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[30329] 【完結】小さなラボメン見習い(STEINS;GATE シュタインズゲート)
Name: 正人◆1e4b078b ID:6dd4bd81
Date: 2012/09/18 18:41
想定科学ADV『Steins;Gate』の二次創作です。
以前某掲示板で書いた

・綯「1日ラボメン見習い……?」岡部「そうだ!」
・綯「みんなで遊園地……?」岡部「そうだ!」

の2本を改題&大幅に加筆修正を加えたものです。
時系列はTRUE後となっており、設定はゲーム版準拠です。
アニメでは触れられていなかった部分なので、アニメのみ視聴した方はネタバレにご注意を。





追記:

・Intermission
ここからは書き下ろしです。次回予告みたいなものなので短めですが。

・Re:小さなラボメン見習い
最初に上記シリーズを書いた際、ぼんやりと考えていたけど書ききれなかった展開を何とか形にしてみました。
基本的に『小さなラボメン見習い』を読了したことを前提にしているので、まだ読んでない方はそちらを先にどうぞ。

・Epilogue
これで終了です。長い間、ありがとうございました。


2012 1/17 Re:小さなラボメン見習い(5) 追加
2012 1/24 Re:小さなラボメン見習い(6) 追加
2012 2/16 Re:小さなラボメン見習い(7) 追加
2012 9/15 Re:小さなラボメン見習い(8) 追加
2012 9/18 Epilogue 追加、本編終了



[30329] 小さなラボメン見習い(1)
Name: 正人◆1e4b078b ID:6dd4bd81
Date: 2011/10/30 19:43
「ラボメン見習い……ですか?」

私が尋ねると、あの人は目の前で白衣を大きく翻しました。

「そうだ! 世の中は何事も、等価交換で成り立っている。
 恨むなら、お前を俺に預けたミスターブラウンを恨むのだな。フゥーハハハ!」

外まで響きわたりそうな、大きい高笑い。

「あの、オカリンおじさん」

「おじさんではない、鳳凰院凶真と呼べ」

「うう……」

どうしよう、困っちゃったな。

あ、自己紹介がまだでした。
皆さんこんにちは、天王寺綯です。
今日は日曜日、お休みをお父さんと一緒に過ごそうと思っていたけど……。





それは、今から少し前のことです。

私のお父さんは秋葉原で、ブラウン管工房というお店をやっています。お店にはたくさん古いテレビ
があって、お父さんはそれらを愛してると言ってもいいくらい大事にしていました。
今日もいつもと同じように、お父さんとお店へと向かいます。

……でもそんな時に限って、いつもと違うことが起きたりするんですよね。

お店に着いた途端、お父さんに電話が入りました。

「綯、急な仕事が入っちまってな。今日は一緒にいれねえんだ」

お父さんの仕事は正直暇そうですけど、たまにお客さんからの呼び出しがあったりして忙しいこともあります。

そんな日はお父さんと一緒にいれないから、ちょっぴり残念だなあ。

でも、私も来年から中学生。1人でお留守番なんてへっちゃらです!

「あれ、じゃあ萌郁お姉さんは?」

「さっきメールがきてな、あいつ風邪引いたから今日は休むって。
 全く、健康管理がなっちゃいねえぜ」

萌郁お姉さんは、最近お店に入ったバイトさん。無口なところがあるけれど、とっても優しい人です。
でも、風邪を引いたなんて、心配だな。

「私、お見舞いに行きたい!」

「お見舞い? まあ、別にそれは構わねえが、バイトの家がどこだか知ってるのか」

あ……そういえば、私お姉さんの家がどこにあるか知らなかった。
でも私の様子を見て、お父さんが何かひらめいたようです。

「ああ、もしかしたらまゆりちゃんが知ってるかもな」

まゆりお姉ちゃん。いつも明るくニコニコしていて、私も大好きな人。

「そうだな――綯、もしお見舞いに行きたかったら、まゆりちゃんに、一緒に行きたいって頼んでみたらどうだ?
俺もまゆりちゃんがお前を預かるってんなら、安心して出かけられる」

「そ、そうだね! そうするよ」

まゆりお姉ちゃんと一緒なら、私も心強いです。





「……というわけで、綯を預かってくれ」

「で、なぜそれを俺に頼むんです?」

「しかたねえだろ、お前しか部屋にいねえんだから」

私はお父さんの背中に隠れて、揉める2人の様子をじっと覗いています。
お父さんとお店の2階――未来ガジェット研究所を訪れると、まゆりお姉ちゃんはまだ来ていなかったようでした。

そして、代わりにいたのがこの人。

「お断りします。俺は忙しいのだ」

ボサボサの頭に、しわだらけの白衣。
岡部倫太郎さん、通称オカリンおじさんです。

「……オカリンおじさん」

お父さんの陰からおずおずと話しかけてみると、オカリンおじさんは嫌そうに顔をしかめます。

「ミスターブラウン、娘の教育はちゃんとしていただけませんか? おれはおじさんじゃないと何度言ったら――」

「いちいちうるせえな。オッサン臭い見た目してるお前が悪い」

お父さんが指の関節をポキポキ鳴らすと、オカリンおじさんは急に黙り込んでしまいました。
いつもは優しいお父さんも、私とブラウン管のことになると熱くなり過ぎてしまいます。
そういうところがたまに傷なんだよなあ。

「本当はまゆりちゃんに頼もうと思ったんだがな。とにかく、今日1日だけでいい。俺もすぐ行かねえと」

「うぐ……分かりました。その代わり、今月の家賃は」

「待ってやってもいいが、びた一文負ける気はねえ」

「なっ――!」

……どうやら、話はまとまったようです。

「じゃあな、綯。岡部の野郎に何かされたら、すぐ連絡するんだぞ! 
 お父さん、すぐ帰ってきて助けてやるからな」

「人を暴漢みたいに言わないでもらえますか? きちんと預かりますから」

「……本当に、何かしたらぶっ殺すからな」

バタンと大きな音を立てて、お父さんは行ってしまいました。
お父さんがいなくなると、さっきまで騒がしかったこの部屋も静かになってしまいました。

「えと……今日は、よろしくお願いします」

「うむ」

正直、オカリンおじさんとはあまり話したことがありません。
だって、いつよく分からないことを言っていて怖かったから。
最近教えてもらったのですが、そういうのを『厨二病』と呼ぶのだそうです。
そんな病気があるなんて、今まで知りませんでした。


「……………………」


……何か話さないと、やっぱり気まずいです。でも、何を話したらいいんだろう?
すると、オカリンおじさんが携帯を取り出しました。

「俺だ。今、強力な精神攻撃を受けている。
 これは機関の『空間氷結(エアーフリーズ)』が発動している可能性が……なに、お前たちが作戦を遂行する時間は稼げる。

 だが、早急に対策を練らねば。エル・プサイ・コングルゥ」

どうやら、誰かとお話ししてるようです。話の内容は私にはよく分かりません。

「さ、さて、小動物よ」

携帯をしまうと、突然オカリンおじさんが私を指差します。

「俺と2人きりになったのが運のつき、お前には、実験台として存分に働いてもらうぞ!」

フゥーハハハ! と大きな笑い声を出すオカリンおじさん。
でも、実験台って……。もしかして、痛いことされるの?
どうしよう、足がすくんで動けない。オカリンおじさんて、ホントに危ない人じゃ――。

「天王寺綯!」

「ひっ――」

口の端で、ニヤリと笑って。


「お前を、今日1日ラボメン見習いとする!」





というわけで、なぜか私はラボメンにされてしまいました。
なんで、こんなことになっちゃったんだろう?

「まあ他のラボメンもそのうち来る。それまで、ラボの案内をしてやろう」

「……わかりました」

もう少しすればまゆりお姉ちゃんも来るだろうし、素直に従った方がよさそうです。
そういえば、ここって何をしてるところなんだろう? そもそもラボメンって何?

「ここ未来ガジェット研究所では、機関の攻撃に備え、世界の支配構造を塗り替えるための研究を行っている! 
 お前も1日限定とはいえラボメンになったのだから、ラボの繁栄のために尽力してもらおう」

じ、尽力って……結局、何も分からずじまいです。

「よし、それではまず、わがラボで発明された未来ガジェットを紹介しよう!」

そう言って、オカリンおじさんは何かガラクタみたいなものをごちゃごちゃと取り出してきました。

「まずはこれだ、未来ガジェット1号機『ピット光線銃』!」

ものすごく得意げに取り出したのは、おもちゃの光線銃。

「なんですか、これ?」

「これは見た目はただの光線銃だが、実はテレビのリモコンが内蔵してある」

「へえー」

さっき研究って言ってたけど、色々なものを作ってるんだ。オカリンおじさんはいっつも白衣を着てるし、何かの実験をしてるのかもしれません。

「あの、試していいですか?」

「勿論だ、テレビはそこにある」

オカリンおじさんがテレビの電源を付けたので、私はさっそく、狙いをつけて引き金を引きました。
その瞬間、朝のニュース番組がドラマの再放送に切り替わりました。

「すごい、チャンネルが変わった!」

「そうか! お前にはこれの価値が分かるのだな。クリスティーナ達とは大違いだ」

「あれ? でもこれって、他の操作は……」

「うむ、残念ながら、チャンネル送りしか出来んのだ」

「そ、それだけですか」

……ショボい。

「じゃあ、こっちは?」

「それは未来ガジェット2号機『タケコプカメラー』だ。動力なしで上空からの撮影が可能になっている。
 ……しかし、カメラも一緒に回転するから、映像を見ると高確率で酔う」

「あの、なんに使うんですか、そんなもの」

「分かってないなあ小動物よ! 世紀の大発明とは得てして偶然から生まれるものなのだよ」

……そういえば、この前お父さんが言ってました。

『いいか綯、あいつは下らないモンばっか作ってる変わり者だからな、あまり関わり合いになるなよ』

今、その言葉の意味が良く分かった気がします。
そんなことを考えていると、後ろでドアの開く音が聞こえてきました。

「おいーっす。オカリンまた泊まり? たまには家に帰るべき」

「おお、ダルか。今日は早いのだな」

樽みたいに膨らんだ大きなおなかに、太い腕。
この人はダルおじさん。正直、オカリンおじさんと同じくらいこの人は苦手です。
……でも、きちんとあいさつしないと。

「お、おはようございます」

「あれ――オカリン、自首するなら今のうちだお。ブラウン氏に殺されるより留置所の方が」

「ウェイウェイウェイ! 勘違いするなよダル、これはミスターブラウンに頼まれたのだ!」

オカリンおじさんは慌てて、ダルおじさんに事情を説明しました。

「ほうほう、綯氏がラボメン見習いね。つーか、なにさせる気?
 まさか、未来ガジェットの実験台としてあんなことやこんなこと……ハア、ハア」

「ひう!」

オカリンおじさんの話で私がここにいることは納得したようですが、急に鼻息荒く興奮し始めて怖いです。私は物陰に隠れて、なるべくダルおじさんの視界に入らないようにしました。

「おい、いきなり妄想を垂れ流すな! 怯えているだろうが」

「フヒヒwwwサーセン」

「うう……」

なんだか、すごく嫌なオーラを感じます……。
学校のホームルームで目撃情報が出る不審者さんって、こんな感じなんだろうなあ。

「……小動物よ、少し離れてはくれないか」

「え?」

そう言われて我に返ると、私はオカリンおじさんの後ろに隠れて、しわしわの白衣の裾を握りしめていました。

「あ――」

裾を手放して、部屋の隅まで思いっきり後ずさります。
物陰に隠れようと必死になって、何に隠れたのかまでは気が回ってませんでした。

「そ、そこまで飛びのかなくても……」

オカリンおじさんは、何だかショックを受けたようです。
失礼だったかもしれないけど、やっぱり2人とも苦手なんですよね。

「オカリンの嫌われ具合も中々」

「黙れこのHENTAIが! お前と一緒にするな」

「……で、何で急にラボメン見習い? わざわざそんなことしなくても普通に預かればいいじゃん」

「愚問だな、俺の労働の対価としてこいつにも働いてもらう」

その言葉を聞いて、ダルおじさんはあきれたようにため息をつきました。

「ははー、気まずくなってまた厨二病暴発したんだろ? ちっちぇー、人としての器がちっちぇーよオカリン」

「う、うるさい! 余計なお世話だ」

オカリンおじさんは顔を真っ赤にしてます。もしかして、図星だったのかな?

「そ、そんなことより、お前がまゆりより早く来るとは珍しいな」

あ、話そらした。

「今日まゆ氏はバイトだお。オカリン忘れてたん?」

「そ、そうだったか?……それよりも、何故お前はまゆりのシフトを知っているのだ」

「行きつけの店の情報ぐらい全部把握してるって! まあ、僕の目当てはフェイリスたんだけど」


ふーん、まゆりお姉ちゃん、バイトなんだ。
あれ、それじゃあ一緒に萌郁お姉さんのお見舞いに行けない! ど、どうしよう……。

「あ――あの!」

「「ん?」」

突然大声を出してしまったので、2人の視線が痛いです。
お、怖気づいちゃダメ! 勇気を出さなきゃ……。

「お2人に、お話があります……!」






「萌郁が、風邪を引いた?」

「なるほど、それでお見舞いに行きたいと――僕もょぅι゛ょに見舞われたい!」

「ダル、少し自重しろ」

「萌郁お姉さんのおうち、どこなのか教えてほしいんです……だめ、ですか?」

オカリンおじさんは背が高いので、見上げないと上手く顔が見えません。だけど、どうしても怖いので顔を伏せて目だけで顔色をうかがってしまいます。

「ょぅι゛ょの上目遣いでお願いキター! まったく、小学生は最高だぜ!」

うう、お父さん、ダルおじさんはやっぱり怖いです……。何でいちいち興奮するんだろう?

「ダル、まゆりのバイトが何時に上がりになるかわかるか」

「確かお昼前には終わるはず。それまで待つ?」

「いや、今からならメイクイーンにいた方が早いかもな……小動物よ、お前に最初のミッションを与えよう!」

オカリンおじさんは大げさに手を振り上げ、私のことを指差しました

「ラボメンNo.005、桐生萌郁の治療……それが、お前に課せられた使命だ!」

ミッション? 私はただ、お見舞いしたいだけなのに。オカリンおじさんとは、何だか話がかみ合いません。

「綯氏、これはもうオカリンの病気みたいなものだから。スルー推奨だお」

……オカリンおじさん、やっぱり病気なのかな。





結局私たちは、まゆりお姉ちゃんを訪ねてバイト先のメイド喫茶までやってきました。
私、メイド喫茶なんて初めてだ。まさか、オカリンおじさんたちと来ることになるなんて、思ってもみなかったです。

「お帰りニャさいませ、ご主人様♪……ってあれ? 凶真!」

店に入った途端、オカリンおじさんに何かが飛びついてきました。

「うお! いきなり抱き着こうとするな暑苦しい!」

「オカリン、小学生と戯れてさらにはフェイリスたんまで……許さない、絶対にだ」

この猫耳をしたメイドさんは確か、まゆりお姉ちゃんのお友達のフェイリスさん。

「お前は、今日も店に出てるのか」

「そろそろ2号店もオープンするから、バリバリ働かないと全然追いつかないのニャ! 凶真も一緒に働かないかニャ?」

「断る。俺が猫耳メイドになる必要性がない」

確かにそうですよね。オカリンおじさんとメイド喫茶、すごく場違いです。
でも一瞬だけ、オカリンおじさんの猫耳メイド姿を想像して――。


『お、お帰りニャさいませ……って猫耳なんてつけられるか!』


顔を真っ赤にして、猫耳を地面にたたきつけるオカリンおじさん。
――これはヒドイ。

「どうした? 何だか顔色が悪いようだが」

「な、なんでもないです!」

さすがにあんな想像しちゃったなんて、本人に言えるわけないですよね?

「あれ、その子は……?」

オカリンおじさんの後ろから、猫耳がヒョコッと覗きます。

「ああ、ミスターブラウンの娘、天王寺綯だ」

「始めまして。ラボメンNo.007、フェイリス・ニャンニャンニャ!」

両手を猫みたいに丸めて、ファイティングポーズをとるフェイリスさん。こうして面と向かって話すのは初めてだった気がします。

「……ねえ、ここで働いてみないかニャ? こんなかわいらしいメイドさんなら売上倍増間違いなし――」

……はい?

「おい、こいつを誑かすのはよしてくれ。俺の命もかかっているのだ」

「ええー、凶真のいけずー!」

フェイリスさんはわざとらしくむくれてそっぽを向きましたが、あの目は明らかに本気でした。
なんというか……『獲って食うぞ』みたいな視線だった。

「今日はどうしたのニャ? まさか、今日も世界の支配構造を塗り替えるための作戦会議かニャ?」

「いかにも。今こうしている間にも、機関の魔の手はすぐそこまで迫っている」

「ニャニャ!? それなら、このアキバを守る守護結界を強化しないと……機関の企む終末の刻は、いつ訪れてもおかしくないのニャ!」

「フン……この狂気のマッドサイエンティスト、鳳凰院凶真にかかればそんな陰謀を壊滅させるなど造作もない!」

「さすが、アキバを守護する四天王の1人。フェイリスも、有事の時には天山山脈で兄弟子を犠牲にしてまで手に入れた、必殺奥義を――」

「……前は、ギアナ高地と言ってなかったか?」

オカリンおじさんもフェイリスさんも、すごいスピードで話しています。耳には入って来るけれど、意味はほとんどわかりません。

「あの……お2人は、何を話してるんですか?」

「ぶっちゃけ、僕にもわけわからん。オカリンの話についていけるのはフェイリスたんだけだしなあ」

もしかして、フェイリスさんもオカリンおじさんみたいな人なのかな?……だったら、ちょっと嫌だな。
私が不安そうにしてたからか、ダルおじさんが2人に話しかけてくれました。

「なあオカリン、さすがに綯氏がかわいそうになってきたのだが。明らかに不審者を見る目つき」

「ああ、そうだった。フェイリス、まゆりはいるか?」

「マユシィなら奥で接客中ニャ。それでは、3名様ご案内ニャーン!」

私たちがテーブルにつくと、フェイリスさんは駆け足で行ってしまいました。
それにしても、ものすごくたくさん人がいます。ここのメイド喫茶は、人気があるようです。

「小動物よ、何か好きなものを頼んでいいぞ!」

「好きなもの――ですか」

さっきからメニューを眺めていますが、何だかたくさんあって悩んでしまいます。
それに、値段もびっくりするくらい高くて、ちょっと遠慮しちゃうな。

「えっと、この『特製オムライス』で」

「そうか、じゃあ俺もそれでいいか」

その時、ニコニコとしたメイドさんが私たちに駆け寄ってきました。

「ご注文はお決まりになりましたかニャーン?」

「あ、まゆりお姉ちゃん!」

猫耳に長い髪のかつら。いつもと姿は違うけど、その笑顔は私の大好きなまゆりお姉ちゃんのものでした。

「ああー! 綯ちゃん、トゥットゥルー♪」

「トゥットゥルー♪」

これは、まゆりお姉ちゃんがいつもしてるあいさつみたいなものです。
ちょっと変わった言葉だけど、口に出してみると明るい気分になれます。

「さっきまでの暗い表情が嘘の様だお……悔しい! でも、ビクンビクン」

すごく手間がかかったような気もしますが、これでやっと用事が済みそうです!

「まゆりお姉ちゃん、実は、お願いが……」

私は、萌郁お姉ちゃんが風邪を引いてしまったことを話しました。

「ええー! 萌郁さんが風邪? それは心配なのです」

「それで私、お見舞いに行きたくて……」

「うん、萌郁さんの家は知ってるし、まゆしぃも一緒に行くよ!」

まゆりお姉ちゃんは真剣な顔になって、コクコクと頷いています。

「ホント!? ありがとう、まゆりお姉ちゃん!」

あんまり嬉しかったので、席を立ってまゆりお姉ちゃんに飛びついてしまいました。

「猫耳メイドとリアルJSがハグしあうなんて……萌える」

「ダルくん、鼻血出てるよー? ところで、オーダーはお決まりでしょうかニャ?」

「特製オムライスを3つとオレンジジュース、あとコーヒー2つだ」

オカリンおじさんの注文をテキパキと確認すると、猫の手を作って小首をかしげました。

「はい、かしこまりましたニャン。少々お待ちくださいニャーン♪」

その笑顔のまま、まゆりお姉ちゃんはすぐに向こうへと行ってしまいました。
まゆりお姉ちゃん、忙しそうだな……。むりやり頼んじゃった気がして、ちょっと申し訳ないです。

「……案ずるな。まゆりは、心から萌郁のことが心配なんだろう。遠慮することはない」

オカリンおじさんが私に語りかけます。その声はとてもまじめで、今までの怖い感じとかは全く感じません。
……今日初めて、オカリンおじさんの口から私もよく分かる言葉を聞いた気がしました。

「それに、まゆりは俺の人質だからな。拒否権など存在しないのだ、フゥーハハハ!」

訂正します。やっぱりいつものオカリンおじさんでした。



「おっ待たせニャーン! 特製オムライス、ただいまお持ちしましたニャ!」

フェイリスさんが器用に3つのオムライスを持ってこちらにやってきます。ものすごいバランス感覚で、思わず見とれてしまいました。
おなかが減っていたので、早速目の前に置かれたオムライスを口に運びます。

「――おいしい!」

「うむ、やはりうまい。ただ萌えを提供するだけにとどまらず、料理にも力を入れているからこそここまで人気が出たのだな」

私のオムライスには、ケチャップで大きく『萌え萌えキュン!!』と書かれていました。
こういうところが、メイド喫茶ならではなのかな……勉強になります。
でもオカリンおじさんのは、すぐスプーンで平らに伸ばされて見れませんでした。なにか見られると恥ずかしいことでも書かれたのかもしれません。

「オカリン、その癖やめなって。その文字があってこそ、このオムライスの美味しさが際立つのに」

「お前の意見など聞いていない! くそ、『LOVE注入!』とか悪ふざけにもほどがある……!」

オカリンおじさんは、耳まで赤くなっています。フェイリスさんがからかったのかな?
……その時、どこからか何かが震えるような音。

「む、メールか」

オカリンおじさんが白衣のポケットに手を突っ込んで、携帯を取り出しました。


From 助手
Sub 今どこ?

ラボに行ったら誰もいないorz
このまま来ないなら勝手にお昼
食べちゃうから!
ラボにあったカップ麺にしよう
と思うけど別にいいわよね?


「……そういえば、クリスティーナのことをすっかり忘れていた」

「なにか、あったんですか?」

「大丈夫だ、問題ない……でも、連絡はしてやらないと」

そう呟いて、また携帯をいじりだします。その顔は、なんだか少し嬉しそうでした。





「えっへへー、綯ちゃんの手、ちっちゃくてかわいいねー」

「まゆり、言い方が怪しすぎるぞ」

オムライスを食べ終わって、私たちは近くのスーパーで買い物中です。ダルおじさんは、もう少しお店にいると言っていました。
本当は、直接萌郁お姉さんの家に行こうと思っていたんですが……。



『おい、何か買っていった方がいいと思うぞ』

『それもそうだねー、風邪なら買い物も大変だもん』

『それに断言してもいいが、指圧師の家にはおそらく大した買い置きはない!』

『ええー、さすがにそんなことないとおもうけどなー』



オカリンおじさんの提案で、なるべく消化のよさそうなものをたくさん買っていくことになりました。
でも、オカリンおじさんの言い方は、まるで萌郁お姉さんの家に行ったことがあるような口ぶりでした。……もしかしたら、ホントに行ったことがあるのかな?

「うわー、レジすごく混んでるねー」

「今日は特売日のようだったからな。やむを得まい」

レジまでは長い行列ができていて、背伸びしないと先が見渡せません。
オカリンおじさんはお米やスポーツドリンクを抱えて何だか辛そうです。でも、まゆりお姉ちゃんはおなじくらいくらい重そうな荷物を持っているのに、顔色1つ変えないのはびっくりです。
……おじさん、体力ないんだなあ。

「あー!!」

突然、まゆりお姉ちゃんが叫び声をあげました。

「な、なんだまゆり、いきなり大声出して」

「あのね、おだし買うのを忘れてたの! どうしよう、とって来ないと……」

まゆりお姉ちゃんが慌てています。ここで列を抜けてまた並び直すと、ものすごく時間がかかりそうです。それに、2人とも荷物で手がふさがってるし……。

よし!

「わ、私が取りに行きます!」

「え、綯ちゃんが?」

まゆりお姉ちゃんが心配そうに声をかけてきます。

「まゆりお姉ちゃん、たくさん荷物持って大変そうだし……すぐ戻って来ます!」

私は返事を待たずに、列から駆け出していました。



少し走ると、すぐにだしがあるコーナーまでたどり着きました。

「えーと……あった!」

いつも家で使ってるだしの素。でも、家の近くのスーパーに比べてちょっと高いところに置いてあります。

「んー……!」

思いっきり背伸びして手を伸ばしても、もう少しのところで届きません。
クラスの中でも背が小さい方ですが、あんまり気にしたことはありませんでした。
だってあと何年かすれば、私も萌郁お姉さんみたいにおっきくなれるもん。
でも、今ほどすぐに身長が欲しいと思ったことは初めてです。もう少し、あとちょっとなのに……。





その時、私の視界に白い袖。





「あ――」

「こら、急に走り出すな。はぐれたらどうするつもりだったのだ」

頭の後ろから聞き覚えのある声。振り返ると、そこにはだしを手にしたオカリンおじさんが立っていました。

「あ、あの――もしかして、取ってくれたんですか?」

「だって、全然届いてなかったぞ」

そ、そうだったのか。私からはもう届きそうに見えたのに。
オカリンおじさんは片手でバランスよく自分の荷物を持っています。その顔はあくまで涼しそうですけど、腕がブルブルふるえちゃってます。私にだしを手渡して、やっと一息ついたようです。

「その、ありがとうございます」

お礼を言うと、オカリンおじさんは、口の端でにやりと笑います。

「フン、貴様もラボメン見習いとしての自覚が出てきたようだな! 目上の者を敬うことは組織では重要だぞ」

あう……また病気が出てきました。せっかくお礼をしてるのに。

「……それに、困ったときは仲間を頼れ。欠けたところを補い合うのが仲間の本質だ」

照れくさそうにそういうと、オカリンおじさんはレジへ歩き出します。
仲間、か。なんだか、オカリンおじさんっぽくないセリフです。

「ほら、早くしろ。まゆりが待ってるからな」

「あ、ちょっと待ってください!」

その背中を、私は追いかけます。



……今まで、怖くて避けてたから気が付かなかった。
オカリンおじさん、親切なところもあったんだ。





[30329] 小さなラボメン見習い(2)
Name: 正人◆1e4b078b ID:6dd4bd81
Date: 2011/11/02 21:47
「ここが……」

「ああ、色気もへったくれもないな」

お世辞にもキレイとは言えない玄関ドアの前で、オカリンおじさんがぼそっと呟きました。

「オカリーン? そんなこと言っちゃダメなんだよー」

まゆりお姉ちゃんが頬を膨らませて言い返します。
私たちは買い物を済ませ、萌郁お姉さんの家にやってきました。
萌郁お姉さんのアパートは、予想と違ってとても質素な感じです。
とってもきれいな人だから、住むところもオシャレなのかなって思ってました。

「萌郁さーん、いますかー?」

まゆりお姉ちゃんがドアをノックして呼びかけると、時間をおいて鍵が開く音が聞こえました。

「萌郁お姉さん!」

薄く開かれたドアから、萌郁お姉さんの顔がのぞきます。
大きなマスクをしてメガネをはずした萌郁お姉さんは、とっても苦しそうです。
私たちが来たことに気付いたのか、携帯を取り出してすごいスピードでメールを打ち始めます。


From 閃光の指圧師
Sub お見舞い

わざわざ来てくれてありがと
う♪
頭も痛いし体もだるくて大変
だよー!><
喉もはれちゃって喋れないか
ら今日はメールで勘弁してね
☆ 萌郁


「萌郁お姉さん、大丈夫?」

私が聞くと、わずかに首を縦に振りました。どう考えても無理してる……。
それに、今はメールがあるからいいけど、声が出せないなんて不便です。

「いろいろ買ってきてやったから、今はゆっくり休め」

オカリンおじさんも、さすがに心配そうにしてます。
背中を丸めた萌郁お姉さんに招かれて、私たちは家に上がりました。

――そして中を覗いた瞬間、思わず目を疑ってしまいました。

「……指圧師よ、これはどういうことだ?」


From 閃光の指圧師
Sub 恥ずかしい><

最近お掃除してなくて……
岡部君たちにこんなとこ見ら
れちゃうなんて!
出来れば、見なかったことに
してほしいな(汗) 萌郁


台所に散らかった、コンビニ弁当やカップ麺のゴミ。床には洗濯物が無造作に置かれています。
メールの通り、ホントに全然お掃除していないようです。
……萌郁お姉さん、掃除とかできない人? 何だか意外です。

「あ、あの、台所借りますね!」

早速料理に取り掛かろうと思って、冷蔵庫に手をかけます。
まさか、この中までゴチャゴチャになってたりして……。
私は意を決して、勢いよくドアを開きました。




中には、少しの調味料以外何も入っていません。




どうやら、オカリンおじさんの言ってたことは当たってたようです。
これじゃあ、まともなごはんなんて作れるわけありません。
……ということは萌郁お姉さん、朝から何も食べてないのかも。お見舞いに来て、ホントに良かったです。

「部屋がこんな状態じゃ、風邪だって引くに決まっている。
 まゆり、掃除を手伝ってくれ。小動物は料理の方を頼む」

「わかったー。綯ちゃん、1人で大丈夫?」

「うん、大丈夫」

まゆりお姉ちゃんが尋ねてきましたが、私は大きく頷き返します。
私の家はお父さんと二人暮らしなので、お料理は普段からやってます。1人でも全然平気です!

「よし、それでは状況開始だ!」



私が料理する様子を、まゆりお姉ちゃんが後ろから興味深そうにのぞきこんできます。
ネギを刻みはじめると、感心したように声をかけてきました。

「おお、綯ちゃん上手だねー! 今度まゆしぃにも教えてほしいな」

「うん! また今度、一緒にお料理しよ!」

まゆりお姉ちゃんと料理かあ。今からとっても楽しみです。
一方オカリンおじさんは、大量のゴミをゴミ袋に詰め込もうと四苦八苦しています。

「まゆり、料理の観察もいいがそろそろ手伝ってくれ!」

額に汗を浮かべてそう叫ぶ姿は、掃除をしてるとは思えません。何かと戦ってるみたいです。
あんまり大変そうなので、私は料理の手を止め、その背中からゴミ袋の中をのぞいてみました。

「す、すごいゴミの量ですね……」

「全く、詰めても詰めても――ってうお!?」

オカリンおじさんは私を見て、すごい勢いで後ずさりました。
その顔は怖いものを見たように歪み、さらに汗が噴き出ています。

「……どうしたの、オカリンおじさん?」

「ハッ――い、いや。お前が包丁を持ってるからなんというか、トラウマが……」

そういえば、包丁を持ったままでした。人には向けないようにしてたけど、ちょっと危なかったかもしれません。
……だけど、驚き方が大げさすぎる気がします。
まさか刺されるとでも思ったのかな?





それから、また時間が経って。

「できた!」

「すごい! 何だか、まゆしぃもお腹が減ってきちゃったなあ」

その直後、ホントにお腹が鳴る音が聞こえてきました。

「……一応言っておくが、これは萌郁のだからな」

「いくらまゆしぃでも、つまみ食いはしないよー。えっへへー」

オカリンおじさんに注意されて、まゆりお姉ちゃんは恥ずかしそうに笑います。
まさか、ホントにつまみ食いしないですよね?
まゆりお姉ちゃん、いっつも何か食べてるから、ちょっとだけ心配です。

私特製の卵がゆ。体があったまるように、刻んだネギも入れてみました。
これを食べて、萌郁お姉さんが早く元気になってくれればいいなあ。

「萌郁、お粥ができたぞ」

私たちがおかゆを持っていくと、萌郁お姉さんは部屋の真ん中に敷かれた布団の中で寝込んでいました。
オカリンおじさんたちががんばって掃除してくれたおかげで、何だか部屋もすっきりしています。

「萌郁お姉さん、具合はどう? おかゆ食べられる?」

小さく頷いて、萌郁お姉さんがおかゆをゆっくりと口に運びます。

「……!」

目を見開いて、枕元にあった携帯でまたメールを打ち始めました。


From 閃光の指圧師
Sub おいしい!

とってもおいしいよ!
今朝から何も食べてなかった
から実はお腹すいてたんだ☆
これを食べれば、風邪なんて
すぐ治っちゃいそう!
萌郁


「よかったあ。早く、元気になってね!」

短い文面ですが、おいしいの一言だけで心があったかくなります。お見舞いに来たのに、私まで元気が出てきました。
おかゆをどんどん口に運ぶ萌郁お姉さんは、ほんの少しだけ笑ってるように見えました。



「萌郁さん、今日はゆっくり休んでね。綯ちゃんものためにも!」

「バイバイ、萌郁お姉さん。お夕飯もお鍋の中にあるからね」

私たちが手を振ると、萌郁お姉さんも振り返してくれました。
あれから萌郁お姉さんも少し調子が良くなったみたいで、メールをつかっていろいろおしゃべりして過ごしました。
これからは、きちんとお掃除してほしいなあ。あれじゃあ、足の踏み場もありません。
私は静かにドアを閉めて、2人の方に向き直りました。

「指圧師もだいぶ具合がいいようだし、2、3日もすれば全開するだろう」

「だけど、やっぱり早く元気になってほしいなあ……」

他に、何かしてあげられること……うーん、全然思いつきません。
私が頭を抱えていると、まゆりお姉ちゃんが何かひらめいたようです。

「それなら、柳林神社で神様にお願いしようよ! 萌郁さんの風邪が、早く良くなりますようにって!」

「うん! 私も行きたい!」

神様にお願いか……それならきっと、萌郁お姉さんも元気になってくれるはず。
早速まゆりお姉ちゃんと手をつないで出発しようとすると、オカリンおじさんの白衣から携帯のバイブ音が聞こえてきました。

「あれ、またメールか」


From 助手
Sub ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

なんかすごい地震キタ!!
橋田も帰っちゃったしどうし
よう。
このビル耐震とか大丈夫なん
でしょうね!?


「地震……? まゆり、お前分かったか」

「んー、全然気づかなかったよー。綯ちゃんは?」

まゆりお姉ちゃんが不思議そうに聞いてきます。
私も全然気が付かなかったので、首を横に振って答えました。

「……まあいい、早く柳林神社へ行こうではないか」

携帯をしまって平然と歩き始めましたが、オカリンおじさんは何かが気がかりなようでした。





「あ、るかくん! トゥットゥルー♪」

こじんまりとした神社の前で、巫女服のお姉さんが刀を振っています。
その姿はこの神社の雰囲気によく溶け込んでいて、思わず見とれてしまいました。

「39……40! あれ? まゆりちゃん、おか――凶真さん」

まゆりお姉ちゃんの呼びかけで気づいたのか、そのお姉さんはこちらにパタパタと駆けてきます。

「今日は、どうしたんですか?……あれ、その子は」

「天王寺綯、ミスターブラウンの娘にして、今日1日ラボメン見習いとして働いてもらっている」

「へえ……こんにちは。ボク、漆原るかと言います」

その笑みはとてもやわらかで、まるで女の子のお手本みたいです。……正直、憧れちゃうなあ。

「ルカ子よ、さっきも清心斬魔流の修行に取り組んでいたようだな。では、合言葉を」

「は、はい! えっと……エル・プサイ・コンガリ――」

「違う、コングルゥだ! なぜだ、何故覚えてくれない! お前もラボメンなのだから、少しは自覚をだな……」

オカリンおじさんは頭を抱えて唸っています。
でもこの人――るかお姉ちゃんも、ラボメンみたいですね。そういえば、お店の前で何回か見かけたことがある気がします。
……そうだ、萌郁お姉さんの風邪が治るようにお願いしないと!

「あ、あの、るかお姉ちゃん」

「え、おねえ――」

何だかおろおろしだするかお姉ちゃん。あれ? 反応がおかし気がします。私、何か変なこと言ったかな。

「……知らぬが仏か」

オカリンおじさんは何か知ってるようです。なんだろう、気になります。

「ルカ子よ、お前に祈祷をお願いしたい」

「萌郁お姉さんの風邪が治るように、神様にお願いしたいんです!」

まゆりお姉ちゃんが事情を説明すると、るかお姉ちゃんは弾けるように神社の方へ駆けていきました。
すぐに戻ってきたお姉ちゃんは、よく巫女さんが持ってる白いわさわさのついた棒を取ってきたようです。

「そ、それでは、桐生さんの健康を祈って」

るかお姉ちゃんが棒を振ると、わさわさが擦れ合って音が鳴ります。
私はあんまりこういうのは詳しくないですが、なんだかすごく効き目がありそうです。
私も、一生懸命心の中でお祈りしたので、きっと大丈夫!

「うむ、中々だったぞ。これからも精進するように」

オカリンおじさんも、さっきより上機嫌です。るかお姉ちゃんも何だか照れくさそう。

「ねえねえるかくん、実は、お願いがあるんだけど」

お祈りが済むと、まゆりお姉ちゃんがおずおずと声をかけました。

「……なに? まゆりちゃん」

「今度ね、近くでコスプレのイベントがあるんだけど、るかくんに来てもらいたいコスがあるのー」

「ええ!? また、あんな格好に――は、恥ずかしいよ……」

るかお姉ちゃんはモジモジしていますが、まゆりお姉ちゃんは全く気にしていないようです。

「大丈夫だよー。るかくん、もう男の娘としてすごく有名なんだよ。
 『こんな可愛い子が女の子のはずがない』って」

「あ、何でちょっとずつ近づいてきて――」

全部言い切る前に、るかお姉ちゃんはまゆりお姉ちゃんに羽交い絞めにされ、向こうへと引きずられていきます。


その直後、助けを求めるようなか細い悲鳴が神社にこだましました。


……でも、そんな姿も魅力的です。

「オカリンおじさん、『おとこのこ』ってどういうことですか?」

2人をしり目に私が質問すると、オカリンおじさんは少しだけ考え込むそぶりを見せて、

「お前は気付かなかっただろうが、ルカ子は正真正銘の男だ」

「…………え?」

その言葉の意味を理解するのに、たっぷり3秒はかかりました。
るかお姉ちゃん、どこからどう見ても女の子にしか見えません。でも、それなら私が『お姉ちゃん』と呼んだ時の反応も説明がつきます。
男なのにお姉ちゃん呼ばわりじゃ……失礼ですね、かなり。

「あいつも、女にしか見えない自分がコンプレックスだった。
 それでもルカ子は、その見た目を楽しもうと決めたんだ」

オカリンおじさんは、2人の姿を見つめて微笑んでいます。

「だからお前もまゆりみたいに、外見にとらわれず仲良くしてやってくれ」

「も、もちろんです!」

るかお姉ちゃんが男の人だなんて信じられない。でも、その優しさは本物だと思うから。
……さすがにあんな強引なスキンシップはしませんけど。

「フフ、フゥーハハハ! それでこそ、わがラボの一員にふさわしい!」

突然大きな笑い声。それも、今日1日で慣れてきてしまいました。




るかお姉ちゃんと別れてラボに帰るころには、日が傾き始めてしまいました。
まゆりお姉ちゃんがドアを開くと、ラボの中には女の人が1人だけ。
こちらの気配に気づいたのか、その人は手元に落とされていた視線をこちらに向けました。

「今帰ったぞ……って、クリスティーナだけか」

「だから、クリスティーナって言うな!……で、桐生さん、大丈夫だったの?」

心配そうにオカリンおじさんに問いかけてきます。

「案ずるな、俺たちの華麗な看病とルカ子の祈祷により生気を取り戻した」

オカリンおじさんはニヤリと唇をゆがめてそれに答えました。

「……結局、あんたは役立たずだったのね。はいはいワロスワロス」

大きな本が、ポンと音を立てて閉じられます。
オカリンおじさんをからかうような口調。この人は――。

「――助手のお姉ちゃん!」

私がそう言った瞬間、すごいスピードで私の目の前を影が横切りました。
それはドンッと勢いよくオカリンおじさんにぶつかって止まります。
オカリンおじさんは胸ぐらをつかまれて、顔は恐怖でひきつってるようです。

「ちょっと岡部! 綯ちゃんまで定着してるじゃないの!」

「ま、待つのだクリスティーナ! 暴力はいかんぞ!」

ものすごい剣幕で怒っています。ど、どうしよう、何とかしないと――。

「あの、け、ケンカは止めてください!」

2人を止めなきゃと思って、とっさにお姉ちゃんに後ろから抱き着いてしまいました。
私がぶつかったせいでバランスが崩れ、注意がこちらに向きます。

「あ――そ、そうよね、暴力はいけないわよね。
 でも、私は牧瀬紅莉栖。『紅莉栖お姉ちゃん』だから」

ゆっくりとしゃがみこんで、私の顔を覗き込んできます。強く、訴えかけるような視線。

「う、うん。紅莉栖お姉ちゃん」

パッと見は笑顔ですが、目が全く笑ってません。うろたえてしまいそうなのを堪えて、私はなるべくハッキリと返事をしました。
……怒らせたら、すごく怖そうです。さっきなんて、長い髪が逆立ってましたし。

「よし、お利口ね。綯ちゃんは、岡部なんかよりずっと学習能力が高いようねー」

紅莉栖お姉ちゃんは、オカリンおじさんを横目で見てニヤニヤしています。

「おい、何がいいたいのだ」

「べっつにー」

軽い調子で呟いて、ぷいと視線をそらせてしまいました。
まゆりお姉ちゃんは、そんな言い争いをニコニコ聞いています。

「2人とも、相変わらず仲良しさんだねー」

「なっ、仲良くなんかないわよ! なんでこんな厨二病と……」

紅莉栖お姉ちゃんはそういうけど、顔は真っ赤になってます。
でも、『ケンカするほど仲がいい』って言うし、案外まゆりお姉ちゃんが正しいのかも。

「そ、そういえば、店長さんはいつごろ帰ってくるの?」

慌てているのをごまかすように、私に尋ねてきました。

「えっと、たぶんお夕飯前には帰ってくると思います」

ラボに行く前に、そんなことを話していた気がします。
今までもお父さんはそれくらいの時間には帰ってきてたので、あくまで予想なんですけど。

「ほう、それではあと1、2時間といたところか」

オカリンおじさんの言葉で気が付きました。もう、そんな時間なんだ。
最初は不安だったけど、過ぎてみればあっという間でした。

「綯ちゃんもこのまま、本当にラボメンになっちゃえばいいのにねー。そしたら、また賑やかになるもん!」

「ねえまゆり、それってどういうこと?」

「あのねー、綯ちゃんはラボメン見習いなのです」

私は、今日オカリンおじさんに1日限定でラボメン見習いにされたことを話しました。
改めて整理しながら話してみると、ホントに意味不明です。鼻で笑われてもおかしくないです。
紅莉栖お姉ちゃんは最後まで聞き終わると、わざとらしくため息をついて見せました。

「……またあんたは下らないことを」

「下らないとはなんだ。1日限定の見習いとはいえ、わがラボの一員になれたのだ。後世まで誇ってもいいと思うぞ!」

「だ、駄目だこいつ、早く何とかしないと……」

紅莉栖お姉ちゃんは頭を抱えています。でも、見た目よりは呆れていないような気がします。

「綯ちゃんがラボメンになったら、No.008だねえ」

「いや、008は欠番だ……与えるとしたら、009になる」

今日会ったラボメンの人たちは7人。その次は8になるはずなのに、どうして欠番なんでしょう。
何かよっぽどの理由があるのかな?

「ああ、そういえばバッジの8番目にAって書いてあるわよね。
 Aって結局誰なの? あんた、そのことは全然話してくれないし」

「フン、いずれ分かる。あと7年もすればお前たちも――」

オカリンおじさんが偉そうに話し始めた瞬間。


玄関に、誰かの気配。










「おっはー!!」










その時、私は確信したんです。
……今日は、いつもと違うことばかり起こる日だ。



[30329] 小さなラボメン見習い(3)
Name: 正人◆1e4b078b ID:6dd4bd81
Date: 2011/12/06 21:00


『時間が止まる』とか『空気が凍りつく』っていう感覚。



いきなり、三つ編みの女の人が玄関から飛び込んできました!
……一体、何が起きたの? 

「あ、もしかしてオカリンおじさん? すっごーい、やっぱり若いなあ!」

「す――鈴羽! お前何でここに!」

オカリンおじさんは、まるでお化けでも見たようにじりじりと後ずさりしました。
私から見ても、ものすごく動揺しています。目は大きく開かれ、開いた口がふさがらないといった感じです。
でも、この三つ編みの人――鈴羽って呼ばれてた――はオカリンおじさんと同い年くらいなのに、何で『おじさん』って呼んでるんだろう?

「岡部、この人だれ? あんたのこと知ってるみたいだけど……」

私も気になります。この状況は、どう考えてもおかしいです。
今の反応から見るに、オカリンおじさんの知り合いなのは確実です。

「話せば長くなるが……簡潔に言うと、こいつがラボメンNo.008にしてダルの娘、阿万音鈴羽だ――」

ダルおじさんの娘? 確かダルおじさんはオカリンおじさんと同い年だったはずだから、こんなに大きい子供がいるとは思えません。兄妹やいとこって言うならまだ分かりますけど。

「……一つだけ聞かせてくれ。お前のいた未来では、第3次世界大戦が起きたのか? それとも、SERNのディストピアが――」

オカリンおじさんが、すがるように尋ねます。滝のように汗が浮き出て、今にも気絶してしまいそうです。

「第3次世界大戦? ディストピア? ああ、そんなの全然ないから安心して」

その人は、大きく腕を振って否定します。

「過去を……変えるために来たのではないのか」

オカリンおじさんは腰が抜けるように、そのままソファに座り込んでしまいました。

「やっぱりオカリンおじさん、あたしのこと知ってるんだ。
 オカリンおじさんが言ってた通り……」

「あなたが、ダルくんの娘? そういえば、何だか似てるねー」

まゆりお姉ちゃんはしげしげと顔を眺めまわして、最終的に納得したようです。

「あたしはさ、2036年……君たちから見れば『未来』から来たんだ」

2036年から――じゃあ、タイムトラベラーってこと?
小説や漫画みたいな、フィクションの中だけの存在だと思っていました。
この短い時間の中で、おかしなことばかり起きています。

「いやー、紅莉栖おばさんもまゆりおばさんも全然変わんないね! あたしもびっくりだよ」

「……なあ、お前はなんでここに来たんだ?」

オカリンおじさんの質問に、彼女は困ったように髪をかきむしりました。

「うーん、もしかしたら怒るかもしれないけど、タイムトラベルすること自体が目的というか……。
 実はね、父さんが今年――じゃなくて、2036年にタイムマシンを完成させたの。ラボメンみんなで協力して。
 それでね、あたしが稼働試験に志願して、この時代にやってきた」

「……シュタインズゲートに到達しても、タイムマシンは作られてしまうのか」

オカリンおじさんは、力なく顔を持ち上げます。

「えっとね、まゆしぃは難しい話はよく分かんないけど、どうしてスズさんはこの時代に来たのかな?」

私もちんぷんかんぷんですけど、わざわざタイムトラベルするなんて大変なことだと思います。
もしかして、何かすごい任務とか……。

「父さんにね、2010年に未来ガジェット研究所が出来たって聞いてたんだよ。
 おじさん曰く、あたしもラボメン初期メンバーらしいんだけど、あたしだけ創立した年のことぜんぜん知らないんだよね。
 だから、どうせタイムトラベルするならその年にしたいなーって思ったんだ。
 みんなの若い姿も見たかったし」

……けっこう軽い理由だなあ。ほとんど観光じゃないですか。
私が拍子抜けしてると、彼女がこちらに視線を向けてきました。

「あれ……この子もしかして、綯お姉ちゃん!?」

「ひっ――」

急に声をかけられて、とっさにまゆりお姉ちゃんの陰に隠れてしまいました。

「うわー! 小学生くらい? かわいいなあ、眼福だよ!」

すごく興奮しているようで、目がキラキラ輝いています。この興奮具合、どこかで見たような……。
そうだ、今朝のダルおじさんだ。

「ねえねえ、鈴羽お姉ちゃんて呼んでみてくれない?」

「えと……鈴羽、お姉ちゃん?」

いきなり頼まれてしまったので、よく考えずにそのままオウム返ししてしまいました。

「な、綯お姉ちゃん――!」

鈴羽お姉ちゃんはちょっとだけ目を潤ませると、全く無駄のない動きで私に飛びかかってきました。
わ、私、怒らせるようなことした? あまりに突然で、思わず目をつぶって――。

「か、かわいいー! 未来におっ持ち帰りぃ!!」

「ひうっ! あ、あのその」

だ、抱き着かれた……! すごい力で、全然抜け出せません。
鈴羽お姉ちゃんの顔は見えませんが、しきりに頭をなでて、頬をすり寄せてきます。

「……今確信した。やはり鈴羽はダルの娘だ」

「私もその意見には同意する。橋田の影が見えたわ」

オカリンおじさんたちは私たちの様子を見てしきりにうなずいてきます。だいぶ気持ちが落ち着いたようで、いつもの調子に戻りつつあるようです。
あの、見てないで助けてほしいんですけど……。

「そういえば、お前タイムマシンはどうしたのだ? 俺の記憶どおりの形なら、かなり目立つはずだが」

「うん。このビルの屋上にタイムトラベルしてきてそのままなんだ。あとでビニールか何かかけておかないと」

鈴羽お姉ちゃんが私に抱き着いたまま答えます。首筋に息が当たって、ちょっとくすぐったいです。

「あ、もしかしてあの地震って、タイムマシンのせいだったのかな」

「おそらくそうだろう。俺たちは何も感じなかったし」

そうか、タイムマシンがここに来た時にビルが揺れて、紅莉栖お姉ちゃんが地震だって勘違いしたんだ。
タイムマシンなんて、机の引き出しが入り口になってるようなものしか想像できません。でも、実際はすごく大きいものなのかも。

「だが、いくらなんでも気付かないか?」

「だ、だって……」

紅莉栖お姉ちゃん、何だかおろおろしています。隠し事

「紅莉栖おばさん、あたしが下に降りようとしたら猛スピードでビルから逃げてたよ」

「なっ! あ、あなた見てたの!?」

「だってー、なんか叫び声が聞こえたし、気になって屋上から様子をうかがってたんだよ」

鈴羽お姉ちゃんはしれっとしていますが、紅莉栖お姉ちゃんみたいなクールな人が逃げ出す揺れって、かなりすごいんじゃないかな?

「……お前、まさか地震が怖くて」

「べ、別にいいでしょ! アメリカじゃ地震なんてあんまり起きないし、ホントにすごい揺れだったのよ!」

オカリンおじさんはニヤニヤしていますが、言い訳する紅莉栖お姉ちゃんは本気でおびえてるみたい。クールな人かと思ってたけど、地震とか怖いんだ。
……何だか今日は、いろんな人の知らない一面を見てばかりです。

「でも、タイムマシンか――よくもまあ作ったものね。とても信じられないけど」

「あー、紅莉栖おばさんは信用してないんだ。1番ノリノリで研究してたのに」

鈴羽お姉ちゃんは不服そうにつぶやいて、私を抱いていた腕の力を緩めました。
や、やっと解放された……。抱き着かれるのはいいんですが、あそこまで興奮されるとさすがに怖いです。

「の、ノリノリ!? そんなわけないじゃない、バカなの、死ぬの!」

「『オカリンおじさんのこともムリヤリ説得した!』って父さんも言ってたし」

鈴羽お姉ちゃんの言葉に、今度は紅莉栖お姉ちゃんがむくれています。ま、またケンカが始まっちゃいそう……。

「ふむ、やはりお前も知的好奇心には勝てなかったのか。さすが天才HENTAI少女だ、年月を重ねてもなお衰えぬその探究心、まさにマッドサイエンティストに――」


「「少し黙ってて!」」


「……はい」

勝手に会話に割り込んで、2人に揃って怒られるオカリンおじさん。
……カッコ悪い。
でも、今のは息ぴったりでした。実は2人とも相性がいいのかもしれません。





「ねえ、スズさんは今何歳?」

「えーと、18」

「へー、まゆしぃよりお姉さんだね! あ、でもホントは年下なんだよね? 何だか頭が痛くなってきたよー」

まゆりお姉ちゃんは自分で言って混乱したのか、頭を抱えて唸っています。
ソファにはお姉ちゃんたちが座って、私は鈴羽お姉ちゃんの膝に座らせてもらってます。
……まあ、鈴羽お姉ちゃんが頼み込んできたんですけど。

「それよりも、ぜひタイムマシンを見せてほしいんだけど。あ、べ、別に、どんな構造で時空間の移動をしてるのか気になってるわけじゃなくて!」

「今見なくても、研究すれば自分で答えが見つけられると思うよ。実際未来で作っちゃったわけだし」

何だか、話が弾んでますね。鈴羽お姉ちゃんはホントに私たちのことをよく知っているみたいで、すごく気さくに話しかけてきます。
そのおかげで、とっても明るい雰囲気です。

「あれ、そういえば岡部は?」

……さっきまでいたと思ったのに、いつの間にかいなくなっています。
おしゃべりに夢中になっていて、全然気が付きませんでした、

「どうしたんだろう……急にいなくなっちゃうなんて」

「私たちが仲良さそうで、居づらくなっちゃったんじゃない?
 あいつ、結構ヘタレなところあるし」

紅莉栖お姉ちゃんはあんまり気にしてないようですが、まゆりお姉ちゃんは心配そうです。
たぶん、そんなに遠くには行ってないと思うけど。まさか、何かあったんじゃ……。 

「私――さがしてきます!」





階段を下りると、オカリンおじさんはすぐ見つかりました。お店の前に置かれたベンチで、ぼんやりと夕日を眺めています。

「……ああ、お前か」

こちらの気配に気づいたのか、オカリンおじさんが声をかけてきました。

「……どうしたんですか? みんな、心配してます」

私がおそるおそる尋ねると、オカリンおじさんの口からわずかに息が漏れました。

「お前は、俺のこと苦手じゃないか」

「えっ、あの――」

まさか、そんなことを聞かれるとは思ってませんでした。
……自分でもよく分かんない、なんて言えないです。

「――そう、お、お礼です。スーパーで、手伝ってくれた」

いろいろ考えても、結局そんなことしか思いつきませんでした。

「……あんなの、俺でなくてもできる」

「でも、わざわざ来てくれましたよね。おじさんも、お米とかいっぱい持ってたのに」

「……フン、まあいい」

オカリンおじさんがベンチの端に寄ってスペースを開けて、無言で座るように促します。
ちょっと怖いけど、私は意を決してそこに座りました。

「……綯、お前には、大事な人がいるか?」

唐突に、私に尋ねます。その口調は今までになく真面目で、何だかオカリンおじさんじゃないみたいです。

「あの、どうして急にそんなこと――」

……そういえば、今日初めてちゃんと名前で呼ばれた気がします。
だからってわけじゃないけれど、私も真面目に考えて、その問いに答えました。

「……私は、お父さんが大好きです。世界で、たった1人の家族ですから」

見た目はちょっぴり怖いけど、家族思いのお父さん。

「それに、萌郁お姉さんも大切な人です」

無口だけど、ホントはとっても優しい萌郁お姉さん。

「そうか……お前は、その人たちを大切にしてやれ」

私の答えに満足したのか、オカリンおじさんはそのまま黙りこくってしまいました。
でも、どうしてそんな質問をしてきたのかやっぱり気になります。

「……オカリンおじさんも、大事な人がいるんですか?」

「いるさ。ラボメンのみんな――まゆり、ダル、ルカ子、フェイリス、萌郁――それに、紅莉栖。
 ああ、今は鈴羽もだな。
 でも俺は、そんな大切な仲間を傷つけてしまったんだ……ミスターブラウンや、お前のことも」

……傷つける? どういうことだろう。
確かに、オカリンおじさんのことは苦手だと思ってる。でも、手を出されたことはないはずです。

「いや、お前に話してもしょうがないことだ。気にしないでくれ」

思いとどまるようにぼそりと言うと、かぶりを振って私から目をそらせてしまいました。
……オカリンおじさん、何か隠してる。

「私――聞きたいです」

「なに?」

私の言葉に、再びこちらに目を向けてきます。

「……正直、オカリンおじさんのことは苦手です」

「ず、ずいぶんはっきりと言ってくれるではないか」

突然大声で笑ったり、偉そうだったり。
話してることはアニメや小説の専門用語みたいで、意味が分かりません。
パッと見はとっても危ない人で、関わり合いにはなりたくありませんでした。

「でも、今日会ったラボメンの皆さんは、みんなオカリンおじさんのこと慕ってました」
 そんな人が、他人を傷つけるのかなって」

今日1日一緒にいて、なんとなく分かったんです。オカリンおじさんは、ホントは悪い人じゃない。

「……俺は、偶然手に入れた力に驕り、多くの人の運命を捻じ曲げてしまった。
 それは、お前も例外ではない」

「私も……?」

「俺のせいで、お前を残忍な復讐者にしてしまった。
 15年の時を遡り、因果の輪に囚われた少女……。
 俺はずっと、その時の悪夢に追われ続けている」

思いつめたように、どんどん話を続けていきます。
言い方は分かりづらいけど、ふざけているようには見えません。

「でもな、今日お前が萌郁と仲良くしてるのを見て、少なからず安心したんだ。
 改めて聞くが――お前は、萌郁が好きか?」

オカリンおじさんの目が、私をまっすぐ見つめてきます。
……そんなの、考えるまでもありません。

「はい! 大好きです」

「そうか……それなら、何も問題はない」

私の返事に納得したのか、オカリンおじさんの手が頭に伸びてきて――。

「お前は、そのままでいてくれ」

ゆっくりと、私を優しくなでてきます。
その顔は、夕日で紅く淡く染まっていました。
どんどん時間の流れが遅くなっていく。周りの音がかき消えて、目を離すことが出来ません。
今まで見たことのない、優しい笑顔。




そんなオカリンおじさんの姿が、写真のように目に焼き付いて――。



「結局、ラボメン見習いらしいことはほとんどできなかったな」

「あ――」

い、今のはなに……?
オカリンおじさんの声で、急に止まっていた時間が動き始めました。
頭に血が上ってきて、何だかくらくらします。

「そ、そんな……でも、楽しかったです」

それはお世辞でもなんでもなく、私の素直な気持ち。

「――さあ、ここは冷える。さっさとラボに帰るぞ、綯!」

オカリンおじさんはベンチから立ち上がり、私に手を差し伸べてきます。

「……オカリンおじさん、案外優しいですよね」

その手を取って、私はそんなことを口にします。
今朝まで感じていた怖さは、もう消えてしまいました。

ベンチから立ち上がると、遠くから車のエンジン音が耳に入ってきました。

「おい、あの車は――」

「お父さん!」

その見慣れた白いバンはお店の前で止まると、ドアが大きな音を立てて開かれました。
そこから降りてきたお父さんが、ものすごい形相でオカリンおじさんをにらんでます。

「おい岡部! てめえ人の娘と2人きりで何してやがる……!」

「み、ミスタ-ブラウン! あなたは誤解しているぞ!」

お父さんはズンズン近づいてきて、私をオカリンおじさんから引き離しました。
こ、これはちゃんと説明しないと、オカリンおじさんが危ないかもしれません。

「そうだよお父さん! 私はオカリンおじさんとお話ししてただけで……」

「綯、お前変なことされてないか? バイトのお見舞いは?」

私の前でしゃがみこみ、肩を揺さぶって問いただしてきます。

「されてないよ! お見舞いも、まゆりお姉ちゃんたちとちゃんと行ったから」

「そ、そうか。ならいいんだ」

お父さんは安心したのか、私の肩から両手を下ろしました。

「俺への謝罪は無しですか……」

オカリンおじさんは釈然としないようでしたが、なんだかホッとしてるみたいです。
……下手したら、ゲンコツじゃ済まないですもんね。

「まあ、今日1日預かってくれたことは感謝してやる」

「そうですか。……なら、今日はもう帰った方がいい。そろそろ暗くなるからな」

遅くなりそうだからなのか、私たちを気遣うように促してきます。

「あの、今日は1日、ありがとうございました」

お辞儀をして、きちんとお礼。
なんだかんだで、オカリンおじさんはきちんと1日中一緒にいてくれたから。

「うむ、お前も日々の努力を怠らなければ、わがラボの一員に加わることができるだろう」

私のお礼に、わざとらしく気取って答えます。
もしかして、照れ隠しだったりして。
その時、またオカリンおじさんの白衣から携帯の音が聞こえました。

「メール……指圧師からか」

オカリンおじさんがそのメールを見ると、にわかに笑顔が広がりました。

「これは、お前も見た方がいいな」

そういって、オカリンおじさんは携帯の画面をこちらに向けます。


From 閃光の指圧師
Sub 何だか

さっき起きたらすごく体が軽
くなったの!綯ちゃんのおか
ゆが聞いたのかな☆
今日はみんな、私のためにど
うもありがとう!
m(_ _)mペコリ
あとで綯ちゃんにもお礼言わ
ないとネ! 萌郁


「やったー! 萌郁お姉さん、元気になってくれたんだ!」

「どうやらそのようだ。よかったな、綯」

「ハイ!」

お見舞いに行って、ホントに良かったです。これでまた、元気に働く萌郁お姉さんに会えます!

「綯、そろそろ帰るぞ!」

お父さんはもう車に乗り込もうとしています。あんまり待たせると、またオカリンおじさんにかみついてきそうです。

「うん、わかった!……バイバイ、オカリンおじさん」

「ああ、これからも、気軽にラボを訪れるがいい」

オカリンおじさんは白衣をはためかせて、ラボへの階段を上っていきます。
その姿は、さっきベンチに座ってた時よりも、なんだか明るそうに見えました。



車は、家に向かってどんどん進んでいきます。
夕日が落ちて暗くなっていく景色を見ながら、私はぼんやりと今日のことを思い出していました。


ラボメン見習いにされたこと。
はじめてメイド喫茶に行ったこと。
萌郁お姉さんの家にお見舞いに行ったこと、
神社で神様にお願いしたこと。
鈴羽お姉ちゃんがやってきたこと。

……振り返ってみると、大変な1日だったなあ。


「綯、今日の夕飯はハンバーグにしような」

「ホント!? 私ハンバーグ大好き!」

「おお、そうか! そういえば綯、今日は一体何してたんだ?」

「あのね、オカリンおじさんに、ラボメン見習いにされて――」
 ううん、ラボメン見習いにしてもらったの!」

お父さんにも、今日何があったのか話してあげよう。
さすがに、未来からお客さんが来たとは言えないけど。


『お前は、そのままでいてくれ』


そういえば、何であの時、時間が止まったみたいに――?
まあ、いっか。





こうして私の日曜日は、ゆっくりと終わっていくのでした。





――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
――――――――――


そして、次の日。
体育の日で学校もお休みだから、今日こそはお父さんと一緒にいれそうです。

「綯、上に行くのか?」

「うん!」

車から降りて、私はお店の横の階段を駆け上りました。
お店に行くときは、ラボにも遊びに行くことに決めたんです。
昨日一緒に過ごして、オカリンおじさんも基本いい人だってよく分かったから。



ちなみに鈴羽お姉ちゃんは、しばらくこの時代で過ごすみたいです。

『せっかく来たんだもん。いろいろ観光したいんだよねー!』

昨日も、そんなことを楽しそうに話していました。
オカリンおじさんがいくつか確認すると、鈴羽お姉ちゃんの知識は微妙に時代遅れみたい。初めて会った時のあいさつも、私が小さいころに流行ったものらしいです。
というわけで、この時代にいる間は『ダルおじさんの親戚で、田舎から遊びに来ている』という設定でいくことに決まりました。




そういえば、まゆりお姉ちゃんたちにちゃんとお礼してなかったです。萌郁お姉さんも、元気になったかなあ。
そんなことを考えながら、ラボのドアを開いて――。
不意に、下からシャッター音。

「きゃっ! 鈴羽お姉ちゃん!?」

地面に寝そべって、見上げるように私をカメラで撮ってます。

「す、鈴羽! なぜお前がローアングラーに……!」

私の叫び声で、奥からオカリンおじさんたちが顔を覗かせます。みんなで何か相談していたようです


「出発前に父さんから指南してもらったんだ!
 『当時日本で流行した画期的撮影法』だって」

鈴羽お姉ちゃんのが説明すると、オカリンおじさんはダルおじさんを一瞥して大きくため息をつきました。

「……鈴羽、未来に帰ったら俺からだと言って、ダルの顔面に右ストレートを食らわせてやれ。もちろん全力でな」

「え……まあ、オカリンおじさんがそういうなら覚えておくよ」

オカリンおじさんの言葉も、ダルおじさんにはどこ吹く風です。

「それにしても、僕にこんな美少女の娘ができるとか。自分のことながらリア充乙ww」

「全くよね、一体誰がこんなHENTAIにもらわれるのかしら……」

紅莉栖お姉ちゃんはダルおじさんに娘ができることがまだ信じられないようです。

「でも、母さんとは今も仲良しだよ。
 というか、むしろオカリンおじさんと紅莉栖おばさんの方がイチャイチャ――」



「「え!?」」



……一瞬、ラボの時間が止まったように感じました。

「鈴羽お姉ちゃん、それって……」

「あ――ヤバ」

鈴羽お姉ちゃんはすぐに自分の口を押えましたが、肝心なところはもう聞いちゃいました。

「へえー! 未来でも、オカリンとクリスちゃんラブラブなんだねー」

まゆりお姉ちゃんの言葉で、2人は顔をゆでたタコさんみたいに真っ赤にして顔を伏せてしまいました。

「まさか、こんなところで夫婦認定されるとか――全俺が嫉妬!」

「な、何言ってんのよ橋田! 別に、私は岡部の事なんか――」

全部言い切る前に、語尾がしりすぼみに消えて聞き取れません。
そんな様子を、ダルおじさんはニヤニヤと見つめています。

「こ、こんなところにいられるか! 俺はもう帰るぞ!」

推理小説の被害者みたいなことを言い残して、オカリンおじさんはラボから出て行ってしまいました。
玄関が大きな音を立てて閉じられると、残ったのは気まずい雰囲気だけ。

「あちゃー、絶対こうなるからって紅莉栖おばさんに口止めされてたのに、完全にあたしの失態だよ……」

鈴羽お姉ちゃんは髪をぐしゃぐしゃとかきむしっています。
未来の事って、『うっかり』話してもいいことなの? まあ、大したことじゃないとは思いますけど――。


『……綯、お前には、大事な人がいるか?』


昨日の言葉が頭によみがえります。


あれ……なんで胸がザワザワするんだろう?


私の、大事な人。
お父さんに萌郁お姉さん、それに、まゆりお姉ちゃんたち、ラボメンのみんな。
そして……。

「あ! 綯ちゃん!?」

まゆりお姉ちゃんの呼びとめも無視して、私はラボを飛び出していました。





もしかしたら止められるかもしれないと思ったけど、結局誰もついては来ませんでした。
そんなに時間は経ってないから、まだこのあたりにいるはず。
見つけるあてはないけど、とにかく走れば追いつける。

「――オカリンおじさん!」

道路の先で、オカリンおじさんはすぐに見つけることが出来ました。いっつも白衣だから、すごく目立ちます。

「綯か……情けない姿を見せてしまったな」

「そ、そんなことないです」

私も、いきなりあんなこと言われたらすごく恥ずかしいですし。
ダルおじさんも、あれはやり過ぎだったと思います。

「どうした、まさか追いかけてきたのか?」

……そういえば、何で追いかけてきちゃったんだろう?

「俺はしばらくしてから帰る。みんなにもそう伝えてくれ」

そう言い残して、オカリンおじさんは立ち去ろうとします。
待って。まだ、聞きたいことがあるの。


「あの、オカリンおじさんは、紅莉栖お姉ちゃんのこと好きなんですか?」


白衣の端をつかんで、私は口を開いていました。
オカリンおじさんが、バッとこちらを振り返ります。

「なっ――何を言っているのだお前は!」

またラボにいた時と同じように、みるみる顔が真っ赤になっていきます。
返事は、聞かなくても分かってるけど。

「正直に答えて!」

思わず大声を出してしまい、オカリンおじさんはポカンとしています。でも、すぐにまじめな表情に戻って――。

「……そうだな、俺は紅莉栖が――好きだ」

オカリンおじさんの答えは、私の想像どおりでした。
少しだけ、胸にちくりとした痛み。

「……見てれば分かりますよ」

「なに!? こ、このマセガキが――!」

オカリンおじさんは白衣のポケットから携帯を取り出して耳に当てましたが、すぐに腕を下ろしました。

「……いや、今回ばかりは、鳳凰院凶真に頼らない」

自嘲気味に笑って、携帯をポケットにしまいます。

「俺は、自分の気持ちを誤魔化すことしかできなかった。
 だから今度は、自分の気持ちに素直になろう」

「それって、告白する――ってことですか?」

「い、いや! いきなり過ぎるだろ!
 そもそも、お前は何でそこまで深く突っ込んで聞いてくるのだ?」

オカリンおじさんは動揺しながらも、私に尋ねてきます。
自分でもおかしいとは思ってるんです。どうして、こんなことしているのか。



……ホントは自分でも、気づいてるくせに。
ただ、ごまかしたいだけなんだ。



「まあ、お前に指摘されなければ、俺はこの気持ちを隠したままだったかもしれん。
 その事は、お前に感謝しなければな――ありがとう」

オカリンおじさんの手が、私の頭をなでてきます。


あの時、同じように頭をなでてくれた感触。
夕日に染まった、優しい微笑み。
記憶の中にある、その光景を思い出して――。





でも、気づいてしまったこの気持ちは、私だけの秘密です。



「私でよかったら、何でも言ってください」

せめて今だけは、とびっきりの笑顔で。



「――だって私は、ラボメン見習いなんですから!」




[30329] 小さなラボメン見習い(4)
Name: 正人◆1e4b078b ID:6dd4bd81
Date: 2011/12/06 21:03
「綯……お前は俺のこと、どう思ってるんだ?」

突然、そんなことを言い出すオカリンおじさん。
その言葉に、私は耳を疑ってしまいます。ここは……ラボ?

「えっと、キライじゃ、ないです」

とてもあいまいな答え。ホントは、正直に言えないだけなのに。

「そうか――それならいいんだ」

オカリンおじさんの顔が、だんだん私に近づいてきます。
動こうと思っても、体は全然いうことを聞いてくれません。


ま、まさかこれって……。


「あの! 待って、オカリンおじさ――」










その瞬間、響き渡る目覚ましのベルの音。

「――!」

目を開くと、目の前には見慣れた天井。
私はラボではなく布団の中にいて、当然私以外誰もいません。


……ゆ、夢か。


皆さんおはようございます、天王寺綯です。
なんだか、朝からすごい夢を見てしまった気がします。
まだ鳴りやまない目覚まし時計を止めて、布団からはい出しました。
さっきの景色を消そうと両目をごしごしこすり、大きく伸びをします。
目覚まし時計が鳴ってなかったら、どうなってたんだろう?

「綯! そろそろ起きねえと遅刻するぞ!」

お父さんの声が聞こえてきます。そういえば、今日はまだ水曜日……。
大変! 早く朝ごはん食べないと!



「綯、うなされてた見てえだが、怖い夢でも見たのか?」

お父さんが目玉焼きを頬張りながら、何気なく聞いてきました。
危なく口からご飯を吹き出しそうになりましたが、すんでのところで踏みとどまります。

「だ、大丈夫だよ! 心配しないで」

まさかあんな夢を見たなんて、口が裂けても言えません。
それに、もし正直に言ったら、多分オカリンおじさんがとばっちりを食らうだろうし。


『お前にも、感謝しなければな――ありがとう』


オカリンおじさんの声が頭の奥で響いています。
今でも、あの日のことを思い出しては顔が熱くなります。

「おい、なんか顔が赤いぞ。バイトの風邪がうつったのか?」

「そ、そんなことないって! 私は元気だよ」

……ちょうど、今みたいに。
私は味噌汁に手を伸ばして、お父さんに萌郁お姉さんのことを聞いてみました。

「萌郁お姉さん、もう大丈夫なの?」

「今日からまた来るそうだ。休んだ分もバリバリ働く、って息巻いてたぜ。
 まあ、大して仕事はねえがな」

そうなんだ。萌郁お姉さんも、すっかり元気になったようです。

「なんだったら、今日店に来るか? 迎えに行ってやるが」

「ホント!? じゃあ学校が終わったらお店に行く!」

私は急いで朝ごはんを片付けて、学校へと向かいました。



――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
――――――――――



「「先生さようならー!!」」

ホームルームも終わり、ランドセルに教科書をつめこんでいると、クラスのお友達が何人かやってき

ました。

「綯ちゃん、今日一緒に帰ろうよ!」

「ご、ごめんね。今日はお父さんと待ち合わせしてるの」

「ああ、あの怖そうな人でしょ?」

「そうなんだー。じゃあ、また明日ね!」

バイバイと手を振って、みんなで駆けていってしまいました。
運動会や授業参観の時、お父さんを見てビックリする人が結構います。
筋肉もすごいし見た目は怖いかもしれないけど、私にとっては優しいお父さんです。私の家はお父さんと2人暮らしだし、みんなにも分かってもらえればいいのに。



校門の前で待っていると、すぐお父さんの車がやってきました。

「お父さん!」

「悪いな、待たせちまったか?」

「ううん、さっき終わったばっかりだよ」

横を通り過ぎる下級生たちが、なんだかお父さんを見てビクビクしています。
でも、お父さんも慣れっこなのか全然気にしてないようです。

「そうか、じゃあさっそく出発するぞ!」

お父さんに背中をポンとたたかれて、私は車に乗り込みました。
助手席に座ってシートベルトを締めようとすると、運転席に座ったお父さんが何かを思い出したようです。

「そういえば、出かける前に上でなんか騒いでたな」

「上って……ラボのこと?」

あんまり騒いだりするとお父さんがゲンコツしたりするのに、それでも騒ぐなんて何かあったとしか思えません。
……でも、鈴羽お姉ちゃんが来たことよりはビックリしないだろうなあ、多分。



お店が近づくと、車の窓から萌郁お姉さんが掃き掃除をしてるのが見えました。

「萌郁お姉さん!」

車を降りて駆け寄る私に気付いたのか、ほうきを動かす手が止まります。

「……綯ちゃん、こんにちは」

少しぎこちないけど、私に笑顔で答えてくれる萌郁お姉さん。

「萌郁お姉さん、もう風邪は大丈夫?」

「うん……綯ちゃんたちのおかげ」

ありがとう、とポツリと呟いて、また私にほほえみます。
初めて会ったときはあんまり表情が変わらなかったけど、今はだいぶ色んな顔が見れて私もうれしいです。
この前アパートで会った時よりも調子がよさそうで、ホントに良かった。

「なあ、今日は何騒いでたんだ? 岡部のバカがまたなんかやらかしたか」

「……岡部くん、福引を当てたみたい」

福引――それで騒いでたのか。
もしかして、海外旅行とかかな? 下まで響くほど騒いでたなら、余程いいものが当たったのかもしれません。

「私も、詳しくは聞いてない……」

萌郁お姉さんも、不思議そうにしています。
何が当たったのか分からないから、急に興味が湧いてきました。

「私、ちょっと聞いてくる!」

どうしても気になって、福引のことを聞くため階段を駆け上っていきました。




「うーむ……」

「オカリン、散々騒いでもう賢者タイム? 早漏乙!」

「うるさい。冷静に考えたら、こんなの一体どうすれば……」

「ラボメンみんな誘えばそれでいいじゃん! ブラウン氏たちも入れれば丁度じゃね?」

玄関のドアを開くと、ラボの中には2人だけ。
何か話し込んでたようで、こちらには気が付いていないようです。

「あ、あの……」

ためらいがちに話しかけて、やっとこちらに気付いたようです。

「む、小動物ではないか」

わざと乱したみたいな髪型に、よれよれの白衣。
オカリンおじさんはいつも通りの姿で、私を出迎えます。

「こ、こんにちは」

少しだけドキドキしてしまうけど、なるべく普段通りに。

「どうした? 何か用か」

「あの、オカリンおじさん、福引が当たったって……」

全部言い切る前に、私がなんでここに来たのか2人も分かったみたいです。

「あれ、桐生氏から聞いたん? 実はさ、遊園地の招待券が当たったんだお」

……遊園地?

「この前オープンした遊園地に団体10名様1日フリーパスでご招待!」
 すごく大盛況らしいからこれはかなりお買い得!」

へえ。旅行とかじゃないけど、遊園地なんて結構豪華な気がします。
オカリンおじさん、くじ運いいんだなあ。

「フン、遊園地など……人ごみに紛れて、機関のエージェントが潜伏してるかもしれないのだぞ!」

「オカリンまたそんなこと言って。福引当たったのも機関の罠だとか……動揺しすぎ」

正直、今回はダルおじさんと同じ意見です。せっかく当たったんだから素直に喜べばいいのに。
でも、オカリンおじさんらしいです。

「それにな、予定外の買い物でラボの資金は底を尽きかけてる。
 この招待券も換金したいくらいだ」

換金って……。私がどうこう言うことじゃないけど、夢がなさすぎです。

「別にいいんじゃないですか。紅莉栖お姉ちゃんも喜ぶと思いますけど」

「なっ――!」

私の一言で、オカリンおじさんは耳まで真っ赤になってます。

「そういえばオカリン、あれから牧瀬氏とはどうなったん?」

ダルおじさんが、ニヤニヤしながらオカリンおじさんに詰め寄ります。
鈴羽お姉ちゃんのあの発言で、2人は少なくとも2036年にはイチャイチャしてる関係だと分かってしまいました。
……でも、なんだか複雑な気分です。

「牧瀬氏も最近は顔赤くしてばっかだし、リア充爆発しろ!」

ダルおじさんが悔しそうに叫ぶと、外から階段を駆け上る音が聞こえてきました。
誰か、ラボにやってきたようです。

「おいーっす!」

ラボのドアが勢いよく開かれ、元気なあいさつが聞こえてきました。
この人は鈴羽お姉ちゃん。未来から来たタイムトラベラーです。
今日は首にタオルを巻いて、大きいバッグを肩にかけています。
このビルの屋上には、ちょうど人工衛星みたいな形をしたタイムマシンが置いてあります。けっこう大きくて目立つけど、お店の前の道路からはちょうど見えない位置にあるようでした。

「お前、どこに行っていたのだ?」

「いやー、これでいろいろ走り回ってたんだよ! 今日は有明の方まで」

得意げにバッグを開けると、そこには小さな折り畳み自転車がすっぽり収まっていました。

「この前やっと買えたんだ! もう乗り回したくてうずうずしててさー」

「というか有明!? わが娘ながらスゴイ体力」

ダルおじさんが感心したように、腕を組んでしきりにうなずいています。
鈴羽お姉ちゃんはその言葉が嬉しかったのか、何だか照れくさそう。
でも、なんで有明?

「今度父さんもどう? すっごく気持ちいいよ!」

「僕はパス。有明につく前に死んじゃうお」

腕を組んだまま胸を張るダルおじさん。
……いばって言うことじゃないと思いますけど。

「なあ、今更なのだがダルのことを『父さん』と呼ばない方がいいのではないか?
 今はお前たち同い年くらいにしか見えんし、お前がタイムトラベラーだと発覚するきっかけになるやもしれん」

オカリンおじさんがそんな提案をしてきます。確かに、そういうのは誰にも知られない方がいい気がします。

「そっか、その通りだね……父さんはなんて呼んでほしい?」

「そ、そうだなあ――じゃあ、お兄ちゃんと呼んでくれ!」

ダルおじさんが高らかに宣言します。鼻血も垂れてきて、何だか興奮してるみたい。

「そう――分かったよ、お兄ちゃん」

「うおー、まさかホントに呼んでくれるとは! 我が人生に一片の悔いなし!」

ガッツポーズするダルおじさんを、2人は無言で見つめています。目に見えそうなくらい、空気に温度差があります。

「じゃあ、あたしこれ片づけてこないと」

「あの、鈴羽お姉ちゃんってどこに泊まってるんですか?」

ふと気になって、鈴羽お姉ちゃんに聞いてみました。この時代に来て何日か経ってるはずだから、ラボに泊まってるのかな?

「ああ、ラボのソファに毛布敷いて寝てるよ!」

ソ、ソファに毛布……。背中が痛くなりそうです。最近だんだんと冷え込んできたから、風邪とか引いたりしませんように。

「はろー」

その時、再びドアが開く音。紅莉栖お姉ちゃんが、長い髪をなびかせてラボに上がります。

「紅莉栖か……今日は遅かったな」

「しょうがないでしょ。私もそろそろアメリカに帰らないといけないから、いろんなところに連絡しないと」

「……夏に帰る予定をここまで引き延ばしたのだからな。やむを得んか」

紅莉栖お姉ちゃん、アメリカに住んでるんだっけ。そういえば、読んでる分厚い本は全部英語でした。髪も長くてきれいだし、何だか大人っぽくて私も憧れちゃいます。
オカリンおじさんが好きになるのも納得です。

「……どうしたの綯ちゃん、私の顔に何かついてる?」

そんなことを考えていたせいで、意識が目の前から飛んでいたようです。

「い、いえ! なんでもないです」

「でも、何だかさびしくなるわね……」

紅莉栖お姉ちゃんが、何気なくつぶやきます。
ラボに来てまだ2週間くらいしか経ってないらしいですが、よほどここが気に入ってるようです。

「ほほう、オカリンと離ればなれになりたくない!ってことですね、分かります。
 オカリンもいつの間にか牧瀬氏のこと名前で呼んでるし」

「「う、うるさい!」」

2人揃って、ぴったり同じタイミング。今日も仲がよさそうです。





「へー、遊園地か! あたしもそろそろ未来に帰るつもりだったし、最後のいい思い出になるよ!」

「うん、まゆしぃも行きたいなあ。あとでるか君とフェリスちゃんにも聞かないとねー」

あれから少しして、まゆりお姉ちゃんと萌郁お姉さんもラボへとやってきました。
まゆりお姉ちゃんは学校帰りなのか、今日は制服姿です。

「私も……いいの?」

「お前もラボメンだろ。拒む理由などない」

ちょっぴり不安そうだった萌郁お姉さんも、それを聞いてほっとしたようです。

「あの、ホントに私も行っていいんですか?」

私も心配になって尋ねてみると、オカリンおじさんはまじめくさった態度になりました。

「招待券は10人分あるんだぞ。ラボメンだけで行っても余らせてしまうし、ミスターブラウンには世話になっているからな。
 それに、お前はラボメン見習いだ。参加資格は十分にある」

「そうだよねー。綯ちゃんも一緒じゃないと」

まゆりお姉ちゃんも、大きく頷きます。

「お、お父さんにも、一応聞いておきますね」

行きたいのは山々だけど、お父さんの予定も聞いておかなくちゃ。





その日の夜。

「へえ、遊園地か」

「それで、今度の日曜日みんなで行こうって」

お夕飯の片づけをしながら、お父さんにそのことを教えました。

「そうだな、せっかく誘ってもらったんだ。一緒に行こうじゃねえか」

「やったー! 何か準備した方がいいかな?」

「明日、岡部にでも聞いといてやるよ。だから少し落ち着け」

あんまり嬉しかったので、ちょっとはしゃいでしまいました。
お父さんも来てくれるなら、私も嬉しいです。

「そういや、最近岡部が連れ込んでた女の子も来るのか?」

女……鈴羽お姉ちゃんのこと?

「あ、あのね! ダルおじさんの親戚で、今こっちに遊びに来てるんだって!」

「おう、そりゃあ今日聞いたぞ」

あれ? 私からはまだお父さんには鈴羽お姉ちゃんのこと、話してなかったはずなのに。

「お前を迎えに行く前、荷物運び手伝ってもらってな。若えのに岡部より体力があって助かっちまった」

そ、そうなんだ。いつの間にお父さんと知り合いに……。

「だが、なんかどっかで会ったことあるような気がするんだよなあ」

お父さんは不思議そうに首をかしげています。



……その感覚は、私も持ってる。
昔、鈴羽お姉ちゃんと遊んでもらったような――。
どうしてだろう?



「ほら、あとは俺がやっとくから、風呂入ってこい」

「う、うん」

お父さんの声で、私は考えるのをやめました。
とにかく、みんなで遊園地……楽しみです!






というわけで、その週の日曜日。
ラボメンのみんなとお父さん、私の10人で、遊園地にやってきました。
それにしても、結構混んでいます。お父さんの手を離したら、あっという間に流されてしまいそうです。

「おお、こりゃあすげえな」

お父さんは人ごみから頭一つ飛び出して、周りをキョロキョロと眺めています。

「フフ、人がゴミのようだ!」

オカリンおじさんが、どこかで聞いたようなセリフをつぶやいて不敵に笑います。
どうやら、遊園地でも平常運転のようです。

「……あんた、なんだかんだでテンション上がってんじゃないの?」

「オカリン、こういう賑やかなところすきだからねー」

まゆりお姉ちゃんも紅莉栖お姉ちゃんも、心なしかテンションが上がってるように見えます。

「それにしても、まさか凶真があのチケットを当てるとは思ってなかったのニャ。
 やはり、にじみ出るカリスマ性がそうさせてしまうのかニャ……」

フェイリスさんは、この前メイド喫茶でつけてた猫耳をつけています。この人、猫耳好きなのかな?
それにさっきの口ぶりだと、福引のことについて何か知ってるようです。

「知ってるも何も、あの福引を主催したのはうちなのニャ!」

「フェリスちゃんの家、お金持ちだっけ? まゆしぃも最近教えてもらったんだー」

そ、そうだったんだ。そんなお金持ちなら、バイトなんてする必要ない気がしますけど。

「ナエニャン甘いのニャ。世間の荒波にもまれてこそ、真の強さが磨かれていくのニャ!」

フェイリスさんは得意そうです。確かに、あんなに忙しそうなところで働いていれば嫌でも鍛えられそうです。
その後ろをついてくるるかお姉ちゃんは、大きな風呂敷包みを持っています。

「でも、素敵なところですね。あの観覧車もすごく大きいですし」

るかお姉ちゃんは何だかうっとりしています。この人ごみの中からでも、観覧車はよく目立ってます。
夜にライトアップされたらすごくキレイそうです。

「ルカニャンなかなか分かってるニャ。あれがこの遊園地の目玉、1周20分の巨大観覧車ニャ!」

フェイリスさんがるかお姉ちゃんに説明しています。
目玉か。あれだけよく見えるなら、迷った時の集合場所にちょうどよさそうです。

「うわー、父さ……お兄ちゃんと遊園地なんて小学生の時以来だよ!」

ダルおじさんと鈴羽お姉ちゃんも腕を組んですごく楽しそうです。
こうして仲良くしてるのを見ると、2人はやっぱり親子だなって感じます。
私はその様子を眺めながら、近くにいたオカリンおじさんに声をかけました。

「あの、今日はありがとうございます。お父さんも誘ってくれて」

「気にするな。お前も、親子で来た方がいいだろうしな」

私がダルおじさんたちを見ているのを察したのか、オカリンおじさんも穏やかな声で答えます。私たちに、気をつかってくれてるのかもしれません。


でも、私は……。
オカリンおじさんの顔を盗み見て、すぐにうつむく。
まともに顔が見れないのは前からだったけど、今は理由が180度違う。
……それも、言葉にできないままです。


「オカリン優しいねー、えっへへー」

「茶化すんじゃない。今作戦には、機関の陰謀を調査するという隠れた目的もあるのだ!」

さっきの雰囲気はどこへやら、白衣を大きく翻し、ポーズを決めて叫ぶオカリンおじさん。
なんで、すぐこうなっちゃうんだろう。まさか、わざとやってるんじゃないかな?

「はいはい厨二病乙。そんなことより、さっさと入りましょうよ」

紅莉栖お姉ちゃんは慣れたようにツッコんで、スタスタと行ってしまいます。

「お、おい、紅莉栖!」

オカリンおじさんが、慌ててそのあとを追いかけていきます。
それに続いて、みんなも人ごみの中へと足を踏み入れました。



「やっぱりすごく広いねー。地図がないと迷っちゃいそう」

やっと入場することが出来ましたが、アトラクションがたくさんあって目移りしてしまいます。

「ねえ、最初はどこに行くの?」

「もっちろん、アレに決まってるのニャア!」

フェイリスさんが得意げに指差しているのは――。

「ジェットコースター?」

「遊園地といえばコレ! 観覧車やお化け屋敷と肩を並べる定番中の定番ニャ!」

……言われてみれば確かにそうかも。よく考えたら私、ジェットコースターに乗ったことないなあ。
お父さんと2人で遊園地に行ったときは、コーヒーカップやメリーゴーランドみたいな、いわゆる「絶叫系」じゃない乗り物しか乗った記憶がありません。

「だ、ダメだぞ綯! 何かあって、振り落とされでもしたら……!」

お父さんが急に慌てだしました。いつもの様子からは想像ができないほどうろたえてます。
……もしかしてお父さん、私のことが心配で今まで乗せてくれなかったのかな?

「綯ちゃーん、はやくねー!」

まゆりお姉ちゃんが大きく手を振って私を呼んでいます。
そうこうしてるうちに、お姉ちゃんたちはジェットコースターの方へと行ってしまいました。

「だ、大丈夫だよ! 私だってもう子供じゃないもん!」

人生初のジェットコースター。怖い気持ちもあるけど、乗ってみたいです!

「……綯氏綯氏、さっきのセリフもう1回お願いできる? できれば胸元あたりに手をやって」

「え――?」

ダルおじさんが会話に割り込んできました。心なしか鼻息が荒くなってます。
子供じゃないって言っただけなのに……どういうこと?

「い、言わせるなHENTAIロリコン野郎!」

「YESロリコンNOタッチ! 僕だってちゃんと線引きはしてるお、失礼な!」

オカリンおじさんの暴言に近いたしなめに、顔を真っ赤にして反論すると。

「――おい」

地獄から響いてくるような低い声。一瞬どこから聞こえたか周りを探してしまいましたが、正体はすぐ分かりました。
お父さんが、本気で怒ってる。ものすごいオーラが漂ってきてます。
私にはよく意味が分からなかったけど、なにか気に障ることを言ったに違いありません。

「他人の娘に何させるつもりだてめえ。……ちょっと来いや」

「え、あ、ちょオカリン! 救援プリーズ!!」

お父さんがダルおじさんの首に腕を回して、そのまま力ずくで私から引き離します。
オカリンおじさんは助けを求める声を無視して、両手を合わせました。

「……ダル、骨は拾ってやろう」

そのままお父さんに引きずられて、2人は人ごみの中へと消えてしまいました。

「あの――大丈夫でしょうか?」

「今回は自業自得だからな。むしろ少ししぼられた方がいいのかもしれん」

さっきの様子だと、「しぼられる」じゃ済まない気がする……。怪我しないことだけ祈ります。

「ほら、行くなら今のうちだぞ。ジェットコースターに乗りたいんだろう?」

「そうですけど、オカリンおじさんは来ないんですか?」

「お、俺は……機関の奇襲に備えて周囲の警戒をだな」

私の問いに、オカリンおじさんはしどろもどろになっています。

「……もしかして、怖いんですか?」

「な、何を言っているのだ! 俺は狂気のマッドサイエンティスト、鳳凰院凶真だぞ!」

……そっぽを向かずに言えば少しは信用できそうなのに。
おじさん、絶叫マシンは苦手みたい。

「おい、そんな疑わしげな目で見てる暇があったらさっさと行った!」

オカリンおじさんが、私の背中を押しやります。
これ以上待たせたら、お姉ちゃんたちに迷惑かもしれない。
結局私は少しだけ振り返って、ジェットコースターへと駆け出しました。



「綯ちゃん、こっちだよ!」

まゆりお姉ちゃんが手招きしています。列も大分進んでいて、すぐに乗れそうです。

「あれ、そういえばオカリンはー?」

私が1人で来たので、まゆりお姉ちゃんはキョロキョロとオカリンおじさんを探しています。

「あいつ、逃げたな――!」

紅莉栖お姉ちゃんがわなわなと震えてます。この前も地震で怖がってたし、ジェットコースターも苦手そうです。

「クーニャン、凶真と一緒に乗れなくて残念ニャね」

「べ、別にどうでもいいわよ!
 ……なによ、一緒なら怖くないのと思ったのに」

最後にぼそりと、紅莉栖お姉ちゃんがつぶやきます。でも声が小さかったからか、私にしか聞こえなかったようです。
オカリンおじさんと乗りたかったのかな?

「あの、綯ちゃんって身長は何センチですか?」

そんなことを考えていると、るかお姉ちゃんが質問してきました。

「えっと……137センチくらいだったと思います」

どうして、そんなことを聞くんだろう? るかお姉ちゃんはすごく申し訳なさそうです。

「あの――あれ」

るかお姉ちゃんが指差した先には、L字を逆さまにしたような形の看板と、大きく書かれた注意書き。


《このバーより身長の低い方は乗ることはできません》
《※このバーの高さは140cmとなっています》


「綯お姉ちゃん、足りないね」

鈴羽お姉ちゃんも、何だか気まずそう。

「わ、私――行ってきます!」

137センチというのは春先の身体測定での数字。いまなら少しは伸びてるはず!
私は看板のところまで駆け寄って、大股でバーの下をくぐります。



……結果だけいうと、頭はバーにかすりもしませんでした。



「えっと、他にも、いっぱい乗り物はあるしね!」

「そ、そうですよね! コーヒーカップとか、あとメリーゴーランドも」

戻ってきた私を、まゆりお姉ちゃんとるかお姉ちゃんが慰めてきます。

「……あの、お姉ちゃんたちだけで、乗ってください」

ジェットコースターに乗れないことより、自分の身長のことで泣いてしまいそうです。
お姉ちゃんたちの視線が逆に痛い……。

「オカリンおじさんと待ってますから、大丈夫です」

「えっと……じゃあ私も――」

フラフラと立ち去ろうとする私に、紅莉栖お姉ちゃんがついてこようとしましたが、すぐにフェイリスさんが羽交い絞めにしてしまいました。

「クーニャーン? ここまできて逃亡は許されないニャよ? ナエニャンの遺志を継ぎ、恐怖に打ち勝つのニャ!」

2人は結構身長差があるのに、紅莉栖お姉ちゃんはほとんど抵抗できていません。

「え、ちょっと……いやああああああああぁぁぁぁぁ!!!」

そのまま、紅莉栖お姉ちゃんは引きずられてみんなと一緒にゲートの中へ入ってしまいました。
乗る前からすごい叫び声だけど、紅莉栖お姉ちゃん、大丈夫かな。
2人の姿が視界から消える直前、フェイリスさんと目が合って――。


私に向かって、大きなウインク。





「……む、どうした? ジェットコースターは?」

オカリンおじさんは、近くのベンチで座って携帯をいじっています。
お父さんたちは、まだ戻ってきてないようです。

「あと……3センチ……」

「一体何があったのだ。生気が抜けてるぞ」

まさか、乗る前からここまでショックを受けるなんて……。
毎日牛乳飲んでるのに。
私は、ジェットコースターに乗れなかったことを話しました。

「それで、ここまで戻ってきたのか」

「はい……」

「もうしばらくすれば、ミスターブラウンたちも帰ってくる。それまで待っているか?」

うーん、それもなんだか時間がもったいない気がします。
……あれ、よく考えたら私、オカリンおじさんと2人きり?
ど、どうしよう。急に息が苦しくなってきました。

「あの、出来れば、何か見て回りたいです」

精一杯の声を振り絞って。顔を真っ赤にして。
オカリンおじさんの目に、そんな私の姿はどう映ってるのかな。

「そ、そうか。ならば、ミスターブラウンにはちゃんと事情を説明してくれよ。ダルの二の舞になりたくはないからな」

オカリンおじさんは本気でおびえているようです。さっきのダルおじさんを見て、かなり警戒してる。確かにあの様子だと、私を連れまわしてるだけで何をされるかわかりません。

「あの、紅莉栖お姉ちゃんはいいんですか?」

「まだ時間はあるし、全員が楽しめなければ意味がない」
 それに機関に発見された際は、お前を囮にすることもできるしな、フゥーハハハ!」

改めて高笑いする姿を目の当たりにすると、やっぱりいつも通りだと確信します。
……そうですよね。私はまだ子供だし、オカリンおじさんには好きな人がいる。
オカリンおじさんにとっては、私なんて――。

「ふむ、1番近いところだとコーヒーカップかお化け屋敷だな」

どこかで手に入れていたのか、園内のパンフレットを取り出してオカリンおじさんが呟きます。

「じゃあ、コーヒーカップがいいです」

「分かった……それでは行くか! 時間は待ってくれないからな!」

「は、ハイ!」





こんなことになるなんて、朝には全然予想してなかった。
足が軽くなって、のぼせたように頭がふわふわする。
どんどん進んでいくオカリンおじさんの背中を、私も半歩後ろから必死に追いかけます。
ごちゃごちゃ考えても仕方がない。今、この瞬間を楽しまなきゃ。


……2人きりで遊園地、何だかドキドキです。



[30329] 小さなラボメン見習い(5)
Name: 正人◆1e4b078b ID:6dd4bd81
Date: 2011/12/06 21:05
「あの――オカリンおじさん、楽しいですか?」

「……どうだろう、未だ何も乗ってないからな。
 だが、こうしてみんなで出かけるというのは、悪くない」

オカリンおじさんに何とか追いすがって、隣に並びます。『悪くない』とはいいつつ、楽しそうに見えるのは気のせいでしょうか。

「お前の方こそどうなのだ。まゆりたちと一緒の方がいいのではないのか?」

「だ、大丈夫です! 十分、楽しいです……」

ブンブンと腕を顔の前で振って、オカリンおじさんの問いを否定します。
語尾がしぼんだようにはっきりと言えなくて、オカリンおじさんも勘違いしてそう。
お世辞や遠慮なんかじゃない。ただ、私が勝手に恥ずかしがってるだけなのに……。
そのままコーヒーカップ乗り場にはすぐについてしまって、それ以上は話すことが出来ませんでした。

「コーヒーカップか……何年振りだろう」

2人で向い合せに座ると、オカリンおじさんが懐かしそうに呟きます。

「まゆりお姉ちゃんと来たんですか?」

「ああ。一応幼馴染だし、家族ぐるみで遊びに来ていたこともあった。
 あいつ、すごくはしゃいで俺が『止めろ』と言ったのにぐるぐるぐるぐる……」

何だか顔色が悪くなっています。嫌なことを思い出したのかもしれません。
でも、狂気のマッドサイエンティストって言ってる割に、昔は普通の子供だったみたいです。


ほんの些細なおしゃべり。何気ない言葉も私にはとても新鮮で、新しい発見に満ちていました。
よく考えたら、私がみんなと知り合ってまだ半年くらいしか経ってないんだっけ。それならしょうがない気もしますが、その間オカリンおじさんのことをずっと避けてたのはやっぱり失礼だったかもしれないと、今になって思います。
……私、オカリンおじさんの事全然知らなかったんだ。


そして、コーヒーカップがゆっくりと回り始めました。

「ちょ、ちょっとこれは速すぎでは――」

まだ動き始めて間もないのに、オカリンおじさんはもう顔が引きつっています。
……よーし!
少しだけからかおうと思って、私は真ん中のハンドルを思いっきり回しました。
頬が風邪を切るのを、はっきりと感じます。

「あ、それ以上速くするな! いや、待ってください……!」

オカリンおじさんは何度も頼み込んできましたが、スピードが上がると途中から何もしゃべらなくなってしまいました。



回転が止まっても、オカリンおじさんはまったく口を開きません。明らかに、顔が青ざめています。
コーヒーカップから降りると、フラフラした足取りで近くのベンチまでたどり着き、どさりと座り込みました。

「俺だ。今、新手の拷問を受けた。三半規管を直接狙い平衡感覚を奪う卑劣なものだ。
 くれぐれも、俺以外の被害者を出してはいけない! 警戒を怠るなよ。エル・プサイ・コングルゥ」

携帯を耳に当てて、誰かに電話してます。
この乗り物酔いみたいな状態……やっぱり、私のせいですよね。

「あの――ごめんなさい!」

こんなことになるなんて思ってませんでした。ちょっとだけ、からかうつもりだったのに……。

「気にするな……」

オカリンおじさんは力尽きてしまったようで、そのままベンチに横たわってしまいました。
私、2人きりになったことに浮かれてしまって、調子に乗り過ぎちゃったのかな。
この状況に慌ててしまって、どうしたらいいのか全然思いつきません。
私1人じゃどうにもできないし、本当にどうしたら……。


ふと顔を上げると、遠くに見覚えのある姿。
私たちに気付いたのか、携帯を片手にこちらに駆け寄ってきます。

「萌郁お姉さん!」

みんなとジェットコースターに乗ってたはずなのに。

「どうしたの、他のみんなは?」

「綯ちゃんを探してて……途中で分かれたの。
 みんなにもメールしたから……すぐ来ると思う」

そうか、だから携帯をいじってたのか。
でも、正直ホッとしました。2人きりなのは楽しかったけど、今は1人で不安だったからむしろ良かったです。

「岡部くん……大丈夫?」

萌郁お姉さんが背中をさすってあげると、オカリンおじさんは少し顔色が戻ってきました。

「萌郁、か……綯のこと、頼んでいいか? 俺は少し休む」

萌郁お姉さんはそれに答えて、何度かうなずきました。
オカリンおじさん、ホントに大丈夫でしょうか。今にも吐いてしまいそうにみえて……。
ふと気が付くと、萌郁お姉さんが何かをジーッと見つめているのに気が付きました。
その視線の先をたどると――。

「萌郁お姉さん、コーヒーカップに乗りたいの?」

「……うん」

恥ずかしそうに、頬をピンク色染めています。

……かわいい。

オカリンおじさんも時間が経って、体を起こせるくらい回復したみたいです。
私たちはおじさんに許可を取って、2人でコーヒーカップに乗ることにしました。

「萌郁お姉さんは、コーヒーカップに乗ったことある?」

コーヒーカップに乗り込んで尋ねてみると、萌郁お姉さんは顔を曇らせました。

「私、両親がいなかったから……遊園地も、初めて来たの」

……どうしよう、初めて聞きました。
今まで、萌郁お姉さんの家族のことは聞いたことがなかったので、少しびっくりしてしまいました。
もしかして、こうして誰かと遊園地に行くのが夢だったのかな。

「わ、私――」

「……?」

「私、萌郁お姉さんのこと大好きだし、これからもみんなで来ようよ!」

とっさに出た言葉。だけど、精一杯の気持ちを込めて。
私もお母さんがいなかったから、萌郁お姉さんの気持ちも分かる気がします。
こうして2人で乗ってると、まるでお母さんと一緒にいるみたいで、私も楽しいから。

「綯ちゃん……ありがとう」

私の言葉が嬉しかったのか、萌郁お姉さんの顔が綻びます。
その時の笑顔はとても自然で、今までで1番明るく感じました。




でも、コーヒーカップを降りた後。

「萌郁お姉さん、大丈夫?」

「……うん」

口ではそう言っていますが、その足取りは頼りなげで、オカリンおじさん並みに気分が悪そうに見えます。
そしてそのまま、オカリンおじさんが寝てたベンチにへたり込んでしまいました。
どうしてだろう? さっきはオカリンおじさんの時から反省して、ハンドルは回さなかったはずなのに……。

「多分、これのせいだろうな」

元気になったオカリンおじさんが私のところへやってきて、携帯の画面を向けてきます。


From 閃光の指圧師
Sub 聞いて!

綯ちゃんに大好きって言われ
ちゃった(///)
変な意味じゃないのは分かっ
てるけど本当にうれしいの!
私も綯ちゃん大好き!
萌郁

From 閃光の指圧師
Sub 速い速い

コーヒーカップって結構速い
んだね…
ハンドルを回すとスピードア
ップらしいけど、そんな勇気
ないよぉ~>< 萌郁


「あのな、回りながらメールで実況すれば酔うに決まってるだろ!」

オカリンおじさんは、あきれて大きくため息をついています。
そういえば、コーヒーカップに乗ってる間、やたら視線を足元に落としていた気がします。あれはメールを打ってたんだ。
も、萌郁お姉さん……。嬉しかったのは伝わりましたから、無茶はしないでください。

「あー! やっと見つけた」

萌郁お姉さんをベンチに寝かせて休ませていると、誰かの大きな叫び声。
メールで呼ばれたお姉ちゃんたちが集まってきました。紅莉栖お姉ちゃんは、胸の前で腕を組んでむくれています。

「まったく、あんたが綯ちゃん連れまわしてたら、タイーホされても文句言えないわよ」

そう指摘する紅莉栖お姉ちゃんは、何だか不機嫌そうです。オカリンおじさんがジェットコースターに来なかったから、怒ってるのかな?

「おい、それは言い過ぎだぞ! ダルと一緒にするな」

「ちょっとー、むす……親戚の前でそういうこと言わないでくれる? 気持ちはわかるけどさ」

鈴羽お姉ちゃんもその言葉で一緒になってむくれていますが、オカリンおじさんの言うことも分かる気がします。なんというか、何されるかわからない怖さがあるんですよね。

「そういえばダルたちは? お前たち会わなかったか」

「お2人でしたら、さっきトイレの陰から出てきて……」

るかお姉ちゃんが、おずおずとオカリンおじさんに報告します。

「ダル――まさか掘られたんじゃないよな?」

オカリンおじさんは考え込むような仕草をして、すぐにかぶりを振りました。また顔の血の気が引いています。

「それじゃあ、次はどこに行くかニャ?」

「はいはーい! お化け屋敷に行きたい!」

鈴羽お姉ちゃんが、手を大きくあげて提案しますが、紅莉栖お姉ちゃんは一人だけ血の気が引いてます。

「お前、まさか怖いのか? 幽霊など信じない性質だと思っていたが」

「よ、余計なお世話よ! ジェットコースターも乗れないヘタレのくせに!」

オカリンおじさんの言葉が癇に障ったのか、紅莉栖お姉ちゃんは顔を真っ赤にして言い返しています。
ま、またケンカしちゃう……! 紅莉栖お姉ちゃんを止めようと、私は近くに駆け寄って――。

「――あれ? 紅莉栖お姉ちゃん、怪我してませんか」

よく見ないとわからないけど、両手の指に小さな切り傷がいくつかできてることに気が付きました。

「あ、ああ、これは何でもないのよ」

「怪我? きちんと消毒したのか」

オカリンおじさんはその傷を確かめようと、紅莉栖お姉ちゃんに歩み寄り手を取ろうとします。

「ほ、ホントに大丈夫だから! もうほとんど治ったし」

見られる前に両手をすごい勢いで隠し、さらに顔が赤くなります。

「だが、なぜ怪我をしているのだ。どこかでひっかいたのか」

「えっと、これはその――」

オカリンおじさんの質問に、紅莉栖お姉ちゃんはモジモジしてます。
……なにか、隠し事があるみたい。

「きょーまー、早くしないと日がくれちゃうニャ!」

フェイリスさんが間に割って入ってきました。紅莉栖お姉ちゃんはオカリンおじさんの追及を逃れられてホッとしています。

「ふぇ、フェイリスさんの言う通りよ! 店長さんたちも探さないといけないしね」

裏返り気味の声でそう叫ぶと、紅莉栖お姉ちゃんはオカリンおじさんの背中を押して行ってしまいました。
でも、あの切り傷、見覚えがあるような……?



「おーい、オカリン!」

「ダル、ここにいたのか」

みんなでお化け屋敷までいくと、お父さんたちがすでに待っていました。

「……オカリン、まさかここまでハーレム状態で来たん? 許さない、絶対にだ!」

ダルおじさんは私たちを見てへそを曲げています。そういえば、ラボメンに男の人は2人だけだった。そう考えると、ダルおじさんが文句をいうのも分からないでもないです。
その恩恵が、ほとんどないですもんね。

「そんなことよりダルよ、ミスターブラウンとはお楽しみだったようだな」

「アッー! ってちがうっつーの! 関節きめられまくってバラバラ寸前」

ダルおじさんは力説してますが、お父さんがギロリと睨むと一瞬で口を閉ざしてしまいました。
お父さん、すごく力もちだからなあ。これがオカリンおじさんだったら、真っ二つに折られてしまいそうです。

「1度に入場できるのは3人までか……1人余るな」

お化け屋敷の案内板をしげしげと眺めて、オカリンおじさんが呟きます。

「おめえが1人で行けばいいだろうが。そもそも、周りに女がい過ぎなんだよ」

「ブラウン氏の意見には同意。牧瀬氏がいながらハーレムとか、壁殴り代行が大繁盛だお!」

「だ、だから、クリスティーナとは別にそういう関係では……」

お父さんたちの指摘に、おじさんはしどろもどろです。

「そ、そうよ! 岡部、私の名前もちゃんと呼ばないのに――」

「ほほう、牧瀬氏は名前で呼んでほしいというわけですか」

「ち、違うわよ!」

両手をブンブン振って否定していますが、耳まで真っ赤になっています。
やっぱり、紅莉栖お姉ちゃんも――。

「でも、組み合わせはどうしましょうか。1人だと寂しいでしょうし……」

るかお姉ちゃんは心配そうです。1人で入るには怖すぎますから。

「てっとり早く、ジャンケンで決めましょう。2人組と3人組がそれぞれ2グループずつ」

「それでいいか。では、ジャーンケーン――」



ジャンケンの結果。

1組目、まゆりお姉ちゃん、鈴羽お姉ちゃん、萌郁お姉さん。
2組目、お父さん、ダルおじさん、るかお姉ちゃん。
3組目、私とフェイリスさん。
4組目、オカリンおじさんと紅莉栖お姉ちゃん。

「ナエニャン、よろしくニャ♪」

「よ、よろしくお願いします」

フェイリスさんが、ヒョコッと小首を傾げます。
この前のメイド喫茶ではあんまりお話しできなかったから、この機会に仲良くなりたいなあ。

「またおめえか。まあ、おめえが綯と一緒にならなかっただけマシだな」

「男3人か。しかし、るか氏がいればそれを補って有り余る好条件!」

ものすごく不安そうなるかお姉ちゃんをよそに、ダルおじさんが息を弾ませています。
……またお父さんに何かされなきゃいいんだけど。

「な、なんであんたと2人なのよ!」

「文句を言うな。お前がパーを出したのが悪い」

「はあ……今度は、逃げたりしないでよ?」

わざとらしくため息をついてるけど、紅莉栖お姉ちゃんはとても嬉しそう。
私の目から見ても、オカリンおじさんにベタ惚れです。

「それじゃあ、まゆしぃたちはもう行くね!」

「父……お兄ちゃんも、早く来てね!」

まゆりお姉ちゃんたちは、そのまま薄暗いゲートの中へ消えていきました。





「じゃあ、行って来るのニャ!」

ダルおじさんたちも行ってしまって、残りは私たち4人だけ。
フェイリスさんと手をつないで、私たちはお化け屋敷の中へ入りました。

「や、やっぱり中は暗いですね……」

思わず、握る手に力が入ってしまいます。
フェイリスさんが持つ懐中電灯しか光源がないせいで、近くしか見通すことが出来ません。むしろ中途半端に光があるせいで、暗闇がさらに濃くなってる気がします。

「な、何か話しながら行こうニャ! そうすれば、少しは気が――」

フェイリスさんが提案した瞬間、私の頬に嫌な感覚。

「い、今生暖かい風が! かお、顔に!」

「さ、さすがに怖いのニャ……」

フェイリスさんもおびえているようです。手のひらにジトッと汗がにじみます。
この前会った時は、オカリンおじさんみたいに何だかよく分からないことをたくさん言っていましたが、案外普通の人なのかも。

「そういえばナエニャン、凶真とはどうだったのニャ?」

暗闇の先に集中していた私に、フェイリスさんが何気ない口調で聞いてきます。――あれ?

「え、それじゃああの時、紅莉栖お姉ちゃんをむりやりジェットコースターに乗せたのは」

「フッフッフ、実はわざとニャ!」

不敵にほほえむフェイリスさん。あの時私にウインクしてたのも、私がオカリンおじさんと2人きりに――。
でも、どうして?

「だってナエニャン、凶真を見る目が恋する乙女だったニャ」

「そ、そんなことないですよ!」

しれっととんでもないことを言われて、必要以上に大声を出してしまいました。
でも、フェイリスさんは気にも留めていないようで、顔がニヤニヤしています。

「隠しても無駄ニャ。フェイリスには、心を見通す魔眼が備わっているのニャ!」

じっと私の目を見つめて、フェイリスさんは一層ほほ笑みます。

「まあ、正確に言うと、相手の目を見れば何を考えているのか分かるのニャ」

そ、それってすごい特技じゃないのかな? いや、特技というより超能力じゃないのかな。

「今ナエニャンは、『それって超能力じゃニャい?』って思ったニャ」

う……当たってる。
その時、背後からガチャガチャと金属がぶつかり合うような音。
突然の物音に、私たちはおそるおそる振り返ると――。

「あれって、鎧……こっちに来てる!?」

オカリンおじさんくらいの大きさの鎧が、日本刀を持ってこちらに向かってきます。兜は血のようなもので薄汚れていて、刃は懐中電灯の光で鈍く輝いてる。
ど、どうしよう。お化け屋敷なのは分かってるけど、あまりの怖さに足がすくんで動けません。

「ナエニャン! 全速力ニャ!」

ハッと我に返ると、フェイリスさんが私の手を強く引いてきました。さっきはいうことを聞かなかった足も、なんとか動きそうです。
私はフェイリスさんに導かれて、先の見えない廊下を走りだしました。
暗がりの中を右に左に、途中で1回階段を上って、さらに先へ。走ることに夢中になってて、他の仕掛けには全然気が向きません。
何かに集中してると、あんまり恐怖って感じないんですね。また1つ勉強になりました。

「よ、ようやく逃げ切ったのニャ」

鎧はもう追ってこないみたい。やっと一息つけそうです。
少し落ち着いてきて、私はまたフェイリスさんに尋ねてみました。

「それで……あの、どうしてフェイリスさんは」

「クーニャンのこともちょっとだけ手伝ってあげたし、ナエニャンにもチャンスがあってもいいと思うのニャ!
 ……まあ、最後に選択をするのは凶真ニャけど」

最後にそう呟くフェイリスさんの横顔は、ほんの少し寂しそうでした。



「や、やっと外に出れたのニャ……」

「こ、怖かったですね」

結局、それからほとんど話ができませんでした。
だって、何か話そうとするたびにお化けが飛び出したり生首が目の前を転がったりするんですもん。

「おお、フェイリスたん大丈夫だった?」

「し、心配には及ばないのニャ。アキバ1の猫耳メイド、フェイリス・ニャンニャンに恐れる者などないのニャ!」

フェイリスさんは胸を張っていますが、それでも少しは怖がってたと思いますけど。
出口には、先にお化け屋敷に入ったみんなが待っていました。

「あとはオカリンとクリスちゃんだけだねー」

「大丈夫かな、あの2人。体鍛えてないから軟弱そうだよね」

鈴羽お姉ちゃんはそういうけど、お化けって体力で対抗できる物じゃないような気がします。
というか、戦うつもりだったのかな?

「ぃゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

ときおり出口から聞こえる幽かな叫び声。多分紅莉栖お姉ちゃんだ。
ここまで届くなんて……相当怖がっているようです。

「あ、出てきました!」

るかお姉ちゃんが出口を指差すと、そこから何かが飛び出してきました。
どうやら2人は全速力でここまで駆け抜けてきたようです。

「ぜえ……ハア」

「な、なんぞこれ……鎧が走ってくるとは……」

オカリンおじさんも紅莉栖お姉ちゃんも息を切らしています。鎧ってことは、私たちと同じところからずっと2人で走ってたのか。

「つーかさ、ずっと手をつないでたわけ?」

ダルおじさんの言葉で、みんなの視線が一斉にオカリンおじさんたちに注がれます。
……確かに、紅莉栖お姉ちゃんの右手はしっかりオカリンおじさんの左手を握っていました。

「ふえっ!? あ……こ、これは別に、怖くて思わず握ってたとかそういうんじゃなくって!」

自分たちでも無意識のうちにやっていたみたいで、紅莉栖お姉ちゃんは自分の右手を見ておかしな悲鳴を上げ、ものすごい勢いで手を離してしまいました。

「頭がフットーしそうだよおってこと? あー! メシマズだお」

みんなの視線が集中したせいで、2人そろって顔を赤くしてます。
それに、今さら手を離してもごまかせないと思いますけど。


……でも、何だかうらやましい。



その時、フェイリスさんが私の肩をポンポンと叩いて、私にこっそり耳打ちしてきました。

「ナエニャン、もしあれだったら、もう1回だけ凶真と2人きりにできるニャよ?」

「え――」

フェイリスさんの言葉が信じられす、思わず後ろを振り返ってしまいました。
フェイリスさんはあくまで真剣な表情です。


短い間だったし、オカリンおじさんはダウンしてしまったけど。
2人きりの時間は、とても楽しかった。
あんな時間を、もう1度味わえるのかな?


「クーニャンは毎日ラボで凶真と会ってるし、少しぐらい甘えてもいいと思うのニャ。
 それでどうするかは、ナエニャン次第ニャけど」


何だか、悪魔のささやきみたい。確か、お願いを聞いてもらう代わりに、魂を取られたりするんだっけ?
……でも、せっかくみんなで来た遊園地。出来れば、めいいっぱい楽しみたい。


「さあ、このフェイリスと、契約を結ぶのかニャ?」


――だから、今日だけは。


「……お願い、します」

結局、誘惑に負けてしまいました。

「よく言ったのニャ! 最高のシチュエーション用意するから、期待しててニャ。
 ……まあ契約の対価として、1日メイクイーンで働いてもらうけどニャ」

「え――で、でも私メイドさんなんて」

何かあるとは思ってたけど、メイドさんか。じ、自信ないな……。

「冗談ニャ。けど、またお店にも遊びに来てほしいのニャ」

イタズラっぽくウインクをして、フェイリスさんが頭をなでてきます。コロコロと表情がよく変わって、まるで猫みたいです。
……フェイリスさんも、悪い人じゃなかったんだ。

「ところでナエニャン、あの鈴羽って子、何者なのニャ?
 ダルニャンの親せきとは聞いたニャけど、すごく怪しいのニャ……」

そういえば、鈴羽お姉ちゃんが未来から来たことは、あの時ラボにいた人たちだけの秘密にしてました。
つまり、そのことを知ってるのは私、オカリンおじさん、まゆりお姉ちゃん、紅莉栖お姉ちゃん……。
あれ、ダルおじさんも知ってたっけ? 教えた記憶はありませんけど。
もしかしたら、誰かが口を滑らせたのかな?





お化け屋敷を出るころには時刻は12時を回り、私たちは休憩スペースでお昼ご飯を食べることになりました。
テーブルには日除けのパラソル。もう季節は秋だからあんまり必要ない気がするけど、眩しさは感じなくて快適です。
そして、テーブルの上にはおおきな重箱がいくつか並べられています。るかお姉ちゃんが持っていた風呂敷包みは、お弁当だったようです。
重箱の中にはおにぎりやいなりずし、それにたくさんのおかずがぎっしり詰められていました。どうやら全部手作りの様です。
私は紙皿の上に料理を取り分けて、早速一口食べてみました。

「おいしい! るかお姉ちゃん、お料理も上手なんですね」

このハンバーグとか、冷めてしまってるけどすごくおいしく感じます。

「おねえ――ボク、男なんですけど……」

確かにそうなんですけど、やっぱりるかお姉ちゃんは女の人にしか見えません。
性格もすごく優しいし、ぜひお手本にしたいです。

「あの、今度、私にもお料理教えてくれませんか?」

私もこんな風に、料理がうまくなりたい。

「ええ、ボクなんかで良ければ」

小指を出して、指切りしました。この前はまゆりお姉ちゃんとも約束したし、3人でお料理できたらいいな。

「そういえば綯ちゃん、いつもそのポシェット持ってますよね。お気に入りなの?」

絡めていた指を離すと、るかお姉ちゃんが私のポシェットを指差して尋ねてきました。
黒と灰色の布地に、目がバッテンのうさぎさん。
思わず抱きしめたくなる可愛さに、思わずお父さんにねだって買ってもらっちゃった。

「ハイ! かわいいですよね?」

「そ、そうですよね! とっても、可愛いと思います……」

あれ、なんか微妙な反応です。もしかして、気に入らないのかな?
た、確かに、友達の反応もあまり良くなかったけど、私にとっては宝物です。

「そ、そういえばルカ子よ、修行の方は進んでいるか?」

何とも言えない雰囲気を感じ取ったのか、オカリンおじさんが間に入ってるかお姉ちゃんに尋ねます。

「は、ハイ! 昨日は、50回まで素振りできました」

「うむ、順調なようだな。お前が清心斬魔流の奥義を習得した時、趣都秋葉原の防人としての務めを果たすことが出来るだろう……ククク」

また、オカリンおじさんの病気が出てきたようです。
オカリンおじさんの言うことを真に受けるあたり、るかお姉ちゃん人を信じやすい性格なんだなあ。
……詐欺とかに遭いませんように。

「お――おかべ!」

「うおっ、いきなり大声を出すな!」

紅莉栖お姉ちゃんが、オカリンおじさんの背後で大声をあげました。

「こ、これ……」

そういって差し出したのは、紙皿に盛られた料理。

「ああ、取り分けてくれたのか? お前も、やっと助手としての自覚が――」

「ごちゃごちゃ言わないで、さっさと食べなさいよ!」

また助手って呼ばれたのが気に食わなかったのか、紅莉栖お姉ちゃんは頬を膨らませて催促してます。これ以上怒らせない方がいいとわかったようで、オカリンおじさんもそれ以上何も言わず、料理を受け取りました。
オカリンおじさんが卵焼きを口に運ぶのを、紅莉栖お姉ちゃんは穴が開くほど見つめています。

「……うむ、美味いな」

「ホント!? ホントにおいしい?」

紅莉栖お姉ちゃんは身を乗り出して、オカリンおじさんを問いただします。

「な、なぜお前がそこまで気にするのだ! これはルカ子が――」

「お、岡部さん。それはボクが作ったものじゃないんです」

るかお姉ちゃんの言葉で、オカリンおじさんは手元の料理に視線を落としました。

「それ、牧瀬さんが作ったんですよ」

「……は?」

オカリンおじさんは全く信じられないといった感じで、紅莉栖お姉ちゃんを見つめています。

「こ、これはその――あの日助けてくれたお礼、何か形にして返せてなかったなって思って」

どんどん顔が赤くなっていく紅莉栖お姉ちゃん。今にも破裂しそうに見えます。

「牧瀬さん、昨日1日本当に頑張って……この段の半分は、牧瀬さんが作ってくれたんです」

差し出された重箱を覗き込むと、そこには他と変わらない見事な料理。確かにところどころ切り方が雑だったり、サイズがバラバラだったりしますが、それでも十分おいしそうです。

「ルカニャンと2人で徹底的に料理のコツを叩き込んだのニャ!
 クーニャン、手際はいいニャけど調理法に対する考え方が違い過ぎて……」

そうか、『紅莉栖お姉ちゃんを手伝った』って、こういうことだったんだ。手の切り傷も、包丁で切ってしまったものだったのでしょう。私も初めは何度か手を切っちゃったことがあるし。
だけどフェイリスさんの表情を見る限り、ここまで料理を作るのには相当苦労したように思えます。紅莉栖お姉ちゃん、そんなに下手だったのかな?

「そうか……あの料理の腕からすれば、驚愕せざるを得ないな」

「ちょ、ちょっと! なんであんたが私の料理の腕を知ってるのよ!
 確かに、私には似合わないかもしれないけど――」

「べ、別に貶しているわけではないぞ! お前が作ったというのなら、ありがたく頂こう」

そういって、お皿の料理に箸を伸ばすオカリンおじさん。紅莉栖お姉ちゃんも、ホッとしたようです。

「んー! クリスちゃん、ホントにおいしいねー!」

「……おいしい」

他のみんなにも好評で、紅莉栖お姉ちゃんも照れ笑いを浮かべています。



2人は私から見ても仲良しだし、正直お似合いだと思います。
でも、やっぱり胸にモヤモヤしたものを感じてしまう。
……ダメだ。どうしても、ここにいるのがつらい。



私はその場をこっそり離れようとして、お父さんに呼び止められます。

「綯、どこに行くんだ?」

「ちょ、ちょっとトイレ」

「そうか。俺も行こうと思ってたんだが、ついてくか?」

私は無言でうなずいて、父さんと一緒に行くことにしました。



今思えば、どうしてここまでオカリンおじさんに惹かれたんだろう?
いろいろ話すようになって間もないのに、自分でもよく分からない。
ホントに私、どうしちゃったのかな――。



その時、その思考を吹き飛ばすような、激しい突風が起こりました。

「おおっ!?」

あたりに木の葉が吹き散らされ、お父さんがとっさに身構えるます。
お父さんの陰で、風がやむのを待っている間にも、他のお客さんたちの騒ぎ声が聞こえてきます。
台風でもないのに、ものすごい風です。






次の瞬間、頭の上でバサリと何かがはためく音。




「あぶねえ!!!」





叫び声とともに、私にお父さんが覆いかぶさって視界が暗くなります。

「ぐうっ!」

お父さんの、低いうめき声。

「み、ミスターブラウン!」

オカリンおじさんの叫び声。それに遅れるように、どんどん騒ぎが大きくなる感覚。
つぶっていた目をゆっくりと開き、周りを見渡してみる。
向こうにはテーブルにあったパラソル。あの強風で飛ばされたものかもしれません。
……それと、地面にいくつかの赤い点。

「け、怪我してねえか、綯」

お父さんが、私を安心させようと笑顔で声をかけてくる。
でも、頭に……。

「おい、血が出ているぞ!」

オカリンおじさんがハンカチを手に駆け寄ってきました。

「ああ、ちょっと切っちまった見てえだ。にしても、すげえ風だったな」

「早く手当した方がいい! ほら、これで押さえて」

お父さんの右のこめかみから、血が流れています。
顔の横を真っ赤に染めて……。










脳裏に浮かぶ、頭を鮮血で濡らして横たわるお父さんの姿。










そこは、多分私の家。
傍らには、2人の人影が見えます。

『オ前ハ、15年後ニ殺ス』



「あ――」

体のバランスが崩れて、まゆりお姉ちゃんが綿足の肩を支えてくれました。

「綯ちゃん! 大丈夫!?」

そうしている間にも、どんどん頭の中に――。



床に嘔吐している萌郁お姉さん。
悔しそうに顔をゆがめ、テーブルに拳をたたきつけるオカリンおじさん。

『私ハ天王寺綯ダヨ。間違イナクナ』

『タダシ私ハ、15年先ノ記憶マデ"思イ出シテイル"』



「綯……?」

誰かが私を呼ぶ声。でも、意識は自分の頭の中に浮かぶ光景に集中してしまう。





そうだ。そうだったんだ。



『オ前ニ関ワラナケレバ父サンハ死ナナクテ済ンダ』


オカリンおじさんの右肘に、ナイフの刃が埋まる感覚を。


『ダガオ前ハスグニハ殺サナイ。殺セナイカラナ』


私の小さな指が、オカリンおじさんの骨に届く感触を。


『オ前ハ、15年後ニ殺ス。ソレマデセイゼイ怯エ続ケルンダ』


あたりに響き渡る絶叫を。










――思イ出シタ。



[30329] 小さなラボメン見習い(6)
Name: 正人◆1e4b078b ID:6dd4bd81
Date: 2011/12/06 21:08
「まさか、パラソルが軸ごと飛ぶなんて……」

「でも、切り傷で済んでよかったねー。まゆしぃも安心したよー」

学校の保健室みたいな、消毒液の匂い。
ベッドに座り込むお父さんの頭はガーゼで覆われ、とても痛々しい。

「心配かけて悪かったな。血は出てたが怪我は大したことねえ」

こじんまりとした医務室の中には私たちのほかにまゆりお姉ちゃん、紅莉栖お姉ちゃん。
――そして、桐生萌郁。

「怪我自体はいいんだが、これじゃあ外も出歩けねえや」

お父さんは苦笑して、自分の着ている服をつまみ上げた。
右肩のあたりを中心に、傷から流れ出た血が付着して赤黒く染まっている。この服のまま外に出たら、さすがにまずいというのは私にだってわかる。

「とりあえず着替えを用意してもらってるから、おめえらだけでも遊んで来い!」

お父さんがその大きな手で私の頭をガシガシと撫でてくる。


ねえ、お父さんは分かってるの?
私の目の前で、1度死んだことを。
そこから私が、どんな人生を歩んでいたのかを。


「あの……私も残る」

「どうしたバイト、別に俺1人でも――」

「……私も、心配だから」

伏し目がちになって、そんなことを言い出す。お父さんを1人にするのは心配ではあるが、私は正直気が進まない。
この女は、お父さんの死に関わっていた。お父さんと2人きりにするなんて到底考えられない。
でも、今は何もできない。お父さんはこうしてピンピンしているから。
……どうして、こんなことになっている?
私が『思い出した』記憶では、世界線の収束によりお父さんや桐生萌郁の死は決定していたはずだ。世界線が変わったとしても、その運命は揺るがない。
だからこうして2人が今も生きてるということは――。

「綯ちゃん、行こう。萌郁さんがいれば店長さんも大丈夫だと思うし」

まゆりお姉ちゃんの言葉で、私たちは2人を残して医務室を後にした。
――ともかく、今は何もできない。もしアトラクタフィールドが変わっているのなら、ここで私が桐生萌郁を殺そうとしても、収束に阻まれ死なないこともあり得る。
あの時、私の頭によみがえった記憶。何が起きたのかよく分からないが、その中の世界と今の世界は、あまりにもかけ離れている。


ここは、お父さんが自殺しない世界線なんだ。





「ミスターブラウンは?」

「大した怪我じゃないって。血も止まったみたいだし」

「そうか……よかった」

紅莉栖お姉ちゃんの報告で、胸をなでおろしている。
岡部倫太郎。世界線の変動を感知できる人物。
私が『思い出した』世界線に関する知識も、この男を拷問した際に聞き出したものだ。
私の手で殺した後、気が遠くなるほどのタイムリープを繰り返し、その時の私の記憶を2010年の私に『思い出させた』。
この手で、お父さんの復讐を果たすために。

「こんなことが起こるなんて……予想外ニャ」

「んー? フェリスちゃんどうしたのー?」

「な、何でもないのニャ!」

フェイリスさんは誤魔化すように大声で否定している。考え事をしてるようだから律儀にお化け屋敷での約束を果たそうとしているのかもしれない。

「桐生さんは、心配だから残るって」

「うむ……本人がそういうなら、俺たちだけで行くか」

お父さんはたぶん大丈夫だろう。でも、今となっては遊園地を楽しむ気分にはなれない。
本人を目の前にすると、どうしようもない憎悪の念が湧いてきてしまう。
この男に関わらなければ、私たち親子は平穏な生活を送れたはず。少なくとも、拳銃自殺なんて目撃しないで済んだのだ。

「綯、お前は大丈夫なのか」

「……大丈夫です」

突然声をかけられて、何とか感情を押し殺して返事をする。自分でも驚くくらい、平べったい声。これで大丈夫と言っても、説得力は微塵もない。

「じゃあ、あたしこの子と回りたいなー! 午前中はあんまり一緒に回れなかったし」

いきなり後ろから、誰かに抱き着かれる感覚。どうやら鈴羽お姉ちゃんのようだ。

「す、鈴羽が行くなら僕も行くお!」

「じゃあ、フェイリスはフリーフォールに行きたいのニャ! 残りのみんなで突撃ニャ!」

「お、おいあんまり押すな! 4時前には観覧車前の噴水で待ち合わせだ」

フェイリスさんにぐいぐい押されて、他のみんなはあっという間に行ってしまった。
……でも、好都合かもしれない。フェイリスさんは勘が鋭いし、私の様子がおかしいことに気付かれる可能性がある。
それに、今あの男といるのは、絶対に嫌だ。





「おおー、メリーゴーランドだー! 次はあれがいい!」

鈴羽お姉ちゃんは、ものすごくはしゃいでる。彼女に手を引かれて、私も連れまわされてしまう。
彼女が未来から来たのなら、多分あの世界線でバイトをしてた『鈴羽お姉ちゃん』も、タイムトラベラーに違いない。

「綯お姉ちゃん、一緒に乗らない? 絶対楽しいって!」

「で、それを僕が撮影すると。よーし、お兄ちゃん頑張っちゃうぞー!!」

ダルおじさんと鈴羽お姉ちゃん。見た目の年齢は変わらないけど、これも仲睦まじい親子の会話。
あの世界線で、私から永遠に奪われたものだ。

「いやー、綯お姉ちゃんちっちゃくてかわいいなあ! 未来に持って帰れないかな?」

本気か冗談かよく分からないことをポツリと呟いて、馬に乗るのを手伝ってくれる。
あの世界線で会った時に比べると、鈴羽お姉ちゃんはやっぱりダルおじさんに似た性格になってるような気がする。
世界線が変わったことで、細かなところに差異が出てきてるのか。

「ほら、動き出したよ!」

私の後ろに乗り込んだ鈴羽お姉ちゃんは、すごくご機嫌だ。
ダルおじさんのフラッシュが、私たちに何度も当たって少し眩しい。色とりどりの馬が回って、景色が1周する。
……まるで、記憶の中の私みたいだ。
岡部倫太郎を殺した後、15年の時を遡り桐生萌郁をこの手で殺して。
そしてまた、15年の時を生き直す。
世界から色が抜けたような鬱屈とした日々。あの2人に私自身が手を下す、そのことだけが私を支えていた。

「ねえ、綯お姉ちゃん……ホントに大丈夫?」

グルグル回るメリーゴーランドの上で、心配そうに声をかけられる。

「大丈夫です。心配しないで」

メリーゴーランドの回転がゆっくりと止まっていく。
……今は、考え過ぎない方がいいかもしれない。あまり挙動不審だと何か感付かれるかもしれない。
この記憶のことを、誰かに知られるのは都合が悪いから。





「あー楽しかった! ちょっとはしゃぎすぎたかな」

「2人とも、なんか飲む? 良ければなんか買ってくるけど」

近くのベンチで休憩していると、ダルおじさんが腰を上げて私たちに尋ねてくる。

「ホント? ゴメンね父さ、じゃなくてお兄ちゃん」

「謝んなって。将来の嫁さんをゲットする予行演習だお! デュフフww」

鼻息荒く笑みを浮かべて、ダルおじさんは飲み物を買いに行ってしまった。
鈴羽お姉ちゃんと、2人きりになる。

「うーん、次はどこに行こうか、綯お姉ちゃん」

パンフレットを見ながら、行き先を考えてる鈴羽お姉ちゃん。

「あの、『綯お姉ちゃん』って呼ぶの、やめてくれませんか」

生年月日の上では私より年下でも、やっぱり見た目は年上の人にそう呼ばれるのは傍から見ればおかしい。
それに、鈴羽お姉ちゃんのいた時代では、私は20歳くらい年上のはず。まゆりお姉ちゃんや紅莉栖お姉ちゃんのことは『おばさん』って呼んでるのに、私だけ『お姉ちゃん』って……。

「あーそうだよね。じゃあ今日は呼び捨てでもいい?」

私はコクリと頷く。あの世界線でもそうだったから、むしろ呼び捨ての方がしっくりくる。

「鈴羽お姉ちゃん……1つ、聞いてもいい?」

未来では、みんなどうしてるのか。それがわかれば、この世界線でどんな収束が働くのかの指標になる。まあ、大したことは教えてくれないと思うが。

「……そうだね、みんな元気だよ。この時代とあんまり変わらないかな」

一瞬だけ考え込むような仕草を見せ、鈴羽お姉ちゃんは大きく伸びをして、ベンチの背もたれに深く寄りかかる。
あたりさわりのないことだけど、おそらく嘘じゃない。しかしそれが真実なら、世界線の収束により私があの2人に対して行動を起こしても、せいぜい重傷程度のダメージしか与えられないだろう。
その強さは、私も『覚えている』。あの日に何度戻っても、お父さんを助けることはできないし、桐生萌郁も何らかの原因で死に至る。
だからこそ、復讐だけは自分の手で果たそうと決めたんだ。

「まさかタイムマシンまで作るなんて、驚嘆に値するよ」

鈴羽お姉ちゃんは明るく笑い、私の頭をなでてくる。

「でも――綯、君は『シュタインズ・ゲート』って知ってる?」

「……オカリンおじさんが、よく言ってる言葉ですよね」

「この世界線は、収束が起きない。どんな事象が起こるのか、全く決まってないんだ」

……収束が、ない?
鈴羽お姉ちゃんの言葉に、私は耳を疑ってしまう。

「本来なら、その世界で起こる出来事はある程度決まってる。
 でも、この世界線では干渉すればするだけ未来が大きく変わってしまうんだ」

収束が働かないなら、確かに行動1つで未来は変わるだろう。
でも、どうしてそんなことに……。

「じゃあ、何で鈴羽お姉ちゃんはここへ来たの?」

さっきの話が本当なら、このタイムトラベルの影響で、大きく未来が変化してしまうかもしれない。
それにここまでの世界線変動を引き起こせる人物は、岡部倫太郎ぐらいしか思い当たらない。未来のあいつが、そのリスクを承知したうえでわざわざタイムトラベル実験を許可するとは考え難い。

「……確認したいことがあったの」

長い沈黙の後、たった一言だけ答える。

「綯はさ、大事な人っている?」

間をおかず、今度は鈴羽お姉ちゃんが私に尋ねてくる。
あの時、岡部倫太郎が発した問いと同じようなことを。

「あたしはラボメンのみんなが好き。おかしな発明品を作ったり、みんなで騒いだりしてるのは見てるだけで楽しいし。
だからね、これだけは知っていて欲しいんだ」

ベンチから跳ねるように立ち上がって、私と視線が合うようにしゃがみこむ。

「誰かを大事に思ってるなら、君も誰かに大事に思われてるって。
 あなたのことを、ちゃんと見てくれる人がいるってことを」

私をまっすぐ見つめる瞳が、強く訴えかけてくる。さっきまでのはしゃぎっぷりが嘘のようだ。
まるで、あの時の彼みたいに――。

「おーい、2人とも待った?」

「あ、帰ってきた……なんかゴメンね、急にこんなこと言っても分かんないよね」

鈴羽お姉ちゃんは立ち上がって、ダルおじさんに大きく手を振った。
自分が小難しいことを言ったのがおかしく感じたのか、苦笑いして私に手を差し伸べる。

「さあ、まだまだ遊ぶよ綯!」



私にも、大事な人はいる。かつてそれは永遠に奪われてしまった。
今更『思い出した』ところで、意味など全くないのかもしれない。
でも、鈴羽お姉ちゃんの言っていたことが本当なら。

――復讐は、果たせるかもしれない。





「みんなー! 待った?」

待ち合わせ場所には、父さんたち以外のみんながすでに集まっていた。
あれからさらに時間が経って、もう日は傾き始めている。
血を零したような、紅の空。

「あースズさん! どうだったー?」

「うん、ホントに楽しかったよ!」

まゆりお姉ちゃんとるかお姉ちゃんがこちらに駆け寄ってくる。鈴羽お姉ちゃんも散々遊んで上機嫌だ。

……ここしかない。

「まゆりお姉ちゃん!」

まゆりお姉ちゃんに抱き着こうとして、わざとるかお姉ちゃんに体を当てた。
持っていた風呂敷包みが落ち、大きな音とともに結び目が解ける。その衝撃で重箱やお箸が地面に散乱してしまった。

「あ――ご、ごめんなさい!」

「だ、大丈夫ですよ! 早く拾わないと――」

まゆりお姉ちゃんたちと一緒になって、落ちた食器を拾う。
……あった、これだ。
私は目当てのものを発見し、こっそりとポシェットへと移した。
よし、多分見つかってない。

「おい、手伝おうか?」

「ううん、もう拾い終わったから大丈夫だよー」

重箱を重ねなおして、私たちもそろって噴水に集まる。

「あの、お父さんたちは……?」

「萌郁からメールが来ていた。少し遅れるそうだぞ」

そうか……だから、この場にいないのか。

「それじゃあ、最後は観覧車ニャ!
 今の時間なら、ちょうど夕日がきれいに見えるのニャ!」

「わ、私は……パス」

まだ元気あふれるフェイリスさんとは対照的に、紅莉栖お姉ちゃんはベンチにへたり込んでいる。

「クーニャン、コーヒーカップごときで情けないニャよ?」

「いや、お前すごい回してただろ! やたらと紅莉栖を絶叫マシンに乗せてたし、へばっても仕方があるまい」

少し怒ったように腕を組み、フェイリスさんをたしなめる。
紅莉栖お姉ちゃんは、かなり具合が悪そうだ。目の焦点が定まっていない。三半規管を刺激するものに弱いのかもと、下らないことを考えてしまう。
今からやろうとしてることを思うと、みんなのやり取りもすべて茶番みたいだ。

「あー、まゆりがグルグル回ってる」

「クリスちゃん、大丈夫ー? 心配だからまゆしぃは残るよ」

「ぼ、ボクも高いところはもう……」

まゆりお姉ちゃんとるかお姉ちゃんが申し出る。るかお姉ちゃんの怯えようから見るに、フェイリスさんに付き合わされて色々な絶叫マシンに乗せられていたのだろう。

「ダルニャーン、フェイリスと一緒に乗ろうニャ!」

「ええー! じゃああたしも乗る! 浮気なんかされたら母さんが怒るし」

「うはー、まさかのハーレム展開ktkr! 最後の最後に僕にも春が訪れたのか……ふう」

ダルおじさんは2人に組み付かれてガッツポーズしている。
ここで、私はやっと気づいた。紅莉栖お姉ちゃん、まゆりお姉ちゃん、るかお姉ちゃんは残り、お父さんと桐生萌郁はまだここにきていない。
余ってるのは、2人だけ。

「というわけでー、凶真はナエニャンと乗ってニャ!」

いかにもわざとらしい声色で、フェイリスさんがあいつの背中を私の方へ勢いよく押してきた。
フェイリスさん、わざと紅莉栖お姉ちゃんをダウンさせたんだ。そうすれば、私たちを2人きりにできる確率が上がる。
観覧車から2人で夕日を眺める。これがフェイリスさんの言う『最高のシチュエーション』か。

「な、なぜこうなる!? ここまで作為的になるとは……ハッ、これも裏に機関の陰謀が――って、おい、どうしたのだ」

「……行こう、オカリンおじさん」

またごちゃごちゃと意味の分からないことを言い出す彼の手を握り、観覧車へと歩き出す。

「……ナエニャン?」

私の様子がおかしいことに、フェイリスさんもさすがに気付いたかもしれない。
でも、もう手遅れだ。





……私は、あの時のフェイリスさんの言葉を思い出す。

『あれがこの遊園地の目玉、1周20分の巨大観覧車ニャ!』

20分間2人きり。逆に言えば、その間ゴンドラの中には誰も入れず。



誰も――出られない。



[30329] 小さなラボメン見習い(7)
Name: 正人◆1e4b078b ID:6dd4bd81
Date: 2011/11/29 21:50
「中は案外広いんだな。普通にみんなで乗ればいいものを……」

そんなことを愚痴りながら、彼はゴンドラに乗り込んだ。
私が乗り込むと同時に、係員が後ろで扉をバタンと音を立てて閉める。これで少し待てば、もう誰にも邪魔されることはない。



そして、観覧車はゆっくりと上昇し始める。
窓から見えていた光景がだんだん下へずれていき、景色を遮るものがなくなっていく。
これくらいの高さなら、もう妨害の心配はない。

「……オカリンおじさん」

「何だ。高いところは嫌だ、とか今さら言うなよ?」

違う、そんなことじゃない。
向い合せに座ったゴンドラの中、彼を睨みつけて言い放つ。

「あの日、お店の前で言ってたことの意味が分かった。
 私――思い出したんです」

これだけ言えば、おそらく伝わるはずだ。世界線間で記憶を継続させる能力を持つなら、私が彼にしたことも覚えているだろう。
私はそっと、彼の右腕に視線を移す。夕日が白衣の袖を赤く染めて、まるであの時と同じみたいだ。
お父さんが自殺した日、まだ岡部倫太郎の死は訪れないと決まっていた。だから桐生萌郁のところへ行く前に、少しいたぶってやったんだっけ。
自分の手のひらに、ナイフで刺した時の感触が蘇る。この世界線の私がしたわけではないけど、はっきりと思い出せる。

「……そうか」

予想とは異なり、至極あっさりとした反応。もっと動揺すると思ってたけど。

「驚かないんだ」

「ミスターブラウンが怪我したとき、俺もあの時のことを思い出してしまった。
 お前の様子も、おかしかったしな」

気が付いてたんだ。それが分かっていて、ここまでついて来たというのだろうか。

「じゃあ、私が何を考えてるかわかる?」

私は肩からさげたうさぎのポシェットから、あるものを取り出す。
さっき隙を見て、るかお姉ちゃんの弁当箱から持ち出したもの。





――それは、金属製のフォーク。





これが欲しかったから、わざとるかお姉ちゃんにぶつかったんだ。遊園地でてっとり早く見つかる凶器なんて、これくらいしか思いつかなかった。
でも、きちんと狙う場所を選べば殺傷能力は十分だし、急所を外して苦しめることだってできる。
これは『私』の復讐だ。大事な家族を奪っておいて、幸せになんてさせるもんか。

「鈴羽お姉ちゃんから聞いたよ。この世界線には収束が働かないらしいな。
 それが本当か、私が試してやる」

収束がないというのなら、未来がどうなっているかに関わらず、今この場で岡部倫太郎を殺すことが出来るはずだ。



鈴羽お姉ちゃんが話した未来通りなら、この先も平和な日々が続いていくのだろう。
けど、ここで私が岡部倫太郎を殺したら? その未来もきっと訪れない。
……本当に、それでいいのか?
私のせいで、誰かが不幸になるだけなのかもしれないのに。



「俺は、お前に何をされても文句は言えない」

私をしっかり見つめて言う。どうやら、すでに覚悟を決めたらしい。

「お前を復讐に駆り立てたのは、俺のせいだ。俺は……すべて受け入れる。
 それが、シュタインズゲートの選択だというのならな」

そして静かに目をつぶって、私に両手を広げてくる。これほど無防備なら、少なくとも一撃はいれられそうだ。

「……なにが『すべて受け入れる』よ」

私は席から立ち上がり、フォークを両手でしっかりと握りしめた。
……本人は気付いているのだろうか。
広げたその指先が、微かに震えていることに。格好つけるのはいいけど、明らかに怖がってるじゃない。



『……私は、お父さんが大好きです。世界で、たった1人の家族ですから』

そうだ、私の大事な人だ。誰かの手で奪われるなんて、絶対許せない。

『それに、萌郁お姉さんも大切な人です』

『――だって私は、ラボメン見習いなんですから!』

……あの日の気持ちは、本当だったのかな。



お父さんの敵。15年の時を遡ってまで、復讐を果たすために狙い続けた人。
でも……これで終わり。私が、終わりにするんだ。

「――!」

床を蹴って、さらけ出されたその胸に。















――次の瞬間、思いっきり抱き着いていました。















手に持ってたフォークが、指の間から床に落ちてカランと音を立てる。
勢いよくぶつかったせいで、オカリンおじさんからわずかにうめき声が漏れます。

「……動かないで」

威圧しようとしても、迫力が全くありません。
オカリンおじさん、自分の胸にフォークが刺さってないことにやっぱり驚いてる。

「……オカリンおじさんは勝手です」

その胸に顔をうずめて、私はオカリンおじさんに話しかけます。
言ってやりたいことが、たくさんあるの。



「私のことなんて、無視してればよかったじゃないですか」

ほとんど話したこともなかったんだから、相手しなければよかったじゃない。

「怖い思いしてまで、一緒にいなくてもよかったじゃないですか」

私の異変に気付いたなら、事前にどうにかできたはずなのに。

「ちょっとくらい仕返ししてもよかったじゃないですか」
 
あんなひどいことをしたんだから。



「なんで……そんなに、優しくするんですか――!」

たとえ、それが気まぐれだったとしても。



涙が後から後からあふれ出して、どうしても止められません。
オカリンおじさんの白衣が、涙でまだら模様に変わっていきます。

「やっぱり、私には出来ないや……」

あの世界線の『私』は、全く躊躇しなかったのに。
学校にお友達はいても、お父さんが私にとってかけがえのない存在だった。お父さんがいなくなったら、私は1人ぼっちになってしまう。

「……私、怖かったんです」

お父さんがいなくなったら、どうすればいいのか自分でもわからない。それは、お化けや変質者なんかよりもずっと怖いことだったから。
でも、それが現実となって自分に降りかかった時、やり場のない痛みをぶつける相手が私の目の前にいた。
オカリンおじさんと、萌郁お姉さん。でも、それは私の八つ当たりにすぎなかった。



この1週間、ラボメンのみんなと過ごす時間が前よりずっと増えて。
みんなどこか変わってるけど、とってもいい人たちばかりで。
最初はすごく怖くて、他の世界線ではお父さんの敵だったオカリンおじさんの事もいろいろ知ることが出来た。

厨二病なところ。
怖がりなところ。
責任感が強いところ。
仲間思いなところ。
ホントは、とっても優しいところ。

復讐するには、オカリンおじさんのことを知り過ぎちゃったからかな。
他の世界線の記憶を思い出したところで、私は『私』になりきることなんて出来ませんでした。
それどころか、私は――。



「……綯、俺は」

不意に、抱きしめられる感覚。
あまりに突然すぎて、顔が真っ赤になりそう。そんなこと、考えてる場合じゃないのに。

「俺は、お前の人生を狂わせてしまった。
 父親思いで素直で、しっかり者だったお前を、殺人者にしてしまったんだ。
 世界線が変わっても、俺の中では″なかったこと″にはならない」

オカリンおじさんの腕にこもる力が強くなります。
そこから伝わる、確かな温もり。

「私には、お父さんしかいなかったんです。
 オカリンおじさんたちに復讐しても、私の大切なものは帰ってこないのに」

「――済まない」

謝ってくるオカリンおじさんの声も、わずかに震えています。

「謝らないでください。オカリンおじさん、今までずっと気遣ってくれてたんですよね。
 だから私、オカリンおじさんのこと――赦してあげます」

それは、私だけにしか出来ないことだから。

「俺は……俺は!」

オカリンおじさんの声の震えが大きくなっていく。もしかして、泣いてるの?

「なんで、オカリンおじさんが泣くんですか」

2人揃って――まるで、子供みたい。
でも冷静に考えたら、私はまだ小学生だった。思い出した記憶に、大分引きずられてるみたい。

「オカリンおじさんは、どうして紅莉栖お姉ちゃんを」

……自分でも、何を言ってるんだろうと思います。私もまだ抱き着いたままだし。
脈絡のない質問だけど、なんとなく気になってしまったんです。
もしかしたら、この世界線変動に何か関系があるのかな?

「……あいつは、苦しんでいた俺のことを信じてくれた。
 紅莉栖がいたから、俺はこの世界にたどり着けたんだ」

短い言葉に、たくさんの想い。
みんなが楽しく平和に過ごしているこの世界線。鈴羽お姉ちゃんは『シュタインズ・ゲート』って呼んでた。
辿りつくまでに、オカリンおじさんは大変な思いをしてきたに違いない。私に襲われたことなんて埋もれてしまうほど、つらくて長い道のりをたった1人で。
オカリンおじさんにとって、紅莉栖お姉ちゃんはとっても大事な人なんだ。世界線を渡り歩いても、それは揺るがない。

「今度、その話も聞かせてくださいね」

私は頬に伝う涙をぬぐい、精一杯の笑顔でお願いしてみました。
この世界は、とっても平和で心地いい。そんな今をくれたのは、オカリンおじさんだから。

「そうだな、話せば長くなるが……おい、外を見てみろ」

突然、オカリンおじさんが窓を指差してきました。私もつられて、その先に視線を移すと――。

「うわあー!」

知らないうちに、ゴンドラは頂点までたどり着いていました。
窓から見えるのは、今日1日遊んだ遊園地。ジェットコースターのレールやコーヒーカップ、メリーゴーランドの屋根も、全部夕日で暖かなオレンジに染まってます。
観覧車に乗る前まで、あんなに不吉な色に見えてたのに。
この景色を、オカリンおじさんと2人きりで見れた。フェイリスさんにも、あとでお礼しなきゃ。

「私、みんなと来れて良かったです」

「そうか。それなら、俺が福引を当てた甲斐があったというものだ」

無意識のうちにつぶやいた言葉ですが、オカリンおじさんもちょっとだけ嬉しそう。

「ねえ、オカリンおじさん」

抱き着くのをやめて、私はオカリンおじさんの横に腰かける。

「ど、どうした。まだ何か話があるのか」

ちょっとだけ警戒した面持ちで、私の顔を覗き込んでくる。
……まあ、さっきまでのことを考えれば当然ですよね。
この雰囲気に飲まれて、自分がやろうとしてたことを棚上げしてた。

「ごめんなさい――何でもないです」

結局私は何も言えないまま、2人並んで夕日が落ちていくのを、ずっと眺めていました。






「オカリーン、綯ちゃーん! こっちこっち!」

「ああ、今行く!」

みんなが待っているベンチに、オカリンおじさんが手を振りかえして返事をします。
紅莉栖お姉ちゃんも、休んで元気になったみたいです。お父さんも服を着替えていて、萌郁お姉さんと並んで立っています。鈴羽お姉ちゃんたちも、私たちより後に乗ったはずですが、私たちより先に来ていました。
まあ、それも仕方がないかも。私たちは泣いてたのを誤魔化すために、観覧車から降りた途端すぐにトイレで顔を洗ってたから。オカリンおじさんは服も私が濡らしてしまったので、何だか申し訳ないです。

「別にいいさ、蛇口が暴発したとでも言っておく……一応聞いておくが、萌郁のことは」

「大丈夫です。お父さんとも、仲良さそうですし」

おずおずと尋ねてきたオカリンおじさんに、私はハッキリと答えました。
萌郁さんも、私とおんなじだったから。大切な人がいなくなると、すぐに心が崩れてしまう。
だから、私も萌郁さんの支えになってあげたいです。

「岡部―! いい加減早く来なさいよー!」

中々来ない私たちに業を煮やしたのか、紅莉栖お姉ちゃんが大声で呼んでいます。

「オカリンおじさん。紅莉栖お姉ちゃんのこと、幸せにしてあげてください」

「……ああ」

そっけない感じだけど、オカリンおじさんの返事は決意に満ち溢れていました。

「もし約束破ったら、抉っちゃいますよ?」

「どこの部位かは……聞かない方がいいな。お前がいうと冗談に聞こえん」

満面の笑みで脅しに近いお願いをしたせいか、オカリンおじさんは苦笑いです。
私はオカリンおじさんの後ろに回って、両手で思いっきり背中を押しました。

「ほら、早く行ってあげて!」

「痛っ! いきなり押すんじゃない!」

文句を言いつつも、オカリンおじさんは紅莉栖お姉ちゃんのもとに駆け出しました。
2人の会話は聞き取れませんが、顔が綻んで、照れくさそうな紅莉栖お姉ちゃん。
……そう、これでいいんだ。

「綯、早くしねえとおいてっちまうぞ!」

お父さんの呼びかけに手を振って答え、私はすぐみんなの所へと向かいます。
そして、次の瞬間。

「ナエニャン!」

突然、フェイリスさんが肩を揺さぶってきた! その顔はすごく不安そうで、肩を抱く手にもギュッと力が入ってます。

「ふぇ、フェイリスさん!?」

「大丈夫かニャ!? さっき、殺意のこもった目をして……」

私の肩をしっかり固定したまま、フェイリスさんの大きな目が、私を覗き込みます。

「あれ――なんか、スッキリした目になってるニャ」

「うん、心配かけてごめんなさい」

ペコリと頭を下げて、きちんと謝る。フェイリスさん、心配しててくれたんだ。

「約束通り、2人きりにしたニャけど……どうだったかニャ?」

「えっと、それは、あの」

思わず言葉に詰まってしまいました。まさか、オカリンおじさんを殺そうとしてたなんて言えないし、それに……。

「まあ、聞かないでおくのニャ。でも、楽しかったかニャ?」

楽しかったか。その答えは、もう決まってる。
私は、大きく首を縦に振りました。

「そう、それなら良かったのニャ!」

フェイリスさんは満足したのか、それ以上追及してきませんでした。あんまり突っ込んだところまで聞かれると、ぼろを出してしまいそうで怖い。
それに、お父さんに私が観覧車で泣いていたのが知られると、オカリンおじさんの命に係わる気がします。

「よし、みんなそろったな!」

オカリンおじさんが、人数を確認し始めました。
そうか、もう帰らなきゃならないんだ。

「あれ? 綯ちゃん……?」

足がふらついてしまい、まゆりお姉ちゃんが声をかけてきます。
観覧車に乗る前の緊張感から気が抜けて、どっとに疲れが襲ってきました。まぶたが鉛でも仕込まれたみたいにすごく重いです。
あんな記憶を思い出した後だから、余計負担がかかったのかも。それでなくても、いろんなところを歩き回ったし……。

「おい、どこか具合が悪いのか」

お父さんの声が聞こえてくるけど、どうしても目を開けていられません。
何とかうなずくけど、傍から見れば寝ぼけてるようにしか見えないと思います。

「遊び疲れちまったんだな。まったく……」

周りでみんなが何か話してるけど、全然聞き取ることが出来ません。
その時、体が持ち上がって、温かさを感じる。誰かがおんぶしてくれてるみたい。
多分、お父さんだ。怪我してるのに、無茶しないでほしいな。そう頭では考えても、眠気が勝ってどんどんぼんやりしてきました。
大きな背中の温もりの中、だんだん意識が遠くなっていく――。










自分の気持ちは口にできなかったけど。
ラボメンのみんなには、幸せになってもらいたい。
オカリンおじさんがたどり着いた『シュタインズ・ゲート』で。



――そう願うことしか、今の私にはできないから。



[30329] 小さなラボメン見習い(8)
Name: 正人◆1e4b078b ID:6dd4bd81
Date: 2011/12/06 21:44
私は、どこか狭くて暗い部屋に立っていた。
赤黒い液体が床一面にぶちまけられ、鼻に鉄と排泄物のような臭いが突き刺さる。
……これ、血だよね? 自分自身に問いかける。そんなの、一目瞭然なのに。私は床の血を目で辿って、徐々に視線を上げていく。
不自然にねじれた足。指は切り取られてしまったのか、1本も残ってない。
そして傍らには、同じように血で濡れたナイフ。

嫌だ。私が、あの人にこんなことするわけない。
でも、自分の祈りに反して、私の目に飛び込んだのは――。










「――はっ!」

その顔を見る前に、大きな目覚まし時計の音で目が覚める。
じっとりと寝汗をかいて、動悸が全然収まらない。ここは私の部屋で、血だまりもあの悪臭もないことを確認して、私はホッと胸をなでおろす。
あの日、他の世界線の記憶を思い出してから、たまにその時のことを夢に見ます。最近はほとんど見てなかったから、完全に油断してた……。
それにしても暑い。まだ朝早いのに、外からは蝉の声が聞こえてきます。部屋の中にも、熱気が充満し始めてる。
季節は8月、夏真っ盛りです――暑いのは、当たり前か。


別の世界線でお父さんが自殺してから、もう、
気が付けば、中学生になって初めての夏休みです。


「綯、そろそろ起きろ!」

お父さんの声が聞こえてきます。今日はまだ夏休みだから、そんなに早く起きなくても……。

「――そうだ!」

私は布団から飛び起きました。今日は、用事があったのをすっかり忘れてた。



「おめえいいのか? 毎日店の方に来てるが」

「大丈夫だよ! 宿題は毎日コツコツ片づけてるし。
 それに、今は夏休みだもん」

朝ごはんを片付けながら、お父さんは私に尋ねてきます。夏休みに入ってからは、お店に行く回数もかなり増えてるし、宿題が終わらないと心配されてるのかも。
勉強は大事だけど、私ももう中学生です。宿題のスケジュール管理はばっちりです!

「で、今日はどうしてこんな早え時間に?」

「あのね、紅莉栖お姉ちゃんがアメリカから帰ってくるの!」

少し早起きした理由。私は笑顔で答えました。

「ほお、確か正月以来じゃねえか?」

研究がひと段落ついたようで、少し長めに休みがとれたみたい。お姉ちゃんはアメリカの大学でいろいろ研究していて忙しいと聞いてたから、お姉ちゃんから連絡が来た時、オカリンおじさんも嬉しそうだった。
……こっちから見ても恥ずかしいくらい。もうデレデレです。

「あいつは、何で周りに女ばっか連れ込むんだよ。俺もあやかりてえもんだ」

下心が丸見えな笑みを浮かべて、お父さんが愚痴っています。

「お父さん、不潔だよー」

「ち、違うぞ綯! 俺は――そう、これはマーケティングってやつだ!
 これからは、女性客も取り込んでいかねえとな、アハ、アハハハハ!」

私が呆れ顔で注意すると、わざとらしい笑い声でごまかしてくる。こういうところがたまに傷なんだよなあ。
お父さんには悪いけど、商売替えでもしない限りあのお店に女性客が来るとは到底思えません。

「それに、萌郁お姉さんさんがいるじゃない」

「あ、あいつは、あくまでバイトだ」

興味ないぞと言わんばかりにふんぞり返って腕を組むけど、ちょっと顔が赤くなってる気がします。なんだかんだで萌郁お姉さんがお店でバイトを始めて1年近く経つし、クビにしてないところを見ると満更でもないのかな?

「ほら、下らねえこと言ってるとおいてくぞ!」

お父さんは立ち上がって、車を取りに行こうとします。

「え、ちょっと待ってよ!」



私は急いで食器を片づけて、部屋から荷物を取りに戻りました。。
持ち物はいつものポシェットと、手提げ袋に2冊の本。

『物理学基礎』
『宇宙入門』

中学校に入ってから、私はこういう本を読むようになりました。少しでも、オカリンおじさんたちが見てる景色を共有したくて。
まだ私には難しい内容だけど、自分でいろいろ調べながら読み進めています。


あれからオカリンおじさんには、いろんなことを聞きました。
タイムマシン、Dメール、世界線、そして『シュタインズゲート』。SF小説に出てきそうな単語ばかりで、まるで作り話みたいだった。でも、オカリンおじさんは真剣そのものでした。私の記憶とも、内容は一致しましたし。
オカリンおじさんも、自分の発明であんなことになるとは思ってなかった。だからこそ、あんなに自分がしたことを悔いていたんだ。それが分かっただけで、私には十分です。
今でも、私はラボメン見習いとしてラボに遊びに行っています。まゆりお姉ちゃんたちとお話したり、本を読んだり、アメリカにいる紅莉栖お姉ちゃんに電話したり。

何か特別なことが起こるわけではないけれど、とっても楽しいです!

「綯、一緒に行くなら早くしろよ!」

「うん、分かった!」



……でも、今朝のような夢を見るたび、私は考えてしまう。
あの世界線で、私は復讐のためにラウンダーになる道を選んだ。SERNに刃向うテロリスト、岡部倫太郎を追うには最適だったから。
その過程で、私はたくさんの人を傷つけた。オカリンおじさんを探し出す目的で、人を殺したこともある。
みんなの不幸を願った私が、みんなと一緒にいていいのかな。
結局みんなといるのも、そんな罪悪感からなのかもしれない。せめて今度は、私の手でみんなを幸せにできるように。
誰にも言えずに、ずっと心の底で引っかかってる。





お父さんと一緒にお店に向かうと、萌郁お姉さんがもう掃き掃除を始めていました。

「おはようございます、店長。綯ちゃんも」

「おはよう、萌郁お姉さん!」

車から降りた私たちに、ほほ笑みを浮かべてあいさつする萌郁お姉さん。去年と比べると、だいぶ表情が豊かになって言葉数も明らかに増えてます。

「今日は早えんだな。俺は午後からブラウン管の引き取りがあるから今日は出なくてよかったんだが」

「私もこれから他のバイトがあるんですけど、まだ時間がありますし。どうせ暇なので」

最近はいろんなところでバイトをしてるらしいです。今は、コンビニの店員さんだったかな? 接客ができるのかちょっと心配でしたが、いろんなことにチャレンジするのはいいことですよね。
そんな萌郁お姉さんですが、ここのバイトは辞める気はないらしいです。他に待遇のいいバイトなんていくらでもあるのに。

「それは……店長さん、いい人だし。綯ちゃんもいるから」

私がためしに聞いてみると、萌郁お姉さんは頬をピンク色に染めて私たちから目をそらしました。
この反応、まさか……。

「お父さん、私は新しいお母さんが来ても大丈夫だからね!」

「おい、いきなり何言ってんだ!?」

「な、綯ちゃん、どうしてそんなこと……」

あ――い、勢いであらぬことを口走ってしまいました。ただ、萌郁お姉さんがお父さんに特別な感情を持ってるんじゃないかと思って……。完全に余計なお世話なのに。
案の定、2人ともかなり動揺してます。特に萌郁お姉さんが。

「そ――そういえば私、ラボに用事があったんだー」

我ながらありえないほど棒読みのセリフをしゃべって、その場からすぐに立ち去りました。
2人とも、ごめんなさい。

でも家族が増えるのは大歓迎です。それだけは、嘘じゃない。





「こんにちはー!」

私がラボの玄関を開くと、部屋の中には美味しそうな香りが充満していました。

「お、綯氏じゃん」

「綯ちゃん、おはようございます」

ラボのパソコンをいじっていたダルおじさんがこちらに顔を向けてきます。お正月の頃に比べると、だいぶお腹のあたりがスッキリしてます。ダイエットの成果は抜群みたいです。
台所にはるかお姉ちゃん。エプロンを着て今日の紅莉栖お姉ちゃん歓迎パーティーの料理をしています。どうやらいい匂いの正体はこれみたいですね。
……エプロン、すごく似合ってる。誰かが教えてくれない限り、どこからどう見ても可憐な美少女です。

「綯ちゃん! トゥットゥルー♪」

「トゥットゥルー♪ まゆりお姉ちゃん」

まゆりお姉ちゃんは、開催が迫ったコミマ用のコス作りで忙しそうです。るかお姉ちゃんの衣装かな、やたらと布の面積が小さい気がします。
そういえばまゆりお姉ちゃんたちは今年受験のはずなのに、大丈夫でしょうか?
まあ、息抜きは大事ですけどね。

「ダルおじさんは今年のコミマ、彼女と行くんですか?」

「いやあ、彼女とか言われるとさすがに照れるお!
 由季とは実に健全なお付き合いをさせてもらってるし、もうリア充サイコー!」

「ダルくん痩せたらかっこよくなったもんねー。今度ダルくん用のコス作ってあげようか?」

「その時は、由季とカップルコスをキボン!」

ダルおじさん、興奮しすぎて鼻血が出てる。
冬のコミマで、ダルおじさんは彼女をゲットしたらしいです。私もチラッと見かけたことがありましたが、鈴羽お姉ちゃんにそっくりだった。
この調子だと、鈴羽お姉ちゃんに会える日も近そうです。



鈴羽お姉ちゃんは遊園地から帰った次の朝、未来に帰ってしまったらしい。
オカリンおじさんが見送りしたそうですが、私もお別れを言いたかったな。

『綯はさ、大事な人っている?』

あの時、オカリンおじさんと同じことを尋ねられたんだっけ。
なぜそんなことを聞いてきたのか、今となってはもう分からず仕舞いです。



「でも、17号機はマジでヤバかった。拷問ってレベルじゃねーぞ!」

ダルおじさんがしみじみと呟いています。





未来ガジェット17号機『あらゆるメシがマズイ』(命名:ダルおじさん)

『見た目は何の変哲もないメガネ!』
『しかし、メガネのつるから発せられる微弱電流で脳に刺激を与え』
『味覚を狂わせることで、口に含むものを《3口食べたらもういらないレベル》のまずさに誤認させます』
『これで健康的に食事を制限し、ダイエット効果が得られるよ!』





未来ガジェット研究所のホームページに掲載する予定だった文章。
これ自体は危険と判断されて、オカリンおじさんが封印してしまったものです。

「あの時、クリスちゃんもびっくりしてたもん。『その発想はなかったー!』って」

この未来ガジェットは、お正月に私がアイデアを出して、紅莉栖お姉ちゃんが形にしてくれたもの。
最初は冗談のつもりで提案したけど、『ダイエットに脳科学的見地からアプローチするなんて。綯ちゃん……恐ろしい子!』と紅莉栖お姉ちゃんが興味を示してあれよあれよという間に作成が進み――。
こっそりと、ダルおじさんのメガネと取り換えちゃった。当然、作成者であるダルおじさんにはすぐ気付かれてしまいました。
……一度装着すると、外しても効果が3日ほど持続してしまうという欠点以外は。
まさかそんな落とし穴があったなんて。でも、あれからおじさんもダイエットに取り組むようになったし、ある意味結果オーライだったのかもしれません。

「綯氏の発想は危な杉。オカリンよりよっぽどマッドな時があるお!」

「ぐ、偶然ですよ!」

ダルおじさんの指摘に、私は慌てて言い訳します。
確かにあの記憶を思い出してから、友達にもよく似たようなことを言われるようになった気がする。発想が黒くなったとか、妙に怖いとか。これも、オカリンおじさんをいかに傷つけるかを考え続けていた『私』の記憶が影響してるのかもしれない。

「あれ、オカリンおじさんは?」

誰か足りない気がしていましたが、オカリンおじさんがいません。最近はラボに泊まりこんでいたから、てっきりいるものだと思っていたけど……。

「んー、さっきフラッと出て行っちゃったんだよ」

まゆりお姉ちゃんが不思議そうに首をかしげています。
フラッと、か……何かあったのかな?

「牧瀬氏の乗った便はまだ着かないはずだし、迎えに行くにはまだ早いお。
 もしかして、買い出し?」

「で、でも、お料理の材料はもう十分ですし。他に、何か用事があるんじゃ」

るかお姉ちゃんも料理の手を止めておろおろしだしました。
急に消えたオカリンおじさん……うーん、気になります。オカリンおじさんは変わった人だし、深く考えるのは馬鹿らしいことかもしれないけど、やっぱり心配です。

「私、ちょっと探してきます!」

どうしても我慢できなくなって、私は玄関のドアを開いて、外へと飛び出しました。
1年前の、あの日のように。





外はまだお昼前なのに、うだるような暑さです。蝉の声も、今朝よりもやかましいです。
ゆらゆらと熱気で先の景色がかすむアスファルトの上を、私は走る。
全くあてがないのに、考えなしだったかな?

「おーい、ナエニャーン!」

前方から私を呼ぶ声が聞こえて、私は足を止めました。

「あれ、フェイリスさん!」

「どうしたのニャ? そんなに急いで、緊急事態なのかニャ」

フェイリスさんはいつものメイド服に猫耳姿です。むしろ、その格好でこんなところをうろついてるのか聞きたい。人気メイドだけあって、道行く人が立ち止まってこちらを向いたり、携帯で写真を撮ったりしてます。フェイリスさんも慣れっこなのか気にも留めていません。

「フェイリスはこれから、雷ネットの大会があるのニャ。この前のABグラチャン優勝者として、ゲストで呼ばれてるのニャ!」

エッヘンと胸を張るフェイリスさん。去年から公式大会に出始めて、連戦連勝してるらしいです。学校でも流行ってて私も何度かやったことがありましたが、大会優勝なんてものすごい実力だと思います。

「あの、オカリンおじさん、見かけませんでしたか?」

「凶真? そういえば、さっき見かけたような気がするのニャ」

フェイリスさんは振り向いて、向こうのあたりを指差した。

「そ、そうですか。ありがとうございます!」

私はペコリと頭を下げて、再び走り出す。

「あ、ナエニャン! クーニャンの歓迎パーティーには絶対行くから心配しないでほしいのニャ!」

後ろでフェイリスさんが叫んでるけど、私は無視してしまいました。
さっきすれ違ったのなら、もう少しで見つかるはず。



――その時、白衣の端が視界に入る。
いた、オカリンおじさん。



誰かとお話ししてるみたい……外国の人かな?
その路地でアクセサリーを売ってるおじさんから、何か受け取ってる。

「オカリンおじさん!」

私の呼びかけに気が付いたのか、振り返ってものすごい勢いでこちらに駆け寄ってきました。
そんな恰好じゃ嫌でも目立つから、案外早く見つけられた。

「な、綯、どうしてここに!?」

「なにしてたんですか? こんなところで」

何だかものすごく動揺しています。外国人のおじさんがニコニコとこちらに手を振ってる。オカリンおじさんも、ひきつった笑顔で答えています。

「お、俺は今から帰るところだったんだ」

「それじゃ、一緒に帰りましょう」

オカリンおじさんは、一瞬だけ考え込むようなそぶりを見せて。

「……ああ、そうしよう」

その場を後にして、私の先を行きます。おいていかれないように、私は少し急ぎ足で横に並ぶ。
……こうして、並んで歩くのは久しぶりだなあ。





「ほら、これで良かったか?」

「あ、ありがとうございます」

オカリンおじさんから受け取ったコーラ。買ったばかりだから、手のひらひんやり冷たくなる。
私たちはラボの近くにある公園で休憩中です。少し走って喉が渇いてたから、ちょうどよかった。もちろん、オカリンおじさんの飲み物はドクペです。
2人でベンチに腰かけて、オカリンおじさんはさっそくドクペをごくりと飲み始めます。

「そういえば、紅莉栖お姉ちゃんとはどうなんですか?」

私が何気なく尋ねると、オカリンおじさんは口に含んでいたドクペを盛大に吹き出しました。

「な、何故そんなことを聞く!?」

「ちょっと気になっただけですよ。この前電話したら『連絡来なくてさびしいー!』って」

「……あいつ、そんなキャラだったか? スイーツ(笑)脳だというのは認めるが」

何気ない会話。たまにはこういうのも悪くないです。

「さっさと告白しちゃえばいいのに。まだビビってるんですか?」

「お前は、いつもそうやって俺を急かすのだな」
 ……ありがたいことではあるが」

2人が仲良しだと、私もホッとします。遠距離ですれ違ったままおしまい、なんてシャレになりません。
でも、なおさら気になってきた。さっき外国人のおじさんから何を受け取ってたんだろう? まさか、危ないクスリとか――。

「オカリンおじさん――紅莉栖お姉ちゃんが悲しむようなこと、してないですよね?」

「……なにを言っているのだお前は?」

私が何を言ってるのかよく分かってないみたいです。ここは、もっと単刀直入に聞いた方がいいかも。
いくらマッドサイエンティストを自称してるからって、変なクスリを使って体を壊したら紅莉栖お姉ちゃんがかわいそうです。

「さっき、外国人の人から何かもらってましたよね」

「ああ、あれは……」

オカリンおじさんは一瞬言葉を詰まらせましたが、観念したようにため息をつきました。

「本当は、サプライズにしようと思ったのだがな。
 お前に、渡したいものがある」

渡したいもの? なんだろう、今日は誕生日でもないし……。

「ほら、手を出せ」

言われるままに、右手を差し出します。
白衣のポケットに手を突っ込んだ後、オカリンおじさんの手が私に手のひらに置かれて。



小さな、金属の感触。



「これって――」

何度もラボに足を運んで、私も見慣れているもの。
それは、ラボメンバッジでした。
歯車と矢印をあしらったデザイン。『OSHMKUFAT 2011』の文字。

……T? アルファベットが1つ多い。それに刻まれた西暦が今年になってる。



「見てわかる通り、ラボメンNo.009のバッジだ。
 これからは、頭文字とともにラボメンの加入年度を入れることにしたのだ」

T。天王寺のT。

「紅莉栖が帰ってきてから、皆の前で発表しようと思っていたが……。
 これで、お前も晴れてラボメンの仲間入りだな。フゥーハハハ!」

ベンチに座ったまま、大げさなポーズで高笑いするオカリンおじさん。

「でも……どうして」

あまりに突然すぎて、感情が追い付かない。私が、ラボメンに?
私、何もあなたにしてあげられてない。自分の居場所を欲しがるだけで精一杯だったのに。


「これは、俺からの感謝のしるしだ」

高笑いするのをやめ、私に微笑むオカリンおじさん。

「いつも臆病な俺の背中を押してくれたこと。お前を傷つけた俺を、赦してくれたこと。
 俺には、十分すぎるほどだ」

その笑顔は、とても眩しく、とてもやわらかで。
なんで、私にそんな顔をするの。

「お前は努力を怠らず、ラボのために尽力し続けていた」
 俺はお前を――ちゃんと見ていたぞ」

「あ――!」





『誰かを大事に思ってるなら、君も誰かに大事に思われてるって。
 あなたのことを、ちゃんと見てくれる人がいるってことを』





あの日聞いた、鈴羽お姉ちゃんの言葉がよみがえる。

「お、おい! なぜ泣いているのだ!」

「へ――?」

頬をぬぐうと、濡れた感触。私、いつの間に……。
でも、これは悲しいからじゃない。

「さすがにこの状況はマズイ! 軽く犯罪の臭いが……」

オカリンおじさんはあたふたしています。公園にはほとんど人がいないけど、私たちを他人が見たら――。
大の大人が、女子中学生を泣かせている図。
……これはヒドイ。

「ご、ごめんなさい」

どうしても、涙が止まらない。そういえば今日はいろんな人に謝ってる気がする。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさ……」

何度も繰り返し、オカリンおじさんに謝る。
一瞬、目の前にいるオカリンおじさんの姿に、今朝の夢が重なってしまったから。
ホントなら、もっと早く謝らなきゃならなかったのに。オカリンおじさんは私のことを傷つけたというけど、それは私だって同じでした。
私はオカリンおじさんを苦しめて死なせてしまった。復讐のためとはいえ、ラボを襲った集団に身をゆだねた。
私が、弱くて自分勝手だったせいで。

「綯、落ち着け!」

オカリンおじさんが、強く肩を揺さぶってくる。その振動で、私はやっと謝るのを止めました。

「……お前は、いろいろ考え過ぎなのだ」

私が落ち着いたのを確認して、私の肩から手を下ろす。

「少なくとも、俺はお前が悪かったとは思っていない。俺にだって責任の一端はある」

私の目をしっかりと見つめて、オカリンおじさんが語りかけてきます。
私なんか、みんなと一緒にいる資格はないのかもしれない。心の片隅ではそう感じていても、みんなから離れたくなかった。
みんなが幸せになるのを、ちゃんとこの目で確かめたかったんだ。

「この1年、ずっと後悔したまま俺達と一緒にいたんだろう?」

「……だって私、オカリンおじさんを傷つけたから」

「お前が復讐者だろうが、そんなことはどうでもいい!」

オカリンおじさんの声が一際大きくなりました。

「お前は俺たちの仲間だ。それだけは変わらない」

そのまま頭を、優しくなでてくる。
私だって中学生だから、こんなの子供っぽいとは思います。でも、すごく心地いい。
オカリンおじさんは、こんな私も仲間だと思ってくれてるの?



……そうだ。私、まだ何も伝えられていない。
オカリンおじさんは、きちんと伝えてくれたのに。



「オカリンおじさん!」

「うおっ! な、何だいきなり大声を出して」

驚いた拍子に、頭からオカリンおじさんの手が離れました。ベンチに座ったまま、向かい合う。
あの日、観覧車で言えなかった言葉。復讐の続き。
考えるだけで、心臓が口から飛び出してしまいそうです。
ムードなんて、気にしてられない。

「私、私は……」

私はもう、変わらない日々を繰り返してた『私』じゃないから。


新しい未来を、この目で見るんだ。


オカリンおじさんの顔を、両手で抱いて。
互いの息が、顔にかかるほど近づいて。

「私は、オカリンおじさんが――」










「だいすきです」










――やっと、言えた。
自分の気持ちを伝えることは、とっても簡単なことだったんだ。





返事?……聞けるわけないじゃないですか。
私が、唇で塞いでしまったから。
あんなにうるさかった蝉の鳴き声が、全く耳に入りません。
柔らかくて、温かい。
オカリンおじさんの驚いた顔が目に浮かぶようです。

「――ぷはっ」

さすがに息が苦しくなって、私は唇を離し、ゆっくり目を開ける。

「お、おおおお前はいい、一体何を……!」

途端に、裏返った声が聞こえてきました。オカリンおじさん、やっぱり動揺してる。
……どうしよう、今になってものすごく恥ずかしくなってきました。体中の血が頭に上ってきて、破裂してしまいそう。
い、いきなりその、キスなんて――。

「……お、オカリンおじさんが悪いんです」

「は?」

照れ隠しの、八つ当たり。
紅莉栖お姉ちゃんが好きなら、紅莉栖お姉ちゃんだけに優しくしてればいいのに。
バッジをくれたり、仲間だって言ってくれたり。
なんで、私にも優しくするんですか。


……でも、そんな人だから、私も好きになることが出来たんです。
だから、今のは復讐の代わり。ナイフで刺されるより、ずっとマシでしょう?
この世界線には、収束が存在しないらしい。私を閉じ込めてた因果の輪は、もうどこにもないんだ。
未来に何が起こるのか、みんなも私も分からない。それなら、私にだってチャンスがあってもいいじゃないですか。
私はベンチから立ち上がって、軽くお尻を払う。

「さあ、もう行きますよ」

振り返って、あわて顔のオカリンおじさんをまじまじと見つめる。
もう、夢で見たあの姿はどこにもありませんでした。

「お、おい! どこへいくのだ」

オカリンおじさんの言う通りだ。結果なんてどうでもいい、何も伝えないままなんて、やっぱり悲しすぎる。

「決まってるじゃないですか。ラボに帰るんです」

でも、私は今度こそ伝えられたから。
踏み出したその1歩が、私の世界を塗り替える。
これからも続く日常を、ゆっくり楽しんでいこう。





「……これもまたシュタインズゲートの選択、ですよ!」



《Act.1 復讐少女のオーバーライト END》



[30329] Intermission
Name: 正人◆1e4b078b ID:6dd4bd81
Date: 2011/12/11 20:19

ああ、ゴメンね、急に話があるなんて言っちゃって。
2010年――うん、楽しかったよ。みんなやっぱり若かったね! 綯お姉ちゃんもちっちゃくてかわいかったし。
え、呼び方が違う? 前は『綯おばさん』だったのにって?
……そのことも、説明しようと思ったんだ。
あのさ、バタフライエフェクトって知ってるよね。『風が吹けば桶屋が儲かる』――ちょっと違うか。
あたしは、やっぱり迂闊だったんだよ。
自分でも気が付かないうちに細かい変化が積み重なって、その結果に焦って1人で大騒ぎして。



だから、せめて聞いてもらいたいの。
あたしは、取り返しのつかないことをしちゃったから――。










【div 0.000000】



あたしが初めて綯お姉ちゃんと会ったのは、小学校の夏休みの頃だった。

「ほら、きちんと自己紹介しなさい」

「はしだすずはです! 今日は、よろしくおねがいします!」

母さんに手を引かれて、あたしは綯お姉ちゃんの家を訪れてた。
その頃のあたしは元気だけが取り柄で、ちょこまかと動き回ってたように思う。あいさつだって、いつも大きな声でしていた。
……今とあんまり変わらないか。

「ごめんなさいね、無理言っちゃって」

「いえ、かまいませんよ。私も今日は休みですし」

母さんたちの会話。今日は、この人の所に預けられるらしい。
綯お姉ちゃんの第一印象は、『かわいいひと』だった。
母さんと比べるとお世辞にも背が高くなかったし、でも顔は整っていて、いわゆる美人の部類だったから。そのギャップで、余計に幼い感じを受けたのかもしれない。
父さんも、『ギャップは萌え要素として重要な……』とか話してたし。

「じゃあ鈴羽、母さんたち行ってくるからね!」

「うん! 絶対負けないでね!」

あたしは大きく手を振って、ガッツポーズする母さんを送り出した。
母さんがいなくなって、私たち2人だけ。

「こんにちは、鈴羽ちゃん。私は天王寺綯です」

あたしの前にしゃがみ込んで、自己紹介してきた。

「んー……こんにちは、なえお姉ちゃん!」

もう一度、あらためて挨拶をする。自分で言うのもアレだけど、あまり物怖じしない性格だから全く警戒心はなかった。





「オカリンおじさんたち、アメリカに旅行に行っちゃったんだー」

「そう……だから由季さん、私に預けて行ったのか」

綯お姉ちゃんが、コップにジュースを注いでくれる。テーブルの上にコップを置いて、綯お姉ちゃんも一緒に座った。
その日はまだ夏真っ盛り、外はすごく暑くて日差しも強かった。その頃のあたしは外で遊ぶのが好きだったから、そわそわとして落ち着かない。特に去年の誕生日、オカリンおじさんに自転車をプレゼントされてから、いろんなところへ行きたくてしかたがなかった。
最初はうまく乗れなかったけど、1度乗れるようになるとどんどんスピードを出せるようになった。
猛スピードで移り変わる景色、頬が風邪を切る感触。
今も自転車に乗り続けてるのだって、その感覚が心地いいからなのかもしれない。

「鈴羽ちゃんは何年生?」

「えっとねー、2年生!」

あたしは右手でピースを作って、意味もなく胸を張る。

「なえお姉ちゃん、あのぬいぐるみは?」

ちょうど視界に入ったのは、棚の上にあるたぶんウサギのぬいぐるみ。でも、ウサギにしては布の色が全体的に暗い。

「これ? 私が子供の頃のお気に入り。ここから肩に下げると、ポシェットになる。
 大事なものだったから、今もこうして捨てないで飾ってたの」

何だか変わったデザインだから、少し気になってしまった。普通なら、もっとピンクとかそういう色のものが好きになるものだと思ってた。

「鈴羽ちゃんも、宝物ってある?」

「えっと、自転車は大事だし……ものじゃないけど、目標はあるよ!」

「目標……教えてくれる?」

私は大きく頷いて、綯お姉ちゃんに教えてあげる。

「あのね、あたしは一人前の戦士になるんだ!」

「……戦士?」

綯お姉ちゃんはキョトンとしてる。
それもそうだ、急に戦士なんて言っても話が通じるはずがない。

「そう! お父さんたちといつか『コミマ』ってところに行くんだ」

親指を握りこんで、綯お姉ちゃんにシャドーボクシングしてみせる。当然まだ子供だったから、拳に勢いは全然ない。
父さんと母さんは、『コミマ』に戦いに行くらしい。

『鈴羽、コミマはね、一人前の戦士じゃないとすぐ力尽きてしまうんだぞ』

毎年夏と冬になると、父さんはいつもあたしにそんなことをつぶやいていた。
今になって思えば、夫婦水入らずで楽しみたかったんじゃないのかな。
……でも、生半可な覚悟じゃニュースで見たあの人ごみに耐えられない。父さんの言葉も、あながち間違いではなかったみたい。

「でもひどいんだよ、あたしがまだ子供だからお留守番しなきゃならないし。
 オカリンおじさんもね、あたしがラボメンにしてーって頼んでも――。

『お前のような貧弱な者を、ラボメンなどにするものか。
 まあ、せいぜい見習いから精進するのだな。フゥーハハハ!』

 なんていって、全然相手してくれないんだよ。ヒドイよね!」

あたしは頬を膨らませて文句を言う。初対面のお姉ちゃんに愚痴ってもしかたがないのに。
確かにラボメンは大人の人ばかりだけど、子供扱いされるのは嫌だったんだ。

「見習いか……そういえば私もね、岡部さんに似たようなことを言われたことがあったわ」

「へえー、じゃあなえお姉ちゃんもラボメンなの?」

あたしの質問に、綯お姉ちゃんは懐かしそうに目を細めた。

「まだ小学生だった頃に、私の父がお仕事で出かけなくちゃならなくなったの」

父親と2人暮らしだった綯お姉ちゃんは、その時まだ設立されたばかりの未来ガジェット研究所で過ごした。
で、オカリンおじさんに1日ラボメン見習いにされちゃったらしい。

「まあ、特にラボメンらしいことは何もしなかったんだけどね」

綯お姉ちゃんの言葉に、私は少しだけ落胆してしまった。ものすごい発明品の手伝いをしたり、悪の組織と戦ったりしたんじゃないのか。

「でも、お父さんが来るまでまゆりさんたちとお話しできて、すごく楽しかった」

綯お姉ちゃん、みんなと知り合いだったのか。母さんと知り合いだという時点で気づいてもよかったな。
そうだ、それなら……。
あたしはテーブルから身を乗り出して、綯お姉ちゃんに顔を近づける。

「ねえ、みんなのこと、もっと聞かせて!」

オカリンおじさん、あんまり昔のこと話してくれないから、綯お姉ちゃんから何か『弱み』を聞きだしてやろうと思ったのだ。
上手くいけば、あたしもラボメンにしてもらえるかも。戦士には、頭脳プレイも必要だからね!

「そ、そんなこと言われても……私も、そこまで岡部さんと親しかったわけじゃなかったから。
 あの頃は、岡部さんのことが怖かったの」

「怖い? すっごく優しくて面白いよ!」

でも、自称『狂気のマッドサイエンティスト』って完全に危ない人だから、やっぱりあたしがおかしかったのかな。当時の私は『きょうき』って漢字でどう書くのか、それがどういう意味かもわかんなかったし。
綯お姉ちゃんは、少し考え込んでいたけど、今度はあたしに質問してきた。

「……鈴羽ちゃん、私と会うのは今日が初めてよね?」

「うん、そうだよー!」

会ったことがあるなら、あたしもさすがに覚えてる。

「そう。何だかね、聞き覚えのある名前のような気がして――」










あの時の綯お姉ちゃんの顔は、今でも忘れていない。
遠い記憶を思い出すような、何かを知ってしまったような顔。
その意味を知るのは、まだまだ先のこと。



「鈴羽、今日いい子にしてた?」

「うん、父さん!」

半日振りの再会に、思わずお腹へ向かって飛び込む。お父さんは少しよろけつつも、しっかり私を支えてくれた。
綯お姉ちゃんはいきなり口数が減ったけど、その理由を尋ねる前に両親が迎えに来てしまった。両手にいっぱい、紙袋を持って。
中にはたくさんのグッズや同人誌が詰まっていたことだろう。父さんたちは『戦利品』っていうから、幼い私になおさらコミマが戦場だというイメージが刷り込まれてしまった。

「じゃあね、なえお姉ちゃん!」

両親に手を引かれて帰る私を、小さく手を振って見送る。
その時点では、綯お姉ちゃんの変化に気がつけなかった。


何か特別なことをして遊んだわけじゃなかったけど、その日は楽しかったように思う。
だからこそ10年以上経った今でも、ずっと色あせないまま記憶している。










――綯お姉ちゃんの訃報が届いたのは、それから数か月後のことだったから。



《Act.2 now loading...》



[30329] Re:小さなラボメン見習い(1)
Name: 正人◆1e4b078b ID:6dd4bd81
Date: 2011/12/20 22:11
また、昨日と同じ夢を見た。



あたしは自転車を整備している。汚れはないか、チェーンは緩んでいないか。何も考えなくても、勝手に作業が進んでいく。
普段から趣味で自転車には触れているから、それだけなら別段おかしなところなどない。
でも、その作業の様子を、横で誰かがしゃがみこんで見ているのだ。
たぶん、小学生くらいの女の子。大して面白味のない作業を、ただ見ているだけ。
あたしに小学生の知り合いなんていない。友達の子供の頃の姿……とも思ったけど、どうも違うみたい。
知らない女の子がいれば気になるはずだけど、夢の中のあたしはそのことを気にも留めていない。

そうだ。何となくだけど、あたしはこの子を知ってる気がする。

最後は決まって、その子が何か言おうと口を開いたところで――。










「あ――」

聞き取る前に、夢から覚めてしまう。
目を開けたら、そこはいつもと変わらない私の部屋。
ここ数日、同じ夢を繰り返し見てる。夢占いとかは信じてないけど、これって何かの啓示だったりするのかな?
あたしはベットからはい出して、棚の上に並べられた写真たちを眺めた。
遊園地で父さんと一緒に写ったものや、自転車で走ってるあたし。
その写真の中には、あの女の子は写っていない。

「……当たり前だよね」

見覚えがあるような気はするけど、写ってるはずがない……それにしても、リアルな夢だった。
ふと机の隅に視線を移すと、そこには小さなウサギのぬいぐるみ。黒を基調とした色合いに、バッテンになった目のせいで、隅っこでおびえているような印象を受ける。
綯お姉ちゃんの遺品の中から、あたしがもらったものだ。もう10年近く経つけど、未だに捨てられずにいる。
だって、その中には……。

「すずはー! そろそろ起きなさい!」

まずい、母さんの声だ。どうやら寝過ごしちゃったみたい。さっさと起きた方がいいな。
あたしは髪を手早く三つ編みにして、カレンダーの今日の日付にバツ印を付ける。

2036年8月12日。大学も夏休みだし、まだまだ日本は暑くなりそうだ。





「あれ、父さんは?」

「あなたよりも早く起きて出かけたわよ。珍しいこともあるのね」

母さんが朝ごはんの食パンを用意しながらニコニコと話しかけてきた。父さんがあたしより早起きするなんて……たぶん、ラボに行ったんだ。
秋葉原にある大檜山ビル。そこに未来ガジェット研究所がある。父さんは仕事の傍ら、そこで何か研究してるみたい。あたしも差し入れついでに、時々遊びに行っている。
聞いた話によると、ラボはオカリンおじさんが大学を卒業した時、1度引き払ってしまったらしい。
……結局、あたしが小学校に入学するあたりで借り直したのだそうだ。確かに、あそこでみんなとワイワイ騒ぐのは楽しくてすごく居心地がいいから、オカリンおじさんが固執するのもなんとなくわかる。

「そういえば、バイトはまだやってるの? いくつも掛け持ちして、体壊さないでよ」

「ううん、目標額は稼いだから、今は一時休戦ってとこ」

あたしはパンにジャムを塗って一口かじる。
この前、すごく欲しかった自転車を買うことが出来た。折り畳み式で、持ち運びに便利なやつ。ちゃんとしたマウンテンバイクも持ってるけど、さすがに友達とかと旅行する時には持っていけないから。
……そうだ、今度バイト代がたまったら、自転車で1人旅するのもいいな。

「鈴羽、ほっぺにジャムついてる」

「え、ホント?」

母さんに指摘されて、自分の頬を慌ててぬぐう。
いけない、考え事してたから気が付かなかった。
たまに、自分のこういうガサツなところが嫌になる。もう少し女の子らしく振舞えればな……。

「とりあえず、今日はラボに行ってくるよ。自転車も試乗したいから」

あたしは残りのパンを牛乳で流し込んで、出かける準備を開始した。





ラボの前まで、買ったばかりの折りたたみ自転車で駆け抜ける。
タイヤが小径だからスピードが出ないんじゃないかと少し心配していたが、思っていたほど気にならない。
そして、あっという間に大檜山ビルの前までたどり着いた。
……そうだ、店長さんに挨拶していかないと。

「こんにちはー!」

ビルの1階にある『ブラウン管工房』。そこの店長さんがビルのオーナーで、少なくとも父さんたちが学生のころからずっとこのお店をやっているらしい。
……絶対、お客いないでしょ? 家賃収入があるから道楽でやってみましたって感じだ。

「おお、鈴羽ちゃんじゃねえか」

閑古鳥が鳴く店内で、店長である天王寺裕吾さんはテレビをつけて新聞を眺めていた。

「なんか店長さん、今日も暇そうだね」

「なーに言ってんだ。ブラウン管に囲まれて優雅な時を過ごす、これ以上に楽しいことは中々ねえよ」

自慢げに語ってるけど、今のご時世じゃブラウン管を知らない人もいるだろう。現存するブラウン管テレビの1割くらいは、ここにあるような気がする。
店長さんの見てる大きなテレビも、映像が少し色褪せて見える。よくもまあ今も使えるもんだよ、今ではブラウン管は骨董品みたいな扱いなのに。

「まあな。この42型ブラウン管テレビはうちの宝だし、手入れもきちんとしてるからな。そもそもブラウン管は――」

あ、ヤバい! こうなると店長さん、熱くなって話が長くなる。

「あ、あたし、そろそろラボに行かないと!」

本格的な薀蓄が始まる前に、あたしはお店を後にした。
……ブラウン管と嫁が大事だというだけあって、話しだすと止まらないんだよなあ。
自分より10歳以上若い美人の奥さんがいるくせに、ブラウン管を嫁と同列に扱うのはよくない気がするけど。





綯お姉ちゃんのお葬式の時、2人ともすごく悲しそうだった。
萌郁おばさんとは再婚だけど、店長さんの娘である綯お姉ちゃんとの仲は凄く良好だったらしい。
だから、お葬式の間ずっと大声で泣いていたのを覚えている。
店長さんも、当時に比べてすっかり痩せてしまったそうだ。けど、現在もあと少しで還暦を迎えるのがウソみたいに筋肉がついてるから、昔はどれほど筋骨隆々だったんだろう?
……あたしも鍛えてる方だと思ってたけど、まだまだだね。





そんなことをぼんやり考えながら階段を上り、ラボのドアを開く。

「おはよう――」

ございます、まで言い切る前に。



「キッタアアアァァァァァァー!」



突然、ものすごい叫び声。

「おっしゃあ! これでミッションコンプリート!」

「やったわね! 遂に完成か……」

「いやあ、コミマに間に合うとは思わなかった。これで心置きなく聖地へ赴ける!」

父さんと紅莉栖おばさんがパソコンの前で大騒ぎしてるようだ。その横で、2人の様子をオカリンおじさんは腕組みして見てる。

「な、何? 突然大声出して――」

「あれ、鈴羽来てたん? 全然気が付かんかった」

みんなが揃って、こちらにやってきた。なんだかすごく興奮してるみたい。
そういえば、何年も前から1つの研究に絞って何かやっていたように思うけど、いい結果でも出たのか。

「オカリン、なんかテンション低くない? いつもなら年甲斐もなく『この未来ガジェット204号機が、世界の支配構造を塗り替えるのだ! これこそが運命石の扉(シュタインズ・ゲート)の選択である!』とか言っちゃうのに」

「いや、実際に完成したのは嬉しいが……それよりダル、勝手に俺の口調をまねるな!」

「後は屋上の本体にこのデータを組み込んで、起動実験するだけ。どうする、あなた?」

紅莉栖おばさんが、好奇心でキラキラ光る瞳をオカリンおじさんに向ける。父さんより1つ歳下なだけにしては、ものすごく若く見える。紅莉栖おばさん、昔は天才少女と呼ばれて、今も研究者として名をはせてるけど、好きなことをしてると、やっぱり老けないのだろうか。

「……今は保留だ。何が起こるかわからんからな」

オカリンおじさんたち、目の前にあたしがいるのに無視して勝手に会話しないでよ。

「ねえ、そろそろ中に入れてくれない?」

「「……あ」」

玄関に集まったまま話すから、あたしがとおせんぼされた形だ。これじゃあ靴も脱げない。
みんなが脇に避けて、あたしはやっとラボに上がった。
割と整頓された居間に、得体の知れない機械がカーテンの隙間からはみ出してる開発室。小学生の頃は秘密基地とかにやたら興味津々だったから、ラボはまさに格好の遊び場だった。

「で、みんな何大騒ぎしてたの?」

「えーっと、それは……」

紅莉栖おばさん、目が泳いでる。もしかして、秘密の研究だったのかな。少なくともあたしには知られてはいけないような……。
そうなると、俄然気になる。

「さっき紅莉栖おばさんは、『屋上の本体』って言ってたよね?」

「ふえっ!?」

あたしの指摘に、目に見えて動揺が広がる。どうやら図星だったみたい。
そうと決まれば、やることは1つだ。あたしは靴を速攻で履き直し、ラボを飛び出した。

「お、おい待て鈴羽!」

背後からオカリンおじさんの声が聞こえるけど、無視!
カンカンと階段を音を立てて駆け上り、屋上のドアに手をかける。
一体オカリンおじさんたち、何を作ったんだ? そんな考えが頭をよぎり、動きが止まってしまう。
……さすがに、突然爆発したり、ブービートラップが仕掛けられてたりしないよね? いくらオカリンおじさんたちも、そんな殺人兵器まがいの物は作らないだろうし。

躊躇する心を引っ込めて、あたしはドアをゆっくりと開く。





――そして、視界に入ったものは。

「なに……あれ」

最初に思ったのは、屋上のど真ん中に人工衛星がある、ということだ。
大きさ、形。教科書で見た人工衛星そのままのデザイン。
でも、何でそんなものがラボの屋上に――。










その瞬間、頭の中におかしなイメージが浮かぶ。
どこかの薄暗い部屋……多分ビルの一室。瓦礫や壊れた机、ガラスの破片が散乱して危険極まりない。
そして決定的におかしいのは、これと似たようなものが壁にめり込んでること。
横から勢いよくぶつかった――違う、その場に突如として出現したような感じだ。










「ああ……見られてしまったか」

オカリンおじさんが追い付いてきて、あたしの背後で息を整えている。この程度の階段を駆け上っただけで息切れなんて、普段から運動してない証拠だ。

「フフフ、見られてしまったなら仕方がない、お前に教えてやろう!
 未来ガジェット204号機、その名も――」



「……タイムマシン」



あたしの一言で、いつもの芝居がかった口調が凍りつく。
自分でも、何でそんなことをつぶやいてしまったのか分からない。目の前にある物体は人工衛星にしか見えないし、それなら使用用途は宇宙に関することのはずなのに。
あたしは、その物体へと足を踏み出す。自分の足がゼリーかゲル状になったみたいにフニャフニャとして、うまく前に進めない。
頭も混乱して、自分が自分じゃないみたいだ、

「これが、開閉ボタン……」

側面のボタンを押すと、その物体のハッチが開き内部が丸見えになった。ここまで来たら、中も確認するしかない。
頭を突っ込んで中を見回す。思ったより広くて、2人くらいなら余裕で搭乗できそうだ。
そして、2つの7セグメント表示の文字盤と、台に固定された8つのニキシー管。



【0.000000】



『ダイバージェンスメーター』。
初めて見るものなのに、頭の中に名前が浮かぶ。
……なんで、あたしは知ってるんだ!
頭に雑多な情報が浮かんできて、今にもパンクしてしまいそう――。

「お、おい鈴羽!」

もう駄目だ。足が崩れて、その場に膝をついてしまう。
そして、あたしの視界が暗転した。










「鈴羽ちゃん、大丈夫?」

どこからか声が聞こえてくる。その声の主を探そうと思って、あたしは目を開いた。
見慣れた天井に、頭の上にひんやりとした感触。どうやらラボのソファに寝かされてるみたい。

「……紅莉栖おばさん?」

「ああ、よかったあ! 急に倒れたから驚いちゃったわよ」

ホッとした様子で、あたしの頭に手を伸ばしてくる。ああ、この冷たいのは濡らしたタオルか。

「全くもう! 真夏に帽子も被らないでいたから、熱中病かと思って心配したんだから」

「父さんは……」

「さっき飲み物を買いに行ったわ。一応飲んでおきなさいね」

そうか、あたし、急にクラッと来て――。

「紅莉栖おばさん! オカリンおじさんは?!」

あたしは頭のタオルごとはねのけてソファから立ち上がった。
オカリンおじさんに、聞かなきゃならないことがある気がするんだ。

「な、何よ藪から棒に。倫太郎なら、多分屋上だと……」

「そう、ありがとう!」

あたしは紅莉栖おばさんを置き去りにして、再び屋上に向かった。





屋上のドアを、勢いよく開く。
オカリンおじさんは屋上のフェンスにもたれかかって、あの人工衛星をぼんやり眺めてた。

「鈴羽、目が覚めたのか」

「……うん」

「……お前は、どこまで思い出したのだ?」

思い出したというほどじゃない。頭の中に、断片的なイメージや単語が浮かんだんだ。
武器を持った兵士と命がけで戦闘したり、あの人工衛星に乗り込んだり。
『世界線』、『アトラクタフィールド』、『ダイバージェンス』。
これらが何を意味するのか、あたしにはよく分からない。

「でも、これってやっぱり――」

あの時、直感的に分かったんだ。これは、人工衛星じゃない。

「ああ。お前の言う通り、これは『タイムマシン』だ」

オカリンおじさんは、ゆっくりと話し始めた。
時間にまつわる、長い、長い話を。
……もちろん外は暑いので、階段まで退避してからだけどね。










「ふーん、そんなことが……」

「お前、本当に信じているのか?」

あんまり長い話だったから、すでに日が傾き始めている。あたしは階段から立ち上がって、再び外へと出た。まだ熱気が残ってるけど、風が吹いてて多少は涼しいな。
オカリンおじさんの話が本当なら、あたしの脳裏に浮かんだイメージの説明がつく。
別の世界線――SF小説なんかだとパラレルワールドかな?――で、あたしはSERNという組織に対抗するレジスタンスの一員だったらしい。
あたしの認識では、SERNは素粒子の研究をする機関だけど、その世界線でSERNはタイムマシンの開発に成功、世界を支配し徹底した管理社会であるディストピアを構築してしまう。
そんな未来を変えるため、あたしはタイムマシンに乗って2010年の秋葉原へと跳んだ。ホントは1975年に跳び、IBN5100というレトロPCを手に入れるはずだったけど、その世界線ではすでに亡くなってた父さんに一目会おうともくろんでいた。

「……うそっぽーい」

「嘘とはなんだ! まあ、俺も未だにあの夏のことは夢物語みたいに感じてはいるが」

「あ、信じてないわけじゃないんだよ!?」

あたしは慌てて言い繕う。確かに突拍子もない妄想にしか聞こえないし、誰かに話しても『それなんてマンガ?』って聞き返されるだろう。
でも、あたしの頭に浮かんだイメージ――記憶を説明する上では矛盾がない。
このタイムマシンを見たことがきっかけで、あたしにもオカリンおじさんが持つリーディングシュタイナーとやらが発動して、他の世界線の記憶を『思い出した』。

「フェイリ――留未穂の時も同じようなことがあったからな。ほぼ間違いないだろう」

「でも、オカリンおじさんがいうほどハッキリ思い出したわけじゃないけど」

2010年で過ごしたような記憶は今のところない。オカリンおじさん達みたいな濃いメンバーに囲まれて、短い間でも一緒に活動していたのなら、脳に電極刺されても絶対忘れない気がするのに。

「そうだ――オカリンおじさん! あたしって、その世界線で小学生くらいの女の子と知り合いになったりしてなかった?」

毎夜繰り返し見る夢。オカリンおじさん曰く、リーディングシュタイナーは世界線間での情報を橋渡しするものらしい。他の世界線で経験した記憶が、夢や直観みたいな形になって現れる。
……あたしの夢も、その類かもしれない。
早速その夢のことを話すと、オカリンおじさんの顔はだんだん暗くなっていった。
一通り説明し終わると、仏頂面のまま質問してくる。

「鈴羽、お前、天王寺綯を覚えているか?」

「え、綯お姉ちゃん? うん、一応」

一緒にいた時間は少なかったけど、身近な人が亡くなったのはあれが初めてだったから、お姉ちゃんのことは今も覚えている。
……そうか! 綯お姉ちゃんは2010年には小学生くらいの年だし、あたしがラボで過ごしてたなら顔見知りになってもおかしくない。

「あれ――そういえば綯お姉ちゃんって、どうして亡くなったの?」

当時はまだ子供だったし、詳しい状況は教えてもらえなかった。ただ、この前一緒に過ごしたお姉ちゃんが死んだ、と。
夢の内容に現実的な輪郭が付いたから、あたしの中の好奇心がうずいてしまう。
でも、オカリンおじさんの返答はあたしの期待したものとは違っていた。

「お前は……知らない方がいい」

ものすごくつらそうな、申し訳なさそうな表情で、ポツリと呟く。

「な、なんでさ! あたしだって来月には19歳だし、今更子ども扱いしないでよ!」

強めの口調で、オカリンおじさんを問い詰める。ここで引いたら、絶対に教えてもらえない気がしたから。



……あたし、何でここまで必死になってるんだろう?
1日一緒に過ごしただけの人のことを、根掘り葉掘り尋ねて。



オカリンおじさんはあたしから目を背けたけど、また一言だけ呟いた。

「……お前、あのぬいぐるみの中身、見たのだろう」

「へ? み、見たけど、それがどうしたの?」

机の上に置きっぱなしのぬいぐるみ、実際はポシェットになっていて中に物がいれられるのだ。
あたしが店長さんから受け取ったとき、中には小さなメモが一枚入っていた。





《鈴羽ちゃんへ》


《あの時遊んでくれたお礼に》





書いてあったのは、それだけ。
多分あのコミマの日のことだ。お礼なら、大事に取っておかないと。子供ながらにそう思って、あたしはそのぬいぐるみを受け取ったんだ。

「これは、俺の推測なのだが……綯も、『思い出した』可能性がある」

「『思い出す』って何を? それが一体――」

なんだろう、すごく嫌な予感がする。聞いてはいけない、すぐに耳をふさいで立ち去った方がいいと、心の中で囁かれてるみたいな感覚。

「俺は、あの夏の間にたくさんの世界線を漂流してきた。その中で、ラボメンも犠牲になるような世界線が存在したのだ」

それは、まゆりおばさんの事かな? オカリンおじさんは、その死を何度も繰り返し見てきた。

「……ある世界線で、萌郁と、ミスターブラウンが死ぬのを目撃したこともある」

あの2人が……萌郁おばさんはともかく、店長さんは銃弾ぐらいなら跳ね返しそうだけど。
ちなみに、ミスターブラウンとはオカリンおじさんが店長につけたあだ名だ。シンプルだけど、的確にその人を形容してると思う。

「俺と萌郁は、ミスターブラウンが自殺するのを指をくわえてみてたんだ――」

オカリンおじさんの声が、わずかに震える。
そこからの話は、あまり聞いてて気持ちがいいものではなかった。
まさか、小学生が自分の父親の敵を取るためナイフで殺しに来るなんて、悪趣味もいいとこだ。
それが綯お姉ちゃんなら、なおさら気分が晴れない。あの優しそうな人が、そんなことをするなんて。

「お前は、あいつとも仲良くやっていた。バイトの方はサボってばかりだったが」

オカリンおじさんは苦笑して、またフェンスにもたれかかる。日は落ちかけていて、真っ赤な夕日が目にまぶしい。

「……なあ、本当に話さないとダメか?」

「いまさら何言ってんの。あたしは大丈夫だって!」

胸をドンと叩いて、あたしは自信満々に答えた。ここまで話についてきたんだ。もう何を言われても受け流せる。

「いいか、これはあくまで推測だ……お前は、このタイムマシンを見て、他の世界線の記憶を思い出した、そうだな?」

多分、オカリンおじさんの言う通りだ。あの世界線で、タイムマシンはあたしにとってのキーアイテムの1つだったに違いない。

「他の世界線でかかわりの深かった物、人、場所――そういったきっかけがリーディングシュタイナーの発動を促す。
 綯にとっては、それはお前だったんだ」

「あ、あたし!?」

思わず、声が出てしまう。

「あいつは、α世界線で仲が良かったお前に名前を聞いて、思い出してしまった。
 ――復讐者として、15年の時を遡った記憶を。
 あいつが遺したメモ。あれはα世界線で綯が子供の頃、お前に世話になったことを感謝していたのでは――」

「……ちょっと待って」

自分の知り合いや、義理の母親を残忍な手口で殺す。しかも、全ては自らの意志で行ったこと。
そんな光景が頭の中に浮かんできたのなら、あたしだったら確実に錯乱する。
だって、誰にも相談できないでしょ? オカリンおじさんに聞くにしても、それが妄想かもと考えたらとても尋ねられない。
そうやって自分の中に、記憶に対する恐怖と罪悪感をため込んで……。

「綯お姉ちゃん、まさか――」

あたしの顔を見て察したのか、オカリンおじさんは静かにうなずく。





「あいつは、自分の部屋で首を吊った状態で発見された。
 ――自殺、だそうだ」





やっぱり、聞かない方がよかった。
オカリンおじさんは推測だって言ってたけど、それで正解だと思う。
あの日の綯お姉ちゃんの顔を思い出したら、その仮説があたしの中で確信へと変わっていく。
綯お姉ちゃんを自殺に追い込んだ記憶。それを思い出すきっかけは、あたしが綯お姉ちゃんと会ったこと。
じゃあ、綯お姉ちゃんが死んだのは。

「……あたしのせいじゃん」

自分の唇を噛んで、何とか心を落ち着かせようと努力する。
オカリンおじさんが話したがらなかったわけだ。あたしが傷つくかもしれないって、気をつかってくれたのか。

「何度も言うようだが、これは推測でしかない。お前は絶対、自分を責めると思っていたのだが――」

オカリンおじさんの指摘は当たってる。だって、あたしが綯お姉ちゃんと出会わなかったら、今も平和に暮らしてたかもしれないのに。
そう思うと、心臓が押しつぶされてしまいそうだ。





――何もせずには、いられない!





「オカリンおじさん、このタイムマシン、ホントに過去に戻れるの?」

「動作の方は保証するが――まさか!」

驚愕してるオカリンおじさんに、あたしは力強く頷いてみせる。

「あたし――過去に行ってみたい」

「歴史を変えるつもりか!? 万が一タイムマシンの存在が過去のSERNに発覚するようなことがあったら……」

綯お姉ちゃんを生き返らそうとか、大それたことは考えていなかった。
あたしの思い出した記憶は、ほんの些細なものだ。子供の頃の綯お姉ちゃんと過ごした記憶なんて、あの夢くらい。それだって、ホントはリーディングシュタイナーとは全然関係ない夢かもしれない。
でも――何となくだけど、あの夢を見るようになったのには、意味があるんじゃないかって思う。
2010年に行けば、きちんと思い出せる。そんな気がするんだ。

「自分探し――いや、観光旅行かも。オカリンおじさん、全然昔のこと話してくれないし」

でも、こうして世界線漂流のことを聞いた後だと、あんまり話しすぎてこういうタイムトラベル関連のことを口走らないようにしてたのかも。オカリンおじさん、結構用心深いとこあるから。

「お前、本気なのか?」

「わっかんないよ……でも、やっぱりあたしは、知らないといけない」

綯お姉ちゃんのこと、みんなのこと。
あたしだってラボメンなんだ! 蚊帳の外のままじゃ、何をすればいいかも分からない。
オカリンおじさんはまた口を開きかけて、結局何も言わず息を漏らした。

「――引き留めても無駄なようだな。全く、無鉄砲なやつだ」

「じゃ、じゃあ!」

念を押すように尋ねると、オカリンおじさんは静かに頷いてみせた。

「でも、いいの? あたしが過去に戻ったせいで、世界線が変わったら――」

みんなで平和に暮らす日常が、壊れてしまうかもしれない。また世界がディストピアになったり、第3次世界大戦がはじまってしまうかも。それで傷つくのは、世界線が変わっても記憶が継続できるオカリンおじさんのはずなのに。自分でいっといて難だけど、そのことを考えるとさすがに躊躇してしまう。
そんなあたしの様子に気が付いたのか、オカリンおじさんはゆっくり近づいてきて、優しく頭をなでてくれた。
……こうしてもらうのはいつ以来だろう? なんだか子供の頃に戻ったみたい。

「フン、狂気のマッドサイエンティストに、平穏な日常など必要ない。求めるのは、混沌に満ちた世界のみ!
 それに、俺はお前を信じている。どの世界線においても、未来をひたむきに信じていたお前なら――」

オカリンおじさんが、にっこりとほほ笑んで。

「お前の望む世界に、たどり着くことが出来るだろう。
 それこそが、シュタインズゲートの選択だ」










「鈴羽、準備はおk?」

「うん、バッチリだよ父さん!」

あれから2日後、8月14日。
あたしはタイムマシンの中に必要な荷物を詰め込んでいた。そうはいっても、2010年に存在しないもの、あたしの身分がバレるようなものは持っていけないから、正直荷物は衣服と毛布くらいしかない。当然保険証とかも持っていけないから、向こうで怪我しないようにしなきゃ。
でも、この前買った折り畳み自転車だけは持っていくことにした。何か乗り物がないと、移動に不便だと無理矢理説得しちゃった。
……ホントは、いろいろ見て回りたいとこがあるんだけどね。

「まさか、自分の娘が過去に行くなんて……!」

「心配しないでよ父さん。1週間以内には帰ってくるから」

「ああ、あいつが帰ってくる前にか?」

オカリンおじさんは気が付いたみたい。
あたしと同い年で、今年アメリカに留学したオカリンおじさんと紅莉栖おばさんの子供。
向こうの大学で忙しくやってるみたいだけど、今度日本に帰ってくる。
パーティーなんかも企画してるから、その前には帰ってこないと。

「オカリン、自分の子がアメリカから帰ってくるのに反応悪すぎ。少しは僕を見習わないと。
 僕はいつも鈴羽のことを考えてるお!」

「いや、忘れていたわけではない。タイムマシンのことでいろいろ忙しかったのだ。
 それより、口調が昔みたいになってるぞ」

「デュフフwww過去に行くということで、少しあの頃の気分を味わってみたでござる」

父さんはなんか変な口調で威張ってるけど、それって親バカなだけじゃない?
オカリンおじさんたちは今日までの間、ずっとあたしにタイムトラベルに関する注意事項をレクチャーしてくれたのだ。正直、すべて頭に叩き込むのは受験勉強並みに大変だった……。

「じゃあ、あたしそろそろ行くよ」

あたしはオカリンおじさんに歩み寄り、家から持ってきたあのぬいぐるみを差し出す。

「あたしが帰ってくるまで、預かっていて欲しいんだ」

「……別に、俺に預けなくても家に置きっぱなしで良いのではないか?」

ううん、オカリンおじさんに持っていて欲しい。綯お姉ちゃんの件で、オカリンおじさんは責任を感じすぎなんだよ。
きっと、綯お姉ちゃんもそう思ってるだろうから。
それにこれは、あたしが無事に帰ってくるという意思表示でもある。父さんたちを、悲しませたくないし。
あたしの意思が伝わったのか、オカリンおじさんは黙ってぬいぐるみを受け取った。

「絶対、後で返してもらうからね!」

タイムマシンに乗り込み、あたしはハッチの開閉ボタンに手を添える。

「鈴羽、ちょっと待て」

ハッチを閉めようとした瞬間、オカリンおじさんが白衣のポケットから何かを取り出してきた。

「ほら、これを持っていけ」

手を差し伸べてきたので、あたしはその手のひらにある小さな物体を受け取る。

「これ……ラボメンバッジ?」

「ああ、No.008のバッジだ。お前はもう、1人前の戦士だからな、フゥーハハハ!」

「……うん、ありがたく受け取るよ」

空に響き渡る、大きな笑い声。今更な気もするけど、ちょっとだけ嬉しいな。
面と向かって、あたしをラボメンだって認めてくれたんだから。





だからこそ、失敗は許されない。

「行って来い! ラボメンNo.008――阿万音鈴羽!」

「オーキードーキー!」

互いに親指を突き出す。出発の挨拶代わりだ。
最後に2人が手を振る姿を目に収めて、あたしはハッチを閉じた。
セッティングはもうできている。後は発進スイッチを押すだけで、2010年までひとっとびだ。



さあ、あたしを過去まで連れて行け。
大きく深呼吸して座席につき、あたしは発進スイッチを――押した。



その瞬間、背中側に引っ張られる感覚。まるで、加速したジェットコースターに乗ってるみたいな――。
そ、そんな生易しいものじゃない! あたしが持ってきた荷物が、軒並みタイムマシンの壁面に張り付いている。
外側に、重力が発生してるんだ。
目の前に、キラキラと虹色に輝く光がいくつも浮かんでいる。あたしは慌てて、機内に備え付けられた酸素マスクを装着した。
そういえば、起動中は機内に酸素がなくなるんだった。到着前に酸欠でダウンなんて、カッコ悪すぎる。
……なんだかすごく退屈だ。背中の重力も慣れてしまえばどうってことないし、暇つぶしになるようなものは何も持っていない。この中じゃ自転車にも乗れないし。
結局何もすることがなくて、あたしはオカリンおじさんの話を頭の中で反芻する――。





………………………………………………………………………………


「いいか、このタイムマシンは位置移動ができない。つまり、ここから出発すると大檜山ビルの屋上に到達することになる」

「地球の座標とか細かく計算しなきゃなんなくて、位置移動まで手が回らんかった。
 それでも、数センチから数十センチ単位で誤差が発生するし」

父さんが口惜しそうに呟く。自転とか公転とか、そういう奴かな?
無理に計算した挙句、失敗して宇宙に放り出されたらシャレにならないし、仕方のないことか。

「あのサイズのものをラボからは移動させられんからな。見つからないようにするにはどうしたものか……」

ただタイムトラベルするにしても、『いつ』に跳ぶかは重要だ。
例えばある時間に跳ぶとして、ラボの屋上の、タイムマシンが到着する場所に人がいる時間に跳べば大変なことになる。あんまり想像したくないけど、多分、新鮮なジャムの出来上がり。
そうでなくても、行ける場所がラボの屋上に限られるなら、ビルに人はなるべくいない方がいい。

「あ、それならさ、昔綯お姉ちゃんから聞いたんだけど――」

あたしは、綯お姉ちゃんがラボメン見習いにされたって話を思い出していた。あの日は店長さんが留守で、オカリンおじさんに預けられたって。
ということは、その日に店長さんは確実にラボには居ないはずだ。

「うむ、確かその日はまだ紅莉栖が帰国する前だったはず。次が体育の日で祝日だったから……」

詳しく調べると、綯お姉ちゃんが預けられたのは2010年10月10日で間違いないようだった。
店長さんがオカリンおじさんのいう通りの素性なら、少なくとも彼にタイムマシンのことを知られるのだけは避けなければならない。確実に留守だとわかってるこの日なら好都合だ。

「ダイバージェンスメーターは、今の世界線を基準に0.000000%として設定してある。
 向こうについたら、きちんと値を確かめるのだぞ。
 何かあったら、向こうの俺を頼れ。お前のことは知っているから邪険には扱わんだろう――」


………………………………………………………………………………





あたしのことは知ってるってオカリンおじさんは言ってたけど、さすがにちょっと不安になってきた。あたしはみんなのこと知ってるけど、オカリンおじさん以外のみんなとは初対面ってことになるんだよね?
一応、ラボのみんなに会った時に何を話すか、頭の中で練習しておこう。
……転校生か、あたしは。





その瞬間、背中にずっと感じていた重力が消え、胃袋が浮き上がる。
あれ? もしかして……落下してる?





『数センチから数十センチ単位で誤差が発生するし』

父さんの言葉がフラッシュバックする。まさか、座標がずれて少し上空に――。
轟轟とすさまじい衝撃。荷物が一斉に宙を舞って、あたしもとっさに頭をかばう。

「うあっ!」

いったーい……! シートベルトしてなかったらあたしもふっとばされてたに違いない。そうでなくても、腰を少し打ってしまった。
マズイな、けっこうな高さから落ちたかも。今のですごい音が出てしまった。
あたしは周りの状況を確認するため、シートベルトを外し機内から飛び出した。

「いやああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

うわ、誰かが叫んでる! まさか見つかった?
とりあえず屋上にはあたし以外誰もいない。それに、なんか下から聞こえたような気がする。
慌てて屋上のフェンスから道路を確認する。



……長い髪の女の子が、ものすごい勢いでビルから駆け出していくのが見えた。
あの髪の色――紅莉栖おばさんだ!



ま、まさか今のでビビッて逃げ出したの? まあ、こちらに気が付いていないのならそれでいい。
いったん落ち着いて、周りをきちんと見回す。数時間前と、景色が違う。ビルの数が心なしか少ないし、タイムマシンの中に満ちていた光がまだ周辺に漂ってる。
あたし、ホントにタイムトラベルしたんだ。ちょっと感慨深いな。
……そうだ、今の被害状況を確認しないと!
屋上の床は幸い無傷だった。あの衝撃から察すると奇跡としか思えない。
そして、計器類を確認しようとして、あたしは自分の目を疑ってしまった


【0.x0xxxx】


ダイバージェンスメーターのニキシー管が、3つしか点灯してない。

「うそ、今ので壊れちゃったわけ!?」

どうしよう、これはホントにマズイ気がする。ニキシー管自体の不調ならいいけど、もし計測部分が壊れてたら――。
いきなりトラブル発生だ。まさか、自分がどの世界線にいるのかすらわからないなんて。
……オカリンおじさんに、助言してもらった方がいいかもしれない。
あたしはハッチを閉めて、階下のラボに向かうことにする。
なるべく階段を静かに下りると、ラボのドアは開けっ放しだった。紅莉栖おばさん、そうとう慌ててたんだな。こっそり中を覗いてみると、人っ子1人いない。ホントに不用心すぎて、紅莉栖おばさんらしくない気がする。
でも、誰もいないんじゃどうしようもない。ラボの中で待ってたら不審者扱いされても文句は言えないし、ここは撤退しよう。





タイムマシンまで戻って、あたしは他に故障個所がないか確かめてみる。あたしが分かる範囲ではダイバージェンスメーター以外に気になる箇所は見当たらなかった。幸い、自転車も無事だったからちょっとは気がまぎれそうだ。
現在時刻は、15時27分。到着してからけっこう時間が経ったし、そろそろだれか帰ってきてるかも。
あたしがもう1度ラボに向かおうとすると、階下から声が聞こえてきた。

「萌郁さん、早く元気になるといいねー。ラボに誰かいるかな」

「さあ……紅莉栖はまだいると思うが」

あ、この声オカリンおじさんだ! やっと帰ってきたのか。
ようやく、会えるんだ。あたしは階段を下りて、改めてラボの前に立つ。
……ヤバい、なんか緊張してきた。オカリンおじさんはともかく、多分まゆりおばさんが一緒にいるからだ。
初対面から第一印象が最悪だと、1週間もこの時代で付き合っていけない。



よし、父さんから教わった2010年流行の挨拶で、明るく朗らかに!
そしてあたしは、勢いよくドアを開けて――。










「おっはー!!」



[30329] Re:小さなラボメン見習い(2)
Name: 正人◆1e4b078b ID:6dd4bd81
Date: 2011/12/20 22:13



挨拶はいつでも、明るく大きな声で。
小学生みたいだけど、そうした方が第一印象はいいはずだ。




「あれ?」

……そう思ってたけど、なんだろう、皆の反応が悪い。
よく考えたら、いきなり飛び込んだのはまずかったかもしれない。
キョトンとした顔の、帽子をかぶった少女。分厚い本を取り落す、長い髪の少女。
目が飛び出さんばかりに驚いている、白衣を着た男の人。

「あ、もしかしてオカリンおじさん? すっごーい、やっぱり若いなあ!」

26年前のオカリンおじさん。いつも見慣れていた白衣姿がやけに若々しい。
……あたし、ホントに過去に来たんだ。

「す――鈴羽! お前何でここに!」

オカリンおじさん、ものすごく動揺してる。あたしから後退して距離を取ってるし、相当警戒されちゃってるのかな。

「岡部、この人だれ? あんたのこと知ってるみたいだけど……」

さっき本を落とした――多分紅莉栖おばさんが、オカリンおじさんに尋ねてる。
あ、当たり前か。今になって冷静に考えると、あたし完全に不審者だ。心のどこかで、いつものラボの雰囲気を感じていたから、あんな行動をしてしまったのかも。

「話せば長くなるが……簡潔に言うと、こいつがラボメンNo.008にしてダルの娘、阿万音鈴羽だ――」

オカリンおじさんは、ほんとにあたしのことを知ってるみたいだった。未来のオカリンおじさんが言ってた通り。
どうやら、あたしがディストピアや第3次世界大戦を回避するために来たと考えてたみたい。まあ、あれだけ不幸な未来を回避するために戦ってきたんだ、不安になっても仕方がない。とりあえず、それはないことだけ説明して何とかオカリンおじさんを安心させる。
それにしても、まゆりおばさんも紅莉栖おばさんも2036年の姿とあまり変わってない。前から年齢に比べて若く見えるとは思ってたけど、まさかここまでとは!

「……なあ、お前はなんでここに来たんだ?」

ソファに座り込んでしまったオカリンおじさんが、そんな質問を投げかけてくる。絶対聞いてくるとは予想してたけど、どう答えたものか……。

「うーん、もしかしたら怒るかもしれないけど、タイムトラベルすること自体が目的というか……。
 実はね、父さんが今年――じゃなくて、2036年にタイムマシンを完成させたの。ラボメンみんなで協力して。
 それでね、私が稼働試験に志願して、この時代にやってきた」

「えっとね、まゆしぃは難しい話はよく分かんないけど、どうしてスズさんはこの時代に来たのかな?」

まゆりおばさんが小首をかしげてる。適当にごまかしてしまおうと思ってたけど、まゆりおばさんに突っ込んで聞かれるとは予想外だった。たまに鋭いことを言うから、まゆりおばさんは侮れない。

「父さんにね、2010年に未来ガジェット研究所が出来たって聞いてたんだよ。
 おじさん曰く、私もラボメン初期メンバーらしいんだけど、私だけ創立した年のことぜんぜん知らないんだよね。
 だから、どうせタイムトラベルするならその年にしたいなーって思ったんだ。
 みんなの若い姿も見たかったし」

とりあえず、嘘はつかないことにする。実際観光はしたかったし、下手な嘘をつくとあとでボロが出そうで怖いから。
でも、あたしって嘘とか隠し事が苦手だからなあ、綯お姉ちゃんのこととかバレなきゃいいけど。



……あれ? まゆりおばさんの後ろに誰かいる。



あたしから見るとまゆりおばさんの陰になっていて、今まで気が付かなかった。少し体をずらして、その姿を確認しようと首を伸ばしてみた。
怯えたような目でこちらの様子をうかがってる。小さな体に、2つに結んだ髪。
そして、黒いウサギのポシェット。

「……この子もしかして、綯お姉ちゃん!?」

「ひっ――」

あたしの視線に気が付いたのか、小さく息を飲んでまゆりおばさんの後ろに隠れてしまう。
まさか、こんなに早く会えるなんて。10年ぶりの再会になるけど、やっぱり面影があるし、ぼんやりと懐かしさを感じる。
……それにしても。

「ねえねえ、鈴羽お姉ちゃんて呼んでみてくれない?」

「えと……鈴羽、お姉ちゃん?」

身長差があるから若干上目づかいで、ためらいがちあたしを『お姉ちゃん』って! も、物凄い破壊力だ。
すごいちっちゃくて、もう――!

「か、かわいいー! 未来におっ持ち帰りぃ!!」

我慢できなくて、思いっきり抱き着いてしまった。
かわいらしいというのもあるけど、あの日、綯お姉ちゃんが亡くなった経緯を考えると、すぐにでも謝りたくて自分の気持ちが抑えきれなくなりそうだ。さっきも危なく、涙がこぼれるところだったから。
……少し自重しないと、あたし。





「ねえ、スズさんは今何歳?」

「えーと、18」

「へー、まゆしぃよりお姉さんだね! あ、でもホントは年下なんだよね? 何だか頭が痛くなってきたよー」

「それよりも、ぜひタイムマシンを見せてほしいんだけど。あ、べ、別に、どんな構造で時空間の移動をしてるのか気になってるわけじゃなくて!」

「今見なくても、研究すれば自分で答えが見つけられると思うよ。実際未来で作っちゃったわけだし」

ソファに並んで座り、みんなでおしゃべり。あたしの知ってる姿より大分若いけど、やっぱり根本的には変わってないみたい。
それに、あたしの膝の上には綯お姉ちゃん。ちょっと無理を言って、あたしの膝に座らせちゃった。未来でどうなるかを考慮に入れても、今の綯お姉ちゃんは……ソー、キュート!
とても、15年後に自殺するとは信じられない。

「あれ、そういえば岡部は?」

紅莉栖おばさんがラボの中をキョロキョロと見回す。みんなで話し込んでしまって、オカリンおじさんがいなくなってるのに気が付かなかった。

「どうしたんだろう……急にいなくなっちゃうなんて」

「私たちが仲良さそうで、居づらくなっちゃったんじゃない?
 あいつ、結構ヘタレなところあるし」

言葉とは裏腹に、紅莉栖おばさんは不安そうな目をしてる。うーん、ちょっと気になるなあ……。

「私――さがしてきます!」

不意に、膝の上から感じていた重みが消える。

「あ、綯お姉――」

あたしの呼び止めも空しく、綯お姉ちゃんはあっと言う間に玄関へと駆けて行ってしまった。

「大丈夫かな、綯お姉ちゃん」

「大丈夫だよー。オカリンも、たぶん外にいるし」

未来の綯お姉ちゃんのことを思うと心配でならないけど、そんなあたしをまゆりおばさんが小さくガッツポーズして励ましてくれる。
こうして過去に来ても、人の優しさは変わらないんだな。





綯お姉ちゃんが外に飛び出して十数分ほどで、オカリンおじさんが1人だけで帰ってきた。

「あー、オカリン、綯ちゃんは?」

「ミスターブラウンが連れて帰った。全く、感謝するなら素直にすればいいものを……」

オカリンおじさんはやれやれといった様子だ。店長さんに、何かされたのかな。

「で、鈴羽。お前これからどうするのだ? 泊まるあてはあるのか?」

うーん、一応未来のオカリンおじさんには『ラボに泊めてもらえ』って指示されてたけど……ちょっとそれは今のオカリンおじさんに遠慮してしまう。

「もしもの時はタイムマシンの中で寝るよ。1人ぐらいなら何とか横になれるし」

ちょっと狭いけど、寝るには十分な広さだろう。
でも、あたしを気遣ってか紅莉栖おばさんがオカリンおじさんに訴えかけた。

「岡部、あんた退院してからラボに泊まりっぱなしじゃない。しばらくはラボに鈴羽さんを泊めて、あんたは実家に帰りなさいよ!」

「そうだよオカリン、おばさんたち心配してるよー。
 それに、もしスズさんが良ければウチに泊まってもいいよ、えっへへー」

まゆりおばさんがニコニコとあたしにすり寄ってくる。この人懐っこくて暖かな雰囲気が、みんなに好かれる要因なのかな。

「おい、ここは一応俺が借りているのだぞ!
 ……俺だ。ラボメンの中に、俺を排除しようと画策する者がいるようだ。
 ああ、俺もなめられたものだ。ラボの長として、屈するわけにはいかない。
 健闘を祈っていてくれ。エル・プサイ・コングルゥ」

携帯を耳に当てて、架空の通話相手と会話するオカリンおじさん。そうやって独り言をいう癖は、このころから健在らしい。
まゆりおばさんの申し出はありがたかったけど、お泊りは丁重にお断りした。だって、あまりこの時代の人にあたしの存在が知られても厄介でしょう? 世界線変動の原因になるし、いきなり見ず知らずの女の子が泊まりに来たらまゆりおばさんの両親も困るに違いない。

「まあ、近頃は冷えてきたし、あのタイムマシンの中で寝ろというのは酷か……。
 仕方がない、こっちにいる間はラボに泊まっていけ。
 あと、鈴羽が未来から来たというのは、その場にいた者たちだけの秘密とする!」

オカリンおじさんがビシッとポーズを決めて、あたしたちに注意する。
あたしが未来人だって知ってるのはオカリンおじさん、まゆりおばさん、紅莉栖おばさん、綯お姉ちゃんの4人。それ以外の人には口外法度、ということか。
……そういえば、父さんの姿が見えない。

「ねえ、父さんにも会っておきたいんだけど」

「橋田なら少し前に帰っちゃったわよ。明日は休みだしそれまで待てばいいんじゃない?」

「ダルには娘だってこと、伏せておけよ」

オカリンおじさんが念を押してくる。えー、せっかくの親子の対面なのに……。

「あいつ、自分が結婚して子供もできるなんて知ったら、確実に調子に乗るだろう?」

「そ、そうよね。確かに擁護できないかも。鈴羽さんにHENTAI行為でもされたら――」

「2人ともひどいよー、ダルくんだってね、いいとこいっぱいあるんだからね!」

紅莉栖おばさんはオカリンおじさんの言葉で何か納得したみたいだけど、娘の身としてはちょっと複雑な気分だ。

「いいよ、まゆりおばさん。じゃあ、父さんには何かない限り自分の素性は話さない。これでいい?」

まだむっとしてるまゆりおばさんをしり目に、2人は大きく頷いた。まあ、父さんには気の毒だけど、下手をしてあたしが生まれない、そもそも母さんと出会わないなんてことになったら嫌だからね。





「俺たちは帰るぞ。戸締りはしっかりするように」

「じゃあスズさん、また明日! トゥットゥルー♪」

玄関のドアが、音を立てて閉まる。結局、あたしは1人きりでラボに泊まることになった。
少し観察してみると、ちょっと壁や床がきれいになってる程度で、ラボは2036年の頃とあまり変わってないみたい。
……もう、シャワーを浴びてしまおうかな。タイムマシンの中で数時間座りっぱなしだったし、何だか今までにないほど疲れてしまった。
間取りまでは変わってないので、シャワールームはすぐに見つかった。未来と同じく、シャワーだけ。湯船にゆっくり浸かりたかったからちょっと残念な気もするけど、汗を流せるだけマシだろう。
早速脱衣所で服を脱ぎ、シャワーの栓を静かに捻った。最初は冷たい水が出て、すぐにお湯へと変わっていく。頭にさわさわと降りかかる水しぶきの中、あたしは大きくため息をついた。

「ちょっと、行き当たりばったりだよね」

この時代で、毎夜見るあの夢の正体を突き止める。言葉にするのは簡単だけど、正直何をすればいいのかさっぱりだ。あわよくば、綯お姉ちゃんのことを助けられたら……なんて考えたけど、成功するなんて全く思えない。
15年後に自殺する人を、現時点でどうやって引き留めればいい? 相手は小学生だし、あんな可愛らしい子に死亡宣告なんてしたくない。
……結局、ダイバージェンスメーターのことも相談し忘れてたし。

「まあ、なんとかなるか」

シャワールームの中で考えたって、答えは見つかるはずもない。今までの思考を頭の中から追い出すため、あたしは自分の体を洗う作業に集中することにした。





………………………………………………………………………………


「あなた、コーヒー飲む?」

「ああ、頂こう」

ラボでオカリンおじさんからタイムマシンについての特別講義を受けた際、紅莉栖おばさんもあたしに積極的に理論を教えてくれた。
今は、少し休憩中。出発予定日まであんまり日がないからといって、根を詰めても効率が落ちるから。仮にもタイムトラベルをしようとしてるんだ、万全の準備をしないと。

「オカリンおじさん達、ホント仲良いよね。2010年でもそんな感じ?」

あたしが何気なく質問すると、2人とも顔を赤らめ黙り込んでしまった。うちの両親も仲がいい方だけど、オカリンおじさんと紅莉栖おばさんは相当なものだ。紅莉栖おばさんの命を救ったとは聞いた。
ということは、やっぱり一目ぼれだったのかも。

「オカリン達2人ともツンデレだったから、口ではケンカしてずっと顔赤くしてたっけ。
 こっちはニヤニヤ観察させてもらったけど」

「な、何言ってんのよ橋田! そんなことないって。
 鈴羽ちゃんも、過去に行っても私たちに今の話はしないで! お願いだから」

紅莉栖おばさんが必死の表情で頼み込んでくる。
その顔は、あたしもびっくりするくらい、真っ赤になっていた。

「そうだね……今度、アップルパイご馳走してよ。そしたら黙っててあげてもいいかなー?」

紅莉栖おばさんお手製のアップルパイ、最近食べてないから。あれ、結構おいしいんだよね!
一時期かなり凝っていて、家にも差し入れに来てたっけ。

「……当時のことは知らん方がいいか。
 だが、紅莉栖の言う通りだぞ。タイムトラベルしている間に、あまり他人の関係に首を突っ込み過ぎるなよ。
 お前の影響でダルが結婚できない、なんてことになればお前の存在は世界にとっての矛盾になり、深刻なタイムパラドックスを引き起こす可能性がある」

「ちょ、オカリン! そんなことで由季との絆が消えるとでも? 見くびってもらっちゃうと困るお!」

「と、父さん落ち着いて。ちゃんと、肝に銘じておくから」


………………………………………………………………………………





ボーっと2日ほど前の――いや、今から26年後の出来事を思い出していたせいで、長めのシャワーになってしまった。心なしか肌もシャワーを当てていた部分がピンク色になってる気がするし、そろそろ上がらないと。

「……のど、乾いたな」

そういえば、こっちに来てからまだ何も口にしていない。冷蔵庫の中になにかあったっけ? オカリンおじさんの事だからドクペがぎっしり詰まってそうだけど、別にいいか。あたしはタオルを巻いたあと、ラボの冷蔵庫を確かめようと居間に出た。こんな姿で部屋をうろついてたら母さんに怒られちゃうな。
そんなことを考えた、次の瞬間。



がちゃり。



玄関から、物音がした。オカリンおじさんたちは帰ったはずのに。
あまりの緊急事態に、思わず体が強張ってしまう。
一体誰が? 恐る恐る、視線を玄関の方に移すと――。



見知らぬ男の人が立っていた。
でっぷりと張り出したお腹に、帽子とメガネ。こちらはもう10月なのに、薄い半そで姿の上、額に汗を浮かべている。
向こうもあたしを――というか、あたしの格好をみて驚愕しているようだ。



い、今の状況を整理しよう。突然ラボに男の人が入ってきた。そしてあたしは、お風呂から上がったばかりで、身にまとってるのはタオル1枚。

「あ――」

あたしの声に反応したのか、向こうもビクッと体をすくませる。
ラボの中の時間が、永遠に引き延ばされていくような感覚。こ、これってマンガでよくある展開みたいじゃない。
どんどん頭に血が上っていく。そうだ、ここはまず距離を取って、それからそれから……。
でも、慌てて動いたのがいけなかったのか、タオルの結び目がほどけて――。



「い、キャアアアアアアァァァァァァァァ!!!」



すぐにタオルを拾って、裸を見られないように必死に隠す。
い、いきなりだったから叫んでしまったけど、向こうからしたらあたしの方がよっぽど不審者じゃない!
あたしの叫び声で我に返ったのか、男の人はドアから出て行ってしまった……気のせいか、鼻血が出てた気がする。

「も、もしもしオカリン!? ななななんか、ラボに湯上り全裸美少女が!
 これなんてエロゲ? や、ヤバい、僕もしかして死ぬかもしれん」

わー! 外でオカリンおじさんに電話してる!……あれ、この声聞いたことある。
そうか、今の父さんだ! 未来の父さんより太ってたから気が付かなかった。
は、早く誤解を解かなきゃ!

「ちょ、ちょっと待って父さん! あたし、別に怪しいものじゃ――」

玄関まで駆け寄り、ドアを拳で叩いて呼びかける。
――あ。

「と、父さん? それってどゆこと? そもそも君誰!」

ドアの向こう側から、上ずった声で返してきた。
マズイ、父さんのこと『父さん』って呼んじゃった!

「事情は説明するから! ちょっと待ってて」

あたしはすぐに着替えるため、脱衣所へダッシュで戻った。
……ホントに何やってんだろう、あたし。





「ほうほう、それで2036年からこの時代にやってきたと――作り話じゃなくて?」

「……だよねー」

今あたしは、父さんの座るソファの前で正座している。父さんは『そんなことする必要ないって! むしろこっちがご褒美をもらった形であり――』とか言って土下座してきたけど、謝らないといけないのはあたしの方だ。ラボに知らない人が、は――裸でうろうろしてたら驚くもんね。まさか、相手が父さんとはいえ同年代の男の人に裸を見られるとは。
だから、自分への戒めの意味も込めて、正座して少しは反省しないと。

「全く、オカリンたちヒド過ぎ。僕だけ除け者って……許さない、絶対にだ!」

あの後、動揺のあまり言わなくてもいいこと――あたしが父さんの娘で、未来からやってきたことまで、全部説明しちゃった。いきなりオカリンおじさんとの約束を破ってしまって、何だか申し訳ない。
父さんは腕組みして怒ってる。まあ、隠し事されるのってあまりいい気はしないもん。
鼻に詰まったティッシュがなければ、もっと頼りがいがでるのに。
それにしても、変わった喋り方をしてる。未来でも出発前に似たような口調だったし、この時代の流行だったのかな。

「そういえば、父さんって太ってたんだね。未来だと痩せてたから、ちょっと意外」

「え、僕って未来だと痩せてるの!? その上嫁さんもいるなんて……勝ち組キター!」

父さん、ものすごく喜んでる。オカリンおじさんの言う通り、調子に乗っちゃいそうで怖い。

「でもさ、鈴羽が僕の娘ってマジ? あんまり似てない気がするのだが」

「うーん、みんなあたしのこと父さん似だって言うよ。オカリンおじさんたちにも言われたし」

「え、そうなん? とても信じられんけど。どう見ても母親似じゃね?」

「なんでだろうねー?」

アッハッハと、2人で大笑い。
見た目は太ってるし口調も変だけど、父さんは父さんだ。それが分かって、やっと一息つけた気がする。

「じゃあ、僕はもう帰るお。携帯取りに来ただけだし」

父さん、ラボに携帯を忘れてたらしい。それを取りに来て、あたしと遭遇したのか。
……間が悪いよ、父さん。

「あ、あのさ、鈴羽に1つだけ聞きたいことが」

聞きたいこと? 父さん、なんかモジモジしてるけど。

「僕の嫁さんってどんな人? もしかして、金髪ツインテールのロリ巨乳少女とか。
 いや、黒髪ロングのお姉さんタイプも捨てがたいお!」

「アハハ……まあ、楽しみにしておいてよ」

もし母さんに聞かれたら、必殺パンチが飛んできそうだ。










また、あの夢を見た。
いつもと同じように、あたしと一緒にいる女の子。
でも、今日はその女の子に、綯お姉ちゃんの姿が重なって見えた。

「おーい、スズさーん!」

コンコンと、誰かがドアをノックする音。
ヤバい、みんなもう来たのか。ソファから飛び起きて玄関のドアを開けると、オカリンおじさんとまゆりおばさんが並んで立っていた。

「どうだ、ちゃんと眠れたか?」

「うん、2人とも早いから寝過ごしたかと思ったよ。なにかあった?」

「スズさん、朝ごはんまだ? 良かったら一緒に食べようよー」

まゆりおばさんが、お弁当箱を差し出してきた。わざわざあたしのために持ってきてくれたんだ。

「うちの残り物だがな。インスタント食品ばかり食べるよりは体にいいだろう」

「ありがとう! お腹すいてたんだ」

……それにしてもさっきの夢、前よりはっきりしてた。もしかしたら夢の中の女の子は、ホントに綯お姉ちゃんなのかな?





「それにしても、1日足らずでダルに言いふらすとは……」

「秘密にする方が悪いっしょ! 鈴羽なんか気に病んでずっと正座してたんだぞ!」

父さんはオカリンおじさんの言い方に憤慨してる。
3人で朝ご飯を食べたあと、父さんと紅莉栖おばさんもラボにやってきた。紅莉栖おばさんってまだラボに来て日が経ってないと聞いていたけど、なんかすごく馴染んでる気がする。

「橋田に話したら、HENTAIの妄想でもふりまくと思ったのよ」

「牧瀬氏、それはさすがに傷つくお……僕はただのHENTAIじゃない、HENTAI紳士なのだから!」

父さんは胸を張って答えてるけど、それって結局変態なんじゃ……?

「あ、そうだ! みんなに相談したいことがあったんだ!」

ダイバージェンスメーターのこと、早くどうにかしないと。
あたしはダイバージェンスメーターを取りに、タイムマシンへ戻った。昨日調べてみたら、ダイバージェンスメーターは台にネジ止めされているだけで、タイムマシンに直接配線されてるわけではないようだった。それなら、取り外して持ち運べる。
早速ラボの研究室に運んで、みんなの意見を聞くことにした。

「ふむ、デザインは俺が見たものと同じか……だが、これではダイバージェンスが分からんな」

「これで、世界線がどれくらいずれてるのか分かるのね。興味深いわ」

紅莉栖おばさんが手に取ってしげしげと眺めてる。もう、好奇心が抑えきれてないのが丸分かりだ。

「どう? 何とか直せないかな」

オカリンおじさん達はそろって返事に困ってる。まゆりおばさんだけは、あたしたちの話がちんぷんかんぷんみたいで首をかしげてるけど。

「……おそらく表示部分の不調だろうが、これは曲がりなりにもオーバーテクノロジーの塊だからな。修理しようとして壊してしまった、なんてことになれば本末転倒だ」

「そうよね。鈴羽さんが重視するべきなのは、未来に帰った後のダイバージェンス。
 未来がどの程度変化したのかが分からないのは、今ダイバージェンスが分からないことよりまずい事態だから」

確かに、紅莉栖おばさんの言う通りかもしれない。ダイバージェンスが分からないのは不安だけど、未来に帰れば多分修理できるはず。
この時代で完全に壊れてしまうと、未来が明らかに変化していても、それがどれほど元の世界線からずれてるのか分からない。
つまり、自分が行った過去への介入の結果を知ることが出来ないことになる。
……怖っ!

「そ、そうだよね――じゃあ、未来に帰ったら頼んでみるから、その時はよろしくね!」

みんなからすれば、それは26年後のことになるだろうけど。
その時、外から車のエンジン音が聞こえてきた。店長さんたちがお店にやって来たみたいだ。
そうだ! 出発前に、父さんから写真の撮り方を教わったんだ。ちょっと試してみようかな。
あたしはみんなを残してこっそり居間へと戻り、玄関の前にスタンバイした。床に寝そべり、極限までローアングルを狙う。
父さん直伝の撮影法だ。父さんはかなりこだわりがあったみたいだから、きっといい写真が撮れるに違いない!
そして、ドアが開いた瞬間、あたしはシャッターを切って――。

「きゃっ! 鈴羽お姉ちゃん!?」

「す、鈴羽! なぜお前がローアングラーに……!」

綯お姉ちゃんの声に気が付いたのか、みんながぞろぞろと開発室から出てきた。

「出発前に父さんから指南してもらったんだ!
 『当時日本で流行した画期的撮影法』だって」

あたしが立ち上がってオカリンおじさんに説明すると、父さんをゴミでも見るような目つきで一瞥して、大きくため息をついた。

「……鈴羽、未来に帰ったら俺からだと言って、ダルの顔面に右ストレートを食らわせてやれ。もちろん全力でな」

「え……まあ、オカリンおじさんがそういうなら覚えておくよ」

なんかオカリンおじさん、ものすごく呆れてる。一体何がそんなに悪かったのかな?

「それにしても、僕にこんな美少女の娘ができるとか。自分のことながらリア充乙ww」

「全くよね、一体誰がこんなHENTAIにもらわれるのかしら……」

と、父さんのこと変態って……。さすがにフォローした方がいいかも。

「で、でも、母さんとは今も仲良しだよ!」

母さんも父さんのこと信頼してるし、あたしにとっては、優しくて頼りになる父さんだから。
それに、仲の良さでいったら、オカリンおじさん達2人の方が断然上だと思う。



余計なことを考えたのが、いけなかった。

「というか、むしろオカリンおじさんと紅莉栖おばさんの方がイチャイチャ――」

「「え!?」」



あ――ヤバい!
あたしが口を押えても、もう手遅れだった。2人とも顔をトマトみたいに真っ赤にしてる。
どうしよう、紅莉栖おばさんに口止めされてたのに。父さんのフォローをしようとして、余計なことまで口走っちゃった!

「完全にあたしの失態だよ……」

自分の迂闊さに腹が立って、思わず自分の髪をぐしゃぐしゃにかき乱す。オカリンおじさんまで出て行っちゃうし、追っかけた方がいいかも知れない。

「あ! 綯ちゃん!?」

まゆりおばさんの声とともに、あたしの横を小さな影が横切った。
綯お姉ちゃんが、ラボから出て行ってしまう。
1人で探しに行くつもりだろうか? でも、そんなの心配だし、止めた方が――。
でも、背後から突然大きな物音がして、あたしは足を止めてしまった。

「キャー! クリスちゃん!」

「ま、牧瀬氏しっかりしなって! 鈴羽、水持ってきてちょ!」

突然の騒ぎに驚いて振り返ると、紅莉栖おばさんが目を回して倒れている。
……まさか、こんなに動揺するとは。紅莉栖おばさん、だから秘密にしてって頼み込んだのか。。

「ほら、クリスちゃんこれ飲んでー」

「ご、ゴメンまゆり」

ソファに横になった紅莉栖おばさんを看病しながら、あたしはあの日――綯お姉ちゃんと会った日の会話を思い出していた。

『私も、そこまで岡部さんと親しかったわけじゃなかったから。あの頃は、岡部さんのことが怖かったの』

何度も繰り返し思い出していたから、間違いない。
あの時、綯お姉ちゃんはオカリンおじさんと親しくはなかったと言っていた。
でも、さっきは『怖い』はずのオカリンおじさんを追いかけていくくらいには、オカリンおじさんの事を心配しているように見えた。
……仲良くなることは悪くないはずなのに、どうしても違和感を感じてしまう。










もしかしたら、すでに。
誰も気が付かないほど、少しずつ。
――過去が、変わり始めてるのかもしれない。



[30329] Re:小さなラボメン見習い(3)
Name: 正人◆1e4b078b ID:6dd4bd81
Date: 2012/01/03 16:33
何度窓から空をを見上げても、雲は一向に晴れない。
今朝から天候が悪かったせいか、外ではパラパラと雨が降り始めている。
父さん、傘持ってったかな……そんな心配をしていたら、不意にラボのドアが開いた。

「……あ、父さん!」

「うお、どしたん鈴羽!」

1日中暇してたから人恋しくなってて、思わずラボに入ってきた父さんのお腹に飛び込む。雨に当たったせいか、何だかちょっと湿っぽい。未来の父さんはもう少し痩せてたけど、今の父さんのお腹も中々触感がいい。どっしりとした安定感がある。
今日は火曜日、昨日の騒動から1日が経った。





あの後綯お姉ちゃんたちが帰ってくると、紅莉栖おばさんはまた倒れる寸前まで顔を真っ赤にしてた。たぶん、帰ってきたオカリンおじさんを見てあたしの言葉を思い出したんだろう。
結局、今オカリンおじさんと一緒の空間にいるのは厄介だと判断して、紅莉栖おばさんはまゆりおばさんに付き添われて帰ってしまった。
綯お姉ちゃんも、挨拶して早々に出て行った。もっと一緒にいたかったな……。

「紅莉栖おばさん、大丈夫かな」

「大丈夫じゃね? 完全にスイーツ(笑)入ってたけど」

父さんはあまり気にしていないようだ。自分の将来が明るいことを知って心に余裕ができたのかもしれないな。
今になって、自分の迂闊さが悔やまれる。いくら父さんをフォローするためとはいえ、余計なことまで口走ってしまうなんて。タイムマシンで過去に戻って、あの時の自分の口を塞いでしまいたい。
それにしても、たった一言であそこまで動揺するとは。紅莉栖おばさん、あんな厨二病男なんてーって言ってたけど、あの反応から察するに満更でもなかったんだ。
未来ではオカリンおじさんと仲良しとはいえ、クールでかっこいい大人な女性だと思ってたのに、あたしの中でそのイメージがボロボロ崩れていく。でも、嫌な気分ではないんだけどね。

「鈴羽、お前少しは反省しろ! 色々喋り過ぎだ」

「う、うん。あたしも父さんのためとはいえムキになってたよ。ホントに気を付けないとね」

「鈴羽、僕に味方してくれるなんて……お父さん、結婚できるように頑張るお!」

そういって気合十分に叫ぶ父さん。この様子なら、あたしが生まれないってことはなさそうだ。
オカリンおじさんはそのあと帰ってしまったけど、父さんはそれから2時間ほどラボのPCをいじっていた。その間ずっとクリック音を響かせて何か検索していたようだけど、5時を回ったあたりで切り上げてラボを後にした。
なんか、すごくニヤニヤしてた気がする……。





それから、一夜明けた火曜日の朝。
あたしは朝食を済ませた後、ラボのPCの電源を入れた。
窓の外は曇っていて、今にもひと雨降ってきそうだ。未来は夏真っ盛りだったけど、こっちは秋だもんね。天気が不安定になるのも仕方がない。

『お前、携帯は持っているのか?』

『ううん。未来のものや身分がバレそうなものはほとんど置いてきちゃった』

『……わかった、何か連絡する際はラボのPCにメールするから確かめておいてくれ。操作方法は分かるな』

オカリンおじさんに言われていたので、一応確かめておかないと。
2036年の端末とはいろいろ仕様が違うけど、操作するうえでは支障はなさそうだ。教科書でしか見たことがなかったパソコンが目の前にあるのは、なんか変な気分だ。
早速確認すると、オカリンおじさんからメールが届いていた。



Sub 今日の予定

俺とダルは大学の講義があるから午後からラボに行く。
出かけるならば戸締りをきちんとすること。



「了解!」

パソコンの画面に向かってビシッと敬礼する。でも、さすがに昨日の今日で外に出るのはどうなんだろうか? また不用意な行動をしそうな自分が怖い。雨も降ってきそうだし、食糧は今日の分くらいしかないけど無理して買い物に出かけるのも……そもそもあたし、この時代のお金を持ってない。

「ん――これはなにかな?」

目に入ったアイコンを適当にクリックすると、たくさんの文字とともに何かの画面が表示された。ど、どうしよう、いじっちゃダメなものだったら元に戻せないかも。
焦ってごちゃごちゃ操作しようとして、あたしはそれが何かの文章だということに気が付いた。
ああ、これって俗にいう掲示板ってやつだ。そういえば父さん、昔は大型掲示板にずっと張り付いてたって話してた。
インターネットでいろいろ調べてみると、これは『@ちゃんねる』という匿名掲示板らしい。ジャンルごとに細かく分かれていて、たくさんの人が書き込みをしていく。適当に読んでるだけでも1日つぶれてしまいそうだ。
今開いているのは、どうやらタイムマシン関連のものみたい。あたしがタイムマシンで過去に来たから、父さんあたりが気になって調べたのかな。帰る前にこのパソコンで見てたのも、ひょっとするとこのページかも。
……一体、どんなことが書いてあるんだろう? 本物のタイムトラベラーとしては、この時代の人たちがどんなタイムマシン理論を考えてるのか興味が出てきた。まあ、あたしも未来のオカリンおじさんたちに比べたら知識は半端だけどね。




実際のところタイムマシンって出来んの?

1 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/10/10(月) 17:04:33
ID:k2a8bHXe0 [1/5]

割とマジで気になる
子孫が俺のとこに訪ねてきたりしないの?



2 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/10/10(月) 17:05:17
ID:k2a8bHXe0 [1/15]

>>1

まずお前が子作りできるかについて考察した方がいい。



5 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/10/10(月) 17:08:14
ID:Ydo79Lpt0 [1/4]

>>2で終了してたわww



8 栗悟飯とカメハメ波 投稿日:2010/10/10(月) 17:12:45
ID:WErc5m1N0[1/19]

>>1

漏れの考えじゃ理論上は可能
その代りあらゆる面で課題がある



9 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/10/10(月) 17:13:30
ID:Ydo79Lpt0 [2/4]

おいなんかクソコテが湧いたぞどうなってやがるwwww



11 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/10/10(月) 17:16:53
ID:uqGV9yzp0 [1/3]

物理板から出張か?
こんなのネタスレだろjk……



19 栗悟飯とカメハメ波 投稿日:2010/10/10(月) 17:28:45
ID:WErc5m1N0[2/19]

タイムマシンには現在主に11の理論が存在する
有名どころじゃ中性子理論、ブラックホール理論、光速理論とか
ブラックホールについては地球上でも発生させられる可能性が高い。
タイムマシンに転用できるかと言われると疑問は残るが


21 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/10/10(月) 17:30:21
ID:k2a8bHXe0 [1/5]

>>19

その話kwsk


25 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/10/10(月) 17:39:46
ID:fgRT7kqs0 [1/4]

タイムマシン講座かよw
とりあえずパンツ脱いだ




「あれ、なんか同じ人が――」

書き込みを1番上から順に閲覧していたら、何度も同じ人が発言しているのを発見した。一応発言者は匿名で書き込むのが基本みたいだけど、その人はわざわざ『栗悟飯とカメハメ波』という名を名乗ってたからすぐわかった。内容も、他の人が書き込んだ理論の穴を的確に突いてバッサリ論破してる。
……なんか、紅莉栖おばさんっぽい雰囲気を感じる。
全部読むのは大変そうなので、飛ばし飛ばし読み進めていくことにした。



523 栗悟飯とカメハメ波 投稿日:2010/10/11(火) 11:05:30
ID:t3L5sJV0 [134/136]

>>521

全く話にならないんだが?
カーブラックホールは未だ発見されてないし、特異点を裸に出来なきゃ
人間なんてペシャンコだっつーのwwwwwww



524 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/10/11(火) 11:10:53
ID:aXr1oi6w0

>>523

真昼間にも書き込みとかニート乙!



526 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/10/11(火) 11:21:26
ID:jI4kkP9n0 [6/7]

栗悟飯荒ぶってんな
彼女にでもフラれたのか



529 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/10/11(火) 11:29:18
ID:mVaHFrty0 [9/9]

このスレいつまで残ってんだよ



うーん、書き込みの4分の1を『栗悟飯とカメハメ波』が占めている。投稿時間も、昨日からほぼひっきりなしに書き込んでるみたいだ。もしこれが紅莉栖おばさんだとしたら、もうPCにかじりついて書き込みを続けてるってことか。あたしの思い込みならいいんだけど、紅莉栖おばさんホントに大丈夫かな?
その後は、ほかにいろいろな掲示板の書き込みを読んで1日をつぶしてしまった。あたし、ある程度この時代のことについて父さんから聞いていたんだけど、この時代のオカリンおじさん達には知識が10年ずれてるって言われたんだよね。だから、少しはこの時代の空気というか……雰囲気を感じたかったんだ。
今から冷静に考えてみると、この時代のことについて教えてくれたのは主に父さんだったからなあ。もしかしたら、未来の父さんにからかわれたのかな? 未来に帰ったら、きっちり絞ってやらないと!





で、父さんがラボにやってきたわけだ。

「あのさ、これってやっぱり紅莉栖おばさんだよね?」

「ちょっと見せてみ……あー、昨日僕が見つけたスレだお。憂さ晴らしに絶対何か書き込むと思って巡回してたんだよね。この更新速度から察するに、やっぱり昨日のことが尾を引いてると思われ。
 牧瀬氏は秘密にしてるつもりだろうけど、どう見ても生粋の@ちゃんねらーです本当にありがとうございました!」

父さんに確認を求めると、やはり『栗悟飯とカメハメ波』は紅莉栖おばさんだったみたいだ。ラボのパソコンで紅莉栖おばさんの書き込みを発見し、あとは自宅で追ってたようだ。ちょっと趣味が悪い気はするけど、父さんは父さんで紅莉栖おばさんのこと少しは心配してるみたいだ。

「それにしても、鈴羽が@ちゃんねるを見るとは……僕が親なら絶対見せん!」

「うん、紅莉栖おばさんの書き込みとかチェックしてたら意外に面白くってさー。
 さすが未来でタイムマシン作るだけあって、あたしが聞いたタイムマシンの理論と一致する発言も多かったよ」

この頃からすでに、タイムマシンの構造を考えていたんだろうか。今のあたしと大して歳も変わらないのに、ホント尊敬しちゃうな。



――その才能は、きっちり子供にまで受け継がれてたし。
まさかアメリカまで留学するとはあたしも思ってなかった……いや、好奇心の塊なのは今の紅莉栖おばさんにそっくりだったから、むしろ想定内のことか。
今は離れ離れなっちゃったけど、あたしが小さかった頃は2人して遊んだなあ。その名も『狂気のマッドサイエンティストVS正義の戦士』。今考えたらかなり変わったごっこ遊びかもしれないけど、当時は新聞紙の剣で戦ったり、その辺の雑草をすりつぶして毒薬と称してみたりするだけでも十分楽しかった。
親である紅莉栖おばさんは、狂気のマッドサイエンティストの部分が受け継がれたことに頭を抱えてたっけ。



「ねえ、オカリンおじさんは?」

そんなことを思い出していたら、オカリンおじさんがいないことに気が付いた。父さんとは同じ大学だから、てっきり一緒にラボに来ると思ったのに。

「そうそう、オカリン今日は来られんってさ。入院してる間の単位がどうのこうのって」

父さんの言葉でハッとした。オカリンおじさん、確か先月まで入院してたんだっけ。紅莉栖おばさんの身代わりに、紅莉栖おばさんの父親にナイフで刺されて。公には通り魔に刺されたということになったらしいけど、そんな大怪我してたのに退院後はずっとラボで寝泊まりしてたのか。それじゃあ紅莉栖おばさんが実家に帰るよう促したのも納得だ。
結局その日は、父さんと2人でおしゃべりしながら出前のピザを食べて、そのまま床に就いた。父さんにおごってもらった形になってちょっと申し訳なかったけど、

『娘と食事とか最高じゃね? メイクイーンで過ごす時間とはまた別の悦びが――』

なんて、熱く語っていた。実の娘とはいえ、女の人とお話しできるのがそんなによかったのだろうか。
父さんそこまで性格悪くないし、やりようでは結構持てそうなのに。現に、こうして父さんと話してると、内容はともかくあたしも楽しいもん。
……そう感じたから、母さんも父さんと結婚したのかもね。





そして次の日、あたしは早起きしてタイムマシンから自転車を取り出した。
今日は昨日のどんよりした曇り空が嘘のように晴れ上がっている。秋晴れとはよく言ったものだ。こんないい天気なら、今すぐにでも外に出かけたい。
改めて点検したが、新品の折りたたみ自転車はどこも壊れていなかった。よくもまあ、あの時の振動で傷がつかなかったな。奮発して買った甲斐があったよ!
バッグに自転車を入れ直して、あたしはラボの玄関にカギをかける。鍵の隠し場所は、2036年の頃から変わってない。防犯意識なんてものは皆無に近いけど、これも未来ガジェット研究所における様式美ってヤツかもね。
また鍵をもとの場所に戻し、階段を駆け下りる。あたしの体感では真夏から突然秋へ季節が変わったわけだからちょっと風が涼しすぎる気がするけど、体を動かせばすぐ温まって――。

「……あの」

いきなり誰かに呼び止められ、勢いがついたまま足を止めたせいで大きくつんのめる。
周りを警戒しつつ顔を上げて声の主を探すと、そこにはキレイな女の人が立っていた。
豊かな長い髪にメガネ、それにとんでもないナイスバディ。両手に小さめのブラウン管を抱えて、細い腕が何だか辛そうに震えてる。

「さっき……ラボの方から」

その人は、ぼそぼそとためらいがちな声であたしに尋ねてくる。色々な部分が省略された質問だけど、何を言いたいのかは私でもすぐ理解出来た。普段ならオカリンおじさんがラボに寝泊まりしてるから、素性の知れないあたしが上から降りて来たら物凄く怪しい。

「えっと、あたしはその――」

「おいバイト! 何やってんだ」

階下のお店から響く大きな怒声に、2人して身をすくませる。

「……店長」

「ん、誰だそいつは? この辺じゃ見ない顔だな。うちの客か?」

店の中からのっそりと出てきた男の人。父さんとは別の意味で……デカい。リンゴくらいなら軽く握りつぶせそうな太い腕、服の上からも分かるすさまじい筋肉。その強面な顔に似合わない『ブラウン管萌え』と書かれたエプロン。
あ、この人たち萌郁おばさんと店長さんか! 萌郁おばさん、若くてホント美人だけどなんか印象が暗い。店長さんもまだ若くて筋骨隆々だからか、すごく巨大に感じる。

「あ、あたし! 橋田至の親戚で、阿万音って言います!」

あたしはとっさに、2人に自己紹介する。そういう設定にしようとオカリンおじさんたちと話してたんだ。一応父さんの肉親だし、真っ赤な嘘ではない。あと、フルネームを名乗ると後で面倒なことになりそうだから、母さんの旧制だけ名乗ることにした。阿万音って音だけなら苗字とも名前ともとれるから、ごまかしも多少効くだろう。

「橋田くんの……」

萌郁おばさんは少し首をかしげたけど、最終的に納得したようだ。

「あいつの親戚か。上から出てきた見てえだが、あんな変わりものばっかなとこにいると大変だろ」

店長さんは呆れたような声を出した。オカリンおじさんたちはいい人たちなのは確かだ。それでも周りから見たら、変人の集まりに見られてしまうのかな。

「ところで、何やってたの?」

「ああ、今朝うちにブラウン管の注文があってな。今から配達しようとしてたとこだ」

言われてみると、2人ともブラウン管を抱えている――もちろん、店長さんの方が萌郁おばさんの倍は大きいブラウン管を軽々運んでるけど。店の前に止まってる白いバンのトランクからブラウン管テレビがいくつか覗いている。2人でバンに積み込んでいたのか。

「あの、良かったらあたしも手伝うよ!」

「いいのか? どっか出かけるんじゃねえのか」

「いいっていいって。急用でもないし、3人の方がすぐ終わるよ」

あたしは自転車を置き、腕をクロスしてストレッチする。お仕事が大変そうなのに無視して出かけるのは気分が悪い。これでも普段から鍛えてるから、荷物運びなんて楽勝だ! 

「……手伝っても大したお礼はできねえぞ? それでもいいってんなら、お願いするか」

「オーキードーキー!」

早速3人で作業にとりかかる。さっさと終わらせようと思ってあたしが大きいブラウン管をヒョイヒョイ運ぶから、2人とも結構驚いてた。
3人そろって頑張った甲斐もあってか、またたく間に荷物を積み終わってしまった。

「いやあ、手伝ってもらって悪かったな。おめえ、小娘の割には体力がある。
 このバイトもよく働いてくれてるが、いかんせん力がねえからよ」

ブラウン管って持ってみるとかなり重いから、このお店だと必然的に体力が必要になってくるのだろう。萌郁おばさんは店長さんの言葉にしょんぼりしてるけど、本人はあくまでにこやかだ。多分、力云々も含めて、萌郁おばさんの事を気遣ってるんだろうな。
……数年後には、再婚するわけだしね。

「じゃあ、あたし行くから!」

お手伝いも終わったし、そろそろ出発しよう。バッグから折りたたんだ自転車を取り出し、テキパキと組み立てる。

「おう、気を付けて出かけろよ!」

「……手伝ってくれて、ありがとう」

自転車をこぎ出すと、背後から2人の声。
今の彼らにとって、あたしは見ず知らずの他人のはずなのに、すごく楽しく仕事ができた。
まるで、以前もこのお店でバイトしてたような……。
オカリンおじさん曰く、別の世界線では実際にバイトしてたらしいから、案外あたしにもリーディングシュタイナーが働き始めてるのかもしれない。





街の景色が、あたしの横を通り過ぎていく。道はあまり変化してないから、目的地までは迷わず行けそうだ。
2036年と比べると、あたしの見たことのない建物がちらほらある。普段見慣れているはずの秋葉原の街並みが、すごく新鮮に感じられる。こんな経験、やろうとしてできるものじゃないからしっかり楽しまないとね!
そして移動すること約1時間30分、あたしは目的地に到着した。
本気を出せばもっと早く着いたのだろうけど、なるべく景色も楽しみたくて遠回りしたうえスピードも落として来たから、ちょっと遅くなってしまった。

「うわあ――!」

逆さまにしたピラミッドを組み合わせたような、意匠的なデザイン。
東京国際展示場、通称東京ビッグサイト。
今から2か月後、ここで行われる冬コミマで父さんと母さんは運命的な出会いを果たすそうだ。昔、母さんがこっそり教えてくれたんだよね。コミマが開催される度、ここには何万人もの人が集まる。確か2010年の冬コミマの入場者は、3日間合計で52万人だったかな? よくそんな人ごみの中で2人とも出会えたものだ。あたしだったら、移動するだけで疲弊してしまう。
2036年では改装工事が入っててこうして建物を眺めることが出来ないし、両親の出会いの場所だから、この足で訪れてみたかったんだ!
両親がこの場所で出会う前に娘がやってくるなんて、ちょっと感慨深いな。いっそ冬になるまで滞在期間を延ばして、2人が出会うまでを観察してやろうか、なんて不穏な考えが浮かぶ。
……オカリンおじさんに怒られるから、それはやめておこうっと。あたしはちょこっと舌を出して、記念に何枚か写真を撮る。
両親の思い出の場所だ、お土産にはちょうどいい。





「おいーっす!」

あたしがラボに帰ると、オカリンおじさんたちがすでに来ていた。小学校はもう放課後なのか、綯お姉ちゃんもランドセル姿で出迎えてくれた。

「お前、どこに行っていたのだ?」

オカリンおじさんが訪ねてきたから、あたしはバッグから折り畳み自転車を覗かせる。

「いやー、これでいろいろ走り回ってたんだよ! 今日は有明の方まで!
 この前やっと買えたんだ! もう乗り回したくてうずうずしててさー」

「というか有明!? わが娘ながらスゴイ体力」

父さんが感心したように腕を組む。ちょっと遠くまで出かけたってだけで大したことないのに、褒められるとやっぱりうれしいな。

「今度父さんもどう? すっごく気持ちいいよ!」

「僕はパス。有明につく前に死んじゃうお」

あたしの誘いを一瞬で断る。いくら太ってるからって、そこまで運動したがらなくてもいいのに……。
でもコミマにはしっかり参戦するんだから、人の欲はそういうつらさも吹き飛ばすほど強力なんだと1人で感心する。

「なあ、今更なのだがダルのことを『父さん』と呼ばない方がいいのではないか?
 今はお前たち同い年くらいにしか見えんし、お前がタイムトラベラーだと発覚するきっかけになるやもしれん」

「そっか、その通りだね……父さんはなんて呼んでほしい?」

「そ、そうだなあ――じゃあ、お兄ちゃんと呼んでくれ!」

明らかに鼻息が荒くなって、かなり興奮してる。おまけに鼻血まで出てきてるし。
様子がおかしいけれど、父さんがそう望むなら『お兄ちゃん』って呼んであげた方がいいかも。

「そう――分かったよ、お兄ちゃん」

「うおー、まさかホントに呼んでくれるとは! 我が人生に一片の悔いなし!」

拳を高く突き上げ、大声を出す父さん。周りのみんなはドン引きしてるけど、父さんは自分のお願いを聞いてもらえたことが嬉しかったのか全く気にしてない。
でも、オカリンおじさんの提案はもっともだ。あたしってみんなのこと、おじさん、おばさん呼ばわりしてるけど、この時代じゃ同年代だもんね。外で名前を呼ぶときのことも見据えて、他のラボメンのみんなの呼び方も考えておいた方がいいかもしれない。

「じゃあ、私これ片づけてこないと」

「あの、鈴羽お姉ちゃんってどこに泊まってるんですか?」

あたしがタイムマシンに自転車を片づけるためラボから出ようとしたら、綯お姉ちゃんがおずおずと声をかけてきた。

「ああ、ラボのソファに毛布敷いて寝てるよ!」

あたしの答えに、綯お姉ちゃんは心配そうな顔をする。うーん、ソファで寝泊まりするってのはあんまりよくないと思ってるのか。別にあたしは寒がりじゃないから全然平気なんだけどなあ。

「はろー」

その時、後ろからドアが開く音。紅莉栖おばさんがやってきたみたいだ。

「紅莉栖か……今日は遅かったな」

「しょうがないでしょ。私もそろそろアメリカに帰らないといけないから、いろんなところに連絡しないと」

「……夏に帰る予定をここまで引き延ばしたのだからな。やむを得んか」

紅莉栖おばさん、ラジ館の事件からずっとオカリンおじさんを探してて、見つけた後もラボメンとしてここにいると聞いた。助けてもらったとはいえ、ほとんど赤の他人のオカリンおじさんについてくなんて、紅莉栖おばさんの性格から考えたら信じられない。

「でも、何だかさびしくなるわね……」

「ほほう、オカリンと離ればなれになりたくない!ってことですね、分かります。
 オカリンもいつの間にか牧瀬氏のこと名前で呼んでるし」

「「う、うるさい!」」

2人揃って、ぴったり同じタイミング。世界線漂流の経験を抜きにしても、2人って相性いいのかもね。





紅莉栖おばさんが来てから程なくして、萌郁おばさんと学校帰りのまゆりおばさんがラボへとやってきた。
そこで初めて聞かされたけど、オカリンおじさん、どうやら福引で遊園地の招待券をもらったらしい。

「へー、遊園地か! 私もそろそろ未来に帰るつもりだったし、最後のいい思い出になるよ!」

あたしは喋りきってから自分の失言に気が付いて、オカリンおじさんに睨まれた。萌郁おばさんもいるのに、うっかり『未来』って言っちゃった!
でも、萌郁おばさんは何か考え込んでたようで、あたしの言葉は耳に入っていなかったようだ。

「うん、まゆしぃも行きたいなあ。あとでるか君とフェリスちゃんにも聞かないとねー」

まゆりおばさんも、遊園地と聞いてウキウキしてる。あたしも正直テンション上がってるから、その気持ちはよく分かる。
詳しい話によると、父さんと2人でラボの食糧を買い足しに行ったら、ちょうど1回分の福引券をもらえたそうだ。そのワンチャンスで当てるんだから、オカリンおじさんも中々の強運の持ち主だね!

「私も……いいの?」

萌郁おばさんが、深刻な顔でオカリンおじさんに問う。
まさか、仲間外れにされるのが怖くてさっきから悩んでたの?

「お前もラボメンだろ。拒む理由などない」

そんな萌郁おばさんに、優しく答えるオカリンおじさん。その言葉で、萌郁おばさんはつっかえが取れたように顔が緩む。
今朝の印象では暗い感じだったけど、こういう表情を見ると、この頃の萌郁おばさんってただ気持ちを表に出すのが苦手なだけなんだなあとしみじみ感じる。
萌郁おばさんにつられたのか、綯お姉ちゃんも不安そうにオカリンおじさんに尋ねた。

「あの、ホントに私も行っていいんですか?」

「招待券は10人分あるんだぞ。ラボメンだけで行っても余らせてしまうし、ミスターブラウンには世話になっているからな。
 それに、お前はラボメン見習いだ。参加資格は十分にある」

「そうだよねー。綯ちゃんも一緒じゃないと」

まゆりおばさんも、綯お姉ちゃんに向かって大きく頷く。綯お姉ちゃん、ホントに嬉しそうだ。

「お、お父さんにも、一応聞いておきますね」

時間も遅くなりそうだったから、綯お姉ちゃんはペコリとお辞儀してそのまま帰ってしまった。
……そういえば紅莉栖おばさん、さっきから全然喋ってないな。





「そろそろ俺達は帰るが――紅莉栖はまだ帰らないのか」

「う、うん。もうちょっとだけいる……キャッ!」

ソファに座ってた紅莉栖おばさんが分厚い本を取り落したせいで、ゴツンとお腹に響くような音が鳴る。慌てて拾って座り直したけど、さっきより背筋が伸びてて全身が強張ってる。

「……なんというか、大丈夫か?」

「き、気にしないで! 私は大丈夫だから」

「じゃあねークリスちゃん、トゥットゥルー♪」

まゆりおばさん達を玄関まで送り出して、ドアを閉める。こうして紅莉栖おばさんと2人きりになるのは、この時代に来て初めてだ。

「紅莉栖おばさん、夕飯食べてく? インスタント食品しかないけど――」

くるりと振り返って紅莉栖おばさんに聞こうと思ったけど、あたしは途中で言葉を切った。
紅莉栖おばさん、ソファにぐったり横になってる。

「く、紅莉栖おばさん!? どうしたの、どこか具合が」

慌てて近づいて肩をゆすり、意識があるか確認する。まさか、病気? ど、どうしよう、ラボに薬とか薬とかあったっけ! 119番――って、あたし携帯持ってないじゃん!


でも、あたしの心配に反して聞こえてきたのは、微かな吐息。


……もしかして、寝てる? ああ、そういえば昨日も1日中@ちゃんねるに書き込みしてたみたいだし、今まで徹夜してたのか。
これってやっぱり、あたしのせい?

「…………かべ……」

寝息に混ざって、何か言葉が漏れている。ちょっと気が引けたけど何て言ってるのか気になってしまい、慎重に耳を紅莉栖おばさんの顔に近づける。

「……おかべ……」

紅莉栖おばさん、寝言でオカリンおじさんのこと呼んでる。心なしか、顔もちょっと緩んでるし。
表面上の態度ではオカリンおじさんと仲が悪そうだけど、ホントは心の底から大好きなんだ。そういうのって、ツンデレっていうんだっけ。昨日父さんが教えてくれたんだよね。

「ふう、しょうがないな」

なんか気持ちよさそうに寝てるから、今すぐ起こしてしまうのも気が引ける。この様子じゃ、まだしばらくは目が覚めないだろう。
あたしは紅莉栖おばさんを起こさないよう慎重に毛布を掛けてあげて、夕食の準備を始めた。
でも、さすがにカップ麺は飽きてきちゃったなあ。





「ん――」

「あ、起きた? 紅莉栖おばさん」

紅莉栖おばさんは眠そうな目をごしごしこすって、ゆっくりと起き上がる。まだ目が覚めたばかりで少し寝ぼけてるみたいだ。
ソファは紅莉栖おばさんが占拠してるから、あたしはパソコンテーブルの椅子に前後逆に座って、ラボにあった本を読んでいた。オカリンおじさんの趣味なのか、陰謀論や世界滅亡みたいな胡散臭いものが多い。具体的には『2012年、マヤ歴の予言により世界は滅亡する!』とか『未来人ジョン・タイターは実在したのか!?』みたいな。
読んでみるととんでもないことが書いてあって案外面白いから、暇つぶしにはもってこいだ。

「……私、どれくらい寝てたの?」

「うーん、大体4時間ぐらいだねー」

ラボの時計に目を移して、現在時刻を確かめる。紅莉栖おばさんは目が冴えてきたのか、自分が知らないうちに寝てしまったことに気が付いて赤面している。

「な、なんか気が抜けちゃって」

オカリンおじさんが帰って、緊張の糸が切れたということか。月曜日の時に比べてだいぶ落ち着いたように見えて、実は相当気を張っていたんだ。

「……やっぱり、あたしが余計なこと言ったせいだよね。
 ホント、ごめんなさい!」

背もたれの縁に額を付けて、紅莉栖おばさんに謝罪する。けっこうな勢いで頭を下げてしまったから、額がジンジンする
そういえば、こうして紅莉栖おばさんと2人きりになる機会なんて、未来でもほとんどなかったな。

「あ、謝らないで鈴羽さん! 私が勝手に動揺しただけなのに。
 ……ねえ、あなたの言ってたこと、ホントなの? 私と岡部が、その」

紅莉栖おばさんが手指を落ち着きなく組んでいる。普段のクールな雰囲気からは想像できないような、まさに恋する乙女って感じだ。

「えっと……否定はしないよ。少なくとも、あたしには仲良しに見えた」

今更言い訳してもどうにもならないのに、わざとぼかしたような答え。
でも意外なことに、紅莉栖おばさんはその答えにホッとしたように胸をなでおろす。てっきり、また倒れるほど動揺するんじゃないかと思ってたのに。

「そっか――私、岡部のそばにいられるんだ」

紅莉栖おばさんが近くに置いてあった何かのキャラクターのクッションを抱きしめ、静かに語り始めた。

「私ね、日本で岡部に会って、ラボメンのみんなとも仲良くなって、本当に嬉しかったの。
 岡部とはまだ数週間の付き合いなのに、なんか初対面って気がしなくて」

言われてみれば、すでにオカリンおじさんのこと『岡部』って呼び捨てだったし、ラボにもすっかりなじんでいたように感じた。

「岡部はどうしようもないくらい厨二病で、私にする話も日本に来る前だったら『はいはいワロスワロス』で済ますようなことばかりだった。
 それでもね、私は岡部のこと、信じてみたいって思えたの。命の恩人とか、そういうのを抜きにして。
 ……スイーツ(笑)か私は」

自分の言葉が照れくさかったのか、真っ赤になった顔を隠すように、抱きしめたクッションに頭を埋める紅莉栖おばさん。

「何であたしにそんなこと――?」

「なんでだろう、あたしの自己満足なのかもしれないわね。未来から来たあなたならいくらか事情は知ってるんでしょう?
 だから、話しやすかったのかも」

抱きしめたせいでおかしく歪んだクッションから、くぐもった声が聞こえてくる。

「……私、岡部に何もお返しできてない。
岡部はね、『お前がいるだけで俺は十分だ』って言うけれど、岡部に会ってからホントにいろんなことが変わり始めて、感謝してもし切れないの。
 それなのに、同年代の男の人と仲良くすることなんて今までなかったから、何から返していいか全然分からない。
 私、岡部の力になってあげたいのに……!」

紅莉栖おばさんの声が明らかに震えてる。え、もしかして泣いてるの?
自分が迂闊な行動をしたせいでたくさんの人を傷つけた。そのことを今でも引きずってると、未来のオカリンおじさんは話していた。紅莉栖おばさんも勘がいいから、オカリンおじさんのそういう暗い部分にも薄々気が付いているんだろう。だからこそオカリンおじさんの力になりたくて、ここまで思い悩んでるのか……。
紅莉栖おばさん、やっぱりオカリンおじさんのことが好きなんだ。
でもどうしよう、この場で泣かれるとあたしには荷が重すぎる。何とか紅莉栖おばさんを落ち着かせないと――。

「……ぬるぽ」

「ガッ!!――あ」

あたしが耳元で囁くと、紅莉栖おばさんはバッとと顔を上げた。あたしの言葉に反応したのが恥ずかしかったのか、急におたおたし始める。

「し、しまった!」

顔がさらに赤くなってるけど、少なくとも泣き止ませることには成功したようだ。

「よかったー! 昨日父さんにね、紅莉栖おばさんと険悪な雰囲気になったらさっきの言葉を言えって教えてもらったんだよ。
 いやー、まさかここまで露骨に反応するなんて――ところで、『ぬるぽ』ってどういう意味なの?」

「あ、あなたは知らなくていいの!……橋田のやつ、覚えてなさいよ」

紅莉栖おばさんは怒りのあまり歯ぎしりしてる。意味は自分で調べた方がよさそうだ。

「でも、オカリンおじさんにお礼か……」

本気で悩んでるみたいだし、手助けしてあげたい。オカリンおじさんなら紅莉栖おばさんがそういう気持ちでいるだけで喜ぶような気がするけど、紅莉栖おばさんのために、あたしからも何か意見を出して挙げた方がよさそうだ。

「うーん、手っ取り早いのはプレゼントとかだね。新しい白衣とかは?」

「あの白衣、ラジ館の事件の後買い直したものみたい。あの時、その……血で、汚れちゃったから」

紅莉栖おばさんが苦しそうな声でつぶやいて目を伏せる。ああ、そのことを失念してた。もう、あたしったら何でこう――!

「ほ、他にもさ、いろいろあるじゃん! プレゼントじゃなくても、肩揉んであげるとか、手料理振る舞うとか――」

そうだ、料理ならあまり特別な準備は必要ないし、オカリンおじさんも喜びそうだ。だって、ずっとラボに泊まりっぱなしでインスタント食品ばかり食べてそうだし、手料理に飢えてるんじゃないだろうか。
紅莉栖おばさんに提案してみると、予想以上に食いついてきた。

「そ、そうよね。私、やってみる!」

クッションが宙を舞い、紅莉栖おばさんがソファから立ち上がる。さっきまでの沈んだ表情が嘘のように、目が爛々と輝いている。

「さしあたり、目標は今度の遊園地でお弁当を振る舞う、ってことでどう? 少し練習しておいた方がいいからさ」

「う、うん。最近は全然料理してないから、やっぱり練習した方がいいわよね」

「じゃあ、明日あたしに何か作ってくれない? ここしばらくインスタント食品ばっかりで飽きてきてたんだ!」

あたしのお願いに、紅莉栖おばさんは大きく頷く。意図してなかったけど、これで明日はインスタント食品から脱出できそう。カップ麺やピザも不味くはないんだけど、何食も連続となると和食とか食べたくなるから困りものだ。



紅莉栖おばさんの手料理――これは、期待してもいいよね?



[30329] Re:小さなラボメン見習い(4)
Name: 正人◆1e4b078b ID:6dd4bd81
Date: 2012/01/09 21:25
「……なあ、今日はやけにソワソワしてないか、助手よ」

「そ、そんなことないわよ!?」

「そうだよオカリン、あんまりクリスちゃんのこと、からかっちゃダメなんだよー?」

まゆりおばさんが紅莉栖おばさんの隣で、縫い物をしながらオカリンおじさんを窘めてるけど、紅莉栖おばさんの挙動はあたしから見てもおかしい。
せめて、今読んでる本の上下を直すくらいはしてほしい。
自分でもそう感じたのか、紅莉栖おばさんは顔を真っ赤にして黙りこくってしまった。
今日はオカリンおじさんがお昼過ぎに来たから、紅莉栖おばさんの手料理は夕食ということになった。本人には当日まで秘密にしたいと、紅莉栖おばさんが頼み込んだからだ。だからラボにオカリンおじさんがいる間は、キッチンを使うことが出来ない。
それにしても、紅莉栖おばさんってここまで感情が隠せないタイプだったのか。なんか、サプライズで友達の誕生日パーティーを企画する小学生みたいだ。

「まゆりおばさん、何縫ってるの?」

「んー、今度近くであるイベント用のコスプレ衣装だよ。るかくんに着てもらおうと思って」

そこでまゆりおばさんは手を止めて、あたしにその衣装を広げて見せる。
……これ、布の面積がとてつもなく少ない気がする。素材もかなり薄手だし、下着とまではいかないけど、今の季節には寒すぎる。

「大丈夫だよー。今回のイベントは屋内だし、るかくんの衣装はまだまだあるもん!」

「そ、そうなんだ……」

いや、これは納得していいのかな。正直、量の問題じゃないと思う。

「スズさんもコスプレしてみない? スズさんって、体引き締まってるから、カッコイイ感じのキャラがいいかも!
 何だか、新しいコスのアイデアが湧いてきそうなのです!」

え、ええ!? 確かに、手に持ってるコスはあたしから見ても出来がよさそうだから、クオリティに関しては期待してもよさそうだけど――。

「まゆり、鈴羽も近いうち帰るのだ。あまり無茶を言うんじゃない」

「えー、残念だなあ。あ、でもでも、スズさんって未来から来たんだよね? 今からコスだけ作って、きちんとしまっておいたら、未来で着てもらえないかなー?」

「……お前、変な時に頭が回るのだな」

ということは、今からあたし用のコスを作って26年間保存し、未来に帰ったあたしに着せるつもりなのか。
普段はほわほわしてるけど、いざというときは行動力があるんだよね。実際やりそうだからちょっと怖い。

「そういえばお前、いつ頃帰るつもりなのだ? こっちに来てから結構経つが」

「遊園地行くまでは帰らないしぃ! あたしも楽しみにしてるんだから」

ちょっと子供っぽいかもしれないけど、遊園地って響きだけでテンションが上がる。小学生の頃は、遊園地に行けるというだけで、前日は全然眠れなかったものだ。

「さて……俺は帰るか。まゆり、お前は?」

「んー、もうちょっとでできそうだから、まゆしぃはもう少しいるよー」

まゆりおばさんの作業の手が加速する。その目はどこまでも真剣で、あたしの知ってるまゆりおばさんじゃないみたい。

「……そうか。それならば、気を付けて帰るのだぞ。
 鈴羽、紅莉栖。まゆりのことは頼む」

そのままオカリンおじさんは、静かにラボから出て行ってしまった。ラボには、あたしたち3人だけ。父さんも、今日は近くのメイド喫茶に出かけてしまっていないし。

「あ……まゆりおばさん、あたしと紅莉栖おばさん、買い物に行く予定なんだけど」

「え、そうなの? まゆしぃも行きたいなあ」

まゆりおばさんが顔を上げる。紅莉栖おばさんに目くばせすると、少しだけあたしに頷いてみせた。
まあ、料理をご馳走してもらうって約束したことだけ話せば、まゆりおばさんを通じてオカリンおじさんに計画がばれることはないだろう。

「じゃ、じゃあ、まゆりおばさんも一緒にいこう!」





で、3人揃って最寄りのスーパーまで出かけることになった。

「うーん、コレなんてどうかな?」

「いいよ、好きにして。紅莉栖おばさんが料理するんだから、自由にしなよ」

あたしの持つ買い物カゴの中にはレタス、納豆、卵、グレープフルーツ、小麦粉、カレー粉、玉ねぎその他もろもろが詰められている。紅莉栖おばさん、カレー粉からカレーを作るつもりなのか。軽い気持ちでお願いしたのに、やけに本格的だ。

「紅莉栖おばさん、カレー作れるの?」

「……そうね、作ったことはないけど、作り方はきちんと調べてきた。あとはフィーリングで何とかなるわよ」

あれ、なんか今少し不吉なこと聞いちゃった気がするよ? 記憶力は抜群だからレシピはきちんと覚えてるだろうけど、もし失敗したら――。

「ねえねえクリスちゃん、まゆしぃもこれ買っていいかなー?」

さっきから姿が見えなかった。まゆりおばさんが冷凍食品のからあげを手に持って帰ってきた。うん、不安になっても仕方がない。食材の中にはそのまま食べられるものがあるし、万が一の時はそれを食べよう。

「まゆり、何であんなに食べて太らないのかしら」

ウキウキとスキップしながら商品を眺めているまゆりおばさんを遠目に見て、紅莉栖おばさんがため息をつく。

「そうだね――胸に栄養がいってるんじゃない?」

「う……私、やっぱり貧しいよね。」

「あ、へ、へそ曲げないでよ! 別に他意があって言ったわけじゃないから」

慌てて否定したけど、紅莉栖おばさんは半べそだ。
……一言多かったか。胸のサイズはあたしと大して違わないのに、ラボメンは胸が大きい人多いもんね。





「さて、始めるわよ!」

「ねえ、あたしホントに手伝わなくていいの? 待ってるだけって、申し訳ないんだけど」

「……一応、鈴羽さんはお客様なんだから。ゆっくりしてていいわ」

紅莉栖おばさんは、材料を目の前に腕まくりして気合を入れている。まゆりおばさんは買い物の後、門限があるからとすぐに帰ってしまった。調理にはある程度時間がかかりそうだし、仕方がない。
それにしても、あの材料をまゆりおばさんは1人で軽々持っていた。特に運動してる風には見えなかったのに、見た目によらず体力があるなあ!
そうこうしてるうちに紅莉栖おばさんが調理を開始したようなので、要請があったらすぐ手伝えるよう、あたしはパソコンを見ながら時間を潰すことにする。

「あ、ちょっと長く炒めすぎたか」

「時間かかるな。強火にして煮込む時間を短くして……」

「ああ、サラダも作ってあげなきゃ――えっと、納豆は……」

……あたしは何も聞いてないし、何も見ていない。だから、時折挟まれる紅莉栖おばさんの呟きも、全く聞こえてない。微かに漂う焦げた匂いも、完全に無視。
そうだ、紅莉栖おばさんなら、過程はどうあれきちんと料理してくれるはず――!
ムリヤリ自分を納得させるけど、なんかギャンブルでもやってるような気分だ。





「さあ、召し上がれ!」

紅莉栖おばさんは額の汗をぬぐって、得意そうにしてる。
あたしの目の前にはカレーの盛られた皿と、サラダ。少なくとも、カレーに関しては見た目があたしの知ってるカレーと同じで胸をなでおろす……サラダは、レタスやら納豆やらグレープフルーツが盛られていて、かなりカオスな状態になってるけど。ま、まあ、酢豚にパイナップルを入れたりするし、案外この組み合わせもありなんじゃないかな、アハハ……。
苦笑いを無理矢理引っ込めて、両手を合わせる。

「……いただきます」

見た目は普通だから、味も多分何とかなってるだろう。あたしは意を決してカレーをスプーンですくい、口に運んで――。



何だ、これ?
あたしの目にはカレーに見えるが、舌がそれを否定している。
何とも言えないおかしな苦味、それに追い打ちをかけてくる規定外の辛さ。歯が折れるような硬さの具、この焦げたものはタマネギか?
飲み込もうとしても、おかしなえぐみが邪魔をして、食道が受け付けてくれない。これは、完全に未体験の味。



……端的に言うと不味い。殺人的に。



「紅莉栖おばさん、これ、味見した?」

「え、してないけど? だって、一応レシピに沿って作ったし。ああ、少しだけ、アレンジもしてみたんだ! サラダも自信作で――」

……言いたいことはそれだけか。
あたしはスプーンを置いてため息をつき、紅莉栖おばさんの肩を両手で固定する。

「あの、鈴羽さん? ものすごく顔が怖い……」

「紅莉栖おばさん――いや、牧瀬紅莉栖」

「よ、呼び捨て!?」

その気はないはずなのに、紅莉栖おばさんが怖いというのなら、今あたしは完全に目が据わってるんだろうな。
そしてあたしは、表情を崩さないまま言い放つ。

「……少し、頭冷やそうか」

紅莉栖おばさんには悪いけど、これは指摘せざるを得ない。料理としての見た目が整ってる分、口にした時の落差がヒドすぎる。
怒りを通り越して、むしろ悲しくなってきた。

「ええ!? そ、そこまで不味い? 冗談よね」

あたしの手を振りほどき、紅莉栖おばさんはテーブルに放置されたカレーを一口食べて。



……シンクに吐いた後、3回もうがいした。
ちょっと待って、そんなものをあたしに食べさせたのか。

「あ……ありのまま、今起こった事を話すぜ!
 『私は自分で作った手料理を食べたら、いつの間にか吐き出していた』。
 な、何を言っているのか、わからねーと思うが」

「く、紅莉栖おばさん! ちょっと落ち着いて。ホント何言ってるか分かんないって!」

相当ショックだったのか、紅莉栖おばさんは半狂乱だ。
料理が下手なだけで、味覚が異常じゃなかったのは幸いだった。

「――ご、ごめんなさい」

「謝んなくてもいいけどさ。何をどうしたらこんなことに……」

おかしい。あたしの知ってる紅莉栖おばさんは、ここまで料理下手じゃなかったはずだ。昔食べさせてもらったアップルパイなんて、むしろプロ顔負けレベルで美味しかったくらいなのに。
26年の月日は、人をここまで変えるのか――!
でも、料理の見た目はいいのだから、誰かに教わるなりしてコツさえつかめば、美味しい料理ができるに違いない。

「あのさ、誰か料理上手い知り合いとかいないの?」

未来から来たあたしがこんな提案するのは、世界線変動のことを考えればちょっと不用心かな。まあ少なくとも、未来で料理の腕が向上してるのはあたしが知ってるので、その上達するタイミングが多少変わっても、目くじらを立てるほどの問題は発生しないだろう。
……オカリンおじさんに食べさせる前に気がついてよかった。オカリンおじさん、気がいい人だから、味がどうあれ無理してでも全部食べてたに違いない。
そう考えるとあの味が思い出されて、胃のあたりがムカムカしてくる。あれをどうにかできる、料理の上手い人。
――そうだ、適任がいるじゃないか!

「料理、料理か――あ!」

どうやら、紅莉栖おばさんも気が付いたようだ。










こじんまりとした佇まい。思わず姿勢を正してしまう、清廉な雰囲気。日が沈みかけているせいか、光と影のコントラストにより建物がより強調されている。。
翌日あたしと紅莉栖おばさんは、2人でここ、柳林神社を訪ねていた。
目的は、紅莉栖おばさんの料理の先生を探すため。その人物は、境内で木刀を振っていたからすぐに分かった。

「43……44! ふう」

素振りの手を止め、額の汗をぬぐう巫女服姿の美少女が、そこにいた。線の細いシルエットに、透き通るような白い肌。顔も整っていて、まさに大和撫子といった感じだ。
……ただ1つ、男であるという点を除いて。

「ま、牧瀬さん。こんにちは……」

木刀を脇に差し、パタパタと駆け寄ってくる。その姿も可憐で、真似すればあたしも、もう少し女の子っぽくなれるんじゃないかと思えてしまうくらいだ。

「えっと……そちらの方は?」

「阿万音鈴羽です、よろしく!」

こっちに来た時の反省を生かし、普通の挨拶をする。
漆原るか――るかおじさん、ホントかわいい。あたしの知ってるるかおじさんは、もう少し男らしいっていうか、凛々しさがあったのに。例えるなら、宝塚の男役みたいな――。
あ、あれも女の人だった。

「は、はい。ボク、漆原るかといいます。ところで、今日はお2人ともどうされたんですか?」

るかおじさんが首をかしげて尋ねてくる。もう、その仕草もいちいちかわいいなあ!
あたしたちは昨日のことを説明して、るかおじさんに料理を教えてもらえるか打診してみる。

「りょ、料理ですか……ボクなんかで良いんでしょうか?」

「大丈夫だしぃ! 君、料理上手いって聞いてるし、紅莉栖お――牧瀬紅莉栖も、ちゃんと教える人がいれば上達するよ!」

るかおじさんの料理も以前食べたことがあるけど、あれもかなり絶品だった。この時代でも腕は確かなようだから、紅莉栖おばさんの料理も、きっと食べられるレベルまで引き上げてくれるに違いない。
ちなみに、あのカレーはきちんと煮込み直し、朝ごはんにも出して2人で完食した。味の方は諦めたけど、具が煮えてないのはいただけない。多分、強火でも煮込む時間が足りなかったんだろう。
走馬灯が見えたけど、とりあえず今は元気だ。

「それなら……今日はもう暗くなりますし、明日の朝でどうですか?」

明日は土曜日で休みだし、るかおじさんも都合がいいか。

「おーい、るかくーん! あれ、クリスちゃん、スズさん!」

その時、あたしたちの背後で聞き覚えのある声。くるりと振り返ると、まゆりおばさんが大きく手を振ってこちらに駆けてくるところだった。もう片方の手には大きなカバンを持っている。

「ま、まゆり!? どうしたの」

「今日ね、学校でるかくんに新しいコスの試着を頼んでたんだ!」

もしかして、昨日縫ってたやつかな? 頭の中で、るかおじさんとあのやたら露出の多い服を合成してみた。
……こ、これは女のあたしでもグッとくるものがある。ホント、るかおじさんが男の人だなんて信じられない。

「え、ええ!? やっぱり、着なきゃダメなの?」

「大丈夫! るかくん、ホントに可愛いから、みんな見惚れちゃうよ。
 まゆしぃも、羨ましいのです」

「そ、そんなに褒められても――ああ! 急に抱き着かないでー!」

緩慢な動きで近づいたと思ったら、次の瞬間にはるかおじさんに抱き着くまゆりおばさん。この相手の隙を突く動き、戦闘に応用できそうだ。
それにしても、2人ともすごく仲がよさそう。普通、高校生の男女ってここまで無防備なスキンシップを取るものなのだろうか。るかおじさんは女の子っぽく見えるとはいえ――。

「……どう見ても、百合です。本当にありがとうございました」

「ん? 紅莉栖おばさん、なんか言った?」

「あ――な、何でもない! なんでもないんだから!」

大げさに手を振って否定する紅莉栖おばさん。夕日に染まって見分けにくいけど、その顔は真っ赤になっていた。

「ねえねえ、スズさんたちもるかくんのコスプレ見る? すっごいんだよー、外国でも話題になってるんだもん!」

まゆりおばさんの提案に、2人して顔を見合わせる。るかおじさんのコスプレ……正直、ちょっと興味がある。
でも、まゆりおばさんの後ろで、目を潤ませブンブン首を振るるかおじさんを見たら、さすがにかわいそうになってきた。

「あ、あたしたちは帰るよ! ね、牧瀬紅莉栖!」

「ふえっ!? あ、そ、そうよね! じゃあ漆原さん、明日はよろしく」










今日もまた、夢を見た。
いつものように自転車を磨くあたしの横で、しゃがみこんでる女の子。

『店長は……しばらく帰還しないんじゃ……』

あれ、あたし、夢の中で何か喋ってる?

『なに!? それは本当か!?』

この声――オカリンおじさんだ! 夢の内容が、前よりハッキリしてる。

『ホントー。じゃなきゃ……サボってない……!
 あ……店長には内緒ね』

あたしの言葉に、女の子はニッコリ笑って――。

『じゃあ、今度――』





「スズさん、トゥットゥルー♪」

元気な挨拶で、目が覚める。
ドアの向こうから、まゆりおばさんが呼んでいるみたいだ。

「……ああ、ゴメン。今開けるよー!」

ここに寝泊まりするようになってから、鍵はラボの中に置くようにしていた。いくらなんでも不用心だと思って、オカリンおじさんには事前に許可を取っておいたんだよね。
急いでドアを開くと、紅莉栖おばさんとまゆりおばさんが並んで立っていた。まゆりおばさんは、昨日よりさらに大きい衣装ケースを両手で持っている。

「2人とも、土曜日なのに早いね」

「えっへへー、今日はね、他のレイヤー仲間の衣装合わせなんだー。
 でも、今日は午前中にバイトがあるから、荷物だけ置かせてもらおうかなーって」

なるほど、どおりで大荷物なわけだ。紅莉栖おばさん、るかおじさんに料理を教えてもらうはずなのにラボへ来たということは、どこかでまゆりおばさんに捕まったな。なんか、困ったような顔してるし。

「オカリンおじさんは? 今日は来ないの?」

「あのねー、オカリンったら小母さんたちに『今日ぐらいは家にいなさい!』って怒られたから、ラボには来られないのです」

まゆりおばさんが、おそらくオカリンおじさんの母親の真似をしながら説明する。まゆりおばさんだと、いまいち迫力に欠けちゃうけど。

「はあ、狂気のマッドサイエンティストさんが、母親の説教を受けるなんて……カコワルイ」

紅莉栖おばさんもあきれてものも言えないようだ。確かに、正直言って恰好はよくないな。
でも、怪我したのにずっとラボに通いづめだったもん。親ならば当然心配するだろうね。
明日の遊園地に備えて、オカリンおじさんにはゆっくり休んでもらいたいものだ。





「はろー、漆原さん」

「牧瀬さん、阿万音さんもおはようございます」

柳林神社へ行くと、るかおじさんが私服で出迎えてくれた。昨日の巫女服姿とは打って変わって、黒を基調とした色合い。巫女服よりはボーイッシュな格好だけど、やっぱり美少女にしか見えない。
……若干昨日よりゲッソリしてるように見えるのは、あたしの気のせいだよね?

「そういえば、鈴羽さんはついてこなくてもよかったのに」

「あー、なんか邪険にされてる? だって心配なんだもん。ある程度は手伝うからさ!
 紅莉栖おばさんの手料理、オカリンおじさんに食べさせるんでしょ?」

あたしの問いかけに、紅莉栖おばさんは顔を真っ赤にして頷いた。
あの料理を体験したから、この目で紅莉栖おばさんの成長を観測しないと不安で仕方がない。まあ、るかおじさんのことは信用してるし、今日1日あれば何とか……。

「ニャフフ、楽しそうなこと考えてるニャね」

「「ふえっ!?」」

突然後ろから声を掛けられ、2人して飛び上がる。

「ふぇ、フェイリスさん!? どうしてここに!?」

「昨日マユシィに電話したら、クーニャンとルカニャンの家で会ったって聞いたのニャ。
 今日はフェイリスもバイトお休みニャから、気になって自分から来たのニャ!」

振り返って声の主を確認すると、背後にはピンク色の髪の女の子。
歳はあたしたちと同じくらいだけど、身長は綯お姉ちゃんとどっこいどっこいって感じだ。頭に猫耳を付けているせいか、猫みたいな印象を受ける。

「……ねえ、この人もしかして、留未穂おばさん?」

「え、鈴羽さん、それってフェイリスさんの本名?」

紅莉栖おばさんにこっそり尋ねると、意外そうな反応が返ってくる。
ああ、この頃留未穂おばさん、メイド喫茶でバイトしてたんだっけ。紅莉栖おばさんは、そこでの源氏名しか知らないわけか。
それにしても、語尾まで猫っぽい。一体何があったんだろう、罰ゲーム? それとも、バイト先の方針?

「んー、あなたは誰ニャ? 見ない顔ニャけど……」

留未穂おばさんが、あたしの目をまじまじと見つめてくる。
あたしは簡単に自己紹介して、紅莉栖おばさんの計画を説明した。留未穂おばさんは、多分話してもオカリンおじさんにバラすような野暮なことはしないだろう。

「ふーん、そういうことかニャ……」

全部聞き終わった後、フェイリスさんは考え込むように呟いて、ニッコリ笑顔になる。

「フェイリスも、クーニャンのこと手伝うニャ!」

「ほ、ホント、フェイリスさん?」

「クーニャンが明日の最終聖戦(ラグナロック)を戦い抜けるよう、骨の髄まで料理を叩き込んでやるのニャ!」

うわあ、何か企んでそうな顔だ。これは、るかおじさん以上のスパルタ教育になるだろうな。
でも、2人がかりなら紅莉栖おばさんも安泰だ。

「あ、ありがと、秋葉留未穂!」

「ニャ? フェイリスは、フェイリスニャよ。
 それに、ニャンでフェイリスの世を忍ぶ仮の姿の名を――」

「あ、えっと、オカリ――岡部倫太郎から、猫耳の凄腕メイドの話、聞いてたんだぁ!
 で、名前を憶えてて……あ、アハハハ!」

苦しい。ものすごく苦しい言い訳だ。留未穂おばさんも、あたしからずっと視線を逸らさない。留未穂おばさんと会うと、たまにこういう人を見透かすような目をするんだよね。

「……まあ、いいニャ。スズニャン、悪い人じゃ無さそうニャし。
 でも、嘘をつくときは、もっと上手につくことニャ」

最後にあたしの耳元に囁いて、紅莉栖おばさんと2人、るかおじさんの家に上がる。
……嘘ついてるの、完全にバレてるじゃん!

「ね、ねえ紅莉栖おばさん、あたしやっぱり帰るね」

靴を脱ぎかけの紅莉栖おばさんを引き留め、留未穂おばさんに気付かれないよう小声で話しかける。

「え、ここまで来て!?」

「だって、留未穂おばさん鋭すぎるよ! あれじゃあいつボロが出るか――」

未来から来たことまでバレるのはさすがにまずい。あたしがいなくても、紅莉栖おばさんの修行には支障はないし、あたしは退散した方がよさそうだ。

「……分かった、それじゃあ先に帰ってて。今日こそおいしい夕食、ご馳走して見せるんだから!」

紅莉栖おばさんも気合いたっぷりだ。今晩こそ、期待していいかも。





「さて……」

今日は、紅莉栖おばさんの上達具合を観察して時間をつぶそうと思ってたのに。留未穂おばさんが来るとは予想外だった。
多分ラボには誰もいないし、どうしたものか。

「あ――鈴羽お姉ちゃん!」

ずっとそんなことを考えていたから、気が付くと大檜山ビルまでたどり着いていた。店の前には、大きく誰かに手を振る綯お姉ちゃんの姿。

「あれ、なにしてるの、綯お姉ちゃん?」

「ひゃ!……鈴羽お姉ちゃん。
 今、お父さんがちょっと出かけたから、お見送りしてたの」

ふむ、昼食でも買いに行ったのだろうか。遠くに目をやると、原付が道の向こうで曲がるのがかすかに見える。ちょうど行き違いになったみたいだ。

「うーん――天気もいいし、ちょっと出かけてくるかな」

この時代の風景は新鮮だし、適当に自転車走らせてるだけでも十分暇つぶしになるだろう。怪我だけは気を付けないと。
早速ビルの階段を駆け上って、タイムマシンから自転車の入ったバッグを取り出す。
帰り際に屋上のフェンスから身を乗り出し、綯お姉ちゃんに手を振る。向こうも私の姿を見つけて、その小さな手をあたしに向かって振り返してきた。
また急いで階下に降りると、綯お姉ちゃんがあたしを見て目を丸くする。

「……鈴羽お姉ちゃん、足速いね。さっきまで屋上にいたのに」

「うん、バッチリ鍛えてるからね!……触ってみ?」

綯お姉ちゃんの手を取り、あたしの太ももに触らせた。想像以上に筋肉質だったのか、綯お姉ちゃんもくとを半開きにして驚いてる。

「わ――固い」

「でしょー? 今のオカリンおじさんより、体力には自信あるんだよね!」

あたしが本気で関節技決めたら、オカリンおじさん折れちゃうんじゃないかな。入院してたとはいえ、ちょっと体が細すぎる。

「で、でも、オカリンおじさん、いい人だし――」

かばおうとしているのか、綯お姉ちゃんがモジモジしながら言う。
ここ数日の紅莉栖おばさんのように、顔は熟れたトマトのように真っ赤だ。

「まあ、オカリンおじさんは優しいけどさ」

その点は、綯お姉ちゃんに全面同意だ。普段はアニメのセリフみたいなことばかり言ってるのに、他人のことになると一生懸命で。
あたしのことだって、本来なら止めるべきだったのに。

「あの、オカリンおじさん、今日は来てないの?」

「今日は来ないって。何か用事?」

「いえ、そういうわけじゃ――ないです」

あたしが教えてあげると、煮え切らないような返事をしてうつむいてしまった。
なんだろう、さっきから様子がおかしい。元気がない……という感じではないんだけどなあ。

「鈴羽お姉ちゃん、どこか出かけるんですか?」

「うーん、散歩するつもりだったんだけど。綯お姉ちゃんもどう?」

「私は……お留守番しなきゃ」

ああ、店長さんがいないのに、あたしについていくのはよくないか。店長さん、きっと心配するだろう。
あたしはバッグから折りたたみ自転車を取り出し、この前の要領で組み立てる。

「あれ? 鈴羽お姉ちゃん、ここ汚れてるよ」

組み立て終わると、綯お姉ちゃんがしゃがみこんであたしの服の裾を引っ張る。それにつられてあたしもしゃがんで自転車を確かめると、フレームの裏側に汚れがついていた。この前乗った時、水たまりから泥が撥ねたのか。

「あちゃー、気が付かなかったよ。チタン製だから錆びたりはしないだろうけど」

出かける前に拭いておこう。そうしないと気分が悪い。あたしはバッグの中に入れておいたタオルを取り出す。

「……出かけるんじゃなかったの?」

「とりあえず、これ磨かないと。汚れたままじゃカッコ悪いもん」

あたしは早速フレームを磨き始める。綯お姉ちゃんも初めは所在無げにしていたが、結局あたしの横で作業を眺めることにしたようだ。

「明日は遊園地だね! 綯お姉ちゃん、宿題とかちゃんと終わらせた?」

「はい、昨日頑張って全部終わらせました」

ほほう、綯お姉ちゃんも気合十分のようだ。小学生らしく楽しそうに語る姿は、かわいいの一言に尽きる。この姿を見てると、将来自殺してしまうことなんてすっかり忘れてしまいそうだ。

「あの、明日はオカリンおじさん……来るよね」

「大丈夫だって! そんな暗い顔しなくても、オカリンおじさん大した用事じゃなさそうだったし。
 明日はみんなと一緒に来るよ。フゥーハハハ! て笑いながらさ」

「そうですよね――あの、鈴羽お姉ちゃん」

綯お姉ちゃんが、さらに深刻そうな顔になる。一体、どうしたのだろうか。

「この前言ってたことって……ホント?」

恥ずかしそうに目を伏せて、あたしに尋ねてくる。

「……紅莉栖おばさんと、同じこと聞くんだね」

「紅莉栖お姉ちゃん、ですか」

あたしが思わずつぶやくと、綯お姉ちゃんは小学生らしからぬ暗い顔になってしまった。
この雰囲気、紅莉栖おばさんと2人きりになった、あの水曜日の夜と同じだ。あたし、また余計なことを言ってしまったかもしれない。

「綯お姉ちゃん、大丈夫? さっきから浮かない顔してるよ」

「へ――あ、あの、そんなことないよ!」

頬を染めて、あたしの指摘を必死に否定する綯お姉ちゃん。
これ以上追及しても悪いので、あたしは作業に集中する。





……さすがにあたしも、なんとなく気が付いてしまった。
やたらオカリンおじさんを気にする言動、紅莉栖おばさんの名前を聞いたときの態度。



綯お姉ちゃん、オカリンおじさんのこと――。



[30329] Re:小さなラボメン見習い(5)
Name: 正人◆1e4b078b ID:6dd4bd81
Date: 2012/01/18 06:19
あれは、あたしが小学3年生の頃だったと思う。



その時も、あたしはうちの家族とオカリンおじさんの家族で遊園地に遊びに行ったんだっけ。夏休みということもあって、今日以上に混んでたような記憶がある。
ただひたすらに楽しくて、父さんやオカリンおじさんが参っているのも気に留めず、子供2人ではしゃぎまくった。
体力なら明らかに今の方が勝ってるけど、小学生のあたしにははそれを上回るエネルギーが体の中に満ちていた。自分の両足だけで、どんな場所へも行けるような、そんな気分。
……だから、とは言いたくないけれど、あたしはものの見事に迷子になった。
さっきまでみんないたのに、気が付いたら1人きり。探し回ろうにも、人ごみがあたしの行く手を阻んで中々前に進めない。
みんながいなくても、大丈夫だと言い張ってた。でも、実際1人になると自分の力で進むこともできないなんて。
結局、あたしは道の端にしゃがみ込んで、一歩も動けなくなってしまった。
このまま、みんなに会えなくなるんじゃないか? そんなこと、いつもなら考えもしないのに。

「みんな……どこ……」

あたしの涙で、地面が点々と黒く染まる。
多分、こんな風に泣いたのはこの時が最後だったはずだから、相当心細かったんだろう。





でも、そんなあたしのもとに。

「フゥーハハハ! こんなとこで何をしている?」

聞き慣れた、大きな高笑い。あたしは、顔を上げて――。










「――ズさん? スズさん!」

「……あ、ごめん。何?」

「ほら、次はまゆしぃたちの番だよ」

まゆりおばさんが指差すのは、ジェットコースターのマシン。さっきまで乗っていた人たちが、続々と安全装置を外していく。

「……スズさん、何だか顔が赤いよ?」

「へ!? い、いや何でもない!」

まゆりおばさんの言葉を、大げさすぎる身振りで否定する。あんまり不自然だから疑われそうだったけど、まゆりおばさんはとりあえず納得してくれたようだ。



なんか、知らなくていいことを知ってしまった気がする。
綯お姉ちゃん、どう考えてもオカリンおじさんのことが好きじゃん。そういうことは疎いあたしにも分かるくらい、昨日の態度はあからさまだった。
でも、あたしは綯お姉ちゃんの前で、オカリンおじさんと紅莉栖おばさんのことを話してしまった。その時から好きだったとすると、あたしの言葉はちょっと残酷だったかもしれない。



「わ、私やっぱり無理!」

「クーニャン、もう手遅れニャ! 困難に打ち勝った時、クーニャンの中に秘められた魂の力が解放されるのニャ」

「そんなの解放されなくて良いわよ! ああ、もう帰りたい……」

逃げようとする紅莉栖おばさんを巧みに押さえつけ、留未穂おばさんがその隣に座る。
その前には、萌郁おばさんとるかおじさん。萌郁おばさんは変わらず無表情で、カタカタ震えているるかおじさんとは対照的だ。

「ほら、スズさんも早く乗ろうよー」

動き出さないあたしにしびれを切らしたのか、まゆりおばさんに手を引かれ、2人で紅莉栖おばさん達の後ろの席に座る。
そういえば綯お姉ちゃん、大丈夫かな? 身長制限に引っかかって意気消沈してたから、なんかかわいそうだ。
……今って、オカリンおじさんと2人きりか。それが綯お姉ちゃんにとっていいことなのか、あたしにはわからない。でも、どうせなら楽しんでもらいたいものだ。
だって、遊園地だからね!



発進を告げるブザー音とともに、ジェットコースターがゆっくりと動き出す。
おお、高い高い。まだ上昇してる最中だから勢いはないけど、高所恐怖症の人はこれだけで肝が冷えるだろう。
そして、ジェットコースターは頂上に達し――。

「いや、ホントにダメ――キャアアアアアァァァァァ!」

紅莉栖おばさんの叫びも、あっという間に置き去りにされる。
3次元に敷かれたレールの上を、猛スピードで走る。遠心力で右に左に、時には上下に内臓が揺さぶられ、頬を切る風は自転車に乗ったときとはまた違う、荒れ狂うような感触。目の前を過ぎる景色も、グルグル回って視点が定まらない。
テンションが上がってきて、あたしも紅莉栖おばさんみたいに、大声で叫ぶ。
子供っぽいけど、ジェットコースターってやっぱり楽しいなあ!





「う……もう、限界」

「クリスちゃん、しっかり! オカリンたちのところまで行かないと」

まゆりおばさんに支えられて、かろうじて立ってる感じだ。あの短い時間に、紅莉栖おばさんは相当消耗したみたいだ。
オカリンおじさんたちを迎えに、元いた場所まで戻る。ベンチには、オカリンおじさんと綯お姉ちゃんが座って――。



座っていない。
あたしたちがジェットコースターに乗る前は、ここにいたはずなのに。

「あれ? オカリンたち、何か乗りにいっちゃったのかなー」

「うーん、探した方がいいんじゃない? 岡部倫太郎が連れまわしてるなら、店長さんも怒ると思うし」

今は姿が見えないとはいえ、綯お姉ちゃんを溺愛してる店長さんのことだ、烈火のごとく怒るに違いない。
というわけで、手分けしてオカリンおじさんたちを探すことになった。発見次第みんなに知らせ無ければならないが、あたしは携帯を持っていないので、紅莉栖おばさんについていくことにした。

「あのさ、お弁当はばっちりできた?」

昨日の夕食は、るかおじさんから差し入れされた煮物だった。正直、感動するほど美味しかったから、紅莉栖おばさんにも期待してるんだよね。手料理自体はきょうあmでおあずけだったけど。

「え、ええ、何とか」

紅莉栖おばさんは不安そうに携帯をもてあそんでる。まあ、あの料理は酷かったから、自信を無くすのも無理はない。

「大丈夫だって。オカリンおじさんも、気持ちだけでも十分喜んでくれるよ」

……いや、それじゃ昨日頑張った紅莉栖おばさんに失礼か。

「あたしにも、味見させてね」

気持ちのこもった、紅莉栖おばさんの手料理。きっと、誰が食べてもおいしく感じるだろう。
……そうだよね?





「……で、何? この状況は」

目の前の光景に、あたしは思わず呟く。
ベンチに横たわる萌郁おばさんと、それを看病するオカリンおじさんと綯お姉ちゃん。
萌郁おばさんから2人を見つけたと連絡があって、みんなでコーヒーカップの前へ集合した。そこからあたしたちが来るまでの間に、一体何があったの? ジェットコースターならいざ知らず、コーヒーカップでダウンするなんて……。

「まったく、あんたが綯ちゃん連れまわしてたら、タイーホされても文句言えないわよ」

「おい、それは言い過ぎだぞ! ダルと一緒にするな」

紅莉栖おばさんの言葉に、オカリンおじさんが反論する。でも、父さんを引き合いに出さなくてもいいでしょ! 一応、あたしは父さんのこと大好きだし。

「ちょっとー、むす……親戚の前でそういうこと言わないでくれる? 気持ちはわかるけどさ」

あたしはむくれて見せるけど、2人は知らんぷりだ。
そういえば父さんと店長さん、どこに行ったんだろう? 2人でどこかに消えてそれっきり、姿が見えない。
……まあ、そのうち会えるだろう。子供じゃあるまいし。

「それじゃあ、次はどこに行くかニャ?」

「えっと――はいはーい! お化け屋敷に行きたい!」

留未穂おばさんの質問に、あたしは手を挙げて答えた。お化け屋敷、実は初めてなんだよね。昔は絶叫系のマシンにばかり乗ってたから。
でも、紅莉栖おばさんはまた震えだしている。そうか、ジェットコースターであの怯えようだもん。お化け屋敷なんて心臓が止まるほど恐ろしいと思ってるんだろうな。

「お前、まさか怖いのか? 幽霊など信じない性質だと思っていたが」

「よ、余計なお世話よ! ジェットコースターも乗れないヘタレのくせに!」

オカリンおじさんの言葉が癇に障ったのか、顔を真っ赤にして言い返す。全く、素直にならないな、紅莉栖おばさんも。
その時、綯お姉ちゃんは2人がケンカしそうなのを察して、紅莉栖おばさんに駆け寄った。

「――あれ? 紅莉栖お姉ちゃん、怪我してませんか」

「あ、ああ、これは何でもないのよ」

指の怪我――そうか、昨日包丁で切ったのか。1日中料理を教えてもらってたなら、指の1本や2本切っても不思議ではない。

「怪我? きちんと消毒したのか」

オカリンおじさんはその傷を確かめようと、紅莉栖お姉ちゃんに歩み寄り手を取ろうとする。
あ、このままだと、紅莉栖おばさんがお弁当作ったことがバレちゃうかも!

「ほ、ホントに大丈夫だから! もうほとんど治ったし」

見られる前に両手をすごい勢いで隠し、さらに顔が赤くなる。
オカリンおじさんの前だと、普段クールな紅莉栖おばさんも形無しだ。

「だが、なぜ怪我をしているのだ。どこかでひっかいたのか」

「えっと、これはその――」

……これは、もう駄目かもしれない。バレて困ることではないとはいえ、紅莉栖おばさんの心境的にはよろしくない気がする。月曜日はあたしの一言でダウンしてたから、最悪またぶっ倒れて――。

「きょーまー、早くしないと日がくれちゃうニャ!」

その時、フェイリスさんが急にオカリンおじさんの腕にまとわりつく。
突然の出来事に、オカリンおじさんも驚きのあまり言葉を失った。その神出鬼没な動きは、まさに猫のようだ。

「ふぇ、フェイリスさんの言う通りよ! 店長さんたちも探さないといけないしね」

「それもそうだが――ええい! もう離れろ」

振りほどかれる瞬間、紅莉栖おばさんに小さくウインクする留未穂おばさん……これは、わざとやったな。
でも、留未穂おばさん、ナイスフォロー! 紅莉栖おばさんもオカリンおじさんの追及を免れて、胸をなでおろしている。
紅莉栖おばさんはそのままオカリンおじさんの背中を押し、次のアトラクションへと歩を進める。みんなもそれについていくが、その方向にお化け屋敷があることに紅莉栖おばさんは気が付いてない。
……まあ、面白そうだからあえて指摘しないでおこうっと。






「1度に入場できるのは3人までか……1人余るな」

オカリンおじさんが、お化け屋敷の看板の説明を読み上げる。
適当に歩いた方向にお化け屋敷があって、紅莉栖おばさんはかなり落ち込んでるみたい。まゆりおばさん達がいなかったら、すぐにでも逃げ出してしまいそうだ。現に、オカリンおじさんが『1人余る』といった瞬間、耳をふさいでしゃがみこむくらい怯えている。
お化け屋敷側からすれば、カモがネギを背負ってやってきたようなものだね。

「おめえが1人で行けばいいだろうが。そもそも、周りに女がい過ぎなんだよ」

「ブラウン氏の意見には同意。牧瀬氏がいながらハーレムとか、壁殴り代行が大繁盛だお!」

「だ、だから、クリスティーナとは別にそういう関係では……」

店長さんたちにいろいろ言われてるけど、オカリンおじさんも思い当るところがあるのかまともに反論できていない。
そういえば、ラボメンもオカリンおじさんと父さん以外はあたしも含めて女の子ばっかりだ。

「そ、そうよ! 岡部、私の名前もちゃんと呼ばないのに――」

「ほほう、牧瀬氏は名前で呼んでほしいというわけですか」

「ち、違うわよ!」

父さんの言葉で、すごい勢いで立ち上がった。
紅莉栖おばさん、耳まで真っ赤になってる。こうして目に見えるリアクションがあるから、からかう方としては見てて楽しい人なんだろうなあ。

「でも、組み合わせはどうしましょうか。1人だと寂しいでしょうし……」

「てっとり早く、ジャンケンで決めましょう。2人組と3人組がそれぞれ2グループずつ。
 ……1人は嫌だし」

ほとんど聞こえないような声で、一言付け足す紅莉栖おばさん。
やっぱり、1人で行くのが怖いんだ。

「それでいいか。では、ジャーンケーン――」



そのジャンケンの結果。

1組目、あたしまゆりおばさん、萌郁おばさん。
2組目、父さん、るかおじさん、店長さん。
3組目、綯お姉ちゃんと留未穂おばさん。
4組目、オカリンおじさんと紅莉栖おばさん。



……偶然なのに、この組み合わせは驚きだ。

「な、なんであんたと2人なのよ!」

「文句を言うな。お前がパーを出したのが悪い」

「はあ……今度は、逃げたりしないでよ?」

紅莉栖おばさんのわざとらしいため息と、隠しきれてないにやつきがかみ合ってない。
正直に、嬉しいって言っちゃえばいいのに。

「それじゃあ、まゆしぃたちはもう行くね!」

「父……お兄ちゃんも、早く来てね!」

みんなを残して、1番手のあたしたち3人は早速入場口をくぐった。





「暗いねー、前が全然見えないのです」

「……懐中電灯、あるから」

萌郁おばさんの手元から、パッと光が放たれる。それでも、前はほとんど見えない。むしろ半端な明るさのせいで、照らされたところ以外は余計暗く感じる。

「こ、この暗さだと、どこから何が飛び出してくるか」

自身の索敵能力を限界まで研ぎ澄ませる。遊園地のアトラクションなんだから、危害は加えられないとわかってはいても、本能的に警戒してしまう。
……戦場じゃあるまいし。

「――ひゃ! い、今変な風が」

顔に生暖かいものを感じ、とっさに身をすくませるあたしに比べ、他の2人は全然動じてない。
なんか、他の2人よりあたしの方が怖がってるみたいじゃないか。

「……大丈夫?」

「スズさん、怖いものが来ると思うから怖いんだよー。
 まゆしぃは、今日のお昼ご飯のこと考えてるから、そんなに怖くないよ、えっへへー」

まゆりおばさん、神経太いなあ。この程度でおびえているようでは、あたしも修行が足りない。
――その時、背後から金属が擦れるような音。

「い、今の音はなに!?」

「ま、まゆしぃも分からないよ……」

萌郁おばさんが、意を決して後ろを懐中電灯で照らす。
……大きな鎧が、日本刀を持ってこちらに向かってきた! 兜は血のようなもので薄汚れていて、刃は懐中電灯の光でギラリと凶悪に輝いている。

「ひ――いやあああああああ!」

今度ばかりは、まゆりおばさんも限界みたいだ。
あたしたちは3人揃って、その場から駆け出した。
その後も出口にたどり着くまで、目の前を生首が転がってきたり、青白い顔の女の人が飛び出して来たり。機械仕掛けだと思ってたのに、実際に人が直接脅かしてきて、予想以上に怖い。

「はあ、はあ」

……何とか脱出できたけど、脅かされ過ぎて動悸が激しい。
紅莉栖おばさん、大丈夫だろうか。まさか、お化け屋敷がここまで怖いとは思わなかった。入場時点で怖がってたから、中で倒れちゃったりして。

「クリスちゃんなら大丈夫。オカリンが一緒だもん」

まゆりおばさんがあたしの考えてたことを読み取ったかのように励ましてくる。

「オカリンもね、クリスちゃんがラボメンになってから、すごく楽しそうなんだー。
 2人を見てると、えっへへーってなるの」

その気持ちは、何となく分かる。
似た者同士の2人がワイワイやってるのは、見てて楽しいもん。



それから程なくして、父さんや綯お姉ちゃんたちもゴールしてきた。

「おお、フェイリスたん大丈夫だった?」

「し、心配には及ばないのニャ。アキバ1の猫耳メイド、フェイリス・ニャンニャンに恐れる者などないのニャ!」

留未穂おばさんは気丈に振る舞ってる割には、ずっと綯お姉ちゃんの手を握りしめて離そうとしない。なんだかんだで、相当怖かったんだろう。

「あとはオカリンとクリスちゃんだけだねー」

「大丈夫かな、あの2人。体鍛えてないから軟弱そうだよね」

あれじゃあ、物理的に幽霊に負けても不思議じゃない。研究に熱中して、運動を疎かにするなんて体に悪い。
今はどうあれ、歳取ってから後悔しても知らないんだから。

「あ、出てきました!」

るかおじさんが出口を指差すと、オカリンおじさんたちが猛スピードで一纏めに飛び出してきた。

「ぜえ……ハア」

「な、なんぞこれ……鎧が走ってくるとは……」

鎧ってことは、中盤あたりから走り通し?
2人とも、かなりビビッてたんだ。火事場の馬鹿力ってヤツだろうか。

「つーかさ、ずっと手をつないでたわけ?」

「ふえっ!? あ……こ、これは別に、怖くて思わず握ってたとかそういうんじゃなくって!」

父さんの言葉につられて2人を注視してみると、確かにオカリンおじさんは紅莉栖おばさんの手をしっかり握りしめてる。
でも、紅莉栖おばさんはあたふたしながらその手をすぐ放してしまった。その顔は、ちょっとかわいそうになるくらい赤くなっている。

「頭がフットーしそうだよおってこと? あー! メシマズだお」

その発言でオカリンおじさんも耐えられなくなったのか、紅莉栖おばさんに負けず劣らず真っ赤な顔になった。
あたしは、ちらりと綯お姉ちゃんに目線を移す。こんな風に見せつけられるのは、綯お姉ちゃんにはあんまり楽しいことではない気がして。

「……りにできるニャよ?」

「え――」

あれ? 何か留未穂おばさんとコソコソ話してる。会話の内容まではよく聞き取れないけど、綯お姉ちゃんはかなり驚いているみたいだ。

「……お願い、します」

微かにうなずく綯お姉ちゃんに、留未穂おばさんが笑いかけてる。
一体、何を頼んだ? ものすごく気になる……。
その時、視線に気が付いたのか留未穂おばさんと目が合う。ヤバい、盗み見てたのがバレた!? あたしはすぐそっぽを向いたけど、それで十分だったかはわからない。留未穂おばさんも、綯お姉ちゃんに、何か尋ねてる見たいだし。
あたし、完全に怪しまれてるよね?





結局何を話してたのか分からないまま、お化け屋敷を出るころには時刻は12時を回っていた。
あたしたちは外の休憩スペースでランチタイム。紅莉栖おばさんには、今日の山場の1つだ。
日除けのパラソルが付いたテーブルに、るかおじさんが重箱に詰まった弁当を並べていく。重箱の中にはおにぎりやいなりずし、それにたくさんのおかず。
るかおじさん、いい主婦になれそう――いや、この場合『主夫』か。
この中に、紅莉栖おばさんの料理も混ざってるらしいけど、パッと見は見分けがつかない。

「おいしい! るかお姉ちゃん、お料理も上手なんですね」

綯お姉ちゃんがハンバーグを頬張って、るかおじさんを明るい笑顔で褒める。
か、かわいい! でも、さっきのこともあるから、おおっぴらに綯お姉ちゃんにすり寄るのは自重しておく。

「おねえ――ボク、男なんですけど……」

るかおじさんは目を伏せて恥ずかしがってる。否定するその様子が、すでに女の子にしか見えない。

「そういえば綯ちゃん、いつもそのポシェット持ってますよね。お気に入りなの?」

話を転換するように、るかおじさんが指差す。黒と灰色の、ウサギのポシェット。
あたしが未来のオカリンおじさんに預けたものを、またこうして目の当たりにするとは。この頃から、綯お姉ちゃんはあのポシェットを大事に持っていたらしい。
……オカリンおじさん、ちゃんと預かっててくれてるかな。

「ハイ! かわいいですよね?」

「そ、そうですよね! とっても、可愛いと思います……」

綯お姉ちゃん、かわいいって思ってたのか……。まあ、保護欲が掻き立てられそうなデザインではある。
返答に困ってるるかおじさんに、オカリンおじさんが2人の会話に割って入ったが、その直後に紅莉栖おばさんが大きな声を上げる。

「お――おかべ!」

「うおっ、いきなり大声を出すな!」

背後からいきなり呼びかけたから、オカリンおじさんも驚いたようだ。

「こ、これ……」

そういって差し出したのは、紙皿に盛られた料理。
紅莉栖おばさん、ついに動いたか! 卵焼きやからあげが盛られた皿。見た目は、他のおかずと遜色ない出来に見える。

「ああ、取り分けてくれたのか? お前も、やっと助手としての自覚が――」

「ごちゃごちゃ言わないで、さっさと食べなさいよ!」

むくれる紅莉栖おばさんにただならぬ雰囲気を感じたようで、オカリンおじさんもそれ以上何も言わずに皿を受け取る。
オカリンおじさんが卵焼きを口に運ぶのを、紅莉栖おばさんは固唾をのんで見守ってる。るかおじさんや、留未穂おばさんもだ。
そして、オカリンおじさんの第一声は――。

「……うむ、美味いな」

オカリンおじさんの感想で、あたしまで急に体の力が抜ける。
よかった、まさかあの壊滅的な料理のまま食べさせるとは思ってなかったけど、『美味しい』の一言でここまで安心出来るとは。

「ホント!? ホントにおいしい?」

紅莉栖おばさんが身を乗り出して、念を押してオカリンおじさんに尋ねる。

「な、なぜお前がそこまで気にするのだ! これはルカ子が――」

「お、岡部さん。それはボクが作ったものじゃないんです!
 ――それ、牧瀬さんが作ったんですよ」

「……は?」

オカリンおじさんはその言葉が信じられないようで、皿に盛られた料理と紅莉栖おばさんを交互に見比べてる。
この様子だとオカリンおじさん、紅莉栖おばさんの料理の腕のこと知ってたのか。

「こ、これはその――あの日助けてくれたお礼、何か形にして返せてなかったなって思って」

紅莉栖おばさんが、ぽつぽつとオカリンおじさんに理由を告げる。
この前、あたしに話してくれたことを、今度はオカリンおじさんに。

「牧瀬さん、昨日1日本当に頑張って……この段の半分は、牧瀬さんが作ってくれたんです」

「ルカニャンと2人で徹底的に料理のコツを叩き込んだのニャ!
 クーニャン、手際はいいニャけど調理法に対する考え方が違い過ぎて……」

先生である2人もオカリンおじさんがほめたことに安心したみたいだ。まあ、あの斬新なカレーとかサラダから比べたら驚異的な進歩だ。人間って、短期間でもここまで成長できるものなんだ。

「そうか……あの料理の腕からすれば、驚愕せざるを得ないな」

口では嫌味っぽいことを言ってるけど、本気で嬉しそうだ。

「ちょ、ちょっと! なんであんたが私の料理の腕を知ってるのよ!
 確かに、私には似合わないかもしれないけど――」

「べ、別に貶しているわけではないぞ! お前が作ったというのなら、ありがたく頂こう」

オカリンおじさんは言葉の通り、皿の料理を次々と食べていく。紅莉栖おばさんはオカリンおじさんに喜んでもらえて、かなりホッとしてるみたい。
顔を真っ赤に染めてる紅莉栖おばさんは、まさに恋する乙女って感じ。あたしの知ってるクールな大人の女性像からはかけ離れてるけど、知らない面を見ることが出来ただけでも、過去に来た甲斐があった。

「…………」

でも、そんなオカリンおじさんたちを見て暗い顔をしてる人物が1人。
綯お姉ちゃん、ホントに大丈夫かな? オカリンおじさんと2人きりの時間があったとはいえ……。

「綯、どこに行くんだ?」

2人を見るのに耐えきれなくなったのか、綯お姉ちゃんが席を立った。でも、店長さんが見咎め呼び止めてしまう。
……もし、本当に綯お姉ちゃんがオカリンおじさんのことが好きだとしたら、店長さん、きっとショックだろうな。オカリンおじさんの命も保証出来ない。

「ちょ、ちょっとトイレ」

「そうか。俺も行こうと思ってたんだが、ついてくか?」



今の綯お姉ちゃんは、あたしと同じだ。
ジェットコースターに乗る前も脳裏をよぎって、まゆりおばさんに指摘されちゃったっけ。
たわいもない、でも、大切な子供の頃の思い出。あの時は、まゆりおばさんが深く突っ込んでこなくてホントに助かった。
このことだけは、絶対秘密にしておきたい――。



そんなことを考えていると、突然ものすごい風があたしたちを襲った。

「うわあ!」

あたりに木の葉が吹き散らされ、目を開けていられない。
風の音に混ざって、どこからかみしっと何かが軋む音。
そして次の瞬間、急に視界が明るくなった――。




「あぶねえ!!!」





店長さんが叫び声とともに、その場にしゃがみ込む。

「ぐうっ!」

「み、ミスターブラウン!」

オカリンおじさんの叫び声……一体、何が起こったんだ。
ふと、視線を上げると、さっきまでテーブルに備え付けられていたパラソルがない。ああ、だから視界が明るくなったように感じたんだ。

「おい、血が出ているぞ!」

店長さんの額から、血が出ている。
飛んでいったパラソルが当たったんだ!

「ああ、ちょっと切っちまったみてえだ。にしても、すげえ風だったな」

「早く手当した方がいい! ほら、これで押さえて」

オカリンおじさんがハンカチを差し出し、止血を試みる。怪我自体は大したものではなさそうだけど、額は血が出やすいからハンカチがみるみる赤黒く染まっていく。

「綯ちゃん! 大丈夫!?」

まゆりおばさんが、綯お姉ちゃんの肩を支えている。
大きく目を見開いて、店長さんから視線を外さない綯お姉ちゃん。

「あ――」

今まで、見たことがない表情。見てはいけないものを、見てしまったような。
……おおよそ、小学生が見せるものではない。





「ああああああああああああああああああ!」





綯お姉ちゃんから、身の毛もよだつような叫び声。
なぜか、ものすごく怖い。目の前にいるのは、綯お姉ちゃんのはずなのに――。





………………………………………………………………………………


「お前が過去に行くにあたって、どうしても心配なことがある」

あたしがこの時代に来る前。
出発前の特別講義の折、オカリンおじさんがそんなことを言い出した。

「もしも――綯の自殺の理由が『あの記憶』を思い出したことにあったとする。
 お前に会ったことがきっかけだとすると……」

「過去の綯お姉ちゃんにあたしが会うと、『思い出す』可能性があるってこと?」

でも、それはおかしいいくらリーディングシュタイナーで他の世界線の記憶を思い出すことが出来るとはいえ、小学生の綯お姉ちゃんがオカリンおじさんを殺したという記憶を思い出せるものなのだろうか。
例えば、あたしがタイムマシンを見て何かを『思い出した』のも、それは今のあたしが経験し得た世界線の記憶だからだ。
小学生の頃のあたしは、自分がタイムトラベルをすることも、その先でオカリンおじさんたちと出会うことも体験してないのだから、リーディングシュタイナーが発動するのは、それを体験し得る年齢になってから。
――未来の記憶は、思い出せない。

「そこが問題なんだ。俺たちはα世界線で、タイムリープマシンを開発した。
 過去に自分に、未来の記憶を『思い出させる』ことで、疑似的なタイムトラベルを可能にしたものだ」

あたしの考えを読み取ったかのように、オカリンおじさんがつづけて説明する。

「あいつは俺に復讐するため、15年後からタイムリープを繰り返し、2010年の自分に自身の記憶を『思い出させた』。
 つまり、当時のあいつが『15年先の記憶がある小学生』である、という世界線があったわけだ」

……そうか、何となく分かった気がする。

「だから、あたしをきっかけにして、その世界線の記憶を思い出すかもしれないの?」

「しかもその世界線で、綯は萌郁を手にかけた。あの記憶を思い出して、仲が良かったあの2人に亀裂が入るのは……嫌だ」

オカリンおじさんは、たくさんの世界線で傷つくあたしたちを見てきたらしい。
だからこそ、こんなにラボメンのみんなの幸せを願っているのだろうか。
……優しすぎるよ、オカリンおじさん。

「だから――綯の様子にはなるべく注意を払ってくれ。
 どう対処するかは、お前に任せるしかないが……」


………………………………………………………………………………





オカリンおじさんの予感は、多分当たった。
事情を知っていれば誰でも気が付くような変化が、綯お姉ちゃんに起きている。



店長さんが怪我をして、動揺しているんじゃない。
……きっと綯お姉ちゃんは、復讐と憎悪に溢れた記憶を。
オカリンおじさんや萌郁おばさんを、手にかけた感触を。










――思い出したんだ。



[30329] Re:小さなラボメン見習い(6)
Name: 正人◆1e4b078b ID:6dd4bd81
Date: 2012/01/24 21:28
「店長さん、大丈夫だよね?」

「……心配はいらないだろう。怪我も大したものではなかった」

でも、オカリンおじさんはやっぱり心配なようで、さっきから医務室の扉をチラチラと見ている。
店長さんは怪我した後、オカリンおじさんたちの手を借りてすぐに医務室へ運ばれていった。綯お姉ちゃんも、初めは取り乱してたけど、ここまでくる間に落ち着いたようで、今はまゆりおばさんたちと一緒に医務室で店長さんを見舞っている。部屋は狭くて全員入れないから、あたしと父さん、オカリンおじさん、るかおじさんと留未穂おばさんは廊下で待機中だ。

「……ねえ、オカリンおじさん」

「なんだ?」

「綯お姉ちゃんのことなんだけど――」

あたしの言葉を遮るように、医務室のドアが開いた。ひょっこりと顔をのぞかせる紅莉栖おばさんに、オカリンおじさんがあわてて尋ねる。

「ミスターブラウンは?」

「大した怪我じゃないって。血も止まったみたいだし」

「そうか……よかった」

自分で心配ないと言っておきながら、ホントはオカリンおじさんが1番心配してたみたいだ。
紅莉栖おばさんに続いてまゆりおばさん、綯お姉ちゃんが出てきた。
何か考え込んでるような、暗い表情で。

「桐生さんは、心配だから残るって」

「うむ……本人がそういうなら、俺たちだけで行くか。綯、お前は大丈夫なのか?」

オカリンおじさんをねめつけてた綯お姉ちゃんは、抑揚のない声で返事をする。
大丈夫とは、とても思えない。表情はうかがえないから何とも言えないけど、さっきから小さな手を開いては閉じて――。人の目がなければ、今にもオカリンおじさんの喉を閉めてしまうのではないかと、不穏な考えが頭をよぎる。
……このまま、ほっとけない!

「じゃ、じゃあ、私この子と回りたいなー! 午前中はあんまり一緒に回れなかったし」

あたしは気付かれないようそーっと忍び寄り、綯お姉ちゃんの背後から思いっきり抱き着いた。さすがに面食らったようで、目に光が戻る。
断るのは得策ではないと考えたのか、綯お姉ちゃんは静かにうなずいた。
……でも、さっき一瞬、物凄く怖い目をしていた。覗き込んだら、吸い込まれて2度と戻れない、そんな錯覚を覚えてしまうほど。

「す、鈴羽が行くなら僕も行くお!」

父さんも、あたしたちについてきてくれるみたい。

「じゃあ、フェイリスはフリーフォールに行きたいのニャ! 残りのみんなで突撃ニャ!」

「お、おいあんまり押すな! 4時前には観覧車前の噴水で待ち合わせだ」

オカリンおじさんは留未穂おばさんにぐいぐい押されて、みんなと一緒に行ってしまった。



あたしは、綯お姉ちゃんに何かしてあげられるだろうか。
大の大人ですら、押しつぶされてしまうような記憶を思い出した綯お姉ちゃん。その気持ちは、あたしには想像もできない。
でも、このまま指をくわえてるだけなんて、絶対嫌だ。
……だから、せめて一緒にいてあげよう。
今日という日を、少しでも楽しい思い出に。










「おおー、メリーゴーランドだー! 次はあれがいい!」

綯お姉ちゃんの手を引っ張り、メリーゴーランドへと駆け寄る。ちょっとはしゃぎ過ぎてる感は否めないけど、これぐらいじゃないと綯お姉ちゃんもふさぎ込んでしまいそうだ。
手をつないだままいろいろ連れまわしてるから、腕が痛くなってるかもしれない。それでも、この手は放したくなかった。

「綯お姉ちゃん、一緒に乗らない? 絶対楽しいって!」

後ろを見返り、半歩後ろをついてくる綯お姉ちゃんに問いかける。返事の代わりに、わずかにうなずき返してきた。

「で、それを僕が撮影すると。よーし、お兄ちゃん頑張っちゃうぞー!!」

どこからか取り出したカメラを構えて上機嫌な父さんとは対照的に、綯お姉ちゃんはさっきから一言も喋らず、じっとあたしたちを見つめている。
……そういえば、オカリンおじさんが話してた。綯お姉ちゃんが萌郁おばさんやオカリンおじさんに復讐しようとしたのは、2人が店長さんの死に関わったからだって。
それから15年、大切な家族を失ったままオカリンおじさんたちを恨み続け、またこの時代に戻ってきたのか。
そんな綯お姉ちゃんの目に、あたしと父さんはどんなふうに映ってるのだろう?

「いやー、綯お姉ちゃんちっちゃくてかわいいなあ! 未来に持って帰れないかな?」

綯お姉ちゃんが木馬に乗るのを手伝いながら、そんな軽口をたたいてみる。
……正直、そうしたい気持ちはある。か、かわいいからとかじゃないんだよ!?
ただ、あたしの帰る未来に、綯お姉ちゃんはもういないから――。

「ほら、動き出したよ!」

あたしたちを乗せて、音楽とともにメリーゴーランドはゆっくりと回転を始める。
それでも、綯お姉ちゃんの顔は晴れない。退屈してる、というより何か別のことを考えてるみたいだ。その考え事が、あたしにはとても心配なのに。

「ねえ、綯お姉ちゃん……ホントに大丈夫?」

回転が収まってきたメリーゴーランドの上で、もう一度だけ尋ねる。
返ってくる返事は、決まりきっているのに。

「大丈夫です。心配しないで」

綯お姉ちゃんは表情を崩さない。無機質で、冷たい目。
……そんな顔してれば、心配にもなるよ。



「あー楽しかった! ちょっとはしゃぎすぎたかな」

近くにあったベンチに座り込んで、少し休憩。綯お姉ちゃんはあたしの横にちょこんと座って、あたしの顔を見ようとはしない。

「2人とも、なんか飲む? 良ければなんか買ってくるけど」

あたしたちより先に座っていた父さんが、腰を上げて私たちに尋ねてくる。
写真撮ってただけなのに、もう疲れちゃったのかな。やっぱり、少しやせた方がいいんじゃないかな?

「ホント? ゴメンね父さ、じゃなくてお兄ちゃん」

「謝んなって。将来の嫁さんをゲットする予行演習だお! デュフフww」

わざとらしい笑みを浮かべて、父さんは飲み物を買いに行ってしまった。

「うーん、次はどこに行こうか、綯お姉ちゃん」

さっき手に入れたパンフレットをななめ読みしながら、綯お姉ちゃんに問いかける。どうせ、返答はないだろう。
……そう思っていたら、予想外の返事が返ってきた。

「あの、『綯お姉ちゃん』って呼ぶの、やめてくれませんか」

綯お姉ちゃんの声は暗いけど、まさか反応するとは……。確かに、身体的にはあたしの方が年上だから、今の綯お姉ちゃんは嫌がるかもしれない。
――いや、綯お姉ちゃん、何で自分だけ『お姉ちゃん』て呼ばれるのか気にしてたりして。幼い見た目だから忘れがちになってたけど、綯お姉ちゃんは今小学6年生。オカリンおじさんは大学生でも、歳の差は6、7歳しかないんだ。それなのに、何で自分だけ、って。

「あーそうだよね。じゃあ今日は呼び捨てでもいい?」

あたしが確認すると、綯お姉ちゃんは小さく2回頷いた。
『お姉ちゃん』と呼ぶことに、こだわりがあったわけじゃない。あたしが初めて綯お姉ちゃんに会った時、第一印象は『かわいいひと』だった。年齢にしては、一回り若く見えたから。
当時のあたしはその見た目から、『綯お姉ちゃん』って呼び始めたんだっけ。
多分それから付き合いが長くなったら、呼び方も変わっていったのだろう。うっかり『おばさん』って呼んじゃって、そのことを『まだまだ私は若いんだから!』と注意されて。
そんな関係に、なれるものだと思っていたのに。



でも、綯お姉ちゃんの時間は、あたしの中では10年前に止まってしまったから。
だから、『お姉ちゃん』のまま。



……それこそ、綯お姉ちゃんは知らなくていいことだ。



「鈴羽お姉ちゃん……1つ、聞いてもいい?」

ぼんやりとそんなことを考えていたら、今度は綯お姉ちゃんの方から話しかけてきた。

「どうしたの? もしかしてトイレ?」

「そうじゃなくて――みんな、未来では元気なのかな、って」

「……そうだね、みんな元気だよ。この時代とあんまり変わらないかな。
 まさかタイムマシンまで作るなんて、驚嘆に値するよ」

少しだけ、胸のあたりがチクリと痛む。あたしの言う『みんな』の中に、綯お姉ちゃんはいない。
その苦しみを誤魔化すように、無理矢理笑顔を作って、綯お姉ちゃんの頭をなで回した。
依然として暗い表情の綯お姉ちゃんに、あたしは語りかける。

「でも――綯、君は『シュタインズ・ゲート』って知ってる?」

早速、綯お姉ちゃんを呼び捨てにしてみる。もっと躊躇するべきだったかもしれないけど、1度口に出して呼んでみると案外しっくりくるな。

「……オカリンおじさんが、よく言ってる言葉ですよね」

そう。でも、その単語にはもう1つ意味がある。

「この世界線は、収束が起きない。どんな事象が起こるのか、全く決まってないんだ。
 本来なら、その世界で起こる出来事はある程度決まってる。
 でも、この世界線では干渉すればするだけ未来が大きく変わってしまうんだ」

本来の綯お姉ちゃんなら、知るはずのない言葉たち。今の状態なら、何を意味するか理解してもらえるだろう。
綯お姉ちゃんはしばらく考え込んで、再び口を開く。

「じゃあ、何で鈴羽お姉ちゃんはここへ来たの?」

ああ、その質問はもっともだ。あたしの行動1つで、未来は簡単に変わる。
例えば、あたしの乗ってきたタイムマシンが世間にバレたりしたら1発でアウトだ。オカリンおじさんが話していた、ディストピアや第3次世界大戦の起こる世界になってもおかしくはない。
それでも、あたしは。

「……確認したいことがあったの」

長い沈黙の後、たった一言だけ答える。
ホントは、何でこの時代に来たのか知りたい、って言った方が近いかな。
最近、頻繁にみるようになったあの夢。
その意味を知るための答えが、この時代にある。そんな気がしたから。
それに――。

「綯はさ、大事な人っている?」

少なくとも、あたしはいるよ。

「あたしはラボメンのみんなが好き。おかしな発明品を作ったり、みんなで騒いだりしてるのは見てるだけで楽しいし。
 だからね、これだけは知っていて欲しいんだ」

綯お姉ちゃんの前にしゃがみ込み、その目をしっかりと見据える。

「誰かを大事に思ってるなら、君も誰かに大事に思われてるって。
 あなたのことを、ちゃんと見てくれる人がいるってことを」

オカリンおじさんは、きっと綯お姉ちゃんを心配してる。店長さんや、萌郁おばさんだって。
拒絶したって、綯お姉ちゃんを思ってる人はたくさんいるはずだ。

「おーい、2人とも待った?」

「あ、帰ってきた……なんかゴメンね、急にこんなこと言っても分かんないよね」

最後の最後に子ども扱いしてしまって、思わず苦笑いしてしまう。
少なくとも、15年分余計な記憶があるから、精神年齢は高いのだろうに。

「さあ、まだまだ遊ぶよ綯!」

でも、今の綯お姉ちゃんは小学生。遊園地に来たからには、遊び倒さないと!



言いたかったことは、きちんと伝わっただろうか。
あたしだって、綯お姉ちゃんのこと、大事に思ってるんだよ?



それに、あたしにも、大切の一言じゃ片づけられない人がいる。
……正直言っちゃうと、好きな人がいるんだ。
綯お姉ちゃんがオカリンおじさんを好きなように、あたしも――。
だからちょっとだけ、綯お姉ちゃんに共感できるところがある。
口にするのは、さすがに気が引けちゃうけどね。










「みんなー! 待った?」

待ち合わせ場所には、店長さん以外のみんながすでに集まっていた。
あれからさらに時間が経って、もう日は傾き始めている。
包み込むような、温かい夕日。

「あースズさん! どうだったー?」

「うん、ホントに楽しかったよ!」

まゆりおばさんとるかおじさんがあたしたちを迎えてくれる。綯お姉ちゃんを連れまわしてたら、結構遅くなっちゃった。
その時、綯お姉ちゃんが急に駆け出し――。

「まゆりお姉ちゃん!」

まゆりおばさんに抱き着こうとして、るかおじさんに体が当たってしまった。
その拍子に、持っていた風呂敷包みが落ち、大きな音とともに結び目が解ける。
その衝撃で重箱やお箸が地面に散乱してしまった。

「あ――ご、ごめんなさい!」

「だ、大丈夫ですよ! 早く拾わないと――」

あたしもみんなと一緒になって、落ちた食器を拾う。最後の最後に、ちょっとしたトラブルだ。
……あれ、今一瞬、綯お姉ちゃんの手で何か光った?

「おい、手伝おうか?」

「ううん、もう拾い終わったから大丈夫だよー」

オカリンおじさんもこちらに来るところだったが、もうあらかた拾ってしまった。
みんなで噴水の前に集まると、綯お姉ちゃんがオカリンおじさんに店長さんの行方を尋ねる。

「萌郁からメールが来ていた。少し遅れるそうだぞ」

そうか……だから、この場にいないのか。萌郁おばさん、店長さんと一緒にいるって言ってたらしいから。
病室で、いい感じになってたりして。

「それじゃあ、最後は観覧車ニャ!
 今の時間なら、ちょうど夕日がきれいに見えるのニャ!」

留未穂おばさんが空高くそびえる観覧車を指差した。こうして間近に見ると、ホントに大きな観覧車だ。この遊園地の目玉というのもうなずける。

「わ、私は……パス」

まだまだ元気そうな留未穂おばさんとは対照的に、紅莉栖おばさんはぐったりとベンチに横たわっている。

「クーニャン、コーヒーカップごときで情けないニャよ?」

「いや、お前すごい回してただろ! やたらと紅莉栖を絶叫マシンに乗せてたし、へばっても仕方があるまい」

「あー、まゆりがグルグル回ってる」

留未穂おばさん、一体何をしたんだろう……。

「クリスちゃん、大丈夫ー? 心配だからまゆしぃは残るよ」

「ぼ、ボクも高いところはもう……」

まゆりおばさんとるかおじさんが申し出る。この様子じゃ、あたしに負けず劣らずみんなを振り回したみたいだ。あたしは綯お姉ちゃんだけなのに、この人数を相手にか……すごい。

「ダルニャーン、フェイリスと一緒に乗ろうニャ!」

突然、留未穂おばさんが父さんの腕に組み付いた。と、父さん、鼻血出てない?

「ええー! じゃあ私も乗る! 浮気なんかされたら母さんが怒るし」

あたしも負けじと父さんの手を取る。ここで留未穂おばさんになびいて母さんと出会わない、なんてことになったら、あたしが生まれなくなっちゃう!
でも、実際そうなったらあたしはどうなってしまうのだろう。映画みたいに、スゥーっと体が透けて消えちゃうのかな。そんな感覚を感じる間もなく、存在が掻き消えてしまたりとか。
……なんか、怖いことを考えてしまった。

「うはー、まさかのハーレム展開ktkr! 最後の最後に僕にも春が訪れたのか……ふう」

あたしの心配をよそに、父さんはガッツポーズしている。
本人はご満悦だけど、一応自身にあたしの存在もかかってることを自覚してほしいな。
あれ? この組み合わせだと、余っているのは――。

「というわけでー、凶真はナエニャンと乗ってニャ!」

いかにもわざとらしい声色で、留未穂おばさんがオカリンおじさんを綯お姉ちゃんのいる方へ押しやった。
……あ! まさか、これがお化け屋敷で綯お姉ちゃんの頼みごと?
あの時は、おそらく記憶がまだ戻っていなかったはずだから、『オカリンおじさんと2人きりにしてほしい』って頼んでも――うん、おかしくはない。

「な、なぜこうなる!? ここまで作為的になるとは……ハッ、これも裏に機関の陰謀が――って、おい、どうしたのだ」

「……行こう、オカリンおじさん」

オカリンおじさんの手を取り、言葉少なに観覧車へと向かう綯お姉ちゃん。
その歩みに、一切ためらいはない。

「……ナエニャン?」

その態度に、留未穂おばさんも何か感付いたようだ。
このまま、行かせてしまっていいのか? さっきも、るかおじさんの弁当箱から何かとっていたように見えたし、留未穂おばさんも綯お姉ちゃんの異常に気が付き始めてる……。





でも、あたしはあえて、2人を止めなかった。










「たっかーい! こうして実際乗ると、すごい景色だね」

綯お姉ちゃんたちが乗ったゴンドラは、あたしたちの1つ先を行く。
ここからでは、中の様子をうかがうことはできないし、もちろん手出しも出来ない。

「……ねえ、スズニャン」

「ん? どうしたの、秋葉留未穂」

父さんの隣に座る留未穂おばさんは、さっきまでの笑顔が消えている。

「ナエニャン、何だかすごく怖い目をしていたのニャ。
 スズニャンは気が付かなかったのニャ?」

すがるように、あたしに尋ねてくる。留未穂おばさん、ホントに綯お姉ちゃんのことが心配なんだ。
今日はタイミングが悪かっただけで、綯お姉ちゃんの頼みごとを実行してくれた。ちょっと変わってるところはあるけど、やっぱり根はいい人なんだよね。

「……大丈夫だよ、2人なら」

窓から視線を離し、改めて留未穂おばさんに向き直る。
そう、きっと大丈夫だ。

「あたしね、信じてるから。綯お姉ちゃんも、オカリ――岡部倫太郎も」

特に、根拠があるわけではない。あたしも色々綯お姉ちゃんに話したとはいえ、それでどうにかなるとは思っていなかった。
観覧車に乗る前も、ホントは流血沙汰になるんじゃないかって心配もしてたんだよね。
……でも、オカリンおじさんなら。
あの綯お姉ちゃんを助けてあげられるのは、きっとオカリンおじさんだけだ。
復讐のために、何度もタイムリープを繰り返しこの時代に戻ってきた綯お姉ちゃん。
それに負けず劣らずタイムリープを繰り返し、ボロボロになりながらも『シュタインズ・ゲート』に到達したオカリンおじさん。
2人なら、きっと分かり合える。

「……そうニャね。凶真は赤き南十字星のもとに生まれた宿命の子。
 こんなところで倒れるような男じゃないのニャ!」

留未穂おばさんはやっと表情を緩めてくれた。詳しい事情は分からなくても、あたしの言葉から何か察してくれたらしい。
……でも、赤き南十字星って?

「2人とも、何の話? 僕だけ蚊帳の外な希ガス」

「あ、アハハ……父さんは気にしなくていいよ!」

そういえば、父さんもいたんだった。まあ父さんなら、オカリンおじさんの力になってくれるに違いない。
あたしはもう1度だけ、オカリンおじさんたちの乗ってるゴンドラを見遣る。
2人は中で、何を話しているのだろう。怨みごとか、それとも謝罪か。
……案外、目的通りに告白とか。






「おーい、スズさーん! フェリスちゃーん、ダルくーん!」

観覧車はあっという間に一回りし、あたしたちは再び噴水へと戻る。
そこには休んで元気になった紅莉栖おばさんたちのほかに、店長さんたちがすでに戻ってきていた。頭に貼られたガーゼがかなり痛々しい。

「あれ、綯はどうした? 岡部のやつと一緒じゃねえのか」

その見た目とは裏腹に、店長さんはあっけらかんとした口調だ。怪我自体は、ホントに大したことないのか。

「でも、オカリンって僕たちより先に乗ってたじゃん。2人ともどこ行ったん?」

「さあ……トイレじゃない?」

「あ、来たよ! オカリーン、綯ちゃーん! こっちこっち!」

まゆりおばさんが向こうを指差し、2人に大声で呼びかける。
オカリンおじさんもこちらに気が付いたようで、まゆりおばさんに大きく手を振り返した。
もちろん、綯お姉ちゃんも一緒に。

「ああ、今行く!」

オカリンおじさんはそう返した後も、まだ綯お姉ちゃんと何か話してるみたい。
距離があって内容は分からないけど、綯お姉ちゃんはさっきまでの表情が嘘のように楽しそうに見える。
……もしそうだといたら、本当に良かった。

「岡部―! いい加減早く来なさいよー!」

紅莉栖おばさんも業を煮やして、2人を呼ぶ。
それに答えるかのように、オカリンおじさんがよろけ気味にこちらへとやってくる。綯お姉ちゃんが、思いっきり背中を押したんだ。

「済まない、遅くなって」

「まったくもう! 結局、観覧車乗れなかったじゃない」

「お、俺のせいではない! だが、そんなに乗りたかったのなら、今からでも一緒に乗るか? 助手よ」

「ふえっ!? あ、あの、それって……」

オカリンおじさんの冗談を真に受けたのか、紅莉栖おばさんの顔にサッと赤みが広がった。
当の本人も予想外の反応が返ってきて、露骨にうろたえている。

「い、いや! 別に他意があるわけではないぞ!」

「分かってるわよ! でも、ちょっと――」

……嬉しかった。
声には出てないけど、口がそう動いている。

「なんだよ! ここに来てイチャラブ見せつけるとか……爆発しろ!」

「アハハ……いつか、いい人できるって」

2人の様子を見てうなだれる父さんの背中を、慰めるようにポンポンと叩く。
あたしがいるのが、その証拠だからさ。

「ナエニャン!」

その時、留未穂おばさんが大声を上げた。綯お姉ちゃんはその腕に抱かれ、かなり動揺してる。

「ふぇ、フェイリスさん!?」

「大丈夫かニャ!? さっき、殺意のこもった目をして……」

綯お姉ちゃんは肩をしっかり固定され、その目を留未穂おばさんの大きな目に覗き込まれる。

「あれ――なんか、スッキリした目になってるニャ」

「うん、心配かけてごめんなさい」

シュンとする綯お姉ちゃんの頭を、留未穂おばさんは優しくなでた。
……小声で何か話してるみたいだけど、あんまり聞き耳を立てるのもよくない。
今回は、自重しておこう。

「よし、みんなそろったな!」

オカリンおじさんが、全員いるか確認し始めた。
もう、帰らなきゃいけないのか。

「あれ? 綯ちゃん……?」

まゆりおばさんの声に振り返ると、綯お姉ちゃんがフラフラとまゆりおばさんに寄りかかった。

「おい、どこか具合が悪いのか」

店長さんの問いかけも、何だかよく聞こえてないみたい。何だか寝ぼけてるような――。

「遊び疲れちまったんだな。まったく……」

店長さんが、やれやれとばかりに綯お姉ちゃんの前にかがみこんだ瞬間、顔をゆがませる。

「おい、怪我してるのだから、あまり激しく動くんじゃない」

「ああ? 綯をおぶってくぐらい、大したことじゃねえよ」

「だから、少しは自分を労われ。綯も、あなたを心配してたんですよ」

オカリンおじさんは綯お姉ちゃんの前に背中を向ける。
綯お姉ちゃんはまゆりおばさんも手伝って、オカリンおじさんの背中におぶさった。

「変な気起こしたら、家賃10倍にするからな」

「……相手は小学生ですよ?」

オカリンおじさんの背中で、綯お姉ちゃんは気持ちよさそうに寝てる。
本人が気付いてるのかは分からないけど、教えてあげたら喜ぶだろうか。
それに、みんなも。
父さん、オカリンおじさん、紅莉栖おばさん、まゆりおばさん、るかおじさん、留未穂おばさん、萌郁おばさん、店長さん。
みんなの幸せそうな笑顔が、夕日に輝いてる。










……ああ、やっと『思い出した』。
あたしはただ――。



[30329] Re:小さなラボメン見習い(7)
Name: 正人◆1e4b078b ID:6dd4bd81
Date: 2012/02/16 21:30
「……よし」

最後にもう1度だけ、ラボの中を見渡してみる。
元々あたしの私物は置いてなかったから、片付けは簡単だった。
名残惜しいけど、もうあたしは帰らなきゃ。あんまり長居すると、店長さんも来てしまう。
お別れの挨拶はしない。あたしの主観では、数時間もすればまたみんなと会えるわけだし、オカリンおじさんたちも察してくれるはずだ。
……みんな、また会おうね。
あたしはラボの扉から、静かに立ち去った。



屋上に設置された、タイムマシン。昇って間もない日の光で、外観は影に黒く塗りつぶされている。
α世界線のあたしも、これで未来からやってきたんだよね。ラジオ会館に、大穴を開けて。
SERNは時を支配することで、世界をディストピアに変えてしまった。
道を行き交う、虚ろな目をした人たち。いくら争いがなくなったって、心が死んでたら意味がない。
だから、あたしはそんな未来を変えたくて、この時代に来たんだ。





「――おい! 何も言わずに帰る気か」





その時、背後で勢いよくドアが開く音とともに、誰かの叫び声。

「お、オカリンおじさん!?」

振り返って確かめると、息を切らしたオカリンおじさんがドアにもたれかかっていた。

「まさか、ここまで走って?」

「ああ……。全く、自分の体力のなさが恨めしいな」

額の汗をぬぐって、大きく深呼吸してる。
でも、どうしてあたしが黙って未来に帰ろうとしてるのが分かったんだろう。誰にも言ってなかったはずなのに。

「フン、俺を誰だと思っている? お前は、隠し事が下手すぎるのだ」

そ、そんなに露骨だったのか。確かに、

「……どうしたのだ、別れの挨拶もなしに。俺はともかく、まゆりやダルは寂しがると思うぞ」

「うん、あたしもどうしようかちょっと迷ったけどね」

「お前、何か――思い出したのか」

オカリンおじさんが、思いつめたような顔で聞いてきた。
……まだ、自分のことを責めているのかな。

「そんな深刻そうにしなくてもいいよ。むしろ、あたしは感謝してるから」

静かにそう告げて、あたしは朝日に手を伸ばす。
手のひらに感じる暖かさ。あたしがこの時代で過ごしている間も、同じような感覚があった。

「結局のところ……あたしはさ、知りたかっただけなんだよ」

あの時、あたしは2010年から1975年へと、IBN5100をオカリンおじさんたちに託すために旅立った。1度跳べば元の時代には戻れないのは分かっていても、あたしには未来を変える使命があったから。
でも、α世界線のあたしは『結果』を知らなかった。
無事にIBN5100を託すことはできたか。SERNのディストピアは構築されないのか。
……そんなこと、あたしにはわかりきっていたのに。

「君のおかげで、未来は平和そのものだよ。たまには喧嘩したり、悲しいこともあったりするけれど……でも、そういうものでしょ?」

だから今は、阿万音鈴羽として言わせてほしい。

「ありがとう……岡部倫太郎!」

それが、あたしの素直な気持ちだから。

「……お前からそう言われると、少しは救われるな」

あたしの言葉に、オカリンおじさんに少しだけ安堵の色が戻る。
未来のオカリンおじさんは自分のしたことを悔いていたけど、オカリンおじさんだって、少しは報われていいはずだ。
あたしの望んだ未来は、確かにそこにあったんだから。


……ただ1つ、綯お姉ちゃんのことを除いて。


思わず口走ってしまいそうになるけど、何とかこらえる。
あれは、仕方がなかった。誰も予想なんて出来なかったし、本来ならあたしだって気に病む必要のないことだ。
だからこそ祈らずにはいられない。せめて綯お姉ちゃんが、みんなと楽しく過ごせるように。

「……でさ、ここからは『橋田鈴羽』としていうけど」

少しだけオカリンおじさんから目をそらし、深呼吸する。

「あ、あたしの小学校の入学祝いは、自転車がいいなー、なんちゃって」

「お、お前な!……フン、とっておきを用意しておいてやるから、14年後を楽しみにしておけ。フゥーハハハ!」

オカリンおじさんは高笑いしたけど、すぐに顔が暗くなってしまった。

「だが、おそらくこの会話もリーディングシュタイナーで上書きされ、未来の俺は覚えていないだろうな」

「ああ、その事なんだけどね。多分心配いらないよ」

「どういうことだ? お前がタイムスリップしてきたことで、おそらく世界線が変わったはずだ。
 それならばリーディングシュタイナーが発動して、記憶が上書きされてしまうはずだ」

「うん。でもね、未来のオカリンおじさんが――」


………………………………………………………………………………


「……弱まってる?」

「ああ、俺は何度も世界戦を渡り歩き、その度に強いめまいに襲われていた」

ラボでの講義も大詰め、ついに明日旅立つというときに、オカリンおじさんがそんなことを言い出した。

「『シュタインズ・ゲート』に到達してしばらくは、何度もリーディングシュタイナーで世界線の変動を感じていたんだ」

そこで大きくため息をつき、オカリンおじさんはソファに座り込む。
シュタインズ・ゲートは、収束に縛られない。逆に言えば、ちょっとした要因でダイバージェンスが変わってしまうということだ。普通の世界線では考えなられないほど、不安定な世界。

「めまいを感じる度、紅莉栖やみんながいなくなってたらと思うと怖くてたまらなかった」

あたしもなんとなく想像できる。いきなり世界が自分の記憶と違う姿に変わってしまったら、さすがのあたしもキツいだろうな。

「……だが、そのめまいが月日を追うにつれてに減っていった。ここ10年、全く感じないほどにな」

「じゃあ、おじさんのリーディングシュタイナーが弱まってるって、そういうこと?」

オカリンおじさんの説明によると、リーディングシュタイナーは世界線を移動する際、記憶が上書きされるという能力が失われた結果現れたそうだ。
でも、何度も世界線変動を察知し続けるうち、オカリンおじさんの脳が記憶の上書きに対応し始めていく。

「脳梗塞などで脳の機能の一部が使えなくなっても、リハビリなどでその機能を脳のほかの部分で補うことが出来る。
 俺にも、似たようなことが起きているのではないか……まあ、全ては仮説の域を出んが」

「オカリンおじさんだけだもんね、そんなことできるの」

「だが、俺は心配だ。この仮説が正しかったとして、もしお前のタイムトラベルが世界線をわずかに変動させたなら……」

その違いを観測できるのは、あたしだけなのか。

「し、心配しないでよ! みんなが離れ離れになるようなことは絶対にしないって!」

「いや……本当に心配なのは、お前のことだ。
 お前が俺のように、『観測者』になりはしないのか、とな」

その時のあたしには、オカリンおじさんの言葉の意味はまだ分からなかった。


………………………………………………………………………………


「だから、よほどのことがない限り、記憶の上書きは起きないと思うよ」

「お前が、何かへまをしていなければな」

「あー、信用してないでしょー。あったまくるなー!」

オカリンおじさんと、たわいのない会話。やっぱり、過去に来てもオカリンおじさんは変わらない。
だから、あんなことを言ってしまったのかもしれない。

「あ、あのさ……参考までに、聞いておきたいことがあるの」

「どうした? まだ何かあるのか」

こんなこと、ホントは聞かない方がいいんだけど……。あたしは意を決して、オカリンおじさんに尋ねる。


「あたしってさ……か、かわいい、かな?」


「――は?」

オカリンおじさんは本気で意味が分からなかったのか、声にならない息を漏らした。
うわ、今になって恥ずかしくなってきた! 顔が火照ってるのが自分でもわかる。

「いや、あ、あくまで、参考意見だから! あんまり深く考えないで」

あたしは慌てて両手をブンブン振る。でも、あたしの言葉を急に理解したのか、オカリンおじさんの口が半開きになる。

「あ……お、お前まさか!」

急にあたふたし始めたオカリンおじさん。これは、あたしが思ってたより面倒なことになっちゃったかもしれない。

「い、今のことは忘れて! じゃあ、紅莉栖おばさんと仲良くね!」

どうしてもいたたまれなくなって、あたしは逃げるようにタイムマシンに乗り込んだ。
呼び止めようとするオカリンおじさんの目の前で、ハッチを閉める。

「……はあ」

何であたし、あんなことを聞いてしまったんだろう。26年のうちに、忘れてくれてればいいんだけど。
こんな別れ方でいいのかとも思うが、さすがにまた出ていく気にはなれない。今のことは、未来に帰ってから謝ろう。
あたしはタイムマシンの座席につく。未だにダイバージェンスメーターは3桁分しか表示されていない。あとで、父さんに直してもらわないと。
……今度こそ、帰らなきゃ。あたしのいた未来へ。
そして、あたしは起動ボタンを――押した。





【0.x0xxxx】→【0.x0xxxx】





体に感じていた重力が消え、やっと自由になる。
過去に向かった時とは違い、今度はちゃんと所定の位置に出たようだ。
なんだか、夢でも見ていたみたいだ。よく見知ったみんながあたしと同い年くらいなんて。
あたしはハッチを開き、外に出てみる。数時間前とは打って変わり、蒸し暑い風が吹き寄せる。冷静に考えてみれば、向こうは10月で、こっちは8月。
……暑いに決まってるじゃん。
外の景色も、思ったより変わってない。多少ビルが増えたくらいで、26年前の景色と印象はほとんど同じだ。だからこそ、ラボメンはみんなここがお気に入りなのかな?

「すずはー! 愛しのマイドーター!」

「と、父さん!?」

いきなり屋上のドアが開かれ、父さんが飛び出してきた。改めてみると2010年の時よりずっと痩せてる。最近太ってきたかなと思ってたけど、当時から比べればかなりダイエットに力を入れてたみたいだ。

「やっと帰ってきたな! ダルがずっと心配していたぞ」

「全く、そんなに娘のことが気がかりなら、行かせなきゃよかったのに」

父さんの後ろから、見覚えのある2つの影がのぞく。

「オカリンおじさん! 紅莉栖おばさん!」

まさか、みんなで出迎えてくれるとは……。正直、結構嬉しい。待ってくれる人がいるって、こんなに心地いいものなのか。

「そうだ父さん、実は、ダイバージェンスメーターが――」

あたしが事情を説明すると、父さんはすぐにタイムマシンからダイバージェンスメーターを取り出してきて、淡々と故障個所をチェックする。

「うーん、多分測定部分は壊れてない。下に行けばパソコンで数値出力できるけど?」

「ああ、早速頼む」

その言葉に、父さんは親指を立てて応じてラボに向かった。

「で、どうだった? 人類初のタイムトラベルの感想は」

「おい、一応俺が初のタイムトラベラーだぞ」

「そんなこと言っても、証拠がないじゃない。まあ疑ってるわけじゃないけど」

帰ってきてそうそう目の前で夫婦ゲンカ……いや、どう見ても仲睦まじい。26年前の様子から鑑みるに、口ではいろいろ言ってても互いのことがホントに好きなんだろうな。

「……どうした鈴羽、俺の顔に何かついているか?」

「へ? あ、ううん、何でもない! 
 それよりもオカリンおじさん、ちゃんとぬいぐるみ、預かっておいてくれた?」

すっかり忘れてた。綯お姉ちゃんが遺してくれたもの。オカリンおじさんのことだからきちんとしまっておいてくれてるだろうけど、かなり古いものだから破けてたりしないか心配だ。

「ぬいぐるみ……?」

「ほら、出発前に預けてたじゃん!」

オカリンおじさんは考え込むように首をひねる。
……なんだ、この違和感。とてつもなく不吉なことが起きている、そんな予感がする。
そして、オカリンおじさんが口にしたのは――。





「いや……そんな記憶はないが」





「え――」

一瞬、世界が歪む。

「く、黒いウサギのぬいぐるみだよ! ほら、綯お姉ちゃんの持ってた!」

「綯……お前、何を言って――まさか、お前!」

あたしの様子がおかしいのを察したのか、途中で動揺し始めた。
なぜか、話がうまくかみ合わない。オカリンおじさんたちをよそに、あたしは屋上から逃げ出すように駆けだした。
オカリンおじさんの呼び止める声も無視して、あたしは勢いよくラボの扉を開く。

「おわ! 鈴羽どうしたん? そんな慌てて」

父さんはパソコンの前で何やら作業をしている。その横には、何本かのケーブルで繋がれたダイバージェンスメーター。
あたしは父さんを押しのけて、パソコンの画面を覗き込む。ごちゃごちゃと英数字が羅列されているが、その数字だけは、すぐに目に飛び込んできた。



【div -0.000003%】



「そんな――」

数字だけ見れば、ほんの小さなスケール。でも、そんなことは関係ない。
さっきのオカリンおじさんの反応は、絶対嘘じゃない。

「ねえ、父さん」

「す、鈴羽? なんか、様子がヘンじゃね?」

「……あたしさ、ずっと大切にしてたぬいぐるみが、あったよね?」

すがるように、父さんに尋ねる。でも、返答はあたしが期待したものではなかった。

「ぬ、ぬいぐるみ? そんなもん持ってたっけ?」

その言葉で、あたしの中で何かが切れてしまった。

「あ……」

父さん、あたしがあのぬいぐるみを部屋に飾っていたことは、絶対に知ってるはずなのに。
この世界線変動は、オカリンおじさんも探知できなくなってしまったほどのわずかな揺らぎ。
でも、そのずれはあたしの身近なところで起こってしまった。あたしの持っていたぬいぐるみのことを、誰も覚えていない。


どういう経緯でこうなったのかはわからない。でも、おそらくこういうことだろう。
あたしと綯お姉ちゃんの間にあった関係が。
ただでさえわずかなあの時の思い出が――。





「あああああああああああぁぁぁぁ!」





――『なかったこと』に、なってしまったんだ。





《Act.2 対消滅のブランク》



[30329] Re:小さなラボメン見習い(8)
Name: 正人◆1e4b078b ID:6dd4bd81
Date: 2012/09/15 15:58
大丈夫だと、高をくくっていた。
大したことないって、笑い飛ばせると思っていた。
それがとてつもなく甘い考えだと、今更分かってしまったんだ。



……首筋が熱い。真上から照りつける太陽が肌を焼いている。
でも、体の底から寒気がする。外は、セミの鳴き声がうるさくて、蒸し暑いくらいなのに。
あの後ラボから逃げ出すように飛び出して、ずっと走り通してきた。多分オカリンおじさんたちも追いかけてきたはずだけど、みんなの体力じゃあたしに追いつけないだろう。
今も必死に足を動かして、でたらめに走り回ってる。何度深呼吸しても、体に酸素が行きわたらない。
結局、その場であたしは立ち止まり、ずるずるとしゃがみこむ。
あの時、パソコンの画面に表示されていたダイバージェンス。
この世界にとって、あたしが感じているずれなど些細なものなのだろう。実際、幼いあたしと綯お姉ちゃんが過ごしたのだって、ほんのわずかな時間だ。それがなかったことになっても、世界は大した影響も受けず続いていく。
その証拠に、道の端でへばっていても、あたしのことなんて誰一人気にかけてない。道行く人の視線を感じても、それは一瞬だけ。あたしなんて、他の人から見ればその辺の石ころとおんなじだ。
でも、あたしにはほかの世界線の記憶、そして1週間を過去で過ごした記憶がある。あたしには、大切な思い出だ。
もし、あたしが過去で過ごした事実ごと、綯お姉ちゃんとのつながりは消えてしまったとしたら? 世界線の変動は、過去から未来まで影響を及ぼすもだから、可能性は十分だ。
あのぬいぐるみは、あたしと綯お姉ちゃんのつながりを示す唯一のものだったのに。
それがないということは、この世界線ではあたしと綯お姉ちゃんが出会わなかった、ということなのかな。

「……思ってたより、キツイよ」

小声でつぶやいて、また心臓のあたりが苦しくなる。
こんなことになるなんて、全く予想外だった……いや、予想すべきだったのか。
あたしは2010年の夏、オカリンおじさんが観測者として世界を観ていたように、あたしも元の世界と間の世界を見比べている。
ディストピアとか、第三次世界大戦とか、大げさな変化はない。知り合いだった故人が、赤の他人になっただけ。
ただ、それだけなのに。

「確かめる、べきなのかな」

あたしは動揺してラボから逃げ出してきてしまった。何もかもあたしの勘違いで、ホントは変化なんて何も起きていないのかも――。
そんなはずないと、心の声が打ち消す。あたしと綯お姉ちゃんのことは、オカリンおじさんもよく知っていたはずなのに、さっきのオカリンおじさんの反応は明らかにおかしかった。

「みんなから見れば、あたしの方がおかしいのか」

さっきから、独り言ばかりだ。あたしに向けられる視線が増えてきた気がするが、どうしても動くことが出来ない。
2010年で過ごした1週間は、とても楽しかった。でもあたしが気付かないうちに細かなことが積み重なって、世界線は変わってしまった。
オカリンおじさんの体験した世界線漂流と比べたら、あたしの起こした世界線変動なんてほんとに些細なはずなのに。
あたしが過去に行かなければ? 幼いころの綯お姉ちゃんの前に現れなければ?
今更後悔したって、もう、取り返しはつかない――。

「……失敗した」

そう、失敗。あたしのしたことは、まさに失敗だ。

「失敗した、失敗した、失敗した失敗した失敗した失敗した」

小声で何度もつぶやきながら、両腕で膝を強く抱いていく。
気がつけば、あたしの頬を涙が伝っていた。今は、泣いているのを見られたくない。あたしは顔を膝に埋めて、さらに体を縮こませる。
言葉にして吐き出せば楽になるかと思っていたのに、罪悪感は全く薄れてくれない。
……思い出すのは、綯お姉ちゃんのこと。
この世界線であたしと出会わなかったのなら、あの日綯お姉ちゃんの家で遊んだことも、無かったことになってしまったのだろう。
記憶の中の綯お姉ちゃんは、26年前も10年前も、楽しそうに見えた。
あたしが綯お姉ちゃんから、そんな思い出すら奪ってしまったかもしれない。

「ごめん、なさい……!」

謝る相手は、もういない。
あたしの微かな声など、雑踏の中であっという間に掻き消える。

あたしは何とか立ち上がって、袖でごしごしと顔をぬぐった。こんなところでへこんでるなんて、あたしらしくない。
とにかく、一度ラボに帰ろう。取り返しのつかないことを、悔やんだって仕方がない。
でも、あたしはこれから、一体どうすれば――。





「――鈴羽お姉ちゃん!」






とんっ、と背中から誰かに抱き着かれた。
あまりに突然で、一瞬息が詰まる。

「どうしたのそんなところで? 旅行に行ってたんでしょ、寂しかったよー!」

「あ――」

その聞き覚えのある声を聞いて、あたしは慌てて振り返る。
2つに結んだ髪。大きな瞳に、小柄な体躯。あたしの
……そして、肩にかけられた、黒いウサギのポシェット。

「綯お姉ちゃ――な、何で……」

その肩をつかんで、まじまじと見つめる。自分の目がおかしくなったのかと何度も瞬きするけど、目の前の光景は変わらない。
え、だっておかしいでしょ!? 綯お姉ちゃんは10年前に……百歩譲っても、あの頃から26年経ってるから、当時の姿のままなはずはない。
オカリンおじさんじゃないけれど、世界線変動の影響で時空の壁でも歪んでしまったのだろうか。

「りんー! 急に走り出したら危ないでしょう!」

「あ、お母さん! ほら、鈴羽お姉ちゃんがいたの」

誰かの呼び声にその子は振り返り、人ごみの向こうに、女の人が立っていた。
髪こそ結わえていなけど、その姿は、10年前に見た――。

「あら? 鈴羽ちゃん、帰ってきてたのね」





綯お姉ちゃん、その人だった。






「そ、んな――どうして」

この短い間に様々なことが起こり過ぎて、あたしの頭はパンクしてしまいそうだ。
ちっちゃい綯お姉ちゃんが現れたと思ったら、大人の綯お姉ちゃんが現れるなんて。

「どうしたの、そんな死人でも見るような顔して」

綯お姉ちゃんはこちらへと歩みより、あたしの前にしゃがみ込んだ。
こうして間近でみると、2010年当時の面影がある。でも、一体何がどうなっているのか。

「ゴメンね。この子ったらすぐ人に抱き着いて。昔の私にそっくり」

「あ、あの、この子は……?」

あたしが機能停止した頭を無理矢理働かせて尋ねると、綯お姉ちゃん――にそっくりな子が、むくれてあたしをポカポカと叩いてきた。

「ええー! ヒドイよ鈴羽お姉ちゃん、冗談でも怒るよ!」

「こら! そんな風に叩いちゃダメでしょ、《りん》」

綯お姉ちゃんがその子の名前を呼び、制止させる。
りん……倫……鈴。

「じゃ、じゃあ、この子の名前って――!」

あたしの顔を見て、綯お姉ちゃんがニッコリとほほ笑んだ。

「そうね。あなたから、1文字取らせてもらっちゃった。前にも話さなかったっけ?」

この子……鈴ちゃんって、綯お姉ちゃんの子供? ただでさえ状況が把握しきれないのに、あたしはさらに当惑する。

「あなたにとっては、数日前なのよね……もう、20年以上前か。あはは」

「お、覚えてるの!? あたしが、過去にいたこと」

「当たり前じゃない。あなたったら、お別れも言わずに帰ったでしょ?」

綯お姉ちゃんはあたしの頭を、優しく撫でてくる。
この暖かさ、触感。あたしの幻でも、幽霊でもない。

「あの1週間は、とても忘れられない。楽しいことがたくさんあったし、忘れていたことも、思い出すことができたから」

「綯お姉ちゃん。あの――綯お姉ちゃんは、死んじゃいたいって、思ったこと、ある?」

あたしの急な問いかけに、今度は綯お姉ちゃんがポカンとした顔になる。
確かに、子供がいる前でこんな話をするなんて普段なら絶対しない。他に聞かなきゃいけないことだっていっぱいあるのに。でも今は、どうしても我慢できなかった。
あたしは、知らなきゃいけない。

「うーん……そうね、なかったって言えば、嘘になるかも。
 でもね、それでもここまで来れたのは、あなたのおかげかな。あなたが話してたことの意味、ちゃんと分かったから。
 あなたが無事に帰ってきたら、お礼しなきゃって思ってたの」

綯お姉ちゃんは笑顔で話してるけど、その目はあくまで真剣で。
そして、次の瞬間には、綯お姉ちゃんに抱き寄せられていた。

「え? え!?」

ま、全く動きが読めなかった……! あたふたする私をよそに、綯お姉ちゃんがぼそりと呟く。 



「……ありがとう、鈴羽ちゃん。あなたから大切なこと、教わったよ」



それはまるで子供の様な声。一瞬、当時の綯お姉ちゃんの顔が重なった。
そうか。この綯お姉ちゃんは、きっと折れなかったんだ。別の世界線の記憶を思い出してしまっても。
きっと、ラボメンのみんなが支えてくれたんだ。
でも、感謝されたということは、その中にあたしも含まれてる?

「で、昔の私たちはどうだった? もしかして私、あなたに失礼なことしちゃったりとか」

「な、ないない! ちっちゃくてかわいかったし、お行儀もよかったよ!
 あんまりかわいいから、こっちが驚嘆したくらいで」

何を言ってるんだあたしは。これじゃあ、父さんそっくりだ。
……でも、今だけは。

「ねえ、提案なんだけど、今度みんなでサイクリング行こうよ」

「サイクリング? また藪から棒ね」

「だってさ、あたしまだ行けてないもん。約束、してたのに」

そうだ。今はなくなってしまった世界線での約束。自転車に乗せてあげるって。
ちょっと、意味は違ってしまうけど。
綯お姉ちゃんもあたしの様子から何か察してくれたのか、こくりと頷いた。

「そうね。久しぶりのサイクリングも、悪くないか」

「ねーねー、私も一緒に行くー! 鈴羽お姉ちゃんの自転車、乗ってみたい!」

「え……う、うん! もちろんだよ! 君も、一緒にいこ!」

ちっちゃい綯お姉ちゃん……鈴ちゃんが、あたしにしがみついてきた。
その様子を、綯お姉ちゃんはニコニコしながら見つめている。



……ああ、そういえば。
鈴ちゃんの頭をなでながら、あたしは綯お姉ちゃんに向き直る。
おかしなこと言って、と笑われるしれない。
でも、一生分驚いた後だからこそ、これだけはちゃんと言わなきゃ。





「ただいま――それにおかえり、綯お姉ちゃん」



そして、綯お姉ちゃんも。
その笑顔を、より一層ほころばせて。



「ただいま、鈴羽お姉ちゃん!」




《Act.2 対消滅のブランク END》



[30329] Epilogue
Name: 正人◆1e4b078b ID:6dd4bd81
Date: 2012/09/18 18:38


《Epilogue》


………………………………………………………………………………



――で、みんなにラボで帰ったの。それでおしまい。



は、話が長いってなに! これでも、結構端折ったんだよー!?
いろいろ大変だったけど、いいこと、いっぱいあったんだ! みんなで遊園地、すっごく楽しかったんだから。君も一緒に来れればよかったのに。
父さんとも、いろいろ話したの。ああ、昔の父さんの方ね。性格は今とあんまり変わらないけど、やっぱり若かった。
あたしが、タイムトラベルしてきたあなたの娘だなんて、最初は信じてもらえないと思ってたけど。逆に驚いちゃったよ。
それにみんな、あたしのこと父さんそっくりだっていうんだー。あたしの正体を喋ってない人たちも、似たようなこと言いだすし。そんなにそっくり?

ええー、やっぱり君もそう思ってるの!? 父さんは大好きだけど、そこまで言われちゃうとさすがのあたしも落胆しちゃうなあ。
紅莉栖おばさんやまゆりおばさんは、全然変わってなかった……ああ、そうでもないか。
ううん、なんでもない! 君は知らないままの方がいいよ。
母親の味も、血のにじむような努力によって生み出されることが身に染みてわかっただけだから。



でも、びっくりした。タイムトラベルから帰ってきたら綯お姉ちゃんが生きてて、娘もいるなんて。
あの天王寺のおじさんに怯まなかったのなら、父親も大したものだよね。
……実はさ、綯お姉ちゃん、昔オカリンおじさんのこと好きだったんじゃないかって思うんだ。
根拠はないんけど、そこは戦士の勘だよ、勘。
あの子の名前もさ、倫太郎から音を取ったんじゃないかって。
――それは、さすがにあたしの邪推か。



うん、今のあたしには、綯お姉ちゃんと過ごした10年間の記憶がない。
だって、あたしの中じゃ綯お姉ちゃんは10年前に亡くなってたんだよ。
もう、幽霊にでも行き会ったかと思っちゃった。
みんなは、そうじゃないんだよね。なんだか取り残されちゃった気分。
オカリンおじさんも、あの頃はこんな風に感じていたのかな。あたしなんか、オカリンおじさんと比べるのもおこがましいけど。
そ、そんなに心配しないでよ! 別にあたしは平気だって! 自業自得だってことは、重々承知してるから。





……ゴメン。ホントは、すごく不安なんだ。
綯お姉ちゃんは何か感付いてそうだった。それでも、多分いつもと変わらないように接してくれたのは、すごくありがたかった。
でもね、綯お姉ちゃんが知ってるあたしはあたしじゃない。ここ10年の思い出は、あたしの中にないんだから。
それに、綯お姉ちゃんとは逆で、本来存在していた人がいなくなってる人がいるのかも。
自分でも知らないうちに、大切な人が世界から消える……そのことを、誰ひとり覚えていない。それって、すごく悲しいことだと思うんだ。
そんなこと気にしないで、終わりよければすべてよしって割り切れれば、もっと楽になれるのかな。



……なにそれ、もしかして励ましてくれてる?
あはは、ホント君って、オカリンおじさんそっくりだ。
そういえばさ、昔も似たようなことがあったよね。ほら、みんなで遊園地に行った時のこと!
ほら、あたしが迷子になっちゃってさ。探しても誰も見つからなくて、不安で仕方なくてしゃがみこんでたらさ、急に声が聞こえてきたんだよ。
『フゥーハハハ! こんなとこで何をしている?』って。



オカリンおじさんかと思ったら……君だったんだよね。覚えてない?



それからみんなと合流するまで、君ったらずっといろいろ話してた。あたしが迷子になったのは世界の裏で暗躍する組織の仕業とか、近くにスパイが潜伏してるとか。
ああいうの、厨二病っていうんだって。2010年頃のネットスラングらしいけど。紅莉栖おばさんから
ば、バカになんかしてないってば! あたしは、その――心強かったよ。今だって、ね。
男のくせにあたしより体力ないけどさ、そういうときだけ、頼りがいがあるっていうか。



アメリカって、今早朝だっけ? こんな時間に電話しちゃって、なんか悪いなあ。
そっちはどう? アメフト部の人たちにいじめられたりとかしてない?
……まあ、そういうのはさすがに映画の中だけか。わりと定番だからさ、あはは。



じゃあ、そろそろ切るよ。朝からあたしの長電話に付き合ってくれてありがとう。



帰ってくるの、楽しみに待ってるからね。



………………………………………………………………………………



「ふう……」

もう、画面には何も映っていない。
あたしはベットに身を投げ出して、ぼんやりと部屋を眺めてみる。日が落ちてしまって大分暗いが、電気をつける気にはなれない。
これまであったことを最初から話してたら、かなり時間がかかってしまった。おかげですごく疲れた。
部屋は出発前とほとんど変わっていない。変わったのは、綯お姉ちゃんが写っている写真の枚数が増えたことくらい。
その写真の中の綯お姉ちゃんは、決まって笑顔だった。
綯お姉ちゃんが笑顔でいてくれたなら、タイムトラベルした甲斐があったかな。

「あんまり変わってなかったなー……」

よく考えてみれば、こうして電話すること自体かなり久々だ。今回のことで、誰かに甘えたくなっただけなのかも知れない。
一人じゃあんまり心細くて。とにかく自分の話を、誰かに聞いてもらいたくて。
朝っぱらから電話なんて迷惑になるのは分かっていたけど、画面の向こうで寝ぼけ眼をこする姿を見たとき、自分でも驚くくらい安心しちゃった。
あたしの知らない世界でも、君は変わらずにいてくれた。遠いアメリカにいても、手を差し伸べようとしてくれたから。



こんなところで、立ち止まっちゃいけない。
失敗を引きずって、何もしないなんて性に合わない。
α世界線のあたしだって、そうだったじゃないか。
二度と帰れないのはを分かっていた。それでも、みんなの未来のために、ひたすら進み続けたじゃないか。
綯お姉ちゃんとの思い出なら、これからまた積み重ねていけばいい。だって、元の世界線と違って、本人が身近にいるんだもん。



それに、あたしにも支えてくれる人がいる。
昔のオカリンおじさんがあんまり君にそっくりだったからって、あんな質問しちゃって。練習というには、かなり不確定なところが多いけど。
でも、あれだけ似てるとなると、やっぱり反応とかも似てるのだろうか。

「……そうだとしたら、少しくらい期待してもいいよね」

世界線が変わっても、この気持ちは変わらない。
あたしも、一歩踏み出してみよう。
今度帰ってきたら、目の前で言ってやるんだ。





――君のことが、大好きだって。





《Congratulations! 『小さなラボメン見習い』 SUCCEED END!》


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