かに遠い人間が法秩序委員長に就く必要がある」

「それで私に白羽の矢が立ったと?」

とてつもなく危険な立場なのだろう。

だからこそある意味、フェザーン攻略のその一点において信頼がおけてそのうえ死んで惜しくない自分が選ばれたのだろう。

復讐に燃える私が誰よりも適任なのは言うまでも無い。

「いいわ。受けてあげる。でも飼い犬になったなんて思わないで頂戴」

「結構。必要な援助があれば言ってください。では暫し共闘と行きましょう」

そう言って握手を求めてきた。ジェシカはその手を握ってから言った。

「綺麗な手。貴方人を殺したことなんて無いんでしょうね」

「それは貴方も同じでしょう。ただ私も人を看取った経験はありますよ」

この男は善人かしら悪人かしら?

それとも天使?悪魔?

ジェシカには判断がつかなかった。

食事は取らず席を立ったジェシカは店を出て行った。

彼女は先ほど男と握手した方の手を血が失せるほど握りしめた。

そして復讐の誓いを立てたのだ。

「ジャン、今一度、私に勇気を頂戴。復讐に燃えるこの愚かしい女に!」

こうしてジェシカ・エドワーズ代議員は法秩序委員長に就任する運びとなったのだった。




◇◇◇◇◇



「ラインハルトさま、実はお耳に入れたいことがありまして…」

「ふむ…オーベルシュタイン?その男が私に会いたいと?」

キルヒアイスの言葉にラインハルトは目を細めた。

「そうなのです。軍法会議にかかる寸前の男なのですが…」

イゼルローンの一件で御咎めがあるらしい、まぁゼークト大将などラインハルトに言わせれば見限られて当然の男ではあるのだが…。

だからと言って見限って良いと言うのは軍人としては別問題である。

「切れ者か?」

「はい。それはおそらく。ただなんといいますか、今までの人材とはタイプが違うといいますか…。非情なところがある男です。あと運がないですね」

ラインハルトは眉を動かした。

参謀役を探して様々な将校を値踏みしている最中だったのだ。

少しくらい可能性があるなら見てみるか。

「会ってみようか。才能があればむざむざ死なせるのも勿体無いだろうしな」

「そうおっしゃられると思いまして話の席を設けました。こちらです」

打ては響く親友の働きに満足気にラインハルトは頷いた。

ラインハルトが用意された個室に入ると照明を意図的に落とされた部屋に陰険極まる風体の男が座っていた。

この男がオーベルシュタイン?

ラインハルトとキルヒアイスは薄暗い面接室でオーベルシュタインとついに対面を果たした。

や、辛気くさい顔の男だな。

「元帥閣下、お目にかかれ光栄です。私はパウル・フォン・オーベルシュタインと申します」

「彼はヤンのあの作戦に察しがついていたそうです」

キルヒアイスの一言にラインハルトは眉を顰めた。

「ほう、卿はヤンの魔法に気づいたと?面白い話せ」

オーベルシュタインは淡々と語り始めた。

ことがイゼルローン攻略での詳細に移るとラインハルトは驚きの声をあげた。

「すべてではありませんが私もイゼルローンを攻略するためにその様な手があることを予期していました」

嘘をついているようには見えなかった。

なるほどなかなかに有能そうではある。

「一つ聞こう。もし俺がイゼルローンを攻略するとしてとる方法論を何か。答えてみよ」

ひとつ試すつもりで聞いてみる。

いずれあのイゼルローン回廊は奪還しなければならない。

「は、元帥閣下。…おそらくあの時点で、あのヤンめも代案に考えていた事でしょうが氷隕石や小惑星に推進剤を付けてのメテオインパクト、質量攻撃です。トールハンマーの一撃に耐える単純質量と亜光速といかないまでもかなりの加速度を与える必要はありますが上手くいけばこれであの要塞を破壊できます。イゼルローン要塞をまず破壊する事がイゼルローン回廊攻略の鍵となります」

ラインハルトは口笛すら吹きたくなった。

自身が温めていた戦術構想を見事に当てて見せた男に拍手を送った。

「正答だ。俺ならそうしていた。要塞など新しいものを別に立てるかどこからか持ってくれば良い。いいだろう。卿の身は俺が保障しよう」

「ありがとうございます」

そう礼を述べてからオーベルシュタインは下がっていった。

それを横目で見てラインハルトはキルヒアイスに尋ねた。

「今の俺やオーベルシュタインの案は有効か?」

「はい。かつては。しかし、宇宙空間においては単純質量攻撃は予期していれば防ぐことは比較的容易です。予期できないほどの無能があの要塞に座っていたならば可能性もありましょうが…」

キルヒアイスの冷静な分析にラインハルトも頷いた。

質量攻撃は迎撃が容易でもある。

知られる前の初手なら彗星のようなものに偽装して近づけて、直近を通るコースか
ら外して当てるなどの小細工も効くが、今イゼルローンに座っているのはあのヤン・ウェンリーだ。無能な訳がない。

「では、どうするべきなのであろうな」

「攻略能力のある要塞を引き連れてイゼルローン要塞にぶつけるしかないでしょうね。いずれにしてもヤンのとった魔法程の案はありませんよ」

その案はコストが掛かり過ぎる。

故にすぐに打てる手では無い事は確実だった。

「やれやれ、しばらくは様子見か」



[31521] 銀愚伝3
Name: 空乃無志◆90014c13 ID:91dc2ff1
Date: 2012/02/14 02:05
皇帝崩御す。

その事実は全銀河に電撃を走らせた。

ヤンなど思わずベレー帽を落として嘆いた。

「やれやれ、また忙しい日々がやって来そうだね。しかし、早すぎるなぁ」

別に故人を惜しんでいる訳ではないのだが、その死が傍迷惑な死であるのには間違いがなかった。

しかし、ヤンのような男は少数であり、これを待ち望んでいた者たちはそれこそ五万といた様である。

その一人であろうラインハルトは細く笑みを浮かべた。

「なんだ。罪人にしては随分あっけなく死んだな。もうすこし見苦しく生き足掻くかと思ったがな」

しかし、実に面倒な事に皇帝は後継者を指定せずに死んでいった。

ラインハルトは思案していた。

「同盟はすでに一度クーデターを乗り切っている。この手は使えないか」

「ラインハルトさま、どういうことです?」

キルヒアイスの疑問の声にラインハルトは答えた。

「帝国の家督争いに同盟が横やりを入れ、気勢を削ぐ為に何が必要だろうと思ってね。キルヒアイスはどう思う」

「なるほど、では分かりやすく別の敵に目を向けさせるのはどうでしょう」

「たとえば?」

同盟が対処に困る程の対象となれば、数にかぎりがある。

「フェザーンなど、どうでしょう」

キルヒアイスのその答えにラインハルトは気を良くし、大きく頷いた。

「それは良い。では、さっそくオーベルシュタインに策を練らせることとしよう」



◇◇◇◇◇




フェザーンと前政権の癒着発覚というマスメディアのニュースをトリューニヒトは苦苦しく見ていた。

時期、タイミング的に見てまず、間違いなくラインハルトの仕業である。

「やれやれ金髪の小僧が馬鹿な真似をしてくれたな!」

「ふむ、でっち上げたにしては良くできていますね。嘘と分かる割には要所を押さえていると言いますか…例の予定を少し早めますか?」

ルーアンの問いかけに対してトリューニヒトは大きく頷いた。

事がルビンスキーの耳に入り警戒されてからでは遅すぎる。

今こそ電撃の速さを持って一撃を与えるときなのだ。

「ミス・ジェシカに連絡を。フェザーン関連企業に一斉監査を入れるぞ」



◇◇◇◇◇



ジェシカは自らの執務室に設けられたホットラインで伝えられたトリューニヒトの命を受け、暫し思索した。

フェザーンをついに討つ時がきた。

その衝撃で手足が震えた。

彼女自身は反戦派の急先鋒としてその身を立てた政治家ではある。

戦争の悲劇さや悲惨さはその身において重々承知しているつもりではある。

この命令の発動が意味するところはさらなる戦火の拡大だ。

同盟は当然と勝利は得るかもしれないが戦火の拡大で多くの人が死ぬ事態となる。

彼女自身、自らの内に燃える暗い復讐の炎を否定はしないが、同じくらいに強い平和への願いも内に秘めているつもりだ。

今の一時的とはいえ、平和な時を掻き乱す決断にはどうしても迷う。

自己矛盾に心を軋ませながらも結局、彼女は決定を下した。

フェザーンとはどのみち一戦交えることになるのだ。

そうであるならば同盟の利のため決定を下すのが同盟に属するの政治家としての享辞であろう。

ジェシカ・エドワーズの決定に即日、一斉監査が始まった。

かけられた罪状はフェザーン関連企業による不正な帝国への賄賂、献金容疑並びにテロ組織への資金投入容疑。

テロリストへの資金投入に至っては国家動乱罪が適応された。

それはまさに同盟のフェザーンに対する疾風怒涛の一撃であった。

同盟内で帝国自治領であるフェザーン関連と目される企業に対する一斉監査が同盟全土でほぼ同時に始まり、次々と摘発・没収されて行った。

フェザーン関連企業の財産は根こそぎ同盟の国庫に収められた。

この一連の騒動はフェザーン埋蔵金とまでマスメディアが宣ったほどであり、政府は一時的に国庫金が2倍近くまで膨れるほどの潤沢な資金を獲得することができたのだ。


フェザーン告発の動きは止まず、政府高官がアスターテ会戦や先日のクーデター騒動に明確にフェザーンが関わったと政府レポートを発表すると同盟民衆のフェザーン討つべしの声は高々と同盟内に響きわたった。

フェザーンのやってきたことは反戦派、主戦派、どちらの逆鱗にも触れたらしく、その声はかつてないほどの熱を持って同盟を席巻していったのだった。



◇◇◇◇◇



ほぼ時期同じくして、帝国ではフリードリヒ4世の崩御に伴い、新体制が打ち出された。

若くして帝国宇宙艦隊司令長官の地位にあったラインハルトに対しリヒテンラーデ候は協力を求め、この二人を後景人に若干5歳のエルウィン・ヨーゼフ二世が新皇帝を襲名したのだ。

リヒテンラーデ候の決定は、確かに衝撃が走ったがラインハルトの予想とはすこしばかり様相が違っていた。

(おや?)

さぞや残念がるだろうと見ていた門閥貴族どもに面だった動きが無いのだ。

当初、予想されていたような大きな混乱がなかったのである。

確かに門閥貴族は口ぐちに不満を吐露していたがこの決定で一番に損をしたであろう、ブランシュヴァイク公とリッテンハイム候が沈黙を貫いたのだ。

彼らは別の皇帝候補を擁立していた。

この二人は深く口を閉ざし、新体制の動向を静かに見つめていたのである。

とにかく不気味としか言い様が無い。

その不気味さにはさすがのラインハルトも眉を動かした。

まさか、いかにも諦めの悪そうなあの二人の大貴族がもう観念した訳ではあるまいな。

「彼らが反旗を翻さなければ討伐もできまい。どういうことだ?」

ラインハルトとしてはこれを機に不満を爆発させた門閥貴族どもを一掃しようという腹積もりであったから拍子抜けしたどころか困ってしまった。

(参った、このまま黙られたのでは憂いを後々残すことになるな…)

同盟がこちらの狙い通り、フェザーンに噛みつこうか噛みつくまいか悩んでいる今こそが憂いを払う絶好の機会なのだが…。

「なにかの時期を狙っているのかもしれません。まずいですよ。同盟にフェザーンが制圧されてからでは全てが遅すぎます」

「私も同意見です。貴族が動きを見せなければ同盟の動きに合わせ、ひとまずはフェザーンを守護する必要性が出てきます」

キルヒアイスとオーベルシュタインが揃って危惧を口にした。

「確かにな…。しかし、この状況では容易にフェザーンに出兵はできない。沈黙している大貴族を討伐することもできない。さて、どうしたものか…」

もし、このまま同盟がフェザーンに対して兵をあげれば、フェザーンの応援要請を帝国が断ることは難しい。

ひとまずラインハルトは誰かしらの有能な将校に命じ、大軍を上げフェザーンの救済に向かわなければなるまい。

一度兵をあげてしまえば、同盟との戦いの途中で引きあげるのは難しい。

そうなれば、ラインハルトは面倒にも前後に敵を抱えたまま戦う羽目になるだろう。

これは拙い。宜しくない事態だ。

思案にふける主君の元に一報がもたらされたのは翌日のことであった。

「ラインハルトさま、大変です。主要な門閥貴族が一斉に手を取り新体制を打倒を宣言しました。場所はリップシュタント」

ラインハルトは目を見開いた。

「よし、すぐに攻勢に出るぞ。さっさと貴族を打ち滅ぼし、その後、フェザーン領に対する同盟の攻撃に備える」

ラインハルトはついには顔を出した反乱分子たちを前に舌舐めずりをした。

連中も集まれば確かに数は多い。

が所詮は烏合の衆である。

有能極まるラインハルト軍団の敵ではない。

さっさと焼き鳥にしてしまえ。

「た、大変です。同盟がフェザーン挙兵を宣言しました!指揮官はビュコック中将。2個艦隊を動かしフェザーンを征服に向かう模様」

「は?なに?」

ラインハルトは貴族が連合を結成したのとほぼ同時に同盟がフェザーンの征服に乗り出したことを知った。

「たった2個艦隊だと?ふん、随分と甘く見られたなようだな、フェザーンは。それならしばらく持つだろう」

ラインハルトは同盟軍の見通しの甘さを鼻で笑い、満面の笑みを浮かべた。

全容はこちらにも知れないがフェザーンの有形無形の工作活動が行われる中、この短期間で議会をまとめあげ、出兵にまで辿り着いたのはまぁ見事なものだが、肝心な出兵計画そのものは骨抜きも良いところである。

この分ならフェザーンはしばし存命し、同盟に対する防波堤としての役目を十分に全うしてくれるだろう。

たとえ、フェザーンが結果的に同盟に奪われる結果に陥っても、帝国を掌握した後のラインハルトにならば奪いかえすことぐらい造作も無いことである。

「大変です、元帥閣下!今、同盟で起こっているフェザーンに対する摘発の効果に対する報告が上がってきました!!」

オーベルシュタインがいつもの辛気臭い顔をさらに青白くさせて、ラインハルトの部屋に入ってきた。

今日はなんだかやけに報告の多い日である。

「ん?そう言えば同盟はフェザーン系の企業に対して一斉監査を行ったのだろう。結果の報告は今まで無かったが…。しかしだ、相手はあのフェザーンだぞ。思いつきでやったような監査でどれほどの効果があったものかな?せいぜいトカゲのしっぽでも掴まされて…」

「全滅です。同盟国内にあったフェザーンの資金はすべて没収された模様です」

「何…??」

今度こそ呆然とその報告をラインハルトは聞いた。

何?

あの黒狐が本当にそんな失態を犯すのだろうか?

ラインハルトは今の今まで自らの詭計で同盟の目をフェザーンに向けさせたつもりでいた。

だから、同盟のおバカな政治家どもは突然降ってわいたスキャンダラスな出来事に翻弄されて混乱しているとばかり思っていたのだ。

しかし、事実は違っていた。

彼等は当の昔にフェザーンに狙いをつけてその牙を磨いていたのだ。

フェザーン告発の為の計画を、周到に用意していたのだ。

ラインハルトたちは毒蛇の潜む藪を横から余計につついただけに過ぎなかったのだ。

(こ、これはやられたのか…?)

乗せたつもりが逆にこっちが乗られていた。

しかし、だ。

一体、いつから、あのフェザーンが同盟に対してこれほどまでに干渉能力を持たなくなったのだろうか…?

「…それでフェザーンはどうなる?」

「元帥閣下。今、フェザーンは分かりやすく国力が激減しています。もうフェザーンには同盟と戦う体力はいくらも残っていません」

あの国は経済がそのすべてと言って良い。

金脈こそがフェザーンの血脈だ。

蜘蛛の巣のように無数に散らばったそのすべての血脈が絶たれたとして、フェザーンの余命は如何程に残っているのだろうか?

「…フェザーン自治領全軍が2個艦隊の同盟軍と戦闘状態に入ったとして何日持つ」

「1日かと…いや、そもそも戦いと呼べるものが起こるかどうかも…」

ラインハルトは猛烈な勢いで机を叩いた。

「十日だ!!せめて、十日持てば帝国が一挙大軍を上げて救済に向かってやる!それまで死ぬ気で帝国の領地を死守せよとフェザーンの自治領のまぬけどもに伝えるのだ!!オーベルシュタイン!!!」

「はっ!!」



◇◇◇◇◇



これまた、ほぼ時同じくしてフェザーンでは同様の報告をルビンスキーが受けていた。

その荒れようはラインハルトの比では無かった。

「馬鹿な!どういうことだ!これをし向けたのはあの金髪の小僧か!?それともあのトリューニヒトとかいう政治家か!?こんなことをしてなんになる?」

フェザーン自治領主は大いに怒り、激しく不快感を示した。

その様子をルビンスキーの副官の一人であるルパート・ケッセルリンクは苦々しく見ていた。

いまや同盟内に深く根付かせたフェザーンの血脈はそのことごとくが寸断されてしまった。

関係証拠の確保も含めてことは相当以前から入念に練られていたことが伺えた。

今やフェザーンの勢力は一夜にして半減してしまった。

否、いまだ混乱止まぬ帝国側のフェザーンの資産は焦げ付き、正常に運用できる状況にない。

つまり、これもまったく当てにできない。

フェザーンはその勢力を完全に経済力に特化させて成長してきた。

そのことがついには仇となったのだ。

いまやフェザーンは完全に丸裸も良いところであった。

ルビンスキーは吠えた。

「帝国に連絡を!借りがある誰でも良い!金ならいくらでもくれてやる!フェザーンを守らせろ!」

それは無理な相談だろう。

今や同盟は銀河に覇を得るにふさわしい気勢を得ている。

対して帝国は国家を二分するという非常に分かりやすく危機的状況に陥っているのだ。

いま落ち目のフェザーンの為に命をかける存在など銀河にはおるまい。

ルパートは溜息を吐きながら淡々と報告を続けた。

「それについてですが、一つ残念なお知らせがあります」

「なに?」

何を驚いているのだろうか。

まさか、ルビンスキーともあろう男がこの情勢を見過ごしたのだろうか。

「ローエングラム侯がこの政変を機に一気に旧門閥貴族勢力を制圧しようとしていたのはご存じでしょう。ほぼ同時期に反ローエングラム侯勢力がリップシュタントにちかい銀河に集結したと報告が入っています。おそらくそう遠くない時期に正式な声明が出され、帝国軍と正式に戦争状態に突入するでしょう」

「バカな!両者が連動しているではないか!同盟は門閥貴族に協力しているのか!?」

ルパート・ケッセルリンクは何を今更と思ったが口には出さず、冷静に状況を述べた。

やはり、門閥貴族とルビンスキーは繋がっていない。

「間違いないでしょう。今この状況下で我らがフェザーンを救う為に兵を寄越す酔狂な物好きはいません」

ルビンスキーは呆然とその事実を受け止めた。

ルパートはその様子を眺めながら情報端末を操作した。

「今、別の報告が入ってきました。同盟は2個艦隊を持ってフェザーンに進軍を決定したとのことです。総大将はビッコック中将。…終わりですね」

たった二個艦隊でことが足りると見切っているあたりで、もはや同盟がフェザーンをさして強大な敵と見なしていないことは明確であった。

「なに?終わりだと??」

ルビンスキーはぎょっとした様子でルパート・ケッセルリンクを見る。

「終わりだと申したのです。閣下。この状況はどう考えても詰んでいます」

ルパートは溜息を吐いた。

当然と分かることをルビンスキーは未だ理解できないらしい。

焦点が合わぬ目で虚空を見つめ、思索し、漸く受け入れた。

「…まぁ良い。暫し雌伏の時を過ごすのも…」

なるほど、状況を受け入れはしたが理解はしていないらしい。

ルパート・ケッセルリンクは都合のいい事を述べているルビンスキーに言葉の刃を突きつけた。

「…?なにをおっしゃっているのですか?フェザーンはあくまで帝国傘下の自治領なのですよ?同盟に対して無条件降伏などできようはずがありません。あなたはフェザーン自治領の総大将として戦地に赴くべきです」

ルパート・ケッセルリンクの断言にルビンスキーは目に見えて慌てだした。

「貴様!俺に戦場に立ていうのか!この俺に!」

当然の責務について述べたまでの事で、なぜそれほどに取り乱すのか?

つまりこの男にはフェザーンの領主としての自覚が微塵も存在しないという事だ。

ルパート・ケッセルリンクは不快を隠さず強い口調で言い放った。

「それがフェザーンの民の望みです。総意です。あなたは古きフェザーンとともにここで滅びるべきではないでしょうか?古きフェザーンの象徴として」

激怒で顔を赤く染めたルビンスキーは吠えた。

「貴様!それが父に対する口の利き方か!?」

ルパート・ケッセルリンクはルビンスキーの言葉に一瞬はっとした顔をしたが動揺は示さず、努めて冷静に言い返した。

「ご存じでしたか。まぁ良い。ならはっきりいってやろう。フェザーンの全員が貴様の度がしがたい失態のせいでとんでもない損失を抱えている。もはや貴様の味方をする人間などこのフェザーンにはいないぞ。地下の避難壕も同盟側にリークされている。あきらめて最後くらいは処刑台に自ら登る度胸を見せたらどうだ?」

辛辣に事実を突きつける。

ルビンスキーは顔を真っ赤に染めて再度吠えた。

「ふざけるな!」

「ふざけてなどいない。この情勢下、我々が再起をはかるにはせいぜい同盟に媚びを売るしかない。貢ぎ物として差し出す品、その最たる物がおまえの首だ」

フェザーンの商人は時として自分の親だって商品として扱う。

こんな男、不良債権になる前にさっさと売ってしまうのが吉というものだ。

まして自分を捨てた父親になど義理は無い。

「貴様ぁああ!!」

「撃て!旧時代の異物に引導を渡せ!!」

ルパート・ケッセルリンクの号令でかつてはルビンスキーに従っていた従者たちが正確にその元主に電気銃を撃ち込む。

強烈な電荷が空気を走り、火花が散る。

本来ルビンスキーを守る為の様々な仕掛けの全ては解除されていた。

「くはぁ…」

「残念だったな。おまえの大きすぎる野心が見抜かれていたのがそもそもの敗因だ。全世界の王になろうなどと言う野心は、せいぜい上手くゴマを擦って生きるのが手一杯なフェザーン領主の資質としては不適格過ぎた訳だ」

いや、それは俺も同じか。

自嘲気味にルパート・ケッセルリンクは呟き、苦笑を浮かべた。

ルパートはいつしか自分も父と同じ夢を見ていたのかもしれないと気がついたのだ。

この男と自分の違いは殆ど無かった。

しかし、立ち位置が違えばその結果に当然と違いが出るものなのだろう。

ただそこにいる男には運がなかったし、自分にはそもそも夢を語るほどの立ち位置すら用意されて無かった。

せめて貴様の野心だけは俺が拾ってやる。

さらば、父よ。

ルパートは父に対し、古き風習に倣い十字に手剣を切った。

手配した者たちが失神した父を運んで行く。

それを遠目に見ているとルパートのもとに別の男が近づいてきた。

「ルパート様、帝国から超光速通信にて一報が入りました。十日後に増援を送ると」

ルパートは苦笑した。帝国も馬鹿かと。

「『支援は無用。我らを同盟に売りし、男の協力など必要無し』とでも伝えろ。もともとはあの金髪のあほがフェザーンと同盟をぶつけあわせようと計画したのだろう?思い通りに事がいかなかったぐらいで逆に増援とは顔の面が厚すぎる奴だな。そもそも帝国と同盟がフェザーン回廊で全面的に争うような事態は避けねばならん」

フェザーンは同盟に吸収されることになるがそれでも商人は同盟でしぶとく生きていくだろうし、その門出を戦火で水を差すのは避けたいところだ。

ピンチはチャンスだ。

没落する奴も当然いるがこれを機に一気に成功する奴もいる。

結局、商人なんて生き物は商談さえあれば、この広い銀河で一人でだって生きていける図太い連中なのだ。

「で、ルパート様はどうされるのですか?」

「同盟の物資を大量に買い付けて、ローエングラム侯の陣営にせいぜい高く売りつけてやろう。あの考えなしのあほどもは相当困窮しているだろうからな。信頼のおけるフェザーンの商館に連絡を。帝国のお家騒動は儲かるチャンスだぞ」

「分かりました。では善き商談を」

そう言ってルパートの部下は下がっていった。次の商談の為に。



◇◇◇◇◇



「この善き日に」

「この善き日に」

乾杯を掲げ、リップシュタット盟約に参列した貴族は錚々たる顔ぶれであった。

ここに、ほぼすべての門閥貴族が集結していると言っても過言では無かった。

「しかし、さすがブランシュヴァイク公である。まさかあの同盟からこのような確約を取りつけるとはな」

取り巻きのおべっかに大変気をよくしたブランシュヴァイク公は大きく頷いた。

「ふふ、連中もあの厄介な金髪の孺子には帝国の実権を握られたくはないらしい。まぁ、そのためにいくつか約束を交わされたがな。しかしだ。考えてみればなるほど確かにこの方が旨味がある話だ。平民どもの人気すら私に奪われてローエングラム侯の顔が真っ白になる様子が浮かぶぞ!」

同盟はラインハルトの天才に恐怖した。

そして、その恐怖こそがブラウンシュヴァイク公に味方した。

彼は次の帝国の盟主となる資格を得たのだ。

そして彼は水面下で積極的に門閥貴族に働きかけ、そのほとんどを味方につけることに成功した。

更に彼らは自らの勝利を確実のものとするためにメルカッツ上級大将を実戦総司令官として招致したのだ。

メルカッツは最初こそ辞退の意を示したが情勢が完全にブラウンシュヴァイク公に味方しているのを見て、その要請を了承した。

その彼も静かな面持ちでこの式典に参列していた。

彼の副官であるシュナイダ―少佐は不思議そうにメルカッツに声を掛けた。

「どうして不機嫌な顔なのですか?明日には新生帝国艦隊総司令官になる御身でしょうに」

メルカッツはもはや勝利を確信しているような若い少佐に苦笑した。

「ローエングラム侯を甘く見るつもりはない。何より彼は強いカリスマがあり、そして強星のもとに生まれている。この危機的状況ですら、あるいはなんとかするかもしれない」

しかし、彼をして今回の要請は魅力的に映った。

あの天才と強烈な戦いができるかもしれない。

「あの天才を負かせてみたいと思ったのだよ。魔が差したというやつだな」

それこそ、文字通り。

「なるほど。おや、提督、お飲物が空ですね。持って来ましょう」

「ああ。すまない」

そう言ってシュナイダ―少佐はメルカッツから離れていった。

彼の姿が離れた後でもう一度メルカッツは深く思案をした。

今回の一件でブランシュヴァイク公が盟主として一本化されている事実は大きい。

同盟からの確約を得ているブランシュヴァイク公を軸として体制はある程度整っており、貴族連合は上手くすれば十分にまとまると見えた。

メルカッツをして戦って勝てると確証を得たからこそ協力する気にもなったのだ。

彼はにやりと笑った。

自分にもまだ熱く若い部分が残っていたことに対する笑みだ。

シュナイダ―少佐を若い若いとからかっている自分もまた随分と気が若い。

歳に似合わぬ真似をしているな、私は。

苦笑し、ふと見渡すと宴の参列者の中にうら若い少女を見つけた。

「おや、貴方は」

「お久しぶりです。メルカッツ提督」

その少女は確かマリーンドルフ家の伯爵令嬢であるヒルダであった。

随分と才女であったから良く覚えている。

「貴方もこの式に参列を?」

「ええ、今や次の帝国の覇権はブランシュヴァイク公が獲るものと見て間違いないですもの」

「なるほど、賢明なお嬢さんだ」

活発そうな少女はメルカッツに質問を返してきた。

「提督。貴方はこの戦いの行く末をどう思います?」

「我々が勝者になる確率は5分5分だが100%ローエングラム侯の勝ちは無い」

メルカッツはそう断言した。

「それはどういうことです?」

「万が一にローエングラム侯がこの戦い勝者に輝けば、同盟は容赦なく彼を滅ぼすだろう。彼が自分の数倍の兵を率いるあのミラクル・ヤンを倒せるだろうか?私は無理だと考える。我々が勝てば同盟も公文書がある以上手心を加えざる負えないから帝国は存続するかもしれないがね」

令嬢は不安そうに彼を見た。

「同盟は戦争を激化させて帝国を弱らせようとしています。その狙いが分かっている以上、私たちと彼ら、平和的な解決は無いのでしょうか?」

「ブランシュヴァイク公の野心を満足できる人間がいればあるいは…。しかし、それが無理な相談な以上、状況的には我々が可能な限り圧倒的に勝ちを得て帝国の銀河を納めることがスマートな冴えたやり方と言う事になる」

「ローエングラム侯という天才を失ってでも?」

その疑問は盟主であるブランシュヴァイク公に対する不敬でもあったのでメルカッツが苦笑いを浮かべながら答えた。

「彼はどっちに転んでも滅びる。それに帝国が道連れとなるかならないかの判断だな。一国と天秤にかけてまで惜しい人間などこの世にはおるまい」

そんな事は分かり切っていた。

「私は同盟の狙いは2国を両立させることにあるのではないかと思います。どうでしょうか?」

メルカッツ提督は今度こそ眼を見開いた。

「それは正しいものの見方だ。フロイライン。それこそ同盟の真の狙いだ。よく察したものだ」

「では、やはり両者は協力するべきでは?」

「まさか。そのことは我々にとって逆に言えばこうとも言えることなのだ。すでに帝国の半分の支配権は同盟によって保障されているとな。つまり、この戦いは最初から半分は出来レースなのだよ。ローエングラム侯が少々上手く我々をやり込めても同盟が大軍を率いて全ての勝利をリセットしてしまう。そして我々は半分の帝国領を同盟から与えられる。そういう筋書きだ」

「…恥知らずが過ぎませんか?まるで乞食のようですわ!!メルカッツ提督はそれでもよろしいのですか!?」

辛辣な声を上げる令嬢にメルカッツはさらに苦笑を浮かべた。

少女の真意は分からないが聡い割には稚気があるようだ。

メルカッツの発言に少女の中の貴族としての誇りが傷ついたのかもしれない。

「そうならないために私は早々にローエングラム侯を討つつもりだ。そして帝国の銀河を同盟から守ろう」

決意を込めたメルカッツ提督の言葉に令嬢を気後れしたような顔で下を向いた。

「申し訳ありません。提督。言葉が過ぎましたわ」

どうやら少女は分かってくれたらしい。

「いや、良い。貴方のような聡い貴族ばかりであれば私も仕事が楽なのだが」

そう言って少女の肩を軽く叩くとメルカッツはその場を離れた。

すると入れ替わりでシュナイダ―が入ってきた。

「おや、ずいぶんとおじさん趣味のようですね。あの娘さんは」

「どういう意味だ?シュナイダー?」

彼は眼を白黒させて言った。

「おや?楽しい歓談では無かったのですか?彼女、さっきまではブランシュヴァイク公と随分と親しげに話しこんでいたのですが、公など鼻の下が伸びっぱなしで同盟との確約書をしきりに見せて自慢していましたよ」

「確約書を?まさか?」

メルカッツははっとしてまわりを見渡したがもはや令嬢の姿は見えなかった。

「どうしました?」

「…。いや無駄なことだな。確約書など既に意味はないのだから」

「はい?」

「我々の協力要請を受けて同盟は今日にも正式な発表を出すことになっている。今更、密約をリークしたところで無意味な事だ」



◇◇◇◇◇



「彼方に見えるがあのフェザーンの艦隊か」

トリューニヒトからフェザーン平定の大役の命を受けたのは同盟の宿将、ビュコック中将であった。

老将は寂しげな視線を視界の先にある銀河に向けていた。

フェザーンの私設艦隊2万隻。

最後まで虚栄を張るその姿が数多くの戦いを知る賢将には虚しく映るのだ。

対するビュコック率いる同盟の3万隻は歴戦の勇だ。

負けるはずなどない。

「悲しいな。ただ沈められる為だけに数を揃えただけの艦隊など」

下手するとほとんどの艦がオートパイロットの無人艦かもしれない。

敵前逃亡と彼らの意気地を責めても虚しいだけだ。

フェザーン人にとってこの戦いはもはや勝つ必要がないのだから仕方無い。

ただの禊だ。

ここで起こる戦闘は通過儀礼以外の何者でもない。

今のフェザーンは端から同盟に白旗を上げているような状態である。

となればあれはそう、古い垢を落とすような行為なのだろう。

「史上初なのではないかな?無気力艦隊戦などという下らん戦いは」

ヤンをあえて動かさなかった所にトリューニヒトの今回の作戦における妙がある。
つまり本命は別にあるのだ。

ビュコック自身もフェザーンを落とすばかりが今回の任務の全てでは無い。

あくまでこれは壮大なファンファーレ、続く戦いへの序章に過ぎないのだ。

いよいよ、これを皮切りに血肉踊る戦いが始まろうとしている。

今や血気盛んとはほど遠いビュコックではあったがそれでもわずかに武者震いが起こっているのを自覚した。

「指揮官の乗る船を落とせ。どうせルビンスキーが銀河の露と消えれば、速攻で白旗を上げる気の連中ばかりだ。話にならん」

ルビンスキーは同盟にとってはクーデター派に協力していた事実があり、国家転覆を狙った事件の主犯格として指名手配されている。

彼は捕まれば当然に死刑だし、逆に匿えば、同盟はその存在が見つかるまで徹底的に惑星フェザーンを閉鎖することになるだろう。

同盟は惑星フェザーンに対しテロリストを保護しているとして徹底した制裁処置をとるだろう。

その中にはフェザーンの完全閉鎖も含まれる。

そうなればフェザーンの経済には多大な損失が生じることになる。

つまりルビンスキーとはフェザーンの商人たちにとっても同盟へのごますりの為にも是が非でも処刑台に送りたい男なのだ。

双方にとって生きていて益無し、そう論じられているルビンスキーはどうにも気の毒ではあるが。

とにかくフェザーンの民として理想を言えば犯罪者として処罰されるより、こうして自治領主として戦地に立ち、死ぬことでフェザーン領主としての名誉とメンツを保ちつつ、その歴史に綺麗に終わりを付けてもらいたいとそう願っているわけだ。

故に今頃、ルビンスキーは分かりやすく豪勢な無人の艦の形の棺桶にただ一人乗り込んでいるのだろう。

虚栄の艦隊に乗るただ一人の虚栄の王。

そして滅びゆく虚栄の都市。

「この齢にして分かりやすく盛者必衰の理を見たな。今日が偉大なるフェザーンの最後だ」

ビュコックが開戦の決定を下した。




◇◇◇◇◇



ルビンスキーは薄暗い部屋の中で目を覚ました。

いまいちはっきりとしない意識の中で周りを見渡す。

どうやら戦闘艦の艦長室のように見えるが…。

彼のほかに人の姿は見えない。

「ここは?」

ルビンスキーは癪然としない顔でモニターを見た。

目の前には3万を超す艦隊がこちらに向かってくる様子が映しだされていた。

「…待て。まさか。そんな」

一つの事実に思い至り、ルビンスキーは顔を青ざめた。

今、私は艦隊戦の真っただ中にいる!?

「誰か居ないのか!?」

ルビンスキーは叫んだが反応は無い。

馬鹿な…私一人だと!?

「ふざけるな!オートパイロットの無人艦だと!?こんなもの話になるか!!」

コンソールをめったやたらと叩いたが全く反応を示さない。

回線そのものが切られているようである。

「し、し、し」

恐怖に全身が激しく震える。

孤立無援。

極大のレーザーが右翼部分に直撃した。猛烈な爆発と衝撃が艦に広がる。

「ばかなあああああ」

瞬間、ルビンスキーはこの身を構成する原子ごと蒸発して宇宙の塵と果てた…。



◇◇◇◇◇



フェザーン陥落す。

その一報は電撃の速さにて帝国を駆け抜けた。

ラインハルトは自身の執務室にてその報告を呆然と受け止めた。

「…まさか、フェザーンがこんなにあっさりと討ちとられるとはな」

ラインハルトは信じられない思いで独白した。

「しかも同盟は今回の一斉監査とフェザーン制圧で50兆ライヒマルクをかるく超過する儲けがあったらしいな」

ラインハルトからしてみれば、同盟にたいしてフェザーンは有形無形の抵抗を見せ、良い相撲をとると当初見ていたのだが…。

それを期待していただけにどうにも…。

いずれにせよ、同盟が機能不全に陥る相手として相応しいと考えたフェザーンがまぬけにも即日退場してしまった。

結果、この一大事に同盟が自由になってしまった。

この結果はお粗末にもほどがある。

同盟は経済力と言うフェザーン最大の生命線を苛烈すぎる一撃にて断ち切ると続く一刀にてその首を見事討ち取ってしまった。

ここまで見事な戦略的芸術の粋を見せられてはぐうの音も出ない。

これもヤンの魔法なのだろうか?

あの詐欺師め!

フェザーンのアホどもはしかし良くもため込んだものである。

ラインハルトの方はせいぜい能なしの門閥貴族どもを絞って15兆ライヒマルクが限度だ。

それだって相当な額だというのに…。

帝国からしてフェザーンの蓄財に直接関与する口実はないわけだから頭が痛い。

対して連中は今頃、濡れ手に泡のボロ儲け中と言うわけだ。

「ラインハルトさま、まずいことになりました。帝国領内におけるフェザーンの隠し資金が大量に移動しています。本社を押さえた同盟の工作活動と思われます。…同盟の最終的な儲けは80兆を超えるのでないでしょうか?」

「やつら、まだ儲ける気か!!急いで帝国にあるフェザーンの隠し資金の取引を全て凍結しろ!」

「すでに指示は出しましたが、おそらく巧妙に隠蔽されたフェザーン関連企業の正確なリストアップをするだけでも数ヶ月を要します」

資金の移動には数日かからないだろう。

今、帝国内の全銀行取引を完全凍結する訳にもいかず資金流失を防ぐ術はないと見えた。

これを期に一気に同盟の経済状態が正常化すると同時により強大になるのは目に見えていた。

「それと同時に帝国国内のフェザーン関連企業が次々と倒産しています。市場でかなりの混乱が生じているようです」

逆に帝国の国力は目に見えて減衰しだした。

なんということだ!!

「…くっ」

ラインハルトはイライラが頂点に達し激しく机を何度も叩いた。

誤算が多すぎる。

ラインハルト自身、門閥貴族どもの動向が気がかりで同盟のフェザーン征伐を見過ごすよりほか無かった。

門閥貴族たちとの戦いは現在全く予断を許さない状況にあり、ラインハルトにはフェザーンに向けて遊ばせる兵など存在しなかったのだ。

「門閥貴族どもの動きはどうなっている?」

「かなりの数が集まっています。…状況は半分ではすみません。良く言って7対3ですね」

自然と報告するキルヒアイスの口調も暗くなる。

「烏合の衆ではあるがな。にしてもそこまで集まるか…」

門閥貴族どもの首領格と見られているブラウンシュヴァイク公にそれほどの人格的魅力があるわけではないが門閥貴族連合には一つの確約があってそれが、ラインハルトの異常な不人気に繋がっている。

つまり、門閥貴族連合には同盟の協力確約がある。

それがどの程度の協力なのかは知らないがこの場合、決定的な判断要素なのは間違いない。

つまり、ラインハルトの旗色悪し、こう貴族たちは自然に判断し、結果的にブラウンシュヴァイク公に非常に多くの貴族の支持が集まったのだ。

もともと心情的にはブラウンシュヴァイク公の方に味方する気持ちが強かっただけに当然の結果になった訳だ。

すでにラインハルトとブラウンシュヴァイク公との戦力差は決定的と言えたし、その上、同盟の援軍があるのではラインハルト陣営には勇将揃いとは言え、確かにお話にならないかもしれない。

「お粗末な戦いになりそうだ」

ラインハルトは自嘲を込めて苦笑いを浮かべた。

「奴らがこの帝国のお家騒動に積極的に参戦してくるのは目に見えているな」

「はい、ヤン・ウェンリーが今回のフェザーン制定に動いていないのがなによりその証拠になるでしょう」

つまりヤン元帥自身は対ラインハルト戦を見越してイゼルローンに居残った訳だ。

貴族勢力はリップシュタントに近い宇宙に集結しつつある。

その勢力全体ははっきりとはしないもののラインハルト陣営の二倍を超える。

雑兵どもの集まりとはいえ数に頼られると怖い。

その上、ヤン・ウェンリー元帥率いる同盟軍とも一戦交えなければならないとすれば旗色の悪さは隠しようがない。

「これ以上状況が好転する余地は無いな。積極的攻勢にでる。キルヒアイス、将校を集めてくれ。会議だ」

ラインハルトの指示にキルヒアイスは深く頷いた。



◇◇◇◇◇



「どうだ、御大の様子は」

「かなり怒りのきている顔だったよ。卿は会議に呼ばれなかったようだね」

ミッタ―マイヤーの言をロイエンタールは鼻で笑った。

「別命があったからな。このオーディンに残っている小者どもの掃討を命ぜられ、網を張っていたが、どれもこれも網にはかからなかったよ。まぁ、こうも周りが敵だらけでは網の目もボロボロになって張る意味が無くなってしまうがな…。目の粗い網にすら引っ掛かることがない小物ばかりだったことへの証明にもなるがな」

思った成果が上がらず不機嫌になった同僚をミッタ―マイヤーは励ました。

「それが卿に能力がない事の証明にはならないさ。しかし、この状況は本当によろしくない」

「ああ、案外我々は道を間違えたのかもしれん。ここから帝国が同盟を相手に盛り返すのは相当に難しいだろう。元帥閣下の側についたことはそもそも失敗であったのかもしれないな」

どこか本気でそう思っているようなロイエンタールの口調にミッタ―マイヤーは驚き声をあげた。

「まて!ここは酒場じゃないんだ!そんなことをここで話すな!」

ロイエンタールははっと顔を上げ周りを見る。

少なくとも見える範囲に他の者はいなかった。

「すまない。いらん心配をさせたな。…しかしだ。どこもかしこも裏切り者だらけだ、正直何をやっても上手くいく気がしないのだぞ?文句も言いたくもなる」

いまやラインハルトは戦わずして敗れようとしている。

あの常勝の天才がだ。

「ローエングラム侯はヤンを最大の敵と見ているようだが俺はそうは思わん。裏でなにかがヤンすらも動かし銀河を掌握しようとしている」

「俺も同じ意見だ。今回の帝国貴族への交渉と言い、すべてをヤンがやったとは思えない。同盟の狙いはなんだ?」

「さぁな。それがわかったら俺はここにいないだろう」

そう言ってロイエンタールはおもいっきり苦笑した。

「大体戦争もないまま状況が定まっていく今の現状はなんだ?いくら我らが戦場に出れば負けなしの勇将揃いとはいえ肝心の戦場がなければ力を発揮できまい」

「真の敵の姿も様と知れない。あのトリューニヒトという俗物が真の敵なのだろうか?」

「あるいはな。少なくともフェザーンに対する一斉監査の手引きなどヤンの立場で出来るものか。ローエングラム侯もヤンばかりに気を取られているから見間違えるのだ。真の敵はヤンの別にいるはずだ」

「…だとして誰もその答えを知らない。我々は誰と戦えばいいのだ?」

「ミッターマイヤー卿、敵が分かりやすく我々の土俵で勝負すると考えない方が良い。俺はこう見るね。真の敵は最初から土俵に上がっていない。全く我々の知らないどこかで思い描くシナリオ通りに事を進めて世界を支配しようとしている。あのルビンスキーに似た、それ以上の策謀家が事に絡んでいる」

「我々はどうすれば良い?」

「…さぁ?神にでも祈るべきかもしれんな。今更何ができる?」

ミッターマイヤーは親友のその言には相槌は打たずに軽く手を振り、その場を離れた。

帝国国内は運送業種最大大手のフェザーン関連企業が次々と倒産したことで物資が滞り始めている。

そして一部の軍需には早くも不足する事態が起こり始めているのだった。

武器をもたぬ兵、餓えた兵ほど使えないものはない。

しかし、今回の戦さばかりは全ての艦に十分な兵装を詰めて戦場には送り出せないかもしれない。

対する貴族連合は公然と同盟の援助を受けれるのだから順風満帆と言ったところか。

軍需の調達の命を受けたミッタ―マイヤーだがその難しさは今までのどの任務より遥かに群を抜く。

物資の調達ラインというものは商人の生命線であり、彼らが彼らがその人生をかけて開拓するものである。

それを職業軍人のミッターマイヤーが、さぁ、今、ここで、即座にやれといわれて果たしてどれほど出来るものか…。

あるいは無茶苦茶を言う暴君に対して頓知の一つでも考えた方がいいのだろうか?

文句が言いたいのはミッターマイヤーもロイエンタールに同じであったが不得手と知りながらもミッターマイヤーにそんな事を頼まざる負えないラインハルトの困窮も彼の心情的には同情に値したのであった。

重臣中の重臣と言えるミッターマイヤーとロイエンタールですらこのありさまなのだから他の者については言うまでも無い。

平民に対するラインハルトの人気は相変わらずだが平民の間にすらラインハルトはここで終わりと言う見方が広がりつつあった。

帝王のカリスマの限界が来ている。

それをだれより感じているのはラインハルト自身であった。



◇◇◇◇◇



キルヒアイスがラインハルトのもとを訪れたのは会議が終わってすぐのことであった。

「ラインハルトさま。重大な知らせがあります」

「なんだ?まだ何かあるのか?」

「はい、とても重大な。重要な報告です。その前に一人の女性を紹介したいのですが…」

「なんだ。お前、紹介したいって、姉上以外の女性と浮気でもしたのか?まさか俺に姉上に説明しろとでも?そんな事、おれに頼まれても…」

全く見当違いの心配をするラインハルトにキルヒアイスは咳払いをした。

「彼女は危険を返り見ず我々にとって非常に有益な情報を持って来てくれたのです。フロイライン。こちらに」

「はい。初めてお目にかかります。私はヒルデガルド・フォン・マリーンドルフと申します。今日はお願いしたい事があり参りました」

「願い?なんだ?願いとは?」

「閣下、銀河を!この銀河を手にして下さい!私は貴方こそが銀河の主君に相応しいと考えます。他の者にこの銀河の命運を握らせてはなりません!!」

「そんな事…当然であろう」

ストレート過ぎる少女の願いにラインハルトはやや気後れを感じた。

歯切れの悪いその台詞からも伺えるように彼自身、もはやそれを当然と思っていないことは明白であった。

「ラインハルトさま、この映像を見てください。彼女が小型のビデオを使い、リップシュタット盟約の一部始終を映したものです。」

「…!!貴方はあの盟約に参列したのか?」

驚きの言葉がラインハルトの口から飛び出た。

それは彼をして喉から手が出るほど欲しかった情報である。

「はい。父のコネを使い参加しました。ただ生体部品を使ったビデオ一つを会場に入れるのが精いっぱいでした」

「…良く見つからなかったね。身体検査は入念に行われただろうに、どうやって隠したのだい?」

好奇心からラインハルトはそれを聞いたがなぜかヒルデ嬢は顔を赤くした。

「そ、それは女性特有の隠し場所にです…。詳しくはその申し上げにくいのですが…」

「…馬鹿な事を聞いた。非礼を許してほしい」

滝の汗をかいてラインハルトは詫びた。

聞いてはいけないことだったらしい。

「とにかく画面を確認下さい」

「ああ」

ラインハルトはキルヒアイスとともにリップシュタット盟約の一部始終を確認した。

「これが確約書か!!」

リップシュタット盟約は為されたが具体的な宣言は未だ無かったのだ。

その内容は実は今まで公表されていない。

彼等はその内容を伏せているのだ。

その理由は分からないが、同盟が関係している事は確かだった。

ラインハルトは眼を大きく見開いてその場面を見届けた。

密約が交わされた確かな証拠映像である。

「この映像が流出すれば同盟の現政権に明確な打撃を与えられるのではないでしょうか?」

確かに現政権が帝国側に位置する勢力と親密な関係にあることが発表されれば、これほどスキャンダルな出来事はない。

「ああ、その可能性は確かに高い。同盟が混乱し、その協力がない状態ならブラウンシュヴァイク公ごとき俗物この俺の敵ではない!!」

ラインハルトが一気に生気を得た顔で声をあげた。

起死回生の一手を見つけた気分だった。

「どうでしょうか?私はそうは思いません。ラインハルトさま、事態はより深刻さを増しました。見てください、この一文を」

キルヒアイスは深刻な面持ちで確約書の一文を示した。

「なんだ?一体?神聖銀河共和国?新たなる盟主ブラウンシュヴァイク公?ともにゴールデンバウム王朝を打倒し…!!!!!」

ラインハルトはついに敵の仕掛ける真の詭計の内容に気が付き、衝撃を覚え絶句した。

「とんでもないことだ!!!まさかこんな馬鹿な事を!!」

怒りに顔を真っ赤に染めてラインハルトは吠えた。

「この俺を馬鹿にしたな!!誰がゴールデンバウム王朝の正統なる後継者だ!!連中め!ゴールデンバウム王朝の看板を俺より先に降ろしやがった!!!」

そこにはブラウンシュヴァイク公がゴールデンバウム王朝を廃し、貴族議会による共和制を始める宣言が書かれていたのだ。

「これでは閣下が一方的に悪役になってしまいます。どうしましょう?」

キルヒアイスはむしろ挑むような面持ちでラインハルトを見た。

ラインハルトは戸惑った声を上げるしかなかった。

「…俺は今の段階でエルウィン・ヨーゼフ二世を排斥することはできない。彼を排斥すれば討伐戦争としての戦争の正当性を失ってしまう。それでは戦いに臨むことすらできないのだ…」

「つまりゴールデンバウム王朝の正統なる後継者である皇帝の後見人としてこの戦いに臨むと?それで本当によろしいのですか?」

なんという矛盾なのだろう。

誰よりゴールデンバウム王朝を嫌悪し、排斥を願うラインハルトがついには最後までその看板を掲げて戦う羽目になろうとは。

ラインハルトは凄まじい怒りとそれを超える失望感に全身を苛まれていた。

その様子を見て、キルヒアイスは目を閉じた。

そして真剣な口調で友にして主君たる男に意見を述べた。

「具申します。いまこそクーデターを起こしラインハルトさま、御身が玉座に就くべきです。戦争の正当性などもはや二の次です。私はこの戦は貴方が王でなければ勝てぬとそう考えます。なにより民の心がブラウンシュヴァイク公に奪われては万に一つも勝ち目はないと見ます。いまこそ王となるべきです!陛下!」

「そうか…お前はそう言ってくれるのか。キルヒアイス!」

ラインハルトはその進言を深く心に刻んだ。

続けてヒルデ嬢がラインハルトに進言した。

切実な思いを込めた声であった。

「ラインハルト様。メルカッツ提督と私の会話を思いだしてください。神聖銀河共和国はブラウンシュヴァイク公は売国奴です。このままでは銀河の命運は同盟に完全に握られたしまいます。このままではきっとこの銀河は同盟に良いように利用させ搾取され続けます!そんな事はゆるされませんわ!私はこの状況を打開できる存在は貴方以外他にいないと考えます!私からもお願いします!!陛下!!」

「…君は真に帝国を憂いているのだね。確かに同盟の思い通りというのは帝国にとって全く良い事にはならないだろう」

ラインハルトは決意した。

無様な戴冠だが仕方がない。

クーデターを起こし王権を得、確約書の内容を見せ同盟と神聖銀河共和国を弾劾する。

それが今のラインハルトにできることに精一杯の抵抗に違いない。

「分かった、俺はこの銀河に王として今こそ立ち上がろう!」

無様でも王として立つことを決めたラインハルトは晴れ晴れとした顔をみせていた。

その顔を見てキルヒアイスとヒルデ嬢は確信した。

帝国はこれで息を吹き返し勝利を得るはずだ。

その確信をラインハルトの覇気に見たのだ。

しかし、その時だ。ラインハルトの決意を邪魔する音が響いた。

「閣下!!」

「どうしたオーベルシュタイン?」

オーベルシュタインが火急の勢いで執務室に入って来たのであった。

「大変です!!ソリビジョンをご覧ください!!」



◇◇◇◇◇



同盟、そして帝国の全土においてその発表は流された。

新たな時代の幕開けを宣言するあまりにも大きな意味を持つ宣言であった。

まず画面が映したのはブラウンシュヴァイク公であった。

彼は饒舌に語り始めた。

「親愛なる銀河の隣人よ。

私はブラウンシュヴァイク公オットーである。

昨日のことである帝国皇帝たるフリードリヒ4世が崩御した。

彼の者の放蕩をよく知る帝国の者は多いだろう。

彼は多くの様々な意味で人心を欺きこの銀河に少なくない混乱と戦乱をもたらし、結果多くの無辜の人命が銀河の露と消えた。

このように傍迷惑な混乱を齎す皇帝と言う存在がはたして真に理的な存在と呼べるのだろうか?

我々は内省と共に今一度深く考えなければならない。

私たちはその愚を反省し、一つでも多くの声を聞きそれによって国家を運営していくべきではないかそう考えるのだ。

我々は王を抱きながらも新たに貴族議会を創設し、議会の運営を持ってより多くの意見を取り入れながら新しい銀河の形を模索していこうとそう考えた。

その画期的たる歩みに自由同盟の議会も少なからず協力を宣言してくれることになった。

私は初代貴族議会議長としてここに神聖銀河共和国の誕生を宣言する!

さぁ、共に新たなる銀河に歩みを進めようではないか!

我らの新たなる夜明けを祝して!」

続いてソリビジョンの画面が切り替わる。

其処にはトリューニヒトが真剣な面持ちでマイクの前に立っている。

「親愛なる同盟の皆さん。そして銀河に住まう全ての方々。

今日はこの同盟議会において歴史的に見て重大な決定がなされた事実についてお話したい。

知っての通り、先刻、帝国領内ではブラウンシュヴァイク公が新たな国家の誕生を宣言した。

これは我々にとっても大変に喜ばしいことである。

なぜなら彼等は我々をついには賊軍としてではなく自由同盟として正式に認めたのである。

これは長きにわたって虐げられてきた我々が不断の努力の結晶としてついには勝ち得た偉業であろう。

我々の銀河はついに新しい世界、段階へとその歩を進めたのである。

これからの世界、それはあるいは調和と共生を謳う素晴らしい時代かもしれない。

我々は長い歴史の中で帝国に虐げられ、その侵略と侵攻の歴史から常にその身を守ってきた。

彼等はなぜ一方的に我々をなんの理由も無く虐げ攻めて来ることが出来たのだろうか?

それは簡単だ。

彼等は我々を賊軍と称し我々に国家の体を認めようとはしなかった。

彼らにとって我々との戦いは戦争では無く反乱分子の鎮圧行為であった。それゆえに彼等は非情なる侵略行為を常に正当化し続けてきたのである。

しかしこれからは違う。

我らは彼らと国として対等な立場の存在として外交を始めることができるのだ。

君たちの中には戦争によって親や子、そして友人や恋人を失ったもの達が多くいるだろう。

私も多くの友を失った。

確かに帝国は憎い。中にはブラウンシュヴァイク公の共和国も同様に憎いと考える者も大勢いるかもしれない。

しかし、だ。

ラインハルト率いる正統帝国軍は今もなお同盟を賊軍と見なし、我々を国家として認めず鎮圧行為と称して話し合いもせず、殺し合いに来る蛮族のごとき連中である。

それに対しブラウンシュヴァイク公は新たな国においては彼等は同盟とともに銀河に共生しようと宣言しているのだ。

我らが真に敵と見るべきはブラウンシュヴァイク公の創る新たな国か?

それとも旧時代より延々と我らを虐げてきたゴールデンバウム王朝を正統に襲名するあの憎き帝国軍か?

それは火を見るより明らかであろう。

我々を友と見るブラウンシュヴァイク公の親政と共和国制は真に先進的であろう。

かつて帝国のその支配に意を唱え銀河の海を渡り、同盟の光を起こした我らが偉大なるハイネセンを考えてほしい。

彼は苦闘を乗り越え新たな国を起こした。

そしてブラウンシュヴァイク公、彼もまた微力ながら次の輝かしい銀河の為に帝国に戦いを挑む反乱者なのだ。

その挑戦を見て彼もまた我らの同胞だと言えないだろうか?

強大なる帝国に挑むためには多くの困難が生まれる。

彼もまたハイネセンのごとき、苦境に立たされているのかもしれない。

我々のすべきことは何なのか?

善き先達として隣人として彼らに手を差し伸べることこそ我らが本懐ではないか?

もし、そうであるならば我々は彼らに手を差し伸べその門出を協力し、共ににくきあのゴールデンバウム王朝を打倒しようではないか!!

我々自由惑星同盟はブラウンシュヴァイク公の政権の正当性を認め、これを正当な国家として認めると共に外交を開始することをここに宣言する!!」



◇◇◇◇◇



ヤンはこの宣言を興味深くイゼルローンの自らの部屋で友人たちとともに見ていた。

「さすが、安心のルーアン・クオリティーだな。この宣言には様々な意味がある。分かるかな?ユリアン?」

「ローエングラム侯が一人銀河の敵になってしまいました」

「正解。しかもこれで彼は完全に新しい制度、王朝を目指す施政者からゴールデンバウム王朝のカビの生えた利権を守護する守護神にレベルアップした訳だ。彼には是非おめでとうと拍手を送りたいね。彼は皇帝を擁し戦う限りもはやゴールデンバウム王朝の正統後継者という看板を降ろして戦う事は出来なくなった。だって敵である同盟がそれを公式に認めてしまったのだからね!」

ヤンはラインハルトの心中を察し居た堪れない思いだと呟いた。

無論、嘘だが。

「新しい国家の構築とゴールデンバウム王朝の打倒と言う二大看板を失ったわけですね。ブラウンシュヴァイク公に完全にお株を奪われてしまいましたね。彼がかわいそうです」

全然かわいそうに思っていない口調でユリアンは言った。

「しかし良くゴールデンバウムの看板を下ろしましたね。まして共和国などと…」

「彼等はただ看板を挿げ替えただけだ。看板なんて貴族による支配で利権が確保できるなら何でもよかったのさ。それに共和国とは上手い方便だね。貴族が利己的に結び付くためには最高の制度ではないのかな…。同盟の協力と共和制における今後の利権という軸があれば彼等はもはやゴールデンバウム王朝と言う看板を必要としない訳だ。彼等はあくまでゴールデンバウム王朝の権威的なものに頼って一本化しようと思っていただけでその看板自体には何の魅力も感じていないからね。降ろせるなら降ろすさ。そしてゴールデンバウム王朝の看板を下げることの効果は絶大だ。外交において新たな国と見なさないから同盟に戦責を負わず外交できる上に凄まじく平民の受けが良い。今にローエングラム侯ラインハルトよりブラウンシュヴァイク公の方が平民の人気を勝ち取るだろう。それが一時的なものだとしてもだ。それにしても彼の筋書きは面白いな。あのブラウンシュヴァイク公とこのトリューニヒトが天下の大英雄になるのだからね!」

「そしてこのヤンが元帥となった。いやぁ、世も末だな。なぁユリアン」

「まったくもって同意します。キャゼルヌ少将」

ヤンの軽口にユリアンとキャゼルヌが反撃をし、成功させた。

このヤン呼ばわりされたヤンは一瞬黙ると憮然とした顔で話を続けた。

「…。まぁいいがこれで同盟は正式に帝国のお家騒動に参戦する口実ができたわけだ」

「戦争が起こりますね」

「ああ、でも同盟にとってはここから先の戦いはすべてボーナスゲームだ。残念ながらね」



◇◇◇◇◇



帝国将校は全員が巨大なソリビジョンの前に集合しており、今の宣言を見ていた。

深い沈黙が場を支配していた。

ソリビジョンを見、誰もが押し黙る中ラインハルトは悠然と立ちあがった。

「閣下」

「陛下と呼べ、オーベルシュタイン。すぐにそうなるのだ。もはや遠慮はいらない。確かに連中の先制攻撃は見物で俺の命運は如何にも尽きたかもしれんな」

しかし、それを詰まらなそうにラインハルトは笑った。

「だったら俺は奴らの仇敵たる王となるまでだ。共和制?笑わせるな俺自身が真の覇王になれない制度などに興味はない。俺は誰だ?ミッタ―マイヤー」

「ラインハルト陛下です。この銀河で唯一王となるにふさわしいのは陛下のみです」

「そうだ。オーベルシュタイン。リヒテンラーデとエルウィン・ヨーゼフ2世を捕え幽閉しろ。事が終わり次第、俺は誰の手にも寄らず、俺のこの手で戴冠を得る」

ラインハルトの宣言にオーベルシュタインは神妙な面持ちで頷いた。

「分かりました。陛下の望むままに」

「俺はこの銀河を手に入れる。そのためには戦いしかない。戦場で全てのけりがつくのであれば俺に負けは無い!!ついてこい!!」

敵の宣言は成された。

今こそラインハルトはその才能と覇気をぶつけるべき相手を見定めたのだ。

それが万に一つしか勝てない相手ならその万に一つを拾ってこその覇王であろう。

何より今のラインハルトには月の守護神と勝利の女神すらついているのだ。

親友の思いと彼女の願いこそがラインハルトに新たな力をもたらしていた。

「俺は王になる。そして銀河をてにいれるのだ!」




◇◇◇◇◇



「御大はあのくらい元気があった方が良い。生き返ったようではないか」

元気があり過ぎるくらいだと苦笑しながらロイエンタールは笑った。

今からの戦いを思えば悪い事では無い。

「我々は勝てると思うかロイエンタール卿?」

不安げなミッターマイヤーを見てロイエンタールは苦笑した。

「愚問だな。らしくないぞ、ミッターマイヤー卿。勝ってと言われては勝つ以外に道がないではないか。我々はこれからただの一度も負けることは許されぬ戦いに挑むのだぞ?」

「…確かにな。しかしこうも次から次に無理難題を押し付けられるとは…」

「無理難題か?」

「ああ、無茶苦茶だ。しかし…」

「そうだな。確かに間違いなく…」

「「面白くはある」」

そう言って帝国の双壁はともに破顔した。



◇◇◇◇◇



「今回はカードを切るのが早かったな。もうすこしもったいぶって良かったのではないか?」

「まさか。遅すぎたくらいです。貴族連合などと言う烏合の衆が相手では密約が機密に守られるとは思いません。漏えいの危険性を考えれば可能な限り早く公的に宣言する必要があったのです」

「確かに事前にばれては面白くはない。しかしそれでも私の最近の支持率を考えればそう恐れる事態でもあるまいがな」

「それでも帝国の方の平民の心情を察すれば上手いタイミングを逃す訳にはいきませんよ」

ルーアンはそう断じたが確かに同盟に関してだけ言えばもう憂いは無い状態であった。

トリューニヒトの議会を支持する同盟国民はなんと90%を超えた。

フェザーン特需によって失業率の完全なる解消に加えて福祉やインフレも次々と整備されかつてない好景気が同盟を席捲していた。

同盟の一議長で在りながらトリューニヒトはすでに独裁者に比肩するほどの権力を握っていたのだ。

「さて小僧はどう動くかな?」

「そうですね。開き直って自ら皇帝になるのではないでしょうか?実際そのくらいのやる気は当然と期待しています」

ルーアンは詰まらなそうにそう呟いた。

「それで我々はどうする?」

「特にすることはないですね。個人的には我々が出て行くまでは帝国には共和国に勝っていただきたいのです。私たちが究極的に狙うのは帝国と共和国が帝国領を絶妙なバランスを保ち国家として存続することです」

「確かにそれが一番なのは間違いない。あのゴールデンバウムの時代の狭い銀河ならともかく今の銀河は広すぎる。距離の暴虐。あるいは距離の防壁を考えてもだ。同盟だろうが帝国であろうが全銀河を掌握すると言う行為は無茶が過ぎる。もし万が一あのラインハルトが全銀河の覇権を得たとしてその支配の期間はどれほどであろうな」

「まぁ、半世紀持てばいいのではないでしょうか?そもそもゴールデンバウムが長く持ったのは同盟があったからこそです」

ルーアンはそう断言し銀河の地図を見た。

「人民の意思が統率されるには敵の存在は不可欠です。我々にはむしろラインハルトと彼の帝国と言う存在こそ必要でしょう」

「ふむ、では彼らがせいぜい我らの同盟の為に頑張って健闘してくれることを期待しよう。我々は彼を過小評価していないからこそ、ここまでの状況に追い詰めたのだからな」



[31521] 銀愚伝4 
Name: 空乃無志◆90014c13 ID:91dc2ff1
Date: 2012/02/20 21:39
「カレンシースワップ?…ではないよな」

ヤンは唸った。これはどう表現するべき政策なのだろうか?

所謂、通貨スワップでは正確にはないようだが。

同盟はライヒマルクに紙幣価値を認めていない。

大体ライヒマルクの増刷所は帝国に抑えられている。

敵国がその気になればいくらでも刷れる、そんな紙幣を2国間貿易で使う馬鹿はいない。

一方、共和国の技術力では偽札対策を十分に施した新貨幣の造札には時間がかかる。

このままでは共和国との取引に支障を来たすのだ。

そこでトリューニヒトは使用期限付き政府発行紙幣を刷って、一定レートでの共和国の保持するライヒマルクとの交換に応じたのだ。

この政府発行紙幣の有効期限は5年と決まっており、5年後までには同額の共和国紙幣との交換が叶う仕組みだ。

万が一、共和国が交換に応じれない事態に陥っていた場合はその効力は延長となる。

「面白い政策だと思うけどね」

ディナールは多少のインフレになるのかな?

いや、共和国の経済実態が伴った増刷だ。

それならインフレーションはあまり起こらないかもしれない。

「すでに交換は始まったみたいですね」

ユリアンの言葉にヤンは頷いた。

「ユリアン。おそらく同盟の狙いは経済協力なんかじゃない。分かるかい?」

「え?」

ヤンは笑った。

「今に、とんでもないことが起こる。今までで最悪の酷さだ。なるほど、ルーアンは酷い奴だ。だが真の知略とはこういうものなのだろうな…」

彼は目を細めた。



◇◇◇◇◇



戦争の始まりは近い。

日に日に準備が整いつつある中、皇帝の下に一人の少女がかけて行った。

ヒルダである。

彼女は皇帝と会うや、切り出した。

「陛下。やはりこのままでは宜しくありません」

ヒルダの言葉に皇帝となった男、ラインハルト・フォン・ローエングラムは戸惑った顔を見せた。

ヒルデガンド・フォン・マリーンドルフはこの度、皇帝主席秘書官となった。

「フロイライン・マリーンドルフ。宜しくないとは一体、何の話だ」

「同盟の事です。このまま、彼らを自由にしたままに共和国と戦争をしたところでおおよそ勝てるものではありません」

たしかに。

自由同盟が変幻自在に戦場に現れるようでは、共和国にどんなに勝ってもその勝利はリセットされる。

「ならば、俺は同盟の救済の手が伸びるより早く共和国の息の根を止めてくれる」

「しかし、陛下、我々が共和国を討ち滅ぼさんとすれば、まさにその時、ヤンはこちらの何倍もの武力を率いて戦場に現れるはずです」

「ならば、ヤンが現れるより早く仕留めてくれる」

「しかし、陛下、共和国の軍勢は我が方の二倍です」

「そのようなことは問題ではない。ヤンが居たアスターテですら、俺は二倍の相手を倒してみせたのだ」

ラインハルトは自信に満ちた言葉を発した。

その言葉はどこまでも力に満ち満ちている。

しかし、ヒルダは首を振った。

「陛下、共和国軍の二分の一は我々の限界の兵力です。戦いに全力を傾ければオーディンは丸裸です」

同盟に其処を狙われればどうなる。…どうにもなるまい。

「フロイライン。それでも戦争はしなければならない。連中を野放しにしておけないのだ」

ヒルダは決意を帯びた顔でラインハルトに言った。

「陛下。私が同盟に向かいましょう」

「何!?」

ラインハルトは目を見開き驚いた。

「此度、同盟は大勝を得ました。同盟は民主主義国家です。同盟の民衆は勝利に浮かれ、これ以上の浪費、戦争行為を忌避しだしています」

自由同盟では厭戦ムードはさらに高まっている。

議会も軍縮の決定が続いている。

「なにより同盟の民衆は気質としてロマンチストです。共和国が受けた理由も其処にあります。私が涙ながらに同盟との講和を申し出れば、同盟の世論は揺れるはずです」

「フロイライン。そのような三文芝居をさせるために貴方を招聘したのではない」

同盟などにフロイラインを行かせたくない。

なぜか、そう思った。

しかし、彼の中の男の部分がそれを思わせているのだと彼自身、ついぞ気づきはしなかったのだが。

ヒルダは言った。

「ですが、講和の使者は必要です。そして陛下は彼の戦場に向かわれる中、一人でも多くの武将をお手元に留めたいはず。私が適任です」

「それは。しかし…」

ラインハルトは黙った。考える。

勝算は本当にあるのか?

しかし…そう…、やはり必要なことだと気づいた。

そして、ラインハルトもまた腹を決めた。

「分かった。フロインライン。よろしく頼む」

「ありがとうございます!陛下!」

彼女が下がった後、ラインハルトは人を呼ばせた。

「キルヒアイスを呼んでくれ」

ラインハルトはこの二人を同盟に講和の使者として送りつける事を決めたのだ。

彼と彼女なら信用できる。

きっと必ずや同盟を止めてくれることだろう。

そうなれば、ラインハルトは何の憂いもなく共和国を打倒できるはずだ。

「彼らはたった二人だが、この帝国の半分に等しい。必ずや同盟を止めてくれるはずだ」



◇◇◇◇◇



「キルヒアイス卿とフロイライン・マリーンドルフが講和の使者として同盟に参るそうです」

「くく、何もかもお前の言うとおりだな!」

トリューニヒトは愉快そうに笑った。

「そうでしょうか?たしかにフロイラインが来ることは予想しましたが…」

キルヒアイスまで送りつけるとは…。

なるほど、皇帝は相当に本気である。

まぁ、良いか。

「もとより今回の戦いでは帝国に大勝してもらわなければなりません」

ルーアンの言葉にトリューニヒトは頷いた。

「そうであったな。そうであった」

トリューニヒトは芝居がかった仕草で使いの者に命じた。

「御二方を盛大に歓迎してやれ」

トリューニヒトの言葉に使いは頷き去っていった。

「さて、もう大詰めだな。どうするルーアン」

「もう特になにも考えていませんよ。閣下」

彼をして全ての仕掛けはし終えたという事だろう。

「帝国も共和国もやはり残すのか」

「はい、それが宜しいかと思います」

トリューニヒトは苦笑した。

「まぁ、私としては全銀河を取ってしまっても別に構わないがな」

肥大した軍需産業の落とし所を考えるのは大変そうではあるが。

それに結局のところ一種のガス抜き装置として共和国も同盟も残っていた方が自然なのだ。

そう自然に考えられる当たり、今のトリューニヒト自身、以前ほど銀河統一政府の初代国家元首になるという夢にとりつかれているわけではない。

あるいは枯れてしまったのかもしれない。

すでに十分銀河をコントロールできるだけの権限を得た。

しかし、銀河を得てしたい事が特にあった訳でもなかった事に気がついた。

怪物は漸く満腹に至ったのだ。

彼は苦笑した。

「これが終わったら英雄として引退しようかな。良い幕引きだ。政治家は華々しく引退してこそ伝説になれる。散ることを惜しまれてこその美しい華だ」

そう言いながらトリューニヒトは秘蔵のワインに手を伸ばした。

410年産のワインである。

少し早いが勝利の美酒を楽しもうとそう思ったのだ。

「素晴らしいと思います。私も十分楽しみましたし十分稼ぎました。のんびりこれからの世界を眺めて余生をすごそうと思います」

実際この二人はフェザーンを転覆させる際の一種のインサイダー取引で巨万の富を得ている。

稼いだ金額から考えて余生が一万年続いても豪勢に暮らせるはずであった。つまり問題は何もない。

「君は若いのにな。私より年寄りに見える」

銀河の全てを喰い尽くした男たちは愉快そうに乾杯をした。

さて次の時代はどのように進むのだろうか。

案外あの未熟なジェシカが次の政権をとり、対話による真の和平が実現するかもしれない。しないかもしれない。

まぁ、可能性はあるだろう。

しかし、すでに今後の銀河の行く末など彼らにとってどうでもよかった。

遊び尽くしたゲームに興味など無かったのだ。



◇◇◇◇◇



ジークフリード・キルヒアイスの同盟での好感度は非常に高い。

多くの同盟国民の心に彼が笑顔ながらに彼の英雄ヤン・ウェンリーと握手を交わして捕虜の交換に応じた様子が残っているのだ。

そもそもラインハルト自体が猛烈な人気を誇っている。

何かに熱狂する女性ファンと言う生き物は女心が第一で、国際的な関係などと言うものはそれこそ『どうでもいい』らしい。

いや、逆に敵というのが燃えるらしい。

敵国なのにブロマイドや写真集が飛ぶように売れるのだ。

キルヒアイスが上陸したフェザーンの空港には出待ちのファンが10万人を超えたというのだから実に呆れる。

さらに彼がハイネセン入りしたときには実に100万人を超えたという。

『貴公子旋風』と新聞各社は書き立てた。

新星フロイライン・マリーンドルフも人気では負けていない。

彼女にも熱狂的なファンが付いて、『ヒルダ姫』と呼称がついたらしい。

とにかくあまりの熱烈歓迎に二人は顔を見合わせて嘆息した。

とにかく、自由同盟は予想以上に春を謳歌している。

悪く言えば平和ボケだ。

なんせ企業も民衆も儲かって仕方がない。

フェザーンもイゼルローンも抑えて憂いが無いし、彼らは平和という美酒に飽きることなく酔いしれていられるのだ。

そもそも彼らの宿敵ゴールデンバウム朝は跡形も無く消滅した。

これは歴史的大勝利だと同盟国民は思っている訳だ。

精神的、経済的な豊かさは人を大らかにするらしい。

いずれにせよ、お祭り騒ぎの中に現れた美しい異邦人を彼らは非常に熱く歓迎したのであった。



◇◇◇◇◇



「なに?金髪の孺子めが同盟と和平だと?」

「議長、どうなさいますか?」

ブラウンシュヴァイク公は目を細めた。

彼はてっきり血気はやるラインハルトの事だからそちらから向かって来てくれるだろうとばかりに待ち構えていたのに一向に攻めて来ない。

ばかりか、いつの間にやら同盟と講和を結ぶなどと言い出した。

(拙いな)

ラインハルトは電撃的にクーデターを成功させた。

そしてゴールデンバウム王朝を廃し、新しい国を作ってしまった。

まさかと思い、同盟に確認すると新生帝国と旧帝国とはどうも『別の国』という認識なのである。

完全に別とも言い切れないが一緒ともいえない。

あれだけ、堂々と宣言しておいてぬけぬけとそう言う。

狸め!

こういうところがトリューニヒトという政治家の恐ろしいところなのだ。

同盟と共和国の経済的な協力関係は続いているがどうも戦争の協力に関してはどうも「あやふや」になってしまったのだ。

まぁ、同盟の協力など無くてもあの小僧ごとき怖くはないのだが。

しかし、メルカッツの言う100%の勝利は疑わしくなってきたのも事実だ。

何をするにも同盟のさじ加減一つと言うわけだ。

ところで同盟があれほど憎んだゴールデンバウム王朝だがそれに止めを刺した英雄は誰なのだろうか。

とある同盟人は半分をブラウンシュヴァイク公が、残り半分をラインハルトが刺したと言った。

つまり、ラインハルトも実のところ、同盟にとって、「英雄」なのだそうだ。

その辺のところがどうにも宜しくない。

万が一、長期化するような事になれば圧倒的な優勢が揺らぐかもしれない!

是が非でもここで息の根を止めねば!

「メルカッツを呼べ、積極的攻勢に打って出るぞ!」



◇◇◇◇◇



「すでにゴールデンバウム王朝はありません。我々は敵対者ではないのです」

視聴者に必死に訴えるヒルダ。

「なるほど、確かに我々があなた方と講和は結ぶ上で過去の軋轢は無い様ですね」

対談の相手はこの同盟の著名な戦争評論家らしい。

「しかし、今回のアンバサーであるミス・マリーンドルフ。貴方たちは同盟が出した条項にサインを為さらなかったではないですか」

最初に同盟議会が提示した和平の条件はおおよそ容認できるものではなかった。

それは大きく。

0、前提として自由同盟を正統国家として認めること。

1、共和国と即時停戦すること。

2、自由同盟と帝国はお互いを最恵国として、全ての貿易を制限しないこと、また全ての貿易品に関税をかけることをしないこと。

3、帝国から同盟への亡命や移民を制限しないこと

4、互いの文化、特許権、著作者権等の知的財産を保護しあうこと

5、お互いに宗教、言論の自由を認め保護すること

となっていた。

正直、これでは難しい。

今から戦争したいのに共和国に手を出せないのは難しい。

他の毒素条項についてはこの際目をつぶっても良い。

「せめて一について再考して欲しいのです。我々は現実問題、共和国とは戦争状態にあるのですから」

「しかし、我々はすでに共和国と協力関係にあります。そして、帝国の前身がゴールデンバウム王朝である、これは無視できない」

「我々は決してゴールデンバウム王朝の後継者などではありません!」

フロインラインは声を荒げた。

半分は演技だ。これはソリビジョンの出し物なのだから役者はピエロになる必要もあるのだ。

「しかしフロイライン。我々の中にも未だ帝国の銀河に住む方々を許していない者は大勢います」

「それは」

それを無視することは出来ない。

やはりラインハルトを憎む人間は相当数に上る。

とくにアスターテで皇帝が成し遂げた戦果が逆に首を絞めてくる。

「やはり、お互いが手を取り合って平和的に話を進めるべきではないでしょうか」

「しかし、我々帝国は今、共和国の脅威に晒されているのです」

ヒルダは涙ながらに語った。

「わが国は共和国にしてみればもはや弱国。その上、同盟にまで敵視されればこの銀河で生きてはいけません」

「共和国が和平を貴女方と結ばれる可能性は?」

「それは無いでしょう」

きっぱりと言い切ったヒルダに相手方のコメンテーターは困ったような顔で言った。

「ふむ、それは難しい…」

その後は終始和やかなムードで対話は続いた。

趣味の話や理想の男性の話なぞもさせられたが、リップサービスは必要だろう。

とにかく、テレビに出ることも今回の仕事の一環だ。

世論の評価は悪くない。

条項が議会の賛成を得て通る公算は高い。

そのとき、キルヒアイスから通信が入った。

キルヒアイスはなにやらお笑い芸人とバラエティーに出ているらしい。

彼はヒルダに比べても、よほど顔が厚いらしく、終始笑顔を絶やさず、ドラマにバラエティーに引っ張りだこだ。

「はい、ヒルダです」

「キルヒアイスです。実はラインハルトさまから連絡がありました」

「というと?」

「一つ条件付きで例の条例にサインしろとのことです」

一つ?一体なんだ。

「どんな条件ですか?」

「1の条項に関して、即時停戦を認める代わりに共和国側からの宣戦には応じても良い。その場合は講和を継続すると書き加えろと…」

ヒルダは目を見開いた。

「なるほど、それなら同盟に手を出させずに共和国を討ち滅ぼすことが出来ます!」

むしろ、帝国の息の根を止めたいのは向うの方なのだから。上手く行くかもしれない。

そして、二ヵ月後、実際にこの修正案は議会で了承され、同盟と帝国は講和を結ぶことが決まったのである。



◇◇◇◇◇



同盟と帝国の和平が成立した。

その事実は衝撃となって共和国を襲った。

共和国は見捨てられたと感じたのだろう。

実際のところ、戦争の即時停止を求める今回の講和は共和国を見捨てたものとは違うのだが。

怒れるブラウンシュヴァイク公はトリューニヒトに通信で怒鳴りつけた。

トリューニヒトは、

「私は貴殿を助けたいのはやまやまなのですが、同盟は民主主義国家だ。民意は無視できない。同盟の民は平和を望んでいるのです」

と釈明した。さらに彼は、

「我々は貴殿らへの経済協力を惜しみません。ご安心ください。同盟と帝国は条約を締結しましたが、同盟と帝国の貿易市場の正式な開放は為替相場の方法も含めて来年に持ち越されました」

と述べたので漸く、ブラウンシュヴァイク公は溜飲を下げることが出来た。

同盟の八方美人ぶりにはいささか食中毒気味になったが連中を敵にはまわせない。

ならば、早く帝国を仕留めねば拙い。

彼は早期の決戦を一度は「時期早々」と拒否したメルカッツを再度呼びつけた。

ブラウンシュヴァイク公の再三の要請に、ついにメルカッツは、

「こうなっては仕方ありません」

と重い腰を上げたのだった。

それから、しばらくしてメルカッツ率いる共和国軍がガイエスブルクを出、帝国の境界を越えて進軍しだした。

明らかな領海侵犯である。

「ついに来たか。待ちわびたぞ!」

この状況を聞いたラインハルトは気迫に満ちた声をあげた。

帝国暦489年。宇宙暦798年。10月23日。

アルテナ星域。

史実から遅れること一年と半年。

ついに後の世に伝わるリップシュタット戦役が始まるのだった。



◇◇◇◇◇



最初の一週間。互いの大軍は犇めきあって見合った。

ブラウンシュヴァイク公の陣営は約3100万人、約21万隻。

原作では2560万(艦隻数は不明ながら16万~18万程度だろうか)とあるから二割近く増えたことになる。

動員された人員のみをみれば、これは皮肉にもあのアムリッツァ星域会戦とほぼ一緒の数である。

対する皇帝ラインハルトの率いる陣営は約1600万人、約11万隻。

アムリッツァ星域会戦が行われなかった事もあって帝国にはこれだけの兵力があったわけだ。

お互い、さぁ来い、さぁ来いと睨みあったが中々動かない。

メルカッツはとにかく気が流行る貴族どもを押さえつけた。

「我々の狙いは正面から帝国を向かえて消耗戦をすることだ」

ラインハルトにもメルカッツの狙いは分かっていた。

「奴らは一種の乱戦を考えている。21万隻をわっと襲わせて、無様に殴りあう気なのだ。お互いに消耗が大きくなるがどうやっても勝ちに拘るなら最善手だ」

戦術が機能しなくなる混戦になれば、ものを言うのは数の暴力だ。

そうなれば、帝国の負けは見えている。

メルカッツとしてはいかにも不本意な戦術ではあった。

しかし、さすがの彼にも3100万人の将校を一人で完全にコントロールすることは難しい。

シュターデンとファーレンハイトがいても当然、厳しい。

しかし中途半端に策を弄し、ラインハルトの知略に翻弄されれば、たちまち数を減らされてしまう。

彼が暖めていた戦術構想は待ちぶせて誘き出し、消耗を誘い、完全に参ったところを討つというものだからどうにも「拙いことになった」と頭を抱えた。

しかし、すぐに頭を切り替えて別の案を模索しだした。

同盟が和平を進めいている状況にブラウンシュヴァイク公を痺れを切らしたこと事態は仕方の無いことなのだ…。

(他に案が無いわけではない)

とある秘策を胸に秘めてこの場に臨んでいる。

その秘策がある意味において、この混戦なのだが、ラインハルトはそれを見抜いた。

「ふん、ご所望とあらば混戦でも構わない。各将校と繋げろ」

ラインハルトは銀河を挟み動けない状況を動かすべく、各将と通信をつなげた。

ミッターマイヤー、ロイエンタール、ケンプ、ビッテンフェルト、メックリンガー、ワーレン、ルッツ、レンネンカンプ、アイゼナッハ、ミュラー。

万が一を考えてオーベルシュタイン、ケスラーを置いてきたが早々たる顔ぶれだ。

ラインハルトを含めて11人、丁度良い。

「卿らに一人に一個艦隊に僅かに満たない1万の隻を与える。そして11個のブロックを作る」

「戦力を分断するのですか?」

戦力分断は愚の骨頂だ。

「そうではない。一つの戦場で21万隻が無計画に攻めて来れば、濃淡が必ず生まれる。濃い部分を可能な限り無視し、薄いところを攻めるには何が必要だ?」

「適切な戦力集中と適当な機動力です」

ラインハルトの問いにミッターマイヤーが答えた。

ラインハルトは重々しく頷いた。

「そうだ。そしてそれはメルカッツには出来ない所業だ。奴自身の判断力はともかく、他の者はそれに一歩劣る」

「なるほど、混戦では各指揮官の判断力の速さこそが機動力に直結します」

「そう、そして1万を1ブロックと決めておけば必要以上にわが方の武力が薄まることはない。無秩序に見える戦場で秩序を守れ。互いに協力しながら21万の艦隊が入り乱れる戦場を泳ぎ回るのだ」

将たちの脳裏に11個もの頭を持つ巨大な龍の姿が思い描かれた。

何と壮大で画期的な戦術だろうか。もし、この作戦が成功すれば、後世の戦術史にその名の燦然と輝かすだろう。

一方、ロイエンタールは別の懸念から主君の真意を尋ねた。

「それは…つまり、陛下は我々に10万の艦隊の指揮権を完全にお譲りになると?」

「そういうことだ。卿らは独自に考え、独自の方法で戦局を作れ」

ロイエンタールは目を見開いた。

あのラインハルトが考えた作戦とは思えないからだ。

戦場においては自己顕示欲が異常に強い主君である彼が有効とは言え、このような形で他人に戦局を委ねるような戦術を取るとは…。

ラインハルトは笑った。

「俺には信頼できる将がいるが、奴にはいない。それがこの勝負を分けるのだ」



◇◇◇◇◇



時間というものは皮肉なものでメルカッツはかつてほど自らの陣営の戦力に期待できなくなっていた。

彼が数に頼る戦術を取ってしまったのも一緒に居た時間が長くなって彼らの戦術上の運用における限界を見切ってしまったが故だろう。

しかし、見切っているということはそれを当てにすることも無いと言うことだ。

それでも勝てるという算段をつけてここにいるという事になる。

「皇帝陛下にあっても、その事、ゆめゆめ忘れなさらぬように」

メルカッツは笑った。メルカッツの戦術構想では彼の皇帝の働きこそ重要なのだ。

是非、メルカッツの望むように健闘して戴きたい。

そして戦局はまさにラインハルトの想像通りに動いた。

先鋒を取ったのはやはりビッテンフェルトだった。

彼の黒色槍騎兵艦隊(シュワルツ・ランツェンレイター)が自慢の足で攻め込むと雪崩込む様に21万の共和軍が帝国軍を襲い掛かったのだ。

彼を援護すべく続けてミッターマイヤーが動いた。

他の将も続々と続き、戦場は序盤からして、まさに混戦の名に相応しい混沌とした様相を見せ始めたのだった…。



◇◇◇◇◇



激しく動く戦局の中でミッターマイヤーはひとつの確信を得た。

(これは拙い)

無秩序の中に秩序を求めたのはメルカッツも同様らしい。

確かに戦場は混沌としており無秩序な濃淡が生まれだしてはいる。

しかし、一方であからさまに整然とした部分が残っているのだ。

ミッターマイヤーの見立てだと極端に濃い部分が強すぎる部分が3つある。

メルカッツはままならない貴族を使って混沌を演出しつつ、メルカッツ3万、シュターデン2万、ファーレンハルト2万に艦隊を分け、隠し刀を忍ばせたのだ。

それらは彼らが貴族の中で真に使えると選りすぐった21万隻の中の精鋭部隊7万隻だ。

彼らが真の共和国軍と言っても良い。

彼らは帝国の将が小魚を食べるのに夢中になっているその隙に怪魚を操り、『わっ』と大口を開けて食べてしまおうとしている。

(拙いぞ、裏をかかれた!)

1万と7万ではとにかく宜しくない。

このままでは我々は連中の良い餌食ではないか!

「ロイエンタール、ミュラー。卿ら協力してくれ」

ミッターマイヤーの言葉に目の前の戦局に同様の感想を抱いていたロイエンタールがすぐさま応じた。

「我らで囮を買って出るというのだな!」

「そうだ!」

ミュラーは無言で頷いた。

ミッターマイヤーは笑った、話が早くて助かる。

こうして、双璧と鉄壁。

3つの壁が協力し、メルカッツらの精鋭部隊にぶつかる事態となった。

「む、これは・・・」

メルカッツの口から戸惑う言葉が漏れた。

「囮の動き!読まれたか」

参った。

読まれたことにではない。読みよりその判断の早さに参ったのだ。

どうやら彼らは末端まで自由自在に動けるらしい。

こちらの策に気づかれるのは当然、時間の問題だがラインハルトが己一人で全てを判断していたのなら、その判断から導き出される結論は戦場最速とは行かない。

トップダウンでは判断が行動に移るまでいささか時間がかかるのだ。

わずかな時間でも、その時間差で2、3人の将はあの世に送れると思っていたのだが・・・。

「ローエングラム候。成長されましたな…」

彼がよもやこの大一番で自由な裁量を部下に委ねるとは…。

それは以前のラインハルトを知るメルカッツをして信じがたい思いだったのだ。

以前の彼ならばもっと個人プレイに拘ったはずであろうに…。

「まぁ、良い。とにかくこの3万を食ってやれ!全力だ」

こうして、ミッターマイヤーらの決死の防衛戦が始まった。

メルカッツらは目の前の3万隻にとにかく手を焼くこととなる。

一方、ミッターマイヤーらとほぼ同時にその状況に気づいたラインハルトは、

「さすが、双璧だ」

とその働きに感心し、

「もはや我が帝国の勝利は決まった!皆も続け!!」

と吠えた。呼応するように麾下の兵たちもうねるような鬨の声を上げた。

そのうねりは音の伝わらぬ銀河でさえも震わせているようであった。

こうして壮絶な撃ち合いが始まった。



◇◇◇◇◇



とにかくこの混沌戦は戦局が目まぐるしく動いた。

勝利の女神が目を回すほどの戦局の雑多さだ。

とても全てを語ることは出来ない。

それは同時にラインハルトがトップダウンに拘っていれば、無数の戦局の処理に翻弄され、最善手は時間と共に逃げていく状況になっていたはずだった。

一個人には到底処理しきれない激闘であった。

まぁ、もっとも予見を絡めて、無数の細かい戦局の処理を並列し、それを平然とやってのけるヤン・ウェンリーのような天才もいるにはいるが、一先ず、この戦場にヤンはいない。

しばらくして戦局が一先ず落ち着き、両陣営が別れた。

ミッターマイヤーらは必死にメルカッツを食い止め、戦局が落ち着いたときにはその数を3者とも1000隻近くにまで減らしていた。

しかし、一方、共和国軍の損害は正に甚大であった。

メルカッツの精鋭軍が65000隻残ったのに対して、残る14万隻の使えぬ貴族の烏合の衆はなんと38000隻まで、数を減らしてしまったのだ。

対するラインハルト陣営は、ほぼ壊滅的な損害を出した3名を除けば、ほぼ無傷のラインハルトの9500隻を筆頭に各将、8500隻前後を残し、一番消耗したビッフェテルトで6000隻を残す大金星をあげたのだ。

およそ4万隻の損害を出し、残り約7万隻となった帝国軍に対して、共和国軍は21万隻を10万隻近くまで減らしてしまったことになる。

これはさぞや帝国は勝利に向かって勢いづき、共和国は敗北の予感に身を震わせているだろうと思うところである。

ところがラインハルトとメルカッツ。

両雄の雑感はそれとは正反対のものであった。

メルカッツは笑い、

「これは勝てるな」

と呟けば、ラインハルトは深刻な顔で、

「このままでは負ける」

と呟いたのだ。

戦局は囲碁でいえば終局に向かって寄せに入った段階である。

メルカッツが勝利を確信し、ラインハルトが負けを意識した理由は二つある。

一つはラインハルト陣営の中核、双璧、ミッターマイヤーとローエンタールの離脱にある。

もちろん、両名は健在である。しかし、麾下の兵力は1500隻に満たない。

ラインハルトは戦力を完全に11分割してしまった。

これがここに来て良くない。

戦場において一度決めた指揮系統を崩して再構築する様な真似はしたくともできない。

無用な混乱や士気の低下に繋がりかねない。

ラインハルトが再びトップになるのはなんら問題ないがミッターマイヤーとローエンタールを他の将の部隊に吸収させて、指揮官を挿げ替えるというのは宜しくないのだ。

そもそも各将も面白くないだろう。

故に両雄には最早1000隻並みの活躍しか期待できない。

それともう一つ、ラインハルトには懸念しなければならない要素があった。

各艦の消耗度である。

メルカッツは7万のユニットを運用し、たった3万を相手にしただけに、殆ど消耗していなかった。

それはともかく時間稼ぎに徹したミッターマイヤーらの逃げありきの戦術ゆえもあるのだが。

一方、10万隻を沈めた各将の艦隊は満身創痍であった。

なんせ14万隻だ。

数でこそ7万隻を残した帝国軍ではあるがそれを文字通り7万隻と考えて運用してはいけない。

戦力として考えれば実質5万隻程度の戦力と見て良い。

とメルカッツは見ていた。

それは事実近いものがあった。

メルカッツは笑った。

「ふむ、ちょうど手頃なサイズになったな」

彼は10万ちょっとにまで減った我が軍を見て、そう不適に笑ったのだ。

両雄が睨み合う中、ついにその時が来た。

「おのれ、このまま愚かなメルカッツに任せておけるか!!私が出る!!」

怒り叫んだのはリッテンハイム候である。

ブランシュヴァイク公はガイエスブルクに籠っていたのでここにいる貴族たちでは最大の序列者である。

「いまから総大将はこの俺だ!皆よ続け!!」

彼はそう叫び、軍を動かした。呼応したのは僅かに38000隻だった。

彼は驚愕した。

たった38000隻だと!?何故だ!?

彼は事を起こすに当たって、皆が自分と同じように考えて、無能なメルカッツを呪い、動いてくれるはずだと信じていたのだ。

なんせメルカッツは自らは11万隻を失い、相手にはたった4万隻の損失しか与えなかった、大馬鹿者なのだ。

しかし、現実は違った。

同じように考えて行動してくれたのは彼と同じくらいに阿呆な貴族の方々だけだったのである。

メルカッツは自らは動かずに笑い、言った。

「これは侯爵殿、感謝します」

彼は死地に自ら足を踏み入れた愚か者たちにそっと手を振り見送った。

メルカッツによって、このリッテンハイム候の暴走は予想の範疇であった。

しかし、一方でこの無謀なる突撃を予想していないものがいた。ラインハルトである。

メルカッツがこのような愚策をとるはずがない。

そもそも事は愚かしい大貴族の自棄くその行動だ。

あまりに愚策過ぎて、さすがのラインハルトとて予想できなかったのだ。

そんなハプニングを起こると予想できたのは彼らを非常に良く知るメルカッツぐらいだろう。

ラインハルトの深謀なる知性は思わず戸惑った。

彼の麾下の名将たちとて気づきはしないだろう。

とっさに対応を決め、これを向かえ撃ったがその動きは遅い。

ラインハルトの判断が遅いのでは無く、艦隊そのものの動きが鈍っているのだ。

メルカッツはリッテンハイム候に続いた貴族たちを見捨てた。

その判断の正確さ苛烈さは実に恐るべきものであった。

メルカッツは彼らを囮に使いつつ、側面に回り込むや、実に狙いすました絶妙なタイミングでラインハルトの陣営を襲ったのだ。

ラインハルトは誰よりもいち早くそれに気づき、最速最良の判断を下したが「余りに遅い」と嘆くほどの我が艦隊の動きの鈍さに手を焼き、大きな損失を出すことになった。

リッテンハイム候の艦隊は全滅した。

ラインハルトの艦隊は25000の艦隻を失った。

「ようやく我が身の憂いを晴らすことが出来た。感謝するラインハルト皇帝陛下」

メルカッツの方の損失は僅かに250隻。

総数で見ればメルカッツ軍64000隻余、ラインハルト軍45000隻余。

数の上ではその差はさらに縮まったと見える。

しかし、その実体は違う。

その差は『もはやどうにもならない』程に広がったと言えた。

メルカッツは主力を完全に温存しきった。

今の攻防でのお互いの消耗にその差が如実に現れていた。

そして同時に、この状況に至ってようやく、ラインハルトはメルカッツが何を成したか理解した。

「奴め!この俺たちをまんまと利用し、自らの気に入らぬ役立たずの門閥貴族どもを粛正したな!!」

この一年と半年の間、メルカッツは次の銀河を見据え、優秀な貴族の選別と教育に全霊をあげていたのだ。

その成果がここに集結を見た。

彼が残した6万4千隻の艦隊こそ、真の共和国軍なのだ。

ラインハルトは自らの脳裏に激しい電撃が走ったのを感じた。

自らの完敗を悟ったのだ。

「おのれ、メルカッツ、おのれ!!」

この状況に到り、ラインハルトには二つの選択しがあった。

完全なる敗北か、撤退か。

ラインハルトは震えた。メルカッツ如きにしてやられたと言う事実は彼の自尊心を大いに傷つけた。こうなっては撤退など選べる訳がない。

「こうなれば、この命尽きようとメルカッツをしとめてくれる!!」

彼は怒りを爆発させた。

ほぼ同じ頃、ロイエンタールもまた、悟った。

どうやらこの勝負、

「我が方の完敗」

らしい。

ロイエンタールはこの後、我らが君主が何を選ぶかを考えた。

彼は苦笑し、

「無様に逃げるよりは死を選ぶだろうな」

と呟いた。

ならば自分はどうしようかと考えた。

一緒に死ぬなど馬鹿げている。

ふと、後ろからブリュンヒルデを撃ったらどうだろうと思い、笑った。

思わぬ悪魔の囁きに好奇心がそそられる。

いかんな。どうにもいかん。

笑いが止まらなくなって来たところで通信が入った。

ミッターマイヤーだ。

彼は真剣な口調で言った。

「卿よ。おかしなことを考えるな?」

絶妙なタイミングで釘を刺す同僚にロイエンタールはさらに笑いを深めた。

冗談で笑うぐらい良いだろう。笑うしかない状況だ。

「心配するな。妙な真似はしない」

「ならば、良いのだが…」

ロイエンタールはミッタマイヤーに言った。

「負けるとて死ぬのはいかん。卿『も』死ぬなよ」

ミッターマイヤーの返事は無かった。



◇◇◇◇◇



このまま、帝国の命運は尽きるのか。

そのように見えた。

しかし、天は彼を見捨てなかった。

「あれはなんだ?」

ワープアウト特有の光陰が次々と銀河に生まれる。

突如として1万5千隻の艦隊が現れたのだ。

それはここで散っていた艦隊のその数から見れば僅かな艦隊ではあった。

しかしこの段階にあって大局を動かすに足る艦隊数でもあった。

「ラインハルトさま、お待たせしました」

通信で響いたその声に帝国軍は歓喜した。

「キルヒアイスが援軍を連れてきたぞ!!」

皇帝が目を輝かせてその言葉に力を取り戻し吠えた!

「いまこそ、反撃の時だ!続けぇ!!」

キルヒアイスは条約を締結するや辺境軍を回って軍勢をそろえてこの銀河に急行したのだ。

この1万5千隻はキルヒアイスの人柄が寄せた帝国の限界ぎりぎりのへそくりであった。

やはりキルヒアイス居てこそのラインハルトであり、帝国軍である。

息を吹き返したと見える帝国軍を見てメルカッツは唸った。

「これはいかん」

状況は負けるとも勝てるとも言えなくなった。

いや、これでもメルカッツは勝てるがそれでは消耗が激しすぎる。

最後の一兵まで戦い切るような無謀な戦いは彼の望むものではなかった。

「先生。どういたしましょう?」

若い貴族の問いにメルカッツは頷いた。

「ふむ、一旦は引くか。陛下。勝ちは一先ずお預けしますぞ」

メルカッツは撤退を指示した。



◇◇◇◇◇



「連中が引いていくぞ!」

帝国軍から歓声が上がった。

この戦争に我が方は勝利したのだ。

それは多少事実と違う勘違いだが。

キルヒアイスは通信でラインハルトに確認した。

「追いますか?」

「…。いや、勝たせてくれるなら勝ちを貰っておこう」

本当は追いたいがキルヒアイスの余剰艦隊は出来栄えの悪い老朽艦を集めたなんとか飛んでるレベルのものも多い。

援軍を得ても、純粋な戦力比ではラインハルトはメルカッツに追いつけなかった。

この戦いは俺の負けだ。

「次はお前に勝つぞ。メルカッツ!」

ラインハルトは空しい形だけの勝利を得て、オーディンへの帰路に着いた。

一方、帰還したメルカッツをブラウンシュヴァイク公は激しく罵った。

「お前はなんと愚かな将なのだ!今日ほど、わし自身が戦場に立たなかったことを後悔した日はないわ!!」

メルカッツはそれを悠然と受け入れ、

「議長。私を罷免なされますか?」

と言った。

ブラウンシュヴァイク公はそれで済むかと憤りながら頷いた。

「では議会を開きましょう。議題は私の罷免について」

新議員たちがぞろぞろと集まり始めた。

ブラウンシュヴァイク公は彼らの顔を見てぎょっとした。

「り、リッテンハイム候は?」

「戦死なされました」

「アンスバッハは?」

「同様に」

メルカッツ派と目される新議員たちの顔を眺めて彼は天を仰いだ。

彼らは戦争の前、少数派であった。今は彼らが全てであった。

彼は戦場で『何が』あったか、さすがに悟った。

「…議題を変える。新議長を選出しなさい」

「というと?」

「わしは議会を引退する」

先ほど叱ったメルカッツがあまりに恐ろしくてブランシュヴァイク公は彼の顔が見れなかった。



◇◇◇◇◇



一方、その頃、帝国本土ではとんでもない事態が起こっていた。


『ハイパーインフレーシュン』である。


一応説明するならハイパーインフレーシュンとは物価指数が1年間で数十倍・数百倍になることを指す。

何故起こったのか。

ラインハルト陣営は良く言えば、質実剛健、悪く言えば実力はあっても金策には縁のない貴族の寄せ集めなのだ。

金満貴族を皆、敵に回したのだから、この貧乏は当然と言えば当然なのだがこの貧乏所帯に残念ながら一つの問題が起こった。

同盟に市場の物流を乗っ取られたのだ。

なぜそんな事態に陥ったのか。

まず、世界で一番ライヒマルクを持っていたのはフェザーンだった。

次に世界で二番目にライヒマルクを持っていたのはラインハルトが憎む金満貴族どもだった。

何番目か下って金満貴族どもの支配する地域の住民や企業も大量のマルクを当然持っていた。

否、総額で言えばこれが一番大きい。

まず、フェザーンが同盟に吸収され、続けて帝国が二つに分断され、その一つの金満貴族どもの経済圏が同盟に吸収された。

この結果としてフェザーンと金満貴族とその経済圏、これらすべてのマルクは同盟の手に渡った。

フェザーンから15兆。貴族から10兆。民衆から35兆。

トリューニヒトが手に入れたマルクの総額は60兆ライヒマルクにのぼったのだ。

単純に1ディナール=1000円、1マルク=150円程度の価値と考えると(厳密には不明だが)9000兆円ほど手に入れたことになる。

その総額はなんと残った帝国国内に残ったマルクにほぼ匹敵する。

無論ここで言う半分とは土地や株や金融と言った資産価値を別にした純粋なマルク紙幣でのお金ではという事だ。

たとえば日本の通貨発行量は700兆円ほどである一方、流通量は70兆円ほどしか無いと言われている。

(なお、資産価値で見ると日本国民は2000兆円程保有しているのだが…)

帝国はこれまでに135兆マルクを発行していたが、その平時の流通量は20兆に満たない。

60兆マルクという額の恐ろしさがよく分かるだろう。

それは帝国が一年に運営できる額の数倍の規模に及ぶのだから恐ろしい。

日頃「金など卑しき愚者の食べ物」と豪語してはばからないラインハルトを長としている似た者集団なのだから貧乏は仕方ない。

帝国元帥の年金が年額250万マルク(3億5千万円程度)といっても元帥級の給料を今のところ貰っているのは皇帝しかいない。

貧乏が悪いのだ。

彼ら脳筋族は戦争で決着が着くなら無敵であったろう。

反面、経済については純粋無垢の処女のように清らかで清廉であったから、お金にとことん縁が無かった。

こそを突かれた。

何度も言おう。貧乏が悪いのだ。

ルーアンの密命を受けたボルテックはフェザーンの商人たちに対してとある商談を持ちかけた。

それは恐るべき計画であった。

フェザーンの商人の拝金主義は筋がね入りで我こぞってこの計画に参加した。

ボルテックは同盟では紙切れと賞されたライヒマルクを壮大に消費して、帝国内のありとあらゆる物流を買い占め、同盟に密輸する密命を受けていたのだ。

フェザーンの商人たちは自分が帝国領の商人だったころにはおよそ見たこともない大量のマルクをつかまされて帝国の市場に放たれた。

帝国を襲ったこの台風は当初、景気刺激になって経済を活性化させた。

マルクが潤い、多くの人はラインハルトの治世を感謝したりもした。

異変は静かに、しかし確実に帝国を蝕んでいった。

当初、商人は市場を掌握しつつも小口の流通を見せ掛けで残し、問題を表面化させていなかった。

そして、ある日を境に一斉に顕在化したのだ。

その『ある日』とは皮肉にもキルヒアイスとヒルダが条約を締結した日であったのだ。

その日、フェザーンの商船が列を成し帝国に押し寄せた。

驚いた辺境警備軍は彼らを呼び止めた。

「お前ら、どうやってフェザーンの関を越えたんだ?」

「知らんのか?帝国と同盟の貿易が開始されたのさ」

兵たちにも条約締結の知らせは入っていた。正式な貿易のための準備はまだとはいえ、条約自体はすでに有効になっている。

中央とも検討した結果、辺境警備軍は積荷に問題がなければ通すより他ないと結論付いた。

コンテナにはなんだかガラクタのようなものが詰まっている。兵士たちは苦笑した。

また、あるコンテナには大量の水、それも海水が詰まっていた。

「おいおい、こんなので儲かるのか?」

「馬鹿言え、こいつは魔法の水さ」

商人たちは口々に笑った。

思えば、現場の辺境警備軍はあまりに経験不足であった。

以前、フェザーンとの貿易が盛んだった頃にはそれなりにベテランの検査官がいたものである。

しかしフェザーンの市場が閉ざさせるやそういう関連の優秀な人材は中央へ異動してしまった。

いままで貿易の監査などしたことの無い兵士たちは、行きに空荷はさすが拙いだろうというフェザーン商人の用意した見せ掛けの積荷がまさか本当に売買に使われるなどと思い込んでしまったのだ。

列挙して押し寄せる商人の群れを数が少ない辺境軍は総出で対処した。

なんでこんなに行き来しているのか訳が分からなかったがやはり経験の無い兵士たちは「こういうものなのか」と思い込んでしまったのだ。

一部のベテラン兵士はもちろん「おかしいなぁ」とは思ったがこれは開国に伴う、一種のお祭り騒ぎなのだろうとそう思っていた。

実際、こういう条約の締結と言う事態を経験したものはいなかったのでそういうものだと思い込んでしまったのだ。

また辺境王キルヒアイスらの奮闘を良く知る現場の軍人がこんな事で彼の足を引っ張るようなまねをしたくないという感情もあったのだろう。

こうした事態は当然、オーベルシュタインの耳にも入った。

もっとも彼の耳に入った報告は「どうやら早速、商魂逞しいフェザーンの商人どもが貿易を始めたらしいですよ」という何とも間の抜けたものであった。

オーベルシュタインをして、「まだ為替レートも定まっていないのによくやる」としか思わなかった。

彼自身、フェザーンの勇み足を嗜めようとも思わなかった。どうせ少数の商人の勇み足だろうとしか思っていなかったのだ。

彼は中央にいる只の一役人だったので辺境の宇宙まで見てこれた訳ではないのだ。

彼が正式な報告書を受けたのは3日後である。

さすがの彼も目を見開き、事実確認を急いだが『すべての事は終わった』後だったのだ…。

こうして帝国の市場からあらゆるものが同盟の銀河へと巣立っていたのだ。



◇◇◇◇◇



市場が空になっても帝国の様な閉鎖的な市場では発見のタイミングが遅れるのは仕方の無いことだろう。

まず、最初に異変に気づいたのはある豚業者の会合だった。

その日は、とある惑星の畜産業種の合同会合の日であった。

その日、豚業者たちは意気揚々と会合に参加していた。

なんせ彼らのほとんど全員がとんでもない大口の売買に成功していたからだ。

あるブロイラー業者は通常の流通価格の二倍以上の価格で豚が売れたのだ。

古いのも若いのもみんな売れに売れた。

中には種豚まで売ってしまった男もいた。

彼らは意気揚々と会場に集まり自慢話を始めた。

そんな中に一人、とあるレストランから来た男が困った顔で入ってきた。

誰でも良いから豚を売ってほしいという。

提示した価格は通常の市場の3倍。

男たちは顔を見合わせた。

なんせ手持ちの豚がいない。皆は上手い話をみすみす逃したと嘆きながら互いに譲りあった。

レストランから来た男は4倍を提示した。

しかし誰も手をあげない。

一人の男が言った。

「おい、この中で食える豚をまだ飼っている奴は入るか?」

一同は顔を見合わせた。

誰もいなかったのだ。

レストランから買い付けを頼まれていた男は悲鳴をあげた。

男は叫んだ。

「鳥も、牛も、羊も、豚も一頭も買えない。この星はどうなってしまったんだ!!」

男たちはとんでもない衝撃を覚えて大口を開けた。

後に語られる『世界から豚の消えた金曜日』である。

これが端となって帝国国内は大混乱に陥る事となる。

なんせ何も無い。

定価で物を売る店は売れ切ればかりで、卸し業者の倉庫の在庫すらない。

フェザーンの商人どもは帝国で壮大にマルクを使って物品を全て同盟に流してしまったのだ。

恐るべき経済テロである。

さらにルーアンは恐るべき事をボルテックに命じていた。

各地の私営電気会社を次々買収しては再起不能のスクラップにしたり、買収した石油田に火を放ったり、様々な工場を買い占めては中にあったオートメーション機械を引き離して、宇宙船に乗せ密輸したり、高齢化で農家を続けることが辛くなったご老人から買い取った畑に大量の枯れ葉剤を蒔いたり、中古宇宙船を買い占めて同盟に密輸したり、海を往く船を漁船を含めて買い占めて、沈めてしまったり・・・。

実に酷い無駄使いをやるだけやって去っていた。

フェザーンの商人はIT市場や金融市場、土地市場などの市場規模の大きな物は無視し、生活必需品を中心とした市場で、徹底的に金を使った。

ラインハルトたちが戦争を終えて帰りつき、この騒ぎに気づいた時にはすべての工作が終わっていた。

帝国の市場ではありとあらゆる物品が異常なまでの不足状態に陥り、中には再生産の見込みが無いものまであった。

すべて同盟に買われて行ったのだ。

そして使われたマルクが市場に大量に余った。

これが不味かった。

帝国内のありとあらゆる物品の供給は大幅に縮小し、対して大混乱に乗じて需要は跳ね上がった。

オイルショックのような心理的恐慌状態である。

そして実際、物は無い。

一方でマルクはだだ余り状態である。

まず最初に起こったのは輸出過多によるインフレーション(コスト・プッシュ・インフレーション)だった。

その後、恐慌状態に陥った市民による需要過多によるインフレーション(ディマンド・プル・インフレーション)の第二波が巻き起こった。

その二つの大波は帝国を直撃した。

気がつけばわずかに残った物の価格は2倍、3倍、4倍と上がって行き、最終的には200倍近くまで跳ね上がった物もあった。

考えて見てほしい。

貴方の貯金が100万円あったとする。

一晩寝て起きるとその貯金では5000円分の買い物しかできなくなってしまったのだ。

この騒ぎに各地の銀行では取り付け騒ぎが起こって大混乱となった。

なんせ金はいくらでも使って物を買うことに全帝国国民が腐心している事態が起こっているのだ。

一分一秒で物の価値が値上がり行く中で自分の金は一マルクでも早く使ってしまいたいに決まっている。

帝国の銀行は15倍の貸し付けレバレッジを認められていた。また支払い準備率は僅かに10%であったからさぁ大変だ。

実際の市場流通量の15倍と言う架空マネーが消し飛び、どうあっても金が足りない状況となったのだ。

担当者が群れを成して、オーベルシュタインのもとを訪ねたが彼は誰とも合おうとしなかった。

彼らの要求の全てを丸のみにしマルクの増刷に踏み切れば、マルクはジンバブエドルになる。

オーベルシュタインは一方で経済学の権威たちに必死で電話をかけ、助言を求めたが対応は実に冷ややかだった。

ある経済学者は、

「今頃にかけて頂いても困ります。何故もっと早く我々のような人間にもお声をお掛け頂けなかったのでしょうか?皇帝陛下は軍人さまがお好きなのでしょう?我々のような愚昧な学者風情では無く貴方のような大変に多才で優秀な軍人さまが頑張ってみれば宜しいのではないのでしょうか?」

と軍人ばかりを贔屓にする皇帝を皮肉って、オーベルシュタインを痛烈に罵った。

オーベルシュタインは電話を切ると目を閉じた。

しばし、無言で考えたが良い策は見当たらない。

次の日、帝国中の銀行が一斉に破産を宣言した。



◇◇◇◇◇



億万長者が一夜で姿を消し、帝国は未曾有の大恐慌を迎える事になった。

銀行の破産を受け、帝国預金保険法の即時施行を求める声が民衆から挙がった。

無視すれば国民が暴徒とかすのは避けられない。

帝国の制度によるペイオフ (預金保護)額は10万マルク。

全保障総額は30兆マルクと試算され、オーベルシュタインの顔色は益々白くなった。

国庫を全て空にしたとて、そんな額はどこにも無い。

結局、オーベルシュタインは30兆マルク分の増刷を決定した。

その金を得た国民はもちろん早速金を使った。

こうして帝国市場にセカンドインパクトが引き起こったのだ。

すでに1000倍を超え始めていた市場は更なる燃料の投下に1万倍を超えて突き進んだ。

もはや誰にも止められない破滅の行軍だ。

こうしてライヒマルクはケツを拭く紙になったのだった・・・。

この状況を受けて、以後のオーベルシュタインは混乱の火消しに躍起になっていた。

残ったわずかな食料をかき集めて配給制にした。

気が付けば、軍人以外は一日パンが一個に屑野菜のスープが一杯。

そんな状況に陥ってしまったのだ。

このような状況でも民衆がラインハルトを支持したかと言えばそんな訳がない。

自分の大切な貯蓄や財産をみんな失ってしまった民衆の怒りは暴動を起こした。

オーベルシュタインは治安維持警察を組織して鎮火に当たったが、もはやどうにもならない状況であった。

逮捕者100万人。この処遇は如何様にすべきか彼は頭を抱えた。

連日連夜のストライキに生産性は著しく落ちていった。明日食べるものに困る状況の中ですら誰も鍬を手に取ろうとはしなかった。

そんなさなかにあって、非合法な闇市がいくつも出来た。

金や銀やレアメタルなどなど貴重な物を持っていけば、およそ法外なレートで食料などの生活雑貨と換えてくれたりするのだ。

これを裏で仕切っているのはもちろんフェザーンの商人だ。

得られた嗜好品の類はフェザーン商人を通して、同盟に運ばれた。

フェザーンの商人どもの暗躍は収まらない。

彼らは物だけでは無く人も扱い始めた。

つまり亡命だ。

なんせ大量の生活品を同盟に送ったのだから使う人間の方の需要も大量にある。

こうして、ハイパーインフレーションの混乱冷めやらぬ中で、抜き差しならない事態が確実に進行していったのだった。

この中にルーアンの真の狙いであるゲストリストの亡命があった。

ゲストとはルーアンによって位置づけられた各分野の確信的技術者や先駆者のことだ。

軍需系の天才技師から果ては絵師、料理人や人気俳優まで、とにかく国家の豊かさの為に一助となる人物のリストだ。

帝国が今後発展していく上で無くてはならない人材を根こそぎスカウトして亡命させたのだ。

帝国がこうなっては彼らの多くが同盟の誘いに乗ったのは言うまでも無い。

なんせ、ネジ一本手に入らない帝国で過ごしたい機械技師も絵の具一つ手に入らない帝国で過ごしたい絵師もいないだろう。

そしてラインハルトは有能な軍人は十分に贔屓にしても有能な技術者に対して何か特別に報いるような人間ではない。

ラインハルトは制限をする人間でも、もちろん無かったのだが、贔屓にされる脳筋族を恨めしく思っている文化人のなんと多かったことか。

もはや帝国で何かをして全うに評価させることはない、否、それ以前に自分の技術を使って何か出来る状況まで回復するかも怪しくなってきていた。

こうして人民大移動が始まった。

ルーアンの狙いは最初からこの人間、マンパワーの吸収にあった。

混乱する最中にあって、オーベルシュタインとケスラーは健闘した方だが全銀河で1億人強の暴徒を相手に決死の戦いを繰りひろげるのに手一杯でこの事態の進行には「目も回らない」状況であった。

なおフェザーンの亡命請負人には同盟に亡命を出来る人間を選定するための要件が存在した。

その選定書、


同盟亡命者選別覚え書きにはこうある。



一、軍人で無いこと。


二、前職があり、勤労意欲があり、一般的な身体と精神を持つ50歳までの男女。


三、将来的に、二に定めた要件を満たす可能性の高い20歳未満の新生児及び少年及び青年。


四、上記要件に限らず、以後に定める特別技能を納める者。


ア、医師免許を持つもの

イ、教員免許を持つもの

ウ、帝国が定める機械技師一級を持つもの

エ、帝国が定める建築技師一級を持つもの

オ、その他、特別な芸能を納めるもの


五、マルクや帝国株を除く一定の資金や財産を所持し、同盟内での生活に不自由が無いもの


六、第二項の要件を満たす配偶者並びに保護者となりうる人間が二名以上確保出来ており、同盟による保護を受けずとも生活ができるもの



つまり高齢者及び障害者のような社会的弱者の亡命は基本認めないとしていた。

勝手に亡命する場合には国際法に則った措置がされるのだが、フェザーン商人の息がかかった亡命業者による亡命にはこれらの選定条件があるのだ。

もっともそれも袖の下次第ではあったが。

ある日、オーベルシュタインは命の危険に晒されていた。

暴徒が彼の預かる新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)に大挙して押し寄せたのだ。その数、300万人。

「陛下申し訳ございません」

彼はそこで死ぬことを望んだが周囲のもとに諭されて、ケスラーと共にオーディンから亡命した。

オーディンは暴徒の支配する惑星と成り果てたのだった。

この混乱した時期に大量の人間が同盟へと亡命している。完全に機能が麻痺した帝国はそれをまったく止められなかった。

同盟は量的には3割、質的には9割以上の人的能力の確保に成功したのだ。

当時、同盟150億人(元フェザーンの20億人を含む)、共和国100億人、帝国150億人だった。

こうして帝国から45億人程の亡命を受け入れた同盟の人口はこの物語の始まる前の130億人から200億人規模にまで膨れ上がったことになる。

こうして同盟は技術力を格段に高めるとともに文化的絶頂を迎え、対する帝国は軽く1千年は文化圏を退化させる事態になった。

沈み往く帝国に残った者はラインハルトを敬愛する屈強な軍人と帝国をこよなく愛する酔狂なロマンチストの他に同盟に亡命する気力もない高齢者や働く気の無い者たちであった。

すこしでも向上心がある者はこぞって同盟に亡命した。

そして、それを受け入れる物量をしっかり確保している同盟は彼らを暖かく向かい入れたのだった。



◇◇◇◇◇



オーベルシュタインとラインハルトが再開したのは銀河の上であった。

状況は最悪をとうに通り越している。

国家の崩壊、その寸前だ。

「陛下、申し訳ありません。この処分は如何様にもうけます」

頭を下げ首を差し出すオーベルシュタインを見たラインハルトは処分については何も言わず。

「状況はすでにわかっている。まずはオーディンに帰還するぞ」

大軍を引き連れて帰って来たラインハルトは一夜にして暴徒たちから新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)を取り返した。

美術品と言う美術品が奪われ、悲惨な有様となった新無憂宮を見て彼は苦笑した。

「今の俺にお似合いの宮殿だと思わないかキルヒアイス」

「ラインハルトさま。ご自愛を」

彼は随分と薄汚れた王座に腰掛けると言った。

「俺は今後どうすべきだ?さすがに何が起こったかは理解できたが…。」

一同は黙った。何ができるかなど言えるほど何かを出来る見込みもない。

「俺は同盟に復讐すべきか?」

「陛下。それは無理です」

だろうな。彼は呟いた。

「では軍はどうする?増強するか維持するか…」

キルヒアイスは沈痛な面持ちで言った。

「…軍縮するしかありません。もはや、我が方に大軍を維持する余力はありません。」

「だろうな。まったく」

ラインハルトは目を細めた。

「俺はここまでか?答えよ。ロイエンタール」

ミッターマイヤーはぎょっとした。彼としてはロイエンタールが何を言い出すか計りかねたのだ。

指名を受けたロイエンタールは笑った。

「むしろここからではありませんか?皇帝陛下」

貴方はまだ若い、そう諭したのだ。

その遠慮の無い言葉にラインハルトは満足した。

「同盟に援助を要請する。以上だ」



◇◇◇◇◇



「げ、マスター・キブリーが負けた!?」

何がそんなに衝撃的なのかユリアンはヤンが見ている新聞を横から覗き見た。

三次元チェスのグランドマスター、七冠王キブリー・オーマーが帝国から亡命して来た帝国チェス界の皇帝ミシェル・フェブチェンコに負けたのだ。

彼らは新設された初代銀河統一王者決定戦を戦っていた。

7番勝負の最後までもつれ込んだ熱戦はミシェルを王者と選んだようだ。

大のキブリー通を自認するヤンは負けを激しく悔しがった。

さすがの彼もこの勝負の行方までは分からなかったようだ。

「くそ、これでは賭けた500ディナールをポプランに払わないといけないじゃないか!」

その呟きを耳聡く聞き入れたフレデリカはにこりと笑うと言った。

「では当面、アルコールの入った紅茶はアルコール抜きですね。元帥」

「え?」

目を丸くしたヤンは慌てて、同棲を始めたばかりの女史にそれだけはご勘弁をと話をしだした。

その様子にユリアンは苦笑した。

ユリアンがソリビジョンをつけるとテレビでは帝国史上最高のプレーヤーと謳われたミハエル・エルハイムを獲得し、ウルトラボウル争奪に名乗りを上げたフライングボールの元弱小チームが同盟の超天才的プレイメーカーのエレン・ハッシー率いる銀河系集団に立ち向かっていた。

ユリアンが思わず身を乗り出すような熱戦だ。

勝負はさすがに銀河系集団に軍配が挙がったが一人奮闘したミハエルが最高得点をマークしてMVPに輝いた。

実はユリアンはミハエルのチームスカウトから誘われている。

彼としては軍人になり、偉大なヤンの後を継ぎたいのだが、どうにも世相が変わってきた。

「もう戦争なんて流行ないさ。お前はフライングボールの選手になれ」

とヤンに言われてユリアンとしてはしぶしぶ、その道を選ぼうと考えている。

大量の帝国民の流入を同盟は暖かく向かい入れた。

『帝流』などと名付けられ、一大ブームメントになっている。

帝国技術者と同盟の技術者の共同開発で新機軸の宇宙船が発表されたりもした。

芸能では伝説的なミュージシャンの銀河を超えたコラボが実現し、今年の新年歌謡ライブは紅白で帝国と同盟に分かれるらしい。

帝国の一大トレンディー俳優と同盟の伝説的女優の結婚なども報じられている。

帝国が悲惨な一方で同盟はまさに文化の春を謳歌しているのであった。

一方で着実に帝国と共和国の封じ込め作戦は行われている。

亡命してきたアルトン・ヒルマー・フォン・シャフト元技術大将の協力の下、フェザーン回廊とイゼルローン回廊に追加でイゼルローンと同級の移動可能な戦術要塞を3つずつ浮かべる案が議会で決定されたのだ。

この決定にはヤンも唖然とし、言葉を無くした。

ユリアンが、

「同じように攻略できますか?」

と聞けば、彼は苦笑し、

「いや、3つは無理だろう」

と呟いた。

普段は一つの要塞が回廊を閉鎖し、有事となれば他の要塞が移動して来て、あの狭い回廊を完全閉鎖することになる。

この作戦はイゼルローンⅡ~Ⅵ、完成までの膨大な製造費用を考えれば途方も無い無駄とも思える一方で、確かに一度作ってしまえばこれほど「手間が掛からず」に銀河を完璧に封鎖できる案も無いと思えた。

完成してからの運用コストは実際に大量の軍を敷いて守るより安上がりだ。

それはイゼルローンを見てその有能さを知っているヤンだからこそ断言できることではある。

大体、同盟には現在、腐るほど金も物資もあるのだ。必要なインフラ事業と言う面もあるのだろう。

「おい、ユリアン。帝国、同盟、ラーメン11番勝負だって、まさかルーアンはラーメン屋までVIP待遇で亡命させてないだろうな」

「美味しそうですね」

呟く二人にフレデリカが、

「では、今日はラーメンにしますか?」

と訪ねるとヤンが思わず、

「え、君が作るのかい?」

と呟いてしまったから、さぁ大変だ。

泣くフレデリカにまたも釈明に没頭するヤンを見ながらユリアンは笑った。

この二人も来年には結婚予定なのだ。

「春ですね。全く」

来年の今頃はユリアンもプロフライングボーラーとしてヤンの元を立つ。

世界は変わった。

その事に少しだけユリアンは寂しくなってそっと溜息をついたのだった…。



◇◇◇◇◇



帝国が同盟に保護を要請したことは衝撃を与えたが賢明な判断だと多くの人間が感心した。

同盟議会は焼却処分を決定していたライヒマルクの大半が焼却場から盗み出された可能性があると発表し、今回のインフレーションで一定の責任があったことを認めた。

そして帝国に対して人道支援を行うと決定した。

マルクを盗んだのはだれか。

犯人はフェザーン商人だと考えられていた。

帝国を飛ばしたのはフェザーンの亡霊であり、彼らは同盟の当て馬にされたことからラインハルトに対して相当な恨みがある。

その無念を今回のインフレで晴らしたのだとしきりに噂になった。

帝国、同盟両国民はフェザーン恐るべしと口々に囁きあった。

実際これを期にフェザーン経済とフェザーンの商人たちは復権を果たしている。

優秀な同盟議会は、意外にも早々に事の真相解明を投げ出し、ことは完全に闇に葬り去られてしまった。

一方、帝国が同盟の保護下となったことで共和国は手を出しづらくなった。

ブランシュヴァイク公の引退は皮肉にもトリューニヒトとのホットラインが崩れたことを意味しており、年若い新しい議長にトリューニヒトは難色を示し、「お前みたいなのに出てこられても…」と相手にしなかったのだ。

共和国にしても同盟を敵に回すわけには行かない。

しかし、ブランシュヴァイク公の引退はいくつかの密約を反故にする絶好の機会になってしまった訳だ。

結局、メルカッツたちは「もはや已む無し」と事を戦争から実務レベルの交渉に切り替え、フェザーン回廊を望むオーディンを含む銀河半分を帝国領、イゼルローン回廊を望む銀河の半分を共和国領として国境線を作る、大規模な和平に応じたのだった。

こうして、ようやく銀河に本格的な平和が訪れた。

帝国暦490年。宇宙暦799年。1月1日。

ハイネセンに各国首脳を集めて条約が取り結ばれた。

『バーラトの和約』

新しい時代の幕開けであった。



◇◇◇◇◇



年が明けて、いくつかの出来事が起こっている。

まずはヤンとフレデリカの結婚だろう。

ヤンはスピーチで、

「細君はイゼルローンより難攻不落の身持ちの堅い素晴らしい女性で、しかもイゼルローンより良い女房だ」

と述べるとキャゼルヌは失笑し、

「攻略されたのはお前の方だろ」

と野次れば、妻の方も

「ミラクル・ヤンを落とすのは簡単でしたよ」

と言ってしまったからヤンの顔は真っ赤になってしまった。

ヤンは後々、この日を指して『人生最大の恥をかいた日』と述べたが、彼らの円満な夫婦仲を知る者たちはまったく取り合わなかった。

帝国ではラインハルトとヒルダが結婚した。

突然の出来ちゃった婚であったからとにかく周囲は驚いた。

これにはミッターマイヤーとロイエンタールもお互いを見合い、

「陛下も男であったか」

と笑いあったという。

同じ式場でキルヒアイスとアンネローゼも結婚式を挙げた。

壮大にとは行かなかったが中々見栄えのする式になった。

この年最大の衝撃はトリューニヒトの引退だろう。

再選の時期にあって彼は出馬を止めたのだ。

驚く周囲に彼は「すでにこの身の天命は果たした。以後はこの銀河の平和を暖かく見守っていこうとおもう」と述べたそうだ。

新議長に選ばれたのはジェシカ・エドワーズであった。

彼女は初心演説で、

「トリューニヒト議長の成し得たこの偉大な平和を不断の努力で守り維持することこそ私の使命です。全力を挙げ努力して行きたい」

と述べたという。



◇◇◇◇◇



この銀河は望む、望まずに関わらず数多くの英雄を生み出してきた。

しかし、同盟が銀河の主権を握ったとされるこの動乱の時代に目立った英雄の姿を見ることはできない。

トリューニヒトを一種の英雄と考える人も中にはいる。

彼が大政治家であることは疑う余地もないが、しかし英雄と呼ぶには違和感があるのだ。

彼は偶然に助けられ、運よく大勝を得た政治家であって大した事はないと考えるものも多い。

彼の性格についてはかなり正確に後世に伝わっているのも皮肉的なものである。

ヤン・ウェンリーはどうだろうか。

イゼルローンを見事落とした彼は同盟復興の立役者であり、間違いなく英雄である。

ただ目立った英雄かというとどうだろう。

元帥になった後はさしたる実績も上げないまま任期を全うし、引退してからは何度も委員長職として招聘を受けながらものろくらと断り、売れぬ歴史書を書き続けた奇人を評価するのは何とも難しい。

しかし、一方で彼をこの一連の事件の首謀者だと考える向きは実に多い。

軍人を退いた後には売れない歴史作家として鳴らした物好きヤンが、後世においては後輩の歴史作家から歴史ミステリーの主題として何度も顔を出す事になるのは、いやはやエスプリが利いている。

なぜ、彼が其処までに歴史ミステリー作家たちから気に入られているのか。

それはヤンが晩年に発表した「戦略論」という本の存在があるからである。

ヤンはただルーアンのやったことをまとめただけなのだが、これが歴史の壮大なネタバレ本としてベストセラーになってしまったのだ。

売れない歴史作家ヤン、渾身のヒット作である。

この本の存在からヤンはトリューニヒトら政治家を自在に操って陰謀と政略にて銀河の天下を取ったのだと主張する声が多い。

一方でトリューニヒトとヤンが反目しあっていた事実や、彼が終始、イゼルローンで何をしていたとも見えなかったこと。

ここら辺がどうにも、つまり、謎(ミステリー)らしい。

ヤン・ウェンリーその謎の生涯と銘打った歴史ミステリーは未だ人気の高いのである。

謎多き男ヤンはさて置いて、ジェシカ・エドワーズを英雄視、いやヒロイン視する目は圧倒的に多い。

実際、彼女はその後の銀河における一大スターであった。

トリューニヒトの後を継いだ彼女は実に12年、3期に渡って再選され、任期中は平和活動と各国への人道支援に揺ぎ無い信念を持って立ち向かい、全銀河に平和を齎した一大レジェンドである。

紛争解決に向け、巨大な経済基盤を武器に「停戦か、制裁か」を合言葉として、選択を迫る彼女を人々は「鋼鉄の女王」と呼んだそうだ。

汚職が横行する当時の議会において、政治的汚職を絶対に許さず、清廉で堅実な政治態度を貫いた。

一部では渾名を揶揄して「更迭の女王」とも呼ばれたそうだが、民衆の人気は絶大でまさにヒーローであり、ヒロインであった。

彼女を主題とするヒーロームービーは多数存在し、この時期の人物としてはミラクル・ヤンと人気を二分する存在である。

ただ、活躍の時期が違う。彼女が活躍するのはもうすこし後の銀河である。

同盟はこんな感じだ。では他方に顔を向けてみよう。

ラインハルト・フォン・ローエングラムはどうであっただろうか。

一時は「受難王」と言うなんとも皮肉気な称号を得た彼だったが、後世には「不屈王」とか「不死王」と呼ばれた。

あるとき、彼は原因不明の大病を患った。

皆が皇帝の命運つきたと諦めたとき、彼は死の淵から不屈の精神でこれを乗り越えたのだ。

まだ負けられぬという反骨心が彼の魂を現世に縛り付けたのだ。

これが「不屈王」、「不死王」の渾名の直接的エピソードになるのだが、一方で不死鳥のように帝国を蘇らせた王としてもその名を印象付けさせている。

彼はジェシカ・エドワーズの支援を受けると、軍縮を進める一方でインフラの再整備、亡命問題により進んだ高齢化社会や無気力無労働者問題に立ち向かい、これを解決したのだ。

最初の頃こそ独裁的と非難された彼だが、以後、優れた政治手腕を発揮し、帝国を蘇えらせたことから非常な人気を得るに至っていった。

彼は特に「不死王」の渾名を気に入っており、後年は家紋のモチーフを獅子から不死鳥に換えている。

何度でも「蘇える」ことを願っていたわけだ。

ただ、彼の「いつの日か、もう一度、銀河の覇権争いに乗り出す」という夢がついに叶うことはなかった。

ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツはどうだろう。

銀河動乱の最後において、彼の銀河でラインハルトと壮絶な死闘を演じ敗れた彼を今まで上げた偉人と同列に上げるのは間違いだと思われる人も多いかもしれない。

実際、彼は21万隻の大軍を率いて11万隻に過ぎない帝国軍に大負けした将だ。その敗戦はどうにも拭えない彼の人生の汚点であろう。

しかし、「共和国の父」と呼ばれた彼を地味ながらラインハルトと同列の偉人と見る向きは非常に多い。

彼を褒めるとまさに歴史通だといわれるぐらい、彼の功績は隠れて素晴らしい。

ラインハルトとの戦いに敗れた彼ではあったがその後、議員を一新した新生の共和国議会の相談役として長く顧問を務め、数々の政治的改革の主導的立場を担った。

彼が見初めた新しい銀河を担う若者たちは実際、大成した。

共和国は瞬く間にその基盤を固め、旧帝国の半分の覇権を揺ぎ無いものとしたのだ。

身に爆弾を抱えた帝国と比べて、共和国は経済的にも早々に自立を果たしている。

帝国とは以後、何度も小競り合いを繰り広げたがその全てで勝利していることからも共和国民の「我らは帝国より、強国だ」と言う自負は噓偽りのない真実であった。

事実、「鋼鉄の女王」ジェシカ・エドワーズがいなければ、彼らはラインハルトを討ち滅ぼし、旧帝国の銀河を平定していただろう。

さて、ルーアン・ヒィッドーはどうだったろう。

彼は自らの政治的実験を為し得た後は、とある美人の妻を見初めて、結婚した後で隠居し、細々と、とあるレストランを経営しながら余生を過ごしたらしい。

彼はそこで意外にも達者な包丁捌きで訪れる来客に料理を振るまっていたそうだ。

このレストランにはお忍びで数多くの著名人が訪れたそうだがその事を知る人はほとんどいない。

実際ここまで名前が挙がった偉人はほぼ全員、この店に一度と言わず足を運んでいるそうだ。

ただ彼らがそこで何を話したかは今となっては杳として知れないことであった。

唯一、例外的に一般に知られる人物はヤン・ウェンリーだろう。

彼はそれこそ事ある毎に何度もこの店に足を運んでいるし、著書の後書きでいきつけの店として何度かその名を挙げている。

そういうわけでこの店は彼のいきつけの店としてのみ、後世の歴史に名前が残っている。

また、一般には知られていないがジェシカ・エドワーズは大変な政局を向かえる度にこのレストランを利用していたらしい。

いずれにせよ、彼のその存在が銀河の歴史に刻まれたことは一度も無い。



◇◇◇◇◇



このように、ルーアン・ヒィッドーが生きた銀河は動いた。

我々の知る彼の輝く英雄譚、銀河英雄伝説に比べて、なんと英雄たちの冴えないことであろう。

時代が英雄を求めず、愚者に戯れに勝利を与えたそんな時代。

銀河の愚者の伝説。

それはまさに伝説という名に相応しい深いヴェールにその真実を隠し、幕を閉じたのであった。



                                                             銀愚伝――FIN


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