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[31086] 【完結】リリカル錬金(なのは×武装錬金)
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/05/26 20:06
第一話 願い事の達人だ!

 海鳴市に住む多くの人が、雲一つない夜空を流れていく星々をその目にしていた。
 テレビなどのメディアで話題になるには少なく、明日会う人との話題にするには十分過ぎる数の流星群であった。
 一つ、また一つと夜空を裂いて落ちていく流星の数は二十一。
 とある家の窓辺より、それらを見た栗色の髪を持つ小さな少女が指差しながら叫んだ。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん見て。流れ星!」
「おー。よし、まひろ。流れ星が落ちるまでに三回願い事を呟くんだ!」
「うん、お兄ちゃん。何を隠そう私達は……」
「「願い事の達人だ!」」

 二人は両手を重ね合わせて、一心不乱に祈り出す。

(明日はお兄ちゃん特性明太パスタが食べたいです。明日はお兄ちゃん特性……)
(綺麗な年上のお姉さんとの出会いがありますように。綺麗な年上のお姉さんとの出会いが……)

 願い事の内容の違いは、高校生の兄と小学生の妹の年齢によるものか。
 だが願いへの必死さはどちらも同じ、やや兄が勝る程か。
 年齢には大きな差があるものの、根本では似たような兄妹であった。

「まひろ、間に合ったか。俺は余裕だった!」
「まひろも超余裕だよ。いえー!」

 妹の願い事に少々ズレがあるものの、願い終えると二人でハイタッチ。
 兄の手と妹の小さな手が重なりあっては、満面の笑みで笑いあう。
 そしてまた流れるかもしれないと、窓辺で兄があぐらをかき、妹がその上に座る。
 何時叶うかなと妹が言えば、兄は早ければきっと明日辺りにだと呟き返す。
 これは両親共に海外出張の多い、とある兄妹の場合。
 二人暮らしの割りに、一般家庭よりも明るい様子だが、他の家庭もそれ程大きくは変わらない。
 だが極一部、ほんの一握りの者は、ある予感を感じていた。

「綺麗な流れ星やな」
「そうですね、主はやて」
「まだまだ落ちそうやし、これはしっかりお祈りしとかんとあかんな。ヴィータ、シャマル。ザフィーラもおいでや。はようせんと、見逃してまうで」

 リビングから庭へと続く窓辺から、車椅子に座る少女が奥へと向けて家族を呼ぶ。
 ソファーでアイスをほうばっていたお下げの少女から、炊事場で食器を洗っていた妙齢の女性。
 それから部屋の隅で大人しく伏せて、眠るように瞳を閉じていた大型の犬が顔をあげる。
 各々返事をする仲間の声を背中で聞きながら、その女性は空を見上げ続けていた。

(僅かにだが魔力を感じる。不吉な凶星で済めば良いが。少し調べる必要があるな)

 夜空を一瞬で駆けては消えていく閃光を前に眉をしかめ睨みつける。
 己が誓いをたてた少女に降りかかるならば、斬り捨てるとばかりに。
 それは年齢がばらばらの四姉妹とペットの大型犬がいる、とある家庭での場合。
 二つの家庭に共通するのは、欠けたところはあるものの、間違いなく家族である事であった。
 お互いを思いやり、尊重し、小さくも堅固なコミュニティを築いていた。
 そんな二つの家庭とはかけ離れた、某所。

「ゲホ、ゲホッ!」

 空気の代わりに、異物でも吸い込んだような荒々しい咳が、狭く重苦しい部屋の中に響く。
 錆が浮き上がる古びれたパイプベッドの上で男は必死に耐え、息を飲み込もうとしていた。
 その男を浮かびあがらせるのは、蛍光灯ではなく小さな窓から差し込む星明りのみであった。

「創造主、大丈夫ですか!?」

 すぐ傍に控えていた体格の良い男が駆け寄り薬を取り出すも、やせ細った手に止められる。
 その手の中に光るのは一粒の小さな石であった。
 暗闇の中でもほのかに青く光り、内部に赤くアラビア数字で刻印をほどこされた石。

「鷲尾、コイツを。一つでも多く、ジュエルシードをこの手に。コレで俺は生きる、生きたい!」
「はい、創造主」

 災いこそが希望とばかりに、渇望の声と共にそれは命ぜられる。
 自分自身に生きると誓ったその男の声を、小さな石はただただ黙って聞いていた。









(あれは一体、なんだ?)

 目の前で暴れまわる物体を見ての正直な感想であった。
 場所は海鳴市にある公園。
 あまり手入れが行き届いておらず、木々が鬱蒼とする人気のない散歩道である。
 夜間の今では星明りも届かない暗闇で、その女性シグナムは息を潜めていた。
 後頭部にて一つしばりにした桃色の髪を僅かに揺らしながら、隠れた木の幹から視線を向ける。

「グオォォォッ」

 身の毛もよだつ唸りを上げたのは、全身を剛毛で覆われた毛むくじゃらの物体。
 それを生物と呼ぶこともはばかられるような、異形であった。

「はぁ、はぁ……」

 そしてその異形の前に立ちふさがるのは、一人の少年であった。
 幼さの抜けきらない可愛らしい顔で瞳を険しくし、蜂蜜色の髪を夜風に揺らしている。
 日本では見かける事のない民族衣装や外套を土で汚し、そこから伸びる腕には血が流れていた。
 恐らくと推察するまでもなく、異形との攻防で負った傷だろう。

(次元世界の人間、我々にとっては厄介事か。幼い少年を見捨てるのは騎士道に反するが……)

 シグナムは即座に助けに入らず、胸元に下げた剣型のペンダントに触れながら、思案する。

(主をその厄介事に巻き込むわけにはいかん)

 数秒にも満たない間に答えを出し、シグナムはただ静観する。
 必要なのは何よりも情報、残念ながら見知らぬ少年の安全ではない。
 そのシグナムの眼差しの向こうで、少年がビー玉サイズの赤い宝玉を手にした。
 己の前にかざし、瞳にさらに力をこめると光が浮かび上がった。
 光は円を描きながら大きくなり、半径一メートル程になる。
 そしてその円周にそって幾何学模様を、内部に正方形を描き出した。
 少年の目の前には光の魔方陣という力場が形成されつつあった。

(ミッド式か。尚の事、厄介極まる。管理局は……来ているのか?)

 唸るばかりで身動きを見せなかった異形が、その力場を前に刺激される。
 茂みを飛び出し、まるで羽虫が蛍光灯に呼び寄せられるように少年が生み出した力場を目指す。

「くっ」

 まだ魔方陣は完成ではないのか、少年が悔しげに呻き詠唱を始める。
 その間にも異形は地面を捲り上げながら、少年へと向けて疾走していた。
 詠唱の終わりが先か、異形が先か。
 ほんの僅かな差、少年の詠唱が先に終わりを迎えた。

「ジュエルシード、封印!」

 魔方陣の力場に正面から体当たりを仕掛けた異形が苦しげにうめき声を上げた。
 封印と言う言葉からも、力を奪われているのか。
 閃光迸る中で体当たりの為の加速の力さえ奪われ、逆に異形が弾き飛ばされていった。
 その衝撃の凄まじさを示すように、異形の欠片がぼたぼたと地面に落ちては広がる。
 大きな岩ほどもあった体躯が野良犬程度にまで小さくなり、体をひきずりながら逃げていく。
 一見、少年の勝利にも見えたが、容易い勝利ではなかったようだ。

「失敗……逃がしちゃ、追いかけ」

 膝をついた少年の顔には汗が浮かび、言葉から察するに勝利とは言えなかったようだ。
 そのまま力尽きるように倒れこみ、最後の力を振り絞り念話を飛ばし始めた。

『誰か、僕の声を聞いて。力を貸して、魔法の力を』

 それは全くの無差別な、救難信号のような念話であった。

『まずい、シャマル。家の周囲一帯の念話を遮断、急げ!』
『え、なにシグナム急にっ、痛ぃ足、小指……うぅ』

 隠れていたシグナムは、主である少女がその念話を受信しないように慌てて仲間に念話を飛ばしていた。
 仲間が突然の事におどろいて、酷く混乱していたようだが、試みはなんとか成功。

『ふえぇん、ジャミング成功よ。痛すぎるぅ。一体何があったの、これ誰の声?』
『全く……湖の騎士が、足の小指ごときで取り乱すな。お前達には後で説明する。今は主に気付かれない事が先決だ』
『ごときって、本当に痛いんですぅ!』

 仲間からの情けない訴えは、念話ごとシャットアウト。
 一つほっと胸を撫で下ろしてから、はっと我に返り周囲を見渡すが異形の姿はもう何処にも見えなかった。
 封印で体が削られ周囲に飛び散ったせいか、魔力の残照がそこかしこにあって追跡も難しい。

「私とした事が……」

 主優先とはいえ、その憂いを断つチャンスを逃したと悔やみ、その後で怪我を負った少年の事を思い出す。
 その少年の姿もまた、消えてしまっていた。
 代わりにその場にいたのは、一匹のフェレットのような生き物であった。

「力尽き、魔力の温存の為か。先ほどの無差別な念話といい、管理局は来てないようだな。この少年は民間人か?」

 母船へではなく無差別な念話から、そう結論付ける。

「先ほどの異形のせいで転移事故か、では流星とは無関係……何も分からないが、正面切って尋ねるわけにもいかないか。管理局に何処から漏れるか分からん事には」

 遠目でも既に意識がない事を確認してから、シグナムはフェレットと化した少年に近付いた。
 そしてそのそばしゃがみ込むと、シグナムを中心に正三角形の光が浮かび始めた。
 三角形の頂点それぞれに小さな方円を抱いた魔方陣。
 少年の魔方陣とは光の色も形も異なるそれで、手の平から紫色の光を少年にかざす。

「拙い魔法だが応急処置ぐらいにはなる。見殺しにした事がこれで許されるとは思わないが、我らには誰よりも優先すべき主がいる。すまない」

 届かない謝罪を呟き、少年の止血だけを済ませるとシグナムもまたその場を後にした。









 学生や社会人を乗せて走る海鳴市の市バス。
 毎朝大勢の人を乗せて走るそのバスは、特定の時間だけは特に賑やかであった。
 歳若い学生が多ければ、もちろんそれだけ賑やかにもなるが、少し違う。
 学生の通学時間に市内を走るバスでも、本当に特定の時間、特定の人たちを乗せるバスである。
 そのバスが、何時ものバス停で停車し、昇降口を開けて学生を受け入れる。

「おはようございまーす」

 続々と乗り込む学生の中で、白のワンピースを着たツインテールの少女が元気良く運転手に挨拶をする。
 欠伸しながら乗り込む学生もいる中で、中々の礼儀正しさであった。
 だがその少女、なのはは空いている座席を探すでもなく昇降口近くで立ち止まりバスの周囲を見渡し始めた。
 待ち人を探すようなその行為、バスの運転手もまたかとばかりに苦笑いである。
 そう彼らは何時も、余裕などと言う言葉は持ち合わせていないからだ。

「あっ」

 ほら何時も通りとばかりに、前面の窓から見えた彼らを見つけてなのはは呟いた。
 見えた人影は、なのはよりも随分と大きな高校生の男の子三人。

「やべぇ、走れ。もうバスが来てんじゃねえか!」
「何時もの事だがな」
「そこのバス待って!」

 何時もの事とは言え、運転手がクラクションで急げとばかりに促がす。

「セーフ」

 けたたましく三人がバスに駆け込んでも、運転手のクラクションはまだ終わらない。
 この三人で終わりではなく、後続がまだいるからだ。

「カズキさん、まひろちゃん急いで」

 息も絶え絶えで声を上げられない三人の代わりに、なのはが昇降口から身を乗り出し手招いて呼ぶ。

「カズキさん、頑張って」
「もう、なんで毎朝毎朝遅刻気味なのよ。走れ、寝坊助二人!」

 続いてバスの最後尾の窓からも、大人しい声援と甲高い叱責が飛ぶ。
 その先にある人影は一つだが、対象は二人。
 一人は先ほど走りこんできた三人、岡倉、六桝、大浜と同じ制服を着た武藤カズキ。
 そのカズキの背中に負ぶさり旗のようにたなびいているのは、なのは達の同級生のまひろである。

「なんのここからがダッシュの見せどころ!」
「びしぃ!」
「ポーズ決めてないで、早くしなさい!」

 カズキのライダーポーズとまひろの効果音に、バスの後部座席から再び突っ込みが入る。
 だが事実、カズキはまひろを背負いながらも驚異的なダッシュを見せていた。
 一目散にバスに駆け込み、運転手にありがとうございますと言っては、注意される。
 そしてバスは最後の乗客である武藤兄妹を乗せて、ようやく走り始めるのであった。
 走りこんだ四人はまだ呼吸を整え中で、一人背負われていたまひろはなのはの手をとってバスの最後尾へと向かう。

「おはよー、アリサちゃん、すずかちゃん」
「おはよう、まひろちゃん、なのはちゃん」
「まったく毎朝毎朝飽きもせず……おはよう、まひろ。なのはも」
「にゃはは、おはよう。アリサちゃん、すずかちゃん」

 一番広い後部座席を空けてもらい、四人は一列に行儀良く並んでやや上を見上げる。
 その正面に、ようやく息を整え終わったカズキ達がやってきたからだ。
 小学生の女の子の目の前に高校生の男の子がたむろする光景はやや異様だが、誰も何も言わない。
 毎朝の光景で、このバスに乗る人は全員慣れてしまっているからだ。

「おーっす、おチビちゃん達」
「そのおチビってのやめなさいよ英之。まったく、だからアンタはモテないのよ。デリカシーがない。ついでにリーゼントだし」
「おう、デリカシーがないのは先刻承知だ。だが、リーゼントを馬鹿にする発言はいただけないな。おう、おう」
「だからってリーゼントで突くな。この、馬鹿不良」

 ゆっさゆっさとリーゼントを揺らす岡倉に対し、ぽかぽかとアリサがやり返す。
 お嬢様のアリサと不良の岡倉は水と油、これもだいたい毎朝の事である。
 一先ず二人がじゃれ付いている間に、カズキ達は一通り朝の挨拶を交し合う。

「それにしても、今日はカズキさんもまひろちゃんも、普段よりちょっとだけ遅かったですよね。もしかして、昨日のアレ見てたせいですか?」
「すずかちゃんも見た? そうなんだ、アレ見たせいでまひろが興奮して寝てくれなくて」
「全部で二十一個、間違いないよ!」
「ちなみにアレの数え方は個じゃなくて筋。意外と知ってる人いないよね」

 まひろの主張に対し細かな突込みをしたのは六桝である。
 意外どころか、知っている方が少数派だと、大浜は苦笑いであった。
 何時頃が綺麗だった、あの時がと皆が盛り上がる中で、一人疑問符を浮かべている者がいた。

「アレって……昨日、何かあったの?」

 右から左へ、左から右へと飛び交う話題についていけないなのはであった。

「まさか、なのは。見てないの流れ星。一杯流れてて、凄かったのよ」
「え、あう……昨日は、将来の夢の作文で手こずってて。そういえばお母さん達が騒いでて呼ばれたけど、それどころじゃないから断っちゃって」
「それは残念だけど。大丈夫、ビデオカメラで記録してたから。はいこれ、貸してあげる」
「え、本当ですか。ありがとう、六桝さん」

 話題に乗り遅れてしまい、しょぼくれたなのはを救ったのは六桝が差し出したデータカードであった。
 なのはの満面の笑みを受けても、何時ものすまし顔で眼鏡の位置を直している。
 しかしながらと、なのはと六桝以外の誰もが思っていた。
 いくら珍しかったとはいえ、六桝が嬉々として星空をカメラに収める姿が思い浮かばなかったのだ。
 そんな趣味があるとも聞いた事がなく、しかも何故この場にデータカードのみを持って来ているのか。
 相変わらず不思議な奴と人物像が謎に着地してしまう。

「将来の夢か。なのはちゃん達はもう決めてたりするの?」

 なのはが昨日の流星を見ていない以上、一先ずコレはまた今度とばかりに大浜が話題を変える。
 体が大きな割に、こういうところは細やかな男であった。

「まひろは、お兄ちゃんのお嫁さん!」
「よーし、そうか。なら俺より年上の綺麗なお姉さんになったら貰ってやるからな、まひろ。大きくなれよ」
「わーい、やった。お兄ちゃん、私頑張って大きくなるね!」
「いやいやいや、何処をどうしたら妹が兄より年上になるのよ。て、聞いてないし」

 カズキがまひろのわきに両手を挟み、高い高いとばかりに持ち上げる。
 まひろは素ボケだろうが、カズキは付き合ってるのか素ボケか判断が難しい。
 アリサの突込みが聞こえてない様子から、素ボケの確率が高そうだが。

「このボケ兄妹は。私はお父さんもお母さんも会社を経営してるから、一杯勉強してそれを継ぐってところね。すずかは?」
「私は機械系とか好きだから、工学部に行って、専門職かな」
「そっか、二人とも凄いよね。まひろちゃんもある意味、凄いけど」

 小学生にしては具体的な将来像を持つ二人、おまけのおまけにまひろを前になのはが羨ましげに呟いていた。
 先ほども、作文でてこずったと言っていたし、明確な将来像がないのだろう。

「安心して、なのはちゃん。僕達も、そこまで明確な将来像はまだないから。人それぞれ、ゆっくり探していけば良いと思うよ」
「おうよ、その通り。将来像なんてさっぱりありゃしねえ。もちろん、カズキもだ!」
「いや、それって……いいのかな」
「ちょっと待った高校生、私達より将来像がないって。本当にそれでいいわけ!?」

 大浜の言葉は最もだが、サムズアップ付きで答えた岡倉があっけらかんとし過ぎて頷くに頷けない。
 そんな控えめななのはの反応に対し、アリサは突っ込まずにはいられなかった。

「あはは、あの……六桝さんは、将来像ってあるんですか?」
「ん、医者」

 将来像がない組に入っていなかった六桝へとすずかが尋ねると、ほぼ即答であった。
 指先で持ち上げた眼鏡の縁がキラリと光る。
 職業が決まっている点では、誰よりも明確な将来像と言えよう。
 実際には、医者と言っても色々と種別があるとはいえだ。
 まひろをあやしていたカズキさえも、コイツやりおるとばかりに皆と一緒におおっと唸る。
 冷静沈着、ちょっと謎めいた六桝の医者姿は、眼鏡も相まって似合っているのだ。
 だが六桝はやはり、六桝であった。

「それから冒険家、宇宙飛行士。いや花火師も捨てがたい」
「て、子供か。アンタは!」
「アリサちゃん、六桝さんはなりたいものが多いんじゃなくて、なれるものが多いだけだから一概に子供とは言えないんじゃ」

 実際、六桝は学校のテストだろうが外部の模試だろうが、優秀な成績を収めていた。
 一部からは四バカとして、カズキ達とひとくくりにされているのが不思議なくらいである。
 それは兎も角として、将来像がないよりはあった方が良いよねと、なのはは全くない自分を省みては少し悩んでいた。
 岡倉達の折角のフォローも、あまり効果は無かったようだ。








 赤焼けの時間も終わりに差し掛かり、夜の帳が折り始めた頃。
 カズキは時計を気にしながら先を急げとばかりに、帰宅路の途中にある公園の中を走っていた。
 目的地は、近所のスーパーである。
 昨晩に流れ星を見上げていた際に、まひろがお願い事を少し口から零れさせていたのだ。
 それは料理が得意でないカズキでも作ってあげられる、数少ないまひろの好物であった。
 ならば兄として、その小さな願いを叶えてあげなければならない。
 だが少々材料が足りないために、こうして急いでスーパーのサービスタイムを目指していた。

「とっとっと」

 先を急ぐ足を道の上でたたらを踏ませ、ふいに立ち止まる。

「そう言えば、ここを通れば近道だってアリサちゃんが言ってたような」

 足を止めて振り返った先は、普段の帰宅路から外れた林の中であった。
 散歩道とは名ばかりの、木が鬱蒼と多い茂るだけの獣道のようなものである。
 時間帯に関わらず、カズキは誰かがこの道に足を踏み入れる事を見たことがない。
 カズキ自身、その散歩道をそっと覗き込み、あまりの薄暗さに体をブルブルと震わせていた。
 男子高校生であろうと、怖いものは怖いのだ。

「や、止めとこう。アリサちゃん達にもこの道は暗いから使うなって……」

 一度はそう言いながら首を振り、諦めようとするも足が動かない。
 迷いに迷い、六桝でもいればその間に走れと言われそうな程に時間を食いつぶしてしまう。

「ええい、一直線。真っ直ぐ前へ」

 だが結局、カズキはその散歩道へと足を踏み入れる事に決めた。
 そして直ぐに後悔する事になった。
 木々や枝葉の隙間をぬうように吹く風がざわめき、カラスか何かがギャアギャアと喚きたてる。
 普段であれば気にもとめないそれらの音が、いかにもな感じで耳に届くのだ。
 森全体の薄暗さが恐怖心を駆り立てて、なお怖ろしい。
 一刻も早く、この散歩道ならぬ獣道を抜けてしまおうと、心臓がはやるままに足を速く駆け抜けて行く。
 その時、恐怖心を駆り立てていた音全てがふいに消えた。

「え?」

 あまりに不自然な音の消失に、思わずカズキは立ち止まるままに手頃な木の幹に隠れた。
 全てが静寂に覆われた林の中で、己の息遣いと心音だけが大きく響き渡る気がする。
 そしてカズキは、周囲を静かに見渡す事でその正体をその目に捉えてしまった。
 木々の上をずるりと這って行く何か。
 先程まで抱いていた恐怖心とは比べ物にならない、本能的な嫌悪が背筋を上る。

(嘘、だろ……そう、見間違い。じゃなきゃ、夢だ。夢に決まってる!)

 混乱するままに、だけど声だけは必死に押し殺して心の中だけで必死に叫ぶ。
 カズキが目にしたそれは、巨大という言葉では言い表せない程の大蛇。
 はっきりと頭の先から尻尾まで、全長を見たわけではない。
 頭、胴体と断片的に見ながら、その異様さに目を見張らずにはいられなかった。
 その顎は人を丸飲みできてしまいそうに大きく、胴体は隠れている木の幹より太い。
 テレビで見た事があるアナコンダが可愛く見える程だ。

(じゃなきゃ、あんな怪物在るはずがない!)

 今見た存在の全てを否定する為に、息を飲んで隠れていた木の幹から顔を覗かせる。
 大蛇がいるであろう上を見上げ、今度は心の中の声さえ失ってしまう。
 見間違いでも、夢でもなかった。
 全てを否定したかった存在が、確かにカズキの視線の先に存在していた。
 顎から伸びる鋭利な牙はナイフに等しく、毒液か何かの液に塗れながら獲物を威嚇するようでもあった。
 いや、実際に大蛇は己の獲物に狙いを定めていた。

(あの人、気付いてない!?)

 大蛇とカズキの視線が交わる先、そこに一人の女性がいた。
 後姿ではっきりとは分からないが、特徴的な桃色の髪を後頭部で結び上げている。
 このままでは危ない、そう考えると同時に己の身を思案する事さえなかった。
 頭で考えるより先に体が勝手に動き、隠れていた木の幹から飛び出していた。

「危ない!」

 突然の事で驚いた表情を見せた可憐な女性を無粋にも突き飛ばし、カズキの見る世界がブレた。

「なっ、馬鹿な昨日の、いや違う。魔力は欠片も!」

 カズキの胸から生えたのは、大蛇の牙ではなく鋭利な尾であった。
 人の腕程もある尾に左胸を貫かれ、そこから血を噴出しながら崩れ落ちる。
 まるで操り人の手を離れた人形のように、瞳の色を失くすままに力を失くしていく。
 突き飛ばされよろめいた女性、シグナムは驚愕に目を見開きながらその光景を間近でみていた。
 自分を助けた少年が、胸に致命傷を負い、命尽きようとしている。
 その間、数秒にも満たず、直ぐに我に返ると、胸元のペンダントを握り締め叫んだ。

「レヴァンティン!」

 紫色の閃光がペンダントより迸り、瞬く間にその姿を剣へと変える。
 不可思議なその現象に眉一つ動かさず、シグナムはカズキの胸を貫く尾を薙ぎ払う。
 林の中に響くのは、分厚い鉄板がひしゃげるような鈍い音であった。
 潰れたのは大蛇の表皮ばかりで、決定的な痛手には程遠い。
 両断するつもりではなった一撃を受け止められ、今度こそシグナムは思考を停止させていた。

(魔力は殆ど込めなかったとは言え、この固さはこの世界の生物じゃない。やはり昨日の……だが何故、魔力を感じない!?)

 決定的なその隙を前に、大蛇はカズキの胸から尾を素早く引き抜いていた。
 そして次にシグナムを狙い、既に物言わぬ骸と化したカズキごと薙ぎ払おうとする。

「舐めるな。レヴァンティン!」
「Explosion」

 剣の鍔元にある部位がスライドし、薬莢が吐き出された。
 まるで拳銃のようなギミックが起動した後、シグナムの体に紫色の淡い光が満ちていく。
 同時にレヴァンティンと呼ばれた剣の刀身に炎が絡みつき、猛り狂い始める。
 薙ぎ払われる尾を前に怯む事なく、裂帛の気合の声と共にシグナムがレヴァンティンを振った。
 鋭い斬撃による鋭さと、炎の熱による溶解とで今度こそ切断に成功する。
 尾は宙を舞ってから地に落ち、斬り離されたにも関わらず意志があるように蠢いていた。

「シギャアァァァッ!」

 尾を斬られ、逃げ出そうとする大蛇をシグナムは追いかけようとする。
 そのシグナムの視界の片隅で、崩れ落ちてもまだ血の海を広げるカズキがいた。
 貫かれた左胸は一目瞭然、この場での正解が分かっていても手を伸ばさずにはいられなかった。
 昨晩とは違い、自分は目の前で倒れる少年、カズキに曲がりなりにも救われたのだから。
 あのままカズキが現れなくても、あの程度の一撃を避ける自信はあっても。

「おい、しっかりしろ。私の声が聞こえるか!」

 意味がないと分かりつつも、体を抱き起こし揺さぶっては語りかけた。
 だが、分かってはいたのだ。
 胸には拳よりも大きな穴が空き、瞳からは生命としての光がほぼ失われてしまっている。
 昨晩とは違い、自分程度の治療魔法では間に合わない。
 いや仮に癒し専門の魔法の使用者であるシャマルがいても同じ事だったろう。
 貫かれたのは、よりにもよって左胸。
 今まさに失われつつある命を前にしても、シグナムにできるのはその最後を看取るぐらいのものであった。

「危険を顧みず、私のような見知らぬ相手に手を指し伸ばすその姿勢は見事だった。言い残す事は、伝えるべき誰かはいるのか?」

 心臓を潰されショックで即死しなかったのは、幸いな事なのか。
 もはや遺言を残す力すらないであろうカズキを前に、それでも尋ね口元に耳を寄せる。

「………………」

 聞こえたのは言葉にすらならない、息が喉を通るだけの音である。
 その音も次第に失われていき、完全に光を失くした瞳の色が瞼の奥へと消えていった。
 シグナムはカズキの瞳を完全に閉じさせると、傍に落ちていた生徒手帳を拾い、開く。
 厄介事は避けるべきだが、これは自分が蒔いた種。
 説明し辛い事だが、せめて亡骸を家族のもとへと返すべきだ。

「武藤カズキか。世が世なら、立派なベルカの騎士になった事だろうに。できる事なら、私が導きたかったものだ」

 そう考えたシグナムがカズキを横抱きに抱え上げた時、とある脈動が林の中に広がった。
 奔流とも表現すべき魔力の量と質の広がりに、その震源へとシグナムが振り返る。
 場所は遠くない、直ぐ目と鼻の先。
 茂みの中から淡い青の光が広がり、その光を放つ正体が浮かび上がった。

「青い光の宝石……まさか、昨晩の流星の正体はこれか!」

 アラビア文字でLXX、七十番とナンバリングされた宝石はますますその輝きを強めていた。
 その内に秘めた魔力も同様に高まり続け、ついに弾ける様な閃光を放つ。
 カズキを抱えていた為、腕をかざす事ができず、シグナムは咄嗟に目を瞑るしかなかった。
 林の薄暗さを消し飛ばし、昼間のように照らした直後、辺りは再び暗闇が訪れていた。

「消えた……」

 再び訪れた闇に飲まれる様に、宝石の姿は影も形もなくなっていた。
 輝きを強めるままに弾け飛んだか。
 軽く周囲を見渡し、謎の宝石を捜したシグナムは気付いた。
 抱き上げた遺体から失われたはずの温かさ、それが徐々に蘇りつつある事に。
 そんな馬鹿なと、絶命したはずのカズキを落としそうになるが、生きている。
 左胸の穴は何時の間にか塞がっており、血色も良くなり始めていた。
 そして気付く、癒えた左胸の上に刺青のようなものが見えた事に。
 LXXの赤い文字が薄っすら浮かび上がっていたのだ。
 だがその文字も、カズキの唇から寝息のようなものが聞こえるに従い消えていった。

「分からない事だらけだ。一体、何がどうなっているのだ」

 昨晩見た魔力の塊のような異形、先程見た魔力の欠片もない異形。
 そして、死んだはずのカズキを生き返らせた、青い宝石。
 しばらくの間、カズキを抱えたまま悩んでいたシグナムであったが、一つの結論を出した。
 何も分からないなら、分からないなりに一先ず、カズキを家に返そうという結論をだ。

「放置して、二度死なれても困るしな」

 この腕の中は主専用だが、今だけは許そうと抱えなおす。
 そして一度、林から出ようとしたところで人の声に気付く。
 夕暮れ時だったのは、遥か過去の事である。
 すっかり日も暮れ、こんな時間に公園に訪れる者などまずはいないはず。
 警戒心を露に、木の幹に隠れ伺った先にいたのは、一匹のフェレットと一人の少女であった。

(あのフェレットは昨晩の……とすると、あの少女は救難の念話を聞いたのか?)

 少女は走ってきたのか息を乱しており、ベンチの上でフェレットを膝に乗せながら休憩している。

「あの、怪我痛くない?」
「怪我は平気です。何故か拾われた時には、殆ど治ってて……後は、体力の回復を待つだけだったから」

 巻かれた包帯を器用に振りほどいたフェレットが、いぶかしみながらそう呟いていた。
 治療魔法は仲間に任せきりのため不安で、無事を確認しに来たのだが、その必要はなかったようだ。

「そうなんだ。あ、自己紹介していい?」
「あ、うん」
「えへん、私、高町なのは。小学三年生」

 可愛らしい自己紹介から始まった二人のやり取りであったが、事態はそう気楽なものではなかった。
 少年、ユーノ・スクライアから語られたのは、彼が発掘した古代遺産について。
 手にした者の願いを叶える魔法の石、ジュエルシード。
 次元世界中に散らばる内の二十一個で、現在見つかっている最大のナンバリングは百。
 だがその力の発現は不安定で、使用者を求め周囲に危害を加える事もあるらしい。
 それが昨日の夜にユーノを襲っていた異形の正体なのだろう。
 さらに人や動物が誤って使用し、その結果暴走する事もあるらしいが、それは先程の異形の事だろうか。

(これで昨晩の異形とあの流星の正体が繋がったが……先程の異形は、違う気がする。それに先程のジュエルシードは、まだ意識があったカズキが生きたいと願ったから?)

 まだいくつか謎は残るものの、およそ知りたい事は知りえた。
 今はまず、カズキを家族の下へと、シグナムは話し込む二人を尻目に移動し始めた。









-後書き-
ども、えなりんです。
はじめましての方も、そうでない方もまたよろしくお願いします。
また武装錬金ですよ。
ネギまと武装錬金とのクロス作品は、ブログCrossRoodの方で公開中です。

今回はリリカルなのはと武装錬金の世界融合型のクロスです。
ちょいちょい原作と異なる箇所もありますが、深い理由はあったりなかったり。
まひろが高一から小三になったのも深い意味はありません。
ブラコンは原作設定ですよ?
なのは達は精神年齢高いけど、まひろだけ極端に低い感じです。
将来の夢の作文でお兄ちゃんのお嫁さんと書いて発表する程度には。
あとはおいおい質問等あれば、答えます。

それでは全四十二話、水曜と土曜の週二投稿です。
最後までよろしくお願いします。



[31086] 第二話 痛いわ怖いわで最悪の夢
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/03/07 20:55
第二話 痛いわ怖いわで最悪の夢

 何かが胸を貫いていった衝撃に、世界が震えるように鳴動する。
 暗闇の中でも広がっていくのがはっきりとわかったのは、血の赤色であった。
 それが何処から出ているのか、何故広がっているのか。
 喉の奥からこみ上げ、同じ色が再び広がった時、カズキはようやくそれを察した。
 体の奥底から外へと流れ出る命、そう自分は死ぬのだと。
 普通の人の様に、いずれ今の学生時代が終わり、学生気分も冷めやらぬ内に就職。
 さらに多くの人間関係を形成して結婚、両親のような温かな家庭を作り、いずれ多くの人に看取られ逝くのではない。
 何かに殺された。
 胸を貫くのは金属製の丸太のような何か、異形とも呼ぶべき大蛇の尾。
 自分はこんな化け物に殺されたのだ。

「うわああ!?」

 想像すらした事のない、あまりにも悲惨な死に様に悲鳴を上げて跳ね起きた。
 体全体で跳ね上げられた布団は、そのままベッドの上から零れ落ちていく。
 死んだはずのカズキが、撥ね除けたである。

「俺が殺されたァ!」

 生きている、まだその事に気付かないままカズキが改めて叫ぶ。
 どうやら寝ぼけているらしいが、まだまだその瞳が現実を映す事はない。

「くそぉ、俺の仇だ!」

 ベッドを飛び降り、現実にはいない仇へと向けて身構えた。
 中学一年生の頃から、とある雑誌にて掲載されていた通信空手である。
 いくらそういうお年頃であったとはいえ、普通の人ならば一ヶ月も持たない。
 だがカズキは高校二年生になった今でも続けているのだ。
 実際に使用する事はなかったが、カズキ自身はその腕前にかなりの自信を持っていた。

「くらえ必殺、怒りの怪鳥蹴り!」

 空手、かどうかは不明だがライダーキックにも似た蹴り技が炸裂し、続いて正拳突き。
 空気を相手に仇討ちを繰り広げては七転八倒。
 近所迷惑この上なく、両親が長期の海外出張に赴いている事を感謝すべきだったろう。
 だが起き抜けにそんな事をしていれば、息が切れてしまうのは自明の理であった。
 さらに自分のベッドからむくりと起き上がった小さな影が、カズキを現実へと引き戻した。
 何故か聖祥大付属小学校の制服姿のまま、同じベッドにいたまひろである。

「むー、お兄ちゃんうるさい……」
「あ、悪いまひろ。待ってろ、もう直ぐ俺が俺の仇を……誰が誰の仇?」

 はっと我に返ったカズキは、自分が寝ぼけて暴れていた事を悟った。
 自分の仇などいない、全くの夢の中での出来事。
 なんだそうかとほっとしたのも束の間。
 目元をこしこしと擦っていたまひろが、その瞳を大きく開いてカズキを見つめていた。
 俺が何かしたかとうろたえる間もなく、まひろがふにゃりと顔を崩す。
 その瞳には次第に涙が溜まり始め、決壊は直ぐそこであった。

「びぃぃぃぃぃぃ、お兄じゃん。何処行ってだの!」

 先程暴れていたカズキの騒音よりも酷い、大泣きであった。
 慌てたカズキが要領を得ぬまままひろを抱き上げ、その背中をぽんぽんと叩く。

「どうした、まひろ。何処ってここだ。俺はここだぞ!」
「だっれ、いらかったもん。お腹ずいでも、全れん帰ってこらくれ」
「帰って……来なかった?」

 そもそも、自分は今日どのようにして家に帰ったのだろうか。
 特性明太パスタの為にスーパーへと急ぎ、その後の記憶が曖昧であった。
 何時家に帰り、何時ベッドに入り込んだかも覚えていない。
 さらに着替えもされておらず、まひろ共々制服に皺が出来てしまっている。
 色々と疑問は残るものの、今は寂しかったであろうまひろを必死にあやしていく。
 事実がどうであれ、まひろがそう言うには自分が帰って来なかったのだろう。
 俺はここだと知らせる為に、抱き上げたまひろを抱きしめ、頬を重ね合わせた。
 全身で己の存在が今ここにあると伝え、心細かったであろう気持ちを慰める。
 まひろも泣きながら必死にカズキに抱きつき、逃がさないとばかりに掴まっていた。
 きっと、お腹が空いたままカズキを探して探して。
 ベッドの上にカズキの姿を見つけ、安心してそのまま一緒に寝てしまったのだろう。

「ひぐ、うぅ……お兄ちゃん、ちゃんといる」
「よーし、よし。ごめんな、まひろ。明日こそ、特性明太パスタを食べさせてやるからな」
「本当!?」
「ああ、俺は嘘はつかない。約束だ!」

 特性明太パスタと聞いて一転、まひろが涙で濡れた瞳を輝かせ始める。
 カズキもまひろを抱き上げたまま、小指を絡め指きりげんまんと二人で歌いだす。
 指切ったと言ったところで、まひろの機嫌も表面上は直ったようだ。
 ただまだ心の底では寂しいようで、ぎゅっとカズキに抱きついたままであった。
 そのまひろが、カズキの体をよじ登るようにし、不思議そうに尋ねてきた。

「お兄ちゃん、制服のここ破れてるよ? あ、シャツも」
「え?」

 必死に抱きついていたまひろだから、気付いたのだろう。
 片腕を背中に回してみると、肌触りの荒い部分があり、そこを越えると直ぐに肌であった。
 ピッタリフィットではなく、本当に肌が露出している。
 そして今気付いたが、シャツの胸部分裏と表で同じ場所にも同じような穴が。

「え、え!?」

 いやいや、そんなまさかと思いつつもあの恐怖を思い出してブルブルガタガタ震え出す。

「お兄ちゃん? 怖いの怖いの飛んでけぇー」

 アレは夢だと心で繰り返すカズキを、今度はまひろが何か察したように慰め始めていた。
 その様子を、遥か遠方から窓を通して眺めている一人の女性がいる事に二人は気付いていない。

「どうやら、暴走とやらの兆候はなしか。ならば、常に張り付いて見守る必要もない。後はシャマルにでも、時折監視してもらうか」

 もちろん、彼女のそんな呟きも遠く離れたカズキに届くはずもなかった。









 そこはいつものバス停、それも特に騒がしい時間のアレである。
 普段通りの時間に着いたなのはは、毎朝見かける顔ぶれが列を作る光景を前にし小首をかしげる事になった。
 本当ならば直ぐにでも挨拶すべきなのだが、意外すぎる二人に言葉が直ぐに出てこない。
 バスが来る前に、カズキとまひろが列にちゃんと並んでいたのだ。
 もう少し正確に言うならば、まひろはカズキに抱え上げられギュッと抱きついていた。

「「おはよう、なのはちゃん」」

 重なる兄妹の声に、慌ててなのはも挨拶を返す。
 少しまひろの声が沈んでいるように聞こえ、何かあったのかと思う。

「おはようございます、カズキさん。まひろちゃん、どうしたんですか?」
「ああ、ちょっとね。怖い夢を……」 
「あ、そうなんですか」

 カズキの言葉を途中まで聞き、なのはは凄いと思った。
 素直に怖いものは怖いと、家族に甘えられるまひろがである。
 自分の場合はきっと我慢してしまう、迷惑をかけたくないから。
 一人で布団の中で震えて、まひろが少し羨ましいと思った所で、続けられた言葉に耳を疑う。

「俺が見て」
「カズキさんが見たんですか!? え、じゃあ甘えてるのは……でも、どうみてまひろちゃんで。あれ、え?」
「詳しい事は、皆が来てから話すよ」

 その余りにも真面目な顔と声に、なのははそれ以上今は聞けなかった。
 まひろが、さらに強くカズキに抱きつき、決して離さないようにしていた事もある。
 数分後にはバスが到着し、少し時間をオーバーして停車。
 昨日の朝の風景を焼き回したように、岡倉達三人が駆け込んでくる。
 なのはやアリサ、すずかと同じように武藤兄妹が先にいる事に一応に驚いていた。
 そしてやはり、バスの最後尾の座席にて待っていたアリサとすずかに合流し、まひろを座らせようとするが失敗。
 駄々をこねるように拒否をしたまひろを抱えなおす。

「痛いは怖いはで最悪の夢。おまけになんか凄くハッキリ覚えているし」

 仕方なく、そのままでカズキが話し始めた。

「公園の散歩道?」
「それって昨日、私達が通った道じゃない。近道だから」
「うん、そこでフェレットさんを」

 疑問符を浮かべたなのはに続き、アリサがあそこねと呟いた。
 ただすずかの言葉は、横道にそれそうだったので誰も深くは追求しなかった。

「そう。そこに俺より先に歩いていた女の人がいて、得体の知れない怪物に襲われそうになったところを助けて……」

 得体の知れない怪物というキーワードに、誰もがそりゃ確かに夢だと思っていた。
 アリサやすずかは、理解不能という顔をしているが、岡倉達は覚えがあるという顔である。
 得体の知れない化け物から女性を救う、何処にでもあるヒーロー願望だ。
 ただ一人、なのはだけはどちらとも異なる反応を示していたが、誰もそれには気付いてはいなかった。

「代わりに殺されちったん」
「「倒すんじゃないんだ!」」
「それは斬新だな」

 突っ込んだのは岡倉と大浜で、やるなカズキとばかりに六桝が眼鏡を指で押し上げた。

「なによそれ、変な夢なのは認めるけどって。あ、やばい」

 アリサが指差した先を見て、誰もがカズキの失言の結果を目の当たりにしていた。
 それはカズキの腕の中にいるまひろであり、そのまひろの顔であった。
 可愛らしい顔をくちゃくちゃに歪めてしまい、一度火が付けば爆発するように泣き出しそうだ。
 昨晩に、泣きながらカズキを探し回ったばかりである。
 たった一人の頼れる兄が、しかも本人の口から殺されたと聞かされては、火が付くのは間もなくであった。

「悪い、まひろ。泣くな、死んでない。俺は生きてる」
「ふ、ふぇ」
「そうだぜ、まひろちゃん。カズキは殺したって死ぬような奴かよ」

 元気付けようとしたのだろうが、岡倉の慰めは幼いまひろには理解しがたいものだったのだろう。

「びぃ」

 今正に、岡倉の言葉が火花となって、まひろという火薬庫に飛び火する。

「まひろちゃん!」

 本当にその刹那、珍しい事に普段は大人しいすずかが声を大きくしてその名を呼んだ。

「私のお昼のお弁当の、タコさんウィンナーあげる!」
「ひくっ」
「そう、そうよ。私はえっと……何入ってるのか分からないけど、好きなおかず一個あげる。だから、泣くんじゃないわよ!」
「なのはも、お母さん特性の卵焼きあげる!」

 畳み掛けるようにアリサ、なのはが貢物を進呈する。

「大丈夫、大丈夫だぞまひろ」

 最後の駄目押しとして、カズキが優しく宥めるとやっとまひろがひへらと笑った。
 だがこのままでは、まひろはカズキから離れて小学校へいけるのか。
 その笑顔を見つめながら、カズキはまひろの小さな体を座席に座らせた。
 そのままそっと手を離そうとすると、再び瞳に涙が浮かぶ。

「ほら、何時までもぐずぐずしてんじゃないの。泣いたら、さっきの約束はなしよ。本当、ほっとけない子ね、アンタは」
「今にも涙が零れ落ちそう。はい、これで拭いて、もう泣かないもんね。まひろちゃんは強い子だもん」
「へへー、アリサちゃんもすずかちゃんも大好き」
「ああ、アリサちゃんもすずかちゃんもずるい。私も、私もえっと、よしよし」

 三人が懸命にまひろをあやし、ようやく落ち着き始めたようだ。
 まひろが満面の笑みと共に抱きつき、きゃあきゃあとはしゃぎ始めていた。
 その様子を見てカズキ達もこれで一安心と冷や汗をぬぐった。

「で、お前が怖い夢をみただけじゃ、まひろちゃんのあの様子は説明がつかないな」
「ああ……いや、なんでもない。怖い夢を見た、それで終わり」
「良く分からないけど、まひろちゃんを泣かせてまで続ける話じゃなさそうだね。冬服じゃなくて、夏服なのも聞かないでおくよ」

 六桝からは鋭い指摘を受けたが、大浜の言う通り続けるべきじゃない。
 怖い夢の内容通り、破れてしまっていた制服。
 例え夢と一致する証拠があろうと、この世界に化け物などいるはずがない。
 きっと、知らないうちに転んで夢と同じ場所を破いただけ。
 学校指定の鞄も失くしていたが、きっと散歩道で転んで余程混乱していたのだろう。
 高校生にもなって情けなくは感じるが、きっとそうだと思いたい。

「考えるより先に体が動く性分だけど、それでまひろが泣いたらなんの意味もない」

 アレは夢の中での出来事、それで良い、それで良いのだ。

「それにあんなに痛いのも、怖いのもまっぴらだ」

 これで本当に終わりとばかりに、カズキは自分の顔を両手でぴしゃりと叩いた。
 そこからは、何時も通りの馬鹿話。
 主にカズキ達がおどけて笑って、アリサ達が突っ込み笑う。
 その中でなのはだけは、表面上は笑いながらも心の中で呟き、ここにはいない誰かに話しかけていた。

『ねえ、ユーノ君。ジュエルシード、昨日発動したのはアレだけなんだよね?』
『絶対とは言えないけど、アレだけのはずだよ。他に発動したジュエルシードを感じなかったし。どうしたの、突然?』
『ううん、なんでもない。ただの夢、カズキさんの言う通りそれでお終い』

 覚えたばかりの魔法、念話を用いて一匹のフェレットと短い会話を終えた。








 間が悪いとは、こういう時に使う言葉なのだろう。
 カズキは本日、掃除当番であったのだ。
 つまりは自然と帰りが遅くなってしまい、今正に帰宅の途中であった。
 しかも作ると約束した特性明太パスタの為には、スーパーへと寄るのは必須である。
 さすがにまたまひろを心配させるわけにはと、先にメールを打っておかなければならない。
 心配するなと、直ぐに帰るからと。
 なのは達のおかげで元気を取り戻したといっても、昨日の今日である。
 メールを打ちながら歩いて昨日の公園へと差し掛かり、送信ボタンを押して完了。

「これでよし、それでも急がないとな」

 さあ走ろうとした所で気付く、数メートル先に散歩道の入り口がある事に。
 それを見た途端、頭の片隅で夢の内容が思い出され、体の底から震えが染み出してくる。
 走り出そうとすれば、一歩目で転んでしまうのではと思う程に。

「いや夢、そう決めたんだ。さあ、早く帰ってまひろの相手をしないと」

 慎重に一歩目を踏み出し、二歩目からは軽快にとんとんとんと跳ねるように走る。
 そのまま散歩道の入り口を尻目に通り過ぎ、一度空を見上げてからふうっと息を吐く。
 ほっと胸を撫で下ろすように息は下に向けて吐き、その視線の先にどさりと何かが落ちた。
 驚き、一歩飛びのいたが長方形のそれは学校指定の鞄であった。
 それもカズキが失くしたとばかり思っていたそれである。

「俺の鞄、なんで急に?」

 鞄を拾い上げ、顔を上げると少し先に一人の男がいた。
 歳の頃は三十前後、センター分けの髪が少し外に跳ねたスーツ姿の男である。
 どうやら彼が鞄を放り投げたようだが、何処で拾ったのだろうか。
 そもそも、何故それがカズキの物だと知っているのか。

「その鞄は貴様の物か」

 カズキの言葉を聞いて、男まるで蛇のような鋭い眼光を向けてきた。
 その男に見覚えはなく、何処かで会った事があるわけではない。
 なのに睨まれた瞬間、ザワリと嫌悪感のようなものが背筋を駆け上がった。

「それは昨夜、私の使命を邪魔した輩が落とした物」

 カズキへと向けて男は歩き出し、何か奇妙な音を立て続けていた。
 パキパキと、何かが割れるような音。
 割れていたのは、男の肌、のみならずスーツやその他と男を構成する全ての物であった。
 ひび割れその下にある何かが顔を出そうとしているようにも見えた。
 街灯がもたらす明かりだけでは分かりにくいが、金属質の銀色が見え始めている。

「貴様がそうか。あの場の近くにあったジュエルシードを何処へやった?」

 男が近付くにつれ、警告を鳴らすようにカズキの心臓が脈動する。
 その脈動に反応するようにXLLの文字が胸に浮かび上がっている事をカズキは知らない。

「なんだろ。心臓がすげェ、痛いや」
「喋る気はなしか。昨夜に心臓を串刺して殺したはずだが」

 お互いに会話がかみ合わないまま、一方は距離を詰め、一方は距離をとるように後ずさる。

「そっか、これも昨日と同じ夢なんだ。じゃなきゃ俺今、生きているはずがないし」
「それでも生きているなら今度こそ。確実に殺す!」

 人の形に限界が来たように、男の姿が瞬く間に変わり始める。
 腕も足もなくして、大きく長く、えらまでもが生まれ、巨大な金属製の蛇と化す。
 その姿は、カズキが夢の中で見た大蛇と完全に一致していた。
 彼がまだ人の姿を保っていた時に、なんと言ったか。
 何を串刺しにして、何をしたと。

「う、わああああああッ!」

 全てを理解するより先に、カズキは走り出していた。
 帰り道を逆走するように、そして本能の赴くままに直角に曲がり飛びこんだ。
 その直後、カズキがいたはずの場所へと、大蛇は頭から突っ込み喰らい付いた。
 ごろりと体を回転させて振り返った先で、大蛇が食い千切った大地を丸飲みにしている。
 すぐさま立ち上がったカズキは、丸飲みに失敗し、怒り狂う大蛇の声を背に受けながら走りだした。
 咄嗟に飛び込んだのが、件の散歩道であろうと構っている暇はなかった。

(夢じゃない。夢なんかじゃなかった! じゃあ、あの男が言った事は!?)

 混乱しながらも思考停止だけはせず、必死に逃げるカズキの頭に直接誰かの声が響いた。

『三分で行く。それまで持たせろ』

 ほぼ暗闇に等しい中での突然の声に、足をもつれさせ転んでしまう。
 だが生きる為にと、間髪入れず立ち上がりまた走り出す。

『君は一体、それよりアレは何なんだ!? 俺は一体、どうなってるんだ!』

 自らの混乱をぶつける相手を得て、ほんの少しだけカズキに冷静さが戻る。
 それが良かったのか、悪かったのか。
 この危機に誰かが気づいていると言う安心感、それに反する冷静な思考力。
 プラスとマイナスで減らしあいながらも、ふっとさらに闇が深くなった事に気付く。

「うわあッ!」

 再び、大蛇に頭上から襲撃を受け、かろうじてその餌食になる事を避ける。

『私もまだ全てを把握しているわけではないが、アレは敵だ。私達やお前の平穏を乱す敵だ!』
『単純明快、分かりやすい。けど無理、怖い。すっごい怖い!』
『今は逃げ続ける事だけを考えろ。ただし、できるだけ他に人を巻き込まないようにしろ。昨晩のお前のようになるぞ』
『分かった。幸い誰も来ないような場所だし、なんとしても逃げきる』

 緊急時は、出来るだけ単純な言葉の方が従いやすい。
 この瞬間だけは、単純な命令をされたロボットのように、逃げる事だけを考える。

「シャィアアアアッ!」

 二度も獲物を逃した大蛇が、さらに怒り、威嚇の声をあげてその声が肌を裂くように震わせても。
 今はできるだけ恐怖に気付かない振りをして、逃げるという命令だけをこなす。
 そうすれば余計な事を考えなくて済む。
 もしここで捕まるような事になればどうなるのか、そもそも昨晩本当は何があったのか。
 逃げる事だけを考えて、木々や茂みが鬱蒼とした散歩道を駆け抜けていく。
 そして前方に見えてきた邪魔な大木を避けようとして、カズキは逃げるという命令をみずから拒否して立ち止まった。
 どうしてここに、何故今と目の前に現れた小さな影に問いかける。

「まひろ、どうしてここに」
「びっくりしたぁ。お兄ちゃん、迎えにきたよ。まひろもお買い物、手伝うよ!」

 両手を上げて普段の笑顔で良い子をアピールするまひろ。
 よりにもよって、そのまひろを巻き込んだ。
 いや、まだ大蛇はまひろの存在に気付いていないかもしれない。
 だがさすがにまひろを抱えて逃げ切れるとは思えないし、まひろ本人に走って貰うなんてなおさら無理だ。
 背後より聞こえた大蛇の叫びを耳にして、決断した。
 考えるより先に体が動く性分で、それでまひろが泣いては意味がない。
 それでも、まひろが泣く事もできないような事になるよりは、何百倍もマシだ。
 まひろを置き去りにするように、逃げてきた道へと反転して駆け出す。

「逃げろ、まひろ。俺がなんとか足止めをする!」
「え、お兄ちゃん何処行くの? 一緒にお買いも」

 カズキの焦りが理解出来るわけもなく、付いて来ようとしたまひろの足元がぼこりとふくれあがる。
 そこからは全て、一瞬の出来事であった。

「ふえ?」

 状況がまるで分からず、理解できないと言葉にならない疑問を浮かべるまひろの声。
 その声ごと包み込むように地面の下から伸びたのは、大蛇の顎であった。
 小さなまひろをその顎で、バクンと包み込む。
 続いて聞こえたのは、ゴクリと何かを飲み込んでいく音である。
 それら全てを、カズキは背中越しに聞いていた。

「空腹のまま、この形態で動くのは少々堪える」

 ただただ聞くだけで、カズキは身動き一つ見せなかった。
 まるで、内に秘めた怒りを爆発させる切欠を求めているかのように。

「昨夜、尾を斬り飛ばされた分の補充はこれで十分」

 まひろを飲み込んだ理由がそんな事かと、カズキはついにそれを爆発させた。

「うおおおおおお」

 零れ落ちる涙を振り払いながら、唯一の武器である拳を振り上げる。
 向ける先は、大蛇の口から伸びていた舌、その先にある男の顔であった。

「返せ!」

 殴りぬけ、硬質な感触に逆に拳を痛め、破れた皮膚の下から出血しても殴るのを止めない。

「まひろは関係ないだろ。返せ、返せ返せ返せ返せ!」

 殴っても殴っても微動だにしない顔を、殴り続ける。
 それで痛みを覚えるのは自分だけであったとしても、まひろを取り返そうと必死に。
 だが現実は、あまりにも無情であった。

「調子に乗るな。無駄だ!」

 カズキが十数発は拳を打ち込んだのに相手はものともせず。
 逆に大蛇の尾の一振りで、カズキは体ごと薙ぎ払われ吹き飛ばされてしまった。
 そのまま後方にあった大木に背中から叩きつけられ、木の幹を滑り落ちていく。
 ぶつけた時に切ったのか、頭部からは血が流れ落ち、体の各所が痛い。
 たった一振りで、この様であったが、カズキは大蛇を睨むのを止めなかった。

「錬金術によって造られたこの体は、同じ錬金術かそれに相当する他の力以外は受け付けない」

 錬金術とは何か、それに相当する力とは何か。
 分からない、それが何であるか全く分からないが、もしそんな物があるとしたら。

「力が、欲しい……」

 願い欲したカズキの言葉に反応するように、今再び心臓が脈動する。
 これまでよりも強く、さらに大きく。
 それに促されるように、カズキは木の幹に手をつき、足に力を入れて立ち上がる。
 乱れた呼吸をするだけで全身が痛くても、まだ自分は何一つできていないのだから。
 昨晩に失った自分の命、そしてたった今失ったまひろの命、その奪還を。

「諦めの悪い。お前の命は昨夜、既に尽きているはずなんだ。ジュエルシードを差し出すか、さもなくば先程の少女と仲良く喰われろ」

 最後通牒を前にしても、カズキは揺るがない。
 奪われたものを取り返す、それだけを決意し、吼える。

「喰いたきゃ喰え、ただしまひろは返してもらう!」

 そうカズキが高らかに声を上げた瞬間、その姿は消えた。
 瞬きの間もない一瞬で、まひろと同じように大蛇の口の中へと。
 飲み込まれていった。

「世迷い言に付き合う暇はない。貴様はもう、大人しく死んでろ。ジュエルシードの行方は、残る昨夜の女性ッ!?」

 目の前の全てを平らげ、次なる標的を大蛇が定めたその時、大蛇の体が不自然に震えた。
 その震源は、大蛇の体内。
 たった今、飲み込んだカズキが送られた先であった。

「な、なんだ?」

 正体不明の違和感、異物感に苦しみ身悶える。

「これは一体!?」

 その正体は、のた打ち回る大蛇の頭部より現れた。
 カズキの拳では傷一つ付けられなかった外皮を、竜が内側から食い破った。
 いや竜に見えたのは、大蛇の牙よりも大きく鋭利な刃。
 刃に浮かぶ幾何学模様と、刃の片側に浮かぶ青い宝石が瞳に見えたのだ。

「ぎゃああッ!」

 大蛇の頭部より刃が飛び出し、それに連なる柄をカズキがしっかり掴んでいた。
 片腕に気を失っているまひろを抱えながら、共に飛び出してくる。
 刃の本来の姿は突撃槍、それに打ち上げられるように二人は大蛇の腹の中より生還を果たしていた。

「まひろと俺の命、返してもらうぞ」
「Sonnenlicht Slasher」

 刃の瞳部分が明暗を繰り返しては、電子音のような物を発する。
 すると突撃槍は柄の後部にある飾り尾から爆光を生み出し、さらに二人を打ち上げた。
 のみならず、生み出したサンライトイエローの爆光により、大蛇を破壊していく。
 まるでそれこそが、大蛇自身が言った錬金術かそれに相当する力であるかのように。
 だが頭部を半壊されてもまだ、大蛇はその意識をはっきりと持っていた。

「まさかそれはアームドデバイス、何故貴様がそんな物を!」

 獲物ではなく、己を滅する力を持った敵と認識してカズキに襲いかかろうとする。
 そのカズキは、自分が手にした力の正体も分かってはいない。
 宙に打ち上げられたまま、まひろを庇うので精一杯であった。
 一矢報いたものの今度こそやられる。

「突撃槍のデバイスか。何故そんなものをとは、私も思うが……考えなしで飛び出すお前らしい、似合いの代物だ」

 今にもちくしょうと呟きそうなカズキを守るように、宙で立ちふさがる者がいた。
 約束の三分はとうに過ぎていたが、動き回ったカズキにも非は多少ある事だろう。

「レヴァンティン!」
「Explosion. Schlangeform」

 紫色の炎が刀身より燃え上がり、木々により閉ざされた暗闇の中を照らし出す。

「蛇には蛇を、だが私の蛇は少々気性が荒いぞ!」

 現れた女性、シグナムが剣を振るうと刀身に等間隔のひびが入る。
 ひびを中心に幾重にも刀身が分かれ、それぞれ一本のワイヤーのような物で繋がっていた。
 刃の鞭、連結刃をシグナムが振るうと、言葉通り蛇のようにうねりながら標的を目指していった。
 カズキへと向けて襲いかかろうとしていた大蛇を、瞬く間に縛り上げ、切り刻んでいく。
 完全に身動きを封じたところで、最後の一押し。
 手元に残った唯一の部分、剣の柄をシグナムが渾身の力で引くと大蛇の体は細切れに砕け散っていった。

「この力、小僧の非では……貴様一体」
「答える必要はない」

 粉々になりながらも、しぶとく呟く男の顔を剣に戻したレヴァンティンで貫く。

「尋常ではない生命力、なのに魔力を感じない。だが……」
「あの、貴方は」
「悠長に話すつもりらしいが、君は飛べるのか?」
「ふおお、高え!」

 シグナムに指摘され、下を見たカズキは宙に浮かぶ己の状態を再認識したようだ。
 取り乱し、まひろを強く懐に抱きかかえるもそれ以上は何もできない。
 まひろだけは死守だと、身を固めたところで全身を包んでいた浮遊感が途切れた。

「騎士になりたてでは、やはり飛べないか」
「重ね重ね、ありがとう」

 シグナムに首根っこを捕まれ、穏やかに下ろされる。
 それから一先ず、大蛇の死を最優先で確認する事になった。
 金属のような肉体を持つ大蛇は、死後はその体を保てないようで砂と煙の二つに別れ消えていく。
 完全にその姿が消え去った所で、シグナムとまひろを抱えたカズキは向かい合う。
 微妙な警戒心を向けるシグナムを前に、カズキが先に口火を切った。

「俺、思い出したよ。下校の途中でこの道を通って、こいつに貴方が喰われそうになってて」

 一番最初の恐怖から目をそらさず、封じた記憶の底から掘り起こす。

「思わず助けようとして飛び込んで、貴方の尊い犠牲になった」
「厳密には違うな。確かに不意は突かれたが、それだけで遅れをとる私ではない。先程見ただろう、私の騎士としての腕前は」
「ウソん」
「自分の瞳で見た事実をまだ否定するか?」

 尊い犠牲に重ねられて説明され、それでも尋ねて見たが逆に指摘されてしまう。

「要らないお節介で死んじゃったのか、俺。うわぁ、へっぽこ過ぎ」
「少し、その突撃槍を良いか?」
「え、うん。なんだろこれ。心臓から出てきた宝石が、これになったんだけど」

 自分の武器をあっさり手渡され、逆にシグナムの方が驚いていた。
 そして改めてそのアームドデバイスを観察し、気付く。
 刃の幾何学模様の中にある瞳のような宝玉、コアの部分に浮き上がる文字に。
 アラビア文字のXLL、七十番。
 それはカズキの心臓代わりとなっているであろうジュエルシードのシリアル番号である。
 つまりカズキは元々ベルカの騎士だったわけでなく、死んで生き返った後にベルカの騎士になったという事だ。
 自分の力を偽り、シグナムに近付いたわけではなさそうだ。

「すまない、お前の事を少し疑っていた。これは私のせいでもある」
「貴方の?」
「それを話す前に、一度この場を離れるぞ。結界も張らずに無茶をしたし、その子の事もある」

 腕の中のまひろの事を案じられ、悪い人では無さそうだとカズキは素直に頷いた。









-後書き-
ども、えなりんです。

ここまでほぼ原作通りです。
ちゃんと混ざって来るのは次回からですよ。
カズキが敬語チックなのは、シグナムが明らかに高校生より上だから。
ガッチガチではなく、中途半端に敬語みたいな。

前回お茶を濁しましたが、原作との相違点をちょろっと書きます。
・闇の書は一年早く起動
・なのは達三人娘が仲良くなる切欠
・カズキ達錬金側は寮ではなく実家
(カズキとまひろは二人暮らしで、両親は海外設定)

他にもありますが、大筋はこんなところ。
さて次回はなのは側のお話で、ホムンクルスとぶつかります。
水曜をお待ちください。



[31086] 第三話 お前は妹の傍にいてやれ
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/01/16 23:41
第三話 お前は妹の傍にいてやれ

 目が届く所にと、自分の部屋のベッドにまひろを寝かせ、体が冷えないようにしっかりとシーツを被せる。
 ぽんぽんとシーツの上からあやすように叩くと、にへっとまひろに笑顔が浮かぶ。
 そのまひろの寝息はとても穏やかで、少し前に大変な目にあったようにはとても見えない。
 外傷も特には見当たらず、一先ず一安心といった所か。
 ほっと胸を撫で下ろしたところで、忘れていた痛みが体に襲いかかり始めた。
 自覚した途端に脳の許容量を超た痛みに、膝を付いて疼くまるしかなかった。
 しかも全身が軋みような痛みに震えていると、それがより痛みを誘発させてしまう。

「痛い、いたたた」
「じっとしていろ」

 そう言われ、背中越しに蛍光灯の光とは違う光に照らされる。
 ぼんやりとした紫色の光。
 それがかざされた部分から、徐々にだが痛みが引いていく。
 一体何故と振り返った先、女性の足元には三角形を基本とした幾何学模様が浮かんでいた。

「応急処置程度だ。明日にでも、一度ちゃんとした医者に見てもらえ」

 呟き、何処か優しげに微笑まれドキリとカズキの胸が跳ねる。
 これまで二度、出会ったのは林の暗がりで、今初めて明かりの下でその姿を見たのだ。
 歳の頃はカズキよりも二つか三つ上だろうか。
 ワイシャツの上にこげ茶色のジャゲットを羽織り、色を合わせたタイトスカート。
 そこからは黒のストッキングに包まれた足が、すらりと伸びている。
 見た事のない桃色の髪は後頭部で結い上げられ、やや釣り上がった眼差しが凛々しい。
 しかもその凛々しさの中に、今はカズキを慈しむような感情が含まれていた。
 カズキの好みを差し引いても、ときめくなと言う方が無理であった。

「どうした、顔が赤いが熱っぽさが抜けないのか? 私は治癒魔法は苦手だからな」
「魔法……全然、大丈夫。もう、何も痛くない!」

 名残惜しくはあったが、シグナムがかざす光から飛びのき目一杯笑う。

「そうか、ならば良い」

 そして高鳴る鼓動を落ち着かせ、改めて問う。

「あの怪物は一体なに? 錬金術とかジュエルシードを寄越せとか言ってたけど」
「錬金術、そうか。アレは魔法のないこの世界独自の、それも表には出ない技術か」

 カズキから聞かされたヒントを得て、少しシグナムも合点がいったようだ。
 この世界に留まる事になってそろそろ一年。
 シグナムもこの世界における常識は一通りそろえていると自負する。
 錬金術、それは遥か昔に途絶えて久しい、夢か幻の学問だ。
 少なくともシグナムはそう認識している。

「一昨日の夜、流星を見たか?」
「え、うん……まひろと一緒に数えたけど、きっちり二十一個。筋だっけ?」
「二十一個か。その流星の正体がジュエルシード、ココとは違う世界で生まれた宝玉で、保有者の願望を叶える代物。善悪に囚われず、時折暴走する事もあるらしい」
「そんな物が俺の左胸に埋まっているのか。心臓を潰された俺が、生きたいと願ったから」

 一度死んだ事から目をそらさず、認めたカズキへとシグナムが頷いて返す。

「だったら、あの大蛇は普通の蛇の願望が叶ってあんな化け物に?」
「いや、恐らくは違う。アレはジュエルシードを狙う何者かの尖兵。恐らくは錬金術とやらで生み出された人工の化け物だ。アレ一匹で終わりというわけではあるまい」
「あんな物がまだ他に……」

 海鳴市の平和を脅かすジュエルシードと、錬金術で生み出された化け物。
 恐怖に慄き震えるより先に、拳を握り締めるカズキを見て頼もしそうにシグナムが笑う。
 カズキの姿は、今は久しく見ていないベルカの騎士そのものであるからだ。
 しかしその決意を許容できるかどうかは、また別問題であった。

「昨晩も先程も、人の事になると危険を全く省みないお前の勇猛果敢さは、私も気に入っている」

 突然の気に入っている発言に、押さえつけたはずの心音の高鳴りが再発する。
 明らかに顔を赤くし、照れているカズキに気付く事もなくシグナムはだがと続けた。
 カズキへと向けていた頼もしげな視線を打ち消し、眼光を鋭く尖らせてまで。

「多少なりとも事情を説明したのは、正しく現状を把握し、これ以上軽率な行動をして欲しくないからだ」

 今まさに俺も戦うと言い出そうとした言葉は、先手を打たれて止められた。

「お前は来るな。既に付け狙われていた先程はともかく、お前は戦うべきではない」
「ちょっと待って。確かにまだ弱いかもしれないけど、俺にも戦う力が」
「力を手に入れる事と、戦う事は全く別物だ。それに私はお前が弱いから、来るなと言っているのではない」

 食い下がるカズキを手の平で押し止め、シグナムはその手の人差し指でカズキの左胸を指した。

「その胸にあるジュエルシード、どうやらそれはお前の戦う意志に呼応して発動するらしい。言ったはずだが、ジュエルシードがどんな物か」
「暴走……」
「一度その暴走を目にした事があるが、心臓の代わりなど奇跡に等しい行為だ。もしも軽々しく扱い、暴走でもするならばその時は」

 シグナムとしては、今すぐにでもそのジュエルシードを奪い取るべきだと考えている。
 そしてその為には、カズキを殺す可能性を考慮しなければならない。
 それは同時に、主である少女との誓いに離反する行為であり、易々とは実行できなかった。
 だがその主に危険が迫るような事態に陥れば、躊躇する理由はない。
 覚悟を決めるように、シグナムは胸元にあった剣型のペンダントに触れる。
 それがなんのペンダントなのか、カズキも一度その目にしていた。
 カズキのあの突撃槍のような、シグナムの武器。

「私がお前を斬る」

 シグナムに向けられた眼光により、今はないはずの心臓が小さく収縮した気がした。
 ぞわりとあの大蛇に襲われた時のような悪寒が過ぎり、息が詰まる。
 だがそれも束の間、ふっと緊張感を解きシグナムが笑みを浮かべて再び一指し指で指す。
 今度はカズキの左胸ではなく、カズキの後ろのベッドで眠るまひろであった。

「よく考えろ、妹はどうする? 見た所、両親は身近にいないようだが、その妹が頼れるのはお前だけ。その子を一人残して、戦いに赴くのか?」

 これまでシグナムの瞳には欠片もなかった寂しさのようなものが見えた気がした。
 もしかするとまひろの境遇を身近な誰かと重ね合わせているのかもしれない。

「戦いは私に任せ、お前は妹のそばにいてやれ。そばにいるのがその子の為でもある」

 まひろへと振り返り、打ち震えるカズキの方へと分かるなとばかりにシグナムが手を置いた。
 カズキもそのまま一度は頷こうとするも、首は折れず中途半端な位置で止まる。
 シグナムの言葉は理解しているのだろうが、それでもという気持ちもあるのだろう。
 だがベッドで眠るまひろを見つめ数十秒、ついにカズキは頷いた。
 あの性格上、やりきれない部分もあるだろうと再度ぽんぽんとシグナムはカズキの肩を叩く。
 そしてもはや何も言わないまま、その場を後にしてカズキの前から姿を消していった。









 時刻は少し遡り、カズキがシグナムを伴ない眠るまひろを連れ帰っていた頃。
 夕食を終えたなのはは、ユーノに呼び出され、夜の暗闇の中を駆けていた。
 まだ春先とは言え、夜は肌寒くオレンジ色のパーカーにその身を包み込んでいる。
 その胸元では、赤い宝玉のペンダントが揺れていた。
 ジュエルシードを集めるにあたり、ユーノから譲り受けたペンダントであった。
 その正体は魔法の杖、デバイスであり、名はレイジングハート。
 夜の外出に加え、これから始まるかもしれない戦いを前に時折手で触れては握り締めていた。
 その足が向くのは、聖祥大付属小学校に程近い山の麓。
 生徒の間ではそれっぽく裏山と呼ばれる山であった。

「ひへぇ、はぁ……はぁ。ユーノ君お待たせ。ジュエルシードがあるかもって、本当?」
「御免ね、なのは。また、こんな夜に。お兄さん達に見つかったら、僕が抜け出したとでも言ってくれて良いから」
「うん、悪いけどそうさせてもらう。直ぐ近くだと思ったからって言えば、多分お兄ちゃんも許してくれるよ。それで、その場所って何処?」
「あそこだよ。あの工場跡」

 工場跡と聞かされ、実物を眺めるより先になのはの口元がひくりとひくついた。
 裏山にある廃工場、それは通称お化け工場の事だからだ。
 男の子達が探検に向かい化け物を見たとか、奇妙なうめき声を聞いたとか噂には事欠かない。
 女の子であるなのはにとっては、鬼門とも言えるような場所であった。

「ちょっと、嫌かも……」
「大丈夫、まだ発動はしてなくて。かすかにその力を感じるだけだから」
「そうじゃないんだけど……でも、そうならある意味ラッキーなのかな。うん、頑張れ私。念の為、先に変身しておくね」

 ユーノにもその方が良いと頷かれ、レイジングハートを握り締める。

「風は空に、星は天に、輝く光はこの腕に。不屈の心はこの胸に。レイジングハート、セットアップ」

 パスワードを用いてデバイスであるレイジングハートを起動する。
 夜の闇を払拭し、遠くまで届きそうな桃色の光がなのはを中心に膨れ上がった。
 その光の中でパーカーと赤色のミニスカートが消失、代わりに真っ白な厚手の衣服が現れた。
 学校の制服をイメージし、同じ白のイメージカラーを使用した防護服。
 バリアジャケットと呼ばれるそれを身に纏い、巨大化した宝玉を掲げる杖を手に掴む。

「うん、バッチリ」

 これで勇気百倍とばかりに、なのはが恐怖を抑えて微笑んだ。

「相変わらず凄い魔力だね。それなら大丈夫そうだ。危ない時は、僕も手伝うし」
「ユーノ君は小さいから危ないよ。大丈夫、きっと私にもやれるから」
「なのはの事は信じてるけど、心配な事には変わりはないよ」

 まだ出会って二日目だが、同じ秘密を共有し共に困難に立ち向かおうと決めている。
 時間は関係ないとばかりに、お互いを案じあう。
 そしてユーノはお化け工場へと向けて歩き出したなのはの肩の上に飛び乗った。
 自分でも役に立てるとばかりに、歩くなのはを照らすように魔力の光源を頭上に灯した。
 ややおっかなびっくり、着実になのははお化け工場を目指し歩く。

「うう、夜の山って真っ暗で怖い。まひろちゃんもコレぐらい怖かったのかな」
「まひろって友達?」
「なのはの三人いる親友の一人。とても元気で感情豊かで、でもちょっと泣き虫で。だけどなのは達がお互いに親友になれたのもその子のおかげ」
「そう、大切な子なんだ」

 友達の事を語るなのはの表情は、とても膨大な魔力を秘めた天才には見えない。
 何処にでもいる、ありふれた女の子だとユーノは再認識させられた。
 それと同時に、そんな子を巻き込んでしまったと良心の呵責に悩まされる。

「その子がね。昨日、お兄ちゃんが家に帰ってこなかったんだって」
「もしかして、昼間僕に聞いてきたのは」
「大丈夫、その人は無事だよ。怖い夢を見た、それだけ」

 怖い夢を見たのはカズキだが、本人の為にもそこは気を使って言わなかった。
 そのままお喋りは続けられたが、恐怖を抑えるための反動だろう。
 山の傾斜をゆっくりと上り、ようやくお化け工場の目の前へやがてと辿り着いた。
 夜の闇の中で聳え立つ建物を見上げると、なんと圧迫感のある事か。
 話す事でまぎれていた恐怖心が、再びなのはに襲いかかる。
 さらに夜風のせいか、お化け工場の割れた窓ガラスの奥から唸り声のようなものまで聞こえた気がした。
 理性では隙間を通る風の音と分かっていても、じゃあ怖くないとは簡単に思えない。
 ごくりと喉を鳴らして唾を飲み込み、やや青ざめた表情でなのはが言った。

「そ、それじゃあ行こうか」
「色々と破棄されたゴミとかありそうだから、足元には気をつけて」

 そろりそろりと廃工場の入り口へと近付いていく。
 元は大型車を招き入れたであろう大型のシャッターは閉まってしまっている。
 目指したのはその横にある、人専用の出入り口であった。
 さびのせいか、ドアノブも重く、ドアを開く時もキィッととても嫌な音が響き出す。

「お、お邪魔しまーす」

 誰も居ない廃工場だと分かってはいても、ついついそう呟きつつドアから半身を滑る込ませる。
 その刹那、金属質の何かが足元に絡みつくのを感じた。

「ひっ!?」

 あまりに突然、予想外なソレに硬直し驚く暇もなかった。
 小さく上げた悲鳴すらその場に置き去りにするように、廃工場の中へと引きずりこまれる。
 なのはの小柄な体では抗う事もできず、次に感じたのは浮遊感。
 巨人の手により放り投げられたかのように浮き上がり、そして落ち始めた。
 ユーノが生み出した光源も今はここになく、完全な暗闇の中での落下である。
 前後左右はおろか、上下でさえも見失ってしまい、なのははただただ悲鳴を上げることしかできなかった。

「きゃあああああッ!」
「なのは。くっ、レイジングハート!」
「Flyer Fin」

 そんななのはの代わりにユーノが叫び、レイジングハートが応える。
 なのはの足元に桃色の光の魔法陣が浮かび上がり、魔力で生成されたブーツに羽が生えた。
 こんな場所でなければメルヘンに思える魔法に感動した事だろう。
 だが感動よりもまず、なのはは上下の感覚を取り戻した。
 そして意図してゆっくりと落下し、埃がつもった地面にやや放心状態で座り込んだ。

「なのは、なのはしっかり」

 肩の上でユーノがぺちぺちと頬を叩くも、中々なのはは帰ってこない。
 そんななのはを我に返らさせたのは、大量の光であった。
 ガシャンという音の後に、天井に設置された電球が一斉に点灯したのだ。
 あまりの眩しさに、なのはもユーノも反射的に瞳を閉じていた。
 そしてなのはは我に返り、地獄の光景をその瞳に映しだしてしまった。

「ヴオオオオオ!」

 この世の物とは思えない、大音量の遠吠えを前になのはが耳を塞ぐ。
 あるいはそれは、目の前の光景からの逃避であったかもしれない。

「そんな馬鹿な。ジュエルシードの憑依体がこんなにたくさん。発動は感じなかったはずなのに!」

 ユーノが叫んだ通り、二人の周囲には十体を優に超える数の異形がいた。
 まるで二人を囲い込み、取り逃がさないとしているかのように。
 ヒヒかオラウータン、類人猿のどれかが巨大化し、鋼鉄の体を得たような異形。
 なのはを中に引きずり込んだのは、恐らくその内の一匹の腕だ。

「猿渡さん、早くしてくださいよ。俺は腕が良いですぜ!」
「俺は足、あの細く白い足をガリガリとむさぼりてえ!」
「久々の肉、それも赤子の様にぷりっぷりの美味そうな肉だあ!」

 獲物を前に待てと指示されたように、今か今かと獲物であるなのはを興奮した目で見ていた。

「なのは、立って。レイジングハートを構えて!」
「あ、あ……」

 座り込んでいる暇はないとばかりにユーノが叱責するも、その声は届かない。
 それはそうだろう。
 いくら膨大な魔力があるとは言っても、なのはは昨晩までは普通の女の子だった。
 昨晩のように純粋に魔力が暴走し、感情の欠片もないままに襲ってくる相手はそれ程怖くはない。
 相手を超える魔力があり、どう対処すれば怖くないかなんとなく分かったからだ。
 例えるならば、燃え盛る焚き火を前にしてバケツ一杯の水を持っていたというところ。
 水をかければ火は消える、それを理解していれば怖がる必要はどこにもない。
 だが周囲を取り囲んだ異形達は、なのはをただの食料としてしか見ていなかった。
 科学の発達したこの現代に生まれた一人として、食物連鎖の段が自分より上の存在に会うことはまずない。
 追い立てられる獲物側の気分、それを耐える為には魔法の才能などなんの意味もない。
 その証拠になのはは肝心のレイジングハートを手から取りこぼしてしまっていた。
 なんとか拾おうとはしているが、立ち上がってくれない足と同様に手が全く機能していなかった。
 明確な意志を持って危害を加えようとする何かを相手にするには、余りにも早かったのだ。
 危機に陥るのも、危機の大きさも、全ては経験不足。

「落ち着け、お前ら」

 異形の猿達を宥めたのは、一人の人間であった。
 ガテン系を思わせる引き締まった大きな体をタンクトップに包み、怪しく笑っている。

「その脅えよう。昨夜、巳田が話していた女ではなさそうだが。魔導師なら聞いておくか。おい、こういう石を持ってねえか?」
「それはジュエルシード。返してくれ、それは危険な代物なんだ!」

 ユーノもまた、この時に経験不足を露呈してしまっていた。
 もしくはジュエルシードに対する責任感か。
 馬鹿正直に相手の問いに答えたも同然で、自分達がそれを持つ可能性を示してしまった。
 にやりと猿渡が笑みを深めたのを見て、ユーノも自分の失策を悟る。

(しまった。この状況で優先すべきはなのはだった。今の体調なら一度ぐらいは転移の魔法が使えるかもしれない。今からでも話を引き伸ばして)

 最善は、知らない振りをして話を引き伸ばしなのはを逃がす事であった。
 だが全ては遅きに失していた。

「素直に吐くって顔じゃねえな。お前等、少し遊んでやれ。ちょっとやりすぎて、腕の一本ぐらいは食い散らかしても見逃してやる」
「いやっほー、俺が一番最初だ。腕、腕寄越せ!」
「肉、久しぶりの肉だあ!」

 何故か人間の猿渡の言葉を聞き、類人猿の異形達が飛び掛ってくる。
 ユーノはなのはと打ち合わせる時間も与えられないらしい。
 だが仮に時間を与えられていても、難しかったかもしれなかった。
 恐怖に心を支配され、色を失った顔で脅えるなのははまだ正気に戻っていないのだ。
 もはやレイジングハートを拾おうとする手さえも、止まってしまっていた。
 その手は体を小さくして自分を守ろうとするなのはの頭の上であった。

「レイジングハート、手伝って。時間を稼ぐよ」
「Protection」

 数体の異形が唸らせた拳を叩きつける直前、若草色の光がなのは達を包み込んだ。
 球状に膨らんだその光が、異形達の拳を受け止める。
 次々に拳が叩きつけられては火花を散らし、その威力を音と空気を伝わる震動にて知らしめてきた。
 しかも数え切れない拳の弾幕に、それ以外の視界が全て閉ざされる程であった。

「信じられない腕力、それ以上に数が多すぎる。なんとか隙を見つけて、くっ」

 せめてなのはをと転移の魔法を同時発動しようとすると、魔力障壁にひびがはいった。
 慌てて障壁だけに全魔力を注ぎ直し、立て直す。
 だがこのままではじり貧、いずれ障壁は破られ凄惨な結果が待つのは必死。
 現状を打破するには、ユーノ一人では足りなかった。

「ほら、出ておいで。怖くない、ちょっと腕を一本貰うだけだから。はっはー!」
「ニクニクニク、ニクゥー!」

 こんな状況だがなんとかなのはを宥め、正気を取り戻させるしかない。

「なのは!」

 君の為にもという願いを込めて、ユーノが名前を呼ぶ。
 それでも悪い方へと転がった運命は、容易に引き戻せなかったようだ。
 それが何処から転がり、近付いてきたのかは分からない。
 大勢の異形が足を踏み鳴らす危険地帯を、地面が揺れるたびに転がり動く。
 ユーノが生み出す障壁の向こう側、俯いたなのはの視線の先に髑髏が転がってきた。
 骨以外何もないその空洞と化した眼と、なのはの瞳が重なりあってしまった。

「嫌、もういやああああああッ!!」

 さらに目の前でそれが踏み潰され、完全なパニックを起こしてしまった。

「もう帰る。なのはが悪かったから、昨日約束したのにまた家を抜け出したから。ごめんなさいするから!」

 動かないはずの足を動かし、ここから出してとユーノの結界を内側から手で叩き始める。

「どうすれば、どうしたら!」
『結界を全力で維持して』

 ついにユーノまで焦りから冷静さを失いかけた時、それは聞こえた。
 信じられるかどうか、もはやそんなレベルの事態ではなく信じるしかなかった。
 野生の何かが多い中で理性的な、女の子の声。
 このままでは自分はおろか、なのはの命まで危ないと決断する。

「レイジングハート、僕の魔力を限界まで使って!」
「Protection Max Power」

 より強固な結界を敷いた直後、激震が結界だけでなく廃工場全体を揺らす。
 まるで雷が間近に落ちたかのような轟音も響いていた。
 パニックを起こしていたなのはも、その揺れで転び少し頭をぶつけて身悶えている。
 異形達の拳の嵐よりもよっぽど堪えると、結界の維持に務めるユーノの全身が総毛立つ。
 限界の先の限界まで、魔力を振り絞りついに魔力が空っぽになってへたり込む。
 それと同時に、ユーノが必死の思いで維持していた結界が砕け散ってしまう。
 だがその頃には、廃工場を揺るがす激震も終わりを迎えていたようであった。

「あれ……私なにして、ユーノ君? ユーノ君!?」

 まだ正気に戻って間がないからか、四つん這いで近付いたなのはが抱き起こす。
 それから慌ててレイジングハートを手に持ち、ギュッと抱きしめる。
 周囲には積もり積もった埃と今できたばかりの砂埃で何も見えない。
 一体何がどうなっているのか、記憶が飛んだ間に何が起こっていたのか。
 やがて、何処かから吹き込んだ風がそれら埃を押し流し、視界を明るくしていく。

「お、女の子?」

 なのはの直ぐ目と鼻の先で、背中を向けていたのは一人の女の子であった。
 外国の子か、髪はアリサよりも明るい金色である。
 服装は背中にマントを羽織っている為、良く分からないが、手にはデバイスを持っていた。
 なのはの白と桃色を基調にした何処か可愛らしいレイジングハートとは違う。
 無機質な黒と金属の銀色を基調とし、先端部分に黄金色の宝玉がついている。

「あの……」
「そこから、動かないで」

 そう背中越しに呟かれてなのはは現状を思い出す。
 慌てて周囲を見渡すと、数匹の異形が体の各所を破壊された状態で倒れていた。
 だがそれでもまだ、異形達は十体以上いる。
 あと何体と視線で数えていると、屋内の明かりが少し減った気がした。
 びくびくしながら上を見上げると、廃工場の天井に大きな穴が空いてしまっていた。

(全然、分からなかったけど、この子がやったの?)

 ユーノを抱きしめながら、なんだか良く分からない気持ちを少女の背中に向ける。

「バルディッシュ」
「Scythe Form」

 少女は言葉少なに、デバイスへと命令する。
 杖の先端部分にある黄金色の宝玉の脇にある斧の刃のような部分。
 そこが稼動するように先端へと向けて開き、魔力の刃を形成していった。
 魔法の杖から、魔法の大鎌へとその姿を瞬く間に変えた。

「やれやれ、千客万来。腕に覚えはあるようだが、俺の部下は全く減ってないぜ」
「直ぐに、終わらせる」

 その言葉は挑発をし返す為に、猿渡に呟いたようには聞こえなかった。
 少なくともなのはには、自分を安心させる為に少女が発したように聞こえた。
 視線は代わらず猿渡に向いているが、彼女の意識が自分に向かっているように感じたのだ。
 頼れる者が誰もいないこの状況で、たった一人で化け物達に立ち向かおうとしている。
 羨ましいぐらいに強い子だと、なのははその子の背中を見つめ続けていた。

「やってくれたな、このガキ!」
「危ない!」

 仲間を倒された事に怒りを見せた異形の一匹が、少女へと跳びかかり拳を振り上げた。
 重そうなその全体重をかけて拳を振り下ろし、それは床を砕いて肘の先まで突き刺さった。

「え?」
「え?」

 同じような呟きは、異形の一匹となのはの者であった。
 異形は目の前から少女がかき消え、自分はただ地面を穿っただけと気付いたから。
 なのはもまた少女がかき消えた所までは同じだが、その姿を次の瞬間には別の場所に見たからである。
 瞬き程の間に、少女は殴りかかってきた異形の背と頭に足を置き、その首に魔力の刃を引っ掛けていた。
 そのまま引かれる刃であったが、少し切り込みを入れた所でガリッと止まってしまう。

「残念だったな、俺達はあいにく頑丈なんだ。それとも、さっきみたいに砲撃を何度も撃ってみるか?」
「別に、必要ない」
「強がり、を!?」

 少女を捕まえようと、背中に腕を伸ばした異形が固まる。
 再びかき消えた少女。
 だが次の瞬間、背中へと伸ばされた腕が肘関節の部分で切り飛ばされる。
 頑丈と誇ったその腕が、見事に切断されて宙へと吹き飛ばされた。

「が、この。待て、止め、助け!」

 次は膝関節、反対側の腕の肘、最後の膝を守ろうとした異形の瞳を削り取った。
 三肢を破壊され目まで失っては、いくら頑丈であろうと関係ない。
 最後には襲い掛かる本人にさえ助けを求め、許されはせず床の上に倒れていく。

「い、一斉に襲いかかれ!」

 猿渡ではなく、類人猿の異形の誰かが叫んだ。
 先程のユーノとなのはに対するように、数頼りの波状攻撃を仕掛け始めた。
 今度ばかりは、状況が違った。
 ユーノは放心したなのはを守るべく、身動きが取れない状態であったのだ。
 だが少女はそんなハンデを背負う事もなく、動きまわる事ができた。
 それも瞬き程の間に、その小さな体で異形のが生み出す波の隙間を駆け抜ける。

「痛ぇ、腕。俺の腕が!」
「違う、それは俺の腕だ。返せ!」
「誰か俺の足を、俺の足は何処だ持ってきてくれ!」

 次々に異形達は地面へと倒れ伏し、哀れみを誘うような悲鳴を上げ始めた。
 斬れないはずの頑丈な体を、どのようにして少女は斬り裂いているのか。
 時々瞬間移動したように消える少女の姿をじっとなのはは見つめ続ける。

「そっか、関節。鎧とかでも関節部分は隙間が多いって、お姉ちゃんが言ってたような気がする。あの子……それを知ってて」

 とくんと、なのはは少女の活躍を前に小さく胸が高鳴る気がした。
 その目的は一切不明ながら、確実に彼女は今、なのはを助ける為に戦ってくれている。
 相手が多くても恐れず、普通の攻撃は効かずとも退かず、涼しい顔で逆境を跳ね返す程の強さ。
 格好良い、素直に感じた気持ちを言葉にするとそんな所であろう。
 なのはのようなよちよち歩きとは違う、これが魔導師。
 そして彼女が暴れまわった結果、あたり一面に生まれたのは異形の残骸だけであった。

「はあ、はあ……」

 ただし、数が数であり、後半からは異形達も関節を重点的に守ったせいか息を荒げていた。

「予想以上の動きだな。生け捕りにすれば、良いホムンクルスの材料になりそうだ。部下を失った失態は、それで十二分に補える」
「ジュエルシードを渡して」
「それはできないな」

 少女の目的を知り驚くなのはだが、それ以上に余裕を崩さない猿渡に驚いていた。
 あれだけいた異形は、一匹残らず退治されてしまっている。
 何故あれだけの異形を従えさせられていたかは分からないが、普通の人間に少女は止められない。

「別に力ずくでかまわない。貰っていく」
「気の強い事だ。だが、たった一人で戦い激しく消耗した今、この俺に勝てると思うな!」
「私はいつも一人、それで十分だ」

 猿渡の体の表面がバキバキと奇怪な音を出しながら変質する。
 それをある程度予想していた少女はともかく、なのはは驚きの連続であった。
 人間じゃない、いやだからこそあれら異形を従えられたとすれば納得がいく。
 より巨大に、先程までの異形の三倍から四倍近い大きさまで膨れ上がる。
 その姿はゴリラを元にしたような筋肉質で豪腕を持った怪物であった。

「関節を狙うような温い戦いが通用するか、試してみるか!」

 そう叫んだ猿渡が駆け出した瞬間、少女の足元の瓦礫が盛り上がった。
 そこから伸びてきた異形の腕が、少女の足をしっかりと掴み取っていた。

「しまっ、討ち漏らし!?」
「やりましたぜ、猿渡さん!」

 神速の速さを持つ少女も、純粋な力は見た目通りらしい。
 抜け出そうともがくも、ビクともさせられないでいた。

「一人は辛いね、お嬢ちゃん!」

 猿渡はそれでも容赦なく、少女へと踊りかかりその豪腕を振りかぶる。

「あ、駄目……」

 なのはにとってその目の前の光景は、スローモーションのように見えていた。
 助けに来てくれた少女が絶体絶命で、あと数秒後にはどうなるか分からない。
 今や異形と化した猿渡の言う通り、一人だから。
 そう、誰も他に助けてあげられない、なのはを除いて。

「だめぇぇぇぇぇッ!」

 レイジングハートを握り締め、宝玉がある先端を猿渡へと向ける。

「Devine Shooter」

 宝玉を中心に桃色の光の魔法陣が描かれ、魔力球が生み出され、射出された。
 少女に飛び掛ったばかりの猿渡へ、異形と化した彼の腹の部分にある人の顔に向けて。
 だが衝突の寸前で、猿渡が自分の腕で魔力球を遮った。
 ドンッと爆発し煙を上げるも、五体満足な状態で猿渡が飛び出してきた。
 そして当初の狙い通り、身動きのとれない少女へとその拳を奮う。

「なに!?」

 だが爆煙を脱した直後目にした先には、少女の姿はなかった。

「ど、どういう事だ?」
「れ、連射……できちゃった」

 なのはの驚いたような呟きを耳にして、まさかと猿渡が周囲を見渡す。
 すると遠く離れた場所に少女の足を掴んでいた異形の生き残りが沈んでいた。
 まるで何かに吹き飛ばされたように煙をあげながら。

「貴様!」
「狙ったわけじゃないけど、伏兵はお互いさま」

 なのはを睨もうとした猿渡のそばに少女は現れ、引きとめる。

「ふん、だが貴様達に俺を破壊する術はない。どう足掻いても勝ち目は」
「もう、終わった」
「なに!?」

 少女が呟いた直後、ゴリラの異形と化した猿渡の胸部分。
 人としての名残を残す猿渡自身の顔の額に亀裂が入っていた。
 スペード同士が上下に少し重なった無限を示す記号にも似たマーク。
 そこにだけ正確に少女の斬撃の後が刻まれていた。
 猿渡自身が気付いたからか、巨大な体積を誇るその体が維持できず崩れ始める。

「ば、馬鹿などうして。何故章印が弱点だと分かった、まさか知っていたのか!?」
「二十匹近くも相手にしていれば、偶然かする事もある」
「偶然だと、それにしても」
「けど確信に至ったのはあの子のおかげ」

 少女が振り返り、初めてなのはに正面から顔を見せてきた。
 綺麗な光をたたえつつも何処か寂しげな瞳を向けられ、なのはは少し慌てる。
 何もしてないとぷるぷる首を振ったが、既に少女は見ていなかった。

「あのシューター、威力はそれ程でもない。例え貴方がそれを知らなくても、防御を自慢しておいて顔へ当たるそれを防ぐのは不自然。だから狙った」
「くそ、最初から俺一人で……創造主、申し訳ありません」

 その言葉を最後に猿渡は完全に砂と煙として消え、周りの異形達も同様であった。
 そして少女は、その砂の中から青く輝くジュエルシードを拾い上げデバイスに封印する。

「あの、助けてくれてありがとう。私、高町なのは」

 ようやく完全に恐怖心から解放されたなのはが、少女に駆け寄っていく。
 そして自己紹介をして、少女の返答を待つ。
 だが少女はなのはへと振り返る事なく、地面を蹴って空へと浮かびあがった。

「あ、待って。お名前、聞かせて!」

 そんななのはのお願いもむなしく、少女は夜の闇の中へと飛んで消えていった。









-後書き-
ども、えなりんです。

フェイトちゃん、マジ謎のヒロイン。
そして私は一人と言われてしまったアルフェ……
フェイトって時々、アルフの事をガン無視しますよね。
一方なのは、頑張れ。
トラウマものの夜だったけど、なんとか頑張れ。

さて、次回は土曜日です。
再びシグナムとカズキペアのお話です。
それでは。



[31086] 第四話 俺も一緒に守る
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/01/16 23:40
第四話 俺も一緒に守る

 翌日になっても、カズキは延々と頭を抱えて悩み続けていた。
 あまりにもうんうん言い過ぎて、授業中に何度か注意された程だ。
 それでもお昼休みの今でさえ、購買のパンを食べながらもうんうん唸っている。
 まひろの事を思い、一度は頷いたもののそれで直ぐに何もかもを忘れられるわけではなかった。
 魔法について詳しく聞いたわけではないが、きっとシグナムは強い魔法使いなのだろう。
 大蛇を連結刃で縛りつけ斬り刻む姿は、怖ろしくなる程に綺麗であった。
 とても珍しい桃色の髪も綺麗で、寧ろ彼女の存在事態が綺麗だ。
 年上の綺麗なお姉さん、気に入っているという言葉は何時でも脳内再生可能である。
 もちろん脳の記憶領域にはお気に入り動画としても保存されていた。

「おい、カズキの奴やべえんじゃねえか? 焼きそばパン食いながら赤面してるぞ」
「何か良い事でもあったんじゃない? カズキ君だし」

 同じ机に椅子を寄せ合う岡倉や大浜にそんな事を呟かれているとも思わず、カズキは違う違うと頭を振り払う。
 シグナムが綺麗なお姉さんなのは事実だが、考えるべきはそれじゃないと。
 いくらシグナムが強くても、女性である。
 怪物退治を彼女一人に任せて良いものか、それにもっと気になる事があった。
 それはカズキを諭す為に、まひろの事を持ち出した時のシグナムの瞳である。
 まるでまひろを誰かに重ね合わせたような、とても優しく寂しげな瞳。
 きっと、カズキにとってのまひろのように、シグナムにも守りたい大切な誰かがいるのだろう。
 自分だけまひろのそばにいて、それで本当に良いのだろうか。

「女、だな」

 何を根拠にそう言い出したのか、六桝が突然そんな事を言い出した。
 それを耳にしてからの岡倉の行動は早かった。
 頭を抱えているカズキの制服の胸ポケットへと、素早く手を伸ばす。
 指先が触れたのはカズキの携帯電話。
 まさか女の影がと、着信チェックは親友の義務であった。

「きゃああ、岡倉のエッチー!」

 だが我に返ったカズキが、胸元に伸ばされた腕を振り払い叫んだ。
 男の癖に痴漢された女性のように胸を隠しながら。

「エッチなんだ」
「エッチな岡倉君」
「岡倉はエッチ」

 教室で叫べば周りには丸聞こえで、あり女子生徒にひそひそと噂されてしまう。

「違ーう!」
「人の携帯を勝手に見ようとするから」

 大浜の注意はもちろん遅く、瞬く間に岡倉エッチ説は広まっていった。
 終わった俺の学園生活とうな垂れる岡倉の肩を叩く者がいた。
 それも女子生徒、かなりの剛の者であった。

「あはは、何時も通り賑やかだねこのクラスは。まあ、これも何時もの事だよ。エッチな岡倉君?」

 どんまいと岡倉の肩を叩いたのは、なのはの姉である高町美由希であった。

「わざわざ他所のクラスから、なのはちゃんの事か?」
「さすが六桝君話が早い。そ、なのはの事。あの子が今日学校休んでるの知ってるでしょ?」

 もちろん、毎日同じバスで顔を合わせているので知っている。
 まひろ達が、メールで本人から休む事を伝えられもしていた。
 だが何故休むのかは、誰も知らないし、聞かされてはいなかった。

「ちょっと昨日から体調崩してて、といっても熱とかあるわけじゃなくて。精神的に疲れてたみたいな。元気はないけど、体に異常はない感じなの」
「ふーん、つまりこの岡倉さんになのはちゃんを元気付けてやって欲しいと。そうか、なのはちゃんの初恋は俺か。照れるが、俺の好みは大人の」
「恭ちゃんとガチ殴り合いする勇気があるなら、止めないけど。違うから。岡倉君達は外堀を生める道具、言うなれば刺身のツマ」

 なにそれと、はりきっていた岡倉の膝が崩れ落ちる。

「俺達が行けば、カズキが来る。カズキが来れば、まひろちゃんが。まひろちゃんが来れば、アリサちゃんとすずかちゃんがって所だろ?」
「六桝君、大正解。曲がりなりにも学校休んでるから、今日はって遠慮されると困るの。なのはを元気付けて欲しいから。そもそも私、あの子達の携帯電話の番号知らないし」
「え、知らないの。なら教えようか? 教える相手が美由希さんなら、何も言わないと思うし」
「いーよ、教えられてもどうすれば良いか分からないし」

 大浜が携帯を取り出すも、美由希は良いからと遠慮していた。
 何故遠慮をと大浜達が首を傾げるのを見て、美由希は逆に大丈夫かといぶかしんでいた。
 いくらカズキとまひろが兄妹で、そのまひろがなのは達と同級生でも普通はあそこまで仲良くはならない。
 男子高校生と女子小学生が、休日に集まって遊んだりする程に。
 毎週ではなく、月に一回あるかないかぐらいなのは、世間的にも許容範囲なのか。

「そういうわけで、お願いね。ちょーっと喋って二、三回なのはを笑わせてくれれば良いから」
「芸人扱いかよ、俺達」
「それじゃあ、よろしくぅ」

 岡倉の悲痛な呟きを無視して、美由希は現れた時と同じように颯爽と帰って行った。
 美由希は美由希で姉の本分を果たしただけで、岡倉達に他意はない。
 だから特に異論はないだろと、岡倉は現在何かしら悩み中に見えるカズキを見た。

「大丈夫、俺も行くよ。まひろ達もお見舞いに行こうかって、バスで話してたし」
「それにしても、なのはちゃんどうしたんだろうね」
「カズキと同じで、怖い夢でも見たんじゃねえか? ま、なのはちゃんが悪夢で脅える分には、さまになるつうか、可愛いもんだけど」
「昨日、お化け工場で騒ぎがあったのが関係してるのかもな」

 心配だねと大浜が呟く、殊更明るく岡倉が茶化すなかで六桝がポツリと呟いた。
 一体何の事だとカズキを含め、岡倉達が見つめる中で六桝は一つ溜息をついてから言った。

「お前等、新聞ぐらい読め。聖祥大付属小学校の近くにある廃工場。昨晩、雷が落ちたらしい。それで消防車が駆けつけれ見れば」

 途中から声をおどろおどろしく変え、六桝が続ける。

「天井は雷のせいで破壊されているのに火の気はない。さらに工場内は電灯が隅々まで点いており、そこにはおびただしい数の人骨が」
「おいおい、大人までが子供のお化け工場の噂に振り回されてるってか?」
「真偽はどうあれ、騒ぎになったのは事実だ」
「ちょっと興味湧くけど、今日は止めようよ。なのはちゃんを元気付けなきゃいけないのに、気分が滅入る話は」

 それもそうだなと大浜の言葉に従い、六桝もその口を閉じた。
 だがカズキはその不可思議な話が耳から離れず、気になって仕方なかった。
 特におびただしい数の人骨のくだりでは、フラッシュバックするようにあの大蛇の姿が思い浮かんだ。

「お、俺ちょっと便所」

 胸騒ぎを抑えきれず、カズキは言葉通り便所に駆け込んだ。
 頭の中でとある美女を思い浮かべて、語りかける。
 一分近く試行錯誤を続けて一昨日の夜に繋がった感覚を思い出そうとした。
 それからまたしばらくして、ようやく気付いた。

「俺、あの人の名前知らない。え、そもそも知らなくても繋がるのか。俺今、すっごい変な奴なんじゃ!?」

 散々お世話になっておきながら、まだ名前さえ聞いていなかった事に。
 さらにはトイレでテレパシーを実行など、高校生にもなって奇怪極まりない行為を実行中。
 少し泣きたくなりつつも執念で念話を繋げる事に成功し、コンタクトを取る事に成功する。
 軽々しく首を突っ込むなと注意はされたが、六桝の話を報告。
 そして良くやったとは褒められ、名前も割りとスムーズに教えて貰う事ができた。
 昼の授業に遅刻するという犠牲を少々払いながら。









 舗装はおろか、獣道ですらない山道を、カズキは上り続けていた。
 普通に生活する分には気付かなかったが、昨日の傷がまだ響いているようだ。
 乱れそうになる息を必死に隠して、先を行くシグナムの後をついていく。
 目指す先は山の中腹にある廃工場、六桝が言っていた事件のあった場所であった。
 廃工場へと続く正規の道には野次馬があふれ、警察が大わらわとなっている。
 だからこうして道なき道を突き進み、目指していた。

「立ち入り禁止のテープが張ってあったけど、大丈夫かな?」
「この街にとってあまりにも大きな事件だからな。恐らく必要な人員をかき集めるまでは、ざるなものだ。というか、何時までついてくるつもりだ?」

 もう用はないんだがという顔を隠しもせず、シグナムが立ち止まって振り返る。

「情報の提供には感謝している。だが私は言ったはずだ。お前は来るなと」
「言われたし、一度は頷いた。けど、シグナムさんにもそばで守りたい人がいると思ったから。だから、来た。その子を悲しませない為に」

 その子とまだ見ぬであろう誰かを指摘され、シグナムがピクリと眉を動かした。
 シグナムが一番守りたい主の事は、当然ながら一言も喋っていない。
 何しろ、カズキには先程聞かれるまで自分の名すら喋らなかったのだ。
 一瞬、何が目的だとカズキの瞳を覗きこむが、その瞳に邪なものは見られなかった。
 あるのは純粋な善意、心の奥底まで澄んでいそうなそんな眼差しである。
 きっと、言葉だけでは止まらないだろうと、シグナムは何も言わずに歩き出した。
 カズキからの伝聞と新聞の記述から、辿り着けば現実の過酷さを知り、選ぶべき道を選ぶだろうと。
 そして茂みをかき分け、地に手をついて斜面を上り、三十分程掛けて辿り着く。
 そこは廃工場の裏手であり、左手に小さな焼却炉、右手に駐車場らしき広場が見えた。
 駐車場には警察車両が数台見られたが、人の気配は殆どしなかった。

「さすがに内部に入るのは危険か」
「屋上からなら? 確か雷で大穴が開いたって聞いた。雨どいでも登って」
「屋上に人の気配はないな。それにしても本当に知らないのだな……ほら、掴まれ」

 極自然に手を掴まれたが、カズキは胸を高鳴らせる暇もなかった。
 何しろ軽くシグナムが地面を蹴る仕草を見せただけで、その体が浮き始めたからだ。
 カズキの体も思いの他、力強く引っ張られて屋上へ向けて飛び上がる。
 思わず叫び声を上げようとしてしまったカズキは、咄嗟に口元を片手で押さえていた。

(わー、わー。飛んだ、そう言えば昨日。落ちた時に拾われたっけ!)

 足が地面につかない不安定さがかなり怖く、かと言って引っ張られている手前、暴れられない。
 それもたった数秒の事であったが、屋上に足を着くなりカズキは崩れ落ちた。
 心の準備もなしに飛ばれ、足がぷるぷると震えてしまったのだ。

「び、びっくりした。足が……」

 シグナムと手を繋いだ感動など、欠片も思い浮かばなかった。
 浮かんだのは大地って素晴らしいという、至極当然の感想である。

「お前は……」
「え、なに。シグナムさん?」
「いや、なんでもない。雷が落ちたのは、あっちか」

 何か言いたげな表情であったシグナムをカズキが見上げると、言葉を濁される。
 そのままシグナムは、屋上にある穴の方へと向かってしまい、カズキも追いかけた。
 雷が落ちたとされる場所は、直ぐに分かった。
 何しろ分厚いコンクリートにぽっかりと大きな穴が空いていたからだ。
 歪な円を描いたその穴は半径が二メートル程。
 凄い破壊力と息を飲みながら、カズキもシグナムに倣い穴から下を覗き込んだ。
 その穴からは工場内がバッチリと見え、警察が必死に隠そうとする全てが見えた。
 まるで喰い散らかしたように地面に散らばる人骨。
 本能的に死を恐れたカズキは、背筋に走った悪寒のせいで危うく穴から落ちかけた。

「少しここで待っていろ」

 青ざめ言葉を失ったカズキを置いて、シグナムが大穴から下へと飛び込んだ。
 全く重さを感じさせない軽やかな動きで、工場内部に降り立った。
 それから軽く周囲を見渡すと、あるものに近付いた。
 散らばる人骨と同じぐらい各所に散らばる砂山の方にである。
 しゃがみ込んでそれらに触れ、一握り掴むと上を見上げてから飛んで帰って来た。

「これを見てみろ」
「砂? でもちょっと違う、何処かで……」
「昨晩の大蛇が死んだ後、砂のようなものになったな。それと同一と見て、間違いない」
「ちょっと待って」

 見せられた砂の正体を教えられ、カズキは今一度穴の中を覗き込んだ。
 砂山同士が重なり合い、正確な数は分からないが十以上は確実にあった。
 それだけの数の錬金術の化け物が、昨晩ここで誰かに仕留められたという事だ。

「俺達以外にもアレの脅威を知って、戦ってる人がいる?」
「だと、良いが……」

 カズキの希望的観測を前に、シグナムは肯定よりも否定的な立場で答えた。
 確かにシグナムはそういう立場になりうる少年と少女を知っている。
 だが、あの二人では恐らく無理だと断じずにはいられない。
 あの少女が魔法を知ったのは一昨日、人喰いの化け物を複数相手にするには早すぎた。
 一対一ならまだ分からないが、数の暴力は一番分かりやすい恐怖だ。
 恐らく運悪く遭遇してしまえば、パニックを起こして食い殺された事だろう。

(私やカズキ、あの少年と少女、そして錬金術の化け物とその創造主。まだ他にジュエルシードを集める者がいる。そして、そいつは間違いなく腕に覚えのある人物)

 わざわざ屋上を破壊したという事は、そこに錬金術の化け物が居た事を知っていたとなる。
 あえて敵の包囲網の中に飛び込み、全て跳ね除け、恐らくはジュエルシードを手に入れた。
 シグナムでさえ、一度は斬り捨てる事に失敗した化け物達を相手にだ。
 いくらなんでも敵が多すぎると、渋面を作るシグナムの目の前に、カズキが立っていた。

「シグナムさん」

 正面から真っ直ぐに瞳を見つめられ、強引に思考の海から引き戻される。
 それ程までに、今のカズキの瞳には力が溢れ返っていた。
 つい先程、シグナムによって宙に持ち上げられ、大慌てした挙句、へたり込んでいたとは思えない。
 実際の実力はさておいて、ベルカの騎士と呼んでも差し支えない凛々しさが見えた。

「俺、やっぱり戦うよ」
「それでも私はこう言うぞ、妹を第一に考えてやれ」
「だったら、尚更引けない。この街にまだジュエルシードがあって、それを探す人喰いの化け物がいる。まひろだけじゃない、六桝やなのはちゃん達が危ない」

 誰かの為に、そう呟くほどにカズキの瞳は力を増していく。

「暴走するような危ないものかもしれないけど、俺は確かに戦う力を持っている」
「三度目の説得はない」
「それでも、俺はまひろ達を守る。これ以上犠牲者も出さない。そして、シグナムさんが守りたい誰かを、俺も一緒に守る」
「レヴァンティン」

 静かに相棒たるデバイスの名を呼び、シグナムはその切っ先をカズキの額に突きつける。
 あと僅か、シグナムがその気になれば、一瞬で頭蓋を割れる距離だ。
 カズキもシグナムの腕前は、一度きりだが知っているはず。
 それでも引かない、カズキはただ真っ直ぐにシグナムを見つめていた。
 自分も戦うと、その折れない意志で持って自分が選んだ選択にしたがっている。

(この戦い、ヴィータ達は参加できない。ジュエルシードに錬金術の化け物、この無差別な脅威がある限り、主のそばから離したくない)

 人手は欲しいとシグナムはレヴァンティンを下ろした。

(確かに危険を孕んでいるが……カズキはそれ以上に、ベルカの騎士として正しい資質を秘めている)

 レヴァンティンを元のペンダントに戻し、首に掛け戻しながら少し笑む。

「今からお前は、ベルカの騎士見習いだ。ただし、絶対に私の命令には従う事を誓え」
「うん、了解」
「分かっているのか。こういう事を二度とするなという事だ」
「あ、痛ッ」

 シグナムが今一度カズキの手をとり、今度は力一杯握り締めた。
 涙目になって痛みを訴えるカズキであったが、それは大げさではない。
 握るのを止め、シグナムがカズキの手の平を上に向ける。
 手の皮が剥けてボロボロになっており、大怪我一歩手前の状態であった。

(これで暴走の危険さえなければ、本当に可愛いものなのだが)

 それはそれ、これはこれとシグナムは語気を強めた。

「二度と私の見ていないところであの突撃槍を使うな」
「いや、違う。これはとりあえず俺の突撃槍にカッコイイ名前をと。一番、スーパーウルトラスペシャル以下略。二番、トンボ切りZ。三番、シンプルに槍。四番、意表をついて剣。さあ、どれ!」
「見え透いた嘘をつくな。激しく、どうでも良い!」
「だってシグナムさんだって、剣を大きくする時に名前叫んでるし!」

 最初は見え透いた嘘も、付き続けられてシグナムが少し言葉に詰まる。
 長年そうし続けてきたので今まで疑問にも思わなかったが、カズキを見て初めて思った。
 一々名前を呼ぶのは、少し恥ずかしい行為であったと。
 色々と考えた挙句、レヴァンティンにも意志があるのだからと自己弁護。
 あれは気合の類ではなく、意志伝達の類だと。

「とにかくだ。人助けの為に、文字通り暴走されてはかなわん。一人の時に無闇に力を使うな。それと、私に守りたい人がいる事を吹聴するな。頼む」

 少しテンパッた時とは違い、最後の言葉はシグナムも特に言葉を選んだようであった。
 何か人に知られたくない事でもあるのか。
 深く追求する事はせず、カズキはシグナムの瞳を見つめながら頷いた。









 改めてカズキが戦いの決意を抱いた廃工場の屋上から、はるか頭上。
 大空の風の中に彼らはいた。
 一体は、黒々とした翼を金属の体躯で支える錬金術の化け物、ホムンクルス。
 鷲型のホムンクルスが滞空しながらその背に背負うのは、学生服を身に纏う青年。
 その一人と一体は、はるか上空から廃工場の屋上にいるカズキとシグナムを見下ろしていた。
 いや実際に見下ろし、その瞳で視認していたのは鷲型のホムンクルスであった。

「男子高校生と成人女性が一人ずつ。男の方は、創造主が通うはずだった高校の制服を着ています。女の方は、これ以上近付けば逆に見つかります」

 通うはずだった、そう鷲型ホムンクルスが言うと創造主は僅かに唇を歪めていた。
 失言だったと、鷲型ホムンクルスが沈黙したのは数秒。
 改めて創造主へと伺いをたてた。

「攻撃しますか? ここからでも仕留める自信はあります」
「いや、その女は恐らく巳田の尾を斬り飛ばした女だろう。こちらから危険を犯す必要は無い。ここに花房が見つけてきたジュエルシードが一つある」
「ではあの女に憑依させますか?」
「折角、スペアができたんだ。俺としては、人間が憑依された時のデータが欲しい」

 憑依された側の人間への感情は欠片も見せず、薄ら笑いを浮かべながら創造主はジュエルシードを放り投げた。









 少しずつであったが、廃工場の駐車場には警察車両が増えだしていた。
 それに伴い、人の声が時々怒号も混じって屋上にまで届き始める。
 あまり長くうろついていて発見されては、説明も難しい。
 特にシグナムは、個人的事情から説明の言葉すら持ってはいなかった。

「長居は無用だな。一先ずは、移動するぞ」
「これからどうするの?」
「ジュエルシードは兎も角、錬金術の化け物の情報は皆無に等しい。だがジュエルシードを追っていれば、いずれぶつかり合う。そこから創造主とやらを追い詰め、叩き斬る」
「後回し、悔しいけど……!?」

 目の前の光景、というよりも空から落ちてきた物体を見て、カズキの息が止まる。
 なんの前触れもなく、今にも発動しそうな状態で落ちてきたジュエルシード。
 それはシグナムの全く死角、背後に落ちてきた。

「シグナムさん!」

 思わず声を上げてしまったカズキを前にして、シグナムも気付いた。
 自分に吸い寄せられるように近付いてきたそれに。

「レヴァンティン、封……ちッ、間に合わん!」

 あまりの咄嗟の出来事に、瞬間起動したレヴァンティンで弾くのが精一杯。
 声を上げた事に加え、敵襲に気付かなかったと舌打ちをしながら見上げる。
 その視線の先には、飛びまわらず滞空している鳥のようなものが見えた。

「上空か。カズキ、構えろ!」

 シグナムに続き、上を見上げたカズキが左胸に手を置いた。
 敵襲を前に闘争心を高ぶらせ、手の中にジュエルシードを握りこんだ。
 青い光が瞬いた次の瞬間には、太陽光のような光が溢れだす。
 その光の中からカズキは、突撃槍の柄をつかみ取って光を振り払うように薙いだ。

「何を思って手放したかは不明だが、回収しに来るぞ!」

 そうシグナムが言い終わらないうちに、米粒程の大きさだった鳥が下降を始めた。
 その姿が近付くにつれ大きくなり、それが鷲型の化け物だという事に気付く。
 そしてその背の上に、誰かが乗っている事も。

「突撃槍を空に放て、サンライトスッシャーだ!」
「え?」
「昨晩、大蛇を倒した魔法だ。理由は分からないが、そのジュエルシードはお前のデバイスだ。恐らくある程度の意志もある、叫べ。そして放て!」
「サンライトハート!」

 命令とは違う叫びに、シグナムは違うと叫びそうになったが、踏みとどまった。

「Sonnenlicht Slasher」

 カズキの叫びに従い突撃槍、サンライトハートが刃の上にある瞳を輝かせた。
 するとカズキの足元に三角形を基調とした太陽光の色の魔法陣が浮かび上がる。
 命令を復唱するように電子音が鳴り、突撃槍の飾り尾が光となって爆ぜ始めた。

「突き刺され、サンライトハート!」
「Jawohl」

 カズキが至極単純な命令を出し、サンライトハートがそれに答えた。
 そしてカズキはそのまま上空へと投げつけた。
 カズキの腕力だけでは、途中で失速して落ちてきた事だろう。
 だがそんな予兆が現れる事もなく、飾り尾が太陽光の色の爆光を飾り尾より広げた。
 失速して落ちるどころか、逆に加速していく。
 垂直に重力を完全に無視してカズキのサンライトハートが、隼のように空へと上った。

「回避だ!」

 予想外の反撃だったのか、鷲型の化け物の背にいた人物が叫んだ。
 旋回とも呼べぬ、急転。
 くの字という無茶な軌道を描いて、鷲型の化け物は回避に成功してしまった。
 だがこの時、既にシグナムはカズキの隣、屋上から姿を消していた。
 その身は、カズキのサンライトハートが生み出すサンライトイエローの爆光の中。
 二度、くの字に急転した鷲型の化け物の目と鼻の先に現れ、奇襲し返す。

「驚いた、これが魔導師。超常の力を操る者か」
「違う、私は騎士。ベルカの騎士だ。レヴァンティン!」
「Explosion」

 学生服にパピヨンマスクと、奇異な格好の男に反論しながら命令する。
 錬金術により生み出された化け物の硬さは先刻承知。
 魔力増幅の為の弾丸を打ち出し、薬莢を鍔元からはじき出す。
 そしてその翼をもぎ取り、叩き落してやるとばかりに刀身に炎を纏わせた。
 同時に飛翔の魔法で足場を生み出し、鷲型の化け物の翼へと渾身の一撃を繰り出した。
 だが翼を斬りつけた瞬間、腕に伝わったのはありえない感触であった。

「なにっ!?」

 不意をつき、完全に入ったと思った一撃が不発に終わった。
 腕に残るのは、刃筋が立たず、単純に鉄の棒で目標を叩いたような感触。
 一瞬の驚愕の間に、鷲型の化け物は男を乗せて飛び去っていく。
 どうやら回収は早々に諦めたようだ。
 空は飛べても、やはり地に足をつけて生活する者と、空に住む者では速さが違う。

(あの男も化け物? それにしては、わずかに魔力を……人間、まさかアレが創造主?)

 魔力を全く感じない錬金術の化け物と、僅かに魔力を感じる人間かもしれない相手。
 仮にあの男が人間だとすると、怪物を使役している以上はその可能性があった。

「大丈夫か、シグナムさん。シグナムさん!」
「馬鹿、人の名前を大声で。私達も、撤退するぞ!」

 さすがに推進力を失い落ちてきたサンライトハートを掴み、カズキに放り投げる。
 それからそのカズキの首根っこを捕まえると、再びシグナムは飛んだ。
 廃工場の周囲で騒がしくなる怒声と、屋上へと駆け上がってくる複数の声と足音を背にして。
 このまま遠くへ飛び去りたいが、ジュエルシードは回収しなければならない。
 一先ず周囲の木々の間に滑り込み、その身をひた隠す。
 そして茂みの中から、廃工場の方をうかがうと流石に大騒ぎであった。
 人骨が大量に見つかった廃工場、そこで派手に魔法戦を行えば当然か。

「色々な意味で危ういところだった」
「シグナムさん、怪我は!?」
「だから静かにしろ。私は平気だ。一太刀、入れ損ねたがな」

 怪我がないと聞かされ、ようやくカズキも冷静になれたらしい。

「さっきの、鷲みたいな奴の上に人がいたけど」
「ああ、奴が化け物達の創造主の可能性が高い。そう言えば、お前と同じ制服を着てたな」
「俺の学校の生徒?」
「偽装の可能性は捨てきれないが、可能性がないわけではないな」

 手掛かりが全くない状態からすれば、一度の接触で多くの事を知る事ができた。
 一番は、創造主かもしれない男の手掛かりではない。
 鷲型の化け物、アレがシグナムの剣筋を読んで、その刃が立たない様に翼で防いだ事だ。

(硬いだけの化け物かと思いきや、人間のような戦いができる奴もいるのか。恐らく、今のカズキでは到底、勝てない)

 だがあの男が創造主とすると、あの鷲型は側近中の側近。
 アレ以上の化け物はいないと思って間違いない。
 カズキにはまだ無理だが、シグナムならばまず間違いなく負けないだろう。
 ジュエルシードの収集と、錬金術の化け物の撃破。
 その二つも急務だが、カズキをベルカの騎士として育てる事も同時に急務だ。
 カズキは力を得て、それを振るう決意もできた。
 敵の奇襲に対して脅え竦まず、シグナムの命令に期待通りに答えて見せたのだから。

(だがまだそれだけでは足りない。友を妹を守り、我が主までもを守るには。あの力を自在と呼べるまでに扱えるようにならなければ)

 暴走という不安は確かにあるが、逆に言えば今のカズキならばシグナム一人で事足りる。

「シグナムさん?」

 少し深く思案したせいか、カズキが心配そうに覗き込んできていた。
 怪我はないと言ったが、隠しているとでも思われたか。

「なんでもない。化け物の創造主の事は後回しだ。まずは、先程のジュエルシードの回収に向かうぞ。周辺は野次馬や警察で溢れている。人に憑依されては面倒だ」
「じゃあ、急ごう。ジュエルシードの暴走はまだ見たことないけど、見ないに越した事はない。もう、誰も犠牲は出さない為にも」

 サンライトハート、先程咄嗟に名づけた突撃槍をカズキは握り締めた。
 そして同じくレヴァンティンを手にしたシグナムと共に、走り出した。









-後書き-
ども、えなりんです。
夜に少し予定ができたので、朝に更新です。

美由紀がほんの少し登場です。
原作の年齢は知りませんが、カズキ達とは同学年別クラスの設定。
ちなみに恭也は現在大学生ですが、昨年当たりに同じ学校にいた設定。
だからカズキ達は恭也を「恭也先輩」と呼ぶ感じです。

美由紀と恭也は早坂兄弟ポジ?
さすがにあんな暴走はしませんが、日常シーン的な登場では。
以後も二人はちょいちょい出る予定。

それでは、次回は水曜です。



[31086] 第五話 これが俺の騎士甲冑だ
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/01/21 19:29
第五話 これが俺の騎士甲冑だ

 上ってきた時とは逆に、山の斜面を駆け下りていく。

「シグナムさん、ジュエルシードは何処?」
「このまま真っ直ぐだ。こんな事なら弾くのではなく、足元に叩き落とすべきだった」

 咄嗟の事とはいえ、と言いたげにシグナムが悔やんだように呟いた。
 だが幸運にもジュエルシードは完全な発動状態にはまだ陥っていない。
 急いで駆けつけ、このまま回収して封印する事ができれば問題ないはずだ。
 かと言って悠長に探し回る暇はない。
 なにしろ周辺には廃工場の件を知った野次馬や警察関係者が多いはず。
 下手に誰かが触れるか、強く何かを願えば発動の危険性があった。
 ソレはもはや滑り落ちるといっても過言ではなく、木々の間を抜け、茂みを突破する。
 その視線の先に、木々が途切れ、舗装された道路が見え始めた。

「一度、デバイスを隠せ。森を抜けた先に、ジュエルシードの魔力を感じる」
「分かった」

 シグナムの言葉を聞き、カズキもサンライトハートを待機状態に戻す。
 シリアルナンバー七十番のジュエルシード。
 胸の中には戻さず、それを握りこんだまま最後の茂みの中に飛び込み突き抜けた。
 そのままアスファルトの道路に足を着き、急いで周囲を見渡しジュエルシードを探す。
 だが肝心のそれは見当たらず、代わりに居て欲しくない人達を見つけてしまった。

「あー、いた。お兄ちゃんだ!」

 カズキを指差した後、ぶんぶんと手を振り始めたまひろである。
 他にアリサやすずか、岡倉達三人まで共に行動していた。

『妹と、君の知り合いか?』
『ここに来るといってないし、今頃はなのはちゃんのお見舞いに行ってるはずだけど』
『兎に角、巻き込みたくないなら直ぐにでもここから連れ出せ。私はここで捜索を続ける』

 手短に念話で段取りをつけ、カズキが口を開こうとしたところでアリサが思わぬ事を口にした。

「嘘から出た真。まさかカズキさんが、なのはのお見舞いを後回しにね」
「仕方ないよ。遅れて来るとは言ってくれてたんだし。私達、直ぐにいなくなりますから」
「え?」

 やや膨れるアリサとほっこり微笑むすずかの言葉の意味が、一瞬分からなかった。

「カーズキィィ!」
「おめでとう」
「なんかおごれ」
「ええ!?」

 だが岡倉の嫉妬や大浜の祝福、六桝の率直な意見を前にようやく理解した。
 そう見られたとはとても嬉しいがと思いながらも、頭が上手く回らない。
 今の自分は確実に赤面していると自覚できる程に、カズキの頬は熱かった。
 そんなカズキへと体当たりするように縋りついたのは、まひろである。

「まひろ?」
「ふーっ!」

 そのままカズキの影に隠れながら、まるで猫が威嚇するようにシグナムを見ている。
 いやまるでではなく、兄を取られたくないと本当に威嚇しているのだろう。
 腰の辺りまで伸ばした栗色の髪が、ざわざわとざわめいていた。
 もっとも小柄な事や、生まれ持った穏やかな性質から微笑ましさ以外何も感じないが。

「おお、カズキが青春を過ごす為の最難関」

 これがあったかと六桝を筆頭に、皆が手のひらに軽く握った拳を叩きつけた。

「こら、まひろ。まずはこんにちは、だろ?」
「んぅ、やー!」
「いや、問題ない」

 可愛らしく威嚇を続けるまひろを前に、シグナムがそんな事を言い出した。
 そしておもむろに上着のジャケットの内ポケットに手を伸ばす。
 目的のものは直ぐにみつかったのか、取り出したそれをまひろの目の前に差し出した。
 シグナムの手の平の上に置かれていたのは、包み紙に包まれた飴玉であった。
 威嚇を一時中断、くんくんと鼻を鳴らしたまひろがシグナムを上目遣いで見上げる。
 敵意しか見受けられなかったはずの瞳の中に見えたのは、期待の二文字だ。
 しっかり頷かれ、ぱあっと瞳の中にあった期待がはじけて輝いた。
 シグナムの手の平から飴玉を貰い、アリサやすずかに見せる為に戻っていく。
 その短い道すがらに包み紙から出した飴玉は口の中へ。

「わーい、貰っちゃった。おいひい」
「まひろ……アンタって子は。将来が激しく不安よ」
「まひろちゃん、今回はカズキさんの知り合いだから良いけど。知らない人から物を貰っちゃ駄目だからね?」
「自分でやっておいてなんだが、お前の妹は大丈夫か?」

 アリサやすずかのみならず、飴玉をあげたシグナムにまで心配される始末。
 カズキも我が妹ながらと、涙目で肩を落としていた。
 人を信用し過ぎるのもそうだが、この兄の価値は飴玉一個に劣るのかと。

「で、結局のところカズキ君とはいったい?」

 義妹を手なずけるというより、手際よく敵意をそらしたやり方に大浜が尋ねなおす。

『適当な事を言ってあしらえ。ジュエルシードは近い、余計な会話はない方が良い』
『分かった。何を隠そう、俺は誤魔化しの達人だ!』

 念話で叫ぶなと顔をしかめつつ、それ程の自信かとシグナムはカズキに任せることにした。
 その失敗を悟るのは、数秒後。
 カズキが唐突にシグナムの肩に手を伸ばし、少し引き寄せる。
 恋人のように甘くではなく、少し体育会系が入ったガッシリとした組み方だ。
 そして疑惑の眼差しを見せてくる岡倉達へと、自信満々にカズキは言い放った。

「姉弟」
「先程と言い、何処まで嘘が下手なんだ!」

 岡倉達が何かを言う前に、騙す側であったシグナムが突っ込んでしまっていた。
 組まれた肩の腕を振りほどき、思わず学生服の襟首を締めてしまう。
 そんなシグナムの腰の辺りに、どんと軽く誰かがぶつかって来る。
 つい先程まで自分が威嚇していた相手に、満面の笑みで抱きついてきていた。

「お姉ちゃんだー!」
「本、当に。大丈夫なのかお前の妹は!」

 見事に騙されたというか、信じ切った様子のまひろを前にシグナムはよりカズキを締め上げる。

『もっとあるだろう、他に』
『うーん、あと思いつくのは師匠とか強敵とか』
『この妹にしてこの兄ありか!』

 駄目だコイツはと、自分で言い訳を考え始めるがさすがにここまでぐだぐだであれば、先手を打たれてしまう。

「こんなトコで立ち話もなんだし、翠屋にいかない? そこで思う存分、カズキに奢ら、尋問してからなのはちゃんのお見舞い」
「あ、いいわねそれ。バラバラにいくと、迷惑かけちゃうし。ほら、まひろ行くわよ」
「わーい、翠屋のケーキ。お姉ちゃん、行こう。美味しいよ」
「いや、私は」

 何か言い訳をと頭を働かせたシグナムであったが、直ぐにそれを撤回する。

「分かった。行こう」
「シグナムさん?」

 さすがにこの状態での心変わりに、カズキも違和感は拭えなかった。
 最優先のジュエルシードを差し置いて、ケーキが食べたいのかとは思わない。
 一体何がとシグナムを見つめたところで、顎であるものを示される。

「ねえねえ、どうせならなのはちゃんと一緒に食べたい」
「いいわね、それ。お茶だけにして、桃子さんに包んでもらいましょ」
「なのはちゃん、どのケーキが大好きだったかな」

 恭也先輩がいれば、代金をまけて貰おうと話し合う岡倉達の後ろを歩くまひろ達。
 シグナムが指したのは、アリサとすずかに片方ずつ手を繋がれ歩くまひろだ。
 楽しそうにスキップ交じりに歩く度に揺れる栗色の髪。
 そこに絡まるようにしてちらりと見えたのは、青い輝きを放つジュエルシードである。
 何時発動するかも分からない危険物が、よりにもよって皆と一緒にあった。
 背筋を凍らせながらも、咄嗟に左胸に手を置いたカズキを、シグナムが制した。

『お前は手を出すな』
『俺も手伝う』
『駄目だ、命令には従え。お前の腕では、皆にバレるどころか、下手をすれば妹ごと斬り裂く恐れがある』

 シグナムの命令という言葉ではなく、妹ごとという言葉にカズキが躊躇する。
 それにカズキ自身、サンライトハートにて使える魔法は一つしか知らない。
 これでまたジュエルシードを遠くに弾くのならまだしも、封印に重点を置くならば任せるべきだ。

『誰にも悟られず、手早く私が封印する。仮にあの中の誰かに憑依しようとしても、私ならば対応できる』

 わいわいとまひろ達が翠屋へと向けて歩く中、二人して息を潜めている。
 蛍の様に光るジュエルシードは、まだ発動状態には至っていない。
 まだ発動するなと心で呟きつつ、シグナムがレヴァンティンのペンダントに触れた。
 その時、ドクンとジュエルシードが魔力の鳴動を響かせてしまった。

『レヴァンティン!』

 させてなるものかと、シグナムが念話で命じ、ペンダントから剣へと転じさせる。
 そのまま、まひろの髪に絡むジュエルシードへと刃を向けた。
 さすがのシグナムも、髪に絡まった異物だけを弾く事はできない。
 同じ女性として髪へのダメージは最小限にと、細心の注意を払って刃を振るう。
 レヴァンティンの切っ先がジュエルシードを捕らえる直前に、シグナムは硬直した。
 間に合わなかったわけでも、急にまひろが振り返ったわけでもない。
 まひろ達の誰かではなく、ジュエルシードがシグナムを標的として飛んできたのだ。

(馬鹿な、私は何も願っていない。一体、何が切欠で!)

 完全に予想外の事態を前に、とある事が思い浮かぶ。
 屋上の時もそうだった。
 ジュエルシードは一緒にいたカズキを無視し、まるで吸い寄せられるようにシグナムを目指していた。
 引き寄せる何かがあるというのか、それとも主への献身がそうさせるのか。
 何故という迷路にはまり込んだまま、レヴァンティンの刀身と伸ばした腕を掻い潜りジュエルシードが迫る。

「ちくしょう、サンライトハート!」
「Ja. Sonnenlicht flusher」

 シグナムへと憑依する一歩手前、サンライトハートの切っ先がジュエルシードを捉えた。
 山道の左手、再び続く傾斜面の奥へとそれを弾き飛ばす。
 それと同時に、飾り尾がエネルギーと化して爆発的に膨れ上がった。
 廃工場の屋上で空へと投擲し、シグナムの姿を隠した事から学んだ魔法だ。
 目くらましの光が、二人の姿とジュエルシードを強制的に押し隠す。

「うお、まぶしっ!」
「まひろちゃん達、動かないで!」
「なによ、これ!」

 友人達の悲鳴に心で詫びを入れつつ、カズキはシグナムの手をとり飛び出した。
 ジュエルシードを弾いた方向、傾斜面の山肌へと。

「ちょ、ちょっと待て!」
「え、うわ!」

 斜面に足を着き、そのまま滑り落ちる予定がシグナムがバランスを崩していた。
 咄嗟に庇うように振り返ったカズキが見たのは、目をおさえているシグナムであった。
 何の合図もなく、目潰しにも等しい閃光をくらえば当然だ。
 背中越しにそれらを受けた岡倉達は兎も角、シグナムは正面でそれを受けた。
 斜面に上手く足を着く事もできず、中途半端に振り返ったカズキの胸に落ちてくる。
 シグナムを抱きとめたものの、同じくバランスを崩して、容赦なく急で歪な山の斜面を二人は転がり落ちていった。

「うおあああ、痛い!」

 耳に石がぶつかっては悲鳴をあげ、

「痛い」

 次は頭頂部に石がぶつかり悲鳴をあげる。

「痛い」

 さらには顔面にも大きな石をぶつけ叫びながら、なおも転がり落ちていく。
 それらはなんとか痛いで済んだものの、回転する視界の中で見えたのは岩であった。
 地面に半身を埋め、ここは俺の領土とばかりに鎮座する大きな岩。

「痛そう、けどッ!」

 腕の中にいるシグナムをより深く抱き寄せ、瞳をきつく閉じて備える。
 ゴッと鈍い音を耳にしたのを最後に、一度カズキの意識は完全に途絶えた。
 代わりにその腕の中から脱したシグナムが、頭を振りながら体を起こし始める。
 頭を振ったのも痛みというよりも、視力を一時的に失った目の為だろう。
 しばらくは方膝をついて目頭を押さえ、そのままじっとしていた後に立ち上がった。
 瞬きを数度行い、完全に視力を取り戻したところでカズキを見下ろした。

「まったく、良くやったと褒めるべきか。何をすると叱るべきか」

 制服を泥だらけに汚し、頭から血を流し倒れるカズキの前にしゃがみ手をかざす。
 足元に浮かび上がるのは、紫色の光を放つ三角形の魔法陣。
 拙い割りに、最近良く使うと思いながら治癒の魔法をカズキにかけていく。

「それでジュエルシードは……」

 肝心の封印がまだだと、現状の確認の為に周囲を見渡した。
 転がり落ちてきたそこは、廃工場のある山のふもとの森。
 中腹から一気に落ちてきたという事か。
 傾斜の地面は消え失せ、木々を支える地面はずっと平面が続いていた。
 軽く見渡した辺りにはジュエルシードが見えないが、この間に錬金術の化け物の創造主に回収されても間抜けである。
 なんとしても回収をと思っていると、その森の奥で青い光が瞬いた。
 それと同時に膨れ上がるのは、ジュエルシードが解放した魔力であった。
 その総量を推し量る事も馬鹿らしい程の魔力が、脈動となって周囲に響き渡る。

「ちっ、ついに発動したか」
「ジュエルシード!」

 魔力の脈動に反応したカズキが飛び起きた。
 だが頭を打ったせいか、そのまま少し惚けて治癒魔法を掛けてくれていたシグナムに気付く。

「シグナムさん、ごめん。目は大丈夫!?」
「私は問題ない。だが全身打撲のお前の方が大怪我だ。しかし、これ以上は悠長に治癒魔法を続けてはいられないようだ」

 指摘されてから自分の体の痛みに気付き、身悶えるカズキの前でシグナムが立ち上がった。
 そのシグナムが視線を向けたのは、覆い茂る木々の向こう。
 森の奥の方から、ズシンと地面に杭でも打ち込んだような音が響いてきた。
 それも続けて何度も。
 その後でバキバキと何かが折れる音が聞こえ、木が何本か倒れ始める。

「グルルルル」

 獰猛そうな動物が唸る声の後、カズキとシグナムの目の前の木が折れ曲がった。
 それを成したのは、黒い毛皮に覆われた巨大な動物の前足。
 邪魔だとばかりにカズキやシグナムよりも背の高い木を軽々しく踏みつけへし折る。
 まるで草花を相手にするように、木を平然とへし折っていた。
 声に劣らぬ獰猛さを見せるのは赤い瞳に、異常なまでに鋭い牙。
 ジュエルシードを発動させたのは野良犬か何かか。
 溢れる魔力で体を膨張させ、巨大な狂犬となって二人の前に現れた。

「シグナムさん!」
「ああ、分かって……」

 今にもこちらを喰い殺そうとしている狂犬を前に、カズキが落ちていたサンライトハートを握り締める。
 同じくレヴァンティンを手にしようとしたシグナムであったが、目の前の狂犬ではなくもっと上空を見上げていた。

(見られている。あれは……創造主、それと誰だ?)

 鷲型の化け物の背にいる創造主は分かるが、それより少し離れた位置にいる誰か。
 豆粒のようで分かりにくいが、金色の髪を持った少女のように見える。
 思い当たるのは、廃工場の化け物達を一掃した手練。
 しかしそれなら創造主と近いとも言える距離で、共にこちらを見下ろしている理由が分からない。
 仲間には見えないが協力しあっているようにも見えない、微妙な距離だ。

「カズキ、これの相手はお前に任せた」

 見られている以上、迂闊に手の内を晒す必要はない。
 それにシグナムの視点では、ジュエルシードの憑依体よりも錬金術の化け物の方が手ごわいと感じていた。
 憑依体と錬金術の化け物とでは、魔力の有無もあるが決定的なのは意志。
 敵対者に対する明確な殺意という点で、錬金術の化け物は憑依体を凌駕している。
 この程度の憑依体であれば、初陣を飾るカズキの相手としては申し分ない。
 そう考えたシグナムはレヴァンティンをペンダントに戻し、手頃な木の幹に背を預けた。

「え、俺一人で!?」
「言ったはずだ。お前はベルカの騎士見習い、そして私が師だ。私の訓練は全て実戦形式だ」

 そう喋っている間にも、動物の本能か、狂犬は弱いと判断したカズキに狙いを定めたようだ。
 唸り声を低く抑えては、今にも飛び掛らんと姿勢を低くする。
 慌てて振り返りなおしたカズキは、サンライトハートの穂先を狂犬に向けて構えた。
 すると今度は、唸り身構えている狂犬から目が離せない。
 赤く光り、瞳孔を失くしたような瞳に飲まれ、自覚できる程はっきりと足が震え出す。
 きっと今このタイミングで飛びかかられたら、抵抗むなしくという結果が待っている事だろう。
 震える足は別として、まるで体が置物が何かになってしまったようであった。

「硬くなり過ぎだ。大蛇の化け物を腹から食い破った時、お前はもっとがむしゃらだったはずだ。その腕の中に、妹がいると考えろ。その背中に、守りたいものがあると考えろ」
「まひろが……皆が」

 何時も触れている温かさや、笑いかけてくる笑顔を思い出し強く思う、守らなければと。
 するとほんの少しだが、足の震えが止まった気がした。
 今も目の前で唸る狂犬に恐怖はあるものの、それを上回る気持ちがあれば耐えられる。
 カズキから竦みが消えたのを感じたのか、黒い体躯を唸らせ狂犬が飛び掛かってきた。

「グアアアアッ!」
「うわっ!」

 小さな山が迫るような圧迫感を受け、転がるようにしてカズキはその体当たりをかわした。
 受け止めるなどと馬鹿な事を考えなくて正解であった。
 狂犬が飛びかかった地面にはその鋭い牙を持つ顎が突き刺さっていた。
 地面を丸ごと食い千切り、今度こそはとカズキを睨み、より身長に距離を詰め始める。

「上出来だ。良いか、良く聞け。我々ベルカの騎士は、戦いに赴く場合に甲冑を纏う。魔力を帯びた特性の鎧だ。想像しろ、己を包む強固な鎧を」

 体から余計な硬さが消えたカズキへと、次なる指示をシグナムが飛ばす。
 カズキはジュエルシードが元になったデバイスを武器に変える事は最初からできた。
 だがそれだけではベルカの騎士を名乗るには足りない。
 己が得意とする絶対の武器と、己を護る為の戦いの正装である甲冑。
 この二つがそろってこそのベルカの騎士である。

「俺の、騎士甲冑……サンライトハート!」
「Jawohl」

 カズキの足元に太陽光のような色で輝く、三角形の魔法陣が浮かび上がる。
 時折バチバチと光りが爆ぜるその魔法陣の上で、カズキの姿が光に埋もれていく。
 その間数秒と満たず、再びカズキはその姿を現した。
 光りの中へと消える前と、なんら変わらない格好で。

「よし、行くぞ!」

 だが気合十分とばかりにサンライトハートを構え、突っ込まれる。

「待て、待て待て。人の話を聞いていたのか、騎士甲冑はどうした!?」
「学生服、これが俺の騎士甲冑だ!」

 唐突に想像しろと言ったシグナムもシグナムだが、カズキもカズキであった。
 武藤兄妹の相手は疲れると、シグナムは痛みが走ったかのように側頭部を押さえる。
 溜息までも出そうなところで、シグナムが気付いて叫んだ。

「後ろ、相手から目を離すな!」
「え、ぐぁッ!」

 カズキが振り返った時には既に遅く、狂犬の爪が目と鼻の先であった。
 咄嗟にサンライトハートを掲げ、爪で裂かれる事こそ防げど、衝撃はそうはいかない。
 明らかな体格差からカズキは吹き飛ばされ、背中から木の幹へと叩きつけられた。
 その衝撃の大きさは、叩きつけられた木の幹が陥没する程である。
 一昨日に大蛇の化け物にそうされたように大怪我確実、と思いきや。
 カズキは痛みが殆どなく、酷く簡単に立ち上がれる事に気付いた。

「すごい、痛い事は痛いけど。思った程じゃない」
「だからと言って頼り過ぎるな。まともに攻撃を受けるのは、特に背中の傷は恥だと思え」
「大丈夫、もう簡単にはやられない。少しだけど、戦いってのが分かった気がする」
「ならば今日の指南はこれで最後だ」

 再び飛び掛ってきた狂犬を前に、カズキはシグナムの言葉を聞きながらかわしてみせた。
 落ち着いてみれば、狂犬の攻撃方法は単純きわまりない。
 爪を奮うか、飛び掛っての体当たり、またはその牙だ。
 動きは素早いし、体格差から力は断然狂犬が上だが、戦いようがないわけではなかった。
 今も上空からの体当たりを潜り抜けるようにしてかわし、腹に薄く斬撃の跡を残していく。
 傷は浅いが、確実にダメージを与える事はできる。

「敵を倒すには、攻撃しなければ始まらない。近付いて力一杯叩き斬れ。お前は、得意だろ?」

 こちらもこちらで、単純極まりない指南であった。
 それに応える為にも、カズキは一度サンライトハートを握り直し振り払う。
 すると閃いた刃に続き、赤色の長い飾り尾がカズキの目の前を風に揺らめきそよいだ。
 その飾り尾の布越しに狂犬を見据え、カズキは相棒の名を呼ぶ。

「エネルギー全開、サンライトハート!」
「Explosion」

 柄の根元、カズキが握る部位よりも少し先の部分の機具がスライドし、薬莢を吐き出した。
 高熱を伴なうスチームがそこから舞い、サンライトハートがぼんやりと光を帯びる。
 それはシグナムのレヴァンティンが薬莢を吐き出した時と、ほぼ同じ光景。
 魔力を予め込めていた弾丸を消費し、自身とデバイスに過剰魔力を注ぎこむ装置だ。
 カズキの足元ではより強く三角形の魔法陣が光った。
 その輝きに釣られるように、サンライトハートの飾り尾がエネルギーとなって爆ぜ始めた。

(気にはなっていたが、魔力変換資質か?)

 普通の魔力光にはない爆ぜるという現象に、シグナムが眉を上げる。

「来い、今お前を元に戻してやる!」
「グルゥ」

 爆ぜるカズキの魔力を前に、力を溜めるように狂犬もその身を低くする。
 そして飛び出したのは全くの同時であった。

「ガアアアッ!」
「サンライトスラッシャー!」
「Sonnenlicht slasher」

 狂犬はその体毛により、漆黒の弾丸となり地を蹴った。
 同じくカズキも、サンライトハートの手により閃光の弾丸となって飛び出した。
 対極にあるような色の弾丸が、目にも止まらぬ速さでぶつかり合う。
 先手を取ったのは漆黒の弾丸。
 連なる牙の列を用いてカズキのサンライトハートの切っ先を咥え止めたのだ。
 唯一の武器を封じられたカズキへと、第二の武器である爪を振るわれる。
 それでもカズキは、まだ真っ直ぐ前へと貫こうとしていた。
 愚直なまでに、ただただ真っ直ぐ突撃を続ける。

「うおおおおおお!」

 叫びサンライトハートへと注ぎ込まれた魔力が変換される。
 火でも氷でも雷でもない、純粋なエネルギー。
 それが口内を焼き払い、痛みに悲鳴を上げた狂犬の牙の束縛を緩めた。
 さらに止められたはずの切っ先が暴れ、振るわれた爪は途中で止まった。
 やがて牙の束縛を離れ、口元から胴体へと魔力により膨れ上がった体を切り裂いていく。
 その先に待つのは発動状態のジュエルシードである。

「Eine Versiegelung」

 封印と呟いたサンライトハートが、その刃を真っ二つに上下に開いた。
 まるで竜が口を開いたような形となり、刃を支える骨組みまでもを露出する。
 そしてその竜の口の先で摘むようにジュエルシードを捕獲し、刃が再び閉じた。
 竜が宝石を飲み込み、封印は完了。
 その証拠にジュエルシードの魔力は消え去り、狂犬の姿も徐々に縮小されていく。
 魔力のよりどころをなくし、消耗する一方なのだ。
 最後に残されていたのは、お腹を空かしたまま倒れている小さな子犬であった。

「くーぅ」
「よーし、頑張ったな。後で何か食わせてやるから、もう少し我慢な」

 倒れていた子犬を拾い上げ、カズキはまひろにするように高く持ち上げる。
 戦っている間の眼差しから一変、初陣の緊張感は何処へやら。
 今ではすっかり、何処にでもいる普通の高校生の顔であった。

「この様子では気付いてないな」

 シグナムの呟きは、二つの意味を持っていた。
 それはカズキが見せた魔力変換資質。
 シグナムも似て非なる資質を持つが、それは魔力を炎に変換する力である。
 だがカズキの場合は、純粋なエネルギー。
 魔力変換資質を持つ者は少ないが、あのような光のエネルギーとはまた珍しい。
 それはこれからカズキが戦っていく上で、大きな力となる事だろう。
 そしてもう一つは、シグナムが傍観を決め込む事になった理由でもある。
 上空にてこちらを伺う鷲型の化け物と創造主、そして正体不明の少女であった。









 一度は逃げ帰ったと見せた創造主は、鷲型のホムンクルスの上で全てを見ていた。
 もちろんシグナムが睨んだ通り、敵戦力の確認という意味もある。
 だがその本当の目的は、ジュエルシードにより変質した子犬の観察であった。
 ジュエルシードは膨大な魔力により、生き物を変質させる。
 進化でも変化でもなく、全く別のものへと唐突にだ。
 それこそが、創造主が求めるジュエルシードの力であった。

「本当に見たかったのは、人間が変質する様だが、まあいい」
「創造主、この者はどうされますか?」
「んー、見たところこちらに敵意はないようだけど」

 お互いにアクションを見せなかったからこその同席であった。
 改めて創造主が視線を寄越すと、少女の方も僅かに振り返り視線を返してきた。
 方や創造主は学生服にパピヨンマスク、挙句に鷲型のホムンクルスの上。
 一方の少女も負けてはおらず黒マントに、同じく黒の肌に張り付く上着にミニスカート。
 グローブにブーツ、ニーソックスに至るまで黒一色、あげくに仰々しいデバイス。

(怪しい奴)
(怪しい人)

 お互い様な感想を抱きあっているとは、思いもよらず。

「ゴホッ、風が冷えてきたな」
「大丈夫?」

 創造主が見せた苦しげな咳にとある人を重ね合わせ、思わずといった感じで少女が訪ねた。

「別に。鷲尾、帰るぞ」
「仰せのままに」

 機嫌を損ねたように創造主はぶっきらぼうに命じ、鷲型のホムンクルスに乗り去っていく。
 それを見送った少女は、静かに瞳を閉じて念話を飛ばした。
 手に持つデバイスとは別の、もう一人の相棒へと。

『アルフ、記録は?』
『ばっちり、ジュエルシードが子犬に憑依してからずっとね。ちょっとあの子には可哀想な事をしたけど』
『アルフは優しいね。でも、きっと大丈夫』

 少女は今一度はるか地上を見下ろし、子犬を掲げているカズキを見下ろした。
 つい先程までその子犬に襲われたというのに、抱き上げて笑っている。
 きっと子犬をそのまま見捨てず、連れて行ってくれる気がした。
 空腹時の願望にジュエルシードが反応したようだが、きっとこの後でお腹一杯食べられる。

『それならきっと、悪くない結末だと思う』
『だね。胸糞悪い仕事だけど、こんな結末なら悪くない』
『ごめんね、アルフ。嫌な仕事をさせちゃって』
『フェイトは悪くないよ。悪いのは……あー、もう帰ろ。なんだか私もお腹空いてきちゃった。ご飯、ご飯!』

 相棒の子供のような声に少女は、フェイトはクスリと笑い頷いた。
 そして別の場所で相棒と合流する為に、創造主とは逆方向に飛んでいった。









-後書き-
ども、えなりんです。

たぶん、戦闘よりもまひろを書いている方が楽しかったw
まひろの細かい行動までプロットにあるはずもなく。
勝手に動いてくれました。
まひろは平時からこれなので、アリサ達は常に気が気でない感じ。
特に精神年齢が高い三人は、構いまくりにもなります。

あと、原作と同じようにシグナムに向けて飛んだジュエルシード。
原作と同じようだけど、原作準拠とかではないですよ。

それでは次回は土曜日です。



[31086] 第六話 私が戦う意味って、あるのかな……
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/01/21 19:21

第六話 私が戦う意味って、あるのかな……

 口に含んだそれは、食べ慣れた大好きな味がしたはずだった。
 まひろ達が、お見舞いのお土産にと翠屋で購入して来てくれたケーキである。
 なのはの母親である桃子がパティシエとして作ったケーキ。
 それこそ生まれた頃から舌に馴染んだはずの味が、今のなのはには何も感じられなかった。
 昨晩の出来事により、まるであの場に味覚を感じる心を落としてしまったかのように。
 理由は分かっている。
 だがそれを認識すると記憶の扉が無理やり内側から開かれ、体が震えだしてしまう。

「なのはちゃん、美味しくない?」
「え、あ……ううん。そんな事はないよ、お母さんが作ったケーキだもん」

 心の内を見抜かれたようなまひろの言葉に、フォークを落としそうになる。
 まひろは感情が豊かな分、感受性が高く、こういう所は誰よりも鋭かった。
 嘘をつく事は忍びないが、なんとか取り繕うように笑って見せた。

「そうよ、その聞き方は失礼よまひろ」
「やっぱり、どこか具合が悪いの?」
「どれどれ、んー……平熱だと思うが。顔色がちょっと悪そうだ。水分とるか?」
「お見舞いに来ておいてなんだけど。僕らがいるとなのはちゃんも落ち着かないかもね」

 岡倉が額に当てた手の暖かさに、甘えたいという願望がなのはの心を満たしていく。
 誰でも良いというのは失礼だが、兎に角誰かにそばに居て欲しかった。
 先日、まひろがカズキにくっついて離れなかった時の様に甘えたい。
 極度の恐怖体験から心は誰かを求めているのに、なのはの性質がそれを許さないでいた。
 大浜の言葉を否定し、もう少し、もっとと本心を口にしたい。
 なのに孤独な幼少期の体験から、無理に笑顔を作って心にもない事を言ってしまう。

「大丈夫、全然平気。明日にはちゃんと学校に行くから、平気だよ」
「まあ、本人がそう言うのなら、信じるしかないな。それじゃあ、俺達はお暇するよ」
「うん、今日はありがとうございました。岡倉さん、大浜さんに六桝さんも」
「おう、何か困った事があったら何時でも連絡くれよな。全員で飛んでくるからよ」

 六桝の言葉にお礼を言い、頼もしい岡倉の言葉に余計無理を重ねて笑顔を返す。

「アリサちゃん、私達もそろそろお稽古の時間だよ」
「え、もうそんな時間? うぅ、なのはがまだ……」
「そんなに心配しなくても、大丈夫だよ。本当に」
「まひろどうなの?」

 今一信憑性に欠けるなのはの大丈夫を前に、アリサがまひろに振った。
 丁度部屋を出て行こうとしていた岡倉達も、気になったのか立ち止まっている。
 アリサに言われたまひろが、じっとなのはの顔を覗き込んでくる。
 何も考えていないような、それでいて心の底まで見透かすような純粋な瞳。
 それを前に、思わずなのはは耐え切れないように瞳をそらしてしまった。

「なのはちゃんのお家にお泊りする!」
「ええ!?」

 もう少しいるならまだしも、やや飛躍した言葉になのはがそらした瞳を戻す。

「何処でどうそういう結論に至ったかは謎だけど、なのはそうして貰いなさい。今日も、士郎さん達は翠屋が忙しいんでしょ?」
「こういう時、まひろちゃんは侮れないよ。まひろちゃんがそう言うなら、今のなのはちゃんにはまひろちゃんが必要だと思うの」

 すぐさまアリサとすずかが岡倉達にアイコンタクト。

「カズキにメール送っといた。まひろちゃんがお泊りだって。着替え、持ってきてもらいな」
「こっちは桃子さんにメール送信完了」

 まひろの言葉はまさに鶴の一声であったらしい。
 瞬く間に、岡倉に始まり六桝に外堀を埋められてしまった。
 カズキとまひろは二人暮らしなので、時々桃子が手料理を振舞っている。
 きっとなのはが塞ぎ込んでいる事と合わせ、お泊りの件は即決で受け入れられる事だろう。
 二人を招く事で常に誰かがそばにいる事ができると。
 おかげでどちらが見舞われているのか、分からなくなるような言葉をなのはが紡いでしまった。

「え、でも。まひろちゃんに悪いし」
「なのはちゃん、誰かにそばに居て欲しい時にそう言うのは悪い事じゃないんだよ?」
「さ、なのはちゃんが上手い言い訳を考える前に撤退開始」

 大浜の駄目出しの後で、六桝が有無を言わせず皆を誘導していってしまう。
 もはやこれまでと、扉が閉められるのを見ているしかなかった。
 そして扉が閉まると同時に、まひろがベッドの上へと軽く飛び込んできた。
 ベッドの一部が凹みを作るが、逆にその他の部分はぽんと弾む。

「わっ、まひろちゃん」

 アリサがいれば窘めれられただろうが、既に階段を降りる音さえ聞こえない。
 これでまひろも色々と学習しているらしい、悪い方に。

「へっへー、なのはちゃんの匂いがする」

 何が楽しいのか、布団ごとなのはにぎゅっと抱きついてくる。
 身長はまひろの方が高いのだが、こういう時は妹みたいであった。
 お腹の辺りにある栗色の髪の毛を撫で、少し思い切って抱き返してみた。
 先程まひろがなのはの匂いと言ったように、なのはの鼻はまひろの匂いで溢れてしまう。
 さらに腕に伝わる感触は柔らかく、お風呂よりも温かい。
 そのままその温かさに身を委ねていると、口の中がなんだか甘くなってくる。
 クリームの甘さに、果物の酸っぱさ、スポンジの欠片、味覚が少しずつだが戻ってきたのだ。

(頭が変に思い出そうとしない。思い出しちゃうと、やっぱり怖いけど。思い出そうとする自分が怖くない)

 より多くの温かさを求めたせいか、まひろが腕の中でもぞもぞと動く。
 力を入れすぎたのかと少し緩めると、輪にした腕のなかからまひろが見上げてきた。

「もう、怖くない?」
「うん……今度こそ、大丈夫」

 何故分かったのか不思議には思わず、問いかけに素直に答える。
 昔から、小学校一年生の頃に出会ったからまひろはそうであった。
 弱っている人や困っている人が、いくらそれを隠そうとも嗅ぎ分けてしまうのだ。
 ハーフ故に孤立したアリサ、引っ込み思案で踏み出せないすずか、自分を上手く表現できなかったなのは。
 その三人の孤独を直感的に見つけ、懐に飛び込んできたのがまひろであった。
 誰だって懐に飛び込んできた可愛い子犬を振り払ったりはしない。
 というか、一時は振り払おうと気の強かったアリサが声を荒げても、まひろは聞いていなかった。
 やがてその子犬に逆に振り回され、目を離すと何かと危ないと集まったのが親友の始まり。

『なのは、少しだけ良い?』
『うん、大丈夫。心配掛けてごめんね、ユーノ君。ジュエルシード、どうだった?』

 ジュエルシードの発動を感じたと、出かけているユーノの念話に応える。
 直ぐにユーノから返事が帰ってこなかったのは、塞ぎこんだなのはがあまりにも普通に返答してきたからだろう。
 恐怖体験としか言いようのない昨晩の出来事の切欠が、何しろジュエルシードだ。

『もう既に、誰かに封印して回収されたみたい』
『そう、あの子かな』

 まひろの温かさに守られながら、今度こそ落ち着いて昨晩の出来事を思い出す。
 何もできないばかりか、パニックを起こして守ってくれていたユーノさえ危険にさらしてしまった。
 そして気が付けば、あの少女が自分を守るように怪物との間に立ちふさがっていた。
 圧倒的な数と力の暴力を前にしても引かず、恐れず撥ね除ける。
 その姿が格好良いと見惚れた程であった。
 心が恐怖に支配された状態にも関わらず、あんな風になりたいと憧れる程に。
 だがと、なのはは思う。

(私が戦う意味って、あるのかな)

 あの少女に比べて、自分の力が余りにも小さいと感じられた。
 ユーノは才能があると言ってくれたが、いや言われたからこそ。
 才能があってもあの程度、そんな自分がジュエルシードを探そうとして良いのか。
 逆に邪魔をしてしまわないか、またユーノにも迷惑をかけ、危険にさらさないか。
 力はあっても、自分が戦う意味をなのはは見い出せないでいた。









 なのはがユーノとの念話を終えてから少し後。
 二人の少女が楽しげにお喋りをする光景を、そっとドアの隙間から覗き込む二つの影があった。
 傍目にはとてつもなく怪しい人影だが、もちろん危険なものではない。
 なのはとまひろ、それぞれの兄である恭也とカズキである。
 無粋にも部屋の中へと入ろうとしたカズキを、恭也が止めた結果だ。

「それでね、お兄ちゃんがこうやって怒りの怪鳥蹴りって。ふにゃぅ」
「まひろちゃん、ベッドの上で飛び跳ねちゃ駄目だよ」

 ベッドの上で再現を行ったまひろは、弾む方向を間違えそのまま転がり落ちていく。
 少し驚き手を差し伸べながらもなのはが、人差し指を立ててメッと叱った。
 ごめんなさいとまひろが謝った後で、笑ったなのはがよくできましたと撫でる。
 まひろも撫でられるだけで良しとせず、もっと褒めてと抱きついた。
 微笑ましい光景ながら、話の種がカズキの失敗談であった。
 やめてこれ以上俺の評判を落とさないでと、カズキは両手で顔を覆っていた。
 今さらなのは相手に落ちる程に高さがあったかは別にして、肩をとんとんと叩かれる。
 無言で階下を指差した恭也の後に続いて、階段を降りていく。

「顔、見せてあげないんですか?」
「ああ、今俺が行くと折角のなのはの笑顔が失われそうでな」

 よく分からないという顔を見せるカズキに対し、自嘲めいた笑みを恭也が浮かべていた。
 そのまま案内された居間でソファーを勧められ、淹れられたお茶を飲む。

「まひろちゃん達やお前達には、本当に感謝している」
「感謝?」
「少し事情があってな。俺達はなのはに負い目みたいなのがあって、踏み込めないでいるんだ。俺が言う事ではないが、美由希がお前達を頼ったのが良い証拠だ」
「でもそれは、翠屋が忙しくて。それに恭也先輩も、早引けして様子を見に来てるじゃないですか。踏み留まらないで、部屋に入って元気でたかって言えば済むと思うけど」

 家族としての生活の仕方の違いから、少し二人の間で話がかみ合わないでいた。
 カズキは家族との間に壁がある事が理解できず、二の足を踏む意味が分からない。
 恭也は普段はそうでもないが見えない壁を持つ家族しか知らず、カズキのようなやり方を知らなかった。

「もし仮に、お前がしばらくまひろちゃんを構えず、無理に大丈夫って言われたらどうする?」
「んー、まひろはそんな事言わないからなあ。我慢する前に泣きます。それで機嫌を直すまで俺が必死に宥めて、まひろが満足するまで一緒にいますけど」
「簡単に言うが、難しいぞ」
「そうですか? あ、でも恭也先輩には翠屋があるか。んー……あれ?」

 腕を組んで考え始めたカズキは、恭也を見て今ここにいるよなと確認する。
 それから頭上を見上げて、なのはも今部屋にいるよなと思い出す。
 視線の先、天井を越えた先になのはの部屋があるかはさておき。
 良い事を思いついたとばかりに、立ち上がり様に手の平で作ったお皿の上に拳をぽんと置く。
 そのやや古臭い仕草を見て、恭也も興味を引かれ飲んでいたお茶を口から離した。

「恭也先輩、確かこの家って道場ありましたよね。少し、運動しませんか?」
「いや、あの道場は」
「良いから、良いから。軽く体を動かすだけ」
「おい、人の話を」

 抵抗する恭也の背中を押して、確かあっちと勝手に連れて行く。
 激しく抵抗しなかったのは、恭也もカズキの考えに興味があったからか。
 途中からは仕方がない奴だと一つ溜息をついて、道場まで案内を始めた。
 本来、部外者は容易に入れてはいけない場所なのである。
 恭也自身、壁があると言いつつもそれをなんとかしたいとは考えていたのだろう。
 カズキが案内された道場は板張りの床に、独特の木の匂いが立ち込めていた。
 白い壁には神棚があり、道場の奥には花瓶と心構えを記した掛け軸と一般家庭からは少し遠い。
 それに慣れ親しんだ恭也などは、カズキがいる事も一瞬忘れて普段通り壁に掛けてあった木刀を二振り手にしていた。

「恭也先輩、こう棒って言うか。槍みたいなのはないんですか?」
「変わった事を言う奴だ。ちょっと待ってろ」

 一度道場を後にした恭也が、庭にある倉庫へと向かう。
 その間にカズキは軽くストレッチを始め、運動の前に体を慣らしておく。

「ほら、武藤。これで良いか?」
「ちょっと軽いけど、十分ッス」
「軽いのか?」

 普通、木刀などを持った者は、竹刀などに比べて重いと言うのが普通だ。
 だがカズキは見栄を張ってそう言っているようには見えなかった。
 軽く振り回し、何かを標的に突き刺したりとなかなか様になった動きをする。

「それじゃあ、始めましょう」

 槍に見立てた棒を幅をあけて両手で持ったカズキが、穂先を恭也へと向けた。
 軽い運動とは言っていたが、その瞳に込められた緊張感は本物である。
 剣道ではなく、正しく剣術を習っている恭也にはそれが分かった。
 それもより深いところまで。
 カズキが棒術か槍術を習った事があるのではなく、それを実戦に近い場で使った事があると。

(武藤の奴……だが思いのほか、面白くなるか)

 一方のカズキも、同じような事を恭也を相手に考えていた。
 高町家には道場があり、恭也や美由希が剣術を二人の父から習っているのは知っている。
 だが今感じているのはそういった情報による知識からではなく、肌で感じる空気からだ。

(この緊張感、ちょっと実戦の時と似てる。もしかして、恭也先輩って強い?)

 二人共に、本来ここへ来た理由を少し忘れ、じりじりと間合いをはかりあう。
 先に仕掛けたのは、恭也であった。
 というよりも余裕があったというべきか。
 両手に持った木刀は使わず、ダンッと板張りの上に強く片足を踏み込み叩きつけたのだ。
 思いのほか高く響き渡った音にビクッと震えたカズキは、思わず体が動いてしまった。
 突いたというより突かされた腰の入っていない攻撃は、簡単に木刀で弾かれる。

「どうした武藤、蝿が止まるぞ」
「こなくそ!」

 不意に踏み込んでしまった足で地面をしっかり支え、弾かれた穂先で下から斬り上げる。
 顔を後ろにそらすだけと酷く簡単に避けられた後、一気に懐に飛び込まれた。
 斬り上げられた木刀を見据えて体をさばき、すれ違うようにして避ける。
 学生服の胸の辺りすれすれを木刀の切っ先がなぞっていくのを見送っていった。
 だが恭也の手にある木刀は二本ある。
 踏み込んだ勢いを一瞬で零に消し去り、恭也の体が回転。
 もう一方の木刀が息をつく間もなく襲いかかり、棒を立てて軌道を邪魔して受け止めた。
 その受け止めた木刀を上から押さえると同時に、支点にして棒を回転させる。
 今度は上から恭也の頭を狙うがそんなに甘くはなかった。
 後ろに跳び退りカズキの獲物が空振りに終わると、直ぐに距離を詰めてくる。
 獲物のリーチをものともせず、穂先を鮮やかにかわしてだ。
 ほぼカズキの防戦一方。
 時にはカズキが転がってまでそれら斬撃をかわし、棒を使って斬撃をそらす。

「ほら相手の間合いの中で気を抜くな。もっと視野を大きく持て、ほら下が見えていない」
「お、お。うお!」

 立ち合いというよりは、恭也によるカズキへの稽古であった。
 妙に教えるのが上手い恭也の導きで、危なげなく木刀の斬撃をさばく事ができた。
 一つ一つの動きを教える度に瞬く間に吸収していくカズキに対し、恭也もこいつはと笑う。
 乾いた木同士がぶつかり合う音は、終わる時が見つからないまま響き続ける。
 そして一際大きくぶつかり合い、汗が浮かぶ顔を間近に恭也が尋ねた。

「武藤、お前何かあったのか? 一体どうして、こんな事を言い出した?」
「ヒミツ、ちょっと人に言える事じゃないから。あと、言い出したのは全く別の理由」
「そうか。ならそろそろ終わらせるぞ、既に軽い運動は超えている」

 恭也は槍に見立てた棒を持っているカズキを押し飛ばし、あえて距離を取った。
 実戦を経験したとは言え、知識ゼロのカズキでも間合いの事ぐらいは知っている。
 剣よりも長い槍は、先に届くので有利。
 少し考えれば、子供でも分かるような理屈であり、なおさら恭也の行動は奇異に映る。

「恭ちゃん、早引けしておいてなんで道場に」

 道場の扉を開けながら誰かが入ってくるが、振り返る余裕もカズキにはなかった。
 身構え動かない恭也から目がそらせず、肌をピリピリと刺す緊張感が高まり続ける。
 そして、恭也が動いたかに見えた。
 それは気のせいであったかのように、そこから先は一瞬である。
 カズキが反応できたのは、その一瞬で脳裏に過ぎったシグナムの言葉であった。
 相手から目を放すな、その腕にまひろが、背中に仲間がいると思え。
 高まる闘争本能が瞳を開かせ、その刹那の間の攻撃をかすかに捉える事ができたのだ。
 なんとか斬撃の軌道に合わせて立てた棒を盾にするが、接触と同時にそれが砕け散った。

「恭ちゃん、それにカズキ君!? 素人相手になんて事」

 血相変えた声の主は、帰宅後二人の姿が見えずに探しに来た美由希であった。
 彼女の目に映ったのは、必殺の一撃を放った恭也と吹き飛ぶカズキの姿。
 一瞬我を忘れた美由希であったが、その目の前でカズキが見事に足をついて踏みとどまる。

「OK、フレンド!」

 心配するなとばかりに、背中越しにカズキが叫ぶ。
 が、それも長くは続かなかった。

「ふっ、腕を上げたな恭也。もはや思い残す事は、ない……」
「燃え尽きた、駄目じゃない!?」

 真っ白になったカズキへと美由希が駆け寄ろうとするも、カズキは意地で立っていた。
 砕け折れた棒を杖にして、フルフル震える足を隠しもせず。
 さながらお爺さんのようで、大量の汗は死期が近いようにも見えた。

「恭ちゃん、なのはの為に翠屋早引けしたのに。カズキ君も、素人が危ない事をしない!」
「早引けの件はすまない。が、これは武藤が言い出した事で、中々の物だったぞ」
「そう言えば今日、俺ずっとこんな感じ。でも、まだ元気イッパイ。ぜー、ぜー……」
「いや、どう見てもイッパイ、イッパイだからね」

 美由希に心配されながら、息も絶え絶えのカズキはようやく当初の目論見を思い出した。
 ちらっと恭也を見てみれば、カズキほどではないが薄っすらと汗をかいている。
 つまりそれなりに汚れたわけで、汚れたからにはお風呂に入らねばならない。

「恭也先輩、程良く汗をかいたところでなのはちゃんを。なのはちゃんと一緒にお風呂に入ってください。壁なんてない、お風呂なら服すらない!」

 それはカズキにとっては渾身の主張であった。
 震える足を無理やり止め、拳を握り上げてすらいたのだから。
 だが返って来た反応は、力んだ気持ちとは裏腹なものである。

「分かった、お前達がやはり兄妹だという事は分かった」
「恭ちゃーん? なのはとお風呂に入りたかったんだ?」
「いや、待て美由希。これは武藤が勝手に、さすがの俺もこの歳でなのはと風呂は厳しいものがある」

 額に青筋を浮かべた美由希が、しどろもどろの恭也に詰め寄っていた。

「え、俺はいつもまひろを風呂に入れてるけど。まひろはまだ、髪の毛を一人で洗えないから」

 もちろんカズキの発言は火に油を注ぐ結果にしかならなかった。
 なにやら黒い気配を放出する美由希を前に、恭也はたじたじ。
 何を言っても聞いてはもらえず、時間が経てば再びカズキが油を追加する始末。
 結局、二人共に美由希に怒られ、なのははまひろと美由希の三人でお風呂に入る事になった。
 そういう意味では、カズキの目論みは半分成功した事になる。
 なのはとお風呂、いやしかしと少々遅めの思春期のように悩む恭也を生み出した事以外は。









 カズキと別れた後、シグナムは街中を無意味に歩き回っていた。
 日は既に沈み、辺りから子供の姿はほぼ消え、会社帰りの社会人が増えている。
 尾行者がいないかの確認とそれをまく為であり、人気のない裏路地から転移を行う。
 次に現れた場所は住まいの近くの公園であり、何事もなかったかのように家路へとつく。
 普段はそこまでしないのだが、錬金術の化け物の創造主対策である。
 人間のような知能を持った相手は、ある意味でジュエルシードよりも危険なのだ。
 下手に主を危険に巻き込まない為の、最低限の注意であった。

「ただいま、戻りました」

 見ていただけとはいえ、戦闘後の張り詰めた空気を捨て去りながら扉を開く。
 それにともない、慣れ親しんだ温かい空気と、夕食の良い匂いが流れてくる。

「お帰りなさい、シグナム。もう直ぐご飯やから、まずは手を洗ってき」
「はい、主はやて」

 シグナムを出迎えたのは、車椅子に乗って居間から顔を出した少女であった。
 言葉通り夕食の準備をしていたようで、エプロンをかけていた。
 年の頃は、カズキの妹であるまひろやその友達と変わらない。
 敬愛すべきシグナムの主が彼女、八神はやてである。

「それにしても、なんや最近シグナムは急がしそうやね。無理して間に合わせんでも、どうしてもあかんかったら電話いれてくれればええよ」
「いえ、そういうわけには行きません」
「シグナムは硬いなあ。そんなんやったら、何時まで経っても彼氏ができへんで」

 彼氏と言われてもピンとこなかったシグナムだが、夕暮れ時のやり取りを思い出した。
 そう言えば、カズキの彼女と勘違いされていたなと。
 あの時は急にまひろが威嚇してきたので、否定するのを忘れてしまった。
 アイス好きな妹分対策として、試しに購入しておいた飴玉が運良く功を奏したが。
 きっとカズキが否定しておいてくれているだろう、そう考えておく。
 普通は否定する、普通は。
 だがなんだかカズキ自身も、あのまま否定するのを忘れているような気がしてきた。

「今度会った時に、言い含めておくか」
「言い含めてって誰に何をや?」
「それはカズキに私は彼女では……あ、主はやて。今のは違います!」
「彼氏、シグナムに彼氏が。皆大変や。シグナムに彼氏が出来たって、カズキさん言うんやて!」

 ギュルギュルギュルと、車椅子を唸らせはやてが大声を上げながら居間に戻っていく。

「本当ですか、はやてちゃん。ああ、どうしましょう。早速、今度の日曜日にでもご招待しないといけませんね」
「くそ、昔からアイツはそうだ。堅物キャラを気取っておいて、そ知らぬ顔で全部掻っ攫っていくんだ。ちくしょう、私は大人の女だ!」
「私はどないしよ。やっぱ家長として、うちの娘は君にはやれんって言うべきやろか。ほんで、うちの娘をさらっていく君を一発殴らせろって」

 ほぼ女所帯と言って過言ではない八神家にとって、初のスキャンダル。
 取り乱して右往左往するシャマルに、シグナムには身に覚えのない愚痴を吐くヴィータ。
 大いに勘違いし、見当違いも加えた妄想を行うはやて。
 一匹というか、唯一の男であるとある狼が、やれやれと耳を伏せる様子が目に浮かぶ。
 居間にいる者のテンションは振り切れ、もの凄く楽しそうであった。
 だが勘違いされたシグナムはたまったものではない。
 慌てて居間に飛び込むも時既に遅く、ニヤニヤとした三つの顔に出迎えられた。
 必死に言い訳するも、照れているんだの一言で聞いてもらえない。
 そこからは何かある度に、針のむしろであった。
 諦めて新聞を広げれば照れ隠しと言われ、食に八つ当たりしてみればお腹が空くような事をと言われる始末。
 それから解放されたのは、食後の休憩を経てはやてがシャマルと風呂にいってからだ。

「痛ってぇ、なにすんだよシグナム!」

 一先ず食に八つ当たりするでなく、目の前の小さな仲間の頭に拳を落としてみた。
 不当とは言えないが、ヴィータからすれば不当な暴力に怒りの声があがる。
 対するシグナムもまだ完全に気は済んではいない。
 しかし改めて取り乱した自分を省みて、ポケットから飴玉を取り出し、差し出す。

「おい、喧嘩売ってんのか?」
「やはり無理か。カズキの妹には劇的に効いたんだが」
「幾つだよ、そいつ。てかカズキって」
「いい加減にしないか」

 シグナムが口にした名前を聞き、再び笑ったヴィータをある声が嗜めた。
 食事中は違うが、部屋の隅で丸くなっていた狼。
 シグナムやヴィータの仲間の一人である守護獣のザフィーラである。
 八神家唯一の男として貫禄ある声で馬鹿話を中断、今話すべきはそれではないと指摘した。
 お互いにまだ腹の虫は収まっていないが、ソファーに身を委ねて座る。

「それで、ジュエルシードの件はどうなのだ? 行って来たのだろう、廃工場へと」
「ああ、まだ他にジュエルシードを集めている者がいる。また厄介な事に、次元世界の住人だ。遠目に見ただけだが、デバイスを持ち、バリアジャケットを纏っていた」
「めんどくせえな。私らでぱぱっと、片付けちまおうぜ。それからゆっくり、ジュエルシードでもなんでも集めりゃいいじゃねえか」
「焦るな、ヴィータ。殲滅は恐らく難しくはないだろうが、問題は次元世界の住人がいるという事だ」

 ヴィータもそれを忘れていたわけではないが、苛立たしげに舌打ちをしていた。
 八神の苗字を名乗ってはいるが、シグナム達はこの世界の人間ではない。
 もっと詳しくいうならば、人間ですらない。
 ジュエルシードと同じロストロギア、闇の書にプログラムされた擬似生命体。
 闇の書とその主であるはやてを守る守護騎士達であった。
 そしてジュエルシードのような危険物があれば、それを取り締まる者達もいる。
 シグナム達が誰よりも次元世界の住人を危険視するのは、彼らを呼び寄せる可能性を持つからだ。
 闇の書もロストロギアであり、管理局とは数多くの因縁を持っている。

「それで、どうすんだよ。このままじゃ、何時面倒に巻き込まれるか分かったもんじゃねえ。おちおち、はやてを連れてお出かけもできねえぞ」
「ああ、当初とそれ程方針は変わらない。私とカズキで、独自にジュエルシードを集める。お前達は、主のそばを離れず護衛をしてくれ」
「主の護衛に異存はないが、カズキというのは……お前が言っていた少年か?」
「戦闘は主にカズキに任せる。少しでも我らの情報は表に出したくないからな、カズキの申し出はある意味で好都合だ」

 まだベルカの騎士見習いとして、力はそれ程ではないが伸びしろには期待できる。

「おい、大丈夫かよそいつ。心臓にジュエルシード入ってんだろ。歩くどころか、戦う火薬庫なんて洒落じゃすまねえぞ」

 ヴィータの懐疑的な言葉を聞き、シグナムは何時の間にかカズキに好意的な自分に気付いて驚いた。
 はやての為ならば、カズキとて斬り捨てる事に躊躇いはない。
 改めてそう考えて、ようやくにその結論に至った。
 一昨日ならば改めて考えるまでもなく、即座にその結論に至っていたというのにだ。
 まだ数日ながら、武藤カズキという少年に触れ、その気質を目にしてきた。
 人並みに臆病で怖がりだが、隣人の危機の前にはそれらを撥ね除け立ち上がる。
 ベルカの騎士見習いとして、カズキの気質は十分に見合い、シグナムとしても好ましい。

「大丈夫だ。暴走は、ない」
「おい、あんま気に病むなよ。そいつが勝手に勘違いして飛び出して、勝手に死んだだけだ。いざという時に辛いぞ」
「それこそ、大丈夫だ。そこだけは、決して間違えない」

 守護騎士達にとっての最優先は、闇の書の主であるはやてである。
 大切なのはそこだと、お互いに顔を見合って頷きあう。
 その直ぐ後で、洗面所の方が少し騒がしくなってきた。
 はやてがシャマルにお風呂を入れてもらい、上がったのだろう。
 内緒話はそこまでだと、シグナムは新聞を手に取りザフィーラは床に伏せて寝る。
 ヴィータは暇そうにその辺にあった漫画に手を伸ばすが、同時に頭の頂点にある薄れ行く鈍痛に気付いた。
 そして新聞越しで見えない事を良い事に、シグナムへとニヤリとした笑みを向ける。

「あー、ええお湯やった。皆もはよ、入ってき」
「お先に。ヴィータちゃんは、シグナムと一緒に入ったら?」

 バスタオルで髪の水分をふき取るパジャマ姿のはやてを車椅子に乗せ、シャマルが押してくる。
 彼女自身の髪もまだ乾いてはおらず、お互いにドライヤーで乾かしあいでもする算段だろう。

「ああ、そうだな。偶には良いかもしれん。ヴィータ、今夜は私が髪を洗ってやろう」
「おう、悪いな。ジャケット貸せよ、ハンガーに掛けてやるよ」
「いや、届かないだろう」

 他意はなくとも、酷く傷つく言葉に怒りをつのらせつつヴィータは無理に笑う。

「気、気にすんな。お礼だ、お礼。髪洗って貰うんだからな、遠慮すんな」

 なんだか奇妙なやり取りだと、コンセントの前に陣取ったはやてとシャマルが見ていた。
 シグナムも不審には思ったようだが、脱いだジャケットをヴィータへと手渡す。
 そこからが、逆襲の始まりであった。
 まるで引っ手繰るようにジャケットを奪ったヴィータが、内ポケットをまさぐる。
 そして目的のものを見つけて、はやてへと向けて高々と掲げて見せた。

「はやて、はやて。ほら飴玉。シグナムの奴、カズキって奴の妹をこれで篭絡したらしいぞ」
「おお、なんや私がお風呂入っとる間にそんなおもろそうな話」
「ヴィータ、お前謀ったな!」

 しまったと、ジャケットを取り返すが証拠品は既にはやての手の中であった。

「て事は、ザフィーラも聞いとったんか!?」
「カズキという少年の妹には、劇的な効果があったと言っていました」
「ザフィーラ、お前まで!」
「事実だ。それに主に嘘をつくわけにもいかん」

 しれっとザフィーラにそっぽを向かれ、味方はいないのかと最後の守護騎士へと視線を向ける。
 が、期待するだけ無駄であった。
 膝に座らせたはやての髪を乾かしていたシャマルは、その手を止めてさえいた。
 興味深々にはやてが持つ飴玉と、シグナムを交互に見つめている。
 あまつさえ、こんな事まで口走る始末だ。

「はやてちゃん、これが噂に聞く将を射んと欲すればまず馬を射よという奴です。この前、少女漫画で読みました。高度な恋愛テクニックです」
「くぅ、まさかうちの子がそんなテクニシャンやったなんて。シグナム、主の命令や。その時のことを一部始終語り、今夜は寝かさへんで!」

 お風呂はどこへやら、さあここに座れとばかりにはやてがカーペットを叩く。
 今再びニヤニヤの嵐の中で、シグナムの苦行が始まろうとしていた。









-後書き-
ども、えなりんです。

今回は高町さん家と八神さん家のお話でした。
なのはは現在、自分の資質に疑問を抱き中……
まひろのおかげで持ち直したけど、まだまだ戦えません。
恭也と美由紀は、武装錬金の剣道部のあのシーンをやりたかっただけw
本当この兄妹は、早坂姉弟ポジw

一方の八神家、ちゃんと全員出たのは初だっけか?
まあ、シグナムの受難の日々が開始です。
この先ずっと、カズキのネタで弄られる運命にあります。
一家の頼れるリーダーから、弄られ役に……不憫w

それでは次回は水曜です。



[31086] 第七話 何故ここにいる
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/01/25 20:18

第七話 何故ここにいる

 海鳴市内のとある学校施設。
 深夜の屋上、給水塔のタンクに背中を預けながらシグナムは空を見上げていた。
 月や星、穏やかな明かりごと夜の闇を払う閃光が瞬いている。
 カズキの生み出す魔力がエネルギーへと変換されたものであった。
 それに加え、カズキ自身の魔力光である太陽のような光の魔法陣も色を添えている。
 何故カズキが空の人となっているのか。
 カズキが現在相手にしているのは、ジュエルシードに憑依されたインコであった。
 艶やかな羽毛の体を肥大化させ、自由を得ようと鳥篭から飛び出したのだ。
 自由こそがインコの願いであったかのように、縦横無尽に夜空を飛び回る。
 一方のカズキと言えば、自称夜空と青汁の似合う人だが、未だ飛行の魔法には成功していない。
 サンライトハートの飾り尾を爆発させ、その突進力でもって何とか空で立ち回っているのが現状だ。
 攻めあぐねているとも言ってもよく、やがて重力に引かれ落ちてくる。

「くそ、また失敗」

 悔しげに呟きながら、屋上と空を隔てるフェンスの上に足をつく。
 見上げたインコ、もはや狂鳥と言って良いそれは既にカズキを敵と見なしている。
 手に入れた自由を妨げる敵として、逃亡ではなく抵抗を選んだらしい。
 空の上からカズキを見下ろし、滞空していたかと思うと、そのまま目掛けて滑空してきた。

「手助けはいるか?」
「大丈夫、次で決める」

 念の為、シグナムが尋ねておくが返答はそれであった。
 シグナム自身ここでカズキが助けてくれと言って来るとは思っていない。
 ただ黙って、カズキの戦いぶりを見守り続ける。

「そうだ、来い。もっと……」

 鍵爪を繰り出しながら、強襲してくる狂鳥を前にカズキがそっと呟いた。
 身構え、サンライトハートの切っ先を上に向けながら動かない。
 刻一刻と迫り来る狂鳥を前にして、脅えも恐怖も抱かずただ時を待つ。
 そしてある程度狂鳥がカズキに近付いたのを期に、声を張り上げ叫んだ。

「今だ、サンライトハート。エネルギー全開!」
「Explosion」

 カズキの足元に三角形を基調とした魔法陣が浮かび、柄の根元から薬莢が吐き出された。
 シグナムから補充されたばかりのカートリッジである。
 そこに込められた魔力をデバイス越しに受け取り、さらに魔法陣を輝かせていった。
 そのまま強襲を受けて立つとばかりに魔力を膨れ上がらせ、高めていく。

「Sonnenlicht Slasher」

 そしてフェンスを蹴りつけ、飾り尾からの爆光に押され飛び出した。
 地上から空へと逆行する流れ星のように、一直線に狂鳥へと向かう。
 上空より繰り出される鍵爪と、地上より繰り出される突撃槍。
 相手を粉砕したのはカズキのサンライトハートであった。
 自由を得たまま飛び去れば良かったものを、狂鳥と化したインコは選択を間違えた。
 あるいは自由を求めて鳥篭を飛び出したのが、そもそもの間違いか。
 外敵という言葉を知らなかった狂鳥は、その体を切り裂かれていく。

「おおおおおおッ!」

 カズキもその魔力で肥大した体を裂きながら瞳をこらし、見つける。
 狂鳥の体の中に潜み、願いを叶える代わりに狂わせる元を。
 ジュエルシードを睨みつけ、サンライトハートの切っ先をそちらへと向けた。
 竜の口のようにして刃が上下に開き、くちばしのように掴み、飲み込んでいく。

「Eine Versiegelung」

 封印という言葉と共にジュエルシードの輝きは、サンライトハートの中に消える。
 そして狂わされたインコも光の中で元の姿に戻っていく。
 完全に元に小さな体に戻ると、カズキの手の中に優しく抱きとめられた。

「これでよし。外が羨ましいのは分かるけど、それだけ危険もあるんだ。それを知った上で、今度は自分でちゃんと決めろよ」

 気絶したインコにそう囁き、カズキは推進力を失って落ちていく。
 暗闇の中では自分がどれ程までに高い位置にいるかは、とっさには分からない。
 高所恐怖症の人であれば、間違いなく足が竦むには違いない事だろう。
 そのような場所でもカズキは動じず、下を見下ろしてタイミングを計っていた。

「サンライトハート、頼んだ」
「Ja」

 そして屋上間近になると、サンライトハートに一言呟いた。
 足を着く寸前で、今再び爆光となった飾り布がエネルギーを放出。
 重力による加速を打ち消し、主であるカズキをそっと屋上の上に降ろしてみせた。
 余波で屋上のコンクリートに多少のひびが入ったが、気にする程でもない。

「シグナムさん、やったよ。今から鳥篭に返してくる。ちょっと待ってて」
「ああ、玄関のところで落ち合おう」

 そう言って笑ったカズキに怪我はなく、苦戦したと言っても結果は無傷での勝利。
 魔法を知って一週間と少し、目を見張る成長にシグナムも笑みを浮かべていた。
 ジュエルシードが見つからない時も、シグナムが直々に手解きする事はあった。
 だがそれだけでは説明しきれない成長率をカズキは誇っている。
 シグナムの見ていないところで、どれだけの鍛錬を行っているのか。
 ヴィータには注意されたが、カズキの成長を楽しみにしている自分がいる事をシグナムは感じていた。

「主を守るだけでなく、師として誰かを導くというのも楽しいものなのだな。それにしても、また見られている。一体何が目的だ?」

 笑みを封じ込め見上げた夜空の上では、星明りに混じり金色の光が見えた。
 カズキは気付いていないが、少女が一人闇夜にまぎれている。
 そして封印を見届けると直ぐに飛び去っていく。
 その目的が見えず、いぶかしみながら屋上のフェンスを飛び越え、落下。
 危なげなく玄関近くに飛び降りた。

「シグナムさん、お待たせ。今日も、創造主も錬金術の化け物も現れなかったね」
「ああ、もしかすると廃工場で大勢失ったのは意外と痛手だったのかもしれん。今のうちに、出来るだけ回収しておきたいところだが」
「ジュエルシードは発動するまで殆どわからないし痛ッ」

 温まっているはずの体で伸びをしたカズキが、痛みを訴え体を痙攣させた。
 今日は怪我も負ってないはずなのに、不自然すぎる。

「ん、ああ大丈夫、平気。ちょっと筋肉痛なだけだから」

 そうシグナムに笑って力瘤を作ったカズキは、乾いた笑いを見せていた。
 なのはのお見舞いから時々、恭也には手合わせを願い、朝のランニングも付き合っているのだ。
 何か秘密の剣術らしく鍛錬は見せて貰えないが、驚くべき運動量にいつも心臓が破れそうであった。
 まあ実際の所、カズキの心臓は失われ、ジュエルシードが肩代わりをしているのだが。

「いや、筋肉痛だけではあるまい」

 大丈夫というカズキの言葉とは裏腹に、シグナムは気楽に受け取らなかったようだ。

「お前がこちらに関わるようになってから、幾度も怪我を負い、慣れない戦闘続きだ。自分では気付かない疲労が溜まっているのだろう。明日の土日はゆっくり休め」
「でも、何時また錬金術の化け物が現れるかわからない。ジュエルシードも。何時誰の身に危険が迫るか分からないからこそ、今できることを。訓練だって良い!」

 そう叫んだは良いが力み過ぎたのだろう、膝がカズキの意思に反して折れた。
 体が元気であれば一歩逆の足で踏み出して、体を支えればそれで終わる。
 だがカズキはそのまま顔から地面につっぷし、お尻を突き出した格好となってしまう。
 地面からのキスを伴なう熱烈歓迎に、嬉しくはない悲鳴が上がった。

「へぶぅ」
「そらみろ。これが戦闘中なら、お前は死んでいる。休むのも騎士の仕事だ。心配しなくても、休んだ後は事件がなくとも私が揉んでやる」
「うぃっす」
「何時までも寝転がっているなみっともない。ほら、立て」

 シグナムの手を借り立ち上がったカズキは、いきなり空いた土日をどうするか考えていた。
 まひろは明日、なのは達と翠屋KFCの練習試合を見に行くらしい。
 なら俺も岡倉達と遊びにいくかと考え、とある疑問が浮かび上がった。
 自分も暇なら、その空いた時間でシグナムは何をするのだろうかと。

(そういや俺まだ、シグナムさんの事、名前ぐらいしか知らないや)

 その二人が去ってから数分後、一匹のフェレットがその学校に現れる。
 そして不可解な表情を浮かべていた事を知る者は誰もいなかった。









 翌日の土曜日、カズキはデパートの料理用品売り場にて腕を組んで悩んでいた。
 その目線の先にあるのは、電子レンジでパスタが簡単に茹で上がるタッパーであった。
 買うべきか、買わざるべきか。
 普段は専用鍋で茹でているのでいらないといえばいらない。
 まひろは明太パスタの時は非常に良く食べるので、いつも量が馬鹿にならなかった。
 兄としてまひろより少量というわけにもいかないとカズキが対抗する事もあるが。
 時間短縮できるかつ、追加分だけと茹でる事ができれば色々と節約にもなるはず。
 なにより作り過ぎて、三日間ぐらい明太パスタという最悪の事態が避けられる。
 さすがのまひろも、好物とはいえそれだけ続けば最後には嫌な顔ぐらいするのだ。
 料理が趣味でも得意でもないが、まひろに関する事についてはいつも真剣であった。

「それ、さっき百円ショップにも似たようなのがなかったか?」

 悩むカズキに教えたのは、何故か包丁コーナーで品定めをしていた六桝だ。
 ちなみに喫茶店で昼食を取ったあと、岡倉と大浜とは少々別行動中である。

「口に入れたり、触れたりする物だけは百円ショップでは買いたくないんだ。俺はまだしも、まひろも食べるんだし」
「なるほどな。ところでそれ、家にあるから。試してみたいなら貸そうか?」
「それを先に言ってくれ。そうだったら十五分も悩まずに済んだのに!」
「真剣に悩んでたからな。それに、最近のお前はそう言う時間が必要そうだ」

 知っていて言っているのか、ギクリとしたカズキを見透かすように六桝が見つめる。
 と思いきや、本当にカズキの後方を見ていた。
 岡倉達が戻ってきたのかと思ったが違った。
 六桝の視線を追って振り返ったカズキは見たのは、知らない女の子達と歩くシグナムだ。
 まだこちらに気付いていないようで、カズキは何時も通りの声で呼びかけた。

「シグナムさん!」
「なっ、カ……カズキ!?」

 こんな所で奇遇だと喜び手を振るカズキとは違い、シグナムはかなり挙動不審であった。
 カズキの声に振り返り顔色を変えると、ギギギと音が鳴りそうな程にぎこちなく後ろへ振り返る。
 そして向けられた三対のニヤニヤに対し、肩を落としてげんなりとした。
 ようやく下火になり始めた八神家の初スキャンダルが、今まさに再燃しようとしていたのだ。

「おい、呼んでるぜ。シグナムさん」
「ほんまに居たんやな。それも見たところ高校生ぐらい。シグナムって年下好きやったん?」
「さあ、聞いた事はないですけど。でも、好きになったら関係ないってこの前小説で読みました。ほら、シグナム。いいのよ、私達の事は気にしなくて」

 名を呼ばれただけならまだしも、何故カズキの名を出してしまったのか激しく悔やむ。

「シグナムさん、おーい!」
「だから、大声で人の名前を呼ぶな。分かった、分かったから!」

 たいした距離もないのにカズキの声があまりにも大きくて、シグナム達は大変目立っていた。
 その視線は色々であったが、主な視線は場所が場所だけに若いわねという主婦層であった。
 何故見知らぬ人にまで恋人として見られなければいけないのか。
 一先ず何よりも優先し、シグナムはツカツカとカズキに歩み寄って襟首を掴みあげた。
 それでも嬉しそうに笑うカズキの笑みは、飴玉を貰って喜ぶまひろとそっくりであった。

「何故お前がここにいる」
「岡倉達と遊びに、二人ぐらい別行動だけど」
「おーい、カズキ」
「噂をすればなんとやら」

 今度はカズキの名前が高らかに呼ばれ、はやて達を含む皆がそちらへと振り返った。

「いい物ゲットしたぜ。お前の好きなお姉さん系の」
「待った、待って岡倉君。良く見て、カズキ君と六桝君だけじゃないから!」
「って、シグナムしゃん!?」

 大浜の制止により事態に気付いた岡倉が、鼻水を噴出しながら驚いていた。
 あまりの驚愕に、購入したと思われる雑誌が振っていた手の中から零れ落ちる。
 それは丁度、目の前を通り過ぎようとしていたはやて達の目の前にだ。
 落ちましたよとそれを拾い上げたのはシャマルであった。
 そしてその雑誌の表紙を見るなり、ぼふりと顔を赤くして煙を上げた。
 何しろその表紙の題字はHで綺麗なお姉さんと言う、ソレ系の雑誌であったからだ。
 豊満な肢体を持つ女性が下着姿で胸を押し上げた格好で映ってさえいた。

「シャマルどうしたん? 顔赤いで?」
「う、あぅ……わわわ。見ちゃだめです。これはおか、お返しします。はやてちゃん、ヴィータちゃんもこのお兄さん達には近付いちゃ駄目です。エロス、エロスです!」
「おい、危ねえだろうが。急に下がるな!」

 子供には刺激が強すぎると、一番刺激を受けているシャマルが雑誌を放り投げた。
 そして完全に思考が沸騰しきったまま、はやてを遠ざけようと車椅子を一気に引いた。
 ヴィータが支えなければ、はやてはきっと転がり落ちていた事だろう。

「誰この超美人なお姉さんとチビッ子二人。エロス……おおう、エッチから格上げ? ってこれは違います。カズキに、友達に買ってきて頼まれただけで!」
「頼んでない。綺麗な年上のお姉さんは好きだけど、俺は頼んでないから!」 
「最悪だ、あっさり友達売ったよ岡倉君。本屋でアレ見つけてから、嫌な予感はしてたけど」
「さて、この事態をどう収拾すべきか」

 やれやれと六桝が溜息をついた通り、カズキと岡倉が共に手を出すのに時間は掛からなかった。
 カズキの通信空手拳対岡倉のリーゼント殺法。
 これまで何度もあいまみえ、泥沼の形相を見せてきた不毛な対決である。
 迷惑にも店先で奇声をあげながら、互いに妙な構えを取り始めた。
 そこまでは六桝も大浜も何度も仲裁した事はあるのだが、今は違う。
 赤面した顔でこちらを睨む金髪の女性シャマルが追加。
 さらにはチビッ子と言われ憤るヴィータに、こちらはソレを他所にニヤニヤのはやて。
 お手上げだと両手を上げた二人に代わり、場を収められる人物は残り一人。
 はやてがいる状態でカズキと出会ってしまった不運を嘆きつつ、覚悟を決める。
 恐らくこの後、なし崩し的にお茶にでもなだれ込む事だろう。
 はやてが根掘り葉掘り聞いて、ごまかし話をでっち上げても最終ゴールは見えている。
 また昨晩のようにニヤニヤ地獄かと溜息をついていた時に、気付いた。
 今いるデパートから程近い場所で、急激に膨れ上がる魔力の嵐にだ。

「カズ」

 こんな昼間に人通りの多い場所でと、舌打ち混じりにじゃれているカズキを呼ぶ。
 だが名前を最後まで呼びきる事はできず、デパート全体が下から突き上げられたように縦に揺れた。
 まるで地震にでもあったように、建物が聞きたくもない軋みをあげている。
 地震のようなその揺れは激しく大きく、悲鳴がそこかしこであがっていた。

「う、うわぁ!」
「主はやて!」

 人々の悲鳴の中にはやてのそれを聞き、シグナムがとっさに振り返る。
 仲間が守っているとは分かっていも反射的な行動を止められはしない。
 だがそこで待っていたのは、予想外の光景であった。
 はやてをその大きな体で、車椅子ごと庇っているのは大浜である。

「ちょっと御免ね、我慢して」
「ええ、せやけど私は良くても……」
「おい、無茶すんじゃねえ。はやての事は私が守るから。すっこんで、うわ!」
「馬鹿言ってんじゃねえ、チビッ子。お前も大浜の下に入ってろ!」

 さらに駆け寄った岡倉がヴィータの首根っこを掴んで、大浜の影に放り込んだ。

「はやてちゃん、ヴィータちゃ、きゃあ」
「失礼、下手に動かないでもらえます?」

 駆け寄ろうとしてよろめいたシャマルは、六桝が支えてくれていた。
 こんな状況ながら一瞬、類は友を呼ぶかと感心してしまう。
 それでも何時までも感心している場合ではなかった。
 ジュエルシードがこんな街中で、しかもコレまでにない規模で発動したのだ。
 だが状況は限りなく苦しい物であった。
 人通りの多い街中である事や、まだこの地震の正体が掴めていない事もある。
 なによりはやてを巻き込み、守ろうにもカズキの友人がいては力が使えない。
 やがて地震は収まり始めたが、それを期に周囲の人が逃げ出そうと波を生み出し始めた。
 その波がシグナムとカズキ、それから岡倉達とはやて達を分断してしまう。

(いや、それはある意味好都合か)

 そう思ったのも束の間、シグナムが何かを言う前にカズキが叫んでいた。

「岡倉、無理に合流は無理だからその子達を連れて避難してくれ」
「おう、お前も。シグナムさんを危険な目に合わすんじゃねえぞ。そしたら、絶交だ」
「カズキ君、こっちは任せて。無理しないでね」
「いつかの夢の内容みたいにな。今度こそ、死ぬぞ」

 我先に避難しようとする人の波の頭越しに、言葉を飛ばしあう。
 最悪の状況内でも悪くはない決断に、シグナムもソレに続いた。

「ヴィータ、それにシャマル。聞いての通りだ。表に出たら、ザフィーラと合流しろ」
「おう、分かった。お前も気をつけろよ。はやての事は任せとけ」
「カズキさん、うちの子の事お願いや。シグナム、いざという時はカズキさんを守ってあげてな。私にはヴィータ達がおるから」
「先に行きます。シグナム、気をつけて」

 カズキとシグナムがそれぞれ別れを告げ、行動を開始し始めようとする。
 だがまだ避難を始めた人の波は厚く、それに逆らっての行動は無謀に等しい。

「くそ、早くこの事態をなんとかしなければならんと言うのに……」
「そうだ。シグナムさんこっち!」

 苛立つシグナムの呟きを前にして、何か思いついたようにカズキがその手を引いた。
 連れ出した先は人の波から離れた場所ながら、出入り口のない調理器具売り場であった。
 足元には商品が崩れ落ち、客や店員も逃げ出し、棚が影になって人目からは離れている。
 だがそのフロアに窓は当然ながらなく、何処へ行けるわけでもない。
 一体如何するのだとシグナムが尋ねるより先に、カズキは左胸に手を置いていた。

「サンライトハート!」

 左胸の中からジュエルシードを取り出し、その名を呼んだ。
 青い光がフロアに満ち溢れ、突撃槍のアームドデバイスへと変化した。
 カズキがそのサンライトハートを、天井へと向けて止める。

「行くよ、シグナムさん。しっかり、掴まって」
「少し荒っぽいが、この騒ぎなら仕方がない。やれ、カズキ」
「エネルギー全開!」
「Explosion」

 柄の根元にある機具がスライドし、スチームと共に空となった薬莢を放り出す。
 その中に詰まっていた魔力を取り込み、太陽に似た光があふれ出す。
 足元に生まれた三角形の魔法陣は力強く輝き、カズキはシグナムへと手を差し出した。
 重ねられた手をより強くカズキが握り締めた後、サンライトハートが呟く。

「Sonnenlicht Slasher」

 魔力から変換されたエネルギーが爆発し、二人の体を上へと押し上げた。
 空へと向かう道をふさがれていてもおかまいなし。
 天井を砕き、上階のフロアにあった衣服等商品を斬り飛ばし、再び天井に激突。
 直線状に立ちふさがる全てを薙ぎ払い、やがて屋上をも貫いていった。
 カズキの目論見通り、二人はデパートの屋上から更に上空へと上り詰めた。
 そうする事で、ようやく現状の把握に成功する。

「なんだ、これは?」
「酷い、街が飲み込まれてる」

 二人が上空より見下ろしたのは、地震により破壊された街並みではなかった。
 地震はあくまでも副産物。
 実際に街にある建物や道路、街路樹等を破壊していたのは大樹の根である。
 樹齢にすれば千年はくだらないであろう巨大な大樹が、その根で街を貫いたのだ。
 先程の地震は恐らく、デパートの一部が巨大な根で貫かれた時の震動だったのだろう。
 だが規模が余りにも大き過ぎて、発生源が見つからなかった。

「カズキ、ジュエルシードの発現の震源を探せ。何時もの様に、狂暴性こそないが巨大というだけでもこれは脅威だ」
「分かってる。シグナムさんが守りたいあの子達の為にも。これ以上、やらせない!」

 はやての事をカズキに知られたのは想定外だが、この際それは切り捨てる。
 まずはなによりもはやての身が最優先だと、シグナムはその目をこらした。
 地面を貫く根、建物を貫いていく枝、いずれかの何処かに震源はあると探す。
 やがて上昇の推進力を失い、デパートの屋上に足をついてもまだ見つからない。

「シャマルにサーチャーを、いや。主はやての護衛が優先。そちらにリソースを割いて主を危険にさらすわけには」
「ジュエルシード、一体誰が何が発動させたんだ!」

 焦り辺りを見渡す二人は、瞳ではなく我が身全体で同時にそれを見つけた。
 自分はここだと教えているかのような、ジュエルシードの脈動。
 同時に振り返り視線を向けたのは街を飲み込んだ大樹の幹、その中腹だ。
 やや不自然に凹んだそこに瞬く淡く青い光、そこに二人の少年と少女がいた。
 大樹に抱かれ眠るように瞳を閉じる二人が、何を願ったのかは分からない。
 だがどんな願いであろうと、その結果はジュエルシードに歪められてしまっている。
 きっと願いの主であるの二人もそれは望まないはずと、カズキはサンライトハートを握り締めた。
 その意志に呼応するように、飾り尾がバチバチとエネルギーを猛らせる。

「シグナムさん、下がってて」
「いや、さすがにお前では距離があり過ぎる。私も遠距離は得意ではないが」
「大丈夫、何時もシグナムさんがさがってるのは、俺に経験を積ませる意味もあったろうけど……力を振るいたくない何か理由があるんだろう?」

 さすがにそろそろ気付いていたのかと、シグナムは口を噤んだ。
 カズキの胸にあるそれを覗き、共にその手にしてきたジュエルシードは五つ。
 それまで共に同じ戦場に立ち続けてきた。
 シグナムが常に後ろに控えていた為、共に戦ってきたというわけではないが。

「だったら、俺の力で間に合う間は俺が戦う。シグナムさんだって、本当は自分の力で早く解決させたい気持ちなのは知ってるから。だから、少しでも俺の力で早く。少しでも早く!」
「Explosion」
「もっとだ、サンライトハート。エネルギー全開、最大出力!」
「Explosion、Explosion」

 普段はカートリッジ一つで済ませるところを、連続で消費していく。
 心身とは別に補完されていた魔力を他から補充するのは、本来体に負担がかかるものだ。
 カートリッジシステムと呼ばれるそれは、本来使い手が消えつつある技術。
 そんな危ういシステムを使い、カズキは足りない分を補充していった。
 カズキの体全体から太陽の光に似た光が迸る。
 その身すら武器に変えてしまったかのように、そしてその姿はまるでもう一つの太陽だ。

「Sonnenlicht Clasher」

 サンライトハートの合図と共に、カズキがデパートの屋上の床を蹴った。
 反動で床が抜けてしまうのではと思う程に、ひびが入り陥没する。
 目の前にあった落下防止の策は一瞬で融け、カズキは低い空の上を閃光となって跳んだ。
 外敵の存在に気付き、大樹が排除にかかり人一人よりも太い枝や根を向けてきた。
 だがそれらが束になってかかっても、カズキが駆ける軌道はブレない。

「うおおおおおッ!」

 邪魔だとサンライトハートの刃すら振るわず、近付いたそばから焼き切ってしまう。
 犠牲覚悟で正面に枝が回りこんだが結果は同じ。
 真っ向から貫かれ、もはや誰もカズキを止められない状態であった。
 そのまま一キロ近い距離の空を一直線に駆け、少年と少女の目と鼻の先に迫る。

「サンライトハート、頼んだぞ!」
「Eine Versiegelung」

 何時もより心持ち大きくその刃が上下に口を開いた。
 二人の丁度間に、まるで授かった赤子のように鎮座するジュエルシードへと向ける。
 一瞬、これが原因で別れませんようにと願いつつ、二人の間を引き裂く。
 それと同時にジュエルシードを加えさせ、ついでの様に大樹の幹までもを貫いた。
 だがカズキの快進撃もある意味ではそこまでであった。
 恐らくは二人が分かれませんようにと、雑念を抱いた事が原因か。
 少しぐらい、溜まっていた疲れもあるかもしれない。

「げっ!」

 集中力を欠いたカズキの目の前に迫ったのは、大樹の影に隠れていたビルだ。
 もはや暴走状態といって過言ではないカズキは、見事にそれを貫いた。
 壁を打ち破り、デスクやパソコンを吹き飛ばし、廊下に飛び出して再び壁を。

「う、わああああッ!」

 ビル一つ綺麗に貫いた所で、推進力を失って裏路地へと落ちていった。









 カズキの悲鳴を念話越しに効いていたシグナムは、何をやっているんだと呆れ返った。
 その一瞬前までは、空を貫いた一撃に己の奥の手を重ね合わせていたというのに。
 本当に頼もしいんだか、危なっかしいんだか。
 とりあえず、あの魔法はしばらく使用禁止だと言い付けようとだけは決めていた。

『痛てて……シグナムさん、やったよ。封印成功、ちょっと失敗したけど。あの子達は?』
『ああ、使用者の二人も、無事に地面に浮遊して降りていく問題ない。だが流石に少し目立ち過ぎた。お前は別の道順で合流しろ』
『了解、そう言えば……シグナムさんって温泉好き?』
『唐突になんだ。ちなみに大好きだ』

 カズキのあの一撃は衆目を集めすぎると、別ルートを指示する。
 命令通り行動は開始したようだが、突飛な質問をされ思わず本音がだだ漏れた。

『ほら、あの子達に怖い思いさせちゃったから。楽しい思い出でもって』
『余計な事は考えなくて良い。今回は流石に事故みたいなものだ。気にするな』

 本当に余計な事に気が回る奴だと、苦笑しながら話をきる。

『シグナム、とりあえずこっちは避難完了だ。アイツの友達も一緒にな。たく、お節介な奴らだぜ。こいつらがいなけりゃ、もっと楽に逃げられたのによ』
『駄目よ、ヴィータちゃんそんな事を言っちゃ。私はこの子達ちょっと、格好良かったと思うわよ?』
『こちらも、封印完了だ。少しカズキが馬鹿をやらかしたが、概ね問題ない……!?』

 ヴィータやシャマルにも念話で返答を返したシグナムは、咄嗟にその身を隠した。
 屋上の出入り口、上に給水塔のある壁に隠れ、隣のビルを伺った。
 空から舞い降りてきたのは、真っ白なバリアジャケットを纏う少女とフェレット。
 カズキが一度死んだ夜以来、一度も見かけなかった二人組みであった。

(てっきり、回収を諦めていたものだとばかり思ったが……)

 別ルートで合流しろとカズキに命令しておいて良かったと思いつつ、その様子を伺う。
 放っておけばよかったのだがそうしたのは、白の魔導師の少女、なのはの様子がおかしかったからだ。
 既に事態は収拾しつつあるというのに、その顔は青ざめ今にも倒れそうであった。

「そんな……街が、酷い。私が、ちゃんとユーノ君を手伝ってジュエルシードを集めていれば。あの時、見逃さなかったら」
「なのはのせいじゃない。あんな体験したら、誰だって怖くなるよ。それに男の子が持ってるのを少し見ただけで、確信はなかったんだろ。もう一度言うよ、なのはのせいじゃない」

 フェレットの説得を耳にし、直感的に脳裏を過ぎったのは廃工場であった。
 もし仮にあの廃工場にジュエルシードがあり、この二人組みが乗り込んでいたら。
 そこにいるのは魔力感知できない類の化け物の集団。
 奇襲を受けて窮地に陥り、だからこそあの金髪の少女が助けに入った。
 屋上の大穴は急を要する場面で、咄嗟の事となれば想像上の事でも色々と話は繋がる。

(やはり、来たか……)

 上を見上げれば、こちらも遅まきながらの登場であった。
 今回は偶々シグナム達が近くにいた為、間に合わなかったのだろう。
 周囲を見渡し、反応がない事を確かめると金髪の少女は再び去っていった。

(あちらの目的は恐らく、ジュエルシードの発動の観察。だが、あの白い魔導師を見殺しにする程冷酷でもなく……背後に誰かしらの影が見えるな)

 錬金術の化け物の創造主も最近は沈黙を保っているが、不気味には違いない。
 他にも誰かが組織だって動いているとなると、本当に面倒な一見であった。
 いっそ、管理局の介入を受けて速やかに事件を解決させ、こちらは隠れていた方が良かったかもしれない。
 だが現状、カズキもシグナムもどちらの勢力にも顔は割れてしまっている。

「ユーノ君、やっぱり私、ジュエルシード集めを手伝う。あの子程じゃなくても良い。今私にある力で、私にできる事をやる。もう、手をこまねいているだけでこんな結果を見せられるのは嫌」
「僕は……できればなのはには関わって欲しくはない。助けを求め、その力を自覚させたのは僕だけど、何時あの夜のような事になるか」
「だからユーノ君、魔法を教えて。強くならなきゃ、何も守れない。強くなるんだ、私はあの子みたいに強くなる」

 そんな決意の言葉は、ジュエルシードの争奪戦に加わると言う事であった。
 シグナムもまたこのままフェードアウトしていて欲しかったがと思いつつ、屋上を後にした。
 ユーノという次元世界の人がいる以上、カズキのように導いてはやれない。
 決意した以上、自分で強くなり生き残れと心の中でエールを送りつつ、それでもより複雑になっていくなと頭を痛めていた。









-後書き-
ども、えなりんです。

今回のお話は、ちょいと急ぎ足。
本来なら二話分かけても良かったぐらい……
もう少し岡倉達と、八神家の交流を描きたかったです。
まあ、次回の温泉話で無茶苦茶交流しますけどね。

あとラストで出てきたなのは。
原作通り、街の破壊で決心しました。
あくまで目標はフェイト。

それでは次回は土曜日です。



[31086] 第八話 会った事が、ない?
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/01/28 19:45

第八話 会った事が、ない?

 時折ガタゴトと揺れては、窓の外の景色が帯の様に伸びながら流れていく。
 海鳴市の山間部へと向かう市電の中での事である。
 別にこの電車の行き着く先にて、ジュエルシードの反応がというわけではない。
 こんな事をしていて良いのかという意味を込めて、シグナムはそっとため息をついた。
 そしてちらりと視線を向けたのは、自席から通路を越えた反対側の席であった。
 岡倉と大浜が共に並び、小さなヴィータとはやてそれからシャマルが向かいの席である。

「よっしゃぁ、ラス一でウーノォ!」

 机代わりにした中央のキャリーバッグ、その上に岡倉がカードを叩きつけた。
 その言葉どおりカードゲームの種類はウノらしい。

「へっ、甘いぜ馬鹿倉。駆け引きってもんが、なってねえ。ドロツー」
「はい、私もドロツーや。シャマル、分かっとるやろ?」
「もちろん、はやてちゃん。私もドロツーです。大浜君次お願いね?」

 だが気合十分の叫びとは裏腹に、皆の手持ちは豊富で、ヴィータ、はやて、シャマルと負債が溜まっていく。
 そして後一人で一周と、岡倉の前番の大浜が申し訳無さそうにカードを出した。

「ごめん、岡倉君。あ、こっちにしとこ。ドロフォー」
「大浜、お前こっちって言ったか。ドロツー持ってたろ!?」

 計十枚、溜まりに溜まった負債を一身に受け、泣く泣く山からカードを抜き出す。

「どうしてこうなった……」

 その呟きは涙を流す岡倉ではなく、シグナムからのものであった。
 不覚にもカズキ達をはやてに会わせてしまったが、まだそれは先週の事。
 それが何処でどうなったのやら。
 まるで以前からの知り合いの様に共に小旅行という事になっていた。

「どうしたの、シグナムさん。はい、冷凍ミカン食べる?」

 暢気に冷凍ミカンを差し出してきた目の前のカズキを締め上げたい。
 だがこの和気藹々とした雰囲気を壊す事もできず、もどかしい気持ちが募っていく。

『おい、シグナム。もっと楽しそうにしろよ。暴走の危険があるって聞いて、警戒はしてたけど。カズキって奴も結構普通の奴じゃん』
『そうね、もっと怖い子を想像してたから。逆にびっくりしちゃった』

 ヴィータとシャマルの念話を受け、できれば私もそうしたいと思ってはいた。
 そして落ち着け私と、深呼吸してからやや黒めの笑顔でカズキに尋ねた。

「カズキ、説明しろ。何がどうなっている?」
「あれ、言わなかったっけ? ほら、先週の地震。はやてちゃんが怖い目にあったし、楽しい思い出で埋めてあげないとって皆で」
「私は気にするなと言ったはずだ!」
「宿から帰りの電車まで全て手配済み。宿も、何度か利用した事があるからサービスも充実してるし、気兼ねもいらない」
「いや、さすがにそこまでされると逆にこっちが気を使う」

 カズキの説明にその隣にいた六桝が補足を入れる。
 ちなみに彼はずっと、シグナムの隣で寝そべっていたザフィーラの目の前で骨っこをふっていた。
 その際、骨っこの動きに合わせ尻尾が揺れていたのを、シグナムは見逃さなかった。
 守護獣たる者が何を餌付けされていると睨むも、本人は骨っこに釘付けだ。
 骨っこを差し出されると顔をあげて、一目散にぱくついた。
 ガチンと鳴ったのは上と下の牙がぶつかりあう音だけ、いぶかしむザフィーラ。
 すると六桝がちゃんちゃらと怪しげな鼻歌を歌い始め、ザフィーラの首周りにある深い体毛の中から消えたそれを取り出し始める。
 なんとと驚くザフィーラの前に再度差し出し、今度こそ消さずに与えていた。

「気にしない、気にしない。元々ついでだし、はやてちゃんにはサプライズもあるしね」
「サプライズ?」
「おい、カズキ」

 六桝に肘で突かれ、おっとと言いながら慌ててカズキがその口を閉じる。
 その様子を見て、シグナムははっきりと嫌な予感がすると感じた。
 なにもこの小旅行自体を否定しているわけではない。
 カズキの言い分も最もで、はやて自身はこの小旅行を大変楽しみにしていた。
 普段から何をするにも楽しそうなはやてが、殊更に。
 守護騎士一同、とても悔しい思いをさせられカズキ達に嫉妬したものだ。
 昨日から用意した荷物を何度も確認したり、電車の中で何をしようかとヴィータと話したり。
 先週の事件など記憶の彼方で精神的なケアとしては、文句の付けようもない。
 だが何処かに落とし穴があるようにしか思えなかった。
 特に先週のデパートでの一件のように、ジュエルシード捜索以外でカズキと会うと特にだ。

「はあ……」
「溜息は厳禁。はい、シグナムさん。口開けて」
「んぐ、冷た……あっ」

 俯いていた顔を上げると少し開けた唇の隙間に、冷たいミカンが一房挟み込まれる。
 言葉通りの冷たさを感じ、思わずと言った感じで食べてしまう。
 意識が他所に向いていたとはいえ、迂闊すぎた。
 ハッと我に返り、冷たいそれを噛む事なく飲みくだしチラリと横目になった。
 あれだけ盛り上がっていたカードゲームが、一時中断していた。
 興味深々、手に持つカードで目元まで隠してニヤニヤする視線が三つ。

「おい、見たか今の。あのシグナムが私らに砂糖吐かせそうな事をしやがった」
「夏はまだ先やのに、あつあつやん。普段はキリッとしとるけど影では結構甘々なん? ストロベリーなん?」
「なんかドラマ見てるみたいですよね。あの座席に六桝君とザフィーラがいなければ、さしずめ愛の逃避行ですか?」

 きゃーと乙女達が盛り上がる一方で、凛とした美人とのイチャツキに燃える者もいた。
 やはりというか、同じ年上好きとして納得がいかない岡倉であった。

「カァズキィー、なんでお前ばっかり。ちくしょう。と言うわけで、シャマルさんに届けこの思い。ドロツー!」
「まずはその変な頭どうにかしろよ、ドロツー」
「ヴィータ、正直に言い過ぎや。私は面白くて好きやけど、ドロツー」
「え、えーっと。スキップ、じゃなくてドロツー」

 スキップとは本音が零れ落ちた結果か、慌ててシャマルが言いなおす。

「岡倉君、どさくさに紛れて……はい、ドロツー」
「ちくしょう、またかよ。しかも駄目だしされつつ、スキップされかけたし!」

 おのれと今度は別の意味の涙を流しながら、岡倉が山札に手を伸ばす。

「さてザフィーラ、俺達は少し車内の探検にでも出かけるか」
「ばふ」

 下手糞な犬の鳴き声を真似、ザフィーラは六桝についていった。
 同じ車両内、通路を隔てれば岡倉達は直ぐそこにいる。
 だというのに、妙に二人きりを強調され、そっと気を使われた。
 赤面しながらもいやあと照れ笑いをするカズキが、シグナムには理解できない。

「じゃあ、シグナムさん。次、はい」

 そしてその次という言葉と共に差し出された冷凍ミカンの一房を見て確信する。
 いや、前から気付いていた気もするが、カズキは馬鹿なのだ。
 その馬鹿を相手に一番効果的な手として、シグナムは強く拳を握り締めた。
 ゴンと電車の車両全体に響いたのは、カズキの頭部を強打した音であった。
 ぷしゅうと煙を頭から上げて、座席に倒れこむカズキ。
 そのカズキの前で同じく拳から煙をあげながら、呼吸も荒く憤るシグナム。

「次やったら、その冷凍ミカンごと燃やし尽くすぞ」
「ふぁい」

 この馬鹿がと、乱暴に座席に座り込む。
 が、シグナムが強気に出られるのはあくまでカズキのみ。

「照れとる、照れとる。普段のシグナムが嘘みたいや」
「ここまで来ると、マジしゃれにならねえ。誰だよ、アイツ。私の知ってるシグナムじゃねえ」
「好きな人の前だと、女の子は変わるんだ。勉強になるわ、シグナム」
「主はやて、お前達も!」

 吠えはしても、特にはやてに拳を上げるわけにも行かず。
 立ち上がったは良いものの、憤りの向け先が何処にもなかった。
 仕方が無く座席に座りなおし、腹の立ち具合もあってカズキの手から冷凍ミカンを奪い取る。
 そのまま一口で口に放り込み、あまりの冷たさに例のアレに即頭部を襲われてしまった。
 痛みが治まるまで一人でジタバタとするシグナムを、ほっこりとした笑みではやて達は見ていた。
 皆のシグナム像が崩れ始めるのは、まだまだこれからのようであった。









 やや負の方向に傾いていたシグナムの機嫌も、温泉宿を見るまでであった。
 古めかしい屋根瓦と、時代を感じさせる黒くくすんだ木造の宿。
 春のその風にかすかに混じり漂ってくるのは温泉特有の香りである。
 温泉は好きだと趣味を漏らしていたシグナムの心は早速奪われ始めていた。
 電車内での不機嫌は何処へやら。
 誰よりも胸をわくわくとときめかせながら、それをひた隠し冷静を気取る姿が可愛らしい。
 瞳をキラキラとさせ、それが周囲にばれていないはずがないのに。

「うぅ……家におる時はあんな可愛い仕草見せへんのに。カズキさんがいるからか、なんか悔しいわ」
「すげえ勢いで、シグナムが壊れてくな」
「ん、なんだお前達。ごほん、私は別に……早くチェックインするぞ」

 はやてやヴィータの呟きを受け、さすがに気付いたシグナムが振り返った。
 わざとらしい咳払いをして生温かい視線を振り払いながら、玄関に足を踏み入れる。
 だがその直前にカズキが肩を掴んで引きとめられ、思い切り睨み返していた。

「なんだカズキ、お前といえど邪魔すると言えば斬る」
「いや、邪魔はしない。しません。けど、こっちが先あくまで主役ははやてちゃんだし」

 それは分かるがといぶかしむシグナムは、携帯電話を耳にあてている岡倉に気付いた。
 旅行先に来てまで一体誰にかけているのか。
 電車内でのシャマルへの言葉等から、彼女ではないのはまず間違いない。
 今再び、温泉を前にした喜びが薄れ嫌な予感がしたシグナムの耳にクラクションが聞こえた。
 駅からここまではバスで来たが、それはマイカーで訪れた別の宿泊客のようであった。
 シグナム達は慌てて場所をあけようとするが、岡倉がその車へと向けて手を振っている。
 小型のマイクロバスが目の前で止まり、開いたドアから小さな影が飛び出してきた。

「お待たせ!」
「おお、まひろ」

 飛び出してきたのはまひろであり、よーし来いとばかりにカズキが両手を広げる。
 そのカズキを華麗にスルーしたまひろは、茫然としているシグナムへ飛びついた。

「お姉ちゃん!」
「まだそれを引っ張ってたのか!?」
「じー……」
「はあ、分かった分かった。ほら、これで良いか?」

 何かを期待するキラキラとした瞳に根負けし、ポケットから飴玉を取り出し与える。
 きゃあっと喜んだ声をあげ、まひろは貰った飴玉を頭上に掲げてくるくると回っていた。
 全く妙な懐かれ方をした物だと呆れてしまう。
 だがこれがサプライズならば、悪くはなかった。
 同年代と関われないはやてにとっては、友達という最高のプレゼントにもなるだろう。

「また負けた。俺は飴玉より下、俺は兄失格だあ」

 地面に膝をついて落ち込むカズキに、少しは優しくしてやるかと歩み寄る。

「馬や、馬を射たで。まさか、本当やったとは、シグナム怖ろしい子や」
「マジびびった。もう、私らの知るシグナムは死んだ。もう、居ない」
「聞きました? お姉ちゃんって呼ばれて、シグナムもまんざらじゃないみたいですよ」

 好き勝手に言う主や仲間は完全スルーし、カズキに声をかけようとする。
 だが続いてマイクロバスから降りてきた少女を見て、その声が喉の奥で止まった。
 あまりの驚きようにそのまま息が止まってしまう程に。

「こら、まひろ。なに飴玉を優先してんのよ。違うでしょ!」
「あっ、はやてちゃんって貴方だったんだ」
「あー、何時も図書館で見る。え、なに。カズキさんの知り合いなん?」

 同じくまひろと同年代らしい金髪の少女と、黒髪の少女ではない。
 特に黒髪の少女ははやてを指差し、はやても少女を指差していたが、違う。
 はやてが良く行く市営の図書館で見かけた事は、シグナムも何度かあった。
 シグナムの体に緊張感が走ったのは、最後にマイクロバスから降りてきた少女。

「はじめまして、はやてちゃん。高町なのは、なのはって呼んでね。それで、この子がユーノ君って言うんだ。その子……食べないよね?」
「うちのザフィーラは賢いから大丈夫や」

 なのはに続いて次々にアリサやすずか、そしてまひろが自己紹介を始める。
 そこには同い年とはいかないが年齢が近いと、ヴィータも巻き込まれていた。
 そのヴィータが挙動不審に焦りながら、ちらちらとシグナムへと振り返った。

『おい、シグナムこいつ。フェレットと、にゃのはって奴!』
『フェレットの方は次元世界人だ。全く、カズキの奴……余計な事を』
『仕方ないわよ、はやてちゃんに友達を作ってあげようとした善意だし。でも、なんとかしないといけないですよね』
『いっそ、私が間違えた振りをして食い殺すか?』

 主の為にとザフィーラが物騒な方法を唱えたが、もちろんそれは却下であった。
 できたばかりの友達をはやてから取り上げるわけにもいかないし、言い訳も不可能だ。
 旅行当初から、シグナムが何を危惧していたのか。
 今さらながらヴィータ達もカズキの善意がもたらす結果に、やや不安な思いを抱き始めていた。









 一旦チェックインを済ませ、今度こその温泉タイムであった。
 まひろがカズキにくっついて男湯に入ろうと一悶着もあったが。
 シグナムが一緒に入るかと言った鶴の一声で、まひろはあっさりと寝返った。
 またしても兄失格だとうな垂れたカズキを、皆が笑いながらも慰めていた。
 そしてきちんと男女に分かれて脱衣所にてそれぞれ、衣服に手を掛け脱ぎ始める。
 だが男側の脱衣所では、大いに手惑わざるをえなかった。
 壁の仕切りがあるとは言え、男女の脱衣所は隣り合っているのだ。
 少しでも声を大きくすれば、姿は見えずともその声は丸聞こえであった。

「あん、こら。アリサちゃん。このぉ」

 アリサに悪戯されたらしく、艶っぽい声の後で何か反撃をしている美由希の声が届く。

「ふふ、すずかったら。少し見ない間にすっかり、お姉ちゃんそっくり」

 一体何がそっくりなのか、忍が妖しく微笑む声が聞こえる。

「ほほお、二人共うちのシグナムやシャマルに負けず劣らず」
「はやてちゃん、声が大きいです!」
「もち、聞こえるように言うとるんや。岡倉さん達、人生捨てる覚悟あれば来てみい。こっちは天国やでえ」

 さらに何処がどう負けず劣らずなのか、はやての挑発的な言葉が投げつけられた。
 ちくしょう、何故俺達は男なのかと岡倉が崩れ落ちる。
 カズキも大浜も冷静を装ってはいるものの、耳が激しくダンボであった。
 できる事なら、ずっとこのまま着替え続けていたいとその手が動かない。
 さすがの六桝も少し気にはなっていると、頬に少し赤みがさしていた。

「おい、お前達。馬鹿やってないで、はやくしろ。風邪引くぞ」

 そんなカズキ達へと呆れた声をあげつつ、先に温泉への扉を開けた恭也が注意する。
 壁の向こうが全く気にならないのか、照れる事さえない。
 脇に抱えた桶の中には、先程女湯から何故か追い出されてきたユーノが入っていた。
 まあ、壁の向こうが気になる今、それはとても些細な事であった。
 一同、岡倉と共にちくしょうと思いながら、重い腕をなんとか動かし服を脱ぎ始める。
 そんなおり、忍の楽しそうな声に対してふと気付いたように岡倉が皆に尋ねた。

「なあ……恭也先輩って頭は良いのか?」
「詳しくは知らないが、美由希ちゃんやなのはちゃんの成績は悪くないからな」
「あと、滅茶苦茶強い」
「嘘だ。頭良くて、運動ができるどころか強くて顔も良いなんて有り得ない!」

 六桝に続きカズキの補足を聞いて、岡倉が叫んだ。

「有り得ないたって、あの忍さんが付き合う程だし」
「何か絶対人には言えない秘密があるはずだ!」

 とんでもない美人と付き合っている、そんな事実を前にもはや岡倉は泣きそうであった。
 壁の向こうの天国に全く興味を示さなかったのも、きっと知っているからだ。
 何時でも美女の裸体を楽しめる、自分達がまだ知らない境地へと至っているから。
 恭也が自分たちより大人である事は悔しいが認めても良い。
 だがその恭也が持つスペックの高さだけは、認めたくはなかったのだ。
 主にそれだけのスペックがなければ、女性に振り向いてもらえないのかという点について。
 何時の間にか壁の向こう側が、やけに静まり返っている事にも気付かずに。

「例えば?」
「例えば……」

 一体どんな秘密があるのかと、皆の視線は真っ裸となった己の下へと向かう。

「岡倉以上カズキ以下」
「カズキ以上大浜以下」
「岡倉以上六桝以下」
「六桝君以上、カズキ君以下」

 ナニがとは言わないが、男としてのプライドを賭けて温泉へと続く扉を開け放つ。
 湯煙を振り払い周囲を見渡して先に入っていった恭也を探す。
 恭也は丁度、頭をシャンプーで泡立てているところであった。
 なんという好都合と、四人は息を潜めて恭也の後ろに忍び寄る。
 気配すらも悟らせるなとお互いに注意視しつつ、そのまま覗き込んだ。
 この時、四人に電流走る。
 そこはまるで自らが光を放つ恒星のようにキラキラと輝いていた。

((((う、美しい!))))

 ナニがどうと、具体的な描写は不要であった。
 自然と平伏してしまいそうなそれから離れ、カズキ達はただただ白く燃え尽きる。

「非の打ちどころがない」
「究極だ」
「究極の美形だ」

 神様は不公平だとばかりの呟きを漏らすのが精一杯。
 そんなカズキ達の馬鹿騒ぎは、しっかりと女湯へと届いているとも思わずに。
 だからこそ、彼女達も一時の騒ぎを止めてまでカズキ達の話に聞き入っていたのだが。

「お兄ちゃん達、楽しそう。いーなー、いーなー」
「あの馬鹿……こら、だからと言って男湯へ行こうとするな。慎みを持て」

 お湯の中から立ち上がったまひろを座らせ、胸の中でその頭を抱きとめる。

「で、そこのところどうなの忍さん?」
「すみません、後学の為にそこの所を詳しく。あ、ヴィータちゃんは、はやてちゃんのお世話をお願い」
「おい、こら。子ども扱いすんじゃねえ」
「うふふ、秘密」

 こそこそっと美由希が事の真相を尋ねるも、返って来たのは微笑みのみであった。
 言葉通りそれを知る事ができるのは私の特権とばかりに。
 シャマルが遠ざけようとした通り、ヴィータがそばに居てはそもそも続けられなかっただろう。
 それに達年少組みがいる以上、そんな卑猥な話は続けられない。
 もっとも、アリサ達はそれどころではない複雑な心境でもあったからだ。

「なんだろう。まひろのお世話しなくて良いと楽なんだけど……なに、この気持ち」
「ふふ、すっかりシグナムさんにまひろちゃんを取られちゃったね」
「にゃははは、ユーノ君も向こうに言っちゃったし手持ち無沙汰だよ」
「私もユーノ君洗いたかったな。ほんなら、なのはちゃんを手始めに」

 お湯の中で移動したはやてが、背中からなのはに抱きついた。
 何やら子供らしからぬ妖しい動きの手が、その体を這っていく。
 くすぐったいとなのはが笑い、その被害者はすずか、アリサへと広がっていった。
 一通り身体測定をされてしまったなのはは、隅っこの縁にてくてりと体を預ける。
 旅行は始まったばかりで、ここで力尽きるわけにはと気合を入れたらしい。

『聞こえるか、高町なのは』

 だが次の瞬間、脳裏に響いた声にびくりとその肩を震わせた。
 耳慣れない声ではあったが、この旅館に来てから何度か聞いた声であった。
 しかもそれが魔法を使った念話で直接聞こえたのだ。
 驚くなと言う方が無理である。

『シグナム、さん? 念話ができるって事は魔導師なの?』
『それを含め、後で話がある。カズキも一緒に』
『カズキさんも!?』

 驚きの連続に、何から聞けば良いのやら。
 なのはは温泉旅行を楽しむ余裕が失われつつあった。









 子供の体力では温泉の長湯には耐えられない。
 そういう事もあってはやてとヴィータを含めたなのは達は、先に温泉から上がっていた。
 これから限りある時間をどう使って楽しい時間を過ごすのか。
 庭園の散歩でも良いし、お土産でも卓球だって良い。
 湯上りに火照った体を包む浴衣の隙間をぬう風に涼しさを感じながら、縁側を歩く。

「これからどうする? やっぱり温泉に来たら、卓球じゃない?」
「うーん……それも良いけど、お土産選びかな?」

 車椅子のはやてをちらりと見てから、言葉を選びつつすずかがそう言った。

「お、私は卓球でもかまわへんよ。見ててもおもろいし、ヴィータとコンビ組ませてもらえば、そう簡単には負けへんよ」
「へっ、そういうこった。一人残らず叩きのめしてやるぜ?」
「たいした自信じゃない。よし、それならまずは私と勝負よ。まひろとなのはも、それで良い?」
「うん、お土産はお兄ちゃんと一緒に選びたいし。卓球が良い」

 勝負を前に熱くなるアリサの問いかけに、まひろがとてもらしい返答を向ける。
 だが尋ねられたもう一人であるなのはは、一瞬返答が遅れた。

「え、あ……うん、なのはもそれで良いよ」
「よーし、それじゃあ。卓球台のある場所へゴー!」

 だが小旅行という状況でテンションが上がっており、誰も気付かなかったようだ。
 温泉でゆだり、惚けていたのかと自己解決してアリサが腕を上げる。
 なのは以外がそれに続いて元気良く腕を挙げ、その後に続いた。
 本当はなのはも同じように旅行のテンションに任せたかったのだが、できなかった。
 肩に乗るユーノの口元に指先を持っていき、じゃれつかせるようにしながら尋ねた。

『ねえ、ユーノ君。どうしてカズキさんとシグナムさんが……』
『詳しい事は後で聞けば良いけど、たぶん悪い話じゃないと思う。二人が魔導師なら、ジュエルシード探しを手伝って貰える。なのはは、無理しなくて済むよ』

 違うそうじゃないと、なのははユーノの言葉を心の内で否定した。
 いや、ユーノの気持ちも分かってはいる。
 なのはと違い大人の二人が手伝ってくれれば、それはきっと安全な事だ。
 先週の街が破壊されるような事態は、今後避けられるかもしれない。
 だがその場合、なのははどうなるのか。
 ただ見ているだけで、それでは廃工場でのあの日から何も変わらないではないか。

(私が本当に怖がってるのは……)

 カズキとシグナムが、手伝ってくれる事を疑っているわけではない。
 二人がもう良いと、なのはに対して手伝うなと言ってきた場合だ。
 先週までなら、なのはもそれで納得し、肩の荷が降りたと安堵した事だろう。

「はーい、おチビちゃん達。ちょっとごめんね、通してくれるかい?」
「あ、ごめんなさい。ヴィータ、はやての車椅子もう少し寄せてくれる?」
「ああ……」

 通してと言われた声に対し、やや不機嫌に返したヴィータの声になのはは我に返った。
 人数が人数なだけに、縁側の狭い通路をなのは達は占領するように歩いていた。
 はやてが車椅子であった事もあるが、ほんの少し通行の邪魔だったのだろう。
 明るい赤髪の女性がこれから温泉に向かうのか、浮かれた笑顔で開けられた通路を通っていく。
 こういう時はお互い様、何故ヴィータが不機嫌な声を出したのか不思議にさえ思った。

「フェイトと同じぐらいかな? 温泉に入った後で、卓球って奴に混ぜてもらう?」
「いい、遊んでばかりいられない」

 だがその理由とは別に、なのはは赤毛の女性の影になってすれ違うまで見えなかった少女に釘付けとなっていた。
 太陽の光を受けてキラキラと輝く金糸、あの時は夜だったがはっきりと覚えている。
 いや夜だったからこそ、より輝こうとするその髪の色を覚えていた。
 服装こそあの時とは違うが、黒のワンピースとイメージカラーは同一。
 なによりもすれ違い様に、その少女の瞳はしっかりとなのはを映し出していた。

『ユーノ君、この子!』
『あの時の子だ。僕らを助けてくれた僕は姿を見てないけど、声に覚えがある!』

 ユーノも同じ事を考えていたらしい。
 やっと会えた、だがどう切り出して良いか分からず、声がかけられない。
 そうなのはがまごついている間に、すれ違ってしまう。
 向こうからは何も声を掛けられず、えっと言う呟きをなのはが漏らしたにも関わらず。
 上手く頭が回らず、なんとか声をと喉の奥から絞り出す。

「あ、あの!」
「ん、私らになにか用かい?」

 決して小さくはないなのはの声に、アリサ達までも振り返っていた。
 そんな状態で聞けるような事は多くはない。
 それに何を話せば良いかも考えてはおらず、言葉がその後から続かなかった。

「えう、あの……えっと。私達、何処かで」
「知らない、会った事はない。用はそれだけ?」

 予想外の少女の返答に、言葉が詰まり思考が停止してしまう。
 あの日あの時、確かに目の前の少女に命を救われたはずなのに。
 最初から眼中になかったのか、それとも本当に覚えていないだけなのか。
 だが少なくともなのはにとって、あの日の事は忘れられない出来事であった。
 大げさな言い方をすれば、人生が変わってしまう程に衝撃的な出来事なのだ。

「会った事が、ない? で、でも」
「人違いして恥ずかしいのは分かるけど、それじゃあね。私らこれから温泉に行くから。ここに泊まってるから、運が良ければまたね」

 そんなはずはないと食い下がろうとするも、少女の連れの女性に遮られてしまう。
 怒ったわけではないらしく、ぽんぽんと頭を撫でられてしまった。

「こら、なのは何からんでるのよ。人違いって言われたでしょ?」
「す、すみません。ごめんなさい」
「私達、卓球してるから温泉から上がったら遊ぼう!」
「約束はできないけど、覚えておく」

 終いにはアリサに注意され、関係のないすずかに頭を下げさせてしう。
 二人に嫌な役をさせてしまい、さすがにそれ以上は食い下がれなかった。
 まひろの一方的な約束に、覚えておくとだけ言った少女を見送るしかない。
 今自分が抱いている気持ちはなんなのか。
 これまで抱いた事もない気持ち。

『なのは、今はあの子の事よりもカズキさん達を優先させないと』
『なんだろう、この気持ち。分からない、分からないよユーノ君』

 唇を噛んで小さな手で拳を握るなのはを前に、ユーノもどう言って良いのか分からなかった。









-後書き-
ども、えなりんです

岡倉達は、すっかり八神家になじみました。
シグナムはもちろん、ヴィータ達もすっかりカズキへの警戒心ゼロ。
まあ、カズキ達の普段を知ったらそうなるのでしょうか。

あとまひろにとってシグナムは飴をくれるお姉ちゃん。
精神的に尊敬できるとかじゃなく、欲望に忠実です。
たぶんなのは達と足して二で割れば普通の小学生になると思います。

次回は水曜更新です。



[31086] 第九話 私を助けれくれた貴方がどうして
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/02/01 20:01

第九話 私を助けれくれた貴方がどうして

 皆での賑やかな夕食後、カズキ達は温泉宿にある庭園へと出てきていた。
 なのははユーノが逃げ出したと言い訳をして、カズキとシグナムが散歩がてらと言い訳してだ。
 後者の二人は、その言い訳を同時に言ってしまい皆から、からかわれもしたが。
 そのまま日本庭園の砂利道を抜け、林の中の散歩道へと進む。
 その先で東屋を見つけ、シグナムがそこにあるベンチへと腰掛けた。
 軽く戸息を吐いて、夜風に流れる髪を押さえ、自分の隣を叩きカズキに座れと促がす。
 まだ詳しく聞かされていないカズキは、戸惑いながらも言う通りにした。
 そして二人の前に、ユーノを胸元に抱えながら俯いているなのはが残った。

「高町なのはは魔導師だ」

 なのはもとベンチに誘おうとしたカズキの言葉は、そんな一言に中断された。
 最初は驚きから理解が遅れたが、カズキも一通りの知識は教えられている。
 ベルカの騎士とは系統が違うミッドチルダ式という魔法を操る魔導師。

「なのはに魔法を教えたのは僕です。教えてください、貴方達は一体……」
「フェレットが、まさか錬金術の!?」
「落ち着け、カズキ。あれはただの変身魔法だ。錬金術の化け物は魔力を感じない、恐らくはその性質上魔法を使えない」

 立ち上がり左胸に手を置いたカズキを制し、シグナムがそう指摘した。

「そう言えば……なんとなく、違う。たぶん、その魔力ってのを感じる」
「ジュエルシードをこの街にばらまいたのが、あのフェレット。今はフェレットだが、別の次元にある世界の人間だ」
「どうしてそれを……」
「お前自身が言った事だ。ジュエルシードがばら撒かれた翌日、高町を念話で連れ出し公園で話していただろう。私はあの場にいた」
「でも、じゃあどうして今まで黙って?」

 当然と言えば当然の疑問を、ユーノは正面からぶつけていた。

「本来、私はここまで深く関わるつもりはなかった。私はベルカの騎士で、この世界に根を下ろす人間だ。お前も次元世界の人間なら分かるだろう?」
「この世界は管理外世界。不法滞在、それもベルカの騎士となると……」
「管理局がいずれ介入してくるにせよ、面倒は避けられない」

 元々この世界の人間であるカズキやなのはは、ユーノが何を神妙に捕らえているのか分からなかった。
 カズキは知識こそ程々に与えられてはいるが、別の世界の歴史や政治までには及ばない。
 なのはは元々自らがミッドチルダ式の魔導師である故に、ベルカ式は教えられてもいなかった。
 ミッドチルダ式とベルカ式は、次元世界にある魔法の二大巨頭の魔法である。
 だが実質その汎用性からミッドチルダ式が群を抜いていた。
 ベルカ式は少々宗教色が強いという事もあり、末端の人間はそうでもないが位が高くなるにつれ確執というものはあった。
 特に管理局という警察と司法をかねる組織に対して、友好的でも非友好的でもない。

「私には守るべきものがある。他の何より、それが最優先だ。管理局を呼ぶなとは言わないが、現れた場合に私の存在は黙秘して欲しい」
「元々面倒を持ち込んだのは僕です。貴方が家族を大切にしたいだけなら、分かりました」

 頷いたユーノを見て、一先ずシグナムは安堵をしていた。
 本来シグナム達が管理局に対して抱く面倒という意味は、語った物とはかけ離れている。
 だがこれでユーノが仮に管理局が現れても、シグナムの事を黙認してくれれば問題は大きくはなくなる。
 最悪の場合、斬り捨てる可能性もあったがそれは避けられたようだ。
 ユーノのお人よしのせいもあるが、はやて達と笑い合う姿を見せていた事もプラスに働いたのだろう。
 当初はユーノの存在に戸惑ったものの、何が幸いするかは分からないものだ。

「さて、私の事情を知ってもらった上で忠告する。高町、お前はジュエルシードを追うのを止めろ。私とカズキ、おまけでそこのユーノで十分だ」

 改めての忠告に、なのははビクリと体を震わせユーノを腕の中から落としていた。
 俯いていた顔をさらに落とし、聞きたくなかったと瞳を閉じている。

「でも、私……」
「なのはちゃん、俺からも。あんな危ない事は止めて欲しい。敵はジュエルシードだけじゃない。君はもしかして、見た事があるんじゃないのか?」
「ジュエルシードだけって、まさかあの化け物は」
「我々の他にも、ジュエルシードを狙う者がいる。その中でも最悪なのが、この世界の技術、錬金術により生み出された化け物の創造主。その化け物の食料は人間だ」

 力を失うようにぺたんと尻餅をついたなのはを見て、そうであって欲しくなかったとカズキが歯を食い縛っていた。
 だが弱々しくもなのはが呟いた言葉を聞き、まさかと目を見開く結果となった。

「それでも、私はジュエルシードを集めたい」
「なのはちゃん!」
「だって、先週のアレもそうなんですよね。もう嫌なんです、自分にある力から目をそらしたまま。それに……」
「なのは、別に君が責任を感じる必要はないんだよ」

 ユーノの慰めにも、なのははただ首を横に振るだけであった。
 そんななのはの目の前にしゃがみ込み、カズキはゆっくりとその頭を撫で始めた。
 だがそれは、なのはの意固地な意見を受け入れたわけではない。
 一先ずなのはを落ち着けさせると、その小さな手をとり己の左胸に置いた。
 本来ならば、正常な心音が聞こえるはずの左胸へと。

「なのはちゃん、良く考えて。聞こえる、俺の心音……」
「えっ、どうして。何も聞こえない」
「あえて言わなかったが、私がお前達を夜の公園で見かけた時、その場にはカズキもいた。錬金術の化け物に心臓を潰され、一度死に、ジュエルシードの力で蘇ったカズキを」
「ジュエルシードの力で……そんな、ありえない。アレはただ暴走するだけの。もし仮に、その左胸にあるジュエルシードを封印すればカズキさんは」

 死ぬだろうなと、ユーノが躊躇った言葉をあえてシグナムが次いで口にした。

「高町、それでも戦うと口にするならば、立ち上がれ。そして顔を上げて前を見ろ」
「シグナムさん、なのはちゃんはまだ子供で」
「時に子供は侮れないぞカズキ。どんなに危険を説いても、危険な場所に飛び込んでくる馬鹿はいる。お前のようにな」

 自分を例に挙げられてしまっては、カズキにも返す言葉がない。
 何度危険性を説かれ、妹のそばにいろと言われても、戦うと決めたのはカズキだ。
 それを子供といわれるのは不本意だが、頑固という点ではなのはと同じである。

「私、本当は違うんです。確かに先週のアレは切欠の一つでした」

 カズキの手を握り締めながら立ち上がろうとするなのはが呟いた。
 まだ死と言う概念を思い出し、フラッシュバックした過去がその心を苛んでいる。
 一度はまひろに癒され、塞がり始めた傷口を開こうとしているのだ。
 それでも今度は自分の力で、あの出来事から目をそらさずに自分の力で立ち上がった。
 シグナムに言われた通り、立ち上がって顔を挙げ、前を向く。

「悔しかった」

 ぽろりと零れ落ちた涙は、なのはの本心であった。
 恐怖、無力感、それらを心で受け止め、最後に湧き上がる気持ち。
 助けてくれた少女の瞳に映らず、記憶にすら残らなかった小さな自分。

「私、皆を守りたいのもある。けどそれ以上に、私自身を強くしたいんです。自分の事を酷い子だって思うけど、それが一番の本心です。その為にも、自分の力で戦いたい」
「そうか、ならば自分のしたいようにしろ」
「シグナムさん……それでも俺はやっぱり、反対だ」
「ならばお前が守ってやれ。戦い方を変えるぞ、次からは私も戦う。これまでのような出し惜しみは無しだ」

 カズキが先程までしていたように、シグナムもまた涙を零すなのはを撫でた。
 それでもその涙は止まらず、今だけはとその小さな体を抱き寄せ抱きしめる。
 今までは正体不明の魔導師でしかなかったなのはだが、今では主であるはやての友人だ。
 何かあっては困ると、態度を変える為にも優しくその涙を抱きとめていた。









 予約していた宿泊用の部屋は大人数用の部屋二つ。
 その一方を子供部屋としており、中から出てきたファリンが襖を閉じた。
 ファリンとは、すずかの家でメイドをする美人姉妹の妹の方であった。

「ありがとうね、ファリンちゃん」
「いえ、好きでやってる事ですから」
「はい、ファリンさん。喉渇いたでしょ、ジュースどうぞ」

 なのは達に絵本を読んで寝かしつける仕事を終えたファリンに、桃子がお礼を言った。
 だが返って来たのは仕事ではなく、趣味の一つだとでも言うような笑顔である。
 普段はメイド服だが、今は浴衣姿。
 これはこれでと、姉を含む彼女のファンである大浜がジュースを勧めた。
 ちなみに大浜が何故ファンであるかは、隠れオタだったりするからである。
 もちろん、ソレを知るのはカズキ達の三人だけだが。

「ありがとうございます、大浜さん」

 朗らかな笑顔を向けられ、大浜の顔は蕩け落ちそうであった。

「さあ、こっからは大人ターイム!」
「おい、岡倉とりあえずそれをこっちに寄越せ」

 一方の岡倉も何処で手に入れたのか、酒の入った一升瓶を手に声をあげる。
 だが早速、恭也に取り上げられ、変わりに拳骨を落とされていた。
 恭也はまだしも、正真正銘の大人である士郎や桃子がいるのに飲酒をしようとしたのか。
 その度胸と言うか、考え無しのところは流石と言うほかなかった。

「まあ、多少の夜更かしは大目にみるけど羽目は外しすぎないようにな」
「そうそう、大人っていうのは士郎さんみたいな素敵な人の事をいうのよ」
「何を言うんです、桃子さん。桃子さんこそ、僕の理想の人です」
「やだ、士郎さんったら」

 人目もはばからずいちゃつき始めた最年長二人。
 一先ず、この場に大人は一人もいないと言う事で、砂糖を吐きながら満場一致であった。
 かといって、酒を禁じられた状態での大人タイムはそう多くはない。
 これだけ若い男女がそろえばなくはないが、今度は拳骨ではすまないだろう。
 冗談抜きにして死人が出かねない。
 精々が夜更かししながらお喋りかゲームだと、ある意味健全に過ごすしかなかった。

「おーし、んじゃカードゲームする人」
「あ、私やります。昼間の電車でのリベンジです」
「ファリンさんとノエルさんも、ご一緒しませんか?」
「ええ、もちろんです。お姉さまも一緒にやりましょう」

 岡倉の言葉に、気が向いた者が集い始める。
 と言ってもそれは全員ではなく、観戦に回る者や、二人きりでお喋りするカップルもいた。
 主に士郎と桃子、それから恭也と忍というカップル組みである。
 二人きりといえるかは不明だが、ザフィーラに構っている六桝もだろうか。
 カズキも今はゲームをする気分でもなく、シグナムの隣で共に観戦組みであった。
 周囲からは三つ目のカップルだと思われてはいるが。

「まだ、納得がいかないか?」

 不機嫌とは違うが、あまり楽しそうではないその顔を見てシグナムが尋ねた。

「うん……俺にとって、なのはちゃんは守りたい子の一人だから。実力は良く分からないけど、背中を任せるような子じゃない」
「そう、心配するな。基本私とお前が前衛、高町は後衛だ。普段通り、速攻で倒せば問題ない。それに見えない所で勝手に戦われる方が心配だろう?」
「確かに、それはそうかも。はあ、やっぱり俺なんかの考えよりも、シグナムさんの方が正しいのか。全然、そこまで考えが及ばないや」

 生きてきた年数と経験が違うとは、さすがにシグナムもフォローはできない。
 なにしろユーノに説明した時は人間だと言ったが、厳密には違うのだから。
 だから後ろ手に天井を見上げたカズキの肩に、気にするなと手を置くに留まった。
 それにカズキの年齢で何もかも見透かすような生き方は、気持ちが悪い。
 今の様に前だけを見つめて突っ走り、多少周りに迷惑をかけるぐらいで丁度良いのだ。
 先程のようではないが、フォローは大人がすれば良い。

「やあ、二人きりのところを少しお邪魔するよ」
「ごめんなさいね、無粋な事をして」

 小声で話していた二人の前に現れたのは、士郎と桃子であった。
 なんだか完全に恋人扱いだが、もう面倒になってシグナムも否定はしない。
 きりがないし、否定すればする程に周りが盛り上がる事を知ったからだ。
 なのはとは違い、二人とはそれ程話したわけではない。
 精々がお招きありがとうございますと挨拶したぐらいで、何か特別な用でもあるのか。

「実は、はやてちゃんが小学校に通っていないと耳に挟んだんだが、本当かい?」
「はい、その私達の住まい周辺ではある……はやてのような足の不自由な人を受け入れられる学校が見当たらないもので。本人も、半分諦めてしまっているようで」
「けど、今日一日様子を見た限りでは通いたがっているというか、友達は作りたがっているみたいよね?」
「そうですね。私達もできればとは、思っています」

 桃子の言葉を否定する要素はなく、むしろシグナムは深く頷いた。

「そうか、本人だけでなく君達保護者もそう思っているのなら、なのは達と同じ聖祥大付属はどうだい? 設備も充実しているし、市バスの停車駅もある」
「その市バスも、先に届出を出せば乗り降りも運転手さんが手伝ってくれるわ。一度、本人と相談してみたらどうかしら? 折角なのは達とお友達になったんだし、良い機会だと思うわ」
「ええ、旅行の後に早速本人にも確認してみます」

 考えておいてと残し、二人から離れていった夫妻を見送り考える。
 カズキ達の考案で、なのはやユーノといったイレギュラーとの邂逅が起こってしまった。
 焦りもしたし、はやての不興を買ってまで闘争するか本気で悩みもした。
 だが全てを収めてみれば、はやては友達を得て、学校に通うチャンスも訪れている。
 引っ掻き回された周りも、悪い事ばかりではないのだ。

「聖祥大付属ならまひろも一緒だし。うん、それが良いよシグナムさん」
「本人次第だが、恐らく通ってみると言うかもしれんな。カズキ、グラスが空いてるぞ」

 だから満面の笑みで自分の事のように喜ぶカズキへと、そばにあったジュースを注いでやった。

「ありがとう、じゃあシグナムさんにお返し」
「すまんな。いずれ、お前も酒が飲めるようになったら、今回の事を肴に飲むのも良いかも知れんな」
「ん? なに、シグナムさん?」

 ジュースのお返しを受け呟くも、良く聞こえなかったのかカズキが小首をかしげている。
 その様子を見てふいに、可愛い奴めとの言葉がシグナムの脳裏に過ぎった。
 だが即座に我に返ると、なんだ今のはと悶え始めるシグナムがいた。
 そこを更に、目ざとく見咎めた岡倉にストロベリートークは禁止だと突っ込まれる。
 だから迂闊にも恋人ではないと否定してしまい、嘘付けと盛り上がった周りに冷やかされてしまう。
 だから違うとシグナム一人が奮闘しながら、夜は更けていった。









 大人の時間も終わりを向かえ、皆が雑魚寝に近い形で寝入った深夜過ぎ。
 山間部という事もあり、ことさら静かな夜にそれは起こった。
 膨大な魔力による鳴動。
 近頃海鳴市に発生する事が多い、ジュエルシードによるそれである。
 カズキやシグナムはもちろん、子供部屋で寝ていたなのはもそれに気付いていた。
 同じくシャマル達も気付いていたが、騎士である事はカズキにさえ秘密の為、ピクリと動くだけになんとか留めている。
 少し薄目を開けて、周囲を伺うぐらいの事はしているが。
 子供部屋にいるヴィータもそれは同じである事だろう。

『カズキさん、シグナムさん。それにユーノ君、今』
『ジュエルシードの反応だ。凄く近いです』
『お前達は、ばれない様に窓から外へ出ろ。私とカズキは一旦、部屋を出て迂回する』
『なのはちゃん、待ってて直ぐ行くから』

 隣り合う部屋とは言え、子供がいる部屋と大人のいる部屋では対応も異なってくる。
 多少の物音では子供は起きなくても、大人は敏感に反応してしまうものだ。
 そろりと足音を忍ばせ、カズキとシグナムは連れ立って部屋を抜け出した。

『お前達、主の事は頼んだぞ』
『おう、こっちは任せとけ。何もねえだろうが、ついでに他の連中も守っておいてやるよ』
『はやてちゃんの長い付き合いになる人たちかもしれませんし』
『足手纏いが多い分、危険なのはお前だ。気をつけろ』

 シグナムだけは、その直前に頼れる仲間に主を頼むと言付けてから。
 一旦廊下に出ると、カズキと二人してシグナムは手近な窓から飛び降りた。
 靴を取りに走る時間も惜しいと、宙にある間に騎士甲冑へと姿を変える。
 昼間に出し惜しみは無しだと言った通り、シグナムも珍しく最初から臨戦態勢であった。

「カズキさん、シグナムさんあっちです。急ぎましょう」
「分かっている。カズキ、置いていかれるなよ」
「大丈夫、何を隠そう。俺は長距離走の達人だ!」

 靴から羽を生やして空を飛びながら待っていたなのはには、シグナムでさえ少し驚いていた。
 飛行魔法には適正が大きく関わるものの、こうも早く成功させられるのはもはや才能だ。
 ユーノを肩に乗せ飛ぶなのはに視線を送った後で、地上を疾走するカズキを見下ろす。
 なのはを下に見てぼやぼやしていると、追い抜かれるぞと思いながら。
 ジュエルシードの反応は、昼間に正体を明かしあった森の中。
 そこにあった東屋からさらに散歩道を奥に行ったところである。
 木造に漆で赤く色を付けられた橋がかけられ、染み入るような水音を奏でる沢。
 青い閃光を放ちながら力の解放を行っているジュエルシードがそこにあった。
 脈動を感じた通りのそれは確かに見つけられたが、少々予想外の形である。

「あーら、本当に来た。でもこれで良かったの?」
「うん、これで良い」

 発動直前のジュエルシードを手にしていたのは、件の少女であった。
 それともう一人は、シグナムとカズキがこれまで見たこともない赤髪の女性。

「何をしているんだ。早く封印を、君らもその為にジュエルシードを集めていたんだろう」
「早く、発動しちゃう。危ないよ!」
「私は別にジュエルシードを集めているわけじゃない」

 ユーノとなのはの二人からの視線を受けながら、少女はその言葉全てを否定していた。
 さらにその手にしていたジュエルシードを沢の中へとぽちゃりと落としてしまった。
 不注意からではなく、明らかにわざと狙っての事であった。
 より強くなったジュエルシードの魔力が暴走、周囲一体を青い魔力で包み込んだ。

「そんな、私を助けてくれた貴方がどうして!?」
「さがれ高町。確かに奴がお前を助けたのは事実だ。だが、奴の目的はジュエルシードの観察。助けたのはついででしかない。カズキ!」
「良く分からないけど、なのはちゃん御免」

 まるで裏切られたとでも叫び出しそうななのはを後ろから抱え、カズキが跳んだ。
 それに続いてシグナムも跳び退る。
 金髪の少女と赤毛の女性もそれは同じで、沢の中から影が膨れ上がったからであった。
 歪められた願いに導かれ、巨大な影が飛沫を撒き散らしていく。
 そして頭上の橋を破壊してさらに大きくなっては、聞くに堪えない闇夜を引き裂く奇声を上げた。
 月明かりのもと、照らし出されたそれは巨大なザリガニであった。

「あちゃ、結界間に合わなかったね」
「アルフ、今からでも結界」

 ジュエルシードの暴走を目の当たりにしても、二人の態度は変わらなかった。
 まるで暴走そのものが目的であるように。
 結界で周囲を覆い被害の拡大こそ避けるつもりはあるようだが、それ以上は何もしない。

「ねえ、どうしてこんな酷い事。あの日、どうして私を助けてくれたの!?」
「なのはちゃん、落ち着いて!」

 なのはの必死の声にも無反応で、ただ暴走するジュエルシードを見ていた。

「高町、戦う気がないのであればさがっていろ。邪魔だ!」
「戦います。私はあの子みたいに……もう、知らないなんて言わせない。絶対に、名前と一緒に全部聞きだして見せます。レイジングハート!」
「Divine Shooter」

 カズキの腕の中で暴れるなのはを、シグナムが容赦なく一喝する。
 それで少しは目が覚めたらしく、金髪の少女を睨みながらも杖を掲げた。
 足元に広がるのは、カズキやシグナムのものとは違う魔法陣。
 方円状に広がった中に四角と幾何学模様が広がるミッドチルダ式だ。
 その中心にいたなのはの目の前に二つの魔力球が生まれ、暴れ狂うザリガニを打ち抜いた。
 爆煙に包まれ再び奇声があがる。

「よし、カズキ。私に続け。レヴァンティン!」
「Explosion」
「分かった。サンライトハート、エネルギー全開!」
「Explosion」

 シグナムがカートリッジを消費して、その刀身に炎を纏わせる。
 続いてカズキもなのはから離れ、カートリッジを消費。
 サンライトハートの柄の先から薬莢を輩出させ、刀身にエネルギーの光を纏わせた。
 炎と光、月の明かりが消え去る程に周囲を照らし出していく。
 そして爆煙の中から繰り出された巨大ザリガニのはさみへと向けて、シグナムがレヴァンティンを振るった。

「陣風」
「Sturmwinde」

 刀身から生み出された衝撃波が、はさみを根元から千切り飛ばした。
 再びの悲鳴をあげてザリガニが体勢を崩し、大きくよろめく。
 その隙を逃さず、次にカズキがその地面を蹴り上げ跳んだ。

「サンライトハート!」
「Sonnenlicht slasher」

 飾り尾が光り輝くように爆発し、カズキの体を鋭い閃光に変える。
 そのまま接敵し、瞬く間に逆側のはさみを斬り飛ばしてみせた。

「すご……さすがベルカ式、攻撃力はピカイチだ。て、惚けてる暇はない。なのは、今だ」
「封印すべきは、忌まわしき器。ジュエルシード、封印」
「Sealing mode. Set up」

 なのはの呟きに応え、レイジングハートがその姿を変えていく。
 鍵爪型だった宝玉を抱えた杖の先端が、宝玉はそのままにJの形へと変わる。
 そしてその根元からは、なのはの魔力光の色と同じ三枚の翼が生まれた。
 レイジングハートが呟いた通り、それが封印の為の型であった。
 そのレイジングハートの切っ先を痛みに悶えるザリガニへと、なのはは向けた。

「リリカル、マジカル。ジュエルシード、シリアルナンバー八十八封印!」
「Sealing」

 カズキの閃光よりも太く激しい光の奔流が、ザリガニを撃ち貫いていった。
 そして桃色の光の中で浄化されるように、肥大化した体が小さくなっていく。
 斬り飛ばされたはさみこそ戻らなかったが、完全に元の体に戻りそのまま沢の中へと落ちた。
 ザリガニははさみが生え変わるはずなので、運が良ければ生き残れる事だろう。
 そのザリガニの全てを狂わせたジュエルシードは、今なのはの手に握り締められていた。

「ねえ、これで満足? 一体、貴方は何がしたいの?」
「満足はしてない。けど、私には必要な事……それから」
「Scythe Form」
「え?」

 デバイスの先端から三日月のような刃を少女が生み出す。
 そして次の瞬間、なのはの目の前からその姿が掻き消えていた。

「高町!」
「なのはちゃん!」

 それが見えていたのはシグナムとカズキの二人だけ。
 さらにそれに対して反応までできたのは、シグナムのみであった。
 全く同じ速度とはいかなかったが、追随する形で少女の影を追い駆ける。
 だが最初から少女の刃は、なのはには向かってはいなかった。
 途中でシグナムもそれに気づき、立ち止まる。

「ゲゴォ!?」

 少女が斬り裂いたのは、なのはの後ろにある茂みの中。
 酷いだみ声を上げたのは、一抱えもある大きさの金属質なカエルである。
 口から綺麗に切り裂かれ、砂のような何かに変わり果てて崩れ落ちていく。
 その一瞬前に見えたのは、舌の先についていたカメラであった。

「え、え!? なに今の!」
「まさか、あの怪物の。凄く小さいけど」

 驚き戸惑うなのはの前に庇うように立ったユーノが、死骸を覗き込んで呟く。
 それだけの間に、再び少女は赤髪の女性の隣に戻っていた。
 さながら血飛沫を払うようにデバイスを一閃し、魔力の刃を消し去る。

「気をつけて、そいつらは魔力を一切感じない分隠密性に優れている。今までずっと、貴方達は奴らに観察されていた」
「同じく観察してた私らだから気づけたんだけどね。誰だか知らないけど、バレた以上動いてくるんじゃない? 私らも鬼じゃないから、ああいう化け物は虫唾が走るのさ」
「ちっ、まさか私ですら気付かなかったとは……警戒を強める必要があるな。礼は言わん」
「別にお礼が欲しいわけじゃない。アルフ、そろそろ帰ろう」

 忠告した割にはお礼は要らないと、少女は何もない空を蹴って撤退に入る。

「あーあ、もう一日ぐらい居たかったけど。それじゃあね。そっちのおチビちゃん、こんな危ない事からは手を引きな。それがアンタの為だよ」
「引きません。あの子から全部聞くまでは。これで二度目、私を助けてくれたのは。何時かちゃんと名前を聞いてお礼を言います。そう伝えてください」
「あいよ、できればまたアンタとは会いたいね。というか、うちのご主人様と……

 言葉の途中でアルフという名の女性が、瞳を閉じて首を竦めた。

「て、怒られちった。ほんじゃね」

 二人の目的は一切不明ながら、どうにも掴めない相手でもあった。
 ジュエルシードをわざと暴走させたと思いきや、それはカズキ達の到着を待ってから。
 そればかりか監視していた錬金術の化け物を殺し、その存在を教えてくれた。
 敵か味方か、酷くその立ち位置は分かりにくい。
 ただ断定するには危ういが、どうにも悪人という印象は抱き辛い相手であった。

「まだ名前も知らない子だけど、きっと悪い子じゃない」
「仮にそうだとしても……」

 希望を見つけたようななのはの言葉を否定するのを、シグナムは途中で止めた。
 本来は止めるべきではなかったかもしれないが、それがなのはの戦う理由にも思えたからだ。
 それに下手をすれば言い合いになりかねず、そんな事をしている余裕はなかった。
 これまでずっと悟られず観察に徹していた錬金術の化け物。
 その事に気付かなかったのは、本当に不覚としか言いようがない。

「三人とも、これから身辺には十二分に気をつけろ。ジュエルシードよりもある意味で厄介な相手が仕掛けてくるぞ」
「悪意がある分、気合を入れて守らないと。頑張ろう、なのはちゃん」
「はい、正直に言うとまだ少し怖いですけど……カズキさんやシグナムさんと一緒なら頑張れそうです」
「僕も微力ながら、皆のサポートに勤めます。普段のジュエルシードの捜索は任せてください」

 まだ結成したばかりのチームだが、その思いは一つである。
 身近な誰かを自分が持てる力で守りたい。
 年齢も住まう世界もバラバラだが、その想いだけは一つに統一して強く誓っていた。









-後書き-
ども、えなりんです。

なのは参戦。
けど飛行魔法ができるあたり、純粋な魔法の素質はなのはが上かな。
たぶんカズキはもろもろの総合力で上だと思います。
まあ、この二人が戦う事なんてないから、無意味な議論ですが。

さて、ここしばらくはリリカル編でしたが、次から錬金編。
カエルマンこと、蛙井から話が進みます。

それでは次回は土曜日です。



[31086] 第十話 お願い、間に合って!
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/02/04 20:01

第十話 お願い、間に合って!

 学校を終えた後の放課後、カズキは喫茶翠屋にいた。
 テーブル席の対面に座るのはシグナムであるが、別にデートというわけではない。
 二人がそろった当初、桃子にうふふと微笑ましそうに笑われたが兎に角違う。
 なのはとユーノの加入、謎の少女と女性であるフェイトとアルフ、そして錬金術を操る創造主と化け物。
 カズキはこれまで気付きもしていなかったが、戦力図が大きく変わったのだ。
 別々に行動を行っていたカズキとシグナム、そしてなのはとユーノが手を組む事になった。
 未だその目的は不明ながら、創造主と錬金術の化け物とは敵対の意志を示した二人組み。
 四勢力が三つに減り、どちらからも敵視されている創造主と化け物。
 ジュエルシードを追う上でもどちらを先に叩くかは、分かりきった事であった。

「できる事ならば、最優先で創造主は叩きたいところだな」
「うん、ジュエルシードも危ないけど。錬金術の化け物の方が人的被害が発生するし」

 和気藹々と女学生やOLで賑わう店内で、なんとも物騒な話を行う。
 頼んだコーヒーに口をつけながら、二人は先週のデパートでの件を思い出していた。
 ジュエルシードがあそこまで暴走するのは稀と言って良い。
 普段は精々野良犬を初めとする小動物に憑依する事が多く、被害と言う被害はなかった。
 だとすれば、カズキが言ったように人を喰う化け物の方がよっぽど問題である。
 単純に襲って喰うのではなく、それが彼らの食事だからだ。
 それはつまり、日常的に誰かしらが被害にあっている可能性さえあった。

「だが現実的な話、私達は創造主の事を何も知らない」
「廃工場に行った時に、一度だけ姿を現したけど、それ以来さっぱり」
「全く、自らはできるだけ姿を見せず、監視だけは怠らない。不気味で嫌な相手だ」

 その一度も、学生服にパピヨンマスクとふざけた格好で特徴があるのかないのか。
 ただシグナムは間近で創造主を見たが、本当に不気味な相手である。
 ドブ川が腐ったような色の瞳。
 顔に被ったパピヨンマスク以上に、その瞳が印象的であった。
 この海鳴市でどのように育ったら、そんな瞳になってしまうのか信じられない。
 それと同時に、絶対にそんな相手を主であるはやてに近づけてはならないとも思う。

「って、お前は一体何をしているのだ?」

 気が付けば、目の前のカズキが鞄からスケッチブックを取り出していた。
 そのスケッチブックの上を、カズキの手が滑らかに踊っている。

「シグナムさんが創造主の特徴を呟いてたから、絵に書いてみようと思って」
「お前にそんな絵心があるとは初耳だが?」
「何を隠そう、俺は似顔絵の達人だ!」
「おい、武藤。店内で騒ぐな」

 シグナムより先に、ウェイターをしていた恭也がお盆でカズキを叩いた。
 桃子にからかわれた当初、何故知り合いの喫茶店でとも思ったが、逆にシグナムはありがたかったかもしれない。
 特に常連客でもない喫茶店で、このようなやり取りをされたら居た堪れなかった事だろう。

「全く、確か奴の特徴は……」

 お前は手の掛かる弟かとカズキを座らせ、覚えている限りの創造主の特徴を思い浮かべる。
 身長は百七十後半、痩せ型で色白というか蒼白、髪は黒髪のセンター分け。
 痩せているせいか顎は尖り気味で、鼻も高めに見えた。
 口は大きめで、目は釣り目、そして何よりもその奥にある瞳の色であった。
 性根が腐りきり、他者にまで危害が及ぶ事になんら感じ入る事の無い非常さ。
 例えマスクをしていても、一度素顔で会えば見分けられると思う程だ。

「だいたい、こんなところか」
「うーん、もうちょい」

 唸るカズキが待ったをかけて、やれやれと思いながらコーヒーに口をつける。
 なんというべきか、そろそろカズキという人間が分かってきたからだ。
 基本的には真面目なのだが、本人も気付かないボケをかます事が多かった。
 しかも達人だと言う事は多いが、勢いで言っているだけなので期待はできない。 
 おおよそ、今回も時間をかけた割には普通か、並み以下。
 突っ込み待ちだろうという結果しか待っていないだろうとシグナムは予想していた。

「よし、でき上がり!」
「はいはい。そうか、良かったな。見せてみろ」

 適当にお茶を濁して、今日はさっさと帰るかと思いながらスケッチブックを受け取る。
 だがそこに描かれたものを見て、そう来るかと戦慄が走った。

(上手い!)

 シグナムがうろ覚えに呟いた特徴をつぶさに拾い上げ、顔のパーツを作り上げている。
 それだけでなく、そのパーツ同士が人の顔として馴染むように上手く馴染ませてあった。
 受けた衝撃をそのまま心で口走った上手いという言葉通り、シグナムでは描けない領域の絵だ。

(だが、似てない!)

 絵として上手い領域にありながら、決定的に似顔絵としては失格であった。
 カズキが似顔絵描きであったならば、金を返せと言われかねない程に。
 劇画調で描かれた顔は、特徴を拾い上げながらも別人として仕上げられていた。
 そもそも病弱そうな色白要素は何処へ行ったのだろうか。
 完全に迷子に陥り、ラガーマンと言われても信じてしまいそうな精悍な顔つきである。
 さらに何故それを書いたと突っ込むべき最大の特徴、パピヨンマスク。
 スケッチブックの上には明らかに変態が描かれていた。

「恭也先輩、美由希ちゃん。こんな人をこの辺で見たことない?」

 そして言葉が出ないシグナムの様子から、カズキは別の意味で言葉もないと受け取ったようだ。
 シグナムからスケッチブックを受け取りなおし、見せに行ってしまう。

「武藤……お前、頭大丈夫か?」
「うわ、なにこれ変態? こんな人がいたら通報確実じゃない。いたら、絶対噂になってるって」
「そう? マスクだけなら結構お洒落だと思うけど」
「カズキ君、君のお洒落は間違ってる。恭ちゃん以上に!」

 返って来た反応は辛辣なものが含まれていても、カズキはめげてなどいなかった。 

「おい、流石に武藤と一緒にするな」
「ジーパンにティーシャツ、あとジャージ。今着てるウェイター服が恭ちゃんのお洒落の限界値だって気付いてる?」
「そんな事はない。恭也先輩、今度その上にこのマスクを付ければ限界なんて超えられる!」
「よし、分かった。お前らが俺をどう思っているのか」

 顔に影を浮かべ、恭也が拳をバキバキと鳴らしながら凄む。

「あはは、冗談冗談。いよ、恭ちゃんの男前。お洒落なんていらないぐらい」
「こら、美由希。恭也も、フロアでの私語は厳禁よ。カズキ君も、この子達がバイト中の時はあまり話しかけないでね」
「はい、すみません」

 和気藹々と話す中で、桃子に注意されてしまいカズキが謝ってから戻ってくる。

「シグナムさんも、カズキ君の手綱。しっかり握ってあげてね。お姉さんなんだから」

 そこで私に振るかと、シグナムは声も出せないような状態であった。
 どうしてもそこに話を持って生きたいか、落としたいのかと。
 だがカズキがバイト中の恭也達に話しかけたのは事実で、はいと答える以外にない。
 また一つ、何やら外堀を埋められたような気がした。

「分かりました。とりあえず」

 戻ってきたカズキの首根っこを掴んで座らせ、ゴツンと頭に拳を落としておいた。
 あらあら仲良しさんと呟いた桃子の楽しそうな言葉はスルーしながら。

「痛って……」 
「お前が騒ぎを起こしてどうする。話を戻すが、創造主は別途人を使って探させてみる。あまり期待はできないが」
「了解、犠牲者はもう出さない。それだけは、守らないと」

 馬鹿をやっていた時とは一転、大いに真面目にカズキがそう呟いた。
 まるで別人の様子に、何時もこれならとは思わずにはいられない。
 だがそれは誰かに危機が迫る時であり、本末転倒かとシグナムは心の中だけで呟いていた。









 まだ陽も沈む前だと言うのに、殆ど光の入らない屋内。
 土と埃の匂いが蔓延するその狭い部屋の中には、様々なものが置かれていた。
 今は使われなくなったであろうゴミに近い古い箪笥や梯子、御座。
 それらを見る限り、所有者が破棄を考えるどころか忘れたままの道具達である。
 長時間そこに留まる事も辛いその空間には、幾つかの人の気配があった。

「ゲホ、ゲホッ」
「創造主、大丈夫ですか?」

 辛うじて使用に耐えうる錆びたパイプベッドの上に敷かれた布団の上。
 厳密に人ではない者もいる中で、まだ人間であるその男が激しく咳き込んでいた。
 一度や二度では治まらず、やがて呼吸すら困難になっていく。
 駆け寄った男の言葉通り、それは錬金術の化け物、ホムンクルス達の創造主であった。
 鷲の様に鋭い瞳を持つ男は、瓶から薬を取り出して創造主に飲ませる。

「最近は蛙井の子ガエルに任せ、外出は控えていたからな。やはりここは少し、体に障るらしい。だが今の俺はここを離れる事はできない」

 創造主が視線を向けたのは、地面に積もる埃にある真四角の切れ目。
 この場所に閉じ込められ、発狂寸前になって見つけた人生を逆転させる好機。
 まだ痛む胸を耐え、創造主はそばに控えていた別の男へと視線を向けた。

「蛙井、奴らの様子は?」
「あい、白い魔導師の方は友達と下校を始めました。女と高校生は喫茶店で創造主の似顔絵描いてます。どうやら、ジュエルシードよりも創造主を優先させたいみたいです」
「お前の子ガエルの監視を見破った方は?」
「そっちはさっぱり、それより主。そろそろ喰べさせてくださいよ。子ガエルもただじゃないんですから。お腹が空いて力が出ませんよ」
「我慢しろ。廃工場の一件が表ざたになり、警察も過敏になっている。お前達も、出歩くときは注意しろ。その姿は行方不明者のものだからな」

 創造主のばっさりと切り捨てた言葉に、蛙井と呼ばれた男はどこか不満気であった。
 細めのにやついた表情の中に、隠しきれないそれが見えている。

「今しばらくの間は沈黙を保つ。こちらが動かなくても、ジュエルシードを発動させてくれる奴がいるんだ。まだ、焦る必要はない」
「分かりました、創造主。蛙井、創造主の期待を裏切るな」
「はいはい、監視を続けますよ」

 もはや隠す様子もなく、不貞腐れた声で蛙井は跳んだ。
 この締め切った部屋にある唯一の窓、頭上数メートルにある小さな窓から外へと出ていく。

「創造主、念の為に花房にも監視の命を」
「ああ、お前に任せる」

 蛙井の能力は便利だが、創造主に対する忠誠心が低いのが難点だ。
 ホムンクルスになる前、生前の蛙井を思い出し、それも無理ない事かとも思う。
 だが蛙井のせいで全てを瓦解させるわけにもいかなかった。

(データはそろいつつある。だがもう一度か二度、ジュエルシードが人間に憑依したデータが欲しいな。アレの完成が先か、こちらの身元が割れるのが先か)

 念には念をと、創造主は弱りきった体に鞭を打ってベッドから起き上がった。









 なのは達は朝の登校には必ず市バスを使うが、下校の時はその限りではない。
 気が向けば仲良し四人組で寄り道をしたり、散歩がてら帰宅する事もある。
 今日はすずかもアリサも習い事がない為、後者の散歩がてらであった。
 バスであれば瞬く間に過ぎ去る通学路を、お喋りをしながらゆっくりと歩いていく。
 そんな中ですずかがある事を思い出し、提案するように皆に尋ねた。

「あのね、今度の日曜日に皆でお茶会しない? はやてちゃんとメールしてた時に、うちの猫を見たいって言ってたの」
「む、はやては犬派だと思ったのに裏切りね。これは犬の良さをみっちり語ってあげようじゃない。私は良いわよ」

 真っ先に返答の声を上げたアリサは、反対意見かと思いきや、良い顔で了承であった。
 本心なのか、単に素直じゃないのか、くすくすとすずかが笑う。

「まひろちゃんとなのはちゃんは?」
「まひろは大丈夫、お姉ちゃんも呼んじゃ駄目かな?」
「私もたぶん、大丈夫。だけどまひろちゃん、あんまりあの二人の邪魔しちゃ駄目だよ」
「最近ブラコンが直ってきたと思ったら、シスコンに傾き出してるわね」

 なのはの言葉は聞いての通りではないが、アリサの言う通り間違ってはいない。
 最近扱いが軽いぞとばかりに、後ろから抱きついたアリサがまひろの髪をくしゃくしゃと撫でる。
 きゃあっと悲鳴を上げたまひろが、今度はすずかの後ろに。
 最後はすずかがなのはにと、紐がない電車ごっこで転びそうになりながら歩く。
 最後尾のアリサとまひろが特にはしゃいだ為、前のすずかとなのははふらふらと。
 誰かに見られていたら、道で遊んではいけませんと怒られそうなぐらいだ。

「アリサちゃん、それにまひろちゃんも、危ないよ」

 ぐらぐらと揺れる視界の中で、ほら誰か来たとなのはは前を向いた。
 足元はサンダルに、最初はジーパンかと思ったが実はオーバーオール。
 若そうな男の人と、順に視線を上へ上げていく中でなのはの背中に怖気が走った。
 前から歩いてくる若い男に見覚えはない。
 頭はおかっぱで、にやついたような瞳、曲がりあがった口を長い舌が舐め上げていた。
 それを見てますます怖気が走り、胸元にあったレイジングハートを握り締めて立ち止まった。

「きゃっ、どうしたのなのはちゃん?」
「うぷ、うぅ……鼻打った」
「ちょっと、まひろ大丈夫? なのは何よ、どうしたの?」

 先頭のなのはが急に立ち止まれば、瞬く間に渋滞事故であった。
 心配し伺ってくるすずか達に応える余裕もなく、なのはは黙ってその男を見つめていた。
 どうかこのまま通り過ぎてくれますように、勘違いであって欲しいと願いながら。

「君達、道路で遊んでると車に引かれちゃうぞ」

 だがなのはの思いも虚しく、男に注意されてしまう。
 思い切って顔を上げたなのはが見たのは、自分の頭に置かれそうな手の平であった。
 必死にその手を避けようと下がろうとして、再び渋滞を起こしてしまう。
 なのはに押されすずかも下がり、まひろはつぶれ、三人分の体重をアリサが受けていた。

「重、倒れる。なのは!」

 少し無理な体勢になったアリサが叫び、すずかとまひろが振り返った隙に男の手を払う。
 そして、やれやれと息をついていたアリサ達にいっきにまくし立てた。

「学校に教科書忘れてきちゃった。取って来るから、アリサちゃん達先に行ってて欲しいな」
「忘れ物? 仕方ないわね、一度皆で」
「なのは一人で大丈夫だよ。ほら、皆は翠屋でお茶会の企画してて。直ぐに行くから」

 まさに有無を言わさずといった感じで、アリサ達の背を押して先を急がせる。
 もちろん、その間にも払われた手を軽く振っていた男から視線を外さない。

「お兄さん、ごめんなさい。もう、道路でふざけませんから。なのはちゃん、慌てなくて良いからね?」
「なのは、それじゃあ先行ってるから、急いだりして道路飛び出したりするんじゃないわよ」
「なのはちゃんが来るまで、ケーキ食べないで待ってるよ」

 そしていぶかしみながらも、翠屋へと足を向けたアリサ達を見送った。
 ほっと息をつく間もなく聞こえたのは、耳障りな男の笑い声である。
 楽しそうと言えば聞こえは良いが、何処か人を小馬鹿にしたようなものが含まれていた。
 初対面でこれほど自分が、誰かを嫌えるとは思ってもみなかった。

「必死に友達を逃がして、可愛いね。なのはちゃん?」

 アリサ達を見送ったではなく、逃がしたと男は表現していた。
 なのはが男の正体に気付いている事に、気付いているのだろう。
 という事は、やはりなのはが感じた怖気の正体は、人喰いに対する恐怖そのもの。
 ついに動き出したんだと、萎縮しそうになる体に脅えるなと命令を送る。
 そして早くカズキ達に知らせねばと、体よりは動く頭で念話を送ろうと試みた。

「そうそう、念話はなしね。さすがに大人数でこられると面倒なんだよね」

 錬金術の化け物は、魔力がない。
 魔力がなければ念話が送られたかどうかも分からないはずだ。
 シグナムから、そう聞いている。
 目の前の男、蛙井の言葉を無視してなのはは、念話を送ろうとしていた。

「まあ、別に送っても良いけどね。そうしたら、順番が変わるだけだし」

 今度は一転、念話を送ってもといった蛙井の言葉に、なのはは戸惑いを露にした。
 何故助けを呼んでも良いのか、順番とはなんの事なのか。
 そもそも、何故目の前のなのはではなく、蛙井はもはや見えなくなったアリサ達の方を見ているのか。

「あの子達も可愛いよね。創造主も酷いよ。あんな美味しそうな子達を、監視で見せられてるんだ。お腹空いてる分、なおさら」

 監視という言葉で脳裏を過ぎったのは、先週に同じ魔導師の少女が殺したカエルであった。

「やっぱり、どんな食べ物でも若い方が美味しいって言うし。興味あるなあ」

 ここまで来れば、男が何を言いたかったのか分かってしまった。
 あのカエルでアリサ達を襲うと言っているのだ。
 魔導師を初めてまだ一ヶ月も経たないなのはだが、人を見て魔力のありなしぐらいは分かる。
 明らかに魔力を持っていない蛙井に、念話の有無は確かめられない。
 だから念話でカズキ達に、なのはではなくアリサ達を助けてと送れば良い。
 だがもしも、魔力を隠しているだけならどうだろうか。
 今までシグナムが出会った錬金術の化け物が、たまたま魔力のないタイプだったら。
 確信はある、蛙井に魔力がないという確信に近い思いはなのはにあった。
 それでも大好きな友達との命を天秤に賭けた時、念話の送信を選ぶ事は出来ないでいた。

「やっと分かってくれた? 駄目だなあ、コレぐらい直ぐに理解してくれないと」
「どうすれば、どうすれば良いんですか?」

 蛙井の挑発的な言葉に、なのはは震える声で尋ね返していた。
 アリサ達を失うのが怖い、また何もできず言いなりになるしかない自分が悔しい。
 歯を食い縛らなければ、今にも涙が零れ落ちてきそうであった。
 そしてそんな泣きそうな自分を蛙井に見せなければならない、その事がいっそう惨めに感じられた。

「おいおい、これぐらいで泣くなよ。泣き叫ばないだけましだけど、これだから子供は。考えれば直ぐに分かるだろ? ジュエルシードだよ。先週、一個手に入れたろ?」

 一個と言われ、危うくなのははえっと声を上げそうになっていた。
 何しろなのはが持っているジュエルシードは全部で四つだったからだ。
 確かに先週、山間部の温泉宿での一件でなのはが封印したまま任されていた。
 だがそれより先にユーノが集めた二つと、なのはが最初に封印した一つがあった。
 自分がこの場を全て支配したように見せかけている蛙井にも、知らない事はある。
 ある意味で当たり前の事実が、ほんの少しだけなのはに冷静さを取り戻させていた。

「レイジングハート」
「Put Out」

 言われた通り、一つだけジュエルシードをレイジングハートから取り出した。
 それを手に取り、蛙井に渡すまでの数秒で必死に考える。
 念話を使わず、なのはが蛙井に逆らったようにも見えず、皆に連絡する方法を。
 たった数秒、蛙井の手がジュエルシードに触れたぎりぎりで、それに思い至った。
 その一瞬で、思いついた行動を実行した。

「ぐずぐずするなよ。ほら、こんな簡単に手に入った。全く創造主も捨てられた事だけはある。少し頭を使えば良いだけなのに」

 そう言った蛙井の手の中で、ジュエルシードは青く輝いていた。
 まるで心臓のように脈動を繰り返し、魔力を周囲に飛散させながら。
 そしてその事に蛙井は、気付く様子すらなかった。
 なのはの手によりわざと封印の解かれたジュエルシードを手に、蛙井は笑う。

「やっぱり、創造主の言いなりになるなんて止めた。口ばっかりで、一人じゃなんにもできない。これからは、好きなだけ腹一杯になるまで人間を喰ってやる!」

 蛙井の欲望を切欠に、その手の中のジュエルシードがついに発動した。
 淡く青い光が閃光へと昇華し、周囲一体を照らし出す。

「な、なんだ。まさか、お前これはなんだ。どういう事だ!? 手から離れない!」

 突然の事に困惑し、勝ち誇った余裕を失くした蛙井が慌てふためいている。
 なのはから取り上げたジュエルシードを手放そうと手を振るも、くっついて離れない。
 それもそのはずで、ジュエルシードは種という名の通りに、蛙井の手に根を張っていた。
 ジュエルシードが手の平に食い込み、血管のような瘤を浮きあがらせている。
 次第に痛みさえ伴なったのか、苦悶の表情で蛙井が腕を押さえた。
 その腕は肥大化し、金属光沢を持つ水かきを持った腕へと変貌を始めている。

「ちくしょう、騙したな。体が維持、でき……」
「レイジングハート、セットアップ」
「Stand by ready」

 蛙井の文句など、最初からなのはは聞こうとすらしていなかった。
 想定外の事態に慌てふためく蛙井を滑稽だとは思っても、罵倒する時間すら惜しい。
 先に行かせたアリサ達のそばには、卑怯にも蛙井の手先がいるのだ。
 急いでアリサ達に追いつき、この力で守らなければならない。
 いっそ魔法がばれたって構わないとさえ思えた。
 この力はその為にあるのだと、今ほど感じられた事はなかった。

「お願い、間に合って!」
「Flyer Fin」

 自分の魔力光である桃色の光に包まれ、バリアジャケットを纏う時間さえ惜しい。
 即座にブーツから羽を生やし、振り返り様に飛び出そうとする。
 だがその一歩を踏み出す必要はなかったようだ。
 蛙井の存在を隠すように、周囲一帯に広がっていくのは結界魔法であった。
 現実空間より周囲を隔離し、擬似的に別空間を生み出す魔法である。

「なのは!」
「ユーノ君!」

 それはジュエルシードの反応を感知して、駆けつけてくれたユーノであり。

「なのはちゃん、ごめん。こいつら倒してて遅れた、お待たせ!」
「カズキさん、シグナムさん!」
「ジュエルシードの反応とお前の魔力が同位置、しかも翠屋の道中にいたまひろ達が妙な事を言っていたので周囲を探した結果だ」

 続いて現れたカズキとシグナムが、何かの残骸を放り投げた。
 原型が殆ど残ってはいなかったが、あの時の夜に見たカエルの残骸である。
 それを見た途端に、なのはは全身から力が抜けて座り込みそうになってしまった。
 シグナムは言った、まひろ達に会って話をして周囲を探索して見つけたと。
 人質であったなのはの大切な友達達は、無事にその身柄を確保されたのだ。

「くそぉ、騙したな。騙したな、騙したな。しかも子ガエルまで。もう許さない、絶対思い知らせてやる!」

 まさかの逆転劇を前に、憤怒の表情に陥りながら蛙井はなおも変わり果てていく。
 ジュエルシードに憑依された腕は既に、人間の面影は消え去っていた。
 太く短い金属質なカエルの腕となり、さらに胴体はでっぷりと肥えたように膨らんだ。

「おかしい……」

 ジュエルシードに憑依され変わっていく蛙井を見て、シグナムがそう呟いた。
 確かに蛙井はその姿を変えているが、何処か見覚えがあるような姿なのだ。
 金属質な体を持つ、カエル。
 監視の為に方々に散っていたカエルがそのまま巨大化したような姿なのである。
 しかも太ったような腹には、蛙井の人としての顔が鎮座していた。
 シグナムが見た事のあるホムンクルスは二体。
 そのいずれも体の何処かに人としての名残ともいうべき、顔があった。

「そうか、憑依されたはずなのに錬金術の化け物の時と変わってない」
「皆、あれを見て!」

 シグナムが感じた違和感を皆も悟り、ユーノが小さな手である部分を指差した。
 蛙井の額にあるホムンクルスの弱点である章印。
 そこに重なるように、ジュエルシードのナンバリングが融けるように刻まれている。

「ふぅ……」

 やがてジュエルシードが安定し、苦しみ悶えていた蛙井が深い溜息をついた。
 まるで脱皮を果たし、新たなる体に生まれ変わったように。

「ああ、そういう事。だから創造主はジュエルシードを求めていたんだ」
「得体が知れん。高町、カズキ。一斉に攻撃しろ!」

 今までのホムンクルスとは、根本的に何かが違う。
 そう感じてのシグナムの声に従い、カズキ達は一斉に動き出した。

「チェーンバインド!」

 結界を維持しながら、ユーノがまず蛙井を魔力の鎖で戒め、動きを止めた。

「レイジングハート、お願い!」
「Divine Shooter」
「レヴァンティン、陣風」
「Sturmwinde」

 なのはが計四個もの魔力球を生成して撃ち放った。
 ほぼ同時にシグナムもまた、レヴァンティンの刀身を薙いで衝撃波を放つ。
 身動きの取れない蛙井にそれは直撃し、大きく爆煙を上げながら包み込んだ。

「サンライトハート、エネルギー全開!」
「Explosion」

 そして駄目押しとなる一撃。
 カズキがカートリッジをロードし、柄の先端から薬莢を排出させた。
 弾丸から新たに供給された魔力を受け、バチバチとサンライトハートの飾り尾が弾ける。

「Sonnenlicht slasher」

 サンライトハートの呟きを受け、カズキの体が加速していった。
 飾り尾が生み出す爆光の衝撃を背に受け、カズキは加速しながら突撃槍を爆煙の中へと向けた。
 一度は大蛇のホムンクルスを内部から打ち破ったカズキ得意の魔法である。
 それ以外に、ジュエルシードの憑依体を何体も斬り裂いてきた実績があった。
 シグナムでさえ、これで終わりだと確信に近い思いを抱いてはいた。
 だが心の何処かで小さく抱いたのは、一抹の不安。

「うおおおおおッ!」

 気合一閃とばかりにカズキが吠え、爆煙の中へと飛び込んだ。
 その刹那、サンライトハートの切っ先が何かに受け止められた。
 必殺の突撃を受け止められた衝撃に、カズキの腕が尋常ではない痺れを覚える。
 痛みにしかめた逆側の目で、カズキは晴れて行く爆煙の中の正体を見る事になった。

「やはりか、どうやら私の勘違いではなかったらしい」

 爆煙が晴れた先から零れ落ちるのは、魔力により生み出される光であった。
 太陽に似た色のカズキの魔力光ではない。
 ユーノの若草色の魔力光よりも、暗い暗緑色。
 歪な方円を描いた魔法陣の盾により、カズキの一撃は防がれてしまっていた。

「ホムンクルス化する事で、人間は魔力を失う。だけど、だけどね。ジュエルシードが失われた魔力を取り戻すみたいだ。今僕は、ホムンクルスさえ超えた第三の存在だ!」

 カズキの魔法を正面から障壁で受け止め、蛙井は勝ち誇ったように高らかに叫んだ。









-後書き-
ども、えなりんです。

口は達者だけど、小さいなのはから狙う蛙井の小物っぷりが大好きです。
そんな蛙井がパワーアップ。
ホムンクルスは魔力がないってのは、何気に伏線でした。
何故、パワーアップするかはそのうち説明がちょろっとあります。

そして何気にまひろ達は命の危機でした。
弱肉強食的な武装錬金の世界観はリリカルと微妙にミスマッチです。
STSだとそうでもなさそうですが。

それでは次回は水曜です。



[31086] 第十一話 お前はまた少し強くなった
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/02/08 20:09

第十一話 お前はまた少し強くなった

 カズキの必殺の魔法を受け止めたのは、ホムンクルス化した蛙井の魔法障壁であった。
 魔力が一切ないはずのホムンクルス。
 蛙井自身が言っていたが、ホムンクルス化は本来人が持つ魔力を消失させるらしい。
 事実、今まで遭遇してきたホムンクルスはその身に一切の魔力を感じなかった。
 だがジュエルシードがその道理を覆した。
 ただでさえ強固な金属質の体を持ち、魔力まで扱えたのなら厄介な事この上ない。

「はっは、よくも好き勝手してくれたな。直ぐにでも仕返ししてやりたいとこだけど、まずは空腹を埋めるのが先だ。お前達の目の前で、さっきの子達を喰ってやる!」
「させ、るかぁッ!」
「Explosion」

 蛙井の残酷な言葉を前に、カズキがあらん限りに怒りの言葉を叫んだ。
 一度は魔法障壁に完全に止められながらも、再度カートリッジをロードする。
 排出された薬莢が蒸気と共に吹き飛ぶ。
 失くした分のエネルギーを弾丸より補充し、さらに強く飾り尾が光り輝いた。
 目の前の魔法障壁を打ち破ろうと、刃を喰らいつかせて魔力の火花を散らす。

「何度やっても無駄、無駄。人間は絶対ホムンクルスには勝てないんだ。それが僕みたいな特別な相手ならなおさらね!」
「まひろ達には手を出させない。絶対にだ。突き破れ、サンライトハート!」
「Sonnenlicht clasher」
「うおおおおッ!」

 刃だけでは足りないならばと、カズキの全身からエネルギーの光が弾け飛び始める。

「ひっ!」

 その時、歪な形の魔法障壁に小さくひび割れが走った。
 蛙井が恐怖を抱く程にそのひびは、大きく全方位に広がっていく。
 だがあと一歩、魔法障壁を打ち破る直前で蛙井が真上へと大きく跳ねた。
 カズキの刃は蛙井に及ばず、金属質なそのカエル足を僅かに裂いたのみ。
 まん丸と太ったその姿は、上昇に従いみるみるうちに小さくなっていった。

「くそ、僕は完璧だ。完璧な存在になったはずなのに。こんな変な空間抜け出して、先に腹ごしらえだ!」
「高町、逃がすな!」
「はい、レイジングハート。お願い、叩き落して!」
「Devine shooter」

 シグナムに言われるよりも若干早く、なのははレイジングハートを空へと向けていた。
 狙うは、大きく跳び上がるままに、姿を眩まそうとした蛙井だ。
 生み出された四つの魔力球が、不規則な弾道を描きながら蛙井に追いすがる。
 跳躍は一度加速を得れば後は失うばかり。
 なのはの魔力で加速を続ける魔力球は、そのまま蛙井を追い越していった。
 そして頭上にて急反転、次々に着弾しては巻き上げた爆煙の中から蛙井を叩きだす。
 巨大なその体は、着弾と重力の加速を加えて、道路の真ん中へと勢いよく落ちた。

「痛ッ……人間の癖に、何度も何度も。絶対に許さないぞ!」
「それはもう、聞き飽きた」
「なにを!」

 語呂の少ない奴めとシグナムが冷めた目で、小さなクレーターの中で猛る蛙井を嘲る。
 魔導師とは言え、なのはのような小さな子相手にも人質を取り。
 あげく形勢不利と見るや逃げに入り、逃げ道を防がれれば許さないと叫ぶ。
 蛙井のコレまでの行動は、慎重ではなく典型的な小心者に過ぎない。
 だがホムンクルスの強靭さと、ジュエルシードによる膨大な魔力は厄介であった。
 なのはに撃たれ、アスファルトを砕く勢いで落ちたと言うのに目立った破損はなし。
 今のカズキやなのはでは、決定打に欠けるという事だ。

(しかも奴は、恐らく魔法を殆ど知らない。膨大な魔力で無理やり障壁を張ったりしているだけだ。その証拠に、魔法陣は酷く歪で稚拙以下)

 逆にそれこそが、ホムンクルスとジュエルシードの融合体が持つ可能性でもあった。
 ここで取り逃がすわけには絶対にいかず、魔力運用を学ばせる時間も与えられない。
 確実に、それも速やかに殺害しなければならなかった。

「カズキ、それになのはは時間を稼げ。余裕があればユーノも援護だ。ほんの少しで良い。私が始末をつける」
「どいつもこいつも……折角後にしてやろうって言ってるのに、何より僕に勝てると思ってるのが一番ムカつく!」
「勝つ、勝ってお前の好きにはさせない!」

 蛙井がシグナムへと向けて伸ばした鋭利な舌を、カズキがサンライトハートで弾いた。
 忌々しいと苛立ちばかりを募らせる蛙井の足元に、若草色の魔法陣が浮かびあがった。

「ストラグルバインド!」

 魔方陣から伸びた魔力の鎖が、蛙井のでっぷりとした体に絡みついていく。
 いかに強力な魔法障壁があろうと、先に体を巻き込んでしまえば関係なかった。
 慌てて跳ぼうとした蛙井は、鎖に縛られ完全に足を封じられていた。

「レイジングハート、もう一度お願い!」
「Devine shooter」

 ユーノの足止めから、なのはが息の続く限り魔力球を叩き込み続ける。
 息が切れたら今度はカズキが直接攻撃に移り、直接蛙井の魔力障壁にぶつかって行く。
 だがシグナムの危惧した通り、時が経つに連れて蛙井も魔力の扱いに慣れてきた。
 歪だった方円は形が整い始め、ミッドチルダ式の魔法陣を描き出す。
 さらには、防御だけではなくなのはの魔力球を真似て、似たような攻撃を始めている。
 大きながま口を開けたかと思った次の瞬間、魔力球が二つ吐き出されたのだ。

「二人共下がって!」

 咄嗟に前に飛び出したユーノが、カズキとなのはを庇って魔力障壁を展開する。
 あまり時間は掛けていられないと、シグナムはレヴァンティンと共にその鞘を握り締めた。

「まさか、あの鷲型とあいまみえるよりも前に使う事になるとは」

 何時か使う時が来るとは思っていはいたが、それは余りにも早かった。
 レヴァンティンを掲げるように持ち上げ、柄頭に鞘の口を近づけた。
 すると自動的にレヴァンティンがカートリッジをロード。
 シグナムの魔力光である紫色の光に包み込まれ、その二つが連結され弓となる。
 通常状態の剣、第二形態の連結刃、そしてこれが第三形態。
 シグナムにとって奥の手とも呼べる形態でもあった。

「Bogenform」

 どこか気合の入ったレヴァンティンの後に、魔力の弦が張られた。
 さらにカートリッジが消費され、シグナムの体に有り余る魔力があふれ出す。
 シグナムが弦を引き絞ると、一本の矢が装填された。
 より魔力を高めながら弦を引き絞り、足元に現れた魔法陣から炎が溢れるように猛る。

「カズキ、高町どけ!」
「なっ、なんだそれ。そんなもの、何処に!?」

 二人の相手で手一杯だった蛙井が、ようやくレヴァンティンの状態に気付いた。
 魔力運用に慣れ始めていた為、それに込められた魔力にも気付いたのだろう。
 軽口を叩く余裕もなく、叫んだ声は焦りからか裏返っている。
 その蛙井の足を止めるべく、カズキが駄目押しの攻撃を仕掛けた。

「皆、目を閉じて。サンライトハート!」
「Sonnenlicht flusher」

 カズキが飾り布を蛙井に被せるように投げつけ、閃光が弾け跳んだ。
 ギョロ付いたカエルの瞳と、腹の部分にある蛙井自身の瞳を焼いていく。

「ぐぎゃああああッ!」

 閃光に瞳を焼かれ、蛙井が短い手で瞳を押さえながら苦しみ悶える。
 その最大の隙を見逃すシグナムではない。
 カズキの合図で閉じた瞳を開き、必死に魔法障壁で己を守る蛙井へと狙いを絞った。

「翔けよ、隼!」
「Sturmfalken」  

 矢じりに魔力が集束し、それは放たれた。
 閃光一閃。
 シグナムの言葉通り、矢は隼となって地表を駆け抜け蛙井を貫いた。
 まるで魔力障壁など、最初から張られていなかったかのように。

「くっ……あれ、外した? 驚かせるだけ、驚かせて格好悪い。何が翔けよだ、隼だ!」
「もう、喋るな。全て終わっている」

 シグナムと蛙井の距離は、十数メートルとそれ程離れてはいない。
 だからこそ外したと蛙井は嘲り笑うが、シグナムはただ静かに終わったと呟くのみ。
 負け惜しみをと外した閃光の軌跡を蛙井が目で追った時、それに気づいた。
 丸い腹の上にある人間形態時の顔、そこよりも少し上。
 人で言うならば胸辺りに空いた小さな穴は一体なんなのか。
 アスファルトに刻まれた規則性のあるひび割れは、自分を跨いではるか後方まで続いている。
 まるで威力を持った隼が、一直線に駆け抜けていったように。

「そんな、まさか外れてなんか……ない?」
「言ったはずだ、終わっていると」

 弓の状態から剣に戻し、シグナムがレヴァンティンを鞘に戻す。
 キンと刃が鞘に納まった小さく甲高い音、それを切欠に蛙井の胸に巨大な風穴が開いた。
 まるで音速を超えた飛行機が音を置き去りにするように、シグナムが放った隼は衝撃を置き去りにしていたらしい。
 ダメージの深さを物語るように、蛙井の額にある章印からジュエルシードが零れ落ちる。
 そして巨大な体を維持できず、風穴を中心としてひびが生まれ崩れ落ちていった。
 ガラガラとガラクタが崩れ落ちるように、蛙井の体が崩れ落ちていく。

「アヒィィィ、馬鹿な。こんな馬鹿な!」

 だがしぶとくも蛙井は人の顔から下を子ガエルに換装した姿で生き延びていた。
 より短く小さくなった手足で、哀れにも逃げ出そうともがいている。

「ユーノ、すまないがこいつをバインドで縛り上げてくれ」
「分かりました。創造主の居場所を聞きだすんですね?」
「痛い、止め……助けて!」

 人喰いを相手にユーノも怒っていたのか、ギリギリと魔力の鎖できつく縛り上げていた。

「喋る、喋るから。あの子達も食べない、人間は食べないから。だから助けて」
「悪いけど、とても信じられないよ」
「ヤダヤダ、死にたくない。死にたくないよ……」

 見苦しくも泣きはらし、縛り上げられながらも蛙井は命だけはと懇願していた。
 その余りにも哀れな姿に、友達を人質に取られていたなのはでさえ目を背けたくなる光景であった。
 カズキとて例外ではなく、目を背けなければ許してしまいそうになったからだ。
 誰だって痛い思いは嫌だし、ましてや殺されたくなんかない。

「シグナムさん……こいつ、殺さなきゃいけないんだよね?」

 分かっているけどと言いだけなカズキの声に、なのはがギュッと瞳を閉じていた。
 二人共分かってはいるのだが、どうにも心の整理が付かないのだ。
 二人が戦いというものに身を投じてまだ一ヶ月にも満たない。
 それはでは普通の学生で、命のやり取りどころか、直接的に命を奪う事さえなかった。

「カズキ、それに高町。お前達が今、抱いているのは優しさではない。ただの逃げだ。大切な者の為には、時に手を汚さねばならない事もある。それができなければ、戦うのを止めろ」

 そんなシグナムの厳しい言葉こそが、本当の優しさであった。
 誰かがやらなければいけないのなら、自分が率先して手を汚しても誰かを守る。
 その守りたい誰かの為ならば、汚れる事さえ戸惑わぬ気持ち。

「分かってます。だって、私が戦わなきゃアリサちゃん達を守れなかった。怖くて、悔しくても。守りたいから、我慢できた。戦えた」
「そうか、そうだったな」

 ぽろぽろと零れ落ち始めたなのはの涙は、守る事ができた安堵か、汚れる為の決意か。
 カズキ達が駆けつけるまで、なのはは一人で頑張っていたのだ。
 その小さな体で人喰いの化け物を相手に、友達を守ろうと。
 涙により緊張の糸まで切れたらしく、座り込みそうになるなのはをシグナムが抱き寄せた。
 抱きとめた震えるなのはの頭を、優しく撫で付ける。

「少し私が急いていたらしい。お前はまた少し強くなった。今はそれで良い。だが覚えておいて欲しい。何かを守る為に戦うのなら、何が一番かを決めておけ。そうすれば、いざと言う時に迷わずに済む。そしてその迷わない心がお前自身を救う事にもなる」

 なのはの返事は、もはや言葉にならない泣き声であった。
 止めようとしても止められない、感情のダムが決壊したように溢れ返ってくる。
 結界の中とは言え往来で、皆の前で泣きじゃくり恥ずかしいという感情すら押し流された。
 何時泣き止めるのか、自分でも分からないままただ泣きじゃくった。

「何が一番か……」

 なのはの泣き声を耳にしながら、カズキがシグナムの言葉を心の内で繰り返していた。
 一番守りたいもの、それはまひろであり、岡倉達やなのは達、シグナム達もだ。
 平凡な日々を共に笑いながら送る隣人達であった。
 その笑顔を守るためならば、安易な同情に流されず、今すべき事が見えてくる。
 自分に手を汚せる覚悟があるかは、カズキ自身もまだ分からない。
 だが自分の心の中の一番がはっきりとしているのなら、きっとその時は躊躇わないはずだ。
 だからなのはを慰めるので手一杯のシグナムの代わりに、蛙井へとサンライトハートを突きつけた。

「ヒィッ」
「お前達、ホムンクルス? それの創造主について全部話せ」
「話すから、殺さないで!」

 生き延びる事に必死な交換条件を前に、首を横に振る。

「駄目だ。それとも、お前達は人喰いを本当に止められるのか?」
「誓う、何にだって誓う。止められるから」

 わざわざ止められるのかと聞いたのは、まぎれもないカズキの迷いであった。
 一度ふうっと大きく息を吐いて、改めて言葉とサンライトハートを突きつける。

「先に、創造主の事を話せ」
「話す、創造主は……僕らの創造主は、あ?」

 一体自分に何が起きたのか、分からないという蛙井の声である。
 目の前で起きたそれに、カズキも一瞬何が起きたか分からなかった。
 蛙井の額の章印を、茨のついた蔓が貫いていた。

「あ゛ら゛ぁ!?」

 茨の蔓に貫かれ、一抱え程の大きさの蛙井の体が持ち上がっていた。
 弱点である章印を貫かれ、蛙井の体がぼろぼろと崩れ落ちていく。
 あれだけ殺さないでと懇願していた相手が、何一つ抵抗できないまま命を散らす。
 その光景に釘付けとなり、そのまま思考が止まってしまった。
 僅かなとはいえ、その停止した時間は大きな失敗である。

「皆、気をつけて。足元、まだ他にホムンクルスが!」

 我に返り、カズキが慌てて皆に危険を知らせようとするも遅かった。
 地面のいたる所から茨の蔓が生え、カズキに絡み付いてきた。
 シグナムもそれは例外ではなく、さら状況が悪い。
 慰める為になのはを抱き寄せていた為に反応が送れ、逃れられなかったのだ。
 あるいはなのはを突き飛ばしもすればできたかもしれなかったが、そうもいかない。
 皆が皆、足元という思ってもみない場所からの襲撃に逃れる事はできなかった。
 全身を茨の蔓に絡み取られ、ギリギリと締め付けられていく。
 騎士甲冑やバリアジャケットを身に纏っていなければ、胴体ごと切断されていた事だろう。

「ぐっ、シグナムさん……なのは、ちゃん」
「私は平気だ、この程度。高町、気を失うな。全力でバリアジャケットを維持しろ!」
「は、はい……だ、いじょうぶです。ユーノ、君」
「咄嗟に小さな障壁を張ったから、けど……長くは持たない、かも」

 四人とも、無事は無事だがとても余裕があるような状況ではなかった。
 なんとかして抜け出さなければと思うが、そう簡単にはいかない。
 茨の蔓は、デバイスを持つ腕を重点的に締め上げてくるのだ。
 落として溜まるかと力をこめるのが精々で、とても振り回すような事はできなかった。
 誰も彼もが苦悶の声を上げるしかない状況で、それは現れた。

「創造主に逆らうモノ全てが醜い」

 地の底から響いてくるような、禍々しい怒りを込めた女性の声であった。
 言葉通り、それは地の底から響いていたようだ。
 地面がコレまで以上に盛り上がり、中から茨の蔓とは色は同じだが形の違う蕾が現れた。
 正確には本体を守るように覆う葉である。
 その葉が開き現れたのは大輪の薔薇であり、その下に茨の蔓に守られるように女性の顔があった。

「お前の造反など、創造主はとうにお見通しだ。ホムンクルス化しようと愚図は愚図、気持ちが悪い。そして、創造主を探す魔導師達」

 原型を殆ど留めていない蛙井の死骸を茨の蔓で打ち払い、薔薇のホムンクルスがカズキ達を睨みつけた。
 途端に締め付けは強められ、なのはなどは意識を失う寸前であった。

「とっとと始末して、このジュエルシードを主のもとに」
「そうはさせない、バルディッシュ」
「Arc saber」

 地面から現れた薔薇のホムンクルスとは正反対、その声は空から落ちてきた。
 声の主は、あの金髪に黒のバリアジャケットの少女であった。
 デバイスより生み出した三日月型の刃を切り離し、投げつけた。
 来るかと薔薇のホムンクルスが身構えるが、その軌道は変化し大きく逸れていく。
 大きく弧を描いて矛先を変えた三日月の刃は、カズキ達を縛る茨を斬り裂いていった。

「しまった、おのれ!」
「さすが、私のご主人様。アンタの創造主とやらとは大違いさ!」

 少女に続き、オレンジ色の髪をたなびかせてアルフと名乗った女性も降りてくる。
 裾の短いタンクトップにホットパンツ、と以前の浴衣姿とはまた違う悩ましい姿で。
 空から落ちてくると地面を一蹴り。
 少女へと向かい身構えていた薔薇のホムンクルスに肉薄して、魔力を纏った拳を叩きつけた。

「ぐぅ、良くも。醜い犬の分際で!」
「み、醜いって。言うに事欠いて、ぶっ殺す!」

 地面を抉りながら後退させられた薔薇のホムンクルスが、さらに怒りを燃やしていた。
 だが同じ怒りなら醜いといわれたアルフも同様であったらしい。
 女性ならばそれも当然か、がるると本当に犬の様に唸り声をあげながら相対する。

「高町、しっかりしろ。高町!」
「なのはちゃん!」

 だが薔薇のホムンクルスは、ちらりと取り逃がしたカズキ達に視線を向けていた。
 シグナムが気を失う寸前だったなのはを抱きかかえ、カズキも心配そうに声を掛けている。
 それぞれ力の差こそあれ、魔導師と騎士が六人。
 忌々しいがと唇を歪めながら、呪詛のように言葉を吐いた。

「貴様達の醜い顔は全て覚えた。創造主に仇名す前に、いずれ始末してやる!」
「あ、この。訂正しろ、私の御主人様にまで醜いって言ったな!」
「アルフ!」

 叫んだ薔薇のホムンクルスの茨の蔓が一斉に空へと上りあげた。
 そのまま急降下しては、周囲所構わず破壊し始め、砂塵や瓦礫を派手に巻き上げる。
 シグナムはなのはを抱いて、カズキはユーノを拾い上げそれらを避け始めた。
 少女やアルフも同じく、薔薇のホムンクルスを追う暇もなかった。
 おかげで全てが収まった後には、破壊され見るも無残な道路だけが残されていただけ。
 薔薇のホムンクルスはまた地下に潜ったのか、その姿を消していた。
 蛙井が使用したジュエルシードを、その手中に収めたままで。

「退いたか……ユーノ、高町の具合はどうだ?」
「大丈夫、平気です」
「なのは、あまり喋らないで。僕は専門じゃないので詳しい事は、ただ直ぐにでも休ませた方が良さそうです」
「なら急いで翠屋に行こう。桃子さん達がいる場所の方が、なのはちゃんも安心するだろうし。そうだ、さっきはありがとう。えっと……なに子ちゃん? そっちの人はアルフさんって名前みたいだけど」

 悩ましいボディを目の当たりにして、若干視線をそらしてカズキが尋ねた。

「アルフ、行こう」
「はーい、私の可愛い可愛いご主人様。アイツめ、絶対次見つけたらボコってやる」

 だがカズキの問いかけに少女は答える気がなかったようだ。
 アルフに声を掛けて、直ぐにでも飛び去ろうとしていた。

「あ……待って、私もお礼。これで二度目だね、助けてくれたの。ありがとう」

 その足を止めたのは、途切れ途切れながら声を絞り出したなのはの声であった。

「別に、許せないと思った。それだけ」

 言葉短く、再び飛ぼうとした少女を今度はシグナムが止めた。

「待て、話がある。我々と一時的に手を組まないか?」
「どういうこと?」
「ジュエルシードの件があるとは言え、我々の共通の敵はホムンクルスとその創造主だ。正直な所、私はアレらを過小評価していた。お前達も恐らく、見たのだろう? ホムンクルスがジュエルシードを取り込んだ時の事を」

 少し考え込む素振りを見せた少女に、なおもシグナムは強く望んで続ける。
 過小評価という言葉に嘘はなく、シグナムは本心から少女の力を欲していたのだ。
 なのはやカズキはまだ成長段階で半人前、ユーノは体調が万全ではない。
 それに引き換え、なのはと同年代ながら洗練された力と使い魔を持つ少女の力は貴重である。

「カエルのホムンクルスは頭が悪かった。だが頭の回るホムンクルスが正しく魔法を身につけたら、それこそ創造主は魔力を持ちながらホムンクルス化する意図かもしれん。その時は、圧倒的な力でジュエルシードを独占されるぞ?」
「分かった。常に行動は共に出来ないけど、呼んでくれれば駆けつける」
「大雑把な返事だが、まあ良い。それで、なんと呼べば良い?」
「フェイト、テスタロッサ」

 最後まで手短に、フェイトは自分の名を告げるとアルフを伴ない飛んでいった。









 皆で囲む夕食とその片づけを終えると、はやては携帯電話を片手に自室へと向かった。
 恐らくは、すずかから入ったお茶会のお誘いの返事を電話でしに行ったのだろう。
 落ち着かずうきうきとした様子から、それはほぼ間違いない。
 そんな主を微笑ましく見送った後、シグナムは大きく息を吐く。
 読んでいた振りの新聞を目の前のテーブルに置き、ソファーに深々と体をあずけた。
 ホムンクルスとの二連戦、シグナムといえど疲労が溜まっていたのだ。
 自分一人が戦うならまだしも、カズキやなのはを気遣いながらでは尚更である。
 それに加え、今日は薔薇のホムンクルスの茨により身体的ダメージも受けていた。

「平気な振りをするのも大変ね。はい、お茶」
「ああ、すまない。だが主に悟られる事だけは、避けなければならないからな」
「なのはにカズキのお守りもあるしな。家にはザフィーラがいるし、私も手伝おうか?」

 お守りと表現しているものの、ヴィータの事ははそのなのはとカズキを心配しての事だ。

「そうね、せめて回復役がいない事を考えると家に呼んで治療ぐらいは……」

 そんなヴィータの言葉に続き、シグナムに癒しの魔法をかけていたシャマルが呟いた。
 今まではシグナム経由の話でしか、ヴィータ達は二人を知らなかった。
 だが先日、共に旅行で宿を同じくしてから色々と交流を深めている。
 主であるはやてを含め、なのはやカズキだけでなくその周囲の人々にまで。
 危険な事をする二人を放っておけないというのが、特にヴィータ達の本音であった。

「それは止めて置いた方が良いだろう」

 自分達も手伝おうと言い出した二人を、部屋の隅で伏せていたザフィーラが止めた。

「この八神家にいる騎士はシグナム一人、皆もそう認識しているのだろう?」
「お前達が騎士であるとは口にした事がない。もし仮に管理局と接触しても、私一人ならば他人の空似で押し通せるが、それが二人、三人となるとな」
「そうか、そうだよな。ユーノの奴が次元世界の住人じゃなけりゃあな」
「ジュエルシードがばら撒かれた原因の子だって言うし……困ったわね」

 面倒だとヴィータが頬を膨らませ、困り顔でシャマルが頬に手を当てている。
 なのはやカズキと比べ、やや評価が低いのはユーノだけ交流がないからであった。
 ヴィータ達は一般人を装い、ユーノはその一般人にバレないようにペットのふりをしていた。
 交流を持てと言う方が無理な話であり、仕方のない部分もある。
 だが唯一人として共に戦うシグナムは、少しばかり違う認識であったようだ。

「そう言うな、二人共。詳しく聞いた話では、ユーノはジュエルシードを発掘しただけ。この世界に散らばったのも、手配した輸送船の事故だそうだ。アイツが悪いわけではない」
「輸送船の事故か。ならば誰を責めるわけにもいくまい。我らは、主に危害が及ばぬよう守るのみ」

 その通りだとザフィーラの言葉を受けて皆が頷いていた。
 ジュエルシードと錬金術を操る創造主。
 特に後者からと、シグナムは別れ際にカズキから渡されたスケッチブックを開いた。
 そこに描かれているのは、当然アレである。
 創造主の特徴をカズキが殊更特徴的に描いた似顔絵であった。
 シグナムの隣にいたシャマルが覗き込み、思わずといった感じで噴き出した。

「ごふっ……けっ、えほ、シグナム……なんです、それ?」
「ああ、カズキが書いたホムンクルスの創造主の似顔絵だ」
「なんなんだ、アイツ。絵は上手いけど。いねえよ、てか。いてたまるかこんな奴!」
「真に受けられても困るのだが、いや確かにパピヨンマスクはつけていたが」

 やはりと言うべきか、正常な感覚の持ち主達からそう突っ込みを受けていた。
 シャマルは治癒魔法が途切れる程に噴き出しては咳き込み、ヴィータも声を荒げている。
 その様子では、当然ながらこんな男に見覚えはないのだろう。
 しかし、見せる度に相手がこのような反応では聞き込みには使えない。
 実際、カズキが一度恭也や美由希に聞き込んだが、頭の心配をされたぐらいだ。

「聞き込みは不可だな。まあ、一応は見せておこうとおもってな。シャマルも、周囲にサーチャーを飛ばす時にでも、ついでぐらいの気持ちで探してくれ」
「正直に言うと、みたくないな。なんて……うぅ、見つけたらまず交番でいいのかしら」
「いや、人としてはあってるけど、騎士としては間違ってるぞ」

 わいわいとスケッチブック片手に喋っていると、さすがにザフィーラも気になったようだ。
 定位置とでも呼ぶべき部屋の隅から立ち上がり、ソファーの上にトンッと飛び乗った。
 皆と同じようにシグナムが持つスケッチブックを覗き込んだ。

「なあ、ザフィーラ。お前もこんな奴、いないと思うだろ?」

 終いにはじわじわと笑いがこみ上げてくるようになったらしく、涙目でヴィータが尋ねる。

「うむ、いや……以前何処かで」
「あんのかよ!」
「えぇ、嫌ですよ私。ご町内にこんな人がいたら。引っ越したくなっちゃいます」
「ザフィーラ、信じたくはないが本当か? 思い出せ、何時何処でだ」

 創造主も、自らの似顔絵でココまでぼろぼろに言われるとは思うまい。
 唯一真剣にザフィーラに尋ねたのは、シグナムぐらいのものであった。
 ただしザフィーラも、その男が知り合いというわけではなかったらしい。
 何処だったかと、思い出そうと首を捻る。
 だがその時は特別な場面ではなかったようで、仕舞い込まれた記憶はなかなか出てこなかった。

「なあなあ今週の日曜、すずかちゃんの家にお呼ばれされてもうた」

 その記憶の鍵を開けたのは、電話を終えて自室から戻ってきたはやてであった。
 ザフィーラはスケッチブックを咥えると、それを持ってはやての元へと近付いて渡す。

「ぶっ、なんやこれ。上手いけど……古い漫画みたい」
「主、この男。何時か何処かで見かけませんでしたか? 確か、我らがこの家に来て直ぐぐらいの頃、主と私で散歩に出かけた時だとは思うのですが」
「えー、こんな変な兄ちゃんおったら……あ、でもこのマスクあらへんかったら」

 最初は否定したはやてだが、やはりザフィーラの言う通り見覚えはあったらしい。
 少し考え込むようにして、あっと呟き、ぺしっとスケッチブックを叩いた。

「せや、次朗さんや。苗字は確か、蝶野。お金持ちのところのお坊ちゃんらしくて、何時も黒い服の怖いおっちゃん達引き連れとってな。おばちゃん達に煙たがられとったわ」

 意外なところからの情報に、シグナムは蝶野次朗という名を記憶に刻み込んだ。

「次朗さんがモデルなん? てか誰が……あれ、でも次朗さんって去年に学校卒業して今年の始めに留学したとか聞いたけど」

 だが続いたはやての言葉に、人違いなのかと疑問が浮かび上がっていた。









-後書き-
ども、えなりんです。

幾らパワーアップしても、蛙井は蛙井だった……
シグナムの奥の手であっさり撃破。
ちなみにその瞬間をカズキは見ていた。
蛙井ではなく、カズキのパワーアップフラグだったりします。

あと蝶野が寮住まいでない以上、どう発覚させるのか。
はやてが弟の次朗を見た事があった事にしました。
まあ、取り巻きとかいて目立ってたでしょうしね。

それでは、次回は土曜日です。



[31086] 第十二話 私はこんな事を望んでない!
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/02/11 19:40

第十二話 私はこんな事を望んでない!

 薄暗い空間を裂く様に振るわれたそれを前に、フェイトはギュッとまぶたを閉じた。
 明らかな猛威を前に抵抗の素振りすら見せず、ただ耐えようとする。
 だが結果は変わらなかった。
 肌の上を強かに叩かれ、乾いた音と共に我慢できない悲鳴が口より溢れ出した。
 元々強度はそれ程でもなかったバリアジャケットが裂け、赤く腫れ上がった肌を露にする。
 強かに打ちつけられたそれは、鞭型のデバイスであった。
 打たれた肌は瞬く間に赤みを帯び、火傷を負ったように熱く、痛みを発し始めていた。
 苦悶の声を漏らす間もなくさらに二度、三度と叩きつけられる。
 フェイトの母親であるプレシアの手により、繰り返し。

「もう一度教えてくれないかしら? 何をしに、戻ってきたの?」

 少しは気が晴れたとばかりに鞭を収め、プレシアが尋ね直した。
 先程フェイトがお願いにやってきた理由を。

「ぅ……ジュエルシードを狙う人喰いで強力な化け物がいるの。だから、ジュエルシードを集めてる人達と協力して、あぁ!」

 説明の言葉は、再び振るわれた鞭により無理やり遮られた。
 不意を突かれた事もあり、フェイトは耐え切れずによろめき倒れこんだ。
 謁見の間とは名ばかりの、大理石の冷たい床が傷の熱を奪うのはなんたる皮肉か。
 再び、息を付く間もなく振るわれる鞭を前に、フェイトは瞳を閉じて耐え続ける。

「フェイト、母さん悲しいわ。どうして、母さんの言う事を無視して、見ず知らずの相手に協力するという話になるのかしら?」
「だって人が一杯、ぅぁ!」
「大切なのはそこじゃないの、母さんの命令を無視したのが重要なの。母さん、言ったはずよ。ジュエルシードが原住生物に憑依するデータが欲しいって」

 鞭を両手で掴み、しなりを確認するようにしながらプレシアが言った。

「カエルの化け物が憑依されたデータは興味深かったけど、私が欲しいのはそんなデータじゃない。ましてや、小動物が憑依されたデータでもない」

 今までのデータがプレシアの望んだものではないと聞かされ、フェイトは痛みや熱を忘れるように顔を上げた。
 フェイトが見上げたプレシアの表情は、何処か鬼気迫るものであった。
 それが実の娘に鞭を打った悲痛の表情のように、フェイトには見えた。
 事実はプレシア本人にしか分からない。
 だがフェイトにとってそう見えた以上、悔しさと申し訳なさがこみ上げる。
 最初のプレシアの言葉通り、母親を悲しませてしまったと心苦しくなってしまう。
 償いたい、それでプレシアの望む通りにと考えるのはフェイトにとっては当然の思考であった。

「どうすればいいの? 母さんが欲しい憑依体のデータは、なに?」
「それでいいのよ、フェイト。母さんが欲しいのは、人間を元にした憑依体よ」
「え?」

 プレシアが何を言ったのか、最初フェイトは理解する事ができなかった。

「以前、子供が二人で発動させたケースのデータもあったけど、あれじゃ駄目。力が全て外への干渉になっている。ジュエルシードが発動者本人に干渉するケース。そうね、できれば貴方と同年代ぐらいの子供、それも女の子が良いわ」

 全てを説明されてもまだ、フェイトは理解ができないでいた。
 本能的に理解を拒んだという面もあった。
 これまでもフェイトは、ジュエルシードの憑依体のデータを集めてきた。
 それはひとえに、母親であるプレシアの役に立ちたいが為である。
 だから心が痛んでも、野良の子犬や小鳥、他にも苦しむ事が分かっていてあえて憑依を見逃してきた。
 今でもプレシアの役に立ちたい気持ちに変わりはないが、憑依先が人間となるとわけが違う。
 それも自分と同世代の女の子に。
 一番に思い浮かんだのは先日協力を取り付けた一行の、白い魔導師。
 だが懸命に化け物や憑依体に立ち向かう彼女を思うと、出来るわけがなかった。
 彼女でなければという問題でもない、フェイトが持っている倫理観の問題である。

「フェイト……母さんのお願いを聞いてくれるわよね?」

 手の中の鞭をしならせながら、プレシアがそう念を押すように尋ねてきた。
 先程の鞭の痛みを思い出し、心の中の葛藤は萎縮し、体がビクリと震える。
 倫理観は否としているが、体に染みつけられた痛みは正直である。

「分かったのなら、行きなさい。母さんの為に」
「は、はい」

 反射的にフェイトは頷いてしまい、痛みを覚える体を足でささえ歩き出した。
 時の庭園と呼ばれる移動要塞の中の謁見の間。
 主の玉座に至るまで続く絨毯の上を、とぼとぼと入り口の方へと向かう。
 途中、振り返りたい衝動にかられもしたが、できなかった。
 もしも振り返ってしまえば逆にフェイトが、お願いをしてしまいそうで。
 それ以上に、そのお願いが突っぱねられるかもという不安を抱えていた為に。

「行って来ます、母さん」

 扉の前で振り向かずそう呟くも、返答はなかった。
 迷い、迷いながらも扉をくぐり、フェイトは後ろ手に扉を閉じた。

「フェイト、一体どうしたのさその格好は。何かされたのかい!?」
「違うよ、アルフ。私が悪かったの。母さんの真意に気付けなかったから」
「真意って、憑依体のデータを集めて来いって言われただけで。とにかく、ちょっとじっとしてて。これぐらい、直ぐ治してあげるからさ」
「うん、ありがとう。アルフ」

 玉座の間に入れてもらえないアルフが駆け寄って来るや否や、治癒魔法をかけ始めた。
 体の傷や熱はそれですぐさま引いていくも、心に受けた傷はそうはいかない。
 傷が癒えても、何時までも傷があるかのようにズキズキと痛む。

「それであの件は許可、貰えたのかい?」

 アルフの問いかけに、心の中の傷が刺激され顔を上げられなかった。
 人を助ける為にお願いをしに行き、命ぜられたのは人に危害を及ぼす内容である。
 フェイトだって、母親であるプレシアの役には立ちたい。
 だがその為に、人を傷つけるような事をしろと言われて頷く事は難しかった。
 答えられないフェイトを前に、アルフも色良い返事でなかった事は理解できたらしい。

「じゃあ、どうするんだい。幸い、フェイトも私も名前ぐらいしか知られてないから。応援を要請されても、無視するだけで良いけど最悪の場合……」

 それでシグナム達が、腹に据えかね敵対行動に出るぐらいならばまだ良い。
 フェイト達が要請を無視して、誰かが傷つき、死に至る可能性すらある。
 ホムンクルスがジュエルシードの手にした脅威は、フェイト自身その目でみていた。
 きっと誰かが傷つき、誰かが悲しむという事は分かりきっている。

「少し、考えさせて……」

 大好きな母親のお願いだが、それは明らかに人の道から外れる行為である。
 一方殆ど見ず知らずのシグナムのお願いこそ、人の為となる内容だ。
 答えを出すには、今しばらくの時間が必要であった。









 ホムンクルスの創造主の可能性が、現時点で一番可能性が高いかもしれない蝶野次朗。
 その次朗の生家である蝶野宅へと、シグナムとカズキはやって来ている。
 蝶野という苗字が珍しい事もあるが本人の評判が悪いほうにあるおかげで、探すのは難しくはなかった。
 はやても控えめに言っていたが、どうにも近所の評判は著しく良くはない。
 場所は八神家から二つか三つ移動した町の中。
 道路の曲がり角にあるコンクリートの塀に隠れて、二人は蝶野宅をうかがっていた。
 次朗は両家の坊ちゃんという話だが、実家は本当に資産家らしく正面には門がある。
 その門は塀となって屋敷全体を覆っており、高い塀に覆われた屋敷は二階部分ぐらいしか見えない。
 肉眼だけでは、詳しい事はほぼ分からず、様子を伺う事すら難しかった。

「蝶野か、確かホムンクルスの創造主もパピヨンマスクしてたよね」
「それは偶然と思いたいが、伺うだけでは分からんな」

 念のためにと来てはみたものの、はやてによれば次朗は現在留学中らしい。
 それに加え、今回は調査の為と言う事でなのはもユーノも連れて来てはいなかった。
 先日の戦闘で負ったダメージの事もあるし、現在はジュエルシード捜索も中止して療養中である。

(サーチャーの一つぐらいなら、私でも飛ばせるが。ホムンクルスの主はまだ人間のはず。魔法が使えないとも限らない。迂闊にバレて、こんな場所で戦闘は避けたいな)

 結界が張れなければ衆目に戦闘を見せる事になるし、知り合いがいないとも限らない。
 だがそもそも、カズキのあの似ていない似顔絵が発端であった。
 それ故に全くの別人の可能生の方が高かった。
 あんな劇画調の人間が居て欲しくないとも思うが、無駄は少ないほうが良い。

「私が探りを入れてみるか。カズキ、適当に話をあわせろよ」
「分かった、任せて。何を隠そう、俺は作り話の達人だ!」
「今ので凄い不安になったが、余計な事はするなよ?」

 あらぬ方向を見てアピールしているカズキへと突っ込みつつ、木造屋根瓦の門へと近付く。
 見上げた位置にある表札には、蝶のマークが模られ、その下に蝶野の文字が書かれていた。
 余程、蝶にこだわりがあるのか、先程のカズキの蝶野だからパピヨンマスクという言葉もあながち間違いではないのか。
 キョロキョロと辺りを伺うカズキを放置し、シグナムがインターホンを鳴らした。

「はい、蝶野」

 インターホンに出たのは、しゃがれた声の男である。
 決して若くは聞こえない声は次朗の親かまた強大化。
 シグナムは次の言葉を発する前に一つ咳払いをし、一オクターブ音を上げて言った。

「突然のお伺い、失礼します。私、岡倉と申しますが、先日こちらのお坊ちゃんに大変お世話になりお礼にうかがわせていただいた次第です」
「ああ? 次朗さんに。馬鹿言うんじゃねえ、次朗さんは今日日本に一時帰国したばっかだ。人違いじゃねえのか?」
「その可能生は……何しろ名前を名乗られなかったもので。人伝に、こちらの次朗さんがそっくりだと」
「次朗さんにそっくり、そんな馬鹿な」

 途端に声の主が動揺したような声をあげていた。

「ああ、違う違う。人違いだ。そんだけなら、帰れ」

 だがその動揺を無理やりおさえたらしく、追い払うように少し声を大きくした。
 もしも対面での会話であったなら、犬を追い払うように手を振っていた事だろう。
 そして一方的にインターホンは途切れ、シグナムが声を掛けても反応は返ってこなかった。
 仕方がないかとお互いに見あい、一度その場を離れて歩きながら話す。

「今の、聞いたか?」
「うん、俺の作り話は披露できなかったけど。シグナムさんの高い声、すっごいドキドキした」
「違う、お前は一体何を聞いていた!」

 その声を思い出したのか、カズキは頬を赤らめて心臓を抑えていた。
 実際、そこに心臓はなくあるのはジュエルシードであったりする。
 色々言いたい事はあるが、青空の下での説教はまた今度と拳骨を落とすに留めた。

「次朗は確かにいるらしいが、怪しいのはそっくりだったと言った時だ。いやに動揺し、まるで聞かれたくない事があるかのような反応だった」
「うーん、言われて見れば……そう言えば、名前って次朗なんだよね。て事は、お兄さんかか誰かが居たんじゃないかな」
「人には聞かれたくない、次朗の兄か」

 普通に考えるならば、既に鬼籍に入ってしまった故人だという所だろう。
 だがアリバイのある次朗の他に、そっくりな他の誰かがいるとしたらその兄しかいない。
 その兄がホムンクルスの創造主だとして、存在を隠したい理由はなにか。
 それは恐らく、ホムンクルスの創造主だからではないだろう。
 だとすれば、先程の男の対応はあまりにもお粗末過ぎた。
 もっと他に単純な、それこそ世間体を気にしたような極普通の理由である可能生が高い。

「本来なら時間を掛けて探るべきだが、さてどうする」

 表に出ない創造主の目となっていた監視役、カエルのホムンクルスである蛙井は撃破した。
 監視の目を失った事から、少なからず創造主は表に出てくる事だろう。
 今までのように受身で居ては、向こうの策にはまりかねない。
 できればこちらから攻勢を掛けたいところだが、創造主の情報は殆ど皆無だ。
 その糸口でもと二人して振り返り、広く大きな蝶野邸を仰ぎ見た。
 道路を塞ぐようにしていた二人の後ろから、控えめな声が掛けられる。

「失礼、少し通して欲しいのだが」
「あ、悪い」
「今退こ、貴様は!」

 余りにも極自然に、堂々と背後からかけられた声の主に気付き、シグナムが声を荒げた。
 遅れて気付いたカズキも含め、二人がデバイスを具現化しようとしたその瞬間。
 背後にいた男の腕が、それよりも早く二人を鷲掴んだ。
 革ジャンを来た目付きの鋭い男の腕が、瞬間的に鷲のそれへと変わっていた。
 銀色に輝く金属質の腕は、紛れもなくホムンクルスのものである。
 それもシグナムがコレまで相対した中で、別格と感じた鷲型のものでもあった。

「カズキ、デバイスより先に騎士甲冑を纏え。握り潰されるぞ!」
「わ、分かった」
「安心しろ、創造主の屋敷の近辺を血で汚すわけにはいかん。運ばせて貰う」

 急ぎ二人が騎士甲冑を纏うとすると、鷲型のホムンクルスが背中に翼を生やした。
 そして大地を蹴ると同時に翼をはためかせ、急上昇。
 カタパルトで空へと叩きだされたかのように、瞬く間に空へと二人を連れて行った。
 急激な気圧の変化に耳鳴りが酷く、高度と風のせいで呼吸もままならない。
 空の青と雲の白、二色の間を強制的に飛ばされ窒息しかねないだろう。
 少ない呼吸で声を振り絞り、まずカズキが声を張り上げた。

「シグナムさん!」
「ああ、タイミングを合わせろ!」

 合図はそれだけで、お互いに何をしたいのか察する事ができた。
 二人の足元に紫色と太陽に似た光の魔法陣がそれぞれ浮かぶ。
 そしてシグナムの足元からは炎が舞い上がり、カズキの体からエネルギーの光が迸る。
 魔力変換資質を用いて、自分ごと鷲型ホムンクルスの足を焼いたのだ。

「ぬうッ!」

 炎や光は、ただでさえ生物を脅えさせたり、眩ませる効果がある。
 いくらホムンクルスと化したとは言え、元は野生の生物であった。
 逃れられない本能から、腕が緩み、カズキとシグナムが今度こそデバイスを手にした。

「サンライトハート!」
「レヴァンティン!」

 そのまま腕を叩き斬ろうとしたが、その前に空へと放り出された。
 振るおうとした刃は、相手が間合いの外だと止められる。

「判断が早い、侮れん。カズキ、このまま降りるぞ。空は奴の領域だ。手を貸せ!」
「大丈夫、これぐらいなら自分で何とかできる!」

 空を飛べるシグナムとは違い、未だにカズキは飛行魔法に成功していない。
 その為、咄嗟にシグナムが手を貸そうとしたが、本人に断られた。
 足元は空の青と白から一変、緑一色の何処かの山間部。
 硬い大地へと二人の体が、刻一刻と迫る。
 カズキは言葉通り、刻一刻と近付く緑を目前にしてサンライトハートを扱って見せた。

「弾けろ、サンライトハート!」
「Jawohl」

 地面の少し上、木々に衝突する寸前で命令通りサンライトハートがエネルギーを弾けさせた。
 カズキがぶつかる筈だった枝葉を吹き飛ばし、落下の勢いをも吹き飛ばす。
 そのまま危なげなく地に足をつき、少々肝が冷えたのか荒く息を付いていた。
 先日も似たような芸当を見せたが、今回とはそもそも高さが違う。

(自分で何とかできるか、一端の台詞を吐くようになったな。言葉通り、応用力が出てきた。見習いの文字が取れる日も、遠くはないか)

 飛行魔法でカズキの隣に足をついたシグナムは、カズキの手際に少なからず驚いていた。
 訓練よりも、実戦の方が余程多い事もあったが、本当に成長が早い。
 誰かを育てた事はないシグナムであったが、それでもそう判断できる程に。
 本人には面と向かって告げないであろう評価は付け終え、改めて辺りを見渡した。
 かつての廃工場があった山を思わせる、深い森の中である。
 ここならば、結界がなくとも思い切り戦える事だろう。

「危なかった……それより、ここは?」
「詳しくは分からんが、戦場である事は間違いない」

 上を見上げたシグナムの視線の先から、鷲型のホムンクルスが降りてきた。
 カズキが空けた森の天井の穴を通り、二人の目と鼻の先にである。

「良い力を持っている。巳田や蛙井を倒した事だけはある」
「それはこちらの台詞だ。化け物相手とは言え、少なからず心が震える。今までのホムンクルスは部分的な変化はしなかった。初対面から思っていたが、貴様はやはり特別らしいな」
「私も同感だ。貴様達が相手なら、私も力を存分に発揮できる。この力で創造主である次朗様をお守りする事ができる」

 シグナムも鷲型のホムンクルスも不敵に笑っていた。

「次朗? じゃあ蝶野次朗が、創造主?」

 ホムンクルス本人が認めたと、驚いたようにカズキが呟いていた。
 だが次朗には昨日まで留学していたというアリバイがあるはずだ。
 ならば蝶野邸のインターホン越しに会話した男が隠したがっていたのは、不完全なアリバイなのか。

「鷲尾、迂闊よ。創造主の名を呟くなど。いくら屋敷が既に発覚してしまったとはいえ。お叱りは免れないわね」

 三人の間に、新たに別の女性の声が割って入る。
 シグナムが鷲尾を牽制するようにレヴァンティンを構えている為、カズキが庇うように立った。
 声がした方にサンライトハートを構え、何時でも飛び出せるように。
 その先、奥の茂みからこちらへと歩いてくる影は二つ。
 一つは明らかで、声からも分かった通り、薔薇のホムンクルスである事が分かる。
 ではもう一つの影は一体誰なのか、明らかとなったその顔を前にカズキもシグナムも表情が険しくなった。
 現れたのは、パピヨンマスクこそしていないが、かつてその目にした創造主である。

「どういう経緯かは皆目検討もつかないが、家と顔がバレた以上時間の問題だ。気にするな、鷲尾。それにどうせ、二人はここで消える」

 そう言った次朗の足元に、黒色の魔法陣が方円状に広がっていく。
 以前の蛙井のような歪なものではなく、ミッドチルダ式の魔法陣である。
 一瞬、来るかとより身構えたカズキとシグナムであったが、それは攻撃ではなかった。
 耳障りな音がざわざわと脳裏に響く、舌打ちをしながらシグナムが念話を飛ばした。

「しまった、テスタロッサ。聞こえるか、テスタロッサ!」
「なのはちゃん、ユーノ君……駄目だ、繋がらない」

 耳障りな音が響くだけで念話が繋がる様子はなかった。
 恐らくは、創造主のあの魔法陣は、念話を妨害する為の魔法なのだろう。
 だが魔法が正常に働き始めた事に笑みを浮かべた瞬間、次朗が口元を押さえて激しく咳き込み始めた。

「げほ、げぇ。くっ……鷲尾、それに花房。時間は掛けるな。長くは持たないぞ」
「分かっています。創造主に賜わったこの力で、葬り去ります」
「私も、多勢に無勢でなければ、以前のような無様な結果には終わらせないわよ」

 どうやら本拠地がばれ、顔までもばれたとあって本気で決着をつけるらしい。
 これまでよりも強力なホムンクルスを二体も投入し、なおかつ創造主さえ前線に出てきた。
 だが言い換えれば、土壇場で投入できたホムンクルスは目の前の二体のみ。
 この二体で最後であり、倒しきれば後は創造主を捕らえるのみという事である。

「カズキ、気合を入れろ。絶対に倒すぞ、この二体」
「分かってる。これ以上犠牲者を出さない為にも。戦って、勝つ!」

 互いにここが正念場だとにらみ合い、その戦端は開かれた。









 長袖の黒のワンピース、お気に入りのそれを着てフェイトは街中を歩いていた。
 御供は狼の形態を取り、リードで繋がれたアルフである。
 再び地球にやってきたものの、一体自分が如何するべきか決心が付かなかった。
 だから一度どちらも忘れようと、普通の少女の振りをしてみたのだ。
 何処へ行くわけでもなく、住宅街からビル街にそして今は商店街と歩き回っていた。
 それこそ何時間も歩き続けていたが、自分でも現実逃避だとは分かっている。
 フェイトとしては、母親であるプレシアの願いをどうしても叶えてあげたい。
 そしてありがとうフェイトと言って笑って欲しい、それだけだ。

(でもその為には、私と同じ年頃の子にジュエルシードを憑依させなくちゃ)

 何時の間にか現実に引き戻され、想像してしまった事に慌てて首を振る。
 振り払ってしまわなければ、とてもじゃないが自分を保つ事はできなかった。
 と言うよりも、想像して行き着く先は、そんな酷いお願いをしたプレシアに行き着く。
 ありがとうと言ってくれた想像の中のプレシアの顔をまともに見る事ができない。
 フェイトは、自分のせいで誰かが傷つくのも嫌だが、プレシアがそんなお願いをしたと信じたくないのだ。
 既にお願いされた後だが、やっぱり自分の聞き間違い等であったのかもしれないと。

『フェイト……フェイトがどうしてもって言うなら私が』
『駄目だよ、アルフ。きっとそれは駄目だよ。ジュエルシードに憑依されたら、きっと皆白い魔導師の子みたいに怖くて泣いちゃって、酷い事になる』

 アルフの言葉を遮り立ち止まったフェイトは、自分こそが泣きそうな顔で周囲を見渡した。
 夕方に差し掛かる今、主婦らしき女性が多く、夕食の買い物にいそしんでいる。
 その足元では、フェイトよりも幼いかそれこそ同年代の少年少女がいた。
 今日の夕飯は何だ、アレが食べたいと楽しそうに語りかけている。
 時折我が侭はとしかる母親もいるが、困った顔になりながらも我が子の手を引いて笑顔であるいていく。
 何よりもフェイトが切望している光景であった。

『この光景を壊すなんて駄目だよ』
『だけど、このままじゃフェイトが……』
『やっぱり、聞き間違いか何かだよ。母さんがこんな酷い事を言うはずがない』

 そうだろうかという念話がアルフより聞こえた気もしたが、フェイトは意図して無視した。
 きっと間違い、自分にとって一番都合の良い答えを胸に俯いていた顔を上げる。
 ポケットより、自分が保持している最後のジュエルシードを夕日にかざす。
 もちろん、それは厳重に封印されており特別大きな魔力を叩きつけない限りは平気であった。

(こんな石ころで、皆の幸せを壊しちゃ駄目。大丈夫、きっと私の聞き間違い)

 改めてきっとそうだと決め付け、ポケットに戻そうとする。

「あー、ほら。えっと、温泉の時の。ねえねえ、私の事憶えてない? 温泉宿で一度すれ違ったんやけど」

 自分に向けられたらしき突然の声に、ジュエルシードを落としかけた。
 知り合いの殆どいないこの世界で話しかけられ、びっくりしたのだ。
 あわあわとお手玉をし、なんとかキャッチしてから声が聞こえた方へと振り返る。
 そこに居たのは、アルフに良く似た犬を連れた女の子であった。
 他にフェイトと同じ金髪の女性と、赤い髪のおさげの女の子もいた。

「あの、私……」
「間違いないて、ほら。車椅子はある意味で印象的やし、憶えてへん? なあ、ヴィータも一緒におったから覚えてるやろ?」
「ああ、いたなこんな奴」
「こら、初対面やないけど良く知らん子をこんな奴って言うたらあかんやろ」

 鋭い視線で睨みつけてきていた子が、車椅子の少女に頬を両方からつねられる。

「いふぁい、いふぁいよ。はわて」
「はやてちゃん、お家じゃないんですから駄目ですよ」

 確かにフェイトにも憶えはあったが、関わって良いものか。
 ふいに脳裏に自分と同じ年頃の女の子にという、プレシアの言葉が過ぎった。
 あれは違う、母さんがそんな事を言うはずがないと改めてその考えを振り払う。
 手頃という表現はおかしいが、標的にぴったりな少女を前に後ろめたい気持ちもあった。
 勢い良く頭を振っていると、汗でジュエルシードが零れ落ちて宙を舞う。

「あっ」

 慌てて手を伸ばすも、指先が逆に弾いてしまい地面に落ちて転がっていく。
 楕円に近い菱形の為にそう遠くまでは転がらなかった。
 ただ、先程自分に離しかけてきたはやてという名の少女の足元までだ。

「ん、なんか綺麗な石落としたで」
「はやて、それぐらい私が」
「あかん、あかん。何でもかんでも甘えたら、そこから人は堕落が始まるんや。自分でできる事は、自分でせなあかん」

 立派な志を呟いたはやてへと、フェイトが歩み寄った。
 自分がかけた厳重な封印に自信があった事もある。
 だがよいしょと声を掛けてはやてが、足元のジュエルシードを拾い上げようとした時にそれは起きた。
 より厳密に言うならば、ジュエルシードにはやての指が触れた瞬間である。
 厳重に封印されたはずのジュエルシードが、突如として輝きを発し始めたのだ。
 まるで最初から封印などなかったように。
 閃光とすら呼べそうな程に輝き始めた光を前に、周囲が過剰に反応して騒然とする。

「ちくしょう、なんだよ。はやて、それに触れるな!」
「まさか、アレがジュエルシードか。シャマル車椅子を引いて、主を引き剥がせ!」
「さっきからやってるんですけど、はやてちゃんが吸い寄せられてるみたいで」
「なんなん、なんなんこれ。すっごい眩しいんやけど!」

 閃光の中で何処に居たのか男性の声が交じり、叫びあっている。

「違う、なんで。どうして……私が心の何処かで願ったから? 違う、私はこんな事を望んでない!」
「フェイト、危ないから下がって!」

 何時の間にか人型の形態を取ったアルフに抱きかかえられ、遠ざけられる。
 だがフェイトはその間もずっとそれを見ていた。
 自らが招いたかもしれない、愚かな結果を。

「はやて、動くな。その石ころ、ふっ飛ばしてやる。アイゼン!」
「Ja」

 ヴィータがデバイスらしき鉄槌でジュエルシードを叩くも、逆に弾き飛ばされる。
 魔法障壁らしきそれは、ジュエルシードだけではなく、はやてごと守っているようであった。

「んな、馬鹿な。もう一回!」
「待て、ヴィータ!」

 再びの男の人の声の後に、ジュエルシードの輝きが唐突に終わった。
 一際大きな閃光を周囲一帯へと撒き散らし、嘘か幻かのように消えた。
 改めて周囲を伺えば、買い物客の殆どは閃光のショックにより倒れこんでいた。
 老若男女問わず、意識があるものと言えば、フェイト達魔導師ぐらいのみ。
 一体何が起きたのか、フェイトもアルフも汗を拭わずには居られなかった。
 冷や汗をかいたのは、ヴィータ達も同様だったが、彼らには最優先事項がある。

「はやて、はやて!」
「ヴィータちゃん、あまり動かさないで直ぐに病院へ」
「貴様ら、主に何をした!」

 はやては車椅子から崩れ落ちるように投げ出され、地面に倒れこんでいた。
 一体いつから持っていたのか、一冊のハードカバーの本をその胸に抱いて。









-後書き-
ども、えなりんです。

なんかシグナム、毎話カズキに突っ込んでる気がします。
武藤家に嫁に行ったら、突っ込みノイローゼになりそう……
まひろは言うまでもなく、武藤家の両親はどうなのだろうか。
ドラマCDでは、父親が出る出る詐欺だったからなあ。

一方のフェイトちゃん。
色々と抱え込んだ挙句、はやてを巻き込み。
張り詰めたものが爆発しそうな感じです。

それでは次回は水曜です。



[31086] 第十三話 一番嫌いな性格だ
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/02/15 19:47

第十三話 一番嫌いな性格だ

 人里離れた深い森の中は、夕方に差しかかり辺り深い緑に赤焼けを映し出している。
 その森の中で息づくのは三人と二体。
 ホムンクルスの創造主である次朗を除いて、誰も彼もが死闘を繰り広げていた。
 腕と翼だけをホムンクルス化した鷲尾に対し、シグナムが愛刀を閃かせる。
 シグナムの魔力変換資質により炎を纏って、高熱を発する刃であった。
 これがただの鉄板程度ならば、斬り溶かし容易く切断に至った事であろう。

「いかな速い刃でも、刃筋が立たない限り斬り裂くは不可能。そして、切断面という切欠がなければ刃の熱も無意味」

 だが鷲尾の翼が風を読み、正確にシグナムの剣筋を見切らせていた。
 言葉通りレヴァンティンの刃は無効化され、炎による熱もさほど効果を上げていなかった。
 あくまで熱は、刃で裂いた後からその部位を融解させるのが目的。
 問答無用で溶かせるならば、最初から刃は不要であるし、そもそも所有者であるシグナムが持たない。

「良い眼を持っている。私の一挙一動、全て見透かされているようだ。その翼のおかげか?」
「眼の良さはお互い様。いや、培われた経験による洞察力か。私の翼は風を読む。この翼ある限り、私の見切りは絶対だ」

 レヴァンティンと鋭利な爪で鍔迫り合いを行いながら互いに称えあう。
 それは実力に対してもそうだが、お互いに通じ合う既視感であった。
 シグナムは主であるはやて、鷲尾は創造主である次朗。
 それぞれの敬う人物への忠誠心は改めて問う必要など無いぐらい、伝わってくる。
 だがシグナムには、どうしても納得できない事があった。

「何故それ程の腕を持ちながら、あのような者に付き従う。単に創造主だから、というわけでもあるまい?」

 向こうの狙いは各個撃破。
 全部が全部、部下に任せずこの場にキーマンとして現れた所は評価できる。
 そもそも創造主なくしては、念話妨害もできず作戦が成り立たなかった事だろう。
 だがシグナムはあのドブ川の腐ったような瞳だけは信用がならなかった。
 鷲尾の忠誠心を理解し、報いてくれるような度量があるのか。

「創造主は、私の命の恩人だ。この体を得る以前、私は野生の大鷲だった。最大の猛禽にして空の王者、その中でも最強の一羽。だが、誤射か密猟か私は撃たれ墜ちた」

 それ以後、鷲尾本人も細部の記憶は定かではない。
 だが次に鷲尾がその意識を取り戻した時は、今の姿であった。
 姿形こそ変われど、空の王者であった記憶と誇りはそのままに理解した。

「創造主は私の命の恩人。一度死んだ私に、新しい命と力を下さった。今その方の命がかかっているのだ。邪魔立ては許さん!」
「成る程な、命の恩人。己の命を掛けるには十分な理由だ」

 以前までの自分ならば、それも一つの忠誠かと褒め称えた事だろう。
 武人として己の恩人の為にその武を振るう、誇り高い人物だと。
 例え相手がどのような人物だとしても、忠義の二文字の前には関係ないとばかりに。

「だが貴様は決して、その身を案じられていたわけではなかろう。創造主にとって、仮に撃たれたのが別の大鷲でも同じ事をしただろう。貴様は創造主の道具に過ぎん」
「くだらん!」

 鷲尾が腕力で無理やりレヴァンティンを、シグナムの体ごと弾き飛ばした。
 さらに追撃の一手を加えるも、地面に足をめり込ませながらシグナムが受け止める。
 くだらなくないと、道具かそうではないか。
 どちらに受け取るかで、主の度量が決まってくるとばかりに。

「私達の主は違う。道具であったはずの我々を、一個人として受け入れてくれた。莫大な力に惑わされず、望んだのは小さな平穏。それを乱す貴様達を私は許さない!」
「平穏だと、ならばお前の手にする爪や形なき翼はどうする。戦う為に生まれた者が戦いを奪われ、本当にそれがお前達の望みか。貴様の主も程度が知れる!」
「与えられたのだ、異なる生き方を。全く違う生き方を。それに奪われたわけでもない。その証拠に、今私は爪を繰り出し、翼を広げている。主を守る為に!」

 時に舌戦も加えながら、シグナムと鷲尾が互角に斬り結びあう。
 その殺陣のような動きは激しく、暴風の中に刃が幾重にも閃くようでもあった。
 全くの互角に見える斬り結びだが、お互いに懸念事項をその胸に抱えていた。
 鷲尾は刻一刻と迫る創造主の限界、念話疎外の結界について懸念している。
 そしてシグナムは、カズキと薔薇のホムンクルスの戦いが気がかりであったのだ。
 こちらも一見互角に見えながら、ややカズキに不利に傾いていた。

「くっ、この!」
「ふふ、最初の威勢の良さはどこへいったのかしら」

 迫る茨の蔓の群れをカズキが大雑把に切り払い、叩き落とす。
 カズキの獲物は身の丈に及ぶ巨大な突撃槍であり、一撃一撃が大振りになりやすい。
 対して薔薇型のホムンクルスは、意志一つで変幻自在の茨の蔓である。
 小回りが効く上に、手数も多くカズキを翻弄して焦らせていた。
 しかし理由は獲物の相性だけではなかった。
 嵐の様に被害を撒き散らしながら斬り結ぶ、シグナム達である。

「カズキ、何を梃子摺っている。少々厄介なのは認めるが、これまでのホムンクルスと変わらない強さのはずだ」

 そんなカズキの様子にシグナムが気付いたらしい。
 鷲尾から一旦離れて距離を取り、ぴったりつけた背中越しに尋ねてくる。

「見たところ、一度もまともに魔法を使った様子がないぞ。相手の手数が多いのなら、強力な一撃で黙らせろ。元々、お前に小器用な戦いはまだ無理だ」
「それは分かってるけど……」

 やや口ごもりながら、そんな余裕があるわけでもないとカズキが本音を口にした。

「シグナムさん達があちこち移動しながら戦うから、迂闊に突っ込むと危ないんだ」
「それは済まんな。鷲尾とやらを相手に、そこまで気遣えん」

 これまでカズキは複数人数相手の戦闘を経験した事がなかった。
 一対一から一対複数で、常に味方が多い状態。
 シグナムもそれに気づいていて、場所はおろか相手も入り乱れる戦闘を避けるように心がけていたのだ。
 その結果、鷲尾をカズキに近づけさせないように、先回りして動き回るしかない。
 だがその動き回るシグナムを気遣い、手札を塞がれた状態での健闘はまぎれもなくカズキの実力でもあった。

「ぜぇ……ぐ、ほっ。鷲尾、花房。もうこれ以上は待てん、急げ時間がない」
「創造主、もう少々の辛抱です。必ずや、奴を仕留めてみせます」
「あの女はまだしも、坊やの方はまだ未熟。先に私が仕留めますわ」

 小休憩はお互いに終わり。
 第二ラウンドを開始と言う所で、シグナムがとある博打に出る事を決めた。
 誰よりも早く飛び出し、鷲尾を下から上へと斬り上げる斬撃で持ち上げたのだ。
 もちろん見切りにより斬撃そのものは無効化されたが、初手の目的は達している。

「レヴァンティン!」
「Explosion. Schlangeform」

 カートリッジから魔力を補充し、レヴァンティンの形態を変えさせた。
 鷲尾の体に連結刃を絡みつかせて、力の限り引っ張る。
 次いで空へと飛び上がり、自分達がココへ連れて来られたように鷲を空へと連れて行く。

「カズキ、私は空でこいつと決着をつける。お前は地上で心置きなく戦え!」
「私と空で、笑わせてくれる!」

 絡み付く連結刃のワイヤーを振り払い、すかさず鷲尾が自由を取り戻して怒りに燃える。

「シグナムさん、でも空は奴の領域だって!」
「騎士見習いが正当なるベルカの騎士である私を案ずるなど、十年早い。そう思うならば、お前はお前の戦いに勝て。自分でなんとかしてみせろ!」

 そう叱咤され、カズキは改めてサンライトハートを握り締めた。
 自分の不甲斐なさを後悔するのは後。
 シグナムが言った通り、今は目の前の戦いに自分の力で勝つ事だ。
 本当にシグナムが心配なら、さっさと勝って、それから手伝いに向かえば良い。

「サンライトハート、エネルギー全開!」
「Explosion」

 戦い始めて三十分以上は経つだろうか。
 この日初めてカズキはカートリッジを使用し、柄の先端の機具から薬莢を排出させた。
 足元には太陽光に似た色の魔法陣が浮かび、飾り尾がエネルギーと化して弾けとぶ。

「こいつ、先程までと違う。創造主、私の影へ隠れてください!」
「いくぞ、花房!」
「Sonnenlicht slasher」

 花房が創造主をその背に庇いながら、カズキへと向けて鋭い先端を持つ蔓をくり出してくる。
 十数の茨の蔓が己へと殺到する中でも、カズキは引かなかった。
 むしろあえて自分からその茨の群れに突っ込むように、駆け出した。
 サンライトハートの飾り尾である赤い布が光を伴って爆ぜ、カズキの背を爆風で押し出す。
 一歩目からトップスピードへと加速され、風となった茨の群れを斬り裂いていく。
 だがそれも全てではなかった。
 カズキの中心から反れていた数本の茨の蔓は切り裂かれず、掠めるようにカズキの体を傷つけていた。
 それでも真っ直ぐ前へ。

「くっ、茨の網」

 このままでは創造主ごとと危惧し、花房が初めて防御に回った。
 茨の蔓を幾重にも交差させ、言葉通り網を生み出してカズキを受け止めようとする。
 さすがにサンライトハートの切っ先に触れれば斬れるが、突撃にはカズキ自身も突っ込まなければならない。
 刃が届くより先に茨の網の餌食だと、地面に思い切り足を着いてめり込ませながら止める。
 だがカズキもただでは引き下がらないと、絡め取られた刃を思い切り振り下ろした。
 茨の網を重さを利用した斬撃で引き裂き、今度は飾り尾を爆発させて爆風で上へと斬り裂いていった。

「いい気になるんじゃないわよ、坊や」

 跳び上がったは良いが、飛行魔法が使えないカズキはそこで手が止まってしまう。
 その隙を突いて花房の茨の蔓が、カズキの左肩を貫いた。
 茨を持つ蔓に貫かれ、その激痛たるや尋常のものではない。
 思わず叫び声を上げそうになる口を無理に閉じて、カズキはあえて茨の蔓を手で握った。

「うおおおおッ!」

 茨を滑り止めにして思い切り茨の蔓を引けば、どうなるか。
 地面にどっしりと構えた花房と、宙に浮いているカズキ。
 隙はあるが何からも縛られていないカズキの体が、再び花房へと肉薄する。
 残った右腕でしっかりと柄を握り締めて、大輪の薔薇に巨大な刃をめり込ませていった。

「よくも私の花弁に傷を、醜い餓鬼がぁッ!」
「サンライトハート、弾けろ!」
「Ja」
「なに!?」

 片手振りでは威力が足りない事ぐらいは、カズキも察していた。
 だからこその予備動作無しの追撃。
 刃に集束した光が暴発するように弾け飛び、薔薇の三分の一程度を吹き飛ばす。
 同時にカズキも吹き飛ばされ、爆発の余波で左肩を貫いていた蔓も焼け切れる。
 ダメージを受けながらも、不器用に近接状態からの離脱を果たしていた。
 爆風で飛ばされ、地面の上を二転三転しながら、なんとか立ち上がった。
 左肩は痛むが戦闘状態で高揚する精神状態では、然程苦にはならない。

「よし、やれる。俺も痛いけど、花房は俺以上に痛いはずだ」
「なんて無様で醜い戦い方だ。しかし、そんな糞餓鬼にしてやられた私自身がなお腹立たしい。創造主の前でこれ以上無様を晒すわけには」
「待て、花房」

 怒り心頭、激昂して茨の蔓を増産する花房を、その陰にいた創造主が止めた。
 その瞳は相変わらずの色ながら、信じられないような者を見るようにカズキを見つめている。

「お前、死ぬ事が怖くないのか?」

 カズキを指差し、尋ねてきた次朗の言葉は返答が一つしかない事であった。

「怖いに決まってるだろう。痛いのも、怖いのも嫌いだ」
「なら何故そこまでボロボロになって戦うんだ。この地には少なくとも、手錬の魔導師が複数人いる。お前でなくても、構わないはずだ」
「人喰いのホムンクルスがこの海鳴にいるのなら、俺に戦える力があるなら俺がやらなきゃいけないんだ!」
「創造主、こんな奴の戯言に耳を傾ける必要はありません。口ではなんと言おうと、最後には無様に命乞いをするはずです。創造主がお望みなら、ご覧にいれてみせます」

 それが一番聞きたくない言葉だったと、次朗の顔は歪んでいた。
 シグナムが戦う理由は、言葉の端々に主という言葉が出る事から明白である。
 創造主に取ってシグナムは自分の為に戦うホムンクルスとそう代わらない。
 小さな魔導師達が戦うのは、分別の無い子供が無垢な正義感をふりかざすだけとも理解できた。
 だが分別のある高校生のカズキが、躊躇無く命のやり取りの場に現れる事が理解できない。
 その理由をカズキ自身から聞いても、聞いたからこそ尚更だ。
 創造主はただの邪魔者ではなく、相容れない相手としてカズキを睨みつけている。
 そして花房の言葉を聞き、見せてみろと言おうとした時、反射的に口元を押さえた。
 だがそれでも抑え切れないものが喉の奥よりこみ上げ、口から手の隙間からあふれ吹き出す。
 大量の血が飛沫にまでなり、次朗の口より飛散した。

「「創造主!」」
「ごはっ、急げ花房、鷲尾。これ以上は、もう」

 カズキの素人目にも創造主の様子は、尋常ではないように見えた。
 元々肌は色白で病的ではあったが、ただの体調不良や風邪とは思えなかった。
 もっと深く重いなにかに犯されていると感じ、同時にふとした言葉が口をついて出た。

「お前、一体誰なんだ?」
「!?」

 カズキ自身、良く分からない問いかけであった。
 本当にふと心に浮かんだ疑問であったが、その次朗は明らかに眼を見開いていた。
 だから次々に浮かぶ疑問を矢次にぶつけていく。

「だっておかしいじゃないか。蝶野次朗は留学してるって、なのにお前は明らかに何かの病気っぽくて。普通は留学より療養が先だろ、蝶野次朗? いや違う、誰なんだ!?」

 そうカズキが改めて確信を持って尋ねると、次朗の血まみれの口元がニヤリと歪んだ。
 言葉を用いず、良く気付いたと、俺はここだと叫んでいるようでもあった。
 言ってしまえば、隠れんぼで最後まで見つからなかった子が見つけられ、ルールに反して喜ぶように。

「創造主、いけません!」

 すかさず花房が注意を促がすも、次朗ならぬ次朗の笑みは止められなかった。

「初めてだ……初めて、気付かれた。かつては透明で、風景の一部だった俺。今やそれすら許されず、透明である事すら禁じられた俺に、この男は気付いた!」
「やっぱり、次朗じゃないのか。それじゃあ、次朗の兄の……」
「そうだ、俺は次朗の兄の攻爵。蝶野攻爵だ。曾々爺ちゃんの爵の時を受け継いだ正当な蝶野の後継者。隠された錬金術の技術をも復活させた蝶天才!」
「でもなんで、弟の名を語って罪を擦り付けて……分からない。そこまでして一体何がしたいんだ!?」

 名を語られた弟が、どの様な汚名を着せられかけていたのか。
 超天才と嘯くぐらいなら、理解していた事だろう。
 だから、尚更カズキには分からなかった。
 もし仮に自分が過ちを犯しても、自分ならまひろにそれを被せるような事はしない。
 逆にまひろが何かをしでかし、自分が身代わりにという事はするかもしれないが。
 血の繋がった家族に罪を被せてまで、やり遂げなければならない事は何だというのか。

「決まっているだろう、生きたいんだ」

 カズキの苦悩に反し、攻爵と改めて名乗った創造主の答えはシンプルであった。

「お前が感じた通り、俺は不治の病と診断された。それ以降、俺は庭先の使われなくなった蔵の中に投獄された。蝶野を継ぐ者として失敗作だと烙印を押されてな」

 我知らず、カズキはその身を一歩後ろへと引いていた。
 攻爵が語る言葉は理解できても、その内容が全く理解できなかったからだ。
 当たり前のように両親から愛を受けて育ち、同じように愛をまひろに与えてきた。
 極々普通の、適当に石をなげれば当たるような何処にでもある家族だからこそ。
 蝶野家の人々の行動が、欠片も理解できる事はなかった。

「だが俺はその閉じ込められた蔵で、曾々爺ちゃんが残した二つの技術について知った。それが錬金術と魔法技術。だがこの二つの技術は相反するもの。どちらかを手に入れれば、どちらかを失う」
「ホムンクルスは、魔力を感じない……」
「だが、ジュエルシードがそれを可能にする。ホムンクルスと魔法、この二つを融合し俺は人を超えた人、超人になる!」

 違う、話に飲まれるなとカズキは必死になって首を振っていた。
 まるでフィクションのような攻爵の生い立ちや運命、家族からの仕打ち。
 どれもこれも理解しがたいものばかりだが、大切なのはそこではないと。
 攻爵が弟である次朗に罪を被せ、カズキやシグナムの注意をひきつけさせようとした事。
 大勢を犠牲にして、かつ犠牲を拡大させるような化け物に生まれ変わろうとしている事。

「生きたい。分かる、俺も一度死んだ身だから……蝶野の気持ちは分かる」
「一度死んだだと?」

 今度は攻爵が理解できないとばかりに、呟いていた。

「運良くジュエルシードの力で蘇っただけ。時々、その日の夜を夢に見て怖くて飛び起きる事もある。死に直面する怖さ。だけど、俺もお前も人間なんだ」
「ジュエルシード、まさかそこまでの力が。いや、俺の調査では。まさか奴のが特別なのか? 欲しい、新しい命……運良くだと、人の努力をあざ笑うように。ならその命を寄越せ!」

 カズキが語る言葉は、攻爵に欠片も届いてはいなかった。
 攻爵の瞳に映るのは、カズキが偶然得た新しい命のみ。
 あまりの興奮にさらに吐血し、よろけた体を花房の茨の蔓に支えられつつ手を伸ばす。
 それを寄越せと、状況を忘れて血と声を混じり合わせながら叫んだ。

「花房、鷲尾。コイツのジュエルシードを奪え、特別なそれを!」
「だから死んでもやっちゃいけない事と、死んでもやらなきゃいけない事があるんだ!」
「Explosion」

 お互いに言葉と意志がすれ違いながら、カズキと攻爵が叫びあった。
 そしてカズキの手にするサンライトハートが、ありったけのカートリッジを消費する。
 一発、二発、まだ三発、四発目と。
 その度にカズキの体には過剰とも言える魔力が補充されては変換し、エネルギーと化す。
 まるで燃える太陽のように、カズキの体がサンライトハートごと輝いた。

「鷲尾、聞いての通り。創造主が望むままに、坊やの命を貰い受けるよ」
「創造主の為に、新たなる命を!」
「させるか、レヴァンティン!」
「Explosion. Schlangeform」

 シグナムの目の前から、突如として鷲尾が急降下を始めた。
 狙いは地上の花房と上空からの鷲尾の急襲、同時攻撃によるカズキの撃破だろう。
 このままではカズキの死は絶対。
 すんなりとシグナムがソレを許すはずもなく、背を向けた鷲尾は隙だらけでもあった。
 レヴァンティンを連結刃へと変え、鷲尾を背中から斬りつけた。

「ぐぉ、だが……これしきの事!」

 片腕と片翼を砕かれ失いながらも、鷲尾は執念で勢いを失わなかった。
 上空よりの急襲で、既にあとは落下するのみであった事もある。

「カズキ!」

 仕留めそこない、逃げろという意味を込めてシグナムがその名を叫んで呼んだ。
 だがカズキは仮にその言葉が耳にはいったとしても、逃げるつもりはなかった。
 攻爵に死んでもやっちゃいけない事があると語ったように、自分に死んでもやらなくちゃいけない事があると言い聞かせていた。

「死ね、坊や!」
「簡単に人に死ねとか言うな!」
「Sonnenlicht clasher」

 叫んだ花房へと向けて光の帯となってカズキが飛び出していった。
 だがその瞬間、花房は掛かったと笑みを深めていた。
 カズキの目の前に、茨の網が今度は二重、三重にまで重ねられた状態で張られたのだ。
 これで一瞬でもカズキが動きを止めれば、上空からの鷲尾が仕留める。
 花房の笑みは、そんな目論見を持ったが故のものであった。
 そして狙い通り、一度飛び出しては方向転換ができないカズキが、茨の網へと突っ込んだ。
 茨の網を極限まで引っ張るも、後一押しが足りない。

「その命、創造主の為に貰った!」
「吹き飛ばせ、サンライトハート!」
「Explosion」

 上空から伸びた鷲尾の爪すら、カズキは見てはいなかった。
 確かに隙はできたがそれも刹那の間。
 さらにサンライトハートがカートリッジを消費して、最加速。
 茨の網を突破し、鷲尾の爪は空を切り、僅かにカズキの騎士甲冑を裂くのみに終わった。

「創造主、離れ。ぐぎゃぁッ!」

 そのまま花房の中心を穿ち、後方の木々までもをなぎ倒し突き進んだ。
 ようやく勢いが止まったのは十数本という木を斬り裂き破壊してからの事である。
 カズキは垂直に跳躍して飾り尾を爆発させ、さらに二段ジャンプを行った。
 目指したのはもう一匹のホムンクルスである鷲型の鷲尾。
 逆に上空より強襲し返すが、相手はシグナムも認めた野性の武人である。

「この私の上を行くとは見事だ。だが迂闊、そこは私の領域だ!」
「サンライトハート!」
「無駄だ、片翼と言えど私が風を読み違えるなど」
「Sonnenlicht flusher」

 カズキが真下に照らした閃光が、鷲尾の瞳を貫いていく。
 風読みを過信し過ぎたのが鷲尾の敗因でもあった。
 眼を焼かれ、本能的に庇おうと腕が意志に反して動いては風を読んでも無意味だ。
 慌てて腕を振り払おうとするも、カズキの方がほんの少しだけ早かった。

「うおおおおおッ!」

 体重と重力、そして腕力を加えた渾身の一撃。
 近付いて思い切り叩き斬れという当初のシグナムの指南を実戦した結果でもあった。
 見事に鷲尾のもう片方の腕をも斬り落とし、二体のホムンクルスを無力化させていた。
 だが連続でカートリッジを消費したカズキも、ただではすまなかったようだ。
 呼吸は乱れに乱れ、喉を通る空気がひゅうひゅうと鳴っている。

「カズキ、褒めてはやりたいが無茶をし過ぎだ。死にたいのか」
「死にたく、な」
「当たり前の事に返答をするな。ほら、しっかり立て」

 シグナムに支えてもらわなければ、まだ完全にホムンクルスを殺したわけでもないのに倒れこんでいた事だろう。
 乱れた息を飲み込み、渇いた喉は唾で潤し、カズキは攻爵を見た。
 今度こそ本当に信じられないものを見たとばかりに、カズキを見ている攻爵を。

「鷲尾、花房」
「創造主、ここは私に任せてお逃げください」
「創造主……申し訳ありません」
「そんな言葉が何になる。立って戦え、目的を果たせなければお前達はただの役立たずだ!」

 自らが半死の状態でも創造主たる攻爵の安否を気遣っても、返って来たのはそんな無情な言葉である。

「己の為に戦った戦士に対し……見下げ果てた奴だ」
「待ってシグナムさん」

 今ここで斬り捨ててやろうかと言いたげなシグナムを、カズキが止めた。

「蝶野、生きろ」
「なに!?」
「今まで犠牲にした人達にちゃんと償って、それから命が終わる最後まで生きろ!」
「くっ、まともに生きられないからこそ俺は……偽善者め。俺が一番嫌いな性格だ」

 カズキの何処までも真っ直ぐで綺麗過ぎる言葉を前に、攻爵は強く歯噛み睨んでいた。
 悔しげに呟いた通り、まともに生きられる命なら最初からそうしていると。
 もちろん、命が終わる最後まで生きるという点においてだけ。
 目の前に立ち言葉を交し合っても互いの胸には響かないでいた。
 むしろ、言葉を交わし合う程に憎しみが増すように睨み合い続ける。
 何時までも、そんな時間が続くかと思われたが、それは唐突に終わりを見せた。

「あ、あれ……」
「おい、カズキしっかりしろ!」

 ついに力尽きたように、カズキが膝から崩れ落ちてしまったのだ。
 支えていたシグナムも、突然の事で体を引っ張られ体制を崩してしまう。

「創造主をやらせはせん!」

 その隙をついて、鷲尾が二人に体当たりを仕掛けてきた。
 両腕と片翼を失い、残る翼一枚で勢いをつけ。
 玉砕覚悟のそれは思いのほかに効力を発揮し、カズキもろともシグナムまで吹き飛ばされた。

「花房、主をお連れしろ」
「待て、アジトが割れている以上逃げられると」

 カズキを心配しつつレヴァンティンを手にしたシグナムが、逃がしてなるものかと声を上げる。
 だが一度機を逃すと、それは何処までも響いてくるらしい。
 花房が茨の蔓を伸ばして攻爵を引き寄せ、地面の中へと潜ったその時、念話妨害が途切れた。
 だが今さら援軍も何もあったものではなかった。
 シグナムはもちろん追撃を選択していたが、念話は何もこちらからの一方通行ではない。

『シグナム、良かったやっと繋がった。はやてちゃんが、急いで戻って。はやてちゃんが倒れたの!』
『お前が手を組んだってテスタロッサって奴のせいで、もう二時間も三時間も意識がもどらねえ。お前、こんな時に何やってんだよ!』
『およその見当は付く、だができれば直ぐにでも戻って欲しい。頼む、シグナム』

 届いた念話は、主の危機を知らせる火急の知らせである。
 しかも喚く言葉から察するに、フェイトがはやてに近付き何かを仕出かしたらしい。
 一体何がどうなっていると考えてしまい、我に返った時には全てが遅かった。
 攻爵を連れた花房は地中へと消え、鷲尾も方翼ながら飛べたのか姿は見えない。

「くそ、後一歩の所で。いや、悔やんでいる暇は……カズキ、立てるか。すまないが、長居はできそうにもない」
「何かあったの? ごめん、少し立てそうにない」

 念話はあくまでヴィータ達がシグナムに向けたもので、カズキには届いていない。
 これをどう説明したものか、焦りからか中々言葉が見つからなかった。
 そこへ天の助けとでも言うべきか、なのはとユーノからも念話が入ってきた。

『シグナムさん、はやてちゃんが倒れたって。皆、シグナムさんに連絡が取れないって何かあったんですか!?』
『皆、病院に集まってます。できれば急いでください』

 それを聞いてカズキも顔色を変えたが、疲労困憊の体を覆すまでには至らなかった。
 むしろ、重傷者はここにもいた。

「シグナムさん、先に行ってて。俺は後から行くから、大丈夫。残念だったけど、蝶野達は退いたみたいだし」
「ええい、煩い。見習いが生意気にもベルカの騎士たる私に命令するな。ひよっこの一人ぐらい、なんとでもなる」

 本来ならばカズキを見捨ててでも、駆けつけるべきだったのだろう。
 だが何故か今のシグナムにはそれを選択する事はできなかった。
 以前カズキ達に語った己の一番がはやてである事には間違いない。
 カズキの容態よりも、はやての容態をより気にしているのも。
 それでもカズキを見捨てる選択肢は現れず、カズキに背を向けてしゃがみ込んだ。

「負ぶされ、カズキ。反論は聞かん。私は急いでいる」
「え、でも……それは、色々と問題が」

 気弱なカズキの反論は、もちろん黙殺された。
 そしてカズキは街中をシグナムに背負われながら強行軍する事になった。









-後書き-
ども、えなりんです。

あと一歩のところで水入り。
そして原作とは異なり、カズキが背負われる側にw
まあ、転移魔法もありまうし、商店街や駅までってのはないですが。

他に、蝶野の背景も原作と異なっています。
病気発覚後、蔵に監禁されました。
明らかな他殺を避ける為に、多少不自然でも病死するように。
んで、その地下で蝶野は色々とみつけた感じです。

それでは次回は土曜日です。



[31086] 第十四話 私だって魔導師です
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/02/18 19:52

第十四話 私だって魔導師です

 倒れたと聞かされたはやては、見た限りでは元気一杯であった。
 白く四角い病院の部屋に押し込まれているのが不思議なぐらいに。
 遅れて駆けつけてきたカズキとシグナムの前で、今も身振り手振りを交えていた。
 ベッド脇のパイプ椅子に座るシグナムも、まひろを膝に乗せたカズキもうんうんと頷く。
 シャマルは担当医と話しているが、なのは達や岡倉達もほっとした表情で壁際に立ち聞いていた。

「本当、皆大げさなんやから。地面に手を伸ばしたから、ちょっとくらっとしただけやのに。貧血かなにかやて」
「素人の勝手な自己判断は危険だ。それに何時間も目覚めなかったんだ、ちょっとじゃないぞ」
「だな、他にも大勢商店街の人達も倒れたらしいし。大騒ぎだ。警察も、廃工場の件から大忙しだな」
「検査結果はまだだけど、元気そうで本当に安心したよ」

 気楽そうなはやての言葉に対し、六桝や岡倉が注意し、大浜がほっと胸を撫で下ろしていた。

「六桝さんの言う通りだよ。はやてちゃんが倒れたって聞かされて、心臓が止まっちゃうかと思った」
「ま、こうして元気してるみたいだいし。取り越し苦労でよかったけど」
「うん、ごめんな。特にシャマルが取り乱して、あちこち連絡してもうたみたいで」

 すずかやアリサの言葉にはやてが謝り、そうだと言いたげにヴィータが言った。

「後でシャマルの奴をからかってやろうぜ。絶対、だってだってって言い訳するぜ」

 とても珍しいぶりっ子声で、あまり似てないシャマルの真似を披露した。
 両手を軽く握って胸元に持ち上げ、体ごと顔を振ったりとジェスチャーも交え。
 きっとシャマルはシグナムがおらず、年長者として毅然とした行動を取ろうとしたのだろう。
 だが決心とは裏腹に行動が伴なわず、あげく慌てふためいて涙目に。
 そんな様子がありありと思い浮かべられ、病室の中が笑い声で満たされていく。

『まずは一安心みたい。シグナムさん、カズキさんごめんなさい。駆けつけられなくて』
『気にするな高町。お前は知らなかった事だ。それで、テスタロッサはどうした?』
『わざとじゃ、ないと思います。だけど、特にヴィータちゃんがなじっちゃって、家族だから当然かもしれないけど。泣きそうで、居た堪れない顔で何処かへ』
『ヴィータは時々、はやての為に周りが見えなくなるからな』

 そもそも、目の前に転がってきた石をジュエルシードと気付けなかった落ち度もある。
 ヴィータ自身、フェイトだけでなく自分を責めた部分もあるだろう。
 だが気付けなかったという事は、ちゃんとそれは封印されていたという事だ。
 恐らくは本当にフェイトはジュエルシードを落としただけ。
 元々声を掛けたのもはやてが先で、最初からその気なら姿そのものを見せるはずもない。

『主はやてが無事で安心したが……』

 念話の中でシグナムが口ごもり、カズキは夜を迎えた窓の外を眺めた。
 あの山中での死闘の終わりから、既に二時間は経過している。
 あまり時間を空けては逃げられる上に、必死に与えた傷を癒す時間も与えてしまう。
 だがはやてが倒れたこの状態でシグナムに、今がチャンスだとは言い出せない。
 シグナムの一番は、家族であるはやてなのだから。

「シグナムちょっと良い?」

 その時、担当医との会話で何かあったのかシャマルが病室のドアを開けた。
 途端に皆から指差されて笑われ、おろおろと誰にともなく尋ね始める。

「え、え? なんですか、私なんで笑われてるんです!?」
「なんでも、なんでもあらへんよ。シャマル、ぷふ。やっぱなんでもあらへんことないわ」
「だって、だってぇ」
「や、止め……なさいまひろ。お腹、お腹痛い」

 はやての言い訳も、ヴィータに続きまひろの声真似で無意味と化した。
 ひいひいとお腹を押さえながらアリサが叱るも、声が笑っていては意味がない。

「もう、なんです。皆失礼です。それに病院ではお静かに」

 最初は戸惑っていたシャマルも、次第に頬を膨らませるが返って逆効果。
 お前一体幾つだ、見た目と行動がミスマッチだろうとさらにツボに入った。
 一部、別の意味でツボに入った者達もいたが。

「やばい、完全に惚れた。可愛過ぎるだろ、シャマルさん。お前もそう思うだろ、大浜」
「え、あ……うん。そうだね。はは」
「確かに、声真似をしたヴィータちゃんとまひろちゃんも可愛かったがな」

 壁の方を向いて岡倉が鼻血を耐え、六桝の突っ込みに近い言葉に大浜がビクリと震えた。
 そんな一部特殊な大浜はさておき。

「お前達、それぐらいにしておけ。周りの部屋にも迷惑だ。それに、もう遅い。岡倉、お前達はアリサ達を送っていってやれ」
「へーい、まあ元々そのつもりっすよ」

 これでは本当に周囲の部屋に迷惑だなと、シグナムが注意をして帰宅を促がした。
 そのままシグナムはシャマルと共に行ってしまう。
 だが既に夜も襲い事を考えると、八神家以外の人間は帰るべきであった。
 皆が帰り支度を始める中で、なのはが伺う様にカズキに念話を飛ばしてきた。

『カズキさん、どうしましょう? 創造主さんの事』

 どうもこうも、取るべき行動は最初から決まっている
 だがシグナムは、はやての事で身動きが取れない状況だ。
 ならばなのはやユーノを連れて行けるかと言えば、カズキは素直に考えられなかった。
 一種の魔力災害であるジュエルシードの封印はまだしも、ホムンクルスとの戦いは純粋な命のやりとり。
 そんな場所に幼い二人を連れて行って良いものか。
 カズキの中でなのはは、まだ自分が守るべき幼い少女に過ぎなかった。

『シグナムさんが出向けない以上、俺達だけじゃ危険だ。せめてもう一日、様子を見よう』
『そうですね、私一度フェイトちゃんとしっかりお話したいですし』

 まひろを抱き上げながら、なのはの頭に手を置いて微笑む。

「なのはちゃん、じゃなくても良いんだけど。今夜誰かまひろを預かってくれない?」
「お兄ちゃん、お家に帰らないの?」

 突然のカズキの言葉に誰よりも驚いたのは、当の本人であるまひろであった。
 何時ぞやの夜を思い出したのか、じわりと瞳に涙が溜まり始める。
 違うともそうだとも言えず、まひろをあやしながらカズキは続けた。

「ほら、はやてちゃんの家は女手ばかりだし、男手があった方が便利かなって。俺も頼んでしばらく病院に居させてもらおうかなって」
「確かに、シグナムさんもシャマルさんも大人だけど女の人だし。なら、私がまひろちゃんを預かります」
「あ、ずるいわよすずか。私も良いわ」
「私も、なのはの家もたぶん大丈夫。というか、皆喜ぶと思う」

 すずかに続き、アリサがさらにはなのはも立候補の声を上げた。
 大人気のまひろではあったが、本人はカズキに縋りついてその胸に顔を埋めている。
 まるで幼子がぐずるような様に、勘が鋭いとカズキは苦笑してしまった。

「それなら、私の家で預かっといてやるよ。家と病院を往復するかもしれねえし、時々顔を見せてやればまひろも満足だろ?」

 最後に立候補の声を上げたのは、驚くべき事にヴィータであった。
 しかも中々に説得力のある言葉付きであり、なのは達が歯噛み悔しがっていた。

「ヴィータずるい。私のおらん所で、まひろちゃんとお泊り会やなんて」
「そう思うんなら、さっさと治しちまえよ。それからなら、幾らでもお泊り会でもなんでもできるさ」

 何やらお姉さんぶってヴィータがはやてをあやし、決まったようだ。
 なおも離れようとしないまひろをなんとか引き剥がし、ヴィータに預けた。

「それじゃあ、俺先に行ってシグナムさん達に伝えてくる。時間掛かるかもしれないし、皆は帰っててくれ」
「おう、夜中に騒いでシャマルさんに迷惑かけんなよ」

 岡倉の忠告に手を挙げたカズキは、飛び出すように病室を出て行った。
 そして足を向けた先は、はやての担当医がいるであろう部屋ではない。
 最初からそんな部屋を知らなかったという事もある。
 だがカズキは迷わず足を進めて階段を飛び降り、目指したのは病院の裏口であった。
 皆が帰るであろう玄関ではなく、裏口から外へと出ていく。
 だが一度だけ、はやての病室があるであろう窓を見上げてカズキは立ち止まる。
 なのはやまひろに嘘をついた事、勝手な行動をする事をシグナムにごめんと呟いた。

「全く、お前は本当に嘘が下手だな」

 だがそんなカズキの行動とは裏腹に、裏口の門に背を預けたシグナムがいた。

「カズキさん……やっぱり一人で、行くつもりだったんですか?」
「僕が言える言葉じゃないけど、無謀過ぎる」

 そしてカズキが出てきたばかりの裏口には、ユーノを肩に乗せたなのはがいた。
 一体何時どのようにしてバレたのか。
 なのはなどは、まひろのお泊りに対して立候補までしていたと言うのに。
 カズキは赤毛でお下げの小さな女の子が密通者であると、思いもよらない事だろう。

「でも、蝶野の他にホムンクルスは怪我を負った二体だし。俺一人ででも」
「違うだろう? 実際に戦ってきたお前が、ホムンクルスの強さを侮るものか」
「カズキさん、私だって魔導師です。そりゃ、ホムンクルスは怖いです。できるなら戦いたくもない、けど私には力があるから。戦わなければいけないんです!」

 そんななのはの言葉は、奇しくも夕刻に蝶野へとカズキが答えた言葉そのものであった。

「けど、なのはちゃんはまひろと同い年で小さくて。俺が守らなきゃいけない子なんだ」
「カズキ、お前の戦う理由が守りたいという気持ちに起因している事は知っている。だがな、その気持ちを押し付けるな。戦おうとする者の気持ちを押さえつければ、それは既に優しさではない。ただの傲慢だ」
「カズキさん、なのはの事は僕も守ります。だから、なのはを連れて行ってあげてください」
「お願いします、カズキさん!」

 シグナムに諭され、ユーノやなのはの懇願を受け、カズキの首が縦に折れた。
 もちろん、完全に納得できていたわけではない。
 だが傲慢と言われ、かつて自分が無理やりシグナムにくっ付いて戦うと言った事を思い出したのだ。
 シグナムはその時、カズキの言葉を最終的には受け入れてくれた。

「分かった、でも無茶は絶対にしないで」
「それはこっちの台詞です。病院にボロボロで現れて、まひろちゃんが離れなかった理由はそこにもあるんですよ。お兄ちゃんなんだから、しっかりしてください」
「はい、すみません」

 一転して立場が逆転してしまい、素直に謝るしかなかった。
 そんなカズキの目の前に、鎖の付いた剣を模したペンダントが放り投げられた。

「カズキ、これを持っていけ」
「これって、レヴァンティン?」
「お前達が考えていた通り、私は今はやての傍を離れるわけにはいかない。これは何があっても曲げられん。私の代わりにレヴァンティンを連れて行け、そして必ず返しに来い」
「うん、分かった。絶対に返しに来る。約束だ」

 受け取ったレヴァンティンのネックレスを、カズキが首に下げた。

「行こう、なのはちゃん。ユーノ君も、蝶野の家まで案内する」
「はい、行って来ますシグナムさん。絶対に勝ってきます」
「こちらの事は、僕らに任せてください。はやて、具合が良くなると良いですね」

 三人とも死闘が待ち受けているのにも関わらず、悲壮な表情は欠片も浮かべてはいなかった。
 特にカズキは痛がりで怖がり、なのはは泣き虫で怖がりだというのに。
 その背中が小さく、姿が見えなくなった頃にシグナムは思い切り鉄の門を殴りつけていた。
 病院の裏庭である為に、一際静寂を保っていた夜に痛々しい音が響く。

「この私が、未熟な騎士や魔導師を見送る事しかできないとは……」

 本来ならば自分があの幼い戦士達を導くべきで、身動きの取れない自分が不甲斐ない。
 だが自分の一番であるはやてを放っておけるはずもなく、苛立ちばかりが心に募る。
 聖王でも神でも何でも良いと、祈らずにはいられなかった。

『頼む、テスタロッサ。答えられないのなら、それでも良い。だからカズキと高町、ユーノに手を貸してやってくれ』

 そして、その二つよりも現実的な考えとして、居場所の分からない少女に対し念話を飛ばしていた。









 蝶野邸へと急ぎ、人通りの絶えた住宅街をカズキ達は駆けていた。
 それはカズキが一人空を飛べない事もあったが、一番の理由は別にあった。
 空を自分の領域だと豪語する鷲尾の存在である。
 急ぎたい気持ちは当然あったが、空を飛んで行くのは危険すぎた。
 だが魔法を抜けば小学生でしかないなのはが、カズキのように長くは走れない。
 結果として、なのはは白のバリアジャケット姿で駆けていた。
 多少人の目に触れる危険はあったが、常に臨戦態勢でなければ遅れを取る。
 カズキも学生服にしか見えない騎士甲冑を着て、なのはの二歩三歩先を走っていた。

「止まって」
「どうしたんですか? 創造主さんのお家は、まだ先だって」

 そのカズキが立ち止まり、腕をなのはの前に出して足を止めさせた。
 蝶野邸はまだ二キロ近く先で、今走っている道路を真っ直ぐに進んだ所にあった。
 点々と街灯だけが続いている光景だけが、暗闇の奥まで二人を出迎え続けている。
 だがその普通の夜にしか見えない光景の中に、カズキは違和感を感じていた。
 何か別の物が息づく、化け物が近くに潜む感覚、気配を。

「なのはちゃん、ちょっとごめん!」
「え、ひゃっ」

 なのはを荷物のように小脇に抱えたカズキが、大きく後ろへと跳んだ。
 直後、アスファルトにひびが入り、隆起する。
 ついには硬いアスファルトを砕きながら、茨の蔓が襲いかかってきた。

「サンライトハート!」
「Ja」

 一本一本が意志のあるように襲い来るそれを、カズキが薙ぎ払う。
 回避に成功し、ほっと息をつく間もない。
 なのはを抱えて宙に浮かぶ二人と一匹に、さらなる上空より叩きつけられた風圧。
 先程は気付きもしなかったなのはにさえ分かる程に、強烈なものであった。

「なのは、上。来るよ」
「レイジングハート、お願い!」
「Devine Shooter」

 カズキに抱えられながらレイジングハートを上へと向ける。
 桃色の魔法陣が足元に広がり、魔力を形にした魔力球が四つ生み出された。
 風圧に蹴散らされぬよう、不規則な弾道を描いて飛んでいく。
 暗闇の中で鷲尾の姿は視認が難しいが、広げた翼は余りにも大きかった
 僅かな星明りにも浮かび上がる金属光沢、それに向かいなのはの魔力球が襲いかかる。
 だが鷲尾は自分に襲いかかる魔力球を前に、身動き一つ見せない。
 ただただ、一直線に獲物であるカズキ達へと向かってきていた。
 何かがおかしい、そうカズキ達が感じたのは間違いではなかった。

「この程度の攻撃、私が生きてきた空の強風や暴風にすら遠く及ばぬ!」

 そう叫んだ鷲尾の額、章印の上にとある輝きが浮かび上がった。
 淡く青い光の中に刻まれた赤い数字の刻印。

「あれは、間に合うか。結界!」

 攻撃を加えた側であるにも関わらず、なのはの肩にいたユーノが魔力障壁を張った。
 球体状に広がった若草色の輝きが、三人を包み込んだ。
 その障壁越しに見えたのは、なのはの魔力球が直撃した光景。
 だが舞い上がる爆煙の中から間髪居れず、鷲尾が飛び出してきた。
 地面に対し垂直に滑空する鷲尾の正面には、赤茶色の光の魔法障壁があった。
 ジュエルシードとホムンクルスの融合体。

「Protection」

 なのはが感じた恐怖を受けてか、さらにレイジングハートが魔力障壁を重ねた。

「喰らえ、魔力により更に強力になった私の武器を!」

 若草色と桃色、二重の魔力による障壁へと鷲尾がその豪腕を振るう。
 金属光沢を見せる銀色の輝きに、赤茶色の魔力光が重なった。
 翼による加速さえも加え、ユーノの分の障壁に大きくひびが入る。

「ここから先には絶対に!」
「行かせない!」

 鷲尾ばかりに気を取られていたが、地下から強襲してきた花房もいたのだ。
 だがその声は余りにも近くはなかっただろうか。
 二重の魔力障壁の中から振り返って見たのは、空に足をつく花房である。
 風にたなびく黒髪の隙間から額の章印の輝く青と赤の光は、ジュエルシードであった。

「鷲尾だけじゃなく、花房まで。蝶野の奴、ジュエルシードを一体幾つ持ってたんだ!?」
「創造主の存在に気付いただけで……気安くその名を呼ぶな。汚らわしい!」

 花房の手を離れた茨の蔓が巨大な輪となり、障壁ごと取り囲んだ。
 カズキ達を守るのは、今にも破られそうなユーノの障壁とその内側にあるなのはの障壁。
 守るだけではきっと、無事では済まされない。

「二人共、ちょっと我慢して。サンライトハート、エネルギー全開!」
「Expolosion」

 サンライトハートの柄の根元の部品がスライド、不要となった薬莢を吐き出した。
 カートリッジから供給された魔力を受けて、飾り尾がバチバチと弾ける。
 そしてあろう事か、カズキは必死に障壁を維持するなのはを真下に放り投げた。
 なのはの肩の上にいたユーノもろとも。
 当然ながら集中力が乱され障壁は突破されるよりも先に消失してしまった。

「カズキさん!」
「カズキ!」

 投げ飛ばされた二人は辛くも窮地から脱したが、カズキにホムンクルス二体の攻撃が迫る。
 不意打ちに始まり三人が攻撃を受けるよりはと、ある意味で最善の行動であった事だろう。
 ホムンクルス二体も、まずは一人目と笑みを浮かべていた。
 多方面からの同時攻撃、サンライトハート一本のカズキではどうあっても対処不可能。
 実際、鷲尾の爪に合わせカズキがサンライトハートを突き受け止めるも、花房の茨によるバインドへの対処が出来ていない。
 だがカズキの目は、諦めたわけでも、攻撃を受ける事を覚悟したわけでもなかった。

「サンライトハート、弾けろ!」
「Jawohl」
「馬鹿の一つ覚えね、坊や。鷲尾の一撃がその程度で、なに!?」

 花弁を吹き飛ばされた事を思い出したのか、怒りを込めて叫んだ花房の声色が変わる。
 カズキの魔力変換資質により、魔力が閃光となって弾け跳んだ。
 確かに、その一撃では鷲尾の一撃を相殺するので精一杯。
 だがそもそもカズキが狙ったのは、攻撃そのものではない。
 エネルギーの爆発による爆風、それによって自分自身が吹き飛ばされる事であった。

「ぐぁっ……」

 辛くも鷲尾の渾身の一撃から逃れ、さらには花房の茨の輪からも抜け落ちた。
 大嫌いな痛みは今だけは忘れようとして、必死にサンライトハートを操った。
 アスファルトに激突する直前で今度は、真下に弾けさせて加速を相殺。
 なんとか地面に足を着いたものの、ダメージは決して小さくはなかった。

「カズキさん、大丈夫ですか!?」
「大丈夫、平気。それに、そんな悠長な事は言ってられない。まさか、こんな事になるなんて。俺が甘かった。後は蝶野だけだと思ってたのに」
「カズキのせいじゃない。誰もジュエルシードとの融合を、完成させているなんて。けど……」

 駆け寄ってきた二人の前で、後悔するようにカズキが呟いていた。
 蛙井の件は、地下で息を潜めていた花房が感づいていたはず。
 ならば追い詰められた蝶野が、貴重なジュエルシードを与える可能生だってあったはずだ。
 ホムンクルスとしては並みの蛙井でさえ、ジュエルシードと融合して果てしなく強くなった。
 しかも先程の二体の魔法陣を見る限り、魔法と言う技術を理解している節がある。
 シグナムを欠いた状態で果たして倒す事ができるのか。

「あのいけ好かない女はいないようね。どういう理由かは分からないけど、好都合。お前達にはここで死んでもらうわ」
「行く事も退く事も許さん。今貴様達を逃がせば、必ずや創造主の憂いと」

 そう死の宣告を告げた二体のうち、鷲尾が突然言葉を途切れさせた。
 ホムンクルス化させた片方の腕で、庇ったのは先程カズキを攻撃した腕であった。

「鷲尾?」

 不審に思った花房が話し掛けたその時、鷲尾の腕に大きくひびが入り始めた。
 土くれの銅像が乾いてひび割れるように、金属質の腕が見事に瓦解していく。

「これは、一体……先程のぶつかり合いは互角。何故私のみが!」
「やっぱり……元々、ホムンクルスとジュエルシードの融合なんて無茶だったんだ」

 眼を白黒させて崩壊していく腕をおさえて鷲尾が呟く。
 その茫然とした呟きに答えを出したのが、最初からいぶかしんでいたユーノであった。
 恐らくはこの場で、ユーノが一番ジュエルシードに詳しい。

「ジュエルシードは次元震さえ引き起こす、最悪の器。幾ら人間離れしたホムンクルスでも、制御なんてできやしない。君達は、元々魔力がなかったから猶予があったに過ぎない。いずれ、空気を注ぎ込み過ぎた風船のようにいずれ破裂する」

 ユーノの指摘に、花房と鷲尾が顔色を変え、己の身より創造主を案じ始めた。

「破裂……では創造主は、いけない。この事を知らないのならば、創造主を止めないと」
「花房、この場を任せる。私は創造主の元へ」
「行かせない、レイジングハート!」
「Divine shooter」

 崩壊する腕を放置し、空へと飛び立とうとした鷲尾。
 その頭上から回りこませた魔力球をなのはが素早く叩き込んだ。
 咄嗟の事で障壁も間に合わず、地面に叩き落された鷲尾の腕が根元から折れた。

「ぐぉ、貴様達……邪魔をするなぁ!」
「カズキさん、急いで創造主さんのところへ行ってください!」
「二人の様子から察するに、創造主は自分をホムンクルス化してジュエルシードを取り込むつもりです。でも結局待っているのは死です。急いで!」

 なのはもユーノも知らぬ事だが、蝶野は生きる為にホムンクルス化するつもりである。
 それが逆に寿命を縮める事になるとは、なんたる皮肉か。
 早く行って止めなければ、蝶野は人として死ぬ事さえできなくなる。
 カズキもそれは分かっていたが、目の前には死に掴まりながらも依然として強力なホムンクルスがいた。

「鷲尾ここは私に任せて、急ぎなさい!」

 迷い動く事ができないカズキの前に、自分の背中を見せつけるようになのはが進み出た。

「レイジングハート、お願い力を貸して。カズキさんが安心して前に進めるだけの力を」
「Shooting mode」

 なのはが空高く掲げると、レイジングハートが宝玉を輝かせそれに応えた。
 鍵爪型の杖の先端が分解し、真紅の宝玉はそのままに新たに再構成される。
 槍のようにJの字の形へと金属部分が変わり、柄の一部が開き、魔力の羽が噴き出した。
 桃色の魔法陣がなのはの足元へと浮かび、杖の先端を周回するように帯状になった。
 なのはの才能が今ここで開花したように、魔力が集束していく。

「カズキさん見てください。私は守られるだけじゃない子だって、戦えるってところを」
「Divine buster」

 レイジングハートの呟きをトリガーにして、それは放たれた。
 カズキのサンライトハートの閃光に勝るとも劣らない、魔力の奔流。
 砲撃のようなそれが、アスファルトや民家の塀を砕きながら鷲音花房へと襲いかかった。

「暴風、私ですら見た事のない。荒々しい息吹だと!?」
「躊躇している暇はないわ。全力で防がないと、創造主に危険を伝える事さえ!」

 鷲尾の魔力光である赤茶色、花房の魔力光である真紅。
 二つの魔力が障壁をそれぞれ作り出し、二重の堅固な魔力障壁となった。
 その上からなのはの砲撃は直撃し、華々しく火花を散らしながら食い破ろうとする。

「行ってください、カズキさん。私は絶対、負けません!」
「分かった、蝶野を捕らえて直ぐに戻ってくる。任せたよ、なのはちゃん。ユーノ君も」
「なのはは、僕がきちんと守ります。急いでください、もしもこのままジュエルシードが暴走したら、三つも同時には防げません」
「絶対に間に合わせて見せる。約束だ!」

 なのはの強力な砲撃を見せ付けられ、ようやくカズキも決断を見せた。
 この場をなのはとユーノに任せると。
 空高く跳躍すると、サンライトハートのエネルギーの爆発を利用して擬似的に飛んでいく。

「奴だけを行かせるか。花房、この場を」
「行かせません、レイジングハート」
「Full power」

 さらに魔力の放出量を高め、ついにはなのはの魔力光が周囲一体を覆い包みこんだ。
 その閃光が収まり、魔力の奔流が過ぎ去った後に残されたのは破壊の跡であった。
 蝶野邸へと続く一本道を抉り砕いて、夜の闇の向こうの彼方にまで。
 魔力障壁を破壊された鷲尾と花房は、十数メートル後退させられた場所で倒れていた。
 だがまだ意識はあるようで、ところどころにひびが入った体で立ち上がろうとしている。

「先を越されたばかりか、このような未熟な相手に何たる不始末」
「可愛い子は嫌いじゃないけど、残念だわ。お姉さんが綺麗に食べてあげる」

 しかも無視してカズキは終えないと判断したのか、戦意は寄りましているようであった。

「ユーノ君、頑張ろう。カズキさんが行っちゃった今だから言うけど、本当は凄く怖い。けど、二人ならなんとか我慢して戦える気がする」

 新たな形態を手に入れたレイジングハートを手に、なのはがぎこちなくだが笑みを浮かべた。

「うん、僕ももう省エネなんて言ってられない。ここからは本気で全力、またしばらく療養の毎日かもしれないけど、それぐらいの代償でなのはを守れるなら」

 なのはの言葉を受けて、肩からユーノが降りた。
 その小さな体は若草色の光に包まれて、どんどん大きくなっていく。
 突然の事で驚くなのはの目の前で、本来のユーノ・スクライアの姿となる。
 十歳前後の人間の男の子、一ヶ月と少しの間ぶりであった。

「え、へっ……えーッ!?」
「なのは、驚くのは後。来るよ!」

 確かに聞きたい事は色々あったが、そんな場合ではない。
 すぐさま意識を切り替えて、なのははレイジングハートを構えた。

「その暴風、必ず私の翼で読みきって見せる。そして創造主の下へ」
「創造主、必ずこの子達の首を持って貴方の下へ参上しますわ」
「なのは、砲撃は威力はあるけど隙が大きい。狙う時は気をつけて、必ず僕がそばにいる時だけにして」
「分かった。砲撃を撃つ時はユーノ君と一緒。そうだよ、一緒に戦おう」

 飛び掛ってきた二体のホムンクルスへと向けて、なのはが魔力球を飛ばす。
 それを鷲尾が片方の腕で斬り裂くも、ピシリと小さなひびが入る。
 構わず突撃を仕掛けてきた為、ユーノがなのはを庇うように前に飛び出した。
 ユーノの渾身の障壁の前に鷲尾の爪が立てられるが、今度は小さなひびが入るのみ。

「花房!」
「ええ、分かっているわ」

 無理をすれば体の崩壊が早まると、鷲尾が後方の花房へと叫んだ。
 その花房が、両手から伸ばした茨を地面へと突き刺した。

「ユーノ君」
「分かってる。二度目はない」

 足元からの茨の蔓の攻撃、一度見ていれば花房の動作から予測は可能。
 二人同時に空へと舞い上がった直後に、地下からアスファルトを砕いて茨の蔓が現れる。
 だが既に二人は空の上で空を切った。
 チャンスだとばかりになのはがレイジングハートを花房へと向けた。
 攻撃直後の間と、物理的な距離。

「レイジングハート、砲撃お願い」
「Divine」
「なのは、駄目だまだ早い!」

 ユーノが叫んだ通り、隙が出来たと言っても敵は花房だけではないのだ。
 その証拠に、地上にいるのは花房のみ。
 二人が退避したと同時に、鷲尾もまた空の何処かへと飛び上がったのだ。
 一体何処にとユーノが辺りを見渡すも、その姿は闇に紛れて完全に姿を消していた。
 その間にも、なのはは砲撃の為の魔力を溜め続けていた。

「なのは待って。絶対に撃った瞬間、鷲尾が攻めてくる」
「大丈夫、なのはを信じてユーノ君。ディバイーン」
「Buster」

 地上にいる花房へと向けられたレイジングハートの先端。
 なのはの足元には魔法陣が浮かび上がり、魔力が集束して発射される。
 その瞬間、なのはとユーノを鷲尾の風圧が横薙ぎに襲いかかった。

「やはり未熟。己の爪の威力に驕ったか!」

 上ではなく背後、残り一本となった腕を掲げて鷲尾が突っ込んできた。
 いけないとユーノが守ろうとした時、なのはが鷲尾へと振り返る。
 ディバインバスターの発射はフェイクだった。
 なのはは、最初から鷲尾に強襲されるつもりでいたのだ。
 何故なら鷲尾は必ず襲う際に風圧を掛けてくる。
 それは生まれ持った野生の習性か、獲物を萎縮させるようにあえて居場所を教えていた。
 先の奇襲もそうであるし、これまでもそうだった事は聞いている。

「私は驕らない。臆病だから、怖がりだから。今度こそ、ディバイン」
「Buster」

 鷲尾の爪はもう、目と鼻の先。
 もうあと数秒でそれが届く瞬間、逃げず脅えず鷲尾を見据えて放った。
 ほぼ零距離、なのはの渾身の一撃が鷲尾の体の中心を抉るように撃ち貫いた。

「や、やった!」
「ぐおおおおっ、だがそれが驕りだというのだ!」

 いずれ朽ちる腕など不要とばかりに、鷲尾は残りの腕を犠牲にしていた。
 魔力障壁が破られる事を前提に、腕を盾にしてなのはの一撃をいなしきった。
 腕は根元からもげて塵へと返るも、突撃の威力は微塵も衰えてはいない。
 砲撃の直射上に入れるはずもなく、そもそも入るまでの時間もなかった。
 ユーノの障壁は間に合わず、鷲尾の体当たりを受けてなのはが吹き飛んだ。
 交通事故にでもあったように軽々と。
 夜空を貫き、民家の屋根を突き破っては更に壁を、外へと飛び出しアスファルトに叩きつけられた。
 硬いアスファルトを陥没させ、その穴から飛び出しては転がった。

「なのは!」
「おっと、坊や何処をみてるのかしら」

 駆けつけようとしたユーノの前に、花房が立ちふさがる。
 もっと強くなのはを止めるべきだったと、ユーノは後悔していた。
 だがなのはの砲撃を過信していたのはユーノも同じ。
 あの一撃さえ加える事ができれば、当てる事さえできれば勝てる。
 一撃の威力に眼を奪われ、心の何処かでそう思ってしまっていたのだ。
 冷静になれば、一番堅実な戦い方は一つしかない。
 いずれは朽ち行くホムンクルスが二体、足止めと時間稼ぎしかないではないか。

「なのは、立って。早く!」
「ちょこまかと、ネズミみたいに!」

 花房の茨の蔓を魔力障壁で防ぎながら、ユーノが叫んだ。
 ユーノの声は届いていないのか、倒れ伏したなのははぴくりとも動かない。
 その間に、両腕を失いながらも翼が健在である鷲尾が近付いていた。
 吹き飛ばし過ぎたと苦みばしった顔をしながら、なのはの直ぐそばへと降り立った。

「己こそが最強、私もかつてはその想いを抱きつつ堕ちた。哀れだな、だが同情はする。殺しはしない、私達が朽ちた後に主に仕えるべき次代のホムンクルスが必要だ」

 奪わないのは命だけ、無力化を狙い鷲尾がなのはの四肢の骨を折ろうと足を持ち上げた。

「やめ、ぐぉ!」
「隙だらけ、ようやく捕まえた」

 止めに入ろうと周りが見えなくなったユーノも、ついに花房の茨の蔓に掴まってしまう。
 創造主である蝶野の下へと向かったカズキはまだ戻ってこない。
 いや時間が短すぎて、期待する方が無理である。
 茨の蔓に喉まで絞められ、ユーノは声すら出せない状況であった。
 声にならない声でも叫ばずにはいられなかったが、現実は余りにも無情。
 鷲尾の足がまずなのはの左足へと向けて振り下ろされた。

「なに!?」

 だが鷲尾が踏み砕いたのは、物言わぬアスファルトのみであった。

「貴様は……」

 なのはを抱えた少女は、顔を俯かせながら夜風に金糸の髪をなびかせていた。
 黒のバリアジャケットと金色の宝玉を持つデバイス。
 何時もなのはの危機を救ってきたフェイト・テスタロッサその人である。
 そのはずであった。

「うぁ……フェ、イトちゃ」
「Scythe form」

 無言でなのはをアスファルトに寝かせ直したフェイトは、デバイスの先端から三日月形の刃を生み出した。
 普段と同じ行動、同じスタイル。
 だというのに、朦朧とした意識の中でなのはは違和感に苛まれていた。
 その違和感が間違いないように、なのはは雫が落ちるのを見た。
 後姿しか見えず、そうであるとはっきりとは言えなかったが、ぽたりぽたりと続けてそれが落ちる。

「う、ああああああッ!」

 涙らしき雫を零し続けるフェイトが、獣のような声をあげてデバイスを大きく掲げた。









-後書き-
ども、えなりんです。

本当の意味でなのはがカズキに仲間として認められました。
カズキの傲慢じゃないかって意見もあると思います。
(そもそもカズキは騎士見習いに過ぎませんし)
でも妹と同い年(小三)の女の子を危険な戦いの仲間と思えるかどうかは……
性格上無理だったんじゃないかと、個人的には考えました。

あと、なのはのピンチに必ず現れるフェイトちゃん。
もはや天丼と言っても良い展開ですね。
ただし今回ばかりは様子がおかしく、次回そこんところ出ます。

それでは次回は水曜です。



[31086] 第十五話 これが人間の味か
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/02/22 19:35

第十五話 これが人間の味か

 可憐な外見から全くと言って良い程に似つかわしくない。
 フェイトの獣のような泣き声。
 一分一秒ですら惜しいと思っていた鷲尾や花房でさえ、それに見とれてしまっていた。
 髪を振り乱し、飛散する珠のような涙の粒。
 まるで狂ってしまったかのような狂気の様子を見せながら、美しさがより際立っている。
 逸早く我に返ったのは、幼いフェイトの美しさに嫉妬を抱いた花房であった。
 茨の蔓により拘束したユーノを、フェイトに良く見えるよう掲げて見せた。

「小娘、動くんじゃないよ。動けば」
「Blitz action」

 フェイトのデバイスであるバルディッシュが宝玉を光らせながら呟いた。
 その直後、皆の目の前からフェイトの姿が音もなく消え去った。
 人質が居てもお構いなしかと、花房が身構える。
 鷲尾もフェイトが狙ったのは花房かと、その後方へと振り返っていた。
 誰もがフェイトは人質の解放の為に、あの高速移動をしたのだと思ったのだ。

「何処だ、定石は後ろ!」

 花房が予測から振り返るも、実際は違った。

「Scythe slash」

 バシンッと雷光が瞬いたのは、鷲尾の頭上。
 雷と魔力光によって闇を裂きながら、フェイトが鎌状のデバイスを振り上げていた。

「なに、本気か!?」
「ああああああッ!」

 本当の意味で、人質がいてもお構いなし。
 フェイトの狙いは最初から鷲尾、ですらなかったのかもしれない。
 その身に抱いた狂気をぶつけられるのなら、誰でも良かったのだろう。
 大きく振りかぶったデバイスを振り下ろし、三日月の刃を叩きつけた。
 だが鷲尾相手に多少の不意をついても無意味であった。
 両腕は失っても、風を読む翼は健在。
 剣筋を読まれてしまえば、後は刃が金属質の翼の表面上を滑らされるだけ。

「甘いぞ小娘、見せ掛けの暴風では私の翼を騙せはしない!」

 結果、フェイトの斬撃は効果を生まず、無意味にアスファルトに突き刺さるだけであった。
 深々と突き刺さった刃でデバイスは固定され、その隙をついて鷲尾がフェイトの顔を蹴りつけた。
 鈍い音を響かせ、フェイトが吹き飛ぶ。
 だがフェイトは、しっかりとデバイスの柄を握り締めていた。
 顔がぶれ、額から血を流しても、地面に突き刺さったデバイスで逆に自分を固定していたのだ。

「Release. Device form」

 突き刺さった刃は抜かず、デバイスより解放。

「Thunder smasher」

 足を振りぬいた格好の鷲尾の腹に、バルディッシュの先端を押し付けた。
 ニヤリとフェイトが似つかわしくない笑みを浮かべる。
 その足元に金色の魔法陣が広がっていった。
 魔力が集束し、押し付けたデバイスの先端にスパークを伴なう光が集束する。

「撃ち抜け、轟雷」
「Thunder smasher」

 荒々しい戦闘とは裏腹に、ようやく口にした言葉は乾いた声である。
 閃光が弾け飛び、雷の砲撃がその猛威を振るった。
 フェイトと鷲尾、両者の丁度中間で。

「ぐおおおおッ!」
「あああああッ!」

 零距離の砲撃の為、それも当然の事で、フェイトも同様にダメージを負っていた。
 自分の魔力でその身を焼かれながら吹き飛び、アスファルトの上を転がっていく。

「フェイト、ちゃん……」

 ようやく鷲尾にやられたダメージが抜け始めたなのはは、立ち上がりながら吹き飛ばされていくフェイトを見ていた。
 全然、フェイトらしくない。
 といっても、なのははフェイトの事を殆ど知らない。
 会った事は数度で、会話という会話も殆どした事がなかった。
 らしくないという思いは、勘違い、あるいはなのはの思い込みかもしれない。
 だがこれまで助けてくれた時、間違いなくその時はなのはを案じてくれていた。
 なのに今のフェイトは自分の体すらどうなっても構わない。
 そう考えて行動しているように感じられた。

(はやてちゃんの事で、後悔してるから?)

 答えは間違いなく、それが理由であろう。
 そうすればまるで相手ではなく、自分自身を傷つけるような戦い方に理由がつく。
 傷つく事で、はやての痛みを理解しようとしているのだ。

「違うよ、そんな事をしてもはやてちゃんは喜ばない」

 レイジングハートを本当の杖のように支えながら、ついになのはは立ち上がった。
 既に体の何処が痛いかも分からないぐらいに痛いが、我慢する。
 今の状態のフェイトを見ている方がよっぽど心が痛いから。
 ブーツに魔力の羽を生み出し、先程は確かと思い出しながらレイジングハートに命ずる。

「さっきのフェイトちゃんみたいに」
「Flash move」

 なのはの姿が地上から消える。
 フェイトの魔法をそのままトレースした様に。

「鷲尾、くそこうなったら先にこの小僧を!」
「させない。レイジングハート、次はカズキさんみたいに!」
「Divine slasher」
「なに、そんな魔法今まで。見ただけで、できるはずが」

 人質が無意味ならと、ユーノをついに絞め殺そうとした花房の背後に現れる。
 そして掲げたレイジングハートの先端から、刃渡り三十センチ程の刃を生み出した。
 突撃槍というよりは、若干薙刀に近いか。
 見よう見まねの連続で、ユーノを拘束する茨の蔓を切断してみせた。

「おのれ、逃がすか!」
「ユーノ君、フェレットに戻って!」
「ごめん、なのは」
「それからごめん!」

 元の小さなフェレットに戻ったユーノを、なのはは口で加えた。
 はしたない行動だが、状況が状況だ。
 手を広げ指先から茨の蔓を伸ばす花房へと、レイジングハートの切っ先を向けた。
 足元には方円状の魔法陣が、生み出した刃を中心に帯状の円の魔法陣が生まれる。

「Devine buster」
「ぐあぁっ!」

 砲撃の瞬間、刃も同時に撃ち出し花房のお腹を一直線に貫いた。
 今度はしっかりと花房から、眼を離さなかった。
 花房の苦痛に歪む顔まで眼にしてしまったが、それでもだ。
 そのまま砲撃の爆風を利用し、ブーツの羽をはためかせて離脱する。
 もちろん、フェイトのような無茶はせず、爆風も防御しながら。
 そして今立ち上がろうとしていたフェイトの隣に足をつけた。

「フェイトちゃん、お願い聞いて。はやてちゃんは無事だから。他の人だって、病院には運ばれたけど命に別状はないって」

 ユーノを肩に乗せなおし、手を差し出しながらそう伝える。
 確かに原因はフェイトの迂闊な部分にもあったが、一人で苦しまないでと。
 だがそんななのはの言葉も、差し出した手もフェイトに無視された。

「どいて、そんなの関係ない。私は……そんな事は別に気にしてない」

 デバイスを杖にしながら立ち上がり、よろめきながらも前へと進む。
 同じく立ち上がり、憎々しげにフェイトを睨みつけている鷲尾へと。
 だったら、何故関係ないと行った時に歯を食い縛ったのか。
 気にしていないといいながらも、泣きはらした顔に再び涙を零れさせたのか。

「私は、戦いたいからここに来たんだ!」

 杖にしていたデバイスを握り締め、フェイトが叫びながら駆け出そうとした。
 手が届かなくなる前になのはその肩を掴み、無理やり振り向かせる。
 そして気が付けば、手の平を思い切り振るっていた。
 過去にこんなにも強く誰かに手をあげた記憶がなかった、それ程にだ。

「お礼とか言わなきゃいけない立場なのにごめんなさい。でも、もう止めて。誰も喜ばない。そんな事しても、誰も喜ばないから」
「だって……」

 張られた頬を押さえ、俯いたフェイトがぽつりと呟いた。

「私、他に知らないから。どうすれば良いか分からないの。私の不注意で、あの子を危険な目にあわせて。あの子の家族にも悲しい思いをさせて。ねえ、どうしたら良いの。どうすれば良いの!?」

 逆に両肩を掴まれて詰め寄られ、初めてなのはは正しく理解する事ができた。
 フェイトもまた傷つきたくて、自分を傷つけていたわけではないのだ。
 なのはから見てフェイトは凄い魔導師で、誰かを守れるぐらい強い子であった。
 だけどそれは別に、フェイトが完璧だというわけではない。
 謝り方を知らず、相手から逃げ出し自分を傷つける事しかできない弱い一面。
 そんなフェイトが待っていたのは、はやてが無事だからという言葉ではなかった。
 その言葉だけでは、次に取るべき行動が導き出せないのだ。

「一緒に謝りにに行こう。私がついていってあげる。そう、自分が悪いと思ったら、謝ればいいの。ごめんなさいって。きっとはやてちゃんは許してくれるよ。優しい子だもん」
「うぅ……ひっぅ、ほんとう?」
「うん、本当だよ。信じられないなら、私がまず言うね。フェイトちゃんを許してあげる。フェイトちゃんが優しい子だって事も、私は知ってるよ」

 フェイトが欲しかったのは、謝罪に対して許しが与えられるという当然の理論であった。
 それを知らなければ、はやてが無事である事を聞いても自分を許せない。
 自分が自分を許せなければ、他の誰が許してくれるのかも分からなくなってしまう。

「割って入って御免、二人共。来るよ!」
「何時までゴチャゴチャと。語るならば、その爪を存分に振るうが良い!」
「もはや、創造主のもとへと駆けつける余裕もない。ならばせめて、次に創造主に仕えるべきホムンクルスの器になってもらうわ!」

 度重なるダメージと、ジュエルシードによる体の崩壊。
 叫び拳を振り上げる二人の動きは、見るからに衰え始めていた。
 地を蹴り駆ければその衝撃で金属質の表皮は剥がれ落ち、砕けていく。
 さらには先程のように声を上げるだけでも、体に浮かぶひびが広がっていった。
 後一押し、だが油断をすれば先程のなのはのように、墜とされる事は間違いない。

「お願いアルフ、来て」

 涙を拭いたフェイトがまず始めに行ったのは、自分の半身とも言うべきアルフの召喚であった。
 はやてが運び込まれた病院から逃げ出し、まいて放置してしまっていたのだ。
 そのアルフは、フェイトに召喚された事に気付くや否や抱きつこうとしてきた。

「フェイトォ……良かった、変な事でも考えてるんじゃないかって。あれ、今やばい感じ?」
「ごめんね、アルフ。だけど、今は私と一緒に戦って」
「もちろん、何時だって何処だって。フェイトと一緒なら戦ってあげるよ」

 パタパタと尻尾を振るアルフの顔を一撫でし、フェイトがなのはへと振り返る。
 一瞬、照れたように頬を染め、視線を反らすも再び戻す。

「アルフとその子であの二人を足止め、それで確実に止めを刺す。い、一緒に……」
「うん、一緒に。ユーノ君、もうちょっとだけ、我慢してね」
「僕よりも、なのはだよ。今度こそ、ちゃんと足止めするよ」

 そうユーノが呟き、鷲尾達の前へと飛び出していった。
 事情が良く飲み込めていないのか、やや怪訝そうに僅かに遅れてアルフも。

「ストラグルバインド」
「この程度、私の翼の前では無意味!」

 ユーノが魔力の鎖を伸ばしては、鷲尾を拘束しようとするが振り払われる。
 元が金属製の翼だけあって、鋭利な刃物のように魔力の翼を切断してしまう。
 そのまま強引に駆け抜けようとする鷲尾に対し、魔力障壁を伴ない小さな体で体当たりをかけた。
 質量差は明らかだが、膝を付いたのは鷲尾の方であった。
 同じく魔力障壁を張って押し返そうと踏ん張った瞬間、膝に大きくひびが入ったのだ。

「そういや、アンタには散々暴言吐かれたもんだね。私だけならまだしも、私の可愛いフェイトにもさ!」
「そこをお退き、犬ッコロ」
「どかしてみせな、雑草!」

 皆が皆疲労困憊の中で、一番元気なのは当然今来たばかりのアルフである。
 茨の蔓を利用した花房の特殊な魔法障壁へと、魔力を込めた拳で殴りかかった。
 バリアブレイクの魔法が付与された拳は、花房の魔法障壁を軽々と砕いた。
 そのまま彼女が誇りに思っていた顔面へと、躊躇無く拳を突き入れる。
 どんなもんだいと今にも舌でも出しそうな程に笑う。

「アルフ、今のうちにストラグルバインド!」
「おうさ、チェーンバインド!」

 膝をついた鷲尾と殴り倒された花房を、若草色と橙色の二種類の魔力の鎖で縛り上げる。

「アルフ、ありがとう。下がってて。行くよ」
「なのはだよ、そう呼んで」
「分かった、なのは。一緒にやろう」
「うん、フェイトちゃん。せーので」

 なのはがレイジングハートを構え、足元に桃色の魔法陣を広げていく。
 続いてフェイトもバルディッシュを構え、金色の魔法陣を広げる。
 並び立つ二人の魔法陣は重なり合い、異なる色を作り出す。
 感覚的に魔法陣の触れ合いが分かったのは、お互いに顔を見合わせて少し笑う。

「「せーの」」
「Divine buster」
「Thunder smasher」

 魔法陣と同じ、二種類の砲撃が同時に放たれ、ホムンクルス二体を飲み込んだ。









 時間は少し遡る。
 なのはとユーノにホムンクルス二体を任せたカズキは、蝶野邸の前へと辿り着いていた。
 途中何度も振り返りそうになる自分を、同じ数だけ叱咤しながら。
 急ぎ駆けつけた門の前で、インターホンを鳴らそうとする。
 だが四角く白いボタンの数ミリ前で、その指は止まってしまった。
 蝶野は言った、不治の病を発祥してから蔵に投獄されたと。
 正面から素直にお願いして、蝶野に会わせて貰えるとは到底思えない。
 先日、シグナムと共にこの場所へ来た時の対応からもそれは明らかであった。

「確か、庭先の使われなくなった蔵って……」

 蝶野邸の門前から離れ、ぐるりと屋敷を取り囲む塀にそって移動する。
 塀の上から見えるのは屋敷、それから松の木は庭園のものだろうか。
 こんな大きなお屋敷を維持できるお金があるのなら、何故蝶野を見捨てたのか。
 胸が悪くなる疑惑を抱きながら、やがてカズキは屋敷の裏手にまで回ってきた。
 そこに見えたのは何戸かの、蔵であった。
 その内のどれかに蝶野がと見上げた所で、運良く気付く事ができた。
 どの蔵の屋根付近にもある観音開きの窓。
 一つの蔵だけが他よりも劣化し、何度も開け閉めして草臥れた様子があった。
 他の蔵は何時空けたのか分からないぐらいに、壁と同化しているのにも関わらずだ。

「誰もいない、たぶん屋敷の裏手だから気付かれない」

 周囲を軽く見渡し、カズキは左手に胸を当てて魔法を発動させる。
 脚力を強化して跳躍、自分でも驚くぐらい簡単に塀の屋根をも飛び越えた。
 着地した時に砂利が擦れる音が響いたが、びくびくしている暇はない。
 目的の蔵へと近付き、外からしか外れない錠前を破壊して扉を荒っぽく開放した。

「やっぱりここに居たな蝶野」

 一体何時頃から、錠前は閉じられたままであったのか。
 入り込んだ夜風に埃が舞い、淀んだ空気と混じり合い酷い臭いとなる。
 思わず息を止めたくなる暗く薄汚れた蔵の中に、カズキの言葉通り蝶野はいた。
 さび付いたパイプベッドの上に方膝を抱え、背中を丸めながら。
 連日の怪我に溜まっていく疲労、息を乱しながらもカズキはなくしたはずの心臓ががなり立てているのを感じていた。

「やはり来たか、武藤。何故か、こうなる気がしていた」

 今にも待ちわびたぞとでも言いそうに、よろめきながらカズキを見据えて蝶野が立ち上がった。
 初対面は一ヶ月も前、それから蝶野は蛙井を使いずっとカズキ達を監視していた。
 自分が迂闊だった面はあれど、いないはずの自分の存在に気付いたカズキ。
 そのカズキが死を乗り越えたと知り、その胸にあるジュエルシードを過剰に求めさえした。
 これ程までに激しく他者を求めたのも、初めての事だったかもしれない。
 免疫が徐々に低下する病に侵され、今にも消えそうだった心音が高鳴っていく気がする。
 お互い、心臓が破裂しそうになるのを感じて、その猛りを言葉にして吠えた。

「蝶野ォーッ!」
「武藤ォーッ!」

 だが高ぶりすぎた感情は、明らかに怪我と病気には悪いモノでしかなかった。
 倍化した痛みにカズキは立ちくらみを起こし、蝶野は大量の血を吐いてパイプベッドに崩れ落ちる。
 場所も古臭い埃の溜まった蔵の中と、埃を吸い込んでなお二人の状態は悪化した。
 胸の痛みは激しくなるばかりで、呼吸もままならない。
 互いに宿敵を前にしながら、今にもたんまと言いそうになる程だ。
 淀んだ空気の中でなんとか呼吸を整え、二人は改めてお互いの姿を見合った。

「お前が生きていると言う事は、鷲尾は破れたか。それとも、あの女が足止めしたか」
「いや、シグナムさんは事情があって来てない。今はなのはちゃんが足止めをしてくれてる。俺を先に行かせる為に、怖いのを我慢して」

 だから時間がないとばかりに、カズキは一度蝶野から視線をずらした。
 蝶野が腰掛けているパイプベッドの脇にある、高さ五十センチ程の塔状の装置。
 内部はくり貫かれ淡く青い光に満たされており、中心に一本のフラスコが安置されている。

「蝶野、それがホムンクルス化の装置か? それをこっちに渡すんだ」
「駄目だ、どうあっても渡せない」

 当然の如く、装置を庇うようにして両手を広げ蝶野が立ち上がった。
 見習いとは言えベルカの騎士であるカズキと、多少の魔法は使えても病弱な蝶野では相手にならない。
 それでも体を張って立ちふさがる理由は一つ、生きたいそれだけである。
 聞く人によっては鼻で笑う理由かもしれないが、瀬戸際の人間はまさにそれこそに命をかけるだろう。

「ホムンクルス化した上にジュエルシードを融合させても、お前は生きられない。俺は見たんだ。その結果、体が崩壊していく鷲尾と花房を」
「それがどうした。足止めという簡単な目的すら果たせない役立たずがどうなろうと、知った事か」
「違うんだ、蝶野。俺の話を聞いてくれ!」

 鷲尾と花房の事だけを否定し、都合の悪い言葉を流した蝶野にカズキは声を荒げた。

「それに今のままだったら、死んでも独りぼっちだ。墓があっても花も線香もない。手を合わせる人もいない。誰の記憶にも残らない。もしもお前が犠牲者に償うと誓うなら、俺が」

 懸命な説得を続けるカズキの耳に、小さな笑い声が聞こえた
 最初は気のせいかとも思ったが、ソレは次第に大きく、はっきりと聞こえ始める。
 蝶野がカズキの言葉を真っ向からあざ笑い、声をあげていたのだ。

「くくく……それがどうした、武藤。ああ、そうさ。俺は生きる、鷲尾や花房のように不完全ではなく完全な融合を果たして!」

 カズキの忠告を前にしても、蝶野は揺らぐ事すらなかった。

「ホムンクルスとジュエルシードの融合体に無理がある事ぐらいは百も承知。だがそれは、ホムンクルス化した後にジュエルシードと融合を果たしたからだ。言うなれば、他人から摘出した臓器を移植し、適応障害が起きたのと同じ事」

 順序を指摘され、カズキはハッと気付いたように装置へと視線を向けた。
 最初はただの照明だと思っていた淡く青い光。
 それはジュエルシードの輝きと似た光ではなく、そのものの光であった。
 フラスコの内部に満ちた液体の内部にいる胎児のような物体。
 恐らくはホムンクルスの胎児であるそれが抱えているのは、ジュエルシードである。

「そんな、まさか……」
「そうだ、その通り。崩壊を防ぐ為に必要なのは慣らし。ホムンクルスの胎児にジュエルシードを抱かせ、その波動を子守唄に根底から融合を進める。ソレこそが本当の意味での融合に繋がる」

 完全な予想外、既に蝶野が体の崩壊に対する答えすら持っていた事にカズキは言葉もなかった。
 言葉どころか、完全に頭が真っ白な状態になっていた。
 心の何処かで、蝶野を説得し分かり合えると思った甘い部分があった事もある。
 だが蝶野は最初から全てを注ぎ込み文字通り命をかけて、目的のみに邁進していたのだ。
 きっと、もうカズキの言葉は届かない。
 いや最初から蝶野に受け取るつもりは欠片もなかったのだ。
 もう後は力で決めるしかないのかと、左胸のジュエルシードへと手を伸ばそうとする。

「化けの皮が剥がれたな。言葉が通じなければ、力ずくか?」
「それでも、俺はもう誰一人犠牲者を出さないって決めたんだ」

 左胸に触れ、その奥に沈み心臓の肩代わりをするジュエルシードを手中に収めた。
 歯を食い縛り、己を否定されるような罵りに耐えながら、その名を呼ぶ。
 その時であった。

「俺は説得した、躊躇った。どう言い繕ったってやる事が同じなら一緒だろ?」

 カズキの背後から近付き、はがい締めにしてきた男がいた。
 蔵の中に入り込んできたもう一人が、蝶野の腕を捻り上げて拘束する。
 黒服にサングラスといかにもな厳つい男達に二人は押さえつけられてしまった。
 だが先程の言葉は、二人の男とは全く別の者である。

「さっきの言葉もそう。死んだ後の事なんて関係ない。お前、偽善者だな?」

 はがい締めにされながらも振り返った先は、開け放たれたままの蔵の入り口。
 そこに居たのは、蝶野と瓜二つの容姿の男であった。

「蝶野、次朗?」
「なんの用だ次朗」

 カズキの推察通り、その男は次朗で間違いなかったらしい。
 蝶野がわざと姿を現し、罪を擦りつけようとしただけあってそっくりであった。

「兄さんがまだ生きてるかもって、小耳に挟んでね。本当に生きてるなら良い事を教えてあげようと思ってね。留学が終わった時点で、僕が正式に蝶野の家督を継ぐ事になったよ」
「そんな事か、俺にはもうどうでも良い事だ」
「へぇ、そう? でもね、僕には凄く大事な事なんだ」

 その物言いが気に食わなかったのか、次朗はワザワザその顔を覗き込んで言った。

「蝶野の家に生まれたのに一年遅かっただけで、後はずーっと兄さんの予備扱い」

 次朗は歯をむき出しにして、ドブ川の腐ったような色の瞳で睨みつけていた。
 似ている、確かにカズキはそう思っていたが、それは決して外見だけの話ではなかった。
 自分自身を兄の予備だと言った言葉が薄ら寒い。
 笑顔に包まれ生きてきたカズキでは、想像も付かないような家族模様。
 だからこそ、以前に蝶野は弟である次朗を易々と身代わりに立てることすらできたのだ。

「普通の教育、普通の学校、普通の生活。名前だって曾々爺ちゃんにちなんだ由緒ある爵の一文字をつけてもらえず至って普通。兄さんが発病するまで、僕がずっと地を這う芋虫だったんだ!」

 そんな次朗からの憎悪を向けられても、蝶野は顔色どころか、眉一つ動かさない。
 家督同様に興味がないのだ、次朗の執着に、次朗の存在そのものに。

「だからさ、今さら病気が治って貰っちゃ困るんだよね」

 だがそう呟いた次朗が、ホムンクルスの製造機に視線を向けては無視も出来なかった。

「なんで兄さんがまだ生きてるのか。色々と分からない事は多いけど、これがあれば今度こそ兄さんは助かるんだろ?」
「馬鹿止めろ、それは完成までまだ少し時間が!」

 次朗が取り出したホムンクルスの胎児が入ったフラスコは、いとも容易く地に落とされた。
 カズキでさえ破壊に迷いを見せたのに、次朗は躊躇一つみせなかった。
 しかしそれは、蝶野をホムンクルスにさせないという考えなどない。
 土くれが露出した蔵の地面に培養液がしみこみ、ガラスの破片の中で胎児が力なく鳴く。
 生への希望を目の前で破壊され、蝶野が絶望の悲鳴を上げる。

「うわあああああああああッ!!」
「あひゃははは!」

 その絶望の悲鳴を心地良さそうに耳にしながら、次朗は高らかに笑っていた。
 それが見たかったと、自分の様に絶望に押し潰される兄が見たかったと。

「てめえなんか、誰も必要としてねえんだよ。何の役にもたたねえんだよ。死ねよ、さっさと死ねって!」

 何をどうしたら、人はそこまで歪んでしまえるのか。

「な、この一族。狂ってて面白いだろ?」

 カズキをはがい締めにしている黒の服の男の言葉しかり。
 一体なにが面白いものか、蝶野はただ生きたかっただけなのだ。
 方法こそ間違えていたかもしれないが、人として当たり前の事を望んだだけ。
 それの何がいけない、何故ここまでされなければいけない。

「バカ、ヤロウ」

 確かにカズキも蝶野を止めたかったが、こんな結果を望んだわけでは決してない。
 もう見ているだけでは終われないと、黒服の手から逃れようとしたその時であった。

「来いッ!」

 絶望しかない心中で、最後まで諦めずに蝶野が吠えたのは。

「お前は俺の分身だ。誰よりも、何よりも生きたいはずだ。だったら来い、今こそ超人に。華麗なる蝶々に生まれ変わるんだ!」

 蝶野の声に引きずられるように、培養液から流れ出したホムンクルスの胎児が震える。
 その小さな小さな腕の中に抱え込まれているのはジュエルシード。
 生き物の願望を叶える宝石が、大きく輝いてホムンクルスの胎児に力を与えた。
 小さな体のどこにそんな力がと思う程に強く、ホムンクルスの胎児が跳ねて飛んだ。
 己の分身である蝶野目掛けて、その頭蓋を吹き飛ばす程の力で。
 額に埋まったホムンクルスの胎児が、青い閃光を放って蔵の中一帯を照らしつけた。
 醜い芋虫から蝶々への華麗なる変身を演出するかのように。
 病魔に侵された蝶野攻爵という芋虫を、華麗なる超人へと生まれ変わらせていった。
 その羽化の瞬間、衝撃に蝶野の着ていた学生服が吹き飛んだ。

「な……なんだ。一体、なにが起きた!?」

 慌てふためき混乱する次朗の顔を、何時の間にか蝶野が手の平で掴み取っていた。
 ひ弱だった頃の名残を一切見せず、次朗が暴れても逃れられない程の強さでだ。

「武藤、お前確か……これ以上、犠牲者を出さないって言ってたよな?」

 大きく笑みを浮かべた蝶野が、カズキへとその顔を見せた。

「残念」
「ぎゃっ!」

 そう蝶野が呟いた瞬間、大量の火が水により打ち消されるような音が響いた。
 人の生命力が喰われるように、次朗の姿が一瞬で消え去った。
 残されたのは人体の一部ではない次朗の衣服ばかり。
 一体次朗は何処へ消えてしまったのか。
 それを知るのは蝶野自身と、次朗を掴んでいた手の平に見えた口のような器官であった。
 その手の平の口からゲップを吐き出し、生まれ持った習慣の様に蝶野が喉を鳴らした。

「ふむ」

 美味しい物を食べた時のような、満足そうな声。

「悪魔の様に黒く、地獄のように熱く、接吻のように甘い。これが人間の味か」

 あふれ出す涎を長い舌でからめとり、うっとりと瞳を淀ませながら蝶野が呟いた。
 人喰い、ホムンクルスの象徴でもあるような行為であった。
 蝶野自身の願望が、ホムンクルスの生存本能とジュエルシードを刺激したのだ。
 その望み通り、究極の完成体、ホムンクルスとジュエルシードの融合体へと羽化を果たしていた。

「ごめん、シグナムさん。俺、預かりもの返せないかもしれない。けど、蝶野だけは絶対に止めてみせる!」

 絶対に勝つという言葉は、とても浮かべられない状況であった。
 カズキはレヴァンティンのペンダントを握り締めそう誓うぐらいしかできないでいた。









-後書き-
後半、ほぼ武装錬金のまま。



[31086] 第十六話 謝るなよ偽善者
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/02/25 20:16

第十六話 謝るなよ偽善者

 弾け飛んだ学生服を振り払い、蝶野が唯一残った下着へと手を伸ばす。
 股間部分に蝶印のあるブーメランパンツ。
 戸惑いなくその中へと手を突っ込み、掴み出したのは蝶々のマスクであった。
 羽化を果たすこの時の為にずっと暖め続けていたそれを、あるべき場所、顔へと装着した。

「パピ、ヨン!」

 自分を指してそう宣言するパピヨンの表情はご満悦であった。

「この変態が!」

 だがその意味を知らない黒服の二人が、懐から拳銃を取り出し構えていた。
 次朗が喰われた瞬間を目の当たりにして、パニックに陥っていた事もある。

「さすが暴力団出向、蝶野の黒服は良い物を持っている」

 拳銃を前にしても蝶野は余裕を失ってはいなかった。
 トリガーが引かれ、火薬の炸裂音が響く。
 直後に聞こえたのは金属同士がぶつかるような鈍い音だ。
 炸裂音はなおも続き、同じ数だけ再び金属同士がぶつかるような音が響いていった。
 蔵の中に響く音の強さにカズキは耳を塞ぎ、本能的に拳銃を恐れながらもそれを見た。

「フン、フフン!」

 事あるごとにポージングをとる蝶野の体に火花が幾つも散っていた。
 弾丸により穴が空くのは、蝶野の周囲にある蔵の壁や地面、置物ばかり。
 金属同士がぶつかる音は、蝶野が真っ向から銃弾を跳ね返す音であったのだ。
 やがてその事に黒服たちも気付き、自然とトリガーを引く指が止まっていた。
 強靭な肉体を手に入れた事を誇示する蝶野は、弾丸が擦れて煙を上げながら言った。

「意外と痛いけど、ちょっとカイカン」

 確実に弾丸を受けながらも血の一滴も流れた様子はない。

「正真正銘の化け物だ!」
「ヒイィッ!」

 たまらず逃げ出す二人の黒服を見て、蝶野の足元に黒い光を放つ魔方陣が展開される。
 慌てて左胸に手を置いたカズキであったが、蝶野の動きは余りにも速かった。
 その姿は目に見えず、カズキに感じられたのはすれ違う風切り音のみ。

「化け物じゃなくて、超人さ」

 そう呟いた蝶野は、逃げ出した黒服を跳躍で大きくまたぐようにし手の平を顔に押し付けていた。
 直後、黒服二人の運命は次朗と同じく、一瞬で喰われ消えていく。
 男達の断末魔を耳にしながら、カズキは恐ろしさにごくりと喉を鳴らしていた。
 蝶野の今の動きはホムンクルス云々ではなく、間違いなく魔法であった。
 フェイトが以前、蛙井の子ガエルを切り捨てる時にも使った高速移動の魔法。
 蝶野は宣言通り、ホムンクルスの体と魔力の両方を手に入れたのだ。

「俺は勝てるのか……」

 初めて弱気を見せた呟きの直後、ぽたりぽたりと何かが地面に滴った。
 それが何か、気付くのと同時にカズキの全身より噴き出した。
 すれ違い様に斬り刻まれた事による鮮血、そして失血により意識が遠くなり崩れ落ちる。
 その直前で、カズキは何とか踏みとどまろうと左胸に手を伸ばした。

「待て、蝶野。俺はまだ、戦える。サンライトハーッ!」

 取り出したジュエルシードをデバイス化する寸前、蝶野の拳が顔面へとめり込んだ。

「慌てるなよ、武藤」

 完全に振りぬかれた拳を受けて、カズキは入り口付近から蔵の奥の壁まで吹き飛ばされた。
 強かに背中を打ちつけ、より出血が激しくなっていく。
 今度は踏みとどまる事もできずに崩れ落ち、待てと手を伸ばすのが精一杯。

「美味しいものは後に取っとく性質なんだ。武藤、この蝶野の敷地の中でお前が最後だ。俺が戻ってくるまで、大人しくしてろよ」

 カズキの手の中からジュエルシードが零れ落ちるも、蝶野は見向きもしなかった。
 完全なる命が手に入った今、特別な一つであろうと興味がないといったところだろう。
 ぐうっと鳴った腹の方にさえ意識を取られ、少し考え込むぐらいである。

「意外とエネルギーを喰う体だな。メインディッシュの前に、軽く腹を鳴らしておくか」
「待て、蝶野……」
「お前はそこで、今しばし。自分の無力さに打ちひしがれてろ」
「蝶野、攻爵ッ!!」

 悠々と去っていく蝶野の背を掴もうと手を伸ばしても、空を切るばかり。
 その姿は直ぐに見えなくなり、脱力感と共に無力感に襲われ始める。
 なのはの手を借りてまで、蝶野を止めに来たのにあげくこの様であった。
 一瞬、ほんの一瞬だがこのまま楽にとも思ってしまう程である。
 だがそんな情けない気持ちは、次の瞬間には吹き飛んでいた。
 そう遠くない場所、恐らくは屋敷の敷地内から断末魔の悲鳴が聞こえてきたからだ。
 蝶野が何をしているのかは、明らか。
 一人、また一人のその犠牲は増え続け、打ちひしがれている場合かと自分を叱咤する。

「サンライトハート」
「Ja」

 ジュエルシードをデバイス化したサンライトハートを杖にして立ち上がる。
 だがその歩みは遅々として進まず、歩く度に響く痛みがさらに動きを遅めていた。
 その痛みが一際大きく脳裏に響いた時、溜まらずカズキは膝をついてしまった。
 まだ続く悲鳴に歯を食い縛り立ち上がろうとするも、体はいう事を聞いてはくれない。
 そして一際大きな悲鳴が周囲に響き渡ったのを最後に、ぴたりと止んでしまう。

「ちくしょう……ちくしょうッ!」

 恐らくは、屋敷にいた人間全てを平らげてしまったのだろう。
 蝶野一人を止められず、拡大してしまった被害。
 歯を食い縛っても涙が零れ落ちそうなその時、カズキの胸ポケットの携帯が鳴り響いた。

「もしもし」

 ディスプレイに映し出されたのは、まひろの名前である。
 怖い夢でも見たのか、まひろの顔を思い浮かべると自然と力が出る気がした。
 だからこんな時ではあったが、呼び出しに応じずにはいられなかった。

「カズキか、私だ。すまない、赴けない私の言葉ではないが……どうなっている?」
「ごめん……」
「そうか、止められなかったか」

 たった一言で、シグナムは全てを察してくれたようであった。

「カズキ、なんとしても生きて帰れ。辛いかも知れないが、一時の被害には目を瞑れ。なのはにも直ぐに撤退しろと告げる。はやての容態が安定した今、私が出る」
「携帯、まひろにちょっと変わって」

 シグナムの私がという言葉を聞き、カズキは話をそらすようにそう申し出ていた。

「お兄ちゃん、まひろまだ病院だよ。あのね、石田先生がはやてちゃんが寂しがるからってぎりぎりまで居て良いって……あれ、お兄ちゃん何処にいるの?」
「石田先生、そんな事言うとったんか。べ、別に寂しがってなんかないで」
「私とまひろがお泊りだって羨ましがってたの誰だよ。ほら、恥ずかしがらずに言ってみな。ちゃんと構ってやるからよ」
「はやてちゃん、ヴィータちゃんも。石田先生が特別にって許してくれたんですから、騒いじゃ駄目ですよ」

 まひろを含め、キャーッと騒ぐ三人をシャマルの声がたしなめていた。

「カズキ君、まひろちゃんの事はちゃんと預かってるから……あの、頑張って。それじゃあ、シグナムに代わるわ。ス、ストロベリートークの続行ね。きゃん!」
「全く、カズキ先も言ったが帰って来い。命に優先順位をつける事は悪ではない。お前の妹はもちろん、はやて達、それに私も。何処かの知らない人間よりもお前が大事だ」
「ありがとう、シグナムさん。少し力が沸いてきた。それとごめん、やっぱり無理だ。蝶野を止めないと、あいつ本当にこのまま……」
「おい、カズキ!」

 携帯電話を耳元から放し、シグナムの声を聞き流しながらしっかりと立ち上がった。
 当たり前の事だが、家族であるまひろはもちろん、友人のはやて達が案じてくれている。
 今も戦っているであろうなのは、帰途についた岡倉達やアリサ達。
 皆が皆を大切に思いあっている事は、直接言葉を交わさなかった者達も同様だ。
 だからこそ、このまま多少の被害はと逃げ帰る事はできない。
 もしも逃げれば自分が自分ではなくなる、そういった思いも確かにある。
 だが最も大切な理由は、蝶野が独りだという事であった。
 弟を喰い殺し、家の勤め人達、もしかすると親でさえ喰い殺しているかもしれない。
 完全体という言葉を用いながらも、蝶野は人としてあまりにも不完全である。
 大切にしたい人もいない、大切に思ってくれる人もいなかった。

「それに蝶野は人間だ。他のホムンクルスとは違う。誰にも、なのはちゃんやシグナムさんに人殺しはさせられない。それに俺なら、蝶野をホムンクルスとしてじゃなく人間として……」
『馬鹿な考えは止めろ。奴は化け物だ。人間だと思うな、人間だと思ってしまえば……死ぬのはお前だぞ!』

 まひろ達に配慮してか、シグナムが途中から念話へと切り替えていた。

『絶対に勝つ、その為にもシグナムさんの力を借りるよ』
『なに?』

 これ以上はとカズキの方から念話を断絶する。
 その時、扉が開け放たれるのと同時に吹き飛び、蔵の中にて倒れ落ちた。
 それを成し遂げたのはもちろん、蝶野であったが蔵を離れた時と少し様子が違った。
 あれ程、自分の羽化に満足し、満ち足りていた表情が酷く歪んでいる。
 かつてシグナムがドブ川が腐ったようなと評した瞳は、濁りきってしまっていた。

「ちゃんと打ちひしがれたか? 少し、やる事ができた」

 羽化だけでは満足できず、屋敷の中で一体何があったか。
 カズキにはもはや、推察する事すら不可能な領域の事であろう。

「超人パピヨンの聖誕祭。こんな凍てつく闇夜にふさわしい、超特大の篝火を焚こう。どうせ、蝶野攻爵を必要としなかった世界だ。全て燃やし尽くしてやる!」
「蝶野ォッ!」
「なんだァ!?」

 そんな事をさせてたまるかと、カズキが胸元に下げていたペンダントを掲げて見せた。

「レヴァンティン、力を貸してくれ」
「Jawohl」

 主でこそないが、レヴァンティンはカズキの頼みを聞いてくれた。
 待機状態のペンダントから、起動状態の剣へとその身を変えていく。
 普段の炎ではなく、エネルギーの光を刀身にみなぎらせながら。
 右手に突撃槍のサンライトハート、左手に大剣のレヴァンティンを手にカズキは最後の力を振り絞る。

「決着をつけるぞ、蝶野!」
「デバイスの二刀流……これは、これは。だがお粗末な手段だ」

 全てを込めようとするカズキを前に、蝶野はその無知を笑っているようであった。

「確かにデバイスを複数持てば、使用可能な魔法は増え、対応できる状況も増える。だが、それで強くなるかは全くの別問題。魔法はソフト、デバイスは演算装置、人はハード」

 いや、事実魔法に関する知識については、明らかに蝶野の方が上であった。
 この世界の技術であるホムンクルスとジュエルシードの融合を成功させたのだ。
 その目には、カズキの行為が愚かしくも滑稽に見えていた事だろう。

「浅知恵もここまで来れば笑い話。可笑しくて吹き出してしまいそうだ!」

 言葉通り高らかに蝶野が声を上げた瞬間、真っ赤な鮮血がその口より吹き出された。
 尋常ではない量の鮮血は、びちゃびちゃと音が鳴る程に地面へと零れ落ちていった。
 心なしか当初よりも、蝶野の顔色は優れないようにも見える。
 一体何がどうなっているのか、カズキもそうだが攻爵も混乱していた。
 体もどこかふらふらとよろめき、感じた事のある脱力感にまさかと蝶野が勘付く。

「はっ、馬鹿な……この感触は、俺を何時も苛む……何処だ、何処にある。何故ない、章印は、超人の証が何故ない!」

 自分の体を血まみれの手で触れ捜すも、それは何処にも見当たらなかった。
 蝶野を正面から見据えていたカズキも探したが、見つからない。

「章印が……ない。て事は、失敗?」

 直接の原因は、ジュエルシードの慣らしの不足か、ホムンクルスの寄生体の調整不足か。
 強靭な肉体を手に入れ、なおかつ魔法を行使できるだけの魔力を保持する完璧な体。
 だがその体の根底には、病弱な蝶野攻爵そのものと言ってもよい病魔が潜んでいたのだ。
 強靭でありながら、虚弱な体という相反する要素を持つ体である。
 それは完璧からは程遠い、矛盾に満ちた不完全な体でしかなかった。
 体の崩壊こそ起きるか不明だが、その時まで延々と蝶野は病魔に蝕まれ続けていく。
 その事実に気付き、蝶野は少しの間茫然としていたが

「しくじっちゃった」

 世界を燃やすといった憎悪も彼方であったが、それも直ぐ再燃する。

「けどまだ手段はある。目の前に、もう一つの命が」

 蝶野が命と表現したのは、カズキが持つサンライトハートであった。
 カズキの心臓の代わりとなり、生かし続けるジュエルシード。
 蝶野の調査からは決して起こりえない奇跡を生む、特別なそれ。

「さあ、来い。お前を喰ってジュエルシードを手に入れ、この世界を燃やし尽くしてやる!」
「どれもこれもさせるか。お前を倒して食い止める!」

 互いに声にならない雄叫びを上げながら踏み込んでいた。
 先手はリーチに優れる突撃槍を持ったカズキであり、重いそれを片腕で支え突き放った。
 鋭利な先端を受け止めたのは、蝶野の左手より生まれた魔法障壁である。
 黒色の魔力光によって編まれた方円の魔法陣、それが完全に一撃を受け止めた。
 そのままサンライトハートの切っ先をいなして、蝶野が左手を伸ばす。
 人を簡単に喰らう口をその手の中に開かせながらだ。
 対してカズキも間髪いれず、左手に握ったレヴァンティンを振るった。
 刃で蝶野の右手を正面から受け止めた瞬間、目の前にひらひらと蝶がまっていた。
 蝶野の魔力光と同じ漆黒の蝶。
 何故そんなものがと考える暇もなかった。
 小さく火花が跳んだ瞬間、漆黒が業火の赤へと変わり炸裂して燃え上がったのだ。
 不完全体でありながら魔力を操る蝶野の魔法であった。
 だが気付いた時には既に遅く、爆破の暴風と炎に焼かれながらカズキは吹き飛ばされていた。
 むき出しの地面の上を二転、三転転がされる。
 奥の壁際にまで再び吹き飛ばされていったカズキへと、蝶野が迫った。
 レヴァンティンを地面に突き刺し、壁に激突する事だけは避ける事ができた。
 しかし密閉された蔵という空間で爆破の魔法は凶悪過ぎる。
 窮地を脱する為にも脅えるな立ち止まるなと自分を叱咤し、息を付く間もないカズキに代わりサンライトハートが呟いた。

「Sonnenlicht slasher」

 むしろ前にしか進めないように、飾り尾を腕に巻き、そのまま爆発させる。
 エネルギーの閃光が蔵の中を照らし出し、引っ張られるようにカズキが飛び出した。
 無駄だとばかりに、蝶野が魔法障壁を張って力の差を見せ付けようと迎えうつ。
 障壁と刃、文字通り盾と矛がぶつかり合い、どちらが最強かを求め合った。
 魔力の火花が散り、盾にひびが入るも善戦はそこまで。
 カズキの必殺の突撃を、蝶野の魔法障壁が完全に受け止めてしまっていた。
 これがただの人間と超人の差だと、蝶野が笑みを浮かび上げるもカズキはまだ諦めていなかった。

「カートリッジロード!」
「Explosion」
「なにッ!?」

 柄の先端についていた機具がスライド、薬莢を吐き出した。
 カズキの魔力を消費し、飾り尾からエネルギーの光が消えそうだった所に火が灯る。
 一度は沈んでもまた太陽が昇るように、飾り尾が光へと変わっていく。

「うおおおおおッ、貫けェ!」

 カートリッジより魔力を最充填させ、ついにカズキの一撃が蝶野の障壁を貫いた。
 咄嗟に身をひるがえした蝶野の胸を、薄くサンライトハートの刃が裂いていく。
 そのまま互いにすれ違っていこうとする。
 だがその傷は強靭な肉体を持つホムンクルス相手にはあまりにも浅い。
 この程度、そう言いたげな蝶野の笑みは今度こそ凍りついた。

「Explosion」

 再度の魔力充填の声は、サンライトハートのものではない。
 カズキの左手に握られたレヴァンティンが、鍔の根元から薬莢を吐き出したのだ。
 普段は炎を纏う刀身にエネルギーの光を纏い、蝶野の首を狙い振るわれた。
 両手剣であるレヴァンティンに対しカズキは片腕、しかも逆効き。
 それでもその斬撃は、鋭く早かった。

「ぐぅッ!」

 素早く腕を掲げ、何とか防ぐも蝶野の右腕が肘より切断されてしまう。
 カズキは飾り尾を腕に巻き、サンライトハートの突撃に引っ張られていたのだ。
 壊れた入り口から蔵を飛び出し、狭い空間の脱出までもを成功させる。
 だが終いには地面の上さえ引っ張られていた。
 騎士甲冑に守られながらも、あちこちを擦りむき続け、やがて止まった。
 慌てて立ち上がり振り返った瞬間、蔵の屋根が爆破の炎によって吹き飛んだ。

「武藤ォッ!」

 吹き飛んだ屋根から飛び出したのは、蝶野であた。
 背中より蝶々の羽を模った魔力の羽を背負い、高らかに空を舞い上がって強襲してくる。
 その両手より生み出した黒色の蝶が、蝶野に先んじてカズキに襲いかかった。

「蝶野ォッ!」

 柄の根元を握り、柄の中腹を腰で支え一閃。
 黒色の蝶を斬り捨て爆破の熱と煙に巻き込まれながらも、次にレヴァンティンを振るう。
 二羽目を斬り捨てられたのは殆ど幸運であったが、爆破の直撃は避けられた。
 煙に巻かれ視界が悪い中、蝶野は何処だと上を見上げる。
 その時、サンライトハートの刃の根元を何か強い力に押さえつけられた感触を受けた。
 ハッとして正面へと視線を下ろす。
 眼前に蝶々のマスクを付けた蝶野がいた。
 ドブ川の腐ったような色の瞳を細め、頬の深くまで切れ込みが入った口をニヤリと歪める。

「レヴァン」

 慌てて振るったレヴァンティンも、懐に入られた今はあまりにも無力である。
 サンライトハートと同じく刃の根元を掴まれ、完全に武器を封じられた。
 これが人間相手なら完全な膠着状態だが、蝶野は超人、ホムンクルスであった。
 顎が外れる程に大きく口を開き、カズキの首を丸飲みにしようと喰いかかってきた。
 両手の武器を封じられ、同じく身動きを封じられたカズキにとれる行動は多くはない。
 致命傷を避けようと首を振り、蝶野の顎は真っ直ぐその肩に落ちた。

「ぐああああああッ!」

 牙が肉に食い込むのみならず、そのまま喰い千切られそうな程に力を込められる。
 頭こそさけられたものの、このままでは致命傷は確実。

「Explosion」
「Explosion」

 カズキの悲鳴にあわせ、サンライトハートとレヴァンティンが同時にカートリッジをロードした。
 飾り尾がエネルギーと化して弾け、レヴァンティンの刀身も光り輝く。
 限界を知らないように、二つのデバイスは魔力を集束させ続けていった。
 そして当然の如くあるはずの限界を向かえ、カズキもろとも盛大に弾け飛んだ。
 苦しみ叫ぶカズキと肩に喰らいつく蝶野の丁度中間地点で。
 蝶野の爆破の魔法に劣らない大爆発を見せ、無理やり二人は引き剥がされていった。
 二人共に、爆煙の中を無様に転がされていく。

「はぁ……はぁ、ごふっ。ふふ、ははは」

 転がる体を止めて、先に立ち上がったのは蝶野であった。
 その顔に笑みさえ浮かべ、自然とこみ上げる笑い声に身を委ね始める。

「聞こえるか、武藤。俺は生きている。醜い芋虫だった蝶野攻爵はもういない。生まれ変わった肉体、新たに得た膨大な魔力。それを思うがままに解き放つ爽快感。今は病魔に蝕まれる感触でさえ、新鮮に感じるぞ!」

 爆煙の中、口に滴るカズキの血を舌ずり舐めながら蝶野は高らかに叫んだ。
 生まれてこのかた、これ程の高揚感を蝶野は得た事がなかった。
 文字通り、全ては敷かれたレールの上を走るだけだったのだ。
 蝶野の家を継ぐ為に、その為の道具として生き、不良品と分かれば蔵の奥に仕舞い込まれた。
 だが今は自分が求めた、自分だけの目的の為に邁進している。
 世界を燃やすという目標の為に、障害となり得るカズキを倒す。
 これが生きがいというものならば、障害たるカズキでさえ愛おしく思える気がした。

「やはり俺は生まれ変わった。超人パピヨンはここにいる!」

 そんな蝶野の心からの叫びを、カズキは地面に倒れこみながら聞いていた。
 元から疲労と怪我がたまっていた所への致命傷の数々。
 血は止まる気配もなく流れ続け、何時意識を失ってもおかしくはない状態であった。
 だが蝶野の生まれ変わったと言う言葉が、超人という言葉がその意識を繋ぎとめた。

「違う、超人なんか何処にもいない」

 レヴァンティンを地面に突き立て、体を起こし膝を立てた。
 そこからさらにサンライトハートも杖にして、よろめきながらも立ち上がる。

「蝶野、お前は人間だ。俺と同じ、人間だ!」
「はっ、何を今さら。人間、蝶野攻爵は死んだ!」

 まだまだ爆煙が周囲を覆う中、蝶野はカズキの声がした方へと黒色の蝶々を放つ。
 その様はあてずっぽうに他ならず、誕生パーティを続けようとはしゃぐ子供の様でもあった。
 直撃こそなかったが、次々に黒色の蝶が着弾。
 炎と熱風を撒き散らし、誕生パーティに炎の華を咲かせようとしていた。

「サンライトハート」
「Ja」
「レヴァンティン」
「Ja」

 押し寄せる炎と熱風からカズキを守っていたのは、騎士甲冑であった。
 だがカズキそのものを支えていたのは、この二本のデバイス達である。

「これで最後だ、頼む力を貸してくれ……蝶野を、人間である蝶野攻爵を殺す」

 カズキの覚悟した言葉を聞き、黙って二つのデバイスはコアを光らせた。

「Explosion」
「Explosion」

 サンライトハートとレヴァンティンが、ありったけのカートリッジをロードし始める。
 カズキの最後の一撃に華を添えるように、余力一つ残させないように。
 一つ、また一つとカートリッジは消費されて、薬莢が吐き出されていく。
 その音は、わずかながらにも蝶野の耳にも届いていた。
 蝶野の魔法知識はミッドチルダ寄りだが、知識としてベルカ式の特徴ぐらいは知っている。
 先程、身をもって知った事もあった。
 はしゃぎ、カズキの血だけではなく己の吐血も混じり汚れた口元を締めて警戒する。
 少々間抜けにも、自分で長引かせた爆煙を、鬱陶しげに見つめながら。

「蝶野、これで正真正銘最後だ!」

 エネルギーの光がまるで質量を持つように、爆煙を無理やり押し流していった。
 カズキ自身がその居場所を誇示したようでもあり、蝶野がそちらへと振り返る。

「なに?」

 そして目の当たりにした光景に、開いた口が塞がらなかった。

「Bogenform」

 カズキの左手にあったレヴァンティンが、柄頭にて鞘と同化。
 太陽に似た色の魔力光に包まれ、完全にその姿を変えた。
 真っ白な翼を広げたような弓の形へと。
 それはカズキが一度だけその目にした事があるレヴァンティンの最終形態であった。
 シグナムの奥の手、それこそそこまで力を借りるとばかりに。
 だが少しだけシグナムの奥の手と異なる事があった。
 魔力で弦を生み出す事までは同じであったが、違ったのは放つ為の矢。
 シグナムはこれを魔力で生み出したが、カズキはサンライトハートを番えたのだ。
 矢の代用になるはずもない、巨大な突撃槍であるそれを。

「馬鹿な、そんなものがまともに……ふっ、お前がまともな手で来るはずもないか」

 嘲笑し、馬鹿にしようとした口を蝶野自身が止めた。
 会うこと数回、会話する事も数回だが、蝶野もカズキの馬鹿さ加減は知っている。
 痛いのも怖いのも嫌いと言いながら、生身でホムンクルスと戦う愚かさ。
 耳障りの良い綺麗な言葉ばかりを吐くくせに、その実自身は酷くボロボロであった。
 馬鹿だがその行動には何時も嘘がない。

「来い、武藤。超人と人間の絶対的な差を見せ付けてやる!」
「行くぞ、蝶野!」

 あまりの重量に腕を震わせながら、カズキが弦を引き絞り始めた。
 蝶野に狙いを定めながら、目一杯腕を広げて放った時の為の力を溜める。
 足元には三角形を基調としたサンライトイエローの魔法陣が浮かび上がった。
 力を溜めるカズキの後押しをするように、バチバチと弾け始める。
 一方の蝶野も、全てを受け止める覚悟で、魔力障壁を前面に展開していた。

「駆けろ、隼!」
「Sonnenlicht」
「Falken」

 カズキの命を受け、サンライトハートとレヴァンティンがそれぞれ呟く。
 そしてついにカズキの手から光り輝く黄金の隼が、蝶野目掛けて飛び立った。
 蝶野を捉え貫けばカズキの勝ち、受け止めるかいなすかすれば蝶野の勝ち。
 特に受けて側の蝶野が目を見開き、気合を入れて黄金の隼を見据える。
 だがこの時、予想外の事が起きた。
 いや、ある意味でそれは当然の事か。
 矢としては重量があり過ぎるサンライトハートが、急遽下方へと軌道を変えたのだ。
 重すぎる頭のせいであり、その切っ先が地面に触れてしまう。
 地面にそのまま突き刺さり終わりかと思いきや、飾り尾が光を放ち爆発した。
 突き刺さるかと思われた地面を抉り、下がるばかりだった切っ先を持ち上げる。
 矢としてはより強力に回転しながら周囲の物を巻き込み、さならが竜巻の様に蝶野へと襲いかかった。
 虚を突かれ怯むかと思いきや、蝶野は飛来物全てを障壁で受け止めていた。
 だが真正面から受け止めたのは何も蝶野の意志ではなかった。
 サンライトハートの刃に弾かれた土くれや石は、思いのほか強かに障壁へと打ちつけられていたのだ。

「ちっ、完全に足を止められた」

 下手にいなそうとすれば、さすがの蝶野も無事ではすまない。
 まさかこれを狙っての事かと、足を止めた蝶野の前に金色の隼がついに姿を現した。
 空から獲物を強襲するように、回転する刃が爪の如く襲いかかった。

「俺は人間と言う殻を打ち破り、超人へと生まれ変わったんだ。人間如きの、魔法で!」

 眩いばかりの金色の隼を前に、一瞬蝶野は影がかかった気がした。

「蝶野、お前は人間だァッ!」

 いやそれは気のせいなどではなく、カズキの影が金色の隼に掛かっていたのだ。
 一体どこにそんな力が残っていたのか、レヴァンティンを両手で握り締め掲げていた。
 だがその位置はあまりにも蝶野から遠い。
 一歩も二歩も遠く、斬撃が届くはずもないがすぐさま蝶野は気付いた。
 既に振りかぶられた一撃は、蝶野を狙ってのものではなかった。

「Explosion」

 最後の一発、レヴァンティンの刀身を光り輝かせ、カズキがそれを振り下ろす。
 黄金の隼にもっと早くと鞭を入れるが如く、柄頭を思い切り叩き斬ったのだ。
 ハンマーで楔を叩くようにして、サンライトハートが蝶野の魔法障壁を貫いた。
 中心に大きなひびがはいれば、後は自然と瓦解するだけ。
 腹の中心を貫かれ、そのまま蝶野は金色の隼に吹き飛ばされていく。
 踏ん張ろうと足に力をいれても地面を抉るばかり、ついには勢いに飲まれ叩きつけられた。
 長年自分が閉じ込められた蔵の壁へと、腹にサンライトハートが刺さったままの張り付けの状態で。
 その蝶野の喉元へと、カズキがレヴァンティンの切っ先を突きつけた

「はあ、はあ……」
「はあ、はあ……」

 お互い、息も切れ切れで直ぐには言葉が口をついて出ては来なかった。
 ただ無言の間にも、勝負の決着がどうついたかだけは理解しあっていた。

「馬鹿な、不完全とは言え超人の俺が……ただの人間の貴様などに」
「お前もただの人間だからだ。人間だから、今までお前よりも戦い続けた分、強くなれたんだ。お前は人間だ、蝶野」

 蝶野にとって短い生涯を掛けて目指した超人を否定され、屈辱以外の何ものでもないだろう。
 だがカズキにとっては、その人間であるという事が何よりも大切であった。
 迷惑な押し付け、カズキの傲慢かもしれないが、大切な事なのだ。
 化け物を倒したとしても、めでたしめでたしで周りの人は忘れていってしまう。
 人間だけが、誰かに悲しまれ惜しまれ、その誰かの心で生き続けられる。

「ふん、で強くなったお前は俺をどうする? 人間だと言いながら殺すのか、人を喰うから。受け入れられない、その一言で」

 それはカズキが心の中に持つ矛盾点であった。
 本気で蝶野を人間だと思うのなら、そもそも殺す必要がない。
 ホムンクルスだから、人喰いだから殺す必要があるのであって、人間なら必要なかった。
 蝶野の言う通り、カズキはお前は人間だと認めながら死ねと否定している。

「お前は……もう、戻れないのか? 人喰いは止められないのか?」
「ああ、元にも戻れないし、人喰いも止められない。だから俺は言う、俺は超人だと。それを聞いて、お前はどうする?」

 一体追い詰めたのがどちらか分からなくなる光景であった。
 蝶野は余裕を見せて問答を行い、剣を突きつけているカズキが躊躇を見せていた。
 蝶野を人間だと断ずる以上、殺す理由はなくなってしまう。
 それでもカズキが蝶野を殺す行為は、殺人という大罪でもあった。
 シグナムが一番心配したのはそこ、殺人と言う罪悪感にカズキが取り殺される事である。

「すまない、蝶野攻爵」

 だがカズキは決めた。
 もう元に戻れない以上、蝶野攻爵を人間で終わらせるには人間と認識する誰かが殺さなければならない。
 蝶野攻爵という人間を、武藤カズキという人間が殺す。
 罪悪という名前であっても、ずっと覚えているという意味を込め呟いた。

「謝るなよ偽善者」

 それに対する蝶野の返答もまた、変わらなかった。
 超人か人間かではなく、それはお前の自己満足に過ぎないと。
 死んだ後の事など関係ないという言葉を、最後まで肯定していた。
 その死に際の表情は、笑顔では決してない蝶野らしい笑みである。
 そしてレヴァンティンより放たれた閃光の中に、蝶野攻爵という人間は消え去った。









-後書き-
ども、えなりんです。

カズキの奥の手がNEW。
ただし、現状ではレヴァンティンが必要だけどね。
さらに矢も作れないからサンライトハートで代用、ただし飛ばないw
イメージ的には、十本刀の張の我流大蛇かな?
あのでっかい突撃槍が、地面を滅茶苦茶に食い破りながら襲い掛かる。
一見何処へ飛ぶか分からないから戸惑う上に、その一瞬が命取りな感じ。

空を飛んでいる時には使えない等、まだまだ欠点まるけです。
ちなみに蛙井ごときにシグナムに奥の手を使わせたのはこの為。

それでは次回は水曜です。



[31086] 第十七話 頑張ったんだ、でも偽善者なのかな
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/02/29 21:07

第十七話 頑張ったんだ、でも偽善者なのかな

 蝶野は言った、生きたいと。
 寸分違わぬ同じ声が、延々とカズキの耳元で囁かれ続けていた。
 夜の闇よりも暗い、何処とも知れぬ場所での事である。
 今にも両手で耳を塞ぎ、その声を聞きたくないと叫びたかったがそれは許されなかった。
 蝶野のその意志を断ち切ったのは、他ならぬカズキ自身であったからだ。
 普通の人生を歩む人の何十分の一の願い事、ただ生きたいそれだけの願い。
 ホムンクルスと化した蝶野を人間として死なせる為だけに、カズキが殺した。
 サンライトハートを腹に突き刺し、身動きが出来ない状態でレヴァンティンで閃光の中に消し去った。
 光の中で砕かれ消滅していく様もしっかりと覚えている。
 謝罪する事で心の重しを軽くする事ができれば、どんなに楽だろうか。

「謝るなよ、偽善者」

 だが死に際の蝶野の言葉が、何度もリフレインして耳を騒がせていた。
 カズキが胸に抱いた罪悪感だけが、蝶野が人間として生涯を終えた証なのだ。
 この先一生背負わなければ、カズキの罪は意味が失せ、蝶野は化け物として死んだ事になる。
 だからこそ、カズキはこう言わなければならない。

「蝶野、お前は人間だ。人間のお前を、俺がッ!」

 その言葉を最後まで叫ぼうとした刹那、真っ白な閃光が周囲を覆い見たしていった。
 あまりの眩しさにカズキは両腕で瞳を庇い、体を強張らせる。
 それでも胸の内から溢れ出てくる言葉だけは、声にならない声で叫んでいた。

「蝶野ッ!」

 真っ白な光は、瞼を開けた事で飛び込んでくる蛍光灯の光であった。
 シーツを跳ね除け、カズキはベッドの上で上半身を跳び起こさせた。
 体をびっしょりと濡らす汗を拭い、シーツはその汗を吸い込んで随分と湿っぽい。
 ないはずの心臓がやけに重く、体全体がだるかった。
 手の平で額を支えなければ顔すら上げられず、液体のような溜息をどろりと吐いた。

「ん?」

 濡れたシーツを無造作に払い、ようやくカズキは今の状況に気付いた。
 体の上を方々にはしり巻かれた包帯、それ以外の着衣と言えばトランクスぐらい。

「うわああ!?」

 一体何がどうなっているのか。
 病院のようにも見える部屋だが、壁がコンクリートではなく金属に見える。
 ベッドもパイプベッドではなく、見たこともない金属製の土台の上に布団があった。
 真っ白な照明も本当の所は、蛍光灯なのかどうかも怪しいものだ。
 一瞬、武藤カズキは改造人間であるというナレーションが脳裏に過ぎる程である。
 何が何やらと混乱するカズキを、さらに困惑させる者が現れた。

「あら、気が付いたようね」

 その声の方に振り向けば、若草色の豊かな髪をアップに纏めた美女であった。
 服装こそ軍人のような青いコートに、白いパンツだがその魅力が損なわれる事はない。
 むしろ、おっとりとした表情の中に凛とした雰囲気を持たせミステリアスな魅力を生み出していた。
 色々とカズキの頭の中に視覚情報が流れていったが、つまりは好みのお姉さんという事であった。

「うわああん!?」

 慌ててベッドを飛び降りたカズキは、両手で胸と股間を隠す。

(謎の密室に監禁されてパンツ一丁、そばには怪しげな軍服の綺麗なお姉さん。俺に一体何があった!)

 先程までとは異なる重苦しい息を吐き出しながら、カズキは大量に脂汗を浮かべていた。

「あらあら、いけない子ね」

 いたいけな青少年の想像の翼は逞しく、色々と妄想してしまうのも罪ではなかった。
 ただ目の前の美女は、カズキの想像をおおまかには察しているらしい。
 今にもだけど可愛いと呟きそうに口元に手を当てて、くすりと微笑む。

「この様子だと心配はいらないみたいね。エイミィ、なのはちゃんとユーノ君を呼んであげて。カズキ君が目を覚ましたわ」
「はいはい、ついでにクロノ君も」
「クロノは呼ばなくて良いわ。この子達も色々とあったようだし、話は後日詳しく聞かせてもらうわ。カズキ君、簡単に自己紹介させてもらうわね。私は時空管理局所属、次元航行船アースラの艦長のリンディ・ハラオウンよ」
「時空管理局……えっと、確か警察と裁判所云々の?」

 リンディが通信していたウィンドウを物珍しげに見ていたカズキが呟いた。
 時空管理局と言う存在はシグナムより、さわり程度に教えられている。
 本来、ジュエルシードのようなロストロギアの暴走に対処する専門家の集団だと。
 他にも色々とシグナムには思うところがあったようだが、カズキの知識としてはその程度であった。

「貴方の容態が緊急を要したものだから、断りなく収容させてもらったわ。元々、私達がこの第九十七管理外世界に来た理由とも関わりがあったみたいだし」
「えっと……」

 起き抜けだけのせいではないが、まだカズキは上手く頭が回らないでいた。
 そのカズキがリンディの言葉を全て理解するより先に、部屋の扉が開く。
 当初カズキはそこを模様のある壁としか認識していなかったが、スライド式だったらしい。
 入ってきたのは、聖祥大付属小学校の制服を着たなのはと、その肩にいるユーノであった。

「カズキさん、良かった……駆けつけてみたら、誰もいなくて。破壊痕と血が一杯で」
「無事で良かったよ、カズキ。だけど結界も張らずに戦闘なんてするから、地上では大変な事になってるよ。そのおかげでこの船に見つけて貰えたんだけど」

 二人とも、まだ詳しい事は何も知らされてはいないらしい。
 言葉を聞く限りでは、二人が駆けつけるよりも、カズキが保護された方が先のようだ。
 しかし幼い二人に真実を告げるべきかどうか。
 安心させる為には告げるべきだが、余りにも衝撃が強くはないだろうか。
 だからカズキは出来るだけ言葉を選んで簡潔に、必要な事だけを伝えた。

「俺は大丈夫。それにもう二度と、なのはちゃんも怖い思いはしなくて済むから」
「じゃあ、創造主さんは捕まえられたんですね?」
「それは……」

 事実をまだ知らないなのはの問いかけに、カズキは言葉を詰まらせてしまう。
 一人で嘘をついても、直ぐにばれてしまう事だろう。
 自分が殺したと、人間である蝶野を殺したと言うのは躊躇われた。

「ええ、そうよ。ただし、この世界の人ではきっと彼を裁けないから私達が然るべき所で裁判を受けさせ、彼に罪を償わせるわ」

 口ごもり顔色を悪化させていったカズキの代わりに答えたのは、リンディであった。
 そしてここは任せてとばかりに、ウィンクで合図をしてきた。

「さあ、詳しく聞きたい事もお互いあるでしょうけど今日はこれまで。カズキ君も、無断で学校を休んじゃったし、ご家族にも顔を見せてあげないとね」
「あ、そうですね。私は一度学校行ってますけど、そろそろ帰らないとまひろちゃんが」
「まだ全部終わったわけじゃないけど、一度ゆっくり休もう。特にカズキはね」
「その前にまず、カズキ君は服を着ないとね」

 上手くリンデイが話をそらしてくれたが、カズキの姿を改めて見てなのはが顔色を変えた。
 やかんが熱せられ、中の水が沸騰するように真っ赤になっていくように。
 頭からもピーッと煙を噴き出して頭の中は完全に沸騰したらしい。
 何しろ家族の人以外の男の人の体を見てしまったのだ。
 慌てて片手で顔を覆って俯き、カズキを指差しながら叫んでいた。
 顔を覆っている手の指の間が少し開いているのは、もはやお約束か。

「な、なんでカズキさん……パンツ一枚なんですか。もう、早く言ってください。着替えて、何か着てください!」
「別に恥ずかしがらなくても、まひろは全然気にしないよ?」
「ふぅん、じゃあ私が見ても平気かしら」
「はぅぁ、お……俺の学生服何処っすか?」

 リンディに覗き込まれるように体を見られ、カズキは悲鳴を上げながらベッドのシーツを手繰り寄せた。
 リンディの気遣いに対して、それにありがたく乗っかった形である。
 もちろん、恥ずかしかったのも本音であったが。

「むう、ユーノ君……この差ってなに?」
「僕に言われても、カズキだからね」

 ユーノには言葉を濁され、なのはが頬をリスのように膨らませる。

「ごめん、ごめん。さあ、帰ろう。皆が待ってる」
「はい、出口の転送ポートまで案内しますね」

 着替え終わったカズキは、なのはの頭に手を乗せて撫で付けあやしてみせた。
 まだ不満は残るものの、カズキもまひろに会いたいだろうともやもやした気持ちは置いておく。
 そしてなのははカズキの手を引いて、出口はこっちと引っ張り出す。
 その様子を見ながら、リンディはとある古い知り合いとカズキを重ね合わせていた。

(なんだかあの人に似てるわね。独りで全部背負おうとする所なんか、特にそっくり。周りを見れば、仲間がちゃんといるのに)

 かつての仲間の事を思い出し、悲しげにカズキを見つめている。

「後日、また連絡を入れます。その時は、軽い事情聴取にご協力願いますね」
「うん、分かった。何時でも良いですよ」

 表面上は事務的な言葉をカズキに投げかけ、その直後に念話を繋げた。

『カズキ君、あまり気にし過ぎない事ね。それでも貴方が納得できないなら、この言葉を覚えておいて。善でも悪でも、貫き通せた信念に偽りなど何一つない』
『善でも、悪でも……』
『私の古い知り合いの、人生観みたいなものかしら。貴方が道に迷った時にでも、思い出して』

 扉から出て直ぐに姿が見えなくなったカズキから、分かりましたとの返答はなかった。
 それも当然かと、リンディは一つ溜息をついた。
 第九十七管理外世界である地球への到着は遅れに遅れ、ほぼ全てが終わった後。
 ジュエルシードの高い反応を探ってみれば、カズキと蝶野の一騎打ちの真っ最中。
 後でなのはからカズキが魔法を知って一ヵ月と聞いて、耳を疑ったものだ。
 ミッドチルダの就職年齢は低く、カズキの年齢で修羅場を潜る者は少なくない。
 だがそれは、きちんと訓練を積み、実戦を積み重ねやっとでの話。
 わずか一ヶ月で人を殺すような不自由な選択に対面する者など、まず稀である。
 言葉一つで人殺しの禁忌を納得できる程、簡単なものではない。

(だけど、あの言葉の続きは教えられないわね。もしも自分を疑うのなら、戦い続けろ。とても民間人の子にはね。少し、感傷的になっちゃったかしら)

 今目の前にある事実にだけ囚われ、潰れなければ良いがと思いつつ考えを切り替えた。
 この世界に散らばったジュエルシードは、まだまだ存在しているのだから。

「エイミィ、蝶野邸の捜索はどうなってるかしら?」
「はい、現地の警察が封鎖を行った直後秘密裏に蔵を捜索したら、出るわ出るわ。小型の無限書庫のようなものや、機械生命体の生成方法。他にもロストロギア級の技術がわんさか」
「全て回収して順次封印を。危険物はリストにして資料を回して、持ち帰り不要であれば破棄します。他に気になった事は?」
「それが一つ、不可解な事があるんです」

 通信用のウィンドウ越しに告げられた報告に対し、リンディはまさかと呟く事になった。









 次元航行船であるアースラが停泊しているのは、地球の外側。
 宇宙空間であるそこから、カズキとなのはは魔法転送により海鳴市の臨海公園へと降ろされた。
 人目に付かない場所を選んでの事で、オペレーターの人にお礼を言ってから帰路につく。
 時刻はなのはが言った通り夕暮れ時で、空のみならず海も赤焼けにそまっていた。
 春の暖かな日差しも海風と混じって少し肌寒いぐらいであった。
 その公園内を出口に向かい歩きながら、カズキは気になっていた事を聞いた。
 それはカズキと分かれてから、鷲尾と花房と戦ったなのはの経緯である。

「そっか、フェイトちゃんが助けてくれたんだ」
「はい、管理局の事を知ったら慌てて行っちゃいましたけど。はやてちゃんには後で一緒に謝りに行く約束をしました」
「今回は協力関係にあったけれど、元々彼女達の行為は違法以外の何ものでもなかったからね。色々と考え直してくれると良いけど」

 ユーノの一言でなのはが複雑な顔をしたが、直ぐ後によしっと気合を入れていた。
 決意に眉を逆八の字に吊り上げたのは、理由を聞いて可能ならば説得するとの決意か。
 そんななのはの前に、一つの朗報がもたらされた。

「今週の土曜日、テスタロッサから申し入れがあった。はやてとその家族である私達に謝罪したいと」
「え、本当ですか……シグナムさん!?」
「なにを驚いている。今回、肝心な所で何もできなかったからな、出迎えぐらいさせて欲しい。それとも、いらぬお世話だったか?」

 そう言ったシグナムが時折空を見上げるのは、管理局の存在が気になってか。
 だが本音は出迎えたかった方だとばかりに、ぶんぶんと首を振るなのはの頭に手を置いていた。
 そのなのはは、何かにハッと気付いたように辺りを見渡し始める。
 夕暮れ時、海が見える公園、年頃の男女とカズキとシグナムを順に見比べた。

「えっと、あの。私は家こっちなので失礼します。土曜日の件は、分かりました。私自身、フェイトちゃんに連絡とってみます。それじゃあ!」
「なのは、急にどうしたのさ。まだ疲れやダメージは残ってるんだから、あまり激しい動きはしない方が」
「もう、ユーノ君はデリカシーがないんだから。邪魔しちゃまひろちゃんに怒られちゃうよ」
「デ、デリカシーが……ない」

 肩の上でうな垂れたユーノを両手で掴んで、子供は風の子を体現して走り去っていく。

「もしや、この扱いはずっと続くのか?」

 そんなシグナムの言葉も届いた様子はない。
 その無駄な気遣いは口から駄々漏れで、シグナムにもカズキにも聞こえていた。
 なのはは時々ちょっと振り返り、夕焼け以外の理由で顔を赤くして、また走り出す。
 見えなくなるまでずっと、その繰り返しであった。
 やれやれと言いたげに軽い溜息をついたシグナムは、振り返らずに呟いた。

「そんな顔をするな。お前は自分の成すべき事を成しただけだ」

 気遣うべきなのはが居なくなった途端に、仮面の笑顔が崩れ始めたカズキに対してであった。
 決意をし、覚悟した上での事であったが、殺人という事実はあまりにも重い。
 本人は必死に笑おうとはしているのだが、今にも消えてしまいそうな儚げな印象がついてまわっている。
 妙な気を起こさないか、心配になってしまう程だ。

「お前は本当に良くやった。ほぼ孤立無援の状態で蝶野攻爵を止めた。それ以上、何を望む事がある。妹も友人も、お前が望んだ通り全て無事だ」
「良くなんてやってないよ」

 シグナムの案ずる言葉に対し、カズキ自身が否定する言葉を呟いた。
 今にも泣きそうな震える声で。

「もう誰も犠牲者を出さないって言っておいて、何人も犠牲者を出した。超人を望んだ蝶野の気持ちを踏みにじって、人間だって言い聞かせもした。あげくその蝶野を殺して。蝶野が最後に言ったんだ。謝るなよ、偽善者って」

 よろめくようにカズキは防波堤の手すりに手をつき、顔を落とす。
 シグナムに背を向けた状態であっても、震える肩が全てを物語っていた。
 決してシグナムには見せまいとした涙が零れ落ち、手すりの上の手の甲に落ちる。

「俺、頑張ったんだ。痛いのも怖いのも我慢して、必死に蝶野を止めようとした。でも、偽善者なのかな」

 主であるはやての事があったとは言え、やはり自分が行くべきだったとシグナムは思った。
 犠牲者を出すまいと、カズキは戦い続けていた。
 人一倍、怖いのも痛いのも嫌いながら、素人同然のままに偶然手にした力で。
 同じ高校生の男で、カズキと同じような意志を持って戦い続けられる者が何人いる事か。

「カズキ……」

 良くやったという言葉も、頑張ったという言葉もカズキには無意味に近い。
 戦い傷ついた者を踏み越えた経験はあっても、慰めた経験はシグナムにはなかった。
 何をしてやれば良い、どうすれば良い。
 未だかつてない程に、締め付けられる胸に問い正しても答えは得られなかった。
 そもそも、シグナムは胸の痛みが何であるかも正確なところは分からないでいた。

「善でも悪でも……」

 カズキの肩に手を伸ばしては引っ込め、戸惑うシグナムの耳にカズキの呟きが届いた。

「最後まで貫き通せた信念に、偽りなど何一つない」

 初めて聞いたはずの言葉。
 その言葉を聞いて、シグナムは何時か何処かで聞いた言葉だと感じた。
 記憶にはない言葉のはずなのに、何時か何処かで。
 そんなシグナムの戸惑いを他所に、カズキは独り言のように呟き続ける。

「最後まで貫かなきゃ、嘘になるのかな。俺の信念って、何だろう。戦う事? 皆の敵を倒す事? 蝶野一人で足りないなら……」
「馬鹿な事を考えるな。私はお前の信念を知っている、この目で見てきた。お前はただ、守りたかっただけだ。家族を友人を!」

 感情が赴くままに、シグナムは躊躇いという一線を越えていた。
 泣きじゃくるカズキを振り向かせる事はせず、その背中から抱え込むように抱きつく。
 カズキは今、完全に己を見失っていた。
 シグナムが言った通りカズキが戦い始めたのは、大切な家族や友人を守りたいと思ったから。
 守りたい、それこそがカズキの信念であった。
 その信念に従い、家族や友人を脅かす危険を魔法という力で排除しようとし始めた。
 だがその信念の幅は、本人が思う以上に大きく広かったのだ。
 倒すべき敵である蝶野すら拾い上げようとし、矛盾を抱えたまま殺害するに至ってしまった。

「カズキ、お前には休息が必要だ。いや、もう二度と戦うな。今度こそ、妹達のいる日常へと帰れ。頼む」

 縋りつくようなシグナムの願いに対し、カズキは大いに躊躇しながら頷いた。

「それで良い、もう戦わないでくれ」
「ごめん、シグナムさん。それと、ありがとう。まだちょっと大丈夫じゃないけど……まひろが待ってる。帰ろう」

 涙を拭い、まだ弱々しいながらも笑みを浮かべたカズキが手を差し出した。
 今回だけだぞと心の中でのみ呟き、シグナムがその手を取った。
 幼い迷子が親を求めるように強く握られ、安心しろとばかりに握り返してくれる。

(前みたいな生活の中で、守るって信念をどう貫けば良いかは分からないけど。蝶野の事は絶対に忘れない。忘れない事で蝶野を守る。人間蝶野攻爵を俺が殺した。お前は人間だ、蝶野)

 再び涙が零れ落ちそうになった時、シグナムが覗き込むように見てきた。

「もう少し、ここにいるか?」
「大丈夫、本当にもう」
「そうか……」

 慌てて涙を拭ったが、少しシグナムに不安そうにされ無理やりカズキは笑ってみせた。
 すると何を思ったのかシグナムが突然、繋いだ手を強く引っ張った。
 不意を突かれた事もあり、カズキは前のめりに大きくよろめく。
 そして次の瞬間、一瞬だけだが頬に柔らかな感触が触れた気がした。
 何かが触れた場所に慌てて手を当て、一体何がと考える。
 答えは、やや赤面しつつも、唇に指を当て挑発的な笑みをむけるシグナムが握っていた。

「これで少しは元気が出たか?」

 出ない筈がないとばかりに、カズキは盛大に首を縦に振っていた。
 すると改めてシグナムが手を繋ぎなおし、先を急ぐように歩き始める。
 カズキが転ばない程度にだが、ぐいぐいと引っ張られていく。
 それに伴い、シグナムの顔は俯き耳元が妙に赤い気がしてならなかった。

「シグナムさん、照れてる?」
「う、うるさい。やってみたは良いが、背中が痒い。自分が自分で気持ち悪い。あぅ、やるんじゃなかった。忘れろ、私はなにもしてない!」

 振り替えるや否や、シグナムはカズキの胸元を掴み凄もうとしていた。
 だがカズキ以上に赤面し、うろたえていては凄みなんて欠片もなく、むしろ可愛いぐらいだ。
 年上の綺麗なお姉さんが見せる可愛い姿に、カズキも本当に元気が出てきた。
 と言うよりも、何時ものカズキが少なからず戻ってきたと言っても良い。

「シグナムさん!」
「はひ」

 名を呼んで慌てるシグナムの両肩を掴み引き寄せると、掠れた声で返事をされた。

「お返しのキス」
「するなぁッ!」

 目を閉じて唇を突き出し、シグナムの頬に狙いを定めたまでは良かった。
 だが次の瞬間、シグナムの拳がカズキの鳩尾へと吸い込まれていた。
 羞恥という力により威力が倍増しとなったそれを受け、カズキが腹を抑えて蹲る。

「うぐおお、痛い……シグナムさん、まだ怪我治りかけなのに」
「す、すまんつい。お前が急に変な事をしようとするからだな。つまり、お前が悪い」
「先にしたのはシグナムさんなのに。分かった。次からは、俺も不意をついて反撃されるまえにするから」
「だから、それを止めろと言っている!」

 なのはの気遣いは上手くいったのか、行かなかったのか。
 大いに時間をかけ、二人が八神家についたのはすっかり夜もふけた頃であった。
 そして八神家でも、カズキの頬にある口紅跡の事で大いにからかわれる事となる。









 翌日の放課後、カズキとなのは、それにユーノの姿は再びアースラの中にあった。
 リンディの私室ともいえる艦長室に何故かある畳の上、座布団をお尻に敷いて。
 部屋にはししおどしも備え付けられており、正しく間違った日本の部屋という感じである。
 カズキとなのは、それから人の姿に戻ったユーノが並んで座っていた。
 その対面にはホストであるリンディとその部下であるクロノという少年が控えている。

「大まかなお話は、理解しました。散らばったジュエルシードを集めようと、皆立派だわ」
「だが無謀でもある。特に、次元世界の人間であるユーノ。君の事だ」

 カズキとなのはは、第九十七管理外世界と言われる地球の原住民である。
 次元世界という知識もなければ管理局の存在も知らず、無謀云々よりやらねばならなかった。
 だがクロノの言う通り、ユーノの行動は決して褒められるものではない。
 何よりもまず、管理局に報告し、それから協力を申し出るなりなんなりするべきであったのだ。
 本人もそれは分かっているのか、クロノの言葉を否定せず、ただ落ち込むように肩を落としていた。

「クロノ君、ユーノ君も反省はしてる。けど、ユーノ君を責める前にもっと大切な事があるはずだ」
「ああ、そうだ君の言う通りだ、艦長」
「そうね。カズキ君、それになのはさんもユーノ君も。これよりロストロギア、ジュエルシードの回収については時空管理局が全権を持ちます」
「君たちは今回の事は忘れて、それぞれの世界に戻って元通りに暮らすと良い」

 リンディとクロノの通告を前に、待ってと声を上げようとしたなのはをカズキが止めた。

「カズキさん?」
「なのはちゃん、もう良いんだ。リンディさん達に任せよう。今までは俺達の他に、誰も出来る人が居なかった。けど、今は専門家が来てくれたんだ」
「確かに、なのはの安全を考えるべきならそうするべきだ。無理をする必要は無い」
「そう、言われちゃうと……そうかな。うん、ホムンクルスは全部倒したし。後は全部、その次元世界の人達の問題だもんね。きちんと回収して貰えるなら、何も言いません」

 改めて説得されると、割とあっさりなのはは受け入れていた。
 それは今回の事件で十分に痛みや恐怖と言うものを肌で知ったからだ。
 それになのはの一番の動機は、ジュエルシードによる被害とフェイトへの憧れ。
 専門家なら安心だし、フェイトとは既に連絡を取り合う仲で何の問題もない。

「聞き分けの良い子達で助かったわ」
「俺、高校生ですよ。それと、これが俺が今まで集めてきたジュエルシードです」
「あ、なのはも。レイジングハート、出してくれる?」
「Put out」

 カズキが差し出したジュエルシードは、全部で六個。
 なのはが差し出したのは鷲尾と花房の分を含めた四個であった。
 全部で二十一個あるジュエルシードの内、半分以上ある事になる。

「確かに、それと君の左胸の一個は不問とする。今まで暴走の兆候もなかったようだし、人が生き返るなんて話はない方が良い」
「うっ、ばれてる」
「貴方の体を精密検査した時にね。勝手にごめんなさい。けど、封印はしないから安心して。管理外世界の住民から無理やりってのは、組織的にもあってはいけない事だから」

 緊急時はその限りではないけれどとは、リンディの心の中だけでの呟きであった。

「あの、僕はせめてジュエルシードが全て集まるまでこの世界に居たいんです。できれば、このアースラに居させてもらえませんか? ジュエルシードの知識もあります」
「そうね、実際に対処した事がある子の意見は重要だわ。それに貴方は、スクライアの子だったわね。管理局としても、あの一族とは上手く付き合うべきね、クロノ」
「分かりました。アドバイザーとして、席を一つ用意します」

 これまで対処してきたユーノの意見は重要だとそれは受け入れられた。
 だがそれは同時に、なのはとユーノのお別れを示している。
 なのははもう魔法には関わらないとし、ユーノは元々別の世界の人間だ。
 本来交わる事のない二人が出会えたのも魔法という共通点があっての事。
 それを取り除いてしまえば、会えなくなるのは当然であった。

「なのは、今までありがとう。たぶん、もう会えなくなるけど」
「それは少し寂しいかな。けど、ユーノ君の事は忘れないよ。あ、レイジングハート返さないと。ごめんね、借りっ放しで」
「いや、返さなくても良いよ。元々、僕の手には余るデバイスだし。もう必要ないかもしれないけど、レイジングハートもその方が嬉しいだろうし」
「え、う……じゃ、じゃあ貰っちゃうね?」

 名残惜しそうに二人が別れを惜しむも、そう長々とは引きとめられない。
 普通の学生に戻るカズキとなのはとは違い、リンディ達はこれからが本番。
 まだ数日の猶予はあるからと、手短に別れを済ませ、二人はアースラを降りていった。
 昨日と同じく、夕焼けの色にそまる臨海公園にである。
 そこからアースラがあるであろう空を見上げ、まずなのはが呟いた。

「終わっちゃいましたね。明日から、放課後は何しよう」
「決まってる。岡倉達や、まひろ達と遊べば良い。もう、戦う必要なんてないんだから」
「そうですね。だったら早速、皆にメールします」
「俺も岡倉達に電話するか。最近、ほったらかしだったし」

 なのはは嬉しそうにメールを行い、カズキは渋面を作ってまず岡倉に電話をかけた。
 二人共肩の荷が降りたのは同じだが、男と女では友達の反応が違う。
 メールを送って直ぐに着信音が鳴り、なのはは続きメールを打ち始める。
 一方のカズキは、受話器越しに怒鳴られていた。

「てめえ、カズキ。聞いたぞ、シグナムさんとキスしただと。この裏切り者、お前は俺の気持ちを踏みにじった!」
「おう、密告者は誰だ!?」
「カ、カズキさん。もう遅いのでなのはは、帰りまーす!」
「え、その反応。て事は、犯人はなのはちゃん? それって一体何処まで広がってるの!? ちょっと、いやかなり嬉しいけど!」

 嬉し恥ずかしの気持ちを抱えながら、カズキが頭を抱えて体をくねらせた。
 そして直ぐに、きゃあ笑いながら逃げたなのはを追いかけ始める。
 そのなのはの声と海の小波を受話器越しに聞き、さらに岡倉がヒートアップ。

「何故なのはちゃんが……おのれ、年上のみならず年下まで。さすがに小学生相手はちょっと引くが、海沿いで追いかけっこなどこの俺が許さん。大浜と六桝を召集してボコる!」
「いや、俺達もう帰るから。集合は俺の家で。皆で飯でも食おう、今までのお詫びも含めて皆に色々と奢る」
「良く言ったカズキ、財布の心配をしながら待ってろよこの野郎!」
「カズキさん、私も行きます。男の子ばっかの中で、まひろちゃん一人はかわいそうなので。あ、そうだ。すずかちゃん達も」

 メールをしながら逃げていたなのはは、シグナムとのキス云々の詳細を聞く気満々であった。
 そのなのはを捕まえたカズキは、まだ早いとばかりにコツンと小突いた。
 だがまひろもその方が楽しいだろうと、許可を出すようになのはを背負う。
 背負ったまま臨海公園を駆け抜け、二人で帰路につく。
 もしもこの光景を恭也が見ていれば、羨ましいと一言呟きそうである。
 そんな家族や友達との触れあいを通し、カズキはほんの少しの後悔を胸に抱いていた。

(できれば蝶野にも、こんな風に生きて欲しかった。知って欲しかった)

 殺すしかない状況で殺害してしまった事に対する後悔はない。
 蝶野を人間のままにするには、他に選択肢がなかったのだから。
 だができれば、蝶野にも自分と同じような生活を一度で良いから味わって欲しかった。
 そんな機会があるはずもないが、そう思わずにはいられないでいた。









 こぽりと、液体に満たされたガラス管の中に気泡が起きて浮かび上がっていた。
 明かりの少ない薄暗い空間での事である。
 ガラス管は全部で二つ。
 一つはなのは達よりも少し幼い金髪を持ったフェイトに良く似た少女であった。
 生まれる前の胎児のように体を丸め、満たされた液体の中で静かに眠っている。
 そしてもう一つは、成人に近い男性のものであった。
 ただし、その五体は不完全であり、下半身などは殆どなく上半身と片腕のみだ。
 同じ液体の中に沈んではいても少女とは違い、ただ死んでいるようにも見えた。

「ぎりぎり、間に合いそうね」

 ガラス管の中で液体に満たされた男性、蝶野攻爵を見上げて呟く者がいた。
 パーティドレスを模した黒いバリアジャケットに身を包んだ、女性であった。
 年の頃は四十代後半辺り。
 もしくは不健康そうな顔色が歳を老けて見させているのか。
 フェイトの母親であるプレシア・テスタロッサであった。

「まさか、偶然ジュエルシードが散らばった管理外世界にあんな技術があったなんて。信じてもいない神を信じそうにさえなったわ」

 地獄の中で希望を見つけたように、プレシアは蝶野を見上げていた。
 半身を吹き飛ばされても、脈打つ心臓に時折ぴくりと動く瞼。
 生きている、病魔に侵されながらも生まれ変わり、超人と化した蝶野は。

「全く、やっぱりフェイトは駄目ね。私の願いを理解もせず、無駄な事ばかりに時間をかけて。あの子は失敗作、役に立たないお人形」

 そう憎々しげにプレシアが呟いた時、殊更大きく蝶野の瞼が痙攣していた。

「ホムンクルス化の技術。これがあれば、アリシアを生き返らせてあげられる。そして私自身も、アリシアの母親であり続けられる。さあ、早くその目をあけなさい」

 プレシアは蝶野がいるガラス管を見上げながら続ける。

「貴方が超人たる事を望むのなら、私が呼んであげる。超人パピヨンと。だからその知識を私に寄越しなさい」

 自分の言葉の危うさにも気付かず、プレシアは超人パピヨンと声をかける。
 蝶野を見るわけでも、パピヨンを見るわけでもなく。
 その知識が欲しいが為に、本人を見る事をせずに呼びかけ続けた。

「私のアリシアに、今一度生を与える為に!」

 己の願望を満たす為だけに、その名を呼んでいた。









-後書き-
ども、えなりんです。

さて、シグナムとカズキが一歩前進。
恋人未満な感じ。
けどカズキから何かすると殴られる、変に理不尽ですw

現状で、カズキとなのはは戦線からドロップアウト。
カズキは心の傷が深いですし、なのはは理由がないから。
フェイトはもうお友達ですしね。

んで大方の予想通りだとは思いますが、瀕死の彼はママンが拾いました。
アリシア大復活ですよ、ホムンクルスだけど。

それでは、次回は土曜日です。



[31086] 第十八話 私達の本当の戦いは、まだ始まったばかりだ
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/03/03 20:42

第十八話 私達の本当の戦いは、まだ始まったばかりだ

 クロノは渋面を作り出しながらあるモノを目の前にかざしていた。
 青い菱形の宝石で内部に数字が見えるジュエルシード。
 海鳴市近辺の地図を、前面のウィンドウに映し出したブリッジでの事である。
 第九十七管理外世界である地球へとやってきて一週間が経った。
 既に一週間と言うべきか。
 全力を挙げて捜索し、手に入れられたジュエルシードは僅かに一つ。
 次元航行船であるアースラは、総勢百人を超える大所帯である。
 もちろんその中の大半は非戦闘員ではあるが、それでも戦闘員は二十を超える。
 最大戦力は執務官たるクロノであり、他に武装隊と呼ばれる精鋭も数多い。
 カズキとなのは、ユーノで捜索していた頃の十倍近い数なのにわずか一つだ。
 あまりの成果のなさに、苛立ちを募らせても仕方のない事だろう。

「クロノ君、しかめっ面禁止。ユーノ君も言ってたけど、ジュエルシードは発動まで魔力が本当に微弱で近くにでも居ない限り探すのは難しいんだから」
「それは言い訳にならない。それに専門家だと、その身を引いてくれたカズキやなのはの事もある」

 ピリピリとしたブリッジの雰囲気を和らげようとしたエイミィの言葉を受け、クロノが少し肩の力を抜いた。
 だがそれとコレとは別だと、不甲斐なさは感じているらしい。

「大丈夫だよ、クロノ。現状は被害らしい被害もないし、それさえなければあの二人も気にしないよ。もちろん、はやく見つけるに越した事はないけど」
「しかし、改めて考えると君達は凄いな。たった数人で、半分以上を集めて見せたんだ」
「ま、まあね。主になのはとカズキのおかげだけど……たぶん、密集してた分だってのもあると思う。街の方には、もう殆どないみたいだし」

 事実を織り交ぜながら、ユーノは乾いた笑いを浮かべながらそう答えていた。
 何しろ、協力を申し出ながら黙っている事もあるからだ。
 実際に共に捜索したベルカの騎士のシグナムや今一立場が不明なフェイトの事も。
 後ろめたい気はするが、話したら話したでややこしい事になる。
 それに手伝って貰って置きながらその意志を無視して存在を伝えるのは、裏切りに近い。
 恩を仇で返すことは、真面目なユーノには到底できない事であった。
 そんなユーノを少し疑う目付きで見ていたのは、話を振ったクロノである。

『嘘は言ってないけど、何か隠してる感じだね。実際、協力的で助かってる部分もあるし』
『見つかった一個も郊外で見つかったものだ。半分近くは街の近くに密集って話も嘘じゃない。だが色々と腑に落ちない事もある』
『蝶野攻爵、ホムンクルスの創造主が使用したジュエルシードが見つかってないもんね。一体それを誰が回収したのか』

 それ以外にも、不可解な事が二日前に起きている。
 やっとの思いでジュエルシードの反応を見つけ、エイミィが場所を報告した事があった。
 もちろんの事、エイミィはすぐさまその事実をリンディに報告した。
 武装隊数名が急ぎ装備を整え出動してみれば、その場所には何もなかった事がある。
 となれば当然、エイミィの調査結果が疑われたが問題はなかった。
 半泣きのエイミィが実際のデータを見せて、皆もそれを確認している。

『ホムンクルスの創造主は生きている? もしくは、まだ他に収集者がいるのか。エイミィ、一度カズキと蝶野攻爵との決闘時のデータを洗いなおしてくれ』
『うえ、あれグロイからきっついんだけど……今時、非殺傷設定もなしにやりあう魔導師なんていないのに。はいはい、分かりました。クロノ君の仰せのままに』

 一方のユーノは自分にあらぬ疑いが掛かっているとも思わず考え込んでいた。
 先日のジュエルシードの反応消失についてだ。
 ユーノ自身その時のデータは確認したし、エイミィの報告に間違いはないと思っている。
 ならば一体誰が、ジュエルシードを回収したのか。

(カズキもなのはも、普通の学生に戻ってる。シグナムさんも、普通の生活に戻ってるはず。ならばフェイトだけど……彼女の目的は憑依体の観察で、持ち去る理由がない)

 蝶野はアースラの牢の中だと思っているユーノは、他に容疑者をあげる事ができなかった。
 その胸のうちは、ジュエルシードを集めきってなのはを安心させたいそれだけ。
 ただし、それが確定した時、本当にお別れの時だとまだ来ぬ未来を想い寂しさに胸を痛めていた。









 通学路の途中にあるコンビニの駐車場。
 各々買い込んだお菓子やジュースで腹を満たしている高校生の姿があった。
 特にこれといった目的も意味もなく、ただ無駄に時間を浪費している。
 何処の街でも、もっと言えば何処のコンビ二でも見られる姿だ。
 そんな普通の高校生に戻ったカズキと、その友人である岡倉達である。

「しっかし、カズキがシグナムさんにうつつを抜かさなくなっても、何にも変わらねえな」
「うつつを抜かしたつもりはないが、本当ごめん」

 車止めの縁石に腰掛けていた岡倉が缶コーヒーをあおり、そのまま虚空を見上げ呟いた。
 ただし、カズキのごめんという発言に対しては、デコピンで悪くはねえと返す。
 さらに内心腹は立つがなともつけたし、台無しであったが。

「何か特別な事をするわけじゃないからな」
「こうやって放課後に寄り道か買い食いしたり、後はたまにまひろちゃん達に付き合うぐらい?」
「いいのか、それで。華の高校生が」

 六桝と大浜の身も蓋もない言葉に、俺達の春は遠いと岡倉が肩を落としていた。

「そんな事言って、シャマルさんのメールアドレスゲットしたとか言ってなかった?」
「本当にゲットしただけ……なんか忙しいみたいで、反応もイマイチ」
「そうなのか?」
「いや、俺に聞かれても」

 殊更肩を落とした岡倉にフォローはなく、純粋にどうなんだと六桝がカズキに尋ねた。
 だが尋ねられたカズキも、シャマルが忙しいかどうかなんて知らない。
 それどころか、シグナムが今どうしているかも殆ど知らなかった。
 最後に会ったのは、臨海公園で手を繋いで一緒に帰ったのが最後である。
 先週の土曜日は、フェイトが謝罪云々で出る幕はなかったし、日曜のお茶会にシグナムの姿はなかった。
 戦いを止めて、連絡を取る必要性も無くなり声すら聞いていない。
 ジュエルシードと蝶野を追っていた時は、毎日のように会っていたというのに。
 やはりあのキスのお返しが悪かったのかと、少し落ち込むカズキであった。

「お前、好きならちゃんと掴まえとけよ。あんな美人で家族想いの人はなかなかいねえぞ」
「だな、カズキがボケてシグナムさんが締める。お似合いだぞ」
「漫才するんじゃないんだから。けど、一体如何したの? 喧嘩でもした?」

 岡倉達から心配され、そうじゃないけどと言葉を濁すのが精一杯であった。
 元々周りが思うカズキとシグナムの関係は勘違いで、今は会う為の理由が全くない。

「あーッ、アンタ達。何やってるのよそんな所で!」

 理由はなくとも会いに行こうかと考えていたカズキの耳に、甲高い声が響く。
 一斉に振り向けば、カズキ達を指差しているアリサが、道路を挟んだ向こう側にいた。
 あちらも学校の帰りなのか、他にすずかやなのは、まひろと何時ものメンバーであった。
 カズキを見つけて走りだそうとするまひろを、ハッと皆が止める。
 右を見て左を見て、車が来ていない事を確認して一緒に道路を渡って来た。

「お兄ちゃん、ただいま」
「おー、おかえりまひろ。まひろも飲むか?」
「飲むー」

 一番に駆け寄ってきたまひろが、何よりもまずカズキに甘えるように抱きついた。
 十分に甘えた後でカズキから缶ジュースを貰い、美味しそうに飲み始める。

「なのはちゃん達もおいで、ほら食べる?」
「大浜さん、買い食いは駄目ですよ。だけど、ちょっとだけ頂いちゃいます」
「あ、なのはこれ好きだよ。美味しいですよね」

 大浜が差し出したスナック菓子の袋に手を伸ばし、すずかとなのはが貰い受ける。
 悪い事だとは分かっていても、育ち盛りのお腹は放課後になればすっからかんなのだ。
 さすがにカズキ達のように座り込む事はないが、お菓子に釣られてその中に混ざってしまう。
 それに異議をとなえたのは、最初に指摘するように声をあげたアリサであった。

「こらこらこら、アンタ達も。買い食いするにしても場所を考えなさいよ。何時も一緒にいる私達が恥ずかしいじゃない!」
「何を今さら、別に良いじゃねえか。誰だってやってる事だって、ほらアリサちゃんも飲めよ」
「皆がやってるからって、それにこんな時だけ名前で呼んで。もう……ぶっ、これ。今までアンタが飲んでたコーヒーじゃない。なんてもの飲ませるのよ!」
「なんだ、お子ちゃまにはコーヒーは苦かったか。悪い悪い、甘いジュースでも痛ッ、蹴るな。こら、ぐるぐるパンチは卑怯だろ!」

 一口飲んだ分を噴き出したアリサが、げしげしと岡倉を蹴り始めた。
 よっぽど嫌だったのか。
 アリサらしくもない、いかにも子供な攻撃まで繰り広げ始める。
 ぼすぼすと岡倉のリーゼントにヒットしては、セットが乱れていく。
 ただその顔は真っ赤に染まっており、どちらかというと照れているようにも見えた。
 お年頃の女の子には、間接キスといえど大変な問題なのだろう。

「はあ……はあ、全くこの馬鹿英之は」
「なにこれ、コーヒー分けてやってなんでぼこぼこ?」

 そして一頻り気が済むと、息を乱しながら体裁を整えるように髪を払いのけ、腕を組んで言った。

「それで、一体どういうくだらない話をしてたの?」
「ん、カズキが最近シグナムさんに会ってないって話」
「え、どうしてですか? 喧嘩でもしたんですか?」

 六桝の説明を聞き、すずかが大浜と同じような事を聞いてきた。
 しかもその口ぶりから察するに、キスまでしたのにと言外に含まれている。
 本当にカズキとシグナムに対する周りの認識は、恋人以外にないらしい。
 確かにそれ以外だと、全く共通点が見つからない間柄なのだが。 

「お兄ちゃん、お姉ちゃんのところに行かないの?」
「はやてちゃんの家は微妙に遠いし、平日はなあ。どうしても夜遅くなって、飯の時間が遅くなっちゃうだろ」
「はやてちゃんが夕御飯にカズキさんとまひろちゃんを招待しても良いって言ってますよ? 行きませんか?」
「ナイスよ、なのは」

 そう言ったなのはの手の中には、メールを着信したばかりの携帯電話が握られていた。
 メールの送り主は、当然の事ながらはやてであった。
 ほらと見せられたディスプレイ上には、大歓迎の一言が絵文字と一緒に添えられていた。
 これでも何の問題はないわと、アリサもゴーサインを出している。

「行ってこいよカズキ。ついでにシャマルさんの情報を仕入れてきてくれ」
「行ってキメてこい」
「それはともかく、ちゃんと話して来た方が良いよ」
「お兄ちゃん、行こ?」

 突っ込みが入った岡倉と六桝の言い分は別にして、特にまひろの言葉は駄目押しであった。
 元々、お呼ばれされたのなら断る理由はなにもない。
 はやてだって、友達となったまひろ達とは何時でも会いたいだろう。
 まひろも学校では会えないはやてやヴィータ、懐いたシグナムには会いたいはずだ。
 と、色々と理由はつけたが、カズキ自身も得に理由はなくてもシグナムに会いたい。
 特別シグナムに何かを伝えた事はないが、正直なところ大好きだ。
 最初は年上の綺麗なお姉さんという好みを突かれただけであった。
 だが共に戦い、家族想いな面や、厳しくも強い面など、様々な顔を見せてくれた。
 改めて思うが、大好きである。
 一体何を躊躇していたのか、会う為の理由など十分過ぎる程に持っていた。

「なら、まひろ。今夜ははやてちゃんの家でご馳走になるか」
「やった。あのね、まひろね。はやてちゃんやヴィータちゃんに一杯話したい事がたまってるんだ。一杯、一杯お喋りするよ」

 立ち上がったカズキに抱えられ、身振り手振りを交えながらまひろが主張した。
 はやての家にお邪魔するなら、移動も考えて早い方が良い。
 岡倉達もそれなら今日はこれでお開きとばかりに立ち上がり始める。

「よし、カズキは皆にお礼として詳細を後で報告する事な」
「まひろ、カズキさんが拒否した場合は頼んだわよ」
「うん、ストロベリーなお兄ちゃん達を一杯教えてあげるね」
「なにその羞恥プレイ!?」

 何故か岡倉の意見にアリサが悪乗りし、本人よりさきにまひろが了承してしまう。
 どちらにせよ、カズキの意見は無視される方向だったかもしれない。

「最悪、お膳立てしてくれたなのはちゃんへの報告は必須だろ?」
「まあ、そういう事だから」
「なのはちゃん、後でお願いね」
「任せて、お母さん達も気にしてるから絶対教えるね」

 六桝は当然と言い切り、大浜も苦笑しながら止める様子はない。
 すずかやなのはも身近な人の恋愛話には興味深々らしく、カズキの味方は誰一人いなかった。









 インターホンの音を聞いて玄関に向かったはやては、目を丸くする事になった。
 来客はカズキとまひろであり、二人が来る事はあらかじめ決まっていた。
 ならば何故はやてが驚いたかというと、二人が汗だくになっていたからだ。
 特にまひろを背負ったカズキは、ぜえぜえと息をするのも一苦労という感じである。

「二人とも、一体なにがあったん? 今は夏やなくて春やで?」
「三十分ぐらい前に、一度玄関先に来たんだけど……まひろが塀の上に猫を見つけて、追いかけて行っちゃって。気が付いたら、俺も一緒に追いかけてた」
「灰色っぽい猫さんでね。はやてちゃんにも見せてあげようとしたの」
「あー、たまに家を覗くようにしてるあの子らかな? とりあえず、汗拭かんと風邪引いてまうわ。フェイトちゃん、悪いけど洗面所からタオル持ってきてくれる?」

 はやての口から飛び出した少女の名前と、それに対する返事の声に今度はカズキ達が驚いた。
 元々顔見知りで、謝罪を経て正式に友達になった事は知っている。
 しかしまさか、普通にはやての家に遊びに来ているとは思いもよらなかった。
 フェイトにはジュエルシードの憑依体の観察という目的があったはずだが、それは良いのか。
 居間から出てきたフェイトはカズキとまひろにぺこりと頭を下げ、洗面所へと向かった。
 黒い長袖のワンピースと私服から、本当に遊びに来ているらしい。

「はやて、持ってきた」
「ん、ありがとうなフェイトちゃん。ほら、二人共汗拭いて」
「ありがとう。ほら、まひろじっとしてろよ」
「やー」

 ごしごしと荒っぽく髪ごと拭かれ、まひろが嬉しそうに悲鳴をあげる。
 何時までも玄関で話し込むわけにもいかず、汗を拭きながら上がらせてもらう。
 案内された居間には、フェイトの使い魔であるアルフが獣の形態で大人しく座っていた。
 他に人の気配はなく、アルフを入れて三人だけであったらしい。
 とりあえず手近なソファーに座り、カズキは自分の汗もタオルで拭きながら尋ねた。

「シグナムさん達は?」
「ほほう、こんな可愛い美少女達を前にしても、まずシグナムか。ほんま、カズキさんはシグナムに骨抜きやな。残念、お出かけ中や」
「お姉ちゃんお出かけしてるんだ。ヴィータちゃん達も?」
「なんや最近、皆忙しそうでな。夜遅くまで帰らへんことも、ままあるんや」

 そう答えたはやての声は、何処となく寂しさを押し隠しているようであった。
 ザフィーラを含め、家族全員が外出していたら、この家は広すぎるのだろう。

「でも今日はカズキさんとまひろちゃん、それにフェイトちゃんもおるし。賑やかになりそうや」
「うん、悪いけどご馳走になるよ。ところで、フェイトちゃんは遊びに来てたの?」
「違う。遊びにというか、お見舞い。後はちょっと相談をしに」
「体は全然平気やから大丈夫やて。むしろ、あれ以来なんか調子がええんよ。ほら、な?」

 そう言ったはやては、ソファーに座ったままで軽く足を動かした。
 はやての意志のみで膝から下が少し動き、指先までもぴくぴくと動いている。

「はやてちゃん、足が動くようになったの?」
「原因はわからんらしいけど、いずれ完全に良くなるかもやって」

 それはおめでたいと、カズキとまひろが心からお祝いの言葉を送った。
 以前、温泉旅行の時にはやがて聖祥大付属に通うという話をしたが、そう遠くない事かもしれない。
 案外、皆が忙しいのは、はやての快気祝いの為にこっそりバイトなどしている為だろうか。

「ありがとうな。だから、フェイトちゃんは何も気にする必要あらへん。けどせやな相談は、カズキさんにも聞いて貰った方がええかも。ちょいと、私では答えられへん内容やったし」

 ええかなと、はやてがフェイトに尋ねると、少し考えてから頷かれた。
 それからフェイト自身が口にした相談事は、確かにはやてには難しいものであった。
 と言うよりも、はやてに対しては少し遠慮すべき内容であっただろう。
 はやての存在がそれだけフェイトの中で大きなものであっただけかもしれないが。
 その内容とは、フェイトが最近、実家の方に帰っていないという事であった。
 隣町にマンションこそあるものの、そこはアルフとの二人暮らしの家。
 とある難しい用事を母親から言いつけられ、それが上手く行かず、そのままずるずると連絡しないままであるらしい

「その用事の内容って……」
「あ、近いけど違う事。母さんに言われて、でも私ちゃんとできなくて。嫌われるのが怖くて連絡できないままずるずる」

 カズキがジュエルシードの憑依体の観察かと言葉なく聞くが、首を横に振られる。

「フェイトちゃんのお母さんは怖い人なの?」
「ううん、とても優しい人だよ。今はちょっと忙しいけれど、いつかきっとまた笑ってくれると思うんだ」

 この時カズキもはやても、フェイトの言い回しに違和感を感じていた。
 フェイトの優しいという評価と、いつかきっと笑ってくれるという言葉である。
 優しかったのは過去の事で、今は笑ってくれないとも受け取れるのだ。
 だがフェイトが本当に嬉しそうに母親の事を話すので、違和感は小さく感じられた。
 だから本当に言葉通り、忙しくて構ってもらえないぐらいにしか考えなかった。

「まひろもお母さん好きだよ、お父さんも。お兄ちゃんはもっと好き。大好き!」
「うん、私だって母さんの事は大好きだよ。はやては?」
「え、あ……私はほら、二人ともおらへんから」

 空気が悪くなるから出来れば聞いて欲しくなかったと、苦笑いしながらはやてが答えた。
 ムキにならない辺り、慣れている部分もあるのか。
 はたまた両親はいなくても、同じぐらい大切な家族であるシグナム達がいる事も大きいのか。
 だがフェイトはそう思わなかったらしく、顔を青ざめさせていた。
 今さらながらに、自分が持ち込んだ相談事の不謹慎さに気付いたのだろう。

「ご、ごめん。私、自分の事ばっかり」
「ああ、この前にも言うたやん。フェイトちゃんは、優し過ぎるんや。なんでもかんでも自分が悪いって思ったらあかん。そういうの、自虐的やって言うんやよ」
「大丈夫だよ、フェイトちゃん。直ぐにお兄ちゃんとお姉ちゃんが結婚するから、はやてちゃんにもお父さんとお母さんができるよ!」

 両方を一度に慰めようとしたのか、まひろが突拍子も無い事を言い出した。
 いや、まひろにしては割と論理的か。
 カズキとシグナムが結婚すれば、シグナムにとってカズキの両親は義理の両親となる。
 シグナムとはやては姉妹なので、はやてにとっても義理の両親となるのか。
 細かいところは分からないが、言いたい事は恐らくそういう事なのだろう。
 ただまだ二人共まひろの相手に慣れていないせいか、首をかしげていた。

「えっと、シグナムははやてのお姉さんで、カズキと結婚すると夫婦で、はやてが子供になるから……母さん、私のお姉さんだったの!?」
「て、なんでやねんな。フェイトちゃん、混乱しすぎや」

 何故か指折り数えて結論に至ったフェイトに、はやてが突っ込んだ。
 ただし、どう収集すべきか慌てるカズキをニヤニヤと見つめながら。

「まひろ、ちょっと黙ってようか」
「んー、んー!」

 カズキは一先ず、まひろの口を塞ぎフェイトの相談事を終わらせる事にした。

「フェイトちゃん、そんなに心配する事はないんじゃないかな。フェイトちゃんのお母さんは優しい人なんだろ? だったら素直にごめんなさいって言えば良い」
「でも、母さんの言いつけを守れなかったし……」
「言いつけを守れなくて、フェイトちゃんはその事を悪いって反省してる。だったら、その事を正直に話して謝れば、きっと許してくれるよ」
「うん、優しいよ。カズキの言う通り、帰ってみる。もう一度、ちゃんと話してみるね」

 カズキにそう保障され、フェイトも決心がついたらしい。
 その隣にいたアルフは唸るように喉を鳴らしていたが、フェイトに嗜められる。
 思い立ったが吉日とばかりに、フェイトは暇を言い出そうとしたがはやてに止められた。
 元々、そのつもりであったのだろうが、車椅子で台所に移動しながら言った。

「フェイトちゃん、最近あんま良いもん食べてへんのやろ。お母さんの目の前でお腹が鳴ったら恥ずかしいで。今日はうちで御飯食べて、明日にしたらええ」
「いいのかな、うん。最近ちょっと、コンビ二ばかりで」
「はやてちゃん、俺も手伝うよ。あんまり難しい事はできないけど、野菜を切ったりぐらいはできるから」
「まひろも、まひろも手伝うよ」

 なら私もと、フェイトも手伝いに立候補を始めた。
 ただし手伝いを言い出した三人の内、一体何人がはやてのお眼鏡に叶う事か。
 家事全般は一応できるが得意でないカズキ、そのカズキにおんぶに抱っこのまひろ。
 コンビ二ばかりだったと、先に不安情報を呟いていたフェイト。
 正直な所、はやては不安だらけであったが、友達の言葉を無下にできるはずもない。

「ほな、まとめて面倒みよか。フェイトちゃんとまひろちゃんは野菜洗って、皮むき。包丁やなくてピーラーな。ボケ属性の二人に任せると絶対、危ないから」
「「ピーラー?」」
「よし、想像通りの反応やな」

 早速道具の名前が分からず、首を傾げた二人にこれやとはやてが見せる。

「それからカズキさんはもうちょい手伝ってもらおか」
「うん、任せておいて。何を隠そう、俺は調理助手の達人!」
「はいはい、達人、達人。ま、冗談はさておき。シグナムに手料理、振舞ってもらおか。絶対、喜ぶで」
「うーん、普通逆のような」

 達人発言は本当の達人に簡単に受け流されてしまう。
 できればシグナムの手料理が食べたいとカズキが微妙な顔のまま、手料理の作成は始まった。









 すっかり日も暮れた頃、空腹に鳴くお腹を押さえながらカズキは夜道を走っていた。
 その手の中には、小さめのビニール袋が揺れている。
 はやてに渡されたメモの通りにスーパーで購入してきた、追加の食料だ。
 まひろ一人なら兎も角、食べ盛りのしかも男であるカズキの参入が大きかったらしい。
 これでは少し足りなくなるかといったはやての不安に、カズキが立候補したのだ。
 ならついでにと、ちゃっかり色々とお使いを頼まれその帰りであった。

「俺が着く頃には、シグナムさん達も帰ってるかな?」

 皆を待たせるような事だけは避けたいと、カズキはその足の回転を速めていった。
 ほんの少しだけ魔法を使い、大またで飛ぶように商店街を抜け八神家へと向かう。
 その時ふいに、小さな魔力の発露を感じて立ち止まる。
 辺りを見渡しても、異変は特に感じられない。
 ジュエルシードならば、もっと爆発的に魔力が膨れ上がるし、はっきりとした兆候があるはずだ。
 商店街と住宅街を真っ直ぐに結ぶ道路、そこを何台も車が通り、脇には街路樹が続いている。
 感じた魔力も以降は感じられず、気のせいかとも思えた。

「帰ろう、何かあったらリンディさんかクロノ君が……」

 脳裏を過ぎったのは言葉とは裏腹に、戦うなと言ったシグナムの言葉であった。
 ここでまた無茶をすれば、また辛い思いをさせるかもしれない。

「でも、はやてちゃんの家も近いし。少しだけ」

 最もカズキらしい理由が頭をもたげ、今一度周囲を見渡してみた。
 車はともかく、人通りは殆ど絶えており、民家や背の低いビルから明かりが漏れている。
 相変わらず異変と言う異変はみられず、やはり気のせいかと思い直す。
 背の低いビルとビルの間から聞、聞き覚えのある声が聞こえたのはその時であった。

「つけられたのかと思い手を出してしまったが……これを持っていただけ、不幸中の幸いか。このまま勘違いしてくれれば良いが」

 声の内容は良く聞こえなかったが、それがシグナムの声である事には直ぐに気付いた。
 残り短い帰り道でも、二人きりなのはラッキーだぐらいの気持ちでカズキは裏路地を覗き込んだ。
 そしてそこにあった光景を目の当たりにして、買い物袋を落としてしまう。
 ガサリと事のほか大きく鳴り、それを耳にしたシグナムが勢いよく振り返った。

「誰だッ……カズキ!?」
「シグナムさん? なにが、なにを……」

 騎士甲冑姿のシグナムは、その手にジュエルシードを持っていた。
 弱々しい青い光は、封印が済んでいる為か。
 それだけならば、たまたま見つけたシグナムが封印したと理解できる。
 だがその足元に倒れ伏すのは、管理局員らしき制服を着た武装隊の面々が倒れていた。
 どう好意的に理解しようとしても、シグナムが武装隊を襲ったようにしか見えない。
 シグナム自身がカズキに見られた事で唇をかみ締め、顔を背けた事も大きかった。
 その仕草は、認めたも同然である。
 意味が分からなかった、そもそも管理局に任せろと進言したのはシグナムであった。
 だからこそ、カズキも納得した上でなのはを説得して戦いから身を引いたのだ。

「なんで、どうして。もう、戦わなくて良いって。それはシグナムさんも一緒だったんじゃないのか? 一体、何をしてるんだ!?」
「私はお前に戦うなと言っただけだ。私達の本当の戦いは、まだ始まったばかりだ」

 心苦し気に呟いたシグナムを前に、カズキは殴られたように後ろによろめいていた。
 自分の知らないところで、シグナムが何と戦おうとしているのか。
 私達とは誰を指し、何故管理局と敵対するような形となったのか。
 ただ一つ分かった事は、シグナムがカズキ達を案じて戦うなと言っただけではないという事である。
 今も続いている戦いから遠ざける為に、言ったのだ。









-後書き-
ども、えなりんです。

久々にまともに岡倉達が登場。
岡倉とアリサの絡みは書いていて楽しい。
普段大人っぽいアリサが、なんかムキになって子供っぽくなるところが特に。

今回、ちょっとおかしな点が一つ。
フェイトがいるのにヴォルケンズが全員出かけるのおかしくないか。
和解したとは言え、フェイトは得体の知れない魔導師ですし。
ちょいと、間違えたかな?
せめてザッフィーぐらいは、家に置いとくべきでした。

さて、次回は水曜日です。
シグナムとカズキが、ちょっと修羅場っぽい感じになります。



[31086] 第十九話 何時か私を殺しに来て
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/03/07 20:54

第十九話 何時か私を殺しに来て

 八神家での食後、居間からはテレビゲームをして騒ぐ皆の声が聞こえてきていた。
 その中にはフェイトの声が小さいながらも含まれている。
 最初は夕食を共にするだけの予定であったが、皆で遊ぶという魅力には勝てなかったらしい。
 帰宅も明日へと先延ばしにされ、恐らくはこのままお泊りとなる事だろう。
 そんな皆の大きな声が響く居間から離れた二階の一室。
 シグナムの私室に招かれていたカズキは、ベッドに腰を掛けてうな垂れていた。

「飲むか?」

 そうシグナムが差し出した湯のみを前に首を横に振る。
 本来ならば、もっと別の形でこの部屋へと上がりこみたかった。
 夕食の間はなんとか隠し通した苛立ちにも似た気持ちが胸の内で広がっていく。
 折角カズキが蝶野の命を奪ってまで得た平穏を前に、何故シグナムが戦いを続けるのか。
 それも、ジュエルシードを収集している管理局の人間と。

「そうか……」

 だがシグナムの内心も、カズキと似たようなものである。
 折角カズキを戦いの日々から本人も納得した上で離す事ができたのに、それも徒労に終わった。
 自分の不注意な行動が原因という最悪の形で。
 溜息をぐっと飲み込み、シグナムは手に持っていた自分の湯飲みも手近なテーブルにおいて同じベッドに座り込んだ。
 決して遠くはない距離なのに、あの臨海公園で手を繋いだ日に比べれば果てしなく遠い。

「全て、見なかった事にはできないか?」

 膝に肘を乗せ、両手を握り締めて頼むとばかりにシグナムが呟いた。
 だがカズキの返答は、拒否であった
 言葉ではなく首を横に振る態度で、自分の姿勢を表していた。
 知ってしまった以上、見ぬ振りはできないと。
 当時、ホムンクルスやジュエルシードの事を知り、戦いに赴いた時のように。

「教えてくれ、シグナムさん。俺は知りたい。シグナムさんが何の為に、誰と戦っているのか。内容次第では、もう一度俺も戦う」

 伏せていた顔を挙げ、懇願されたのはやはり説明であった。
 それも折角手に入れた平穏を投げ捨て、戦いに飛び込むという意志付きで。
 中途半端な対応ではきっとカズキは止まらない。
 最悪の場合、何も知らないまま誰が敵で味方かもわからないままでも飛び込んでくる。
 それがどれだけ自分の不利になろうと構わず、それが武藤カズキという男であった。
 だからこそ、シグナムとしては全てを話さないわけにはいかない。
 まだしばらくの間は、カズキとはただの女性として付き合っていたかったとしても。

「今から教える事に全て偽りはない。我が剣であるレヴァンティンにも誓おう。心して聞け、私を含めヴィータもシャマルも人間ではない」
「え? な……」
「主はやてが所有するロストロギア、闇の書にプログラムされた擬似人格。主を護る為の四体の守護騎士。烈火の騎士シグナム、それが私だ」

 人間を数える人という単位ではなく、あえてシグナムはホムンクルスと同じ体という単位で自らを数えた。
 唖然として見つめるカズキの視線から逃れるように、視線をそらしながらでも。
 当たり前の事を告げるのが、途方もなく辛かったのだ。
 カズキに向けられる好意に気付かない程に鈍感でもないが故に。
 主であるはやては人間として接してくれるが、今さらながらに違うのだと気付かされた。
 臨海公園での二人のやりとりが、全て幻に感じられる程に辛かった。

「待って、想像と全然違って何が何やら。ロストロギアって。じゃあ、はやてちゃんもベルカの騎士?」
「いや、主はやては普通の少女だ。偶然、闇の書の所有者になったに過ぎない。だが最近になって分かった事だが、その闇の書が主はやてに多大な負担を掛けていたのだ」

 混乱しているからか、それとも意図してか。
 カズキが人間ではないという部分に触れなかった事で、シグナムは自分達の関係の終わりを察した。
 だからせめて中途半端な事はしないと、胸の痛みを無視して言葉を紡いだ。

「闇の書は、他者から魔力を蒐集する事で本来の力を発揮する。だが当然、主はやてはそれを拒否し、我らに普通の家族を求めた。その結果、主はやての体に不具合が現れた」
「はやてちゃんの、足? でも、はやてちゃんは良くなってるって」
「切欠は、テスタロッサだ。彼女が主はやてにジュエルシードを誤って触れさせたのがな。詳しい理由は分からんが、恐らくは闇の書に魔力が充填され、主はやてへの負担が減った」
「だったら、管理局から奪うような事をしなくても良いじゃないか。俺からも頼んでみるよ。まだ少ししか会った事はないけど、悪い人達じゃないと思う」

 カズキの提案を前に、シグナムは苦みばしった顔で笑うしかなかった。
 共にあった時は、その真っ直ぐな言葉が何処までも眩しく頼もしい。
 だがこうして多少なりとも意見を違えた今では、目障りだと感じてしまう。
 純粋過ぎるものは、もはや毒とかわりない。
 何も知らない子供の言葉のように。
 そうカズキを邪険に感じてしまう自分こそ、シグナムは嫌で堪らなかった。

「闇の書の歴史はお前が考えている以上に長い。その歴史の中で、私達は何度も管理局と敵対している。それこそ、何人も殺してきた。奴らにとって、私達は目の仇なのだ。正直に話したところで、最悪主はやては幽閉、我らも隔離されるだろう」

 言葉だけでは、到底信じられないような内容であった。
 よりにもよって、あのシグナムが何人もの人を殺してきたなど。

「だから力ずくでも奪うしかない。残り数少ないからこそ、ジュエルシードを。普通の生活がなんの不安もなく送れる体を主はやてに与える為にも」

 力ずく、そう呟いたシグナムを前に、カズキはとある事に気がついた。

「どうして、俺やなのはちゃんが管理局にジュエルシードを渡す前に貸してくれって言わなかったんだ?」

 二人合わせて、十個を超える数を保有していた。
 シグナムは、切欠がはやてが倒れたあの時だと言った。
 ならば二人が管理局に渡す前に、ジュエルシードの必要性に気付いた事になる。
 そう言ってくれれば二人は協力を惜しまなかったし、これ以上シグナムが戦う必要もなかったはずだ。

「管理局の介入のタイミングが悪かった事もある。だがそれ以上に、お前達にはもう戦っては欲しくなかった。お前達の存在が露見した以上、足りない数は何処だと目をつけられるのは分かりきった事だ」
「俺達の為に、シグナムさん達が」
「それだけが理由ではない。お前達は既に、主はやての存在を知っている。敵対されれば、管理局に情報は筒抜けだ。敵に回すわけにはいかなかった」

 後から付け足された理由と、どちらがより本音なのかは考えるまでもなかった。
 シグナム達は、主であるはやての足の為にジュエルシードを求め始めた。
 現状既に管理局が地球へ来ている以上、敵対は避けられない。
 一体、どちらが正しいのかカズキには容易に答えは出せられないでいた。
 蝶野の時も、本人の生きたいという願いはあれど、それは周囲をも巻き込む欲望であった。
 蝶野本人も口にしていたが、人喰いのホムンクルスとして生きると。
 だがシグナム達の願いはあくまで自分以外、主であるはやての為である。
 その上、はやての足が良くなったとして誰が困るわけでもなく、喜ぶ人の方が圧倒的に多い。
 ただし、ジュエルシードの為に襲われ奪われる管理局の人間は除いて。

「カズキ」

 頭を抱えてまで悩むカズキの肩へと、シグナムは手を伸ばそうとしていた。
 普通の高校生にやっと戻れたカズキを、再び戦いに導くかもしれないような選択だ。
 シグナム達の行為を肯定しても、否定しても。
 一番正しいのは見て見ぬ振りだと、優しく諭す事が出来ればどれだけ楽な事か。
 だが自分を人間ではないと断じた以上、カズキには触れたくても触れられなかった。
 伸ばした手を力強く握って拳に変え、シグナムは隣り合って座っていたベッドから立ち上がる。
 そのままカズキへとは振り返らず、決別に近い言葉をあえてぶつけた。

「もう、私に構うなカズキ。私はお前が手伝うと手を差し出しても、その手を払う。仮にお前が管理局に付いたのならば……お前を斬る」

 少しの躊躇いこそあったが、シグナムは毅然とした声でそう述べた。
 ペンダント状のレヴァンティを握り締め、自分に言い聞かせるように。
 それからしばらくの間、二人の間には無言の時が流れていた。
 シグナムは決して振り返らず、カズキを視界に納めないまま。
 一方のカズキも一体誰が正しくて、誰が悪いのか。
 そもそも完全に悪いと断定できる者がおらず、思考の袋小路に迷い込んでいた。
 もはや完全に臨海公園の時のような甘いひと時は存在せず、苦痛な沈黙のみが部屋の中に満たされている。
 聞こえるのは階下からの楽しそうな声ばかりで、それが逆に沈痛なこの場を浮き彫りにしていた。
 一体どれだけの間、二人の間に沈黙が保たれていただろうか。
 割って入ってきたのは、誰かが階段を上って来る音であった。
 その音は部屋の前にまでやってきて、扉を開けた。

「おい、カズキ。まひろの奴、うとうとし始め……うぉ、空気がおめえッ!」

 ノックもせずに入ってきたヴィータが、言葉通りの重さに部屋に入るまいと身を引く。
 だが直ぐにそういやそうだったと、思い直して頭を掻いていた。
 予め、状況次第では全て話すとはシグナムから聞かされていたのだ。
 だが二人の関係を知るだけに、この空気の重さはあまりにも予想外だった。

「二人共、もう九時だぞ。特にカズキ、今日はもう帰れ。まひろもお前も明日、学校あるだろ?」
「え、もうそんな時間なのか……」

 言われて時間に気付いたようなそぶりに、おいおいと小さくヴィータが突っ込んでいた。
 どう見ても、話し合いが上手くいったようには見えなかった。
 特に立ち上がったカズキが、背を向けているシグナムから視線をそらした所など。
 見ているこっちの方が痛々しいと、ヴィータは溜息をついてから言った。

「たく、別れ話をした直後のカップルかよ。おら、カズキはさっさとまひろ連れて帰れ」
「うん、まひろの相手をしてくれてありがとう」
「おい止めろ。全部聞いたんじゃねえのか。私はお前より年上だぞ」
「それでも、ありがとう」

 ぐしぐしと、まひろにするように頭を撫でられ反発するも、何も変わらなかった。
 年下を相手にするように撫でられ、この野郎とヴィータがその手を払う。

「もう言われただろうけど、お前はこっちに来るなよ。私はお前らが結構好きだ。まひろ達はもちろん、お前もだ。だけど、こっちに来た場合は話は別だぞ」
「分かってる、それを踏まえて考えてみる」
「考えてみるじゃねえ、来んなつってんだよ!」
「止めろ、ヴィータ。言葉一つで止まるぐらいなら、最初から戦おうとはしなかった。これ以上は何を言っても無駄だ」

 一発殴ってやろうかとしたヴィータの頭を、ようやく振り返ったシグナムが掴んで止めた。

「カズキ、私もできる事ならば……いや、もはや伝えるべき事は伝えた。後は、お前が如何するべきだ。見て見ぬ振りをするか、どちらかの味方になるかは」
「どちらの味方か、そう言うなら俺はシグナムさんの味方だ。守りたい。それだけは間違いない」
「お前が私を守るか。言うようになったな。私を誰だと思っている」
「俺よりも強い、ベルカの騎士。だけど言うよ。これだけは俺の本心だから、俺はシグナムさんを守りたい」

 カズキのその言葉を前に、今までの重かった空気が少しだけ和らいだ。
 変わらないその態度を前にシグナムの顔にも、ほんの少しだが笑みが浮かんでいる。
 お互い数秒の間見つめあい、やがてそれじゃあとカズキが部屋を後にした。

「シグナム、あんま無理するなよ。いざとなったら、私が代わってやる」
「いや、カズキをこちら側に招いたのは私だ。もしもカズキが敵に回るのなら、それは私の落ち度。私のこの手で始末をつける」

 改めて決意を語ったシグナムであったが、多少ヴィータは懐疑的であった。
 何しろカズキが守ると口にして以降、雰囲気が多少なりとも和らいだからだ。
 明らかにシグナムは安堵し、嬉しそうに唇に小さな笑みを浮かべてさえいた。

(斬ったは良いけど、取り乱したじゃ私らも困るんだよ。いざという時は、私の役目か)

 そして密かにヴィータも、親しい友人であるカズキを叩き潰す決意を胸に秘め始めていた。









 フェイトは潜伏先として使用していたマンションで、身支度に追われていた。
 はやての家でお泊りをして帰って来たのが昼の少し前。
 その手にはお母さんと一緒に食べてと渡されたお弁当まで持たされていた。
 それからお腹の虫が鳴く中で、我慢我慢と唱えながら身支度を開始したのだ。
 お見舞いの為にと来ていた一張羅である黒のワンピースを急いで洗濯。
 干した後にアルフがアイロンを掛けている間に、お風呂に入って汗も流した。
 まひろと同じように、まだ一人で髪の毛は洗えないので髪は簡単にお湯で流しただけだが。
 体にタオルを巻き、髪の毛をドライヤーで乾かしていると、アルフが少し言葉を詰まらせながら訪ねてきた。

「ね、ねえフェイト。プレシアに会いに行くのはまた今度にしないかい? ほら、えっと……新しい服でびっくりさせてやるとかさ」
「うん、それも魅力的だけど駄目だよ。これ以上、母さんを心配させちゃ」
「心配、してるのかね。アレが」

 そんなアルフの呟きは聞こえなかったようで、フェイトは鼻歌まで歌い始めていた。
 はやてやカズキに相談する事で、完全にその心は浮き足立っていたのだ。
 自分を心配したプレシアが出迎えてくれ、抱きしめてくれると想像する程に。
 プレシアの娘だから、家族だからと。
 そんなフェイトとは裏腹に、アルフはあまり乗り気ではないらしい。
 フェイトは半ば忘れてしまっているが、言葉通り鞭打たれた事を覚えているからだろう。
 それも確かにあるが、主な原因はこの海鳴市でのフェイトの生活であった。

(フェイト、アンタは気づいてないかもしれないけどさ。あの女といるよりも、はやて達といる時の方が良く笑えてるんだよ。悔しいけど、私といる時よりも)

 海鳴市に来てから、フェイトの生活は激変したと言っても良かった。
 今までは友達どころか知り合いもおらず、喋るのはアルフが中心でたまにプレシア。
 他にする事と言えば魔法の勉強ばかりで、太陽の下を歩く事もない。
 それがここに来てからは友達も増え、一緒に遊んだり、相談に乗ってもらったり。
 寧ろ一生帰らず、このままここで暮らす方が幸せだとアルフは思っていたのだ。

「アルフ、皆も言ってたけど大丈夫だよ」

 そう言ったフェイトは、乾いた髪を櫛で梳いて、アイロンを掛けたばかりのワンピースに袖を通していた。
 姿見の前で最後のチェックを行うその顔は、最高に輝いている。
 下手をすれば、はやて達と遊んでいた時と見劣りしない程に。
 だからこそ、アルフは頑としてフェイトを止められないでいた。

(あの子らは、フェイトの母親がどういう人か知らないから。一般的な意見を言っただけで……私以外、誰も止められないのに)

 意地を張って止められないこともなかったが、それは逆にアルフが嫌われる可能生もあった。
 主に嫌われては使い魔はもう死ぬ他に、何も手段が残されなくなってしまう。
 だから安易に主への反対意見は述べにくい。
 そう悩んでいる間にもフェイトは、自分のお洒落具合に満足がいったらしい。
 一張羅で着飾り、長い髪は大きめのリボンで止め、手にははやてから貰ったお弁当が握られていた。

「さあ、行こうアルフ」
「ああ……分かったよ」

 結局止める言葉は紡がれず、アルフは素直にフェイトの意志に従った。
 玄関から出て、マンションの屋上へと向かう。
 行き先はこの地球とは別次元の空間にある為、転移魔法を使用しなければならないからだ。
 エレベーターにて屋上へと向かい、誰も居ない事を確認してからフェイトが足元に魔法陣を敷いた。

「バルディッシュ、時の庭園へ。転移をお願い」
「Yes sir」

 手にした黄金の三角形の石が、待機状態のバルディッシュであった。
 方円の魔法陣は二人を包むように展開され、時計が時を刻むように回りだす。
 そしてフェイトの魔力を対価に魔法は発動し、二人は光の中に包まれた。
 閃光のような一瞬のそれが終わった後、二人の姿は全く別の場所にあった。
 快晴の爽やかな風が吹くマンションの屋上ではなく、太陽の陽がない薄暗い場所。
 岩肌ばかりが目立つ要塞にも見える場所。
 といっても、鋼鉄の門がある入り口は柱や床にはちゃんと大理石等が用いられ装飾されている。
 フェイトにとっては自宅以外の何ものでもないその門を潜っていく。
 この時の庭園の全てを掌握しているプレシアには、既にフェイトの帰宅は伝わっている事だろう。
 今さらだがうきうきとした気分は下方に修正され、フェイトは高鳴る胸を押さえてある場所を目指した。
 そこは時の庭園の所有者が魔力を全域へと行き渡らせる、玉座の間である。
 大抵の場合、プレシアはそこでフェイトと会っていた。
 理由はフェイトも知らないが、そこでしかプレシアはフェイトには会わなかった。

「アルフ、ちょっとここで待ってて。ごめんね、母さんあまりアルフの事」
「気にしてないよ。けど、気をつけな。何かあったらすっ飛んでいくから」

 大丈夫そう言ってアルフの頬を撫でたフェイトは、謁見の間の扉を空けて入室していった。
 だが想像していたプレシアの姿はそこになく、誰の姿も見えなかった。

「母さん?」

 呼び出しがあってもなくても、フェイトがここに来れば大抵プレシアはいた。
 なのにその姿がないとはどういう事か、不安が胸にこみ上げる。
 まさか自分がいない間に何かあったのか、まさか仕事場で倒れてはいないか。
 キョロキョロと辺りを見渡し、確か仕事場はあの奥と玉座の向こう、カーテンに仕切られたそこを目指し駆ける。
 そのフェイトの前に、カーテンを開けてプレシアが現れた。

「あ、母さん……良かった。あの、ごめんなさい」
「別にいいわ」

 プレシアの姿が見えず、慌てていた為に頭に抱いていたプランは破綻してしまった。
 だが、良く開口一番に、ごめんなさいという言葉が飛び出してくれた。
 気付いて後から頭を下げると、お許しに似た言葉が放たれフェイトは心底安堵する。
 同時に、はやてやカズキに相談してよかったとも思い、その顔を上げた。
 そこに待っていたのは、思いのほかに冷たいプレシアの視線だとも思わずに。

「もう良いって言ったの、貴方は用済みよ。何処へなりとも消えなさい」

 一瞬、何を言われたのか理解する事ができなかった。
 許されたそう思った言葉は違ったのか。
 言葉にならず、ただプレシアを求めて伸ばした手は無情にも払われた。
 威力と言う威力はなく、本当に払われただけ。
 それでもフェイトの心には手痛いダメージとなって襲いかかり、ぺたりを尻餅をついた。
 そんなフェイトの胸に去来したのは、恐怖であった。
 大好きな母親から見捨てられる、捨てられてしまうという。

「母さん……ごめんなさい。言いつけを守れなかったのは謝るから。それに母さんがどうしてもって言うなら、私頑張るから」
「聞き分けのない子ね、私は用済みって言ったのよフェイト。出来損ないの貴方は」
「出来損ない」

 繰り返し呟いたフェイトへと、さらに語気を強めてプレシアが言った。

「そう、貴方はね。アリシアの姿を真似て造られたお人形に過ぎないの。アリシアの顔で笑い、アリシアの声で私を母と呼ぶ、いるだけで私を苛立たせるお人形」

 プレシアが何を言っているのか、未だにフェイトは理解する事ができないでいた。
 アリシアとは誰か、お人形だとは、造られた命とは。
 全ての謎は恐らく、玉座の後ろのカーテンに隠された向こう側にあるのだろう。
 優しい母さんは、プレシアは何処へ行ってしまったのか。

「Stand by ready」

 バルディッシュを起動させ、金色の雷の中でバリアジャケットを纏う。

「本当に聞き分けのない子ね。土足で家族の中に入ってこないで!」

 神速の動きで駆け抜けようとした瞬間、紫色の雷が見えた。
 完全にフェイトを否定する言葉を吐き、魔法障壁を張ったプレシアの魔法であった。
 フェイトと同じ魔力変換資質により、魔力を雷へと変え、紫と金色のそれがぶつかり合う。
 同じ属性の魔力であるという事は、純粋に力が上の方が勝つ。
 親と子、その実力差を見せ付けられたようにフェイトの体が吹き飛ばされた。
 大理石の床が壊れる程に叩きつけられ、玉座の間の中を転がる。
 ようやく止まった時には意識が少し混濁し、その手からバルディッシュが零れ落ちた。
 そんなフェイトを案じるでもなく、プレシアは汚らわしいモノでも見るように見下ろし言った。

「本当に似ているのは姿形だけ。アリシアは私を困らせない聞き分けの良い子だった。アリシアは魔法こそ使えないけど優秀な子だった。アリシアは……そのアリシアが、私のそばに帰って来た」
「母さん……」

 ついに理解させられたのは、プレシアがフェイトを拒絶したという事実のみ。
 その理由が依然として分からず、フェイトにできたのは涙を零すだけであった。
 こんなにも大好きなのに、与えられたのは侮蔑と怒り。
 ただ笑いかけて欲しいだけなのに、名前を呼んで撫でて欲しいだけなのに。
 そんなフェイトをさらに地獄に突き落とすような声がカーテンの奥より響いてきた。

「お母さん、何処?」
「ああ、ごめんなさいアリシア。母さんはここよ、さあいらっしゃい」

 幼い舌足らずな女の子の声、それに優しい母親の笑みを浮かべ答えるプレシア。
 フェイトが何よりも欲しかったものを、別の誰かに向けていた。
 その誰かとは、カーテンの向こうから現れた、小さな女の子であった。
 フェイトに良く似た、だけど何処か違う女の子。
 その子へとプレシアは笑いかけ、我が子のように抱き上げ頬を寄せた。

「そうよね、目覚めたばかりなのに、そばに私がいなければびっくりしちゃうわね。ごめんなさい。母さんはここよ、私のアリシア」
「くすぐったい。でも良い匂い、お腹空いちゃった」
「そうね、直ぐに御飯にしましょう。少し待っててね」
「大丈夫、御飯ならここにあるよ」

 えっと声を上げたのは、プレシアとフェイト共に同時であった。
 無邪気なアリシアの瞳の奥に宿る狂気が眼を覚ます。
 甘えるように抱きついたアリシアの手の平が、プレシアの背中へと回された。
 その背中から、突然鮮血が舞い、さらにプレシアが口から血を吐き出したのだ。
 倒れこんでいるフェイトからは、一体何が起きたのかは不明であった。
 だが何故かプレシアが、鮮血を迸らせる程に傷ついた事だけは理解できた。
 しかも口から血を吐いたという事は、内臓に至る損傷という事である。

「あは、お母さん美味しい。パピヨンのお兄ちゃんの言った通りだ。お母さん、もっともっとちょうだい?」

 変わらず無邪気に笑い手を挙げるアリシアの手は、血で汚れていた。
 その手の平に見えるのは、人がそこに持ちうるはずのない口という器官であった。

「カッ、はっ……止め、アリシアどうしたの。お母さんよ、貴方は」

 膝から崩れ落ち、アリシアを手放したプレシアが痛みに喘ぎながら訴える。
 それでもアリシアは聞く耳を持たず、血で汚れた手を舐めていた。
 滴り落ちる程に手の平を流れる血を。
 無邪気な瞳の中に妖しい光を宿らせながら。
 その左手の甲には、スペードを二つ重ね合わせたような見覚えのあるマークが見えた。

「ホムン、クルス?」

 アリシアの左手の甲には、その証である章印が刻み込まれていた。
 プレシアが我が子の様に慈しんだ相手がホムンクルス。
 その事実は、フェイトの混乱をさらに加速させていく。
 大量に血を失い続けるプレシアを助けなければと思う一方で、頭が正常に働かない。
 さらにカーテンの向こうからアリシアに続き現れた人物を前に、もはやフェイトは考えるだけの人形であった。

「ああ、その通り。やはり俺は蝶天才、死人をも生き返らせる神の領域さえ可能とした」
「貴方、アリシアに何をしたの……私のアリシアに!」
「ふん、生憎だったな。俺は他人を利用するのは大好きだが、利用されるのが大嫌いなんだ。しかも自分が命を駆けた研究を途中で放り出し、他人の研究に縋るような尻の軽い相手はなおさら」
「ねえ、パピヨンのお兄ちゃんも一緒に食べよう?」

 大好物を前にした子供のようにアリシアが、笑い声をあげながらパピヨンを誘う。
 次の瞬間には、プレシアの左腕が消えるように喰われ床の上へと倒れこんだ。

「ぎゃああああッ!」

 このままではプレシアが死ぬ、それでもフェイトは動けないでいた。
 それは人の姿をした何者かが人を喰う、禁忌を目の当たりにしてだ。
 ただただ震えて、母親が食われていく様を見つめるしかなかった。
 助けなければと思う一方で、心の底から凍えたように体が凍り付いてしまっていた。

「だが案ずるな。俺はお前のリクエスト通り、アリシアをホムンクルス化しただけだ。何も弄ってはいない。コイツも、ただ……もはや、聞こえてはいないか」
「アリ……シア、貴方はとても良い子で。私の……」

 目の中から光が消えつつあるプレシアは、それでもアリシアを見ていた。
 肺腑を食われても、片腕を食われても。
 半ば正気を失っていた事もあるが、まるでアリシアが希望であるかのように。
 自分の血で口まわり汚すアリシアの顔を、手の平で拭う程に。
 まともに口が動けば、こんなに汚してと微笑みかけていたのだろうか。
 そのプレシアの手の平を、そっとアリシアが触れるように掴んでいた。
 徐々にプレシアの瞳から光が失せ、アリシアは掴んだ手を寄り強く握り締める。

「アリシア……」
「ママ……」

 繰り返し呟かれる自分の名に反応するように、アリシアが呟いた。
 無邪気な笑みはなりを潜め、狂った瞳の中に理性の光を映し始める。
 まるでプレシアの命の灯火が消えるに伴ない、その光を宿らせていくように。

「ママ!?」

 そしてついに食人行動を前にはしゃいでいたアリシアが、プレシアを母親と認識して叫んだ。

「なに?」

 さすがのパピヨンもコレは予想外だったらしく、驚きの声を上げていた。

「アリシア、やっぱり貴方は……もっと、私をママって」
「ママ、ごめんなさい。私、どうかしてて……うぐっ、気持ち悪い。食べたくない、食べたくないのに。ママ!」

 完全に我を取り戻したのか、アリシアが蹲って口にしていたもの全てを吐き出した。
 自分が喜んで食べていた母親の肉を、拒絶するように全て。
 血にまみれたプレシアを新たに嘔吐物で汚してしまったが、構った様子はない。
 今にも消え入りそうなプレシアへと、アリシアはすがり付いた。
 ごめんなさいと何度も謝りながら、死なないでと。
 それが本当に生来の自我かはさておき、アリシアはプレシアをきちんと認識している。
 その瞳に見つめられ、ママと呼ばれ、死の間際でもプレシアは満たされていた。
 大量の出血と体の欠損から、命の灯が消えるその瞬間までとても幸せそうであった。
 ついにその命も尽き果て、力なく横たわった時、フェイトの思考が再起動を果たす。

「母さん……」

 目の前でプレシアの命が尽きた。
 それもホムンクルスによる捕食という最悪の形で。
 安らかなその顔とは裏腹に遺体は血と嘔吐物で汚れ、自分ではない誰かが寄り添っている。
 アリシアと呼ばれ、プレシアが娘だといった誰かが。
 本来ならそこは自分の居場所で、自分がそこにいたらそもそもプレシアは死なずに済んだ。
 殺したのだアリシアが。
 本当の娘とか、人形とかは関係なく、アリシアが殺した事実だけが何よりも明確であった。
 怒りという余りにも原始的で単純な思考が、フェイトを現実へと引きずり戻した。

「アリシア、アリシアッ!」

 床の上に落ちていたバルディッシュを拾い上げ、怒りのままにフェイトは吠えた。

「Blitz action」

 怒りで脳が沸騰しても叩き込まれた基礎は忘れず、刹那の間で移動する。
 次に現れた場所は、プレシアが逝った直ぐそば。

「母さんのそばから離れろ!」

 アリシアの顔面をバルディッシュで殴り、有言実行とばかりに吹き飛ばす。
 私の母さんだと、奪われたものを取り返すように。
 同じくそばにいたパピヨンも狙おうとしたが、その姿は既に空の上。
 黒い蝶々の羽を背に、手の届かない場所であった。
 もちろん追う事はいくらでも可能であったが、フェイトの狙いはあくまでアリシア。
 娘の座を奪い、あまつさえプレシアの命をも奪っていったホムンクルスだ。
 プレシアの遺体を庇いつつ、足元に特大の魔法陣を敷いていく。
 母親譲りの魔力変換資質により、放電現象を起こしてそれをバルディッシュの先端に集めていった。
 何もかも、この世界ごと壊れてしまえとばかりに。

「母さんの、仇!」
「Thunder smasher」

 倒れ蹲るアリシアへと向けて、躊躇無くフェイトは心の中のトリガーを引き絞った。
 集束された魔力は解き放たれ、一直線にアリシアへと向かう。
 非殺傷設定など、生温い事はしていない。
 大切な人の命を奪われた対価に、その命を奪う為の殺傷設定だ。
 殴り飛ばされていたアリシアは身動きすらできていなかった。
 ただ茫然と自分が殺した母親と、それでも母親を庇う自分とそっくりなフェイトを見つめていた。
 フェイトの渾身の一撃を受け、激しい放電の中に身をさらす事になってもまだ。

「うぐぅぁッ!」

 その威力は尋常のものではなく、さすがにアリシアも苦痛の悲鳴をあげていた。
 さらに膨れ上がる放電は爆破を誘発。
 周囲一帯が吹き飛び、天井は崩れ、落ちる瓦礫によって床も一部抜け始める。
 柱は砕けて折れ、装飾の為のカーテンも燃え始めていた。

「フェイト、いきなり扉が吹き飛んで何があったのさ!」

 外で待機していたアルフが騒ぎに気付き、何事かと飛び込んできた。
 最初の一撃で扉は吹き飛んでいたが、中からの爆煙が流れ出し視界は限りなく悪い。
 そんな中でもアルフは主の危機とばかいりに、逸早く気付いていた。
 爆煙を斬り裂いて移動する小さな影に。

「危ない、フェイト!」
「え!?」

 息を荒げていたフェイトにとって、それは不意打ち以外の何ものでもなかった。
 自ら起こした爆煙により、視界が悪かった事もある。
 まず最初に見えたのは、爆煙を裂く青い光。
 何度も目にしてきたジュエルシードのそれに似た光が煙を裂き、その姿を現した。
 ホムンクルスの証である左手の章印、そこに浮かび上がる赤色の刻印。
 次いで現れたアリシアの瞳が、フェイトの瞳と近い距離でぶつかり合った。
 途端、憎しみの表情を浮かべるフェイトと、その瞳を受けて瞳をそらし俯くアリシア。

「Scythe form」

 フェイトが魔力の刃を生み出すも、やはり怒りが全てを曇らせていた。
 アリシアは既に懐にいるのに、今から刃を取り出しても間に合わない。
 酷くあっさりと、小柄なアリシアの拳が鳩尾に食い込んだ。
 その手からバルディッシュは零れ落ち、崩れ落ちるフェイトをアリシアが抱きかかえた。

「フェイト!」
「この子の事をお願い」
「え、あ……うん」

 一瞬アリシアを敵と定め殴りかかろうとしたアルフも、あっさりフェイトを渡され困惑する。
 途中参入だけあって、一体誰が敵で誰が味方なのかもわからないまま。
 特にアリシアはフェイトにそっくりな容姿であるだけに余計にだ。
 だが意識が落ちる一歩手前で、唇を噛み切り留めたフェイトは違った。
 まだ四肢に力は入らないまでも、目の前のアリシアを睨みつけていた。
 お前は敵だと、母親の仇という最悪の敵だとばかりに。
 その視線を真正面から受け止め、否定する事なくアリシアは飛んだ。
 ずっと自分達を冷めた瞳で見下ろしていたパピヨンへと。

「所詮、こんなものか。家族と言っても利用しあい、依存しあい、最後には憎しみあうだけ。詰まらない事に時間を使ったな」
「パピヨンのお兄ちゃん、私も連れてって」
「手駒は多い方が良い。元々、お前は俺が造ったんだ。俺に従え」

 飛翔状態からパピヨンが、足元に魔法陣を広げた。
 恐らくは転移の魔法だとアルフに抱きかかえられながらも、手を伸ばす。
 逃がしてなるものかと、お前は母さんの仇だと。
 そんなフェイトを今再び見つめたアリシアが、小さいながらもはっきりとした声で言った。

「フェイト、何時か私を殺しに来て。色々な人に関わりながら。ゆっくり、時間を掛けて」
「殺してやる。母さんの仇、直ぐに直ぐに!」

 フェイトの心からの叫びを前にギュッと瞳を閉じ、アリシアはパピヨンと共に消えていった。









-後書き-
ども、えなりんです。

アリシアのホムンクルス培養期間短くね、とか許して。
大方の人の予想通り、プレシアはママの味になりました。
刷り込みはパピヨンにしか行なわれなかったもよう。
お友達ができて幸せ一杯のフェイトちゃんもどん底ですよ。

カズキとシグナムの修羅場がゆるく感じられるほど。
ここからしばらく、フェイトちゃんはスパルタンになります。
ホムンクルスは殺すって感じです。

それでは次回は土曜日です。



[31086] 第二十話 俺の心が羽ばたけない
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/03/10 20:07

第二十話 俺の心が羽ばたけない

 学校が終わった後、カズキは岡倉達の誘いを数日ぶりに断った。
 八神家へとお邪魔したのが一昨日の事であり、これはと岡倉達をやいもきさせたが違う。
 カズキはずっと自分が如何するべきか、何と戦うべきか迷っていた。
 昼休みの時もそれは変わらなかったが、その時に携帯電話が鳴ったのだ。
 知らない番号から掛かってきたそれに出てみれば、相手は死んだはずの男であった。
 現状他事にかまっている暇はなかったが、相手が相手なだけに無視はできない。
 だからこうして一人で街に出て、海鳴市駅を目指していたのだ。
 学校帰りの学生、恐らくは大学生であろうカップル。
 他にスーツを着たおじさんやキャッチセールスの人等の人波をぬって歩いていく。

「やあ、こっちこっち」

 駅前に出来ていた人だかりの向こうから、カズキへと見知った声がかけられた。
 声によって人だかりは割れ、その先にいた待ち人を露にする。
 全身タイツのような胸が網状に露となったスーツ、目元には蝶々のマスク。
 そのような格好の人間は、少なくともカズキは一人しか知らなかった。

「蝶野、攻爵」
「立ち話もなんだし、何処かにはいろうか?」
「できれば、人の視線がないところが良い」

 恥ずかしそうに俯き、パピヨンのスーツの裾を小さな影が引っ張っていた。
 初めてその存在に気付いたカズキは、驚く事になった。
 淡い水色のワンピースと、パピヨンの妖しい格好とは正反対。
 いっそ可憐とも表現できる可愛らしい少女がそばにおり、人垣の半分はそっちのせいか。
 携帯電話を片手に、今にも警察を呼びそうな人間もちらほら。
 なによりカズキは、フェイトをそのまま小さくしたような少女に驚いていた。

「アリシアだよ。カズキのお兄ちゃん、それで私もこれなんだ」

 左手の章印を見せられ、カズキが咄嗟にパピヨンを睨みつけた。

「ホムンクルス、蝶野お前!」
「がなるなよ。俺の意志じゃない、造ったのは俺だが。こいつの母親の意思だ。文句ならそいつに言え。もう既に、この世に居ないがな」
「カズキのお兄ちゃん、勘違いしないで。この事に関してはパピヨンのお兄ちゃんは悪くないから。ママも、殺したのは……食べたのは私だから」

 アリシアがよりにもよってパピヨンを庇い、カズキも矛を収めるしかない。
 むしろ私がと悲しげに自分の罪を認める言葉に、収めざるを得なかった。

「場所、変えよう。返って目立っちゃった」

 儚げに笑うアリシアを前に、カズキは神妙な顔で頷いた。
 最も、パピヨンは最初からその辺りには興味がないように振舞っていたが。
 アリシアを気遣う事もなく、何処へいくか相談もせずさて何処にしようと辺りを見渡している。
 その視線が動くたびに、人垣があっちへこっちへと避けるように動いている事も気にせず。
 そしてパピヨンが選んだのは、いたって普通のファーストフード店であった。
 足取り軽く、人垣をモーゼのように割って、悠々と歩いていく。
 仕方なくカズキもアリシアを伴なってその後に続き、自動ドアを潜る。

「ハンバーガーセットAを一つ、それとコーヒーのMを二つ」

 二人が入店した時には、既にパピヨンは注文を始めていた。

「こちらでお召し上がりになりますか? それともテイクアウトで?」

 レジの店員の女の子は、気丈にも震える声で笑みを絶やさず精一杯己の責務を果たしていた。
 だから多少テイクアウトの言葉にイントネーションが強く当たっても仕方のない事だろう。
 どうかテイクアウトでとひしひしと伝わる意思を前に、パピヨンが明るく答えた。

「こちらで」
「ハイ、どうぞごゆっくり……」

 撃沈した店員の女の子は、肩を落としながらもヤケッパチで奥にメニューを叫んでいた。
 唯我独尊を体現するように、パピヨンは気にせず振り返った。
 入り口付近で立ち止まり、左胸に手を当てているカズキへと。

「そんなに警戒しなくて良いよ。今日は戦うつもりはないから」
「だったら、そんなバリアジャケット解除してよ。恥ずかしいの、お願いだから」

 その言葉に嘘はないと感じ、カズキが左胸から手を放す。
 それを見てもういいでしょうとばかりに、アリシアがパピヨンにお願いしていた。

「全く、子供にはこの魅力はまだ早かったかな? このまま舞踏会にでも駆けつけられる程、素敵な一張羅じゃないか。なあ、武藤!」

 アリシアの主張は子供の一言で退けられ、カズキに同意を求める始末。

「少なくとも、あの時みたいにパンツ一丁よりは」

 同意こそしなかったものの、カズキも似たり寄ったりのセンスであった。
 パンツ一枚の方があのスーツよりも良いとは、舞踏会とはそのようなものなのか。
 舞踏会、お姫様みたいなドレスと幼い夢が砕けて壊れアリシアが膝をついた。
 ホムンクルスではあっても、見た目通りの年齢なのだ。
 まだまだ寝物語にシンデレラ等の絵本を読んでもらう年頃に、その事実はきつかったのだ。
 と言うよりも、二人の方が変だと言える程に強くは出られなかった。

「あれはあれで、セクシャルバイオレットなお洒落で気に入ってるんだが」
「お前、お洒落間違えてるぞ。マスクだけにしとけ、それならお洒落だ!」
「お洒落談義はもう良いから。夢は素敵なままにさせておいて。だからバリアジャケットを解除して、マスクも取って!」

 これ以上聞きたくないと耳を塞ぎ、泣くように叫んだアリシアだが答えは芳しくなかった。

「お前もしつこいな。だがそれだけはできない。このマスクは人前では二度と外さない。これは俺が人間を止めた証だ。お前にもあるだろう?」

 そう指摘され、アリシアが咄嗟に章印がある左手を庇うようにした。
 パピヨンは意図してだが、アリシアは意図せずともそれがある限りホムンクルスという現実からは逃げられない。

「蝶野、あまりアリシアちゃんを苛めるな。戦うつもりがないなら、何故俺を呼び出した」

 思わずアリシアを庇ったカズキを前に、パピヨンが笑う。
 らしくなってきたと。
 思い悩んでいるらしいのは手に取るように分かるが、ホムンクルスを庇ったのだ。
 まるで人間に対するように、かつてパピヨンを人間蝶野攻爵だと叫んだように。
 あの日の夜を乗り越えたかは定かではないが、武藤カズキは偽善者のままである。

「体こそアリシアの母親、プレシアに治されたが根底にセットされた病気はまだそのままなんでな。戦える程、まだ体力は戻ってないんだ。それに俺の魔法もまだ完璧じゃない」

 あの日のように黒色の蝶を生み出すが、それも直ぐに消えていった。
 改めてそれを見て見たが、カズキは遅いと感じた。
 本人の適正もあるだろうが、魔力球を生み出すだけなら早さも数もなのはの方が多い。
 万全の体調、純粋な近接戦ならまだ自分の方が早いともカズキは感じた。

「武藤、君も見たところ本調子じゃなさそうだし。今日は宣戦布告だけ。戦うのはお互いの準備が万全に整った時」
「あらそうなの。だったら、慌てて来る必要はなかったかしら?」

 突然割って入った声に、皆で一斉に振り返る。

「誰?」
「綺麗なお姉さんだ」
「あら、お上手ね。お嬢ちゃんも可愛いわよ?」
「リンディさん」

 白シャツに茶色のベストにストール、下はタイトスカートとOL風。
 何時もの軍服ではない姿にて、アースラ艦長のリンディがいた。

「店員さん、私とこの子達の分のハンバーガーセットAをお願いできるかしら。あとこの子の分のお支払いも私がするわ。もちろん、テイクアウトでね」
「あ、ありがとうございます!」

 心の底から女の子の店員にお礼を言われ、リンディはにこやかに笑っていた。
 一戦艦の艦長にとっては安いものか。
 ただその気遣いに対し、パピヨンはこりもせずにニヤリと笑って言っていた。

「へえ、初対面で驕られるとはラッキーな事もあったもんだ。これは蝶ラッキーポイントな予感。しばらく通ってみるのも悪くないかな?」
「こらこら、駄目よ意地悪しちゃ。さあ、テイクアウトできたら場所を変えるわよ。本当に、若い子は皆熱くなると周りが見えないんだから」

 涙を流しながら喜ぶ女の店員や、奥にいるのは店長だろうか。
 他に衆目の数など、本当に困ったものねとリンディは呟いていた。









 移動した先は、少々遠かったが海鳴市の臨海公園であった。
 広いだけあって人影はまばらで、いざと言う時も対応がとりやすい。
 リンディの思惑としては、武装隊の投入も視野には入っていた事だろう。
 パピヨンはそれに気づいているのか、いないのか。
 特に気にした様子も見せてはいない。
 落下防止用の柵にもたれ掛かり海を眺めながら、買って貰ったハンバーガーにぱくついていた。

「ウン、美味しい。この滴る血の味がなんとも」
「あらあら、それじゃあアリシアちゃんと同じね。血が口の端から垂れてるわよ。ほら、アリシアちゃんも綺麗綺麗しましょうね」

 その指摘は、ベンチに座りアリシアを膝に乗せてハンバーガーを食べさせているリンディのものであった。
 ホムンクルスに次元世界人、地球人とバラエティに富んだメンバーながらほのぼのとしたものだ。
 カズキも自分の分を頬張りながら、少しアリシアを見ていた。
 わざわざ肉を抜いたハンバーガーを頬張っているアリシアを、どうも肉が駄目らしい。
 お母さんを食べたのは私と言う言葉が、どうしても思い出される。

「こうしてちゃんと自分の足で外の世界を歩いたのも何年ぶりかな」

 だがふいに呟いたパピヨンの声に意識が戻された。

「でも全く何も変わらない。誰のどんな声を聞いても、せせら笑いにしか聞こえない」
「パピヨンのお兄ちゃん、その格好で言われても」

 アリシアの至極全うな突っ込みは無視して、包み紙を握りつぶしながらパピヨンは続ける。

「超人に生まれ変わっても世界はちっとも変わらない。やっぱり以前考えた通り、一度燃やしつくして、それから自分に心地好い世界を造るのがベストかな?」

 穏やかな雰囲気に少し惑わされてはいたが、パピヨンは何も変わってはいなかった。
 蝶野攻爵であった頃から何一つ。
 自分が生きる事を許さなかった世界を人を憎み、破壊したがっている。

「死んだはずの命を永らえる事ができた。それだけでは満足できないかしら、蝶野攻爵君?」
「もう閉じ込められるのは御免だからね。それから」

 今まで穏やかだったパピヨンの視線が、初めて辛辣なモノを加えてリンディを睨みつけた。
 今すぐにその口を閉じなければ容赦しないとばかりに。
 パピヨンにとって、名前にはとても意味があるものであった。
 脆弱で死を待つしかなかった頃の弱い自分である蝶野攻爵が一つ。
 そして死を乗り越え、超人として華麗なる変身を遂げたパピヨンという名前。

「俺を蝶野攻爵と呼ぶんじゃない。その名を呼んで良いのは武藤カズキだけだ!」

 蝶野攻爵を人間扱いした最初で最後の人間。
 人間蝶野攻爵の最後を看取り、手を下したカズキだけであった。

「武藤、お前が何を悩んでいるのか。聞く気もないし、知る気もない。だがお前とは、いずれ必ず決着をつける」

 用件はそれだけとばかりに、パピヨンが背を向けた。

「そうしないと俺の心が羽ばたけない」

 あくまでカズキとの決着に拘り、真正面からその意志をパピヨンはぶつけて来た。
 自分が思うままに、自分がこうと決めた事を。
 それは以前にリンディから聞かされたあの言葉を体現するような態度であった。
 信念とは少し違うかもしれないが、パピヨンは自分が超人である事を誇りに思っている。
 それが善くも悪くも、そうである事を貫こうとしていた。
 善でも悪でも、貫き通した信念に偽りなど何一つない。
 今こそその言葉をカズキは理解した気がした。
 皮肉にも敵の他に何ものでもない蝶野の姿を通して。
 世界を燃やす悪しき願いでも、蝶野はその前にカズキとの決着が先だと意志を見せた。
 生まれ変わったというもう一つの証の為に、カズキを倒す。
 その想いに嘘偽りがあろうはずがなかった。

「俺もいずれ必ず、お前と決着をつける!」

 だからこそ、迷い迷っていたカズキも腹をくくる事ができた。
 避けて通れない道ならば、自分も戦うしかない。
 シグナムと管理局、そのどちらが正しいかという迷いに対してもやっと答えが出た気がした。

「元気が出たようで、なにより。少し、嬉しいかな」
「あ、パピヨンのお兄ちゃん待って」

 そのまま去ろうとするパピヨンを追いかけ、アリシアがリンディの膝から飛び降りた。
 振り返りもせず、待ってくれないパピヨンを追いかけ始める。
 だがその前にと一度カズキの目の前で立ち止まり、見上げて頭を下げた。

「カズキのお兄ちゃん、一つお願いがあるの」
「うん?」
「フェイトの事、お願いしても良いかな?」
「フェイトちゃん?」

 やはり瓜二つなだけあって、何か関係があるのか。
 そう尋ねようとした時、高い魔力反応が空を飛行して駆けてくるのを感じた。
 尋常ではないその反応を前に、リンディが各所に念話を飛ばして叫んだ。

「いけない、武装隊。直ぐに魔力結界を展開して、何か来るわ!」
「やはりいたのか。まあ良い、俺には関係のない事だ」

 パピヨンが背中に蝶の羽を生み出し空へと足をかける。
 その後を追い、アリシアも浮かび上がった瞬間、その叫び声は聞こえた。

「アリシア!」
「フェイトちゃん!?」

 つい二日程前のフェイトからは想像もつかない、鬼気迫る叫びであった。
 改めてフェイトとアリシアを見比べると、やはり似ていた。
 似ているなんてものではなく、多少の年齢差を抜かせば双子でも十分に通る。
 もし仮に二人が姉妹としたならば、答えはアリシアの言葉にないだろうか。
 アリシアは言った、母親を殺したと、食べてしまったと。
 空を閃光となって駆けるフェイトの視線は、アリシアに固定されている。
 バルディッシュに魔力の刃を生み出し、掲げたまま突っ込んでいく。
 まさかその瞬間を、恐らくはフェイトも見てしまったのだろうか。

「母さんの仇、死ねアリシア!」
「ちょっと待った!」

 とっさにカズキは左胸からジュエルシードを取り出し、飛び出していた。
 一直線にアリシアを目指すフェイトの目の前へと。
 振り下ろされた魔力の刃をサンライトハートの刃の腹で受け止める。
 カズキからは妹に見えるアリシアへと向けられた凶刃を。

「何も知らないくせに、私の邪魔をしないで!」
「確かに、俺は何も知らない。何時だって、俺は何も知らない。けど知ってる事もある。家族に簡単に死ねって言っちゃいけない。例えどんな理由があろうと!」
「なんでアリシアを庇うの。化け物だよ、人を喰う化け物。カズキだって今まで散々殺してきたのに、なんで今さら!」

 受け止められた魔力の刃を支点にフェイトが、腕で自分を持ち上げる。
 そのまま盾にされたサンライトハートを飛び越えるように、カズキの顔を蹴り抜いた。
 元々カズキは空を飛べない。
 体勢を崩せば後は落ちるばかりだが、駄目押しの如く魔力の刃で斬り裂いた。
 胸を袈裟懸けに斬られ、飛び散る鮮血をくぐり抜けフェイトはアリシアを目指す。
 そのフェイトの足を、落ちていくカズキが掴んでいた。

「それでも、君の姉妹じゃないのか!」
「私に姉妹なんていない。母さんの娘は私だけ、アイツが全て奪ったの。私の母さんを、母さんの娘の立場も全部。アイツを殺さなきゃ、母さんは帰って来ない!」
「誰かを殺して、死んだ人が帰ってくるもんか。二度と取り返しがつかない、死ぬってそういう事だ。殺すのも同じ事だ!」
「煩い、煩い煩い。アイツはきっと全部私から奪ってく。何もかも、いつかはやて達だって。そうなる前に殺さないと、いけないんだ!」

 今度こそフェイトはカズキすら敵と見なして、魔力の刃を振りかぶった。
 世界の誰も認められず、その全てを排除するかのように。
 まるで以前、今もだがパピヨンが認められない世界を全て燃やそうとするかのように。
 だからこそ、カズキも引けないでいた。
 もう自分は答えを見つけ、どうするか決めてしまったから。
 目に映る全てを守る。
 誰かの主張や常識的な正義に囚われる事なく、守りたいと思ったものを守る。
 例え誰に無謀と言われても、手の届く限り、届かなくても伸ばすと決めた。

「ごめん、少しだけ我慢して」

 振り下ろされた魔力の刃を受け止めるのではなく、盾にした刃で受け流す。
 怒りにかられて繰り出された一撃は、あまりにも力みすぎていた。
 力を受け流されたフェイトは、振り下ろしたバルディッシュに引っ張られるように体勢を崩していく。
 そのフェイトへと、カズキはサンライトハートの飾り尾を投げつけるようにして巻き付けた。
 次の瞬間、フェイトのそれとは若干異なる色の閃光が迸った。
 エネルギーの衝撃をもろに受け、短い悲鳴をフェイトがあげる。
 途端にショック状態となったフェイトが、力を失うままにカズキの腕の中に落ちてくる。

「アリシアちゃん」

 地面に降り、直ぐに見上げた空に心配そうにフェイトを見つめるアリシアがいた。

「フェイトが言った事は全部本当。私が全部、奪っちゃった。だけど、今は殺されて上げられない。今のフェイトには何もないから」
「そんな事はない。確かに失ったものもあるけれど、まだフェイトちゃんにはたくさんのものがある。大勢の友達、俺も含めてそうだ。それに妹の君が……アリシアちゃん、もしかして君は人間を食べられないんじゃないのか?」

 カズキの疑問は、アリシアがハンバーガーから肉を抜いた事に端を発していた。
 それが直接人もと飛躍するのは、短絡的かもしれない。
 アリシアは人ではなく肉すらないハンバーガーを寧ろ喜んで食べていた。
 以前蝶野は、元にも戻れないし、人喰いも止められないと言った。
 アリシアのその行動は、カズキにとっても希望になりえたのだ。
 そんなカズキの視線を受けても、アリシアは明確な返答を口にする事はなかった。

「パピヨンのお兄ちゃんの話を聞いて、カズキのお兄ちゃんしかいないと思ったよ。たぶん、それは間違いじゃなかった。改めて聞くけど、フェイトの事をお願いしても良いかな?」
「分かった、預かるよ。たぶん、今回の事で凄い嫌われちゃったろうけど」

 ごめんなさいと一言残して、アリシアはパピヨンについて飛んでいった。









 アースラのブリッジにて、カズキはユーノと再会を喜ぶ暇もなかった。
 あの後、フェイトを追ってきたアルフがやって来た。
 少し事情を話した後で、詳しい事はとリンディからアースラのブリッジへと招待されたのだ。
 もちろん、気絶したフェイトは医務室に連れて行った後だが。
 今頃は体の治療を行い、精神作用のある鎮静剤を撃たれている頃だ。
 一方のカズキ達は、フェイトに何があったのかをアルフから聞く事ができた。
 多少推測交じりではあったが、それなりに詳しくは。
 フェイトの母親であるプレシアが、死亡したはずのパピヨンを回収していた事。
 それからアリシアをホムンクルス化し、狂ったアリシアに食い殺された事も。

「そう、やはりパピヨンを回収した人がいたのね。ジュエルシードが見つからないから、妙だとは思ってたけど。それにしても、我が子をホムンクルスにね」
「可能生としては、パピヨンと同じく余命幾ばくの娘の為でしょうね。それと艦長、以後は自ら現場に赴く事は自重してください。フォローするこちらの身が持ちませんから」
「なんていうか、放っておけなくて。あの人に似てるからかしら」
「僕も多少それは認めますが、自重してください」

 再三口を酸っぱくしてクロノに指摘され、リンディが頬を膨らませる。
 とてもクロノを生んだような女性に見えない仕草だが、似合い過ぎているのはある種の奇跡か。

「でも妙な話なんだけど、私もフェイトもだけど。フェイトに妹がいるだなんて聞かされてなかった。可笑しな話なんだけどさ」
「可笑しな話ではあるが、そこまで重要な事じゃない。現状アリシアはホムンクルス化し、パピヨンに同行している。そのアリシアの命をフェイトが狙っている」

 ジュエルシードだけでも大変なのにと、クロノは苛立たしげに頭を掻いていた。
 未だに遅々として探索は進まず、新たにホムンクルスの問題が再燃だ。
 地球で生まれた技術とはいえ、それはロストロギアに近いものがある。
 人喰いの化け物の生産技術など広まってしまえば、被害は何処まで大きくなるか。
 クロノは今後、パピヨン対策も視野にいれて動かなければならなくなってしまった。

「ねえ、クロノ。パピヨンの事はカズキに任せてみたらどうかな? アリシアからも、フェイトの事は任されたみたいだし」

 ユーノの意見を前に、それを考えなかったわけじゃないとクロノは渋面を作る。
 正直な話、そうした方がこれまでの方針を曲げずに、いらぬ心配をせずに済む。
 ただ即座に言い出せなかったのは、ジュエルシード捜索を引き継いだからであった。
 民間人だからと手を引いてもらい引き継いでおいて、手が足りないと助けを求める。
 それは無能の証といっても良かったが、贅沢を言える状況でもない。

「カズキ、君の意見を聞きたい。管理局の面子抜きで話すと、今さらだが君の力が欲しい」
「俺は構わない。元々そのつもりでここまで来たんだ。蝶野と決着はつける。フェイトちゃんの事もアリシアちゃんに任された以上、面倒を見る」
「当然だけど、フェイトの面倒は私も見るよ。今のフェイトは見てられない。できるなら、また以前のフェイトに戻って欲しい。もちろん、友達と一緒に遊んで笑う方にね」

 そこまでは頷いていたクロノも、それからとカズキが続けた言葉に目を向いた。

「逆に俺からも頼みがある。ジュエルシードの捜索に、俺も加えて欲しいんだ」
「ちょっと待て、君は一体自分が何を言ってるのか分かっているのか? 僕達が分業をしようと提案したのに、君は全部引き受けると言っているんだぞ?」
「いや、全部引き受けようって言う話じゃない。加えて欲しいだけだ」
「それなら難しい話ではないわね。パピヨンの口ぶりから、しばらくは大人しくしているはずよ。そうなれば、アリシアちゃんも動かない。実質、カズキ君の負担は少ないわ」

 不安視したクロノとは異なり、リンディは艦長席から口ぞえを行った。
 それは実際にパピヨンとは会っていないクロノには言えない言葉である。
 間近に居なければ、パピヨンのカズキに対する執着心は理解できない。
 恐らくは、カズキと決着を付けるまでパピヨンは多くは動かないだろう。
 カズキに勝たねば羽ばたけないという言葉からも、特に食人に関しては。

「ただし、そう言った以上隠し事はなしよ。あれだけ素直に引いたカズキ君が、どうして今になって加えてくれと言ったのかしら?」

 リンディの指摘通り、カズキの言葉はやや不自然であった事だろう。
 パピヨンやアリシアに関しては、カズキの個人的な事情である部分が大きい。
 管理局として放っておけない部分はあるが、まだ個人に任せられるレベルだ。
 だがジュエルシードとなると、正式なロストロギアであるし安易な約束はできない。
 その真意をはっきりとさせる必要があった。

「二日前の夜、武装隊の数人が気絶させられた事は?」
「どうして君がそれを……ジュエルシードの捜索中、偶然にも武装隊が発見したんだ。まだサーチャーにも引っかかっていないそれを。だが何者かに襲撃されて奪われた」
「以前から、何者かの妨害を受けている事には気づいていたわ。発動前のものを奪われたとなると、恐らくは襲撃者のアジト近くに近付いてしまったか何かね」

 となると、アースラとしてはあの周辺に網を張って捜索を続けている可能生がある。
 ならばこそ、絶対にジュエルシードの捜索に加えてもらわなければとカズキは言った。

「俺は、その襲撃者を知っている。ジュエルシードの捜索を妨害する人達も」
「なに?」
「その人達を俺は守りたい。本来は負わなくても良い罪を背負わせたくはない。だからその為にも、俺の手で捕まえたい。できるなら、全てはなかった事にして見逃して欲しい」
「君は……一体何を言い出すかと思えば、そんな我が侭が通ると思っているのか? 既に武装隊にも怪我人が出ているんだ。到底、認められない」

 クロノには当然ながら突っぱねられ、リンディも今度は味方をしてはくれなかった。
 難しい顔で瞳を閉じ、静かに首を横に振るだけ。
 だが無茶な要求という点ではカズキも理解している。
 それでもその無茶を通さなければいけないのだ。
 どんな手を使ってでも、それこそ大切な人の大切な人を売るような真似をしてさえ。

「今から話す事は全部本当の事だ。俺の心臓でもあるサンライトハートに誓って良い。今の闇の書の主は、ただの女の子だ」

 カズキの言葉は、徐々にフェイトから外れ興味が失せていたアルフでさえ引き寄せていた。
 リンディやクロノ、ユーノはもちろんの事、話をただ聞きしていたブリッジメンバーも。
 突然カズキの口から放たれたA級のロストロギアの名前に耳を疑った。
 今回の捜索対象であるロストロギアは、ジュエルシードのみ。
 ホムンクルス化の技術はあくまでついでで、厄介だが管理局としての重要性は低い。

「カズキ、君は一体何を知っているんだ!?」
「俺が知っている事なんて多くはない。ただ守りたい、この目に映る人を全て。だから情報提供との交換条件で、皆の罪を見逃してくれ。俺が捕まえるから、普通の人として海鳴市で生活させて欲しい。俺の願いはただそれだけだ」
「聞きましょう、カズキ君の話を。ただし、もう少し人の耳の少ない場所でね。君が真っ直ぐな所は私も好きよ。ただし、もう少し相手の身になってみてね?」

 リンディにウィンクされ、改めてカズキは周りに視線をめぐらせて見た。
 主に話に加わっていた者以外の誰もが、カズキの言葉に耳を傾けている。
 それでも別に盗み聞きでも、業務上の不正をしていたわけでもない。
 元々、そこまで深い話をする場ではなかったからであった。

「クロノ、会議室を一部屋今からとって。そこで改めて、お話を聞きましょう」
「分かりました。今度はエイミィにも同席させ、記録をとります。カズキ、君の話を聞こう。その内容次第では、君の意見を飲もう」

 少しは希望が見え、カズキはこっそりと手を握り締めていた。









-後書き-
ども、えなりんです。

アリシアは不憫。
行く先々で、パピヨンのせいで大注目ですよ。
舞踏会って夢もぶちこわされたしねw

カズキなりに頭を捻って交渉。
いよいよ次回、シグナムVSカズキです。
まあ、現在の実力ではシグナムの足元ぐらいですが。

次回は水曜です。



[31086] 第二十一話 それで本当にあの子は笑えるのか
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/03/14 20:45

第二十一話 それで本当にあの子は笑えるのか

 アースラ内部のブリーフィングルーム。
 今そこには艦長であるリンディと執務官であるクロノ、それから補佐官のエイミィ。
 それから他に武装隊や後方支援のメンバーが詰め寄り、最後にカズキとフェイト、アルフの姿があった。
 パピヨンの宣戦布告から数日後の土曜日の事である。
 ブリーフィングルームの前面に映し出された映像を指して、クロノが皆に言った。

「海鳴市の中でも最も人里から離れたここが、作戦実行の場所だ」

 宙に浮かぶウィンドウに映しだされていたのは、山間部にあると湖である。
 綺麗に静まり返った水面は鏡のようで、周囲の新緑がも合わさり作戦という言葉は到底似合わない。
 だがカズキはその湖を戦場として見定め、クロノの話に耳を傾けた。
 隣に自分を睨み続けるフェイトと、おろおろとするアルフを置いたままで。

「この湖畔に我々が所有するジュエルシードを一つ配置、わざと魔力を発生させて彼女達、闇の書の守護騎士達をおびき寄せる」
「決して発動には至らせず、かつ魔力の波動も弱くはなく。後方支援の班は腕の見せ所だよ」

 エイミィのやや軽い言葉に頷きながら、クロノが続けた。

「守護騎士が現れると同時に、近辺に伏せていた武装隊が結界を構築して包囲。そこからはカズキ、君の出番だ。結界内に転移、彼女達を捕縛してもらう」

 クロノの言葉から、カズキ一人でという言葉が見え、特に武装隊の面々がざわめいた。
 謎の襲撃者という肩書きならまだしも、その正体は闇の書の守護騎士なのだ。
 しかもそれを知らせたのは、当のカズキである。
 そうと知らず親交を持ってしまい、今こうして敵対する立場にいると決めた。
 管理外世界のベルカの騎士という実力を危惧する声もあるが、大半はカズキそのものを危惧した声であった。
 作戦の要をぽっと出の、それも守護騎士を師に持つカズキに任せても良いのかと言う。

「分かった。ただし、クロノ君もリンディさんも約束は守ってくれ。闇の書の主には手を出さない。シグナムさん達にも便宜をはかるって」
「ええ、その約束は守るわ。幸運な事に、彼女達は一度も蒐集行為を行っていない。私達と敵対こそすれ、ジュエルシードでそれを代用。今までの彼女達とは明らかに違うわ」
「闇の書の主に関しては、軽い問診と検診ぐらいはするが手は出さない。守護騎士に関しても聞く限りでは情状酌量の余地有りだ。裁判でも僕が責任を持って対応しよう」
「本当にいいのかな。現場レベルでそんな大事を約束しちゃって……」

 ぽつりと呟いたエイミィの言葉は、この場にいる管理局員全員の代弁だろう。
 闇の書は管理局にとって仇敵に近いロストロギアなのである。
 元々アースラが地球に来たのはジュエルシードに対する対策であって、闇の書ではない。
 一応リンディも本局に通達は出しているが、返答はまだなのだ。
 闇の書に対する別働隊が派遣されれば約束はないも同然だし、各々のメンタルな部分もある。
 シグナムに襲撃され、ジュエルシードを奪われた失態を侵した一部の武装隊の者には特に。

「各自、言いたい事はあると思う。だが、今は速やかに命令を遂行して欲しい。これは闇の書の因果を断つチャンスでもあると僕と艦長は考えている」
「これまで闇の書は、決して主に恵まれたとはいえなかった。魔力云々ではなく、主の思考や精神という意味で。話し合いは一切通じず、全ては力のみの闘争。もしも事を上手く収める事ができれば、数十年は闇の書の脅威を防ぐ事ができます。詳しく調べられるのなら、クロノ執務官の言う通りその因果さえも」
「本当に闇の書が、闇の書が生み出す悲劇を憎いと思うのならここは我慢してくれ。頼む、皆」

 リンディに先んじて、クロノがまずその頭を下げた。
 皆を引きいる艦長ではなく、上から二番目の位置にいる自分がと。
 ざわついていた者達も、その姿を見て皆口を噤んでいた。
 それは皆がクロノとリンディが、誰よりも闇の書に関しては思う所がある事を知っているからだ。
 個人の小さなプライドではなく、人生そのものを変えられてしまった過去を持つ事を。

「ほら、皆。お仕事、お仕事。私達のお仕事は、ロストロギアによる被害を喰い止める事だよ。管理局員なんだから、自分は後回し」

 慌ててエイミィも身振り手振りを加えながら説得し、局員達の戸惑いが薄れていく。
 もちろん完全に消えはしないが、エイミィの言う通りあくまで自分達は管理局員。
 民間人や次元世界そのものを守る事が最優先であり、私事はその次。

「しっかり捕縛しろよ、坊主」
「うん、分かってる。ありがとう」

 中にはカズキの肩を叩いてから、ブリーフィングルームを後にする武装隊員すらいた。
 局員達が皆ブリーフィングルームを去り、残ったのはリンディとクロノ、エイミィ。
 そしてカズキとフェイト、アルフの六名であった。

「ありがとう、クロノ君。それにリンディさんも……俺は少し、軽く考えていたのかもしれない。シグナムさん達を捕らえれば、それで良いって」
「今は一時的に嘱託の地位を与えてはいるが、君は民間人だ。不満があれば、訴えるのは当然だ。僕達も君の意見の中に正当な部分もある事を認めたから、こういう作戦に出たんだ」
「それでも、ありがとう。絶対に、シグナムさん達を止めて見せる」
「一応言ってはおくが、現場には僕も出る。君だけでは、到底不可能だからな」

 がっしりと手を捕まれ、やや照れたようにそっぽを向きながらクロノが言った。
 その様子をくすりと笑いながら、リンディがフェイトへと話を振る。

「フェイトさん、貴方はどうするつもりかしら?」
「私も、戦う。カズキが邪魔するから、もっと強くならなきゃアリシアは殺せない。それにカズキに死なれると、アリシアへの手がかりがなくなるから」
「フェイト……アタシも付き合うよ。使い魔だもん」

 幼い顔に似合わない憎しみを込めた表情を浮かべるフェイト。
 使い魔であるアルフを含め、見ていられないとばかりに皆が沈痛な面持ちを浮かべている。
 そんな中で邪魔と言われたカズキが、先程クロノにしたようにフェイトに手を差し出した。

「俺は絶対にフェイトちゃんも止めて見せる。だけど、その前にシグナムさん達を一緒に止めよう。フェイトちゃんも闇の書の主の為なら、良いでしょ?」

 カズキの笑みに対して、フェイトはあくまでも憎しみを捨ててはいなかった。
 ただし、闇の書の主と言葉を濁されたはやてについては、放っておけない。
 カズキに邪魔をされる事は鬱陶しいが、はやては大切な友達。
 助けてはあげたいが、カズキは邪魔でとぐるぐる頭を働かせた結果。
 無言のままにカズキの手を、甲高い音が鳴る程に、思い切り払いのけた。
 はやては助ける、だけど協力はしないとばかりに。

「痛ったぃ……」
「フェ、フェイト大丈夫かい!?」

 だがカズキの大きな手に対し、フェイトの手はあまりにも小さい。
 カズキはただ驚いただけで、痛みにより涙目で蹲ったのはフェイトだけであった。
 自分ばかりが痛い思いをと、八つ当たり交じりにカズキを睨み上げる。

「君達……この数日は同居していたと聞いたが、悪化してるんじゃないのか?」
「そうかな? まひろのおかげで随分とまた仲良くなれたよ。同じ家で同じ御飯を食べて、まひろのついでにお風呂で髪も洗ってあげたッ」

 次の瞬間、手を押さえたまま立ち上がったフェイトのつま先が、カズキの脛に直撃していた。

「痛ってぇ!」
「ふぇ、痛ぃ……けど、今度は勝った。カズキより、私のが強い」
「相打ち、に見えるけど。フェイトがそれで良いなら」

 真っ赤な顔をしながら、今度はつま先を押さえて蹲ったフェイトが呟いた。
 もちろん、アルフの柔らかな突っ込みなど聞こえてなどいない。
 脛を押さえてぴょんぴょん跳ねるカズキに対し、勝ち誇る程だ。

「クロノ君、なんで顔を赤くしてるのかな? カズキ君はフェイトちゃんと同い年の妹がいるんだし、一緒にお風呂ぐらい入るよ。このムッツリすけべ」
「だ、誰がだ。僕は別に、ただ純粋にこれでまともに協力しあえるのかと不安を抱いていただけだ」
「クロノみたいな堅物も困りものだけど、カズキ君みたいに気にしなさ過ぎるのも困りものね。でもまあ、チームワークは多分問題ないわね」

 憎しみに顔を彩る寄りは、羞恥だろうと年頃の反応をするフェイトの方が良い。
 アリシアがフェイトをカズキに任せたのは、限りなく正解に近かったのだろう。
 このまま全てを忘れる事はできないだろうが、今はこれで良いとリンディは微笑んでいた。
 そして、自分達ものんびりはしていられないと、両手を叩いて止めに入った。









 シグナム達がジュエルシードの魔力反応を感じたのは、午後一時頃。
 午前中の捜索を終えてからはやてとお昼を共にし、再捜索に向かった矢先の事であった。
 シャマルが即座に場所を特定し、迅速にその場所へと急行する。
 その迅速さこそが、シグナム達の強みでもあった。
 管理局は組織という事もあって、個人のシグナム達よりもかなり迅速さに欠けていた。
 もちろんそれは、仕方のない部分もある。
 既に被害が出ている場合はまだしも、被害が出ていないのならやるべき事は多い。
 まずは周囲の状況確認、民家や人影は、即座に発動の危機有りか等々。
 それらを纏めてから、ようやく上に報告が上がり、どのような対応か上が決めていく。
 対応の良し悪しはあれど、速さという一点のみでは組織よりも個人が勝る。

「ここか。まだ管理局は来ていないな、早急に探し出して封印。持ち帰るぞ」
「ああ、面倒は避けてえしな。シャマル、場所は?」
『ちょっと待って』

 海鳴市の山間部、以前の温泉とは方向が異なる湖の真上にシグナム達があった。
 騎士甲冑姿のシグナムとヴィータ、そして狼の姿のザフィーラである。
 シグナムが見渡した周囲は、木々に囲まれ見通しが悪く、湖は深いのか青が濃くて底は見えない。
 湖の底に沈んでいたら厄介だと思っている間に、ヴィータがシャマルを呼ぶ。
 本人はバックアップ要員の為、周囲にはいるが森の中に隠れているのだ。

『見つけた。良かった、湖の底じゃないわ。シグナム達からも見えるはずよ、湖面の上。葉っぱの上にちょこんと乗ってるわ』

 シャマルの念話を受け取り、三人は揃って真下の湖を見下ろした。
 昼間のやや強い日差しを反射し、穏やかな皆もがきらきらと輝いている。
 その銀色の光の中に、異なる淡い青の光がぼんやりと光っているのが見えた。

「あれか、運が良い。発動もまだだ。さっさと回収して撤退する」

 直ぐにシグナムが決断し、湖面の上へと降りて足をつき、波紋を広げる。
 その時、湖の奥底から光が溢れ始めた。
 光が溢れるにつれ穏やかであった湖面は小波を起こし、荒れ始める。
 決して小さくはない揺れを前に葉っぱは小船のようで、何時ジュエルシードが沈んでも可笑しくはない。
 そうなれば無駄な時間がと、ヴィータが焦りを浮かべていた。

「魔力反応、まさか発動しちまったのか!?」
「いかん、早く回収せねば!」
「いや、待て。この色はジュエルシードのものではない。それにこの魔力色は、退避しろ!」

 シグナムの命令で、ヴィータと人の姿になったザフィーラが跳び退る。
 あと少しでと言いたげに、手を伸ばし舌打ちをしながら。
 そのシグナム達の目の前で、湖の水面が盛り上がっていった。
 小船となりジュエルシードを乗せていた葉を巻き込みながら。
 そして次の瞬間、水面の盛り上がりを貫き鋼鉄の嘴のような何かが葉っぱの小船に暗いついた。
 青く脆い小船を粉砕し、ジュエルシードを咥えながら湖の中から飛び出していった。
 鋼鉄の嘴に見えたのは、突撃槍の刃。
 飾り尾をエネルギーに変えて湖の水を吹き飛ばし、黒い学生服姿のカズキが現れた。
 その傍らには、カズキに背中を向けながらバルディッシュを手にするフェイトとアルフ。

「カズキ……」

 唇を噛み締めながらそう選択したかとシグナムが呟いていた。
 だが烈火の将を名乗るには、少し感傷的過ぎであった。
 異空間に引きずりこまれるように青かった空も木々の新緑もその色を変えていく。
 その意味を逸早く察したシャマルが、慌てふためいて念話を飛ばす。

『シグナム、早く撤退して。罠よ。周囲に管理局の武装隊が、急いで捕縛結界が。ごめんなさい、私全然気付けなかった!』
「いや、お前だけの責任ではない。私達は、少し焦りすぎていたようだ」
「けど、舐められたもんだ。相手はベルカの騎士見習いのカズキと魔導師のフェイト、それに使い魔、あいつは名前知らねえや」
「私達を相手にするには、役者不足。それとも、次の作戦への囮か、捨て駒か」

 ヴィータやザフィーラに良いように言われても、カズキは言い返しはしなかった。
 その瞳はただひたすらに、シグナムを見つめていた。
 自分の選択はこれだと、例えこうして敵対する道でも選んだのだと訴えるように。
 あふれ出し光となって弾ける魔力を隠しもせず、シグナムに戦意を向けている。

『カズキ、それにフェイトとアルフ。君達は目の前の三人の相手を頼む。守護騎士は全部で四人いるはずだ。僕は隠密行動でその四人目を探す。時間を稼いでくれ』
「分かった。フェイトちゃん、それにアルフさん。シグナムさんは凄く強い。たぶん、ヴィータちゃんやザフィーラも。気をつけて」
「カズキに心配されるいわれはない。そっちこそ、勝手に死なないで」
「カズキがシグナム、フェイトがヴィータ。となるとアタシはザフィーラか。まあ、なんとかしてみせるさ!」

 カズキのもとより、フェイトとアルフが飛び出した。
 水面を蹴るようにして空を飛び、それぞれ正面にいたヴィータとザフィーラへと向かう。
 その場に残ったカズキはただシグナムを見据え、サンライトハートの切っ先を向けた。

「シグナムさん、行くよ」
「この私が、戦場では相手の戦意を逐一問えと教えたか?」
「行くぞッ!」
「Explosion」

 足元に太陽の光に似た色の魔力光を放つ、三角形の魔法陣が展開される。
 カートリッジをロードしてその輝きは更に強まり、飾り尾が弾け飛ぶ。
 共に戦い、背中を預けた事もあったが実際に戦うのはこれが初めて。
 シグナムの本気も実力差も分からない中で、取れる手段は一つだけ。
 ただただ全力でぶつかるのみと、カズキは魔力を高めて雄叫びをあげた。

「サンライトハート!」
「Sonnenlicht slasher」

 刃を先頭に一つの閃光となってカズキが飛び出した。
 湖面を爆発させるように蹴り出し、水飛沫を斬り裂き、エネルギーで蒸発させながら。
 ジュエルシードの憑依体やホムンクルスを撃破してきた必殺の魔法。
 威力だけならシグナムも一目置いた突撃槍の真骨頂のチャージだ。
 カズキ自身もこの一撃には自信があり、もしかしたらという淡い期待もあった。
 もしもこの一撃で終わるのなら、親しい者同士で戦わなくて済むと。
 だがそれはあまりにも、淡く儚い期待でしかなかった。

「レヴァンティン」
「Explosion」

 カズキのチャージを前に、シグナムは避ける素振りを見せずただカートリッジをロードしただけであった。
 僅かな動きと言えば、炎を纏わせたレヴァンティンの刃の腹に手をそえ、胸の前に差し出した事ぐらい。
 一瞬、攻撃を繰り出したカズキの方が躊躇しそうになる。
 だが真っ向勝負ならと挑み、レヴァンティンを構えるシグナムへと突っ込んだ。
 炎とエネルギーの魔力変換資質持ち同士。
 デバイスが接触した瞬間から互いがむさぼり合う様に炎は猛り、エネルギーが弾け飛ぶ。
 その熱と光の中を貫こうとカズキが力を入れるも、ビクともしない。

「良い一撃だ、本当にお前は強くなった。私の目の前にいるお前は、見習いなどではない」
「そんな……」
「だが、真のベルカの騎士に戦いを挑むには、やはりまだ早い!」

 受け止められ、威力が零になったサンライトハートの刃が上に弾かれた。
 それも全力の一撃の直後でカズキの腹部が、がら空きとなってしまう。
 当然ながら、自ら作り上げたカズキの隙を見逃すシグナムではない。

「見せてやろう、真のベルカの騎士の必殺の一撃を」

 紫色の魔力を帯びたレヴァンティンの刃をひるがえし、炎が猛る。

「紫電一閃!」

 まともにその一撃を受けたカズキの姿は、シグナムの前から消え失せていた。
 炎に焼かれ、衝撃で吹き飛ばされて水を裂きながら転がっていく。
 先程カズキがサンライトハートで湖面を斬り裂いた光景の、逆再生のように。
 そのうち腕か足がもろに水に取られ減速、水柱を大きくあげて沈んでいった。

「カズキ、私は言ったはずだ。敵対するならば、斬ると」

 水柱によって降り注ぐ雨粒の中で、極力感情を抑えたシグナムが呟いた。
 何も感じないように、余計な事は事を考えないように。
 そのままシグナムが背を向けた瞬間、ぱしゃりと水音が一つあがった。

「ぅ……げほっ、凄い威力。無茶苦茶、水飲んだ」

 全身を水で濡らし、咳き込みながらカズキが湖の中から浮かび上がってきたのだ。
 その姿を見て初めて、シグナムは自分の手が震えている事に気付く。
 痺れるようなその手の平の感触は、渾身の一撃を防がれていた事を意味していた。
 他にもカズキが手にしているサンライトハートの柄の部分。
 一点集中された焦げ目がはっきりと浮かび上がっている。
 刃を弾かれながらも、持ち手を中心に回転させて斬撃の軌道に柄を差し込んだのだろう。

「まさか、あの一瞬で……」
「シグナムさんが負けられないように、俺だって負けられない。今はまだシグナムさんより、弱くても。シグナムさんを守りたいから」

 シグナムが知る以前のカズキならば、絶対に防げないタイミングであった。
 パピヨンとして生まれ変わったばかりの蝶野攻爵と戦う前のカズキならば。
 唯一知らないその一戦が、遥かにカズキを強くしていた。

「今気がついたが蝶野攻爵との戦いで飛べるようにもなっていたのか」
「いや、飛べるようになったのはつい昨日」
「少し目を離しただけで……」
「守りたいから」

 見失っていた頃とは違う、自分の信念を自覚した呟きであった。
 そしてその自覚こそが、カズキの成長をさらに促進させていた。

「俺は皆を守りたい。だから敵対してでも、シグナムさんを守る。力ずくででも。それにあの子、寂しがってた。そんな顔を見せまいとしてたけど、皆がいてくれない事に」
「言うな、カズキ。全てが終われば、我々も健康な体を得た主の下で、穏やかに暮らしていけるのだ」
「それで本当にあの子が笑えるのか? 大事な家族に後ろめたさを抱かせながら、それで本当に幸せだって言えるのか!?」
「主が心優しい事は先刻承知、だからこそ我らは闇の書の主ではなく、ただの主として忠義を誓った。だから何を差し置いても、主に幸せになって欲しいのだ。多少の後ろめたさなど、決して主の前で見せはしない!」

 湖面を蹴ったシグナムがレヴァンティンをカズキへと向けて振り下ろした。
 サンライトハートの大柄で幅広の刃で、カズキが受け止める。
 そのまま力で押し返そうとするも、強い衝撃の後に待っていたのは手応えのなさ。
 空中でたたらを踏みかけたカズキの右太ももから、血飛沫が飛ぶ。
 間合いの長さは懐に入られた瞬間に、有利と振りが逆転してしまう。
 慌てて距離を取ろうとカズキが跳び退っても、シグナムが猛追してきた。
 離れろと振らされたサンライトハートは空気を薙ぐだけで、次に左腕が浅く裂かれる。
 出血こそ派手ではないが、確実に体に裂傷を刻み込まれ始めていた。

「お前の様に何度叩きのめしても立ち上がってくる相手に、有効な手だ。血を流させ体力を奪い、圧倒する力量差で気力を奪う。後は力尽きるのを待つだけ。黙して受け入れろ」
「嫌だ、絶対に諦めない。それに誰かを傷つけて幸せを得るなんて言わせもしない。あの子なら、今のままでも十分に幸せになれるんだ。今のままでも今まで以上に!」
「Sonnenlicht slasher」

 一撃目よりさらに魔力を込めて、エネルギーを放出させる。
 光による目潰しと必殺の一撃の同時攻撃。
 これならどうだと至近距離から放つも、シグナムは一歩早く距離を置いて体を捌いていた。
 のみならず、すれ違い様に腹部へとレヴァンティンが閃き、鮮血が迸った。
 がむしゃらに戦うカズキとは対照的に、シグナムは丁寧に傷を負わせていく。
 突撃槍と大剣と獲物や魔法の威力に大きな差は無い。
 二人の間に歴然とあるのは経験と技量、その差であった。
 これは勝負あったなと、シグナムの冷静な戦いを前にヴィータはほっと息をついていた。

「さて、そろそろこっちも決着つけようか?」
「はあ、はあ……」

 ヴィータが空より見下ろしていた湖の上での戦いから、目の前のフェイトへと視線を戻した。
 そのフェイトは、カズキに負けず劣らず満身創痍に近かった。
 呼吸は乱れ、バリアジャケットは所々が破れ、痣の集中している左腕はだらりと垂れている。
 腕を持ち上げようとする度に痛みを覚えては、失敗を繰り返していた。
 自分はこんなにも弱かったのかと、唇を噛み締めながら魔力の刃をバルディッシュに生み出す。

「お前も、止めとけ。初めてできた友達をボコるのは気が引けんだよ。あの突撃馬鹿と違って、お前はもうちょい賢いはずだろ?」
「そうだね。私はどちらが正しいかなんて分からない。元々ココへ来たのも、カズキに死なれたら困るからだし。私がヴィータに倒されたら、本末転倒だよ」
「なら黙って見逃せ。それで、また一緒に遊ぼうぜ」
「駄目、一緒に遊びたいのは同感だけど見逃せない。私にも見逃せない理由ができた。大嫌いなカズキのせいで……ぐっ」

 痛みを無視して左腕を持ち上げ、フェイトが今度こそ両手でバルディッシュを持ち上げた。

「ヴィータ、もう少し目の前にある幸せを大切にしようよ」
「ああ、何いきなり老け込んだみたいな事を言ってんだ?」
「遥か先に輝くとっても素敵な未来じゃなくて、今目の前にある小さな幸せ。そうしないと、何かの拍子でその小さな幸せが消えた時、きっと後悔する」
「おい、お前……なにがあった?」

 まるで自分の事を語るように、フェイトは大粒の涙を零していた。
 ヴィータに諭しながら、本当に思い出してしまったのだろう。
 今思えば、プレシアの笑顔の為に奔走していられた時が、幸せであった。
 例え微笑んでは貰えなくても、微笑んで貰えるかもという希望がその胸にあったから。
 だが今はどんなに希望を抱いても無意味、もうプレシアはいないのだ。

「無理なんかしなくて良い。今、あの子のそばにいてあげてよ。先の事なんて、どうでも良い。もしもヴィータ達に何かあったら、私の母さんみたいに会えなくなっちゃうんだよ!」
「会えなくって……おい、まさかお前の母さん。くそ、こんな所に来てる場合かよ。こんな場所に連れ出したのは、あの突撃馬鹿……いや私達か!」

 泣きながらバルディッシュを振り上げたフェイトを前に、ヴィータは行動が遅れる。
 あの日、フェイトを最後に見た日は、母親に会いに行くと意気込んでいた。
 一体何があった、何故泣くと動揺せずにはいられなかった。
 だがシグナムではなく、自分が取り乱してどうすると、魔力の刃を鉄槌で受け止めた。
 鍔迫り合いに持ち込むも、間近でフェイトの泣き顔を見せられ戦意が鈍る。

「フェイト、無茶しないでおくれ。お前は邪魔、すんな!」
「そちらこそ、私達の邪魔をしているのはそっちだ!」

 助けに入ろうとしたアルフも、ザフィーラに足を止められ近づけない。
 元々護衛に主を置いた似た者同士で、実力も拮抗している。
 一方のカズキは圧倒的な地力の差でシグナムに追い詰められていた。
 今も一つ一つ丁寧に裂傷を刻まれ続け、その全身はバリアジャケットに包まれながらも血まみれであった。
 まだ一人の脱落者も出てはいないが、それも時間の問題である。
 どう転ぶか全く見えない戦況の中で、決定打を打ったのはクロノであった。

「そこまでだ!」

 念話交じりの高らかなクロノの声が周囲に響き、皆の視線を引きつけた。
 その姿は湖畔を覆い包むように構成される森と湖の境にあった。
 ただしクロノ一人だけではない。
 後頭部にデバイスを突きつけられ、捕縛寸前のシャマルも人質として連れられている。
 抵抗できない自分を悔い、唇を噛んではいるが、両手は腕に上げられていた。

「シグナム、皆……ごめんなさい。私、頑張ったんだけど」
「くそッ、私がカズキに拘り過ぎたせいか。カズキ、どうやらお前の勝ちのようだ」
「シグナムさん、ごめん」
「何を謝る事がある。お互い、正しいと思ったからこそ」

 そう呟きながら、シグナムが武器を下ろせとヴィータに告げようとする。
 その時、クロノが後ろから現れた男に蹴り飛ばされた。
 白と青のツートンカラーのジャケットにパンツ、顔には一枚の仮面。
 特にアースラの関係者はパピヨンを思い浮かべかけたが、肩幅のある体格が違う。
 蹴り飛ばされたクロノは、木の幹を何本もへし折り、最後の一本にめり込んで止まった。

「守護騎士の協力者だと……」

 聞いてないぞとクロノが見上げたカズキも、唖然としていた。
 はやての家族も守護騎士も同じ四人だとばかり思っていたからだ。
 同様にシグナム達もあれは誰だと、時を忘れて見入ってしまっていた。

「貴方は……」
「闇の書の力を使って結界を破壊しろ」
「え? そう言われても直接の蒐集が目的じゃないので、普段から持ち歩いていないんですけど」
「な、なに!?」

 シャマルの答えが意外だったのは、焦りが伝染するように男が慌てふためいた。
 だが誰にとっても幸運か、森の奥で突然の爆破の炎と煙が立ち上がった。
 断続的に次々と、森全体を燃やし尽くす勢いで爆破は続き、大量のガラスが割れるよう直人が響く。
 結界が破壊され、灰色に染まっていた空や湖が、元の鮮やかな色を取り戻していく。
 その空を黒色の蝶々の羽を羽ばたかせて現れたのは、パピヨンであった。

「パピヨン、この男はお前の仲間か?」
「パピ、ヨン。もっと愛を込めて。そんな妖しいいでたちの男は知らないね。全く、センスの欠片もない蝶詰まんない格好だ」
「お前だけには言われたくない」

 蹴られた腹を押さえながら立ち上がったクロノが問うも、違うらしい。
 パピヨンも意味のない嘘はつく性質ではないので、ホムンクルスではないという事だろう。
 だが男の方も心外だとばかりに呟いていた。

「今のうちだ。逃げろ、まだ捕まる時ではないだろう?」
「言われずとも。皆、撤収するぞ!」
「シグナムさん!」

 また戦えると、シグナムを追おうとしたカズキの目の前に黒色の蝶々が舞い降りる。
 とっさにサンライトハートを盾にすると、蝶々が発火して爆破を撒き散らした。
 炎に熱風、煙が舞い上がり、追いかける為の時間を断たれてしまう。
 それらが収まった頃には、既にシグナム達の姿は影も形も見えなかった。
 クロノを背後から襲ったあの男も同様である。

「お前があの女にお熱なのは知っているが、無視はないんじゃないか武藤?」
「蝶野、邪魔を……お前、一体それ何を持っているんだ?」

 パピヨンは小脇に大量のデバイスらしき物を抱えていた。

「ああ、これかい? お前との決着の前の小事、あっちにいた局員から奪い取ったデバイスだ。さすが管理局員、それも武装隊。良いものを使っている。やはり欲しい物は奪い取ってこそ」
「カズキに執着しているとは聞いていたが、まさかこんな形で僕らの邪魔をしてくれるとは思わなかったよ。カズキには悪いが、捕縛させてもらう」
「いや、ここは俺が。蝶野と戦うのは俺の役目だ」
「瀕死に近い状態のお前と戦っても面白くもない。お互い体調は万全の状態で戦ってこそ。俺もお暇、させてもらうよ。武藤、これで俺はまた強くなる。お前も更に強くならないと、今度こそ皆を守れないぞ」

 そうパピヨンは呟くと、三十を超える大量の黒色の蝶を自分の周りに生み出していた。
 結界が破壊された今、そんなものを放たれれば周囲が地形ごと変わり果ててしまう。
 だがクロノもそうはさせまいと、ダガーのように研ぎ澄まされた魔力の刃を大量に生み出し始める。
 どちらが先に撃ち放つのか、緊張が走った瞬間、場違いな声が響いた。
 カズキ達の頭上に立つパピヨンのさらに上から。

「パピヨンのお兄ちゃん、武装隊の人は全員軽傷程度に治して……フェイト?」

 降りてきたのはアリシアであったが、カズキ達の存在は予想外であったらしい。
 まっさきにフェイトへと視線が吸い込まれ、それはフェイトもまた同様であった。

「アリシアッ!」

 この場を占める緊張感など完全に無視して、アリシアを目掛けて飛んだ。

「面倒な事を。行け、黒死の蝶」
「フェイト、戻れ。くそ、全部撃ち落せるか。スティンガーブレイド!」

 アリシアがいる場所には当然のごとく、パピヨンがいる。
 曲線を描いて飛翔する魔力の刃が黒死の蝶を正確に撃ち貫いていく。
 だがそれと同時に黒死の蝶は爆炎を上げ、フェイトの姿はその中へと消えていった。
 フェイトが爆炎に飲み込まれる一瞬前、その中へと飛び込んだカズキと共に。









-後書き-
ども、えなりんです。

カズキとシグナムの初戦は、シグナムの圧倒的勝利。
フェイトもさりげに、ぼこぼこ。
まあ、フェイトはカートリッジシステムも積んでないしね。
善戦したのはアルフと、クロノぐらい?

折角の作戦もパピヨンのせいでぐだぐだ。
次回はアースラに新戦力追加。
ついにあのブラボーな人が参戦です。
これって全然伏せてないですよねw

それでは次回は土曜日です。



[31086] 第二十二話 もう誰も、泣かせたりなんかしない
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/03/17 23:26

第二十二話 もう誰も、泣かせたりなんかしない

 数時間前の戦闘記録を、クロノは与えられている執務室にて閲覧していた。
 その傍らには、記録を纏めて渡してくれたエイミィもいる。
 たった数時間前の記録をクロノが閲覧しているのには理由があった。
 クロノは戦闘中、四人目の守護騎士であるシャマルを探していた。
 その為に、カズキ達の詳細な戦闘内容までは把握できていなかったからだ。
 もちろん、大まかにはブリッジを通して把握してはいたが。
 改めて戦闘記録を見直したその顔は、渋面を作り出していた。

「凄いよね、フェイトちゃんは。魔力平均値が百四十万、AAAクラスにもなれる資質があるよ。武藤君は触れ幅が大き過ぎて平均値は測定不能だけど、たぶん見劣りはしないはず」
「フェイトは良く訓練されているし、カズキも荒削りだが良いモノを持っている。それは僕も認めるよ。だが如何せん、実戦経験が足りなさ過ぎる」

 アースラの武装隊員に見劣りしないどころか、二人は頭一つ分は抜けているだろう。
 魔力に主眼を置いた魔導師、または騎士としての強さは。
 だが二人共、守護騎士を相手にした一対一の勝負の中で一方的に凹まされてしまった。
 クロノとしては、もう少し粘って欲しかったと思わずにはいられない
 もちろん、相手が悪すぎたという事もある。
 どれだけの年月を戦いに費やし経験を積んだか一切不明の闇の書の守護騎士。
 本局でも指折りの魔導師を連れてこなければ、難しい注文だろう。

「できればカズキとフェイトにはアースラに常駐して、少しでも訓練を積んで欲しい。作戦に取り込むには、少し不確定要素が多すぎる」
「アースラとしては問題ないけど、カズキ君は小さい妹さんと二人暮らしって話しだしどうだろう」
「一応、こちらの準備だけでも済ませておいてくれ」
「了解、艦長にも申請して伺っておく。それで今後の方針は?」

 味方の戦力分析も大事だが、もっと大事なのはエイミィの言う通り全体の方針だ。
 守護騎士達への罠は、もう二度と通用しないだろう。
 今回の事で向こうも警戒し、ジュエルシードの反応があっても直ぐには飛びつかない。
 だが逆に考えれば、それは組織ではなく個人として動く彼女達の迅速さを奪ったに等しい事だ。
 同じ轍は踏むまいと、反応を感知してもまず先に調査を行うはずだ。

「彼女達は一端後回しにする。今度はこちらができる限り迅速に、残りのジュエルシードを回収する。カズキ達にも経験を積ませつつ、次までに地力を少しでもつけさせる」
「妥当な所だね。ところで、パピヨンへの対策は? あの迷惑蝶々」
「彼に関してはお手上げだ。行動がまるで予測がつかない。デバイス作成用の部品が欲しいからって、武装隊を襲撃するなんて発想。次元世界の人間がするかい?」
「しないね。そんな大事にする位なら、お財布に厳しくても純正品を買うよ。もしくはちゃんとしたデバイスマイスターと契約する。うん、予測不能だね。カズキ君に棚上げしよう」

 お手上げというジェスチャーをしたエイミィが、そうそうと思いついたように言った。

「今朝のブリーフィングの時から、ユーノ君の姿が見えないけど、どうしてるの? ほら、前はカズキ君と一緒に行動してたみたいだし、サポートとして戦えると思うけど」
「ああ、彼なら……もっと適所に向かって貰ったよ。そうだな、そろそろ本局に着いた頃だろう。一度連絡しておこうか」

 そう言ったクロノは、目の前のキーボードに指を走らせ始めた。
 戦闘記録映像がウィンドウから消え去り、変わりに映し出されたのは通信用ウィンドウであった。
 そこで一度本局へと繋げ、オペレーターにユーノを呼び出して貰うように頼んだ。
 しばし、待ち受けようの音楽に耳を傾けていると、ユーノがウィンドウに移し出された。

「ユーノ、そっちはどうなってる?」
「うん、無限書庫の閲覧申請は終わったよ。色々と手間取っちゃったけどね。外部の人間の閲覧は例にないらしく、たらいまわしにされちゃった」
「本来は僕か、僕の師匠達人をつけるつもりだったんだが……何故か連絡が取れなくてね。たらいまわし程度で済んで良かった」
「昼前に本局について、許可が降りたのが夕方だよ。たらいまわし程度で済ませないで欲しいな。苦労したんだから……今から覗いてみて、調査はそれから」

 ユーノが言った無限書庫とは、管理局の本局にある情報集積型のロストロギア。
 全ての歴史が埋まっているとさえ言われる、無限の情報が集まる場所だ。
 ただし、無限に近い情報などを人が整理できるはずもなく書庫という名は有名無実化している。
 口さがないものは、無限書庫ではなく情報の墓場という者さえいた。

「あんな所に、何をしに行くつもりなの?」
「クロノに頼まれたのは闇の書の調査ですよ。主にジュエルシードとの関連性をね。見た事も聞いた事もないロストロギアで調査しろだなんて、無茶も良いところだよ」
「スクライアの一族は、そういう事が好きだろ? 君の趣味の為に重要施設への立ち入りを許可したんだ。楽しんだ分、協力してくれ」
「否定できないけどね。そっちはどうだった?」

 やはりユーノも、知り合い同士の戦闘結果は気になっていたようだ。
 一先ず怪我人こそあれ、重傷者はいないと一通りの情報がクロノから語られた。
 神妙な顔でそうかと頷いたユーノへと、改めてクロノは調査を正式に依頼。
 急いでくれとの言葉も付与し、ユーノも分かったと頷いていた。

(なんていうか、珍しい光景。クロノ君が、歳の近い子と憎まれ口を叩きながら会話するなんて。実際歳は四つぐらい上だけど、見た目は完全同い年だもんね)

 エイミィにそんな感想を抱かれているとも知らず、クロノとユーノは別れの言葉と共に通信を終えた。









 アースラ内にある対魔構造を施されたトレーニングルームにカズキの姿はあった。
 まだ戦闘が終わってさほど時間は立っておらず、他には誰もいない。
 顔には絆創膏、学生服の騎士甲冑から見える僅かな肌には包帯がチラリと覗いている。
 まだ完治には至っておらず、それらを血と汗で濡らす程にカズキは体を動かしていた。
 サンライトハートの柄を両手で掴み、振り回す。
 鋭く突き、引いては柄を盾に相手の攻撃をさばいて、幅広の刃を薙ぐ。
 その瞳に映るのは、初めて手合わせをして実感した強敵のシグナムである。

「今のままじゃ、シグナムさんを止められない。俺が、もっと強くならないと」

 これまでのようにエネルギー化の魔法を使用した突撃主体の戦法は通用しない。
 カズキがこれまで勝利を収めてきた相手に、ちゃんとした騎士や魔導師はいなかった。
 だからこそ、シグナムと刃を交えて教えられた。
 今までの戦いで自分がいかに、力押しの戦法に頼っていたかを。

「でも、考えてみれば今まで実戦ばかりでちゃんとした訓練ってあまりなかったな。シグナムさんの鍛錬も、恭也先輩との模擬戦も実戦さながらだったし」

 サンライトハートを肩に置いて、これで良いのかと少し考え込む。
 一応今は眼に焼き付けたシグナムの動きを思い出しながら、素振りを繰り返していたのだが。
 素人考えの訓練で、果たしてシグナムとの差が少しでも縮められるのか。

「一人じゃ、無理。今から基礎を積んでも間に合わない。なら、模擬戦あるのみ。より実戦に近い訓練で、経験値を積むしかない」
「フェイト、まだ動いちゃ駄目だよ」

 まさにカズキの悩みを見抜いたような言葉が、後ろから投げかけられた。
 振り返ったそこに居たのは、アルフに支えられなんとか立っているフェイトであった。
 何時ぞやも着ていた黒のワンピースであったが、腕や足には包帯が幾重にも巻かれている。
 カズキは裂傷が多かったが、フェイトは打撲が圧倒的に多かったのだ。

「フェイトちゃん、まだ出歩いちゃ駄目だ。せめて一日はって言われてるだろ?」
「そうだよ、フェイト。カズキの言う通り、しばらくは大丈夫だから。医務室に戻ろう?」
「それはカズキも同じ。怪我の具合は私より酷かったはず。その上、あの時……パピヨンの爆破魔法に巻き込まれた私を庇ってさえ」
「俺は全然平気。フェイトちゃんの事は、アリシアちゃんに任されてるし」

 フェイトはアルフの言葉には首を振り、カズキの言葉には悔しげに睨んで返していた。

「カズキは何時もそれだね。俺は全然平気、大丈夫……その言い方、大嫌い」
「それでも構わない。俺はフェイトちゃんが心配なだけだ」
「バルディッシュ、セットアップ」
「Stand by ready」

 次の瞬間、フェイトはアルフの手を離れ飛び出していた。
 素早くバリアジャケットを身に纏い、カズキの目の前でバルディッシュを振り上げる。
 打撲の痛みは歯を食いしばって耐え、力の限り振り絞った。

「フェイト!」
「アルフ、お座り!」

 アルフを怒鳴って座らせ、カズキが盾にしたサンライトハートの柄に叩きつける。
 互いに一瞬硬直し、バルディッシュが続いて呟いた。

「Scythe form」

 バルディッシュそのものは動かさず、生み出した刃が生成される過程で斬り込む。
 顔面に目掛け伸びてくる魔力の刃を前に、カズキが顔を仰け反らせた。
 自然とその視線は上を見上げるようになり、視界からフェイトが消える。
 その瞬間に、フェイトの足がカズキの腹部へとめり込んでいた。
 魔力で強化された脚力で蹴りつけられ、うめき声を上げながらカズキが吹き飛ばされていった。

「Arc saber」

 床に足で噛みつき倒れる事だけは避けるカズキに対し、フェイトは止まらない。
 バルディッシュに生み出した魔力の刃を投擲。
 三日月状の刃が円盤状に見える程に回転しながら、襲いかかる。

「Sonnenlichtmauer」

 それに対し、カズキは体勢をなんとか持ち直し、サンライトハートを床に突き立てた。
 突き立てた箇所を中心に半円状の魔力障壁を展開。
 何かを言おうとフェイトを見るが、その視線の先には既にその姿はない。
 魔力障壁を喰い破ろうとする三日月の刃が散らす魔力の火花の音に混じり風切り音が聞こえる。
 カズキが視線でその音を追うと、背後に現れたフェイトが見えた。
 周囲に幾つもの放電する魔力球を浮かべた状態で。

「Photon lancer. Full auto fire」

 放ったそばから生成される魔力球が、次々にカズキへと襲いかかる。
 魔力障壁を張りなおす暇などなかった。
 カズキを撃ち貫き、フェイト自身が放った三日月の刃でさえも、もろとも破壊していく。
 ついにカズキが吹き飛ばされながら膝をつき、フェイトがその胸中を叫んだ。

「俺は大丈夫、平気だって思ってるのはカズキだけ。全然大丈夫でも、平気でもない。カズキに何かあったら、まひろはどうするの? どうして皆、今目の前にある幸せを大事にしないの!」
「Thunder smasher」

 渾身の一撃、もはや模擬戦の領域から逸脱する一撃を放った。

「Explosion」

 フェイトの荒んだ心を体現したかのような、膨大な魔力の奔流。
 それを前にカズキは、避ける素振りも見せず、サンライトハートを構えていた。
 まるで正面からそれを受け止めるとでも、言うかのように。
 柄の先端にある機具がスライド、カートリッジをロードして薬莢を排出する。

「俺はシグナムさんを守る。まひろだって悲しませない。大切な人の取捨選択なんてできないから、その全部を守る!」
「Sonnenlicht slasher」

 若干の色は異なる太陽の光に似た色の魔力を纏い、カズキが電撃の中に突っ込んだ。
 多少なりとも図星の部分はあれど、そんなつもりは一切ないと。
 大切な人を守りたい、それこそ数千年も前から人々が持ち続けた原始的な想い。
 それだけを胸に、フェイトが放った砲撃を斬り裂きながら突き進む。

「言うだけなら、求めるだけなら誰だってできる。綺麗ごとを言う前に、今できることをまずしてよ!」
「善でも悪でも、最後まで貫き通せた信念に偽りなど何一つない。俺は自分の信念を知っている。だからフェイトちゃんが休んでくれないなら、無理やりにでも休ませる。それが今俺にできることだ!」

 ついにカズキのサンライトハートが、フェイトの砲撃を斬り裂いた。
 眩いばかりの閃光を切り裂いたその先に待つのは、フェイトであった。
 ただし、再び魔力の刃をバルディッシュに生み出し、振りかぶっていた。
 お互いに譲れない主張を高らかに叫びながら、ぶつかり合おうとする。
 その時、一つの影が二人の間に割って入った。

「そこまでだ、二人共」
「うそ……」
「え?」

 その人影は、フェイトとカズキの一撃をそれぞれ片手で防いでいた。
 フェイトの魔力の刃を掴み、カズキのサンライトハートの刃を掴んでいる。
 特別な魔力障壁を張ったわけでもなく、身に纏ったバリアジャケットのみで。
 あまりに異常なその光景に、完全に頭に血が上っていたフェイトすら惚けていた。
 そして改めて飛び込んできたその人を観察する。
 目深に被っているのは、つばが極端に反りあがった銀に近い白のハット帽子。
 体全体を覆うバリアジャケットも白銀に紺の縁取りをした防護服。
 手の先までも手袋と肌を一切出さないいでたちであった。
 ただ声の様子から、カズキよりもずっと年上であろう事は想像がついた。

「くっ、この放して!」
「止めるだけでは、足りなかったか。少々乱暴だが仕方がない、頭を冷やせ」

 フェイトの魔力の刃を手放し、それが振り上げられるより早く拳が鳩尾を貫いた。
 バリアジャケットも、薄い魔力障壁も殆ど無視した状態で。
 小さなフェイトの体がくの字に折れ、そのまま男の腕の中に落ちてくる。

「君はこの子の使い魔だな。医務室へ連れて行くと良い。目覚めるまで、数時間は掛かる」
「お礼を言うべきか、ご主人様を殴った事を怒るべきか。たぶん、前者だろうね。礼は言っておく……ありがと」

 ややしぶしぶながら、気絶したフェイトを受け取りアルフが医務室へと向かう。
 アルフに抱かれたて連れて行かれるフェイトを、カズキはただ黙って見送っていた。
 手は振り払われ、大嫌いと言われ、嫌われる一方だ。
 アリシアから任されたものの、何か一つでもフェイトの為にしてやれているのか。
 その胸中を案じてはいるものの、逆なでるような事しかできていない気もする。
 もちろん、ホムンクルスとは言え家族を殺そうとするフェイトを止めた事に後悔はない。
 ただ何時までも駄目だと止めるばかりでは、フェイトは救われないとも思う。

「はあ……本当に、俺で良かったのかな。ちょっと、不安だ」 
「仕方があるまい。見たところ、彼女は心に深い傷を負っているように見えた。難しい問題だ。相手が必死に気を張っているなら、なおさら」

 カズキの呟きを前に、男はサンライトハートを手放し肩を叩いてくれた。
 自分も似たような経験があるのか、慰める手には力が込められている。

「貴方は、一体……アースラに厄介になって数日だけど、貴方の事は見た事がない」
「それはそうだろう。私がアースラに来たのは、つい先程だ。ところで、先ほどの言葉だが……」
「ああ、あれはリンディさんが前に教えてくれたんだ。蝶野を殺して、自暴自棄になりかけていた頃に」

 あの言葉と、蝶野の戦線布告がなければ、きっとカズキは今ここにはいなかっただろう。
 リンディの知り合いとの事だが、何時かで良いので会って見たいと思っている。

「そうか、どうやら続きの言葉は必要なさそうだ。君は、強くなりたいか?」
「強くなりたい。皆を守れるように、俺はもっと強いベルカの騎士になりたい」

 続きの言葉という呟きは気になったが、男の問いかけにカズキは迷いなく頷いた。









 驚き、好奇心、様々な感情を含む視線を受けて、その男は皆の前に立っていた。
 今はバリアジェケットを脱ぎ、管理局の制服に身を包んでいる。
 年の頃は三十を過ぎた辺りか、少年のような短髪ながら無精ひげが男らしい。
 だがその視線は有名人を前にした意味合いが大きく、首を傾げているのはカズキぐらい。
 結局あの後、訓練室から会議室まで道を共にしたが自己紹介はまだなのだ。
 会議室へと召集がかかり、医務室にいるフェイトを除いて皆が集まった。
 そこで男を傍らに置いたリンディが、皆へと説明を始めた。

「本局より、私達へと厳命が下りました。守護騎士を相手に、ジュエルシードは死守だと。絶対、彼女達に渡してはならないと」
「もちろんそのつもりですが、腑に落ちない命令ですね。改めて言われるまでもない。もしくは、文字通り死守なのか」
「闇の書とジュエルシードが集まると、何か特別な事でもあるのかな。カズキ君の話だと、ジュエルシードのおかげで闇の書の主の体が復調するらしいし」

 死守という言い回しにクロノが疑問を抱き、エイミィも同じ考えであるようだ。
 命令を伝えたリンディも、それは同様らしい。

「はい、静かに。不可解な事はあるけれど、命令である以上私達は従わなければなりません。そして、本局からの増援の第一波として彼が派遣されました」
「今日からアースラに乗艦する捜査官だ。キャプテン・ブラボーと呼んでくれ!」

 訓練室でカズキとフェイトの一撃を止めた時とはうってかわって軽かった。
 親指を立て、男臭さ満面のウィンクを飛ばしての言葉に、集まった者が唖然としている。
 やや違う反応をしていたのは、顔を抑えて俯くクロノと、相変わらずと苦笑するリンディか。
 何に対してか不明だが、負けじとエイミィが手を挙げ全うな突込みを行った。

「馬鹿な事を言ってないで、ちゃんと本名を教えてくださいよ」
「ブラボー、君は良い所に気がついた。本名は秘密だ。何故なら、その方が格好良いから!」

 だがブラボーも、さらに負けじと真面目な顔でそうのたまった。

「クロノ君、あの人……」
「そうだ信じたくはないがあれでも優秀な捜査官で、僕の四人いる師匠のうちの……」
「なんか俺と気が合いそう!」
「そんな奴がいるとは想像もしなかったが、君ならなんか納得だ!」

 ワクワクと胸躍らせるカズキに、珍しく声を荒げてクロノが突っ込んでいた。
 そしてどうしてこう自分の師匠は人格に問題がある人ばかりとクロノが頭を押さえる。
 無邪気な猫二人に、ブラボーが口癖の陽気な男、不条理が口癖の燃える男。
 よく生きていられたものだと不運な自分を嘆きつつ、クロノは自分だけでもと切り替えた。

「貴方が派遣されるという事は、本局の命である死守は文字通りの意味と捉えるべきですか?」
「この命令は最高評議会からの勅令だ」

 その一言にブラボーの自己紹介以上に、多くの者ががざわついた。
 最高評議会とは、管理局の最高意思決定機関である。
 管理局の設立後に創設者達が作り上げた組織であり、平時こそ運営に口は出さない。
 だが時代を動かすような局面にある場合には、その絶大な力を振るう事があるのだ。
 つまり最高評議会は、闇の書とジュエルシードをそうであると判断したといえる。
 その決定には、管理局に所属する誰もが拒否する事はできない。

「ならばまずは残りのジュエルシードの収集に力を注ぐべきか。だが武装隊の消耗も激しい。カズキ、すまないが彼女の力を借りられないか? 高町、なのはだったか?」
「なのはちゃん? 俺はできれば巻き込みたくない。だけど……」

 折角普通の小学生に戻ったのにという思いはある。
 だが以前にもシグナムに言われた通り、決めるのはなのはだ。

「なのはちゃんだけじゃなく、その両親にもちゃんと話を通して了解を貰う約束をしてくれたら、連絡をとっても良い」
「元よりそのつもりだ。時に厳しい命令を出す事になりそうだからな」
「クロノ、新人の面倒は私がみる。一人前に戦えるよう、容赦なく鍛えよう」
「任務に支障が出ない範囲でお願いします」

 突然の事だが、ブラボーの実力はカズキも一度目にしている為、文句はない。
 むしろできるなら今からでもとお願いしたいが、そのブラボーが視線をそらした。
 その先にいるのは、リンディであった。

「リンディ、二人で少し詳しい話をしたい。他に伝えておくべき事もある」
「分かったわ、後で艦長室に来て頂戴。それとカズキ君、君もちょっと良いかしら。できるなら、ブラボーよりも先に。少し、ついてきてくれるかしら?」
「うん、分かった。ブラボー、後で俺の訓練をお願いします。何を隠そう、俺は特訓を受ける達人だ!」
「ブラボー、だが俺も。特訓をする方の達人だ!」

 カズキがそう高らかに叫べば、ブラボーが合いの手を入れるように声を上げる。

「ブラボー、カズキやフェイトの体調管理の事もあります。一応、訓練のスケジュール等は報告してください」
「駄目だ、これは秘密の特訓。誰にも内容を明かす事はできない」
「何故なら、その方が格好良いから」

 真面目腐った顔でそう述べたブラボーに続き、すかさずカズキが合いの手を入れた。

「君達、本当に初対面なのか? 血の繋がった親戚といわれても僕は納得するぞ」

 クロノの突っ込みは最もだが、二人共既に聞いては居なかった。
 ブラボーは一足先に艦長室へ、カズキはリンディに連れられ退室した後。
 あの師匠は苦手だと、苦みばしった顔をしているとその肩をぽんとエイミィに叩かれた。
 もちろん、君に相手が得意な師匠は一人もいないでしょうという意味で。









 遠い記憶、幸せだったはずの記憶もおぼろげな過去。
 フェイトはプレシアと共に、草花が咲き誇る草原にて草冠を作って遊んでいた。
 プレシアのお手本を見ながらフェイトが四苦八苦し、不恰好な草冠を作り上げる。
 お手本からは程遠い、粗野な人からすればゴミの一言できりすてられそうなそれ。
 それでも精一杯作った草冠をフェイトはプレシアに差し出した。
 プレシアはその草冠を頭に被り、とても嬉しそうに微笑んでフェイトへと言った。

「ありがとう、アリシア」

 違う、そう言おうとした時、フェイトは気付いた。
 自分が見つめているのは外から見た二人の光景。
 プレシアがアリシアを見つめて微笑み、アリシアが嬉しそうにプレシアを見つめる。
 二人の意識の外からフェイトはただ眺めるだけで、気づかれもしない。

「母さん、違う。私はここ、そいつは違う。私じゃない!」

 不可視の壁を叩きながら叫ぶも、その声は届かない。
 それでも諦めずにフェイトは叫ぶが、無駄に時は過ぎ、やがて二人が手をとりあい立ち上がる。
 茜色に染まる空の下で、花吹雪に見送られながら草原を立ち去っていく。
 フェイト一人を何時までもその場に残して。

「置いていかないで、母さん。母さん!」

 汗だくのままベッドの上で跳ね起き、呼吸が乱れるままに肩を大きく揺らす。
 途端に現実感が襲いかかり、全ては夢であった事を悟り始める。
 プレシアはもういない、永遠に笑いかけても見てもくれない。
 どうあがいても、どうがんばっても会えないのだ。
 嗚咽が漏れ、涙が零れ落ちそうに鳴った時に自分の右手が温かい事に気付いた。

「凄くうなされていたけれど、大丈夫フェイトさん?」
「え……あっ」

 ベッドの脇に居たリンディが、その手でフェイトの手を包み込んでいたのだ。
 咄嗟に手を引いてしまったが、即座に失われていく温もりが惜しい気がした。
 もう少しだけと、握られていた手を胸元に抱え込んで温もりごと抱きしめる。

「ごめんなさいね、余りにうなされていたものだから」
「いえ……」

 思い浮かんだのは、何故ここにリンディがいるかではなかった。
 リンディがいる事で、プレシアの記憶が引きずり出されてくる。
 手の暖かさ、何処か懐かしい匂い、雰囲気さえも限りなくプレシアに似通っていた。
 恐らくは母親だから、フェイトのではないが、人の母親だから。

「私、変なバリアジャケットの人に」
「ごめんなさいね、あの人は自分にも他人にも厳しい人だから。何処か痛むかしら?」
「むしろ、少し楽になりました。怪我も、アルフ?」

 打撲の痛みは殆ど消えており、唯一の家族とも言える使い魔を探すといた。
 隣のベッドの上で、獣の形態で丸くなって眠っている。
 治癒の魔法をかけ続けて、疲れて眠ってしまったのだろう。
 ごめんね、そう心の中で呟いた時、思っても見ない言葉をかけられた。

「フェイトさん、もしも貴方がお友達のいるこの地球で、普通の女の子に戻りたいと願うのなら、私は援助しても良いと思っているわ」
「それは、駄目。私はアリシアを……殺さなきゃいけない。カズキの言う通り、そんな事をしても無意味なのは分かってる。母さんは戻らない。けど、他にどうしようもないの。どうして良いか、分からないの!」
「そう。どうして良いか分からないのなら、どうしたいのかを考えてみて。単純に、幸せになるにはどうしたら良いかでも良い。できれば復讐じゃなく、貴方が笑顔になれる方法を」
「少しだけなら、ある」

 今度はリンディが思いも寄らない言葉を耳にして、ベッドの上に軽く乗り出した。
 話して御覧なさいと、笑顔でフェイトに問いかけながら。

「カズキと同じなのは嫌だけど、私も守りたい。目の前の幸せを見過ごそうとしてるヴィータたちを、はやての為に。自分を省みず、危ない事ばかりするカズキを、まひろの為に」
「そう、立派ね。きっとプレシアさんがいたら、こう言うわ。貴方は私の自慢の娘よって」

 母親の匂いや雰囲気に釣られ、気を抜いていた時にそれは不意打ちであった。
 リンディがあたかも母親であるかのように、フェイトを撫でつけ、優しく微笑んできた。
 プレシア本人が目の前でそう言ってくれた幻聴までも聞こえてしまう程に。
 だから一度は堪えた嗚咽が再び漏れ、涙を堪える為の堤防は容易く決壊してしまった。

「うぅ、母さん……母さん、会いたい。フェイトって、呼んで。笑ってよ。一度で良いから、もう我が侭も言わないから。たった一度で良いの」

 絶対に叶わないと知りつつも、そう願わずには居られなかった。
 その願いが叶うのなら、アリシアへの復讐を諦めても良いとさえ思えた。
 会えないからこそ、代償としてアリシアの命を求めたのだ。
 何の意味もないと知りつつも、他にどうしようもないから。
 だがプレシアの自慢の娘である為には、復讐などという二文字は相応しくなどない。
 あれだけプレシアが愛し求めたアリシアを殺して、褒められるはずがなかった。
 膝を抱え泣きはらすフェイトを優しく抱きしめ、会えない母親の代わりにリンディが囁いた。

「フェイト、貴方は良く頑張ってるわ。何よりも自分の幸せを考えるの」

 本当の母親ではなく、顔を覗きこんで微笑んだわけでもない。
 ただ一言、その名を呼んだだけでフェイトが今まで堪えていた最後の緊張の糸が切れた。
 赤子のように、爆発的な泣き声を上げながらただただ泣き続ける。
 心の何処かで代替行為とは理解しつつも、もはや止められない。
 そんなフェイトの泣き声を、カズキは分厚い扉で隔てられた医務室の外で聞いていた。

「もう、絶対に誰も泣かせたりなんかしない。俺は死なない、その上で皆を守る」

 拳を握りしめて、これまでよりもさらに困難な誓いを胸に抱いていた。









-後書き-
ども、えなりんです。

ブラボー登場。
そしてシグナムの代わりに、突っ込みに徹するクロノ。
どのお話の中でも苦労人だね、クロノ。
ちなみに、クロノの四人のお師匠様は。
ロッテ、アリア、ブラボー、火渡。
何気に原作よりパワーアップしてますが、それを示す機会はありません。

ブラボーと火渡はリンディと同期。
もちろん、クライドとも同期でリンディを取り合った仲。
あまり絡んではきませんが、そんな設定です。
リンディ、持てすぎw

それでは次回は水曜です。



[31086] 第二十三話 私達は本当に正しいのか
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/03/21 21:16

第二十三話 私達は本当に正しいのか

 朝食後、食器を洗う為に炊事場の前に車椅子を運んだはやては、誰かが隣に並び立つのに気付いた。
 やや驚いた表情で見上げた先にいたのは、エプロン姿のシャマルであった。
 家族であるからして、普通は驚く事ではない。
 ただここ最近、シャマルは忙しく家を空ける事が多かったのだ。
 シャマルだけではなく、シグナムやヴィータ、ザフィーラまでも。
 手伝えなくてごめんなさいと済まなそうに謝られたのも一度や二度ではなかった。
 シャマルははやての視線に気付いて、にこりと笑い返してくる。

「さあ、手早く済ませちゃいましょう。今日はお布団干しから、掃除機まで。たまっていた家事を済ませちゃいますよ」

 私頑張りますと、可愛らしく力こぶをつくってアピールさえしていた。
 その姿にひょっとしてと、大きな期待を寄せながら、はやてが尋ねる。

「忙しいのはもう、ええの?」
「ええ、しばらくの間は大丈夫です。私だけじゃないですよ。シグナムもヴィータやザフィーラも」

 シャマルに肯定され、はやては改めて朝食後の居間へと振り返ってみた。
 シグナムはソファーに座り新聞を広げ、緑茶を飲んで休んでいる。
 ヴィータはザフィーラの首輪に散歩用のリードをつなげていた。

「はやて、久々に散歩行こうぜ、散歩。ゲートボール場の爺ちゃん婆ちゃん達にも会いに行こうぜ」
「主はやて、何か手伝える事があったらなんなりと申し付けてください。一般的な家事は不得意ですが、力仕事ならば私がします」
「ううん、ええよそんな。シグナムはゆっくりしとき。ヴィータ、散歩はもうちょい後な。先に家の中の事を済ませとかへんとな。さあ、シャマルちゃっちゃと片付けるで」
「はい、はやてちゃん。シャマルさんにお任せです」

 ぱーっと輝くような笑顔になったはやてが、同じく腕まくりをしてシャマルに言った。
 元々家事は好きな性質ではあったが、それだけではないように楽しそうに皿を洗い始める。
 鼻歌までも歌い始め、シャマルと一緒に皿洗いを楽しんでいた。
 その楽しそうなはやての姿を、複雑な表情で見つめていたのはシグナム達であった。
 本人には気付かれないように、盗み見るようにしながら。
 自分達が家にいても、はやては特別な事を望まなかった。
 あまつさえヴィータのちょっとしたお願いにも快く頷き、約束さえしてくれた。

「私達は、本当に正しかったのか?」

 だからなおの事、シグナムは自分達の行動に疑問を挟まずにはいられない。
 ヴィータもザフィーラもである。
 はやての足の完治の為に、あえて管理局に敵対するという危険に身をさらしたのだ。
 それがはやての幸せに繋がるからと、はやての為にはそれが一番だと信じて。

「なあ、フェイトの母ちゃんが死んだって話をしたよな」

 はっきりとした迷いを皆が浮かべる中で、声の大きさを落としてヴィータが呟いた。

「ああ、聞いた。テスタロッサには一言、お悔やみを言ってやりたいものだが。こんな状況ではな。あのような幼い身で、主の両親といい運命は残酷な事をする」
「あいつ、言ってたんだ。もう少し、目の前にある幸せを大切にしろって。目も眩む輝かしい未来よりも、目の前にある小さな幸せの方が大事だって」
「目の前にある小さな幸せか」

 それはまさに、今のシグナム達の現状の核心を突く言葉でもあった。
 シャマルと一緒に皿洗いをしているはやては、本当に幸せそうに笑っていた。
 好きな家事をシャマルと一緒にでき、今日はシグナム達も一緒にいる事ができる。
 そんな笑顔は、まさしく幸せを象徴するかのようなものであった。
 つまり、今のはやては既に幸せなのだ。
 もちろん、足が普通に動き、友達と学校に行く事ができればもっと幸せだろう。
 よりたくさんの幸せを求めるのは、人として当然の事である。
 だが闇の書の主である事を知った時のはやては、よりたくさんの幸せを求めただろうか。
 そうであったならば、恐らくは今のシグナム達はここにはいないはずであった。
 魔力の蒐集に帆走し、これまでの主に対するように笑顔一つ浮かべなかった事だろう。
 はやてが求めたのは、本当に小さな願い事である。
 そばにいて欲しい、ただ家族としていて欲しい、それだけだ。

「今しばらくの間、自重すべきかもしれんな。二個のジュエルシードを取り込み、闇の書による侵食は完全に止まっている。これ以上、主を蝕む事はない」
「そう、だよな。そりゃ、最善は管理局に捕まらずジュエルシードを手に入れてはやての足が治る事だ。けどよ、この幸せをはかりにかけてまでする事か?」

 重い口を開き、自分の意見を述べたザフィーラにヴィータが同調する。

「私らが守護騎士ってのはバレたみたいだけど、はやてが主って事まではカズキも喋ってないみたいだったし。もう、良いだろ。あの変な仮面野郎の事もあるし」

 シグナム達が家での待機を決めたのは、管理局やカズキ達の存在よりもそちらの方が大きかった。
 仮面野郎といっても、パピヨンの事ではない。
 むしろパピヨンが相手であるなら、ヴィータは変態の二文字で断ずる事だろう。
 シャマルを捕縛した執務官を蹴り飛ばし、窮地を救ってくれた男の方である。
 捕縛結界を破壊する為に闇の書を使えと進言した辺り、かなり怪しい。
 仮に通りすがりの人間が、事情を良く知らず割って入ったにしては知りすぎていた。

「下手をすると、あの男達は我らのみならず主の存在にまで精通している可能生がある。管理局やパピヨン以上に、我らにとっては危険だろう」
「そうだな。一度、カズキと会って話をしてみよう。何処まで管理局と話をしたのか、どういう取り引きを狙っているのか。最終的な行動は、それで決める」

 もちろんの事ながら、捕縛してはやてごと逮捕というのであれば決裂。
 恐らくカズキの性格上、それはないであろうが。
 やはり管理局が相手となると、慎重に動かざるを得ない。
 以前に一度、罠に填められた以上、より一層の警戒を持って望まなければならないだろう。

「その時は、私も行くぜ。お前は、カズキに甘いからな」
「管理局に勘ぐられたくはないから、タイミングはみるが……その時は頼む」
「お、やけに殊勝じゃねえか」
「少しぐらい、そういう自覚はあるからな」

 返って来た言葉に本気で驚くヴィータの頭をぽんと撫で、シグナムは立ち上がった
 元々、量は多くない食器の粗いもの等、直ぐに済んでしまう。
 さあて次はと、家事のスケジュールを頭に思い浮かべ始めたはやてへと歩み寄る。

「主はやて、布団干しぐらいならば私にもできます。先に上で、済ませておきます」
「せやな、シャマルに任せるとそのまま布団と一緒に落っこちそうやし」
「ひどい、はやてちゃん。私そんなに鈍じゃないです」
「自覚がねえのが一番やばいんだよ。んじゃ、私は玄関先の掃き掃除でもするよ」

 はやてに任せていては、ゆっくりしていろしか返って来ない為、自主的に立候補をする。
 そこではやてもようやく折れ、家事の分担を皆に振り始めた。










 空と海、二種類の青に囲まれているはずの臨海公園が、淀んだ色に支配されていた。
 現実空間とを切り離す、結界魔法である。
 潮風は消え失せ、静かな小波をBGMにして穏やかな時間を過ごす人も今はいない。
 辺りに満ちる魔力の波動は強く、魔導師でなくても直接肌で感じられた事だろう。
 その原因は、発動したジュエルシードである。
 ジュエルシードが憑依したのは、臨海公園内の樹木であった。
 元々は海にあって流されてきたのか、鳥か何かが運んできたかは定かではない。 
 ただ既に発動し、奇怪な叫び声を上げている憑依体がカズキとフェイトの眼の前にいた。

「来る」

 そうフェイトが呟き、魔力刃を生み出したバルディッシュを構える。
 自身を巨大化させるのみならず、その幹には怨霊のような顔が浮き出ていた。
 その顔をさらに歪ませながら、憑依体がその根を持ち上げようとする。
 当然の事ながら、根は分厚いコンクリートの下だ。
 だが真下からの加重に耐えられず、コンクリートはひびいり、砕けて飛散し始めた。
 本命よりも先に、コンクリートの破片が二人へと襲いかかった。

「フェイトちゃん、ここは俺に任せてくれ!」

 いくら素早いフェイトでも、無数の飛来物を前に避け続けるのは困難。
 カズキがフェイトよりも前に出て、サンライトハートの柄を両手で強く握り直した。
 下手に魔法障壁を生み出せば身動きが取れず、次に振り上げられている根が叩きつけられてしまう。
 ならばと大きな破片は、幅広の刃を盾にして受け流す。
 逆に小さな破片は柄の部分をただの棒のように扱い、細かく叩き落していく。
 状況に応じてサンライトハートの扱いを変える戦いを、カズキは覚えつつあった。
 多数の飛来物を受け流しては叩き落し、無視できるものは騎士甲冑で受け止めた。

「邪魔、次は私の番。後詰め、お願い」

 一頻りコンクリートの破片をカズキが防ぐ間に、憑依体が持ち上げた根は限界まで振り上げられていた。
 今にも振り下ろされそうなその瞬間、フェイトが飛び出していった。
 カズキの肩に手を置き、足蹴にして乗り越えるように空に向かう。

「バルディッシュ」
「Scythe slash」

 刃にさらに魔力を送り込んで強化。
 そこに神速の動きも加え、フェイトは根が振り下ろされるより先に駆け抜けた。
 フェイトの体の数倍以上に大きな根を、バリアごと切断してみせる。
 それに気づかず根は振り下ろされ、刻まれた各部分が宙に浮いてから落ちた。
 カズキからは見当違いな場所へ、次々にと。

「まだ、終わらせない」

 痛みかまた別の感情か。
 憑依体が耳障りな悲鳴をあげる中で、フェイトはそう呟いていた。
 駆け抜け憑依体の背丈すらも追い越した空の上で反転し、魔法陣を展開。
 金色の魔力、魔力変換資質による放電を迸らせ、息をつく間もなく撃ち放った。

「Photon lancer」

 雷の閃光が憑依体の頭上より降り注ぐも、寸前で魔力障壁がそれを防いでいた。
 それでも、フェイトは動じた様子を見せはしなかった。
 元々砲撃の適正は直接攻撃に比べ、若干劣るフェイトである。
 自身、それを自覚していた事もあるが、最大の理由はまた別にあった。
 それは眼下へとちらりと視線を向けた先。

「エネルギー全開!」
「Explosion」

 憑依体の奇声に負けない勢いで叫んだのは、地上にいたカズキである。
 カートリッジをロードし、フェイトとは似て非なる色の魔力に包み込まれていく。
 バチバチと弾けるのは、純粋なエネルギー。
 恐らくは炎や氷、雷といった魔力変換資質のどれよりも、変換効率が良い力だ。

「Sonnenlicht slasher」

 サンライトハートの長い飾り尾の全てが光と化して暴れまわる。
 太陽に似た光を背に受けて、カズキの体がサンライトハートごと加速した。
 純粋な瞬発力のみなら、恐らくはカズキが上。
 エネルギーの破壊力をも加え、カズキが憑依体のどてっぱらを貫いて風穴を開けた。
 フェイトの砲撃を防いでいた憑依体のバリアすら、ものともせずにだ。
 しかも小器用にサンライトハートの刃には、ジュエルシードを咥えさせている。
 突進力もさる事ながら、それに振り回されない目をカズキは持っていた。

「また、少し強くなってる……」

 最後の封印の為の一芸は別にして、フェイトはぽつりと呟いていた。
 まだ数日とはいえ、自分もカズキとともにブラボーの特訓を受けて少し強くなった。
 元々訓練は死ぬ程積んでいたが、実戦経験には乏しい所があったのだ。
 そこをブラボーとの特訓で埋められ、今ならヴィータとも無様でない程度には戦えると思っている。
 自己評価なので一部甘い所はあるが、カズキはそれ以上に成長しているように見えた。
 コンクリートの破片を受け流し叩き落した、小手先の技術はもちろん。
 先程の、止めの一撃も以前より数段威力が上がっているように感じられた。

「でも、早過ぎる」

 魔法の威力とは、使う魔法の種類と後は純粋な魔力量であった。
 一朝一夕で上げる事はできず、誰しも一度は程度はあれどその威力という壁にぶつかる。
 だから大抵の人は魔力運用の効率化、また別種の魔法と組み合わせて威力を支えたりするのだ。
 だがカズキは同じ魔法を使いながら、単純に威力を高め続けていた。
 それは有り得ない事であるし、何か触れてはいけない事のようでカズキが心配になる。
 カズキの魔力の元はホムンクルスと同じく、ジュエルシードにあるからだ。

(なんで、私が……)

 我に返ると直ぐに、フェイトは首を激しく横に振って自分の考えを振り払った。

「おーい、フェイトちゃん。ジュエルシードも回収できたし、アースラに戻ろう」

 能天気に上を見上げて手を振るカズキに、苛立ちながらフェイトは降りていった。
 カズキの心配をしているのではないと。
 カズキを失った時のまひろを心配しているのだと、自分に言い聞かせながら。

「援護ありがとう。憑依体が上のフェイトちゃんに気を取られてて、突撃しやすくて助かった」
「別に、ブラボーの命令だから。それに何時も言ってるけど、まひろの為」

 頭を撫でつけようとしたカズキの手の平を避け、無表情に近い顔で呟く。
 だがそろそろ、カズキもこんなフェイトの対応には慣れてきている。
 右手を軽やかに避けたフェイトの頭の向かう先に、左手を待ち構えさせていたのだ。
 ぽふりと、まひろとは異なるさらさらの金髪の上でとその手を置いた。
 やや強めに撫でていると、今度こそ魔力を込めた手で乱暴に打ち払われる。

「馴れ馴れしくしないで」
「嫌だ、俺は仲良くしたいから。それに、そんな顔で帰ったりしたら、またなのはちゃんに心配かけちゃうよ?」
「なのはは、カズキが管理局と変な約束を勝手にするから。私は、なのはには……戦ってほしくなんてなかったのに」
「決めたのは、なのはちゃんだよ。フェイトちゃんに、元のように笑って欲しいって。それは俺も同じだ。だからフェイトちゃんが嫌がっても、何度だって構うよ」

 なのはと気持ちは同じといわれ、フェイトは握りこんだ拳をそっと解いていた。
 暖簾に腕押し、ぬかに釘。
 鬱陶しくて仕方のないカズキだが、ほんの少し気持ちはありがたく感じるのだ。
 もっとも、そう感じられるようになったのは、リンディのおかげでもあるのだが。

「戻ろう、アースラに。なのはも、きっとジュエルシードを手に入れてる」

 一先ず自分を落ち着けたフェイトは、ほんの少しだけ雰囲気を和らげてカズキにそう言った。









 カズキとフェイトは、アースラに戻るや否やブリッジを目指した。
 ジュエルシードの入手の報告であり、現状の確認の為であった。
 現在ジュエルシードの封印は、緊急時を除いては三チームによる交代制で行われている。
 一つはリンディが推薦したカズキとフェイトのチーム。
 当初はクロノがチームワークを理由に難色を示したが、最低限のそれは保たれている。
 もう一つは、捜査官であるブラボーとなのはのチーム。
 まだ実績が把握できなかった面もあった為、なのはは後衛に徹している。
 最後は執務官クロノ一人のチーム、と言えるか不明なチーム。
 先程はジュエルシードの同時発見の為、カズキ達となのは達の二チームの出動であったのだ。

「ただいま、皆。はい、クロノ君ジュエルシード」
「少し遅かったから、また喧嘩でもしてたのかと心配していた所だ。確かに、受け取った」

 ブリッジの扉を開けて、開口一番アットホームな言葉と共にカズキがジュエルシードを手渡した。
 君の家じゃないんだがと苦笑しつつ、クロノが新たに入手されたそれを受け取った。

「お帰りなさい、カズキさん。フェイトちゃんも、怪我はしなかった?」
「うん、大丈夫。なのはこそ、怪我はない?」
「なのはは後ろの方で砲撃を撃ってるだけだから、全然平気」

 元気一杯のなのはがフェイトの両手をとりながら喋りかけていた。
 どうやら帰還はブラボーとなのはの方が早かったらしい。
 本人の証言通り怪我らしい怪我も見えず、フェイトと共にカズキもほっと息をつく。
 特にカズキは桃子達からも頼まれている為、なおさらだ。

「これで残りも数少ない。執務官補佐・エイミィ、予測落下地点の割り出しは終えているか?」
「はい、残りはこの地点。今回見つかった二つが海ぎわである事も踏まえ、全て海中に落下していると予測されます」

 バリアジャケット姿のブラボーに言われ、少し慌ててエイミィが映像をスクリーンに映し出した。
 海鳴市全域を示す地図上に、幾つもの光点が映し出されている。
 罰印がうたれているのは、既に入手済みのジュエルシードの場所であった。
 海の真っ只中で何の印も打たれず、煌々と輝いているのが恐らくは予測地点だろう。
 ただし海であるだけに、波やその他の理由で動きまわっている可能生も高い。

「厄介な場所に落ちたわね。しらみつぶしに探すか、今回のように発動を待つしかないわね。正直、後者はとりたくない手段だけど」
「ロストロギアを相手に、後手は踏みたくない。望めば本局から、調査部隊を借りられるはずだ。全力で探し出すぞ、リンディ」
「分かっているわ、防人。もう二度と、あんな思いはごめんですものね。私も、貴方も」

 何やら二人の間でだけ通じる会話をされ、クロノをも含め皆首を傾げていた。
 そもそも防人とは、誰の事だとばかりに。
 そんな皆の視線に気付いたリンディが口元を押さえながら、謝罪しては取り繕う。

「あ、ごめんなさいブラボー。つい、昔の癖で。さあ、皆疲れたでしょう。そろそろ、良い時間だし軽くシャワーを浴びたらカズキ君達はあがって頂戴」
「できるだけ、帰れる日は帰るのがお父さん達との約束だし……フェイトちゃん、一緒にシャワー浴びよう。それとも、今日はカズキさんの家じゃなくてなのはの家に来る?」
「急に変えちゃうとまひろが残念がるから、また今度。その時は、まひろも一緒」
「カズキさん、もちろんカズキさんも一緒ですよ?」

 一人仲間外れにされたカズキを気遣うようになのはが声をかけた。
 仲が良いと言っても、やはりそこは小学生と高校生。
 カズキはいじける事もなく、楽しんでおいでとばかりになのはの頭を撫でる。
 その事にフェイトが不満そうに唇を尖らせつつ、三人はブリッジを後にした。

「さて、私達は引き続きジュエルシードの対策を」
「あ、艦長。本局からの通信です。ユーノ君かな、これは」

 クロノとブラボーの二人に相談を持ちかけたリンディを、エイミィが呼び止めた。
 ユーノは現在、クロノの頼みで闇の書にまつわる情報を探索中である。
 そのユーノがわざわざ連絡を寄越したという事は、何か耳寄りな情報が手に入ったという事だ。
 直ぐにエイミィに命令して、正面のメインスクリーンにユーノの姿が映し出された。

「ユーノ君、急の通信のようだけど何か分かったのかしら?」
「ええ、それも不可解な事がいくつか。それもおそらくは、これまでの闇の書に対する認識が百八十度変わりかねない事実です」
「それは一体どういう事なのかしら、ユーノ君?」

 ユーノの言葉に、朗らかな笑みを浮かべていたリンディが眼差しを鋭く変えた。
 その視線を正面から受け、ユーノも覚悟を決めたように調査結果を口にする。

「まず闇の書ですが、本来の名前は夜天の魔道書。その性質は、あらゆる魔法をその書に記録していくだけの、辞典に過ぎなかったはずなんです」
「君は一体、何を調べていたんだ?」
「クロノ、話は最後まで聞いてくれ。確かに、管理局で認識されている闇の書は違う。主の命ずるままに守護騎士が生物のリンカーコアを蒐集、六百六十六ページを揃えきった所で暴走。大規模な次元震が引き起こされる。確かに、それも間違いじゃない」

 闇の書の暴走に関しては、士官学校の教科書にも載っているレベルの話である。
 直近の被害は約十年前で、少し探せばその遺族へと容易くたどり着く事ができるだろう。
 調査結果そのものに対する疑惑を前に、ユーノが行ったのは肯定であった。
 管理局が認識する闇の書の性質と、自分が調べた調査結果に対して両方ともに。
 まだユーノの報告が誰しも理解できない中で、光明を口にしたのはブラボーである。

「ロストロギア・夜天の魔道書の改造か?」
「その通りです。夜天の魔道書は、誰かに改造された結果、今の闇の書となった可能生が高い。そして闇の書に関する歴史を紐解く中で、その時期が判明しました。管理局が設立されるよりも前、いや創設期に闇の書は改造され変わり果てた」
「創設期というと百五十年近く前ね。次元世界が最も争いに満ちていた暗黒期でもあるわ。その中で、何処かの組織がロストロギアを兵器として利用しようとしても可笑しくはないわ」
「その通りです。それ以前の歴史には闇の書という単語すら出てきません。他にも不可解な点がありました。それはジュエルシードです」

 リンディの呟きに頷きながら、もう一つとユーノが言った。

「闇の書の歴史を紐解くと、必ずと言って良い程にそのそばにはジュエルシードの影があったんです。闇の書の最初の主、ヴィクトリア・パワード。その母親、アレキサンドラ・パワードは、ロストロギアの研究者であり、ジュエルシードを主な研究対象としていた」

 ユーノが映るスクリーンの横に映し出されたのは、一枚の写真であった。
 単純に古いからかデータの劣化か、随分と古びれたように感じるが一枚の画像データ。
 はやてよりも少し年上、カズキよりも下の中学生程度の少女である。
 並び立つ母親とはクリーム色の髪が似通っており、笑顔を見せていた。

「このように、闇の書の暴走の影には常にジュエルシードの影が常に付きまといます。偶然か定かではありませんが、今回もまたこの二つが揃った」

 そこまで口にした時、初めてユーノが躊躇いの表情を見せていた。
 何か、もしくは誰かに対する疑いを持ちたくないとでも言うように。

「リンディさん、僕に何か隠している事はありませんか?」
「そうね、正直に言ってしまえば、今は知る必要がないと判断した情報を伏せている事はあるわ。それを隠し事とするかどうかは、貴方に任せるわ」
「肯定と受け取ります。管理局は、この二つのロストロギアの関連を何か知っているんじゃないですか? アースラが受けた命令もそうですが、闇の書が発見されたこの大事な時期に、執務官長が密かに逮捕されたなんて噂までも流れ始めています」
「グレアム提督が? そんな噂、僕は全く……艦長?」

 まさかクロノまでも知らなかったのかと、今度はユーノが驚く番であった。

「ふう、これ以上隠してはおけないようね。ブラボー、皆に話しても良いかしら?」
「いや、俺から話そう。グレアム提督を逮捕したのは、他ならぬ私だ。罪状は情報の隠蔽と殺人未遂。彼は長年、闇の書の主の存在を把握しながら、虎視眈々と主ごと封印処理を行う算段をつけていたのだ」
「じゃあ、リーゼ姉妹に連絡がとれなかったのは……ちょっと待ってください。では、艦長もブラボーも、闇の書の主の事を知っているんですか!?」
「ええ、カズキ君は必死に隠していたようだけど、私とブラボーだけは知っているわ」

 これにはスクリーンの向こう側にいるユーノも、しきりに驚いていた。
 既にはやての事がばれていた事はもちろん、知りつつも二人が黙認していた事にだ。

「現在、闇の書は最低二つのジュエルシードを取り込み、非常に危険な状態にあります。そこへ、主を捕縛して危険をおかす真似は避けたかったのよ」
「騎士・カズキの伝がある以上、下手を打つ真似は避けられた可能生が高かった事もある」
「それに、最高評議会の命を素直に遂行するのも躊躇われたの」

 それこそまさかの言葉を聞き、誰もが耳を疑っていた。

「最高評議会の勅命とは別系統の命を受けて、俺はアースラにやってきた。俺への命令者は、三大提督だ」

 管理局に勤めていて、その名前を知らない者はいない。
 むしろ最高評議会という謎の多い組織より、一般への知名度は断然上であった。
 さすがに勤め人の中にはいないが、この三大提督が最高権力者だと勘違いしている人も稀にいるぐらいだ。

「その密命の内容は、創設期に現れた裏切りの騎士の調査。元々その男は管理局の創設者達の仲間だったらしいが、仲間を裏切り闇の書とジュエルシードを持って逃げたらしい」
「では、その男が夜天の魔道書を闇の書に改造した張本人?」
「最高評議会はそう言っている。だが魔導師・ユーノと同じだ。三大提督もまた最高評議会に疑いの目を向けている。何故裏切りの騎士の情報をもっと明かさないのか、闇の書とジュエルシードの関連を発表しないのか」

 最後の最後でブラボーは明言を避けたが、何か後ろ暗い部分があるのではないかと。
 自身の組織を疑いたくはないが、歴史とは勝者が作り上げるものである。
 管理局の創設者達は、百五十年前の戦争を勝ち抜いてきた勝者であった。
 ならば裏切りの騎士に関する情報は、意のままに操る事ができたであろう。
 本当に裏切ったのは誰か、その為に夜天の魔道書はどうなってしまったのか。

「確かに、おいそれとは僕達に話せない内容ばかり。皆、今聞いた事は全て忘れる事だ。僕らはあくまで自分達の正義にのっとり、ジュエルシードを封印、守護騎士とはコンタクトを取り続ける」
「ありがとう、クロノ。皆も、これまで通りにお願いね。闇の書の主は、何もしていない女の子。さすがに罪のない女の子を捕縛はできないものね」
「魔導師・ユーノ、君もできれば調査の続行を願いたい。一人でそこまで辿り着いた君の情報収集能力は稀有だ。頼む」
「分かりました。あの子の事は、僕も知らないわけじゃありませんから。リンディさんの言葉を信じて、もう少し調査を続けます。闇の書、ジュエルシード、それから裏切りの騎士」

 改めてブラボーからも頼まれ、ユーノは調査の続行を了承して通信を切った。

「艦長、今の話はカズキ達には……」
「話さない方が良いわ。余計な情報を与えては、守護騎士達への説得に亀裂を与えかねない。できるだけ事は穏便に、慎重に進めましょう」

 そう最後にリンディが締めくくり、臨時の会議は終わりとなった。









-後書き-
ども、えなりんです。

世界融合設定になり、闇の書の設定が少し変わっています。
改造したのは代々の主ではありません。
それと、闇の書の最初の主はヴィクトリア。
誰? って人はいないと思いますが、ヴィクターの娘です。

裏切りの騎士の話も出てきましたし。
設定のすり合わせは殆ど出尽くしたかな?
あ、ヴィクターの封印場所か。
分かる人は分かるでしょうが、その時まで秘密です。

それでは次回は土曜日です。



[31086] 第二十四話 守りたいものが同じなら
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/03/24 19:42

第二十四話 守りたいものが同じなら

 シグナム達がジュエルシードの回収を一時中断してから、三日が過ぎていた。
 その間に、管理局に二つも回収されてしまった事は確認している。
 焦る気持ちが決してないわけではなかった。
 はやての足の復調の為に、あと幾つ必要かは正確には分からない。
 だからこそ、シグナムは決断し、昨晩にカズキへと連絡を取り付けていた。
 少し話がしたいと、カズキも喜んで了承してくれ、これから向かう所であった。
 玄関にて靴を履き、見送りに来たシャマルとザフィーラへと振り返る。

「ザフィーラ、主の護衛は頼んだぞ」
「お前達こそ、警戒は怠るな。騙まし討ちがないとは言い切れん」

 念話ではなくわざわざ地球の技術である電話で連絡を取ったが、管理局がそれを察知していないとも限らない。
 カズキに意志に関わらず、何か仕掛けてくる可能生は確かに捨て切れなかった。
 静かに分かっていると頷いたシグナムに加え、ヴィータが胸を張って言う。

「その為に、私もいくんだぜ。シャマルこそ、前みたいなヘマはするなよ」
「あれは、ごめんなさい。気をつけるわ」

 クロノに捕縛されかけた事を例に出され、しょんぼりとシャマルが萎む。
 本人は元々バックアップ要員の為、仕方のない部分もあると言えばあるのだが。

「あれ、皆玄関に揃って……シグナムとヴィータはお出かけか?」
「はい少し。けれど、昼前には戻ります」
「はやて、今日の昼飯は?」

 やや話をそらすようにヴィータがそう尋ねると、はやてが苦笑していた。

「ヴィータ……さっき、朝ご飯食べたばっかりやん。せやな、特性ソースのミートスパでも作ろうか。シャマル、後で手伝ってな」
「もちろんです、はやてちゃん」
「では、行ってまいります。主はやて」
「直ぐ帰ってくるからな」

 予定にはなかったが、はやての了承を得てシグナムとヴィータが玄関の扉を開いた。
 ここ最近では珍しく、外はあいにくの曇り空。
 分厚い雲に覆われた空の下へと、二人は家族に見送られ出かけていった。
 はやてとシャマルが手を振り、ザフィーラが尻尾を振って見送る。
 そして玄関の扉が閉まると同時に、それじゃあとお互いに顔を見合わせた。

「今から時間を掛けて、お昼の準備をしますか?」
「せやな。最近は皆が家におるから、掃除も隅々までばっちりやし。ザフィーラは暇かもしれへんけど、簡便な。その代わり、お昼食べたらお散歩行こうか?」
「心配には及びません。主のお気に召すままに」
「そんな事を言うて、しっかり尻尾揺れとるで。うりうり」

 器用に車椅子を操り、ザフィーラの後ろに回りこんだはやてが尻尾を突く。
 規則正しく揺れていた尻尾は突かれるたびに、そのテンポを変える。
 少々困り顔のザフィーラであったが、その動きが気に入ったのかはやては止めてくれない。

「はやてちゃん、ザフィーラが困ってますよ」

 そう言いつつも、ちょっと気になったのかシャマルも尻尾を突く。
 左右に交互に振れる尻尾が、少し触れただけでテンポを崩して逃げる。
 楽しいやろと、はやてに笑いかけられ否定できなかった。
 そんな無邪気な二人を相手に、仕方がないとばかりにザフィーラは我慢し続けていた。
 やや嫌々ながらも主の為にと、気分を高揚させて尻尾を振り続ける。
 我慢我慢と自分に言い聞かせていたザフィーラは、ふいに誰かの気配に気付いた。
 はやてやシャマルよりも更に後方となる背後、家の中へと振り返りかけたが違う。
 まるで気配が一瞬にして回り込んだように、玄関の向こう側に現れる。
 自分の感覚が狂ってしまったような奇妙な感覚を受け、首を横に振った。
 その直後、インターホンが鳴らされた。

「ん、誰かお客さんかな? こんな朝早く、珍しいな」
「はやてちゃーん」
「この声、はいはーい」

 玄関の扉の向こうから聞こえてきたのは、甲高いまひろの声である。
 事前の連絡もなしに、何故突然という思いはあった。
 だが相手がまひろとなると、突然の理由もなく来ちゃったという事もありえなくはない。
 保護者もなしに、この八神の家にまで来れるか不安な部分は確かにあるが。
 返事を返したシャマルが突っ掛けを履いて、その手を扉のノブに掛ける。

「待て、シャマル!」
「え?」

 ザフィーラの制止した時には既に、シャマルの手により玄関の扉は開けられていた。
 その向こう側にいたのは確かに、聖祥大付属小学校の制服姿のまひろであった。
 だがその表情が、本人とは異なる事を明確に示している。
 開けられた玄関の扉に手を掛け、似つかわしくない影のある笑みを浮かべていた。
 そして信じられない力で玄関の扉を開け放ち、踏み込んでくる。
 不覚にもザフィーラの制止で振り返っていたシャマルは、気付くのが遅れた。
 小さな体で一足飛びに飛び込んできたまひろの拳が、腹部に深く突き刺さった。

「うっ……」
「シャマル!?」

 不意をつかれたシャマルが、意識を失いながら膝から崩れ落ちていく。

「あれはまひろではない。貴様、何者だ。守護獣である私がいる限り、主はやてには手を出させん!」

 咄嗟にはやてを庇い前に躍り出たザフィーラが、魔法陣を展開させた。
 三角形を基調としたベルカ式の魔法陣が、白い雪のような色の光を生み出す。

「鋼の頚木!」

 そして次の瞬間には、まひろの姿を模した相手の体を白い刃が足元から貫いた。
 ザフォーらが得意とする攻防一体の魔法であった。
 時にそれは盾となり、時に刃となって敵を貫き捕縛する。
 はやてが短い悲鳴をあげるが、ザフィーラは決して手は緩めない。
 鋼の頚木という名の刃に貫かれたまひろは、身動きできず悶える事もない。
 その借り物のまひろの姿が歪んでぶれ、現れたのは仮面をしたあの男である。

「まひろちゃんが、なに……なんやの。魔法? なんなん!?」
「主、冷静に。今直ぐにこの不埒な、何!?」

 はやてへと振り返り呟いたザフィーラが、あるものを見て驚愕に目を見開いた。
 それは背後から襲いかかる仮面の男の姿であった。
 鋼の頚木で捕らえた手応えは間違いなく、その気配はちゃんと玄関先にある。
 いや、二人の気配がほぼ一致していると言って良い程に似通っていた。
 最初に家の中に気配らしきものを感じたのは間違いではなかったのだ。
 同じ気配だからこそ、誤認した。
 玄関先に現れた相手と。

「しばらく、大人しくしていろ」

 完全に不意を突かれたザフィーラの体に、魔力球が直接叩き込まれた。
 吹き飛んだ先には、鋼の頚木を破壊して自由を得たもう一人の仮面の男。
 追撃の肘を上から叩き込まれ、無様に玄関の地面に叩き落されてしまった。
 奇しくもシャマルの直ぐそばにて、ザフィーラが力なくへたり込んだ。

「ザフィーラ、シャマ……」

 急ぎ駆けつけようとしたはやての頭に男が手をかざし、その意識を刈り取った。
 眠らせたはやてをかつぐと、二人の仮面の男の姿が歪みぶれ始めた。
 まひろの姿から仮面の男になったように、今度はさらに歳も性別も変わり果てる。
 その姿は管理局の女性士官用の制服であり、頭に猫の耳がある良く似た容姿の二人組みであった。

「せめて……お父様の願いだけはどんな形であっても叶えてみせる」
「行くよ、アリア。デュランダルに闇の書と主、あとはジュエルシードだけだ」

 そう呟き、誰かの使い魔らしき二人の少女は飛んだ。
 人目も一切はばからず急ぎ、海鳴市の臨海公園方面へと。
 その途中、今では無人となった蝶野邸の真上を跳んで行ったのは幸か不幸か。

「パピヨンのお兄ちゃん、ここ汚いし臭いし嫌だよ」
「数年も過ごした人の寝床に酷い言い草だな。しかし、粗方は持っていかれているな。まあ、分かってはいたが。さて、どうするか」
「あ……管理局の魔導師だ」

 蔵の中から姿を現し話していた二人組みが、偶然使い魔二人とはやてを見つけた。
 自分のデバイス作成の為に、何か足しになる物はないかと探しにきたパピヨンである。
 先に二人組みを見つけたアリシアが空を指差して呟く。
 だが誘拐されるように抱えられているはやてを見つけて、直ぐに顔色を変えた。
 それとは反対に、続いて空を見上げたパピヨンはニヤリと笑みを浮かべる。

「良いモノを持っているじゃないか」

 パピヨンが目を付けたのは、使い魔二人が抱えるはやてではなくデバイスの方であった。
 武装隊への支給品とは異なる概観から察するに、オーダーメイド品。
 プログラムそのものは流用できなくとも、内部の精密部品は有用な可能生が高い。
 そう思いつくや否や、パピヨンは魔法陣を足元に浮かべていた。
 手の平より黒色の蝶々を生み出し、二人組みの使い魔の目と鼻の先へと飛ばす。

「なにこれ、蝶々?」
「ロッテ、防いで!」

 目の前に飛び出してきた不可思議な存在を不思議がるロッテに対し、アリアが叫んだ。
 その瞬間、はやての事など完全にお構いなし、長い爪を持つ指を鳴らして着火。
 真っ赤な炎と黒々とした煙の中へと、二人組みを誘った。
 皮肉にも奇襲を行いはやてを奪った二人へと、奇襲によってその足を止めていた。
 だがやはり一撃で二人を葬るのは難しかったようだ。
 爆破の威力もほぼ防がれており、爆煙を振り払いながら二人が姿を現した。

「その子を放しなさい。そこの怪しい二人組み!」
「お、お前達に言われたくない。どう見ても性犯罪者と、その被害者!」

 空に跳び上がった二人が立ちふさがり、アリシアが指摘して叫ぶ。
 だが余りにも最もな意見でアリアに返されてしまい、アリシアが口をつぐんでしまう。
 ほんの少しだが、そう見える事を認めてしまったのだ。
 パピヨンは何時も通り、蝶々のマスクに、胸がぱっくりと開いたタイツに近いスーツ姿なのだから。

「まったく、どいつもこいつもお洒落に造詣が深い者がいない。こんなにも素敵な一張羅だというのに」
「馬鹿に付き合う暇はない。私達の邪魔をするな!」

 苛立ちを露にするロッテへと、パピヨンは長い舌を出して嘲るように言った。

「答えはノン。望むものは奪い取ってこそ……貴様達もそうやって、その小さいのを奪って来たんだろう? 似た者同士お互い様じゃないか」
「貴方みたいな人と一緒にしないで。私達はお父様の崇高な目的、悲願を達成する為に急いでいるのよ」
「お前、偽善者にも悪人にもなれない半端者だな」

 崇高な目的、悲願と呟いたアリアへと、さらにパピヨンは指摘した。
 一体何を目的として、彼女達が動いているかは最初から興味がない。
 アリシアはそうでもないようだが、パピヨンはカズキのような偽善者ではないのだ。
 パピヨンの狙いは最初から、高性能なデバイスそれのみ。
 だが二人のその口ぶり、言い草があまりにもパピヨンの心を逆撫でていた。

「自分の行動を正当化する為に、他人の名前を掲げるんじゃない。そこに自分の意志が全くない。誰かがそう言った、誰かがそう考えた……自分で考える事を全くしていない、最高の怠け者。使い魔とはいえ、もはや生きている価値もない」

 自分の意志で行動しているように見せかけているだけで、その実は他人の操り人形。
 生きている命があるというのに、生きていると見せかけている生きた屍。
 これ程までに命を冒涜し、生きたくても生きられなかったパピヨンを侮辱する存在はなかった。
 そんなパピヨンの言葉を前に、ロッテは手にしていた闇の書とデュランダルをアリアに手渡していた。

「アリア、これを持って先に行ってて」
「あんな奴のいう事なんて、気にする必要すらないわ」
「大丈夫、私は冷静だって。それに私じゃ、海中のジュエルシードを発動させる程に大規模な儀式魔法は使えない。あんな奴に、大事な儀式を邪魔されたくない」
「そう、分かったわ。だけど、直ぐに来てね」

 先を急ぎ、飛んだアリアをパピヨンが追おうとする。
 くどいようだが、あくまでその目的はデュランダルなのだ。
 だがそうはさせるかとばかりに、ロッテが回り込んで魔力を溜めた拳を振り上げていた。

「私達の邪魔は絶対にさせない!」
「おっと、その手は迂闊だな」

 素早く空を蹴っての一撃を前に、パピヨンはただ手の平を差し出しただけ。
 馬鹿めと笑みを浮かべたロッテは、その腕を容赦なく振りぬいた。
 背筋の凍る痛々しい音と共に、パピヨンの腕がロッテの拳に触れながら奇妙な方向へと折れ曲がる。
 薄い障壁こそ張ってはあったが、それさえ打ち貫いたのだ。

「素人が、管理局でも体術のみなら指折りの私に立ちふさがるから」
「そうか、だがあまり頭のできは良くなかったみたいだな」

 次の瞬間、折れ曲がっていたパピヨンの腕、その先にある手の平がその口を開けた。
 直接目で見る事は叶わなかったが、直接触れていた為にロッテが髪の毛を総毛立てる。
 ホムンクルスが持っている第二の口。
 そこから触れていたロッテの腕を肩口に至るまで、一瞬にして喰い上げた。
 大量の血が鮮血となって肩口から噴き出し、空から雨となって降り注いていく。
 腕の消失による痛みに苦しみながら、ロッテにも意地があった。

「ぐぅッ、この化け物が!」

 出血する肩を左手で抑え、歯を食いしばりながらパピヨンの顔を蹴り上げのだ。
 大怪我を負ってもその意志を揺るがせず、自分で指折りと言うだけの事はあった。
 顔を蹴られ軽く吹き飛ばされたパピヨンは、血の混じった唾を吐きながら笑う。

「へえ、思ったよりやるやる。こいつは、デバイスより拾い物だ。武藤と同じ、近接戦闘型。見えない経験値は大切にしないとな」
「私の腕……腕ぐらいなんだ。闇の書さえ封印できれば、後はどうなったって構わない。そうだ、お父様の悲願だけじゃない。これは私の意志、私の考えでもあるんだ!」
「欲望丸出しの良い顔になったじゃないか。それに戦意もあって結構、結構。アリシア、先に行ったもう一匹を追え。あのデバイスを奪ってこい」
「デバイスじゃなくて、女の子の方。パピヨンのお兄ちゃん、殺さないでね」

 パピヨンにそれだけはお願いし、アリシアがアリアを追って空を蹴った。
 行かせるかとロッテが追随しようとするも、今度はパピヨンがその前に立ちふさがる。
 手の中に生み出した黒色の蝶々をかざしては撃ち放ち、空を赤く染め上げた。









 翠屋とは別の喫茶店にて落ち会っていたシグナム達に、その異変は知らされた。
 シャマルがその意識を閉ざす直前の、辛うじての念話であった。
 仮面の男の存在、はやての誘拐その二つのみが。
 その場に居たカズキも伴ない、急ぎ路地裏で騎士甲冑を纏い空を駆ける。
 それぞれ、焦りを浮かべながらも空を裂くように先を急ぐ。
 誘拐されたはやてが、何処へ連れて行かれたのかも不明なままで。

「くそ、シャマルは兎も角、ザフィーラまでついていながら!」
「喋っている暇があるなら急げ。守護騎士が二人も残った上で主の誘拐を企てるとは、相手も余程焦っていると見える。主の身が心配だ」
「あ、ちょっと待って二人共。アレ、アリシアちゃんじゃないか?」

 先を急ぎ高速で飛ぶ二人に、かろうじて食い下がっていたカズキがとある方向を指差して言った。
 どうやら二人は、先を急ぎすぎて見逃していたらしい。
 カズキの指摘を前に振り返って見れば、確かにアリシアがいた。
 本来ならばそれがどうしたで済ます事態だが、少し様子がおかしかった。
 バインドに拘束されたまま空の上で放置されていたからだ。
 まるで誰かに足止めされてしまったかのように。

「アリシアちゃん!」
「何か知っている可能生がある。私達も行くぞ、ヴィータ」
「知っててくれよ、頼むから」

 一目散に駆け寄るカズキに続き、一抹の望みを駆けながら二人も続いた。
 アリシアの方も手を振り声をあげたカズキの存在に気付き、僅かな笑顔を浮かべる。
 それと同時に焦りも浮かべて制止の声を上げた。

「カズキのお兄ちゃん、それ以上近付いちゃ駄目。設置型のバインドがたくさんあるの。それよりあっち。管理局の女の人が、小さな女の子を抱えてあっちに飛んで行ったの」

 腕が動かせず顎で指したのは、臨海公園がある方角であった。

「管理局の……でも、どうして?」
「いや、それは多分あの仮面の男の事だろう。変身魔法、それで油断させられたか。それにしても海、まさかジュエルシードか。急ぐぞ、ヴィータ」
「おう、待ってろよはやて。って、なんじゃこりゃ!」

 一番に飛び出したヴィータが、その先でバインドに縛られてしまう。
 どうやら設置型のバインドはアリシアの周囲だけではなかったらしい。
 下手をすると誘拐犯が飛んだ空の軌跡にずっと設置されている可能性さえあった。

「焦っているくせに、用意周到な。これは迂回して飛ぶしかないか」
「ごめん、二人共。先に行ってる」
「助ける時間も惜しいのは分かるけどよ、ちくしょう。外れろ!」
「力任せは私がもう一通り試したよ。パズルみたいな、難解なロジックを崩してくしかないよ」

 そういうのは一番苦手だと言うヴィータの叫びを背で受けながら、シグナムとカズキは飛んだ。
 目指したのはもちろん、臨海公園方面の海であった。
 元々曇り空であった為に、海が近付くにつれ強い潮風が吹き付けてくるようになる。
 吹き付ける風に眼を凝らしながら飛ぶ中で、ふいにカズキが呟いた。

「ごめん、シグナムさん」
「何がだ。喋る暇があったら、しっかり飛べ。遅れれば、容赦なく置いていく」
「それでもごめん。俺が、シグナムさん達の事を喋ったばっかりに」
「お前のせいではない」

 そう言う事かと、耳を傾けていたシグナムは振り返らずに言った。

「主はやての誘拐に関して、お前が会った管理局員達は恐らくは無実だ。もしも仮面の男とグルならば、先日の湖の一件で我々を手助けする理由がない。それに謝るのは私の方だ」
「どうして?」
「主の為とは言え、短絡的な行動でお前を再び戦いに引きずり込んでしまった」
「お互い様だよ。蝶野が生きてた。それだけで、俺はきっと戦いに戻ってたはずだから」

 できる事なら和解の証として、手の一つも取りたいところである。
 だが状況はそれを許さず、ならばせめてとシグナムが言った。

「カズキ、力を貸してくれ。私は主はやてを助けたい、守りたい」
「うん、俺も同じだ。シグナムさんが守りたいものは、俺も守りたい。守りたいものが同じなら、きっと前のように一緒に戦える」

 共に笑みを浮かべあい、今度こそ声を殺して一目散に海を目指した。
 やけに強い潮風が吹き始め、シグナムでさえ悠長に喋る余裕を失くしたのだ。
 空を覆ってい雲も、何時の間にかその厚みと黒さを増してまるで雨雲のようであった。
 事実、それは雨雲であったようで、カズキの頬に一滴の雨粒が落ちてきた。
 続いて遠方からは落雷の音が響き、空の上を震動となって広がっていく。
 一雨がくるどころか、このまま大雨、海上では時化になりそうな雰囲気であった。
 嫌な予感が刻一刻と増していく中で、ついに分厚い雲の中から雨が降り始めた。

『カズキ、聞こえるか!』

 そんな折、カズキの頭に直接響いてきたのはクロノの声であった。
 思わず立ち止まりそうになったカズキは、問題ないとシグナムに手振りで伝えて飛行を再開する。

『ごめん、クロノ君。今はあんまり余裕がない。もしかして、ジュエルシードが?』
『なんだ分かっていて現場に急行していたんじゃないのか? 君が向かっている先で、ジュエルシードが活動を開始しはじめている。させられたと言った方が正しいか』
『それって、管理局の……そうだ。その現場に管理局の人はいない? なのはちゃん達ぐらいの女の子を抱えた』
『ああ、君の言う通りいる。アリアが、僕の師匠の一人が闇の書の主を伴ないジュエルシードを強制的に発動させようとしている。現場は魔力が乱れていて転送が難しい。誘導はする、急いでくれ』

 何故クロノがはやてを闇の書の主と断じたか、問答をしている暇はなかった。
 即座にカズキは、今聞いた事をシグナムに伝えた。

『今は信じるしかないか、カズキ頼む』
『分かってる。クロノ君、誘導を頼んだ』
『道案内はエイミィさんが行うよ。追加戦力は後で送るから、今は急いでジュエルシードを封印して。闇の書に蒐集させちゃ、駄目だから』

 アースラのオペレーターをしていたエイミィの誘導に従い、二人は飛んだ。
 遠方に見えてきた海は時化で荒れ、沖合いには数本の巨大な柱が見えている。
 恐らくは、ジュエルシードの発動に伴なって生まれた竜巻か何かだろう。
 その中心に十数メートルに及ぶ巨大な魔法陣を足元に生み出している者がいた。
 管理局のものらしき制服に身を包んだ猫耳のある一人の少女である。
 そしてその少女、アリアがはやてに闇の書を抱かせながら、宙に浮かべていた。

「主、はやて!」

 時化の風と大波、雷の音に飲まれ聞こえるはずもないのにシグナムは叫んでいた。

「守護騎士、どうしてこの場所を正確に……まさか、あの子? バインドで縛り付けたのは失敗だったかしら。墜ちなさい!」

 こちらに気付いたらしきアリアが、足元とは別に前面に複数の魔法陣を展開。
 近付くカズキとシグナムに向けて砲撃の魔法を撃ち放ってきた。
 強風が吹きすさぶ中、シグナムが危なげなくそれを回避する。
 カズキも少し掠りはしたものの、なんとか避けきっていた。
 次々に放たれる砲撃の弾幕の中を、ただひたすらに二人は空を駆けていく。

「くっ、ロッテがいないのにベルカの騎士二人が相手……少し厳しいわね。けれど、もう遅い。ジュエルシードはこの子を基点として発動した。もう止められないわ!」
「そのような道理、私がレヴァンティンで斬り裂いてみせる。主だけは、はやてだけはこの手で守りきってみせる!」
「Explosion」

 シグナムの心の底からの叫びに従い、レヴァンティンがカートリッジをロード。
 鍔から不要となった薬莢を吐き出し、その中に封じ込まれていた魔力を解放する。
 そのまままるで一つの弾丸になったかのように、アリアへと肉薄していく。

「俺達が一緒なら、きっと助けられる。誰だって、どんな状況だって。だから絶対に、遅いなんて事はない。シグナムさんと一緒に、守るんだ!」
「Explosion」
「さらにエネルギー全開、最大出力!」
「Explosion、Explosion」

 一発のみならず、二発目三発目と次々にカズキはカートリッジを消費する。
 光と言えば他に落雷ぐらいしかない時化の海上で、太陽のようにその身を輝かせた。
 魔力を純粋なエネルギーに変換して、カズキが光を周囲に纏わせていく。
 雨も風も、あらゆる障害を消し飛ばすように、光を瞬かせて弾ける。
 それに引きずられるように、カズキの心臓たるジュエルシードも活性化していった。
 胸には七十番の赤い刻印が浮かび上がり、さらに魔力が膨れ上がる。

「あの子、まずい!」

 尋常ならざるカズキの魔力を前に、アリアが予想外だとばかりに呟いていた。
 その直感に従い、とっさにカズキの目の前に飛び出す。
 儀式魔法で疲れてはいたが、残りの魔力全てを注ぎこんで魔法障壁を展開する。
 そうでもしなければ止められないと感じたのだ。
 そんなアリアの予想を更に超えて、カズキは叫んで空を蹴りだした。

「そこをどいてくれ!」
「Sonnenlicht clasher」

 一個のエネルギーの塊、太陽そのものになったかのようにカズキが飛んだ。
 駆け出した先の延長線上にアリアがいても、止まらない。
 彼女が必死の思いで張った魔法障壁さえも軽々と貫いて、飛んでいく。
 カズキが目指したのは、ジュエルシードによって生み出された幾つもの竜巻であった。
 一見無謀とも見える特攻である。
 だがカズキは見事に竜巻の一つを貫いて見せていた。
 それも貫くと同時に、サンライトハートにジュエルシードを喰わせ封印して見せた。
 はやてを中心に生まれていた魔法陣の一角、竜巻の一つが崩れ落ちる

「そんな、馬鹿な。ありえない、もう既にロッテや私の二人掛かりでも封印は不可能なはずなのに……」
「どこを見ている。貴様の相手はこの私だ!」

 半ば茫然としたいたアリアへと、シグナムが背後からでも構わず斬りかかる。
 慌てて魔法障壁を展開し受け止めるも、動揺はしっかりと現れていた。
 目の前のシグナムの一刀を防ぐのも手一杯の中で、何度もカズキに振り返ろうとしている。
 それもそのはず。
 カズキは竜巻を生み出したジュエルシードを一つ封印しただけでは止まらなかったのだ。
 続いて二つ目と、封印の為の突撃を行おうと身構えていた。

「カズキ、そのまま全てのジュエルシードを封印しろ!」
「そんな事はさせない。コレはお父様の、私達の悲願。闇の書なんてものがあるから、悲劇の連鎖は終わらない。だから私達が闇の書をこの世から消すの。終わらせる為に」
「その為に主を……ふざけるな。その連鎖が終わろうとしていたのだ。主のおかげで終わろうとしていたのに、お前達が壊すというのか!」
「貴方達がそれで良くても、私達は納得できないのよ。私達が納得できる方法でしか、認めない。認めるもんですか!」

 お互いに我をぶつけ合いながらシグナムとアリアが叫びあう。
 だからこの場にいる誰もが、気付いてはいなかった。
 はやてを助けようと、本当の意味で際限なくカズキが魔力を高めている事を。
 その魔力の高まりに反応するかのように、はやての抱く闇の書が淡い紫の光を発していた事を。









-後書き-
ども、えなりんです。

A's編も終盤に近付いてきました。
というか、短ッw
まあ、微妙に無印も終わってなくてごっちゃなんですが。
これが終わったら最終編の武装錬金編に入ります。

それでは次回は水曜です。



[31086] 第二十五話 君は誰だ?
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/03/28 21:27

第二十五話 君は誰だ?

 薄らぼんやりとした暗い世界にて、はやては羊水の中でたゆたう幼児の様に浮かんでいた。
 意識は半覚醒状態ではっきりとしておらず、眼も半分閉じかけている。
 脱力したように手足を力なく広げて、上か下かも分からない場所を見つめていた。
 その視線の先にいるのは、女性と男性の二人であった。
 女性は銀色の髪に三対の漆黒の翼を持ち、翼と同じ色のコートを羽織っている。
 三角形を基調とした闇色の魔法陣を足元に敷き、両膝をついて祈りを捧げていた。
 祈りを捧げられているのは男性。
 赤銅色の肌に蛍火に光る髪を持ち、上は何も纏わず民族衣装のようなズボンのみ。
 闇色の檻の中でただ静かに座り込み、祈りを捧げる女性を見上げていた。

「もう、諦めろ」
「ヴィクター、貴方を外の世界に解き放つわけにはいきません」

 閉じ込められている状況に反して、男が宥めるように呟く。
 だが女性は、毅然とした態度で拒否を示した。

「哀れだな。お前はそうして世界の為にと、何人の主を生贄に捧げてきた。俺という化け物を封じる為に、俺に勝る力を手にする為に、多くの命を取り込んできた。主の周囲もろとも。その結果が、これだ」

 悔しげに呻き俯いた彼女の目の前に、ヴィクターがあるものを見せた。
 手の平の上に乗っているのは、青く淡い光を見せる小さな小石。
 それを一度、はやては目にしたことがあった。
 ある意味で自分の足が快復に向かうきっかけでもあり、忘れるはずがない。

(フェイトちゃんが持ってた小石や)

 半覚醒状態のままつぶやこうとした言葉は、声にならず二人には届かなかった。
 手の中にある小石、ジュエルシードは二つ。
 穏やかな光を見せるそれは時折光を強め、何かに共鳴しているようであった。
 ヴィクターの左胸、一を示す赤い刻印に。
 その左胸にジュエルシードを近づけると、同化するように吸収されていく。
 するとヴィクターの体から薄い紫色の光が溢れ始めた。
 内部から闇色の檻を押し広げ、ミシミシと悲鳴を上げさせ始める。

「もはやお前の束縛の中からでも、俺は少なからず外部に干渉できるまでになった。これ以上、私の束縛を強めれば今代の主をとり殺す事になるぞ」
「あ、主……」
「もう一度だけ言うぞ、解放しろ。今代の主はあの子と変わらぬ幼子、とり殺してみろ……俺はどんな手を使ってでもここから出る。そして全てのロストロギアを破壊する。手始めに、夜天の魔道書。お前から」

 夜天の魔道書、闇の書に何処か似た言葉を前にしても、はやては考える余裕がなかった。
 ロストロギアなるものを破壊すると言ったヴィクターから発せられた憎悪。
 平和で平穏な生活しか知らないはやてには、猛毒に近い感情の波である。
 意識はいまだ半覚醒状態ながら、本能から自身を守ろうと体を丸めていた。
 人はここまで何かを憎めるものなのか。
 ヴィクターの感情の波によって肌を裂かれるような痛みをはやては感じていた。









「エネルギー、全開!」
「Explosion」

 ぜえぜえと息を乱し喉を枯らせた声で、カズキが叫んだ。
 大口を開けた時に飛び込む雨水で喉を潤し、サンライトハートを空に向ける。
 その柄の先から中身を失った薬莢が吐き出された。
 魔力を充填され、カズキが再びその身にエネルギーを纏い光り輝いていく。
 相当に魔力を消費しているであろうに、その輝きはまだ衰える事を知らない。
 当初大時化の様を見せていた海も、かなり治まってきていた。
 カズキがジュエルシードを封印するたびに、その影響が小さくなってきているからだ。
 発動しているジュエルシードの数もあとわずか、はやての救出は目前にまで来ている。
 だがそれは同時に、アリアの目的が潰える事を意味していた。

「諦めろ、ジュエルシードの封印までいくばくもない。私は主を守る、絶対にだ」
「認めない、私は貴方を、闇の書を永遠に封印してみせる。それこそ絶対に!」

 シグナムの連結刃を魔力障壁でうけながし、後退しながらアリアが叫び返す。
 間合いの得手、不得手を跳ね返し、互角にシグナムと戦う姿勢は見事の一言に尽きる。
 あまつさえ、その視線は時折、ジュエルシードを封印し続けるカズキへと向けられていた。

「何も知らない子供が、消えなさい!」
「しまッ、カズキ!」

 間合いを謀りつつ、適正な距離を探していたアリアが魔法陣を展開させた。
 シグナムの一瞬の隙を突いての砲撃である。
 それを向けられたカズキの目は、ジュエルシードが生み出す竜巻に釘付けであった。
 背後より迫るアリアの懇親の一撃。
 気づけ、避けろとばかりにシグナムが声を張り上げ、伝えようとする。
 その次の瞬間、シグナムの声ではなく魔力の接近に自ら気付いたカズキが振り返った。
 振り向き様に薙いだのは、カートリッジから魔力を補充したばかりのサンライトハート。
 自分へと向けられた魔力の砲撃を、カズキは斬り裂いた。
 特別な魔法を使用せず、エネルギーを纏わせた刃の一振りで。

「なッ!?」

 いくらシグナムから逃げ惑いつつの砲撃とはいえ、一振りで消し去られる程に弱い一撃ではない。
 そんな馬鹿なと言いたげなアリアの声と表情に、少なからずシグナムも同じ思いであった。
 魔力球ではなく、砲撃なのだ。
 下手に斬り裂こうとすれば、そのまま魔力の奔流に飲み込まれかねないのだ。
 デバイスの一振りで斬り裂かれては、砲撃の名が泣く。

(カズキ、この数日でまた強くなっている? いや、本当にそうなのか?)

 奇しくもそれは、以前にフェイトがカズキに対して抱いた疑問とも似ていた。
 元々の素質があったとは言え、約一ヶ月前まではカズキはずぶの素人であった。
 それが少し眼を離しただけで、シグナムの想像を軽く超えていく成長を見せ付ける。
 元からカズキの成長の速さは知っていたが、ここへ来てさらに加速しているようにも見えた。
 味方であるはずのシグナムが、ふいに怖ろしく感じてしまう程に。

「シグナムさん、これで最後だ。もう少し、待ってて」

 アリアの砲撃を軽く刃を薙いで斬り払ったカズキがそう呟いた。
 サンライトハートの赤い飾り尾が、エネルギーとなって弾け飛ぶ。

「Sonnenlicht slasher」

 そのカズキが光の矢となって、嵐の中を突っ切った。
 雨を払い、風を斬り裂き、嵐の象徴とも言える竜巻の中心へと突撃する。
 渦巻く風の壁すら物ともせずに貫き、途方もない魔力を生み出していたジュエルシードに接近。
 サンライトハートの刃を縦に割り、嘴のようにして咥え込んだ。
 これまで幾度となく繰り返してきた封印の作業。
 ただし、一度では止まらずカズキは光の矢となったまま、次に飛んだ。
 縦横無尽に嵐の中を駆け巡る閃光の矢となって、ジュエルシードが生み出す竜巻を貫いていく。

「そ、そんな……私は、私達は絶対に認め、ない」

 その光景を目の当たりにしたアリアは、状況も忘れて呆然とした表情であった。
 まるで戦闘意欲がごっそりと削られたように、顔色さえ青くしていた。
 一見して自然災害にしか見えない竜巻も、アリアにとっては逆転の一手、希望。
 しかも封印は不可能とさえ思っていたのに、容易く打ち砕かれていっているのだ。
 それに、アリアにはシグナムの猛追から逃げつつ、カズキを止める手段がない。
 せめて相棒たるロッテが居れば、また状況は違っていた事だろう。
 不運の切欠は間違いなく、パピヨンであった事は間違いない。
 戦力を分散され、守護騎士がこの場に到着する為の情報を与えてしまった。
 ついに逃げ回る足は止まり、宙で膝をつき、ただ貫き砕かれていく竜巻を見つめていた。
 その竜巻の最後の一つが砕かれると同時に肩を落とし、深くうなだれていく。
 もはや戦う意志はないと見て、シグナムはレヴァンティンを鞘に収めた。

「主、ご無事で」

 はやては、アリアの手により魔力の見えない台座に安置されていた。
 だがジュエルシードの活性化が封じられると、ゆっくりと海の上へと降り始める。
 嵐の元凶が止んだとはいえ、まだ時化は続いていた。
 このまま落ちては一大事と、シグナムははやてを両腕で抱きとめてやった。
 嵐の真っ只中にいたせいで体中は濡れており、かなり冷えてしまっていた。
 できれば直ぐにでも、その小さな体を温める必要があった。

「シグナムさん」

 声をかけられ、ほんの少しだけシグナムはカズキへと視線を向けた。
 息は上がり、疲労の色は見せているもののまだまだ余裕が見える。
 あれ程の数のジュエルシードを一人で封印したにも関わらずだ。
 もはや不自然さを感じさせる程ではあったが、小さく首を横に振って考えを振り払う。

「ああ、大丈夫だ。主はやては無事だ」

 カズキへとそう答えながら、改めてシグナムは自分へとはやてを強く抱き寄せた。
 冷えた体に自分の体温を与えるように、しっかりと抱きしめる。
 もう少しで、失う所だったのだ。
 以前にヴィータがフェイトから言われたように、目の前の小さな幸せを大切にしなかったばっかりに。
 主が全てとはいえ、シグナム達守護騎士にも望みはあった。
 主であるはやてが、穏やかな生活の中で笑って暮らせる事。
 既にその幸せは自分達の手の中にあったのだ。
 自覚があまりなかっただけで、今思い出せば十分過ぎる程に幸せだった。
 主がいて、守護騎士が、他にそれぞれの友人達であるカズキ達もいた。
 そんな小さな幸せを、よりにもよって自分達の手で終わらせてしまう所であった。

「リーゼアリア、君の姉妹であるリーゼロッテ共々拘束させて貰う」

 収まり始めた時化風の中で、毅然とした声が上がった。
 それはアリアに杖を突きつけている、遅れてやって来たクロノである。
 魔力の嵐が収まり、アースラからの転移が成功したか。
 もしくは、遠方に一度転移してから急いで駆けつけたのだろう。
 その後ろにはブラボー、それからなのはとフェイトの姿もあった。

「クロノ、父様を秘密裏に拘束したのは貴方なの?」
「いや、グレアム元提督の拘束は私が行った。事が露見して以降、彼は従順で真摯な対応を行ってくれた。できれば、君にも彼と同じ態度を望む」
「キャプテン・ブラボー……そう、貴方が。クライド君の友達の貴方が、同じぐらい闇の書が憎いくせに。お父様がそうしたなら従うわ」

 アリアの呟きに対し、ブラボーは何も言わずただ首を横に振るだけであった。
 まるで憎んではいないとでも言うように。
 そしてクロノの手によって、アリアの両腕には魔力封じの手錠がかけられる。
 これでもう大丈夫と、なのはやフェイトが二人に向けて駆け寄ってくる。

「シグナムさん、カズキさんも。はやてちゃんは無事なんですか?」
「ああ、心配ない。眠らされているだけだ。それと、テスタロッサ」

 眠るはやての頬をぷにぷについていたなのはを見ていたフェイトに、シグナムが改まって話しかける。

「はい、シグナム」
「お前はきっと、誰よりも正しかった。失ったものは大きいが、誰よりも強く正しかった。その強さを、少しだけだが分けてくれるか?」

 はやての身柄を一時カズキに預けたシグナムが、フェイトの頭を撫でてきた。
 改めて母親の死を告げられた形にはなったが、フェイトの心はそこまでささくれ立ちはしなかった。
 もちろん今でも悲しいし、頬を流れる水滴は雨ではなく涙かもしれない。
 けれど取り乱す事も無く、シグナムの言葉をそのまま素直に受け入れる事ができた。
 少しずつではあるが、プレシアの死を認められ始めたのかは定かではないが。

「管理局の執務官だな。闇の書の守護騎士、烈火の騎士シグナム。他の三騎士を代表して投降しよう。罰は私が請け負う、だからせめて彼らは見逃して欲しい」
「シグナムさん、それは……クロノ君」
「分かっている。心配するな、カズキ。烈火の騎士シグナム、君の言葉を受け入れ重要参考人として同行してもらう」
「重要参考人?」

 アリアが拘束されたのにも関わらず、何故シグナムが同行なのか。
 当の本人であるシグナムが、疑問を呟いていた。

「罪の減刑の為に、司法取引を行うのは良くある事だ。僕らが望むのは、八神はやてが生きる限り、闇の書を暴走させない事。つまりは蒐集の禁止と調査の協力だ。協力して貰えるだろう?」
「こちらに選択の余地はない。それで主が普通の生活を送れるのなら……クロノとか言ったか、礼を」
「礼ならカズキに言ってくれ。僕はその提案に乗っただけだ」
「そうか。何から何まで……カズキ、世話をかけたな」

 そう呟いたシグナムが、久方ぶりの笑みをカズキへと向けた。
 はやてを軽く抱きなおしたカズキは、それが見たかったとばかりに笑みを返す。
 なのはやフェイトも、これで一安心だとばかりに笑みを浮かべる。
 知り合い同士、ただ笑うだけの為に皆戦ってきたのだ。
 報われなければ、意味がない。

「シグナム!」
「カズキのお兄ちゃん!」

 そこへやってきたのは、アリアのバインドに捕まっていたヴィータとアリシアであった。
 ただアリシアはフェイトの存在に気付いて直ぐにその足を止めていた。
 何時でも逃げられるように身構えていたと言っても良い。
 そんなアリシアを前に、一度瞳を閉じて心を落ち着けさせたフェイトが言った。

「アリシア、逃げなくても良いよ。後で少し、お話を聞いてくれれば」
「え、あ……うん。うん!」

 まさかの言葉に、何度もアリシアは頷いて返す。
 その間にヴィータはシグナムから簡単に事の成り行きを聞きだしていた。
 シグナム程に警戒は解いては居ないが、敵対の意志はないとデバイスを収めて尋ねる。

「おい、同行ってのはシグナムだけか?」
「望むのなら、他の守護騎士がいても構わない」
「んじゃ、私ちょっとアイツら……」

 呼んで来るとシャマルとザフィーラを迎えに行こうとしたヴィータの足が止まった。
 嵐が収まり始め、分厚い雨雲が切れ始めた空から光が差し込み始めている。
 その空を見上げて、ヴィータは宙で足を止めていた。
 視線の先、光の彼方より降りてくるのは、おざなりな拍手音。
 たった一人で立てられる拍手と共に降りてきたのは、魔法で蝶々の羽を生やしたパピヨンであった。

「良かった、良かった。大事なシグナムさんとこれ以上、争わずに済んで」
「蝶野、お前それ何を……」
「ああ、これ? 俺がこうやって足止めしてやったから、上手く事が運んだんだ。感謝して敬え」

 そう言ったパピヨンが、脇に抱えていた何かを放り投げた。
 特に誰かにというわけではなく、それが何かを察したクロノが駆け寄り受け止める。
 クロノの腕の中に落ちてきたのは、ロッテであった。
 意識なく瞳を閉じ、唇の端からは血の雫が流れ心音が酷く弱々しい。
 なぜならば彼女の右腕は肩口から消失してしまっており、今もなお血が流れ落ちていたからだ。

「アリシア、お前の望み通り辛うじて生かしておいてやったぞ。おかげで骨が折れた。比喩でもなんでもなくな」
「パピヨンのお兄ちゃん、やりすぎ……助かる、よね?」

 パピヨンは羽ばたきながらも、あらぬ方向に折れた腕を逆側の腕で支えていた。
 ロッテの腕を除き、血の気の引いた肌色などによりパピヨンの方が死にそうにも見える。

「パピヨン、貴様!」
「ロッテ、しっかりしてロッテ!」

 激昂したクロノが珍しくがなり声をあげ、計画の失敗に意気消沈していたアリアが取り乱し縋りつく。

「リンディ聞こえるか、転送ポート付近に医療班の待機を頼む。被疑者一人が重体だ」

 一時任務を忘れたクロノの肩を掴みながら、ブラボーが念話を飛ばす。
 アリシア以外は、誰も知らなかったパピヨンの奮闘。
 事件集束を目前にしていた事もあり、誰もが油断していたと言って他ならない。
 誰もがパピヨンと言う存在に、意識を奪われていたと言い換えても良かった。
 だからこの場にいる誰もが、気付く事ができないでいた。

「……ァ、父様の…………」
「ロッテ!」

 クロノに抱かれたロッテに縋るアリア。
 猫のようなその耳が、ロッテの掠れた小さな声を拾い上げていた事に。
 その呟きが、一度は諦めていたアリアの心を再び燃え上がらせる。
 何故、自分達がこんな目に合わなければならないのか。
 父と慕うマスターたるグレアムは、ブラボーの手により逮捕されたと聞く。
 あの管理局の中でも特別名を知られた提督の地位にあるグレアムがだ。
 さらにそのグレアムの意志を継ごうとした自分達はこのありさま。
 ロッテは瀕死の重体に追い込まれ、何もできないままアリアは捕縛されていた。
 唯一残ったロッテの左手を握り締め、アリアは心の中で叫ぶ。

(どうして、私達がこんな目に。それにどうしてアイツらが重要参考人……司法取引、たかが数十年の安全の為に!)

 ロッテの手を握り締める自分の手に絡まるのは、無骨で冷たい手錠。
 この手錠がある限り、アリアは魔法が使えない。
 そんな一瞬の苦悩を解決したのは、意識があるかどうかも怪しいロッテであった。
 アリアの手から零れ落ちたロッテの手が、自分自身の胸を貫いた。

(私に構わず行って、アリア)

 そんな言葉にならない声を、アリアだけは聞いていた。
 ロッテ自身が貫いた胸から溢れる魔力の光。
 それを手にアリアは再び決意を胸に抱いて駆け出した。

「まだ、終われない!」

 アリアが向かったのは、カズキに抱かれたはやて。
 そのはやてが抱えている闇の書であった。

「貴様、この期に及んで。主を害すると言うならば」
「斬ってごらんよ。裁判前ならまだ私は管理局員、司法取引が消えるだけよ!」

 カズキが抱えるはやての前に飛び出したシグナムが、その一言に僅かだが硬直した。
 事の真贋は不明ながら、曲がりなりにもアリアは管理局員。
 シグナムの判断を鈍らせるには十分で、僅かに遅れて振られたレヴァンティンをアリアが避ける。
 懐に飛び込んで体当たり気味にシグナムを吹き飛ばし、はやてを狙う。

「シグナムさん、この!」
「カズキ下がって、はやてを抱えたままじゃ」
「大人しくしてください!」
「言葉だけじゃ、止まれないところまで来てるのよお嬢ちゃん達!」

 フェイトの言う通り、両腕が塞がったカズキにできる事は少ない。
 そこまでは二人共理解していたが、アリアの覚悟までもは理解に及びはしなかった。
 自分達なら問題ないと、フェイトが魔力の刃をバルディッシュに生み出して斬りかかる。
 これをアリアは避ける事も防ぐ事もしなかったのだ。

「え?」

 あえて自らの肩で受け止め、それでも足を止めない。
 このままでは切断に至ると、制止しようとしたフェイトが躊躇してしまった。

「腕の一本ぐらい、ロッテだって捨てたのよ。邪魔をするな!」

 鮮血を伴ない千切れ飛ぶアリアの腕、無骨な手錠だけがそれを繋ぎとめていた。
 余りにも異常な光景、狂気的な覚悟を前にフェイトは頭が真っ白であった。
 なのはもそれは同様であり、茫然と立ち尽くすのみ。
 そんな二人の間をアリアは鮮血を振り撒きながらすり抜けていく。

「そいつを寄越せ!」
「嫌だ。やっと、ここまで来たんだ。もう少しで、皆笑える普段に戻れるんだ!」
「そんなものはまやかしだ。私達だけ失って、どうしてそいつらばっかり!」

 はやてを庇おうと、その体で包み込むようにカズキが体を丸める。
 カズキのわき腹にアリアの膝が入り、骨が軋む音がはっきりと聞こえた。
 それでもカズキははやてを庇う体を起こさず、あまつさえアリアに背を向ける。
 元から計画性のない、突発的な行動。
 アリアに時間的猶予はなく、ならばせめてと手を滑り込ませそれを掴み取った。

「しまッ」

 アリアが掴み取ったのは、はやてが抱きかかえていた闇の書であった。
 片腕ではやてを抱え、伸ばされたカズキの指先が闇の書に触れる。
 その瞬間、触れた指先と闇の書の間に小さな火花のような物が飛んだ。
 はっきりと視界にそれを納めた者は居なかったが、カズキは肌で感じていた。
 不吉な予感、触れてはいけないものに触れてしまった感覚。
 出所の不明な感情に気を取られ、まんまとアリアに闇の書を奪われてしまう。

「アリア、何を考えているんだ。馬鹿な事は止めるんだ」
「ええ、馬鹿な事なんでしょうね。でもね、私達は十年待った。クライド君が死んでから、十年待った。そう簡単に諦められるはずがないでしょ!」

 クロノの言葉を跳ね返すように、金切り声に近い声でアリアが叫んでいた。
 右の肩口から大量に零れ落ちる出血も気に掛けず、無事な左手で闇の書を掲げている。
 同じくその左手にあるのは、小さな魔力の輝き。
 ロッテが自ら抉り出したリンカーコアであった。

「おい、馬鹿な真似は止めろ。闇の書は、ジュエルシードのせいで私達でもよくわかんねえ事になってんだよ。下手な事はすんな!」

 吹き飛ばされたシグナムを支えながら、ヴィータが声を荒げる。
 だがそれは、我を失ったアリアを刺激するにほかならなかった。

「どちらが下手な真似か、やってみれば分かるわ。父様が、私達が一番正しいの。数十年じゃない、私達になら闇の書を永遠に封じられるはずなのよ」

 器用に闇の書を左手だけで開き、アリアが双子の姉妹のリンカーコアをその前に掲げた。

「闇の書、ロッテの……それから私のリンカーコアを蒐集しなさい。起動し、暴走すればもう私達の手段にすがるしかない。闇の書、さあ早く!」
「止めろー!」

 闇の書よりも先に、暴走したとしか言えないアリアの行動。
 それを前に、弾かれたように皆が空を駆けた。
 ヴィータがシグナムが、カズキやフェイト、なのはも。
 もちろん、管理局員であるブラボーもであり、唯一は重傷のロッテを抱えたクロノぐらいか。
 ただそれでも、管理局員として見逃せないとばかりに、止めろと叫んでいた。
 だがその言葉も、止めようとした手も、アリアに届く事はなかった。
 闇の書が薄い紫色の光を帯びて、ロッテのリンカーコアを吸い上げ始める。

「え?」

 だが次の瞬間、誰もが目を疑う光景が繰り広げられる。
 ロッテのリンカーコアは確かに吸い取られるようにして消えた。
 蒐集らしきものはなったが、紫色の光はそれだけに留まらなかった。

「くッ、アッ!」

 より範囲を広げた紫色の光はアリアをも包み込み、彼女が苦痛の悲鳴を上げた。
 その体が崩れ落ちようとした時、闇の書の中から伸びた腕が彼女の首を掴み取った。
 日に焼けたような赤銅色の肌を持つ、太い腕である。
 蒐集に良く似た効力はより強くなったのか、アリアは悲鳴を叫ぶ声さえ出ない始末だ。
 一体何が起こっているのか、紫色の光はなおも周囲に拡散しようとしていた。

「なんだよ、蒐集じゃねえ。それになんで闇の書から人の腕が出て来るんだよ!」
「全員、距離をとって退避だ。あの光に触れるな、喰われるぞ」

 ヴィータがあんなものは知らないと声をあげ、危険を察知したブラボーが退避を命ずる。
 皆言われた通りに距離を開けようとするが、それではアリアが助からない。
 彼女の力は吸い取られ続けており、四肢は力なく垂れ、肌からも色が失われ始めていた。

「アリア……こんな事を頼むのは筋違いかもしれない。だが、カズキ。君なら比較的安全に彼女を助けられる、君のサンライトハートなら」
「分かった、シグナムさん。ヴィータちゃんもはやてちゃんを頼む」
「カズキ無理はするな、闇の書のはずなのに今やあれが本当に闇の書なのか私にも分からん」
「はやてだけでも連れてさっさと逃げてえけど、仕方ねえからお前の事も待っててやる。さっさとあの馬鹿つれて来い!」

 はやてを二人に預け、カズキはサンライトハートを掲げた。

「今回は敵だったけど。話し合えば分かり合える、もしも守りたい者が同じなら。エネルギー、全開!」
「Explosion」
「待て、騎士カズキ!」

 唯一の制止はブラボーからあったが、殆どカズキの耳には入ってはいなかった。
 アリアは敵ではあったし、はやてを危険に陥れた相手である。
 だがその命が掛かっているのなら話は別だ。
 それにカズキが口にした通り、彼女もまた管理局員であり、守るべき者が重なればきっと共に戦えはず。
 ならば、彼女を助ける事に戸惑う理由はなかった。

「Sonnenlicht slasher」

 今もまだ広がり続ける紫色の光の中へと、カズキは光となって飛び込んでいった。
 触れた瞬間に感じたのは、脱力感。
 誰かに命を喰われ続けているような、背筋も凍る命の危機である。
 そんなものにずっと触れ続けていたアリアはどうなるのか。
 歯を食いしばり、サンライトハートの切っ先を見据えてカズキは飛んだ。

「アリアさん、聞こえてたら手を!」

 すれ違い様に掻っ攫うと、激を飛ばす。
 それが聞こえていたのか、ただ衰弱により痙攣しただけか。
 アリアの左手が僅かに動いた。

「あと少し」

 伸ばせば届く、掴んだら突っ切るように逃げるとカズキも手を伸ばした。
 紫色の光を裂きながらの一瞬の交錯。
 カズキはアリアの手を掴んだが、その瞬間に彼女の体が自分に向けて落ちてきた。
 何故と疑問は浮かんだがしっかりと受け止め、逃げるように闇の書とすれ違う。
 少なくともカズキはそのつもりであった。
 だが次の瞬間、アリアの首を掴んでいた手が、サンライトハートの切っ先を受け止めていた。
 まるで掴む相手を変えたかのように。

(掴まれた、けど……なんなんだこの手、サンライトハートが一ミリも刺さってない!)

 そうカズキが慄いた瞬間、バチリと謎の腕とサンライトハートの間で光が弾けた。
 とても小さな、静電気程度の小さな光。
 それを切欠として、闇の書が放っていた紫色の光が爆発的に広がっていった。
 太陽の様に眩い種類の光ではないが、間近にいたカズキはその限りではない。
 一瞬瞳を庇うように腕をかざし、次に眼を開いた時には既にそれはいた。
 蛍火に光る不思議な色の髪、全身を赤銅色に染めた肌、屈強な体躯。
 一体どこから現れたのか。
 その男は軽く周囲を見渡し、まず始めに闇の書を小脇に抱えてから言った。

「君は、誰だ?」

 それはカズキという存在に対する疑問であった。
 まるで封を解いたのが、カズキであるかのように。









-後書き-
ども、えなりんです。

復活、ヴィクター復活。
ちなみにリインフォースの出番はこれで終了w
だって、ヴィクターの封印が解けて闇の書からの侵食が止まりますから。
はやても魔法少女にならずじまい。
まあ、仕方ないね。
前作ではすんごい出てたから、たまには良いよね。

さて、このお話とは関係ありませんが。
チラシの裏にしょうも無い一発ネタを投稿しました。
数日前なので流れてますが、「えなりん」で検索すれば引っかかります。
気が向いたら読んでやってください。

それでは、次回は土曜日です。



[31086] 第二十六話 ロストロギアに関わる者は全て殺す
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/03/31 19:47

第二十六話 ロストロギアに関わる者は全て殺す

 君は誰だ、その問いかけに答える言葉をカズキは持ち得ていなかった。
 もちろん自分が誰であるかは、言葉にする事ぐらいはできる。
 一度死を経験し不思議な力こそを得たが、普通の高校生だ。
 武藤カズキという名を持ち、まひろという妹がいる、極々普通の高校生。
 しかしながら目の前の男、ヴィクターが尋ねた意味が、それとは異なる事だけは理解していた。

「アームドデバイス、ベルカの騎士か」

 呼吸までもを止めてしまったかのように固まるカズキを前に、ヴィクターが呟いた。
 その視線は、彼自身が手の平にて受け止めているサンライトハートに向けられている。
 知りたい事はそれで済んだのか、ヴィクターが腕に力を込めた。
 目覚めたばかりの体を軋ませ、サンライトハートをカズキごと押し返す。
 サンライトハートの刃を握り締めたその手で。
 押し返された勢いは凄まじく、カズキの肩からは異音が鳴り響いていた。

「ぐぁあ!」
「脆いな、鍛練が足りない」

 両手用のサンライトハートを片腕で支えていた所に、人外の力が加わったのだ。
 肩が外れた痛みに悲鳴を上げながら、カズキは真っ逆さまに海中へと叩き落された。
 まだまだ高い波間が揺れる海に一つ水柱が立ち上がる。
 その際、逆の左腕に抱えていたアリアを手放さなかったのは奇跡に等しかった。
 せめてそれだけはと、もがく事も忘れカズキは抱き寄せていた。
 海中もまた荒波が酷く、瞬く間にカズキは前後不覚となって沈んでいく。

「カズキ!」

 シグナムやフェイト、なのはが海に落ちたカズキを助けに向かう。

「あれは……一体なんだ?」

 先程、ヴィクターがカズキへと向けた疑問を、今度はパピヨンが呟いていた。
 パピヨンだけではなく、クロノやブラボー達もそれは同様である。
 闇の書ではなく、彼自身が全身から放っている紫色の光はなおも広がっていた。
 魔力光でない事はなんとなく分かるが、何かまでは分からない。
 だがその答えを知るのも、直ぐの事であった。
 光が触れている海中からは、次々に魚などの海洋生物が浮かび上がってきたのだ。
 海中でしか生きられないそれらが、腹を上に海面に浮かび上がる。
 毒ならば光が触れた部分だけというのも不可解、あり得ない事だがまさかと気付く。

「エネルギードレイン、直接生命エネルギーを喰っているのか。人やホムンクルスが、何かを口にするようにではなく、直接……」

 パピヨンのさらなる呟きに、ハッとクロノがブラボーを見上げた。
 そしてとある事を確認すると、念話で決断を求める。

『ブラボー、こちらは重傷者が複数。仮にアレが最高評議会の隠蔽したい何かであるにせよ』
『ああ、お前達は撤退しろ』

 少ない言葉で意志を疎通しあい、ブラボーはクロノに頷いて見せた。

「皆、撤退するぞ。カズキ、君達はアリアを頼む。ヴィータとか言ったか、君は君の主を。殿はブラボーがつとめる!」
「お、おう。シグナム、それになのは達も急げ!」

 海中からカズキを救い出しているシグナム達へと、ヴィータが伝え叫ぶ。

「ベルカの騎士に魔導師、それに闇の書……」

 穏やかに辺りを見渡していたヴィクターが、呟いた。
 彼女達が自分へと向ける、他人のような瞳に複雑そうな表情を浮かべながら。
 だが次の瞬間には、命令を行ったクロノが指揮官かと狙いを定めていた。
 その視線を前にしてクロノは身構えるような事はしなかった。
 何故ならもう既に命令は出したのだ。
 撤退し、殿を誰がつとめるかまでも、自らそれを覆す事はない。

「待て、お前の相手は俺だ。聞きたい事がある。まずはそのエネルギードレインを止めて欲しい」

 飛び去ろうとするクロノ達を追おうとする男の前に、ブラボーが立ちふさがった。

「無理だな。これは呼吸と同じ、能力ではなく生態。自分の意志では止める事はできない」
「ありきたりだが、止めたければ息の根をか……」
「戦うか、この俺と」
「必要ならば」

 お互いに情報が不足している事は理解しあっている。
 だがブラボーには殿を務める役割が課されていた。
 自惚れではないが、万に一つも自分が負ける事は想定していない。
 ならば、ヴィクターを取り押さえた後にでも、情報を聞きだす事はできる。
 唯一の懸念点であるエネルギードレインも、ブラボーには通用しない。
 彼のレアスキルが付随する特殊なバリアジャケットならば。

「よかろう、元よりロストロギアに関わる者と知って見逃す気はない」
「行くぞ、裏切りの騎士・ヴィクター!」
「裏切りの、騎士?」

 百五十年前に何があったのか、誰が何を裏切ったかは不明だ。
 ブラボー自身それは分かっていたが、あえてそう言った。
 案の定と言うべきか、まさかの呼び名にヴィクターの意識がほんの少しそれた。
 卑怯と思うところはあるが、まずは身柄を押さえるのが先決。

「ブラボー正拳」

 無謀になその胸板に、ブラボーが渾身の一撃を放った。
 撃たれた胸板以上に周囲の空気が震動し、海にも新たな波紋と波を広げる。
 だがヴィクターは多少なりとも身じろいだものの、目だった傷跡は見られない。
 そのままブラボーの腕をとり、凶悪な程の力で握り締めた。

「何を言っている、裏切ったのは奴らの方だろう」

 はっきりと憎悪を見せたヴィクターを前に、やはりとブラボーは思う。
 主観の違いこそアレ、最高評議会の情報には誤りが含まれている。
 それをハッキリさせる為にもと、ブラボーは気合を入れるように叫んだ。

「シルバースキン!」
「なに?」

 ヴィクターが掴んでいた腕の部分のバリアジャケットが弾け飛んだ。
 内部より膨れるようにしてヴィクターの手を開かせ、拘束を脱する。
 再びの驚愕に固まるヴィクターの膝を蹴りつけ、よろめいた所で顔を殴る。
 さらに一度目に撃った胸を蹴り上げ、ブラボーは同時に距離を取っていた。
 だがそれでも、ヴィクターの肉体に目立った損傷は見られなかった。
 いや、傷の大小こそあれ、傷は確かにつけられている。

(生態……己の意志に関わらず行われるエネルギードレイン、それによって瞬く間に傷を修復しているのか。生命の海の上であるここでは、傷を負わせるのは難しいか?)

 ブラボーがその不死身に気付きつつある中で、ヴィクターもまた気付き始めていた。
 エネルギードレインの中でも、動きに精細を欠かないブラボー。
 先程は直接触れたにも関わらず、全くその命を吸い取る事ができなかった。

(恐らくは防御系統のレアスキル、もしくは私の正体を知った上での対策か……前者だな、対策ならば部下全てに施しておくはず)

 言葉を交わさずとも、戦う為に相対すれば少なからず情報は手に入る。

「素手で戦える相手ではなさそうだ。ならば俺も使わせてもらおう」

 そう言ったヴィクターは、自分の心臓を掴むように手を左胸へと添えた。
 この時ブラボーが感じたのは既視感。
 極々最近、それと同じ動作を身近で見た事があったからだ。
 そうそれは、カズキがサンライトハートを取り出す時と殆ど変わらない動作である。

「セットアップ、フェイタルアトラクション」

 ヴィクターの指が、赤銅色の肌に埋め込まれとある物を引きずり出してきた。

「ヌ、オオオオッ!」

 しかしそれは、ある意味でブラボーの予想とは外れたものであった。
 青ではなく黒、シリアルナンバー一の刻印の赤さだけは同一のものである。
 黒いジュエルシードを左胸より取り出したヴィクターがそれを掲げた。
 激しく脈動し、溢れる黒い光の中でジュエルシードは形を変えていく。

(なんだ、あれは。黒いジュエルシード……そもそもジュエルシードなのか。あんな色のジュエルシードは見た事がない)

 いぶかしむブラボーの目の前で、ジュエルシードは完全に姿を変えた。
 大戦斧の型の、恐らくはアームドデバイス。
 左手を目の前に突き出し、握り締めた拳を腰に構えてブラボーが身構える。
 相手がデバイスを手にしても、時間を稼ぐ事はそう難しい事ではなかった。
 殿程、シルバースキンを持つブラボーに相応しい役所はない。
 一番避けなければいけないのは、逆にヴィクターに逃げられる事だ。
 ならばその隙を生まないように、攻め続けるのが正解であった。

「デバイスを手にしようと、状況は変わらない」

 絶対の自信と共に叫び、ブラボーが空を蹴った。

「ヌオオッ!」

 それに対し、ヴィクターもフェイタルアトラクションを振り上げた。
 先制したのは、ヴィクターであった。
 魔力を込めた単純な一撃、ブラボーの頭部目掛けて薙ぎ払う。
 その一撃を、ブラボーが文字通り左腕を盾にして防いだ。
 実際に防いだのは、ブラボーが身につけているバリアジャケットである。
 彼が持つデバイス同様、シルバースキンと名づけられた絶対防御のレアスキル。
 あらゆる攻撃、それこそ魔力でさえ完全にシャットアウトする能力であった。
 ミシリと痛々しい軋みこそ鳴ったものの、攻撃そのものは届いては居ない。

「効かん、このシルバースキンの防御力は無敵。粉砕、ブラボラッシュ!」
「やはり、絶対防御か」

 威力が足りないのであれば、多少威力を落としてでも数を増やす。
 その考えで持って、ブラボーが次々にヴィクターへと拳を叩き込む。
 しかし赤銅色の肌に刻み付けられた痣や傷は、数秒という僅かな間で修復されてしまう。
 その度に、ヴィクターが放つエネルギードレインは周囲から命を吸い取っていく。
 その証拠に、眼下の海上ではさらに多くの海洋生物の死骸が浮き始めていた。

(負けはしないが、勝てもしない。いや、スタミナを考えるとやや不利。魔導師・クロノがアースラへと帰還後、俺と奴を強制的に生命のない無人の次元世界に転移。それならば、勝機も見えるはず)

 だがこの短い戦闘の中でも、ブラボーは勝つ手段を脳内ではじき出していた。
 エネルギードレインが通用しない自分という唯一の存在。
 被害が自分に及ばないのならば、後はヴィクターの回復手段を奪うまで。
 最悪の場合は、その無人世界ごとアルカンシェルにて吹き飛ばせば良い。
 再び振るわれたフェイタルアトラクションを腕で弾いたが、じわりと腕に痺れが走った。
 咄嗟に後ろへ跳び退ったブラボーは、腕を振りながらヴィクターを見据える。

(今、何をされた?)

 ブラボーのシルバースキンは、あらゆる攻撃を防ぐ。
 それが意図しないヴィクターのエネルギードレインであってもだ。
 果てに使用者がそれを攻撃と認識しなくても、危険が及べばオートで防ぐ。
 だというのに、先程防いだはずの一撃にて、ブラボーの腕が痺れを伴なっていた。

「それを確かめる!」

 ブラボーの拳を、ヴィクターがフェイタルアトラクションを持たない方の腕で弾く。
 すぐさま逆側の拳が叩きこまれるが、ヴィクターはあえてコレを胸で受け止めた。
 普通ならばこの一撃であばらごと粉砕されて終わりである。
 だが巨躯に見合う頑丈さを持ち合わせ、エネルギードレインまで保持するヴィクターはそうではない。
 懐深くに誘い込み、その拳を握る手首を握り締める。
 決して逃げられないように、必殺の一撃を叩き込む為に。
 一方のブラボーは、自らの能力に絶対の自信を持つが故に、その一撃を待っていた。

「悠長な事だ。フェイタルアトラクション」
「Explosion」

 大戦斧の柄と刃をつなげる間接部分の機具がスライド、薬莢を吐き出した。
 ベルカの騎士特有のアームドデバイスに用いられるカートリッジシステム。
 弾丸に詰められていた魔力を糧に、ヴィクターはさらに魔力を高めていく。
 そしてブラボーが望んだ通りにその一撃を放とうと、フェイタルアトラクションを振り上げる。
 刃の周囲が蜃気楼であるかのようにブレた。
 決して見間違いではない光景を前に、ブラボーの背筋に冷ややかなものが走った。
 悠長なというヴィクターの言葉を本能的に悟ったように。

「シルバースキン!」
「もう、遅い!」

 ヴィクターの拘束を脱し、避けようとした体がやけに重い。
 そうブラボーが感じたのは決して間違いではなかった。
 重力の断層によって、周囲の景色が歪む。
 フェイタルアトラクションより叩きつけられたのは、刃ではなく別のもの。

(魔力変換資質、しかもこれは!)

 ブラボーの体全体を覆ったのは高重力の塊であった。
 シルバースキンにはあらゆる攻撃は効かない。
 物理的なものも、魔力的なものも。
 そこに攻撃を通す為には、シルバースキンを大きく上回るスピードが必要である。
 ブラボー自身もそれは理解し、そのスピードを補う体術を得ていた。
 だがヴィクターが選んだ攻略方法は、至極単純な物であった。
 ある意味、先程ブラボーがヴィクターに対して行った行動と同じ。

「グオオオォッ!」

 高重力の塊をブラボーに叩きつけ、加重を与え続ける。
 普通はシルバースキンが相手の攻撃を弾いて終わりだが、弾けさせない。
 万力のようにじわじわと押し潰し、その力が届くまで続けていく。

「私が今まで戦った騎士や魔導師の中でも上位の強さだ、誇って良い。だがロストロギアに関わる者に例外はない、ここで死んでいけ」

 バキッと、何かが折れ曲がる音が高重力の空間を超えて僅かに届いてきた。
 ついにシルバースキンが高重力を支えきれず、攻撃が届いた証である。
 次々に聞こえる破壊音を前に、ヴィクターは高重力の塊を解いた。
 歪んだ景色の繭の中から現れたのは、それでも形状を維持するシルバースキンであった。
 だが中身まではそうは行かなかったらしい。
 圧力を解いたと同時に、シルバースキンの隙間から鮮血が迸る。
 やがてその体もガクリと傾いた。

「安心しろ、直ぐに貴様の部下達もそちらに送ってやる」

 海に落ちていったブラボーを見送る事なく、ヴィクターは先に逃げたクロノ達を追い始めた。









 アースラへと直接転移せず、空を飛んで撤退したのには理由があった。
 それは転移時の魔力の残照から、転移先をヴィクターに悟らせない為である。
 だが、クロノが何度も腕の中のロッテを伺っている辺り、余裕があるわけではない。
 被疑者ではあるが、ロッテとアリアは死の縁にいる程の重傷。
 アリアは現在、なのはとフェイトに両脇を抱えられている。
 他に闇の書の主であるはやては意識不明。
 パピヨンも重傷、カズキは外れた肩こそ入れなおしたが痛めた事に間違いはない。
 特にロッテとアリアは早急な治療が必要だと、先頭を飛ぶクロノが立ち止まった。

「この辺りで良いだろう。怪我人から順に……パピヨン、不本意だが君の治療も行おう。万が一の為の戦力が欲しい」
「治療は受けてやる、だが協力するかと言えばノンだ」

 蝶々のマスクを逆さにしてまでの拒否であったが、クロノはあまり聞いては居なかった。
 そろそろパピヨンの性格も把握し始めているので、駄目で元々のつもりだったのだろう。
 それにふざけた態度のパピヨンと今さら問答をする時間も惜しい。

「エイミィ、聞こえているな転送の準備は?」
『既にバッチリ、医療班の待機も。ただし、そんな一度には無理……たっ、大変大変。皆急いで、裏切りの騎士が近付いてる。えっ、ブラボーはどうしたの!?』

 念話の中でエイミィが尋ねた先は、ブリッジクルーだろう。
 ただし、その言葉が正しかったとして、殿をつとめるはずだったブラボーはどうなったのか。

「兎に角、怪我人の収容が先だ。一刻を争うロッテとアリアが最優先。次に保護対象である闇の書の主。パピヨン、悪いが君は一番最後だ」
「ご自由に、最も世話にならない可能生の方が高いかな?」

 そう呟いたパピヨンが視線を向けたのは、カズキであった。
 肩を痛めながらもサンライトハートを両手で握りなおし、撤退してきた方角を見据えていた。
 次にその口が何を言うかは、誰もが想像ついた事である。

「俺がアイツを止める、クロノ君その間に……」
「無茶だ。ブラボーでも止められなかった相手を、君が止められるはずがない!」
「カズキ一人で無理なら、私も行こう」
「私も行く」

 冷酷なようだが、ブラボーを見捨てるような事を言ったクロノへ、新たに二人が立候補の手を挙げた。
 シグナムとフェイトである。
 各々理由は異なるが、カズキを心配しての事だ。

「分かった、だが無理は禁物だ。倒そうなんて思わなくて良い。幸い、彼が憎んでいるのはロストロギアの関係者。信じるには不確かだが、魔法技術のないこの世界をどうこうする相手ではないと思う」

 少しばかり悩む素振りを見せたクロノがそう決断した。
 本来たった一人の為に、何人も無謀で益のない戦いに投入すべきではないとは分かっている。
 だがブラボーは管理局でも有数の戦力であるのだ。
 裏切りの騎士であるヴィクターに敗れた可能生があるとはいえ、貴重過ぎる戦力であった。

「無駄死にをするつもりはない。ヴィータ、そういうわけだ。主を頼む。約束を取り付けたとは言え、近しい者がそばにいる方が主も安心できる」
「おう、任せとけ。今度こそ、守って見せる。シャマルとザフィーラも呼んどく」
「なのは、聞いての通りだから。なのはもはやてのそばにいてあげて」
「うん、気をつけてね。カズキさんも、シグナムさんも」

 アースラへの転移の魔法陣が現れたのを機に、カズキ達は来た道を戻っていく。
 気がつけば荒れ放題だった海の時化も随分と収まっている。
 風穏やかではないが、少し強いぐらいで空からは陽の光もさしていた。
 だが徐々に晴れ間に向かう天候とは裏腹に、向かう先より感じられる魔力は絶大で怖ろしいものだった。
 下手をすると、発動時のジュエルシード並みか、それ以上にも感じられた。

「二人共、絶対に無理はしないで」
「それはこっちの台詞」

 ごくりと喉を鳴らしカズキが言うも、フェイトの冷たい声で返されてしまう。

「基本、奴には近付くな。テスタロッサは、射撃魔法。私がレヴァンティンの連結刃で斬りつける。そしてカズキ、隙を見てお前には闇の書を取り返してもらいたい」
「そっか、奴に奪われたままだっけ」
「危険な役目だが、頼む。アレが破壊されては、私達は主はやてのそばにはいられない」
「来た」

 カズキがシグナムの頼みに頷いた時、前方を見据えていたフェイトが呟いた。
 その姿こそまだ小粒だが、その身から放つエネルギードレインの光は大きい。
 空と海とを包み込むようにし、触れた全ての生命を喰い散らかしながらやってきている。
 その姿は一人であり、やはり敗れたのかブラボーの姿は見えなかった。

「先制かける。バルディッシュ」
「Photon lancer multishot」

 一旦足を止めたフェイトが、髪の色と同じ金色の魔法陣を足元に敷いた。
 フェイト自身の周囲に浮かび上がるのは、いくつもの魔力球である。

「ファイア!」

 撃ち放てとの命令に従い、全ての魔力球が加速する。
 向かう先は、こちらへと向けて飛んできているヴィクターであった。
 だがヴィクターは攻撃を差し向けられても、飛ぶスピードを緩める事は愚か防ごうともしない。
 魔力球が衝突し弾け、爆煙をあげても尚そのままである。
 生半可な一撃は、蚊に刺された程度とばかりに空を駆けて向かってきていた。

「効いてない」
「十分だ、あの足は私が止める。レヴァンティン」
「Explosion」

 レヴァンティンが空となった薬莢を、鍔の部分から吐き出す。
 十二分に満たされた魔力で自身を再構成、剣から蛇、連結刃へとその姿を変える。
 これにはさしものヴィクターも足を止めざるには得なかったようだ。
 空中にて急停止すると、自分へと向けて薙ぎ払われたそれを避けた。
 だが通常の剣とは違い、連結刃の斬撃に終わりは無い。
 蛇の様に対象者の周囲をうねり回っては、次々に襲いかかる。

「これ以上先へは行かせん」
「烈火の将、シグナム」

 そう名を呟かれた時、シグナムの胸には何故か懐かしいという感情がこみ上げていた。
 その懐かしさの先にあるものは、定かではない。
 しかし、嫌なものでは決してなく、はやてに向ける感情に限りなく近かった。
 一瞬、剣先が鈍りかけたが、何を馬鹿なと思い直し頭をふる。

「シグナムさん?」
「気にするな、カズキ行け!」

 シグナムの様子がおかしい事には、カズキもフェイトも気付いていた。
 だがその本人からなんでもないと言われ、今は置いておく。
 何故ならシグナムが行けと言った通り、道ができていたからだ。
 回避を続けるヴィクターへと真っ直ぐに続く、連結刃が生み出した道が。

「エネルギー全開!」
「Explosion」
「バルディッシュ、援護」
「Photon lancer」

 フェイトが放った光弾を道標に、カズキもまた光となる。

「Sonnenlicht slasher」

 魔力から変換させたエネルギーの光を撒き散らし、ヴィクターへと突撃する。
 エネルギードレインの光を裂くように急接近。
 カズキの瞳はヴィクターと、その手の中の闇の書に定められていた。

「無駄だ」

 フェイトの魔力球が効かない事も、カズキの実力も承知済み。
 ヴィクターは魔力球を無造作に腕で払い、手の平を差し出した。
 サンライトハートの刃を受け止め、直接エネルギードレインをかける腹積もりだ。
 だがここで、ヴィクターにとって予想外の事が起きた。

「闇の書を返せ!」

 ヴィクターの予測よりもさらにカズキが加速を見せたのだ。
 刃すら受け止められると判断した一撃が、ヴィクターの手の平を貫いた。
 人間と同じ赤い鮮血がほとばしる。
 だが急ぎ真横に振り払われた手により、カズキの突撃の威力もそがれてしまう。
 極々近い距離にて、カズキはヴィクターと相対する事になってしまった。

「君は……誰だ?」

 慌ててカズキに戻れと命令しようとしたシグナムとフェイトも、ハッとする。
 ヴィクターがまるで信じられないといったように傷つけられた手の平を見つめていたのだ。
 それもそのはず、ヴィクターはカズキ達より格上の相手と戦ったばかり。
 徒手空拳であったとはいえ、有効な傷跡を残す事は叶わず、ヴィクターが海に墜とした。
 その格下であるカズキに、はっきりとした傷を与えられたのだ。

「ベルカの騎士、武藤カズキだ!」
「真面目に返さなくて良い、戻れカズキ!」
「武藤カズキ……だがロストロギア、夜天の書を求めるならば殺す」

 正体が何であれ、ヴィクターの行動は変わらない。

「夜天の? 違う、闇の書だ。危険なものだったのかもしれない。けれどはやてちゃんに家族を与えてくれた、俺にシグナムさんと会わせてくれた。大事なものなんだ!」
「違うな、この書の正式な名称は夜天の魔道書。私の娘であるヴィクトリアの所有物。未練だとしても返すわけにはいかん。全てのロストロギアを破壊した後、妻と娘への哀悼の意を込めて破壊する」
「夜天の魔道書、その主……ヴィクトリア。何故、懐かしいとこみ上げる。主はやてに対する気持ちと同じものがこみ上げる!」

 一度は振り払ったはずの何かが、ヴィクトリアという名により再び去来する。
 記憶が穿り返されるように、シグナムが額を押さえてよろめく。
 集中力を欠いて連結刃は解除され、カズキがヴィクターの目の前で取り残される。

「シグナム、しっかりして。カズキ、無茶はしないで。私達の役目は時間稼ぎ、それだけで良いの!」
「そうだけど、傷を負わせられない相手じゃない。少しずつでも、削り取っていく。なによりも殺させない、シグナムさんやヴィータちゃん達を殺させない!」

 ベルカの騎士として、見習いを脱したとは言え、純粋な戦士としては未熟。
 カズキはあまりにも感情に左右される所がありすぎた。
 その感情こそがカズキを強くする事もあるが、諸刃の剣に過ぎない。
 今ここでもその諸刃が、カズキ自身へと向けられていた。

「待って、カズキ!」
「サンライトハート!」
「Sunlight slasher」

 近距離からの再度の突撃。
 しかも飾り尾をエネルギーに変えての、目潰しの閃光と突撃の同時攻撃。
 今のカズキが持ちうる意表をついた奥の手でもあった。
 しかしながら、目潰しの閃光を前にしてもヴィクターは瞳を閉じてはいない。
 目の前のカズキを、サンライトハートの切っ先をしかと見据えている。
 迎撃の為に振るわれたのは、ヴィクターのデバイスであるフェイタルアトラクション。

「児戯だな」

 カズキの奥の手をそう評しての一撃が、サンライトハートとかち合う。
 激突の際に甲高い金属音は鳴り響く事はなかった。
 何故なら、サンライトハートの刃はフェイタルアトラクションに届いていなかったからだ。
 フェイタルアトラクションの刃の周囲に生み出されたのは、重力の壁。
 そこへ正面からぶつかったサンライトハートの切っ先が、ふいに歪んだ。
 最初は小さく切っ先が、だが次第のその範囲は広がっていく。
 柄へと向けて次々に幅広の刃が有り得ない歪み方を見せていった。
 やがて刃の全身が歪み砕かれ、破壊される。
 さながら、重量の軽い軽自動車がトラックにでもぶつかったかのように。
 刃部分を全て破壊され、カズキはその体ごと弾き飛ばされた。

「カズッ!」

 記憶の混濁に悩まされていたシグナムさえ、その光景に我に返らされていた。
 サンライトハートを砕かれ、吹き飛ばされたカズキ。
 その体は力が抜けたように空から落ち、先に駆けつけていたフェイトに抱きとめられる。
 止んだ嵐の変わりに、フェイトへと鮮血の雨が降り注いでいた。
 その発生源は、カズキの左胸であった。
 何時かの夜に傷つき、癒えたはずの傷が再び左胸に開いていた。
 拳大の大きさの穴が空いたそこから、ひび割れたジュエルシードが零れ落ちていく。
 弱々しい光を帯びながら、同じ青色の海へと落ちては沈んでいった。









-後書き-
ども、えなりんです。

ブラボー撃墜に異論はありますでしょう。
ただ、私的にはああいう結果が待っていたかなと思いました。
ヴィクターの能力をもう少し早く知っていたら、
ま結果は変わっていたかもしれませんが。

そして子弟そろって、カズキも堕つ。
無茶すんなって事前にクロノが言ったのに……
もはやここから、リリカル要素は殆どでてきません。
完全武装錬金ストーリーで進みます。

それでは次回は水曜です。



[31086] 第二十七話 お前がお前である事をやめないでくれ
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/04/04 22:59

第二十七話 お前がお前である事をやめないでくれ

 ただ静かに、波間が揺れ海風の音が響いていた。
 それ以外には、何も存在しないかのように。
 まるで時が止まってしまったかと錯覚する程に、フェイトとシグナムは固まっていた。
 二人が見下ろす視線の先。
 フェイトの腕の中にいるのは、身じろぎ一つ見せないカズキであった。
 左胸には拳より大きな穴が空き、背中の向こう側までもが見えてしまっている。
 その空洞内に心臓の代わりだったジュエルシードは、もうない。
 武藤カズキを人間足らしめていた機能の一つが完全に失われたのだ。
 つまりは、もう眼を覚まさない。
 言葉も笑顔も交わすことができない、人としての終わりをカズキは向かえていた。

「犬死だな……」

 止まった時間を動かしたのは、ヴィクターのそんな呟きであった。
 自らが殺しておきながら何の感慨も見せず。
 果てには無駄の一言で切って捨てた。

「うあああッ!」

 次の瞬間、フェイトは思考が追いつかないぐらいの速さで動き出していた。
 バインドを応用してカズキの亡骸を宙に固定。
 固定が完了した事すら確認せず、宙を蹴って飛んだ。
 バルディッシュの柄を握り潰す程に強く握り締め、魔力の刃を生み出させる。

「Scythe Form」

 胸の内に秘めるのはただただ怒り、それを乗せた刃でヴィクターへと斬りかかる。
 しかしその斬撃は、ヴィクターの手の平にていとも容易く弾かれてしまう。
 弾かれたバルディッシュに体を引っ張られ、硬直したのも束の間。
 引き戻す間もなく、ヴィクターの拳が頬を貫いていた。
 震動に脳が揺れるが、視界の片隅に移ったカズキの亡骸にて意識をはっきりとする。
 姿勢制御を行い勢いを殺し、切れた唇を拭いながらヴィクターを睨み上げた。

「くッ」
「取り乱すな、見苦しい。百五十年前の魔導師は、もっと凛然としていたぞ」

 はっきりと憎しみの表情を見せたフェイトに、ヴィクターは冷静に語る。

「過去の事など関係ない。お前が、カズキを!」
「それとも、時代が変わったか。お前も変わったな、シグナム。良くも悪くも」

 記憶の混濁をねじ伏せ、シグナムが背後からヴィクターへと斬りかかっていた。
 だがこれも、ヴィクターには通用しなかった。
 寸前で察知され、フェイタルアトラクションで受け止められてしまう。
 高重力の壁の前には、斬撃の鋭さは無意味だ。
 冷静さを欠いたシグナムの一撃に鋭さがあったかは不明だが、フェイトがそうされたようにレヴァンティンを弾かれる。
 がら空きとなった腹部に、容赦なく堅い拳が叩き込まれた。

「俺に近付けば近付く程、エネルギードレインは激しくなるぞ」

 シグナムもまたカズキのそばへと吹き飛ばされ、フェイトと共に宙で膝をつく。
 ヴィクターの言う通り、エネルギードレインの影響を受けての事だ。
 体力、魔力を吸い取られ、怒りとは裏腹に気力までもがそがれていった。
 殺したい程に憎い相手を前に、ただそばにいるだけで力を奪われる。
 理不尽と言えるまでに圧倒的な存在であった。

「ベルカの騎士になった者にとって、戦いの果ての死は当然の覚悟のはず」
「違う、カズキは違う。例え他の人がそうであっても、絶対に死んじゃいけない人だったんだ。待っている人が、家族が友達が!」
「普通の高校生だった。それを二ヵ月前のあの春の夜に、私が……」

 あの日、カズキがシグナムを助けた日をシグナムは思い出す。
 自然災害にも等しいジュエルシードが、奇跡を見せた。
 その日からカズキはベルカの騎士となり、誰よりも理想の姿を実現させてきたのだ。
 圧倒的強者を前にしても引かず、自分の身も省みず弱者に手を差し伸べ。
 誰もが憧れる理想のベルカの騎士を体現してきた。
 まるであの日、シグナムが呟いた言葉の通りに。

「そうか、カズキを生き返らせたのは私の願いか。私が……理想のベルカの騎士を求めたから、カズキはずっと私の願いを。その挙句」

 フェイトもシグナムも、心の深い部分の柱が折れていた。
 もしくは柱を支えてくれていた者が失われたか。
 宙に膝をついて己の武器を手放し、ただ後悔を口にする。
 フェイトは守ると誓ったカズキを守れなかった事を、シグナムはカズキを戦いの道に引きずり込んだ事を。
 涙は見せない、けれどその代わりとなる声が食い縛った唇から止め処なく漏れてしまう。

(泣いてる。いや、俺が泣かせたのか)

 二人の声を拾い上げる者がいた。

(もう誰も泣かせないって誓ったのに。戦わなくちゃ、皆を……戦う)

 心音が途切れた左胸、光を閉ざした眼。
 生きる者ですらなくなりながら、それは聞いていた。

「その挙句、私が死なせたか。人としては成長したが、騎士としては堕落したな。過程など関係ない。その者が騎士として生きると決めた以上、その言葉は侮辱以外の何ものでもない」

 動かない二人を前に、ヴィクターがフェイタルアトラクションを手にする。

「これ以上、変わり果てたお前を見るには忍びない。共に逝かせてやろう。独りで生きるのも、独りで死ぬのも寂しいものだ」

 ヴィクターの言葉を前に二人は戦う意志も、逃げる素振りも見せなかった。
 とった行動はただ一つ、共にという言葉からカズキの手に触れただけ。
 諦め、だったのかもしれない。
 フェイトは元より、最愛を母親を失くして全てだった絆を失った。
 そこから救い上げてくれた恩人を、目の前でまた母親のように失ってしまった。
 シグナムは一人でこそなかったが、初めて失ったのだ。
 主でもないのに、それに等しいぐらいに思える大切な人を。
 絶望に包まれる二人を前にして、無慈悲な刃をヴィクターが掲げ上げる。
 その時、海が脈動を周囲に響かせた。

「なんだ?」

 これに一番明確な反応を見せたのは、海上を見下ろしたヴィクターであった。
 穏やかさを取り戻し始めていた海が、再び大きく揺れ始めていた。
 波間は激しくゆれ、ある一点を中心として渦巻き始めている。
 それがただの自然現象でない事は、濃密な魔力が示していた。
 海の中に何かがある、その何かにヴィクターが思い至った時、それは起きた。
 文字通り、死んだと思われていたカズキが立ち上がったのだ。

「カズキ!」
「カズ……」

 まさかと俯いていた顔をフェイトとシグナムが上げる。
 左胸に穴が空き、つい先程までは繋いだ手から温かみが失せ始めていた。
 だがそんな細かい事はどうでも良い。
 カズキは自分の意志で立っていた、空いた左胸から血が流れるのを抑えながら。
 しかし、カズキが次に放った言葉に、息が詰まる。

「戦う」

 カズキが何よりも胸に抱いたであろう意志。
 それを受けたようにカズキの体から魔力が放出されて渦を巻く。
 デバイスもない状態で、魔力は制御もされないまま単純に放出されて吹き荒れる。
 その魔力に引き寄せられるように、海上の渦から青い光が飛び出した。
 表面がひび割れ、普段よりもやや黒ずんだ光を放つジュエルシードであった。
 一瞬、フェイトとシグナムは発動かと思ったがそれも違う。
 カズキの魔力に反応して脈動を繰り返しているが、同調していると言った方が近いか。
 そのジュエルシードを手の平に収め、カズキはさらに叫ぶようにして言った。

「戦う、戦う、戦う!」

 その為に立ち上がったとでも言うように。

「戦え!」

 もはや似ても似つかない、カズキという形をした獣のような叫びであった。
 その声、意志に影響を受けたかのようにジュエルシードが弾けとぶ。
 より正確にいうならば、ジュエルシードを覆っていた表面の殻が砕け散ったのだ。
 青い表皮を破ったその下から現れたのは、黒々とした輝き。
 数字の赤い刻印も異なり、現れた番号はIII。
 その黒いジュエルシードを握った右手が、赤銅色に染まり始めた。
 カズキを別の存在へと塗り替えるように、腕から肩へ、体全体に広がっていく。
 髪に至っては蛍火に光るようにさえなり、身体的特徴がヴィクターと瓜二つとなる。

「逝くのはお前一人だ、ヴィクター!」

 黒いジュエルシードに全て侵食されたカズキが、ヴィクターを指差して叫んだ。
 自分自身の変貌に気付いた様子もなく、戦う意志だけを瞳に宿して。

「そうか、君は俺と同じ。黒いジュエルシードを命に変えた者だったのか」

 あの黒いジュエルシードの事を知っているのか。
 一体カズキの身に何が起きたのか、尋ねようとした二人の言葉は止められた。
 言葉ばかりか、呼吸までも、新たなエネルギードレインの影響を受けて。

「かはッ……エネルギー」
「奴と、止めろ。カズキ……」

 近付けば近付く程に、エネルギードレインの影響は大きくなる。
 フェイトとシグナムは、カズキへと手を伸ばせば届く距離にいた。
 魔力、体力、気力とあらゆる力をカズキへと吸い上げられていく。
 だが肝心のカズキは、二人のそんな様子に気付く事すらなかった。
 戦う為に、闘争本能の赴くままに、眼前の敵であるヴィクターを睨みつけている。

「カズ、キ……」

 崩れ落ちようとするフェイトを咄嗟に支え、シグナムがその手を伸ばす。
 しかし、その手がカズキへと届く事はなかった。
 あと少しのところで、カズキのその姿が消えたのだ。
 次に現れたのはヴィクターの目と鼻の先、デバイスもなく魔力を込めただけの蹴りを放っていた。
 ヴィクターの顔を大きく歪ませ、通り過ぎては宙に足をついて勢いを止める。

「う、おおおおッ!」

 体をさらに上へと跳ね上げ、握っていた黒いジュエルシードを掲げる。
 放たれた光はもちろん、青ではなく黒。
 闇の書を彷彿とさせる、もしかするとそれ以上に深い闇の色であった。

「サンライト」
「易々と」

 だがヴィクターも、ただ待っているような事はなかった。
 予想外のカズキの変身、それを前にしても動揺は極小。
 かつて己が歩んだ道であるならば、それも道理かもしれない。
 黒いジュエルシードを握るカズキの腕を掴みあげた。

「造らせると思うか?」

 百五十年前の動乱期を生きた者として、そこに躊躇は見当たらなかった。
 容赦なくカズキの腕を、フェイタルアトラクションにて肘から切断してみせた。

「がッ」

 おびただしい量の血が舞う中で、カズキも苦痛の表情と汗を浮かべていた。
 それでも、闘争本能はより猛り燃え上がったようだ。
 痛みが、それを与える敵が目の前にいる。
 歯を食いしばりながら、届かないと知りつつ左腕を伸ばす。
 それに反応し、切断された手の中で黒いジュエルシードが魔力を発していた。

「来い!」

 カズキの言葉に従い、黒いジュエルシードが無作為に魔力を放出した。
 切断されていたカズキの腕を破壊してまで飛び出していく。
 膨大な魔力を纏い、ヴィクターの腕をついでとばかりに破壊。
 カズキの手の平へと収まった。
 一方斬り飛ばされたヴィクターの腕は、手が塞がっているため口で受け止める。

「フオオオオッ!」

 原始に返ったような雄叫びの後、ヴィクターの腕が喰われた。
 ホムンクルスを彷彿とするように、消失するように消えていった。
 取り込んだエネルギーをそのまま循環させ、斬り飛ばされた腕が復元していく。
 圧倒的な再生力、だがそれはヴィクターもまた同様であった。

「お互いコレでは、一朝一石で勝負をつけるのは難しい」

 ヴィクターもまたカズキの腕を喰って、斬り飛ばされた腕の傷を癒す。

「成り立てでは、まだ極度の興奮状態だろう……だが聞け。この世界は魔法のない世界のはず。ならば、この力を衆目に晒す危険は避けるべきだ。食事も戦いも、今回はこれまでだ」

 戦う事しか頭にないカズキとは異なり、ヴィクターはもう少し理性的であった。
 何よりも、ヴィクターには命を掛けて行う目的がある。
 その瞳は自分と同じ存在となったカズキではなく、空の彼方に向けられていた。
 三十分も飛ばないうちに辿り着く、海鳴市にではない。
 次元の壁さえも越えた向こう側、彼が生きていたであろう時代とは変わり果てた次元世界であった。

「百五十年か……少し次元世界を見て回るか」
「逃げる、気か?」

 そう、その言葉こそが理性を欠いた証拠であった。
 カズキとヴィクターが今ここで死力を尽くしあえば、何処まで被害が広がるか分からない。
 それこそ海鳴市どころか、国を超えてまで被害が拡散していく恐れがあった。
 何よりも、魔法がないとされる管理外世界での地球でだ。

「急く必要は無い。経緯は皆目見当もつかないが、君は俺と同様この次元世界で最も永遠に近い命を手にした。いずれ、必ず始末をつける」

 ロストロギア、それに関わる者、そして武藤カズキ。
 ヴィクターが殲滅すべき標的に、個人の名が記された瞬間であった。

「君だけではない、ロストロギアに関わる者は全て殺す。ロストロギアの全てが俺の敵だ」

 そう憎悪を込めて宣言し、ヴィクターが背を向ける。

「逃がすと思うか?」
「一つ、忠告しておく」

 振り返る事なく、ヴィクターがそう告げた。

「これから君は百五十年前の俺と同じ辛苦を味わう事になる。十分に覚悟しておけ」

 それを最後にヴィクターが足元に魔法陣を敷いた。
 ベルカ式、三角形を基調とした淀んだ黒い色の魔力光の魔法陣である。
 恐らくは転移魔法、その先は百五十年前に彼が知っている何処かの次元世界であろう。
 魔力に導かれ、ヴィクターの姿が転送されていく。
 先に宣言した通り、それを見逃すカズキではなかった。
 カズキの中ではまだ、戦いは終わってなど居なかったのだ。
 戦う為に、何の為にかも忘れ、ただ戦う為だけにヴィクターを求め駆け出した。

「追うな、カズキ……」

 そんなカズキを見上げ、呟いたのはシグナムであった。

「駄目、これ以上追っちゃ。下手に戦ったら、海鳴市も……」

 シグナムの腕に抱かれながら、辛うじて開いた唇からフェイトも呟いてた。
 だがその声は、欠片もカズキに届いた様子は見られなかった。
 カズキはただただ、ヴィクターを追い求めて空を駆ける。

「戦え、ヴィクター!」

 言葉ではもはや止まらない、そんなカズキを前にして二人は最後の力を振り絞る。
 二つのエネルギードレインに全てを吸い尽くされながらも。
 その命さえも燃やすように力を振り絞り飛んだ。
 近付けば近付く程に、エネルギードレインの影響は大きくなる。
 それを知ってさえも、むしろ構わないとばかりに駆けるカズキの前に飛び出した。

「カズキ!」

 二人の声が重なり、体を張ってヴィクターを追おうとするカズキに縋りついた。

「カズキ、もういいよ。もういいの、無事で居てくれたのなら……だから、帰ろう。まひろが、皆が待ってる。戦いは終わったよ」
「お前をこんな姿にしてしまった事、何をしてでも償う事を誓う。だから頼む、姿形は変わっても、お前がお前である事をやめないでくれ」

 カズキがカズキである限り、どんな姿であっても変わらない。
 変わって欲しくないとの言葉を残し、二人の気力はついに途絶えた。
 カズキがヴィクターの腕を喰ったように、直接触れた時のエネルギードレインの威力は計り知れない。
 それこそホムンクルスに肉体を残して生命力を喰われたのと同義だ。
 そこまでして止めようとした二人を支え、カズキの瞳に初めて闘争本能以外の光が宿る。

「フェイトちゃん、シグナムさん……」

 何の為に戦っていたのか、ここに来てようやくカズキが思い出した。
 近しい人を守りたいから、今腕の中にいる二人のような。
 これが守りたかったと、少し抱き寄せた瞬間、左胸を基点にして肌にひびが入った。
 そして次の瞬間には、あの姿が幻であったかのように表皮が弾け飛んだ。
 目の前に掲げた腕は、元の肌色へと戻っていた。

(戻った……闘争本能が静まったから?)

 何にせよ、アースラに戻らなければならない。
 長時間の間、エネルギードレインの影響下にあった二人の体の事もある。

「パピ、ヨン!」

 転移が使えない手前、どう帰ろうかと思案していた時にそれは聞こえた。
 眼下の海の中から海水の水柱を高々と作り上げながら、パピヨンが飛翔したのだ。
 まさかついて来ていたとも思わず、カズキがパピヨンへと振り返る。

「蝶野、お前……アースラで治療を受けに行ったんじゃ」
「見たぞ、武藤……」

 そんな疑問を無視して、パピヨンはカズキを睨みつけていた。

「まさか貴様が人間を止めるとは、夢にも思わなかったぞ!」

 パピヨンは怒りの頂点にあった。

「人間を止めて超人たらんとした俺をさんざん止めようとして、挙句一度は殺しまでした貴様が人間を止めてどうする!」

 カズキが人間であるからこそ、パピヨンはこれまで拘ってきた。
 人を超えたはずの超人を殺したただの人間、武藤カズキ。
 ただの人間だからこそ、今一度超人の証としてパピヨンはカズキを超える。
 だからこその、再戦。
 だというのに、カズキが人間を止めてしまっては何の意味もなくなってしまう。

「偽善者にも程がぁ」

 怒髪天を突く怒りに任せて叫んでいたが、今のパピヨンは結構な大怪我である。
 突然その怒りの声が途切れたと思いきや、ごふりと大量の血を撒き散らしていた。
 そのままふらふらと落下していき、あやうく海に沈むところであった。
 ぎりぎりのところで再浮上をし、息も絶え絶えでカズキと同じ高度をとる。

「そんな体で力むからだ、大丈夫か?」
「うるさい!」

 どうやら、少しばかり血を吐いた程度では怒りが収まらないらしい。

「蝶野、俺は人間をやめたりなんかしないよ。体だってホラ、この通り。元に戻っている」

 赤銅色から肌色に戻った腕を見せるが、まだパピヨンは納得いかないようだ。
 ぜえぜえと息を乱しながらも、指差しながら言った。

「それはただの小康状態じゃないのか? 再び闘争本能に火がつけば、左胸に収まった黒いジュエルシードが発動して変身するんじゃないのか?」

 それは決してありえない事ではなかった。
 あの姿への変身の原点は怒りだ。
 死なない、泣かせないと誓った自分への怒り、転じてそれがヴィクターへの怒りとなった。
 そして元の姿に戻れたのも、怒りが静められたからだ。
 フェイトとシグナム、二人の献身的な行動が闘争本能を鎮めてくれた。

「貴様の都合の良いように解釈しても、貴様は人間とあの男、その二つの中間の存在になったんだ。果たして、人間に戻れるのか?」

 それはカズキのみならず、パピヨンにとっても重要な意味の疑問であった。
 だからこそ、有耶無耶を許さずに鋭くパピヨンは現状を突いた。

「管理局なら、何か知っているかもしれん」
「シグナムさん」

 意識をかろうじて取り戻したらしきシグナムがそう呟いた。
 まだ意識が戻らないフェイトをしっかり抱きかかえ、改めて言った。

「奴は私達と深い関係があるようだ。私は……まだ何も思い出せないが、管理局ならば何か情報を持っているかもしれない」
「分かった、行こうアースラに。ブラボーの事も気になる」

 その言葉に従い、一先ず四人はアースラへの帰還を目指した。









 アースラの医務室は、満杯状態であった。
 出撃した人数が少なかった為、野戦病院状態こそ避けられたがそれでもベッドは足りていない。
 そもそも、被疑者であるロッテとアリア、被害者であるはやて。
 この二つを同じ部屋にできないと、主に守護騎士達から批判の声が上がったのだ。
 意識こそ取り戻したものの、状況が把握できないはやては混乱するばかり。
 結局は、二人も重傷の身であり、はやて本人の遠慮の声もあり仕切りで部屋を仕切られたのが先程である。
 他にベッドの上の住人になったのは、エネルギードレインを大量に浴びたフェイトとシグナムであった。
 一度は意識を取り戻したシグナムも、アースラに辿り着いて直ぐに再び倒れこんだ。
 カズキが二人を医務室に運び、続いてブラボーがクロノに背負われ運び込まれた。
 これも火急に、シャマルまでも借り出されて治療が行われ、一息つけたのは数時間も後の事であった。

「一先ず、重傷者こそあれ死者こそ出ず何よりだわ。ブラボー、貴方も良く無事だったわ」
「その代わり、左腕はボロボロだ。しばらくは、使い物になりそうにない。カズキ達には、俺の尻拭いをさせて悪かったな」

 パンッと両手を叩いたリンディが、医務室の皆を見渡してそう言った。
 特にと名指しされたブラボーも、包帯塗れの左腕を強調してほんの少し笑っていた。
 ヴィクターの重力に捕らわれた時、咄嗟に左腕を犠牲にしたのだ。
 骨が砕ける音を聞かせ、シルバースキンから大量の血を撒き散らす。
 殺害完了とヴィクターが確信するのが少しでも遅ければ、あのまま全身を砕かれていた事だろう。

「こっちも、とりあえず皆無事だったから。うん、皆が無事で良かった」
「何が良かっただ」

 リンディと同じようにカズキが皆と言うが、パピヨンが待ったをかける。

「お前が発したエネルギードレインの影響で、ベッド送りになっている者もいるんだ。都合良く誤魔化すなよ」
「パピヨンのお兄ちゃん、味方がゼロの状態で挑発は止めて」
「いや、いいよ。事実だから」

 パピヨンの治療をしていたアリシアが、体を小さくしながら言った。
 特にカズキのせいでベッド送りとなったフェイトとシグナムが、パピヨンを睨んでいたからだ。
 カズキ自身が認めなければ、いさかいの一つも起きていただろう。

「闇の書に封印されていたヴィクター、そして黒いジュエルシード。前者はともかく、黒いジュエルシードは初耳ね。ブラボー、貴方は?」
「初耳だ。闇の書とヴィクターについても、裏切りの騎士が封印されていたなどとは、思いも寄らなかった」

 そこで改めて、ブラボーの口から闇の書にまつわる話がされた。
 最高評議会からアースラへと下された、闇の書に関するジュエルシードの死守。
 それとは別途、三大提督からブラボーへと下された裏切りの騎士の調査。
 二つの命令が重なり合い、闇の書から現れたヴィクターというベルカの騎士。
 しかしながら、それは管理局の幹部が何かを知っている事を示すのみであった。
 闇の書、ヴィクター、ジュエルシード、これらを結ぶ秘密は何も分からずじまいである。

「どいつもこいつも、無駄足だな。やはり欲しいモノは自分の手で奪い取ってこそ。自分で調べるのが一番」
「それは騎士・カズキを人間に戻す為か? それとも、自分をヴィクター化する為か?」
「どちらも、人間・武藤カズキを蝶・最高の俺が斃す。これが俺が望む決着だ」
「あ、待ってパピヨンのお兄ちゃん」

 勝手に見切りをつけたパピヨンが、医務室の出入り口にて振り返り律儀に答えた。
 その後を、親鳥を追いかける雛鳥のようにアリシアが追いかける。

「だから武藤、これ以上人間離れするなよ」
「ああ……お前に言われたかないけどな」

 うんうんと頷いたのは、医務室にいるほぼ全員、満場一致であった。

「あ、フェイト。後で私から連絡入れるね。パピヨンのお兄ちゃんの治療がまだ途中だし。その時、ちゃんとお話しよう?」
「うん、アリシア。またね、連絡待ってるから」
「アリシアちゃんは兎も角、パピヨンさんはいいのかな?」
「迷惑な相手である事は確かだが、不要な戦闘は避けるべきだ。それに、彼の頭脳はあれで侮れないから泳がすのも一つの手だよ」

 なのはの呟きに答えたのは、クロノであった。
 実際、満足に戦えるのはクロノとなのはの二人ぐらいである。
 無理にパピヨンを捕らえようとすれば、アリシアがどう動くかわからない。
 アリシアと関係を修復しつつあるフェイトもまた、不確定要素ではあった。
 そういう事情に加え、片付けるべき事は幾らでもあるのだ。

「さて、改めて言うわ。皆、今回はお疲れ様。それと、八神はやてさん」
「あ、はい……私、良く解ってへんのやけど」
「何も心配はいらないわ。基本的に、貴方と貴方の家族の生活は何も変わらないわ。私達は貴方の健康状態を把握するのみになってしまったから。闇の書も、ヴィクターに奪われてしまった事ですから」
「あいつ、ヴィクターつったけ。一体、なんのつもりで……」

 小さく、畜生とヴィータが呟き、今さらながらにシグナムは思い出した。
 あの時はカズキを止める事で頭が一杯で、忘れていたのだ。

(不安がっている今の主に、奴の目的は話さない方が良いか。よりにもよって、全てのロストロギアの破壊、最後に闇の書だ。後で、主以外に話しておくか)

 あの時は自身を脅かしかねない闇の書の破壊の事実よりも、カズキの事を心配した。
 自分の身も省みず、エネルギードレインの影響下に飛び込んで止めたのだ。
 その時の心理状態は今では想像もつかないが、なんとなく恥ずかしかった。
 そして、フェイトも同じような行動に出ていた事を思い出し、ちらりと盗み見る。
 疲労によってかなり眠そうにしており、必死に起きていようとカズキの服の裾を掴んでいた。
 フェイトはあの時、まひろの所に帰ろうと言っていた事を思い出す。

(そう言えば、今は同居しているのだったか。以前のテスタロッサの様子ならば、それも仕方のない事だが……)

 何かムカムカするものがこみ上げ、一人シグナムがもやもやする中で話は進んでいた。

「一先ず、我々アースラは引き続き地球に待機します。中継拠点は置いておいた方が良いでしょうし。その間にブラボーは、本局での調査をお願いするわ」
「ヴィクターの事、闇の書やジュエルシードにまつわる事。百五十年前の管理局の創設期に何があったのか、まずは三大提督から真相を聞きだす」
「僕も彼女達の護送が終わり次第、ブラボーに協力します。無限書庫にいるユーノの事もありますから」
「と言うわけで、カズキ君、フェイトさん。それになのはさんも。これまでの協力に感謝します。三人ともこれまで、ご苦労様でした」

 海鳴市近辺に散らばったジュエルシードは全て集まった。
 事件は更に発展し、闇の書からヴィクターなる裏切りの魔導師が現れてしまったが。
 三人が臨時の協力者として、管理局に手を貸す理由は消えた。
 本当に一先ず、次の事件までの一時の休息を三人は与えられる事になった。
 だが純粋にそれを喜べたのは、一人もいない。
 特に自身に異変を迎えたカズキ、それを間近で見て体験したフェイトは。

「自分の身に何が起きたのか、不安という顔だな」

 そんなカズキの前に、ブラボーが立ち無事な右腕で肩を叩いた。

「だがお前は今日、皆の命を守りきった。ジュエルシードを封印し、闇の書の主・はやてを救い、ヴィクターを撤退させた。よくやった、騎士・カズキ。ブラボーだ、今はそれを誇ると良い」
「ブラボー……」
「後の事は俺達、管理局に任せておけ。俺が戻るまで、しばしの間ゆっくりと休め」
「そうだよ、カズキ。まずは帰ってまひろに顔を見せてあげよう。それで、普段通り過ごそう?」

 ブラボーの言葉で肩の力を抜き、フェイトの言葉でほんの少しだが笑みを浮かべる。
 不安は確かにあるが、脅えてばかりいては取り戻した平穏も意味がない。
 少し強めに頬を強く叩き、改めてカズキは皆に満面の笑みを見せた。









-後書き-
ども、えなりんです。

ほぼ原作通りの展開でした。
とりあえず、無印に続きA's編も一先ず終了です。
次回は久々のギャグ回で、一息つきます。
そして最終章の武装錬金編へ。

刻一刻と終わりが近付いてますな。
次回作、何も手がついてませんw
何時もなら、この辺りで次回作が完結してたりするんですが。
何を言っているのか(ry

それでは次回は土曜日です。



[31086] 第二十八話 そうか、これが敗北……ひさしぶりに味わった苦い味だ
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/04/07 22:16

第二十八話 そうか、これが敗北……ひさしぶりに味わった苦い味だ

 麗らかな春は過ぎ、梅雨の時期はジュエルシードにより吹き飛ばされた。
 海鳴市は近年まれに見る短い梅雨が明けたばかりであった。
 あのヴィクターとの邂逅から、一ヶ月の時が過ぎようとしていたとも言える。
 ブラボーのしばし休めとの言葉通り、カズキは普段通りの生活を送っていた。

「おーーーーッ」

 そして今現在、そのカズキ達の姿は、海開きが済んだばかりの海水浴場にあった。
 照りつける日差しが苦にならなくなる程に青い海。
 そこから吹いて来る潮風もまた、暑さを忘れさせてくれる一因でもあった。
 離れた場所には少々危険そうな岩肌も多いが、真っ白な砂浜が海との境界線を作り上げている。
 感嘆の声を第一声にしたのはカズキであった。
 その姿は既に泳ぐのに適した水着姿、着替えが早いのは男の特権。
 共に訪れた女の子達よりも一足早く海辺へときていた。
 言い換えると私達が行くまでに全て整えておけとの命を受けたのにも等しいが。

「水が綺麗だね」
「思ったより空いてるし」
「穴場を選んだからな」
「ばふ」

 各々クーラーボックスを肩に下げ、パラソルを肩に立てかけていた。
 人数が人数名だけに重装備である。
 細身の六桝にはやや辛そうなラインナップだが、ザフィーラに跨っている為に問題ない。
 近頃は、飼い主であるはやてが尊敬の眼差しを向ける程の飼いならし具合である。

「海はいいねぇ」
「おい、君。鼻の下が異常に伸びているように見えるが大丈夫か? 人間の人体構造上、あまりに不可解なのだが」 

 そして忘れちゃならない岡倉だが、もちろん一緒に海に来ていた。
 レンジでチンしたチーズかバターのように、その顔はとろけている。
 夏の日差しにではなく、砂浜に必要不可欠なうら若き乙女達を眺めての事だ。
 遊び慣れていないクロノの真面目な突っ込みもなんのその。
 人体構造上不可解とまで言われた鼻の下をさらに伸ばして見せた。

「まだまだ、伸びるぜ」

 ああ、間違いなくこの男もカズキの友人だと、クロノは軽く被りを振って諦めた。

「おまたへー!」

 海を一望してから砂浜にパラソルの設置を始めたカズキ達に、元気な声がかけられた。
 その声に振り返った岡倉の鼻の下はさらに伸び、さすがのクロノも少し顔を赤らめている。
 男の数に比べ、待ち人でもあった女の子達の数のなんと多いことか。
 一番乗りを目指し、走るまひろを一生懸命になのは達が追いかけている。
 だが年齢的にまひろやなのは達を理由に顔を赤らめているのはクロノぐらいであった。
 岡倉を筆頭にカズキ達が見惚れているのは、彼女達のさらに後ろ。

「主はやて、荷物を持ちましょうか?」
「ええの、自分で持って歩きたいんや。人の楽しみを取ったらあかんで」
「シグナム、はやてちゃんもこう言ってるんですから。今は歩くのが楽しくて仕方がないんです」
「はいはい、皆。はしゃぐのは良いけど、走ってはいけませんよ」

 ふらふらと、少し怪しげな足取りで歩くはやてを、心配そうに伺うシグナム。
 彼女は黒のセパレートの水着で、下はホットパンツ型。
 鍛えられたしなやかな体も加わり、遊びに来たというよりもスポーツをしに来たように見える。
 一生懸命なはやてを微笑ましく見守るシャマルは、若草色のワンピースタイプに麦藁帽子付き。
 そしてリンディは、恐らく一番肌を覆う面積が誰よりも少ないレモンイエローのビキニ。
 パーカー付きの上着を羽織って隠してはいるが、申し訳程度に過ぎないのは明白であった。
 何しろ布地の薄さにより水着や肌の色がすけ、隠されているからこその色気をかもし出している。
 最近はフェイトより、まひろのお守りに忙しかったアルフはビキニを着て、デニムのホットパンツと若干普段と被る格好であった。
 だが彼女のボディラインを考えれば、それでも十分過ぎる代物だ。
 刺激が強すぎる四人のおかげで健全な高校生であるカズキ達の視線はまさに釘付けである。

「ちょっと、馬鹿英之!」
「痛ッ、ちょっと待てチビっ子。俺は今、このお宝映像を記憶するのに忙しい」

 ここで面白くないのは、眼中にすら入れてもらえない年少組みである。
 その中でもご立腹を極めたアリサが、鼻の下を伸ばしっぱなしの岡倉の足を蹴り上げた。
 しかし痛がったのも一瞬で、あっち行ってろと犬を追い払うように手を振られる始末だ。
 確かに高校生が小学生相手に、同じような視線を向けられては考え物である。
 だがそれはそれ、これはこれであった。

「そろそろ、アンタには淑女への接し方を教えるべきよね」
「安心しろ、チビっ子。俺は淑女への接し方は心得ている。シャマルさん、アルフさん荷物お持ちします!」
「あ、えっと……私達のパラソルそこですよね?」
「あっはっは、ここまであからさまだといっそ清々しいね」

 二人の手荷物は元から少なく、設置されたパラソルも目と鼻の先。
 指摘するまでもなく岡倉は完全に接し方を間違えている。
 シャマルを困らせ、アルフにからからと笑われては、アリサを怒らせる。
 結局最後は構って欲しいアリサと、そっちのけの岡倉がぎゃあぎゃあと騒ぎ出す。

「まったく……どうした、カズキ? 何か変か?」
「あ、いや変と言うか。シグナムさん、おへそ丸出し」
「それはわざわざ指摘するような事か! 主がこれを着ろと、わ……私は反対したのだが。仕方なくだな」
「へえ、そうなんだ」

 話半分どころか、右から左へと筒抜け。
 カズキの視線は、あられもなくさらし出されたシグナムのへそへと注がれていた。
 異常な程に羞恥心を掻き立てられ、シグナムが腕を交差させて腹部を隠す。
 それでもカズキは、呪いでもかけられたかのように、しつこく眺めている。
 そのカズキの腕を捕まえ、果敢にもストロベリー空間に飛び込む者がいた。

「カズキあのね。どう、かな?」

 その勇者とは、黒のワンピースタイプの水着を着たフェイトであった。
 黒という大人の色でありながら、腰付近はフリルのスカートがついた可愛らしいデザインである。

「なんだか、普段のバリアジャケットと変わらない?」
「こらこら」

 カズキの感想に、リンディが困り顔で突っ込んだのは当然の事であった。
 少なからずショックを受けたフェイトは、ずんと影を背負って砂浜に膝をついていた。
 事情が良く分かっていないすずかや、アリサは小首をかしげている。
 だが少なからず事情を察しているなのはやはやてが、駆け寄っては慰めようとした。

「わ、私……水着みたいなバリアジャケットで。ずっとカズキのそばに」
「フェイトちゃん、ポジティブなのそれ?」
「慰めはいらへんな。頭が火照って、それどころやあらへんみたいや」

 今はそっとしておこうとなのはと合意したはやてが、パラソル下のビニールシートに腰を下ろした。
 まだまだ歩きなれていない為、少しの距離でも結構疲れるのだ。
 はやての足は、コレまでの麻痺により蓄積した衰弱を残して完治している。
 詳しい事は不明だが、時折受けているアースラの検診から答えらしきものはあった。
 それは闇の書にヴィクターを封じていた封印が、何かしらの形ではやての体に影響を与えていたのではという事だ。
 現在はリハビリをすると共に、フェイトと共に聖祥大付属小学校に通っている。
 フェイトは正式にリンディの保護下に入り、地球で普通の少女と生きる事に決めた。
 もちろん、管理局にという誘いもあったが、まずは自分がちゃんと幸せになるのが先。
 自分自身が幸せでないと、誰かを助けて幸せになどできないと断っている。

「あ、ねえねえ。サーファーだよ、サーファーがいる。初めて見た!」
「わあ、格好良い。ちょっとやってみたい気もするね。レンタルとかないのかな?」

 大波の上を滑るように進むサーファーを、まひろが指してはしゃぐ。
 その隣で憧れ混じりに呟くすずかだが、これで結構ボードを乗りこなしそうで困る。
 純粋な運動神経という意味では、恐らくはカズキにさえ匹敵するすずかであった。
 主に男性人の見栄という意味で、初見で乗りこなしは止めて欲しいものである。
 皆もサーファーが乗る波に瞳を奪われる中で、一際大きな波が現れた。
 先ほど見ていた波よりも一メートル以上は高く、大波も大波。
 その波の向こう側から、飛び出す人影があった。

「すごい、飛んでるみたい」

 なのはの呟きは的を得ており、海を空に、波を風に例えるとその通りであった。

「あら、懐かしいわね。本当、昔から一つも変わらないわね」
「それはそのまま母さんに返したいって、アレは……」
「キャプテン・ブラボー!」

 かつて見た事があるとでも言いたげに、頬に手を当てリンディが昔を思い出す。
 一部にとっては見知らぬサーファーでも、また一部にとっては良く知る人物である。
 クロノが、カズキがまさかと声をあげた。

「Yes, I am」

 多くのサーファーがウェットスーツを着る中で、ティーシャツに水着姿。
 C・ブラボーと印字されたボードを駆るのはブラボーであった。
 一頻り波に乗ったブラボーは、カズキ達に気付くと浜辺へと上がってくる。
 有給休暇中のリンディやクロノはともかく、仕事の方は良いのか。
 何時も通りの無精ひげのある男臭い笑みを浮かべながら、手を振ってきた。

「よう、カズキ元気にしてたか?」
「ブラボーだぁ」
「よーし、大きくなったなまひろ。ちゃんと教えたとおりに花嫁修業は続けているか? 何を隠そう、俺は花嫁修業をさせる方の達人だ!」
「まひろも、花嫁修業をする方の達人だよ!」

 ボードを一先ず置いて、駆け寄ってきたまひろをブラボーが抱え上げる。
 ジュエルシードの捜索中に何度か家へとまねいた事があり、二人は顔見知りであった。
 と言うよりも、ブラボーの気質がカズキに似ているからか速攻まひろはなついていた。

「ねえ、あれ誰? まあ、聞かずともまひろの親戚なんだろうけど」
「あんなおっさん、カズキの親戚にいたか?」
「けど、あの台詞とまひろちゃんの懐きようは親戚そのものだよ」
「あは、ははは……そう、親戚。武藤ブラボーさん!」

 アリサや岡倉、大浜にとまるで共通認識のようにカズキの親戚扱いをされてしまう。
 尋ねられたなのはも、他に説明のしようがなく、苦しい偽名で紹介をしてしまった。
 それ程、疑われる事なく信じられてしまった事には苦笑する他にない。
 事実を知るはやてやシグナム達も、普通は親戚だと思うだろうと笑っていた。
 何しろ、ブラボーとカズキは何処か他人に思えない程に考えや雰囲気が似ているのだ。

「お帰り、ブラボー。あの件だけど……」
「ああ、ただいま。人目があるから、それは後だな。それにカズキ、お前の友達も一緒に来ているぞ」
「友達?」

 誰だろうと小首を傾げながら、ブラボーが指差した方を眺める。
 皆も、岡倉達がここにいる以上、他に誰がとそちらへと視線を向けた。
 最初、特に該当する人も見当たらず、泳ぎに来た老若男女がいるのみであった。
 だが気がつけば、それらの人垣が少し不可解な動きをしている事がわかる。
 一目散に海へ向かう者が多い中で、どよめきや悲鳴を生み出す集団があったのだ。
 いや、その中心地点にいる誰かが動く事で人垣が動かされているのか。
 ついに人垣が割れ、そのカズキの友人とやらが目の前に現れた。

「ヒィッ!」

 一番最初に悲鳴を上げたのは誰か、女の子の誰かなのは間違いない。

「やあ、武藤。こっちこっち」

 気軽に手を挙げるパピヨン、その格好はもはや犯罪と断ずるに十分の格好であった。
 アリサ達、特に子供組みは悲鳴をあげながら蜘蛛の子を散らすように逃げたり、手近にいた男性人の後ろに隠れる。
 蝶々のマスクに水泳キャップ帽、ギリギリ、ここまでは許容範囲だとしよう。
 だがパピヨンが纏う水着はそれ以上のものである。
 例えるならビキニパンツの両端を肩に掛けたような状態の水着。
 ハイレグなどおこがましい、股間から肩まで綺麗なYラインを描き後ろも同様。
 全裸の方がまだマシと考えてしまえる程に、キチガイじみた格好であった。
 しかもお子様達が悲鳴を上げて逃げる姿を視界に納めながら、気にもしていない。

「どうだ、蝶々のマスクだけならというお前の意見を参考にして、布地を限りなく排除してみた。セクシャルバイオレットなお洒落だろ?」
「蝶野……その格好に水泳帽子はおかしいから脱いだほうが良くないか?」
「何を言う、水泳時の礼装として水泳帽子は欠かせない。セクシーさと礼装の同居、それこそがお洒落というものだ。そう、思わないか?」
「普通に会話を続けるな、そもそも指摘する箇所がおかしい!」

 クロノの突っ込みもなんのその、宿敵同士でお洒落とは何かを語り合っている。

「よし、それじゃあこっからはお昼頃までは自由行動だな」
「ちょっと待て、君達はアレを放置するのか!?」
「まあまあ、クロノ君。カズキ君の友達は、カズキ君に任せて。ほら、小さな女の子もいる事だし」
「君は彼を皆に紹介して、特になのはちゃん達にアレと一緒に遊べと?」

 六桝がそう言った時、少女達のみならず、シグナム達も一生懸命に首を振っていた。
 さすがに無理だと、絶対に嫌だと言葉ではなく態度で、全力で現している。
 大浜の言い草もアレだが、完全に犯罪者扱いであった。
 ちなみにこの時、まひろはパピヨンが見えないようにブラボーに目隠しをされていた。
 ないとは思うが、アレに懐かれても大層困る事になるからだ。

「それじゃあ、こうしましょう。カズキ君、パピヨン君。競争しましょう。沖にまで泳いで行って、ここに戻って来る事。今の互いの力を測る為にもね?」
「ふん、その口車に乗ってやろうじゃないか。魔法は無しの純粋な体力勝負だ」
「お前、案外せこいな。だけど、やるからには負けない」

 早速闘士を燃やし始めた二人を見て、若いわねとリンディが笑う。

「うふふ、男の子は元気ね。それじゃあ、よーいどん」
「うおおおおッ!」

 競争という言葉でリンディが男心をくすぐり、合図と共に二人は走り出した。
 砂をシッカリと足で噛み、水を吸って重くなっても蹴り上げ、海に入っていく。
 そのまま激しい水しぶきを上げ、さながら水上スキーのように沖へと旅立った。
 一体何処まで行けば沖という定義か、折り返し地点もわからないまま。

「さあ、これで卑猥なパピヨン君は居なくなったわ。さあ、アリシアちゃんいらっしゃい」
「う、ひぐ……うぅ、リンディ!」

 パピヨンからかなり遅れる事少し、落ち着きを取り戻した人垣からアリシアが現れる。
 ぽろぽろと涙を零し己の不運を嘆く少女をリンディがその胸に抱きとめた。
 あの卑猥な格好の一番の被害者は、共にいる事を強制されたアリシアかもしれない。

「さ、さあ遊ぶで。フェイトちゃんのそっくりさんが出てきたけど、細かい事は抜きにして。ほら、ヴィータ浮き輪の用意や」
「おう、私達は何も見てない。カズキは、きっとシグナムとしけこんでて足腰立たなくなってどっかで休んでんだ。そうに違いない!」
「ヴィータちゃん、もっとオブラートに包んで。というわけで、シグナムはお留守番お願いね。追いついてきたカズキ君、場所が解らないと大変だから」
「ちょっと待て、お前達。私にここに残れと、あの馬鹿二人を出迎えろというのか!」

 シグナム一人を置いて、皆が海に砂浜に、近くの岩場にへと散らばっていく。
 少し前に見た衝撃的なモノを忘れる為にも。
 シャマル、リンディ、ブラボーと保護者にも全く困らない。
 残されたシグナムは待ってくれと伸ばした手を、所在なさげに落としていった。
 そこでふと気付く、自分の隣に小さな人影がある事に。

「テスタロッサ、お前は遊びに行かないのか?」
「うん、私がカズキを待ってるからシグナムも遊びに行ってて良いよ」

 遠くに見えるカズキが上げる水しぶきを眺め、待つ事が嬉しい事のようにフェイトが言った。
 とてもありがたい言葉ではあったが、何故か素直に聞き入れる事はできない。

「いや、いい。元々は私が頼まれた事だ。私が、カズキを待つ」
「そう? でも私も待つね、私がそうしたいから」

 私もではなく、私がと自分の役目だという言葉を呟きシグナムはパラソルの影に座り込んだ。
 少々大人気なかったかとばつの悪い思いを抱きながら。
 意味が通じず、素直にフェイトが笑いかけてきたから尚更であった。









 折り返し地点も決めず、沖に向かったカズキとパピヨンであったが引き分けとなった。
 魔法なしというルール上、パピヨン有利かとも思われたが違っていた。
 二人共に折り返す事なく沖へ沖へと突き進み、仲良く同時に溺れたのだ。
 カズキは準備運動不足から足をつり、パピヨンは体力不足から吐血により海を赤く染め。
 そう、魔法なしではホムンクルスが有利でもパピヨンはなりそこないの病気持ち。
 浜辺で見守っていたシグナムとフェイトを大いに慌てさせるだけに終わった。
 そんな多少危うい場面がありつつも、皆は思い思いに海を楽しんでいた。

「ねえねえ、アリサちゃんたこー」
「ぎゃあッ、捨て……捨ててきなさい。こっちに来るな!」

 浅瀬でのビーチバレー中、何時の間にか消えていたまひろが、何処からかたこを拾ってきた。

「アリサちゃんもこっちに逃げてこないで。まひろちゃん、ぽい。それぽいして!」
「来ちゃだめ。レ、レイジングハート!」
「まひろちゃんに向けてディバインバスター!」
「なのは、そんな事をしちゃ駄目!」

 食卓に刺身として出るなら兎も角、実物はうねうねと滑っており気持ちが悪い。
 すずかが捨ててと懇願しても、あまりまひろには伝わっていないようだ。
 早くもなのはは空に逃げようとし、アリシアが過激な事を口にしていた。
 慌てたフェイトにレイジングハートは取り上げられたが、まだ事態は好転していない。
 楽しそうにたこを持ち上げながら、なおもまひろは迫ってくる。

「こら、皆の嫌がる事はしないの」

 そこへ現れた女神は、保護者役のアルフであった。
 彼女もまたそれぐらい平気とばかりに、たこを取り上げて遠くへと投げ捨てた。
 そして女神のようになのは達から崇められ、本人も満更ではないと笑う。

「あー、後でバーベキューでもして焼けばええのに。新鮮ならお刺身でも」
「はやて、もう少しあいつらみたいに可愛い反応しろよ」

 一人残念そうに呟いたのは、自分でたこを捌いた事があるはやてぐらいのものである。
 これでお酒でもと言い出せば、見事な小さいおっさんの誕生だ。
 ヴィータのまともな突っ込みも、笑って受け流して気にした様子はない。
 ところ変わって、なのは達がいる浅瀬から少し離れた岩場の上。

「意外と、海もいいものだな」

 そんな年寄り染みた発言をしたのは、クロノであった。
 六桝から借り受けた釣竿にて、波間に釣り針を投げ込んでぼけっとしていた。
 時に揺れる波間に視線をめぐらせ、時に遥か頭上を流れる雲を何気なしに目で追いかける。
 こういった穏やかな過ごし方の方も、悪くはないようだ。
 骨休めという言葉がこれ程似合うモノを、クロノは今まで知らなかったせいもある。
 何しろ有給休暇まる残しのワーカーホリックなのだ。

「六桝君、大物が連れたらお任せくださいね」
「釣りはさばくまでが一連の楽しみだから」

 直ぐそばでは六桝も海に釣り糸を垂らしているが、その隣にシャマルが在籍中であった。
 岡倉に話しかけられる時よりも、幾分楽しそうなのは見間違いではあるまい。
 というよりも、シャマルの方が頑張って六桝に話しかけているようにも見えた。

『なんというか、本当に普通の女の子だな。シグナムといい、シャマルといい。ザフィーラ、もしかして僕らは邪魔者という存在じゃないのだろうか?』
『クロノ執務官、今頃気づいたのか……では、切欠を頼む』

 ザフィーラに頼まれた通り、まだ自分が一匹も釣れない事からクロノが言った。

「六桝、僕は少し場所を変えるよ。悪いけど、もう少しだけ道具は貸してくれるかい?」
「構わない。釣りが気に入ったのなら、その竿はあげるよ。お古だけど、悪い品じゃない」

 あっさりと了承を得たのは良いが、シャマルの目が輝き過ぎである。
 もの凄くにこやかに手を振られ、行ってらっしゃいとお見送りされてしまう。
 なんだか微妙な心持ちで場所を離れたクロノに、さりげなく興味を引かれたふりをしてザフィーラが続く。
 特にザフィーラも止められる事はなく、二人でポイントを探して岩場をあちらこちらへ。
 そんなおり、クロノは見つけてしまった。
 少し遠くの浜辺を二人きりで夫婦のようにして歩くブラボーとリンディである。
 古い付き合いであるとは聞いているが、歩く場所が浜辺であると何故か安心できない。

「ザフィーラ、少し向こうの方へといってみないか?」

 クロノが言う向こうとはもちろん、ブラボーとリンディが歩いている方角だ。
 邪魔者にならないようにし、邪魔者になりにいくとはどういう事か。
 ザフィーラが無言で首を横に振ったのは言うまでもない。
 邪魔者が自分達で気付いて、去った後の最初の岩場。
 事はそう上手くは運ばないのが、色恋沙汰と言うものであろうか。
 ほんの少し、六桝の方へと体を寄せてシャマルが座り込んだ時、釣り糸が揺れた。

「ぷはっ!」

 六桝が釣り糸を引っ張るより先に、海面からカズキが勢い良く顔を出したのだ。
 気の利く邪魔者は消えたが、はっきり言って気の利かない邪魔者が現れた。

「あれ、岡倉はどこ言った?」
「さあ、まあ大体想像つくけど」

 カズキが突然現れても、極普通に返した六桝が釣り糸をゆっくりと引っ張った。
 海中から現れたのは、誰頭の海水パンツである。

「えっ?」

 これに驚いたのは、カズキが現れた事で驚き、六桝に抱きつくようにしていたシャマルであった。
 その視線を海に、カズキが立っている場所へと降ろし、ぼふりと顔を赤くする。
 海中では黒い海草がゆらゆらと揺れていたのだ。
 きっと海草、そうに違いない、釣りポイントなので絶対とシャマルはむせた。

「ぶほッ、げほ……カズキ、貴様何をしている!」
「え、何が?」

 次に海中から勢い良く跳び上がったシグナムが、顔を真っ赤にしながらカズキに詰め寄った。
 どうやら本人はまだ、六桝に海水パンツを釣り上げられた事に気付いていない。
 だが詰め寄ったは良いが、現在カズキは全裸のまま。
 シグナムのお腹の辺りにふにゃりと何かが触れてしまう。

「え?」
「え?」

 今頃気づいて顔を青くするカズキと、沸騰寸前のシグナムであった。
 ぎしぎしと固まった首を回転させ岸の岩場を見上げれば普段通りの六桝と、顔を両手で覆いながらも指の隙間から見ているシャマルがいた。
 一体誰が原因で悪いかは不明ながら、とりあえずカズキは思い切り殴られた。









 お昼は各自持ち寄ったお弁当による腹ごしらえであった。
 当初はバーベキューも検討されたが、そこは悲しいかな運転免許を持つ者がいない。
 道具の持ち運びを考えると不可能な事が多く、お流れ。
 だが参加者が参加者なので、お弁当は色とりどりと言っても過言ではなかった。
 パティシエである桃子作から、料理自慢のはやて作、久々に台所に立ったリンディ等。
 その中で無骨で大きななおにぎりがあるのは、武藤家のカズキ作だがご愛嬌。
 では全員揃ったかと見渡せば、一人足りない事に気がついた。

「ヘイ、カノジョ。おCHAしなーい?」
「アハハ、ヘンナカオー」

 それは鼻の下を最大限に伸ばしながら、浜辺を忙しそうに駆ける岡倉であった。
 お昼の集合時間になった事にも気が付かず、ナンパへと明け暮れている。
 というよりも、一生懸命ナンパに心を割いているようにも見えた。

「ヘーイ」
「シッシッ」

 顔を笑われても、犬のように追い払われても諦めない。

「ヘ」
「きゃあああ」

 だが流石に悲鳴を上げられて逃げられた時には、堪えたようだ。
 夏の青空には似つかわしくない陰気な雰囲気を撒き散らし、四肢を砂浜についた。

「海なんて……大嫌いだ」

 折角のお昼のお弁当が不味くなりそうな程に、怨念を込めて呟く。

「あれ、岡倉どーした?」
「まあ、色々とあったんだろう」

 どうしたもこうしたもないと、少しは自覚しろと六桝が彼女持ちを嗜める。
 自分自身の隣に、シャマルがいる事を棚にあげて。

「ふん、良い気味。ほら、クロノ。あーんして? というか、しろ」
「いや、君達。何故僕を囲うように」
「それは、リンディさんが……はい、クロノ君お茶減ってるよ」
「えっと、私はこう、で良いのかな? ちょっと、恥ずかしい」

 午前に少し邪魔をされた仕返しと、母親離れという意味を込めた嫌がらせだろう。
 右手側からはアリサが箸でから揚げを摘んで差し出し、左手からはすずかが紙コップから減った分のお茶を注いでくれる。
 一番謎なのは、役目が何もない為に、背中から抱きついてきたなのはだ。
 ささやかながら、それでもはっきりと解る柔らかいものが押し付けられクロノが固まる。
 後者二人はリンディに押し切られた事もあるが、アリサは岡倉に見せ付けているだけであった。

「オノレ、クロノ……」
「なんて邪悪な声を、というか冤罪だ!」

 視線のみならず怨念で人が殺せたらとでも聞こえそうな呟きを岡倉が呟いた。
 年齢的な事を加えても範疇外なアリサ達といえど、やはり誰かが持てている様は憎らしいらしい。
 冤罪を叫ぶクロノの声も届かないようで、呪詛を垂れ流している。
 そんな岡倉を見かね、立ち上がったのはブラボーであった。
 リンディ作のサンドイッチを飲み下し、うな垂れる岡倉の頭にぽんと手を置いた。

「ブラボー?」
「くじけるな、頑張り続ければいつかきっと報われる事だってある。どれ、一つ手本を見せてやろう。ガールズ」

 ブラボーの抽象的な呼びかけに反応したのは、主になのは達であった。
 シグナムやシャマル、それからアルフはガールという呼称は少々合わない。
 しかしながら、よりにもよってリンディが振り返った事を突っ込んではいけないだろう。
 ブラボーも一瞬何か言いかけたが、保身の為に黙殺する。

「いくぞ、十三のブラボー技の一つ。悩殺、ブラボキッス!」

 子供のように遊んでいた時とは一転、その表情を引き締める。
 瞳に憂いを帯びたような妙な色気を浮かべ、夏の光を集めるかのように輝かせた。
 人差し指と中指、二本の指を唇へと走らせなぞり、誰ともなく投げつける。
 その時、はっきりと少女達の瞳に見えたのは指先より迸るハートマークであった。
 もちろん魔法は未使用だが、怖ろしい程にはっきりとした幻視である。
 そのハートを少女達が胸で受けた瞬間、一部を除いて感じた事のない快感が胸を駆け抜けた。

「何、今の……変なむずむずが胸に」
「うぅ、顔が赤くなってるのが解る。なんだか恥ずかしい」
「ブラボーさんって、もしかして格好良い?」
「君達、見惚れるのは良いんだが……」

 アリサ、すずか、なのはとその瞳はブラボーに釘付けであった。
 いまだ初恋もしていない少女の心を揺さぶりときめきを教える程の威力らしい。
 ただその影響で、クロノは少しばかりきまずい思いをしていた。
 アリサがさしだしたから揚げは頬を抉り、すずかはコップからお茶が溢れている事に気付いていない。
 背中に密着しながら、眼中になしとばかりに違う男の名をなのはに呟かれる始末。

「そうか、これが敗北……ひさしぶりに味わった苦い味だ」

 ひと夏の恋に破れた男のような事を呟かされてしまう。
 岡倉の気持ちが少なからず理解できたクロノであった。

「違う、違うよ。ドキドキなんかしてない。してないからね」
「え、あーうん」

 とりあえず、必死にカズキに言い訳をしているフェイトは置いておいて。

「どーだ?」
「師匠、是非弟子に!」

 一先ず、岡倉は暗黒面に落ちきる事なく、引き上げられたようだ。
 未来への希望を見つけたように、ブラボーへと弟子入りを申し立てていた。
 代わりにクロノが暗黒面に落ちかけているが。

「ねえ、シグナムさん」
「なんだ?」

 そして何を思ったのか、カズキが直ぐ隣にいたシグナムを呼んだ。
 シグナムが振り返った瞬間見たもの、それはつい先ほどの焼き直しともいえる光景であった。
 ただし役者が異なる、ただそれだけ。

「悩殺、カズキキッス」

 できるだけ真面目な顔を作り、夏の日差しを集めるように輝きを。
 ちょっと間違えて、魔力をエネルギーに変換させてしまったが特に問題はなし。
 唇に二本の指を走らせ、直ぐそばにいるシグナムへとハートを飛ばす。
 見よう見まね、カズキ式のブラボー技であった。
 だが次の瞬間、シグナムの拳がカズキの顔面にめり込んでいた。

「次やったら、海に沈めるぞ!」
「ふぁい……」

 倒れこみ砂浜に血溜まりをつくりながら、なんとか返事をするカズキ。

「ちなみにこの技は俺にしか使えない。何故ならブラボー技だから」
「駄目じゃん!」

 岡倉の突っ込みも最もだが、効果がゼロかと言えば実はそうでもない。
 次とシグナムが言った通り、効果があるからこそそう言ったのだ。
 カズキから眼を背けたシグナムは俯き、赤くなった顔を必死に隠そうとしていた。
 胸に走った電流のような、エネルギーの耐電のようなアレは何か。
 見知らぬ答えを胸中で得ようと、脳味噌をフル回転させている。
 その膝の上にいたまひろもカズキキッスの余波を受け、いつのの無邪気さは何処へやら。
 ほんの少しだけ少女の瞳で、カズキを見つめていた。
 そして言い訳をしていた為に、一番間近でそれを見てしまったのはフェイトである。
 呼吸が止まりそうになりながらくたりと倒れて、アルフに支えられていた。

「凄い威力やな……私も今度、挑戦してみようかな」
「は、はやて。まさか誰か、相手がいんのか!?」
「赤い顔してなに言うとうんねんや。アレで心キュピーンしたら、簡単に胸を揉ませてくれるかもしれへんやろ? 使える、ブラボキッス!」
「マジで百合に走られたらどうすんだよ」

 ヴィータの突込みを他所に、後で私も弟子入りしようと企むはやて。
 ちなみに、妙に静かだったパピヨンは皆が持ち寄ったお弁当を許可も得ずに一心不乱に食べていた。
 何しろ普段が普段なだけに、まともな食事というのは久しぶりなのだ。
 アリシアもまた同様に、以前のようにリンディの膝の上で口一杯にほうばっている。

「アリシア、それは俺のだ。寄越せ。うん、美味い。これに味をしめて、時折夕食にお邪魔してやろう」
「本当にやめてあげて、招かれざるお客以外のなにものでもないから。でも、カズキのお兄ちゃんの家なら両親いないみたいだし、時々皆集めて良いかな?」

 一部極普通とは違う場面もありつつ、初夏のある日が過ぎていく。
 二人のホムンクルスが、皆には何も告げずに不吉な事を呟きながら。









-後書き-
ども、えなりんです。

武装連金側での海のお話でした。
ただし、パピヨンがいたりと色々カオスになってたりも。
こういう話ばかりでも良いのかなあ。

それでは次回は水曜です。



[31086] 第二十九話 もう元の人間には戻れない
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/04/11 20:30

第二十九話 もう元の人間には戻れない

 深夜近くになっても、夜の海辺には昼間の熱っぽさが残されていた。
 頬を撫でる風はそれにともない温かったが、フェイトは不快に思う事はなかった。
 楽しかった、恐らくは人生で一番楽しかったのだ。
 午前中から夕暮れまで海で遊び、宿では友達と食事をして、再び浜辺で花火大会。
 手持ち花火に打ち上げ花火、線香花火の炎が落ちた時にはちょっと泣いてしまったぐらいだ。
 流石に遊び疲れたのか、なのは達小学生組みは十時前には撃沈している。
 岡倉達やシグナム達も例外ではなく、割と簡単に誰にも気付かれずに宿を抜け出せた。
 しかしここまで遊び惚けたのは、恐らく人生初なのではなかろうか。
 フェイトはサンダルの足元を濡らす波を軽く蹴りながら、そう思った。

「楽しかったね、フェイト」
「うん、楽しかった。とっても」

 後ろから掛けられた声に、白のワンピースのスカート部分を押さえながら振り返る。
 その先には背丈が違うだけの自分と瓜二つの少女、アリシアがいた。
 リンディがこの日の為にと持ってきてくれたピンクの浴衣を着ている。
 つい先日まで、特にフェイトが憎んでいたはずの相手。
 綺麗さっぱりそれが消えたとは言わない。
 殺された母親の事を思えば胸が痛むが、それ以上に不可解な疑問が胸にあるのも確かなのだ。
 だからフェイトは今、自分からアリシアを誘い連れ出していた。

「ねえ、アリシア。私って、誰なのかな?」

 思春期にありがちな疑問にも思える言葉を前に、アリシアがビクリと身じろいだ。
 その質問の意図の重さを知っているかのように、笑顔を凍りつかせて瞳をそらす。
 そんな反応をしてしまえば、フェイトの考えを肯定しているも同然なのに。

「わ、私の妹だよ。フェイトはアリシアの妹。フェイト・テスタロッサ」
「そっか」

 アリシアの挙動不審な震える声を聞かずとも、なんとなくフェイトには分かっていた。
 あの日、母親であるプレシアが言った言葉。
 今までずっとアリシアを憎む事で眼をそらしてきた事実。
 人形という言葉の正確なところは解らないが、フェイトはプレシアの娘ではない。
 恐らくは、アリシアに良く似た孤児か何か。
 テスタロッサ性でもなんでもない、フェイトという名前も本当に自分のものか定かではない。
 プレシアはアリシアという幻影を愛していただけで、フェイトはただの身代わりだったのだ。
 改めてそう認めると、なんの前触れもなく一筋の涙が零れ落ちていた。

「フェイト、違うの。本当にフェイトは私の妹だから」
「うん、大丈夫。本当に……」

 何度も言い聞かせるように言ってくれたアリシアに、なんとか笑いかける。
 零れ落ちる涙を拭い、その跡を夜風で軽く乾かしながら。
 そしてそこに居てと手で制し、一歩離れた所でフェイトは改めて振り返った。
 心配そうに伺うアリシアへと、それでもこれだけははっきりさせなければと口にする。

「アリシア、私はね。凄くアリシアが憎かった」
「あぅ、あの……」

 今になってそう言われるとは、思いも寄らなかったのだろう。
 ショックの余り言葉を失い、アリシアは唇を噛み締めて俯いてしまった。
 以前とは異なり、フェイトは様々な人との交わりから憎しみを薄れさせてきた。
 自暴自棄を止められ、支えられ励まされ、少しずつ少しずつ。

「私から母さんをとった。本当のお母さんじゃないのかもしれない。母さんにとって、本当の家族はアリシアだったのかもしれない。けど、私にとっては母さんだった」

 例え本人に否定されたとしても、フェイトにとってプレシアはたった一人の母親であった。
 プレシアの為ならば、大抵の事はできた。
 辛くても痛くても我慢して、それでプレシアが笑いかけてくれるのなら。
 殆ど虐待を受けた記憶しかないが、それがフェイトの小さな幸せであったのだ。
 それだけの為に、全てを注ぎ込めた。
 その小さな幸せを奪ったアリシアを憎む事は、至極当然の事である。

「ごめん、なさい。私が……」

 今度はアリシアがぽろぽろと涙を零し始め、しゃくりあげながら呟いた。

「ううん、私こそごめんね」

 そんなアリシアに一歩近付き、ポケットから取り出したハンカチで涙を拭いてあげる。
 フェイトはただ自分の気持ちを確かめたかっただけで、アリシアを苦しめたいわけではない。
 アリシアを憎んだのは本当だが、それだけではなかった。

「私ね、自分の事ばかりで全然アリシアの……違う、アリシアお姉ちゃんの事を考えてなかった。お姉ちゃんは、ずっと私の事を考えていてくれたのに」

 涙を拭いたアリシアの顔に手を沿え、その瞳を覗きこむ。

「初めて言葉を交わした時、言ってくれたよね。何時か私を殺しに来てって」

 プレシアを目の前で失い、フェイトはあの時絶望の底へと落ちて全てを投げ出しかけていた。
 そのフェイトを揺り動かしたのは、憎しみであった。
 決してまともな感情ではなかったが、その憎しみこそがフェイトを救い上げたのだ。
 プレシアという生きる指針を失ったフェイトに、生きる理由を与えてくれた。

「それにカズキに、私の事を頼んでくれた。それを律儀に守ったのはカズキだけど」

 憎しみの感情から暴走し、逆に身を滅ぼさないようにと約束を残してくれた。
 フェイトと同じく、アリシアもまた目の前でプレシアを失ったというのに。
 いや、それこそ酷く、自分自身の手でプレシアを殺してしまったのだ。
 なのにアリシアはずっと、フェイトを案じてくれていた。

「私から母さんを奪ったのはアリシアだけど、お姉ちゃんって存在をくれたのもアリシアだよ。だから、私はアリシアお姉ちゃんを許す」
「フェイト……」
「ううん、許す許さないのお話じゃない。私はアリシアお姉ちゃんと家族になりたい。母さんが愛したアリシアお姉ちゃんと、私を想ってくれていたアリシアおねえちゃんと」
「あり……がとぉ、フェイト。大好き、大好き!」

 ハンカチでは拭き取れない程の涙を零し始め、アリシアが抱きついてきた。
 許されなくても良い、憎まれ役でもフェイトの為なら我慢できる。
 そんな隠れた想いが、やっと報われた形となったのだ。
 その上、家族になりたいと、今や人ですらないアリシアと家族にと言ってくれた。
 二人共に同じぐらい大事な人を失い、憎んで憎まれて。
 重ならないはずの二人がようやく重なった。
 互いに懐深くにまでまねいて、背中に手を伸ばして抱きしめあう。
 夏の夜だというのに暑さではなく、温かさを感じる。

「フェイト、お母さんと同じ。とても温かい、良い匂いがする」
「そうかな。良く解らないけど、温かい。きっと母さんも……」

 抱きしめられた記憶は遠いが、フェイトもなんとなくだが想像できた。
 今では手の届かない存在となったプレシアの温もりが、アリシアを通して感じられる。
 プレシアが最後に残してくれた、そんな意図はなかったにせよ、フェイトの家族。
 カズキとまひろのように、仲良しで何時でも笑い合える家族になりたいと思う。

「えへへ、ちょっと濡れちゃったね」
「アリシアお姉ちゃんも」

 どれだけの間、抱きしめ合っていたのか。
 互いに知らず零した涙で、衣服の肩の辺りが濡れていた。
 過剰に照れくさい気もしたが、何時までもこうして夜を明かすわけにもいかない。
 どちらともなく手を差し出して繋ぎあい、ゆっくりと宿に向けて歩き出す。
 その間ずっと、二人の口が閉じられる事はなかった。
 今日この日に正式に姉妹になった事で、共通する記憶や意識を埋め合わせるように。

「ねえ、アリシアお姉ちゃんは普段」
「アリシアで良いよ、フェイト。私の方が背が低いから妙に見えるし、心の中でお姉ちゃんって思っててくれれば」
「そう? なら、アリシアは普段どうしてたの?」
「んー、勉強」

 もの凄く嫌そうな顔で、とても意外な答えを返された。

「ほら、パピヨンのお兄ちゃんってカズキのお兄ちゃんよりも強くなる事が目的でしょ。今は元に戻す事もだけど、助手ぐらいできろって勉強尽くめ。フェイトは?」
「今はカズキの家でお世話になりながら、小学校に行ってる。まひろは、もちろん。なのはやアリサ、すずか。最近ははやても同じクラスになったよ」
「いいなあ、フェイトは。皆と一緒に学校行って、カズキのお兄ちゃんの家に居候で」

 居候という点に特に力を込めて呟き、にひりとアリシアが笑う。

「それで、カズキのお兄ちゃんとは何処までいったの?」
「へ?」
「あの日にフェイトをお願いした時は、まさかフェイトが好きになっちゃうとは思いもよらなかったな」
「ち、違うよ。私、カズキの事なんて……事、なん」

 アリシアのからかいに対して慌てふためいたのは一瞬だけの事であった。
 あわあわと両手を無意味に振っていたフェイトが、突然顔色を青く変えてその両肩を落とした。
 それはかつて自分が、何度もカズキにぶつけてしまった言葉を思い出したからだ。
 大嫌い、今のカズキに対する気持ちとは正反対の気持ちをぶつけていた。
 復讐の二文字を邪魔するカズキに、何度もそう言った。

「アリシア、どうしよう。私……カズキに、カズキに嫌われちゃう」
「いや、それだけは多分ないんじゃないかな」

 フェイトのかつての言動こそアリシアは知らないが、とてもそんな場面は思い浮かばなかった。
 想像してみようとしても、大嫌いと言われても気にしないカズキが想像できた。
 むしろ、俺は大好きだと平気で言いそうな気がする。
 それがフェイトが求めている大好きかはさておいて。
 涙目になってあうあうと言葉を失くしたフェイトを、あやしながら少し笑みが零れてしまう。
 少し恨めしそうに見られてしまったが、仕方がない。
 あのカズキがフェイトのそばに居てくれた事が、本当に幸運だと思えたから。

「え、あれ。カズキのお兄ちゃん?」
「もう、アリシア。こんな時間にカズキが……本当だ」

 いるわけがないと思いつつ、涙を慌てて拭ったフェイトは見た。
 アリシアが見つめる方角、少し離れた場所の浜辺と道路を繋ぐ階段をカズキが駆け下りている。
 どうやらこちらには気付いていないようで、一目散に岩場がある方角を目指していた。
 こんな時間に一体何を慌てているのか。
 フェイトは単純に小首を傾げただけだが、アリシアは違った。
 何しろ、フェイトの恋路を本人以上に正確に把握しているからだ。
 最大の障害、カズキの想い人であるシグナムの存在である。

「フェイト、隠れて追いかけよう!」
「え、隠れ……うん、わかった」

 逢引なら邪魔してやれと、アリシアはフェイトの手を引いて追いかけ始めた。








 二人の少女につけられている事に気付いていないカズキは、昼間に六桝が釣りをしていた場所に近い岩場を目指していた。
 高低差は大きくはない岩場なので、首を回せば周囲は軽く見渡せる。
 一生懸命に探さなくても、カズキの待ち合わせの人の姿は直ぐに見つけられた。
 少々荒く打ち付ける波打ち際、飛び石のように一部だけ覗かせた岩の上。
 レアスキルが付随したバリアジャケット、シルバースキンを纏ったブラボーであった。
 夜の闇の中でジャケットの白さはより強調され、直ぐにその姿を見つける事ができた。

「おーい、ブラボー」

 カズキの呼び声に、ほんの少しだけブラボーが振り返る。
 改めて周囲を伺うが、他に人影は一人として見当たらない。

「ブラボー、一人。リンディさんやクロノ君は?」
「カズキ」

 道にでも迷っているのかと、来た道を振り返ったが誰も姿は見えない。
 そんなカズキへと、ブラボーが振り返り初めて口を開いた。

「管理局の事は、どの程度聞いている? 騎士・シグナムからでも、魔導師・クロノからでも構わない」
「どの程度って、ロストロギアを集めている警察みたいなとこってぐらい」

 どうやら、最初からカズキを待っていたのはブラボー一人であるらしい。
 誰を待つ事もなく、ブラボーが話を始めた。

「そうか、ではそこから話そう。時はおよそ百五十年前に遡る。当時の次元世界は争いに明け暮れていた。原因は明確には特定されていないが、宗教や魔法体系など様々だ」

 どう反応してよいのか、一先ずカズキは頷くに留めていた。

「その次元世界を纏めあげた者達が設立したのが管理局。次元世界の司法を司る組織だ。その目的は二つ、一つはお前が言ったようにロストロギアの管理だ。もう一つは次元世界を越えて犯罪に走る者の逮捕」

 後者の犯罪者は、次元犯罪者と呼称されていた。
 ただこういう次元犯罪者は、ロストロギアを違法所持している事が多々ある。
 ロストロギアを追っていたら、何時の間にか次元犯罪者を逮捕する事が多くなったのだ。
 本来はロストロギアの収集が主であったが、次元犯罪者の逮捕もついでに行なうようになった。
 やがて副次的な逮捕も主となり、ロストロギアの収集と次元犯罪者の逮捕。
 管理局の二大目的に対する、歴史的背景にはそんな裏事情があった。

「管理局の本来の目的は、ロストロギアの収集による管理と封印。それは、過去の次元世界の争いに多くのロストロギアが使われたからだ。ジュエルシードも例外ではない」
「それじゃあ、あの黒いジュエルシードも?」
「ああ、その通りだ。管理局という組織ができる前、次元を平定した者達は争いを止める為により大きな力を欲し、ロストロギアを研究していた。ジュエルシードも、そんなロストロギアの一つだった」

 目的こそ大義に溢れるが、やっている事は周囲と変わりはしなかった。
 争いをより大きな力で止めようと、ロストロギアに触れた。
 管理局が生まれる前の話とは言え、その前身に当たる組織の話である。
 戦時の事とは言え、それは決して表に出して良い類の話ではなかった。

「その研究の果てに、その者たちはジュエルシードの力を安定させられる形に変化させる事に成功した。シリアルナンバー一から三のそれが試作品」
「シリアルナンバー三、俺の……それが黒いジュエルシード!」
「その通り。そしてその第一の被験者に選ばれたのが、騎士・ヴィクター」

 そこからブラボーが語るヴィクターの話は、少なからずカズキとも共通する点があった。
 争いが続く次元世界の戦いを止めるべく、ヴィクターは騎士として戦いに臨んでいた。
 だがその最中で心臓に深いダメージを負って倒れる事になった。
 騎士としても最上位の力を持つヴィクターの力を周りは惜しんだ。
 それと同時に、被験者としてヴィクター以上の相手が居なかった事は幸いだった
 シリアルナンバー一の黒いジュエルシードを心臓に埋め込まれ、結果暴走。
 一時は管理局の前身であった組織が壊滅的ダメージを受けるにまでなった。

「またこの時の混乱で、残る二つの黒いジュエルシードと他の多くのジュエルシードが世に流出して失われた。しかし、奇しくもという言葉はこういう時に使うのだろう」
「奇しくも?」
「ヴィクターという絶対的な存在の出現が、次元世界に改めて危機感を植えつけた。当のヴィクターも先日のように全てのロストロギア、またそれに関わる者を破壊しようとした」
「じゃあ、もしかして……」

 カズキの予想を肯定するように、ブラボーは一度深く頷いた。

「ヴィクターを前に、次元世界が団結した。ヴィクターを一番良く知る管理局の前身の組織が筆頭となり、闇の書に封印。裏切りの騎士として、その名を歴史の中に葬り去った」

 我知らず、カズキは黒いジュエルシードが埋まる左胸に手を当てていた。
 話を聞く限り、ヴィクターは被害者でもあり加害者でもある。
 戦争などというものは、歴史の教科書でぐらいしかカズキは知らなかった。
 当時その場に居なかったカズキには、どうしていれば、どうあるべきともいえない。
 ただ分かっているのは、ヴィクターが今この時代に存在し、その怒りが健在である事だ。
 そして、カズキの左胸にも、同じ黒いジュエルシードが埋まっている。

「ヴィクターの事、黒いジュエルシードの事。三大提督も真相は知らず、最高評議会は機密の塊、調べ上げるのに一ヶ月かかった。そしてカズキ、お前の事を調べるのにも同様だ」

 左胸に当てていた手を更に握り締める。

「アースラでの精密検査、各種サンプルの分析、さらにヴィクターの時の数少ない経過記録それらを照らし合わせ徹底調査した結果、お前と黒いジュエルシードは既にリンクして切り離す事はできなくなってしまっている。つまり、お前はもう……元の人間には戻れない」

 その言葉を最後に、時が止まっていた。
 カズキとブラボー二人の間にも言葉はなく、耳に聞こえるのは小波の音のみ。
 特にカズキは、ブラボーが口にした言葉を理解するのに時間が掛かっていた。
 管理局の目的、設立される前の戦争の話、ヴィクターと黒いジュエルシード。
 それら全ての話は比較的簡単に理解できたのに、最後の一言が理解できないでいた。
 元の人間には戻れない、ただそれだけを理解する事ができなかった。

「嘘、そんな事ない。カズキは、やっと戻れたのに。小さな幸せの中に、やっと。勝手な事を言わないで!」
「フェイト、ちゃん?」

 カズキの心情を誰よりも強く訴えたのは、隠れて聞いていたフェイトであった。
 フェイトもまた、ヴィクターと言う圧倒的存在を肌で感じた一人である。
 だからこそ、カズキがヴィクターとは違うとはっきりと言えた。

「フェイト、落ち着いて……ブラボーのおじちゃん、嘘だよね。だって、カズキのお兄ちゃんはちゃんと人間に戻れてる。私やパピヨンのお兄ちゃんとは違って」
「……ヴィクター化には段階があり、今のカズキはまだ第一段階で状態が固定していないだけ。計算が正しければあと六週間前後。カズキはヴィクターと同じ、存在するだけで死を撒き散らす化け物となる」

 動揺する暇すら与えないように、ブラボーはさらに続けた。
 その身から溢れる気迫に呼応するように、海が荒れ波間が飛沫となって吹き飛ぶ。

「そうなる前に、始末をつける。それが、俺の新たなる任務」
「ブラボー?」
「一度ホムンクルスに殺され、黒いジュエルシードの力によって蘇った彼の命はあってはならない。もう一度殺して、元に戻すべき。武藤カズキを再殺せよ!」

 カズキへと向けられた殺意そして決意、それら全ては本物に思えた。
 ブラボーは再殺の命を受け、その為にカズキの目の前に立っている。
 アリシアやフェイトも、再殺対象であるカズキにもそれははっきりと感じられた。

「本気なんだ、ブラボー……」
「ブラボーのおじちゃん」

 自然とカズキを庇うように二人が身構えようとする。
 その二人を押しのけるようにして、カズキがふらりと一歩進み出て呟いた。

「嘘だろ、ブラボー。嘘だと言ってくれよ」

 そう、誰よりも信じられなかったのはカズキ自身であった。

「そうか、わかった。お前はブラボーじゃないんだ、キャプテン・ベラボーなんだ!」
「バリアジャケットは設定次第で他人と同じものを生成できる。だがシルバースキンは俺のレアスキルとの混合により、俺だけにしか造れない」
「嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ!」

 動揺と混乱、それによる苛立ちを加味してカズキが拳を振り上げた。
 素手のまま拳は手近な岩場に撃ちつけられ、破れた皮膚から血が滲みだす。
 そんなカズキに、フェイトもアリシアも何もかけられる言葉がなかった。
 ここまで心を乱すカズキを初めて見たからだ。
 何時も笑顔で、苦しくて血だらけになっても誰かを想い戦う、騎士という言葉が似合うカズキ。
 そのカズキが過酷な現実を前に、弱り膝をつこうとしている。

「嘘、だ……」
「善でも悪でも」

 そんなカズキへと言葉を投げかけたのはブラボーであった。

「最後まで貫き通せた信念に偽りなどは何一つない」

 その言葉が、ブラボーが掛けた言葉がカズキの動揺を少なからず鎮めていた。

「俺の信念は一人でも多くの命を守る事。その為ならばカズキ殺しをもいとわない。俺は悪にでもなる。その命を、諦めてはくれないか?」
「殺させない、絶対にカズキは殺させない。私が守る、ブラボーがカズキを殺すって言うのなら。私が殺させない!」
「フェイトちゃん……」
「諦めて良い、命なんて何処にもない。結局同じじゃない。百五十年前のヴィクターの時と。これは絶対に繰り返しちゃいけない事なんだよ!」

 次元世界に住む全ての敵となりうるカズキ。
 その再殺は必然であれど、こうして庇ってくれる人が少なからずいる。
 その事実が、俯きっぱなしであったカズキの顔を上げさせた。
 小さな二人には見せられないと、涙を拭い、ブラボーを正面から見据えて言った。

「ありがとう、二人とも。ブラボー……今はまだ諦められない。確かに俺は、ブラボーの今の言葉に勇気付けられて今まで戦ってこれた。だから俺の人としての最後が後六週間なら、その最後まで貫き通す。この命で最後まであがいてみせる!」

 庇ってくれた二人の肩を掴んで下がらせ、カズキは左胸に手を置いた。
 そこに埋まるのは、元凶でもある黒いジュエルシードである。
 だがブラボーがカズキの再殺を宣言した以上、躊躇なく振るわねばならない。
 カズキもまた宣言した通り、最後の六週間を足掻く為に、生き延びる為に。

「その言葉がどうしても聞きたかった。すまなかったカズキ、試すような事をして」
「え?」

 シルバースキンの一部であるハット帽子を脱いだブラボーが、小さく頭を下げた。
 突然の事でカズキは意図が読めず、フェイトやアリシアも同様である。
 試したとは、何処までなのか。
 ただ一度下げた頭をあげた時、ブラボーの瞳にはカズキを案ずる光のみが浮かんでいた。

「確かに俺は再殺命令を受けたが、条件を加えた。騎士・カズキが騎士・ヴィクターと同じくその怒りを世界に人に向けた時のみ、命令を遂行すると」
「でも、俺はあと六週間で完全にヴィクターと同じ存在に」
「ああ、だからお前に提案する。数多く存在する次元世界には、人間が存在しない未開惑星も数多い。その一つにお前を隔離する」
「そうか、未開惑星ならカズキのお兄ちゃんがヴィクター化しても、少なくとも人には被害がでない。その間に、管理局かパピヨンのお兄ちゃんが対策を打てば良い!」

 その手があったかと、アリシアが両手を叩いて喜びの声をあげた。
 あまり地球の外に詳しくないカズキは、まだ首を傾げててはいたが。

「でも、それでもカズキは今の幸せを少なからず諦めなくちゃいけない。解決策が見つからなかったら、一生まひろとも……」
「俺のシルバースキンがエネルギードレインをはじく事は証明済みだ。直接触れ合う事は難しいが、面会する事ぐらいはできる。カズキ、命ではなく、今の生活を少なくとも諦めてくれないか? これが、俺にできる最大限の譲歩だ」
「決して良くはない、けれど悪くもない。決めるのはカズキのお兄ちゃんだよ」

 フェイトが、アリシアが、そしてブラボーがカズキをみつめていた。
 ブラボーの譲歩にのらなければ、待っているのは逃亡生活だ。
 先ほどは試したと言われたが、カズキの行動如何では本当に殺す気だった事は間違いない。
 だがここでその譲歩にのったとしても、待っているのは孤独な生活だ。
 ブラボーの能力がエネルギードレインをはじくと言っても、何処までカズキに付き合える。
 当然の事ながらブラボーにも生活が、管理局員としての使命があった。
 皆に会えるのは月に一度か、はたまた一年に一度か。

「俺は……」

 人生の岐路を突然示され、即答は難しかった。
 だが、問いかけたブラボー本人も、フェイトやアリシアも急かしはしない。
 ただじっと、カズキが自分の考えで答えを出すのを待っている。
 それが五分、十分と静かに海の小波をBGMに続いていく。
 そのまま時は流れ、さらに空が白み始める。

「朝?」
「待って、朝なわけ……精々まだ一時を過ぎたところ」

 欠伸をかみ殺しながら呟いたアリシアの言葉を、フェイトが即座に否定する。
 例えカズキの言葉をじっと待ったにしろ、流石に夜が明けるはずがない。
 だが空は確実に白み始め、水平線からは太陽が上り始めようとしていた。

「でも、太陽が。あれは一体?」
「いや、あれは太陽ではない。あれは……」

 水平線から上る太陽ではなく、それは巨大な炎の塊であった。
 さらにその炎の上に、腰を落ち着けてタバコを噛み締めている男がいた。
 管理局の制服に似た赤いラインの入ったジャケットを素肌の上に羽織っている。
 赤茶けた髪を後頭部でまとめ、ギラついた瞳でカズキ達を睨みつけてきていた。

「おいおい、獲物を横取りされちゃたまらねえと急いで来てみりゃ、コイツはどういう事だ?」

 あまり友好的には思えない柄の悪い言葉使いに、カズキ達は警戒心を高めた。
 なにより、炎に座り空を飛んでくるなど魔導師以外に考えられない。

「結界を張った様子も、争った形跡もなし。てめえも最殺命令を受けて、そこのガキをぶっ殺しに来たんじゃねえのか? まあいい、そこのガキはきっちり俺が殺しといてやる。お前は下がってな!」
「ちょっと、急に出てきてなんなの。ブラボーのおじちゃんは、カズキのお兄ちゃんに譲歩してくれたのに。話をまぜっかえさないで!」
「俺の耳がどうかしちまったのか。譲歩だと、ありえねえな。そんな甘っちょろい選択肢は。第二のヴィクターはぶっ殺せ、それが俺が最高評議会から受けた命令だ!」

 譲歩はない、そんな言葉に共鳴するように彼が座る炎の塊が猛り狂う。
 太陽と勘違いした事は間違いではないように、炎が生み出す熱が大量の汗を浮かびあがらせた。
 相手の戦意は十二分、さすがに死ねといわれてはカズキも迷っては居られない。
 フェイトやアリシアも、そんな選択肢は認められないと身構える。
 そんな三人の前に、ブラボーが腕を差し出し止めた。

「ブラボー……」
「お前達は手を出すな。特にカズキ。今後のお前の扱いに影響が出かねない。この場は俺に任せて、一時身を隠せ」
「オイ、何のつもりだ?」
「付き合いだけは長いんだ。俺が仲間を死なせるのが一番嫌いな事は知っているだろう」

 炎の上に居座る男の視線が、カズキ達からブラボーへとずれた。

「そうかい。やっぱりまだ引きずっているようだな。十年前、俺達がいた照星部隊の最初で最後の任務失敗。多くの管理局の船が轟沈し、クライドの野郎が死んだ闇の書の事件」
「だからこそ、俺は仲間を守る」
「たかだか数ヶ月、クライドの野郎とは月日が違うだろうが。それに何時までも引きずってんじゃねえぞ防人。確実に化け物になる人間を生かしてどうする。仮に生き場所を与えても、待っているのは実験動物扱いだ。だったら、そのガキの為にも殺してやるべきだろうが!」
「その全てから、俺は守って見せる。俺のシルバースキンも、その為にある」

 同じ組織に所属しながら、命令系統も違えば考え方も違う。
 ブラボーと目の前の男は長い付き合いらしいが、互いに譲れないものがあるらしい。
 説得は無理と互いに諦めをつけるのに、長い時間は不要であった。

「そうかい、お前がそのつもりなら俺もそのつもりでやらせてもらうぜ。ただし、まず殺るのはてめえじゃねえ。ガキどもからだ。ブレイズオブグローリー!」
「Yes, sir」

 炎の塊の上で男は立ち上がり、デバイスの名らしきものを叫んだ。
 フェイトのバルディッシュと同じく、軍人口調の機械音声が響く。
 その瞬間、彼の足元にあった炎の塊が周りの酸素を取り込み急激に膨れ上がる。
 結界すら張っていないというのに、その行動に一切の躊躇は無い。
 ただの炎の塊が、柱へとさらに炎の竜巻へと成長して、周囲一帯を飲み込んでいった。









-後書き-
ども、えなりんです。

このお話で一番困ったのが、今回出てきたことでした。
ヴィクター化しても、最低でも無人世界に監禁で済むんじゃないかと。
その辺りを色々解決するための、最高評議会に火渡でした。
問答無用で周りの奴、フェイト達子供でも巻き込んで殺す。
素晴らしく管理局員らしくない火渡。
けど、それが良い。

最高評議会側で、暗部っぽいですね。
もう大好き。

それでは次回は土曜日です。



[31086] 第三十話 感謝して敬え
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/04/14 19:48

第三十話 感謝して敬え

 海岸より歩いて十数分程の場所にある一軒のホテル。
 アリサの親が経営する会社の系列に属するそのホテルが、カズキ達の宿泊先であった。
 そこの一室、カズキ達高校生組みに割り当てられた部屋の中は暗い。
 寝息の数は全部で三つ、岡倉に大浜、六桝の分である。
 深夜を当に過ぎている事から当然だが、そこにぼんやりとした光が浮かび上がった。
 方円状に広がった金色の光は幾何学模様を浮かび上がらせ、三人の人影を吐き出した。

「いでェ!」
「あう」
「よっと」

 カズキとフェイトが幸運にも、人のいないベッドの上にもつれ合って落下。
 アリシアは少し余裕を持って、ベッドの脇へと足から着地した。

「咄嗟の事だったけど、なんとか成功。ブラボーのおじちゃん、大丈夫かな?」

 とてとてと、窓際に歩み寄ったアリシアは、カーテンの隙間から海岸方面を眺めた。
 朝日と見紛うばかりの炎は依然として猛っている。
 未だ結界は張られておらず、遠からず大騒ぎになる事は間違いない。
 あの時、赤茶色の髪をした男が瞬時にして周囲を炎で覆い逃げる間もなかった。
 三人を守ってくれたのは、ブラボーのシルバースキンだ。
 そのブラボーから合図され、咄嗟にアリシアが転移魔法で自分達だけ逃げてきた。

「ブラボー……」

 ベッドの上で座りなおし、カズキもまた少し離れた海岸を眺めた。
 一体自分がどうするべきか、どういう選択肢を選ぶべきか答えはない。
 もちろん殺されるなんてまっぴらだし、かといって無人の世界で一人きりも勘弁願いたい。
 ブラボーの力で時折面会ができるとは言え、本当にそれで耐え切れるのか。
 選択肢が他にないとは言え、孤独な世界に押し込められ。
 それで自分がヴィクターのように人を恨まないとは、とても言い切れなかった。

「ん……なんか、明るくね?」
「あ、悪い岡倉。起こしたか?」
「カズキ、今度は警察かッ……」

 遠くではパトカーのサイレンが夜に関わらず響きだし、アリシアが開けたカーテンの隙間から炎の光が部屋に差し込んでいた。
 まだ眠りは浅かったのかそれらに刺激された岡倉が、眠たそうに瞳を擦りあげる。
 寝ぼけ眼で起き上がってはカズキへと振り返った。
 そしてあんぐりと口を開き、瞳はこれでもかと開かれた。
 そのまま目玉が飛び出てしまいそうな程であり、言葉を枯らしてカズキを指差している。

「カっ、カカ……」
「うわあ……これは、もの凄くまずいんじゃ。ちょっと、羨ましいけど」
「まあ、一つ屋根の下に住んでたんだ。遅かれ早かれ、しかし何時の間に大浜みたいな趣味に趣旨変えをしたんだか?」
「ん?」

 次に大浜が引きつった顔で呟き、六桝が枕元においておいた眼鏡を掛けながら呟く。
 一体何の事だか解らず、カズキは小首をかしげる。
 そして気付いた。
 初夏であるにしても、やけに懐の中が温かいといか熱い。
 何だろうと思って視線を下げてみると、片身を小さくしたフェイトがいた。
 真っ赤な顔を俯かせ、カズキに肩を抱かれるように同じベッドにいるフェイトが。

「あー」
「あー、じゃねえ。人として、天誅ッ!」

 三角帽子のキャップ帽に守られていた岡倉のリーゼントが、カズキの顔に突き刺さった。
 咄嗟に手放したフェイトはそのままに、カズキだけがベッドの上から転げ落ちる。
 そしてフェイトを守るように、岡倉がベッドの上を跳んで渡り、立ちふさがった。

「カズキィ……お前はシグナムさん一筋だと思っていたから、俺は密かに友の幸せを祝福していたのに。貴様は俺を裏切った」
「あの、違うの。カズキは私を痛くしないように抱いてくれてただけで」

 コホーと瘴気を口から吐く岡倉に、その言葉足らずな説明は火に油を注ぐ行いであった。

「そしてお前は、シグナムさんの心のみならず。フェイトちゃんの体を弄んべっ!」
「教育的指導」

 だが岡倉が暴発しきる前に、手刀によるストップがかかる。

「若いんだから、そういう事に興味があるのは解るけれど……小さな子の前でエロスは厳禁よ」

 今にもカズキに飛びかからんとしていた岡倉のリーゼントがへこまされた。
 少しばかり魔力が込められていたのか、そのまま岡倉がベッドの上に沈む。
 手刀の一撃を放ったのは、騒ぎを聞きつけやってきたリンディであった。
 その後ろ、部屋の入り口付近からはシグナムやシャマル、目元を擦っているお子様達がいた。
 どうやら騒ぎは随分と外の部屋にまで響いていたらしい。
 もしくは、海岸の光景や喧しくなるパトカーのサイレンで起きてしまったからか。

「フェイトさんも、一人寝が寂しかったからって男の子の部屋に行っちゃ駄目よ。ベッドの中に潜り込むのもね、そろそろお終いにしないと」

 もちろんリンディは分かっていてそう言っているのだが、本人的には少し頷き辛い注意であった。

「フェイト……アンタ、いくらなんでも大胆過ぎ。まひろに続いて、要注意人物のお世話が増えたわね」
「ふふ、そう言いつつもアリサちゃんなんだか嬉しそう」
「フェイトちゃん、私で良ければ一緒に寝よう!」
「まひろもお兄ちゃんと一緒に寝る!」

 なんだか酷い誤解を友人達に与えてしまったようだ。
 ただまひろは早速アンタも駄目と、アリサに首根っこをつかまれていた。
 ちなみにアリシアは岡倉に視線が集中している間に、部屋を抜け出している。
 妙なところで要領が良いものであった。

「フェイトはまだまだ子供だね。ヴィータちゃんもそう思わない?」
「お、おう。まったくだぜ」
「ほんなら、ヴィータも今日から寝る時は一人で」

 毎日はやてと一緒に寝ているヴィータは、どもりながら嘘をつくもはやて本人に通じるはずもない。
 あっさりとばらされ、さらに一人でと言われあっさり前言を撤回する。
 フェイトに次ぎ、ヴィータに生温かい視線が集中した所でリンディがぱんぱんと手を叩いた。

「はーい、夜も遅いんですからそこまで。皆は、お部屋に戻ってお休みなさい」
「あ、そうだ。フェイトの件もそうだけど、さっき海岸の方で花火の暴発みたいな炎の柱が見えたのよ。って、あれ?」

 撤収の言葉をまぜっかえすようにアリサが主張し、部屋の中へと入り込んで窓際に駆け寄る。
 カーテンを開けて再度主張するも、海岸線にそれらしい炎は見えなかった。
 穏やかな臨海の街並みが薄っすらと映るだけで、平穏そのもの。
 アリサのみならず、すずか達も小首をかしげていたが、存在しないものはしない。
 唯一の証拠はパトカーのサイレンぐらいだが、それもやがて聞こえなくなっていった。
 窓からの光景は全てを語っており、そんなはずはと続くアリサの声も小さい。

「夢でも見てたんじゃねえのか? 火遊びの夢は寝しょんべんの元だって言うから、ホテルの人に迷惑掛ける様な事はブベッ!」
「本当に……デリカシーの欠片もない。馬鹿、死ね。行こう、すずか」
「岡倉さん、ごめんなさい。でもさっきのはちょっと……」

 枕を投げつけられた岡倉に小さく謝罪するすずかを、アリサが連れて部屋を出て行く。
 先ほど部屋で見た光景や、岡倉への怒りもあったが眠気が勝ったらしい。
 なにしろ現在時刻は深夜の二時を優に超え、小学生には辛い時間帯だ。
 先ほどのリンディの撤収の言葉もあるし、その後ろになのはやはやて達も続く。
 一応部屋まではシャマルが付き添おうと、ふらつく彼女達について行った。

「お腹は冷やさないように、タオルケットだけはかけて寝るのよ。それで、カズキ君とフェイトさんは一応私から少しお説教ね。保護者的な意味で、シグナムさんもかしら」
「ご愁傷様、カズキ君。フェイトちゃんは眠いだろうけど、その癖は直した方が良いだろうから頑張って」
「結局、チビすけに枕投げつけられただけで、何時ものことだったな。寝るべ、寝るべ」

 岡倉達は大人しく自分達のベッドに戻り、その上に倒れこんだ。
 小学生云々以前に、やはり深夜は高校生にも辛いものがあるらしい。

「お休みなさい、貴方達。それじゃあ、行きましょうか」

 リンディの言葉に従い、カズキ、フェイトそしてシグナムが続いた。









 連れて行かれた先は、リンディとクロノの為にとられた部屋であった。
 備え付けの化粧台の椅子にリンディが座り、カズキはベッドの上に、フェイトがその隣に。
 シグナムは不機嫌そうに渋面を作りながら、入り口付近の壁に背を預けた。
 三人が説明を受けられる状態になるや否や、リンディが間髪入れず話し始める。

「ブラボーか火渡、どちらがここへやってくるにしても、もうしばらく時間が掛かる。結界を張っているクロノは辛いでしょうけれど、貴方達にもう少し現状を説明する必要があるわ」
「あの男の事を知っているんですか?」
「ええ、私やブラボーと同期で古い付き合いよ。今はお互い全く別の道を歩んでいるけれど……彼はその中でも特別。管理局でも闇の部分に属する特殊部隊の隊長」
「あの人、破壊や殺人を前提に任務についてるような口ぶりだった」

 闇の部分と言われ、フェイトが本人の言葉を思い出しそう呟いた。
 被害や効率の為に、あえて憎まれ役を担うタイプではない。
 命令の遂行の為ならば、被害や効率も度外視する。
 フェイトが出会った事のある数少ない管理局員の中の誰とも違っていた。

「彼は最高評議会直属の特殊部隊の隊長、表に出せないような件を力ずくで解決させるのが仕事。その隊員も、一筋縄では行かない人達よ」
「リンディ艦長がそこまで言うとは、それ程の魔導師が?」

 初めて口を開いたシグナムの声は、普段よりもかなり重いものであった。

「ええ、一言で言うなら奇兵。全員がレアスキル持ちだけど、性格・性質に難があって正規の管理局員として通常任務には加えられない。そういう魔導師達を力ずくで従えさせられるのが彼、火渡」
「そんな人達にカズキが狙われている?」
「可能生は高いわ。けれど、管理局員の全てがというわけではないのが救いかしら。今、管理局は最高評議会派と三大提督派の二つに分かれているから」

 あまり局内の内情に詳しくないカズキ達は、小首をかしげていた。
 そんな彼らにリンディは軽く微笑みを向けただけで、詳しくは語らなかった。
 内部紛争とまではいかないが、司法組織が二つに割れるなど恥以外の何者でもない。
 その証拠にミッドチルダでは情報規制が行われているし、局員に対し緘口令も敷かれている。
 一部、ヴィクターの情報を知っている者は特に。
 不要な混乱を避ける為と、創設期の事とは言え恥を広めない為にだ。
 この二点については、最高評議会派も三大提督派も意向はさほど変わらない。

「カズキ君達は、あまり深く考える必要はないはわ。カズキ君を擁護するのが三大提督派、最殺しようとするのが最高評議会派だと思ってくれて良いわ」

 そう説明するだけにとどめ、リンディは最も重要な説明に入った。

「シグナムさんには粗方説明してあるけれど、カズキ君達は何処までブラボーから聞いているかしら?」
「無人の次元世界に行って欲しいって。そこで、大人しくしている間に解決策を探すってブラボーは言ってた」
「けど、火渡はカズキを殺すのが一番だって。生きていても、どうせ実験動物扱いだって」

 憤慨しているフェイトであったが、少し火渡の言葉に違和感を感じた。
 もしかしてアレで気遣っていたのかと、一瞬でも思ったが直ぐに否定するように首を横に振る。
 それからブラボーから語られた事を大まかに伝えた。

「そう、なら私がシグナムさん達に説明した一部はまだ伝わっていないわね」
「そのようだな」

 相変わらずシグナムの声は沈んでおり、より渋面になっていく。
 どうやらそのカズキ達に伝えられていない一部が、特に気に入らないらしい。
 カズキの最殺並みに、シグナムが渋面を作り出すような内容が他にもあるのか。
 楽しい旅行が散々だと呆れたくもなるが、カズキ自身に関わる事である。
 少し気合を入れなおして、カズキはリンディの言葉に耳を傾けた。

「事は闇の書やはやてさんに関わる事よ。闇の書の本当の名前は夜天の魔道書。本来はあらゆる魔法を蒐集し、記録するだけの辞典のようなものだったの」

 いきなり話がずれたかにも思えたが違う。
 何しろ闇の書には、あのヴィクターが封印されていたのだ。

「百五十年前、ヴィクターがあの姿に変わり果てた当時、管理局の創設者達が闇の書へと改造したの。当時の夜天の書の主は、ヴィクトリア・パワード。ヴィクター・パワードの一人娘」
「え、ヴィクターの? けど主って事は……」
「私のかつての主でもあった。ヴィクターが私を懐かしそうに見ていたのは、娘の家臣だったからかもな。記憶はうろ覚えだが、ほんの少しだけ姿形ぐらいは思い出せる」

 呟き瞳を閉じたシグナムは、はやての前の主すらうろ覚えだが思い出す事を試みた。
 はやてのようにとても小さな女の子だった。
 騎士として戦争に赴く父と、研究で忙しい母を家で一人で待っていた。
 一人寂しい境遇ながら、健気に笑顔を振舞うさまははやてに似ていたかもしれない。

「彼らはヴィクターの変貌の責を、ヴィクトリア一人に押し付けた。詳しい事は不明だけど、彼女が闇の書にヴィクターを封印、その後は行方不明」
「分かるか、カズキ。ヴィクターのように再殺を促がす連中が、主はやてに何を望むのか」
「まさか、ヴィクターの再封印!?」

 シグナムの渋面の最大の理由を聞いて、カズキが思わず立ち上がった。

「ええ、遠からずはやてさんに管理局から要請が行くと思うわ。ただし、ヴィクター一人であったらの話。幸か不幸か昔とは違い、今はカズキ君貴方がいるわ」
「ヴィクター一人を封印しても、まだカズキがいる。闇の書も、二人分封印できるとは限らない。最悪、切り札である闇の書が耐え切れず破壊されるかもしれない」
「そっか、良かった。なら、なおさら生き残らないと」

 事実ではあるが、それを聞いて良かったという言葉が何処から出てくるのか。
 相変わらず、カズキは自分よりも誰かを優先する。
 はやてがまひろや自分の友達である事も、大きいのだろうが。
 そんなカズキへと、相変わらずと言った様子でシグナムやリンディが微笑みを向ける。

「現在闇の書はヴィクターの手にあるし、即座にはやてさんが狙われる可能生は低いわ。ただし、念の為もあってアースラははやてさんの護衛の任務を請けているの」
「感謝する、リンディ艦長。我々も以前の事があった手前、強硬な手段に出られても局員には手を出し辛い。貴方の目がある事は非常に重宝する」
「過ちは繰り返すべきじゃないものね。それもあんな小さな女の子一人に責任を負わせて良いわけがない。はやてさんを犠牲にヴィクターを封印して、カズキ君が本当の意味で第二のヴィクターになりでもしたら、本末転倒」

 最後にリンディが呟いた懸念は、決して可能生がないわけではなかった。
 今でこそカズキは他者に迷惑を掛ける事を良しとせず、ヴィクター化は拒んでいる。
 一人未開の大地に残されるかもしれない事実に揺れるまで。
 だがもしも、管理局が強硬手段に出てカズキの近しい人を傷つけでもしたら。
 恐らくはヴィクターがロストロギアやそれに関わる人を憎んだように、管理局員を憎むかもしれない。
 それどころかヴィクターの意志を次いで、ロストロギアにかかわるすべてを破壊しようとする可能生さえあった。

「そして、カズキ君。これから貴方がどうするか。私から提示できる選択肢も、ブラボーと変わらないわ。大人しく保護を受けるか……それとも」

 後者の選択肢をリンディはあえて口にはしなかった。
 再殺を受け入れるかなど、息子とそう歳の変わらない子に言えるはずもない。
 対するカズキは、当然の事ながら即答する事ができないでいた。
 なにも保護か再殺かを迷っていたわけでは決してない。
 ブラボーに保護を提示された時は、心が傾いていたが火渡の言葉が引っかかっていたのだ。
 保護を受けても実験動物、殺してやるのがそいつの幸せだと。

(言葉は悪いし、殺意も向けられたけど……あの人、たぶん根っからの悪人じゃない。方法はどうあれ、多少は案じてくれていた)

 まひろ達に滅多に会えなくなるのは辛いが、なんとか我慢できるだろう。
 だがもしも火渡の言う通りに実験動物の様な扱いを受けてしまったら、人を恨まずにいられないかもしれない。
 今のカズキは、少なからず組織というものは一枚岩ではいられないことを感じはじめていた。
 最高評議会派と三大提督派に、管理局が分かれている事例も目の前にある。
 だからこそ、ブラボーやリンディの人柄を知っても、管理局の保護を前面肯定できなかった。

「カズキ、あの……私は味方だから。カズキがどんな決断をしても、受け入れられる。一緒にいるよ」

 余程追い詰められた顔をしていたのか、フェイトが伺うようにカズキを見上げてきていた。
 それに気づかされ、カズキはフェイトの頭を撫でて安心させる。
 そんな光景から眼を伏せているのは、シグナムであった。
 カズキの隣にいるのは、これまでのように自分ではなくフェイトである。
 自分もまたカズキを勇気付けたいし、共に居てやると言いたいができない理由があった。
 これまでの様に、ホムンクルスのような第三の敵が相手であれば問題はなかったはずだ。
 だが今回のカズキ達の敵に回りかねないのは、管理局である。
 はやての保護をリンディにお願いした以上、今までのように自由には動けない。
 だから差し伸べたい手の平を握り締め、二人を見ている事しかできないでいた。
 そんなシグナムの葛藤に気付く余裕も無く、カズキは次のような言葉を口にするだけで精一杯であった。

「少し、ほんの少しで良いから時間をくれませんか?」
「気持ちの整理も必要よね。火渡には上手く誤魔化しておくわ」

 リンディは、保護によって今の生活を捨てる事を迷っていると判断したらしい。
 少し思案した様子ではあったが、直ぐにカズキの言葉に頷いてくれた。

「保護と言っても直ぐじゃないわ。カズキ君のヴィクター化は六週間後。そうね、余裕を見て三週間の猶予はあげられる。お友達や家族との別れには短いだろうけど、私としてもその程度の余裕はあげられるわ」
「ありがとうございます」

 上辺だけの言葉になってしまったが、カズキはそう言ってリンディに頭をさげた。

「カズキ……」
「大丈夫、一人で戻れるから」

 そして心配して手を取ったフェイトを撫でて安心させ、一人部屋を出て行く。
 少しの間、一人になりたかったという気分でもあった。
 そんなカズキをフェイトが心配そうに見送り、シグナムが唇を噛み締めていた。

(私にとって、一番は主はやてだ。主はやてに不利になるような事は何もできない。例えカズキの相談にのるぐらいの事でもその結果次第では……)

 主への忠誠とはやての微妙な立場、そして管理局から狙われるカズキ。
 二人の間で板ばさみにあい、シグナムは思い悩み続けていた。









 一応は部屋へと真っ直ぐ帰ろうとしたカズキであったが、眠気など殆ど吹き飛んでいた。
 きっとベッドに入っても眠れないだろうなと思いつつ、部屋のドアノブに振れる。
 その時、ドアの真横に誰かしらの足が打ちつけられた。
 いささか乱暴な振る舞いに眉根を潜めながら振り返る。
 そこにいたのは、浜辺での花火大会以降姿が見えなくなっていたパピヨンであった。
 その後ろにアリシアが何処からか、呼んできたのか。

「聞いたぞ、あと六週間で真の化け物になるんだって?」
「パピヨンのお兄ちゃん!」

 率直過ぎる言葉にアリシアが怒りの声を上げるが、もちろんパピヨンは悪びれる様子もない。
 だがカズキも、ここまで直球だと怒るに怒れない。

「それで、貴様は一体どうするつもりだ?」

 あくまでもパピヨンは回りくどい事をせず、直球であった。
 問題があるなら、どうするのか。
 もちろんカズキの気持ちは人間に戻りたいだが、それは姿勢であって行動ではない。
 どうしたいかではなく、そのどうしたいの為にどういう行動をとるのかが重要だ。
 万が一岡倉達に聞かれる事を考え、部屋の前から少し移動する。
 そして廊下の途中にある窓際にて、カズキは夜空を見上げて呟いた。

「まだ、分からない。一番良いのは、ブラボーやリンディさんの言う通り、管理局の保護を受けて無人の次元世界に行く事だと思う」
「でもそれは、周りにとってベストなだけでカズキのお兄ちゃんにとってベストじゃないよ。もちろん、まひろちゃんやフェイト、私達にとっても」

 アリシアの言う事は最もだろう。
 カズキだってヴィクター化する前に隔離するという案が安全なのは分かる。
 それで誰かが傷つけられる事もなく、カズキも誰かを傷つける事はない。
 後は、管理局がヴィクター化を反転させ人に戻す手を見つければ良いだけ。
 しかしそれはカズキ自身は何もせず、安全の為に全てを他人に委ねる事になる。

「本当に、管理局はヴィクター化から元に戻す手を研究するかな?」

 まさに今考えていた事をパピヨンに指摘され、カズキが肩を震わせた。
 カズキが本当に信じられる局員は、実は少ない。
 ブラボーやリンディ、クロノそれから一部の面識あるアースラのクルー。
 ジュエルシードの捜索中に出会った、管理局員の中でも極一部。
 他の管理局員からしてみれば、カズキは化け物になる寸前の危険人物でしかない。
 それも世界を滅ぼしかねない、出来れば直ぐにでも始末を付けたいもはや危険物。
 火渡が言った通り、始末を免れても実験動物扱いか、飼い殺しか。

(今の気持ちのまま隔離されて、誰かを恨まない自身がない。俺はたぶん、納得したいんだ。本当に自分で選んだ道なら、どんな事だって耐えられる。それにたった六週間とはいえ……)

 保護を受けた後の不安はもちろんある。
 自分の事を含め、自分が居なくなった後のまひろの事など。
 だがカズキが一番欲しかったのは、自分でこの道を選んだという納得だ。
 誰かに言われるがまま、何もせずに居たらどんな結果も受け入れられない。

「俺は、まだ人間なんだ。足掻きたい。六週間の間に、足掻けるだけ足掻く。結果、どうにもならなくても俺はきっと納得できる」

 どうにもならなくなってから保護を受けると言っても、受け入れて貰えないだろう。
 それでも、その時ならばどんな結果であってもカズキは納得して迎えられる。
 管理局の保護でも、再殺でも、はたまた別の結果であろうと。
 まだ行動には結びつかないが、カズキの指針はよりはっきりとした。
 試す為に最殺を宣言したブラボーに言ったように、最後まで足掻いてみせる。

「だから俺は、自分の手で元に戻る手段を探しに行く」

 あくまで人間に拘るカズキの言葉を聞き、らしくなってきたとパピヨンが笑う。

「ならば力を貸してやろう。感謝して敬え」
「力って……何か案があるのか?」
「当たり前だ、俺を誰だと思っている。アリシアから聞いたが、黒いジュエルシードは全部で三つらしいな。その内の一つがお前の左胸に収まっている」

 つまり後一つ黒いジュエルシードがあるはずだが、パピヨンが言いたいのは別の事であった。

「だがお前の胸のジュエルシードは、最初青かった。シリアルナンバーでさえ、異なっていたんだ。ヴィクター化の兆候は、ジュエルシードが黒くなってから」
「そっか、つまり黒いジュエルシードの波動か何かを抑える方法があるかもしれないって事だね。そして、カズキのお兄ちゃんのジュエルシードを発掘したのは……」
「ユーノ君か。ユーノ君なら、ジュエルシードの入手先や経緯に詳しいはず」

 だが現在ユーノは、本局の方で仕事に従事しているはずだ。
 少なくともシグナム達と敵対していた頃には、無限書庫という場所で働いていた。
 今現在もそうかまでは分からないが、外れたとも聞いていない。
 もしかすると、引き続きヴィクターについての調査をしている可能生があった。

「よし、管理局の本局へ」
「いや、行けないよ。さすがに堂々とは……秘密裏に連絡をとるしかないよ」

 拳を握り宣言したカズキへと、待て待てとアリシアがストップをかけた。

「再殺の為の部隊も動いているらしいな。多少は時間を掛けても、面倒は避けるか。よし、武藤三分で準備しろ。案内してやろう、俺の研究所に」
「分かった。三十分だな、まひろの面倒の事もあるし急いで皆に手紙を書くよ」
「おい、貴様何を悠長に!」
「サンキュー、蝶野。直ぐすませるから」

 ぶんぶんと手を振り、部屋に戻ろうとするカズキをパピヨンが止めた。

「勘違いするなよ、武藤。俺の目的はあくまで、人間・武藤カズキを蝶最高の俺が斃す。その為ならば、なんだってする」
「ああ、分かってる。俺も絶対人間に戻ってみせる。頼りにしているなんて、口が裂けてもいえないけれど……感謝はしてる」
「ふん、当然。さっさと行け、あと二分三十秒だ」
「分かった、二十五分だな!」

 再度おいとパピヨンに突っ込まれるが、きちんと等分減らされているのがなんともカズキらしい。
 それにしても、カズキも急速に普段のらしさを取り戻しつつあった。
 それも宿敵と言って良いパピヨンのおかげでだ。
 そのパピヨンを呼び出したのはアリシアであったが、半分良かったのかなと思っていた。
 主に、大事な妹の初恋という意味合いで。
 フェイトのような可愛い存在以上に、パピヨンという異常な存在がカズキを元気付けた。

(頑張れ、フェイト。お姉ちゃんはフェイトの味方だから。恋敵がパピヨンのお兄ちゃんって時点で茨の恋の気もするけど!)

 夜空の月に重なり両手を握り締めて頑張ると、気合を入れるフェイトが幻視できた。









-あとがき-
ども、えなりんです。

今回はあまりお話は進んでません。
それにしても、管理局詰んでないか?
ヴィクターを倒す方法は見えず、一応再封印の可能性もあるが……
封印者一人に対して、ヴィクターは二人。

そもそも、ヴィクターって何も悪くないんですよね。
むしろ次元世界にとっては良い人なんじゃないだろうか。
ロストロギアにさえ関わらなければ……
原作とは違い、世界は広いので一般人には意図して危害を加えないでしょうし。
ソレに加え、危ないロストロギアを壊して周ってくれる。

ロストロギアが大切な祭器とかだと、壊されちゃ溜まりませんが。

それでは次回は水曜です。



[31086] 第三十一話 そこで僕はジュエルシードを手に入れた
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/04/18 23:38

第三十一話 そこで僕はジュエルシードを手に入れた

 デバイス越しに送られた後始末の結果に、クロノは深い溜息を一つついた。
 目の前に置かれた、朝食のパンは手付かずで、コーヒーは少し減った程度で冷めてしまっている。
 昨晩のブラボーと火渡の戦闘は、ダブルノックアウトという形になるまで続けられたのだ。
 お互いに殆どダメージはなかったが、魔力が一滴もなくなるまで。
 一睡もせず一晩中結界を張り続けていたクロノは、良い迷惑であった。
 しかも、結界を張らずに行なわれた間の戦闘痕の修復まで請け負った始末である。
 久々に楽しめた休暇から一転、普段以上に忙しい夜となってしまった。

「幸い、被害は海岸線の一部が炎上しクレーターが造られたぐらいか」

 冷めたコーヒーを口にしながら、その原因を作り出した人物を睨み挙げる。
 当の本人は気後れする事も無く、暢気にホテルの食堂で同席して朝食中である。
 しかも禁煙席であるにも関わらず、堂々とタバコをふかしていた。
 何度もクロノが取り上げても、新たにふかし始めてきりがない。
 どうやら反省という文字は、赤毛の頭の中にはこれっぽっちもないようだ。

「文句があるなら防人に言え。コイツのせいで、ターゲットを逃がしちまったんだ。ま、この程度の不条理なんて事はねえがな」
「火渡、その名で俺を呼ぶな」
「ああ、何を言ってんだ。テメェの本名じゃねえか。十年前をまだ引きずるってんなら、もう一戦今からやってやろうか?」
「いい加減、大人になりなさい二人とも」

 まさに一食触発、そんな二人を前にリンディが落ち着きなさいとばかりに割って入った。
 ことりとテーブルの上に置かれたのは、ケーキの山。
 バイキング形式の中から、甘い物だけをリンディが取ってきた結果である。
 それを見ただけで、ブラボーも火渡も胸焼けがしたように顔をしかめていた。

「結果的に、私達はカズキ君を追い詰めすぎたわ」

 そう言ってリンディがテーブルの上に置いたのは、一枚の手紙であった。
 その内容は、四人とも一度は眼を通していた。
 端的に言えば、時間をくださいという内容である。
 他に個人的にまひろ等も手紙を貰っており中を見せてもらったが、行き先は書かれてはいなかった。

「これで決定だな。武藤カズキ、第二のヴィクターは管理局の保護下から逃げ出した」
「騎士・カズキは決して弱い男ではない。諦めの悪さは筋金入りだ。恐らくは、最後まで人として足掻くつもりだ」
「僕もブラボーの意見に賛成です。そして足掻いた結果がどうあれ、全てを受け入れる」
「どうだか。そういや、ガキやその他も逃走補助しやがったな。そいつらの始末も含め、俺が殺っておいてやる」

 武藤カズキを知る者と知らない者。
 両者において見解は限りなく遠いものであったが、特に最後の一言がまずかった。
 カズキだけでなく、フェイトやアリシア、ついでにパピヨンも対象とした一言。
 食堂に差し込む朝日に混じり、若草色の光が穏やかに舞う。
 最初はテーブルの上の食器がカタカタとなり始める程度であった。
 だが次第にその程度は大きくなり、火渡が座っていた椅子がギシギシと軋み始める。
 火渡本人の顔も苦みばしっており、魔法によってかなりの加重をかけられているのだろう。

「母さん、落ち着いて。火渡も挑発しないでくれ」

 人目もはばからず、背中に魔力の翼を展開したリンディをクロノが嗜める。
 これでは昨晩、結界も張らずに派手にやらかした二人をとやかく言えない。
 それ以前に、クロノはここまで感情的になるリンディを久々に見た。

「カズキとパピヨンは兎も角、フェイトやアリシアは見つけ次第拘束。判断は事情を聞いてから……」
「確かにそうだな。テメェの言っている事は十分に正しい。だが正しいからとて、それが常にまかり通るとは限らねェ。教えたはずだぜ」
「火渡、あまり私を怒らせないで……」
「リンディ、そこまでにしておけ」

 握り締めていた手の平を、ブラボーの手で包まれリンディが我に返った。
 改めて冷静になって周囲を伺えば、地震かと他の客が天井を見上げたりしていた。
 幸運にも背中の羽を誰かに見咎められる事もなく、展開するのを止める。
 掛けられていた加重が収まり、火渡はやれやれと肩をまわす。
 ただしその目は、リンディの手を握るブラボーの手に注がれていた。
 普段から鋭い眼光を放つ瞳がさらにつりあがり、眉がわずかに引きつっている。

「ごめんなさい、火渡」
「別に、なんてことはねえ。だが、これ以上俺達が顔付き合わせても無駄だ。俺は武藤カズキ、ヴィクター・スリーを殺る。本局に戻り次第、部下も向かわせる」

 そう言うと、食事には何も手をつけないまま火渡は席を立った。
 そして珍しく自分の取り乱し様に落ち込むリンディの後ろから、その肩に手を置いた。

「火わ」

 リンディが振り返り様に見上げた瞬間、その唇を乱暴に奪う。
 咥えタバコをしたまま、煙がにがいと眉を潜めるリンディを目の前に笑った。
 もちろん、直ぐに突き飛ばされるように離れさせられたが。
 リンディは周囲の目を気にして一つ咳払いをしてから、注意する。

「火渡貴方ね……もう何時になったら、女の子の扱いを覚えるのかしら」
「変わらねえよ。不条理を不条理でねじ伏せるのが俺のやり方だ。それが女相手でもな」

 じゃあなと、ブラボーやクロノには見向きもせずに火渡は帰って行った。
 言葉通り、本局に戻り次第カズキへと刺客を送りつけるつもりだろう。
 残されたのは少し頬を赤く染め、仕方のない人と見送るリンディと無言のブラボー。
 そして何故自分の母親はこうももてると、気が気でないクロノである。
 しかも相手は母親の友人でもあり、亡き父の親友でもあり、初心なクロノは頭がパンクしそうだ。
 そんな様子を遠目で見つめるのは、別のテーブルにて朝食を取るアリサ達であった。

「三角関係よ、三角関係しかも大人の。二人の男が一人の女を取り合い、憧れるわ」
「アリサちゃん、はしゃぎ過ぎ。でもちょっとは気になるかな。ドラマみたい」
「クロノ君はそれどころじゃないみたいだけど……」

 好奇心を隠しもせず覗くアリサをすずかが嗜め、なのはが苦笑を漏らす。
 ただアリサも完全に好奇心のみではしゃいでいたわけではない。

「ほら、もさもさ食べない。こぼれてる。直ぐに帰って来るさ」
「うん……」

 突然手紙だけ残し、カズキが姿を消した事で意気消沈するまひろである。
 今はアルフが必死に世話を焼いているが、そうでもしなければ部屋から出てくる事もなかった。
 必死に構ってあげなければ、今にも泣き出しそうである。
 少々大げさにアリサ達がはしゃいでみせても、あまり乗り気ではないようだ。
 大好きなカズキが何時戻るかも分からない状態になれば、それも当然か。

(本当は私もフェイトについていたかったけど、この子も放っておけないし)

 アルフが苦笑交じりに肩を竦め、アンタ達はちゃんと楽しみなと視線を向ける。
 実際、直ぐそばの席にいる岡倉達が、何時でもまひろを構えるように準備していた。
 そして最後の一つの席、八神家の食卓もあまり華やいではいなかった。
 美少女から美女がいるという点では華やかに他ならないが、どうにも沈んでいる。
 その原因を主に作り出している者は、その事に気付いてすらいない。
 はやて、ヴィータ、シャマルがお互いに目配せしあい、あるものをテーブルに置いた。
 リンディ達からは絶対に見えないようにしながら。

「主?」

 さすがに気付いたシグナムが呟くと、シッとはやてが唇に指を当てていた。

「アリシアちゃんからその気があるようやったら、シグナムに渡してくれってな」

 手紙というよりは、一枚のメモを小さく畳んだものであった。
 差出人はアリシアという事だが、はやてのくちぶりから中の文は容易に想像がつく。
 だからこそ、シグナムはメモを受け取ろうとはせず、静かに首を横に振った。

「主はやて、我々は……いえ、主は非常に微妙な立ち位置にいます。私は今回ばかりは、カズキに手を貸す事はできません」
「まあ、守護騎士だったらそう言うのが正しいんだろうな。はやての部下、駒……言いなりの人形だったらな」
「後半は聞き流すが、私は主の守護騎士、烈火の将だ」
「ええ、その通りね。けれど……それは同時に、悲しい答えでもあるわ」

 棘のあるヴィータの言葉を切って捨てたが、逆にシャマルに切り込まれる。

「あんなシグナム。私は皆を家族や思っとる。けれど、それは常に家族だけを最優先にするって意味やない。通じあっていれば、絆があれば十分や。だから、好きな人の後を追ってもええと思うんよ」
「わ、私は別に……カズキはただの弟子のような」
「誰がカズキの事だって言ったよ」

 ヴィータにそう突っ込まれ、思わず口にしようとしていたパンの欠片を取りこぼす。
 カッと頬が熱く、恐らくは赤くなっている事であろう。
 赤面した顔を隠すべきかせめてと俯き伺うと、にやにやとした笑顔に囲まれていた。

「私の事は心配いらへんよ。それにあんま他人事やあらへんし……どうしても踏ん切りつかへんなら命令したる。闇の書の主として命令するわ。武藤カズキの動向を探れ。どうするかは自分で判断せえ」
「私は……」

 はやてからの命を受けても、迷いメモを手にするだけで精一杯であった。








 時の庭園、次元空間に浮かぶ人工のその島は、今や知る者は殆どいない。
 書類上の正式な所有者は既に死亡しており、彼女の子供が密かに受け継いだのみである。
 アリシア・テスタロッサ、そしてフェイト・テスタロッサだけがその場所を知っていた。
 唯一の例外は、当時肉片の状態で連れてこられたパピヨンのみ。
 カズキはパピヨンの手により、その時の庭園へと匿われていた。
 潜伏そのものは即座に終えられたが、実際に行動を起こしたのは三日後であった。
 着の身着のまま、遠くへと逃げ出したと思わせる為である。
 そして今、カズキ達はパピヨンの研究所の一角にある巨大モニターの前にいた。

「アリシアちゃん、まだかかる?」
「うん、あまり大っぴらにできない通信だから。それにユーノ君、専用のデバイス持ってないんだよね。気をつけるに越した事はないよ」

 カズキに問われたアリシアが、モニター前のコンソールに指を走らせる。
 ユーノは専用デバイスを持っていない為、直接連絡を取り付けることができない。
 取れる方法としては、本局へと連絡を入れて取り次いで貰う事だが、これも却下であった。
 既にカズキがマークされている以上、取り次いで貰える事はまずないだろう。
 それがフェイトやアリシア、パピヨンでも恐らくは同様だ。
 となると後はハッキングにより、受付を通さずにユーノへと連絡を取り付ける方法である。

「アリシア、本当に大丈夫?」
「別に本局のデータベースを漁るわけじゃないから。通信に紛れ込むだけなら、そこまで難しくはないよ」
「なら、さっさとしろ。こっちは待ちくたびれているんだ」
「もう、だったらパピヨンのお兄ちゃんがやってくれたら楽なのに……」

 恨めしげにアリシアが呟くも、パピヨンは蝶々のマスクを逆さにしての罰点マークを腕で作り上げていた。
 溜息の一つも突きたい所だが、パピヨンの心境が複雑な事も理解している。
 確かにパピヨンとしては、カズキをヴィクター化させない事は絶対だ。
 かといってパピヨンはカズキの友人でもなければ、戦友でもなかった。
 下手な貸し借りができる上に、カズキにその気はなくても利用された形は避けたい。
 アリシアを貸し出すという点が、妥協の最低ラインなのだろう。
 結構面倒な性格をしているパピヨンであった。

「自分から言い出したくせに、意地っ張り……はい、繋がった」

 しばらく作業を見守った後に、アリシアがほっと息をつきつつコンソールを一叩きした。
 前面のスクリーンが縦の長方形に切り取られ、真夜中のテレビのように砂嵐が現れる。
 だがその砂嵐は次第に何かを映し出し、人影を映し込んだ。
 向こう側の誰かもそれに気づいたようで、慌てたように周囲を見渡したように見える。
 そして砂嵐がほぼ消え、時折乱れる画面の向こうに驚きの表情のユーノが表れた。
 その後ろに見えるのは、本棚に埋まる無数の本であり、恐らくは無限書庫なのだろう。

「カズキ、フェイトも……君は確かアリシア、それにパピヨン」

 パピヨンにだけは唯一思う所があるのか、視線は厳しいものであった。
 だが戦友とも呼べるカズキやフェイトに対しては、ユーノらしい気遣いを見せた。

「二人共、大丈夫? あまり詳しい事は聞かされていないけど、好ましい状況じゃない事は聞いてる」
「全く大丈夫ってわけじゃないけど、なんとか。実はユーノ君に聞きたい事があるんだ」
「うん、だいたいは想像がつく。僕が見つけたジュエルシードについてだね」
「お願いユーノ、立場上は難しいかもしれないけどカズキの為なの」

 両手を握り合わせたフェイトの懇願を前に、ユーノは少々の戸惑いの後に柔らかい微笑を向けた。
 ユーノにとって、フェイトの印象は過激な少女である。
 ジュエルシードをわざと解放させたり、ぶち切れ状態でホムンクルスに立ち向かったり。
 そんな印象だったのだが、何やら今のフェイトは妙に女の子らしくて可愛らしい。
 あと、妙に立ち位置がカズキのそばに近かったりもする。
 そういう事なんだろうなと、恋が変えたのかもと一人納得し、表情を引き締めた。

「構わないよ。むしろ、入手先については以前に管理局に報告書として提出してるしね。けれど、実は報告しなかった事もあるんだ」
「ほう、興味深い話じゃないか」

 あの真面目なユーノが、まさか管理局を相手に嘘の報告をしたわけでもあるまい。
 だがその表情は少し青ざめており、あまりよろしくない事実があったようだ。
 言葉通り、興味を引かれたようにパピヨンがその口の端をあげる。

「場所は緑豊かな次元世界ニュートンアップル、財界人の令嬢等がこよなく愛する避暑世界とでも言おうか」

 発掘許可を得るのが大変だったと軽く笑いながら間を置いて、ユーノは言った。

「そこで僕はジュエルシードを手に入れた。ただし、僕が手に入れたのは二十個なんだ」
「え?」

 アリシア以外、当時ジュエルシードの争奪戦を繰り広げたカズキ達は一斉に疑問の声をあげた。
 海鳴市に散らばったジュエルシードの数は二十一個。
 カズキ、パピヨン、アリシアがそれぞれ体を維持する為に一個ずつ保有している。
 当人達からはもはや切っても切り離させられない三個。
 他は全て管理局が保有しており、その数は十八個、合わせて二十一個だ。
 ユーノが発掘した数が二十個となると、残り一つは一体何処から現れたのか。
 ジュエルシード同士が結ばれ、新たに一つ生まれたわけでもあるまい。

「避暑地近くの山間の洞窟で、僕は発掘チームと共に二十個のジュエルシードを見つけた。その夜、興奮して寝付けなかった僕は散歩に出かけ、アイツに出会った」
「アイツ、誰かから貰ったって事?」

 アリシアの呟きにユーノは頷いて続けた。

「黒いローブにフルフェイスのマスク、異様としか言いようのないその男から僕は一つのジュエルシードを渡された。いや、記憶はおぼろげで本当に男かもわからない。混乱する僕に彼はこう言った。共に持って行けと」

 当時を思い出したのか、不安そうに二の腕をユーノがさする。
 状況的に幽霊にも思える男の話に、アリシアもフェイトもどこか居心地が悪げであった。

「使っても調べてもいい。ただし決して壊してはならない。壊せば必ず、災いが芽吹く。そう忠告して直ぐ彼は消えた。今でも時々、彼の存在を疑わしく思う事がある。けれど、彼がくれたジュエルシードのナンバーはLXX」
「カズキが以前使ってたナンバー。その人は、きっと知ってたんだ。それが黒いジュエルシードだって」
「ついでに言うなら、黒いジュエルシードの力を抑える方法を知っている可能生が高い。共に持っていけというのも、ジュエルシード同士の共鳴を何処まで防げるか試したかったのだろう。だからあえて意味深な忠告を残した」
「僕らスクライアは有名だからね。その後、輸送中の事故で散々な目にあって忘れてたけど……管理局の許可があれば、きっと調べてただろうね」

 フェイトの希望を見つけた呟きを、パピヨンが興味深そうに呟きながら補足する。
 そしてユーノも間違いないだろうと、肯定していた。
 つまりカズキが目指すべきは次元世界ニュートンアップル、そして黒いローブとマスクの男。
 恐らくは黒いジュエルシードの秘密を知る者だ。

「カズキ、今の僕はこれ以上は手伝えない。けれど、この無限書庫でできるだけ情報を集める。だから君も諦めず、そこを目指してくれ。きっと君なら辿り着ける」
「うん、ありがとう。凄く助かったよユーノ君。その次元世界に赴いて、黒いローブの男を探し出す」
「高次元空間を航行する人工島、時の庭園。洒落た隠れ家じゃねえか」
「誰ッ!?」

 突然現れた男の声に振り向く間もなく、ユーノの姿が通信モニター上から消えた。
 モニター上に割って入ったのは、炎を纏った拳である。
 特にカズキが張り付くようにモニターに前のめるが、それで殴り飛ばされたユーノが見える事はない。
 そのあまりにも非常識で不条理な行動には覚えがあった。

「貴様ッ!」
「はッ、何を叫ぶ事がある。全部てめえのせいだろ。逃げ出した挙句、スクライアのガキを頼った。これでコイツは、内通の疑い有りで豚箱行きだ」
「ユーノは関係ない。手を出さないで!」

 カズキの怒りはあっさり流した火渡だが、何故かフェイトの言葉に目を丸くしていた。
 そしてはっきりとした嘲笑混じりに笑い出す。

「関係ない、で……敵のそんな情報誰が信じるってんだ? てめえらは既に世界の敵なんだよ。どんな不条理を感じても、それが事実だ。さあ、てめえら。おいしいところは早い者勝ちだ!」

 モニター越しに、火渡が激昂するカズキ達を挑発的に指差した。
 その意味に逸早く気付いたパピヨンが、コンソールに手を伸ばして通信を断ち切った。
 まだユーノは火渡の手の内、文句を言おうとカズキが口を開いた瞬間、警報が鳴り響いた。
 魔力により生み出された蛍光の光の中に、明暗を繰り返す警告の赤い光が灯る。

「チッ、面倒な事になった」
「え、警報。なんでまさか!」

 次いで今度はアリシアがコンソールに指を走らせ、別途モニターに画面を映しだす。
 時の庭園の正面玄関先にて、四人の侵入者の存在を映し出した。
 無精ひげの巨漢に、パンダのような白黒のマスクをした丸い巨漢、目付きの鋭い男に、一見優男風だが陰険そうな男。
 火渡と同じ、特殊部隊の制服を身に纏った男達であった。
 その彼らは見られている事もに気付いているのだろう。
 まるで逆にモニター越しにこちらを覗いているように、各々異なる表情を浮かべていた。

「さて、逃げられぬうちに速やかに任務を遂行せねば」
「早いもの勝ちなら僕のレアスキルの圧勝かな。隠れんぼは得意なんだ」
「フフ、それはどうかしら」
「広くてちと分かりにくいが、変わった匂いがするな。おそらくコレがヴィクター、もしくはホムンクルスか。ややこしいな」

 彼らの瞳は、戦意過多で猟犬から猛犬と様々な色を称えている。
 恐らくは火渡と同様に話し合いなど最初から無理に違いない。

「美味しいところは早い者勝ち」

 誰ともなくそんな言葉が放たれ、彼らは一斉に行動に移した。

「逆探知で、この時の庭園の位置まで……セキュリティが甘いはずだよ。最初から狙われてた。私達がユーノ君を頼るのを知ってて泳がされたんだ!」
「最初から、私達の」

 自分達のせいと口にしそうになったフェイトは、とっさに口を手で押さえた。
 何より誰よりもそう感じているのは、カズキに他ならない。
 今頃ユーノは火渡によって、どんなめにあわせられている事か。
 ちらりと伺ったカズキは、噛み締めた唇を噛み切り唇の端から血を流している。
 静かに自責の念と戦うカズキとは裏腹に、アリシアは非常に焦り無意味に手振りを加えていた。

「まずいよ、まずい。ここには、お母さんの違法研究の証拠がどっさり。多少の危険は含んでも迎撃しないと。パピヨンのお兄ちゃん!」
「確かに研究所を破壊されるのは、俺も困る。おい、武藤。貴様が誘い込んだ管理局の犬どもだ。手伝え、貴様がそうしていたところで何が変わるわけでもない」
「ああ、分かっている。俺が悔やんだところで、ユーノ君を巻き込んだ事実は揺るがない。あえて捕まってユーノ君の無罪を主張しても、誰もそれを信じない」

 パピヨンの呼びかけに対し、カズキがその俯かせていた顔をあげた。
 あるいはリンディやブラボーならば、カズキの主張を少しは聞いてくれるだろう。
 しかし、それではまた巻き込む人を増やすという意味に他ならなった。
 彼らの庇護の手を振り払っておいて言う台詞ではないが、これ以上迷惑はかけられない。
 ならばせめて、最後まで足掻き続け人の体を取り戻す。
 それは同時にヴィクターの弱点を知る事にも繋がり、貢献という形で返す事ができる。
 もちろんそれは何もかもが上手く行った時の話で、駄目だった場合は。

(自分自身で始末をつける。まだ俺には足りなかった。世界の敵になる事への覚悟が。最後まで貫くならそれも視野に入れるべきだ)

 とても自分で進んでそうしたいとは思わないが、必要な選択肢でもあった。
 不条理な選択肢を前になんで俺がという気持ちも確かにある。
 だが幾ら目を背けても、刻一刻と期限と自分を殺そうとする敵はまってはくれない。

「よし、行こう。フェイトちゃんはここで待っ」
「行くよ、私も……私の目的はカズキを守り、元に戻る手伝いをする事。だから、行く」

 出鼻を挫かれかつ、確固たる意志を秘めた瞳で見上げられた。
 揺るぎない瞳、淀みない言葉。
 どうやらカズキよりもよっぽどフェイトの方が覚悟を決めていたらしい。
 最近、なんだか良いところが殆どないなと思いつつ、カズキは頷き返した。
 そしてアリシアや、今は味方であるパピヨンへと振り返り戦おうと呟く。

「何故か知らないけど、あの人達バラバラに行動を始めた。そうなるとこっちもバラバラにならないといけないけど……」
「防衛戦だからな、付き合うしかない」

 パピヨンの溜息通り、一纏めで来てくださいとお願いするわけにもいかない。

「でも全部付き合う必要はない。こちらは二人一組、出会ったそばから各個撃破しよう。幸い、大事なものは深部や隠し部屋だし」
「うん、フェイトの言う通り……え、あ。駄目、そっちに行っちゃ!」

 フェイトの言葉に頷いたそばから、アリシアがモニターに釘付けとなった。
 その焦り声に釣られ、カズキ達は一斉にモニターを見た。
 一本の槍を肩に置いた巨漢の男が、向かおうとする先は時の庭園の中庭だ。
 外を岩盤で覆い神殿かと思うような造りをした時の庭園は緑がない。
 庭園という言葉とはかけ離れた場所故に当たり前だが、極一部は異なる事もある。
 それが中庭であり、温暖な気候に設定されたそこは草花が咲き乱れていた。
 アリシアが大事に育てたその人工の草原の中には、プレシアのお墓があった。

「私とパピヨンのお兄ちゃんはまずコイツを倒しにいくから。フェイトは、カズキのお兄ちゃんを案内してあげて!」
「やれやれ、忙しい奴め。武藤、簡単に殺られるんじゃないぞ。貴様を斃すのは、この俺だ」

 パニックを起こしたように飛び出したアリシアを、溜息混じりにパピヨンが追う。
 といっても、腰に手を当て何故か優雅にモデル歩きをしながらだが。

「お前もな。ちゃんとアリシアちゃんを守れよ」
「母さんのお墓、アリシア……」
「フェイトちゃん、俺達も迎撃に向かおう」

 やや不安そうに呟いたフェイトの背中を、軽くカズキが叩いた。
 触れたのはほんの一瞬だが、確かに伝わった温かなものを受けてフェイトも顔を引き締める。
 もちろんプレシアのお墓も大事だが、大切なものは他にも沢山あった。

「私達はまずこの眼鏡の人を追おう。どういうわけか、一直線にここに向かってる。なんで協力しないか分からないけど、逐一こちらの位置を他の人に教えられたら厄介だ」
「確か特殊部隊は全員がレアスキル持ちだってリンディさんが……分かった。一人ずつ確実に倒していこう」

 お互いを見合って頷き、カズキとフェイトもまた研究所を飛び出していった。
 誰も居なくなった研究所内では、侵入者である彼らを逐一追いかけていた。
 そしてまた一つ、新たに五つ目のモニターが自動で浮かび上がる。
 映しだされたのは、桃色の髪を後頭部で一つに纏めた凛々しい姿の女性であった。
 はやてからカズキの居場所を教えられ、迷うこと三日。
 さっさと行けと叱咤交じりに家族に送り出されたシグナムその人である。
 そのシグナムは未だ鳴り続ける警報音に眉根をしかめ、そこに流れる空気を察していた。

「ひりつくような戦場の空気、侵入者か」

 警備システム上はシグナムも侵入者扱いだが、彼女はその事を知らない。
 だがここへ来た以上は、彼女もまた覚悟を決めていた。
 カズキを守る、フェイトほど気持ちに自覚はないがそう決めて来たのだ。
 最後は半強制的に送り出されはしたが、主であるはやてとカズキを天秤にかけた。
 そして天秤をカズキに傾け、この場所へと来た。
 だから迷わず彼女もレヴァンティンを手に、時の庭園の内部へと飛び込んでいった。









-後書き-
ども、えなりんです。

微妙に形は変わりましたが、再殺部隊戦です。
斗貴子がいませんし、色々と対戦相手が変わります。
ドリームマッチですよ。
クロスならでわですね。

ちなみに、アルフはまひろのお世話があるのでお留守番。
二話辺りでも、カズキが帰ってこなくて泣いてましたし。
まあ、誰かは残らざるを得なかった。
お話の進行上、人が多いと大変と言うのもありますけどね。

それでは次回は土曜日です。



[31086] 第三十二話 二度と追う気を起こさないようにする
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/04/21 19:51

第三十二話 二度と追う気を起こさないようにする

 伸ばし放題の髪を無造作に一纏めにし、肩に担いでいるのは十文字の槍。
 一見すると侍にも見える巨漢の男はベルカの騎士である。
 だがその粗野な雰囲気や野獣のような瞳は侍、または浪人といった言葉が良く似合う。
 本人も騎士などという畏まった表現は望まず、戦士と言われた方が喜ぶ性質だ。
 普通の騎士とはやや考えが異なる彼の名前は戦部。
 時折鼻を鳴らしながら勘に従い時の庭園の廊下を進む彼の前に、アリシアは躍り出た。

「そこで止まって、この先はお母さんのお墓しかないの。暴れて壊しでもしたら、許さないんだから!」
「ホウ、これはこれは可愛らしい化け物もいたもんだ」
「化け物、確かにパピヨンのお兄ちゃんの格好は変態だけど!」

 ビシッと後ろを指差しながら、アリシアが叫ぶ。
 都合良く可愛いという言葉だけを自分で受け取り、化け物という言葉をパピヨンに擦り付ける。
 だが指先の方へと視線を向けた戦部は、不思議そうに眉を潜めていた。
 何か納得のいかない反応に後ろへと振り返り、そしてアリシアも気付く。

「いない、パピヨンのお兄ちゃん?」

 そこにいるはずのパピヨンの姿は影も形も見えなかった。

「周囲にお前と似た気配は感じん。遠くにかすかに感じるが、見当違いの場所に向かっているな」
「普段研究室に篭ってるから、迷ったんだ。自分の研究所で……」
「はあ、外れくじを引いたか。幼子を痛めつけるのは趣味ではないが、後続の戦士の戦意を高揚するぐらいには役立つか」

 戦部の言葉から、どうやら見逃してくれるつもりはないらしい。
 プレシアのお墓を守る為に飛び出したアリシアだが、正直なところパピヨンを当てにしていた。
 何しろアリシアは、殆ど戦った事がないのだ。
 ホムンクルス故にポテンシャルこそ高いが、心の内が戦いに全く向いていない。
 起因するのは、プレシアをその手で殺めてしまったトラウマである。
 血や肉でも見ようものなら、たちまちに戦意を喪失して座り込みかねなかった。

「この先が墓とやらなら、この場ではしゃぐぐらいは問題なかろう!」

 そんな戸惑うアリシアを前にして、戦部が肩に担いでいた十文字槍を軽く縦に薙いだ。
 厚手の絨毯の下は硬い石畳である。
 だがその硬さを殆ど感じさせず、十文字槍の刃が抉り引き裂いていく。
 飛び退っていなければ、その剣閃にアリシアも巻き込まれていた事だろう。
 地割れにも等しい裂け目を軽々と作り出した穂先が、息をつく間もなく再びアリシアを襲う。

「とりあえず、バインド!」
「やれやれ」

 戦部の片足を狙い捕縛を掛けるが、呆れた声と共に強引に引きちぎられる。
 そして戦部の姿がアリシアの瞳の中から消えた。
 次の瞬間、消えたはずの戦部が目と鼻の先に現れ、拳を握りこんでいた。

「心が欠片も躍る気がせん」

 アリシアの小さな体、腹部に戦部の大きな拳がめり込んだ。
 腹をえぐる激痛、生き返ってから恐らくは始めて感じた命の危機。
 それによりアリシアに引き起こされたのは、闘争の本能だ。
 精神は激痛に悶えながらも、本能に揺り動かされた体、両腕が戦部の腕を包み込む。

「ウガアアアアッ!」

 瞬く間に腕が溶けて蒸発したような音が響き、鮮血が迸った。

「ぐッ、不覚。だがまだまだ!」

 片腕を喰われた戦部は、寧ろ高揚感を感じたように笑い叫ぶ。
 アリシアに喰われ失われた腕周辺に、放電のようなエネルギーが弾ける。
 生まれたのは骨、次に血肉、最後に表皮。
 喰われた光景を逆再生するように腕が修復され、今度こそ戦部はアリシアを殴り飛ばした。

「この程度、俺にとっては怪我のうちに入らん。それにしても、僅かだが心が躍った。血肉を喰らうとはまさにこの事!」

 戦部はまさに戦いを求める戦士。
 相手の血肉を喰らい戦うホムンクルスは、ある意味で彼の理想でもあった。
 古の戦士は打ち負かした相手の血肉を喰らい、その力を取り込んだ。
 彼にとってホムンクルスはそんな古の戦士を体現したような化け物である。
 見た目は幼子でも、アリシアには確かにその資質があった。
 だがそれはアリシアを構成する一部でしかなく、内面は何処までも少女でしかない。

「う、ウゲぇ……嫌だ、美味しくなんてない。早く、うっ」

 戦部により壁に叩きつけられるや否や、我を取り戻したアリシア。
 その彼女がとった行動は、痛みに耐え立ち上がるのではなく、喉の奥に手を伸ばす事であった。
 喉の奥に触れれば湧き上がるのは当然吐き気。
 今食べたものを吐き出したい、例え化け物であっても人喰いにはなりたくない。
 まかり間違っても旨味と共に喜びなど感じていないと、ホムンクルスとしての本能を否定していた。

「本当に、外れくじ。いやもはや貧乏くじか」

 蹲り震えながら胃の中のものを吐き出そうとするアリシアに歩み寄る。
 そして戦部はつま先でアリシアの体を広い放り投げ、十文字槍の柄にて叩きつける。
 今一度、壁に叩きつけられたアリシアは今度こそ意識を刈り取られ落ちた。

「さて、せめてお前には餌になって貰う。武藤カズキ、ヴィクタースリーは激情家の面があるらしいからな」

 アリシアを広い肩に担いだ戦部は、踵を返して歩き出す。
 奥にあるのがただの墓なら用はない。
 目的はあくまでヴィクター・スリーこと、武藤カズキの命。
 その命を頂く為に、激しく戦う事ができればなおよし。

「アリシア!」

 そんな戦部、主に彼が担いだアリシアの名を呼ぶ声が聞こえた。
 声の先はこれから戦部が向かおうとしていた廊下の先からであり、その声の主を見て笑う。
 女である事に代わりはないが、こちらは間違いなく騎士であったからだ。
 それも音に聞こえた守護騎士、それもリーダー格である烈火の騎士シグナムである。

「下郎、アリシアからその手を離せ。さもなくば、レヴァンティンの錆にしてくれる!」
「話と少し違うが、この場合は望むところだ。来い烈火の騎士!」

 アリシアをそばに放り投げ、初めて戦部が十文字槍を両手で握り締めた。
 向かい来るシグナムにあわせ、前へと飛び出す。
 デバイスが十文字槍、そして烈火の騎士と知りながら接近戦を挑む気概。
 シグナムも戦部がベルカの騎士と気付くと同時に苛立つ。
 ホムンクルスと言えど、幼い少女に過ぎないアリシアを痛めつけた事に。
 くり出される戦部の十文字槍に合わせ、シグナムがレヴァンティンを突き出した。
 二つの刃が衝突するのに合わせる様に、球体状の何かが割り込んだ。
 白と黒の線対称の色合いを見せる歪んだ笑みを見せる風船のようなものである。

「それに触れるな、烈火の騎士!」
「なに、くっ」

 それの正体に気付いた戦部が、突撃を取り止め飛び退った。
 余程やばい代物か、体に急停止を掛けて止まろうとするが切っ先が触れてしまう。
 風船が破裂するように球体が破れ、煙を周囲に振り撒いた。
 その煙を浴びたシグナムは、何かされたと感じたがそれが何かは分からなかった。
 何か被害を受けた様子もなく、軽く手探りで身体を触ってみるも怪我はない。
 だが僅かな違和感が体を覆い、何かをされたとは感じていた。

「丸山、獲物は早い者勝ちと決まっている」
「ええ、そうね。早い者勝ち、人の獲物を横取りしないでくれる?」

 戦部の言葉に答えたのは、風船と同じマスクを被り、丸々と太った体を特殊部隊の制服に身を包んだ男であった。
 シグナムを追ってきたのか、背後から現れ挟み撃ちの形である。
 だが丸山が掲げて見せたものを見て、戦部が唸るようにして十文字槍を下ろした。
 一体何をとシグナムが半身で見たのは、桃色の細い糸。
 僅かな微風にもたなびくソレは、シグナムの髪の毛であった。

「とても良い髪質だわ。お手入れの方法を聞きだしたいぐらい」

 男の声で女性のような呟きをした丸山が何を思ったのか、その髪を食べた。
 パピヨンとは全く趣の異なる変態行為に、シグナムは怖気が止まらなかった。
 思わずレヴァンティンを取りこぼしそうになりながら、両腕を掻き抱く。

「髪質に負けず劣らず香りも申し分ないわ。さあ、譲ってくれるかしら?」
「まあ、良いだろう。ムキになったところで、貴様が割って入ってくるのは目に見えている。それは俺の望む戦いではない」

 そう呟いた戦部が放り投げていたアリシアを抱えなおし、シグナムの脇を堂々と通り過ぎる。

「待て!」

 手を伸ばし待ったを掛けるが、戦部との間にあの風船がゆっくりとだが割り込んでくる。

「あら、無視は酷いわね。貴方の相手はこの私。それに安心しなさい。戦部はいたってノーマルかつ、戦馬鹿。その可愛らしい子も、相手が激昂するから連れて行く。そんな所でしょ?」
「烈火の将、機会があればいずれ手合わせ願おうか。それと丸山のレアスキルは俺も詳しくは知らぬが、貴様僅かだがその背が縮んでいるぞ」
「なっ!」
「ちょっと戦部、折角気付いてなかったのに……まあ、良いわ。私の能力は例え知られても、対処があるわけじゃない。寧ろ警戒してくれた方がやりやすい」

 戦部に指摘され、自分ではなく周囲を見渡して初めて気付いた。
 初めて訪れる場所だが、長い廊下を走り大体の構造は把握している。
 指摘されなければ分からない程度だが、周囲の景色と記憶が食い違う。
 頭上から照らす光は僅かに高く、通路の幅も心なしか広くなったように感じる。
 幻術か何かは分からないが、少なくともシグナムの感覚としては消し飛んでいた。
 極限にまで小さくなった場合、どうなるかはあまり考えたくはない。

「これがリンディ艦長が言っていた特殊部隊のレアスキル。性質が悪すぎる」
「褒め言葉よ、それ。じゃあ早速やりましょうか。貴方とても良いわ。お人形さんのように小さくして、鳥篭で飼ってあげる」

 そう呟いた丸山はマスク越しに奇妙な笑い声を上げながら、風船を量産する。
 どうやら通常の魔力球と同じく、魔力を変質させてあの風船を生み出すらしい。

「能力以前に、本人の性質が悪すぎる。そのようなもの、御免被る!」 

 変態の極みを相手にしたくないのもあるが、戦部にも追いつかなければならない。
 全てを決め付けるのは危ういが、どうやら本当に風船に近いようだ。
 僅かな風でもふわふわと流され、あまり素早くも動かせはしないらしい。
 ただしこの狭い通路にて、風船に埋め尽くされれば逃げ場という意味でアウト。

「レヴァンティン、吹き飛ばせ。陣風!」
「Sturmwinde」

 ならば全てを埋め尽くされる前に、風船という性質を逆に利用して吹き飛ばす。
 レヴァンティンが生み出した鋭さを極限まで減じた風で、風船を押し流した。
 丸山を守るように展開されていたそれらは、抗う術もなく流されていく。

「あ、あら?」

 まるでそれが予想外とでも言うように、丸山が慌てふためく。
 その様子を尻目に、シグナムは一気に懐へと飛び込んだ。
 丸山は体こそ大きいが、戦部のように巨漢とは表現できず、本当にただ大きいだけ。
 懐に入られても抗う術を殆ど知らないように、反撃一つできないでいた。
 強力なレアスキルに頼り過ぎていた結果なのか。
 シグナムは丸山の大きな腹を容赦なく真一文字に斬り裂いた。

「なに?」

 そして再びの違和感に、嫌な予感が脳裏を駆け抜ける。
 腹を斬り裂いたというのに、腕に伝わった感触が軽すぎた。

「何するのよ、いたーい」

 緊張感のない、多少嘲り交じりの声の後、切り裂かれた腹が膨れ上がる。
 特殊部隊の制服の裂け目から、あの風船が数え切れない程に飛び出してきた。
 あの太った体は全くのフェイク、恐らくは近接戦ができないのも。
 わざと懐に誘い出し、こうして罠にかける。
 その結果が、今のシグナムの状態であった。
 丸山のレアスキルにより作り上げられた風船が、四方八方を取り囲んでいた。
 下手に動けば風船を割りかねない。
 かといってこのまま座して待てば、身動き一つ取れない檻の中だ。

「一目、二目で私のバブルケイジの性質に気付いたのは凄いわ。だけど大抵気付いた人は貴方と同じ行動を取るの。惜しかったわね」
「それが貴様の本当の顔か。先ほどのマスク姿の方が、まだ愛嬌があるぞ」

 大きく太った姿もレアスキルの一部か、空気が抜けたように萎んでいく。
 腹の裂け目から身を乗り出した丸山は、言葉使いに違わず中性的、悪く言えばオカマチックな見た目をしていた。
 マスカラは濃く、クマドリのようになっており、眉は限界まで細い。
 綺麗に整えたショートカットや、キラリと光るピアスと着飾る事が好きな事が分かる。
 暗がりならば辛うじて女性と通る程度の美貌は備えていた。

「キツイ性格なのね。けど嫌いじゃないわ、媚びる女は嫌いなの」
「ふん、私は貴様が嫌いだ。ほぼ初対面でココまで相手を嫌えるのが不思議なぐらいだ」
「素敵よ、鳥篭の中でもそのままの貴方でいてね」

 憎まれ口を叩いている間にも、風船の檻は狭まりつつあった。
 もはや下手にレヴァンティンを掲げる動作すらもできない程だ。

(もはや多少の縮みは無視すべきだ。だが同時にそれは丸山の撃破が必須という事でもある。永遠に続く効果はない、まず使用者が気絶すれば効果は消える……はず)

 一抹の不安は残るものの、経験論に基づく推論を挟まねば活路も見い出せない。

「今の貴方は百五十センチってところかしら。慎重にかつ大胆に。九発、一気にいくわよ」
「くっ」

 僅かな身じろぎにより、まず肘の先が風船に触れてまた慎重を消し飛ばされる。
 もはや迷っている暇もなかった。
 レヴァンティンを掲げ、その間にさらに二発風船が破裂するが無視。
 床に突きたてると同時に、自分を中心に螺旋状に風を巻き起こす。

「Sturmwinde」

 周囲の風船を僅かながらに吹き飛ばし、天井付近へと巻き上げる。
 確実に丸山への道は生まれ、即座にカートリッジをロード。

「Explosion. Schlangeform」

 レヴァンティンを連結刃に変え、その名の通り蛇のような動きで低空を這わせ、足元から急上昇。
 だがわずかに丸山の反応の方が早い。
 連結刃が丸山の顔面を切り裂く一瞬、その顔が風船に覆われる。

「残念、でも当然ながらバブルケイジの性質は私の方が詳しいの」

 マスクのように丸山の顔を覆った風船を破り、これで計四発目。
 もはやシグナムの身長はアリシアに並ぼうかというところである。
 しかも今回は風船を破り身長を消し飛ばされるのみに留まらなかった。
 バブルケイジは正しく風船なのだ。
 丸山の顔を覆ったそれは通常の物よりも大きく、破裂すると同時に風を巻き起こした。
 誰の意図も含まない純粋な旋風は通路内に乱気流を生み出していった。
 天井付近に集まろうとしていた風船が、乱れる風に巻き込まれ吹き飛び散らばる。
 逃げ場もない中で、次々にシグナムの身長を消し飛ばしていく。

「ああ……もう何発当たったか数え切れなかったわ。確実に消し飛んだわね」

 次々に巻き起こり続ける破裂により、周囲は煙が飛散し視界が悪くなっていた。
 もはや回避という言葉が無意味な程に、バブルケイジの煙が充満している。
 丸山は酷く残念そうだが、その結果を裏付けるものが煙が晴れると同時に現れた。
 主を失くし、元の大きさを取り戻したシグナムのジャケットやスカートである。

「元に戻ったって事は、消失って事かしら。本当に残念」

 そう呟いた丸山が何かを思いついたように、それに近づきしゃがみ込んだ。
 せっせと衣服をかき集め始めたのは、記念にとでもいう意味であろうか。
 そして次の瞬間、小さくも鋭い衝撃が首の後ろから喉へと駆け抜けていった。
 同時に意識が急速に遠ざかり、なんとか振り返り閉じ行く瞼の中でそれを見た。
 百メートル以上は離れた通路の先、安全圏とも言える場所の天井に足を着けるシグナムの姿である。

「そんな……」

 煙で視界が悪くなり、小さくなった事で魔力光も最小限になっていた。
 咄嗟にシグナムが行なったのは転移であった。
 あとは威力の減少を考え、針に糸を通すつもりで奥の手の弓を放ったのだ。
 やがて丸山の意識も途絶え、バブルケイジの効果が消えたのか元の大きさに戻る。

「問答無用に責められていたら危なかった。貴様自身の遊び心に足元をすくわれたな」

 そう呟いたシグナムは、一緒に転移し損ねた衣服を回収。
 意識を失ってもしつこく手放さない丸山の体を蹴り上げ、戦部を追った。









 少し時は遡り、カズキと共に眼鏡の男の迎撃へと向かったフェイトが気付いた。
 バルディッシュに常時送られてくる時の庭園内の情報にである。
 そこに新たに加えられた情報はさらなる侵入者有りという事であった。
 だが送られた監視映像を前に、一度その足を止めてカズキに告げた。

「シグナムさんが?」
「うん、何処で知ったのか分からないけど。アリシアかな?」

 時の庭園の場所は、ユーノとの通信を傍受されるまでは最低限の人間しか知らなかった。
 それは信頼を置くリンディに対しても明かされてはいない。
 誰かが教えたとなると、フェイトにその記憶がない以上残るはアリシアだけ。
 パピヨンという選択肢はなくはないが、教える理由が見当たらないのだ。

「そう、シグナムさんが」
「カズキ?」

 ふいに浮かべた笑みの理由が分からず、フェイトは小首をかしげていた。
 シグナムならきっと助けになってくれるだろうし、嬉しいのは分かる。
 ただ今カズキが浮かべている表情は、単純に嬉しいと感じているようにも思えない。
 言うなれば安堵、心強い味方が現れた時以上のものであった。

「いや、なんでもない。フェイトちゃん、例の男の居場所は?」
「少し行った先に曲がり角があって、その先。行こう」

 なんとなくシグナムから意識を外させたくなり、フェイトは強く行こうと呟いた。
 心にもやもやとしたものが浮かぶが、なんとか振り払い先を行くカズキを追った。
 戦闘は近い、二人共にその手にデバイスを握る。
 そのままフェイトが言った通路の角が見え、曲がったその時何かが飛び出した。
 突然の不意打ち、魔力も何も感じはしなかった。
 先頭を走るカズキは咄嗟に掲げた腕に裂傷が走り血が噴き出す。

「ぐっ、こいつは!?」
「え、まさか。でも……ホムンクルス?」

 カズキの腕を斬り裂いたのは、犬のような何かであった。
 全身が機械で作られた軍用犬、それがぴったりな表現であろうか。
 唸り声を上げながら重心を低くしており、警戒を込めてカズキとフェイトを睨んでいた。

「あんなただの化け物と一緒にして欲しくはないな。キラーレイビーズ、僕の忠実な僕さ。見つけたよ、ヴィクター・スリー」

 そう呟いた眼鏡の男、犬飼が十数センチの笛のようなものを咥えた。
 吹かれた音は全く聞こえなかったが、それはカズキとフェイトだけらしい。
 こちらをずっと警戒し続けていたキラーレイビーズが、飛び掛ってきた。
 恐らくアレは犬笛のようなもので、可聴領域を超えた音に魔力を乗せているのだろう。
 飛び掛ってきたキラーレイビーズから距離を取るも、壁を天井を蹴りすばやく角度を変えて次々に襲いくる。

「切り返しの速さは私以上。サンライトハートの大きさじゃ、捕らえるのに時間がかかる。こいつは私が引き受けるから、カズキはあの人を」
「分かった。こいつは任せた!」

 姿が霞む程の動きを見せるキラーレイビーズを前に、フェイトが魔力刃で斬りかかる。
 その体に魔力刃を走らせるも、致命傷には程遠い。
 見た目同様に強度もホムンクルス並みか。
 だが速さで負けるわけには行かないと、フェイトもまた加速し始める。
 キラーレイビーズと何度も切り結ぶ音を背に受けながら、カズキは丸腰の犬飼へと向かう。

「できるなら、このまま帰れ。無駄な戦いはしたくない!」
「何を言うかと思えば、こんな楽しい事止められるはずないだろ。貴様を倒して手柄を立てれば、次はもっと楽しいヴィクター退治が待っているんだ」
「遊びのつもりなら、なおさらだ。帰れ!」

 遊び気分の相手に、何を言っても恐らくは聞き受けられないのだろう。
 より端的に意志を叫び、カズキはサンライトハートの飾り尾を爆発させた。
 狭い通路ないに光が満ち溢れ、薄暗かったこの場を照らし出す。

「何か僕の能力を勘違いしてやいないか? この能力はキラーレイビーズ、一匹だけと言った覚えはないよ!」

 犬飼が再び笛を吹くと、彼の魔力が周囲に渦巻き銀色の塊を生み出し始める。
 みるみるうちにその塊は姿形を変え、機械的な軍用犬を生み出した。
 新たに追加されたのは二体、挟み込むような形でカズキに襲いかかった。
 とっさにサンライトハートを盾に一匹を受け止めたものの、相手はもう一匹いる。
 肩口を牙で裂かれ、よろめいたところに受け止めていた方から力で弾かれてしまった。
 なんとか身をかわし傷こそ負わなかったが、サンライトハートから奇妙な異音が上がっていた。

(サンライトハートの様子がおかしい。ヴィクターとの戦いのダメージがまだ残ってるのか?)

 良く良く目を凝らしてみれば、竜に見える刃部分の目、黒いジュエルシードを中心にエネルギーが漏電している。

「カズキ、大丈夫?」
「大丈夫、フェイトちゃんは?」
「平気、だけどまだ倒せてない。これ以上増やされると……」

 無駄に心配させるわけにもいかず、大丈夫と言う他はなかった。
 駆け寄ってきたフェイトは多少息を弾ませ、追い詰めるように追ってきた最初の一匹を睨んでいた。
 カズキもフェイトも速さに重点を置くタイプだが、それでも詳細はそれぞれ異なる。
 カズキは直線に速くここでは距離が足りない、フェイトは縦横無尽に速いがここでは広さが足りない。
 小回りの効く速さを持つキラーレイビーズが断然有利なのだ。

「そっちの子も結構やるみたいだね。こんな面白い狩りは久しぶりだ。全力で行かせてもらおうかな!」

 高らかに笑い声を上げながら、犬飼が新たに二匹のキラーレイビーズを生み出した。
 これで計五匹、どうやらそれで限界らしいが十分過ぎる。

「さあお前達、結構なご馳走だ。喰い散らせ!」
「フェイトちゃん!」

 犬飼が犬笛型のデバイスで号令を出した瞬間、カズキはフェイトを脇に抱え込んだ。
 逃げの一手と見紛うばかりの後退、サンライトハートの出力を前回でキラーレイビーズを振り切った。
 とはいえ、精々が数十メートルあけられた程度。
 速さの戦いでは大きな距離とは言えず、フェイトを立たせて直ぐにサンライトハートを掲げた。

「エネルギー全開!」
「Explosion」

 カズキがサンライトハートの飾り尾を爆発させ、過剰に閃光を振りまいていく。
 そろそろ二人も浅い付き合いではない、その輝きの具合からフェイトも察する。

「サンライトハート」
「Sonnenlicht Slasher」

 数十メートルを瞬く間に詰めてくるキラーレイビーズへと、カズキが突撃をかけた。
 廊下全体に閃光を満たしながら、狭い通路を一直線に駆け抜ける。
 先頭にいた一匹が切っ先を咥え止めようとするも、勢いに飲まれ頭を吹き飛ばされた。
 そこに回避と言う概念はない。
 最初に撤退を見せたカズキを追って、キラーレイビーズも当然追ってきた。
 その結果、犬飼はキラーレイビーズと距離を開けさせられている。

「絶対に止めろ、キラーレイビーズ」

 閃光の中でもおおまかに状況は察しているのか、犬飼が叫ぶ。

「いや、止めるのは小さいほうだ!」

 だが直ぐにその判断は間違いだと気付き、命令を変更させた。
 カズキが生み出した閃光を目くらましにフェイトが、キラーレイビーズを出し抜いたのだ。
 しかしやはり軍用犬を模しただけあり、完全には成功しなかった。
 犬飼へと駆けるフェイトに、一匹のキラーレイビーズが追いすがっていた。

「キラーレイビーズの嗅覚は犬の倍。その情報は僕にも送られる。ひやりとさせられたけど、喰い殺せ!」
「もっと速く!」

 さらに加速を願うも、フェイトは後一歩が間に合わなかった。
 犬飼を前に振りかざした魔力刃は、標的を変更し背後へと振るわれた。
 その一撃も牙にて咥えられ、前足がフェイトへと伸ばされる。
 両手で柄を掴み、腕力でキラーレイビーズを持ち上げその腹を蹴り上げた。
 頬に爪の先が引っかかるが、僅かに裂かれる程度でなんとか済んだ。
 だがキラーレイビーズも犬飼を守るように、そのそばで唸りを上げていた。

「その歳で僕のキラーレイビーズを相手に良くもまあ……君、もしかすると火渡さんに気に入られるかもね。どうだい、僕らの仲間になれば見逃してあげるよ」
「絶対に嫌だ。私はカズキを守る、その為にここにいるんだ」
「へえ、あんな化け物に惚れてるんだ。そういう特殊なところも、特殊部隊向きだ」

 カズキを化け物呼ばわりされ激昂すべきか、気持ちを見抜かれ赤面すべきか。
 一言二言で大いに感情を乱され、フェイトの思考が一瞬固まった。
 そんな格好な隙を見逃してくれる程、犬飼は甘くはない。

「キラーレイビーズ!」

 犬飼が犬笛型のデバイスで命じ、忠実にそれをキラーレイビーズが実行。
 反応が遅れに遅れたフェイトへと襲いかかった。
 慌てて迎撃しようとするも、フェイトの獲物は鎌であり、振り上げる動作がいる。
 飛び掛る一動作で済むキラーレイビーズを相手に、どうしても一手遅れてしまう。
 バルディッシュを振りかぶっている間にも、その牙が迫りつつあった。
 目の前の脅威に慄き、瞳を閉じそうになるな中で、見抜かれた想い人の名を心で叫ぶ。
 報われたかどうかは定かではないが、確実にその結果はフェイトの目の前に現れた。

「なっ!」

 予想外は犬飼も同じく、閃光がフェイトの頭上を通過しキラーレイビーズを斬り裂いた。
 弾け迸る閃光ではなく、濃密な光の刃となるまで圧縮された今までと違う閃光。
 その光の発生元はフェイトの後方、四匹のキラーレイビーズを受け持っていたカズキであった。
 足元にはバラバラに切り刻まれたキラーレイビーズの残骸がおちている。
 どれも最低二刀以上は切り裂かれており、これまでのサンライトハートでは絶対に手数が足りないはずであった。

「そんな、聞いていない。ヴィクター・スリーのアームドデバイスは一形態のみだって。まさか、ヴィクター化にあわせて進化したのか!?」
「サンライトハートは、ソードフォームって言ってた。降参しろ、もうお前は勝てない」

 あれ程までに苦戦を強いられていたのに、そこまで第二形態に自信があるのか。
 カズキは剣と呼べるまでに小さくなったサンライトハートを離れた場所から突きつける。

「レイビーズの意味って知ってるかい?」

 カズキの宣告を前に、唐突に犬飼がそんな問いかけを投げかけた。

「狂犬病だよ。僕のレアスキルがそれである以上、僕自身も同じだ。巻いて帰る尻尾なんてない、死ぬまで戦いは止めないんだ!」

 再び犬飼の周囲に魔力光が集まり、キラーレイビーズが生み出されていく。
 最大五匹は操れるが、一度に生み出せる限界は二匹らしい。
 その二匹ともを目の前のフェイトを差し置いて、全てカズキへと向けた。

「帰る気がないなら、今ここで二度と追う気を起こさないようにする」

 同時に襲いかかるキラーレイビーズを前に、カズキは闇雲に動かず待ち構えた。
 小型で扱いやすくなったサンライトハートを、片手で握り締める。
 半分程度に質量が減った為、一振りの度に全身を酷使する必要がなくなったのだ。
 そして目の前に迫るキラーレイビーズを見据え、サンライトハートを展開する。
 刃部分が封印魔法を使う時のように、縦に分かれた。
 その刃の中にて迸るのは、これまで放出に使っていたエネルギーを凝縮した刃であった。
 恐らくは破壊力という点においては、ランスフォームを遥かに凌ぐ。
 そして小さくなった事で、小回りが利き扱いやすくなっている。
 一閃、展開されたエネルギーの刃にてカズキはキラーレイビーズを同時に斬り裂いた。

「くそ、僕の魔力が続く限りキラーレイビーズに」
「終わりだよ、冷静さを失った貴方の負け」

 カズキしか目に入らなくなった犬飼は、完全にフェイトの存在を忘れていた。
 バルディッシュをデバイスモードに戻し、後ろから犬飼の頭に叩きこんだ。
 少しばかり必要以上に力が入ったのは、乙女の秘密を知られたからだろうか。
 不意に後頭部を打たれ、犬飼は地面の上に倒れていった。

「たぶん、この犬笛のデバイスを取り上げちゃえばレアスキルは使えないと思う。命令する度に吹いてたから」
「おお、それなら追おうにも追えないか。良く見てるねフェイトちゃん」

 本当に犬飼が死ぬまで戦いを止めなければと考えると、カズキに最後まで戦わせさせられない。
 一時は助けられてしまったが、これでカズキを守るという決意は果たす事ができた。
 おまけに微笑みと共に褒められて気分は上々であった。
 大いに照れて顔を赤くしながらも、フェイトが満面の笑みで微笑み返す。
 その頭上から、突如として鈍く銀色に光る刃が空間からとけるように現れた。

「フェイトちゃん!」
「え?」

 カズキの指摘により、疑問の声を上げながらフェイトが振り返る。
 それと同時に、その刃がフェイトへと向かって振り降ろされた。









-後書き-
ども、えなりんです。

再殺部隊戦の始まりです。
原作との違いは、丸山がちょい変態チックになっているとこかな。
あと犬飼のキラーレイビーズの数を増やしました。
当初増やす予定は無かったのですが……
ロッサの能力と無限の猟犬の能力と似てるなと思いまして。
でも無限だと強すぎるしと中途半端な強化になってしまいました。
ごめんね、犬飼。

まあ、今回一番の貧乏くじは戦部ですけどね。
相手は幼女のホムンクルスでトラウマ持ち、戦えたもんじゃありません。
一方迷子のパピヨンがどうしてるかは次回。

それでは次回は水曜です。



[31086] 第三十三話 簡単に死ぬなんて言わないで
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/04/25 21:48

第三十三話 簡単に死ぬなんて言わないで

 時の庭園の最上階、そこには庭園内のエネルギーをまかなう動力部である。
 非常にデリケートな部分でもある為、メンテの時以外はプレシアも入室はしなかった。
 パピヨンやアリシアも、まだ殆ど足を踏み入れた事のない部屋だ。
 そこへ、足音を忍ばせこっそりと入室を果たす小柄な人影があった。
 防毒マスクという禍々しいマスクを被り、特殊部隊の制服を纏った誰か。
 名を毒島という彼は動力部をぐるりと眺めた。
 三人の女神を模った彫像に見守られた中心部に、動力部の要があった。
 ほのかに熱を帯びた赤い光が発せられており、駆動音を部屋全体に響かせている。

「違法改造といっても生産エネルギーは並の上、これだけなら破壊しても次元震には発展しない。この時の庭園が崩れ落ち、彼らの本拠地を潰すのみ」

 見た目に反し年頃の、しかも鈴が鳴くような大人しい声質は女性のものであった。
 素顔の一切を防毒マスクに隠したまま、毒島は片手を動力部へと向けた。
 誰に相談したわけでもなく、その為に毒島は他の四人と歩調をそらしやってきたのだ。
 暴れる事しか、狩りや戦いにしか興味がない他の四人とは毒島は違う。
 一度で彼らを捕縛できると確信してはいないし、必ず勝てるとも思っていない。
 だから他の四人を囮にして、まず拠点潰しとして動力部の破壊を考えたのだ。

「火渡様」

 隊長の名を呟き、毒島は片腕を上げて動力部の中心へと向けた。
 足元に広がるのは、毒々しいダークグリーンの魔力光の魔法陣。
 方円上に広がった中に正方形が展開されるミッド式である。
 いざ砲撃を放とうというところで、彼女の視界の端にとあるものが映った。
 それは一匹の蝶、闇に溶ける様な漆黒を持つ手の平大の蝶。

「こんな場所に……」

 防毒マスクの中で笑みを浮かべ、思わず触れようとする寸前で飛び退る。
 蝶から感じたのは見た目に反する禍々しい魔力。
 咄嗟に選んだ回避の文字は正しく、蝶が突如その羽の色を灼熱の赤に変え燃え広がる。
 爆風により当初の目論見よりも大きく飛び退った事になり、そのまま見上げた。
 その視線の先にいたのは、黒い蝶の羽を背に飛ぶパピヨンであった。

「やはり下の四人は陽動。敵地に入り込み、真面目に墓地を目指す奴がいたら見てみたい」
「お話は良く分かりませんが、彼らは大いに真面目です」

 毒島の返答を聞き、おやっとパピヨンが眉を上げながら地面に降りる。
 どうやら、階下の四人は本当に作戦も何もなく好き勝手に戦っているらしい。
 なんとも不条理な相手である。
 恐らくはそんな彼らを、毒島が勝手に利用したという事か。
 パピヨンが指摘する事ではないが、仲間意識も何もあったものではないようだ。
 だが別にそれでパピヨンの対応が変わるわけではない。

「まあ、いい。貴様を消し、残りを消せば万事解決。時の庭園は俺の大事な研究所、高次元空間内を後で移動させれば問題もなくなる」
「残念ですが、我々は狙った獲物を逃しません。私の獲物は、貴方達ではなくこの時の庭園ですから」

 そしてパピヨンの意志を言葉で示しても、毒島の意志も変わりはしなかった。
 お互いに見合いながら、パピヨンが静かに腰に当てていた手を離した。
 それに対し、毒島もガスマスクから延びる煙突のようなものの先からゴポゴポと気体を放つ。
 次の瞬間、パピヨンの姿が消えた。
 魔法による加速、フェイトのブリッツアクションにも劣らぬ動きで間を詰める。
 瞬き程の間に毒島の目の前へと現れ、鋭い爪を持つ腕を振るった。
 だが毒島も地面を蹴り上げて、小柄な体を飛び上がらせていた。
 特殊部隊の制服に小さな解れこそ生まれたものの、肉体的にはかすり傷一つない。
 その毒島が、足元にダークグリーンの魔法陣を生み出し、魔力球を生成する。

「ポイズンシューター」

 デバイス代わりは、被っているガスマスクなのか。
 マスク全体がダークグリーンの魔力光に反応し、周囲に魔力球を生み出していく。
 その数は六つ、毒島の指先に従い次々にパピヨンを襲う。

「ふん」

 パピヨンは詰まらなさそうに鼻を鳴らし、まず一つを腕の一振りで弾き飛ばす。
 動力部とは逆側になる、何もない壁にぶつかり爆煙を上げては瓦礫を生み出した。
 威力はさほどでもないが、動力部に被弾しては本末転倒である。
 僅かな思案の後で、パピヨンは仕舞い込んでいた黒い蝶の羽を羽ばたかせた。
 残り五つの魔力球の隙間を縫うように飛び、上昇。
 しつこく追いかけてくるそれらへと振り返り、手の平の上に漆黒の蝶を一匹生成する。
 すぐさまパピヨンの元を飛び立ったそれは、先頭の魔力球へと衝突し破裂した。
 炎と熱、煙を生み出しその余波は、後続の魔力球をも飲み込んだ。
 次々に爆破は起こるが、周囲を振るわせるだけで何かを破壊する事はなかった。
 だがはっきりといって、面倒くさい。
 そう思い珍しく渋面を作るパピヨンであったが、明らかな隙を前に追撃がない。

「今さら諦めようと、貴様の未来は変わらんぞ?」
「いえ、そのような事は……」

 毒島は、空中に足を着きながらただ見ていただけであった。
 パピヨンが魔力球を破壊する様を。

「次行きます」

 何を考えているのか、再び同じ数だけ六つの魔力球を生み出し投擲。
 だが今後は即座にパピヨンも迎撃を行っていた。
 二人の中間の位置にて魔力球と漆黒の蝶が衝突し、再び爆炎を生み出していく。
 膨れ上がり飛散する煙を裂くように、パピヨンが距離を詰める。
 しかし今度は毒島も懐にいれまいと、その爪が間合いに入るより速く飛び退った。
 一定の距離を空け、無駄な事が分からないかのように六つの魔力球を生み出す。

「貴様……何がしたい。時間稼ぎには思えない。そもそも、貴様は他の奴を信用していないのだからな」
「彼らの戦闘能力は私も認めています。あれでもう少し素行が良ければ、文句もありませんが」

 流石に三度目ともなれば、パピヨンも魔力球が放たれる前に漆黒の蝶を生み出す。
 互いに射撃体勢のままにらみ合い、先に毒島が放った。
 そこからは息の付く間もなく、撃ち合いが続いた。
 毒島が絶え間なくダークグリーンの魔力球を生み出しては放ち、パピヨンが迎撃する。
 時折、爆煙に紛れ視界の外から漆黒の蝶を差し向けるも、逆に迎撃された。
 一進一退でもなく、膠着状態とも少し違う。
 ただ無意味にお互い魔力を消費しあうだけの無意味な射撃を続ける。
 いや、完全に無意味というわけでもなかった。

「はあ、はあ……」

 息をつく間もなく、これほど魔力を消費したのは初めての事であった。
 生来体の弱いパピヨンは激しく息を乱し、漆黒の蝶の生成スピードが遅まっていた。

「そろそろ、でしょうか」

 まるでパピヨンの息切れを待っていたかのような言葉であった。
 だが毒島が、パピヨンの体力不足を知っていたとは考えにくい。
 それはただの副産物に違いないだろう。
 一瞬くらりと眩暈がしたパピヨンは頭を振り払い、漆黒の蝶を手の平に生み出した。
 息苦しくはあるが、何故か毒島は次の魔力球を生成しようとしなかった。
 誘われていると感じるが、知った事ではない。

「行け、黒死蝶!」

 やけに酷い頭痛を押さえ込み、手の平より飛ばす。
 その漆黒の蝶が、あろう事かパピヨンの意志を無視して近くの壁に激突した。
 パピヨンの意志に反してはいても、効果は生まれる。
 周りの酸素を取り込み火花と共に膨れ上がり、熱と炎を振り撒き破裂していく。
 その余波に巻き込まれ、吹き飛ばされ姿勢を大きく崩しながらパピヨンが叫ぶ。

「馬鹿な、この俺が制御に失敗だと!?」

 もう一度心の中で馬鹿なと叫び、何かをされたと悟る。

「私のレアスキルは、エアリアル・オペレーター。魔力をあらゆる気体に変換する力。この動力部には大量の酸素が充満しています」
「酸素酔い……」
「ええ、その通りです。そして、貴方の蝶は爆破の魔法。下手に扱えば、貴方自身をも巻き込み、下手をすれば動力部も巻き込みます。お分かりいただけましたか、これで詰みです」

 一瞬、怒りに我を忘れ黒死蝶を生み出しかけたが、理性を総動員して止めた。
 高濃度の酸素に犯された頭では、本当に制御に失敗しかねない。
 手元で爆発されれば防ぎようはなく、瀕死になることうけあいである。
 さらに生み出す事に成功しても、ふらついた状態では真っ直ぐ飛ばす事も危うかった。
 酸素酔いという状態を自覚して、ますます頭痛が酷くなっている。
 眩暈も増え、視界も少し霞んだように悪くなって気もしていた。

「足掻けば足掻くほど、体は酸素を取り込み症状は酷くなります」

 ご自愛をとでも言いたげにしながら、毒島が踵を返してパピヨンに背を向けた。
 その後姿は己の勝利を確信したものに他ならない。
 パピヨンにはそれが我慢ならなかった。
 止めもささず、少しばかり有利になったからといって勝手に決めるなと。

「もういい」

 崩れ落ちそうになる膝を叱咤して、立ち上がった。
 くらくらとする頭も、好きにしろとばかりに放置して視界に毒島を捕らえる。
 いや、もはや毒島が何処にいようと構わない。
 夢遊病者のように前後不覚になりながら、笑う。

「止めは、必要ですか?」
「この蝶天才を舐めるなよ。貴様のレアスキルの前に不覚はとったが、まだ負けていない。超最高の俺が人間、武藤カズキを斃す。その時まで、俺は誰にも負けない!」

 苦し紛れの黒死蝶が放たれようとし、パピヨンの目と鼻の先で破裂する。
 制御失敗による自爆、ついにパピヨンが余波を受けて後ずさり片膝をついた。
 熱風にさらされ爆煙を受け流しながら毒島が呟く。

「お静かに、とても見苦しく思います。お望みならば止めをさしッ!?」

 ガスマスクに隠された毒島の表情は不明ながら、その言葉は驚愕に途切れていた。
 つい先ほどのパピヨンの行動は自暴自棄にしか見えなかった。
 高濃度の酸素に犯され、進退窮まり行き詰った上での暴挙。
 ならば今、爆煙に視界を遮られながら時折、瞳に映った光景は一体何なのか。
 黒死蝶、それも一匹や二匹ではない。
 見渡す限り、パピヨンや毒島を中心に前後左右一帯に生み出されていた。
 何時制御に失敗し、破裂するかも分からない火薬庫のような状態である。

「悪いね、俺は負けず嫌いなんだ」

 動揺を露にする毒島に対し、努めて気楽そうにパピヨンは笑った。

「黒死蝶、遠近無視の三百六十度全方位配置。と言っても、時間が足りなくて少々数は足りないが、貴様の用意した酸素があれば全て吹き飛ぶかな?」
「正気ですか。私達はおろか、動力炉までもろとも……ここには、貴方の仲間も!」
「一回死んでいる身なんでね。気にしない、気にしない。奴らも、特に武藤は俺が斃すまでは絶対に死なない」
「狂ってる。私達以上に……」

 褒め言葉だとばかりに、さらに笑う。

「貴様もいっぺん、死に臨んでみろ。意外と恍惚で、病みつきだぞ!」

 叫びながら駆け出したパピヨンを前に、毒島はどうするべきかを迷った。
 パピヨンの迎撃、それとも周囲の黒死蝶を、それとも退避、他の隊員を逃がすべきか。
 その迷いへと思考をめぐらす間にも、パピヨンは近付いている。
 そして同時に、パピヨンの制御にも限界が訪れていた。
 動力部である部屋の何処かで、小さな火花が散った。
 本来ならば炎に昇華する事もなく消えていくはずの小さな、火花。
 だが高濃度の酸素に満たされたこの部屋の中では別だ。
 確かな炎を生み出し、さらには酸素を喰らいより大きくなって黒死蝶に触れた。
 さらに一匹の黒死蝶がまた別の黒死蝶を巻き込み、破壊の連鎖を生み出していく。
 光が動力部の部屋を満たすと同時に、破壊の炎を巻き上げた。
 激震が動力部を、時の庭園全体を揺らす。
 一度それが終わりを迎えれば、周囲を埋め尽くすのは瓦礫と炎であった。

「ですが、これで私の目的は……」
「死して想いを誰かに託して、それが何になる」

 もはや原形を留めず、瓦礫の山と貸した部屋の中。
 塔のように高く建てられていた動力部の中心部分も、半ばから折れてしまっていた。
 揺らめく炎と黒煙の中で毒島が呟いた言葉を、パピヨンが断ずる。
 そのパピヨンの腕は毒島の腹に埋め込まれており、肘の先まで真っ赤な血が滴っていた。
 パピヨン自身、到底無傷とは言えず己の体も血に染めてはいたが。

「俺は貴様のような中途半端な奴とは違う。俺は俺だけの為に、俺の想いを貫いてみせる。死ぬか生きるか、全部自分で選び掴み取ってみせる。それが、この結果だ」
「それでも、火渡様なら……ぐッ」

 聞く価値もないと、言葉を遮るようにパピヨンは毒島の腹から腕を抜いた。
 当然埋め込まれた物が抜ければ穴が空き、大量の血が噴出すが気にも止めない。
 毒島をその辺に放り投げるも、自分も似たような感じで地面に不時着する。

「くそ、体が……」
「おうおう、こいつは酷い事になっているな」

 ぜえぜえと、喉の奥で呼吸を繰り返すパピヨンに、耳慣れぬ男の声が届く。
 新手かと、忌々しげに舌を打ちながら瓦礫に埋まりかけの入り口へと視線を向ける。
 そこにはアリシアを肩に担ぎ、十文字槍を手にした大柄な男がいた。
 毒島と同じ制服、それから気絶したアリシアを担いでいる事から誰か考えるまでもない。

「やれやれ、もう一戦とは聞いていない」
「ふむ、ようやくエレガントな相手を見つけたは良いが……あまり、長いできる状況でもなさそうだ。おい、そこのお前」
「ようやくこの一張羅の良さが分かる奴に会えたが……なんだ、命乞いなら聞かないぞ」
「命乞いしたそうなのはお前に見えるが、お前の足元。毒島とコイツを交換といかんか?」

 アリシアを担ぐ男、戦部に問われ、僅かな時間だけ思案する。
 今ここで争っても勝てる確立は低く、時間制限付きであった。
 ならばと放り捨てた毒島を足ですくい上げ、戦部へと放り投げた。
 驚いた表情をされたが言葉通り、戦部もかついでいたアリシアを放り投げる。
 一瞬アリシアを受け止めようか迷うが、首根っこを掴んで背負うように担ぐ。

「ふむ、確かに毒島だが……こういう手は感心せんな」

 何時の間にか毒島に張り付けられていた黒死蝶。
 バレたかとパピヨンが起爆させようとするも、一瞬早く戦部が黒死蝶を握り腕を伸ばした。
 吹き飛び千切れる戦部の腕、だが本人は一向に動じた様子がなかった。
 痛みさえ感じていないかのように獰猛な笑みを浮かべ、笑う。
 次の瞬間、吹き飛び千切れ飛んだはずの腕が、瞬く間に修復された。

「なに!?」
「相手が俺で得したな。他の奴なら、死ぬまで戦うところだ。運が良ければ、また何処かの戦場でな。エレガントなホムンクルス。それと、烈火の騎士」
「アリシア……じゃない。アリシアは、人質を交換したのか?」

 戦部と入れ替わるようにやってきたシグナムが、毒島を見て疑問を浮かべていた。
 即座に部屋の中のパピヨンとアリシアを見て、状況を理解したようだ。
 だが人質が無事に交換された以上、シグナムとしても戦う理由はない。
 大人しく去っていこうとする戦部を見送り、パピヨンへと駆け寄っていく。

「パピヨン、カズキの居場所は分かるか?」
「ふん、知るか。この時の庭園の何処かで、奴らと同じ特殊部隊と戦っているはずだ。だが、探しているような時間はないぞ。もう直ぐ、この時の庭園は沈む」
「戦部が抱えていた隊員のせいか」
「いや、俺がやった」

 パピヨンの言葉に驚き一瞬固まってしまったが、長居できる程に余裕はない。
 真っ二つに折れ曲がった動力炉は過剰にエネルギーを生成して、赤く発光している。
 それと同時に、小規模な爆発を繰り返しては破片を周囲にばら撒いていた。
 恐らくはそのせいで、時の庭園は断続的な震動に包み込まれてしまっている。

「まずは脱出が先か」

 下手をすれば、小規模ながら次元震までも発生するかもしれなかった。
 シグナムは念話を飛ばしながらアリシアを抱え、やや迷ってからパピヨンにも手を伸ばした。









 カズキとフェイトは、額にやや大きな汗を浮かべながら床に沈んでいる男を見下ろしていた。
 眼鏡の男、犬飼ではなくまた別の名も知らぬ男である。
 鋭利に逆立てた髪ときつめに釣り上がった瞳、今は気絶により閉じられているが。
 特殊部隊の制服から、犬飼の仲間なのだろうが、いまいち自信はなかった。
 何しろ一言も会話をする事なく、フェイトが殴り倒してしまったからだ。

「知らない人だし、敵……だよね?」
「うん、多分。けどどういうレアスキルだったんだろう」

 あの時、フェイトの頭上から突然刃物が現れ、それを支える二本の腕が振り下ろされた。
 確実に不意はつかれていたが、キラーレイビーズ戦の後である。
 常人並みのスピードで振り下ろされたそれは、あまりにも遅かった。
 刃物に気付いてからのフェイトの行動は素早く、瞬く間に男の背後を取っていた。
 何もない空中から刃物や腕のみならず、この男の姿も現れていたのだ。
 突然目の前から標的が消え去り周囲を見渡そうとし、男はフェイトに後ろから殴られた。

「透明化するレアスキル? だけど、攻撃時に姿を見せてたし……犬飼って人よりも随分と弱いような」
「いや、あんな風に一瞬で避けられるのはフェイトちゃんぐらいだから」
「えへへ」

 再びのお褒めの言葉に、フェイトがはにかむ。

「兎に角、これで二人撃破だね。フェイトちゃん、残りの奴は? アリシアちゃんには蝶野がついてるだろうし、大丈夫だろうけど」
「うん、ちょっと待って」

 フェイトはバルディッシュに頼み、時の庭園内の情報を検索してもらう。
 バルディッシュの宝玉上に展開された情報を目にしてフェイトが目を向いた。

「え、侵入者は全部で六人? あ、違う……シグナム? シグナムが一人倒して」
「シグナムさんが来てるの?」
「パピヨンは動力部に一人、いやそっちにも敵が? じゃあ、アリシアは!?」

 さらに情報を読み進め、フェイトが小さな悲鳴と共に口を押さえた。

『アリシア、アリシア!』

 そして即座に念話を飛ばすも、返事は帰っては来ない。
 ある程度予想はしていたが、その事実はさらにフェイトを混乱に陥れるだけであった。
 何しろ一人だったアリシアは、戦部という名の特殊部隊隊員と戦闘の後に捕縛されたとあったのだ。
 取り乱すように念話で時に肉声でその名を呼ぶも、やはり返事は返らない。

「フェイトちゃん落ち着いて。ここから二手に別れよう。フェイトちゃんはその戦部って奴の方へ。多分シグナムさんも追いかけてるはずだから、挟み撃ち。俺は動力部の蝶野の火星に向かう」
「う、うん……アリシア」

 不安げに顔色を悪くするフェイトの肩に手を置いて、カズキが強く言い聞かせる。
 そして二人して走り出そうとした瞬間、上から叩きつけられるような震動が起きた。
 何かが暴発でもしたような轟音も震動と共に響き、体の芯まで響く。
 尋常ではない揺れに立っている事もできず、方膝をついたカズキがフェイトを支える。
 そのままじっとする事数秒間、揺れは急速に収まっていった。
 だが決して消えることはなく、ぐらぐらと揺れ続けていた。

「一体、何が。フェイトちゃん、上って何があるの?」
「たぶん、動力炉のはず。あまりそっちは行った事がないから」

 不安げにカズキのバリアジャケットの裾をフェイトが掴む。

『カズキ、それにテスタロッサ聞こえるか』

 何時まで立っても揺れは消えず、諦めて行動を開始しようとしたところにシグナムから念話が届いた。

『聞こえる、シグナムさんは何処に? どうしてココに?』
『詳しく説明している暇はない。動力炉が破壊された、脱出を急げ。下手をすれば次元震が起きる。こっちにはパピヨンとアリシアがいる。だからお前達は別途脱出しろ』
『アリシア、アリシアいるの? 念話に応えてくれなくて』
『敵に敗れ気絶こそさせられているが、目立った怪我もない。それより、急げ。あまり時間はありそうにない!』

 唯一の不安が解消され、フェイトとカズキはお互いに見合って頷いた。
 時の庭園が沈むかもしれない。
 この絶え間なく続く揺れや、天井から零れてくる小さな破片など疑う余地はなかった。
 プレシアのお墓こそあれ、流石にフェイトも今生きているカズキ達とは比べられない。

「カズキ、ついて来て。一番近い転送ポートはこっち」
「うん、わかった。っと、その前に」

 走る方角を指差したフェイトに続こうとしたカズキが、とんぼ返りする。
 突然の逆走をいぶかしむフェイトであったが、直ぐに納得した。
 というよりも、すっかり忘れていた自分を少し恥じたぐらいだ。
 通路の床に気絶させられ寝かせておいた犬飼と、もう一人名前もしらない特殊部隊の隊員。
 カズキはその二人の事を思い出し、少し重そうに両肩に抱え込んでいた。

「お、重い……」
「私も手伝おうか?」
「いや、大丈夫。フェイトちゃんは案内に集中して、さあ急ごう。揺れがまた少しずつ大きくなってきてる」

 当たり前の事だが、魔法で筋力を強化しても質量差はどうしようもない。
 小さな女の子であるフェイトに、犬飼達成人男性を抱え上げるのは難しいのだ。
 今一度平気とカズキが笑ったのを見て、フェイトは今度こそ先を急いでいった。
 もちろん、ひいひいと悲鳴を上げるカズキが自分を見失わないように気遣いながら。
 また同時に、揺れ続ける時の庭園の崩壊に巻き込まれないようにも気をつけつつ。
 時間が経つにつれ、揺れは大きくなり、壁や天井が崩れ始めていた。

「思ったよりも崩壊が早いかも。あ……」

 転送ポートへと急ぐ二人の前に、大きく床が穴を開けた場所にでた。
 魔法により空を飛べる二人に、今さら大穴の一つや二つは関係ない。
 だがただの穴でなかったそこは、十分に注意すべき場所であった。

「カズキ、あそこの穴の上は気をつけて。崩壊の、次元震の影響で虚数空間が生まれ始めてる?」
「虚数空間って?」
「次元の裂け目みたいなもの。しかも落ちたら全ての魔法がキャンセルされ、戻ってこれなくなる」

 フェイトの説明を聞きながら、カズキが二人の成人男性を抱えながら器用に震えている。
 その先も、何度も虚数空間の暗い穴を発見しつつ二人は転送ポートへと辿り着いた。
 何時まで余裕がある事か、行き先を特定する間もなく二人は兎に角遠くへと飛んだ。









 カズキとフェイトがほうほうの体で転送されたのは、見渡す限りの砂漠地帯であった。
 放り出されるように転送された為、砂がクッションとなって良かったのかどうか。
 一先ず脱出に成功した二人は、即座にシグナム達へと念話を飛ばした。
 どれだけの次元を隔てた場所に分かれたのか、しばし不通の時間が流れたが繋がった。

『シグナムさん、そっちは?』
『ああ、問題ない。パピヨンとアリシアも無事だ。アリシアも先程、起きた。こちらは何処かの次元世界の山奥だがお前達は?』
『同じく何処かの次元世界の砂漠。アリシア、怪我はない?』
『うん、ちょっと背中が痛いのと気分が悪いけど平気。フェイトも大丈夫そうだね』

 一先ず現状を伝え合い、どうするかと話し合った。
 既に管理局に目を付けられ、かつ拠点を失った以上は進むしかない。
 ユーノの事などは気になるが、そこはフェイトからリンディに連絡をいれて取り計らってもらうしかないだろう。
 ユーノの行動の正しさを証明する為にも、カズキは元の姿に戻る手段を見つけなければならない。

『蝶野、アリシアちゃんとシグナムさんの事を頼んだぞ』
『アリシアの事は言われるまでもないが、もう一人の方は保障しかねる。女の方から仕掛けてきた時は特に』
『人を凶暴扱いするな。貴様がカズキの為に動く以上は、協力は惜しまん。カズキ……私も、戦うぞ。お前を人間に戻す為に、私は来たんだ。手伝わせてくれ』
『うん、ありがとう。気をつけて』

 色々と、管理局に保護されているはやての事など気にはなるが、素直に言葉を返しておいた。
 きっとその事を指摘すれば、困らせる事は分かりきっていたから。
 だからありがとうと、素直に感謝をしてカズキは念話を切った。
 逃げ出し、追われ、ささくれ立ちそうな心が癒された気分である。
 味方と敵の間をうろつくパピヨンや、小さなフェイトやアリシアとも違う。
 自分が本当に心から安心して背中を預けられるシグナムの存在に、救われた。

「カズキ?」

 そんなカズキの穏やかな笑みを見て、フェイトは純粋な疑問を浮かべていた。
 見た事がない、自分の前でこんな風に笑ってくれたカズキを。
 何故と浮かべた疑問は、意識を取り戻し飛び跳ねるように起きた犬飼に遮られた。

「ここは……お前達、デバイスが!」

 臨戦態勢をとる犬飼だが、さすがにデバイスの有無は即座に気付いた。
 歯軋りをしてカズキ達を睨む以上、やはり予測は正しかったらしい。
 あの犬笛型の特殊なデバイスがなければ、レアスキルは発動できないようだ。
 二人を睨みながら、それでも覚悟を決めたように犬飼が言い放った。

「殺せ……根来も、どうせ起きてるんだろ」
「隙を見て逃げ出そうとしていたものを」
「ふん、嘘くさい。負け犬なんて真っ平だ。そうなるぐらいなら殺された方がマシ、僕らはそんな奴らの集まりだ」

 目覚めた根来共々、二人は胡坐をかいて砂漠の砂の上に座り込んだ。
 そんな二人を前に、カズキもフェイトも理解が及ばなかった。
 だから、思った事を正直に二人へと言う。

「デバイスはまだ返してあげられない。けれど、こんなところにいてものたれ死ぬだけだ。一緒に来い、適当な街か。別の世界に転移したところで解放してやる」
「ふざけるな、僕の話を聞いていなかったのか。そうやって負け犬扱いされるぐらいなら」
「簡単に死ぬなんて言わないで」

 プライドを傷つけられたとでも言いたげに叫ぶ犬飼を、フェイトが静かに嗜める。
 その声は穏やかなものだが、込められた意志は強く犬飼を黙らせた。
 悔しげに歯軋りして犬飼に睨まれても、フェイトもまたひかない。

「俺も誰かを殺すなんて嫌だ。コイツも、黒いジュエルシードから生まれたデバイスだけど、俺は少なくとも人を殺す道具じゃないと思ってる。人を守る為の道具だ」
「それに、自分が死んでも悲しむ人がいないなんて絶対に言わせもしない。貴方達が死んだら、少なくとも私やカズキは悲しむから。だから、一緒に行こう」

 フェイトが差し出した手を、犬飼は無視して立ち上がった。
 根来もまた、施しは受けないとばかりに自らの足で立ち上がる。

「屈辱だよ、こんな甘っちょろい奴らに……」
「言うな。奇襲をしかけ、即座に気絶させられた私の立つ瀬がない」

 近くに街はあるのか、周囲を見渡しながら歩く二人に続いた。

「おい、ヴィク……お前達、名前は?」

 砂漠の砂をずぶずぶと踏みしめながら歩く事数分、ふいに犬飼がそう尋ねてきた。

「ん、武藤カズキ。それでこっちが」
「フェイト・テスタロッサ。貴方達は犬飼と根来でいいの?」
「馴れ合うつもりはない。ただ……覚えておいてやる。仮に、運良く偶然と奇跡が重なって武藤が人間に戻れたら、この雪辱は晴らさせてもらうからな」
「私のレアスキルの恐ろしさ、その時にこそ見せ付けて見せる」

 喜んで、笑顔と共に答えた二人に対し犬飼は鼻を鳴らし、根来は静かに笑みを浮かべた。









-後書き-
ども、えなりんです。

戦部、再殺部隊の中でも断トツ好きなんですが……
お話の展開的にうまく戦わせて上げられなかった。
原作通りにパピヨンと戦ってたら、毒島が庭園を爆破シテ終わるし。
むしろ毒島VSアリシアの方が良かったのか?
アリシアが負ける場面しか思い浮かびませんが。

それでは次回は土曜日です。



[31086] 第三十四話 俺はブラボーに戦って、勝つ!
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/04/28 20:07

第三十四話 俺はブラボーに戦って、勝つ!

 必要未満の明かりにて照らし出された暗所。
 人の気配はまるでなく、用途もしれない部屋の中に三つのガラス管が安置されていた。
 それぞれのガラス管に浮かび上がるのは、正体不明の液体に浸された人の脳髄。
 生きたままとは語弊があるかもしれないが、その脳髄は本来の役目を果たしてはいた。
 人としての人格や意識を持って思考する脳髄と言う名の部品。
 もはや見る人が見れば異形にしか見えない三つの脳髄は、個別の人格を有している。
 彼らこそ、次元世界を束ねる管理局の創設者であり、最高評議会の真の姿。
 百五十年以上前より生き、人としての姿さえ捨てて次元世界を掌握せんとする老人達であった。

「また一つ管理局が保有する施設が強襲されたようだ」

 肉声とは異なり、ガラス管を震動させる事で歪な声が発せられた。

「これで七件目、それも全て我らの息が掛かった施設ばかり」
「もはや疑うまでもない。奴に、ヴィクターに内通する者がいるのは明らか」

 その声にはっきりと込められている感情は、脅えであった。
 黒いジュエルシードにより変質したヴィクター、その恐ろしさを彼らは誰より知っていた。
 百五十年前にも、相当数の犠牲を払う事で封印する事ができたのだ。
 同じだけの犠牲を払えば、再び封印は可能だろう。
 しかしそれを行なえば、育て上げてきた管理局という組織は傾きかねない。
 ヴィクター誕生の情報が広く次元世界に広がればなおさら。

「覚悟を、決めねばなるまい。我らには無限に等しい時間がある。管理局が多少弱体化しても、またその覇権を取り戻す事は可能だ」
「その通りだ、我らが生すべきはまず内通者のあぶり出し、今代の闇の書の主の確保。そしてヴィクターの再封印」
「だが第九十七管理外世界にて、第二のヴィクターが誕生したとの情報もある」

 その情報は彼らにとっての懸念でもあり、一筋の光明でもあった。
 黒いジュエルシードが三つあった事は、彼らも知っている。
 つまり、残る一つの黒いジュエルシードを手にする事ができればなれるかもしれない。
 全ての生命の頂点に立つ存在へと。
 そしてこそこそと裏から世界を操る出なく、表にて堂々と覇道を行なうことさえ。

「最後の一つも同様に探すべきだ。厳重に封印すべきだ。これ以上、ヴィクターを生み出さない為にも」
「ああ、まったくその通りだ。生み出すべきではない」
「では最高評議会の意見を纏めよう」

 内心とは異なる言葉を発しながら、表向きの同行を決定する。
 たった三人の話し合いにて、管理局の全ての行動が決まってしまう。
 それは創設以来、ずっと行なわれてきた行為でもあった。
 彼らこそが最高評議会、そして管理局そのもの。
 細部にまで彼らの意見は浸透はしないが、大局は全て彼らが決め付けてきた。
 そしてこらからも、彼らは次元世界を束ねるまでになった管理局を操っていく。
 これまでと変わらず、管理局の運命を一つ定めるその時、今までとは異なる事が起きた。
 暗所となっていた部屋の扉が、外より開け放たれたのだ。

「何事だ、入室を許した覚えはないぞ。答えろ、ドゥーエ」

 女性のものらしき名を彼らは呼んだが、入室してきたのはまったく異なるものであった。
 まず最初に光、淡い紫色の霧かもやのような光が流れ込んでは部屋を満たす。
 殆ど肉体を持たない彼らでも、その光の影響は直ぐに現れ知覚する事になる。
 室内を警告の赤い光が点滅し、生命維持に支障が訪れた事を示し始めた。

「な、なにごと……まさかこの光は、エネルギードレイン!?」
「久しぶりだな、と言ってももはや見る影もない。意地汚く生にしがみ付き……お前達は変わり果てた。理想を追い求める余り、人道を踏み外した」
「ヴィクター!?」

 余りにも予想外、何しろ最高評議会の居場所はほんの一握りの人間しか知らない。
 内通者の存在こそ認めてはいたが、まさかその一握りの中にいるとは思いもしなかったのだ。

「ドゥーエ、ドゥーエ!」
「あの女ならば、一足先に奴の親元へと逃げ出したぞ。ジェイル・スカリエッティと言ったか。いずれ奴も殺すが、まずは貴様達だ」
「奴が、無限の欲望が何故我らを……我らの協力がなければ戦闘機人の製作など」
「哀れな、奴は既に貴様達を見限っていた。私のような存在を知った以上、馬鹿らしくなったと。貴様達は、再び繰り返していたのか。年端も行かぬ少女達を己の欲望に従い造り替えたのか!」

 ヴィクターが左胸に手を埋め込み、その手に黒いジュエルシードを握り締めた。
 シリアルナンバーIのそれが、大戦斧のアームドデバイスへと形を変える。
 百五十年前と全く変わってはいない。
 いや、平和を願いその手を血で汚した時以上に、腐り果てていた。
 完全無欠でこそないものの戦争が終わったこの時代で、まだ手を汚し続けている。
 もはやかつて仲間であった彼らへの慈悲もなく、ヴィクターは彼らに死という名の終わりを告げた。









 転送魔法による光に包み込まれた次の瞬間、目の前の光景は一変していた。
 目の前に海を臨んだ臨海公園から、近未来的な金属と微細な光りの空間へと。
 生まれて始めての転送の魔法に、はやては少しばかり心を奪われてしまった。
 シグナム達を家族に迎え入れても、それは普通の家族として。
 特別何か魔法をと頼んだ事もなく、初めて目にした魔法の力に少しばかり憧れが浮かぶ。
 だがその魔法の力、もしくはロストロギアがもたらしたものを思い出し考えを振り払う。
 後ろに控えていたヴィータ達に少し心配されたが、なんでもないと笑う。

「ようこそアースラへ、はやてさん。ごめんなさいね、突然でしかも強引に連れてきてしまって」

 待ち構えていたのは、アースラの艦長であるリンディであった。
 まずは謝罪から入ったリンディだが、不満気な顔をあからさまに向けられた。

「監視ぐらいは仕方ないにしても、本当に強引だったぜ。着の身着のまま……着替えを持ってくるぐらい許してくれても良かっただろう」
「まあ、しゃあないやん。あんまリンディさんを困らせたらあかんよヴィータ。それにこっちもシグナムに自由な行動させとるのにお咎めなしで、おあいこやて」
「しばらくの間、お世話になります。けれど、ヴィータちゃんの言う通り、どうしてこんな急に? 何か、変わった事でも?」
「それについては、もう少し……」

 シャマルの問いかけに対し、リンディは時計を気にして転送ポートに視線を向けていた。
 まだ他に誰か待ち人がいるとでも言うのか。
 だがはやて達に会わせるという事は、地球からという事だろう。
 他に地球にいる魔法の関係者といえば、なのはぐらいしかいない。
 カズキに関わる魔法関係者の殆どは同行してしまっていて、いないのだ。
 そして数分と待つ事なく、はやてが出てきたばかりの転送ポートが光り始める。
 淡い緑の光、その中に大小三つの影が生まれ、まず一つが飛び出してきた。

「あー、はやてちゃんだ」
「って、まひろちゃん。なのはちゃんやアルフさんはともかく、ええの!?」
「カズキに黙って、やべえだろこれ」
「ん?」

 早速というべきか、まひろに抱きつかれたはやては困惑するばかりだ。
 カズキの妹でありながら、まひろはまだ魔法関係者ではなかった。
 だというのにアースラに迎えるとは、一体どういう事か。

「ところで、ここどこ? ピカっとなったら、はやてちゃんがいて」
「どうやら、何も聞かされてないみたいですね」
「まひろちゃん、えっとここはアースラって言って……うー、その」

 はしゃぐまひろをなのはが宥めるも、どう説明して良いか迷っている。
 するとはやてに抱きついていたまひろを、アルフが後ろから抱きかかえた。

「はいはい、ほらまひろはこっち。それから、あんた。はやても付き合ってくれないかい? 遊び相手さえいれば、この子は細かい事は気にしないから」
「ほな、ヴィータ達はリンディさんから説明聞いておいてや。私はまひろちゃんの相手をしてるわ。なのはちゃんはどないする?」
「うーん、気にはなるけど……まひろちゃんの方が心配だから」
「既にゲストルームを用意してあるから、この先はエイミィの案内に従って」

 アルフを筆頭に四人の少女達の前に、通信用のウィンドウが開く。
 底抜けに明るい口調の少女の指示に従い、はやて達は一足先にゲストルームへと向かった。
 それに対し、シャマル達はリンディにより会議室へと案内された。
 先に会議室にいたのはクロノであり、他には誰もいない。
 席を勧められるままにシャマル達は着席し、リンディとクロノの話に耳を傾けた。

「まずは、何処から話すべきかしらね」
「彼女達を保護した経緯からで良いのでは?」

 シャマル達と同じように、少なからずリンディ達も心中穏やかではない部分もあるらしい。
 その動揺を押し隠すように、リンディは一つ咳払いをしてから言った。

「本日未明、最高評議会からの連絡が一切途絶えました。それに伴ない、管理局の全権を臨時に三大提督に委ねる事になりました」
「ちょっと待て、単刀直入過ぎて逆に分かりにくい。最高評議会ってアレだよな、どっちかってえと過激派。はやてにヴィクターの封印を押し付けかねない」
「その人達と連絡がとれず、三大提督さん達が主権を握ったのなら、はやてちゃんの安全は確保されたようなものですよね? どうして、急に保護を?」
「恐らくは逆だ。コレまでは双頭がにらみ合い、ある意味で膠着状態にあった。だが片方は頭を突如失い混乱状態、三大提督も全てを抑えられる確信はなかった」

 ザフィーラの言う通り、双頭が表立って決着を付けたのならまだ良かった。
 だがリンディが言った通り、最高評議会とは単純に連絡が取れなくなったのだ。
 これではその下部組織も、どう行動すべきか分からなくなるのも当然である。
 新たな上役である三大提督に従うべきか、それとも最高評議会の命令を遂行すべきか。
 これまでの良い意味での膠着状態も、気楽に構えてはいられなくなった。
 何時誰が暴走し、最高評議会の意志はこうだと行動に移しかねなかったのだから。

「失礼は重々承知していますが、はやてさんにはしばらくの間はこのアースラの中で生活をして貰います。事後承諾になりますが、よろしいでしょうか?」
「よろしいも何も、私らに選択肢はそう多くねえよ。それに、もう知らない仲でもねえし異存はねえよ。多分、シグナムがここにいてもそう言っただろ、な?」
「それに、まひろちゃんをここに保護したのもたぶん似た様な意味なんですよね?」
「ええ、残念ながら。まひろさんは、カズキ君にとって最大のウィークポイントですから」

 だからはやてと同じぐらい、狙われかねないと暗にリンディは指摘していた。

「カズキは、今どこに?」
「正確な居場所までは把握しないが、二手に別れてニュートンアップルという次元世界を目指しているはずだ。どうも話では、ユーノがそこであの黒いジュエルシードを手に入れたらしい」

 ザフィーラの疑問に答えたのは、頭が痛そうにしているクロノであった。
 何しろ先日、リンディとクロノの元にフェイトからメールが入ったのだ。
 ユーノを助けて欲しいと言う短い文。
 一体どういう事かと調べてみれば、あの火渡の手により捕縛されていた。
 どうも強権を行使して牢に放り込んだらしいが、その為の書類関係がいい加減でもあった。
 あまり表立って動かない特殊部隊の火渡らしい。
 おかげでその書類不備を理由に不当逮捕にこじつけ、クロノが保釈させた。
 言葉にすれば簡単だが、相当数の書類をクロノが書き続けたのは言うまでもない。

「シグナムの奴、無駄足じゃなかったみたいだな」
「二手に別れたって聞きましたけど、ちゃんとカズキ君がいる方に同行していれば良いのだけれど」

 あれで結構、恋愛絡みに関しては要領が悪いとシャマルが案ずる。
 その言葉通り、見事にカズキと分断されているとは誰も予想していなかったが。

「後は全て彼ら次第。何処まで真実に辿り着けるか。私達にできるのは彼らを信じる事と、後方の憂いをできるだけ断つ事」
「アースラの中でならばその憂いも少なくて済むだろうが、何事も完璧はない。特にヴィータとザフィーラは、君たちの主であるはやてとカズキの妹であるまひろの護衛も頼みたい」
「ああ、頼まれるまでもねえ。全部上手くいけば、まひろは私の姉妹になるみたいなもんだ。喜んで護ってやろうじゃねえか」
「主もそう望まれる事だろう。守護獣として、異論ない」

 管理局側の不手際もあるが、心から頭を下げた二人にヴィータ達は当然だとばかりに頷き返していた。









 ニュートンアップルは、緑に溢れた水の次元世界であった。
 世界の全てを見て周ったわけではないが、カズキとフェイトは単純にそう思っていた。
 現在二人がいるのは、目的の別荘地を目前にした小高い丘の上。
 足元には草花が溢れる草原であり、胸が涼しくなるような風が心地良く吹いている。
 ログハウス風の別荘は、盆地型の窪んだ大地に点々と立てられていた。
 その別荘は軒並み緑豊かな森に囲まれており、近くには鏡のような湖も見える。
 ユーノが言っていたお金持ちのお嬢様の別荘地というのは、納得できる光景であった。

「やっと、ついたね。ここにカズキの胸にある黒いジュエルシードの秘密を知る人がいる」

 まだ肝心の目的を達成こそしてはいないが、フェイトが感慨深げに呟くのも無理はない。
 沈みゆく時の庭園から逃げ出し、ここに至るまで数日。
 砂漠に荒野とあまり優しくはない環境を、路銀もなしに歩き通してきたのだ。
 食堂や宿、あらゆるお店で飛び込みのアルバイトを行なうというカズキのバイタリティがなければ、フェイト一人ではきっと辿りつけなかった事だろう。

「急いで、シグナムさん達と合流しないと。蝶野は無茶苦茶だから、きっと先についてると思うけど」
「カズキみたいにバイトせず、持ってる人から奪ってそうだもんね。シグナムがついてたから、そうそう酷い事には……」

 くすりと笑みを浮かべながら、呟いたフェイトはそこで気付いた。
 二人きりでの逃避行もコレで終わり、不謹慎だが少し楽しかったのも事実である。
 それに、周囲を見渡し待ち人を探すカズキの姿に、胸の内がもやもやするのも事実だ。

(シグナムは良い人なのに、なんでだろ……だめだめ、変な事を考えちゃ。まずはカズキを人間に戻すのが先だよ。全部はそれから、全部)

 気を抜くのはまだ早いと、考えを振り払う。

「時の庭園以降、追ってはなかったけど。待ち伏せるなら、ここが最適……」
「その通りみたい、だね」

 フェイトがハッと息を止めたのは、その待ち伏せが現れたからであった。
 それもただの待ち伏せではない。
 二人の目の前に、空より降り立ったその姿は全身を覆うシルバージャケットである。
 この世でそれを生み出せるのは、一人しか居ない。
 二人にとっては、師にも等しい人が生み出すレアスキル。
 シルバースキンを纏ったキャプテンブラボーが、待ち構えていたかのように現れた。

「あの夜の答えを聞きに来た。再度問おう、諦めてくれないか? 今の生活を、闇の中のわずかな光明に縋るのも。この先からは、俺達に任せてくれ」

 全く変わらない、ブラボーの言葉。
 それを聞いて何かを言おうとしたフェイトを、カズキは手を差し出す事で止めた。
 これは自分が答えるべき問答だから、そして示したかった。
 ブラボーと同じく、カズキ自身の姿勢も何一つ変わってはいないと。

「俺はその僅かな希望全てを自分で試さなければ、きっと納得できない。納得できないまま保護を受ければ、俺はきっと耐え切れず飛び出すと思う」
「僅かな希望は、時に人に絶望を与える事もある。お前が、あのヴィクターと同じになる可能性すら。多くの人々の為にも、俺はお前を力ずくでも止める」

 ブラボーがその手の平をゆっくりと握り締め、拳を作り上げる。
 少しでも、少しずつでも自らの変化を受け入れなければ、カズキは一生納得できない。
 意図せず人間から、全く別の危険な生物へと変態していく気持ちは誰にも分からない。
 誰一人、お前の気持ちは分かるとカズキに言ってやる事はできないだろう。
 だが一個人の感情は、世界の危機レベルのリスクとは全くの別問題だ。
 例え誰に誹られようと、誰かが本人に告げ、犠牲になってくれと言わなければならない。
 そして管理局員として、カズキに近しい者としてブラボーはその役目を自分に課していた。

「その多くの人の為に、カズキの小さな幸せを切り捨てる。たぶん、正しいのはブラボーなんだろうけど、私もそれは納得できない」
「Scythe Form」

 フェイトも抵抗の姿を見せるようにデバイスから魔力刃を生み出す。
 そのフェイトの目の前に、カズキの手が制止するように差し出された。

「カズキ?」
「フェイトちゃん、少し下がってて」
「でも一人じゃ」
「勝てない可能生の方が断然高い、けど」

 フェイトに言われずとも、カズキとてブラボーの力は嫌と言う程に知っている。
 ジュエルシード捜索の間も稽古をつけて貰ってはいたが、底を見た事がない。
 または、その底を垣間見る事ができない位に力の差があるのか。
 だがそれでも、今この場はカズキが一人で戦わなければならなかった。
 自分自身で全ての希望を試したい、そんなカズキの我が侭で多くの人に迷惑を掛けてきた。
 そしてこれからもそれは続き、その人達から逃げ出す事は許されない。

「これは俺が選んだ道に対する責任だ。諦めろと言われても、死ねと言われても俺は嫌だと叫ぶ。人として最後まで抗う為にも、これは自分の手で決着をつけなきゃいけないんだ」

 決意の言葉を聞くたびに、フェイトは自然と自分が後ずさっている事に気付いた。
 気圧されたとも違う、普段以上にカズキの背中が大きく見えたのだ。
 フェイトは単純に、カズキが元に人間に戻れたならそれで良いと思っていた。
 もっと言うなら、戻れると何処かで決め付けていたのだ。
 ブラボーの言う通り闇の中の光明に縋りつき、それこそが絶対だと。
 けれど、カズキは元には戻れない可能生も少なからず考慮していたように思えた。
 人として抗う為、その言葉こそがその証明であった。
 最後まで抗い、納得さえできれば、きっとカズキはどんな運命も受け入れる。

(私、カズキを守るって……守れてたのかな。隣でちゃんと立っていられた?)

 自分では守っていたとずっと思い込んでいたが、本当はどうなのだろう。
 共に戦いこそすれ、その背中を預けて貰える程に心から信頼されていたのか。
 小さな疑問はズキズキと胸の奥で針を突き立て、痛みに押されるようにフェイトは下がる。

「だから例え相手が誰であろうと……」

 カズキがその左胸より、黒いジュエルシードを取り出し形を変えさせた。
 突撃槍型ではなく、最初から剣型に。

「戦う事に悔いなんかない!」

 次の瞬間、二人同時に大地を蹴り上げ前に飛び出していった。
 草花が千切れ飛び、無残にも土が抉れて陥没する。
 華やかな場所に二つの破壊痕を生み出した二人が激突した。
 やや遅れを取ったカズキが喰いこまれ、ブラボーがくり出した肘を刃の腹で受け止める。
 二人を中心に空気を引き裂くような衝撃が膨れ上がった。
 再び地面は大きく抉れ、避暑地には到底似つかわしくない破壊音が響き渡る。
 このままここで下手に暴れれば、どこぞのお嬢様方に迷惑をかけかねない。
 というより、そこから通報を受けて邪魔が入る事の方が迷惑千万。
 どちらともなく弾き合い、場所を変えるべく大きく地面を蹴った。

「カズキ!」

 移動をしながら時折、手を出し合う二人をフェイトも追いかけた。
 打ち合いながらテンションを上げる二人に追いつくのは大変であったが見失う事はなかった。
 緑の絨毯を点々を抉る後をトレースし、やがて周囲の雰囲気が変わり始める。
 穏やかな緑溢れる光景である事には変わりないが、少し鬱蒼とし始めていた。
 恐らくは、それこそが全く人の手が入っていない証であり、先程までの光景は全て人の手で造られた半人工の美しさだ。
 距離は上々、場所も申し分ないと二人はこの場を選んだらしい。

「フンッ!」

 大地に足を着くや否や、大きく膝を曲げてしゃがみ込んだブラボーが跳んだ。
 飛行魔法は使用せず、肉体強化の魔法のみで空に上がる。
 数秒にも満たない間に、地上からは豆粒程の大きさとなった。
 フェイトも素早い動きには自負があるが、距離が違う。

「流星、ブラボー脚!」

 可能な限りの跳躍の頂点にたつと、その身を反転。
 魔力で足場を作り、今度はその足場を蹴ってブラボーが加速する。

「うおおおおッ!」

 だがカズキも退かない、逃げない。
 自身の力に加え重力さえも味方につけたブラボーへと、正面からぶつかっていく。
 サンライトハートのエネルギーの刃を地面に付き立て、刃を伸ばし加速。
 さらに自身の飛行魔法をも加速に加え、激突の瞬間にエネルギーの刃を振るう。
 シルバースキンの一部であるブーツの裏にて、受け止められ、弾かれた。

「ぐゥ」

 勢いに負け、大きく弾き飛ばされると思いきや、そのカズキの体が縦に回転する。
 弾き飛ばしはされたが、まだ攻撃そのものは死んではいない。
 攻撃力は負けたがリーチはカズキが断然有利。
 エネルギーの刃を伸ばし、弾かれた時の遠心力を利用して叩き斬る。
 だがブラボーも勝ちに酔い知れ隙を作らず、大上段から振り下ろされた刃を白刃取った。
 一進一退、ややカズキが押され気味ではあったが、五体満足で二人が大地に降り立つ。

「それがお前の新しいデバイスか?」
「サンライトハートのソードフォーム。まだ完全にものにはしてないけど……」
「いや、良い動きをしている。以前と違い、エネルギー内臓型。必要に応じて、発動・展開する。攻撃時の瞬発力は、遥かに上だ」

 それはブラボーの偽らざる本心であった。
 ダメージというダメージこそ、ブラボーは受けてはいないが絶対ではない。
 そう思える程に、カズキの攻撃は鋭く申し分ない威力を秘めていた。
 以前のサンライトハートは、放出型というよりも補助型。
 カズキの未熟な腕を膨大なエネルギーの放出によって補っている部分があった。
 だがこのソードフォームは、攻撃を除いて全てカズキの力量に掛かっていた。
 それに見合うものをカズキが持って居なければ、大地に足を着く前に倒れている。

「だが、まだ足りない。今よりさらに全力でかかって来い。火渡やリンディ、この俺を含め、管理局の要職に就く者はお前が考えるより遥かに高い領域にいる」

 全力、そういわれて一瞬カズキが思い出したのは、ヴィクター化した自分であった。
 だが即座に、それは違うと被りを振ってその考えを振り払う。
 ブラボーが見たいのは、カズキが信じる全力はそうではない。
 あくまで人間として、ちっぽけだが無限の可能生を秘めた人間としての力。

「人間・武藤カズキの全力」

 ヴィクター化でないとしたら、それは何処からと一つ思い当たったものに振り返った。
 少し離れた後方で、バルディッシュを胸に抱きながら見守っているフェイトである。
 何故か飛び跳ねるように驚かれたが、微笑み返そうとしたところで意表をつかれた。
 遠くの空に炎の柱が上るのが見えたのだ。
 竜巻が空を貫くように螺旋を描いた炎が空を焦がし、ここまで熱風を飛ばしてきた。
 まだ昼前だというのに空は赤焼け、この世の終わりにさえ見える光景である。

「アレは火渡。馬鹿な、最高評議会の命令は撤回されたはず。いや、最初から命令ではなく己の信念に従ったまで」

 ブラボーの信じられないといった呟きは、二人の耳には届いてはいなかった。
 アレが誰のせいかは容易く想像がついていた。
 何しろこうして昼を夕方に変え、夜を朝に変える程の炎を忘れようがない。
 そして、あの炎に今誰が襲われているかも、容易く想像がつく。

「フェイトちゃん、行ってくれ!」
「えっ?」
「あの人は、生半可な事じゃ止められない。それにブラボーと違って、周りを気遣ってもくれない。アリシアちゃんを守ってくれ!」

 そうカズキの言う通り、今襲われているのはアリシアを含むパピヨンやシグナムだ。
 そしてフェイトが今ここにいても、できる事はない。
 無力な子供のように、所在なさげに立ち、身守る事ぐらいしか。
 躊躇いはあるが、たった一人となってしまった姉を見捨てる事も同様にできない。

「分かった、アリシアは私が守る。だから、負けないでねカズキ」
「勝つ。俺はブラボーに戦って、勝つ!」

 揺るぎない声での勝利宣言。
 フェイトを行かせる為の大言かもしれないが、カズキは嘘を言わない。
 少なくともフェイトは聞いたことがない、だから信じて行ける。
 身体強化の魔法を自分自身に掛けて、フェイトは炎の柱へと向けて走り出した。

「アリシア……」

 一分一秒でも早く、近付くにつれ強烈になる熱風の中を駆け抜ける。
 カズキの事は心配だが振り返らない。
 少しでも振り返ってしまえば引き返してしまいそうで。
 仮に戻ってしまえば叱責されるに違いないと、歯を食いしばって駆け抜ける。
 炎の竜巻はなおも続いており、周囲一帯全てを焼き尽くす勢いであった。
 今頃別荘地では、パニックになっているのではなかろうか。
 金持ちのご令嬢御用達という事らしく、事実が知れれば管理局も肩身が狭いに違いない。
 だがそれこそが火渡の貫くべき信念なのかもしれない。
 ブラボーとは反目しかねない信念、危うきは全て消し炭にする。
 消し炭にされる方はたまったものではないが、それなら力なき人の安全は確実だ。
 けれど、その消される誰かがカズキやアリシアだというなら、フェイトも全力で抗ってみせる。
 バルディッシュを握り締め決意していると、こちらへ走ってくる人影が一つ見えた。
 桃色の髪を激しく振り乱しながら、急ぐその人はシグナムであった。

「テスタロッサ!」

 焦るその表情が誰を案じ、その瞳が誰を映したがっているのかは明白。
 明白だと思える程度にはフェイトもカズキの事が見え始めていた。
 ズキリと胸が痛むが、たぶんその考えに間違いはない。

「カズキは向こう、ブラボーと戦ってる!」
「そうか。アリシアはまだ無事だ、ついでにパピヨンも。あちらの戦いには、お前が必要だ!」

 お互い立ち止まらず、声を張り上げながら近付いていく。
 そしてシグナムの言葉を聞いて、フェイトはぐらつきそうになる足を激しく地面に叩きつける。
 アリシアは自分を必要としてくれている、そしてカズキは。

「カズキは、シグナムを待ってる。そばに居てくれれば、それが何よりも力になるはず!」

 すれ違いながら叫び上げ、シグナムの顔を見る事なくフェイトは駆け抜けた。









-後書き-
ども、えなりんです。

再殺部隊編は続けようと思えば続けられたのですが……
戦部とか無傷ですし。
全体としてお話が長くなり過ぎそうなのでカット。
私が書きつかれ始めてたというのもありますが。

んでもって、現在のヴィクター。
彼が次元犯罪者を殺して回ってるとお話に出てきましたが、情報提供者はスカさんでした。
そしてスカさん、色々とやる気をなくして逃げた。
だって、戦闘機人強いとおだてられてはいたが、
そのおだててた人たちが百五十年も前にヴィクターを作ってたんですよ。
プライドやら色々へしおれました。

この物語はSTS編がないと、以前から言ってましたが、ラスボスがやる気をなくしたと言う意味でもありません。
それでは次回は水曜です。



[31086] 第三十五話 ヴィクターを殺す前の軽い運動だ
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/05/02 22:00

第三十五話 ヴィクターを殺す前の軽い運動だ

 パピヨン達一向も、ほぼカズキ達と同時刻にニュートンアップルへと辿りついていた。
 見渡す限りの草原と、こちらに覆いかぶさりそうにも見える大樹の数々。
 それら大自然を前にアリシアのみならず、シグナムも目を奪われている。
 逃避行の途中にあるほんの一息の小休止。
 それぐらいは許されて然るべきであったが、心から休めない理由があった。

「んぐ、まだ見た事のない蝶々が密やかに息づいてそうだ。寄り道したい、き・ぶ・ん」

 紙袋一杯の肉まんを頬張りながら、勝手な事をいうパピヨンである。
 がさがさと紙袋をあさったり、肉まんの匂いが色々とぶち壊しであった。
 時の庭園から逃げ出した転移先からここまでの距離は、カズキ達が辿った行程の半分に過ぎない。
 なのに何故、次元世界ニュートンアップルに辿りついたのが同時刻なのか。
 それはあっちへふらふら、こっちへふらふらと気を取られまくるパピヨンにあった。

「少しばかり心を癒したいのは同意見だが、貴様はもっと自重しろ。私達は食道楽の旅をしているわけじゃないんだぞ!」
「そうだよ、パピヨンのお兄ちゃん。カズキのお兄ちゃんも、今頃はこの世界に来てるはずなんだから。早く合流しないと……昨日の中華っぽいのは美味しかったけど」

 シグナムにならいアリシアも嗜めるも、後半の呟きにて言葉を濁す。

「黙れ、ココまでの道中誰の金銭で事なきを得たと思う」
「うぐ……当初、こんな強行軍になるとは」

 半ば勢いで行動した節もあり、シグナムも多くの金銭を携帯していなかったのだ。
 というか、管理外世界の金銭は当然の事ながら非換金対象である。
 パピヨンが持っていた次元世界の通貨におんぶに抱っこ。
 ニートじゃない、ニートじゃないもんとシグナムが、胸の痛みから目を背けた。

「あ、気にしないでシグナム。アレ、ママの遺産だから。パピヨンのお兄ちゃんが勝手に引き出して使用してるだけだから」
「貴様、故人の遺産をただの食道楽に使うな!」
「ふん、死んだ奴の金を俺が如何しようと勝手だ。金品に興味のないアリシアが持っていても文字通り宝の持ち腐れ。有効活用してやっているんだ。感謝して欲しいぐらいだね」
「シグナム、本当に気にしないで。私、パピヨンのお兄ちゃんの行動は大抵諦めてるから」

 あははと乾いた笑いを浮かべたアリシアを、シグナムが抱き上げ抱きしめる。
 心底、なんて不憫な子なんだと。
 リンディがアリシアを猫可愛がる理由が、母性という本能的な部分で理解できた。
 その分、鼻歌を歌いながら肉まんを頬張るパピヨンの憎さは倍増しだが。

「さて、腹も一杯になったし観光も済んだ。そろそろ、来たか」

 観光気分を一新し、空を睨みつけるようにパピヨンが見上げた。
 その意味するところを察して、シグナムもアリシアを庇うようにして見上げる。
 空には太陽が二つ、昇っていた。
 多くの次元世界には太陽が複数ある世界もあるが、この世界は地球と同じく一つだ。
 ならば何処からその余分な一つが増えたのか。
 この中でそんな光景に見覚えがあるのは、アリシアであった。

「管理局の特殊部隊隊長、火渡」

 最初は小さく見えていた太陽は、その大きさを変えるように近付いてきていた。
 炎の塊を足場にしていた赤髪と獰猛そうな瞳を持つ火渡が、見下ろし呟く。

「けっ、こっちは外れかよ。まあ、雑魚でも少しは楽しませろよ。ヴィクターを殺す前の軽い運動だ!」

 言葉を交わす間もなく火渡が移動に使っていた炎の塊を蹴りつけた。
 まるで質量を持っているように、加速しては多くの酸素を喰らい燃え上がる。
 一体その炎の固まりは、何千度の熱にまで膨れ上がっているのか。
 炎の魔力変換資質を持ち、同時に耐性を持つシグナムでさえ顔を歪ませる熱量であった。
 まだ着弾に至らないのに、周囲の草花は急速に水分を失いしおれ始める。
 当然の事ながらパピヨン、アリシアを抱いたシグナムは回避を選んで飛び退った。

「問答無用か。カズキが標的のはずではなかったのか?」
「あの人はそんな事は関係ないよ。カズキのお兄ちゃんを庇う人は全員同罪、全力で殺しに掛かって来る。パピヨンのお兄ちゃんより危険な人なの!」

 着弾した炎は爆発的に膨れ上がり、地面をも喰らって巨大な炎の柱と化した。
 管理局員のくせに、周囲の自然への被害もお構いなし。
 結界はおろか、見たところ非殺傷設定すらも設定された様子はない。
 隊員達も相当な戦好きか、変態であったが、隊長も負けず劣らずといったところか。
 到底会話による和解や、見逃してくれるような優しさは持ってはいまい。

「仕方がない、戦るぞ。レヴァンティン!」
「Jawohl」

 待機状態のペンダントから、刀剣の型にレヴァンティンを変えてシグナムが叫ぶ。

「あれ程の炎使いに、同じ炎の魔力変換資質のお前がいてなんになる? 邪魔にならないように、すっこんでいろ」
「なっ、貴様。烈火の騎士であるこの私を!」
「ストップ。喧嘩しちゃ、って」
「どの道、手前ら全員黒焦げだ。さっさと死んじまいな!」

 未だ健在の炎の柱から、火渡の意志に従い炎の塊が放たれた。
 当初よりもサイズは小さいが、それでも一抱えの炎が散弾のように撃たれ続ける。
 これには戦意に水をさされたシグナムも、激昂を抑えるしかない。

「シグナム、聞いて。パピヨンのお兄ちゃんの言う事も一部は事実だよ。それに、こっちが襲われている以上、カズキのお兄ちゃん達も」

 逃げ惑いながら声を張り上げるアリシアの言葉を聞いて、その襲撃者を想像する。

「特殊部隊の隊員は大半を退けた。その隊長がここにいる以上、ブラボーか?」
「たぶん、シグナムはこっちよりカズキのお兄ちゃんのそばにいた方が力になれる。フェイトの事を考えたら、言っちゃいけないけど。シグナム、行って!」
「行くならさっさと行け。武藤があの男を倒すのなら、俺はこの男を倒す。余計な手出しは無用だ」
「本音か、素直じゃないだけか。パピヨンは恐らく前者だろうな。すまない、行かせて貰う!」

 同系統の能力者同士では、決定打を出しにくいだろう。
 かと言って、シグナムの技能を考えればサポートに周るのは能力の無駄でしかない。
 カズキのそばで戦えるのなら、むしろそばにいられるのならと。
 シグナムはまずこの場からの離脱を第一に考え、駆け出した。

「はっ、逃がすと思ってんのか!」
「それこそ、手を出させると思った? ストラグルバインド!」

 火渡の気がシグナムに向いた隙をついて、アリシアが魔力の鎖を伸ばした。

「手を貸すようで不満だが、邪魔は少ない方が良い。黒死蝶!」

 アリシアの魔力の鎖が火渡を縛り上げたところで、黒死蝶で吹き飛ばす。
 特に技量は必要としないが、それでもアリシアとパピヨンの連携攻撃である。
 だがこの時に火渡が取った行動は、いささか不可解なものであった。
 二人の同時攻撃に気付きつつも、未だ気はシグナムに向けたまま。
 ついにはアリシアが生み出した魔力の鎖がその身に襲い掛かる瞬間、すり抜けた。
 まるで火渡の体が千切れ飛んだかにも見えた次の瞬間、黒死蝶が猛威を振るった。
 火渡の体が崩れ散りじりに吹き飛ぶまま、爆煙の中へと消えていく。

「や、やったの?」

 まさかという思いを込めて、震える手を握り締めながらアリシアが呟いた。
 寧ろ無事であって欲しい、たかが捕縛の魔法で体が千切れるとは思わなかったのだ。
 殺した、いや幻影かそれとも他の何か。
 一体どれが良かったのか、もうもうと広がる黒煙の中から一発の炎の塊が飛び出した。

「良かっ、じゃない。防御結界!」

 炎が向かった先は、もはや遠すぎて草場の影にさえ隠れそうな程のシグナムであった。
 咄嗟に射線に割り込んだアリシアが、炎の塊と自分との間に魔力結界を生み出した。
 魔力によって生み出した方円上の魔法陣を盾に、炎の塊を受け止める。
 一瞬では四散せず、標的を変えてアリシアを燃やし尽くそうと猛る狂っていた。
 魔力の壁越しでもはっきりと分かる熱は、アリシアがホムンクルスでなければ相当の猛威であった。
 熱を帯びひり付く肌が悲鳴を上げた頃、炎が小さく破裂する。

「くっ!」

 消え入る前の最後の足掻きに吹き飛ばされ、やや腰砕けにアリシアは落ちた。
 本当に生きていて良かったのか、悪かったのか。
 風により薄れゆく爆煙の中から現れた火渡が、さも楽しそうに瞳をぎらつかせ笑う。

「お、耐え切ったか。さすがはホムンクルスってところか。雑魚って言葉は訂正してやる。少しはやる雑魚ってな」
「うぅ、なんで私に集まる男の人って厳しい人ばっかなの」
「そんな小さななりで男運をどうこう言うには百年早い。身の程を知れ」
「厳しい兼、変態筆頭のパピヨンのお兄ちゃんに言われても……」

 ぶつぶつと言いながら、アリシアがバリアジャケットのお尻を払って立ち上がる。
 シグナムをこの戦線から離脱させる事にはなんとか成功した。
 次はパピヨンとアリシアの二人で、この謎の能力者を倒さなければならない。
 そう、謎の能力者だ。
 火渡はただの炎の魔力変換資質能力者ではない。
 もっと別の何か、まだ詳細は分からないが、先程の光景よりそれは明らかである。
 容易く千切れ飛ぶ体に、捕縛や爆破が殆ど聞かない体。

『この人、幻術系統のレアスキルなのかな? この炎も、実は幻術とか』
『それは恐らく違うな。幻術ならば、炎に拘る必要がない。お前が防いだ一撃も、防げなかったという幻を見せれば良いだけだ。まずはレアスキルの看破だね』

 手伝えと、念話は使用せず瞳でパピヨンはアリシアに命じた。

「内緒話は終わったか?」
「ああ、貴様程度この一匹で十分だ」

 通常よりも二倍、三倍近い黒死蝶を手の平で支えたパピヨンが火渡に答える。
 アリシアを下がらせ、体は半身にして黒死蝶を制御する腕を前へと突き出す。
 明らかな誘いを前に、さも面白そうに火渡が笑みを浮かべた。

「早撃ち勝負か。面白れえ」

 両の手の平から小型の竜巻の炎を巻き上げ、撃つ体勢に入った。
 殺し合いの場にて、合図はなし。
 しいて言えば、どちらかが先に動いた事そのものが合図である。
 互いにピクリとも動かず、隙を伺い、先に動いたのはパピヨンであった。

「黒死蝶!」
「おらあ!」

 放たれた黒死蝶に刹那も遅れず、火渡が巨大な火球を放った。
 炎と爆破、似て非なる能力同士、我先にと酸素を喰らい合い黒煙と熱風を撒き散らす。
 その黒煙を裂いて、つい先程みたばかりの魔力の鎖が、蛇の様にうねり伸ばされた。
 アリシアのストラグルバインドである。
 早撃ち勝負等という格好はもちろんフェイク、再び火渡を捕縛しようと襲いかかった。

「はっ、この程度の不条理なんて事はねえ。まさかこの程度で終わりってんじゃねえだろうな!」

 二本、三本と増えていく魔力の鎖を、余裕の笑みさえ浮かべて火渡が頭を下げ、飛び退ったりと避けていく。

「ああ、もちろんだ。これで終わるはずがない」

 そして火渡が大きく飛び退ったその時、パピヨンもまた黒煙に紛れて飛び出していた。
 奇襲の波状攻撃、黒死蝶もその後のストラグルバインドもフェイク。
 さらにアリシアには、魔力の鎖の捕縛を甘く、避けやすいようにと言い含めてある。
 思った通り温いとばかりに叫んだ火渡の懐に隙ができた。
 自らの黒死蝶で生み出した黒煙を引き裂きながら、パピヨンがその懐に飛び込んだ。
 そして一閃、野獣の獣のソレよりも鋭い手の爪にて、喉笛を掻き切った。

「なる程、そう言うことか」

 だが必殺の一撃を入れたはずのパピヨンは、勝利の笑みを浮かべてはいなかった。
 むしろしてやられたとばかりに、全てのカラクリに気付かされていた。

「上出来だ、褒めてやるぜ。だが、読みが甘えのはお互い様だ!」

 明らかに喉を切り裂かれながらも、目の光に曇りはなく、寧ろより炎が猛っていた。
 咄嗟に両腕をクロスさせて己が身を庇うパピヨンへと向けて炎が襲い掛かる。
 斬り裂かれた喉の奥から膨れ上がりながら。

「ぐああッ」

 いつも不敵な笑みを浮かべ余裕を失わないパピヨンが、初めて悲鳴を上げた。
 大地を焼き払うのではなく、砕き灰塵に返す程の炎である。
 明らかにホムンクルスの耐久性を上回るそれを前に、平気なはずがない。
 だが次の瞬間、アリシアが生み出していた魔力の鎖がパピヨンへと絡みついた。
 炎にまかれ燃やされつつあるその体を包み込み、引き寄せる。
 術者であるアリシアの元へと、そのまま鎖でミイラのように包み込み、地面に叩きつけた。
 再び今度は異なる意味でパピヨンが悲鳴を上がる。
 だがその体は完全に地面に埋め込まれ、炎が必ず共にあるべき酸素を遮断させた。

「パピヨンのお兄ちゃん!」

 埋まった地面の底から、炎の名残である煙はまだ上がっている。
 自分でやっておきながら大丈夫かと、不安そうにアリシアが叫ぶ。

「煩い、この程度で逐一叫ぶな」

 だが程なく熱で焼け焦げた土の中から、パピヨンの腕が伸びてきた。
 圧し掛かる土を押しのけながら、アリシアの不安を振り払うように起き上がる。
 だが何時ものお洒落なバリアジャケットはぼろぼろで、本人も相当疲弊していた。
 口元は吐血の血で汚れており、苦しそうに咳き込んでは新たな血を手で拭っている。

「全く、この間の戦部といい貴様といい。ホムンクルス以上の回復力、そして耐久力。ただの人間の癖に、もはや呆れ果てる」
「耐久力?」
「と言うより、物理的な攻撃は殆ど無効だ。奴のレアスキルは炎の魔力変換資質ではなく、自分の肉体をも炎に変換する能力。もはや火炎同化能力者と言った方が正しいな」
「だが、それが分かったところでなんになる。俺のレアスキルは、種が割れたところで影響は殆どねえ。五千度を超える炎を一瞬で凍てつかせるような能力でもなければな」

 レアスキルの能力に絶大の自信を持って火渡が笑う。
 事実、それに見合う能力であったし、火渡自信もそれに胡坐をかいているだけではない。
 事前に幻術かとアリシア達を惑わしたのも、確かめようとしたパピヨンを罠に填めたのも。
 先程もパピヨンがホムンクルスでなければ、アウトであった。
 口ぶりは乱暴でいて思考も粗暴だが、長年の経験が慎重さを加えさせ非常に厄介な敵として目の前に立っていた。

「パピヨンのお兄ちゃん、何か手はある? 手詰まりとは、聞きたくないかな?」
「ふむ、奴の部下か……」

 そう呟いたパピヨンが、ふいにアリシアの頭を撫で付けた。
 叩くわけでも、髪の毛をかき回すわけでもなく。
 余りにも似つかわしくない、不自然な行動であった。
 思わずアリシアが怖気を感じて後ずさったとしても、仕方の無い事であろう。

「下がっていろ。遠くに、この炎が届かないぐらいにな」
「え、うん。分かった」

 不安げに見上げてくるアリシアの瞳へと命ずるように、パピヨンは頷いた。
 パピヨン一人に全て押し付ける事に後ろ髪を惹かれるように、アリシアが駆けていく。
 だがシグナムが逃げ出した時とは違い、火渡は逃げ出すアリシアをただ見送っていた。
 胸のポケットからタバコを一本取り出し、火をつけて紫煙を吐くぐらいの余裕で。

「撃つと思ったが、どういう風の吹き回しだ?」
「手前らの三文芝居のせいで、背筋が痒くなっただけだ。断じて惚れた女が頭ん中で煩せえんじゃねえよ。不条理を不条理でねじ伏せる、それが俺の殺り方だ」
「結構、それじゃあ続きを始めようか」

 今再びのしきりなおし、パピヨンが黒死蝶を手に、火渡が両手に炎を生み出し身構える。
 今度は早撃ちではなく、全ての能力を使った総力戦だ。
 その証拠に、時が経つ程にパピヨンの手から黒死蝶が生まれては周囲に羽ばたく。
 兎に角残された短い時間で手数を増やす。
 だがそれを悠長に待ち続ける火渡でもない。
 四匹、五匹目とパピヨンの手の平から黒死蝶が待ったその時、動いた。

「ブレイズオブグローリー!」

 自分自身を炎と化して、突っ込んできた。

「黒死蝶」

 それにあわせ、先手は譲らないとばかりにパピヨンが黒死蝶を一匹放った。
 その黒死蝶は自ら火花を散らす前に、火渡が生み出す灼熱の風によって起爆。
 切欠を与えた火渡を巻き込んで炸裂する。
 生み出された爆風により、火渡の姿が揺らぐも、散らすには至らない。
 そしてパピヨンが第二射を放つより先に、火渡がその懐に潜り込もうとした。
 目と鼻の先、手を伸ばさば触れられる距離にまで踏み込む。

「おらぁ!」

 炎そのものである腕を使い、フック気味に横からパピヨンのこめかみを狙った。
 もちろん、本当の狙いはその頭を消し炭に変える事だ。
 ならば手で受け止めるわけにもいかず、パピヨンも上半身をそらしスウェーを行なう。
 背骨が折れるのではと心配になるぐらいに体をそらし、同時に左腕を伸ばす。
 握りこまれた拳を、炎の塊である火渡の腹の中へと容赦なくぶち込こんだ。

「あ? テメェ、舐めてんのか?」

 今の火渡は炎そのもの、突然のパピヨンの暴挙に募る怒りは当然でもあった。

「外からが駄目なら、中からならどうかな?」
「そういう事かよ」

 火渡の腹に付きこまれたパピヨンの拳が、開かれる。
 握りこまれていたのは一匹の黒死蝶、起爆しないよう熱や炎から手の平で庇っていたのだ。
 当然、その手の平を開けば黒死蝶は炎を巻き込み起爆する。
 次の瞬間、火渡が内部から爆発四散した。
 爆風に煽られより一度は大きく膨れ上がり、拳大程の大きさとなって散る。
 その様子は打ち上げに失敗した花火の様だが、命の灯火は消えはしないようだ。
 空の上で風が渦巻き、飛び散った炎をかき集め、等身大の人の大きさの炎の竜巻となる。
 それが最後の一巻きを終えると、人型となってやがて火渡そのものとなった。

「次から次へと、良く考えつくもんだな。感心してやるぜ」
「やれやれ、効果なしか。わざわざ腕を一本潰したというのに」

 五体満足に、特徴的な赤髪を掻き揚げながら火渡が笑う。
 潰したという言葉の通り、パピヨンの左腕は肘から先が消えていた。
 こうして喋っている間も、断面からはぼろぼろと炭化した欠片が零れ落ちている。
 火渡の腹に腕を突っ込み炭化し、さらに黒死蝶の爆破により消し飛んだのだろう。 

「それでこそ、殺りがいがあるってもんだ。だが、さっきのが奥の手って感じじゃねえな。テメェの目はまだ死んじゃいねえ」
「さあて、それはどうかな」

 言葉のやり取りを中断させるように、パピヨンが次の黒死蝶を飛ばした。
 爆破により、火渡の表面を爆風で揺るがす。
 その間に背中から黒い蝶の羽を生み出し、地面を蹴って空へと昇る。

「ここまで俺とやりあえた奴はそう多くねえ。今度こそ、雑魚って言葉は完全に取り消してやる」
「別に嬉しくともなんともないな……貴様に認めて貰う事よりも、ほら。武藤との決着を夢想した時のほうが」

 相変わらずのテンションで叫ぶ火渡の言葉を打ち払い、パピヨンがうっとりとした表情を浮かべた。
 最終的なパピヨンの目的は、依然として変わらず人間・武藤カズキとの決着。
 この戦いですら、行きつけの駄賃に過ぎない。
 だがそれは火渡も同様であり、対ヴィクター戦の前の前哨に過ぎなかった。
 ただ両者の間で決定的に違うのは、バトルジャンキーとしての面があるかどうか。
 元来パピヨンは研究者肌であり、火渡は特殊部隊として戦いに明け暮れるのが好きだった。

「腹が駄目なら、まずはその頭を吹き飛ばす」
「はっ、無駄だってのが分からねえか。燃え尽きちまいな!」

 戦いの中でも常に方法を考え、洞察を重ねていくパピヨンに対し、火渡は強引に燃やし尽くしていく。
 もっとも、火渡も何も考えていないわけでもなく、それが自分の能力と最適の戦い型だと知っているからだ。
 だが着実に、両者の戦い型がこの戦いの終わり方を分け始めていた。
 攻撃を加える為に、火渡を消滅させる為にその身を削りながら戦うパピヨン。
 反対に、苛烈な攻撃を加えながらも、火渡には怪我らしい怪我もない。
 炎という形のないものが、傷つけられるはずがないのだ。
 炎が持つ攻撃力の高さに目が行きがちだが、ある意味で火渡も絶対防御に限りなく近い能力であった。
 唯一の弱点は、正反対の性質を持つ水か氷であろうが、あいにくこの場にそんな能力を持つものはいない。
 そしてついに、全身に火傷を負いながらパピヨンが地面に膝をついた。

「ようやく、かよ……手間かけさせやがった」
「ケホッ、まだ」

 火渡も激しく体力を消耗して肩を揺らしているが、パピヨン程ではなかった。
 左腕は肘から先がなく、火傷がない肌の方が珍しいぐらい。
 バリアジャケットであるお洒落なスーツも、維持が困難なのか時折姿がブレていた。
 それでも戦意だけは失っておらず、血反吐を吐きながら黒死蝶を生み出そうとする。

「チッ、久々に全開で戦うと頭がいてぇ。ヴィクター・スリーを殺る前に、シャワーでも浴びてえところだ。だが、その前に」

 こめかみをとんとんと叩きながら、火渡が睨みつけるようにパピヨンを見下ろした。

「キッチリ、止めは刺しておいて殺る!」
「くッ、黒死蝶!」

 頭上に炎の塊を生み出した火渡を前に、パピヨンが最後の足掻きを行なう。
 その爆破の威力は元来の半分もなく、火渡の表面を僅かに揺るがす程度。
 完全に力尽きたかと、ニヤリと火渡が唇の端を持ち上げた。

「じゃあな、あばよ。直ぐにヴィクター・スリーも、なに!?」

 だが次の瞬間、ばふりと少々間抜けな音を立てて頭上に掲げていた炎が消えた。

「制御に失敗、馬鹿な。この俺が……痛ッ、この頭の痛みまさか」
「ようやく、と言ったところか。実は俺も少々頭が痛いが、貴様程じゃない」

 頭を両腕で抑え、その直ぐ後で火渡は喉を抑え始めた。
 ひゅうひゅうと、乾いた管を風が通るような音がその喉の奥から響く。
 そして初めて動揺を見せた火渡へと、今度は逆にパピヨンが勝利の笑みを浮かべて見せた。
 こんこんと軽く頭を叩きながら、パピヨンが立ち上がり火渡に指を突きつける。

「貴様の能力は本当に厄介だった。物理攻撃は全て無効、非物理の攻撃も恐らくは対極の属性以外も無効だ。当初、あの女を行かせはしたが、実はこの俺も属性的に相性は悪い」

 シグナムが炎の魔力変換資質であるのに対し、パピヨンも魔力を純粋に爆破に変える事ができた。
 だが爆破と言っても所詮は炎の類似属性であり、熱と風に過ぎない。
 当然、熱を込めれば炎は強まり、風で煽れば炎は猛る。
 相性の悪さはシグナムと変わらず、風という面があるだけになおさらでもあった。
 あるいは周囲一帯全てを吹き飛ばす程の力があれば別であったかもしれないが、今のパピヨンには無理だ。
 そして、可能な限り火渡を吹き飛ばそうと、内部から、または頭部からを試したが無効。
 火渡は即座に何事もなかったかのように、その場に炎と共に現れた。

「ま、試すよりも先に予想はしていたが。だから、俺はアリシアを逃がした」
「あのガキのせい、結界か」
「その通り、この周囲と言ってもかなり範囲は広いが。アリシアと何故かいたその妹が、結界を張っている。と言っても、位相をずらす程に大げさなものじゃない」
「空気、酸素を……」

 今にも喉を掻き毟りそうに、火渡りが脂汗をかきながら呻くように呟いた。
 火炎同化能力者といえど大本は人間、酸欠を起こして膝をついて蹲る。

「そう、酸素を遮断させた。そして貴様と俺が、炎と爆破を繰り返せば……」

 もちろん、結界や酸欠の事態を悟らせないように、暇を与えず責め続けもした。

「結果はこの通り。完全勝利、と言いたいが。ちょっと不満」
「テメェ、何が不満だッ」
「このアイディアは、元々貴様の部下がくれたものだ。名前はなんて言ったか……覚えてないが、ちっこいの。この逆、過剰な酸素供給には俺も悩まされたからな」
「毒島……エアリアル・オペ、確かにアイツの」

 ついにそこで力尽きたのか、火渡が完全に言葉を失いその場に倒れこんだ。
 放っておけば、程なくして酸欠で死亡するだろう。
 だがパピヨンは死力を尽くした相手が干満に死に行くのを見送る程、残忍ではない。
 むしろ、全力で立ち向かう者。
 火渡の場合は全力で殺しに来る者だが、嫌いではない。
 少なからず火渡はパピヨンを認めるような発言を繰り返してもいたからなおさら。
 だからこの戦いは非常に満足だったと、その戦いを締めくくるべく無事な右手で手刀をつくりだした。









-後書き-
ども、えなりんです。

火渡VSパピヨンのドリームマッチ。
まあ、火渡間抜けすぎじゃないかとの意見もありそうですが。
そもそも火渡と長期戦が出来る相手って珍しいですし。
徐々に酸素がなくなった事に気付かなかったということで一つ。

もう残すところ七話です。
五月中に終わるかな?
現時点で次回作が何も頭にありません。

それでは次回は土曜日です。



[31086] 第三十六話 例えどんな結果が待ち受けていても
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/05/05 20:17
 難攻不落の城、戦う姿のブラボーを目の前にしてのカズキの感想はそれであった。
 こちらからの攻撃は、頑強な城壁により守られている。
 かと言って、攻撃力が皆無というわけでもない。
 むしろ大砲を複数備えており、少しでも気を抜けばその大砲に撃ち抜かれてしまう。
 今まさにシルバースキンのグローブをはめた大砲が、カズキの直ぐ耳元を通り過ぎた。
 空気を撃ちぬく音、振動によってビリビリと痛む耳。
 それらに体が萎縮して動きが鈍らぬように、カズキはありったけの声で叫びを上げた。

「おおおおおッ!」

 裂帛の気合を伴なう斬撃に、衝撃波が周囲に駆け抜ける。
 斬り払おうとした一撃はブラボーの手の平に止められたが、そこでは終わらない。
 息をつく間のない連撃。
 以前よりも小ぶりに、その名の通り剣に限りなく近付いたサンライトハートで斬りつける。
 金属同士が高速でぶつかりあうような異音が鳴り続けていた。
 カズキの一撃の殆どは、時に腕で払われ、時に膝で受け止められる。
 そして刹那の瞬間にでも動きが鈍れば、反対にブラボーの拳が飛んできた。
 今度は完全には避けられず、即頭部に小さな痺れが走った。
 かすっただけで滲んだ以上の血が流れ、紙一重の攻防だという事を示してくれた。
 だがカズキもシルバースキンの前に、何もできていないわけではなかった。
 シルバースキンというレアスキルは無敵でも、ブラボーという人間は完璧ではない。
 刃を丁寧に腕で払いきれない事もあれば、カズキの槍さばきに肩口を突かれたりもする。

(サンライトハートが当たらないわけじゃない。けど攻撃が通らない。かすり傷を与えるような、中途半端な攻撃は全く意味がない)

 ブラボーが防御し損ねる事を願ったような一撃は、シルバースキンで無効化される。
 必要なのは、シルバースキンを弾き飛ばす程に強い一撃。
 それも、腕や足などの末端部ではなく、警戒厳しい人体の急所の箇所だ。

「届け」

 能力の差の一言では言い表せない圧倒的不利な状況に、焦りが浮かぶ。
 カズキは徐々に小さな傷を負っては神経をすり減らし続けている。
 一方でブラボーは一切の傷を負う事なく、優位な立場に立ち続けていた。
 その焦りからカズキは挑まなくても良い危険な賭けへと出てしまった。
 くり出されたブラボーの右の拳に対し、体を半身にして左の肩を差し出す。
 正面から受け止めれば骨折は必死、拳が肌に触れる寸前でさらに左からを内に入れた。
 左肩から背中の表面上をブラボーの拳がすり抜け、薄い肉が波打ち強い痛みを伴なう。
 だがその痛みは唇を噛み締める事で黙殺し、内にむけていた体を一気に開く。
 内側から外へと力を入れられ、ブラボーの腕が弾かれる。

「今だ。届けェェ!」

 がら空きになったブラボーの胸への一本道。
 そこを遮るようにまだ残るブラボーの右腕が立ちはだかろうとするが、カズキの方が早い。
 この場合、サンライトハートがと言った方が正しいか。
 刃が分離するように展開、その中からこの時を待っていたとばかりに輝きがあふれ出す。
 カズキの腕の伸びとエネルギーの刃の伸びが二重に重なり、ブラボーの右腕を振り切る。
 防御は間に合わず、サンライトハートの刃の先端がブラボーの胸を捕らえた。

「ぬうッ!」

 ついに入った決定打を受けてブラボーが唸り、シルバースキンが弾け飛ぶ。
 だが弾け飛んだのは拳一つ分ぐらいの小さな隙間だ。
 もう一撃、そう思ってサンライトハートを退いた瞬間、痛みが走り体が僅かに硬直する。

「痛ッ」

 左肩から背中へといたる肌の上、出血こそしてはいないが火傷をしたように引きつっていた。
 そしてはっと我に返った瞬間には、シルバースキンにあった拳大の抜け道も修復され塞がれてしまった。
 そればかりか、目と鼻の先には迫るブラボーの右の拳。
 世界が一瞬にしてブレたかと思えば回り、カズキは地面を転がされてから殴られた事を知った。

「若いな」
「痛った……踏ん張らずにいて正解。痛いけど」

 学生服を模したバリアジャケットを土で汚し、口の端から流れる血を拭いながら立ち上がる。
 咄嗟に地面から足を放し、自ら飛ばされたのは正解であった。
 口の中は切れて痛いし、体もあちこち、なおかつ頭はぐらつくがまだ戦える。
 頭を軽く振って眩暈を追い出すと、カズキは改めてサンライトハートを手にしてブラボーを見据えた。

(強引な一撃じゃ)
「カズキ、お前の攻撃力はシルバースキンを凌ぐ」

 シルバースキンの帽子部分を被り直すように手の平で押さえながらブラボーが言った。

「だが無理な体勢で放つ強引な一撃では、できてシルバースキンに小さな穴を開ける程度だ。無謀なだけの攻撃では、俺は倒せん」

 今まさに考えていた事を指摘され、ギクリとカズキは胸を押さえかけた。
 息をつく間もない攻防に、結果の見えない攻防に焦れて仕掛けてこの様だ。
 確かにシルバースキンに穴を空ける事は成功したが、ブラボー自身は全くの無傷。
 それどころか、カズキ自身は決定的な一撃を貰うところであった。
 不必要な体の痛みは戦闘を疎外し、本来の動きを奪う。
 結局得たのは小さな希望とは到底釣り合わない体の痛みである。

「そうだ生半可な、中途半端な攻撃じゃ意味がない。攻撃が届かない事も、俺が納得する意味でも。俺の全力全開」

 覚悟を決め、自分自身に言い聞かせるようにカズキが呟いた。
 そして自分の不甲斐なさから負ってしまった怪我や痛みを今だけは忘れる。
 深く息を吸って適度に吐き出すと、地面に手が届く程に体勢を低くして身構えた。
 右足を前に出し左足は大きく下げた場所に据え、変則的なクラウチングスタートの体勢にも見える。
 ジュエルシードをシグナムと共に集め始めてからこれまで。
 地力の底上げとして様々な戦い方を覚えてきたが、カズキの根本は突撃にある。
 今でこそ小型化されたサンライトハートもソードフォームと称するものの、突撃槍である事に変わりはない。
 ならばカズキの渾身の一撃とは、全力全開とは何かと問えば答えは一つだ。
 直線の速さと破壊力で、ブラボーの防御をすり抜け渾身の一撃を叩きつける。
 それこそが、ブラボーの対峙にて得た一つの答えであった。

「来い、カズキ。お前が納得できるまで、何度でも。俺はその全てを受け止める。それがお前の幸せを少なからず奪う俺の責任だ」

 カズキの我が侭を、全て受け止めてくれるとブラボーは言った。
 反射的にありがとうと呟きそうになったが唇を噛み締めて言葉を遮る。
 今その気持ちを言葉にしてしまえば、矛先が鈍りかねない。
 だからその言葉は全てサンライトハートの切っ先に込め、カズキはブラボーを見据える。
 カズキが体の内側の深いところから、心の臓から声を張り上げた。
 空気を引き裂くような声で自らを鼓舞して、カズキは突撃の一歩を力の限り踏みしめていった。
 対してブラボーも自分の言葉の通り、カズキを迎えうつべく拳を握り身構える。
 互いの間にある距離は十メートルにも満たない。
 カズキのサンライトハートを使えば、瞬きする間に零にする事のできる距離だ。
 そして次の瞬間、サンライトハートがエネルギーの帯を放ちながら伸びた。
 石突にある小さな竜の形の刃が、カズキの後方へと。
 サンライトスラッシャーの閃光に見劣りしないスピードで後方の土の中へとめり込んだ。
 土の内部にてエネルギーが爆発し、カズキが今度こそ急加速する。
 自らの足で走り、後方へとエネルギーを噴射する事で二重に加速。

「うおおおおッ!」

 渾身の一撃を示す唸り声を上げ、カズキは右手に持ったサンライトハートを突き出す。
 三重の加速、内部から溢れるように輝いたエネルギーが、刃を前に押し出していく。
 普段の一撃の倍近い加速をつけて、カズキがブラボーに突撃をかけた。
 シルバースキンを弾き飛ばしてもお釣りが来るだけの一撃。
 その一撃がブラボーの胸を寸分の狂いなく捕らえた、はずであった。

「穂先ではなく、石突の方を一気に伸ばし、地盤に撃ち込んでエネルギーの噴射と反動の二つの力を掛け合わせて緩から急へ一気に加速する」

 カズキの行動の全てを、ブラボーが感心したように呟く。

「良く考えた。だが……」

 交差しあう二人の男の影は、一方が突撃槍の穂先に貫かれているはずであった。
 だが影でなく実態を見れば一目瞭然。
 サンライトハートの切っ先はかわされ、ブラボーの左の脇の間で受け止められている。
 さらにカズキの突撃にあわせるようにその胸には右の手刀が付きこまれていた。

「惜しかったな。だがお前は良くやった。自分を納得させるには十分だろう」

 ブラボーの言葉を切欠にして、前のめりに倒れゆくカズキが口から血を吐き出した。
 あばらの隙間をぬって打たれた手刀で肺腑に傷を負ったか。
 あたりの痛みに意識が飛びかけ、ブラボーの言葉が脳内で繰り返される。
 惜しかったが良くやったと、納得するには十分だと。
 確かにカズキは全力を出した、そして結果としてブラボーに敗れた。
 満たされたとはとても言えないが、納得できるだけの戦いではあった。

「カズキッ、何をしている立て!」

 瞼の重みに負けて瞳を閉じかけようとしていたカズキを、奮起させる声が叩きつけられた。
 充足感に満ちて眠ろうとしたカズキをたたき起こす、やや乱暴な言葉。
 だがそこに込められた気持ちは言葉に則さず、カズキを案じる気持ちで一杯だった。
 そうでなければ、サンライトハートを地面に突き刺して倒れこむのを耐えられるはずがない。
 なんどかよろめきつつカズキはブラボーから距離をあける。

「ハァ……ハァ、グッ。シグ……」

 やや虚ろな瞳ながら、耐え切ったカズキに対しブラボーはの瞳は驚愕の色に染められていた。
 何もブラボーは、カズキを宥める為にもう十分だと言ったわけではないのだ。
 カズキの最高の突撃に合わせたカウンターが確かに決まったのだ。
 普通ならばそこで意識は完全に刈り取られ、終わっていたはず。
 そのカズキが息を吹き返させたのは、誰なのか考えるまでもない。

「騎士・シグナム」

 ブラボーの呟きを無視して、シグナムは一目散にカズキへと駆け寄っていた。
 余程急いでいたのか、彼女にしては余裕もさほどない様子で息を乱している。
 先程の立てとカズキを奮い立たせた一言も、無理の一環かもしれない。
 汗にて額に張り付く髪を鬱陶しそうに掻き揚げるシグナムに、カズキも僅かながらに笑みを返していた。

「シグ……」
「喋るな。まずは息を整えろ、瞳を閉じるのは勝った後だ」
「相変わらず、厳しい。けど、なんか嬉しいや」

 だから喋るなと、シグナムは再三注意して、呼吸を整えさせる。

「敵は、ブラボー一人か。今のお前がたった一人にここまで」
「うん、ブラボーは強いよ。シグナムさんに、匹敵する」

 やや言葉を選んだように匹敵と呟いたカズキの言葉を聞いて、シグナムは悟った。
 ブラボーは、シグナムよりも強い。
 戦闘は単純な力比べではない為、何百年と月日を重ねたシグナムより強い者もいて当然。
 もちろんその数は限りなく少ないだろうが、ブラボーはその一人に確実に入る。
 私は烈火の騎士だと驕る場面でもなく、冷静にそれを認めてシグナムはレヴァンティンを手に取った。
 ペンダントから起動状態である剣の形へと変える。

「そろそろ呼吸は整ったな。サンライトハートを手に取って、構えろ。一人が駄目なら二人で、押し通るまでだ」
「二対一か、それでも俺は構わない」

 シグナムが参戦の意志を見せたにも関わらず、ブラボーの帽子の奥の瞳は揺るぎない。
 だが一点違ったのは、懐に手をしのばせとある物を取り出した事である。
 それは待機状態のデバイスらしき、六角形の石であった。

「だがそれなら俺も奥の手を使うまでだ」

 新たなデバイスを手にしたと言う事は、デバイスの二刀流だと推察できる。
 しかしブラボーのレアスキルがある以上、どこまでその意味があるのかは不明だ。
 より警戒を表に出したシグナムの手を、レヴァンティンの柄ごとカズキが握り締めた。

「ごめん、シグナムさん。来てくれたのは凄く嬉しいし、来てくれなきゃ多分倒れてた。けど、手は出さないで欲しいんだ。二人掛かりでブラボーを倒しても俺はきっと納得できなくなる」
「何を馬鹿な事を……お前は、ここで勝たなければ意味がない。人間に戻り、まひろの下に帰るんだ。戦いも何もない穏やかな世界に」
「うん、俺だってそうしたい。願ってる。けれど、それは絶対じゃない。例えどんな結果が待ち受けていても俺は誰も恨みたくない。人である事を止めたくない。だからこそ、俺は無謀でも一人でブラボーと決着を付けなくちゃいけないんだ」
「お前は、私が頼……」

 無理やり口を噤んでシグナムはその先の言葉を押し留めた。
 カズキの瞳を見れば、自棄になどなっていない事ぐらい分かった。
 口にした通り、希望ばかりではなく、その先に絶望が待っている可能性すら視野にいれている。
 どんな結果になろうと、自分を見失わない為に。
 そう呟いたカズキに、縋るような言葉をぶつけても結果は分かりきっていた。
 女として少なからず傷つきはするが、反面普段通りの強情さに笑みが浮かぶ。

「お前と言う奴は、本当に馬鹿だ。自分を曲げる事を知らない。だがそういうところが好ましくもある。好きにしろ、どこまでも付き合ってやる」

 カズキとシグナムの決意を耳にして、ブラボーもそっと奥の手を懐深くに戻した。
 少なくともその奥の手を使えば、確実に勝てるがカズキが納得できない為に。

「シグナムさん、ありがとう。少し下がってて、それとまた借りるよ」
「なに?」

 シグナムを背中に守るようにして下がらせたカズキが、勝手に借り受ける。
 その手に握り締められていたレヴァンティンを。
 ブラボーが懐から新たにデバイスを取り出した事で思い浮かんだ、思い出した手だ。
 今の自分ならば、あの日よりもずっと上手く使えるはず。
 そしてあの時とは違い、今の自分の背中をシグナムが見守ってくれている。

「カズキ、まさかお前」

 蝶野攻爵が死んだ日、何があったかはシグナムも大まかには聞いている。
 自分が連れて行けと手渡したレヴァンティンをカズキがどうしたのか。

「ブラボー、次で最後だ」
「Bogenform」

 カズキがブラボーへと向けて、決着の時を告げる。
 その時機会音声にて呟いたのは、レヴァンティンではなくサンライトハートであった。
 内部に押し込められていたエネルギーが弾け、刃や柄といった部分を吹き飛ばす。
 そのまま再構成を始め、刃の上下がそれぞれ弓の上関板と下関板に。
 エネルギーの塊で両者がつながり一つの弓となり、柄が弦となって張り詰める。
 最後に刃の先端部分が握りとなって、カズキがその手にサンライトハートを手に取った。

「突撃槍、剣に続く、俺のサンライトハートの最終形態。レヴァンティン、頼む」
「Jawohl」

 巨大な弓と化したサンライトハートに、矢となるレヴァンティンを番える。

「エネルギー全開!」

 そして弦を引き絞り、足元に三角形を基調としたベルカ式の魔法陣を敷く。
 エネルギーを迸らさせて、ブラボーへと狙いを定めた。
 そのエネルギーの輝きは、これまでの比ではなかった。
 何故か、その理由は改めて考えるまでもないだろう。
 ブラボーは笑みが浮かびそうになる気持ちを押さえ込み、カズキの後ろへと視線を向けた。
 あの守護騎士が、一人の少女のように胸に手を当てカズキを見守っている。
 カズキにとって様々な意味で、心から背中を預けられる相手だという事だ。

(クライドを失ってから、バラバラになった俺達にはもうないものだ)

 ふいに浮かんだそんな感情を払いのけるように、ブラボーは思い切り足を踏みしめた。
 心を鬼にして、地盤が凹み風がビリビリと吹き上がる程に。
 少しの切欠でどんどんカズキは強くなる。
 今はまだブラボーが胸を貸す程度だが、良くも悪くも小さな切欠はカズキをさらに強くするだろう。
 何時かカズキが絶望を切欠に強くなった時、誰も止められない事態だけは避けなければならない。
 だからこそ、今この瞬間ブラボーはカズキを止める。

「そろそろ、決着をつけよう」

 言葉はもはやさほど意味を持たず、カズキはその言葉に対して一度だけ頷いた。

「撃って来い、カズキ」

 腰を深く落とし、拳を腰に据えた状態でブラボーが促がす。
 拳対弓、一般的な意味での有利不利は明らかだが、躊躇する事はないと。
 そしてカズキが殊更に太陽光に似た輝きを放つ弦を引き絞った。

「輝け、隼!」
「Sonnenlicht Falken」

 ついにカズキが弦を手放し、輝かんばかりに光を振り撒く矢を撃ち放った。
 シグナムの炎の隼に見劣りしない、光の隼。
 太陽に向けて飛ぶのではなく、太陽そのものになって突き進む。
 大きく翼をはためかせ爆風で大地を抉り道を造りながら、ブラボーへと一直線に。
 そんな太陽そのものとも言える光の隼を前に、ブラボーは避ける素振り一つ見せなかった。
 これは単純に勝敗を決める為の勝負ではないからだ。
 どちらが勝っても負けても、カズキが納得できるだけの戦いをするのが第一条件。
 勝利条件は圧倒的にブラボーが不利だが、それでもと拳を握り締めて正面から迎え撃つ。

「一撃必殺」

 爆発させるように大地を蹴り上げてブラボーが前に飛び出した。
 そして拳を唸らせ愚直に、ただ真っ直ぐに光の隼へと向けて拳を突き出す。
 大気を穿ち震わせる程の一撃を叩きつける。
 衝撃が足元から膨れ上がり、大地にクレーターを造りながら広がっていく。
 渾身の一撃同士は全くの互角。
 輝く隼はブラボーの正拳の一突きにより、受け止められていた。

「ぐっ」

 ブラボーがうめき声をあげると共に、両足を肩幅以上に開いて大地にめり込ませた。
 その足は、僅かずつではあったが後退させられ、かかとに土を盛り上げていった。
 輝く隼の嘴を受けて、拳を手袋として包むシルバースキンが震えている。
 衝撃を受けて硬質化、力尽きた部分から六角形の破片となって散らばっていた。
 既に振り切った右の拳には支える以上の力はなく、ブラボーは咄嗟に拳を開く。
 それでまた少し後退させられたが、右手に加え左手もまた追加する。

「うおおおおッ!」

 一瞬でも気を抜けば貫かれる。
 全力で受け止めにかかるが、輝く隼の勢いは少しも衰える様子がない。
 そしてついに両腕を覆うシルバースキン、特にグローブ部分が弾け飛んだ。

「馬鹿な……」

 ブラボーの両腕をも弾き飛ばしてなお、輝く隼は止まらなかった。
 城門となる腕を力ずくで開門させ、そのままブラボーの胸へと突き刺さる。
 だが流石にいかに強力な一撃と言えど、限界はあったらしい。
 シルバースキンに包まれた腕を弾き飛ばしはしたが、勢いそのものは削がれていた。
 貫いた胸部分のシルバースキンを弾き飛ばしたが、拳より大きな手の平大の穴を空けるのみ。
 とてもブラボーにまで届く一撃ではなかった。

「うおおおおッ」
「何!?」

 これで終わった、そう一瞬でも緩んだブラボーの意識にカズキの叫び声が割り込んだ。

「Sonnenlicht Slasher」

 輝く隼が力尽きるよりも早く、カズキが突撃してきていた。
 その手の中のサンライトハートも弓の形から剣の形へと元に戻っている。
 最初からカズキの狙いは、渾身の一撃だけでシルバースキンを貫く事ではなかった。
 今ブラボーの胸には、輝く隼が残したシルバースキンの穴がある。
 まずいと思った時にはもう遅い。
 輝きを失いレヴァンティンへと姿を戻した炎の剣の柄頭を、カズキは貫いた。
 一度は失ったエネルギーを注入されたかのように、輝く隼が再び羽ばたく。
 嘴となるレヴァンティンの刃、その先端が押し進んだ。
 シルバースキンに生まれた僅かな穴を貫き、鮮血が迸った。
 そのままブラボーを貫くかと思われたレヴァンティンは、突如その姿を消した。

「Eine Wartezeit Form」

 最後の一突きを拒むように、レヴァンティンは自ら待機形態の首飾りへと変わった。
 まるで望んだ結果はそこではないというカズキの意図を汲むように。
 そのまま地面の上に力なく落ちたレヴァンティンへと、激しく息を乱しながらカズキが呟く。

「ハァ、ハァ……あり、がと。レヴァンティン」

 一歩間違えれば、ブラボーを射殺すところであった。
 ブラボーは胸を刃で突かれたが、出血こそ多いものの戦闘に問題があるようには見えない。
 だがそれで良い、元からブラボーは不利な勝負を承知で全てを受け止めてくれたのだ。
 そんなブラボーを殺してまで先に進んでも意味はない。
 満足だ、全ての力を使い果たし、そして敗れた。
 駆けつけてくれたシグナムにはすまないと思うが、そのまま意識が遠ざかる。

「満足するには早いぞ、騎士・カズキ。俺を超えた以上、お前のゴールはもう少し先だ」

 崩れ落ちそうなカズキの肩を支え呟かれた言葉に、意識が急速に戻される。
 ブラボーはカズキ以上に何処か満たされた表情で、カズキを支えてくれていた。
 戦闘に支障はないとはいえ、それなりに出血しているというのに。
 慌ててカズキもブラボーを支え、共に残り少ない力を出し合い立ち上がる。

「レヴァンティンが待機形態にならなければ、負けていたのは俺だ。極限の力を振り絞りつつ、自らの力で相手をも思いやる。強くなったな、騎士・カズキ」
「俺は、そんな事は。ブラボーを倒す事で頭が一杯で、レヴァンティンが判断してくれなきゃ今頃……」
「お前ならきっと、そう判断させたのは日頃のお前の姿をレヴァンティンが見ていたからだ。その結果、俺は命を救われた。それに俺を超えた、それも俺の本心だ」

 渾身の一撃の二連撃。
 普通なら渾身の一撃は一度撃てば、二度目はない。
 だからこそ渾身、しかしながらカズキはそれを弓と突撃槍の二つの特性でカバーした。
 輝く隼となった一本の矢、それを放った後に追いつく突撃槍の突進力。
 まだまだ拙い部分も多いが、限りなく多くの可能性を秘めたベルカの騎士である。
 そしてその力を支えるのは、あくまでカズキの人間性。
 どんな強大な相手にも諦めず立ち向かい、自分の瞳で全てを確かめようとする強い意志。

「お前なら、この先に何が待とうと大丈夫だと、俺も信じてみよう」
「ブラボー……」

 ありがとうと、認めてくれたその一言に支える腕に力を込める。

「騎士・シグナム」
「はい」

 足元にあったレヴァンティンを拾い、シグナムに投げ渡しながらブラボーが呟いた。

「騎士・カズキを頼む」
「頼まれずとも、私は……私の意志でここまで来た。カズキ、立てるか?」
「いてて……うん、ちょっと辛いけど我慢する」

 レヴァンティンに続き、ボロボロのカズキも受け渡され少しシグナムの方がよろめく。
 打ち身や打撲は数え切れないが、出血と言う出血は多くはない。
 シグナムの未だ拙い回復魔法でも、ある程度までには回復できる事だろう。
 それでも我慢すると口を噤んで耐えるカズキを見て、やれやれと溜息をつく。
 また見違えるように強くはなったが、ボロボロになった事だけは以前と変わらない。
 まだまだ当分の間は、目が放せないなと、強めに抱きしめるように支えた。

「あー、ブラボーは……これからどうするんだ?」

 以前より妙にシグナムの立ち位置が近く、これでもかと押し付けられる双丘。
 嬉恥ずかし、鼻血でまた出血が増えそうだと、赤面しつつカズキは意識をそらすように尋ねた。

「ああ、俺は一度本局へと戻る。ヴィクターがあれからどうなったのか。その前に、火渡を……」
「俺なら、ここだ。チッ、テメェまでなんて様だ。無敵のシルバースキンの名が泣くんじゃねえのか」

 振り返った先にはあの炎の柱は見えず、フェイト達は一体どうなったのか。
 大事になっていなければと思った矢先、その先から歩いてくる人影が複数見えた。
 ぶんぶんと大げさに手を振っているアリシアに、青い顔でふらふらしているパピヨン。
 寄り添うカズキとシグナムを見て、何処か寂しそうに微笑んだフェイト。
 その数歩後ろで、忌々しげにタバコの煙を吹かしている火渡であった。

「火渡、そうか。お前も……負けたか」

 ブラボーの呟きに対し、咥えていたタバコを食い千切りそうな程に火渡が歯軋りする。

「カズキ達も、勝ったんだね」
「達ではなく、カズキがだ。まあ、少し譲ってもらった部分もあるが」
「情けないぞ、武藤。この俺は一人であの火達磨から勝ちをもぎ取ってやったぞ」
「はいはい、さらりと嘘を付かない。私やフェイトがいなかったら、今頃は消し炭だったくせに」

 皆無事で、特にパピヨンは相変わらずでようやくカズキが心から微笑を返した。
 それからシグナムが、この先へ行く許可をブラボーから取った事等を語った。
 フェイトやアリシアが口々にやったねと、カズキと共に喜び、時折パピヨンが水をさす一言を放つ。
 先程までの戦いは既に彼方、わいわいと言葉を交わすカズキ達を眩しそうにブラボーは見ていた。

「俺達にもあんな頃がって顔だな。感情移入は止めとけ。この先にあるのが希望だとは限らねえんだ」
「それでも、騎士・カズキは絶望しない」
「はっ、どうだか。この世は全て不条理でできてるようなもんだ」
「珍しく、二人共に任務失敗かと思えば。そういう結果も悪くはないでしょう。これを機に、貴方達も少しは大人になって上手くできるようになってください」

 突然の第三者の声に、火渡が加えていたタバコをぽろりと取りこぼしていた。
 少なからずブラボーも驚いている様子だが、カズキ達はその比ではない。
 聞き覚えのない声の誰かが突然現れればそれも当然、思わず身構えてしまう。
 紺色の管理局の制服に、何故か幅のあるハット帽子とマントを着込んだ男であった。
 年の頃はブラボーや火渡よりもさらに一回り上だろうか。

「そんなに気をはる必要はありませんよ。私はできの悪い部下二名を連れ戻しにきただけですから」

 穏やかに見えなくもない微笑を見せた壮年に近いその男は、ブラボーと火渡を指して部下と言葉にしていた。









-後書き-
ども、えなりんです。

カズキVSブラボーは微妙にハンデ戦でした。
原作と異なり、無人世界に行く策がある以上、ブラボーに殺す気はなかったですし。
ちょっとこの辺りは私も残念かなと思います。
ブラボーの全力が出せなかったのですから。
ただし、傷もそれほどではないので照星と火渡と共にヴィクター戦に出ますがね。

クロスものは話が長くなるほど、綻びが出ますねえ。
次に何か書くときはそのへんもなんとかしたいです。
では次回は水曜日です。



[31086] 第三十七話 ロストロギアがそんな簡単に、皆を幸せにすると思う?
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/05/09 22:28

第三十七話 ロストロギアがそんな簡単に、皆を幸せにすると思う?

 坂口照星、それがブラボーや火渡の元上司の名である。
 およそ十年前、照星を艦長に据え、ブラボーに火渡、リンディといった精鋭を集めていた部隊。
 グレアム提督の配下にて、当時闇の書を捕獲するに至った主戦力であった。
 現在当人たちは全く別の道を歩み、それぞれ昇進を重ねていた。
 ブラボーは執務官、火渡は特殊部隊隊長、リンディは戦艦の艦長。
 照星は艦長から提督へと役職を変えていたが、現在は別の役職を兼務している。
 グレアム元提督の代わりに臨時の執務官長長官を務め、ヴィクター対策本部の本部長でもあった。
 そんな彼がカズキ達を含め、案内した先は、この世界の避暑地にある一つの別荘であった。
 他の別荘とは異なり密集地から外れた場所にある一回り大きな建物だ。
 婦女子が殆どの避暑地にて、カズキ達男を隠すにはうってつけの場所であった。
 交友のあるベルカ騎士の名家、グラシア家から一時的に借り受けたらしい。
 そこでカズキ達は、思わぬ人物との再開をさせられた。

「カズキ、皆も無事みたいで良かった!」

 別荘内でカズキ達を出迎えたのは、管理局で捕縛されたはずのユーノであった。
 一瞬、照星への警戒も忘れ、ぽかんとした表情を向けてしまう。
 それから直ぐに我に返り、少し瞳を潤ませたユーノへと駆け寄る。

「ユーノ君、無事だったんだ。ごめん、こんな事に巻き込んで」
「発端は元々僕だから気にしないでカズキ。フェイトやシグナムも、無事で良かったよ」
「それはこちらの台詞だ。火渡に殴り飛ばされたまま、連絡が途絶えていたからな」
「怪我とかもないみたい。また無事に会えて嬉しいよ」

 ばたばたと互いに駆け寄りあい、お互いの無事を確認しあって喜び合う。
 ユーノは特に怪我らしい怪我も見えず、殴られた頬に跡すら見えない。
 寧ろ無事でなかったのはカズキの方で、はしゃぎ声を上げたせいでふらりとよろめく。
 すぐさまシグナムに支えられるが、一先ず応急処置の方が先だろう。

「照星さん、そのカズキ達の傷を」
「ええ、もちろんかまいません。そのつもりで連れて来たのですから。防人と火渡も、各々で傷の手当を……そちらの君、パピヨン君も必要であれば救急箱ぐらいは貸しますよ」
「ふん、そんな物は必要ない。おい、アリシア。治せ」
「はいはい、もう少し……なんとかならないのかなその態度。もう、照星さん? 救急箱を貸してください」

 ユーノが照星へと見せる気安さ、信頼を見てアリシアがまずそう言った。
 カズキも一先ず信頼に足る人物のなのかと警戒を解いて応急手当を行なった。
 その時、比較的治癒が得意なユーノがカズキを治療しようとし、フェイトに止められたのはご愛嬌。
 カズキはシグナムから手厚い治療を受け、ほっとした笑みで笑っていた。
 そういう事かと納得したユーノは、ブラボーや火渡の治療に回る。
 カズキ達の四人ともが応急処置を受け、改めて照星を中心にその話を聞く事になった。

「まず、貴方達が逃避行を行っている間に、我々の間で事情が大きく変わりました」
「事情が変わった?」

 照星の言葉をカズキが繰り返しつつ、先を促がした。

「元々、防人へは三大提督がカズキ君の保護を。火渡へは最高評議会が再殺の命令を出していました。ですが先日、その最高評議会がヴィクターの手により殺害されました」

 殺害と、驚愕するカズキ達へと眼鏡を押し上げながら照星が溜息をつく。

「あれを殺害と称して良いかは議論が分かれるところですが」
「どういう事だ?」
「最高評議会って言えば聞こえは良いが、既に人間じゃねえんだよ。管理局創設時代の中心人物の三人が自らの脳を摘出して電極ブッさしただけの有機物体。知ってんのは極一握りだがな」
「知っていたのなら、もっと早く私に言いなさい」

 タバコを咥えながら、驚くべき事実を口にした火渡の顎に照星の拳がヒットする。
 カチ上げられた火渡は椅子ごと後ろにひっくり返りそうになったが耐えていた。
 顎に手を当て痛がりながらも、反省の色を見せずに寧ろ笑みを深める。

「不条理をぶっ潰すには、奴らの権力って言う名の不条理が好都合だったんだよ。それなりにやばいヤマも、色々と潰してくれたしな。おぉ、痛ェ」

 そう火渡が笑った瞬間、照星の手がその襟首を掴み挙げていた。
 なんだよと火渡が凄む暇もなく、拳の弾幕が次々に顔をあらゆる角度から抉る。

「HAHAHAHAHA!」
「ちょっ、照星さん。折角治したのに、勘弁してあげてください!」
「そうそう、ユーノ君も理不尽に殴られていたはずですね。どうです、一発殴っておきますか?」
「いえ、あの後が怖いので……」

 顔を腫らした火渡に睨まれ遠慮したが、そうですかと再び拳の弾幕が続いた。

「全く、何処まで話しましたか」

 パンパンと白い手袋に包まれた手を払い、事も無げに照星が呟いた。
 その様子を見て、カズキ達はどん引きであった。
 どうやらこの男はそう簡単には怒らせない方が良い相手らしい。
 アリシアはパピヨンの後ろに隠れ、フェイトやユーノは綺麗に背筋が伸びていた。

「元々、ヴィクターはロストロギアを保持する重度の次元犯罪者を次々に殺害して回っていました。どうやら、協力者の影が見えますが……その伝でかつての仲間の事を知ったのでしょう」

 胸で十字を切った照星が、一呼吸間を置いてから最も重要な知らせを口にした。

「昨夜遅くついに、ヴィクターの補足に成功しました」

 かつての仲間を殺害し、少なからず目的を達成し気の緩みが出たのか。

「現在、とある無人の次元世界にあつらえた戦場へと向けて追い込みを掛けています。同時に、最低でもAランクを保持する管理局員全てに招集を掛けています。もちろん、この二人も例外ではありません」

 ブラボーや火渡程の実力を持つ局員ならば、その場合は主戦力となるのだろう。
 それを必ずしも敵に回るとは限らないカズキに対して派遣するのは、戦力の無駄遣いでしかない。
 さらに戦闘をする事で、失いかねないぐらいなら手を引かせるべきだ。
 もちろんそれは、ある程度カズキがヴィクターのようにならないと確信が持てた場合だが。
 少なくとも、資料上ではあるがカズキに対する周りの評価を踏まえ照星は決断した。
 武藤カズキは少なくとも現時点では、脅威足りえない。
 完全にヴィクター化すれば話は別だが、残り二週間の間はまだ。
 それに、カズキにはこの先にまつ彼女の下へと行き、切り札を手にして貰わなければならない。

「よって決戦に参加する全ての局員の任務は只今を持って、全て中止。これよりヴィクターとの決戦が最優先事項となります。そこで武藤カズキ。君にはこれからとある女性達へと会ってきて貰いたい」
「女性、達?」
「僕が前に話した黒ローブにマスクをした人の事だよ。あの後、僕は照星さんにも同じ話をしたんだ。そして、一足先に僕と照星さんは彼女達に会った」

 カズキにとって朗報以外の何ものでない知らせのはずが、ユーノの顔色は優れない。

「ではユーノ君、我々が何時までもここに居ては彼女も来辛いでしょう。外出時に鍵さえ掛けてくれれば、ここは自由にしていただいて結構です。防人、それに火渡。いきますよ」
「照星さん、俺はその名を……」
「うっせえ、負けた奴が自分の名前どうこう偉そうな事を言ってんじゃねえ」
「火渡、貴方も人の事をいえません。最近、どうにもたるんでいるようですからね二人共。決戦を前に久しぶりにみっちり、訓練を付けてあげます」

 火渡がブラボーの尻を蹴り上げれば、照星が火渡の頭を殴りつける。
 どうにも見た目、歳に不釣合いなやり取りだが、それが彼らが十年前に失った姿なのか。
 もちろんカズキ達はそんな事は夢にも思わないが、見慣れないブラボーの姿に目を丸くはしていた。
 そのブラボーが戸口から出際に、カズキへと振り返った。

「カズキ、行って来い。その先に何が待つか、俺には分からん。だが、お前なら何が待ち受けていても正しい道を選び取れるはずだ」
「うん、分かってる。絶対に後悔しないだけの道は選ぶよ。俺は人間だから」

 去っていくブラボー達を見送ってから、ユーノが誰かしらに念話を入れていた。
 恐らくは先程の話に出てきた女性へだろう。
 しばし十分程、思い思いの場所で時間を潰していると、インターフォンが鳴らされた。
 謎の人物にしては、やけに礼儀正しい訪問に事情を知らぬユーノ以外は小首を傾げる。
 一足先に会った事があるユーノが玄関先へと、足を向けてその扉を開いた。
 皆の視線が集まる戸口が開かれた先から現れたのは、一人の少女であった。
 歳の頃はユーノよりも上だが、カズキよりは確実にしたの十三、四ぐらい。
 長い蜂蜜色の髪を幾つかの束に纏めたやや変わった髪型の、大人しそうな少女だ。
 避暑地であるこの次元世界に相応しく、真っ白なワンピースを着てお嬢様然としている。

「ほう……」

 しかし、パピヨンだけはその少女に何か感じ入る物があったようだ。
 何処か感心したかのように、小さく感嘆の呟きをもらしていた。

「ヴィクトリア、あっちにいるのがカズキだよ。アレキサンドリアさんに会わせて貰える?」
「へえ、彼が噂のね」

 大人しそうだった垂れ目気味の瞳が、カズキを見た途端に釣りあがる。
 それから直ぐに屋内の人物へと順次視線をめぐらせ、パピヨンやアリシアにて一瞬止まった。
 パピヨンが感嘆した何かをヴィクトリアという少女も感じたのか。
 そしてフェイトを流し、シグナムを瞳に入れた時、はっきりと動揺を露にした。

「シグナム……」
「私を、知っているのか?」

 だが問い返された言葉に傷ついたように、唇を噛み締める。

「シグナム、この人は」
「別に良いわ。忘れてしまった以上、教えられても迷惑でしょ。私の家族は、百五十年も前に死に別れた。それだけよ。ついて来なさい、ママに会わせてあげる」

 とても歓迎しているとは言い難い言葉と共に、再びヴィクトリアが足を外に向ける。
 一切振り返る事もなく、その足はどんどん進んでいく。
 向かっている先は、グラシア家の別荘とは違い、他家の別荘が密集する方角だ。
 慌ててくつろぐのはここまでと、お茶等の片付けも早々にその後を追っていく。

「ユーノ君、あの子って」

 黙々と先を急ぐように歩くヴィクトリアの背を眺め、カズキがそう尋ねた。
 恐らくカズキが尋ねなければ、他の誰かが即座に尋ねた事だろう。
 黒いジュエルシードの秘密を知るにしては、ヴィクトリアは若すぎる。
 仮にこの先に待つママなる人物が知るにしても、それでも若いと言って良いだろう。
 何しろ黒いジュエルシードが生まれたのは、百五十年も前のはずだ。
 カズキの当然の疑問を前に、ユーノは全てを話しても良いのか少し迷う素振りを見せる。
 だが黒いジュエルシードの秘密を知らせる以上は、避けては通れないかと思い直した。

「彼女の名は、ヴィクトリア・パワード。ヴィクターの一人娘にして、百五十年前にヴィクターを封印させられた闇の書の最初の主。元夜天の王だよ」

 その言葉に誰よりも驚愕を抱いたのは、闇の書の守護騎士であるシグナムに他ならなかった。









 ヴィクトリアに案内されたのは、グラシア家の物とは別の別荘であった。
 そこに至るまでの間に、ヴィクトリアとカズキ達の間に会話という会話はない。
 ただ避暑地を歩いてくる間に、どこぞの名家のお嬢様数名とすれ違った時に、一悶着が起きた。
 ごきげんようと、耳慣れぬ挨拶をされヴィクトリアを含み、同じ言葉で挨拶を返していた時だ。
 お嬢様の視線がカズキに向いた時だけ、挨拶が悲鳴と化したのだ。
 そう、パピヨンではなくカズキだけ。
 そこはヴィクトリアが療養中の自分を見舞って兄とその友人がと誤魔化した。
 どうやら男性に免疫のないご令嬢が多いらしく、咄嗟の事にパニックになったらしい。
 これにはカズキを含み、ユーノも一部納得がいかなかった。
 パピヨンも男であるのに、蝶々の妖精さんとスルーされたのだ。
 ユーノは変装も何もしていない素の状態で、女の子と勘違いされこれまたスルーされた。

「ここよ、ついて来て」

 小話ができそうな場面を挟みつつ、カズキ達はヴィクトリアの案内の元に辿り着いた。
 そこは他の別荘とそこまで大きい違いのないログハウスであった。
 主な違いと言えば、表を飾りたてる花々が少なく幾分質素に見える事ぐらいだろうか。
 ヴィクトリアが鍵を開けて入った中も、殺風景な部屋が向かえ入れるぐらい。
 ある程度、家具等は用意されているが人が生活している気配がない。
 全てはカモフラージュなのだろう。
 ダイニングの壁を埋める本棚にある一冊の本を触ると、本棚が両端に分かれて隠し部屋が現れる。

『さあ、お入りなさい。武藤カズキ君、貴方には全てを知る権利があるわ』

 隠し部屋の中にある階段の奥ではなく、皆の頭にヴィクトリアとは別の女性の声が響く。
 恐らくはその人こそが、ヴィクトリアがママと呼ぶ人物なのだろう。
 この先に全ての真実がと、ごくりとカズキが喉を鳴らして息を飲む。
 我知らず開閉を繰り返していた汗ばんだ手の平が、握られる。

「カズキ……」
「うん、行こう。皆」

 カズキの言葉でヴィクトリアに続いて皆もその階段を降りていく。
 レンガをくみ上げただけの荒い造りの階段が、地下へと延々と続いている。
 最初はただの地下室だと思っていたが、最下層に至るとその考えは少し変わった。
 最下層からは通路が続き、レンガ造りでありこそすれまるでシェルターのようだ。
 薄暗い通路の奥に見えるのは、分厚い金属板を繋ぎ合わせた扉が見える。
 その扉が徐々に開き、向こう側から白く明るい蛍光の光が漏れ始めた。
 光に導かれるようにカズキ達はその歩みを進め、その先にある部屋の全貌を知った。

『初めまして、私が黒いジュエルシードの開発者の一人。ヴィクターの妻にしてヴィクトリアの母。アレキサンドリアです』

 部屋一面に浮かび上がるのは、作成者の精神を疑うような光景であった。
 一抱え程度の水槽一つにつき、一つの脳髄。
 その水槽をご丁寧に部屋の壁という壁に敷き詰め、繋ぎ合わせられていた。
 自己紹介をした念話の発信先も、とある水槽の中の脳髄から感じられる。

『もっとも、シグナムだけは久しぶりというべきなのでしょうけど』
「すまない、私は……」
『ええ、分かっています。貴方は、私達の知っているシグナムとは違う人ですものね。けれどコレぐらい聞いても構わないかしら。ヴィータちゃん達は元気?』
「はい、ここしばらくはバタバタしてますが。新たな主の下で平穏に過ごしています」

 表情は見えないが、念話の声質から何処かほっとした様子が感じられた。
 そんなアレキサンドリアとシグナムのやり取りを見て、皆が火渡の言葉を思い出す。
 管理局の最高評議会は、人の体を捨て、脳髄のみを摘出した姿であると。

「最高評議会の人も、ヴィクターの元同僚。行き着く先の発想は、同じようなものだったのかな」
「だろうな。だが奴らは管理局の創設後、おそらく支配という目的があった。おい、脳味噌。お前の目的は、ヴィクターを元の人間に戻す事か?」

 脳髄に囲まれた部屋を眺め、アリシアが最高評議会と比べそう呟く。
 それには概ねパピヨンも同意したが、そこより一歩踏み込んで尋ねる。
 最高評議会として管理局の権力の大半を握る彼らと違い、アレキサンドリアには人を捨てる理由がない。
 あるとすれば、確かにパピヨンが尋ねた理由が最もであろう。
 一体どの脳髄に視線を向ければ良いか分からないが、カズキ達の瞳に希望が宿る。

『察しが良い子ね。その通りよ』

 衝撃の言葉は、望んだ通りに返って来た。

「それじゃあ、その手段を使えばカズキの事も。それからヴィクターの事も全て解決できるの!?」

 半分言葉を失いかけたカズキの代わりに、フェイトが反射的にそう尋ねていた。

「甘いわね」

 だが皆が浮かべる希望に冷や水を浴びせる一言を、ヴィクトリアが発した。
 思わずと言った感じでフェイトに睨まれるが、笑顔ではない笑みを向けられるのみ。
 嘲笑しているわけではなく、何処か諦めが混じった笑みであった。
 その甘いという言葉が嘘ではない事は、瞳を伏せたユーノが示していた。
 一足先に、照星と一緒にその答えを聞いてしまっているからだろうか。

「ロストロギアがそんな簡単に、皆を幸せにすると思う?」
「え……」

 ヴィクトリアの言葉を聞く限り、その手段もまたロストロギアに頼ったものなのか。

「それは一体、どういう意味だ?」

 突然の冷や水に、冷静で居られなかったのは何もフェイトだけではない。
 自分が不義にも忘れた元主である建前を一瞬でも忘れ、シグナムが睨んでしまう。
 彼女の気持ちを考え、直ぐに止めはしたがその一瞬を見逃す事はできなかった。
 パピヨンに似た尊大な態度が消え、悔しげに唇を噛み締めたヴィクトリアの姿を。

『コラ、ヴィクトリア』
「ふん」

 だが僅かな綻びから見せた本心を直ぐに隠してみせ、ヴィクトリアが視線をそらす。
 そのまま踵を返して、話の途中であるにも関わらず皆に背を向け部屋を後にしようとする。

『ヴィクトリア?』
「ママが望んだから、あの照星って奴もコイツらも案内したわ。後は勝手にどうぞ。私がパパと同じでロストロギアの全てが嫌いな事、ママも知ってるでしょ」

 その言葉を最後に、一度だけシグナムへと振り返ってから部屋を出て行ってしまう。

「パピヨンのお兄ちゃんに引けをとらない、唯我独尊。本人のママを前に、言っていいかわかんないけど」
「おい、最近は貴様もこの俺に対する態度が悪化しているぞ」
「そ、そんな事ないよ。パピヨンのお兄ちゃん、大好き!」

 ギクリと小さな体を跳ねさせた直後、白々しくもアリシアがパピヨンに抱きついた。
 もちろん、鬱陶しいとばかりにべりべりと剥がされたが。

『ふふ』

 そんなやりとりをどう見たかは定かではないが、アレキサンドリアが小さく忍び笑う。

『皆さん、気を悪くしないで。ロストロギアが嫌いという言葉も嘘ではないけれど、少し拗ねてるだけ。大好きだったお姉ちゃんが、自分の事を忘れているものだから』

 うっと痛い所をつかれたと胸を押さえたシグナムを、アレキサンドリアが気にしないでと言う。
 少なからず関わりはあるものの、話がそれそうなところをユーノが促がした。

「すみません、アレキサンドリアさん。カズキ達にもあの話を」
『そうね、今から百五十年前……』

 アレキサンドリア自身、少し話す事を先延ばしにしていたのかもしれない。
 何しろカズキ達が求めている答えを話すには、百五十年まえの真実が不可欠だからだ。
 苦いと言う言葉では言い表せない、辛い過去。
 もちろん彼女にとって愛するヴィクターとの間に生まれたヴィクトリアなど、幸せも確かにあった。
 だがそれを踏まえても、全てを語るには多少なりとも苦痛が伴なう。
 その内容は以前にカズキがブラボーから聞いた話に沿っていたが、内容は当事者であるだけに詳細にまで及んでいた。
 百五十年前、まだ管理局が創設される前の、次元世界の多くを巻き込んだ戦乱期。
 ヴィクターもまた、平和を願ってデバイスを手にした一人のベルカの騎士に過ぎなかった。
 それでも一騎当千、当時のベルカの騎士を見渡しても比肩する者がいない剛の者。
 彼を筆頭にシグナム達も当時主であったヴィクトリアの命を受けて、彼を守り戦争に加わっていた。
 しかしシグナム達が強力な騎士でも、戦争という荒波の中でできる事にも限界はある。
 平和の為にロストロギア、ジュエルシードの研究を行っていたアレキサンドリアの元に訪れるヴィクターの訃報。
 彼女も当時、研究者ではあったが若かった。
 周りの言葉に促がされるように、テストが始まったばかりの黒いジュエルシードの使用に踏み切ったのだ。
 最強の騎士を失う事を恐れた周りも確かに促がしたが、彼女自身も自分の研究を信じていた。
 シリアルナンバー一の黒いジュエルシード。
 それがヴィクターの胸に埋め込まれ、全てが始まった。
 崩壊していく研究所で彼女が最後に見たのは、瓦礫の山と同胞の亡骸、そして変わり果てた姿で自分を抱きしめるヴィクター。
 彼が零す大粒の涙であった。

『私は首から下の体機能を全て失い、意識も七年間失った。目覚めて見たのは、たった一人で私を看護する人間でなくなった娘の姿でした』
「そうだ、百五十年前の話なのにヴィクトリアは私より少し年上ぐらいだ」
「うん、あの子……私やパピヨンのお兄ちゃんと同じか、少し違うぐらい。気配が似てるから、そういう改造を受けてる」
『あの子は私を気遣って何も話しませんが、ヴィクターを封印する為に、家族である夜天の魔道書、シグナム達が改造されたばかりか自身も。恐らくは私の看護代を稼ぐ為にか、単なる人質であったかはもはや知る術はありません』

 ロストロギアが人を幸せにすると思うのか。
 彼女の言葉には、自身や家族が受けた哀しみ全てを込めた言葉なのだろう。
 単純に毛嫌いしているだけではなく、心から憎んでいるのだ。
 百五十年前の戦乱期に全てを失い、あんな幼い頃に一人で戦わなければならなかった。
 化け物と化した父と自らも化け物と化した体で。

「脳味噌の身の上話など聞いたところで、話にならん。それより、貴様の研究の成果。ヴィクター化した者を元の人間に戻す方法をさっさと吐け」
「パピヨンのお兄ちゃん、大好きだからもう少し自重して……」

 彼女の話に誰もが沈痛な面持ちを浮かべる中、マイペースなパピヨンが先を促がした。
 アリシアに遠まわしに注意されるも、何が悪いと顔色一つ変えない。
 病弱なくせに心臓に毛でも生えているかのような振る舞いである。

『そうね。その後、私達は混乱の中で残り二つの黒いジュエルシードを盗み出し、当時無人の次元世界であったここで研究を始めました』

 この次元世界が避暑地化されたのは、その後らしい。
 だがカモフラージュには好都合と、それに乗っかり研究所の上にログハウスを建てたそうだ。

『使えなくなった体を捨て、クローン増殖した脳を繋ぎ合わせて思考を拡大して研究を続けたわ。百五十年を掛けて、まずできたのがシリアルナンバー三を基盤に開発した黒いジュエルシードの力を制御し通常のジュエルシードと同じ力に戻す試行型』

 アレキサンドリアの語る時代背景を経て、ようやく話が核心へと至った。
 シリアルナンバー三、それは今現在カズキの胸に収まるそれだ。
 しかし、力を制御したとアレキサンドリアは言うが、現在は黒いジュエルシードの姿に戻っている。
 それもカズキアが第二のヴィクターと化してしまったおまけつきで。

『性能も強度も実証済み、のはずだったから最終テストとして彼、ユーノ君に託したのだけれど……恐らく二つの黒いジュエルシードの力が内外から共振しあって増幅してしまった様ね』
「あの時。私とシグナム、そしとカズキの三人で、ヴィクターの足止めをした時だ」
「アレか。アレがなければ……」

 思い当たったのは、復活したヴィクターと初めてぶつかった海上での事だ。
 誰も彼もが闇の書から現れたヴィクターに対し、混乱していた時である。
 しかし、特にシグナムはその前に自分達が管理局と敵対した事情があった。
 発端は自分達にあると唇を噛み締めるが、その肩へとカズキが手を置いた。
 発端云々を言えばきりがない。
 あの時シグナム達が、カズキがジュエルシードを追わなければ、ユーノが譲り受けねば。
 ヴィクトリアが、アレキサンドリアが、最終的にそもそも戦争が起こっていなければ。

「誰のせいでもない。ロストロギアに振り回されたのは、誰も一緒だ」
「そうだな。まずは最後まで聞こう、これで終わりにする為にも」

 慰められるシグナムを見て、小さく念話の中でアレキサンドリアが呟いた。

『変わったわね、シグナム……今の主のおかげか、それとも。ヴィクトリアが拗ねたのも、忘れられた事以上に、大好きなお姉ちゃんを取られたからかしら』

 誰にも聞かれる事がなかった呟きの後、アレキサンドリアは一番の核心を語った。

『件の情報を得た私は、試行型から更に研究を進め完全に黒いジュエルシードの力を制御する事に成功しました。それがもう直に、完成するコレ』

 部屋の中央の床が正方形の形に割れ、台座が地下より競りあがってくる。
 その台座の頂点には強化ガラスのケースがあり、中に小さく光る石が一つ安置されていた。
 従来の青でもなく、さらには黒でもない。
 真っ白な何処か神聖さを帯びたようにも見える光を発するジュエルシードである。

『黒いジュエルシードの力を全て無効化する白いジュエルシード。黒いジュエルシードの力をマイナスとするなら、これの力はプラス。二つの力を一つに合わせれば相殺し合い零となる』

 白く、ただ白く輝くジュエルシードを前にシグナムが力がふたりとよろめいた。

「シグナムさん!」
「すまない、少し気が抜けただけだ。しかし、これがあれば……本当に良かった」

 あのシグナムが瞳に涙を浮かべる程に、喜びに打ち震えていた。
 恐らくは家族であるはやて達にすら見せた事のない姿であろう。
 カズキに支えられ、幾度もよろめきすまないと謝っては涙を拭っている。
 まさに支えあうと言った姿を現す二人を見て、フェイトも貰い泣きをしていた。
 おめでとうという、喜びを表す意味と、小さな恋の終わりを耐える意味も含め。
 求め望んだものを前にして喜びを露にする三人とは対照的な者がいた。
 先に全てを聞いていたユーノ、それからヴィクトリアの言葉等から推察していたアリシア。

「答えろ、脳味噌。これは一体何を基盤にして開発した?」

 そして、この場で誰よりも冷静に、全てを見透かすようにしていたパピヨンであった。
 誰よりもヴィクトリアの言葉を正しく受け止めていたと言っても良い。
 その質問の意図を察して、カズキ達三人の喜びも自然と吹き飛んでいた。

『君は本当に察しが良いわね。冷静で、残酷な程に……』

 パピヨンの問いかけが正しかったように、アレキサンドリアが言葉を濁す。

『察しの通り、使ったのは試行型と同じ黒いジュエルシード。三つのうちの最後の一つ、黒いジュエルシードのナンバー二』
「今すぐ一から……黒いジュエルシードの精製から始めて、もう一つ造るのにどれだけかかる?」
『黒いジュエルシードの精製方法はもう百五十年前に失われているの。この老いた脳から完全に再現するのは、残念だけどほぼ不可能』

 アレキサンドリアが評したように、冷静に残酷な問いをパピヨンが繰り返す。
 そこから自然と結びつけられる答えは、察し云々以前に誰でも見えてくる。

「つまり、二人のヴィクターに対し、白いジュエルシードは一つ。元の人間に戻れるのは、ヴィクターか武藤カズキどちらか一人」

 完全に黙り込んだアレキサンドリアの代わりに、その答えをパピヨンが無慈悲にも言葉にした。
 張本人のカズキですら、先程までの喜びは粉々に吹き飛んでしまっていた。
 脳裏に蘇ったのは、去り際にヴィクトリアが残したあの言葉である。
 ロストロギアがそんな簡単に、皆を幸せにすると思う。
 白いジュエルシード、これもまたロストロギアであった。
 その数は一つきりで、これ以上精製する事は不可能。
 ヴィクトリアの言う通り、皆を幸せにする事は絶対にできない。

『白いジュエルシードは完成次第、差し上げます。これをどの様に使うかは、カズキ君。君が決めて』

 答えを得た後に待っていたのは、それを行使する為の決断。
 今度は答えではなく、行使方法をカズキは求められた。









-後書き-
ども、えなりんです。

やっと真実に辿り着いたカズキたち。
まあ、原作のほぼまるコピ状態。
うーん……後半にくるにつれ、クロスの意味合いが薄れてます。
ちょっと失敗したかなあ?

それでは次回は土曜日です。



[31086] 第三十八話 俺が皆を守るから
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/05/12 19:54

第三十八話 俺が皆を守るから

 山脈と木々に囲まれた丘の上にあるログハウスの一軒家。
 時折山間から吹き降ろす風は春の日差しの中にも、冷たい息吹を含んでいる。
 それにも関わらず家の前には一人の女性と手を繋ぐ少女の姿があった。
 誰かを待ち望むように、草原の中で地面がむき出しとなった道の遥か先を眺めている。
 うきうき、またそわそわとして時折傍らの女性をクスリと笑わせていた。
 待ち人が恋しいのはお互い様だが、この落ち着きのなさが正直過ぎて微笑ましい。

「来た!」

 待ち人来るとばかりに、少女が彼方を指差して声を上げた。
 その姿はまだ丘の起伏の向こうに少し見え始めたばかりだが、見間違いではない。
 少女が我先にと駆け出していくのに会わせ、母親らしき女性もゆっくりとだが歩き出す。
 向かった先に見えた人影は、全部で五つ。
 中でも一際小さな人影が両手を広げて少女を迎え入れようとする。

「おー、ヴィクトリア」
「パパ!」

 二つのお下げをした少女、在りし日のヴィータの脇をヴィクトリアが通り過ぎる。
 飛びついた先は、彼女の言葉通り父親の方であった。
 僅かな荷物を布袋にまとめ幅のある肩に担ぎ、長い黒髪を風にそよがせながら両腕を広げた。
 ヴィクトリアの笑顔に負けないぐらいの表情だが、愛娘に会えた事だけが原因ではない。
 懐深くで飛び込んできたヴィクトリアを抱きしめ、顔が見られないうちに笑う。
 勝手に勘違いしたとは言え、肩透かしを食らった小さな騎士ヴィータを。

「わ、笑っちゃ駄目よ。でも可笑しい。無視された……抱きとめる気、満々だったのに」
「シャ、シャマル笑ってやるな。我らとてそうしたいのは山々ではあったが……くっ、息が続かん。治りきっていない傷に響く」
「…………ぷっ」
「笑うなら、いっそ笑え。主が出迎えてくれたんだ、ちょっと有頂天になっても仕方がねえだろ!」

 仲間達に次々と失笑をくらい、それならばいっそとヴィータが叫ぶ。
 その顔は羞恥心で一杯で、今にも噴火しそうな程に真っ赤であった。

「おか、お帰りなさい。あなた……」
「アレキサンドリアまで!?」
「安心しろ、俺も笑いを堪えるので精一杯だ。ただいま」

 ちくしょうと自棄になって両手を振り回すヴィータの頭に、ヴィクターが手を置いて宥める。
 こうして下らない事で笑いあえるのも、この小さな騎士のおかげでもあるのだ。
 抱きしめていたヴィクトリアを地面に立たせ、改めて彼女の騎士達に向かい合わせた。

「おかえり、ヴィータ。パパを守ってくれてありがとう」
「お、おう。ヴィクトリアが望んだ事だからな」

 満面の笑みでお礼を言われ、今度は別の意味でヴィータが赤くなる。

「皆も、ありがとう」
「礼を言われるまでの事はありません。主の命を受け、戦場へと赴き主の大切な人を守る。騎士として当然の行いをしたまでです」
「ヴィクトリアちゃんのその言葉で、今までの苦労が全て報われます」
「直接的でなくとも、間接的にでも主を守れたのならば本望です」

 シグナム達にかしずかれるも、当のヴィクトリアは少し不満そうであった。
 それに逸早く気付いたヴィータが、ヴィクトリアの頭を撫でて宥める。

「そういうの、こいつ嫌いだぞ。家族で、そう言ってくれる主がいても良いんじゃねえか?」
「そうだな、ただいまヴィクトリア」

 ヴィータに指摘され、改めて皆が気安い態度に変えてヴィクトリアを撫でていった。
 ヴィクトリアも家族に接するように、抱きついたり頬にキスしたりと笑顔が耐えない。
 一頻り再会を喜び合ったところで、最近は少々手狭となった我が家へと向かう。
 もちろん、手狭となったのはヴィクトリアが夜天の書の主となってからだが。

「それで休暇は何時まで?」

 ヴィクトリアを挟んで歩く中で、アレキサンドリアがヴィクター達に尋ねた。

「ここでゆっくりできるのも一週間だけだ」
「戦況、厳しいの?」
「五分五分、恐らく次が最大の激戦になると思う」
「そう」

 やはりという意味を込めて、アレキサンドリアがその笑顔を曇らせた。
 ヴィクターはベルカの騎士の中でもトップクラスの実力を持つ猛者である。
 そのヴィクターを囲むのは、四人の守護騎士であるシグナム達。
 組織の中でも随一のチームであるヴィクター達が纏めて休暇など普通は有り得ない。
 決戦を前に少なからず温情を含め、休暇という形を貰ったのだろう。

「この戦いに勝てば、次元世界の平定とまではいかずとも数年は大きな戦いは起きない。ヴィクトリアが夜天の主として戦場に立つ前に、大きな戦は全て終わらせる」

 守護騎士であるシグナム達が、主の命とは言えヴィクターと共に戦場に赴いたのにはそういう理由もあった。
 まだ二桁の歳にもならないヴィクトリアは、戦場に立てはしない。
 だがその身に宿る魔力の大きさは、他の追随を知らない程に大きなものだ。
 このまま戦争が続けば、いずれ彼女の意志に関わらず戦場へと赴かねばならないだろう。
 その為にも、少なくとも大戦と呼ばれるような戦を終わらせておこうとしていた。

「アレキサンドリア、安心しろ。ヴィクターは我らが守る。守護騎士の名に賭けて、主の命は絶対に遂行してみせる」
「ええ、もちろん。シグナム達を信じているわ」
「ま、私らのチームは最強だからな。アレキサンドリアの研究も、出る幕はなしだぜ」
「本当は、そうあるべきなのでしょうけど……」

 発端とまでは言えないが、ここまで戦争が拡大したのもロストロギアのせいであった。
 どの組織も目の色を変えて研究しては戦線に投入し。
 本来ならばそれを止めようとした自分達の組織も、同じように手を出してしまっている。

「研究も既に最終段階。成功すればジュエルシードの力を完全に制御できるわ。そうすれば、他のロストロギアなど問題にならない。少なくとも、戦線はこれ以上拡大しなくなる」
「それあと一週間で間に合わないか?」
「間に合っても、試行に一年は掛かるの」

 それでもヴィクトリアが大きくなるまでには、十分過ぎた。

「難しい話、ヴィクトリアには分かんない」

 だが当の本人は先の事よりも、今の方がよっぽど重要であったらしい。
 頭の上を難しい話が往来し、仲間外れにされたように感じて頬を膨らませている。
 不満を露に、言外に構ってと訴える愛娘を見て二人が笑う。
 シグナム達も小さな主の正直な姿を見て、微笑ましく笑っていた。

「難しい話じゃないよ。パパとママ、守護騎士達も。力一杯頑張って、ヴィクトリアを幸せにしようって話していたんだ」
「パパとママ、皆も?」
「もちろん、パパとママも。シグナム達もね」

 アレキサンドリアの言葉を聞いて、後ろに控えていたシグナム達にヴィクトリアが振り返る。

「任せておけって、次元世界一幸せにさせてやる」
「それだけではない、主は我々の幸福も御所望のようだ。これまでの主にない優しい厳しさだ」
「ヴィクターさんを絶対に守って、かつ私達も生き延びる、か」
「主の命令は絶対、ならば全力で生き延びるまでだ」

 守護騎士達からのお墨付きを貰い、満面の笑みでヴィクトリアが頷いた。

「俺達だけじゃない。もっと多く……恐怖と戦い、厄災をはね除け。より一人でも多くの人が幸せになれるよう。この力はその為にある」

 そうだろう、ヴィクトリア、アレキサンドリアとヴィクターの過去回帰が終わりに向かう。
 幸せだった過去の記憶から意識を今へと戻す。
 次に瞳を開いた時、ヴィクターの視線に飛び込んで来たのは自分を中心に展開する管理局員達であった。
 エネルギードレインの範囲を正確に計算した上での包囲陣形。
 決戦に選ばれた次元世界は、石ころだらけの無人どころか生命の一つもない無機世界。
 地平線の彼方まで、それこそ惑星の反対側に行っても岩肌しかない。
 ヴィクターを殺害する為だけに選ばれた死の世界である。

『FIRE!』

 誰かの念話が無差別に、それこそヴィクターにまで届く範囲で展開された。
 幾千の管理局員達がありったけの魔力球を精製。
 幾万に届く程のそれを一斉にヴィクターへと向けて放った。
 中心にいるヴィクターからすれば、色取り取りの花火が一斉に打ち上げられたよう。
 だがそんな生易しいものであるはずもなく、さらには殺傷設定。
 殺すためだけに、次元世界の平定の為に、それらは放たれた。
 身じろぎ一つしないヴィクターへと向けて、次々に着弾しては爆煙をあげていく。
 度重なる爆破に後続の魔力球は影響を受けて、目標を外れる事もある。
 外れたそれらは岩肌に着弾しては大地を抉り、方々に鋭利な破片を飛ばしていった。
 重度の次元犯罪者でもこれだけの歓迎を受ける事はまずない。
 もはや百五十年前の最後の戦争の再現、ヴィクター対人類が開始されたのだ。

『全弾命中、やったか!』

 まだ直接ヴィクターを知らない誰かの念話が響く。
 世界全土を焼き尽くすような爆炎を前に、そう思っても責められるものではない。

『気を緩めるな。相手は黒いジュエルシードのヴィクター。この程度で砕けはしない』

 冷や水を浴びせかけるような声は、ブラボーのものであった。
 その言葉の通り、薄れ出す爆炎の中に変わらぬ姿で経つヴィクターの影が見えた。
 微動だにした様子もなく、爆炎の中でも揺らいだのは蛍火に光る長い髪ぐらい。
 包囲陣形を組む局員達の間に戦慄が走る。
 今の攻撃は例え戦艦といえど、一時的には航行不能になる程の数の攻撃。
 そのヴィクターの姿が完全に視界に現れた時、別の意味で周囲に動揺が広がった。

『黒コゲってわけじゃねえな。あのガキが第一から第二段階に進行したように、奴も次に進行しやがった』

 次に聞こえたのは、ブラボーではなく火渡の呟きであった。
 砕けた大地の上で瓦礫に片足をかけながら、ヴィクターが周囲を見渡す。

「少し眠っている間に、随分と集まってきたな。まずは腹ごしらえといくか」

 念話とは違い、その小さな呟きは管理局員達には届かない。
 何かを喰らうようにヴィクターがその口を大きく開いた。
 エネルギードレインはヴィクターにとっての生態。
 己の意志で全ては操れないが空腹という原初の念が、その拡大を促がした。
 第二段階とは比べ物にならない程に早く、それも広くエネルギードレインが広がる。
 管理局員達が気付いた時には、もう襲い。
 光に誘われ火に焙られた羽虫の如く、ヴィクターを包囲していた局員達が墜ちていく。
 陣形などあってないが如く、ある意味で何もされないまま無力化されていった。

『これまでとレベルが違う。総員、出来るだけ奴と距離を取れ!』
『ちっ、だから雑魚を何人集めても。照星さん!』

 ブラボーが包囲陣形を穴が空く事を覚悟で、拡大させるよう連絡を取る。
 だがそれも到底間に合わず、墜ちたそばから宇宙域で待機している船団に回収されていく。
 結局、包囲陣形など餌を与えに来たようなものだと火渡が毒づくのも無理はない。
 そのヴィクターの頭上へと、火渡の要請に従い一つの人影が落ちた。

「待ちなさい。貴方の相手は、この私が務めます」

 ヴィクターが見上げた時、その人影は何処にも見えなかった。
 見えたのは機械の残骸のような何か固まり。
 何時の間にか周囲に展開されていたのは、銀色の魔力光を放つ方円状の魔方陣であった。
 その魔方陣から機械の塊が零れ落ちては、集合して一つの塊なる。
 次々に塊が集まっては形をとり、巨大な足となってヴィクターの頭上に落ちた。
 ヴィクターを押し潰し、岩肌の大地を抉る間も魔方陣からは次々に機械の塊が召喚される。
 最終的に全ての機械の塊が集まり、それは甲冑姿の巨大な騎士の姿となった。
 十字に溝のある兜の上に照星が降り立ち、押し潰したヴィクターを見下ろす。

「久しぶりですね、バスターバロン。貴方の力を借してください」
「…………」

 無言を貫く巨大な甲冑のバスターバロンは、ただ静かに頷いていた。
 そのバスターバロンの足元が競りあがり、バランスを崩す前に一歩退く。
 巨大さゆえにその一歩でも大地を揺るがしたが、現れたそれの衝撃はさらに大きい。
 第三段階へと移行したヴィクターが、バスターバロンと同じ大きさに巨大化したのだ。

『なんでも有りかよ……』

 迂闊にもタバコを取りこぼした火渡が、そう呟いてしまう程の衝撃。

(長い戦いになりそうですね)

 バスターバロンは照星の切り札とも言える、召喚騎士。
 これまでも全身召喚は数える程しかないが、それでも確実に勝てるとは口にできない。
 ただ勝敗はどうあれ、もはや戦う以外に道は残されてはいない事だけは確実であった。









 何日ぶりの事になるだろうか、カズキはバスのタラップを踏みしめて車内へと上がりこんだ。
 その腕の中に抱かれ、カズキに抱きついているまひろは身じろぎ一つしない。
 昨晩、久しぶりに兄妹水入らずで一緒に寝てからずっと、この調子である。
 それも仕方がないかもしれないが、苦笑しつつバスの中に視線をめぐらす。
 幾人か、名前は知らないが何時も同じ時間にバスを利用する人達が驚いたように見てきた。
 カズキもなんとなく黙礼を返し、バスの最後尾へと視線を向ける。

「本当に帰って来てたんだ」
「カズキさん、フェイトちゃんも、こっちです」

 手を振りながら声を掛けてきてくれたのは、アリサとすずかであった。
 珍しい事に家を早く出たカズキ達の方が、なのはよりも先に着いたようだ。
 一度まひろを抱き上げなおし、懐かしい日々を取り戻すように最後尾へと向かう。

「おはよう、アリサちゃん。すずかちゃんも」
「おはよう、アリサ。すずか」

 コアラの子供の様にカズキに抱かれているまひろは、もはやスルーである。
 あまりに見慣れた光景に突っ込まれる事もなく、毎朝の挨拶を交わす。

「あ、あれ? 私の方が……」

 そうしている間に、自分が後だという違和感を抱きながらなのはがやってきた。
 これまた挨拶を交わしていると、バスの運転手がクラクションを鳴らし始める。
 どうやら、岡倉達もようやくやってきたらしい。
 なのはに続いてバタバタと車内へと駆け込んできて、そこでカズキを見つけた。
 帰宅事態は昨晩に皆にメールを送ってはいたが、それはそれ、これはこれ。

「カズキ!」

 ゆっくりと走り出したバスの中を駆けるように、一番後ろの座席へと歩いてくる。

「ただいま、皆」

 まひろを抱いている為に余り身動きが取れず、なんとか左手だけでも開けて掲げる。
 岡倉、六桝、大浜と順にその手に手を合わせて音を鳴らせていく。
 アリサ達からは、なんとも男の子らしい再会の仕方だと少々笑われてしまったが。
 これでまひろを抱いていなければ、スクラムの一つでも組んでいたところだ。
 まだまだ大人しい再会の仕方だといったところである。

「で、どうだった? 二人の仲はちったあ進んだのか?」
「ハ? ナンノコトヤラ?」
「なんだ二人で婚前旅行にでも言ったと聞いたが。違うのか?」
「僕らより一足先に、大人になっちゃったんだねカズキ君」

 だが大人しいなら大人しいなりに、男としてあるべき方向へと話が流れていく。
 岡倉がカズキの肩に腕を回し声を潜め、六桝や大浜もそれに続いた。
 どうやらカズキの逃避行の理由は、そういう風に歪められて伝えられているらしい。
 恐らくというまでもなく、リンディの仕業である事だろう。

「違うって、ちょっと事情があってフェイトちゃんの実家に」
「大事な娘を預かっているんだ。親御さんに挨拶に行っていたと」

 慌てて事実を交えたそれっぽい釈明をするが、六桝が余計な一言を呟いた。

「フェ、フェイトあんた……シグナムさんからついに略奪!?」
「その場合、問題があるのはカズキさんのような」
「アリサちゃんもすずかちゃんも、そんな違うよ。えっと、ほら。聖祥大付属に通う事になった事とか色々、ね?」
「うん、母さんに色々と報告して来たんだ。それにカズキが好きなのは、シグナムだよね?」

 次に慌てて釈明したのは何故かなのはであり、フェイトは落ち着いていた。
 何かまた一つ心の整理をつけるように一度瞳を閉じて、笑顔でカズキに言った。
 今さらな感はあるが、さあ真実を吐けとばかりにカズキへと皆の視線が集まる。
 そんな中でカズキにずっと抱かれ、自らもしっかりと抱き付いていたまひろが見上げた。

「お兄ちゃん、お姉ちゃんと結婚してもまひろと一緒に居てくれる?」

 少し茶目っ気を出したフェイトの問いとは異なり、その問いは重い響きを残していた。
 ある日突然、何も告げずにカズキが居なくなったのだからそれもある意味で当然。
 まひろの想像と事実はかなり遠い場所にあるが、その胸に抱いた不安は間違いではない。
 本当の事情を知るフェイトやなのはも、カズキを見つめるだけで何一つ助言はできなかった。

「当たり前だろ、俺はずっとまひろのそばにいる。皆のそばに、いるよ」

 何一つ正直に話せる事もなく、カズキはそう言うので精一杯であった。
 答えに満足したのか、ようやくまひろが笑顔を見せた。
 ずっと掴んで放さなかったカズキの制服から手を放す。
 それでも抱っこから降りようとはしなかったが、少しは心が楽になったらしい。
 皆との会話の中にも加わり、先に下りるカズキ達と別れるまでお喋りに興じた。
 一足先にバスから降りたカズキは、なのは達にまひろを任せて高校へと向かった。
 改めて、シグナムとの進展具合等を問い詰められたりしながら登校する。
 バス停から校門、さらに教室へと至る直前に、カズキはトイレと言って岡倉達と別れた。
 皆の前では空元気も元気とばかり笑顔を見せていたが、その足取りは重い。
 肩を落として溜息をつきながら、トイレのドアの前で立ち止まる。

「まひろに嘘、ついちまった」

 カズキの決断はどうあれ、もうまひろのそばには居られない。
 あの甘えん坊がカズキがいないままで生活できるのか。
 父親と母親には既に連絡を入れて帰って来て欲しいと願ったが、それで解決とはいかない。
 甘えられる誰かが帰って来ても、そこにカズキはいないのだから。

「どうした、またあの時のように意気消沈しているぞ。らしくもない」
「蝶野!」
「やあ」

 らしくもないのはお互い様、慰めるようなパピヨンの声に驚きながら振り返る。
 トイレ前の廊下ではなく、窓を隔てた向こう側にパピヨンはいた。
 背中に魔力による黒い蝶の羽を羽ばたかせ、一目もはばからず自由に舞っている。

「お前、あれからずっと姿を見せないと思ったら。一体今まで何処で何を?」
「もちろん秘密の研究所で。と言っても辛うじて沈まなかった時の庭園だが……そこで、白いジュエルシードの研究」

 それは思いもよらない返答であった。

「お前……白いジュエルシードをもう一つ作るつもりか?」

 何しろ白いジュエルシードの元は、黒いジュエルシード。
 その精製方法は百五十年も前に失われたと、アレキサンドリアは言っていた。
 もう作れないのだ、自由が利く黒いジュエルシードは一つも残されていない。
 パピヨンがその事を知らないはずもなく、知った上で作ると言ったのだ。

「俺の目的は、人間・武藤カズキを蝶最高の俺が斃す。その為には白いジュエルシードは必要不可欠」
「でもアレクさんはもう作る事ができないって……」
「フン、俺は人間だった頃、会う医者全てに余命幾許と宣告されてきた。だが今ではこの通り、もうビンビン!」

 自らの下半身を指差し、元気が有り余っているとパピヨンは言う。

「選択肢なんてものは、他人に与えられるのではなく自ら作り出していくものだ。武藤、お前がどの様に決めようと、俺はお前との決着は諦めない!」

 パピヨンは諦めないと、頑なに信じ込むように道を模索している。
 同じ諦めないという言葉を胸に行動したカズキよりも、それは一歩抜きん出ていた。
 カズキはあくまで、納得の為に、そこで立ち止まり満足する為に諦めないと言った。
 それが今のカズキとパピヨンとの間にある明確な差。
 負けたとは決して口にできはしないが、現時点での差を明確に示されたようにカズキは唇を噛み締めていた。









 
 少し元気がないと岡倉達に心配されながら、カズキはその日の一日を過ごしてしまった。
 旅の疲れがとその場は誤魔化し、今日はゆっくりすると一人帰宅を急ぐように別れた。
 もちろん疲れがないわけではないが、岡倉達との交友を拒否する程でもない。
 やはりカズキが日常に戻りきれないのは、待ち受けている選択。
 そして今朝方に顔を見せたパピヨンが選んだ、不可能を可能にするという選択であった。

「決めなくちゃ、な……」

 帰宅路の途中にある公園に差し掛かった辺りで、誰に言うでもなく呟いた。
 たった一つしかない白いジュエルシード。
 黒いジュエルシードで体を変えられてしまった人間は、二人。
 一体どちらが使うべきなのか。
 その答えは、最善は既にカズキの頭の中でささやかれている。
 今この瞬間も、圧倒的な力でロストロギアに関わる全てを破壊しようとしているヴィクター。
 一方のカズキは、例えヴィクター化しようともそんなつもりは一切ない。
 ヴィクターに白いジュエルシードを与えて人間に戻せば、少なくとも戦闘は終わらせる事ができる。
 説得か、殺害かはまた別にして。
 カズキが白いジュエルシードを使っても、ヴィクターは止められない。
 より大勢の人を救う為には、答えなど最初から決まりきっている。
 その決断を思うと、足を止めて立ち止まらずには居られなかった。

(けど、そしたら俺は……)

 希望は少なからずある。
 パピヨンは決してカズキを人間に戻すまで諦めない。
 自分だって人間に戻れるまでは決して諦めない、だが少なからず諦めなければならないものもあった。
 甘えん坊が直らない妹との生活、大事な友人である岡倉達との生活。
 決して諦めないにしても、彼らが生きている間に間に合わないという可能性はある。

「俺が皆を守るから、誰か俺を……」
「大丈夫か、カズキ?」

 ふいに掛けられた言葉に顔を挙げ、直前まで抱いていた不安を胸の中に押し隠す。
 公園内を正面から歩いてきたのは、シグナムであった。
 旅の間に着ていた騎士甲冑であはなく、彼女の私服姿。
 初めて会った時と同じ、茶色のジャケットに白シャツ、下はジャケットと同色のタイトスカート。

「シグナムさん、どうしてここに?」
「お前の事だ、まだ一人で悩んでいるのではと思ってな。ずっとここで待っていた」

 そう呟いたシグナムは、無駄に言葉を続ける事なく近くのベンチを指差した。
 カズキがと惑えば、その手を取り強引にでも連れて行き座らせる。
 目の前は公園にしては鬱蒼とした森林があり、獣道に近い横道が続いていた。
 ここが何処か思い出し、ハッと気付く。
 そのカズキに視線を向けられ微笑んだシグナムは、一つ頷いて言った。

「そう言えば、まだ礼を言っていなかったな。あの時は強がって見せたが、少なからず危うかったのは本当だ。遅くなったが、ありがとう。助けてくれた事を感謝している」
「シグ」

 何かを言おうとしたカズキの唇に一指し指を当てて止め、私が先だとシグナムが続けた。

「私の答えを先に聞いてくれ。お前がどういう決断をするかは、ある程度想像ついている。だから私も選択した。私はお前を待つ事にした」
「俺を?」
「ああ、私は人ではなく闇の書の守護騎士。歳を経て老いる事もない。一時、その事で悩みもしたが今ではそれで良かったとも思う。何十年、それこそ何百年経とうと私はお前を待ち続ける、お前が人に戻れる日まで。それが私の選択だ」

 一息で、やや急ぐように答えを言い切ったシグナムは満足気に瞳を閉じた。
 そして隣に座るカズキの肩へと体を傾けて頭を預けるようにする。
 恋人同士のように、その身を預けるように寄せて後はお前の決断だと待つ。
 それに応えるように、カズキも恐る恐るだが手を伸ばして逆側のシグナムの肩を掴んだ。
 そのまま自分に抱き寄せるように、力を込める。

(大丈夫、シグナムさんは言った。待っていてくれるって)

 シグナムの存在を今までにない程に感じながら、驚く程に穏やかになった胸中で考える。
 あの日、カズキは特別な事は何一つ考えずにただ必死であった。
 シグナムがどんな人かも知らず、ただがむしゃらに守ろうと危険に飛び込んだ。
 その後に巻き込まれた、自ら飛び込んでいった戦いにも後悔はない。
 皆を守りたい、この手が届く限り守りたいその気持ちは全く変わってはいなかった。
 特にこの手の中にいる特別な人は、より一層守りたい気持ちが強くなっている。
 どうすれば良いかなど、最初から分かりきっていた。
 だがシグナムは背中を押してくれた、待っていてくれると。

「心残りがないわけじゃない。けれど、決めた」

 臆病風に吹かれ自分だけ人間に戻っても、ヴィクターとは戦わなければならない。
 その時シグナムはこんな穏やかな時間の中で自分の隣にはいないだろう。
 きっと戦場で何時命を散らすかも分からない状態だ。
 彼女が騎士である以上避けられない道ではあるが、できる事ならば避けたい。

「でも……まだ少し勇気が足りない」
「そうか、仕方のない奴だ。私がいくらでも、分けてやる。好きなだけ、持っていけ」

 預けていた頭を持ち上げ、瞳は閉じたままシグナムはやや上を見上げるようにした。
 そしてカズキがシグナムの両肩に手を置き、唇が重ね合わせられる。
 長く、それこそ日が暮れる程に長く二人は唇を重ね合わせ続けていた。
 そして、帰宅途中のまひろ達に見つかるのはまた別のお話。









-後書き-
ども、えなりんです。

管理局VSヴィクターの結末は微妙に原作と変わります。
ある程度予想がついている人がいるかもしれませんが……
管理局は超兵器もってますしね。

さて、カズキとシグナムの恋はひとまず成就。
そしてフェイトも微妙に自分の気持ちに区切りをつけはじめてます。
ただフェイトの方は、もう少しちゃんとした形で決着をつけます。
正直なところ、カズキもシグナムも自分の事で精一杯でフェイトの気持ち全然気付いてませんからねw
九歳に色々と負けてる17歳と?歳ですよ。

それでは次回は水曜です。



[31086] 第三十九話 本当に、ゴメン
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/05/16 21:59

第三十九話 本当に、ゴメン

 海鳴市の臨海公園、早朝にも関わらず防波堤の直ぐそばにカズキ達の姿があった。
 決戦に参加するシグナムとフェイト、見送りに来たのはまひろやなのはにアルフ、そして八神家の面々だ。
 じわじわと熱くなる日差しの下、特にカズキは緊張感を隠せずにいる。
 昨晩、ユーノから二つの情報を貰っていた。
 一つは白いジュエルシードがアレキサンドリアの手により完成した事。
 もう一つは、管理局とヴィクターの戦いが佳境に迫っている事。
 それはカズキの決断を行動に移す為の引き金にもなっていた。

「お兄ちゃん?」

 詳しい事を聞いておらず、また理解もしていないまひろが不安げに呟いた。
 そんなまひろを安心させるように、アルフが後ろから両肩に手を置いてはいるが効果は薄い。

「まひろ、お兄ちゃんはちょっと用事で出かけてくる。またアルフさんの言う事を良く聞いて待っていてくれ。父さんと母さんも、しばらくしたら帰ってくる」
「お父さんとお母さん帰ってくるの? じゃあ、まひろは良い子でいるね。お兄ちゃんも、皆で御飯食べたい」
「そうだな、良い子でいるんだぞ」

 カズキに撫でられ、満面の笑みで頷いたまひろ。
 その姿を見てカズキの決断を知る者は、瞳をそらしたくなるような光景である。
 恐らくはこれが兄妹にとって、最後の別れとなるかもしれない。
 各自、カズキの決断を聞いて散々悩み、時に考え直せとも言ったが変えられなかった。
 次元世界全てを見れば正しいのはカズキだと分かってはいるが、感情が納得できない。

「両親が帰ってくるまで、私がちゃんと面倒見てるから。フェイトも、気をつけて」
「うん、アルフ。まひろをお願い。はやて達も時々で良いから、まひろを見てあげてね」
「いっそ、家で預かってもええんやけど。シグナムは、カズキさんの事をしっかり守らなあかへんよ。言われんでも、分かってるやろうけど」
「はい、もちろんです。ヴィータ、お前達は私が居ない間に主の事を頼む。大丈夫だとは思うが、管理局の誰かが暴走しないとも限らない」

 アースラにも決戦の参加の要請が来てから、はやて達も一時家に帰されていた。

「まひろも含めて、全員まとめて面倒みておいてやるよ」
「気をつけて、もちろんカズキ君も」
「後悔なきように、戦って来い」

 名残惜しさを残さぬように、寧ろヴィータ達はカズキを後押ししていた。
 奮い立たせるようなそんな言葉に、カズキもしっかりと頷いて返す。
 口々に別れの言葉、特にカズキへは最後の言葉を交わしあう。
 残り短い時間を少しでも有効に使っている間に、お迎えはやってきた。
 カズキとシグナム、そしてフェイトの三人を包むように、足元に魔方陣が浮かびあがる。
 淡い緑色の魔力光を放つそれに包まれ、カズキ達の姿が転送されていく。

「じゃあ、行って来る」

 その言葉を最後にカズキの姿は消えていった。
 見送り側のなのは達の目の前に広がるのは、夏が待ち遠しそうに小波を繰り返す海。
 今生の別れを経験し誰も言葉を発せない中で、耐え切れないようにまひろが泣き始めた。
 たった一人、真実を知らないながらも感じ入る物があったのだろうか。
 泣きはらすままにその場に座り込み、膝の間に顔を埋めて震え始める。

「行っちゃった。お兄ちゃん、行っちゃった……」
「まひろちゃん」

 思わずと言った感じで名を呼んだなのはのみならず、皆も同じ事を感じていた。
 もしかすると、詳細は兎も角として何かしら知っていたのではないかと。
 その上でカズキを安心させる為に、何も知らない振りをしていたのか。
 本当のところはまひろの胸の内にだけであった。










 次元世界ニュートンアップル。
 そこにあるアレキサンドリアの研究所へと、五人は訪れていた。
 張本人であるカズキと、何時までも待つと決めたシグナム。
 決戦に参加する事はないと諭されながらも、最後まで見届ける事を決めたフェイト。
 決断を迫られたのは何もカズキだけではなかったという事だ。
 それから管理局代表として付き合いの浅くないクロノが、ユーノも同行していた。
 出迎えたのは脳髄のみの姿のアレキサンドリアと、何処か感情を押し隠したようなヴィクトリアであった。

「白いジュエルシード、完成よ」

 アレキサンドリアの脳髄が取り囲むあまり広くない一室。
 部屋の中央に地下から競りあがるようにして現れた台座にそれはあった。
 以前見た時よりも、純白の純度が昇華された様子を受ける白いジュエルシード。

「黒いジュエルシードに重なるように胸内に押し込んで。それで黒いジュエルシードの力は相殺されて、無力化する」

 アレキサンドリアはそこで一度言葉を区切らせた。

「誰に使うか。武藤君、決まった?」

 未だアレキサンドリアもヴィクトリアもそれは尋ねてはいない。
 彼女達は、ヴィクターを元の人間に戻す為にこの研究を続けてきたのだ。
 しかしカズキが地球にて黒いジュエルシードを胸に収めて、かつ発動してしまった。
 胸中ではヴィクターを一番に思っているだろう。
 だがカズキを自分達の研究の被害者と見るのならば、口を噤まずにはいられない。
 一体どの様な決断をと彼女達が全てを受け入れる覚悟の中で、カズキは一つ頷いただけであった。

「そう、では受け取って」

 カズキが今この場で白いジュエルシードを使っても、覚悟はできている。
 そんな気持ちを押し隠し、受け取ってくれとカズキを促がした。
 台座の白いジュエルシードを安置していた強化ガラスも外されていく。
 研究後、初めて外気にさらされる白いジュエルシード。
 それに手を伸ばし、カズキは間違っても落とさないようにしっかりと握り締めた。

「よし、これで準備は整った」

 この白いジュエルシードをどう使うか、カズキは決断してここへ来た。

「そう、それが君の……武藤君」

 白いジュエルシードを見つめたまま、胸に収める様子のないカズキを見てアレキサンドリアが呟いた。

「こんな大変な事に巻き込んでし……まっ……て。本、当に……ごめんな、さい」

 途切れ途切れの苦しそうな声の中、アレキサンドリアの脳髄が崩れ落ちていった。
 培養液か何かに満たされた水槽の中で塵と貸していく。

「アレキサンドリアさん!?」
「細胞の限界……研究の為とはいえ、脳髄を多くクローニングして尚且つ酷使した結果だと思う。彼女は多分、それを理解していたからカズキに……」
「アレクさ」

 意味がないとは分かりつつも、水槽に駆け寄ろうとしたカズキの前にヴィクトリアが立ちふさがる。

「用は済んだでしょ。さっさと出て行って」

 カズキ達に向けられたのは拒絶の言葉と視線。
 彼女だけは最初から、アレキサンドリアとは違い友好的ではなかったのだ。
 ただ最後が近いアレキサンドリアの意をくみ上げ、協力していたに過ぎない。
 元家族であったシグナムですら例外ではなく、彼女は出て行けと行っていた。

「行くぞ、カズキ。もう、そんなに時間は残されていない。照星さんを中心に組んだ討伐隊にも限界が近い。もう決戦場で残された局員の残りも少ない」
「ああ、分かった」

 今はまだ何も言ってあげられる言葉はないと、皆が外へと足を向ける。
 例外は一人、彼女の元家族であったシグナムであった。
 一人皆と逆行するように、拒絶を示したヴィクトリアの目の前に立つ。

「何よ」
「私は、何も覚えていない。それが改造を受けた結果なのかは分からない。だが後日、良ければ教えてくれ。私達がどう暮らしていたのか。どれだけお前達を大切にしていたのか」
「それを知ってどうするの? 一度壊れた物はもう戻らない。私の家族は、もう戻らないの。不愉快だから、出て行って。もう、二度とここには来ないで」

 向けられたのは換わらぬ拒絶、それでもとシグナムはこう口にした。

「また、来る」

 それからようやく背中を向けたシグナムへと向けられたのは、

「馬鹿……来るなって言ってるでしょ」

 シグナムに辛うじて届かない、小さな呟きであった。









 山にも匹敵する巨大な姿となったヴィクターに向けて、獣の咆哮が叩きつけられる。
 バスターバロンと同じく、第一種稀少個体。
 もはや虫という範疇ではおさまらず、竜と表現した方が良い召喚虫である。
 管理局でも有数の召喚士であるメガーヌの切り札、白天王であった。
 その名の通り、白い甲殻に覆われた体にて、三本の爪を持つ豪腕を奮って襲い掛かる。
 ヴィクターはその豪腕を真っ向から手の平で受け止め、地面を踏みしめ砕きながら耐え切った。

「化け物、か。照星さんのバスターバロンでも押し切れないはずよ」
「そろそろ白天王も活動限界でしょ、次の交代は……」
「もはや、その余力が管理局にはない」

 白天王の肩の上で、崩れ落ちそうなメガーヌをクイントが支える。
 こうして巨頭が拳を突き合わせル間も、エネルギードレインの影響下にあるのだ。
 どちらが支えられているのかも分からない状況で、交代要員を求めるのは仕方がない。
 だが返って来たのは、ずっと二人を護衛していたゼストの口惜しげな言葉だけであった。
 ヴィクターとの決戦が始まって、もはや一週間以上経っている。
 照星は十二時間戦い、後に六十時間程の休息をとっていた。
 もちろんその間は他の局員が埋め、ヴィクターは延々と戦い続けている。
 その繰り返しを幾度か経ているものの、相手に疲れとう文字はまだ一向に見えてはこない。

「まともに残っている戦力は、私達と照星さんの主戦力のみ。立て、メガーヌ。我々の役目は、少しでも多くヴィクターの余力を削る事」
「過去の負の遺産とはいえ、最高評議会もろくな事をしないわね。尻拭いをするこちらの気にもなって欲しいわ。もう、いないけどね」
「白天王、これが最後の一撃よ」

 未だ片腕をヴィクターに受け止められた状態で、白天王が逆の腕をくり出した。
 今再び、それも受け止められては大地を揺るがす。
 しかし、それこそがメガーヌの目論見通り。
 白天王は両腕を押さえつけられた状態だが、逆に見ればヴィクターもそれは同様。
 お互いに身動きが取れない近接状態、そこで白天王の切り札が切られた。
 弱点の一つでありながら甲殻に覆われてはいない腹部。
 そこの表皮が捲れるようにして、紫色の丸い水晶体が露となった。
 光が溢れる、紫色の魔力光が白天王を包み込み、腹部の水晶体の前へと集束していく。
 当然の事ながらヴィクターがその渾身の一撃に気付くも、両腕は依然として組まれたまま。
 白天王自身、逃がさないとばかりに逆に掴まえ大地を踏みしめて堪える。

「これが最後の一撃、喰らいなさい!」

 世界を埋め尽くす程の紫色の閃光が、腹部の水晶体を中心に広がり迸った。
 殲滅級の威力を誇る砲撃。
 人間では決して至る事のできない威力の砲撃が、ヴィクターを貫いた。
 その余波だけでも、元々あったクレーターを一段も二段も深く彫り上げていく。
 砲撃による激しい魔力光がおさまった次の瞬間、彼女達の前に現れたのは半身を失くしたヴィクターの姿であった。
 片腕から肩口より先、胸の半分に至るまで消滅させられた無残な姿。

「ついにやったか!」

 ようやく見えた決戦の終わりに、普段は二人を諌める立場のゼストが喜色の声を上げる。

「オオオオッ!」

 だが次の瞬間、耳をつんざくような声をヴィクターが上げた。
 瞬く間という表現はまたにこの事。
 吹き飛ばし消滅したはずのヴィクターの半身が、一瞬にして復元されていく。

「そんな……」
「メガーヌ!」

 まさかの光景に、疲労と緊張の糸が切れてメガーヌが倒れこむ。
 慌ててクイントが支えようとするが、そんな同様の暇もヴィクターは与えようとはしない。
 白天王を睨みつけ、開けられたヴィクターの大口の前に魔力が集束する。
 まるで先程の白天王の行為を真似るように。
 黒い色に染め上げられ集束した魔力の塊が、砲撃となって白天王に襲いかかった。
 黒い魔力の本流に明確に死を連想させられた彼女らの前に、それは現れる。

「バスターバロン、右腕兵装解放!」

 空より落ちるように飛来した、鋼鉄の巨人。
 その巨人の右手の平に穴が空き、六角形の円盤のような物が飛び散り白天王を取り囲む。
 一つ一メートル四方、その円盤が集まり壁となり絶望を込めた魔力が散らされる。

「照星さん!」
『ご苦労様です、貴方達は下がってこの戦いの行く末を見守ってください』
「あれって、キャプテン・ブラボーの……」
『驚く事ぁねェ。これがバスターバロンの特殊能力。左右の肩にあるコクピットに搭乗している魔導師の能力を形状から特質まで丸ごと全部増幅する』

 なんでも有りがここにもいたと、死から解放された安堵も加わりクイントが額を押さえる。
 やがてメガーヌの意識が途絶えた事で白天王も、送還されゼストに支えられて二人も退却していった。
 部下が安全に退却したのを確認して、ようやく照星も目の前のヴィクターに集中し始めた。
 連戦に継ぐ連戦で疲労してはいるが、それは本当の意味で絶えず戦ったヴィクターも同じはず。
 もはや合間を埋める事のできる局員が居ない以上、もう後がない。

『照星さん、ヴィクターの攻撃は全て俺が防ぐ』
『攻撃は俺に任せておけ。五千度の炎で奴を本当の意味で消し炭にしてやるぜ』
『頼みます、私はバスターバロンの動きにだけ全てを注ぎます』

 後がない以上は、相手の体力を削ろうという出し惜しみはもう一切なし。
 体力ではなく、命を散らす為に三人は全力を注ぐ事に決めた。
 ヴィクターが再度、集束させた砲撃をバスターバロンに向かって撃ち放った。

『シルバースキン!』

 バスターバロンの周囲を飛んでいた六角形の金属板が、一枚の布となってバスターバロンを覆う。
 衝撃も余波すらも全てシルバースキンが受け止め、バスターバロンが一歩を踏み出した。
 大地を砕きながら振り上げた鋼鉄の拳が、灼熱の炎を纏う。

『ブレイズオブグローリー!』

 先程の白天王の一撃のようにヴィクターが手の平で受け止めようとする。
 だが五千度の炎を纏った鋼鉄の腕は、止まらない。
 触れた先から溶かし、消し炭に変えていくようにヴィターの腕を破壊していく。
 さすがのヴィクターも、一時後退をしようとするがその暇は与えられなかった。
 ヴィクターが退けば、バスターバロンもそれだけ、それ以上に踏み込む。
 エネルギードレインを行なう暇さえ与えないように、炎と化した鋼鉄の拳のラッシュは続く。
 辛うじてヴィクターも反撃を行なうが、それらは全てシルバースキンに退けられる。
 一度は破っておきながら、長期戦を考えてデバイスを手にしなかった事が仇となっていた。
 これまでは白天王のように目の前の相手や周りの局員からエネルギードレインをすればよかった。
 だが目の前のバスターバロンは愚か、コクピット内の三者はシルバースキンに守られている。
 さらにこの次元世界は石ころばかりで有機生命体がいない。
 対象者がいなければ、エネルギードレインもさほど脅威とはならないのだ。
 ヴィクターが己の失策を悟る間にも、炎の拳は次々に着弾。
 片腕は今再び消し飛び塵に返り、巨躯のあらゆる箇所に傷跡が残り始める。
 エネルギードレインを防がれ、修復が全く追いついていないのだ。
 かつてない好機、そう判断した照星が最後の切り札を切った。

『ガンザックオープン!』

 背中を追おうマントがはためき、隠されていた噴射口が露となる。

『ナックルガードセット!』

 炎の拳、その甲にあったナックルガードが拳の前にその位置を変えた。
 両の拳を重ね合わせ、前に突き出す格好となる。
 次の瞬間、背中に現れた噴射口が火を噴き、バスターバロンが突撃し始めた。
 爆発に文字通り背中を押され、一つの弾丸となってヴィクターに襲いかかった。
 元から至近距離、とても回避が可能な間合いではない。
 最後の最後までとっておいた切り札による奇襲、ヴィクターはそれを真っ向から受けた。

『ロストロギアに翻弄された魔人よ、塵と帰れ!』

 照星のその言葉と共に、ヴィクターは体の中心よりひびをいれられ貫かれる。
 灼熱の炎も合わさり、細胞の一つとて残さぬぐらいに粉々に吹き飛ばされていった。
 一週間以上も戦い続けた果てにしてはあっけない程に。

『A-MEN』

 そして照星はヴィクターもまた被害者の一人として冥福を祈る言葉を残す。

「それは自分に対するお祈りか?」

 まさかの声は、バスターバロンの目と鼻の先からであった。
 使い終わりひびが見えるナックルガードの上、そこに立つのは塵と化したはずの魔人。
 ヴィクターが変わらぬ姿で、肩にアームドデバイスである大戦斧を肩に掲げていた。

『ヴィクター、第三段階の本体!? じゃあ、さっきまでの姿は……』
『幻影……いや違う、魔力を元にした擬態。長期戦を見越し、デバイスを手にしなかったのもそれだけは擬態で構築できなかったからか!』

 真実を知ったところで、とき既に遅し。
 ヴィクターは油断した照星達の目の前で、大戦斧を頭上に掲げていた。

『すみません、防人それに火渡。謝罪はあの世で。全艦、アルカンシェルを一斉照射!』
「フェイタル、アトラクション!」

 閃光が、次元世界を穿つ。









 後から合流したパピヨンとアリシアを新たに加え、カズキ達が決戦場にやって来た時は既に遅かった。
 元から石ころだらけであった次元世界が、すり鉢状に抉り取られていた。
 といっても、そのすり鉢状が地平線の彼方にまで続いている為、一目では状況が理解できない。
 アルカンシェルという兵器の説明をクロノから受け、推測交じりでの事であった。
 命の存在しない次元世界を選んだのは、何もエネルギードレイン対策だけではなかったようだ。
 照星だけでなく、恐らくはブラボーや火渡も承知の上での事なのだろう。
 まだ暴風が収まらない空から地上を眺め、カズキ達は言葉もなく見下ろすしかなかった。

「ブラボーのおじちゃん……あの炎の人も」

 時空歪曲による対消滅の戦艦砲撃。
 照星達の役目は、命を投げ出した上での足止めであったのだろうか。
 これでヴィクターも消滅していたのなら、カズキは自ら犠牲にならずとも済む。
 そんな考えが浮かびそうになるたびに、カズキは被りを振った。
 間違っても命を掛けた男達の戦場で、そんな自分本位な考えを浮かべたくなかったのだ。
 誰もがカズキと同じ事を考えそうになるなかで、すり鉢状の大地の中心点が揺れた。
 くり貫かれた大地の下から盛り上がり、何か巨大なものが出てこようとしている。
 次の瞬間、現れたのは背中を大きく抉られたバスターバロンの姿であった。
 半死半生、機械の体で何処までその言葉が通用するかは分からない。
 だがこれでブラボー達が生きている可能性がと思った所で、バスターバロンが放り投げられた。
 ぞんざいに荷物を放り投げるように、その巨体の下からある人物が現れる。

「はあ、はあ……辛うじて、生きながらえたか」

 肩で息をし、疲労と精神的苦痛から大量の汗をかくヴィクターであった。

「そんな馬鹿な……アルカンシェルは時空を歪曲させ全てを消し飛ばす。生き延びる事なんてできるはず」
「いや、そうとも限らない。確か奴の能力は重力」
「まさか、例えデバイスの補助があっても人間の脳に耐えられる計算量じゃ……でもそれなら、歪曲する時空に間逆の歪曲場をぶつけた!?」

 クロノの言葉をパピヨンが退け、ユーノがまさかと言葉を放つ。
 だがどんな理由があろうと、ヴィクターは生きていた。

「クロノ君、ユーノ君。二人は、ブラボー達を頼んだ」

 カズキの言葉に耳を疑い、クロノとユーノは今一度バスターバロンを見た。
 少しずつその姿が薄れ、送還されて消えていくバスターバロン。
 その姿が完全に消えた次の瞬間、三人の人間がコクピットよりはじき出されていた。
 照星、ブラボー、火渡、息があるかまでは不明だが五体満足な姿であった。

「わ、分かった。カズキ……すまない。ユーノ、彼らの退避を手伝ってくれ」
「うん、分かった。カズキ、気をつけて」

 もはや何を喜ぶべきか分からないといった表情で、二人は三人の元へと飛んだ。
 残ったのは、逃亡劇を二手に別れ行なった五人だけである。
 カズキとシグナム、パピヨンとアリシア、そしてフェイト。

「今一度、確認するぞ。武藤が、白いジュエルシードをヴィクターの胸に押入れ人間に戻す。その後で、武藤はこんな人のいない次元世界に軟禁」
「後は蝶野お前が……いや、俺も頭は良くないけど勉強し直す。それで何時か、必ず人間に戻る。その時まで」
「ああ、私は何時までもお前を待っている。まひろの事も、任せておけ」

 お互いに確認するように頷き合う。
 そしてカズキが白いジュエルシードを、サンライトハートの先端に咥えさせる。

「忘れるな、人間に戻れたら。その時こそ、決着をつける」
「忘れないように、早く研究しなおさないとな。何時も赤点、ギリギリだけど」

 少々の軽口をパピヨンとカズキが叩きあう。
 そんな二人、シグナムを含め約束を交し合う三人を見て、アリシアがフェイトを突いた。
 良いのかと、フェイトもまたカズキと何かを約束しなくてと。
 だがフェイトは大丈夫だとばかりに、見つめる事だけに徹していた。
 まひろの面倒を見る事は決めているし、改めてカズキに告げるまでもない。
 自分の気持ちを告げて、これ以上カズキの重しを増やすことはないとフェイトはだたバルディッシュを握るだけであった。

「再び、俺の前に立ちふさがるか。お前も俺と同じく、組織に最殺せよと追い回されたのではないのか?」

 カズキ達を見上げ空へと足を掛けながら、ヴィクターが問う。

「そう叫んで実行した人もいた。けれど、そういった人だけでもなかった。それに俺には守りたい人がいる。その為にならば、幾らでも戦える!」
「ならば、それもまた良かろう。俺はロストロギアの全てを葬り去る。それに関わろうとする全ての人間も」
「ヴィクター、私はお前を止めるぞ。カズキの為に、元家族であったお前の為にも。元主、ヴィクトリアもまたそう望んでいるはず!」
「記憶を取り戻したのか!?」

 この時、初めてヴィクターが動揺を見せた。

「黒死蝶!」

 その動揺に付け込み、目をくらませるようにパピヨンが黒死蝶を放った。
 まさかの隙を付かれ、まともに爆破を喰らいヴィクターが後退する。
 だが距離は開けさせないと、アリシアがその体に戒めの鎖を向けた。

「ストラグルバインド、フェイト!」
「この程度、邪魔だ!」
「バルディッシュ」
「Scythe Form. Blitz Action」

 アリシアの言葉を受けて、フェイトが加速する。
 振り上げられた大戦斧のアームドデバイスを握る腕を斬り飛ばす。

「私はまだ記憶を取り戻したわけではない。だが、取り戻してみせる。ヴィクトリアの為にも。私だけでなく、ヴィータ達とも。在りし日の思い出を」
「何処で調べたかは知らぬが、娘の名を軽々しく口にするな。私が化け物と化した後、あの子がどんな目にあったか。知りもしないで!」
「確かに知りはしない。だが会って、この目で見てきた!」
「会っただと、あの子に……戯言を!」

 片腕を失ったヴィクターへと斬りかかり、武器だけでなく言葉でも応酬する。
 動揺を見越しての言葉ではない。
 ヴィクトリアの為にも、ヴィクターの為にも両者の再会は必要なのだ。
 改造により忘れてしまった家族と言えど、その大切さは有り余る程に知っている。
 新たな家族を得た以上、その大切さは誰よりも知っていた。

「今だ、カズキ!」

 武器なし、片腕だけでシグナムを抑えるのはさすがのヴィクターも不可能であった。
 残りの腕にも傷を付けられ、胸を蹴られてやや仰向けになるように再び後退させられる。

「エネルギー全開!」
「Explosion」
「貫け、サンライトハート!」
「Sonnenlicht Slasher」

 皆が作ってくれた最大の好機を前に、カズキが突撃する。
 サンライトハートの先端には、白く輝くジュエルシード。
 一瞬で間を詰め、それをヴィクターの左胸の中へと突き入れた。
 黒いジュエルシードと白いジュエルシードが反発しあい、光を溢れさせる。
 マイナスとプラス、相反するエネルギーが相殺しあう。
 その余波で苦悶の表情でヴィクターが悲鳴を上げていた。
 黒かった肌が薄れ、蛍火の髪も発光を止め、元の人間に戻っていく。
 そのはずであった。
 だが反発による光が薄れても、ヴィクターの肌は赤銅色、蛍火の髪も健在である。
 その意志もまた健在、左胸に突き立てられたカズキのサンライトハートの切っ先を握り取られた。

「失敗!? けど白いジュエルシードは……」
「フーッ、フーッ。これがお前達の切り札か」

 白いジュエルシードは確かに効力を発揮していた。

「だが第三段階に進んだ俺の黒いジュエルシードを完全に相殺するには幾分出力不足だったようだな!」

 希望が後一歩、及ばずにいた。
 結局カズキがその身を犠牲にしても、ヴィクターを完全に人に戻す事ができなかった。
 死んでいったアレキサンドリアには、決して教える事のできない事実。

「カズキ、一時撤退だ。白いジュエルシードが効かなかった今」
「もう遅い、フェイタル!」

 シグナムが撤退を叫ぶも、ヴィクターに逃がすつもりは全くない。
 そしてそれはカズキも同様であった。
 振り上げられた大戦斧を前に、ほんの少しだけ視線をそらしてシグナムを見た。

「シグナムさん。本当に、ゴメン」

 その言葉の意味をシグナムが察するよりも早く、カズキは行動に移していた。
 もはや白いジュエルシードが意味をなさなくなった今、ヴィクターは誰にも止められない。
 同じヴィクターであるカズキを除いて。

「カズキ、何を!」
「カズキ!」
「カズキのお兄ちゃん!」
「武藤、カズキ!」

 仲間達の叫びは、寧ろカズキを後押ししていた。

「うおおおッ、エネルギー全開!」

 カズキの体が変わる、赤銅色の肌に、蛍火に光る髪へと。
 体に異変が始まってから、この時初めてカズキは自らヴィクター化を望んだ。
 左胸に埋まり、今はサンライトハートと化した黒いジュエルシードをかつてない程に活性化させる。
 アレキサンドリアと初めて会った時、こう説明された。
 黒いジュエルシードとカズキのジュエルシードが共鳴しあって封が解けたと。
 ならば黒いジュエルシード同士が共鳴しあえば、どうなるだろうか。
 元より通常のジュエルシードでさえ、次元震を引き起こす代物である。
 より強化された黒いジュエルシード同士ならば、もはや語るまでもない。

「まさか、貴様!」

 アルカンシェルにより事前に揺るがされた事もあり、世界が悲鳴を上げるように震えた。
 二人を中心に生み出された衝撃が、二人以外を遠くへと吹き飛ばす。
 共鳴を始めた黒いジュエルシードが次元震を引き起こし始めたのだ。
 その力に次元が耐え切れず、ひび割れ破壊され始めている。
 その内の一つ、一際大きなひび割れへとカズキはヴィクターの体を押し付けた。
 何もないはずの空の上で、ヴィクターが確かに壁のようなものに押し付けられる。
 それでも構わずカズキは更に出力を強め、ついに次元の壁を打ち破りヴィクターを押し込んだ。
 虚数空間、そう呼ばれる道の空間へと二人のヴィクターは共に落ちていった。









-後書き-
ども、えなりんです。

ヴィクターVS照星は原作よりもヴィクターを追い詰めました。
管理局にはアルカンシェルって反則技がありますし。
んで、重力で相殺とか突っ込まないでください。
自分、あんまりアルカンシェル良く分かってないので。
図体でかいバスターバロンが盾にもなったのが失敗の一因だったりもします。

ラストのカズキVSヴィクターはちょっと悩みました。
月とかじゃ簡単に回収されちゃいますし……
時の庭園でフェイトがカズキに虚数空間を教えたのがフラグでした。
けれど、同時にプレシアが何を研究していたのかわかりますね?
そういう感じです。

それでは次回は土曜日です。



[31086] 第四十話 何故、私はここでこうして生きている?
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/05/19 19:40

第四十話 何故、私はここでこうして生きている?

 夕暮れにさしかかろうという時刻であるにも関わらず、日差しは未だ衰えない。
 夏真っ只中、時期は学生が夏休みに突入間近の頃であった。
 カズキが次元震による虚数空間へと消えて一ヶ月。
 八神家の庭先にて、道着姿でレヴァンティンを手にするシグナムの姿があった。
 顔の上を滴る汗に気を取られる事なく、一心不乱にレヴァンティンを素振りしている。
 大上段から一気に振り下ろす。

「ふッ!」

 しっかりと大地を踏みしめて空気を引き裂き、再び大上段へと構える。
 まったく同じ動作を繰り返す絡繰人形のように、何度も何度も繰り返していた。
 ただし一心不乱ながらも、その眼差しにはしっかりと理性の光があった。
 一ヶ月以上前から、ずっと繰り返し続けていた彼女の鍛練の時間である。
 カズキが生死不明となった今でも、それは変わる事はなかった。

「なあー、誰か私のアイス知らねえか?」
「ん?」

 リビングにて声を大きくして尋ねていたのは、冷凍庫を閉めたばかりのヴィータであった。
 その問いかけに振り向いたのは、シグナムの鍛練をずっと呆れた様子で眺めていたヴィクトリアである。
 あの後、共にやり直さないかとシグナムに誘われたのだ。
 当初はきっぱりと断ったものの、毎日やって来るシグナムに対し先日対に折れた。
 女所帯の家とはいえ、タンクトップにホットパンツとかなりラフな格好である。
 八神家にとけきったというよりは、図太い神経であった。
 そんな彼女の口に収まるのは、一本の棒付きアイスであった。

「って、ヴィクトリア。それ私のアイスじゃねえか。何、勝手に食ってんだよ!」
「そんなに大事なら名前でも書いておきなさい。それにアンタも昔、私のアイス勝手に食べたでしょ。そのお返し」
「何時の話を持ち出してんだよ……そりゃ、未だに思い出せねえのは悪いけどよ」

 罰が悪そうに顔をそらすヴィータに対し、溜息を一つつく。

「嘘よ、ほらまだ食べ始めだから返してあげる」
「もが、冷がッ!」

 このお人よしとで言いたげに、ヴィータの口深くに棒付きアイスをねじ込んだ。
 突然訪れたアイスの冷たさに頭をやられ、ヴィータが転がりまわる。
 その愉快な様子にヴィクトリアは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
 平和過ぎる、穏やかな生活に未だ鳴れず照れ隠しが含まれていたのは間違いない。
 全くの八つ当たりを受けたヴィータは悲惨だが、誰も助けに入る者はいなかった。
 リビングの隅で寝そべっていたザフィーラは、ただ静かに首を横にふるだけ。
 シャマルは日差しが少しでも収まったうちにと買い物に出かけている。
 そして、彼女達の今の主であるはやてはというと、

「シグナム、そろそろ終業式って奴が終わる頃なんじゃない?」
「ああ、すまないヴィクトリア。迎えをすっぽかすところだった」

 ヴィクトリアが忠告した通り、はやては二週間前から聖祥大付属小学校に通い始めていた。
 と言っても、未だ車椅子の生活は続き、完治も見えてはいない。
 それでも毎日楽しそうに学校に通っている。
 それこそ、夏休みなんて無くてもよいのにと、普通の小学生とは間逆の言葉を呟く程に。
 用意しておいたタオルを用いて汗を拭き、シグナムが着替えに自室へと向かっていった。

「あがががが……顎が、冷てぇ。おい、ヴィクトリア!」
「変わらないわね、シグナム」

 ようやく治まった痛みを訴えようと怒鳴ったヴィータの言葉を遮るように、ぽつりとヴィクトリアが呟いた。

「ん、ああ。シグナムを見てると、あの突撃馬鹿がいなくなったなんて未だに実感沸かねえよな。話を聞いた時は、もっと落ち込むかとも思ったけど」
「烈火の将と言えど、一人の女。抱え込んでいなければ良いが」
「パパが負けるわけよね」

 ヴィクトリアの呟きは、誰に聞こえる事も無く消えていった。
 シグナムは恐らく、信じているのだ。
 武藤カズキが生きていると言う事を、そして何時か必ず帰ってくると。
 相手が生死不明となってしまっているにも関わらず。
 だからこそ、今までの自分を帰る事なく、普段通りに過ごそうとしている。
 それは百五十年前に運命に翻弄され、父と娘で戦いあったヴィクトリア達にはなかったものだ。
 お互いほんの少し信じあえれば、敵対ではなく共闘という形もあったはず。
 今さら言っても詮無い事だが。
 同じようにヴィクターが虚数空間に消えても、ヴィクトリアが殆ど悲しみを見せなかったのが良い証拠であった。
 母に続き父も亡くしたが、純粋に悲しむには多くの事があり過ぎた事もある。

「あら、シグナム。これからお迎え?」
「ああ、主とまひろを迎えに言ってくる。アルフは……スーパーで会ったのか?」

 着替え終わったのか、二階から軽い足音で降りてきたシグナムが玄関に向かう。
 その一瞬前に玄関が開いた音と共に、二人分の足音が舞い込んでくる。

「お使いの途中でばったり、急ぎじゃないしちょっと涼んでこうかなってね」
「ヴィータちゃん、アイス買って来たわよ」
「シャマル、一本くれ!」
「駄目よ、あんたさっき食べたでしょ。シャマル、私まだ食べてない」

 我先にと玄関に向かうヴィータを押しのけ、ヴィクトリアが顔を出す。
 賑やかな事だと笑ったシグナムは、小さく行って来ますと言ってその場を後にした。









 八神家から見て聖祥大付属小学校は隣町に位置する。
 徒歩で向かうにはやや遠いが、決して歩いていけない距離ではなかった。
 それは大人がという注釈が付く為、車椅子のはやてはなおさらだ。
 だが基本的になのは達は登校こそバスだが、帰りに関しては徒歩の事が多い。
 朝は時間が少ない事もあり歩調を合わせにくいが、帰りの出発点は教室。
 最初から皆が揃っていれば、出来るだけ長く一緒にと思うのが普通である。
 それに合わせる様にはやても帰りだけは車椅子で頑張る為、必然的に迎えが必要となった。

「少し、急ぐか」

 素振りに没頭したせいか、普段より数分遅いと気付いたシグナムが歩みを速める。
 元より運動の直後とあって体は温まっており、苦になる事はない。
 だがその足はとある場所の前に差し掛かった時、止まってしまった。
 なのは達の通学路の途中にある公園、あの雑木林がある場所である。
 厳密には違うかもしれないが、シグナムとカズキが初めて出会った場所だ。

「カズキ……」

 主であるはやてや仲間であるヴィータ、他にまひろ達とも違う意味で愛しい想いを込めてその名を呟く。
 カズキが虚数空間に消えてから一ヶ月。
 無謀と分かっていても、追いかけたいと思った事がないかと言えば嘘になる。
 追いかけ探し出し、背中を任せるように共に戦いたい。
 だが地球には主であるはやてや、残されたまひろ。
 カズキが守りたいと叫んだ人々が大勢いる。
 騎士としてその者達をカズキに代わり、守っていかなければならない。
 それが今のシグナムがカズキにしてやれる唯一の事であった。
 飛び出していきそうな自分に言い聞かせるように心中で呟き、再び歩き始める。
 だがその歩みは、公園を出て直ぐの道路にて再び止まる事になった。
 一車線の大きくはない道路の向こう側、そこに丁度はやて達がやってきていたのだ。

「シグナム、ただいま。お迎え、ご苦労さんやね」
「お姉ちゃん!」

 最初に気づいたはやてが心配性だなと笑いながら手を挙げた。
 それに次ぎ、まひろが高い声をさらに高くしてシグナムを呼んだ。
 一ヶ月以前ならば、ここで誰もが冷やりとする思いをした事だろう。
 以前までのまひろならば、道路の左右を確認する事なく飛び出していた。

「まひろ!」

 咄嗟にアリサがその襟首に手を伸ばそうとしている事からも、日常茶飯事だった。
 だがまひろはちゃんと右と左、最後に右とお手本のように車の有無を確認する。
 それから嬉しそうに走り出して、シグナムの懐の中へと飛び込んだ。

「おっと」

 夕方に差し掛かっているとは言え、まだまだ炎天下。
 この子は暑いと思わないのだろうかと疑問に抱きながらシグナムも抱き上げる。
 正直、肌が密着した箇所は熱くて堪らないのだが、まひろにはそんな表情は見られない。
 しっかりとシグナムに抱きつき、時折鼻をすんすん鳴らして匂いを嗅いでいる。
 鍛練後、汗を拭いて着替えはしたもののシャワーを浴びていない手前、それだけは止めさせたが。

「おかえり、まひろ。主はやて」
「ただいま、シグナムさん」
「ただいま、シグナム」

 まひろをしっかりと抱えなおし、二人だけでなくなのはやフェイト達にも同じ言葉を送る。
 一人ずつただいまと笑顔で返す中で、一人だけ膨れている者がいた。
 シグナムに対する視線に剣呑なものが混じりそうになるのを必死に堪えている。
 本人も八つ当たり以外の何ものでもないと分かっているのだろう。

「アリサちゃん気持ちは分かるけど、そんな顔してちゃ駄目だよ」
「分かってるわよ」

 すずかに窘められ、アリサが笑顔になれない代わりにそっぽを向く。
 その理由は、まひろにあった。
 以前のまひろならば先程、左右を確認する事なく道路に飛び出した事だろう。
 それを止めるのはアリサ達の役目。
 他にも落ち着きや注意力のないまひろの面倒を見る事が生活の一部であった。
 だがカズキが行方不明となって直ぐ、まひろは少なからず自立を始めた。
 今はシグナムに甘えてはいるが、生活の細かい場所で頑張る事が増えているのだ。
 まひろの世話をしているように見えて、実はアリサ達の方が依存していた。
 心の苛立ちは、それを指摘しているようでさらに素直にはなれないでいる。

「しかし、さすがに抱きっぱなしは熱い。まひろ、自分で歩けるな?」
「うん、でも手繋いで。アリサちゃんも手繋ごう」
「手を繋ぐって低学年じゃあるまいし……し、仕方がないわね」

 まひろが差し出した手と呼びかけに対し、いかにもといった感じでアリサが握り返す。
 反対側はシグナムの手に繋がれているが、一先ずは満足したらしい。
 その様子になのは達は忍び笑いをするのも一苦労だ。
 今日一日、学校で何があったのかをまひろがシグナムに話し、皆もそれに加わる。
 体育の短距離走ですずかとフェイトがデットヒートを繰り広げ、一方なのはは後方で転んでいた。
 またアリサがテストで百点を取り、意外にも二番がまひろであったり。
 ここ最近、恒例と化した下校の風景である。
 そして公園を抜けて少し先にあるコンビ二でも、もはや当たり前となった光景があった。
 コンビ二の駐車場、車止めの石の上に座り買い食い中の岡倉達だ。

「英之!」
「おー、チビっ子どものお帰りだ。ちゃんと学校で遊んで来たか?」
「ふふ、岡倉さん。学校は勉強をしにいくところですよ」
「本当に?」

 至極全うな言葉をすずかが呟き、六桝に再度尋ねられるとまたしても微笑んでいた。
 そんなわけがないと、言葉にせず肯定するように。
 少なくともこれまで普通の生活ができなかったフェイトやはやてはそうだ。
 勉強をしにいくと言うよりも、友達をつくりにという理由の方が断然大きい。
 もちろん勉強もするが、フェイトが国語を苦手にしている事以外は皆成績優秀である。

「あんまり遊んでばかりだと、僕らみたいになるけどね。はい、なのはちゃん」
「ありがとう、大浜さん」
「私も、一つ貰いますね」

 一応形だけの注意を大浜が行い、いつもの様にスナック菓子の袋を差し出す。
 慣れたようになのはやはやてが、エネルギーのつき掛けたお腹に収める。

「主はやて、高町も。少しだけだぞ。お前達も、あまり悪影響ばかり与えるなよ」
「へーい」

 おざなりな返事が岡倉から返った。
 早速と、お子様達からお菓子を遠ざけると、子犬のような視線にさらされる。
 正しい事をしたはずなのにと、何処かより沸く罪悪感に降参。
 好きなだけ食えとばかりに、お菓子の袋ごと渡してしまう。
 おいっとシグナムが剣呑な瞳で睨むも、でしたら自分で注してくれと視線が返って来る。

「夕食に響かない程度にしておけよ」
「はーい」

 尻尾でもあれば振っていそうななのは達を前に、結局できたのは控えめな注意だけだ。
 元気な返事はそろって返って来たが、効果は限りなく薄い事だろう。
 既に悪影響は受けてしまった後なのか、シグナムの言葉が弱かったのか。
 ほれみろとばかりに向けられる岡倉達の視線から、後者の可能性が濃厚だ。

「お姉ちゃん、はいあげる。あーん、して」
「まひろ……」

 挙句、まひろの言葉に逆らえずその指先からお菓子を一つパクついてしまった。
 その瞬間、パシャリと聞こえたのは携帯のカメラの音だ。

「んぐっ、何……何を撮っている六桝!」
「そのまま送信っと」
「人の話を聞け、貴様!」

 馬の耳に念仏、シグナムの怒りをあっさりと受け流し何事かを呟く。
 即座に複数のメロディが同時に鳴り響き、あっと声を上げてこの場の全員が携帯を取り出した。
 着信はメール、送信者は六桝。
 添付されたファイルには、まひろからお菓子を貰うシグナムが綺麗に写しだされていた。

「最近、カメラマンも悪くないと思っている」
「わーい、六桝さん。ありがとう!」
「お前は一体、どういう方向に向かって走ってるんだ」
「六桝君だからね」

 岡倉や大浜の突っ込みはさておき。

「消せ、特に男連中!」

 喜ぶまひろは置いておいて、これだけはと岡倉達の携帯は一時没収。
 綺麗に写真を消してから投げつけるように返す。
 本当の姉妹みたいと写真を見ているなのは達には、広めないでくれとお願いするのが精一杯だ。
 なのは達だけなら賑やかで済むが、岡倉達がからむと途端に制御不能となる。
 これでカズキもいたらと思うと、正直なところ少し胃が痛くなるぐらいだ。

(カズキ、か……)

 魔法を知らない岡倉達に対して、カズキは遠い親戚の家に身を寄せた事になっていた。
 死亡に近い行方不明扱いだとは夢にも思わない事だろう。
 何時か帰ってくると思いながら、その時は悔しがれとばかりに楽しく毎日を過ごそうとしている。
 もちろん、寂しさを感じないわけではなく、連絡を取り合う頻度が互いに増えたのがその証拠だ。
 こうしてなのは達の下校をコンビ二前で岡倉達が毎日待つようになったのも。

「シグナム、カズキの事を考えてる?」
「テスタロッサ……ああ、少しな」

 僅かな間の考え事を見抜かれ、戸惑いながらも肯定の言葉を返す。
 魔法を知る一部とまひろは、カズキが帰って来ない事を知っている。
 知っているはずだが、こうして笑顔を絶やさない日々を過ごしていた。
 それは岡倉達と同じように、カズキが帰って来ると信じたいからか。
 いや、帰って来ると信じているのは同じだ。
 どんなに絶望的な状況であろうと、きっとカズキは帰ってくる。
 そう信じているからこそ、岡倉達と同じように笑顔で日々をすごす事ができた。

「私は約束したからな、待っていると」
「帰ってくるよ、きっと」

 どのようにかは分からないが、何故かそう信じて疑わない自分達がいた。
 本当に不思議と、疑う事がない。
 根拠があるわけでもないのにと思ったところで、ふとシグナムが疑問を呟いた。

「何故、私はここでこうして生きている?」

 その疑問こそが、恐らくは答え、信じるための根拠に他ならなかった。









 とある高次元空間にある時空管理局本局。
 岩石の柱を縦軸に一本、横軸に二本貫き合わせたような形をしている。
 時の庭園とは規模がまったく異なるが、これも一部過去の遺産であるロストロギアを使用した要塞でもある。
 その周囲には戦艦の誘導光が絶えず伸びて煌びやかなものであった。
 普段ならばアースラ級の戦艦の出入りも激しいのだが、時折発着陸するばかりで大人しいものである。
 警察組織を兼ねる管理局が活気を失うのは良い事なのか、悪い事なのか。
 それを判断すべく、話し合う六人が本局内のとある会議室にいた。
 会議机にて座り、お茶を飲んだりややのほほんと場違いな笑みを浮かべたりしている老人が三人。
 法務顧問相談役のレオーネ、武装隊栄誉元帥のラルゴ、本局統幕議長のミゼット。
 大層な名前の役職を与えられながら、実質的な権限を与えられていなかった三大提督である。
 だが今は先日の事件より、実質的に管理局の実権を握る三人でもあった。
 対面にて直立不動を保つのは、ようやく傷が完治し戦線復帰を果たしたばかりの三人。
 執務官長官代理他様々な役職を兼務する照星、元暗部の火渡、執務官のブラボー事防人。

「現場復帰おめでとうと言いたいところだけど、管理局を取り巻く現状は急速に変化を見せ始めているわ」

 三大提督の中での唯一の女性、ミゼットが笑みを絶やさずにまずそう口にした。

「現在、管理局の管理下にあった次元世界のうち、十パーセントに近い世界がその管理下から脱した。そうしたいという申請は、まだまだ増え続けている」
「局員からも辞職申請を出すものがちらほらいる。まあ、主に後方勤務が多いが。ヴィクター討伐の件に始まり、最高評議会の正体に至るまで。詳細な情報を公開した結果だな」

 レオーネ、ラルゴと言葉を続けた。
 だが三人が決めた不透明であった情報公開は、この程度で止めるつもりはないようだ。
 脱退する次元世界、辞職を望む局員はさらに増えていくと予想される。
 ただし後方勤務の局員に辞職者が多いのは、正義を夢見続けていた者が多いからだろう。
 少しでも現場に出ていれば、正義のみが管理局を動かしているわけではない事を知る事ができたはずだ。

「私達のやり方に異を唱える人も当然、多いわ。そこで照星君、君はどう思うかしら?」

 現場復帰したばかりの三人、特に照星を前にミゼットが興味深げにそう尋ねた。

「私は……一時的な管理局の衰退も、この際は必要だと考えます」

 多少思うところはあるがとメガネを押し上げつつの言葉に、三大提督がそろって笑みを浮かべている。
 そして視線で発言の許可は続いている事を察して照星は持論を続けた。

「百五十年前の創設期の件は一先ず抜きにしても、管理局は早急に肥大化し過ぎました。これはひとえに、ロストロギアの収集に拘る余り兎に角、管理下に置く次元世界を増やしすぎた事にあります」

 百五十年という歳月は一人の人としては寿命を優に超える。
 だが一つの組織として歳月を見直すと、決して長いと言える程ではない。
 その長いとはいえない歳月の中で、管理局は管理下におく次元世界を増やし続けた。
 当然の事ながら、管理局を支える局員の補充が全く追いついてはいなかった。
 ヴィクター討伐に参加できた者は百名半ば。
 厳選したとは言え、全ての局員から戦力をかき集め、十分な実力者はその程度だ。
 照星の選定の目が厳しかった事もあるが、質も量も足りていない。

「確かに管理局との繋がりを一切絶つ事は看過できませんが……自治能力確かな次元世界にまで我々が手を出す必要はないでしょう。その代わり、政局が不安定な戦時の世界に戦力を投入すべきです。そういった意味では、私も管理下を抜ける次元世界があってもかまわないと思います」
「はい結構、私達の意見も同様です。そこで君達三人には、我々の補佐として色々と働いて欲しいと思っています。照星君には本局統幕議長補佐」
「防人君には、法務顧問補佐。もちろん、閑職ではなくいずれ執務官長官のポストについてもらうよ」
「火渡は、最高評議会との後ろ暗いものがあるが……武装隊元帥の右腕としてその力を奮って欲しい」

 今後、管理局は最高評議会にとって代わり、三大提督がその権力を握っていくだろう。
 政治に寄った本局統幕、法律に寄った法務部、軍隊に寄った軍部。
 その三竦みにより、可能な限り公正な活動を目指した管理局である。
 今後、管理局の傘下を脱し、多様化する次元世界に管理局もまた対応しなければならない。
 これはまずその一歩でもある。
 建前上、これまでもそのように動いてはいたが、影には最高評議会があった。
 外からは分からないだろうが、管理局の内部は確実に変えていかねばならない。

「そこで三人に、担当して欲しい件が早速一つ。ベルカ自治領の聖王教会から、決戦のあった次元世界に石碑を建てたいとの申請があったわ」
「建前上は、ヴィクターの一件を忘れず、綺麗な言葉を並べ立てておったが……」
「本音はベルカの騎士が今の時代を作ったと、宣伝まがいの事だろう」
「最高評議会がヴィクターを裏切りの騎士と呼んでいた事もあって、断りきれませんでした。本人達は恐らく、そのような事は望んでいないでしょうが」

 珍しく局員としての制服を着ていたブラボーが、拳を握り締めていた。
 望まずカズキが英雄となってしまったのは、事実だ。
 黒いジュエルシードに体を犯されつつも諦めず、命を掛けてヴィクターを討った。
 だが本人が何よりも望んでいたのは、自分と周囲が幸せになる事。
 石碑を建てられて崇められ、利用される事では決してない。
 組織が故人を利用する話はそれこそそこら中に転がっているが、納得できるかはまた別だ。

「あの決戦で、引退を余儀なくされた優秀な局員も多いでのです。少々、やり辛いですがなんとかしましょう。防人、貴方ももう大人です」
「分かっています。命令には従います、照星さん」
「けっ、あんな無人世界に石碑を建ててもぶっ壊されるのが落ちだろ。警備に派遣される局員はご愁傷様だな」

 気に食わないのは火渡も同様らしいが、口調と態度が少々不味かった。
 曲がりなりにも、自分達の目の前にいるのは管理局のトップ。
 以後は直属の上司ともなる提督達である。

「火渡、ちょっとこっちへ」

 照星がその肩を力強く掴み、有無を言わさず会議室の外へと連れて行く。

「HAHAHAHAHAHA」

 会議室の扉が中と外を分けた直後、照星の高笑いと共に撲殺音が響き始めた。
 そして数分後、室内へと戻ってきたのは照星ただ一人出会った。
 この時、三竦みと三大提督達が少なからずひきつっていた。
 照星を三竦みの一角に投入したのは力関係からも間違いだったのではと。

「さて、用件は承りました。要請があり、管理局という組織が合意し命令が下ったのであれば忠実に任務として遂行します。聖王教会とは、誰と連絡をとればよろしいですか?」
「貴方も少々縁故があるグラシア家のお嬢さんよ。まだ幼い少女だけど、これを機に教会内でデビューという事になるのでしょう」

 さすがにそこまで権力が関わってくると、照星でも呆れた溜息の一つも出る。

「全て了解しました。防人、貴方も手伝ってください。無人世界に石碑となると、また色々と法務上の問題も浮き上がるでしょう。貴方の知識が必要です」
「警備には、火渡の権力に寄らない戦力が必要となります」

 三大提督を前に軽い打ち合わせを行っていると、会議室のドアがノックされた。
 火渡ならば、まずノックする前にドアを開ける。
 それでは一体誰がと、照星やブラボーのみならず三大提督もドアへ視線を向けた。

「失礼します」

 入ってきたのはリンディであった。
 だがその腕の中には小さな金髪の少女が、抱え上げられていた。
 照星やブラボーも少なからず言葉を交わした事があるアリシアである。
 彼女はヴィクターとの決戦後、パピヨンと共に姿を消したはず。
 それが一体、それも三大提督との会議中にと疑問が尽きない。

「重要な会議中に申し訳ありません。ただ、一つご報告したい件があります」

 局員としての顔を作ったリンディが、床に降ろしたアリシアの背をそっと押した。
 多少緊張しているのか、深呼吸するアリシアを見て特にミゼットが頬を緩ませる。

「初めまして、アリシア・テスタロッサです」

 ペコリと頭をさげたアリシアを前に、レオーネやラルゴが陥落した。
 必死に押し隠していたりはするが、ほころびそうになる顔を引きつらせ保っている。
 最高評議会が健在であれば、お飾りの地位で孫の成長だけを考えていたのだ。
 アリシアのような孫世代を前にすれば、それも仕方の無い事だろう。

「カズキのお兄ちゃんとヴィクターは、まだ生きています」

 ただし、アリシアが口にした言葉はそんな彼らの感情を粉みじんに吹き飛ばしていた。









-後書き-
ども、えなりんです。

カズキが虚数空間に消えたその後、です。
なのは達はカズキがいないこと以外は、普通の生活を送ってます。
微妙に影を落としながら……
ただまひろがさりげに自立を始めていたりもしています。

そして管理局側は、色々と大変そうです。
情報公開による不審と、管理世界の離脱。
ヴィクター化したのが二人共ベルカの騎士ってところが、なおさら大変です。
聖王協会とか色々うるさそう、そう思って今回のお話を書きました。

では残すところ二話でございます。
それでは次回は水曜です。



[31086] 第四十一話 絶望が希望にかなうはずなどないのだ
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/05/23 21:16

第四十一話 絶望が希望にかなうはずなどないのだ

 ヴィクターと管理局、そしてカズキが決戦を行った次元世界。
 元より無人の世界だが、現在はさらに環境が激変してさらに人が住める世界ではなくなった。
 アルカンシェルにより地上は深くえぐられ、地の果てまでクレーターが続いていた。
 熱い日差しは分厚い雲に遮られ、その下を嵐のような強い風が吹き続けている。
 さらにアルカンシェルに砕かれた大小様々な小石が嵐に混じり危険物となっていた。
 人がその場にいる為には、薄い魔法障壁を常に展開し続ける必要があるだろう。
 このような場所に石碑を建てても、墓標以外の何ものにも見えない。
 あげく、その石碑も数年と経たず無残な姿となる事は請け合いである。
 劣悪としか言いようのない環境となった次元世界には現在、十人近いの人の姿があった。
 クレーターの最深部であり、中心部でもある場所。
 巨大な魔方陣が描かれ、その方々には青い光を放つジュエルシードが安置されていた。
 その魔方陣の前に陣取るのは金髪の小さな少女アリシア、それを監視監督するパピヨン。
 作業を見守るのはフェイトやシグナムと言ったカズキに近しい者。
 これから行なう作業はヴィクターの復活をも意味する為、なのは達は地球で留守番である。
 特にまひろには、下手な希望を与えない為にもまだ秘密となっていた。
 他に管理局から照星やブラボーに火渡、リンディやクロノが立ち会っている。
 一部例外なのは中立のユーノに、別の意味で誰の味方でもないヴィクトリアであった。

「アリシア、本当にカズキは生きてるの?」

 漠然と抱いていた可能性を改めて確実だと言われ、逆に嫌な疑念がわいてしまう。
 僅かな希望は時としてより大きな絶望を人に与える。
 もしかしたら、目の前の小さな幸せを追うようになってから弱くなったのか。
 フェイトは信じたいけど、絶望は嫌だと複雑な胸の内をアリシアに尋ねた。

「絶対とは言わないけど、可能性は限りなく高い。シグナム達、闇の書の守護騎士が今も活動しているのがその証拠。闇の書が無事なら、それを保持しているヴィクターや近くにいるはずのカズキのお兄ちゃんもね」
「それは先日、我々も気付いた事だ。あのヴィクターが、闇の書を何処かに隠しておくはずがない。過去にヴィクトリアが大事にしていたロストロギア、きっと肌身離さずにもっているはずだ」
「パパならきっと、そうね。そうしてくれていたら、少し嬉しいわ」

 シグナムの言葉を遠まわしにヴィクトリアも肯定してくれていた。
 手元のモニターのコンソールを操りながら、振り返らずアリシアは頷く。
 先日、アリシアはその事実を管理局に伝え、呼び戻す意志があるとも告げた。
 だがそれは許可を求めてではなく、邪魔をするなという忠告を含んだものである。
 それに対する管理局の答えとしては、認めるという驚くべきものであった。
 ただし、幾つか条件を付けられたことは言うまでもない。
 場所はこの次元世界、管理局員の立会い、ヴィクター復活時は管理局に全て任せる事。
 特に最後の条件については、いささか不可解なものもある。
 決戦時のように船団を連れてきたわけでも、戦力を整えた様子も一切ない。
 管理局員は照星達五人のみ。
 以前の決戦では使えなかった切り札を、新しく用意したというところだろうか。

「それにしても、たった一ヶ月で良く意図的に虚数空間を開く魔方陣を用意できましたね。一応、こちらでも魔方陣を解析させましたが理論上は可能という結果がでました」
「元々はママが用意してた魔方陣なの。理由は分からないけど、何か虚数空間に関する研究をしていた形跡が時の庭園のコンピュータに残されていたから」

 照星の質問に正直に答えたアリシアは、少しだけコンソールの上の手を止めていた。
 今となっては本当に知る術のない事である。
 ただそのコンピュータにはプレシアの日記、または走り書きが残っていた。
 そこから推測するに、虚数空間を越えた先にプレシアは用があったらしい。
 ただし、確率やその他からジュエルシードそのものの研究に切り替えたようだが。

「でも本当に良いのか、照星さん。こんな無謀な手段を黙認して」
「おや、君にしては珍しい。勝つ自信がないと?」
「はっ、誰が。今度こそ消し炭にしてやるよ。それに第二段階のヴィクターが相手なら、防人のレアスキルで対処は可能、だろ?」
「第三段階では試すべくもなかったが、恐らくはな」

 やはり何か切り札はあるようだが、火渡の疑問も最もであった。
 パピヨンやアリシアのやろうとしている事は、不用意に藪を突く行為でしかない。
 最悪の場合は、ヴィクターのみがこちら側に復活する場合さえある。
 以前までの管理局であれば、力ずくでも止めに入った事だろう。
 だからこそ、アリシアはまず最初に管理局へ釘を刺しに行ったのだが。

「百五十年前から続く過ちの責任を、未だ管理局は何一つとして負っていない。被害者である騎士・カズキが全て纏めて引き受けて虚数空間へと消えただけだ」
「防人の言う通りです。管理局の始まり、それ以前から続く戦争の残り火。これの後始末なくして管理局は生まれ変わる事はできません。手段が目の前にある以上、これは成さねばならぬケジメなのです」

 もちろん、三大提督は了承済み。
 各次元世界やベルカ自治領等のトップには連絡済みであった。
 もし仮に、ヴィクターとの決戦再びとなれば管理局が全責任を負う事になっている。
 その責任には管理局の解体さえも視野に入っているのだから、思い切った決断だ。
 元々は次元世界間の戦争を切欠に設立されたのが管理局である。
 一時は治安等乱れるかもしれないが、百五十年前程に次元世界間は未熟ではない。
 重度の次元犯罪者やロストロギアも、直ぐに復活したヴィクターに殺されるか破壊される事だろう。

「さてあとは、起動の命令を送るだけ」

 再び動かし始めた手を、命令開始のボタンの上で止める。
 覚悟は良いかと、作業を始めてから初めてアリシアが振り返った。
 さっさとやれとばかりに、アリシアの頭の上に手を置き、パピヨンが先を促がす。
 シグナムは待機状態のレヴァンティンを握り締め、祈るようにしている。
 照星達はヴィクター復活の時に備え、それぞれのデバイスを握り締めレアスキルを展開。
 ややおもむきが異なるのは、虚数空間に挑む異形を前に頬を紅潮させているユーノか。
 カズキを案じていないわけではないだろうが、多少学者肌なだけだろう。
 そしてアリシアがわざわざ振り返った最大の理由。
 視線の先に佇むフェイトは、お願いとばかりにアリシアへと力強く頷いてくる。
 その瞳の力に背中を押されるのを感じ、アリシアは改めて心の中で呟いた。

(相手が居なくなって終わる、そんな悲しい初恋にだけはさせない)

 様々な理由でカズキを求める者、案ずる者。
 共に虚数空間へと落ちたヴィクターを懸念して備える者、求める者。
 皆が皆、虚数空間の向こうに意識が集中する中で、アリシアだけが違っていた。
 アリシアは常に、可愛い妹であるフェイトの事だけを考えている。
 カズキを取り戻すのも全てフェイトの為。

「さっさとしろ」

 待ちきれなかったパピヨンに、ごつんと頭をぶたれ思考が途切れかける。
 だが改めて自分の意志を確認したアリシアは、目の前のコンソールへと向かった。
 魔方陣の起動キー、それを躊躇なく押した。
 それと同時に青い輝きを発しながら、六つのジュエルシードに魔力が灯される。
 巨大な魔方陣を軸として、ジュエルシードを基点に六芒星が描かれた。
 人災とも呼べる砲撃により光を失った世界に、再び青い光が満たされていく。









 光はおろか空気も存在しない空間が流動するだけの虚数空間。
 普通の人間なら生存すら難しいその場所で、二人は一ヶ月もの間戦い続けていた。
 現世と隔絶した空間に流れ着いた以上、もはやその理由は残されてはいない。
 一度落ちれば、二度と戻る事ができないのが虚数空間だからだ。
 だが純粋な怒りによりもはや魔人と化したヴィクターには、理由はいらなかった。
 魔法は一切使えなくとも、その手には長年連れ添った大戦斧のアームドデバイスがある。
 それを普通の大戦斧として、カズキへと向けて振るっていた。
 ただし魔法は未使用。
 魔法が分解される事もあるが、命のない虚数空間ではエネルギードレインが使えない。
 無駄なエネルギーの浪費を避ける為にも、原始的な戦い方を強いられている。
 一方のカズキは押され気味ながら、ヴィクターの攻撃をなんとか防いでいた。

「何故そうまでして、私に抗う。勝っても負けても、もうお前は元の世界には戻れない」

 ヴィクターに言われずとも、分かっていた。
 以前に時の庭園が沈みかけた時に虚数空間の事はフェイトから聞いていたのだ。
 だからこそ、あの時咄嗟にヴィクターを道ずれにする事を思い立った。
 もう戻れない、かもしれない。
 ヴィクターの断言を耳にしながらも、カズキは歯を喰いしばっていた。

「その覚悟、一体どこから……」
「もちろん、ここから」

 この時、カズキがサンライトハートからわざわざ片手を外して示したのは左胸。
 そこに埋まる黒いジュエルシードではない。

「あの世界には守りたい人が大勢いる。一番、守りたい人がいる。その人が約束してくれた、待っていてくれるって」

 明らかな矛盾の言葉に、ヴィクターが始めて驚いたように眼を剥いた。
 カズキは二度と戻れない空間だと知っていたはずだ。
 だがこの瞬間も、元の世界に戻る事を考えている。
 一番守りたい人が何時までも待っていてくれていると、考えていた。
 一度は周囲から再殺を迫られ、共に虚数空間へと落ちてもその心は折れてはいない。

(あの日から……)

 くり出されたサンライトハートの切っ先にもブレは見受けられない。
 百五十年前の英傑であったヴィクターにとっても、油断なら無い一撃である。

(あの日から今日まで、色々とあったけど。今はもう楽しかった事しか思い出せないや)

 この状況であまつさえ、カズキは口元に笑みを浮かべようとさえしていた。
 言葉からも、その一撃からもカズキの心に絶望は見つからなかった。
 妻子や家族を失い、怒りに全てを委ねたヴィクターとは芯から異なっている。
 百五十年を経て、ヴィクターと全く同じ境遇と化したにも関わらず。

(この少年……)

 ほんの僅かにでも、ヴィクターの心が動いた瞬間、サンライトハートの切っ先がブレた。
 一瞬にでも思い出してしまったのだ。
 虚数空間へと消える瞬間、あの何処までも強いシグナムの瞳に何が浮かんでいたのか。
 シグナムが待っていると約束してくれた状況と、現状には大きな差が存在する。
 それでもきっと待っていてくれると信じてはいても、シグナムに与えた哀しみに少なからず後悔が浮かんだのだ。
 ヴィクターにはそこまで読み取れはしない。
 だがこの時初めてブレた切っ先を確実に見極め、その刃を手の平で払いのけた。

「しまっ!」

 己の失態をカズキが察するも、既に遅かった。
 サンライトハートの切っ先はそらされ、逆の手でフェイタルアトラクションが振り上げられている。
 それでもその大戦斧の軌道は明らかで、確実にカズキの首を撥ねられるはずだ。
 いかにヴィクター化した体といえど、首を撥ねられて生きていられる保証は無い。
 エネルギードレインが使えないこの虚数空間であるなら尚更。
 先程まで浮かべていた楽しかった思い出達が、カズキの脳内にて加速して流れ始める。
 走馬灯を体感するカズキは、歯を喰いしばる以外に何もできていない。
 そして正にカズキの首が撥ねられる瞬間、その刃の進みは首の皮一枚のところで止まっていた。

「はあ……はあ…………」

 何を思ってヴィクターがその刃を止めたかは、カズキには分からない。
 それでも、相手の気まぐれででも生き延びる事ができた事はわかった。
 この場に空気はないとは分かっていても、呼吸が荒くなり汗がどっと吹き出し始める。
 長く呼吸を整える事に終始していたカズキは気付くのが遅れた。
 首を撥ねる直前の大戦斧が、何時の間にかその首から外されている事に。
 ヴィクターの視線が自分を超えて、遥か後方へと伸びていた。
 一度は死んだ体と、ヴィクターを目の前にして一体何がとカズキも振り返った。

「この気配……」

 感じたのは、虚数空間の向こう側から流れ込んでくる空気の匂いであった。
 理由は不明ながら、次元世界側から虚数空間への道が開かれたのだ。
 ロストロギアによる次元震、事故の類か。

「くっ!」

 ヴィクターを解放するわけにはと、焦りを浮かべてカズキがサンライトハートを振り向き様に薙ぐ。
 しかし今度その刃を自ら止めたのは、カズキの方であった。
 多少身構えはしたものの、ヴィクターはその一撃を防ごうとはしなかったからだ。
 実際にカズキの刃を止めたのはその瞳。
 まだ全てではないが怒りに染まる瞳の色を薄れさせて、カズキを見つめていた。

「僅かに感じる魔力はジュエルシード、お前の仲間が無理やり虚数空間を開いたか」

 ヴィクターの呟きに、カズキが一番に思いついたのはパピヨンであった。
 こんな無茶をする能力となりふり構わなさは他に思いつかない。
 地球に帰りたい、望郷の念が一気にカズキの中で溢れ返っていく。
 楽しかった思い出だけしか思い出せなかったのは、心の奥底に押さえ込んだ後悔である。
 望んで虚数空間には落ちたが、他に方法はなかったのか。
 どれだけ力を手にしても、覚悟を手にしても元は普通の高校生に過ぎないのだ。
 ヴィクターの目の前からサンライトハートがゆっくりと下ろされていく。
 そんなカズキの背中を、ヴィクターがそっと押した。

「ヴィクター?」
「お前は地球へ帰れ」

 騎士としてではなく、一人の大人としての言葉であった。

「でも、どうやって」
「虚数空間を開くだけならまだしも、ここまで救助に落ちてくるのは自殺行為。こちらから穴へと向かわなければならないが、虚数空間は全ての魔法がキャンセルされる」

 飛行魔法はおろか、サンライトハートの突撃能力も使えない。
 二人は虚数空間へと落ちてからずっと、この空間ないを流れ続けていただけだ。
 意図して飛び回る事はできず、デバイス同士の衝突でも遠くまで吹き飛ぶ事すらなかった。

「そこでこれを使う」

 ヴィクターが手にしたのは、闇の書であった。
 本を開いてページの上に手をかざすと、三つのジュエルシードが現れた。
 黒でも白でもない、青色。
 恐らくは虚数空間への穴を開いたのと同じ、青いジュエルシードである。

「虚数空間と言えど、ジュエルシード程の大出力ならば幾ばくかの魔力は消失前に得られる。そして、俺のレアスキルである重力操作でお前を次元世界への穴まで吹き飛ばす」
「ヴィクター、お前なんで……」

 その言葉の中には、カズキしか含まれてはいなかった。
 カズキとしてはヴィクターを解放するわけにはいかないが、納得はできない。
 自分を除外してカズキだけを助けようとする今のヴィクターには。

「口を閉じろ、舌を噛むぞ」

 有無を言わさずといった感じで、ヴィクターがジュエルシードを発動させた。
 次元そのものを揺るがす程の魔力が生まれては即座に分解されていく。
 だがヴィクターの考え通り、余剰分の魔力は確実に得られていた。
 レアスキルである重力操作を操る程には。
 フェイタルアトラクションを起動させ、カズキの体を重力波で覆う。
 その言葉通り、カズキだけを。

「ヴィクター、これは!?」

 何故俺だけという意味を込めてカズキが叫ぶ。

「俺のレアスキルは、俺自身の体には直接作用しない。いや、それ以前に二人同時に打ち上げれば、軌道がどうズレ込むか予想もできない。行け。お前が守った者達が、お前を待っている」

 そう別れを告げたヴィクターが最後に、闇の書を差し出した。

「これは今代の主に返して欲しい。そして可能ならば、シグナム達を家族として迎えてくれるよう頼んでくれ。俺のもう一つの家族達だ」

 ヴィクターの言葉にカズキが闇の書へと手を伸ばした。
 だが次の瞬間、カズキの手が掴んだのはヴィクターの腕の方であった。

「はやてちゃんは最初からシグナムさん達を家族として迎え入れてた。それに、お前の家族はまだ残されている。一緒に来い、ヴィクター。ヴィクトリアが待ってる!」

 この時ヴィクターが思い出したのは、シグナムのあの言葉であった。
 まだ思い出せてはいないが、ヴィクトリアに会って来たと。
 当初は戯言と斬って捨てたが、この期に及んでカズキまで嘘を付くはずがない。
 ヴィクターの家族は守護騎士以外にも、まだ残されている。

「もう戦う意志がないならヴィクター、共に生きる道を新しく探そう!」
「どうなっても知らんぞ……」

 闇の書をカズキに渡し、ヴィクターもその腕を握り締めた。
 時は違えど、同じ境遇に晒されたというのに。
 どうして自分はこうまで絶望にしがみ付き、カズキは希望を手放さないのか。
 騎士の実力としては、自分がまだまだ上である事は明白だ。
 だが心の内、騎士としてのあり方に至っては比べるまでもなく負けたと思えた。

(当たり前か、絶望が希望にかなうはずなどないのだ)

 重力波を受けてカズキが弾き飛ばされ、ヴィクターが繋がれた腕に引かれ吹き飛ばされる。
 共に落ちてきた虚数空間内を、二人は上り始めた。








 虚数空間への穴を開いて数分後、展開した魔方陣は早くも悲鳴を上げ始めていた。
 六つものジュエルシードを用いた事で魔力負荷は計り知れない。
 管理局の創設以降、これ程までに大掛かりで危険な実験は行なわれた記録さえないのだ。
 魔方陣が敷かれた地面には余波から亀裂が走り、大地は再び砕かれようとしていた。
 もうあと五分も虚数空間への穴を維持できれば、上出来なぐらいか。
 限界を見誤れば、次元震まっしぐらである。
 五分も見すぎ、可能なら今すぐにでもとアリシアは一度フェイトへと振り返った。
 如何にフェイトの為とは言え、その大事な妹を危険にさらすわけにはいかない。
 自然と魔方陣の停止ボタンへと小さな手が伸びようとする。
 その手を遮るようにパピヨンが止めた。

「続けろ」
「でもこれ以上……」

 パピヨンの容赦ない言葉に、ホムンクルスとしての親からの強制力が働く。
 だがパピヨンとは別の意味で、精神的な部分でアリシアも不完全なホムンクルスである。
 その言葉を払い、魔方陣を停止させようとした瞬間、フェイトが何かに気付いた。

「あれ、もしかして……」

 高速戦闘を主にするだけあって、他の者よりも目が良いのだろう。
 誰の瞳にもまだ暗闇しか見えない穴の向こう側を指差し、何かが見えた事を伝えようとしている。
 誰もが瞳を凝らしても何も見えないまま十数秒が過ぎ去り、ようやく見えた。

「カズキ!」
「シグナムさん!」

 重力波に包まれ虚数空間を浮かび上がってくるカズキの姿であった。
 だが次の瞬間には皆が凍りつく事になる。
 カズキの姿は喜ぶべき事だが、その後ろに伸ばした手にはヴィクターが捕まっていた。
 と言うよりも、どう見てもカズキが望んでその手を引いているように見える。
 詳細は不明ながら、この時動き始めたのは立会人を望んだ管理局側であった。

「防人、貴方の出番です」
「分かっています、シルバースキン!」

 照星に命令され、ブラボーが纏っていたシルバースキンとは別にもう一着を精製する。
 恐らくはデバイスの二刀流によるものであろう。
 新たにバリアジャケットを一つ増やしてと、思うところだが皆の視線はカズキに集中していた。
 そしてヴィクターとカズキが虚数空間の穴を飛び出した瞬間、ブラボーがそれを放った。

「シルバースキン、リバース」

 身に纏っていたそれと、新たに生み出したシルバースキンが分解。
 六角形の金属板単位にまで分解されて射出された。
 二着のシルバースキンは表裏を変えて、カズキとヴィクターを包み込んだ。
 それこそが、管理局側が用意しておいた切り札であった。
 第三段階のヴィクターを抑える事は不可能だったが、第二段階ならまだできる。
 普段は使用者を守るバリアジャケットが裏返る事で拘束具と変わるのだ。
 当然、エネルギードレインも例外ではない。

「カズキ、大丈夫か?」
「なんとか……それと、ただいま。シグナムさん」
「思ったより、随分と早かったな」
「シグナムさんの為に、急いで来た」

 馬鹿者と照れ笑いをしながら、シグナムがへたり込んでいたカズキに手を差し出した。
 シルバースキンのおかげで直接ではないが、一ヶ月ぶりの事である。
 今はフェイトやリンディ達も、恋人同士の再会を邪魔するまいと遠巻きに見ているのみ。
 そして大人しくシルバースキンリバースを受け入れたヴィクターの前には、ヴィクトリアが立っていた。
 お互いに信じられないという顔をしながら、一歩ずつ歩み寄っていく。

「パパ……」
「ヴィクトリア、おいで」

 そのヴィクターの言葉を切欠に、ヴィクトリアが駆け寄るままにその腕の中に飛び込んだ。
 照星達に周囲を囲まれ警戒の中ではあったが百五十年ぶりの再会である。

「ママからの伝言、ママは何時までもパパの事を愛していたって」
「確かに受け取った。今まで一人にして、すまなかったな」

 皮肉屋の仮面を脱ぎ捨て、ヴィクトリアが幼子のように泣き始めた。
 まだこれからどうなるかは不明だが、ヴィクターは少なくとも我が子を離すつもりはなかった。
 幼少時からあまり甘やかせなかった分も含め、深く抱きしめる。
 カズキとヴィクター、同じ運命を背負った二人の男の再会が一折済み始めた。
 珍しくその場の空気を読んでいた一人の男が、耐え切れないとばかりに叫んだ。
 ただ感嘆に打ち震え、声を掛けるタイミングを逸していただけなのかもしれない。

「武藤ォ、カズキィー!」

 有り余った元気に任せて叫んだせいで、その口からは盛大に吐血が迸っている。
 感動の再会の空気を激しくぶち壊す行為だが、それでこそパピヨンであった。
 何時もの蝶お洒落なスーツの懐からとある物を取り出し、カズキへと投げつけた。
 カズキは一瞬、受け取ったそれが何かは分からなかった。
 だが一目見れば、とても信じられないが手の内にある物を信じるしかない。
 二度と作れないとアレキサンドリアが言った白いジュエルシードが、カズキの手の中にある。

「約束、覚えているだろうな」
「まさか、作ったのか。白いジュエルシードを……ヴィクター、これでお前も人間に戻れるぞ!」
「武藤、貴様!」

 途端にヴィクターへと振り返ったカズキを見て、当たり前だがパピヨンが憤慨する。
 カズキが約束を覚えていないわけがないとは思っているが、それとこれとは話は別。
 決着、その二文字の為だけにパピヨンはずっと動いてきたのだ。
 それは今、貴様が使えと言おうとした時、先にアリシアが動いた。
 カズキの手から一度白いジュエルシードを奪い意識をヴィクターから戻させる。

「カズキのお兄ちゃん、時の庭園の設備を使えば少し掛かるけど白いジュエルシードは精製可能だよ。だから、今はそれをカズキのお兄ちゃんが使って」
「まずは、お前が人間に戻れ……百五十年待ったのだ。俺は今しばらくなら、耐えられる」

 ヴィクターからも後押しされ、カズキは頷いた。
 白いジュエルシードを左胸に収めながら、サンライトハートを手に取った。

「蝶野、悪かったな。忘れるわけがない」
「決着をつけよう」

 言葉は飾らず、今この時、この場所でとパピヨンは言っていた。

「カズキ、もはや何も言うまい。ただ一言、勝て」
「うん、分かってる。それとこれ、ヴィクターが返してくれた。もう一つの家族へって」
「闇の書、ああ……確かに受け取った」

 カズキから闇の書を託され、シグナムは何よりも先にヴィクターへと頭を下げた。
 今はまだ記憶を取り戻せてはいないが、家族である事に違いは無い。
 既にヴィクトリアを家族として迎えた以上、ヴィクターもまた同様である。
 カズキをパピヨンの目の前に残し、シグナムを含め皆が距離を開けた。
 パピヨンが望んだ今、この場所で二人が心置きなく決着を付けられるように。
 そしてカズキがサンライトハートを、パピヨンが手の平の上に黒死蝶を生み出す。
 長かった二人の決着の時が、今訪れようとしていた。









-後書き-
ども、えなりんです。

虚数空間を安定して開く技術はプレシアのものです。
それをアリシアが受け継いで、フェイトの悲恋を最低でも失恋に変える為に動きました。
プレシアも本望だろうな、アリシアに継いでもらえて。

そして初披露のシルバースキン・リバース。
もうね、強すぎて使い辛いのなんの。
おかげで今までもなんのかんの理由をつけて出しませんでした。

それでは次回でラスト、土曜日です。



[31086] 第四十二話 シグナムさんの為なら何時でも俺は戦うよ
Name: えなりん◆e5937168 ID:1238ef7e
Date: 2012/05/26 20:06

第四十二話 シグナムさんの為なら何時でも俺は戦うよ

 白いジュエルシードがカズキの左胸の中へと沈み込んでいった。
 二種類のジュエルシードのエネルギーが相殺しあい、一時カズキの体を光で包み込んだ。
 第三段階へと進んだヴィクターの時とは違い、そこに苦痛はない。
 赤銅色の肌は日本人の肌色へ、蛍火に光る髪も癖と艶やかさを持つ黒髪へ。
 それを確認してから、ブラボーがそっとシルバースキンの拘束を解いた。
 カズキの体からエネルギードレインが発せられる事もなくなった。
 超人パピヨンが誰よりも望んだ、人間・武藤カズキとなったのだ。
 それを確認すると直ぐに、カズキはサンライトハートのエネルギーの刃をパピヨンへと向けた。
 対するパピヨンも、黒死蝶を生み出し、体の前面に押し出すようにして身構える。

「行くぞ」

 皆が見守る前で、どちらともなく同じ言葉を吐く。
 不安定な環境下にて嵐の風に消え去りそうな呟きではあった。
 だがその言葉は確実に、互いの耳へと届いていた。
 カズキはサンライトハートが発するエネルギーを強め、パピヨンも黒死蝶へと込める魔力を強めていく。
 そして何を切欠にするわけでもなく、二人が共に笑みを浮かべながら動いた。

「Sonnenlicht Slasher」

 ただ真っ直ぐ、得意の突撃によってカズキが前へと踏み出した。
 同時にパピヨンの手の平からも、黒死蝶が羽ばたくように飛び出していく。
 一瞬の交差、武器と一体になって突撃するカズキと、飛び道具を使うパピヨンとの差が出た。
 正面からカズキは黒死蝶を貫き、着火する。
 瞬く間に爆炎となって燃え広がり、赤い火と黒い煙の中へとカズキの姿を隠してしまう。
 その爆煙の中から飛び出したのは、砕け散ったサンライトハートの刃であった。
 数箇所から悲鳴があがりそうなその時、遅れてカズキも爆煙の中から飛び出してきた。
 特大の黒死蝶を放ち、無手となったパピヨンの胸の前へと砕け半分に折れたサンライトハートの芯を突きつける。
 チェックメイト、カズキの勝ちに思えたが、パピヨンはまだ諦めてはいなかった。
 人を喰った笑みを浮かべた口の中、先程とは違い極小の黒死蝶が生成されていたのだ。
 コレでもかと口の中から伸ばされた舌の上から、その黒死蝶が羽ばたいた。
 あまりの小ささと素早さに迎撃は間に合わず、カズキが駄目押しの一手を喰らった。
 小規模ながら確かな爆発の熱により、体勢を崩して仰け反った形となる。
 悲鳴は爆炎に飲まれ消える中で、パピヨンは確かな勝機を見つけていた。
 最後の一手、最後はこの手でとパピヨンが手刀を作り出してカズキの胸目掛けて伸ばす。
 カズキのサンライトハートは砕け、残っているのは半分に折れた芯の部分のみ。
 くり出された手刀を受け止める事は叶わず、弾く事も恐らくは不可能。
 逆転の手はない、だがカズキの瞳もまた死んではいない。
 言葉にならない叫び声を上げたカズキが動かしたのは、左腕であった。
 砕けたサンライトハートの柄を握る右手ではなく、左腕を心臓の上に被せるようにした。
 そんな手の平一つで何が防げると、パピヨンに躊躇は見られない。
 だが次の瞬間、カズキの左胸から新たに一振りの刃が生み出されようとしていた。
 真っ白な刀身をも持つ一振りの西洋剣、それを握り締めカズキがはっきりとその名を叫んだ。

「レヴァンティン!」
「Jawohl」

 シグナムのデバイスと瓜二つのそれを生み出し、カズキはパピヨンの手刀に合わせた
 いかに強力な肉体を持つホムンクルスと言えど、魔力付加されたデバイスには敵わない。
 手刀は正面から真っ二つに引き裂かれ、その勢いを失った。
 繰り返されるチェックメイト、カズキがサンライトハートの芯をパピヨンの胸に突きつけた。

「はあ、はあ……」

 今度こそ反撃はなく、カズキは自分の息遣いがやけに大きく聞こえた気がした。
 勝負は決した、超人パピヨンに人間武藤カズキが打ち勝ったのだ。
 そうなった場合、パピヨンが何を望むかは分かっているつもりだった。
 だからこそ、戦闘以上の緊張感から、自分の息遣いが大きく聞こえたのだろう。
 出来れば聞きたくはないが、パピヨンもそう甘くは無かった。

「殺れ、今度はしくじるなよ」

 やはりそれを願うかと、カズキは一度乱れた息を整えるように瞳を閉じた。
 手を伸ばせば届く距離ではあるが、この期に及んでパピヨンが卑怯を行なうはずがない。
 ゆっくりと、自分の考えを纏めるように時間をかけてカズキは瞳を開いた。
 そのまま正面にて己の最後を待つパピヨンへと、視線を向ける。

「蝶野、お前まだ人を喰いたいとか。この世界を燃やし尽くそうとか思っているのか?」

 カズキの言葉は、最初に殺しあった時にも行った問いかけに似てはいた。
 だが似てはいるだけで、そこに込められた思いは段違い。
 当時のカズキは、パピヨンの事を殆ど知らなかった。
 殺したくない、人殺しをしたくないからこそ、縋るような思いで口にしたのだ。
 しかし今は、違う。
 カズキは少なからずパピヨンと行動を共にし、隣り合う事は無かったが共に戦ってきた。
 岡倉達とは別の意味で、良く見知った同年代の相手とも言える。
 だから今はパピヨンに生きて欲しいからこそ、そう尋ねたのだ。
 改めて自分の気持ちを確認し、そして突きつけていたサンライトハートの芯をパピヨンの左胸より引いた。

「蝶野、俺はお前を二度も殺したくない。これが俺が選ぶお前との、決着だ」

 それで良いと自分に言い聞かせ、再びカズキは口にした。

「決着だ。命のやり取りは、もうここまでに。命を蘇らせる魔法があればって思うけど、やっぱりそんなのないから。死んだ命をしっかり弔って、これで全部終わりにしよう」
「以前にも増して、大層な偽善者ぶりだな」

 カズキの決断により生きながらえても、パピヨンの口調は辛辣そのものであった。

「いいよ、それで。お前を殺すよりは、ずっといい」

 それでもカズキは笑みを持ってその言葉を受け入れられた。
 受け入れられる程度には強くなってきた。

「蝶野、お前の名前は俺がずっと覚えている。お前の正体もずっとずっと覚えている。だから、新しい名前と命で新しい世界を生きてくれ」

 カズキの決断に全く不満がないわけではない。
 だが負けた以上、勝者の言葉は絶対。
 ここに至り、ようやくパピヨンの蝶野攻爵に対する禊は終わりを告げた。
 パピヨンという新しい名は既に得ている。
 ならば新しい世界とは何処を指すのか、何処で生きるべきか。
 多少思案に暮れるパピヨンの体へと無謀にも飛び込んでくる小さな影があった。

「何をしている、そして何処にぶつかっている貴様」

 身長差から股間部分に突撃してきたアリシアを、パピヨンは見下ろした。
 普段ならば事実に気付いて飛びのきそうなアリシアも、身じろぎ一つしない。
 パピヨンを見上げたその顔は、涙で溢れ返っていたからだ。

「殺されちゃうかと思った……パピヨンのお兄ちゃんがそう望んでるかと思った。死んじゃうかと、もう合えないかと。うぐぅ……」

 対するパピヨンは酷くあっさりとしたものであった。

「偽善者である武藤カズキがそんな事をするか。それに、俺がいないと白いジュエルシードが精製できないだろ。ふむ、そうか」

 何かを思いついたように、パピヨンはこの場で一番権力がある照星を指差した。

「おい、そこのお前。交換条件だ」
「言葉使いは気になりますが、一応聞いておきましょうか」

 泣きじゃくるアリシアを鬱陶しそうにしながらも、パピヨンは照星へとある提案を行った。









 あの決着から一週間後、カズキは元の一高校生という日常に帰っていた。
 退屈極まりない授業を毎日受け、悪友とも呼べる岡倉達やまひろ達と遊ぶ日々。
 当然、シグナムとの関係は大きく前進こそしていないがマイペースで進んでいた。
 帰りのホームルームが終わり、チャイムが教室内に鳴り響く頃、一目散に教室を脱しようとしたのが良い証拠であった。
 今日はこれからシグナムとのデートなのである。
 自分は学生服、シグナムは私服とまかり間違えれば姉弟とみられなくもないがカズキは気にしない。
 周囲の視線には惑わされない程度には、お互いの気持ちは確認済みだからだ。

「おい、カズキそんなに急いで何処行くんだ?」
「ちょっと野暮用、また明日な!」
「だいたいは、想像つくけど……頑張ってね」
「ちくしょう、カズキ。爆発しろ!」

 六桝や大浜は快く送り出してくれたが、岡倉は意味不明な罵声を浴びせてきていた。
 少し小首を傾げたカズキだが、祝福の一種だろうと好都合に解釈して手を振った。
 正真正銘、その言葉の通り爆発しろと言われたとは思いもせずに。
 カズキが走りながら急ぎ向かったのは、通学路の途中にあるあの公園であった。
 二人が始めて会った雑木林前のベンチ。
 これまで数回待ち合わせを行なったが、何故かそこでというのが定番となっていた。
 一分一秒でも早く、そう思い急ぐカズキはベンチにて待つシグナムを見つけて手をあげる。

「おーい、シグナムさ……ん?」
「お兄ちゃん、お帰り!」

 次第に緩やかになるカズキへと、一目散にまひろが駆けて来た。
 ぽふりと何時ものように腕の中で受け止めたは良いが、カズキの脳裏は疑問符だらけである。

「すまん、まひろに捕まった」

 頬を掻きながら視線をそらすシグナムは、言葉程には困ってはいなかった。
 カズキの帰宅路であるならば、当然の事ながらまひろの帰宅路でもある。
 こういう可能性が決して零ではなかったのだ。
 なにせ今までにも度々こういう事があった。
 二人のデートになし崩し的にまひろが同行する事さえ。
 カズキもそれなら仕方がないと、まひろを抱え上げて抱きしめなおした。

「それじゃあ、まひろもいるし翠屋でお茶でもしようか?」
「そうだな、平日に遠出をする事もない」

 普段から特別なデートはまだなく、まひろの有無はあまり大きな意味はない。
 精々が二人きりかどうかの違いぐらいだ。
 多少カズキは思うところがないわけではないが、まひろも大事な家族である。
 以前は寂しい思いを沢山させただけに、邪険に扱うわけにもいかなかった。
 その代わりまひろを抱く手とは逆側をシグナムへと差し出した。
 こればっかりは、まだまだ慣れそうにもないとシグナムが手をとろうとしたその時、

「まひろちゃーん!」

 名前を呼ぶ聞きなれた声が幾つも、後方から投げかけれられた。
 カズキ自身は気にしないのだが、さすがにシグナムの方は繋ごうとした手を遠ざける。
 聞き覚えのある声は、なのは達であったからだ。
 お互いに気持ちを確認しあっても、流石に人前でいちゃつく事などできない。

「ふう、流石にきつい……まひろったら、ホームルームが終わり次第一目散に行っちゃうんだから。ほら、私の家で皆で遊ぶわよ」
「そうそう、まひろちゃん。カズキさんには家でも甘えられるでしょ。少しは気を使わないとね」
「まひろちゃん、一緒にアリサちゃんの家に遊びに行こう」
「え……あ、う~」

 なのは達とカズキ達を交互に見て、まひろが混乱したように唸り声をあげた。
 どちらにも行きたいと困っているようだが、せっかくなのは達が気を利かせてくれたのだ。
 カズキは悩むまひろを一旦降ろし、その背中をなのは達へと押しだした。

「まひろ、帰ったら一杯遊んでやるからな。今はなのはちゃん達と遊んで来い」
「う、うん。お姉ちゃんも、後で家でね。御飯食べてっても良いから、遊びに来てね」
「はいはい、了解や。シグナムは今日の御飯はいらへんっと。別にお泊りでも構わへんで」
「ちょ、主!」

 フェイトに車を押してもらっていたはやてが遅れて参戦。
 強力な援護射撃を送ってくれていた。
 お泊り云々は、最近の小学生はませていると、カズキも返す言葉がなかった。
 最もそのお泊りの場合は、カズキではなくまひろがシグナムとベッドインするわけだが。
 結局カズキの後押しが効き、まひろはなのは達と共にアリサの家へと遊びに行く事になった。
 途中何度か振り返っていたが、カズキとシグナムに手を振られ、大きく手を振り返していた。
 そして改めてと、二人がデートに出かけようとしたがフェイトが一人その場に残っていた。

「どうしたの、フェイトちゃん?」
「うん、カズキにどうしても言っておきたい事があって」

 小首をかしげるカズキを前にして、フェイトが少しだけシグナムを見上げて呟いた。

「それと、先にシグナムに謝っておくね」
「先にといわれても、何がなんだか分からないが。どうした、テスタロッサ?」

 改めてカズキの正面に立ったフェイトは、悪戯っぽい笑みを浮かべ笑っている。
 そして自身を落ち着けるように、深くゆっくりと深呼吸を始めた。
 その表情は笑みを浮かべながら何処と無く火照った顔色をしている。
 ますます意味が分からないと仲良く小首をかしげるカズキとシグナム。
 その二人の前で、フェイトはずっと胸の内に溜め込んでいた気持ちを吐露した。

「私ね、ずっとカズキの事が好きだったんだよ」

 突然の告白に、当たり前だがカズキは一瞬目を丸くしている。
 そして戸惑う事なく笑みを浮かべて何かを言おうとした所で、手を握られた。
 おずおずとだが、行くなとでも言いたげに手を伸ばしたシグナムによって。
 カズキはシグナムの行動の意図が読めないように疑問符を浮かべている。
 相変わらずの鈍感と内心毒づきながら、フェイトはシグナムを安心させるように言った。

「でもカズキとシグナムが、笑い合ってるところも同じぐらい好きだよ。今さらだけど、おめでとう。やっと……言えた」

 十分に満足したように、真っ赤な顔で逃げるようにフェイトは去っていった。
 残されたのは、幼いフェイトに色々と気を使われた二人である。
 カズキは相変わらず要領を得ず、シグナムは真っ赤な顔で俯いていた。
 年下のフェイトに気を使われた事はもちろん、小さな子供のようにカズキを繋ぎ止めようとした事を恥じながら。








 結局、フェイトの衝撃の告白により、二人の行き先は翠屋になってしまった。
 カズキが何を言ってもシグナムは俯くばかりで、恥ずかしがって顔を上げようとしない。
 その手を引いて落ち着ける場所、つまりは翠屋へとカズキが連れて来たのだ。
 ただし、翠屋へ辿りつき、注文のケーキやジュースが目の前に置かれた頃には少なくともカズキは理解し始めていた。
 と言うよりも、心の整理というか似たような感情に心当たりがあったのだ。
 おかげで、しおらしいシグナムを見る事ができて良かったと思ったぐらいである。
 ただ余りにも余裕の表情を見せつけたせいか、最終的に少し期限を損ねてしまった。
 ジュースのストローに口をつけ、恨めしそうに見上げるように睨まれ言われた。

「随分と余裕だな、まさか知っていたのか?」
「全然、けどなんとなくフェイトちゃんの感情はまひろが持ってるのに近いのかなって。まひろからも良く好きって言われるし」
「兄と妹か、テスタロッサもまひろと同じ歳だしな。まあ、そういう事にしておいてやろう」

 カズキとしては、フェイトに対する感情やフェイトからの感情をそう受け取っていた。
 フェイトもあの歳で母を亡くしたりと色々あった。
 その時に周りで色々と世話を焼いたカズキに、心を動かされたとしても仕方がない。
 単純な憧れか、本当に恋だったのかはフェイト自身にも分からないことだろうが。
 カズキとしては、フェイトが全て納得してくれているのならそれで良い。
 一方のシグナムは、内心取られなくて良かったとか、色々と深いところまで悩んでいた。
 ただ年上の見栄などもあり、別に焦ってないと小声で取り繕っている。
 取られたくないと、カズキの手を握っておきながら今さらの事であるが。
 そこで珍しく、気を利かせるようにしてカズキが話題を変えようと鞄を探り出した。

「シグナムさん、これ見た?」
「これは、雑誌? クラナガン、ミッドチルダの首都の雑誌か」

 なんでそんな物をと、表紙を見たところでシグナムは飲んでいたジュースを噴き出しそうになった。
 無理やりジュースを飲み込んでむせかけたが、軽く数度の咳で落ち着ける。
 何しろ雑誌の表紙を、パピヨンがでかでかと占領していたのだ。
 題字には、管理局の新マスコット蝶人パピヨン君とある。
 そして隅っこには、丸く区切られたコマの中に関連キャラクターのデフォルメ絵が描かれていた。
 白衣姿の女の子、パピヨンレディこれは恐らくアリシアが元だ。
 そしてパピヨンの宿敵偽善君、これは明らかにカズキが元となったキャラクターだ。

「一体、あいつらは……というか、管理局は何を考えている」
「マスコットじゃないの、そう書いてあるし」
「あの変態がマスコットではイメージダウンはなはだしいだろう!」

 久々に受けたカズキのボケは威力が絶大で、ついうっかり大きな声を出してしまった。
 周囲の女学生やOLに視線を向けられ、シグナムはすごすごと座りなおした。
 特にOLからは、若い子を掴まえやがってと別種の視線もあったのだが。
 もちろん、他人の視線に疎いシグナムが憎しみさえこもったそれに気付く事はない。

「新しい世界で、蝶野も楽しんでるんじゃないかな。以前、本局を蝶の形に改造しようという案が出たとかで、クロノ君から連絡あった事もあったっけ」
「それは愚痴だろう、絶対。もしくは、パピヨンにいらない事を言ったお前への恨み言だ」

 そうなのかなと懐疑的な言葉に、大丈夫かと思わずにはいられない。
 あまりパピヨンが愉しみ過ぎると、その恨みが回りまわってカズキに向かいかねない。
 最もパピヨンとカズキの繋がりを知る者が、どれだけ管理局にいるかは分からないが。

「なんにせよ、愉しそうで何より」

 結局そんな一言でカズキは簡単に纏めてしまう。

「あれから一度も会ってないけど、ヴィクターはどうしてるか知ってる?」
「一先ず無人世界にて軟禁、白いジュエルシードの精製が終わり次第裁判だろう。ただし、奴も色々とあったから条件次第では保護観察処分だろう。元は被害者であるし、聖王教会も煩いだろう。私にも稀に勧誘が来るしな」

 思惑は別にして、表面上は新しい世代の騎士に純粋なベルカの騎士のあり方を教えて欲しいと。
 それら全てをシグナムや他の守護騎士達も断っていた。
 次元犯罪という新たな問題こそあれ、もう戦争の時代は終わったのだ。
 管理局という時限犯罪に対する対抗組織もしっかりとある。
 シグナムもできればこのまま、なんの変哲もない日常に埋もれてしまいたいと思っていた。
 平凡な毎日だが、カズキと共にあるのならば退屈は恐らく感じないはず。
 騎士として鍛練こそ欠かさないが、それで良いと思っている。

「シグナムさん?」
「ああ、なんでもない」

 思案顔を覗きこまれ、即座にシグナムはそう言った。
 だが今ははやてよりも心に近い場所にいるカズキには通用しなかったようだ。

「なんだかソワソワして落ち着かないみたいだけど」
「そう見えるか?」

 フェイトに気持ちに気付かなかった鈍感の癖に、変なところで鋭いと思う。

「私達は主はやてのおかげで戦いの日々から解放された。だが以前はそれでも日々気を張っていた事は否めない。管理局の事もあったしな」

 カズキと出会うまでは、平穏こそあれど何処かで気を張っていた部分があった。
 言葉にした通り、管理局との因縁もそうだ。
 戦わなくても良いと言われても、何時か戦う日がと心の何処かで考えていた。

「結局、戦いの日々は続き。またこうしてそれから解放された。未だに鍛練を欠かさないのは、再度の戦いを恐れているからだろな」

 管理局との因縁を解消する戦いが終わり、これで本当に戦う意味はなくなった。
 だが日常に埋没する事を望みながら、次の戦いへの備えを忘れられずにいる。
 矛盾した自分の態度に、整理を付けられずにいるのだ。
 自分が本当に望んでいるのは本当はどちらなのか。
 かつて鷲型のホムンクルスの鷲尾が言い放った言葉が、時折脳裏に蘇る事もある。

(戦う為に生まれた者が戦いを奪われ、本当にそれがお前達の望みか)

 厳密には戦う為ではないが、少なくともシグナム達は闇の書、夜天の書を守る為に作られた。
 戦闘を前提にした守りの為に生み出されながら、平穏に生きる事を周りから望まれる。
 この矛盾のおかげで、自身の存在が危うげに感じることさえあった。
 自分が本当に望んでいるのは、心の奥底はなかなか分からない。
 自問自答するように、何度もレヴァンティンを振るった手の平を見つめる。

「大丈夫、このまま平穏に過ごせても、戦いが訪れても。俺は一緒にいるよ」

 その手の平を包み込むように握り締め、カズキが言った。

「そうか、それは何よりも心強い言葉だ。その言葉がある限り、私に負けはない」

 そう言った自分の言葉を耳にして、ようやくシグナムは自分の本心を察した。
 以前の自分ならばきっと、一対一ならばベルカの騎士に負けはないと言った事だろう。
 だが今の呟きはベルカの騎士云々ではなく、カズキと共に戦った場合を想定した言葉だ。
 つまり自分は平穏も戦いも両方望んでいる。
 ただし、戦いにおいては戦いそのものではなく、カズキと並び立つ事をであった。
 自分が認めた最高の騎士に背中を任せ、共に戦う。
 女である前に一人の騎士として、それだけを願いまた並び立てるよう鍛練を続けている。

「伴侶と戦友を同時に得たか、なんとも贅沢な気分だ。その時はまた、頼むぞカズキ」
「うん、シグナムさんの為なら何時でも俺は戦うよ」

 より強く意志を込めてカズキがシグナムの手を握り締めた。









-後書き-
ども、えなりんです。

最後はかなり駆け足気味でしたが、これにてリリカル錬金は終了となります。
皆さんお気づきでしょうが、A's編終了後は八割方武装錬金でした。
あまりリリカルとクロスしている異議も薄れ、少々残念であります。
もう少しクロスならでわの展開が欲しいところでした。

まあ、それは今後の課題と言う事で。
ここまでお付き合い頂けた方は、本当にありがとうございました。
そして次回作は……まだありません。
最近、少し二次創作の書く方への情熱が薄れ気味です。

何か燃える切欠を待っている状態ですので、燃え次第何か書こうと思います。
それではえなりんでした。


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