彼女たちの4年後、なんかもういろいろカオス
新暦79年9月21日。J・S事件の4年後に当たるこの日の午後、ミッドチルダ首都クラナガンにあるナカジマ家にて、1人の少女の咆哮が響き渡っていた。
「出遅れたーーーーー!!」
両手で頭を抱えながら天を仰ぎ、他所様のお宅で大声を上げるという珍態を晒している少女の名前はルーテシア・アルピーノ。
先ほどまでクラナガンの丘の上の厳粛な空気の中で、静謐に死者への祈りを捧げていた少女と同一人物とは到底思えないほどの有様である。これからまだ仕事があるからと分かれたアギトがそれを見たなら、こめかみを押さえながら呆れていたことだろう。
「ル、ルーちゃん声大きいよ!」
「そうだ、落ち着けよお嬢」
ナカジマ家に遊びに来ていた格闘少女およびナカジマ家の五女が宥めるも、彼女のヒートアップは止まらない。
「私がいない内にナカジマシスターズのコスプレパーティーが開催されてたなんてー! 秘蔵のコレクションを試させるまたとないチャンスだったのにー!」
「ん? なにやら不穏な言葉が聞こえたような」
「私たちに何着させるつもりだったんだろ……」
ルーテシアの絶叫の後半部分になにやら良からぬ気配を感じ、年下の少女に警戒心を抱き始める次女と三女。
「まあまあ、それはそれで面白そうじゃないっスかね。あたしはちょっと興味あるッスよお嬢の衣装に」
そして、コスプレパーティの張本人ウェンディは、生来の楽天的な性格もあり、ルーテシアの秘蔵コレクションとやらに興味があるようだ――――が。
「うおおお! 悔しい悔しい着せたい着せたい! 洋メイド! 和メイド! ナース! 白衣! 軍服! ウェディングドレス! ゴスロリ! チャイナ服! バニーガール! レースクイーン! スク水! SM女王様! ソニック! 真ソニック! 裸Yシャツ! 裸エプロン! 裸リボンーーーー!!」
その魂の叫びを聞いて、流石のウェンディも遠慮したくなった。というかウェンディだけじゃなく、その場の全員がルーテシアの将来が心配になった。それでいいのか14歳、と。
「ねえ、ルーちゃん、まさかそれ全部持ってるの?」
「てゆうか、最後の3つはマジに何だと問いたい」
「私はむしろ途中のほうに聞き捨てならない言葉があったような……」
リオ、ノーヴェ、ヴィヴィオの順番でツッコミが入る。特に最後の1人は片親の尊厳のためにも、そのラインナップに混ぜるなと言わねばと誓っていた。
「じゃあせめてコレだけでも!」
といいながらモニターに映し出したのが元ナンバーズの戦闘スーツだったので、あやうくノーヴェが切れるところだった。ちょうどさっきピンポイントにこの話題をしていただけに尚更。チンクとディエチはあのデザインを決めた2番目の姉と、それを止めなかった一番上の姉を初めて恨んだという。
その後、有名店で買ってきたオペラとマカロンを奉納し、なんとか荒ぶる召喚士の御魂を鎮静させることに成功した。いや正直、このままクラナガンで白天王召喚する勢いだったのだ。
そうなっては、もういっそキャロを呼んでヴォルテールを召喚してもらって、特撮の映画でも撮ろうか、と自棄な意見も出たほど今回のルーテシアの暴走っぷりは凄まじかった。
なお、その際この手のことに慣れてないアインハルトは、一切付いていけずに置いてけぼりを喰らって、少々寂しい思いをしていたのは余談。
まあ、そんなこともあったが、とりあえずは落ち着いて女3人よれば姦しいの言葉どおりに談笑していく。
「そうそうコレコレ、以前八神ファミリーが来たときにやったオフトレの時の映像、この前見たいってアインハルト言ってたから持ってきたよ」
アインハルトは今では数少ない古代ベルカの流派を使うので、同じ古代ベルカの使い手である八神の騎士たちの戦闘の映像などを見たいと、以前話していた。なのでルーテシアは彼女の家で行ったオフトレのときの様子を収めた映像を、折角なので持ってきたのだ。
「わざわざすみません、どうもありがとうございます」
「あーあの時のやつかぁ……… ルーちゃん、全部写してるの?」
ルーテシアの言葉にアインハルトは礼儀正しくお礼を述べるが、コロナはなにやら嫌な予感がして尋ねる。もしそうであれば、彼女の記憶が正しいのならあまりもう一度は見たくない映像が写っているだろう。
「もっちろん。元データを、見ていて盛り上がるように私が編集してあるから、そんじょそこらのアクション映画より楽しめる仕様よ」
「そうなんだ……」
「どしたのコロナ……… あ~、そっか、ひょっとして例の……」
コロナの態度を疑問に思ったリオだったが、思い当たる事があったのか、彼女も納得顔になってやや遠い目をする。その2人の様子をアインハルトは少々訝しげに眺めていたが、すでに興味の七割は映像のほうに向いていたので、その場は流してしまった。
後に2人の様子の原因がわかり、彼女も納得することになるのだが。
「あたしたちは知ってるから、向こうでカードゲームでもしてるよ、ね? コロナ」
「うん、そうだね」
2人ともあまり見たくなかったのかなぁ、まあけっこうショッキングな光景だったからなぁ、と去っていく2人を見送りながらヴィヴィオは思う。彼女は以前から守護騎士たちの能力や過去の出来事を、母親ーズから聞いていたので、その当時でもそこまでショックは大きくなかった。
「さて、それじゃあ早速見ましょうか」
「そうだね、モニターで見るのははじめてだなぁ」
「はい、楽しみです」
期待に目を輝かせながらモニターを見つめるアインハルト。彼女の表情が期待と興奮から驚愕と畏怖で塗り替えられるのは、これより3分後のことになる。
オフトレの内容は、八神家VS星組&雷組という組み分けでの集団戦であった。
細かく言えば、はやて、シグナム、ヴィータ、シャマル、ザフィーラ、アギトVSなのは、フェイト、スバル、ティアナ、エリオ、キャロの6対6の編成。リィンは人数が合わないので審判役で、お子様達はとても入れないので観客に。
カタログスペックでのみ述べれば、八神家のほうがかなり上だが、だからこその団体戦だ。戦い方、戦術の組片次第では、データ的に上回る相手でも勝利する事が出来るのがコンビネーションの妙というヤツだろう。相性によっては、数値的に見ればどう考えても話にならない八百万だって無量大数に勝てるのだ。
だがしかし、八神家にとっては集団戦こそをもっとも得意としていたりする。
開始早々、はやては大威力・広範囲の殲滅魔法の詠唱に入り、そうはさせじと最速のフェイトがはやて向かって斬りかかる。
「ハアアアァァ!」
「主のもとには行かせん」
それを止めるのは盾の守護獣ザフィーラ。彼の本領は専守防衛にこそあり、夜天の主の守護こそが彼の役割。そして完全に防御に徹したザフィーラは、フェイトであっても容易に突破できはしない。
鉄壁の盾の突破が唯一可能なのが、なのはの全力全開の極大砲撃。だからこそ一気にブラスターモードでザフィーラを崩そうとしたなのはだが、そこへ炎熱の化身が彼女へ打ちかかる。
「やらせんぞ高町!」
「! レイジングハート!」
『Protection』
アギトとユニゾンしたシグナムが、一気に間合いを詰めて来ていたのだ。ザフィーラを崩すために魔力の集中に気を割いていたなのはは、一瞬それに気づくのが遅れたが、持ち前の防御の高さで防御を成功させていた。
だが、元来なのはは中・遠距離を得意とする典型的なミッド式の魔導師。相手が格下ならば近距離でも対処できるが、アギトとユニゾンしたシグナムは核上と言って良い相手だろう。ならばこそ、その様子を見たキャロはなのはにブーストをかけ、ティアナもなのはの援護に向かう。
だが、そうしている間にもはやての詠唱は進んでいく。多すぎる魔力を持つが故に、リィンのサポートがなければその運用が難しいはやてだが、それでも時間がより多くかかるというだけで、使えないわけではない。
だが、やはりいつもの倍以上の時間はかかるのは事実、今もまだ詠唱は完成されていない。だからフェイトが足止めされた以上、自分達が行かねばと、フェイトに次いで機動力が高いエリオとスバルが向かうが――
「おっと、この先は通行止めだぜ」
鉄槌の騎士ヴィータがそれを阻む。彼女は古代ベルカ式には珍しい万能型で、高速機動をしながら誘導弾の制御も出来るため、2対1でも十分に足止めが可能だ。
「私は大丈夫だから、2人はヴィータちゃんを倒しにいって!」
その様子を横目で見ていたなのはが、ティアナとキャロに指示をだす。このままでは硬直状態で、はやての詠唱を完成させてしまう。ならばどうやってもどこか一箇所を崩さねばならないのだ。
視点を逆にすれば、ザフィーラをフェイトが押さえ、シグナム・アギトをなのはが食い止めているのだ。ならば残りで一気にヴィータを攻略することができる。倒せなくともヴィータを掻い潜り、はやての詠唱の阻止さえ出来れば、まずはそれでいい。
4対1なら可能だろう、となのははそう判断し、それは他の5人も同意だった。
さて、ここで各人の現状をもう一度おさらいして見よう。
はやては大規模魔法の詠唱中で、それを守るザフィーラとフェイトが交戦中。
シグナムはアギトとユニゾンし、なのはがなんとかそれを抑えている。
そして旧六課のフォワード組は、一気にヴィータを抜かんと向かっている。
…………1人、まったく動いていない人物がいるが、切迫した状況で、なのはたちはその人物への警戒を怠ってしまっていた。そしてそれこそが彼女たちの敗因となったのだ。
「紫電一閃!!」
「まだまだ!!」
全力を込めたシグナムの一閃を、同じく全力で受け止めるなのは。というか実質2対1での現状では、全ての魔力をシグナムの剣を止めるバリアに込めなければやられてしまう。
―――それこそが、その瞬間こそが、”彼女”が狙っていたものだった。
「え」
その時なのはが洩らしたのは、そんな小さな呟き。一瞬自分に起きた事が把握できず、呆けたような表情でその光景を見つめてしまった。
即ち、”自分の胸から手が生えている”という、いつかどこかで見たような光景を前にしても、やはり咄嗟の対応が出来ずにいた。その手は柔らかい女性の繊手で、考えるまでもなく誰ものかはわかるのだが。
「なのは! って……え?」
親友がやはりいつかどこかで見た様な状況になっているのを見て、すぐさま駆けつけようとしたフェイトだったが、彼女もまた自分の胸から生える腕をみるハメになっていた。
違いがあるとすれば、なのはから生えているのは右手、フェイトから生えているのは左手ということだろうか。だがそれも当然、”彼女”のデバイス・クラールヴィントは両手の指に2つずつ嵌めているモノなのかだら。
つ か ま え た
柔らかい声色でありながらも、どこまでも冷たく感じる死神の宣言とともに、彼女――シャマルは両の手にあるリンカーコアを握りつぶした(むろん後遺症が残らないように)
10数年ぶりにシャマられた2人は、懐かしくも恐ろしい感触を味わいながらそのまま意識を失い、戦線離脱を余儀なくされたのだった。
「な!?」
「ええ!?」
「うそ……」
「え? え?」
主力の2人が早々にシャマられるという、あまりにあまりの事態に、残った4人はその事実の認識に頭が追いつかず、その場で棒立ちになってしまう。それも無理からんことで、彼らはシャマルの切り札を今まで知らなかったのだ。
だが、彼らがそうして忘我の状態になってしまったとところへ――
「灰燼と化せ冥界の賢者、大いなる鍵を以て開け地獄の門――闇に染まれ、デアボリックエミッション」
八神はやての溜めに溜めた極大広域殲滅魔法が完成した。
マズイ! 咄嗟に逃げる4人だったが、機動力が低いティアナとキャロは抵抗むなしく闇へと呑まれて行く。残りの2人はなんとか懸命に広がる闇から逃れようとするも―――
「いらっしゃ~い、お馬鹿さん」
「残念だが、ここまでだ」
すでに先回りしていたヴィータとシグナムによってKOされるのだった。
これにて模擬戦終了。開始よりまだ3分も立たないうちに、なのはチームの全員気絶という結果を以って、八神家の勝利となった。
ちなみに、それ以降の模擬戦では「シャマるの禁止」という決まりができたという。
「………………」
「………やっぱり改めてみてもショッキング映像だなァ」
「ははは、アレパっと見反則だよねー」
モニターを眺めていた3人の間には、どこか重たい空気が漂っていた。とくにアインハルトはあまりの光景に声も出ない様子だ。
それも仕方ないことだろう、彼女の認識では古代ベルカ式=近接戦という構図だったので、まさかの裏技的な攻撃に文字通り目をむいてしまっていた。
「でも、これはこれできちんと戦術たててるのよね」
「そう、なんですか?」
反則全開の裏技のように見えたアインハルトには、そのルーテシアの言葉は意外なものだった。
「うん。シャマルさんのあの技『リンカーコア摘出』はね、防御が高い相手や高速移動してる相手には出来ないの。だからシグナムさんが全力でなのはさんの防御を自分に集中させて、そしてフェイトさんはもともと防御が薄いから、あの光景で動きが止まった瞬間を狙った、というわけ」
「うん、はやてさんが最初から大規模魔法を詠唱したのもその布石。でもそれが失敗してもさらに別の連携が何通りもあったらしいから、八神家の人たちはホントに凄いんですよ」
「そうなのですか……」
基本タイマン上等な魔法格闘少女であるアインハルトには、そうした戦い方は新鮮だった。見た目こそショッキングだが、彼女達はその影響すら考慮して戦術を立てていたのだ。
「これが古代ベルカ式の人たちの戦いなのですね」
「見た目は凄いアレだけどね」
ルーテシアの編集で、なのはたちがシャマられている時はズームになったりスローになったりしたので、余計視覚効果が大きいものになっていたため、その衝撃度は実際見たヴィヴィオにとっても5割増しだった。
「こういう戦い方もあるのですね、とても参考になります」
「コレ以降、シャマるの禁止になったから、もし八神家と模擬戦することになっても大丈夫よ」
「シャマるって………」
そうしたやり取りをしながら、モニター視聴組は再び2回戦の様子を見ていく。その次以降は実に白熱した互角の戦いで、見ていて熱くなるものだった。
1回戦目が見ていて背筋が震えてくるものだったために尚更に。
さて、こちらはナカジマシスターズ。今彼女達はルーテシアが持ち込んできたゲームをプレイ中である。
ゲームの名前は「クトゥルフの呼び声」で、TRPG(テーブルトークRPG)というジャンルのゲームである。TRPGとは架空の世界、架空の人物を演じて怪物と戦ったり事件を解決したりするもので、これを1人でするのがゲームブックであろうか。
舞台設定、人物設定などはゲームによって異なる。中世ベルカを基にした剣と魔法の世界で騎士や冒険者に扮して地下迷宮に潜って魔獣を倒したり、迫り来る黒き魔術の王サルバーンの軍隊と戦ったりするものもあれば、ずっと未来の空中都市で息詰まる空中戦を演じたりするものあり、中には時代を超えて旅するものや、人間外の動物になりきるものもあるのだ。
そして、ナカジマ4姉妹がやっているのは、とある港町の広い屋敷が舞台で、彼女達はそこに迷い込んだ旅行者という設定のもの。そこで恐ろしいものに遭遇したり、未知の言語で書かれた妖しげな書物を見つけたりして、とりあえずの目的はこの洋館を抜け出すことだ。
このゲームにはGM(ゲームマスター)という存在がいて、ゲーム慣れした者たちならば自分達の誰かがなるものだが、ナカジマ4姉妹は初めてのプレイなので、GMはゲーム機のAIに任せている。
そして今の状況は……
「ううむ、やはりこの部屋が怪しいんじゃないか?」
「待ってチンク姉、迂闊に開けたらまずいって」
「大丈夫だろう、先ほどまで出ていたヤツなら姉が倒している」
「でもさ………」
「ふふふふふふふ、大丈夫だよノーヴェ、チンク姉。いいから開けちゃおう? 私は2人が居れば何も怖くないし誰も怖くなんてないからうふふふふ」
「あたしはこのクラナガンに、幕府を開こうと思うッス」
「む、ディエチの『一時的狂気』がまだ続いているのか」
「ウェンディの馬鹿にいたっては完全に発狂して脱落したし…… それにあたしもそろそろヤバイんだよ!」
「私はまだ正気度たくさんあるぞ」
「チンク姉SAN値判定でいい目ばっかり出すから……」
『そろそろ決めてください、時間がありません』
「え」
『時間切れですね。ではこちらで判定を……67ですか。あなた方が扉を開けるか迷っている間にどこからともなくぺちゃり、びちゃりという粘質な足音が聞こえてきます。明らかに人間のものではないのに、どこか人間を思わせる規則的な足どり…… それが徐々に近づいてくる……」
「新たな怪物のお出ましか」
「ふふふふふふ扉を開けないと捕まるよ、開けよう、開けてしまおうふふふふふふ」
「ディエチ! しっかりしろディエチィィ!!」
このような感じでゲームは進んでいく。全員頭部に専用の機器を取り付けてあり、それによって舞台の世界に、つまりはこの妖しい洋館略して妖館の中にいる状態をバーチャルで疑似体験しているのだ。
だが、その判定は極めて古めかしい方法である。十面(0~9まである)ダイスを2つ振り、それぞれ十の位と一の位の目として00から99までの数値で良し悪しを決めていく。00に近いほどプレイヤーにとって良い結界になり、99に近いほど悪くなる。
そうしてGMが告げていく罠や怪物などを突破していくのだが、この「クトゥルフの呼び声」には他のTRPGとは異なる特徴的な点がある。それが「正気度」、またはSAN値と呼ばれるもので、怪物や妖しげな書物を読んだりすると減っていくものなのだ。それが著しく減退すると「一時的狂気」に陥り、訳の分からない行動をとってしまったりする。
そして、このゲームはバーチャル体験式なので、現在ディエチはその「一時的狂気」の状態にある。そして、そこからさらに狂気が強まると「不変的狂気」になり完全に発狂、ゲームオーバーとなるわけだ、ちょうど気分が征夷大将軍のウェンディのように。
「しかし、こういう遊びはヴィヴィオたちの年代がする『ごっこあそび』のようだな」
「まあ、そうかな、でもダイスの所為で嫌な緊張感が」
「ふふふふふダメだよノーヴェルールに文句言っちゃ。楽しいじゃないうふふふふふ」
こういう遊びは子供の頃誰にもやった事があるだろう。男の子ならヒーローごっこ、女の子ならおままごと、といった具合か。それを大人でも楽しめるように工夫したのがTRPGと言えるだろう。それにしてもなんかディエチが怖い。
『さあ、怪物はとうとうその姿を貴方たちの前に現す。とは言え暗がりでその姿をまともに捉える事が出来ない』
「ノーヴェ、先ほどカンテラを手に入れなかったか?」
「あっ、チンク姉、それ言ったら」
「人の為に生きるのは、真に己の為なのか…… 教えて欲しい、何の為に人は生きるのか」
チンクとノーヴェが新たな怪物に遭遇してる横で、発狂してNPCとなったウェンディがなにやら哲学に目覚めたようだ。
『ノーヴェが持っているカンテラの明かりでぼんやりと怪物の姿が浮かび上がる。それは成人男性よりも一回り大きなもので、人型でありながら腕は人より随分長く、鋭い鉤爪を伴った指先からは異臭を放つ滴が滴っている。だが何よりも特徴的なのはその顔で、まるで魚のような顔で尖った鋸のような牙を持ち腐った焦点の合わない目が貴方達に向けられている』
「あああ、もうダメだね終わりだね。あの怪物に私たちは食べられてしまう。でも私は平気、2人が一緒なら食べられてもいいものふふふふふふふふ」
「ディエチ、帰ってきてくれ! お前さっきからなんか怖いんだよ!」
「ノーヴェ、『一時的狂気』の者に下手に刺激を与えるのは良くないぞ」
『ここでSANチェックです、正気度ロールを行います。正気度の2桁より下の数字なら判定成功となります。チンクからどうぞ』
「では早速」
チンクが十面ダイスを転がし、出た値は十の位ダイスが1、一の位のダイスが6、つまりは16。
『チンク判定成功。貴方は怯まず脅えず、しっかりと怪物を見据え立ち向かう意志を振り絞る』
「ふん、どんな怪物であろうと、2人は姉が守ってやるぞ」
実に頼もしい言葉だったが、”2人”のあたりがウェンディのことを完全に無視していた。まあ、忠告を聞かずにどう見ても妖しげな書物を読んだウェンディが悪いのだが。
「すごいぜチンク姉…… 始めてからほとんど正気度が減ってない。よし、あたしも…… あ、失敗」
「あらあら、私も失敗、ふふふふふふふふふ」
『ノーヴェ、ディエチは正気度減少ですね。ただしノーヴェは初期正気度が高い設定だったのでまだ狂気には陥りません。しかしディエチは』
「ああ、私はもうすぐ正気度が0にふふふ」
「ディエチ、しっかりしろ!」
「ありがとうノーヴェ、でも大丈夫、2人が居てくれれば怖いものなんてないもの。2人だけじゃない。私は家族がいればそれでいいの、この家でみんなと静かに暮らせていければそれでいいの」
「ディエチ……」
『一時的狂気』に入ってから今まで続けていた笑いとは違う、穏やかな微笑みを浮かべながら2人に向けて語り掛けるディエチに、チンクもノーヴェもその内容に胸を打たれる。彼女の性格は知っていたが、ここまで自分達との暮らしを大事に思っていてくれるとは思っていなかった。
これは、もしや普段は心の奥に仕舞ってある、彼女の本心だろうか? それがこのゲームの効果で表に出てきてるのだろうか?
「だからね、絶対に居なくならないでね、この家から居なくならないでね。どこにも行かないで、私から離れないで、死んじゃ嫌だよ? 許さないよ? 恋人なんかもつくらないでね、結婚して家から出て行くのもダメ、私たちはずっといっしょ、ずっといっしょで皆で暮らすの。離れるなんて認めないゆるさない許さないユルサナイ」
怖い。
ディエチが怖い、その笑顔が本当に怖い。凄く穏やかな微笑だから余計に怖い。ノーヴェとチンクの心は一つになった。どうやら彼女の狂気はかなり進行しているようだ、そう思いたい、そうに違いない。
怪物よりもディエチに恐怖してると、そこへ救いの天使が現れた。
「よーし分かった! あたしが代わりに人質になるッスから、その女性を解放するッス! なァに脅えることはない、あたしは見ての通り尻軽だから」
「うふふふふふあらダメだよウェンディ、そんな大声出したらふふふふ」
と、その脳内シチュエーションがどういう事になってるかは不明だが、ウェンディが発した素っ頓狂な言動で、ディエチが生み出した恐怖空間は消え去り、先ほどまでの笑い声をあげる状態に戻ってくれた。それがいいのかどうかは分からないが。
「てゆうか何故尻軽……?」
「多分丸腰のことを言いたいんだと思うぞ」
とりあえず、このゲームが終わったらウェンディに言葉の意味と使い方を勉強させることを心に決め、ゲームを再開する2人。
「さて、こんな魚ごとき、姉が爆破解体してくれる、さあかかって来い!」
ゲームキャラクターの設定ではランブルデトネイターは使えないが、それを指摘するのは野暮だろう。
『先ほどチンクが倒した”歩く骸骨”とは異なり今回の”深き者ども”は耐久性が高いです。またそれ以前に回避した”この世ならざる南極風景”や”蠢く暗黒流動”は展開する前に事なきを得ましたが、今回の相手は貴方たちの目の前です、どうしますか?』
「無論倒す、それだけだ」
「チ、チンク姉まずいって、だってあたししか近接技能持ってないのに、さっき判定失敗しちゃって動けないんだから」
『そのとおり、ごく至近距離まで来ているため、チンクの投擲技能は活かせません。それでも倒そうというのなら、成功率はごく低くなることでしょう』
「言っただろう、倒すだけだと」
「待って! やっぱりここは逃げたほうがいいって!」
「いいえ、お姉さんがやると言ってるんだから、妹は黙って聞かなきゃだめだよノーヴェ。そう。ダメだよダメッたらダメ、お姉さんの言うことは聞きなさい、聞き分けの悪い妹は許さないよ。うん言うことは聞きなさい、離れてはダメよダメなんだから、逃がさない放さない渡さない」
「………ノーヴェ、私はやる、ぜったい反対するな」
「了解」
即答した。シンクタイム0で答えた。何故なら怖いから。何が、というのは最早言うまでもない。
「空を飛んでるわ、ダック!」
その横で、どこか恍惚とした夢見るような瞳でウェンディがなにやらポーズをとっていた。どうやら最近見たラブロマンス映画に感化された行動のように見える。なぜ豪華客船の船首でアヒルを抱えているのかはまったくもって不明だが。
『では判定をどうぞ。その勇気ある行動により先行は貴方です』
「うむ、いくぞ!」
怪物を倒すためというより、ディエチをこれ以上刺激させないために気合を込めて振るったダイスの目は……01。
『お見事、これは素晴らしく凄まじい。チンクの攻撃は怪物の弱点であるエラに直撃し、怪物は大きく怯む』
「ならば畳み掛けるまで!」
『ではもう一度判定を』
そして出た目は、なんと00。奇跡のスーパークリティカルだった。
『………私はこのゲームのマスターAIに過ぎませんが。この状況下で立ち向かう選択をし、そしてここまでの運を引き寄せたプレイヤーは初めてです。素直に賞賛しましょう。おめでとうございます、貴方の攻撃は見事に決まり、怪物は倒れ伏し2度と起き上がる気配を見せない、怪物が消えたことで貴方たちの正気度が若干回復します』
「ふふん、恐れ入ったか」
「チンク姉、マジ凄ェ……」
姉のその強運に、素直に感心するノーヴェは、怪物が消えたことでディエチが正気に戻ってることを期待して後ろを振り返る。
「ふふふふふふ本当に頼りになるお姉さんを持ったね私たちはうふふふふふ」
「校庭で告白される、と法廷で告発される、って2文字しか違わないのにすっごく違うシチュエーションになるッスよねー」
完全な発狂状態のウェンディより、あくまで『一時的狂気』であるはずのディエチのほうが恐ろしく感じるのは果たして気のせいか、と思うノーヴェだった。
「よし、それでは扉をあけて先に進むぞ!」
「ええ!? 屋敷から出ようって! 今なら出来そうだから!」
「うふふふふふふふふふふふ」
「円はいったいどうなっちゃうんスかね。株価も下がる一方だし」
そんな感じでナカジマシスターズのTRPGは続いていくのだった。
あとがき
今回は、なんかいろいろゴメンなさい。特にディエチとウェンディが好きな方々御免なさい。