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[29843] Fate/Unlimited World―Re 【士郎×鐘(×綾子) 傾向:シリアス】
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2015/02/09 01:01
Fate/Unlimited World-Re

更新履歴:第65投稿

─────Prologue─────

子供の頃に置いてきた夢を思い出した
幼い色の哀しみを細く甘く歌う

何も終わることのない永遠を知っていた
もう誰も語らない二人の物語

約束を残して君は何処へ行く
燈火を残して劫火に消えて行く

ずっと遠くへ歩いていく懐かしい面影
ずっと遠くが君の家 辿り着けはしない

夢のような永遠は閉ざされたままで
傷は深く隠されたままで 消えていく夢の道
君がもう見えない

いつもの場所を抜けて君は帰っていく
振り返り手を振って明日へ去っていく

君を好きになって永遠は終わる
生きていく喜びと痛みが始まる

─────Chapter─────
Chapter.00 Towards Zero
◆ゼロ時間へ

Chapter.01 While the Light Lasts
◆光が消えぬ限り

Chapter.02 Destination Unknown
◆死への旅

Chapter.03 Evil under the Sun
◆白昼の悪魔

Chapter.04 Fresh Blood Shrine
◆鮮血神殿

Chapter.05 Endless Night
◆終わりなき夜に生まれつく

Chapter.06 Nemesis
◆復讐の女神

Chapter.07 Unlimited Blade Works
◆無限の剣製

Chapter.08 Appointment with Death
◆死との約束

Chapter.09 March Au Supplice
◆断頭台への行進

Chapter.10 Fate
◆定められた運命

─────a Preface─────

この作品は「Fate/stay night」の氷室ルートを構想した作品となっております。
文字や言葉使いなどに問題、間違いがある可能性があります。ご指摘してくださった場合、修正することがあります。
それ故に途中で修正が入ることがありますが、ご了承ください。
また、この作品には独自解釈や独自設定などが含まれております。
それを了承し構わない、という方はどうぞお読みください。
少しでも多くの読者様に読んでいただけるよう、日々精進してまいります。

今後とも「Fate/Unlimited World―Re」を宜しくお願い致します。

投稿開始日
 2011年9月20日 夢幻白夜



[29843] ep.00 / 全ての始まり  chapter.00 / Towards Zero
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2014/12/01 21:08
chapter.00 / Towards Zero / ゼロ時間へ

ep.00 / 全ての始まり

─────sec.01 / 夏の公園

海で囲まれた島国、日本は例年にない猛暑日を記録していた。
全国で900人を超える熱中症患者が病院に搬送される一方で、日本一暑い街を目指す地域すら存在する。

どうあがいても暑いのだから、いっそのこと売りに使おうという精神である。

ここ冬木市もその猛暑の例外に漏れない。
テレビニュースで記録的な暑さの報道、小まめな水分補給を促す報道が連日の様に続いている。

冬木大橋。

未遠川に掛かるその橋は、『新都』と呼ばれる区域と『深山町』と呼ばれる区域を繋げる重要な役割を担っている。
近代化が進む新都と歴史ある深山町の町並み、異なる趣の明確な線引き場所となっている橋である。

その傍には公園がある。
特筆するほど珍しいものではないが、近所の子供たちが集い遊ぶには不都合もない。

一通りの遊具は揃っており芝生も一部植えられて傍には未遠川が流れているという、とっておきの憩いの場である。
当然そこには子供だけではなく、その母親達も穏やかな一時を過ごす姿が見受けられる。

滑り台で遊ぶ子供、ブランコに座り親に背を押してもらって楽しむ子供、他の子供と一緒になって駆け回る子供達。
その親たちもまたそれぞれの時間を過ごし、交流を楽しんでいた。

夏真っ盛りにも関わらずこれだけ活気づいているのは、通う学校が夏休みの時期だからである。


そんな平和な一時が流れる公園でポツンと一人、ベンチに座っている子供がいる。
年齢は七歳前後だろうか、灰色の長髪が特徴の少女。

公園にいる子供達と遊ぶでもなく、この公園の景色を眺めているでもないらしい。
白いワンピースを着、麦わら帽子を被った少女はただ一人静かにベンチに座っている。

「─────」

と、ここで少女が立ち上がり、木陰へと向かって歩き出した。
炎天下の中、ベンチに座っているのが耐えられなくなったのだろう。

だが長時間座っていたために軽い熱中症になっていた。
足元がフラつき、こけてしまった。

「───いた……、あ」

腕に力を入れて立ち上がろうとした少女に手が差し伸べられた。
─────赤い髪の少年。

「大丈夫? ひーちゃん」

太陽の光の所為で顔はよく見えなかった。
けれどその少女にとっては見間違えなどない姿、聞き間違えなどない声。

「うん、大丈夫だよ。し……」

差し伸べてくれた子の手を取り立ち上がるも、再びフラついて倒れそうになる。
その少女の体を少年が抱きとめた。

「ひーちゃん、無茶しちゃダメ。ほら、あっちに行こう」

少女がこけないようにしっかりと手と肩を掴み木陰へと入る。
暑い夏ではあるが、木陰に入ると若干暑さは和らいだ。

「はい、これ」

そういって渡されたのは一杯のお茶だった。
少年が持ってきていた水筒に入っているお茶。

「ありがとう」

感謝の気持ちを素直に伝えてお茶を飲む。
こくこく、と可愛らしく喉を潤していく。

「大丈夫? お茶、まだ飲む?」

「ううん、もう大丈夫」

そんな少女を見ていると額から汗が流れているのが目についた。
おもむろにポケットに手を入れると、そこからハンカチを取り出して少女の汗を拭いていく。

「─────ありがとう」

少女は少年の顔を見て、向日葵のような笑顔でお礼を述べた。
それを見た少年もまた笑顔で応じていた。

木陰に移動してから少し時間が経った頃に少年が訪ねてきた。

「今日はどこ冒険しよっか」

どうやら公園にある遊具で遊ぶ気は無いらしい。

「どこでもいいよ? 一緒に遊べたら楽しいから」

少女もまた遊具で遊ぼうとは考えていないらしい。
普通の子供ならブランコなり、滑り台なりジャングルジムなりに遊びに行きそうなものである。

「それじゃあ僕の家にくる? 庭に向日葵が咲いたんだ。それ見ながらスイカを食べようよ」

「うん、それじゃ行こう!」

二人は少年の家に向かうため歩き出した。
手を繋いでまるで仲の良い恋人のように。

今日も夏の日差しは暑い。
けれど、二人一緒にいる彼と彼女にとってそれはあまり関係のない話のようだった。



─────sec.02 / 向日葵の咲く家

暑いアスファルトの道を、二人は手を繋いで歩く。

公園を出てから何分経っただろうか、もう公園の姿形も見えなくなっていた。
その代わりに目の前に少年の家が見えてきた。

二人はこの間もいろいろな会話をしていた。
昨日の晩御飯は何だった? 今日は何時に起きた? 今日はいつぐらいに公園に着いた? 

二人は明確に会う時間を決めている。
けれど二人揃って相手よりも早く会う場所へ着こうとするため、予定の時間よりも早く会うことになる。

一緒にいる時間は長くなり、遊ぶ時間も長くなる。

二人にとってそれは幸福の時間。
好きな相手と少しでも長い間、一緒に遊べるという時間。

だから二人は一日の大半を一緒に過ごしている。
二人の両親も旧知の仲なので、互いの家に行っても二人は歓迎されていた。

「ただいまー」

「お帰り。あら、いらっしゃい」

「お邪魔します」

家に入る二人。
少年の要望を聞いた母親が、宛がわれた子供部屋にスイカを持ってくる。

二人はそのスイカを食べながら、綺麗に庭に咲いた向日葵を眺めている。
勿論会話は弾んでいるようだ。

食べ終えたら次は眺めていた向日葵のスケッチ。
大きめの画用紙にそれぞれがそれぞれの向日葵を描いていく。

少年は絵を描くのが得意ではないらしく、悪戦苦闘していた。
一方少女は反対に綺麗にスケッチをしている。
大よそ七歳前後の子供が描いたとは思えないようなスケッチだ。

「ひーちゃん、上手だねー。いいなあ、ひーちゃんみたいに上手くなりたい」

互いのスケッチを見せ合いっこするや否や、少年は描かれたスケッチを絶賛する。

褒められた少女は嬉しそうに顔を緩めた。
好きな相手から褒められることは誰でも嬉しいものである。

しばらくして子供部屋に母親が入ってきた。
覗いてみれば、スケッチを終えた二人は眠ってしまっていた。

それを見た母親が夏用のタオルケット一枚を二人のお腹にかける。
二人の手は繋いだまま、安寝やすい顔で眠っていた。

夕方。
先に目を覚ました少女は隣で寝ている少年の顔を覗き込んだ。

「……ふふ」

薄らと笑い、ほっぺたを指でつつく。
何度かつついている内に少年が目を覚ました。

「おはよう、しろ君」

「ん…、おはよう、ひーちゃん」

寝起きではあったが笑って挨拶。
少女が幸せそうに笑っているのを見て、少年も無意識のうちに幸せそうに笑っていた。

その後部屋でテレビゲームをすることとなった二人。
スケッチの時とは打って変わってこちらは少年の方が上手だった。

「わぁー、負けたぁー」

くやしい、という言葉を言いつつも少女の顔は笑顔だった。

夜。
少女の親が車で少年の家に迎えに来た。

夏でまだ少し明るいとはいえこの時間帯を子供が一人歩いて帰るのは躊躇われたからだろう。
少年の母親が連絡を入れたのだった。

迎えが来たことに少し残念そうな顔をする少女。
しかし家に帰らないわけにもいかないので呼んでいる親に着いていく。

「ひーちゃん」

その背中に声がかかった。
反応して後ろを振り返ったら

「また、明日も遊ぼうね」

そういって笑顔で小さく手を振っている少年がいた。

今日という日は終わる。
けれどそれは同時に明日という日がまたやってくるということ。

明日は何をしよう? そう考えるだけで心は楽しくなっていく。
だから

「うん、明日も遊ぼうね。絶対に約束だよ、しろ君!」

親に手を引かれ車に乗り込み走り去っていく。
それが見えなくなるまで少年はずっと手を振っていた。

そんな我が子の姿を見た母親が話しかける。

「士郎、鐘ちゃんとは本当に仲良しだね。大切な人は大切にしなさい。泣かしちゃダメよ、いい? お母さんとの約束」

そう言って小指を出した。
指切りのつもりだろう。

「うん、わかってる。ひーちゃんを泣かせる悪い奴は僕がやっつけるんだから!」

いかにも歳相応の答えを返しながら小指を出して指切りをする少年。
かわいい答えに小さく笑いながら、母親もまた指切りをしたのだった。



─────sec.03 / 無機質な冬の街

夏とは打って変わり冬木市は一段と冷え込んでいた。
清潔で華美ながら無機質で無個性な新都のオフィス街が、より一層寒さを誇張しているようにも感じる。

当然同じ市内である深山町も寒さは同じ。
だがそんな寒い冬でも元気溌剌な子供達にとってはあまり関係がない。

雪が降ろうものならば、喜んで外に出てはしゃぎ遊びまわっている。
大人は交通機関の乱れや雪かきの手間で頭を抱えてしまうというのに。

所謂“子供は風の子”ということである。

そしてそれはこの二人の子供にも当てはまる。
違う点は少し遠出をして───といっても歩いていける距離だが───様々な冬の景色を見たり、他の子供が見れば頭を傾げるような楽しみ方をしているところか。

少し大人びた感じもするが、ピクニックと称して持参している食べ物を見るとやはり子供だということを思い知らされる。

オフィス街として予定され、着実に建設工事が進められている新都。
時折ある小さな公園はオフィスで働く人たちがたまにやってきて息抜きをする場所として最適である。

二人は歩く。
人気の少ない道から公園を抜けて人通りの多い道へ。

鉄筋と硝子とモルタルの現代建築の建設ラッシュが続く新都。
東京中心部のような都会、というわけではないが、小さな子供だけでいくには少し威圧されてしまう。

しかしこの二人には関係ない。
いつも一緒の二人、様々な場所を開いて回って景色を見てきた二人はこういう道も歩いていたからだ。

歩いている最中に少女が地面の段差に躓いてこけてしまった。
膝を小さく擦りむいた程度だったが、やはり痛いものは痛い。

これじゃいけないと少女に肩を貸すようにして歩いていく。
その距離は手を繋いで歩くときよりもさらに近い。

そうして先ほど通り抜けた公園に戻り、ベンチに座って休憩する。

「大丈夫?」

「ん………、ちょっと痛いけど平気だよ」

怪我をした膝へ目をやると薄らと赤くなっており、血が僅かに滲み出ていた。
残念ながら救急道具は持ち合わせていない。

傷を見ながら二人が会話をしているところに、人が近づいてきた。
それに気が付いた二人が視線をやると、そこには

「あら? 怪我をしてるわね、大丈夫?」

白い女性が立っていた。
白い帽子に白いコート、そして白い長髪に赤い瞳をした女性だ。

「大丈夫………です」

子供でも一目で外国人とわかる姿。
そんな見知らぬ人から突然声をかけられた少女は戸惑い、少年の服を握る。

少年もまたその見知らぬ外国人から守るように少女の前に立った。
二人は「知らない人にはついていっちゃいけない」と親から教え込まれている。

その相手が男性であろうと女性であろうと“見知らぬ人”には変わらない。
ましてやそれが外国人であるならばなおさらで、必然的に警戒心が高くなる。

しかしその声をかけた女性はというと二人の警戒を気に留めた様子もなく、近づいてきたもう一人の外国人に声をかけた。

「ねぇ、セイバー。絆創膏ってあったかしら?」

「は? 絆創膏、ですか。確か鞄の中にあったとは思いますが。アイリスフィール、どこか怪我をされたのですか?」

一言で表すとするならば「白」の女性が、同じく一言で表すならば「黒」の“男性”と会話をしている。
どちらも今まで見たことがない人物。

「いいえ、私じゃないわ。その……灰色の長髪の子。膝に擦り傷があるみたいだから。渡そうかなって」

「………なるほど」

黒の“男性”が少年と少女に視線をやる。
少女の膝には確かに擦り傷があった。

白の女性の意思を確認した黒の“男性”は、鞄の中から絆創膏を取り出して白の女性に手渡した。

「はい。これを膝に貼れば痛いのも直るわ。スカートが汚れることもないから安心して」

手渡された絆創膏。
受け取った少女は一瞬きょとん、とした顔になったが親切にしてくれたのだと理解した。

「あ………ありがとう、ございます」

少し緊張しつつも子供にしてはしっかりとした言葉使いで白の女性にお礼を言った。
手渡された絆創膏を傷口に貼る。

「ありがとう、お姉さん」

そんな光景を見た少年もまた素直に感謝の言葉を述べた。

「どういたしまして。貴方がこの子の騎士ナイトなのかな?」

「な…ない、と? は…はい、そうです………?」

問いかけてきた言葉の意味をイマイチ理解できない少年。
答えこそしたが理解できていない、ということは白の女性もわかったようだ。

「あら、ごめんなさい。ちょっと難しかったかな。けど、見た感じでは間違ってはいなさそうね」

少年の目線と合う様にしゃがみこんでいた白の女性は立ち上がった。

「どうかしましたか? アイリスフィール」

「いいえ。いろんなところを見て回ろうとして少し細い道に入ったけれど、正解だったなって」

「正解……、というのは?」

「ほんの数十分前の私とセイバーを見てるみたい、ってこと」

その言葉にまたもや頭を傾げる黒の“男性”。
当然ベンチに座っていた少女も、その傍に立つ少年も意味を理解することはできない。

「行きましょう、セイバー。まだ見てみたいところは沢山あるんだもの。それじゃあね、エスコート頑張ってね」

手を振って去っていく白の女性と同伴する黒の“男性”。
最後もまた二人にはイマイチ理解できない言葉を残して去って行った。

二人が視界からいなくなるまで茫然とその姿を眺めていた。

「なんだったんだろうね、あのお姉さん」

しかしそんな事を知る由もない少女が答えられる筈もなく

「多分………外国の人だよ」

と、誰がどう見てもわかる答えを答えとして返していた。



夕刻時。
今日は不思議な人と出会ったものだと二人会話しながらいつもの場所で別れる。

別れる時はすごく寂しい。
それが好きな人となら尚更である。

そして加えるとこれから少し、二人は会えなくなる。

「明日から遊びに行くんだよね? ひーちゃん」

「うん。……私はしろ君と一緒に居たいけど……」

「ひーちゃん。お父さんとお母さんが遊びに連れて行ってくれるんだから、ちゃんと楽しまなきゃダメだよ」

俯いて少し暗い顔をしていた少女に笑いかける。

「だから、帰ってきたらどんな事をしたか教えてね、ひーちゃん」

それは。
また帰ってきてから遊ぼうね、という約束。
赤い髪の少年が、灰色の長髪の少女に投げかけた約束。

「うん!お土産も持ってくるから一緒に食べようね、しろ君!」

だから少女も笑う。
屈託のない真っ直ぐな笑顔で。

そうして二人は別れた。
少しだけ会えないけれど、また必ず会って一緒に遊ぶ。

二人はそう心に誓った。



─────sec.04 / そして絶望がやってくる

少女が帰宅できたのは夜も遅い時間だった。
流石にこの時間から外へ出歩くわけにもいかない。

(だから、明日)

そう思って眠りにつく。
また明日からあの少年に会える、その事実で頬を僅かに緩めながら………。

***interlude In***

地響きがする。
どこかの家屋が倒壊した音だろうか。

視界は真っ赤に燃え上がり、あちこちから黒い雲が立ち上る。
走れるだけの体力はすでに無く、走れるだけの気力もない。

─────目が覚めたら家が燃えていた。

父親が部屋に助けに来た。
何が起きたかも理解できないまま、けれどこの状況は明らかにおかしいという認識。

急いでこの家を出ようと、少年の腕を掴もうと近寄った時だった。

地面が揺れた。
子供である少年にはそれだけしか認識できなかった。

近づいてきた父親に突き飛ばされ、その光景を目の当たりにする。
見たこともないような大きな瓦礫が、今さっき自分がいた場所にあった。

一瞬何も考えられなくなって、けれどそこから見えた腕が少年に事実を突きつけた。
下敷きになった人物の名前を叫び助け出そうとするが、腕はぴくりとも動かない。

そしてその行為も母親によって止められた。
自分が今いるこの家から逃げることとなる。

母親と一緒に家の外へ。
そこへ家の完全崩壊が少年へと襲い掛かった。

それが理解できるほど、今の少年は正常ではなく。
結果落下してくる家の一部から母親が身を呈して少年を助け出した。

─────そう。先ほどの父親と同じように。

「お母さん!!!!」

必死に助け出そうとするが、火の手が強く近づくことができない。
それでも助け出そうと泣きじゃくりながらも近づこうとする。

「逃げ……なさい……!」

それを母親は許さなかった。

「ここから遠くへ、逃げなさい!士郎はいつも街を歩いていたんでしょう!? なら、士郎なら逃げ切れる。だから……」

「嫌だ、いやだ!なんで、お母さんが、お母さんも……!なんで、なんで!?」

現状の理解ができない。
子供である少年にとって今まで何も変わらない一日だった筈。

いや、正確には少し外を出歩くのを控えなさい、と注意されてはいたが、大筋として変化はなかった筈だ。
それが夜眠って目を覚ましたら赤く染まっていたのだ。

「士郎!早く……逃げ、なさい。貴方が死んだら……鐘ちゃん、悲しむでしょ。お母さん、言った……よね? 泣かせない、って」

「─────」

ピタリ、と動きが止まった。
母親の言葉を聞いて脳裏に浮かんだのは、あの灰色の髪の少女の姿。

今、この絶望とはまるで無関係の様に笑っている姿が思い浮かぶ。
そして同時に、ある日母親と指切りをして約束した事もこの混乱の中で蘇ってくる。

「お母さんとの……約束、守れない……? 士郎」

「約束は……守る、お母さん」

泣きじゃくりながらも母親の言葉を理解しようとする。
嘘つきにはなるな、なんてどこの家庭でも言われそうな事を思い出しながら。

「なら─────ここから逃げなさい。鐘ちゃんの家は、わかるでしょ……? 少し、遠いけど……士郎なら預かってくれる」

「でも、お母さん、お母さんが……!お父さんも……!!」

火は確実に迫ってきているのに、それでも動こうとしない。

否、動ける筈がない。
目の前で自分の親が死にかけているのに、どうしてそう簡単に動けようか。

この間にもどんどん逃げ道が失われていく。
これ以上脱出が遅れようものなら、少年も家の中で焼け死ぬだろう。

そんな事だけは決してあってはならない。
体の半分は家の燃え盛る瓦礫で潰れてしまっている。

そこで分かる。分かってしまった。
もう、自分にも先はない、と。

だからこそ。
だからこそ。
未来ある自分達夫婦の、たった一人の大切な息子だけでも。

───助かってほしいと、切に願った。

「士郎! 早く行きなさい!!」

涙を溢しながら。
こんな恐怖でいっぱいになる状況下でありながら、それでも母親である自分を助けようと頑張った幼いその勇姿をしっかりと目に焼き付けて。
最愛の夫と、生涯自慢できるであろうその息子との記憶達が走馬灯の様に目の前に現れて。

彼女の視界は赤く染まった。


母親の最期の叱責。
それは少年が今まで聞いたどれよりも強い口調だった。

耐えきれなくなった少年は出口に向かって走り出す。
その間にも火の手が襲い掛かり、母親の場所を包み込んだ。

だが、振り返らない。
振り返るな、走って進めと言われたから。

家を出て見慣れた筈の街を走る。
その街はあまりにも知っている光景からかけ離れていた。

ただひたすらに走り続けた。
涙を流し、恐怖に蝕まれ、熱さで朦朧としながらそれでも約束を守る為に前へと進み続けた。

だがその間にも落下物の障害にあったり、瓦礫に躓いてこけて血が出たりと体はボロボロになっていた。
走れるほどの体力もなくなりただ茫然と歩いている。

それ以上に少年の精神は完全に果てていた。
両親が目の前で死に、街のあちこちに倒れている人がいる。
涙は枯れて、今にも倒れそうな体をほとんど無意識に歩き続かせていた。
 
(ひーちゃ……ん)

それは。
最後の理性が、それでも彼女の家キボウに向かおうと脚を動かしていたのである。
約束を守る為に。
助かりたい為に。
会いたい為に。

ああ、そうだ。
もし無事に会う事が出来たら彼女に抱きつこう。
抱きついて、涙を流して。
今まで耐えてきた分を少しだけ外へと出して。
そして約束を守ろう。
会えたら────

(────────────────────────)

ふと、何かが視界に入ってきた。

瓦礫の下敷きになっている人がいる。もう何度も見た光景。
だが、それは今までのどれとも違う衝撃を与えた。

(─────ぁ)

その下敷きになった人は俯せに倒れている。顔は見えない。
首より下が瓦礫の下敷きになっていてどうなっているかわからない。

年齢は同じくらいだろうか、小さい子供のようだ。
少女らしく、髪が長い。

そして、その髪が黒色のはずなのに灰色に見えた。
見えてしまった。

「─────」

違う、と否定する。
だが見えてしまった。
そして想像してしまった。

─────そもそも

この火災が尋常じゃない事くらい、子供である少年にも理解できる。
じゃあなぜそこで考えなかったのか。
…………この火災が自分だけではなく、彼女にも被害を加えているかもしれないと。

考えたくなかった。
父親も母親も。

目の前で押しつぶされて燃やされて。
死んでいくさまを見て。

彼女だけは。
あの灰色の少女だけは無事であってほしいと願った。

願ったからこそ、考えなかった。
考えそうになる頭を無理矢理切り替えて、考えないようにしていた。

のに。

─────限界だった精神に強大な、これ以上ない負荷がかかった。

「あ」

その時。
少年の言葉が失われた。
手はそこで憤怒を失くし、
足はそこで希望を失くし、
己はそこで自身を失くした。

「あ あああああああ ああ あ  あああ!!!!」

そうして────絶望が少年を支配する。

─────ここに、「しろ君」と呼ばれていた少年は今、呆気なく死を迎えた。


***interlude Out***

地響きで飛び起きた少女の両親が、夜にも関わらず明るくなっていることに気付く。
消防の音が耳触りに聞こえるほどに五月蠅い。
すぐさまベランダに出て、そして即座に理解する。

大火災。

一言で的確に表現するのであれば、何よりもその言葉に尽きた。

だがその大火災は少女の両親が今まで見てきた火災のどれよりも遥かに大きいものだ。
経験したことなど当然なく、二人ともただ固まってその光景を見ていることしかできなかった。

そう。
一人の少女がベランダに出てくるまでは。

「お母さん、どうしたの………」

灰色の長髪の少女がやってくる。
けたたましいサイレンの音が鳴り響いているのだ、目が覚めない方がおかしい。

しかしまだ眠いのだろう。目は完全に開ききってはいなく、擦りながらベランダに出てきた少女。

「………え?」

それもここまで。
次には意識が覚醒する。

ベランダから見た光景は、はたしてこのような真っ赤な光景だっただろうか。
あの少年と一緒に眺めていた光景は、はたして黒煙が立ち上るような世界だっただろうか。

違う、と少女は断言する。

あの少年と一緒に見た光景はこんな赤くはなかった。
あの少年と一緒に眺めた街はこんな世界ではなかった。

そうして気付く。
あの燃えている方角は、いつも少年に会うために向かっている方角だと。

「しろ、君………!」

小さく呟いたその言葉を、両親は聞き逃さなかった。
ベランダを出て玄関へ向かおうと走り出す少女を父親が止める。

「鐘、どこに行くんだ!」

「しろ君が!しろ君が、あの中にいるの!だから、だから行かなきゃ!」

そう叫んだ少女は腕を掴む父親の手を放そうと躍起になる。
だが少女の力では大人、しかも男性の手を引きはがすことはできない。

「はな・・・して、お父さん!離して!」

「鐘!落ち着きなさい!」

「離し………て!」

その瞳には涙が滲み始めていた。
ベランダから見た光景が、脳裏から離れない。

少し視線をベランダへ移せば、真っ赤な空が見える。
あらゆるものを焼き尽くす、この世を焼き尽くす死の劫火。

ああ、大人な両親にとっては確かに大火災ではあるが、この世を焼き尽くす、なんてことはありえない。
せいぜい地獄を見せる『業火』だ。それでも十分な破壊力はあるが。

だが、この少女にとっては違う。
文字通り、言葉通り、この世を焼き尽くしかねない『劫火』なのだ。

一体何を以てしてこの少女はあの火災をそう判断したかはわからない。
大人にしかわからない世界があるように、子供にしかわからない・理解できない世界も確かに存在する。

だからこそ。

「離して、お父さん!!!」

泣きじゃくりながら父親の掴む手を叩きながら、必死に体を動かす。
もはやその声は両親が聞いたことがないほどの叫び声………否、『悲鳴』だった。

「鐘、消防車がやってきて火を消してくれる。士郎君もきっと助かる!だから──」

「やだ、やだやだやだぁー!!」

母親の言葉すらも否定する。
正常な判断などもうそこにない。

自身の内にある、経験したことがないほどの不安と恐怖を一秒でも早く解消しなければ壊れかねない。
──あの火災は、一目見ただけの少女を一瞬で突き落すほどの精神的破壊力を持っていた。

「いい加減にしなさい!!」

だが、それは少女だけに当てはまるものではない。
混乱の度合いこそ少女よりマシではあるが、少女の両親とて少なからず混乱している。

だからなのだろう。
こうやって叫んでしまった。

─────それを、父親は一生後悔することとなる。

父親の叱責に驚いた少女の体がビクッ、と停止した。
その顔は驚きを隠せずに、そして恐怖が滲み出ていた。

その顔を見て、自分の思考がどうなったかを確認する前に父親はすでに次の行動へと移していた。
その行動を後になって想う。
子供相手にすら、大人である自分の行動・思考に自信が持てなかった故なのだろう、と。

「きゃあ!」

父親は無理矢理少女の部屋へと連れて行き、ベッドの上に放り投げた。
小さな体が宙を舞い、ベッドの上に落ちる。

それを確認した父親は部屋の扉を閉め、そして出られない様に扉の前に家具を置いた。
ガチャガチャ、とドアノブを動かす音と、扉を開けようとして家具にぶつかる音が家に響く。

「開けて!出してよ、お父さん!」

ドンドンドン!と、少女の悲痛な懇願の声が両親の心を痛めつける。
だが、決してその扉は開くことはない。

理由は明白だった。

「鐘、お前が行ったところで何もできない。消防に任せるんだ」

「鐘、貴女が心配しなくても士郎君は大丈夫。信じなさい。………きっと、生きていると信じていれば生きているわよ」

………はたして、母親の最後の言葉は愛娘に向けて言った言葉だっただろうか。

消防に任せたところであの大火災を早々に鎮火することはできない。
それにただ願うだけで人が救われるようなファンタジーな世界でもない。

少女の両親はそれを理解している。
だが、現に少女の両親にさえできることはない。故に心のどこかに諦観があったとしても、それをすることしかできなかった。



どれほどの時間が経っただろうか。
どれほどの涙を流しただろうか。

いくらドアを叩いても、子供の力で壊れるほど軟な作りではない以上。
こうしてどうしようもなくベッドに倒れこむ他なかった。

「痛い………」

叩き続けた小さな手はあまりにも叩きすぎた所為か血が滲みだしている。
その手で叩き続けた所為でドアには僅かに、ほんのわずかにだけ血が付着している。

何もできない。
そう分かったから、少女は母親が言った様にただあの赤髪の少年が生きていることを願った。

僅かに赤く滲む手。

ふと、思いだした。
道でこけて、あの少年に支えられて公園まで歩いたことを。

どちらがより痛い状態だったか。
怪我の度合い的には断然道でこけた時だろう。

だが。

「う………ううぅ………」

枕を抱く腕に、力が入る。
あの少年を思い出すと、どうしようもなく悲しくなる。怖くなる。苦しくなる。

─────嘘

少し前の少女なら、絶対にこう言い返していただろう。
あの赤髪の少年との記憶はどれもこれも幸福に満ちていた。

そこに嬉しさを感じることはあっても。
決して、決して。
悲しくなるなんてことはなかった筈なのに。

幼い少女はそこまでの思考は働かない。
だが、働かなくともその心に訪れるもの。
如何とも耐え難い、苦痛だか息苦しさだかわからない、経験したことのないものを味わっている。

体が熱くなる。
心が熱くなる。

それは心地よいものではなく、経験したくない感覚。

─────ああ、なら眠ってしまえ

少女自身がそう思ったかどうかはわからない。
ただ事実として少女の震えは止まり、そして意識は闇へと落ちていった。

恐怖で押し潰されそうな心の中で、それでも彼の少年が生きていることを願って─────



─────sec.05 / 赤い人形

気が付いたら焼野原にいた。

見慣れた筈の街は一面廃墟になっていて、映画で見る戦闘跡のようだった。
建物のほとんどが崩れていて、その中で自分だけが原型を保っているのが不思議なくらい。

この周辺で生きているのは自分だけ。
それはわかった。周りに立っている人が一人もいなかったから。

生き延びたからには生きなくちゃ、と思った。
周りにいた人達のように、黒焦げになるのがイヤだったわけじゃない。

─────きっとああなりたくない、という気持ちより、もっと別の理由で心が括られていたからだろう。

周囲には倒れている人がたくさんいる。
時折吹きつける風は熱波の如く耐え難い苦しさを与え、その耳には呪いじみた低い風切音のようなものが聞こえる。

─────なんで、あそこにいたんだろう

目の前に瓦礫に埋もれた黒髪の女の子。
俯せになって顔こそ見えなかったけれど、生きていないことくらいはわかった。

─────ナンデアソコデ立チ尽ツクシテイタンダロウ

そこで思考を切った。

周囲を見渡してもそこは赤い世界。助かる道理はない。
幼い子供ですら理解できるほど、その場所は地獄だった。

ならば今の思考に意味はない。
遅かれ早かれ周りと同化するのであれば、今の思考は無意味だから。

そうして倒れた。
空を見上げたら今すぐにでも雨が降りそうな灰色の空模様。

─────ああ

その時何を思ったかなど少年にはわからない。

─────雨が降れば、この火事も終わる─────

息もできないくせに口を動かした。
両親が死んだこともわかった。周りにいなかったから。

家がなくなったのも覚えている。
家があった場所も覚えている。

しかしそれだけだった。
そしてもうそれすらも意味がない。

もう何も残っていない。
残っているのはこの地獄のような光景を記録した記憶だけ。

簡単な話。
何もかもを失って、それでいて子供の体が残っている。

要約すれば。

生きる代わりに、心が死んだのだった。



目を覚ましたら、見知らぬ場所にいた。
どうやら病院らしい。

周囲には怪我をした人達がいる。
大怪我をしているようだが、どうやら助かった人達らしい。

そんな場所に数日が経ち、漸く物事が何とか呑み込めるようになった。

ここ数日のことは思い出せるようになった。
けれどそれより前のことはどうも無理だった。

たまに診に来る医者は『大丈夫、少しずつ回復するよ』と、その一言だった。

両親は消えて、体中は包帯だらけ。
状況は分からないけど、独りぼっちになったんだということは分かった。

納得するのも早かった。
周囲にいるのはみんな子供だったから。

これからどうなるのだろう、なんて考えながら漠然と天井を見ていた時に、その人はやってきた。

「こんにちは、君が士郎君だね?」

その人はしわくちゃの背広にボサボサの髪だった。

「率直に訊くけど、孤児院に預けられるのと初めて会ったおじさんに引き取られるのと、どっちがいいかな」

親戚なのか、と問うと赤の他人だよ、と答える人。

ここに倒れている身としたら、どっちに行こうとも同じ。
だったらこの人についていこうと思った。

─────どうせ、何も残っていないのだから

「そうか、よかった。なら早く身支度を済ませよう。新しい家に一日でも早く慣れなくっちゃいけないからね」

そう言ってその人は慌ただしく荷物を纏める。
慣れていないのだろうか、子供から見ても雑だった。

「おっと、言い忘れた事がった。うちに来る前に一つだけ教えなくちゃいけないことがある」

これからどこに行く?なんて気軽な口調で言うその人。

「─────うん、初めに言っておくとね、僕は魔法使いなんだ」



─────sec.06 / 灰色の人形

あの大火災から既に数日が経過していた。

テレビニュースは連日冬木市の大火災が取り上げられている。
『大火災!死者500人超えか!?』『被害家屋は数百世帯!』などといった報道が飛び交っている。

「……………」

その報道を見るたびに少女はテレビのチャンネルを変える。
どれだけ両親がそのニュースを見ていたところで、無言でチャンネルを変えていく。

今の少女にとって必要な情報は死者の数ではない。
ましてや焼け焦げた家の数なんかでもない。

生存者の確認。
それが彼女にとって最大の問題。

ただ機械的に、無言でテレビに向き合う姿。

─────まるで人形みたいだ

なんて、愛娘に対して思ってはいけないことを思ってしまった。
無論、そんなものを見続けたくなど断じて無いので、父親は自分のできる範囲で捜索を開始する。

だが、どこにもあの少年が、あの家族が保護された、救出されたという情報はなかった。
病院・役所・避難所。

火災地一体は軒並みインフラが壊滅しており、それの対応もあってかロクに情報が入ってこない。
だが、それでも駆け回る。

日に日に弱っていく少女。
その顔に笑顔など微塵もない。

あるのは崩れそうになる心の大部分を、それでも『生きている』という細い希望の柱でなんとか支えている姿。

あの少年との仲が良かったことは十分に理解している。
あの少年と一緒にいた時の少女が一番輝いて楽しそうだったということも知っている。

─────その欠片など、微塵もない

その事実が、各所を巡る父親の足をより一層早くしていた。

そして既に数日。
発見が遅れれば遅れるほど生存確率は低くなる。

大人である両親は十分承知していたし、幼い少女も漠然とではあるがそれを理解していた。

一日が過ぎる度に崩れる心の瓦礫は量を増し、それを支える柱はより細くなっていく。
だが、それでも支える。
その姿は、あの赤い少年が助かってほしいという希望と同時に「助けてほしい」という自身の懇願も含まれていた。

あの少年が、少女が好きになった少年が生きていると信じて。どこかに保護されていると信じて。
そうでもしなければ、あの大火災当夜の得体のしれない恐怖によって、今度こそ崩れてしまう。

─────そうして、とうとうその日はやってくることはなかった。

帰宅する父親に駆け寄って少年がいたかと確認する。
いつもの父親ならば『まだ回っていないところがあるからわからない』と言って答えをはぐらかしてくる。

最初は本当にまだ捜索していない場所があった。
次は一度全て回ったが、もう一周するために同じ答えを返した。

それが、いつからだっただろうか。
単純に先延ばしをしているだけのものとなってしまっていたのは。

返事を渋る父親に答えを聞かせてと乞う少女。
嘘を言ったところでこの世界にあの少年はいない以上、ここが限界だった。

「………見つからなかった、鐘」

その瞬間。
少女の足元が崩れ去ったような気がした。

欠けてしまった少女の顔から血の気が引いていく。
全身がひどく冷めていく。

自分の心の支えだった少年がいなくなった。
その事実が少女の体を、脳を、心を蝕んだ。

立っていた足に力が入らなくなり、両膝をついて座り込んだ。
表情は凍ったまま、父親の言葉を理解する。

彼と一緒に遊んだ日々。
彼と一緒に寝た事もあったし、一緒に夕食を食べたこともあった。

お互いがお互いをスケッチしあって。
手を繋いでいろんな場所に行って、いろんな景色を見た。

それがもうやってこない。
あの幸せだった日々はもう戻ってこない。帰ってこない。

大好きだったあの赤い髪の少年はもう、イナイ。

「─────ぁ」

泣いて、泣いて、泣いて。
枯れた筈の涙が頬を伝っていた。

泣いていると気付き、もう帰ってこないと解り、別れなければならないと悟る。
しかし今までの幸せと別れることなど永久にできない。
あの少年といつまでも一緒にいたい。

再生され続ける記憶。
その再生が終わった………あの大火災へと辿り着いたとき。

心を支えていた柱は簡単にへし折れた。
支えていた心の瓦礫は容赦なくその下にいた少女へ落下する。

─────そこから先はもう何もない。

プツン、とまるでテレビの電源を切るように簡単に、そして呆気なく全てが終了した。



─────sec.07 / そうして二人はいなくなった

目を覚めして気が付けば、そこは自室の天井ではなかった。
周囲を見渡すとどうやら病院の個室らしい。

傍には花が入った花瓶があった。
時折吹きこむ風がカーテンを靡かせる。

なぜこんなところにいるのだろう、と少女は考える。
思い出せないことに気が付いて、思い出そうと必死になる。

家にいて、テレビを見ていて、火事があって。

─────ズキリ、と頭が痛む

コンコン、とノックの音と共に人が入ってくる。
両親と医者である。その姿を見て少女は安堵する。

「ねぇ、お母さん、お父さん。なんで私病院にいるの?」

その言葉を聞いた両親は僅かに言葉を詰まらせた。
ショックによる記憶障害だろう、という診断結果を医者から伝えられていた。

実際にこの火災によって記憶を失ってしまった子供はまだ数人いたらしい。
少女は比較的軽微で、実生活には支障はないと判断された。

だがそれで安心してはいけない。

突如として襲ってくる『フラッシュバック』等で再経験してしまう恐れは十二分にあった。
故にPTSD(心的外傷後ストレス障害)やASD(急性ストレス障害)になってしまうこともあり得なくはない。

ならば、事実は言うべきではない。

だから両親は嘘をつく。
一生、墓の下まで持っていく嘘をつく。

たった一人の最愛の愛娘を守るために、優しい嘘をつく。

「体調不良で念のために病院に入院していただけよ、鐘」

「体調不良………? 私、あの火の近くにいたの?」

その言葉を聞いてギクリ、と体を強張らせた。
だが、少女の言っている内容が微妙にずれていることがわかり、答える。

「あ、いや違う。単純に気持ちが悪くなって倒れたということだ、鐘」

「そうなんだ………御免なさい、お父さんお母さん。もう大丈夫だよ」

そういって笑う少女。
その姿を見て両親は思う。

あの本当に幸せそうな自分達の娘の笑顔は、記憶と共に永久に失われたのだと。

彼女の記憶から、あの少年に関する記憶が完全に忘却の彼方へと葬り去られていた。
それは彼女が生きるための、脳の防衛本能なのだろうか。



真実は誰にもわからない。



[29843] ep.01 / それぞれの日常 chapter.01 / While the Light Lasts
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2014/12/06 21:37
chapter.01 / While the Light Lasts / 光が消えぬ限り

ep.01 / それぞれの日常

Date:01 / 31 (Thur)

─────sec.01 / とある少女の朝

ピピピピピピピ………

薄暗い一室に目覚ましが鳴る。
音源はあるのはベッドから離れた机の上だ。

どう考えてもベッドから手を伸ばして届く距離ではない。
普通に考えれば目覚ましの配置ミスと思うだろうが、彼女の場合はこれが正解である。

氷室 鐘。

彼女は朝には強くはない。
それにも関わらずこの薄暗い早朝に起きるには理由がある。

彼女の通う学園『穂群原学園』は彼女の家から少し遠い。
それ故にバスによる通学のため、本人がどれほど朝に弱くとも遅くまで寝ている訳にはいかないのが現状である。

さらに加えるならば彼女は陸上部の部員である。
大会も近いということもあり朝練があるため、部活動を行っていない他生徒よりもさらに早く学校へ登校する必要がある。

そんな二重の強制力によってこの時間での起床となる。
つまりちょっとした寝坊をするだけで即遅刻に繋がりかねないような状況である。

しかし朝に強くない彼女はそう簡単に起きることはできない。
そのため目覚ましをわざわざベッドから離れた机の上に置いているというわけである。

止めるためにはベッドから降りる必要があり、そうすれば多少なりとも意識はあるから大丈夫、という魂胆。
………誘惑に負けて止めた後にベッドインするならば話は別だが。

「眠い………」

そう言いながらもベッドから立ち上がり、机の上に置いた目覚ましを止める。

過去に一度ベッドの近くに置いていた時に、鳴り響く目覚ましを止めて二度寝を決めてしまったことがあった。
結果母親に起こされるまで眠り続け、見事に朝練に参加できなかったという過去が。

その教訓も得てのこの目覚まし時計の配置である。

「自分を律するためとはいえ………面倒なことを」

しているな、と呟きながら薄暗い自室の中で愛用している眼鏡手に取る。
視力はお世辞にもいいとは言えないので当然手探り。

冬の家は寒い。
とりわけ暖房をしていない廊下はその代表格だ。
スリッパを履いているからよかったものの、なければつま先で足早に移動していただろう。

当然冷水で顔や髪を整えようとは思わないので温水にして身嗜みを整える。
顔を洗い、髪を櫛で説かす。

髪は長い部類に入るのでそれなりに気をつけている。
もっとも、気を付けていたところでそれ以上の進展などないのだが。

自室に戻り制服へと着替える。
朝食まではまだもう少し時間があるのでそう急いで着替える必要もない。

遅すぎず早すぎず。
そうして着替えはするが、やはり朝食まで時間が余る。

朝食を用意してくれるのはいつも母親で、鐘が起きたことを確認してから用意する。
出来立てを食べてほしい、という親心である。或いは一料理人としての当然の考えか。

彼女の趣味は読書や人間観察、探偵稼業(といっても本当に探偵をしているわけではない)が主である。
読書は推理系が好きで、様々な思考を持ち合わせながら読んでいく。
無論他のジャンルにも手を出そうとはしているが気が付けば冊数はそういう類が多くなっている。

では朝のこの余った時間はそれに費やすのかと問われればそうではない。
一度読書をしてしまい半端なところで中断すると続きが気になって仕方がない。

勿論それでその後の行動に大きな支障をきたす………などあり得ないが、どうせならばキリのいいところまで読み進めたい。
なので読書は時間があるときにゆっくりと読む、これが彼女の方針だ。

彼女が朝、この僅かな時間で思考するのは今朝方見た自分の夢の内容。
夢とは時に小説よりも奇なりで、意味もなく突拍子もない映像を見せてくる。

無論夢である以上、そこまで真剣に考えることはないし特別意味がある、というわけでもない。
が………

「どんな夢を見ていたのだったか。………思い出せないな」

つまりところこれが夢の性質である。
早いものならば朝目が覚めたと同時に内容を忘れ、覚えていたとしても学校で教養に預かればその間に見事に飛ぶ。

「まあ無理に思い出す必要もないだろう。所詮は夢だ」

母親から声がかかり、リビングへと移動する。
椅子に座り、テーブルに用意された朝食を食べる。

「朝食………か」

そういえばと思い出した。

蒔寺 楓と三枝 由紀香。
この二人と鐘とは友人関係にある。

以前この二人と一緒に昼食を食べていたときに、朝食の話題があがった。
食べる食べない、パンご飯、そういった類の話だ。

そこで朝食は必ず食べるという鐘の言葉を受けて質問されたのだ。
なぜ食べるのか、と。

朝食で摂った栄養素が代謝されるのに熱を発生させ、それに伴い体温や脳の温度も僅かに上昇し、脳の活性化へと繋げ『やる気』を起こす。
つまり朝から思考停止状態を招くことなく、通常通りの自分を引き出せる。
加えるならば朝にお世辞にも強いとは言えない自分には朝食は必要なのだ、と説明。

『やる気? そんなもんやる気でカバーするぜぇ!』と蒔の字こと楓が答え、
『あはは、さすが鐘ちゃん。そこまで考えてるんだね』と由紀香が答えた。

「………蒔の問いに答えたのだが、案の定アレには通じなかったな」

朝食を食べ終わり、歯を磨く。
最近購入した電動歯ブラシはこういった時間にあまり猶予がない時は便利でいい。
少し値が張るのが問題だが。

身支度も整えバスに間に合うように家を出る。
といってもバス停までの距離は近いため、バス到着五分前に家を出れば頃合いだ。

冬の寒い空の下で歩いていく。
同じ方向へ歩く人を抜かし抜かされながらバス停に着く。

そこにまだバスは到着していない。
その証拠にバス乗車待ちの列ができていた。
長蛇の列というわけではないため、バス一台で事済む程度だ。

と、ここで同じ制服の女性を見つけたので声をかけた。

「おはよう、美綴嬢」

「お、氷室。おはよ。今日も一段と寒いね、こりゃ」

気さくな口調の彼女は美綴 綾子。
鐘と同じ二年A組のクラスメイトであり、色々曰くのある人物である。

「昨日は夜遅くまで起きていたのではないのか、美綴嬢」

「あー、まあね。氷室がいなくなった後も少しやり続けてたかな」

昨夜は二人でネット対戦型のゲームをプレイングしていた。
意外に見えるかもしれないが、彼女達はゲームがうまい。

綾子にいたっては好きなものが『ゲーム全般』と言うだけあって、様々なジャンルに手を出している。
対する鐘もゲームはうまいのだが、生憎目の前にいる綾子ほどの情熱は持ち合わせていない。

「それで今日もしっかりと起きているのか。羨ましいものだな、私は朝がつらいというのに」

「そこは気合いの違いだよ。ピシッと起きれば問題ないし」

似たような科白を学校での昼食時に聞いたなと思ったがそれは心に留めておく。

バスに乗り込み、学校へ向かう。
車内はまだ時間が早いこともあって人は少ない。

無論道中のバス停に停車はするが、そこから乗ってくる人もそう多くはない。
つまり悠然とバスの座席に座ることができる。

「美綴嬢は今日も朝練か。弓道部はどうなのだ?」

「氷室だって陸上朝練だろ。弓道部、部員は多いけどその分問題児も多いし、巧い奴は一人減ったし。
四月からの新入生獲得の為に少しくらいは見栄えよくしとかないと、ってね」

やれやれ、といった感じで肩をすくめる綾子。
巧い奴、と聞いて誰かという詮索をする一方で

「そうか。気苦労が絶えないのだな、美綴嬢」

「他人事だからって言ってくれるわ。それで、そっちはどうなんだ?」

「近々ある大会に向けて皆気合いを入れて取り組んでいる。私もその大会には出場予定ではあるから、今日もその調整だな」

「感心、感心。もちろんきっちりトップ狙うんだろ、走り高跳びのエースさん? 頑張れよ」

特別悪意ある言葉でもなし、素直に受け止めて礼を言ったところで学校付近のバス停に到着。
そのまま学校へと向かう。

その学校の正門前に見知った顔がいた。
二年A組、遠坂 凛である。

「あれ、遠坂? 今日は一段と早いのね」

鐘の隣にいた綾子が声をかける。
それに反応する凛の姿は

「………はぁ、やっぱりそうきたか」

と、軽い溜息をついていた。
珍しいものを見た、と内心思う。

「おはよ、今日も寒いね」

「ごきげんよう、遠坂嬢」

「おはよう、美綴さん、氷室さん。ところで、つかぬ事を聞くけど、今何時だかわかるかしら?」

「うん? 何時って七時前じゃない。遠坂寝ぼけてる?」

大丈夫? という意味だろうか、ひらひらと手のヒラを振る綾子。

「うちの時計一時間早かったみたい。しかも軒並み。目覚まし時計はおろか、柱時計まできっかり」

「それは何とも珍妙な出来事だな。一体どうしてそうなったのか聞いてみたいものだ」

「ええ、またの機会にね」

全ての時計が一時間早まっていたという事実を知った凛は軽くショックを受けているようである。

「─────と、私はこれで失礼する。ではまた後で、美綴嬢、遠坂嬢」

「あいよ。練習頑張ってな」

「ええ、また後で」

鐘は二人と別れ、部室へと向かった。
僅かに後ろを見れば二人はまだ校門前で話しているようだ。

凛とは同じクラスメイトではあるが、鐘自身とはそう繋がりはない。
そのため特に話し込むような仲ではないのが現在の状態である。

部室へ入り、鞄をロッカーへと入れ更衣室のカーテンを閉めて着替える。
流石にこの時期のこの時間帯は寒いので、冬用の運動着である。
着替え終えてカーテンを開ける。そこに

「おはよー、氷室。今日も頑張ろうぜー」

「鐘ちゃん、おはよう。調子は大丈夫?」

楓と由紀香がいた。

「おはよう、蒔、由紀香。調子は問題ない」

特に調子が悪いわけでもなく、かといって好調というわけでもない。
いたっていつも通りだった。

「それでは、練習へ向かうとしよう」



─────sec.02 / とある少年の朝

暗かった世界に光が射し込む。

「─────っ」

その世界にいた人間は眉間にしわを寄せて目を光から隠す。

「先輩、起きていますか?」

聞き覚えのある声がする。
目をゆっくりと、光が馴染むように開ける。

「………ん。おはよう………桜」

冬の冷気が暗かった世界に入り込んできた。
そこに寝ていた住人、衛宮 士郎はそう言って起き上がる。

「はい。おはようございます、先輩」

冷気もあってか完全に意識が覚醒した士郎は、自分を起こしに来た人物、間桐 桜に挨拶をして立ち上がった。
ぐぐっと背を伸ばしながら目の前にいる少女に視線をやり、そして小さく溜息をついた。

「と、─────今日は桜の勝ちか。………やっぱり、もう仕度済みか?」

「はい。私の勝ちです、先輩。準備も出来ています。いつも先輩は朝早いから、こうして起こすためには頑張らないといけませんね」

桜はそう言って下ろしていた腰を上げる。

早く起きて厨房に立っていた方が勝ち、というルールの競争。
これを提案したのは桜だ。

以前彼女が朝食を作ってくれた際に、士郎が

『朝練もあるのに朝早く起きて朝食を作らせるなんて申し訳ない』

といったところ、紆余曲折を経て

『じゃあどっちが先に朝食を作れるか競争しましょう』

ということになった。
今思えばこれこそ桜の思惑通りだったのだが、それに気付いたときはすでに士郎自身了承してしまった後だった。

一見この提案はこの家に住む士郎の方が有利なのだが、それを申し込んできた桜はそれ以来少し早く衛宮邸に来るようになった。
当然毎日毎日厨房に立たせるのは申し訳ないという士郎もそれに対抗して起床時間を早めようとした結果、現在の状態が築かれている。

「先輩、朝食の準備は任せてここの整頓をした方がいいんじゃないですか? 散らかしっぱなしだと藤村先生に怒られちゃいますよ?」

「─────だな。悪い、桜。片付けて着替えたら居間に向かうよ」

「はい。ゆっくりしてくださって大丈夫ですよ、先輩」

そう言って桜は土蔵から出て行った。
士郎が寝ていたのは寝室ではなく、庭の端に建てられた土蔵。

「さてと、片付けますか」

散らかった周囲の部品を集めだした。
昨夜手直しした目の前にあるストーブを改めて見る。

「完成したところまではよかったけど、そのまま気が抜けて寝ちまったなんて………。修行が足りない証拠か」

次はビデオデッキだな、などと考えながら部品を一か所に集め終えて制服に着替える。
土蔵は彼にとって部屋であり、生活必需品は一通りここに揃ってある。

「さて!今日も一日頑張って精進しよう」

両手で頬を叩いて気合いを入れ、土蔵を出る。
空は文句なしの晴れ模様。

父親が死んでから五年。
魔術を教わって、少しでも父親に近づくために今でも鍛錬は怠っていない。

教わった当初はそれこそ魔術の『魔』すら体現できていなかったが、日々の鍛練により上達はしていた。
五年という歳月を考えると伸びの悪さは否めないが、こればかりは近道などない。

日々鍛錬、ということで日課をこなす為に道場へと向かう。
中に入り、朝の日課となっている運動を行う。

彼は特に武道は習っていない。
剣道を父親に少し教授してもらった程度である。

それでも父親の
『まずは身体を丈夫にしないと』
という言葉に従ってこちらも魔術鍛錬と同様に続けている。

「九十九っ、………百、………と」

規定回数到達。

彼の得意魔術は強化。
日々の鍛練によって自身の身体もある程度ではあるが強化できるようになっていた。

だが身体強化は己の限界を知り、さらにその先があることを理解しなければ効果は低い。
身体の動かし方を知っていなければ強化を施したところで意味がないのだ。

その為にもまずは身体を鍛える、という鍛錬を行っていた。
当初は一体何の意味があったか分からなかったが、『強化』という点から見ればこの鍛錬にも意味があったということだ。

「そろそろ行くか」

時刻は六時十分。
居間に続く障子を開けると、朝起こしにきた桜とはまた別の女性が部屋にいた。

「遅いぞー。お姉さん待ちくたびれちゃったじゃない」

と、自分をお姉さん呼ばわりするこの女性の名は藤村 大河。
士郎は彼女のことを藤ねぇと呼んでいる。

そのまたの名をタイガー。
しかしこの名前で呼ぶと吠えるので取扱いには要注意。

「桜ちゃん、あんまり士郎を甘やかしたらダメよ? そのうち士郎がつけあがっちゃうんだから」

「甘やかすなんて。先輩も疲れていたんですよ」

自分の居間の定位置へ座り、箸へ手を伸ばす。
じとり、と大河を見て一言。

「大体毎朝毎晩食事時を狙ってやってくるなんて、それこそつけあがってるとは言わないのかよ。………いただきます」

「いただきます」

「いただきます。─────私は士郎が立派に育つまで親の代わりになるって切嗣さんに誓ったんだよ? だから毎日様子を見に来る責任が」

「はいはい、様子見るだけなら学校でも会えるよな。桜、そこの醤油とってくれ」

軽く受け流しながら食事を進める。
まともに受け答えをしていたら朝の時間はあっという間に過ぎてしまう。

「はい、先輩。とろろに使うんですか?」

「ああ、とろろには醤油だろ」

桜が醤油を渡し、それをとろろにかけようとする士郎。
だが………

「………くらえ、藤ねぇ」

自分のとろろへは入れずに大河のとろろへ醤油を投下した。

「ぎゃー!!な、何してるのよ、士郎!」

「うるさい。なんで醤油瓶にソースが入ってるんだよ………」

げんなりとしながら醤油瓶を指で軽く左右に振る。
中身がたぷたぷと揺れるが色は同じである。

「ば、ばれた!? なんで!?」

まるで子供の悪戯がばれた時のように狼狽える大きい子供一名。

「なんで、じゃない!台所にいつも立ってる俺を舐めるな!そりゃ、醤油とソースの色は似てるけど注視すればわからなくないだろ!」

以前にも似たような仕打ちを受けて痛い目を見た士郎はそれ以来注意深くなっていた。
ちなみに以前は醤油瓶にポン酢が入っていた。

「くっ………!なるほど、そっちにはそういうアドバンテージがあったというわけね。うっかりしていたわ………」

「感心するな!つうか、今年で二十五のクセに未だに藤ねぇは藤ねぇなんだな!そんなんだからいい相手が─────」

「衛宮君? 何を言おうとしているのかな?」

「………いえ、ナンデモアリマセン」

攻勢だった勢いは一発で殺された。

「ま、いいわ。これからテストの採点もしなくちゃいけないから急がなくてはいけないのだ」

そう言ってズダダダダーと朝食を食べ終える。
ソースの入ったとろろも何事もなく食べおおせた。

「御馳走様、桜ちゃん。朝ごはんおいしかったよ。それじゃ私は行くけど、遅刻したら怒るわよー」

そしてだだだだだーと走り去っていく大河。
その光景を見て士郎は一人呟く。

「あれで学校の教師だっていうんだから、世の中絶対間違っている………」

あはははは、と困ったように笑いながら桜もそれに同意していた。



朝食は桜に作らせてしまったので、せめて食器の片付けはしようと立ち上がる。
桜は当然のように手伝おうとしたが休むように士郎が断った。

『それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます』

そう言って食器の片付けが終わるまでの間、居間のテレビで朝のニュースを見ていた。
そのニュースから最近よく聞く事件がまたも報道されている。

『昨夜のガス漏れ事故により搬送された方々は未だに意識が回復しておらず─────』

そんな物騒な報道が聞こえてきたので、茶碗を洗いながらちらりとテレビへ視線をやる。
昨夜にも見た映像が映っていた。

「またか………。最近新都でガス漏れが妙に多いよな」

「そうですね。私たちも気を付けないといけませんね」

「気を付けるって言ったって、俺か桜が台所に立つ限りガスの元栓を閉め忘れる、なんてことはないけどさ」

「それもそうですね。安心してください、ちゃんと3回は元栓を閉めたかをチェックしてますから」

茶碗を洗い終わり身支度を整える。
勿論ガスの元栓はチェックし、家の戸締りもしっかり確認したうえで鍵をかける。

桜が弓道部の朝練のため、早めに学校へと向かう。

長い堀を抜け、坂を下りれば人気の多い住宅街へと出る。
衛宮邸は街の中心から離れた場所の坂の上にあるので行き道は下りである。

しばらく歩くと交差点へ辿り着く。
ここから隣町へと続く橋や学校、柳洞寺に商店街、別側の住宅地など様々な分岐点となる場所だ。

七時になったばかりで生徒の数もまだ少ない。
ぶらりぶらりと歩きながら学校へ到着する。

「じゃあな、桜。部活、頑張れよ」

そう言って校門で別れるのも日常。
というのに今日の桜は動かない。

「桜? どうした、体の調子でも悪いのか?」

「いえ………そういう事じゃなくて、その、先輩。たまには道場の方には寄っていきませんか?」

「いや、別に弓道場に用はないぞ。それに今日は一成の頼みで生徒会室に行かないとまずい」

「そ、そうですよね。ごめんなさい、余計なことを言ってしまって………」

「余計なことじゃないって。また今度な、桜」

「はい」

そうしてペコリ、とお辞儀する桜。
軽く手を振って

「─────それじゃ、またな」

「はい、また後で」

桜と別れ、校舎へと向かう。
桜もまた弓道場へと向かっていった。



「一成、いるか?」

生徒会室の戸を開けながら声を投げかける。
そんな声と彼の姿を見て、中にいた生徒が反応する。

「いるぞ、衛宮。今日もいつも通りだな」

「実を言うと少し寝坊したんだけど。その分他を急いだからな」

パイプ椅子に座る。
そう決して大きくはない生徒会室を見渡すが、部屋にいるのは士郎と一成の二人だけである。

「にしても、一成だけか。他の連中はどうしたんだ? この時間なら登校してるもんじゃないのか?」

「いや、生憎とうちのメンバーはビジネスライクでね。働く時間帯はきっちり決まっていて、早出と残業はしたくないそうだ」

「それで生徒会長自ら雑用か。ここはここで大変だな、一成」

少し熱めのお茶をすする男の名は柳洞 一成。
彼は士郎と同じクラスメイトで優雅な顔立ちをしており、生徒会長でもある。
女子からの人気も高いのだが、本人は色恋沙汰には興味がないらしい。

「それで、今日は何をするんだ?」

「ん? ああ、とりあえず茶を出そう。まだ時間に猶予はある。茶を飲みながら説明することにする」

出された少し熱めの茶を飲みながら説明を受ける。
その内容を士郎は承諾し、二人で生徒会室を出た。

向かった先はとある教室。
暖房器具が怪しいので診断してくれとのこと。

他にも患者は多いらしく、美術室や視聴覚室といった校内に留まらず部室にある校内用のスピーカーなどの患者もいた。
一成曰く、直せるものならば直していきたいとのこと。
士郎もその意見には賛同なのでこうして校内の患者巡りをしている。

士郎は魔術使い。
特に物の構造を把握することには長けていた。
自分の身体能力を強化できる程度のレベルではあったので、物の構造把握は容易い作業だ。

だが行使しているところを見られるわけにもいかないので、集中するという理由で一成には席を外してもらう。
長時間魔術を行使するわけでもなく、大それた魔術をするわけでもないが、一応念のためである。

作業自体は対象物に触れて構造を理解しているだけの簡単な作業だ。

「終わったぞ、一成。次はどこだ? 視聴覚室か?」

廊下に出たところで一成に声をかける士郎。
と、そこにもう一人知っている顔がいた。

遠坂 凛。
美人で成績優秀、運動神経も抜群で欠点知らず。
正確は理知的で礼儀正しく、美人だということを鼻にかけない、まさに男の理想みたいな人間である。

「なんだ、一成。遠坂と話をしてたのか。悪い、邪魔したな」

「いや、特別問題はない。そうだな、次は視聴覚室だ。………にしても、衛宮。ここ数か月は特に作業速度が上がってきたな。おかげでこちらは大助かりだ」

「そう言ってもらえるとやってる甲斐もあるかな。ま、さっさと行こう。まだ他にも患者はいるんだろ?」

「うむ、少しでも予算を文化系に回したいからな。余計な金はかけられん」

そう言って一成は歩いていく。
しかしまるっきり無視するのもあれなので一応率直な意見を述べる。

「おはよう、遠坂。朝は早いんだな」



─────sec.03 / とある二人の朝

陸上部の部室に来ていた。
備え付けのスピーカーの調子がおかしいらしい。

脚立の上に乗り、スピーカーを修理している。
構造の把握自体は既に済ませているので、一成も何かあった時のため下で待機していた。

時刻はホームルーム開始10分前。
そろそろ陸上の朝練が終わり、戻ってくる時間だ。

「どうだ、終わりそうか、衛宮」

「ああ、もう少しで終わる。朝のホームルームには間に合うよ」

そう伝えてスピーカーの修理を続けている。
そこへ陸上部の面々が帰ってきた。

「あれ、柳洞に衛宮か。何してんだ?」

所謂『陸上三人組』と言われる楓、由紀香、鐘の三人だった。

「見ての通りだ。もう直るとのことだからしばらく待て」

「へえ、衛宮が直してるのか。………っていうかさ、衛宮ってスパナがよく似合うよな」

「………それ、褒められているのかバカにされているのかよくわからないんだが?」

よっと、と言って脚立から飛び降りる。
手には工具が。

「終わったのだろうか、衛宮」

「ああ、終わったぞ、氷室。もう大丈夫の筈だけど、チャイムとか放送が流れればわかるだろ。
 悪かったな、俺たちはもう出ていくから。三人ともホームルームに間に合うようにな」

三人にそう伝えて、脚立と工具箱を持って部室を出ていく。
その後を追うように生徒会長も

「では、失礼する」

一言伝えて部室の戸を閉めたのだった。

「衛宮君ってなんでも直せるんだね」

「流石便利屋なことだけあるよなー」

由紀香の言葉に反応するように楓が腕を組みながら答える。
士郎はいろんな場所にちょっかいを出して手伝ったりしており、学園のブラウニーなんて影で呼ばれていたりもする。

「蒔、由紀香。そろそろホームルームだ。着替えて教室に向かわなければ、衛宮の忠告を守れなくなるぞ」

「ん、そうだな。それじゃ着替えて面倒な授業を受けるとしますかー」

更衣室へ向かい、着替える。
その最中放送が流れた。

以前までは聞こえなかったスピーカーからしっかりと放送の内容を聞き取れる。

「………しっかりと直っているようだな」

スピーカーが修繕されたことを確認しながら着替え終える。
運動着などを鞄に入れて三人とも用意が済んだところで校舎へと向かう。

階段を上がり、教室へ向かう三人の目の前に、さきほど陸上部の部室で別れた二人と再び出会う。
士郎の手には持っていた工具箱がなかったあたり、どこかに置いてきてそれの帰り、ということだろう。

「お、どうだった。さっき放送が流れてたけど、ちゃんと聞こえたか?」

「ああ、確認した。あそこが流れずとも外からは聞こえるが、聞き取りにくかったのも事実だ。
他部員の代表として礼を言わせてもらう。それにしても、衛宮はこういう才能に特化しているのだな」

鐘も士郎が様々なものを直している、ということは聞き及んでいる。
それがまさか備え付けのスピーカーとまでなると、感心するものがあった。

「そうか、ならよかった。まあ才能っていうほどのものじゃないけど、褒め言葉として受け取っておくよ、ありがとう氷室」

その言葉を聞いて一瞬驚いた鐘だったが、士郎も隣にいた一成も気付いていなかった。
というより彼女のポーカーフェイスが完璧だったからなのだが。

三人の横を通りすぎ、自身の教室へ入っていく二人。

「………自身に無頓着なのか、無関心なのか。まあ、いい」

ホームルームがもうまもなく。
廊下の先には担任の姿も確認できたため、三人とも教室へと入っていった。



─────sec.04 / とある三人の昼

四時限目が終わり、教室は賑やかな昼休みを迎える。
この学校には食堂や売店もあるので、教室に残るのは三人のように弁当組がほとんどだった。

「ね、ねぇ。遠坂さんも誘っていいかな?」

由紀香が鐘と楓に訪ねる。
特に親しい間柄でもないが、一緒に食事するのを拒むほどの関係でもない。

「私は別に構わないが」

「えー、無駄だって由紀っち。遠坂は来ないよ。弁当持ってきていないんだから」

鐘と楓で異なる答えを出す。

「そ、そんなのはわからないよ」

由紀香は窓際に座っている凛へと近づいていく。
その行動は心なしか固い。
それを見届け、二人が会話する光景を離れた場所から観察する鐘と楓。

「あ、あの、遠坂さんっ………!よ、良かったらお昼ご飯一緒に食べませんか………!」

緊張しているのか? と、思うような口調。
しかし特に気に掛けることもなく、鐘は由紀香と凛のやりとりを眺めている。

「ありがとう三枝さん。けどごめんなさい、今日は学食なんです」

「あ、や、そうなんですか………。ごめんなさい、そうとも知らずに呼び止めてしまって。私、余計なコトしましたね」

「余計なコトだなんて、そんなことありません。今日はたまたまだから気にしないで。また明日、これに懲りずに声をかけてください」

由紀香の、まるでお預けを受けた子犬のようなしゅんとした姿を見た凛は、慌てて言葉を紡ぐ。
にっこりと笑って感謝の意を由紀香に伝えた。

「それじゃ、食堂に行ってきます。三枝さんもごゆっくり」

「はい、遠坂さんも」

凛は教室を出ようと席を立ち、由紀香もまた鐘と楓の元に帰ってきた。
そしてその一部始終を見ていた楓。

「お、フラれたね由紀っち。だから言ったでしょ、遠坂は弁当持ってこないって。釣りたかったらアイツの分もメシ用意しないとねー」

そんなことを言う楓。
そこに当然疑問はある。

「………蒔の字。それは私たちも食堂に移動すればよいだけの話では?」

「だめだめ。食堂は狭いんだから弁当組が座れるスペースなんてねーっての。
 それに遠坂と同席してみなさい。男どもの視線がうざいのなんの。
 前の休みでもさー、二人で遊びに行ったのにアイツだけ得しちゃってさー。
 やだよねー、美人を鼻にかけた優等生は」

由紀香の机を取り囲みつつ、言いたい放題の楓。
しかし三人組の中で一番観察力が高い一名は、その言葉に僅かに反応した人物の顔を見逃さなかった。

「………蒔の字。君の陰口は遠坂嬢に聞こえているようだが」

鐘の言葉を聞いて、陰口を言った本人は驚いた顔をして凛の方を見る。
当然二人の視線は合うわけで。

「あ、やべ。めっちゃ睨んでるじゃんアイツ………!」

睨んでいると言われている凛を由紀香も見るが、彼女から見た凛は至って笑顔だ。
とてもじゃないが睨んでいるようには見えない。

「え………遠坂さん、蒔ちゃんを睨んでなんかいないと思う、けど」

ちなみに鐘には表情での判別はつかない。
生憎と楓のようにそこまでプライベートで接してはいないからである。

「睨んでんだよアレ。あいつは笑っている時が一番怖いんだから」

まあ自分の陰口を言われたというのに、笑顔を返していたら流石に『笑っていない』ということは鐘も理解できる。
時に笑顔は睨みつける顔よりも、人に恐怖を与えるものだ。

─────無論、これは楓の因果応報というモノなのだが。

「なんだよー、いいじゃんか愚痴ぐらい。大目に見ろよー、あたしと遠坂の仲だろー。タイヤキ奢ってやっただろー」

ほっぺたを膨らませて割り箸をブン回す。
それを見た由紀香はどうしたらいいのかと迷い、鐘は特別気にすることもなく会話に耳を傾けている。

「三枝さん、気にしなくてもいいのよ? それと蒔寺さん? 奢らされたのは私で、品物は鯛焼きではなくクレープでした。
 無意識に事実を改竄する悪癖、次あたりに直さないと考えますよ?」

「げ、マジ怖えぇ、あの笑顔」

ササッ、と弁当箱の蓋で視線を遮る。
臭いものには蓋………ならぬ、見たくないものには蓋、である。

どこからどう見てもチグハグな三人に挨拶をして、凛は教室を出た。
それを確認した楓が聞こえるように声を出したのだった。

「ぶー。なんだよー。大差ないじゃんか、タイヤキもクレープもー。どっちも甘いものを皮で包んでいるんだからさー」

………一瞬、鐘の中の時が止まった。
今までの会話をただ聞いていただけだったが、流石の鐘もこの言葉を聞き逃すわけにはいかない。

「………蒔。クレープと鯛焼きを一緒にしてはいけない」

はぁ、と息を吐きながらとりあえず楓に一言。
冷静に突っ込んだのだった。



[29843] ep.02 / それぞれの日常-夜
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2014/12/13 02:16
ep.02 / それぞれの日常-夜

─────sec.01 / 夕暮れ時の揺り籠

そうしていつも通りの授業が終了した。
部活動に勤しむ生徒もいれば早足で帰宅する生徒、用もなく教室に残る生徒、そのあり方はさまざま。
士郎はそのどれにも該当しない。

「すまない衛宮、少しだけ構わないか。今朝の続きがあるのだが、今日は時間あるか?」

「いや………予定はあると言えばあるけど」

士郎はアルバイトをしている。
一人暮らしである以上、生活費は稼ぐ必要がある。
そのために弓道部を辞めている。

「悪い、一成。今日はこれからバイトなんだ。結構時間がかかるものなら明日になるんだが」

「む、そうか。いや、大したことはない。衛宮ならそんなに時間はかからんだろう」

「ならいいや。よし、じゃあその問題の患者を教えてくれ」

そう言って声をかけてきた人物、一成を二人で教室を出る。
廊下を歩き、着いたのは実験室。
どうもストーブの調子が悪いらしい。

「っていうか、予算が偏りすぎだろ。なんで劣化したストーブがこんなにもあるんだ?」

美術室に視聴覚室、普通の教室と今日だけで4つめ。
流石の士郎も備品購入・修理の予算が一体どうなっているのかが少し気になってしまう。

「ふむ、運動部の活動の方に予算が行き過ぎているのだ。おかげで文化系はいつも不遇の扱い。
 まったく、どうにかせねばいかんな。─────どうだ。直りそうか?」

「ああ。比較的軽症だし、この程度なら問題なさそうだ。─────と、悪い。集中するから席を外してくれないか?」

「うむ。衛宮の邪魔はせん」

一成が教室から出ていく。
それを確認したら、後はいつも通りに。

「さてと、ちゃっちゃと終わらせますか」



こうして患者の診察を終えた士郎が教室から出てきた。

「終わったか、衛宮」

「ああ、軽い症状だったからすぐだったよ。─────と言ってももう少しで完全下校時間だな。
 俺のバイトもそろそろだし、帰ろうか一成」

「そうだな。まだ患者はいるだろうが衛宮の私生活を犠牲にするほど急用でもない。また明日に頼むとする」

「ああ、そうしてくれ。じゃあ明日も早めに来ればいいんだな」

「うむ、すまないな衛宮。一人で出来るのならば直しておきたいのだが」

「いいって。誰だって得手不得手はあるんだからさ」

校舎を出て薄暗くなりつつあるグラウンドを抜ける。
学校には完全下校時刻が迫ってきているということもあってか、すでに部活動の生徒はほとんどいなかった。

「一成。バイトだからバスに乗っていく。今日はここでお別れだな」

「そうか、確かアルバイトは新都の方だったな。気をつけろよ、最近ガス漏れによる昏睡事件が後を絶たない」

「ああ、気を付ける。一成も早く帰れよ」

校門前で一成と別れた士郎は、駆け足気味に学校付近にあるバス停へと向かった。
バス停には何人か生徒が並んでバスが来るのを待っている。

間に合ったか、と内心思いながら歩く速度を落とす。
結構ぎりぎりまで粘ったので、これで乗れなかったら遅刻してしまう。

「ん?」

ふと、列の最後尾に見覚えのある後ろ姿があった。
その最後尾にいた人物は足音が聞こえたのだろう、後ろを振り向いて視線があった。

「よっ、氷室。今から帰りか」

「………衛宮か。君の家はこちらではない筈だが?」

陸上部の走り高跳びのエースがいた。

「ああ、今からバイトなんだ。新都の方」

「そうだったか。では途中まで同じバスということだな」

士郎と鐘が会話をしている。互いに嫌い、というわけでもないが特別好き、というわけでもない。
趣味趣向が必ずしも合うわけでもない二人だが、ポツリポツリと途切れない程度の会話はしていた。

「そうか。もうすぐ大会があるのか。………なるほど、だから部活で残っている人が多かったのか」

「ああ。皆、記録を残そうと奮闘しているところだ」

「ふぅん………。氷室はどうなんだ? 大会、出るのか?」

「そのつもりだ」

「そっか。頑張れよ、氷室」

そう言って笑いかける。
それを見た彼女は何とも言えない表情で視線を外した。

橋を越えて数分。
バスが停車し、ドアが開き乗り降りする人が動く。
ここで彼は降りてバイト先へ向かう必要がある。

「じゃあな、氷室。楽しかった。また明日な」

話し相手になっていた彼女にそう告げて、彼はバスを降りた。
その後バスが走り去ったのを見て、歩くスピードを速める。

バイトまでの時間はぎりぎりではあるが、早歩き程度の速度でいけば普通に間に合う。
歩きながらここにくるまでの事を考える。

「────ま、笑いこけた、ってわけじゃないけどな。────うん、楽しかったな」

いつもならただバスに乗って目的地がつくまでボーっと景色を眺めているだけ。
バスの中で何かできるわけでもなし、しゃべる相手がいたわけでもなかったので今日は新鮮さが感じられた。




そう言って彼はバスを降りて行ってしまった。

「…………」

返答しようとしたのだが、すでに降りていたので挨拶はできなかった。
バス停から歩いていく彼を視線だけ追いながらバスが離れて行く。

自分の目的地までは後数分の時間がある。
今まで話をしていたので気が付かなかったが、案外ここまでの時間が短く感じられた。

(一人でいるよりはよかった、ということか)

そんな軽い考えで外の流れる景色を眺める。
最後に会話した内容を思い出し、そして彼と同じ意見を出した。

(私も楽しかった、衛宮)

そこに特別な感情はない。
ただ本心から楽しかったと思ったからそう感じただけ。

基本的にバスに乗っている間は何もしない。
美綴嬢がたまに同じバスに乗っていることがあるのでその時は話す。

しかしいつも一緒、というわけではなくむしろ一緒の方が少し珍しい、という程度。

つまり基本的に一人。
加えて異性と二人きりで話こけるという事はなかった。
だから、今日の会話は新鮮さが感じられた。

(まあ、もうこんな事もあるまい)

目的地にバスが到着し、下車する。
後は歩いて数分の場所にあるマンションへ向かえばいい。

冬の夕刻はすでに薄暗い。
最近は物騒にもなってきているので学校の方で完全下校時刻が定められた。

つまり、放課後の部活動が制限されたということを意味し、そのツケが朝練へと回ってきている。
朝起きるのがつらい私にとっては何ともいい迷惑である。

マンションに入りセキュリティ解除のために持ち歩いている鍵を鍵穴に入れ、エントランスへ入る。
広めのエントランスを横目にエレベータへ向かい、自宅がある階のボタンを押す。

一瞬の重力と浮遊感を感じてエレベータを降りる。
当然外の景色が見える訳だが、もうすでに周囲は薄暗くなっている。

夕日の明るさはもう彼方にある。
そんな見慣れた光景を見て、一瞬、スポットライトが当たったように眩暈がした。

─────その時に見えたのは赤い世界だった。
 
たまにある。
ここから十年前の火災を見て、私は泣きじゃくって体調をくずして病院で一夜を過ごした(らしい)。

その時の事はよく覚えていないが病院に運ばれるあたり相当怖い思いをしたのだろう。

だから、この思い出はここでおしまい。
思い出したところで何一つとしていいことはない。

………だと言うのに、思い出す度に何かがチクチクと私の体を刺す。

もちろん、物理的に後ろから針で刺されているわけではない。
その痛みを感じるたびに何とも言えない気分になる。

だが。
それも繰り返せば気にしなくなる。

気にはなるけれど、気にしなくなる。
気にするな、と自分に言い聞かせる。

家のドアのロックを解除して中へ入る。
ドアを閉めたらロックはしなくていい。

このマンションはオートロック形式で鍵を使うのは外から中へ入るときだけ。
唯一内側からかける鍵と言えばチェーンロックだけだろう。

「おかえり、鐘。疲れたでしょ、着替えて居間へきなさい。もう夕食できるわよ」

帰ってきたことを確認して、母親が声をかけてくる。
無論いつまでも制服のままでいるつもりはないので自室へ戻ろうとする。
その前に。

「ただいま、お母さん」

挨拶はしなくてはいけないな。


─────sec.02 / 姉との一時

「お疲れ様でしたー」

そう言って酒屋兼居酒屋であるコペンハーゲンを後にする。

彼のバイトは基本的に短時間ハード。
体を鍛えられてお金を貰えて一石二鳥である。

「う………ん、と。今日も終わり。早く帰らないとなあ」

背を伸ばして気持ちを入れ替えて、そのままバス停へと向かう。
ここから歩いて帰れない距離ではないが、明らかにバスを使った方が早い。

バス停に着き、時刻表を見る。

「っと、まだ十分程度余裕があるか」

時刻を確認した士郎はそのまま傍らに設置されたベンチに座る。

ここにいるのは彼一人だけ。
この時間帯にバスに乗る人はあまりいない。

特にすることもなくボーっとバスがくるまで周囲の人の、車の流れを眺めている。
流石に新都ともなると、この時間帯も人は多い。

といってもほかの都会と比べると少ない部類にはなるだろうが、少なくとも彼が住んでいる町よりはずっと多い。
バスが到着し乗車するが、やはりバスに乗っている人も少ない。

ここでも同じ。
特にすることはなく、バイトで酷使した体をゆっくりと休めている。

これが普通である以上、何も感じることなどない。
ただ今日は行く道中少し新鮮味があったので、その分静かになってはいたが。

目的地のバス停に到着し、下車する。
ここから家までは歩いて十分前後。

道中で人とすれ違うことはない。

この時間帯に加えて最近押し入り強盗による殺人事件が報道されていた。
人通りが無いのも学校の完全下校時刻が十八時なのもこれが原因だろう。

今日のバイトは十八時から二十時半までの二時間半だった。
これがある日は十七時から二十時までの三時間だったり、十八時から二十一時までの三時間だったりとする。
だが、基本は二十時までのバイトを選んでいる。

「………ガス漏れに強盗か。物騒になってきたよな」

毎夜にやってくる桜。
歩いてほどほどの時間がかかるうえ、こうも物騒だと帰り道が心配だ。

安全になるまでは来るのを控えてもらうように言うべきか、なんて思案する。

「………ん?」

ちらり、と坂上に視線をやる。
考えに耽っていたために坂上にいる人物に気が付くのが遅れた。

その相手は士郎がこちらに気が付いたことに気が付いたのだろうか。
ゆっくりと下りてくる。

会話をするわけでもなし。
坂上から降りてきた人物───白い髪の少女───は横を通り過ぎていく。

彼もまた特別気にかけることもなく通り過ぎようとする。
だが互いが通り過ぎようとしたときに、不意に声がかけられた。

「早く呼び出さないと死んじゃうよ、お兄ちゃん」

「え?」

そう言って振り返るが、視線の先は何事もなく坂を下る少女の姿があっただけである。

(………? 聞き間違いか)

そう結論を出して、止めた足を再び動かして家へ向かう。
坂を上がりきって、さらに少し歩けば衛宮邸の門が見えてくる。

家の明かりがついているところを見ると、まだ桜と大河は残っているらしい。
この二人は一人暮らしの彼の家に最近ずっとこうして毎朝毎晩夕食を食べにやってくる。

士郎はそれを不快とは思わない。むしろ家族のように接している。
一人暮らしにとってはこの二人の存在はありがたかった。

「ただいまー」

そう言って玄関に入る。
そこには靴があるのは当然だが、数が一つ少なかった。
居間に入ると、彼の姉役の大河の姿だけがあった。

「あれ? 桜はいないのか、藤ねぇ」

「あ、おかえりー士郎。桜ちゃんは夕食の支度だけした後帰ったわよ。今日は用事があるとか」

嬉しそうに話す。
この人にとって食事を作ってくれる人はみないい人なのだろう。
女性としては致命的な感じも否めないが。

「そっか、確かに最近物騒だしな。しばらくはその方がいいかもしれない。桜にも明日伝えておくか」

「え? それじゃ、晩御飯は誰がつくるの?」

きょとんとした顔で聞いてくる姉役兼教師。
その様子を見てため息しかでなかった。

「誰って………俺しかいないだろ。何言ってるんだ、藤ねぇは。俺は藤ねぇに飯作れっていう無理難題を押し付けるつもりはない」

「えー!はんたーい。士郎帰ってくるの遅いじゃない。それから晩御飯作ってたら食べるの十時過ぎになっちゃうよー」

「………あのな、そこに自分の家で食べるっていう選択肢はないのか。アンタは」

「え? ここが私のうちだよ?」

何を言ってるの、と言わんばかりの顔で言う。
なんとなく頭痛がしてきた。

「………藤ねぇ。それはなんだ。余計なモノだったら即廃棄処分だぞ」

頭を押さえた士郎の視界にあるものが入ってくる。
如何にも不要そうなもので、使い道もなさそうなもの。

「これ? えーと、うちで余ったポスターだけど」

はい、といって渡してくる。
どうせ人気のない歌手のポスターや関心も示さない政治家のポスターだろうと思いながら広げて見てみると………

「どれどれ? えーっと、『恋のラブリーレンジャーランド。いいから来てくれ自衛会』────って、これ青年団の団員募集だろ!!」

漫才師の突っ込みのように声をあげる。
想定していたものよりもはるかに下回っていたが故の心からの叫びであった。

士郎の手に握られているポスター。
一体それのどこに興味を持って入団するのか謎である。

「それ、いらないからあげるね」

「うわぁ、そこで普通に渡そうとするその精神が信じられん。俺だっていらねぇよ、こんなの!」

広げたポスターを丸めて大河の頭めがけてポカッと殴ろうと振りかぶった。
しかし彼女は隠し持っていた別のポスターを取り出し、

「甘いっ!」

「うがっ!?」

ガィン! と士郎の頭部を叩きつけたのだった。
大よそポスターとは思えない攻撃音が居間に響く。

「ふっふっふ。士郎の腕で私に当てようなんて甘いわよ。そう、ソフトクリーム並に甘い!悔しかったらもうちょっと腕を磨きなさいね」

よほどきれいに決まったのがうれしかったのか、腰に手を当てて胸を張る大河。
しかし攻撃を受けた本人はそれどころではない。

「~~~~!………そ、そんな問題じゃないだろ。藤ねぇ、そのポスターに何を仕込んだ………!?」

頭に手を当てながら訪ねる。
触れた部分が僅かにコブになってるっぽく、触れると少し痛い。

「え? あ、ごめんごめん。こっちのポスター、初回特典版で豪華鉄板使用だった」

「鉄製かよっ!!藤ねぇ、いつか絶対に人殺すぞ!特に俺!」

渾身の突っ込みをいれるのだったが、しかし殴った当の本人は

「大丈夫よ、士郎は死んでないから。今も生きてるし」

からからと笑っていた。
それを見て大きくため息をつく士郎なのであった。



─────sec.03 / 魔術使いの夜

食事を終え、渋る大河を送り出し、風呂に入る。
今日も特別大きな問題もなく一日が終わる。

しかし士郎には日課としていることがある。
土蔵に籠って魔術の鍛練である。
よっぽど体調が悪い日でない限りはこうして毎晩鍛錬は欠かさない。

「─────」

呼吸を整え、精神を集中する。
今までの大河との喧噪から気持ちを切り替える。

「─────同調、開始トレース・オン

口に出して言う必要のない自己暗示の呪文を唱える。
呪文を唱え発動する魔術も父親から多少なり教授しているが、この呪文は本当にただの自己暗示だ。

『僕はね、魔法使いなんだ』

父親が言った言葉、あれは本当だった。
大よそ理解できない事を士郎の目の前でして見せた父親。

それに憧れた士郎は魔術を教授してもらうようになった。
無論、その当時からいた大河にはばれない様に。

だが魔術師というものはなろうとしてなれるものではない。
生まれ持った才能が必要であるし、知識も相応に必要である。

士郎が教授してもらった当初は無論知識なんて無いし、父親の言う『才能』があるかというのも分からなかった。
教授して何度目かに父親が出した結論は、『とりあえず魔術行使ができるだけの才能はある』ということだった。

何も知らない一般人が、魔術行使が可能な魔術回路サイノウを持ちえることなどありえるのか。
そんな事を抱いた父親だったが、それを調べる気は起きず、そして調べる術もなかった。

簡単に言えば『頑張ればそこそこ行使できる』というレベルの士郎。
その士郎に父親は『強化』の魔術に集中するように伝えた。

それ以来、士郎は強化の魔術を中心に日々の鍛練を続けている。
少しずつだが努力を積み重ねる毎日。

そんな士郎の未来に何を見たかはわからない。
父親は士郎に魔力の制御をするように指示をした。

といっても繊細な制御を指示したわけでも、豪快に魔力を使うように指示したわけでもない。
“極めて父親らしい”指示だった。

曰く─────魔力を隠しなさい

魔術師である以上は魔力を帯びることは避けられない。
だがそれは生粋の魔術師で、何年も魔術に触れる人間のことだ。

魔力自体は一般人も帯びる。
それは自己の魂そのものだ。

それよりも顕著に魔力を帯びた人間がいればそれは魔術師か、もしくは特異体質の人間。
或いは─────人外。

一般人が帯びる程度の魔力にできるのであれば、それに越したことはない。
この地がどのような地で、この地にどのような人物がいるかを理解していた父親からしてみれば、士郎に与えた指示は至極真っ当なものであった。

魔術回路のオン・オフの制御の鍛練。
当初は魔術を行使する度に回路を構成するという無意味なことをしていたが、父親の指導で矯正し習得する。

それ以来は強化の魔術を中心に鍛錬を続けている。
その努力もあってか、自身の身体を多少ではあるが強化できるレベルまでに到達した。

だが強化という魔術はオーソドックスなものであったとしても、それを極めることは困難な魔術に位置づけられる。
加えて自分の限界と、その先を知っていなければ仮に身体に強化を施してもただ『身体能力が少し向上しただけ』でしかない。

更に言うと身体能力が向上したからと言って、体力が増えるということはない。
それどころか、普段の身体能力との差異も相まって体力の消費が激しくなる。

どれだけ取り繕ったところで元は普通の身体である。
動かせば疲労が溜まるのは当然であり、強化による通常時の限界を超えた酷使だというのであればその分の消費が大きいのも当然。

この世にメリットしかない魔術など存在しない。
否、魔術に関係なくこの世の中は等価交換の世界。
メリットがあるということは求められる代償も存在するというのは世の条理である。

これがもう数段上の強化魔術の担い手ならば、あるいは今上げたデメリットを打ち消すだけの施しができるだろう。
だが残念ながら『そこそこ』のレベルである士郎は、今もその境地には辿り着けていなかった。

一方の知識の方はと言うと、士郎はからっきしであった。

それは士郎が一般人だから、というのも挙げられるが父親が教えることもほとんどなかったからだ。
せいぜい『協会』や『教会』の存在を教えたりと、魔術を使う上では避けられないものぐらい。

そんな知識を教える時間よりも、魔術行使の知識を教える時間の方が圧倒的に長かった。

気配遮断、衝撃緩和、認識阻害、強化などなど。
どうやれば魔術が発動し、どのような場面で使えば効率的か。
父親の口から教わった魔術こそ多岐にわたるが、それを士郎が全てマスターできたかと言われれば否と答えるしかない。

元より一般人に毛が生えた程度の才能。
加えて父親自身もこの家を空けることが多く、総じてレベルの高い魔術が教えられることもなかった。

しかし子供だった士郎にとってはそんなものは教わる魔術のレベルなどどうでもよかった。
ただ『父親と同じ魔術が使える』という事実だけで嬉しくなり、それだけ使えれば父親みたになれるのではないか、と思ったからだ。

父親が家にいる間は、合間を見て教えを請い。
父親が留守にしている間は、大河に見つからない様に教わったことを反復練習。

魔術師にはそれぞれ得意とできる魔術分野とそうでないものがある。
そういった意味では士郎が父親から教わった魔術の大部分は自分の肌に合わないものばかりだった。

特に気配遮断やら認識阻害など、自身に行使したところでそれを観測できる父親がいなければ、果たして魔術行使がうまくいったかどうかもわからない。
そういった意味でも強化がまだとっつきやすい分野だったが故に今も鍛錬が続いている、といったところだろうか。

魔術師には魔術回路が必須であり、これがなければ魔術を使うことが原則できない。
中には例外があって使うことができる者もいるらしいが、そのような稀なケースを気にする必要もないと教わった。

そんな話を聞けば当然疑問を抱く。
なぜ自分には魔術を行使できるだけの回路があったのか。

『もしかしたら士郎の家系も、元々は魔術師の家系だったのかもしれないね』

父親に訪ねたら、こんな答えが返ってきた。
もはや本当の父親と母親の顔も思い出せない士郎にとって、火災以前に魔術を習っていたかという記憶などないし、気に留めることもなかった。

─────過去に一度だけ、父親がどんな魔術を使えるのかを聞いたことがあった。
特別な力を使えるという父親に、それがどんなものか気になり聞いてみた士郎は、その内容に驚いた。

固有時制御。
かなり簡潔に説明すると、自分の体内の時間を操作するという魔術。
これを使えば高速移動の類が可能だという。

強化の魔術を鍛錬していた士郎にとって、その言葉には一種の関心があった。
父親に教えてくれと懇願したのだが

『流石にこれは教えられないよ』

と断られてしまった。

『肉親にしか魔術刻印が伝承できないから、士郎には無理だよ』

とのこと。
流石にそれは仕方がないので諦めることになったが。

魔術を習う際、父親は渋々ながらも承諾してくれた。
その時に言った。

『いいかい、魔術を習うということは常識からかけ離れるという事。死ぬときは死に、殺す時は殺す。魔術とは自らを滅ぼす道に他ならない』

その言葉は今でも士郎の記憶に残っている。

『士郎に教えるのは、そういう争いを呼ぶ類のものだ。だから人前では使ってはいけないし、隠せるのなら隠しておく。
 難しいものだから鍛錬を怠ってもいけない。─────けど、それは破っても構わない』

そしてその時の顔も、父親が自分の頭に手を置いて撫でながら言った言葉も覚えている。

『一番大事なのはね、自分の為ではなく他人の為に使うということだ。そうすれば士郎は魔術使いではあっても、魔術師ではなくなるからね』



「─────基本骨子、解明」

少し雑念が入った。
だが今更やり続けた強化が失敗する筈もない。

「─────構成材質、解明」

しかし意識にぶれは許されない。
完了に至るまでの工程を進めていく。

「─────基本骨子、変更」

どんな魔術でも気を抜けば命取り。
それを肝に銘じて魔力を通す。

「─────構成材質、補強」

形が整い、魔力が満ちる。

「─────全行程、完了トレース・オフ

終了を告げる自己暗示と共に、改めて手に持ったものを見つめる。
強化は完了した。しかし

「………はぁ、やっぱりきついな」

強化自体は成功したが、軽く溜息をつく。
完成しているものに強化の手を加えるということは、つまり完成度を貶めるという危険性も含んでいる。

物体の構造以上の魔力を通しすぎれば内部から爆発の如く失敗する。
構造にない部分へ魔力を通せば、予期せぬ破壊が起きてしまう。

傑作の芸術作品に筆を入れて良くしようという行動と同じ。
成功すれば更に良いものへとなるだろうが、筆を入れる場所を間違えればそれに価値はなくなる。

これこそが強化がオーソドックスであっても、極めるのは困難と言われている理由である。
半端な強化では意味はなく、かといってやりすぎた時の失敗は大きい。
難易度は高く、好んで使う人間はそういない。

─────ならば。
いっそのこと、一から作り出してみてはどうだろうか。

「─────投影、開始トレース・オン

発音は同じ。しかし心構えは微妙に違う。
彼が強化を習う前に使えるようになった魔術、投影。

此方の方が、気が楽に使える。
作り出すのは代用品で、完成品に手を加えるわけではないのだから、筆で書き入れて失敗することもない。

しかしそうやってカタチだけ再現した投影品は中身が伴っていなかった。
設計図は完璧にイメージできているのだが、肝心の中身が空っぽの状態。

否。
中身があったものもあった。

それは包丁。
様々な投影を行ってきたが、一度だけ刃物として包丁を投影してみた。

結果はこれまでになかった成功。
その時はなぜ包丁だけ? と頭の中が疑問符でいっぱいになった。

ただ士郎は無類の刃物好きという物騒な人間ではない。
そもそも包丁の数は足りているし、他の刃物なんて必要もなかったので刃物の投影はそれ一回きりだった。

「─────」

投影したものを見て軽く溜息。
案の定中身がからっぽの投影品。

「一成風に言えば『まだまだ修行が足りん!喝!!』ってところか」

苦笑いしながら鍛錬を終えて寝室へと帰って行った。



[29843] ep.03 / 春遠き如月
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2014/12/24 21:17
ep.03 / 春遠き如月

Date:02 / 01 (Fri)

─────sec.01 / 武家屋敷の朝

「………ん」

自然と目が覚めた。
僅かにぼやける目で外を見るが、外はまだ薄暗い。
日時は二月一日の午前五時を十五分ほど過ぎたところ。

「寒………」

流石にまだこの時期のこの時間は布団の外は寒い。
しかし朝の冷気に負けじと起き上がり、気合いを入れるために頬を叩く。

どんなに夜更かししても、大抵はこの時間に起きられる。
勿論例外はあるので、絶対にとは言い切れない。
昨日がいい例だろう。

「朝飯………作らないとな」

昨日は桜に朝食を作らせてしまったため、今日こそはと洗面所へと向かう。
男性である士郎は必然的に女性と比べ必要とする時間も短い。
寝癖などはそんなに酷い部類には入らないので、顔を洗い必要最低限の身嗜みを整える。

その後台所へ向かいエプロンをして包丁と秋刀魚を手に取った。
寝る前に炊飯器を六時に出来上がる様にセットしているので、既に機械がご飯の準備を進めている。

家に来るであろう自分含め3人分の秋刀魚に包丁を入れて塩をまぶし、後は焼くだけの状態にする。
味噌汁は玉ねぎと海藻が入ったシンプルなものを用意。
定番のだし巻卵は秋刀魚を焼いている間に用意できるので、今はおいておく。

「とりあえず朝食の準備はこんなところか」

一旦朝食作りを中断する。
時計を見ると五時四十分を過ぎたあたり。

「少し時間あるし、掃除しとくか」

そういって次は屋敷の掃除を始める。
今日もバイトが入っているので帰宅するのは遅い。

当然日中は学校にいるし、家には誰もいなくなるので掃除をするとすればこの時間しかなくなってしまう。
とはいってもこの広い武家屋敷全てを掃除するほど時間に猶予があるわけもなし。
日常的によく使う場所に重きを置いて掃除をする。

ちなみに人の入りが少ない場所は、休日に何時間かけてしっかりと掃除している。
とある部屋は埃だらけ………なんてことはない。

午前六時。
めぼしい部屋を掃除し終えたところで桜が家にやってきた。

「おはようございます、先輩。今朝はもう済ませてしまいましたか?」

「おはよう、桜。朝食はもう準備してる。後は秋刀魚に火を通すのとだし巻を作るだけだ。─────藤ねぇもそろそろ来るだろうから用意しておくか」

「あ、それならお手伝いします。先輩はだし巻卵を用意しちゃってください」

二人で台所に立ち、士郎はだし巻卵を、桜は秋刀魚を焼いていく。
その合間に食器を取り出し、三人分の朝食を用意していく。
その手つきは既に慣れたもので、どこに何があるかというのは分かっているようだ。

「これで全部ですか? 先輩」

「ああ、これで朝食の準備完了」

食卓に朝食を用意したところで、今朝も変わらぬ声が聞こえてきた。

「しろーぅ、おなかへったー!」

毎朝毎晩食事時を狙い澄ましたかの様にやってくる姉役である。
廊下を勢いよく走ってきて、その勢いそのままに襖を開け放つ大河。

「お、朝ごはん出来てるじゃなーい。じゃ、早速食べよう!」

「あのなぁ藤ねぇ。アンタの頭の中には食べることしかないのか。というか廊下を走ってくるな、一応教師だろ」

「それだけお腹が減ってるってこと。いっただっきまーす!」

士郎の問いかけに話半分で答え、食事に手を付ける。
呆れるばかりの士郎だったが、これもまたいつものことなので特に気にすることもない。

「いただきます」

「いただきます」

「むっ!士郎、このだし巻、いいじゃなーい!やっぱり出来立ては美味しいわぁ。お姉ちゃん、これだけで生きていけそう」

「大袈裟だなぁ、藤ねぇは。そんな慌てて食べなくともちゃんと用意してるんだから、落ち着いて食え」

食事をとる三人。
その間も会話はボツリボツリと続く。

「む………。美綴の奴、まだ桜に俺の文句を言ってるのか?」

「はい。美綴先輩は卒業するまでに何としても射でうならせてやるって、毎日頑張ってますよ」

「はぁ。今じゃアイツの方が段位高いだろうに。アレかな、思い出は無敵ってやつかな。
 美化されてるのは悪い気にはならないけど、それも人によりけりっていうか」

「美綴先輩ってすっごく負けず嫌いですから。きっと心の中で先輩をライバルみたいに思ってますよ」

朝食を終え、食器を洗い、出かける支度をする。
大河は例の如く食べ終わって学校へ走り去った。
食事時といいもう少し落ち着きは持てないのか、と内心思ったのだが同時に

『無理だな、藤ねぇだし』

と早々に結論づけた。

戸締りをしっかり確認し、学校へ向かう。
交差点で信号待ちをしている前をパトカーが数台、サイレンを鳴らしながら通り過ぎていく。

「なんでしょう………先輩」

朝から騒がしい。
ここ最近は物騒になってきたこともあり、心配そうな声で尋ねてくる。

「わからん。………あんまり気にするな、桜」

「はい………」

交差点の信号が青になり、横断歩道を渡る。
そこで昨日の事を思い出した。

「そうだ、桜。ここ最近さ、物騒になってきただろ? 特に夜とか。
 だからさ、夜はなるべく外出しないようにしてくれないか?」

「え………? でも─────」

「いや、桜の言いたいことも分かる。けどもし桜が俺の家からの帰り道で誰かに襲われたーなんてことがあった桜に申し訳が立たなくなる」

桜の顔を窺うが、心なしかその表情は曇って見えた。
その表情を払拭するように気軽に話しかける。

「そんな顔するなって。別にもう二度と来るなって言ってるわけじゃない。
 物騒な事件のほとぼりが冷めるまで夜は家に居てくれってことだからさ」

「先輩がそう言うのでしたら………」

渋々了承する桜。
流石にばつが悪いので話題を振る。

「その分朝食は少し豪華にしようかな。桜にもいっぱい食べて貰いたいし」

「そうですね。先輩の作ったご飯はおいしいです」

「ははは、ありがとう。けど、桜だってこの前の味噌汁おいしかったぞ? コツとか掴んだんじゃないのか?」

そう会話をしているうちに学校へ到着する。
さあ学校だ、ということで校門を潜ろうとしたときだった。

「ん………?」

今まで感じなかった筈の違和感が左腕に奔った。
思わず左腕を見るが、特別変わった様子は見られない。

「どうしましたか? 先輩」

「いや、なんでもない。桜、朝練だろ? 頑張ってな」

「はい。それじゃ、行ってきますね」

手を振って桜は弓道場へと向かっていった。
その背中を見送り、昨日一成と約束した仕事を終わらせるため生徒会室へと歩を進めた。



─────sec.02 / 如月の小異

朝日は隔たりなくこの冬木市を照らし出す。
それは武家屋敷も集合住宅も同じである。

昨日と変わりなく朝に起き、母親の用意してくれた朝食を食べ、身支度を済ませてバスに乗る。
鐘のいつも通り変わらない朝の行動。

昨日と違うといえば同じバスに綾子がいなかったことぐらいか。
ただ彼女とはいつも一緒に登校しているわけではなく、そういった約束事も結んでいない。

同じマンションに住んでいるが故に同じになることがある、というだけ。
一緒になったなら一緒になったんだな、くらいの軽いものだった。

学校付近のバス停に到着し、学校へと向かう。
グラウンドに描かれた白線のトラックを横目に陸上部の部室へ。

部室には数名ほど同部員がいた。
近々大会があるというわりには少ないのだが、彼女が学校にやってくるこの時間帯はいつもそうだ。

これがあと十五分もすれば人が増える。
鐘はただ単にその人の多い部室で着替えるのが嫌だったので、少し早めに学校に来て着替えを済ませている。

「おはよう、蒔、由紀香」

「おっ、氷室。おはよー」

「おはよう、鐘ちゃん」

1年の頃から共にいる二人に挨拶。
性格が全く違う三人だが、仲の良さは本物である。

「ん? 由紀香、何かしているのか?」

「うん。皆の健康状態を把握するように、って。ほら、最近練習中に怪我をする人とか調子がすぐれない人とかいっぱい出てるから………」

「学校からの指示か。確かにここ最近は怪我人が増えていることもあるから、その調査といったところか」

無論怪我人を排出しているのは何も陸上部だけではない。
流石に文化系の部活が怪我人を出すことはかなり稀だが、運動系の部活生が怪我をして保健室へ厄介になっているという話は聞く。

「それでね、皆の健康状態を聞いて回ってるの」

由紀香は厳密に言うと陸上部員ではなく、陸上部のマネージャーである。
それゆえに由紀香にこの仕事が与えられた、ということだろう。

「………聞いて回る、か。まあ何もしないよりはいいのだろうが。ああ、私は大丈夫だ由紀香。体に問題はない」

「わかった、鐘ちゃん」

手に持ったクリップボードに書き込んでいく。
健康診断の予定もない以上はこういったことで現状を把握・改善していくほかはない。

「大会も近い。私たちも怪我と体調に注意して取り組むとしようか、蒔の字」

「おうよ!優勝は私のモンだぜ!」

少なくともこの人物には風邪や不調といった類の心配は不要だろう、と鐘の心の中で書き留めておく。

由紀香はこの学校に入学当初、料理同好会に入ろうかと考えていたらしい。
しかしそこに楓の勧誘(と言う名の拉致)にあい、そのまま陸上部のマネージャーとなっている。

当初は戸惑いも多く何をしたらいいのか、と全く分からない様子だった。
だが1年半経った今ではすっかり板についており、今回の部員達の健康調査もその独特の雰囲気を以てしてこなしている。

そして鐘自身も由紀香と同じであった。
彼女は絵を描くのが得意だったため美術部への入部を希望していた。

そこに降りかかる楓の強引な勧誘により陸上部へと入部。
最初は渋々だったものの今では陸上部の走り高跳びのエースと称されるまでになっているあたり、彼女は文武共に稀有な才能の持ち主らしい。

グラウンドに出てそれぞれウォーミングアップを行う。
楓は短距離走の選手なので走り込みがメインであるが、鐘は高跳びの選手なので短距離走の選手ほど走り込みは必要としない。

むしろ少し早めにアップを終えて走り高跳びに必要な機材をセッティングする必要がある。
そう言う点ではグラウンドに白線で描かれた場所をひたすら走りこむ短距離走選手よりも面倒な作業をしなくてはならないが、それを拒んでいては走り高跳びなどできない。

早めにアップを終えた彼女は走り高跳びの準備を行うために、陸上部の機材がしまってある倉庫へ向かう。
ふと、そこにその場所とは無縁な人物がいた。

「─────そこで何をしている? 寺の子」

「む、役所の子か」

陸上部の倉庫前に腕を組んで立っていたのはこの学校の生徒会長、柳洞一成だった。
誰もいないと思っていた場所に意外な人物を見たので、訝しげな表情を作りながら生徒会長の傍へと近づいていく。

「何、ここの倉庫の電灯とスピーカーが天授を全うされていたことは知っておろう? それを直す為に衛宮が中で作業中でな。
 集中を阻害せぬように外で待機しているということだ」

「………天授を全うされているのであれば、流石の衛宮でも直せないと思うのだが?」

「俺から見れば天授を全うされている、というだけの話。衛宮ならばあるいは、と思い頼んでみたが、いや全く頼りになる男だ。
 見事直してみせるとのことだったからな」

「………なるほど。しかし私はこの倉庫の中に用があるのだが、今はまだ入ってはいけないのだろうか?」

「当然。毎度の事だが、修繕をしている間はそれに集中するために人払いをさせるほどの徹底ぶりだ。
 しかしそのおかげで衛宮が修繕したものは再利用が可能になっているのだから、これくらいは大目に見るべきだろう。
 異論は断じて認めん」

毅然とした態度で言う一成。
鐘はその態度と答えを聞いて、改めて彼の仕事の高さは理解したのだが、倉庫に入れないのでは機材を出すことができない。

そう考える一方でその修繕の邪魔をするのも躊躇われた。
最近は電灯が付かなくなって薄暗い倉庫の中で機材の出し入れすることを強いられていた。
それ故に明かりがつくのであればそれはそれで助かることでもあったからだ。

「わかった。では、もう少し時間をおいて来るとしよう」

そういってグラウンドへ戻ろうとした時だった。

「一成、終わったぞ」

倉庫に背を向けた直後に、士郎が倉庫から出てきた。
つまり振り返れば当然視線は合う。

「あ、氷室。おはよう、倉庫に何か用事があるのか?」

「ああ。おはよう、衛宮。少し機材を出そうと思ってここまで来た」

帰る足を返し、倉庫へ近づく。
鐘がその場に行くよりも早く、一成が士郎に話しかけていた。

「衛宮、修繕の方はうまくいったのか?」

「ああ、どっちも問題なく終わったよ。電灯が少し厄介で取り換えるだけじゃ済まなかったから、少し時間がかかっちまった」

「そうか、天授こそ全うしていなかったが重体患者ではあったか。だが、流石だな衛宮。お前が頼りになるときわめてうれしいぞ」

「………一成? お前たまに変な日本語を使うな?」

苦笑している士郎にさも自分のことのように胸を張る一成。
その光景を見ていた鐘は、ふと思い出したように二人に尋ねる。

「衛宮、一ついいだろうか?」

「ん、なんだ?」

「生徒会長である『柳洞 一成』とそこに頻繁に出入りしている『衛宮 士郎』は、実はそっち系の関係がある、という噂が密かに立ち始めている。
 ………これに対して、実際はどうなのだ?」

少し意地悪く訊く。
それは聞いた士郎は残像が見えそうな勢いで右手を左右に振った。

「じょ、冗談じゃない!俺も一成もそういう付き合いはしていない!」

なかなか必死になって反論してくる。
もう一方はというと、

「そっち系とはなんだ?」

と、訊き返してくる始末だった。

「いや、一成。知らないのであれば知らなくていい。そして知っていてもすぐに出てこないのであればそれで全く大丈夫だ」

「? まあ衛宮がそういうのであれば、それでいいだろう」

尋ねた鐘自身もこの噂は単なるデマだと決めていたので、特別気にも掛けなかった。

「すまない、衛宮。かくいう私もデマだとはわかっていた。だが、そういう噂が立ち始める要因があるのも事実。
 火の無い場所に煙は立たない。誤解を招かない程度には周囲にも気を配るのだな」

「まったく、なんでそんな噂が。─────とりあえず、ありがとう。氷室の言うとおり、誤解されないように配慮することにする」

「賢明だ」

話題も終わり。
おしゃべりはこれくらいにして、走り高跳び用の機材を出せなくてはいけない。

「そういえば倉庫に用があるって言ってたよな。何か持ち出すものがあるのか?」

「ん?─────そうだな、走り高跳びの練習をするための、その準備だ」

何事もなく、問われたから答えた鐘。
だがそれを聞いた士郎は一瞬呆気にとられたような表情を作った。

「………なにか、私の答えに分からない点があったか? 私が陸上部員ということは知っているものだと思っていたが」

「え? あ、いや氷室が陸上部員ってことは知ってるぞ。ただ走り高跳びの準備を氷室一人でするのか?」

「? そうだが。今は私一人しかいないのだから当然だろう」

部室の混雑を避けるべく早めに来ているのに、他の部員がやってくるまで走り高跳びの準備をしないという道理はない。
それに走り高跳びの準備は一人では時間がかかるものだが、準備をしているうちに他の高跳びの部員達もやってくる。

これを常習的に行っているため、準備作業が苦であるとは微塵も思っていない。

「………ふむ。明かりは問題なさそうだな。これは助かる」

「ああ、いや。直したのにつかないと困る」

入口付近になったスイッチを入れると、今までつかなかった電灯が倉庫内を照らす。
これで薄暗いせいで煩わしかった作業も捗るだろう。

鐘が倉庫の少し奥に置かれている走り高跳び用の厚めのマットを両手で引きずり出してくる。
その光景を見た士郎は後ろにいた一成に声をかけた。

「悪い、一成。残りの修繕は後でいいか?」

「ん? ああ。別に構わんがこれからどうするのだ、衛宮」

「氷室を手伝う。修繕はそれが終わってからでいいだろ? 終わらなかったら昼にまたやるよ」

一成にそう告げて、鐘が引きずり出そうとしているマットの持ち手を握った。
当然隣にいる鐘は少し慌てるように断りを入れた。

「衛宮、別に無理に手伝う必要はない。君は君で他にやることがあるのだろう?」

「確かにあるけど、今すぐっていう事じゃない。それに一人より二人だ。手伝った方が氷室も楽だろ?」

「─────いや、気持ちはありがたいが。衛宮、これはいつもの事だから別に気に掛ける必要は………」

と、ここまで言って自身の言葉が失言だったということに気付く。
士郎の表情が一瞬むっ、と眉を顰めたからだ。

「いつも一人でやってるのか?………他の奴らは何やってるんだか。─────なら一層手伝う。なんなら明日からも手伝うぞ? 氷室」

流石学園内でも有名なお人好し、と確認する。
しかし部員でもない彼に手伝ってもらうのも如何なものか。

「重ね重ね気持ちはありがたい。だが、部員ではない衛宮の手を煩わせるわけにはいかない。気にしないでくれ」

「部員だからとかは関係ない。実際、今ここにいるのは氷室だけだし。俺は氷室を手伝いたいから手伝うって申し出てるだけだからさ。
 ………あー、でも。氷室が迷惑だ、って言うなら大人しく引き下がるけど………」

「いや………迷惑─────というわけでもないのだが………」

「なら決まり。明日も手伝いに来る。女の子がこれを毎日用意するのは大変だろ? 遠慮なく俺を使ってくれ」

これはもう動きそうにないな、と判断した鐘はそれ以上何をいう事もなかった。

一人でいつも引きずるように出していたマットも二人で持てば引きずる必要もない。
走り高跳び用の機材も比較的軽いものを鐘が持ち、それ以外は士郎が運ぶ。

運ぶ時間が半分で済んだのなら、セッティングする時間もまた半分だ。
そうしてかかった時間は当然ではあるがいつもよりも短い。

「よしっ、終わりっと」

セッティングが完了したのを確認し、士郎が独り言のように言う。
手伝ってもらって助かったのは事実なので、ここは素直に感謝しておこう。

「すまない、衛宮。助かった」

「明日もこの時間には用意するんだろ? なら俺もこの時間帯に倉庫の前にいるから。また明日も手伝うよ、氷室」

どうやら彼の中では既に決定事項になっているらしい。
梃子でも動きそうにないので、彼の申し出を受けることにした。

「終わったか、衛宮」

少し離れたところで走り高跳びの準備を眺めていた一成が話しかけてきた。

「ああ、見ての通り。悪いな、一成。まだ時間はあるから他の修繕箇所へ向かおう」

歩き出そうとする士郎だったが、その行く手に腕を伸ばして動きを止めた。

「まあ待て衛宮。………まったく、人が良いのも考え物だな。衛宮がいてくれると助かるが、衛宮の場合来る者拒まず過ぎるぞ」

「? 別に氷室を拒む理由なんてないだろ?」

そう言いながら後ろにいる鐘を見る。
別に彼女が何か悪いことをしたわけでもないので、当然拒む理由などない。

「たわけ、誰が彼女一人を対象として言った? 彼女は誠意もあるからいい。だがこれでは心ない馬鹿どもがいいように利用するやもしれん。
 断るときはしっかり断ることも必要だぞ、衛宮」

「一成。流石の俺も善悪の判別はできるし、無理な頼みならしっかり断ってる。一成が心配することもないよ」

「しかしな、衛宮のは度が過ぎるというか、このままいくと潰れてしまうというか。─────そうは思わんか、役所の子」

話を振られた鐘は返答に僅かに窮してしまう。
それは唐突に話を振られたから、というよりは一成の話の内容に対してどう答えるべきかでシークタイムが発生してしまったからだ。

「こらこら一成。いきなりそんな話を氷室に振るな。………まあ、一成の忠告は受け取っておくよ。じゃあな、氷室。朝練頑張ってな」

そう言って二人は去って行った。
彼らの後ろ姿が見えなくなり、鐘は一人思考する。

「………私がもう少し衛宮の人間性について知っている間柄であるならば、答えられたのかもしれないが」

生憎と彼女が知っていることは、彼を知る人ならば知っているようなことしか知らない。
その最たる人物がほかならぬ一成ではなかろうか。

その最たる人物が抱く危惧を肯定なり否定なりするには、少なくとも彼よりも士郎について知れる間柄である必要があるのではと考える。
たとえば、恋人関係とか。

「………練習に戻るか」

ふと頭の中に過った思考は放棄し、走り高跳びの練習を始めた。

二月一日。
まだ春の産声は程遠い。



─────sec.03 / 4人と一人

予鈴十分前。
朝練をしていた生徒達はすでに着替えはじめている時間。

一成は2年A組の担任、葛木 宗一郎に呼び出されて職員室へ行っていた。
士郎はその間にも頼まれた備品の修繕を行い完了し、校舎へ向かためグラウンドを歩いていた。

「や、おはよう衛宮」

バッタリと弓道部の主将、綾子と出会った。
その姿はまだ制服ではない。

「何だ、まだ着替えてなかったのか美綴。もうすぐホームルームだぞ。俺なんかに挨拶してる場合じゃないだろ」

「あはははは!いや、ごもっとも。相変わらずつれない野郎だねぇ、衛宮は!」

何が楽しいのか、人目も気にせず豪快に笑う。
その様子を見てぼんやりと

(まあ、精神年齢は実年齢より若干上のお姉さんタイプだよな。いつも思うけど。言ったら怒られるから言わないけど)

そう頭の中で考える士郎だったが、何かを感じ取ったらしい弓道部主将はむっとした表情で話しかけてきた。

「あん? 今アンタ、よからぬ感想を漏らさなかったかもし?」

「そんなものは漏らさない。あくまで客観的な事実を連想しただけだ。それで気を悪くするのは美綴の勝手だが」

「お、言うね。正直に答えるクセに、何をどう考えてたかは口にしないんだもの。慎二と違って隙がないな」

とおかしなことを言う。
当然疑問に思うわけであり

「慎二? なんでそこで慎二が出てくるんだ?」

「何でも何も、友人だろ? 慎二の男友達ってアンタだけ。それにお忘れかもしれませんが、あたしはこれでも弓道部主将なの。
うちの問題児と辞めちまった問題児をくっつけるのは自然な流れだと思わない?」

その言葉を少し考える士郎。
慎二とは士郎との同級生であり、男友達の一人だ。
桜の兄であり、それなりに仲はいいが現在は少し疎遠状態。

「─────ああ、確かに自然な流れだな。弓道部っていうのは関係ないけど、慎二とは腐れ縁だしな」

至って普通に答えたつもりだったが、どうやら気に障ったらしい。
綾子はムッとした顔で士郎につっかかってきた。

「あ、カチンときた。アンタね、弓道部の話になると急に冷たくなるでしょ。
いいご身分よね、慎二をほっぽっといて自分はさっさと退場しちまうんだから」

「………む、慎二の奴、またなんかしたのか?」

「一年365日、あいつが何かしない日なんてないけどさ。それでも昨日のはちょっとやりすぎか。
一年の男子生徒が一人辞めたぐらいだから」

はあ、と深刻そうにため息をつく。
新入生獲得のために日々奮闘しようとしている彼女にとって、間桐 慎二は悩みの種であった。

「なんだよ、部員が辞めたって」

「慎二の奴が八つ当たりしたのよ。初心者の子を矢が的にあたるまで笑い物にしたとか」

「はあ!? お前、そんなバカげたことを見過ごしてたのか!?」

「見過ごすか!けどさ、主将ってのはいろいろと忙しいんだ。いつも道場にいるわけじゃないって、衛宮だって知ってるでしょ」

「………それは、そうだけどさ。にしても慎二のヤツ。必要以上に厳しくなることはあっても、他人を見世物にするような奴じゃないだろうに」

それを聞いた綾子は心底呆れた顔をしてため息をついていた。

「────呆れた、衛宮ってば本当にアレだ」

「む、アレってなんだ。今お前、良からぬ感想を漏らさなかったか?」

「あーら、あたしはあくまで客観的な事実を連想しただけさ。それで気を悪くするのは衛宮の勝手だけどね」

「………っ、この、ついさっき聞いたような返答をしやがって。
────いいよ、それより慎二はどうしたんだよ。なんだってそんな真似を?」

「んー、聞いた話じゃ………」

「遠坂嬢にふられたのだろう、美綴嬢」

不意に背後から声がかけられた。
振り返る士郎に、覗き込む綾子。
そこに鐘と由紀香、楓の三人がいた。

「お、三人ともおはよう。今日も相変わらず一緒だねぇ」

「おはよう、三人とも。朝練はもう終わったんだな」

「おはよう、衛宮君に美綴さん」

「おっす。こんなところで世間話か?」

ストロータイプの水筒を口にくわえながら、楓が二人に問いかける。
彼女達の様子からしてつい先ほど朝練が終わったようだった。

「いや、ちょっと弓道部について話をしてたんだよ。………で、美綴。氷室が言ったことって?」

「いや、その通りだよ。相変わらず耳が早いね、氷室は」

「情報収集は常識ではあるからな。当然だろう」

普段通りの振る舞いで言う。
さすがパーフェクトクールビューティ、と内心感想を言いながら綾子は続ける。

「ともかく、慎二のヤツはそのせいで昨日からずっとその調子。おかげであたしもこんな時間まで道場で目を光らせてたって訳」

ふぅん、と答えながら学園の高嶺の花を思い浮かべる。
……………。

「………そうか。大変だな、美綴。頑張ってくれ」

「はいはい。あ、そろそろ時間がまずいな。じゃあね、衛宮。今度あたしの弓の調子を見に来てよ」

「ああ、また機会があれば行くよ」

そう言って去って行った。
それを見送る四人。

と。
ここで自分の状況を改めて確認する。

「………あ。工具箱持ちっぱなしだ」

「………気が付いていなかったのか、衛宮」

少し呆れ顔で鐘は士郎の格好を見ていた。
制服姿なのは同じだが、持っているものが工具箱という絵面。
しかしそこに違和感を感じないという不思議。

「っと!少し急がないといけないか。じゃあな氷室。そっちも間に合うように教室に行けよ」

士郎も小走りに去って行く。
その背中に向かって声を出す人物が若干一名。

「おいー!私と由紀香は無視かー!」

「間に合うようにいけよー、三人ともー」

「なんだよそれー!」

走り去る彼に文句を言って、その返答が帰ってきたのでさらに文句を言う。
どうやら自分と由紀香が無視されたように感じて腹がたったらしい。

が、当然士郎にその気はない。
由紀香も文句を言った楓も、大して気にはしていなかった。

「蒔、私たちも急がなければ」



─────sec.04 / 日常での出来事

四限目の講義が終わり、穂群原学園は昼食の時間に入る。
授業中の静かな空間から一転して騒がしい空間へ早変わり。

この学校には食堂があり、大抵の生徒はそこで昼食をとる。
他に購買で昼食を購入して教室で食べる、という手段も。

珍しいところでコンビニではなくマウント深山商店街まで走って弁当を買ってくるという強者。
さらに珍しいところでは新都まで行って五限前に帰ってくる、なんて猛者がいるという噂も。

「………もはやそこまでいくと昼食を食べに行っているのか、タイムトライアルをしているのか分からなくなる荒行だな」

「それだけじゃないぜー? 食べに行ったまま学校のコト忘れて、そのまま新都で遊び回る奴もいるって話だ」

「そ、それは流石にまずいんじゃないかなあ………?」

かくいうこの三人は弁当組なので、先ほどのどのパターンにも該当しない。
食堂の騒がしい喧噪に巻き込まれることも、タイムトライアルじみた昼食をとることもない。

「ごちそうさま」

他愛ない話をしながら昼食を食べ終わる。
三人ともあとは五限が始まるまでフリータイムだ。

「そういえば、鐘ちゃん。今朝、深山町こっちで起きた事件のこと、知ってる?」

「事件………いや、わからないな。朝のテレビニュースならば見ているが」

「あー、あれね。流石に今朝方起きた事件がその日の朝のニュースにはならないって」

事件、という言葉を聞き少しだけ気になった。
どうやら由紀香の顔や、楓の言った言葉からしてよい事件ではなさそうだ、と瞬時に判断する。

「それで、その事件というのは? 由紀香」

「うん、二丁目の交差点付近で殺人事件があったって」

「殺人………。交差点、というと柳洞寺へ分岐する交差点で合っているか?」

「そうそう、その交差点。深山町こっちに住む他の奴らにも聞いたんだけどさ、四人家族で子供一人残して両親と姉は殺されたって」

学校の付近で殺人事件。
しかも子供を残し三人が殺されている。

「その犯人と凶器は見つかったのだろうか。そこのところは何か知っているか?」

「あ、………うーん、詳しくは私もわからないかなあ。聞けば、凶器は長物だっていう噂。
 犯人は捕まったっていう話は私も聞いてない」

「長物………? それはナイフや包丁といった類ではない、ということか」

今まで聞いた情報を元に想像してみる。

今朝方発覚したということから、犯行は深夜あたりが妥当か。
その時間帯に押し入ってきた誰か。

不当な暴力。例えるならば交通事故。
一方通行の略奪。

日本刀じみた長物の凶器で、目の前で斬り殺される両親。
訳も分からず次の犠牲になった姉。
その陰で、家族の血に濡れた子供の姿。

「………新都の方では欠陥工事によるガス漏れ事故。此方では殺人事件。学校の門限が早まるのも当然だな」

人は何かを想像するとき、自身が持っている知識や映像を元にしてそのイメージを作り出す。
当然だが鐘は目の前で人が殺されるのを見たこともなければ、日本刀を持った犯罪者に迫られたこともない。

それゆえに想像の内容はドラマや漫画、小説といった産物から来るものだ。
それはあくまでフィクションの内容であり、ノンフィクションではない以上『リアルさ』というものに欠ける。

無論、そんな『リアルさ』を経験しないことこそが最善の生き方ではあるのだが。

「にしても珍しいよな、氷室がこの手の話題を知らないなんて」

「私は警察ではない。今朝発覚した事件だ。テレビや新聞にはならない、と言ったのは蒔の字だろう。
 生中継でもしていない限り、今朝方からそれを把握するには無理がある」

「いや、確かに言ったけどさ。ほら、朝練で他の生徒から聞いたとかさ」

「………今朝は今朝でこちらもいろいろあったからな」

そういって、ふと思う。
今朝、倉庫前にいたあの二人。

あの二人は両方とも深山町こちらの住人だ。
となれば、今の殺人事件については知っていたのではなかろうか。

「─────そもそもあったこと自体を知らなかったから、仮に彼らが知っていたとしても尋ねなかっただろうな」

それこそ士郎や一成が今の話題を鐘に言わなければ知る術はない。
そして唐突にそのような話をする間柄でもない。

「ふっふっふ。けどまあ、なんていうか。博識な氷室が知らないことを、その氷室に教えるっていうのは、なんかこう優越感に浸れるよな」

─────ぴくり、と。思わず眉が動く。
何やら聞き捨てならない科白が聞こえてきた。

「………ほう。ならば蒔。君が知っている他の博識とやらを教えてもらいたい。生憎と私も人の子でね、知る事しか知らない人間だ。
 故に知らない事を知る事は私にとってプラスになる。君が私以上に博識であるならば、是非ともその知識を披露していただきたい」

仕方がないとはいえ、鐘が知らず楓が知っている、というのも彼女の癪に障っていた。

「え、ちょっ………」

「ああ、いや無理にとは言わない。なんなら今度の期末試験で私よりも上位に立ってくれればいい。それで私も納得しよう」

「や、ヤメロー!!私が頭を使う名参謀に敵うわけないだろー!」

「私は君の参謀ではなく、ましてや君は我々の指揮官でもない、蒔」

普通ならばこのような手合いは神経に障って駄目な鐘なのだが、二年来の楓はもはや慣れの世界にいる。
むしろこれが古式ゆかしい実家で振袖を来て折目正しくしている方が、違和感が多くて駄目だ。

「あ、あははは………鐘ちゃんはいっつも上位にいるから。すごいよね」

そんな二人のやり取りを聞いていた由紀香は少し困り顔。

「─────いや、すまない。少し意地が悪かったな」

流石にやり過ぎたかと反省する。
ただし。

「そうだそうだ! ちょっとは反省しろー!」

この人物に対してはそうもなれなさそうだが。




[29843] ep.04 / 平穏なる夜
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2014/12/25 08:18
ep.04 / 平穏なる夜

─────sec.01 / コペンハーゲン

学校が終わり、完全下校時刻である十八時に間に合うように下校する。
昨日は道中で同じバスに乗車した士郎と会話をしていたため早く到着する様に感じたが、実際の時間は変わらない。

(まあ、流石に二度目はないか)

今日はどうだろうか、など思っていた鐘だったがバス停には現れなかった。

しかし別に落胆するわけではない。
そもそも一人が普通だったので気にすることもなくバスへと乗車する。

(そういえば、今日は遠坂嬢がいなかったな)

今日一日欠席扱いになっていた人物を思い浮かべる。
最近流行りの体調不良に侵されたか、あるいは別の理由か。

(体調不良を起こすような人物には見えないが)

─────気にしたところで仕方がない事柄ではある。

学校からバスで約二十分。
家の近くではないバス停へ降りる。

帰りにワインを受け取るように母親から頼まれていた。
大きなスーパーマーケットで買うのもいいが、こういう酒場にこそ隠れた逸品がある、というのは言われればわからなくもない。

「それはいいのだが、この工場地帯に臨む僻地とは」

別にそこの店に行きたくないわけではないし、こういう場所だからこそゆったりできるかもしれないというのはある。
しかし単純に店としてやっていけているのだろうか、と思う。

カランカラン、と音と共に扉を開ける。
それに反応した店員が荷物運びをやめてこちらへやってきた。

「はい、いらっしゃいま………」

「………」

その店員を見た瞬間硬直した。
その顔は今朝にも見た顔だったからだ。

「なんだ、氷室じゃないか。どうしたんだ?」

店員は赤い髪をしていた。
そう、衛宮 士郎だった。

「いや。母親の頼みでワインを受け取りに来た。まさか衛宮がここでアルバイトをしているとは思わなかった」

昨日は確かに同じバスに乗り、今日自分が降りたバス停で彼が降りて行ったが、まさかここで働いているとは想像もしなかった。

「そうなのか、氷室のお母さんがワインを。てっきり氷室が一人でお酒を飲むために買いに来たのかと」

「衛宮、私はまだ未成年だ。お酒に興味もないし、飲む気もない」

士郎の言葉にきっぱりと答える。
が、彼は本気で言っていないと容易に分かったので、特に不機嫌になるわけでもない。

「うん、そうだな。未成年はお酒を飲んじゃいけません。………と、氷室の爪の垢を煎じてとある人物に飲ませてやりたい」

「それは………。私は特別意義のある言葉を使ったつもりはないのだが。誰に飲ませたいというのかな、衛宮」

「ああ、いや、とある女性に。まあ最近はそんなこともなくなってきたからいいんだけどさ。
 それとは別で氷室みたいにもう少し落ち着きを持ってほしいな、なんて。あ、一応本人の名誉の為に名前は伏せておく」

士郎の頭の中で約一名の顔が浮かぶ。
が、例え氷室女史の爪の垢を煎じて飲ませたところで変わらなさそうな気がする、と士郎の脳が答えを出す。

「………いや仮に大人しくなったらなったで、こっちが落ち着かないか。
慣れないうちにならそれでもよかったのかもしれないけど、今になって急に変わられたらこっちが調子狂いそうだ」

「一体誰を思い浮かべているかは分からないが、その女性とは付き合いが長いようだな?」

「長いぞー? もう十年来の付き合い。そのくせ十年前からほとんど変わってないんだから、逆に感心するぐらいだ」

士郎の言葉を聞いて思考に浸る。
女性、と聞いて彼に悟られない程度には好奇心が湧いたが、言い方からしてどうも期待した人物ではなさそうだ。

「ふむ………十年来とは。その言い方からしても恋人、という関係ではなさそうだな」

「─────おそらく、そういった類の話はこの冬木市………いや、もしかしたら西日本一縁遠い存在だ。
弟分としては、多少なりとも頭が痛いんだが」

頭を抱えながら軽く溜息をつく士郎。
そんな姿を見て彼は彼なりに苦労しているのだな、と思う鐘であった。

「と、引き留めて悪かった。確かワインの受け取りだったよな。今ちょうど仕入れたお酒を含めて棚卸しをしてたところだから。どんなワインか分かるか?」

「このワインだ。分かるだろうか?」

そう言って手に持ったメモを士郎に渡す。
それを見た士郎は一旦店の奥へと入り、出てきた手にはワインが。

「一応確認してくれ。これで合ってるよな?」

「………私が確認できるとすればせいぜい商品名と値段が一致しているかどうかぐらいなのだが」

「それで十分。何も味見して確かめてくれって言ってるわけじゃないんだからさ」

メモと士郎の手にあるワインの名前を確認する。
そのメモを元にワインを取ってきたのだから、それが違っているということはない。

「よし、じゃあ梱包するからレジまで来てくれないか」

レジにてワインの梱包を行う士郎。
その手つきはそれを初めて見る鐘でもわかるくらいには手馴れていた。

「手馴れたものだな、衛宮。ここでアルバイトをして二年目だろうか?」

単純に高校一年からアルバイトを始めれば今年で二年目。
そう思って特に気にすることもなく士郎に尋ねたのだが………

「いや、二年目じゃないな。今年で………五年目くらいだったか」

さらっと、なんでもないかの様に答えが返ってきた。
当然ではあるが鐘はそれをおかしいと思うわけで。

「………衛宮。私の聞き間違えでなければ、五年目と聞こえたのだが」

「ああ、聞き間違えじゃないぞ。今年で五年目だ」

隠す気が、微塵も見当たらない。
単純に知らないだけなのだろうが、ここまできっぱり言われると反応に困る。

「─────って、なんでこっちを哀れそうに見ているのか、氷室」

「………衛宮に、一つ知識を。君は十六・七歳の高校二年生だろう? その五年前、つまり小学生の高学年から既に働いていた、ということになるのだが」

労働基準法第六章の第56条。
簡単に言えば『小学6年生までの児童は雇用できず、中学1年の誕生日を過ぎ中学3年までの生徒は特別な業種のみだけ許可をもらった場合のみ雇用が可能』という内容。

「………あー。えーっと、その………」

予期していたことではあったが、やはり彼は知らなかったらしい。
彼の言葉や挙動を見てそう判断する鐘。

「………昼食時に蒔にも話したが、私は警察ではない。君を告発するようなことはしないから安心していい。
 ただ、私以外に先ほどの事は言わない事を強く勧める。ここに君がいるあたり、幸い今まで警察の手は及んでいないのだろう?」

「─────いや、ホント。氷室女史には頭が下がります………」

深々と頭を下げる士郎。
なんというか、ここまでされると逆にこちらが悪いことをしたかのような錯覚を覚えてしまう。

「ま………まあ、もう過ぎたことだ。今の年齢ならば特別問題もないだろう。今の話は私と君だけの秘密としておこう」

「─────すまん。恩に着る、氷室」

ワインの梱包が終わり、それを鐘が受け取る。
これでこの店での要件は果たした。

後は帰るだけなのだが─────

「衛宮は何時頃までここでアルバイトをしている?」

ふと、気になったことがあったので話しかける。

「ん、大体二十時から二十一時までの間くらいか。今日は二十時までだから、あと一時間半ってところか」

時刻は現在十八時半。
二十時までは残り一時間半。

「そうか。では帰りは遅くなるのでは?」

「そうだな。帰ってきてから夕飯食べると、遅い時じゃ二十二時になる。………ま、最近は早く帰るようにはしてるけどな」

最近は物騒になってきたし、と付け加える。

「ああ、今朝方深山町で起きた殺人の件もある。悪いことは言わない、寄り道をせずに帰宅するべきだろう」

時計へ目をやると、もうまもなく家へ向かうバスがやってくる時間だった。
これ以上話していては、次は自分が帰宅時間に遅れてしまう。

「そろそろバス停へ向かう。衛宮、重ねて言うが夜道は気を付けるのだな」

「そういう氷室こそ、帰りは気を付けてな。寄り道、するなよ」

まるでどこかの教師のような科白を吐いた彼は笑って店から鐘を送り出した。
その際

「氷室、心配してくれてありがとうな。また明日、学校で」

そんな言葉を耳にした。

「──────────」

一瞬、思考に空白が生まれた。
どういった理由かは自身でも定かではなかったが、それは確実だった。

「………いや、氷室。そんな『意外だった』みたいな顔をされるのはちょっと」

気まずそうに声をひそめる士郎。

「─────い、いや。確かに今のはこちらが悪い。すまない、衛宮。それでは、また明日」

そう告げてコペンハーゲンを後にした。

酒場から歩くこと数分。
バス停に到着し、その数十秒後にバスがやってきたので乗車する。

「─────」

バスの座席に座り、軽く息を吐いた。

心拍数が上がっている。
それが如何なる理由なのか、やはり先ほどの空白の時間同様に不明瞭だった。

「………らしくない。少し、落ち着こう」

ここから目的地までは後数分かかる。
店内での士郎との会話を思い出しながら、外を流れる夜景を眺めていた。



─────sec.02 / 無機質な冬の夜

午後八時前。

予定よりも十分ほど早く仕事を終えたのは、士郎が単純に頑張り過ぎただけだ。
途中コペンハーゲンにやってきた意外な人物との会話でリラックスできたのも頑張れた要因だろう。

「………まいった。まさか三時間で三万も貰ってしまうとは」

端から牡丹餅とはまさにこのことだろう。

バイト先のコペンハーゲンは酒屋兼居酒屋の場所で、取り扱っているお酒もそこそこ種類がある。
棚卸しをするなら何人もの人手が欲しくなる。

無論毎日そんなことをするわけでもなく定期的な業務なので、その時に限っては四、五人ほどの人手が必要だ。
だというのにそこの店長はいつもの調子で

『手伝える人は手伝ってねーん』

などと、かなり軽い調子で言ったものだから他のバイトの人も特に大丈夫だろうと感じたらしい。
フタを開けてみればバイトに来た人は士郎ただ一人。

それまでは店長とその娘の蛍塚ネコの二人だけで作業を行っていたという地獄がそこにあった。

『バカだね、あんた。そりゃあ誰も来るわけないじゃん』

と、店長をなじっていたネコ。
そこに現れた救世主………もとい生贄が一人。

『おおー』

なんて緊張感のない拍手で出迎えられては引き下がることもできない。
結果として出来る範囲で倉庫整理をしよう、ということになった。

店を三人で回す。

普段のコペンハーゲンならば十分ではあるが、棚卸しをしながらお客の対応ともなれば話は別だ。
倉庫の中を行ったり来たり、たまに来るお客の会計処理、店の外と中を行ったり来たり。

ただそこは伊達に五年も働いているわけではない。
それなりのコツやノウハウは心得ているつもりである士郎。

三時間という地獄めいた仕事をできる限り効率よくすすめていく。
だがいくら効率よく進めていても疲労は溜まるし、気分転換もしたくなる。

「だからこそ、あのタイミングで氷室が来てくれたのはある意味助かったな」

そう思った時にやってきた知り合いと会話ができたのはいい気分転換になった。
話の内容は少しばかり痛いものではあったが。

そんなこんなで激動の三時間アルバイトが無事終了。
椅子に座りこんでいた士郎に店長が

『驚いたなぁ、士郎君。君はアレかな、ブラウニーか何かかな?』

なんて作業後の一服と称したこげ茶色のケーキを食べながら話しかけてきた。

『違いますっ!力仕事には慣れてますし、倉庫の何処に何があるかは把握しているからです!伊達にガキの頃からここで働かせて貰ってません!』

ちなみにブラウニーとはスコットランドや北部イングランドで伝承されている伝説上の妖精のこと。
民家に住み着いてその家を栄えさせるなどの逸話がある。

流石に妖精扱いはされたくないのでここはきっぱりと否定しておかなければいけない。

『そっかー。あれ、士郎君ってもう五年だっけ?』

『………そのぐらいですね。切嗣オヤジが亡くなってからすぐに雇ってくれたのは、店長のところだけでしたし』

何も知らなければ何とも思わないのだが、残念ながらその話は鐘と話したばかり。
雇ってくれたことには素直に感謝しているのだが、いつから働いていたかというのは口外しないようにと改めて決めた。

きっと自分が知らないところ、もしくは覚えていないところで何かしらの公的手続きをしてくれていると、根拠もないものを信じることにする。

『ありゃりゃ。うわー、ボクも歳をとるワケだ。………んー、けど助かったわー。
 こんだけやってもらって、お駄賃が普通のバイト料金ってだけだとあれだし。はい、これボクからの気持ちね』

もむもむとラム酒入りのケーキをほおばる店長が手に取ったのは三枚の紙幣。
─────万札三枚である。

一週間フルで働いても届かない、三時間程度の労働には見合わない報酬だった。
流石に驚いたが貰えるものは貰っておく。

「藤ねぇにお土産は………いいか別に」

駅前ということと、夜もまだ始まったばかりもあって人は多く、道を行く自動車も途絶えることはない。
寒さに僅かに体を震わせながら冬の街を歩いていく。

「今日の臨時報酬はでかいからなあ。半分は生活費にあてるとして、半分はどうするかな」

特にお金を使う必要があるような趣味は持ち合わせていない。
となれば使うところは必然的に衣食住………とりわけ食になる。

ファッションに疎く、家に不自由どころかむしろ持て余している以上、お金を使うところは食しかない。
料理を少しだけ豪勢にできるかな、なんて考えながら夜に聳え立つビルを見上げ、歩く。

新都で一番大きなビルは、流石に上の方となると見づらい。
ただ夜景を楽しむために見上げていると、そこに不釣り合いな何かが見えた。

「─────?」

目を凝らして見る。
ビルの屋上、街を見下ろす様にその人物は立っていた。

「………あれ、遠坂?」

何の意味があってあそこにいるのかが理解できない。
彼女が士郎に気付いている様子はない。

いや、見えている筈がない。
人並み外れて視力のいい彼が、魔力で視力強化して漸く判断できる高さである。

あのような場所に一人で立っているからこそ分かるわけで、地上で人波の中にいる士郎に気付くことはないだろう。

と。
その合うはずのない視線が、合ったような気がした。

「………視線が合った?」

そう呟いたすぐ後に用を成し終えたのか、赤い彼女は屋上から姿を消した。

「─────何してたんだろ、あいつ」

いない人物に向かって呟く。
が、返答なんて当然返ってこないので適当に頭の隅に追いやっておく事にしよう。

「ヘンな趣味をしてるんだな、遠坂って」



─────sec.03 / 武家屋敷の夜

バス停に到着しバスから下車する。
新都とは違ってこちらに人影はなく通りを行く人も見当たらずに静まり返っていた。

「………当然か。辻斬りめいた殺人があったばかりなんだし」

坂を上きって家の前に着く。
玄関に明かりが灯っているので、まだ家に大河がいるのだろうと判断して玄関戸を開ける。

「ただいまー………ってあれ?」

玄関先の靴を見ると、いるであろう人物の靴とは別にもう一足ほど靴があった。
その靴もまた見覚えがある靴で疑問を抱きながら居間へと足を進める。

「おかえりー、士郎」

「おかえりなさい、先輩」

やはり思い描いた通りの人物がそこにいた。
しかもまるで何事もなかったかの様に夕食の支度をし終えていたのだ。

「さ、桜。物騒だから夜は来なくてもいいって………」

「はい。ですからそれは明日からでしょう、先輩? なので今日は来ちゃいました」

「来ちゃいましたって………いや、まあ、もう来ちゃってるからいいけどさ」

居間のテーブルへ目をやればそこには夕食が。
どれも出来立てらしく、ほくほくと湯気が上がっている。

「えっと、もしかしてまだ二人とも食べてなかったりするわけ?」

「そうよー。桜ちゃんの晩御飯とも一旦お別れってことになるから、最後は一緒に食べようってことになったのよ。ねー、桜ちゃん」

「はい。先輩が大体この時間に帰ってくるっていうのは分かっていましたから。用意して待っていたんです」

笑って答える桜と、立ち上がって士郎を無理矢理居間に座らせる大河。
この虎は目の前に用意された夕食を早く食べたくて仕方がないらしい。

「はい、それじゃいただきまーす!お姉さんはもうハラペコだよー」

「先輩、今日はたくさん作りましたので、いっぱい食べてくださいね」

「………確かにいつもの倍はあるよな、これ。けど、ちょっとタンマ」

無理矢理座らされた士郎が立ち上がる。
それに疑問符を作る二人─────いや、一人は涙を滲ませている様にも見えた。

「ええい、そんな駄々っ子の様な顔で見上げるな、二十五の大人がやったところで何もかわいくないぞ、藤ねぇ」

「先輩、どこに行くんですか?」

「とりあえずは手洗い。あと鞄も置いて来るから先に食べててくれ。すぐに戻る」

桜にそう告げて居間を後にする。
洗面所に行き手洗いを済ませ、自室へ鞄を置く。

着替えは風呂上りに一緒に済ませるということで、先に食べているであろう二人の元へ。
そう思って居間の障子をあけると、そこにはまだ食事に手を付けていない二人が。

「ヴァー………早くタベサセロー………」

「………どこのゾンビだよ。桜も別に食べててくれてよかったのに」

「いえ、すぐに戻ってくるということでしたので、待つことにしたんです」

「………そっか。すまない、桜。─────よし!それじゃあ食べよう」

士郎がその言葉を言うや否や、物凄い勢いで姿勢を正した人物が一名。

「オッシャー!タベルゾー!!いただきまーす!!!」

言葉が先か手が先か、気が付けば茶碗を持ってガツガツと食べる姿が。
一応教師ということで言葉が先だったと信じたい。

「藤ねぇ、お前は食に飢えた虎か。そんな調子で食べてると─────」

「虎って言う………!? ん、んー!」

案の定喉に食べ物が詰まったらしい。
あまりにもベタベタな展開に深く溜息をついて、茶を渡す。

「それ見た事か。ほら、茶だ」

「─────!」

物凄い勢いで士郎からコップを奪い、茶を流し込む。
苦しそうな表情はそこで消え、次にはいつも通りの笑顔があった。

「ぷっはー! ありがとう士郎、おかげで助かったわー」

「はぁ、俺はむしろ頭痛がしてくるぞ、藤ねぇ」

そうは言うが目の前に置かれているおいしそうな料理の数々。
士郎自身も空腹ではあったので、虎に全部持っていかれる前に食さねば。

「桜が作ってくれた料理だ。余すことなく食べさせて貰います。─────それじゃ、いただきます」

「はい、いただきます」

時刻は午後九時。
夕食というには少し遅すぎる時間ではあるが、一人で夜食を食べるよりかは全然マシだ。

「桜、また一段と上手くなったよな。これじゃ俺も追い抜かれそうだ」

「はい、先輩を射程圏に捕らえました。いずれ追いついて、追い越してみせます。
 覚悟してくださいね、先輩。いつか参ったって言わせて見せます」

「うわー、言い切ったな………。まったく、うちに来るまではサラダ油の存在すら知らなかったクセに。
 今では虎視眈々と師の首を狙ってやがる。なんだってそんな目の仇にするんだよ、ほんと」

「そんなの目の仇にしますっ。先輩の方が料理が上手なんてダメなんですから!」

「いや、ダメと言われても………。ともかく、俺も桜の射程圏から逃れるために料理技術を向上させねばいけないな。
 見てろよ、桜。また距離をあけて遠い存在になってやるぞ」

「ふふ、それはちょっと嫌ですね。先輩と同じ場所に立てるように精進します」

ゆったりと。
桜が作ってくれた料理の数々を一品ずつ味わって食べる。

どれもこれも士郎好みな味付けが施されていて、そこいらの料亭よりもずっとおいしい。
ご飯が何杯でも食べられそうだ。

「─────おお」

味噌汁を口に含む。
そこから味覚に伝わる味に思わず感嘆の声をあげてしまう。

「桜、この味噌汁かなりうまい。流石だ」

「あ、ありがとうございます!」

「あー………これはちょっと本気で精進しないと。さっきああ言った手前でまさか舌でそれを実感するとは思わなかった」

「私もああは言いましたけど、実際先輩にそう言われると上達したんだなあって実感できて嬉しいです」

二人穏やかに食事をするその傍らから腕が伸びてきた。
その先にはご飯が入っていた茶碗が。

「桜ちゃん、おかわり!」

「あ、はい」

いそいそと茶碗を受け取る桜。
その光景を見て、ふと気が付いた。

「藤ねぇ。一つ聞くが、今ご飯何杯目だ? まだ食事を始めてから十分程度だと思うのだが、なぜに残りご飯量と食卓のおかず群がこうも目に見えて減っているのか」

「んー? 何杯目だっけ? というか十分も経っちゃった? うわー、おいしいものを食べてると夢中になれるって本当だったのねぇ」

「………そうか、藤ねぇの中ではまだ食事を始めて五分程度しか経ってないのか」

これはうかうかしていると本気で虎に全部持っていかれかねんと再認識。
ここから先はおかずの取り合いの体を成してきそうな雲行きだ。

「おいしいから箸が進むっていうのもわかるけどさ、もうちょっと味わって食えよ、藤ねぇ。作ってくれた桜に申し訳ないだろ」

「いえいえ、いいんですよ。先輩みたいにじっくり味わってくれるのも嬉しいですけど、藤村先生みたいにいっぱい食べてくれるのもそれはそれで嬉しいですから」

「むー、士郎は私が味わっていないって思ってるのかしら? 安心しなさい、今日の桜ちゃんの夕飯の意気込みは十分伝わってきてるから」



─────こうして遅めの夕食は終わりを告げる。
空になった食器をシンクへと運び、テーブルを拭いてとりあえず居間は片付け完了。

「さて、それじゃあ俺は桜を家まで送るとするかな。藤ねぇ、悪いけどちょっとの間だけ家で待っててくれないか?」

「え? い、いやいいですよ、先輩。一人で帰れますから。それにまだ食器の片付けが………」

時刻は午後九時半を過ぎている。
夜は当然だが真っ暗で、まだまだ寒い時期だ。

「よくないだろ、最近物騒になってきたんだからさ。それに桜ン家はちょっと遠いだろ? 
 食器は俺が洗っておくから今日はもう帰って休め、桜」

「でも………ごめんなさい。気持ちは嬉しいんですけど、先輩は休んでいてください。家までだったら慣れてますし、一人でも大丈夫ですから」

「いや、それはそうだろうけど。今日は特別だ」

「でも、やっぱり………」

「はいはーい、そこで提案です、二人とも」

「「?」」

互いに引きそうにない状況と見た大河は、二人の間に入るように声をかけてきた。

「なんだよ、提案って。言っとくけど変な事だと即、却下だからな」

「別に変じゃないわよ。士郎は家にいて食器を洗えるし、桜ちゃんは夜道の危険に曝されないで済む方法があるわよ?」

「………それって藤ねぇが送って行くってことか?─────まあそれなら」

「ぶぶー、残念でした。正解は、今日はこの家に泊まっていく、でしたー」

「あーそれなら確かに………──────────って、ちょっと待て」

一瞬納得しかけた自分に喝を入れる。
大河の提案を聞いた桜も驚いた顔をしていた。

「えー? でも問題ないじゃない? 家は広いし、私たちが止まっても何の問題もないでしょ? 
 ………ははーん、もしかして士郎。変なこと考えてたりする? けど、残念。そんなことは教師である私が許しません」

「広さ的な問題はないとしても、藤ねぇは何を言っているんだ………。
 ─────というか、単純に食い過ぎて動きたくないからその提案出しただけだったりしないよな?」

「ぎっくぅ!!そ、そんなことないわよ!お姉さんはそんなだらしなくはありませんっ!!」

「………図星か」

はあ、と溜息をつく。
この家に帰ってきてから既に何回溜息をついただろうか。

「それに、だ。桜は家に帰らなくちゃいけないんだから、無理に泊まらせるなんて迷惑だろ?」

そうだよな? という意味を込めて、会話に参加していなかった桜に問う。
が、我に返った様に意識を取り戻した桜は

「そ、そうです、先輩! 私なら全然平気なので今日は泊めてください!」

「え? い、いや桜?─────わかった。分かったけど、その、本当に大丈夫なのか?」

「はい、大丈夫です!」

テンションの高さにたじろぎながらも士郎は了承し、二人は衛宮邸に泊まることになったのだった。



シンクにて食器を洗う士郎。
居間にはテレビを見る大河と桜がいる。

言うまでもない常識だが、夕食を食べ終わった後は食器の片付けをして、お風呂に入って寝るだけである。
小さな差異こそあるだろうがこれはごく普通の流れであり、当たり前すぎて本当に何も問題はない。

が。

「………あの、藤村先生。相談があるんですけど」

桜が遠慮がちに尋ねてきた。
その不思議な仕草に疑問を浮かべる士郎と大河。

「ん? なになに、言ってみそ?」

「あのですね………その………」

何かを言おうとしているようだが、歯切れが悪い。
そんな姿を見て大河は何やら思いついたらしく、ポンと手を叩いた。

「あ、そっかそっか。着替えの問題があったわね。んー、寝間着はどうしよっか。私のでいいのならあげるよ。
 それとも浴衣着る? 冬場だから少し寒いと思うけど、浴衣ならこの家にあるから。
 あとは家に帰って取ってくるっていう手もあるわねー」

「………藤ねぇ? 桜を夜道に出すのは危険だからこの家に泊まろう、って話じゃなかったっけ?」

一応はそういう事で泊まることとなっていたはずだ。
しかし寝間着を取りに帰るというのは

「そ、そうですよ藤村先生。家に取りに帰ったらそのまま家に居ればいいだけですから」

「あ、あはははー。そうだったわね」

ということである。

「………」

もう溜息すら出なくなり、黙々と食器を洗うことに専念する。
寝間着の問題なら浴衣でも用意すればいいだろうと判断したが、大河はそうでもないらしい。

「で、寝間着の話だけど、私ので大丈夫かな。下着も私のでいける?」

「あ、いえ………その、先生のだと、胸がきついと思うんですけど」

「むっ。そっか、桜ちゃん胸大きいもんねー。…………………………………その肉をワケロ」

士郎の耳に問題発言が聞こえてきたのと同時。
学校の教師があろうことか桜の胸を揉む様に触ろうとしている光景が。

というより実際少し揉んでいる。
当然それに反応する桜。

「きゃーーーーー!せ、先生何するんですかーっ!」

「あはははは、冗談冗談。………けど、困ったわねー。桜ちゃんサイズの下着なんて持ってないし、当然この家には無いし。桜ちゃんってつけて寝る派?」

出来る事ならば別の場所で話をしてほしい、と内心思う士郎なのだがそんな事などつゆ知らず。
かといってそれを口に出したら出したでまるで自分が意識しているみたいになってしまうのでここは聞こえていないふりをしてやり過ごす。

そんな士郎の内心を感じ取っているのかいないのか。
士郎の方をチラチラと見ながら大河が質問していた。

「え、あ、はい。………一応は、その」

「だよねー。おっきい人はそういう人多いよねー。けど苦しくないの、と素朴な疑問を投げかけてみる」

「………く、苦しいですけど、ですね。そ、そういう時はその………ごにょごにょごにょ」

耳打ちをする桜。
それを聞いた大河はなるほどーという顔で納得していた。

「若いっていいなー!んじゃ、さっそくうちの若いのに連絡入れて今から持ってきてもらうかー」

「え? い、今からって今からですか?」

「ん? そうよ?」

「あ、い、いや大丈夫です、藤村先生。今日は浴衣を着て寝ますから。一日くらい平気です」

「あれ、いいの?………でもまあ確かに今日だけの為に用意するのもあれかな。
 分かったわ、桜ちゃん。じゃあ浴衣の準備はしておくから、お風呂にでも入ってきなさい」

「………はぃ」

一連の会話を終えて真っ赤になりながら居間から出ていく桜。
それを見送った大河が、次は食器を洗う士郎の顔を見てにやけた。

「あれー? 士郎、顔が赤いけどどうしたのかなー? やっぱり桜ちゃんの話、気になる?」

「─────藤ねぇ。まさかとは思うが俺の反応を見たいが為にわざと聞こえるように話をしていたのか?」

「さぁーどうでしょう。お姉さんはふっつーに会話してただけだけどなあー」

にやにやしながらテレビをお笑い番組のチャンネルへと変える大河。
その背後。

「─────ふふふ。藤ねぇ………覚悟おぉぉぉ!」

居間の片隅に置いてあって紙製ポスター(昨日持ってきてそのままだったもの)を丸めて持ち、背後から頭部へ振り下ろす。
直撃コース。しかも相手は無防備かつ背後からの襲撃。

物凄い卑怯な先制攻撃だったが、これくらいしてもバチはあたるまいと思った矢先だった。
きらん、と大河の目が光ったと思ったら

パァン!!

と、大よそ紙製ポスターに相応しくない音が鳴り響いた。

「………………」

手に持っていたポスターを落とし、現状の理解に努める。
ポスターは大河の頭部に届くことはなく、自分の頭部に竹刀が。

「ふっふっふ………」

「………藤ねぇ、どっからその竹刀を取り出した? あれか、アンタはどこぞの青いネコ型ロボットか?」

「見えなかった? 服から取り出したのよ」

「それがどういうことか分からないんだよっ!!」

心の中から湧き出た渾身の突っ込みを吐きだして、盛大に溜息をついた。
この出来事だけで、全ての疲労が一度吹き飛んでそれ以上の疲労が一気に蓄積したような感覚に陥った。

「この不良教師め………」

とぼとぼと中断した食器洗いの続きを再開する士郎。
気をよくした大河はそのままお笑い番組を見ている。

「─────ほんと、一度氷室の爪の垢を煎じて飲ませてみようかな………」

コペンハーゲンにて冗談含めて言った言葉を、わりと真剣に考える士郎だった。




[29843] ep.05 / 運命の日 chapter.02 / Destination Unknown
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2014/12/27 04:38
chapter.02 / Destination Unknown / 死への旅

ep.05 / 運命の日

Date:02 / 02 (Sat)

─────sec.01 / 変わらない筈の日常

炎の中にいた。

崩れ落ちてくる家と目の前で焼かれていく人たち。
走っても走っても風景はみな赤色。

長く、思い出すことのなかった過去の記憶。
その中を、再現するように走った。

目的地がどこだったのかは分からない。
錯乱して無意味に走り回っているのか、それとも行くべき場所があったのか。

─────この結末は知っている

悪夢だと知りながら出口はない。
走って走って、どこまでも走って。

目の前で下敷きになった同年代の死体を見て。
走る気力すらも失って。

行き着く先は結局、歩く力すら尽きて助けられる、幼い頃の自分だった。




「─────」

嫌な気分のまま目が覚めた。
額に触れると、冬だというのにひどく汗をかいていた。

「………ああ、もうこんな時間か」

時計は六時を過ぎていた。
耳を澄ませば台所からトントンと包丁の音が聞こえた。

「今日は桜の勝ちか」

流石に二月の朝は寒い。
しかしこのまま起きないわけにはいかないので布団より起き上がる。

布団をしまい、制服に着替え、身嗜みを整えて居間へと向かった。

居間に入ると大河と桜が朝食の準備を済ませていた。
おはよう、と二人に挨拶をしていつもの場所に座る。

「………食べきれるのか、これ?」

テーブルに用意された朝食は普段に増して多かった。
夢見も悪かったせいで、これほどの量を食べられるほど食欲はなかった。

「えっへへへ、こっちはお昼のお弁当用!今お財布ピンチだから助かるわ、桜ちゃん」

なるほど、と理解する。
確かに二食分くらいの量があるなとは思っていたが、昼用だというならば分かる。

だが。

「………藤ねぇの弁当用かよ。桜に作らせるなんて職権乱用だぞ?」

自分の財布がピンチという理由で弓道部顧問である大河が、弓道部員である桜に弁当を作ってくれと言われれば作らざるを得ない。
そもそも自分の財布がピンチというのは自身の管理の甘さからくるツケなのだから、その賄いで桜に労力を強いるのはよくない。

「いえ、私と同じものですから手間は同じですから、大丈夫です。はい、先輩」

「─────桜がそういうなら深くは言わないけどさ。ありがとう」

そんなことを考えもしたのだが、よくよく考えれば自分も桜の朝食にあやかっているのであまり大きい声で言えたものではない。

「………他人の振り見て我が振り直せ。もうちょっとしっかりしないと」

「んー? 何を直すの、士郎。また何か土蔵でやってるの?」

「違う。こっちの話だ、気にしなくていい。─────いただきます」

まず味噌汁に箸をつける。
昨日に実感したことだがやはり今日の味噌汁も相変わらずおいしい。
これだけで十分活力は湧いてくる。

「ふふ、士郎。桜ちゃんお手製のお昼を食べたかったら昼休み、弓道部に顔出せばー? そうしたら分けてあげてもいいよー」

「………そんなことしたら本来藤ねぇ分のが少なくなるぞ。それでいいって言うなら考えるけど、少なくなったからって言って他の部員からメシを集るなよ?」

「─────うーん、やっぱり士郎は自分で購買とかで準備してきて」

「なんだそりゃ」

そこは『そんなことしません』と否定してほしかったのだが、こっちの考え通りに動かない教師。
が、そうは思ってもそれ以上は言わない。

この朝っぱらから虎に突っ込みを入れるほど元気ではない。
というより朝からこの虎が人並み以上に元気すぎるのだ。

「そういえば士郎。今朝は遅かったけど、何かあった?」

味噌汁を飲みながら士郎に視線を向ける大河。

(………ったく。普段は抜けてるクセに、こういう時だけ鋭いんだから)

「昔の夢を見た。寝覚めがすっげー悪かっただけで、あとはなんともない」

「なんだ、いつもの事か。なら安心かな」

とりわけ興味もなさそうに会話を切る大河。
士郎も別に気にしているわけでもいないので、ムキになる話でもない。

十年前。
まだあの火事から立ち直れていなかった頃は頻繁に夢にうなされていた。

それも月日が経つごとになくなって、今では夢を見ても比較的軽く流せるぐらいには立ち直れている。
ただそれでも当時はひどく、その頃からいた大河は士郎のそういった部分には敏感なのだ。

「士郎? 今朝に限って、食欲ないとかはない?」

「ない。流石にこの量全部を朝で食べきることはできないけど、いつもの朝並みにはある。あるから人の夢にかこつけてメシを横取りするな」

「ちぇっ。士郎が強くなってくれて嬉しいけど、もちょっと繊細でいてくれた方がいいな、お姉ちゃんは」

「そりゃこっちの台詞だ。もちっと可憐になってくれた方がいいぞ、弟分としては」

ふん、と互いに視線を合わせずに罵りあう。
それが元気な証拠となって、大河は安心したように笑った。

「─────ふん」

士郎にとってその心遣いは嬉しいものだった。
しかしお礼を言おうものならつけあがることは確定なので、いつも通り不満そうに鼻をならしておくことにする。


食事を終え、大河は先に家を出て行った。

今日は土曜日。
学校が休みのところもあるが、穂群原学園は土曜日も午前中だけだが授業がある。

ちゃちゃっと食器を洗い終えて戸締りの確認。
そして門を潜って外へ向かう。

「先輩。今日の夜から火曜日までお手伝いにこれませんけど、よろしいですか?」

「? 別にいいよ。桜だって付き合いあるんだし、気にすることないよ」

というかまさか今日の夜も実は来る気でいたのだろうか、と桜の言葉を聞いて思った士郎だったがここは言わないでおく。
その当の桜はというと少し慌てたように手を振った。

「え─────そんな、違います………!そういうんじゃなです、本当に個人的な用事で、ちゃんと部活にだって出るんですから!
 だ、だから何かあったら道場に来てくれたら何とかします!
 別に遊びに行くってわけじゃないです、だから、あの………ヘンな勘違いはしないでもらえると、助かります」

「???」

挙動不審というか、かなり緊張しているようだ。
なぜそんな態度をとるのかわからなかったが、あまり深くは聞かない方がいいだろう。

「分かった。何かあったら道場に行くよ」

「はい、そうしてもらえれば嬉しいです」

そう言って胸を撫で下ろす桜だったが、視線を落とした先のものを見て一転顔を強張らせた。

「先輩、その左手………」

「─────左手?」

桜の言葉につられて左手を見る。
ほたり、と赤い血が地面に零れた。

「あれ………どっか怪我したっけ?」

左手、左腕共に痛む箇所はない。
念のために袖をまくって確認すると、確かにそこに血が滲んでいた。

「なんだこれ。昨日の夜、ガラクタいじってて切ったか?」

そうは言ったが怪我をするようなことはなかった筈である。
となると眠っている間にどこかにぶつけてこうなったか、あるいは気付かないうちにどこかにぶつけてしまったか。

にしては痛みがない。
傷だって、腕にミミズ腫れのような痣があるだけ。

痣は肩から手の甲まで一直線に伸びていて、小さな蛇が肩口から手のひらを目指しているようにも見えた。

心底疑問だらけだったが、その隣で桜が心配そうに見ているのに気づき、なんでもないように笑い飛ばした。

「大丈夫だよ、桜。痛みはないし、特に気にする必要もないだろ」

「………はい、先輩がそういうんでしたら」

血を見て気分を悪くしたのか、桜は俯いたまま黙ってしまった。



桜は朝練に参加するために弓道場へと向かっていく。
士郎もそれに続いて学校内に足を踏み入れた、その時だった。

「─────!」

─────ドクン、と。
酷い違和感があった。

見渡してもそこにあるのはいつも通りの学校。
朝練に励む生徒たちは生気に溢れ、真新しい校舎には汚れ一つもない。

「………気のせいか、これ」

そう思って目を閉じると雰囲気が一変する。
校舎には粘膜の様な汚れが張り付き、校庭を走る生徒たちはどこか虚ろな人形みたいに感じられる。

「………疲れてるのかな、俺」

軽く頭を振って、校舎とは別方向へ向かう。
とりあえず先ほどの違和感は気になったが、それは頭の片隅に置いておく。

「氷室はもう来てるのか?」

昨日の朝に約束した手伝いをするため、士郎は陸上部の倉庫へと足を進めていたのだった。



─────sec.02 / 空白の夢

その光景を見ていた。

真っ赤に燃える街と、暗い筈の夜をさらに黒く染める黒煙。
見たことも無いようなその景色は、一度見ただけで十分だった。

それを見て、走って家を出ようとする。
まるで何かに突き動かされたかのように。

─────どこに?

それは間違いなく私だった。
ただ今の自分の思考・感覚と、走ろうとして腕を掴まれている私とは、ひどく乖離していた。

まるで他人事のように、私を見ている私がそこにいた。

腕を掴まれている私が振り返り見たその先の光景。

真っ赤な夜空。
ならそれは通常ならば白のような色、あるいはこの状況ならば赤色にも見える筈の太陽じみたナニか。

………なぜ、その太陽が黒く見えるのか。

それを見た乖離した私は一層掴む腕を引きはがそうと躍起になっている。
だが、思考・感覚である私はひどく恐怖を感じた。

夜なのに太陽がある。
黒い太陽が、そこにある。

─────ああ、いや。乖離などしていない、か

違いがあるとすれば、明確に意識出来ているか出来ていないかの違いだけ。
結局、乖離した私も思考・感覚の私も、今この瞬間に持ちえた感情は同一のものだろう。

─────『違う』

部屋に閉じ込められ、乖離した私がベッドの上に小さくなって枕を抱えている。

この火事が原因で私は一度だけ入院した。
後にも先にも今のところ入院はこの一度だけ。

過去の映像。
似たようなものは何度か見ている。

ならいい加減に起きよう。
この映像にいい思い出などない、視るだけ無駄だ。
そう、意味なんて。

(          )

─────え?

気が付けば、その『空白』へ………幼い手を伸ばしていた。



「─────」

一人薄暗い部屋で起き上がった。
そのまま自分の胸に手をあてる。

心臓が脈打つのがしっかりと分かった。
次に時計を見ると、時刻は五時半だった。

「………まだ、こんな時間か」

耳を澄ませば台所からトントンと音が聞こえた。
母親が料理をしている音だろう。

「─────目が、覚めてしまった」

夢でうなされるということはなかったと思うが、急に目が覚めて心臓がうるさかったことは何度かあった。
要するに嫌な夢を見てとび起きたということなのだが。

「起きるか………」

珍しく目覚ましが鳴る前に起きて、目覚ましを解除して部屋を出る。
台所から漏れてくる明かりが寝起きの目には少し眩しい。

「あら? どうしたの、鐘。まだ五時半よ?」

「目が覚めただけ………顔洗ってきます」

嫌な夢を見たものだ、と内心思ったが気にしても仕方がないのでさっさと顔を洗い身嗜みを整える。
部屋に戻り、制服に着替えて学校の用意を完了させた。

特に何の問題もなく、いつも通りの朝の支度。
起床時間が早かった分母親が早めに朝食を用意してくれたので、こちらも少し早い朝食を食べる。

食べ終えて自室へ戻るが、時刻はまだ三十分ほど余裕があった。
いつもより三十分早く起きたのだから当然だろう。

「─────」

自然と、気が付けば先ほど見た夢の内容を考えていた。
目覚めと同時に忘れる夢もあるが、今回のは珍しく鮮明に覚えている。

それほどまでに違和感と疑問が多かった。

「黒い太陽………」

正直に言うとあれは誇張だろう。
まだ幼かった私が、火事の恐怖で見た幻想の類だ。

そうでなければ説明がつかない。
夜に太陽というだけでもおかしいのに、それがまるで全てを吸い込むブラックホールの如く真っ黒となればいよいよ現実離れしている。

「何か違う………?」

恐怖を覚えた。
それは分かった。

あれほどの火災となれば恐怖を感じることは不思議ではない。
その所為でベッドの上で、まるで何かに耐えてるかのように蹲るのも理解できる。

─────それが『違う』

「違和感が………拭えない」

だが、その違和感も黒い太陽も、最後の『空白』で上書きされる。

「声………? いや─────」

一番肝心な部分であろうところが、ほぼ完全に抜け落ちている。

現実離れした太陽も、違和感だらけの恐怖も。
それら全てを受け入れてもなお手を伸ばそうとした『空白』が、私には見えない。

「………もうこんな時間か」

気が付けば三十分が経っていた。
嫌に感じるほどに時間の経過が早い。

「行ってきます」

気になることではあったが、これ以上思考に浸っているわけにもいかない。
リビングにいる母親に声をかけるとともに見えたテレビには、『あの火災からもうすぐ十年』という字幕が出ていた。



─────sec.03 / 終わる筈のない日常

いつも通りのバスに乗る。

さきほど考えていた事は頭の片隅に追いやっていた。
どう頑張っても疑問が晴れることはないし、そもそもこれは夢である。

過去の夢を見たと言ってもそれが全てとは限らず、それが事実とも限らない。
後ろ髪を引かれる様な感覚はあったが、気持ちを切り替える。

学校に到着し部室へ向かう。
そこにはいつも通り楓と由紀香がいたので挨拶をして運動着へ。

しかし。

「………」

どうも調子があがらない。
どこかが悪い、ということでもなければ何かが悪い、ということでもない。

ただ単純に『調子があがらない』。

「………いつも通りと言えばいつも通りなのだろうか」

ストレッチをしながらそんな事を呟いた。
そこに深い意味などなかったのだが、どうやら近くにいた二人は気にしたらしい。

「ん、どうした氷室? 何がいつも通りなんだ?」

「調子があがらないということだ。無論不調、というわけでもないのだが」

「え? 鐘ちゃん、どこか気分がすぐれないの?」

マネージャーである由紀香が尋ねてきた。
昨日の今日ということもあり、そういう話には少し敏感になっているようだ。

「いや、気分が悪いというわけではない、由紀香。体調に関しては今日も変わらず良好だ」

「そうなの………。それならいいんだけど」

「ということは何かね、氷室名参謀殿はやる気が足りていないというのかね? この前言ってた朝食は食べたのか、うん? それとも寝坊して慌ててバスに飛び乗ったかー?」

「………私の返答も聞かないまま捲し立てるが如くの質問攻めには、最早呆れを通り越して感心すら覚える。
 そしてその質問全てにおいて一言言わなければ気が済まなくなるような内容にも見事だと褒めてやろう、蒔の字」

気が付けば口元が知らず笑っていた。
─────無論、目は笑っていなかったが。


ストレッチをしたのちに体を温めるため軽くグラウンドを走る。
大会も近いこともあって、走り高跳びの選手である鐘は早めに切り上げる。

そしていつもと同じ様に準備の為に倉庫へと向かう。
だが、その倉庫が見えてきた時に彼女の足は止まった。

「─────失念していた」

額に片手を当てる。

鐘が見た光景。
昨日コペンハーゲンで見た人物がそこに立っていた。

(昨日、『明日も手伝う』と言っていたではないか。まったく、なぜ忘れていたのか………)

自分に対して毒を吐きつつ近づいていく。
鐘に気がついた士郎が小さく手をあげた。

「お、氷室。おはよう。今日は少し遅かったんだな?」

「少し蒔の相手をしていた。─────いや、せざるを得なかった、と言った方が正しいか。
 そしてすまない、衛宮。君がいるということを先ほどまで忘れてしまっていた」

「なんだ、忘れてたのか。いや、別に構わないけどな。流石に氷室がこのまま来なかったらアレだったけど、忘れてても氷室はここに来るんだし結果オーライだ」

謝罪する鐘に対し、士郎は特に気にする様子もなく倉庫の中へ入っていく。
薄暗い倉庫の中だがパチリ、とスイッチを入れると明かりが天井より落ちてくる。

「それに友人と仲良くするのは当然だろ。今日は別に生徒会の用事もなかったから、ここで五分十分待ったって問題なかった」

「………衛宮がそう言うと、君の行為に甘えている私が言えることは何もないな………」

倉庫の中に入っていく姿を見て、足は士郎を追いかけていた。

「さて、それじゃセッティングをしよう。最初は俺一人でやってもいいかなって想ったけど、部員でも無い奴が一人で準備してると流石にうまくないだろうって思ってさ」

「そうだな。まだ君が元陸上部員であれば周囲に話は通じただろうが、陸上部には入っていないのだから立つ言い訳はないだろう」

「ヘタすれば氷室に迷惑かけちまうしな。それだけは避けたかったからこうして待ってた」

マット運びから始まり、走り高跳び用のスタンド、それに掛けるバーを持ち出していく。
バーはグラスファイバー製のバーと天然竹のバーの二種類があるが、この学校に用意されているのは竹。

天然竹製であれば安いものでは十本セット一万五千円ほどで買える。
少し背伸びをして高級品を選んでも一本で同じ値段だ。

だがグラスファイバー製の物ともなれば、安くても一本で先ほどの竹製のバー十本セットと同額の値段。
高いものならば余裕で一本あたり二万円を超える。
セット物となればそれこそ生徒会と戦争じみた交渉をする必要が出てくるだろう。

そして今、運動部には逆風が吹き荒れている。
生徒会の長、柳洞一成。

運動部に偏り過ぎた予算を是正しようと力を注ぐ彼は、運動部の申請を悉く却下してきた。
特に合宿の類は軒並み却下。

その度に楓が鐘に文句を言うのだが、それを生徒会長に言うようにとその都度提案していた。
鐘に文句を言ったところで申請が許可される道理はないからだ。

そのためバーも一番コストが低いものが選ばれる。
一本当たり千五百円程度で済むものと、一本で二万円するものを比べれば必然的に前者になる。

「─────いや、なんか運動部は運動部で苦労してるんだな、氷室」

「そうだな。私自身は大して不自由は感じていないが、蒔が何かと食いつく。
 あれは皆で騒ぎたい故に合宿を提案している節があるからな。これで他の運動系の部が合宿を許可されれば真っ先に生徒会室へ乗り込んでいくだろう」

そんな舞台裏の事情がある以上、使えるものは使えなくなるまで使う。
自分が持っているバーに視線を落とす。

「………テーピングをすれば、まだ使えるか」

幸い痛んでいる箇所は軽微なので適当に修繕すれば問題はないだろう。



「すまない、衛宮。今日も助かった」

「いや、別にいいって。俺が好きでやってるわけだからさ。氷室は練習頑張ってくれ」

そう答えた士郎は用意した練習場を眺めている。

「………衛宮?」

「? なんだ?」

「いや、何をしているのかと」

準備が終わったのだからさっさと離れろ、なんて言うつもりはない。
だが特別眺める価値があるような代物ではないのも事実だ。

「ああ、ごめん。いや、氷室が跳んでるところを近くで見たいなーって思っただけだ。邪魔だったなら謝る、すまん」

鐘が考えすらしなかった答えが返ってきた。
その顔は冗談で言っている顔ではなく、だからこそ困惑した。

「………謝る必要はない。しかしどうしたのだ? 急に見たいとは」

「あー………俺さ、四年くらい前に走り高跳びやってた事があったんだよ。まあその時の名残っていうか、気分っていうか」

またもや意外な言葉を聞いた。
これもまた考えもしなかったことだったが、彼は陸上の、しかも元走り高跳びの選手だったということだろうか?

「ほう。つまり衛宮は陸上部だったということか?」

「いや、陸上部じゃない。けど、ひたすら走り高跳びをしてた。………ちなみに理由や結果は訊かないでくれるとありがたい」

そう言って視線が鐘から外れた。
どうやらうまく跳べなかったらしい、と察する。

「まあ、確かにじっと見られてちゃ集中の邪魔か。氷室だって近々大会あるんだったよな? それは乱すのはいけないな」

「あ、いや。衛宮、私は別に………」

構わない、と言いかけた時だった。
背後より聞き馴染みのある声が聞こえてきた。

「氷室ー、どうしたんだ?」

「蒔寺に三枝か、おはよう」

「あ、おはよう、衛宮君」

「おはよう、衛宮。─────で、お前は何でこんなところにいるんだ?………まさか氷室にちょっかい出してるんじゃないだろうな?」

「いや、蒔。彼は─────」

ちょっかいなど受けていない。
寧ろ準備を手伝ってくれたのだ。

だが、その当の本人は別の事を考えたらしい。

「ん、確かに邪魔したかな。そう思ったから離れようとしてたところだ」

「衛宮ー、氷室は大会控えてるんだからさ、邪魔するなよー?」

「安心しろ、蒔寺に追いかけられる前に撤収するから。じゃ、氷室。練習頑張ってな」

そう言って立ち去って行く。
小さくなっていく背中。

「ぁ………」

何とも言えない気持ちになる。
自身が遅れたにも関わらず待っていてくれて手伝ってもらったというのに、最終的には追い返すような形で別れてしまった。

「氷室、高跳びの練習は………って、どうした?」

「………蒔の字。君は一度冷水で顔を洗ってくるといい」

士郎の後を追う。
このまま終わるのはどうも後味が悪すぎた。

「え? あ、おい。氷室ー?」



「衛宮」

前に歩いていた士郎を呼び止める。
振り返るその顔は近づいてきた人物を確認するなり、少し驚いた表情を見せた。

「氷室。どうしたんだ? 練習は?」

「いや、その前に君に謝っておかなければいけないと思って」

「………謝る? って何を?」

「手伝ってもらったのに追い返す様な形で立ち去らせてしまったのだ。謝罪をするのは当然だろう?」

少なくとも親切心でやったのに追い返される様な仕打ちは間違っているだろう。
仮に鐘がその立場ならばいい気はしない。

だが………

「そんなことか。いいよ気にしなくても。俺は気にしてないからさ。むしろ蒔寺の言った事は正しいだろ。
もうすぐ大会、ついでに期末試験も控えてる。集中する必要がある時期に邪魔する俺が悪いんだからさ」

「いや、そもそも邪魔だとは………。例え君が気にしなくとも私は気にかける。
 それにそれでは何というか………酷いだろう? これでは衛宮が報われないではないか」

「報うって………。別に俺は見返りが欲しいからやってるわけじゃないぞ? よかれと思ってやってるんだから、氷室が助かったなら俺も本望だよ」

それに、と士郎が続ける。

「別にこれが初めてじゃない。過去何度か似たような経験はあるし、その時も別に気に掛けた事はなかった。
 人の為に役に立ったんだからそれでいいだろ」

「─────」

………言葉が出なかった。
彼はそれを気に掛けることもなく

「俺の事なら大丈夫だからさ、氷室は練習に戻ってくれ。大会の調整はしないとまずいだろ? それに、二人も後ろで待ってるぞ」

鐘の後ろを指さす。
つられて後ろを振り返ってみると、そこに楓と由紀香がいた。

「それじゃあな、氷室」

軽く別れの挨拶を言って、彼は校舎の中へ消えていった。
その後ろ姿を茫然と眺めながら、先日の会話を思い出した。

『しかしな、衛宮のは度が過ぎるというか、このままいくと潰れてしまうというか。─────そうは思わんか、役所の子』

最初は何を言っているのか、と思ったが今ならば生徒会長と同じことを思えるだろう。
─────このままいくと彼は破綻する、と。

少し不安な、心配な、何とも言い難い気持ちになったが、そんな自分に気付いて追い払う様に頭を振った。
そして次に自分のこれまでの行動を思い改める。

(待て、違和感がありすぎる。何故私は衛宮を気に掛けた? そもそも私と衛宮は気安く語らいあえるような仲だったか? 昨日といい、今といい。これでは、その)


─────私が衛宮の事を好きみたいじゃないか


自分で考えてその結果、自分で顔を赤くした。
何とも言えない感情に支配されたが、次には冷静な彼女の理性が働いて落ち着かせた。
が、体温はまだ上がったままだ。

「蒔の字に言えた事ではないな。………私も冷水で顔を洗ってくるべきか」

「鐘ちゃん、どうしたの? 衛宮君と何かあったの?」

背後より近づいてきた由紀香が話しかけてくる。
それまで自分の世界に入り込んでいた鐘は意識を戻し、後ろを振り返った。

「いや、衛宮に礼を言った。走り高跳びの準備を手伝ってくれたのでな」

「なんだ、衛宮に手伝ってもらってたのか? なら言ってくれればいいのに。衛宮に頼らなくたって手伝ったのにさ」

相変わらずの口調の楓。
隣にいる由紀香もいたって普通である。

「さ、氷室。練習に戻ろうぜ」

二人は踵を返してグラウンドへ向かっていく。
その後ろ姿を見て鐘も歩き出すが、校舎へ一度だけ振り返った。

そこに士郎の姿はない。

「………今朝といい、今といい。─────いや、気にする必要はない」

そう自分自身に言い聞かせる様にグラウンドへ向かう。
しかし、言い聞かせるにしてはあまりにも複雑な心情であった。



─────sec.04 / 死への旅

土曜の学校は午前中で終わる。

午後からは部活動に勤しむも、帰宅し新都で遊ぶも、学校に残って試験勉強するもよし。
過ごし方は基本的に自由だ。

士郎は午後から特に予定はなかった。
そこに一成から生徒会の手伝いをしてほしいという依頼が。

それを快く引き受けた士郎は学校の備品の修理やら一成の手伝いやらをしていた。
途中、

『すまない、衛宮。俺も別件で寺の用事がある。もうそろそろ切り上げるが、衛宮も適度なところで切り上げてくれ』

と、言われた。
そこで終わってもよかったのだが、生憎と目の前には修理待ちの患者達が。

『分かった。とりあえず今はキリが悪いから、こいつらを直したら俺も上がる』

『そうか。すまないな、衛宮。では、武運を祈る』

なんて、やはり少し間違っていそうな日本語使いで去って行った。
その後集中して器具の修理に取り掛かり、あと少しというところで外を見てみると太陽は地平線に沈み、星空が見える。

「やべ………。さっさと終わらしちまわないと」

目の前にはストーブが。
『使えなくなった』ということでその教室の生徒がわざわざ持ってきてくれたものだった。

神経を集中させ、構造を解析する。

(断線しかかっている部分が二つ。………一応補強しておこう。放っておいたらまた修理行きだ。電源コードは………難しいな。絶縁テープでいけるか?)

確認し終えたところで工具箱から工具を取り出し、修理を開始する。

まずは該当箇所を修理するためにパーツを分解。
ここで分解した際にでるネジなどを無くしてしまうと後で痛い目を見るのでしっかりと無くさない場所に保管。

断線しかかっているところを思い切って切断し、ダメになった部分を破棄。
ケーブルを覆っている被膜を一センチほど剥がし、内部の何本も束になった細いケーブルを広げる。

それらを重ねてねじり、接続させる。
その後接続部分を保護するためにテープを巻きつける。

ただこれだけでは数か月でダメになる。
巻きつけたテープの上からロックタイでしっかりと補強する。

「よし、とりあえず軽い方はこれで………。問題は電源コードの方だな。ここまで来たんだ。これを終わらせて帰るか」



午前の授業が終わった後、いつも通りに由紀香と蒔の二人で昼食を食べ、一息ついたところで陸上部の部室へと向かった。

午後からはしっかり陸上の部活だ。
いつも朝は一時間半程度、平日の放課後も平均二時間程度の活動しかできない分、こういう午後の時間はしっかりと練習に取り組める。

「お疲れー、氷室。ちゃんと跳べたかー?」

部室に一足先に戻っていた蒔が私に尋ねてきた。

「ああ、大丈夫だ」

「ふーん、ならいいんだけどさ。怪我とかには気をつけろよ?」

衛宮と別れた後、いつも通りに走り高跳びの練習を再開した。
だがやはり気持ちの切り替えが甘かったらしく、バーに触れて落としてばかりだった。

そんな私の状況と近頃の周囲の状況もあって、由紀香も蒔も気に掛けたようだった。
無論、怪我などはしていない。

「蒔の字、由紀香。すまないが、先に帰っていてくれ。私は少しやり残したことがある」

「え? 鐘ちゃん、やり残したことって? 手伝うよ?」

「いや、手伝ってもらうほどの人手は必要としていない。私一人でも平気だ。それにバスまでまだ少し時間もある。気にしないで帰ってくれて構わない」

着替え終えて部室を出た私を追う様に二人も部室から出てきた。
空は既に暗く、吐く息が白く見える。

「氷室、完全下校時刻まであと少しだからな。遅れないように帰れよ?」

「忠告は感謝しよう、蒔の字」

ばいばい、と手を振る由紀香と蒔に別れを告げ、陸上部の倉庫へと向かう。

もう一年の頃から馴染みのある倉庫。
その鍵のかかっていない倉庫に入り、問題のバーを手前に持ってくる。

これからやるのはバーの修繕。
別に私がやる必要はないのだが、だからといって他人がやる必要もないので私がやることにした。

バーをテープでぐるぐると巻いていく。
途中歪んだりしてしまって悪戦苦闘。

「慣れないことはするものではないな」

応急処置ではあるが完了した。

誰の悪戯か、或いは事故なのかわからないが、一部欠けていた竹のバー。
それがバーの端なら問題はなかったのだが、それが丁度選手が跳ぶ部分にあるとなると放っておけない。

欠けた部分に勢いをつけた体がかすれば、それだけで皮膚が切れて出血してしまう。
さきほど行った修繕はそれらを隠す作業だ。

これがもう少し致命的な損壊だったなら大人しく捨てるところ。
だがテーピングをするだけでまだ使えるのであれば使ってく。

「思ったより時間がかかってしまった。もう下校時刻は過ぎているか………」

この倉庫には鍵がない。
そのため鍵をかける手間と鍵を職員室に返しに行く手間が必要ないのはありがたいが、防犯面という意味では問題だ。

「………最近は物騒になっているのだから、鍵の一つでも用意してはどうなのか」

或いは生徒会に鍵の購入の申請でもしてみようか。
真っ当な理由がある以上、この申請は通るはず。

「……………?」

そんな事を考えながらグラウンドに向かっていた。
だが、いつからか何かの音が聞こえてきた。

「金属が………ぶつかる音?」

倉庫から走り高跳びに使うスタンドを取り出す時、誤って倉庫の壁にぶつけてしまう事がある。
今聞こえてくる音はそれと似たような甲高い音だ。

グラウンドに近づいていくと、それに比例して音が大きくなって聞こえてくる。
何事かと思いながら音の発生地であるグラウンドを覗いて─────

「─────な」

─────その光景を見て、意識が凍った。

言葉も続かない。
足も動かない。

私の目線の先に、何かよくわからないモノがいた。

赤い人間と青い人間。
時代錯誤なんてレベルはとうに越えて、冗談とすら思えないほどの武装をして、どこかの時代劇の様に斬りあっている。

見せつけられる光景は、夢としか思えない内容。

(夢………ではない。何かの撮影?─────いや、そんな話は聞いていない。じゃあこれは………)

一体なんだ、と。
私の中で必死に現実の何かに置き換えようとする。

けれど、置き換えられない。
私の知っている全てを総動員しても、“アレ”はどれにも該当しない。

“アレ”は人間ではない。人間に似た何か別のモノ。
あんなもの、誰が見たところでそう思うだろう。

人間という生き物はあれほどのスピードで動ける筈がない。
陸上の私が言うのだから、間違いない。

だからこそ、“アレ”の説明が、理解ができない。
─────だから、“アレ”は関わってはいけないモノだ。

………気が付けば、足が後ろへ一歩下がっていた。

青い人間<の様なモノ>が持つ物。
始めはそれすら見えなかった。

けれどそれが凶器だということは分かった。
二人が対峙していて、金属音を鳴らしている以上、それは凶器以外にありえないから。

青い人間<の様なモノ>が動きを止めて、ようやくその凶器が見えた。
………紅い、槍。

(……………ぅ)

それを見た時、昨日由紀香から聞いた話の内容を思い出した。
確か、子供を除く三人が“長物”の凶器で殺害された。

(まさか………)

じゃあ、目の前にいるモノは何だ。
長物、槍、人間の様な人間ではないモノ、殺し合い。

(逃げ、ないと………)

─────その結論に至るまでに、信じられないほど時間がかかった。

そう、逃げる。
逃げなければ殺される。

確証なんてないが、直感でわかった。
だから逃げなければならない。

なのに私の足は動かない。
距離は四十メートル強。

気付いていない筈だ。
─────けれど、背中を向けて走り出そうものなら、その瞬間にあの紅い槍が背後から自分の胸を穿つ様な気がして、満足に息もできない。

目の前の光景に、恐怖ではなく、恐慌に陥っていた。
体がうまく動かない、言葉が出ない、息すら………満足にできない。

「………!」

赤い男と青い男が動きを止めた。
構えていた槍の穂先は戦いを停止したことを表す様に地面へと向いていた。

なら、もう戦いは終わったと、私は一人安堵した。
その安堵からか、満足にできなかった息を初めて意識的にしたときだった。

「っ……………!」

ぞわり、と。
言いようのない寒気が私の体を駆け巡った。

歯がカタカタと鳴る。
あまりの寒さに対応しようと、シバリングをしようとしている体。

その震える体を必死に押さえつけた。
これ以上ここにいてはいけないと、また一歩だけ、ロクに足も上がらないのに後ろへ下がる。

「!? ひゃっ………!」

体のバランスが崩れた。

足を上げないまま動けば、段差で躓く。
そんな子供でも分かるような失敗を、あろうことかこの場でしてしまった。

極度の緊張状態にあった所為で、そんなことで声を出した。
─────校庭にいるモノは、それを聞き逃す様な存在ではないと、理解してた筈なのに。

「誰だ─────!!」

怒号が、私の耳に届く。
青い男が私を見つけた。

「─────っっ!!」

その声色と、見つかったという事実だけで、瞬時に理解した。

─────“アレ”は、私を殺す気だ。

青い男が姿勢を変化させる。
それだけで、標的は私に切り替わったと理解できた。

「─────…………!!」

声は出ない。
そんな指令はきっと、脳から発せられてはいないだろう。

勝手に手足が動く。
それが死を回避する為に動いたものだと、体が動いた後に理解して、逃走する為に私は全力を注ぎこんだ。



─────sec.05 / 運命の夜

「はぁ─────、は─────ぁ」

これほどまでに息があがったことはない。
それほど全力で、長い距離を走った。

どれだけの時間を走って、どれだけの距離を走ったかなど、今の私には分からない。

長距離走の選手ではないが、陸上部に入ってよかったと心からそう思ったのと。
あの時由紀香や蒔と一緒に帰ればよかったという後悔が。
そして殺されるかもしれないという恐怖が、私の中に氾濫していた。

─────そんな状態では、この無音の世界に響く些細な音ですら私を恐怖させる。

ガラッ

「!─────っ」

声を必死に抑えて、音のした背後へと視線を向ける。
そこに

「あれ? 氷室じゃないか。どうしたんだ、こんなところで」

………信じられない人がいた。

「衛………宮」

普段と、今朝と変わらない様子で彼はそこにいた。
その姿を見て、不意に涙が零れた。

「………っ!」

見せないように背を向ける。
今の、こんな自分を誰にも見せたくはなかった。

「? どうした、氷室。何か忘れ物でもしたのか?」

なるほど、と彼の言葉を聞いて妙に納得する。

完全下校時刻を過ぎた夜にまだ学校にいる。
私は走ってきた所為で息があがっている。

いるはずのない時間に、息が上がった状態でここにいる。
ならば走って忘れ物を取りに来た、そんな風に見えるだろう。

「………氷室? 大丈夫か?」

返事をしなかった私を変に思ったのか、或いは僅かに見えた私の顔色が優れなかったのか。
近づいてきた彼は、私の肩に触れた。


─────だめだ、衛宮。私に触れないでくれ。今の私は─────


「………!おい、氷室。どうしたんだ、何かあったのか!?」

そんな言葉をかけてきた。
きっと普段の私ならば『それは君の思い過ごしだ』と切り返せるだろう。

けれど今の私にそんな余裕はなかった。
そして耐えられなくなって泣き崩れる訳にもいかない。

深呼吸をして、無理矢理にでも気持ちを落ち着かせる。
こんな状況で言えたことではないけれど、冷静であることこそ、私の取り柄だと。そう言い聞かせて。

(………撒けたのか?)

幸いあの青い男が近づいてくる音はなかった。
あまりにも楽観的すぎる思考を頭の片隅に置きながら、彼の問いかけに応じる。

「………別に、何かあったわけじゃない。君の言った通り、忘れ物をしてそれを取りに来ただけだ。
 そういう君こそ何をしている? もう完全下校時刻をとうに過ぎているぞ?」

………冷静になれた、元に戻れた………とは、正直言い難かった。
矢継ぎ早に言葉を続けてしまったのがその証拠だ。

流石の彼でもそんな私をおかしく思ったのだろう。
一瞬怪訝な目で私を見たが、

「ああ、一成の手伝いをしてたんだよ。ストーブの修理だったんだけど、思ったより重体患者で終わったらこんな時間になっちまってた」

笑いながら彼はそう答えた。

(一成?……………ああ、生徒会室、か)

彼が出てきた部屋の札を見る。
そこには確かに生徒会室と書かれていた。

(ということは、私は無意識に階段を駆け上がってきていたのか………)

何が冷静さが取り柄、だ。
自分が上がってきた階にすら気づいていないじゃないか。

「氷室、本当に大丈夫か? 無理しなくてもいいぞ? 何なら家まで一緒に行くぞ?」

“俺は本気で心配しているぞ”、という顔で私を見てくる。
………その言葉に『私』が揺らいだ。

「──────────、」

けれど、それはダメだ。
そもそもこんな廊下で話をしていることが間違いだと気付く。

「いや大丈夫だ、衛宮。心配してくれるのはありがたいが、君は君で早く家に帰った方がいい。この学校に長居は無用だ」

暗に『早くこの学校から出ていけ』と言った。
ストレートに言うとその理由を問われかねないからだ。

「………いや、そんな顔色の氷室を一人にしておくわけにはいかない。長居は無用だって言うのは同意見だけど、それは氷室も同じだろ?」

─────この、お人好し。

「言っただろう? 私は忘れ物を取りに来たと。まだ回収していない。私は取ってから帰るから衛宮は先に帰ってくれていい」

「じゃあ俺は氷室と一緒に忘れ物を取りに行って一緒に帰る。ほら、これなら何の問題もないだろ?」

─────こ、の、お人好しで頑固者。
そもそもこの場にいることが間違いなのだから─────!

「大有りだ!そもそも衛宮は─────」

………その私の言葉が続くことはなかった。

私の前にいる彼の後方。
そこに


「よう、嬢ちゃん。─────追いかけっこは終わりか?」


紅い槍を持った、青い死神が立っていた。



[29843] ep.06 / ランサー
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2014/12/31 22:37
目の前にいる男。
持っているモノ。

─────魔術師として半人前である士郎でもわかるような、“異常”だらけの存在。

自身の後ろにいる少女。
その言動、顔色。

─────先ほどこの男が発した言葉。

そうして士郎は理解した。

その行動に難しい理由なんてないし、必要じゃない。
“衛宮士郎という人間が取るべき行動”だからこそ─────体は動いた。




ep.06 / ランサー

─────sec.01 / 青い死神


鐘は、目の前に現れた男を見て言葉を失っていた。

まともに思考が働かない頭で、それでも出した現在の状況。
その状況は、大よそ考えられる中で最悪の状況だった。

もう、逃げられない。
それはつまり、殺されるということ。

その漠然とした、けれど確実で揺るぎようがない事実が目の前にある。
意識がブレる。前後の記憶が呼び出せなくなる。上下の感覚が消失する。熱さと寒さを受け取れなくなる。

─────棒立ちのまま、全てがモノクロに変わっていく。

「─────え?」

けれど、それが次には消え失せた。

「え………衛宮………?」

気付けば前にいた士郎が庇う様に、あの男の前に立っていた。
必然的に鐘の視界情報は士郎の背中のみになる。

「ん? なんだ、坊主」

青い男、ランサーはただその光景を機械的に判断した。
あの少年が取った行動がどういう意味を持っているかなんてすぐに理解できる。

「おい、坊主。かっこつけてるところを悪いんだがよ、俺はその後ろにいる嬢ちゃんに用があるんだ。どいてくれねえか?」

「………断る」

「………あ?」

笑いかける様に尋ねたランサーだったが、答えを聞いて一転、殺さんとばかりに睨みつける。
その声は先ほどの問いかけとは比較にならないほどに、ただただ低かった。

そんなランサーを前にしても、士郎は睨み返す。

「お前が何をしたかは知らない。けど、氷室がここまで怯えてるんだ。
 ………お前が氷室に何もしないなんて考えると思ってるのか。そんな凶器を持ってる奴を信用するわけないだろ!」

声を張り上げる。
夜の校舎。その静寂で廊下に響く。

─────なぜ、と。
その光景に、鐘はただ疑問を抱くことしかできなかった。

そこで気付く。
“今の自分は疑問を抱くことが出来ている”ということに。

「─────ぁ」

我慢していた涙が、再び零れた。

体も動かなくなって、思考も停止して、呼吸すらままならなくなる。
感覚は狂い、意識は正常さを失っていく。

それらの原因があの男を意識したが故に起きる事だとするならば。
それ以上の意識が別へ向けば、必然的にあの男の恐怖を受け取る力は和らいで、その結果として削がれていた彼女の様々な機能は復活を果たす。


「─────へぇ」


士郎の目の前で、その男は笑った。
人に安心や笑顔を与えるような笑いとは正反対の、人に恐怖心を与えてしまうような笑い。

「坊主、死にたくはないだろう? 大人しくするっていうなら、悪いようにはしねぇが?」

紅い槍が揺れ、穂先が真っ直ぐ士郎へと向く。
それが意味することなど容易に想像がつく。

「断る。氷室、大丈夫か? 走れるか?」

視線は目の前の男からそらさず、後ろにいる鐘の手を求めた。

その手を見て、言葉も出ず、思考も働かなかった。
けれどそれはあの男を目の前にして陥ったモノとは別のモノ。

自然と手が出て、士郎の手の中に収まる。
それを離さないと、強く強く士郎が握る。

伝わってくる手の温もり。
冷え切った自分の手と比べたら、それはあまりにも温かかった。

「─────」

歯を食いしばって、声を噛み殺す。

状況は何も改善していない。
それどころか悪化の一途を辿っている。

彼女の思考が一時的にでも回復したというならば。
この次に待ち受けているであろう現実が、容易に想像できてしまう。

このままいけば、この温かい手の人が─────しまう。

「走って逃げる気か? やめとけ、俺からは逃げられねえよ」

「………そんなの判らないだろ。少なくとも、何もしないでお前に殺されてやるつもりはない」

そう言って士郎は一歩後ろへ後退する。
それは後ろにいる鐘に走る準備をしろ、ということを告げていた。

「そうかい。じゃあ坊主。てめぇもそこの嬢ちゃんと一緒に死んでもらうぜ。─────死人に口なしってね!」

ランサーが床を蹴って、士郎に突進する。
その速度は先ほどの戦闘と比べると明らかに遅い。

だが相手は一般人で、片腕だけで事が済む程度の相手。
ならばそんな相手に全力を出す必要性はどこにもない。

「苦しまないように一撃で葬ってやる!足掻くなよ!」

スピードが遅いとは言っても、魔術も使えない一般人からしてみれば反応できるレベルではない。
相手はこの槍を防ぐ術も持たず、回避するだけの術もない。

心臓目掛けて槍が吸い込まれる様に動く。
次の瞬間には心臓を貫いているだろう。

─────だが。

ガキィン!! 

と、貫く筈の槍が何かに弾かれた。

「………なに?」

完全に油断しきっていたランサーは、その一瞬の出来事を把握できなかった。
出来事自体は大したことではなく、士郎が持っていた自身の鞄で槍を弾いただけだ。

しかしそれはあまりにも不自然である。

まず始めに、いくら油断しきっていたとはいえ“普通の人間”がランサーの攻撃に反応して迎撃など到底できない。
仮に偶然迎撃できたとしても、では普通の鞄で槍を弾くなどできるだろうか?

答えは、否である。

だが事実はその反対を往く。
そしてつい先ほど、一瞬ではあるが感じた感覚。
それが意味するのは。

「ハッ!そうか、てめぇは─────」

言いかけた時、ランサーの顔面目掛けて何かが飛んでくる。
それを、まるで何事もなかったかのように槍を突き立てた。

無論、力を込めて。

歪な音を立てて槍に突き刺さった。
視界に入ってきたその物体は、先ほどランサーの槍を防いだ士郎の鞄だった。

二人がいた場所へ視線を戻す。

そこに二人の姿はない。
耳に小さくではあるが、遠ざかる足音が聞こえる。

「本当に走って逃げた………か」

槍に突き刺さった鞄を放り投げ、二人を追いかけるべく疾走する。
逃がすつもりなど毛頭ない。

「へッ、上等!ちったぁ楽しませろよな、魔術師!」

魔術師が走って逃げたところで、サーヴァントに勝てる道理はない。
加えて一般人を連れて逃げている以上、逃げ切る事は永劫不可能。

そして彼の者の名は、ランサー。
………最速の名を持つサーヴァントである。



─────sec.02 / 行為の代償

暗闇の学校。
廊下の明かりはなく、月明かりだけが頼りとなる。

息を荒げながら士郎は鐘の手を握って走り続ける。

「くそ………!」

つい先ほどの光景を思い出す。

あの槍に咄嗟に反応できた強運と、一回だけでも攻撃に耐える事ができたのは行幸だった。

だが問題はその後。
走り去る直前、逃げるために投げた鞄はいともたやすく穿たれた。

(つまり、アイツは俺たちを殺すって言いながら、全然本気じゃなかったってことか………!)

そしてあのスピード。
本気じゃなかった筈なのに、魔術で強化した反応はぎりぎりだった。

(─────これじゃ、学校内から出ることもできない!)

今の現在地から外へ逃げるには、どう頑張ってもグラウンドへ出る必要がある。
しかし当然ながらグラウンドに遮蔽物はなく、それは相手に自分を見つけて下さいと伝えているようなもの。

かといってこのまま校内を永遠逃げ続けることもできない。
速度で負けている以上、逃げたところでいずれ追いつかれる。

(けど、一階で隠れてやり過ごせば逃げれるか………!?)

どちらにせよ逃げるには一階に行く必要がある。
だから階段で向かうは下の階だというのに。

「─────っ!!」

下から伝わってくる妙な感覚を感じ取った。
そうして気付いた時には、降りようとしていた足は階段を駆け上がっていた。

─────それがアーチャーのものである、ということを士郎が知る由もなかった。

駆け上がった先に行き着く場所。
そこは屋上である。
昼ならば生徒たちが弁当を持ち寄って談話しながら昼食をとっていただろう。

だが今は完全下校時刻をとうに過ぎている。
周囲は完全な暗闇で、当然ながら生徒なんていない。

「はぁ………ぁ、─────大丈夫か? 氷室」

廊下を全力で走り、階段も全力で駆け上がってきた。
息は多少なりとも上がっている。

だが、士郎よりもさらに疲労の色を隠せないのが鐘であった。

「──はぁ、──はぁ、─────ッ」

至極当然。
士郎に出会った時には既に全力で逃げてきた後だったわけであり、そこからもう一度全力疾走をすればいくら陸上部の彼女といえど息は切れる。
そしてこの尋常ならざる状況であるならば普段のパフォーマンスも出せない。

士郎の問いかけにも答えられないくらいに息があがっている。
ゆっくりしている時間は無いとは言え、少しは休息を取らなければ走ることが出来なくなってしまう。

「とにかく隠れないと。どこか、隠れれる場所は………」

一度離した手を再び握ろうとしたが、鐘はその手を振り払った。
そうして一歩、遠ざかる様に後ろへ下がる。

「もう………もういい、衛宮。私があの男の前に出る。君はその隙に逃げろ」

肩で息をしながら、俯いていた顔を僅かにあげた。
その彼女が言った言葉を、士郎は決して容認しない。

「なっ………バカ言うな!そんなことできるわけないだろ!」

「バカは君だ、衛宮!君はこんな事に巻き込まれる必要はなかった!なぜ庇った!─────助けてくれと言った覚えなど、ない!」

普段では聞くことがないような叫び声。
その彼女の姿に、士郎の胸が潰れる様な痛みをあげた。

あまりにも弱く、脆く、今にも消えてしまいそうな横顔。
この高校で彼女と接していた時間は長くはないが、それでも普段の彼女を知る士郎だからこそ、胸が余計に痛む。

「………なんだ、この展開は。─────まるで三流の小説を体現したかのような感じは、一体なんだ………?」

灰色の長髪の所為で、俯いた横顔をはっきりと窺い知る事はできない。

けれど、僅かに顔をあげて士郎を見た時に、その顔が確かに見えた。
ボロボロの笑みを浮かべた、鐘のその顔が。

「君が助けてくれたおかげで、あの場は逃げる事が出来た。………けれど、分かっただろう?─────このままでは、二人とも殺される」

彼女の『日常いつも』は、あの青い男に出会った時点で木端微塵に砕け散った。
何もできないまま、ただ追いかけられて殺される。

どうしようもなくどうにもできない相手。
抵抗しても逃げても懇願しても結果は変わらない。

「………これが三流の小説と言うなら、体を張って誰かを助けるというのもまたありきたりな話。衛宮、君は本来狙われる理由なんて」

何かに諦めたような、遠い夢を見ているような目で、士郎を見ていた。

「………氷室」

そんな姿に、ほとんど反射的に言葉が出た。

「もし、この展開が氷室の言う『三流の小説』だって言うなら、氷室が犠牲になるのがその三流小説にありきたりな話だって言うなら─────」

ボロボロの笑顔で、そんな目で。
そんな彼女が、士郎には許せなかった。

彼女に怒りを覚えたわけではない。
けれど、彼女がそんな表情になるのが許せなかった。

放っておくわけにはいかない。
そのつもりは毛頭ないし、ボロボロになってしまった彼女を死なせるつもりもない。

ましてや相手が規格外の“異常”だというならば、魔術師である自分こそが戦うべき相手だ。
─────ならば。

「俺が一流の小説にしてありきたりをコワしてやる」

必ず助け出す。
嘘でも偽りでも冗談でもなく、視線を逸らさずに真っ直ぐに目の前にいる鐘の顔を見る。

「─────」

その言葉に、鐘は心底驚いたように士郎の顔を見返した。

一瞬、理解ができなかった。
目の前にいる彼が言った言葉の内容を、意味を理解することができなかった。

「な、にを………。衛宮、君は“アレ”が普通じゃない、異常なものだとわからないのか?」

彼が言った意味は、つまり自分を助ける、という意味である。
それが理解できない。
先ほどの出来事を見て、それでも助けると言うのだろうか。

「分かってる………、けど、氷室を犠牲にするなんていうのは嫌なんだ」

目の前の少女は自分を助けるために、命を投げ捨てようとしている。
そんな自分の事より他人の事を想う少女がボロボロになって、殺されて─────そんな事で得られる日常なんて、欲しくもなかった。

「俺の、な理想はさ『正義の味方になる』ってことなんだ。─────笑っちまうだろ? けどさ、助けたい人を助けられるっていうのは、いいことだろ?」

「─────」

もう、言葉が出なかった。
ふと、思い出してしまったからだ。

─────『度が行き過ぎて、壊れてしまう』─────

何かを言わなければいけないのに、言葉が出ない。
何かを考えなければいけないのに、思考が纏まらない。

「だから俺は氷室を助ける、助けてみせる。………間違っても氷室は絶対に死なせない。だから─────」


「─────だから、どうするって?」


「「─────………!!」」

校舎内へと続く扉の向こうから、聞きたくもない声が聞こえてきた。
士郎は即座に鐘を背中にやり、屋上へと出てくるランサーと対峙する。

月明かりだけがゆっくりと体を照らし出し、全身が闇より現れる。
不敵に笑い紅い槍を持つその姿は、自分達がどうしようもなく『狩られる側の存在』だということを認識させられてしまう。

「あの防御はなかなかだったぜ、坊主。その後の咄嗟の気転もな。突然顔面に視界を隠す様に物を投げられちゃ、こっちとしてもそれに対応するしかないからな」

低く笑いながら一歩ずつ距離を詰めてくる。
それにつられて士郎と鐘も一歩、また一歩と後退していく。

「だがまあ分かっていたはずだ。あんな程度じゃ一瞬の足止めにしかならねぇってことくらい。
………あぁ、そういう意味ではその一瞬でここまで駆け上がってきたことは褒めてやるよ。
 嬢ちゃんにいたっては下からぶっ通しだった筈だ。いや、本気でいい脚だ」

一歩、一歩。
まるで死を宣告するが如くゆっくりと近づいてくるランサーから、何とか距離をとろうと後退し続ける。

「だからこそ、この失策は残念だ。下りたならば何か策はあったかもしれねぇが─────屋上………ここには何もない」

ガシャン、と鐘と士郎の背中から音がなった。
姿勢はそのままで僅かに後ろを振り向けば、屋上に設置されているフェンスまで追い込まれていた。

詰みチェックメイトだ。坊主、嬢ちゃん」

ギリ、と歯ぎしりすら聞こえてきそうなくらいに歯を噛み締める士郎。
だがそれでも鐘の前より動こうとはしない。

左腕で鐘を庇いながら、右手で後ろにあるフェンスを掴む。
どれだけ強く握ったところでそれがすぐに壊れるようなことはない。

「─────」

逃げ場はなく、隠れる場所もない。
助けなんてどこにもいないし、目の前の“アレ”に対抗できる術もない。

鐘はこの危機的状況を、最早どこか諦めたように分析していた。
なまじ頭の回転がいいと突破できる観点を見抜きやすい点、詰んでしまった時の諦めも早い。

(ここままでは、衛宮まで死んで………)

見てしまっただけで殺されるというとんでもない理不尽。
だが前にいる彼はそんな自分を庇ったというだけで殺されてしまうふざけた理不尽。
─────そんなことが、あっていい筈がない。

(せめて………衛宮だけでも─────)

そう思って─────だから、目の前の男に声をかけようとして………

「………詰みチェックメイトには、まだなってない」

彼女の言葉が出る事はなかった。



─────sec.03 / 命がけの逃亡

「ほう? つまり何か、坊主。この状況に置かれてもまだ何か策があるっていうわけか?」

そんなことはありえない、と言いたげに訊いてくるランサー。

先ほどのアーチャーのマスターは見事この屋上から逃げ切った。
だがそれは生粋の魔術師だからであり、かつ一人身でサーヴァントまで従えていたからこそだ。

今ランサーの目の前にいる二人はそうではない。
赤い髪の少年は魔術師ではあるが、先ほどのアーチャーのマスターと比べると下位の存在であることは明確であるし、もちろんサーヴァントなんて従えていない。
そしてその少年の後ろには魔術師ですらない少女がいる。

少年一人で逃げるというのであれば、頑張れば逃げ切れる可能性は千回に一回の割合であるかもしれない。
だがその少女と共に一緒に逃げるというのであれば億単位の回数を施行しても一回があるのかどうか。

「ああ─────お前から逃げ切ってみせる」

ランサーの目の前にいた少年は、そう言い切ってみせた。
視線を後ろにいる少女に移すが、その顔は理解しているようには見えない。

「クッ………クククク。いいねぇ、坊主。そう大見得張ったんだ、─────女の手前無様な死に方は晒すなよ?」

槍を構える。
月夜の光が槍を紅く、妖しく照らし出す。

相手は魔術師だが、やはり取るに足らない存在。
こちらが万に一つも敗北はおろか傷すらつくことがない戦い。

ならばこの状況で相手が何をするのか興味を持ち、それを見てから対応するのも悪くはない。


「氷室」

場が一気に緊迫する。
それを感じ取った士郎は後ろにいる鐘に小声で話しかけた。

どうやら作戦の内容らしい。
必死に冷静になって士郎の言葉を聞く。
何らかの彼の意図、真意が判るかもしれない。

だが、そうして聞いた内容はあまりにも意味が分からないもので………

「え?」

と、聞き返してしまった。
しかし斜め後ろから見えるその顔は終始真剣な顔で言う。

「頼む。気が引けるかもしれないけど、こうするのが一番安全なんだ」

そう言われてしまっては従うしかない。
数秒先の自分の状態をやんわりとだが想像する。

(………しかし私が衛宮に─────など………)

仮にこれが夢だったしても、蒔や由紀香には言えないな、なんて場違いな考えをしていたのであった。

「よぉ、作戦会議は終了か? いくぞ!」

何をするのかという一種の期待を持って、ランサーは今日二度目の突進を仕掛けた。

距離は十メートルと少し。
サーヴァントが突進などしたらあっという間に詰められる距離。

だからこそ、これからの行動は常に士郎たち自身が持ち得る最速で行動しなければならない。

「氷室!」

大声で鐘に呼びかける。
その声を聞いて、鐘は士郎の背中から手を回し、胸の辺りで手を繋いだ。
格好としては鐘が士郎の背中から抱きつくような格好である。

ランサーはそんな場違いな彼女の行動に呆気にとられたのか、一瞬、ほんの一瞬だけ気が緩んだ。

が、それも一瞬。
刹那、ランサーは元の状態に戻っていた。

(その一瞬で十分!)

どっちだ!? と紅い槍と握られている腕を凝視する。
槍で常識的に考えられる攻撃方法は薙ぎ払いか突きのどちらか。

突きは全く軌道が見えない上に一瞬の攻撃である。
槍を見てから対応したのでは遅い。

つまり見るのはその攻撃の“予兆”。
そうしなければ突きの回避なんて士郎にはできない。

対して薙ぎ払いは大きくこそないが、振るう為の腕の動作が攻撃前に発生する。
ランサーがどれだけ人間離れしていようとも、人間の骨格を持って人間の体で構成されている以上、その動作を完全に消す事はできない。

士郎が見るのはその二つ。
“予兆”と“攻撃前の動作”、この二つが二人の命運をわける。

そのためにも見極める必要があるのだが、そのためにも出来る限り顕著にそれらを見せてもらわなくてはいけない。
少しでも隙があったほうが士郎にとってプラスに働く。

ここで彼女にしがみつくように願い出た一つ目の理由。
ランサーは戦い慣れている。きっと何をしても動じないだろう。

ならば、戦いにはまるで不向きな行動を目の前でされたときはどうするのか。
おそらくはその行動がどのような脅威に成りえるのか考察する。

つまり、そこに一瞬の隙が生まれる。
その隙を突く。

士郎の身体能力はすでに魔術によって強化されている。
常人の動きよりも素早く行動はできる。
だから、様々な思惑の絡んだ結果に生まれた攻撃を回避できる。

(突きっ!!)

そう判断した瞬間、心臓を突き抜こうとした槍を魔術でブーストされた体は紙一重に避ける。
衣類の一部が破け、皮膚が僅かに切れるが行動に支障はない。

ガシャン! と“フェンスが突き破られる”音がする。

「…………!」

ランサーは避けられた事実に一瞬だけ驚愕するが、やはりそれも一瞬。
“フェンスを突き破った槍を引き戻すことなく”横薙ぎの一閃をいれる。

ガガガガガッ! と“フェンスが削られる音”が屋上に響く。

「─────坊主、てめえ………!」

その違和感に気付く。

“フェンスが削られる音”。
果たして、ランサーの腕力と槍を以てしても、“フェンスは削らなければならない”のだろうか?

答えは否。
ランサーの力を以てすれば、フェンスなど豆腐を切るのと変わらないくらいの軟なものだ。
動作的にも“削る”と言うよりも“斬る”と言う方が正しい。

いくらフェンスが頑丈だからといってランサーの攻撃が軽減されるわけはない。
二人にとってはそんな攻撃ですら必殺の一撃となる。

だが突きを避けたその驚愕と、フェンスの強度がランサーの想定よりも“上がっていた”という二つが重なった。

誤差にして0.1秒かもしれない。
士郎にとってそれは何よりも大きい。

横へと薙ぎ払われた一閃をしゃがんで回避する。
ランサーの紅い槍が空を斬った。

ここでしがみつくように願い出た二つ目の理由。
いくら士郎が攻撃を回避できたところで、鐘が攻撃を回避できなかったら意味がない。
なので彼女には抱き着いてもらって、士郎が回避したとの一緒に回避させようと試みた。

しかしただ抱き着くだけだと振り回された時点でわずかな遅延が発生する。
その遅延は死に繋がりかねない。

それを防ぐために背中に思いっきり引っ付くような形でしがみつくように頼んでいた。
当然普通にしがみつくよりもさらに密着するため遅延の幅も狭まる。

魔術強化していないと回避などできない。
だが、今は逃げる為に身体能力を強化している為、鐘くらいの女性が抱き着くくらいならば回避にかかる影響はなんとか消すことができる。

しゃがんだ際に足をとり、抱き着いている鐘を背負う。

(今だっ!)

槍を横に薙いだ隙を突いて、士郎はランサーにではなく破損されたフェンスに向かって突進した。
ガシャン! という音と共に削られたフェンスは無様に壊れて落下する。

無論、跳びだした士郎としがみついていた鐘も一緒に落下することになるのだが─────

「へっ、それで逃げ切るっていうのか!? 坊主、俺を甘く見んじゃねぇ!!」

言葉の最後はもはや怒号の声で発しながらランサーが槍を構えた。

伊達に聖杯戦争のランサーというクラスには収まっていない。
槍を返す速度は人間のそれをはるかに凌駕する。

だが、士郎はそれに動じない。
彼が異常だということなど当の昔に理解しているからだ。

(わかってる、お前が弱くないなんて最初見た時にわかってた。それにこのままだとアウト。だから─────)

─────お前の槍を利用する

同調、開始トレース・オン!)

背中にいる彼女に聞かれることがないように心の中で叫び、渾身の強化を一瞬で完了させる。
五年の鍛錬を経て、実った成果だった。

強化したのは鐘の鞄。
自身の鞄と同様に盾に使うために強化する。

ヒュッ、と風を斬る様に槍が突き出された。
まだランサーの射程圏からは離脱できていない。標的は背後にいる彼女。

「させ………るかっ!」

しかしその標的は彼の行動によって強制的に変更させられた。
無理矢理体を反転させた士郎は、槍を突き出したランサーを正面にとらえる。

身体が悲鳴をあげたが無視して体を動かした。
正面をとらえたそこには、当然紅い槍が迫ってきている。

それを見てから防御したのでは間に合わない。
ならば回転させ、振り向きざまに盾を構えるしかない。

まず始めに。
防御する箇所が少しでもずれていたのならこの盾は意味はなさない。

次に。
たとえ運よく防御する箇所があっていたとしても即席の盾であの必殺の槍を止められる理由がない。

強化した鞄がぎりぎり耐えられる角度にして受け流すことができるように構えなければ、貫かれて即死する。

これらはいずれも一瞬の出来事。
例え事前準備をしていたとしても出来る道理はない。

─────だからこそ、この結果は奇跡である

ギギギギギギギッ!! と大よそ鞄の音とは思えない音を出す鐘の鞄。
その音が続く間、外へ押し出される力を受けている。
丁度よく、貫通されないだけの角度と強度をもった鞄が今現在、二人の命を守っていた。

しかし全てを受け流すことはできなかった。
ギャリッ!と鞄の端まで受け流された紅い槍は士郎の左肩にわずかに刺さった。

「!─────ッ!!」

ギリ、と歯を食い縛る。

しかし刺さったとはいえどあの必殺の槍にしてはあまりにも弱い攻撃。
それだけ受け流すことに成功したということであり、例え攻撃を受けた所で大したダメージにはなりえなかったのである。

そして跳びだした時には届かなかったが、ランサーの攻撃の力を受け取った二人は今現在“ちょうどよく”木の上にいた。

体が傾く。
重力に従い落下し始めた。

しかし今現在地面側にいるのは鐘である。
当然このまま落ちようものなら彼女が大怪我をするのは必定。

完全に射程圏から離脱したことを確認した士郎はランサーの手前でやってみせた空中反転をもう一度行う。

先ほどは前後だったが、次は上下。
父親から習った魔術を同時に準備しながら二度目の反転。

下にある木々。
今は葉もついていない木ではあったが背だけは高かった。

バキバキバキッ! と枝木がへし折られていく音。
自然落下をわずかに枝木で押さえている間に、全力で魔術行使を準備する。

強化が得意な彼にとって、父親から教わったそれ以外の魔術を使用するには時間がかかる。
その時間を稼ぐために木々の上に落ちようと画策していた。

木々の上に落ちることによって時間稼ぎと衝撃の緩和。
この二つを得ていた。

ここでしがみつくように願い出た三つ目の理由。
きつく抱き着いてもらうことにより彼女の視界を背中に制限すること。
彼女の身長は士郎の身長より10cm程度低いため、魔術行使をしても見られることはない。

地面が近づく。
まだ魔術更新の準備が整っていない。
その間にも地面は近づいてくる。

(間に合え………っ!)

そして────

地面にぶつかる直前で魔術を発動させることに成功した。
衝突寸前に、一瞬だけ時間が停止したかのように体が浮いてその後不時着した。
落下のダメージこそなかったが、突然重力に逆らって一時停止したものだから二人には通常よりも強い重力が加わる。

その重力に耐えながらも着地に成功した後は、即座に校舎の窓に向かって跳び、窓ガラスを破って中に入った。
その後簡易的な気配遮断の魔術を行使してランサーから逃げる用に消えたのだった。



─────sec.04 / 殺人考察

今から追いつこうとすれば、問題なく追いつける。
それどころか、落下中にその背中を二人分貫通させることすらできた。

だが屋上に残った青い男ランサーは、士郎が落ちて行き視界から消えた場所を茫然と眺めていただけだった。

(俺に隙はあった、それは認めよう。だが、その隙も刹那とも呼べる時間だ。その時間の間にあれだけの判断と動きができるのか?)

否、できるわけがない。
ランサーはそう考えたが、実際にしてしまった人間がいる以上は認めざるを得ない。

フェンスに触れ、それを片手だけで握りつぶす。
それだけでフェンスはぐにゃりと曲がり、原型を失ってしまう。

「………そうか。あの小僧がここまで来たときか」

左腕は後ろの少女を庇う様にしていたが、右手はフェンスを握っていた。
或いはその時に何かをしたというならば、先ほどの不自然なフェンスの抵抗力にも納得がいく。

「なるほど。場当たり的なモノではなく、僅かにあった可能性にかけた、ってことか。─────にしてはお粗末な部分が多すぎだがな」

例えば初撃が突きではなく、薙ぎ払いだったら?
例えば突いた後に蹴り飛ばしていたとしたら?

落下に追いついて空中で攻撃を加えたら?
下に回り込んで着地したところに攻撃を加えていたら?

─────どれもこれも二人の命は消え去っていただろう。

それほどまでに“相手に依存しすぎた逃亡”だった。

「自分達じゃどうしようもできねぇが、それでも自分達が取れるだけの事をした、か。
 ─────ああ、いいぜ。褒美だ、坊主。“後ろの奴”の相手をしている間だけは見逃してやる」

そうしてランサーは再び対峙する。

「………ったく、俺の邪魔をしてくれてんじゃねぇよ、アーチャー!」

「ふむ、貴様の邪魔をするのは当然だろう? 何せ私達はサーヴァント。敵であるサーヴァントを倒す為にここにいるのだからな」

「ああ、戦うためにここにいるっていうのは正解だ、同意するぜ。………だがな」

槍を構え、アーチャーは虚空より出現させた双剣を握る。

「俺の邪魔をしていいっていう理由にはならねぇんだよ!」

叫んだランサーはアーチャーとの戦闘を再開する。

彼らのやり取りになんら変化はない。
ただ、戦闘場所がグラウンドから屋上へと変わっただけである。




[29843] Fate/Unlimited World―Re 第7話 二人の長い夜
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/04/16 20:33
第7話 二人の長い夜


─────第一節 避難─────

窓ガラスを破り校舎の中へ跳び込んだ。
気配遮断を行使して、すぐさま破った場所から離れる。
廊下に出て別の教室へ隠れこもうとするが、どこも施錠されていて開いていない。

「くっ………そ」

こういう時に限って施錠している教室が恨めしく感じる。
しかし廊下でうろうろしているわけにもいかない。
こうしている間にもあの男は追ってくるだろう。

どこかに隠れることができる場所がないかと廊下を歩き回り、手当たり次第にドアに手をかける。
だがやはりというべきか、どこも施錠されており隠れることが出来ない。

「─────」

焦燥感ばかりが増えていく。こんな見渡の良い廊下にいつまでもいられない。
それを感じ取ったのだろうか。
背中に背負われている鐘は小さい声で、しかし背負っている士郎には確実に聞こえる声で呟いた。

「………陸上部の倉庫なら開いている」

咄嗟に現在地からのルートを頭の中に思い描き、鐘を背負ったまま陸上部の倉庫へと向かう。
一旦外にでる必要があったが幸いにも倉庫の近くにいて、かつ倉庫のある場所に行くまでに遮蔽物が多かった。
周囲に気を配りながら夜の校舎を歩く。
電気などもちろんついておらず、足元を照らすのは月の光のみ。

「─────」

二人は息すらも殺している。
僅かな物音を聞き逃さないように。
そうして倉庫に到着し、中に入る。
無論倉庫内の電気はつけない。
倉庫の小さな窓から光が漏れてしまうからである。

窓から入る僅かな光だけが倉庫内を照らしている。
ゆっくりと運動マットの上に背負っていた鐘を降ろし、その横に座る。

「─────づ…………!」

先ほどの反転と、左肩の傷、限界レベルでの体の行使による反動が襲ってきた。
額に汗をかき、痛みに耐えるように体を押さえつける。

「衛宮………!?」

隣に座っていた鐘は士郎の異変に驚き、顔を覗きこんだ。
それに視線を合わせる士郎。
鐘の頬や額、腕や足などに軽い切り傷があった。
枝木やガラスによって切れたのだろう。

「大丈夫………!」

対する士郎も傷は深くはない。
左肩から血がでているが、ほかは彼女と同じように切り傷や痣があるだけだ。
しかし問題なのは体の内部。
体のあちこちが痛みを訴えている。
空中で二人分の体重を反転させる行為など今まで一度もなかった。
それを考えるとあの一瞬の時間で二度もできたのは僥倖だろう。
体の痛みを無理矢理意識力で抑え込む。

フラフラと立ち上がり倉庫入口に耳をあてた。
ヘタに覗き込んで見つかるくらいならば足音を聞く方がまだ安全だ。
幸い周囲は静かなのでよほど慎重に相手が歩いてきていない限り聞き逃すことはない。
逆に言えばこちらの少しの物音でも聞きつけられてしまう可能性があるということなのだが。

その様子を見ていた鐘も運動マットから立ち上がろうとする。
が。

「あ、れ………?」

腰に力が入らない。
立つ事ができない。

「氷室………? どうした?」

そんな彼女の様子が気になった士郎が近づいて目の前にしゃがみ、顔を覗きこんだ。
対する鐘は少し視線を逸らすように俯いてしまう。

「ぁ………いや、その」

言いよどむ。
まさか腰が抜けてしまったとは恥ずかしくて言えないだろう。

「?…………外、音だけだけど確認してみた。アイツは追ってきていない、このうちに学校を出よう。氷室、立てるか?」

立ち上がって手を差し伸べる。
その手を見て、戸惑いながらも掴んだ。
そして引き上げたのだが………

すとん、とまた座り込んでしまった。

「氷室………?」

「~~~~~~!!!」

顔が真っ赤になる。
まさか自分が腰を抜かすなんてことを想像したことなどあっただろうか。
しかも男性の前で。

「氷室? 疲れてるのはわかるけど、学校にいるとアイツが…………」

わかっている と心の中で呟いて意を決し、告白する。
隠し続けた所で意味はないのだから。
だが、中々立たない彼女を見た士郎は別方向の心配をしてしまう。

「─────もしかしてどこか怪我を………!?」

「い、いや………そうではなくて、だな。その、これからいう事を笑わずに聞いてくれないか………?」

「? 笑うって………今の状況で笑うようなことなんて何もないと思うけど。───いや、わかった。何かあったなら言ってくれ」

真剣な表情で見つめる士郎。
その表情が余計に彼女を困らせてしまうのだが、彼はそれに気づかない。

「実は………その、」

「ああ」

「───────腰が抜けて、立てない」

訪れる静寂。
無論、士郎は笑っていない。
笑うというよりは唖然としたような顔。
対する彼女は顔を真っ赤にして彼の視線から逃れるように顔を俯かせていた。

「─────。…………。…………あー、氷室?………その、大丈夫か?」

「………大丈夫じゃないから立てない、のだが」

「………だよな、ごめん」

立ち上がっていた士郎は再びしゃがみこみ考え始める。
その顔に終始罵るような表情は出てこなかった。

「どうするかな………ここにいたっていずれ見つかるだけだろうし。見つからないにしても一日を此処で過ごすわけにもいかないしな………」

「わ、私が立てば何も問題はないのだろう。すまないが衛宮、もう一度ひっぱりあげてくれないか?」

「え………いや、別にそれは構わないけど………」

手をとり引っ張り上げる。
当然体は立ち上がる、が、

「っと、危ない!」

機材に頭を打つように倒れそうになったところを抱きかかえられたのだった。

「す、すまない………?」

小さく息を吐いた直後だった。
ぐらり、と視界が歪んだ。
心なしか体も少し熱く感じる。

「氷室?」

「ぁ………ぅ………?」

暑さと疲労が体に襲いかかってくる。
意識が急速におちていく。

すぅ、と目の前が真っ暗になった。

ある種当然といえば当然である。
彼女はあくまでも一般人。心的疲労や肉体的疲労だって溜まりやすいのである。

─────第二節 無実は苛む─────

アルコールを口にしたことのない私だったが、酔ったような感覚に襲われる。
少し気持ちが落ち着く。

────曰く、好きな人の匂いをかぐと落ち着くとか

そうして目が覚めて気がついたら浮いているような感覚。

「え………?」

目の前には彼の顔があった。

「大丈夫か、氷室?」

そう言って私の顔を見る衛宮だったが何かおかしい。
見える風景がおかしい。

彼が見えるのはいい。
じゃあなぜその後ろが“夜空”なのだろうか。

そう考えた時………冷水がかけられたように意識が覚醒した。

「ちょ、ちょっと待て…………!」

ものの見事に抱えられている。
私の意識がはっきりしていなかった以上背に抱えるのは無理で、だから今私は衛宮の胸元に抱きかかえられている。
恐らくはあの倉庫の後に気を失ったのだろう。
で、あそこにいるわけにもいかないのでこうして運ばれている、と。

「衛、宮………!待て、降ろしてくれ。この格好はまずい………!」

夜で人通りは少ないとはいえ街中でその……お姫様抱っこをされるなどとは思わなかった。
………というより普通はしない!

「う………せっかく気にしないようにしてたのに。────でも氷室を歩かせるわけにもいかないだろ。嫌かもしれないけど我慢してくれ」

「いや、別に嫌というわけでは………ではなく!この格好がまずいんだ。誰かに見られたら………」

今私は何を言いかけようとした!?
………いや、今は置いておこう、というよりはまず落ち着………

「…………いや、今のところは見られてないけどな。あ、もしかして彼氏とかいるのか?ならそれはまずいか………」

「交際している相手はいない…………という問題でもない!こ、こんな状況がいかにまずいかわからないか!これでは………その、なんだ、」


─────恋人同士みたいじゃないか


………言って後悔した。今の言葉は思考を反映せずに反射的に出てしまっていた。
彼が何か言う前に言葉を続けなければ!

「と、とにかく!もう私は大丈夫だ。降ろしてくれ、衛宮」

「え? あ、ああ………。もう歩けるのか?」

「問題はない、早く降ろしてくれ………!」

これだけ顔に血が上ったのも初めてではないだろうか。
ようやく地に足着く感触。
アスファルトの感覚が足から伝わってくる。

「………っ」

「っと。氷室、大丈夫か?」

フラついたところに衛宮が咄嗟に腕を掴んでくれた。
フラつきはしたが、しっかりと地面に足は立っている。

「あ、あんな風に抱きかかえられれば動揺して平衡感覚など失う」

「………そうか、その、すまん」

こちらを見ずにそっけない態度で答える。
もっとも、私とて恥ずかしさからそっけなくはなっているのであるが。

「氷室? その、歩けるか?」

「何とか。だが………少し頼みがある」

「何だ?」

「うまく歩けそうになるまで、腕を掴んでも大丈夫だろうか?」

「ああ、それなら問題ない」

そう言って私は彼の腕をとって歩き出した。
当然といえば当然なのだが、体が触れ合っている。
というより、この状況よりもさらにまずい状況が先ほどあったばかりなのだが、意識のある場所が違うのでこちらのほうが余計に気になっていた。

互いに言葉が出ないというこの何とも言えない空気を払拭するべく、隣で歩く衛宮に訪ねた。

「衛宮、どこに向かっているのだ?」

「俺の家。流石に意識失ってる氷室を抱いてバスに乗るのは躊躇われたから………」

当然だ………、といいながら歩く。
というよりそんなことをされたら次からは歩いて学校に来なければならなくなる。

私の知らない道を衛宮と二人で歩いていく。
歩いている間、彼の腕をとっていた。
ちらり、と顔を見るのだが視線が合う度に彼は視線を外していた。
つまりそれは私が見ていないときは私を見ていると言う訳で…………

「大丈夫か、衛宮?………顔が赤いが」

言った私も顔が赤いのだがそれは置いておく。

「…………大丈夫。単に俺の修行不足なだけだから。氷室こそ大丈夫か? もうすぐ家に着くけど」

「ああ………まだ少し違和感を感じるが問題はないと思う」

問題がないなら腕を離してもいいのだが、なんとなく躊躇われた。
坂を上りきって歩くこと数分。彼の家の門が見えてきた。
立派な武家屋敷だ。思わず感心してしまう。

「とりあえず家に入ろう。体も冷えてるから温かいお茶でも出して温まった方がいいだろ?」

そう言って私を連れて家に入って行く。
客観的に見てこの状況は彼氏の家に泊まりに来た彼女ではないのか………?
その光景を想像してしまって即座に頭から追い出したが………イメージは払拭しきれなかった。

家に入り居間に案内される。
きれいな居間だった。
日本家屋に相応しい部屋にはそれを壊さないように液晶テレビが置かれている。
埃は見当たらなく、しっかりと手入れされているのが伺い知れる。

「ちょっとまっててくれ、お茶入れてくる」

衛宮はキッチンへと向かっていく。
先ほどのあの男との対峙したときの緊張感は何だったのかと思ってしまったが、私だってあんな緊張感は味わいたくない。

ここは大人しく彼の用意するお茶を待ちながら、私は何をすべきかと部屋を見渡していた。
その視界の中に、彼が持っていた自分の鞄を見つけた。
手に取って見る。

そこには不自然な傷跡がついていた。
そういえば何か金属同士がこすれあう音がしたような気がする。

傷を見て気になり始めた。
そもそもなぜ私たちは屋上から落ちて無事でいれたのだろうか。

「お待たせ。はい、氷室」

「あ、ああ。すまない。恩に着る」

渡されたお茶をゆっくりと飲む。
冬の夜風にあてられて体が冷え切っていたので温かいお茶は身に染みた。

「氷室、とりあえず傷の手当をしよう。大したことはないと思うけどしておいたほうがいいだろ」

お茶を入れた衛宮は自分のお茶を飲むことなく救急箱を取り出した。
消毒液やら包帯やらを用意していく。

「あ、いや、衛宮。私の傷はどれも大したことはない、それよりもその左肩を………」

「俺のだって大した傷じゃないよ。氷室は女の子なんだからさ、傷は早めに手当して直しておくべきだろ」

そう言って傷薬を取り出して私についた切り傷を消毒し始めた。
先ほども感じたことだが、こうなった衛宮は動かそうにもきっと動かないだろう。

「っ………!」

「と、ちょっとしみるかもしれないけど我慢な」

体にできた切り傷は数か所。
そのうち衣服を着てても見える部分だけ手当をしてくれた。

「すまない、衛宮」

「どういたしまして」

そのまま衛宮は自身の左肩の傷の手当をしようとするのだが

「い………つ………」

どうやら倉庫のときの痛みが再発したらしい。
そのまま畳の上にゆっくりと倒れてしまった。

「え、衛宮。大丈夫か?」

倒れた彼に近づいて声をかける。
少し表情は歪んでいたが、

「あー………大丈夫。ちょっと気が抜けて痛みが戻ってきただけ。横に………なれば」

と、平気だアピールをしてくる。
………無論、それが強がりだというのは流石にわかった。

「………とりあえずその左肩の傷の応急処置はしよう」

救急箱を近くに持ってきて道具を用意する。
ガーゼに包帯、ハサミにテープに消毒液。
大よそ必要そうなものを取りだして手当をしようとしたときだった。

…………彼の服を脱がさなければいけない。

(…………)

どうしたものか、と考える。
服を脱がせるという行為をするのは果たしてどうなのだろうか?

それは彼も思っていたらしく、

「氷室、俺は平気だからお茶でも飲んでてくれ。向こう行って一人で手当するから」

確かに一見すればそれが正しいようにも見える。
だが手当してもらった手前、それに従うのはどうだろうか。

「───いや。衛宮は手当してくれたのに、私だけ何もしないというのはおかしいだろう?」

別に何か変なことになるわけではない。
それに男性は海やプールに入る時には上半身は裸だ、問題はないハズだ。
そう言い聞かせて、私は衛宮の服を掴んで脱がそうとする。

「ま、待て、氷室。服ぐらいは自分で脱げる!」

「む、そうか。てっきり服を脱ぐのも億劫なものだと思っていたが」

「いや、さすがにそれはない。痛むけど動けないわけじゃないからな」

左肩が見えるように左腕だけ服を脱いだ。
その肩には直径数cm程度の穴が開いていてそこから血が出ていた。
それを見て息を呑む。
…………浅いのが救いだった。

「衛宮………これは」

こんな傷を負うのは状況的にも得物的にも一つしかない。

「うん、あの槍に刺された」

だというのに当の本人は軽い感じで答えるのだから苛立ちを覚える。

「衛宮、君の方が私よりも重症ではないか。なぜ自分を優先して手当しなかったのだ?」

そう言いながらも私は周囲についた血をふき取って必要最低限の手当をする。
明日にでも病院にいくべきではないだろうか?

「いや、別に放っておいても死ぬような傷じゃないしさ。氷室の傷は言う通り浅いけど女の子だろ、傷なんてついちゃいけない。残ったりでもしたら大変だ」

「………気持ちはありがたいが………」

ある程度の処置を施して包帯を巻き終えた。
それを見た衛宮はありがとう、と言ったあとに訊いてきた。

「応急処置、上手なんだな。どこかでやったことあるのか?」

「私は陸上部の走り高跳び、しかもハイジャンプに挑戦している人間だぞ? 当然同級生や後輩が怪我をすることだってある。応急処置くらいはできているつもりだが」

「ああ、そうか。………うん、確かに一年の頃から楽しそうに跳んでたよな。────なるほど。となれば、そういうのも結構あったってことか」

納得がいったようなので用意されたお茶に手を伸ばそうか────

「────」

待て。
────今なんと言った?

「ずっと見てた………?」

「? ああ、陸上には目が行きやすかったんだ。グラウンドでやってたっていうのもあるけどな」

見られていた。
別にそれは大したものではない。
もとよりこそこそと隠れてやっていたわけではないのだから見られることなど当然だろう。
しかし。

「………つかぬ事を訊くが、衛宮。今朝、跳んでいるところを近くで見たいと言ったのは………?」

「ん、そういうこと。確かに今朝言った理由もあったけどさ。今まで遠くから眺めていただけで、近くで跳んでるところを見たことがなかったから。いい機会かな、って思ったんだ」

「…………そうか」

お茶を飲む。
何故だろうか、お茶がさっき飲んだ時よりもおいしく感じられた。
そう。ここで終わっていればいいのに

「その中でも走り高跳びで本当に楽しそうに跳んでる氷室に目が行った。だから氷室の顔は一年の頃から知ってたんだ。最初は名前と一致しなかったけど。で、一度近くで見れたらいいな………って、どうした?」

「………何も心配はいらない。頼むからそう顔を覗き込まないでほしい」

────どんな顔をしてるかわからないから。



「アイツには見つからなかったからたぶんもう大丈夫だと思う」

「そうか………。衛宮、警察に通報とかは?」

「………内容を説明したら、多分まともに取り合ってくれないと思う」

「────そうだな」

それだけ二人の前に現れたあの男は常識外だった。
殺すことを平然とやってのける。
人間離れした動き。
そんなことを説明したところで普通の人は信じない。

ここで疑問が生まれた。
普通の人は信じない様な人間が現れた。
その人間に狙われた二人はなぜ平然とできているのだろうか。
気になった。気になってわからない以上は調べるしかない。

「衛宮」

そう。
正面にいる少年に尋ねる他はない。

「いろいろと訊きたい事があるのだがいいか?」

「………ちなみに。助かったから全て良し、という選択肢は?」

「ない。気になった事は調べるのが私の性分なのでね。悪いが質問には答えてもらう」

「────む」

少し彼が押し黙ったところで質問を開始する。

「まず。なぜあの常人離れした人間の動きに対応できたのだ、衛宮? 警察すらまともに取り合おうとしないくらいのレベル相手に君は私という荷物を背負いながら回避できた。それがおかしいということに気が付いているか?」

「………あれはただの偶然。相手も油断してたみたいだし。もう一回同じことしろって言われたらたぶんできない、と思う」

「偶然、か。────では次の質問。なぜ私たちは屋上から飛び降りてこれだけの怪我で済んでいるのだ?」

「それは校舎近くにあった木の上に落ちたから、かな。あれがなかったら多分俺も氷室も死んでた」

彼の言葉に迷いはない。
真実を言っている、と彼女は感じた。
しかし、それは別の疑問を生み出すだけにすぎない。

「では、なぜ屋上から木の上に下りれたのだ? 私を背負ったまま跳び下りても木の上にはたどり着けなかった筈だが。それに木の上に落ちたとして、この程度の怪我で済むわけがない」

「────む」

「それにこの鞄の傷は何だ。明らかに不自然だろう。私はあの時衛宮の背中しか見えていなかったが音は聞こえていた。金属音だ。………一体どうなっている?」

「────」

完全に黙ってしまった。
それは『話したくない』というよりも『どう納得してもらうか』という方向に近いものだった。
ずっと黙っている士郎を見る鐘。
それは説明してほしいという願望を込めた眼差し。
至極当然。
それは彼女の性分にも合うからというのもあるが、人間が理解不能なことに陥った時、努めて冷静にいられるように情報を欲しがるのは当然だから。

「────わかった。氷室に嘘なんかつけない。というより、俺自身嘘が上手くないしな。ついたところで氷室なら簡単に見破るだろうし」

そう前置きを置いたうえで

「これから言うことは他の誰にも言わないでほしい。………氷室の心の中に閉じ込めてくれたら、俺は話す。────それでもいいか?」

他言無用、ということに了承する。
これから一体何を話そうとするのか。
一種の期待、そして一種の恐怖を抱きながら言葉を待つ。

「実は────」

だが、その言葉は続かなかった。

「────!?」

カランカラン と警鐘が鳴り響いた。
ここは間違っても魔術師の家である。
敷地に見知らぬ人物が入ってきたら警鐘がなる程度の結界は張られている。

「───何?」

対する鐘は突然明かりが消えた事に驚く。
警鐘が鳴ったのは彼女も聞こえていただろうがそもそもそれの意味を知らない以上は反応のしようがない。

「────なんで」

一方士郎は焦っていた。
このタイミングで、あの異常な出来事の後でこの家に誰が侵入してきたかなんてわかりきっていた。
家に帰ってくるまで誰かにつけられてはいなかった。
なので、完全に追ってきていないと思い込んでいたのだ。
しかし実際には追ってきた。

「衛宮、これは一体────え?」

何か言おうとして口を閉じた。
否、閉じられた。
衛宮が近くに寄って口を手で塞いでいた。

「────?」

「氷室、悪い。ちょっとだけ静かに聞いてくれ」

口に当てていた手を離す。

「“アイツ”が追ってきた」

「────!」

その言葉だけで鐘の背筋が凍った。
なぜ、という思いでいっぱいである。
確かに追ってくる可能性はあった。
だけど、起きていた間だけだったが周囲には気を配っていたし後ろに誰かがいたわけでもなかった。

「───────」

屋敷が静まり返る。物音一つしない闇の中。
二人は確かに、あの時感じた嫌な感覚──殺気──が近づいているのがわかった。

「………っ」

息を呑む。
背中には針のような悪寒。幻でも何でもなく、この部屋から出れば即座に串刺しにされる。
その映像が手に取るように見えた。

「────はぁ、────っ」

落ち着かない心を懸命に抑える鐘。
何も知らない彼女ですら、この状況がどれほど危険かは理解できる。
そんな状況で悲鳴を出そうものなら、この家に潜んでいる殺人鬼は歓喜の声を上げて二人を殺しに来るだろう。
立ちあがった彼の傍に寄り服を掴んでいる。その手は気がつけば僅かに震えていた。

どうしようもない恐怖。
数秒後の未来か、或いは数分後の未来だろうか。
二人に襲いかかるのは間違いなく『死』。
今はただ殺されるのを待っているだけ。
そんな絶望的な状況に

「────ふざけんな」

言葉が響いた。

「………いいぜ。やってやろうじゃないか」

その言葉を聞いた鐘は驚愕を露わにする。

「衛宮………!?無理だ、衛宮では………」

────勝てない

相手の異常性を少なくとも彼よりは知っている、と鐘は自負していた。
彼ではあの男には敵わない。認めたくなくとも冷静でいる自分がそう結論を出してしまっている。
どれだけ彼を信じようとしても覆ることのない、自身が導き出した答えがそれを否定してしまっている。
勝てない。────だからもう何をしても意味がない。
助からない。────だからもう何をしても無駄だ。

「大丈夫、氷室は必ず守る。約束したろ? 絶対に死なせない」

だと言うのに目の前の人物は諦めない。

「………まずは武器を何とかしないと」

そう言って部屋を見渡す。
土蔵に行けば武器となるものはあるだろうが、丸腰のまま出て行くわけにはいかない。
ナイフや包丁はリーチが短すぎる。
槍という獲物の前では活路は見いだせないだろう。

「うわ………藤ねぇが持ってきたポスターしかねぇ………」

部屋の隅に置きっぱなしになっていたポスターを見てガックリと肩を落とす。
が、同時に覚悟は決まった。

「衛宮………やはり無理だ………」

「大丈夫だって。………ここまで最悪の状況ならもう後は力尽きるまで前進するだけだ」

そう言ってポスターを取り、目を瞑る。
この場の緊張感を塗り替えるような雰囲気を纏い、一度息を吐く。

「………衛宮?」

人前では魔術を使ってはならない。
それは魔術師として当然のこと。
しかし、彼の父親はこう言っていた。

「一番大事なのは………魔術は自分のために使うのではなく、他人の為に使うものなんだ」

────同調、開始トレース・オン────

自己を作り変える暗示のもとに、強化は何も知らない鐘の目の前で開始された。
あの紅い槍をどうにかするためには今までの鍛錬よりも更にランクの高い強化が必要。
故に全神経を集中させる。隅から隅まで魔力を通し、固定化させて武器とする。

「────構成材質、解明」

ポスターに魔力を浸透させる。

「────構成材質、補強」

その光景を見届ける者が一人。

「────全工程、完了トレース・オフ

目をあけて完了したポスターを手に取る。
紙製ポスターの外見が鉄色の様に変化している。
しかしそれ以上に変化したのは中身。
紙の重量を持ちながら、鉄の硬度よりもさらにランクが上がっている。

「これなら…………」

────やれる

自身の強化に手ごたえを感じ、言葉を漏らす。
しかしそんな事は目の前の少女にとっては関係がない。
今目の前で起きた事。それはどれほどの異常か。

「衛宮………? 今、のは────」

「────悪い、氷室。言ってなかったよな」

腕を降ろし顔を見て薄らと笑う。

「実はさ………俺、魔法使いなんだ」



今、彼は何といったのだろう。
魔法使い───確かにそう言った。

───ありえない 

そう頭の中で結論を出す。
当たり前だ。魔法なんて現実のこの世界で存在するわけがない。
魔法と言うのは、それこそ漫画やアニメ、小説などの世界のお話。
MPを消費すれば人が生き返るなんて非現実はありえない。

そう。ありえない。
そのはずなのに。
では今目の前で起きた出来事は何か。

紙だったはずのものが鉄のような光沢を放っていた。
目の前でそんな出来事を見せられて、その後に名乗られては否定しようにもできない。
私の動揺を見た彼は

「───うん。信じられないのは当然だよな。………別に信じてくれなくていい、それが『普通』だから。けどアイツは何とかするっていうのは信じてくれ、氷室」

何も言えない。
目の前に起きた事がかけ離れていた。

────衛宮。君は一体………

そう言おうとした声が、喉から出ることはなかった。


─────第三節 戦闘開始─────

「氷室っ!!!!」

そう叫びながら士郎は彼女に跳びかかった。

「え?」

対する彼女は何が起きたかわからない。
突然顔色を変えた士郎が自身に跳びかかってきたのだから。
押し出される。

それと同時に。
ドスッ!! と不吉な音が居間に鳴り響いた。

「………………………え?」

自身が立っていた場所にあの『紅い槍』が刺さっていた。
一瞬の殺気に気づいた士郎が咄嗟に突き飛ばしたおかげで鐘に直撃することはなかったのだ。
しかし。

「あっ─────ぐ」

彼女を押し出した士郎の左腕にその槍が突き刺さっていた。
左腕を地面に張りつけられている。

「はぁ、は───う、────ぁ」

苦痛に顔を歪めながら突き刺さっている槍を抜こうとする。
対する助けられた彼女は今実際に目の前で起きた出来事に脳の処理が追いついていない。
────そして、さらに場は混乱する。

「────俺の殺気を感じ取ったか。なるほど、やはりそれなりにはできるようだな、坊主」

倒れた士郎の後方、何が起きたか一瞬理解できずに茫然と眺めている鐘の前方にその男は現れた。

「うおおああぁぁっ!!」

その声を聞いた直後、左腕に刺さった槍を力の限り右腕で引き抜き、その勢いのまま後ろにいる敵へ突き立てる。
ブチブチブチ! と左腕が嫌な音を出したが今は気にしている場合ではない。

「へえ、わざわざ引き抜いて俺に『返してくれる』とはな。気が利くじゃねぇか?」

「なっ………」

突き立てたはずの槍はあの男の手の内に『戻っていた』。
その光景に驚愕を露わにするが、この男相手にはそれは致命的だった。

「おいおい、一瞬の隙をついて逃げ切った奴が隙作ってんじゃねぇ………よっ!」

言葉とともに強烈な蹴りが士郎の腹にクリーンヒットした。

「ご────ぁ」

呼吸が停止する。意識が一瞬飛びかけた。
後方へ吹き飛ばされ鐘の後ろへと転がり、勢いよく壁に叩きつけられた。
腕の血が壁に塗りつき体が沈むとともにその血の痕もズルズルと描かれていく。

「衛宮………!」

目の前の異常性をようやく理解し、後に飛ばされた方士郎に振り向く。
そこにはしゃがみこんでしまった士郎の姿が。
そして、それの行動はランサーに背を向けるということ。

「………余計な手間を。見えていれば痛かろうと、オレなりの配慮だったんだがな」

背後。
そこにはすでに槍を構えたランサーがいた。

「─────」

後ろは振り向けない。
振り向いた瞬間死ぬ。振り向かなくとも死ぬ。
この距離で、この相手で、逃げ切れるはずもない。

(────ああ、私はここで死ぬのか)

漠然とその感想だけが思い浮かんだときだった。
目の前の少年が勢いよく起き上り

「あああああぁぁぁぁっ!!」

ブンッ! と強化魔術がかかった体で、文字通り全力投球で『鉄製』のポスターを投げつけた。
同時に士郎の体が跳ぶ。
ガンッ! と槍でポスターを弾き、突進してきた拳を避ける為に二歩後ろへ下がり回避するランサー。

その彼の目の前に映し出されたのは、廊下でみたあの光景。
大きく違うのは正面にいる彼の左腕がだらしなく垂れ下がっている部分か。
右手には『強化』されたポスター。
背後にはしゃがみこんでいる鐘。

「氷室!立てるか!?」

「────っ、衛宮、腕、左腕が………」

しゃがんみこんでいる鐘の視野の中には士郎の左腕が映る。
そしてその先に見えるはずのない部屋の向こう側が見えた。
つまり、槍が突き刺さった部分が完全に穴が開いていたのだ。

肩の傷とは比べ物にならない。もう彼の左腕は機能しないだろう。
しかし彼はそんな自身の左腕を気にもかけてない。

「よし、氷室。立てるな? 早くここから逃げろ、俺なら大丈夫だから………!」

「そんな………!嘘だ、大丈夫な筈が………!」

「氷室!早く行け!!」

聞いたこともないような大声で怒鳴る。

「─────っ」

ビクリ、と一瞬震えた鐘は何かに耐えるように俯いた後、鞄も持たずに立ち上がった。
言いたい事すらいえないまま鐘は居間から廊下へ向かい、玄関へ向かって走って行く。
足音が遠ざかり、その光景を眺めているランサー。

「…………なんで今の間に殺さなかった」

「へっ、そこまで無粋じゃねぇよ。だがな、坊主。ここであの嬢ちゃんを逃したところで意味ねぇぜ?」

「………逃げ切れるかもしれないだろ」

「ああ、そりゃ無理だ。─────そうだな、冥土の土産に教えてやる。俺がどうやってここを探し当てたか。────簡単だ、ルーンを使った」

「ルーン………!」

魔術系統の一つ、ルーンを用いた魔術のことであり、『ルーン文字』を刻むことで魔術的神秘を発現させる。
それぞれのルーンごとに意味があり、強化や発火、探索といった効果を発揮するのである。

「そうだ。言っただろ、『俺からは逃げらんねぇ』って」

槍を構え直す。
士郎もまたそれを見て強化されたポスターを構えた。

「いいぜ─────少しは楽しめそうじゃないか」

男の体が沈んだ、その刹那。
横殴りの槍が放たれた。

ガキィン!! と、顔面に放たれた槍を、確実に受け止めた。

「こんなのっ───!」

「いい子だ。ほら、次だ………!」

ブンッ! と振られる槍。
一体この室内でどういう扱いをすれば引っ掛からないのだろうか。
今度は逆側からフルスイングで胴を払いに来た。

ガキィン! と確実に受け止める。
だが、反動がさっきよりも大きい。
証拠に辛うじてポスターは握っているが、右腕が痺れてきている。
それを見たランサーはうれしそうに笑った。

「よし、ここまでは耐えたな。───なら、次はどうだ?」

再び横薙ぎの一閃。
速度は先のどれよりも速い。

「ぐっ────!!」

それを受け止める。
が。

「うぁ────ぐ!」

強化された筈の右腕が折れたかのような感覚に襲われる。
それだけの威力と速度。
強化したはずのポスターはへこみ始めている。

「ぐ、この────!!」

一気にランサーの懐に踏み込んで顔面めがけて強化したポスターを振った。

「おお?」

その攻撃に驚いたが、しかしそんなものはどこ吹く風。
槍の柄だけで受け止めて弾き返してきた。

「くそ………!」

左腕は使い物にならず強化されたポスターは限界に近づいている。
加えてそれを持っていた右手は痺れてしまっていてもう感覚すらない。
それでも握っていられるのは魔術強化のおかげではあったが。
左腕と腹部の激痛は痛覚を故意的に魔術で麻痺させているためまだ動ける。

「はぁっ!!」

ここから逃げていった彼女を守るためにランサーからは逃げない。
恐怖を押し殺し、痛みを押さえつけて、再び懐に入り込もうと開いた距離を詰める。
対するランサーは面白い玩具を見つけたかのように笑っていた。

「ククク………、なかなかいい動きするじゃねぇか。ちゃんと“与えた機会”を活かしてしっかり攻撃を仕掛けてくる。魔術師に斬り合いを望んでも仕方ねぇと思っていたが………」

向かってくる士郎にランサーは“さらに早い横一閃”を放った。

「うっぐ………!」

「どうして期待に応えてくれるかな、魔術師!」

轟! とランサーが“本気で”振り抜いた。
強化されたポスターごと受け止めた体が浮く。

「─────!!」

「………吹っ飛べ」

ガシャン!! と内と外を分けていたガラスをぶち破って外へと放り出され、そのまま家の塀に叩きつけられた。

「が────はっ」

呼吸が止まり、息ができなくなる。
だがそれを整えている時間はない。

「ッ!!」

もはや止まっているだけで死ぬという強迫概念が体を動かした。
横へ跳び逃げた直後にその場に紅い槍が突き刺さっていた。

「────っ」

驚愕する。
もはや投げられた槍に反応すらできなかった。
それでも避けれたのは本当にただの偶然。
右手で辛うじて持っていたポスターはすでに折れ曲がっている。

「………ホント、よく砕けなかったな………コレ」

歯を食い縛りながら士郎は庭の隅にある土蔵へと走る。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第8話 違う世界
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2013/04/30 00:21
第8話 違う世界


─────第一節 終局─────

折れ曲がったポスターはもう使えない。
そう判断した士郎は土蔵へ向かって走り出す。
そして何の確証もなしに

「はぁっ─────!」

体ごと捻って背後に一撃を放った。
キィン! と金属音が鳴り響いた。

「ぬ─────」

「まだっ!!」

振り向きざまに払った右腕を返して折れ曲がったポスターをランサー目掛けて投げつけた。
同時に足を一瞬で強化して背後へと跳び退く。
が。

「おせぇ」

「なっ…………」

跳び退いた筈の彼の正面にランサーがいた。
にやり、と笑って一言。

「─────もう一回飛べ」

ドゴッ! と人間の体が出してはいけない音を出して後方へ吹き飛んだ。
地面に叩きつけられ、それでも勢いが死なずに地面の上を二回、三回と跳ね跳んで土蔵へ押し込まれた。
ガタン!! と並べられた置物たちが衝撃で崩れ落ちてくる。

ランサーはゆっくりと土蔵へ向かってきている。
それはもう動けないだろうと確信しての余裕。
対する士郎は土蔵の天井を朦朧とした意識で眺めていた。

(──────────)

左腕からはどうしようもなく血が流れている。
右腕は完全に痺れていてまだ感覚が戻らない。
蹴りを食らった腹は胃が破れたかのように熱く感じている。

(─────悪い、氷室。俺………死んだ)

そんな弱音吐いて、同時に鼻で笑いとばした。

「───間抜け。助けるって言った奴が諦めてどうする。自分の出来ることをやるって決めてるじゃないか………!」

同時に体を確認する。

───首。繋がってる。大丈夫だ。
───左腕。穴が開いている。使いようがない。
───右腕。感覚は戻ってないけど魔術が通る。まだ動ける。
───右脚。まだついてるし動ける。
───左脚。さっき吹っ飛んだせいで痛い。魔力で無理矢理動かせばまだやれる。

左腕以外の体に魔力を通して身体を動かす。
近くに落ちてあったパイプを強化して武器とした。
敷いてあったブルーシートの一部を切り取って血が止まらない左腕に当てて血を止める。
流石にこれ以上血を流すわけにはいかない。
そして土蔵の奥に身をひそめ、気配遮断の魔術をかけた。

「………気配を消した?」

入ってきたランサーが呟く。
周囲を見渡すが士郎の姿は伺い知れない。

「………面白れぇ。正面から勝てないから次は闇討ちか? いいぜ、相手になってやる。来い、坊主………!」

闇討ちは本来士郎にとっては使いたくない手。
しかし相手が相手である以上、出来ることは全てやる。
闇討ちされるとわかっている格上の相手を奇襲するなどもはや正気の沙汰ではないが、このまま正面きって戦ったところで結果は同じ。
訪れる静寂。
緊張感は高まっていく。

ガシャンッ! と何かが割れた。

「そこかっ!?」

ランサーが音のした方へ振り向いたが、そこには誰もいない。
だが………。

「………なんてな」

そのまま背後へと槍の柄を突きだした。

「ぐっ────!」

柄の突きを食らって後ろへ倒れこむ。
ランサーにとってこの程度の闇討ちは闇討ちとは言えない。

「切羽詰まっているっていうことはわかるが、やめとけ坊主。お前はアサシンには向かねぇよ」

「…………っ!」

激痛に耐えながら即座に首目がけて尖ったパイプを振るうが、ランサーは難なくそれを弾き飛ばした。
その衝撃で握っていたパイプは吹き飛ばされ、丸腰になってしまう。
もはや魔力で強化した右手の握力すら奪われてしまっていたのだ。

「そら、これで終いだ…………!」

心臓に向かって槍が突き出される。
それを

「ああああああっ!」

身体を捻って“左腕で”受け止めた。
肉を抉る不愉快な音と共に鮮血が土蔵内部に飛び散った。

「────てめぇ」

動かない、動くことがない左腕を犠牲にする。
所謂『肉を切らせて骨を断つ』である。

「次ぃ!!」

最後の力を振り絞って隠し持ったパイプを握り、ランサーの首めがけて突き出した。
ランサーの槍は今現在士郎の左腕に突き刺さっている。
ガードはできない。それを見越しての攻撃。

しかし。

ドゴッ!! と、再び不吉な音が鳴り響いて後方へ飛ばされた。

「ごほ─────っ、あ……………!」

視界が歪む。
呼吸は停止し、握っていたパイプは床へ転げ落ちた。
そのまま座り込む。最後の攻撃は簡単に阻止された。
すでに身体は満身創痍。

「詰めだ。今のは割と驚かされたぜ、坊主」

眼前には槍を突きだしたランサーの姿。

「─────」

もはやこの先は存在しない。
槍はぴったりと士郎の胸に向けられている。
どうしようもない死が数秒後にやってくる。

「もしかすると、お前が七人目だったのかもな。ま、だとしてもこれで終わりなんだが」

ランサーの手が動く。
それは今まで見たのと比べるとスローモーションの様に見えた。
走る銀光。
自身の心臓に突き刺さる。
一秒後には血が出る。
そんな自分が見える。

不意に。
彼女の顔が思い浮かんだ。
泣かしたまま無理矢理家を追い出した。
追い出した。

ひどい仕打ちだ。
彼女も言っていた。
『手伝ってもらったのに追い返すような形で立ち去らせてしまったのだ。謝罪するのは当然だろう』と。
肩の傷を手当してもらったのに、追い返すような形で立ち去らせてしまった。

───なら謝罪しないと。


───そうだ、認める訳にはいかない。
殺した後に目の前の男は彼女を殺しに行くだろう。
───そんなのを許す訳にはいかない。
自分の死は全くの無意味となる。
───無意味に死ぬわけにはいかない。

生きて義務を果たさなければならないのに、死んでは義務が果たせない。
それでも槍は心臓を貫く。
頭にくる。
そんな簡単に人が死ぬ。そんな簡単に殺される。
あまりにもふざけすぎて頭にくる。
だから

「ふざけるな、俺は─────」

黙ってなんかいられなかった。

「氷室を守るんだよ!」

ランサーの槍が心臓を貫こうと動いた
士郎が迎え討とうとした

その時、

ランサーの後ろにあった魔方陣が
士郎の左手の甲が

突然光りだした。


─────第二節 セイバー─────

ランサーの槍が士郎の心臓を貫こうとする。
一体この光景は何度目か。
1度目は、ランサーが一般人だと思い込み完全に力を抜いていたとき。
2度目は、校舎の屋上で鐘の行動に一瞬呆気にとられたとき。
そして3度目。
この国には「3度目の正直」という言葉がある。
この言葉通りにいけば今回のランサーの攻撃は成功する。

だがそんな言葉もむなしく、彼の一撃は横から割って入ってきた人物によって弾かれた。
金髪の、青っぽい鎧を着た女性、いや少女というべきか。
その少女がランサーの槍を弾いていたのだ。

「───!!」

ランサーは一気に距離をとり、そのまま壁をすり抜け外へとでていった。
一方の士郎は一体何が起きたのか理解できなかった。
金髪の少女が後ろを振り返り言葉を発する。

「サーヴァント、セイバー。召喚に従い参上した」

まだ理解ができない。
金髪の少女、セイバーは続ける。

「問おう。貴方が私のマスターか」

凛とした声で訪ねてきた。

「え………マス……ター?」

朦朧としていた意識はランサーに怒鳴りつけた時点で半覚醒していたが、これで完全に覚醒した。
理解ができないが、理解できた。
それは彼女が外に出て行った男と同じ存在だという事。
同時に感覚が失ったはずの左手から痛みが感じられた。
思わず左手の甲を押さえつけた。
それが合図だったのだろうか。少女は静かに言った。

「これより我が剣はあなたと共にある。あなたの運命は私と共にある。───ここに契約は完了した」

「な────契約って………何の──っづ!?」

驚きのあまり忘れていたが体はとても叫べるような身体ではない。

「マスター………!? かなりの怪我を………!」

土蔵は暗い。
月の光がわずかに差し込んで中を照らしているが見づらかったのは確かである。
だから彼女はマスターの傷が想像以上にひどいことに気付くのが遅れた。

「マスター、とにかく自己治癒の魔術を使ってください!その傷では………」

「は………。いや、悪い。自己治癒なんて魔術は、俺は使えない………んだ」

「………! では、とにかく安静に!」

しかし安静にしているだけでは意味がない。
傷を塞ぎ、出血を止めなければいけない。
一番ひどいのが左腕。
大きな穴が二つもあいている。もはや左腕は絶望的だろう。

「何か傷を塞ぐ………包帯などはどこにありますか?」

「救急箱は、居間に………。────って、その前に………!」

激痛に顔を歪めながらセイバーに訪ねる。
これだけは聞いておかなければ安心などできたものではないからだ。

「あのさっきの奴、どこ行った?」

「さっきの奴…………ランサーのことですね。彼は私の攻撃を受けて外にでてそのまま離脱しました。彼はもう“この周囲にはいません”」

「──────────は?」

その言葉を聞いて自身の痛みが吹っ飛ぶ。
彼女の言う言葉の意味を、士郎は一瞬理解できなかった。

「マスター?」

「いないって………? じゃああいつ………」

簡単な話。
もともとランサーは鐘を殺すためにここまで追ってきた。
この場にいないということはつまり

「氷室が………殺される………!」

激痛なんてものに構っている暇などない。
即座に立ちあがってランサーを追うべく闇雲に家の外へ走り出した。

「マスター!?」

その姿を見て慌てて追いかけてくるセイバー。

「マスター!その怪我でどこへ行こうというのですか!まず止血をして………」

「悪い。心配してくれるのはありがたいけど、そんなことはどうでもいいんだ」

「どうでもいいとは………!自身の身体以上に何があるというのですか!?」

「氷室が殺されるんだよ!」

後ろに振り返ってセイバーの顔を睨む。

「俺はあいつを守らなくちゃいけない!守って謝って安心させなくちゃいけない、けど今はそのどれもできてない!放っておいたらアイツに殺される、それだけは何が何でも避けなくちゃいけない!」

真剣にセイバーの顔を見る士郎とその真剣さを正面から受け止めるセイバー。
少しの沈黙のあと、士郎は再び前を向き

「………悪い。お前に怒っても仕方がないよな。全部俺が弱い所為なんだから。────助けてくれたことには感謝する、ありがとう」

そう言って再び走り出そうとする。
だがそれをセイバーが腕を掴んで止めた。

「何を────」

「追うのはいいです。ですが、追ってマスターランサーに勝てるのですか?」

「────っ」

返答に窮する。
今のさっきまで成すすべなく殺されかけた士郎がランサーに勝てる道理などどこにもない。

「それに今から走って追うにしても間に合うのですか?」

「くっ────」

セイバーのいう事がイチイチ正論であるがために余計に血が上ってきてしまう。

「───だからって………何もしないなんてできるか!」

そう言って掴まれた手を振り払おうとする、が…………振り払えない。
彼女の力が強いのか、はたまた振り払えないほどに弱りきってしまったのか。

「今のマスターでは一人で追っても何もできずに殺されるだけです。そもそもサーヴァント相手に対等に戦おうという考えが間違っています」

「サー………ヴァント………?」

またしても知らない単語。
日本語に直訳すると召使という意味だが残念ながらそんな趣向は持ち合わせていない。

「サーヴァントを倒すためには同じ存在をぶつける必要がある。───言った筈です、私が貴方の剣となると」

セイバーはそう言って掴んでいた手を自身の肩に回して

「え………っと、ちょ………」

「跳びます。舌を噛まぬように」

一瞬で庭から姿を消した。

自分の眼下に普段歩いている道が流れている。
風をきる音が耳につき、空気が体にぶつかる。
空中にいながらその速度は自転車に乗っているよりも速く感じる。
それほどの速度。

「───!!??」

「今ランサーを追っています。まだ私の感知できる距離にはいるので追えます」

屋根から屋根へ、屋根から電信柱へ、電信柱から屋根へ。
新感覚のシェットコースターかと思うようなスリリング。
そんな状況に目を白黒させながら、振り落されないようにセイバーの肩をしっかり持っている。

「………わ、わかった。すごいことはわかった。………けど、追いつくのか?」

「わかりません。距離にして約70メートル。全力でいけば………っ!」

「どうした………!?」

「………ランサーの速度が上がりました。追われていることに気付いたようですね。このままでは追いつくのが困難になります」

「なっ………」

追いつけない。
それはつまり彼女が殺されることを意味する。
そして同時に理解する。
自身が荷物にしかなっていないということ。

「セイバー………だっけ」

「? はい、そうですが」

「────俺を置いて行け」

「なっ───、それはできません。マスターを守護するのがサーヴァントの役目。マスターを置いていくなど………」

「けど、それじゃ追いつけない」

その声は低く響く。
自分の非力さを呪う声。

「頼む………。俺じゃ氷室を守れない。氷室を助けてくれ………!」

歯を食い縛り、顔を俯かせる。
結局この数年間で得た魔術では一人として救うことができなかった。
悔しさがこみあげてくる。

「─────」

対するセイバーはそんな主を見る。
悔しさが滲み出てきているのは手に取るようにわかった。
自身に対する怒りが満ち溢れているのがわかった。

「…………わかりました」

着地した屋根から道へ下りて士郎を降ろす。

「マスターの命とあらば従います。必ずその『ヒムロ』という人をランサーから守ってみせます。────ただし、マスター。敵は一人ではありません。十分に気を付けてください」

「………ああ。頼む………!」

「では………すぐに戻ります」

ダンッ! とアスファルトを蹴りランサーを追うべく飛躍する。
あっという間に姿が見えなくなり、士郎は一人夜の町に取り残された。

ガン! とすぐ傍にあったブロック塀を思い切り殴りつけた。
その腕は僅かではあるが、確実に震えている。

「…………何が守る、だ。………最後は人頼みか………!」

力を得てなお理想の欠片すら触れる事ができなかった男の声が闇に溶けていった。


─────第三節 狂い廻る歯車─────

ランサーはセイバーが出てきた直後、咄嗟に土蔵から飛び出した。
体勢を立て直し、土蔵を睨みつける。

「まさか………本当に七人目になっちまうとはな」

自身の幸運とも不幸とも呼べる運命に感謝しながら出てくるのを待つ。
だが………

『何をしている、ランサー』

その声がはっきりと聞こえてきた。

「何って………お前さんの言う通りこれから敵サーヴァントと一戦やらかすんだが?」

『その前にやることがあるだろう』

聞いたランサーはあからさまに舌打ちをした。

『目撃者は速やかに排除しろ、これは最優先事項だ。セイバーはその後で構わん』

「チッ────わかったよ!」

反転して逃げて行った少女を殺すために庭を後にする。
ただし速度は控えめであるが。

「どうした………坊主。あそこまで張ったんだから当然追ってくるよな? じゃねぇと………本当に殺しちまうぞ」

衛宮邸から少し離れた民家の屋根の上でルーンを行使して逃亡している鐘の位置を把握した。
そうして再び跳んだそのとき

………追ってきたな。これなら問題はねぇな」

そうしてランサーは速度をあげる。
早く追って来いと言わんばかりに。



彼の家から全力で走ってきた所為で安定していた心拍数は再び上昇している。

「はぁ───はぁ───はぁ───」

走れなくなって足を止めて肩で息をする。
周囲はすでに暗い。街灯が道を照らし、この道にいるのは私一人だけ。

「衛宮…………」

そう言って振り返るが当然彼の家が見えるわけはない。
私を助けるために彼は左腕を失った。
私を助けるために彼はあの男と対峙した。
私を助けるために大声で叫んで逃がした。

「私は…………何をしているのだろう」

例えばこれが性質の悪い夢で、目を覚ませばそこには変わらぬ日常があって。
変わらぬように行動して学校にいけばそこに彼がいる。
そんな考えが浮かぶ。
もし夢ならこんな夢から早く覚めてほしい。
だってそうだろう。
殺されそうになって助けてくれた人が魔法使いでその人が私を逃がすために戦っている。

「─────どこの小説だ…………この状況は」

そしてさらにその小説のメインステージに立っているのが私ときている。
それだけで夢ではないか? と思うのは当然だ。
しかしそれ以上に嫌なのが

「衛宮が………死んでしまう………」

そんなのが現実だなんて認めたくないに決まっている。
だからこれは性質の悪い夢であってほしいと願う。
だが、そんな願いに溺れれるほど私は浮遊者ではない。
これは現実で、殺されかかって、彼が殺されそうになっている。

気がつけば大橋まで来ていた。
この橋を渡りきれば新都へと出る。
時間が時間なだけに新都へ行っても人は少ないだろう。

「どうして………こんなことに………」

震えて呟く声は闇に消える。
その問いに答えてくれる人は誰もいない。

私は結局助けてもらっただけ。
手には傷がある。
その傷は手当されている。
その傷が否応なしにあれは現実だということを教えてくる。
その傷が否応なしに彼と一緒にいたということを示している。
その傷が否応なしに彼の傷を思い出させた。

穴のあいた左腕。
本来見えるはずのない肉、骨。
そして赤い血。

「う………ぶ────」

咄嗟に手を当てて吐き出しそうになったモノを抑え込む。
今まであの男の前に居て、生きた心地がしなかった。
何度も感じた死の感覚。
実際は死んでいないが一体何度死にかけたのだろうか。

「────っはぁ、───はぁ………」

無理矢理抑え込む。
今まで自分は客観的な物見が出来て、努めて冷静でいれて、何があってもそれなりの冷静さを保てると思っていた。
だがそんなものはただの空想論。
実際に所謂『殺意』と呼ばれるものを全身に受け、見たことのない殺し合いを間近で見て、見たこともないような重症を負った人間を至近距離で見た。
そこに日常で培った自分が思っていた『自分』などただの空想論でしかないと分かった。
自分は少しだけ良家の家に生まれて、至って普通に生きてきた人間。
ゲームや小説で自身のオプションを空想化したって、それが現実に引っ付いてくるはずなんてない。

今日はいろんなことがあった。
働かない脳が一つずつ思い出していく。

グラウンドの件から始まり、
今まで感じたことのない恐怖を感じ、
初めて男性の背中に抱き着き、
あまりの出来事に腰を抜かし、
気がついたら抱かれて町を歩いていて、
彼と少しだけ温かい一時を過ごして、
そして、…………逃げ帰ってきた。

彼は助けてくれた。

「────────────あ」

そこで己の失態に気付く。
おそらくは生きてきた中での最大の失点。
それに気づいた瞬間に、もう何も言えなくなった。
今の今まで、一度も言わなければいけないことを言っていなかった。
それでおしまい。
冷静な自分は木端微塵に砕けきった。
だってそうだろう?

助けてもらったっていうのに────今の今までお礼すら言う事を忘れていたのだから。
冷静でいれたのならばそんなことは気が付いて真っ先にお礼を言ったはずだ。
それを言えてない。何が冷静か。
感謝の言葉すら言えていない。


そして。
目の前に現れた男を見て、もう何もかもがどうでもよくなった。

「よう、嬢ちゃん。ずいぶんと逃げてきたな」

「─────」

言葉なんてもう必要ない。

「逃げられないってのは、誰よりも判ってたんだろ? なに、やられる側ってのは得てしてそういうもんだ。恥じ入る事じゃない」

目の前の男の言葉なんて、もう耳には入らない。
ここにあの男がいるということは。
私を逃がすために対峙した彼は────

「………もう、いないんだな………」

立つ事すらもやめて膝をついて地面に座り込む。
その姿を見てあの男はどう映ったのだろうか。
いや………どうでもいいか。
もう私は死ぬのだし、もし死後の世界っていうものがあるのなら彼に是が非でも会いに行って謝罪し続けるだけだ。

「運が悪かったな、嬢ちゃん。ま、見たからには死んでくれや」

男が槍を持ち上げて構えた。
数秒後には感覚を失って地面に倒れこむ。
涙腺が熱を帯びている。目の前がぐじゃぐじゃになっていく。
だがそうだと言うのに恐怖は感じなかった。
この感覚に覚えがある。

   (───いつだっけ)

足元から壊れていくような感覚。
  
   (───どんな時だっけ)

ふと脳裏を掠める記憶があった。
赤い世界。

「なんで───」

あの火災が過ったのだろう。
何かがあった。何かを知っていた。

「───ああ、そうか」

こんな時に思い出すなんて。

(───あの時誰かを失ったんだ)

疑問が少しだけ解消されて私は目を瞑った。
考えることもこれで終わり。氷室 鐘という人物はここで終わる。
あとは永久に消えない罪とその罰を受けるだけ。

だけど。
私の耳には確かに聞こえた。

『死なせません。伏せなさい、ヒムロ』

その言葉を理解するよりも早く私は地面に倒れこんだ。

ギィン!! と甲高い音が夜の大橋に響く。

「ぐっ────!」

男の声が聞こえた。
そしてその後に、すぐ近くに着地するような音。
ゆっくりと目をあける。映るのは足。
ただし、その足は普通の靴じゃない。銀色のブーツ、いや鎧?
ゆっくりと視線を上げる。次に見えてきたのは青いスカートと銀色の鎧。

「─────」

その姿を見て唖然とする。
私の目の前に立ち、青い男と対峙していたのは女性だった。
いや、見た目の年齢と言い身長と言い、私よりも幼いように見える。

「立てますか、ヒムロ?」

視線は目の前の男に向けながら訊いてきた。
なぜ私の名を知っているのだろうか。

「え………? あ、何とか………」

目に溜まった涙をぬぐいながら立ち上がる。
こうも場が混乱してしまってはもう理解することすらどうでもよくなってくる。
見えるのは少女の背中。やはり私よりも身長が少しだけ低い。

「ヒムロ、ここから少し離れていてください。危険ですので」

私よりも小さな少女が何かを構える素振りをする。
手には何も持っていない。何のつもりなのだろうか。

「待………待て。貴女は一体………? それにどうする気だ?────まさかあの男と戦うのか?」

「はい、そのまさかです。貴女をランサーから守る様にマスターに命令されていますので」

相変わらず少女は此方へ振り向かないまま答える。

「守る…………? マスター………?」

全く理解できない。
情報が少なすぎる。
いきなり現れて私を助けろと命令した誰かに従って戦う?

「ようやく来たかい、セイバー」

「ランサー………一般人を手にかけるなどと、貴様は英雄としての誇りを持たないのか」

「まさか!俺だって誇りはある。…………が、例えいけ好かなくともマスターの命令とあっちゃぁ否応が無しに従わざるを得んだろう。無抵抗の女を殺すのは趣味じゃないしな」

そう言って前の男が紅い槍を構え直す。

「だが、だ。一般人に見られるのも不都合なのはまた道理。セイバー、お前は今言ったな? 『マスターの命で守るために来た』と。なら、俺を倒すか退かせなきゃその命令は守れねぇぜ?」

「───そうか。それが目的か、ランサー」

「へっ、そういうことだ。マスターの命令に従いつつ、てめぇと存分にやり合うために利用させてもらった。ま、もっとも間に合わなかったとしてもお前さんとはやり合う予定ではあったが───」

男の体が沈む。
対して目の前の少女の体も沈む。

「こっちの方が互いに退くことができねぇから好都合だろ!!」

ドン!! と言う音がしたと思ったらすでに目の前で打ち合いが開始されていた。


─────第四節 セイバーVSランサー─────

「な────」

鐘は我が目を疑った。
目の前で繰り広げられている光景。
ギィン!という甲高い音を上げて繰り広げられる剣劇。
月明かりの中で、闇の中で火花を散らす鋼と鋼。

「ハァァァァァッ!」
「ウォォォァァッ!」

数回打ち合った後に互いが跳び引く。
と思った矢先に突進し、槍を突きを放つ。

「くっ!」
ガキィン!!

紅い槍が見えない何かに防がれ、横に薙ぎ払う形で槍が振るわれる。
少女はそれに押され体勢を崩した。
払った槍をそのまま一回転、再び槍の先端を向け突き刺そうとするが、少女は男の上を越えるように跳び背後に着地して回避して攻撃を仕掛けている。

ガキィン! と、見えない何かを紅い槍が防ぐ。
一旦距離を離したかと思えば、即座に接近し打ち付ける。
槍の攻撃を見えない何かで往なし、即座に反撃する。

「チッ!」

強力な打ち付け。
その攻撃を槍で受け止めるが、一瞬硬直してしまう。
そこに

「ハアァァァァァッ!!」

大きく振りかぶった少女の攻撃が繰り出される。
その体型には似合わない、かなり重い攻撃。

「うぐっ!」

それをランサーは何とか受け止める。
その光景を見て信じることができなかった。
セイバーと呼ばれた少女は確実に圧倒的な力を持った敵を圧倒していたのだ。

戦いを見ていた鐘は彼女の持つ見えない何かを考えていた。
校庭ではあまりの出来事に驚いて戦闘など何も見えなかったが、少し落ち着いているというのとこれが数度目ということもあり、何となくではあるがこの戦闘を目で追えていた。
無論、一般人が反応できるような速度ではないのだが。

………構え、戦い方、セイバー………
それらを考えた結果

(見えない剣………?)

そう結果を出した直後、ランサーが距離をとった。
忌々しげに舌打ちをし、セイバーの持つ不可視の武器を睨みつける。

「やりづれぇ、武器の間合いがわからん………!」

そんな言葉を無視し、セイバーはランサーを斬り伏せる。
一撃、二撃、三撃。
その一撃一撃が重いのだから、ランサーとて気は抜けない。
加えて恐らくは剣であろう武器の間合いが判らないのだから、攻めにくいのは当たり前だった。

「テメェ………!」

その勢いで反撃もままならずに後方へ押し出される。
セイバーの間合いが分からない以上無闇に攻め込むことは迂闊すぎた。
後退するランサーに休息の刹那すら与えないほどの剣劇が繰り出される。

「チ────」

よほど戦いづらいのだろう。
守りに入った相手は、斬り伏せるのではなく叩き伏せられるのみ。
セイバーはより深く踏み込み、叩き下ろすように渾身の一撃を放った。

「調子にのるな、たわけ───!」

ランサーは消えるようにその場から後退して、セイバーの攻撃が空を斬った。

「ハッ!」

一瞬で数メートル跳び退いたランサーが巻き戻しのように爆ぜた。
対するセイバーは地面に剣を打ち付けたまま。
その隙は致命的だった。

一秒と待たず舞い戻ってくる紅い槍と────
だが、“それ以上に早い速度で”コマのように体を回転させる少女。

「ッ!」

故にその攻防は一秒以内。
失態に気づいたランサーと、それを両断しようとするセイバーの一撃。

ガッキィン!! と、ひときわ大きな音を出し、ランサーが弾き飛ばされた。

「────」

弾き飛ばした方のセイバーも不満だというのが伺えた。
ランサーを一刀両断の名のもとに倒そうとしていた必殺を防がれたのだ。
例え己の窮地を凌いだとしても、その攻撃に価値はなかった。

大きく距離が離れて互いが睨み合う。
先ほどのように即座に戦闘が開始されるわけではなかった。
それほど両者に負担がかかっていたという事になる。

再び距離が離れたところでセイバーが口を開く。

「─────どうした、ランサー。止まっていては槍兵の名が泣こう。………そちらが来ないなら、私が行くが」

「────は、わざわざ此方に来るか。それは構わんが────死ぬぞ?」

セイバーとランサーが再び構えを見せた。
だが、今までランサーが見せてきた構えとは違う構え。

(なんだ…………?────何か嫌な予感がする)

それが所謂「宝具」の発動の前兆だということは一般人である鐘はわからない。
ランサーが姿勢を低くし、同時に殺気が放たれる。

「────っ!!」

その殺気を感じた鐘は後ずさってしまう。
その感覚はかつてのグラウンドで感じたものと同じだ。

「宝具…………!」

対峙しているセイバーはより精神を研ぎ澄ませた。
相手の異常が一体何をする前兆か、などランサーの気迫を見れば容易に見て取れる。

「その心臓!貰い受ける!!」

ランサーが跳ぶ。
紅い槍はさっきよりも増して紅く光っている。

そこより繰り出される超高速の突き。
士郎に繰り出した攻撃とは比較にもならないほどの速度。
だが、セイバーはそれを回避。
反転し攻撃を仕掛けようとするが………

刺し穿つゲイ………」
「!」

セイバーが攻撃を避けようと動く。
対してランサーの槍はセイバーを捉えていない。

死棘の槍ボルク!!」

だが。
あたるはずのない角度で突き出されたはずの槍が、鎧を貫いた。


―Interlude In―

士郎は一人夜の町を歩いていた。
左腕はだらしなくぶらさがり、指先から血が滴り落ちている。
向かうは大橋。
別にセイバーからいる場所を尋ねたわけではない。
単純にセイバーが跳んで行った方向と、彼女の家の方向を考えれば大橋は必ず通るからだ。

「はぁ───、は────ぁ、─────ぁ」

腹部の激痛に左腕からの激痛。左脚に右脚に右腕。
全ての体が休め、治療しろ、動くなと警鐘を鳴らし続けている。
顔はすでに蒼白となっており、冷や汗が止まらない。
だが歩みを止めるわけにはいかない。

「ぐ…………!」

脇腹を右手で抱えて歩き続ける。
だが────

「う………」

ドサッ と、道端に倒れこむ。
痛覚を騙し続けるのもすでに限界を超えている。
加えて血を流しすぎている。出血死に至る量にはまだ届いていないが、それでもこの状態が続けばいずれ死ぬ。

「でも………まだ死ぬわけにはいかない………!」

ブロック塀に寄り添いながら立ち上がり再び歩く。
そうしてセイバーと別れてから数十メートル離れた地点で再び倒れた。

「う…………ごけ………!この、………ポンコツ………?!」

だが動かない。それどころかどんどん力が抜けていく。

───ふざけるな

そう心の中で叫ぶが、もう微塵も動けなくなった。
意識が遠のいていく。
ふざけるな、と口に出すが声がでない。

(………セイバー、氷室………)

意識は夜の闇へと溶けていった。

―Interlude Out―


「っ!!」

その光景を見た鐘は絶句する。
一体何が起こったかわからなかったが、確実にあの槍がセイバーの鎧を貫いたことはわかった。

だが、彼女は跳び退くように着地して倒れはしなかった。
必殺の一撃をぎりぎりで回避していたのだ。

「はっ────、く………!」

しかし見てみれば鎧の一部は砕かれ、傷を負ってしまっていた。
血が流れている。
今までかすり傷さえ負わなかった少女が、その胸を貫かれて夥しいまでの血を流している。

「呪詛………いや、今のは因果の逆転か…………!」

そう言っている間にもセイバーの傷口が修復されていく。
あれだけ流れていた血はもう流れていない。
その光景を見る鐘はもはや蚊帳の外の状態だ。

「躱したな、セイバー………。我が必殺の『刺し穿つ死棘の槍ゲイ・ボルク』を………!」

「───っ!? 『刺し穿つ死棘の槍ゲイ・ボルク』!では、御身はアイルランドの光の御子か!」

対するランサーは忌々しげに舌うちをした。

「………ドジったぜ。コイツを出すからには必殺でなけりゃヤバイってのに。まったく、有名すぎるのも考え物だな」

そう言って槍を構え直すランサー。
対するセイバーも再び構える。

「さて、正体を知られた以上はやり合うぜ? その後ろの嬢ちゃんも“マスターの命令で”殺さなくちゃいけねぇからな」

「私も退くつもりは…………っ!?」

答えようとしたセイバーが一転して顔が青くなった。
レイラインから伝わってくる異常。
それは。

「あ? どうした、セイバー。…………まさかとは思うがあの坊主、治癒魔術も使わずに死んだんじゃねぇだろうな?」

「……………」

ランサーの問いかけには答えない。
だが、明らかにセイバーが焦燥しているのはランサーにもわかったしセイバーの後ろにいる鐘もわかった。

「ちっ、まさか治癒ができない野郎だったとはな。────ならしかたねぇ。てめぇが消える前にさっさと…………!?」

ランサーが言葉を続けようとした直後に、ランサーの槍が空を斬る様に振るわれた。
ガキィイン!! と言う音とともにランサーの背後に“何か”が弾き飛ばされた。

「チッ、アーチャーか!センタービルから狙撃してやがるな………!」

忌々しげにランサーが言う。
対するセイバーもそれを聞いて余計に焦燥に駆られていた。

この大橋で隠れれる場所はない。
加えてマスターである士郎からの魔力供給が完全に停止した。
それだけ今の彼の中に魔力がないということでもあり、それだけ危険な状態まで陥ってしまっていたということでもある。

「…………く、ここは引かせていただきます、ランサー。このような場所では一方的に狙撃されるだけだ」

「ああ、同感だな。戦いに横槍入れられたんじゃあ萎える。俺はこの場は引き上げてもいいんだが────」

そう言って槍を構える。
その構えを見たセイバーが咄嗟に反応し────

「生憎とその嬢ちゃんは殺す必要があるんでね!!」

轟!! とセイバーの横を通り抜けんとするランサー。
だがそれを食い止める為にランサーの目の前に立ちランサーを食い止める。

「へっ!そんな嬢ちゃんなぞ見捨ててマスターのもとへ走らなくていいのか、セイバー!?」

「そうしたいのはやまやまだが、それをしてしまえばマスターとの誓いを破ることになる。約束を反故にするつもりはないし、彼女を見殺しにするつもりもないっ!」

ガキィン! とランサーを吹き飛ばす。
そして同時に後方へ跳び退き鐘を抱える。

「え!?あの────」

「ここから一刻も早く離脱してマスターのもとへ向かいます!捕まっていてください!」

そう言った直後に彼女の直感が告げた。

「─────っ!!!!」

抱えた鐘を放り投げて振り向きざまに不可視の剣を振る。
ガキィン! という音と共に紅い槍が防がせる。

「よく防いだ、セイバー!」

「今、貴様と戦っている暇などない!!」

セイバーとランサーが鍔迫り合いをしているその場所に。

『────偽・螺旋剣カラドボルグ

「「!!」」

両者は一瞬でその場から跳び退く。
同時に

壊れた幻想ブロークン・ファンタズム

大気を揺るがす閃光に、視界を奪われ、その爆音で音が掻き消された。

「チィッ!」
「くっ!!」
「きゃぁあ!?」

三者三様の反応を見せてその場から急速に離脱した。


―Interlude In―

大橋で起きた爆発は大橋を落とすほどのものではなかった。
否。
彼が本気になったのならば大橋は落ちていただろうが、さすがにそれは躊躇われた。
事後処理がとんでもなくめんどくさくなるだろうから。

だがそれでもセンタービル屋上から見えた爆発は大きく、そのマスターである凛は少し不安になった。

「ねぇ、アーチャー? 大橋は落とさないようにお願いしたけど?」

「………大丈夫だ、凛。落ちないように力は抑えておいた」

そう返答するアーチャーではあるが、様子がおかしい。
否。
ランサーと二度目に対峙する前から様子がおかしかった。
凛はそのことについて先ほど訪ねたが帰ってきた返答は「問題ない」ということだった。

「そう………ならいいけど。───で、ランサーとセイバーはどうなった?…………あとその“マスター”も」

「さすがに三騎士と呼ばれるサーヴァントだけはある。両者とも大橋から離脱したよ。セイバーは深山町に戻ったがランサーはこちらの新都方面に向かって逃げてきた。無いとは思うが念のために場所を移すぞ」

「わかったわ。………とりあえず、ランサーを追いましょう。学校の件といいマスターの顔を拝まないと割に合わないわ」

「了解した、凛」

二人はビルの屋上から飛び降りてランサーを探すべく、新都の町へ消えて行った。

「それにしても………まさか“氷室さんが”セイバーのマスターだった、なんてね」

アーチャーはその言葉を聞いて考えに耽るしかなかった。

―Interlude Out―



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第9話 明けない夜
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/04/16 20:37
第9話 明けない夜


─────第一節 嵐の前の静けさ─────

爆発音とともに深山町方面へ跳び退くセイバー。
腕には鐘が抱えられている。

「くっ………!アーチャーめ、私もろともランサーと一緒に撃破する気でしたね………!」

そう呟いて爆発した箇所を一瞥してラインを頼りにマスターである士郎のもとへ急行する。
対する鐘は屋根から屋根へと高速で移動する光景を見て困惑するしかなかった。

「あ、あの。セイバー………さん?」

「なんでしょう、ヒムロ」

「その………助けてくれて感謝します」

「私はマスターに指示に従っただけです。────少し速度を上げますので舌を噛まぬように」

ドンッ! と屋根を蹴り、速度を上げる。

「─────!」

とりあえずこの状況で話をするのは無理そうだ、と感じた鐘は言われた通りに口を閉じた。
屋根から屋根へ、屋根から電信柱へ、電信柱から屋根へ。
そうして見えてきたのは鐘にとって見たくもない光景。
否、セイバーにとっても許容できるような光景ではない。

「衛宮!」
「マスター!」

着地して倒れている人物へと駆け寄る。
セイバーと別れた地点から数十メートル離れた場所で俯せに倒れている。

「衛宮、衛宮!!」

どんどん焦燥感に駆られていく鐘に対してセイバーも焦燥感を隠しきれなかった。
しかしふと左腕をに視線がいって

「─────腕の穴が塞がっている………?」

「え?」

セイバーの呟きを聞いた鐘は彼の左腕を見る。
左腕は血だらけだったが、反して彼女が見た筈の大穴がなかった。
声に反応してわずかに体を動かして、重い瞼をあけた。

「………氷室………、それに………セイバー………?」

弱弱しい声ではあったが、それでも口調は比較的しっかりとしていた。
二人は僅かに安堵して彼の背に手をやってゆっくりと起き上らせる。

「悪い………。氷室、無事だったんだな………よかった」

そんな感想を漏らす士郎だったが、心境は複雑だった。
対する鐘は士郎がとりあえず無事なのを確認して、落ち着きを取り戻した。

「セイバーさんに助けてもらった。─────ということはやはり、マスターというのは衛宮のことか」

「─────俺も少しばかり混乱してるんだけどな」

そう呟いて鎧姿の少女を見る。
改めてみると美人であり、その容姿は鐘や士郎よりも少し下に見える。

「………ありがとう、セイバー。氷室を助けてくれて」

「いえ、マスターの命令ならば当然です。それに私としても一般人が殺されるのを見過ごす気もなかった」

ブロック塀に凭れてその言葉を聞く士郎は首を傾げる。
が、ここで、しかもこのような格好でいるのもどうか、ということもありとりあえず

「とりあえず家に戻ろう。いろいろと訊きたい事とかあるけどそれからでいいだろ? 二人とも。

「そうですね。このような外で話すのは得策ではない」

「─────そうだな。私も少し整理したい」

二人の同意を得て立ち上がろうと腕に力を入れる。
と、ここで気が付いた。

「─────あれ? 左腕の傷が塞がってる?」

「? 衛宮、自分で治癒とか施したんじゃないのか? 魔法使いなら『ケアル』くらい使えるのだろう?」

「俺は治癒魔術なんて使えないんだ、氷室。あと何で『ケアル』?」

「………その『ケアル』が一体何なのかは知りませんが、左腕は大丈夫なのですか? マスター」

二人のやり取りを見て少し疑問に思いながらも訪ねる。

「いや─────痛みは残っているし動かそうとしてもかなり反応が鈍いけど、さっきまでみたいに感覚がないっていうことはない、かな」

「では、ひとまずは大丈夫ということですね、マスター」

「多分。─────それと、セイバー。その………俺はマスターっていう名前じゃなくて『衛宮士郎』っていう名前なんだ」

「そうでしたか………。では、シロウと。─────ええ、私にはこの発音の方が好ましい」

簡単にではあるが自己紹介を済ませて立ち上がる。
だが彼の体の傷が塞がったとはいえ、ダメージは体内に蓄積されている。
足元がふらついて体が傾く。

「衛宮………!」

傾いた体を鐘が横で支える。
その光景は最初に二人が衛宮邸に来たときとは逆の関係。

「悪い………ちょっとふらついた」

「無理はしないでくれ、衛宮。支えてやるくらいなら私だってできる」

「───助かる」

見栄を張ったところで意味はない。そう考えて素直に感謝の意を示して肩を借りて歩き出した。
セイバーは二人の後ろについて歩いている。
鐘は彼の腕を自身に肩に回して、左手を彼の背中に当てて支えながら歩いている。

「───衛宮」

呟くような声で言う。

「ん?」

「ありがとう、助けてくれて。君がいなかったら私は………きっと死んでいた」

言い忘れていた言葉。
それは今すぐ隣にいる彼に伝える。その言葉を聞いた士郎は小さく驚いたが

「───いいよ、気にしないで。言ったろ、助けたいから助けるって。本当に………氷室が無事でよかった」

同じように呟いたが、その顔は優れなかった。

「…………衛宮?」

そんな顔をしている彼を見て不安になり声をかける。
だがその直後に。

「こんばんは、セイバー、お兄ちゃん。お兄ちゃんは会うのは二度目だね」

幼い声が夜の町に響いた。
歌うようなそれは、紛れもなく少女の物だ。視線が坂の上に引き寄せられる。
月にかかっていた雲はいつの間にか去っていた。
月明かりが示すしるべのその先に。

軽く二メートルはある巨体。
そしてその傍らにいる白い少女。
影絵の世界に、それはあってはならない存在だった。


─────第二節 バーサーカー─────

「────バーサーカー………ですね」

背後にいたセイバーが二人の前にでて戦闘態勢に入る。
現在セイバーはマスターである士郎からの魔力供給を受けていない。
彼の魔力がほぼ空の状態なので受け取ろうとも供給されていなかったのだ。
そんな状態で戦うのは好ましくはないが、むしろ万全の状態で戦える方が珍しいので泣き言は言ってられない。
何より前方にいる少女が三人を見逃すとは思えなかった。

「バーサーカー…………」

セイバーの言葉につられて声に出して呟く士郎。
目の前にいる少女に訪ねる事などない。
アレは紛れもなく敵であり、殺しに来た者だとわかったから。
そしてその敵が放つ殺気は、ランサーよりも威圧的であった。

隣にいる鐘は目の前の敵に呆気を取られていたが、士郎の呟きで我に戻り体をわずかに震わせながら、それでも彼を守る様に半歩分だけ前に出た。
彼女があの巨体に対してできることなど皆無だろうが、しかしそれでもこれ以上傷ついた彼を見たくないという思いもあった。
が、大きく出ることもできず、結果半歩という状況になっていた。
何を中途半端な事をしているのか と自問しながら目の前の少女に視線を向ける。
その光景を見た白い少女は首を傾げる。

「そっちの人はだれ? 魔術師………じゃないよね? お兄ちゃんの協力者?」

首を傾げる少女。当然ながら協力者ではない。
それを聞いて士郎が否定の意を伝えようとする前に

「ま、いいか。どっちにしろ殺すことには変わらないんだし」

微笑みながら少女は殺すと口にした。
その笑顔はこの場には似合わない。
だがその無邪気な笑顔が背筋を寒くした。
─────と。
少女は行儀よく、この場に不釣り合いなお辞儀を見せる。

「そういえばまだ名前、言ってなかったね。知ってるかもしれないけど一応言っとくね。私はイリヤ、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」

「アインツベルン─────?」

聞き覚えのない名前。
だが二人の前にいたセイバーだけは僅かに反応した。
無論後ろの二人は気づかなかったが。

「さて、挨拶はこれくらいでいいよね。どうせ死んじゃうんだもの」

「クッ………」

セイバーが不可視の剣を構える。

「ふふ………じゃあ、殺すね。やっちゃえ!バーサーカー!!」

「■■■■■■─────!!!」

巨体が宙を舞う。
坂の上から飛び降りてくる。

「───シロウ、ヒムロ。下がってください………!」

同時にセイバーがあの巨体に向かって駆けた。
バーサーカーの落下地点に急行したセイバーは即座に不可視の剣を振り上げた。
同時にバーサーカーの大剣が振り下ろされる。

ガキィィン!! という轟音が夜の町に鳴り響く。
同時に巻き起こる突風。

「うわっ………!」
「………!」

突風に吹き飛ばされそうになる。
咄嗟に士郎は鐘を自分の方に引き寄せて衝撃から守る。
そうして目に映った光景はセイバーが押される光景。

「っ─────」

口を歪めるセイバーのもとに
轟!! と暴風染みたバーサーカーの一閃が襲いかかってくる。
受け止めるその音はまさしく轟音。
大気を裂きかねない鋼と鋼のぶつかり合いは、セイバーの敗北で終わった。
ざざざざ、という音を立ててセイバーが後退する。
バーサーカーの大剣を受け止めたものの、その力に圧倒されて押し返されていたのだ。

「くっ………」

体勢を崩しながらもそれを立て直そうとするセイバー。
その彼女のもとへ

「■■■■■■─────!!!」

轟! と、バーサーカーが接近し大剣を叩きつける。
避けることなどできない。
その時間すら与えられないまま大剣を受け止める。
バーサーカーの一撃は全力で受け止めなければならない即死の風だった。
故にセイバーは受けに回るしかない。
何とか隙を見出して反撃に移ろうとするが───

「■■■■■■────!!!」

大剣が振るわれる。
その速度はセイバーを上回っている。
バーサーカーが大剣を振るう。
そこに技などない。必要がない。
圧倒的な力と速度を以っていて敵を叩き潰す。
振るわれるたびに大気が揺れる。
電信柱など豆腐のように簡単に砕け、地面は瓦の様にヒビが入り、割れる。

「─────逃げろ」

呟く声はセイバーには聞こえない。
だが彼を支える彼女にはしっかりと聞こえた。
そんな彼の言葉などお構いなしに大剣は振るわれ続ける。
セイバーはランサーとの戦いにおいて傷を負っている。
加えてそれを治癒させてやれるほどの魔力は今現在士郎の内部には存在しない。
故にセイバーは傷を負ったまま戦っていた。

轟!!と繰り出される大剣。
嵐のように襲ってくる大剣を捌ききれずに体勢を崩したところに放たれた一撃。
それを轟音を伴いながら無理な体勢で防いだが、彼女の体が浮いた。
致命傷だけを避けるために取った行動は、結果勢いを殺せずに吹き飛ばされた。
大きく弧を描いて落ちる。地面に叩きつけられる前に身を翻して着地する。

「………ぅ、つ………」

だがその体から血が流れている。
胸の周囲からも血が出ていた。

「………あれは」

その姿を見て鐘が思い出した。
ランサーとよばれた男が放った槍。
あれが直撃した箇所だった筈だ。
傷が修復されていたので気に止めなかったが、外見だけだったとするならば彼女のダメージは深刻の筈である。

「つ、う─────」

胸を庇うように構えるセイバー。
しかしそんなものは暴風であるバーサーカーには関係がない。
傷ついたセイバーに斬りかかる。

「………っ!! だめだ、逃げろ、セイバー!!」

弱り切った体で、それでも渾身の叫びを響かせる。
にもかかわらず、彼女は敵うはずのない敵へと立ち向かった。

ガキィン!!という音を再開の音としてその後も幾度となく轟音が響き渡る。
バーサーカーの攻撃に終わりはない。受ける度にセイバーの体が沈み、どんどん追い込まれていく。

「「逃げろ(るんだ)!セイバー(さん)!」」

その二人の叫びもむなしく、大剣の一閃が完全に防いだ筈のセイバーもろとも薙ぎ払った。

だん、と。
遠くで何かが落ちる音。
見えるのは赤。鮮血。
その中でもはや立ち上がる事の出来ない筈の体で

「っ、あ…………」

それでも必死に立ち上がろうとしている少女がいた。



「──────────」

心のどこかで彼女なら大丈夫だと思っていた。
先ほど目の前で起きた光景。
あの時は彼女が圧倒していた。きっと彼女なら大丈夫、そんな確証もない思いを懐いていた
けどそれは間違い。愚かな間違いだった。
少女を斬りつけた巨体は動きを止めている。
それはまるで命令を待っているかのようで………

「あは、勝てるわけないじゃない。私のバーサーカーはね、ギリシャ最大の英雄なんだから」

その言葉を聞いた私は未だに理解できない。
英雄が何だと言うのだろうか。

「─────ギリシャ最大の英雄………?」

「そうよ、そこにいるのはヘラクレスっていう魔物。お兄ちゃんが使役できるような英雄とは格が違う、最凶の怪物なんだから」

イリヤと名乗った少女は私の質問に律儀に答えて目を細める。
それは憐みなどの目ではない、楽しむ愉悦の目。

────それは敵を倒す。
────敵とは誰か。言うまでもない。

彼女が殺される。それを防がなくてはいけない。
じゃあどうしろというのだろうか。
彼女に代わってあの怪物と戦う?
そんなことはできない。私に力はないし、そもそも半端な覚悟で近づくだけで心臓が止まりそうだ。
どうすればいい。
助けてくれた彼女を見捨てるのか。
何もできないと言って、死にかけている彼女を見殺しにするのか。

必死に何か策はないかと考えを張り巡らせる私に

「氷室」

声をかけてくる衛宮。

「悪い。ちょっとだけ………離れる」

「え? えみ………」

私が声をかける前に彼は走り出した。

「いいわよ、バーサーカー。そいつ、再生するから一撃で仕留めなさい」

活動を再開する巨体。

「こ─────のぉおお…………!!」

一気に坂を駆け上る。
衛宮ではあの怪物をどうにかできるわけがない。ましてや今の状態ではそれこそ塵同然だ。
だからせめて、傍にいる少女を突き飛ばして巨体の一撃から助け出さなければいけない。そう考えたのだろう。
ドン! と少女を突き飛ばすことに成功した。
………けれど。

グチャッ。

目の前で、ナニカが潰れるような音がした。

ばた、と倒れる衛宮。
その顔は心底何が起こったかわからない、という顔。

「──────────え」

その光景を眺めていた。
そして彼が突き飛ばした時から彼が倒れるその時まで一部始終見ていた。
何てことはない。あの巨人が振るう大剣が“早すぎた”。

「が───は」

吐血。
地面に倒れている衛宮。
その傷から見えるのは血だけではない。柔らかそうなもの、白っぽい枝………。
私もセイバーさんも、そして敵であるイリヤという少女も、その光景を見て停止していた。

「───ごふっ」

また吐血。
どんどん彼の顔から生気の色がなくなっていく。
死ぬ。
目の前で鮮血を噴き出して。
倒れこんで。
吐血して。
シヌ。

「な………んで」

気がついたら走り出してた。
知らない。
あそこに行くことで死ぬとか知らない。
躓いてこける。膝を擦りむく。
そんなことは知らない。
立ち上がって坂を駆け上がる。
今度こそ彼の傍にたどり着く。

赤。
アカ。
体は赤く染まっていた。

「衛宮!衛宮!!」

必死に意識を留めるために呼びかける。
いや………そんなこととは関係なく、ただ名前を叫び続けていた。
彼の声が聞こえない。ぐったりと力の抜けた彼の手足。
顔は赤く染まり、瞳は壊れたオートフォーカスの様に半開きのまま停止している。
全身にあの攻撃を受けて、激痛を伴っているハズなのに、抱えた彼は叫びもせず、体を動かすこともせず、ピクリとも動かなかった。

「……や…………」

判断能力なんて吹き飛んだ。
すぐ近くに彼をこんな風にした敵がいるのに、それすら完璧に頭の中から消え去った。

「────なんで」

白い少女が呟いた。

「────もういい。こんなの、つまんない」

そのまま巨人と少女は去って行った。

「衛宮………」

私には見えない。
腕の中にいる彼しか見えない。

「衛宮ぁぁッ!」

気がつけば私は彼を抱いて叫んでいた。


─────第三節 ヴェールをかけた女─────

今日の夜だけで行われた戦闘はすでに3つ。

アーチャーVsランサー
ランサーVsセイバー
セイバーVsバーサーカー

その戦い全てを観察しながら、しかしその戦いに干渉しなかった人物がいる。

「…………本当に、馬鹿な子」

水晶越しにその戦いの一部始終を見ていたフードを被った女性。名をキャスター。
とある一部の人物からはそう呼ばれている。

「まったく─────セイバーのマスターがここまで無知で無能で愚かだとはね………」

そう言いながら水晶から目を離す。
もはやこれより先で戦闘は行われないだろう。

「けどまだ生きてはいる、か。………案外悪運はあるのかしらね」

そう言って口に手を当てて思案する。
キャスターはサーヴァント中最弱と呼ばれている。
それはキャスター自身の自覚しているため、だからこそ彼女は策を張り巡らせる。
キャスターが根城とするのは柳洞寺。
そしてその城を守るのはキャスターともう一人、アサシン。

未だこの柳洞寺に敵サーヴァントの侵入を許したことはない。
だが、それでも不安要素はあった。

「あの野蛮人が襲ってきた場合、私とアサシンだけでは心許ないわね。せめて迎撃できうる駒は必要………か」

すでに柳洞寺はキャスターの城と化している。
その城の内部では圧倒的な力を発揮できるのだが、だからと言ってキャスターが慢心になることはまずなかった。

「セイバー………彼女達を調べてみる価値はあるわね」

キャスターの中にはすでにセイバーをどのように引き込もうかという策が複数個存在していた。
自身の宝具を使い引き入れる。
マスターごと引き入れる。
そして………

「彼女を利用する………という手もあるわね」

魔女は呟き、妖艶に嗤う。
貝紫のローブが翻った一瞬の後、そこにあった筈の彼女の姿は元から存在していなかったかのように消え失せていた。

柳洞寺。
長い石段の上ある寺。
訪れた参拝客を最初にもてなすのは山門。
その山門に紫紺の陣羽織を風にはためかせる一人の男の姿があった。誰がどう見てもそれは現代に生きる者の出で立ちではない。
何より、その侍の右手に携えられた長大な業物が、振るわれる時を待ち侘びていたのだから。
アサシン。
そう呼ばれる彼はキャスターによって召喚され、山門の守りを任されていた。
そんな彼の前に現れた男が一人。

「───さて、もう夜も更けきって後は日の出で目覚めるだけという今宵。このような時限に参拝に訪れたわけではあるまい? そこの青髪の男よ」

山門の前に佇む侍が問いかける。
そこに敵意は無く、殺意も無い。澄み渡る静寂の水面のように無形。

「お生憎さま、俺は仏教徒じゃねぇんでね。用があるのはお前だ、アサシン。─────まさかキャスターの膝元に居やがるとは思わなくってよ、探すのに手間取っちまった」

「そうか、私に用があったか。てっきりこの先にいる人物に用があると思ったのだがな」

侍の手の中にある刀が揺れる。
刀と呼ぶには余りにも長いそれが月の光を一身に浴びたまま、訪れし敵へとその切っ先を差し向けた。

「無論、その用とはただの世間話などではなかろう?」

「当然だ。サーヴァントとサーヴァントが出会ったんだぜ? やることなんて一つしかねぇだろ!」

轟! という音と共にランサーが石段を駆け上がってきた。
その姿を見ながらも悠然と佇むアサシン。
そして。
ガキィイン!! という金属音が夜の山道に響き渡った。



山道に響く金属音。
槍と長刀が奏でるその音を聞きながら遠くでそれを観察する人物が一人。
腰元、いや足元まで流れる紫紺の髪。
すらりとした長身に肌を大きく露出させた黒の衣装。見紛うほどの美しさ。
ライダー。
彼女は二人の戦いを悟られぬように観察していた。
聖杯戦争は始まったばかり。
まずは情報収集から入るのが戦いに生き残るための定石。
これは現代の魔術が全く関与しない戦争でも同じ。いかに相手の情報を手に入れて自分に有利な状況で戦うことができるか。
彼女自身のマスターは残念ながら優れた魔術師ではない。
いや、魔術師ですらない。ただ魔術という知識を持っただけの人物。
そのくせお世辞にもあまり優れた性格・判断を下せる人物というわけでもない。
ライダーはそんな自分の不利的状況を少しでも打開するために、夜な夜な情報収集に奔走していた。
無論マスターにはその事を伝えているし、その間は大人しく家にいるように懇願しているため、離れている最中に狙われるという事はない。
そもそも彼女のマスターは他マスターの探知には引っ掛からない。
なぜならマスターは魔術師ではないからだ。



月下流麗。
月の光が山道照らし、その石段で踊るのは紫紺と群青。閃くのは銀の清流と紅の奔流。

紅い槍と長刀。
その姿の通りの戦いをするランサーに対して、対峙する男、アサシンは大よそそのクラス名とはかけ離れていた。
侍の剣閃は一撃一撃が必殺の太刀だった。
命を刈り取る鋭利な刃。それをランサーは手に握る槍で迎撃し、その次の瞬間には次の剣戟が繰り出されている。
必死の攻防の中に活路を見出して突き出す槍は、しかし直撃することなく受け流され、そしてそれは相手の剣速を引き上げる糧とされていた。
相手の得物は長刀でありランサーの槍のアドバンテージもあまり意味を成さなかった。
懐に入りさえすれば勝負は一瞬で決着を見るだろうが、ランサーとて短剣の様な至近距離戦で真価を発揮する武装ではない。
互いが互いの間合いを維持したままに火花が飛び散る。
たとえそこまで行けなくとも、弾いた直後ならば次の一撃までに普通の剣よりも長い隙がある筈。
しかも相手の剣筋は円。それは最速とは程遠い、無駄だらけの軌道である。故にランサーはその一瞬こそを待ち望んだが、その時は終に訪れることはなかった。
一撃弾く度に速度を増し繰り出される閃光。それは本来有り得ない剣速。踏み込む度、打ち合う度、侍の剣は躱す事すら赦さないとばかりに速度を上げる。
円を描きながら線より速く。不敏を思わせておきながら点より尖鋭。その侍には、その軌道こそが最善であると言わしめるだけの何かがあった。
ランサーは反撃の糸口すら掴めず、ただただ侍の剣戟を受け続ける。
そしてその光景を見ていたライダーもまた、疑問に囚われていた。
なぜあそこまで正面切って戦えるのか。仮にもアサシンであるならばランサーと正面衝突した場合、押されるはずである。
それでも戦えるように高レベルの気配遮断のスキルなどがあるのだ。
だがあの侍は隠れようともせず、悠然とランサーと剣劇を繰り広げる。
それはアサシンというよりもセイバーに近い。
否、セイバーをも凌駕するかもしれないその剣劇は確実にランサーを押していた。
足場の不利もあり、ランサーは距離を取る。

「ち─────やりづれえな、お前」

「ふ………。褒め言葉として受け取っておこうぞ、ランサー。………して、跳び退いて我が刀から離れたはいいがどうする?」

「………どうするっていうのはどういうことだ」

「なに、こうして戦いあえるのは僥倖ではあるが─────」

アサシンは刀を下げた。
それがどういう事を意味するか。

「本気を出せない相手を斬るというのは釈然としないものでな。できるなら貴様には立ち去ってもらいたいものなのだが」

「─────気づいていたか」

「気づかぬ道理などあるまい。大よそ不本意なマスターの命令を受けたのであろう? その覇気に対して戦いに入る力はそれに似合わない」

互いの殺気が完全に消える。
これで戦いは終わり。

「去るというのならば追わん。生憎と私の役割はこの門を守ることだけなのでな。─────もっとも、気に入らぬ相手であれば死んでも通さんし、生かしても帰さん」

そう言ったアサシンはある場所を凝視する。
視線を感じ取ったライダーはすぐにその場から離脱した。

「やれやれだな、おい。戦いに水を差されるのは今日だけで三度目だ」

「ほう。それはまた難儀だな、ランサー? 相当に運に恵まれていないようだ」

「うちのマスターそのものがそもそも幸運なんてもの持ってるかすら怪しいもんなんだがな」

そう言ってランサーはアサシンに背を向けて去って行く。

「借りはいずれ必ず返すぜ、アサシン」

そうして山道の戦いは終わりを告げた。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第10話 静かな崩壊 Chapter3 Evil under the Sun
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/04/14 16:12
Chapter3 Evil under the Sun

第10話 静かな崩壊

Date:2月3日 日曜日

─────第一節 崩壊の序曲─────

───遠い記憶。
その光景は生きてきた中で何度も見てきたものだ。
その夢を見て跳び起きるなんてことはない。
目覚めが悪かったことは何度かあったが………。
けれど、今日の夢はそれ以上に最悪だった。
夢に見たのはあの夜の光景で、あの赤い世界。
私が抱きしめた彼は反応がなく、人形のように止まっていた。
その姿は死んでいるようで───

「う………ぁっ!!」

跳び起きた。
体は依然として震えていて、額には汗が滲んでいる。

「────はぁ」

悪い夢を見たのは枕の所為だ、などと半ば八つ当たりをしながら周囲を見渡す。
いつもの洋室ではない和室。少しだけ離れた場所に夢に出てきた彼が眠っている。日はすでに高い。
昨日彼が倒れた後にセイバーさんと二人で驚いた。
彼の傷がどんどん塞がっていっていたからだ。
衛宮を抱えて急いで彼の家へと戻り、応急処置をしたがその時にはもう傷がほとんど塞がっていた。
一体何が起きているのかわからなかったのだがその当事者である彼の意識がないため結局はわからずじまい。
それに彼自身もそれ以前の反応を見る限りじゃわからないようだったので調べようもない。

血のついた私の制服と彼の制服は揃って風呂場行きとなった。
間違っても血の付いた服を着て家の中をうろうろするわけにもいかなかった。
その後両親に電話を入れ、由紀香の家に泊まると言って彼の家に一泊することとなった。
しかし当然私は着替えなどもってきていないわけで、結果浴衣を拝借する形となっている。

「セイバーさんは………どこに?」

昨夜三人で同じ部屋にいた筈だった。
流石に彼と同室で寝るのはどうかと思ったのだが、セイバーさんの「護衛しやすい」という言葉を聞いて反論の余地はなくなった。

「………………っ」

「………衛宮?」

彼の声が聞こえた。寄って彼の顔を見る。
瞼がゆっくりと上がっていく。

「………氷………室?」

「そうだ。私だ、衛宮。体は大丈夫か?」

傷は確かに塞がっていた。だがそれでも安心はできなかった故の言葉。
口調はいつも通りではあるが。

「………う、口の中………まずい………」

上半身を起こし、言った後に咳き込む。
どうやら口の中に血が残っていたらしい。

「大丈夫か、衛宮? 洗面所に行って口の中漱いできたらどうだ?」

「………悪い、そうする」

そう言って立ち上がろうと体を動かそうとする。
だがそんな彼の体は反して崩れ落ちかけた。

「衛宮!」

倒れそうになった体を支えるように壁に手をあてている。
すぐに彼を支えるように腕をとる。

「わ………るい。ちょっと眩暈がし………」

口に手を当てる。
吐き気もあるらしい。

「衛宮………洗面所まで連れて行くくらい、私にもできる」

彼の体を支えたまま私は寝室を後にして昨夜使わせてもらった風呂場へと続く洗面所に連れて行った。
洗面所について彼が手のひらで水を救って口を濯ぎ、顔を洗う。
冬で寒い筈なのに水道の冷水を髪に直接濡らしている。
息遣いが荒い。横から彼を見ているとこちらもつらくなってきてそうだ。
それほど彼の状態はよくなかった。
だというのに

「………よし、少しは落ち着いた」

なんていうものだからむっときてしまう。
確かに先ほどと比べてましになってはいると思うが、もっと自分の体を大切にしてもいい筈だ。

「氷室………家に泊まったんだな。…………その浴衣は─────」

「ああ。すまない、制服は血だらけだったので浴衣を拝借している。ちゃんと洗って返す所存だ」

「───い、いや、別にそこまでしてくれなくてもいい」

そう言って俯いてしまった。どうしたのか、と思った次には
パンッ、と両手で頬を叩いて気合いをいれていた。

「よしっ。氷室、昼飯食べてないよな? ご馳走するから食べて行ってくれ。話はそれからにしよう」

普段通りの彼に戻っていた。
首を傾げる私に背を向けてドアを開けようとするが、

「ここに居ましたか、シロウ、ヒムロ」

入ってきたのは昨日であった少女、セイバーさん。

「セイバー………!」

視線を僅かにそらした。
まああの姿を初めて見た時は驚くだろう。

「体の方は大丈夫のようですね、一時はどうなるかと思いましたが安心しました」

「あ、ああ………。お蔭様で………」

「? どうしましたか、シロウ。まさかまだどこかに傷を………!?」

「………いや、とりあえず言いたい事があるんだが言っていいか?」

しかし視線は別の方向を向いている。
気持ちは分からなくもない。

「………なんでドレス姿?」

確かに私も見た時は驚いた。女の私ですら綺麗だと思ったくらいだ。
なるほど、鎧姿しか知らなかった彼にはインパクトが大きすぎたということか。

「何故、と言われましても鎧を常時身に着けている訳にはいきませんから。戦闘と関係ないときは鎧は消してあります」

平然と答える。
その回答はあっているのだろうが、彼が言いたい事はそれではないような気がする。

「あー………そうだな。セイバーに着るもの用意しなくちゃな、流石に」

「確かにドレス姿はこの日本の日常生活ではまず見ないだろう。そして日本家屋にはまずありえない服装ではある」

二人して彼女の服装に同意見を出す。
そんな私たちの反応を軽く受け取って

「シロウ、昨夜の件について言っておきたいことがあります」

かなりの不機嫌さで言葉を走らせてきた。

「立ち話もなんですので、居間へ来てください。そこで話をしましょう」

スタスタと歩いていくセイバーさん。
それに首を傾げながらもついていく衛宮。そんな彼の後ろについていった。



「───で、話ってなんだ? セイバー」

緑茶を用意し、テーブルをはさんで向かい合うセイバーと士郎。
鐘はセイバーの隣に座っている。

「ですから昨夜の件です。シロウはマスターなのですから、その貴方があのような行動をしてもらっては困る。戦闘は私の領分なのですから、シロウは自分の役割に徹してください。自分から無駄死にをされては守りようがない」

きっぱりといいきったセイバー。
それを聞いて今までのどこか素気なかった雰囲気は完全になくなった。

「な、なんだよそれ!あの時はああでもしなけりゃお前が斬られていたじゃないか!」

「そのときは私が死ぬだけでしょう。シロウが傷つくことはなかった。今後はあのような行動はしないように。マスターである貴方が私を庇う必要はありませんし、そんな理由はないでしょう」

淡々と事務的に語る彼女を見て

「な────バカ言ってんな、女の子を助けるのに理由なんて必要ないだろ………!」

ダン! と机を叩いて怒鳴る。
流石に驚いたのだろうか、セイバーは一瞬固まったがしかしそのあとは、彼を見つめていた。
鐘も少し驚いたが、次には相変わらずな顔に戻っている。

「う………、と、とにかく………うちまで運んでくれたのは助かった。それに関しては礼を言う。氷室もありがとうな」

「いや、衛宮を放っておくわけにはいかなかったからな」

「サーヴァントとしてマスターを護衛するのは当然ですが、感謝をされるのは嬉しい。礼儀正しいのですね、シロウは」

「いや、別に礼儀正しくはないと思うぞ、俺。───と、それより聞きたいことがあるんだ」

士郎は彼女の顔をしっかりと捉えなおして

「そもそもセイバーって一体何者なんだ? 昨日の二人の奴といい普通の人間じゃないのはわかった。サーヴァント、とか言うけど正直何なのかわからないんだけど」

この質問は彼女の隣に座っている鐘も聞きたかった内容だろう。
どう見ても人間という領域から離れている彼女の素性は知りたかった。

「………そうですね、まずはそこから話しましょう。シロウにとってもヒムロにとっても、もう関係のない話ではありませんから」

一息ついた後に

「聖杯戦争というのはご存知でしょうか?」

「………いや、知らない」

「当然だが私も知らない」

「そうですか。では、一番初めから簡略的ではありますが説明します。聖杯戦争とは名前の通り『聖杯』を手に入れるために行われる戦争で、七人のマスターが七人のサーヴァントを用いて繰り広げる争奪戦です」

「聖杯って………まさか本当にあの聖杯だっていうんじゃないだろうな?」

聖杯、という言葉を聞いて思考を巡らせる。
ちなみに彼女の聖杯という言葉に関する知識はおもに小説や歴史書などからきている。
無論『聖杯』という言葉と大まかな知識を持っているだけで詳細など気にもかけなかった。
複数の該当する知識があったが、さてはたして昨夜の異常さと関係するのか、という疑問があった。

「衛宮、聖杯とは何だ?」

念のために訊く。
間違った思い込みを持ったまま話を聞き続けるのは良いことではないだろう。

「聖杯っていうのは聖者の血を受けたって言われる杯で聖遺物の中でも最高位にあって、様々な奇跡を起こすことができる、だった筈。………で、それを手にしたものは世界を手にする、とか言われてた」

大よそではあったが自分の知識とそれなりのデータは一致していた。
が、当然知っていてもそれが現実で存在するなんて考えない。

「………すごいな、もうそれだけで小説がかけそうな気がする」

あまりにもスケールが大きく、現実離れしすぎた発言に呆れてしまう鐘。
彼女にはすでに理解しがたい世界になっていた。

「いや、そうは言ってもそもそも聖杯っていうのは存在自体が“有るが無い物”に近いんだ。世界各地にある伝承とかに顔を出しても、そんなものを実現させるだけの技術はない」

「ふむ、まあ考えてみればそうだろうな。もしそんなものが本当に実在していたのなら、とっくの昔にこの世界は変わっているだろう」

「そういうこと。───だから、セイバー。その聖杯戦争の『聖杯』って本物なのか? そんなものが本当に実在するとは思えないんだけど………」

「いえ、本物です。その証拠として昨夜のランサーや私をはじめとした我々サーヴァントがここにいる」

さっきまでそんなものはない、と話をしている中でしかしそれは本物で実在する、と言う。
しかし彼女が嘘をついているようには見えないのも事実だった。

「………わかった。仮に聖杯があったとして、じゃあサーヴァントっていうのは何だ? 聖杯とどういう関係にあるんだ?」

「サーヴァントとは過去に存在していた英雄のことです。英雄として名を馳せ死後それでもなお信仰の対象となった存在は、輪廻の輪から外れ一段階上の存在へと昇華されます。亡霊というより精霊や聖霊に近い、或いは同格とされる存在、定義的には英霊とするのが一般的でしょうか。そしてそれらを引き連れてきて使い魔としているのが、この聖杯戦争のサーヴァントです」

つまり、それは英霊ということ。
英霊は生前に卓越した能力を持った英雄が死後に祭り上げられたもの。

「ちょ………ちょっと待て。過去に存在していた英雄を呼び出して使役する? そんな魔術聞いたこともない」

「ええ、これは魔術ではありません。あくまでも聖杯が行っていることで、魔術師であるマスターはその力を利用してサーヴァントを呼び寄せているだけなのです」

「───いや、そりゃあ聖杯が本物ならそんな『奇跡』だって起きるかもしれないけどさ…………」

二人とも驚いた顔を隠せない。
目の前にいる少女が英雄だ、なんていってもまず信じられないだろう。

「過去の英雄…………ということはセイバーさんも過去に存在していた英雄ということなのか?」

どう見たって英雄には見えない少女に尋ねる。
確かにあのランサーと打ち合ったところを見れば実力のほどは窺い知れるのだろうが、こんな少女の英雄など存在したのだろうか? なんて考えるのは普通である。

「ええ。でなければ私はサーヴァントとして呼ばれることはまずありません」

「…………ということは、昨夜のあの女の子が言っていた『ヘラクレス』というのは………」

「………バーサーカーのマスターが言った通り『ギリシャの英雄』でしょう」

それを聞いた鐘はもう疑うことをやめた。
ここで嘘をつくメリットはないだろうし、仮に嘘であったとしてもあの怪物の存在が消えてなくなるわけでもない。
彼女のいう事は本当だろう、と結論づけたのだ。

「なあ、セイバー。マスターっていうのはその過去の英雄を従える魔術師のことだよな。それはいいんだけど、セイバーのことがよくわからない。それにランサーにバーサーカー………だっけ? 聞いてはいるけどどうも本名じゃないような気がするんだが。バーサーカーには『ヘラクレス』って名前があるのに『バーサーカー』ってあの女の子も呼んでたし」

「ええ、私たちの呼び名は役割毎につけられた呼称にすぎません。………そうですね、この際ですから大まかに説明していきましょう」

「ああ、頼む」

「私たちサーヴァントは英霊です。それぞれが“自分の生きた時代”で名を馳せたか、或いは人の身に余る偉業を成し遂げた者たち。どのような手段であれ、一個人の力だけで神域にまで上り詰めた存在です」

「つまり、セイバーさんも神域に上り詰めるまで有名なことをした者………というわけなのか?」

失礼だとは思うがどうもそうは見えない、と心の中で感想を漏らす。
ただし昨夜の戦闘を見る限りではその限りではないが。

「ええ。しかしそれは同時に短所でもあります。私たちは英霊であるが故に、その弱点も記録している。名を明かす───正体を明かすということは、その弱点をさらけ出すことになります」

「───そうか。英雄っていうのは大抵、何らかの苦手な相手がいるもんな。だからセイバーとかランサー、っていう呼び名で本当の名前を隠しているのか」

「はい。もっとも、セイバーと呼ばれるのはそのためだけではありません。聖杯に招かれたサーヴァントは七名いますがその全てがそれぞれの“役割”に応じて選ばれています」

サーヴァントのクラスはその数と同じ七つ。

 騎士─────セイバー
 槍兵─────ランサー
 弓兵─────アーチャー
 騎乗兵─────ライダー
 魔術師─────キャスター
 暗殺者─────アサシン
 狂戦士─────バーサーカー

だと言う。
そして有名な英雄ほど歴史に経歴や特徴、武器、能力、弱点などを残している。
それでその名、あるいは武器でもいい。
それを知られれば生前苦手とした事項、或いはは致命的な弱点を探られる可能性がある。
それを隠す為のクラス名という訳である。

「………………」

「どうかしましたか? まだ何か分からないことがありますか?」

「いや………俺は聖杯戦争っていうふざけた殺し合いに巻き込まれて、セイバーを召喚したっていうのは理解したつもりだ。そして既に契約しているというのも事実だ。けど俺にはまだ、マスターなんて言われても実感が湧いてこない」

「………ええ。何も知らないということは知らないまま私を呼びだした、ということですからね。しかし過程がどうであれ私は貴方に呼び出され、マスターであるという事実は揺るぎません。その証拠として令呪………痣の様なモノがあると思いますが」

「………これか」

翳した左手を見る。
士郎の手の甲には赤い紋様のような刻印が刻まれていた。

「令呪とはサーヴァントに対する絶対命令権にしてサーヴァントを繋ぎとめる楔でもあります。サーヴァントを律すると同時に、サーヴァントの能力以上の奇跡を可能とする大魔術の結晶の名。ですが使えるのは三回だけです。それに長期的な命令よりも瞬間的な命令の方が効果は強力ですので、使う場合は良く考えて慎重にお願いします」

「…………繋ぎとめる楔、か。なあ、セイバー。俺が仮にこの令呪を放棄した場合は―――」

─────俺を殺すのか?

そんな言葉を口にする。
今までの話を総合すれば、マスターとはサーヴァントを従える事が条件なのだろう。
それを可能としているのがこの令呪。
それを放棄すればマスターではなくなり、聖杯戦争への参加権を手放すことになるということなのだろうと推測しての質問。

「マスター…………それは戦いを放棄する────ということですか」

一転して鋭く睨んでくるセイバー。

「いや………分からない。セイバーには助けてもらった恩もあるから恩返しはしたいとは思っている。けど聖杯なんてものは俺はいらない。戦う理由は………」

「ない、ですか。確かに聖杯戦争を知らない者が突然参加したのですから、聖杯に望むような願いはないのかもしれません。ですがすでにランサー、バーサーカーはシロウを狙うべきターゲットとしています。仮に令呪を放棄したところでそこで安全が保たれるという保障はどこにもない」

「────っ………そうだよな。氷室なんか魔術師でもないのに殺されかけたんだ。もう………逃げるっていう選択肢すらもないかもしれない」

そう呟いて拳を握りしめる。
自分はこれからどうすべきか。
どうあるべきなのか。

「────なぁ、セイバー。ランサーとかバーサーカーは、まだ………氷室を狙ってくるのか?」

「…………っ」

そう。彼女もまた狙われている。
理由は単純。『見たから』。
たったそれだけで彼女の命は消されてしまいそうになった。
もう現実味の欠片すら感じられないような話ではあるが、その非現実が彼女を殺そうとしていた。

「可能性としては………ゼロではありません。────いえ、もしかすると昨夜の出来事でさらに狙われる確率は増えたかもしれません」

「………どういうことだ?」

「ランサーはマスターの命令により殺そうとしていたようです。ランサー自身は殺す気はないらしいですが、サーヴァントはマスターの命令に基本的には絶対遵守。マスターの意志が変わらない限りは狙い続けてくるでしょう」

それはまたランサーと彼女が顔を合わせるときがくる、ということである。

「バーサーカーもまた命令に従います。バーサーカーのマスターは昨日の言葉からしてヒムロをシロウの協力者と思っているようですので、こちらも危険性がないとは言えません」

それと、と加える。
思い出すのはランサーとの戦闘後の出来事。

「昨夜はランサーからヒムロを守る際に、アーチャーからの遠距離攻撃を受けました」

「アーチャー………弓兵か。たしかに弓は接近して撃つようなものでもないからな………」

「はい。アーチャーが一体どこから見ていたのかは知りませんが、最悪の場合私のマスターはヒムロ、と思い込んでいる可能性があります」

「なっ………」

「ま、待ってくれ。私がマスター? 私は魔術師という存在を昨日知ったばかりだというのに勘違いで殺されるかもしれないのか?」

「アーチャーが詳しい事情を知っていたのならばその限りではないでしょう。しかし橋の一件だけ見たとするならばそうとられてもおかしくはない」

そう言われては反論のしようがない。
確かに昨夜の橋の一件は何も知らない敵からしてみたらそう映るだろう。

「そして厄介なのがキャスターです。キャスター自身はその場にいなくても魔術によって遠距離で行われている戦闘や行動が筒抜けになってしまう恐れがあります」

「つまり昨日のことも見られていた可能性がある、か。厄介っていうのは………」

「キャスターは全サーヴァント中最弱の部類に入ります。しかしそれ故に様々な策略を練って攻撃を仕掛け、生き残ろうとします。────ここまで言えばわかるとは思いますが………」

「………つまり、氷室を人質にして動きを封じてくるかもしれない、というわけか」

「アサシンについては残念なが何も言えません。アサシンはそのクラスの特性上、高度な『気配遮断』を有します。戦闘能力自体は私よりも劣りますが、気配がない故にアサシンはサーヴァントではなくマスターを優先的に狙ってきます」

「マスターを狙うっていうのは………」

「サーヴァントはマスターを依り代としています。故にマスターがいなくなってしまうと、依り代となるマスターを早急に見つけないと存在できなくなり消滅してしまいます。逆に言えば───」

「マスターを殺してしまえば、自分より強いサーヴァントと戦う必要はない………か」

「はい。アサシンがいたのかどうかもわかりません。もしかしたらあの場に居合わせていなくてヒムロのこともシロウのことも知らないという可能性もあります。しかし知っている可能性もある。そうなった場合、マスターを殺しに来るでしょう。そして最悪の場合はアーチャーと同様に『ヒムロがセイバーのマスター』と思い込んで暗殺してくることです」

「くっ…………!」

士郎は苦虫を噛み潰したように顔を歪める。
鐘も俯くしかない。
昨日見た、というだけで大量の敵から狙われるかもしれないという日常を送ることになるというのだろうか。

「ライダーに関してはこの件には全く絡んでいないと思われますが………ここまでくるとあまり意味はありませんね」

「………6人中5人が狙ってくるかもしれないんだろ。一人知らないなんてことで安心できるわけもない」

そう言って黙ってしまった。
セイバーの隣で話を聞いていた鐘自身も悩むしかない。

(私では誰かを守るとかそんな大層な考えの前に自分の身すら守ることができない)

仕方がない、といって逃げてもやってくるのは死ぬという結末だけだろう。
何もできない。
その結論だけが鐘を苦しめていた。
続く静寂。
それは決して軽い静寂ではない。重い、『殺されるかもしれない』という事実を知って生まれた沈黙。

「────わかった、セイバー。教えてくれてありがとう」

そんな沈黙を破ったのは彼の言葉だった。
鐘とセイバーを見据えて口にする。

「俺は氷室を守る。狙ってくる奴がいるならその全員と戦って守り抜いてやる。他にも無関係な誰かを巻き込もうとする奴がいるなら、俺は絶対に止める。その為なら俺は自分の意思で戦える。その為に俺はマスターとして戦う」

それは明確に聖杯戦争に参加するということ。
そしてその理由が────前に座っている少女を守るためだということ。

「衛宮。私のために、なんて理由で戦わないでくれ。どこの小説だ。そこまでする義理だってない筈だ」

彼女ではサーヴァントを止める事などできない。
しかし『自分のために死ぬかもしれない戦場に行く』なんてことを言われて『はい、そうですか。では私のために頑張って死に物狂いで戦ってください』なんて言うような人間ではない。

「いや、このままだと氷室が殺されてしまうかもしれない。俺はそんなのを黙って見過ごすつもりもないんだ」

そう言って鐘に向けていた視線を隣に座るセイバーへと移す。

「………セイバー、マスターとしての知識もない。戦う理由も聖杯戦争を勝ち抜くことじゃない。それでもおまえは、俺と一緒に戦ってくれるのか?」

「当然でしょう。そもそも彼女を全サーヴァントから守り抜くというのであればそれは聖杯戦争に勝ち抜くということと同義です。行き着く先は同じですし、何より私はシロウの剣になると誓った身です。異を唱える理由など存在しません」

互いが互いの意志を確認する。
目的こそ違えど目指す方向性が同じならば手を取り合ってそれぞれの目的を成すために進んでいけるだろう。
そんなやり取りの最中、鐘だけは優れない表情をしていた。

「氷室………?」

「………なんだ、衛宮」

「いや、何か難しそうな顔をしているから………」

「そうか…………私はいつも気難しそうな顔をしていたか」

「い、いや。そんなことないぞ? どうしたんだ?」

「………何も問題はない」

返答が素気なくなっている。
なぜこんなにも素っ気なくなってしまっているのだろうか、彼女自身もわからなかった。

「…………シロウ」

「ん?」

「ヒムロは魔術師ではありません。今の話にシロウほど早くは対応できないでしょう。少し席を外して考える時間を与えた方がいいかと思います」

「………それもそうか。悪い、氷室。気付けなかった。────もう昼だし昼食の準備をするか。メシ、食って行けよ。ご馳走するからさ」

そう言って二人を残して彼はキッチンへと向かった。


─────第二節 苦悩─────

キッチンで士郎が昼食の準備をしている間、鐘は一人脱衣所に来ていた。
いつまでも浴衣姿でいるわけにはいかない。昨日洗った制服は乾いており着る分には問題はなかった。
目立たない程度に小さいシミが出来ていたが大丈夫だろう。

浴衣を脱ぎ、制服を着る。
昨夜は親に電話して友人の家に泊まる様に言っておいたため家に帰らなくても問題はなかった。

深呼吸をする。
今まで聞いた情報を整理する為に一度頭の中をからっぽにしてもう一度組み立てる。
考えてみれば異常だった。
昨夜の学校の一件から今日まで。
もちろん得体のしれない人物に命を狙われるという事実も異常であるが、彼との絡みもまた異常だった。
そもそも彼と彼女は顔や名前は知っている程度だった筈だ。
会話も何度かしたことはあったが、ここまでのものではなかった。

(つまり特殊な環境に陥った故の逃避行動、或いは衰弱状態で優しくされたが故の心の緩み、ということか?)

何度も言うが彼女は魔術師でもなければ魔術を知っている人物ですらない。
あくまでも普通に生きる真人間であり、魔術の世界とは無関係。
当然、本当に殺されそうになるなんてイベントは普通に生きている限りは皆無であるし、目の前で大怪我をして死んだような状態の人間―しかもそれが顔見知り―を見るということなどまずない。

いわば昨日は全てが異常。
自身の周囲に起こった出来事も自身の内の感情もその全てが異常。
情報を整理し終えて、混乱していた自身は回復した。
無論、殺されるときに震え上がらなくなった、というわけでもない。
人は誰だって死にたくはないし、怖がるのは当然である。
そんな本能とは別の、自身の内の感情だけは冷静でいなければならない。

「彼はなぜあそこまで他人の為に、と言う理由で立ち上がることができる? あれほどの思いをしたというのに」

士郎の発言はまさしく『どこの小説だ』という発言だった。
彼の言った『他人を守るために戦う』。確かに人を救うということは大切だろう。
警察や消防だってそうだ。犯罪者や火事から人を守るために彼らは存在する。
けれど、自身の身がどう考えても危ない時は消防隊だって死地には入ろうとしない。
死んでしまっては元も子もないからだ。
ある程度の危険はあったとしても入れば100%死ぬしかない、と言う火災の状況にGOサインを出す消防隊の上司などいない筈だ。

だが彼は違う。
平気でそんな状況でも入ってきて人を助けようとする。
自身が死ぬかもしれないというのに。
たとえば店のアルバイトに入っていたとする。
最初に習うマニュアルは『刃物など凶器を持った人物の言うことを聞く』だ。『金を出せ』といわれて『嫌だ』とは習わないだろう。
それは自身の身の安全を優先するために習う事。

しかし彼には“そんな常識がない”。
自身の身の安全を考えない人間は絶対にどこか人間として欠落している。
空想論で『そんなことは自分だってできる』と言ったところで、実際にできる人間は果たして何人いるのだろうか。
ましてや守る対象が知っている人間じゃない、或いはそう繋がりが深い人間じゃない人の場合、それをできる人はさらに少ないだろう。
自分の命を顧みず、また助けた報酬をも顧みず、ただ人を助けるという行為をする。
冷静で客観的な物見ができ、状況判断もそれなりにできると自負している彼女にとって、彼の行動は理解できない。

確かに彼は力は少なくとも彼女よりはあるだろう。自身を『魔法使い』(実際は魔術使いだが)と呼ぶのだから一般人と比べて上位にいることは間違いない。
しかしそれでも勝てなかった。
それを知っているはずなのにそれでも他人の為に死地へと赴く。
無論、赴いたから必ず死ぬわけではないだろうがそれでも危険性は高すぎた。昨日がよい例だ。

だからこそ彼女は突き付けられた難問に頭を悩ませていた。

「頭が痛くなってくるな…………」

死にたくはない。それは彼女だって同じ意見。
自分の力で自分を守れるなら何も問題はなかっただろう。襲いかかってくる敵を迎撃するだけでいいのだから。
けれど何度も言う様に彼女は真人間。迎撃できるだけの力は持っていない。
となると、彼の言う通り彼に『守ってもらう』という選択肢しかなくなるわけなのだが………

「理解できても納得はできない」

そもそも見たという理由だけで殺されるのが彼女にしてみれば理不尽なのだ。納得なんてできるわけもない。
しかし現実は最早彼女自身の力ではどうしようもなくなっていた。
となると、どう考えても彼に頼るしかなくなる。
ふぅ、と軽いため息をついた後

「彼を信じろ、というのか。生き残ることを」

別に信じたくない訳ではない。
むしろ信じたい。が、それとは別に何もできない自分にイラつきを覚えていた。
それに信じるなんて行為にどれほど力が存在するのだろうか。
甚だ疑問ではあるが、それ以外に方法がないのもまた事実だった。

コンコン、とドアがノックされる。

「衛宮か?」

「いえ、私です。ヒムロ、入っても構わないでしょうか」

「………どうぞ」

ドアが開かれて入ってくる。その姿は相変わらずのドレス姿。
対する鐘はすでに制服に着替え終わっていた。

「何か?」

「一つ貴女に言っておくことがあります」

その表情は真剣そのもの。

「本来、魔術師でもない一般人には聖杯戦争について語られることはまずありません。しかしそれでも話したのは知っていた方が今後の行動にも僅かに影響がでると思ったからです」

「………知らないよりも知っている方が理にかなった行動はできるだろう、という配慮ですね」

「はい。ですが、今言いました通りこれは語られるべきことではない。故に─────」

「他言無用でお願いする、ということでしょう。………わかってます。彼からも昨夜言われましたので」

他人行儀で、冷静に、分析しながら答えていく。
彼女はこのことを誰かに言うつもりなど全くなかった。
言ったところで信じてもらえるとは思えないし、もしかしたら伝えたことでその人も狙われるかもしれなかったからだ。

「わかっているならば結構です。では、失礼します。もう間もなく食事ができるとのことですので居間へいらしてください」

そう言って出て行くセイバーの後ろ姿を眺めていた。
彼女には悪意はない。事実を冷静に彼と自分に伝えただけ。
けれど。

「何か乗せられたような気がしてならないのは、私の気のせいだろうか」



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第11話 発覚
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/04/16 20:39
第11話 発覚


─────第一節 腹が減ってはテンション高まる─────

「………なんだよ。断っておくけど、俺は暇じゃないぞ藤ねえ」

食事が出来てさあ食べようとしたところに鳴り響いた電話。
その相手は藤村大河であった。
食事時を狙ったようにやってくる奴だったがまさか食事時を狙って電話をかけてくるまで至ったか、などと無意味に感心しながら受話機を握る。

『なによ、わたしだって暇じゃないわよ。今日も今日とて、お休み返上して教え子の面倒みてるんだから』

「………不思議だ。見えない筈なのに胸張っている姿が見える」

受話器片手に頭を抱えながら呟く。
鐘とセイバーはそんな彼を見ながら食事をしている。

『ん? なーに、士郎? 何か言った?』

「教え子の面倒見てるんなら、世間話をしている場合じゃないなって話だよ。こっちは火事も泥棒もサーカスも来てないから、安心して部活動に励んでくれ」

じゃ、といって手短に切ろうとする。

『ちょ、ちょっと待ったー!恥を凌いでお姉ちゃんが電話してるっていうのに、用件も聞かずに切ったらタイヘンなんだからー!』

こちらは昨夜からタイヘンなのだが、それをこの人に言ったところで仕方ない。

「はいはい………。んで、用件はなに」

『士郎、わたしお弁当が食べたいなー。士郎の作った甘々卵焼きとかどうなのよう。他にもいろいろあるとお姉ちゃんうれしいなー』

「………………………」

『以上、注文おわり。至急弓道部まで届けられたし。カチリ』

訪れる沈黙。
士郎は受話器を見つめていて、二人はそんな彼を見ていた。

「……………ほんと、なんなんだろう。あの人」

受話器を置いて二人に向きかえる。

「っていうわけで、これから藤ねぇに餌を与えに行かなくてはならなくなった。しかも早急に」

「それは今の会話でわかった。衛宮、藤村先生とは仲がいいのだな?」

「まぁ………毎朝毎晩食事時に家を強襲してくる人だからな」

「さきの電話の主はシロウの家を襲ってくるのですか?」

「無論殺しに来るわけじゃないぞ、セイバー。─────いや、家の経済的には一時死にかけた時期があったけど」

「………大変だな、同情する」

「…………ありがとう、氷室」

自分用に用意していた食事を弁当箱に綺麗に盛り付ける。が、虎の要望である卵焼きはないので作る必要があった。
卵焼き自体は簡単かつ手短に作れるのでちゃちゃっと作り終える。で、虎を静める為にさらに数品追加。
そして被害にあっているだろう弓道部員………おもに桜のためにさらに分量追加。
なんてことをしていたら豪華三段弁当となった。

「……………作りすぎではないのか、衛宮?」

「いや─────あの虎を静めるにはこれくらいは必要だ。もし静めれなければ明日の弓道部はきっと存在しなくなっている」

真顔でかつ平坦な声で言うのだから、笑い話として流そうにも流せない。
鐘は食費で一時期死にかけたというのもこの弁当を見ていたら何となくわかる気がする、などと思いながら食後のお茶を飲んでいた。

「ってことでセイバー、留守番頼む。氷室は好きに家使ってくれていいから。すぐに戻ってくるから待っててくれ」

そう言って廊下に出て玄関に向かう。
が、彼の後ろについてくる二人。
気になったが何も言わずに玄関で靴を履く。
で、隣には無言で靴を履く氷室さんとセイバーさん。

「…………もしもし?」

「何かな、衛宮」

「何でしょう、シロウ」

息ぴったりだな、などと感想を懐きながら恐る恐る訊いてみる。

「えーと。何をしているのでしょうか?」

「私は学校にいくつもりなのだが。いつまでもここにいるわけにもいかないだろう。それに陸上部も部活動はある。昼から参加するつもりだ」

「外出するのなら同伴します。サーヴァントはマスターを守る者なのですから、シロウ一人で外を歩かせるなど危険です」

何となく予期できた回答をしてくる。
ここで言い含める必要があるだろう。

「わかった。氷室は確かに学校に行く理由があるから一緒にいこう。けど、セイバー。今は昼なんだから人気のないとこに行かない限り戦闘になんてコトにはならない」

「それは承知しています。ですが万一という場合もある。シロウはマスターとして未熟なのですから常に護衛する必要がある」

「つ、常にって…………。そりゃ他のマスターと比べたら未熟かもしれないけどさ。…………いや、護衛するにしてもその服装は駄目だ!絶対ダメだ!」

「─────む」

そう。セイバーは未だにドレス姿だった。
彼女の他の服がないのだから当然ではあるが。
切り札を得たと言わんばかりに追撃する。

「護衛してくれるっていうのはありがたいけどさ、その服装だとまず間違いなく目立って浮く。だからセイバーは家で留守番しててくれ。危ないようなことにはならないからさ」

「…………わかりました」

その言葉を聞いてほっと安心する士郎。
間違ってもあのドレス姿で学校に同伴されては明日の朝日は拝めない。
というか街中で一緒に歩いただけで殺されかねない。
主に視線で。

「────この服装でなければいいのですね」

直後。
横にいた鐘の手をとり玄関から猛ダッシュ。
余計な事言ったー!などと心の中で叫びながら急いで家を後にした。


─────第二節 忘れているのではなく─────

「いきなり走り出すから驚いたのだが、衛宮」

「すまん………。一刻も早くあの場から逃げる必要があった」

坂道を下る。
学校へ歩いて三十分の距離である。
ゆっくりとした歩調で歩いていく。

「いや………しかし氷室と一緒に登校するとは思わなかったな。藤ねぇとか桜となら一緒に登校したことはあったけど」

「そうなのか?」

「ああ、二人とも朝食とか夕食を食べに来るんだよ。桜に至っては俺の用意ができてなかったりすると準備もしてくれてたことがあったし。藤ねぇは食事時を狙ったようにやってくるけど」

「なるほど、なら間桐嬢は通い妻ということか?」

鐘は少し笑いながらからかうように言う。
が、隣にいる少年から帰ってきた反応は少し想定と違った。

「通い妻…………か。考えたことなかったな、どっちかっていうと妹って感じだな。ちなみに藤ねぇは姉」

「つまり、衛宮にとっては二人は家族のようなものということか。………………そういえば衛宮の両親はどうしたのだ?」

不意に疑問が湧いたので訊いてみた。

「そうか、氷室は知らなかったか。十年前の火災で孤児になってさ。親父…………衛宮切嗣って人に拾われたんだ。それで親父も五年前に他界しちまったんだよ」

だから家は俺一人、と何ともないという顔で答えた。
だが、訊いた当人はそうもいかなかった。

「それは…………。すまない、不躾に踏み込んたことを聞いてしまった」

「いや、気にしなくていいぞ。この歳まで紆余曲折こそあったけどしっかり育ってるわけだし」

本当に気にしていない、という素振りで答える。
なぜそこまで穏やかな調子でいられるのか、それとも彼にとっては普通ことなのだろうか。
理解できなかった。
そして同時に彼女の探究心も疼いた。

「…………重ねて不躾になるかもしれないが、もう少し衛宮の話を聞かせてはくれないだろうか」

「え? 別にいいけど、俺の話をしても楽しいかはわからないぞ?」

三十分という時間をただ無言で歩いていくというのもどうかと思っていた。
ポツリポツリと会話をする。
どうでもいいことから少しだけ踏み込んだ話まで。

「…………では、君は父親と母親の顔は思い出せないのか?」

「まあ、あの火事の時に一回死んで生まれ変わったようなもんだからな。家のあった場所とかあの時の風景とかは否応が無しに思い出すことはあるけど、それ以前の記憶はさっぱりかな」

「調べようとしたりしたことは?」

「ないなあ。それに多分調べようにも調べられないと思うぞ?」

「どういうことだ?」

「大火災だったからな。身元不明の焼死体なんて数えきれないほどあっただろうし、孤児になった子供だって場合によっちゃ名前すらわからない。戸籍記録も無くなってめちゃくちゃ。それに捨て子だって起きていた可能性はあったはずだろ?」

「…………慰霊碑が立てられるほどの大火災ではあったから、そういうのも横行していたかもしれないが」

冷酷な話ではあったが捨て子をするにはもってこいの規模だった。
急な開発で社会の格差が広がった時期でもあったので、こういうことは横行したのかもしれない。
また、火事の前に流行った子どもの誘拐事件というのもあった。
彼女自身もそのころはあまり外出した記憶がない。家にいることが多かったか? と思い出す。
そして大火災後の政府の対応がまずかった所為もあり、生きている人間にはちゃんと籍が設けられたが、必ずしもそれは血縁による系譜とは一致しないという事も多かった。

「しかし生まれ変わったとは………。衛宮、それは思い出せないだけで脳は覚えているものだぞ?」

「そうなのか………? 忘れているから思い出せないんじゃないのか?」

「いや、人間が物事を『忘れる』ということはない。思い出せないだけで脳にはしっかり残っている。それでも思い出せないのは『忘れている』からではなく『思い出すきっかけ』がないからだ」

「そ、そうなのか…………。いや、俺には脳医学なんてわからないからよくわからないけどさ」

「無論、私は私の知っている知識を言っただけだからもしかすると間違っているかもしれない。適度に受け流してくれればいい」

そうこうしている内に学校が見えてきた。
ゆったりとした速度で到着し校門から学校へ入ろうとする。
だが。

「………………」

歩みが止まる。
一方の鐘は平然として校内へ足を踏み入れていた。

「? どうした、衛宮」

「………………いや、何でもない」

気のせいか? と内心疑いながら校内へと足を踏み入れた。
だが気分はあまりよくない。
少なくとも昨日学校に入った時よりはそう感じる。

「では衛宮。私は陸上部の部室へと向かう。君は藤村先生に弁当を届けるのだろう?」

「ああ。今頃藤ねぇがどうなっているかわからんから少し心配だ」

「ふむ。ではせめて健闘だけは祈らせてもらおうか」

「ああ、祈っててくれ。弓道部が消えて無くなるようなことは阻止しないとな」

冗談を交わして二人はそれぞれの目的地へと向かった。


─────第三節 残滓─────

「あれ、衛宮だ。なに、もしかして食事番?」

気心の知れた知人、というのはこういう時に便利ではある。
弓道部主将・美綴 綾子は士郎の顔を見ただけで、その用件まで看破していた。

「お疲れ。お察しの通り飯を届けに来た。藤ねぇは中に居るのか?」

「いるいる。いやあ、助かった。藤村先生ったら空腹でテンション高くて困ってたのよ。学食も休みだしさ、仕方ないんで買いだしに行こうかって考えあぐねてたところ」

「そこまで深刻だったか。─────で、買いだしって、まさか下のトヨエツに一人でか?」

「そこ以外に何処があるって言うのよ。ただでさえ備品で金食ってるんだから、非常食に金はさけないでしょ」

まあ一成と士郎の奮闘もその派生から来て様々な備品を修理することになっているのだから間違っても虎の餌代になることは阻止せねばならなかった。
そして無駄を嫌う弓道部主将。
ちなみにトヨエツとは商店街にあるスーパーの名前で、弓道部では走り込みと称して買い出しに行かされる。
腕を休めるための走り込みの筈が、帰りには大量の荷物を持たされるという矛盾した習慣である。

「まあ節約のために日々奮闘してるのに食事代で消えるなんてばからしいよな。ほら、弁当。遅くなって悪かったけど藤ねぇに渡してくれ」

ほい、と弁当の入った紙袋を差し出す。
が、それを受け取ろうとはせずただ中身だけを覗き込む綾子。

「お、豪華三段セット。いいね、久しぶりに見た。衛宮はこういう細いの上手なのよね」

「そんな笑って何が嬉しいんだか………。ほら、嫌味はいいから受け取れ。中、藤ねぇが暴れまわってタイヘンなんだろ?」

「そうね。そう思うんならさっさと中に入って、藤村先生に手渡してあげるべし。だいたいね、入口で帰したなんて言ったらあたしがしごかれるじゃない。ほら、ここまで来たなら観念して中に入りな」

仕方ないな、などと諦めて促されるように中へと入ろうとする。
が、綾子が近づいてきて内緒話をするように体を寄せる。

「…………で、衛宮。後ろのあれ、何者よ? すっごい美男子だけど、知り合い?」

「……………へ?」

後ろ? 言われてくるりと振り返る。
そこには

「こちらにいましたか、シロウ」

セイバーがいた。
その姿はもちろんドレス姿でも鎧姿でもない。
男性用の喪服を着たセイバーがいた。
女性だというのになるほど、確かに美男子にも見える不思議。

「……………………」

口をあけたまま目の前の光景を見て固まる。
そりゃあもう予想なんてまったくしなかったのだから当然である。

「たしかにあの姿で街中を歩くことは私もどうかと思いましたのでこの服を借りています。これならば問題はないでしょう」

ああ、確かに問題はないが問題だらけだ と心の中で呟きながら我に戻る。

「シロウって呼んだよな?………ってことは知り合いか。誰? あの人」

「とりあえず知り合いってことで通してくれ。…………あと、少しだけ時間をくれないか?」

「? ああ、それは構わないけど。藤村先生も待ってるだろうから、手早くね」

「わかってる」

綾子から離れ、セイバーに手招きして弓道場の脇へと移動する。

「なんでしょう?」

「いや確かに服装はあのドレスよりはましだけどさ。どうしてここにいるってわかったんだ?」

「マスターとのつながり…………ラインを辿れば探すことは容易いのです、シロウ」

普通に答えるセイバー。
こりゃあ走った意味なかったな、などと思いながら諦めた。

「とにかくここに危険はないだろう? 俺もすぐに帰るから、セイバーは先に帰っててくれないか?」

「? 危険がない? シロウ、貴方はここに残る魔力の残滓がわからないのですか?」

「─────何?」

周囲を見渡すが別に何も感じられない。

「シロウ。貴方とのラインはしっかり感じられますし、魔力も多いとは言えませんが供給されています。ですが、大よそ魔術師としての能力がないと思うのですが?」

「うっ…………結構響くな、それ。────けど、まあ確かに才能がないのは当たりか。切嗣に教えてもらったのは魔術の使い方だけだからな。感知なんてものは習わなかったし教わってもたぶん会得出来てないと思う」

頭を掻きながら問いに答える。
しかしその答えを聞いたセイバーは驚いた表情を見せていた。

「………セイバー。いくらなんでも失礼だろ。そりゃ、俺の魔術師としての才能はないとは言ってもさ」

「────あ、いえ。別にそこに驚いている訳ではないのですが。………いえ、今は止しましょう。後で時間をいただければ説明します」

「む、そう言われると余計に気になるんだが…………。でもまあ確かに今は藤ねぇの空腹を静めるのが先か…………」

弓道部の中から僅かに聞こえてくる悲鳴。
ああ、また誰か一人虎の餌食になったか、なんて思いながらて弓道場へと戻る。

「話はついたのかい?」

「ああ。それと悪いが頼みがある。アイツが部室に入ってもみんなが騒がないように言い含めてくれると、とんでもなく恩に着る」

「……………オッケー。事情は気になるけど、その交換条件は気に入った。衛宮、あとでチャラってのはなしだから」

綾子はそう言って二人を連れて道場へと入った。



「────被害は甚大か。変わらない光景だが憐れだ………」

詳しくは割愛するが、端的に表すならば生徒の要望を台風の目と化した担当教諭が理不尽な返答を以って斬り捨てているという感じだった。

「さて…………」

いつまでもこの光景を眺めているわけにはいかない。
手に持った対虎用兵器を見せなければいけない。

「お、ちょうどいい。おーい、桜ー」

弓かけの前にいる女生徒に声をかける。

「え、先輩…………!?」

桜は手にした弓を置いて、目を白黒させて駆け寄ってきた。

「先輩! ど、どうしたんですか今日はっ。あの、もしかして、その」

「ああ、藤ねぇに弁当を届けにきたんだ。悪いんだけど、あそこで無茶苦茶言ってる教師を連れてきてくれ」

「ぁ─────はい、そうですよね。…………そういえば先生、電話してました」

「?」

さっきの笑顔はどこにいったのか、桜は元気なく肩をすくめる。

「そういうコト。藤ねえ、ハラ減って無理難題言ってるんだろ。手遅れかもしれないけど、とにかく弁当作ってきたから食わせてやってくれ」

「………はい、わかりました。けど………」

ちらり、と士郎の後ろに視線を向ける。
そこには弓道場に不釣合いな、金髪の青年が立っている。
いや、訂正。美青年が立っていた。

「あの…………先輩?」

「ん? なんだ、もしかしてホントに手遅れか? これで藤ねぇを撃破できなきゃ明日、学校から弓道場は存在していないっていうくらい気合入れて作ってきたんだが。一応桜の分もあるんだけど、無駄?」

「え………、いえ、そんなコトないですっ! わた、わたしもお腹減ってますっ…………!………その、先生に半分あげちゃったから」

「うん、そんな事だろうと思った。桜のはすぐに食べられるようにしといたから、そう時間は取らない筈だ。…………ま、みんなもそういう事情なら昼食を再開しても文句ないだろうけどな」

「そ、そうですねっ。あの、それじゃご馳走になりますけど……………先輩、今日はずっと道場にいるんですか?」

「ん、そうだな…………」

尋ねられて考える。
士郎としては別にここに居ても問題はなかった。せっかく来たのだから眺めているのもいいだろう。
だが、先ほどのセイバーとのやり取りで気になる発言があったのも事実であった。
しかしやはり。

「できるならその弁当を一緒に食べたいんだがいいか? 昼食べてないんだ。分量は大めに作ってるから量は足りるはずだけど」

「なんだ、衛宮。昼食べてないのか。量は少し多いかなっと思ってたけど」

後ろより近づいてきた綾子が会話に加わってきた。
さきほど弁当を見た時に疑問に思っていたのだろう。

「ああ。ってことで弓道部主将様に尋ねるが食べても構わないか?」

「ん、あたしなら構わないよ。邪魔になるわけでもないしね」

尋ねてきた綾子に確認を取り、頷いてくれた。
主将のお墨付きをもらえれば臆する必要はないだろう。

「はいっ! 先輩のご飯楽しみです! それじゃ、藤村先生を呼んできますね!」

笑顔でそう答えた桜は、台風の目となって周囲に被害を出している大河の元へと駆けて行った。

「じゃ、あたしも行くよ衛宮。アンタの要望にお答えしないといけないからね」

「ああ。悪いけど頼む」

ぽん、と肩を叩いて去っていく綾子の後姿を眺めた後、部員達に好奇の目を向けられている青年を呼ぶ。

「なんでしょう、シロウ」

「とりあえず口裏合わせ。セイバーは親父………切嗣を頼って外国からやってきた知人ってことで通してくれ」

「────わかりました」

これで口裏合わせ完了。
聞かれてもあとは切り抜けられるはずだ、 と一息つく。

その後台風の目を呼んできた桜とともに休憩室に入り昼食をとる。
セイバーはすでに昼食を食べた後なので休憩室出入り口のすぐ近くに立って三人を見ている。
当然、そんな彼女…………いや、今は彼が気になるのだろう。セイバーをちらちらと見る桜。
それに対して台風の目は─────

「んー!おいしいっ!やっぱり卵焼きはこうでなくっちゃねー。あ、士郎。それいらないなら私がもらうわよ」

セイバーなんて視野に入らないのか、入っていても認識能力がそちらへ向いていないのか、とにかくスルーだった。
────そして十数分後。

ずずー、とお茶を飲みながら一息つく台風の目。
もうすっかりおとなしくなっていて台風の脅威は去っていた。

「あー、お腹いっぱい。糖分も頭に回ったし、これでようやく本調子ね」

デザートの羊羹を頬張りながら静かにお茶を飲む。
静かになったおかげで弦と矢の風切り音が響いている。

「先生、私も射場に出ますから、失礼しますね」

「はいはーい。あ、控えにいる美綴さんに、話があるからこっちに来るように伝えてもらえる?」

「はい。先輩もゆっくりしていってください。出来れば、久しぶりに指導してもらえると助かります」

桜は一礼して去っていく。
ただ、その合間。
壁際で静かに様子を見学していたセイバーを、不安げに見つめていた。

「で? 士郎はこの後どうするの? 部活は五時に終わらせるけど、それまでは見学していく?」

「………うーん」

なんでセイバーのことを突っ込まないんだろうか、などと考えながら士郎はセイバーをちらりと見る。
セイバーはセイバーで弓道場の様子に興味があるみたいで眺めている。

魔力の残滓がどうとかと彼女は言っていた。
ならばそれについて訊いてみなくてはいけないだろう。

「学校にはまだいると思う。そこら辺を散歩してくるよ。 ちょっとしたらまた戻ってくる」

「散歩? いいけど、物好きなコトするのね。切嗣さんも地味な趣味してたけど、士郎もそーゆー属性?」

「属性も何も散歩は地味な趣味じゃないと思うけど? ま、いいや。じゃあちょっと行って来る」

「はいはーい。気をつけていってらっしゃい」

それに手を振るだけで応えて、セイバーに声をかけて弓道場を後にした。


─────第四節 魔術師は二人─────

セイバーと共に弓道場を後にし、校庭にいる陸上部の面々を脇目に迂回するように校舎を目指す。
体育館もバレー部やバスケ部などが使っていると思うから人はいるだろう。
だが、休日の校舎の中は流石に人影はまばらだった。
校舎に入り、誰もいない廊下に自分達の靴音だけが響く。
念の為に周囲に人影がないことを確認した後、

「セイバー。さっきのコトを説明してくれ」

そう切り出した。

「わかりました。まずはじめに、この場所にはシロウ以外の魔術師がいます」

「えっ!」

驚愕を露わにする。
自分以外にも魔術師がいるなんて今まで気付かなかった。

「やはりその反応を見ると知らなかったようですね」

「…………ああ、今初めて知った。ソイツは今ここにいるってことか?」

改めて周囲を警戒するが、残念ながらそれらしい反応は感じなかった。

「いえ、今はいません。ただ、この場所に適時通っているものと思われます」

「…………となると、生徒あるいは教師か。どちらかは判別出来ないな………」

この学校に通う者の中に魔術師がいる。
それを一目で看破したセイバーが凄いのか、今まで通っていてまったくその事に気づけていない士郎自身が鈍いのか。

「どうして魔術師がいるって判ったんだ?」

「魔術師は魔力を帯びているものですから、その痕跡を探れば見つかります。濃い魔力を残していることから、この学校に通う誰かだと判断しました。一度来た程度ではこれほどの残滓は残せませんので」

つまり自分と同じように学校に通う誰かが魔術師であり、士郎はその人のことを知っているかもしれないということ。

「それに、この学校には違和感を感じます。シロウは何か感じませんか?」

「違和感…………ねぇ。まあ俺も何かこの学校に入ったときに違和感は感じるけど。セイバーもか?」

「はい。今はまだそれほどの危険性は無いとは思いますが、恐らくは結界かと思われます」

「結界、か………。どんな感じの結界かわかるか?」

「いえ、私は騎士であって魔術師ではないですし、まだ結界としての能力を発動させるほどの強い違和感を感じませんのでそこまではわかりません」

そんな問いに頭をひねって考えてみるが、その結界をどうやって調べたらいいのか皆目見当もつかない。

「………シロウは切嗣からどのようなことを指導してもらったのですか?」

「うん? 親父から、か。そうだな、強化を教えてもらったのと、気配遮断に衝撃緩和、ちょっとした防音魔術と認識阻害くらいかな。他にもいくつか教えてもらったけど全然ダメだった。それに強化以外に言った魔術もあんまりうまくいかないしやろうとしても時間かかるしで得意の分野には入らない」

不意に尋ねてきたセイバーの問いに答える。
それを聞いたセイバーはふむ、と少し考えるような仕草で

「気配遮断に認識阻害に防音魔術………大よそ切嗣らしいレパートリーですね………」

と呟いた。
しかしその呟きは彼には聞こえなく

「ん? セイバー何か言ったか?」

「いえ、気にしないでください。ではシロウ、その切嗣からこの聖杯戦争については何も聞かされていないのですか?」

「親父から? 親父はこんな戦争のこと知らなかったんじゃないのか? だって何も言ってこなかったし、第一親父がこんな戦争に参加していたとは思えないしな」

「─────そう、ですか」

つまり衛宮士郎は何も知らされていないということ。
この状況を安堵していいのか、それとも悲観するべきなのか。
そして本当の事を伝えるべきなのか、否か。

「第一『魔術は手段であり道具だ』っていう方針だったからな。おかげで魔術の使い方は教わったけど知識のほうは疎いぞ。まあ俺自身魔術の使い方覚えるのに必死だったし、それでよかったから別にいいんだけどな」

つまり彼女の目の前にいるのは魔術師ではなく完全な魔術使い。
魔術師は魔術を以って根源へ至ろうとしている人間たちの事を言う。
だが彼はそんな目的を微塵も持っていない。故に魔術使いだった。

「とりあえず学校内をうろつきながら弓道場に戻ろうか」


※男性用喪服姿のセイバー=Fate/Zeroのセイバーと似たような雰囲気ととってくれれば幸いです。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第12話 侵される日常
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/04/16 20:41
第12話 侵される日常


─────第一節 恐れを知らない風景─────

「たしかに陸上部は大会が近いってことは知ってたけどさ…………」

校庭の陸上部の部活光景を見て、士郎の開口一番の言葉がそれだった。
現在は冬。
3月まで残り1カ月とはいえまだ寒い時期。
であるにもかかかわず、校庭から聞こえてくる喧騒はそれを感じさせないほど明るい声が響いてくる。
しかしなぜだろうか、時折悲鳴のようなものすら聞こえてくるのだから不思議で仕方なかった。

「陸上部ってあんなにハードだったか?」

一年生を追い立てるように上級生が走り回っている。
というより一年生を追い立てている人物が目立つ限り一人しかいない。

「いや、熱心なのはいいけど止めなくていいのか、あれ?」

蒔寺 楓。
陸上部短距離走エースにして自称・穂群の黒豹である。
なるほど、時折聞こえてくる悲鳴は彼女に追いたてられた一年生のものだったらしい。
穂群原のブラウニーなどと称され、機材の修理などで駆り出される士郎は当然彼女のことも知っていた。

「…………同情するぞ、一年生。だが悪い先輩に捕まったと思って諦めてくれ」

周囲の上級生を見る限り誰も止めようとしないので恐らくこれが大会に近づいたときの練習光景なのだろう。
そんな練習光景へ近づいていく女子生徒が一人。陸上部のマネージャー、三枝 由紀香。
大量のペットボトルのつまった籠を持って校庭に運んでいた。

見ていて不安になりそうな足取りではあったがそれに気づいた楓が近づいていき荷物運びを手伝っていた。
そんな光景を見ながら視線は走り高跳びへと向く。
ポールを飛び越える姿。
走り高跳びをしたことがあるのは事実なのでそちらにも気が向いてしまうのは道理かもしれない。
そんな跳ぶ人たちの中に彼女がいた。

「…………特に問題はなさそうだな」

昨日の今日で普段通りに振舞えるのか心配であったが特に問題なく振舞えているので安堵する。
いくらかその光景を眺めていて、その後休憩に入ったことを確認して立ち上がった。

「シロウ」

隣で同じように陸上部活動の光景を眺めていたセイバーが声をかける。

「ん? どうした、セイバー?」

「ヒムロは今後どうするのでしょうか? 護衛をするのであればシロウの家に泊まらせるのがいいかと思うのですが」

何気に物凄いことを言ってくるセイバー。
たしかに護衛するとなればできるだけ近くにいるほうがいいだろう。

「そりゃあセイバーの言っていることもわかるけど、氷室には両親だっているんだから無理だろ。泊まらせるってことになれば説明だって必要だ。当然だけど説明なんてできないだろ」

「ではどうするのですか? このままだと危険性が高まるだけですが」

確かに護衛ができなければ彼女が狙われても守ることはできない。
かといって彼女の両親に『娘さんが戦争に巻き込まれて危険なのでうちで預かります!』なんて言ったところで信じないだろう。
というか逆にちょっと危ない子と認識されるかもしれない。………それはちょっと嫌だ。

「泊まらせることはできなくても周辺護衛ならできるだろ。それにセイバーのマスターは俺だって示せば勘違いしている奴が氷室を狙うこともなくなる」

「つまり………護衛しながら自身を囮にすると?」

「簡単に言ってしまえばそんな感じ。登下校に関しては…………どうしようか。そこのところは氷室と相談するよ」

そうして休憩に入った彼女に近づいていく。
一方の鐘はとっくに彼ら二人を見つけていた。

(セイバーさんは喪服を着てついてきたのか………)

彼女がついてくるかもしれないとは思っていたが、まさかあんな格好で来るとは思わなかった。
あれでは美女というより美男子だ。

「氷室、休憩してるところ悪いけど、ちょっといいか?」

近づいて休憩している鐘に話しかける。
美男子となっているセイバーを後ろにつけて話しかけてくるのだから周囲からみれば奇異な光景にもみえる。
一方の鐘は士郎の申し出を断る理由もないので

「ああ、構わない。では少し向こうへ行こうか」

と答えて歩き出す。
周囲の目が集まっていたので、場が混乱する前にさっさとその場から離れる。
そうして周囲に聞き耳を立てる輩がいないことを確認して

「で、話はなんだ、衛宮?」

「ああ、これからのことなんだけどさ。氷室は家に帰るんだよな?」

「…………どうした方がいいのかな、私は」

このまま家に帰ってもいいのだろうか、と考える。
狙われるかもしれない自分が家に帰ったら両親にも影響がでるかもしれない。
となれば士郎の家に泊まるという選択肢もあるだろうが、そうすると次は両親にどう説明すればいいかという問題が発生する。
昨日は一泊だけなので問題はなかったが、これからもとなると一泊ではすまないだろう。
連泊するとなるともっともらしい理由が必要になる。生憎と彼女の両親は放任主義ではない。
それに一人暮らしの男性の家に泊まるというのも大きなハードルとなっている。
正直に答える必要はないかもれないが、嘘がばれた時は逆に追い詰められる。
別の友人と口裏合わせをしようとしても数泊するとなると嘘をつきとおせない確率が高い。

「セイバーはうちに泊まっていけって言うけど、確か氷室の親って市長だったろ? ってことはそんなの許されないと思うからさ、だから俺が氷室の周囲を護衛しようと思う」

仕方がない状況とはいえ一体どこの有名人だろうか、などと思いながら

「周囲を護衛、か。確かに衛宮の家に泊まるのが困難となればそうなるのだろうが…………」

「そう。で、相談なんだけどさ。登下校はどうしようか。迷惑じゃなければ一緒に登下校しようと思うんだけど」

その言葉を吟味してみる。
確かに狙われているなら登下校も一緒に行動したほうがいいのかもしれない。
しかし問題もある。

「一緒に登下校と言うが衛宮。君の家と私の家がどれだけ離れているか知らないのか?」

「新都の方だろ? とてもじゃないけど一緒に登下校できる距離じゃないってことはわかってる。けどそこのところは俺がそっちに行けばいいだけだからさ」

平然と言う。
士郎の家から鐘の家までは歩いたら軽く一時間以上かかる。
バスを使ってもそれなりにかかるのだが、本当に理解しているのだろうか? と疑問に思う。

「登校時には周囲にも人がいるし、下校時は登校時ほどではないが人はいる。護衛してもらうほど危険ではないと思うが」

朝はバス待ちの人がそれなりにいる。
夕方も朝ほどではないが人の気配はあるし、登下校にバスを使うので一人っきりという状態にはならないだろう。
なるとすればバス亭から家に行くまでの少しの距離くらいだ。
その言葉を聞いた士郎は少し考えて

「朝なら襲ってこないか…………? そこんところはどうだ、セイバー?」

後ろにいたセイバーに尋ねた。
半端な知識しかない自分よりもよく知っている筈であろう彼女に訊いた方がいいと判断したのだ。

「聖杯戦争は基本的に秘匿のため夜に行われます。夜ほど活発にはならないでしょう。むしろこれから夜になる夕方を警戒すべきではあると思います」

もっともそれもマスター次第ではありますが、と付け加える。

「なら氷室を家まで送るっていうのは決まりかな。どのみち夜は周辺を見て回ろうとは思ってたし」

「…………見て回ろうとは?」

尋ねる。
だが、その答えも鐘はまたある程度予想はできていた。

「ん? 夜は氷室の家の周囲とかをうろつくってことかな。サーヴァントが寝込みを襲ってくるとも限らないし」

やはり、と一人呟いて正面にいる顔を見る。
確かに襲うなら寝込みが一番だろう。
安全かつ誰にも見られずに敵を暗殺できるのだからこれほどいい条件はない。

ならばそれを防ぐために周囲を警備するというのは常識ではある。
しかしそう頭では理解していてもやはり躊躇いはあった。それは夜中の間目の前にいる青年はずっと外にいるということになる。
春が近づいているとはいえまだ冬。夜の冷え込みは十分に厳しい。
だがそこまでしなくても…………とは言えないのが現状でもあった。

そして朝はどうするか、という話に戻る。
朝に行動しないとは限らないが可能性は低い。
彼女が活動する時間帯は同じく他の一般人も活動している時間である。
活動が停止していく夜よりは人目もあるだろう。加えて光があるということが常識的ではあるが利点である。
可能性はゼロではないが常識的に考えて確率は低いだろう。
それを踏まえた結果朝は各自で登校することとなった。
そうして休憩時間が終わる。休憩していた部員たちがまた活動を再開し始めた。

「練習だな…………。じゃあ氷室、頑張ってな。終わるのは5時くらいか?」

「まあ………完全下校時刻が6時だからな。それに間に合うようには終わる必要がある」

「わかった。じゃあその時間帯にはまたこっちにきたらいいか?」

「…………いや。バス停の傍で待っててもらえれば私がそちらに行く。下校時は途中まで蒔の字と由紀香と一緒に行動していることが多いからな」

「そうか、じゃあ終わったらバス停で待ってるよ」

そう言って二人は離れていく。
そんな後ろ姿を見ながら、しかし鐘は改めて自分の非力さに頭を悩ませていた。


─────第二節 夜へと続く道のり─────

時刻は五時。太陽は空を紅く染め上げて、今日という日の終わりを告げるようにゆっくりと闇色に近づけていく。

「あ。そういえば美綴、慎二のヤツはどうしたんだ? 今日は姿が見えなかったけど」

弓道場の前。
部員が全員外に出たのを確認してから、最後の戸締りをしている彼女に話しかける。

「アイツはサボリ。新しい女でも出来たのか、最近はこんなもんよ」

なんでもない事のように言って、校舎の方へと足を運ぶ。

「じゃあね。あたし、職員室に用があるから。アンタも色々あったみたいだけど、とりあえずお疲れさん」

「ああ、そっちこそ」

それだけの言葉を交わして部室のカギを指で弄びながら、弓道部主将は一足先に去っていく。
その後ろ姿を眺めながら

「美綴」

彼女を呼び止める。

「ん? なんだ、衛宮?」

「最近物騒になってきたんだから早く帰れよ?」

「お、なんだ。衛宮はあたしのことを心配してくれるのか?」

紅い夕日がニヤニヤと笑っている綾子を染めている。
そんな彼女を見ながら

「ああ。美綴だって女の子だろ。いくら負けん気が強いからって夜は危ないんだから早く帰れよ?」

なんて平然と言ってのける。
一瞬呆気にとられた表情を見せるが

「はいはい。ま、そんなに遅くならないように家に帰るよ。心配してくれてありがとうな」

背を向けてヒラヒラと手を振りながら校舎へと去って行った。
普段なら彼女にこんな言葉もかけないだろうが、士郎に突き付けられた現実には無関係な人間である一人の同級生が殺されかけたという事実がある。
それもあって念のため、ということで綾子にも声をかけたのだった。

─────そうして正門前。
正門には大河と桜がいる。

「士郎―、帰るわよ」

手を振って呼びかけてくる担任教師。
いつもならこれに応じて一緒に下校するのだが今日はそう言う訳にもいかない。

「悪い、藤ねぇ。桜と一緒に先に帰っててくれ。俺は用事があるから一緒には帰れないんだ」

「? 用事って何? あ、もしかしてアルバイト?」

「んー、ま、そういう感じかな」

実際には全く違うのだが本当の事を言う必要もない上、話したら話したで理由を問われかねない。
その理由に事実を言うのもまた躊躇われたため勘違いをそのままにする。

「もう、最近は物騒になってきたんだから早く帰ってきなさい。士郎は断らないっていうのは知ってるけど、控えめにしておきなさい」

腰に手を当てて生徒に言い聞かせるように言う大河。
こんな仕草を見ているとさすが教師だなー、と思う士郎であった。
ただし家の行動を見ていると子供が大きくなっただけにしか見えないのだが。

「ああ、なるべく早く帰るよ。それじゃ、そんな物騒な夜になる前に二人とも家に帰れよ? 藤ねぇ、桜」

「ふーんだ。士郎は人に言う前にまず自分の身振りを直しなさい」

「はい、先輩もお気をつけて」

いつも通りの大河に対して桜は少し元気がない。

「どうした桜。具合悪いのか?」

彼女の視線は手前にいる士郎とその後方にいるセイバーを交互に見ながら会話をしていた。

「いえ、なんでもありません」

「なんでもないわけないだろ。体調が悪いなら言ってくれた方が俺も助かる」

「本当に大丈夫ですから。気にしないで下さい」

儚げに笑われてしまったら返す言葉はない。
見た感じは別に体に異常があるようには見受けれないので勘違いか、と完結させて二人と正門前で別れた。

「さてと………バス停に行くかな」

二人が向かった方向とは別の方向に向かって歩き出した。
後ろには相変わらずセイバーが控えている。
歩いて数分でバス停に到着する。
無論バスに乗るワケではないので並んでいる列の最後尾につくわけではない。
鐘を待つためにバス停の傍で待機することになる。

バス停に着きながら列に並ばないでただ眺めている士郎とセイバー。
そんな二人を列に並んでいる人達はチラチラと奇異な視線を向ける。
いや、確かに奇異ではあるかもしれないが彼らの行動自体は見る人からしてみれば些細な事だろう。
多くの人の視線は彼の隣にいる“美男子”セイバーに視線が集中しているところから見て、よっぽど気になるのだろう。
まあ当然だよなー金髪だし、外国人だし、目の色緑っぽいし、なんて他人事のようにそんな光景を眺めている。
バスが到着し並んでいた人達がバスへと乗車する。その光景を見ながら、しかし氷室はこないなーなんて感想を懐いていた。
バスの戸が閉まり、発車する。
そのバスが去って行く方へ視線をやり、見えなくなったところで学校の方へと視線を向ける。

「…………セイバー。思うんだけどそんなきっちり着てて暑くないか? 昼からずっとその格好だろ?」

日中も現在も日のあたるところに長い時間居た。
いくら冬とはいえ黒色の喪服を着ていれば熱も籠るハズである。

「いえ、私は大丈夫です。この程度の着物は着なれていますから」

はて、ドレス姿のセイバーがなぜメンズスーツが着なれているなどと言うのだろうか。
セイバーの回答を聞いて疑問が湧いたが、着る機会なんていくらでもあったのかな、などと適当に結論を出して鐘が来るのを待っていた。
夕方。先ほどのバスで並んでいた人達がいなくなったのでバス停にいるのは二人だけ。
赤く染まる街並みを見ながら

「あ~、一日が短く感じるな」

と、特に意味もなく呟いた独り言に

「しかし最近は少しずつではあるが日が落ちるスピードは遅まっているぞ」

なんて返答が返ってくるのだからあわてて後ろを見る。

「氷室か、驚いた。急に話しかけられたから何事かと思った…………」

「ふむ、君の驚く姿は少し見物だったな。セイバーさんはわかっていたみたいだったが」

「…………そうなのか、セイバー?」

「はい。ヒムロが近づいてきたのはすでにわかっていましたから」

なんだじゃあ俺だけ知らなかったのか、などと呟きなががっくりと肩を落とす士郎。

「どれほど待っただろうか?」

「ん、五分くらいか。さっきバス行っちゃったぞ?」

「構わない。あの時間帯のバスは混みやすい。だから私は一本ずらしてバスに乗ることもあるんだよ、衛宮」

「そうなのか。…………まあ言われてみれば、並んでる人は少し多い方だったかな」

と、ここまで会話が進んでいたが止まってしまう。
行動としてはバスがくるまでの残り数分を待つだけなので体を動かすようなことはない。
坂を下った先にさらにバス停があるが、この時刻だとそこに向かうよりここで待っている方が乗れる。

「ところで氷室。俺の鞄見なかったか?」

ただ立ってバスが来るのを待っていた中で訊かれる。
彼の問いに答えるために自分の記憶を引っ張り出す。
だが。

「…………いや、残念ながら私は見なかった。どこかに落ちているということはないのか?」

そもそも彼女は部室と校庭と倉庫を行き来していただけであり、校舎の中には入っていない。

「そう思って校舎の中歩いたんだけど見つからなかった。あれ、大穴あいてるだろうから見つけて回収しようと思ってたんだけどな。どこ行ったんだろ」

鐘と別れた後、弓道場に向かうために校内を散策しながら向かっていた。
目的は違和感の正体・結界の実態を掴むことと、自分の鞄の回収。あとあわよくば魔術師の手がかりだった。
無論全てがうまくいくとは思わなかったが、まさか今日一日でそのどれもが達成できなかったとは考えなかった。
せめて鞄は見つけておきたいなーとは思っていただけにこの結果は予想外だったのである。

「シロウ。敵がその鞄を持ち去ったという可能性は?」

喪服姿のセイバーが尋ねてくる。
確かに見つからないのであればだれかに回収されていると思うのが普通だろう。

「いや、そりゃあ可能性としてはありえるだろうけどさ、全部学校で使う小道具とかばっかだし。盗む価値があるものなんて入ってないぞ」

そもそも昨日だって朝は普通に登校してきたのだ。
そんないつも通りの日常になると思っていた中でその日に限って特別な何かを持ってくる筈もなかった。
そんな返答に「そうですか」、と答えて黙ってしまうセイバー。
その姿を見て今日起きた事を思い返す。

「結局、藤ねぇはセイバーに関して何も訊いてこなかったなぁ。折角打ち合わせしたのにな」

そう。
食事中、弓道部に戻ってきた後、そして校門前とセイバーと顔を合わせる機会はあった筈なのだが全く訊いてこなかった。
藤ねぇにはセイバーが見えていないのか、と疑問を通り越えて心配になった士郎だった。
そんな彼らのもとにバスがやってきた。先ほど並んでいた人数と比べると確かに人は少なかった。

「ほんと、一本違うだけでここまで差が出るんだな?」

妙に感心しながらバスに乗る。

「ああ。急ぎの用がなければ基本的にこの時間のバスに乗っている」

続けてバスに乗る鐘。
その後ろにはセイバーがついてきた。
プシューという音を立てて戸が閉まり、アナウンスが車内に響いてバスが発進する。

車内でもセイバーは人々の視線を浴びていた。
無論じろじろまじまじと見られているわけではないが、美男子と言う言葉がぴったりなセイバーが気になっているのだろう。
セイバー自身も見られているということを感じながらも、平然とした態度は崩さなかった。
そんなセイバーを鐘もまた見ていた。時折見せる仕草は何か考えているようにも見える。

「どうした、氷室?」

気になったので問いかける。
もしかしたら自分に気付かない何かに気付いたのかも、と思って声をかけたわけなのだが───

「む。いや、セイバーさんみたいな人をどこかで見たような気がするのだが」

要するに自分の記憶との照合を試みていただけだった。

「喪服姿の人なんていっぱいいるだろ? まさかセイバーみたいな美男子………(今はだけど)と会ったことがあるとか?」

「いや、残念ながらそこまでは思い出せない。思い出せたらきっと済し崩しのように解消されていくと思うのだが」

そう言って再び考え込んでしまう。
そんな姿を見ながら今日の夕食は何にするかなーと考えていたところで突然思い出した。
思い出して少し青くなる。

「なあ、セイバー?」

「なんでしょう、シロウ」

「喪服着て家を出たんだよな?…………家の鍵、どうした?」

そう。今更ではあるが大問題に気付いた。
家の鍵は現在家主である衛宮 士郎という人物が所持している。ということはつまり後から出てきたセイバーは鍵を持っていないのである。
加えてスペアキーは桜に渡しているのでつまり鍵はない。

「鍵をかけようと思ったのですが鍵が見つからなかったために玄関戸は内側から閉めて、入口から遠い窓から出てきました」

「そ、そうか。ならまだ少し(?)は安心か…………」

セイバーが気の利く人で本当によかった、と心から安堵したのだった。


─────第三節 平穏から破滅へ続く道筋─────

バスに搭乗してから約25分。目的地であるバス停へ到着した。
ここから歩いて数分の距離に彼女のマンションがある。
ちなみにバス代は先日3万円という破格のバイト料を得ていたのでセイバーと自分二人分を支払うことになっても苦はなかった。
時刻はすでに午後6時半。
春に近づいてきているとはいえまだ冬。日が落ちる速度は遅くなってきているとはいってもまだこの時間は暗いままである。
あと1カ月もすればこの時間帯でも“暗い”ではなく“まだ少しだけ明るい”というレベルになるだろう。
そんな夜の中を三人は歩く。冬の夜は寒い。12月に比べるとまだマシではあるが寒いものは寒かった。
鐘と士郎は並んで歩き、その後ろにセイバーがついて歩く。
周囲を見渡しながら

「この時間帯とは言っても人は少ないんだな。薄暗いし…………」

隣にいる鐘に話しかける。

「そうだな。最近は物騒になっている、ということもあって足早に帰宅する人も多い。大概の人は日のあるうちに帰宅するのではないか?」

新都の中心街へいけばこの時間帯でもそれなりに人はいる。
だがほんの少し離れただけで人通りはまばらになっていた。
まあそれでも深山町に比べれば人はいる方なんだけどな、などと自分の住む町と比べながら歩く。
数分歩いたら前にマンションが見えてきた。

「あれが氷室の住んでるマンションか?」

「そうだな」

結構な高さを誇るマンション。
管理は行き届いているらしく周囲の道はきれいに清掃されている。
駐輪場を見てもしっかりと並べている辺り、ここの管理者はしっかりと仕事はしているようだ。

マンションの入り口から中を覗きこむ。
防犯カメラがあった。おそらくはここ最近の事件を考えて設置したのだろう。
流石市長の住むマンションだな、なんてあまり関係のない感心を懐きながら一緒に入口を入る。
鍵を使ってロックされていた自動ドアが開く。普段通りにエントランスへ入って行く彼女を見送る。

「ここまできたら安全かな。防犯カメラもあるみたいだし、襲ってくる奴はいないだろ」

「そうかな。来るときは来るものだと思うがな、私は」

ニヤリ、と少し怪しい笑みを見せる。

「物騒なこと言わないでくれよ………」

そんな彼女の言葉を聞いて少し不安になりながら苦笑いを見せる。

「何、自分の城というものはそういうものだ。完璧であると思えば思うほどに隙間などないと信じている。だから綻びが生じた時の驚愕は尋常ではなく、致命的な失敗を招くこともあるものだぞ。私はそうならないように考えを馳せているだけだよ、衛宮」

そんな彼女の言葉を聞いて感心したように

「ヒムロの考えは立派ですね。万が一という事を常に考えて行動できるのならば咄嗟の出来事にも冷静に対応できるでしょう」

と、セイバーが賞賛した。
そういうものかな、なんて感想を漏らしながら

「じゃあ、氷室。また明日学校でな。朝練、するんだろ? また手伝うよ」

「君の心遣いには感謝するが、恐らく明日は蒔の字達が手伝ってくれる。無理はしなくていいぞ、衛宮」

「ん、そうなのか。まあ確かに部外者が手伝うよりかは自然か」

そう言って自動ドアが感知しないように離れる。
それを感知したドアがゆっくりと閉まって行く。

「衛宮はこれからどうするのだ?」

不意にそんな事を訊いてきた。

「俺はこの辺りを調べてみる。氷室を狙ってくるとも限らないからできるだけ周囲を動き回って存在をアピールする必要もあるしな」

学校で決めた事を伝える。
人質として囚われるのも勘違いで彼女が殺されるというのも許容できない話なのでこの対応を取ることに何の不満も疑問も抱かなかった。
自動ドアが閉まり二人を隔てた。
それを確認した士郎は手を小さく上げて別れを告げ、彼女に背を向けて外へと出て行った。
彼女もまたその姿を確認して自分の家へと帰って行く。

「…………何もできないのだな、私は」

その呟きは誰にも届かない。
自分を苛めるのは無力と言う言葉だけ。
だがもう悩むのはやめよう。
信じがたいことではあるが受け入れて前へ進む。
この超難題の課題をどう克服してクリアするか、それだけを考えよう。



マンションを出て再び外へ。
如月の冷気をその身に感じながら

「よし、それじゃ家に帰ってメシを食うかな」

と、歩き始めた。
確かにこの時間帯、人は少なくなってきているが就寝時間にはまだほど遠い。
加えてマンションということもありマンション内には人が大勢活動しているだろう。
本格的に行動するのはもっと夜が進んでから、と結論を出して足早に帰路へと向かう。
ここから歩いて帰ると着くのは8時を超えるだろう。
バスを使えばもっと早く着くのだろうが、見回りと囮も兼ねる為に歩いて帰ることは決定事項だった。
ついでに商店街によって夕食の食材を買って帰れば無駄はないかな、などと主夫的な考えも持ちながらマンションをあとにした。

時刻は午後6時半過ぎ。
すでに周囲は完全な夜となっていた。
セイバーと二人で新都へと足を運ぶ。
周囲を見渡すとさっき見た時よりもさらに人は少なかった。………というよりは人が見当たらない。
先ほどはバスが止まった所為もあったのだろう。
だが今は当然バスもないために閑静な住宅街となっていた。
褒め言葉であるのだろうが、この時に限っては寂しくも感じる。
ここらの道にはあまり詳しくないが自身の感覚を頼りに少し細い路地へと入る。
後ろについてくるセイバーもまた何事もなくついてきた。
何も言わないのだろうか、と思って声をかけようとして後ろを振り向いたとき─────

ドンッ!と細い路地から出てきた誰かがぶつかってきた。

「うわっ!」
「なっ!」

突進された勢いで倒れる。
ぶつかってきた人…………女性もまた反対側に尻餅をつくように倒れた。

「いてて………。す、すみません。大丈夫ですか………?」

後ろを向いて前の確認を怠ったのだから謝るのは当然か、などと思いながらぶつかってきた女性を見る。
その服装は彼が通う穂群原学園の制服だった。
次に顔を見てみると………

「あ、あれ? 美綴?」
「え、衛宮?」

少し前に学校で別れた美綴 綾子だった。
少しだけ安堵した士郎は立ち上がって手を差し伸べる。
その手を掴み立ち上がる綾子。

「ごめん、前見てなかった。大丈夫か美綴。どうしたんだ、そんなに慌てて?」

「な、なんであんたがここに…………」

見る限り動揺しているらしい。

(まあ確かにこっちは俺の活動圏じゃないからな)

と思う士郎だったがどうもいつもの彼女とは様子が少し違う様に見受けられる。

「………? 美綴、何かあったのか? 顔が少し青く見えるけど?」

「!─────そ、そうだ。えみ……………」

綾子が何かを言いかけた直後。

「! シロウ、伏せて!」

今までその光景を見ていたセイバーが一瞬で鎧化した。
その姿と言葉を聞いて咄嗟に綾子を抱きしめてその場に倒れこむ。
キィン! と甲高い音が閑静な住宅街に響いた。

「……………何だ?」

守る様に綾子を抱きながらしかし首だけはその音のした方向へ向ける。
そこには。

「…………あいつは?」

大よそ現代の格好には不釣り合いな眼帯をした紫色の長髪の女性が立っていた。
その女性と対峙するように立つセイバー。
すでにセイバーは鎧化をしておりいつでも斬りかかれるという状態。

「……………貴様もまた一般人に手を出すか。誇りはないのか、貴様は」

セイバーが問いかけるが対する長身の女性は

「………………」

無言でその場に立っていた。
その姿を見て士郎は不気味に感じた。
そしてこの状況。つまり狙われたのは今自分の下にいる彼女だとわかった。

「美綴、大丈夫か?」

抱いていた手を解き、相変わらず長身の女性から守る様に立ち上がる。
彼女の手を取って立ち上がらせた。

「……………あ、ああ。すまない、衛宮」

この状況に戸惑いながら何とか返事をする綾子。
無事そうだな、と確認した士郎は再び対峙している二人へと視線を戻す。
セイバーは構えをとっているが、対して長身の女性はただ立っているだけである。
手には釘のような短剣が握られている。
互いに動かないことで訪れる静寂。だがこの静寂は突然終わりを告げた。
ヒュッ と投げられた短剣がセイバーを突き刺そうとする。
だがそれを容易く不可視の剣で打ち払い、そのまま相手に斬りかかろうと動くが─────

「………………逃げたか」

長身の女性は投げたと同時にその場から速やかに闇へと逃げていた。
鎖付の短剣がジャラジャラと音を立てて勢いよくその闇へと戻って行く。
これを追いかければ彼女に行きつくのだろうが、マスターである士郎と離れる訳にもいかない。
そうして突然の会合は終わりを告げた。
危機が去ったことを確認して視線を後ろにいる綾子に戻した士郎は

「おい、大丈夫か美綴? なんであいつに追われてたんだ?」

もっともな疑問をぶつける。
あの女性もまたサーヴァントであるということはわかった。
ならば狙われる理由など多くはないはずである。

「知らないよ。突然現れたかと思ったら襲ってくるんだから…………」

一方の綾子も何が何だか、という感覚で述べている。

「理由もなく襲われたのか…………? なんでまた」

「あたしに訊かれても困る。あたしはただいつも通り帰ってただけなんだからさ」

「………まあそうだろうけどさ」

呟きながら考えるのだが考えた所で思いつくわけでもない。
ここは一旦打ち止めとして

「美綴。家、近いんだよな? 送って行くよ」

と提案を出す。
先ほどの事といい放っておくわけにもいかない、と士郎は考えたのだ。

「え……………、いや別にいいよ。家はすぐそこだし」

一方誘いを受けた彼女はというと驚いた表情を見せる。
どことなく挙動不審に見えるのは気のせいか。

「はあ、まだ強がり言ってるのか。あんなことあった手前で美綴を一人にさせておけないだろ。ほら家どこだ? 送って行くからさ」

落ちていた彼女の鞄を拾い、手渡す。
受け取った綾子は鞄を見て、そして手渡した彼を見て、そしてその後ろにいる鎧姿のセイバーを見て

「………そうだな。訊きたい事もあるし、それじゃお願いするかな」

そう言って歩き出した。
士郎もまた彼女の横に並んで歩く。

「で、衛宮。さっそく訊いていいかい?」

「……………答えられる範囲なら」

何を訊かれるか何となく予想がつくが、一応答える。

「なんでここにいるんだ? あんたの家、こっち方向じゃないだろうにさ」

「まあそれはとある私用で。ここにいたのは偶然だ」

嘘はついていないので問題はないだろう。
あの路地に入ったのもまた偶然ではあったので問題はない。

「じゃあ次なんだけど…………」

体を寄せて耳打ちする。

「後ろにいる人………誰なの? 昼は喪服着てなかったっけ? なんで鎧つけてんの?」

「あー……………それは、だな」

さてどうしようか、と悩む。
彼女の身の説明なら打ち合わせ通りに言えばいいだろうが、鎧姿の説明がつかない。
が、黙っていても疑問は晴れないので

「あの人はセイバーって言って、俺の親父を頼りに来た人なんだ。で、いろいろ街を案内していたら偶然ここで美綴と出会ったんだよ」

我ながらそれっぽい嘘を言えた、と内心感心するがやはり鎧姿の説明にはなっていない。

「んー……………」

何か納得いかないなー、なんて考えながら当然のようにその穴を突く綾子。

「いや、衛宮。あんたがここにいる理由はそれでいいとしてもあの鎧姿の説明には─────」

後ろを振り向きながら再度セイバーの姿を確認するが

「…………あれ?」

喪服姿のセイバーに戻っていた。
今まで鎧姿だと思っていたので、当然目が点になる。
一方彼女のマスターもまた目が点になっていた。

「……………何か?」

平然とした態度で尋ねてくるものだから

「あ、いえ………何でもありません」

なんて律儀に返答をして再び前を向いて歩き始める。
あれーあたしの見間違いかなーでも確かに鎧姿だったよなー? なんて一人呟きながら歩を進める綾子。

で。

辿り着いた場所は先ほど鐘と別れたマンションだった。
まさか一日で二回も見上げることになるとは、なんて思いながら本日二度目の自動ドアをくぐる士郎。

「美綴もこのマンションに住んでたのか」

何気なく言った言葉だったのだが

「? そうだけど………。衛宮、今のセリフ、おかしくなかったか? あたし“も”って別の人も住んでること知ってるような口ぶりだったな?」

まずった、と思ったが言った言葉が戻ってくるわけでもなし。

「で、衛宮。あんたがここにいる本当の理由は何?」

笑みを薄らと見せながら顔を覗き込んでくる。
言っても問題はないだろうが、逆に言わなくても問題はないので言わないことにする。

「別に。さっき言った通りセイバーの道案内だよ」

ふーん、と適当に相槌をうってロックされていた自動ドアを開ける。

「そういえば、さ」

何やら改まって尋ねてくる。

「これからどうするのさ。警察、連絡入れといたほうがいい?」

ああ、そうだよな と理解した。
いくら強気な彼女とは言え女の子であることにはかわりないし、一般人であることにもかわりない。
彼女の出した提案は至極まともなものだろう。
だがサーヴァント相手に警察など意味はないということは重々承知していた。

「いや、警察の方は俺から連絡入れとくよ。美綴は家に帰ってゆっくり休んでてくれ。あ、間違っても夜出歩くなよ? また俺が近くにいるとも限らないからな」

警察に連絡する気はないが、そう言わないと理由を尋ねられかねない。

「ん、わかった。じゃあ警察の方は任せる。で、衛宮もこれから家に帰るのか?」

その言葉を聞いて少し考える。
出た答えが

「………まあそういうことになるんだと思う」

なんて曖昧な返答だった。
当然そんな曖昧な返答で納得する弓道部主将ではない。

「衛宮、なんでそんな曖昧なんだ。……………あんた、まさか」

「ん、まあ見て回りながら帰ろうって話だよ。知り合いの女の子が追われてたんだ、気になるのは当然だし守るのも当然だろ」

父親から女性には優しくしなさいと教わってその実その通りに生きている士郎にとってはいたって普通だった。
そんな返答を聞いて

「女の子…………ねぇ」

何を思ったのか、少し考える素振りを見せる。

「にしてはさっきおもいっきり抱きしめてくれちゃったわけだけど、そこんとこの感想はどうなの?」

聞いた直後に思い出して

「ぶっ!!」

思わず吹き出した。
確かに抱きしめたしその時何か柔らかい感触があったしいい香りもしたけど! と咄嗟に出てきた感想を無理矢理抑え込むが慌てた様子までは隠せない。
顔を真っ赤にしてその熱を逃がすように頭を振る。

「い、いや!さっきのは咄嗟のことだったからそんな状態になっちまったんだ!決してやましい気持ちがあったわけではない─────ていうか御免!謝るの遅れて!」

頭を深々と下げる。
そんな慌てた様子を見せつけられて

「ははは、いいって。守ろうとしてくれた咄嗟の行動っていうのはわかったから、気にはしないよ」

「そ、そうか。すまん、美綴」

頭を上げて綾子の顔を見るが、その姿はどこか素気なく見えた。
が、当然そこまで頭が回る士郎ではなかった。

「じゃあな、美綴。また明日、学校でな」

「あいよ」

そう言って少し足早に出て行く姿を見送る。
見えなくなったところで足を動かして家へと向かう綾子。

「まあ守ろうとしてとった行動っていうのは理解できるけどさ」

その身に覚えた感覚を思い出し少し顔を赤めながら

「あんな強く抱きしめられたのは初めてだったわけで。あたしもドギマギしちゃってるんだよね………衛宮」

あはははは、と困ったように笑みをこぼしながら彼女も家へと到着した。




[29843] Fate/Unlimited World―Re 第13話 騒乱への案内人
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/04/16 20:42
第13話 騒乱への案内人


─────第一節 巡回開始─────

「はぁ………間抜け。まず始めに謝らないといけなかっただろうにさ」

マンションから再び外へと出て、冬の夜空の下で呟く士郎。
さっきの言葉が未だに頭の中に残っていた。そしてきっかけがあると思い出すのが人間。
不意に浮かんだ光景は昨夜の鐘とのやりとり。
今思えばトンデモナイ光景だと思い出して、口が微妙に引き攣るのが自分でもわかった。
そんな自分に喝を入れる為に一度深呼吸をして両手で頬を思いっきり叩く。

「………修行不足だな」

小さく呟いてため息をつく。
今日学校に行く道中に話した“思い出せない云々”の件は正しいんじゃないだろうか、などと考えながら周囲を見渡す。
周囲はすでに暗い。
人影もぱっと見た限りでは見当たらなかった。

「シロウ、これからどうしますか。当初の目的通り一旦家に戻るのでしょうか」

相変わらず控えているセイバーが尋ねてくる。

「ん、そうだな………」

当初の予定では、夕食を食べ終わってから再び見回りに出る予定だった。
この時間帯ならまだまばらではあるが人はいるだろうと思ったからである。
だからこそ人がいるであろうこの時間帯に家に戻り準備を整えて………と思っていたのだが見込みが大きく外れた。
すでにこの時間帯から動き出している敵はいる。さきほどの長身のサーヴァントの様に。
綾子の一件を受けて考えを改めて方針を変更する。

「いや予定変更だ、セイバー。さっきの奴を探そう。まだ近くにいるかもしれない」

そう言ってマンションの周囲を回る様に歩き始める。
このマンションには狙われている知り合いが二人もいる。重点的に調べまわるのは当然であった。
巡回する、ということは自分を危険に晒すという事でもある。
囮になると決めた以上は殺される覚悟を決めなければならない。
自分から戦うと決めた以上は、ランサーやバーサーカーの時のような過ちを犯す訳にはいかなかった。
半人前かもしれないが魔術師としての心構えは毎夜鍛えてきたつもりである。
一度深呼吸をして周囲を警戒しながら歩みを進めて行った。

「そういえばセイバー。さっき鎧姿だったのに今はまた喪服だよな? あれ、どうしたんだ?」

さっき気になった疑問をぶつけてみる。

「あの鎧は私の魔力で編まれた物です。解除すれば消すということであり、自分の意志と魔力で着脱はいつでも可能なのです」

「ふうん。なんだ、あの武装はいつでも出したり消したりできるって訳か」

「はい。ですから心配は無用です。ここで敵が襲ってきても、シロウは私が守護します」

「そっか。うん、そりゃ頼もしい」

今さきほど自分の状況を改めて意識してしまった反動か、つい本音でそんな感想を漏らしてしまった。
セイバーは気づかれない程度の僅かな反応を見せたが何も答えずに、とつとつと歩いていた。



30分ほどマンションの周辺を巡回した。
目に見えて判る異常などは全くなく、セイバーもサーヴァントの気配を感じなかった。

「────ここら辺に異常はなし、か。これだけ無防備に歩き回れば何か反応の一つくらいあると思ったんだけど」

時刻は午後7時半。
歩き回った結果、会社帰りの人間をたまに見かける程度であり、サーヴァントやマスターらしき人物は見当たらなかった。

「まだ近くにいるものだと思っての行動だったんだが、考えが甘かったか?」

「いえ、シロウの行動自体は正しい。少し時間帯として早いとは思いますが、夜の巡回は決して無駄ではありません。今は手応えがありませんが、続けて行けば何等かの成果は上がる筈です」

「………、まぁそうだといいんだが」

どうも自分のスキルの無さの所為でうまいこと捜索できていないのではないか、と不安になる。
だが不安になったところでいきなり自分のスキルが上達するわけでもないのでそこは諦めていたが。

「とにかく次はもうちょっと範囲を広げよう。 セイバー、大体どれくらいの距離までなら感知できるんだ?」

「大よそ半径200メートルといったところでしょうか。ただし相手が何らかの能力を行使している場合に限ります」

「そうか。なら、このマンションを基点として半径200メートルの距離まで足を運ぼう。それでも変化がないようなら新都の方にまで範囲を広げるか」

感知できないところまで離れるのは少し躊躇われるが様々な場所へ赴き、自分の存在を示す必要もあるため決断するしかなかった。

「わかりました。───ですが、シロウ。夕食はどうするのでしょうか。休養を取る必要もあるかと思いますが」

「いや、今はまだ大丈夫。それに腹減ったらコンビニに寄って何か買えばいい………ってそうか。セイバーは嫌か?」

「いえ、私たちサーヴァントは基本的に食事は必要としないため嫌も何もありません。食事をとれば多少なりとも魔力補給ができるのは確かですが量は多くありませんから不要でしょう」

つまり食事はないよりはあった方がいいということだろうか。

「ふうん…………まあサーヴァントがどうのっていうのはわかったけど。セイバー自身はどうなんだ? 食べたいのか食べたくないのか」

「用意してもらえるならば是非。食事は重要な活力源ですから」

最初からそう言えばいいのに なんて思いながらまだ巡回していない場所を歩き始めていた。
未だマンションに変化は見られない。
願わくば今夜は何も起きないでほしい、などと感想を漏らしながら巡回を続けていく。


―Interlude In―

私は夕食を食べ終えて母親と二人でリビングにいた。

「最近、物騒になってきたわね」

ニュースを見ていた母親がそんな言葉を口にする。
今現在報道されているのは深山町………学校がある方の町で起こった殺人事件。
学校に比較的近い、ということもありこの事件に目が行くのも当然か。
私もまたそのニュースを見ていた。
こちらの町………新都で続発しているガス漏れ事件。
欠陥があっただのなんだのという理由で起こったと言われているが、それにしても数が多い。
確かに開発を急いでいた所為ということもあるだろうがそれにしたって多い。

「鐘、部活動があるのはわかるけどおわったら早く帰ってきなさいね」

父親は自室に籠って何やら難しい問題を抱えているらしく、書類とにらめっこ状態。
父親はこの冬木の市長であり、当然ここ最近の事件への対策も考えない訳にはいかない。

「できるだけ早く帰ります」

そう返答だけはしておく。
昨夜の事は言っていない。言ったって信じないだろうし、巻き込みたくもないから。
傷のついた鞄は親に見つからないように隠し通している。
こんな状況で余計な不安を煽るのもいやだから。

ピピッ と電子音が鳴る。
湯が溜まり終えたということを知らせる音だ。

「お風呂先に入りますね」

「ええ、どうぞ」

母親にそう伝えて風呂場へと向かう。
服を脱ぎ、風呂場へ入りシャワーを浴びる。
家に帰ってきてから今まで特に変わったことはない。
ちょっとした物音に敏感に反応してしまうという私自身の変化は多少あったがそれ以外には何も変わっていない。
ここまで何も変わっていないと今までのやりとりが嘘のようにすら感じてきてしまう。

(いけない。気を抜くな………)

頭からシャワーを浴びる。
湯が長い髪を伝い濡らしていく。そんな中で瞼を閉じて最悪のケースを想像する。
もし家にいる間にサーヴァントなる者、マスターなる者が強襲してきた場合。
それを考える。
私はこの場合どう行動すればいいか。
私だって死にたくはない。だが、母親や父親を巻き込みたくなんてない。
襲って来た者は私に用があるはずである。ならば両親が巻き込まれる前に大人しく捕まるべきか。

「────────」

そう想像したとき少しだけ震える。捕まるという事は死ぬことになるのだろうか。
衛宮と別れてから『自分は一体何ができるのか』ということを何度も考えてきた。
普通は一般人である私は知りえることなどない“聖杯戦争”ということについて教えてもらった。
本来秘匿されるべき事柄をそれでも教えてもらったというのは“何も知らないよりも知っている方が行動に差が出るから”。
知っている方が僅かにでも今後の活動に影響がでるだろうという配慮。
だからこそ何をどうすべきかを私は考えなければならない。
しかし考えても考えても現状を打破できるような考えが浮かんでこない。

「全く………自分の手持ちのカードがここまで意味を成さないとは」

疲れ切った頭をほぐすように髪を洗い、体を洗う。
こうしている瞬間に後ろから殺されるかもしれないという恐怖はある。
だが、そればかりを気にしていたら何もできなくなってしまう。
彼が周囲を警戒してくれているのならばせめてその不安で体の調子を崩さないようにしなくてはならない。

冷静に、冷静に。そう言い聞かせて目を開く。
考えをまとめよう。
私は殺されそうになっている。なぜか。
勘違い、もしくは見たから、という理由が主。
勘違いの方はすぐに誤解が解けるだろうが、見たからと言う理由で狙ってくる敵は問題なく狙ってくるだろう。
ではこれから逃れる方法は?
私自身には術がない。どう考えても私一人ではどうしようもない。
となると彼に甘えるしかない。もうこれに関する思慮はやめだ。なってしまった以上は彼に守ってもらおう。
ならば次。

「どうすればこの『聖杯戦争』とやらが被害を出すことなく早期に終わらせることができるか」

これに限る。取り払えない脅威ならば早々に終局に持ち込むほかない。
湯船に浸かりながら今後の方針を決める。
こうなったら現状を打破するために逃げるのではなく立ち向かうべきだ。
私ができることは少ないだろう。
いや、もしかしたらないかもしれない。
しかしいつ殺されるかもしれない恐怖に怯えながら、自分が人質として捕まるかもしれない不安を抱きながら毎日を過ごしたくはない。
またその所為で彼に余計な負担もかけたくはない。

「………明日、衛宮達とも話合うべきだな」

オカルトの分野を全く知らない私が一人で考えても限界がある。

「手伝えることと言えば………彼の家に泊まって負担を減らす、があるか。私ができそうなことは」

しかし理由をどう説明すればいいか………。

「ふむ。これはまた別の意味合いで難関だな………」

湯船にしっかり浸かりながらどうしようかと悩んでいた。

―Interlude out―


「で」

現在の時刻は午後9時半を過ぎたあたり。
士郎とセイバーはマンション入り口付近にあるベンチに座っていた。
このマンションにきてからだと既に3時間、見回りを開始してからだと2時間半が経過していた。

「結局何の手がかりも反応もなしか」

大よそのところを歩き回ったが何一つとして変わったことはなかった。
そして流石に小腹が減ったので途中コンビニに立ち寄りおにぎりを購入して現在座って食べている。
軽い夜食、といったところだ。

「セイバー、口に合うか?」

隣で同じくおにぎりを食べるセイバーに尋ねる。

「ええ。問題はありません。ですが、このおにぎりよりもシロウが作ってくれた昼食の方が美味でした」

「………そうか。じゃあ明日はセイバーが満足するようなものを用意するよ」

おにぎりを食べ終えて今後の行動をどうするかを確かめる。
次は新都の中心近くまで歩いての捜索である。

「ふぅ………流石に冷えるな」

冬の夜の下で3時間も歩き回っていた。
時折吹く風は容赦なく体温を奪う。

「シロウ、大丈夫ですか」

「ああ。ま、何とかなるだろ。風邪はひく性質じゃないから大丈夫」

ベンチから立ち上がり巡回を再開しようとする。
これだけ探し回って気配の欠片も見つけられないのであれば今夜は誰も襲ってはこないのではないだろうか。

「シロウ、この巡回が終えたら一度家に戻り体を休めるべきです。万が一の時に体が調子を崩していた場合は元も子もありません」

「────む。確かにそうかもしれないけどさ、その間に襲ってきたりしたら………」

「可能性として無くはないでしょうが、疲労を残したまま戦っては勝てる戦いも勝てません。体を休めるという事もまた戦いです。動き回るだけではいずれ敗北します。それに3時間も探し回った結果何の手がかりもつかめないということは、もうこの周囲にはいないかと思われます」

「………まあ、そうだろうけどさ」

それは感じていたことでもあった。というより普通に考えれば当然といったところか。
いくらなんでもこれだけ探し回って影すらも捉えられないのだからこの場からとっくに去ったとみていいだろう。

「他サーヴァントに関してもそうですね。なるべくならば人に見つからないように単独になっているところを狙う。もうこの建物には多数の人がいます。ここで派手な行動はできないでしょう」

つまりはマンションという場所が功を奏したということなのだろうか。

「美綴を狙ってたやつがもう一回人目を気にしてマンションに侵入するのは考えにくいか………? 聞けば美綴は何もしてないっていうことだから通り魔として判断してる。そこまで躍起になって狙ってくることもない?」

そう考えれば彼女が再び狙われるということは限りなく低くなるだろうが別の問題も発生する。
なぜサーヴァントが通り魔のようなことをしているのかということ。

「なあ、セイバー。サーヴァントが一般人を襲って利点なんてあるのか?」

「あります」

きっぱりと言い切るセイバー。

「簡単に言いますが、我々霊体であるサーヴァントの最も効率的な魔力の補充方法は他者を襲い魔力を奪う事です。通常魔力を持たない一般人も魂はある。その魂を奪えば魔力は補充できます。マスターからの供給でも十分でしょうが、“保有する魔力は多いに越したことはない”。故に人を襲うことに利点はあります」

「人を襲って魔力補充………!? まさかどのサーヴァントもこんなことを平然とするのか………!?」

「いえ、少なくとも私は断じてそのようなことはしない。昨夜のランサーやバーサーカーも同じでしょう。それこそ令呪で命令されない限りは己の魔力補充の為に人を殺そうとはしない」

これまた言い切るセイバー。
確かに彼女は昨夜といい先ほどといい一般人である二人の知り合いを助けた。
そう言える奴でよかったと安堵しながら考えを巡らせる。

「じゃあ美綴が襲われたのもそれに沿った行動ってことか。なら美綴に固執することはないか」

なら大丈夫かな、と完結させる。

「氷室についてだけど………」

「彼女の場合は先ほど助けた女性とはケースが違う。一概に安全とは言い難いでしょう」

「だよなあ………」

綾子を守るというのももちろんだが当初の目的である彼女を守るということが達成できなかったら意味はない。

「えーっと、氷室を狙ってくるかもしれない奴はどいつだっけ?」

「わかっている者はランサーですね。キャスターとアサシンに関しては可能性でしかない。アーチャーは大橋のやり取りを見て勘違いしている可能性がありますが、私たちが囮として歩き回っているのですからいずれ真実に辿り着くでしょう。バーサーカーはヒムロではなくシロウを狙ってきているので可能性はあってもかなり低いです」

「で、ライダーはこのことを恐らく知っていないと………」

つまり一番警戒するのはランサーということか と結論を出して今後の方針を決める。
昨夜の戦闘でランサーはこの新都の方へ逃げたと聞いた。ならばこの新都にマスターがいるということなのだろうか。

「よし、じゃあ次は新都の中心まで足を運ぼう。何も異常がなかったらそれでよし。家に帰る前にもう一度ここによってから帰るってことでいいな?」

「わかりました。マスターがそういう方針で行くのならば従いましょう」

そうして二人は中心街へ向かって歩き出した。
現在時刻は午後9時半すぎ。
新都の見回りをしてから家に帰るとなると時刻は12時を超えるだろう。


─────第二節 骨の軍団─────

―Interlude In―

─────不自然な闇を抜ける。

人気の途絶えた夜。
月明かりに照らされながら一寸先も見えぬ通路を抜けて、彼女はその室内に踏み入った。
そこはとある新都の中心地から少し離れた場所にある建物。
その建物の一室で収容された従業員は50人程度。
そのほとんどが男性であり、皆糸が切れた人形のように倒れていた。

「─────」

彼女は歯を食い縛る。
闇で視界が制限されているのが幾分かは救いになった。
そして室内には草の香りが煙となって満ちていた。

「何の香だろう、これ。アーチャー、貴方はわかる?」

「魔女の軟膏だろう。セリ科の、愛を破壊するとかいうヤツだろう」

「それってドクニンジンでしょう。愛を破壊って………ああそういうコト。男に何か怨恨でもあるのかしらね?」

「だとすると相手は女かな。いや、何の恨みがあるかは知らんが、サーヴァントになってまで八つ当たりするとは根が深い」

「能書きはいいから窓を開けて。………倒れてる連中は────まだ息はあるか。一応連絡は入れておくか。用が済んだら手早く離れるわよ、アーチャー」

一面の窓を開け放ち、特別状態の悪い人間の手当をして、彼女は室内を後にする。

「………チ。服、クリーニングに出さないと」

くん、とコートの匂いを嗅ぐ。
特別触れたわけではなかったが、密室空間の中の床には五十人もの人間が吐き出した血が溜まっていたのだ。
臭いがコートに残ってしまっていた

密室となっていた部屋がある建物の屋上へと足を運ぶ。
彼女の背後にいた気配がカタチを得る。
彼女───遠坂 凛の背後に現れたのは、赤い外套を纏った騎士だった。
霊体として遠坂 凛を守護していたサーヴァント、アーチャーである。

「それで? やはり流れは柳洞寺か?」

「………そうね。奪われた精気はみんな山に流れていってる。新都で起きている昏睡事件はほぼ柳洞寺にいるマスターの仕業よ。マスターがどれだけの奴か知らないけど、こんなのは人間の手にあまる。可能だとしたら、キャスターのサーヴァントだけでしょう」

「柳洞寺に巣くう魔女か。───となると、些か厄介そうだな」

「キャスターは七騎のサーヴァント中最弱に類する。けど───いえ、だからこそ搦め手で他のサーヴァントに対抗しようとする。この大規模な魔力の蒐集もその一環でしょう」

「だろうな。ならば厄介な事になる前に叩き潰すのが定石と言えるが………さて、どうする?」

キャスターの気配は薄らとではあったが残っていた。気づきにくくなってはいるが、今から追えば尻尾くらいは掴めるかもしれなかった。
それに何よりも、魔術師のルールを逸脱した振る舞いを自分の管理する土地で行う“敵”に怒りが沸き起こっていた。

「まだ、仕掛けない」

だが、彼女から零れたのはそんな感情を押し留める言葉だった。
冬の風が黒髪を揺らす。彼女が告げた言葉には友人の誘いを断るような気軽さと上品な優雅さが窺えた。

「賢明な判断だな。先の戦いで君は疲れているだろうし、その手の輩相手に深追いは厳禁だ。自ら火に飛び込む必要はない。それに逃げに徹する魔女を捕らえるのは骨が折れる。古代より魔女の逃げ足は速いものと相場は決まっているからな」

「………それ、どこ情報よ?」

「私の情報だ」

ふーん、と微妙な反応を見せて、先ほどまで行っていた戦闘を回想する。

通路に夥しく蠢いていた骨作りの雑魚ゴーレム達。その全てを、彼女は一人で破壊し尽くした。
事実、その程度の軍勢にアーチャーの力を借りる必要などなかったし、そんな事でアーチャーの能力を晒け出す気もなかった。
ただ外道を行く敵に怒りがあっただけ。だから戸惑いすら見せず、徹底的に敵勢を粉微塵に砕いた。
たとえその骨の材料がつい先日まで生きていた誰かだとしても、一切の情をかけることなく滅した。

「─────」

その戦いで彼女が負った傷はない。
ただ一つ。
必死に、吐き気を堪えながら戦った代償に、唇を噛み切ってしまっただけである。

「今判っている敵は四人。単独行動をするランサー。柳洞寺に巣食うキャスター。学校に結界を仕掛けた何者か。そして────」

昨夜確認したセイバーのマスター、クラスメイトの氷室 鐘。

「────ふむ」

そんな彼女の言葉を聞いて今一度考えるアーチャー。

「キャスターの動向も気になるけど、目下の敵は学校の結界の主と氷室さんかな」

「その氷室という人物が結界を張っているとは思わないのか? もしくはキャスターが学校に結界を張っているとは?」

「キャスターは外道だけど、最後の一線は守ってる。さっきの人達も誰一人死んではいなかったし。けど学校の結界を張ったヤツは畜生よ、際限ってものを知らない。キャスターは街全体から魔力を吸い上げれるのに、わざわざ学校に結界を張るのもおかしい。それに根こそぎ吸い取るのならとっくにやってるはず」

「では、セイバーのマスターは?」

「………氷室さんはそんな事をするとは思えないわね。彼女は頭もいいから、もしやるとしても学校には張らないわよ。もっと自分の関係ないところでやるわ、考えれる人ならね」

これらはあくまで推測である。
だがどちらにしても結果は同じだ。
キャスターだった場合は“わからない誰か”がキャスターになるだけだし、セイバーのマスターであるならば“わからない誰か”が氷室 鐘になるだけである。
なら敵は複数いると考えて動く方が足元を掬われ難いだろう。

「氷室さんは手強いかな。クラスメイトでありながらその実魔術師だなんて全く気付かなかったし彼女もそれらしい言動も行動もとってないから見抜けなかった。相当隠れるのが上手みたいね」

そんな彼女にセイバーか、ある意味納得もできるかな なんて一人の世界に入り込んで考える凛。

「けど私だってボロは出してない筈だから少なくともサーヴァントのマスターとは気づかれていない筈。これは有利な点よ。いろんな作戦が立てられる」

そんな彼女を見てアーチャーは声をかける。

「凛、一つ尋ねていいか?」

「? 何よ?」

「いや何、本当にセイバーのマスターはその少女だったのか、と言う話だよ」

「何が言いたいの? アーチャー」

「私たちが大橋で見た光景だけで言うならば、なるほど彼女がマスターと見て取れても問題はないだろう。だが、セイバーが“本来の主の命令で”彼女を救ったとするならば?」

「………やけに否定したがるわね。何? もしかしてマスターが女だったら敵対したくない、とかいうワケ?」

「いいや、そんなことではない。だがセイバーのマスターは彼女ではないのではないか、と思ってな」

「………ちなみに聞くけど、それは確証があってのこと?」

ジトリ、と効果音が合いそうな視線をアーチャーに向ける凛。
確かに凛自身も氷室 鐘が魔術師だったとは知らなかったが、昨日の一件でセイバーの後ろで戦いを見守っていた。

「いや、確証はない。強いて言うならば勘や感覚、といったところか」

「つまりは第六感ってワケね。なによ………あてにならないじゃない」

天高く聳え立つ摩天楼より夜に飛び込む。
アーチャーは主の身を包むように手を添え、凛は己の従者を信頼しその身を預ける。
星空は遥か遠く、地上も悠遠の彼方。
夜に沈む深淵なる闇を、赤き主従が翔けて征く。

「………全ては明日。学校にいけば確認できる。氷室さんがいなければ黒。いてもサーヴァントがいたら黒。いなくてもかまかけてみて反応次第では黒。これなら問題ないでしょ?」

全ては明日────学校にて。

―Interlude Out―


「………結局新都にもマンションにも異常なし、か。まあ何もないのが一番なんだけどさ」

とあるマンションから歩いて離れていく士郎とセイバー。
巡回初日となる今日は長身の女性………恐らくは消去法からしてライダーと思われるサーヴァントと出会っただけで他は何もなかった。
現在の時刻は11時過ぎ。今から家へ向かえば日付が変わって数分後くらいに家に到着できるだろう。

「────深山町に戻ろう。新都がダメなら、次は地元を見て回ろう」

正直に言うとこのマンションから離れてしまうことに不安はあった。
だが、総計約5時間歩き回り探し回って何も収穫がなかった以上は見切りをつけなければいけない。

「わかりました。こちらの護衛も必要ですが自分の足場の確認をしなければ落ち着くこともできませんね」

深山町へ戻る。
大橋に人影はなく、道路を走る乗用車の影もない。
戦闘の痕も残っていないところからして痕跡を残さないように細工したのだろうか。
そんな静まり返った夜の中、士郎とセイバーは大橋を渡っていた。

「確かここで戦ったんだよな? セイバー」

大橋を歩きながらすぐ傍にいるセイバーに尋ねる。

「はい。昨夜はランサーとここで打ち合いとなり、アーチャーの攻撃により戦闘が終わりました」

「にしては、全く元通りになってるよな」

戦闘があったという大橋を歩きながら周囲を見渡す。
そこには不自然な戦闘の痕など全く残っていなかった。
まさか痕が残らないように考慮して全員戦っているわけではあるまい。となると誰かが戦闘の痕跡を隠滅したということになる。
まあある種当然か と内部で完結させる。
目撃者がいたら即殺そうとする者すらいるくらいなのだ。隠滅が可能な範囲の戦闘痕跡などすぐさま消してしまうだろう。
特にこの大橋の様な朝には人が大量に行き来する場所は。

「狙撃されたっていうけどさ、どこら辺から狙撃されたとかわかるか?」

「ええ。攻撃が飛んできた方角は今私たちがいた街の方から、あのビルになります」

指差された方角の先にあるビルを二人で見る。

「………センタービル? また物凄い距離があるんだが。アーチャーのサーヴァントってどれだけ目がいいんだ?」

センタービルを一瞥して視線をセイバーに戻す。
魔力で強化してセンタービルを見てもよかったがそんな事をしてもあまり意味はない。
仮に見えたところで士郎には攻撃手段などないのだから。

「アーチャーのサーヴァントは鷹の目を持つと言われています。アーチャーにとってはこの距離など何の問題もないのでしょう。それにアーチャー………弓を射る者が目が悪い訳がない」

「まあそれもそうだよな。遠くにいる相手が見えなきゃ弓使って攻撃あてるなんて無理だろうし」

大橋を渡り終えた直後。

「───シロウ」

背後にいるセイバーが肩を持ってきた。

「ん? どうしたセイ………」

言おうとした言葉が出なくなる。
それはすぐ近くに彼女の顔があったから、というのもあるがそれ以上にその顔が真剣な表情をしていたからだ。

「敵が………近くにいます」

「………………!」

違えようのない感覚。この大橋からセイバーが感知できる距離内にまるで挑発するかのように気配を放っている。
その者は明らかにセイバーを意識していながら、しかしゆっくりと距離を離す様に遠ざかっていく。

「我々を誘っているようですね。シロウ、どうしますか」

「……………」

誘う敵。戦争だというのだから当然倒さなければならないだろう。
が、誘ってくる敵に合わせて喧嘩を売りに行くのはどうなのだろうか。
そこが相手に有利な場所だったならば? そこに致命傷に至りかねない罠があったならば?
危険はかなり高いだろう。ならばそこにむざむざ足を踏み入れるのはどうなのだろうか。

「罠の危険性もあるから行くのに気乗りはしないな。…………けど、深山町に敵がいて、俺達に対して威嚇してきてるってことはこのまま家に帰れば危険は増すだけ、か」

少し考えた後に出した結論は

「よし、追う。放っておくわけにはいかないし。けど、セイバー。深追いはするなよ、あと危険だと感じたらすぐに退く。誘ってきている以上は何らかの手段があってのことだろうからな。いいな?」

「わかりました。それに今はシロウには身を守る武器がない。そんなマスターの傍を離れる訳にはいきませんし、離れるつもりもありません」

士郎は学校に昼食を届けに来てからそのまま現在まで巡回をしていた。
当然武器となるような得物は持っていない。そんなマスターを残してまで戦いにめり込む彼女ではない。



「どうだ? セイバー」

「近いですね。………恐らくは先に見える公園内かと」

見えてきたのは深山町にある少し大きめの公園。とはいっても新都にある中央公園や大橋のすぐ傍にある公園に比べれば小さい方ではあるが。
罠がないか十分に確認した後に公園に入る。
公園内にある街灯が公園のところどころを照らすがそれでも暗く、視界は悪い。
見通しのきく広場とベンチやテーブルなどが設置されて憩いの場として設けられている場所があった。

「見える限りでは罠も人影もないな。…………セイバー、もしかしてアサシンか?」

もしそうだとするならばこの状況はいかがなものか。

「いえ───」

だが、セイバーは否定する。視線は目の前の闇。

「敵が“今”現れました」

そこには今宵別の場所でアーチャーのマスター、凛が片っ端から排除した骨の兵がいた。

「! こいつら…………一体どこから?」

周囲を見渡すと姿かたちは違えども同種の兵士が取り囲んでいた。
数は二人の数倍以上。加えて士郎は武器になるようなものを持ち合わせていない。
そして当然だがこの兵士達はサーヴァント、アサシンではない。
この様な事ができる可能性が一番高いのは…………

「キャスターだな。なるほど、自分は誘うだけ誘っておいて影から兵士を操り私たちを襲うか」

鎧化し、不可視の剣を構えるセイバー。一方の士郎は何か武器がないか周囲を見渡していた。
だが都合よく武器になるようなものが落ちている訳がない。最近物騒になってきていることもあり、昼間の間に凶器となりえるものは役員たちが回収しているだろう。
となるといよいよ武器などなくなるわけだが、そこは強化魔術を使える士郎。
武器ではない物もある程度の強度を持った武器にすることはできる。そう、例えば少しだけ太い木の枝とか。

「セイバー。あそこの木の枝を斬れるか? 強化して一時的に武器にしたい」

無論、手に入れた枝がたまたま木刀のように形の整ったものだったなどはありえない。
だがそれでも手ぶらよりは断然マシであるためにこの後の行動は早かった。
動き出そうとした骨の兵士を一瞬で斬り伏せてすぐさま木の傍へ移動。枝を斬り、木をそのまま足場として跳んで再び士郎の傍へ舞い戻ってきた。
セイバーが離れた一瞬に近づこうとしたゴーレム達だったが、“それ以上に速い”セイバーによって阻止された。
セイバーが渡してきた枝を手に取る。なるべく木刀に近い形にするために余計な枝を折り、強化を施す。

同調、開始トレース・オン────」

何度もやってきた工程。故に間違えることはなく、数秒後の士郎の目の前には強化が施された枝があった。
たがこれも気休めではある。長さにして木刀には遠く及ばない。短剣を少しだけ伸ばした程度のリーチしかない。

「このような木偶をいくら集めようとも!」

セイバーは襲いかかってくる骨の兵士を片っ端から斬り崩していく。
一介の魔術師にすら劣る骨の兵士が英霊の、しかも最優と謳われるセイバーの相手が務まるわけがない。
対する士郎も自身に強化魔術を施し、襲いかかってくる骨の兵士を迎撃していた。
強化した枝木によって崩れていく骨の兵。
が、当然ながら急ごしらえのリーチもない武器では多対一など対応できるわけもなく、何とか踏ん張っているところにセイバーの援護が入って敵が崩れ去る、という光景だ。

「けど、これじゃきりがないぞセイバー!減っている気がしない!」

「ええ、恐らくは術者の術を止めなければいけないでしょう。────しかし」

ザン! と振り返りざまに剣を振るい骨の兵を切り崩す。その振り返った背後。士郎の視線の先。そこに自分たちを取り囲んでいる者とは別の者が立っていた。
その者が手をセイバーに向けて翳したと同時に閃光が起こり

「セイバー! 後ろ!」

ドォン! という爆発音を響かせて爆炎がセイバーを包み込んだ。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第14話 倒すべき敵、守るべき者
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2013/04/30 00:22
第14話 倒すべき敵、守るべき者


─────第一節 ソード&マジック─────

「っ───、セイバー!」

爆風により姿勢が崩れかけるが何とか持ちこたえる。
吹き込む風の向こうへ視線をやるが、肝心の彼女の姿が見えない。
爆炎が立ち上り確認がとれないのだ。

「そんな………まさか!」

攻撃が直撃して無事なわけがない。
すぐさまあの爆炎の中にいるであろうセイバーを助け出し、すぐさまこの場から離脱しようと動く。
だが───

「ぐっ………この!」

骨の兵士達が次から次へとやってくる。
攻撃を何とか食い止めるがセイバーの援護がなくなった手前、思う様に歩が進まない。
敵の数が少なければ即席の武器だろうと強引に突破できるだろうが数が多すぎた。

「おや───」

不意に聞こえてきた声。
この場にはセイバーと士郎しかいなかった、にもかかわらず声が聞こえてきたということは───

「ひょっとしてこれで片が付いてしまったのかしら? 今のはほんの挨拶代わりでしたのに………」

「お前が………!」

その声の主を視界内にとらえるが、周囲から襲いかかってくる骨の兵を相手にしなければならないため直視ができない。
だがそれでも僅かに見えるその姿。
ローブを身に纏うその姿はなるほど、昔話に出てきそうな魔女の姿にも見える。

「貴方がセイバーのマスターね。…………貧弱な魔力反応だこと。その程度でマスターとはね」

「…………なんだって?」

士郎には魔術回路はあった。衛宮切嗣から教わった魔術があった。
だがそれでも士郎は魔術師としては半人前程度の腕しかない。

強化魔術が自身の中で得意の分類に入るとしても、強化を扱える一流と呼ばれる魔術師はみな彼程度の強化は行える。
神代の魔術師であるキャスターから見れば、士郎はまさに『格下の魔術師』にしか映らないだろう。

「まったく………世は移り時が流れたとは言え、この時代の魔術師とはこの程度のものかしら? これではセイバーが気の毒ね」

「図に乗るな、キャスター」

流石の士郎も言われっぱなしは癪だったので何か言葉を返そうとした矢先、彼の意をくみ取ったかのように声が響く。
収まり始めた爆煙を吹き飛ばすかのようにセイバーがそこに現れた。

「この程度の魔術で私が倒せると思ったのか」

キャスターは確かに挨拶代りと言った。
だとしても攻撃は直撃していた筈だ。
なのに彼女は“全くの無傷”であるのだから少しその姿に驚く。

「セイバー、大丈夫なのか?」

「ええ、シロウ。ですが気を付けてください。彼女の魔術は古い時代のもののようだ。何が出てくるかわかりません」

現在二人の周囲には約十七体の骨の兵。
そしてその奥にフードを被った女性、キャスターがいる。

「これはこれは。私の魔術を受けて全くの無傷なんて、相当な“対魔力”をお持ちの様ね?」

対魔力。
文字通り魔術に対して行える抵抗能力のことである。

「それを判ってなお逃げない貴様の度胸は認めよう。だが勝ち目はないぞ、キャスター!」

「逃げる? ええ、いずればそうなるだろうけどそれは今じゃないわね。そして───」

手を翳す。
その先には先ほどに似た光源が。

「──────逃げ出すのは私じゃなくて貴女たちではなくて?」

僅かにキャスターの唇が動く。
たったそれだけで彼女の目の前から紫色の弾丸の嵐が放たれた。

「無駄だと言っているのが!」

パァン! と弾丸が振るわれた不可視の剣によってかき消される。
続く弾丸も同様に、問答無用に消されていく。

「ええ、貴女には効かないなんて今ので承知よ。ではセイバー。なぜ貴女は受けても無傷で済む攻撃を“わざわざ剣で打ち払っている”のかしら?」

「………!貴様は………」

ニヤリ、と口元が邪に歪む。
キャスターの視線の先。

「そこの坊やが貴女の弱点よ、セイバー」

同時に、今まで静観していた骨の兵士達が一斉に襲いかかってきた。
キャスターがいる前方から八体。左右から二体ずつ。士郎がいる後方からは五体が。

「この………!」

士郎目掛けて襲いかかってくるのは前方以外の敵、計九体。
それだけでも問題だが、それ以上に問題なのが突撃してきた骨の兵の後方に新たな骨の兵がいるということである。
キャスターは言葉通り“マスターである士郎を襲う”ことを実行している。

「シロウ!」

自分に近づいてくる敵を一蹴し、即座にマスターである士郎に近づく骨の兵を叩き潰す。
士郎も攻撃を受けまいと必死に戦ってはいるが数が違う。
圧倒的な性能差があれば質は量に勝る。セイバーと骨の兵がこれにあたる。
だが基本的に戦争は物量作戦である。
士郎と骨の兵のように特別大きな差がない場合、数で攻める骨の兵が勝つ。
絶え間ない攻撃を仕掛ければ相手をすぐに倒せずとも確実に弱めていける。

セイバーだけならばキャスターに突進して斬り伏せる事が可能かもしれないが、セイバーには士郎がいる。
セイバーが離れるという事は十体近い骨の兵を一人で相手にするということであり、それはたとえ完全な木刀を持っていても難しい。
否、武器など即席であろうが前もって準備した木刀だろうが関係なかった。
近接系の武器を主体としているからこそ難しい。
それこそセイバーのように圧倒的な力で斬り伏せるか、遠坂 凛のように中距離程度からの魔術攻撃ならば問題はなかっただろう。
だが残念ながら士郎はそんな力も魔術もない。

考えが甘かった、と認めざるを得なかった。
なぜ自分は武器となるものをもってこなかったのか、と。
だが仕方ない部分もあった。学校に木刀なんて間違いなくもっていけるわけがないし、学校の帰りは鐘を送り届けた。
その後に一旦戻って、と思ったが綾子が襲われかけた手前その場を離れる事を気にかけた。
即席の武器で痛い目を見ているのに学習してないな、 なんて心の中で自分を罵倒しながら骨の兵士を潰していく。

「フフフ、その竜牙兵は私が竜の牙より作り出したもの。一体ずつの力は弱いけどもいくらでも数は用意できるわよ」

さらに数は増える。二十体。二十五体。
加えて───

「さすがにこの数、そして魔術による攻撃からたった一人でマスターを守るとなると精一杯でしょう、セイバー?」

ヴン! という音と共に士郎とセイバーの頭上に魔術が展開される。

「シロウ!」

咄嗟に士郎を抱えてその場を跳び退く。
同時に落雷のようにその場に魔術攻撃が放たれていたのだった。


─────第二節 風王結界─────

跳び退いた先で崩れた姿勢を立て直し、視線を戻す。

「シロウ、無事ですか!?」

「あ、ああ。なんとか」

だが状況は変わっていない。
再び現れる竜牙兵。
こうなってくるとこの場から完全に撤退するか、キャスターを倒すかのどちらかしかない。

「キャスターを倒せばこの無限に湧いてくる敵もいなくなる。セイバー、何か手はあるか?」

近づいてくる敵を一体ずつ破壊していく士郎。

「あるにはあります」

ザン! という音を立てて真っ二つに竜牙兵を斬り伏せるセイバー。

「なら、それを使えば切り抜けられるか?」

「恐らくは」

その言葉と同時に不可視の剣に風が巻き起こる。
その風はみるみる強く、大きくなり、そしてついには暴風と例えても問題ないほどの風を放っていた。

「っ………く」

流石に近くでそのレベルの風が巻き起こったら立っているのがやっとの状況になる。
それは近くにいる竜牙兵も同じで、近づこうとする前に吹き飛ばされまいと踏みとどまるので精一杯の状態である。

「た……しかに、この風圧なら周囲の敵は一掃できそうだけど………!周囲の被害は大丈夫だよな?」

「さすがに全くの被害なし、とはいきませんがもう一つの宝具を使うよりは断然被害は小さく済みます。民家には影響は出ないでしょう」

ゴオォォ という風の音が耳に響く。
また聞きなれない単語が出てきたが今は問う時間ではない。

「よし………!セイバー」

「ええ………少し離れてください」

同時に身に纏っていた鎧が消える。
その姿は最初のドレス姿であった。

「へえ。すごい風ね? それにそのドレス姿も………」

「覚悟してもらおう、キャスター」

竜牙兵越しにキャスターを睨むセイバー。
士郎はセイバーが行うであろう攻撃の余波に巻き込まれないように、周囲を牽制しながら少しずつ離れる。

キャスターとセイバーが睨み合う。
距離にして約20メートル。間には十四体の竜牙兵。
ゴオォォ!! とさらに耳に響く音が大きくなる。
周囲を警戒しながらも、士郎の視線はセイバーに向く。
その直後。


 ─────轟!! と


まさしく疾風という言葉がふさわしいほどの速度でキャスターに突進する。
セイバーのスキル『魔力放出』。
手にした武器や四肢に魔力を高圧で蓄積し、任意のベクトル方向に放出することにより運動能力を格段に高めるという荒業。
鎧に使う魔力を『魔力放出』に使った場合、パワー・スピードともに60%の増加が見込める。
それは十分に一撃必殺を狙える破壊力と言える。
そんなセイバーを竜牙兵が止められるはずもなく、次々に粉々になっていく。
加えて────

風王結界インビジブル・エア─────解放」

ばん! という破裂音とともにセイバーが“さらに加速した”。
その際に垣間見えた黄金の剣が、士郎の目に焼き付く。
大気を圧縮し屈折させる幻惑の『風王結界インビジブル・エア』。
これには二次的な活用法があり、超高圧に凝縮されていた空気を烈風の一撃として敵に叩きつけるという一度限りの遠隔攻撃法がある。
これを『風王鉄槌ストライク・エア』と呼ぶ。

今セイバーが行ったのはそれのさらに応用法。
敢えて剣先が背後にくるほどに大きく振りかぶった構え、その意図は真後ろに大気の噴流を放ち、突撃の速度を大幅に加速させるものだ。
その速度は『魔力放出』と重なって超音速の域まで達していた。
こうなった彼女に触れた竜牙兵はその役割を果たすことなく、“ただ触れただけで”木端微塵に吹き飛ばされていた。

「…………!列閃エレ・ヘカテ!」

対するキャスターは再加速したセイバーに驚愕し咄嗟に魔術を放つ。
キャスターのスキル『高速神言』。
神代の言葉を用いて、呪文・魔術回路を使用せずに術を発動させることが可能なスキル。

口が早いキャスターの、音速クラスで突進してくるセイバーを視認してからの魔術発動。
呪文などがない分通常の魔術師よりもずっと早く魔術を発動させることが可能。
故に魔術は発動され、紫色のレーザーのような魔術がセイバーに襲いかかる。
相対速度を考えればセイバーにとってそのレーザーの様な魔術は音速以上の速度を誇る。
加えてセイバーは大きく振りかぶったまま。剣で弾くことはできない。

しかし、彼女には強力な対魔力がある。
現代の魔術師ではセイバーに傷一つ負わせることができないほどの対魔力。
Aクラス以下の魔術を無力化してしまう彼女に、キャスターが放ったAランクに届かない魔術は通用しなかった。
直撃したと思われた魔術は消え失せて、残ったのは無傷のセイバーのみだった。

そしてなおその速度は減衰することなく、キャスターをその剣の射程圏にとらえた。

キャスターはセイバーの能力をある程度理解していた。
それはバーサーカー、ランサーとの一戦を観察していたからである。
魔術に特化した彼女はセイバーが『魔力放出』のスキルがあると理解できた。
なのでセイバーが鎧を解除した意味をキャスターは容易に推測できた。

セイバーが身に纏った魔力密度を計算し、突進スピードを見積もる。
結果として問題はない、と判断下す。

だがそれは間違いだった。
彼女の不可視の剣が纏い始めた風は攻撃に使用するものだと思い込み、それを計算から除外していたのだ。
実際はその風すらも加速に利用し、キャスターの計算の上を行く速度でセイバーが突進してきた。

計算の上を行く結果を突き出された以上は、この結果は必然である。
振り下ろされる黄金の剣はキャスターの体を斬り裂いた。
だが────

「────!?」

斬り裂いた筈のセイバーの顔が驚愕の色で染まる。
斬った筈の手応えがまるでなかった。
斬り裂かれたキャスターはユラリと煙の様に消えていく。
つまりはあの超音速の攻撃の最中に攻撃と転移の魔術の詠唱を完了させていたのだ。

英霊。キャスターとて伊達に聖杯に召喚されたわけではない。セイバーが剣の達人だと言うならばキャスターは魔術の達人。
人間離れした魔術発動の速度を誇っていても不思議ではない。

「驚いたわね、セイバー。まさかあの速度で突っ込んでくるなんて………」

セイバーの背後に転移するようにキャスターが現れる。風王結界インビジブル・エアの解放による加速は一度きり。
ならば次の加速は無いと考え、セイバーがいるであろう先に視線を移す。
そこに───

───すでに黄金の剣を振りかぶったセイバーがいた

ザン! と、今度こそ確実にキャスターを斬り伏せた。
左肩から右脇腹にかけて真っ二つに両断されたキャスター。
普通ならばしゃべることすら叶わない。

しかし。
キャスターの口から洩れてきたのはクスクスという笑い声。

「ふふふ………見事。転移の瞬間を狙うとは………」

────その力、是非私のものに………

もはや聞き取れないほどの小さな声のあとに、キャスターは完全に消失した。
が、それはサーヴァントが消失した感覚のものではない。
キャスターがいた場所に輝きを失った宝石が一つだけあった。
つまりは。

「これは………傀儡か」

ギリ、と歯を食い縛る。

「小賢しい!」

地に落ちていた宝石を踏み砕き、すぐさま残った竜牙兵と応戦している士郎のもとへと駆けて行った。



「そう………」

同時刻、士郎とセイバーが戦っていた公園を望める場所に彼女がいた。

「まあこれでセイバーのマスターがはっきりとわかったわけだな、凛」

凛とアーチャーもまた士郎とセイバーと同じように新都から深山町に戻ってきていた。
戻ってきたときに感じた魔力。
それが戦闘によって発せられたものだとわかり、監視できる場所に位置取った。
覗いてみればそこにいたのはフードを被った女性に金髪の少女、そして知っている顔があった。

「たしかに………これで氷室さんがアーチャーの言う通り、ただ助けられただけという可能性がでてきたわけね」

「────む。他にまだ別の可能性があるのか?」

アーチャーとしては凛の勘違いを解けたと少し安堵していたのだが、当の本人は別の事も気にかけているようである。

「氷室さんが直接のマスターでないとしても『協力者』という可能性は残っているわ。前回の聖杯戦争でもそういう人はいたみたいだから」

前回の聖杯戦争のことを凛は詳しくは知らない。
だがある程度の記録は残っているし、以前の聖杯戦争に生き残った腐れ縁の知り合いもいるのでちょこちょこと内容は知っていた。

「………なるほど、確かにその可能性もあることにはあるか。しかし」

「ええ、仮に協力者だったとしても私たちが狙うのはマスターとサーヴァントだけ」

公園にいる二人を一瞥し、今度こそ本当に家へと戻る。
今回の収穫は最大級のモノだったと言えるだろう。
キャスターの姿を確認できた。セイバーのマスターを確認できた。
そして、セイバーの正体を看破することができた。

「今日は帰って寝るわ。明日どうするかは明日決めましょう。アーチャー、また紅茶をお願いね」


─────第三節 その名は─────

「………これで終わりですね。」

セイバーが最後の竜牙兵を叩き潰し、戦闘は終了した。
周囲に敵となるような気配はなく、セイバーは鎧化を解いてもとの喪服姿に戻った。

「助かった、セイバー。恩にきる」

素直に士郎はセイバーに礼を言う、士郎だけではあの数の竜牙兵を対処することは不可能だった。
武器が武器なだけもあるが、そもそも数が違う。
そんな中で袋叩きにだけはならぬように立ち回った士郎もなかなかなものだった。

「いえ、マスターを守るのはサーヴァントの役目です。むしろ僅かでも離れてしまったことを許してほしい」

「何言ってるんだ。セイバーがキャスターを倒してくれたからこそ、こうやってこいつらを倒せたんだから」

キャスターがいなくなった後竜牙兵が増えることはなかった。
ならばあとは減るだけ。竜牙兵一体の力は高くない。
タイマンならば士郎でも勝てる程度なので多少の傷は負ってしまったがこの戦闘は二人の勝利で終わった。

「一つ質問いいか?」

「どうぞ」

「宝具ってなんだ?」



その後簡単な説明を受ける。
言ってみると宝具とはサーヴァントが持つ必殺技のようなもの。
戦いを決するような絶大な威力を持つものもあれば、派手さはかけるが戦いを有利にすすめる能力をもつものもあるという。
サーヴァントにはそれぞれ宝具を所有しており、一人に一つ、多いものであれば3~4つ所持しているという。

「無論、例外というものも存在しますが」

というセイバーの忠告もあったが。
で、セイバーが、というよりは黄金の剣が発生させていた風が宝具にあたるという。
正確に言うならば後者。戦いを有利にすすめる類のもの。うまく使えば勝敗を決する切り札にもなる。

しかし当然ながらリスクも存在する。
宝具を使うということは相手に自分が何者であるかを知らしめるのとほぼ同意。
つまりは宝具を使った以上は相手を殲滅する気で叩く必要がある。でなければ自分の素性を調べ上げられ、弱点を突かれかねないからだ。

セイバーはキャスターを倒すつもりで宝具『風王結界』を使用した。
その結果キャスターは倒せたが、それは傀儡であり実際としてセイバーの手の内を晒しただけとなってしまった。
『風王結界』は黄金の剣を隠すための鞘であり、正体を隠すために使用していたものだった。当然それを解放すれば黄金の剣が目に映る。
正体を自分だけ晒してしまったセイバーは一転して不利な状況に陥ってしまっていた。

が、絶望になるまで不利な状況になっているわけでもない。
知っているのは恐らくはキャスターのみ。
そしてキャスターは戦闘においてセイバーには敵わない。剣術はもちろん、ランクの低い魔術は無効化してしまうセイバーとは相性は最悪だろう。

つまりはキャスターが仕掛けてくるとすればセイバーの弱点をつく、という手をとるだろう。
ならばそれを逆に利用する。狙ってくるものがわかっているのであれば、誘い出して裏をかいて叩く。リスクもあるがうまくはまれば一撃で倒すことが可能。
これが次のキャスター襲撃時にセイバーが考えた方法だった。
無論、キャスターもそこのところは考えている筈だろうから100%安心はできなかったが。

「とにかく帰ろう、セイバー。流石に疲れた」

鐘をマンションに送り届けてからすでに6時間が経過していた。
流石の士郎もこの冬の夜の中にいたのだから疲労は少なからず溜まっていた。

玄関戸の鍵を開けて家の中に入る。
同時に家の中から風が吹いてきた。

「………なんで家の中から………ってそうか」

思い出す。そういえば結局家の修復をしていなかった。
主に天井からの穴とか床にあいた穴とか自分の血とか割れた窓ガラスとか土蔵の中とか………

「………今日の昼間は結局修復する時間なかったもんなあ」

起きた後にセイバーの説明を受けて昼食の用意してそのまま学校。
修復なんてする時間はなかった。
で、今現在はすでに日付が変わってしまっている。
今日は月曜日で学校がある。早く睡眠をとっておかないと学校に支障がでるだろう。

「風呂入って寝るか」

今夜の鍛錬はもうできないかな、なんて思いながら風呂場へ向かい風呂を用意する。
湯が張るのにかかる時間は約15分。その間にできる限りの修復はしておくべきだろう。

「シロウ、私も手伝います」

そんな後ろ姿を見ていたセイバーが声をかけてきた。
流石に15分で全てが終わるとは思わなかっただけにこの申し出はありがたかった。

「お、助かる。………そうだな、それじゃ天井の穴をお願いできるか?」

金槌と板を手渡す。傍には脚立があった。

「わかりました」

セイバーはそれらを手に取って脚立に乗り、天井を修復し始めた。
士郎はそれを見て床に開いた穴を塞ぐために畳補修シートなるものを取り出す。
幸か不幸か腕を貫通して畳に突き刺さったため、畳自体の穴の深さはそうなかった。
穴も大穴ではないので補修シートで十分カバーできるものだった。

「………ま、ちょっとだけ不自然だけど問題ないだろ。セイバー、そっちはどうだ?」

「終わりました。流石に不自然さが残りますがこれでよろしいですか?」

「ああ。十分だよ、ありがとう、セイバー」

ということで家の中の残りは窓ガラスだけになったのだが………

「さすがにこれはガラスを張りなおす必要があるんだけど」

無論この衛宮邸に代えのガラスなんておいていない。
そしてそういう業者はこんな真夜中に仕事はしていない。
適当にシートを張りつけて風が入ってくるのを軽減しておく。

「………ってすっかり忘れてた」

セイバーがこれからこの家に泊まるのだから当然部屋とか用意しなくてはいけない。

「セイバー、部屋に案内するよ。流石にセイバーは布団よりベッドの方がいいだろ?」

見事なまでに外見からの想像で決定してしまっている士郎。
ベッドがある部屋は離れにしかない。ならばセイバーの部屋はあの離れで決定かな、なんて結論がでていたのだ。

「部屋………ですか?」

「ああ、案内するからついてきてくれ。本当なら家の全体を説明していくべきなんだろうけど、流石に夜も遅いからさ」

離れへと向かう。セイバーは後ろについてきている。
ついた先は離れの一室。エアコンにベッドに机にと、必需品は揃っていた。
そしてこの部屋の鍵を渡す。

「ここがセイバーの部屋な。もう何年も使ってないけど掃除はしてるから問題なく使えると思う。あ、寒かったらエアコン使ってくれ。使い方はここのボタンを押して温度設定すればいいから」

「はあ、わかりました。ですがシロウ、貴方の部屋はどこなのですか?」

「ん? 俺の部屋か?」

「はい、案内してもらいたいのですが」

「わかった。俺の部屋はこっちだ」

離れから一転してまた屋敷へと戻り、部屋へ到着する。

「ここが俺の部屋だ」

「………ここがですか? あまりにも物がないので、ここはただの寝室だと思っていたのですが」

バーサーカーに士郎がやられた夜。セイバーと鐘はこの部屋に士郎を寝かせた。ここに布団があったから寝室だと思ったのである。
しかし『寝室』であって活動する『自室』だとは思わなかった。

セイバーは城暮らし。寝室と活動する自室はわけられていた。今では考えにくい話ではあるが。
いやそれもあるだろうが、何よりこの部屋には物がない。
自室と言うのであれば多少なりとも物があってもおかしくはない。

「俺は基本的には寝に帰ってくるだけだから自室=寝室みたいな感じなんだよ。物がないのは当たり前だ」

「………そうですか。意外でした、シロウはもっと雑多な人となりかと思っていましたので」

まあ使いそうなものは全部土蔵に置いてあるんだけどな、なんて思いながら時計を見る。
風呂の準備をしてからすでに15分が経過していた。湯はすでに溜まっているだろう。

「風呂の準備できてるだろうからセイバー、先に入ってくれていいぞ。俺は後から入るから」

「いいのですか? シロウは疲れている。先に入り体を休める方が先決かと」

「それを言ったらセイバーもだろ。今夜はセイバーが一番頑張ったんだ。頑張った人を労うのは当然だろ。ほら、入ってこい。風呂上りにお茶………いや紅茶か? 用意しておくから」

「………わかりました。マスターがそういうのであれば従いましょう。では、先に失礼します」

「ああ。あ、それと着替えは浴衣用意してるから安心してくれ。喪服は脱いだら近くの籠に入れておいてくれ」

わかりました、と喪服姿のセイバーはマスターである士郎に一礼し風呂場へと向かった。
そんな後ろ姿を見送って、あまり入れた事のない紅茶を入れ始める準備をするのであった。


─────第四節 綾子の夜─────

「………やる気、出ないな」

自室で一人呟いてパソコンの電源を落とす。
こうなってくると後は寝るだけである。
弓道部や勉学で忙しい一方で、しかし趣味であるゲームは欠かさずにやっていた。
だが、今日だけは違った。何かやる気が出ない。

「………アイツはもう家に帰ってるかな」

このマンションの周囲を見回ると言っていた。止めようとも思ったが、止まるような奴ではないとわかってもいたので止めるようなことはしなかった。
心配をしていないというのは嘘になるが、しかし特別不安になるようなこともなかった。
自分はあのときは一人だったし自分で言うのもなんだが女性である。狙われやすいということはあるのだろう。
だが彼は男性だし、セイバーとかいう男性もいた。おそらくは大丈夫だろう。

「あたしの場合、そのセイバーさんとかいう人が気になるんだけどな」

無論襲いかかってきた奴が一体何者か、というのも気にはなるのだが、なまじ知り合いの知り合いという立場にいる彼が気になった。
というより気にならないわけがない。
喪服姿だった筈の人が女性のようなドレスに鎧を纏って襲いかかってきた人と対峙していたのだから。
で、次に見たら昼間に見た喪服姿に戻っていると言うマジック。

「うーん、やっぱり衛宮に聞いてみるしかないわけかな」

何かある、と思っている辺り彼女もなかなかの鋭い勘の持ち主かもしれない。

「寝るか………明日も早い」

電気を消してベッドに横になる。
目を閉じて眠る。

明日もまた変わらぬ一日が迎えられると思って。


─────第五節 鐘の夜─────

「こんな時間か………」

時刻はまもなく1時。学校の課題を終わらせていたらいつの間にかこんな時間になっていた。
普段ならもっと早く終わっている。
しかし今日は思いのほか時間がかかってしまっていた。
というのも、お風呂から上がって問題点の定義、およびその考えられる解決方法をノートに列挙していたからである。
物事を判りやすく理解するにはこうしてノートなどに列挙して眺めてみるという方法がある。

「列挙してみたはいいが、どれも私一人では解決できないものばかりだな………」

唯一あるといえばやっぱり衛宮邸に泊まるために親を説得するということくらい。
しかしそれもまた難しい問題であることには変わらない。

「これ以上は考えても仕方ない。明日に備えて眠るとするか………」

電気を消して真っ暗闇となった自室。ベッドに入り天井を見る。
もしかするともう目が覚める事はないかもしれない そんなことを考える。
死にたくはない。当たり前。だから死ぬかもしれないという恐怖は常にある。
だからこそ前を向いて進んでいく必要がある。

変わってしまった日常。
しかしそれでも、もとの日常を取り戻すことを決意する。
そうして目を閉じて眠りについた。


─────第六節 思惑─────

「高い対魔力アンチマジックがあるとは判ってはいたけれど、あそこまで高いものだったとはね」

柳洞寺の一室。キャスターは先ほどの戦いで得る事の出来た情報を整理していた。
聖杯が関わっていようがいまいがこれは“戦争”。
情報収集で敵を知り、対策を立て、有利な展開へ持っていく。

戦争の常識である。力がない者ならばなおさらこれは必要事項だろう。
バーサーカー、およびランサーの戦闘を観察していたことである程度の情報は得ていたが実際戦ってみて(といっても傀儡だが)貴重な情報を得ることができた。
高レベルの対魔力、魔力解放を使った加速に風を使った加速、そして黄金の剣。
いくら生きた時代が違うとはいえ、あの黄金の剣は有名だった。

「ふふ………さて、どうしてあげましょうかね?」

この戦いはキャスターの敗北で終わった。
だが勝負に負けただけであり、試合には圧勝したと言っても過言ではないだろう。
いくら最優と呼ばれようとも弱点を突かれればひとたまりもない筈。倒すことは今までよりも容易になったと言える。
だが、キャスターはセイバーを倒そうとは考えていない。いずれ切り捨てるとはいえあのセイバーは有効活用したいという思惑があった。
バーサーカー。
まず間違いなくあれが脅威になることは簡単に想像がつく。
キャスターはバーサーカーが苦手である。彼女の下にはアサシンがいるが、正直に言ってバーサーカー相手では心もとないだろう。
ならばセイバーを此方側に引き込んで対バーサーカー用として置いておくのはどうだろうか。

否、セイバーを取りこめた時点でこの聖杯戦争は勝ったも同然となるだろう。
7騎中の3騎が一陣営となっているのだ。しかもそこには最優の騎士セイバーと様々な魔術を行使できるキャスター。
アサシンは………まあおいておくとして。
セイバーが手に入ったあかつきにはこちらからバーサーカーを潰しにかかりにいこうかしら? などと思考を巡らせる。

つまりはキャスターの場合、脅威となりえるのは現在バーサーカーのみ。
セイバーをどうやって引き込むかを考えれば、勝利は掴める。
そしてセイバー捕縛方法の案として複数彼女の中に候補があがっていた。
そのどれもがその気になれば成功してしまいそうに思えてくる。

「けれど、あと少しだけ時期を見ようかしらね」

現在キャスターは魔力を街全体から補充している。完璧なる神殿を形成するためだ。
それもあとわずかで完成する。そうなれば遠慮なくセイバーに対してカードをきることができる。


さて、今宵の月は綺麗だろうか。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第15話 攻略戦
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/04/16 20:48
第15話 攻略戦

Date:2月4日 月曜日

─────第一節 学校=登校─────

─────光が射し込む。
閉じた瞼越しに感じる光は、朝の到来を告げるものだ。
布団にもぐった体に寝返りをうって、光から逃れるように顔を隠す。

「ん─────」

まだ眠気がとれない。
日の光や外の寒さからして時間は5時半………といったところだろうか。

「─────」

セイバーを離れに押し込めて結局寝たのは2時を過ぎたあたり。
3時間程度しか寝ていない。
加えて昨日は休日だというのに一日の4分の一をただ歩き回るだけに使い果たした。
そして戦闘。
今日くらいはあともう少し寝てもバチはあたらないんじゃないだろうか、なんて思いながら重い瞼を開ける。

「…………あれ?」

霞んでよく見えなかったが、ここにいてはならないような人がドーン!と布団の横に鎮座していたような気がする。

「………………」

そういえば心なしか人の気配がする。
じーっと見られていて落ち着かないというか、それはつまり─────

一人の筈の部屋に誰かがいるってこと。

「……………!!!!」

言葉なんて出ない。
ガバッ! と起き上ってすぐさま距離をとる。
見えたのはセイバー。しかも浴衣姿でもなく喪服姿でもなくドレス姿。
起きた横にドレス姿の美女がいては流石に言葉も出ずに驚くのは男性として間違ってはいないだろう。

「せ、せせせせせ………セイバー!? なぜに俺の部屋にいるんだ? 昨日ちゃんと案内もしたろう!」

「それなのですが、昨夜も言いましたがやはり問題があります。部屋には案内されましたが、あの部屋はシロウの部屋から離れすぎている。貴方の身を守るには、常に傍に控えている方が適切です」

「常に傍にって…………!じゃあ何か? 寝る時も一緒の部屋で寝るってことか?」

あはは、そんなまさか なんて思いながら尋ねてみるが

「はい、その通りです。マスターを守るなら同じ部屋で夜を過ごした方がいいでしょう」

はい、爆弾発言。
理性にヒビが入りました。

「 」

言葉は出ない。
現在理性を補修中。

─────補修完了。同時に問題発生。

「? シロウ、どうしましたか?」

「…………あー、いや」

修復した理性が再び警鐘を鳴らす。
そう、今日は学校。学校なのだ。今まで普っ通に『あ~明日は学校だな~』なんて思っていたが学校なのである。
つまりはそういうことである。ご理解できるだろうか?

「シロウ、貴方の顔色が優れないようですが何かあったのでしょうか?」

そうかそうか、俺はそんなにも顔色悪いかー なんて無駄に考えながら

「いや、その。言い忘れてたことがあるんだが」

正座をして向き合う。
さて、どうやったら理解を得られるだろうか?


―Interlude In―

「…………ぁ」

ベッドの上で目を覚ます。
見渡すは自室。何ら変化はない。
額に手を当てて、未だ鳴り止まない心音を静めるために瞼を閉じ、深呼吸をする。

「やれやれ………まさかあたしが悪夢見て跳び起きるなんてね」

夢に出てきたのは昨夜の出来事。
ただし、夢の中には衛宮はでてこなかったが。
逃げ回るあたしに鎖付の釘のようなものを投げつけて足を束縛し、その所為でこける。それでも逃げようと必死に起き上るが両手を鎖でくくりつけられて身動きがとれなくなってしまう。
あとはもう襲って来たやつの好き放題。こけた際に頬に擦り傷を負うが襲って来たそいつは嬉々としてその傷を舐めてそのまま─────

「…………シャワー浴びてくるか」

なんていう夢を見たんだ、なんて思いながら自室を出る。
軽くシャワーを浴びて悪夢の所為でかいた汗を流す。
気分もだいぶ落ち着いてきた。

「………衛宮がいなかったら夢の通りになっていたかもしれない、ってことか」

その可能性はあった、というより十分すぎるなんて言葉を通り越してもはや確定していたと思う。
そう考えると昨夜衛宮と会ったことは幸運だったと言えるよな。

勝手に朝食をとる。
あたしの親は基本的に放任主義。だから親が朝起こしに来ることはない。
朝食も自分で用意して勝手に食べる。弟もいるがうちの学校にはいない。来年に入学するみたいだが。

「………ま、昨日もお礼は言ったから別に問題はない………んだろうけども」

何となく締まりが悪い。
というのもあんな夢を見てしまった所為かはたまた“あんな事をされた”からか。

「学校行ったらもう一回礼は言っておくか」

ないない、と思い出しつつも否定しながら朝食を食べる。

―Interlude Out―


「…………………………………」
「…………………………………」

士郎はいつもの朝と変わらずに朝食の準備をしていた。
が、そこにある空気はいつものそれとはまったく違う。

(視線が痛い………)

タンタン、と音を立てて食材を切る最中、居間で行儀よく正座で待機しているセイバーはむくれっ面だった。
『今まで通り学校に行く』。
そう切りだした後のセイバーとの口論はずっと平行線のままだった。セイバーは勿論反対。
昨日に学校にマスターがいて結界を張っているということが分かった以上は一人で行かせるのは危険だ、とのこと。

しかし士郎には今までの生活がある。
学校を休んだりなんかしたら姉役兼教師役の大河が不審に思うだろうし、ずっと家に居ては外の状況はわからない。
それにセイバーと外に出る、というのはつまり敵に警戒をさせるという事でもある。
無論それもいいかもしれないが、一人で外の様子を伺う、というのもそれなりの成果はありそうに感じる。
加えて鐘や綾子の様子を伺うという点でも家に籠っている訳にはいかないし、結界の件も放っておけない。
なにより

『マスター同士の戦いは人目を避けるものなんだろ。なら日中は安全だ。よほど人気のないところに出向かない限り仕掛けられることはない』

ということである。
が、セイバーはそれでも安心できないと言う。
確かに100%なんていうものは存在しないのだからそうなってしまうのも仕方がないだろうが、しかし。

「セイバーを連れて普段の学校に行ける訳ないだろうにさ………」

連れていけばどうなるかなど火を見るより明らか。
多分校庭の端にある木に宙吊りに吊るされるに違いない。

「シロウ、何か言いましたか?」

「い、いや独り言。この豆腐固くて………」

独り言がでてしまうほどの固い豆腐なんてあるのだろうか、なんて自分の苦し紛れの言い訳を思いながら弁明する。
今日の教訓。
セイバーは怒らせてはいけない。根に持つタイプであり、感情的になるのだから手におえない。
しかも地獄耳。彼女相手に冷戦してはいけないだろう。

「はい、おまたせ」

食事で機嫌を直してもらおう、という考えではないがせめてもうちょっと丸くなって欲しいと思ってテーブルに並べていく。
いただきます、と言って箸を持つセイバー。
…………ドレス姿に箸。

「…………合わない………絶対に合わない。早急にセイバーの普段着を用意するべきだな」

呟きながら時計を見る。
普段なら桜と大河がやってくるが桜は今朝は来ない。
先日今日までは手伝いにこれない、ということを言っていたからである。それに合わせて大河もこない。

『桜ちゃんがこないならその分私が桜ちゃんの分を───』
『よし、じゃあ用意するのは俺一人分だけでいいな』
『な、なんでよー!』

こんなやりとりがあったため、桜が再び手伝いにくる火曜日………明日以降に大河もまたやってくるだろう。
そして目の前にいるのはドレス姿のセイバー。
二人には悪いが、今日二人がこなくて非常に助かったと安堵していた。

(家にセイバーみたいなドレス姿の美女がいたら絶対にただじゃすまないよな)

つまりは明日までにセイバーが着るものを用意する必要がある。

「………氷室に相談してみようかな」

まさかセイバーの………女物の服を男が買いに行くわけにはいかないだろう。
加えて士郎はファッションには当然のように疎い。
ならばセイバーが女性だと知っていてかつ頼めそうな人物は一人しかいなかった。

「シロウ、一つよろしいですか?」

「ん? なんだ、セイバー?」

白ご飯を頬張りながらセイバーが尋ねてきた。

「朝はヒムロとは一緒に登校しないのでしょう? ならせめて無事であるかどうかの確認は取ったほうがよいのではないでしょうか? そのための“ケイタイデンワ”ではないのですか?」

「…………あ」

すっかり忘れていた士郎。何かあったときのため、という名目で彼女の携帯電話の番号と自分の家の電話番号を交換していた。
ちなみに士郎は携帯は持っていない。というより必要性を今まで感じなかったので買っていないわけだが。

「時間は………流石に起きてるかな。電話かけてみるか」

そう言って昨日メモした電話番号に電話をかける。
朝学校に行けば会えるだろうが、セイバーの言う通り確認は早いに越したことはないだろう。


―Interlude In―

ピリリリリリ………

電子音が部屋に響いた。味気ない電子音。
電話帳に登録していない者からの電話はこの音に設定している。

「…………」

歯磨きをしながら携帯電話にかかってきた電話番号を見る。
やはり知らない電話番号…………ってちょっと待て。

(この電話番号どこかで見たような…………っ!?)

それが衛宮の家の電話番号だと気づいて即座に通話を開始する。

『もしもし? 氷室か?』

携帯電話にかけてきたのだから基本的に私が出るのが普通だろうに…………。

そう思って答えようとする………が、歯磨き中なのでまともに会話できる状態ではなかった。
洗面所に向かい、口の中の液体を吐いてとりあえず会話をする───

『もしもし? もしもし?…………ちょっと、セイバー。氷室の反応がないん───』

「待て、衛宮。私なら大丈夫だ。少し返事が遅れただけだ。心配しないでもらいたい」

何やら大事になりそうだったので、とりあえず制しておく。

『あ、氷室か? いや、すまん。返事がなかったからちょっと取り乱した』

「いや、こちらこそすぐに返事が出来なくてすまなかった」

というより、今回の件は完全に此方に非があるだろう。
電話番号を教えてもらったのに登録し忘れていたのだから。

『いや、まあこんな時間にかけてきた俺が悪いからな。ってもしかして何か取り込み中か? それなら切るけど』

「取り込み中………といえば取り込み中ではあるが、特別大切なものではない。衛宮こそ何か用事があるから電話をかけてきたのではないのか?」

取り込み中とはいっても歯磨き。
時間もまだ余裕はあるので用件を聞くくらいは問題ないだろう。
というより学校で話をすれば問題ないのでは? なんて疑問も過る。
だが想像もしなかったような爆弾を彼は投下してくれた。

『あー、いや。俺のは大したことじゃないんだ。氷室の声を聞きたかったんだ。うん、聞けてよかった』

「な゛っ……………!?」

何でそんなことを平然とっ…………!! と、危ない。落ち着け、私。

まさか衛宮がそんなことを言うとは思わなかったがちゃんと意味を理解しよう。
彼は昨夜このマンションの周囲を巡回していた。で、その結果私は問題なく朝を迎えることができている。
そして彼は電話をしてきて声を聞きたがっていた。
つまり、私がちゃんと生存しているかどうかを確認するためのさっきの言葉だ。
うん、そうだ。そうに違いない。

『おーい、氷室ー?』

「っ───、何だ、衛宮? 私はちゃんと生きているぞ。怪我もないし変わったところもない。大丈夫だ」

『そうか、そりゃよかった。悪いな氷室、取り込み中だったよな? 邪魔してすまなかった、また朝学校でな』

「あ、ああ。また学校で」

プツッ、ツーツーツーツー…………

ふぅ、と小さいため息をつく。まったく、朝から脳を総動員させるような発言をしてくれたものだ。
歯磨きの途中だったし、磨きなおす………って

「何でしょうか、お母さん」

鏡に映った母親がいた。
声をかけながら電動歯ブラシを銜える。

「いえいえ、ついに鐘にも“ボーイフレンド”が出来たんだなあって」

「ごほっ!?」

噎せた。盛大に噎せた。
これ以上ないほどに噎せた。

「あらあら、そんなに噎せちゃって大丈夫? 顔も少し赤いわよ、鐘?」

「違………!───というより、どの辺りから聞いてましたか?」

聖杯戦争に関しては会話をしてないからばれていないだろうが、やはり気になった。

「うん? 鐘が慌てて携帯もって洗面所に行ったあたりからかな?」

…………つまり全部っていうことですね、お母さん。

「にしても鐘も変わった返答するのね? 『声が聞きたかった』って言ってきたのに『生きている』とか『怪我はない』とか『変わったところもない』って」

もう会話内容もばっちりですね、お母さん。

「…………言葉のアヤです」

聖杯戦争についての会話だとは言える訳もないので、そう答えるしかない。
そしてまさか娘である私が殺し合いに巻き込まれているとは微塵も考えていないだろう。

「そう? まあ鐘がそれでいいっていうならいいけど。えーっと───こういうのってなんていうんだっけ? ツン…………」

「失礼します!!」

がぁーっと中断していた歯磨きを強引に終わらせて自室へ戻っていく。
断じて私はそんな性格ではないです、お母さん!
っていうよりお母さん、貴女はそんな性格でしたか?

―Interlude Out―


「ヒムロは無事だったのですね?」

「ああ、最初返事しなかったのは何か取り込み中だったからみたいだ」

最初の空気はどこへ行ったのか、普段通りの朝食を二人は迎えていた。
ちなみに士郎は自分が放った爆弾発言の所為で鐘が大変なことになっているなどとは知らなかった。

朝のテレビニュース。
そこにはまたも新都の方でガス漏れの発生を伝える内容が。

「また新都でガス漏れ事故か。なになに? オフィス街にあるビルで、フロアにいた五十人近い人達がまた同じような症状。帰りが遅い事に不信感を募らせた家族が会社に電話を入れてみるも、警備員はその惨状に気づかなかった………何だこれ、職務怠慢じゃないのか?」

そう呟きながらテーブルのおかずをとっていく。
が、その箸がピタリと止まる。

「────ってもしかして、これ。聖杯戦争と何か関わりが………?」

学校に張られた結界。あちらがどんな効果を持っているのかはまだよくわかっていないがよいものではないと直感が告げている。
学校の結界同様この時期、このタイミングで起こり続けている事故。この状況でこれが聖杯戦争と無関係だと確信出来るほど士郎は楽観的ではなかった。

「セイバー、どう思う?」

「………無関係とは思えませんが、確証もありません」

確かに現場に行ったわけでも犯人を見たわけでもない。
故に断ずる事は出来ない。

「ほぼ確実に他のマスターの仕業だとは思います。ですが今シロウが気にするべき事は学校に張られた結界の方かと」

「───それはわかってるけどさ」

新都で起きているガス漏れ事件は不定期で場所もバラバラ。
士郎が知りうる中では規則性なんて見当たらない。
そんな『次はどこで起きるかわからない事故』よりも『自分が通うべき場所に張られた結界』が一体何なのか、というのを突き止めるのが先決である。
あそこには士郎だけではなく、一成や桜、大河に綾子に鐘と無関係な人が大量にいる。
何も害がないものならばそれでいいが、どうも害がないとは考えづらい。早急に調べる必要はあるだろう。

「ちなみにシロウ。学校に行かないという選択肢は?」

「それはない。結界は調べる必要があるし、氷室や美綴だっている。また狙ってくるとも限らないんだから学校にはいくよ」

きっぱりと答えた。
それを見たセイバーはやれやれ、といった面持ちをした後に真剣な顔で真っ直ぐ見つめてきた。

「わかりました。マスターがそう言うのであれば従いましょう。ですがシロウ、いくつか言っておきたいことがあります。よく聞いていてください」

セイバーはそう言って士郎の左手…………令呪を覆う様に手を重ねた。

「マスターが問題ない、というのであれば私は信じるしかありません。ですが、約束してください。危険を感じたら必ず呼んでほしい。シロウが私が必要だと思えば、私に伝わります。間に合わないと判断した場合は、令呪を使ってください」

「ああ、約束する」

「そしてもう一つ。日中、人前では流石に相手も動かないでしょうが、念のため常に周りには気は配っておいてほしい。最も危険なのは日が暮れ、一人になった時です。私が敵ならばシロウが一人になっていれば必ず接触します。ヒムロのように様々な想定をして、冷静にいれるように努めてください」

「ああ………わかった」

彼女の真剣を真剣に返答していく。
言葉にすると短いが、その意志ははっきりとくみ取ったし、互いに真剣だということも伺い知れた。

朝食の後片付けをして、支度をする。
とは言っても昨日は自分の鞄を見つけられなかったので別の鞄になるのだが。

「じゃ、行って来る。留守番頼む。帰りは………そうだな部活が終わる6時前くらいに学校近くにきてくれたらいい。また氷室を送るからな」

「わかりました、6時ですね。場所は昨日のバス停でよろしいのですか?」

自分が持っている鍵を渡す。
スペアは桜が持っているので自分の鍵を渡すほかはない。

「ああ、そこでいい。じゃ、鍵。家出るときは鍵かけてくれ。あ、あとここに木刀あるから家出るときに持ってきてくれるとありがたい」

玄関すぐそばに竹刀袋に入れられた木刀を用意していた。これで昨夜までの失敗を繰り返さずに済むだろう。
ちなみに学校には持っていかない。持っていったら間違いなく没収だろうし、理由を問われかねない。
かといってナイフのようなものを鞄の中に仕込もうとも思わない。っていうか銃刀法違反です、はい。

玄関を出てセイバーに見送られ屋敷を後にする。
どうなるかはまだ分からないが、やれる限りは自分の力で何とかするしかない。
昨夜のキャスター戦は全く無事であったが、バーサーカー戦のように彼女に負担をかけたくはない。

セイバーの言った約束は守るができる限りのことはすると心に決めて空を仰ぐ。
朝の冷たい空気が肺を満たす。少しの不安を胸に学校へと向かった。


―Interlude In―

「お、氷室」

「………美綴嬢か。おはよう」

あたしはバス停に並ぶ氷室を見つけて、声をかけた。

「おはよう。どうした? ちょっと不機嫌?」

「いや、特別不機嫌なわけではない。朝にちょっとイベントがあっただけだ」

少しそのイベントとやらに興味があったが、何か“突っ込まないでほしいオーラ”を放っているのでここはあえて質問しないでおこう。

「ふうん………。ま、あたしも今朝は少し嫌な夢みちまったからな。イベントっちゃイベントだよな」

「嫌な夢………?」

「そ、まあ聞かないでくれると助かるかな」

ではそうしておこう、と氷室は引き下がった。
バスがやってきて乗車する。
後は約30分乗っていれば学校に到着する。

「そういえば、昨日衛宮とマンション近くで会ったんだけどさ。変な喪服姿の人と一緒だったんだ。氷室、あんたは知らないかい?」

なんとなく気軽に尋ねた。
あいつがマンション近くを歩いていたなら氷室も知っていると思ったからだ。

「…………いや、いることは知っていたが、彼女が何者かは私は知らないな」

が、返答はNO。
昨日の衛宮の反応からしてただ街の紹介でここに来たとは考えにくい………というよりあんなマンションを案内するか? 普通。
となると、別の目的でここに来たと考えるのが普通だろう。
で、あの言葉からしてあたしのマンションに何かあったように感じた。ならば同じマンションに住む氷室なら何か知ってるかと──────

「………なぁ、氷室? 昨日衛宮と一緒に学校に帰った?」

「な、なんでそんな結論になる?」

少し慌てたような感じで氷室が問いただしてくる。

「いやだって、喪服姿の人って言っただけなのにあんた『彼女』って言ったじゃんか。あたしは女だとは言ってないよ?」

「…………あ」

しまった、というような顔をする氷室。
とりあえず何となく読めた。

「………氷室、今日は自爆する日? その朝のイベントとやらの影響か?」

「………これ以上聞かないでくれるとありがたいのだが」

氷室は、はぁ と軽いため息をついてた。
これ以上は氷室に聞くより衛宮に聞いた方がいいかな、なんて思いながら外を眺める。
バスは大橋を渡って深山町に入っていた。

―Interlude Out―


いつも通りの時間より遅く学校に到着する。というよりホームルームぎりぎりだった。
正門を通り抜けて、校舎へと向かう。

「────」

しかし足は止まり気分が悪くなる。
間違いない。この結界は絶対によくないものだ。
甘ったるくて粘ついた液体の中にいるような不快感。そんな状況にいる所為か、敷地内に活気がないように感じられる。
校舎に向かう生徒たちだけではなく、木々や校舎そのものも、どこか色褪せて見えるような錯覚だった。

「よう、衛宮。どうしたんだ、遅刻するぜ?」

背後から声をかけられる。
聞き覚えのある声。

「慎二」

いたのは間桐 慎二。桜の兄で弓道部の副部長をしている。士郎とは旧知の仲である。
しかし最近は疎遠になっていたが。

「あれ? なんだ、顔色悪いんじゃないの? それにその鞄どうしたんだ?」

自分の顔はそんなにも苦しそうな顔をしているのか、とその言葉を聞いて思う。

「ああ、いやなんでもない。ただの立ちくらみだ。鞄はちょっと家でなくしちまって見つけられなかったからこれにいれてきた」

ふうん、と特に興味もなさそうに慎二が士郎の横を通りぬけて校舎へ入っていく。

「心配させんなよな。今にも死にそうな顔してるぜ?」

心なしかニヤニヤと笑っているように見えた。
今日は機嫌がいい日なのだろうか なんて考えながら一度目を瞑り深呼吸。

(焦るな。まだ結界は発動はしていない。学校の人全員を人質に取られたようなもんだが、下手打って思惑から外れたら無駄になる)

まずは相手の尻尾をつかむ。結界が一体どれほどの威力を誇っているのかは知らないが、今日学校に入ってみて理解できた。
こんな結界が良いものであるはずがない。ならばこれを張った相手の尻尾をまず掴む。それまでは無暗に動いてチャンスを潰さないようにしないといけない。

気を持ち直して歩みを再開する。
校舎前に昨日関わった二人がいた。

「よ、氷室、美綴も。おはよう」

「ああ、おはよう衛宮」

「…………おはよう、衛宮」

鐘が少しだけ元気がない。
どうしたのだろうか、と思っているところに綾子が話しかけた。

「衛宮、昨日は結局何時くらいに家に帰ったんだ?」

「ん………確か12時すぎていたのかな?」

実際にはそのあとにキャスター戦をしていたので実質1時近くになっていたのだが。

「何でまたそんな時間まで………。そこまでしなくても警察呼べばよかっただろうにさ」

まあ正論ではあるが、今回に限ってはそれは間違い。

「まぁまぁ。美綴にも俺にも何も問題はなかったんだからそれでいいじゃないか」

深く突っ込まれると厄介なので流す。
綾子の横にいる鐘は二人の会話を聞いて何か考えていた。

「とりあえず教室向かわないか? ホームルームが始まっちまう」

深く突っ込まれても困るので適当に切り上げて教室に行くように促した。
時計はもうすぐでホームルームが始まる時刻を示している。

「ん、そうだな。っていうか衛宮。聞きたいことがあるんだけど」

「私も聞きたいことがある。………が、時間がないな」

綾子と鐘が士郎に問いかけようとするが、士郎が学校に来る時間が遅かったために保留となった。

「っていうかさ。衛宮、今日は遅かったわけだけど、どうしたんだ? もしかして寝坊? で、その鞄はどうしたんだ?」

「美綴………。いっぺんに訊かれても一つずつしか答えられないぞ」

そう前置きを入れた上で

「いや、朝に少し時間かけすぎただけだ。決して寝坊ってわけじゃない。鞄の方はなくしてしまって見つからなかったからとりあえずこの鞄に入れてきた」

朝は鐘と電話してセイバーと話し込んで、セイバーの分の昼食とおやつも用意して、喪服も準備してと、とりあえずいつもやる事とプラスしてやることが多かったため時間がかかった。
鞄については昨日の一件通り。
三階に上がって教室に向かう。人で溢れる廊下。その雑踏の途中、廊下の壁にもたれかかっている一人の生徒が目に留まった。

─────遠坂 凛である

何をしているのか知らないが、腕を組んだまま背を壁に預け目を閉じている。
教室はもうそこなのに、本当に何してるんだろうか。
それを思ったのは士郎だけでなく、後ろの二人も同様の事を考えていたらしい。

「よ、遠坂。何してるんだ? こんなところで」

綾子が凛に問いかける。
その疑問に特に慌てた様子もなく

「別に。何となくこうしてただけよ」

そう言って視線を綾子から外して士郎と鐘に向けた。
その視線が気になりはしたが────

「おはよう、遠坂。それじゃ、氷室、美綴。俺、教室向こうだからいくな。また後で」

特別親しいわけでもないので軽い挨拶だけして前を通り過ぎる。
と、すれ違う瞬間。

「………そう。舐められたものね」

なんて、呆れと怒りの入り混じったような声が聞こえた気がした。
だがその音も同じく廊下にたむろする連中の雑談や朝の挨拶の声に掻き消され、本当に凛が呟いたものかどうかも怪しかった。
振り返ってみても、そこには既にさっきまであったはずの凛の姿はない。綾子と鐘の姿もなかった。
教室はすぐそこだから、中に入ったのだろう。

「……………?」

その音が妙に気になったが、それも教室に入ると上書きされてしまった。
教室にもあの違和感が漂っている。お菓子のような、微かに甘い香り。

「これからどうするべきか…………」

そう呟きながら男連中に挨拶をして席に着く。
あと少ししたら担任の大河が駆け込んでくるだろう。


─────第二節 昼休み─────

昼休みになった。

「………一成の奴、もう行ったのか」

気がつけば一成の姿がなかった。
今日の彼は少し様子がおかしかった。
どことなく眠そうに見えたのだ。
寺の一日は規則正しい筈なので眠たいように見えたのは気のせいか、それとも彼が単純に夜更かししたのか。

士郎もまた先に行ったであろう一成の後を追って生徒会室に行こうと席を立つ。
教室で弁当を広げる気にはならない。
教室にいると人の弁当を虎視眈々と狙うクラスメイトに襲われる危険性があるからだ。

「衛宮」

教室を出たところで声をかけられた。

「ん? 美綴か。どうした?」

「どうした、って今朝言ったろ。聞きたいことがあるって」

やれやれ、と言った面持ちで言ってくる綾子。
今朝のやり取りを思い出す。確かにそんなことを言っていた。

「ああ、そういえばそうだったな。で? 聞きたい事って?」

「ん、それなんだけどさ。とりあえずメシ食いながら話さないか? せっかくの昼休みなんだからさ」

その言葉を聞いて吟味する。

(ということは今日は美綴と一緒に弁当を食べることになるのか)

いつもは生徒会室で一成と一緒に食べている。が、別に約束しているわけでもないので問題はないだろう。
というより

(そういえば氷室が言ってたよな………。俺と一成がそっち方向の気があるとか…………)

思い出して少しだけ苦笑いの表情になってしまった。
こりゃあ一成には悪いが今日は美綴と一緒に過ごさせてもらおう なんて結論を出した。
が、目の前にいる綾子は士郎の苦笑いを見て別方向の事を考えてた。

「む、何だい衛宮。そんな苦笑いしちゃってさ。あたしと食べるのがそんなに嫌か?」

「違う違う。別のことを思い出してただけだ。よし、一緒に食べるか。俺も美綴と一緒に食べたいと思ってたし」

「…………へ?」

一瞬言葉に詰まった綾子。
そんな彼女に気付くことなく

「じゃあどこで食べる? やっぱり食堂か?」

なんて普通に問う。

「あ、ああ。そうだな、じゃあとりあえず弓道部に行こうか。昼は開いてるし人もいないから静かでいいだろ」

一瞬フリーズした綾子だったが、次には元に戻り場所を提案してきた。
弓道部、と聞いて少し考える。
もと弓道部員とはいえ、今は辞めた身。そこに入っていいものなのだろうか。

そう考えたが、目の前にいるのはその弓道部の主将である。彼女がいい、というのであればいいのだろう。
加えて射をしにいくわけではない。

「わかった。それじゃ弓道部にいこうか。美綴、他に誰かいるってことは?」

「ないな。昼は活動してないし鍵は職員室か私か藤村先生が管理してるから誰かが入り込むってことはないよ。で、その鍵は今あたしが持ってる、と」

チャリ と音を鳴らして鍵を見せびらかす。

「さすが弓道部主将。それじゃ、行こうか」



「で、聞きたいことってなんだ?」

士郎は弁当を広げて食べていた。
対する綾子は売店で買ったパンを食べていた。

「ん、昨日のことなんだけどさ。その事を話すのにここ選んだんだ。なんか人にはあんまり聞かれたくないだろ?」

なるほど、と納得する。
確かにここなら誰かの視線を気にする必要はないし、誰かが聞き耳を立てていると警戒する必要もない。

「衛宮。昨日アンタ氷室と一緒に帰ったんじゃないの? で、その帰りにあたしと出会った、と」

箸が止まる。

「………なんで美綴が知ってるんだ?」

「ってことはやっぱり氷室と一緒に帰ったわけか」

なるほどね、と一人納得する綾子。
一方の士郎はまたやっちまった と言わんばかりの顔をして額に手をあてた。

「いや何、昨日聞いたときから少し違和感はあったんだけどそれが確信に変わったのは今朝かな。氷室と一緒になったときに聞いてみたら気になる反応したからね」

「氷室が? 珍しいな、氷室の行動で確信に変わったなんて。てっきり俺が地雷を踏んだのかと………」

「ん、何やら今朝イベントがあったらしいよ? で、その影響で少し浮ついてたみたい」

イベント? と疑問符をうつ。
そういえば今朝は何か取り込み中だとか言っていた。もしかするとそれかな、なんて考える。
士郎の行った行為それ自身がイベントだとは気づくことはないだろう。

「で、もう一つ訊きたいことがあるんだけど。なんでセイバーさんは男装してたの?」

「…………は?」

次もまた箸が止まる質問。
えーっと、それはつまり?

「ん、いやセイバーさんって女性なんでしょ? なのに男性用の喪服着てたし。まあ恐ろしいほど似合ってたから問題ないけどさ」

つまり目の前の弓道部主将はセイバーが女性だということを知っているわけです。

「………まあセイバーは女性だけどさ。どうしてわかったんだ? 氷室に訊いたのか?」

「いや、訊いたっていうよりは自爆して漏らしたって言った方が正しいかな?」

………自爆? と頭の中に疑問符が大量に出てくるが答えはでない。
ちなみにその自爆も士郎の所為なのであるが、もちろんそれを知る士郎ではなかった。



昼食を食べ終わり、お茶を飲む二人。
風はまた少し肌寒いが冬の日差しは温かく、食堂の様な喧騒もない。
食堂ならばこんなゆっくりとはできないだろう。

「いつもは生徒会室で食べてたから何か斬新な感覚がするな」

「まああたしはたまにここで食べる事があるからそうは思わないけどね」

ずずず と二人して温かいお茶を飲む。
外の気温とも相まって絶妙な熱さ加減となっていた。

「美綴」

「ん? なんだ、衛宮?」

ふと思い出す様に案が出た。
昨夜の一件。セイバーについて知っている。鐘と同じ場所に住んでいる。
ならば。

「今日は一緒に帰らないか?」

「え…………?」

まあある種当然の反応を返してくる綾子。
そんな反応を見ながら

「いやだってさ、昨日美綴を狙ってきた奴いたろ? あいつ、結局見つからなかったんだ。もしかしたら美綴を狙ってるかもしれないから、それなら一緒に帰った方が少しは安全かなって」

昨夜は綾子一人で帰っていた。その結果無防備の彼女を狙った奴がいるのだから、サーヴァントという存在を知っている士郎からすれば当然の申し出だった。
いくら彼女に固執していないだろうとはいえ、それは可能性。また狙ってくる可能性だってあるのだから予防線は張っていても損はないだろう。

「ん、そりゃあそうかもしれないけどさ。衛宮ン家って真逆だろ? そこんところは─────」

「昨日だって真逆の場所にいただろ。問題ないぞ」

あぁそういえばそうだった なんて呟きながら考え込む綾子。
しかしそんな彼女に考える時間はなかった。
鳴り響く予鈴。午後の授業開始の一分前になる予鈴だ。

「っと!次は確か葛木先生の授業だった筈。やばい、急がないと!」

話し込んでいた所為で時間を忘れていた。
慌てて士郎は弁当を持って弓道部を出る。

「ほら、美綴。急ごう!」

「あ、ああ。わかってる!」

靴を履いて外へ。
綾子は弓道場に鍵をかけて、急いで二人は校舎へと走っていった。


─────第三節 分岐点─────

夕方。

「おわ………ったぁー」

ぐてっと机に突っ伏すのは蒔寺 楓。
陸上部短距離走エースで、氷室 鐘の友人の一人。

「よっしゃー!これからまた走りこむぜぇ!」

しかし次の瞬間には勢いよく立ち上がってやる気マンマンになっていた。
陸上部の部活動に励むのはいいが、もう少ししたら学期末テストがあるということを彼女は覚えているのだろうか。

(いや、覚えていない………というより存在していないだろうな)

冷静に分析しながら自分も鞄の中に教材を入れる。
傷のついた鞄ではあるが、カモフラージュのためにいろいろと手を凝らした結果、なんとかばれないようになっていた。
といっても同じ色の布と糸を用意して無理矢理隠す様に縫い付けただけだが。
そして鞄に縫い付けるという作業は中々に重労働だったので、終わった当初は指が思う様に動かなかった。

「衛宮との話は帰りでいいか………」

そう呟きながら席を立ち、部室へと向かうため教室を出ようとする。

「おーい、氷室」

「?」

後ろから声をかけられる。
振り向いた先にいるのは綾子だった。

「何かな、美綴嬢?」

「あんたってさ、今日も部活だったよね? 6時くらいまで?」

「6時前には終わる予定だが………。何か用事でも?」

「いや、一緒に帰ろうかなって思ってさ。おんなじマンションだろ?」

と、言って肩に手を置いてくる綾子。
その申し出、昨日から士郎と一緒に帰っている鐘はそれを了承するわけにはいかなかいと断ろうとするが―――

「衛宮も一緒に帰ろうって誘って来たからさ。四人で一緒に帰ろうってことになったんだ」

「…………む。衛宮が美綴嬢を誘ったのか?」

彼女が、自分が士郎と一緒に帰っているということに気付いたのは今朝の失策だろうと考えた。
なので彼女が知っていても驚きはしなかった。おそらくはその事を彼に話したのだろう、と推測をたてて横にいる綾子に尋ねる。

「ああ。あたしが断る理由もないからさ。まあ、別に氷室に伝えなくてもよかっただろうけど、一応のためにあんたにも伝えておいたってわけ。………てことでまた帰りな、氷室、“衛宮”」

「え?」

視線を隣にいた綾子から正面に戻す。
そこには赤毛の士郎が立っていた。

「ああ、じゃあ部活終わったらバス停に集合な。そこにセイバーもいる筈だから。俺も6時くらいになるまでは学校内にいることにするよ」

それじゃ、といって横にいた綾子は階段を下りていった。

「悪い、氷室。氷室にもちゃんと伝えるべきだったんだろうけど遅れた。ちょっと時間いいか? 説明するからさ」

この後には部活がある。
もう恐らくは先に行っている楓と由紀香が部室にいるだろう。
が、説明がほしいのも事実だったので

「ああ、ではよろしく頼むとしよう。場所は移動した方がいいかな」



屋上にきた。
先ほどの場所では教室にまだ人はいたし、廊下にも人がいたために話をするわけにはいかなかった。
特に昨日の件については。

「────なるほど。サーヴァントに狙われていたとは思わなかった」

昨夜、鐘と士郎が別れた後、綾子と出会ってそこで起きた事件の説明をうける。
相手がサーヴァントでたとえ通り魔のような形で狙われたとしても、まだ狙われているかもしれないのだから一緒に帰ろうと提案したのは納得がいった。

「そう、だから今日から一緒に帰ろうって誘ったんだ」

「ふむ、事情は理解した」

セイバー、士郎、鐘、綾子。
4人も固まって移動するのだ。しかもそのうち二人は魔術師とサーヴァント。
ヘタには襲ってこないだろう。

「では今日もバス停前、ということでいいな?」

「ああ、そういうことになる。悪いな氷室、時間とらせちまって。大会、近いんだろ? 練習頑張ってな」

「善処しよう」

そう言って二人は屋上を後にする。
士郎は一旦教室へ。鐘はそのまま階段を下りて部室へと向かった。

教室に戻り、一成がいないのを確認して生徒会室へ足を運ぶ。

「一成? いるか?」

と、扉の向こうへ声をかけるが返事がない。
はいるぞ、と一言断って扉をあける。
返事がないので当たり前だが、一成の姿はなかった。
疲れているみたいだったし今日は早めに帰ったのだろう、と思って生徒会室を後にする。

「さて、となると生徒会でやることがなくなったわけだが─────」

これから6時まで残り1時間と少し。
何をして過ごそうか?


1. 陸上部の様子を見に行く
2. 弓道部の様子を見に行く
3. 少し早いがバス停に行って待つ
4. この学校の結界について少し調べてみよう



※この選択肢、あんまり意味はありません



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第16話 暮れ泥む冬の空
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/04/16 20:52
第16話 暮れ泥む冬の空

4番選択 
(※おまけ有 そのため通常の約1.8倍とかなり長い話となっています。あと一部多少ネタ含んでます)

─────第一節 魔術師と魔術使い─────


「決めた。結界を張ったヤツを見つけよう」

そう言って校舎の中を散策することに決定する。
それもこちらから相手を見つける手段がない以上、向こうからの接触を待つしかない。
相手が士郎をマスターだと知っていなければ意味がないが、こちらはまだ可能性がある。昨日の巡回で多少なりとも効果があったと信じたい。
セイバーが言うには、サーヴァントも連れずにマスターが出歩いていれば、他のマスターは必ずなんらかの行動を起こす、と言っていた。

日中はそんな気配は微塵も感じられなかったが、陽が落ちようとするこれからの時間なら接触してきてもおかしくはないだろう。
綾子と鐘の様子を見に行ってもよかったかもしれないが、それぞれ部活があるし部員もいるだろうから一人になるようなことはないだろう。
バス停に行くにはまだ早すぎる。予定の時間まで一時間もあるのだ。セイバーだってまだ来ていないだろう。

「─────」

ここからは細心の注意を払わなければならない。
最悪のパターンはノーアクションでサーヴァントからの襲撃を受けること。この手を取られたら全力で逃げるしかない。
サーヴァントの力は今までの経験からいやというほど思い知らされていた。
しかし逃げるだけなら何とかなるかもしれない。
ランサーからも辛うじて学校から逃げ出せたのだから。
それに今朝知ったマスターとしての切り札………令呪の使い方。
これを使えば逃げずに対処は出来るだろうが、あくまでそれは最終手段として取っておく。

まずは適当に周囲を散策する。
主に窓から下を覗いて、不自然な人間がいないかどうか。
普段人があまり入らないような場所に目を向けてみる。
しかし、やはり普段通り人はいない。ところどころ特に不自然に感じるところを記憶しながら校舎内を散策する。
結界が張られているとわかっていても自分では壊すことができないのが歯がゆい。

屋上。
先ほど鐘と一緒に居た場所。上から下を見下ろすには絶好の場所だろう。
先ほどと同じように不審者がいないか探す。が、やはり見当たらない。
グラウンドでは陸上部が走ったり跳んだりしている。
鐘もまたその中にいた。
その姿を一瞥して再び校舎の中へ戻る。
上の階から順番に見て回る。不審者、不審物。
何かあったら………と思って常に注意を払っているが見事にスカしている。

「…………今日はいないのか?」

そう呟きながら開いている教室を見て回る。が、誰もいない。
廊下に戻る。
外はすでに茜色の空となっている。
夕日は地平線に沈み始め、あと一時間くらいすればすっかり暗くなるだろう。
いつもの鞄ではない鞄を手にぶら下げながら階段を下りようとする。
その時、がたん、と頭上で音がした。

「?」

何の音かと思って頭を上げる。
そこには

「…………」

上の階へと続く階段の踊り場で仁王立ちしている遠坂 凛が立っていた。
おかしいな、と考える。
4階は一通り見て回ったが人の気配はなかったし事実誰もいなかった。
だが、それほど驚くこともなかった。士郎が別の教室に入ったときに彼女が上にあがって階段で鉢合わせしただけだと思ったからだ。

しかし。
その考えは一瞬で破棄させた。セイバーが言っていたことを思い出す。
自分が一人になったとき、相手は接触してくる。
今はまさにその状態。

「まだ『こんにちは』の時間よね、衛宮くん。………少し、時間はあるかしら? ま、ないって言っても無理につくってもらうけど、ね」

残陽はその人の影を後光のように美しく照らし上げ、微かに窺える表情は天上の笑顔。
その立ち姿はさながら女神のような振る舞いだろう。

しかし、今の士郎にはそう映らなかった。何も知らなければそう映っていたかもしれないが、士郎は知っている。
彼女だとは思っていなかったが、タイミングを考えるとそう考えるのが妥当だろう。

「────ああ。こんにちは、遠坂。俺も少し話があるんだけど、時間は………いいよな」

そう精一杯の強がりを口にした。
上と下。反するカタチで相手の瞳を睨みつける。
こうやって対峙していても、士郎は信じられなかった。
成績優秀、穂群原一の優等生、憧れの対象たる遠坂 凛が、こちら側の人間───魔術師であり、聖杯戦争の参加者───だったなんて。

否、それはどうでもいい。信じられなくとも理解は出来る。こうして相対している以上、彼女がマスターである事はほぼ間違いない。
この学校の中に敵のマスターがいると知った時点で、それが誰であろうと受け入れる覚悟は出来ていたのだ。
だから今の士郎は冷静でいることができる。
士郎は何も知らない部外者ではなく、知った上でここにいる当事者なのだから。

だが彼女がこの学校に結界を張り、何も知らない他の人達を巻き込もうとしている事だけは、信じたくはなかった。

「へぇ? 結構冷静ね。私が何で声をかけたか、判ってるってことかしら?」

「…………そのつもりだ」

「…………でもその割にはサーヴァントも連れないで出歩くなんて正気?」

感情の無い声が聞こえてくる。

「見ての通り、俺は一人だけど? んで、遠坂には俺が気が狂っているように見えるのか?」

内心の焦りを見せないようにできる限りの演技をする。
こんな言葉を言ってくるということは近くに彼女のサーヴァントが存在しているのだろう。
今は姿が見えないがどこで見ているかわからない。
となると、これは不利である。
が、まだ自分のやれるだけのことは全くしていないのでまだセイバーは呼ばない。

「………そう。考えがあって………てコト。じゃあ、素人魔術師の衛宮くん? その考えってものを訊かせてくれるかしら?」

答えなければどうなるかわかってるわよね? 
士郎にはその言葉も付随されたように聞こえた。
ここでやられる訳にはいかないし、そもそもその考えも隠すようなことではないので正直に話す。

「………こうして一人になれば、俺がマスターだって知ってる奴なら向かってくると思った。んで、そいつに少し言いたいことがあったんだ」

「なによ」

棘のある口調。いつもの優等生然とした遠坂からはかけ離れた声色だった。
が、そんな彼女のイメージ云々よりも今はこちらの方が大事。

「遠坂。今すぐこの学校に張った結界を解除しろ」

「─────はぁ?」

「惚けるなよ。この学校に結界が張ってあることは知っている。どんな効果があるか詳しくは知らないけど、明らかに悪いものだというのはわかる。学校の人間を巻き込むようなマネはするな」

精一杯、力を込めて凛を睨む士郎。
彼女がサーヴァントと口に出して問い詰めてきた以上は彼女がマスターであることは揺らぐことはない。
この学校にいるマスターは結界を張ったヤツで、つまりそのマスターは目の前にいる遠坂 凛だ。
そう結論を導き出して凛に問い詰めるのだが…………

「─────って………おい、遠坂?」

目の前の少女から凍てつくような気配が周囲を覆い始めた。
たらり、と何か嫌な予感に囚われる士郎。

「───へえ、面白い冗談を言うのね、衛宮くん」

パキリと。その凍てついた空間に亀裂が入ったような音が聴こえた。
無論、比喩ではあるのだが今の彼女にはその幻聴すら聞こえさせるようなオーラを発していた。

「え………えーっと? と、遠坂、さん?」

今度は士郎が困惑する番だった。
怒りに打ち震えるような様を見せる彼女が、左手の袖を捲り上げて中空にかざした。

「………?」

白く細い腕。
女の子らしいその腕に、ぼう、と。
燐光を帯びた、入れ墨のようなモノが浮かび上がった。

「───な」

令呪ではない。
士郎は持っていないが、魔術師の証と言われる魔術刻印とかいうものではないだろうか。

「説明する必要はないわよね?────あと、死んだら聞けないでしょうから、先に言っておくわ」

「なにを…………っ!?」

士郎が問いただす瞬間に、蟀谷部分に何かが掠った。
ぱん、という乾いた音が二人しかいない場所に反響し、視線を後ろに下げてみると弾痕のようなモノがあった。
否、弾痕と呼ぶにはそれは大きすぎた。
拳大の焼き跡が廊下の床に亀裂を奔らせながら、ゆらゆらと煙を上げている。

「は………?」

「いくら素人っていっても、ガンド撃ちこれくらいは知ってるでしょ?」

ガンド。
北欧に伝わる呪いが起源。
対象を人差し指で指差し、呪うことで体調を崩させる、というもの。
そのフォームゆえに「ガンド撃ち」とも呼ばれる。「人を指差す行為は失礼にあたる」というのはこれが由来なのだとかいう話もある。
以上のように本来は呪詛の類なのだが、強力なものになるとその魔力は魔弾と化し、物理的破壊力を伴うようになる。この強力なガンドは特に「フィンの一撃」と呼ばれる。

(いや、ちょっと待て。それでも威力おかしくないか………?)

自分の中にある僅かな知識を引き出して、今後ろにある弾痕と比較する。

「私じゃない」

凛は指先を士郎に突きつけたまま、そんな言葉を口にした。

「………なんだって?」

「結界を張ったのは私じゃないって言ったのよ。どこのどいつだかは知らないけど、この学校にはもう一人、魔術師がいる」

てっきり凛が学校に結界を張ったのだと思い込んでいた士郎だったが、確かに三人目がいれば彼女だと断じる根拠はなくなるかもしれない。
しかし。

「証拠でも………あるのか?」

嘘をついてる可能性もゼロではない。
聖杯戦争という殺し合いに参加している以上、腹の探り合い、言葉の駆け引きはあって然るべきである。
ましてや無関係の人間を大量に巻き込む結界を苦もなく張るような輩は、そんな嘘で心を痛める筈がない。
だから凛の言葉をそのまま鵜呑みにする事はさすがの士郎にも出来なかった。

「私じゃないって証拠はないわ。けどね、私は魔術師として外れた者を、目の前で堂々とこんな真似をする奴を許すつもりなんて毛頭ない。───遠坂の名に懸けて、この意志に嘘は絶対ないわよ」

この言葉だって嘘かもしれない。
けれど、彼女の真っ直ぐな目を見て、彼女の言葉が本心であり嘘偽りなんて欠片もないとわかった。
少なくとも、人を躊躇なく巻き込める奴ができる目ではない。

「…………。いや、悪い」

両手を上げ、他意はない事の証とする。

「そうだな、疑って悪かった。ごめん、遠坂」

「────へ?」

彼女の間の抜けた声が聞こえてきた。

「だから悪かったって。遠坂はこの結界を張ったヤツじゃないんだろ? じゃあ俺はそれを信じることにする」

士郎はむしろそうであって欲しいと願っていた。
そこに見えた彼女の意志。ならば彼女を信じようと決めた。
それなら凛と敵対する理由もないし、あわよくば協力してこの結界の主を探し出すことも出来るだろう。

「………何? 私の言うことを信じるの?」

「? おかしな奴だな。信じてもらいたいから言ったんだろ? 嘘じゃないってわかったんだ。だから俺は信じるって言ったんだ」

躊躇いなくそう言う士郎を見て凛ははぁ、と小さくため息をついた。

「ねぇ、アーチャー? こいつ、バカなんじゃないの?」

「今頃気づいたか。私はこいつを一目見た時からわかっていたぞ」

すぅっと音もなくアーチャーが凛の傍に実体化する。

「アーチャー………!遠坂、アーチャーのマスターだったのか」

「ええ、そうよ。驚いた?」

それは驚くだろう。
大橋でセイバーに攻撃を仕掛けたのはアーチャーと聞いていたのだから。

「………まあ驚いたけど。今はそんな話じゃなくて、結界の話だろ。遠坂じゃないとするなら誰か心当たりがあるのか?」

話がずれかけたので軌道修正する。
しかしそんな修正もアーチャーの前では無意味だった。

「ふん、根拠もなく敵の言葉を信じるなど、莫迦以外がする所業ではあるまい。一目見て判っていたが、これで裏付けされたようなものだな」

鼻で笑って見下すアーチャー。
その姿がなぜか無性に腹が立つ。

「お前………ばかばかって………!」

士郎はアーチャーを一目見た時から合わないと感じていたが、ここにきてそれが明確になった。
ここで文句の一つも言っていいかもしれない。
が、ここは我慢して無視。所謂精神攻撃(無視)。

「………で、遠坂。返事は?」

「さっきも言ったと思うけど。もう一人魔術師がいる。この魔術師が誰かわかっているならこんな言い回しはしないわよ」

「─────む。そうか。それもそうだよな………」

そう呟いて考え込む。
結局結界を張った主はわからずじまいだ。

「………………」
「………………」

「な………なんだよ?」

二人からの視線が妙に痛い。
今日は何か無言のプレッシャーを浴びてばっかりだな なんて感傷に浸る。

「アーチャー、帰っていいわ。私一人で十分よ」

「何?」

「私が引導を渡すって言ったのよ」

「なら君がやる必要などないだろう。私が速やかに殺して見せるが?」

アーチャーがそう言った直後、彼の手には二対の剣が握られていた。
白と黒の夫婦剣。
自然とその剣に目が惹かれる。不意にも美しいとすら思ってしまった。

「必要ないわよ。それともアーチャーは私があいつに負けると思ってるの?」

「まさか。奴に敗れるような君ではあるまい」

「なら黙って帰る。“私が”決着をつける」

やれやれ、という面持ちを見せてアーチャーは再び空に消えた。

「………なあ遠坂、その消えるのってどうやるんだ?」

「は?」

何気ない質問だったのだが、どうやら凛にとっては意外な質問だったらしい。

「え………っと、俺、変な質問したか?」

「………ええ。かなりすごい質問したわよ、衛宮くん」

そう言って降ろしていた指を再び向ける。

「じゃあ、ど素人の衛宮くん。これから行われることはわかっているわよね?」

出会った時と同じように、上と下という位置関係は変わらず互いを見据えている。
ただ違う点があるとすれば彼女の指先が士郎に向けられている事と、その彼女が結界の主じゃないと判った事だけ。
後者は士郎にとって朗報である。
また新たに魔術師を探さなければならないから一概に喜ぶワケにはいかないが、安堵していた。

ただ前者の、敵意満々で睨まれているこの状況をどうするべきなのだろうか。

「その指、下してくれないか?」

「却下。あんた、今さっきの会話聞いてたでしょ。それすら覚えてないとか言わせないわよ」

「…………そこまで呆けてないけどさ。戦う理由がないだろ?」

「何いってるのよ、やっぱりあんたバカでしょ」

「バカって………いや、まあいいや。遠坂は結界を張ったヤツじゃないんだろ。むしろ止めたいとさえ思ってる。ならさ、遠坂と敵対するだけの理由がないし、それがないってことは戦う理由がないってことだろ」

士郎がそもそもこの聖杯戦争に参加した理由が『狙われている氷室を守る』ためである。
少し拡大解釈して『無関係な一般人を守る』ということでもある。
つまりは巻き込むような奴を止めるのが士郎の目的であり、目的を同じとしている凛と敵対する理由が彼にはなかった。

「言わなきゃわからないの? マスター同士が出会った場合、やることは一つ。殺し、殺されるのを了承してこの舞台に立っているのだから───」

「ま、待て!俺は遠坂とは戦うつもりは────っ!?」

「貴方にはなくても!!」

ドンッ! とガンドが発射された。
うわっ! と咄嗟に跳び退いて何とか回避する。

「私にはあるのよ! 覚悟なさい、衛宮くん!!」

ドンドンッ! と次は二連射。

(まずいっ!)

そう思って階段の前から跳び退く。

「安心しなさい。殺すつもりはない!」

ドドドドドッ! ともはや何発連続発射しているのかわからないくらいの発射音を響かせてガンドを放ってきた。

「うおおおおおおっ!?」

ガンド撃ちがどんなものか、というのは知識にあったがしかし。

「ガトリング並とか聞いてませんけど────!!?」

とにかく距離を取って隠れようと廊下を走る。
壁や床に生々しく弾痕が植えつけられて、煙をあげる。

「殺すつもりはない!? 当たったら死ぬぞ!」

「大丈夫よ! 当たり所がよかったらね!」

凛が廊下に出てくると同時に飛来してくるガンドの量が途端に増えた。
まずい、と内心焦る。
廊下は直線。隠れる場所がないし、体勢も立て直す必要がある。
今は身体を強化していない。走りながら走っている身体を強化するのは中々に困難。
一度停止して強化をすれば身体能力は向上するが、止まることは死を意味する。

「とにかく!!」

近くに扉の開いていた教室があったのでそこに逃げ込む。
頭部を掠ったが直撃しなかったので本当によかった。

同調、開始トレース・オン!」

自己暗示の言葉を発して自分の身体能力を強化する。
少なくともこれ以上のガンド撃ちをされると通常の身体能力ではまず回避できないし逃げ切れない。

「って………もう来たのかよ………!」

走ってくる足音。辛うじて身体能力の強化には成功していたが、どうすればいいか、という思慮時間までは与えてくれなかった。
教室の後ろの出口付近にいた士郎は前の出口に向かって走り出す。
それと同時に壁を貫通して後ろの出口付近から放射状にガンドが放たれた。

「見境なしかあああああああああっ!」

強化された身体能力で一気に教室の前まで走り抜けて反転する。
後ろの出入り口から凛が入ってくる。
二人は前後の出入り口の扉に手をかけた状態。
距離は約4メートル。強化された士郎の身体能力ならばこの距離からのガンドはぎりぎりよけられるだろうが、ガトリング弾のようなガンドを全てよけきれるとは思わなかった。

「逃げるっ!!」

廊下に跳び出て別の階段の方へ全力疾走。

「待てって言ってんでしょ───!!」

廊下に跳び出た凛が同時にガトリング並の連射力でガンドを撃ってきた。
というかもはや発射音がリアルな銃声にしか聞こえない。

「冗談!あんなの相手にできるか! 戦力が違うぞ、戦力がっ………!」

相手はガトリング並みの連射力を持ったガンドに対して、こちらは使えても強化魔術。
他にも気配遮断や認識阻害など一見有用そうな魔術を使えるが、残念ながらこんな切羽詰まった状況で即座に使用はできない。
そもそもそれらの魔術は士郎にはあまりあわない。使えるだけであって、使おうとすると強化に使用する魔力と時間よりも大幅にかかってしまう。

「そこ、動くな────!!」

「っ─────!?」

もはや直感だけを頼りに狭い廊下を咄嗟に横に回避する。
同時に。
ばきゅん!! とこれまでの連射型の音とは違う不気味な銃声が鳴り響いた。

「なるほどなるほど、ガトリングとは別に一発の威力重視も撃てるってわけか~」

あははははーと直撃した壁を見る。
明らかにさっきみた弾痕よりも大きい弾痕があった。

「ふざけるなああああああっ!?」

体勢を立て直して階段を跳び下りる。
身体能力を上げたからこそできる『秘儀 階段全跳ばし』。
一気に中間の踊場までジャンプで跳び下りる。

「~~~~!!」

足元から痺れやってきたが

「逃がすか──!!」

背後に現れた凛も同様にジャンプで下りてきた。
が、彼女は士郎と違ってスカート。
加えて全跳ばしなんてやるもんだからスカートがめくりあがりそうになる。

「うぇ!?」
「っ!」

両手でスカートがめくりあがるのを防ぐがその所為で着地に失敗し、彼女もまた両足から痺れがやってきた。

「こんの………!」

ギロッ! と士郎を睨めつけるが当の本人は別のことに気を取られていた。

「い、いや遠坂? 気をつけろよ? スカートの中、………見えるぞ?」

カチリ。
士郎君はたった今彼女の地雷を踏みました。

「こ………殺すっ…………!!」

ばきゅん!!

「だああ!!」

再び跳び下りて距離をとる。
威力性のガンドを紙一重で回避してすぐ傍の教室へ駈け込む。
再び袋小路。残された思慮時間は僅かしかない。
その中で必死に考える。

「そうだ………武器。武器があれば」

そう言って周囲を見渡す。身を守るための武器。
それさえあれば何とか切り抜けられる。
と、ここで自分の握っているものに目がいった。

「…………また鞄か」

そして即席の武器。
もう何度目の即席なんだろうか なんてため息をつきながら

同調、開始トレース・オン

本日二回目の呪文を唱えた。


─────第二節 人間同士の戦い─────

「あはははは!何それ!? 勇者ごっこのつもり!?」

教室に入るや否や士郎の持っていたものを見て笑い出す凛。
一方の士郎も自分のやってることに半ば涙を流しながら、しかしこれしか手段がないということで現在の状態になっている。
左手に盾。右手に剣。
否、補正しよう。
左手に鞄。右手に箒。

「ぷっく………くくく。笑い攻めって初めてよ。でもまさか、それで逃してもらえるなんて思ってないわよね?」

左手が士郎に向く。

「笑わせる事で逃がしてもらえるなら何度でも笑わせてやりたいんだけど?」

じりじりと出口へと近づく。
が、牽制のガンドを足元に食らい、動きを止められる。

「ま、当然無理ね。さあ、もう後がないわよ。そんなもので本当に身を守れると思ってるわけ? 諦めて投降なさい」

「断る。止まる気はないし、負けてやるつもりもない。それにこれで戦えないかどうかなんて、やってみなくちゃ判らないだろ?」

お互い魔術師なんだからさ、と付け加える。
凛は士郎が強化の魔術を使用していることに気が付いている。
彼から発せられた魔術反応。階段からの跳び下り。

そして彼の今の行動。ならばあの鞄と箒にもそれぞれ強化がなされているのだろう。
となると、あの手に持っているのは間違いなく盾と剣。
ならば近づかなければいいだけの話。
強化されたとは言っても所詮は鞄。いずれ突破できるだろう。

「ふうん、面白い冗談ね? お笑い芸人になれるんじゃない、衛宮くん?」

ただし

「生きて帰れたらの話だけどね─────!」

ドドドドドッ!! と銃声が発せられる。
それを盾である鞄で防ぐ。彼女が取った行動は完全な数攻め。とにかくうちまくって彼の鞄を壊し、足を止める。
剣である箒ではこの数を迎撃しきれないだろう。ならばあとは壊れるまで破壊するだけ。

「ぐっ………うううう!」

対する士郎は劣勢である。
彼女の連射するガンドは命中精度がいい。
つまり、彼女が意図して指を動かさない限りほぼ着弾地点は同じである。故に幸運にも鞄で防御できた。
これが命中精度が悪く、ブレるようなガンドだと鞄一つで防御はできなかっただろう。
箒については彼女を攻撃するつもりは毛頭ないが、威嚇程度になればと思い武器を用意した。
しかしこの距離だと威嚇も何もない。
接近戦ならば剣に分があるだろうが、距離が離れていれば銃が強いのは当たり前だ。

だが────

「何も………鞄だけ強化したとは言ってない!」

放たれる攻撃の最中に剣として持っていた箒を投げつける。

「武器を捨てるなんて自棄かしら!?」

それを難なく威力性のガンドで打ち抜く凛。打ち抜かれた箒は真っ二つに折れてしまった。

「ふん、強化の魔術っていっても衛宮くんじゃその程度かしら?」

「はっ!!」

一瞬だけ止んだ隙に近くにあった机を身体能力で底上げした脚で蹴り上げる。

「っ!」

咄嗟にその机に向かって再び連射性のガンドを放つ凛。
しかし貫通しない。

「この………!なんで!」

咄嗟に回避して再び士郎に視線を戻す凛。
この行動はランサー戦と同じ。投げつけて視線をそちらに集中させて、自分は退避する。
すでに凛の目の前から士郎は去っていた。

実は箒には強化魔術を一切施していなかった。なので当然ガンドを受けて真っ二つに折れる。
しかし凛は箒に魔術を行使していると思い込んでいた。
その状態で箒が折られたのだから当然『威力重視のガンドなら容易く突破できる』と思い込む。

そこに放たれる机。
強化していないと思い込んだ凛は威力性のガンドではなく連射性のガンドでその机を迎撃しようとする。
が、この机には強化魔術が施されていた。威力性ならば貫通したかもしれないが連射性のガンドだと盾である鞄と同様に貫通することはできなかった。
故に迎撃できずに蹴られた勢いそのままで突っ込んできた机を回避せざるを得なかった。
で、その隙をついて士郎は脱出。

「やってくれるじゃない…………!」

目の前で起きたことを即座に理解して廊下へ逃げた士郎を追う。



「ここまで巧く行くとは思ってなかったけど、なんとかなるもんだ」

階段を駆け下りながら、憤怒の形相をしているであろう優等生の顔を思い浮かべる。

(………あれ、まるっきり別人だよな)

昨日まで、というよりついさっきまで士郎の中にあった遠坂 凛像がガラガラと音を立てて崩れていく。
そして今の彼女が素で、あの優等生然とした方が猫被りなのだと、なんとなく解ってしまった。
二段飛ばしで階下へと足を急がせ、とうとう一階へと辿り着いた。

人気は少ない。が、二階や三階のように無人というわけではない。近くに人影はないが、遠く、廊下の向こう側の方に薄く人の姿が見える。
このまま人気の多いところまで逃げ切ってしまえば、流石の遠坂も追っては来ないだろうと思った───その矢先。

「逃がすかあ!」

ドクンッ と背中に何か熱いものが直撃した。

「っ────!?」

ガンドである。
体を貫通しないところを見ると、比較的魔力は込められていないようだが、途端に体が重くなった。
ガンドは呪い。体調を崩す病気のようなもの。食らった時点でそれは効きはじめる。
強化を施していなければ一瞬で意識がブラックアウトしていたかもしれない。
そして次にくる攻撃には反応する暇さえなかった。
眼前に舞い降りた凛は口元に笑みを貼り付けたまま、士郎に向けてガンドではなく胸に寸頸を打ち込んだ。

「がはっ!?」

予期していなかった攻撃に思考は停止し、たたらを踏む。
今現在士郎は身体能力を強化している。その強化したうえで怯んでしまった。
凛もまた強化を使い、彼に攻撃を加えていたのだ。
故に互いの攻撃力と防御力が上がった今、互いの強化魔術は意味を成さず、結果として生身で互いに打ち合っているのと同義となっている。

「ぐっ………この!」

何とか離れようと手に持っていた鞄を振り回す。
だが、それを凛は難なく回避して、よろめいた士郎の意識を刈り取ろうと追撃をしかけた。

ドコッ! と完璧に腹に入る。

「は………ぐ………」

呼吸が一旦止まった。
しかし意識だけはまだ何とか保っている。
とにかく反撃しなければ と思って闇雲に正面にいる凛を殴ろうとする。
突き出された拳。
しかし パァン! という音を立てて防がれた。対打を以って相殺されてしまったのだ。
驚愕を隠せない士郎を余所に突き出された腕を使って凛は一気に大纏に持っていく。

「な、え、………っ!」

体勢を崩されて地面に叩きつけられた。
倒れた士郎の上に座り込むように乗り、動きを封じる凛。
そして眼前に指を突き立てて一言。

「………チェックメイト」

皮肉にもその言葉は先日ランサーの一件で使われた言葉。あの時は見事逃げきることができたが今回は完全に捕まった。
捕まったうえで、彼女の指が黒く光る。

「大丈夫、殺しはしない。けど………しばらくは眠っててもら………!?」

言いかけた直後、凛はその場から跳び退いた。
直後に近くに何かが落ちる音がする。
見事なまでの攻撃二発と、背中からの叩きつけで意識は朦朧とする。
一体何が起きて彼女が跳び退いたかわからなかった。

何かが近づいてくる。その方角を見て、その姿を見て─────

「………氷室?」

そんな一言を呟いた。



一体何の悪い冗談だろうか。

午後6時前。私は先にバス停前にいたセイバーさんと美綴嬢と三人でまだ来ていない衛宮を待っていた。
しかし6時になってもまだこないため、様子を見に帰ってきた。
セイバーさんもついていくというようなことを言っていたが、平日の学校でそれをされては敵わない。
美綴嬢と二人で探してくると伝えて彼女には待ってもらった。
二人で手分けして彼を探していたところに聞こえてきた音。
一体何の音かわからないまま様子を伺ってみると、そこから出てきたのは衛宮と、同じクラスメイトの遠坂嬢だった。
跳び出て逃げ出してきた衛宮とそれを追いかけるように出てきた遠坂嬢。

「何だ………?」

二人が出てきた教室内を見て唖然とする。
まるで戦闘の痕。壁には弾痕のような痕があった。
そして理解する。これは魔術師同士の戦いだと。
ならば遠坂嬢もまた魔術師で衛宮と戦っているということは容易に想像できた。

「どうすれば………」

いいのかわからないまま、とにかく階段を下りて行った二人を追う。
とにかく衛宮を助けよう、 そう考えて階段を下りた先に見た光景はその衛宮が遠坂嬢の中国拳法にされるがままの光景。

「チェックメイト」

その言葉を発したと同時に彼女の指が黒く光る。
その言葉には聞き覚えがあった。そう、その言葉はあの時の夜と同じ─────

気が付いたときには手に持った鞄を遠坂嬢目掛けて投げつけていた。
普通なら気づかないような、例え気づいても避けれないような距離を彼女はいともたやすくよけてしまった。
遠坂嬢が離れた所で駆けつける。
彼の意識は朦朧としており近づく私を見て

「氷室…………?」

と小さく呟いただけだった。



「衛宮!大丈夫か!?」

想像以上の反応をされた鐘は彼を抱える。
ガンドを直に一撃食らって、しかもその後に中国拳法、八極拳をもらってしまった。
どれだけ強化を施してもガンドの呪いを無効化させるようのことはできないし、同じ強化を以ってして攻撃してきた凛の攻撃は軽減できなかった。

「氷室さん─────か。そう、見ちゃったわね」

少し離れた所から凛が駆け付けた鐘を見てそう漏らした。

「─────遠坂嬢、まさか君が魔術師だったとは………」

驚いた顔で魔術師、遠坂 凛を見る鐘。
対する凛は特に驚いた様子もなく

「そ、私は魔術師。そういうあなたも衛宮くんの協力者ってことね」

そして指を向ける。
その指は黒く光っている。

「大丈夫よ、氷室さん。殺しはしない。貴女の方は記憶を、衛宮くんの方は令呪と記憶を消して終わらせるから」

「な………え、令呪?」

令呪。その言葉を聞いて思い出すのはセイバーとの家での会話。たしか令呪とはサーヴァントを繋ぎとめる絶対命令権だった筈。
そして彼女は物騒なことを平然とした面持ちで言っていた。記憶を消す?

「そ、令呪。それを剥がしてマスターの権利を剥奪する。神経も一緒に剥がさないといけないから想像を絶する痛みにのたうち回る事にはなるでしょうけど、腕の一本くらい、死ぬよりはマシでしょう?」

そしてその言葉はさらに想像の上を行った。
目の前にいるのは知っている顔をした知らない人物。
そう結論が出るが遅い。
冷たい目が鐘と士郎を見抜く。

「じゃ、おやすみなさい、衛宮くん、氷室さん」

ドン! とガンドが発射される。
訳がわからないまま、しかし飛来するガンドを脅威と感じて咄嗟に士郎を抱え込むように下を向いて瞼を閉じた。
だが、そのガンドは誰に命中するわけでもなく、士郎の持っていた鞄によって防がれた。

「…………まだ抵抗する気なのね」

「あたり前………だ………!」

抱えられていた士郎が目を覚ましてガンドを防いでいた。
鐘と一緒に立ち上がるが、先ほどまでの覇気はない。ガンドの呪いが効いてきているのだ。

「抵抗するな、とは言わないけど。しないほうが身の為よ。じゃないと………本当に苦しくなる」

息が上がっている士郎を見て少し俯きながら、しかしはっきりと宣告する。

「けど………!俺はこれを放棄するつもりは………ない!」

対する士郎は前を向いて、朦朧とする意識の中でもはっきりと答えた。

「そう………。なら、徹底的に─────」

『きゃあああああああああ!』

「「「!?」」」

悲鳴を聞いて三人が悲鳴の聞こえた方向─────非常口へと視線をやる。
その傍に未だ残っていた女生徒が床に倒れる様を目が捉えた。

「─────!」

ふらつく体に鞭を打って走り出す士郎。

「え、ちょ─────衛宮くん!?」

「衛宮!?」

「話はあとだ………!あの生徒を助ける!」

それだけを言って走り出す。
凛が見たかどうかは判らないが、士郎は見た。鐘ももしかすると見えたかもしれない。
あの女生徒が倒れるほんの少し前。黒い影を────




※おまけ1

1番選択

「…………」

陸上部が活動しているグラウンドへやってきた。
相変わらず短距離走のエースさんが一年生を追いかけている。

「─────いや、だからあれ止めなくていいのか?」

昨日も思った事だが、今一度呟いてみる。
だが、士郎の近くには誰もいない。彼の呟きに答える者は誰もいない。
視線は走り高跳びの方へ向く。走り高跳びをしている鐘の姿を見つけた。

「しかし氷室は─────」

本当に楽しそうに跳ぶよなぁ なんて感想を漏らした。

「衛宮くん、鐘ちゃんを眺めてどうしたの?」
「っ!?」

心臓が一瞬止まりかけた。
慌てて後ろを振り向いてみると、陸上部マネージャー、三枝由紀香が立っていた。

「あ、あ、ごめんね? 驚かせるつもりはなかったんだよ?」

あったかオーラ全開で謝ってくる由紀香。

「あ─────いや。大丈夫」

ちょっと心臓がバクバクなっているのを感じながら

「ところで三枝は何してるんだ? こんなところで」

と、問いかけた。
陸上部のマネージャーなのだから何か用意をしていたのだろうか、と思いながらその両手を見るが特に荷物らしい荷物は持っていない。

「え………とね、遠坂さんを探してたんだ」

「遠坂? 何か用事があったのか?」

「うん、遠坂さんの近くに“白い髪の赤い服の男の人”がいたから誰かなって聞きたかったの」

「…………?」

由紀香の言葉を聞いて文字通りはてなマークしか浮かんでこない士郎。
はて、学園のアイドル『遠坂 凛』の近くにそんな男はいただろうか?
っていうかいたらこの学校の『遠坂 凛ファンクラブ』なるものが黙っていないと思うのだが。

「え………っとそれ、どこら辺で見たんだ?」

どこか………そう、新都の街中でショッピングでもしていた、なんてことになれば大ニュースだろう。
しかし、そんな大ニュースならこの学校でもっぱら噂になっていそうだが………。

「学校だよー」

「─────は?」

目が点になる。
学校にそれらしい人物なんて見かけなかった。というか、そんな奴がいたら間違いなく教員たちがその男を捕まえているだろう。

「むぅ?????」

頭を悩ませるしかない。
目の前にいる少女は少なくとも嘘をつくような人ではない。となると─────

「三枝、それ、見間違いじゃないのか? 俺はそんな奴見かけなかったぞ、今まで」

「あー、衛宮くんも信じてくれないんだー。けど、ちゃんといたよー」

ちょっとすねたように顔を膨らませる由紀香。
いや、信じるもなにも見たことないからどうしようもないんだけど……… なんて考えていると───

「どうしたー、由紀っち?」
「どうしたのだ、由紀香?」

楓と鐘が傍に来ていた。
二人が話していたのが見えたのだろう。なかなかないツーショットだったので気になってきたのだ。

「あ。あのね、衛宮くんも信じてくれないんだよ? 遠坂さんのすぐ傍に“白い髪をした赤い男の人がいる”って」

「あー、またその昼の話か由紀っち。誰も見てないって、そんな奴」

「えー? でも確かにいたもんー」

どうやらこの話はこの二人にもしたらしい。
うーん、と考え込む士郎。
今までの学校生活の凛の周辺を思い出してみるが、そんな男がいた記憶など微塵もない。

「衛宮」

考え込んでいるところに鐘が話しかけてきた。

「ん?」

「少しいいか?」

手招きをしてくる鐘。
何事かと思って少しだけ楓と由紀香から離れる。

「由紀香の言っているのはサーヴァントのことではないだろうか?」

「へ?」

予想外の発言。

「いや、サーヴァントは英“霊”なのだろう? なら姿を消すことも可能ではないだろうか?」

「う、そう言われるとそうかもしれないけど………」

しかしそれだと矛盾が起きる。

「じゃあなんで三枝は見えてるんだ? 見えないなら三枝にも見えないだろ?」

「む─────確かにそうなのだが………」

うーん、と二人してまた考え込む。
その光景を見ていた二人は

「「何の話をしてるの(してるんだ)?」」

質問をしてきた。
ひそひそ話をしているのだから当然気になるだろう。

「ん? あ、いやその“白い髪の赤い男”のことで誰かなーって話」

「そうだな。しかし誰か見当もつかないな」

二人して考え込むが、その姿をみた由紀香は

「鐘ちゃんと衛宮くんって仲がいいんだねー。付き合ってるの?」

「!?」

「へっ………?」

何気ない一言が場の雰囲気を一変させた。

「なんだとおおおお!?」

「おぶっ!?」

それを聞いた楓は素早く駆け寄ってきて士郎の襟を掴み、勢いよく腕を動かしてきた。

「衛宮!いつから付き合ってた!いつからだ!答えろおおおお!!」

「ちょ………!ま………首!首締まっ……… 、く、くるじ………!」

「ま、待て、蒔の字! 君は由紀香の言葉を鵜呑みにしすぎだ!」

顔を少し赤くして止める鐘。
今朝の母親との一件がよみがえってきてしまった。
そしてトドメをさすのは天然の由紀香。

「だって、さっきも顔近づけて内緒話してたし、前は鐘ちゃんの手伝いしてたんでしょ? だからそうかなーって─────」

「えーーーーみーーーやーーーー!」

「く………!苦しい…………って!」

無理矢理楓の手から逃れて距離をとる士郎。
しかし目の前には楓の姿が。

「逃がすかああっ!」

「なんでそうなるんだああああああ!!?」

追いかけてくる楓から逃げる為に全力疾走。

「ふはははは!この『穂群の黒豹』から逃げられると思うなよー!」

「こんなことで短距離走の能力を使うな!あと、それを呼んでるのは蒔寺だけだけどなっ!!」

以下、逃げ回って振り切ったところで遠坂さんと合流しましたとさ。
めでたし。めでたし。


※おまけ2

2番選択

「………さて、弓道場に来たのはいいけど」

周囲を見渡す。そこに感じられるのは甘い違和感。
この学校に入ったときに感じた違和感。それと同じである。
否、それよりも強く感じる。

「………気持ち悪いな」

あまりこの辺りに長居はしたくなかった。
しかし弓道部の様子を見にきたのだから何も見ずに帰るのは本来の目的と反する。

「あれ? 先輩!」

弓道場の戸が開き、出てきたのは慎二の妹、桜だった。

「部室に何か用ですか? 先輩」

「よ、桜。まあ用ってほどではないけどさ、久しぶりに顔見せようかなって思ったんだ。美綴にも調子を見てほしいって言われてたから」

「ほ、本当ですか!?」

士郎の言葉を聞いてなぜか瞳を輝かせる。
ちょっとその勢いにのまれながら

「あ、ああ。まあ嘘をつく理由もないし………。一応確認とってくれるか?」

「はいっ! じゃあ主将に聞いてきますね!」

再び弓道場の中へ戻って行く桜。

「………桜、何か用事があったから外に出てきたんじゃないのか?」

そう呟いて待つ事30秒後。

「おー、衛宮。まさか来てくれるとは思わなかったな」

先ほど別れたばかりの弓道部主将、美綴 綾子が出てきた。
服装は制服ではなく弓道に用いられる服装である。

「なんだ、美綴が『弓の調子を見に来てくれ』って言ったからきたのにさ?」

「はは、悪い悪い。それじゃ、まあ上がってよ」

靴を脱いで弓道場へ入る。
そこには見知った顔もあったし、顧問の大河の姿もあった。

「あれぇ? 士郎じゃない、どったの?」

「調子を見に来たんだけど? そういう藤ねぇはちゃんと仕事してるのかよ」

「むっ、失礼ねー。私だってちゃんと顧問してるわよ」

そうですか、といって別れる。
次に声をかけたのは桜。

「よ、桜。弓の調子はどうだ?」

「は、はい。え、っとそこそこです」

「なんだそりゃ。まあ今日は美綴の様子見に来たんだけど桜の調子も見るよ。俺でよければ、だけどな」

「そ、そんな!むしろ先輩に見てほしいです!」

「お、おう………。そんな大きな声出さなくても聞こえてるからボリューム下げていいぞ? けど先客は美綴だからその後でいいよな?」

「はいっ。じゃあ向こうで練習しながら待ってますね」

とたとたと小走りに向こうに去って行く桜。
周囲を見渡していない人物に気付く。

「そういえば美綴。慎二はどうしたんだ?」

「用事があってこれない、だとさ」

やれやれ、といった面持ちで士郎の問いに答える綾子。

「何だ、相変わらずか。最近はいっつもなのか?」

「ん、そうだね。相変わらずめちゃくちゃさ。おかげでこっちは苦労してるよ。衛宮が代わりに部長になってくれるならあたしは大助かりなんだけど?」

「よせよ………ガラじゃないって」

和やかな会話ムード。
二人に視線を向けている約一名はあまり穏やかではなかったが。

「はいはい………。それじゃ、あたしの射、見てってくれるんだろ?」

「そのためにここに来たんだけどな? まあ俺も辞めて長いから今じゃ美綴の方が巧いだろ?」

「ふぅ………皮肉? 残念ながらまだ衛宮に到達したとは思ってないけどね、あたしは」

カチャカチャ、と準備を始める綾子。
その姿を眺めながら

「む。俺を高く評価してくれるのはうれしいけどさ、美綴も巧いんだからもっと自分に自信持てばいいぞ? 俺が見ても美綴は巧いって思ってるんだからさ。きれいなんだし」

「………ちょっと聞き違えると、ものすごい恥ずかしいセリフだよな、それ………」

ちなみにきれいというのはフォームが、という意味合いで言ったつもりである。
矢を用意し、弓を構える。左手人差し指に矢をそえて、的を見る。
イメージするのは常に的に当たる光景。
集中して自分の世界に入る。周囲の喧騒は聞こえなくなり、見えるのは的とその数秒後の光景のみ。
キリキリ………と音を立てて引いた矢が綾子の指から離れた直後、的に吸い込まれるように的中した。

「─────」

ゆっくりと構えを解く。
集中していた世界がゆっくりと広がっていき、周囲の喧騒が入ってきた。

「…………」

その姿を見た士郎は何も言葉がでなかった。
フォームがきれい、と言ったが想像していたものよりも遥か上をいっていた。

「どうだった、衛宮?」

凛、とした表情から一転、普段通りの表情をして話しかけてくる綾子。
彼女は精神を統一し、自己の世界に入り込んでいた。射法八節に則った美しい姿勢。
足踏み・胴造り・弓構え・打起しと流れるように体勢を作る。
引分けで弓を押し弦を引く。
会で引分けは完成し、離れで弓が放たれる。
矢は的の中心に命中している。
否、矢が的に当たることは予め決まっていたのだ。矢を放つ前から。
そしてその後の残心。
それがすべてを物語っていた。
非の打ち所がない完璧すぎる射。
少なくとも士郎はそう感じていた。

「おーい、衛宮?」

「………ん、あ、ああ。ごめん、ちょっと見惚れてた………」

「え゛っ………」

一転して顔が少し赤くなる綾子。
そんなことは露知らず

「いや、完璧だった美綴。弓道部主将っていうのも美綴なら全然問題ない。まったく、何が“俺に及ばない”だ。俺なんて超えてるんじゃないのか? 本当に」

褒めまくる。

「今みたいな綺麗で完璧な射をできる奴は、俺は美綴以外に知らないな。思わずきれいすぎて言葉もでないくらい見惚れたよ」

ははは、と笑いながら賞賛する士郎。
勝手にライバルだと思い込んで日々精進していた綾子にとって、素直にここまで賞賛されると悪い気はしない。
加えて先日の一件で無意識ではあるが士郎を意識していたこともあって、ちょっと狼狽えてしまう。

「あ、ああ。ありがとう………。衛宮にそう言われるとうれしいもんだな………」

語尾がちょっと小さくなったが問題はない。
が、

「先 輩」

綾子にかけられる声。

「ふぇっ?」

突然話しかけられて、変な声を出してしまった。

「さ、桜か。どうしたんだ?」

「先輩の射は終わりましたから、次私の射を見てもらいたいんですけど、いいですか?」

にこり、と微笑む桜。
何故か少し黒いオーラが見える気もするが気のせい、気のせい。

「あ、ああ………わかった。そ、それじゃ美綴。また後で………」

「う、ああ。またな」

以下桜の弓を見ていたのだが、弓道部主将との一件を見ていた他の女子弓道部員から“なぜか”お誘いがあり、何やら不穏な空気が漂い始めたため目線だけで綾子に救援を求めた所それでさらに悪化。
うやむやにしたまま主将と顧問に任せて弓道場をあとにして、校舎へと戻る。
で、やっぱり遠坂さんと出会って、ガチバトル勃発。
めでたし、めでたし。


※おまけ3

3番選択

「少し早いけど、バス停に行って待つか………?」

階段を下りながらそんな思案を巡らせる。
が………

「………いや、早すぎるよな。セイバーだってまだ来ていないだろうし」

まだ1時間以上残っている。
今から行っても何もないだろうし、誰もいないだろう。

「………一応、電話してみるか」

一階に設置された公衆電話から家に電話をかける。
コールすること3回。

『はい、………もしもし』

「お? セイバーか。俺だ、俺」

『………申し訳ありませんが、オレオレ詐欺は受け付けておりません』

なんでそんな事知ってるんだよ、と心の中で突っ込みながら

「いや、悪い。士郎だ。衛宮士郎」

『ええ、わかってますよ、シロウ。用件は何でしょうか? もしやサーヴァントやマスターが?』

わかってるのかよ、と突っ込むがそれも言わないでおく。

「あ、いやそうじゃない。セイバーはまだ家にいるかな、って思っただけだ。もしかしたらもう家を出ちゃってるかもって思ったからさ」

『シロウの家からあのバス停までにかかる時間はそれほどではありません。私ならば5分もせずに到着できます』

「そ………そうなんだ」

改めてサーヴァントのすごさを実感する士郎。

「じゃあ、セイバーは今なにやってるんだ?」

『睡眠をとっていました。活動しない時は眠っていれば魔力は消費せずにすみますので』

「そっか。昼メシとかはどうだった? 口にあったか?」

『はい、シロウの作ってくれたご飯は非常に美味でした。あの和菓子というのも私好みでした』

「そりゃよかった。で、今まで眠っていたというわけだな、セイバー」

『ええ。あともう少し眠って時間が来ましたらそちらへ向かいます、シロウ』

「ああ、わかった。それじゃバス停前で」

ガチャッ と、受話器を戻す。
会話を思い出しながら階段を上って行く。
屋上についてグラウンドを眼下に夕焼けを見つめる。

「やることがないと『くっちゃね』になるんだな………セイバー」

仕方ないけどさ。

その後屋上から降りてきたところで遠坂さんと遭遇して鬼ごっこ開始。
めでたしめでたし。

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[29843] Fate/Unlimited World―Re 第17話 何の為に戦うのか
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/04/16 20:59
第17話 何の為に戦うのか


─────第一節 守るために─────

ガンドの呪いによって視界は霞み、思考能力も止まってくる。
今の士郎はインフルエンザにかかって高熱を出しているような状態だった。
そんな体では満足に走ることも難しいが、自身の身体に魔力を通して無理矢理視界をクリアにし、体を強引に動かす。
一見便利に見えるが、等価交換は世の条理である。
つまり、ここで無茶をする分は必ず後でそのツケを払うこととなる。

「………良かった、気を失っているだけか………」

女生徒の傍に駆け寄り、無事を確かめる。
見覚えのない顔からして恐らくは他学年。見た感じは一年生だろう。
意識はないようだが目だった出血はなく、危険な状態には見えなかった。

「………!ちょっと、退きなさい!中身空っぽじゃないの!」

士郎の後を追いかけてきた凛が横たわった女生徒を見て慌てた様子で座り込んだ。

「生命力………魔力がほとんど持っていかれてるわね。血ごとごっそり持っていくなんて」

「血ごと………? 吸血行為をしたっていうのか………?」

「そういうことになるわね。でもこの程度なら何とかなる………かも」

凛はそう言って懐から宝石を取り出した。
魔力を込めて治療をしようとした、その時。

「っ!? 遠坂嬢、危ない!」

鐘が叫んだ。
凛は倒れた女生徒を、士郎は凛を見ていた。鐘は一番遅れてやってきたために視野は二人よりも広い。
だからこそ見えた。士郎の横、凛の背後にある開け放たれた非常口。
外から投げられる“何か”を。

しかし、その姿を確認しても鐘では間に合わない。助けようにもまだ少し距離があり、彼女では凛を救えない。
一方の凛はその声を聞いて背後へ視線をやろうと振り返っていた。しかしその僅かな時間が命取りとなる。このままだと顔面に飛来してくる“何か”が彼女を突き刺すだろう。
となれば───

「っ────!」

ドシュッ! と音を立てて凛の顔を庇うために突き出した右腕に、杭のような短剣が突き刺さった。
位置的に凛に近く、視線を僅かに逸らすだけで非常口を確認できる位置にいた士郎しか彼女を助けることができなかった。

「な………何よそれ………!衛宮くん、腕、腕にグサッって………!」

「衛宮………!」

「あ────が………!」

激痛で目を反射的に閉じていた士郎は目をゆっくりと開けて右腕を見る。
刺さっていたのは、もはや短剣と呼べるほどの杭が、ものの見事に彼の右腕を貫通していた。

「はぁ────はぁ───」

魔力通さなくても意識はクリアになったな なんて強がるが体は傾いてしまう。

「衛宮!!」

駆けつけてきた鐘が倒れそうになった士郎を抱き留める。
体は熱く、熱の所為で意識はぼぅとばやけている。
その朦朧とした意識で激痛を発する右腕に刺さった杭を注視する。

(これ………は)

ドクン と士郎に緊張がはしる。
それと同時に杭が消え、大穴が露わになった。
あまりの痛みに右腕の感覚が麻痺してしまっている。

「消えた………? い、いや、とにかく今は傷の手当を…………!」

同様にそれを見ていた鐘も驚いた。
しかし、今はそれに驚いているわけにはいかない。
抱き留めた士郎の体は熱く、顔も赤いことから正常の状態ではないと判断した。
一方の当の本人はというと別のことを気にかけていた。

「氷室………美綴は学校にいるのか?」

一つの不安。先ほどの短剣には見覚えがあった。
だからこそ尋ねる。“あの敵”がいる以上、彼女を狙ってくる確率は捨てきれない。

「え………? あ、ああ。君を探すために…………って、衛宮!?」

「───遠坂、その子任せた」

ダンッ! と床を蹴り、外へと飛びだす。
すぐに周囲を探るが視界にはサーヴァントらしき敵は見当たらない。
しかし。

「あっちか………!」

目も瞑れば士郎でもわかる魔力。それは露骨に移動していた。
追うために士郎は駆ける。その体に鞭を打って。
速度は通常よりも早い。強化魔術で身体能力を底上げしているのだから当然だろう。

敵を追って移動中にとある長い棒を見つけた。

「走り高跳びのバー…………か」

すぐさまそれを手に取ってちょうどいい長さにへし折る。
このバーは先日鐘がテーピングで補強したものだった。
数日はもったが、昨日の長丁場の練習でついに寿命がきてしまったのでここに置かれていたのだ。

同調、開始トレース・オン

自己暗示の呪文をかける。通常ならば問題なく手にもったポールに強化がかかる。
しかし今は

「っ、ぐ、う…………!」

一流魔術師、凛のガンドの呪いがかかっている。
通常状態では考えられないほどの負荷。当然、こんな高負荷状態での強化などやったことはない。
いくら慣れた工程だとは言っても集中力を欠けば、その反動は自分に戻ってくる。

「─────基本骨子、解明」

精神を統一させるために口に出す。

「─────構成材質、解明」

慣れている工程を一つ一つ確実にクリアする。
助けるために強化魔術を使って自滅する、なんて話はお笑い話にもならない。

「─────構成材質、補強」

しかし時間をかけていられないのも事実。
一気にラストスパートをかける。

「─────全工程、完了トレース・オフ

強化は無事に終了した。
左手にはしっかりと即席ではあるが、昨夜に比べれば立派な武器が出来上がっていた。
鞄はその場に置いておく。
左手しか使えない以上、武器を持つのに鞄は邪魔だった。

「美綴っ…………!」

そう呟いて再び走る。
右腕はだらしなくぶらさがっている。
相変わらず痛みの所為で感覚が戻らないが今はどうでもいい。一刻一秒でも早く、このドス黒い魔力を放つ者に追いつかなければいけない。
この者が綾子を狙うという確証があるわけではないが、確率は高い。
昨夜、先ほどの武器を持ったサーヴァントは綾子を狙ったのだから。

「は────はぁ、はぁ、は───」

右腕をぶら下げながら走る。
ガンドの呪いは強化魔術によって誤魔化しているが、それでも少しずつ体は不自由になってきていた。
加えて肘から下は血で真っ赤になっている。

(腕に因縁が────あるのかな)

ランサーが家に強襲してきた時、そして今。どちらも修復困難なほどの穴が開いていた。
引きちぎれそうな腕の痛みに耐えながら抱えて走る。

「────弓道場…………!」

見えてきたのは弓道場。
焦りは余計に倍化する。弓道場は綾子の活動圏の中でもかなりいる確率が高い場所。
部活が終わった今、そこに彼女がいるとは限らなかったが、ひどく不愉快に感じる。
まるで彼女をまだ狙っているかのようにすら今は感じてしまうのだ。

弓道場の正面近くまで来て周囲を見渡す。

「っ───このあたりだな、間違いない………」

詳細な位置までは把握できないが、感覚がそう言っている。
目を瞑れば、黒い闇めいた魔力が移動しているのが感じとれる。

「弓道場の裏………雑木林か………!」



「あんの、ばか!ガンドの呪いもダメージも無理やり抑え込んで追いかけたっていうの!?」

非常口の向こうへ跳びだしていった士郎を見て、凛はいない人物を罵倒した。
今すぐにでも追っていきたいが、目の前にいる女生徒を放っておくわけにはいかない。

「氷室さんも慌てて追いかけに行っちゃったし………!」

宝石を取り出して目の前に倒れている女生徒の胸あたりに翳す。

「二人とも…………勝手にやられたりしたら許さないんだからね!」

鐘には警告を、士郎には助けてもらった。
借りを作られっぱなしのままどこかへいかれてしまっては彼女のプライドが許さなかった。


―Interlude In―
時間は少し戻る。



部活が終わってバス停にいたあたしは

「やれやれ………誘った奴が遅刻するなんてね」

再び学校内にいた。


あたしは時刻通りにバス停前に来た。
そこにいたのは昨日、衛宮と一緒にいたセイバーさん。

「や、え…………っと、セイバーさん。こんにちは」

「貴女は確か昨日の…………」

「その件についてはどうも」

昨日出会ったんだけどまともな会話をしていないため、とりあえず自己紹介しておいたらいいだろうか?

「え………っと、あたしは美綴。美綴 綾子っていいます。まあ衛宮と同級生です、よろしくお願いします」

「………アヤコ、ですね。よろしく。 ところでシロウは見かけませんでしたか?」

「いや、あたしは見てないです。ここで待ち合わせしてるから、待ってたらくるんじゃないでしょうか?」

「そうですか。………は、貴女もヒムロと一緒に?」

む、なかなか鋭いお人。

「そういうことなりますね。まああとは当の二人を待つだけです」

そう話しながら彼女の顔を見る。
きれいな人だなーって思う。これでセイバーさんが女の子だと知らなかったらまさしく『美男子』として認識してたかも。
っていうか、この人相手に敬語を使うべきなのかわからない。
年齢的にはあたしの方が上のように見えるんだけど、なんかこう……敬語使っておかないといけないような、そんなオーラ的なものを感じるだよね。

「む………美綴嬢。先にいたのか」

「お、氷室。………ってことは残るは衛宮だけだな」

後ろから声をかけられて振り返ってみると氷室がいた。

「こんにちは、セイバーさん」

「こんにちは。今日も何事もなくて何よりです」

なにやら変な会話をしているけど、特に興味はないし衛宮がくるまで待っときますか。

午後6時。
正確にはそれから五分ほど経過している。

「衛宮の奴、こないな。あいつこういうのは守る性質のはずだけど」

「直線距離にして約230メートル。6時に学校を出たとしても5分あれば到着する筈なのだがな」

「よくまあそんな距離まで…………。っと、仕方ない。学校に戻って衛宮を探すとしますか」

待ちぼうけもそろそろ飽きてきたのでこちらから出向いてやろう。
そして一発ガツンといってやらないとな。

「では私もいこう。一人だけでは何かと都合はよくないだろう?」

「ん、じゃあそうしようか。見つけたら携帯電話で呼ぶってことで」

学校に向かって歩きはじめるけど、その後ろからセイバーさんが声をかけてきた。

「待ってください。私も行きます」

その言葉を聞いて少し考える。
昨日は休日だったからよかったけど、今日は平日。
学校に部外者をいれるのはどうなんだろうか。

「セイバーさん、流石に今日は平日なのでセイバーさんが入ると教員が騒ぐと思います。セイバーさんはここに残っててください」

横にいた氷室がセイバーさんを説得する。

「そうそう、それにもし衛宮がすれ違いでここに来たときに誰もいないと困るだろうから、セイバーさんはここに居てください」

援護射撃するようにあたしも続ける。

「そうですか…………。わかりました」

そう言ってセイバーさんはバス停の前で待つ事にしたらしい。
そんな彼女を背にしてあたし達は再び校舎の中に入った。


で、現在に至る。
学校に入って二手に分かれた後、それぞれ衛宮がいそうな場所を探し回っていた。
が、結果空振り。

「んー、生徒会室にも教室にもいなかったから…………もしかして弓道部?」

そんなわけないか、なんて思いながら、しかし他に思いつく場所もないためとりあえず向かってみる。
鍵を開けて中に入る。
が、当然いない。鍵を閉めたのがあたしなんだから当然っちゃ当然だったけど。

「となるとやっぱり校舎の中かな」

呟きながら弓道場内を一回り見て外に出ようと出口へ向かう。
氷室からの電話はない。と、いうことはまだ見つかってないんだろう。

二人して探しているのに見つからないなんて。
かくれんぼしているわけじゃないんだぞ。

「やれやれ………誘った奴が遅刻するなんてね」

そう呟いて靴を履いて外に出ようとする。
扉に手をかけたとき

『弓道場の裏………雑木林か………!』

と、何やら聞きなれた声がした。

「……………?」

そう思って戸を開けるがそこに衛宮はいない。

「おかしいな………衛宮の声がしたと思ったんだけど」

周囲を見渡す。
が、やはりいない。
そして視線を弓道場の傍の雑木林へと向けてみると───

「衛宮………?」

走って雑木林の中にかけて行く衛宮の後ろ姿があった。

「……………」

ほどなくして見えなくなる。
が、おかしかった。
なぜ衛宮は雑木林の中に走って行ったのか。あの中には何もない筈だが。
約束をすっぽかしてまで何か大切な用事が?

「……………血?」

視線を落としたところに血の痕があった。
点々と続くそれは雑木林の方へ続いていた。

「…………」

何か胸騒ぎがしたあたしは一度弓道場に戻り、弓道の一式──といっても弓と矢だけだが──を持ち出して衛宮を追うことにした。

「とりあえず…………説明はしてもらうよ、衛宮。」

弓道場から再び外に出たところで次は氷室と出くわした。

「美綴嬢っ!?」

何やら慌てたよう様子で近づいてくる氷室。
その腕には衛宮が持っていた鞄があった。
その姿を見て、そして地面に残る血の痕を見て、いよいよ異常な状況だとわかる。

「衛宮は雑木林の中に走ってった。急ごう、氷室」

そう言ってあたしは走り出した。

―Interlude Out―


─────第二節 倒すために─────

結論を言おう。
気配を追ってきた結果、そこに美綴 綾子の姿はなかった。
それを確認してとりあえずは安堵する。

この敵は昨日考えた通り、綾子に対して固執していないのだろうか。それとも士郎が追ってきた所為もあって襲うのをやめたのだろうか。
どちらか判別できないが、他の女生徒を襲ったことは到底許されることではない。

「慎二?」

雑木林に入ってほどなくして顔見知りを見た気がした。
だがすぐにその意識は別方向へ向けられる。

「────!!」

張り巡らせた神経が頭上からの攻撃を辛うじて身体を回避させた。
だが完全に躱す事は出来ず、脳天を打ち貫かんと突き出された釘のような短剣が頬を掠めた。

「くっ!!」

だらりと剥げたように頬の皮膚が裂けている。頬から真っ赤な血が垂れ、足元に散らばる枯れ葉へと滴り落ちた。
しかしこれでも幸運と言えるだろう。一瞬でも飛び退くのが遅ければ、今頃頭蓋を貫かれ串刺しにされていたのだから。

「────」

目の前に現れたサーヴァントは昨夜と変わらず無口。
しかしそれがかえって不気味さを醸し出している。

「痛っ────!?」

何もない右腕に奔る激痛。
そこに

「─────」

短剣による一閃が士郎の喉目掛けて振り払われた。

「っ…………!」

咄嗟に跳び退いて、喉を斬り裂かんとする攻撃を回避する。
しかし反応が僅かに遅れた結果、士郎の喉の皮膚はずらりと裂けていた。
喉元から血が出てくる。右腕、頬、喉と出血している部分は多い。

「目が…………!」

僅かにぼやけてきた。
出血に肉体ダメージに呪いと三重攻め。もし鐘や綾子がこの状態に陥っていたならばとっくに倒れているだろう。
魔術使いたる士郎は自身の気合いと強化魔術によって、今はまだ倒れるまでには至っていない。

「消えた…………!?」

黒い女が視界から消失する。

「────ぐ!」

殺されると直感した士郎は、無我夢中に左手の武器で、自らの頭上を振り払った。
ギィン! と互いの得物がぶつかり合い、一旦距離をとった黒い女………ライダーは木に張り付く。

「蜘蛛か…………っ! お前っ…………!」

霞む目で睨みつける。
睨まれた女はそんな視線など意に介すことなくまた消えた。

「ここは」

危ない。そう考えて走った。
今までの三回の奇襲。それを防ぎ、躱せたのは偶然。
これ以上の偶然を期待するわけにもいかない。
木を背にやって周囲を見渡す。

「あんな目立つ格好してるのに、どうして───」

見つけることができないのだろうか。
強化は視力にも及んでいる。そこいらの視力のいい人間よりかずっと物は見えているはずである。
しかしそれでも見つけることができない。
地上に姿が一度も確認できないことから、恐らく枝から枝に飛び移っているのだろう と推測をたてる。

「────!」

ギィン!
左から迫ってきたライダーに直感だけで武器を振るう。
ガンドの呪いに始まって様々な状態に陥っている士郎だったが、それでも何とか反応できたのは僥倖だった。

「────いい反応です」

また消える。とことんヒットアンドアウェイの戦法。

「なら────攻めたててやる…………!」

左手の武器を離さぬように強く握りしめる。

『驚いた…………令呪を使わないのですか、あなたは』

確かに士郎のコンディションやこの状況を考えれば令呪を使ってセイバーに頼るのが正解かもしれない。
しかし使うのはどうなのか?
自らこの死地へ飛び込んだ。ならば責任は全うすべきだしなにより───

「貴重な三回だけの令呪だ。こんなことに使ってられるかよ!」

───まだ自分はやれる。

「────そう、勇敢なのですね、あなたは。確かにその強化の魔術のおかげかもしれませんが。しかし────」

ジャラ、という音が聞こえた。

「上…………!」

ギィン! と、ライダーが打ちこんできた。それを利き腕ではない左手で受け止める。
ライダーは跳び退いて、すぐさま突進を開始する。それはたかが人間に奇襲を数度も受けきられた苛立ちか。
しかし、その攻撃を弾き返し────

「!?っそんな───!?」

攻めたてる。

「はぁっ!!」

身体強化に強化された武器。
この二つを以ってして逃さないように連撃をかける。
防勢から一点、攻勢へと転じる。片手で武器を固く握り締める。
足を踏み出し、敵の懐へと入り込む。

「シッ!!」

左袈裟斬りから逆袈裟。
後ろへ下がったライダーに踏み込んで、振り上げたパイプを下ろし左脇構えに入り横胴へとつなげる。
外せば僅かにパイプを返して再び右からの横胴。振りぬいてそのまま逆袈裟とつなげ片腕だけで右袈裟斬り。
持てる力の全てを込めて、ただひたすらに連撃を見舞う!

「くっ────!」

ぎん、と鈍い音を響かせライダーは大きく後方へと跳躍し、距離をとる。

「はあ、はあ、はあ、………は、はははははははっ!」

喉から笑いが漏れる。

(戦えている)

サーヴァント相手に士郎は善戦出来ていた。
身体のハンデを無理矢理強化で捻じ込んだ身体を動かして。

偶然。
しかし、ではこれはなんだというのか。
サーヴァントからの攻撃を防ぎ、攻めたてている。
偶然がここまで続くものだろうか。これが偶然以外の要素で成り立っているのであれば。

「おまえ、ランサーに比べたら全然大したことないな!」

追撃をかける。
足元の腐葉土を蹴り、ライダーに攻撃を仕掛ける。
その姿を確認したライダーは咄嗟に短剣を投擲するが、身体強化された士郎にはそれが見えた。
左手の武器でそれを打ち払い、ライダーに肉薄する。

「…………!」

眼帯の所為でその表情を伺うことはできないが、驚いているように見えた。

(やれる────!)

邪魔をするものはなくなった。
後は残り数メートルの距離を詰めてそのまま────


─────第三節 救うために─────

「…………いいえ、そこまでです。貴方は始めから私に捕らわれているのですから」

がくん と体が停止する。
否、無理やり止められた。右腕に奔る激痛。

「まだ判りませんか? 貴方の腕に刺さったそれは、私の杭だという事に」

「………!」

咄嗟に右腕に視線をやる。
そこには“消えたと思っていた杭が見事なまでに刺さったままの状態”だった。

「な…………!」

痛みの所為で感覚が麻痺していたとしても、なぜ刺さったままのこれに気が付かなかったのか、と考える。
しかし、今さら発見して考えても遅い。

「さて…………その右腕、どこまでもつのでしょうね」

血に濡れた腕はひとりでに持ち上がり、そのままどこまでも上昇していく。
ずずっ、と右腕に刺さった杭が疼く。

「ぎっ────!あああぁぁぁっ!?」

苦痛を無視して、刺さった右腕は持ち上げられ伸びきった。
簡単な話。木の枝を支点として鎖を使って士郎を引き上げたのだ。

「はっ───はっ───…………この…………!」

持っていた武器を捨て、動く左腕で何とか刺さっている右腕の杭を引き抜こうとするがそれよりも早く───

「さて、その誤った認識をしてしまったその瞳────濁った瞳を抉り出してあげます」

ライダーが体をかがませて飛躍しようとしたその時。

「おまえは────」

「「!?」」

「衛宮になにやってんだ!!」

ヒュッ! とライダー目掛けて放たれるのは矢。
一瞬何事かと驚いたライダーは、しかしそれでも冷静に跳んできた矢を撃ち落とした。
しかし、その隙をついて

「ぐっ───!!」

士郎は右腕に刺さっていた釘を強引に引き抜いた。
ドン! と、受け身も取れないで地面に落ちる。

「っ─────」

背中を強く打ってしまった。
それに追い打ちをかけるのはガンドの呪いとそれまでの蓄積ダメージ。
意識がとびかける。

「「衛宮!」」

近づいてくる影。
視線をそちらに向けると見知った顔が二人。

「────っ美綴、氷室…………!」

「衛宮、大丈夫か!?」

鐘が倒れた士郎の傍に駆け寄る。

「────あんたは昨日の奴だよな? 今日は絶対に許さないよ!」

綾子はライダーと対峙するように矢を構えた。
その状況を見て、一瞬でまずい、と士郎は判断する。
間違ってもここにいる三人ではライダーに勝てないだろう。

(令呪を使ってセイバーを………!いや、でも美綴は…………)

鐘と違い、綾子は聖杯戦争が何か、なんてものは知らない。
今ここでセイバーを呼べば、それが露見することに────

(って、四の五の言ってる場合か!)

士郎はまだ何とか立てるがとてもライダーと戦えるような状態ではない。
士郎の傍にいる二人は論外だ。魔術師ですらない。
守る手札はここにはない。ならば呼ぶほかに道はなかった。

「シロウ!!」

しかし令呪を使うことはなかった。
目の前に現れたのは鎧姿のセイバー。
彼女の前から綾子と鐘が去ってからさらに数分。それでも帰ってこない三人の身を案じて学校へ向けて歩いていた。
そして彼女が感知できる距離────200メートルまで近づいた時点で中のサーヴァントの反応に気付いた。
すぐさま鎧化して士郎とのラインを頼りにより詳しい場所へかけつけたのだ。

「シロウ、ヒムロ、アヤコ! 無事ですか!?」

視線はライダーから離さずに背後にいる三人の身を案じる言葉をかける。
一方のライダーは

「─────」

身を翻して、木の枝へと跳躍し、そのまま獣のように遠ざかっていった。

「────また、逃がしたか」

「セイバーさん!衛宮が!」

ライダーがいなくなったことを確認して、セイバーはすぐさま士郎のもとへと駆けつけた。
鐘と綾子が座り込んだ士郎を支えていた。

「セイバー…………あいつは?」

「ライダーならばこの場から去りました。もう大丈夫でしょう。あとは私が守護します。今は身体の方を」

「そう…………か。美綴、怪我とかないか?」

「え? あ、ああ。あたしは大丈夫だよ。い、いや、とにかく血止めしないと!衛宮、何か巻く物持ってるか…………!?」

それを聞いてよかった と安堵しながらハンカチを取り出す。

「氷室は? 大丈夫か? どこも怪我してないか?」

「────私は大丈夫だ。それより自分の心配をしたらどうなのだ、衛宮。…………使っていないタオルなら私の鞄に入っていた筈だ。少し待ってくれ…………」

「俺? 俺は大丈夫だよ、氷室。悪い、心配かけて」

ははは、と笑ってみせるが周囲からの視線は変わらない。
顔は赤くなって額には汗、顔と喉には切り傷があり、右腕には大穴。
この姿を見て大丈夫だな、と思う楽観主義者はここにはいなかった。

「衛宮くん、無事…………!?」

一足遅れてやってきたのは凛だった。

「っ…………!」

鐘は彼女の姿を確認して、咄嗟に庇うように士郎の前に移動する。
さきほどのやりとりがリフレインしてきたのだ。
そんな彼女の姿を見た二人はそれぞれ別の反応をする。
綾子は当然知り合いが来て──なぜここに来たのかは知らないが──焦ったような鐘を見て疑問を持ち、セイバーはその姿の意味を理解して士郎達の前に出た。

「────」
「────」

凛とセイバーの間で続く沈黙。
セイバーには士郎の状態を見て疑問を抱く点があった。
切り傷や右腕の大穴。それはライダーによってつけられたものだと判別できた。
では、士郎が額に汗をかいて顔を赤くしているのは?
ライダーがやったという点も考えられなくはないが、サーヴァントがマスターを呪術で呪ったならばとっくに死んでいるだろうし、わざわざ近づいて戦闘をする必要性はない。

となれば、これは別の者によって受けた攻撃だと判別するのは普通だった。
そこに至ったところでの鐘の反応。またこの場所に来た凛の存在。
彼女が何かのサーヴァントのマスターであることは容易に想像できた。

「…………遠坂? 何でこんなところにいるんだ?」

そんな事情など全く知らない綾子は、友人である凛に尋ねた。
彼女がここにいる理由がまったくわからない。

「ちょっと衛宮くんに用事があってね。…………衛宮くん、ちょっといいかしら?」

「…………」

対する士郎は厳しい眼つきは変えない。
のこのことついて行って令呪を奪われた挙句、鐘と一緒に記憶を失う、なんてことになるかもしれない。
笑えない冗談である。

「大丈夫よ。“さっきの続きはしない”。………その体を“診てあげる”だけだから」

士郎の考えを読み取った凛は、他意はないと示すため両手をあげた。
士郎が凛にやった行為と同じである。

「────わかった。すまない、遠坂。恩にきる」

「………!? いいのか、衛宮」

「ああ、大丈夫。さすがに遠坂もだまし討ちみたいなことはしないだろうし」

「信用していいのですか、シロウ」

「大丈夫。────そんな心配ならついてきたらいい。何も起きないからさ」

ふらり、と立ち上がった士郎を支えるようにセイバーが肩を貸す。
無論、目の前の敵が何かをしようとしたら即刻斬り捨てるつもりである。

「美綴嬢、私たちもここに居続ける理由はない。三人についていこう」

「え………? あ、そうだな」

何が何だかわからない綾子はとりあえず鐘の言葉を聞いて歩き出した。



時刻は午後6時半。
外はすっかり夜になっていた。

「とりあえずガンドの解呪はしておいたから」

現在の居場所は弓道部の休憩室。
そこにいるのは凛、士郎、そしてセイバーの三人。
鐘と綾子は隣の部屋で待機中。

「ああ………さっきよりだいぶ楽になった、ありがとう、遠坂」

「────ま、借りを作りっぱなしは性に合わないからね。で、次はこの右腕だけど」

綾子と鐘がしてくれた応急処置を解く。
途端にまた血が出てきてしまう。

「遠坂………っ?」

「わかってる………痛いと思うけどちょっと我慢して」

脈をとりながらブツブツと呪文らしきものを呟く。
血止めと痛み止めらしく、右腕が少しだけ楽になっていた。
解いたハンカチは血で汚れていない部分を傷口にあてて、ぐるぐると右腕をタオルで巻いていく。

「────」

そんな横顔を見て、再確認する。
遠坂は信じた通りの人物だ、と。

「───これで終わり。さっきの応急処置もよくできてたけど………魔術使った方が効果は高いから一旦解かせてもらったわ」

そうか、と返答して右腕を動かしてみる。
確かに今までよりはマシになっているように感じた。

「で………何があったの? なんで綾子────美綴さんまでここにいるのよ?」

「あー………話せば少し長くなるけど、それでもいいか?」

「向こうで待ってる二人にも気を払ってくれるなら構わないと思うけど」

「じゃあ簡潔に説明する。美綴のことだよな?」

「ええ、他にも聞きたいことはあるけどまずはそれね」

凛にこれまでの事を説明し始める士郎。
紆余曲折はあったが、いい人だとはわかったし話すことで協力が得られるかもしれないと考えたのだ。


5人を弓道場に残して、夜は更けていく。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第18話 進展 
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/04/16 22:55
第18話 進展


─────第一節 これから先の事、選択すべき事─────

「………おおよその事情はわかったわ」

眉間にしわを作りながら難しい面持ちで凛はそう答えた。

『ライダーが美綴を狙っている』。
士郎はそれを防ぐために一緒に帰ろうとした。
それを凛が止めたせいで探しにきた綾子もあの場に居合わせた。

以上が簡潔に説明した内容だった。

「とりあえず美綴さんとは友人の関係だから、助けてくれたことには感謝するわ、衛宮くん」

「え? いや別にお礼なんていいぞ。俺だって助けたいって思ったから助けただけだから」

「でも一応筋は通しておく。それをしただけよ」

そう答えた凛は再び気難しそうな顔をして思案を開始してしまった。
一人の世界に入ってしまった凛を少しの間見ていたが、戻ってくる気配がなかったので

「もしも~し………遠坂サーン?」

「ねぇ、衛宮くん。もう少し尋ねてもいいかしら?」

士郎の言葉を軽く無視して凛が尋ねてきた。

「どうせだめだって言ったって訊いてくるんだろ………。いいよ。で、何が聞きたいんだ?」

「美綴さんを家まで送った後に衛宮くんはどう行動するつもりだったの?」

む? と首を傾げる。
まだその後の予定は詳しくは決めていなかったが、しかしやることは昨夜と変わらないか、と考えた。

「そうだな、とりあえず美綴の家の周りを巡回かな。で、異常がなかったら家に戻る………って感じになると思う。昨日もそうだったから」

「………正気? そんな護衛で意味あると思ってるの? そんなの帰った後に襲えば終わりじゃない。それこそやるんなら家に泊まるか泊まらせるかくらいのことやりなさいよ」

「泊まるって………説明どうしろってんだ。親に説明できるわけないだろ」

はぁ と軽いため息をつく。
が、それを見た凛は

「説明しなくてもいいでしょう。両親に暗示かけてそれっぽいこと伝えて連れて帰ればOKじゃない」

と、士郎よりも深いため息をついた。
そんなことも考えつかないのか と半ば呆れかえっているようである。
対する士郎はそんなことは全く考えなかった。
というのも

「いや、俺は暗示の魔術は使えないんだ。だから俺は巡回してたんだよ、遠坂」

士郎は衛宮切嗣から暗示を教わらなかった。
というより教わることができなかった、といった方が正しい。
彼の父親が家を空けることなど日常茶飯事で教わる時間は限られていたし、士郎自身が『暗示を教えて』とせがることなどもなかったからである。

「え、なに? じゃあ衛宮くんは暗示も使えないようなへっぽこ魔術師だっていうの?」

「うっ………その言葉、何気に傷つくんだけど。─────いや、遠坂からしてみれば当然か。まあ確かに俺は遠坂と比べて劣ってるぞ、俺は」

あんなガンド撃てないし、などと口にする。
それを聞いた凛は余計にため息をついてしまう。
そして一言。

「なんであんたみたいな奴にセイバーが………」

同時刻の遠坂邸。

「─────くしゅんっ」

アーチャーがらしくないくしゃみをしたのは置いておこう。
場所は戻る。

「ま、もう済んだことだしいいわ。─────とにかく」

指を立て、ずいっ と凛が近づいてくる。
目と鼻の先まで迫ってきたその顔で。

「いい? 衛宮くんの護衛は穴だらけ。それじゃとても守るって言っても守りきれるようなものじゃない。私も協力してあげるから、これからもっと身を入れて頑張りなさい」

わかった?と返事を求めてくる。
そんな彼女に上半身をのけ反らせながら

「あ、ああ。わかった………」

と、返事をするのであった。
凛は頼りなさそうな士郎の返事に軽いため息をつきながら姿勢を元に戻す。
が、まだ凛の表情は優れない。
暗示をかける、と言う点ではこれを実行しないわけはない。
だが問題はその後の行動。

「衛宮くん。美綴さんにはどうやって事情を説明するわけ?」

答えを出すためにもこれは訊いておかなければいけない。
でなければ、今後凛自身がどうやって振舞うべきか変わってくるからである。

「…………」

質問を聞いて士郎は黙る。
士郎の中では恐らくどうするのがいいか、という思案がめぐっているのだろう。
やや間をあけて

「襲って来た奴が何者なのか、セイバーが一体何者なのか。おそらく美綴はそれを聞いてくる。二人のことを説明しようとすると本当の事を言うしかなくなると思う」

半端なウソは美綴には効かないからな、と付け加える。
目の前で人外極まる動きを見せたライダーに、突如鎧姿となって空から降ってきたセイバーを見れば説明を要求してくることはわかりきっていた。
加えてその人外になぜ士郎が狙われているのか、というのもついてくる。
敵の正体と狙われている理由を説明しようにも“一般人が納得するような常識的説明”ではもはや納得できない領域にいる。
加えて士郎は嘘が致命的にまで下手というのもあったが。

「………それは自分の正体を─────魔術師だってことを話すってこと?」

ギロリ、という効果音が似合いそうな目で睨んでくる。
魔術師が一般人に正体を明かす、なんて普通は言わない。

「ああ、そういうことになる。もちろん、美綴には黙っておくように懇願するから大丈夫だぞ、遠坂」

それを聞いて再び考える。
『誰にも言わないでくれ』と言われれば彼女の性格なら言わないだろう。
それに一般人が魔術を知っている、というケースだってあることにはある。その例が凛の母親である。
が、この場合は違うだろう。

(最悪すべて終わったあとに綾子の記憶を消すっていう手もあり、か)

友人を手にかけるのは心痛むが、こればかりはどうしようもない。
それに正直に話せば今後の活動がしやすいのも確かではある。
彼女自身に降りかかるであろう危険性や事の重大性が明確に教えることができるのだから。

さて、ではまずは凛が綾子に正体を隠す場合を考える。

(魔術師が正体を一般人に悟られぬように身分を隠すのは常識)

まずは正体がばれぬように先回りして暗示をかける。
電話で『テストが近いので家に泊まる』という暗示をかけると士郎と打ち合わせをして、“さも自分が説得したかのように”綾子に振る舞えば、たとえ荷物を取りに帰ってきた綾子と会話になっても問題はない。
そのように振る舞えるかは心配だが。
つまるところ暗示をかけたのは士郎、ということにしてしまえば凛が表へ出てくることはない。

(これなら大丈夫………か? メリットとしては魔術師として話さなくてもいいこと。デメリットはその分協力体制が取りにくくなること、かな)

当然士郎は守るためにつきっきりになる。
その分凛との協力はできなくなることを意味する。

(次に正体を明かして行動する場合)

魔術師が一般人に己の存在や魔術を教えるのは厳禁だが、さっきの考えた通り、終わってから消しても問題はない。
それに明かすことで自身も彼女の護衛に参加できるようになるし、説明ができる分協力しやすくなる。
加えてサーヴァント2体ということでかなり安全にもなる。

(こっちの方がいいかな。デメリットとして魔術師であることを教えるのがあるけど、今思いつくデメリットはこれだけだし)

メリットの数が多い。
役割分担もできるだろう。頭を悩ましているこの学校の結界だって解決に近づけるかもしれない。
加えて暗示をかける際の面倒なやりとりをする必要がない。

「なら、決まりね。美綴さんに事情を説明した後に両親に暗示をかけて家に泊まるように仕組む。こんなところね。他に何かあったかしら」

凛の言葉に士郎が反応し、待ったをかける。

「………遠坂、美綴のことともう一つお願いがある」



「美綴、氷室。俺の家に泊まってくれないか?」

凛と入れ替わりで休憩室に入ってきたのは鐘と綾子の二人。
入ってきて怪我の具合を聞かれ、問題ないと答えた士郎。
その後に話がある、と区切って言った言葉の第一がそれだった。

「ちょっと待て、衛宮。いきなりどうしたんだ? 唐突すぎてあたしには理解できない」

突然の言葉に面食らった綾子は一瞬フリーズしたが、何とか持ち直してそう問いかけた。

「まあそうだよな、説明する。………けどその前に、一つだけ約束してほしいんだけどいいか? 美綴」

真剣な眼差しで綾子を見つめる士郎。
彼が一体何を言おうとしているか何となくよめた鐘は黙って話を聞いている。
一方の綾子はその真剣な表情を見て少し驚いたが、しかし次には真剣な表情になり

「………その表情からしてただ事じゃないってのはわかった。けど、そういうのって約束の内容によるね。一体どんな約束なんだ?」

「俺がこれから言う事を他の誰にも話さないっていう約束だ。………いいか?」

その言葉を腕組みして少し考える。
そもそも誰かに言いふらすようなことはするつもりなどない。
出た結論は

「いいよ。その約束は守ってやる。だから、衛宮。話すことはきっちり話してもらうからね。あとあんたをあんな風にした“あいつ”の事も知ってること洗いざらい」

「………ああ。そのつもりだし、言わなきゃ納得してくれるとも思ってないからな」


―Interlude In―

冬木市新都。
人気の少ない路地裏を一人の男が歩いていた。

「チッ………!昨日、今日といい全く邪魔してくれるな、衛宮は………!」

間桐 慎二。
桜の兄で弓道部の副部長をしている士郎の同級生である。

「おい、ライダー。結界の準備は順調だよな?」

誰もいない空間に向かって問いかける。

『はい、一部呪刻が破壊されていましたが、当初の予定通り結界は発動できそうです』

誰もいない空間から現れた“それ”は、かつて綾子を襲おうとし、女生徒を襲い、士郎を殺そうとした女性。
ライダー。
長い髪に眼帯をし、露出が少し多めの黒い服を着たスレンダーな女性である。

「ふん、ならそれでいい。壊したのは十中八九遠坂だろうしな。─────いくら遠坂が優れていても結界の呪刻を破壊しきることはできない」

笑う慎二の顔は邪だ。

「僕はどうあっても聖杯を手に入れなければならない………。そうさ、桜に、爺さんに、美綴に!」

ガン! と傍に置いてあったプラスチック製のゴミ箱を蹴り飛ばした。

「そしてあの鬱陶しい衛宮を………見返すためにもね………!」

慎二は間桐の生まれ。
幼いころに自分が魔術師の家系だと知り、いつ自分に当主として指名されてもいいように知識を溜めこんできた。
しかしいつまでたってもそれは来ず、痺れを切らした慎二は家にある本を片っ端からあさりまくった。
その中に見つけた一冊の薄めの本。父親の書記に記されていた内容。

 ―魔術回路がない―

簡潔に言ってしまえばその一言。
それが認められなくて、認めたくなくて、マスターとなった。
魔術回路がなければ魔術は扱えず、魔術師にはなれない。だから聖杯を欲する。
魔術師になるために。

彼にとって“それ”は強迫概念に近い。
だからこそ固執する。無いならば聖杯を以ってして得よ。
そして己を見下した者たちを罰せよ。

「くっ………くくく。もうすぐだ。まずは美綴、お前からだ………!昨日偶然衛宮が通りかかっただけでこの僕から逃げ切れるとは思わないことだな………!」

綾子を思い出して、次に必然的に思い出されるのはその綾子を庇った士郎の姿。

「その姿を見て衛宮の悔しがる姿を見るのも愉快そうだ!あはっ、あはははははははっ!」

慎二が綾子に固執する理由。
弓道部の活動で辱めを受けたから。
それを恨み、ライダーに襲わせようとした。
慎二が士郎に固執する理由。
魔術師じゃないと思っていた士郎が魔術師で、しかも魔術を行使して一瞬だけであるがライダーに肉薄した。
狙っていた綾子を庇ったこともあり慎二の苛立ちは倍化していた。

「─────そうだな、そのためにもまずは“食事”はとっておくべきだよなぁ?」

───なあ、ライダー?

―Interlude Out―


「…………」
「…………」
「…………」
「…………」

場所は弓道場休憩室。
そこにいるのは4人の人間。いや、そのうち一人はサーヴァントなので3人、というべきなのかもしれない。

「まだ完全には理解が追いついてないけど………ようするに、さ」

瞳を閉じていた綾子が瞼を上げ、士郎を見据える。

「わたし達はそのサーヴァントとかいう規格外の人間に命を狙われてるかもしれない、ってワケか」

サーヴァント。英霊。規格外。

「………ああ」

「そいつらから守るために衛宮とセイバーさんは昨日、夜歩き回ってたのか」

魂喰い。補充。殺し合い。聖杯戦争。阻止。巡回。

「………そうだな」

「それであんたはさっきみたいに宙吊りにされていたのか………」

守る。倒す。救う。

「………そういうことになる」

訪れるのは長い沈黙。
綾子の心中は複雑だった。雑木林で見かけた黒い女性、ライダー。
その女性相手に士郎が宙吊りにされているのを見て、無我夢中に矢を射った。
規格外。その女性は飛来してくる矢を眼帯をしているにも関わらず、一閃で弾き落とした。
その後前から立ち去る際のあの運動能力。素人の目でも普通ではないことくらい容易にわかった。

そしてその規格外から守るために知り合いが戦って殺されかけているという事実。
しかしその規格外が自分たちを狙っているかもしれないという可能性。
その狙われている理由が己の糧にしようとしているというだけの、此方側からすると理不尽極まりない真実。
そして自分たちを狙ってくる奴を自分たちの手ではどうしようもないという現実。

「大丈夫だ、美綴」

難しい顔をして考え込んでいた綾子を見て、士郎がそう答えた。

「俺が守るし、セイバーだっている。大船に乗ったつもりで、とまでは言えないかもしれないけど必ず守ってみせる」

だから信用してくれ と士郎は言った。
真剣な表情で、巻き込まれた一般人二人を守るために戦って守り抜くと言った。

「─────まったく、そんな真剣な顔でそんな事言われて、言い返せるかっての………」

背もたれに背中を預けて困ったような表情でため息をついた。
その表情は先ほどよりは柔らかくなっている。

「悔しいけど、矢を平気で叩き落とせるような奴相手にあたしが勝てるなんて思えない。あたしじゃ何もできないんだね」

「仕方がありません、アヤコ。サーヴァントは人間とは違う。ましてや貴女達のような一般人とは次元が違います。恥じる事など一つもありません」

「ん………まあ、話を聞いた限りじゃそうなんだろうけどさ」

そして横に座っているクラスメイトに目をやる。
鐘。
自分と同じ境遇にいるクラスメイト。

「氷室はだいぶ落ち着いてるようだけど、どう思ってるの?」

「私か。………そうだな」

一呼吸おいて今まで整理した自分の気持ちを間違えることなくこの場にいる人物に告げる。

「私も聞いたときは驚いた。そして美綴嬢同様に何もできない自分を悔やんだ。しかし、悔やんだところで何も変わらない。なら、せめて自分ができることをしようと考えた」

「………」

「だから、私は衛宮の負担になるような事を避けたいと考えている。衛宮の家に泊まることで負担が減るというのならば、私はそれに協力したい」

真っ直ぐに士郎を見て答えた。
聖杯戦争という事実を知らされた時、自分の置かれた立場に鐘だって苦悩した。けれど、そんな苦悩をしている間にも敵は襲ってくるしそれらから守るために戦っている人間がいる。
自分は被害者だ、という概念にとらわれてただひたすら苦悩したところでその間に摩耗していくのは守っている士郎である。

「せめてこの、まるでゲーム世界のような出来事を早く終わらせて日常に戻りたい。だから私は、そのためならできる限り協力する。私はそう結論を出した」

だから私は衛宮を信じると、そう鐘は言った。
終わらせても、今まで通りの日常に戻れるか確証はない。
しかし、少なくとも何もできない自分の代わりに目の前にいる彼が消耗していくようなことはなくなる筈だ。

「うん、そうだな。氷室たちには少しでも早く元通りの日常に戻って欲しいし、そのためなら俺は───」

「衛宮」

士郎の言葉を遮る様に声をかける。

「私の言っている“日常”というものの中にはな、君の存在も含まれているのだぞ。………そこは理解してほしい」

セイバーはその言葉を聞いて、思う。
ランサー戦、バーサーカー戦。そして先ほどのライダー戦。
いずれの戦いにおいても士郎は傷を負っていた。どれもこれも重傷。
そしてその3戦すべて、鐘は見ている。傷ついた士郎を。
心配したような顔を浮かべ、時には叫んだこともあった。

(………まるで)

あの時の子供のようだ、とセイバーは思う。
前回の聖杯戦争。前回の仮のマスターとなってくれた者、“アイリスフィール・フォン・アインツベルン”。
彼女と一緒に訪れた公園で、アイリスフィールがほんの少しだけ触れ合った二人の子供。
恐らく彼女はその二人の子供を─────正確には灰色髪の女の子を見て、城に置いてきた子供を思い出したのだろう、とその時は判断した。

怪我をしている灰色の少女を庇うように赤い髪の少年が自分たちを睨んできたのは覚えている。
アイリスフィールはそれを見て“プリンセス”と“ナイト”と呼んだ事も覚えている。
王女を守る騎士。そういう意味合いで恐らくは呼んだのだろう。
なるほど、とその言葉を聞いて思った。少女を庇う少年は確かにそのように見えたのだから。

「─────はあ、何だ。結局覚悟が最後までできてなかったのはあたしだけか」

やれやれ、と言った面持ちで二人を見る。
二人の決意は想像以上に決まっていた。
ならば自分も覚悟は決めるべきだ。

「氷室の言ったことももっともだな。嘆いても仕方ない。衛宮、あたしもあんたに協力するよ。………あたしの命、あんたに託すよ」

この場には不似合いな笑顔を見せて言った。理不尽さは残っているだろう。殺されるかもしれないという恐怖だってあるだろう。
知り合いが魔術師だと聞いて混乱だってしているだろう。

しかし彼女は言った。
衛宮、お前を信じる と。

「私もだ、衛宮。………よろしく頼む」

行儀よくお辞儀をする。彼女もまた明確に、言葉として彼に伝えた。
その二人の言葉を、顔を、行動を聞いて見てセイバーはふっ、と小さく笑う。

「シロウ、これからはより一層身を引き締めて行動しなければいけませんね」

「いやまったく。いざこういわれると気恥ずかしいところもあるけど………」

ははは、とばつが悪そうに笑う士郎。

「氷室、美綴、セイバー。これからよろしく頼む」

今日、この日、この瞬間、聖杯戦争を勝ち抜く仲間として美綴 綾子、氷室 鐘が加わった。

激動の第五次聖杯戦争が再開する。


─────第二節 僅かな余白と次へつながる予兆─────

「終わったようね」

休憩室から出てきて待っていたのは遠坂 凛だった。
凛が4人と同席しなかった理由は至極簡単。
校舎内に残った戦闘の痕を消せる範囲で消していた。窓ガラスとか壁とかetc………。
ちなみに修復不可能のレベルは教会へ連絡することでフォローをしてもらう。

「遠坂か。いや、あんたのことも知っているって思ってたんだけどね。まさか衛宮と同じ魔術師だったとは思わなかったよ」

その言葉を聞いて少しだけ複雑な心境にもなるが───

(記憶に関しては全てが終わってからでも問題はない、か)

となれば、あとは開き直ってさっさとこの戦争を終わらせるだけである。

「まあ私も衛宮くんに協力することになったからよろしくね、二人とも。さて、これから衛宮くんの家で匿うことになるのだけれど、その前にやる事があるっていうのはわかってる?」

「………両親への説明、だな」

それは鐘が悩んだ内容。
真実を教える訳にもいかないし、かといってうやむやにしたままだといずれ大変なことになる。

「そ。けれどバカ正直に説明する必要はないわ。私が手伝うから安心して頂戴(っていうかバカ正直にこれ以上一般人に説明されても困るし)」

「じゃあ行こう。ここからだとバスに乗って30分近くかかる」

弓道部を出るために士郎が外へ出て、その後にセイバーが続いた。
綾子もセイバーに続いて出て行く。
鐘も彼女らの後を追って出ようとしたとき

「ちょっといいかしら、氷室さん」

凛に声をかけられた。

「ん、何かな遠坂嬢」

歩み寄ってくる凛に視線を合わせる。

「氷室さんってさ」

「?」

「─────意外と大胆よね」

「!?」

ピキリ、と鐘の時間が一瞬停止した。
心なしか全身灰色っぽくなってるように見えるが気のせい。

「おーい、鍵閉めるぞ? 早く出てきなよ、二人とも」

中々出てこない二人を急かす様に綾子が声をかけた。

「ええ、わかったわ」

「  」

凛は外へと出るが、鐘はまだもう少し灰色になったまま。

「? どうした、美綴」

「いや、氷室が出てこないなって」

「ん? 氷室ー?」

「ッ!!!???」

突然(鐘の中では)かけられた声に、鐘はビックゥ!! と肩を大きく震わせた。
当然それを見た士郎は不審に思う訳で………。

「………どうした?」

「いっ、いやなんでもない。それより遠坂嬢はいるか? いるよな? むしろいてくれ!」

足早に弓道場から出て凛を発見し素早く他の三人から引き離すためにずるずると引っ張っていく。
勿論その光景を見たセイバー、綾子、士郎には、はてなマークしか思い浮かばない。

「あら、どうしたのかしら。クールビューティの氷室さん? そんなに慌てちゃって」

最ッッ高の笑顔で笑いかけてくる凛。
対する鐘はどことなく顔が赤い。

「その笑顔。今見ると非常に不愉快極まりないのだがそれは置いておこう。それより、さっきのはどういう意味かな? 遠坂嬢」

「あら、別に深い意味はありませんよ? ただ“目の当たりにしたことに対して率直な感想を言った”だけですわよ?」

なぜかお嬢様言葉な凛。
そして相変わらずの無駄に最高な笑顔。

「心当たりがないのであれば、私から説明してあげますけど? ねぇ、衛宮くん?」

「ん? なぜに俺?」

近づいてきた士郎に声をかける凛。
対する鐘は凛が何を言いたいのか瞬時に理解。その時間、わずか0.1秒。

「ねぇ、衛宮くん? 氷室さんのから─────」

「衛宮!時間がもったいない、早く行こう!時は金なりと言うだろう? さあ行くぞ!」

凛の言葉を遮り強引に士郎の手を握って凛から引き離すように引っ張っていく。

「ちょっ………わかった。確かに時間は大事だから、いや手、手痛いって………」

「あらあら、氷室さんって強引なんですねー」

「………あたしはお前が怖いよ、遠坂」

「…………」

強引にひっぱる鐘の姿と引っ張られる自分の主を見てセイバーは思う。

(先ほどの回想は間違いだったのでしょうか)



「じゃあまずは綾子の家からね。少し待ってて」

そう言って中に入って行く綾子と凛。
待つ事20秒。

「終わったわ」
「はやいな」

間髪入れずにツッコミを入れる士郎。

「当たり前でしょ。一般人に暗示かけるなんて簡単な─────っとごめんなさい。“私からすれば”簡単なことよ」

「何で訂正したんだ。何気に傷つくんだけどその言葉」

「自分を恥じなさい。それじゃ、次は氷室さんの家ね♪」

「遠坂嬢、なぜ語尾に『♪』がついているのか教えていただきたい」

「ついてないわよ。さ、行くわよ。時は金なり、なんでしょ?」

「セイバー。ここにいて美綴の手伝いをしてやってくれ」

「わかりました」



氷室の家の前で待つ事数十秒。

「暗示はかけ終えたわ」

そう言って遠坂は家から出てきた。
その後ろには氷室もいた。

「そうか。手伝ってくれてありがとうな、遠坂」

「別にいいわよ………。それじゃ、あたしは綾子の方を見てくるから、衛宮くんは氷室さんの手伝いをしてあげなさい」

「ああ、わかった」

暗示をかけ終えた遠坂は美綴の家に向かうため階段を下りて行った。
その後ろ姿を確認して、前にいる氷室に確認をとる。

「氷室、俺に何か手伝えることはあるか?」

「残念ながら何もないかな。第一何を手伝うというのだ? 私の下着を選んで鞄の中に入れてくれるのか?………興味はあるな、衛宮がどのような嗜好の持ち主かというのがわかりそうだ」

「それ言うなら氷室の私物見て、氷室がどんな趣味を持っているのかって─────いや、スミマセン。無理です」

残念だが俺にそこまでの度胸はない。っていうか、無理だろ………!
一方の氷室もそれはわかっていたらしく『むしろ手伝われては困る………』と呟きながら家の中へ入って行った。

これから数分くらいは一人の時間。
そう思ってマンションの廊下から街を見下ろす。
眼下に広がるのは広大な夜景。マンションの階こそそう高くはないが、十分遠くまで見渡せる高さだった。

「氷室も、美綴も………無関係なのにな」

彼女ら二人の家族に暗示をかけて匿う。
正しい行動ではあるかもしれない。
しかし暗示をかけて嘘をついている。
何とも言えない気分になってしまう。
そもそも彼女達は巻き込まれただけだった。本来ならばこんな暗示に頼る必要性なんて全く皆無だった筈。

「無関係………か」

そう呟いて頭の中に再生されるのはあの火災。
きっとあの火災の発生原因は自分には無関係だった筈。もし関係していたならあの場で立ち往生なんてしていない。
無関係だったのに火災が発生し、両親を失い、家族を失い、記憶を失った。
あの火災には自分と同じように無関係な人がいた。逃げる自分に助けを求めてくる人がいた。

─────ケレド、オレハソレヲタスケナラレナカッタ

助けようともした。けれどその前に炎が行く手を遮って助けれなくなったり、瓦礫が落ちてきて目の前の地面が真っ赤に染まったり。
そんな事ばかりだ。いい思い出なんて当然だけど一つもない。
無関係なのに巻き込まれて死んでいった者達。

「………大丈夫。絶対に………守る」

あんな悲劇は繰り返してはいけない。無関係に巻き込まれて死んでいくなんて、そんな無意味な死に方なんてしちゃいけない。
助けなければいけない。守らなければいけない。幸せにしなければいけない。

「絶対に後悔だけは………しないように生きる」

俺は改めて二人を守ると誓った。
そうさ、そのための………『魔術』なんだから。



「こんなところか………。持っていくのは本当に最低限必要な物だけで構わないからな」

着替え数点と勉強道具一式。
生活必需品数点とあと数個のエトセトラ。

「鐘、用意はできた?」

母親が尋ねてくる。
遠坂嬢の暗示によって私は『二週間程度衛宮の家に泊まる』ということになっている。
そこで何の疑問も湧かずに『そう、わかったわ』で返事をさせる遠坂嬢の催眠。
結果衛宮が“男”だと判っていてもなんの抵抗もなしに送り出してくる。

「はい、終わりました」

こういう場面では便利だろうが、同時に怖くも思う。
どのような理不尽でも催眠で操れてしまうのだから。

「そう、なら迷惑かけないようにね」

「…………」

迷惑、か。
もうとっくに迷惑をかけているのだが………。

「はい、それじゃ行ってきます」

「行ってらっしゃい。玄関までだけど見送りするわよ」

玄関で靴を履き戸を開ける。
目の前には背を向けて夜景を見ている衛宮の姿があった。

「お、荷物整理は終わったのか、氷室」

「ああ、すまない。待たせてしまって」

「いや、いいよ。それじゃいこうか。多分遠坂たちも下で待ってる」

そうだな、と答えて歩き出そうとしたとき

「えっと………そちらの方が衛宮さん?」

母親が尋ねてきた。
催眠がかかっているとはいえ、確かに気になる存在ではあるだろう。

「あ、はい。衛宮です、衛宮士郎です」

声をかけられた衛宮は軽い自己紹介をして頭を下げる。
それを聞いた母親の顔は………

「衛宮………シロウくん?」

少し様子がおかしかった。

「お母さん?」

「士郎くん、少し顔を見せてくれないかしら」

「? はぁ………」

下げていた頭をあげる衛宮。
その顔をみた母親の顔は驚いているようにも見えた。

「………一つ、質問いいかしら? どこに住んでる人?」

「? 深山町に住んでいますが………?」

「………そう。ちょっと待ってね」

ぱたぱた と走って家の中へ入って行く。
少しして母親は何かを持ってきて私に見えないように衛宮に見せた。

「これ、………“知ってる”?」

「─────」

どうやら写真らしい。
それを見た衛宮は少しの間固まっていた。

「衛宮くん?」

「─────あ、いや………すみません。“覚えてない”です。ちょっと判断はできません」

「そう………。ならやっぱり人違いかしら」

「お母さん? 一体何を………」

母親の持っていた写真を見ようとするが、

「あ、何でもないわよ。それじゃ、行ってらっしゃい。衛宮くんに迷惑かけないようにね」

そう言って家の中に帰って行った。

「?」

その行動や動作が不可思議に思えた私は衛宮に訊いてみる。

「衛宮、お母さんから何を見せられたのだ?」

だが衛宮の様子も少しおかしい。
反応がない。

「衛宮?」

「………!あ、いやある人の写真を見せられたんだ。で、ちょっと心当たりなかった。で、考えてたんだ」

「………そうか。まったく、お母さんは何を考えているのか。」

最近、というよりは今朝から母親の性格がちょっとわからなくなってた。
………まぁ気にかけるほどでもないだろうが。

エレベーターに乗り、一階のエントランスへと向かう。
到着して入ってみれば案の定三人が待っていた。

「ようやくきたわね。氷室さんの身支度に時間がかかったのかしら」

「あ、いやそういうわけじゃない。ちょっといろいろあっただけだ」

「いろいろって何かしら………? あ、もしかして今後のお付き合いの予定とか?」

「なっ、なんでそんなことになる、遠坂嬢。母親が衛宮にいくつか質問していただけだ。変な事になってはいない」

誤解されないように事実を言っておくことにする。

「ふぅん………質問、ね。………ま、いいわ。それじゃ衛宮くんの家に行きましょう。衛宮くん、道案内よろしく」

「あ、ああ。こっからだとまたバスに乗らなきゃいけないな。歩いても帰れるけどかなり時間かかっちまう」

そう言って私たちは歩き出したのだった。
衛宮の様子が少しおかしいのが気にはなったが。


─────第三節 とある5人の共同生活─────

「到着っと」

坂を上りきり、衛宮邸の前につく。
少しだけ大きめの鞄をもった綾子と鐘そして………士郎。

「っていうか………遠坂。お前この中何入ってんだ………? かなり重いんだけど………っ!?」

「いろいろ必要品よ。間違っても地面には降ろさないでね」

つまりは凛の鞄を士郎が持っていたということである。
凛がこんな重い鞄を持たせたのは理由がある。
彼女も衛宮邸に泊まるのだ。
それを聞いたときは『はぁ!? 何で遠坂まで泊まるんだよ!』と反発しのだが………

『じゃあ貴方とセイバーの二人だけで守りきれるっていうの? 戦力は多いに越したことないでしょ。それに協力関係なんだからそれくらい当然じゃない』

と言われ、セイバーには

『確かに。流石の私でも三人を同時護衛するのには少し厳しいものがある』

と言う言葉まで貰ってしまい反論できなかった。
結果、凛の在宅も許可することとなり、重い荷物を士郎に押し付けて無事家に到着したわけである。

ちなみに荷物は『衛宮くんはこの中で唯一の男の子なんだから力仕事は任せるわ♪』と、NOを言わせない物言いで押し付けられた。
とことん学校とのイメージのギャップに悩まされたが、ここまでくると『猫かぶってたんだな』と納得して開き直った。

「とりあえず居間に荷物を置こう。部屋に関してはそれから決めよう。あと夕飯の用意もする必要があるな。………食材足りたっけかな」

そんなことを呟きながら居間に荷物を置き、冷蔵庫の中を確かめる。

「ふぅん………これが衛宮くんの家ね。─────で、なんでガラス戸がシート仕様なの?」

「あー、ガラス割れちゃってまだ張りなおしてないんだよ。………と、これなら夕飯と明日朝飯は大丈夫か。明日の帰りに食材買う必要が………」

「………思いっきり主夫ね。ま、いいわ。これくらいなら別に………」

ガラス戸に近づき、外に落ちていた破片を拾う。
そして───

「────Minuten vor Schweisen」

粉々に砕けていたガラスが元通りの姿になっていた。
その光景を唖然としてみる綾子。

「いや、すごいもんだね、遠坂。これでいつガラスが割れてもあんたに頼めば一発解決ってわけだ」

「ちょっと綾子。私は便利屋じゃないし、こうやって使うのも貴女達が魔術っていうものを知ってるからよ。普通はこんなことしない」

はぁ、といって居間に座る。と、そこに出されるのはお茶。
持ってきたのは士郎ではなく鐘だった。
ちなみにセイバーはテーブルに置かれた蜜柑と格闘中。

「とりあえず体冷えたろうからこれ飲んであったまっといてくれ、とのことだ」

「そ。気が利くわね。じゃ、ありがたく頂こうかしら」

ずずっ、と茶をすすりながらテーブルに置いてある蜜柑の皮を剥く。
綾子、鐘も同様だ。ちなみにセイバーはすでに蜜柑3個目(!)に突入。

「ん、いい匂いね」

居間に漂ってきた香りを嗅いでキッチンの方へ顔を出す凛。

「なんだ、遠坂。まだできないぞ。あともう少し待っててくれ」

「ん、それはわかってるわよ。何作ってるのかなーって。………で、これ和食?」

「ああ。とりあえずみんなを持て成そうと思って」

ふうん、と料理を眺めていた凛は唐突に

「ね、夕食の当番は“みんなで”交代制にしない? これからしばらく一緒に暮らすんだし、その方が助かるでしょ?」

この場にいる全員に聞こえるように凛が言った。
無論この全員の中にサーヴァントであるセイバーは含まれていないが。

「………ふむ。ついいつもの調子で考えて作ってたけど、みんながうちで暮らすっていうなら家族と同じだ。飯ぐらい作るのは当たり前だし、俺も楽でいいか」

「へぇ、面白そうだね。毎日日替わりで作る人が変わるのか。ってことは当然メニューもバラバラ。………うん、いいね。その話乗った」

士郎、綾子が凛の提案を受け入れる中、一人だけは渋っていた。
氷室 鐘である。

「………交代制、か?」

「? ええ、そうよ? その方が─────ってナルホド」

ニヤリ、と笑う凛。その笑顔は先ほども見ました。
そんな笑顔を見て僅かにたじろぐ鐘。

「いや、別にいいのよ? たとえ“氷室さんの手料理が食べれなくても”死ぬわけじゃないから。氷室さんは“いつも通り”でいいわよ」

「くっ───」

肩を小さく震わせながら視線を逸らしてしまった。
今のところ凛VS鐘の戦いは鐘の全敗である。

鐘は料理ができない。かつて「教室を酸の海に沈める」という偉業すら成し遂げてしまうほどの下手っぷりであった。
その後の努力により「でも味は普通」まで伸ばすことに成功。
しかし、それでもまだ人に自信を持って出せるほど料理が上手くなったわけではなかった。

そんな鐘を見て居た堪れなくなった士郎は

「遠坂、作れない人に強制させるな。氷室もさ、この際挑戦してみたらどうだ? 何なら俺も手伝うからさ。練習していけばうまくなるって」

という提案を出してきた。
当然困惑するわけで

「い、いやしかしだな。衛宮の手を煩わせたくはないし、時間もかかる。私がやるよりは───」

「そんなことじゃいつまでたってもうまくならないぞ、氷室。俺も氷室の手料理は食べてみたいし、迷惑じゃないしさ。むしろ歓迎するぞ?」

さらっという所が実に士郎らしい。フリーズする鐘。
それを聞いた綾子と凛もまたフリーズしていた。

「あ、ところで朝飯はどうするんだ? 夕飯が交代制なら朝飯も交代制か?」

キッチンの近くにまできていた凛に問いかける。

「え? あ、ああ。朝食ね。ん、私は朝食は食べないからいいわ。やるなら3人でやったらいいわよ」

「───なんだそりゃ。勝手なコトいうな、朝飯くらい食べないと大きくなれないぞ」

「余計なお世話。人の生活スタイルに口を挟まないでちょうだい。………とにかく衛宮くんは夕飯を作ることに専念なさい!ちゃんとしたもの作らないと許さないからね」

何が気に食わなかったのかはわからないが、凛は士郎を不機嫌そうに睨んでいた。

「………了解。あ、そうだ。みんな何か食べれないものとかあるか? アレルギーとか。そういうのあったら教えてくれ。使わないようにするから」

「私はないわね」

「………あたしもないな」

「そうか。氷室は?」

視線を向けるが返事がない。
プシュー、と聞こえてくるのは多分気のせい。

「おーい? 氷室ー?」

「ッ!? あ、ああ。私も食べれるぞ、和食は」

「いや、話噛み合ってないし」

セイバーは9個目(!?)の蜜柑に手を出していた。



士郎が食事を作り終えるまであと少しかかる。

「リン、今後の方針は決まっているのですか?」

「さぁ? 情報が無いから何とも言えないけど、とりあえずは他の奴の居場所を特定するってことかな。それにこの家をそう簡単に留守にもできないしね」

そんな会話の中、凛はセイバーをじろじろと見ている。

「? 何でしょうか?」

「ねぇセイバー? なんで喪服なんて着てるの? 他に服はないわけ? っていうか霊体化しないわけ?」

「服はこれと私自身が元から着ていた服しかありません。あと霊体化に関しては貴女には答える必要はないかと思われます。

「ふぅん………ガード、固いわね。ま、いいわ。サーヴァントもマスターもそれで不自由しないっていうなら私からいう事は何もない。なら、セイバー。ちょっとついてきて欲しいんだけど」

「? 何でしょう」

「その服よ。まぁ騙されたと思ってついてきなさい」

セイバーの手を取り、凛は別室へ向かっていった。



士郎が食事を作り終えるまであともう少しである。

「少しいいだろうか、美綴嬢」

「ん?」

テレビを見ていた綾子は後ろを振り向く。

「美綴嬢は食事を作れるのだろうか?」

どうやらまだ少し引き摺っているらしい。

「ん、そうだな。あたしも料理はできるぞ。合宿とかでもよく作ってたし。うちは放任主義だから自炊することも多々あったしな」

「そうか………」

ふぅ、と少し落ち込む鐘。
やはり料理ができない、というのは女の子にとっては気になるらしい。
ましてや男性である士郎が作れているのだから余計に落ち込んでしまう。

「ま、いいんじゃない? 衛宮が言った通り、この際衛宮に教えてもらいなよ。手取り足取りさ」

ニヤリ、と笑いかけてくる綾子。
そこに何かを感じます。

「て………手取り足取りなどと………!」

「はいはい、照れない照れない。上手くなって衛宮に手料理食べさせてあげな」

「─────善処する」

プイ、と視線を逸らした先に士郎の姿が映った。

「おーい、メシできたから運ぶの手伝ってくれー」

食事の時間である。
時刻は夕飯とは少し言いにくい時間帯であった。
カチャカチャ、と運びながらテーブルへ並べて行く。流石に5人分は一人で運ぶにはきつい。
居間にいた鐘と綾子も手伝って並べ終える。
5人………というだけあってちょっと大きめのテーブルも埋まってしまった。

「………っていうかよくこれだけ作ったよな、衛宮。いくら5人とはいってもさ」

「みんながどれだけ食べるかわからない、っていうのもあったからな。少なく作って足りないーっていうよりは多く作って残った分を明日に回した方がいいだろ?」

「ん………まあ一理あるか。でも衛宮。こんな作って明日は大丈夫なの?」

「いや、全く大丈夫じゃない。明日の朝食分で完全空だな。昼食分は食堂か売店で済まして、学校帰りに商店街によって食材買いまくらないと………」

う~ん、と明日の食事の心配をする士郎。
それを聞いた鐘はふと思い出した。

「衛宮、君の財政事情は大丈夫なのだろうか? 前回藤村先生により一時経済難に陥ったとか言っていただろう?」

「あー、それは大丈夫。少なくとも今のところは。つい最近だって一日3万のバイト代貰ったからそれをそっちに当てれば大丈夫だ」

本当にあの3万円は助かったなーと、バイト先の店長に心の中でお礼をしておく。

「一日3万円って………どんなバイトよ。────ま、いいか。それじゃ、冷める前に食べよう」

「ああ、そうだな。────ってセイバーと遠坂はどこいったんだ?」

「どこかへ行ってまだ帰ってきていないようだが………」

「おまたせー」

噂をすれば何とやら。居間に凛とセイバーが入ってきた。
凛の姿は制服姿から変わっていない。
そしてセイバーはというと上品な白系の洋服に着替えていた。

「おー。セイバーさん、似合ってる。やっぱり喪服よりそういう服装の方がいいかもしれないな」

「セイバーさん、似合ってますよ。それにその服なら家の中でも街中でも問題はなさそうだ。

「そうですか………ありがとうございます」

その姿を見て二人は賞賛する。
セイバーは素直にお礼を言っていた。

「ほら、士郎はどうなのよ? 感想は?」

と、凛はまだ感想を言わぬ士郎の感想を求めてきた。

「あ? ああ………。いや、似合ってると思うぞ? セイバーらしい、というか清楚に感じるし。似合ってる」

士郎は率直な意見を述べてから今朝思ったことを思い出した。
『セイバーの服を何とかしよう』。
それを今日の出来事で見事に忘れていた。

「ですって。よかったじゃない、セイバー」

「そうですね。マスターがそう言うのであれば私としても問題はない」

「………何か言い方が気になるけど。その服どうしたんだ?」

「私があげたのよ。第一普段着が喪服ってどうなのよ。もっと身軽な服用意してあげなさいよ」

「………俺もそれを今朝までは覚えていたんだけどな?」

はぁ、と小さいため息をつく。

「ま、とにかくメシを食おう。おかわりもあるからじゃんじゃん食べてくれていいぞ」

「ん、そうね。流石にお腹すいたし。いただくとするわ」

「さて、衛宮の手料理を頂きますかね」

「そうだな。しかしこの量は食べきれるかどうか………」

「ではシロウ、私もいただきます」

こうして遅めの夕食が始まった。




セ「ふむ………ふむふむ………」
凛「よしっ、これなら勝った………!」
士「ちょっと待て、それはどういう意味だ」
綾「いや、衛宮のメシはうまいね」
鐘「…………(都合のいいときに衛宮に教えを乞う事にしよう………)」


夜は更けていく。



―an Afterword―

ここまでのご愛読ありがとうございました。
18話をもって前半戦終了をお知らせいたします。
初心者が書くSSということで、何かと問題などあったかとおもいます。

皆様のご指摘、意見、感想はしっかりと読ませていただいております。
声援を糧にしてこれからも精進してまいりたいと思います。

これからも「Fate/Unlimited World―Re」をよろしくお願いします。

次話より中盤戦に突入です。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第19話 加速し始めた日常 Chapter4 Fresh Blood Shrine
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/08/11 22:12
Chapter4 Fresh Blood Shrine

第19話 加速し始めた日常

Date:2月5日 火曜日 

─────第一節 黒い太陽─────

─────熱い

どうしてこんなコトになったのか。
フトンをかぶって、目をとじて、ちゃんとおやすみなさいと言ったのに、つぎにやってきたのはマッカなけしきだけだった。
うるさくて、熱くて、目をさます前にお母さんが起こしてくれた。
よるなのにとても明るい。
お父さんがだき上げてくれて、ごうごうともえるロウカを走っていく。

─────苦しい

お父さんを見た。
                止められた。
いなかった。

お母さんといた。
                約束をした。
いなかった。

─────痛い

外もうちのなかと変わらなかった。
みんなまっか。 ぜんぶまっか。 どこもあつい。
だからあつくないところに行きたかった。“そこ”に行けと約束したから。

─────目が痛い

なきながら走った。
うちに帰りたかった。けど、うちがどこにあったのか、もうわからなくなっていた。
だから走った。“そこ”にいけばきっとみんな“そこ”にいるっておもったから。

─────体が痛い

走っていた足がおそくなった。
歩いていた足が止まっていた。
うしろをふりかえる。
おうちもみえない。お母さんもお父さんもいない。

─────怖い

いたい。      あつい。
目がいたい。    目があつい。
頭がいたい。    頭があつい。
腕がいたい。    腕があつい。
足がいたい。    足があつい。
体がいたい。    体があつい。

いたい、いたい、いたい、あつい、あつい、あつい。
熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

いきをすうとノドがヤける。
そこにいるだけでこわれていく。
足が重い。それが仲間にしたいとツカんでくる人たちのものだってわかった。

そらには太陽が見える。………みえる?
おかしい。よるだったはず。
太陽が黒い。………くろい。
ぼくは関係ない。ぼくはヒトなんだ。
にげなきゃいけない。こわい。
あの黒い太陽がコわい。あのカゲがコわい。
アレにつかまったら、もっとこわいところにツレテイカレルだケなんダから。
ダカラ───ニげた。



────空を見上げる。
いずれ雨が降るあの灰色の空に手を伸ばし、そしてゆっくりと手は落ちる────

どうして────
“あの写真”が引っ掛かるのだろう?


─────第二節 忙しない朝─────

「─────っ、あ」

目が覚めた。体が少し重い。頭痛が酷い。体が熱い。
暑い。熱い。

「冬………のはずだけど」

小さく呟きながら周囲を見渡す。そこには誰もいない。
昨夜は夕食の後に一悶着あった。………部屋の問題である。
凛はずかずかと家の中を散策し、気に入った離れの部屋を発見して侵略していった。
まさに侵略者といっていいような姿である。

が、もう彼女が泊まることは家に来た時点で決定していたし、離れの部屋は比較的快適に過ごせる空間ではあるので問題はなかった。
強いて言うなら侵略するその態度に少し頭を抱えたくらいである。
問題は残る三人。
鐘と綾子の部屋をどうしようか、という話になったときにセイバーが出してきた提案。

『護衛がしやすいように同室で休むべきです』

この発言を聞いたとき、士郎は口に含んだ茶を噴出しそうになった。
つまりは士郎の寝室にセイバー、鐘、綾子、士郎の4人が一緒に寝るということである。

『待てセイバー!それは無理だ、絶対に!』

まず空間的な問題として士郎の寝室に4人も寝れるほどの広さはない。
いや、無理に詰めれば4人寝れるかもしれないが、そうなると別の問題がより肥大化してしまう。
士郎の精神的な問題で、寝れるほどの広さがあったとしても精神面で眠ることができない。
うんうん、と横で聞いていた綾子と鐘もうなずいていた。

『ですがシロウ。私はマスターである貴方を守る義務があります。睡眠中はその典型と言ってもいいでしょう。加えてヒムロとアヤコもいる。一か所に居てくれた方が護衛はしやすいのですが』

セイバーの言うことはもっともだろう。
だがそれに屈してしまっては、いろいろとまずい士郎は必至に何とかしようと説得を試みる。
空間的な問題をセイバーに伝えて上で

『三人にはなるべく近い部屋を用意する。だからそれで勘弁してくれ』

加えてこの家の結界も説明してなんとか静めることに成功した士郎だった。
結果セイバーは隣の部屋。鐘と綾子はそれぞれすぐ傍の部屋という采配となった。
どちらもすぐに駆けつけることができ、かつどちらもすぐに逃げてこれる、という配置である。

「………メシ、作るか」

気だるい体を起き上らせようと動かす。
が………

「あ………れ?」

思う様に動かない。
頭もぼぅっとして浮いているような感じである。

「うわ………体、きもちわる………」

汗をかいていたこともあって、今すぐにでもシャワーを浴びたくなってくる。
が、そんな事をやってられないのも事実。時刻は5時40分。
少し寝坊である。
なんとか布団から抜け出し、着替えを済ませるために服へ手を伸ばす。
と、ここで手が止まった。

「…………藤ねぇと桜にはどうやって説明をすればいいんだ………!?」

非常事態発生エマージェンシーである。
昨日はもういろいろありすぎて考えることすらなかったが、今日から朝だけではあるが二人がやってくる。
隠れてやり過ごすことなんてできるわけがない。
となるともう開きなおって説明すればいいのであるが問題はどう説明するか、である。

「まさか聖杯戦争のことを説明するわけにもいかないし………」

うーん、と唸る士郎だったが

「─────痛って………」

頭痛の所為でうまく考えが纏まらない。
加えて朝食の準備もしなくてはいけない。いつもよりも人数が多いため当然ながら量がいる。
つまりはそれだけ時間がかかるのでいつもより早く準備をしなくてはいけない。

「まず、顔洗って………すっきりさせて………作りながら考えるか」

傍に置いてあったタオルで体の汗を拭きとって着替える。
気だるい体を引き摺り、洗面所へと向かう。

「………何で寝たのに疲れてんだろ」

ボヤキながら洗面所へとつながる戸を開け、洗面所で顔を洗う。
と、そこへ声が聞こえてきた。

「………お。衛宮か。早いな」

洗うために下へ向けていた顔を僅かに横へ傾けて入ってきた人物に目をやる。
美綴 綾子だった。
すでに制服に着替えている。

「おはよう、美綴。美綴も朝早いんだな。よく眠れたか?」

バシャバシャと顔を洗いながら尋ねる。
その背後では洗面台が空くのを待つ綾子が。

「ああ、お陰様で。いつもとは違う雰囲気っていうのもあった所為か少し目が覚めるのが早かったけどね。ま、問題はないよ」

顔を洗い終えた士郎は洗面台を綾子に譲り、顔を拭く。
まだ頭痛は治っていないが、先ほどよりはマシになった………と思う。

「そうか、そりゃよかった。これから朝食の準備するから少しだけ待っててくれ」

「衛宮、あたしも手伝おうか? 一応この家に泊まらせてもらってるわけだし」

そんな申し出を受けた士郎。
5人+2人の朝食を準備するとなると一人ではきついだろう。

「そうだな、手伝ってくれるなら助かる。朝も忙しくなりそうだしな」

「ん、わかった。ちょっとしたら手伝いにいくよ」

洗面所で顔を洗っている綾子と別れて居間へ入り、キッチンへ向かう。
昨日の夕食の残り分がまだ少しだけ量があったが、流石に7人分を賄えるほど残ってはいない。
これは昼食用へと回し、朝食を新たに作る。

「………7人って。昨日までは二人だったのにな」

食材を取り出しているところへ

「───おはよ。朝早いのね、アンタ」

見るからに不機嫌そうな凛がやってきた。
その姿を見て唖然とする士郎。

「と、遠坂?……………何かあったのか?」

いつものその姿からは想像ができないほどの姿だったのでそんなことを尋ねてしまう。
想像できない、という点では昨日からすでにイメージとはかけ離れていたのだが、これはこれで別の衝撃である。

「別に。朝はいつもこんなんだから気にしないで。………早く目、覚ましてすっきりしとく。綾子たちもいるからね………」

幽鬼のような足取りで居間を横切っていく凛。
もうすでに起きてしまっている士郎に見つかるのは仕方ないとして、同じ女性である二人にはなるべく見られたくないようだ。

「………脱衣所の洗面台を使うならそこの廊下から行ったら近いぞ。………顔洗いたいだけなら、玄関側の廊下に洗面所がある。あと言っておくと脱衣所の方には美綴がいる」

「………じゃあ玄関側のを使う」

どこまで話を理解しているかわからない態度で手を振りながら廊下へと出て行った。
時刻は午前5時50分。
凛としては少し早起きであるが、その理由に先ほどの言葉が関係しているのだろう。

(………昨日遠坂が二人の起床時間聞いていた理由がそれか)

昨日の出来事を思い出しながら納得する士郎だった。
再びキッチンへと向かい合って朝食の準備をする。

「………頭、痛いな。薬飲むべきか………?」

相変わらず頭痛がして体も少し重い。
浮いたような感覚も感じられる。
できることなら薬に頼りたくはない士郎ではあるが、頭痛が酷いために物事に集中できない。

「もしかして………風邪ひいたのか? 俺。」

風邪をひくような体ではないつもりではいたが、この状況は如何ともし難い。
はぁ、とため息をついたときに

「何? もしかして風邪なのか、衛宮?」

居間に入ってきた綾子が尋ねてきた。
タイミング悪く、士郎が呟いたときにはすでに襖を開けていたのである。

「─────む。いや、それっぽいかな、って話であって風邪を引いたとは言ってない」

「無理するなよ、衛宮。人間、体が資本なんだからさ。無茶して倒れられたら衛宮に申し訳立たない」

「心配してくれてありがとな、美綴。俺は平気だから朝飯作ろう」

調理器具を取り出していく。
今朝の献立は鮭のムニエル・ピーマンとレタスと鶏肉炒め・トマトと胡瓜のサラダ・キャベツの味噌汁に白米と比較的ヘルシーに仕上げる。
で、これとは別にセイバーの昼食も用意しなければいけないので結果8人分となる。

「白米はもう炊飯器で炊きあがるから置いといていい。俺はムニエルと味噌汁作るから美綴は炒め物頼んでいいか?」

ちなみにサラダは昨夜のうちに作って冷蔵庫に入れてあるので調理は不要である。

「ん、わかった。まな板と包丁借りるよ」

キッチンの一部を借りて綾子は野菜を切り始めた。
自炊したこともある、というのは伊達ではなくなかなか上手に切っている。

「ふうん………。美綴、結構うまいんだな」

横目で観察しながら鮭を焼いていく。

「ま、あたしが得意なのは大量生産できる食事だけどな。カレーとか」

「カレーか。合宿とかではほとんどお決まりのメニューだな」

そんな会話をしている最中に凛が居間へ帰ってきた。

「あら、二人で朝食作ってるの? 綾子」

「おはよ、遠坂。人数多いし朝は忙しいから手伝った方がいいかなって。あ、ちなみにあんたの分も作ってるからな?」

「別にいらないって言ったのに………。ま、いいわ。用意してくれたなら食べるわよ。当然の礼儀だし」

そこへ次に入ってくるのはセイバー。
こちらは寝起き、という雰囲気ではなくいつも通りの姿である。

「おはようございます、リン、アヤコ、シロウ」

「おはよう、セイバー。今起きたの?」

「いえ、少し前から起きていました。先ほどまで精神統一のために道場にいました。声が聞こえてきたのでこちらへ戻ってきたのです、リン」

「へぇ、朝からそんなことしてるんだセイバーさん」

感心したように綾子が言う。
確かに普通の人間が早朝に起きて道場で精神集中、などはしないだろうし士郎なんかがやると眠ってしまいそうである。

「おはよ、セイバー。もう少ししたら出来上がるから茶でも飲んで待っといてくれ」

「わかりました。………しかしシロウ。体調がすぐれないのですか? 顔色があまり良くないようですが」

「あ、やっぱりセイバーさんも判るんだ。ほら衛宮、あんまり無茶するなって」

「何? 士郎ってば体調崩したの?」

三人の視線がムニエルを作っている士郎に向けられる。
が、当の本人は別に慌てた様子もなく

「いや、体調崩したってほどじゃない。ちょっと頭痛がしてぼぅっとする程度だから、熱だってあったとしても微熱程度だと思うぞ。この程度なら気合いでなんとかなる」

そんな会話をしながらでも調理する手は止まっていないのは日ごろの行いのおかげなのだろうか。
対する綾子もこの程度は慣れている、と言った感じで野菜たちを炒めている。

「ふぅん………なら心配するほどでもないか。─────やっぱりガンド受けた後に解呪もしないで強制的に体を酷使したツケかしら」

ガンドの呪いの解呪は行ったのだが、酷使したところに入り込んだ呪いダメージまでは解呪が届かなかったらしい。
ただそれでも少し違和感がある程度の微熱まで抑え込めたのは一重に凛の能力の高さのおかげだろう。
解呪してもまだ呪いの破片が士郎の体調を変調させることができている、というのもまた凛の能力の高さの所為でもあるのだが。

「ま、確かに普段よりかは思考能力とかに影響でるかもしれないけど何も考えられないってわけじゃないし学校に行っても問題ないぞ」

「………まあ衛宮がそう言うなら大丈夫なのかもしれないけどさ。あたしとしては倒れるところは見たくないんだけど?」

炒め物を皿に移しながら横にいる士郎に視線をやる綾子。
そんな視線を受けながら士郎もまたムニエルを皿に盛っていく。

「大丈夫だって。間違っても熱程度で倒れることはない。っていうか熱で倒れたことなんてないからな」

「シロウが大丈夫だと言うならば、私からはこれ以上何も言いません。しかし体を第一に考えてください」

「わかったわかった。さ、メシできたし食べよう。運ぶの手伝ってくれ」



トゥルルルルルル…………
と、各自が皿をテーブルに運んでいるときに居間に置いてあった電話が鳴った。

「ん? こんな朝っぱらから誰だ………?」

呟きながら電話の受話器をとる士郎。
いや、何となく予想はできないこともないが。

「はい、衛宮ですが」

『もっしも~し!こちら藤村ですがー、衛宮士郎君ですかー!』

「…………………………………………………………………」

眩暈がした。
頭痛がしている士郎にとってこの声と音量はかなり効いた。

「………今の藤村先生か? ここまで声が聞こえてきたんだけど」
「先日の人の声ですね。この早朝から何用なのでしょうか」
「朝っぱらからうるさいわね………」

つまり一番近い士郎にとってはこの上なくうるさかったのである。

「………なんだよ藤ねぇ、朝から電話してきて!せめて声のボリューム下げろ!」

『あはははは、ごめんねー。ほらよく言うじゃない、『腹が減ってはテンション高まる』って』

「言わない。言わないし聞いたことない。で、何の用だよ。っていうか電話かけてきてるってことは家か? 朝飯あるぞ?」

『そう、それ!それについていいたかったのよー』

待ってました!と言わんばかりの声で『朝飯』という単語に食いつい来る虎。
というよりここまでくると虎というよりハイエナ。

『昨日テストの集計とかしてて寝るの遅れたっちゃわけなのよー。で、今さっき起きてこれから士郎ン家に向かってご飯食べてると朝練に間に合わないワケ!』

「つまりは朝飯を弁当として朝練を監督している藤ねぇのところへ持ってきてほしい、そういうわけだな。言っとくが朝っぱらから出前はしてないから登校したときになるぞ」

『できるだけ早くね!加えて昼食も持ってきてくれると先生は士郎を抱きしめてあげてもいいかなー』

「いい、遠慮する。藤ねぇに抱き着かれてもうれしくない。………つまり今朝は家にこれないってわけだな、藤ねぇ?」

『That’s right!さっすが士郎!お姉ちゃんの言いた事をすぐに理解してくれて助かるわぁ。それじゃよろしく!ブチっとな』

ブツッ………ツーツーツーツー………

受話器を持ったまま流れる沈黙。
ゆっくりと受話器を元に戻し、視線を食卓へと向ける。

「………美綴。悪い、そこの引き出しに頭痛薬入ってると思うからそれとってくれ」

「………わかった。なんか………とりあえず、お疲れ、衛宮」

「………ああ」

流石に頭痛に耐えきれなくなったようである。


─────第三節 慣れない朝─────

朝の騒動が一通り収まり、テーブルに全て食事が並び終わる。
あとは食べるだけなのであるが………

「氷室、起きてこないな。それに桜も来ないし」

氷室 鐘がまだ起きてこなかった。
時間は6時を10分ほど過ぎている。
桜も普段この時間帯には来ている。
しかし未だに来ないのでどうしたのかと思う士郎。

「とりあえず氷室さんを起こして来たら? 朝練もあるんでしょ?」

「………そうだな」

……………。

「何やってるのよ、士郎が起こしに行きなさいよ」

「えっ、俺がか?」

指名を受けて驚く。
士郎はてっきり女性陣が起こしに行くものだと思っていたのだ。

「士郎が守るって言って家に泊めたんだから、それくらいはしなさいって話。わかった?」

「む…………そういうものなのか?………わかった。じゃあ起こしに行ってくる」

そう言って居間から出ようとした士郎の動きが止まった。
その光景を見て首を傾げる三人。

「………なあ遠坂。おまえ、いつから俺を名前で呼び捨てるようになったんだ?」

「あれ、そうだった? 意識してなかったから、わりと前からそうなってたんじゃない?」

凛の言葉を聞いて思い出してみる。

「………なってた。昨日からすでになってた気がする」

どこからか、というのは曖昧で覚えていないがすでに昨日の夕食時には名前で呼ばれていた記憶があった。

「そう。イヤなら気をつけるけど、士郎はイヤなの?」

尋ねてくる凛の姿を見ながら友人、一成がかつて言っていた言葉を思い出す。
曰く『魔性の女』だとか。
士郎は少し同意せざるを得なかった。

「………いい、好きにしろ。遠坂の呼びやすい方で構わない」

「そ? ならそういうコトで」

疑問を解決させた士郎は居間をあとにして鐘がいる部屋へと向かった。
鐘のいる部屋は和室。
当然、ノックできるような扉ではない。

「氷室? おきてるか、氷室?」

声をかけてみるが返事がない。
時刻はあと少しで長針が3を指そうとしている。
彼女も朝の部活があるのだからこれ以上遅れることがあると、それこそ走るような支度をしなければならない。

「………優等生の氷室でもこういうことってあるんだな」

鐘は学校のテストでも常に上位にいる優等生。
それくらいは勉強があまり得意ではない士郎でも知っていた。

「氷室ー? 起きてないのか?」

声をかけるがやはり返事は返ってこない。
女性が寝ているであろう部屋に入るのは憚られるが、こうしている間にも時間は過ぎる。
部活に遅刻させてしまっては彼女に申し訳ないだろう。

「………お邪魔しまーす」

なぜか緊張して小声になる。
襖を開けて奥に敷かれている布団を見る。
少し膨らんでいるところからして、まだ眠っているようである。
ふぅ、と少し気持ちを落ち着かせて周囲を見渡す。
布団の“すぐ傍”に目覚まし時計が置いてあった。

「なんだって時計をセットしといて………」

目覚ましの時計は問題なく長針が3を指している。
つまりは正常に動いている。となれば当然セットされた時計は時刻通りに鳴った筈である。
にもかかわらず音が止まって鐘が寝ているということは。

「─────止めて二度寝しちまったってことか」

彼女が寝ている部屋は生憎と家の内側に属しているため朝日は直接入ってこない。
隣の部屋から差し込む僅かな光が部屋を薄暗くしていた。
おそらくはその少し暗い所為もあったのだろう。
意外な一面を見た士郎は寝ている鐘に近づいて声をかけようとする。
が、足音が気になったのだろうか。背中を向けていた鐘がごろん、と寝返りを打ち、士郎の方へ向いた。

「ん…………」

寝返ったときの動きでわずかに布団がめくれ、彼女が来ているかわいらしい寝間着が見えた。
小さな吐息。様子からしてまだ眠っているようである。実に安らかに眠っていた。
まるで眠り姫である。
が、その姿を見た士郎はそうもいかない。

「───────────────」

思考が一瞬で漂白される。
呼吸は止まり、わずかに差し込む光で見える彼女の姿を見て眼球は固定されてピクリとも動かない。
今まで同世代の女性の寝姿など見た事がない士郎にはインパクト十分であった。
加えて彼女の着ている寝間着が普段とギャップがありすぎて余計に緊迫してしまっていた。

「─────っ」

ここで失敗は許されない。
今後聖杯戦争が終結するまでは彼女と一緒に住むことになるのだ。
今後の活動を円滑に進めるためにも、ここは何事も無かったかようにこの部屋から出なければいけない。
ここで鐘を注視していたことを彼女に知られれば絶対何か気まずい空気になりそうな感じがすると考えて、ゆっくりと近づいた足を後退させる。
本来起こしに来たのだから彼女の肩に触れて揺すって起こせばそれで終わりなのだが、今の士郎にはそんな考えは浮かばない。
微熱がここで少し思考能力を鈍らせているようである。

(もう少し………!もう少しで安全圏へ離脱できる!)

あと4歩。
それだけ後退したら何事も無かったかのように襖を閉めて外から大声で呼べばいい。流石に彼女も起きるだろう。
その間にも視線が鐘から離れない。逸らせばいいだけなのに離れないのだから性質が悪い。
はたから見れば眠っている女性を見てドギマギしている男性、というどこの新婚、あるいはどこの変態か、と突っ込まれることこの上ない体裁となっている士郎。

が、当の本人はそんなのには構っていられない。
自分がまずい状況に踏み込んだと自覚がある分余計に焦ってもいたからである。
しかし─────

「ん…………」

「…………ぁ」

眠り姫の目がゆっくりと開き、正面にいた士郎を捉えた。

起きてしまった。
さすがに無音の足音で外まで出ることはできない。
加えて最初の声掛けの所為で眠りが浅くなっていたところに人の気配。目が覚めるのは道理である。

「─────」
「─────」

時間が停止して互いが互いを見つめ合う。
時間はすでに4を指そうとしている。

「お、おはよう、氷室。………今日もいい朝、だな」

もはや見つかった以上は逃れることはできない。
何とか体裁だけは整えようと挨拶をする。だらり、と嫌な汗がでてきそうであるが。
というかその言葉はどういう意味だ。

「…………衛宮?」

寝起きの鐘はその声を聞いてはっきりと理解する。
そして─────

「っ!!??」

自分の状況を確認して布団を被った。
そんな彼女を見て余計に焦燥感が拭えなくなった士郎。

「ひ………氷室? その、とりあえずもうすぐ6時半になるから起こしに来たんだけど………」

「わ、わかっている。すまなかった。が、なぜ衛宮なんだ。美綴嬢でも遠坂嬢でもいいだろうに………!」

「あー………いや、遠坂に『守るって言ったんだからそれくらい責任持て』って言われたから」

「遠坂嬢か………」

何やら含みがある声だったが気にしないことにする。
というより昨日から行われてる凛の“鐘いぢり”をちょくちょく見かけるような気がする。

「だ、大丈夫!別に変なことはしてない!本当にただ起こしに来ただけだから!」

必死に今ここにいる理由を説明するが、雰囲気は変わらない。

「………ではなぜ君はそんなところで固まっていたのだ?」

布団の中から頭を出して尋ねてくる。
その視線を浴びて顔を逸らしてしまう。

「いや………気にするな」

「………そういえば、先ほど言っていたな?」

「へ?」

目が点になる。
何か言っただろうか?

「………いい朝だ、とかなんとか。………私の寝姿を見ていい朝、というわけか衛宮」

「                」

どっと冷や汗が噴き出した。
というか微熱が一気に高熱にまで上昇したんじゃないだろうか?
対する鐘は鐘で顔が赤くなって怒っている………ように見える。

「イ………イヤ? ソ、ソンナ他意トイウカ、変ナ考エハデスネ………」

勿論士郎に他意はない。
ただ場に困ったが故の苦し紛れの挨拶だったのだが、それが逆に首を絞めている事に今更ながら気が付いた。
これではただの変態である。
傍に置いてあったメガネをかけて再度士郎の顔を見る鐘。

「そんなに見物だったか………私の姿は」

何やら怒っていそうな雰囲気を感じたので言い逃れはやめる。
というか一人眠る女性の部屋に男性が入ってきた時点で間違いだったのである。

「………いや、本当にすまん。起こしに来たところで氷室が寝返り打って、服見えちゃって。で、停止していたところで氷室が起きて以下略します」

「ということはやはり私の服は見たのだな………」

ジトリ、と視線を浴びてしまうが勘違いされないように誤解をとこうとする。
間違っても変態レッテルは張られたくないし、侮辱するようなことも考えていない。
というか生活一日目でそんなことを思われてはもう彼女に頭が上がらないです、はい。

「い、いや。固まってた理由は『変』とか『似合わない』とかじゃない。そうだな………その、意外っていうか『似合ってた』とかそういう系統に入ると思う」

言ったはいいが、また場が静寂に包まれてしまう。
が、これは本心であり偽りはない。
故に後は鐘の返答を待つのみなのだが、時間停止したように鐘からの返答がない。

「…………そうか」

少し間があったものの、ふぅ と一息ついて返答が返ってきた。

「すまなかった、衛宮。私が起きるのが遅くて手を煩わせた。すぐに着替えるから待っててくれ」

「ああ、わかった。メシ、用意してるからな」

布団を被ったままの鐘のいる部屋から出て居間へと向かう。
時刻は6時20分。今から出ないと7時の朝練には間に合わないだろう。

「あら、遅かったわね士郎。何かあったの?」

居間には凛とセイバー、綾子が朝食をとっていた。

「…………いや、特に問題はない。返事がなかったんで少し手間取っただけ」

座り込んで目の前の食事に手をつける。
まあ間違ってもこの三人には言えない。
少しだけ時間が経ってしまったが味噌汁は温かかった。


─────第四節 代替とされた犠牲者─────

時刻は午前6時半を少し越えたあたり。
士郎と鐘はまだ食事をしていた。
他の3名よりも食べ始める時間が遅かったからである。

「じゃあ士郎、私たちは先に行くからね?」

綾子と凛はそう言って学校へ向かった。
弓道部には朝練があるのでこの時間帯に出ないと7時には間に合わない。
で、一人にするわけにはいかないということで凛は綾子と共に登校したというわけである。

「氷室は朝練大丈夫なのか? 大会近いんだろ? 練習とかは………」

「ここからだと30分はかかるのだろう? 今から出ても遅刻してしまうし朝はキッチリ食べなければ今日一日の行動に影響もでる。幸い朝は強制参加ではないから問題はない」

「………まあ氷室がそう言うなら」

TVのニュースを見ながら食事を進めていく。
芸能ニュースや天気予報、スポーツニュースと話題が変わっていき………

『次のニュースです』

画面が切り替わり、次のニュースへと変わる。

『昨日夜、深山町の路地裏で女子高校生が倒れているのを通行人の男性が発見、警察に通報しました』

映し出されるのは学校からそう遠くない位置にある建物の路地裏。

『発見された女生徒は、穂群原学園の女子学生“蒔寺楓”さん ●●●●●●●●●●●●●●●●●で─────』

眺めるようにそのニュースを見ていた二人は突然聞き覚えのある名前を聞いて固まった。
セイバーも目を細めて、そのニュースを見ている。
二人の箸は止まっていた。
TVを注視する。そこに出ているのは紛れもない彼女の名前だった。

『病院に搬送されましたが、意識は回復しておらず、また体に不自然な痕が残っていることから何らかの事件に巻き込まれたものとして─────』

「蒔の字………」

「なんで………蒔寺が」

理由はわからない。しかしこの報道が嘘ということは考えられない。
そしてここにいてもこれ以上のことはわからない。

「氷室、とにかく学校に行ってみよう。何かわかるかもしれない」

「あ………ああ」

残っていた朝食を適当に片付けて学校に向かう。

「セイバー。悪いけど、茶碗だけ洗っておいてくれないかな」

「わかりました。シロウ、ヒムロ。二人も気を付けてください」

「ああ………わかった。家は任せた、セイバー」

「いってきます、セイバーさん」

二人が駆けて出て行くのを見送って居間に戻る。
TVにはまだ先ほどの続きが流れていた。



『なおこの事件は最近三咲町で起きた“吸血鬼事件”と似ている部分があり、警察はそれらと関係があるかどうかを─────』



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第20話 陽だまりの一日
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/08/11 22:13
第20話 陽だまりの一日


─────第一節 心遣い─────

坂道を下って行く。
士郎の家から学校までは歩いて30分の道のり。
現在時刻は朝の7時を少しすぎたあたり。学校まではまだ距離がある。
時間も早い所為か生徒はまだ見当たらなく、静かな朝の街の姿をみせている。
そんな静かな朝の街を士郎と鐘は歩いている。

「………衛宮、少し尋ねたいことがある」

「………蒔寺が巻き込まれたとかっていう事件について、だろ?」

流石の士郎でも何を訊いてくるかはわかった。

「蒔の字は………聖杯戦争に巻き込まれたのか?」

現在進行形でこの街で行われている戦争、『聖杯戦争』。
一般人の常識など易々と破壊し、圧倒的なスペックで殺し合いをするサーヴァント。
そんな輩に自分とクラスメイトの綾子が狙われたこともあるという現状。
自然とそちら方向への心配となってしまうのも無理はなかった。

「わからない。確証があるってわけでもないし、蒔寺がどんな状態だったのか、っていうのもわからないから何とも言えない。………けど、確率は高いと思う」

魂食い。
人を襲い魔力を補充する行為。サーヴァントは今後の戦闘活動のためにそれを行うことがある。
そのターゲットとなるのは一般人である。

「………そうか」

彼女も予期はしていたのだろう。
驚いた様子は見せずに歩いていく。

「氷室」

「?」

「学校が終わったら病院に行ってみよう、お見舞いに。もしかしたら何かわかるかもしれないし、わからなくともお見舞いすることに意味はあるだろうからさ」

「………そうだな」

「よし、そうとなれば何をお見舞いに持っていくか、だな。氷室、蒔寺が喜びそうなモノって何か知ってるか? 早く元気になってほしいし、やっぱり喜ばれるものを持っていきたいよな」

明るめに鐘に話しかけてくる。
それは別に不謹慎というわけではない。
落ち込んでいる鐘を少しでも気を楽にさせようという士郎の配慮。

「………ありがとう、衛宮」

「ん? 何か言ったか?」

あまりにも小さい声だったので、士郎には聞き取れなかったようだ。

「いや、何でもない。そうだな、蒔の字が喜びそうなもの、か。さて、何があったかな………」

楓はTVの内容を見る限りでは意識は回復していない、とのこと。
が、死んでいるわけではない。
いずれ意識は回復し、元気になるだろう。
鐘だって早く元気になってほしいし、喜んでもらいたいのは同じである。
患者を元気にさせるのに接する人が暗かったら患者だって暗くなる。
ならば明るく接して元気にさせた方が心にも体にもプラスになるのだ。
それを士郎は実践しているだけ。
そんな彼に感謝しながら学校へと向かう。

二人で一緒に歩く。
そんなデジャビュを気にかけて。



学校にはすでに朝練を開始している人たちがいた。
士郎と鐘はグラウンドに目をやるが、当然ながらそこに楓の姿はない。

「士郎」

ふと視線を戻すとそこに先に登校した凛がいた。

「聞いた? 蒔寺さんが何か事件に巻き込まれて病院に搬送されたって話」

「ああ、聞いた………というよりニュースで見た。遠坂、この件って聖杯戦争と?」

「ええ、多分ね。といっても容体を見ていないから絶対とは言い切れないけど確率は高いと思う。手口次第では一体どいつがやったかはわかるかもしれない」

「本当か?………なら学校帰りに病院に行こう、お見舞いも兼ねて。何かわかるかもしれない」

「ええ、そうね。………チッ、こんなことなら昨日も見回りするんだった」

凛と楓は知り合いである。
休日には二人でどこか出かけるということもよくある。
綾子といい楓といい、凛の友人が狙われているというのは凛自身にとっても不愉快だった。

「あ、鐘ちゃん!」

三人でいたところに陸上部マネージャー、三枝 由紀香がやってきた。

「由紀香」

「鐘ちゃん………あ、衛宮くん、遠坂さん、おはよう。ねぇ、聞いた? 蒔ちゃんが入院したって話………」

不安そうな顔をしている由紀香。
つい昨日まで元気に振る舞っていたのに事件に巻き込まれて搬送されたのだ。
心境は十分理解できる。

「私も聞いた。………由紀香は何か詳しい事情は知っているか?」

「ううん、私もニュースで見た程度の事しかわからない。意識は回復してないけど、命に別状はないとか。“吸血鬼事件”と似ている部分がある、とか」

「吸血鬼事件?」

何やら不穏当な言葉を聞いた士郎が問いかける。

「衛宮くん、知らない? 三咲町っていう街で最近あった事件のことよ。結構ニュースにもなってたけど」

「………ああ、そういえば」

結構TVの話題で上がっていたことを思い出す。
連続殺人鬼、なんて結構な話題にもなっていた。

「遠坂さん、やっぱり蒔ちゃんは………?」

「いいえそれはないと思うわ、三枝さん。その事件だって今は収束しているし、その後三咲町では事件は起きなくなったでしょ。……どうも腑に落ちない点は残るけど。ただ本当に“似ている部分がある”ってことでしょうね」

吸血鬼事件は悲惨極まるものが多かった。
気になるのは当然である。

「………由紀香、他になにか知っている情報はあるのか?」

「ううん、私はこれくらいしか………。葛木先生なら多分何か知ってると思うけど………」

「葛木………か」

士郎は一成と話をしていた顔を思い出す。
葛木宋一郎。
鐘や綾子、楓のクラス担当教員。
確かに彼ならば自分の生徒の事情を収集しているかもしれない。

「由紀香、葛木先生はどこにいるか知っているか?」

「あ、うん。職員室にいると思うけど、今は職員会議やっているから入れないと思う」

「そうか………」

「こんな早朝から職員会議………。なるほど、蒔寺さんのことを受けて先生たちが集まったって訳か。弓道場から出ていった藤村先生もその会議に出席するためね」

となれば朝のホームルームで何かしらの動きは出るだろう。
どこまで判るかは不明ではあるが。

「由紀香。学校が終わったら蒔の字の見舞いに行くのだが、由紀香も来るか? 行くなら一緒の方がいいだろう?」

「え………、うん!一緒に行こう?」

「綾子も誘った方がいいわね。一人にさせるのも危ないし」

「そうだな」

こうして5人が学校帰りに病院に行くことが決定したのだった。


─────第二節 基点─────

昼休みになった。
一時的にせよ授業から解放された生徒達は、忙しなく校舎を行き来している。
今朝のホームルームでは蒔寺に関することは触れられなかった。
事件とは言っても『巻き込まれた可能性がある』ということであり、衰弱しているが命に別状はないというのもあり余計な混乱を避ける為に言わなかったようだ。
が、その代わり6限まであった授業は5限で打ち止め。放課後の部活動も今日は禁止ということになり、早々に帰宅するように言われた。

「────にしても」

一段と“甘く”なっている気がする。
ここまでくると気持ち悪さしか感じない。

「一成はもう生徒会室に向かったのか」

見渡せばそこに一成がいない。
最近寝不足なのだろうか、うとうととしている場面を良く見かける。
今日は弁当がない。当然、一緒に居た遠坂、美綴、氷室も弁当はない。
となれば食堂か売店にいくしかない。

「食堂は………人がすごいから避けるかな」

席を立とうとして周囲の男どもの様子がおかしいことに気付く。

「おーい。どうした、何かあったのか?」

「何かあったではござらん。それ、教室の外を見てみるがよい。ただしこっそり、あくまで隠密」

………後藤のヤツ、昨日は良からぬ時代劇を見たんだな、と納得しつつ、言う通りに廊下を見る。

「─────な」

と。
廊下には、後藤以上に挙動不審な影が一つ。
遠坂 凛だった。
その姿を見る度に何か雰囲気が違うだの、イライラしているだのと騒ぐ男共。

「………俺、だよな。どう考えても」

後で尋ねられることは間違いないだろうが、ここで放っておくわけにもいかない。
廊下に出て遠坂に近づいて声をかける。

「遠坂、何してんだよ、こんなところで」

「………ようやく気づいたわね、このあんぽんたん」

………できることなら記憶を数日前に戻したい。

「悪かったな。で、どうしたんだ? あ、もしかして昼飯か? お金持ってないのか?」

「士郎に奢ってもらわなきゃいけないほどおちてないわよ」

「そうか。なら別にいいよな。じゃ、俺は売店に行くから」

「───あんた、わかってて言ってるでしょ。話があるのよ」

「あのな、遠坂。話があるなら先に言えよ。………っていうか俺が出てくるまで待たなくたって呼べば済むだろうに」

「─────、ええ、悪かったわね。じゃあついて来なさい。ついでに一緒に昼食をとりましょう」

つまり作戦会議するから屋上にこい、ってことだろうにさ。



「寒い」

途中士郎は売店でパンとホットコーヒーを購入し、連れてこられたのは屋上だった。
夏ならば見晴らしの良さと風通しの良さから生徒で賑わう屋上だが、冬場に屋上にやってくる人物はかなり少ない。
加えて士郎にとって屋上は鐘と一緒に命を賭けた逃亡をした場所でもあった。

「男の子なんだから我慢しなさい」

そんな士郎の意見をキッパリと切り捨てる。
仕方ないので風避けのために凛の隣に座り、売店で購入したパンを頬張る。

「で、話ってなんだよ。人気がない場所選んだあたり、そっちの話だとは思うけど」

「と、当然でしょ。私と士郎の間で、他にどっちの話があるっていうのよ」

「ああ、それもそうだな。で、どんな話なんだ」

「………なによ、随分クールじゃない、あなた」

「………まあ、寒いからな。手短に済ませたいとは思う訳だが、遠坂は違うのか?」

「────!ええ、そうね。じゃあ単刀直入に言うけど、あんた、この学校に張られている結界についてどこまで知ってるわけ?」

学校の結界、という言葉を聞いて改めて考え直してみる。
規模はわからない、どんな効果を持っているのかは知らない、けれどよくないと直感が告げている。
そんなレベルである。

「………この結界がよくないもの、っていうくらいしかわからない。遠坂、何かわかるのか?」

「当たり前じゃない。じゃないと、あんな夕方まで居残ってないわよ」

あんな夕方、というのは先日士郎と戦った時のことを言っているのだろう。

「かなり広範囲に張られた結界で、発動すれば学校の敷地をほぼ包み込むくらいの大きさ。種別は結界内から人間の血肉を奪うタイプ」

「血肉を奪う………それって」

「ええ、つまり発動したら“溶解”されて結界内にいる人全員死ぬ………ってことよ」

息が止まる。
先日学校の人たちを人質にとられたようなものだ、と思いはしたがそれでも衰弱レベルだと思っていた。
が、そんな生易しいものではなく発動すれば死を招くような結界。

何とかできる限りイメージしてみる。自分が思い描ける最悪のイメージ。
溶解、溶ける、死ぬ───

「──────────」

ぐらり、と一瞬目の前が歪んだように見えた。
士郎が想像したのはかつて自分がいたあの火災だった。
火災で焼けただれた人間が自分の前に横たわっていた。そんな光景を思い出す。

「ちょっと、士郎? 大丈夫?」

顔に手をあてた士郎に凛が声をかけてきた。

「あ、ああ………大丈夫。───それで、この結界は破壊できないのか?」

「試したけど無理だった。結界は恐ろしく高度で十中八九サーヴァントの仕業。私じゃせいぜい結界の基点を壊して一時的に弱めて結界の発動を先延ばしにするだけしかできない」

「先延ばしにできるってことは………遠坂がいれば結界は張られない?」

尋ねる士郎だったが、凛の表情は冴えない。

「………そう願いたいけど、そう都合のいい話はないでしょうね。現に結界は張られていて、発動のための魔力は少しずつ溜まってきてる。アーチャーの見立てだとあと数日程度で整ってしまうとか」

はぁ、とため息をついてしまう凛。
破壊したくとも破壊できず、先延ばしもそう続かないのではため息の一つも出るのは当然だろう。

「マスターか、サーヴァント。このどちらかがその気になれば学校は地獄に変わる。それまでに見つけ出して叩かないといけない」

「………けどさ、遠坂。学校に結界が張られた時点でソイツの勝ちのようなもんだろ? ならマスターは結界が発動するまで表には出てこないんじゃないか?」

放っておけばあとは発動するだけの結界で、自ら発動前に表に出てくるとは考えにくい。

「そうね、恐らくマスターは出てこないでしょうね。とことん逃げ込む気だろうし。………となれば」

「サーヴァント、ってことになるけど。………ライダーがこの結界を張ったんじゃないのか?」

昨日士郎を襲って来たサーヴァント、ライダー。
綾子、一年の女子生徒とこの学校の生徒をターゲットにしている節がある。
現在考えられるサーヴァントはライダーが一番確率が高かった。

「可能性はかなり高いわね。マスターが見つからない以上はライダーを探すしかないけれど………それも望み薄ね。昨日の件もあるでしょうから、結界発動まで姿を見せないと思うし」

つまりマスターは誰か判別できず、ライダーは居場所がわからない。
となれば現状打つ手はなく、基点を破壊して結界完成の妨害をし続けるしかない。

と、ここで無機質なチャイムが鳴り響いた。
次は5限目である。

「とりあえず話は打ち止め。学校が終わったら病院行くんでしょ? 教室の前で待ってるわ」

じゃあね、と告げて凛は屋上から去って行った。

「──────────」

士郎の気分は優れない。
この無関係な人達を殺してしまう結界が張られていて、それで破壊もできない。
止めるにはマスターかサーヴァントを探さなければいけないが、手がかりもないために見つける事もできない。

「………大量殺戮者じゃないか、こんなの」

ぎり、と歯を食い縛る。
無関係な人間を巻き込むだけではなく、殺してしまう結界。
それはあの時の火災と同じ。
無関係なのに巻き込まれて、何もわからないまま死んでいく。
それはあってはならないこと。
無意味に死んでいくことなんてあってはならないこと。

「結界が発動される前に見つけて、何が何でも止めさせないと………!」

寒い冬の屋上を士郎もあとにした。


─────第三節 病院─────

5限目が終わり帰りのホームルームが始まる。
これから私、衛宮、遠坂嬢、美綴嬢、由紀香の5人で蒔の字が入院している病院へ向かうことになっている。

「帰りのホームルームを始める。全員、静かにするように」

葛木先生が教室に入ってきて声をかける。
その声で静かになり、帰りのホームルームが始まった。

「今朝話した通り、今日は放課後の部活動は禁止だ。各自速やかに家に帰宅し、以後家から出ないように。また明日からは朝の部活動は禁止だ。今朝の部活動で怪我人が続出している。部活動に励むのはいいが、体はきっちりと休ませるように。─────以上だ」

「起立─────礼」

こうして帰りのホームルームが終わり、教室から生徒の姿が減っていく。

「氷室、美綴。お前たちも早く家に帰る様に。親に心配かけないようにな」

相変わらずの表情でそう言い残して葛木先生は教室から出て行った。

「親に心配かけないように、か。………まあ、ある意味配慮はしての、っていうことではあるんだけどな、氷室」

「仕方がないだろう。私達のいる状況は普通ではないのだから」

そう、仕方がない。
けれど、それだけで終わらせようとは思わない。
何か一つくらい衛宮や遠坂嬢の手助けくらいはしたいものである。

「終わったか、美綴、氷室」

教室から廊下へ出た先に、衛宮がいた。

「お、衛宮。待ってたのか」

「ああ、ちょっと早く終わったからな。………遠坂と三枝は?」

「おまたせ」

私達の後ろから由紀香と遠坂嬢が出てきた。

「さて、それじゃあの陸上バカのお見舞いに行きましょう。お見舞い品は………スタンダードに果物とか花とか?」

「病院に凝ったものを持って行ってもあまり意味はないだろう。遠坂嬢の言う通りの品物で大丈夫ではないのか?」

そんな事を相談し合いながら校舎を降りて校庭へでる。
学校から病院まで歩いていこうとするとかなり時間がかかるために近くのバス停からバスに乗って向かう事となる。

校門を出てバス停へ。
私の前方には遠坂嬢と美綴嬢が並んで歩き、その後ろで由紀香、私、衛宮という順番で歩いている。
前の二人は二人で何やら話に花を咲かせている様子。

「ここから大体15分くらいだよね、鐘ちゃん?」

「ああそうだな。しかし行く前に見舞いの品を買わねばいけないから途中で買い物をしていく必要がある」

「バス停から病院に向かうまでに買える場所ってあったっけ?………なかったような気がするんだが」

衛宮が病院の周囲のことを思い出している。
が、どうも思い当たる場所がないらしい。

「ああ、確かになかった。となるとどうする? バスで約15分。歩いていくとその倍はかかるとみていいだろう」

う~ん、と衛宮が考え込む。
しかし私はニヤリ、と笑った。

「確かに“バス停から病院へ向かう道筋”には買える店舗はないが“バス停に近い場所”ならそういう店はある。そちらに向かえばいいだろう?」

「………氷室。それを早く言ってほしかったな」

「君が“行くまでの道の間”と言ったのではないか。私としては何も間違ってはいまい? 衛宮こそ視点を“病院の傍”から“バス停の傍”に変えれば気づいただろうに」

「まあ氷室の言ってることは正しいけどさ………」

そういえば何か店あった気がするなー、などと呟きながら財布の中身を確認していた。
そんな彼を見ていると横にいた由紀香が袖を引っ張ってきた。

「? 何かな、由紀香」

対する由紀香は小声で

「やっぱり、鐘ちゃんって衛宮くんのこと好き?」

「なっ─────」

何を言うのか、と問いただそうとするがすぐ横にはその当人がいる。
コホン、と一つ咳払いをして同じく彼に聞こえないように小声で問いかける。
そんな私を見て衛宮は首を傾げて疑問符を作っている。

「何を言いだすのだ、由紀香。第一どこを見てそう感じた?」

「だってさっき衛宮くんと話してるとき笑ってたよ? それに今も少し顔が赤いし………」

「それは由紀香がそんなことを言い出すから慌てたのだ。それに笑ったのだって………彼の言葉の隙をついたからであってだな………」

「何そんな小声で話してるんだ?」

私の隣を歩いていた衛宮が声をかけてきた。
まあ彼からすれば二人でいきなり小声で内緒話をし始めたのだから気になるのは当然だろう。

「あ、ううん? なんでもないよ?」
「あ、いや。大したことではない」

「? そうか、なら別にいいんだけど」

そんなやり取りをしながらバス停に到着。
ほどなくしてバスが来てそれに乗り込む。
ここからは約15分のバスの旅である。



冬木総合病院。
総合、と言うだけあって冬木市の中にある病院でも大きい部類にはいる病院。

「──蒔寺楓さんの病室は207号室です」

「そうですか、ありがとうございます」

聞いた病室へ向かう。
どうやら個室らしいので5人で行っても問題はないとのこと。

「失礼します」

コンコン、とノックをして中に入る。
そこには眠っている状態の楓の姿が─────

「おぉっ!? 由紀っちにメ鐘!あと遠坂に美綴もいるじゃん!………あ、衛宮もいた」

いなかった。

「………思った以上に元気そうね、貴女」

少し呆れ顔の凛。
綾子が持つ見舞いの品に視線がいき、楓が興味津々な様子で尋ねてきた。

「へへ、まぁね。っと、お見舞い品か? どれどれ………って花かよ、どうせなら食べもの持ってきてくれればよかったのにさー」

中身を見て不満をまき散らす楓。
そんな姿を見てほっと一安心の由紀香と鐘。

「すまないな、蒔の字。君がまだ目が覚めていないかもしれないということで花にしたのだが………この分を見るとその心配は杞憂だったな」

「蒔ちゃんが元気そうでよかったぁ」

「悪い悪い、心配かけちゃって。昼前に目が覚めてさー。お腹減って死にそうだったんだよねー」

「だから食い物のお見舞い品がよかったってか。あんたは相変わらずだね」

花を括っていた輪ゴムと新聞紙を外す。
安くもないが高くもない、至って普通の花。

「で、他の4人はいいとして。何で衛宮までお見舞いにきてるんだ?」

「なんだ、まるで俺がいたらおかしいって感じだな」

花瓶に水を入れて綾子から花を受け取り、ベッドの傍の台に置く。
なるほど、病室に花はそれなりに絵にはなる。

「だってクラス違うし?」

「一応知ってる奴が入院したっていうから他の人と一緒に見舞いに来たんだけど」

ふぅん、と特に気に掛ける様子も無く適当に相槌をうつ楓。
そんな彼女に凛が本題を聞く。

「で、昨日何かあったの?」

「あ、またその質問ー? それ聞き飽きたんだよなー。昼過ぎたくらいに警察の人きてさー」

どうやら昨日のことはすでに警察に話したらしい。

「蒔の字。TVでは事件に巻き込まれたと報道されているが………本当か?」

「それがわからないんだよねー。昨日、ちょっと用事で夜出歩いてたところまでは記憶あるんだけど………そのあとの記憶がなくてさー。気が付いたら病院で寝てましたっていうオチ」

「つまり鐘ちゃん、何も覚えてないってこと?」

うん、と答える楓。
そんな彼女の反応を見ながら士郎と凛は小声で彼女に起きたであろうことを推測する。

「遠坂。これ、どう思う?」

「記憶を消された………という可能性もあるわね。もしくは何が起きたか確認できないまま気を失ったってことも。話だけじゃ判別できないわね」

ならば有益な情報を手に入れるべきだろう。
不自然にならない程度に質問をしていく。

「ねぇ、体に何か痕とか残ってるとか聞いたけど、それってどんなのなの?」

「んー、ここにあるらしんだけど自分じゃ見えないんだよねー」

そう言って楓は自分の首筋付近を撫でている。
その部位に覚えがある凛。

「ちょっと見せて」

凛が覗き込んでその痕とやらを確認する。
そこには確かにおかしい傷があった。
そしてそれを凛は一度見ている。

(─────これで犯人は確定したわね)

「で、蒔寺。アンタいつくらいまで入院することになってるんだ?」

綾子が傍にあったカレンダーを見ながら尋ねる。
今日は2月5日火曜日である。

「んー、大事をとってあと1日か2日は様子を見ようだってさ。まあその時に容体が急変したら話は別だろうけど、このままいけば明後日くらいには退院かなー」

「ま、今のあんたを見てる限りじゃ今日退院しても問題なさそうだけどね。じゃあ残り1日2日ほどゆっくり療養しとけよ」

「それじゃお暇するわ。また学校でね」

「蒔寺、しっかり休めよ」

「蒔の字。何かあれば私の携帯に連絡してくれ」

「蒔ちゃん、また学校で会おうね」

時間にしてそう長い時間ではなかったが、特に深刻な状況ではなかったし、当の本人は先ほどのようにピンシャンしているので大丈夫だろう。
病室を出て病院を出る。

「ではここで解散というわけかな。由紀香はこの後どうするのだ?」

「私はこのまま家に帰るよ。鐘ちゃんも家に帰るの?」

「ああ、帰ることには帰るが少し寄る場所があるのでな。そちらに向かってから帰る」

「それじゃ、ここでお別れだね。また明日ね、鐘ちゃん。美綴さんと遠坂さんと衛宮くんも、またねー」

手を振って由紀香が去って行った。
ある程度見えなくなるまで見送ったあとで、これからの予定を尋ねる。

「氷室、どこか寄るところがあるのか?」

「図書館に。借りていた本を返さねばいけない。ここからそう離れてないから歩いて行ける距離だ」

「ふうん、それじゃ俺もついていくよ。どうせ帰りに買い物していかないといけないし。………ってことで、美綴!」

ひょい、と手に持った家の鍵を投げ渡す。

「先に帰っててくれ。家にはセイバーもいると思うし」

「ああ、わかった」

「綾子。家に帰る前に私の家によるけどいい?」

「ん? 別に構わないよ」

凛と綾子がバス停へと向かっていく。
それを確認して鐘と士郎は図書館へと向かう。


─────第四節 赤色&灰色&銀色─────

図書館に入り、入口すぐ傍にある受付で本を返す。
たったそれだけなのだが………

「………結構な広さだな」

図書館という場所に足を運ぶことがまずない士郎にとっては物珍しかった。
きょろきょろと周囲を見渡す。
とにかく、本、本、本である。図書館だから当たり前ではあるが。
学校にある図書室も一年の時に紹介された時以来近づいていない。
借りる本などないし、勉強も図書室では行わない。

(そうえいばまだ一回も図書室の備品を整備したことがないな)

もちろん、高校の図書室には本の貸し出しなどをチェックする担当の人がいる。
士郎よりも長い時間そこにいるわけだから、必要な備品は自分で用意するなどする。

つまり図書室の備品は士郎に頼まれる前に修理などの処置が行われている。これに該当するのは他に職員室や生活指導室など。
所謂『先生が使う頻度が高い場所』は士郎の手を必要としていない。(その前に事務系の人がやってしまうから)

─────ちょっとなんとなく先生方がズルく思えてきた士郎に鐘が声をかけた。

「どうしたのだ、衛宮。何か興味深い本でも見つけたのか?」

「あ、いや。そういえば図書館なんて滅多に来ないなーって。学校の図書室もほとんど利用していないしさ。何ていうか図書館の雰囲気を感じてた」

「なんだ、君は調べものをする際に図書館は利用しないのか?───まあ今はネット社会だから、検索をかければ大抵はわかってしまうか」

「ちなみに俺はパソコンも持ってないけどな。バイトしたり家事したり手伝いしたり鍛錬したりで忙しいからそんなところに行くことも少ないんだと思う」

図書館の自動ドアをくぐり外へ出る。
まだ日が高いとはいえ外は寒い。時折吹く風が体温を奪う。
そんな中を二人は商店街へ向けて歩いていく。

「確か君は携帯も持っていなかったな。………何か一昔前の人物のように思える」

携帯もパソコンも持っている鐘は、同じ現代っ子である士郎のズレを少し疑問にかけているようだ。

「まあ必要性は今のところ感じてないからいらないんだけどな。………と、あのバスか、急ごう」

前方のバス停へ走って行くバスを見て駆け足になる。
鐘もそれを見て同じように駆けだす。
丁度よくバス停にバスが止まり、乗車する。
このまま深山町方面へ乗って、商店街近くで下りて買い物をして帰れば問題はない。

「あ、そうだ。氷室」

「? 何かな」

「今日、氷室がメシ作ってみるか? 何か作りたいものあれば教えるぞ。………って言っても和食だけだから、レパートリーは限られるだろうけど」

「─────む」

そんな士郎の言葉を聞いて考え込む鐘。
鐘の料理は決して食べられない、というものではない。が、自信を持って出せない。
そんなレベルでいきなり目の前にいる士郎含めた4人に食べさせるとなるとどうしても不安が生じてしまう。

「ちなみに衛宮、何を買おうというのだ?」

「家にある食材はほとんど空だからな。今日の献立次第ってことで氷室に尋ねたんだけど。………たしかじゃがいもは少し残ってたはずだから………」

うーん、と少し考えて出た料理の名前が

「よし、肉じゃがを作ろう」



ということで現在商店街のスーパートヨエツ。

「まあ、貯金の方は気にしないでいい。生活費まで気にし始めたら聖杯戦争なんて出来たもんじゃないからな」

カゴを持って私と衛宮は店内に入っていく。

「肉じゃがを作るってことになったけど、氷室。何の食材が必要かとかはわかるか?」

どうやら課外授業の開始らしい。

「何って………じゃかいも………はあるのだったな。他に人参や肉じゃないのか?」

「ん、正解。っていうかまあこれくらいはわかるよな。それ以外にお好みでグリンピースやら椎茸や玉葱とか入れる」

野菜売り場で人参をカゴに入れ玉葱、グリンピースをいれていく。

「グリンピースを入れると見た目もよく見えるから買っとこう。んで、もう一品くらいおかずとして欲しいよな。何にするか。氷室は何か作りたいとか、これなら作れるってやつあるか?」

「………あることにはあるが………」

………言いにくい。
私の母親はフランス料理が得意。当然、教えてもらったのもフランス料理なのだ。
よって和食でいこうとしている衛宮に言うには少し抵抗がある。
が、言ってしまってフランス料理に切り替わったら切り替わったでとんでもなく困る。
先ほど衛宮が言った『和食だけ』ということはつまりフランス料理は教えることができないということ。
となると、フランス料理でいこうとすると私自身が先導することになるのだが間違ってもそれはできない。
加えて教わったといっても一人だけで作れるほど教わったわけでもないのでやはり言い出せない。

「氷室? どうしたんだ?」

「あ、い、いやなんでもない。そう、だな。魚ものを食べてみたい」

苦し紛れに目についた魚を言葉に出す。
………こんなことならもうちょっと母親に教わっておけばよかった。

「魚ものか。さて………何がいいかな」

途中で豚肉をカゴに入れて魚売り場へと向かう衛宮。
その後を私がついていくのだが………何かこの光景はまずい気がする。
はたからみたら学生服の男女が夕飯の献立を相談しながら店内を歩いている。つまり、その、あれだ。
………いけない。落ち着け、落ち着け。

「………お。鰤が安いな。ってことは鰤の照り焼きに………いや、ここはもう一捻りして鰤大根にしてみるか。氷室はそれでいいか?」

「あ、ああ。私はそれでも構わない」

「? どうしたんだ、氷室。顔赤いぞ? 熱でもあるのか?」

寧ろ平常運航している君がうらやましい。
あれか? 私一人だけ暴走してしまっているという状況か?
それとも君は何も感じていないのか?
………それはそれで悲しくなるかもしれないが。

「いや、私は─────」

視線を戻した先に見えたのは。

「ん、熱はないみたいだけど。無茶するなよ? 疲れてるなら言ってくれたら早々に切り上げるから」

手が私の額に添えられていた。

「────!!??」

ババッ!と身を退く。
そんな私を見て衛宮が少し驚いた顔をしているが、それどころではない。
周囲に人がいないかを即座に確認する。

─────よかった。幸運にも誰もいない。
まだ早い時間だっただけに買い物に来ている主婦たちはいないようだ。

「ど、どうした、氷室?」

「─────君はもう少し周囲への配慮をしてもらいたいのだがな」

ふぅ、と落ち着かせて買い物を再開する。
これで献立は肉じゃがと鰤大根とおかずが決まった。

「となると、常識的に考えて後は味噌汁か。何を作るつもりでいるのだ?」

「そうだな。ま、ここは簡単に玉葱の味噌汁ってことでいいか。ちょうど入れてるし」

その後も様々な食材や調味料などを購入し、『誰が何を作っても大丈夫』なぐらいの量と種類を購入した。
金額は軽く1万を超えていたような。
で、当然袋いっぱいになるわけであり。

「………衛宮。もう少し持とうか?」

私が比較的軽い袋一つに対して

「いや、大丈夫だ。これくらいなら平気だからさ。さ、帰ろう。」

私の後ろにいた衛宮はその5倍近くの袋を持っていた。

スーパーの外へ出て衛宮の家へと足を向ける。
意気揚々と帰ろうとしている彼のすぐ傍に小さい子供がいた。
その子供はくいくい、と衛宮の服を引っ張っている。

「あ…………」
「なにごと………?」

衛宮が振り向いて、彼女が完全に見えた。
その少女には見覚えがあった。
見間違いなどせず、忘れるわけもない。
銀色の髪をした、幼い少女。

「な、ええ───!?」

驚いた衛宮が一瞬で跳び退いて私の前に立つ。
咄嗟に構えた衛宮を見て、にこやかに立っている少女。

「「………?」」

何か雰囲気が違う。
あの時………あの夜とは雰囲気が違う気がする。

「よかった。生きてたんだね、お兄ちゃん」

そう言って嬉しそうな顔をしてくるのだからいくら私でも訳がわからなくなってきた。

「え─────と、たし、か………イリ、ヤ?」

彼も混乱しているのだろう。
彼女の名前を呟く程度に言葉に出した。

「─────え?」

それを聞いた彼女はきょとんとした顔で此方を見ていた。

「あ────いや、違った………!イリヤス………そう!イリヤスフィール・フォン・アインツベルンだった………!間違えてごめん!」

そう言って頭を下げる衛宮。
対する少女は少し不満げな顔をして

「─────名前。貴方達の名前、教えて。私だけ知らないって不公平じゃない」

そんな言葉を聞いてぽかん、としてしまった。
衛宮と顔を見合わせる。
もちろんあれは幻想の類ではないし、今聞いた言葉だって幻聴ではないだろう。

「聞こえなかったの? お兄ちゃんたちの名前、教えて。私だけ知らないの不公平」

何というか歳相応の反応を見せるのだから、戸惑ってしまった。
まあこのまま泣かせるわけにもいかないので自己紹介くらいはしてもいいだろう。

「俺は衛宮、衛宮士郎っていうんだ。で、俺の後ろにいる人が氷室鐘っていう人」

「エミヤシロ? 不思議な発音をするんだね、お兄ちゃんは。それとヒムロカネ、か」

「氷室の発音はあってるけど、俺のが違うぞ。それだと『笑み社』じゃないか。衛宮が苗字で士郎が名前だ。呼びにくかったら士郎でいい」

「『笑み社』か。………ふむ、悪くない」

「氷室ー、何考えてるー?」

彼女の発音があまりに奇天烈だったため、少し面白かった。
で、私につっこみを入れてくる衛宮を宥めていると………

「むー、楽しそうだね。えっと、こういうのってなんていうんだっけ?」

「? 何?」

「たしか、えっと…………そう!夫婦漫才!」

えっへん!と胸を張る少女だったのだが、言われた私達は当然固まってしまう訳で。
というか彼女はその意味を理解しているのだろうか。いや、きっと理解していない。
周囲の人が何やらひそひそ話をしているけどきっと気のせい。

「シロウ、シロウ………か。うん、気に入ったわ。響きがキレイだし、シロウにあってるもの。これならさっきのも許してあげるー!」

そんな周囲の目を気にしないで私の開いている手と衛宮の手を自分の体に引き寄せる様に抱き着いてきた。

「ちょっ───!? まままま待て、イリヤスフィール!何するんだ、お前………?!?」

「ううん、さっきみたいにイリヤでいいよシロウ!あ、カネもね!私もシロウとカネって呼ぶんだからこれでおあいこだよねー」

買い物袋をぶら下げた学生服を着た男女二人にしがみつく少女というこの構図。
周囲が何かトンデモ発言を言ってる気がするが聞こえない。というより認識したくない。

「ま、待ってくれイリヤスフィ………じゃなくてイリヤちゃん。君は何をしに私達に会いに来たのだ? こうしてくるところから見て前の続き………という訳ではなさそうだが、ただの偶然だろうか?」

「だーかーらー、イリヤでいいよ、カネ!私はセラの目を盗んで、わざわざシロウに会いにきたんだよ。だからシロウ、コウエイに思ってよね」

話を聞く限りでは衛宮に用事があって会いに来たとの事。

「─────えと、それは戦うつもりでってわけじゃなくて、単純に会いに来たってことか?」

「うん、私はシロウとお話しにきたの。今までずっと待ってたんだから、それくらいいいでしょう?」

「─────」

困った様子で私に視線を向けてくる。
いや、私に救援を求められてもどうしようもないのだが………。

「………イリヤ。君は戦いに来たわけじゃないと言ったが本当なのだろうか?」

とりあえず大事な事を尋ねておく。

「? そうだよ。第一まだお日様高いじゃない。お日様が出てる間に戦ったらいけないんだよ? それにシロウもセイバー連れてないし私もバーサーカーは連れてない。ほら、おあいこ」

どうやら本気で話をしたいらしい、と衛宮にアイコンタクト。

「それともシロウは私と話すのはイヤ?─────うん、シロウがイヤなら帰るよ。本当はイヤだけど、したくないことさせたら嫌われちゃうから」

イリヤは彼の顔をしっかりと見上げている。
何か悲しそうな顔をする彼女を見て衛宮は

「わかった………話だな。じゃあとりあえず別の場所に行こう。あと離れてくれないか、イリヤ」

「やった!それじゃ、近くに公園があったからそこでお話ししよう!」

彼が言うや否や、彼女は舞う様に走り出した。

「ほら、早く早く!急がないと置いていっちゃうからね、シロウ、カネ───!」

「………衛宮に用事がある筈なのに私もなのか?」

「───ま、なるようになるだろ」

ここまでされてついていかないわけにもいかなくなったのでついていくことにした。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第21話 行動準備
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/08/11 22:13
第21話 行動準備


─────第一節 イリヤと公園─────

公園には誰もいなかった。
砂場で遊ぶ子供もいなければ、ブランコに揺られる子供もいない。
こんな小さな公園はもう流行らないのか、はたまた最近の事件の所為で外で遊べずにいるのか。
それに寂しさや憤りを感じながら、ベンチに三人で座る。
傍目から見ればおかしな光景。
士郎と鐘は同年代に対して、イリヤはどう見ても歳が離れているうえに外国人。
姉妹や兄妹には見えず、友達としても見えないだろう。

「………で。話って何話すんだ? 誘って来たからには、何か訊きたいコトがあったのか?………もしかして、セイバーのコトとかか?」

「え? なんでセイバーのことなの?」

「だって俺たちマスターだろ。敵サーヴァントの事は知りたいと思うだろ」

「イヤよ、そんな話つまんない。もっと面白い話をしてよ」

「つまんないって言われてもな………。じゃあイリヤは何が面白いんだ? 俺はイリヤの事をよく知らないから何を話していいかわからない。訊かれたくないこと訊かれて嫌な思いはしたくないだろ?」

「あ………うん。それはそうだけど………。じゃあ何を訊けばいいのかな。シロウ、何を訊いても怒らない?」

心配そうに尋ねるイリヤを見て士郎は

「ああ、なんとか。俺の方がお兄ちゃんなんだから、大人な対応を努力する」

と答えた。
それを聞いたイリヤは満面の笑みを浮かべて


「そっか。じゃあシロウ、私のこと、好き?」


「ぶっ─────!!」

体内の空気を全部吐き出してしまうような勢いで吹いてしまった。
横で聞いていた鐘も驚いた表情を隠せなかった。

「あ、嘘つきだっ。シロウ、怒らないって言ったのに怒った!」

「ば、ばか、怒ってない、むしろ呆れてる!人をぶった斬っといて好きか嫌いかもないだろ!」

「なによ、あれは違うもん!シロウがよわっちいくせに飛びだしてくるからじゃないっ!わ、私は悪くなんてないんだからっ!」

「悪くないワケあるかー!初めから殺る気満々だったくせに………それがどうしてこう、突拍子もなく好き嫌いの話になるんだっての」

「!え、衛宮………!」

「………あ」

気付いたときはもう遅い。
ぴくり、と肩を震わせてイリヤは黙り込んでしまった。

「………あー、イリヤ?」

僅かに見える顔にはわずかに涙が見えた。

「っ………なるもん。なによ、シロウのバカ。私が止めてあげなくちゃ死んでたクセに、口だけは達者なんだから」

「……………」

俯くイリヤと横にいる鐘に視線をやる士郎。
彼と目が合い、鐘は無言で首を縦に振った。

「────こほん、あー、そのな、イリヤ」

一呼吸置いて士郎は口を開く。

「───知り合ったばかりでイリヤのコトはよく知らないけど、イリヤは嫌いじゃないぞ。少なくとも、今みたいなイリヤだったら仲良くなりたい」

「───ほんと?」

「あー、その、妹みたいで楽しい。これは嘘じゃない。………信じてもらえるか?」

士郎の言葉を聞いたイリヤは満足そうに笑った。

「うん!シロウがそういうなら信じてあげる………!」

ばふっ、とタックルの如く士郎の腕に抱き着いてきたイリヤ。

「………ったく、なんなんだ、お前」

士郎は文句を言いつつもイリヤの髪を撫でている。
手触りはやはりと言うべきか、女の子なだけあってさらさらである。

「………衛宮。文句を言う割にはそれほどでもないという顔だな。もしかすると君はそちら方面に気があったのか?」

そう言ってくる鐘はどこか笑っているようにも感じる。

「冗談言うなよ………。けど、まあ………悪い気はしないのは確かかな。敵意なんてないんだから慌てるのも失礼だろうしさ」

「ふむ………。想像以上の大物だな、君は」

「むー、シロウ!カネとばっかり話してないで、私ともお話しよう!」

抱き着いてきたイリヤが右腕を振る。

「はいはい………」

撫でていた髪を見る。

「イリヤの髪は綺麗だな。………雪みたいだ」

「あ、シロウも父さまと同じこと言ってくれた。父さまもね、イリヤの髪は白くて雪みたいで綺麗だって言ってくれたんだよ。この髪はね、イリヤの自慢なんだから。私の中で唯一女の子らしい、母さま譲りの髪なんだ」

嬉しそうにイリヤは笑う。
その姿を見ている二人は麻痺してしまいそうなくらい違いを感じられた。
バーサーカーのマスターとして二人が自分の目で見ていなければまずそれを嘘だと言って斬り捨ててしまうだろう。

「イリヤ嬢の母親か。イリヤ嬢がこんなにも綺麗なのだから母親もさぞかし美しかったのだろうな。名前は何というのだ?」

「アイリスフィール。アイリスフィール・フォン・アインツベルンだよ」

嬉々として答えるイリヤ。母親が褒められたことは子供にとってうれしいものだろう。
何気なく訊いた問い。そして何気なく帰ってきた回答。
しかし。

「アイリスフィール…………?」

その言葉を聞いて引っ掛かりを覚える。
どこかで聞いたような、そんな感覚にとらわれる。
そんな鐘などお構いなしにイリヤはシロウに話しかけてきた。

「ね、シロウは? シロウはお父さんから譲ってもらったものってあるの? あ、魔術刻印っていうのはなしよ。マスターとしてじゃなく、お父さんとして譲ってもらったものだよ」

「え? 俺………? うーん………最後に貰ったのは家かな。その前は苗字。で、最初に貰ったのは………死にかけてたこの命、かな。イリヤみたいな肉体的特徴は受け継がなかったけど、それに負けないくらい多くのものは受け継いだと思う」

士郎の言葉を聞いて我が身のことのように笑うイリヤ。

「けど、その言い方だと魔術刻印は受け取らなかったみたいよね。おかしいなあ、それじゃシロウはマスターじゃないの?」

「? 魔術刻印のない半人前のマスター………ってところかな。そういうイリヤはマスターだから魔術師だよな」

「え? 私は魔術師じゃなくてマスターだよ? 普通の魔術なんて習わなかったし」

「はあ………? じゃあイリヤも魔術刻印を持っていないのか? あれだけのサーヴァントを従えてるのに………」

「バーサーカーは私のサーヴァントだけど………魔術刻印ってマスターになる為のものじゃないの? だから私はマスターだよ?」

はてな、と首を傾げるイリヤ。
対する士郎もまた首を傾げるしかなかった。

「氷室、この会話をどう思う?」

隣で何か考え事をしていた鐘に声をかける。

「え? あ、いやすまない。少し考え事をしていたので話を聞いていなかった」

「そうなのか。いや、ならいいんだ」

会話のキャッチボールがちゃんとできていないのが少し気になっている士郎だった。



ありきたりな話からなんでもない話。
色々な話をした。士郎とイリヤで話していて、時折士郎の隣に座っている鐘に話が振られてくる。
そんな会話だった。
そんな会話をイリヤは喜んで聞いていた。
会話が一段落したところで次の話は何か、と尋ねてくるイリヤ。
しかし流石にネタが早々に思い浮かんでもこなくなってきたので、イリヤは何か訊きたい事あるか、と士郎が尋ねる。

「そうね………」

チラリ、とイリヤが鐘を見る。

「じゃあ、シロウとカネのこと聞かせてよ」

そんな言葉に疑問を持つ鐘と士郎。

「イリヤ………俺はともかくとしてもなんで氷室のこともなんだ?」

「当たり前でしょ、英霊相手にシロウを庇うような仕草をした一般人カネに興味を持つのは。普通の人間ならそんなこと絶対しないもん」

む、と言って黙ってしまう。
確かに常識的に考えれば鐘が士郎を庇うようにたとえ半歩であっても前にでることなんてない。

「それにシロウが倒れたあと、カネってば近くにバーサーカーがいるにも関わらずに近づいてきたじゃない。私が攻撃を止めとかないと二人とも死んじゃうっていうのに」

押し黙ってしまう鐘。
確かに今思えば無謀以外の何物でもないだろう。
サーヴァントでも、ましてや魔術師でもない彼女がサーヴァントの前に出る行為など無価値で無意味だ。

「それは俺が不甲斐無い所為だ、イリヤ。別に氷室が特別力を持ってるから何かしようと前に出たとか、そんなんじゃない。そうだろ?」

隣に座る鐘に確認をとる。
が、ここで素直に肯定すればそれは『衛宮士郎は不甲斐無い奴』も肯定することになってしまうのでうなずくことはできない。
少なくとも鐘自身は彼が不甲斐無い、なんて微塵も思っていないのだから。
だから否定する。

「衛宮。別に君が不甲斐無いという理由で君の前に出たわけではない。むしろ君には感謝しているのだからどう間違ってそんな感想に成りえると言うのかを私が聞きたいくらいなのだが」

鐘にとってこれは本心である。
助けて貰ったのにその助けてくれた人物を不甲斐無いと両断する気はないし、するつもりもない。
が、士郎にとっては負い目を感じている部分があった。

「いや………ほら、あの時学校で、家で言ったろ。にも拘わらずさ、結局俺はただランサーにやられていただけだ。セイバーがいなかったら俺も氷室も死んでた」

つまり、結果的には両者とも生きているが士郎にとっては彼女に対して嘘を言ってしまったと思っているということ。
セイバーに頼りっきりで自分は何もできなかったこと。
それが回りまわって鐘に申し訳ないという気持ちへと行き着いていた。

「え、何? シロウってばサーヴァント相手に一人で戦ったの?」

信じられない、という面持ちを見せるイリヤ。
事情を知っている魔術師ならば至極当然の反応だろう。
そんな彼女の反応に苦笑しながら

「戦ったっていっても一方的にやられてただけだけどな。一矢報おうにも報えなかったし、俺は何もできてないよ」

「そんなの当たり前じゃない。シロウじゃランサーどころかサーヴァント中最弱のキャスターすら倒せないわよ」

士郎の言葉を聞いて怒ったような、呆れたような、そんな態度を示した。

「シロウ、駄目なんだからね。私が知らないところで勝手に死んだら」

むー、と睨みつけてくるイリヤだったが8歳前後の子供が睨めつけてきたところで恐怖など微塵も感じない。
あの夜のイリヤならば話は違うかもしれないが。

「わかったよ」

気にかかる物言いだったが、特に深くは考えないことにした。

その後少しして、イリヤはバーサーカーが起きる時間だと言って公園を出て行った。
どうやって帰るのか、と聞いたところ

「車だよ?」

と言ったので誰か保護者がいるものだと思っていたのだが、イリヤの後についていって見た時は唖然としてしまった。
そんな士郎と鐘を余所に普通に運転席に乗り込んだイリヤは意気揚々と帰って行った。

しばらく硬直したまま動けなくなったが

「………帰るか、衛宮」
「………そうだな、氷室」

さっきみた映像は忘れることはないだろう、と思いながら二人は家へと足を向けた。


─────第二節 話に華を咲かせて─────

学校が5限………つまりは午後2時半には終わってから病院、図書館、スーパー、公園と歩き回って気が付けばすでに周囲は薄暗くなっていた。
交差点に差し掛かったところで、士郎は鐘に一つ質問をする。

「なあ、氷室。自分の子供のころのことって覚えているか?」

交差点の信号が青になるまで幾許かの時間。
その合間を縫って出された質問。

「? 突然何を言い出すのかな。子供のころ………といっても定義は広いぞ。中学生のころか? 小学生のころか?」

「小学生………の低学年か、それよりもう少し前くらいかな」

彼の言葉を聞いて考える。
月日にすれば大体10年前だろう。そのときのことについて思い出してみる。
真っ先に思い浮かんだのはあの火災だが、恐らく彼が聞きたいのはそれではないだろうと判断し別の何かを考える。

小学校低学年。
無論鮮明になど覚えている筈もないが、物心はすでについていたのでぼんやりと思い出せる。
小学校入学時。
一年生の教室で親の顔を探しながら先生の言葉を聞いていたという記憶がある。
では入学前は?

「……………」

火災のことが蘇る。
それは正解ではない。10年前の火災といえば小学校1年の冬あたり。
彼が問うている時期はそれよりも前なのだから正解の解答ではない。
というのに、しかしそれしか思い浮かばないあたり何ともやるせなくなってくる。
隣にいる衛宮士郎という存在は火災の所為で生まれ変わったといってしまうほど過去のことを覚えていない。
そして自分もまた、火災の印象が強すぎてそれ以前の記憶がかなり曖昧になっていた。

「………誰かと遊んでいた、とか。どこかへ遊びに行った、程度しか覚えていないな」

胸が痛む。
慣れたはずの痛み。気にならない痛み。気にしない痛み。誰にも言うことのなかった痛み。表情にも出さなかった痛み。

「そうか」

たった一言そう言って青になった交差点を渡る。
鐘もまた士郎の後を追うように交差点を渡って行く。
坂道。
ここを登りきれば家はもうすぐそこである。

「衛宮、一つ尋ねていいかな」

「別にいいけど」

声をかけられて歩きながら後ろを振り向く。

「なぜ唐突に子供のころのことを聞いたのだ? 質問の出所はなんだ? 疑問には理由がある筈だろう? それを聞かせてもらいたいのだが」

例えばの話。
友人がいきなり唐突に何でもない質問を尋ねてきたとする。
当然訊かれたからにはその質問には答えるだろうが、同時に『なぜそんなことを訊いてきたのか』という疑問を持つのは普通だろう。
鐘もまたそう思ったから聞いただけに過ぎない。

「イリヤを見てるとさ、氷室の小さい頃もあんな感じだったのかなって思ったから聞いただけだ。別に深い意味はないぞ」

士郎が返してきた理由はそれだった。
何となくわからなくもなかった。

「そういうことか。理由はわかったが衛宮、“銀”と“灰”は違うぞ?」

「けど、似てるだろ」

そんな会話をしながら家へと向かっていく。



「じゃがいもはこうして皮を………そうそう。で、切った後は─────」

現在衛宮邸の台所にはエプロン姿の士郎と鐘が居た。
現在鐘は士郎に肉じゃがの作り方を指導してもらっている。
士郎の料理に対する指導は中々厳しいものがあった。
が、それで根をあげるほど鐘も弱くはないので、何とか食らいつくように懸命になって料理の指導を受けている。
フランス料理を習っていた(といっても手伝えるレベル)鐘はそれこそ包丁を持つのも初めてというわけではないが、士郎から見れば初心者レベルだった。

鰤大根を作るために、大根を切ったり、鰤の用意をしたり。
味噌汁に肉じゃがに鰤大根にとよくもこれだけ同時進行しながら混乱しないものだと鐘は半ば自分を褒めながら料理を教授していた。
そうして出来上がった時刻は定刻よりも若干遅め。
何やらセイバーは耐えかねてダンボール単位でもらった蜜柑を10個程度頬張っていたが気にしなことにしよう。

並べられたメニューは鰤大根に肉じゃが、玉葱の味噌汁に白米と漬物。
漬物に関してはもとから冷蔵庫にあったものだったが、他は全て作ったものだった。

出来上がってテーブルに並べられた夕食を見て鐘は一つため息を漏らした。
最初から上手くできるようであるならば教えなど必要ない。上手くできないからこそ教えてもらい、精進する必要があるのだ。
そうはわかっていてもため息をつかずにはいられない。
教わって食べさせる相手が一人ではなく4人もいるのだ。
しかもその全員が料理上手(4人のうち一人はカウントしない)なのだから、どういった反応が返ってくるのか気が気ではない。

だが予想に反して帰ってきた反応は

「教えて一日目でこれか。もう俺いらないんじゃないのか?」
「………うん、なかなかできてるじゃない、氷室さん。士郎のおかげかしら?」
「氷室、本当に料理できないのか? 十分食べれるぞ?」
「ヒムロ、問題はありません。シロウ、ご飯のおかわりを」

意外にも賛辞の言葉だった。

「え………?」

知らずのうちに声を出していた。

「氷室、教えて一日目でこれだけ作れるなら問題はないって。そりゃお客さんに出すにはまだかもしれないけど、ちゃんと料理になってるし食べれる。これで和食初めてなんて言うんだったら………」

呆れ顔で鐘を見てくる士郎。
そんな姿を見て凛が

「士郎が手伝ったからじゃないの? 初めてのわりには問題ないんじゃない?」

「いや、手伝いはしたけど味に関してはほぼノータッチだ。桜にも料理を教えた事もあるし、教え方は心得てるつもりだ」

ふぅん、と頷きながら箸を進める凛と士郎。
綾子もまた

「しかし衛宮が少しは教えたのも事実だろ? よかったじゃん、氷室。いい師匠見つかって」

陽気に笑いかけてくる綾子の隣ではセイバーはもくもくと食べている。
すでにおかわりは3杯目であった。

「あ………そうか。………それはよかった」

4人の意外な反応と、綾子の言った言葉に納得し、教えてくれた士郎に感謝しながら自分もまた箸を動かすのだった。


─────第三節 方針─────

夕食も終えて『後片付けも含めて料理』という士郎の方針のもとで無事すべての工程を終了させた鐘。
そんな彼女の労を労うべく食後のお茶と和菓子を用意して一息いれる。
現在時刻は午後9時。外はすでに夜で暗く、人はいないだろう。
リビングに綾子と鐘を残し、セイバー、凛、士郎は凛の部屋へと向かった。
作戦会議である。

「じゃあまずは現状の確認から。学校には結界が張られていて張った犯人はサーヴァントと思われるが正体は不明。確率的に言って昨日現れたライダーとそのマスターが高い」

「ああ。美綴を襲った事といい、恐らくは。マスターも学校関連者とみていいと思う」

「では、そのマスターとライダーをどうやって探し出すか、ですが」

「マスターと思われる反応はあるわよ。けれどそれがライダーのマスターかどうかは定かではないし、いることはわかっても誰かっていうのが明確にわからない」

「つまり………マスターを探し出せない状態ということですか」

「そういうことね。同じくライダーもあっちから行動を仕掛けてこない限り見つけれないでしょう。あとは結界発動まで隠れてればいいだけだし」

「それを少しでも防ぐために結界の基点を壊しながら捜索を続けるんだろ?」

「ええ。このまま何もしないでただ待つだけは性に合わないもの」

学校に関しての議題はこの程度。
学校に張られた基点を破壊しながら捜索活動を続け、見つけ次第叩いて解除させる。
万が一発動されたら現れるであろうサーヴァントかマスターを即座に叩き、即行で解除させる。
後手に回ってしまうのは士郎にとって許容しえないことであった。
しかし打つ手がない以上、結界の基点を破壊する凛の活動に手を貸すくらいしかできない。
そんな自分に一種の苛立ちを抱きながら学校の結界を張ったマスターを想像していた。

「ねえ、士郎。最近街中で起きている昏睡事件…………知ってる?」

「ああ。─────遠坂、やっぱりあれも………」

「ええ、サーヴァント、キャスターの仕業よ。そいつのマスターは柳洞寺にいるわ」

「柳洞寺………!? 一成のいるところにか!」

「ええ。けど、厄介な相手だがら手を出すにも慎重にならざるを得ない。霊脈を利用した魔力の収集。魔術工房。攻めようにも驚くような罠があるとも限らない。戦力は未知数よ」

ふぅ、とため息をついて

「日に日に強くなっていってるから早々に潰したいんだけど、学校の件をおろそかにもできない。よく言うでしょ、『二兎追うものは一兎も得ず』って」

そんな凛の言葉を聞いて一つ考えつく。

「なら、俺か遠坂のどちらかがライダーを牽制して、どちらかがキャスターを止めにいけば………」

「それは無理ね。大体、なんで綾子と氷室さんをこの家に泊めてるのよ」

「ぁ─────」

どちらかがライダーを、どちらかがキャスターを狙って動けば守りは完全になくなる。
つまり二人が同時に動くことは彼女たちを危険に晒すのである。当然敵はこの二人だけではない。
あの日以来姿を隠している一番の危険人物の足取りだってとれていない今、無闇に守りを解くことはできなかった。

「まったく………。この戦いを終わらせたいっていう気持ちは買うけど、もうちょっと落ち着きなさい。柳洞寺の件だってアンタ、柳洞くんが関わってるかもしれないって思って言ったんでしょ」

「う………まあそうだけど」

「柳洞くんは昨日も問題なく来てたんでしょ? なら心配することはないと思うわ。キャスターが巣を張ってるのは昨日からってわけじゃないから」

「けど、一成、何か眠たそうな感じだったぞ? それって関係ないのか?」

「なんとも言い切れないわね。単に柳洞くんが夜更かしするような事をしているってこともありえるし、学校の結界による影響ってこともある」

可能性を提示されて、それらも否定できない士郎はこれ以上何か言おうとはしなかった。
彼女の言ったことは普通に考えればあり得る話であるし、真相は明日聞けばいいだろう。

「危険度が高いのは間違いなく学校の結界よ。キャスターはまだ一線を守ってるけど、学校のアレは発動したら中にいる人を殺す。優先度を考えると学校の結界をどうにかするのが先でしょうね」

「けど、その敵は今どこにいるのか掴めていないんだろ? なら居場所が判明しているキャスターを叩きにいくべきじゃないのか。力をつけられると厄介だろ」

ライダーの居場所はわからず、マスターも不明。
キャスターの居場所は判っているが、戦力は未知数で、日に日に魔力を補充している。
どちらも無関係な人間を巻き込んでいる。
ライダーの所在が不明な以上狙うならキャスターだろうが、同時に危険でもある。
昏睡事件は数日前からすでに発生していたし、自分の城ともいえる場所ならば相応の準備をして攻略に挑まなければならない。

「士郎、戦争っていうのはね情報戦でもあるのよ。数日前にキャスターと戦ったでしょ? 相手の手の内を一体どれだけ把握できたの? 私見だけど二人がキャスターの情報を掴んでいる量よりキャスターがセイバーの情報を掴んでいる量の方が多いと思うわよ」

「─────待て、遠坂。なんで俺達がキャスターと戦ったことを知ってるんだ?」

「たまたま戦闘を感知できる範囲内にいたから気になって見に来たらアンタたちがいたのよ」

まるで気づかなかったな、なんて感想を漏らす。
それだけあの時は周囲の敵が多くて必死だったということでもあるが。

「セイバーはどう思う?」

隣にいたセイバーに話しかける。

「そうですね。確かに柳洞寺に至る霊脈に作為的なものを感じますから、リンの言ってることは間違いないでしょう。あの山はサーヴァントにとって鬼門です。軽はずみな侵攻は避けたい」

「じゃあ今夜は巡回に留めて、柳洞寺はもう少し情報を手に入れてから探りを入れるか? 相手の正体だけわかっているとは言ってもそれは相手も同じだろうし、何があるかもわからないまま突っ込むのも無謀か」

「いえ、その必要はありません。確かにキャスターが私の情報を手に入れていることは明確でしょうが、早々に決着をつけるというならば正面から力で打ち破るのみです」

「けど、それって危険じゃない? 自分が予想しえない罠で弱点とか突いてくるのかもしれないわよ?」

「むしろ好都合です。自分のことは自分が一番理解している。弱点を突いてくると言うならば突いてきたところを叩くだけです」

「………わざと狙わせてそこに合わせるように攻撃を仕掛けるってワケ。なるほど、なかなかリスキーな考えね」

セイバーの言動と現状を鑑みる。
確かに危険度はあるが、放置しておくわけにもいかない。

「よし、柳洞寺に行く。けどセイバー、相手の本拠地に乗り込むんだから慎重に行くぞ。想像以上の危険だと判断したら一旦退こう。………情けないけど、俺にセイバーの援護はできないからな」

「………判りました。最終的な判断はシロウに委ねます。どうするかは貴方が決めてください」

「─────む。それはそれで嬉しいんだが怖いな。打倒し得る脅威だったとしても臆病風に吹かれて退却するかもしれないぞ?」

「なるほど、そう言った場合も考えられますね。シロウは戦闘経験が少ないですから。ですがランサー、キャスター、ライダーと戦っている。それほど心配になることもないでしょう」

「そう言ってくれると励ましにはなる。けど、やっぱり少ないのは事実だからな。間違っていたときは忠告してくれると助かる」

「はい。ではシロウが間違っていた時は私から忠告を。勿論、それではシロウのためにはなりませんから、シロウが判断を誤った場合は、何らかのペナルティを負ってもらう事にしましょうか」

ペナルティ、という言葉を聞いた士郎は僅かにセイバーから後ずさる。

「─────ちなみに、ペナルティって、内容は何さ?」

「さぁ、それを口にしては面白くない。数少ない楽しみでもありますから、私だけの秘密にしましょう」

そんな彼女の言葉を聞いて背中に冷や汗を感じる士郎。

「なあ、一体誰の影響だ? 氷室か? 美綴か? 遠坂か? テレビか? それとも自前か?」

「面白そうね。なら私からもペナルティを出しましょうか。そっちの方がより気を引き締めることができるでしょ?」

セイバーと士郎の会話を聞いていた凛がトンデモ案を出してきた。
当然士郎は止める。

「待て、遠坂。そんなことをしなくても十分気は引き締まってるからやらなくていい。あとその笑顔が微妙に怖い」

「失礼ね。───まあいいわ。それじゃ今日は二人が外に出るってことで。私とアーチャーはこの家に残ってるから安心しなさい」

「わかった。遠坂も気をつけろよ。………今から行っても大丈夫か?」

「う~ん………少し時間帯としては早いんじゃない? あと1時間・・・くらいすれば他の奴らも活発的になると思うわよ」

「では、それまで私は道場にいます。何かありましたら呼んでください」

今日の方針を決定し終えてセイバーは凛の部屋から出て行った。
その姿を確認して士郎も立ち上がる。

「それじゃ、遠坂。帰りは待ってなくていいからな。寝てろよ」

「別にアンタに言われる筋合いはないわよ」

そうかい、と言って部屋を出て行った。
ふぅ、と一息つく凛。改めて彼と共闘関係になってよかったと思っていた。
無論敵であることには変わらないが彼が寝込みを襲ってくることはまずないだろうし、彼が敵対しようと思っていない以上は安心できる。
彼のサーヴァントもまた優秀でマスターの意に反して襲ってくる、なんてことはしないだろう。
つくづくセイバーを手に入れれなかった自分に呆れてしまう。

「リン、今君は何か不躾な考えを抱かなかったか?」

すぅ、と部屋に現れたのは赤い騎士アーチャー。

「気のせいよ。何もアンタに失礼なことは考えちゃいない」

ばふっ、と用意されていたベッドに飛び込む。
この時間帯からベッドに横になれたのはいつぶりだっただろうか。

「アーチャー。今夜の私達の方針は聞いてたわね?」

「ああ。奴が外に出て敵を摩耗させている間、我々は体力を温存し次に備えておくということだろう。君は最近動いてばかりだったからな。今日一日はゆっくり体を休ませてもバチはなかろう」

「─────まあ当たってるっちゃ当たってるけど。私たちはあくまでも綾子と氷室さんを守る必要はあるんだから、外の監視は任せたわよ」

「言われずともわかっている。仮に護衛する者がいなくともマスターの就寝中を警護するのはサーヴァントの役目だ」

相変わらずの態度で言ってくるアーチャーであったが、すでに出会ってから数日共に過ごしている凛はすでに慣れていた。



セイバーは道場に、士郎はリビングに戻ってきた。
リビングには風呂から上がった綾子とまだ入っていない鐘がテレビを見ていた。

「美綴は風呂から出たのか。氷室はまだ風呂入ってないのか? 入ってくれていいぞ?」

「いや、私はまだ遠慮しておく。遠坂嬢やセイバーさん、それに君だって入っていないだろう。私は最後で構わない」

「昨日もそう言って最後だったよな。最後が好きなのか、氷室?」

「………まあそういうことにしておいてくれ」

ふうん、と言いながらテーブルに置いてあった空になった急須を台所に持っていき、再びお湯を入れる。

「で? 衛宮は遠坂と何話してたんだ? ここから出て行って結構時間経ったけど」

「今後どうしようかっていうことだ。美綴たちが気にするようなことは何もないよ」

自分の湯呑に茶を注ぎ一服する。

「あ、氷室。まだ入らないなら先に遠坂に入るように言っておいてくれ。俺とセイバーはもう少ししたら出かけるから。だから先に入って寝ててくれればいい」

「出かける………とは。また巡回、なのか?」

手に取っていた湯呑を見る。
そこには自分の顔が薄らと写りこんでいた。

「ああ、まあ………巡回かな。一応目的地はあるからそこらを調査もするけど」

「………目的地、ね。衛宮、ちなみにその目的地ってどこなんだい?」

「それこそ別に美綴が気にすることはないぞ。あ、ちゃんと家には遠坂がいるから夜は安心していい。仮に警鐘が鳴ったらすぐに遠坂のところにいけば大丈夫だ」

衛宮邸には侵入者が入ってきたときに警鐘が鳴る。
綾子はまだ知らないが、鐘は一度聞いているので問題はないだろう。

「っと。それじゃちょっと土蔵に行ってくる。先に寝ててくれて構わないし、何か飲みたくなったりしたら遠慮なく冷蔵庫の飲み物を飲んでくれていいぞ」

茶を一気に飲み干してリビングを立つ。
障子を開けて廊下へ出て

「じゃあな。おやすみ、氷室、美綴。しっかり寝ろよ」

一言そういってリビングを後にした。


―Interlude In―

日も完全に落ちた夜のマンション。

「………そう、わかったわ。それで、これからどうするの?」

「どうするも何も、彼の確認はとるべきだろう」

場所は変わって氷室宅。
氷室 鐘の母親、氷室 鈴。冬木市市長の氷室 道雪。
話の内容は昨日この家に訪れた一人の少年の身元確認。
自分の夫が市長ということもあって、市長を通して素性を調べるのは一般人のそれと比べると容易い。
無論、個人情報を侵害するほどまで調べたわけではないが。

彼の父親の名は『衛宮切嗣』。
10年前にこの街にやってきて住み始めた男性で、その息子の名は『衛宮士郎』。
そして肝心の母親の名前がなく、『衛宮士郎』は『衛宮切嗣』の捨て子を拾った養子扱い。
少なくとも市の記録にはそう残っていた。
10年前の火災を考えてみれば、そういうことだってありえただろう。捨て子をする親がいれば拾う大人もいる。
つまり『衛宮士郎』は『本来別名として生きていた』ということである。
その事実を知って、母親は一人もの思いに更けていた。

彼の姿を見た時は驚いた。
かつて遊びに来ていた子供を成長させたら恐らくはこんな風になるだろう、という姿そのものだったからだ。
その驚きそのままに『もしかして』という一縷の思いを持って、知られないように大切に保管していた数枚の写真の中の一枚を彼に見せた。
無論、そっくりさんということだってありえる。
世界には似た容姿の人物は3人はいるとも言う。だが果たして士郎という名のそっくりさんがいるのかと言われれば否、と答えるだろう。
そう思ったからこそ『知っているか』と問いかけながら写真と、その写真に書いたメッセージを見せた。
見せた写真は自分の愛娘とかつての少年が笑っている写真。その下には即席で書き上げた一つのメッセージ。

『鐘には言わないように』。

それを見せられた衛宮士郎という少年は唖然とした姿を曝け出していたが、尋ねてみると『覚えていない』との返答だった。
その場には自分の娘もいたし、これから出かけるというのだからこれ以上追及しようとも思わなかったので特に何も言わずに送り出した。

その言葉を聞いたときは『やっぱり同名の別人だったかな』という思いであったが、彼の返答を改めて確認して違和感を覚えた。
『知っているか』という問いに対して『覚えていない』と答えた少年。
通常ならば『知らない』と答えるのが普通ではないだろうか。そんな深い意味などなく答えたということもあるかもしれないが。
ここでかつての医者が言っていたことを思い出した。
『事故のショックによる記憶障害』。自分の娘もかなり軽度ではあったがそれになった。
ならば。

あの火災の中心地に住んでいたあの子供が万分の確率で生きていて、けれどショックにより記憶が失われたままの状態で養子として衛宮を名乗る様になったならば?
可能性は十分にあった。無論もともと彼は『衛宮士郎』として生きているという可能性もあったので、二人が出て行った後に夫と二人で話し合い、まずは調べてみようという結論に至った。
そうして調べてみた結果、衛宮士郎という人物と衛宮切嗣という人物に血縁関係はなく、養子として受け取られたという記録が残っていた。
これで衛宮士郎は『衛宮士郎』として生きていた訳ではないということがわかり、いよいよ『もしかして』という考えが現実味を帯びてきた。

だが、これ以上の詮索はしてはいけない。
この10年間を彼は『衛宮士郎』として生きてきた。
家に訪れたときの咄嗟の写真提示は仕方なかったとしても、これ以上深く掘り下げると彼の今のアイデンティティに大きく問題が生じる。
そのためにも彼には一度可能性を言わなければいけない。彼が拒否するのならば、これ以上の詮索は無駄であるし無意味。忘れてくれと言って今まで通りの日常に戻ればいい。
けれど彼が許可するのであれば。
鈴も、その夫たる道雪も徹底的に調べるつもりであった。もとよりそのために写真を未練がましく残していたのだ。
母親と父親の死体が確認されたにも関わらず、その子供だけがその死体を確認できないという当時の捜査結果。
しかし彼と思われる姿はどこにもなく、また教会に預けられた孤児たちの中にもその姿はなく、いよいよ行方不明のまま死亡扱い。
もはや生きていないと諦めながら、しかし諦めきれずに写真を隠す様に大切に保管していた。

許嫁、という言葉がある。
自分の娘あるいは息子と、先方の息子あるいは娘が将来結婚する相手を事前に親同士が決めるという意味を持った言葉。
あの士郎という子供の両親とそういう話し合いがかつてあった。
彼の両親の人柄の良さは十二分に承知していたし、自分の愛娘の夫となりうる子供の事もよく知っていた。
知った上で彼ならば─────という思いを持っていた。
無論、当の本人たちは知り得もしなかっただろう。
そこに突然訪れた終焉。
やりきれない気持ちになるのは当然だった。

だからこそ、可能性は大切にしたかった。
そうして今に至る。
結果を受けて、さあ次はどうやって話をつけようか。
そんな事を考えながら保管していた写真を眺めていたその時だった。

「面白そうな話ね? 私にも聞かせて貰えないかしら?」

突如聞こえてきた声に鈴と道雪は家から跳びあがるように立ち上がった。

「誰だ!?」

一家の大黒柱たる夫、道行が家の中を見渡しながら大声をあげるが誰もいない。
気のせいか? とも思ったが、夫婦そろって声に反応するのだからどこかしらから声をかけられたのだろう。
果たしてそれは、例えば隣の家から大音量のテレビのセリフが聞こえてきたならば。
これはただの驚き損で済む話だ。
だが。

「─────!?」

ぐらり、と視界が歪む。それは傍らにいる妻も同じようだった。
それが自分が倒れる寸前の視界だったともわからずに、意識の途絶えた二人はリビングに倒れてしまった。

「─────ふうん」

魔術師は一人、テーブルに置かれた数枚の写真を見る。
年齢こそ違うが、そこに写っていたのは間違いなく水晶越しに見た“あの”二人の幼い時の写真だった。
そして今しがた話していた夫妻の会話内容。

「………衛宮士郎。調べてみる価値はあるかしら?」

今宵もまた魔術師は魔力を集める。
今回それが新都中心部分ではなく、ほんの少し離れた場所にあったどこにでもありそうなマンションだっただけの話である。

―Interlude Out―





[29843] Fate/Unlimited World―Re 第22話 柳洞寺へ
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/08/11 22:14
第22話 柳洞寺へ


─────第一節 慶長の侍─────

屋敷の明かりがまだ残る午後10時半。
結局誰一人寝ることなくこの時間がやってきた。
対する町の方はというと、連日の騒動もあってすっかり寝静まっている。

「………で、別に見送りなんていいのに」

玄関で靴を履いている士郎の後ろには鐘と綾子の姿が。
セイバーはすでに靴を履き終えていつでも動ける状態にいる。

「なんだ衛宮。せめてこれくらいしたってバチはあたらないだろ? なんなら帰ってくるまで起きててやろうか?」

「冗談。別に起きてなくてもいいから寝てろ」

「すまないが生憎とこの時間はまだ普通でも起きている。君が何時に帰ってくるかは知らないが起きている可能性だってある」

「いや………だから寝てればいいのに。」

靴を履き終えて、竹刀袋の中身を確認する。
中には竹刀ではなく木刀が入っている。
心許ない部分もあるが、用意できるものといえばこの程度なので仕方がない。
下ろしていた腰をあげて立ち上がる。
玄関戸を開ければ、いつもと変わらない光景が見える。

「それじゃ行ってくる」

そう言い残して冬の夜空の下へと出る。
体温を奪う様に外気が襲ってくる。

「衛宮、気をつけろよ」

綾子が玄関からそう声をかけてきた。
後ろを振り返れば、家の中には2人の姿が。

「─────ああ。2人とも、ちゃんと寝ろよ」

そう告げて玄関戸を閉めた。
背後にいるセイバーに振り返り、顔を見る。

「────行くぞ、セイバー。ここからはマスターとしての時間だ。他の事は考えない」

セイバーと共に屋敷を後にする。
月は高く、夜の闇はなおこれから密度を増していくだろう。
─────風があるのだろうか、上空の雲が速い。
白々とした月が見え隠れする中、士郎はキャスターがいる柳洞寺へと歩き出した。



今夜の件の中心地となる柳洞寺が見えてきた。
セイバーはすでに武装化している。
この先は敵地であり、顎の如く罠が張り巡らされている可能性もある。

「─────」
「─────」

士郎とセイバーはお互い、敵の攻撃や罠に備えて神経を張り巡らせている。
山門に至る階段は長く、吹く風は山頂付近だというのに生温かい。

そこは夥しい魔力によって汚された山だった。
上空には死霊が鴉のように徘徊し、木々に育った葉は視えない血に濡れていた。
集められた魔力、剥離された精神が残留し、山は禿げ山の如く訪れたモノを食らうだろう。
世に死地があるというならば、ここは紛れもなく最低の極上地帯であった。
無論、生身の人間である士郎はそこまでわからないが、一種の霊であるサーヴァントのセイバーにとって居心地のよい場所ではなかった。

なるほど流石敵の本拠地だ、とセイバーは納得する。
柳洞寺には山門以外から柳洞寺に入ろうとすると魔力を削がれ、大きな痛手を負わせる結界が張ってある。
敵地に攻め込むのにただ入るだけで魔力を削がれてはたとえ勝てる戦いであったとしても勝てなくなる。
加えてこの死地のような場所。キャスターが籠城しているというのを裏付けるのは十分すぎる手掛かりだった。

そして同時に危険性はこれで最高レベルにまで高まった。
一体この死地に何があるかわからない以上マスターを護衛するセイバーは士郎以上に周囲に気を張り巡らせる必要がある。
よもや自分が一緒にいながら敵の罠を見抜けずにマスターたる士郎に傷を負わせてしまったり致命傷に至るような結果に陥らせてしまったら、士郎に顔向けなどできないだろう。
無論、士郎の家で無事の帰還を待つ綾子や鐘にも申し訳が立つはずもない。
かといって士郎一人残して単身乗り込むのも得策ではない。
確かに守るべき身は自分一人となり行動しやすくなるだろうが、同時にそれは離れたマスターに危険が発生したときにすぐに駆けつけることができなくなることを意味する。

守るしかない。
主を守ると誓った身である。ならば己が身にかかる火の粉など、顧みるにも値しまい。
その決意を胸に抱きながら周囲を警戒する。
長い階段。直線的で長距離。
敵に感知されずに山門をくぐるなどを不可能。必ず奇襲があるだろう。
そんな階段をのぼり、あと十数メートルという距離まで迫ったときにソレは現れた。
さらり、という音さえする程の自然体。颯爽と現れた男の姿はあまりにも敵意がなく、しかし隙など全くなかった。

「─────」

士郎とセイバーの間に言葉など不要だった。
その男がサーヴァントであるなどその手に持っている長刀を見た時点で判りきっていた。
セイバーは士郎の前に出て士郎もまた木刀を取り出して強化を施す。

「………侍、だな」

「─────そのようですね」

目の前の男が放つ異常性を感じながらセイバーは侍を見る。
サーヴァントに違いないが、英霊特有の宝具や魔力すらも持ちえない。
ならば打倒するのは容易いと思った反面、油断するなという直感がセイバーに告げていた。
わずかに剣を構え直し、目前の敵を睨むセイバー。
正体は不明だが、キャスターでないことくらい明白である以上この侍がどのようなクラスであるかは確認しなければならない。

「………訊こう。その身は如何なるサーヴァントか」

士郎を背にやり、セイバーは到底帰ってくることなど無いであろう質問を投げかけた。
だが、その問いを聞いた男はにやり、と笑ったあと

「─────アサシンのサーヴァント。名は佐々木小次郎」

予想だにしない返事を突き付けてきた。

「な────」

サーヴァントは本来自分の正体を隠すもの。
それを自ら、堂々と告げるサーヴァントはいない。

「………お前、自分の名前を」

「当然であろう? 立ち会いの前に名を明かすのは条理であるし、そもそも訊いてきたのはそちらだ。ならば答えるのは道理。それとも・・・お前は違うのかな、赤髪の倅」

サーヴァントとしての格はわかった。
アサシンはそう優れたサーヴァントではない。ならば御しやすいと下す反面、セイバーの直感が告げている。
剣の勝負────単純な剣の試合では、この相手には勝ちえないと。

「セイバー、気をつけろ。佐々木小次郎っていうのは日本にいた侍だ。日本でもかなり有名な侍で、慶長の時代に世に並ぶ者なしとさえ言われていた剣士だ」

さすがの士郎でも佐々木小次郎という名前は聞き覚えがある。
日本のある場所では像まであるほどの人物。
しかしそこまで記録に残りながら彼自身の情報はまるで信憑性がないものばかりで出生も不明で、実在したかも不明な人物だった。
だがこうして今士郎の前にいる以上は実在したのだろう。

「─────なるほど、世に並ぶ者なしとさえ謳われた身でしたか」

自身の直感の裏付けが取れたセイバーは構えを一旦解く。

「………名乗られたからには、こちらも名乗り返すのが騎士の礼です。ましてやその様な経歴を持つ者ならば貴公が名乗り上げるのも当然」

セイバーとしては名乗ることにリスクは大きい。
だが、それは勝利するためのもの。
そんなもので騎士の信念を汚すことなど、彼女にはできなかった。

「小次郎、と言いましたね。────アサシンのサーヴァントよ、私は」

「よい。名乗れば名乗り返さねばならぬ敵であったか。………フ、無粋なことをしてしまったな、セイバーよ」

あくまで優雅に石段を下り、アサシンはセイバーと対峙する。

「そのような事で私は敵を知ろうとは思わぬし、過去の経歴などどうでもよい。我らにとって、敵を知るにはこの刀だけで十分であろう」

一歩セイバーへと近づく。

「真明など知らずともよい。ただ、セイバーと呼ばれたサーヴァントが、この刃によって斬り裂かれるだけの話だ。言葉で語るべき事など我らには皆無」

ひゅ、と剣先のセイバーに向ける。
月の光を反射して光るその長刀は怪しく紫色に光る。

「それに知ったところで何も変わるまい。貴様は己が主に私を聞いた。では、問おう。聞いたことによって聞く前と何が変わった?」

何も変わっていまい、と眼差しがセイバーを射る。

「─────そうか、確かにその通りです」

言ってセイバーは再び深く剣を構え直す。

「それで良い。では、サーヴァント随一と言われるその剣技、しかと見せてもらおうか。─────果たし合おうぞ、セイバー」

アサシンの言葉を最後に、二人は動いた。
銀の光が山道を照らす。
剛と柔。
そのあまりに違う剣士の戦いは、月光の下で火蓋が切られた。


─────第二節 燕返し─────

──風巻く山頂に火花が散る。

切っ先が交差し、幾度にも振るわれる剣線。
幾重もの太刀筋。弾け、火花を散らし合う剣と刀。

繰り広げられる攻防は互角。
数十を超える立ち合いは互いの立場を変動させない。
アサシンは退くことなく、セイバーは詰め寄ることができず、徒に時間と気力を削いでいる。
士郎もまた何か手を考えていたが、手元にあるのは木刀のみで何もできない。

気が付けばセイバーが数歩後退している。
アサシンの卓越した技量と、絶対的な足場の不利。

「─────さすがにやりにくいな。視えない剣がこれほど厄介とは思わなんだ」

対するアサシンは不動である。
迎え撃つだけなので後退するセイバーに無理に追撃をかける必要もなし、上に位置するという優位性を捨てる筈もない。
故に待つだけでいい。

「セイバー………!」

下がったところに士郎が近寄ってきた。

「シロウ………。いえ、大丈夫です」

視線をアサシンに戻し、そしてその奥を見る。
見えるのは柳洞寺の山門。その先にキャスターがいる。
士郎とセイバーの本来の目的はキャスターの打倒であったが、思わぬ手練れの防衛のために未だその門を超えられずにいた。
今はまだそれらしい反応はみられないが、いつキャスターがアサシンの援護に出てくるかはわからない。
さすがのセイバーもこの手練れとキャスターの魔術を相手に戦うとなるとかなりの消耗戦となる。
そうなる前にアサシンを倒しておく必要があるだろう。

「シロウ、キャスターが手を出してくる前にアサシンを倒します。………少し離れていてください」

不可視の剣を構え直す。
その不可視の剣に僅かな風が渦巻く。それがかつてキャスターにやってみせたものと同じだとわかった。

「………やれるのか? キャスターのときとは違うぞ」

立ち位置、敵の持つ武器、戦い方。
その全てが違う。近接戦闘でいうならばキャスターよりも目の前のアサシンの方が数段強いだろう。

「ええ、わかっています。確かにあの手練れに対して突進は危険を伴いますが、何も突進するだけ●●●●●●●●しかできないわけではありません」

セイバーが数十と打ち合って感じ、判明したこと。あの刀に何か魔術的な仕掛けがあるわけではない。
この後にはキャスターもいる。戦闘配分は考えなくてはいけない。

「─────そうか。わかった」

セイバーの言葉に応じ、士郎は数歩後ろに下がる。
それを流れるように眺めていたアサシンはさも残念と言わんばかりだった。

「しかしセイバー。いつまで鞘に納めたまま戦っている? よもや鞘に納めたままで私に勝てると?」

「────いや、もとより手加減などない。貴様の謳われた存在、今までの剣劇。それを確かめていた。………なるほど、こと剣技に関して言えばその歴に相応しいものだ」

だからこそ、とセイバーは言葉を続ける。

「私もこれからは本気でいかせてもらう。───我が一撃、受けきれるかアサシンのサーヴァント!」

構える不可視の剣は今までとは違い、風が巻き吹いている。
その姿を見たアサシンは

「ほう………不可視の正体は風であったか。しかし───よもやその程度の風ではあるまい」

しかし悠然と構えている。
アサシンは上段に、セイバーは下段に。
距離として8メートル。サーヴァントにとってコンマ数秒で到達できる距離。

「はぁ─────ッ!!」

セイバーのいた場所が爆ぜた。残り6メートル。
同時にセイバーの不可視の剣を覆っていた風の結界が解除され突如として突風が吹き荒れる。
圧縮。圧縮。圧縮。
超圧縮された風を剣が纏う。その剣を大きく振りかぶり───

「む─────」

即座に反応したアサシンが即座に構える。
それは今まで無形を保っていた彼が初めて見せる構え。
しかしその構えが通常のソレとは大きく異なり、奇異に写る。
完全に懐に入った長刀はその意味を成さない。
だというのにソレはそれこそが正解だと言っていた。

風王鉄槌ストライクエア─────!」

────そして振るわれた。
残す距離4メートルの時点で放たれた風の砲撃。
これを防ぐ術をアサシンは持ち合わせない。防ぐには純粋に上回る魔力がなくてはならない。
魔力の痕跡が全く見受けることのできない長刀。
故にこれを防ぐことはアサシンには不可能。そう断じてセイバーは風王結界を解き、風王鉄槌を放った。
加えてこの距離ならば躱すことも敵わない。故に必中。


そう確信していたからこそ、次の一手には遅れてしまった。


「秘剣───」

衝突したと思われた突風。
その中から聞こえてくる声。

「─────燕返し」

必殺せんとする閃光がセイバーを襲う。


─────第三節 優先するべきは─────

「─────!」

その息を呑むよりも早く、彼女の直感が振り下ろした腕を再び振り上げていた。
ギィン!! と甲高い音が暴風の音の中に響く。
アサシンの姿はまだしっかりと確認できなかったが、しかしその刀の長さの所為で刀だけが浮き上がってくるように襲いかかってきたのだ。
そのような状況で攻撃を弾いたセイバーの技量は賞賛するに値するだろう。

だが。
燕返しは一刀だけの攻撃ではなかった。

「──────あ」

彼女の卓越された直感が、認識するよりも早く階段から転がり落としていた。
受け身も何もなく、ただ転がり落ちるセイバー。
必死に体を倒し、勢いを殺さずに階段を転がり落ち続けた。

「セイバー!」

後ろに控えていた士郎が転がり落ちてくるセイバーを抱き留める。
しかしそれでも勢いがなかなか止まらなく、受け止めた場所から数段落ちた所でようやく止まる。

「つ───ぅ」

ガン! と頭部を石段に強打してしまった。

「く───!」

倒れていた体を起こすセイバー。
傍にいた士郎も体を起こす。

「! シロウ、血が………!」

どうやら頭部を強打したときに頭部の皮膚を切ったらしい。
頭部から血が出ていた。

「ただのかすり傷だ。それよりも………」

先ほどまでいた場所を見上げる。
そこには以前と変わらず、悠然と佇む長刀の剣士の姿があった。
だが、そのさらに先。
柳洞寺の山門の上に別の人物の姿もあった。

「キャスター………!」

風王鉄槌はアサシンでは防げない。
しかし、キャスターの援護が加わったならば話は別。
この場所ならば風王鉄槌を防ぐほどの防御壁を瞬時に張ることもできるだろうし、アサシンを空間移動させて攻撃をやり過ごすことだって可能だろう。
それこそ魔法の真似事すらも可能としてしまいかねない。
果たしてどのようにしてセイバーの攻撃をやり過ごしたかは不明だが、アサシンも、その先の山門も目立った外傷は見当たらない。

「キャスターよ………余分な手出しは無用と伝えた筈であるが?」

「余分ではなかったでしょう。あれを受けていたらひとたまりもなかったでしょうからね」

背後に現れたキャスターに顔を向けることなく会話をするアサシン。
そんな二人を見上げながらいよいよどうするか迫られる士郎とセイバー。

「───続行か撤退か。セイバー、今の状態は?」

「………アサシンの攻撃を掠りました」

そう言って左手を見せる。
手を覆う様に纏っていた鎧が完全に砕けていた。
寧ろあの状況からの必殺の攻撃を凌いだのだから幸運と言えるだろう。

「──────」

この状況をどうするか。

(戦闘続行。………いや、だめだ。そうなると今度はあの二人と同時に戦わないといけない。2対1じゃセイバーでも無理がある)

自身がセイバーの力になれないと分かっている以上、別のやり方でセイバーを守るしかない。
間違ってもバーサーカー戦のようにセイバーだけを傷つけたくはなかった。

「それにしてもセイバーのマスター?」

眼下にいるセイバーと士郎を見下ろすキャスターだが、そのフードの下の顔は窺うことができない。

「………なんだよ。お前と話すことなんてないぞ」

「ええ。私も少し前までは気にもかけてなかったわよ。けれど、少し事情が変わってね」

「事情?」

時折吹く風が場にいる者たちの衣服を靡かせる。
しかしキャスターの服装だけは風が吹いているというのにまるで風の影響を受けていないようだった。

「そうね。けれど今はまだその時ではないわ。いずれ時期がきたら。それまでは見逃してあげるわよ、坊や」

「何を世迷言を、キャスター」

士郎とキャスターの会話を両断するように声をあげるのはセイバー。
手に握られた黄金の剣は夜にも関わらず、圧倒的な存在感と輝きを放っている。

「敵であるサーヴァント同士が出会ったならば雌雄が決するまで戦うのがこの戦いだ。どのような言葉で誑かそうとも無駄だ」

黄金の剣を構える。

「あら、この2対1の状況で勝てると?」

「貴様たち二人に遅れはとらない。見事勝ってみせよう」

セイバーの視線は上にいる二人に向けられている。
2対1ともなるといよいよ彼女の最大の宝具を以ってして挑まねばならないだろうがこの戦闘で6人中2人がいなくなると考えれば聖杯戦争も進展するのは確実。
加えてセイバー自身、自分の宝具に絶対的な自信を持っている。故に退くつもりはなかった。

「………よほど聖杯が欲しいようね」

「当然だ。もとより我らサーヴァントはそのためにここにいる」

「さて、どうかしら。────まあいいわ。今は貴女の意見は聞いてないの。そこの坊やの意見を聞いてるのよ」

「………俺の?」

キャスターとセイバーの視線が士郎に集まる。
アサシンは山門に凭れかかり、事の行く末を静かに聞いていた。

「──────坊やのここに来た目的。それは私を止める為?」

「そうだ。お前は街の無関係な人間を巻き込んでいる。それを止めるためにここにきたんだ」

「そう、なら坊やの目的は達成されたわ」

「………何?」

キャスターの言葉を聞いて問い返す。止めるためにキャスターがいるこの場所まで来た。
が、それをする必要はないと言う。

「もう魔力集めはしないわ。つまり─────もう街の人間を襲う事はないっていうことよ。………もっとも、この場で大量の魔力を消費させてくれるようならその限りではないでしょうけど」

「………いうことだ。お前は」

「どうも何もない。必要分はすでに集め終えた。あとは貴方達のように自ら足を踏み入れてくる敵を屠るだけ。そういう意味よ。それとも、貴方は私にまだ魔力集めを続けてほしいのかしら?」

「そんなわけあるか!────けど、お前の言うことを鵜呑みになんて出来やしない」

敵の言葉をそのまま受け入れることは士郎もしない。
仮のこの言葉が嘘でこれからも続けるようなことをするかもしれない。
そういう考えを持っていた。

「そうね。確かに敵の言葉は信用ならないでしょう。けれど、もうしないと言っている敵よりも優先すべきことが貴方にはあるのではなくて?」

「──────」

思い浮かぶのは学校の結界。
こうしている間にも学校の結界は着々と完成へと続いているだろう。

「あの建物に張っている結界。あれは中々に高度なものでキャスターである私でも解除するには骨が折れるわ。しかもやろうとしていることは私よりも悪質」

思い返すのは凛の言葉。
尺度の問題で言えば、あちらのほうが数倍悪質だろう。
が、かといって目の前の敵がやったことが許されるわけでもない。

「その結界を張っている輩が、今この夜の街で人を襲っていると言ったら、貴方はどうするかしら?」

「な──────」

どくん、と全身が凍りついたように停止した。
キャスターの言った言葉を努めて理解する。

「────どういうことだ、キャスター」

士郎ほどではないにしろ、驚いた様子を見せたセイバーが尋ねる。

「言葉通りの意味よ。あの結界だけでは飽き足らず、夜になった街に出歩いている人間を無差別に襲って魔力を集めている。あれだけ動き回れば私に見つかるのも道理よ」

「────つまり、お前は何が言いたい?」

キャスターを睨む。
否、彼女から答えを聞かずとも士郎にはわかっていた。
攻めに来た敵を止めて、攻めに来た理由を問い、別の敵を示す。
にやり、と笑うキャスターが次に言うべき言葉はわかっていた。

「早く行かないと間に合わないわよ、セイバーのマスター」

「っ────」

キャスターを強く睨む。
自分のしてきたことを棚に上げて、とも思ったがキャスターのいう事が本当ならば一刻も早く止めなければいけないだろう。
しかし。

「貴様のいう事が本当だという確証などどこにもない。それを信じろと?」

セイバーが問いかける。
その視線は睨み殺さんといわんばかりのものだが、キャスターはどこ吹く風の如く受け流す。

「信じなければ信じなくてもいいわよ。────ただし、朝になったら後悔するかもしれないけど。ねぇ、坊や?」

「────」

唇を噛み締め、目を瞑って考える。
これが嘘だったなら? その時はまたここに攻めてくればいい。それに犠牲者がいないならそれでいい。
これが本当だったなら? その時は一刻も早く止めなければいけない。犠牲者が出る前に。
第一、 この聖杯戦争に参加した理由は?

そう考えた時にはすでに答えは出ていた。

「────教えろ」

閉じていた眼を開け、キャスターを見る。

「そんなこと言うからには場所くらい知ってるんだろ。────さっさと教えろ」

「新都と深山町を繋ぐ大橋があるでしょう? その近くにある公園………。ここからだとセイバーに手伝ってもらわないと間に合わないわね?」

「貴様………!」

セイバーが剣を構え直すが、それを士郎が手で制す。

「シロウ………」

「行こう、セイバー。キャスターのいう事を信じるわけじゃないけど、無関係な人間が巻き込まれるのは防ぎたい」

士郎の答えを聞いて、構えを解き────

「………わかりました。では捕まってください。────跳びます」

肩に手を回してキャスター達に背を向けた。

「もし、間に合わなかったときは教会を尋ねなさい。────何らかの指示は与えてくれるでしょうね」

キャスターの声をこれ以上聞くこともなく、ダン という音と共に二人は山道から姿を消した。



士郎は現在セイバーの肩を持ち空中を跳んでいる。
この経験は一番初め、セイバーと共にランサーを追ったときに経験している。
だが────

(うわっ)

一瞬の無重力感からの落下。
ジェットコースターなどの急降下でよく感じる事ができるソレと同じなのだが、状況が違う。
命綱たるものになりうるのは自分の腕と自分を支える少女の腕のみ。
ゴガッ! と貯水タンクの上に跳び下り、そのまま目的地である大橋付近の公園へと向かう。

「大丈夫ですか、シロウ」

「なん………とか」

一度経験しようが慣れないものは慣れない。
が、弱音を言っている暇もない。
仮にキャスターが言っていることが本当ならば何が何でも止める必要があるからだ。

「見えてきた………!」

二人の目の前に件の大橋が見えてきた。
あとはその傍にある公園へ向かうだけである。

「公園から何か感じるか、セイバー?」

「………いえ、今のところサーヴァントらしき反応は感知できません」

「………そうか」

何も起きていないならそれでよし。
最悪の場合は全てが終わったあとだった場合。何としてもそれだけは阻止しなければならない。
そのためにこの聖杯戦争に参戦した様なものだからだ。

「あそこだ………!」

大橋の傍の公園の前の道路に着地し、そのまま脇目もふらず公園に駆け込んだ。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第23話 衛宮士郎という存在
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/08/11 22:14
第23話 衛宮士郎という存在


─────第一節 真夜中の帰還─────

公園へ駈け込む。
だというのに重苦しい空気だけが流れてくるばかりでサーヴァントやマスターの姿が見えない。
隣にいるセイバーもまた同じようだった。
そこに残る僅かな魔力は先日学校内で対峙したサーヴァントのソレと同じだということはわかっている。
が、あまりに薄い。この薄さでは士郎では気づかないだろう。

そして各々が感じるソレは、重大で取り返しのつかないことになっているということを感じさせていた。
嫌な空気。そこに居た者の魔力が薄まっているという現状。誰も見つからないという状況。
違っててほしい、間に合ってほしいと願いながら公園内を探索する。

「─────」

その瞳に映るモノを見た時、二人は一瞬停止する。
公園内に設置されているライトがぼんやりとソコを照らしていた。
その姿を確認し、士郎とセイバーはすぐさま駆けつける。

「─────息がある。まだ、間に合う………!」

首筋からわずかに血が流れている。
女性の呼吸はあまりにも弱弱しく、危険な状況であるというのはすぐに把握できた。
ならばどうするべきか。
今現在士郎達にこの倒れている女性を救う術はない。

「そういえば………」

この現状と似たものを見た覚えが士郎にはあった。
学校の非常口付近で襲われた女生徒。
それを治療したのは一体誰だったか。

「そうだ、遠坂がいる………!」

「リン………? リンは治療ができるのですか?」

「ああ。学校で襲われた女生徒を助けたのもあいつだ。あいつ………まだ起きてるかな」

凛の就寝時間を把握していない士郎は彼女が起きているか判らなかった。

「とにかく家まで運ぼう。遠坂に頼めば助けてくれる」

「わかりました。では私が女性を。シロウは離れないようについてきてください」

女性をセイバーに預ける。
セイバーの力は十分に理解しているので士郎自身が担いで運ぶよりもずっと早いだろう。

「では先行します。離れずについてきてください」

セイバーの体が流れる。
その速さに引き離されぬように、士郎も全力で走り出した。



真夜中に家に帰宅する。
さすがに家の明かりは消えていた。
鐘と綾子を起こさぬように凛のいる離れの部屋へ向かう。
ノックすると中から返事が聞こえた。

「入るぞ」

「どうぞ。もう帰って─────ってなによ、その女性!?」

「公園で倒れてたんだ。多分ライダーがやったんだと思う。で、治療してほしいんだ、遠坂」

「え? そりゃあ、治療はできるし学校でもやったけど………」

「頼む、遠坂。遠坂以外に頼れる奴がいないんだ」

頭を下げる。
そんな士郎を見て、難しい顔をした凛だったが

「─────はあ、わかったわよ。じゃ、とりあえず治療に専念するからあんたは部屋から出といて。あとセイバーは何かあったときの為にここで待機しておいて」

「わかりました」

「すまん、遠坂。恩に着る」

「いいけど、貸し一ね。ほら、服の下も様子見ないといけないからアンタは外へ出る」

「あ、ああ、わかった。じゃあ遠坂、セイバー、頼んだ」

二人に連れてきた女性を任せて部屋を出る。
そのまま離れから居間へと戻る。

「─────はぁ」

居間に腰を下ろす。
とりあえず士郎がやれることはやったつもりである。
今は凛を信じて、こうして結果を待つしかない。

「────────」

無機質な時計の音が居間に響く。
今こうしてここにいてあの女性を助けれたのはキャスターの助言があったからだ。
無論キャスターのやってきたことを許すつもりはないが、今回ばかりは無関係な人間が死ぬのを防ぐことができた。

が、素直に感謝することもできない。
この微妙な気持ちを落ち着かせるために少し一人になっていた。

「…………衛宮? 帰ってきてたか」

背後から名前を呼ばれる。
視線を後ろへ向けると居間の光を遮る様に腕をあげていた鐘が立っていた。

「氷室か、ただいま。寝てたんだろ、どうしたんだ?」

「いや、少し喉が渇いてね」

そう言って居間に入り、キッチンへ向かう。
鐘はひざ下まである白のワンピース風の寝間着に、上から上着を軽く着ている姿だった。

「…………」

しばらくの間、鐘の姿を何となく眺めていた士郎。

「………? 何かな、衛宮」

そんな彼の視線が気になって、手に持っていた水の入っていたコップ片手に尋ねる。

「いや、今朝は布団被るほど慌ててたのに、今は何ともないんだなって」

「………ああ、そのことか」

手に持っていたコップの水を飲み干し、自身の寝間着をみる。
しばらく自身の姿を見た後に、こちらを眺めている士郎に疑問を投げかけた。

「────どこか変かな、私は。」

「? いや、別に変じゃないぞ。そうだな………そのよく似合ってると思う───って俺が訊きたいのはそれじゃなくて」

「今は慌てていないのになぜ今朝は慌てていたのか、ということかな」

「そう」

「………そうだな、それに答えてもいいがその前に此方からも質問がある。それに答えてくれれば答えよう」

「質問?」

「ああ。君の、なぜ私が今朝と今で違う反応なのか───という質問だが、では君はどうなのだ?」

「どう………って─────」

言いかけた時に今朝の自分の対応を思い出す。
お世辞にも良い状態ではなかったと覚えている。

「どうした? 答えないのか、衛宮」

「え、っと」

どう言い回しをすればいいのか、と考えてたところに話題を変えてくれる人物が現れた。

「シロウ、ここですか?」

二人が話しているところにセイバーがやってきた。

「ヒムロも起きていたのですか」

「いや、私は喉が渇いたので水を」

「そうでしたか」

彼女が起きている理由に納得し、視線を士郎へと戻す。

「セイバー、どうだった?」

「ええ。持ち直したとのことです。しかしその後は本人次第だけど、とのことです」

「────そうか。じゃあ遠坂にも礼を言っておかないとな」

居間から立ち上がり、電気を消すために手を伸ばす。

「その件ですが、話したい事があるとのことですのでリンの部屋に来てほしいと」

「話………? わかった。居間の電気消すけど、氷室もまた眠るだろ?」

「………そうだな。水も飲んだことだからまた眠ろう」

パチ、と居間の電気を消す。
セイバー、鐘と廊下へ出て最後に士郎も廊下へ出る。
冬の廊下は寒いものがあったが────

「………月が、綺麗だな」

ふと、廊下を薄明るく照らす月を見る。
その月の形こそ違うが、いつか見た月にそっくりで─────

「衛宮、どうした?」

外を眺めていた士郎に鐘が気づく。
そしてその視線の先を見る。

「………月か」

「ああ」

空に浮かぶ月を少しの時間眺める。
そんな士郎を横目で観察する鐘。

「…………衛宮、一ついいかな」

「ん? なんだ?」

「君にそういうのは似合わない、と私は思うのだが」

「に、似合わないって………」

苦笑いをして返答する。
確かに自分の姿を考えれば似合わないかもしれない、などと考える。

「シロウ」

廊下で止まっている二人を見て少し先へ進んでいたセイバーが声をかける。

「ああ、わかった。今いく。────じゃあな、氷室。おやすみ」

「ああ、君も」

そうして二人は元いた場所へと戻って行く。


─────第二節 教会─────

再び凛の部屋に戻ってきた士郎。
床には複数のクッションと枕の上に寝かされた助けた女性が横たわっていた。

「遠坂、この人は………」

「ええ。できる限りの処置は施したから何とか大丈夫でしょう。────といっても、十分ちょっと遅かったらそれこそ助からなかったでしょうけど」

凛のそんな言葉を聞いて、胸を撫で下ろす。
間に合ってよかったという安堵であった。

「にしても士郎? セイバーから聞いたわよ。キャスターの言葉を信用して柳洞寺から公園へ向かったらしいわね」

「む───」

ジトリ、と視線を向けられるが士郎にもあまり良い言葉には聞こえなかった。

「遠坂。俺はキャスターのいう事を信用したわけじゃない。ただそれが本当だったとき、情報を知っておきながら助けなかったってことになる。そんな後悔はしたくないから公園へ向かったんだ」

「………そういうのをある種、信じたっていうと思うんだけど。───まあいいわ。ところで士郎、『教会』のことについて知ってる?」

「教会?」

冬木市にある教会、と言われて思いつくのは新都にある教会である。
冬木市の中心地から外れた郊外、昔ながらの街並みと外人墓地があり、その上に教会が鎮座している。

「ああ、知ってる。………といってもあそこが孤児院だった、ということくらいしか知らないけど」

「そう………。なら、教会が聖杯戦争にどんな役割を持っているかは知らないわけか」

口元に手をあてて呟くように確認する凛。
そんな彼女の言葉を聞いて士郎が尋ねる。

「役割? あそこの教会って聖杯戦争と何か関係があるのか?」

「ええ。一応あそこは聖杯戦争の『監視役』がいる場所よ」

「あの教会に監視役が………」

士郎は教会の場所は把握していた。
しかしそこの神父に出会ったことは一度もなく、近寄ったこともない。
行く機会などなく、行く必要も全くなかったからである。

「士郎、セイバーから聖杯戦争について一通りは聞いたのよね?」

「ああ。けど、遠坂のいう『役割』っていうのは知らないな」

「ま、そうでしょうね………」

少しの間考え込んでいた凛だったが、視線を士郎と寝ている女性を見た後に提案を出してきた。

「士郎、この人を教会まで運んで行ってくれる?」

「────は? なんでさ?」

「そこに行けばこの人を預かってくれるでしょうからね。この人に関する事後処理とかやってくれるのよ」

「事後処理………って、隠蔽とかか?」

「ま、そんな感じ。けど、ここにいたら私達がそれをすることになる。はっきり言って、私達がそれをやっている余裕がないのはわかるわよね?」

「───理解はできるけど」

現在士郎達は聖杯戦争真っ只中である。
知り合いである鐘や綾子ならまだしも名前も知らず、住所も知らず、顔も初めて見る女性のフォローをするとなると少し骨が折れる。
加えて凛にはまだ理由があった。
この女性がただ気絶しているだけならば記憶を消して帰せばそれで終わりだが、この女性はまだ楽観視ができるほど完全には安定していない。何らかの要因で体調を崩す可能性もある。
となると、どうしても身動きがとりにくくなってしまう。
それはこの聖杯戦争では不利になる点であった。

そもそも凛にはこの女性と面識がないため、そこまでやってあげようという気持ちも強くなかった。
ならばそのフォローを担っている教会側に連れて行き保護してもらえば、此方の負担も減るというもの。

「教会にはこっちから連絡入れておくから今から行ってこの女性を受け渡せばいいわ。ついでに教会に役割も聞いてきなさい」

「今から? もう深夜だぞ?」

「むしろ聖杯戦争は深夜に起こるんだから深夜にこそ目を光らせてるわよ。それに連絡を前もって入れるんだから大丈夫よ」

あいつに頼むのは少し癪だけどね、と小声で呟く。

「───ともかく。この女性を教会に連れていけばもう大丈夫なんだな?」

凛の呟いた言葉が少し気になったが、今は寝ている女性について気になっていた。

「ええ。この家じゃいろいろと限度があるし、万が一ってこともある。教会の神父に任せればあとはやってくれるわよ」

「そうか、なら安心か。じゃあ今から連れていこう」

「セイバー。また少しこの人を背負って士郎と一緒に教会まで行ってくれる? 士郎、教会の場所は知ってるのよね?」

「ああ。場所だけなら知ってる」

凛の言葉に答える横で、セイバーが横たわっていた女性に負担がかからないように丁重に背負っていた。

「じゃ、もう時間も時間だし、早く行って早く帰ってきなさい。明日も学校だし、士郎にも手伝ってもらうことがあるんだから」

「手伝ってもらう事………?───学校の結界のことか。わかった。じゃあ明日に影響でないように早く帰ってくる」

「ええ。私は電話した後に寝るけど、問題ない?」

「ああ。多分問題はないと思う」

「そ、じゃあいってらっしゃい。道中には気を付けて」

軽い感覚でそう言いながらひらひら、と手を振っている凛。
そんな凛の姿と、今までの行動を思い返す。
最初こそいろいろあったとはいえ、友人である綾子が襲われそうになったのを助けたらお礼を言ったり、楓が襲われた時は見回りをしておけばよかったと言ったり。
目の前にいる彼女は、学校で見る彼女とはあまりにも違う。
しかしそれでも遠坂 凛は、士郎の、否、学校の人間が思っていた通りの彼女でもあった。

「───ああ。ありがとうな、遠坂。本当に、遠坂が居てくれて助かった。俺、お前みたいなヤツは好きだ」

そう思ったからこそ、士郎は凛に対して感謝の気持ちを示した。

「な───」

そんな言葉を聞いて凛は黙ってしまった。
やや間があって凛が口を開く。

「と、とにかく!さっさと教会に行ってその女性を預けてきなさい。で、教会の役割もついでに聞いてくること。明日寝坊なんてしたら承知しないわよ」

視線を士郎へ向けずに別の場所を見ている。
そんな彼女の顔は少しだけ赤くなっているようにも見えた。

「ああ、わかった。学校の結界も放っておけないよな。柳洞寺のこともまだちゃんと話し合ってないし、明日一緒に話そう」

下していた腰を浮かせて立ち上がる。
今から教会に行って帰ってくるとなると時間がかかる。
少し急ぐ必要はあるだろう。

「じゃ、行ってくる」

椅子に座っていた凛に一言そう言って部屋を出ていった。
セイバー、士郎、そして見知らぬ女性が出て行き、再び一人となった凛。
アーチャーは家の外で周囲を見張っている。

「──────はぁ」

深いため息とともにベッドに腰を下ろす。

「バカ───協力してるとはいえ敵同士なのよ。馴れ合い過ぎると、後になって返ってくるだけだっていうのに………」

凛の呟きは誰にも聞こえることなく、部屋の中だけに響いていた。
だが、そんな彼女はあることを思い出した。

「あ………神父が一筋縄じゃいかないっていうこと、言い忘れた………」



衛宮邸から向かう事数十分。
なるべく早く着くように近道を使った最短距離を走っていた。
無論、セイバーが背負っている女性の容体を崩さないように心掛けながら、である。

橋を渡り、新都の郊外へ向かう。
新都といえば駅前を中心としたオフィス街が真っ先に思い浮かばれるが、駅から離れれば昔ながらの街並みが残っている。
かつて鐘、綾子のマンションに行ったときもそうだった。
こちらの方面ではなかったが、同じく新都中心部からは離れていたので似た雰囲気を持っていた。

なだらかに続く坂道を登って行く。ふと後ろを振り向けば海が臨めるだろう。
少し歩いていくと教会らしき建物の一部分が見えてきた。
今まで近づこうとも思わなかった神の社に、聖杯戦争絡みで近づくことになるとは一体誰が想像しただろうか。

「────あるのは知ってたけど………すごいな、これ」

目の前に見えてきた光景は想像以上のものだった。
教会はかなりの豪華さと敷地を誇り、その奥に建てられている教会は一種の威圧感すら醸し出していた。
言峰教会。それがこの教会の名前である。

「明かりがついていますね、シロウ」

「本当だ。遠坂が話を通しておいてくれたのかな」

教会の入り口前まで近づく。
近づいてみればより一層威圧感のようなものを感じる。
教会からこんなに威圧感を感じてもいいのだろうか、などと思う士郎。
そんな士郎にセイバーが声をかけた。

「シロウ、この女性を」

「? ああ」

セイバーから女性を受け取る。

「では、私はここで待ちます。ここはあくまでも『監視役』がいる『中立地帯』とのことです。1サーヴァントである私が入るには何かと問題があるでしょう」

「ああ、そういうことか。わかった。じゃあ少しだけ待っててくれ」

女性を抱えて礼拝堂へ続く扉を開ける。
その背後でセイバーが聞こえるように呟く。

「………気を付けてください、シロウ。たとえ何者であっても、気を許さぬように」


─────第三節 言峰 綺礼─────

中は広く設置されている席も多かった。
これだけ席があるということは、日中に訪れる人も多いのだろう。
これほどの教会を任されているのだから、よほどの人格者とうかがえる。

「待っていたぞ。───お前が、凛の言っていた、『衛宮 士郎』………だな」

扉の開いた音が聞こえたのだろうか、奥から神父服の男性がやってきた。

「──────」

現れたのは背の高い男だった。
胸にロザリオを身に着けた、おそらくはこの教会を取り仕切る神父であろう男。
何も恐れる必要などない。

「再三の呼び出しにも応じぬと思えば、珍妙な客をよこしてくるとは。………凛も困ったものだな」

士郎は知らず、足が退いていた。
何が恐ろしい訳でもない。この男に敵意を感じる訳でもない。
だというのに、肩にかかる空気が重くなるような威圧感を、この神父から感じていた。

「私はこの教会を任されている言峰 綺礼という者だが。────ふむ、その抱えている女性が凛の言っていた人物だな。では、こちらで預かろう」

「あ、ああ………」

綺礼に女性を受け渡した。
その女性を抱えて一旦奥へと戻って行く。
少しして女性を奥に寝かせてきたのだろう。再び手ぶらで礼拝堂へ戻ってきた。

「では衛宮士郎。改めて問おう、君が七人目のマスターかな」

そう訪ねる綺礼の顔はどことなく笑っているように感じられた。
その笑みが士郎にとっては悪寒にすら感じられる。

「────ああ、そうだ」

そんな悪寒の所為か、返す言葉は短くなっていた。
そんな彼の様子をみた綺礼は

「さて、凛からここの役割を説明しろ、と言われているのだが。肝心の君がそんな様子では理解半分、といったところに落ちるだろう。深呼吸でもしてみればどうだ」

なんてことを言ってきた。

「─────っ、余計なお世話だ」

綺礼からの視線を外すかのように視線を横へずらす。
はぁ、と小さく息を吐き綺礼の言葉を聞く前に疑問に持ったことを尋ねる。

「その前に一つ訊きたいことがある。お前、遠坂の事を『凛』って呼んでたよな。どういう関係なんだ?」

「関係、か。そうだな、私と彼女は師を同じくした者同士だ。私達の師の亡き後、彼女の師の真似事もしているが、如何せん私は彼女に手酷く嫌われていてね」

何となく遠坂が嫌うのもわかる気がする、と内心思いながら視線を綺礼へ戻す。
が、ここで綺礼が言った内容に違和感を覚えた。

「師を同じく………? どういうことだ、たしか」

「魔術師と教会は相容れないものだ、というところか?」

士郎が話そうとしていた話の核心を突いてくる。
魔術師が所属する大規模な組織を魔術協会と言い、一大宗教の裏側、普通に生きていれば一生見ないですむこちら側の教会を、仮に聖堂教会と言う。
この二つは似て非なる者、形の上では手を結んでいるが、隙あらばいつでも殺し合いをする物騒な関係である。

教会は異端を嫌う。
人ではないヒトを徹底的に排除する彼らの標的には、魔術を扱う人間も含まれる。
教会において、奇跡は選ばれた聖人だけが取得するもの。それ以外の人間が扱う奇跡は全てが異端。
それは教会に属する人間であろうと例外ではない。教会では位が高くなればなるほど魔術の汚れを禁じている。
こういった教会を任されている信徒なら言わずもがな、神の加護が厚ければ厚いほど魔術とは遠ざかっていく、というのが通説である。

「─────が、この質問は君に話す内容とは関係のないものだ。第一、知ったところでどうする?」

諭すような口調でありながら、綺礼の一言一句には重圧の言霊でも乗せたかのような重苦しい響きがあり、士郎に響いてくる。
言葉を発せられる度に気圧されていては堪らない。
そう感じた士郎は、瞼を閉じて深呼吸。意志を強くし

「ああ、そうだな。あんたがどういう立ち位置にいるのか、なんてのは関係なかったな」

言い放った。が、綺礼は特に気にした様子もなく質問をぶつけてきた。

「君にここの役割を言う前に幾つか尋ねておくことがある。君のサーヴァントはセイバーで間違いないな?」

「………ああ」

「では、もう一つ。君のその顔はすでに戦いを決意している者の顔だ。そんな者が果たしてここの役割を知らない、などとは考えにくい。───となれば君は予期せずマスターとなった、と推測したがどうだ」

「………大体あってる。俺は突然マスターになった」

「ほう。そしてセイバー、か」

何やら含みのある言葉だったが、気にしていられなかった。
そんな士郎の内面を気遣う様子など微塵も見せずに問いただしてくる綺礼。

「よかろう。では改めてここの役割を説明しよう。ここは先ほど君が連れてきたように一般人の保護を行っている他、サーヴァントを失ったマスターを保護する役目も備えている。もし君のサーヴァントが戦争の最中で倒れた場合、速やかにこの場所に避難することを勧める」

「………保護、か」

いつぞやの時は、マスターを続けるか、という問いを考えていたことがあったが、今は違う。
確かに巻き込まれてこの戦いに参加した。
しかしこの三日間で、この戦いの犠牲になるかもしれない人々の話を聞き、実際に襲われた人、襲われかけた人を見てきた。
今までにすでに助けているし、放っておく事など出来はしない。
故に士郎は戦うと決めた。彼自身の意志で。

「………けど、おかしくないか? サーヴァントを失えばもう聖杯戦争とは関係なくなるんじゃないのか?」

「いや、令呪を宿す限りその者はマスターで在り続ける。例をあげると、サーヴァントを失ったマスターとマスターを失ったサーヴァントがいた場合。両者は再契約する事が可能だ。この場合、他のマスターにとってみれば倒した筈の敵が戦線復帰し再度立ちはだかる障害となる。その様な面倒を避ける為、例えマスターがサーヴァントを失おうとも他のマスターによる殺害の対象から外れる事はない」

綺礼の言葉を聞いてバーサーカーに襲われた次の日の会話を思い出す。
セイバーが言っていた内容と似ている部分があった。
ということはすなわちここの教会は、放棄した者を巻き込ませないためにあるのだろう。

「………一つ、訊いていいか」

「ああ、いいだろう。何かな」

「ここの聖杯が本物だっていうことは理解してる。けど、じゃあなんでこんな殺し合いをやっている? もし本当の聖杯なら求める者に平等に分け与えても問題はないんじゃないのか?」

「………そうだな。全ての人間で分け合ったところで足りないなどいう事はないだろう。だがそんな自由は我々にはない。聖杯を手にする者はただ一人。それは私達が定めしルールではなく、聖杯自体が決めたルールだ。故にこれは“試練”と言えるだろう」

「………何が試練だ。無関係な人間を巻き込んでまでやることかよ」

同時に士郎はこの神父がこの聖杯戦争を微塵にも“試練”とは考えていないだろうと断言できた。

「そうだな、事が公に露見することは監督役の私からしてもあまり喜ばしいことではない」

果たして本当にそう思っているのか、士郎にそんな感想すら抱かせる綺礼の言葉だった。

「だが、聖杯はあらゆる願望をかなえる万能の窯だ。それさえ手に入ってしまえば他の者は手出しができなくなる。故に過程で魂食いをしようが手に入れてしまえば何も問題はあるまい。魔術協会だろうと手出しはできんのだからな」

「─────なんだよ、それ。聖杯さえ手に入れちまえば何をしてきたとしても許されるのかよ」

「許す、許さない、という問題ではない。“手出しができなくなる”。………そもそも聖杯戦争というものはそういう性質のモノだ。覚えておくといい」

「─────っ」

胸の中の蟠りは残ったままとなってしまった。
この教会の役割はすでに訊き終えている。ならば、もうここの教会には用事はないだろう。
小さく息を吐く。

「とにかく。あの女性は任せた。ここの役割も聞いたからもう特に俺に用はない。帰っても大丈夫だな?」

「まあ、まて。確かに話すことはないが訊いておかなければいけないことがある。説明をして、質問に答えてやったのだ。こちらの質問に答えるくらいはしてもいいだろう」

祭壇の上に立っていた綺礼が、背を向けようとしていた士郎を止める。
このまま帰ってもよかったが、曲がりなりにも情報は得た。
ならば質問を受けるくらいはいいだろうと思い、とどまった。

「………わかった。で、なんだよ。訊きたい事って」

「この教会は聖杯戦争による被害をフォローする役割を持っている。………つまり、街には教会の人間が複数存在するということだ。そして、その報告は監督役である私に逐次連絡が入れられる」

「そうかよ。で、それがどうしたんだ」

「何、先ほど連れてきた女性は一般人だったが、“君にはもう二名ほど一般人がいる”のではないのか? そちらの二人は教会へ連れてこなくてもいいのか」

「…………!」

綺礼の言葉を聞いて、鐘と綾子のことが思い浮かんだ。
確かに保護の役割を担っているのなら預けるのは道理かもしれない。
しかし。
さっきからずっと感じる悪寒、威圧感。
何か、これ以上ここにいては善くないモノを目の当たりにしてしまいそうな、妙に確信めいた予感もあったから。
間違ってもそんなところに二人を頼もうとは思わなかった。

「いい。あんたはさっきの人のフォローもあるだろ。そっちを優先してくれ」

「そうか。─────まあいい、では最後に一つ確認だ。衛宮士郎、君はこの戦いに自らの意志を以って臨むか」

「────ああ。俺は戦う。ここに来る前からとっくにその覚悟は出来てたんだ。今更アンタに確認されるまでもない」

その言葉を言うのにもはや迷いはなかった。
最初の覚悟はできている。そして学校で決意新たに再び覚悟を決めている。
この場所を訪れたこの今でも何一つ変わったことなど無い。
もし、それがあるとするならば、この士郎の正面に立つ男、言峰 綺礼に出会ってしまったことくらいか。
女性だけ預けてさっさと帰ればよかったか、などと考えてしまう。
そんな士郎の思いなど知らず、綺礼は満足そうに笑みを浮かべた。

「ならば衛宮士郎。己の意志を以ってしてこの戦いに勝利し、聖杯を掴むがいい。─────そうだ、そうなれば何もかもが元通りになる。その裡に溜まった泥を全て掻き出す事も出来だろう」

「………なにを、いきなり」

「故に望むがいい。もしその時が来るのなら、君はマスターに選ばれた幸運に感謝するのだからな。その目に見えぬ火傷の跡を消し去る為に、そう────最初からやり直す事とて可能だろうよ」

「─────」

眩暈がする。
一体何を言っているか、まるで要領を得ない。聞けば聞くほど士郎は混乱していく。
だというにも関わらず、その言葉は士郎の厭に胸に浸透し、どろりと、血のように粘り着く────

「君は知っているかな。十年前の大火災のことを」

「十年前………」

忘れる筈もない。
士郎自身がその大火災の被災者なのだから。

「この街で生きる者なら誰しもが忘れ去ることなど出来ない惨劇。死傷者五百名、焼け落ちた建物は実に百三十四棟。未だ以って原因不明とされるあの火災こそが、聖杯戦争による爪痕だ」

その一瞬。
あの地獄が士郎の脳裏に浮かんだ。

「────待ってくれ。それじゃ、聖杯戦争は………」

「そうだ。これで都合五度目。魔術師達の狂宴は繰り返され、その過程で彼らの行いは暴虐を極めた。そんな魔術師としてのルールを逸脱する輩を戒める為に、私のような監督役が派遣される。だが魔術師にとっての逸脱とは神秘の漏洩、この一点にのみ集約される。故に事前に行動を制約するのではなく、事後処理を担うだけだ。………そして君も良く知るあの大火災こそが、先の四度目の戦いの最後に落とされた撃鉄の代償。闇に葬られた事の真相だ」

五回。
過去に四回、聖杯戦争が、殺し合いが行われていたということ。
その事実を知った士郎の目の前が、ぐにゃり、と歪む。
では、過去にも先ほどのような、自分が経験したようなことが行われていたということなのだろうか。
暴虐を極めた、というのならば、無関係な人間を大量に巻き込んだのだろうか。
否、その答えはすでに出ている。
聖杯戦争による大火災。それが前回の聖杯戦争の結果ならば、無関係な人間を巻き込んでいない、などと言える道理は微塵もなかった。

「あの焦土の中、生き延びたのは一人。救われたのは君ただ一人だ。だが聖杯の力に拠れば、救えなかったものとて救うことが出来るだろう。取りこぼしてきたものでさえも、その手に掴むことが出来るだろう。衛宮士郎もまた、『衛宮』となる前の、本来あるべき筈だった己へと立ち返ることすら容易だろう」

そんな士郎の状態を愉しむかの如く言葉を続けてくる。
吐き気がする。
神父の言葉は胸を抉るように、無遠慮に傷口を押し広げていく。
視界がぼやけ、焦点を失って、視点が定まらなくなる。
何処に立っているのかすら定かではなくなり、ぐらりと身体が崩れ落ちるような感覚にすら囚われる。
が────

「────っ!」

何とか踏みとどまる。
頭を数回左右に振って気持ちを切り替える。
倒れかねない吐き気を、ただ、沸き立つ怒りだけで押し殺した。

「しかし………情けは人のため為らず、とはよく言ったものだ。興が乗ってつい、私自身も楽しんでしまったか」

それにまだ早い、と要領を得ない言葉を呟き、綺礼は士郎に背を向けた。

「話は以上だ。用が無ければ立ち去りたまえ。そして覚えておけ、衛宮士郎。聖杯戦争が終わるまで、この教会に足を運ぶことは許されない。許されるとしたら、それは」

「………サーヴァントを失って保護を願い出るとき、って言いたいんだろ。わかってる、覚えてる」

そう言い捨てて背を向け礼拝堂の出口へ向かう。
外にはセイバーが待っているだろう。明日────すでに今日ではあるが学校もある。
これ以上ここに長居する理由はないし、居続ける気もない。
ここにくるつもりは毛頭ない、と出口へと近づく。
その背中に。

「────喜べ少年。君の願いは、ようやく叶う」

振り返った瞳が見たものは、祭壇に立ち、そう──神託を下すように告げた神父の姿。
そしてその言葉は士郎自身も気づいていなかった、衛宮士郎の本心ではなかっただろうか。

「────なに?」

「判っていた筈だ。明確な悪がいなければ君の望みは叶わない。たとえそれが君にとって容認しえぬモノであろうと、正義の味方には倒すべき悪が必要だ」

「っ──────」

目の前が真っ暗になりそうだった。
綺礼は言う。
士郎という人間が持つ最も崇高な願いと、最も醜悪な望みは同意であると。

─────そう、何かを守ろうという願いは、
同時に、何かを犯そうとするモノを、望むことに他ならない────

「───おま、え」

しかし、そんな事を望む筈がない。望んだ覚えもない。
あまりにも不安定なその願望は、ただ、目指す理想が矛盾しているだけの話。
だというのに綺礼は謳う。士郎の胸を刺すように、“敵が出来て良かったな”と。

「なに、取り繕う事はない。君の葛藤は、人間としてとても正しい」

「っ──────」

神父の言葉を振り払って、士郎は出口へと歩き出す。
もう振り返るつもりもない。立ち止まるつもりもない。これ以上この男の言葉は聞いてはいけない。聞き続ければ大切な何かを失いかねない。
そんな予感を、しかし確実に抱きながら士郎は礼拝堂を後にした。


―Interlude In―

士郎が出て行った後、礼拝堂で一人立ち尽くす綺礼。
先ほどまでの士郎とのやりとりを思い出していた。

「ふ………しかし。思いの外、狼狽していたように見えたな。」

あれは実に愉しかった、と言わんばかりの様子だった。
そんな綺礼に声をかける者が礼拝堂の奥からやってきた。

「何か貴様の機嫌を良くする者が現れたのか、言峰」

「………あまり表には出るな、と言っておいたが?」

声をかけてきた金髪の男性に視線をやる綺礼。
が、そんな言葉如きでこの男が素直に従う訳も無し。

「そう邪険にするな。─────それで? 一体誰がやってきた?」

「………セイバーのマスターだ。巻き込まれた一般人を連れてきた」

「ほう………セイバーのマスター、とはな」

その言葉に少しだけ興味を持ったかの様な声で呟く金髪の男。

「そのセイバーだが、“あの”セイバーだ………ギルガメッシュ」

ギルガメッシュ、と呼ばれた金髪の男はさも当然、と言わんばかりの顔で

「だろうな」

たった一言だけ呟いた。
その言葉に込められた意味を、果たしてどれだけ掬うことができるだろうか。

「すでに事は動き始めている。さて、今回はどのような結末が待ち受けているのか───」

そう言って綺礼とギルガメッシュは再び礼拝堂の奥の暗闇へと帰っていった。


―Interlude Out―

ギィと軋むような音を立て、その扉は閉じられた。
神聖な神の家であるというのに、この場所は酷く淀んでいるように今は感じる。
士郎は胸の内に溜まった熱を外気で冷ますように深呼吸を繰り返す。肌を突く寒冷な空気は、常に圧し掛かっていた重圧を溶かすには充分すぎる冷たさだ。
綺礼との問答は衛宮士郎という存在を確実に揺さぶった。心を静めるように士郎は呼吸を繰り返し、僅かに欠けた月を仰ぎ見た。

「シロウ」

入口から少し離れた場所にいたセイバーが士郎の姿を確認し近づいてきた。
そんな彼女を見てると何か気が抜けたように感じる。今はそれが何よりもよかった。

「? どうしましたか」

「いや、何でもない」

「?」

疑問符を作っていたセイバーだったが、そんな彼女に声をかける。

「話はちゃんと聞けた。この場所にはもう用はないから、帰ろう」

確かに話は聞けた。その中でもとりわけ耳に残ったのはあの火災──十年前の惨劇がこの聖杯戦争によって引き起こされたという事実。
それが真実なら、士郎の戦う決意はより強くなる。正義の味方という理想を目指す士郎にとってそれは容認しえる事ではない。
あんな惨状を二度と起こさせてたまるものか。あれがこの戦いの末路だというのなら、何が何でも止めるだけ、と。
そう決意をより固め、二人は帰路へとつく。



流石にこの時間帯はもう誰も起きてはいなかった。

「寝よう………。流石にこれ以上起きてると寝坊する」

セイバーは道場に一旦行くと言って別れた。
お風呂にまだ入っていないが、朝風呂をするということで寝室へ向かう。
自分の寝室の襖に手をかけようとして止まる。

人間は何かのきっかけがあれば、ふと思い出すことがある。
今朝のやりとり。
それを思い出した時、足は自分の部屋ではない別の部屋へ向かっていた。
そっと音を立てずに襖をあける。
覗けるだけの隙間を作り、中を見る。
鐘の眠っている姿がそこにあった。

“衛宮士郎もまた、『衛宮』となる前の、本来あるべき筈だった己へと立ち返ることすら容易だろう”

神父のその言葉がよみがえってくる。
それを倍化させているのが、鐘の母親から見せてもらった写真だった。
自分にはそんな記憶はない。いつかの登校の時に鐘に話したように『生まれ変わった』といってもいいほどのものだった。
それほどまでに火災以前の記憶は思い出せない。
だというのに、その写真には小さい自分としか思えない子供が写っていた。
そしてその隣には幼い頃の鐘の姿もあった。現在も過去もあの灰色の髪はそのままだった。

だからこそ尋ねた。

“なあ、氷室。自分の子供のころのことって覚えているか?”

しかし返答はやはり、というべきか曖昧なものしか返ってこなかった。
当然だろう。十年前のことをはっきりと覚えている人間などあの火災は別として、そうはいない。
だからこそ、『あれは良く似た人違い』ということで片付けていたというのに、綺礼の言葉によってまた揺さぶられた。

「くそ………遠坂の奴も、前もってどんな奴かくらい教えてくれればよかったのに………」

無意味な、らしくない八つ当たりを一人呟いて開けていた襖を閉める。
寝室へ戻り、寝間着に着替えて敷いた布団に入る。
途端に眠気が襲って来た。
柳洞寺に行って、公園に行って、教会に行ってと移動しまわった所為もあるだろうが、何よりも教会の神父とのやりとりが一番疲れを感じていたのかもしれない。

「『衛宮』になる前の自分………か」


一人呟く声は部屋に響くことなく、堕ちるように眠りについた。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第24話 変革へのシナリオ
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/08/11 22:15
第24話 変革へのシナリオ

Date:2月6日 水曜日

─────第一節 淡い色の夢─────


─────ふと目が覚めた

広い夜。
見渡せばそこは見覚えのある武家屋敷で、そんな中に一人だけ仰向けで空をぼんやりと眺めていた。
周囲には誰もいない、人の気配もなければ小鳥の気配すら皆無だった。
一人でぼんやりとして縁側に寝転がっていたのだが、そのまま寝てしまっていたらしい。

月が近く感じる。
それだけ周囲が明るく見える、ということ。
これだけ明るいとここがまるでどこかのステージの上にいるようにすら感じられる。

けれど、このステージに幕はない。
あるものはこの家と月だけで、いるのは自分ただ一人。

他は誰もいない。

─────なんて、静かだろう。

誰もいない。

独り。


「どうしたの、─────?」


声が聞こえた。

「え………」

そこに居たのは子供。
誰? と思った。
そんな疑問が浮かんだと言うのに、疑問として感じなかった。

縁側に座って話をした。
あの時と同じように、何でもない話をする。
今までのことや、これからのことが話題にあがったのは多分、本当にわずかな時間だったと思う。

「じゃあね、─────」

また会おうね、なんて言いそうな、そんな軽い声でその子は去って行く。
止めることはできないし、止める理由もない。

けれど─────

なぜか手を伸ばしていた。
届かないのに、手を伸ばしていた。
それを見た子供はたった一言

「また、会おうね」

そう言って消えた。
風に浚われたように、一瞬で消えた。


─────第二節 騒がしくも日常の朝─────

朝5時20分。
まだこの時間帯は薄暗く、気温も低いため布団の外はかなり寒い。
そんな中で目覚ましが鳴る。

止めようと手を伸ばすが届かない。
そのように置いたから。

仕方がなく布団から出て時計を止めて、周囲を見渡す。

「寒い………」

今すぐにでも布団に戻ってしまいたかったが、それをすると昨日の二の舞となる。
いくら朝練がないからと言っても、二度寝をしては彼の手をまたも煩わせることになる。

そもそも早く起きたのだってこの所為である。
流石にこの時間帯なら起きていないだろうと考え、寝間着のまま廊下へと出た。

私は今やどこにいけば何があるか把握したこの和風の家を歩いて洗面所へと向かう。
その際に居間の傍の廊下を抜けるのだが、居間には明かりはついていなかった。
寧ろ朝練がないのだからこれが普通だろう。

洗面所へとつながる戸を開ける。
顔を洗って意識を覚醒させて、着替えて─────と、そんな事を考えていたのだが………

「へ………?」
「え………?」

目の前の彼の姿を見た瞬間、すべて吹き飛んでしまった。

「ひ、氷室!?」
「~~~~!?」

バン! と勢いよく戸を閉めて背中を預けるように凭れかかる。
目の前に飛び込んできた光景は、恐らく彼が風呂から上がった直後のものだったと思う。
腰回りにタオルが巻かれていたのがせめてもの救いだった。

「ちょ、ちょっと待ってくれ!今着替えてるから!」

中から聞こえるように言ってくるのだが、あまりに唐突に映像を見てしまった所為でまともに理解できなかった。
心臓の鼓動がやけにうるさい。

「お、落ち着け。落ち着くんだ………」

背中を預けたまましゃがみこんでしまう。
出来る限り何も考えないようにして目を瞑る。
はぁ、と深いため息をついて気持ちを落ち着かせる。

「氷室? もう入ってきていいぞ」

そんな彼の言葉が聞こえてきたので、ゆっくり立ち上がってノックをする。
無論、入っていいと言っているのだからノックをした後はそのまま入る。
中にはちゃんと服を着た衛宮がいた。

「お、おはよう、衛宮」

「あ、ああ………」

どうしても少し直視できなくなってしまう。
それは彼も同じようで、ドライヤーを取り出して髪を乾かし始めた。
私も洗面所に向かいあって顔を洗う。
ちょうど、ドライヤーの音が聞こえなくなる時に顔を洗い終えたのだが、鏡に写っていた顔はまだほんの少し顔が赤いようにも見えた。

「今日は早起きなんだな、氷室」

先に元通りに戻れたらしい衛宮が私に話しかけてきた。
流石の私も元に戻る。

「昨日は君の手を煩わせてしまったからな。今日も同じことをさせてはまずいだろう」

顔についた水をふき取って、髪を整える。
もともと変に髪を弄ってはいないため、寝癖がつくこともほとんどなく、櫛を通す程度で済むのは朝の忙しい時間帯には助かるだろう。
逆にセイバーさんのように髪を括っていると大変なのではないだろうか、などとも思ってしまう。

「あれくらいなら俺は問題ないけどな。─────っと、じゃあ氷室も起きてきたことだし、お茶でも入れるか。朝練もないからみんなもう少し遅く起きてくるだろうしな」

使っていたドライヤーを元あった場所に戻し、居間へ向かうために廊下へと向かう。

「氷室、お茶入れて待ってるぞ」

そう一言言って彼は廊下へ出て行った。

「お茶か………」

まあこの和風の家で、和風好みの彼が紅茶を入れるとは私も思わない。
普段の朝は大抵がパンで同時に紅茶やコーヒーなどがでてくる。
だから朝から和風の朝ごはんやお茶が出てくるというのは多くはなかった。

「待っていることだし、早く着替えて居間へ向かうか」

流石に寝間着姿のままで行くのは躊躇われた。
温かいお茶を飲みながら他の人が居間にくるのを待つのもいいだろう。
そう考えながら私は洗面所をあとにした。





鐘が着替えて居間に向かったのは5時半。
すでに急須にお茶は用意されており、キッチンには士郎が立っていた。

「お、着替えてきたのか。テーブルにコップと急須用意してあるから、ゆっくりしててくれ。朝飯までにはもうちょっと時間がかかる」

「ああ、わかった。ありがとう」

コップにお茶を注ぎ、ゆっくりと飲む。
熱すぎないお茶がこの寒い朝にはちょうどよかった。

鐘が居間に入り、ゆっくりと時間が過ぎていくのを感じて約10分。
居間に着替え終えた綾子が入ってきた。

「おはよ、今日は早いんだね氷室」

「おはよう、美綴嬢。そう何度も寝坊をするわけにもいかないからな」

「おはよう、美綴。もうちょっとで朝飯できるからお茶でも飲んで待っててくれ」

綾子もテーブルに座り、お茶を飲む。
そこにセイバー、そして最後に凛がやってきたところに朝食が完成して食べ始める。
が、士郎が何か浮かない顔をしている。

「? どうしたのよ、士郎。自分の作った食事に満足いかなかったわけ?」

凛が士郎の様子を見て声をかけてきた。

「そうなのですか? シロウ、私はこの食事に何の問題もないと思いますが」

「私も同感だな。何かおかしく感じる味付けはない」

「あたしもだね。どうしたんだい、衛宮?」

それぞれが士郎に声をかけてくる。

「いや、何か忘れているような気がする………。こう、放っておいたら死に至る病巣を抱え込んでいるような、そんな不安」

手に持っていた箸をおいて考え込む士郎。
不穏な物言いに眉を顰めるセイバー。

「シロウ、それは聖杯戦争に関わる事ですか。ならば一刻も早く解明を」

「あ、いや。そんなんじゃないと思うんだけど………」

考え込む士郎とその姿を見る三人がいる居間に

「おっはよー!お腹すいたよー。あたしにも─────」

バン! と勢いよく戸をあけてきたのは士郎の姉役、藤村大河だった。
居間の光景を見て固まる大河とその大河の姿を見て固まる士郎たち。
つまり、士郎が感じていた不安というものはコレだった。

「ぁ─────うぅぅぅぅぅ─────!!!!」

あ、やばいなぁ、とセイバー以外の面子がそう思ったときにはすでに時遅し。
ドン! とテーブルを叩きつけると、傍にいた士郎に向かって吠えた。

「ごらあぁぁぁ!うちはいつからこんな大所帯になっただよぉおぉぉ!!納得いく説明を希望うぅぅぅぅぅぅ!!」

ぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐり、と顔を近づけて攻撃を仕掛けてくる大河。

「痛い、痛い、いたいいたいいたい!藤ねぇ、痛い!」

「う、る、さーい!こんなに女の子が家にいるってどういうことなのよー!美綴さんに氷室さんに遠坂さん!?あと見知らぬ外国人の女の子!?あんたはどこのラブコメをしてるのよ!納得のいく説明をしろー!!!!」

今度は士郎の首を絞めて前後に振ってくる。
本気で怒っているらしく、自分が士郎の首を絞めているとは全く気が付かない大河。
対する士郎は、息をとめられてどんどん意識が薄れていく。

「ふ、藤村先生!首、首締まってますよ!」

綾子が指摘するその時まで全く気が付かなかったらしい。
パッ、と手を緩めて次は肩を持って前後に振る。

「こらー!寝るなー!」

「む、無茶苦茶いうな………!」

咳き込みながら何とか大河の手から逃れる士郎。
肩で息をしながら

「説明しろって言って首絞める奴がいるか!それに説明聞くにも藤ねぇが落ち着かないと意味ないだろ!」

「なにー!この口が生意気言う口かぁー!」

「ってやっぱり聞く気ねぇだろおおぉぉぉぉぉ!!」

そんなやり取りを見ていた凛が声をかける。

「あの、すみません。早く藤村先生にお伝えすべきでした」

「むっ」

凛の方へ視線を向ける。
一方の士郎はその隙に退散する。

「実は、今うちは全面的な改装を行っているんです。古い建物ですから、そこいらにガタがきてしまっていて、改装が終わるまでホテル暮らしをと考えていたんです。そこに偶然通りかかった衛宮君に相談したところ、それはお金がもったいないからうちを使ってくれたらいい、と言ってくれたんです」

「むっ………それは確かに士郎っぽい」

「はい、あまり面識のない衛宮君からの提案だったので驚いたのですが、確かにホテル暮らしは学生らしくありませんし、お金も勿体ないです。それなら学友である衛宮君の家にお世話になったほうが勉強にもなる、と思いまして」

凛の言葉を聞いてうなる大河。
凛の優等生ぶりと返答の正当性も相まって反論できないようである。

「は、話はわかりました。けど、遠坂さんはそれでいいとしても、美綴さんと氷室さんがここにいる理由は何? あとこの女の子も!」

「それについても私が説明します、藤村先生」

二人に食いつこうとする虎の行く手を阻む凛。

「藤村先生、私は言いましたよね。『勉強にもなる』と」

「? ええ、言いましたね」

「衛宮君は学期末テストに向けて二人と共に猛勉強をしてるとのことなんです。二人の親御さんも了承をしていますので、確認してもらったらいいと思います」

「え………そうなの? 親御さんも了承済み?」

目を点にして二人に視線を向ける大河。
そんな彼女に首を縦に振る二人。
それを見た大河は再び唸り始める。

「それってそれだけ士郎は信用されているってわけで………士郎の学力アップにも繋がるっていうことで─────」

うーん、と難しい顔をする大河。
親の了承も貰っているなら教師としてどうこうも言えないのも確かではある。

「く………!三人のことはそれでいいとしても」

「この金髪の少女はセイバーという子なんですが、私の海外の知り合いなんです。運悪く改装時に私を頼って訪れてしまい、ホテル暮らしをすることになってしまうところに衛宮君が声をかけてくれて。セイバーさんは見ての通り外国人なわけですから当然日本の家には興味もあるということ勉強にもなりますし、一緒にいるんです」

「そ、そうなの………」

士郎を問い詰めたその時の迫力はもうすでになくなっていた。
まだいろいろと突っ込みどころはあるだろうが、大河がいくら突っ込んだところで凛が迎撃して終わるだろう。
とりあえずはこれで問題はなくなったということである。

その後いくらかツッコミを入れた大河であったが悉く凛に迎撃されて、朝食も相まって完全に静まった。
もともと綾子とは顧問と弓道部主将ということで関係はあったし、鐘と凛は超優等生ということで結果として信頼したようであった。

「そうだ、藤ねぇ。桜のことは何か聞いてるか?」

「ん? 桜ちゃんはなんでも風邪とか言ってたわよ。電話があって2日くらい休むって」

「なんだ、そうなのか。ならこっちにも連絡入れてくれればよかったのに」

そんな士郎の反応を見た凛が大河に尋ねる。

「藤村先生、一つ尋ねてもいいですか」

「ん、なになに?」

「電話があったっていいましたけれど、間桐さんから直接電話があったのですか?」

「いえ、桜ちゃんのおじいちゃんから電話があったのよ。桜の熱が酷いので二日ほど休ませていただきますって」

「そう─────ですか」

「?」

凛の反応を見て少し疑問を抱く士郎。
過去に間桐家に入ったことはあったが、そこに祖父がいたという覚えはない。
桜と慎二の二人しかいなかったと把握していた士郎であったが、どこか別の場所にいた、ということもありえるだろう。
特に気にすることなく食事を続けていた。


─────第三節 気になる事─────

朝食も食べ終えて茶碗も洗い終える。
大河は職員会議があるとのことで、朝食を食べたあとにすぐに出て行ってしまった。
士郎、鐘、綾子、凛の全員が登校準備を終えたので玄関へと向かう。

「それじゃ、セイバー。留守番頼む。何かあったら電話するよ」

「わかりました。もし事を急ぐ事態になればその時は令呪を使ってください」

「わかってる。それじゃ行ってくる。戸締り任せる」

「はい、気を付けて」

玄関戸を閉めて家の外へ。
すでに外で待っていた凛、綾子、鐘と合流しそのまま登校する。

坂道は生徒達で賑わっていた。
時刻は午前7時半。学校到着予定時刻は8時である。
この時間帯は登校する生徒が一番多い時間帯である。
そんな中こんな目立つ面子と歩いているものだから当然士郎達に視線が集まるのも無理はなかった。

「…………」

何か忘れ物をしたのか凛はさっきからずっと考え込むように黙っていた。

「どうした遠坂。なんか朝食終わってから変だぞ? 何か口に合わないものとかあったか?」

気にかけた士郎が凛に声をかける。
朝食が終わってからちらり、と凛を伺っていたが様子がおかしく見えた。
朝食を作っていた士郎にとっては朝食に何か問題があったのか、と考えるのは強引な話ではなかった。

「え………? ううん、士郎の朝食は何も問題はなかったわよ」

「じゃあなんでそんな難しそうな顔してるんだ? 何かあったのか?」

「ううん、気にしないで。ちょっと考え事してただけよ」

「ならいいんだけど」

ゆっくりとした足取りで坂道を下って行く。

「しかしこんなゆっくりとした朝は新鮮だな。あたしらは普段朝練があるし、バスに乗っての登校だしでこうゆっくり歩くってことはないから」

「そうだな、昨日の朝はいろいろあった所為もあってゆっくりとした時間とは感じられなかったこともある」

綾子と鐘の住んでいるマンションから歩いて学校へ登校するとなると、走って登校、或いはかなり早い時間に家を出る必要がある。
当然そのどちらもやる必要はないので、必然的にバスを使う事となる。

「どうなんだ、バス登校って。朝のバスとかってやっぱり混むのか?」

「時間帯によるな。私や美綴嬢が乗る時間帯のバスは人は少ない。これがあと2本分程度遅れたら大混雑だろう」

「そうなのか。やっぱり混むんだな、バス」

そんな話を交わしながら4人は学校へと向かう。
学校の校門が見えてくると共に生徒の数は増えてきた。
そんな中で校門をくぐる─────

「…………!」

筈だったが、士郎は足を踏み入れた瞬間に胸を押さえつけて立ち止まってしまった。
その顔には苦悶の色が窺える。

「士郎、ちょっと、大丈夫?」
「ん? どうかしたのか?」
「衛宮………? どうしたんだ?」

傍にいた三人が声をかけてくるが彼の顔から苦悶の色は消えない。

「また………。っ────ここを通ると最近はいっつもそうだ。息苦しいっていうか………甘ったるい感覚がして、気持ちが悪い………」

「甘ったるい感覚………? あたしにはちょっとわかんないな。氷室はどう?」

「いや、私も特には………。遠坂嬢、何が原因か君ならわかるのではないか?」

「………そうね、士郎がこんな反応をする原因は知っている。今日はそれをどうにかするために学校に来たって言っても過言じゃないわ」

学校の校舎を睨む凛の表情は険しい。

「とりあえず人気の少ない場所で話しましょう。まだ8時─────ホームルームまでまだ30分ほどあるから少し行動するだけの時間はある」

そう言って再び歩き出そうとした、その背後から

「はぅあ!?」

なんて素っ頓狂な声が聞こえた。

「誰? 素っ頓狂な声上げた奴」

凛がそう言って後ろを振り向く。
士郎達三人も後ろに振り向いたその先にいた人物は─────

「一成、どうしたんだ?」

柳洞一成がいた。

「朝から嫌な予感がしたと思っていたのだが………!まさか衛宮、遠坂と一緒にいるとは!」

「え? いや、別に一緒に居ても問題は………」

「ないと言い張るか!ええい、衛宮。毒がうつったか?今すぐ消毒してやろう。生徒会室で説法してやる!」

「やめろ!なんで朝からお前の説法を聞かにゃならんのだ!っていうか説法聞いたところで解毒にはならないしそもそも毒なんてもらってない!」

腕を取って無理矢理引っ張っていく一成とそれに引きずられていく士郎。
それを唖然と見ていた3人だった。

「って、これから話をするっていうのに連れてかれたら困るじゃない………!」

独り言のようにグチを叩くが、その相手はもう校舎の中に入ってしまっている。

「衛宮を貸してくれって言ったら貸してくれるんじゃないのか?」

「無理ね………。私が行ったらまず解放しないわよ」

その言葉を聞いて何となく理解する二人。
『生徒会長』が『高嶺の花』を嫌っているという噂はあったが、あそこまでとは想像していなかった。

「では、美綴嬢が彼を救出すればどうかな」

「あたしが? 別にいいけど、またなんで」

「なに、弓道部主将、ということでいろいろと生徒会メンバーと会う事もあるだろう? ならば、顔の判る者が行った方が効率はいいだろう」

他意はない、と言ったうえで綾子に行くように催促する鐘。
そんな彼女の言葉になるほど、と納得しながら生徒会室へ向かうべく歩き出す綾子。

「? でもそれなら、顔の知っている氷室さんでもいいわよね?」

綾子の少し後ろで歩く鐘に話しかける凛。
彼女の意見はもっともである。
そもそも生徒会室の『生徒会長』に用事があるワケであり、生徒会メンバーと顔見知りである必要性はない。
それにこの時間帯は生徒会室には一成以外誰もいない。
故に一成と顔見知りであれば鐘であっても問題はないのだ。

「………少し気になる事があってね。先ほどはあまりの衝撃的現実に驚いて微塵の反応も見せなかったが今度はどうかなと思ったのだ」

「? ちょっとわからないわね。それってどういう意味?」

「さて、これはまだ噂にすらなっていない。かくいう私自身もまだ半信半疑の域を出ないものだから、これを機に少しは確証を得たいと思う訳だよ、遠坂嬢」

メガネの位置を元に戻すように動かすその仕草に、キラン、という擬音が合いそうだと思ったのは凛だけだった。
もっとも、それは凛しか鐘を見ていなかったから、ということもあるが。

生徒会室に向かう。
コンコン、とノックする綾子の目の前に現れたのは一成だった。

「な………。ど、どうしたのだ?」

てっきり凛が来たものだと身構えていた一成は思わぬ客に戸惑ってしまった。

「どうしたもこうしたもない。衛宮いる?」

ひょい、と中を覗く綾子。
パイプ椅子が並ぶその部屋に衛宮がいた。

「あ、美綴。迎えに来てくれたのか」

「ん、まぁね。話もあるわけだからさっさといこう。─────ってことで、柳洞、あんたの説法はまた今度ってことでいいよな?」

「え………あ、そうだな。十分言い聞かせたから残りはまた今度としよう」

「いや、今度でも嫌だぞ………俺は」

げんなりとした顔を見せる士郎に少し笑いながら生徒会室を出る綾子とその後に続く士郎。
そしてその様子を少し離れた場所から見る凛と鐘がいた。

「─────で、何かわかったことは?」

「─────確証にはまだまだ遠いということはわかったよ、遠坂嬢」


─────第四節 破壊活動─────

「この学校に結界が?」

鐘がそう尋ねるのも無理はなかった。

生徒会室から戻ってきた士郎と綾子と合流して、人気のない屋上へ。
そこで話された内容は一般人である二人にはインパクト十分であった。
自分たちが平然と通っている学校に結界が張られていて、しかもその結界は危険なものだという。
これで驚かない方がおかしいだろう。

「そう、今日はその結界を少しでも防ぐために活動しようと思ってる。─────で有事の事も考えて二人にはこれを渡しておくわ」

そう言って手渡されたのは飴玉のようなもの。

「? 遠坂、これはなに?」

「それ、呑んでみて」

「呑むって─────飴か何かか?」

「あ、噛んじゃダメよ。呑み込んで」

言われた通り、手渡された飴玉らしきものを呑みこむ。
サイズは思ったより小さかったため喉につまる、なんてことは起きなかった。
が、それでもこのサイズのものをそのまま呑み込むことはしないので手間取ってしまったわけではあるが。

「………遠坂嬢、一体何なんだ?」

「宝石よ」

「宝石!?」

しれっと答えてくる凛の言葉を聞いて驚く綾子。
尋ねた鐘も驚いた様子を隠せなかった。
が、当の本人は何でもないことの様に振る舞う。

「あ、もちろん一般人用に調整してるから大丈夫よ。体に何ら不都合は与えないし、体内で消えるから問題はないわ」

「そうなのか………。いや、それはそうとなぜ宝石などを呑ませた?」

「さっきの結界の話は覚えてる? あの結界が万が一発動されてしまったら、魔術師である私達ならともかく、二人はそのまま倒れてしまいかねない。それを少しでも緩和するためのものよ」

まあ、気休め程度にしかならないけどね、と付け加える凛。
現時点でこの結界を完全消滅させることは難しいと判断した凛は、今後のことも考えて二人用に宝石を用意していたのだった。

「ということは、仮に結界が発動しても倒れない?」

「少しの間はね。けど、あくまでも宝石に込められた魔力で抵抗しているだけであって、綾子たちの対魔力を底上げしてるわけじゃないわ。いわば一時的なパワーアップってとこ」

「ふむ………、ディフェン○ーやスペシャルガー○といった類のものか………」

「氷室。それは恐らくポケ○ンをしたことのある人間にしかわからないと思う」

綾子と鐘が何やらわからないやりとりをしているのを聞きながら士郎が尋ねる。

「その結界なんだけど、わかったことはあるのか?」

「士郎が校門で感じたように、結界の濃度は上がっている。ヘタするとあと2・3日で発動しかねない。だから、その期間を引き延ばすためにこれから結界の基点を破壊する。士郎にはそれを手伝ってもらうのよ」

「手伝う………か。で、俺は何をすれば?」

「とにかく基点である呪刻を見つける事。士郎的に言うと………そうね、より違和感が強いというか甘ったるい感じを受ける場所というか」

「………たとえば、そことか?」

そう言って屋上の床の一部を指差す士郎。
そんな彼を見て

「あのねぇ、そんな簡単に見つかるんなら私だって苦労は─────」

呆れたような声でいいながら、それでも指差されたところに近づいて調べてみる凛。
だが、そこを調べてみて、凛の表情が変わる。

「………!これ─────」

目を瞑り、右腕に魔力を込める。
すると、床に白い魔方陣が現れた。

Abzug消去。 Bedienung摘出手術 Mittelstnda第二節

凛が結界妨害のための呪文を紡ぐ。
それと同時に魔方陣は光り輝き、そしてガラスが割れたように壊れた。

「…………今のが呪刻か、遠坂嬢?」

「ええ………、そういうことになるわね」

小さく息を吐いて立ち上がる。

「士郎、あなた、こういうのを見つけるのは得意みたいね。ちょっと面白くなってきたじゃない」

そう言って笑う凛には何かいい物を見つけたり、という考えが見て取れた。

「こうなれば、この朝の時間で潰せる分は潰すわよ。氷室さんと綾子は先に教室に戻ってて。私たちはホームルームぎりぎりまで粘ってみるわ」

「ん、そうか………。わかった」

「やれるのか? 衛宮」

鐘が隣にいた士郎に尋ねる。
凛からこの結界について聞かされたことは『発動してしまったら、体力を根こそぎ奪われて気を失ってしまう』というものだった。
ストレートな言い回しである『発動したら最悪の場合は殺される』と言わなかったのは、言うことで二人を不安にさせたくなかったという配慮と、間違っても殺させやしないという決意でもあった。
が、殺されるとは知らない二人でも心配になるのは当然であるわけで、鐘が士郎に尋ねるのも当然であった。

「ああ。他にも不自然だと感じる場所はあった。この調子なら多分大丈夫だ」

力強くうなずく士郎。
それを見た二人もまた安堵した。

「なら、あたしたちは二人を信じるかね。ま、そもそも命預けた身だし、今さらって感じでもあるけど」

「そうだな。じゃあ私達は教室へ戻っている。何か手伝えることがあれば言ってくれ。できる限りは協力しよう」

「ああ。ありがとな、氷室、美綴」

そう言って鐘と綾子は屋上から去って行った。
その後ろ姿を眺め、見えなくなったところで凛が話しかけてくる。

「よし、じゃあ早速取り掛かるわよ。士郎、案内よろしく」



────美術室
「ここ?」

「ああ、そこだ」

「………ビンゴ!Abzug消去。 Bedienung摘出手術 Mittelstnda第二節

「まぐれ、ってわけでもなさそうだな」

「みたいね。よし、次に行くわよ」



────視聴覚室
「ここの黒板?」

「そう。その右端」

「オッケー。………Abzug消去。 Bedienung摘出手術 Mittelstnda第二節

「よし、これで6個目だな」

「まだ時間は5分ある。あと2個は行くわよ」



────化学室
「天井?」

「ああ、この脚立にのれば届く」

「じゃ、支えておいて。───Abzug消去。 Bedienung摘出手術 Mittelstnda第二節

「……………」



────学校の壁の側面
「大丈夫か、遠坂?」

「ちょっと姿勢を変えないといけないから………士郎、ちょっと引っ張ってて」

「わかった」

「これなら………Abzug消去。 Bedienung摘出手術 Mittelstnda第二節



そうしてタイムリミットの午前8時30分が訪れた。
破壊した基点は最初の屋上のものを合わせて9個。
この短時間では十分すぎる成果であった。

「ふふ…………」

教室に向かう凛の顔はどこか嬉しそうだった。

「どうしたんだ、遠坂。そんな顔して」

「だってそうでしょ。この僅か30分足らずで9個も破壊できたのよ? もう信じられないくらいの効率の良さで」

「まぁ………確かにそうかもしれないな」

いくら士郎でも即座に違和感の強い場所を探すことはできない。
しかし、先日凛と戦う前に学校内を探索していた士郎はその場所を把握していた。
言ってみれば今日の行動は記憶していた場所へ凛を連れて行ったようなものである。
故に、探す手間はなかったわけであり、結果として大量の基点を破壊することに成功したのだった。

「結界を張ったヤツもまさかこの30分で9個もの基点を破壊されるとは夢にも思ってなかったでしょう。こうなれば絶対に何らかのアクションを起こしてくる筈」

「尻尾を掴むチャンス、ってわけだな」

「そういうこと」

そう言った凛の顔はにやりと笑っている。

「さぁ、出てらっしゃい。私にこれだけ面倒なことさせた罪………償ってもらうんだから」

「う………その笑顔見てると背筋が寒くなるぞ、遠坂」

「何か言ったかしら、衛宮君」

「いいえ、なんでもございません」

流石に人目の多い場所へ近づいてきたので猫の皮を被る凛。
そんな彼女を横目に見ながら教室へと向かった。
これから4限目まではいつも通りの日常の始まりである。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第25話 投影開始
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2013/04/30 00:23
第25話 投影開始


─────第一節 流血へのカウントダウン─────

各生徒達が講義を受けている中、それに参加しない生徒がいた。
間桐 慎二である。

彼が訪れた場所の足元には、そこにある筈の結界の基点、呪刻がなかった。

「………チ!クソ、ここもかよ!」

地面を踏みつける慎二の姿は明らかに苛立っていた。
順調に進んでいた結界の準備。
確かに過去数日の間に呪刻破壊の妨害活動はあったが、修復できるレベルだった。

だが今日、ここにきて一気に9つの呪刻の破壊。
流石にこれだけの数を同時に破壊されては一気に修正はできない。
無論、時間をかければ完全修復は可能だろうが、それはつまり結界発動の遅延を意味する。

「おい、ライダー!」

誰もいない空間に向かって叫ぶ。
そこに現れた者はいつか見たライダーの姿だった。

「コレ、どういうことなワケ? お前の魔方陣ってさぁ、こんな簡単に見つかって潰されちゃう程度のもんなの?」

苛立った感情そのままにライダーに問いただす慎二。
一方のライダーは慎二の怒りなどまるで関係ないように普段通り、冷静な態度で応答する。

「これまでと今回の差を考えると、妨害活動をしていた者に協力者が現れたと推測するのが妥当です。おそらくその協力者が」

「ふん、衛宮ってワケか」

吐き捨てるように慎二が士郎の名を口にする。

「確かに、遠坂による妨害活動はあった。けど、ここまでの被害はなかった。そこに衛宮が加わっただけでこれだけ変わるもんなの?」

「実際、これだけの被害を出している以上はそうなのでしょう。ですが、それでも結界発動のための魔力は着実に集まっています。もう数日すれば準備は整いますが」

「数日!? 何寝ぼけた事いってるワケ!? そんなんで本気で大丈夫だと思ってんのかよ!」

慎二の苛立ちにはもはや歯止めが効かなかった。
慎二にとってこの破壊数はあまりに想定外すぎた。
たしかにライダーの言う通り、あと数日すれば結界は発動できるだろう。
が、その間にも凛と士郎の妨害活動は続くと見て間違いない。
短期間でこれだけの呪刻破壊がされている。
故に、放っておいたらもっと被害が出ると危惧するのは当然だった。

「わかってるとは思うけどもう一度言うぞ、ライダー。僕は“絶対に”聖杯を手に入れなきゃいけないんだよ」

「…………」

「そのためならなんだってする。だって、僕には聖杯を手にするっていう崇高な目的があるんだからな。だからライダー、僕はね間違ってもほかの奴らに遅れはとりたくないんだよ」

「………つまり、後手に回り相手に対策を講じられる前に倒したい、と?」

「そういうことだ。僕が見たいのはサッカーや野球のナイスゲームじゃない、圧倒的な差で相手を叩きのめすゲームなんだよ。だから僕はこうやって常に先手先手を打ってきた」

学校の結界準備然り、魂食い然り。
慎二はライダーを手に入れたその時からすでに動き始めていたのだ。

「だけど、この短時間でこれだけの被害。確かに結界の解除には繋がらないかもしれないけど、“出力”は落ちる。それはそれだけ非効率につながるってことだろ」

「………ええ、確かに出力が落ちてしまえば結果は変わらずともそこに至るまでの過程に要する時間には遅れが生じるでしょう。」

「なら、一刻も早く呪刻の修復をしてさっさと結界を発動させろ。遠坂たちが破壊するスピードよりも早く!」

慎二が命令するが、ライダーは首を縦に振らない。否、振れない。
どう足掻いても破壊スピードの方が早い。故に慎二の命令である『破壊よりも修復を早く』という命令を実現することは困難だった。

「なに? お前、サーヴァントの分際でこの僕に刃向うワケ?」

「いえ………そうではありません」

「じゃあなんだってんだよ!」

激昂する慎二を、それでも物静かな態度で冷静に対応するライダー。

「シンジ。あなたの命令ですが、それは物理的にかなり困難です。それこそ令呪を使わなければいけないでしょう。しかし我々にはそれはできない。ならば」

「ならば………?」

ライダーの次の言葉を待つ慎二。
対するライダーの口元はほんのわずかに笑っていた。





4限目。
それぞれのクラスはそれぞれの授業を受けていた。
衛宮士郎、柳洞一成のいるクラスもまた教室で授業を受けている。

「眠い………」

誰にも聞こえないように呟く士郎。
就寝したのは今日の2時前。
そして5時すぎ起きというタイムスケジュール。
3時間程度しか寝ていないものだから、どうしてもうとうとしてしまうところがあった。

いっそこのまま眠ってしまいたかったが、この授業を担当している教師が

「はい、それでは次の英文を読んでね、後藤くん」

藤村大河となるとそれはできなかった。
おそらく今朝の事もあって多少とも目をつけているであろう大河の前で授業中に眠ってしまうと何を言われるかわかったものではない。
故に目を覚ますために、手を握ったり開いたりしながら意識を保たせていた。

欠伸を噛み締めながら時計を見る。
昼休みまでは残り5分。この授業が終われば、眠気覚ましにコーヒーでも買って飲もう、なんて考えていた。
視線を降ろして前の席に座る一成を見る。
彼もまた少しうとうととしているのがわかった。
が、流石は生徒会長。そんな状況であっても自分に喝を入れて勉学に励もうと気合いを入れなおしているのだから恐れ入る。

周囲に視線をやると、ノートに黒板の内容を書いている者や教科書を読んでいる者。
一見勉強してそうに見えるが、ノートの隅に絵を描いている者など多様な人がいた。

そんな中ですぐ近くの空席を見る。
間桐慎二がいるはずの席であるが、そこに慎二はいない。

桜の風邪でももらったのか、などと考えているうちに残り時間5分が経過し、チャイムが鳴り響いた。

「じゃあ今日はこれで終わりです。宿題はちゃんとやってくるようにー」

大河の言葉を聞いた生徒達はそれぞれ各自に積を立ち始めた。
机の上に広げた教科書を机の中に入れ、席を立つ。

「衛宮」

自販機に向かおうと廊下へ出た時に声がかけられた。
聞き覚えのある声だったので、まさか、という思いで声をかけた人物を見る。
そこにいたのは

「慎二? お前、学校に来てたのか」

間桐慎二だった。

「ああ、少し遅れてきてね。けど、こんな時間だろ? 休もうかとも思ったけど、一応学校には来ておいた方がいいと思ってね」

そういう慎二の顔は妙に愛想がいい。

「………? 慎二、お前どっかヘンだぞ? やっぱり風邪か?」

素直な感想を述べる士郎。
その言葉を聞いた慎二は一瞬睨んでくるが、一転してまた愛想のよい顔になる。

「慎二? いや、それとも何かいいことがあったのか?」

「………ああ、これからいいことが起きるんだよ」

「これから?」

慎二のいう事がイマイチよく理解できない士郎。
そんなことはお構いなしに慎二は士郎にある提案を出してきた。

「そうだ、衛宮。ちょっと話したい事があるんだ。そうだな………5分後、屋上に来てくれないか?」

「5分後? 別にいいけど、今じゃだめなのか?」

「売店によって昼飯を買う時間くらいあってもいいんじゃないか、衛宮」

「ああ………そうか」

昼休みだしな、と納得する。

「じゃあ、5分後。屋上で待ってるぞ、衛宮。あ、もちろん一人で来いよな。誰か連れてくるとかは無しだぞ」

「? ああ、わかった。5分後だな」

その返答を確認した慎二はそのまま、廊下を歩いていき、教室から出てきた他生徒の中に消えて行った。

「………ヘンな慎二だったな」

そう一言呟いて、当初の目的通り自販機で缶コーヒーを買うために階段を下りて行く。


残り、4分43秒。





「あら、士郎。こんなところで何してるの?」

自販機のすぐ傍に設置されたベンチに座り、缶コーヒーを飲んでいたところに凛が近づいてきた。

「見ての通りコーヒーを飲んでる」

「そんなのわかってるわよ。お昼は食べてないのかって聞いてるのよ」

そういいつつ凛は自販機に近づきコインを投入していく。
選んだのはミルクティーだった。

「いや、食べるぞ。けど、あと少ししたら慎二と会う約束してるからな。昼飯は終わってから食べる」

缶コーヒーを飲み干してゴミ箱へ。
カフェインの効果で眠気が襲ってくることはなくなったと信じて時計を見る。

「慎二………ね」

何やら含みがある言葉で凛が呟いた。

「? 慎二がどうかしたのか?」

「いえ、何でもないわよ。ま、せいぜい気をつけなさい。アイツ、ここ最近様子がおかしいとか噂されてるから」

「様子がおかしい………?」

そんなことを言われて先ほどの様子を思い出す。
確かに士郎の目から見ても少し変ではあった。

「ああ、確かに少し変だったけど気をつけるようなものでもないだろ。………と、それじゃ」

凛と別れて屋上へと向かう。


残り時間2分56秒。





階段を上り再び自分の教室がある階まで登ってきたときに鐘と出会った。

「お、氷室。これから昼食か?」

一人で歩いていた鐘を見かけて声をかける。

「その前に担任の教師に用を言い渡されてね。今から一階に行くところだ」

「担任………葛木先生か」

「そういう事だ。ところで衛宮、今日の放課後はどうするのだ? 今日は部活動があるのだが」

「ん、じゃあ終わるまで待ってる。一緒に帰った方がいいだろ。同じ家だし」

「そうか、わかった。では用を終わらせるのでこれで失礼する」

「ああ、じゃあな」

階段を下りて行く鐘を見送って、屋上へ向かうために歩を進める。
廊下の喧騒も普段通りであるのを耳で確認しながら屋上へと階段を上って行く。


残り時間15秒。


─────第二節 他者封印・鮮血神殿 発動─────


屋上。
そこへとつながる階段。
そこへとつながる扉。

その扉に手をかけて、開けた瞬間に、それは訪れた。

「え─────」

その眩暈は唐突に、吐き気を伴って、全身を打ちのめした。

「は─────ぐ」

胃が蠕動する。
立っている感覚が保てなくなる。
眼球に血が染み込んだかの如く、視界内にある全てのものが赤く反転した。

「っ─────なんだ、これ─────」

そう呟いたと同時にもたれかかる様にして屋上へ出た。
そして気付く。
この異常が自身にだけ襲いかかったものではなかったということに。

「なっ…………」

校舎の外。つまりは空。
空までもが赤い。
学校を覆い尽くすように空に赤いヒビが入っている。
それで理解することができた。
“コレ”が結界であるということに。

「くっ─────」

校舎の外へ向けていた視線を周囲へと見渡す。
ここには慎二がいる筈である。ならば慎二もこの異常で倒れているかもしれない。
そう思って周囲を見渡したというのに、目に飛び込んできた映像は別の人物を映し出していた。

「美綴…………?」

膝をついて座り込んでいる綾子を発見する。
倒れていないのは今朝凛の宝石を呑んで一時的に対魔力が向上したおかげだろう。
意識もまだあるようで、士郎の声に反応して顔をあげた。

「衛宮………?」

そう言った綾子ではあったが、声に力はない。
対魔力を上げようとも、一般人である綾子にはそれが限界であった。
彼女の容体を確かめるために近づこうとした士郎。
だが、その歩みは止められてしまう。

「慎二………!」

「やあ、衛宮。時間ぴったりにきてくれたんだね」

座り込んだ綾子の後ろに立っていた慎二が綾子の首元にナイフを向けている。
それを見た以上、足を止める他なかったのだ。

「お前………何を」

「鈍いね、衛宮。言われないと気づかないかい?」

目の前にいる慎二は不敵に笑う。
力なく座り込んでいる綾子。平然と佇み、ナイフをもっている慎二。
屋上にいる綾子。ここに士郎が呼び出された。到着と同時に異常が襲った。

バラバラの点を繋ぎ合わせるように考えをまとめていく。

学校。結界。基点の大量破壊。
マスターの動き。ライダー。慎二の今の言葉。

そうして導き出された結論。
それは

「お前が─────この結界を張ったマスターだってことか………!」

それこそが導き出した答えだった。

「そうだぜ、衛宮。お前が探していたマスターは、この僕だ」

笑う慎二を一転して睨む。
そんな士郎を見て、慎二は冗談を言う様に軽い口調で

「おいおい、衛宮。そう睨まないでくれよ。そんな怖い顔で睨まれたらうっかりこの手が滑っちまいそうだ」

なんてことを言ってきた。

「お前、本気でそんなコトやってんのか慎二─────」

「当然だろ。本気だからここで待ってたんじゃないか。この期におよんでなに寝ぼけてんだよ、おまえ」

「っ………!」

士郎の体が前に出る。
今すぐにでも綾子の傍から引き離さないと気が済まなかった。

同調、開始トレース・オン

自身の身体に強化の魔術をかけて、突進できる体制になる。
もはや目の前にいる慎二に手加減は不要。
今は一刻も早く綾子を救出することが士郎の目的となる。
だが、

「知ってるぜ、お前の魔術。“強化”だろ?」

そう言った慎二の目の前に現れたのはいつか見た紫色の長髪をした女性だった。

「ライダー………!」

動き出そうとしていた士郎の体が止まる。
否、止まらざるを得なかった。どう足掻いてもライダーの横をすり抜けて後ろにいる慎二と綾子のもとへは辿り着けない。
どうしてもライダーが邪魔だったのだ。

「慎二………アンタこんなこと………して………!」

息遣いが荒くなっている綾子は現状を理解して、後ろに立つ慎二を睨む。
この状況を理解できないほど綾子は混乱も衰弱もしていなかった。

「はぁ? 人質風情が僕を睨むなよ、美綴」

ガン!! と。
見下すように睨みつけたあと、慎二は綾子の後頭部目掛けてナイフの柄で殴りつけた。

「あ────ぅ」

「とはいえ僕も驚いているんだよ。てっきり結界が発動したら倒れて意識を失うものだとばかり思ってたのにさあ、思う様に動けないとはいえまだしっかりと意識は残ってるっていうのが」

「慎二ぃ!」

士郎の叫びなど聞く耳持たずの慎二。
倒れてしまった綾子の髪を掴み、無理やり起こさせてナイフを綾子の首元に突き付けた。

「さあ衛宮。ヘタな真似をするとどうなるかくらいわかるよな?」

「っ………!!」

「おおっと、サーヴァントを呼ぼうだなんて考えるなよ。そんなことをした瞬間どうなるかぐらいわかってるとは思うけどさ」

一瞬思考の中にセイバーを呼び出そうとも考えた士郎だったが、慎二の言葉によってそれすらも断たれてしまう。
つまり、人質を取られている以上はもう士郎に手段は残されていなかった。
そう、士郎には。

(遠坂………!遠坂が駆け付けてくれれば!)

或いはこの状況を覆すことが可能かもしれない。
そう考えた士郎は一旦冷静になるように深呼吸をする。

「僕としては衛宮の顔面蒼白が見たかったからさ。趣向は凝らしたんだ。どう、気に入ってくれた?」

「お前は………何がしたいんだ、慎二」

「何がしたい? そんなの決まってるじゃないか、僕はね“聖杯”がほしい。そのためにこの聖杯戦争に参加してるんだからね」

「違う!美綴を人質にして、俺をここに呼び出して、お前は俺に何をさせたいんだって聞いてるんだ。土下座でもしてほしいのか」

綾子が屋上に来て、結界を発動して、屋上に呼び出した。
となれば、何らかの要求がある。
ならばその要求は聞いておかなければいけない。

「そんなの要らないよ。男に頭下げられて何が嬉しいっていうんだ。僕は戦う為におまえを呼び出したんだ。わかるだろ?」

その言葉とともにライダーが一歩、士郎へと詰め寄る。

「つまり………ライダーと戦えってことか、慎二。」

「理解が早くて助かるよ。僕はね、スポーツのようなゲーム運びはいらないんだよ。一方的試合ワンサイドゲーム。聖杯戦争にいい試合なんて僕は求めない」

「─────っ」

慎二のいう事は現実的である。
聖杯戦争という殺し合いにおいて、「いい試合」なんていうものは存在しないし必要じゃない。
どれだけ安全に、確実に、圧倒的に事を有利に展開できるか。
結局はそれを実践できた者が殺し合いに勝利する。

「ああ、けど安心しなよ。圧倒的すぎて一瞬でカタがつくのも面白くない。ライダーにはある程度、手加減するようには言ってあるからさ。ただし─────」

じゃらり、とライダーの手に鎖のついた短剣が握りしめられた。

「─────遠坂がくるまでだけどね」

慎二が言葉を言い終えると同時に疾風の如くライダーが突撃してきた。

「っ!」

咄嗟に後ろへ下がる。
その場所を ヒュン と空を斬る軌跡があった。
ライダーの短剣。
それが自分の目の前数センチの場所を横切ったのだ。
狙ってきたのは目。
完全なる目潰しだった。

「…………」

沈黙のまま、さらに腕を振るうライダー。
対する士郎の手には何もない。強化できる武器もなければ盾もない。
故に使えるのは強化した自身の身体のみだった。

「ぐっ───!」

とにかく体勢を整える為に距離を取ろうと下がる士郎。
だが、ライダーの速度からは逃げることができない。
ドスッ! という嫌な音が屋上に響く。

「がっ………!」

疾風。
ライダーの攻撃が以前よりも速くなっていた。
前回のライダーは士郎の力を測り間違えていた。ならば、二戦目となる今回はその間違いを犯すこともない。

「は、あ、あ─────!」

何が起きたかも理解できないまま、しかしとにかく後退する。
ヒュ、と目の前に現れたライダーが腕を大きく振りかぶる。
それを視認した士郎は両腕を上げて衝撃に備える。
が、

「っ、ぐ─────!」

肩から根こそぎ吹き飛ばされそうな衝撃が腕を襲った。
そのあまりにも強い衝撃の所為でクロスしていた上部の腕、右腕の感覚が鈍った。

「は……………!」

身体を強化しただけではだめだ、そう判断した士郎は後ろに下がりながら薄っぺらな学生服に魔力を通す。
せめて学生服を鉄くらいの硬度に強化しなければ次の打撃で完全に腕の感覚がなくなってしまう。

「トレース…………」

「させません」

顔面を殴りに来たライダーの拳を左腕で受け止める。

「っっ─────!」

左腕が“ブレ”た。
玄翁じみた一撃が士郎の左腕を容赦なく麻痺させていく。
顔だけは決して狙われてはいけない。
そうなったら絶対に意識を保っていられなくなる。

「っ………!」

ゾクリ、と悪寒を感じ、わからないまま首筋をガードする。
そこへ。

「ずっ………!」

ドスッ! とガードに入った腕に刃物が突き刺さる。
骨を削るギチ、という鈍い音が次は殺すと宣告しているようにすら感じられる。
打撃と斬撃の組み合わせ。
何を避けて、何が防げるか。
打撃と斬撃を組み入れ高速で織り交ぜることにより、判断を鈍らせてダメージを与える。

「はっ───く!」

打撃に関しては腕が麻痺する恐れはあってもただそれだけだった。
しかし斬撃は身体で受け止めるものではない。
逃げようにも強化を施した筈の身体はライダーの速さに圧倒されてしまっている。

「アハハハハ!いいぞ、ライダー!ほら、衛宮、どうしたんだよ。美綴を助けるんじゃないのか!? 結界を止めるんじゃないのか!? こうしてる間にもみんなどんどん溶けていくぞ!? そろそろ誰か死んだかな? それともだいぶくたばっちまったか?」

ライダーと士郎の戦いを見て優越感に浸る慎二。
高らかと笑う慎二の足元で、綾子は

「いい加減に………!」

力を振り絞って、全身に力を込めた。

「しろ!」

起き上り、振り向きざまに拳を慎二の腹へ入れる。

「うぐっ!?」

不意打ちを受けた慎二は一歩、二歩と後ろへ下がってしまう。
その隙をついて綾子が慎二の持つナイフを弾き飛ばそうと手を伸ばす。

「この………!」

「お前こそ鬱陶しいんだよ、美綴!」

綾子がナイフを掴もうとしたそれよりも早く、懐に手を伸ばした慎二。
その手には少し分厚めの本があった。

「お前は大人しく倒れてろ!」

その瞬間。
慎二の周囲に黒い“ナニカ”が現れた。

「!?」

その現象を見た士郎は驚愕する。
対して、慎二のすぐ傍にいた綾子は“ナニカ”に触れた瞬間

「ご………!?」

吹き飛ばされていた。
ガシャン!! と音を立てて綾子の体が屋上のフェンスに叩きつけられる。
そのあまりの勢いの所為で、フェンスが少し傾いてしまっていた。

「ごほっ………げほっ………うっ…………」

フェンスからずれおちるように屋上の床へ倒れ伏す綾子。

「美綴!」

倒れこんだ綾子に叫びかける士郎だったが、目の前のライダーからの攻撃の所為で近づくことができない。
腹部を抱え込むような形で倒れている綾子のもとへ慎二が歩み寄る。

「チッ!本当に鬱陶しいやつだね、お前。…………まあ罰だと思って受け入れるんだね!僕を馬鹿にした罪のね!」

慎二と綾子の間にあった抗争。
否、抗争という言葉からはあまりにもかけ離れたもの。
慎二が弓道部で問題を起こした時に、いつも頭を悩ませていた綾子は部員たちの目の前で慎二に謝罪させた。
これ以上問題を起こすなら弓道部をやめてもらう、その権限がある、と言って。
それを聞いた慎二は周囲に白い目で見られ、仕方がなく謝罪したのだった。
しかし、慎二の高いプライドはそれを許さなかった。
部員全員が自分の事を馬鹿にしていると物に八つ当たり、そしてその原因を作った綾子を許さなかった。
そうして出てきた手段がサーヴァントによる襲撃だった。

「本当ならあの夜にお前はめでたく病院行きだったんだよ。それなのに助かっちゃってさぁ。ああ、本当に鬱陶しい!そしてあまつさえ僕を殴ってくれるっていう始末だしさ!」

ガン! と倒れている綾子の頭部を踏みつける。
何度も何度も何度も。

「慎二!やめろ!!」

「おかげで僕のイライラは高まってさぁ!そしてあの衛宮が魔術師として聖杯戦争に参加してるってことを知ったときはもう最ッ高だったよ!」

ドゴッ!!という低い音を響かせた。
腹部を抱えていた綾子の腕もろとも蹴ったのだ。

「あ………ぐ。………は、ぁ、─────」

頭部を何度も衝撃を与えられたのと、腹部への魔術によるダメージと蹴り。
そしてこの結界による衰弱効果。
それらが相乗した結果、綾子はもう立つ事すらできなくなっていた。

「あはははは!いいザマだ!これなら真っ先に死ぬんじゃねぇの!?」

「え………みや………」

高らかと笑う慎二と、苦しそうな表情をする綾子。
綾子の容体はかなり危険域まで達している。
いくら宝石のおかげで対魔力が上がっていようとも衰弱するスピードを弱めるだけであり、無効化はできない。
だというのにあれだけの攻撃を仕掛けられればどうなるかくらいわかる。

「──────────」

ガチリ、と完全に“切り替わった”。
まるで頭の中に撃鉄が落ちてきて、完全に、中身が別の者に入れ替わったかの如く。

投影、開始トレース・オン同調、開始トレース・オン

ライダーの攻撃の最中、士郎自身最速の言葉で暗示をかける。
駆けつけるためには目の前の敵をどうにかしなければならない。
助けるためには一刻も早く駆けつけなければいけない。
武器がない。距離が遠い。
ならば。
一つは目の前にいる敵を退けるだけの武器を、一つは今すぐにでも駆けつけて助け出すための術を。



助けるためなら。守るためなら。
作る。作り出す。無いなら作れ。無理でも作れ。どんな犠牲を払ってでも作れ。
強化と複製、元からある物と元々ない物、その違いなど僅かだと思い込め。

迷う暇はない。考える暇はない。何としても偽装しろ。
故障しても構わない。どこかを失っても構わない。偽物だろうと文句はない。
急げ。忘れろ。

わかっているのか。
壊れるのは自分だけじゃない。
この学校にいる人全員。目の前で自分の名前を呼んだ彼女も。

助けろ、助け出せ。
己の理想を貫き通せ。
そして─────



─────理想イメージ現実リアル顕在トレースさせろ。



刹那の時間に出来上がったソレをみたライダー。

「………!それは私の─────」

「そこをどけぇ!!!」

両手に握られたのはライダーが持つ短剣とまったく同じ武器。
驚愕した一瞬の隙をついて、士郎がライダーの首元目掛けて短剣を強化した身体で突き立てる。

「クッ………!」

一瞬の出来事に戸惑ったライダーは、しかしそれでも士郎の渾身の一撃を身体を逸らすことでやり過ごす。
しかしそれは、士郎が慎二と綾子のもとへ走り出すのに邪魔な障害物ライダーがいなくなることと同じである。

「慎二ぃ!!」

ライダーに攻撃を仕掛けた勢いそのままに綾子を救うために慎二のもとへ全力疾走する。
限界レベルまでの強化を施したその身体能力は慎二の想像を超えていた。

「なっ、速………!」

だが、それ以上に速い人物がこのステージにいる。

「あまり調子にのらないほうが、身の為です。」

士郎が慎二の元へ走っていたその背後に短剣を突き刺そうとしているライダーがいた。

「っ………!」

背後からの殺気を感じ、恐ろしいまでのリアルな死のイメージを直感だけで感じ取った士郎。
しかし速度を落とさずに、前へ跳びだすようにジャンプ。同時に身体を捻じ曲げるように反転させながら左手に持つ短剣を振るった。

ガキィン!! という、金属同士が激しくぶつかり合う音が響く。
ライダーの背後からの攻撃をその手に持つライダーと同じ短剣で防いだのだ。
だが、同時に

「─────」

パキン、という音と共に士郎の持っていた短剣が砕けた。
ガラス細工が壊れたときのように破片が散り散りに空中を舞う。
初撃を防ぎ、前方への慣性を利用して足を滑らせる。
その間にも二撃目の必殺をライダーが放つ。

「ぐ─────!」

右足だけで地面を蹴り、バックステップの要領で後ろへ跳ぶ。
残った右手の短剣だけでライダーの攻撃を弾き飛ばす。
しかし、左手同様にパキン、と塵となってしまう短剣。

「─────これで終わりです」

にやり、と僅かに笑うライダー。
士郎の手にはもう何もない。
防ぐ武器はない。
心臓目掛けてライダーが右手の短剣を突き立てる。
それを

「ぐ、ぅ─────!」

左手で受け止める形で防ぐ。
士郎の左手から鮮血が飛び散る。
突き出された勢いも殺せずに胸に突き刺さったが、軌道を逸らすことができたのと左手という“余分な物”を仲介したことにより胸の傷はまだ少し浅く済んだ。
しかし攻撃は終わらない。
右手の短剣が防がれたのならば、左手の短剣で首を狙えばいい。

僅かに振りかぶって、ライダーが士郎の首目がけて短剣を突き刺す。
その予備動作を強化された視力が見抜く。
首へと突き刺さるその軌道上に右腕を置く。
それを確認したライダーは、しかし軌道は変えずにより一層左手に力を込める。
右腕ごと首に風穴を開けるつもりで短剣を突き刺した。

はずだった。

「─────!?」

ギィン!! という甲高い音。
右腕を突き刺そうとしたその短剣の先端部分が、わずかに刃こぼれを起こしていた。
士郎の左手に刺さっていた短剣を抜き出して、状況把握に努めるライダー。
あの速度で突き出した短剣が負けて刃こぼれを起こすという現状。
つまり、

「………驚いた。私の刃物ではあなたを殺せない」

そう結論を出した。
一方の士郎も、一体なぜあの攻撃を防ぐことができたのか理解できなかった。
理解できなかったが、今は理解している時間などない。

僅か数メートルまで近づいた綾子と慎二に向かって最後の全力疾走を行う。
この距離ならば、ライダーが再度追いかけてくるよりも早く二人の元へたどり着く。
慎二を突き飛ばしてでも足元にいる綾子を救う。
そのために再加速したその時に、背後から声が聞こえた。

「シンジ、私の視界に入らないようその場を離れなさい」

その声はとてつもなく冷えていた。


─────第三節 ワンサイドゲーム─────

「は─────え………?」

ライダーの言葉を辛うじて理解した慎二は迫ってくる士郎から逃げる様に全力でその場を走って離れた。
対する士郎もまた、その胸に“とてつもない嫌な予感”を感じながら、これから行われるであろう攻撃を思考の幅が狭まった脳で可能な限り考えていた。

「視界………?」

つまりは見える範囲ということ。
見る事で何かができるということ。

「魔眼か何かか………!?」

そう推測した士郎は、綾子の元にたどり着く。
しかし声をかけてやれる余裕も時間もなかった。
慎二が慌ててライダーの視界から出る。
その僅かな時間の間に士郎達もライダーから隠れなければいけない。
しかし隠れる場所がない。慎二の方へ逃げたとしても間にライダーが入りこんだらそれで終了。

「美綴!しっかり捕まってろよ!」

しかし活路を見出した士郎は綾子を抱き上げる。

「─────投影、開始トレース・オン

右手に現れた武器は、ライダーのもっているソレと同じ。
それをライダーではなく、拉げたフェンスへと斬りかかった。

「自己封印─────」

慎二が視界外へと出る。
それと同時にライダーが自身の目隠しを取る。

「間に合えっ………!」

斬りつけたフェンスを押しつぶすように、綾子を背負っていない方の身体の側面で体当たりをする。
崩れ落ちるフェンス。それと共に自然落下する二人の身体。

「─────暗黒神殿ブレーカー・ゴルゴーン

その名を以ってして、ライダーの眼帯は外された。
空気が固まり着く。ありとあらゆるものが停止を余儀なくされる。
しかし、

「─────落ちましたか」

それよりも早く、士郎と綾子は屋上より跳び下り、ライダーの視界から逃れていた。
つまりは逃げ切ったのである。

「しかし、落ちただけでは逃れられませんよ」

欠けたフェンスへと近寄り真下を見る。
視界に入ってしまえば、その者の動きを停止させることができるライダー。
故に落ちた程度では逃れたとは言えない。

ライダーが下を見る。
この短時間ではまだ空中にいるだろう。
ならば遮るモノは何もない。
そう思ったからこそ、下を覗いた。

「こい………、セイバァァァアアアアア!!」

眼下で起こった眩い光。
そしてその次にはその場から落下していた筈の二人の姿がなかった。

「チ………セイバーを呼んで私の視界から逃れましたか………」

素早く眼帯を着け戻す。
裸眼のままでマスターの方を向いてしまうと慎二まで石化してしまう。

「おい、ライダー。あの二人はどうなったんだ!」

屋上の隅に移動した慎二がライダーに声をかけた。

「セイバーを召喚され、完全に逃げられました。」

「はぁ!? 逃げられた!? あんな奴にか!」

先ほどまで驚愕の顔をしていた慎二だったが今は憤怒の顔をしている。
しかしライダーはそんなマスターに構っている余裕はない。
セイバーが来たとなれば、体勢を立て直して攻めてくるだろう。
それにまだこの学校にはもう一名サーヴァントがいる。

「あんな奴─────とは大きく出たものね、慎二」

学校内に続く出入り口に現れたのは凛とアーチャーだった。

「やはり来ましたか。─────しかし、思いの外来るのが遅かったですね」

「ええ。私がいたのは一階。そしてこの結界の核となる基点があったのも一階。ついでだからこの結界の基点も破壊させてもらったわよ」

「…………結界の出力が落ちているとは思っていましたが、やはりそうでしたか」

慎二を庇うようにしてライダーがアーチャーと対峙する。

「凛、構わんのだな?」

「ええ。こんな畜生を許すつもりはない。アーチャー、思いっきりやりなさい!」

「了解した、凛」

そう言ったアーチャーの手に握られていたのは弓。

「─────I am the bone of my sword」

構えの中に矢が現れる。

「─────赤原猟犬フルンディング

構えてから発射するまでに要した時間は1秒。
しかしこの相手ならば十分である。

「矢ですか………。しかし、そんなものには」

慎二を抱えてその矢を避ける。
そのまま矢は校舎の外へ出て行ってしまった。

「この程度なのですね、アーチャーと言えども」

「さて、それはどうかな」

不敵に笑うアーチャー。
それに違和感を覚えたライダーが、矢が跳んで行った方角を見る。
すると、

「なっ…………!?」

驚愕する時間こそが無駄と言わんばかりに、全速力でその場から離脱するライダー。
背後より襲って来たソレは先ほどアーチャーが放った矢だった。

「よく躱した─────と言いたいところだが、無駄だな」

「何を─────」

赤原猟犬フルンディング
それは射手が狙い続ける限り、標的を追い続ける矢である。
故にこれから逃れるためには回避ではなく叩き潰す必要がある。

「くっ………!」

再び襲いかかってきた矢を短剣で叩き潰す。
だが、それは大きな隙となってライダーに襲いかかる。

「そら、背中がガラ空きだぞ」

「!!」

ライダーがその声に反応するよりも早く、アーチャーの持つ短剣がライダーの足を掠った。

「よく躱した。しかしどこまでやれるか!」

「チ………!」

アーチャーがライダーに追撃をかける。
それに圧倒されているライダーは慎二と離れてしまった。
そこへ。

「慎二、覚悟はできてるんでしょうね」

魔術刻印を光らせた凛がやってきた。

「ふん、ライダーがいなければ何もできないって思ってるんだろ。………見せてやるよ、間桐の後継者である僕の真の力ってヤツを!」

慎二が懐から本を取り出した瞬間に、周囲に黒い影が現れた。
そしてそれがまるで断頭台のように3本、カタチをもって蠢きだした。
黒一色でできた刃。それらが凛へと襲いかかる。

「ッ…………、魔術による攻撃!?」

咄嗟に拳を強化魔術で強化し、襲いかかってきた黒い刃を弾き飛ばす。
その視線の先、慎二が持つ本。

「…………偽臣の書、ね」

「さすが遠坂。これくらいすぐに看破できるか。そうさ、この本があれば僕は君と魔術戦を演じることすらできるのさ!」

「─────そう、魔術回路が途絶えた貴方がマスターだなんておかしいとは思っていたけど」

次々に襲いかかってくる黒い刃を蹴散らしていく。
その凛にダメージの色は全く見られない。

対する凛は、攻撃を仕掛けてくる慎二を睨みつける。

「─────けどね、そんなエセ魔術でこの私と魔術戦を演じることができる?…………思い上がるのもそれくらいにしなさい、慎二」

冷えた瞳が慎二を貫く。
指を向ける。

Fixierung狙え、EileSalve一斉射撃─────!」

その指先から大量のガンドが発射された。
その数に負けじと慎二もまた黒い影を操る。
しかし、数は同数とできても、威力が全く違った。

「クソ!僕の攻撃がかき消される!?」

黒い影が凛のガンドによって瞬く間に消失させられていく。
それどころか、慎二本体へ攻撃が届き始めた。

「ヒ…………!」

ドン! とたった一撃、彼の足元すぐ傍に着弾する。
それに狼狽してしまう慎二。

「呆れた………その程度で怯えるだなんて。これなら士郎の方が何倍も強いわよ」

黒い影が消え失せたのを確認し、凛もガンド撃ちを一旦やめる。

「は─────僕、より衛宮の方が………優れてる、だって?」

「魔術回路を失って、それでも本来“自分に与えらえる筈であった特権”を得たいがために固執した。そんなことをしたって魔術師にはなれないっていうのに」

「し、知ったようなクチを叩くな!────ふざけるなよ、僕が魔術師になれないだと? そんな事、どうしてお前にわかるっていうんだ!それに実現するのが聖杯だろ!」

「判るわよ。断言してもいい。そりゃあ確かに聖杯を使えば魔術回路は得られるでしょう。けど“それだけ”よ。貴方は魔術師にはなれない。だって才能がないもの。そこも士郎とは違うところ」

「さ………才能がない? 衛宮にはあるっていうのか………!本来、魔術師の家系でもなければ、セイバーを連れてるだけの雑種だろ!第一、なんでオマエが衛宮なんかを口にするんだよ!!」

「言ったでしょ。彼が貴方より強いから。魔術師としての素質もある。間桐慎二にはないものを衛宮士郎は持っている。彼は魔術師としてやっていける絶対的な素質がある。それは誰も勝てない、彼が一番たり得るところ」

「一番だって!? ハ、笑わせるなよ遠坂!あいつにあって僕にないものは魔術回路ぐらいだ!それさえあれば僕はあいつよりも上なんだ!あいつはただ運よくセイバーを召喚できただけの野良犬じゃないか………!」

衛宮士郎への増悪が完全に恐怖に打ち勝った。
真正面から凛を睨む慎二。
対する凛はそのあまりにも偏執しきった視線を見て、もはや何か諦めてしまったようにはぁ、と両肩で嘆息した。

「────もうどうしようもないわね。責任を取らせようと思ったけど、貴方にはその価値すら皆無だわ。ほら、見逃してあげるからさっさとその本を焼いて教会へ逃げ込みなさい。士郎に潰される前にね」

慎二を見る凛の瞳は完全に冷え切っていた。
もはや話し合う価値すらない、お前はそもそもここに立っていい人間ですらない。
今の慎二には凛がそう言っているようにすら感じられた。

「は─────は、はははは………。はははははは!!!!!!」

突如として笑い出した慎二の周囲に再び現れる黒い影。
もはや正気を留めていない慎二を見る凛。

「無駄だって言っているのにわからないのね。─────ここまでくるともはや憐れね」

同時に、次は黒い影ごと慎二を打ち抜くつもりで魔力を指へ込める。
ガンド撃ち。威力を最大にまで強化し、同時にできる限りの連射性も持たせたガンド。
ただの連射性のガンドですら黒い影は勝てなかった。
もはや慎二に勝機はない。

「僕が………衛宮に劣るだって………!? 遠坂─────おまえ、おまえ………!」

際限のない怨嗟の声をあげる慎二。

「いいわ、慎二。最後に教えてあげる。自分以外の為に先を目指す者、自己よりも他者を顧みる者、そして誰よりも自分が嫌いな者。これが魔術師の素質ってヤツよ。どんなに魔術回路があっても、それがない者には到達できない所がある。………慎二、アンタは他人を蔑む事で、同時に抱かなくてもいい劣等感を抱いた典型例。見下す相手が上にいるもんだから、つまらない劣等感に囚われてた人間。─────この際だからはっきりと言ってあげるわ、慎二」

「と、お、─────!」

「慎二、アンタはマスターには絶対的に向かない。どれだけ自分がマスターだって言い張ったって、貴方はマスターにはなれないわよ」

「とぉぉおぉぉさぁぁぁかぁぁぁあああ!!」

轟! という音を立てて慎二の周囲にあった全ての影が一斉に凛目掛けて襲いかかってきた。
目の前が一面真っ黒になるぐらいの攻撃密度。
しかしそんな攻撃でも凛には届かない。

「同時に教えてあげる。─────これが私と貴方の差よ」

ドン!! という地響きにも似たガンドが発射される。
しかし、それだけでは終わらない。それと全く同じ音が連続再生されたかの如く屋上に鳴り響いた。

一方的試合ワンサイドゲーム
ここにこの図式は成り立った。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第26話 戦場という複雑な盤
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/08/11 22:15
第26話 戦場という複雑な盤


─────第一節 果たせなかったもの─────

地上一階、校舎の外。
落下した屋上から見えない位置に着地したセイバー。
続けてその腕に抱えていた士郎と綾子を降ろす。

令呪による空間転移。
それは文字通り魔法の類だった。
空間を割ったかのように甲冑姿のセイバーが現れ、落下していく二人を受け止めて退避。
見事危機を脱するが、しかし息つく暇などない。

「おい、美綴!」

士郎の両腕に抱えられている綾子。
その意識は朦朧として、頭部と腹部からは出血が確認できる。

「シロウ、これは!?」

突然呼び出されたセイバーはまだしっかりと状況が把握できていない。
ただ、この事態が異常だということははっきりと認識できる。

「学校にあった結界、あれが発動した。屋上に結界を張ったヤツがいる」

「学校の結界が………。では、アヤコのこの傷も………?」

「ああ、ソイツにつけられた」

まだ辛うじて意識のある綾子に細心の注意を払いながら傷の状態を確かめる。
士郎の左手は風穴があいているので間違っても彼女の傷口に触れてはいけない。
唯一無事である右手を使い、まずは頭部の傷の状態を確かめるため髪に触れる。

「こっちはまだ………浅いか」

踏みつけによる傷は地面との接触だけで済んでいる。
だが、頭部の傷だけでは脳へのダメージは判断できない。
医療の知識がない士郎でも、それくらいはわかる。
故に安心できる理由などどこにもなかった。
また、綾子の意識が朦朧としているという事実が士郎の不安に拍車をかけていた。

「美綴、ちょっと恥ずかしいかもしれないけど我慢してくれ」

そう声をかけた士郎だったが、返事は返ってこない。
そんな状況により一層の焦燥感を覚えながら、血が滲み出ている腹部の傷を確認する。
傷に触れないよう、痛みを与えないように丁寧にボタンを一つずつ外していく。

胸は見えないように、腹部辺りまでのボタンを外して傷を見る。

「これは………」
「っ………!」

セイバーと士郎が目の当たりにしたのは腹部の右下から腹部の中央まで──確認こそできないが、恐らく胸の中央部まで──のびる生々しい傷。
一目みてわかる。
これは決して普通の女子高生が受けていい傷ではない。

「セイバー、遠坂を………」

そう言いかけた時、頭上で地響きのような音が聞こえた。
ドン! という音が連続再生されたかのように頭上から響いてくる。
それは戦闘音に相応しいものだった。
そしてそれを意味するものは

「遠坂とアーチャーが屋上で戦っているのか………」

「その様です。屋上に二体のサーヴァントの反応があります、間違いないでしょう」

頭上から響いてくる音を聞きながら、どうするべきかを考える。
そうして士郎が下した判断は

「セイバー。屋上に行って、遠坂たちを援護してきてくれ。で、戦いが終わったらすぐに保健室にくるように伝えてくれないか」

戦いの早期終結だった。
結界の解除と綾子の手当。
どちらも先延ばしにしていい問題ではない。
故に戦力を投入し迅速に戦いを終わらせる事こそが両方を救うことへとつながる。

「わかりました」

士郎の意図を掴みとったセイバーは短く返答し、壁を駆けていく。
セイバーの姿があっという間に屋上へと消え、士郎も再び綾子を両腕で抱えて振動を与えないように保健室へと向かう。

「俺は………守るって、言いながら………!!」

走るワケにはいかず、しかしゆっくりしている余裕などない。
保健室への最短経路を通って、学校内へと足を踏み入れる。


―Interlude In―

(どうして………)

あたしは─────あたしを抱えている人の顔を見ながら、静かに思う。

(こんなことに………なっちゃったんだろう、な)

まだ冬の寒さが残る二月であっても、この瞬間だけは異様なまでに熱い。
自身の体が脈打つのがよくわかる。
胸の真ん中からお腹の下まで、一気に斬り裂かれた。そんな感覚だった。
痛みの感覚はもう通り過ぎて、逆に麻痺したように何も感じなくなってきている。

その所為だろうか。
周囲を見る余裕がでてきてしまっている。

赤い世界。倒れている人。呻き声を出している生徒。

そんな状況を見て、思考が壊れてしまいそうになる。
ああ、これならいっその事気を失ってしまえばよかったとすら思う。
自分はもっとひどい状況にあるにもかかわらず、だ。

けど。
それ以上に、痛い現実が、あたしの目の前にあった。

「俺は………守るって、言いながら………!!」

そう、声が聞こえる。
それは、あたしを傷つけた慎二に言う言葉ではなく、ここにいない遠坂に言ったモノでもない。
あたしに言った言葉ではないし、駆けて行ったセイバーさんに宛てた言葉でもなかった。

─────違う

そう言いたかった。

─────あんたが悪いんじゃない

そう言いたかった。
けど、言えない。声が出ない。

その言葉以降、あたしに聞こえてくる言葉はなかった。
代わりに、あたしを運んでくれている腕が、僅かに、ほんのわずかに、震えているのが分かった。
あたしを抱いてくれている手の力が、少しだけ、ほんのすこしだけ、力が入るのがわかった。

─────どうして

この世界は、都合の悪い事ばかり起きるんだろう。
自分の力で自分を守れたなら、こんなことにはならなかった。

違う。
違わないけど、違う。

せめて。
そう、せめて。
せめて、声を出せたなら。
たった一度でいいから、声を出せたなら。

─────ありがとう、って

言えば、あいつは。
これほど自分を攻めるなんて、しないハズなのに。

この唇は、ぜんぜん開かないし。
 この舌は、ぜんぜん動かないし。
  この喉は、ぜんぜん声を出してくれない。

本当に─────


目の前が歪む。
目の前がぼやける。

「………美綴?」

声が聞こえた。

なに? って、言いたい。

「………ごめん、もうすぐで保健室に着くから。遠坂もすぐに来てくれる。アイツなら、美綴の傷も痛みも治してくれる筈だ。もうちょっとだけ、我慢してくれ」

なんでそんな事言うんだ、って思った。
けど、それはすぐにわかった。
今、わたしがどういう状況になっているかなんて、すぐにわかった。

違う─────あたしは、痛みで泣いてるんじゃない。─────あたしは………


─────本当に、どうして、こう都合よくいかないんだろう
強く願っても叶わないで。
どれだけ力を振り絞っても声の一つも出てはくれない。


眠くなってきた。

ああ、次は意識がなくなるのか─────
何も言えないで、闇におちるのか─────
感謝の気持ちすらも示せないで、眠るのか─────



─────衛宮、ありがとう。絶対に、次起きたら、言ってやるから………な


―Interlude Out―


─────第二節 第四のサーヴァント─────


「クッ………!」

アーチャー対ライダー。
戦いはアーチャーが有利に進めていた。

「足のダメージは少なからず響いているようだな、ライダー」

ザン! と勢いよく踏み込みながら、ライダーをその手に持つ双剣で斬りつける。
対するライダーはそれを回避することしかできない。
足に負った傷と、短剣の実力差。
それらを考えると、連続した近接戦は圧倒的に不利である。

(ここは退くべきですね………)

そう思い、慎二を連れて脱出するべく手段を考える。
だが

ドン! という地響きと共に何かが爆ぜた。
しかもそれだけでは終わらずに音は連続再生されていく。

「シンジ!?」

慎二の周囲が煙で覆われているのを確認し、すぐさま駆けつけようとする。
しかし、それを対峙するアーチャーが許す訳もなかった。

「どこを見ている」

「!」

両手に持った短剣でアーチャーの攻撃を防ぎ、鍔迫り合いとなる。
だが、アーチャーはそんな事などお構いなしにライダーの腹部目掛けて強烈な蹴りを入れた。

「ぐ………!」

蹴られた反動で後ろへ吹き飛ばされる。
倒れそうになった体勢を整えて再び正面にいるアーチャーを見据えようとしたその時

「避けろよ、騎乗兵─────」

首を両断せんとする白と黒の短剣が、すぐ左右真横に迫っていた。

「なっ!!」

驚愕と同時に、体勢を整えようとしていた行動をキャンセルしてそのまま地面に倒れこむ。
アーチャーが蹴りを入れたと同時に両手に持っていた双剣を投げていたのだ。

ガキン! という音とともにライダーのすぐ頭上で金属音がする。
左右真横から襲って来た剣同士がぶつかった音である。
回避に成功したライダーは今度こそ、正面にいるアーチャーを見据える。

そこに居たのは

「ハァァァァァッ!!!」

アーチャーの姿ではなく、セイバーだった。

「っ!!」

もはや何度目の驚愕かもわからぬまま、屋上の床を全霊込めた力で砕いた。
振り上げられた不可視の剣がライダーを襲うが、それよりも早くライダーは下の階へ落ちる。

「セイバー!?」

突然現れたセイバーを見て驚く凛。
そんな彼女を見つけたセイバーは要件を素早く言う。

「リン、今すぐ保健室へ向かってください!アヤコの容体が危険だ!」

「─────!? 綾子が!?」

セイバーの言葉を聞いて意味を理解した凛は、セイバーの後ろにいたアーチャーに

「アーチャー………後、頼めるわね?」

「ああ、問題はない。この程度の相手は私の敵ですらない」

アーチャーの声を聞いて、慎二のいた場所に立ち込める煙を一瞥し保健室へ向かうべく走り出した。
そんな背中にかけられる声。

「僕は─────まだ生きてるぞ………遠坂!」

煙を吹き飛ばすかのように煙の中から黒い影が、槍となって凛の背中を刺そうと襲いかかってきた。

「チッ!運のいい奴!」

右手を強化し、撃ち落とそうとしたが彼女の拳が振るわれることはなかった。
アーチャーが短剣の一振りで黒い影を完全に粉砕していたのだ。

「何をしている。君が言ったのだぞ、『頼めるか』と。ならばここは任せて早く行け」

アーチャーの後ろ姿を見て一瞬止まった凛だったが、すぐさま体を反転させて階段を下りて行った。

「で? 貴様は下からの奇襲というわけか………ライダー!」

たった一歩のバックステップで数メートル後方にジャンプする。
その直後ライダーが短剣を突き出して、下の階より屋上の床を突き破って現れた。

「シッ!」

空中の僅かな滞空時間の間に横に迫ったセイバーに短剣を投げつける。
キィン、という音ともに短剣が弾かれたが、その間に煙が晴れた中にいた慎二の傍へ着地する。

「シンジ、大丈夫ですか」

ライダーが問いかけるものの、後ろにいる慎二からは荒い息遣いしか返ってこない。
慎二の精神的負担はかなりのものだった。
慎二の様子を見てこれ以上の戦闘続行は戦力的、体力的に見ても不可能と判断したライダー。
だが………

「「「!?」」」

突如として、屋上にいた3人のサーヴァントが異変を察知した。

「アーチャー、これは………」

「ああ、私も気が付いた」

自分たちの足元、すなわち校舎内に“四体目のサーヴァント”を感知したのだ。
そしてそれは校舎内にいるマスター、士郎と凛の危険へとつながる。

同時にそれはライダーにとってはチャンスであった。
隙が出来れば脱出のチャンスが巡ってくる。

「セイバー、君は先に下へ行け」

ライダーへ一歩近づいたアーチャーが隣で剣を構えていたセイバーに言う。

「は………、いえしかし」

「私はここを凛に任されたのだ。そして下には別のサーヴァントがいる。ならば君が行くのは当たり前だろう。それに私は綾子とかいう者と面識はない。私が行くよりはマシだろう」

双剣を構えてライダーを見据える。
対するライダーも咄嗟の事態に備えている。

「私一人で十分だ。それに君のマスターは怪我人を連れているのだろう? 早くサーヴァントが現れたことをマスターに報告するんだな」

「………わかりました。この借りは必ず」

そう言ってセイバーは屋上より跳び下りていった。
階段を使うよりも早く士郎達の元へたどり着けるからだ。

「………あなたのマスターはどうするのですか、アーチャー」

「なに、私のマスターはセイバーのマスターよりも優秀でね。すでに“先ほど話した”。セイバーのようにわざわざ直接会いに行く必要もないしセイバーのマスターよりも優秀なのでね」

「………」

屋上に張り詰める緊張感。
二人の間合いはそう離れていない。

「………こうなっては仕方ありませんね。─────この場は捨てて脱出します、シンジ」

「逃げる? この私から逃げることができると?」

両手に握っていた短剣を消して、アーチャーが弓を出現させた。
アーチャーの射程距離はかなり広範囲まで及ぶ。

「ええ、私はライダー。………戦場を駆ける一陣の疾風。貴方如きの矢が私を捉えることは不可能」

「─────よく言った。ならば、その身を以って俺の一撃を味わえ、ライダー」

声を低くしてアーチャーが矢を出現させる。
出現した矢は赤原猟犬フルンディング
追尾する矢である。

「いいえ、それは違う」

だが、ライダーはその矢を目の当たりにしても平然と言う。
その手は自身の眼帯へとのばされていた。
同時に学校を覆っていた結界が無くなり、青い空が戻り始めた。


「見せてあげましょう………我が宝具を」


◆(学校校舎、二階と一階間の階段踊場付近)◆


「チッ!アーチャーから聞いたとはいえ………」

校舎二階。
保健室があるのは一階である。
そのため一階へ下りようと走っていたわけだが………

「この数、鬱陶しいわね!」

凛の行く手を阻むのは大量の竜牙兵。三階に到着した時から現れたソレを破壊しながら下の階へ下りていた。
しかもかつて凛が撃破したソレよりもわずかではあるが強化されているのがこの戦闘でわかった。

「ケチっていられないか………!Ein KÖrper灰は灰に ist ein KÖrper塵は塵に─────!」

手にトパーズを持ち呪文を紡ぐ。
彼女の言葉と魔力に反応したトパーズが変化し、発せられた光が周囲にいた竜牙兵を一瞬で消失させた。

「この分だと一階にも同じ数………いえ、それ以上いるわね」

階段から降りてきた竜牙兵をガンドで撃破しながら一階へ続く階段を下りる。
しかし。

「やっぱり来るか………!」

階段の下から竜牙兵が上がってきた。
それと同時に復活した二階からも竜牙兵が下りてくる。
階段の踊場で挟み撃ちの格好となる。

「ガンドの両手撃ちによる一斉射撃─────」

右手を下から上がってくる竜牙兵に、左手を上から下りてくる竜牙兵に向ける。

「全力で行くわよ!Fixierung狙え、EileSalve一斉射撃─────!」

直後に階段に鳴り響く銃撃戦の音は、今までのどれよりも発射間隔音が短かった。
竜牙兵が強化されたとはいえ、この程度の強化ならば近づかれる前に凛は迎撃できる。
加えて中距離戦を行える能力を持っていない竜牙兵は、成す術も無く凛のガンドによって破壊されていくしかなかった。



◆(学校校舎、一階 玄関入口)◆


「竜牙兵………キャスターか!」

不可視の剣を倒れている一般人に当たらぬように振るう。
セイバーが振るった場所から斬撃が飛ぶように遠方にいる竜牙兵が微塵に斬り落とされた。

「てやあぁぁぁ!」

背後より近づいてきた竜牙兵数体を一撃の名の下に叩き潰す。
そこに近づいてくるさらに数体の竜牙兵。

「はぁっ!」

振りかぶり、竜牙兵へ攻撃を仕掛ける。
しかしそれを武装した竜牙兵が受け止め、攻撃を流す様に弾く。

「なるほど。少しは経験を活かして強化してきましたか。─────しかし!」

僅かに身を屈めて、竜牙兵を真っ二つに両断する。
そのセイバーの周囲を取り囲むように複数体の竜牙兵が襲いかかってくる。

「私を仕留めたいのであれば、この数千倍は連れてくるのだな、キャスター!」

竜牙兵の武装ごと叩き潰し、両断する。
周囲を囲っていた竜牙兵を一掃したセイバーは保健室へとつながる廊下へと出る。
そこにはまるで行く手を阻むかのように大量の竜牙兵の姿があった。

「シロウ、無事で………!」

ドン! と爆ぜるように突進を開始する。
攻撃を仕掛ける竜牙兵は、その攻撃ごと不可視の剣によって破壊され欠片となって潰れていく。




◆(学校校舎、一階 保健室内部)◆


「─────投影、開始トレース・オン

綾子にできる限りの応急処置を施した士郎のもとに、大量の竜牙兵が雪崩れ込むように保健室へ入ってきた。
綾子をベッドに寝かしているため、士郎の戦闘は必然的にベッドへ近づけさせないための戦闘となる。

「はぁぁっ!」

投影したのは先ほどと同じライダーの短剣。
短剣と言っても少し長いため、十分竜牙兵と戦えるほどではあった。
加えて自身に強化魔術を施していることもあり、戦いは互角以上であった。

ただし。
それが一対一であるならば、である。

「くっ…………!前よりも強くなってる………!?」

しかしそれでも近づいてくる敵を粉砕していく。
だが、

「ぐっ………!」

パキン、と再び壊れてしまう短剣。

「構成が甘いのか………!? 違う武器を………!」

自分の頭の中にイメージを思い描く。
ふと、頭の中に過ったモノ。

「─────投影、開始トレース・オン!」

出来上がったソレを視認すらせずに振り下ろされた攻撃を受け止めた。
キィン!! という金属同士がぶつかり合う音。
士郎の両手にはアーチャーの短剣と同じものが握られていた。

陽剣干将、陰剣莫邪。総じて干将莫邪。
デタラメに複製された剣は、しかしそれでも存在を持ち主に自ら示す。

「ああぁぁぁっ!」

“いつの間にか左手の風穴が塞がっていた”ことなど知らずに、両手で一対の剣を持ち、近づいてくる敵を叩き斬る。
十の攻撃を仕掛けてくるならば、十の手数で迎撃してプラス一で敵を斬る。
二十の攻撃を仕掛けてくるならば、二十の手数で迎撃してプラス一で敵を潰す。

攻撃を受ける最中に短剣が壊れる。
しかしそれに構う暇などない。即座に投影して再び迎撃する。

「うおぉぉぉぁぁぁぁぁ!」

怒涛の勢いで、近づいてくる竜牙兵を叩き潰す士郎。
途中何度も何度も短剣が壊れ、その度に投影して同じ武器を作り出す。
その度に体の中がズレていく感覚を覚えたが今はそれどころではない。

「ぐっ………!」

敵の数が一向に減る気配がないのと、数の多さに圧倒されて後退するのを与儀なくされる。
そして、とうとう後ろには引けない場所まで来てしまった。

「これ以上は……………」

まずい、そう感じた士郎のもとにサーヴァントが到着する。

「シロウ!」

保健室の入り口付近にいた竜牙兵を一掃し、内部へ突入してきた。

「はっ!」

即座に周囲にいた竜牙兵を全滅させる。
そうして周囲に敵がいなくなったことを確認し、構えを解いた。

「ありがとう、セイバー。助かった」

「いえ、到着が遅れて申し訳ございませんでした。それで、アヤコの容体の方は………」

「ああ。とりあえず応急処置はして眠ってる。けど、遠坂の治療がないとやっぱり安定しない。セイバー、遠坂は?」

「さきほど、後方にリンの姿を確認しました。もう間もなく来るはずです」

「そうか、じゃあこれで………」

美綴は助かる、そう思ったときにそれはやってきた。



─────第三節 破戒すべき全ての符ルールブレイカー─────


ドォン!! と。
まるで地震が起きたかのような揺れが学校を襲った。
棚にあった薬などが落ちて、床に薬品が零れ落ちる。

「なんだ!?」

「この魔力量は………」

セイバーが見えぬ屋上を見上げるように天井を睨んだ。
俺もまた何が起こったのかを尋ねようとしたが・・・

「簡単な話よ、ライダーが宝具を使って学校の一部を破壊しながらこの学校から離脱した。─────ただそれだけよ」

「!?」

セイバーの声でも遠坂の声でもない、別の何者かの声が聞こえてくる。
保健室の一角。
そこにいたのはキャスターだった。

「─────出たか、キャスター。自ら現れるなど余程の自信があるらしいな」

セイバーが不可視の剣を構える。
距離にして約数メートル。一瞬で斬りこめる距離だ。

「おやめなさい、セイバー。そんな事をしても敗北するのは貴女達のほうなのですから」

「大それた自信だ。この私に生半可な魔術は通用しないとわかっているはずだが」

「ええ、そうね。けれど貴女に通用しなくとも、その後ろにいる人間には通用するでしょう? それに貴方が私を斬るよりも私が呪文を紡ぐほうが早い。それはわかっているのではなくて?」

「お前………!」

後ろの人間、というのは勿論俺のことなのだろう。
しかしもう一人、それに該当する人物がいる。

「それにね、私は貴方達と争いに来たわけじゃないのよ。少し話し合いをしようと思ってね。………この子を含めて」

そう言って目の前の空間が歪む。
そこに現れたのは─────

「…………!」

氷室だった。

「貴様………!」

両手両足を魔力で作り出された縄のようなもので括りつけられている。
同様の物が口元にも巻きつけられていた。
あれでは身動きがとれないし、しゃべることもできないだろう。

「わかったかしら? 手は出さないこと。これが第一の命令。守れない様なら後ろにいる子かこの子のどちらかが二度と立てなくなるでしょうね」

「──────────」

思考が完全に停止した。
怒っている。
怒りで視界が真っ赤になるぐらいに怒っていた。
だというのに、頭はひどく客観的だった。
美綴の件を見たからなのだろうか。
怒りが限界以上に達したら冷静になるなどと、今まで知る由もなかった。

「わかったかしら? 外にいるお嬢さん。貴女のサーヴァントにもそう伝えておきなさいな」

恐らく廊下に遠坂がいるのだろう。
声を外に聞こえるように大きくするキャスター。
遠坂が保健室内に入ってこないところを見ると、この部屋に結界を張っている、というところか。
魔術師のサーヴァントが張った結界を解除しようとするとどうしても時間がかかるのは理解できなくはなかった。

「─────で。人質をとって何をするっていうのかしら? キャスター」

廊下から扉越しに声が聞こえてきた。
声は通る仕組みらしい。

「外にいる貴女に用なんてないわ。………用があるのはそこの坊やだもの。─────ねぇ、覚えてる? 私があの夜言った言葉」

そういって視線を俺に向けてくる。

「………たしか事情が変わった─────とか言ってたな。一体なんだってんだ。

「ええ。ねぇ、衛宮士郎。私と組まないかしら? 貴方達ほどのレアケースはこの五回の聖杯戦争の中でも存在しなかったでしょう」

「レアケース………? 組む………? それに─────貴方達?」

キャスターの言葉の要領を得ることができない。

「ふふ………その様子を見ると、本当に何も知らない様ね?」

「何が言いたい。それにお前と組む? ふざけてるのか、お前」

「あら、言葉には注意しなさい衛宮士郎。殺してしまうのは簡単だけど、貴重なサンプルをそう簡単に壊したくはないのだから。理解してほしいわね、こんな無粋な真似をするのも貴方を仲間にしたいからなのよ。間違っても、ライダーのマスターのような人間と一緒にはしないでほしいわね」

そう言って氷室の首筋に指を添えるキャスター。
びくり、と触れられた氷室は一瞬震えていた。

つまり、意識を刈り取らなかったのはその反応を俺に見せる為だということ。
俺の反応次第では後ろで寝ている人物も、前で捕まっている人物も、助からないということ。

「聖杯を手にするのは私以外にいない。この街は私のものになった。いくら貴方のセイバーが対魔力に優れていようとも、無尽蔵の魔力を持つ私を倒すことは永劫できないわ」

「─────」

隣にいるセイバーはすでに臨戦態勢だ。
一瞬の隙すら見逃さず、一撃でキャスターの首を撥ねるだろう。

だがそれはだめだ。
それよりも早くあのキャスターは言葉を紡ぐ。
取り返しがつかなくなる言葉を。

「───ふん、だから無駄なのよセイバー。いいこと? ここでこうしている私ですら影にすぎない。私の力の供給源はこの街に住む人間全員。これがどういうことかわかって?」

「貴様は─────!」

「人間の、“命”という魔力を奪えば、際限なく魔力は引き出せる。今の私なら全サーヴァントを従えても魔力にお釣りが返ってくるわよ」

「お前は─────もう魔力は集めない、と言ったのは嘘だったのか………」

静かに、静かにあの夜に言ったキャスターの言葉の真意を確かめる。

「いいえ、そのあと言ったでしょう?『大量の魔力を消費させてくれるのなら話は別』と。貴方達が大人しくいう事を聞くのなら、襲う必要はもうこなくなるでしょう。けれど、抵抗するようならまた足りなくなった魔力を集める必要がでてくる」

それはつまり、遠回しに氷室と美綴以外にも、この街の住人すべてを人質にとっているようなものだった。

「何がライダーのマスターと一緒にしないで、よ………! 同レベルの下種じゃない!」

「あら? 私が魔力を奪った人の中に死んだ人はいたかしら? いなかったわよね? 私がそう配慮したのだから」

「っ…………!こ、の」

ほぼ無尽蔵の供給源。
街中の人達から魔力を吸い出す魔術。
それがあるから勝てると言う。

─────無関係な人間を巻き込んで、それで無敵と誇るヤツ

遠坂とキャスターのやりとりなど聞こえてはいなかった。

─────誰かの犠牲の上で、なお笑い続けるヤツ

目の前にいる氷室を見る。
目を瞑り、動かせない手足をどうにかしようと腕を動かしている。
後ろには涙を流して眠った美綴がいる。

─────氷室を犠牲にして、美綴を利用して、


「さあ、答えを聞かせて衛宮士郎。貴方に勝ち目はない。セイバーと共に素直に従ってくれるなら、この子は放してあげましょう。どう、従ってくれるかしら」

「─────氷室を解放しろ」

「話を聞いてなかったのかしら。私に降りなさいと言ったのよ?」

「黙れ、氷室を放せ」

渡すものなど何一つない。
目の前にいる彼女を助けるだけ。

ギリ、と忌々しげに歯を食い縛るキャスター。
しかし次には嘆息をついて

「………解ったわ。交渉は決裂、ってことね。確かに、聖杯を手に入れることができるのは一人のマスターだけ。私と組んでも手に入れる事はできないと考えたのかしら」

「違う、俺はお前とは組まないし許さない。俺はお前みたいな奴を止めるために戦ってるんだ。聖杯なんて関係ない。それより氷室を放せ」

キャスターを睨む。
敵意を丸出しにして睨めつけられたキャスターは

「ふふ─────あはは、あははははははは!」

可笑しそうに笑っていた。

「─────おまえ」

「あら、気に障ったかしら? けど貴方も悪いのよ? 聖杯なんて関係ない、なんて心にもない言葉を口にするのだから」

「何を………」

「聖杯なんて関係ない? とんだ大嘘つきね、貴方は聖杯戦争の犠牲者なんですもの。聖杯なんて関係ない─────そう言っている時点で、聖杯を憎んでいるのではなくて?」

そうキャスターが言った瞬間

「─────」

心が、ギチリ、と凍りついた。
おかしい、なんでキャスターが知っている?
これを知っているのは俺と教会の神父だけだ。
セイバーにも、遠坂にも、氷室にも、美綴にも話していない。

凍りついて、よくわからない。
隣にいるセイバーの顔も、目の前にいる口をふさがれた氷室の顔も、喉元までせりあがってきた気色の悪い嘔吐感も。

「知ってるわよ、衛宮士郎。前回の戦いは十年前。その時に貴方は全てを失った。炎の中に一人取り残されて、死を待つだけだった貴方は衛宮切嗣に拾われた。だから、貴方は本来別の名前を持っていた筈なのよ、衛宮士郎」

嘔吐感がよりひどく感じる。
だめだ、聞いてはいけない。

「─────貴方にとって聖杯は憎むべきものだった。にもかかわらずそんな貴方が聖杯戦争に参加するなんて皮肉な話ね?」

「──────────」

「けれど、そんな貴方にも残ったものが実はあった。…………それが、これ」

懐からそう言って取り出したのは数枚の紙切れ。
その紙切れを落とす様に手を離した。

舞い落ちる数枚の紙切れ。
その紙切れがセイバーと氷室、そして俺の目の前におちた。

「これは………」
「──────────」

そこに写っていたのは何だったのか。
今、この現状には相応しくない写真ばかりだった。

「────」

氷室がそれを見ている。
驚いて─────いるのか。

────ワカラナイ

再び写真を見る。
そこにいるのは間違いなく氷室だ。
じゃあその隣にいる人間は誰だ?

────シラナイ

「けど、不憫ね? せっかく残ったというのに、貴方もこの子も覚えていないもの。…………ええ、私が貴方達に興味を抱いたのは貴方達のそういう過去があったから」

────オボエテイナイ?

「復讐の権利がある。聖杯を手に入れて、全てを思い出して、十年前の清算をする権利がある。だから──────」


ズキン、と。
頭に響いてきた。





ズキン、と。
頭に響いた。

見覚えのない写真。
そこにいるのは間違いなく私だ。
じゃあその隣にいるのは誰だ?

────私の隣で笑っている、衛宮かと思うような赤い髪の男の子

後ろにいるキャスターとかいう女性は「覚えていない」と言った。

オボエテイナイ?
いや………こんなモノは知らない。

────シラナイ?

「…………!」

ズキン、と頭に響いた。
僅かに涙が出てきた。

おかしい………。
たしかにそんなものは見覚えなどないはずなのに。

頭が痛い────


そう言えば
夢を見た気がする、赤い子供が出てくる夢を。
そう言えば
二人で歩いていた時、前にもそんなことがあったと思った気がする。
そう言えば
なんで私は寝間着を見られても平気だったのだろうか。
そう言えば
なんで私は十年前の思い出が欠けているのだろうか。
そう言えば
なんで彼は十年前の事を聞いてきたのだろうか。
そう言えば
お母さんはあの時衛宮に何を見せたのだろうか。
そう言えば
なんで私は衛宮と仲良くなっていたのだろうか

複数ある写真。
その中の一枚に目をやった。

そこに何か文字が書かれている。
母親の字だ。

何て書いてある?
読むな、という声が聞こえた気がした。
けど、読んだ。

『鐘には言わないように』って書かれていた。

なんで?
言わない?知られたくない?
思い出してほしくない?

今まで生きてきて、不思議に思った事を繋ぎ合わせていく。
デジャヴュ、痛み、違和感、疑問、写真、言葉、仕草、感情、記憶。
聖杯戦争と関わってから、感じたこともたくさんある。

理論なんてない。思い出す理由なんて、いつも突拍子のないものばかり。
ただキッカケさえあれば思い出す。
そう言ったのは私だ。

目を瞑って。
こんなことがあったのか、と自問する。


頭が痛い────

おかしい─────たしかに…………そんなものは見覚えなどないはずなのに。

僅かに涙が出てきた。
ズキン、と頭に響いた。

「─────」

────シラナイ?

いや。

────私は




「氷室!」

目を瞑っていた鐘の体が崩れ落ちた。
下には先ほどの揺れにより薬の入っていたビンの破片がまだ散らばっている。
このまま倒れれば、鐘の体や顔に無数の破片が突き刺さる。
刺さる場所が悪いと最悪失明にもつながるし、頭部の深くにまで達してしまうと脳障害にすら発展する。

倒れそうになった、次の瞬間には士郎は走り出していた。
記憶がどうの、思い出がどうの、復讐がどうの、など今は関係ない。
助けなければ。
その思いだけが士郎の中で先行していた。

思い出しやすいように少しばかり魔術で頭の中を弄ったのだけどもね●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●。ちょっとばかり刺激が強かったかしら?」

そう言いつつキャスターが懐より何かを取りだした。
奇怪な刃物。それを見た途端、悪寒が奔った。
あの短刀で刺殺されるという恐怖ではない。
別の、何かヨくないモノだと、直感的に士郎は判断した。

対するセイバーはソレを確認して振り下ろされた短剣から逃すために突進してきた。

やりとりはほんの数秒。
倒れる鐘を救うために士郎が抱きかかえるように破片が散らばる床へ滑り込む。
同時に。

「ッ!? この…………!アーチャー!」

「セイバー!あの短剣には触れるな!あれは─────」

「一目で見抜くなんて大したモノね。けど─────」

「キャスター!!」

一体この数秒間の間にどれだけのやり取りが行われただろうか。

士郎が床に滑り込むとほぼ同時刻に、結界を全力で解除した凛が保健室へ入ってくる。
その中の光景を見るなり、アーチャー、と叫ぶ。
ぎりぎりで鐘を受け止めた士郎が振り下ろされる短刀を見て、近づいてくるセイバーに警告を発する。
振り下ろされる短刀から士郎を逃すべく腕を伸ばすセイバー。

凛がガンド撃ちの構えをして、アーチャーが現れてキャスターの首を刎ねんとし、セイバーが士郎と鐘を守るべく体当たりしてその短刀から逃す。
だが、間に合わない。
距離の問題。咄嗟に反応した順番の問題。体勢の問題。行動の問題。
全てはキャスターに有利に働いていた。


「全ては、計画通りよ。────坊や」


士郎に振り下ろされるはずだった短刀は、

「あれは────魔術破りだ!」

助け出したセイバーへと突き刺さった。


赤い光が室内を照らし、膨大な禍々しい魔力の奔流が空間を一時的に支配する。
同時に巻き起こる法式破壊は、セイバーを律していたモノを全て破壊し尽くし。
そして────


────士郎とセイバーの繋がりは完全に断たれていた。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第27話 世界
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/08/11 22:16
第27話 世界


─────第一節 見極める─────

禍々しい魔力の奔流が保健室を埋め尽くす。
その異常をいち早く掴み取った凛は

「アーチャー!キャスターを早く!」

魔力の奔流によって一瞬足を止めたアーチャーに指示を出していた。
しかしアーチャーはその指示を聞いていない。
否、聞く必要などなかった。
指示される前にすでに動き始めていたのだから。

「チッ!」

赤い光の中、聞こえてきたその舌打ちは一体誰に対して向けられたものだったのか。

「キャスター!」

その行動は速かった。
その手に握った短剣で首を刎ねるという行為。
その行為の中に無駄な動きは一切無い。完璧なる一閃。
次の瞬間にはセイバーに短刀を突き刺したキャスターの首は地面に落ちる。
そう確信した。

だが。

「!?」

その一閃はキャスターの首を刎ねるどころか、届きすらしなかった。
疾走。停止。一撃。
踏み込む速度、足捌き、横一閃に振り抜いた剣に是非はなかった。
ならば。

何故その手に短剣が握られていないのか。
何故握られていた短剣が士郎の傍に突き刺さっているのか。
剣を振り抜いた姿勢のまま、アーチャーは自分の短剣を弾き飛ばした敵の姿を見た。

「─────踏み込みはよかった。だが甘かったな、アーチャーのサーヴァント。………そちらが一人ではないように、こちらも生憎と一人ではないのでな」

一体この保健室の何処に居たというのか。
突然その人間は現れた。

「なっ─────葛木………!?」

葛木宋一郎。
それが士郎達の目の前に現れた人間の名前だった。

「人間風情が………!」

弾かれた手に短剣が握られていた。
真横に迫っていた宗一郎を両断せんと一撃を加える。

「令呪を以って命ずる。セイバー、アーチャーとその小娘を殺しなさい」

その言葉は今までの何よりも早かった。
キャスターの言葉を聞いたアーチャーは、宗一郎に振り下ろそうとしていた剣を、身体を捻りながら背後へと振り落した。

短剣と不可視の剣がぶつかる。
響く剣と剣の音。
その剣を持つ両者ともが、苦虫を潰したような表情をしている。
セイバーは必至に令呪に抗うため、アーチャーは斬り殺そうとしている不可視の剣を止める為に力を注ぎこんでいた。
だが、体勢が違う。
背後から斬りかかってくるために無理矢理方向転換したアーチャーでは踏ん張りが効かない。
均衡は崩れ、アーチャーは保健室の壁の向こうへと吹き飛ばされた。

「宗一郎………出てこなくとも私が………」

「だろうな。だが─────」

「─────投影、開始トレース・オン

両手に姿を得たモノは干将莫邪。
その得物を以ってして、令呪を奪い去ったキャスターへと肉薄する。

「─────異能は、同じ異能に任せてもらうぞ………キャスター」

「ッ!?」

放たれる拳の数は三十。
その全てを陽剣干将と陰剣莫邪の二刀で防ぐ。
拳と剣の打ち合いだというのに、鳴り響く音は金属音。
宗一郎の拳には切り傷一つ存在していない。

「まさか─────強化の魔術を………っ!?」

「そういうことだ。………そういう貴様こそ同じだろう、衛宮。なにせ、鞄に大穴が空くまで強化をしていたのだからな」

「ッ………、そうか。見つからないと思ったらアンタが…………!」

的確に急所を突いてくる拳を双剣で防いでいた。
打ち合う度に左手足の感覚が無くなっていく。

その光景を歯を食い縛り眺める金髪の少女。

「ぐ………」

「それにしても驚いた…………。セイバーの対魔力は令呪の縛りにすら抗うなんてね」

苦悶の表情を見せるセイバーを眺めながら、宗一郎と間合いが離れた士郎に向けて手を翳した。
その手に光源が宿る。

「宗一郎、少し離れてください。…………病風アエロー

放たれた魔弾。
それは寸分違わずに士郎へと直撃する。

ドォン!という爆発音が部屋に響く。
直撃。

─────だが、それを凛がカバーするように防いでいた。

「─────お生憎様、こっちも一人じゃないのよ。その程度の魔術なら私だって防げるわよ、キャスター」

「………………そう、なら防げない魔術をお見舞いしてあげましょうか」

「待て、キャスター」

間合いを離した宗一郎がキャスターの横に居た。
足元で膝をついて令呪に抵抗しているセイバーを一瞥し、隣にいるキャスターに声をかける。

「ここは一旦退く。当初の目的は達成した。セイバーが手駒に成りきっていない以上、アーチャーの足止めは期待できない」

「宗一郎…………いえ、しかし」

「ここで無理をすれば、後に響く。セイバーを奪った時点で我々の勝利なのだろう? ならば体勢を盤石にすればいい。攻め入るのはそれからでも問題はないだろう」

その言葉を聞いて少しの思案の後。
ゆらり、と壁の向こうに現れたシルエットを見てキャスターは紫紺のローブを大きく翻した。

「セイバーの対魔力は想定外だったわ。けど、ここで無理をする必要はない。……………宗一郎、貴方もいる事ですしね」

ローブがキャスター、宗一郎、そしてセイバーを包みこんで消えた。
その後には何も残ってはいない。
本当に魔法の様に消え去ってしまっていた。

「…………」

肩で息をしながら、重くなった左手足を引き摺って床に寝かせた鐘の元へ行き様子を伺う。
見た目は特に何の変化もみられなかった。
その様子を見て一安心するも、気を緩めるわけにはいかない。

「遠坂、美綴の様子を診てやってくれ。とりあえずできる範囲での応急処置はしたつもりだけど遠坂の治療がないと危ない」

「…………言いたい事と聞きたい事はたくさんあるけど、そうね。じゃあ綾子の様子を診るから士郎は教会の方に連絡入れて頂戴。キャスターについては一段落してから考えましょう。氷室さんの様子も診るから隣のベッドに移して」

凛の指示を受けて、床に寝かせていた鐘を抱いてベッドの上に移す。
ふと、視界の中に飛び込んできた写真を素早く掴んでポケットの中に突っ込む。
そして教会に連絡を取る為に足を引き摺りながら、保健室を後にしようと出口へ向かう。

「士郎? 左足、怪我したの?」

「ん…………ああ。ちょっと重いだけだ。多分動きすぎた所為だと思う。俺は大丈夫だから遠坂は美綴と氷室を診てやってくれ」

そう言って保健室を後にした。

左手足の感覚は戻らず、地面を踏んでいる感覚がない。
耳鳴りもしてその所為で頭痛もする。

「………流石に─────強化魔術の使いすぎか」

今思えばサーヴァント相手にあれだけの戦闘をやってのけた。
それでも勝つ事はできなかったが、その速度はライダーのマスター、慎二が驚くような速度である。
しかし当然、その分の負担は身体に返ってくる。
激しい運動は体力を大幅に奪い、全身を筋肉痛にさせる。

左足を引き摺りながら周囲に倒れている生徒達を見る。
みな意識は失っているが、思ったよりも症状は軽い。
凛が一階にあった結界の核となる基点を破壊したことによる出力低下、そして早期の結界解除が功を奏した。

「公衆電話…………、こういう時にまでお金とらなくたっていいだろうにさ」

非常時なら例え公衆電話でも警察や救急車は呼べる。
しかしこれから電話をする先は教会なので十円硬貨を投入するしかない。

ポケットに右手を入れて財布を取り出し、小銭入れのチャックを開ける。
当然左手で中の十円硬貨を取り出そうとするのだが─────

「あれ…………」

掴めない。
掴んだと思ったら硬貨は元あった場所へと落ちてしまう。

「だめだ………重症か」

そう一人呟いて財布を左手に持ち変える。
が、次はそのサイフごと床に落としてしまう。
音を立てて硬貨が床へ転がる。

「ああ、クソ─────」

鈍い左足に気を付けながら十円硬貨だけを先に拾い上げて投入口へ。
うろ覚えの電話番号を押して右手で受話器を耳に当てる。

『こちらは言峰教会だが─────』

聞き覚えのある声が聞こえてきた。
言峰 綺礼である。

「言峰か。衛宮士郎だ」

『ほう。どうした、衛宮士郎。電話で悩みの相談か?しかしそれは感心しないな。話したい事があるなら、直接ここにきて相談したらどうだ?』

「誰がお前に相談なんかするかよ。それにお前に相談する悩みなんてない。─────電話したのは聖杯戦争絡みのことだ」

『そうか。─────で、貴様はサーヴァントを失ったということか、衛宮士郎』

「っ─────」

その言葉が少なくとも現時点では当たっているために言い返すことはできない。

『ふむ………、まさか本当に失っているとはな。なら、保護を願い出てくるか?』

「俺はまだ諦めていない。だから保護なんて求めない。それに電話したのは俺の事を報告するためじゃない。学校の被害のフォローのために連絡を入れたんだ」

『…………ふ、学校で戦闘しているという報告は受けていた。周辺住民からの電話も警察などにあったらしいからな、こちらも既に手は打ってある』

「─────そうかよ。というかわかってたなら最初からそれを言え」

『最初に用件を言わなかった貴様が悪いのだろう、衛宮士郎』

その言葉に苛立ちを覚えつつも、落ち着いて対応する。

「用件はそれだけだ。─────学校のフォローはよろしく頼んだぞ」

そう言って受話器をきった。
はぁ、と一息ついて床に散らばった小銭を拾い始める。
と、そこへ言峰 綺礼並みかそれ以上にソリが合わない人物が立っていた。

「…………なんだよ」

「ふん、小銭如き拾うのを難儀している貴様を笑いにきたのだ、衛宮士郎」

なんでこうも人の気を逆なでする奴が周囲にいるのだろうか、などと思いながら無視する。
両手で小銭を拾っていくが、やはり左手だけはうまく拾うことができない。
拾っては落とすの繰り返しである。

「左手足を怪我でもしたのか?……………いや、違うな。おそらくは左手足の感覚がズレている。そうだろう、衛宮士郎」

「─────」

その言葉を聞いて息を呑んだ。
確かに外見から見ても様子はおかしく見えるだろう。
しかしそれが“感覚がズレている”などと正確に的を得た表現をしてくるとは普通は思わない。

「体を見せてみろ。………手遅れでなければいいがな」

「手遅れって………何がだよ」

「それくらい今の自身の身体に訊いてみたらどうだ。そら、背中を向けろ」

「─────」

とりあえず背中を見せるように上着を上げる。
その背中に無言でアーチャーが手を当ててきた。

「っ─────」

奔る痛み。
その後にやってくる熱を感じることができた。

「………これは驚いたな。貴様、私の刀を“一体何回投影した?”一回程度ではここまでひどくはならないハズだ」

「ひどく………?─────回数は覚えてない。戦いの中で何度も投影したからな」

「戦闘中に何度も投影した、と?………なるほど、ならば“神経が焼付く寸前まで投影しても気が付かない”訳か。合点がいったよ」

「…………おい。俺はまだちゃんと理解できてない」

士郎の言葉を聞いて、顔を見るアーチャーだったが次にはやれやれ、といった面持ちで口を開いた。

「貴様の全ての区画の魔術回路に風が通っている。その中には今まで使われていなかった魔術回路もあったハズだ。その魔術回路に風が通ったことで体が“驚いた”状態になったのだろう。………そこで投影を終えていればほとんど影響はなかった筈だ。だが貴様はその“驚いた”状態のまま回路を酷使し続けた。結果、まだ完全に馴染んでいない回路は術者に負担をかけ、左手足の感覚がおかしくなるという症状を生み出した。こんなところだろう」

「─────じゃあ俺がそのまま魔術を使い続けたどうなってたんだ」

“どうにもならなくなっていた”●●●●●●●●●●●●●。回路である神経は焼け切れ、左手足は完全に感覚を失い、歩くことすらままならなくなっていただろうな。────ふ、よかったじゃないか。そうなる前にキャスターが退いてくれて。感謝するんだな、キャスターのマスターに」

「………っ!なんでキャスター達に感謝する必要があるんだよ」

「でなければ貴様は自分を自分の手で潰していた。それくらいもわからんか、小僧が。そうなれば何も守れなくなるぞ」

アーチャーと士郎が互いを睨む。
そうして数刻が過ぎようとしたが、先に視線を切ったのはアーチャーだった。

「………とはいえ、私も驚いてはいる。悉く“私の知る衛宮士郎”から明らかに外れているのだからな」

「お前の知る………? 外れてるってどういうことだ」

「貴様に言っても始まらんよ。むしろ褒めてすらいるのだ、素直に喜んでいろ」

「………そんな言い方されて喜ぶ馬鹿がいるか、バカ」

「黙れ、貴様に言われると自分の馬鹿さ加減に頭を痛めるわ、馬鹿が。………ともあれ、だからと言って私の目的は変わらないのだがな。もう少しだけ見極める。それだけは覚えておけ、衛宮士郎」

「お前、自分が馬鹿だって言いながら人を馬鹿呼ばわりするのか………!ああ、どうぞ見極めてくれ。お前が見極めたところでお前の馬鹿は変わらないだろうからな」

「ガキか、貴様は。────もういい、私は凛の元へ戻る。せいぜいその魔術回路が治りきるまでは魔術を使う場面に遭遇しないように願うのだな。さっき言った通り、取り返しがつかなくなるぞ」

「お前に言われる筋合いはない。さっさと遠坂のところに戻ってろ」

消える背中にそう文句を言って小銭を拾い集め終える。
財布の蓋をしめてポケットへ戻す。
と………

「…………」

右手にあたった紙の感覚を頼りにそれを引き出した。
手にとってソレを眺める。

何度見ても同じ。
何度見ても同じ。
何度見ても同じ。

そこに写っていたのは間違いなく自分である。
灰色長髪の麦わら帽子を被った女の子と手を繋いで笑いながら歩いている写真。

「─────っ」

電流を流されたように、意識が飛びかけた。
ズキン、と頭が痛む。
感覚が少しだけマシになった左足を引き摺りながら保健室へと戻って行った。

─────第二節 戦闘準備─────


敵がいなくなった保健室は壁に穴が開いていたり、窓ガラスが割れていたり、床には瓦礫やビンの破片が散乱していたりと酷い有様だった。
二つあるベッドにそれぞれ綾子と鐘を寝かせている。

「遠坂、美綴は大丈夫か………?」

「ええ、見た目は酷かったけど幸い傷は浅いわ。傷も完全に消し去ることができるから大丈夫よ。ただ体力はかなり奪われちゃってるからしばらくは安静にしておく必要があるけどね」

「そうか………よかった」

安堵の息を漏らす。
士郎が見た彼女の傷は刀傷にも似た傷だったので、いろいろと心配していた。
傷の深さや具合の程度はもちろん、その傷が体に残ってしまうようではこの先いろいろと大変なのではないか、など。
しかしその心配は杞憂に終わったのだから素直に安堵したのだった。

「氷室さんの方も目立った外傷は無し。………脳も一応調べたけど、異常は特に感知されなかった。恐らくショックで気を失ったんだと思う」

「………そうか」

手前のベッドに寝ている鐘の顔を見る。
その寝顔からは苦悶の様子や危険な様子など窺うことはできない。
凛の言う通り気を失っているだけだろう。

「士郎………」

「ん?」

凛が士郎に声をかけてきた。
その顔は少し曇っていた。

「なんだ? 遠坂、何か必要な物あるなら言ってくれ。用意するからさ」

「─────ううん、何でもない」

何かを振り切るようにそう答えたあと、再び士郎、と呼んだ。

「アンタ、なんでキャスターの短刀が魔術破りだってわかったの?」

「なんでって言われても………そう感じたから、としか言えないんだが」

「…………なにソレ。つまり直感だったってワケ?─────まあそうだとしても結果的に合ってたから別にいいけど」

口に手を当てて一人思案に耽る凛。
士郎もまた、奪われたセイバーをどう助け出すかを考えていた。

「アーチャー、今夜柳洞寺に攻め込むわよ」

と、唐突にアーチャーに話しかけた。

「それは構わんが、正気か? あの山は鬼門だと言ったのは君ではなかったか?」

「ええ。けど、セイバーが耐えている今がチャンス。逆にセイバーが陥落してしまったらもう手をつけられなくなる。それこそバーサーカー並かそれ以上にね。そうなる前にキャスターを倒すわよ」

ランサーを追っていたが見つけられず、新都から深山町へ戻る際に出会ったサーヴァント、バーサーカー。
戦闘になったが当の相手がそれほど乗り気でなく、しかしそれでも周囲にかなり被害を出して戦闘は終わった。

それに、と呟いて凛はポケットの中にあった宝石を手に取った。
その宝石は赤く、少し大きめの綺麗な宝石。
それを見たアーチャーは、少し思案した後に

「…………勝機はある、と?」

と尋ねてきた。

「葛木先生を狙う。いくらキャスターとはいえマスターである葛木先生は守らざるを得ない。定石通りマスターを狙う事でキャスターの行動を単調化させて一気に潰す。その間も私は葛木先生を中距離からガンドで狙い続ける。で、隙あれば取り押さえて令呪を消させる。………素直に消してくれるとは思えないけど、取り押さえすれば何とかなるでしょう」

「待ってくれ、遠坂。俺も─────」

「あんたは却下。第一マスターですらない貴方が戦う理由なんてないのよ?」

「けど俺は一度戦うって決めたんだ。なら最後まで戦うのが………」

「セイバーを取り戻そうとしてその結果半身が動かなくなってもいいっていうの?」

「っ…………!?」

「アーチャーに確認させたのよ。で、聞いてみたら神経焼き切れかけてたって? 身に合わない投影魔術を連発した所為で。綾子もしばらく安静が必要だけど、アンタも絶対安静が必要なのよ、わかる?」

返答に窮する士郎。
確かに左手足の反応はまだ鈍いままである。

「けどセイバーだって放っておけない、セイバーは嫌がってた。それを放っておくなんて………」

「セイバーがどうのってマスターじゃなくなった貴方には関係ないでしょう。─────それにね“衛宮くん”●●●●。戦えない貴方は無力なの。今の貴方じゃセイバーは助けられない。どれだけ投影とか強化してもアーチャーの言った通りそれが致命傷に至ってしまうならこっちが迷惑するだけよ。それに百歩譲って衛宮くん自身がセイバーを助け出せたとしても、その結果半身動かなくなりました、じゃ結局セイバーのお荷物になるってことくらいわからない?」

凛はセイバーの力による士郎の治癒を知らない。
それを知る士郎もそれがセイバーによるものだということを理解できていなかった。

「─────!」

歯を食い縛る。
しかしそれに対して熱は冷めていく。
無力。戦えない。戦力にならない。
助けられない。迷惑をかけるだけ。

「それでも…………俺は─────」

けれどもこのままでは終われない。
今の士郎は何もしていない。
綾子を助けたものの怪我をさせてしまい、鐘は捕まってしまっていた。
せめて、セイバーを助け出すぐらいはしたかった。

「………ここまで言ってもわからないなら─────」

いつの間にか近づいてきていた凛が指を突き立てていた。

「え─────」

「しばらく眠ってなさい、衛宮くん。貴方の半身を使用不能にさせるのはあの子にも申し訳ないし、私だって嫌だからね。幸い数日すれば元に戻るのだからそれまでは大人しくしてなさい」

ドン! とガンドが打ちこまれ、意識は完全にブラックアウトした。
床に倒れこむ士郎。その拍子で彼のポケットに入っていた写真がおちた。


「─────それにね、私は守るために協力関係になったのよ、衛宮くん。貴方を、貴方の過去を壊すために協力関係になったんじゃないの」


床に落ちる写真を見つめながら、小さく凛は呟いたのだった。



夕方の衛宮邸。
教会のフォローに学校を任せて、遠坂 凛は三人を連れて家に帰ってきていた。
綾子、鐘の容体は安定している。
衛宮士郎はガンドを受けて大人しく風邪を引いたような状態になっていた。
二日程度寝込むほどの呪いをその身に打ち込んだのだった。
しかし二日というのはマスターにとっては致命的でもある。

「さて、凛。これからどうする。ライダーも仕留めていないが」

「ライダーに関してはもうほとんど脅威にもならないでしょう。強さ的に言ってもアーチャーの方が強いし、慎二に至っては知識があるだけの素人。加えて疲弊しているから当分は大人しくなると見ていい」

「しかしああいう奴は、何をするかわからんぞ? またどこかで結界を張るやもしれん」

「さすがにそれはもうないでしょう。ただでさえ学校の結界をうまく隠すことすらできていないんですもの。街に張ったってすぐにわかるわよ。それにそんなことをすればいよいよ協会が黙っちゃいない。協会を相手どることがどれだけ無謀かぐらいは慎二も理解してるでしょうからね」

紅茶を用意したアーチャーがカップを差し出す。
それに軽く礼を言ってゆっくりと、温かい紅茶を飲んでいく。

「では、当面はキャスター一択でいくというわけだな。───それはいいがどうする。あの柳洞寺にはアサシンもいるのだろう。セイバーが仮にまだ抵抗していたとしても2対1だ。不利な状況に変わりはないが」

「アサシン…………佐々木小次郎。日本の剣豪が、なんで暗殺者なんていうクラスにいるのか、それがわからないのよね。そもそもいたかどうかすら怪しい人物だっていうのに」

「架空の英霊に不適切なクラスの割り当て。ここから考えられるのは大よそルールが破られたことによる異変、と見ていいのではないか、凛」

「ルールが破られた………? それってどういう意味?」

紅茶を飲み干した凛が、さらに紅茶を入れる為にカップに漱いでいく。
そんな凛の元に菓子を用意しながらアーチャーは続ける。

「サーヴァントを呼び出すのは魔術師。ならば、魔術師のサーヴァントであるキャスターが呼び出せることも一応は可能だろう」

「…………考えられなくはないけど。それってどうなの? 令呪がキャスターに宿るとは思えないのだけど」

「その点に関しては私も同感だが、かといってこの異常で考えられる原因はそれ以外には考えられん。もとより契約すらも打ち破る能力を有する者だ。不可能ではないだろう」

「キャスターがアサシンの本来のマスターを襲って────とも考えられたけどそれじゃ佐々木小次郎がアサシンとしている異常の説明にもならない。サーヴァントがサーヴァントを召喚する………、確かにそれなら何かの不都合が起きてもおかしくはない、か」

菓子を頬張りながら考えに耽る。
そんな彼女を横目に立ちながらアーチャーも自身が入れた紅茶を優雅に飲みながら会話を続ける。

「セイバーを筆頭にライダー、ランサーは対魔力が高い。魔術師であるキャスターでは苦戦するのは必至。なればこその策略。アサシンの召喚、街からの魔力収集、街を眼で観察、城を構える、人質を利用したサーヴァントの奪取。そう考えれば納得もいく」

「………ケド、それは同時にある点を露呈してもいる。」

「ああ、策略に走る。それはつまり正面切っての戦いにはキャスター自身が強くないことを示す。力を持つならばそのような回りくどいことなどしないだろうからな」

「となれば、作戦は一つ。…………キャスターに小細工させないように速攻で叩き潰す。セイバーの抵抗もまだ今夜は保ってるハズ。仕掛けるならやっぱり今夜ね」

紅茶を飲み干した凛はポケットに手をやり、大きめの赤い宝石を取り出した。

「もうそろそろ出番かな。…………アーチャー、準備に一旦家に戻るわ。ついてきて」



─────第三節 灰色の世界─────


夏。
──────────冬。

そこは公園だった。
──────────そこは瓦礫の山だった。

空は青く、遠くに入道雲も見える。
──────────空は赤く、遠くには見覚えのない太陽も見える。

典型的な夏の空。
──────────想像し得る地獄絵図。

みーんみーん、と鳴く蝉がうるさい。
──────────ごうごう、と燃え盛る炎の音がうるさい。

大きな木が何本もあり、そこにいる蝉達が夏を喜ぶかのように大合唱をしている。
──────────大きな瓦礫の山がいくつもあり、その下にいる人たちが嘆くように助けを求めている。

音なんて聞こえないのに大合唱をしている。
──────────声なんて意味ないのに声をあげている。

そんな合唱は無意味だというのに。
──────────そんな声は無意味だというのに。

熱い。
──────────熱い。

夏だからだろう、異様に熱い。
──────────火事だからだろう。異様に熱い。

暑いのではなく、熱い。
──────────暑いのではなく、熱い。

額も体もおそらく汗だくだろう。
──────────手足も体もおそらく傷だらけ。

夏なのだから仕方ない、汗が出るの何て当然だ。
──────────災害なのだから仕方ない。ボロボロになるのなんて当然だ。

不快感を覚える、早くタオルで汗を拭きたい。
──────────苦しさを感じる、早く楽になりたい。

くらくらする。
──────────くらくらする。

陽射しに当たりすぎた所為だろう。
──────────いろんなものを見た所為だろう。

視界が歪んですら見える様だった。
──────────視界が真っ暗にすらなりそうだった。

頭が痛い。
──────────頭が痛い。

これが日射病だろうか、なんて他人事のように考えながら木陰に向かって歩く。
──────────これから死ぬんだろうか、なんて他人事のように考えながらどこかに向かって歩いていく。

もう少し。
──────────どこに?

もう少しで涼しめる。
──────────どこにいけばいい?

木陰に入った。
──────────倒れた。

なのに熱い。
──────────まだ熱い。

ここでようやく気づく。
──────────ここでようやく気づく。

外が暑いんじゃなくて、身体そのものが熱いということに。
──────────どこに行ったって熱い。

なんてまぬけ、と罵る。
──────────なんて間抜け、とののしる。

逃れる事のできない熱さ、当たり前だ。
──────────のがれることのできないあつさ、当然だ。

自分の体が熱いのに移動したって熱いのは熱いままなのだから。
──────────周りがどこも熱いのに移動したって熱いのは熱いままなのだから。

ベンチに寝転がる。
──────────仰向けに倒れてる。

木陰に入ったというのに全然涼しく感じない。
──────────見上げた空は灰色になってきていた。

それどころか息苦しさすら感じてくる。
──────────それを見て何となく感じた。

熱い、と。
──────────いいや、と。

口に出して言った。言った感覚なんてなかったが。言った。
──────────口に出していった。あの灰色は安心できる。雨が降ってくれるから。

目の前に、覗き込むように誰かがやってきた。
────────目の前に、覗き込むように誰かがやってきた。

その人の顔を見る。
───────その人の顔を見る。

見覚えのある子だった。
──────見た事のない人だった。

灰色の髪をした女の子。
─────ぼさぼさの髪をした男の人。

覗き込んだその子の顔は笑っていた。
────覗き込んだその人の顔は幸せそうだった。

いいなあ、と思う。
───いいなあ、と思う。

そんな風に笑えたら。
──そんな風になれたなら。

それはどんなに。
─それはどんなに。



幸せなのだろうか



灰色のセカイ─────

降り注ぐ太陽の光─────降り注ぐ雨
そこで幸せそうに笑う女の子─────そこで抱きしめてくる男の人

いつからだっただろうか─────

その子の一緒にいたいと─────その人のようになりたいと
一緒になり始めたのは─────後ろを追い続けたのは

─────白も黒も内包した色─────
─────白も黒も内包したセカイ─────

─────そこで見つけたモノを大切にしようとして、その人に名前を呼ばれた


─────『   』

名前を

呼ばれたような気がした





「…………」
「…………」

夜八時。
ガンドを受けてから約七時間が経過していた。

体が熱い。
ガンドの所為だろう。
体も鉛のように重い。

頭の中はボーっとしているし、視界は霞んだように見通しが悪い。
しかしそれでも、目の前で覗き込んでいる人物が一体何者であるかは理解できた。

「…………氷室?」

「………おはよう、衛宮」

おはようなどという時間とは程遠いが、起きた相手にする挨拶はやはり『おはよう』なのだろうか。
そんなどうでもいい事を思いながら、重い体を起こしていく。
左手足の感覚が未だに鈍い。
だが、それ以上に体全体が重いのだから気にすらしなかった。

僅かに入り込んでくる月明かりだけが部屋を照らす。
薄暗い部屋に無言の時間は続く。
呪いが体全体に回り、思考が纏まりにくくなっているというのも原因としてあった。
しかしそれ以上に無言にならざるを得ない理由があった。

「衛宮、一つ尋ねたい」

その静寂を壊さぬようにポツリと声は聞こえてくる。

「答えられる範囲なら答える」

頭をガンガンと、叩きつけてくる頭痛。
そんな中ではっきりと答える。

「なぜ、泣いているのだ?」

だが、その質問を聞いたときは止まるしかなかった。
その質問の回答を静かに待つその傍らで。

「なんでだろうな」

涙を拭ってそう答えたが、答えは出ていた。


衛宮となる前の士郎を構成していた者。
誰よりも優しかった誰か。誰よりも温かかった誰か。
誰よりも近くにいた誰か。誰よりも笑いあった誰か。
両親だった人たちの記憶。親しかった人たちの記憶。


「…………あの写真だが」


かつての士郎を構成していた者達。
その全てを後戻りしないようにと。
深い、深い、深い記憶の底へと。伽藍になった胸の奥底へと閉じ込めた。


「私はアレを見たことがある」


けれど、それは違っていた。
閉じ込めることで現実を見つめて、前に進むことなどできない。
受け入れた気になっていただけで、完全に受け入れてなどいなかった。

『忘れたから仕方がない』と。
そう自分に都合のよい嘘をついて、父親となった人物に憧れて前を見ていた。


「………私は、アレに写っていた人物を知っている」


自分だけが生き残ったから、自分が死んでいった者達を記憶し続けなければいけないと。
ただ一人、命を拾った自分が、彼らの死を受け持つのは当然だと思ったから。

だから必死に父親となった者の後を追ってきた。
救えなかった多くの命のために、“誰かを救う”という正義の味方に憧れた。
自分だったものなど、助けを無視するたびに消えていった。


「………私は、その子が、どんな子供だったか知っている」


けれど、それは違った。

あの夢はそれを判らせた。


「───私は………その子がどんな姿になっているかも知っている」


死んでいった者達の代わりに、胸を張って前に進むことだけを考えていた。
だから他の事など思い返す余裕はなかった。
だから閉じた。


それは──────────間違いだった


辛い日々を過ごしていた者が隣にいる。
だというのに、受け入れずに閉じ込めたまま、無かったことしてしまうと。
その者の想いは一体どこへと向かうのだろう。


「私は………………」


行き着く先は忘却だ


「俺は」


衛宮士郎が衛宮切嗣との思い出に守られているように。
隣にいた者も士郎との思い出に守られていた筈だ。
なのに、その自分がその思い出を閉じ込め続けたら、一体その人の思い出はどこへ行くのか。

同じ思い出を共有してくれる人がいる。
それは一体どれだけの安心を与えるのだろうか。

「え───」

過ちを戻すことはできず、死者は蘇らず、現実は覆らず、時間は元に戻らない。
その痛みと重さを抱えて生きていくことこそが、過去という現実を受け止めて前へと進むことこそが。
思い出を形成していく。

そして、思い出は礎となって、今を生きている人間を変えていく。

たとえそれがいずれ忘れる記憶であったとしても、受け入れずに封印し続けることが正しい道ではない。
だから。

この窓を開ける。

開いて、受け入れて、理解して。
あの日の思い出を受け入れて。
もう一度胸を張って生きよう。


「全部知ってる、氷室」


そしてその上で自分の道を行く。
自分が憧れた者のために、自分が立てた誓いのために。
自分を想ってくれる人のために。


「衛宮─────」


守りたい人のために。


だから─────今はこの温かさを大切にしよう



忘れたわけじゃなかった。
ただ、受け入れる事に抵抗があって。
ずっと閉じ込めていただけだった。






灰色の世界を、月夜が照らしていく─────



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第28話 予測不能 Chapter5 Endless Night
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/08/11 22:16
Chapter5 Endless Night

第28話 予測不能


─────第一節 マスターとサーヴァント─────

時刻は少し戻り、午後六時。
凛が三人を衛宮邸に連れ込んで休憩した後に自宅へと戻り、学校では警察が事件の原因を突き止めようと躍起になっていた時間。
曇り空だった今日はすっかりと日の光はなくなり、新都の街はネオンの光に包まれている。

結界を張った張本人である間桐 慎二は新都のビル群の一角の屋上にいた。
学校からライダーの宝具を使用してアーチャーから逃げ切ってから約五時間。
落ち着きを取り戻した慎二は眼下に広がる街並みを見下ろしていた。

外見上は普段と変わらない様子を見せている。
だが、その内面は己をコケにした遠坂 凛への憤怒と、その原材料となった衛宮 士郎への憎しみで満たされていた。
リフレインしてくる凛とのやり取り。
士郎の魔術行使。
どれもが慎二の神経を逆なでていた。

対するライダーは街を見下ろす慎二の少し後ろに位置取り、静かに慎二の後ろ姿を見ている。
ライダーの傷はそう深くはない。
足にアーチャーとの戦闘の切り傷が主な傷ぐらいだった。
だが魔力に関しては別である。
他者封印・鮮血神殿ブラッドフォートアンドロメダにより、学校の生徒及び教職員から魔力は抽出したものの凛の妨害もあって量は多く取れなかった。
加えて逃げるための宝具の使用。
燃費の悪いソレを使用したが為に、結果ライダーの魔力は万全と言うには程遠い状態だった。

慎二もそれは理解している。
だが、だからと言って自分を貶めた凛と士郎をただ傍観する気もさらさらなかった。

「ライダー」

背後にいるライダーに視線を向けずに声をかけた。
対するライダーは無言。無論無視している訳ではない。
次にやってくる命令を聞くために口を閉ざしている。

「あの宝具、今の状態であと何回使える」

屋上に響くその声には僅かに怨嗟の色合いが見られる。

「………今の状態では残り一回しか使用はできません」

「一回使ったらライダーは消えるのか?」

「いえ、消えることはありません。ですが、完全に魔力が枯渇してしまいその後の戦闘や行動はとれなくなることは確実です」

そうか、と一言呟いた慎二の背中が揺れる。
背後にいるライダーを見据えて、冷酷な指示が下された。

「なら、適当な奴を襲って魔力を補充しろライダー。一回使っても支障が出ない程度まで回復したら…………」

慎二の顔が歪む。
自身の内に内包された怨嗟を今にも爆発させたくて仕方がない、そんな邪な笑いを見せる。


「あの宝具で衛宮がいる家を吹き飛ばせ、ライダー」


その言葉にライダーは拒否の反応を見せない。
サーヴァントはマスターの命令に忠実なもの。反論はしない。
ライダーが消えたのを見届けた慎二は、再び屋上より眼下に広がるネオンの街並みを見下ろしていた。





時刻は九時。
新都の中心部はまだ賑わいを見せているが、ここ深山町は静まり返っていた。
学校の一部崩壊や、生徒達の衰弱。
未だ捕まらない殺人犯などが立て続けに起こってしまえば、一番安心できる自宅に引き籠ってしまうのは道理である。
そんな街並みに影が一つ。
遠坂 凛である。

「今日は冷えるわね………」

天気予報によるとここ数日は特に冷え込みが厳しいという。
特に今日の夜から明後日の朝まではかなりの冷え込みであり、雪も降るとのこと。

「けど、着込むといざって時に動きにくくなるからなぁ」

赤いコートを羽織ってはいるが、裾などの隙間から風は入ってくる。
時折吹く風が顔にあたれば、耳が痛く感じるほどの寒さ。

「だめだめ。これから柳洞寺に行くって言うんだから気合い、いれないとね」

一度深呼吸をして気持ちを整える。
冷たい空気が肺を見たし、意識をしっかりと覚醒させてくれる。

「凛、そろそろ着くぞ」

霊体化していたアーチャーが現れる。
目の前に見えてきたのは柳洞寺の山道。
この頂上にアサシンの佐々木小次郎とキャスター、そして囚われたセイバーがいる。

曇り空だった空には月が見えている。この数時間で晴れてきたようだ。
そんな月が輝くというのに、見上げる石段は足元すら見えない。
地面に蠢く一面の黒色は自然の闇夜が生じさせたものである筈が無い。
視覚妨害。認識阻害。空間隔離。
常人がここに来ようものなら、足すらも踏み込めずにキャスターの餌食だろう。

「ま、当然来ると判ってるんだから妨害はしてくるわよね。慎二なら効くだろうけど、この程度じゃ私は惑わせないわよ」

「が、我々にはキャスターの前にその狗がいるということは忘れていまい?」

「ええ、もちろん覚えてるわよ。準備は万端、あとは………」

行く道は高く厳しい。
勝算が低い戦いは避けるに越したことは無いが、撤退を選んだところで事態は好転などしない。
むしろ時間を空ければ空けるほど悪化の一途を辿る事になりかねない。

「アーチャー、貴方に頼ることになる。言ったわよね、私が呼び出した貴方が弱い筈がないって」

凛の真摯な瞳がアーチャーを映す。
ここから先は無傷でいけるなどと凛は思っていない。それはアーチャーとて同じように思っているだろう。

「なら信じさせて、アーチャー。貴方は絶対負けない、絶対ここから一緒に戻ってくるって、約束して」

そんな瞳を受けて、アーチャーは不敵に笑ってみせた。
そうしていく先を見据えるその視線は、タカの目に相応しい鋭い目となっている。

「凛の期待を無碍にするわけがないだろう? この先に待ち受ける敵を圧倒し、最強だということを凛に今こそ示そう」

色褪せた記憶。擦り切れた心。
理想を貫くと決めたあの日に置き去りにしてきた時の思い出。

それらが今頃になって脳裏を掠めたのは何故だろうか。
しかし、赤い騎士自身にすら理解の出来ない現象を胸の奥に閉じ込める。

────必要ない。信じさせてくれと凛が言った。ならば、その想いに応える為に今宵は、全てを悉く凌駕してみせよう。

出迎えるのは骸の一群。
天へと昇る石段を埋め尽くす骨造りのゴーレムへと駆け上る。
舞うように斬り払い、近づいてくる敵を吹き飛ばし、無数の雑魚を魔術師と弓兵は圧倒していく。
砕け散った骨が夜空に消える。
埋め尽くされた暗黒は、彼女らの後ろに白い道を築き上げながら上を目指して続いていく。

石段を駆け上がり、山門へ残り数メートルと迫ったその時にソレは現れた。
アーチャーの剣戟に匹敵する一撃は、目視すら許さないとばかりに無数に振るわれ、白銀の軌跡だけを残して静まり返る山林に風を斬り続ける。
周囲に群がる骸を邪魔だと言わんばかりに全てを斬って捨てた侍。
慶長の世において敵無しと謳われ、しかし存在すら不確かとされた日本の剣豪。

「────佐々木、小次郎」

開けた視界には一人の男が立っていた。
手にした物干し竿と呼ばれるその長刀は、月の雫を一身に浴びて煌きを誇り続ける。
赤い騎士は空を見上げ、紫紺の侍は地上を見下ろす。
その立ち位置こそ差はあれど、二人の放つ視線は全く同じ。

「く、ははははは」

見下げた先にいる訪問者を見て、その後ろに無残に破片となっている骸を見て、そして今自分が斬ってみせた骸の断片を見て、侍は笑う。
まるで骸たちがこの戦いのためのお膳立てだとすら思われるこの状況。

「何が可笑しい、侍」

「侍? 私は侍と呼ばれた記憶など一度もない。ただ刀を振るい続けただけの存在よ」

月を背に歌う日本の剣豪の顔に喜色が浮かぶ。
待ち望んでいたものがようやくこうして姿を現した。
なれば、心躍り胸も高鳴るというもの。自然と笑いが出てくるのも仕方がなかった。
加えてお膳立てをするかのような骸の大群とそれらの破片。

「だが、だ。それらはこの戦いに不要だ。これ以上のお膳立てなどいらぬ。邪魔立てするようならば………貴様でも斬って捨てるぞ、キャスター」

強気な発言。
それは絶対的な主従関係に否を唱え、怒りを買い、この身が朽ち果てようと、目前の敵を討ち倒すという決意に他ならない。
だからこそ、キャスターの手駒である無数の骨を微塵と化したのだ。
この山門を守るのは我独り。数多の屑など無用の長物。信頼など不要。

「しかし、我が秘剣に賭けて、この門を潜る事は何人たりとも赦しはしない」

返ってくるモノは何もない。
それをアサシンは肯定と受け取って再び眼前の敵へと視線を向ける。

「………このような俗世に呼び出された我が身を呪ったが、それも今宵まで」

長刀をアーチャーへと向け、そして振るう。
背後に光る月がアサシンと長刀を照らす。
それは暗殺者というカテゴリにはあまりにも相応しくなく、その姿からは一種の美しさすら見て取れる。

フォン、という風を斬る音が静かになった山道に響く。
聞こえるのは僅かな風の音と、それを受ける木の葉の囁きのみ。

「生前では叶わなかった立ち合い。我が秘剣を存分に振舞う事が出来る殺し合いが出来るのならば、ここにいた理由もあるというもの────」

故に。

「さあ、存分に死合おうぞ、アーチャー。この先に進みたいと言うのであれば、我が秘剣、その身を以って味わうがいい」

「────もとより貴様とて倒しゆく存在。アサシン風情が粋がった事を後悔させてやる、………佐々木小次郎。」

硬く握り締められた双剣。
それに応じる刀もまた長大。
敵と認識しあった者同士に、余計な思考など生まれない。

──── 一対の刀と長刀、三つの閃光が山道に迸る



─────第二節 投影VS燕返し─────


「はぁ────!」

両手に携えた双剣を構え、一気に駆け上がる一瞬。
掌から放たれる円月の軌跡。空を切り、刻み込まれた意思を以って惹かれ合う干将莫耶はアサシン目掛けて飛来する。
しかし足は止めず、見下げるアサシンへと駆け上がるアーチャー。
その両手には担うべき剣を投擲したソレと、今なお滑空する双剣と、全く同様の双剣を携え、剣豪へと肉薄する。

両側から同時刻に襲いかかる双剣。
そして眼前より迫りくる敵。
ならばここは防戦しかないというのに、しかし日本の剣豪はそれを良しとはしなかった。

「!?」

アーチャーが攻撃を仕掛けるよりも早く、すでにアサシンは攻撃を完了させていたのだ。
飛来し、襲いかかる筈の短剣は両脇の木々に突き刺さっている。

「こう見えても空に飛ぶモノを斬るのは得意なのでな、アーチャー」

キィン! と。
身の丈有り余る長刀を受け流したアーチャーは、無防備になったアサシンへと一気に斬りかかる。
あれだけの長刀。なれば身の内に入ってしまえばうまく振るえまい。
その考えを元にアサシンを両断せんと刃を奔らせる。

が─────

「チッ!」

懐へ飛び込もうとしたアーチャーよりも早く。
その長刀は弧を描きながらアーチャーの侵入を拒んだ。

悪態をつかざるを得ない。
光が過ぎ去ったかのようにしか感じられないアサシンの剣閃を、手にした双剣で防ぎきり、アーチャーは後退を余儀なくされた。

だがそれでも、決定打を与えるためにアサシンへと斬りかかる。
剣と刀の切っ先が交差し、火花が飛び散る。
幾度にも振るわれる剣線、幾重もの太刀筋。

疾風の如きアサシンの刀筋は、柔の剣そのものだ。
しなやかな軌跡はアーチャーの剣を悉く避け、受け流し、そしてその速度を増し、突風となってアーチャーへと襲いかかる。

対するアーチャーもまた、その長刀を紙一重で躱し、突風の攻撃を弾き、アサシンへと踏み込む。
そこに無駄はなく、非の打つ場所などどこにもない。
しかしそれでもアサシンには届かない。

アサシンの攻撃は曲線を描いている。
なれば、直線の攻撃よりも到達速度は遅い筈だというのに、しかしそんな事実は無意味と罵るが如くアサシンの攻撃は直線のソレを防いでいる。
長く積み上げてきた戦闘経験が類稀なる才の前に霞み、研ぎ澄まされた五感がなお上回る超感覚にあしらわれる。
手にした双剣が、その一閃の前に無為に堕ちていく。

「チィ………!」

踏み込む足が止まる。否、止まらざるを得ない。
自身の技術はそれなりにあると自負しているアーチャー。
だが、弧を描くあの長刀の切り替えしに剣が間に合わない。
避ける為には一旦退くしかない、と判断したアーチャーは数歩後ろへと交代する。

「何がアサシンだ………。貴様の一体どこが暗殺者だというのか」

「ふ………なに。もしや私の知らぬところでそういうモノだと言われているやもしれんぞ?」

「ふざけろ、佐々木小次郎」

そう言って再び両手に握った刀を投擲する。
先ほどと同じ軌跡。

「無駄なことを………。何度やったところで私には届かん」

「ならその倍はどうだ?」

直後。
再び現れたその双剣をアサシン目掛けて弧を描くように飛行していく。

空中に舞う剣は計四つ。
その全てが互いを引き合わせる形でアサシンへと斬りかかる。
そして同時にアーチャーも足は止めていない。

手に握られたソレは投擲した剣よりも数倍大きい。
しかし、その色合いだけは全く違わずアサシンへと斬りかかる。

先ほどの倍。
加えて襲いかかるアーチャーの刀身もその威力も、その速度も先ほどよりも上。
だというのに。

「この程度ならば………燕を斬る方がまだ難儀するぞ、アーチャー」

一瞬にして空間に二つの妖しい閃光が迸った。
それに驚愕したのもつかの間、攻撃を仕掛けようとしたアーチャーが防衛させられているという事実が凛の眼前につきつけられた。

「チッ………!貴様、何の魔術行使も無しに多重次元屈折現象キシュア・ゼルレッチを引き起こせるのか………!」

忌々しげに舌打ちをしながら攻撃を防ぎ後退するアーチャー。
対するアサシンは涼しい顔のままだ。

「ふ、そのような仰仰しいモノでもない。─────先ほどのは、あくまでも秘剣の途中経過でしかない。人の身でも、刀を振り続けていればいずれ届く道よ」

そんなことあるわけがない、と凛は言葉を溢す。
もし仮に、振るい続けただけで多重次元屈折現象キシュア・ゼルレッチを使えるのならば、過去に存在した名だたる剣豪たちはみな使えることになる。
そしてそうなればセイバーのサーヴァントは一体どうなってしまうのか。
悉く多重次元屈折現象キシュア・ゼルレッチを使えるサーヴァントが降臨するだろう。

「それこそ笑えん冗談だな、アサシン。その程度の事で到達しうるものなら、誰も苦労などしないだろうよ」

「確かにそのような真似は人の業ではないだろう。私自身もそう思っていたのだからな。だが─────」

キィン! と静寂した空間に金属音が響き渡る。
打ち合うこと数度。
放つ攻撃は躱され、受け流され、異常に早い弧の斬撃がアーチャーを後退させる。

「一念鬼神に通じるとはこの事よ。そうして私が抱いた下らぬ思いつきは………そうして─────秘剣となった」

石段の踊場。
距離にして3メートルすらない、その場所で。

「なるほど、流石は日本の剣豪………無敵とすら言われた剣士なだけはある。─────果たしてその存在が本物かどうかは別としてもな」

奇しくも両者は防戦を得意とするサーヴァント。
アサシンは頭上の優位を保ったままで、アーチャーは攻めあぐねる。
遥かに遠く、けれど何処までも近いその一歩。
絶対的な死地へと踏み込む好機を赤い騎士は生み出すことが未だできていない。

守るだけの侍。駆け上がらなければならない弓兵。
どちらが有利かと問われれば、誰の目にもアーチャーの不利は揺るがない。
しかしこのまま続けても負けはしない。されども勝ち得もしない。

「いいように時間を稼がれている、というワケだ。このまま続けても結局状況は動かず、ただただ体力の浪費ばかりを続ける始末。挙句の果てには手遅れとなり、そうなればもはや勝機はない」

両手に握った剣を手放し、数歩後ろへ後退する。
その姿を見た凛は僅かに首を傾げた。
アーチャー? と訴えるその目は、しかし今のアーチャーには届かない。
なぜならば。

「ああ。────だからこの状況を終わらせてやる」

凛に見せるモノは圧倒する自分だけで構わないのだから。
だからこそ振り向かない。見せつけるモノは勝利の二文字で構わない。

赤い騎士の右腕が上がる。
水平に伸ばされた腕。
何も掴めない右腕に魔力が集う。
それを後方にいた凛は見た。

「─────投影、開始トレース・オン

言葉が山道に満ちる。
その後に聞こえた驚きなど、今は関係ない。
静けさに裏打ちされた無音の世界に赤い騎士の言霊が浮かび上がり、ソレを創り上げる歯車と成りて─────

「─────停止解凍フリーズ・アウト

見えない銃に込められた剣は、銀の輝きを見せつけながら無敵の剣豪へと殺到する。

「これは………!」

ここにきて優雅に振る舞っていたアサシンに緊張が奔る。
距離を取ったかと思うと、まるでスコールのような剣の雨。
降り注ぐ剣の四を躱し、五を防ぎ、六を叩き落とす。

迫る剣はそのどれもが一級品。
一撃もらえばそれだけで戦闘不能は目に見えて、その一瞬は勝負の分け目にしては近すぎる。
故にアサシンは下段より襲いかかる剣群を逸らす事に終始せざるを得ない。

対してアーチャーの後方でソレを眺めていた凛は歯噛みしていた。

「アイツ………記憶がないなんて嘘じゃないの」

過去尋ねた時は記憶がないと言われ保留していた。
だが、このような事をやってのけて記憶がない、などとは言えるはずもない。
アーチャーらしからぬ攻撃を主体とする弓兵。
だが、今この時はそのような些末事はどうでもよかった。

「これなら勝てる」

敵の剣戟は届かず、銃よりも速くアサシンへと殺戮のスコールを叩きつける剣はこの狭い空間では避けきれない。
ならば正面から相対して打ち払うしか方法はない。
事実アサシンは余裕を見せていた表情を置き去りにして、剣を振るい続ける事を余儀なくされている。

だというのにあの侍に、緊張は奔っても恐怖は見られない。
刹那の好機が訪れるのを待ち、躱し、見切り、ひたすらに刀を振るい続けている。

「よく耐えたものだ、日本の剣豪。だが─────」

直後、アーチャーの背後に浮かび上がる剣の数は三十。
今まで放っていた数が十五に対し、ここにきて倍。
流石にこれを防ぐことは不可能。
そう確信したアーチャーは最後の号令をかける。


「去らばだ─────停止解凍フリーズ・アウト全投影一斉掃射ソードバレルフルオープン


迫る刃の壁。
絶対に捌ききれないと解っている数の剣を目前にしてもなお、アサシンの顔に怯えの色は無い。
そこにあるのは────この戦が始まって以来の構えのみ。

「燕の次は雨か・・・。なるほど、やってみる価値はあるやもしれんな」

魔弾に背を向け、両手の添えられた業物は大地に水平である。
美しい刃は消えない輝きを魅せ続ける。
その姿は悉く暗殺者からは程遠い。


「秘剣─────」


立つ場は心配など皆無。
踏み外すことも、それを恐れる必要もない。
類稀なる才と、血も滲む努力の末に体得した秘奥。
燕を地に落とす為だけに創り上げられた、日本の剣豪が体現した幻の刀。


「─────燕返し」


生まれた軌跡は同時に三閃。全くの同時に生まれる剣筋。一本の刀で一瞬の誤差すらなく三本の軌跡を描く。
多重次元屈折現象キシュア・ゼルレッチ
一で全を体現するソレは、降り注ぐ剣の雨を容易に弾き飛ばす。

見切り、躱し、防ぎ、叩き落とす。
凛はその光景を見て唖然とする。
必殺を以ってして放たれた攻撃が、努力と才能、その結晶体によって防がれている。

「ケド………」

十五を躱し、防ぎ、弾き飛ばした。
十を見切り、捌き、叩き落とした。
五を見据え、弾き、吹き飛ばした。
だが。

「─────いくらアンタでも、振り抜いた直後は動けないでしょ」

剣は振るという動作を必要とする。
それが例え人間離れした業をだったとしても、扱う人間が人間の規格を基礎としているならば。
その予備動作、反動動作は消去しきれない。

対して、アーチャーの攻撃に動作など必要ない。
僅かな差。

「ぬっ………ぁぁぁ!?」

真横にまで迫ったソレは干将莫邪。一番最初にアサシンが防いでみせた攻撃。
アサシンが苦悶を漏らす。
固まり動かない身体を無理矢理に酷使して左右より迫る双剣を弾き飛ばす。

「そして………無理矢理振り抜いたその体勢では、動くことなどできもしまい」

アサシンが左右の双剣に気を取られたその一瞬。
アーチャーは石段を駆け上り、アサシンの眼前にまで肉薄していた。
振りあがりきった腕。そして振り下ろされる剣。
それを。

「………おぉぉぉぉっ!」

最速の反しで弾き飛ばす。
殺った、そう確信するアサシン。
再び投影し、襲いかかろうともアサシンの反す速度の方が早い。

だが、上に行っていた目線の所為で、下から襲いかかる剣を目視できなかった。

アーチャーの剣は双剣。
一つを防ごうが、もう一つが対象者に襲いかかる。

アサシンの攻撃が一を以ってして全とするならばアーチャーの攻撃は全を以ってして一とする。
一撃の中に込められた同時攻撃。連続攻撃をして一撃とする攻撃。
一を以ってして防ぎきれなかった刃はアサシンへ襲いかかった。


─────第三節 最期は始まり─────


「─────こふっ」

血飛沫が上がる。漆黒の夜霧を染める、鮮血の泉。
絶え間なく吹き出す血が己のものであるとアサシンが理解に至るには、数秒の時を要した。
そうして自分が敗北したのを理解したあと

「………征け」

搾り出すように、アサシンは囁いた。

「私ではもう止めることはできない。………征くがいい。そしてお前達が為したことが何を生むのか………それを見届けるがよい」

受けた傷は致命傷だというのに、長刀を立ててそれでも倒れないアサシン。
それが彼の最期のプライドなのだろうか。

そうして交わる視線。だがその間に言葉はない。
これ以上の言葉は不要、そう言っているとわかった。

「行くぞ、凛。手遅れになる前にキャスターを倒す」

アーチャーが背後にいる凛にそう声をかけて石段を上がっていく。
日本の剣豪、佐々木小次郎を横目に凛もその後に続いて上がっていく。
想像以上に時間をかけてしまったが、果たしてセイバーは無事なのだろうか。





そして誰もいなくなり、背負い続けた重い枷を降ろすようにゆっくりと。
脆くも崩れ落ちるように、アサシンは石段に膝をつく。

「─────っ」

肺より込み上げる血流を無理矢理に飲み込む。
これ以上、自らの戦場を自らの血で染めてしまうのを防ぐために、頑なに耐え続けた。
それでも彼の口端には血の道が滴っている。

「しかし………」

視線を山道の入り口へと落とす。
アーチャー達が柳洞寺に入り、その直後に感じた不快感。
その正体。

「アレはなんだ………」

その正体を掴むことができない。
だが、ほどなくして理解できた。

「………よもや、この期に蛇蝎の類が現れるとはな………」

痛覚がなくなり、手足が全く動かなくなった。
ぐちゅ、と門番だった体の胴が裂かれ始めた。
こうなってしまえば自決すらもできない。

ぐちゃっ、と一際大きな音を立てて胴が裂かれた。
そこから見えてきた蜘蛛のような異形の腕。
骨が軋み、肉が裂け、臓物はとっくの昔に機能を停止している。
体の内部から、まったく別の何者かが支配していくような感覚。

「………よかろう。この身は既に素晴らしき立ち合いを終えた身。このまま消える定めだった者。好きにするがいい、さ」

ただし。

「この身は敗れた身。そんな身から這い出る貴様も、勝利などできはしないだろうよ………」

あのまま消える事も許されず。
自決をすることも許されず。
しかしその血肉を蝕まれてなお微笑む慶長の剣豪。
壮絶、といえば。
その笑みこそが、この異形の生誕を上回る。

ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、と。
最期に聞こえた言葉が耳障りだったかのように、佐々木小次郎の中から現れたソレは、口を潰した。
喉を潰した。
頭蓋を砕いた。
目玉を抉り取った。

そうして完全にソレはそこに現れた。
偽りのサーヴァントを血肉とし、その臓腑によりこの世に現れたモノは、紛れもない“暗殺者”のサーヴァント。

「キ─────キキ、キキキキキ─────」

その産声は蟲に似ている。
アーチャーと壮絶な戦いを繰り広げた剣豪の内より溢れ出た蟲は、崩れたその苗床を貪り尽くす。

ケラケラと引き裂き、ケラケラと噛み砕く。
その都度黒虫は人のカタチを成していき、空白の脳に人のチエが与えられていく。

斬られた肉は軟らかいのか、はたまた先ほどの言葉が気に入らない所為で力が籠っているのか。
半刻はかかるであろうソレを、さらに短い時間で綺麗に何もかもを啜り上げ、石段には跡形もなく、“佐々木小次郎”は完全に消滅した。

自らの生誕を祝う様に空を見上げれば、浩々と輝く月輪と雲。
周囲からは蟲の合唱が聞こえてくる。

全てが終わった山道。
それに貪りつくハイエナの如く現れたソレ。
そうして生まれたソレ。


─────黒い世界に、白い髑髏が嗤っていた。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第29話 混沌とする戦場
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2013/04/30 00:24
第29話 混沌とする戦場


─────第一節 交錯する思惑─────

時刻は再び少し戻り午後六時。

冬木市市街より直線距離にして西へ三十キロほど。
市街地より東西へのびる国道沿いにある十年前より依然として開発の手が加わっていない、鬱蒼と生い茂る森林地帯がある。
十年前の火災。
新都ではその復興と同時に開発も行われ、十年前の都市機能よりもさらに新都は発展し続けているというにも関わらず、しかしそこは忘れ去られたかのように存在している。

そんな未着手の森林地帯に一部の間で、今も語り継がれている噂がある。
十年前よりその噂は存在していたが、しかし十年たった今でもその噂は噂として残り続け、今や冬木市の隠れた七不思議の一つとしてすら定着している。
曰く、『謎の御伽の城がある』という噂である。

無謀な若者が登山と称してその山に入り、何日も遭難した先に運よくその巨大建造物を発見したことがあったとか。
当然それらを調べようと近づこうとするが、途端に濃い霧に包まれて目が覚めたら入口に寝そべっていたという不思議。

技術が発展した今日。
噂と経験談を元に様々な手を凝らして真相解明へと動き出していた。
衛星からの写真を見ることができる今の技術ならば衛星写真で発見できるだろうと、有名サイトを活用してその山を隅々まで探して回るが、しかしその影も方も捉えられなかった。
あるいはGPSを利用して決して迷わぬように森の中を進んでみる。
しかし突如GPSが誤作動を起こしたかと思いきや道に迷い遭難し、気がつけば元の入り口へ戻っているという事実。

いよいよこの噂話はただの噂話から本物の都市伝説級の七不思議として格上げされるようになった。
信頼される技術力を以ってしても異常をきたす森。衛星軌道上からの撮影にすら映らない城。
何か特異な現象がこの森林地帯で発生していると主張する者達と、そもそもその噂話事態が嘘であると言い張る者もすでにでている。
そんな噂を聞きつけたテレビ番組が特番を組んで放送したりと十年前のそれと比べるとかなり大きくはなっていた。

しかしその噂を聞きつけ例えテレビで放送されたとしても、所詮噂話でしかない。
見た、という証言でも信憑性が全くないのだからせいぜい話のネタとしてあがる程度。
寧ろ不思議がある方が楽しいという意見すらもある。

果たしてソレらがオカルトの類であると気づく人は何人いるだろうか。
否、例えオカルトだと思ったとしてもそれを本気で考える人間などいないだろう。
それを知るのはほんの一部の魔術師だけである。

アインツベルン城。
それこそが噂の中心となっている『謎の御伽の城』の正体である。
冬木市より車で小一時間ほどの距離にあるソレは、その広大な敷地と建物の大きさを誇るというのに、完璧に手入れが行き届いている。
それだけここの管理をする者の仕事の高さが窺い知れるというものである。
これほどのものとなると手入れする人間は一人や二人では足りないだろうが、しかし今現在ここに住む住人はたった三人である。
しかもその三人全員が女性であり、その内の一人は小さな少女であるというのだからどうやって完璧に行き届いた手入れをしているのかが謎である。

「セラ、そろそろ行くわ」

イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。
この城の主にして、サーヴァント、バーサーカーを有する見た目八歳前後の少女。
しかしその保有する魔力量や魔術回路は士郎が有するソレよりも何倍も持ち合わせている。

「畏まりました。では、指定成された時刻通りに指定場所に向かえばよろしいのですね?」

イリヤの後ろ姿を見ながら声に応答するのはアインツベルンのメイド、セラ。
イリヤの世話役である。

「ええ、バーサーカーで運んでもいいけどさすがに冷えるもの。なら遮断できる車で運んだ方がいいわ」

「………それなら、行くときから、車に乗れば、いい」

外出用の服装を着たイリヤへ近づいて、帽子を手渡す人物。
どこか口調がたどたどしい彼女の名前はリーゼリット。
イリヤはリズと呼んでいる。

「行くときはバーサーカーと一緒に行く。車にバーサーカーは乗れないもの」

ね、バーサーカー? と振り向いた先にいるのは、かつてセイバーに傷を負わせたこともある巨体。
帽子を被り、一通り準備が完了したイリヤはメイド役である二人を一瞥し、バーサーカーの肩に乗った。

「じゃあそろそろ行くわ。セラ、リズ、ちゃんといなかったら怒るから。」

「畏まりました。いってらっしゃいませ、イリヤスフィール様」

「………イリヤ、いってらっしゃい」

頭を下げるセラと小さく手を振るリズ。
そんな二人を城に残してイリヤとバーサーカーは森の中へ消えていった。

「リーゼリット」

「なに、セラ」

隣にいたリズにセラが声をかける。
その視線がどことなく鋭く見える。

「お嬢様をイリヤと呼ぶのはおやめなさい。イリヤスフィール様は私達とは違うお方です。お館様より賜った使命を忘れたのですか」

「………セラも、今、イリヤって言った」

「言葉遊びをしている訳ではありません!」

今日もこの城は平常運航のようである。





「柳洞寺に偵察?」

言峰教会地下。
薄暗いそこでランサーはマスターの指示を受けていた。

「そうだ。現在キャスターの元についているサーヴァントは2体。アサシン、セイバー………、七騎中約半分が一個勢力になるのは旨い話ではない」

淡々と語るのはランサーのマスター。
この教会の神父であり、監督役でもあり、凛の兄弟子でもある。
言峰 綺礼。
この者がランサーのマスターである。

「お前には柳洞寺に行って、凛たちのサポートをしてもらう。いくら遠坂の才媛が奮起したところで、工房に立て籠もっているキャスターには勝てないだろう。加えてセイバーが陥落していた場合は軽々と返り討ちにあるのは目に見えている」

「………つまりは、アーチャーと協力してキャスターを倒せ、ってことか?」

「倒す必要はない。凛とアーチャー組が脱落せぬように立ち回ればいい。故に凛達が優勢ならば傍観に徹しろ。脱落しかけたときにだけ援護を入れてやればいい。関わるのは最低限だ」

「ハ………結局はただの様子見ってことか、わかったよ。にしてもどういう風の吹き回しだ? あの嬢ちゃんに肩入れするほどてめぇに何かメリットがあるのか?」

「メリット………か」

ランサーに背を向けて、地下室から出るべく階段へ歩みを進める。
足音が室内に反響し、ロウソクが妖しく揺れる最中、ランサーに視線を合わさずに綺礼は答えた。

聖杯アレを手に入れてほしいと私が思うのは凛と衛宮士郎だけだ。だが衛宮士郎が脱落した今、凛にまで脱落されては困る。それだけだ」

「─────おかしなこというんだな。つまりあの嬢ちゃんが聖杯を手に入れることこそがお前の望みか?」

「今は、だがな」

地下室より戸をあけて綺礼は地上へと消えていった。
誰もいなくなった地下室でランサーは軽いため息をつくが、

「まあ、ここにいるよか何倍もマシだな」

自分の背後にある部屋に視線など一切やらずにそのまま姿を消したのだった。


─────第二節 魔術─────


柳洞寺。
アーチャーがアサシンと戦いを繰り広げ、その後ここに到達するまでに必要とした時間は想像以上だった。
その焦りを胸の奥へしまうと共に、眼前に黒い影より現れたここの主を見据える。

「あれだけの大見得を張っておきながら、かすり傷程度しか負わせることができなかったとはね。まったく、何をしたのかしらアサシンは」

「私が言うのもなんだけど、大した剣豪だったわよ? むしろ褒めてあげるべきじゃないかしら?」

あくまで優雅に相手に話しかける。
対するキャスターからは依然として変わらぬ殺気を放ってくる。

「────ふん、ふざけた事を言うのね、お嬢さん。アーチャー如きを止められない程度では英雄などとは呼べない。あの男を剣豪などと名乗らせるには不十分でしょう」

「────へぇ、アーチャー『如き』ね? 言ってくれるじゃない、おばさん」

「………小娘、そんなに早く死にたいなら今すぐにでも葬り去ってあげるわよ?」

キャスターと凛の間で火花が散るが、それを遮るようにアーチャーが凛の前へ立った。

「ここにセイバーがいない、ということはまだセイバーは陥落していない、ということだな。思わぬ時間を弄してしまったが、厄介なことになる前にたどり着けたのは幸いだったな」

両手に双剣を出現させて固く握るアーチャーの視線は、真っ直ぐ目の前にいるキャスターへと放たれている。

「一つ訊こう。貴様のマスターとアサシンのマスターは協力関係か? となれば、アサシンと君は仲間だったということか?」

「アサシンのマスター? 仲間? 何を言ってるのかしら、私の手駒にすぎないあの男と仲間ですって?」

笑いを含みながら凛とアーチャーを見据えるキャスター。
しかしそこに張り詰められている緊迫した空気は霧散などしない。
むしろアーチャーから放たれる殺気が強くなっていた。

「そうか、ということはやはりアサシンは貴様自身が召喚した英霊か。………サーヴァントを操るサーヴァント。なればこその架空の英雄か。真っ当なマスターに呼ばれなかったアサシンは“暗殺者”以外のものを呼び出してしまったというわけだな」

「ある程度の知恵はあるようですね、アーチャー。それで、それを知ったところでどうするというのかしら。アサシンはすでに敗れた。アサシンの出現方法を知ったところで今更関係ないと思うのだけれど?」

その言葉を聞いたアーチャーは にやり、と笑った。
そうして一言。

「なに、安心しただけだよ、キャスター」

そんな言葉を聞いて眉を顰める。
一体何を安心したということなのか。

「わからない、という顔をしているな。さて、普通に考えたら判るような気もするが」

「………何がいいたいのかしら、アーチャー」

「アサシンのマスターが君だったということは、マスターは合計6人ということになる。サーヴァントを失ったマスターとマスターを失ったサーヴァント。両者が合意すればこの戦いに復帰できる。もしアサシンのマスターが別にいたらそちらも倒す必要があったが、それをする必要がなくなった。それに安心したわけだよ、キャスター」

「………へえ、私と対峙しているというのにアサシンのマスターが復帰するかもしれないという心配をしていたのですか、貴方は」

「当然だろう。此方からすれば、脱落者だと思った人物が突然参加者として復帰してくるのだからな」

両者の間に張り詰める敵意。
間合いは十メートルほどだろうか。
本気を出せば一瞬で間合いを詰めることができる距離だ。

「そう、じゃあよかったじゃない、その心配は杞憂で終わって。─────そうでしょう? なぜなら貴方たちはここで敗北するのだから」

「へえ、つまりアンタが私達を倒すってわけ?」

「ええ、そう言ったわ。バーサーカーやセイバーならいざ知らず、大した対魔力も持たないアーチャーでは私にかすり傷すらつけられないわよ」

「─────ほう、私を倒すのは容易い、と言うかキャスター。逃げるだけしか能がない魔女がよく言った」

「言ったわ。ここなら私は誰よりも強いもの。─────それよりも貴方たちは逃げる算段を立てなさい。………私を魔女と呼んだ者には、相応の罰を与えます」

キャスターのローブが歪み始めた。
それを見た凛がアーチャーに小声で話しかける。

「じゃあ、私はマスターである葛木を探す。アーチャー、頼めるわね?」

「ああ、任されよう。言っただろう? 私の前に現れる敵全てを圧倒してみせると」

「信頼してるわ、アーチャー。………あとで必ず」

「ああ。君こそ注意してくれ。いざとなれば令呪で呼び出してくれればいい」

凛が後ろへと下がる。
隙を見て寺内部へ入り込み、宗一郎を探し出す算段だ。

「逃げる算段はできたかしら? アーチャー」

「まさか。むしろ君が逃げる算段をつけるべきじゃないのか、キャスター」

「減らず口を………!」

大気に満ちた魔力が濃霧となり、キャスターを覆っていく。

「─────かすり傷も負わぬと言ったな、キャスター。では、それが事実がどうか。見極めさせてもらう」

アーチャーの口がそう言ったのと同時に、アーチャーの足は突風になるべくして、地面を勢いよく蹴っていた。
疾走速度はかなり早く、

「─────!」

キャスターの呪文詠唱が整う前に、アーチャーは斬りかかっていた。
クロスに斬りおとされるローブ。
それを見た凛は一瞬呆気にとられたが、次の声を聞いて即座に身を翻して寺の内部へともぐりこんだ。


「………その程度で私を倒せると思って?」


一瞬荒涼とした境内にキャスターの声が響き渡った。

その直後のことである。
頭上より飛来する無数の光弾の雨が、アーチャーがいる場所を爆心地の中心部へと変貌させていたのだった。

「づ………………!」

降り注いだ光弾を一部跳ね返したが、雨ともいえるソレ全てを叩き落とすことはできなかった。
弾き飛ばした直後に飛来した光弾の数を確認したアーチャーは、被害を最小限に抑えるべく、防御から回避へと行動転換を行っていた。
所々に傷を負いながら、頭上より降り注ぐ光弾から逃げるべく境内を疾走する。

アーチャーが先ほどまでいた場所は見るも無残な形になっていた。
込められた魔力は生半可な魔術師の魔力三人分に相当する量。一発くらえばアーチャーの体の半身が奪われかねないほどの威力。
それらが空より突撃ライフルのように打ちこまれ続けているのだから、対魔力の低いアーチャーは回避に徹するしかない。
これがもっと連射性のあるガトリングやマシンガン並だったならば、アーチャーとて回避しきれなかっただろう。

光弾が降り注ぐその大元。
夜空には、その空を統べるかのように、黒い魔術師が君臨していた。

「チッ………、空間転移か固有時制御か。どちらにせよ、この境内では魔法の真似事さえできるというわけだな、奴は」

降り注ぐ光弾の雨を回避しながら頭上の敵の考察を行う。
だが、のんびりとしている余裕などない。
空より降り注ぐ光弾は現代の最新鋭爆撃機と何が違おうか。
否、命中精度が段違いなことを考えれば脅威性はそれ以上である。

「Aランクに相当する魔術をよくもこれだけ………!余程に魔力を蓄えていると見える!」

ガン! と完全直撃コースの光弾だけを両手に持った短剣で弾き、回避できる光弾を辛うじて回避していく。
大魔術。
その発動には簡易的な魔方陣と瞬間契約テンカウントと呼ばれる魔術詠唱を行わなければいけない。
その規模が大きくなればなるほど詠唱に時間はかかる。
これほどの魔術となれば、高速詠唱を用いる魔術師ですら三十秒近くの時間が必要である。
だというのに、キャスターは杖を敵に向ける一瞬で完了させ、詠唱などしていないという離れ業。
加えて雨のような連続使用となると、もはや比較対象はこの世界に存在しないだろう。

「ええ、アーチャー。貴方の攻撃方法は見させてもらったわ。確かにあれならば空中にいる私にも届くでしょう。けれど………」

ドン!ドン!ドン! と降り注ぐ光弾は決してアーチャーの攻撃の機会を与えない。
このままではいずれ直撃を受ける。
しかしこのまま境内の外へ逃げるわけにもいかない。
そうしてしまえば次に危険が迫るのは内部へ宗一郎を探しに入った凛である。
故に逃げず、双剣を振るいながら僅かな勝機を見出すために神経を研ぎ澄ませている。

「とは言ったが、攻撃の基点となるような隙はさすがに作ってはくれないか………!」

降り注ぐ光弾を弾き飛ばすと同時に両手に握っていた短剣を投擲する。
左右に投擲された一対の短剣は弧を描いてキャスターへと襲いかかる。

「その程度の攻撃を見抜けないと思って?」

だが、襲いかかるよりも早く、短剣は魔術の光弾によって弾き飛ばされた。
その間にもアーチャーへの攻撃は続く。

「チ………!やはりこの手も既に見知っているか」

「当然………。アサシンとの戦いはしっかり見させていただきましたから」

ドンドンドン!! と夜の寺に銃弾の音が鳴り響く。
敵は空に浮かび、雨のような強力な光弾を降り注がせている。
こちらの攻撃は敵に認識されてしまっている。
ならばどうすればいいか。

「─────I am the bone of my sword.」

足を止めて右手を翳す。
それを好機と受け止めたのか、或いは不穏な予感を感じ取ったのか。
キャスターは光弾を一気にアーチャーに向けて発射する。

降り注ぐ光弾は寸分たがわずに襲いかかる。
天空より飛来する爆撃光弾が、赤い騎士に直撃するその刹那、

「“熾天覆う七つの円環ロー・アイアス” ─────!」

大気を震わせ、真名が解放された。

「盾………!?」

桃色の花弁の盾を展開したアーチャーを見て驚愕するキャスター。
しかしその驚愕はさらなる驚愕によって書き換えられる。

「私の攻撃を防いでいるですって…………!?」

七枚の花弁の盾が降り注ぐ光弾を悉く防いでいる事実。
花弁の如き守りは七つ、その一枚一枚が古の城壁に匹敵する高度。
投擲武器に対しては無敵とすら言われる結界宝具。
しかし、通常の盾としても十二分の性能を有する盾。
それこそ投擲武器ではない、別の宝具級の攻撃を加えなければ一撃で破壊などできないだろう。

「けれど、どこまでもつのかしらね………!」

降り注ぐ光弾とそれを防ぐ盾。
キャスターの放つ攻撃は決して生易しいものではない。

ドンドンドンドンドン!! という低い音を響かせて雨は降り注ぐ。
一撃の破壊はできないとはいえ、徐々に守っている花弁の数が減っていく。
攻撃を行うキャスター自身を止めない限りいずれこの守りも破られる。

状況はアーチャーが不利。
傍目からすればそう映るのは当然だろう。

「ふふ、やるわね。けれど、どこまでもつのかしら?」

七枚あった花弁は六枚となり、五枚となる。
そして五枚目にもひびが入り始めた。

「あのお嬢さんが宗一郎を仕留めるのを期待しているのならば期待はずれよ、アーチャー。あのお嬢さんでは宗一郎に勝てはしない」

降り注ぐ光弾。
五枚目がもう間もなく砕け散る、というときにキャスターは見た。

I am the bone of my sword.体は剣で出来ている
Steel is my body , and fire is my blood.血潮は鉄で、心は硝子

「なに…………!?」

驚愕するキャスターを余所に、アーチャーはただひたすら内面へと埋没する。

I have created over a thousand blades.幾たびの戦場を越えて不敗
Unknown to Death. ただの一度も敗走はなく Nor known to Life.ただの一度も理解されない

「この詠唱は…………いけない!」

何かに気付いたキャスターは打ち出す光弾をやめ、より強力な魔術を展開する。
果たしてそれはどれほどの魔力と時間を必要とするものなのだろうか。

Have withstood pain to create many weapons. 彼の者は常に独り 剣の丘で勝利に酔う

しかし、キャスターは一瞬にしてそれを完了させた。

Yet , those hands will never hold anything.故に、生涯に意味はなく

錫杖が鐘を鳴らす。
神代の魔術師が更なる秘蹟を紡ぎ始める。

「驚いたわ、けれどこれでおしまい。─────ええ、容赦なく焼き払ってあげるわ、アーチャー」

魔方陣の色が青色に変色する。
天空には電撃の様な音が流れ、これから撃ち出されるであろう魔術の強力さが見て取れた。
そして――――

So as I pray , "unlimited blade works."その体はきっと剣で出来ていた
「マキア………ヘカティックグライアー!」

両者が同時に、自身の持つ最大の魔術を解放した。


─────第三節 終わりを告げる者─────


「─────全投影連続掃射ソードバレルフルオープン!!」

「─────Tροψα………!」

固有結界。
アーチャーの世界の中で、二人はまだ戦っていた。
キャスターの魔術を固有結界発動と同時に大量の剣を眼前に展開させることにより、到達までに若干のタイムラグを生み出して回避に成功した。
しかし想像以上に威力、範囲が大きく、左腕が焼け焦げたように感覚を奪われ、右足は動くものの傷を負い、機動性を大幅に欠いてしまっている。

対するキャスターも、固有結界展開と同時に地上より対空ミサイルの如く打ち出された剣撃によりローブが使い物にならなくなっていた。
キャスター自身にダメージはないが、固有結界を展開された以上、例え空中に浮いていようがそこが安全である必然はない。
剣のミサイルを空間転移で高速回避しながら、同時に魔術攻撃を展開していく。

どちらも一定の場所に全くとどまっていない。
動きを止めれば降り注ぐ必殺レベルの魔術攻撃か、必殺レベルの剣のミサイルが着弾する。
そんなものを被弾するわけにはいかないと、打ち出される剣は魔術攻撃によって相殺され、打ち出す魔術攻撃は剣によって防がれる。

「く………!まさかここまでの能力を………!」

キャスターにとって襲いかかってくる剣は必殺に近い。
故に一瞬たりとも気を抜いてはいけない。
ここがアーチャーの世界ならば全面からの攻撃とてありえるだろう。

「ここまで粘るとはな、魔術師。だが………」

アーチャーが魔術攻撃を掻い潜るために荒野を走り抜ける。
その走り抜けた場所にある様々な剣が空中へと浮き上がり始めた。
その数はアーチャーが走り抜けた数だけ増していく。

「─────全投影連続掃射ソードバレルフルオープン

アーチャーの号令と共に、滞空していた剣が同じ滞空しているキャスターへと襲いかかる。
無論それを受け止めるなどはしない。
キャスターは神代の言葉で空間を渡っていく。
しかし。

「─────壊れた幻想ブロークン・ファンタズム

アーチャーが崩壊の言葉を紡いだ直後。
キャスター目掛けて飛来していた剣が『爆弾』に突如として変貌した。
空中で巻き起こる大爆発。
それが一つならまだしも、飛来する剣全てがキャスターがいた場所へと到達すると同時に爆発していく。
連鎖爆撃。
この言葉こそがこの光景に相応しい。

「がっ─────!?」

今までの攻撃とは比べ物にならないほどの破壊力と攻撃範囲。
転移した先にまで攻撃の余波がキャスターへ襲いかかってくる。
それと同時に爆発の光がキャスターの視界を遮ってしまう。

それだけでは終わらない。
一瞬でも止まってしまえば敗北する。
それがこの戦闘スタイルだったはずだ。
ならば攻撃を受けて怯んでしまったキャスターに襲いかかるモノはすでに決定している。


「─────終わりだ、魔術師」


光の向こうからアーチャーの声が聞こえたと思われたと同時に、飛来した剣が爆弾となって炸裂する。
たとえ直撃せずとも近くにいるだけで爆発するソレは近接信管式ミサイルと同じ。

「あ、あ、ああああああああ!?」

キャスターの悲鳴と共に姿が消えていく。
左手と右足に重傷を負ったが、無事撃破することに成功した。
張り詰めた空気を少しずつ緩めながら、莫大な魔力を消費する固有結界を解除した。





周囲の風景が赤い荒野から夜の柳洞寺へと戻る。
周囲に彼のマスターである凛の姿はない。

迎えに行くか、と足を柳洞寺内部へと進ませようとしたその時



「─────Ατλασ」



アーチャーの周囲の空間が停止した。

「…………やってくれたわね、アーチャー。この私にここまで傷を負わせるなんて」

柳洞寺の入り口側、すなわち内部へ進もうとしていたアーチャーの背後から女の声が聞こえてくる。
しかし振り向けない。空間そのものが固定化されている以上体を動かすことができない。

「………驚いたな。てっきり倒したものだと思ったが」

何とか動く口で、背後にいるキャスターへと語りかける。
その間にもこの魔術を突破しようとするが、如何せん魔力を使いすぎた。
固定化された空間を破壊できない。

「断末魔を聞いたと思ったのだが、私の耳がおかしかったのか、或いは演技だったのか」

ぎり、と歯を食い縛るアーチャーを余所に、キャスターは懐へと手を伸ばした。

「どちらでもいいわ。ただ現実として、貴方は敗北する」

にやり、と笑ったキャスターの手に握られていたモノ。
それは学校で士郎とセイバーの契約を破った短剣だった。


「─────破戒すべき全ての符ルールブレイカー


その短剣に殺傷能力はほとんどない。
だが、それを補って余りある契約破りという効果。

「ふ………これで、貴方も私のモノよ。この意味、判るわね?」

「この、女狐め…………!」

同時にアーチャーの令呪が使用される。
その戒めはアーチャーを縛るものだった。

「………にしても」

自分のダメージを改めて確認する。
ローブは破れ、あの爆発により隠していた皮膚の一部が露出し、出血までしている。
息はあがり、魔力はかなり消費し、かなりの疲労困憊だ。
咄嗟に自身の身を守る魔術を行使したのだが、それでもこれだけのダメージ。

「宗一郎様のもとへ…………」

しかし、アーチャーとの戦いには勝利した。
あとはそのマスターである遠坂 凛を抹消すれば、本当に体勢は盤石となる。
サーヴァント最優のセイバー、固有結界を使えるアーチャー、そしてキャスターである自身。
アサシンは失ってしまったが、それ以上の戦力を有することができたのだから問題はない。

そう、問題はなかった。
たった今、自分の背後に現れたソレを見るまでは。

「キャスター!避けろ!」

敵であるアーチャーですら、キャスターに警告を出したのだった。





地響きとともに柳洞寺全体が揺れる。
それは寺の内部にいた凛と宗一郎にも伝わっていた。

「………向こうは何やら派手に戦っているらしいな」

他人事のように呟く宗一郎は、しかし眼前の人間から放たれる魔弾を拳で弾きながら接近しようと近づいてくる。

「ええ、そうね! そういうアンタは一体何なのよ!」

近づいてくる宗一郎の射程圏から逃れるために、バックステップで後退しながらガンドや宝石を使った魔術を乱発する。
接近戦VS中距離戦。
アーチャーの疾風のような攻撃を弾き飛ばした宗一郎と同じ距離で戦おうなどという考えは最初から持ち合わせていない凛は、ひたすら距離を取り続けていた。
対する宗一郎は、武器となるものがキャスターの魔術によって強化された拳だけなので、どう足掻いても接近して攻撃を図るしかない。

「何、とは漠然とした質問だな、遠坂。一体何を言いたいのかが伝わらないぞ」

戦闘の最中だというのに、凛の目の前にいる宗一郎は教壇に立った時の様に対応をしてくる。
それがどれだけ異常かということがわからないというのだろうか。

「よくもまあこんな戦闘の最中で言えたもんね……!ただの教師だと思ってたのに、まさかそこまで人間離れした動きをするなんて夢にも思っちゃいなかったわ」

舌打ちをしながら高速で接近してくる宗一郎から逃れるために、自身の脚を強化して必死に下がる。

「この………!」

「しかしこのまま追い続けるのも疲れる。…………意識を刈り取らせてもらおうか」

直後。
十分にとっていた筈の距離を宗一郎が一瞬にして間合いを詰めてきた。

「─────!」

眼前に迫った宗一郎を見て驚愕した凛は一気に後方へと跳んだ。
ドゴッ! という音を立てて、顔面へ拳が襲いかかってきた。

「っ─────!」

顔を両手でガードし、なお後ろへ跳んだというのに、凛の体は大きく弾き飛ばされた。
壁に背中を強打した凛。腕の感覚はかなり鈍ってしまっていた。

「─────」

背中を強打した所為で息が一瞬止まってしまう。
その一瞬は相手が自身の命を刈り取るのに十分な時間。

「っ………な─────Sieben七番…………!」

近づいてくる宗一郎を足止めすべく、自身の頭上へと攻撃を行う。
天井は崩れ、ひびは伝播し、凛と宗一郎がいる一体の天井が崩れ落ちてきた。
視界を遮られた宗一郎は足を止め、天井からの落下物を全く表情を変えずに拳で叩き落とす。
天井からは天井裏に溜まった大量の埃や、その上にある屋根が落下してくる。

奪われた視界。その奥から

Fixierung狙え、EileSalve一斉射撃─────!」

ガトリングのようなガンドが襲いかかってきた。
凛にも宗一郎の姿は見えない。
しかしその方向にいるということはわかっている。
ならばガンドを大量にばら撒けばどれかはあたるだろう。
下手な鉄砲数撃てば当たる、というものである。

事実、突如視界の向こうから大量の呪いが飛来してきたのだから回避せざるを得ない。
加えて遮られた視界を利用して凛の背後に回り込めるほど空間に余裕がない
しかし。

「それは自分の位置を敵に教えているのと同義だぞ、遠坂」

崩れた天井。
足元には投擲武器と成り得る木材や瓦が大量にある。
こうなれば後は簡単である。
相手は此方の位置を完全に把握はしていないのに対し、宗一郎はある程度の絞り込みはできている。
空間に隙を作らない様な連射攻撃をしてくるのであればそれを止める必要がある。
そして相手は近接戦しかしないと思い込んでいる。

「ならば、投擲となりえる武器を渡さないようにすべきだったな、遠坂」

足元に落ちていた木材を手に取り、ある程度目安のついた場所へと全力投球する。
相手が闇雲に撃つのに対してより正確に狙えるのだから、凛に襲いかかる驚愕はかなりのものだった。

「─────!」

咄嗟に躱す。
拳と違い、投擲された木材にはそれほどの脅威はなかったが、如何せん油断しすぎていた。
そして攻撃は続く。
一瞬止んだガンドの雨の隙を宗一郎は見逃さない。
投擲した後に攻撃が止んだということはつまりは直撃したか、回避行動をしたかのどちらかであり、つまりそこにいるということを示していた。

未だ煙が立ち込める視界の向こうへ疾走し、凛の姿を捉えた。

「まずっ…………」

咄嗟に魔術で自身の身体を強化し、後ろへ後退する。
しかし速度が違う。後退しても距離は詰まる。
そして宗一郎の射程圏に入ろうとしたその時

「………そっちこそ、油断していますよね? 葛木先生」

後退していた凛が突如前へ突進した。
宗一郎からしてみれば中距離戦闘をする敵が突如距離を詰めてきた。
その事実で反応が遅れる。

「む………!」

懐に入り込んだ凛の後頭部目掛けて蛇が這う。
しかしそれよりも早く強化された凛の拳が宗一郎の腹部へとクリーンヒットし、宗一郎の体を後方へ吹き飛ばしていた。

「…………」

無言のまま倒れかけた体を持ち直し、眼前を見る。
その眼前に現れたのは宝石だった。
即座に後方へバックステップし、その宝石から距離を取るが

「開放!」

凛と宗一郎を、強烈な光が包み込む。
床を抉り、術者である凛自身さえ吹き飛ばした爆光は、周囲に轟音を轟かせながら霧散していった。
破壊力は抜群で、キャスターのソレよりは劣るかもしれないが、魔術師相手ならば十分な威力。
ましてや相手は魔術師ではない一般人なのだから、必殺の一撃のはず。

だが、油断してはならない。
アーチャーの一撃を弾くほどの俊敏性を有しているならば、あのたった一歩のバックステップで一体どれだけ有効範囲内から脱出したかわかったものではない。
凛は受身を取りつつ視聴覚を鋭敏化させた。

「………生きてるのね。なんて化物。あの一歩でどれだけ後ろに下がったのよ」

鋭敏化された凛の耳には宗一郎の声が僅かに聞こえた。
無論視界は光の余波でまだ完全には治りきっていない。
それは宗一郎も同じだろう。

凛は一時的に宗一郎の目を遮る事が出来たことで、体勢を立て直し距離を取ろうとしたその時だった。

「え…………?」

衝撃波のような魔力の波が凛を襲った。
しかし次の瞬間にはなかったかのように消え失せる。

「まさか………今の!」

突如の事で困惑しすぎた凛の脳は、理解するのに数秒の時間を有した。
だが可能性を確信した凛のその後の行動は驚くほど早かった。





「キ─────」

影が嗤う。
眼前にいるのは最優と謳われたセイバー。

「貴様…………!?」

令呪の抗いと、キャスターへの抵抗を常に行ってきたセイバーの魔力はとうに限界だった。
魔術による拘束も解けず、こうして柳洞寺の深部の部屋に放置されている。
そこへやってきた敵をどうにかすることはできない。

「無様ダナ、セいバー」

闇より現れた白い髑髏面。
歯を食い縛り、眼前に現れた敵を見るセイバー。

「貴様は…………何者だ」

心当たりがない。
見るからしてそれはサーヴァントであり暗殺者であるが、アサシンのクラスには佐々木小次郎というサーヴァントがいる。
全サーヴァントを確認しているセイバーにとって、目の前に現れたサーヴァントが一体何者なのか理解ができなかった。

「アサシン。ソレ以上は言ウ必要ハ、ナイ。ナゼなら─────」

髑髏から殺気が放たれる。
対するセイバーは何もできない。
魔力で鎧を出現させることも、自身の剣を出現させることもできない。

「貴様はここデ、私に殺さレルのだからナ」

黒いマントから右腕に相当する部位を外へと露出させた。
しかし露出した右腕は通常考えられる形をしていない。
棒。
その一言で表現できる腕だった。
手の平がない異形の腕は、何を掴むこともできず、殴る事すら困難だろう。

しかし。
その考えを嘲笑うかのように、髑髏の腕が異形の姿を展開させた。
長腕。
暗殺者の右腕は自身の身長よりもずっと長い腕だった。
ただそれを折り曲げて隠していた結果、あのような棒の形をしていたのだ。

「──────────」

セイバーの思考が凍る。
あれを今の状態で受けたら確実に死ぬ。

「ソノ心臓を………モライうける」

「ぐっ………!」

必死に拘束具を外そうとするが、そもそもそれが出来たならばとっくの昔に外している。
そしてあの奇異な腕に対抗できる魔力も現在持ち合わせていない。
となれば、受ければアサシンが言った通り、心臓は貫かれ、消えてしまうだろう。

(ここでやられるわけには…………!)

目を瞑り、精神を極限にまで集中させる。
自身の内に残っている魔力の全てを体の中心へ集め圧縮していく。
殺されるという危機感からか、蝋が無くなる寸前の火は激しく燃えるというが、今のセイバーがまさにそれだった。

アサシンが攻撃を放つ直前に圧縮した魔力を自身のスキル、魔力放出で一気に爆発させるように開放し、拘束具を破壊するとともにあの攻撃を回避しなければならない。
その後の自身の魔力は空となりもはやただ消えるだけの運命となるが、少なくとも何もできないで消え去るくらいならば足掻く。
ましてやあの佐々木小次郎と同じクラスを名乗りながら、しかし彼とはまるで正反対の敵に一方的に倒されるなどとは自身のプライドも許さなかった。

ヒュッ と右腕が突き出される。
アサシンの表情は髑髏の面で窺い知れないが、セイバーが反撃を試みているなどとは夢にも思ってはいないだろう。
油断。
それだけが今のセイバーにとって救いだった。

「はぁっ─────!」

右手がセイバーの左胸に届く寸前で、圧縮した魔力を解放する。
拘束具は破壊され、周囲の物がセイバーを円の中心として同心円状に吹き飛ばされた。
それはアサシンも同じである。

「キ、キ─────!?」

強力な魔力放出はアサシンをも周囲の物と同じように一定距離まで吹き飛ばした。
だが、持ちうる全ての魔力を放出したというのにアサシンには大したダメージが入っていない。
それだけ魔力が枯渇していたということであり、そして追撃を加えることができるほどセイバーに力は残っていない。

「は─────ぁ」

拘束具は何とかはずれて自由になったが、体が動かないのであれば全く意味がない。
吹き飛ばした相手を見るが、ゆっくりと立ち上がり、また近づいてきた。
もはやこれ以上打つ手はない。

「死に損なイの分際デ…………ヨくも」

再び右腕が振り上げられる。
それを見て、セイバーは瞳を閉じた。
先ほどの様に魔力を放出できるだけの量はなく、足に力すら入らない。

「く………、申しわけ…………ありません、シロウ」

自身の不甲斐無さを噛み締めながらやってくるであろう攻撃を待つ。
しかしその耳に聞こえてきたのは予想外の音。
そしてその声。

Gewicht重圧, um zu束縛 Verdoppelung 両極硝─────!」

アサシンに銀光の魔術攻撃が加えられる。
だが、どんなに弱くともサーヴァント。
人間のソレよりも能力は高い。
即座に身を翻し、気配を消して闇へと溶けていった。

「セイバー!大丈夫!?」

倒れているセイバーへと近づき上半身を抱きかかえた。

「リン、でしたか。よくご無事で………」

「そんなことはあと!消えかかってるじゃない、とりあえずこの宝石を呑んで!」

見るからして弱っているセイバー。
体の所々は薄くなり始めていた。一刻も早く魔力を与えなければ消えてしまう。
すぐにポケットに手を伸ばして宝石を口の中に半ば強制的に入れて呑ませる。

応急処置ではあるが、これで即座に消えるということは免れる。
無論活動に多大な影響は残したままだが。

「にしても、さっきの奴は何? どこいったの?」

周囲を見渡してみるが、その姿はおろか気配すら全く感じられない。
凛の言葉にハッ、と我に返ったセイバーはすぐさま警告を促す。

「先ほどの者はサーヴァント、アサシンです。私を殺そうとしていました」

「アサシン………!? どういうこと? アサシンである佐々木小次郎はアーチャーが倒したのよ? しかも、チラっと見ただけだったけど明らかにあの剣豪じゃなかったわよ!」

「ええ、私も驚いています。しかしあの者がアサシンと名乗っている以上はそれ以外の判別はできません。今も現に気配を全く感知できない。佐々木小次郎とは違う“本物の”アサシンです、リン」

「なら8体目ってこと………!? それこそあり得ない!だって、聖杯は─────」

「!? リン!」

凛の背後より、襲いかかるモノ。それは白い髑髏の面。
直感だけで感じ取ったセイバーが、不可視の剣を振るい、投擲された短剣ダークを弾き飛ばした。
否、訂正が一つ。
その弾いた剣は既に不可視の剣ではなかった。
深刻な魔力不足。
彼女の聖剣を覆う風は魔術によるもの。となれば少なからず魔力も必要としている。
しかしそれに割く魔力など無いに等しい。
自身の半身を手に取るだけで、すでにぎりぎりなのだ。風を使う余裕がない。
鎧を纏うなど以ての外である。

「ヨく…………弾いタ、ナ」

小さく聞こえた声とともに再び闇へと消える白髑髏面アサシン
一振りこそしたものの、再び膝をついてしまうセイバー。

「セイバー!無茶をしないで!貴女、それ以上やったら本当に消えるわよ!」

どこにいるかもわからない以上、周囲への牽制攻撃を兼ねて、同心円状に宝石をばら撒いて次々と起爆させていく。
周囲が魔術攻撃の対象となるが、しかし直撃した感触は一向に見られない。

アサシンにとって今優先すべきは自身の強化。
今現在の状態では不十分極まりない。
サーヴァントの心臓を自身に取り込み、知識や経験を強化していきたいと考えていた。
そこにまるで供物をささげるが如くあった食べ物サーヴァント
境内で戦闘しているサーヴァントには近づくことはできないが、囚われているセイバーになら容易に近づける。
何より最優と呼ばれるサーヴァントの知識や経験を手に入れれるならば、これ以上ない補強である。

そう考えた上でセイバーへと近づいたアサシンだったが、思わぬ反撃と思わぬ乱入によって少しばかり苛立っていた。

が、苛立ちはしてもその次にはすぐに冷静になる。
セイバーは先ほど魔力を補充したとはいっても簡易的なもので戦闘能力は現在もほぼ皆無。
凛はそもそもサーヴァントですらないため、勝負にならない。

ならば最高の機会は失われたとしても、依然として絶好の機会であることには何ら変わりがない。

しかし、それらが一変する可能性があるのが、凛の持つ令呪である。
あれで境内で戦闘中のアーチャーを呼び戻そうものならば、襲うことは事実上不可能となる。
できることならばセイバーを襲いたいアサシンは、邪魔者である凛を優先的に狙ったのだった。

そして状況はさらに混乱する。

「え…………?」

腕を抱えて、あるモノが消失してしまったのを確認した。

「ウソ………アーチャー………?」

令呪が消えた。
それが意味することを理解できないほど、凛は呆けてはいない。
しかしそれを受け入れることができるかと言われれば、即座には受け入れられなかった。

突如の出来事により茫然と佇んでしまう凛。
そんな隙だらけの敵を見逃すほど、この闇に潜む敵は甘くはなかった。

「!? リン…………」

放たれる得物。
それはアーチャーの弓に匹敵する。
闇より突如現れ、闇に飛び交いながら放った数は実に三十。

万全とは程遠い今のセイバーでは護衛どころか自衛すら怪しい。
反応に遅れたセイバーは、凛へ直撃する得物を防ごうと足を動かす。

しかし間に合わない。
間に合ったとしても今のままでは全てを防げない。
ならばどうすればいいか。


自滅覚悟で剣を振るえばいい。


咄嗟に出た結論を即座に行動へ移す。
自身にある魔力を総動員させて、剣とそれを振るう腕へと送り込む。

そうして放たれた得物を叩き落とそうと─────


「ハ、隠れてコソコソ攻撃しねぇと女一人も殺せねぇのか、てめぇは」


セイバーの手に握られた剣が振るわれることはなかった。
二人の前に現れた全身青色の男が、アサシンの攻撃を眉一つ動かさずに弾き返していたのだ。

「キ、─────ラン、さー」

「まあ流石に得物みりゃあ俺がどのクラスかくらいはわかるか。─────そういうてめぇは暗殺者だな。あの佐々木小次郎とかいう奴はどうした」

目の前に現れた白い髑髏に問いかけるが、答えは返ってこない。
アサシンにとってみれば、この状況そのものがすでに異常だった。

なぜランサーがいるのか。
なぜランサーはあの攻撃を簡単に弾き飛ばしたのか。
なぜランサーが二人を庇ったのか。

アサシンには全く理解ができなかった。

「返答はなしかい。………まあいい。で、お前の芸はそれだけか?─────ならこれで終いだな。お前が何者か知らんが、その仮面くらいは剥がさせてもらうぜ」

同時にランサーの気配が変わる。
満ちる殺気は、確実に目の前にいるアサシンを殺すことへと向いていた。

しかし茫然としてしまうのは、なにもアサシンだけだはない。
ランサーの背後にいる凛とセイバーも理解するのに時間がかかってしまっていた。

「ちょ、ちょっと!? なんでアンタがここにいるのよ、ランサー!」

「ランサー、貴様一体何を………!」

「あぁん? 偵察だよ、偵察。セイバーがキャスターの傘下に降ったっていうからその様子を見てこいってさ。ついでに攻め込む嬢ちゃんたちを必要そうなら援護してやれっていう命令だよ」

首を僅かに傾けて、背後にいる凛とセイバーに説明する。
そこへその隙を突くように、短剣ダークが高速掃射される。
だが、ランサーに直撃することはなく キィン、キィン! という甲高い音と共に放たれた短剣ダークは弾き飛ばされた。
軽く、ほんの僅か槍の先を揺らしただけで、ランサーは視認さえできぬ投擲を無効化していたのだ。

「──────────」

その結果を目の当たりにして震えたのはアサシン。
僅かに揺れた槍の隙を突くように、ランサーの首元目掛けて短剣ダークを再び投擲する。

だが、結果は変わらない。
槍の反しの動作の中で投擲された短剣ダークは悉く撃ち落とされた。

「やめとけ、何度やったって無駄だ。生まれつきでな、目に見えている相手からの飛び道具なんざ通じねぇんだよ。よっぽどの宝具でももってこないと、その距離からの投擲なんざ効かねぇぞ」

「!─────ソウカ、流レ矢の加護、カ。………シカシ………ッ!?」

ランサーとアサシンが睨み合ったその横から、二本の矢がランサーとアサシンそれぞれに向けて放たれていた。
驚愕して回避するアサシンと、やはり事なし気に弾き飛ばすランサー。

「凛っ!」

「アーチャー!」

アーチャーが凛の元へと駆けつける。
それを確認したアサシンは確実不利だと判断し、闇へと姿を消した。

「アーチャー、無事!? なんで令呪が消え─────」

「話は後だ、とにかく今は………」

ランサーを睨めつけるアーチャー。
だが、そもそもアーチャーを撃破するよう命令されていないランサーは興味なさげに受け流す。

「あー、別にてめぇと戦いに来たわけじゃねぇから安心しろ。お前が帰ってきたなら俺は素直に退散するぜ」

「退散、か。しかし貴様一人で退散できるものかな、あの状況は」

「ああ? そりゃどういう…………」

「!?」

ランサーがアーチャーを睨もうとしたその矢先。
凛の前に立っていたセイバーが崩れ落ちた。

「やはりか…………!」

「あ? なんだ、どうしたセイバー?」

「セイバー?」

「ぁ─────、つ」

心臓を掴むような動作を見せてセイバーの表情は苦悶へと変わっている。
それを見た凛は最初魔力不足か、と考えたが様子がおかしいという考えへ至る。

「チ、やはり令呪のラインがつながっている以上は流れ込んでくるのは当たり前か………」

「ちょっと、アーチャー!どういうことか説明………」

「している暇はない。凛、君はセイバーと再契約をしろ。でなければ間に合わなくなる」

─────投影、開始トレース・オン─────

なめらかに唱えられた呪文のあと、アーチャーの手に握られていたのはキャスターが持っていた剣と全く同じものだった。
全く内容が理解できない凛を余所に、短剣を倒れているセイバーへと突き刺した。

「ちょっと、アーチャー!いい加減に説明を………!」

「後でする。凛、今はセイバーと契約して“彼女の中に入り込んだ汚物を君の膨大な魔力量で洗い流してくれ”」

「………は?」

「急げ! 全身に回ったら間に合わなくなる! セイバー、君も無意味に消えたくなければ凛の再契約に合意しろ」

急かすアーチャーと、消えかかっているセイバー。
その両者を見て髪を思いっきり掻き毟りたくなったが、とにかくアーチャーの言う通りにしようと結論を出す。

「わかったわよ!とにかく、終わったら説明しなさいよね、アーチャー!セイバー、これから再契約するから合意してね、じゃないと消えるわよ!」

「………おい、アーチャー」

ランサーが境内の方を見て、境内からやってきたアーチャーへと視線をやる。

「チ………!凛、急げ!」

「………ッ!」

遠くより小さく見えたソレに釘付けになった意識をアーチャーが無理矢理元に戻した。
セイバーは自身の身を内部より腐らせていくような感覚と、目の前に見えたソレを見て尋常ではないと。
凛はアーチャーの様子と、セイバーの様子。そして目の前にみえたソレを見て異常だと。
二人はそう結論を出し、アーチャーの指示を受ける。


「─────告げる!
汝の身は我の下に、我が命運は汝の剣に!
聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのなら我に従え!
ならばこの命運、汝が剣に預けよう………!」

「セイバーの名に懸け誓いを受ける。貴方を我が主として認めよう、凛」



速やかに契約は行われた。

凛とセイバーが契約を完了させた直後に巻き起こる烈風。
その姿は今までよりも圧倒的だった。
立ち上がる魔力の渦。
他を圧倒する膨大な魔力は、セイバーの中を腐らせようとしていたナニカを見事に洗い流していた。

「………間に合ったか」

セイバーの姿を見て、とりあえずは一段落、といった面持ちで再び正面へ向く。
彼らの目の前に広がるのは黒い海。

「キャスターとここに集められた魔力だけでは足りないか、この暴食家は………!」

「く………この!」

せめて牽制をと指を向けガンドを数発発射する。
だが、“ソレ”は防ぐどころか吸収したかのようにガンドを呑みこんだ。

「凛、君のそれは敵に餌をやっているようなものだ、無駄な魔力は消費するな!」

「………っ!わ、わかってるわよ!一体なんなのよ、アレ!」

境内、それだけではなく、その空間そのものすらも支配している海を睨めつける。
すでに柳洞寺の唯一の出入り口は影よって封鎖されている。
絶体絶命。逃げ場はなく、一目でその影がマズイものだと誰の目からでも把握できる。
しかし、手はここに存在する。


「…………私が突破口を開きます。続いて下さい」


構えられる黄金の剣。
収束する光が、セイバーの持つ剣をより一層黄金へと変貌させる。
周囲はその剣によって光源を得られ、無様に崩れている柳洞寺の姿を晒している。

彼女の手にあるモノは星の光を集めた、最強の聖剣である。
魔力の渦がセイバーと黄金の剣へ収束し、光がその真名によって放たれるのを今かと待ちわびている。


「─────約束された勝利の剣エクスカリバー─────!!!」


直後。
夜を昼にすら変えかねないほどの光と共に、轟音を立てて目の前の影へと襲いかかった。

文字通り、光の線。
触れるモノ全てを例外なく両断する光の刃。
影を斬り裂き、その先の柳洞寺の山門を完全に消失させ、空へと伸び、雲を両断し消えていく。
もしここが山の頂上でなければ、地上に永遠消えることのない大断層が残っていただろう。

事実。
セイバーがいた場所から柳洞寺の山門付近まで、地面が大きく削られたかのような跡を残していたのだから。

今まで見せなかった剣の正体。
見る者の心さえ奪う黄金の剣、あまりにも有名すぎるその真名。

─────約束された勝利の剣エクスカリバー

イングランドにかつて存在していたとされ、騎士の代名詞として知れ渡る王の剣。
幾重にも封印された、サーヴァント中最強の宝具。
それこそがセイバーが持つ、英雄の証であった。


─────第四節 安息は与えられず─────


「影………消えたわね」

「消えた、というよりはいなくなった、と言った方が適切かもしれんがな」

柳洞寺から脱出に無事成功し、深山町のとある交差点まで下りてきた。
ランサーは柳洞寺を脱出するなり

『じゃあな』

と言ってそのまま姿をくらませた。
追おうかとも考えたが、仮にも助けてくれた、ということで一度だけ見逃すことにしたのだった。
無論、次にあえば戦う敵であることには違いないが。

「アーチャー、貴方はあの影について何か知っているようでしたね。一体何なのです?」

「君とてその余波を身体に受けた身だ、詳しいことは判らずともあれが異常なものであるということはわかるだろう?」

「─────ええ、キャスターに令呪を乗っ取られた時以上の異常さを感じました。ですが、あれが何者か、ということはわかりません」

「さてな、私とて詳しくはない。だが、だ。魔術破りを刺された直後にキャスターがあの黒い影にのまれた様子を見たならば、まずいと考えても無理はあるまい?」

「魔術破り………? なるほど、キャスターの魔術破りを受けたから私の令呪が消えたのか─────って、じゃあアーチャー!?」

「心配するな、凛。すでに奴とは契約を破棄している。奴が持っていた短剣を使ってな。が、おかげでマスターがいないサーヴァント、という状況になってしまっている」

「私はもうセイバーと契約しちゃってるし…………、っていうことはアーチャーが士郎と契約することになるわね?」

アーチャーの顔を覗きこむ凛。
対するアーチャーは少し思案したあとに

「─────本来ならあり得んがな。だがあれが出てきてしまった以上は私怨の時ではないのも確かか」

小さくため息をついて凛達と共に衛宮邸へと向かって歩いていた。
寒い冬の夜を歩く。
時折吹く風が体温を奪うが、今はどうとも感じなかった。

坂の上の衛宮邸まであと少し、というときに凛がアーチャーに声をかけた。

「ねぇ、アーチャー。あなた、真名を覚えていない………っていうの、嘘でしょ?」

「─────どうしてそう思うのかな、凛。」

「あんな宝具級の武器を雨のように撃ちだしといて記憶がありません、なんていう嘘を信じる方が馬鹿よ」

じとり、という効果音がまさしく似合いそうな眼つきでアーチャーを睨めつける凛。
そして同時に彼女の中で、なぜそのような嘘をついたのか、という理由も何となくだが見当がついていた。

「アーチャー、あなたが記憶を失ったって言った理由って…………」

「そこまでだ、凛。─────どうやら、異常は此方にも起きていた様だぞ」

「え?」

アーチャーの顔が険しくなる。
先に衛宮邸の異変を察知したアーチャーが、後ろからついてくるセイバーと凛に警告を促したのだ。
衛宮邸から感知できるはずのない魔力を感知する。それは─────

「ライダー!? 慎二の奴、半日もしないで攻めてきたってこと!?」

「シロウ!」

慌てて敷地内へ入るが、そこにライダーはいない。
あるのは所々崩れた家と、

「これは………!」

大量の血だった。
凛の顔から血の気が引く。
体内の温度が一気に十℃以上下がったかのような、そんな感覚に囚われる。

「士郎、士郎!?」

土足のまま彼を寝かせた寝室へと向かう。
だがそこに彼の姿はない。
ガンドを撃って寝込んでいる筈の彼がここにいないとは一体どういうことか。

「綾子と氷室さんは…………!?」

鐘と綾子も決して体調が万全であるわけではない。
綾子に至っては傷を治療する際に麻酔の効果があるものを使用している。
少なくともこの時間は何もされない限りまだ眠っている筈である。

すぐさま別室へ寝かせた鐘の場所へ向かうが、ここももぬけの殻。
綾子を寝かせた凛が使っている離れへと向かい、勢いよく扉を開けた。

「綾子………!」

ベッドに彼女が横たわっていた。
すぐさま容態を確認するが、怪我など一つもなく、また室内が荒らされた形跡もなかった。
とりあえずは安堵するが、しかし依然として鐘と士郎の行方がわからない。

彼女を起こして事情を説明してもらおうかとも考えたが、この様子を見る限りでは恐らく彼女はずっと眠ったままだったのだろう。
ならば起こして問いかけても意味はない。

離れの部屋を後にして、同じく探索を続けていたセイバーと合流する。

「セイバー、何かわかった?」

「…………いえ、これといって。ただ言えることはここにサーヴァントが攻め込んできて戦場になった、ということでしょうか」

セイバーの表情は優れない。
部屋の惨状と大量の血痕、そして仕えていた主の行方が不明となってしまっては表情が曇ってしまうのは道理だった。

「恐らく攻めてきたのはライダーだろうが………、それとは別にもう一つ感知できないか? 凛、セイバー」

「もう一つ…………?」

集中してこの家に残る魔力の残滓を感知する。
やはり、真っ先に飛び込んでくるのはライダーの魔力。
だが、それとは別に、わずかではあるがライダーのものではない魔力の残滓を感知した。

「これは………」

セイバーにも、凛にも、アーチャーにも心当たりがあった。


「「バーサーカー…………!?」」


圧倒的な巨体と力で相手を叩き伏せる敵。
凛とセイバーの口から出てきた単語は全く同じだった。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第30話 幻想はこの手に 
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/08/11 22:17
第30話 幻想はこの手に


─────第一節 月下─────

彼は布団の上で上半身を起こして、私を抱き止めている。

どれくらい経っただろうか。

十分くらい………?
違う、五分………?
まだ三分も経っていない………

頭の中がぼぅっとする。

私の感覚が麻痺している。
見えるのは、温かなヒト。

それしか見えなくて───── それだけを見つめている。
感じることしかできなくて───── 体を預けている。

体に感じる、彼の体が温かい。
頭を傾け、彼の胸に預けると、とても落ち着く。
落ち着いてから、今まで私は落ち着いていなかったんだと。
ひどく不安で、さみしくて、混乱していたんだと、分かった。

彼の背へ腕をやって、霞んだ視界を遮る様に瞼を閉じた。
目を瞑れば余計に自分の心音が聞こえてくる。
胸越しに彼に伝わるんじゃないだろうかと思うくらいに音が聞こえてくる。

けれど、今はこうしていたい。

この温もりを、できることならば、ずっと感じて居たいとさえ思ってしまう。

──ああ、そうだった

この温もりが何時までも欲しかったから、私は私を抱き留めてくれている人と、一緒に居続けたいと願った。
何時までも一緒に居たいと願っていたから、居なくなるのを拒んだ。

居なくなってしまったから。
耐えられなくて、受け入れたくなくて。
痛みを、怖さを、苦しみを、悲しみを。
受け入れて生きていくのがあまりにも辛かったから。
彼が見せてくれていた鮮やかな色の幻がなくなって、彼がいなくなった世界は色褪せてしまった。

「もう泣くな。氷室のコトはさ、誰よりも知ってる」

「………泣いて──」

顔を彼の体に押し付ける。
彼の匂いが感覚を擽る。それが心地よくて、温かくて………

「─────だから、もうどこにもいかない。どんなことがあっても、どこに行こうとも、傍にいてほしいから、………一緒にいる、氷室」

「─────」

そして壊れた。

声こそ出してないけど、
しゃくり上げながら、
彼の服を握りしめて、
温かい胸に顔を押しつけて、泣いた。

髪を優しく撫でてくれている。
それだけで、気が振れてしまうくらいにおかしくなる。


「大丈夫。もう絶対に独りにしハナサないから………“ひーちゃん”」


その言葉は、まるで毒の様にゆっくりと染み込んできた。

また目を閉じてみれば、零れ落ちていく幻。
けれど零れる以上の幻がここにある。
零れた幻も、ずっとそこに残って私と彼の周りを幻で埋め尽くしている。

幻に溺れて、奇跡の様な、何かを見た。

鮮やかな色は君が見せてくれた幻。
今、目を開ければきっと奇跡の様な幻が見える。
君と見ていた鮮やかな色が、きっと。

だけど。

今はまだ見えない。
まだ、『彼』は─────

「君は………救われたのか?」

「え?」

一瞬腕が緩んだ。
代わりに私が腕に力を少しだけ込める。

「ここ数日、君を見ていてわかった。君は、自分に目をやっていない。………最初は、なぜかわからなかった。」

額は彼の体に当てたままで。
麻痺してしまった体のあちこちを総動員させて、伝える。

「けれど、それは、あの火災の所為なのだろう。………そうなってしまうのは仕方ないのかもしれない。しかし、君には君がいるハズだろう………?」

「─────」

「私は、─────、“しろ君”が傷つく姿は見たくない………んだよ………?」

精一杯口に出して言って、言った後に、思いきり彼に抱き着く。

離れたくない、というのもあったけれど。
胸はバクバクと音を立てているし、顔はきっと物凄い真っ赤になってる。

それでも、彼にはしっかりと思い出してほしかった。
──あの、遠い日の事を。

あえて私は昔の口調に、出来るだけ近づけて喋った。

「どこでも、一緒に居れるなら私はそれだけで………。けど、私だけが救われたくない。頑張っている人が報われないのは………“しろ君”が救われないのは、嫌だ」

言った。
言い切った。

胸は今にも張り裂けそうで、その所為で体が小さく震えている。
考えられない。
今までの私なら、こんなことなど考えられなかった。


しばらくの沈黙。その後に

「………大丈夫。もう、十分報われているし、救われてる」

私の髪に、優しく手を触れた彼の言葉が、胸に響いた。

「すく………われて………?」

「火事の時に、俺は死んだ。体は生きてたけど、心が死んでた。その時に切嗣に救われて、伽藍洞のまま、救ってくれた切嗣に憧れた。………これもついさっき、判ったんだけどな」

彼が語りかけてくる間、私はずっと彼の胸元にいる。
耳だけを静かに傾けて、温かさを感じながら、無上の安心を得ながら、彼の言葉を聞いている。

「覗き込む目とか、助かってくれって懇願する声を、覚えてる。その淵で思ったんだ。自分が助かったことじゃなくて、助けてくれる人がいることはなんて素晴らしい奇跡なんだろうって」

だから憧れた、と彼は続けた。

「何も残っていなかったから、俺はそれに憧れるしかなかった。その感情しかなかった。それしか考えられなかった。だから─────俺はそんな感情しか作れなかった」

彼の言葉は私に突き刺さってくる。
なぜ私は彼を探し続けなかったのだろう。
なぜ私は諦めたのだろう。
なぜ私は助けてあげられなかったのだろう。

『何も残っていなかった』

家も、親もいなくなって。
辺りを見渡せば地獄しか見えない。

「私が………助けてあげていれば………」

小さい子供ならそんな状況に陥るなんて目に見えてわかる。
探し続けて、見つけてあげたら、彼は救われた筈だったのに。
例えこの考えが傲慢だったとしても、そんな『IF』を考えられずにはいられない。


「─────けど、何も残ってなかったなんて嘘だった」

緩められていた腕に再び力が込められた。
体は密着して、また私の感覚が麻痺してしまう。

「残っていたモノがあった。いてくれた人がいた。
それが、氷室とその思い出だった。………あの時死んだ筈だった自意識ジブンは、生き返った。
救ってくれた。 氷室が、──救ってくれた。」

「私、が………?」

「そう。………初めて、氷室と出会ったときのことを夢に見た。あんな風に笑えたら、って。きっと、その時にもう救われてた。多分………一目惚れだった」

「─────」

思考が完全に停止した。

初めて会ったとき。
それは私も覚えている。何せあまりにも印象強かったから。
彼が夏風邪を拗らせてるのに、無理に外に出てきて、ベンチで横たわっていた。
様子がおかしいと思って近づいて、会話をしているうちに楽しくなって。
彼の家に行って、看病の真似事までした。

けれど、その数日後には私が彼の夏風邪を貰ったらしくて寝込んでしまって。
その時は彼が家に来て、同じような真似事をしてくれた。

本当に、印象強い、出会い。

「氷室も、切嗣も。俺を救ってくれて、そして憧れた。………あんなふうに笑えたらって、思った。───だから、大丈夫」


『ありがとう、氷室』


彼の顔を見る事ができない。
できなくて、ずっと彼の胸にいる。

覗きこまれないように、額を胸に当てて、俯いている。

 ───きっと、今の私の顔は頬が緩んで元に戻らなくなってる


「………切嗣の受け売りになっちゃうけど、『正義の味方』になるんだったらエゴイストになれって言われてさ」

「─────」

「誰にも彼にも味方をしていたら意味がないんだから、自分が信用できる、“自分が好きな相手”だけの味方をしなくちゃいけないって。………今まではどういうことかわからなかった」

彼の言葉にずっと耳を傾ける。
彼を理解するのに、余分な言葉は必要ない。

「けど、今なら判る。判りすぎて、なんで今までわからなかったのかが判らないくらいに、判る」

──だから

「俺は、氷室を守るよ。………好きな人を守るのなんて当たり前だ。
氷室を、氷室がいる世界を、守る。───守るための剣になる。
あの時に、そう誓ったから。だからその約束を必ず果たす」

誓約だった。
彼が誓う、私への、彼自身への誓約だった。
そして、それは同時に“──”だった。

蛍の光の様に、記憶の中にある姿が蘇ってくる。
あの時から、彼は私を守る様に立っていた。
もちろん、その当時はそんな風には考えなかったが。

───ああ、なんだ

あの時から、私は既に守られてた。
同時に可笑しくなってくる。
衛宮士郎という人は、衛宮となる前の士郎という人は、氷室鐘なんかよりも、ずっと早く、何倍も相手の事を想ってくれていた。

込み上げてくる言いようのない気持ち。
けれどそれは決して悪いものではない。
寧ろ、あまりにも心地よすぎて、壊れてしまいそうな気持ち。

なら私は?

「そんなもの………決まってる」

小さく呟いて、少しだけ、彼を押す様に体を傾ける。

「………氷室?」

その力に逆らわないで、また布団の上に寝転がる。
もちろん、胸にいる私も一緒に倒れこむ。

彼の胸にあった体を少しだけ横へずらして、彼の顔を見る。


「なら、私も誓約する。──絶対に、幸せになる。………君と、エンゲージを交わす。ずっと一緒に居られるように、全力を尽くして実現させる」


エンゲージ。
それは絶対に、相手がいなければ成り立たない。

守ってくれる、それは嬉しい。
けれど、それは同時に苦しい。
私の代わりになる、と言っているのと同じだから。

だから。

「絶対に、幸せにする。君がどこかへ行ってしまわないように、君が傷ついても癒してやれるように。………君を、守れるように」

せめて、そうしないと割に合わない。
幼いあの時から守られていたなら、これくらいするのは当然だと思う。


いや。
それもあるかもしれないけれど、そんなものを抜きにしても。


そうしたいと思ったから。
理由はそれで十分。むしろそれ以上なんて必要ない。


好きだから


理由はこれだけでいい。


「───士郎」


彼の驚いた顔が見える。
そんなに驚かなくてもいいだろう………?

私だって言うのに、物凄く勇気を必要としたのだから。
同時に恥ずかしくもなってくる。
多分、紅かった顔はさらに紅くなってきている。
今すぐにでもどこかへ隠れたくなる。

けれど。

「───鐘」

そんな考えはこの言葉を聞いて吹き飛んだ。
………大きな誤算。

私が彼のことをファーストネームで呼ぶのならば、その逆のことも当然考えるべきだったのだ。
なのに、その可能性はきれいさっぱり、頭から抜け落ちていた。

遠坂嬢が彼のことを「士郎」と呼ぶものだから、私も同じように呼んだ。
遠坂嬢の時は、彼は変わらず「遠坂」と呼んでいたものだから、………“そちら”の考えには至らなかった。

先ほどとは比べものにならないくらい顔が、いや、全身が熱くなる。
混乱して、恥ずかしくて………そして、例えようもなく、嬉しい。

いつの間にか、私は真っ赤になりながら、満面の笑みを浮かべていて。


彼が私の肩を抱き、そのまま抱き寄せる。
私はそれに逆らわない。

その抱擁で、胸に抱かれた私のスペースが狭くなる。
苦しくはない。この窮屈さが心地良い。

そのまま、彼がゆっくりと、私に口づける。
浅く、深く、やさしく、力強く。

「ん……ぁ、……」

彼に酔いながら、私は自分を確認する。
正直、意識を保ち、彼の背へまわした腕の震えを押さえるのが精一杯だった。


数分は過ぎたのか、それともまだ数十秒なのか。
判ることはなかったが、一つだけ判ることがあって、私はそれを願った。


──もっと続いてほしいと思っている、士郎。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第31話 長い長い一日の勝利者
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/08/11 22:20
第31話 長い長い一日の勝利者



─────第一節 念─────

眼下に広がる夜の街。
ライダーの魔力集めの帰還を待つのは慎二。

衛宮邸を丸ごと吹き飛ばそうと考えていた慎二は、ライダーに宝具を使っても問題ない程度にまで魔力を集めてこいと命令を下し、その帰還を待っていたのだ。
時折吹く風が慎二の体温を奪っていくが、慎二はまるで気に止めないように眼下で米粒のような大きさで街を歩く人を見ていた。
そこへ。

「………なにをしておる、慎二」

声がかけられた。
その声は聞き覚えのある声だった。
背後へと目をやり、そこに立っていた人物を見る。

「お、爺さま………!? な、なんでここに!」

「なぜ、とはまたおかしなことを言う。学校の件から一報も知らせずに家に帰ってこない孫が、一体なにをしているのかと思うのは当然じゃろうて」

くつくつと笑いながら慎二へ視線をやる。
対する慎二は唐突に現れた自分の祖父にたじろぎながらも

「こ………これから衛宮の家に行くんだよ!あいつを殺して遠坂を見返すためにね!」

そう言い張って、現れた老人を見る。

「ならぬ」

しかし、それを老人は一言で斬って捨てた。

「え………?」

「ならぬ、と言った。確かに彼奴は面倒な存在ではあるが、今はまだ生かしておく価値がある。“壊していくための促進剤”として、彼奴“ら”は今絶好の状態となっておる」

不気味な笑いとともに老人は嗤う。
その笑いにゾクリ、と悪寒を抱きながらも老人の言っている意味を理解しようとする。
が、理解できない。
一体何を壊していくというのか、“ら”とは複数を指すが、一体誰を指しているのか。

「わからぬか?………まあよい。それは別としても、衛宮の子倅はすでにマスターではないぞ? 慎二」

「何………? マスターじゃない?」

「キャスターの奴が衛宮の子倅のサーヴァント、セイバーを奪取し、彼奴はマスターではなくなった。遠坂の小娘はセイバーが陥落する前に柳洞寺へ攻めようとしておる」

老人の言葉を聞いて、考えに奔る。
そんな自分の孫を見る老人は、一体なにを考えているのだろうか。
そこへ。

「慎二…………」

すぅ、とライダーが慎二の傍へ現れた。
ライダーへ視線をやる老人とその視線を受けるライダーの間に言葉はおろか、何かのやり取りすら存在しない。

「ライダー、衛宮の家にいくぞ」

目の前にいた己の祖父から視線を外し、屋上から下りるべく建物内へと消えて行った。
ライダーは一度彼の祖父に視線をやり、同じく慎二の後を追って行った。

「─────魔術師、というモノに執念を抱きすぎておるな。………もはや魔術回路など皆無だというのに」

慎二が消えて行った入口に背を向け、屋上より眼下に広がる闇の街を望む。

「………さて、こちらもそろそろ行動に移すかの。衛宮の子倅に関しては生きているならよし、死んでいても構わんかの」

くつくつと笑いながら老人、間桐 臓硯はその場から音も立てずに消えていった。



「大丈夫そうだ、衛宮」

「そうか、良かった」

士郎と鐘の二人は現在、離れの凛の部屋に寝かされている綾子の様子を見ていた。


経過としては、鐘の母親から電話がかかってきて、容体は無事だという内容だった。
マンションが『ガス漏れ事件の現場になっていた』という事実は今朝方になって発覚した。
否、発覚自体はもう少し早かったのだが、今朝は士郎達はテレビを見なかった。
つまり本来ならば真相を知るべくもない二人はこの電話を受けて驚愕する筈なのだが、当の士郎達の驚きはそれほどでもなかった。

というのもキャスターが持っていた写真。
それが全ての原因である。
あれが本来あるべき場所。
それは鐘の自宅である。

しかしそれをキャスターが持っていたということは、つまりその先に起きた事は想像に難くはなかった。
容体は心配であったが、無事だという報告を受け入院先の病院も把握したので、近々お見舞いに行く予定である。
入院、とは言っても何十日も必要とするほどのものではないので、市長の仕事を長期に亘って停滞させることもない。
すべからく容体が元に戻り次第、鐘の父親は市長の激務に身を投じることとなる。

『最近ちょっと働きすぎみたいだったから、この間に少しでも休んでほしいわねぇ』

と、母親の呟きも鐘はしっかりと聞いた。
父親が働きすぎている理由は言うまでもなく、この冬木で発生している様々な事件や事故などの解決策。
病院、警察、市役所などと言った公共機関、施設の従業員たちは少なからず仕事量が増えている。
その原因を作っているのが、一般人が介入することなど不可能な『オカルト』なのだから、どう頑張っても現代社会に生きる人間が解決できる訳がない。
つまり、聖杯戦争はそういう二次的な被害も被っていた。

そういう事を考えさせる電話だったのだが如何せんタイミング、というものがある。
その意味では間違いなく『最悪』の電話であった、とだけは追記させていただく。

鐘の母親との会話が終わり、受話器を切る。
そこまではよかったが、互いの視線が合うや否や唐突に恥ずかしくなってしまい顔を真っ赤にしてしまう二人。
切り出そうとするも、何からどのように切り出そうか、なかなかいい案が浮かばずに咄嗟に士郎が

「そ、そういえば美綴はどこで休んでる?」

と、切り出し、何とかぎこちない雰囲気を脱することに成功したのだった。

「しかし………私の知らない場所でそんなことが………」

「………ああ、美綴は慎二にやられたしセイバーはキャスターに奪われた。二人をこのまま放っておくわけにもいかない」

キャスターからセイバーを取り戻すのは当然のこと、慎二とてこのまま放置しておくわけにもいかない。
だが追えない理由もあった。

(氷室と美綴を残していくわけにも…………)

慎二がライダーを使って綾子を狙わないとも限らない。
凛はキャスターの元へ向かっている以上、慎二は現在フリー状態である。
加えて慎二はこの家の存在を知っているので、留守中にここにくる可能性もあった。

つまり、狙われる可能性があるということ。

当然これ以上巻き込ませるわけにもいかないので二人を守る必要がある。
そこを離れて行ってしまうと同じ事の繰り返しとなる。

「衛宮………? 大丈夫か?」

「ん…………、ああ」

額に手を添える。
現在士郎は凛の『ガンドの呪い』を受けている。
本来なら二日程度寝込む必要がある呪いなのだが、現在気力だけで持ちこたえている。
が、当然そんなものが長く保つはずもない。

少し気を緩めればふらり、と倒れかねない。
鐘に心配させまいとする以上は倒れる訳にもいかないし、それを見せる訳にもいかなかった。

「ちょっと、顔洗ってくる」

気持ちの整理と、熱による思考の滞りを解消するべく洗面所へ向かう。
誰もいない居間の通り過ぎ、誰もいない廊下を通り、誰もいない洗面所へと足を踏み入れる。

洗面所兼脱衣所の明かりをつけ、冷水で顔を洗う。
身体が熱いだけあって、冬であるにもかかわらず冷水は気持ちよくも感じる。
しかしガンドの呪いはその程度で軽くなってくれるわけもない。

「─────」

小さく息を吐き、タオルで顔を濡らした水分を拭きながら正面の鏡を見る。
そこに写るのは自分自身。

では。
その背後にいる眼帯の女性は一体何者なのか。

「っっ!!?」

フォン、と首を斬り落とさんと振るわれた一閃を咄嗟にしゃがんで回避する。
だが、そこへ右足の蹴りが入った。

「がっ─────」

蹴られた衝撃で壁際まで吹き飛ばされる。
そこへ投擲されるのは杭のような短剣。

「っ─────」

横へと跳び、投擲から逃れる事に成功する。

この家には侵入者に対して警鐘を鳴らすという結界が張ってある。
ライダーが侵入した際は確かに警鐘は鳴った。
しかし、士郎の状態がそれを聞き逃してしまっていたのだ。
自分の失態をこれ以上なく心の中で罵りながら、洗面所から脱出する。

同調、開始トレース・オン

一旦距離をとった士郎は即座に自身の身体能力を強化する。
生身でライダーと戦うことは自殺行為に等しい。
そして同時に武器も必要である。
左手の感覚はまだイマイチ戻っていない。
となれば両手を使う双剣は得策ではない、と判断し別のものを投影しようと試みる。

脳裏によぎる剣の姿。
迷っている暇はない。その剣を投影する。
ガンドの呪いが集中力をブレさせる。敵がすぐそこにいると状況が自分を急かす。
ここでやられればこの家にいる二人にも危害が及ぶ。セイバーも助けなければいけない。

そんな様々な思考を一旦カットし、精神を引き絞る。
挑むべきは自分自身。ただ一つの狂いも妥協も許されない。

「─────投影、開始トレース・オン

ぶち、とナニカが切れた音がしたが、今は気にしている場合ではない。
自身の中へ集中する。
バチバチと内部で痛みが奔る。

「く、───あ、あぁぁぁぁぁ………!」

だが、このままではただ死を待つだけである。
集中、集中、集中。
学校で投影した感覚を思い出す。
そして─────

─────幻想をここに現実と成す

手に握られた剣は西洋風。
それはかつて士郎が見た、セイバーの剣だった。
否、正確には違うのだが、今はどうこう言っている場合ではない。

「………私の短剣の次は、西洋の剣ですか」

狭く、薄暗い先廊下の先にいるのはライダー。
敵を睨み、剣を構える。

そして戦闘は始まった。

─────第二節 折れない剣─────


その剣を持ち、突進してきたライダーに合せるように剣を振るう。
フォン! と空を斬る音。それはライダーが咄嗟に後方へ回避したものによるもの。
しかし。
ライダーの髪の一部が斬りおとられ、ライダーの左頬には傷があった。

対する士郎の左腕にもまた傷があった。
だが二人はそれを気にすることなく、第二撃を叩きこむために剣を振るう。
キィン! と疾風の如きのライダーの攻撃を剣で弾く。
一度、二度、三度、四度、五度。
打ち合う度に金属音は家に響き渡る。

「くっ………!」

だがそもそものスペックが違う。
拮抗状態はすぐに崩れ、一歩二歩と士郎は後退を余儀なくされている。

一方のライダーは士郎の不自然な動きを観察していた。
右足と左足の足捌きの速度。
両手を使わず強化した右手だけでの応戦。

「その左手足…………反応、鈍いですね」

「な─────」

自身の身体の異常を見抜かれ驚愕した士郎を余所に、ライダーは的確にその部位へと攻撃を加える。
その攻撃を防ぐために、身体の左側へと剣を伸ばして弾くが………

「右脇腹、………ガラ空きです」

ライダーのミドルキックが無防備となった脇腹へと突き刺さる。
居間と廊下を分かつ障子を壊し、居間へと蹴り飛ばされる。

「ぐ……………」

右脇腹を抑えながら、ゆっくりと居間へと入ってくるライダーを睨む。
ライダーの表情は普段通りにも関わらず、士郎の顔は焦燥と激痛のために歪んでいる。
状況は明らかに不利である。

そこへ

「あははははは! いい表情だね、衛宮!」

庭から嘲笑う声が聞こえてきた。

「慎二………」

月明かりが慎二を写し出す。
その表情は先ほどの科白を肯定するかのようにニヤニヤと笑っていた。

「やあ衛宮。君が家にいるもんだからさ、僕自らが出向いてきてやったんだぜ? 感謝してほしいなあ」

「何が………!」

「だってさ衛宮、お前サーヴァントを失ったんだろ? なら外に出れる訳もないよな。家の中でびくびく怯えながら遠坂の帰りを待っていたってワケだ!」

アハハハハ、と高らかに笑う慎二。
だが士郎はそんな慎二ばかりに気を取られているわけにもいかない。
正面にはライダーがいる。
油断すればあっという間に首が足元へ転がり落ちることになる。

「けど、マスターでなくなったとしてもまだマスターになれる資格は残ってる。おまえ、うざいからさあ、復帰してくる前に潰させてもらうぜ?」

慎二の言葉に反応しライダーが身を屈める。
それは、得物を狙い定めた、一匹の巨大な蛇だった。

「─────!」

それが得物を狙うモノの仕草だと読み取る。
息を呑み咄嗟にバックステップをしながら黄金の剣を振るう。
それとほぼ同時に首を裂かんと振るわれた短剣と、黄金の剣が金属音を鳴らせた。

「あんなのに刺されたらまずい………!」

一度あれに刺されたからわかる。
もう一度刺されたら次は取り返しのつかなくなるという予感があった。
刺されて、そのまま振り回されて吹き飛ばされる。
そんなビジョンが脳裏をよぎる。

強化された身体能力が辛うじて致命傷となりえる攻撃を避けている。
しかしこのまま続けていても敗北は免れない。
凛もアーチャーもセイバーもいない以上、何とかしてライダーを撤退に追い込む必要がある。

「ぐうぅぅ………!」

喉を低く鳴らし、ライダーからの攻撃を何とか退ける。
一歩後ろへ後退するとともに。

「これでも………!」

テーブルの下へ右足を入れ、強化された脚で思い切り蹴り上げる。
浮き上がるテーブルをライダーは片腕だけで横へと弾き飛ばそうとして─────

「!?」

テーブル向こう側から現れた黄金の剣をみて驚愕する。
喉を串刺しにせんと立てられた黄金の剣を、身を捻る事で回避する。
対する士郎は回避されたと感じるや否や、そのまま横へ剣を一閃させる。
両断されるテーブル。
だがそれにも手ごたえがない。空を斬る感覚。
その直後に

「ご─────」

左腕を巻き込んで、左脇腹へと強力な蹴りが入れられていた。
ダン! と壁に叩きつけられ、そのまま床に座り込む。

「はぁっ─────は………ぁ」

激痛が身体に奔る。
肩で息をしながら、右手に持った剣を杖のように床に突き立てながら何とか立ち上がる。

「…………まだ立ち上がるのですね。そのまま倒れていればいいものを」

小さくライダーが呟くが、今の状態の士郎には聞こえない。

(この………ままだと………)

敗北する。
それはこの家にいる綾子と鐘にも脅威が降り注ぐことへと繋がりかねない。
故に敗北することは許されない。
動きが鈍い左手にも武器がいる。
手数は多い方がいい。防げる武器はあったほうがいい。
そう考えて

「………トレース………」

したというのに。

ブチ、と何かが途切れた。

「え………」

左手足が動かない。
小さく震えるだけで力が入らず、感覚がない。
崩れ落ちそうになる身体を右手で握った剣で何とか耐える。

『回路である神経は焼け切れ、左手足は完全に感覚を失い、歩くことすらままならなくなっていだろうな』

アーチャーの言葉がリフレインする。
先ほどですでに二回。
そしてもう一度。

なんてことはない。
今の衛宮士郎では魔術を二回使うのが限界だったのだ。

「─────」

だが、敵であるライダーはそんなことを知る由もない。
ただ、突然構えが解かれた士郎に向けて攻撃を放つ。

「っ!」

投擲された短剣を弾くが、その間に眼前に迫ったライダーの攻撃により、右手に持っていた剣が弾き飛ばされた。
廊下の奥へと飛んでいく剣。

「くっ………!」

姿勢を崩しながらも後退して、再び投影を開始しようとする。
だが。

「が、あ、ぁぁぁぁ─────!?」

魔術回路を起動しようとしたときに奔る激痛。
それは今までに受けた激痛とは種類が違う。
内部からズタズタにされるような感覚。

魔術回路に魔力を流し込む。
だがその途中でその回路が途切れてしまっていれば、流し込んだ魔力は直接肉体を傷つける刃となる。
衛宮士郎の場合は通常の魔術師よりも更に危険である。
彼の持つ全回路は、神経そのものなのだから。

「ごほっ………あ、が………」

血反吐を迸らせ、膝をついて廊下の壁に凭れかかる。
奔る激痛は他の身体の感覚も麻痺させてしまっている。
ずるずると床へと倒れこむ士郎を見て、慎二は嗤う。

「アハハハハ、最後は魔術の不発かい!? まあ衛宮じゃ所詮その程度だよなぁ!安心しろよ、遠坂にはちゃんと『衛宮は不出来な魔術師だった』って言っておくからさ!」

「…………………」

慎二の声が聞こえるが最早何を言っているかがわからない。
座り込んだ身体はそのまま横へと倒れ、自分が吐いた血の池に顔を浸からせた。
顔に感じる液体が赤い。
それが、自分が敗北したという事実を知るに十分な視界情報だった。

「ライダー、やっちゃっていいよ」

冷酷な指示がライダーへと伝わる。

「このまま放っておいても問題はないかと思われますが」

「僕の命令が聞けないのかい? 僕は“やれ”と言ったんだよ?」

「…………わかりました。」

すぅ、と右手に短剣が握られる。
後はこれを倒れている士郎に差し込めば全てが終わる。

「………!」

だが、終わらなかった。
突き立て、刺し込もうとした短剣がキィン! という音と共に弾かれた。

「………またですか」

学校での一件を思い出すライダー。
相変わらずこの不可解な現象の理由がわからない。
短剣を消し、首を折ろうと足を動かした時

「!」

廊下の奥から足音が聞こえ、同時に黄金の剣が無様にライダーへと振りおろされた
二歩ほど後ろへ下がり、黄金の剣を持つ人間を見る慎二とライダー。

「はあ? なんでお前がここにいるんだ、氷室?」

「……………」

慎二が見た姿は廊下の奥へと飛んでいった黄金の剣を両手で握っていた鐘だった。
その腕は僅かに震え、その震えが黄金の剣にまで伝わっている。
カタカタと震えながら、しかし血に浸かっている士郎を庇うように、体育の教科書で見覚えのある剣道の構えで敵対する。

「なんのつもりかは知りませんが………ヘタな行動は身を滅ぼしますよ」

「………ああ、そうだな。私もそう考えている」

「………では」

「だが、だ。このまま黙って見過ごすなんてことは………できなかった」

手に力込めて、ライダーと敵対する。
対する慎二とライダーは全く問題としていない。

魔術師ですらない人間が武器を持とうが、脅威の『き』の字すら体現できない。

「………強いのですね。ですが、そのままだとただ無意味に死ぬだけですが」

「……………」

鐘は答えない。
否、答えられない。
死ぬことなんて判っているが、武器が足元に転がってきて目の前で殺されている士郎がいて、なぜ黙って見ていられるだろうか。

「………助けたいという気持ちは、間違いではない筈だ」

自分に言い聞かせるように言葉に出す。
気持ちを落ち着かせて、今動けるのは自分だけだと認識して、守る。
次の一瞬で死んでいるかもしれないという恐怖はある。
しかし失いたくないという気持ちの方が何倍も強い。
ならば動かなくてはいけない。
だから戦う。

投擲される短剣。
一般人が反応できるような低速ではない。
それでも弾こうと手に力を加えて、剣を振りかぶる。
だが遅い。
どう頑張っても今から振り下ろしても間に合わない。

「ああ─────だから、こんなところで倒れてるわけにもいかないよな」

弾かれる短剣。

「衛………宮………!」

唖然とした鐘の手には、士郎の手が添えられていた。

「まだ動けましたか。ですが………!」

一対の短剣を両手に持ち、突進するライダー。
その速度は疾風である。
だから次の攻撃には反応できない。

鐘一人であれば。

「右に振り抜け─────!」

「っ!」

士郎の声と同時に思い切り右へと振り抜く。
士郎は、素人の振り抜きを動く右手で補正する。

「っ、ライダー!何死にかけと一般人に手間取ってるんだよ!遠慮しないでさっさとやっちまえ!」

慎二の指令が庭に響く。
攻撃を弾かれたライダーは、身を翻し、一気に突進する。

「っ! 氷室!」

鐘の背後から包むように腕を伸ばし、右手で固く黄金の剣の握る。

「………左足の踏ん張りが効かないのだろう? なら、私が代わりに耐えてみせる」

「………!─────ああ」

ギィン!! と金属音が響き渡る。
その衝撃で後ろへ倒れそうになるが、何とか耐える二人。
しかし。

「その戦い方では─────機動性は生まれない」

ふわり、と決して高くはない天井を舞う様にライダーの姿があった。
そこから繰り出される短剣による攻撃。

「ぐ………!」

剣を振るい、短剣を弾き飛ばすことに成功するが、そこまで。
その後にやってきた斜め上からのキックには対応できなかった。

「──────────」

蹴りが入る直前。
身を反時計回りに動かすことで、鐘の腹部上部へと入る筈だった蹴りは、士郎の右脇腹へと突き刺すことに成功させた。

ドン! と、身体の側面から壁へ強打する。
鐘はその際に頭を強打し、士郎は身体の内部を破られたような激痛を受け、二人の意識はブラックアウトした。

─────第三節 勝利者は常に一人─────


「ハ………やったか?」

二人が倒れ、完全に動かなくなったのを確認し、声を出す慎二。

「ハハハハ! 何が僕より優れているだ、遠坂のヤツ! 結局最後は僕が勝つんだよ!」

雲に隠れていた月が再び顔を見せる。


「………へぇ、サーヴァントを持たないマスター相手にサーヴァントをぶつけて、自分が強いなんて思ってるんだ?」


夜の庭に奔る剛腕。
生まれる風は暴風そのもの。
だが、その暴風よりもさらに早く、ライダーは自身最速で慎二を助け出していた。

だが、

「くっ…………!」

左腕がだらしなくぶら下がっている。
掠っただけでこの威力。
まともに受ければ一撃で半身が抉り取られていただろう。

「こんばんは、ライダー」

距離を取った先にいる敵。
バーサーカー。
そしてそのマスター、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンである。

「おま………おまえは………!」

慎二が震えるような声で敵対する二人を見ている。
確かにこの敵相手ならばある種当然の反応かもしれないが

「ふぅん………ライダーとは一回だけ戦ったは事あったけど、やっぱりあなたは“マスターじゃないわ”」

冷酷な紅い瞳が慎二を見抜く。
その瞳はいつもよりも何十倍も冷えている。

「…………バーサーカー、遠慮はいらない。この家がつぶれても構わない。………『殺しなさい』」

どこまでも冷徹で、平坦な声で、一言だけ命令を下した。
直後

「■■■■■■■■■■■■─────!!!」」

十分に距離を取っていた筈のライダーのすぐ目の前に、圧倒的威圧感を放つ巨体が斧を振りかぶっていた。
こんな攻撃をライダーが短剣で受け止めようならばその腕ごと叩き潰され、愉快なオブジェへと変貌してしまう。

つまりこれは回避すべき攻撃であり、受けてはいけないモノ。

「ぐっ…………!!」

しかしあそこまでの近距離では完全に回避などできない。
咄嗟に慎二を突き飛ばし、自身も反対側へと回避する。

吹き荒れる暴風と、抉られた地面がライダーに襲いかかる。
それはまた、慎二にも同じことだった。

「うわああああっ! ら、ライダー!何してるんだ!は、早く動けよ!」

暴風と衝撃によって吹き飛ばされた慎二。
そんな無様な姿を見抜く紅い瞳。

「……………バーサーカー」

ライダーに向けられていた視線が、背後にいる慎二へと向けられる。


「泣いても許さない、
  怯えても許さない、
   扱いても許さない。
 シロウは私のモノ。
   それを殺そうとしたんだから当然、───────殺すね」


「待っ…………!」

ライダーが体勢を立て直し動くよりも早く、慎二が何かを言うよりも早く。
凶悪な斧が慎二を斬り裂いていた。

「シンジ…………!」

同時に慎二の懐にあった偽臣の書も燃える。
ライダー自身も身体の傷が酷すぎた。
たった数度のバーサーカーの攻撃を紙一重で回避したにもかかわらずこの常識外の威力。

身体は薄れ、存在が希薄になっていく。

「…………申し訳ありません、…………サクラ」

小さく呟いて、左半身に大怪我を負ったライダーは消えた。
しかし、それは決して“消えた”というわけではなかった。

「バーサーカー、とりあえず“ソレ”、適当に片付けといてね」

バーサーカーの眼前に倒れているモノを消去するように指示を出し、しかしそんなものに興味はないと言わんばかりに、廊下で倒れているシロウの元へと駆け寄る。

「シーロウッ、大丈夫?」

顔を覗きこむが、気を失っている士郎は当然反応しない。
また、守られるように士郎の内側で気を失っている鐘も目を覚まさなかった。

「うーん」

何やら考えこむような仕草をするイリヤ。
その姿や振舞からは先ほどの戦闘の姿など垣間見ることもできない。

「お嬢様」

考え込むイリヤの背後から声がかけられる。
つい数時間ほど前に判れたメイドがそこに立っていた。

「時間通りね、セラ、リズ」

「イリヤとの、約束は、守る………」

「………そちらが例の?」

「ええ、そうよ。じゃあ運んで頂戴」

「…………かしこまりました」

士郎を担ぎ上げ、入口正面に停車させてある車へと運び入れる。

「イリヤ。この人は、どうするの?」

リズが指を倒れている鐘へと向ける。
うーん、と考えたイリヤだったが

「カネも一緒に連れて行くわ。楽しかったし、カネも“サーヴァント”になってくれるならもっと面白いと思うしね」

無邪気に鼻歌を歌いながら空を見上げる。
イリヤの言葉に反応し、リズが鐘を抱えて士郎と同じく車の中へ運び入れた。

「じゃ、かえろっか、バーサーカー」

バーサーカーを霊体化させ、自身も車の中に入る。
右隣には士郎が、左隣には鐘がそれぞれ眠っている。

「ふふふふ……………」

歳相応な笑顔を見せて、士郎の膝に頭を乗せ、鐘の膝にお尻を乗せる。
幸せそうな笑顔をしたイリヤを乗せた車は本来いるべき城へと向かっていく。

イリヤが車を使った理由は二つある。
一つは単純に寒さを防げるから。
二人に風邪をひかれては困るからである。

もう一つは魔術関連に引っ掛からない、という点。
バーサーカーで運べばその気配が。
何らかの魔術行使をして運べば、その魔力の残滓が残ってしまう。

ならば現代の技術によって生み出されたものを使えば、魔術師が“そういう手段”を使わない限り追える理由などない。

今宵の勝利者は全てを手に入れた銀色の少女だった。
その数十分後に凛達が帰ってきて、捜索へと行動を移すのはこれからのお話しである。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第32話 過去は嘆き集う Chapter6 Nemesis
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/09/20 20:34
Chapter6 Nemesis

第32話 過去は嘆き集う

Date:2月7日 木曜日

─────第一節 痛覚残留─────


「は────、─────ぁ………」

犠牲、罰、凶事、狂気、現実。

「ぁ、は─────っ、………ぐ」

終末、祈願、躊躇、存在、後悔。

「う………ぁ、─────………!!」

劫火、苦痛、恐怖、夜、再発。

視界が赤く反転し、心音が脳髄にまで響いてくる。
ドクン、という音が聞こえる度に襲ってくるどうしようもない嘔吐感。

「ぎっ───あ、づっ………!」

左半身から右半身へと肉の壁を突き破るかのように、ぎちぎちと音が響く。
赤い世界、どうしようもない嘔吐感、骨が捩じれる音。

「な─────は───………!」

その全てが、あの火災をリアルなまでに再現させる。
鼻に突く臭い。体中が熱く、動くたびに体中が痛む。
その映像が士郎をより一層苦しめる。

「は………」

激痛、嘔吐感、熱い身体が意識を半覚醒させる。
僅かに視界に入ってくる映像はどこかもわからないような部屋だった。

「………! ぐ、ぁ………!」

ここがどこか、なんていう疑問は今はどうでもよかった。
自分にかかっている掛け布団を右手で撥ね退け、尋常じゃない熱さを感じている身体を冬の空間へと曝け出す。

「が────っ………!」

蛆虫の様に這い蹲って正体不明の激痛に耐えようとする。
しかし、そんな本能を無視するかのように左手足が動かない。

「い………ぎ────っ………!」

ただ仰向けに寝転がるだけでは絶対にこの激痛には耐えられない。そんな確信めいた予感があった。
しかし耐えなければいけない。
熱と痛みの所為で、脊髄は常にサウナ状態。
脳髄に至ってはもはや灼熱の地にいるかのようだった。

「ぁ─────はっ、………ぎ、い──………!」

これが無理な魔術を限界以上に使った結果だとか、今はそんなことはどうでもよかった。
とにかくこの痛みに耐えなければいけない。
耐えなければこの痛みで精神までもが侵されかねない。

「───────────────」

唇を噛み締めて、右手拳を力の限り握りしめる。
口の中に血の味が染みてきてもなお、力は緩めない。
声を発さないように、口を歯で無理矢理閉じる。
これが自分の行為によるツケだというのならば、その責任は自分で果たす。
誰かの助けを借りるのは躊躇われた。

「──────────」

荒い息遣いのまま、時計を探す。
しかしここがどこの部屋か判らない以上、そう簡単に時計が見当たる筈もなかった。

何時まで続くか判らない激痛。
朝まであとどれくらいかもわからない現状。
それらが、さらに士郎の精神を犯していく。

「───っづ、は、ア゛………!」

暗闇に一人。
熱が、激痛が、全てを壊しながら夜は過ぎようとしていた。

―Interlude In―


「ん………」

私の目が私のいる場所を写し出した時、頭の中には疑問しか浮かばなかった。

「ここは………」

上半身を起こして現状を確認するも、視界がぼやけていて何が何かがわからない。

「眼鏡はどこに………?」

暗闇の中ではほとんどあてにならないぼやけた視界。
手探りで眼鏡を探すも、まったく見つからない。

恐らくはベッドであろう場所から出ようとして、自分の状態に気付いた。
服を着ていない。
上半身が全くの裸だった。

「………………」

身体を触り、異変がないかを確認する。
この冬の夜中に服を脱いで寝るという習慣などないし、寝ぼけて服を脱ぐような癖もない。

この前は一体なにがあったのだったか、と思い出そうとしたとき

「つ………」

ズキッ、と頭痛がした。
反射的に頭に手をやったときに、思い出した。

「そうだ………!衛宮は………」

視力の悪い状態で薄暗い周囲を見渡すが、そこに彼の姿はない。
それどころか、この広い部屋に誰の姿もなかった。

どこかの城の中かと思うような室内。
室内に飾られている調度品にはきっと埃の一つすらなく完璧に手入れが行き届いているのだろう。
きっと眼も見張りたくなるような高価なそれらが無数に配置されているとあっては、ここはどこぞの大金持ちが居を構える豪邸に違いないだろう。
ここが衛宮の家でないことは、例え視力の悪い私でもすぐに理解できる。

だからこそ、私は安心できない。

「着るものも、眼鏡も見当たらないとは………」

椅子にかけられていたバスタオルらしきものを羽織り、室内を散策するも自分が今必要としているものは何一つとして見つからなかった。
この部屋に目的の物もなければ現状を理解できるものもないし、衛宮がどうなったかもわからない以上、ここに留まる理由がない。

「────」

ギィ、と扉を開ける。
息は可能な限り殺し、外の様子を伺う。
相変わらず視界はぼやけているが、豪華絢爛な廊下だということは一目で理解した。
つまり、ここはどこかヨーロッパのお城の中なのだろうか?

「誰もいない………か」

見回りの人物らしき人影は見当たらない。
ゆっくり扉を閉め、あても無く私は廊下を歩く。
片手でバスタオルがずれ落ちないように固定して、もう片方の手は壁にあてながら前進していく。

数メートル歩いたが、相変わらず視界に人影らしきものは写らないし、声をかけられるようなこともない。
今が夜だということは判るが、何時なのかがわからない。
眼鏡をかけていないので少し高い位置にある掛け時計の針すらも見る事ができない。

「  」

「ん………?」

壁に手をあてている方向とは反対側。
視線の先にある扉。
そこから何かが聞こえてきた。

「………行くあてもなし。情報を手に入れるには………虎穴に入らずんば虎児を得ず」

ドアノブに手をかけて、ゆっくりと扉を開ける。
中からの声がよりクリアになって私の耳へと届く。

「ア゛………、ぐ────っ!」

「………!?」

聞こえてきたのは会話でもなければ、独り言でもない。
呻き声。
声がする方へ視線を向ければ、その先はベッドだった。

そしてこの声には聞き覚えがある。

「衛宮………!?」

周囲に誰もいないのを確認して、急いで事実を確認しようとベッドへ近づいて確認する。
ベッドの上で呻き声を上げている人物、赤い髪の男性。
それを見間違うことなどなかった。

「衛宮! しっかりしろ、衛宮!」

掛け布団を撥ね退けて、必死に何かに耐えている彼の姿がそこにあった。
私の姿が見えていないのか、私の声が届いていないのか、それとも反応すら見せることができないのか、呻き声を出しながらずっと何かに耐えていた。

「士郎………!」

額に手をあてて熱があるかを調べてみたら、間違えることなく彼の身体が発熱しているということがわかった。
触れた手に伝わる彼の汗。
服を着ていないのも恐らくはこの発熱の所為だろうと判断するが、しかしこの苦悶は異常。

「体を拭くもの………」

そう呟いた直後に自分が羽織っている物を確認する。
躊躇うことなくそれで彼の体を拭いていると、それに気づいた衛宮が右手を私に向けてきた。

「ひ………」

「衛宮………! 大丈夫か、衛………」

私が声をかけようとして、しかし彼の言葉を聞いたときにその声はでなかった。

「ひー………ちゃ………ん?」

ズキン、と。
胸に響いた。


彼の右手が私の頬に触れる。
その手はやはり熱くて、そして何より震えていた。
それだけで彼がどれほどの苦痛に耐えているのかがわかったというのに。

「よか………無事………で………」

出てきた言葉は救済を求める声ではなく、心配した故の安堵の言葉だった。

今の彼の姿の中に、過去の子供のころの姿が重なった。
あまりの熱の所為で混乱しているのだろうか。
それはわからない。
けれど、自分がこの状態であるというにも関わらず、彼は私の心配をしていた。

「………ああ、無事だ。無事だから………!」

その手を離すなんてことは、私にはできなかった。

―Interlude Our―


─────第二節 メイデン─────

夢の欠片。
夜に潜む、寄り添う星の一つが消えて、夜明けの音が聞こえてくる。

「────ぁ」

すぅ、───すぅ、────すぅ、────すぅ

「し、ろう」

規則正しい寝息が、彼の容体が安定したことを表していた。
私の右側に彼が眠っている。

「………」

気がつけばベッドの中に入っていた。
彼に包まれるように、私は体を預けていた。

「お目覚めかしら、カネ」

静かな部屋に声が響いた。
一瞬何なんのかと思ったが、この部屋に別の誰かがいるということを理解して跳ね起きた。

「イ、 イリヤ嬢………」

「ごきげんよう、部屋にいないと思ったらまさかシロウの部屋にいるとは思わなかったわ、カネ」

部屋に立っていた彼女の視線を受け、自分の状態を再確認して、慌てて布団を胸元にまで被る。
それを見てどう思ったのかはわからないが、手に持っていた服を渡してきた。

「今更隠さなくっていいわ、昨日シロウを治療するときに見たんだし。これ、カネの服でしょ? 血がついてたから洗っておくように言っておいたの」

「血………」

「そうよ。………といっても貴女の血じゃない、シロウの血。今はもう治ってるだろうから大丈夫だと思うけど、ホント昨日は大変だったんだから」

手渡された服を眺める。
確かに血らしき痕が、かすかに残ってはいたが、服の色と相まってこの程度なら目立つことはないだろう。

「ほら、早く着たら? それともカネはシロウに裸を見てほしいの?」

「なっ………! 私はそんなつもりなんて………!」

被っていた布団から服に着替えようとした時だった。

「あ、シロウ!おはよう!」

その言葉を聞いて、ピタリと止まってしまった。

「イリヤ………? おはよ………」

服に着替えようと布団をどけて、袖に腕を通そうとしたところで、横で起きた衛宮と視線がぶつかった。
私の方を見て固まる彼の顔が少しずつ赤くなっていくのがわかった。

………きっと私はその数倍早く真っ赤になっていただろう。

「シーロウ!」

「いっ!? いでででで、イリヤ、太もも踏んでる、踏んでる!」

衛宮に向かってダイビングしてきたイリヤ嬢が彼の視線を遮った。
恐らく意識してやったわけではないだろうが、ここは彼女に感謝して服を素早く着ることにしよう。

「あ、ゴメン。それで、シロウ!怪我とかはもう大丈夫? 痛いところはない?」

「い、痛いところ?………いや、特には………」

首や肩、掌を動かして自分の状態を確認している。
私自身も彼が大丈夫かは気にしていたので彼の回答を待つ。

「うん、大丈夫。………左手足がまだレバーで動かすようなもどかしさはあるけど、問題ないよ」

「当然よ、神経が断絶してたのを治したんだから。繋いだ神経が馴染むまでまだ少し時間はかかるわよ」

「神経が断絶………?」

「そうよ、シロウの魔術回路が神経そのものだなんて私ですら考えなかったわよ。私だから治せたけど、普通ならもう治らないんだからね!」

二人の会話を横で聞いていた私に、衛宮が視線を向けた。
それとほぼ同時刻にコンコン、とノックされる音が。

「お嬢様、朝食の準備が整いました」

シスター風の白い服を着た女性が入ってきた。

「わかったわ、ちゃんとシロウとカネの分も用意してる、セラ?」

「はい、仰せの通りに」

「なら今から行くわ。先に行っててちょうだい」

「畏まりました」

頭を下げ、再び廊下の外へ消えるシスター。
そんな彼女達のやりとりを見ていた彼がイリヤ嬢に尋ねた。

「え………っと、つまりここはイリヤの家でいいのか?」

「そうよ。アインツベルンのお城。シロウ達が住んでる街から車で何時間も走ったところにある森の中。誰もここにはやってこないし、邪魔も入らない」

彼女の顔が彼にどう映ったのかはわからない。
けれど、私には何か嫌な予感だけが心の中に残った。

「それじゃあシロウも服を着て朝食を食べましょう。お腹、減ったでしょ」

「え………?あー、そう言われてみればそうだな」

服を手渡され、袖に腕を通していく。
一足先にベッドより跳び下りたイリヤ嬢が急かすように私達を呼んでいる。

「わかったから、今行くよ。氷室も」

「あ、ああ………。そう、………だな」

「? どうしたんだ、氷室?」

「………いや、何でもない」

イリヤ嬢が案内するように私と衛宮の前を歩いている。
その小さな後ろ姿を見ながら、隣で歩いている彼が声をかけてきた。

「氷室。氷室は怪我とかないのか?」

「私はどこか痛むということはない。そういう君こそ大丈夫なのか?」

「さっきも言ったけどほとんど影響はないよ。そりゃあ左手足の感覚がまだ鈍い部分はあるけど、気を付けてれば実生活には支障は出さない」

「ならそれでいいが………。なあ、衛宮」

「ん? なんだ?」

「なぜ君は─────」

────なぜ、あんな状態で、私の事を心配していたの?

その言葉を飲み込んで、私は目を閉じた。
単純に考えれば、それだけ私のことを心配してくれている、と思うだろう。

けれど私はそうは思わない。
それが私の思い違いであってほしいと、そう願いながらイリヤ嬢の後ろを歩いていた。



食事時。
朝食にしては若干遅い時間ではあるが、昨夜は何も食べていないため、すんなりと用意された分は食べることができた。

「ごちそうさま」

「ごちそうさま。悪い、イリヤ。ご馳走になって」

「いいのよ、2人程度増えたってそう変わらないもの」

朝食を終えた私達のもとに紅茶が差し出された。
流石はお嬢様の住む家………というところだろうか。

「ところでイリヤ嬢。聞くタイミングを今まで逃していたのだが、私達がここにいる説明をしてはくれないだろうか?」

「? あ、そっか。あの時シロウ達は気を失ってたから知らないんだね。じゃあ教えてあげる。といってもそんな難しいことじゃないんだけど」

優雅にカップに口をつけていたイリヤ嬢が、私の質問に答えるべく口を開いた。

「シロウ達がちょうど意識を失ったころかな? 私がシロウの家にやってきて、ライダーと戦闘になったの。………といっても戦闘といえるようなものでもなかったけど。ライダーのマスターを殺して、ライダーはどこかに消えちゃって終了。気を失っていた二人を車に乗せてここまで運んできたのよ」

「ライダーのマスター………慎二を殺したのか………!?」

「そうだよ? マスターを殺すなんて聖杯戦争では当たり前だし、何より私のシロウを殺そうとしたんだもの。殺すなんて当たり前でしょう? それとも何? シロウは殺しに来た敵を殺さないで殺されてあげるの?」

「それは………」

イリヤ嬢に悪びれた様子は窺えない。
彼女にとって本当にそれは大したことのない、当然の出来事として処理をしたのだろう。

「………助けてくれたのはわかった。けど、じゃあなんで俺を助けたんだ? 俺もマスターだ、その定義でいくなら俺だって殺している筈だろ?」

「おかしなこと言うんだね、シロウ。シロウを殺す気なんてないし、そもそもシロウはマスターですらなくなってるじゃない。なら、殺す必要なんてないでしょ?」

マスターではない。
その言葉が私の中に響いた。

「マスターではない………? 衛宮、それはどういう………」

「………キャスター。アイツがセイバーに契約破りの短剣を刺したんだ。それでセイバーとの契約が解除されて奪われた」

「契約破り………」

恐らく私が気を失ったあとの出来事だろう。
あの後一体どうなったのかをそう言えば聞いていなかった。

イリヤ嬢がカップに口をつけて紅茶を飲む。
私と衛宮もまた、落ち着くために紅茶を一口飲んだ。

「そう、だからシロウはマスターじゃない。戦う手段もない以上、マスターであろうということも必要ない」

「違う、セイバーだってきっと無事だし、遠坂達が助けてくれている。なのに俺があきらめちゃだめだ。戦うと決めた以上は最後までマスターとして戦い抜く」

「ふぅん、けどそんな状態じゃ簡単に殺されちゃうよ? サーヴァントがいないマスターを殺すなんて、最弱のサーヴァントですら容易にできるんだから」

イリヤ嬢の視線が私の方に向けられた。
赤い瞳が私を見つめている。

「それにカネだってあの戦いで死んでたかもしれないよ? 一般人は巻き込むものじゃないけど、秘匿できるなら問題はないもの。シロウを助けたのも、カネを助けたのも私。普通ならこんなことしないけど、二人は特別だから助けたんだよ?」

「特別………?」

「そう、特別。………ね、シロウ、カネ。私のサーヴァントにならない? 二人がうん、っていってくれるなら二人を守ってあげる。側にいてくれるならずっと守ってあげるよ?」

「サーヴァントって………」

「本当は最初はシロウだけが目的だったの。十年もこの日を待ったんだから。………けど、カネといるのも楽しかったし多い方が楽しいからカネも連れてきたんだよ?」

「待て、待ってくれイリヤ。十年………っていったよな。………思えば最初に会ったときから俺のことを知っているような感じだった。………まさか十年前にどこかで会った事があるのか?」

「………………」

カップを受け皿に置いて、衛宮の顔を見るイリヤ嬢。
その顔は先ほどまで笑っていた“イリヤ”ではなく初めて会ったときの“バーサーカーのマスター”の顔だった。

「そっか、シロウは何も聞いてないんだね。───昔のお話しだよ。ある一人の魔術師がアインツベルンへやってきた。その魔術師はかつて『魔術師殺し』と言われるほど強い魔術師だった」

「魔術師………」

「アインツベルンは彼を雇い、アインツベルンの悲願のために彼に協力した。その際アインツベルンは彼に妻を娶らせて後継者を残したの。その妻の名は『アイリスフィール・フォン・アインツベルン』」

「アイリスフィール………?」

頭の隅に、イリヤ嬢の言葉が引っ掛かる。
どこかでその名前を聞いた覚えがある。
それは確実なのだがそれが何時、何処でなのかがはっきりと思い出せなかった。

「そしてその後継者が私、『イリヤスフィール・フォン・アインツベルン』。………アインツベルンが雇った魔術師はこの極東の地で行われる聖杯戦争に参戦した。何年もかけて準備をしていたし、その魔術師も本当に強かった。だから順当に勝ち上がり、もうあと一歩で聖杯が手に入るというところまできたの」

だけど、と言葉。
その後の声は侮蔑と憎しみの情が、私ですら感じることができた。

「魔術師はその土壇場でアインツベルンを離反したの。その結果聖杯の入手にも失敗して魔術師はアインツベルンより逃亡した」

私と衛宮はただ黙ってイリヤ嬢の話を聞いている。
だが、次の言葉は、私を、そして衛宮を凍らせることとなった。

「その魔術師は、焼野原となったその地で現地の子供を引き取って、実の子供のように育てていたそうよ」

「───────────────」

言葉が出ない。
私も、そして衛宮からも言葉がでなかった。

「ここまで言えば流石に判る?………そう、私と私の故郷を裏切った、その男の名前は───衛宮切嗣。………つまりね、私達は義姉弟なんだよ、お兄ちゃん●●●●●

─────第三節 一人では生きられない─────


「爺………さんが、イリヤの、父親………!?」

驚愕の色を見せる士郎とは対照的に、イリヤスフィールの顔はどこか悲観に見えた。
幼い子供が泣きそうになるのをなんとか我慢するような、見ているだけで見ている方も悲しくなってしまうような表情で。

「そう………キリツグはね“必ずすぐ帰ってくる”って言ったんだよ………? けど、帰ってこなかった。ずっと待っていたのに帰ってこなかった。信じていたのに………キリツグは帰ってきてくれなかった………!」

「イリヤ………」

土着の魔術師ではない衛宮切嗣。
その彼が十年前に冬木の街を訪れ聖杯戦争に臨んだ。
しかし結局アインツベルンの悲願とやらは達成できず、彼は大火災の焼け跡で一人の子供を拾った。

それからの事は、士郎にも思い返せる幸福な日々。
だからこそ理解する。
イリヤスフィールにとって衛宮切嗣はとても大切な存在で、そしてその人を奪い取ったのは、他ならぬ自分自身であると。

だから。

「キリツグはもうこの世にいない。最期まで私に会うことなく、勝手に死んでいった。………だけど、それじゃ私の気持ちが治まらない。だからシロウには償ってもらうことにしたのよ、わかる?」

この結論へと至る理由も判る。

─────裏切られた。待っていたのに。ずっと待っていたのに。

例えそれが自身で作り上げた感情だとしても、誰かからそう教わった感情だとしても。

それを悪いと誰が罵ることができるか。
たとえ彼女の周りの人間全てが罵ったとしても、衛宮 士郎は罵ってはいけない。

あの男に救われた自分であるからこそ、彼女の復讐を妨げてはいけない。

─────切嗣は悪くない。恨まれるのならあの日、衛宮士郎として蘇生したこの俺なのだと。

怨嗟に満たされた復讐心。
矛先であった切嗣亡き今、その想いを受け止められるのは士郎しかいない。

イリヤスフィールには士郎を罰する権利がある、資格がある。
帰る場所を違えた男の末路。その男の死を看取った自身の責任。

少女から幸福な時間を奪い去った罪は、深き咎として士郎を処断して余りあると理解できる。
しかし。

「なら………なんで氷室もなんだ………? 俺に対してならわかる。けど氷室は関係ないじゃないか………!」

「? そうだよ、十年前に関してはカネは全く関係ない。ただ私がシロウとカネが一緒に来てくれればより一層退屈しなくて済むと考えたから連れてきただけ。一回お話しもしてるしね」

「なら………!」

「だけど、シロウにとってカネは大切な人なんでしょう? 私はキリツグとは違うもの、シロウを連れて行くなら、カネも連れて行った方がシロウも安心できるでしょう? それに────」


─────もし、シロウが逃げようとしてもカネがいる限り逃げきることなんて絶対にできないもの


「な………」

言葉を聞いた士郎は、彼女の口から発せられた言葉に驚愕し、鐘は言葉を失っていた。

「大丈夫よ。カネを殺そうとは思わない。私はうん、って頷いてくれればそれでいいの。その後は三人で一緒にお話しできるし、一緒にご飯も食べられる。一緒にお風呂にだって入れるし、一緒に寝ることだってできる。敵が来たら私とバーサーカーが追い払うもの。ほら、ずっと安全で一緒に入れるんだよ?」

「─────だめだ、イリヤ。そんな脅迫染みたことで居させようとしても。それにセイバーや遠坂達だっているし、聖杯戦争も終わっちゃいない。それにはうなずけない」

「シロウ? あんまり私を怒らせちゃだめだよ。ここは私の庭。シロウを殺すなんて簡単だけど、十年も待ったもの。簡単に終わらせるなんて勿体ないわ」

「イリヤ」

じっと、真剣に。
正面に座るイリヤスフィールに視線を向ける。

「俺の知る切嗣は、自分の娘を見捨てるような酷い人間じゃなかった。………切嗣は、俺を育ててくれた時、頻繁に家を空けて外国に出かけてた。最初はどこに行ってるかもわからなかったし興味もなかった。………けどイリヤの話を聞いてわかった。きっと切嗣はイリヤに会うために、イリヤのいる所へ行ってたんだ」

「え………?」

「もしイリヤの言う通り自分の娘を放っておく薄情な人間ならずっと俺と一緒に家にいるはずだろ? けど切嗣はそうじゃなかった。どこ行ってきた?って聞いても外国、としか言わなかった。………切嗣が“必ず帰ってくる”って言ったんなら絶対にイリヤに会いに行ってた筈なんだ。何度でも言ってやる、衛宮切嗣はたった一人の最愛の娘を放っておくような人間じゃない。絶対にイリヤに会いに行ってたんだよ」

「嘘………そんなのウソよ! だってアインツベルンには一度も来ていないって言ってたし、事実キリツグは会いに来てくれなかった!」

「ああ、イリヤが言うからには会わなかったんだろう。けど、“会おうとしても会えなかった”のと、“会おうとも思わなかったから会わなかった”は違うだろ?」

「じゃあ何………!? 会おうとしてアインツベルンまで来てたけど、爺様たちが会わせなかったっていうの………!?」

「イリヤ嬢………、アインツベルンの悲願というものが一体何かは私は知らない。けれど、悲願、というからには長い間それを待ち望んでいたのだろう? それを土壇場で裏切ったというならば、イリヤの祖父は怒って娘と会わせないような“ナニカ”をしたのかもしれない」

「どうして!? そもそもアインツベルンを裏切らなければ爺様たちだってそんなことはしなかったし、アインツベルンの悲願も達成できてた!そうしたらキリツグだって私に会えたのに………!」

「それは俺にもわからない。実際切嗣が聖杯戦争に参加していたなんてことを全然知らなかったんだからな。………けど、切嗣は無意味なことはしない。娘が一人待っているにも関わらずアインツベルンを裏切ったのは、きっと“裏切らなければいけない理由”があったはずなんだ」

「そんなの………!そんなのって………!」

士郎の罪は拭えずとも、度々国外へと赴いてた切嗣の行動も今思えばイリヤスフィールを迎えに行っていたのだと思う。
だけれど祈りは叶わず、しかし安息のうちに息を引き取った衛宮切嗣の想いは確かに士郎の裡に息づいている。

「イリヤの願いには答えられない。けど、イリヤと一緒にいることなんていくらでもできる。そんな脅迫染みて強制させるようなことじゃなくて、家族として一緒にいるなんていくらでもできるんだ、イリヤ」

だから、切嗣の果たせなかった約束を叶えてみせる。
切嗣の代わりなどではなく士郎として。

ただ今は──この少女の泣き顔を覆い隠す為に、この胸を貸してあげたかった。

─────第四節 深淵の森─────


「しかし………物凄いお城だな」

「内装を見ただけでかなりのものだとは思っていたが、まさかこれほどとは思っていなかった」

「ふふん、すごいでしょ? この辺り一帯全てアインツベルンの土地なんだから!」

イリヤスフィールを肩車した士郎と鐘は外に散歩に来ていた。
イリヤの気持ちを落ち着かせるというのと、周囲の状況がどうなっているのかというのを確認するがてらの散歩である。
士郎の場合は、加えて自身の左半身の感覚を取り戻すというリハビリも兼ねていた。

しかし見渡す限り、森・森・森・森。
四方全てを森が取り囲んでおり、道らしい道を見つけることができない。

「それは当然でしょう。道なんてあったら、それに沿って人がやってくるもの。道を作らないで、魔術でこの森に異常をきたしておけば一般人がここにたどり着くなんてことはめったにないわ」

「まあ………確かに森の中にこんなお城があったら一発で見物客がやってくるだろうからなあ………」

「加えてこの森はアインツベルンの森。そこらじゅうに私の感覚を張り巡らせてるから侵入者がいてもすぐにわかるの」

「なるほど………それ故の『籠の中の小鳥』か………」


城を一回りしたところで城の内部へと戻る。
通常ではありえないような広くて豪華な玄関ホールを抜けて階段を上る。

「ふぁ………」

「なんだ、イリヤ。眠くなったのか?」

「シロウの治療をするために夜遅くまで頑張ったんだよ? 寧ろ感謝してほしいくらいよ」

「それは失礼いたしました。………じゃあちょっと眠るか?」

「………ううん、せっかく二人がいるんだからもっと一緒にいる」

「イリヤ嬢、別に私達はどこにもいかない。眠いなら寝ていいのだぞ?」

「う………うん、じゃあそうする」

イリヤが自室へと戻って行き、士郎と鐘は行く場所もなくなったため、最初に士郎が眠っていた部屋へとやってきた。
眼鏡はイリヤのメイド、リーゼリットが興味半分で頭にかけていたのを朝食時に士郎が発見した。

「ふぅ………」

城の雰囲気に圧倒された所為もあってため息をつく士郎。

「どうした、衛宮。君がため息などとはらしくない」

「いや、………こんなお城は初めてだし、右を見ても左を見ても高価なモノばかりだからなあ。迂闊な行動したらそれだけで傷つけたり割ってしまいそうだ」

「私も初めてではあるのだがな。というより普通に生きている限りこのような城に来ることはまずないだろう。観光であったとしても客人として招かれるなどはまずない」

「確かに。俺の場合は、家が和風だから落ち着かないっていうのも理由にあがるけど」

時刻は昼を過ぎたあたり。
セイバー達の動向も気になるが、イリヤスフィールを放っておくわけにもいかない以上彼女に付き合う必要はあるだろう。
次に起きてきたあたりで、冬木市に帰れるようにイリヤスフィールに相談しようと考えていた。
士郎としてはイリヤのような小さな女の子が殺し合いをするなどはこれ以上してほしくなかったが、彼女がマスターである以上そこは譲らないだろう。

しばらくの時間が経った後、コンコンというノック。

「? はい、どうぞ」

ノックの後に入ってきたのは、鐘の眼鏡をかけていたリーゼリットであった。愛称はリズ。

「イリヤが、一緒に食べてようって」

「食べる………?」

「そう、ケーキ」



「このケーキ………もしかして商店街の“あの”ケーキ屋か?」

はむはむとおいしそうに頬張るイリヤスフィールを横目に、その店で購入した証となる入れ物のロゴに見覚えがある士郎。

「商店街………。人が、いっぱいいるところ?」

「多分そう。そしてその言葉が出てくる時点で決定したようなものだから答えなくても大丈夫。大丈夫だから、食べながら話さなくていいぞ」

同じくはむはむと食べるリズ。

「貴女は食べないのですか、セラさん?」

「わ、私は………。私はメイドです。同じ場にて食べるなどと………」

「セラ、いらないなら、私がもらうね」

「食べます!!」

かくして、この場にいる全員がケーキを食べるという構図に至る。

「あ、そうだ。シロウ」

「ん? なんだ、イリヤ」

「あれってシロウの剣?」

イリヤスフィールが指差した先にあったモノ。
壁に凭れかけるように置かれたソレはかつて鐘と士郎が同時に手を取ってライダーに対抗した時に握っていた黄金の剣だった。

「あ、そうだな。俺が投影した武器だ。まさかイリヤが持ってきていたのか」

「ちょっと待って、シロウ。貴方、今“投影”って言った?」

「ああ、言った。それは俺が投影した武器だけど?」

「…………」

食べる事をやめ、何やら難しい顔で剣を見つめるイリヤスフィール。
かと思ったら次は椅子から下りて、剣を手に持ってまじまじと観察し始めた。

「ふぅん………投影、ね。シロウ、これがおかしいことだっていうことに気が付いてる?」

「おかしいこと? えっと、何がおかしいんだ?」

「これを投影したのは昨日の夜でしょう? けど今日の夕方になってもまだそこにあり続けるなんて、普通の投影魔術では絶対にありえない。シロウの剣は消える気配すらない。………シロウの家には、もっとずっと前に創った物もあるんだよね?」

「ああ。強化の訓練の合間に創った物が幾つか。中身は空っぽなものばっかりで、その剣みたく出来たものはほとんどないんだけどな。戦闘中にも幾つか作ったけど、悉く壊されてたし」

「それは単純にシロウの修行不足よ。けどそう………、これが投影………。なら、きっとこの投影魔術こそがシロウの本質なのよ」

「確かに一番最初にできた魔術は投影だけどさ、強化もそこそこやれるぞ、イリヤ。寧ろ強化のほうが今は使えると思ってるんだが」

「判りやすいように言うけれど、『強化』は物質の構造を魔力で補強することでより硬化させたりできるものだけど、『投影』は構造そのものを魔力で編み出して作り出す。『投影』が出来たというなら、それよりも技術的に下にある『強化』が成功しやすいのは当然よ。系統としても同じだし、似ている共通部分だってあるから。シロウはその『強化』だけを突き詰めた結果、その上に属する『投影』に必要な技術が身についていないのよ。けど、『投影』こそがシロウの本質である以上、ちょっとコツを掴めば、向上した『強化』を下地にできるからどんどん上達していく」

推測だけどね、と付け加えるイリヤ。
判りやすいように、とは言ったもの理解が少し追いついていなかった。

「………、まあ難しい話はわかんないけどさ、要するに俺は強化より投影の方が向いているってことなんだな、イリヤ?」

「シロウがこれからも魔術を扱っていこうと思うのならこの魔術を極めてみるといいわ。けど、これ以上知られないようにすること。でないと、捕まって解剖されちゃうんだから」

「それは御免だな。まあ、じゃあ知られないようには気を付けるよ。要鍛錬、ってことらしいしな」

「でも無闇矢鱈に使っちゃダメよ。もう経験済みでわかってるとは思うけど、身の程を超えた魔術は術者へと跳ね返ってその身を滅ぼすんだから。そんなの絶対に許さな………」

イリヤスフィールの口から言葉が停止する。
はてな、と首を傾げる士郎と鐘。
だが対する付き人、セラとリズにはそれがどういうことかがわかっていた。

「セラ、リズ、シロウ、カネ」

「はい、お嬢さま」


「敵が来るわ。それも複数人………“まったくの別方向”から」


空は間もなく夕暮れから夜へと変貌する。
酷く歪な闇が城へと襲いかかろうとしていた。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第33話 招かれざる訪問者
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2013/04/30 00:20
第33話 招かれざる訪問者


─────第一節 敵の姿─────

「敵………!? イリヤ、敵って誰だ?」

「………………」

士郎が問いかけるも、イリヤスフィールから返答はない。
彼女の表情からは優雅さが消え、困惑しているような様子すら見受けられる。

「イリ………」

「バーサーカー!」

イリヤスフィールの声に応え、姿無き巨人が喉を鳴らす。
敵がやってくる。ならば最高の守りであるこの城と、この化身が居れば必ず勝てる。

そう、傍らにいるこのサーヴァントこそ最強だ。
世に名を馳せる数多の英霊英雄の中でも最上位に位置する勇名を謳われる者。いや、そんな常識をさて置いても、揺るがぬ事実に変わりはない。
そう言い聞かせて、やってくるであろう敵達を迎え撃つ。

「イリヤ!」

部屋を出て行こうとするイリヤスフィールを追う様に、士郎もまた立ち上がる。

「シロウ。シロウはサーヴァントがいない、ただの普通の魔術師よ。これから始まる戦いには参加できない。………いいえ、仮に参加できたとしても戦いにすらならない。だからシロウとカネは隠れてて」

「な………!─────確かに今、ここにセイバーはいない。けど、イリヤの様な女の子一人を戦場に向かわせるなんてできるか!」

「シロウ、気持ちは嬉しいわ。けど、私にはバーサーカーがいる。バーサーカーは強いもの、絶対に負ける筈がない。だから大丈夫よ。セラとリズも身を隠しておきなさい」

「畏まりました。………お嬢様、ご健闘を」

「ええ。バーサーカー、行くわよ」

巨人と少女が扉の向こうへと消えて行く。
その戸が閉まる直前、ピタリと止まり、振り返った。
その顔は笑顔の色で染まっていた。

「それにね、嬉しかったんだよ? 一緒に居てくれるって言ってくれて。………なら、私が守る。家族を守るなんていうのは当然だし、好きな人を守るのも当然のことなんだから」

パタン、と戸は閉められた。
静かで大きい廊下を二人は歩く。

『バーサーカーは強いね』

いつか彼女が口にした、最初の言葉。
嫌悪ではなく親愛を込めて謳われたその言葉こそ、最強の従者が守るべきものなのだから。

「行きましょう、バーサーカー。………私達は絶対に負けない、負けられないんだから」



「ではヒムロ様、何かありましたらお呼びください。私達は隣の部屋で待機しておりますので」

「わかりました。ありがとうございます」

戸が閉まり、改めて部屋を見渡す。
前見た部屋と何ら変わらないが、空気は明らかに違う。

「衛宮………」

窓から外を眺めている士郎の後ろ姿。
そこから感じられる雰囲気は今までとは違う、戦っているときの雰囲気。
真剣な雰囲気そのものである。

「わかってる。イリヤの言う通りだ、バーサーカーは強い。………俺が行ったところで援護どころか邪魔になるだけだと思う」

ベッドに腰掛けてそのまま倒れこむ。
結局今まで何が守れただろうか。

「美綴も助けれなかった、セイバーも奪われた、イリヤも傷つけていた。………氷室にも迷惑かけてばっかりだよな」

「迷惑って………」

「朦朧としてたけどさ、昨日の夜に氷室を見たんだ。それで今朝そこに居たってことはやっぱりずっとそこに居てくれたんだろ? ごめん、まず最初にお礼を言わなきゃいけなかったのに、ずっと言わなかった。………ありがとう、氷室」

「─────衛宮。私は君に救われたからこそここにいるのだぞ? 美綴嬢だって、ちゃんと生きている。セイバーさんだって、きっと無事なのだろう? なら………」

鐘の言葉を遮る様に、地響きが聞こえてきた。
同時に地面が揺れる。

「………バーサーカーが戦っているのか」

ベッドから起き上がり再び窓から下を覗く。
だが正面入り口には誰もおらず、荒らされた形跡はない。

「あの広い玄関で戦っているのか………」

玄関ホールはかなりの広さを誇る。
見通しもよく、遮るものがない一方で、上階から玄関ホールを見渡すことも可能。

「氷室、ちょっと行ってくる。ここで待っててくれ」

「衛宮………!? 行くというのは………」

「相手がどんな奴かは知っとく必要はあるだろ。イリヤは教えてくれなかったけど、もしそれが遠坂たちだったなら止めなくちゃいけない。違うとしても、注意を逸らすことはできる」

「しかし………、あのような規格外相手に戦うなどと………!」

「もちろん真っ向勝負なんてできるわけないからな。一応気配を消すくらいの魔術は使えるんだ。効果は低いかもしれないけど、相手が戦いに集中してるなら背後は取れる」

やれることはやる。
相手がサーヴァントである以上、強化や投影は付け焼刃だろう。
無論、気配遮断や認識阻害も付け焼刃にすぎない。
しかしその付け焼刃も状況と組み合わせ次第では一矢報いることは可能。

「では………行くのだな?」

「ああ。何もしないのは駄目だ。イリヤ達の助けになれるなら小さなことでもやる。………いってくる」

扉に手をかけ、廊下へと出て行く。
その背中を見届けて、鐘はベッドへと倒れ込んだ。

「止めても………止まらないのだろうな、君は」

鳴り響く地響き、小さく聞こえてくる巨人の声。
その度に城は揺れ、戦いの凄まじさは上階まで伝わってくる。

その場所へたった今、自分を救ってくれた少年が向かっていった。
死ぬつもりはないだろう。しかし危険は以前よりも数倍高い。
にも関わらず、彼はイリヤスフィールを守るために戦場へと向かっていった。

「私にできることは………」

何かないか、そう考えた。
サーヴァント、英霊、過去の人物、英雄、ヘラクレス。
今まで得た知識を全て総動員して、自分にできることを考える。
知名度、弱点、歴史、背景。

「そういえば………セイバーさんが言ってたか」


『ええ。しかしそれは同時に短所でもあります。私たちは英霊であるが故に、その弱点も記録している。名を明かす───正体を明かすということは、その弱点をさらけ出すことになります』

『───そうか。英雄っていうのは大抵、何らかの苦手な相手がいるもんな。だからセイバーとかランサー、っていう呼び名で本当の名前を隠しているのか』

『はい。もっとも、セイバーと呼ばれるのはそのためだけではありません。聖杯に招かれたサーヴァントは七名いますがその全てがそれぞれの“役割”に応じて選ばれています』


「有名な英雄ほど歴史に経歴や特徴、武器、能力、弱点などが残る。名前、あるいは武器でもそれを知れれば生前苦手とした事項、或いは致命的な弱点を見つけれる可能性がある………」

例えばヘラクレス。
ヘラクレスはギリシャ神話に残る有名な名前。
不死身となった、狂気を吹き込まれ自分の子供を火の中に放り投げ殺してしまった、12の試練を乗り越えた、その後神の座に座った、などの逸話がある。

「これだけだと弱点というより寧ろ強みか………。狂気化した、というのが恐らくは狂戦士バーサーカーとなった理由だろうか」

ならば弱点となりえるもの………つまりはヘラクレスが死亡した経緯を考える。

「ヒュドラーの猛毒を全身に浴びて、最期を悟って火をつけてもらって死亡した………か。つまり弱点は毒………? しかもかなり強力な毒、か」

ドォン………! という地響きが耳に響く。
先ほどよりも数段大きい音が、戦闘が激しくなっているということを知らしめる。

「………どちらにせよ、敵の正体を掴めない以上は考察のしようがない」

立ち上がり、廊下へと出る。
周囲を見渡すがそこに士郎の姿はなかった。
恐らくはすでにイリヤスフィールの元へ向かったのだろうと判断した鐘も、エンランスへと向かうために走り出した。
その背後から。

「どこ、いくの?」

聞き覚えのある声がした。

「リーゼリットさん………。いえ、少しエントランスの方へ」

「………部屋にいろ、って。イリヤ、言ってた。行っては、ダメ」

「戦うつもりはありません。私では何の役にもたちませんから。………けれど、相手の弱点を調べるくらいのことは出来るハズだから、今から敵の姿を見に行くんです。それで少しでもイリヤ嬢………イリヤスフィールさんの役に立てれば………」

「………」

じっと鐘を見つめるリズ。
地響きが何度か響き、バーサーカーの声が聞こえてくる。

「こっち………」

「え………?」

「そっちからいくと、危ない。だから、こっち」

ついてこい、という仕草で歩き出すリズ。
一瞬呆気にとられるも意味を理解して後ろについていく。

揺れる城。
所々にはヒビが入っている。

「バーサーカー、苦戦、してる」

「苦戦………?」

恐らくは聞こえてきた声で判断したのだろう。
鐘からしてみれば違いなどわからなかったが、目の前を歩くリズにはわかるらしい。

「イリヤ、死んでほしくない。だから」

「………必ず」

エントランス上階へと駆け抜ける。

─────第二節 イレギュラー─────


エントランスに近づくにつれて剣と剣のぶつかり合う音が聞こえてくる。
しかし士郎はそこでその音の異常性に気付く。
通常剣同士のぶつかり合いならば、どれだけ早くとも一瞬の無音の時間がある。

だが、聞こえてくるのは常に剣が剣を弾く音のみ。
そこに無音の音が入り込む余地はなく、つまりはそれだけの攻撃がなされているということである。
しかしそれはあり得ない。剣を手にとって戦う以上は多くとも二本が限界。
加えて相手がバーサーカーである以上は、連続してあの力と対等に打ち合える者などいないハズである。

セイバーですら常に剣をぶつかり合わせることができない以上、この戦いの音はあり得ない。

そう考えた時に、不意に脳裏に考えが過った。
この戦いは一対一ではない、一対多数の戦いではないか、という考え。
文字通り、圧倒的物量で相手を押しつぶす“戦争”をしているのではないか、という考え。

廊下を駆ける。
もし仮に一体多数の戦いならば、その一は確実にバーサーカーのもの。
相手がどれほどの規模かはわからないが、いくらバーサーカーでも物量の前には苦戦を強いられるのは目に見える。
何か取り返しがつかなくなるような嫌な予感を感じながら、全力で廊下を走り抜けた。

エントランスを臨めるテラスへとたどり着く。
身を屈め、体を隠しながら下の様子を覗き見る。
その光景を見た時、声が出そうになったが何とか殺すことができた。

「■■■■■■■■■■■─────!!」

黒い巨人が雄叫びを上げている。
薙ぎ払われる斧は砂塵を巻き上げ、打ち砕かれた瓦礫を灰塵と帰していく。
以前見たその姿より何倍も鬼気迫る姿を晒している。

その背後には、イリヤスフィールの姿があった。
たえず無邪気な笑みを浮かべて、しかし悲しい顔もした殺し合いには到底似つかわしくない少女。
自分を守ると言って、最強のサーヴァントと共に歩いて行った少女。
その少女が、今は肩を震わせて、泣き叫ぶ一歩手前の表情を浮かばせて、自らのサーヴァントを見つめていた。
蒼白となった彼女の顔は、目の前の絶望を必死になって否定している。

─────誰か助けて

彼女の心が士郎には、はっきりと見えた。

士郎がいる反対側のテラス。
そこにリズと鐘がいる。
士郎は下の光景に目を取られている所為で気づいていないが、後から来た二人はしっかりとイリヤスフィールと士郎の姿を確認していた。
そして同様にイリヤスフィールの怯えた、必死に否定しようとしている姿を、鐘は見た。

「─────っ」

息を呑む。
あの表情、イリヤスフィールが陥っている状態には、嫌というほど身に覚えがあった。
大切な人がいなくなったのを必死に否定しようとしていた自分。
年齢、その外見も相まってよりリアルに思い出してしまう。

バーサーカーを圧倒する敵。
その巨体の正面に立つ者へと三人は視線を向けた。

吹き荒れる旋風を悉く弾き返し、同時に攻撃を仕掛ける者。
彼の周囲には無数の剣が浮いている。
そのどれもが紛れもなく必殺のものだというのを、士郎は感じていた。

巨人は叫び、突進する。
振るう攻撃はどれもが一撃で瓦礫を木端微塵にする威力を誇る。
しかしその巨人の前に立つ黄金の青年は弾くだけでは飽き足らず、無数の剣を巨人へと突き飛ばす。

まるでスコール。
必殺の雨がバーサーカーを頭部を、心臓を、串刺しにしていく。
それだけでもう終わりだというのに。

「■■■■■■■■■■■─────!!」

巨人はなお復活し青年を殺そうと近づいていく。
即死するたびに、死から復活して確実に敵へと前進している。

しかし、それすらも敵は楽しげに迎え撃っている。
貫く剣。
今ので一度は死んだ。
しかし生き返る巨人。

「不死身………」

先ほど例題として考えた内容を思い出す鐘。
ヘラクレスの神話には不死身になったという話がある。
ならば、どれだけ攻撃を受けても死なないのではないか、とも考えた。
事実目の前に繰り広げられている死からの復活はその考えを肯定している。

しかし、では少女の泣きかけの顔が理解できない。
死なないのであればそれは敗北することなどありえないし、少しずつではあるが前進している。
いずれ敵に攻撃は届く。
だがイリヤスフィールの表情は、バーサーカーが死ぬ度にどんどんと崩れていく。

「12の試練………」

ハッ、と思い出した。
そして彼女の脳が結論を出した。
ヘラクレス………バーサーカーは不死身ではなく、11回だけ死んでも復活することができるのではないか、と。
それならばイリヤスフィールの表情にも納得がいく。
不死身ではなく、命のストックが普通よりも多いだけ。
つまりその分だけ殺されればバーサーカーは死ぬ。
今復活できているのは、まだその回数分だけ死んでいないからだけであり、いずれ殺される。

「何なの………アナタ」

呟く少女の声。
震え、幼子のように首を振り、あり得ない光景を否定しようとしていた。

「この身はオマエもよく知るサーヴァントだろうに、何を恐れることがある」

「知らない、アナタなんか知らない。私が知らない英霊なんて、バーサーカーより強い英霊なんて! 居る筈がないんだから─────!!」

叫ぶ。
それと同時に彼女の体から赤い光が発せられた。
離れていても判るほどの、士郎が持つものとは比べ物にならない令呪だった。

「■■■■■■■■■■■─────!!」

地を揺るがす咆哮。
主の想いに応えるが如く、巨人は力強く斧を振り抜く。

爆音。
声ならぬ声をあげ、黒き巨人が前進する。
飛来する剣を、たった一振りでその5倍の剣を弾き返している。
二振りすればそのさらに倍。

前進。
巨人はただの前進しかしない。
鐘はその理由を考えていた。
なぜあれだけの剣が飛来するにも関わらず、あの巨人は正面から進むのか、と。
敵の対抗策など考えていない、ただ命ある限り前に進み、敵を殺すだけの戦略など何もない、ただの野蛮な戦い。

敵は自分には届かない、恐らくはそう考えているからこそ足を止めている。
前進することしかできない愚かな敵を挑発するために足を止めている。

「─────フ、所詮は狂犬。戦うためだけのモノだったか。同じ半神として期待していたが、よもやそこまでの阿呆だとはな!」

違う、と鐘は理解した。
どれだけ理性を無くそうとも、己に危機を感じたならば本能的に身体は動く。
人間が熱いものに触れた時、反射的に手をひっこめるのと同じだ。
だが、あの巨人は熱いものに触れてもひたすらそれを持ち続けている。

つまりあの巨人は、その本能を理性で押し留めているのだ。
そしてその理由もわかった。

「彼がよければ………、イリヤ嬢に攻撃が行く………!」

それを巨人は判っているからこそ、標的を自分から逸らさないように前進しかしない。
否、前進しかできない。
横へと回避すれば背後にいる己の主に攻撃が行く。
それをさせないために狂戦士は、ただ愚直に前進し続ける。

「バーサーカー!」

エントランスに声が響いた。
しかしそれは決してイリヤスフィールの声ではなかった。

─────第三節 切なる祈り─────


「シ、シロウ………!」

テラスにいた士郎がエントランスへと跳び下りて、イリヤスフィールの前に立っていた。

「─────投影、開始トレース・オン

両手に握られるのは白と黒の両手剣、干将莫邪。
士郎もまた、バーサーカーが前進する理由に行きついていた。
避けてしまえば、イリヤスフィールに攻撃が行く。
ならば。

「全部防ぎきってみせる。好きに戦ってくれ」

双剣を構え、奥にいる黄金の青年を睨む。
バーサーカーは動かない。
その身は彼女の言葉を待っていた。主の一声を。

「バーサーカー………」

わかっていた。
自分が邪魔者でしかないことに。
しかしそれでも離れたくはないと、必死に否定しながらだだをこねていた。


─────狂いなさい、バーサーカー


巨大令呪が狂戦士に命令する。

轟と、猛獣が哭いた。
大地が震動する。

「ハ、よもや雑種の守りをあてにして突っ込んでくるとはな。………仮にも我と同じ半神が、人間風情の力を信じるなどと、そこまで堕ちたか木偶の棒が!」

バーサーカーはその巨体に見合わぬ速度で横に跳び、黄金の男目掛けて疾走する。
剣の雨は標的を見失い、士郎の元へと殺到する。

「衛宮!!」
「はああぁぁぁっ!!」

飛来する剣は十二。
強化した身体能力を極限にまで引き出して迎撃する。

強化した視力が高速で飛来する剣の場所を的確に把握し、強化した腕が的確に素早くその剣を叩き落とす。
飛来する全ての剣の解析が、施した強化によって成功する。
三を防ぎ切り、次に飛来する四を凝視する。その奥にあるのは五の剣。

「ふざけ─────」

間に合わない。
両手だけでは迎撃には絶対に間に合わない。
二つの武器だけでは、どれだけ腕を動かしても間に合わない。
ならば。

「───てんじゃねぇ、テメェ………─────!!!」

疑問など無い。
今まで戦いの中で散々真似事をしてきたのだ。
その道理、法則に間違いがないのであれば。
そしてイリヤスフィールが言っていた本質が間違っていないのであれば。


────眼前に迫る剣の雨を、複製できない筈がない


「シロウ………!」

飛来した筈の十二の剣全てが士郎に、そしてイリヤスフィールに届くことはなかった。
爆発の後に目を開ければ、黄金の男は此方を見てなどおらず、バーサーカーの方へ攻撃を仕掛けていた。
そして当の自分と言うと

「ぎ………!あ、が、ぁ─────」

左半身からの地獄めいた激痛と、吐き気の所為で倒れていた。
そして見えるのは涙を流している少女の姿。

「バカッ!バカシロウ!言ったじゃない、無茶な魔術は身を滅ぼすって!部屋にいてって!何で私の言うこと聞いてくれないの!」

「………っ─────!」

「左半身だってまだ完全に治りきっていないのに、剣全部投影すればそうなることくらいわかってた筈でしょ!!シロウのバカ………─────私は………」

激痛を抑え込んで何とか上半身を起き上らせる。
その胸に、小さな少女が身を預けてきた。

服が少女の涙で濡れる。

「大丈夫………まだ、動けるから」

「………また、嘘。魔力も足りないのにあんな宝具級の武器を投影しようとすれば壊れちゃうに決まってるじゃない。────けど、わかってる。シロウが私の前に立ってくれてなかったら、バーサーカーも私も、………きっと死んでた。」

よろよろと立ち上がろうとする士郎を見て、テラス上にいたリズへ視線をやった。
直後。
ズン! と音を立てて下りてきたのはリズ。ただし、その手には全くもってに使わないハルバートがあった。

「え………?」

「シロウ」

テラスより跳び下りてきた彼女に呆気にとられたのもつかの間、それ以上の衝撃が襲った。

「─────っ!?」

士郎が驚愕に身を強張らせるのと、唇に柔らかなものが触れたのは同時。
目の前には目を閉じたイリヤスフィールの顔。距離はなく、唇と唇が触れ合っていた。

「っ? ………………んっ─────っ!?」

困惑を余所に、イリヤスフィールの舌が士郎の口内を蹂躙する。

「は、ぁ─────ん」

頬に添えられた掌は温かく、少女の息遣い、唇、舌が頭をぼうっとさせてくる。
事態を全く理解できない士郎は空いた右手でイリヤスフィールを引き離そうとするが。

「ダメ………」

がしっ、としっかりとリズに腕をロックされてしまった。
しかもそのロックした時の感触が柔らかいのだから余計に士郎の焦燥感を煽いでしまう。
ちなみに左手もロックされている。

動きを封じられた手は空中でわたわたと動くばかりでされるがまま。
全く予期すらしていなかったイリヤスフィールの暴挙に、士郎は結局最後まで抵抗らしき抵抗を出来なかった。

たっぷりとキスを交し合った後、長い息を吐きながら士郎の唇から口を離した。
零れた唾液が糸を引き、妖艶さを感じさせる。

それと同時に両手も解放され、わたわたと距離を離す。

「イ………イリヤ、一体何を………!」

「感じない? 私から魔力が供給されてるの。それに動けるってことはちゃんと治ったみたいね」

「えぁ………?」

気がつけば左半身から感じていた痛みや嘔吐感はなくなっており、そして内面に意識を向けると………

「………魔力が」

もはや有り余るくらいに魔力が満たされていた。
自身の内部に起きた奇跡のような結果に驚愕する士郎。

「私とシロウの間にパスを繋いだわ。本当はもっと濃密な粘膜接触か、入念な準備をした儀式が必要なんだけど………そういうのを省略して、私は結果を出せる」

「これなら………!」

やれる、先ほどの剣の雨を完全に複製することすら可能だろう。
技術的な問題は別として、魔力量的な問題ならばこれで全く問題はない。

「イリヤ、ありがとう。これならまだ戦える………!」

「………本当はね、戦ってほしくはなかったの。けど、シロウったらどれだけ言っても聞いてくれないんだから、やっぱり私が助けるしかないもの。だから、代わりに一つ約束して。絶対に死なないって。もう私の前から誰かが居なくなるなんて事、絶対にイヤなんだから。」

「ああ、当然だろ。イリヤとの約束は守るよ。それにイリヤだけじゃない、氷室との約束もある」

テラスを見上げた先に、鐘の姿があった。
視線があったかと思いきや、慌てて視線を逸らす鐘の顔は少し赤くも見えた。

─────第四節 世界最古の王─────


薙ぎ払う一撃は旋風、振り下ろす一撃は瀑布。
まともにうければあの男とてただでは済まないだろう。

だが、黄金の男の顔は無表情ではあった。
しかし既に士郎たちに意識の欠片も向けてもいなかった。
眼前の脅威を排斥することに、全力を注いでいる。
止め処もなく刃を射出しては、バーサーカーを殺そうとする。

だが、それらは空しく空を切った。あるいは叩き落された。豪腕だけで、宝具など物の数ではないと吹き飛ばす。
全部防ぎきる、という言葉は不要だった。
こちらに攻撃が来ない以上、防ぐも避けるもない。

「………バーサーカー」

戦う姿をイリヤスフィールは見ている。
今まで見てきたどの姿よりも強く、速い。
剣の投擲を弾き、躱し、接近する。

「あれなら………!」

倒せる。
そう感じていた。
少なくとも鐘はそう思っていたし、イリヤスフィールもそう考えていただろう。

「狂犬風情が………」

そうして斧が男に振るわれる。
死んだ回数はすでに十回。
だが残り二回にして、黄金の男へと届く。

そうして、振り下ろされる腕は─────

「─────天の鎖よ─────!」

動くことはなかった。

「バーサーカー!」
「■■■■■■■■■■■─────!!」

それはいかなる宝具か。
突如空中より現れた鎖が、バーサーカーを完全に束縛していた。

束縛された腕が、あらぬ方向へと持ち上げられる。
全身に巻きついた鎖は際限を知らないかのように縛っていく。

「─────ち、これでも死なぬか。かつて天の雄牛すら束縛した鎖だが、お前を仕留めるには至らぬらしい」

男の声がもはや瓦礫の山となったエントランスに響く。
同時に空間には鎖が軋む音も響いていた。

「天の雄牛………鎖………半神」

テラスより観察していた鐘は、あの男が発した、恐らくは自身のことであろう内容を一言一句逃さずに頭の中に留めていた。
戦うことはできない。ならば、情報収集し、味方にそれを伝える。
それくらいならばきっとできると信じて。

「イリヤ、一体あいつは何なんだ………!? さっき飛んできた剣だって、出典がバラバラだった。一人の奴がいろんな宝具を持つなんてことあるのか?」

「無いわ、普通なら絶対にありえない。ありえないからこそ、私にもわからないのよ!」


「─────王の財宝ゲート・オブ・バビロン


男の背後の空間が歪み、出現するのは刃の群。
その数は二十。

「やだ………!」

「っ………!」

身動きが取れない以上、あれを食らえば確実にバーサーカーは消失する。
もはや確実にやってくる映像を見た一方で、鐘は

「バビロン………」

半神英雄、天の雄牛、バビロン。
該当する英雄、もしくはそれに準ずる過去に存在したといわれる人物。

「衛宮!!」

テラスより身を乗り出し、導き出した結論を確実に伝える。

「その男は古代メソポタミア、シュメール初期王朝時代のウルク第1王朝の伝説的な王、『ギルガメッシュ』だ!2/3が神で、天の雄牛を倒した人物、そしてバビロンという言葉を発したなら、恐らくは………!」

「ほぅ、女。僅かそれだけの言葉で我が何者かにたどり着いたか。その知識は賞賛してやろう。─────だが」

「!─────投影トレース

背後に浮かぶ剣の内の一本を手に取り、テラス上にいる鐘を睨めつけた。
ゾクリ、と恐怖を感じた鐘へ

「我を王と知りながら我を上から見下ろすか、雑種。その不敬、その死を以ってして償うがいい!」

剣が翔ぶ。
放たれた一本の剣は、無防備な鐘を串刺しにしようと飛来し─────

「─────完了オフ!」

その飛来した剣と全く同じ剣が、鐘を串刺しにしようとしていた剣を撃墜していた。

「………雑種」

「は、………ふっ─────」

今までよりもさらに早く、投影が成功した。
イリヤスフィールによる魔力増加のおかげだろう。

「イリヤは、大丈夫」

落ちてきた剣をハルバートで弾き飛ばす。
その似合わない姿に驚きながら再び正面を向く。

鐘に向けられていた殺気が今度は士郎へと向いていた。

「■■■■■■■■■■■─────!!」

鎖が軋む音がさらに強くなる。
だが、すでにギルガメッシュにとってバーサーカーは脅威でも何もなくなっていた。

「無駄だ、その鎖は神性が高ければ高いほど餌食となる。五月蠅いだけの狂犬が、貴様はもう死んでいい!」

片腕を上げる。あとは号令を出す様に腕を降ろせばそれで全てが終わる。
そしてそれを見過ごすことなどするわけもない。

「─────投影トレース

開ききった全ての魔術回路が、イリヤスフィールの奇跡によって完全修復された魔術回路が、完全起動する。
その全ての魔術回路に、補って余りある少女の魔力が勢いよく流れ込む。

「─────開始オン………!!」

腕が下ろされる直前で、目に見える武器、十九全てを投影してみせた。
同時に。

「消え去れ、下郎─────!」
全投影連続層写ソードバレルフルオープン………!!」

バーサーカーへと殺到する十九全ての剣に対し、同じ十九を発射する。
次々ぶつかっては弾き飛ばし、壊れて、突き刺さっていく剣。
体の内部からチクチクとまたもや痛みが再発し始めた。
だが。

─────剣になると決めた

テラスの上にいる少女のために。
守りたい人のために。
後ろにいる少女のために。
ならば。

「………薄汚い贋作者風情が。本物の重みというものをその身に知るがいい─────!」
「─────投影、完了トレース・オフ!」

自らの財宝を、贋作者を確実に殺すと言わんばかりに惜しみもなく展開した。

次々と空間から現れる武器を瞬間的に解析し、構築し、投影する。
バーサーカーではあの鎖を破ることはできない。軋ませるのが精一杯だろう。
それを判っているからこそ、目の前の男は士郎へと攻撃を仕掛けてきた。
背後にいたイリヤスフィールはリズによってその場を離れている。

開通している魔術回路の数は二十七。
その全てを以って、イリヤスフィールより流れてくる魔力を以ってして、目の前の王が放つ剣を相殺する!

繰り広げられる剣の突撃。
撃ちだしては相殺し、放っては相殺される。
放った剣は壊れない。
オリジナルと全く同じ運命を辿り、床へと突き刺さり、破片が舞い散る。

「フェイカー………よくもそこまで耐える。だが、だ」

「くっ………!」

「その身を以って! 偽物風情が本物に立てついたことを後悔するがいい、雑種!!」

展開される剣の数は二十五。
その全てを。

全投影連続層写ソードバレルフルオープン!!」

二十七の回路が具現させる。
バーサーカーに流れ弾がいかないように距離を取り、飛来する剣を迎撃する。

迎撃は成功している。
すでに五の剣を迎撃している。
しかし。

「ははは、 どうした、投影速度が落ちているぞ!そら、急がねば串刺しだぞ、フェイカー!」
「ぐ、ぅ………!!」

この攻撃方法だって、つい先ほど敵の攻撃を真似たモノ。
どれだけ能力面でクリアーしたとしても、技術面・経験面で圧倒的に不足している。

「負け、る、かぁああ!!」

しかしそれでも投影を続行する。
残り宝具数十五。

「ふん、あまり足掻いてくれるなよ雑種が。白き聖杯を回収し、その後には黒き聖杯を壊す必要がある。貴様程度の贋作者にいつまでも構っているつもりなどない」

「何、を………ワケわかんねえ事言ってやがる、テメェ─────………!」

残り宝具数七。

「ハ、知らずして貴様は小娘を守っていたのか。ほどほど呆れる!」

残り宝具数三。

「………! 投影………」

残り宝具数、ゼロ。

「開始!」

ダン! と突進を開始する。
展開されている宝具の数はゼロ。
今ならば近づいて攻撃を仕掛けることが可能。

このまま遠距離戦を続けていけば、今の士郎のレベルではジリ貧。
だからこそ、強化した身体能力で一気に突破する。


「─────女を守る、か。雑種」


「え─────?」

感覚が停止した。
手に持った干将莫邪を落としかけるほど、目の前の光景が異常だった。
黄金のサーヴァントは、背後よりたった一つの剣を取りだしていた。

奇怪な剣。
形も奇怪なら、その性質も奇怪だった。

「読め………ない………?」

全ての魔術回路で男の手に握られている剣を解析する。
今まで放たれてきた剣全ての構造を読み取ってきたというのに、その剣はどれだけ凝視しても読み取ることができない。

「ならば見せてみろ。その贋作で─────」

「っ!? 氷室、イリヤ、リズ!ここから離れろっ!!」

動き出すリズ、そして一緒に抱え込まれているイリヤも一緒に距離を取るべく離れていく。
鐘も動き出そうとするが………・

「─────………一体何を守れるというのかを!」

巻き起こる暴風。
支配される空間。
充満する魔力。

「“天地乖離すエヌマ───”」

同時に鎖が解かれ、身動きが取れるようになる巨人。
だがすでに遅い。

世界最古の王はすでに攻撃を出し終えていた。
テラスが崩れ、エントランスの天井が崩れてくる。



「“─────開闢の星エリシュ”」



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第34話 闇はなお深く
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:47a17094
Date: 2013/04/30 00:18
第34話 闇はなお深く

─────第一節 完全敗北─────

乖離剣エア─────古代メソポタミアにおいて、天地を斬り裂き世界を創造したとされる剣。
天地乖離す、開闢の星エヌマエリシュ
そのあまりに大げさな真名も虚言ではない。
回転する刀身からジェット噴射さながらに魔力が溢れ出してくる。

周囲の空間に断層が走り、アインツベルン城が悲鳴を上げる。
目を潰す閃光、鼓膜を破る暴風を伴ってギルガメッシュの放った攻撃は破壊の渦を作り出す。
巻き込まれれば本来、跡形もなく消失する光と風の乱舞。

世界を始まりに導いたものに名などあるはずもなく、ならばそれは誰も知り得ない剣。
その剣を防ぐ術は、衛宮士郎にはない。
複製できるモノは今まで見てきた剣のみ。
そこに盾を見たという記憶もなければ記録もなく、それ故に投影などできる筈もない。
今まで見てきた全ての剣を投影しようが、この創生の破壊には耐えられない。

「え………?」

だが、それに反していつまでも死の螺旋はやってこない。
それに疑問の声をあげたのは他ならぬ士郎自身だった。

「な─────」

ギルガメッシュは全く本気を出していない。そもそも本気を出そうなどと考えていない。
しかしそれとは別に出せない、という状況でもあった。
白き聖杯、イリヤスフィールを回収しにきたと言うならば、間違っても本気で乖離剣エアを解放してはいけない。
出そうものならばその直線状にいるイリヤスフィールまで跡形なく消し飛びかねない。
元々全力を出す気などなかったが立ち位置上、さらに威力を故意的に弱めていたのだ。

「チ………、狂犬風情が盾となるか!」

乖離剣エアを解放する寸前で天の鎖を解除した理由。
王の財宝とエアは同時利用できないからだ。
無論それはギルガメッシュの技量が低いからではない。
ただ単純に“エアが全てを破壊してしまう”。

世界最古の王が持つ、誰も持ちえない究極の一にして世界創生の剣。
その前には例え王の財宝の武器がどれだけ展開しようと、一流の武器はその総てが三流へと切り替わる。
ならば攻撃を仕掛ける直前に、己が唯一の友の名をつけた鎖を格納するのは道理。

「バー………サーカー………!」

様々な思惑、状況が重なったからこそ現状が生まれている。
通常ならば跡形もなく吹き飛ぶ。
だが威力が弱まり、動ける身となった巨人が背後にいる士郎を守っている。

「■■■■■■─────!」

クロスさせた両手を身体の前面へとやり、暴風に押し負けぬよう腰を低くして耐えている。
しかし耐えられない。
いくら力が抑えられていようとギルガメッシュの攻撃は覇者の攻撃。
その威力は十二分に英霊を消失させる威力を誇る。
その天と地を乖離させる攻撃を、たった二回の命で耐えきることなどできない。

「やだ………バーサーカー!」

赤く巻く破壊の渦に、アインツベルン城が崩壊していく。
たかが人が造りだした建造物など乖離剣エアの前では無意味。
だが直撃する筈の攻撃をあの巨人がその身を以ってして防いでいる。

吹き荒れる暴風。
直撃することなかれ、その風は小さな街を破壊する台風と何ら変わらない。

「─────!」

渦巻く暴風はテラスへと襲いかかる。
天井は崩れ、テラスの足場は崩れ、そこにいた鐘も足場ごと落下していく。
その下はすでに瓦礫の山。魔術師でもない普通の女の子である彼女が真っ逆さまに落ちればどうなるかなど目に見えている。

「氷室!!」
「■■■■■■■─────!!」

テラスの足場が崩れたと同時に、バーサーカーはあろうことか一歩前へと前進した。
その背は『助けにいけ』と言っているようにしか聞こえない。

「─────同調、開始トレース・オン

ならば最速で助ける。
吹き荒れる暴風の中、吹き飛ばされそうになりながら落下してくる鐘を、その両手がしっかりと掴み抱き寄せる。

「大丈夫か、氷室!?」

「なん………とか」

抱き寄せた彼女の体は震えている。
この状況で震えるなという方が不可能。目の前にいる巨人はまぎれもなく最強。
だがそれを越える者が目の前にいて、己の命を屠ろうとしているのだから、恐怖を覚えない筈がない。

そこへ襲いかかったのは一つの終焉。


─────そんなに護りたいか


吹き荒れる暴風の音が、崩れてくる瓦礫の音がその一瞬、その言葉によって掻き消された。
無論、攻撃が止んだわけでも、瓦礫が消えたわけでもない。
ただ、世界を凍らせかねないほどの声がこの圧倒的破壊空間を一時的に支配しただけだ。

「よかろう、ならば加減はなしだ。………しっかり護れよ、狂犬。でなければ────何一つ残らんぞ」

それと全くの同時に、エアが巻き込む風が一気に増大する。
それが一体何を意味するのか、何よりこの攻撃を受けているバーサーカーが一番早く理解できた。
放たれる魔力が膨れ上がる。増す破壊力。強まる暴風。その意味。
それがもたらす結果。そんなものは誰の目にも明らかだった。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■──────────!!」

理解した上でまた一歩前へ進む。咆哮は今までのどれよりも大きく、気高い。
『逃げろ』と声なき声が響く。この破壊の渦の前には衛宮士郎は無力。
その事実を噛み締めて距離を取る。小さく震える鐘を抱いて、決して英雄の行動を無駄にしないと走る。
その間にも増していくエアの破壊力を、ギリシャの英雄は確実に耐えている。

「バーサーカー………」

だがイリヤスフィールの目には涙が溢れていた。
あれが全く届かない、無意味な行動であるということはこの場にいる全ての人間が理解している。
しかしそれでも前にいく。それしかできないのではない。
そうすることで、己が主の家族、己が主が笑える者を守っているのだ。

「バーサーカー───────!!」
「─────消え失せろ、狂犬」

世界を分かつ創生の光が、アインツベルン城を崩壊させた。

─────第二節 敗戦重科─────


この世界から、あらゆる音が消えた。
この世界から、あらゆる光がかき消された。
世界が断裂した。

視界は“有”から“無”へと変わっていく。
しかしそれでも、腕に抱いた人だけは決して離さない。

呼吸ができない。
それがどうした。
今この世界に何もできない氷室を離してしまえばどうなるかなど、考えなくともわかる。
咄嗟に全身を強化して、胸へ納めるように氷室を抱いた。
強く、離さないように。
震える身体が強くしがみついてくる。

視界が“無”へとなる直前。
自分がどういう状態になっているかを見た。
ものの見事に、無様に、これ以上ないほどだらしなく、空中に浮いている。
無様に周囲の瓦礫と一緒に浮いている。
霞んで見えた視線の先には、イリヤとリズがいた。
同じように浮いている。為す術なく同じように浮いている。

─────そうして視界は“無”へと切り替わった

地面に背中から叩きつけられた。
それだけでは飽き足らず、無様に地面を転がった。
何十メートル吹き飛ばされたかはわからない。
けれど離さない。絶対に離さない。

天地乖離す、開闢の星エヌマエリシュ

ふざけた名前。
天と地を乖離させるという大それた名前。
だが、その威力は実際にソレを成してみせたと言えば信じるほどの威力。
それが直撃した。
落下による痛みはない。
そんな感覚なんてもう残っていない。
視界はゼロ。
この意識さえ、無へと変わっていく。

背に何かが振ってきた。
瓦礫。
アインツベルン城の一部を構成していた瓦礫。
天井、壁、テラス、床。
それらが宙を舞って落ちてきた。

意識なんてない。
何も考えずに落ちてくる瓦礫をその身に受ける。
ただ、下にいる氷室を守るために。
内部から熱いモノが溢れ出てくる。
痛みはない。鼓動は小さくなっていく。
肺は止まり、呼吸をするための器官はどれも固まっている。

「ア………」

けれど、ここで倒れるわけにはいかない。
“無”へと変わった視界を無理矢理“有”へと戻して、抱いている氷室を見る。

「氷、………室」

返事はない。
けれど、瞼は小さく開いていて視線が合った。

「ハ─────ぁ、………っ!」

これ以上傷つけないように、これ以上衝撃を与えないようにゆっくりと抱えて立ち上がる。
自分の五体が動く事に驚いた。
バーサーカーがいなければ俺も氷室も一緒に周囲に散乱する瓦礫と同じ末路を辿っていただろう。

「衛………宮─────っ………!」

氷室が声を出そうとしたが、その声は最後まで出なかった。
この惨状、そのほぼ中心点にいて無事でいられるはずがない。
頭からは薄らと血が出ているし、体中が傷だらけ。
眼鏡なんかはとっくに使い物にならない。
罅が入っているだけで辛うじて割れていないのが幸運だった。
割れて破片が飛び散ればまず確実に眼に刺さり失明する。

「─────!」

イリヤから流れてきていた魔力が停止したのを感じた。
それでもう終わり。イリヤの魔力を使ったからわかる。
今の自分の魔力量だけではあの剣群を投影することなどできない。
それどころか強化を使うだけで倒れかねないほどの体力と魔力しか残っていない。
視界が霞んで、ぼやけているのが何よりの証拠だった。
いや、寧ろあの創生の破壊を受けて動けている事自体が奇跡か。

「イリヤ………は………?」

氷室を抱いて、瓦礫の海を歩く。
周囲の森は爆発の余波の所為か、或いは崩壊の所為か、所々から炎があがり、燃えていた。
このままでは山火事になる。
ここが誰もやってこない場所ならば、まず間違いなく燃え広がる。
同じくして吹き飛ばされたであろうイリヤとリズだが、その姿が見えない。
立ち上る粉塵と火災の黒煙が、より一層夜になったこの世界を見辛くしていた。

「………………」

変わり果てた城。拡大していく炎。
あの炎を消す手段などないし、この城を元に戻す術はない。
そしてここから逃げなければいけないという状況。
その全てが、あの日と重なった。
違うとすれば、一人ではないということ。
氷室がここにいるし、どこかにイリヤ達がいるだろう。
そして。

「─────生きていたか、贋作者」

明確な敵が存在するということ。
あの巨人は目の前で消失した。
その直前。

『少年よ─────我が主を頼む』

そう言い残して。
なら、俺はそれを守らなければいけない。
ギルガメッシュは倒すべき敵だ。
けれど、今はどう足掻いても倒せない。魔力も体力も状況も、何もかもが敗北している。
逃げなければいけない。これでは抱えている氷室まで巻き込んでしまう。

「しかし脆い城よな。我が少し力を入れただけでここまで壊れるとは。所詮人形が住む城ということか」

周囲を見渡していたギルガメッシュが再びこちらに視線を向けた。
赤い瞳。
それが殺気だと分かったとき、左脚が一歩後ろに下がっていた。

「あ─────れ?」

違う、下げられていた。
左脚が剣に貫かれていた。
バランスを崩して、抱えていた氷室ごと倒れてしまう。

「疾く死ね、贋作者。貴様は目障りだ」

二本の剣が見えた。
一本は俺に、もう一本は一緒に倒れた氷室に向けられている。
死ぬ。頭の中がその単語だけで一杯になった。死ぬ。完膚なきまでに、殺される。
氷室が殺される。このままだとイリヤまで殺される。

「と、れ─────………す」

二本の投影ならまだできる。それを複製して、飛んできた剣にぶつけた。
だが、想定が甘かったらしい。或いは、二つ目の投影に回す魔力がすでになかったのか。
一つは弾くことができたが、二つ目はアッと言う前に砕けて─────

「ぁ─────」

ドシュッ、と。面白いぐらい簡単に右腕に突き刺さった。
だというのに、痛くない。

「衛宮………?」
「ふん、女の方に放った剣だったが………庇ったか。無意味なことを、どのみちその不敬を働いた女とて殺すというのに」

血が止まらない。
腕が上がらない。魔力が足りない。力が入らない。動く体力がない。

それがなんだ。
守るといって傷つけておいて、守ると言って何一つ守れていない。
セイバーも美綴もイリヤも氷室も、誰一人守れていない。
守ると言った。剣になると誓った。

─────なら。
守れないなら、ここで衛宮士郎は死んでしまえばいい─────

「ハ、ぁ─────っ………!」

鉄の音がした。
剣で刺されるような痛みを感じている。
動くなと、それ以上動けば暴走すると、体が訴えている。

ああ、ならちょうどいい。
動くことすらできないで、守れないまま殺されるくらいなら、暴走してしまえばいい。

「や─────いい、私はいいから………逃げ………!」

見ると足を怪我していた。
折れてはいないみたいだが、歩けないだろう。
─────なら、守らないと。

もともと氷室はこんな事には無縁だった。
何も知らない普通の女の子だった。それが理不尽に巻き込まれて、理不尽に殺されかけている。
俺はいい。俺は魔術師だ。
魔術師は必ず血を纏う。それは避けられないこと。
けれど、氷室は違う。
血を纏う必要なんてない、傷つく必要なんてない、普通の女の子。
美綴だってそうだ。襲われる理由なんてない、普通の女の子だ。

もとから俺は。
そんな彼女達のような人を助けるために、戦うと誓ったんだ。

敵を阻む。
背後には氷室が、そして未だ見つけられないがイリヤがいる。
もはやここより一歩も後ろへは下がれない。
下がるわけにはいかない。

「─────投影、開始トレース・オン

イメージするものはただ一つ。
あの時投影した剣。ライダーと打ち合っても消えることなく残っていた黄金の剣。
それを複製する。

「──────────、ぎ」

体の中が軋んだ。骨が、外へ出ようと肉を斬り裂いている。
串刺しにしようと、内臓を破ろうとしている。
けれど、今は耐える。

「私は………動けないんだ。だから、私は放っておいて、いい。逃げてくれ─────衛宮………!」

泣くような声が聞こえてくる。
そんな事言われて、そんな声を聞いて、誓いを捻じ曲げてここから離れるわけがない。

「逃げない。氷室は必ず守る。一人で逃げるなんてできるか………!」

剣を構えて、敵を睨む。
左目は血が目にまで入ってきて見えない。
右手は動かそうにも感覚がない。
左脚は穴が開いてるが、辛うじて立てる程度。

「くだらん………それを蛮勇と呼ぶのだ、雑種」

「─────!」

撃ちだされた剣を咄嗟に防ぎ、弾き飛ばす。

「はっ─────ぎ、………!」

初撃、二撃、三撃を防ぎきる。
本来なら初撃すら弾けなかっただろう。
しかし。
体が、飛来する剣の位置を知っているかの様に動いた。
故に、俺が腕を振るう前に、まるで引き合う磁石のように腕が剣に反応する。
その結果として、剣はギルガメッシュの攻撃を防いでいた。

「は─────はあ、あ、が………っ!」

だがそれをすればするほど体の内部が捩じれていく。
まるで体が別の何かになっていくような痛みと違和感。
比例して鉄の音は大きくなり、骨は肉を斬り刻んでいく激痛を生み出す。

「─────雑種、見苦しいにも程がある。その剣、貴様の最後の物だと言うならば───本物の前に沈むがいい」

右手を空へと突き出した。
それが。

「────────────────────あ」

投影した黄金の剣が砕ける最後だった。
敵が取りだしたのは装飾こそ違うが、間違いなく同じモノ。
光が迸り、切っ先が交わった瞬間。

「  」

黄金の剣………“勝利すべき黄金の剣カリバーン”は、原罪メロダックの前に砕け散った。



私の顔に、アタタカイ“ナニカ”が降り注いできた。
目の前がアカクなる。

「ぁ──────────」

アカクなって、頭の中はシロクなって、心はクロク塗りつぶされた。
本当に、手を伸ばさずとも届く距離に、彼がいる。

「衛宮?」

呼びかける。

「衛宮?」

呼びかける。呼びかける。
呼びかける、呼びかける、呼びかける、呼びかける、呼びかける、呼びかける、呼びかける──────

「衛宮………?」

否定する。否定する。
必死に否定する。
否定しているのに………声の震えが止まらない。

「お願いだから………」

否定する。否定する。
何もかもを否定する。
そう。否定しているのだから──────

「しろう────」

─────返事をしてくれ。

「貴様も貴様で見苦しいな、女。魔術師ですらない貴様がここまで生き残ったのには感心するが………、打ち止めだ」

見えない、何も見えない。
夢も、最後の希望も何もなくした体。暗い奈落の底に叩き落される感覚は、いつか経験したことがあるものだった。

─────第三節 闇はなお呑み込む─────


氷室鐘を殺そうと空間へ手を伸ばす、その時だった。

「む………?」

その異変にいち早く気が付いたのは他でもない、ギルガメッシュただ一人だった。
しかしそれとは別に立ち上がる人物が一人。

「待ちやがれ………てめェ………」

あろうことか、斬られた筈の士郎が起き上ってきた。
しかし、まだ彼はこの異変には気付いていない。

「致命傷だった筈だが………、特異な体をしているな、雑種」

斬った場所から見える、銀色の光。
大きくはないが、しかし確実に見える光は、剣の切っ先にも見えた。
だがそれ自体には興味はなく、感じた異変を確かめる為、瓦礫の海と化した城の周囲を見渡した。

すでに周囲は闇。日は完全に落ちており、周囲を照らすのは森へと燃え移った炎のみ。
だが光源としては十分すぎるほどの光。
その炎の隙間から現れたのは。

「ふん、雑兵か」

骨の軍団だった。
衛宮士郎にとってもその骨の集団には見覚えがある。

「キャスター………、あいつ………ここまで」

「馬鹿も休み休みに言え、贋作者。キャスターはすでに呑まれた。────だが、ここに雑兵がいるということは、答えは一つか」

アインツベルンの城の上空に出現する黒い影。
それはキャスターに他ならない。
しかし。

「キャスター………?」

雰囲気がまるで違う。
少なくとも学校で見たキャスターとは全く別の何かになっていた。

「汚染され、使役されているただの人形と同じよ────!」

打ち下ろされる光弾が、ギルガメッシュを襲う。
まるでガンドのような黒い雨。
それが触れてはいけない類のものだというのは見てとれた。

「魔術師風情が………我の邪魔立てをするかッ!」

同心円状に展開された宝具群が、上空に浮くキャスターへと対空銃撃のように撃ちだされる。
空間転移を可能とする魔女はそれを回避し、執拗に魔術攻撃を繰り出していく。
しかし、その魔術攻撃はキャスターには似つかわしくない、ただの魔力を固めて射出しているだけの力技だった。

「フン────呑まれて自我を無くし、ただ魔力を放出するだけの道具と成り果てたか」

上空からの攻撃が続く一方で、地上からは竜牙兵が近づいてくる。
しかしギルガメッシュには何ら問題はない。
いくら雑兵が湧こうが、取るに足らない存在だからだ。

「氷室………!」

ギルガメッシュが戦っているのを見越し、倒れている鐘を起こした。
左脚は相変わらず穴があいて、右腕は傷が残っている。
それでも、その姿を見たから。

「衛宮………衛宮、衛宮衛宮ぁ………!」

無事でよかったと。
生きててくれてよかったと。
本気でそう思ったからこそ、頬に涙が流れた。

「逃げよう………一緒に」

もう二度と傷つけさせない。
傷つくことなんてあってはならない。
もう一度、心に強くそう誓った。
体の中から刺すような痛みを、その誓いの記録として。

「本当は抱き上げていきたいけど………悪い、右腕があがらないから………。立てるか?」

「大丈、夫………」

士郎に寄り添いながら負傷した右脚を庇うようになんとか立ち上がる。
それに手と肩を貸して、ゆっくりと歩き出す。

「雑種、誰が逃げていいと言った!」

しかしそれを逃す敵ではない。
あろうことか竜牙兵とキャスターを相手にしながら、剣を投擲してきたのだ。
直撃コース。
立ち上がりこそしたが、魔力残量はなく、回避するだけの余裕もない二人では避けられない。
だが。

「ハッ────!」

それは目の前に現れた銀の甲冑を纏った騎士に阻まれた。
見覚えのある後ろ姿、聞き覚えのある声。

「セイバー………!」

「シロウ、カネ、大丈夫ですか!?」

不可視の剣を振るセイバーの姿がそこにあった。

「大丈夫………と言いたいけど、流石に無茶があるか。セイバー、遠坂達は?」

「道中イリヤスフィールと遭遇し怪我の手当をしています。シロウ、それよりもこの現状は………それに」

「ふん、久しいな騎士王よ。よもやこのような形で再開するとは思わなかったが」

「やはりアーチャー………!なぜ貴方がここに現界しているのです!」

セイバーが見るその視線は決してただの知り合いという雰囲気ではなかった。
だがそれ以上に、この場は異常だった。

「セイバー………あいつのこと知って………。いや、今はここから逃げよう。炎が大きくなってる。氷室も怪我したままだ。キャスターだって仕掛けてき………!?」

「シロウ!」

ズン! と光弾が落ちてきた。
それはキャスターによるもの。
キャスターにとって味方など存在しない。
地上に居る者全てが敵なのである。

今まではギルガメッシュがいたため魔力感知によりそちらへ攻撃をしかけていたが、セイバーが現れた今、感知に引っ掛かった士郎サイドにまで攻撃が広がったのだ。
つまり、キャスターは目が見えていない。
そこにあるのは、ただサーヴァントと高い魔力を持つ者を攻撃するという行動プロセスだけだった。

「キャスター………!? いえ、確かにあれはキャスターですが………!」

上空を睨むセイバーだが、上空に浮かぶキャスターは黒くなっており、背景と相まって視認しづらい状態だった。

「ふん、まさかとは思ったがその心配は無用だったらしい。繋がりを断つ事でアレからの流入は防いだか。流石は騎士王、その程度の知恵は働いてくれなければ困る」

群がる竜牙兵を一掃し、上空に浮くキャスターを地上より未だ牽制し続けるのは黄金の王、ギルガメッシュ。
セイバーもまた、敵と判断されたが故に群がってくる竜牙兵を蹴散らしながら爆心地に悠然と佇む王を睨んだ。

「貴様………!貴様は何か知って────」

言葉を出そうとした。
だが、それは。
燃え盛っていた炎を、一瞬にして闇に染めた者の登場によって停止させられた。
熱を帯びていた空気が一瞬で凍りつく。

「────────」

セイバーとギルガメッシュはその存在を知っていた。
だが、セイバーの後ろにいる士郎と鐘はその存在を知らない。
心臓は高く響きながらも、心拍数を下げており。
体温は奪われていくと言うのに、背中には汗が滲んでくる。
アレはよくないものだ。 アレは良くないものだ。
だから逃げなくてはいけない。 だから逃げなければいけない。
それとは関わってはいけない。 それとは無関係でなければいけない。
二人の認識は同じ。
士郎も鐘も、あれからは逃げなければいけないという認識。

だというのに。
逃げても無駄、出会ってしまったから終わり、という漠然とした認識が満ちていた。

「────────」

抱き着く体に力が入る。
今までの恐怖が比ではないと言っても過言ではないくらい、どうしようもなく圧倒的なモノ。
首に汗が伝う。
体中の刺すような痛みがなかったかのように、どうしようもなく存在しないモノ。
だが、この空間において、黄金の王すらも超える、支配力をもつモノ。

知性はなく理性もない、恐らくは生物ですらないソレ。
その光景、その雰囲気、どれもが初めてだというのに。
なぜ衛宮士郎は────それを“懐かしい”とすら感じてしまったのか。

士郎も鐘も動けない。一度見たセイバーとて動けなかった。
柳洞寺に現れたものは漠然とした影………影の海だった。
あそこまではっきりとした形をしたものでなかった。
しかし或いは、あの柳洞寺の件により、明確な形を持てるようになったのではないか、という結論があった。

「まさか、ここで影が出てくるとはな」

誰も動けない中、しかし動ける人物がそこにいた。
爆心地に立っていたギルガメッシュは跳躍し、全体を見渡すことができる場所へと飛び移った。
下を見下ろせばセイバー達と竜牙兵、そしてあの黒い影が。
上空には未だ魔女が浮いている。

「が、分身などに用はない。セイバー、再開を祝したいところだが、我にはやることがある。それが終わり次第、改めて貴様を訪ねるとしよう。────せいぜい、呑まれぬようにな」

直後。
空間を裂くように現れた建造物。黄金とエメラルドに輝くソレは舟。
セイバーとて知り得ない事実だが、その舟はかつての聖杯戦争において、冬木市上空で壮絶な空中戦を平然とやってのけた飛行装置“ヴィマーナ”だった。
物理法則をまるで無視した加速と動きを見せた舟は、士郎達の前から姿を消した。

「キャスター………!」

上空にはキャスター、地上には黒い影。
だが、黒い影が現れてからキャスターが攻撃を仕掛ける気配がない。

「!シ────」

そう思い、再び地上へ視線を戻した先に。
獲物を見つけたように触覚を伸ばした黒い影がいた。

「────ロウ、逃けてぇ!」

「────っ!?」

息を呑んだ。
無音で、あろうことか数十メートルを一瞬にして、迫ってきた。
避けられない、この傷では負傷した彼女を抱えて避ける事ができない。

「────氷室」
「え────?」

なら、取るべき行動は一つ。
この不安定な場所では少し心配だったが、呑まれる訳にはいかない。
ドン、と。
鐘を突き飛ばした士郎だけが、黒い影に呑まれた。


―Interlude In―

「──────ぁ」

ゆっくりと目が覚めた。
兄である慎二が殺され、バーサーカーのマスターが攫ったという情報を得たその人物は、サーヴァントを森へと向かわせた。

「は────あ………!」

途中戦闘のようなモノを見つけ、自分が取り込んだサーヴァントを使役して、先に現場に向かわせた。
辿り着いてみたら、男とかつて学校で見た女性、そして自分の先輩とあまり馴染がない先輩が一緒にいた。

否。

彼女のことは知っている。

「氷室………先輩」

間桐桜は、その姿を見た瞬間。
ナニカが破裂した。
無論、物理的に何かが壊れたわけではない。

「あ、は………」

気がついたら、自分の先輩の傍にいる彼女を襲っていた。
気がついたら、自分の先輩が彼女を助けていた。
気がついたら、自分の先輩を呑んでいた。

「あれが………先輩の、味………」

すぐにサーヴァントを消した。
自分の先輩を殺そうなんて思わない。
思わないし、襲ってしまったことに罪悪感を覚えている。
本当に、本気で、彼の安否を気遣っている。

自分の先輩。
そう、自分の先輩。
自分の、自分の、自分の、自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の。

「違………う………!」

渦巻く自分の中の意志を否定した。
自分の先輩は自分のではない。
彼の隣にいるのは灰色髪の彼女。
彼の家にいるのはツインテールの先輩と、弓道部主将。
自分がいない場所で、自分がいなくても成り立っている日常。
いつも通っていた場所にやってきた、今まで居なかった人。

「あ──────そう、だ」

皆がいるから、自分の先輩はこっちを振り向いてくれない。
皆がいるから、あの家で自分の居場所がなくなってしまう。
なら。

「みんな、食べちゃえばいいんだ」

先ほど破裂したナニカ。
そこから生まれた結論。
そこから生まれるであろう結果。
自分の先輩が、自分だけを見てくれる。
あの先輩の味を自分だけのものにできる。独り占めにできる。
そう思うだけで、身体が火照る。

誰も助けてくれなかった。
あのツインテールの少女にいたっては、何もしていない。
なのに、平然と自分の先輩の家にいて、平然と暮らしている。
奪われる。
弓道部の先輩が自分の先輩の家にいる。
奪われる。
いつも隣に灰色髪の先輩がいる。
奪われる。

先輩だけが、自分の希望。
先輩だけが、私の目的。
それを奪うなら。

「………別にいい、よね。誰も、助けてくれなかったんだから………」

呆然と、天井を見つめながら、目を閉じる。
思い出すのは、自分の先輩から少し、ほんの少しだけ残っていた魔力を、ほんの少しだけ貰ったときの味。
今まで感じてきた幸福、温かさ。
もっと欲しいと、自分が願っていることを他の人は平然とできている。
なぜ自分だけはそれすらも願えないのかと。

「駄目………!違う、違う………」

今さっき思い浮かんだ考えを否定する。
なんでそんな事を思い浮かんだのかと、自分を嫌う。
思考がぐちゃぐちゃになって、身体が震えてくる。
死にたい、死にたい、死にたい、死にたい。
欲しい、死にたい、感じたい、食べたい。
欲しい、欲しい、感じたい、食べたい。
欲しい、欲しい、欲しい、食べたい。
欲しい、欲しい、欲しい、欲しい。

「あ、は………あは、ははは………」

味が、おいしかった。

―Interlude Out―



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第35話 過去から現在へ
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:47a17094
Date: 2012/08/11 22:21
第35話 過去から現在へ


─────第一節 冬木への帰還─────

揺れている。
体に小さな振動が伝わってくる。
意識が少しずつ浮上してくるのがわかる。

「………っ」

「あ、気が付いた?」

小さくなったり大きくなったりする振動を感じながら、ゆっくりと目を開ける。
視界は少しずつ開いてはいるが、その度に点滅を繰り返す。
姿勢からして座っているみたいだが、座っているという感覚がない。
体は熱く、頭も未だに現状を理解できていない。吐き気も相変わらず収まっていない。

「ちょっと、士郎?」

声が聞こえてきた。
遠坂の声だ。
頭の中はまだグラグラと揺れているけど、それでも一応認識できる程度にははっきりしてきた。
体の方は相変わらず熱の所為でふわふわと浮いた感じがするが、一応問題ない。

「………え」

はっきりとしてきた所為で、今どういう状況になっているかを知った。

「っ!?~~!!?!」

見事なまでに遠坂の肩にもたれていた。
いい香りがするな、とは薄々思っていたけど、遠坂にもたれて眠っていたのか俺は。
で、もう条件反射のような勢いでガバッ、と反対側に離れようとするとだ。

「………どうしたのだ衛宮。大丈夫か?」

遠坂と反対側の隣に座っていた氷室の肩に頭を預けてしまっていた。
ああ、こっちもこっちでいい香り、なんて馬鹿な感想思いつく暇あったらさっさと離れろ。

「へー、衛宮くんってば氷室さんとそんなに抱きつきたいんだ?」

「な、なんだってそんなことになる………!」

遠坂の言葉に少し反応してしまうが、ここは平常心。
ちなみに氷室の顔色は窺わないでおく。きっと顔を直視できないと思うから。
今度はゆっくりと落ち着いて姿勢を元に戻し、改めて状況を確認する。
と、そこへ。

「大丈夫? シロウ」

視線を遮る様に、膝の上にイリヤが座ってきた。
赤い瞳は変わらず、銀色の髪も今までと変わりなく綺麗なままだ。

「イリヤ………。ああ、俺は大丈夫。イリヤは………大丈夫そうだな。─────ここは?」

「車の中です、シロウ」

声をかけてきたのは紛れもなくセイバーだった。
学校で契約破りを受けて、キャスターに攫われてしまったセイバー。
その声を間近に聞いて、改めて安心したんだけど………

「って、セイバーが運転してるのか………!?」

「はい、私には騎乗のスキルがあります。この程度の機械ならば乗りこなすのは容易いのです。………しかしシロウ、目を覚まさせてしまって申し訳ありません。振動を無くそうと努めてはいるのですが」

「あ、いや………セイバーの運転は完璧だから問題ないぞ。どんなに整備されていても振動はでてくるから」

振動を皆無にしようと努力しているらしい。
流石にそれはアルファルトの道だとしても無理だろう、と心の中で思いながら車内を見渡す。
………といっても見渡すほどの広さはないので、視線を少し動かすだけでいい。
運転席にはセイバーが座って運転している。
助手席には………

「セラ? セラも無事だったんだな」

「私は特別頑丈には作られていませんので、戦闘の被害が大きくなったのを察して城の外に退避しておりました」

そうか、と一言ついて隣を見る。
左側には遠坂がいて、俺を挟んで反対側に氷室がいる。
そしてその奥にはリズがいて、膝の上にイリヤが座っている、と。
ちなみにリズは眠っているらしく、瞼を閉じていた。
つまり後部座席は4人で座っているということになる。

「どうりで」

3人掛けを想定した作りになっているのだから、当然4人座れば隣との間隔は狭くなる。
つまり、それだけ隣と密着してしまうというわけなのだが。

「その様子だと大丈夫そうね。影に襲われたとかセイバーが言ってたからどうなったのかと思ったけど、魔力を持ってかれただけで、その所為で意識が無くなったみたいだったし。にしても早い回復よね、士郎」

「え、………ああ。流石にまだ………気持ち悪いトコはあるけど………」

隣にいた遠坂が手当をしてくれたのか、と言おうとしたところに。

「当然でしょう。シロウの魔力不足は私が補ったんだから。普通よりも早く回復するわよ」

イリヤが言葉を被せてきた。

「あら、私の手当があってこそじゃない? イリヤスフィール」

「イリヤでいいわよ、リン。そうね、その点については何も言わないわ」

「えらく素直ね、アンタ。どういう心境の変化?」

「別に。リンが気にする必要はないわ」

特に険悪なムード………というわけでもなく、普通に話している二人。
ここでいない人物に気付いた。

「遠坂………アーチャーはどこだ?………屋根の上にでもいるのか?」

「んなワケないでしょう。家で見張りをお願いしてるわ。綾子だっているんだし、家を完全留守にするわけにもいかないでしょう」

「ああ、そっか。そうだよな。それで、美綴の調子はどうなんだ?」

アーチャーは遠坂のサーヴァントだから、てっきり一緒に行動しているかと思ってた。
が、セイバーがここにいる以上はそりゃ当然アーチャーは家にいるわけか。

「傷はもう平気よ。ええ、私が手当したんですもの。そりゃ完璧に、惚れ惚れするくらいに体調は戻ってるわ。今朝もセイバーと一緒に藤村先生とかのお見舞いに行ったくらいだから」

「そうか、よかった。………けど、藤ねぇは病院か。明日にでもお見舞いしに行くか」

「その点に関しては、大河が『なんで士郎は来てないのよー? あの薄情者めー!』と怒っていましたが?」

「う………そりゃ怖い。虎を宥める餌の一つでも用意しておくか」

運転しているセイバーに視線を移し、その視線の先に流れている景色を見る。
外はすでに真っ暗で、時折対向車線の車のヘッドライトが一瞬だけ明るくして、また暗くなる。

「えっと………今はどこに向かってるんだ?」

「今は君の家に向かって走っているとのことだ。あと十分程度すればつくのではないか?」

「はい、もうまもなく街に入ります」

走っているのは冬木市に繋がる国道線。国道線と言っても対向車は本当に数える程度しかない。
いや、起きたのは途中だけどいくらなんでも車の数がおかしくないか?

「遠坂、今何時だ?」

「もう9時よ。アンタや氷室さん、それにこの子の手当をして、歩いてあの森から出た時間自体が遅かったからね」

「9時………」

最後の記憶は日が完全に沈んだ時間こそ覚えていないが、そこから少なくとも2時間は眠っていたことになる。
その間に手当されて運ばれていたなんて全く気が付かなかった。
どうりで車の数が少ないわけだ。

「氷室………あのあと、どうなったんだ?」

「あのあと………か」

黒い影に呑まれたのを最後に全く記憶がない。
意識がなくなっていたならそれは当然だろうけど、あの影がどうなったかは知っておく必要がある。

「衛宮が黒い影に覆われたと思ったら、すぐに消えてしまったよ。しかし、あの数秒で倒れてしまっていたのだから安心などはできなかったな」

どうやら黒い影は長い間いなかったらしい。
ということは、その数秒で意識を完全に奪われたということになる。

「私も私で動くのは困難で、セイバーさんが私と君を抱えていこうとしたところに遠坂嬢とイリヤ嬢らが戻ってきたのだ」

「見ればお城は瓦礫の山だったし、氷室さんと士郎はボロボロ、森は炎で焼かれてるしで凄まじい惨状だったわよ。それこそ一体どこのドラマのワンシーンだ、っていうくらいにね」

「そうだったのか………。遠坂、セイバー、本当にありがとう。二人がいなかったら無事じゃすまなかった」

「いえ、私の方こそ遅れてしまい申し訳ありません、シロウ。もう少し早く駆けつけるべきでした」
「いいわよ、結果的に二人とも無事だったんだから。ま、借りはつけとくわよ、士郎」

運転席に座るセイバーと、隣にいる遠坂に視線を向けて礼を言っておく。
そして。

「イリヤ………バーサーカーは………」

「………うん。いなくなっちゃった」

寂しそうな、悲しそうな表情を浮かべて、けれどそれでも涙を流さないイリヤ。
最後、バーサーカーは俺に託した。
なら、遂げないと。

「そうだ、イリヤ。家に来るか? もちろん、セラとリズも一緒にいいぞ。お城が崩れちゃったし、帰るとこないだろ? もし迷惑じゃなかったら居てほしいんだけど」

「え………?」

きょとん、とした顔で見つめてくる。
………自分の住む場所を考えていなかったんだろうか?

「ちょっと、士郎。私とセイバーはこの子との間に一体何があったのか、まだ訊いてないわよ。行く途中で派手な戦闘らしき音が聞こえてきたから一層早く来たっていうのに」
「そうです、シロウ。いざとなれば戦闘もやむを得なし、と身構えていたところで当のマスターが怪我をして目の前に現れたのですから。そしてシロウを助けてほしいという言葉を聞いたときは聞き間違いかと思いました」

ああ、そうか、と納得する。
何も事情を知らない二人にしてみれば、イリヤとバーサーカーが俺と氷室を攫ったとしか考えないわけだよな。
けど、それは大きな間違い。イリヤは敵じゃないし、攫ったと言うよりは助けてくれたといったほうが正しいハズ。

「………それにね、士郎は知らないだろうけど、この子は慎二を殺してるのよ? そんな物騒な子を許した上で、家に招こうっていうの?」

「─────」

そうだ、イリヤは言っていた。『ライダーのマスターを殺した』と。
慎二はライダーを使って、学校の生徒達を、そして美綴を殺そうとした。
それがマスターとしての行為だったのならば、倒し倒されるのは仕方がないことだと判っている。
………それでも、慎二とは何年も付き合ってきた友人ではあったから、桜のことも考えると帳消しにはできないだろう。

「確かに慎二のやったことは許されることじゃないし、事実私だって許そうなんて微塵も思っちゃいない。けど、それを平然とやってのけるこの子を助けようっていうの? 士郎」

「………けど、イリヤだってマスターじゃなくなった。自分のしたことを悔やめるようになるのなら、俺はイリヤを助ける。それにイリヤに邪気はない。ちゃんと教えてやる人がいればそんな事はしない。それに………俺はマスターを殺すために戦ってるわけじゃない。この戦いを終わらせるために戦ってるんだ。間違ってもマスター殺しはしない」

同じ車に乗っていながら、こうまで言えるのはセイバーがいるからか。
この場で一番強いのは間違いなくセイバー。
何かあったとしてもセイバーが負けることはない。

「それにバーサーカーとも約束したからな。『イリヤを頼む』って。………ならその約束を反故するワケにもいかないし、そもそも家族なんだから一緒の家にいちゃいけない理由なんてない。遠坂とセイバーが反対しても、イリヤは連れて帰るぞ、俺は」

隣にいる遠坂と視線を合わせること数秒。
運転しているセイバーが声をかけてきた。

「シロウ………家族、というのはどういうことでしょうか? 血がつながっている、と?」

「あ、いや。血は繋がっているわけじゃないけどさ。………って俺が勝手に言っていい話でもないか。────イリヤ?」

とん、と膝に乗っていたイリヤが体を預けるように胸にもたれてきた。
やはり女の子であり、髪からはいい香りがする。

「うん、やっぱりシロウはお兄ちゃんだ………!」

体を預けてきたと思ったら次は両手で抱きついてきた。
間近で見るイリヤの顔は、そりゃあもう屈託のない笑顔だった。

「………、まあ理由は家に帰ってからゆっくり聞くわ。セイバーの話だとバーサーカーとは別のサーヴァントがいて、バーサーカーはすでにいなかったらしいし。………士郎の発言を聞く限りじゃ、この子が何かしたってワケでもなさそうだしね」

俺とイリヤの状況を見てか、或いはイリヤの笑顔を見てか、小さくため息をつきながら、とりあえずは保留ということにしてくれたみたいだ。
セイバーの顔は運転しているため窺う事はできないが、何も言ってくる気配がないからすると遠坂と同じと見ていいだろう。
周囲はいつの間にかビルが建っており、ネオンの光もそこそこある。
冬木市の新都に入ったらしく、あと数分もすれば家に着く。

─────第二節 その結果─────


士郎達が家に到着したのは、午後10時前。
セイバーは乗ってきた車を見覚えある場所へと収め、士郎達と共に玄関へと入った。

「ただいま」

未だしっかりと踏みとどまることができない士郎に肩を貸しながら、代わりにセイバーが戸を開ける。
家の明かりはまだついており、それは綾子がまだ起きて居る事を意味する。

「衛宮?」

居間の戸が開き、顔を覗かせる綾子。
その先にいたのは見間違うことなどない、居なくなったこの家の主、衛宮士郎と。
同じマンションに住み、同じ境遇にある氷室 鐘の姿があった。

確認するや否や、急いで玄関へと赴き出迎える。
鐘の方は見る限りでは大きい怪我はしていないように見える。
が、士郎の方はセイバーに支えられている。

「衛宮? どうしたんだ?」

「ん、ちょっと気分がよくないだけだから。美綴が心配するほどじゃないぞ。………と、美綴は大丈夫か?」

靴を脱ぎながら綾子を見る。
目覚めた時より幾分マシになっているが、元に戻るにはもう少し時間がかかる。

「あたしは平気。………じゃ、衛宮は大丈夫なんだな?」

「ああ。悪い、心配かけて」

廊下へ一段あがり、同じ場所に立つ。
それを見て、そしてその後ろにいる人を見て、再び士郎に視線を戻す。

「衛宮、この人たちは?」

この人達………というのは間違いなくイリヤ、セラ、リズの三人。
面識など全くない綾子にとってはこの疑問は当然のこと。

「ああ。これからこの家に住むことになったんだ。こっちがセラで、こっちがリズ………リーゼリット。で、この子が………」

「初めまして。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン申します。宜しくお願いします」

「え………あ、ああ。イリヤスフィールさん、ね」

洗練された動作で礼をするイリヤ。
対する綾子は突然現れた少女の行動に面くらったような表情を浮かべながら、とりあえず返答する。
流石はお嬢様だなぁ、なんて遠い考えを抱きながら視線を綾子へと戻す。

「で………住むっていうのは?」

「ああ、それは遠坂達にも話す必要あるから………とりあえず上がっていいか?」

まだ玄関で立ちっぱなしなのである。



「おい」

「なんだ」

「なにやってる」

「見てわからんか? それすら貴様の脳は理解できないのか」

「ンなもん見ればわかる。俺が言いたいのはなんでお前がそこに立ってるんだっていうことだよ」

「勝手知ったるなんとやら、とね。生憎だが今朝からここに立っている。ああ、食材は有り余るほどあったから、存分に使わせてもらっているぞ」

「だ か ら!なんでお前が調理してるんだって言ってるんだよ!」

「悪いが怪我人に包丁を握らせる気はない。出した料理に血が混ざっているなどと笑い話にもならん。貴様は大人しく食べて打ちひしがれるがいい」

「ほんと、お前って嫌な奴だな、アーチャー」

「そう思われるのは極めて光栄だよ、衛宮士郎」

居間に入ってくるなり台所に立っていたアーチャーへ詰め寄り、講義する士郎。
その勢いはセイバーの助けを不要とするほどだった。
そのコントとも言える早口の言い合いを聞き遂げながら、とりあえずテーブルを囲う様に座る7人。

「士郎、とりあえずアンタはアーチャーの言う通り怪我人なんだから。今日くらいはゆっくりしなさい。アーチャー、ご飯作ってるみたいだけどあとどれくらいでできる?」

「もう間もなく、と言いたかったが予想外の客がやってきたのでな。時間はあと数分はかかる」

凛の問いに答えながらもその手は動きを止めていない。
エプロンを取りだした士郎はそれを身につけ、アーチャーの隣に立った。

「む? なんだ、邪魔をするのか?」

「邪魔なんてするか。けど、イリヤ達の分はないんだろ? なら作る。家にやってきて初めて出された料理がお前のっていうのはなんか納得いかない」

長袖をまくり、気合いを入れる。
それを鼻で笑おうとしたアーチャーだったが………

「………」

左腕に僅かに見えた“異物”を見て、腕が止まった。
その視線を感じた士郎が、訝しげにアーチャーを見る。

「なんだよ」

「………いや」

腕を動かしていく。
その後ろ姿を見た7人。

「ねぇ、リン。シロウとアーチャーって仲いいの?」

「さぁ、どうだろ。あの姿を見る限りじゃ悪いようには見えないけどね」



夕食というよりは夜食に近い時間だったが、流石にこの人数となるとご飯が残るということはなかった。
ただ夕食を囲むにあたって、改めて周囲を見渡した士郎が、明らかに食べにくい状況になっているということに気がつくのに時間はかからなかった。
なにせ、食卓を囲む自分以外が全員女性で比率7:1なのだから。

「食器は私が洗おう。貴様は説明するべき事があるだろう、まずはそれをしろ」

アーチャーにそう言われた以上は、説明するほかない。
もとよりもう間もなく今日が終わる。
疲労もそれなりにあるだろうから、早めに説明を済ませるのに同意したのだった。

「別に何も説明することはないじゃない。シロウはここの家の主で、私はその主に住んでいいって言われてるんだから」

「だから、そこに至る経緯を知る必要があるって言ってるでしょ。仮にも敵同士だったんだから」

「そうです。ましてやその身が何をしたかなどと忘れている訳ではないでしょう」

「ねぇ、氷室。あの子、そんなに危ないのか?」

「………そう思う時と思わない時がある、とだけは言っておく」

「ねぇ、セラ。部屋、どこにする?」

「………貴女はもうそこまでいってるんですか、リーゼリット」

「あー………、とりあえず説明イイデスカ?」

コホン、と一つ咳払いをして“一旦”主導権を握る。
ここまで女性陣が多くなると主導権を握るにも一苦労。
………っていうか、主が主導権を握っていないっていうのはどうなのだろうか?

「えーと、まず決定事項はイリヤ、リズ、セラは問題ない限りはここに住む。もちろん、三人が嫌がったりするなら強制はしない。………どうだ、イリヤ?」

「嫌なわけないじゃない。それにバーサーカーがシロウに頼むって言ったんなら、私もシロウと一緒にいるわ」

「私はイリヤスフィール様の意志を第一とします。よって意見は述べません」

「私は、いいよ」

「………ってことで決定。で、そこに至る経緯というか理由なんだが、イリヤ」

確認を取るためにもう一度イリヤに視線をやる。
その視線を受け取ったイリヤだったが、別に気にしている様子はない。

「いいわ。話したって、もう私には関係ないもの。シロウが一緒にいてくれるなら、私はそれでいいんだから」

「それは、イリヤスフィールがシロウと家族だという事ですか? シロウ」

「ああ、そうなる」

そこからゆっくりと話し始める。
茶碗を洗っているアーチャーもまた、静かに居間で話す士郎の言葉を聞いていた。
家から居なくなった経緯、城で治療してもらったこと、食事後の会話、バーサーカーの話。
誤解を招かないよう、ゆっくりと確実に話していく。
だが、その途中で思いがけない人物が驚愕の色を露わにした。
それは。

「アイリスフィール………!?」

セイバーだった。
イリヤスフィールの母と衛宮切嗣の間に生まれたのがこのイリヤスフィールであり、その母親の名を軽く紹介して流そうとしていただけにこの反応は予想できなかった。

「? どうした、セイバー。どこかで聞いたことがあるのか、イリヤのお母さんの名前」

「え………あ、いや。しかし………」

セイバーにしては珍しく慌てている様子を見て、改めて鐘は考える。
今の今まで引っ掛かっていた謎。どこかで聞いたことがあるというその違和感。
セイバーが慌てているという事実。

ふと。
脳裏に過るのは、最初セイバーが黒い服を身に纏って学校にやってきたあの日。
あの日もまた、何か、どこかで見た事のある姿だと思った。
その事実。
考える。思い出す。その過程の中に、きっと答えはある筈。

「アイリスフィール………セイバー………黒い服」

そういえばイリヤの母親もまた、イリヤの様な髪をしていたとのこと。
母親、と言うからには身長もそれなりにあるだろう。
そうして考えていくうちに。

─────あら?怪我をしてるわね、大丈夫?

「あ」

あの日の光景を思い出した。

『ねぇ、セイバー。絆創膏ってあったかしら?』
『は? 絆創膏………ですか。確か鞄の中に一枚ほどありますが………。アイリスフィール、どこか怪我をされたのですか?』
『いいえ、私じゃないわ。その………灰色の長髪の子。膝に擦り傷があるみたいだから。渡そうかな、って』
『はい、これを傷口に張れば、スカートが膝に触れてもスカートが汚れることも、傷が痛むこともないわ』

思い出した、完全に。
あの日を最後に今、自分の正面に座っている少年と会う事はなくなった。
その時に出会った、最後の人。間違えるはずもない。

「どうした、氷室?」

「衛宮、覚えていないか? 十年前の最後の公園での出来事。絆創膏を貰った人のことだ」

「十年前………? 絆創膏?」

はて、と考え込むがおいそれと思いつく訳もない。
だが、あの聖杯戦争がまるで昨日のことのように思えるセイバーは、その言葉を聞き逃しはしなかった。

「な………、ヒムロ。貴女はまさか」

「ああ、『アイリスフィール』という女性から絆創膏を受け取った子供だ、セイバーさん。………あの日が“最後”だったから、思い出すのには苦労した、というのと“最後”だったから思い出しやすかった、というのがあるが………。さて、どっちなのだろうな」

「ちょっと、話が全然見えないんだけど。まず、絆創膏って何、あとなんでイリヤの母親の名前がキーワードになってるの?」

置いてけぼりをくっている綾子と士郎と凛が、鐘とセイバーを見る。
正確には士郎も鐘側なのだが、生憎とまだ思い出していない。

「………そうですね」

瞳を閉じて、何かを決心したようにセイバーが言葉に出す。
彼女の中に蘇るのは、過去の聖杯戦争。
その時の代理マスター。その時の本来のマスター。その時の最後の敵。そして鐘の持つ記憶。
その代理マスターの娘だという少女。その時の本来のマスターの義理の息子だという少年。そしてあの瓦礫の海、爆心地に悠然と立っていた敵。

ここまで似通ってしまうのか、と。
ここまで通じてしまうのか、と。
心の中で呟き、瞼を開ける。

「────これも何かの因縁、というべきでしょう。シロウ、とりあえずは話を。………私に関することはそれが終えてから話します」

「………わかった。とりあえず、バーサーカーがいなくなっちまった経緯と、その敵についても話す。こっちの話すことが全部終わったら、セイバーの知ってることを教えてくれ」

「………はい、必ず」

何時の間にやら茶碗を洗い終えたアーチャーも、静かに話を聞いていた。

過去と現在が、少しずつ繋がっていく。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第36話 明日へと続く道
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:47a17094
Date: 2012/08/11 22:22
第36話 明日へと繋ぐ道


─────第一節 新たなる敵─────

衛宮邸で慎二とライダーの強襲を受けたことから始まり、気絶した後にイリヤによって保護されていたこと。
その過程でアインツベルンと衛宮切嗣、そして士郎との関係を知ったこと。
嘘偽りなく伝え、そして今回の問題点とも言える敵についての話が始まる。

「バーサーカーを倒した敵………氷室の推測で『ギルガメッシュ』という名前、ってわかった。本人も肯定してたからまず間違いない」

湯呑をゆっくりと飲みながら、落ち着いて話を進めていく。
氷室の推測、という言葉を聞いたセイバーは驚きの表情を露わにした。

「………ヒムロがあの男の正体を看破したのですか? 一体どうやって………」

十年前の聖杯戦争。
その最終決戦に至り、消滅するその時まで正体を掴むことができなかった黄金の王。
あの場で判ったのは圧倒的な強さを持っているということだけだった。
代理マスター、アイリスフィールですら看破し得ない存在だったその敵を、魔術師でもない彼女が見破ったというのだから、驚愕するのは当然である。

「正直に言えば本当に推測でしかなかった。何せあの人物を特定するのに用いた手段が『言葉』なのだからな。『天の雄牛』や『バビロン』という言葉は推測するのにかなりプラス面になったかな、あれは」

「………氷室、アンタ凄いね。よく言葉だけで推測できたもんだ」

「────せめてこれくらいは、と思っていたのでね。………結局、名前を教えただけでその後は衛宮に負担をかけてばかりだったが」

視線を下にやり、俯いてしまう鐘。
テラスの落下から始まり、自分を暴風から庇う盾となったり、影から逃げるために犠牲にしてしまったり。
そして何より“あの時”の感覚が今でも忘れる事が出来なかった。

「いいよ。氷室も俺も無事だったんだ。氷室が気にすることじゃないよ」

「………善処はしよう」

軽く説明を受けた凛もまた、彼女の推測力には感心していた。

「やるわね、氷室さん。魔術師っていうのは普通、その宝具やその姿、能力っていった方を見る傾向があるから、言葉から推測っていうのはなかなかしないわね」

「それは其方の方がはっきりと判るからだろう。言葉では嘘を言っている可能性も含まれるから、信用には不十分。なら、武具や姿、能力で特定するというのは道理に合っているのではないか?」

「そうなんだけどね。相手もそれが判っているから正体を隠して、結果判りづらくなっちゃってるっていう現実があるのよ」

ずず、と湯呑に口を当てながら話を進めていく。
時刻は午後11時を前とした時間帯。だが、生憎と眠気はない。
が………

「あれ、リズさんは寝ちゃったの?」

傍らにいたリズが何時の間にか眠っていた。
事実を知り得る者しか知り得ない事実だが、リズは一日十二時間というリミットがある。
それを超えると寿命を削ってしまう。故に本当に己が主、イリヤに危険がない場合はこうして休息という名の停止が必要なのである。

「イリヤ? 眠いなら連れて行くぞ?」

「う………ん………」

うつらうつらとなっているイリヤを見て声をかける士郎。
その声に反応したイリヤがゆっくりとふらつきながら士郎の元へ近寄り………

「ここで………いい」

こてん、と士郎の膝の上で眠ってしまった。
電池が切れたように倒れたので一瞬驚いた士郎だったが、眠っているということで一安心。

「えっと………セラ。運んだ方がいいよな?」

一応確認のためにまだ起きているセラに尋ねる。
イリヤを見ていたセラが士郎に視線を向けた後、瞼を閉じて

「イリヤスフィール様はそこでいい、と仰せられました。ならば、私は何も言うつもりはございません。仮に連れて行くのであれば貴方も一緒に行くことになりますが」

「………よし、わかった。じゃあ俺はこのまま膝枕してやればいいんだな」

「その通りで」

何か嫌われるようなことしたかなぁ、と半ば本気で不安になる士郎を余所にセラは淡々と答え、眠っているリズにイリヤと同様に膝枕をしてあげている。
ここでやっておかないと朝起きた後イリヤに密告されるという根拠もない予感を感じ取った士郎は、とりあえずそうならないようこの状態を維持することに努める。
幸いイリヤは重くないので、極度の負荷がかかるという事はまずなかった。

「えっと………で、次はそのギルガメッシュが使ってきた宝具についてなんだけど………」

「何? ギルガメッシュの宝具が何かわかったの?」

興味津々な態度で凛が食いついてくる。
8人目のサーヴァント、という事実と共にその正体や攻撃法が判っていると言うならば聞かない手はどこにもない。

「ああ。確認できたのは二つあって、一つは剣を大量投擲する攻撃方法だ。しかもその剣全てが全部宝具級の代物っていうふざけた奴だよ」

「全部宝具級………? それってどこかの出典限定、とかじゃなくて?」

「ああ、古今東西ありとあらゆる宝具。────多分アイツは全ての宝具の原型………神話の元となった武器の最初のモノを持ってて、それを投擲してるんだと思う」

「何よそれ………。英雄には当然弱点だってある。けど、そんな全ての武器を持ってるんじゃその弱点を突かれたらひとたまりもないじゃない」

「或いはそれが強みなんじゃないか? 剣の数も凄いけど、それプラスアルファで弱点を突く。だからバーサーカーを押し続けられたんだと思う」

ギルガメッシュの攻撃手法について、見た限りのことを詳細に説明していく。
剣の中には剣だけではなく、鎖もあっただとか。

「シロウ、一つ尋ねてもいいでしょうか」

「ん? いいぞ、セイバー。どうした?」

士郎の話を聞いていたセイバーが尋ねてきた。
無論それを無視する必要など皆無なので気軽に尋ね返す。

「シロウは、あの男の攻撃手段を知っている………ということは少なからずシロウへの攻撃もあったのではないでしょうか? その攻撃をシロウはどの様にして防いだのですか?」

「ああ、それか。………確かに俺だけじゃ防ぐ手段はなかった。けど、イリヤが魔力を提供してくれたおかげで、アイツの放つ武器を投影してぶつけたんだ。それで凌いだ」

「────何?」

セイバーに対して言った回答だったが、それに疑問の声をあげたのは士郎の背後にいるアーチャーだった。

「何?………ってなんだよ」

「貴様、本当にソレをやってのけたのか?」

「やってのけなくちゃイリヤも氷室も俺も助かってない。なんだよ、俺が投影できたのがそんなに変なのかよ」

士郎はアーチャーを睨むが対するアーチャーはそんな視線など一切無視する形で、何やら考えに浸り始めていた。
そんな姿に軽くため息をついて視線を前に戻し、話を続ける。

「では、シロウはあの宝具群を投影した………というわけですか?」

セイバーは過去にギルガメッシュの攻撃を見たことがある。
無数の宝具群を際限なく打ち出し、相手を串刺しにする投擲攻撃。
あれが尋常ならざるものだということは十分に理解している。

「ああ。けど、アイツが最後に出してきた剣だけはどうやっても無理だった。骨子すら読み取れないんじゃ投影のしようがない」

アレ、一体何で出来てるんだろうか、などと独り言を呟く士郎。
しかしセイバーにはその剣というものに心当たりがない。

「ちょっと待ちなさい、士郎。貴方宝具を投影したって言ったわよね? 体とかに異常はないわけ?」

「? 特にないぞ。魔術回路の方もイリヤが治療してくれたおかげで元通りだし」

体の中に感じる妙な違和感………くらいだが、深刻なほど痛むわけでもない。
気にかければちくりと感じる程度なので実質気にかけなければ何の影響もない。

「────で、その剣っていうのが、士郎の言う二つ目の宝具の事?」

小さく息を吐き、改めて諮詢してくる。
それに頷いたあと、士郎は話を進めていく。

「ああ。確か『天地乖離す、開闢の星エヌマ・エリシュ』………とか言ってたな。柄はあったし、鍔もあった。けど、刀身が普通じゃないんだよ。円柱状の刀身でその先端にだけ鈍い刃があるだけの剣。で、何よりあの剣の骨子とかが全く読み取れなかった」

「エヌマ・エリシュ、か。………バビロニア神話の創世記叙事詩のことね。どんな感じの宝具だったの?」

「暴風と光の攻撃。とりあえず加減された状態ですら軽く吹き飛ばされるくらいの威力、かな。………アインツベルンの城が崩れたのもアイツのその攻撃の所為だ」

視線を下にやり、膝の上で眠っているイリヤの髪を優しく撫でる。
その寝顔はとてもじゃないが、マスターとは縁遠いモノだった。

「衛宮、一つ訊いていいか?」

「ん? なんだ、美綴」

「その────ギルガメッシュ、だっけ? なんで衛宮達を狙って来たんだ?」

「わかんないな。白き聖杯がどうとか黒き聖杯がどうとか言ってたけど、そもそもアイツとはまともに会話してないからな。ただアイツがやってきてイリヤを狙ってる風だったから、イリヤを守ったんだよ」

「────はぁ、つまりアンタはその子を守るために狙われていないにも関わらず喧嘩ふっかけたってワケか。衛宮らしい、って言えばそこまでなんだろうけどさ。………もうちょっと自分の命を大切にしたらどうだい?」

見つめる────というよりは少し非難の色合いがある視線で士郎を見る綾子だったが、当の本人は特に気にすることなく

「十分大切にしてるぞ。俺は自殺願望者じゃないしな。けど、ただやられるのを見てるだけっていうのはダメだ。守れるなら守らないと」

「────私は一度本当に死んだかと思ったのだがな………」

ぼそり、と呟く声は隣にいる綾子には聞こえても、少し離れた位置に座っている士郎には聞こえなかったらしい。
視線を横へやり、僅かに鐘の表情を伺ったあと、改めて前に視線を戻した。

「で、その後キャスターが現れて、黒い影が現れた。────こんなところか。俺から話すことは一通り話した。セイバー、知っていることを教えてくれ」

ふぅ、と言うべき事を言い終えて時計に目をやると午後11時を過ぎていた。
不意に欠伸が出そうになるのを耐えて、セイバーへ視線をやる。

「………わかりました。では、私が知っている限りのことを話します。………まず、ヒムロがかつて見た、というのはまず間違いなく私です」

「やはり………。では、その隣に居た人がイリヤ嬢の母親なのだな?」

「ええ、そういうことになります。彼女の名はアイリスフィール。………私の代理のマスターをしてくれた女性です」

「はい、ストップ。つまりなに? セイバーは、前回もこの聖杯戦争に参加していたっていうの?」

「そういうことになります。その過程………街を探索している時に、まだ子供だった頃のヒムロとシロウに出会った事が一度だけあったのです」

「………氷室と衛宮って子供の頃から知り合いだったの? にしては今までそんな素振り見えなかったけど………」

「いろいろあった………と言っておくことにする、美綴嬢」

気軽に話す内容でもないし、そもそも今はセイバー自身の話しをしている。
話すとしても別の機会だろう。
もっとも、その時は決して鐘一人で話すわけにもいかないだろうが。

「ありえない………どんな確率なのよ、ソレ。同じ英霊がこうも短期間に二回も召喚されるだなんて。普通あり得ないわよ」

「それに関しては理由があります、リン。私の目的は聖杯を手に入れること。もともとこの身は、聖杯を手に入れる代償として、サーヴァントになったのです」

「────手に入れるために、サーヴァントになった? それって英霊になるときの契約のこと?」

「はい。この身をサーヴァントとする交換条件として、私は聖杯を求めたのです」

「………つまりセイバーは英霊だから呼び出されたワケじゃなくて、自分から聖杯を手に入れるために聖杯戦争に参加したってコト? けどサーヴァントである以上は、英霊として奉られているんだから、自分からこっちの世界に関わるなんて出来っこないし………セイバーはサーヴァントのルールから大きく外れてる………ワケでもないわよね」

うーん、と内容を整理し始める凛。
その傍らでは

「………つまり、氷室は判った?」

鐘の隣で聞いていた綾子が尋ねる。
聞かれた鐘も、少し難しい顔で答えた。

「確か───この聖杯戦争に参加する『英霊』と呼ばれる者は『かつて存在していたとされる英雄もしくはそれに準ずる英雄』であり、それを呼び出して戦って勝利すれば聖杯が手に入る、だった筈。つまり、サーヴァントとは英霊であり、英霊となる者は相応の功績を遺した者のみがなれるというわけだろう。けど、セイバーさんは『聖杯を手に入れる』かわりに『サーヴァントになる』という交換条件を提示したという事は────」

「はい、私はまだ完全なサーヴァントにはなっていません。通常聖杯戦争は『英霊サーヴァント』になった者が参加し、結果的に『聖杯』を手に入れるという事実へと至ります。けれど私は先に『聖杯を手に入れる』という結果を約束した上で『英霊サーヴァント』になる、という交換条件を提示しました」

「つまり死後の自分を売り払ってまで、聖杯を手に入れられる手段をとったのね。けどセイバー、貴女の出した条件っていうのは聖杯を手に入れることでしょう?なら………」

「はい、私が生きている間に聖杯は手に入れることができなかった。ですが、それでは契約が成り立たない。世界が私を英霊サーヴァントとさせるには、私が生きているうちに聖杯を与えなければいけない」

「………あたしが話に入ってきていいかわかんないけどさ、セイバーさんって言ってみれば過去の人物なんでしょ? つまり当然今は生きてないはずだよね?」

「ええ、時間軸から見れば私はとうに滅びているでしょう。ですが、それでは契約が果たせない。………それ故に、私は死を迎える一瞬で止まっている筈です。私はその停止している間にサーヴァントとして呼び出され、聖杯を手に入れ、その後は元に戻り死ななければいけないのです」

「───時間が止まっているんじゃなくて、時間に止まっている状態か。………なるほど、貴女がサーヴァントとして何度戦いを繰り返しても構わない。最終的には聖杯を手に入れて契約を果たすという事実は決定済み」

「そうです。だからこそ、私は厳密に言えば生きていて、かつ英霊になる前から“英霊化が決定している”という条件で、あらゆる時代に召喚される。………ヒムロが見た私もその結果、と言えるでしょう」

「十年前にいたセイバーさんも、今ここにいるセイバーさんも同一人物。………ということは、聖杯が手に入る可能性がある戦いであれば、どの戦場にもセイバーさんが現れる………というわけか」

セイバーが聖杯戦争に参加する理由、そして繰り返し参加できている理由。
まだ、完全な理解には至ってはいないが、大半の理解はこの場にいる全員はできた。
つまるところ、セイバーは自力で英雄となり、しかし聖杯が欲しいために手に入れるという結果を約束したため、死ぬ直前に英霊となった。
しかし聖杯は手に入れられず、死ぬ直前に聖杯が手に入れられる可能性がある戦いへとジャンプする。
手に入れた後は死んで、ちゃんとした英霊となる。

「はい。前回の聖杯戦争………十年前ですか。その時も私はサーヴァントとして聖杯戦争に参加していました。その時のマスター………それが、衛宮切嗣。シロウの父親となります」

「………切嗣」

その事実は知っている。
イリヤより聞いた、アインツベルンが雇った魔術師、衛宮切嗣。

「知ってる。切嗣オヤジはアインツベルンを土壇場で裏切ったんだろ。………そのサーヴァントがセイバーだった、っていうのは驚いたけど。一体何があったんだ?」

「………十年前の聖杯戦争。私と切嗣は最後まで勝ち残り、聖杯は目前、という場まできました。その最後の戦い、その時の相手が、城にいた敵………ギルガメッシュです。アーチャーとそのマスターはまだ残っていましたから、あとは彼らを打倒するだけで聖杯戦争は終了するはずだった。………ですが、切嗣は聖杯を捨てたのです。───その結果は言う必要はないかと思われますが」

「………あの火災、か」

蘇る記憶。
あれが、父親である衛宮切嗣が引き起こしたモノ………だとは考えたくはなかった。

「一体何があったか………と言いましたね、シロウ。───その実、私にも最後まで全く判らなかった。………一言で言ってしまえば彼は典型的な魔術師。阻むものがあれば何であろうと排除する」

彼女の頭の中に過ったのはかつてのランサーとの決着の時。
だが、それを言う必要はない。少なくとも、今目の前にいる衛宮士郎は自分の父親がそのようなことをしたと思いたくはないハズだから。

「私が戦いを通じて話しかけられたのは3度だけ。しかもその内の二回は聖杯を破壊しろというものだった。………それが目的でこの戦争に参加したにも関わらず、です。………残忍、というわけでも殺人鬼、というわけでもなかった。けれど、彼は人間らしい情など一切なかった。あらゆる感情、あらゆる敵を殺した彼が一体何を考えていたのかなど………私には到底わからない。告白すれば───私はあの時ほど、令呪の存在と裏切った相手を呪ったことはありませんでした」

静かに、ただ真実だけを述べる。
その顔、その声、その瞳が。
ゆるぎない真実であるということを十分に肯定していた。

「………私の知り得る彼はそれだけです。もとより、私は彼と行動を共にしたことなど一度も無かった。その過程で彼が一体何を考え、何を行ったかなどはわからない」

「ふぅん………前回の聖杯戦争のマスターが士郎のお義父さん。それでセイバーを召喚して………と。セイバーが何度も聖杯戦争に参加しえうるということは判ったけど、それとは別に親子そろって同じサーヴァントを召喚するっていうのもおかしな話よね。士郎、何か触媒とか持ってたの?」

「触媒………ってなんだ? そんなモノは持ってないぞ、俺」

「持ってないって………。じゃあ偶然ってコト? ………どんな偶然よ、それ」

「俺に言われても困る」

「話しているところすまないが、一ついいかな。ギルガメッシュという敵もまた十年前にいた『敵』なのだろう? しかし今回もいたという事は彼もまた召喚されたということなのだろうか?」

「それはおかしいわね。ソイツがサーヴァントっていうならそれで八人目よ。一つの期間で召喚されるサーヴァントは七人が限度。数が減ったから補充できるわけもないし、そもそも七人以上の召喚は呼び出すシステム自体が持たない。言ってみれば座る人が決まっている椅子取りゲームみたいなモノよ。7つしかない椅子に座れるのは七人だけ。座った椅子は座った人がいなくなったと同時になくなる。そこに新しい椅子を用意するっていうことはできないし、新しい人を用意するっていうこともできない」

しかし現実問題として、ギルガメッシュという敵は存在する。
セイバー、アーチャー、バーサーカー、ライダー、ランサー、キャスター、アサシン。
そのいずれにも該当しないサーヴァント。
そして十年前にセイバーと戦ったという事実。
そこから導き出される答え。

「………つまり、ソイツは今回呼び出されたんじゃなくて、十年前からずっと残り続けていたサーヴァント、ってことになるわね」

その事実。
つまり、彼は前回の聖杯戦争の勝者ということになる。

「セイバーさんは………その、『ギルガメッシュ』とかいう奴に勝てなかったのかい?」

「いえ、アヤコ。勝てなかった、という話ではない。決着をつける前に、私は令呪によって聖杯を破壊して、そのまま消えたのです。………結果的に残った者は彼一人。ならば彼が『勝者』となるのは当然なのでしょう」

「つまりまともに戦っていない………か。なら、セイバーでもソイツに勝てるのかしら?」

「………負けるつもりはありません。ですが、彼とて前回の聖杯戦争を最後まで戦ってきた人物でもある。………少なくとも彼は当時同等に強かったライダーと戦ったハズですが、彼は全くの無傷でした。油断できる相手ではありません」

士郎達はそのライダーという人物がどの程度の力を持っていた英雄かは知らないが、セイバーがそこまでいう以上は相応の力を持っていたのだろう。
が、それを無傷で倒したと言うギルガメッシュ。
ならば、油断などできるわけもない。
事実彼はあのバーサーカーを傷一つ負うことなく撃破しているのだ。

「実力はすでに実証済み………ってワケ。ああ、もう。ただでさえ厄介事が出てきてるっていうのに、ここにきて八人目のサーヴァントでしかも前回の生き残りで強い奴だなんて」

嘆くように声を発する凛だが、その厄介事というのを知らない士郎は何の事かがわからない。
いや、或いは という予感は持ってはいたが。

「遠坂、その厄介事ってなんだ?」

「士郎も見たんでしょ、黒い影。アイツのことよ」

やっぱり、と心の中で納得する。
確かに異常な存在であることには間違いない。

「遠坂、アイツの正体を知ってるのか?」

「知ってるわけないじゃない。………けど、アイツが大量の魔力を欲しがってるっていうことは判るわ」

「大量の魔力………?」

「アイツ、昨日の夜に柳洞寺に現れたのよ。柳洞寺にあった大量の魔力もキャスターごと根こそぎ奪っていったし、士郎だって魔力奪われたワケでしょ?」

「ああ………そうらしいな」

士郎本人は黒い海に浸かったと同時に意識が刈り取られたので、魔力が枯渇しただのという事実はあまりわからない。
ただ車の中での会話からしてそうなった、という事実は知っている。

「………加えてね、その影、街の人間を襲ってるのよ。意識不明者数三十余名。柳洞寺にいる修行僧らも合せると昨晩だけで八十名以上。そのどれもが今までのガス漏れ事件で騒がれてた患者よりも性質が悪い」

「なっ………!」

「幸い死人がまだ出ていないっていうのが救いね。………けど、それも時間の問題じゃないかって考えてる。あの影が行う行為は魔力の『採取』っていうよりは『食事』って言っていいレベル。丁寧に食べてるわけでもなし、とりあえず空腹を満たすためにところ構わず人を襲って魔力を吸い上げてるって感じかしら」

驚愕の事実を知って、士郎は唖然とする。
まさかあの影がすでに人を大量に襲っていたなどとは予想しなかった。

「私達がアインツベルンに出向くのに遅れたのもその所為。………加えて、今回キャスターがいるということもわかった。キャスターがあの黒い影に使役されてるとなると………」

「………人を襲う規模が大きくなるかもしれないってワケか、遠坂」

「ええ、しかも段違いにね。キャスター自身、街中から魔力を集める術を持ってる。それと並行してあの黒い影が出回れば、こんな街なんてあっという間に死者の街に変貌してしまう。………使役されてる以上、キャスターが人の命を考えて魔力を採取するという考えも捨てた方がいいわね。それこそ魔女らしく、徹底的に搾り取るっていう考えでいくほうがいいわ。───今後の方針としては、黒い影を探すのが優先かな。ギルガメッシュも無視できる存在じゃないけど、相手の素性が判ってる分戦いやすいし」

時刻はすでに11時半。
あと三十分もすれば次の日にかわる。

「黒い影が城の方に出たっていうなら街にはいないはず。今日はしっかり休んで明日に備えましょう」

凛の一言で、解散となった。


─────第二節 心─────

「セラ。どこかこの部屋がいいっていう希望はあるか?」

「特に」

「………そう。なら、空いてる部屋でいいよな」

セラがリズを運ぶのは疲れるだろうという考えで、イリヤをセラに任せ、リズを運んでいる。
過去この屋敷に藤原組の若い人達が止まって行った際に用意された布団がそれぞれある。
故に布団が足りない………ということはなかった。
その分の洗濯は大変なものではあったが。

「布団を用意して………」

少し広めの場所を確保し、三人分の寝床を用意する。
一旦抱えたリズを寝かせ、すぐさま布団を用意。
その後再びリズを布団の上へと寝かせた。
セラもまたイリヤを布団の上に寝かせて、布団をかぶせた。

「トイレとか、風呂場とか案内しとこうか?」

まだこの家の構造を把握できていないだろうという考えでセラに尋ねたが………

「結構です。どこに何があるか程度は判りますし、判らなくともいずれ判ることです」

「………そうか、わかった。じゃあ、何か訊きたい事あったら誰かに聞いてくれ。別に俺じゃなくても知ってると思うからさ」

おやすみ、と挨拶を交わして襖を閉めた。
小さく息を吐き、真っ暗な廊下を歩いていく。
黒。
それが。

「─────」

あの影を思い出させた。
あの黒い影に呑まれた時、やってきたのは黒い海だった。
コールタールのように熱い海は、身体の隅々まで一瞬で広がって、真っ黒なモノばかりが見えた。
肌に纏わりついた、生命活動を根こそぎ遮断させていく黒い海。

「しっかりしろ………」

一人暗闇の中にいるとどうしてもついさっきのことを思い出してしまう。
パンパン、と軽く頬を両手で叩いて明かりが漏れる居間へと戻る。
居間には綾子がいた。
凛は自室である離れへと行き、鐘は現在入浴中。
セイバーも部屋に戻り、アーチャーは相変わらずどこにいるか不明。

「お疲れさん、衛宮」

「ああ、美綴こそ」

一息ついて綾子の隣に座る。
テーブルの上にあった自分の湯呑の茶を飲み干して、急須に入った茶を再び注いだ。

「そういえば美綴はお風呂入ったのか?」

「ん、いや。何があるかわからないからね。電話でもきたら出れないでしょ? それに外にでる必要だってあったかもしれないし」

「ああ………確かに風呂入ったあとに外に出るのは躊躇うよな」

ずず、とまだ湯気が残る茶をゆっくりと飲んでいく。
この時間帯のテレビはロクな番組がないので、節電がてら点けていない。
カチカチ、と時計の針が進んでいく音だけが無言の部屋に響く。

「………ありがとう、衛宮」

「………え?」

視線を綾子に合わせる。
だが、そこに移ったのは普段からはあまり想像できない、俯いた表情だった。

「ほら、学校で衛宮、あたしを助けてくれたじゃない。けどさ、………結局あたしは今まで礼を言えなかった。だから、今言ったんだよ。もう、かなり遅いけどね」

「────────」

光景を思い出した。
抱いた彼女が涙を流し、気を失ったときのコト。
彼女が受けた傷のコト。
目の前にいながら救えなかったコト。

「………いや、寧ろ俺が謝らなくちゃいけない。ごめん、美綴。………結局、俺は美綴を救えなかった。最初に謝らなくちゃいけないのに今まで言わなかったなんて、最低だな、俺は」

目に焼き付いた光景は、間違っても忘れてはいけない光景。
自分が救えなかった結果の光景。

「………なんでさ、なんでアンタはそう考える。そりゃあ、あたしだって怪我はしたし気を失いもした。けどさ、それでもあたしはこうしてここにいるんだ。それは衛宮、アンタのおかげなんだ」

ありがとう、と。
その言葉をもう一度言う。

「そっか。………なら、うん、そうしとこう。美綴も無事でよかった」

時間はまもなく午前零時。
屋敷の電灯は未だ消えていない。

「衛宮、どこいくんだい?」

「土蔵。今度こそちゃんと美綴を守れるように、しっかりと鍛錬はしとかないとな。最近は鍛錬してなかったし、鈍ってなけりゃいいけど。あ、風呂は最後でいいから先に入ってていいぞ」

廊下へと続く襖に手をかけて、廊下へと出る。

「衛宮」

呼び止められ、後ろを振り向けばそこに綾子の姿がある。

「美綴。そんな顔は似合わないぞ。お前はもっとこう、溌剌っていうか勝りがある感じだろ。元気出せ。ここにいるって言ったのは美綴だろ」

「─────そりゃあ、言ったけどさ」

「よし、なら明日は一緒に朝飯作ろう。イリヤ達の分も必要だから今まで以上に忙しくなるな。アーチャーの奴にも負けるわけにはいかないし、これまで以上に気合いいれていくか」

「………」

突然の提案に面食らったのか、少し驚いた表情を見せる綾子。

「美綴………?」

「ん、………そうだね。それじゃ明日はよろしく、衛宮。さて、じゃああたしは食材見て何作れるかメニュー決めておくとするかな」

そこに居たのは普段通りの笑顔を見せた彼女だった。



庭に出る。
月は明るく、吹く風は異様に冷たい。
冬の夜、世界は凍りついたように静かで、寒かった。

土蔵は静まりかえっている。
士郎がランサーに追い詰められた場所であり、セイバーが現れた場所。
あの時より入口は開かれたままで、内部の闇は来る者を拒むように真っ暗だった。

中に入り、扉を閉めて外気を遮断し、古いストーブに火を入れた。
僅かな明かりが土蔵内部を妖しく照らしている。

「ここにくるのも何日ぶりだったかな………」

最後に来たのは五日前。
それ以来ここには入っていなかった。
それ故に。

「………血の痕とか残りっぱなしだよな」

床にある自分の血の痕。
折れ曲がった鉄パイプの数々。
一部切り取られたシートや血がべったりとついたシート。

「………鍛錬する前にまずここを片付けるか」

よいしょ、と立ち上がると同時に。

「衛宮士郎」

あまりいい気分にならない声が聞こえてきた。
無論その声に聞き覚えはあるし、その声が誰かも知っている。

「………なんだよ、こんなところまで。何か用か、アーチャー」

「用がなくて貴様の元に訪れるほど、私も酔狂ではない。」

「そうかよ。で、何だ?」

「服を脱げ」

「………は?」

「む? 聞こえなかったのか? 頭だけではなく耳も悪くなったか、小僧」

「聞こえてるっての。俺が聞きたいのは何でそんなことする必要があるんだってことだよ。─────っていうか閉めきってるのにどうやって入ってきたんだ、オマエ」

「貴様の調理中に見えた腕に異物が見えた。………凛たちですら見逃すほどのレベルだが、私の眼は誤魔化せん。貴様、身体の内部のどこかで刺されているような痛みを感じているのではないか?」

「─────」

訝しげにアーチャーを見る。
なぜコイツはこうも的確に状態を言い当ててくるのだろうか。

「………わかった。確かにお前の言う通り、微妙な違和感は感じてる」

まだ温まっていない土蔵の中で服を脱ぎ、背中を見せた。
その背中に、まるで調べるかのような手つきでアーチャーが掌をあてる。

「─────」

無言のまま触れていくこと数回。
事を終えたかのように、アーチャーは掌を離した。

「もう構わんぞ、衛宮士郎。………ふむ、どうやら、やはり予期していたことらしいな」

「予期していたこと………?」

服を着ながら、アーチャーの言葉の謎を尋ねる。

「貴様、相当無茶をしただろう? 中のモノが暴走しかかっている。通常ならばありえないが、貴様の場合、通常という言葉を当てはめるには些か度が過ぎている」

「暴走………? なんだ暴走って」

「………心象世界の強さはあくまでもその心を体現する精神の強さだ。魔術というものはそれを具現するための方法論でしかない。故に心象世界というものは誰の中にも存在する。ただし、それを具現できる者が少ないからこそ希少と言われている」

士郎の問いを半ば無視する形で淡々とアーチャーは話を進めていく。

「だが、だ。あまりにも強すぎる心象世界は時に肉体に影響を及ぼす。心象世界が強く………つまり精神が強くなるにつれて肉体もまた強くなる。心と体は常に育っていくものだからな。だが肉体が弱くなったとき、ある一定ラインを超えると、心象世界が術者の肉体を蝕んでいく。無論、それもソレを具現できる回路を持つ者限定だがな」

「おい、何を言って………」

「それが年齢を重ねるにつれて体が老いるというモノならば何ら問題はない。体が老いると言うことは精神も弱まっていく。個人差こそあれど、それは必然だ。故に不意に暴走するということはない。が、そうではない場合はその限りではない。衛宮士郎………貴様はそれにあたる」

「だから、何を言ってるんだ、お前」

「強化の魔術。貴様は何とも思っていないだろうが、本来“それをそのレベルまで扱えることこそが異常”だということに何故気付かない? 貴様のソレはその魔術をそこまで使いこなせる回路ではないのだ。貴様のその回路は本来“とある事象を具現するため”に特化した回路だ。その特化した回路を貴様は別の用途で使ってしまっている」

「………強化が使えることが異常………? どういうことだよ、強化はふつうに使えるぞ」

「ああ、そうだろうな。だからこそ、異常だと言っている。貴様はすでに大きく違う場所にいるということは判っている。だからこそ、今回のケースは知らない。“強い心象世界によって体を蝕まれつつある衛宮士郎”など私は見た事などないのだからな」

「なん………?」

「身に覚えはないか? 体に刺さる筈だった剣の類を、身体に触れただけで弾いているという事実。………そこまで強い心象世界ならば、必ずある筈だがな」

不意に脳裏に過ったのはライダーとの一戦。
そしてギルガメッシュとの一戦。

「………ある。確かあった、そんなことも。………それが暴走してるだって?」

「健全な精神は健全な肉体に宿る、という言葉を知っているか? 本来これは誤用と言われているが、それは表世界の話だ。裏世界………つまり魔術世界に置いてはそう間違ってはいない。違うとすれば、それを魔術用に言い直していないという点か。まあそんな事はどうでもいい」

小さい明かりが士郎とアーチャーを照らす。
アーチャーの言う事は未だに理解できないが、しかし同時にそれは真実であるという直感だけが士郎の中に薄々とあった。

「問題なのは、心象世界を具現できる者はその知識とその手段、そこに至るまでの経験や強度が精神、肉体共に必要だということだ。だが貴様は肉体を強化することができてしまった。加えて魔術回路は完全起動し、精神も貴様の何らかの働きによって向上してしまっている。そこへ具現を可能とする魔力量を持つイリヤスフィールからの提供。結果、得られたのは発現するのに必要な強度とその手段。そうして………本来発現する筈のない現象が起きた」

「それが今回の暴走だっていうのか、お前は」

「今の貴様は能力的には発現できるレベルにある。………が、心象世界の具現を発現できるに至るには相応の経験や知識も必要。反して、知識はなく、経験はない。つまりその存在を知らず、御する方法も知らない。言うなら水道の蛇口を捻り、水を出そうとしているが出口を完全に塞いでいる状態だ。そんなことをすればどこからか水が漏れ、損壊するに決まっているだろう。そこへ過度な戦闘への参加による極度の体への負担。………そんな不安定な状況を一度だけならまだしも二度三度と続ければ、暴走するなどは目に見えている」

アーチャーの話を聞き、沈黙せざるを得ない。
事実として剣を身体が弾いた記憶はあるし、ギルガメッシュとの戦闘では体が剣に反応していたと言っても過言ではない。

「が、そう悲観することもない。貴様のソレは要するに知識、経験不足だということ。ならば、知識と経験を補えば蝕まれるということはない。………無論、死にかければ知識の有無に関わらず勝手に暴走するがな」

「補うって………どうするんだ」

「何、簡単な話だ」

ふぅ、と一息ついたアーチャー。
そんな彼を見て疑問に感じる士郎だったが、次の言葉を聞いて一瞬真っ白になった。

「貴様が私と契約し、マスターになれば何ら問題はない」

言われた意味が、即座に理解できなかった。


─────第三節 不穏な影─────


「契約って、どういうことだよ」

「どうもこうも、そのままの意味だ。私のマスターとなれば何ら問題ない」

土蔵内で、アーチャーの言った事を理解できない士郎が、抗議していた。

「お前のマスターは遠坂だろ。なんでお前が」

「私と凛の契約は既に切れている。今はセイバーが凛のサーヴァントだ」

「セイバーが………?」

「気が付かなかったのか? めでたい奴だ。単独行動スキルを持たない彼女がマスター無しで現界していられるわけがなかろうよ」

確かにそうなのかもしれない。
セイバーのマスターでは未だなっていない士郎が彼女に魔力供給を行えるワケもない以上、誰かが代わりに魔力供給を行っていることは確かだ。
そして、その誰かが助けた凛だということは想像に難くない。

「じゃあ遠坂はお前とセイバー二人のマスターだっていうことか?」

「理屈上ならばそれも可能だろうが、実質問題としてそんなことをすれば私もセイバーもまともに戦えないだろうよ。いくら凛とてサーヴァント2体に魔力を十分に供給するには無理がある」

「………それもそうか」

理屈で出来たとしても、二人に魔力を供給すればすぐに枯渇してしまう。
そうなれば二人とも全力で戦えなくなる。
そんなことをすれば結果として敗北するのだから、するわけもない。

「じゃあ遠坂との契約を切ったっていうのは、セイバーを助ける為か」

「結果的にそういうことになる。………まあ、今現在の彼女は衛宮士郎がマスターだったときよりも遥かに強いのだから、わざわざ解約させる理由もあるまい」

「………俺は泣かないぞ」

「それは結構」

セイバーと凛が士郎にこの件を言わなかったのは、アーチャーが前もって言わないように頼んでおいていたからである。
その思惑は様々あるが、それを知る衛宮士郎ではない。

「………わかった。黒い影の件もある。お前は気に食わないけど、実力があることも判る。─────で、どうやって契約すればいいんだ? 正規の方法なんて知らないぞ、俺は」

またもや小馬鹿にした表情を見せるアーチャーを見ながら、アーチャーに教えられた手法で契約の言葉を発する。
月の夜、土蔵で再び起こった契約の儀式。
魔力の渦が巻き起こる。それは、土蔵の二人を内包するように包み込んでいく。

赤い魔力が弾け飛んだ。
それだけで、辺りは何事もなかったかのように静まり返り、元の世界が戻ってくる。

「これで………痛っ─────」

一瞬の熱さと共に右手の甲に令呪が現れる。
輝くような朱色。それはセイバーの令呪とは形の違うものだった。

「これで契約は完了したっていうワケか………。アーチャー、お前の言ってた暴走っていうのは………」

「これ以上言う必要はあるまい。貴様と私は特別だ。いずれ答えへとたどり着く。しかも驚異的な速さでな。………それも私と貴様だからこそ、なのだが」

背中を見せ、閉めきっていた土蔵の扉を開ける。
外から差し込む月明かりがより土蔵内部を明るく照らした。

「魔力に関しては問題ない。………いや、衛宮士郎一人では不十分だろうが、お前にはイリヤスフィールがいる。戦闘には支障は出ないだろう」

ゆっくりと外へと出ていくアーチャー。
その後ろ姿。

「衛宮士郎。一つ聞く」

「………なんだ」

その声は今までのどれよりも、重みがある声だった。
真剣、という言葉すら温いと感じ取れるほどの重み。

「貴様は何のために戦う」

「………そんなの決まってる。氷室や美綴、イリヤを守るためだ」

「それは“その者達だけを救う”という意味合いでは決してあるまい。そしてつまりそれは“正義の味方”としての、お前の定義から外れてはいない。………ふ、一見合理的ではある。己の意志を尊重した上で、己の理想を体現する。なるほど、無駄な部分などないように見える」

「………何が言いたいんだよ、お前」

「お前の欲望が“誰も傷つけない”という理想であるならば好きにすればいい。その過程であの少女たちを救おうが勝手だ。しかし、ならば同時に認めるがいい。その“借り物の意志”と“己の意志”は決して同義にはなれないということを」

「なん………だと?」

「“正義の味方”と“誰かの味方”は決して同じにはならない。─────その矛盾、摩擦によって貴様が同じ運命をたどるというならば」

ゆっくりと振り返り、月がアーチャーの背を写し出す。
その視線はアーチャーというべくして相応しい鋭い目。

「─────その時こそ、私は私の目的を果たそう」



時刻は零時。士郎が土蔵でアーチャーと話し始めた時の時刻。
キッチンで明日の朝食の献立を考える綾子のもとに、お風呂より戻ってきた鐘が居間に入ってきた。

「美綴嬢、何をしているのだ?」

「ん、明日の献立を考えてる」

冷蔵庫の戸を閉め、居間にやってきた鐘へと視線を移した。
髪を乾かしてきたらしく、濡れてはいなかった。

「ほら、また人数増えたでしょ。だから明日の朝は大変だから一緒に作ろうって衛宮が」

「………ふむ、確かに。当初のことを考えればかなり人口密度は上がってはいる」

一番最初、鐘がここに来たときは士郎とセイバーの計3人だけだった。
それが今では3倍近くの人数となっている。

「こうなってくると一種の旅館のようにも思えるな。この屋敷の作りと相まって」

「そうだね。無駄に部屋数も多いし広いしでこの人数がいながら狭さを感じないっていうのは、マンション住まいのあたしらにしてみれば考えられない話よね」

冷蔵庫を開け、お茶を一杯コップへと注ぎ喉を潤していく。
その動作を見ていた綾子は感慨深い表情を見せていた。

「? どうした、美綴嬢」

「いやね、本来ここは衛宮ん家なわけだけど。あたしら本当に自分の家みたく普通に冷蔵庫開けてるよなって。普通、人の家の冷蔵庫をそう軽々しく開けるなんてことしないじゃん」

「………確かに。最初はどうしたものかと思っていたが、今では普通に開けている」

「でしょ。………まあ、それだけこの家の居心地がいいっていうことなんだろうけど」

キッチンより台所を見渡し、先ほどまで囲っていた食卓を思い出す。
士郎の膝上にイリヤが飛び乗って箸でご飯を士郎の口に持っていったり、セイバーがご飯をすごい勢いでおかわりしていたり、アーチャーの用意したご飯を食べてどこか悔しそうな表情をした士郎だったり。
その表情を見たアーチャーがどこか士郎を小馬鹿にした表情を見せて、士郎がそれに反応した表情を見せたり。
そしてその光景を見てくすくすと笑っている凛がいたり。
主に士郎が作ったご飯にあれよこれよと文句を言いつつも食べているセラや、物珍しそうに用意された食事に手をつけるリズがいたり。

「………大家族か、って光景だったね。あれは」

「今思い出してもそう思うな、私も」

或いは。
自然とそうなることこそが、この家のカタチなのではないだろうか。
どこか開放的で、それでいて温かさを感じる空間。
手放すには惜しくて、もう少し居たいと思う空間。

「………ここに来て、あたしは良かったと思う。そりゃあ、いいことなんて少ないけどさ。けど、そのいい事って、多分今までのどの苦しい事よりも大切な事だと思うんだよね」

「同感だな。自分の家が悪いというつもりはないが、ここで感じるモノは何か特別なことのように思える」

少し物思いに耽っていたが、息を吐いて、名残惜しむように視線を綾子へとやった。

「さて、美綴嬢。お風呂には入っていないのだろう? 入ってきてはどうだ? それとも遠坂嬢やセイバーさんに先を譲るか?」

「ん、あたしは今日一日そんなに出歩いていないからね。遠坂の奴にでも声かけて先に入ってもらうとするか」

廊下へと出て、離れへと向かう。
廊下は月の光に照らされており、幻想的な空間にも見える。

「そういえば、衛宮はどこにいったのか………。美綴嬢は知っているのか?」

「土蔵に行く、って言ってた。………鍛錬する、だとさ」

「土蔵、か」

庭先の隅にある土蔵。
あそこに今士郎が鍛錬を行っている。

「ん? 何か浮いてない?」

「?」

ふと、綾子が空を見上げた先に何かを見つけた。
それは。

「………………」

勿論UFOではないし、飛行機の類でもない。
人のカタチをした、浮遊物体。

「………!美綴嬢!」

気が付いたときには遅い。
なにせ、相手は魔女なのだから。




土蔵からアーチャーがいなくなり、一人になる。
片付けをしようと思っていたが、どうもそんな気分にはなれなかった。

「………片付けは明日でいいか。風呂、空いてるかな」

家の中に戻り、明かりが漏れる居間へと入る。
そこに。

「………あれ、美綴の奴、いないな」

風呂に入っているのか、と思ったが、それならば氷室がいるはず。
今日ももう終わりだから部屋に戻っているのだろうか。

「………様子、見てみるか」

氷室用に宛がわれた部屋へと行き、襖を軽く叩く。
が、返事がない。

「………もう寝てるのか?」

アーチャーと話し込んだ時間はそう長くない。
この短期間で眠ったのだろうか。

「氷室、入るぞ?」

ゆっくりと、いつかの朝みたく失態を犯さないように中を覗く。
そこに。

「………いないな」

布団すらひかれていない状態の部屋があった。

「となるとどこにいったんだ………?」

次に考えられるのは風呂場。
あそこは洗面所もあるので或いはそこで歯磨きをしているかもしれない。

「………っていうかそれ以外ないか。うん、寝る前の歯磨きは大事だもんな」

納得して洗面所へと向かう。
洗面所の戸をノックし、中に入るが………

「あれ、いないな。美綴も………」

風呂場からは誰もいる気配がない。
不思議に思い、そして不審に思う。

廊下へと出て、玄関へ目をやったとき。

「………戸が開いてる?」

僅かに閉めたハズの戸が開いていた。
急いで駆け寄ってみると確かに戸が開いている。
しかし靴は全員分残っている。
けれど。

「─────」

言いようのない不安が残る。
家の中を隅々まで確認すればきっと二人はどこかにいる。
そう、そのはずである。

「………ちょっと外を確認するだけだ」

この家には遠坂やセイバーがいる。
窃盗目的で誰かが入ってきたのなら負けるハズなど万に一つもない。
けれど、この戸が内側から開けられたとしたら?

意味もなく、どこにいけばいいかもわからないまま。
とりあえず坂道を下って行く。
下へいけばいくだけ

「─────」

体にナニカがまとわりついていく。
それはどこで感じたものだったか。
言いようのない不安、言いようのない不安。
それが。

黒く纏わりついたアレと同じ感覚だと分かったとき。
小さな公園にたどり着いていた。気がついたら走っていた。
気がついたら息があがっていた。

「──────────投影トレース

けれど考えるのも、感じるのもそこまで。
そこから先は全てシャットアウト。
今はただ。

「「衛宮………!」」
完了オフ全投影連続層写ソードバレルフルオープン!!」

助ける。

「──────────キャスター!!!!」



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第37話 幕開けは暗闇の中
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:47a17094
Date: 2013/04/30 00:25
第37話 幕開けは暗闇の中

2月8日 金曜日

─────第一節 死からの救い手─────

「………………………」
「──────────」

とある小さな公園。
そこはかつて鐘と士郎がイリヤとともに過ごした事もある公園だった。
周囲には住宅が立ち並ぶが、これでもかと言うほどに真っ黒だった。
まずこの時間帯では誰も起きてはいないだろう。
そして起きていたとしても助けなど期待できない。
何せ相手は魔術なのだ。
この周囲の人間が例え拳銃を持っていようが敵う道理が存在しない。

公園の中央に座り込んだ二人の意識は朦朧としていた。
足を動かそうとしてもうまく力が入らず、身体は冷えていて震えているくせに体の中は異様に熱くて嫌な汗までかいている。
その間にもどんどん力は抜けていき、肺は酸素を欲しがるかのように息遣いを荒くさせていく。
それもこれも全て彼女達を囲むように展開されている魔術の所為だった。

「美綴………嬢、平気、か………?」

意識が定まらない中、隣で同じようにいる綾子へ声をかける。
目を閉じていた綾子はゆっくりと、目を開けるという行為すら喜ばしくない状況で視線を隣へとやった。

「………アンタ、は?」

長ったらしい言葉を言う体力があるなら、最低限の言葉だけ交わして残りは体力温存に回す。
ほとんど効果はないだろうが、それでも口を動かすことすら今は億劫だ。
鐘に問い返した綾子だったが、返答がない。
それでどっちも余裕などない状況だということを改めて理解した。

「─────ただの………囮、か」

「………そうだろ、ね………。きっと─────ただの餌だ」

こうして意識を保っていれているのが何よりの証拠だった。
二人はサーヴァントでなければ魔術師ですらない。何もしないで意識を保てるわけがない。

「何を………やっているのだろうな、私達は………」

恐らく………いや、確実にここにやってくるであろう人物を想像する。
たったそれだけで心が痛む。自分がこれほどなく惨めだと呪うこともそうないだろう。
陸上や弓道などやっていようが、魔術に強くなるわけでもない。

「………なに、あれ」

時折咳き込みながら、黒くなった場所を注視する。
………というよりは、それにしか視線がいかなかった。

「キャス………ター………。私達を………」

死神の様な黒い影を纏った、童話に現れるような姿がそこにあった。
鐘は見るのは三度目、綾子は見るのは初めてだったが、聞いたことはある。

『キャスターが人の命を考えて魔力を採取するという考えも捨てた方がいいわね。それこそ魔女らしく、徹底的に搾り取るっていう考えでいくほうがいいわ』

「─────遠坂の奴、こん な時に、トドメを刺すような………言葉を 思い出させてくれちゃっ てさ」

二人の周囲に実体のない黒い靄が現れた。
それらは気体のまま収束し、まるで黒い影の真似事をするかのように触手のカタチへと変わった。
そして─────

「─────………!?」
「─────………!!」

二人の悲鳴が重なった。
悲鳴………と言っても大声で叫んだわけではなく、息を呑むような悲鳴。
助けを呼ぶにはあまりにも小さい悲鳴。
だが、今の二人にそれはできない。

触手は二人の両足に触れただけ。
それだけで体が熱くなり、オカシクなっていく。
それが“生命イノチ”を吸い上げてる熱さだということを気づくのに、数秒すらいらなかった。

「────や、ぁ────」

視界が黒くなっていく。まるで弄ぶかのように、味わうかのように、ゆっくり、ゆっくりとオカシクなっていく。

息が浅い、呼吸ができない。
意識が遠くなる、けれど逃げられない。

「あ………、ア゛─────ヴ………あ、………は」

いきがあ吐き気がするさい、呼吸が吐き気がするできない。
いき吐き気がするがあ気持ち悪いさい、呼気持ち悪い吸がでクルシイきない。
いキミガワルイきがキミガワルイあさキミガワルイい、こきクルシイゅうがアツイできキミガワルイない。
いきキミガワルイがキミガワルイあさキミガワルイい、こクルシイきゅタスケテうタスケテができタスケテなタスケテいタスケテ。

『──────────投影トレース

いきタスケテがあタスケテタスケテ、こきゅタスケテうタスケテがタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテ────

「「えみ、や………!」」

─────助けて

完了オフ全投影連続層写ソードバレルフルオープン!!」


─────第二節 闇の中の光─────

真夜中の公園。
周囲は住宅が立ち並ぶというのに、人の気配が全くしない。
公園の木々は、まるで死んだかのように夜の闇に溶けこんでおり、公園を照らすはずの小さな街灯はその役目を忘れたかのように点滅している。

公園の中央に二人は互いの体を預けるように座っており、そして倒れた。
足元には黒い靄のようなモノが蠢いている。
それが黒い影のモノとは違うと認識できたが、同時にひどく黒い影と似ているということも認識できた。
そしてそれに纏わりつかれている二人は見るからに衰弱していっている。

そんなものを見せつけられて、平静でいられるはずがない。
即座にその傍にいる、黒い陽炎に向けて城で体現してみせた剣の降雨をやってのける。
イリヤは眠っているが、魔力は流れてきている。言ってみれば擬似サーヴァント状態。
イリヤに心の中で改めて感謝し、剣を連続投影射出する。

降り注ぐ剣の数は十六。
三を鐘に纏わりつく黒い靄へむけて、三を綾子に纏わりつく黒い靄にむけて、残りの十を黒い陽炎であるキャスターに向けて投擲する。
突き刺す剣一本一本が確実に目標に向けて飛来していく。

衝撃の余波で黒い靄が消失し、二人のすぐ傍に六本の剣が着弾する。
その剣群の中心で力なく倒れこむ二人を見て、歯を食い縛る。
今回もまた間に合わなかった。その事実が士郎を蝕んでいく。

「美綴!氷室!」

同時にキャスターを串刺しにしようと飛来する剣は、直撃することなく十の剣全てが地面や木々に突き刺さった。
ゆらりと消えたキャスターは士郎の上空へと現れた。
そして。

「         」

何を言ったのかもわからない。
ただ今ある事実として

「………!こいつら」

公園に入り込んできた士郎を包囲する形で竜牙兵が現れた。
数にして三十弱。一体一体は強くないと言えど、これほど集まってしまうと脅威。
だが、泣き言などいうつもりは毛頭なかった。

「邪魔だ、この!」

強化、投影を使い最短距離を進むべく目の前に現れる竜牙兵のみを潰していく。
左手に持つ黒の短剣で敵の攻撃を払い、右手に持った白の短剣で斬り上げる。
竜牙兵の首を刎ねて潰すと同時に一歩前へと出るが、更なる竜牙兵が攻撃をしかけてくる。

「はぁっ─────!」

高速で腕を返し、上方よりクロスさせるように斬り落として両断。
すぐさま眼前に剣を構えて突進をかける。
大きく振りかぶった竜牙兵の攻撃を両剣で防ぎ、上へと弾き飛ばした。
同時に左右後方より近づく二体の竜牙兵。
それを

「この………!」

両剣を返して即座に坂手持ちに切り替え、左右の敵へと突き出して串刺しにする。
引き抜くと同時に崩れ落ちる竜牙兵に目もくれず、再度攻撃を振り下ろそうとしている竜牙兵の懐へと飛び込んで、左右より坂手持ちのまま一閃した。
腰あたりより崩れ落ちる竜牙兵を蹴り飛ばし、なおも前進する。

投影、開始トレース・オン!」

自分の周囲に四の剣を展開し、前方よりわずかに逸れた左右へと射出する。
四の剣がそれぞれの竜牙兵を刺殺すると同時に、逸らした正面の敵を斬り崩して突破する。
前進する士郎を止められない竜牙兵が次々に粉塵と化していく。

「─────っ!? くっ─────」

だが躍進は続かない。
上空より放たれた一発の魔弾が士郎の足を止め、即座に竜牙兵が前後左右から襲いかかってきた。
袋叩きにされそうになるが、両手の剣を振るい近づいてくる竜牙兵を壊していく。

「え………みや………」

士郎が竜牙兵との戦闘で、どんどんと埋もれていく様子が見える。
それを二人はただ見ていることしかできない。
自分の無力さ、無能さが、落ちていく意識を無理矢理留めている。

「あ─────ぐっ!?」

ガン! と頭部に竜牙兵の攻撃が落ちる。
衝撃でバランスを失いかけたが、歯を食い縛り右足で力強く踏みとどまった。
が、一度崩れた情勢を覆すことは容易ではない。

「は、─────っつ!この………っ!」

腕や足、背中や腹、頭部や首に攻撃が加えられる。
急所となりえる頭部や首は何とか防ぎつつ、双剣を振るう。
姿勢を低くして被弾率を何とか下げ、敵の防御を斬り崩し、竜牙兵を破壊していく。

「ぎっ─────」

しかし妙な話ではあった。
竜牙兵の力自体はほぼ問題はない。
実際強化と投影を使う事が出来る士郎にとって、この程度の力ならばなんら敵ではない。
言うなら数。それだけが問題だった。
今現在、士郎は囲まれている。
ならば相手にとって絶好の機会であるはずだと言うのに、未だに士郎は生きている。
士郎の能力の向上によるもの、と言ってしまえばそれまでだろうが、それでもこの数相手に生き残れているという状況がおかしく思えた。

「─────っ! らあぁぁぁあっ!」

一瞬脳裏に過った疑問だったが、即座に棄却する。
今はそれを審議する場ではないし、それを審議する時間などない。
もはや強化と投影によるゴリ押しで周囲にいる敵を破壊していく。

「っ………!投影、完了トレース・オフ全投影連続層写ソードバレルフルオープン………!」

攻撃の勢いが弱まった隙を突いて、六の剣を投影する。
上空に現れた投影品は雷の如く竜牙兵の頭上へ殺到した。
砕ける音と共に竜牙兵はその姿を変貌させ、瓦礫と化していく。
そうして。

「氷室!美綴!しっかりしろ………この………!」

倒れている二人の元へたどり着く。
しかしまだ竜牙兵は残っている。
否、増えている、と言った方が正しいか。
キャスターが作り出す竜牙兵に際限はない。
それこそ数だけが取り柄の兵隊なのだ。十、二十と言わず百、二百と用意することすら可能だろう。

「衛………宮………」

声を発した綾子を抱き上げて顔を見る。
顔面は蒼白で、触れる肌の温度は明らかに人間のソレとは思えない。
意識こそまだあるがいつ途切れてもおかしくはなく、人が持つはずの力すら弱弱しい。

「──────────」

そのまま右手で頭を抱き寄せて、鐘も空いた左手で起こして同様に抱き寄せた。
この真冬の公園と魔術の影響がひどく二人の体を変調させていた。
悲しみよりも、後悔よりも、先ず襲ったのは一つの感情。
怒りだった。

「──────投影、開始トレース・オン

周囲より襲いかかって来ようとした敵を真っ先に遮断する。
大型の剣を複数展開し、侵入されないように剣による壁を作り上げた。

「しろう………」

「いい、二人ともしゃべるな。………休んでてくれ」

二人の様子を見て、まだちゃんと意識があることがわかり、安堵する。
だが、それに対して二人の容体は芳しくない。
二人とも風邪で高熱が出た時のような気持ち悪い汗を流している。
どちらも目に見えて歩けるような状態ではなく、回復にも相応の時間が必要だろう。

「キャスター………!」

上空を睨む。
そこにいるのはまぎれもなくキャスターだ。
周囲にいる竜牙兵はキャスターによって作り出される。
ならば、キャスターを叩くことこそが一番の解決策。
しかし剣ではあそこには届かない。

「投影………開始」

バチン!と魔術回路に火が灯る。
電流が流れ、回路が発熱する。

「工程完了………全投影、待機」

現れるのは七の剣。
その全てが黄金の王と戦ったときに記憶した剣。
それら全てを上空へと向けて。

「っ──────停止解凍、全投影連続層写!!」

地表より発射された剣群はキャスターへと殺到する。
が、そう連発していいモノでもない。
イリヤになるべく負担をかけないように自分で補える部分は自分の魔力で補っているが、その大半はイリヤの魔力。
最初こそ大量の剣を投影して牽制したが、それ以降はなるべく自分の魔力だけで戦えるように最低限の投影しかしていない。

それで撃破できた竜牙兵なら問題ないが、しかし現実はそう甘くない。
キャスターは軽やかに回避し、姿を眩ませた。

「ごほっ………ごほっ………」

体の痛みで咳き込む。
息が少し荒くなってきたが、今はこの状況を打破するのが先決。
そう考えた矢先のことだった。

「………あれ?」

キャスターが消え、同時に周囲を囲んでいた竜牙兵も一瞬で消え失せていた。
その理由が全くわからなく、油断させたところで襲いかかってくるのかとすら考えるほどの静寂。
いや、”あまりにも静寂すぎた”。

「おかしい………なんでこんなに静かなんだ?」

ここは森の中でもなければ、坂の上でもない。
住宅が密集する中にある公園。
どれだけ今が深夜だろうと、これだけバカ騒ぎしたのだから警察や付近の住人が様子を見に来るはず。
野次馬すら出てくるだろうほどの騒音だったというのに、この公園には物音一つすらない。

それが

「──────」

嫌な想像を予感させるには十分な状況だった。
目を瞑り、歯を食い縛る。
この周囲の住人も、二人と同じように冷たくなっているのだろうか。もしかするとすでに死人が出ているかもしれない。
この周囲一帯がそうであるなら、凛だけでは対処できない。

「………言峰」

聖杯戦争の監督役の存在に改めて気が付く。
黒い影の件、ギルガメッシュについての件、この周囲の件について。
話すことはある。聞くこともある。監督役なら知っている可能性もある。

「けど、今は」

二人を連れ帰るのが先。
どうしてキャスターがいなくなったのかはいまだに理解できていないが、戻ってくる前に家に帰るべきだ。

「美綴………背中に倒れてきてくれ。背負ってく」

背中をみせた士郎に、ぐったりと凭れかかる綾子。
汗ばんでいるというのに、その身体はやはり冷たい。
彼女の腕を自分の首元へと回し、落ちないように背中を丸める。
両手は鐘を抱えるために使うため、綾子を支えることはできない。

「………っと。──────よし」

流石に二人を抱えて帰るとなるとかなりの重労働になるが、泣き言は言っていられない。
二人を落とさないように慎重に、しかしなるべく早く家へと向かう。
背中に軟らかい感触が伝わってくるが、今はそれを気にしている状況でもなかった。

「──────」

公園の出口へと向かう。
竜牙兵との戦闘で受けた傷や体力・魔力の消耗など楽観視できるものではない。
それでなくとも今日はアインツベルン城で一悶着あったばかり。
疲労はピークに達していた。

「………冗談、だろ」

目の前に広がる光景。
何てことはない。つい先ほども同じ光景を見た。それが今背負ってる二人だ。

「桜………」

公園の出口で倒れているのは間桐 桜本人だった。


─────第三節 タナトスの花─────


時は少し戻る。



―Interlude In―

ヒタヒタと道を歩いていく“何か”。
歩くたびに人を衰弱させ、そして殺していく“怖いもの”。
………その姿を、少し遅れたところからわたしは眺めている。
見たくもないのに、目を背けることもできずに眺めている。

怖い夢。
最近になって見るようになった悪い夢。
昨日の夢はすごかった。もちろん、悪い意味で。
意識を奪うだけならまだよかった。けれど、あの子は“人を食べてた”。
9人。
残すのがもったいないって言うくらい、綺麗に食べていた。
その姿を、わたしはやっぱり少し遅れた所で見ていた。

だから、多分今日もその夢の続き。
でも正直に言うと、もうあまり怖くはなかった。
一度見た。回数は一度だったけれど、その一度が長い。
こうも長く見続けてると、慣れてくる。

何より、あの子は悪い心を持っていない。

アレはわたしたちとは食事の仕方が違うだけの、わたしによく似た何かだった。

見覚えのある橋を渡って、ビルが立ち並ぶ街へと出た。
ヒタヒタと歩いて、歩いて、歩いて。
歩いてるだけで、人が集まってくる。

何人殺しても。
何人壊しても。
何時間続けても。
昨日も歩いてるだけで、食べ物の方から近づいてきた。

最初は“吸う”だけだったけど、途中からめんどくさくなったんだと思う。
“食べた”。
最初はどうやって食べたらいいかわからなかったけれど、5人目くらいからコツを掴んだみたい。
足元から引き寄せて、捩じ切る様に食べてしまえば、慌てる必要なんてない。
足を食べた後は、腕を食べた。
腕を先に食べないと、何かを投げつけられてしまうから。
腕を食べた後は喉を食べた。
声がうるさいから。
あとは下からゆっくりと食べた。
最後は頭。
ゆっくりと、脳を、まるで人間がカニみそを楽しむように、味わって食べた。

くすくす、と歌ってる。
ゴーゴー、と歌ってる。
今夜、その子は上機嫌だった。
今まで何の感情も見せなかったクセに、今夜はとても嬉しそうだ。

なんでだろう、って思う。
でも、同時にそんなところにも親近感を抱いてしまう。
わたしも確か、何か喜んでたと思うから。
何かおいしいものを食べたような、何か求めてたものを手につかんだような、そんな喜びを感じてたと思う。
だから、怖い夢も今日に限ってはあまり怖くなかった。
なのに、

「─────本体まで動いていたか。分身が動いた今夜は動かぬと思っていたが」

怖い夢よりも、もっと怖い人に出会ってしまった。
それを見て、逃げた。
今まで怯えることなんてなかった“何か”が、怯えながらその人から逃げ出した。
金色の髪と赤い瞳で、わたしと同じ匂いのする人。

「さて? どこに向かうと言うのだ。どうやら、来た道を戻ろうとしていたようだが。………喰らう事が目的ならば新都こちらの方が効率がよかろうに」

知らない。
どこに行くかなんて、わたしは知らない。
ただ、今は逃げないといけない。
そうだ、逃げよう。
わたしは見てるだけだけど、見ているだけでも怖い。
そうだ、先輩の家に行けばきっと助かる。
わたしの家はだめだ。
一度、この人を見かけたことがある。
わたしの家は知られている。

「聖杯の出来そこないを期待していたが、まさかアレに届くほど完成するとはな。惜しいと言えば惜しいのだが、」

どんどん、と音がした。
それと同時にその子が串刺しになった。
赤くなる。
いろんな剣が突き刺さってる。

「選別は我の手で行う。死にゆく前に、適合しすぎた己が身を呪うがいい」

………痛い。
刺されているのはあの子なのに、わたしは後ろから見ているだけなのに。
どうして見ているわたしが痛いんだろう。
死んでいるのはあの子なのに、どうしてわたしが倒れてるんだろう。

夢見ているのはわたしなのに、どうして─────

「あ─────れ?」

わたしが倒れてるんだろう。

「ふん───まだ息があるのか、娘。………全く、今日は生き汚い人間と出会うものだ。あの贋作者といい、不敬の女といい」

がんさくしゃ?
ふけいのおんな?
誰のことを言っているんだろう。
だれの─────

「あ」

「いい加減目障りだ、女。これ以上、我の手を煩わせるな」

―Interlude Out―


こうして女の首は刎ねられた。
体は串刺し。
助かる見込みはない。

「次は贋作者だな。………さて、言峰から聞き出すとでも─────っ!?」

死体に背を向け、歩き出そうとした時。
ぞくり、と戦慄が奔った。

「くっ─────!」

咄嗟に跳び退いて距離を取ろうとしたが、足が嵌った。
同時に呑むような勢いで魔力が吸い取られていく。
否、それだけではなく体すらも取り込もうとしていた。
ギルガメッシュの腕が伸びる。その腕には鎖が絡まっていた。

「天の鎖よ─────!」

街灯や壁、鎖はありとあらゆる物に絡みつき、そしてありとあらゆる物に突き刺さった。
そのまま、ギルガメッシュを持ち上げる。
それはバーサーカーを留めるよりも遥かに力を必要とした。

間一髪で呑まれるのを防いだギルガメッシュだったが………

「チ………!雑種、貴様ぁ………!」

魔力の大半以上を持っていかれてしまっていた。
ビルの下には未だに女の死体が“立っている”。
首はだらしなく垂れ下がり、体中に風穴があいている。
だが、動いている。

「消えろ!雑種!」

王の怒りに同調したかのように剣群が襲いかかった。
だが、それが着弾するよりも早く。

「………!魔術師!」

キャスターが女のすぐ傍に現れ、黒くなったローブを翻した。
そして着弾するよりも早く。

「逃したか………!」

ビルの下には誰も存在しなかった。

「我が殺し損ねた………だと………!」

今日で何度目か。
一番気に食わない贋作者以上に今の女が気に食わなかった。
今すぐにでも追っていくところだが………

「っ─────魔力が、足りん………」

魔力と体力を大幅に削られた今、先ず回復を優先させなければいけなかった。



「ほう。手酷くやられたな、ギルガメッシュ」

教会の地下。
そこで英雄王は魂を喰らっていた。

「─────言峰か」

一通り喰らい尽くしたあと、現れた神父を一瞥し、横を通り過ぎる。
一応マスターではあるが、これ程信頼関係の薄い主従もあるまい。
忠誠心も何も無い。ここにあるのは単純なる利害の一致だけだ。

「あれほど静観していろと言ったハズだが」

「戯けが、我に命令できる者などこの世のどこにも存在せん」

英雄王、ギルガメッシュ。
世界最古の王にして、世界を手に入れた王。
故に彼に命令できる者などいない。

「────間桐 桜はお前がしくじるほどのモノだったか?」

「───想像以上、といえば想像以上だったか。よもやあそこまで完成しているとはな」

ぎり、と歯を食い縛り、階段を上って行く。

「奴は物を食らうように、この英雄王たる我を侵そうとした。ただの食欲で、だ」

「………なるほど。それで魔力が枯渇したためにここに来た、と」

思い出すのはあの光景。
最初の宝具の投擲で、決まったと思っていた。
否、あそこまで貫かれて生きていられる人間などいない。
そこまで進んでいるとは思わなかった。

助かったのは、あの贋作者との戦闘で少なからず油断が抜けていたからだ。
アインツベルンの一戦では確実に油断していた。
狂戦士とて例外に漏れず圧倒していた。
だが、自分と同じ戦闘スタイルで投影してくる贋作者。
それを最初はただの偽物として駆逐しようとしたが、存外に粘る。

出力を抑えたとはいえ、エアの攻撃を耐え、その後の攻撃は剣一本で防いでいたという事実。
それを改めて振り返った時、腹立たしさが残った。
殺しきれなかったのは油断があったからか、と考えた。
その矢先の出来事がコレだった。

「奴の僭越は、死すら生ぬるい。頭蓋を砕き、心臓を潰す。───が、今はそれをするにも魔力が足りん。全くもって腹立たしい一日だ」

足が闇に呑まれた直後に、即座に神の鎖を伸ばし無理矢理引き上げた。
足こそ無事ではあったが、保有する魔力の大半を持っていかれ、とてもじゃないがエアを使用できる状態ではない。
霊体の状態なら逃げることすらできなかったか。
実体を持っていたからこそ、僅かな抵抗ができたが反応があと少しでも遅れれば確実に呑まれていただろう。

「チ………、よもやあの一戦がここに影響しようとはな」

舌打ちをしてそのまま地下から外へとつながる戸へと向かう。
それと同時に。

「今から寝る。入ってくるなよ、言峰。例え貴様だろうと、貴様の飼い犬だろうと………入って来ようとその時は────殺すぞ」

眼下にいる神父に警告を促し、地下をあとにする。
その姿を見て、一度目を閉じ、背後にいる者へと声をかけた。

「ランサー、どうだ?」

すぅ、と現れたのはランサー。
今まで姿を霊体化させていたのだ。

「少なくとも、城で見た時ほど隙はねぇな。俺が実体化して攻撃しかけようもんなら、あの時見た鎖を即座に展開するだろうな。今の奴は」

「そうか。契約破りの剣の原型とてあるだろう。────令呪を使ったとしても効果はないだろうな」

かつん、とギルガメッシュと同様に階段を上って行く。
もとよりここに用はない。
近々閉鎖するモノだったのをギルガメッシュが取ったことにより、本当にここに用はなくなった。

「まあいい。問題は間桐 臓硯か。………監視させている魔術師は悉く殺されている。………流石はマキリのご老人、と言ったところか」

ライダーはバーサーカーとの一戦を境に行方不明。間桐 桜が空腹故に呑み込んだか、或いは単純に姿を見せないだけか。
キャスターはランサーが森で確認した限りでは、黒化して使役されている。
バーサーカーはギルガメッシュとの戦闘で退場。イリヤスフィールが魂を回収。
セイバーは遠坂 凛のサーヴァントになった。
アーチャーは今現在マスターはいないが、余り者の衛宮士郎と組むか。
アサシンは間桐 臓硯と共に行方知らず。新都での殺人があることから、場所を転々としているか。

「────臓硯はいらないな」

そもそも前回の聖杯戦争で戦ったときから、不快な存在でしかない。
また間桐 桜が黒き聖杯となり、あの影の本体を胎内に宿しているというのであれば。
それを祝福するのが己が役割。

「そこに臓硯の思惑が絡むのは非常に面白くない」

ならば、ランサーを向かわせる、という手もある。
しかし対ギルガメッシュ用に傍に置いておく必要はある。
ギルガメッシュが此方の思惑にどれだけ気付いているかは不明だが、此方も死ぬわけにはいかない以上手持ちは揃えておいて損はない。

「………ならば利用しよう。衛宮士郎………、思い出と言うものはどれだけ貴様を苦しませるか。それを楽しむのも一興か」

衛宮士郎が間桐 桜を殺すという選択肢を取ったとき、その時は躊躇わずランサーを差し向ける。
だが恐らくそうはならない。
その理由が。

「この報告書、ということだな。間桐桜を保護、か。すでに前例が二つあり、その二つもまた間桐桜の知り合い。そして彼女達は非情になりきれない。………それは衛宮士郎も同じ。此方に預けなかった時点で明白だ」

或いは預けていた場合、先ほどのギルガメッシュによって殺されていたが。
この事実の結果の先に見える可能性。

「間桐桜が衛宮士郎達によって殺されることはないだろう。………仮に殺そうとしてもギルガメッシュがしくじるレベルだ。死ぬ前に取り込まれて殺される、か」

そうなれば、黒き聖杯の完成もかなり近づく。
サーヴァント二体を取り込む。そうなれば合計3体。
いざとなればランサーを取り込ませるのもいいだろう。

「どちらにせよ、当面の問題はギルガメッシュと間桐 臓硯か。白き聖杯の件もある。………臓硯には退場していただくほかないな」

ギルガメッシュの動向にも目を光らせておく必要はある。
一人思案しながら、神父もまた床へとついた。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第38話 どこまでも普通でいられたなら
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:47a17094
Date: 2012/08/11 22:24
第38話 どこまでも普通でいられたなら


─────第一節 夢─────

───見た事もない景色だった。

頭上には炎の空。
足元には無数の鋼。
戦火の跡なのか、世界は限りなく無機質で、生きているモノは誰もいない。

灰を含んだ風が、鋼の森を駆け抜ける。
剣は樹木のように乱立し、その数は異様だった。
十や二十ではきかず、百や二百には届かない。
だが実数がどうであれ、人に数えきれぬのであらば、それは無限と呼ばれる単位だろう。

大地に突き刺さった幾つもの武具は、使い手が不在のままに錆びていく。
夥しいまでの剣の跡。
───それを、まるで墓場のようだと、彼は思った。

誰もいない、見渡す限りの赤い荒野。
担い手なんて誰もいない無数の剣。
空は荒れ果て、遠く地平の彼方には森も街も海もない。
どこまでも、無限に続く剣の丘。

目を閉じる。
視界は黒くなって、見えてきたのは荒廃した世界。
そこで、立っている人物を見た。

彼は何かが欲しかった訳ではなかった。
まわりに泣いている人がいると我慢ならない。
まわりに傷ついている人がいると我慢ならない。
まわりに死に行く人がいるとしたら我慢ならない。
それだけの理由で、彼は目に見える全ての人を助けようとした。

不器用で、みている方が寿命が縮むような事も幾つも成し遂げた。
そして、その度に多くの人を救い、運命を変えたのだと思う。
控えめに言っても、それはきっと幸福に近いものだっただろう。

不器用な戦いは無駄ではなかった。
傷ついた分、死に直面した分だけきっちりと、彼は人々を救えていたのだから。

『――ただ、誰かを救えれば良かった』

……けれど、そこに落とし穴があった。
目に見える全ての人、と言うけれど。
人は決して自分を見る事だけはできない。

だから結局。
彼は一番肝心な自分自身という者を、最後まで救えなかった。

『契約しよう』

彼は、きっとそれだけが動力だった。それだけが望みだった。
誰に笑われても、憎まれても、怖がられても構わない。
救えるだけ救い、救えなかった分だけ心を痛めて。
数多の戦場を駆け、数多の絶望を知って、それでもなお己の理想を信じて走り抜けた。

そうして辿り着いたのが、とにかく酷い災害だった。
多くの人が死に、多くの人が死を迎えようとしていた。
彼一人ではどうしようもできない出来事。
多くの死を前にして、彼は─────

『我が死後を預ける。その報酬を、ここに貰い受けたい』

己が身を捨てて衆生を救った。
……これが、英雄の誕生だった。

それで終わり。
そこから先はない。
英雄と呼ばれようと、彼のやる事は前より変わらない。
もとより。
彼の目的は英雄になることではなかった。
ただその過程で、どうしても英雄の力が必要だっただけの話。

『――構わない』

だというのに、終わりは速やかにやってきた。
傑出した救いてなど、救われる者以外には厄介事でしかない。

『最期に、助けたハズの誰かに裏切られて死んだとしても』

彼は自分の器も、世界の広さも弁えている。
救える者、救えない者を受け入れている。
だからこそ、せめて目に見えるものだけでも幸福であって欲しかった。

例えそれが偽善と罵られたとしても。
例えそれが狭い価値観だと侮蔑されたとしても。
それでも、無言で理想を追い続けたその姿は、胸を張っていいものだったのに。

『───悔いは無かった』

彼は結局。
契約通り、報われない最期を迎えた。

─────そうして、その場所に辿り着く。
彼には仲間らしき人もいたし、恋人らしき人もいた。
その全てを失って、追い求めたハズの理想に追い詰められた。

彼の理想に共感できる。
彼の思想に共感できる。
けれどそれは駄目だ、と思う。

行き場もなく、多くの怨嗟の声を背負いながら、それでも、彼は戦い続けた。
死に行く運命を知っていながら、それを代償ささえに、己が手に余る“奇蹟”成し遂げようとするように。

自分なら、それを受け入れる。
彼のように生きて、彼の様に死んでも構わない。
寧ろ、その様に生きなければいけないとすら思う。
彼は自分ではない。彼には仲間がいた、恋人もいた。
なら、彼の死を悲しむ人はいるはずなのだから。

……けれど、それも終わり。
辿り着いたのは赤い、剣の丘。
担い手のいない錆びた鋼の丘で、彼の戦いは終わりを告げた。

哀しい人生だろう、と思う。

────やはり独り。
それでも、目に見える人々を救えたのなら、悔いる事など何もないと。
彼は満足げに笑って、崩れ落ちるように、剣から手を放した。

(────なら)

薄れゆく夢の中で思う。
彼の考えは自分と同じで、彼の思想も自分と同じ。
けれど彼は自分ではないのだから、そんな生き方をしてはいけない。

(お前がお前自身を救えないっていうなら)

なら、やることは一つ。
彼と同じ理想を持って、彼と同じ思想を持って。
彼が救ってきた者達と同じように。

(俺がお前を救ってやる────)

彼が行ってきたそれは。
あの灰色の世界に救われた、衛宮士郎自身が為すべきことなのだから。
その罪も咎も。
全てを受け入れて、前へ進む。

そこに取りこぼしなんてものはないし、後悔なんていうのもない。
例え彼が気に食わない存在だったとしても。
彼の理想通り……
目に見える者全てを救うのが、衛宮士郎の理想なのだから。




「────────────」

体が重い。
目覚めは快適な者ではなく、僅かに頭痛を伴っていた。

「昨日……っていうか今日の戦闘の所為…ってわけでもない、か……」

赤い外套を羽織った、鋼の如き瞳の男。
サーヴァントとは英雄と呼ばれる存在だと言う。
ならば、あのどうしても相容れない感覚の拭えぬ男も、やはりかつては英雄として数多の戦いを乗り越えたのだろう。
だったら今の夢は、その男の記憶だろうか。

「……って、六時越えてら。朝食、作らないと…!」

布団から出て、パパッと着替えを済ませる。
次に献立を考える。

「桜と氷室と美綴には消化しやすいお粥を用意する、か」

自分の分を含めて十名分。
急いで支度しなければ、待たせることになる。
襖を開け、物音を立てないように居間へ向かう。

「…………ん?」

ぴたり、と立ち止まって、障子越しに中の様子を窺う。
部屋には美綴と氷室が眠っている。
もともと別々の部屋だったが、イリヤ達の部屋の配置なども考えて、二人は同じ部屋にするということで決まっていた。
規則正しい二人の寝息が聞こえてくる。
その状況に安堵する一方で

「………一つ屋根の下で女の子がこう、いっぱい寝ているっていうのは精神衛生上よろしくないと思う……」

居間へと向かい、朝食の準備をするとしよう。


─────第二節 誰にも言えない秘密─────

「あ……れ………」

綾子は目が覚めた。
体はまだ思う様に動かないし、熱い。

「は……ぁ─────」

首をゆっくりと動かして、周りの状況を確認する。
すぐ隣に、氷室が眠っていた。
こころなしか、顔が紅く染まってみえる。

「運ばれて…きたんだな、あたし……」

起き上れないところから見て、どうもまだ回復しきっていないらしい。
“赤い障子”に目をやった。

「夕方……なのかな」

部屋は、まるでぬちゃりと音を立てそうなくらいに赤かった。
天井も赤くて、布団も赤い。

「起き、ないと………」

ゆっくり腕に力を入れて、動くはずのない体を動かした。
体を起き上らせるだけで体が発熱して、服を脱ぎたくなる。

「は…ぁ…」

…それにしても痛い。
あまりにも赤くて、目眩がする。
ふらふらと立ち上がる筈のない体を立ち上がらせて、襖を開ける。

廊下には誰もいない。
相変わらず赤いのはそのままで、この家には人がたくさんいるのに誰もいない。
夕方だから、みんな居間の方なのだろうか?

「ぁ………」

足を居間の方へと動かそうとしたときに、赤い髪の少年とぶつかった。
飴細工のように甘い匂いがして、足が崩れ落ちそうになった。

『      ?』

声をかけられた。
何ていってるのか聞こえない。

「あたしは…大丈夫、だよ。衛宮…」

ぶつかった際に少年の体に凭れかかっている。
匂いが鼻に刺さる。体の体温が伝わってくる。
正直に言うと動きたくなかったが、そう言って顔を見上げた時

「─────」

唇が触れていた。後頭部と腰に手を回され、抱き寄せられている。
思考が一瞬で白くなるが、そんな事は知らないと言わんばかりに舌が口の中に入ってくる。
少年の舌が絡みつき、唇がどんどん濡れていく。

「……………ん……ぁ」

がくがく、と足が震えだした。
抱擁されている安心感と幸福感がじわりと体に滲んでくる。
この状況が異常だと知りながら、いつの間にかそれを受け入れ、それだけではなく求めている自分がいる。

「あ…………」

抱き上げられて、さっきいた場所に戻ってくる。
息は上がって、目は少年の姿しか映さない。
隣で寝ている筈の少女の事すらも、もはや思考の中にはなかった。

「んっ………」

寝かされた上から、また唇を重ねられる。
頬に添えられた掌は温かく、頭がぼうっとしてくる。
どこか甘く、どこか酸味のある味が口の中に広がってゆき、無意識に身を委ねていた。

「は、………ぁ」

頬に添えている手とは別の手が、胸を触った。
触れた手が掴み、動いていく。
唇が少しだけ離れる。二人の唇の間には零れた唾液が糸を引き、妖艶さを感じさせる。
服のボタンは外れ、パンツもいつの間にか履いていない。そうして──────


「えみっ……や………!!!」


跳び起きた。

「──────、──────……?」

肩で息をしながら、まずは自分の状況を確認する。
服のボタンは外れていないし、口元も普通で、しっかり下も履いている。
視界は赤くないし、士郎もいない。
つまり。

「夢………か」

ばふっ、とそのまま倒れる。
そりゃそうだよな、と混乱する頭を無理矢理納得させて目を瞑る。
一息ついたあと、今見た夢が異常に異常だった光景でもう大変です。

「~~~~なんて夢見てるんだよ、あたしは………!」

頭を枕に埋めて、とにかく顔を隠す。
誰が見ている訳でもないが、とりあえず隠さないといけない気がする。

「……ちなみに、どんな夢を見たのか教えてもらいたいのだが?」

「ひゃぁうっ!!!??☆↑」

ビックゥゥ!! と盛大に肩を震わせた綾子は、それはもう条件反射の様に布団を被った。
とても朝とは思えない心拍数をその身に感じながら、恐る恐る声のした方へ顔をやる。

「あ……ぁ、その。…おはよう、氷室」

「…おはよう、衛宮の名前を呼んで顔を赤くして枕にうずめて顔を左右に振った美綴嬢」

じー、と僅かに顔を見せた綾子を見つめ続ける。
対する綾子はどんどん背中に冷や汗をかいていく。
体は熱いのに感覚はどんどん冷めていくようにすら感じる。

「い……いや、氷室。アンタは何を考えてる………?」

「……美綴嬢が見たであろう夢の内容を」

もはや視線すら向けれなくなった綾子はゆっくりと鐘に背中を向ける。
相変わらず心拍数は高いままで、鼓膜に心臓の音が響いてくる。

「あ、アハハハ。いいじゃん、そういうのは気にしないで…。ほら、夢って起きると忘れるモノでしょ?」

背中を見せて顔を合わせようとしない綾子。
そんな姿を見た鐘は、背後から近づき

「        」

耳元で小さく呟いた。
綾子の反応は────

「~~~~~~☆※↑↑⇒~$&!?」

これ以上ないほど真っ赤になっていた。
何を言っているかもわからないような声で振り返り、夢の内容を的中させた鐘の口を手で塞ぐ。
これ以上言うようだと本気で恥ずかしくなってオカシクなる。
が、ここでふと疑問に思ったことを口にする。
幾ら様子がおかしいからと言って、ここまで的確に当てれるものだろうか?

「────っていうか、もしかしてアンタも………」

「──────!」

押し倒すように鐘の上に乗り、口を塞いでいた綾子の口を鐘が咄嗟に塞いだ。
だが、その騒動がいけなかったのか。
ダダダダダッ、という足音とともに。

バン!

「氷室っ、美綴っ!どうした、何かあった………ん………」

意中の人物が勢いよく襖を開けていた。
二人の光景を見て固まる士郎と、士郎が入ってきた事実を見て停止する二人。
士郎の目の前には、何かトテモミテハイケナイコウケイが広がっていた。

「………………………………」
「            」
「────────────」

三者全員固まって動けなくなること数刻。
一番再起動が早かったのは意外にも士郎だった。

「……あー…、なんか、その……とりあえず、ごめん。……お取込み中失礼しました。…………邪魔はしないので、その……ごゆっくり」

すぅー、と静かにまるで何もなかったかのようにゆっくりと襖を閉めた。
襖が完全に閉まるその直前まで、固まって動けなかった二人。
だが、襖が閉まると士郎が自分たちの光景を見て何を想像したかを瞬時に理解。
同時に即座に跳び起きて廊下へダッシュ。

「え…!?」

襖を思いっきり開けた先にいた士郎の首根っこを鷲掴みにして、見事な連携プレーで士郎を部屋へと連れ去った。
その間わずか0.4秒。
後に士郎が連れ込まれた光景を見ていたアーチャーはイリヤのインタビューに対して

『人間という生き物はあそこまで速い動作で人を攫えるのだな。少し認識を改めるよ』

と言ったそうだ。


─────第三節 看病─────

「……っていうか、アンタ達は何してたワケ? よくもまあそんな高熱で動けたものね」

現在寝室。
綾子と鐘は揃って布団の中で凛の手当を受けていた。
体力はある程度戻ったとはいえ、夜中は死にかけるほどの生命力を奪われていた。
いくら凛の治療を受けたからと言って、即座に完全回復するわけでもない。

「……………」
「……………」

対する二人は何も答えない。
と、いうより答えられない。
士郎の誤解こそ解いたものの、恥ずかしさまでは拭えなかった。
ちなみに士郎は桜の面倒を見ている。
先ほどの事件があった手前、どうしてもまだ顔を合わせるには恥ずかしさが残っていた。

「……ま、手当も済んだことだし今日一日はゆっくり休んでおきなさい。まだ、桜の容体も診なくちゃいけないから」

一息ついて、凛が立ち上がる。
その言葉を聞いた綾子は、凛に尋ねた。

「遠坂、桜の様子はどうなんだい?」

「……何があったか知らないけど、酷いものよ。綾子と氷室さんは、体力と魔力となる生命力を奪われただけだから、回復したら元に戻る。けど、あの子は昨日の夜“確実に死んでいる”。そう思わないと納得いかないほど、手足の筋肉がズタズタになってた。辛うじて動けるみたいだけど……」

「確実に死んでいる……って、遠坂嬢。間桐嬢は生きているのだろう?」

「ええ、体力も魔力も人並みに。……けど、それだけ」

止めた足を動かして、襖を開ける。
ゆっくりと閉めるその直前で。

「二人には関係ない話よ。………今日はゆっくり休みなさい。この聖杯戦争、もう長くはないハズだから」

そう呟いて、凛は寝室をあとにした。





「ここ…は………?」

重い瞼をゆっくりと開けると、そこは見覚えのない部屋だった。
ベッドに寝かされ、服は自分のモノではない。

「これ…先輩の家にあった……?」

そう呟いたとき、不意に横から声がかけられた。

「そう、ここは俺ン家。……目、覚めたか桜」

「せ……先輩…!?」

凛とは違う部屋で、桜は寝かされていた。
隣に士郎が居る事に驚いて、めくろうとしていた布団を慌てて被りなおす。

「ど……どうして先輩が…?」

「どうしてって……公園で桜が倒れてたから、連れ帰ってきたんだ。…放っておくわけにもいかないだろ」

それに間桐家にはもう誰もいない。
慎二は聖杯戦争で殺されてしまい、桜しか残っていないのだ。

「……そう、なんですか。……あの、この服…その…先輩が…?」

「ん? いや、流石にそれをしちゃまずいだろ。遠坂が着せてくれた」

「遠坂、先輩……?」

名前を聞いて何やら顔色が暗くなる桜。
その一方で事情を全く説明していなかった事を思い出して、適当に説明する。

「ああ。……ちょっと訳ありでさ、今この家に何人か泊まってる。遠坂以外にも美綴とかいるから、まあ驚かないでくれ」

「驚かないで…って。そんなの、驚くに決まってるじゃないですか……」

「………そうだよな。悪い、一番初めに説明しなくちゃいけなかったのに説明が遅れちゃって」

「……いいです。先輩は優しいですから、きっと…何か理由があるんですよね?」

「ああ。……その理由ついでなんだけど、桜。昨日なんであんな公園に居たんだ…?」

「……………」

それに桜は答えない。
彼女の表情は暗く、みている士郎も何か居た堪れない。
恐らくは、鐘と綾子同様に連れ去れてきたのだろう、と勝手に結論を出す。

「…いや、いい。無理に答える必要はないんだ、桜。……そうだな、それじゃ別の質問。……その、慎二は家に帰ってきてるのか?」

この答えは知っている。
しかしこう聞かなければ、不自然だ。
慎二は家に帰ってない。それを知るのは家に住む桜だけなのだから、それを先に言い当ててしまうとなぜ知っているのかという疑問が生じてしまう。

「…兄さんは帰ってきてません。数日前から…」

「…そっか」

深くは追及しない。
心のどこかで、慎二はまだ生きてて家に帰ってきているのではないか、と淡い希望も持っていたがそれほど甘い現実ではなかった。
昔からの友人がいなくなったのは心痛むが、同時に彼はマスターでもあった。
やったことは許されることでもないし、マスターとして戦い、それで敗れたのならば同じマスターである士郎は何も言う事はないだろう。

「なら、これからは家に泊まっていけ。あんな広い家で一人は寂しいだろ。桜の容体もまだ完全じゃないし、しばらくはこの家でゆっくりすること。いいな?」

「……先輩が、そういうなら」

汗で少し濡れた桜の顔を優しく拭き、汗を拭きとる。
顔は少し赤く、息遣いも荒い。

「そうだ。…ほら、お粥。俺特製、桜専用のお粥だ。栄養もしっかり計算、食べやすくて消化にもいいスペシャルメニューだ。腕によりをかけて作ったんだぞ?」

桜が寝ているベッドのすぐ横に御椀に入れたお粥を見せる。
ほんのり漂う香りと湯気が、より一層おいしそうに見せている。

「さっきからいい匂いがしてるなぁ、って思ってましたけど…。おいしそうです、先輩」

ゆっくりと桜を起こして、姿勢を安定させる。

「それは何より。……それじゃ、ほら。……あ~ん」

「え………、あの、先輩…?…………ぁ~ん」

戸惑う桜だったが、小さく口を開けてお粥を食べた。
もぐもぐと食べる様子はかわいらしく見える。

「おいしい、です。先輩」

「それはよかった。おいしそうに見える食べ物をまずくするっていうのはそうできないからな」

その後もお粥が無くなるまで続けた二人。
何事もなく食べ終えたのを確認し、また桜を横に寝かせた。

「……ごめんなさい、先輩。本当はわたしが、先輩に作ってあげなくちゃいけないのに」

「なんだ、そんな事気にしてたのか。いいよ、桜はゆっくり休んでくれて。桜は病人なんだ。休める時はしっかり休まないと後で後悔するぞ?」

「後悔って…じゃあ、後悔させてくれるような事をしてくれるんですか? 先輩は」

「む、そうだな……。桜の作ったご飯を食べてみたい気もする。その時は、じゃあ遠慮なく作ってもらおうかな」

それで彼女が嬉しいというのであれば、その時は頼もうかなと考える士郎。
ただやっぱり八年近く台所に立ち続けた身としては、少しくらいは手伝わないと落ち着かない気もするが。

「じゃあ、約束ですよ先輩? わたしが治ったら、真っ先にごはんを食べてくださいね」

「ああ、そんな約束でよければ幾らでも」

席を立つ。
これ以上話をして、桜を疲れさせるわけにもいかない。
栄養はとれたし、話もできたし、桜の無事も確認できた。
今は一人で休ませるべきだろう。

「じゃあまた後で。昼メシ時になったら来るから、それまでは大人しく眠ってるんだぞ、桜」

ベッドから離れる。
彼女は声を出さず、横になったままこくんと頷いた。

士郎が部屋から出ていき、一人になる。
目を瞑って、今さっきまでの状況を今一度思い出す。

「もうちょっと……だけ……」

呟く声は誰にも届かない。
ただ、自分の中にだけ届いていく。

「もうちょっとだけ……いてもいいですよね、……先輩」


─────第四節 事実と葛藤─────

居間に戻る。
そこにはテレビを見ていたセイバーとイリヤ、リズ、セラがいた。

「遠坂は?」

「まだ、二人の容体を見ているようです。こちらにはまだ」

「そうか。……お茶でも出す、ちょっと待っててくれ」

朝食の後片付けが終わっていない台所の空きスペースでお茶を入れる。
ついでに軽い和菓子も数点。

『―――新都の方では昨日に引き続き、今日も行方不明者が続出しております。住人が確認されていない建物は四十棟に及んでおり―――』

居間に茶を運ぶと同時に聞こえてきた報道。
視線をテレビに向けると、見た事もある新都の街が映し出されている。

『――難を逃れた周囲の住人は誰一人として居なくなった隣人に気が付かず、警察では何らかの宗教団体が関与しているのではないかと―――』

人数にして六十名弱。
昨日の意識不明者数や失踪者数を含めるとたった二日で150名近くがいなくなった。

「新都、新都……か。おかしな話よね、失踪者なら新都だけじゃなくて深山町こっちにも出てるっていうのに」

「遠坂」

廊下から居間へ入ってきた凛は空いているスペースに座り込む。
凛の分のお茶はまだ用意していなかったので、台所へとまた立ち上がりお茶と和菓子を用意した。
凛が座った前にそれを差し出すと、ありがと、と一言言ってお茶を飲み始める。

「リン、この報道以外にもこちらで被害が…?」

「ええ。今朝方ちらっと見回ってきたけど、人気が完全に無くなってる場所があった。……士郎もそれは知ってるんじゃない?」

「……ああ、氷室達がいた公園の周囲の住宅地。あそこが不気味なほど静かだった」

キャスターの竜牙兵と戦った公園。
あれだけの騒ぎを起こしながら誰一人として現れなかった事実。

「……関係ないわ」

「イリヤ?」

吐き捨てる様に、イリヤはテレビの電源を切った。

「シロウ。私達はマスターなんだよ? 起きた事を悔やめるほどまっとうな人間じゃないでしょう」

「それもそうね、イリヤ。私達にできるのはこれ以上の被害を拡大させないことだけ。…悔やむ暇があれば、打開策の一つでも見つけ出さないとね」

ずず、とお茶を飲む。
が、現状どこにいるかもわからない敵を探す手段はなかった。

「……でも結局朝のうちから探す方法なんてないのよね。今は夜に備えて休んでおくか、準備しておくかのどっちか、か」

「それもそうですね。各サーヴァント達も、影もこの朝に活動はしていないでしょう」

ゆっくりと茶を飲みながら、和菓子に手を伸ばすセイバー。
アーチャーはここにはいないが、この屋敷のどこかにはいるのだろう。

「そうだ、遠坂。二人の容体はどうだったんだ?」

「回復に向かいつつはあるわ。…けど、熱はまだあるから少なくとも今日一日は絶対安静。まぁ、前に呑ませた宝石の残りがまだ少しあったっていうのもあったからその程度で済んだんだけどね」

そうでなくては、今もまだ目は覚まさなかっただろう、とのこと。
凛の行動に感心しつつ、次に。

「じゃあ桜はどうなんだ? 見た感じじゃ無事みたいだったけど」

「…あの子、か」

持っていた湯呑を置き、隣に座る士郎の顔を見る。
その顔は真剣な表情そのものだった。

「……ねぇ、士郎。あの子が倒れてた周辺に誰かいなかった? 不審人物とか」

「? いなかったけど…どうしたんだ?」

「………昨日の夜、何があったかは知らない。けどあの子、一度は確実に死んでるのよ。そう思わないと納得いかないほど、手足の筋肉がズタズタなのよ」

「……まさか。桜、外傷なんてなかったじゃないか」

「……外見だけキレイに繋ぎとめてるだけよ。…そして、それが出来ている、っていうことは結論として一つ」

「あの女も魔術師、っていうことでしょ、リン」

イリヤが話に入ってくる。
それを聞いた士郎は一瞬時間が停止した。

「…そういうこと。今思えばこんなことすぐに気付いたことだった。慎二はもともと魔術師としてやっていける人間じゃなかった。間桐の魔術回路は完全に閉じていて、慎二には魔術回路なんてなかったんだから」

「ちょ……ちょっと待ってくれ、遠坂。けど、慎二の奴はたしかにライダーを…」

「偽臣の書って知ってる? 慎二が持っていた本のことでね、あれは簡単に言ってしまえば他のマスターの権限を一度だけ手に入れることができる本よ。慎二も桜に作らせたんでしょうね。そうすれば仮とはいえマスターになれるもの」

屋上でみた光景を思い出す。
確かに慎二は魔術を使う際、本を手に持っていた。

「………。そう、か…」

考えれば簡単だった。
慎二が彼に魔術師じゃなかったとしても、魔術師として参戦している以上、その妹である桜も何らかのつながりがあってもおかしくはない。
いや、始めからそう思っていた。
思っていた上で、考えようとしなかっただけだった。

「…けど、ライダーはいなくなったんだろ? なら、もう桜は…」

「いいえ、シロウ。ライダーはまだ死んでないわ。どこかに潜んでるんじゃないかしら?」

「え……?」

今度こそしっかりとイリヤの姿をその目にとらえる。
どういうことなのかが理解できない。

「…少なくとも私にはわかるのよ、シロウ。けど、そのライダーもキャスターと同じようにその“黒い影”に呑まれてるんなら、私は知らないけどね」

セイバーはイリヤの言動を聞いて顔を伏せた。
器の守り手。
前回の聖杯戦争の細部までは知らない。
けれど、アイリスフィール同様にその娘たるイリヤスフィールもまた『器の守り手』だというのであれば。
或いは。

「………く。俺は……」

「そう落ち込む必要もないんじゃない?……あの子、貴方にだけは気づかれまいとしてたみたいだし。問題はなぜ桜が倒れていたのか、っていう話とどうやってあの傷を治したのかの二つよ、今必要なのは」

「……ならば、本人に直接聞いてみてはどうでしょうか」

セラが話に入ってくる。
確かに聞けることなら、本人から聞くに越したことはないだろう。

「…その本人は今眠ってるわ。よっぽど疲労が溜まってたんでしょうね。それに、ライダーがまだ生きているっていうのなら、迂闊な行動はとれないわね。いつ襲ってくるかもわからないんだし」

「襲うって…、桜は俺達と敵対するようなことは…」

「ない? 言い切れるかしら。今朝の氷室さんと綾子の容体。おかしいと思わなかった?」

「え……?」

「そりゃああの夜中の治療だけで万全になるまで回復させたとは言わない。けれど、それにしたって中が少なすぎる。……大よそ眠ってる間に少しだけ摂られたんでしょうね、ライダーに」

「な……つまり、夜中にアヤコとカネがライダーに襲われたというのですか、リン」

同じサーヴァントとして同じ家にいながらそれに全く気付かなかったセイバー。
アーチャーもいたハズだが、反応がないからして同じなのだろう。

「落ち着いて。……あくまでも可能性を言っただけよ。それに吸血行動だけなら魔力なんて必要ない。気づかないのもある意味普通だから、セイバーに落ち度はないわ。…まあ、落ち度があるとすれば誰かと同じ同室にしなかったっていうところかしら。いくらなんでも誰か別の人が同室に居ればそんなことは起きなかっただろうからね」

「リン。貴女、可能性っていっておきながらライダーがさもやったような口調になってるわよ。言うならどちらかはっきりしたらどう?」

「……言ってくれるじゃない、お子様。けどそうね、私はライダーが二人にちょっかいを出した、って見てるとだけは言っておくわ、士郎」

「……わかった。けど、二人とも命には別状はないんだろ?……桜が指示を出したか、とかいうのもわからない。もしかしたらライダーの単独行動かもしれないし、そもそも遠坂の仮説が間違ってるって可能性もある」

早々に結論は出さない、とだけ伝えて居間を立つ。
それを見て不思議に思う凛が尋ねた。

「ちょっと、士郎。どこいくの?」

「藤ねぇのお見舞い。あと一成とかのお見舞いもあるか。桜も氷室も美綴も休んでいて、夜にならないと手がかりもわからない。……なら、今やることはないんだから今できることをやっとく」

廊下へと続く障子をあけ、廊下へ出ようとしたときに

「シロウ」

イリヤを抱いていたリズが声をかけてきた。
はてなマークをつけて振り返ると、リズは台所を指差して

「朝食の後片付け…、終わってない」

「…………あ」

城では食事関係の仕事をしていたリズ。
どうやらさきほどからずっと気になっていたようです。



寝室。
ベッドで眠るのは間桐 桜。
完全に意識は無く、ただ眠っている。

そこへ。
すぅ、と現れたのは白髪の男。
アーチャーだった。
無言でベッドの傍に立ち、右手には白い剣がある。
それを振りかぶり─────

「……やはり居たか、ライダー」

振り下ろしはしなかった。
アーチャーの首元に突き付けられた短剣は、振り下ろそうものならばそれよりも早く突き刺されるだろう。

「……サクラを殺すようであれば、アナタと、そのマスターを殺します」

「…………」

背後より殺気を向けられるアーチャーだが、意に介する様子はなくただ事実として右手に握っていた剣を虚空へと消した。
それを確認したライダーは、アーチャーに離れる様に伝える。

「さて、君は何を思う。この娘……普通ではないのではないか?」

「……質問の意図が不明です。その質問には答えません。……ただ、サクラはこの屋敷での戦闘は嫌がっていた。貴方が何かをしない限りは此方からは仕掛けません」

「ほう…、ではなぜあの少女二人から微量ではあるが魔力を租借したのかな、ライダー」

「………」

ライダーは沈黙を通す。
それを肯定をとして受け止めたアーチャーは目を瞑る。
だが、声だけは部屋に響く。

「大よそ、その娘からなるべく魔力を取りたくはなかったのだろう。だが、それはマスターとサーヴァントという関係ではおかしな話だ。つまり、それだけその娘に余裕がないということ」

沈黙の中、アーチャーだけが口を開ける。
彼の言う事実はほぼ的を得ている。

「その少女が何を抱えているか、まではわからないが。だが、それが敵だという確証が持てたならば、その時は排除する。…それがその少女のためにもなろう」

「……サクラは殺させません。私の役割はマスターを守護すること。それをするというのであれば、貴方と言えど……殺します」

くっ、と笑ったアーチャーはそのまま姿を消した。
気配はないことから、この周辺にはもういないのだろう。

「アーチャー…油断はなりませんね。しかし……サクラ、貴女はどうしてそこまでエミヤシロウに拘るのですか…?」

呟きと共に消えるライダー。
その回答を行う者はまだ夢の中である。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第39話 絶望
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:47a17094
Date: 2013/04/30 00:26
第39話 絶望


─────第一節 衛宮 士郎 VS 氷室 鐘&美綴 綾子─────

衛宮 士郎が居間で朝食の後片付けをしている時間。
美綴 綾子と氷室 鐘は遠坂 凛の言いつけ通り大人しく布団に横たわっていた。
毛布と掛け布団の肌触りがよく、適度な重さもあるため温かい。

ただし今に限っては体が発熱しているため、いささか暑苦しい。
ということで、毛布を体の下にやって掛け布団一枚で横になっていた。
が、それでも暑いものは暑い。そしてその暑さが─────

「─────はぁ」

あの夢を思い出させてしまう。
仰向けになったり、体を丸めて横にしたりと何となく落ち着かない。
これがただの夢、と割り切れるならいいのだが、生憎と昨夜は抱き寄せられたり背負われた感覚を覚えているためどうも気持ちが落ち着かない。
そしてそれは隣で寝ている鐘も同じだった。
というより彼女の場合は、アインツベルン城に行く前の夜の出来事も相まってもはや思考を停止していた。
恐らくこれ以上想像するといろいろとまずい気がする、という彼女の直感が告げていたのだった。
所詮、二人とも高校二年生という年齢。
付き合っている異性もいなければ、恋愛というジャンルにもあまり縁がない。
にも関わらず、少なからずそういうジャンルには興味はある。
どうしたものか、とため息しか二人にはでなかった。

「…………」

そういえば、と綾子は昨夜の出来事を思い出す。
彼が助けに来てくれた時、自分は彼の名前を呼んだ。
それはいい。それは覚えている。

だが、隣にいる少女は何と呼んでいたか?
記憶は曖昧になってはいるが、彼女は確かに『士郎』と呼んではいなかったか?

「……氷室? 起きてる?」

どうしようかと思ったが、記憶に自信が持てない以上は自分の中で精査することはできない。
ならば隣で寝ている少女に尋ねるしかなかった。

「流石に眠気はないのでね、起きてはいるが。何用かな、美綴嬢」

「アンタさ、衛宮の事なんて呼んでたっけ?」

「? それは衛宮士郎なのだから“衛宮”と呼んでいるが……?」

「あ、いや。それもそうなんだけど、あたしが訊いているのはあの公園で衛宮に助けられた時さ……氷室、『しろう』って呼んでなかった?」

「─────」

ぴたり、と鐘の表情が停止した。
そこに追撃をかけるかのように綾子は自分の情報を整理していく。

「昨日の話の中で、氷室と衛宮って幼馴染だった……的な事も言ってたよね。でも学校ではそんな素振りは全くなかった。寧ろ好んで近づこうともしてなかったし、学校では『衛宮』って呼んでたし」

けれど、じゃあこの差は何なのか。
そう考えて、辿りつく一つの可能性。

「氷室……アンタさ、もしかしなくても……衛宮のこと、好きなんじゃないの?」

鐘の友人三枝 由紀香と昼に話した時も、何かそれっぽいことも聞き覚えがあった。
今の今まで忘れていたが、或いはそうだとしたならば。

「す───!……み、美綴嬢こそどうなのだ。“あの様な夢を見て布団を抱くほど”なのだろう?」

「ぐ………、思い出したくないことをさらりと言ってくれちゃって……!」

むー、と睨み合う二人だったが、唐突に何か虚しくなってきてしまい互いにため息をついた。
この変な空気をどうしたものか、と考え始めた矢先に─────

「氷室、美綴。起きてるか?」

話題の人物の声が聞こえてきた。

「「ひゃい!?」」

ビックゥ!と肩を震わせた二人だったが、廊下にいる士郎は眉を顰めるしかなかった。

「………ひゃい?」

「い、いや!なんでもない、衛宮。ど、どうしたんだ?」

軽く咳払いしたあとに綾子が襖の向こうにいる士郎に声をかける。
鐘はその間に呼吸を整えて落ち着かせていた。

「いや、ほら昨日公園から帰ってきてそのままだろ。服は着替えたって言ってもさ、汗とかで濡れてると思ったから、濡れタオルとタオル持ってきたんだけど」

「あ、ああ………そういえば、そうだっけ?」

二人とも士郎に運ばれている最中に意識はなくなったので詳しくは覚えていない。
が、意識がない以上は風呂に入れるわけもなくそのまま眠っていたのだろう。

「流石に熱出してる時に風呂入るのはどうかなって思ったからタオルにしたんだ。で、持ってきたんだけど………入っていいか?」

「……なるほど。ああ、いいよ。あたしも、ちょうど汗もかいてたところだからタオル欲しいなって」

事実毛布を体の下にやっていたくらいだ。
汗を拭きとって、着替えるのもいいだろう。
綾子の返答を聞いて、襖を開ける士郎。
手にはタオル数枚と二着の浴衣を持っていた。

「ほら、タオル。こっちが濡れタオルで、こっちが普通のタオル。拭き終わったタオルはこの籠に入れておいてくれ。後で持って行って洗っとく。着替えは……一応浴衣持ってきたけど鞄の中にあるよな」

パパパッ、とテキパキ済ませていく士郎。
その様子を眺めながら、体についた汗を軽く拭きとっていく。

「で、……どうだ? 遠坂の奴は今日一日絶対安静、とか言ってたけど調子の方は?」

「朝方ほど手足のだるさはないな。君の作ってくれたお粥もあったおかげで、私も美綴嬢も持ち直してきている」

「そうだね。一日絶対安静、とは言うけど動くだけなら問題ないかな。……ま、流石に今から運動しろって言われると無理だろうけど」

「そうか、ならよかった。ま、今日一日は美味しいモンでもちゃんと食べて、ゆっくりしてること。……と、それじゃその布団今から干すから、ちょっと待っててくれ。今、新しい布団を出す」

二人が寝ていた寝室の隣の部屋から、誰も使っていない新しい布団を取りだしてきた。
汗をかいたから、布団を交換するつもりだろう。

「そういえば、桜の様子はどうなんだい、衛宮?」

二人が寝ていた布団を一旦隅にやり、新しい布団を敷いていく。
ぽんぽん、と慣れた手つきで先ほどまで敷いていたように布団が配置される。

「桜は別の部屋で眠ってる。起こす訳にもいかないから、今はそっとしてる」

「そう。遠坂の奴が変な事言ってたから何かなって思ったけど、なら心配はいらないか」

その敷いた布団にはホコリ一つなく、驚くべきことに敷く際にもホコリはまったくたたなかった。
その事実に妙に感心した鐘は

「……慣れたモノだな、衛宮。遺伝子レベルでそういう才能を持っているのか、君は」

「流石にそこまではないと思うけどな。それじゃ布団干してくるから、二人はその間に着替えておいてくれ」

よっと、と二人分の布団をまとめて抱えた士郎は足で襖を器用に開けて出て行った。
もちろんちゃんと器用に足で襖を閉めて。

「……結構な重さがあると思うのだがな、大丈夫なんだろうか」

鐘がそう呟いた直後だった。
廊下より聞こえてきた声。

『うわぁー、士郎がお布団持ってる!えーい!』

『ちょ……イリヤ!あぶなっ……ってうぉ!?』

ずてーん、と間抜けな音と共に声が止まった。
その後に聞こえてきた笑い声を聞いて、何となく廊下の向こうで起きている事を想像した二人だった。

「それじゃ、あたしらは大人しく衛宮の言うこと聞いて、寝間着に着替えて布団に入っとくか」

「……そうだな」

着替えの最中に士郎が入ってきて、変な空気にならないように手早く濡れタオルで体を拭き、寝間着へと着替える。
ちなみに二人とも浴衣。
折角用意してくれたのだから着ないわけにもいかない。

着替え終えて数分後。
イリヤとの格闘に制した士郎は再び襖を開いて寝室へと入ってきた。
手には丁寧に切られたリンゴが。

「はい。お粥だけじゃ足りないかなって思って持ってきた。よかったら食べてくれ」

ことん、とリンゴが盛られたお皿を二人のすぐ横に置いた。
それを見た綾子は

「あれ、衛宮。こういうのって、衛宮が食べさせてくれるっていうシチュエーションじゃないの?」

と、冗談半分で笑いかけた。
が………

「む………それもそうだな。悪い、美綴。そうするべきだったか」

「………えーっと……」

一転少し焦ってしまう。
心なしか顔が紅くなっているが、この衛宮士郎はそのことに気付かない。
サク、と切ったリンゴにフォークを突き刺してそのまま

「はい、あ~ん」

と、普通にやってくるのだから最早止めようがない。
自分が言い出した手前、断ることもできないので

「………ぁ~ん」

小さく口を開けて、差し出されたリンゴを食べた。
その顔はリンゴ並みに赤くなっていた。

「おしいしいか? 美綴」

「………ぁぁ」

味覚に気を取られている状況でもなかった。
再びサク、とリンゴにフォークを突き刺して

「ほら、氷室も。あ~ん」

「─────」

隣で同じように寝ていた鐘にも同様にリンゴを差し出していた。
すでに顔は真っ赤。思考は停止中。

「? どうした、氷室。顔、赤いぞ?」

その原因が自分にあるとも思わない士郎。
それもそのはず。今朝方、お粥を桜に食べさせたのだ。
抵抗はないのだから気づくはずもない。

「っ!?」

「……やっぱり少し熱があるのかな」

ぴと、と額に手を合わせる。
余計に熱が上がりかねないということを自覚していない。
ビクッ、と肩を震わせた鐘。
もういろいろとパニック状態です。

「ほら、氷室」

「ぁ……あ~ん」

ぱくり、と。
もはや何も考えられない状況で、とりあえず差し出されたリンゴを口にする。
が、やっぱり口の中でシャリシャリと音を立てるだけで、どんな味かまでは注意がいかない。

「ん、まだ何個かあるから………」

と、再びリンゴに刺したのを見て綾子と鐘は慌てて

「いや、いい!あとは自分で食べるから大丈夫だ、衛宮!」
「み、美綴嬢の言う通りだ。それくらいはできるから、問題ないぞ!」

「? そうか、ならここに置いとくな」

慌てた二人に首を傾げながら、皿を床に置いた。
立ちあがった士郎は持ってきた籠を抱えて、廊下へ出ていく。

「っと。これから藤ねぇのお見舞いに行ってくるからちょっと留守にする。帰りに買い物してくるから、昼飯はまた持ってくるよ」

「あ、ああ。わかった。………その、いってらっしゃい」

何を言っていいかもわからなかったが、とりあえず思い浮かんだ言葉を、鐘は口にする。

「行ってきます。無理は駄目だぞ、二人とも」

すぅ、と襖を閉めて足音が遠ざかっていくのを確認する。
完全に聞こえなくなったのを見計らって

「はぁ─────」

と、二人して盛大に息を吐いた。
そして、次は互いに背を向けあって布団を顔付近まで被ってしまう。

「み………美綴嬢……。なんてことをしてくれた………!」

「………ごめん。とりあえず、ごめん。………まさかあの冗談にのっかかってくるなんて……」

二人ともリンゴ並みに顔を真っ赤にして布団を頭からかぶってしまった。
先ほど汗を拭きとり着替えたばかりだったが、すでに汗ばんでいる。
特に顔はさっきよりも数倍熱くなっているという事実が、二人を余計に熱くしていた。


─────第二節 第二幕─────

「それじゃ、行ってくる。帰りに買い物して帰ってくるから、少しだけ遅くなると思う。昼くらいには帰ってくる。」

二人の看病をした後、士郎は家をあとにした。
家から病院までは歩いていくと時間がかかるため、自転車を使う。
財布の中身を覗き、十分にあるのを確認して、自転車に跨り坂を下りはじめた。

「お見舞い品と……、帰りには食材を買って……」

街は太陽によって明るく照らされており、歩く人は昨夜の出来事など知らないかのように笑っている。
或いは、知っていながら自分には関係ないと考えているのだろうか。

「……まあそれが普通、か」

原因不明の失踪事件。
その原因を知っているのは聖杯戦争に参加している自分だけ。
集団失踪など、通常の思考ではその理由を思いつくことなどない。
子供を連れてどこかへ向かう親子連れ、歩きながら話し合う女子高生たち。

「…………」

自転車のブレーキを握り、ゆっくりとスピードを落とす。
そして、夜中に駆けつけた公園の前で止まる。
あの時の静寂同様、今もこの辺りは静まり返っている。
所々にパトカーが止まっていることから、この周辺の住人の行方を調査しているのだろう。

「…………」

再びペダルを扱ぎ、病院へと向かう。
流れる景色を眺めながら、吹き付ける肌寒い風をその身に受け止める。
手は冷たくなり、耳も少し痛く感じる。

「そうだ……帰りに教会に寄ってみるか……」

言峰 綺礼。
あの神父ならば何か知っているかもしれない。
監督役だというのであれば、何らかの情報を持っている可能性は高いだろう。

「────その前に藤ねぇを怒らせないように、ちゃんとしたモノ買っていかなくちゃな」

変わらず元気であろう人を思い浮かべて、ペダルを扱ぎ続ける。
『起きた事を悔やめるほどまっとうな人間じゃない』。
確かにそうだろう。起きた事を悔やんでも、死んだ人は帰ってこない。

「必ず……終わらせてやる」

なら、前に進み続けるしかない。
これ以上被害を出さないように、これ以上犠牲者が出ないように。
そして居なくなった人達の分まで、その犠牲ささえを無駄にしないように。



士郎が家から出て数十分後。

「それじゃ、行ってくるわ。お昼ぐらいには戻るから、留守番よろしくね、イリヤ」

「どうぞご自由に~。私はゆっくり家にいるわ。……けど、シロウがいないんじゃ面白くないなぁ。カネのところに遊びにいこうかな」

「……一応氷室さん、病人なんだから迷惑かけちゃだめよ」

玄関戸を閉めて、今ではもう馴染んだ和風作りの門をくぐる。
同伴するのはセイバーではなく、アーチャーだ。

『だってその方がいいでしょ。セイバーがここにいることで私はセイバーから家の情報を受け取れる。アーチャーを連れて行くことで、士郎とも連絡がとれるからいいじゃない』

これがセイバーとアーチャーに言った理由だった。
で、その言葉に反応してアーチャーが答えた言葉が

『凛、君はサーヴァントを携帯電話か何かと勘違いしていないか』

ということだった。
が、そんなことを気にする凛ではない。
アーチャーを連れ出して外出することとなった。

そうして歩くこと数十分。
凛は目的の場所に到着した。
間桐邸。
二百年前この町に移り住んできた。古い魔術師の家系の工房。
協力者としてこの土地を譲ったものの、決して交友を持たなかった異分子たる同朋。
遠坂と間桐は互いに不可侵であり、無闇に関わってはならぬと盟約によって縛られている。

「──────────」

それがどうした、と彼女は歩を進めた。
互いに関わってはならないのが盟約というのであれば、そんなモノは十一年前に破られている。
だいたい盟約を取り交わした者は遥か昔の当主達である。
その内容も、理由すらも定かではない決まり事に従うこと二百年。

その間、遠坂も間桐も目的である聖杯を手に入れていない。
もとより両家の盟約は、“聖杯”を手に入れる事のみで固められたもの。
それが今までかなわなかった以上、こんな古臭い決まりに従う道理はない。

呼び鈴も押さず、玄関から押し入る。
彼女は客として来訪したのではない。
あくまで一人のマスターとして、聖杯戦争の役者として訪れたにすぎなかった。

が、長年培った体質はそう簡単に変わらない。
苦虫を噛み潰す表情で、凛は間桐邸を探索していく。
まずは庭。
目ぼしいものが見つからなかったので家に続く玄関戸へ。
当然ながら鍵はかかっており、入ることはできない。
だが、衛宮邸には桜がいる。
彼女が持っていた鍵をくすねて、玄関の扉を開ける。

薄暗い玄関。
奥へと伸びる廊下の先はやはり暗く、ぼんやりとしか見渡すことができない。

「……そっか。父さんの言いつけを破ったのって、これが初めてなんだっけ…?」

ぼんやりと呟いた。
だが、別段それはどうという事ではなかった。
父の教えを破ったことで、大切な何かが壊れた訳でもないのだから。
ただ、悔いることがあるとすれば、それは

「……馬鹿ね。どうせ破るのなら、もっと早くに押しかければよかったのに」

十年以上も我慢し続けた、誰かに対する後悔だった。
……その後悔を自分が思うよりも早く思わせたのは

『───そもそも家族なんだから一緒の家にいちゃいけない理由なんてない。遠坂とセイバーが反対しても、イリヤは連れて帰るぞ、俺は』

一体、どこの誰だったか。
ふっ、と鼻で笑って薄暗い家を探索し始める。
この家にはもう誰もいない。
慎二はイリヤスフィールに殺されたし、妹である桜は現在衛宮邸。
ならば、ここには誰も存在しないハズである。

そう。

『いえ、桜ちゃんのおじいちゃんから電話があったのよ。桜の熱が酷いので二日ほど休ませていただきますって』

あの言葉がなければ、そう思い続けただろう。
つまり、この家にはその“おじいちゃん”とやらが存在する。

「……ここもいたって普通、か。………なら」

この家の書庫へと向かう。
間取りはまだ把握していないが、ここが魔術師の家である以上、それは必ず存在する。

「……その必ずが全くなかった家に、私はいるんだけどね、今」

小さくぼやきながら廊下を歩いていく。
この家は明るく、温かでどこか安心できる衛宮邸とは打って変わり、暗く、冷たい家。
しかし、あるいはこれが魔術師の家として普通なのかもしれない。
ここまで暗いわけではないが、遠坂の家も似たようなもの。
いや、あの衛宮邸こそが、魔術師の家として可笑しいのだろう。
あそこまで開放的な魔術師の家は世界中、どこを探してもあそこにしか存在しないと断言できる。

「……ホント、とことんイレギュラーね、そう考えると」

ぎぃ、と重苦しい音を立てながら扉を開ける。
見渡す限りの本、本、本。
一端の図書館並みに本が並んであるが、その本のほとんどが一般人向けではない。

その中から適当に手にとって中身を見ていると、同じく家の中を探索していたアーチャーから言葉がかけられた。

「───凛。屋敷の間取りだが……空白部分が二つある」

「え? どこよそれ、一階?」

現れたアーチャーに視線をやる。
それに首を振ったアーチャーは

「二階からだ。階段にしては狭いが、恐らく地下に通じている」

「……オーケー。じゃあ行きましょう。……油断はしないようにね、アーチャー」

「そういう君もだ、凛。一応マスターという関係ではないのだ、離れないようにな」

───姿こそ見えないが、凛のすぐ後ろには赤い騎士が付き添っている。
戦闘に備えて連れてきたのだ。
それで言うならばセイバーの方が戦闘力はあるだろうが、先ほどの携帯電話の件といい、そして戦闘スタイルといいアーチャーの方がいいと踏んだ。
セイバーは霊体化できない。
それはセイバーのマスターになってから気付いたもの。
加えてこの室内で戦闘するとなると、剣を振るう彼女より、変幻自在な宝具の投擲を行えるアーチャーの方が臨機応変に対応できる。
さらに特筆すると、アーチャーは何かと細かいことに気が回る性質のようでもある。
屋敷を一回りしただけで、設計図を思い描き、本来なければおかしい部屋がないのを指摘する。
凛も薄々気がついてはいたが、アーチャーは物の設計、構造を把握する能力に、騎士とは思えないほど特化しているらしい。

指示された場所へと向かい、隠し通路へと向かう。
アーチャーのそれとしてはおかしい長所ではあるが、或いはこのアーチャーが“彼”だと言うのであれば、頷けるかもしれない。
学校の結界を容易く見破った“彼”であるのならば………。

「凛、着いたぞ。私が先行しよう。…………開くぞ」

魔術回路に魔力を満たし、何が来ても即座に対応できるように身構える。
実体化したアーチャーが扉を開け、中に一歩踏み込んだ。
それにつられ入ろうとした凛だが、二人の足は完全に停止した。
そこに会話はない。

開けた壁。
ぱっくりと口をあけた地下への通路から、湿った空気が漏れてくる。
それはとても耐えがたいほどの腐臭だった。
鼻を服で覆いながら、ゆっくりと地下へと下りて行く。

「……この服、もうダメね。士郎ン家に帰る前に家に寄って、別の服を着て帰るか……」

この臭いは好きじゃない。
そしてその臭いが染みついたこの服を着る気にもなれなかった。
衛宮邸には人がいる。その中でこの腐臭がついた服を着たくはなかった。

湿った石畳に下りる。
周囲は緑色の闇だった。
無数に開いた穴は死者を埋葬する為の物だろう。
石の棺に納められた遺体は腐り、風化し、穴は伽藍洞のまま、次なる亡骸を求めている。
その在り方は地上の埋葬と酷似している。
ただ、その腐り落ちる過程が決定的に異なる。
ここでは遺体を分解する役割は土ではなく、無数に蠢く蟲たちに与えられていた。

「ここが間桐─────マキリの修練場……ってワケ─────」

呟いて、目眩がした。
嫌悪や悪寒からではない。
凛を戦慄させ、後悔させ、嘔吐させたのは怒りだった。
これが修練場。こんなものが修練場。
この、腐った水気と立ち込める死臭、有象無象の蠢く蟲たちしかいない空間が、間桐の後継者に与えられた“部屋”だった。

「──────────っ」

ぐちゅり、と何かを踏みつけた。
こんなもの─────こんな所で一体何を学ぶというのか。
ここにあるのは、ただ飼育するものだけだ。
蟲を飼う。蟲を増やす。蟲を鍛えて、蟲を使う。
それと同じように、間桐の人間はこの蟲達によって後継ぎを仕込み、後継ぎを鞭打ち、後継ぎを飼育して─────使うのだろう。

───それは、自分とどれほど異なる世界だったのか。

冷徹な教え、課題の困難さ、刻まれた魔術刻印の痛み。
そういった“後継者”としての厳しさを比べているのではない。
そも、背負った苦悩、越えねばならなかった壁で言うのならば、凛自身が乗り越えてきた障害とて他に類を見ない。
乗り越えてきた厳しさと困難さでは、間違いなく遠坂 凛に分があるだろう。
それ故の五大元素使い……アベレージ・ワンと呼ばれる、魔術協会が特待生として迎え入れようとするほどの若き天才魔術師だ。

この部屋に巣食う蟲どもを統率しろ、と言われたならば、凛なら半年でより優れた術式を組み上げる。そう、必ず。
間桐の後継者が十年かけてまだ習得できない魔術を、凛ならば半年で書き換えることができるのだ。
だが─────その愚鈍な学習方法。
術者を蟲どもへの慰みものにするという方式に耐えられたかと問われたならば、凛は言葉を飲むしかない。

ここで行われる魔術の継承は、学習ではなく拷問。
頭脳ではなく肉体そのものに直接教え込む魔術。
それがマキリの継承法であり、あの教師が言っていた“おじいちゃん”。
……すなわち“間桐 臓硯”という老魔術師の嗜好なのだ。

故に。
間桐の後継者に選ばれるという事は、終わりのない責め苦を負わされるという事である。

「ああ、本当に腹が立つ。─────本当に……最低ね」

瞳を瞑り、歯を食い縛る。
ぎり、という音はこの世界を壊すかのように聞こえてくる。
その後に聞こえる声は

「間桐、臓硯…………」

呪いの声そのものだった。
アーチャーは干将莫邪を具現化し、凛の傍に構える。
凛が睨んだだけで殺そうとしているその場所に。

「カカカ………、よもや遠坂の才媛がここに来ようとはな」

妖怪がいた。




「まさかあそこまで回復してるとは思わなかった………」

お見舞い品を手渡しに行った際、最初は素直に喜んでいたので元気そうだなぁと思いつつ近づいたら

『何で昨日こなかったのよぉう!!』

と、首に腕を回され締め上げられた。
びっくり仰天、その力は病人か? と聞きたくなるほどに回復していた。
慌てて抜け出そうとするも抜け出せず、苦しくなってきたので腕を叩いてギブアップ。

『ふっ……藤ねぇ、病人なんだからもっと病人らしくだな……!』

『病人? なんのことかなぁ、先生はこのとおりぴんしゃんしてるわよ』

聞けばご飯をおかわりするほどだという。
少しでも心配した俺が馬鹿だった、とちょっと本気で思ってしまった士郎。

『まあ、それでこそ藤ねぇっていうか、なんというか』

『む、もしかして士郎まで馬鹿にしてる? ここのお医者さん、なんて言ったと思う!?』

『知るか。けど、何となく予想はつくぞ、俺は』

『藤村さんは稀に見る健康体ですから、寧ろ献血でもしていったらどうですかフハハハハ─────だよ!? ええい、あたしだって病人だって言うのっ。ああもう、次からはここになんてこないんだからー!』

『おーい、藤ねぇ? それ、言ってておかしいと思わないか? 一応病人だからここにいるわけで、ここにいる一方で藤ねぇは元気すぎるっていう話だろ?』

つまりいい意味での皮肉。
一応医者は病人として扱っているけれど、この虎はそれを感じさせないほど元気なのでそう言っただけにすぎない。

『む?………えーっと?』

『いや、いい。考えなくていいぞ、藤ねぇ。…で、退院までにはあとどれくらいなんだ? 今日か?』

『今日は流石にないわよ。少なくともあと1・2日は様子みようって』

『そうか。ここの看護師さんにはあと1・2日は同情する必要があるってワケだ』

『むっ、士郎。それ、どういう意味?』

『さぁ、どういう意味でしょう。判ったなら大人しくしてること。ちなみに判らなくとも大人しくしてること、いいな?』

適当に買ってきたリンゴの皮を剥いて、虎に餌をやる。
一成たちにも会いに行くと言って病室を後にし、同じ病院内にいる顔見知り達に挨拶しにいった。
流石に大河ほどの元気はなかったが、全員命に別状はなく元気そうだった。

「お見舞いは終わったし……次は」

ここからは見えないが、山の方へと目をやる。
教会。
黒い影、ギルガメッシュ。
聞くことはある。

「行くか」

自転車に跨り、ペダルを扱ぎ始める。
坂道は自転車にはつらいが、前へと進んでいく。


─────第三節 真実─────

教会。
ここに来るまでの坂は自転車では流石にきつかった。
話を聞くのに息が絶え絶えになるというのも避けたかったので、途中からは降りて自転車を押すことにした。

「……けど、ここは多分何度来ても慣れないだろうな」

他を威圧するかのようにそびえたつ教会。
だが威圧されているようではいけない。
気合いを入れて、教会の扉を開いた。

大きな礼拝堂。
そこに神父の姿があった。
その神父はまるで来るのが判っていたかのように、

「おや、どうした衛宮士郎。進退窮まって神に祈る、などと殊勝な男だとは思わなかったが、宗旨変えかな」

と、やはり皮肉たっぷりで出迎えてきた。
いちいちこの神父の嫌味に付き合っていると疲れるので

「────ふざけろ。今日は聞きたい事があったから来たんだ。じゃなきゃ、頼まれたってここにくるもんか」

「それは結構。私も暇ではないのでね、簡単に懐かれても困る。……聖杯戦争の事ならば昼間のここで行うべき会話ではない。ついてこい、奥で話をしよう」

礼拝堂の奥にある扉へと向かい、その奥へと消えて行く綺礼。
ここまで来た以上は何もせずに帰るわけにはいかない。
雰囲気に威圧されないように、気合いを維持させたまま、教会の奥へと向かった。

「……外も凄かったけど、中も凝ってるっていうか………」

礼拝堂の奥の扉を抜け、少し歩くと中庭が見えてきた。
あの神父一人が住むにしてはあまりにも立派な庭園と渡り廊下が広がっている。

「何をしている。話をするというのならこちらに来い」

神父は何個めかの曲がり角を進んでいく。
教会は想像通り……よりも少し大きく、ちょっとした迷路だった。
まさかここで迷う訳にもいかない以上、今は大人しく神父についていくしかなかった。

見失わないように後ろについていき、扉を開けた。
案内された部屋は、質素な石造りの部屋だった。
あの礼拝堂や中庭の優雅さとはかけ離れたここが、この神父の私室らしい。

ライトは昼白色の蛍光ランプではなく、白熱ランプの色合い。
窓から日の光も射し込んでいるが、外部からの侵入を防ぐ柵が取り付けられているため、少しばかり暗い。
部屋の中央にはソファーとテーブルがあり、しっかりと整理されている。

「持てなす物のひとつもないが、許せ」

ずっしりとソファーに身を預けながら、神父はそう言ってきた。
微かに匂うのはワインの香り。
匂いが部屋に染みつくぐらいなのだから、相当の好き者なのだろう。

神父が座ったソファーと対面するソファーに座り、一息つく。
どう切り出していいものか、と思案する士郎だったが

「どうした、話があるのではなかったのかね。そこで考え込まれても困るだけなのだが」

「……どう言い出していいか迷っただけだ。……いいよ、じゃあ単刀直入に聞く」

「それはなにより。回りくどい言葉を衛宮士郎から聞かされて喜ぶような趣味は持ち合わせていないのでな」

はぁ、と小さく息を吐き神父の顔を見る。
訊くべきことは……

「……どれも普通じゃないモノだ。けど、アンタなら。監督役であるアンタなら知ってるかもしれないと踏んでここに来た」

「だろうな。……でなければ、私になど訊かず、凛にでも訊ねればよいだけの話だからな」

「まず、街に現れた『黒い影』について知ってるよな? 俺が氷室と美綴を保護したのを知ってるくらいだ。寧ろ知っていなきゃおかしい」

「ああ、知っている。柳洞寺より現れ、街の住民を際限なく、無差別に食している影の事だろう。……それで、何が訊きたい」

「……アンタはあれについて、何か知っているか? あれの正体、もしくはあれの目的」

神父に問いただす。
何かを知っているとは限らないが、何も知らないとも限らない。
もしかすると過去の聖杯戦争において何らかの情報が残っているのかもしれない。

「結論から言おうか」

しばらく考え込むように黙っていた神父はゆっくりと言葉を紡いだ。
その答えは

「あれの正体、あれの目的。……完全にこそ判ってはいないが、ある程度の事ならば推測できる。……そして、それを操っているであろう後ろの存在も」

士郎の想定していた解答よりも上をいく答えだった。

「本当か……!?」

「ああ、本当だとも。私は神父だぞ? 嘘などつくものか」

その言葉にはあまり同意したくはなかったが、この際スルー。
監督役が知っているであろう事を訊きだす。

「まず、話す前に知っておかねばならないことがある」

「知っておかなければいけないこと……?」

「事の起こりは前回の聖杯戦争だ。十年前の火災、それが聖杯戦争による爪痕だということはもう教えただろう。アレはな、聖杯が破壊されたことによって起きた火災だ。……ここまではいいかな」

「……ああ」

昨夜、セイバーから聞き及んでいる。
セイバーが衛宮切嗣の命令によって聖杯を破壊したこと。
前回の聖杯戦争の結末が、あの火災だということ。

「驚かないのだな。もう少し驚くものだと思っていたが?」

「……話の本命はそこじゃないんだろ。いいから話を進めてくれ」

「───ふ、そうだな。では続きといく前に一つ問おう。そも、聖杯の中身は何だと思うかな、衛宮士郎」

「?……そりゃあ、アンタも言ってた『あらゆる願望をかなえる万能の窯』なん───」

言いかけて、ふと止まった。
それは窯であり、つまりは聖杯のこと。
では聖杯の中身は?

「聖杯の中身は膨大な魔力だ。その魔力は一魔術師からしてみれば、天地がひっくり返ったところで手に入る事のない量の魔力。故に、一魔術師がそれを手に入れさえすれば実現不可能な魔術などない、文字通り“あらゆる願望をかなえる万能の窯”……といったところだ」

「聖杯の中身が膨大な魔力……?」

「そうだ。だが膨大な魔力であれこそ、それは無色だ。願いを叶えるのに別の色が混ざっていては、勝利者の願う色には変わらないだろう?……赤と青の絵の具を混ぜ紫にしようとしているのに、そこに黄色が混ざれば紫にはなりえない。これと同じだ」

「……つまり、聖杯の中身は“何色にも染まっていない膨大な魔力”ってことか」

「理解が早くて助かる。そういうことだ。………では、再び質問だ。ではなぜ、“前回の聖杯戦争であの火災は起きたのだ?”」

「え………?」

神父の問いかけに再び考え込む。
なぜあの火災が起きたのか。
それは今まで“聖杯戦争が起きたから”という理由で片付けていた。
が、この神父の口ぶりからしてそうではないらしい。

「仮に、聖杯戦争が起きただけであの火災が発生したというのであれば───この街はすでに火の海だ。しかしそうなっていない。……つまりあの火災が起きたのにはしっかりとした理由がある」

「理由……?」

「そう。それこそが先ほどの前提として置いた事だ、衛宮士郎」

神父がこの話をするにあたって最初に話した内容。
それは。

「………聖杯が破壊された」

「───続けよう。つまり、聖杯が破壊されたことによってあの火災は発生した、ということだ。……が、しかしだ。聖杯が破壊されたからと言ってあの火災は本来起きない。なぜならば、聖杯は火薬物ではない。火花を散らしただけで爆発し、燃え上がるような代物ではないのだ。破壊されたならば崩れ、カタチを失うだけで終わる。故に聖杯は何度も作られる。これが“第五次”まで聖杯戦争が続けていられる理由だ」

神父は目を瞑り、そしてまた開ける。
士郎の顔をしっかりと捉え、言葉を紡ぐ。

「だが、聖杯の中に蓄えられた“魔力”は別だ。……器が破壊されたならば中身はこぼれ出るしかない。───つまり」

「聖杯に蓄えられた“魔力”があの火災を引き起こした原因だっていうのか……!?」

辿り着いた事実に驚愕する士郎。
だが、神父はそれに息を吐いて笑い、ストップをかけた。

「待て、衛宮士郎。その結論に至るのは早計だぞ。先ほども言った筈だ、『無色である』と。無色である以上、火災を引き起こすような事はない。目的のない力は、目的のないまま霧散するものだろう」

「……そういう、モノなのか……?」

ならばどうして、漏れた魔力が火災を引き起こしたのか。
無色だと言うならば、神父の言う通り………?

「まさか、その魔力がすでに色を持っていたっていうのか………!?」

「……御名答。そういうことだ。目的のない無色の魔力は、火災を引き起こし、人を殺めるということなどない。だが、その魔力が“人を殺す”という色を持って流れ出したというのであれば、その限りではないだろう」

「つまり、聖杯を手に入れた奴が……そう願ったってことか……!」

ぎり、と歯を食い縛る。
あれが誰かが望んだ結果によるものだとするのであれば、到底許されることではない。
だが、神父が発した言葉は別のものだった。

「いや、言った筈だ。“聖杯は破壊された”と。……破壊されたというのに、どうして誰かの願いを叶えることができよう」

「え……? けど、“火災が起きた”っていう事実はあるんだから、結局望まれたから起きた火災だろ。じゃないと変だ、矛盾する。願いを叶える魔力は無色で、願われない限り何かをすることはない。けど、その願い手がいないんじゃ、願いは起きない。だけど実際火災は起きている。なら───」

「……そう、願われたからあの火災は起きた。だが、前回の聖杯戦争では聖杯を手に入れた者はいない。故に願い手は存在しない。……この矛盾。これこそが、お前が言った影へと繋がっていくのだ、衛宮士郎」




「……にしても、アンタがここに残っているなんて思わなかったわ、臓硯。てっきり逃げ出したかと思ったのだけど?」

そう言葉に出しつつ、ポケットより大量の宝石を取り出す。
何か妙な反応を示すと即座に起動させて、爆撃する。その準備だった。

「カカカ……、生憎とここはワシの家なのでな。どちらかと言えば、ここに逃げてくるものではないか?」

「ええ、ここにしか逃げてくる先がない奴ならそうでしょうね。自分の工房なんですもの。これ以上安心な場所はそうないでしょ」

一歩前へ歩み出る。
ぐちゃ、と嫌な音がしたが今の凛には何も聞こえない。
目の前にいるしわくちゃの老人を倒すことしか脳内に存在しない。

「ほう、それを判っていながらここに足を踏み入れたか、遠坂の小娘。勇猛果敢なことじゃの」

「お褒めいただきありがとう。あんたに褒められたってヘドしか出ないわよ、クソ爺」

また一歩、前へと歩み出る。
この宝石の爆撃範囲まであと二歩。
そこまで近づいたら一気に消失させる。

「ふむ。───して、ここに何の用か。遠坂の才媛たろう者が、ここに用なく訪れるとは思えんのだが。慎二はバーサーカーによって殺され、桜は衛宮の子倅の家にいる。……ここに用はあるのかな」

「しらばっくれてんじゃないわよ、この蟲」

ぐちゃっ! と音を立てて足元にいた蟲を踏みつぶした。
腐臭が依然として漂っているが、もはやそれすらも気にしない。
あと一歩。それですべてが終わる。

「何をそこまで憤っておるのか。ここがどのような部屋であろうと、小娘には関係ない話」

「私もこんな家に興味はなかったし、関心もなかった。けどね……、桜がここで何かをされていたっていうなら話は別よ。そして、それにアンタが関わっていたっていうのも明白」

慎二は魔術を使うことはできず、慎二の親はこの家にいない。
ならば、桜が魔術師として生きる為の教育を施したのは目の前にいる老人しかありえない。
そして、その教育というのが。

「ここの家の調査と、………間桐臓硯。アンタをぶちのめしにきたのよ!」

そう言って一歩を踏み出す。
後はこの宝石をばら撒くだけ。
それだけでこの老体は吹き飛ぶ。
だが───

「───そうか。ならば………おぬしが死ね、遠坂の小娘」

ヒュッ、と。
凛の頭上から攻撃するよりも早く、短剣が降り注いできた。





「影に繋がる……? どういうことだ、言峰」

「前回の聖杯戦争に願い手はいなかった。にも関わらず、人を殺すという願いが発生した。となれば、言えることは一つ。聖杯の中には『人間を殺すもの』がいる。そうでなければ説明はつかんだろう」

「な──────」

人間を殺すもの。
それが聖杯の中に居て、願い手のいなかった聖杯に願いを託した、とでもいうのだろうか?

「──────……………」

視界が軋む。
そんな馬鹿げたモノがいる筈がないと否定しようとして。
けれどそれを、士郎は十年前に見上げていたのではなかっただろうか。

「っ───それこそおかしいだろ!聖杯の力が無色の色だって言うなら、初めから『人間を殺す』なんて、目的を持ったモノがある筈がない!」

「ああ。それは本来あってはならぬもの、作られるはずのない矛盾だ。───だが、確かにソレは聖杯の中に潜んでいる。十年前の聖杯戦争。その時点で、聖杯の中身は“ナニカ”に汚染されていた。無色の筈の力は、あらゆる解釈をもって人間を殺す方向性を持った『渦』になっていたとするならば。………あの火災は起きることは必然だっただろう」

言葉が出ない。
聖杯の中に潜む“ナニカ”がいた所為で聖杯は人を殺すという方向性に動き、あの火災を引き起こした。
そう言われて即座に『はい、そうですか』と言えるわけがない。

「……そして、聖杯の中にあるその膨大な魔力。その正体……それが何であるかは知っているか、衛宮士郎」

「………知らない。何なんだ、一体───」

「“サーヴァント”だ。……疑問には思わなかったか? サーヴァントが消失し、どこに行ったのか、と。……フ、無論サーヴァントだけの魔力ではないが、そこは論点ではないから置いておくとしよう」

バーサーカーが目の前で消えて行く姿を幻視した。
確かに消えて行くさまを見届けはしたが、その後どこに行ったかなどと考える余地も、余裕も、その思考さえもなかった。

「例え幼子であったとしても人間は魔力を持つ。それは生命という名前の魔力だ。それがサーヴァントとなれば別格。サーヴァント1体で何万、何十万人という人間分の魔力が手に入る。純粋で無色の魔力が、だ」

「……まさ、か……」

「そうだ。“サーヴァントが最後の1体になるまで聖杯は現れない”というルール。それは“最後の一体になるまで戦わなければ魔術師が望むような万能の窯にはなりえない”ということだ」

「──────」

揺れる。
視界が揺れる。
では、セイバーは、アーチャーは。
魔術師が望むためのただの生贄ということになるのではないか、と。

「案ずるな。……確かに聖杯にサーヴァントは取りこまれる。が、セイバーやアーチャーと言った“存在”は元いた“座”へと戻る。何も“座”にいた者が消えてしまうワケではない」

まるで心の中を見抜いたかのように神父は語りかけてくる。
或いは、士郎の表情がそれを容易にさせているのではないか、という可能性もあったが。

「皮肉な話だ。穢れなき最高純度の魂をくべる杯。そこに一粒の毒が混ざった程度で、穢れなきモノは全て変色した。なにしろ無色だからな。どれほど深遠で広大だろうと、たった一人の、色のついた異分子には敵わなかったという訳だ」

「異分子って……じゃあ、それが聖杯の中身を変色させた原因だっていうのか?」

「恐らくな。三度目の儀式のおり、アインツベルンは喚んではならぬモノを召喚した。その結果、聖杯戦争という儀式に不純物が混入した。三度目から四度目の間。五十年という歳月をかけて聖杯の中で出産を待った不純物は、しかし外界へと出ることは叶わなかった」

喚んではならぬモノ。
それが全ての元凶。それは一体何なのか。

「さて、話を戻そう。黒い影は一体何なのか、ということだったな。衛宮士郎、お前はあの影についてどれだけ知っている?」

「キャスターがあの黒い影の味方をしていた。けど、何か前みたのとは違ったような……。それと、あの黒い影は人を襲って魔力を奪っている、くらいか」

「それが判っているならば、後は先ほど述べた事を組み合わせれば、大体の予想はつくだろう。キャスター……すなわちサーヴァントとは膨大な魔力を持った高純度の魂。そしてその黒い影は魔力を集めている。……そら、まるで聖杯の様じゃないか」

「聖杯……だって……!?」

「聖杯とて視点を変えれば“魔力を集めている器”だ。あの黒い影もまた人、サーヴァントを襲い魔力を集めている。違うとすれば“人を襲う”か“襲わない”かの違いだ。そして、この“人を襲う”という黒い影。……先ほども話した。最早予想はついているだろう」

手が僅かに震える。
まさか、という言葉が出てきたが、しかしそれを否定するだけのモノを士郎は思い浮かばない。

「あの黒い影の正体は……聖杯の、人を殺すっていう“ナニカ”なのか、言峰!」

「これが、私が推測した黒い影の正体だ。……が、おかしいとは思わないか、衛宮士郎。もし仮にそれが聖杯の中身だとするならば、それは十年前に現れてもおかしくはなかった。にも関わらず起きたのは単純な火災。影が発生し、人を殺めたという事実はどこにもない」

混乱する。
この神父はイチイチ回りくどい。
つまり、どういうことだというのか。

「そも、聖杯の中にくべられるのは魔力。それが黒く染まろうと聖杯の中身は純粋な“力”の渦にすぎない。中にあるものは方向性を持った魔力だ。『人を殺す』という方向性をもった、それだけに特化した呪いの渦。人間の悪性のみを具現した混ざり気のない魔」

「──────それは」

「ならばあの黒き影は何なのか。カタチを持たぬ力と同じモノが別として存在しているのか。……答えは否、だ。アレほどのものが複数として存在などしないだろう。つまり」

「……カタチのない“力の渦”がカタチを持ったモノ……、それがあの黒い影ってか……」

「その通り。これこそが、次に生まれる矛盾。本来カタチ無きモノが影というカタチを得て現界し、人やサーヴァントを食らう現象として存在する、この矛盾こそが。……次へと繋がる」





キィン!! という甲高い音と共に短剣ダークは弾かれた。
一瞬、ほんのわずかに感じ取れた殺気から、凛へと落ちる攻撃をアーチャーが防いだのだ。

「アーチャー、助かった。ありがと」

「カカカ……、サーヴァントに救われたな、遠坂の小娘。じゃが、言った筈。……ここはワシの工房だと。この闇から逃れることはできんぞ」

ぞわり、と足元が蠢く。
蟲。
教われたら最後、体の隅々まで食いちぎられるであろうその蟲を見て、しかし凛は動じない。

「……確かに、周囲が闇だっていうならアサシンにとっては有利でしょうね。気配を消して、死角から攻撃すればいいだけだもの。気配遮断のスキルもあるからそう簡単に位置を特定することもできないし」

けどね、と凛は言う。
後ろにいるサーヴァント、アーチャー。
彼女は彼の戦闘方法を知っている。
手に剣を持つ方法以外での戦闘方法を。

「逃げ場なんてあたえなきゃいいのよ。気配を消してようが関係ない。逃げる場所がなかったら気配消したって意味ないんだからね。……だから」

“────Anfangセット
“────I am the bone of my sword”

アーチャーが呪文を紡ぐ。
凛が宝石に魔力を注ぎ込む。

「ここら一帯、全部焼き払ってあげるわよ!」

手に持つ宝石が光り輝く。
アーチャーと凛の周囲を投影した剣群が宙を漂う。
そして────

Funf五番 Drei三番 Vier四番………!Der Riese und brennt das ein Ende終局、炎の剣、相乗────!」
停止解凍フリーズ・アウト全投影一斉射撃ソードバレルフルオープン────!」

一点凝縮出来るハズの弾丸を散弾のように放ち、弾けた魔力が色を得て赤い炎を形作り、禁呪とされる相乗の力を以って膨れ上がり闇色の蟲倉を蹂躙する。
対するアーチャーも、この部屋全面に剣の嵐を巻き起こす。
まさしく蹂躙。
彼女達がいる一点から、波状攻撃がこの部屋全体へと加えられていく。

鼓膜を破きかねない爆音と、視界を染める赤が一気に生まれる。
広大な地下工房を残らず包囲蹂躙する炎の渦。数の暴力であり一匹一匹の力など高が知れている蟲など、この炎に焼かれればたちどころに死滅する。
広大な地下工房を隙間なく刺殺していく剣の雨。数の暴力を以ってして、天井、壁、床、あらゆる場所を串刺しにしていく。

間桐の家が大きく揺らぐ。
セイバーとて十分な戦力になりえただろうが、この戦術は使えない。
これは、凛とアーチャーだからこそできた広範囲攻撃である。





「己が誕生。無から有に至る為に必要なモノ。それは“カタチ”。だが、力にカタチはない。ならばとれる方法として二つある。一つはその力そのものがカタチを得る事。もう一つは別の誰かにその力を受け渡すこと。……そうすることでこのチカラはカタチを得ることができる。……だが、もとより肉体を持たない“力”だ。人間として肉を持つ必要などない。誰かがその力を継承するだけで、それはこの世に存在するということになる」

「………? なんでだよ。確かに力は存在するだろうけど、受け渡したら、その誰かのモノになるだろ。なら、人を殺すっていう目的には────」

「つまり、その誰かが御し得ることができれば、と? 浅はかだな、衛宮士郎。一体誰が御し得るというのだ。聖杯の中身を、この世に生きる誰が御し得ると?」

「っ………」

「だが、確かにそうだろう。もし仮に御し得る者が手に入れたのであれば、“人を殺す”という目的を持った力は行使されない。だが、御し得ぬ者がそれを受け取った場合……、その時こそ聖杯の中身はこの世に誕生する。マスターとサーヴァントの関係と同じだ」

一体どれだけ時間がたっただろうか。
もしかしたら昼を過ぎているかもしれない。
この部屋に時計らしきモノが見当たらないので時間が判らない。
しかし、今はそれ以上にこの話の内容を注意深く聞く必要がある。

黒い影の正体。
その詳細。それが一体どういうことを意味するのか。

「それがあの黒い影だ。……だが、アレは依り代となった人間に浸透することで誕生しようとしている魔。故に───あの黒い影は聖杯の中身などではない。依り代となった者への力の浸食……、その結果があの黒い影となる」

「────────」

息を今一度整える。
今まで説明されてきた内容をゆっくりと、まとめていく。
一つ一つ、取りこぼさずに確実に。

「では次なる問いだ。その依り代……一体何を以ってして依り代たりえるのか。普通に生きる一般人がある日突然に依り代になる……などはありえない。仮にも聖杯の中身。それ相応の依り代でなければならない」

「相応の……依り代」

「そうだ。通常ならば用意された正規の聖杯が妥当だろう。……だが、正規とは正規たりえるモノ。異物が混入したモノを正規品の聖杯が受け入れた所で、力の継承など起きることはない。イレギュラーを受け止めるのはイレギュラーのみ。故に、此度の聖杯戦争のために用意された正規の聖杯ではない、ということだ」

「………別の誰かが、聖杯の中身の力を継承できるイレギュラーを用意した……ってことか。けど、どうやって」

神父の表情に変化はない。
だが、奥底まではわからない。

「それこそが、前回の聖杯戦争へと繋がるのだ、衛宮士郎。前回の聖杯戦争で汚染された聖杯は破壊された。その際に出たであろう汚染された聖杯の破片。それをその場にいた魔術師が拾っていたとするならば? そしてその破片を孫たる者に埋め込み、教育してやれば?………教育次第ではあるが、イレギュラーを受け止めることができるイレギュラーの聖杯へと変貌するのではないかな」

「拾って……教育? それに孫って……?」

「なに、ここまでくればもはや答えは近い。その前回の聖杯戦争で“触覚”たる破片を手に入れた者こそが、此度の元凶だ。……その者の正体。その者こそが、あの黒い影の裏で暗躍する人間だよ、衛宮士郎」

「その……ソイツの正体を知ってるのか、言峰……!?」

もはや息すらするのを忘れるほどに、目の前の神父に問いただす。
その人物の名を忘れないようにしっかりと。

「ああ、知っているとも。その魔術師の名前は、お前も苗字くらいは聞き覚えがある筈だ。………名を『間桐 臓硯』。間桐家の祖父として存在する、老魔術師だ」

「間桐……臓硯……? 祖父……?」

思考が今一度停止した。
間桐。
マトウ。

先ほどの神父の言葉。

『そしてその破片を孫たる者に埋め込み、教育してやれば?』

孫。
孫とは一体誰か。
間桐。孫。
一体────

「凛から聞いていないか? 間桐慎二は魔術師ではない。アレは魔術回路が閉じてしまった魔術師もどき。……ならば、孫と言える存在は一人しかいないだろう、衛宮士郎」

「ま……待て────待ってくれ言峰。じゃ……、じゃあなんだ」

腕が震える。
止めようとしても止まらない。
声もどこか震えている。

「その……汚染された聖杯の破片を埋め込まれて、その……“人を殺すモノ”の力を継承しているのって………っ」

「加えるならば、その継承によって影になっている者……そう、それこそ。今、お前が保護している人物……『間桐 桜』だ」

「────────」

思考が止まった。
時間が止まった。
身体が止まった。
呼吸が止まった。
視界が止まった。

告げられた真実。
逃げようにも逃げられない事実。
今まで話してきた話。それはこの事実から逃れるための外堀をゆっくりと埋めていたのだ。
故に逃れることもできず、否定する材料すら見当たらない。

汚染された聖杯の欠片を埋め込まれたのは間桐臓硯の孫。
慎二は死んでおり、桜しかいない。
その欠片を埋め込まれた桜は力を継承し、人を殺す影となっている。
それは、あの影を殺せばその下から桜が現れるという事。

「は────────、 あ」

心臓が止まるかと錯覚した。
強く、肉を抉るほど胸を押さえて、消えていた呼吸を再開させる。
揺れる視界を何とか押さえつけて、神父に尋ねる。

「……桜は……桜は、助けられないのか……?」

御し得る事が出来たなら、黒い影は現れない。
けれど、聖杯の中身を御し得ることができるほど桜はきっと強くない。
人を殺す力を継承されれば、黒い影となる。
ならば、その継承を阻止すれば、黒い影とはならないのではないか。
いや、その桜の中にある欠片とやらを取り除けば、救えるのではないか。

「助ける、か。………なにをいまさら偉そうに、どの口が言うというのだ、衛宮士郎」

「────────────」

止まった。
次は完全に心臓が停止した。
体の温度全てが無くなったかのような錯覚に陥った。

「間桐桜は十年前の聖杯戦争より、此度の黒き聖杯に至るために教育され続けてきたはずだ。……教育、とは言ったが受けたのは拷問に等しい行為だろう。なにせ聖杯の中身を受け止めようというのだ。知識などを優先させるよりも、まずは肉体がその苦痛を耐えられるような肉体改造をされたに違うまい。間桐桜はお前が思うような乙女ではなく魔女だったということだ」

「────────────」

「それを貴様は見抜けたか? 少女が苦しんでいるということに気付いたか? 答えは否だ。そうだろう? でなければ、もっと結果は変わっていただろうからな」

士郎は答えない。
一緒に過ごしてきた時間は長かった。
だというのに、助ける事などできなかった。

「恐らくは、間桐桜はお前に知られまいとしながら、常に救いを求めていた筈だ。それに気づかなかった男に、彼女を想う資格はない」

そう、気づかなかった。
何も気づかなかった。
いや、気づくべきだった。チャンスはあった。
桜が家に泊まる際、かなり喜んでいた。
それはつまり言い換えれば、家に帰りたくなかったのではないか。
それはつまり、家に帰ればその拷問とやらが待っていたのではないか。
だから、彼女はあの時喜んだ。
それに対して、何も疑問を持たなかった。

「黒い影が現れたと言う時点で、力の継承は進んでいる。つまり……例えこの聖杯戦争が終結しようとも、間桐桜は黒い影のそのものだという事だ」

追撃とも言える言葉を受け、何も見えなくなる。
どうればいい、どうすればいい、どうすればいい。

「じゃあ……助ける、方法は……」

「資格がない、と言ったハズだが?」

「……判ってる。俺は……お前の言う通り最悪な奴だろう。だけど……それでも、前に進まなくちゃいけない……!失った過去は……元に戻らない。なら、今からでも助ければ!」

「滑稽だな。今から助けて罪滅ぼしか? それで許しを得ようと?」

「そんなんじゃない。桜が助けを求めているってわかったなら助ける。そんなの、当たり前だ……!」

「当たり前、か。だが、忘れていないか? あの黒い影……つまり、間桐桜は人を殺している。大量にな。それを、正義の味方たるお前は許すというのか?」

「それは桜が悪いわけじゃ………!」

「事の善悪を説いているのではない。責任の所在を説いているのだ。“間桐桜は人を殺したが、被害者だ。だから間桐桜は悪くない。だからその間桐桜が手にかけた人間が死んだのも仕方がない。だから間桐桜には何の責任もない”と、いうのか?」

「─────っ!そんなの、今はわからない。けど、今は………!」

「今は先に助けることを優先する、か。お前がそれでいいというのであれば、私から何かを言うつもりはない」

空気が少しだけ変わる。
それは神父が、身に纏った重圧をさらに増したことによるものだった。

「しかし、それよりも先にしておかなければいけないことがある」

「しておかなければいけないこと……?」

「そうだ。間桐桜が黒き聖杯となった原因。間桐桜がそうなってしまった元凶。……それを潰さぬ限り、どのような手を用いようと無意味に終わる」

「………間桐─────臓硯───」

今一度、桜の祖父の名前を口にする。
全ての元凶がいる限り、例え助けられるものであったとしても、助けることはできない。

「……そいつを倒せば、桜を助ける事ができるのか……?」

「どうかな。間桐臓硯を倒したところで黒い影は止まらない。間桐臓硯と黒い影は別モノだからな。間桐臓硯を倒そうとしている間にも間桐桜は人を襲う」

間桐臓硯を倒したところで黒い影は消えない。
しかも黒い影を消そうとしても消すことはできない。
仮に消せる手段があったとしても、間桐臓硯を倒さない限りその手段は行使できない。

「どちらにせよあの妖怪を倒す必要がある、ということだ。間桐桜が間桐臓硯の操り人形になっているとも限らない。……わかったならば、これ以上の話は止そうか。こうしている間にも間桐桜は刻々と蝕まれている」

「─────、─────」

目を瞑り、俯いて息をする。
何をすべきで何を守るか。何を倒し、何を選ぶのか。
選択肢を誤ってはいけない。誤ればきっと取り返しのつかないこととなる。

「……衛宮士郎。お前がどのような道を選ぶかは、私にはわからん。だが、もし間桐桜を救うというのであれば覚悟しておけ。“人を殺す力”に分別などない。いずれお前が守ろうとしている者達にも手をあげるだろう」

もしその時。
もしその時が来てしまったら。

「その時、お前は一体どちらを守るのだ?」

桜である黒い影が、鐘と綾子に襲いかかったとき。
その時。
衛宮士郎はどちらを取る?
二人を助けるならば、桜を止めなければいけない。
どうやって?
サーヴァントですら呑み込む影を、魔術師一人が食い止められる道理がない。
事実、アインツベルンでは成す術なく倒れた。あの影を止めることはできない。
なら、二人を助けるならばどうすればいい?
止めることができない、防ぐことができない。
逃げる?
逃げればきっと助かるだろう。けれど、逃げたところで状況は変わらない。
寧ろ問題を先延ばしにしているだけで悪化している。
なら─────

コロス?

ありえない。
守るべき対象を殺す。
それはあってはならない矛盾。

「衛宮士郎。お前がマスターになった理由を覚えているか」

歯を噛み締める。
神父の言葉は、最後通牒そのもの。

「正義の味方……。ならば決断を下せ。自身の理想、その信念を守る為─────自分を殺すかどうかをな」

言葉が重くのしかかる。
ソファーを立ち上がり、出口へと向かう。

「……言峰、一つだけ……訊いていいか」

「この際だ。聞いておいてやろう」

「……桜を……助ける手段はないのか?」

数刻の静寂。
士郎は綺礼に背を向けたまま尋ねている。
重苦しい空気の中で、神父ははっきりと言った。

「聖杯として完成すれば、間桐桜という人格は消え去るだろう。聖杯としての機能に紛い物である間桐桜が耐えられるとは思えんからな。そして人格が消え去ったときこそ、中の“ナニカ”は完全に間桐桜となり外界へと進出する。………だが、聖杯が放る“力”に彼女の精神が少しでも耐えられるなら……その僅かな時間が希望になる」

「僅かな……希望」

「おそらく、保って数秒。その合間に聖杯を制御し、その力を以って彼女の内部に巣食うものを排除する。要は力ずくだ。間桐桜を聖杯にしたて上げているモノも、彼女の肉体を依り代にしているモノも、聖杯の力で『殺して』しまえばいい。汚染されたとは言え、聖杯は願望器としての機能を保っている。その用途が『殺害』に関することならば、それこそ殺せぬ命はない」

「─────聖杯……聖杯、か……結局」

「そう、聖杯だ。だが注意しろ。聖杯の力を聖杯そのものに向けるのだ、並大抵の魔術師では魔力を制御できず、しくじれば十年前の惨劇を繰り返すことになる。いや……それだけはない。わずか数秒で聖杯を制御するなど狂気の沙汰だ。どう足掻いても成功する確率は低い。それこそ成しえない奇跡だろう」

「……けれど、やるしかない。なら、やってやる。それで助けられるなら………!」

「───そうか。ではこちらからも一つ訊こう。万が一その方法で救えたとする。先ほどの話の続きだ。間桐桜が聖杯でなくなったとしても、すでに多くの人間を殺している。その罪人を、おまえは擁護するというのか?」

「っ………それ、は」

「間桐桜自身、果たしてそのような自分を容認できるのか? 罪を犯し、償えぬまま生き続けるのは辛かろう。ならば一思いに殺してやったほうが幸せではないか? その方が楽であり、奪われた者たちへの謝罪にもなる」

連鎖はそれで終わる。
本人の意志でなかろうと関係ない。
どんな理由があったとしても、加害者は罰せられなくてはならない。
命を奪ったのであれば、それと等価のモノを返さなければ、奪われた者は静まらない。

それだけではなく、結局桜を救えず、聖杯になってしまえばもうそこで終わってしまう。
今よりもっと、何十倍もの命が失われる。
あの日と同じ、無関係な人間が、死の意味すらも判らないまま、一方的に、無意味に死んでいく。

「…………………けど、それは」

「フ……決断を下すのは早めにした方がいいぞ。遅れればそれだけ致命傷になる。………そして、どのような形であれ間桐桜を救うというのならば、先にも言った通り、間桐臓硯は殺しておくべきだ。でなければ、成功率が限りなくゼロに近い救出法とて、ゼロパーセントになってしまう」

その言葉をしっかりと耳に焼き付けて、無言でその部屋から出て行こうとする。
だが。

「ああ、そうだ。もう一つ言っておかねばならないことがある。先ほどの手段で間桐桜を救うというのであれば………間桐桜であるあの影にサーヴァントを呑ませる必要がある」

「な………にを……」

「当然だろう。イレギュラーはあくまでもイレギュラー。黒い影がサーヴァントを呑まない限り、倒れたサーヴァントは正規の聖杯へとくべられる。つまりそれは黒い聖杯に魔力がくべられることはない、ということだ。そしてそれは……黒き聖杯が完全に完成することはないということ。故に不完全。その状態で先の手段がうまくいくと思うか?」

「─────」

答えられない。
どうなるかなど予想もつかない。

「これは私の見解ではあるがな。そうなった場合不完全のまま中のモノが出てくる、と見ている。聖杯としての機能も不十分な状態での聖杯の降臨。……さて、果たしてそれで間桐桜の洗浄は可能か?」

可能……とは思えない。
聖杯の力で聖杯を壊そうとしているのに、その聖杯の力が不十分では破壊できない可能性がある。
そもそも、不完全で聖杯が発生したときどうなるかなど予想ができない。

否、或いは。
その時こそ、あの日の惨劇が起きてしまうのではないか。
そんな予感だけがしてくる。

「じゃあ、お前は……!セイバーと、アーチャーを!生贄にしろっていうのか!?」

「でなければ、余りにも不確定要素が多すぎてただでさえ奇跡レベルの行動が、それ以上になってしまう、と言っただけだ。……だがそうだな、黒い影にむざむざ差し出すのが嫌だというのであれば別の方法もある」

「……別の方法?」

「イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。……お前が保護している少女。あれの心臓を黒い影に差し出せばいい。そうすれば────」

「ふざけるなっ!!!」

ガン!! とこれ以上ないほどに力を込めて壁を殴った。
右手からは血が流れているが、もはや感覚すらない。

「なんでそこでイリヤの名前が出てくるんだ!? イリヤは関係ないだろ!それになんだよ、心臓を渡せって……!」

「───お前はイリヤスフィールが何なのか、判って保護していたわけではなかったのか?」

ずしり、とソファーにまた背中を預ける綺礼。
対する士郎はこの神父が言った言葉にただ訝しげな表情を作るしかできなかった。

「イリヤスフィール・フォン・アインツベルン……、彼女こそがアインツベルンが用意した“正規の聖杯”だ。普通に聖杯戦争を行っていた場合、サーヴァントの魔力はイリヤフィールに溜め込まれる。……そして期限とともに聖杯として彼女は機能する」

「──────────」

言葉が出ない。
最早何を言っていいかすらわからない。
黒き聖杯が桜であり、正規の聖杯がイリヤだという。
これを、今までの話を。
全て嘘だ、といって突っぱねてしまいたい。

だが、できない。
その感覚すら、もう機能していないというのだろうか。
ただ、言われたことが真実にしか聞こえなくなってしまっていた。

「黒き聖杯に魔力を溜めたいのであれば、そのいずれかだ。セイバー、アーチャーを差し出すか、イリヤスフィールを差し出すか。そうしなければどうなるかはわからない。かといって放置すれば間桐桜は完全に死に、多くの人間を殺すだろう。それはお前が保護した少女二人も例外ではない。………そしてゆっくり考えている時間もない。お前の行動次第で、今後の全てが決まると言っていいだろう」

まるで出口のない迷宮に入り込んだかのよう。
どこの出口も奈落の底にしか通じていない。
歩くたびに制限時間は失われ、出口にたどり着けなくともゲームオーバー。
入口に戻ることもできず、どうすればいいかもわからない。

「己が理想、己が信念。………一体お前が何を捨て、何を選び、何を殺すのか。それを良く考えて決断を下すのだな、衛宮士郎。君の懸命なる判断を期待している」

重い扉を開けて中庭へ出ていく。
来た道を戻り、礼拝堂を抜けて外へと出る。

桜を助けるためにはイリヤかアーチャー、セイバーを見殺しにしなくてはいけない。
見殺しにしたくないと言えば、桜が助からない。
桜が助からなければ、氷室と美綴が助からない。

…………そこに逃げ道はない。


空は曇り空。
ポツリポツリと、雨が降り出してくる。
朝は布団を干しても大丈夫なほど晴れていたというのに。


─────もう、何も見えない





「………これで終わりか。案外あっけなかったわね」

周囲を見渡すが、臓硯らしき人影は見当たらない。
アサシンもまたあれ以来攻撃を加えてこなかった。
屋敷の地下は大部分が崩れ落ちかけていた。足元に蠢いていた蟲は凛の魔術により一掃。
文字通り、ここには何も残っていない。

「凛、屋敷が崩れるぞ。ここから出る」

「……やりすぎた?」

そう言って来た道を登っていく。
やりすぎた? と訊きこそしたが、後悔など微塵もない。
桜が帰ってくる屋敷がなくなるが、そこの問題はどうとでもなるだろう。

「いや、むしろ足りなかっただろう。あの波状攻撃。確かに有効策ではあったが、あの空間がそれに耐えきれなかった。アサシンは霊体化と気配が消せる以上、物をすり抜けることは可能だ。臓硯に関してもあの妖怪のことだ。崩れ落ちてきた部分から逃げることは可能だっただろう」

「ほんと? けど、逃げた素振りは見えなかったけど」

「それは私も同意だ。……しかし死体はなかった。ああいう妖物はこの目でしっかりと確認しなければ、基本生きていると思って行動したほうが足元をすくわれないで済む」

地下室を走り抜ける。あと少しでここより脱出できるというときに、

『カカカ……全くもって甘い小娘よのう』

蟲の声が聞こえてきた。
あからさまに舌打ちをした凛は上りかけた場所から地下を見下ろす。
だが、その姿を確認することはできない。

「チッ……一体どこに……!」

『ほれ、みろ。ここを崩したせいで………“アレ”がおぬしを食おうと動いてきたぞ?』

「? アレ……って?」

「!? 凛っ!」

ヒュン、と投擲される短剣ダーク
それをぎりぎりで確認したアーチャーは、咄嗟に凛を突き飛ばし短剣を身体に受けた。
崩れる音と闇、それらがアーチャーの反応を僅かに遅らせてしまったのだ。

「アーチャー!」

『ほう、この状況下でよくやりおる。……が、失策だった、と伝えておこうか。アーチャー』

「何………!?」

腕に刺さった短剣を抜き捨てた時だった。
瓦礫の隙間から、生まれるように。

「え………」

アレが浮かび上がっていた。
凛が反応したときはすでに遅い。
アーチャーも間に合わない。

のばされた触手は………

─────凛の胸を貫いた。





[29843] Fate/Unlimited World―Re 第40話 静寂から動乱へ
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:47a17094
Date: 2012/08/11 22:25
第40話 静寂から動乱へ


─────第一節 ささやかな時間、そしてその終わり─────

「………以上が、お嬢様がお眠りになられた後のお話しでございます」

凛が影に襲われ、士郎が綺礼の言葉によって喪失するほんの十数分前のお話し。
イリヤは居間でリズとセラと共にゆったりと流れていく時間を感じていた。
けれど、同時にこの聖杯戦争の異常性にも気が付いている。

「まずおかしいのよ。聖杯戦争が始まってもう1週間以上経過してるのに、敗北したサーヴァントがバーサーカーとキャスターだけだなんて」

セイバー、アーチャー、ランサー、アサシン、ライダー。そして謎のサーヴァント、ギルガメッシュ。
イレギュラーを除いたとして、1週間たった今でも現在5名のサーヴァントが生き残っている。
戦闘が硬直状態……という訳でもないが、全員が全員保守的になっている。
ライダーは姿を見せず、アサシンも同様。
戦闘好きのランサーですら姿を見せない。
セイバーとアーチャーはそれぞれそれなりの戦闘を行っているが、敵が見当たらない以上は戦闘もできない。
ギルガメッシュの件については、前回の聖杯戦争の生き残り、ということでとりあえずは納得しておく。

「そして……昨日やってきたあの女………か」

紫髪の少女を見る。
昨夜は魔力の使い過ぎで眠ってしまってわからなかったが、今朝にその存在を知った。
というより寝ている間も妙な違和感は少しずつ感じてはいたが。

「私の紛い物だなんて……。邪魔をする気はないけど、迷惑はかけないでほしいわね。……シロウもシロウよ。なんであんなのを連れ帰ってきたんだろう」

むー、と考え込む。
ちなみにこの場にセイバーはいない。
彼女は現在道場で精神修行中。

「……知らないんじゃない、の?」

リズが蜜柑をぷにぷにさせながら、隣に座るイリヤに話しかける。
それに対してイリヤもまた蜜柑の皮を剥きながら

「多分、ね。……けど、良くできた紛い物。………あんなモノを使って、悲願を達成しようというのかしら。間桐の人間は」

ぱくり、と他人事のように蜜柑を頬張る。
間桐の人間がどのような結末に辿ろうが興味はない。
そこに至る過程で激痛に見舞われようと、死に直面しようとアインツベルンであるイリヤには全く興味はないし関心もない。
しかし。

「しかしお嬢様。……それでは我らの障害にはなり得るのではありませんか?」

そう。
紛い物とはいえ、聖杯。
既にキャスターの魂を取り込んでしまっている。それはつまり、イリヤの中にキャスターの魂はないということ。

「………そうね。アインツベルンにとって……っていうのもあるんでしょうけど」

「? 他に何かあるのでしょうか?」

「……あの娘、シロウを狙ってる。別に仲良くする分には構わない。けど……シロウを連れて行くっていうなら、その時は容赦はしないわ」

ね、リズ、と声をかけるイリヤ。
それにリズはただこくん、と頷いたのだった。

「……にしても暇ね。こう蜜柑ばっかり食べてるのも飽きたし……」

こてん、と後ろに倒れて天井を見上げる。
左右にいるのはいつも城で世話をしていた二人なので、何か新鮮味というか面白味がない。
せっかくいつもとは違う家にいるというのに、いる面子がいつもと同じではあまり意味がない。

「よし、決めた。ちょっとカネのところに遊びに行ってくる!」

ガバッ、と起き上ったイリヤはセラにそう伝えて居間を飛び出していった。
それを見送るセラと手を小さく振るリズ。
すぐさま見えなくなると、セラは蜜柑を頬張るリズに視線を送った。

「リーゼリット。もし万が一お嬢様に何かあったら……」

「わかってる。………アレは、持ってきておいたから」

アレ。
つまりは彼女の武器、ハルバート。

「イリヤを傷つける人は、倒す」

そう言い切ったリズだったのだが……

「………蜜柑頬張りながらお茶を飲んで言うセリフではありませんね、リーゼリット」

小さくため息をつきながらお茶を飲むのだった。



「……なるほど。つまり暇だったってワケですか、イリヤさんは」

「イリヤ、でいいわ、アヤコ。流石にあの娘に呼ばれるのは嫌だけど、貴女になら鐘同様許してあげるわ」

「………うわぁ、流石お嬢様。上から目線…………」

スパーン!と襖を開けて入ってきたイリヤは二人が起きているのを確認してバフッと鐘の上に飛び乗ってきた。
ジャンプしたときは驚いたが、上に被さってきたときの重量にはさらに驚いた。
想像していたよりも随分と軽い。
が、女の子の間で体重の話をするなどは以ての外なので軽く流した。
で、問題はその後で、飛び乗ってきたはいいが……

「うわぁ、カネの胸って大きいねー!やわらかーい!!」

あろうことか胸を触り始めた。
一瞬何が、と思った鐘だったが

「っ!やっ……な……ど、どこを触って……!」

胸から伝わる感覚に反応して引き離そうと力を加える。
熱も下がってきて、動ける程度にはすでに回復しているので引き離すことは容易だった。
が、それがまたひと波乱を生む。

「むー!いいじゃない、減るものじゃないし。……というか、お城では士郎の隣ではだ─────」

「─────」

本日二度目となる口封じ。
顔は本日三度目となる真っ赤。
ちなみに一度目は夢から覚めた時です。

「………………お城では士郎の隣ではだ………?」

イリヤが言いかけた不穏なワードに疑問符をうつ綾子。
当然そんなものを知られたくない。
というわけで

「イリヤ嬢、………私よりも美綴嬢の方がやわらかいぞ」

てな具合でイリヤを誘導。
キュピーンという謎めいた音と共にイリヤの目が光った。
それと同時に思考を強制的に胸へと切り替えられる綾子。
だが……

「アヤコーっ!!」

「ひゃぁ!?」

ガードするよりも早く飛び込んできたイリヤに成す術なく押し倒されてしまった。
むにゅむにゅという効果音が聞こえてきそうな手つきと、それに反応した喘ぎ声が聞こえてくる。
本当に今に限っては衛宮がいなくて助かった、と思った鐘だった。
ちなみに二人にそっちの趣味はない。……多分。
そして事後。

「……でも暇だったからという理由で胸を……」

揉むというのはどうなのだろうか、と呟く。
今朝見た夢を丁度良いくらいに忘れていたというのに、小さな悪魔っ子によって再発してしまった。
が、流石に耐性はついてきたので通常よりも4割減。
しかしこの場に意中の人物がいると6割増し。

「いいじゃない。胸が大きくて損はないわ。……あ、でもシロウが小さい方が好き、っていうならそうでもないか」

「……なぜそこで衛宮の名前が挙がる?」

「さあ何故でしょう。よ~く考えてみてください」

ペースを乱されすぎだと自分の中で喝を入れる。
この悪魔っ子は油断ならない敵だと認識。

「ねぇねぇ、シロウって学校でどんなことしてるの?」

胸の話題に飽きたイリヤは学校についての質問を投げかけてきた。
どうしたものか、と考えもした鐘だったが体の調子は良くなってきていたし、熱もほぼない。
気分も良好で、眠気も無し。

「学校での衛宮か……そうだな」

そしてイリヤの話を断る理由もなかった。
鐘とイリヤ、そして綾子も会話に加わり学校での様子や普段何をやっているかなど、判る範囲でイリヤの質問に答えていく。

「シロウって弓道やってたの?」

「そ。あたしが弓道部に入った時から、衛宮はともかく化け物みたいに巧かったよ。射は全部綺麗で、皆中以外知らないだろってぐらいだったもの」

「衛宮の腕は中々のモノ……という噂はあったが、そこまでとは思わなかったな。……しかし、ではなぜ衛宮は弓道部をやめたのだ、美綴嬢?」

鐘の言葉に少し驚くイリヤ。
その答えに首を縦に振って頷いた。

「生活あるからバイトを優先したんだ……とかなんとか言っちゃってたけど、どうなんだろうね。確かに親がいない以上はある程度の生活費を稼ぐ必要はあると思うけど、別として興味をなくしちゃったのかもしれない」

「興味をなくした……? どうして? シロウ、上手だったんでしょ?」

「上手だったからこそ、って感じかな。こんなに巧いと的に当たろうがもう嬉しくもなんともないんだろうなって。寧ろ弓なんて邪魔じゃないのかってムカついたくらいよ」

「それって、自分と渡り合える人が周りにいないから辞めたってコト?」

「それならまだよかったんだけどね。あたしが巧くなって呼び戻せばいいだけだったし。……けど、衛宮はそれが理由じゃないと思う。弓道は結果として的に当てるモノだけど、射をする人にとっては的を射るんじゃなくて、的を狙う自身の心を射る。弓道はそこに至る心構えを得る為の道で、つまりそこに至ってる人にとっては弓は不要なのよ」

「ふぅん……、よくわかんないけど、心構えっていうのでは確かにシロウには弓は不要ね。魔術師としての心構えがある以上、弓はいらないもの」

弓道に関することはよくわからない。
しかし心構えという点においては士郎は十分なモノを持っているだろう。

「魔術師、か。……そうね、確かに衛宮には弓持って射場に立つっていうのは必要ないだろうね」

少し残念そうな表情を見せる綾子。
常々彼には弓道部に戻ってきてほしいと思っていただけに、その射場に立つ意味がないと判ってしまったのは残念で仕方がなかった。
彼は弓を持つ以前から弓道以上の術でそこへと至っていた。
ならばそれよりも劣る弓道では、すでに達人の域にいてもおかしくはなかった、という訳だった。

「あ、そうだ。氷室、話のついでにアンタらの小さい頃の話を聞かせてくれない? ほら、幼馴染だったっていう頃の。あと今の今までそういう素振りがなかったのかっていうのも地味に気になってたんだよね」

「………………」

綾子の言葉を聞いて考え込む鐘。
別に話して恥ずかしい物は…………多少あるかもしれないが、その時は話さなくていいだけ。

「ん、別に全部は話さなくていいよ? けど、そうだな……じゃあ出会ったころの事とか覚えてる?」

「……覚えてはいるが、詳しくは」

「それでいいよ。学校での二人を見てるとどうもそういうのが判らないからさ」

ふむ、と一息ついて考える。
確かに学校では接点はあまりない。
ここ数日前に少しだけ繋がりが太くなった……くらいか。

「………相手は一年から私を見ていたのだがな」

「ん? 何かいった?」

なんでもない、と答えて初めて出会った時のことを思い出す。
が、流石に十年前。
覚えていなくはないが、どのような背景からそこに至ったのかが判らない。

「確かどこかの公園で、衛宮が寝転がっていたのを私が見つけたのが最初だった気がする。……詳しいことまでは流石に覚えていないが」

「ん? 住んでた場所が近くだったとか、そういうことじゃないのか」

「家はそこそこの距離が離れていた筈だが」

でなければ彼と離れ離れになることはなかっただろうな、と考えた。
そう。そうであったならまたきっと違う未来があったかもしれない。
そこまで考えて、考えるのをやめた。
今さらどう言った所で変わることはない。

「イリヤ」

すぅ、と寝室の襖が開けられてやってきたのはリズ。
イリヤは意外な訪問者に首を傾げた。

「どうしたの、リズ?」

「雨、降ってきた。……布団、干しっぱなし」

え? とその話を聞いた三人はすぐさま庭へと向かう。
廊下より見える外は雨が降り始めていた。
庭にはセイバーがいてあたふたと洗濯物を取り込んでいる。

「手伝った方がいいか。美綴嬢、行こうか」

「そうだね」

小雨から本格的な雨になる前に取り込んでいく。
庭で悪戦苦闘をしているセイバーは、後ろより近づいてくる二人の姿を見て驚いた。

「アヤコ、カネ。体に障ります。貴女方は家の中で休んでおいてください」

「とは言ってもねぇ、セイバーさん。………見た所悪戦苦闘しているようですが?」

「うっ…………」

セイバーの生前は王。
そして騎士。
家庭の事はある程度やってきたとはいえ、手慣れるレベルまでには至らない。

「誰にでも得手不得手はあるものだぞ、美綴嬢。セイバーさん、これを家の中に運び入れてください」

「わ、わかりました……」

着々と布団を含めた洗濯物を取り込んでいく。
その間、鐘はこの空の下、病院と買い物へ向かった家主の事を考えていた。

「……傘は持って行ったのだろうか、衛宮」

彼が出て行った時は、まだ晴天だった筈。
となれば恐らくは高確率で傘を持って行っていないだろう。
そう思っていた矢先。
ザァ、と本格的に降り始めてきた。
幸い洗濯物は取り込み終えたので、急いで家の中に退避。
最後の鐘が入ると同時にどしゃぶりの雨が降ってきた。

「うわぁ、降ってきたねぇ。冬にこんな降るもんだっけ?」

「降らない……とは言い切れないが、多々あることではないだろう」

同時にボーンと、正午を示す時計が鳴った。
縁側の廊下は洗濯物でごった返している。
そして布団の上には……

「干したての布団っていうのにも期待してたんだけどなあ……、あんまり温かくない」

無造作に置かれた布団の上でごろごろと転がっているイリヤと、なぜかリズがいた。
イリヤはともかくとしてリズさんまで……と思う綾子でした。

「仕方がありません。途中から日の光はなくなったのですから。ほら、イリヤスフィール。ここにおいておくと通路の邪魔ですので直し─────」

イリヤを抱き上げたセイバーの動きが突然停止した。
表情はみるみるうちに暗くなっていく。

「……セイバーさん? どうした?」

不安になった綾子がセイバーに尋ねた。
とん、と足をついて振り向いたイリヤは、セイバーの表情を見て察した。

「……リンが襲われたのね。アーチャーってば、何してたのかしら?」

「なっ……イリヤ嬢、それは─────」

「くっ……、ヒムロ!私はリンの様子を見てきます、シロウが帰ったらそのことを伝えておいてください」

瞬時に鎧化したセイバーは雨などなかったかのように庭へと飛び出し、大雨の中あっという間に姿を消した。
それを茫然と見送る綾子と鐘。
だが次にはその事情を知っている風であるイリヤに尋ねていた。

「イリヤ嬢。遠坂嬢が襲われたというのは……?」

「セイバーのマスターはリンよ。そのセイバーの顔色が青かったんだから、当然マスターであるリンの身に何か起きたって考えるのが普通よ」

無造作に置かれた洗濯物を飛び越えて、イリヤは居間へと戻っていく。

「……遠坂の奴、大丈夫かな」

「……大丈夫、だと信じるしかないな。私達では」

そう口にして、あ、と口に手を当てた。
信じるしかない。
それはあの日に聞いた言葉でもあった。

「………信じる、か」

綾子は小さく鐘の言葉をなぞる様に呟いた。
雨は本格的に降り続いており、やむ気配が見えない。
そんな中。
ガラガラと、玄関戸が開く音がした。

「お、衛宮が帰ってきたのかな?」

「かもしれないな。私もいこう。先の件も伝えなければ」

下していた腰を浮かせ、玄関へと足早に向かう綾子と鐘。
角を曲がり、目にした光景は─────

「え……衛宮!?」
「衛宮!!」

髪も顔も服もズボンも、何もかもがずぶ濡れの士郎だった。


─────第二節 それぞれの想い─────

これは雨が降るほんの少し前のお話し。
間桐家地下。

「凛っ!!!」

胸を突き刺された凛は力なく、膝から崩れ落ちた。
ごん、という頭が落ちる音が不気味に響く。
すぐさま駆けつけようとするアーチャー。
だがそこに黒い影がいる。
例えアーチャーといえど、あれの攻撃を食らってしまうとお終い。

だが、悠長な事を言ってもいられない。
ならば。

「貴様は邪魔だ………影!!」

影の頭上に現れたのは二十を超える宝具群。
そのどれもがアーチャーの怒りに呼応したかのように即座に降り注いだ。
だが……

「チ……!やはり殺しきれんか!」

突き刺さった黒い影は堪えている様子が見受けられなかった。
焦りは募る。
だがその焦りは………

「……なに?」

唐突に消え失せた。
黒い影は瞬間的に刺した触手を元にひっこめていた。
そこから食らい尽くすわけでもなく、ただ本当に“刺しただけ”だった。
そして。

「………消えた、か」

この家の瓦礫に埋もれない為、などというフザケタ理由ではないだろう。
一体理由は何だったかはわからないが、とにかく今は倒れてる凛を抱えて落ちてくる瓦礫より逃れることを優先する。
どぉん、という大きな音とともに家の一部が崩落する間桐邸。
そこより脱出し、アーチャーの前に現れたのは。

「セイバーか」

「アーチャー!リンはどうしたのです!」

跳び下りてきたセイバー。
その視線は背負われている凛へとむかう。

「……黒い影に襲われた。容体も気になる、凛の家へと運ぶ」

「え……? いえ、シロウの家にはイリヤスフィールがいます。ならば……」

「ここからだと凛の家の方が近い。それに魔力の回復は奴の家よりも凛の家のほうが肌に合っている。彼女は嫌がるかも知れないが、凛の家に呼んだ方がてっとり早い」

「っ……!わかりました。事情は後で聞かせてもらいます、アーチャー」

「………ああ」

ぎり、と奥歯を噛み締めるアーチャー。
そこにあるのはここにはいない黒い影と間桐臓硯への殺意、そして自分への罵りだけだった。



「─────あ」

夢から覚めた。
夢見ていた光景から現実へと舞い戻った。

夢を見た。
学園のアイドルと称された一人の少女の胸を貫く夢を。
自分よりも立派な一人の少女の胸を貫く夢を。
たった一人の■の胸を貫く夢を。

「夢─────」

夢。
そう夢。
夢なんだ。
言い聞かせた。

あんなに怖いのは夢以外にありえない。
ほら、今わたしは先輩の家にいる。
だからあれは夢。
怖い夢。

コワイ?

「─────、あ、れ……?」

何故か、怖くない。
■を殺したのに、怖くない。
何も感じない。
何も。
何も。
何も。
嫌悪も恐怖も、罪悪も後悔も感じない。
からっぽの心に浮かんだものは、ただ、簡単だったということだけ。

「………そっか、夢だから……」

そう、夢だから。
夢だから殺したって恐怖は感じない。
罪の意識なんて持たなくていいし、後悔なんてしなくていい。

『───リンが襲われたのね。アーチャーってば、何してたのかしら?』

ぴくん、と耳に入ってきた声。
その声を、聞きたくなかった。声もその話の内容も。
何もかも。聞きたくなかった。

『─────当然マスターであるリンの身に何か起きたって考えるのが普通よ』

「………おそ……われた……?」

光景がフラッシュバックする。
刺して、魔力を奪い取った。

そして気付いた。
そういえば、こんなことが前にもあったな、と。

消えていく住人。
行方不明現場と思われる場所と、その前日の夜に夢みた場所がまったく同じだったのを。
行方不明となった人物の数と、自分の夢の中で襲った数が同じだったのを。

「──────────あ、は」

そして思い出した。
覆いかぶさって、たった一人の人の魔力を奪って笑ったな、と。

「─────あは。あはは。あはははは」

崩れていく。
何かが崩れていく。
体がガタガタと震えて、崩れていく。

けれど。
よくわからなかった。
自分の内包している感情が、一体何なのかがわからない。
怖い、と思う一方で、こんな簡単ならもっと早くからやっておけばよかった、なんて思った。

夢なんか見てなかった。
昨日の夜の出来事。
怖い金髪の人に追いかけられたのも、さっき見た■を殺したのも。
そしてそれ以前にいっぱい人を殺したのも。
わたしが、わたしが、わたしが、わたしが、わたしが。
わたしが笑いながら食い殺したんだ。

「はは! あはは、あはははははは!」

おかしくて笑ってしまう。
なんだ、と笑ってしまう。
わたしは先輩に助けて貰っていい存在じゃなかった。
なのに助けを求めた自分が馬鹿らしくて。けれど、欲しいと思ってしまって。
わたしを助けに来てくれなかった■。
今まで手が届かないと思っていたのに、簡単に届いて超えてしまった。

笑いが止まらない。
笑っていないと耐えられない。
けど笑えば笑うほどボロボロと崩れていって、涙が止まらなくて、何もかもがどうでもよくなっていく。

「─────ああ」

■■と一緒にいた生活、■と一緒の学校にいた生活、■■先輩と一緒に弓道をやっていた生活。
今思えばどれもこれも楽しかったな、と思う。

「─────眩しい……眩しいなあ」

呟いて、ゆっくりとベッドから降りる。
思い浮かべるのはここにいる住人。

「あんまりにも眩しすぎて、何もかも真っ黒に見えちゃうなあ……」

■は助けに来てくれなかった。
一番事情を知っている筈の■は助けに来なかった。

「ほんと、誰も彼ものっぺらぼうな影絵みたい……」

部活の■■先輩も、今ここにいてわたしの邪魔をしている。
ここにいていいのは■■先輩じゃない。

「くすくす………薄っぺらで、カンタンで、ふらふら揺れるだけの紙人形」

あんまり馴染がない■■先輩も、なぜかここにいる。
なぜいるのかわからなくて、食べたくなる。

「そんなの、居てもいなくても同じだよね? どうせ紙クズなんだもの」

助けてくれなかった。誰も彼も助けてくれなかった。
わたしは何もしてないのに、わたしは何もしてないのに、わたしは何も悪くないのに。
それでも■■と一緒にいた時間だけは本当に楽しかった。
それなのに、今ここにはわたしから奪おうとしている人達がいる。

ああ、何考えているのかが纏まらない。
どうしたいのかがわからない。

「……目障りだから、一思いに握りつぶしてあげちゃおうかなあ?」

■■。
わたしの光。
黒くなってもまだ光る光。
そこに群がる紙人形。

邪魔だなあ。
黒い紙人形。
それだと、わたしが暗くなっちゃうよ。

「───そうだ、桜。その影を受け入れるがいい。遠坂 凛はおまえの手で葬った。おまえが勝てないと思い込んでいた奴を、おまえは一撃で倒したのだ。おまえを止められる者はおらぬ。邪魔ならば喰ろうてしまえ。欲しければ奪ってしまえ。誰もおまえに勝てるものはおらぬ。そして………生きたければ、アインツベルンの娘を奪い、聖杯を手に入れよ。そうすることで……おまえは解放されるのだ」

解放。
解放される。
そうすれば、きっと幸せになれる。
だから。

「─────はい、仰せのままに。……お爺さま」

誰もいないところから語りかけられてきた声。
それに静かに頷いた。
ほら。
わたしはこんなにも醜い。
だから、生まれ変わらないといけない。
わたしは蟲だから。
サナギから蝶みたいにかわるように、向こうに行けばきっときれいになれる。

そのためには栄養がいる。
くぅくぅとお腹がなる。

「ああ、おなかへったなあ」

■■先輩と■■先輩。
魔力としての量は多くない。
けど、治療のために■の魔力が入ってる分、普通の人よりはほんの少しおいしそう。

「けど………」

やっぱり■■のが一番おいしい。
好きな人を、好きな分だけ加えて舐めまわして。
それでわたしだけを見てくれて、わたしだけを抱いてくれて、わたしだけを愛してくれて。

「ああ………」

そのためにはやっぱり紙人形が邪魔だ。
光を浴びるのが自分だけなら、その光も自分しか映さない。
自分だけを見て、自分だけを食べる。

「あれ………?」

ドアに手をかけたとき、声が聞こえた。
この声は………




「え……衛宮!?」
「衛宮!!」

ガラガラと玄関戸の開く音がしてみてみると、全身ずぶ濡れの士郎が幽霊のように佇んでいた。
俯いて表情を窺うことはできないが、顔が少し青くなっているようにも見える。

「ちょっ……、とりあえず拭くもの持ってくる!氷室は衛宮を座らせて!」

「わかった……!」

綾子が居間へ駆けて行くのと同時に鐘はすぐさま彼の体に手を当てて、玄関に座らせた。
流石に濡れすぎているため、少しはふき取らないといけない。
体は完全に冷たくなっており、身体は小刻みに震えていた。
この真冬の大雨にうたれながら帰ってきたのだから当然か、と考えたが……

「……衛宮?」

覗き込んだ顔に、人間……いや、生物が必ず持っているエネルギーの様なモノを全く感じることができなかった。
少なくとも、今朝見た時とはまるで別人のようになっている。
ただ顔を知っている人から見れば、寒さの所為で多少青くなっている普通の士郎だと答えるだろう。

けれど今の士郎からは、今朝会った筈のモノがごっそりと抜け落ちていた。
寒さの所為で青くなっている上に、やつれて今にも死んでしまいそうなほどに弱っているようにすら見える。
そして─────

「……あれ。俺、家に帰ってたのか……」

今初めて自分の居場所に気付いたかのように、士郎は小さく呟いていた。
その言葉をすぐ傍にいた鐘が聞き逃すはずがない。
無意識に息を呑んでいた。

「ああ、悪い氷室。ちょっと傘なかったから濡れて帰ってきた。……こんな雨だからさ、買い物もできなかった。また雨があがったら行ってくるよ」

いつもと同じ様に見える笑顔で、隣にいる鐘へと笑いかけた。
けれど鐘に答える余裕は全くない。
これが……彼か? と今自分の見ている光景に、問いたくなった。
昨日、自分を救ってくれて、今朝も一騒動あった時の衛宮士郎か? と、自分の脳に問いたくなった。
このたった数時間で地獄でも見てきたのかと思うほど、鐘から見た士郎は変わってしまっていた。

「………? どうした、氷室?」

「い……いや、もう……もう、いい。……衛宮、一体何があった………?」

自分の声が震えているのが、自分でもわかった。
鐘がやっと絞り出した声は震えていた。
見間違いであれば、思い違いであればという願いは、しかし虚しく終わった。
普段通りの口調に普段通りの表情で話しかけているつもりなのだろうか。
しかし鐘からしてみれば、両手足を鎖で繋がれて衰弱した人のような姿にしか見えなかった。

「衛宮……!ほら、タオル!」

バフッ、と綾子がタオルを彼の頭に被せてきた。
その所為で士郎の顔が一旦見えなくなる。
タオルを手に取り、顔を拭く士郎と正面に座り込んで頭を拭く綾子。

「あ、いや……。流石にそれくらいはできるぞ、美綴」

そう言って顔を覆っていたタオルをどけた。
その顔。やはり綾子も判ってしまった。
士郎が普通ではないということに。

動かしていた手が止まり、唖然としてしまっている。
彼女の手が止まったことで、士郎は自分の頭に手を伸ばして髪を拭いていく。
何でもないように、みる限りでは普通に。
だが、綾子は左手でその腕を掴んで

「おい、衛宮。一体何があった?……何か、あっただろ」

真剣な表情でそう尋ねていた。
その顔を見た士郎は黙ってしまった。少し驚いたような顔をして。
そうして隣で自分の隣にいる鐘を見るとやはり……

(……きっと、私も美綴嬢と同じ表情をしているのだろうな)

「……いや、ほら。こんな寒いと流石に冷えるからさ。少しあったまれば大丈夫だぞ」

口調はいつもと同じ。
反応もいつもと同じ。
見た表情もいつもと同じ。
けれど。

「嘘いうなよ、衛宮。それ、隠してるつもりなの? この家出ていく前と今とで比べてやろうか?」

「え……そんなに違うか?」

参ったな元に戻したと思ったのに、という小さな呟き。
それを聞き逃す鐘ではない。

「衛宮、何かあったのだな。……話してくれないか? そんな状態の君を放っておくわけにはいかない。今の君は私達よりも重症に見えるぞ」

士郎の肩に触れ、真剣に顔を覗きこむ。
けれど、そこに表情はない。
あるのは顔だけ。
怒りも泣きも笑いもしない凍った表情だけだった。

「……いや、氷室達には関係ないことだ。気にしなくていいぞ」

出来る限り普段通りに言ったのだろうが、二人には普段通りに見えなかった。
いや、この聖杯戦争という過程を知らず、ただ学校で出会っている限りなら恐らくは気づかない。
それほどまでに“普通”だった。

ズキリ、と痛む。
なぜそんなになりながら、そこまで無表情でいられるのか。
まるで自分が存在していないかのようにすら見えてしまう。

それは嘘だ。
彼にはしっかりとした彼がいる。
だから存在していないというのは嘘だ。

「……衛宮。私達は君に迷惑ばかりかけてしまっている。昨日もその前も、その前もだ。私達では頼りないかもしれない。……けれど、何かを考えることはできる。痛みを分かつことならできる」

「そうだ、衛宮。そりゃあ、あたしらは魔術師じゃないし、魔術のことなんてわからない。けど、衛宮が苦しんでるってことはわかる。話してみれば少しは楽になる筈だ、………なあ?」

「……いや」

けれど届かない。
二人の言葉は、士郎には届かなかった。

「俺にはそんな資格はないし、これは俺の問題だ。聖杯戦争絡みであることは違いないけど、少なくとも二人には関係ない。だから二人は気にしなくていいんだ、本当に。それに頼りないとか俺はおもっちゃいない。それも忘れないでくれ、氷室」

肩に触れた鐘の手を、士郎は優しく握った。
その表情には嘘はないし、この温もりも嘘ではない。
けれど。

「資格がないって……衛宮。それ、どういう…………」

「…………………」

その言葉が気になった。
資格がない。
そこに込められた意味は何なのか、なぜそんなことになってしまったのか。
それを問いただそうとして。


「くすくす………ええ、そうですね。資格はありませんよ。…………二人にはね」





背中に悪寒が走った。

「っ!? 氷室、美綴!!」

即座に両手を広げた衛宮は、すぐ傍にいた私と美綴嬢の腰に手を伸ばし同時に

同調、開始トレース・オン

呪文を唱え、私達を抱えたまま玄関から外へと転がり出た。
扉を強引に押しのけた所為で、玄関戸は外れてしまい、外は相変わらずの雨で、身体や髪は濡れていく。
けれど問題はそれじゃない。
問題はそこじゃない。

「………な」

玄関の奥。
木の色だった筈の家が、黒く染まっていた。

「なんだよ……あれ」

黒い海。
あれに見覚えがある。

「あれは……あの時の」

私の目の前で士郎に覆いかぶさった黒い影。
なぜそれが家の中から………

「………さっきの、声」

「………!」
「───!」

けれど、私の思考は衛宮の声で中断された。
彼の声は完全に震えていて、見える横顔は、さっきの表情よりもさらに悪化しているようにも見える。

────やめて

いつの間にか、その顔から視線が外れなくなっていた。
いつの間にか、そう思ってしまっていた。
そして、半ば本能的に思った。
あの表情には心当たりがある。
私自身、過去に君を失った時に、心身ともにギリギリまで削られて、そうして全てを放棄した時の自分の顔。
今、目の前にいる彼が浮かべている表情は、まさにそれに似ている。

一体彼は何を知ってしまったのかはわからない。
けれど、あの表情を浮かべた人間が進む先に、ゴールはない。
かつての私が、その果てに至った“自己の放棄”とは違う結果が待っているかもしれない。
けれど、それは決してハッピーエンドにはなりえない。

そんな確信だけが、私の中に漠然としてあった。



「────────っ」

胸に手を当てて、服を握りしめていた。
衛宮の顔は苦しそうに歪んでいる。
魔術師だから、あたし達には判らない何かを感じているのかもしれない。
けれど、その表情には決して、それだけじゃないように見えた。
その顔を見てるのがつらくて、苦しくて。

「衛宮っ!!」

気がついたら、ガッ、と衛宮の両肩を掴んで地面へと押し倒していた。
あたしは一応一年の頃から衛宮は知っている。
どんな人間かも知っている。けれど、そんな顔をした衛宮は知らなかった。

「衛宮、しっかりしろ、衛宮!アンタは……そんな奴じゃないだろ!そりゃあ、あたしのとっておきの話で笑わなかったり、人助けをする分にしてもちょっとやりすぎな部分もあった。けど、アンタは間違ってもそんな表情はしなかったろ、そんな………後悔するような表情は、しなかっただろ!」

「────────」

ああ。自分で言って、嫌気がさした。
この状況が普通じゃないと判っていて、それでもあたしはまず最初に自分の不安を払拭することを優先してしまった。
気が付いたときにはもう遅い。
言葉は全部言い終えたあとで、衛宮は驚いたような顔をしてる。

何かが冷めていく。今、あたしの下にいる人物が何を考えているかわからない。
けれど、こんなんじゃ嫌われても仕方がないかな、なんて言った後に漠然と思った。

「………そう、だな。……ああ、そうだ」

驚いたような顔をしていた衛宮だったけど、あたしの顔を見て、聞いて、……笑っていた。
それを見て、次はあたしが驚く番だった。
いや……あたしだけじゃない、氷室もそれを見て驚いていた。

「……俺は、起きた事を悔やめるような、まっとうな人間じゃない。……今朝も言われたじゃないか」

あたしの手が衛宮の肩から外される。
ゆっくりと起き上って、その顔を見た。

「ありがとうな、美綴。……ちょっと、どうかしてた」

その顔はさっきのような落ち込んだ顔じゃなくて、本当に“いつもの衛宮士郎”だった。
一体何があったのかはわからない。一体あたしが衛宮にどういう働きかけをできたかもわからなかったけれど。
大丈夫、と。
衛宮の顔は言っていた。




二人の着ている浴衣はすでに雨でずぶ濡れ。
体はどんどん冷えていたが、もう気にすらならない。

「先輩の上に馬乗りになるなんて……美綴先輩って、案外淫乱なんですか?」

ざぁ、と降り続く雨の中、玄関より聞こえてきたのは聞き覚えのある声だった。
振り向けばそこにいるは間桐 桜。

「さ……桜?」

綾子が驚いたのはその表情とその声。
普段の様子からは想像すらできないような、冷たい笑みを浮かべて、冷え切った声を発していた。

「桜────その、顔」

士郎の目にはそれが令呪のようにも見えた。
刺青のようなモノが首元から顔へと浸食している。
桜の体に、得体の知れない令呪が蠢いていた。

「あれ、どうしたんですか、先輩達? そんなところにいると濡れちゃいますよ?」

そう声かけてくるが、その表情は明らかにかけ離れていた。
士郎はゆっくりと立ち上がり、家の中にいる桜へと声をかけた。

「桜……その身体、どうしたんだ」

「ああ、これですか? これは、力です。わたしがキレイになるための、わたしが解放されるための力ですよ、先輩」

「力……、ってことはやっぱり言峰の言ってた推測は……」

「言峰……?………ああ、あの教会の名前ですね、確か言峰教会。……そう、監督役に会って来たんですね、先輩。それでやっぱり、っていうことはこれを知ったんですね」

しゃがみこんでいた鐘と綾子もゆっくりと立ち上がり、士郎の後ろに立つ。
今の桜は様子がおかしいどころじゃない。
おかしいを通り越して、変わってしまっている。
そのようにすら感じる。
それを顕著に思わせているのが、彼女の足元にある黒い影だった。

「けど意外だなあ、推測でもこれを言い当てるだなんて……ちょっとあの教会の神父さんに挨拶してこようかな。……それで、先輩はどうしますか? わたしを殺しますか? わたしを倒しますか?……できませんよね。だって先輩だもの」

「………ああ、できそうにないな」

桜の言葉に同意して、足元の黒い影を見る。
ゆっくりと滲み出るようにこちらに近づいてくる。

「わたしが遠坂先輩を殺した、っていってもそんなことが言えますか? 先輩」

「な……ん……?」

「くすくすくす………、だって当たり前ですよね。姉さんは知ってたはずなのに、ただの一度も助けに来てくれなかったんですよ? なら……、殺されても仕方がありませんよね」

「と……遠坂を殺した……って、桜。アンタ……」

桜から告げられた事実に驚愕する綾子。
だが、それを桜はジトリ、と見つめた。
その目を見ただけで、ぞくん、と。
綾子の背中が総毛だった。
寒気なんて生易しいものではなく、ぎちりとナイフで裂かれたような極寒の棘が突き刺さったかのような、そんな感覚。

「美綴先輩、ついでに氷室先輩も。貴女達が話すことは何もありません。わたしは聞きたくもないし、話したくもありません。喋るのはわたしと先輩だけでいいんです。先輩達も姉さんも、町の人達もサーヴァントも、もうわたしに口を出すコトなんてできないんだから」

「…………っ」

ぞわり、と体が震えた。
その後に小刻みに震えているのが、鐘自身気が付いた。
一瞬、目の前が真っ白になって、桜の背後に立ち上がる影。

「あ────」

綾子の悪寒は背中だけではなく、全身を恐怖で凍らせていく。
アレは桜だ、という言葉を言い聞かせていたが、あの影を見た瞬間それは違うと判ってしまった。
鐘も判ってしまった。士郎がなす術もなく呑まれていったあの影の本体なのだと。
そしてその時感じた感覚そのものだと。

その焦り、その恐怖。
それらは表情に出たが、ほんの小さなモノ。
普通からしてみれば、毛の先ほどの変化でしかない。
だが。

「……あれ、どうしたんですか美綴先輩、氷室先輩。まるで怯えてるように見えますよ?」

桜の顔がワラう。
それは決して見ていて耐えられるような笑顔ではない。
それは捕食者が獲物を見つけた時に見せるような嗤い。

「桜!」

士郎が叫ぶ。
だが、もう桜は止まらない。
そもそもこの二人は必要ないのだ、ならば止まる必要がない。

地を這うように影が躍る。
桜の足元から、夥しいまでの黒色が蹂躙してくる。

「っ! 氷室、美綴!!」

すぐ後ろに居た二人の腕を取り、全力で庭へと逃げる。
外へ逃げないのは、外への被害を避ける為。
雨が降り、外に人がいないとはいえ、まだ昼間。
無関係な人間がいるとは限らない。
故に外へ逃げれば巻き込む可能性は高かった。

「くすくすくす……どこに逃げるんですか?」

「っ…………」

二人の手をとって逃げてきた先。
そこは既に黒い影によってその大半が埋め尽くされていた。
そしてその一角に。

「セラ、リズ、イリヤ!!!」

「シロウ………!」

ハルバートを持ったリズの後ろにイリヤとセラがいた。
時折襲ってくる黒い影をハルバートが弾いているが、浸食してくる影を追い払うことはできない。
徐々に追い詰められていく三人。

だが、事態はさらに悪化する。
重油じみた影。
その中から現れたのは……

「キャスター………!」

黒く変色したキャスターだった。
それと同時に庭に面する家の中から姿を見せる桜。

「案外粘りましたね、アインツベルンさん?……けど、これでおしまい。キャスター、聖杯を捕まえて。抵抗するなら多少の乱暴は構わないから」

「     」

言葉を発したのかどうかもわからないで、キャスターはイリヤ達へと近づいていく。
ハルバートを構えるリズだが、サーヴァント相手に勝てる道理がない。

「……キャスター、『コルキスの王女』。自らを捨てた夫に復讐するために、我が子にまで手をかけた稀代の魔女。……ふぅん、さしずめ『復讐の女神』って言ったところかしら? お似合いじゃない、二人とも」

ああ、女神だなんて大層なモノじゃないか、魔女ね、 と罵る様に笑うイリヤ。
それに目を細める桜。その視線はさらに冷たくなっていた。

「……………うるさいですね。キャスター、命令を訂正します。何とか生きることができる程度に乱暴して構わない」

「    」

ヴン、という不気味な音と共にキャスターの前面に魔弾が展開される。
魔術師の端くれである士郎が見てもわかる。
あれは、一発でも受ければ致命傷だ、と。
イリヤを殺すつもりはないみたいが、その前に立つリズは別なのだろう。

「リズっ……!!」

視線がそちらに釘づけになる直前、側面から襲いかかる影が視界の中にぎりぎり入った。
一欠けらの容赦もない一撃、衛宮士郎の魔力なんか遥かに凌駕した影が放たれていた。

「ぐぅっ…………!!」

二人の襟を掴み、強化した脚で一気に後ろへバックステップ。
眼前を覆い尽くした影にぎりぎり呑まれることなく、回避に成功したが……

「くすくすくす……先輩、頑張りますね。けど、どこまでできますか? そんな何の力もないお荷物の二人を庇って………。いっそ捨てた方が、先輩、生き残れますよ?」

放たれた影はあの“黒い影”と同位のもの。
触れればあっという間に魔力を奪われて意識が混濁する。
そしてあの城での出来事同様に、瞬く間に覆い尽くしてしまう。

その果て。
その影が故意的にどかない限り、衛宮士郎という魔術回路は抵抗さえできないまま吸収されるだろう。

そしてそれは魔術師だから言えること。
魔術師ではない鐘と綾子が触れようものなら、一瞬でまとわりついて溶けてしまうだろう。

「っ!? リズ、セラ、イリヤ!!」

庭が光り、光弾が飛来する。
避けれるだけのスペースはすでに黒い影によってなくなっている。
そしてリズではきっと受け止められないだろう。

対して自分も間に合わない。
このままではリズは死に、イリヤも無事では済まない。
それをただ見過ごすだけでいいのか。

「いいわけあるか!!………こい、アーチャー!!」

令呪。
絶対命令権。
肌が合わないとか今は言っている暇はない。

士郎の左手が光り、令呪が一つ消失する。
その直後にイリヤのすぐそばの空間にひびが入り………

「“熾天覆う七つの円環ロー・アイアス” ─────!」

魔弾が着弾する直前で、花弁が花開いた。
ドォン!という地響きと共に煙が立ち込める。

「イリヤ嬢………!」

「……大丈夫」

立ち上がる煙の先。
そこに現れたのは

「………次から次へと。起きない時は全く起きない癖に、起きた時は連鎖的に起こるのだな、この聖杯戦争は」

盾を2枚ほど破壊された花弁と、無傷のアーチャー達だった。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第41話 理想の果て
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:47a17094
Date: 2012/08/11 22:26
第41話 理想の果て


─────第一節 単純かつ複雑な問題点─────

「アーチャー?」

凛の寝室に着替えを持ってきたセイバーであったが、その寝室にアーチャーがいないことに気付いた。
すぐさまこの屋敷内にいるかどうかを確認するがどこにも見当たらない。
凛の容体は極限までの魔力不足。
残っていた僅かな魔力が凛を生かそうとしているが、その根本が無くなってしまうとそれも働かない。
幸い魔力は回復しつつあったが、どう頑張っても回復に一日は必要だろう。

「……………」

この状況について考える。
アーチャーがこの状態の凛を放ってどこかへいくとは考えにくい。
ともなればどこかへ行ったのではなく、どこかへ行かなければいけなかったということになる。
しかし自分の意志で行くというのであれば、事前にセイバーに声の一つでもかけていくだろう。
それがなかったということは。

「……令呪に呼び出された?」

セイバー自身もかつて令呪によって衛宮邸から学校へ呼び出されたことがある。
強制力を伴って空間を跳び、離れた場所へと一気に駆けつける。
この状況を考える限りでは、それ以外に思いつくものがなかった。

「まさかシロウにも何か………!」

令呪で呼び出すとなるとよほどの事があったほかにない。
そう、例えば敵の襲撃など。

「………リン。少しだけ離れますがよろしいですか?」

眠っていると判っていても、セイバーは声をかけた。
現在のマスターは凛であるが、仮に士郎に何かがあったというのであれば動かないわけにはいかない。

「………必ず、すぐに戻ります」

抱えていた凛の着替えをベッドの傍に置き、廊下を走り玄関を飛び出した。
無論周囲に敵らしき魔力がないことをきっちりと確認したうえで、である。
向かうは衛宮邸。



二月八日。時刻は正午をすぎて数十分。
天候は大雨。気温は十度以下。
風は時折強風。雷も確認。
大雨につき人通りはほぼ皆無。
爆発音は大雨によってうやむやにされ、衛宮邸に異常があると確認できるのは煙のみである。

突如空間を引き裂いて現れたサーヴァント、アーチャーを見た桜は訝しげにアーチャーを見た。
対するアーチャーは後ろにいるイリヤと少し離れた場所にいる士郎ら三名、そして目の前にキャスターと、家の中にいる桜へと視線を順にやる。
目の前には黒い影が迫っており、その出所は家の中。

「黒い本体、というわけか」

「アーチャー、イリヤを連れて逃げてくれ!その影は……!」

「お前に言わらずとも目の前の事など理解している。キャスターがいい例だろう」

破損した花弁の盾を消し、同時に展開するのは剣の弾丸。
アーチャーの周囲に浮かぶ二十の剣はキャスターとその奥にいる桜へと向けられていた。

「────────」

目の前に発生した光景を見て固まる鐘。
あの光景には見覚えがあった。
最初見た時は驚いたが、今の驚きはそれとは違う驚き。

なぜ衛宮士郎と同じ光景を彼が作れるのか●●●●●●●●●●●●●●●●●●●という疑問と驚きだった。
士郎自身は武器を作り出すという魔術を習得しているらしいというのは城の一戦で明確に理解した。
イリヤが士郎の投影武器について言っていたのを聞いていたからである。
そこから推測するに士郎は“投影”が本来の得意分野であるということは判っていた。
だからこそ、その後現れたギルガメッシュの武器を投影できたというのも理解できたのだ。
だが、目の前にいるのは衛宮士郎ではない。
無論、彼の攻撃方法を他の人物がしないという理由はないが、それにしてもなぜ? という疑問が出てしまうのは道理だった。

そしてイリヤと綾子もまたその光景を見て停止していた。
イリヤは城で、綾子は公園でこの光景を見たことがある。
そしてそれは決して、アーチャーが行ったものではない。
衛宮士郎しかできないものだと思っていただけに、この衝撃は大きかった。

「待て、アーチャー。おまえ、何をしようとしてる?」

「何、とはおかしな事を言うのだな。敵が目の前にいる以上は倒すのは当然だろう」

同時に浮いていた剣群がキャスターと桜へと飛来し始めた。
その光景はまぎれもなく士郎がギルガメッシュと戦っていた時と似通っており、どこかで見たかのように錯覚するほどだった。
そして─────

「………全投影連続掃射ソードバレルフルオープン!」

彼女らが聞いた言葉を発し、アーチャーは号令を下した。
飛来する二十の剣。
キャスターは咄嗟に回避するが、桜にその機動力はない。
直撃コースであり、回避は不可能。
故に殺したと確信したアーチャーだったが……

投影、開始トレース・オン!!」

「!?」

ギィン! と、甲高い音を立てて火花が散った。
直撃するハズの攻撃が、横から飛来した剣によって弾かれたのだ。
攻撃を放ったアーチャーは勿論、その光景を見ていた全ての人間が驚きを隠せなかった。

「……どういうつもりだ、衛宮士郎!」

視線だけで射殺さんとする士郎を睨みつけるが、対する士郎はその眼力に怯えることなく真っ直ぐにアーチャーを見ている。
その視線に苛立ちを覚えるアーチャー。

「……先輩、どういうつもりですか」

庇われた桜も同様の質問をぶつける。
そしてその問いはこの二人だけではなく、イリヤ達もそう思っていた。

「どうもこうもない、俺は桜を助ける。だから桜を助けた。……ただそれだけだ」

その声は決して大きい声ではなかった。
だが、この場にいる全員がその言葉をはっきりと聞いた。

「……正気ですか、先輩。わたしを助ける………?」

桜の問いかけも、アーチャーの睨みも、この少年には関係なかった。
自分が目指したもの。
それは。

「……確かに俺は最低の人間だ。桜の傍にいながら桜の助けに気付かなかったくだらない人間だ。胸を張って誰かを守ってきたなんて言えないような人生を送ってきたかもしれない」

右手の拳に力を込めた少年は、前を見据えたままこう告げた。

「それでも………桜が助けを求めているって今更だけどわかったんだ。間桐臓硯とかいう奴に好き勝手にされて、挙句の果てに桜が死ぬなんていうのは間違ってる。だから俺は─────」

─────助ける

その言葉に偽りはない。
敵対している桜ですら、士郎が本気で自分を助けようとしているというのがひしひしと感じることができた。
少女の中で渦巻く思考。
少女はすでに人を殺している。それを少年は知っている筈だ。
つい先ほど少女は少年を襲った。
だがそれでも助けると言い切った。

「────っ!」

殺意をその身に受けている筈なのに、それでも助けるという少年の意志。
少女の中にある、『先輩が欲しい』という欲望。
少女の中にある、『幸せになりたい』という願望。
考えがぐちゃぐちゃになっていく。
黒く、黒く塗りつぶされていく。

「なら………なら………先輩、死んでください。わたしの為に……、わたしだけの為に。そうすれば、先輩とずっと一緒に居れるんですから!」

────影が伸びる。
士郎は勿論、その後ろにいる鐘と綾子もろとも呑み込もうとして降りかかってくる。
それを逃げる様に二人を連れて強化した脚が動く。
頭上から迫ってきた黒い波に呑まれぬように、後方へと二人を無理矢理引っ張る。
紙一重で避けた士郎を見て、桜は嗤う。

「なんだ、先輩。やっぱり嘘じゃないですか。わたしは────」

「当たり前だろ、桜!」

「…………え?」

言おうとした言葉が出ない。
その先にいる士郎の顔はいつも見ていた士郎の顔で、まっすぐに、自分だけを見ていた。

「俺が死んだら桜を助けられない。だから俺は死ぬわけにはいかないんだ」

「……っ!何、を……。何言ってるんですか、先輩。わたしはこんな人間なんですよ? 何人殺したかもわからないんですよ? それを────」

「責任の所在とか俺にはわからない。けどそれは全てが終わったあとで一緒に考えればいい。いいか、桜。痛みは耐えるものじゃない。訴えるものなんだ。痛いのは誰だって痛いし、助けてほしいと思うのは誰だって同じだ。……だから!」

黒い影を回避し、体勢を立て直しつつ士郎は桜に向かって叫んだ。
その声には得体の知れない芯が、確かにあった。

「そんな涙を流しながら我慢なんてするな、桜!助けてほしいって言え!!」

大雨の音すら、士郎の声を遮ることはなかった。

「なみ……だ……?」

呆然と立ち尽くす桜。
その目から零れ落ちる雫が、確かに頬を伝っていた。
士郎が言った言葉が頭の中にいつまでも残って、強い衝撃を与えてくる。

────わたしは許されない存在だと思っていた

多くの人間を殺し、もう後戻りはできないと。
自分は少しずつ壊れていったのではなく、元から壊れていたのだと。

────わたしは救われない存在だと思っていた

今に至るまで、誰一人助ける人はいなかった。
あの日、間桐に養子として渡されたあの日から、そういう存在だと思っていた。

もし自分がほんの少しだけ勇気を持って、目の前にいる少年に助けを求めたら?

そう考えた日々はいくつもあった。
けれどそう思って、結局は言わなかった。
知られたくなかったという思い。
自分は少年が思うような少女で居たいが故に、汚れた存在であるということを知られたくはなかった。

けれど、今の少年はそれを知っている。
それを知っていながら、彼は助けると言い切った。

「わたし……は」

傍に居ていい人間ではない。
明日からは知らない他人のフリをしようと思ったときもあった。
しかしそれはできなかった。
そう思っただけで体が震え、死のうと決めたとき以上に怖くなり、少年の家に行くのを止められなかった。

「わたしは────」

臆病で、泣き虫で、卑怯者。
痛いのがイヤで、怖いのもイヤで、みんなより自分が大切すぎて、死ぬ勇気も持てない。
けれど……ほんの少し。
ほんの少しだけ勇気を持って、目の前にいる少年に声を出したら。

────世界は変わるのだろうか?


「助けて……先輩」


─────第二節 殺すべき対象─────

桜がそう小さく呟いた直後、様子が一変した。

「ぁ、っ─────!」

胸に手をあてた桜は俯き、苦しそうに息をし始めた。

「あ─────は、あ─────!」

苦しげに胸を押さえている。
耳につけられていた飾りが砕けており、そこから何か薬品めいた液体がこぼれていた。

「あ─────、い─────や……………!」

膝をついたまま震える桜。
その震えは激しく、地震で倒壊する建物のように、そのまま崩れ落ちてしまいそうだった。

「桜!」

士郎は突然起きた桜の異変に驚くが、影があるせいで近づくことはできない。
一方の桜も、苦しさゆえに動けない状況だったが

「キャス……ター……」

小さく呟いた。
庭先にいたキャスターは即座に桜の傍へと現れ、そのままローブで包み込み、黒い影ごと家から消失してしまった。
一体なにが、というのを整理するよりも早く、その場にやってきた人物がいた。

「シロウ! アーチャー!」

ヒュッ、と現れたのは凛の家より全速力で駆けつけたセイバーだった。
即座に庭で濡れている士郎達の元へかけよるが、同時に先刻まで感じていた異様な魔力が残っていないことにも気が付いた。
そしてそこにどこからともなく聞こえてくるのは枯れた声だった。

『まさか代わった筈の意識を呼び戻すとは……、予想以上の事態。あうやく悲願への達成が一歩遠ざかるところ。保険をかけておいて正解じゃな』

「誰だ!?」

セイバーが剣を構え、周囲を見渡すが老人らしき敵は見当たらない。
しかしその老人の声だけはしっかりと聞こえてくる。

『堰を壊したと思ったが矢先、衛宮の子倅の言葉だけであそこまで元に戻ろうとブレるとは思わなんだ。やはり遠坂の小娘を殺したという絶望は確かに絶望ではあったが、それ以上に子倅という希望がやはり大きかったようじゃ』

「………ということは、貴様がリンを衰弱させた本人か。姿を見せろ!」

セイバーが吠える。
が、それに反応して帰ってくるのは笑い声だけ。

『冗談もいいところ。敵地に姿を見せるなどと、この老いぼれにはちときつい。……にしてもアレの精神力を甘くみておった』

「お前が間桐臓硯か……! 桜に何をした!」

『アレには刻印虫をつけておる。起動するつもりはなかったが、少々やっかいになりそうだったのでな。ほんの少しばかり手を加えたまでのこと。これにて盤石。起動する必要を教えてくれた子倅には感謝の意を伝えようぞ』

耳障りな声が聞こえてくる。
神経が凝縮する。
声が聞こえてくる方角を、強化した耳が定めた。
同時に瞬時に魔術回路を開き、

『あとは魔力欲しさに奪い尽くすだけであろう。そして同時に自分がやったことを理解し、そして絶望へと落ちる。すでにアレの半分以上は“裏”になっておる。もはや“表”がフタをしていられるだけの許容はあるまい。……故に盤石という─────』

ザシュッ! という音と共に、声が一旦途切れた。
セイバーも士郎と同じく、別々の場所にいた蟲を感知し即座に消滅させていたのだ。

『おお、これは怖い。桜の監視役にと遣わせた蟲どもを瞬時に消滅させたか。はは、これではすぐに声すら届かなくなるな』

「─────うるせえ、出てこい間桐 臓硯……!ここで八つ裂きにしてやる……!」

『いやいや、残念だがそういう訳にもいかぬ。マキリ五百年の宿願に、ようやく手が届きそうなのだ。ここでおぬしに殺される訳にもいかんのでな』

蟲を潰したというのに、まだ声が聞こえてくる。
だが、先ほどと比べると明らかに声は小さくなっている。
老人の言う通り、もはや数秒しか聞こえなくなるだろう。

「殺される訳にはいかない、というが。……ではなぜ貴様はここに話を持ちかけた? その意図がしれんな。自分の存在をアピールしているだけだぞ、その行為は」

アーチャーが見えぬ敵に問いかける。
それに阿々と応えた老人の声は変わらない。

『ふむ、ちと聞きたいことがあっての。衛宮士郎、おぬしは桜を助けると言ったな?……それがどういう意味か判っておるのか?』

「何を………!」

『────万人の為に悪を討つ。判っていよう? おぬしが衛宮切嗣を継ぐ者ならば、間桐桜こそおぬしの敵だぞ?』

「………!────何が悪だ……、てめぇが桜にそうさせてるだけだろ……!」

『いやいや、ワシはそのような指示を出してなどおらん。魔力欲しさに人を襲ったのはアレの独断であるし、人を殺したのもアレの独断。確かに体内の刻印虫は魔力を欲しがるが、人を殺せという強制はしておらん』

雨はまだやまない。
体は完全に冷え切っているが、庭に出ている全員がそれに気づかない。
それほどまでに場は緊迫していた。

『昨夜までに消え去った人間は何人いた? 今夜消え去る人間は何人だと思う? 否────あと何日、この街の人間は残っていると思うのかね?……その災厄、元凶をおぬしは助けると言ったのだぞ? その意味を理解しているのか?』

「………っ!そうなる前に助ける!それが────」

『そうかそうか、美しきは理想じゃ。……が、ではその間に死に行く人間は一体何人いるのか。桜が今夜一気に五百の命を吸ったとしても衛宮士郎、おぬしはそれを許容できると申すのだな?』

「なっ────」

『……蟲も限界の様じゃな。殺す手法と助ける手法、それに必要とする時間は変わってこよう。その差分、大きいほどに死に行く人の量は変わる。……よく考えるのじゃな、衛宮士郎』

それきりに声は聞こえなくなった。
聞こえてくるのは雨の音だけ。
空間を支配していた黒い影も、耳障りな声の主もここにはいない。
沈黙の時間だけが過ぎていく。

「……セイバー。遠坂の具合は、どうなんだ?」

「……先ほどの声の主はリンは殺したと言っていましたが、リンは生きています。しかし魔力は無く、回復には最低でも一日は休ませる必要があるかと」

「そうだな」

間桐臓硯に問いかけて、それ以降沈黙のままだったアーチャーはセイバーの話に割って入り、視線をイリヤへとやった。

「セイバー、君はイリヤスフィールを連れて凛の元へ運んでやってくれ。彼女なら治療の一つもできよう」

「……わたしがトオサカの治療をする、というの? アーチャー」

「君は森で一度凛に治療してもらったのだろう? ならば、その借りを借りたままでいいのかな。借りを返すいい機会だと思うが」

あ、と思い出したように一瞬唖然としてしまう。
ギルガメッシュの攻撃により崩壊した城より脱出した際、駆けつけた凛によって治療を少しだけ受けていた。
自分でも治療はできたのだが、当時は気が動転しており怪我よりもまず士郎達の容体の確認を真っ先に行いたかったのだ。

「イリヤ、俺からも頼む。遠坂を助けてやってくれ」

頭を下げる。
士郎は治療系の魔術は行使できない。故にイリヤに頼むしかなかった。
むぅ、と唸るイリヤだったが、少し考えた後に小さく息を吐いた。

「お嬢様」

セラが声をかけ、それに視線をやる。
その視線一つで何かを受け取ったセラとリズはすぐさま家の中へと戻っていった。

「……仕方がないわね。確かにアーチャーの言う通り、リンに借りを作りっぱなしは癪だからここらで返しておくわ。セイバー案内して頂戴」

「………それはいいですが、着替えなくていいのですか? 濡れていますし」

「タオルくらいリンの家にもあるでしょう? それに着替えはセラとリズがトオサカの家に持ってきてくれるから。私は先に行って早く治療しておけばいい」

「お着替えの準備は整いました」

ペコリ、と頭を下げて庭に居るイリヤに報告するセラ。
ほらね、とセイバーに言いかけて、それに頷いたのだった。

「本当はシロウと話がしたかったけど、タイミングが遅れたわね。シロウ、帰ってきてからお話しようね」

「? ああ、わかった」

バイバイ、と小さく手を振ったイリヤは

「では、少しだけ離れます。シロウ、貴方も風邪をひかぬように」

ペコリとお辞儀したセイバーに連れられてその場を後にした。
イリヤを追う様にセラとリズも外へと出ていく。
その際

「家の中、濡れてるから」

リズが声をかけてきた。
自分たちが着替えるよりもまず先にイリヤの着替えを用意する辺り、流石はメイドかと無意味にそう思った士郎だった。
リズ、セラ、イリヤ、セイバーがいなくなり、庭に残ったのはアーチャーと士郎、そして鐘と綾子の四人。

「二人とも家に入ろう。お風呂沸かすから、その間に体を拭いててくれ」

「え? あ、ああ……わかったけど、えみ────」

「衛宮士郎」

鐘と綾子が視線を士郎へとやったときだった。
その背後、士郎よりも一回り大きい赤い男、氷の殺気を纏ったアーチャーがいた。

「────なに?」

士郎が振り向きざまに跳び退くのと、彼の短剣が一閃したのは、まったくの同時だった。


─────第三節 エミヤと士郎─────

ザシュッ!! という音と共に鮮血が飛び散った。
士郎の左肩から腹部を通して右脇腹下へと一閃された剣。
肩口から袈裟に斬られた感触。
ドボドボと流れ落ちる血と、気を抜けば一瞬にして消えそうな意識。
痛みはあまりに鋭利で、肌と肉が焼かれているかのように感じる。

「あ………ぐっ………!?」

よろよろと後退する。
逃げようと意識しての後退ではなく、単純に力が入らずに、倒れようとする体をこらえようと、足が後ろに流れるだけの行為。
だがそこに追撃をかけるように、喉元へ剣が奔った。

「─────!」

もはや意識などなく、ただ危ないという直感だけが士郎の体を後ろへと跳び退かせていた。
だが、完全によけきることなどできず、首こそおちなかったものの喉からの出血が止まらない。
跳び退いた姿勢を立て直すことなどできないまま、後ろにいた鐘と綾子の元に跳び、二人を押し倒した。

「衛宮!!」
「えみ……っ!?」

倒れてきた士郎を起き上って見たとき、自分たちの体と手に纏わりつく赤い液体に目がいった。
温かくてどこか鉄の臭いもある赤い液体。
吐き気を催すような感触と臭いと視界。
まぎれもなく鮮血だった。

「外したか。殺気を抑えきれなかった私の落ち度か、咄嗟に反応したおまえの機転か。─────まあ、どちらでも構わないが」

濡れた地面に音を立てながら、斬った本人が近づいてくる。
彼の両手には血の痕が残る剣が握られていた。

「な、なんで!アンタ、味方じゃ……!」

綾子が近づいてくるアーチャーを睨みあげるが、アーチャーはそれを鼻で笑い飛ばした。

「味方? 間違ってもそのような解釈はするな。私のマスターは確かにその男だが、味方だと思ったことはない。寧ろ殺したくて仕方がなかったほどの“敵”だ」

「なっ………」
「お、おま、え─────」

「ほう、まだその喉でしゃべれた─────いや、お前には強化があったのだな。となればもっと踏み込むべきだったか」

そういうアーチャーではあったが、特別取り乱す様子もなくゆっくりと近づいてくる。
これが致命傷である以上、慌てる必要もない。
綾子と鐘は現状の理解ができていない。
味方だと思っていた人物が突如目の前で士郎を斬り裂いて、殺そうとしている。
そしてあの気配を見るからに止まる様にも見えない。
その間もアーチャーは近づき、そして届く距離まで迫っていた。

「なんで……こんな」

よろよろと、震える足を全力で立ち上がらせる。
が、後ろには綾子と鐘が支えるように付き添っている。
そうしなければまた今にも倒れそうなほどに出血していたからだ。

「貴様は私とは違う。それはあの時から判っていた。その両脇にいる二人が何よりの証拠。私に“その二人が聖杯戦争時に居たという記憶”はない。ならば、と思っていたが……期待した私が愚かだった」

赤い男の鋼の瞳は変わらず、ただ壮絶なまでの表情が、いつしか顔に刻まれていた。
そこから感情を読み取るのは難しい……だが唯一つ、有り得ないほどの密度の感情が一つだけ読み取れる。
その感情は士郎だけではなく、綾子と鐘にも簡単に読み取れた。
憤怒。
それが、アーチャーより読み取れた感情だった。

「貴様の理想───正義の味方。やはり愚かな理想を持つ貴様は真っ先に殺しておくべき存在だった。自分の為ではなく誰かの為に戦うなど、ただの偽善だ。貴様の望むものは勝利ではなく平和。───そんなもの、この世の何処にもありはしないというのにな」

「なん───」


「───さらばだ。理想を抱いて溺死しろ」


憎しみの籠った声。
翻る陰険莫邪。
もう一度袈裟に振り落された刀は、完全に士郎を両断せんとする。
───その直前、アーチャーの言葉に反発するかのように、士郎は………

「と……レース、オン……っ!」

キィン! と右手に持った彼と同じ剣で防いでいた。

「ぬっ───!」

咄嗟に後ろに後退するアーチャー。
同様に士郎ものけ反りそうになるが、後ろにいた二人によって支えられ、なんとか無事ですんだ。
綾子と鐘が士郎の様子を窺うよりも早く、アーチャーは士郎を睨めつけた。

「……驚いた。その状態でもまだ投影ができるか。いや、流石“記憶よりも進んでいる”だけのことはある。強化に救われたな、衛宮士郎。だが───お前の体はその魔術行使に耐えられるかな」

「え……? 耐えられるって……衛宮!?」
「衛宮!」

「ごほっ………」

アーチャーの嘲笑う声と、綾子と鐘の声が耳に飛び込んでくる。
だが、士郎の視界はすでに真っ赤に染まっており、限界は近い。
頭痛は止まらず、出血によって意識は朦朧としている。
力は抜けていくような感覚だし、斬られた激痛が体中に伝播し悲鳴をあげている。
この状態で斬り合いなどすれば、斬り殺される前に脳髄がおかしくなるだろう。

「さて、そこの二人。君たちはその男から離れて貰おう。君たちに危害を加えるつもりはないのでね」

視線を士郎の背後にいる二人へとやる。
その視線はそれだけで殺さんとするほどの威圧を放っている。
だが、二人が出した結論は同じだった。

「断る。衛宮を殺させるわけにはいかない!」
「断らさせていただく。衛宮を見捨てるつもりなど毛頭ない!」

ほう、と眉を顰める。
だがアーチャーの行動には何の支障ももたらさない。
二人の目を少しの間見ていたアーチャーであったが、小さくため息をついたあとに剣を構えた。

「ならば少しだけ痛いめにあってもらう。なに、殺しはしない。………意識を奪うだけだ」

「っ………!」
「────!」

二人もアーチャーの動向を何一つ見逃さないと注意力を極限にまで高める。
だが一般人がどれだけ注意したところでサーヴァントに敵う理由がない。
そう理解しているが、それでも退くわけにはいかないかった。
ここで退くことはつまり、衛宮士郎を見捨てるという行為であるからだ。
それを良しとする二人ではない。

「待てよ……!おまえが殺したがってるのは俺だろう。なら、相手を間違えるな……!」

ゆらり、と一歩前進する。二人から離れ、アーチャーへと近づく。
左腕は感覚が怪しいが、強化で無理矢理動かしている。

「衛宮!!駄目だって!」

綾子が声をかけるが、士郎は止まらない。
両手に双剣を構え、アーチャーと対峙する。
体格差こそあれど、二人の構えは細部に至るまで同一だった。

「なんで……あの二人はあそこまで……」

鐘が見たアーチャーの投影による剣群。
そしてその際の発音。そこまで思い当たった際に、アーチャーの奇妙な発言に気が付いた。

「アーチャー……おまえ……」

「もはや貴様に話す言葉はない。……いずれ同じ過ちを繰り返す貴様は、今のうちに死んだ方が世の為だ!」

ギィン! という音が、大雨が降る庭に鳴り響く。
衛宮士郎の双剣を迎え撃つは同じく双剣。
一撃、二撃、三撃。
剣の切っ先が交差し、鍔迫り合いから流すように士郎が剣を払う。

「っ────!」

互いに交差したのち、即座に左足を軸に反転し再び同じ剣、同じ剣戟が交差する。
甲高い音と火花が散る。
士郎の強化魔術によって向上した身体能力は、アーチャーの攻撃を確実に捉えている。
力もアーチャーに負けぬように全力を出して腕を振るっている。
士郎の一閃とアーチャーの一閃はまったくの同等。
だが………

「ぐ………ぅ………!」

衝突を重ねる度に士郎の刃は欠け、身体は深手を負っていく。
斬られた体、喉からくる激痛を無理矢理捻じ込んで、歯を食い縛りながら攻撃を受ける。
頭上から降り落ちてくる二の太刀筋を下から迎え撃つように腕を振り上げた。
剣戟の音が響く。
一撃、二撃。
だが、三撃目で士郎の剣に罅が入り、四撃目で止めた筈の一撃が貫通した。
左の干将はアーチャーの干将によって砕かれ、凶器は横殴りに士郎の体を一閃する。

「は────づぅぅう……………!!」

ビチャ、と鮮血が庭に広がる。
傷口から雨水が染み込んできて、身体が悲鳴をあげる。
身を捻って躱すも、薄皮一枚とはいかない。
即死にはいたらない傷跡は、確実に肉を断ち、いずれ致命傷となるだろう。

「衛宮!」

その鮮血は戦いを見守っている二人にも確実に見えた。
斬られた直後に崩れ落ちかける身体を無理矢理立て直す士郎の姿は見ていて痛々しい。

「誰か助けを呼ばないと……。たしかセイバーさんは遠坂の家に行ったんだよね!?」

「ああ、そのはずだ……!」

なら、と言って家の中に駆けようとする。
彼女の家に電話すれば、この状況を説明できる。
セイバーに助けを求めれば、この戦いを止める事が出来るかもしれない。

「セイバーを呼ぶ気か?………悪いがそれをさせるつもりはない」
「っ!?」

走りかけた綾子の周囲を囲う様に大剣が地面に突き刺さった。
体を通せる隙間がない。

「なっ………この!」

両手で剣を動かそうとするが、重く深く突き刺さった剣を一般人である綾子が動かせるわけもない。
よじ登ろうにも側面は刃なので、ふとしたことで腕を切りかねない。

「美綴嬢!」

その様子を見て駆けだそうとした鐘だったが、やはり頭上より振り落ちてきた大剣の壁によって進路を塞がれてしまう。
二メートル近い大剣の群れ。
輪を描くように落下した剣は、二人を囲う円形の鉄格子と化していた。
人間一人がかろうじて立っていられる輪。その中に、一瞬にして二人は閉じ込められてしまっていた。

「ここまできて邪魔などさせん。……ああ、それと。令呪を使いたいなら使っていいぞ? その時は契約破りの剣で令呪を無効にさせてもらうだけだ」

士郎との戦闘中でありならがら的確に二人の動きを封じ込めるアーチャー。
その戦いもまた、アーチャーが有利に運んでいた。

「く────、そ………!」

痛みを罵倒で噛み殺し、踏み込んだ敵に右の莫邪を叩き落とす。
それに呼応するように、アーチャーもまた右の莫邪を叩きつけた。

「な────」

パキン!とわれる音と共に士郎が握っていた剣は砕かれ、防がれた。
同じ剣、同じ剣筋だというのに、埋められない壁がある。

「────貴様の技術は確かに進んでいる。だが、まだオレには届いていないということか。……当然だな。アレの存在を知らぬ以上、どれだけ技術を突き詰めたところでオレには届かん!」

「なにを………────っ!?」

眉間と横腹。
急所を同時に薙ぎ払ってくるアーチャーの一撃。

「っ────あ────!」

それを即座に“投影”した双剣で受け流す。
腕の感覚が麻痺しかけるほどの力。
眼球が痺れるほどの頭痛。
意識が飛びかけるほどの体の傷。

一の太刀筋を受けて、一の太刀筋を受け流す。
一の太刀筋を防ぎ、一の太刀筋を押し返す。
アーチャーの振るう太刀筋は即死を狙う死霊の大鎌だ。
まともに受ければ一撃で斬り殺される。

「は────あ、あ────!」

繰り出される剣を弾く。
踏み込んでアーチャーの体を袈裟に薙ぐ。
その度に、赤い頭痛が脳を焦がしていく。
ギチ、と体の中に違和感を感じる。
斬られたのとは違う別の違和感。

打ち合う度に自分の修正点を修正していく。
より動きやすく、より戦いやすく、より自分にとって効率よく体の動きを修正していく。
そして、それをしていくたびに視界は赤くなっていく。
打ち合う度に修正できている自分に違和感を覚える。
打ち合う度に視界がおかしくなるのに違和感を覚える。
打ち合う度に今朝見た夢を思い出す。

「あ────ぐ────!」

本当に何もできないまま即席の鉄格子に閉じ込められた鐘は二人の戦いを見ているしかなかった。
携帯は濡れてはいけないということで家の中。
こういう時に手元に持っていない自分が本当に恨めしい。
そう思う一方で、目の前の光景に確実な違和感を感じていた。

持っている武器は同じのうえ、二人の戦い方。
それが非常に似通っている。
加えて先ほどのアーチャーの気になる言葉。
“その二人が聖杯戦争時に居たという記憶”、“記憶よりも進んでいる”。
その言葉は確実に“アーチャー自身”を指し示す言葉。
だがそれはおかしい。
なぜアーチャー自身の話がそこで出てくるのか。

「どうやら一晩ではアレに至るまでの知識の流入はないらしい。となれば、こうして戦闘していく度に至っていくというわけだな。………ではどちらにしろ────」

大きく振りかぶった剣を迎え撃とうと、士郎もまた全力で腕を振るう。
脳が異常な映像を見せてくる。それを振り払って、ただ一心に剣を振るった。

「────今の貴様に、勝算など一分たりともないという事だ!」

「っっ────!」

だが、防ぎに入った双剣が砕かれた。
ギルガメッシュとの戦闘ではこうも砕かれることはなかったというのに、アーチャーとの戦闘ではこうも容易く壊れてしまう。
負っている傷という点で違いはあるが、もっと決定的な部分で違うと、士郎の本能が告げていた。
その決定的な違いが、脳に流れてきた映像だった。
だから、身体の苦痛や相手からの威圧なんかよりも、この映像の方がよほどに恐ろしい。

それが、一体なんであるかは瞬時に判断できた。
そして、同時にそれが衛宮士郎が辿るであろう……否、衛宮士郎自身の結末であると判った。

それが正しいのか正しくないのか、士郎には判別がつかない。
否、きっと判断のつく人間はいないだろう。
美しいものは醜く、醜いものは美しい。
客観的に見るにはおぞましいモノはない。
なのに、どうして偏りが生じるのか。
詭弁、詐称、奸計、自己愛。

脳に流れて見たものの大部分は、そういった類だった。

────I am the bone of my sword

なぜそれが衛宮士郎である自分の結末であると判ったか。
それは簡単だった。

……それでも構わなかった、ということらしい。
誓った言葉と守るべき理想があった。

この家に帰ってきて、鐘の顔を見て、綾子の言葉を聞いて、再認したのだから。
それと同じである彼とはきっと同じ存在であると理解できた。

人に裏切られても、自分さえ裏切らなければ次があると信じ。
嘆くこともなく、傷つく素振りも見せないのなら。
他人から見れば、血の通わない機械と同じだ。

────Steel is my body, and fire is my blood.

他人とって都合のいい存在。
故にいいように使われる。周囲から見ればそれだけの道具。

 かつての自分もそういうことがあった。
 手伝ったが、罵倒されたことがあった。
 友人からそういうことを示唆するような言葉をかけられた。

けれど、機械にだって守るべき理想があったから、都合のいい道具でもいいと受け入れた。

────I have created over a thousand blades.
       Unknown to Death.
       Nor known to Life.

誰に言うべき事でもない。
その手で救えず、その手で殺めた者が多くなればなるほど、理想を口にすることはできなくなる。
残された道は、ただ頑なに最期まで守り通す事だけだった。

その結果が夢見た理想など一度も果たせず、はた迷惑なだけの愚者の戯言だと。
それが判ってしまった。

────Have withstood pain to create many weapons.

あらゆる剣が突き刺さった姿を見る。
頭は垂れ、腕はぶら下がり、血は滴り落ちる。
その周囲に人などおらず、ただ血が流れる音だけが聞こえてくる。

 見ろ これがヤツの末路。
 見ろ これが自分の結末。

「────────」

心が折れる。
同情なんてしない。
けれど、これからその道を自分が進むと思うと、心が欠けそうになる。

────Yet, those hands will never hold anything.

自分が信じたもの。
自分が信じるもの。
その正体が矛盾していて、嘘で塗りたくられた、誰も実現できないような夢物語だと見せつけられて─────

フォン、という音で自分がどうなったかに気が付いた。
グチャ! という気持ち悪い音と共に、左肩を剣が貫く。
迫った剣戟の正体は双剣ではなく、尖った角のような剣だった。
それが心臓を貫きにきたのだ。

「─────」

耳障りの音によって脳内に流れていた映像から一瞬で現実世界に戻された。
だが、思考は停止していて、ただこのままでは死ぬと思った結果、無意識に投影した干将莫邪によって即死コースを免れた。
ただ、免れただけであり、左肩には鋭利な剣が突き刺さったままとなってしまったが。

「っ─────!」

間合いを離すべく、その剣を握るアーチャーの腕目掛けて剣を振り落す。
腕をひっこめたアーチャーから即座に間合いを離したが、剣は突き刺さったまま。
それが。

その映像で見たアーチャーの姿にそっくりで─────

「う────ぶ……」

膝をついてしまっていた。
口の中に酸っぱい味が広がったと思った瞬間、胃袋の中身がまとめて口から飛び出した。

「は─────はあ、はあ、はあ、は─────!」

体中から血が流れ、吐き気はまだ残る。
膝をついて地面に落ちる姿は、その戦いを見ていた鐘と綾子にとってはこれ以上ない衝撃だった。
顔は蒼白、全身血まみれ、表情は歪んでいる。

「─────計算違いか。前世の“自分”を降霊、憑依させる事で、かつての技術を修得する魔術があると聞くが……オレと打ち合う度に、おまえの技術はやはり鍛えられていくようだな」

殺すには絶好の機会だというのに、アーチャーは踏み込んでこない。
ただ膝をついた士郎を見下す様にその場に佇んでいる。

「投影技術は引き出す以前からそれなりに使えていた故に、さほどの差は生じていないようだな。が……、その顔。最低の面構えからすると、おまえも見たな」

「─────」

荒い息が大雨の中から鐘と綾子の耳に聞こえてくる。
大丈夫か、という声すらも出ない。
そんな言葉をかけるのが無駄に思えてしまうほど、士郎は弱っていた。
そして赤い騎士、アーチャーの言った言葉が耳から離れない。

「……もはや気付いた筈だ。あれだけ打ち合い、その映像を見て。……このオレが何者か。オレが、そしてお前が進む先の事実が何なのか。それが判った筈だ、衛宮士郎!」

「っつ─────!」

赤い衣が翻る。
疾走してくる騎士を迎え撃つべく、アーチャーが握る螺旋の剣を投影する。
左腕は動かない。双剣は使えない。
故に両側からの攻撃は防げないと言うのに、アーチャーは螺旋の剣のみで攻撃を仕掛けてくる。

ギィン! という剣戟音と共に火花が散る。
同時に士郎の握った剣は砕かれ、破片となって散っていく。

「ふっ─────!」

だが、アーチャーはその一角剣を投げ捨てた。
そうして次に投影された物は、覇者の剣と称される絶世の名剣デュランダル─────

「は、あ─────!」

工程を四節跳ばし、瞬時にアーチャーの得物を複製する。
左手不能状態で他に魔力を回し、アーチャーの攻撃を受ける。
一撃を受け、一撃を流し、一撃を防ぎ、一撃を打ちかえす。
一撃を加え、一撃を突き、一撃を薙ぎ、一撃を振りおろす。

「─────自己暗示の呪文も唱えずよくそこまでの急造品が保つ。やはり貴様は“あの時”とは違うという事か………。だが!」

バキィン!という一際大きい音と共に剣は粉砕された。
衝撃と雨による足場の不安定さが重なり、体勢を崩してしまう。
その隙を。

「違うとはいえ、やはり貴様は貴様だった。誰も傷つかなければいい、というその甘ったるい考え。正義の味方……そんなモノの果てにっ!!」

「衛宮、逃げろ!!」
「士郎、動いて!!」

絶世の名剣デュランダルを振り上げたアーチャーが眼前にいた。
崩れた体勢を無理矢理動かそうにも間に合わない。

そのまま剣は─────

─────振り下ろされた。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第42話 違う理想 Chapter7 Unlimited Blade Works
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:47a17094
Date: 2012/08/11 22:26
Chapter7 Unlimited Blade Works

第42話 違う理想


─────第一節 英霊 エミヤ─────

ズチャ、と。
大雨の降る中、一人の少年が地に倒れた。
鮮血が飛び散り、濡れた大地に赤色が滲み出る。

「       」

剣の鉄格子に閉じ込められた二人は、ただその光景を見ているしかできなかった。
そして声も出ない。目の前の光景が、あまりにも信じ難く、信じたくなくて、受け入れるのを拒否していた。

「……これが結末だ。己より他人を優先し誰も傷つかなければいいという理想は、身を滅ぼす。オレになる前に滅んだことを幸せに思うがいい」

すぅ、と剣が消える。
二人を囲っていた鉄格子も同時に消え失せる。
言葉を出すよりも早く、二人は赤い騎士の前に倒れた士郎の元へと駆けつけた。

「しろう…………?」

しゃがみ込み、士郎に手を伸ばす。
ぬちゃ、と手の平に赤色の液体が纏わりついた。
血に染められた地面に体を浸している。
濡れきった浴衣に血の色が纏わりつく。

対照的に、士郎の顔から手足に至るまで真っ青に色が抜け落ちてしまっている。
服は斬り破られており、そこから血が流れ出ている。
手が震え、それが体全体に伝播する。
傷口より見える白いモノやピンク色のモノが目に飛び込んでくる。

「ぅ……、あ……」

ぐっ、と喉に指を突っ込まれたような吐き気がこみあげてきた。
震えは止まる事はなく、ただ必死に目の前の現実を否定しようとしている自分に気が付いた。

「士郎、士郎─────しろう…………っ!!」

しゃがみこんで、ただひたすら少年の名前を呼ぶ姿を見ていた綾子は歯を食い縛った。
士郎の姿も、鐘の姿も、ただ痛々しく感じて、直視などしていられなかった。

「───アンタはぁっ!!」

右手に力を加え、後ろを振り向きざまに背後にいる赤い騎士へと殴りかかった。
パン、と渾身の一撃は軽く片腕で止められてしまう。
驚きはしない。驚く暇があるのなら、もう片方の拳でアーチャーの顔面を殴り飛ばそうと腕を動かす。
だがそれもやはり止められてしまう。
軽くあしらわれる感覚。力もない幼子が大人にグーで攻撃しているのと同じ。
それは今の綾子にとってこれ以上ないほど惨めだった。

「何で─────なんでこんなことを……!」

「なぜ、か。理由は複数あるが、一つを挙げるなら……人の為、と言った方がいいか」

「人の為─────だって?」

「その男の理想は“正義の味方”だ。─────だが、その理想はひどく現実と離れている。放っておけばその甘さでいずれ取り返しのつかない過ちを犯す。そして多くの人間の命を巻き込む。だからこそ、この場でその禍根を断った。それだけだ」

「何が……!衛宮がそんなことするわけないだろ!!」

慟哭にも近い声でアーチャーに怒鳴りつける。
少なくとも綾子の中で衛宮士郎が誰かを危険にしたという記憶はない。
寧ろ危険を顧みずに自分たちを助けていた。
それがどう転がって人の命を巻き込むという表現になるのか。
それが判らなかった。だが、アーチャーの言葉を聞いて、一瞬時間が停止した。

「するとも。………ここにいるオレがその証拠だ、美綴」

息が一瞬止まる。
この男が一体何を言っているのかが理解できなかった。
その表情は如何なるものだったのか。

アーチャーの心に清涼感はない。
まして胸に到来している感情は戸惑いすら覚えていた。
自分は間違ったことをしてしまったのではないかという疑惑と、そんなことを思い立った自分に対する疑念が胸にこもる。
心にヒビが入る。

「では……やはり、貴方は……」

綾子の背後で鐘が呟いた。
腕の中には目を瞑った士郎が眠っている。
一つの疑惑。
アーチャーの言葉より推測し、先ほどの決定的な言葉を聞いて可能性は確信へと変わった。
思考が纏まらなかった綾子も、ようやく言った意味が理解できた。

「ああ、そうとも。……オレはその男の理想の果て……英雄エミヤだ」

眼前にいる男。
外見はほとんど似ていない男が、衛宮士郎自身。
その言葉を聞いて、綾子の腕から力が抜けた。
どういう事かが理解できない。

「衛宮の……理想の果て……?」

戸惑いだけが、綾子の中に渦巻く。
では衛宮士郎を殺したのは衛宮士郎本人だと言うのか。
その理由は?なぜ?なぜ?なぜ?

「確かにオレはその男の理想通りの正義の味方とやらになった。だが、その果てに得たものは何もない。……ただの後悔だけだった。なにせ残ったものは死だけだったからな」

「─────」

なぜ彼女らに話しているのかもわからない。
ただ、何か話しておかなくてはいけない気がしたから話した。
例えそれに意味がないとしても、二人の顔を見ると何も話さないというわけにもいかない気がしたのだ。

「殺して、殺して、殺し尽くした。己の理想を貫く為に多くの人間を殺して、無関係な人間の命なぞどうでもよくなるくらい殺して、殺した人間の数千倍の人々を救ったよ」

言葉が出ない。
綾子も鐘もただ、アーチャーの言葉を聞いていることしかできない。
何かを言おうにも、何を言えばいいかがわからない。

「何度繰り返したかすら判らない。オレは求められれば何度でも戦ったし、争いがあると知れば死を賭して戦った。何度も何度も、思い出せないほど何度もだ」

けれど、この男は衛宮士郎ではないか、という感覚が残る。
自分たちの知る衛宮士郎もまた、そのような生き方をする、と言われれば否定はできないと思うから。
それだけ過去、士郎を見てきた者にとってはそう思ってしまうのだ。

「けれど、何を救おうと救われない人間は出てきてしまう。何度戦おうが同じだった。……ならば、一人を救うために何十という人間の願いを踏みにじり、踏みにじった相手を救う為に、より多くの人間を蔑ろにした。何十という人間の救いを殺して、目に見えるモノの救いを生かして、より多くの願いを殺した。今度こそ終わりだと、今度こそ誰も悲しまないだろうと、つまらない意地を張り続けた」

トクン、と小さな音が鳴った。

「─────だが終わることはなかった。……別に争いのない世界なんてものを夢見ていたわけじゃない。ただオレは、せめて自分が知り得る限りの世界では、誰も悲しんでほしくなかっただけなんだよ」

ああ、同じだ、と。
思ってしまった。
衛宮士郎のうちなるモノを完全に理解していたわけではない。
けれど、衛宮士郎がどういう人物であるか、というのは薄々思っていたことではあったし、それは聖杯戦争に巻き込まれたことによって顕著に判った。

「一人を救えば視野は広がっていく。一の次は十、十の次は百、百の次は……さて何人だったか。そこでオレはようやく悟ったよ。衛宮士郎という男が抱いていたものは、都合のいい理想論だったと。全ての人間を救うことはできない。例え大戦時代に生きていない君たちとて、それはわかるだろう」

全ての人間を救うことはできない。
そんな大きな事をこの十年とそこらの人生の間に真剣に考えることは今までなかった。
考えなかった、と言えば嘘になるが、真剣に考えたといっても嘘になる。
けれど、漠然とではあるが、世界全ての人間が幸福になれているとは思ってはいなかった。
独裁政権下や紛争など、今でも理不尽な理由で死んでいる人達はいる。

「……幸福という椅子は、常に全体総数より少ない。その場にいる全員を救う事などできないから、結局誰かが犠牲になる。────それを。被害を最小限に抑えるために、いずれこぼれおちる人間を速やかに、一秒でも早くこの手で斬り落とした。それが英雄と、その男が理想と信じる正義の味方の取るべき行動だった」

誰にも悲しんでほしくないという願い。
出来るだけ多くの人間を救うという理想。

今に置き換えるならば。
鐘にも綾子にもイリヤにも桜にも死んでほしくはないし、悲しんでほしくはない、という願い。
聖杯戦争によって無関係な人間が死ぬのを防ぐために、戦って街の住人を救うという理想。
これが当てはまる。

その二つが両立し、矛盾した時─────取るべき道は一つだけだ。
正義の味方が助けられるのは、味方をした人間だけ。
全てを救おうとして全てを失くしてしまうのなら、せめて。
一つを犠牲にして、より多くのモノを助け出す事こそが正しい、と。

「全てを救おうとして、全てを救おうとする。……オレはその男の未来の人間だからな。その結果が何を生むかなど目に見えている。ならば、より多くの人間を救うために一人には絶望してもらい、多くの人間を助けるべきだというのに、その男はそうしなかった。愚かにも犠牲になる“誰か”を容認しないまま、理想を守ろうとした」

「─────」

「そうして全てを失うくらいなら、誰かを犠牲することを容認したほうがいい。そうした結果がこのオレ、英雄エミヤの正体だ。その男はまだ容認していないだけで、いずれオレと同じ場所へとたどり着く。……道理だろう? 全てを救おうとして犠牲を容認しない理想など、実現するハズがない。そうして実現するためには犠牲が必要と判断し、オレとなり………理想の為に多くの人間を殺す。───そら、そんな男は今のうちに死んだ方が世の為だろう?」

衛宮士郎は将来、正義の味方になるために人を殺す。
理想を守り続けるために、人を救うために、人を殺す。
つまりはそういうことなのだろうか。

「……しろう?」

鐘は腕に伝わる違和感を覚えた。
腕の中には目を瞑っている彼が………

「好き勝手……言いやがって…………」

目を覚ましていた。

「何………!? 馬鹿な、致命傷だった筈だ。なぜ生きている、衛宮士郎」

「衛宮!?」

背後より聞こえた声に反応して、アーチャーと綾子が士郎の方を見る。
鐘の腕より体を起こした士郎だったが、様子がおかしい。

「………おい、衛宮……? その身体……なんだ?」

斬られた筈の部分から見えるモノ。
それは赤でもなく白でもなく、ピンク色でもない。
銀色。
まるで先ほどまで自分たちを囲っていた剣ような、銀色だった。

「そうか、固有結界の暴走……!死にかけたことによって暴走したか。だが、ならばそれこそ死に絶える筈だ。なぜ傷を塞ぐような事になっている……!?」

アーチャーの動揺も今の士郎には届かない。
士郎には、今アーチャーが言った事にも納得いかなかったが、それとは別の理由にも気が付いていた。
アーチャーと打ち合った際、そこから感じられたのは決して“人の為に”という理由だけではない、別の感覚を掴んでいたのだ。

「……それだけじゃないだろ。じゃなきゃ……お前がそこまで怒る理由がない。俺が敵なら、敵として排除するだけでいい。その後で懺悔しようと罵ろうと勝手だ。けど、お前は俺の理想まで否定した。……お前が“衛宮士郎の理想の果て”の存在だっていうのに」

目に見えて重傷……いや、致命傷。
一秒でも、刹那の時間でも早く治療をしなければ助からない。
だがこの場に手当ができる者がいない以上、助かることはない。
しかしその道理を士郎は打ち崩している。
打ち崩してはいるが、弱っていることには変わりない。

「そう……か。どう湾曲しようとも、アーチャーが士郎の理想の果てだっていうなら、それを否定することはその果てにいるアーチャー自身も否定することになる、という訳になるのか……」

「……それって、自己の否定─────ってことか……?」

どうであれ士郎がまだ生きていることに安堵する二人。
だが、士郎の言葉を聞いてアーチャーの顔を見た時、そこには動揺の色はなかった。

「……オレはただ、誰もが幸福だと言う結果が欲しかっただけだ。だが、生前それを叶えられたことはなかった。ならばせめて守護者になり、人類の滅亡とやらから人間を守るために世界と契約した。……そうすれば誰かを救えるのではないかと、そう思ったからだ」

だが、という言葉にはもはや増悪しか含まれていなかった。

「守護者とは“霊長の存命”のみを優先する無色の力だ。人の世が滅亡する可能性が生じれば世に下る。……判るか? 滅亡する可能性が生じれば召喚される、ということはつまり、それに至るまでは世に下ることはない、ということだ。……つまるところ守護者がすることは、ただの掃除だ。既に起きてしまった事や作られてしまった人間の業を、その力で無にするだけの存在だ」

「ただの……掃除だって?」

「そうだとも。世界に害を与えるであろう人間を、善悪の区別なく無にするだけ。絶望に嘆く人々を救うのではなく、絶望と無関係に生きる部外者を救う為に、絶望する人々を排除するだけの殺戮者。バカげた話だ。それが、今までのオレと何が違う!」

ぎり、と歯を食い縛る音が聞こえた。
何も違わない。そしてその分絶望が増しただけだろう。
自分一人の力では叶わないから、より大きな力に身を預けた。
だが、その先も結局は同じだった。
その力ならば叶うと思った事なのに、その力は、エミヤがしたことをさらに巨大化しただけのモノだったのだから。

「だが、それも慣れたよ。何度も見てきたからな。意味のない殺戮も、意味のない平等も、意味のない幸福も……!オレ自身が拒んでも、守護者となったオレには拒否権はない。人間の意志によって呼び出され、人間が作った醜い罪の後始末をさせられるだけの存在だったからな」

それが、アーチャーの辿り着いた結末。
衛宮士郎がかつて持っていた理想を貫き通すために、理想に反しながら理想を守り抜いた果て。
生前では叶わなかったからこそ、死後守護者になることで理想を守ろうとして結局─────ただの一度も、それを叶える事はなかった。

「────オレは人を救うために守護者になった。故に、オレが望んだモノは決してそんな事ではなかった!オレはそんなモノの為に、守護者になどなったのではない………!!!!」

込み上げる怒声は、士郎に対して言われたモノではない。
綾子と鐘の目の前にいるのは、とうに摩耗しきったエミヤシロウという残骸だった。
エミヤという英雄は、救いたかった筈の人間の醜さを永遠に見せ続けられる。
その果てに憎んだ。
奪い合いを繰り返す人間と、それを尊いと思っていたかつての自分そのものを。

「オレは人間の後始末などまっぴらだ。だが、守護者となった以上、そこより逃げ出す術はない。……だが」

一度冷めた瞳に、再び揺るぎない殺気が灯る。
アーチャーの目に鐘と綾子は存在しない。
彼の目的は最初からただ一つ、自身の消去だった。

英雄となる筈の人間を、英雄になる前に殺してしまえば、その英雄は誕生しない。
故に─────

「………究極の自己否定。自分という存在を自分自身で殺すことで、未来の己である自分を消去する。……そういうこと、なのか………」

「そういうことだよ、氷室。オレはその機会だけを待ち続けた。故に最初に言ったな? その男は味方ではなく、敵であると。果てしなくゼロに近い確率だろうと、時間軸に囚われない以上はソレに賭けた。そう思わなければ、自身を許容することなど不可能だからだ。ただ衛宮士郎を殺す時だけを希望に、オレは守護者などというモノを続けてきた」

肯定。
顔を伏せてしまう。
それはあまりにも悲しすぎた。
人の為に戦い続けてきた彼は、結局生前も、死後も救われることも報われることもなく、ただ自分だけを恨んでいた。
そしてそれが。

(それが……士郎の辿る道だというなら)

彼は自分よりも他人を大切にしている節があった。
勿論、人にやさしくするのは大切なことだろう。
けれど、自分を蔑ろにしてまですることではない。

彼の生き方に不安を覚えたのは柳洞 一成との会話。
そしてそれが明確な不安となったのが、城での出来事。
そしてそれが確信へと変わってしまったのが、今この瞬間だった。

『君が報われないのは嫌だ』

あの時、そう言った。
けれど、結局今目の前にいる彼は報われていない。
それはつまり………

「アーチャー。お前、後悔しているのか」

「無論だ。オレ……いや、おまえは、正義の味方などになるべきではなかった。そして今、お前は死んだ方がいい人間だ。……災厄を助けようなどと戯言を言うのだからな!」

吐き捨てられる言葉。同時に長剣を投影し、士郎へと疾走する。
己の目的のため、そしてこの街の被害を抑えるために間桐桜を殺すために、眼前にいる幼い己に剣を振り下ろした。

「士郎!」

ギィン!! と手に持った干将莫邪がアーチャーの攻撃を受け止めていた。
受け止めたはいいが、勢いは殺されずに後ろへ倒れてしまう。
だが、アーチャーはその事実に驚愕する。
そもそも衛宮士郎の体はすでに死に体のはずである。
立っているという時点でおかしいのに、攻撃を受けることができるというのは異常だ。

「……そうか。それじゃあ、やっぱり俺たちは別人だ。俺は後悔なんてしない。それに俺の理想は……俺の手が届く人全てを救う事だ。桜もそう、イリヤも美綴も氷室もだ。お前みたいに……誰かを犠牲になんてしない!!」

倒れた身体を震える腕が起き上らせる。
すぐ横に駆けつけた綾子と鐘が士郎を介護しようとするが、その腕は出なかった。

彼の目は死んでいなかった。
自分の理想であるはずの存在を見て、自分の未来が一体どのような結末になったのかを知ってもなお、前を見ていた。

「貴様……」

誓った。
衛宮切嗣と。あの灰色の世界で、それを見て。
誓った。
自分自身に。あの灰色の少女……鐘を守る剣になると。
ならば─────

「そうだ─────体は剣で出来ている! 俺は負けない!誰かに負けるのはいい。けど、お前にだけは負けられない!!」

ギチ、と傷を覆う様に見えていた剣が音を立てる。
自らに胸を張る為に、自分の心を口にした。

同時に二人の男が大雨の中疾走する。
ギィン! という音は今までのどの剣戟よりもはるかに大きいものだった。
つまりそれは両者の力が上がったということであり、そしてそれはありえない剣戟だった。

「ぬっ─────」

一撃、二撃、三撃。
攻撃は止まらず、四、五、六、七、八と続いていく。
一歩踏み込んで剣を振るい、二歩踏み込んで剣を突く。
回避した身体を独楽のように回転させて、薙ぐように剣を振って反撃する。

後ろへギリギリ躱せる程度に回避して、次より振り下ろされる剣を防ぐ。
防ぎ、攻撃し、回避し、背後をとって剣を突きだす。
体を反転させ、両手の剣で攻撃を防ぎ、常に足を動かしながら攻撃を仕掛ける。

斬りかかる体は満身創痍。
指は折れ、手足は裂かれ、本人は気づいていないが呼吸はとうに停止している。
だが、速度は上がり、精度は増し、力は増幅している。
戦闘スタイルもよりアーチャーに似通っており、それを実現させるように彼の強化魔術が士郎の肉体を動かしている。

打ち合う度に士郎の体の剣がギチリと音と立てる。
それはどれよりも異常な光景だというのに、士郎は全く意に反さない。

その心が、幼き頃より“彼女の剣となる”という強き思いで括られていたならば。
その身体が、心を体現するべくそうなるのは道理なのだろう。
是非もない。
彼の体はそれを表現する回路を有しているのだから。

「な─────に?」

アーチャーの放心は、刹那に驚愕へと変わった。
振るわれる剣は叫びのように、アーチャーの想像を遥かに超えた速度で、長剣を軋ませた。
凌ぎ合う剣戟の激しさは今までの比ではない。
サーヴァントとは魔術師よりも強い。
それは聖杯戦争に参加する者ならば、当然だと言って捨てるだろう。
だが、それが未来の自分であり、打ち合う度に吸収して、同じスタイルになり、不足分を強化で補っているというのであれば。
そこまでの圧倒的差は存在しなくなる。

もとより未来の自分。
遅かれ早かれそこに到達するのであれば、それは敵わない敵ではない。

「貴様─────!」

受けになど回れない。
どんどん自分へと強さが近づいてくるというのであれば、これ以上厄介になる前に終わらせる。
この一撃ならば確実に首を刎ねる。
軽んじられる状況ではないと判断した上で、アーチャーは剣を走らせる。

上下左右。
疾風の如く四連撃は、死に体である士郎の身を斬り殺すには有り余る。
だが、それを─────

「………………!」

ギィン!という音をちょうど四回鳴らせて、防ぎ切った。
否、それどころか、必殺の四連撃を上回り、剣風はアーチャーの首を刎ねに来る─────!
息を呑みこみ、即座に剣を弾き飛ばす。
大雨により足元が緩み、体勢を崩しかけるところを踏みとどまるが………

「何…………!?」

眼前にいる士郎の両手に剣がない。
干将莫邪。
そう呼ばれる白と黒の剣。その姿がどこにもない。
つまりそれは。

「舐めるな……!!」

両サイドより襲いかかってくる干将莫邪を、手に持った長剣で叩き落とす。
同時に長剣を消して、即座に干将莫邪を投影。
得物を失った士郎の元へ突進するが、それを士郎もまた同じように投影した干将莫邪で受け止めていた。

「こいつ………!」

もとより。
この衛宮士郎は、かつての自分ではない。
強化を使い、投影も可能な衛宮士郎。
ならば、この時代の自分のよりも上の想定で戦わなければいけない。

故に攻めなければ倒されると、アーチャーは直感した。
干将莫邪は死に体である士郎を襲い、士郎もまたアーチャーを襲う。
拮抗する両者の剣戟。

だが、打ちこむたびに士郎の体は倒れそうになる。
至極当然、彼は怪我をして大量出血をしている。体が保つはずがない。それこそ大怪我を負った状態で戦うなど正気の沙汰ではない。
だが、それが固有結界の暴走の果てに傷が塞がっているとなると、いよいよアーチャーには理解できなくなる。

「貴様のその理想! それが借り物だと知りながら、それでもまだ進むというか!!」

ギィン! という音はもはや耳に残っている。
それほどまでに剣戟は続いていた。
打ち合う度に息が上がって行く士郎とは対照的に、まだ体力的には余裕のあるアーチャー。
だがそれでも攻めきれない。
それが知識を吸収したためだけとはとてもではないが考えにくい。

「借り物じゃない……! 氷室の剣になるっていうのも、美綴を守るってうのも、桜を助けるっていうのも!」

甲高い音と共に雨が斬られる。
足場の悪さなどまるでないかのように二人は剣を振るい続けている。

「正義の味方になるっていうのも!! 全部俺の意志だ!!」

フォン! と風を斬る音と共に、干将莫邪が振り下ろされる。
それを受け止めるべく、剣を構えるアーチャー。
だが─────

「なっ…………!?」

バキィン! と大きな音と共にアーチャーの持っていた干将莫邪が砕け散った。
つい先ほどとは全く真逆。
咄嗟に後ろに跳び退いたアーチャーは、士郎の持つ干将莫邪を見つめる。

骨子の想定がかなり高い。
……否、その想定は先ほど自分が投影したモノよりも高い。
それに異常性を感じる。
だが同時に理解した。
士郎の背後にいる灰色髪の少女。

契約した昨晩。
僅かではあるがアーチャーは眠りについた。
マスターがサーヴァントの過去を見るように、サーヴァントもまたマスターの過去を見る。
眠った時間は短かったが、士郎とアーチャーの関係上、それは十分な時間でもあった。
そこで見た光景。
それは灰色だった。

干将莫邪。
白と黒の陰陽剣。

アーチャーはその剣を“ただ作りたいから作った”。
綺麗だと思ったし、生涯その剣が自分の相棒といっても過言ではないほど使いこなしていた。

だが、この少年は違う。
この少年はその剣を“作るべくして作っていた”。
自分が剣の心象世界を持つようになったきっかけ、氷室 鐘という存在。
彼女の為に剣になると誓った、その強い誓い。
強い心は心象世界にも反映し、だからこそ暴走するまでに彼の心象世界は強まっていた。
そして彼女のカラー、灰色。
灰色には白と黒が混ざり合う。
もし彼がアーチャーには無いモノを心に持っていて、それがこの干将莫邪に反映されていたとしたら?
彼が灰色というモノに強いナニカを持っていて、それを二つに分けたこの干将莫邪に投影していたとしたら?

衛宮士郎の投影は、常に自分との戦い。
己がイメージする最強の自分、己がイメージする最強の武器を投影することが彼の戦い。
自分という一人の存在だけで作り上げたアーチャーと、自分とそのきっかけである彼女の色をイメージした上で作り上げた士郎。
強すぎるイメージ故の固有結界の暴走。
だか、強すぎるイメージ故の自分を越える干将莫邪の存在。
イメージには筋がいる。筋が通っていなければ簡単に投影品は瓦解する。
だが両者に筋が、理が存在しているのであれば、後はそれが強い方が打ち勝つ。

アーチャーにはなく、衛宮士郎にはあるもの。
それは今やアーチャーの中には存在しない、衛宮士郎になる前の己だった。

「───く」

一旦距離を離したアーチャーは、その考えに至り─────

「─────は。はは、ははははははは!!」

心底おかしいと、笑い始めた。

「くく、ははははは!いや、これは傑作だ。ここまで違うと、もはやすがすがしさすら感じる。………────────────────────だが、だ」

くぐもった笑みは、一瞬で殺気によって消え失せる。
アーチャーより放たれる殺気と魔力は、明らかに異なっている。

「………それでもいずれ、オレに追いつくときがくる。お前がその理想を抱き続ける限り、誰かがお前を止めない限り……お前はここへと至るだろう」

「? なにを─────」

肩で息をしながら、剣を投影しないアーチャーを訝しげに見る士郎。
後ろにいる鐘と綾子は、ただ士郎が別人のように強くなった様を見ていた。
そして同時に強い危機感も抱いていた。

そう。
衛宮士郎とアーチャーは戦い方が似すぎている。
否、同じ人物なのだから当然だろう。
ただそれだけで判断しようなどとは思わないが、どうしても不安になってしまう。

いずれ、士郎も彼と同じ結果に至ってしまうのではないか、と。
彼の持つ理想は確かに美しいものだ。
誰も傷つかず、笑っていられる世界。
そうであればいいと思うのは同じ。

けれど衛宮士郎はそこでとどまらない。
アーチャーが言ったように視野が広がっていくかもしれない。
そうなった時、果たして彼はどうなるのか。
それこそ、自分では止まることができない彼を、止める誰かが必要なのではないだろうか。
どこかへ行ってしまわないように………。

────I am the bone of my sword
─────体は剣で出来ている

────Steel is my body, and fire is my blood.
─────血潮は鉄で、心は硝子

────I have created over a thousand blades.
─────幾たびの戦場を越えて不敗

────Unknown to Death. Nor known to Life.
─────ただの一度も敗走はなく、ただの一度も理解されない

────Have withstood pain to create many weapons.
─────彼の者は常に独り、剣の丘で勝利に酔う

────Yet, those hands will never hold anything.
─────故に生涯に意味はなく

それは呪文。
英霊エミヤの悲しい呪文。
恐らく……いや、きっと正義の味方になろうと奔走して、その果てに何も得る事が出来なかった者の呪文。

その光景を目の当たりにするのは三人。
うち二人は魔術師ですらない。だが、それでも構わないとアーチャーは思った。
この世界は二人すらも呑み込む。
ただひたすらに突き進んだ男が持っていた世界が。

────So as I pray, unlimited blade works
─────その体はきっと剣で出来ていた

その世界を、三人は見る。


※誤字や修正部分が多かったです。大変失礼しました



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第43話 たった一つの想い
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:47a17094
Date: 2013/04/30 00:27
第43話 たった一つの想い


─────第一節 貫く難しさの中で────

炎が走る。
雨降る灰色の世界は、アーチャーの詠唱によって塗り替えられていく。
陽炎に揺れていく世界。
その中で、しかし士郎は決してアーチャーから目を逸らさない。

境界線の如く走った炎は視界を奪い、目に映すのは赤い荒野。
どこまでも続く地平線の先には巨大な歯車が廻り、そのどこまでもに無数の剣が突き刺さる。
まるで製鉄場、或いは錬鉄場。
ならばその中心に立つ赤い騎士は製鉄者、或いは錬鉄者と言ったところだろうか。

燃え盛る炎は剣となる鉄を造りだし、廻る歯車が剣を造る動力となり、作り出された剣は担い手がいないまま廃棄処分場に放置されるが如く地面に突き刺さる。
その剣、大地に連なる凶器群は全てが名剣。
干将莫邪も、元はこの世界より編み出されたモノ。

「これが俺の世界………英霊エミヤが持つ固有結界だ、衛宮士郎」

アーチャーの言葉を聞いて、ゆっくりと瞼を閉じる。
時折吹く風は熱く、ここがただ剣だけがあるべき世界だと伝えてくる。
この世界に一体何を祈り、何を求めたのか。
その光景はかつて士郎が見た光景と何一つ変わらず、その果てに至った結果を見る。

「正義の味方を目指し、何度も何度も絶望を見てきた。そこにいる人間の切望も、死に顔も、救われぬ者を殺す時の彼の者の顔もだ」

どう足掻いても救えない者。
救おうとしても零れ落ちてしまう者。
その度に赤い騎士はただ現実に疑問を投げかける。
答えを求めても答えは見つからず、同じ事を繰り返す。

「………けど、それでも前に進んだんだろ、アーチャー」

ゆっくりと瞼を開け、目の前にいるアーチャーへ問いかける。
対するアーチャーは言葉こそ発しなかったが、それは肯定だった。

突如変貌した世界に驚きを隠せない二人だったが、目の前にいる二人から感じる雰囲気で驚きは消え失せた。
この世界が一体何なのかという疑問こそあったが、同時にこれが衛宮士郎の持つ世界だという事が理解できた。
理解できたが故に、言葉は出なかった。

「────ここまで来た以上、退くことはない」

アーチャーの左腕があがる。
赤い騎士の背後に刺さる無数の剣が次々と浮遊していく。
その光景は次に何が起きるかを容易に想像させる。

「お前はその結果に至った。けど、俺はその難しさの中でも────」

ギン、と士郎の両手に干将莫邪が握られる。
対する浮遊する剣群は、その切っ先を士郎へと向けた。

「────俺は守り抜く。かけがえのない人達の為に、果たしたい約束の為に。………俺は走り続けるぞ、アーチャー!!」

号令が下った。
同時に士郎がアーチャーの元へ駆ける。
放たれる無数の剣。
強化した脚が赤い荒野を駆け抜ける。

「………っ!衛宮!!」

その光景を見て鐘が叫ぶ。
けれどその背中は大丈夫だと、そう伝えてくる。

ギギギギギン! という音と共に降り注ぐ剣を干将莫邪が弾き飛ばす。
直撃する剣だけを的確に叩き飛ばし、確実に前へ進んでくる。
それでも防ぎきれずに脚や腕に剣が掠る。
その度に血が吹き出し、血流していく。

だがそれでも倒れない。
真っ直ぐ、士郎はアーチャーだけを見て前へと進んでくる。
敵う筈がない。
相手はすでに死に体。
攻撃を受け止める度に体勢が少しずつ崩れ、一撃を放つ度に息があがり、倒れそうになる。

「────────」

それを見て、アーチャーは確信する。
敵に力など残っていない。
目の前の男は見た通りの死に体であり、保って数秒だろう。


士郎自身ももはや意識などない。
筋肉は酸素を求めて悲鳴をあげ、足りな過ぎる血液は運動停止を命じ続けてくる。
その悉くを力づくで押し殺せば、次は剣が体を侵食してくる。
その度にまたも体が悲鳴を上げ、停止命令を出してくるがそれをも押し殺した。

止まるわけにはいかない。
正義の味方を目指していれば、士郎は目の前の男と同じ末路を辿るかもしれない。

それでも。
そう生きられたのなら、どんなにいいだろうと憧れた。


「こいつ────」

赤い騎士は目の前の光景に疑問を抱くしかなかった。
かなりの数が降り注いだ。
あの死に体には十分すぎるほどの剣の量だ。
だがあの男はかすり傷こそ受けど、致命傷となる攻撃は一撃も受けていない。
それを受ける前に全てを弾き飛ばしている。

その異常。
死に体でありながら、なぜそこまで力が出せるのか。
動くたびに体の剣が少しずつ広がっているのがアーチャーからでもわかる。
それは目の前の男が誰よりも何よりも判っている筈だろう。
それはそれだけ死に近づいているということだ。

死にかければ死にかけるほどに死を加速させるように彼の固有結界は暴走する。
故にその痛みは激痛なんてものではすまない。
それこそ脳に異常をきたし、記憶の一部が崩れ落ちていくだろう。

見れば剣を握る両手は、とうに柄と一体化している。
剣を固定する為だろうが、アレでは直接体に衝撃が響く。
血にまみれ、大きな一撃を受けるだけで貫かれて倒れ込み、死体となる。
そんな少年にとって、振るう一撃は地獄の苦しみと同意の筈だ。

それを苛立たしくすら受け止める。
死に損ないの敵も癇に障るが、その敵を圧倒的有利状況でありながら倒せない自分にも苛立った。

「────チ」

数が少なくなった拳銃に剣を詰める。
気がつけばあれだけ浮いていた剣群が残り十を割っていた。
目の前には降り注いだ剣が突き刺さり、直撃する筈の剣だけは破片となって潰されている。

「…………………!」

聞き取れない声。
瀕死のソレは、一心に前へと進んでくる。


助けられなかった人たちと、助けられなかった自分がいる。
いわれもなく無意味に消えていく思い出達を見て、二度とこんな事は繰り返させないと誓った。

「俺は────」

動く度に、それに呼応するかのように体に見える銀色の物体が疼く。
ギチリ、ギチリと音を立てて体を侵食してくる。
今後自分がどうなってしまうのかもわからない。

だが、それでも進み続けると決めた。

それからどれほどの月日が流れたか。
失くしていた物があって、落としていた物がある。
拾いきれず、忘れてしまう物は出てくるだろう。

けれど、それでも思い出した。
取り戻した。
拾い取った。
その自分がいる。

過去を思い出させてくれた人がいる。
そこで誓った約束を取り戻した己がいる。
落としかけたモノを拾い取らせた人がいる。
そうして前に進む己がいる。

だから。
この誓いは二度と忘れないように、零れ落とさないようにと。
前を向いて進む。

叶わないと。
衛宮になった頃、自分を救ってくれた人が寂しげに遺して逝った。
その言葉に籠められた願いを信じて、前を向いて進む。

「俺は、負けない!おまえが、正義の味方を目指したことを後悔してるっていうなら────」


そうして、アーチャーは気づいた。
この敵は止まらない、と。
決して自分からは止まらない。
敵はまっすぐ此方を見ているが、敵意を感じない。
ただ、自分が守りたいものを守るという意思だけが、彼の歩を進ませる。
それこそが、赤い騎士が憎んだ過ちだというのに。

「っ………!そこまでだ、消えろ────!」

降り注ぐ剣の雨をしのぎ切った姿を見て、忌々しげに舌打ちする。
現れるのは、二メートルはあろうかという九本の剣。
それらが寸分たがわず、士郎の上空より降り注いでくる。
一本でも受けたら終了の大剣を、高速で殺到させる。
今の衛宮士郎では弾くことはできない。
否、例え一本を防いだとしても多角方向から迫りくる同様の攻撃八本を凌ぐことは不可能。

────投影、開始トレース・オン

迫りくる九つの剣。
どれもが自身の身長よりも高い大剣。
半端なモノでは迎撃もできない。

頭痛は未だに続き、剣は確実に体を蝕んでいる。
死に近づけば近づくほど、それを示すかのように体に見える剣が疼いてくる。

けれど、思考は冴えていた。
自身の戦力は把握して、何を成すべきかもはっきりとしている。
創造理念、基本骨子、構成材質、製作技術、憑依経験、蓄積年月の再現による物質投影、魔術理論・世界卵による心象世界の具現、魂に刻まれた『世界図』をめくり返す固有結界。
弓兵が蓄えてきた知識と経験。

そこまで得ながら、決して自分は弓兵にはならないと。
確固とした自分を持ち、それでいながら彼を受け入れて自分として前へ進む。
ただ真っ直ぐに。
目の前にいるアーチャーだけを見て。

投影するのはこの大剣群に対抗できる剣。
右手を広げ、まだ現れぬ架空の柄を握りしめる。

これは弓兵の中のモノではない。
自分が、衛宮士郎が、経験しそこより引き出すモノ。
そこに込められたあの者の意志までもを確実に再現する。

足りない知識は補おう。
足りない魔力は追加しよう。
足りない力は強化しよう。

桁外れの巨重。
扱えきれないのであれば────扱えるまでに自分を強化しよう。

そうして彼の意識によって現れたのは一度見た者ならば、決して忘れる事など無い武器。

「あれは………!」

その光景を鐘は見る。
掲げられた右手に握られているのは、衛宮士郎の体には不釣り合いなほどに巨大な斧。
かつてイリヤが従えていた巨人が持っていた、圧倒的な剣。
己の主を頼むと言って、散っていった戦士の剣。

守る為には生きなければならない。
果たすためには戦わなければならない。

「────────」

士郎は何も言わずに、ただ降り注ぐ大剣だけを睨めつけた。

幼き頃の自身に誓ったモノ。
自分の父親と誓った約束。
帰り道で襲われた同級生を守ると約束したこと。
灰色の少女との思い出を思い出して、かつての少女と約束したこと。
主を頼むと言って消えた巨人との約束。
その主である幼い少女の願い。

ここに来るまでに様々なことがあった。
死にかけた事は一度では済まなかったし、怪我なんてもっといっぱいあった。
ここまで来る間の出来事は、決して楽しいことばかりではなかった。
失ったモノ、忘れてしまったモノ、それはこれからも出てくるかもしれない。

けれどその時になって、後悔だけはしないように今まで走り続けてきた。
そして、今もまだ走れる。
途中止まりかけた足を、進めてくれた人が後ろにいる。
失くしかけた夢を思い出させてくれた人が後ろにいる。

まだ走ることができる。
確かにアーチャーの言う部分もあるだろう。
けれど、こんな世界だけれど、守りたい人がいる。

それは目の前にいる弓兵だって同じだった筈だ。
だから、何もそんな悲劇的な結末じゃなくてもいいはずだ。
その彼が、もう変わることができない場所にいると言うなら。

彼が後悔してしまった夢を実現させるために走り続けたっていいはずだ。
そのために。

「────おまえだって救ってやる!おまえが……、俺が!進んだ道は決して、間違いなんかじゃないんだから…………!!!」

その瞬間。
衛宮士郎という存在は、英霊エミヤの背中を突破した。

────投影、装填トリガー・オフ

体内に眠る二十七の魔術回路をその全てを総動員させる。
一つでも打ち損じればもはや生きられない。
けれど、もはやその不安は皆無だった。
なぜなら。

全工程投影完了セット────────是、射殺す百頭ナインライブズブレイドワークス………!」

例え叶わぬ夢であったとしても、そこへ走り続けることは決して間違いではなかったと。
後ろにいる灰色の少女が、らしくない声援で後押ししてくれたのだから。


─────第二節 決着─────

そうして決着はついた。
迫りくる九の大剣を打ち払った士郎は、即座にアーチャーの元へと駆け、その喉元にぴったりと得物を突き付けていた。

互いに言葉は無く、それを見ていた二人にも言葉はなかった。
赤い騎士は、今起きた光景にただ十重二十重の驚きを抱いていた。
一つは突進してくる少年の、容易に捌ける筈の攻撃を捌けなかった驚き。
もう一つはその敵が、攻撃が当たる直前で、その攻撃を停止させたこと。
そして、彼の言葉が胸に突き刺さった事だった。

「…………」

固有結界が消え、元の灰色の世界へと戻る。
雨はいつの間にか止んでおり、雲の隙間から日の光が見え隠れする。

「………俺の勝ちだ、アーチャー」

ぴったりと喉元に突き付けられた大剣。
その気になればこの状況からでも反撃はできるだろう。
だが、アーチャーの腕は上がらない。
それが何よりの宣言だった。

「─────お前の勝ちというならば、なぜ攻撃を止めた。………敵は斬り伏せるものだろう」

彼が攻撃を直前で中止した理由。
それは。

「まだ聖杯戦争は終わっちゃいない。桜の事も間桐臓硯の事も。セイバー以外のサーヴァントだっている。……それに今の俺一人で何でもできるって傲慢になるつもりはない」

一人で戦えって言われれば戦うけどな、と吐いた。
一度瞼を閉じたアーチャーは、士郎を見据え────

「─────つまり、協力しろと?」

「ああ。けど、一番の理由はさっきも言っただろ。…………“おまえも救ってやる”……って─────さ………」

投影した大剣も僅かに引いた途端、元からそうであると言うようにザラザラと散っていく。
同時に緊張の糸は解け、自分の体の悲鳴を受け入れた。
斬られたところは当然だが血が流れており、腕は小刻みに震えている。

意識は朦朧として、立つためのバランス感覚がおかしくなっていることに気が付いた。
まるで脳を直接揺すられているかのように視界が動き、視線がまとまらない。
体に見える銀色の物体は体への侵食を止めていたが、傷があった部分は完全に剣になっており、最初に見た時よりもわずかにその範囲が広がっている。

ふらりと視界がアーチャーから灰色の空へと移り変わった。
立つ事すらできないで、背中から倒れるように傾いたのだ。
思考もどんどん停止していく。

ああ、このまま倒れるんだろうなあ なんて他人事のように考えたときだった。

「衛宮」

聞きなれた声が背後から聞こえて、支えられながらゆっくりと。
自分よりも少し小さい少女に凭れかかった。

「──────────ぁ」

ぼやける視界の中に確かに士郎は見た。
いつの日かと同じように覗き込む一人の少女の姿を。
その姿を眼に焼き付けて、士郎は瞼を閉じた。

「くく、はははは!私を救う? 貴様を否定しようとしたこの私を? そのために剣を止めたと?」

意識を失った士郎にしゃべりかけるが、当然士郎からの返答はない。
だが、その顔を見たアーチャーは笑いを止め、次はため息を吐いていた。

「…………まったく、つくづく甘い。お前がかつての私とここまで違わなかったら、こうもならなかっただろうに」

そう呟いたあと、アーチャーは一歩、退場するように踵を返した。

「その理想。その甘さ。……一体どこまで通じることができるか、見物だな。だが私に勝ったのだ。─────そして、ほざいたのだ。ならば見せてみろ。その理想、その果てを」

じゃり、と雨でぬかるんだ庭を歩いていく。
その後ろ姿を。

「な……なあ、えみや……?」

何て呼べばいいのか判らない、といった面持ちで綾子が話しかけてきた。
だがアーチャーは振り返ることなく、綾子に、そして鐘に伝えた。

「……勝敗は決した。イリヤスフィールを連れて来よう。凛には渋っていたが、その男の治療なら進んでするだろう。君たちも風邪を拗らせる前に家の中に戻るのだな」

ザッ、と足音を立てて塀の向こうへと消えていった。
その後ろ姿を見えなくなるまで見届けて、ため息をついた。

二人の間に言葉はない。

思い返すことは山ほどある。
言いたい事や聞きたい事も掘り下げれば出てくるだろう。
ただ、今は。
今この瞬間だけは。

「………おつかれ、衛宮」

鐘の膝上で眠る士郎に労いの言葉をかけるだけだった。

衛宮士郎の理想の果て。
究極の自己否定。
未来の自分との対立。

それらを受け入れ、打ち勝った士郎に、ただただ賞賛の言葉を贈るだけだった。


─────第三節 動き出す者達─────


「光……希望の光、ですか」

闇夜の街に佇むのはライダー。

「……なぜサクラがエミヤシロウに拘るのか、不思議でしたが。………今ならば何となくですが判ったような気がします、サクラ」

ヒュ、と飛躍し、空を跳ぶ。
ぽつりぽつりと人がまばらになる時間帯。

「ならば……サクラ。私も、貴女が信じたエミヤシロウを信じてみます。……だから、その為にも」

アサシンと間桐臓硯は倒す。
桜の位置は令呪のラインから判別が可能。
その桜を苦しめている張本人を見つけ次第抹殺する。
だが、その過程で桜に危害が加えられるかもしれないと、そう思って今までは何もしなかった。
ならば。

「桜の居場所の確認と、彼の者の存在の抹消。………やるべきことはこれだけです」

優先すべきは己が主の救出。
その為ならば、私は街を駆け抜ける疾風となろう。



「デハ、どウするノだ?」

「放っておいても聖杯は完成する。こうしている間にも大聖杯から流れてくる魔力はアインツベルンの取り分よりも多いのだからな。
 ……だが、聖杯完成の為にはアインツベルンの確保か、或いは桜自身がサーヴァントを呑むのが早い」

暗闇。
まるで光が存在しないかのような深い深い森の中。
そこに間桐臓硯とアサシンがいた。

「………ソノ為に、唆シタというコトカ」

「然様。これで桜の希望となっている衛宮の子倅が殺すという手法を取ったのであれば何もいう事はあるまい。桜の希望は絶望へと変わり、今度こそ反転するであろう。
 ……仮にそれでも変わらぬとなった場合は、もう少し桜には痛い思いをしてもらうほかあるまい」

阿々と暗闇の中で嗤う。
聖杯の入手。
それだけが間桐臓硯とアサシンの目的である。

黒い影が如何なるものかというものは二人とも重々承知している。
故に例え如何なるサーヴァントが襲いかかってこようが、絡ませることさえできれば、聖杯そのものである桜に勝てる道理もないだろう。

故に己が目的達成を揺るがすのは桜自身に変化を及ぼす可能性がある因子のみ。

「…………ツマリ、その時コソ。ワタシの出番だと言うことダナ」

「然り。注意しつつ、隠密に動けよ、アサシン」

「………御意」

スゥ、と姿が消える。
とりあえずは様子見である。
桜の容体、衛宮の監視。
また言峰 綺礼がどう動いてくるかも注意を払っておいて損はないだろう。

「………全てが順風満帆に進むのも面白くはあるまいて。行き過ぎれば不安すら感じてしまうからの。多少の困難は大望の成就には必要なものよ。後は、この盤上にいる駒共ををどう活かすかよ」

蟲が哭く。キィキィと耳障りな音を奏で、闇の中に不協和音を響かせていた。





「……なるほど。報告、ご苦労」

「では………」

すぅ、と姿を消したのは聖杯戦争の監視役のうちの一人の魔術師。
ソファーに座ってその報告を聞いていた言峰 綺礼はゆっくりと息を吐いた。

「凛は間桐臓硯に敗北したか………。いや、臓硯には恐らく勝ったのだろうな。でなければ間桐の家が崩壊するなどはありえん」

となれば

「やはり間桐桜が関連しているか。しかし臓硯を庇う様に現れたと言うのも………何らかの方法を使っている、と?」

果たしてそれはありえるのか、と考えたがどうもその手法が思いつかない。
偶然、と言い切ってしまえばそれで終わりだが、仮にある程度の操作が可能だとするならば厄介この上ないだろう。

「…………だとしても、凛が動いた以上は衛宮士郎も動く。ならば私自らが間桐臓硯を討つ手間は不要か」

黒い影は恐らく今晩も魔力を求めてやってくるだろう。
より多くの魔力を求めて。
対して、現在生き残っているサーヴァントの数は、ギルガメッシュを含めると六名。
否、あの状態を生き残っているとするならばキャスターを含め七名。

「………聖杯戦争開始よりすでに一週間をすぎている。にも関わらずこの人数。……より円滑な聖杯起動のためにも、そろそろ動かした方がいい頃合いか」

この戦いの場に不要な役者を斬り捨てていく。
その第一目標は。

「いるか、ランサー?」

「ンだよ。てめぇがこの教会に待機してろって言ったんだろうがよ。おかげで退屈で仕方がねぇよ」

心底鬱陶しそうに綺礼の前に現れるのは紅い槍を持つ男、ランサー。
その男を見て、しかし何一つ態度を崩さずに告げた。

「それは悪かったな。その詫び……と言っては何だが朗報をくれてやろう」

「悪いと思ってるなら微塵でもいいから態度に出せってんだ。……で、その朗報とやらは何だ」

「なに、お前の退屈を排除してやろうと思ってな」

その言葉を聞いたランサーがピクリ、と顔つきを変えた。

「……つまりそれは」

「………ターゲットはライダー。殺して構わん。全力で倒してこい」

簡潔に告げた後、神父は礼拝堂へと消えていった。
その後ろ姿を見えなくなるまで見ていた後に、ランサーは盛大にため息をついた。

「ハ。あの金ピカ野郎を見張ってろって言ったと思えば次はライダーを討伐しろ、か。相変わらず何考えてんのか読めねぇ奴だが……」

一息で跳びあがったランサーは、教会の屋根より眼下に広がる街を見下ろした。
その顔は先ほど神父に見せた顔とは別の。
戦いに赴く者の顔になっていた。

「ようやく何の制約もないまま戦える。……なら、いいぜ。てめぇの命令、聞いてやろうじゃねぇか」

馬鹿げた命令に従ったランサーに、ようやく訪れた“何の縛りもない戦い”。
相手が三騎士ではない、という点では未だ不満は残るが、かといって油断するつもりは毛頭ない。
全身全霊。
その言葉通り、相手を捻じ伏せる。
そこに何の思惑があろうと、それは二の次。
今まで不本意な戦いばかりを強いられてきたランサーにとって、この戦いは待ち望んだものだった。





「ア────ア、ア────ア────」

黒い炎が辛うじて無事な部分を残したアインツベルン城に立ち込める。
贅を尽くして造られた空間は、黄金の王によって無慈悲に、壊されている。
そこに追撃をかけるかのように、意味も無く、目的も定まらない喘ぎによって崩壊していく。

本来実像を持たない影は、影を落とす主人の苦悶にそって床という床、壁という壁を切り崩していく。
旋律に乗って乱舞する闇陽炎。
空間の中央に立ち、背を丸め、苦しげに喉を掻き毟る度に古城は崩壊していく。
だが、それを見届ける者はいない。
今や半壊した城。
今更どのように破壊されようとも大差はない。

「ぁ………ぅぁ………ぁ………ぁぁぁ、ぁ…………」

体内に蝕む刻印虫が魔力を欲しがり、周囲の木々から根こそぎ魔力を奪う。
奪われた草木は黒く変色し、その度に自分が影と一体化していく。
実像を持たない力と一体化していく彼女にとって、この世界に肉を持って存在すること自体が拷問。
体の痛み、破壊衝動のみに塗り替えられていく思考回路。
息はすでにできない。
影は本来異界のモノ。
故にこの世界の大気は猛毒でもあった。

だからこそ彼女は意味もなく破壊し続ける。
自己を忘れ、正気を失い、目に付く全てに怒りをぶつけていく。
苦しい、と。
自らの不遇を、無関心な世界、無理解な世界に訴え続ける。

否、一度だけ。
たった一度だけ。
彼女は訴えた、つい先ほど。
助けて、と。

だが、今ではその言葉すらもあやふやになってしまっている。
誰もいない空間でたった一人この苦しみに耐え続けている。
勿論周囲に誰かいたら、その瞬間見境なしに呑み込んでしまうだろう。


「先………輩…………」

塗りつぶされていく思考回路の中で、ただ漠然と。
彼の顔だけが浮かんだ。





「………魔力は大体4割、か。ふん、思いの外回復に時間がかかるな」

寝室。
教会のどこかに用意された、英雄王のみが使う部屋。
そこにはとても教会の一室とは思えないような豪華絢爛なモノが部屋中に散らばっている。
高級ワインは勿論、今まで現界していた中でそこそこ目についたものから、宝物庫の中より取りだしたモノなど。

その寝室にいる黄金の王は自身の状態を確認している。
今の今までこれほどまで魔力が枯渇してしまうということはなかっただけに、魔力の回復速度の遅さに舌打ちしていた。

とはいえ、彼の元のクラスは「アーチャー」。
単独行動なら今のアーチャーよりも更に得意な分野だ。
これだけでも十二分に英霊の一体を潰せるという自信はある。

が、それがあの黒い影ともなれば話は別。
あの刹那の時間で根こそぎ奪い取っていった以上、油断するわけにはいかない。
もとより、もう油断はないと言ったのだ。

あの不届き者を完膚なきまでに殺し尽くす。
その為には自分自身でも4割か、と目安をつける様な状態ではいけない。
それはギルガメッシュ本人の許容量が尋常ではないが故のモノなのだが。
前回の聖杯戦争に置いて、泥は彼の魂を汚染しきることは不可能だった。
それだけの許容量。
故に彼は英雄の王。

また、それとは別に妨害もあるだろう。
キャスター。
魔術師如き取るに足らない存在だが、あの影と繋がっているとなれば話はそう簡単に行かない可能性がある。
くっ、と笑い飛ばし赤い目が見えぬ敵を威嚇する。

「せいぜい足掻けよ、紛い物。貴様を殺すのは、この我だ」

英雄王。
世界の王たる者が、ただの食欲の為だけに殺されかけたなど、全くもって笑止千万。
そのような事は間違っても許す訳にはいかないのである。




「ぅ────ぁ」

微睡の中からゆっくりと意識が浮上してくる。
体はやけに熱い。

視界に飛び込んできたのは暗闇だった。
夜になったのだろう。
自分が布団の上で寝かされているのが判る。

未だに頭痛が治っていない。
そして起き上ろうにも体がそれを拒否するかのように力が入らない。
当然か、と考えた。
あれほどの戦闘をしてぴんしゃんしていられるほうがおかしいのだから。

「衛宮……? 起きたのか?」

耳元で声がして、首を僅かに傾けた先に鐘が布団の中に入っていた。
もちろん同じ布団ではなく、別途の布団なのであしからず。

が、それでも自分の寝ている隣に女の子が寝ているという状態はアレなのだ。
通常ならば驚いて跳び退こうとするが、生憎とそこまでの思考回路が回復していない。
ただ、そこに鐘がいる、という事実しか受け止められなかった。

「ひ……む────」

氷室、と口に出そうとして動かない事に気付いた。

「ゆっくり休め、衛宮。傷の手当はイリヤ嬢がしてくれた。……が、それでも今日一日は絶対安静なんだ。眠ってくれていいぞ?」

鐘の声が聞こえてくる。
それがまるで催眠術かのように、またも意識が定まらなくなってきた。
だから、意識が落ちる前に一言だけ。

「………ありがとう」

そう呟いて、眠りについた。





「ありがとう」

その言葉を言ったきり、彼はまた眠ってしまった。

ここは彼がいつも寝ている寝室ではない。
少し大きめの和室にセイバーさん、イリヤ嬢、衛宮、私、そして美綴嬢というかたちで布団を並べて眠っている。
ちなみにセラさんとリズさんは隣の寝室。

なぜこんな状態になったのか、というとイリヤ嬢が(起こさないように静かに)騒いだり、前々から同室で休むべきだと言っていたセイバーさんが決行したりといろいろあった。
で、気がつけば布団の配置がこうなっていた、というわけである。
何とも不可思議な話ではあるが、私は別にここに布団を敷きたいと主張したわけではない。
というより、私と美綴嬢は夕食の準備(主に私が教えてもらいながら)取り掛かっている最中に決定していたので、意見を挟む余地はなかった。
気がつけば布団は少し広い部屋へと移動しており、布団が5つ並べられてその中央に彼が眠っていたのだから、もはやどうしようもなかった。

部屋を移動させようかとも一瞬考えたが、盛大にイリヤ嬢が布団にダイビング(ただし衛宮を起こさないように)しながら言った科白を聞いて、何かもうどうでもよくなってしまった。
つまりは一人で眠るよりみんなで寝たほうが面白いでしょ? ということらしい。
今から眠るのに面白いとは何だ、とも思ったが修学旅行などでクラスメイトと同室で眠るような感覚を思い出して、否定もできなかった。

で、現在に至る。
この布団の配置には何か意図的なモノを感じなくもなかったが、今は少しだけこれでよかったかな、と思っている自分がいた。
……訂正。少しじゃなくてそれなりに、で。

お礼の言葉を言われて、最初は聞き間違いかと思ったけれど。

「………おやすみ、衛宮」

気がつけば私は、彼の手を握って温かな中で眠りに落ちていた。



―an Afterword―

ここまでのご愛読ありがとうございました。
43話を以って中盤戦終了をお知らせします。

いよいよ次話より終盤戦。
皆様のご指摘、意見、感想はしっかりと読ませていただいております。
声援を糧にしてこれからも精進してまいりたいと思います。

これからも「Fate/Unlimited World―Re」をよろしくお願いします。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第44話 散りゆく者 Chapter8 Appointment with Death
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:47a17094
Date: 2012/08/11 22:27
Chapter8 Appointment with Death

第44話 散りゆく者

2月9日 土曜日

─────第一節 戦局の外では─────

衛宮邸で士郎とアーチャーが激闘を繰り広げてから約半日。
時刻は午前零時を過ぎ、街は闇に包まれていた。
所々に設置された街灯が薄く闇夜に敷かれた道を照らすも、今宵も人々の安心を約束する光にはなりえない。

ここ数日発生する異常。
昏睡事件から始まり、深山町での殺人、穂群原学園の半壊及び生徒教員らの衰弱、そして集団失踪事件。
特に最近になって発生し始めた集団失踪事件はこの地、冬木で10年前に発生した子供失踪事件を連想させる。
10年目という節にあたる今年。
慰霊碑の前に花束が添えられる一方で、最近の事件が街の住人を不安がらせていた。

誰もいない街。
深夜営業をしている筈の店は総じて最近の事件影響から営業時間を短縮し、深夜帰宅にならぬよう各会社は徹底して社員の早期退社を命じている。
子供の塾や習い事も親からのキャンセルや、塾側からの提案により時間を早めに切り上げて子供らが安全に帰れる時間帯に終了している。
24時間営業のコンビニやファストフード店はその特性上どうしても営業せざるを得ない。
しかし来る客はこの非常事態に疎い酒飲みの中年や、怖いもの知らずの若者ばかりだ。
そして総じて客足は少ないため、結果暗闇の街を照らす光源材料になっているだけである。

一方の警察はこの不可解極まる連続事件の調査のため24時間体勢で各所を巡回しているのだが、これといって異常は見つからない。
そのくせ夜が明ける時になって殺人現場と思われる場所が発見されるのだから、警察官らの心的疲労、肉体的疲労はかなりのものだ。
捜査本部には常に各所の警官からの無線が飛び交っているが、これだけの網を張りながら事件の全貌の欠片すら掴めないことに上層部のはらわたは煮えくり返るばかりである。

それを糧に番組を組み上げるマスコミが世間を煽り、無知の人々は警察の捜査が甘いのではないかという批判を言うばかり。
正体不明の事件に怯えながら家の中に引き籠る人々なのだが、その中の一人に少し褐色肌の少女がいる。

名を蒔寺 楓。
鮮血神殿発動時、彼女は運良く─────と言っていいのかわからないが、病院にいたため被害を免れた。
そして自分の退院と入れ替わる様に入院してくる学校の生徒達。
それはもう当然のように驚くわけであり、一体何があったのかと駆けつけてみれば学校が半壊状態。
そんな光景に唖然とする一方で、学校にいたであろう自分の友人らがどうなったのかが気になってすぐさま退院した病院へリターン。

同じクラスメイトや同じ部員らの無事を確認していく。
こうなってしまった以上は動ける自分がその役割をしていく他はないのである。部長である、というのもあるが。
病院の中を短距離走で鍛えた脚で駆け回り、途中注意されながらも知り合いを探す。

そうしてようやくその内の一人、三枝 由紀香と出会った。
士郎と凛の活躍により鮮血神殿の効力はそう高まることはなかったため、彼女もまた軽い症状で済んでいた。
病室に駆け込む楓を見て笑顔を見せる由紀香。
そんな変わらぬ笑顔を見た楓は、涙をにじませながら大袈裟に由紀香へと跳び付いたのだった。

学校で何があったのか、体の具合はどうなのか、これからどうなるのかなど話し合った楓はその場にいるべきもう一人の友人、氷室 鐘を探すべく、また病院内を探し回った。
が、不思議な事に彼女の姿が見えない。
由紀香が運び込まれてきたのだから、彼女もまた病院に来ているだろうと思っていたのだが、あの特徴的な灰色長髪姿がない。

そこへ飛び込んでくる『氷室』という名前。
ここだ! と勢いよく病室の戸を開けてみれば、そこには想像していた友人の姿はなく、女性一人とどこかで顔を見たことがある男性一人。
それが鐘の父親であるということは、少し時間がかかったが思い出せた。
彼女の父親はこの冬木市の市長であり、楓も顔写真くらいは見たことがあったのと、鐘本人から父親は市長だと聞かされていたのだ。

勢いよく戸を開けてしまった手前、視線が集中してしまい動くに動けなくなるのだが鐘の母親───鈴の声かけにより謎の束縛から解放される。
ここに来た経緯などを伝えると、鈴から物凄く聞き捨てならない情報が舞い込んできた。

『鐘なら衛宮くんって子の家で一緒にテスト勉強してるわ』

聞いたときは自分の耳がおかしくなったのかと疑ったがどうもそうではないらしい。
とりあえず両親の手前大人しくしていたのだが、病室から出た直後事実確認の為猛スピードで病院から飛び出した。
が、ここで気づく。

『衛宮の家ってどこだ?』

以前炊飯器を直させたことがあるのだが、その時は彼を自宅に連れてきたため、士郎本人の家がどこかは知らない。
居場所を聞き出すべく鐘本人に携帯へ電話をかけたのだが応答はなし。
結局士郎の家の場所がわからないまま帰宅することになった。
その翌日にまた電話をかけたのだが、その時はちょうど士郎と鐘がアインツベルン城へ拉致されていたため、やっぱり応答はなかった。
学校はあの有様なのでしばらくは休校。当然部活もないわけで、病院と自宅を往復する日々がここ数日続いていた。

そこに連日のように報道されるニュース特番。
いい加減うんざりしてくる一方で、電話に出ない鐘が微妙に心配になってきたのだった。

「遠坂の奴は携帯持ってないし、衛宮のクラスに電話番号知ってる奴っていないからなあ。居場所訊きだそうにも手がないし………」

携帯電話につけたストラップを持って、ぶらぶらと垂らしながらニュースを眺めていた。
そこで気づく。

「あ、藤村先生に聞けばいいじゃん」

士郎のクラスの担任は藤村大河。
彼女も確か病院に入院していた。
ならば明日病院に由紀香の見舞いに行くついでに尋ねればいいだろう。

「よし、そうとなれば寝るか。………衛宮、覚悟しろよ………!」

我、手段得たり と意味不明な笑いと共に眠りにつく楓。
どうやら非日常だけではなく、日常の方でも騒がしくなりそうな予感である。


─────第二節 死を届ける者─────

老舗の呉服問屋の一室の明かりが消えた頃、その漆黒の街を駆ける疾風がいる。
名をライダー。

彼女の目的は今も昔もただ一つ。
間桐桜の救出である。
それが可能であるならば例え何者であろうとも排除する。

ならば彼女が今明確に判っている取るべき行動は何か。
………間桐臓硯の排除である。

「サクラの位置はラインで確認できましたが………見当たりませんね」

だが、その標的たる人物が見当たらないとどうしようもない。
こうしている間にも桜は蝕まれていくだろう。
一刻も早く間桐臓硯を排除する必要がある。

「…………」

見つけるには彼らが狙いそうな場所にいくしかない。
だがそれはどこか。
桜の近くにいるのか或いはこの街のどこかに潜伏しているのか。

だが桜の体内に何かを仕込んでいる間桐臓硯が常に桜の傍にいるとは考えにくい。
常時監視できるのだから近くにいる必要はない。
となれば敵の情報を探るべく動いている可能性が高い。

幸い敵はこちらを敵として認識していない。
………無論、味方としても認識していないだろう。
仮にライダーを味方として認識しているのであれば、裏をかくことなど容易だが。

ともあれ、向かうべくは衛宮邸。
間桐臓硯が敵として注意しているであろう人物が最も多くいる場所。
そこにいけば見つかる可能性がある。

逆に言えばここに張りこんで見つからないとなると、彼らが一体どこに潜伏しているかがわからない。
その時は桜のもとへ戻るしかない。

脚を衛宮邸へと走らせる、その道中に。

「………!」

目的の片割れがいた。

アサシン。
ライダーが空を跳ぶのなら、アサシンは地を這って移動している。
その速度は無論並みではないのだが、ライダーには及ぶべくもない。

ライダーとて知り得ぬ情報だが、アサシンは不完全である。
佐々木小次郎の内部から発生したのだが、召喚の手続きが異常なため本来持つべき物が欠け落ちている。
そのためアサシンはそれらを補充すべくサーヴァントの心臓を欲しているのだが、残念ながら入手には至っていない。

「いましたね。………ルートからしてエミヤシロウの家に向かっているようですが………、何をさせる気もありません」

ドッ! と天空より地を這う暗殺者へと強襲をかける。
その速度はまさに疾風といっても過言ではない。

たなびく長髪。
上空より襲いかかる物体に気が付いたアサシンが上空を見上げるが─────

「キ─────!?」

ズン! とアスファルトの道路に小クレーターができあがる。
流石に仕掛けた距離が遠かったために直撃はしなかった。
だが………

「ギ─────、キサ………マ!」

直撃こそしなかったものの、疾風であるライダーの攻撃を、不完全体であるアサシンが回避しきれるハズもなし。
咄嗟に右へ回避したアサシンの左脚に大きな怪我を負っていた。

「………避けましたか。ですが、これでもう避けることは不可能ですね」

アサシンは無言でライダーへと向き直り、雨のように短剣を撃ち出した。
この者が敵だとは言われなかったが、相手は明確に敵であると言ってきた。
ならば倒す。
倒さなければやられるのは道理。

投擲される剣はとてもではないが肉眼で追えるものではなかった。
髑髏の面はその脚を引き摺りながら後退する。
今の怪我の状態で接近戦は無理がある。
せめて治癒してからでないとこの相手の裏を取る事など不可能。

故に怪我の治癒が完了するその時までは敵が近づいてこないよう、容赦なく己が凶器を掃射する。
─────だがそれは。

「─────ヌ」

その全てが回避されている。
今の時刻は深夜。
明かりは小さな街灯のみ。
闇にまぎれて撃たれた幾条もの短剣は、しかし一本たりともライダーには当たっていない。

「キ、サマ─────」

その間にも近づいてくるライダー。
治癒を急ぐアサシン。
だがその間に投げる短剣は残り2となり、ストックがなくなった。
その事実。

自身の治癒が間に合わないほど連射せざるを得ない敵。
それほどの連射をしながら、しかし時間稼ぎすらできないほど速い敵。
………そんな相手にどう勝てようか。

「グ………ヌ─────」

脚の治癒がここにきて完了する。
だが遅い。
この相手にこの治癒速度は遅すぎた。

セイバーには届かないかもしれないその実力も、確実にアサシンを上回っていた。
近づく彼女の体が一際深く沈む。
それが攻撃を行うものだと読み取った直後、残り2本の短剣とライダーの短剣が交錯した。

「ッギ─────!」
「─────」

衝突し、互いに背を向けて地面に着地する。
ライダーは無傷だが、アサシンの肩にはライダーの短剣が突き刺さっている。

「ク─────抜ケ、ヌ─────!?」

肩口に刺さった短剣を引き抜くべく、手を伸ばすアサシン。
だが、それをさせるライダーではない。
じゃらん、と鎖の音をたて、つながったアサシンごと鎖を振り回し始めた。

「ガ、ギィィィィィィイ─────!」

髑髏の面が苦悶をあげる。
地面、壁、電柱。
大よそぶつけれる場所全てに勢いよくアサシンを叩きつける。
その光景はまるで鉄球。
鎖に繋がれたアサシンは成す術なくライダーに振り回され、ぶつかる度に腕や足をあらぬ方向に曲げていく。

「ガ、ガガ、ガ─────!」

怪力や乱暴といった次元ではない。
思う存分振り回した後、その遠心力そのままにブロック塀へと叩きつける。
まさにハンマー投げである。

ブロック塀に叩きつけられたアサシンは、しかしまだ動くことは何とかできた。
が、戦闘は不可能。
せいぜい逃げることしかできない。

「ギ─────」

勝てない。
故に逃げる。
全身が粉々になったような感覚だが、しかしそれでも脚だけは辛うじて動く。
だがこれでは確実に逃げ切れない。
故に。

「………気配遮断………!」

姿を消すと共に気配を断った。
アサシンの隠密性はサーヴァント随一。
攻撃することを考えず、ただひたすら逃げる事だけに徹した暗殺者を追うのは難しい。
が、ここで逃がす訳にはいかない。

空へ跳び周囲を見渡す。
あの怪我ならばどう足掻いても遠くへは逃げられない。
ならば見つけることは先ほどよりも容易いと─────


「─────よう。取り込み中悪いんだがよ、俺の相手してくれや」


「─────!!」

ぶん! とロクな確認もせずに背後へ回し蹴りを放つ。
長い脚は、その力と速度によって凄まじい破壊力を得るのだが、しかしその攻撃も彼の前では遅すぎた。

「っと、あぶねぇな。確認もせずにいきなり蹴ってくるか」

「ランサー………」

相対する二人のサーヴァント。
槍兵と騎乗兵。

「が、蹴ってきたってことは戦闘していいってことだよな。………ならこれ以上の確認はいらねぇな、ライダー」

「………またいつぞやの様に戦闘を行うだけ行って、どこかへ去るのではないのですか、ランサー」

「ハ。残念ながら今回はそれはねぇよ。いけ好かねぇマスターからの命令でね。………てめぇを倒せとのことだ」

「…………」

ランサーの言葉に身構えるライダー。
対するランサーも槍を構える。

距離は約10メーター弱。
二歩程度の距離だ。

「ま、考えなんてわからねぇが今回初めての本気の戦闘だ。いい加減暇だったんでな。ここいらで一つ、派手に暴れようじゃねぇか」

つまらない小競り合いにはもう飽きた。
そろそろ赤い血が飲みたいと、その槍も疼きを鳴動として主に伝える。

「………退きなさい、ランサー。今は貴方に構っている暇など無いのです」

「………おいおい、そりゃねぇぜ。折角戦えんだから、俺が退くわけねぇだろ。俺を退けたいならば実力でやってみせな、ライダー」

ジャラという音と共に短剣が空を跳ぶ。
全力での投擲をしつつライダーは己も全速でランサーへと肉薄する。
投げ狙い撃たれた剣へとランサーは穂先を合わせ、得物同士の先端が合った瞬間、槍を微妙にずらして、弾き上げる。
最小限の動きで剣を往なした槍兵は、次いで迫っていたライダーの攻撃を槍一本で防いでみせる。

「ハッ、こんなもんか? 少し俺のことを甘く見すぎなんじゃねぇか?」

「…………」

鍔迫り合いの状態から大きく跳び退き、再び対峙する。
今はアサシンの撃破が優先。
────だがこの男が逃がすとも思えない。速度的には大差がない故に、背中を見せる訳にもいかない。
かといって宝具を使って距離をとっても無駄。
命令された上でやってくるのであれば、仮にどのような方法で逃げたとしてもまた邪魔をされるだけである。

ならばとるべき道は一つ。

ダン! と二つの地面が爆ぜる。
ぶつかり合う二つの影。
一つは超高速で地面を駆け、地表上空、前後左右から目まぐるしく標的へ襲いかかるライダー。
長髪をたなびかせて走り抜ける姿は、美しい流れ星のようですらある。

一つは同じく超高速で地面を駆け、空を跳ね、機敏に動いてするどく攻撃を繰り出すランサー。
その青い姿で高速に動き回る姿は、宇宙そらを駆ける彗星のようだ。

だが、互いの速度に大きな差がない以上は互いの隙を突く、というのは難しい。
ならばこういう時にこそ、力が役に立つ。

ライダーのスキルには『怪力』というものがある。
魔物・魔獣が保有する能力であり、一時的に筋力が増幅する。

互いに決定打を見いだせないのであれば、力押しで隙を作り出すほかない。
そしてライダーのスキルにより増幅された力は一時的にではあっても、ランサーを上回る。
ならばこの戦いはライダーが有利の筈なのだが………。

「────く!」

「ハッ────!」

ギィン!! と弾く音だけが闇夜の街に響き渡る。
増幅された筋力は、しかしランサーを押すことができていない。
無論そう上手くとは考えてはいなかったが、しかしあまりにも“堪えていなさすぎる”。

「…………っ!やりますね、ランサー」

一際大きく後ろへ跳び退き、一瞬のうちに十メートルの間合いを作り出すがこの距離などこの二人にはあってないようなものだ。
ライダーの強化。
確かに筋力の問題で言えばライダーは一時的に拮抗状態から優位状態へと立ち位置を変えている。
だが、そもそもの問題としてライダーとランサーでは相性が悪い。
ランサーはその実、魔物の類との戦闘が得意。
相手が自分よりも力を持った敵など、怪物退治を行ってきたランサーにとっては日常茶飯事なのである。
故に魔性を持つライダーとは基本的にランサーが有利。
そこに微量の強化を施したところでこの相性は変わらない。

「そりゃどうも。………で? 体力温存しててめぇは何がしたい?」

ライダーには目的がある。
間桐臓硯とアサシンを打倒し、桜を救出すること。
だがこの二人とは別にもう一人、気になる人物がいる。

ライダーはその名前を知ることはないのだが、その男は一度桜と合っている。
名をギルガメッシュ。
遠くで観察していた時に桜の前に現れた男。
そして躊躇なく桜を殺そうとした男。

結果的に桜は死ぬことは無かったが、次も狙ってくることは明白。
そして同じ過ちは繰り返さないだろう。
つまりは徹底的に殺しにくる。
そうなったとき、桜が危ない。

ならばあの男からも桜を助けなければならないのだが、桜からそう多くの魔力を得ることは避けたい状況。
桜に昼間起きた変調。
体内の刻印虫が魔力を奪っていく。
そこに追撃を加えるようなことは避けたい。
故に魔力の消費が大きい宝具はそう簡単に使いたくはなかった。

「どこまでも舐めきってんのな、てめぇは。………ならいいぜ。てめぇが本気を出そうが出さまいが、ここで終いだ」

腰を低く落とし、槍を構える。
同時に放たれる気迫は先ほどの比ではない。
先ほどまでの戦闘はただの小手調べ。
そして同時に増幅する魔力。

「………!」

それが宝具の前兆であるということが一目でわかった。

宝具には大きく分けて二種類ある。
一つは真名を宣言すると共に、一撃必殺を狙う宝具。
もう一つは持つ武器そのものがすでに宝具としての性質を帯びる宝具。

そして目の前にいる槍兵の宝具。
彼の発する魔力。
それらが容易に前者であるということを理解させた。

この距離では詰め寄るのに最低二歩が必要。
その間に回避、或いは迎撃する手段を講じなければならない。
そして先ほども言った通り、桜になるべくの負担はかけたくはない。

ならば、出来得る限り最小の力で、最大の威力を誇る方法で相手を止めればいい。

「………いいでしょう。ならば私も貴方を倒します」

同時に眼帯に手をかける。
その仕草と同時にランサーが距離を一瞬で詰めてくる。
だが彼女にはこの目がある。

たとえどのような宝具だとしても、それを放つ前に止めてしまえば一撃必殺は放たれない。
慎二がマスターであったときよりも魔眼の効力は強い。
ランサー程度ならば即座に石化、とまではいかなくともほぼ確実に動きを止められる。
相手の動きが鈍ったならば、後は首を刎ねるだけ。

「いいぜ。気の強い女は好きだぜ。………ただ、やられてやるつもりは微塵もねぇが………なっ!!」

ドン! とアスファルトが割れる。
たった一歩で間合いを詰めてくるランサーを、しかしライダーはしっかりと見定めて迎撃する。

「これで終わりです、ランサー」

眼帯が外され、その瞳が露わになる。
その瞳は石化を及ぼす目。
その瞳が空間を見るだけでその空間に居る者を石化させる最高レベルの魔眼。
故に相手は停止を余儀なくされる………はずだった。

「─────!?」

だが止まらない。
一つの負荷も受けることなく、全く同じ速度でランサーは─────

刺し穿つ死棘の槍ゲイ・ボルク!!」

─────必殺の一撃を放っていた。


─────第三節 胎動する闇─────

ドシュッ! と。

ランサーの放ったゲイ・ボルクが赤い花を夜に咲かせる。
かつて怪物として恐れられたメドゥーサを討ち斃す英雄の一槍。

「な──ぜ………」

その槍は放てば必ず心臓を貫くとされる槍。
よほどの幸運の持ち主でない限り、その呪いからは逃れられない。

「わりぃな、ライダー。学校での一戦、観察させてもらってたぜ?」

学校での一戦。
ライダーが結界を発動した時の戦い。
その時にライダーは士郎を捉えるべく、この眼帯を解放していた。

「その目は確かに厄介だ。見ただけで石化させちまうんだからな。その事を何も知らないで戦っていきなり使われたら危なかった。………が、ルーンを使う俺には効きはしねェよ」

ズチャ、と肉から槍を引き抜く音と共に、貫かれたライダーは一歩、よろりと後退する。
もはや自分の体重すらも支えられないほど、意識が希薄になっていく。

決着はついた。
桜のことを思い、闇夜をかけていたライダーは結局、その目的を果たすことなく倒された。
周囲は住宅地。
ここでライダーの宝具を使おうものならば周囲への被害は甚大だ。
加えてその際の魔力負担が桜へとのしかかる。

彼女は優しすぎた。
その結果が、悲劇の結果である。

「これで終いだな。もうじき消える。ゆっくり休んでるんだな、ライダー」

どう足掻いても致命傷。
この呪いを治癒できるものなどそうそうない。
ならば後は消滅するのみである。

倒れたライダーを背に、ランサーは夜の街へと消える。
戦いは終わった。
戦いとは弱肉強食である。
ライダーよりもランサーが強かった。
たったこれだけである。

戦闘が終わったその場所で倒れているライダー。
まだ辛うじて現界しているが、終わりは近い。

「こ………こで、─────消える、ワケ………には」

どんどん力が抜けていくが、このまま消えては何も残らない。
まだ桜すら救えていない。
その意志だけで、彼女はゆっくりと、震える脚で歩き出す。




―Interlude In―

ふと、目が覚めた。
誰かに呼ばれたような気がしたのだ。

ゆっくりと目を開けて、上半身を起こす。
自室ではない、大きめの部屋で寝ていた。
隣には氷室がいる。

手を握って眠っている。
その姿を見て、ドキリとしたけれど、同時に心配してたんだなって判った。

声が聞こえた。
誰かの寝言じゃない、言葉。
今にも消え入りそうな声で、誰かが呼んでいる。

そう思って、ゆっくりと起き上った。
けど、やっぱりっていうべきだろうか。
俺の手を握っていた氷室も起きてしまった。

「………衛宮?」

眠たいであろうその姿を見て、やっぱりドキリとなってしまうのだけど、今はさっきの声の方が先。
そこにいる確証なんてどこにもなかったけれど、俺はゆっくりと廊下へと向かった。

「………どこに、いくの?」

廊下に出た俺に付き添う様に、氷室が小声で話しかけてきた。
眠いだろうに。

氷室には何も言わず、視線だけで行く先を示した。
なんで、とか。
何の為に、とか聞かれたって答えられない。
自分でも判らないのだから。

その場所へ行くのだが、まだダメージは体に残ってるみたいで、ところどころフラついてしまう。
それを氷室が支えてくれて、それに感謝して、廊下を歩いていく。
玄関で靴も履かずに、玄関戸を開ける。
その先は門があって、さらにその先は道路がある。
その道路に。

「エミヤ─────シロウ」

いつか見た、ライダーの姿があった。
胸から血が流れていて、それが致命傷だっていうのは何となく理解できた。
その傷はライダー自身も判っているみたいで………

「サクラは………森の中に、います。………どうか、サクラを………」

お願いします、と。
声は聞こえなかったけれど、はっきりとそう言っていた。

自然と、驚きはなかった。
なぜだかはわからない。

けれど、一つだけ判ったことがある。
それは、ライダーが本気で桜を助けてほしいと言ったことだ。
そんなの、頼まれなくたってやってやる。

頷いた。
俺の反応を見て、ライダーは小さく笑っていた。

「─────」

けど、その次の光景にはまた別の意味で声が出なかった。
ライダーが薄らと笑って、瞳を瞑ろうとした時に現れた黒い人物。

─────キャスターだ

「ライ─────」

咄嗟に、届かない手を伸ばした。
けれど、届かないのは当たり前で。


─────俺と氷室の目の前で、ライダーはキャスターと共に消え去った

―Interlude Out―



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第45話 新たな領域へ
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:47a17094
Date: 2012/08/11 22:28
第45話 新たな領域へ


─────第一節 朝へ─────

生温い朝の陽射しが家の外壁をゆっくりと暖めていく。
東より昇る太陽は赤く、まだ外気は冷たい。
深夜見た場所にもまた朝の陽射しがゆっくりとかかっていく。
そこにライダーがいたという証拠はもう何もない。
士郎らがいる寝室の空気は静かなまま、かすかな寝息だけが聞こえてくる。
外に接する窓はないものの廊下や隣の部屋からの僅かな光が、淡い薄闇の空間を作り出していた。

今日は土曜日。
本来ならば午前中の授業があるものの、学校は聖杯戦争によって半壊。
また結界によって生徒教員の体調がすぐれていない為、ほぼ必然的に休校となっている。
学校の方はまだ復旧が完了していないが、このまま休校続き、というわけにもいかないので、空いている教室を使っての授業再開が予定されている。

「…………ん」

体が軋む。
それと共に襲ってくる違和感によって衛宮士郎の瞼がゆっくりと開いていく。
が、それはやはり違和感からくる目覚めであり、痙攣にも似た感覚すら覚える。
そのくせ深夜見た光景だけは今でもしっかりと覚えていた。

目を開いた先の景色の目のフォーカスが合わずに遠近感がおかしく見える。
一度目を強く瞑り、襲いかかってくる頭痛を払拭するように目を見開いた。
見開いた一瞬にテレビの砂嵐の如く視界が消え失せる。
そうしてテレビの電波を受信するかのように目の前の光景を認識し始めた。

次はしっかりと家の天井を捉え、ここが自室ではないことを確認する。
が、その判断に至るまでにも数秒の時間を要した。
視界がクリアになったところで、それを処理する脳がまだ本調子ではないらしい。

「─────」

ゆっくりと上半身を起こし、部屋を見渡す。
部屋には鐘以外にも士郎の左隣にはイリヤが、鐘の右隣には綾子が眠っている。
イリヤの左隣にも布団があったが、そこにセイバーの姿はない。
綺麗に折りたたまれた布団が几帳面に置かれていただけだった。

あの夜の一件の後、やはり異常に気が付いていたセイバーがすぐ後ろに待機していた。
どうしようかとも思ったが、この深夜でまだ体の調子も良くない。
凛の容体も回復しきっていないし、この家を留守にするわけにもいかないため後ろ髪を引かれながらも部屋に戻った。

その寝室の状況を見て改めて寝付けなかった士郎だったが、気がつけば意識は落ちて朝を迎えてたというわけである。

隣で眠る鐘を見る。
流石にまだ眠っているようで、瞼は閉じて微かな寝息だけが聞こえてくる。
その姿はかつての幼い彼女と何ら変わりはない。

あの真夜中はライダーの事が思考の大半を占めていたが、隣には鐘がいた。
隣でそれとなく支えてくれた彼女に、そういえばお礼を言っていなかったのを思い出した。

「………おはよう、氷室」

小声で、彼女の灰色の髪を優しく撫でた。
やはり女性であり、その髪の手触りは抜群だ。

「………綺麗な髪だな」

ぽつりと小声で呟いて、次には手をひっこめた。
いろいろと問題があるのです、男性には。

「起きるか………」

ゆっくりと布団より抜け出して、起こさぬように部屋の外へ出ていく。
というより自分の姿が寝間着姿になっていることに部屋を出てから今更ながらに気が付いた。
きっと着替えはアーチャーがしてくれたに違いないと、淡い希望を持ちながら洗面所へと向かう。


―Interlude In―


私という人間はそもそも朝早くに起きることに適してない、と自分で感じている。
というよりもそれは最早核心に近い。
それは日常生活からも容易に推測できるし、事実として朝練に遅刻をしたこともあるのだから。
そしてそんなヘマはこの家に来てからもやってしまった。
自分ではしっかりしているつもりだったのだけど、単に自堕落で惰眠を貪っていたかっただけなのかもしれない。
或いは…………。

けれど今日に限っては目が覚めた。
真夜中の出来事。
かつて学校の雑木林で一度だけ見た女性。
その後に現れた、私にとっても因縁深い相手。

そんな光景を思い出して、残念ながら眠気は襲ってこなかった。

「起きるか………?」

目が覚めてしまった以上は起きるのは普通。
けれどどうも外が薄暗い。
まだ眠っていてもいい時間かもしれない。
事実隣で眠る美綴嬢もまだ起きていない。

イリヤ嬢とセイバーさんは衛宮の向こう側にいるので体を起こさないと見えない。
小さく息を吐いて目を瞑ったときだった。

「…………ん」

すぐ近くで声が聞こえた。
衛宮が起きたのだろう。
声をかけてもよかったのだが、なぜか寝たふりを実行していた。

それに特に意味はない。
強いて言うなら布団の中にもう少しいたかっただけ。
そんな事を考えている最中に目が合うのもどうなのだろうか、なんて思って目は瞑ったまま。

ふと。
寝ている私を見て彼は何を思うのだろうか。そこまで考えて焦った。
寝癖は付いていないだろうか? 寝相が悪くて笑われたりしないだろうか?

勿論寝たフリを実行中なので表情には出さない。こういう時のポーカーフェイスは案外役に立つ。
が、そのポーカーフェイスが一瞬で壊れかけそうになる出来事が。
そのまま起きて部屋を出ていくものだろうと思っていたのだが、私の配慮が全くもって不足していた。

「………おはよう、氷室」

そんな小声と共に彼の手が私の髪を撫でる。
その慣れないであろう手つきの感触と、触れる際のたどたどしい優しさがちぐはぐで、そんなことどうでも良くなるくらい気持ち良かった。
で、次に聞こえてきた言葉が

「………綺麗な髪だな」

心拍数が跳ね上がった。
偽りなく、ただただそうであるという彼の本心が、たとえ私を構築する一部分だとしても褒めてくれたのは嬉しかった。

「起きるか………」

ただそれを必死に隠そうとポーカーフェイスをきめていただけに素直に喜べない節もあった。
彼がゆっくりと部屋を出て行った後で、布団を頭からかぶる。
………ちょっと熱が冷めるまでこうしていよう。

―Interlude Out―


洗面所で顔を洗う。
着替えは自室より持ち出してきてついででここで着替えることにした。
先ほどのやりとりで多少なりとも体温が上がっていた(ように感じた)のでここは気合いを入れなおすためにも冷水。

ふぅ、と精神統一した後に一気に頭から冷水を被った。
もちろんこの冬の冷水は尋常じゃないほど冷たいわけで、一瞬体が震えたが次には慣れる。

軽く寝癖を直しながら鏡に映る自分を見た。
その先に。
服の隙間から僅かに見えた銀色があった。

「─────」

ゆっくりと服を脱いでみれば、自分の体がどうなっているかというのが一目でわかる。
剣が傷を塞いでいた。

固有結界の暴走。
アーチャーはそう言っていた。
弓兵からの知識の流入により、固有結界がどのようなものか、というのは理解している。

自分の内側に内包する世界、固有結界。
世界そのものを塗り替える、魔術師の中で最大禁忌の一つ。
それ故にこの能力の解析目当てに襲ってくる魔術師も数知れず。
勿論解剖なんてされてやらないし、死ぬ気もないし、そんな理由で牢屋に囚われるつもりもない。

「………どうやって隠そう?」

包帯で隠してその上から服を着れば見た目普通になるだろうか。
が、そうなると包帯を買ってくる必要がある。
残念ながら家にある包帯の量だけでは隠しきれない。

「ま、いいか。追々考えていくとしてまずは朝飯の用意だな」

時刻としては今から用意すればちょうどいい時間に朝食を食べれるだろう。



居間に入ってきた時に、そういえばと先ほどの寝室を思い出した。
一つだけたたまれていた布団。

「セイバー、どこにいるんだ?」

朝食を作るのもいいが、起きているなら茶の一つでも出しておいていいだろう。
居間や脱衣所にはいなかった。

周囲をぶらりと探すがどこにも見当たらない。

「あの格好なんだ、いればすぐに判るってのに─────」

旅館みたいに広い屋敷ではあるが、子供の頃に大河と隠れんぼで遊んでいたのは伊達じゃない。
効率のいい屋敷の探索など既に心得ている。
そうやって探していないとなると考えられるのは─────

「倉か、道場か………」

玄関より靴を履いて庭を通り、土蔵を覗き込むがそこに彼女はいない。
となれば残るは道場のみ。

戸を開けて中へ入る。
余分なものなど何一つない、板張りの空間。
生活する為ではなく、己を鍛える為だけに作られた道場。
朝の陽射しは淡く、音もなく佇むその場所に。
彼女は、ただ自然にそこにいた。

「──────────」

清鑑とした空間。
射し込む陽射しは白く、一点の汚れもなく彼女と道場を一つにしている。
彼女がどんな姿をしていても、恐らく泥にまみれていても決して変わらないであろうそれが、目の前にいた。

ゆっくりと彼女の目が開き、道場入口に佇む士郎に視線をやった。

「─────シロウ? 目が覚めたのですね」

「─────ああ。おはよう、セイバー」

ゆっくりと立ち上がり、セイバーが近づいてくる。
その光景を何となく見届けながら尋ねた。

「こんなところで何してたんだ、セイバー?」

「精神統一、というところでしょうか。朝はこうしているのです」

「ああ………、そういえば言ってたな。やっぱり違うものなのか? するのとしないとじゃ」

「ええ。心の在り方というものをしっかりと定めることができますし、物事に集中して取り組むことができます。私は特にやる事がなければ朝はこうしています」

ふぅん、と相槌を打ってみて自分がセイバーの様にやっている姿を想像してみる。
が、どうもそういうものより体を動かしていることの方が性に合っている気がする。

「ま、人によりけりだな。セイバー、えー………っと」

「? なんでしょう、シロウ」

言葉が出ない。
一体何の為にセイバーを探していたのだったか、すっかりとんでしまっていた。

「えーっと……、すまん。ちょっとド忘れした。思い出すからちょっと待ってくれ」

「はぁ………それは構わないのですが、シロウ。その、貴方の体の事についてですが………」

「ん? 俺の体?」

「はい。傷はイリヤスフィールが治癒しましたが、その胸から腹部に至る剣については元には………」

「ああ、これか………」

ほど鏡で見た自分の姿。
アーチャーによって斬られた箇所が銀色の物体によって塞がれてしまっているという状態。

「ま、それはそれで何とかなるだろ。今のところ不都合はないわけだし………って」

「………? どうしましたか? まさか何か………!?」

「あ、いや。何言おうとしてたか思い出しただけだ。セイバー、今から朝飯作るからさ居間に来て茶でも飲むか?」

士郎の言葉を聞いて、唖然としてしまうセイバー。
が、士郎はいたって普通である。

「………そうですね。ではいただきます。再度尋ねますがシロウ、本当に体に異常はないのですね?」

時刻は朝の六時を三十分ほど過ぎたあたり。
昨日の夜は眠りっぱなしだっただけに空腹だった。

「ああ、何も問題はない。それじゃ、居間にいこうか」

道場の戸を開けて屋敷へと戻る。
来るときよりも明るくなっていた。

「もう一つ尋ねてもいいでしょうか、シロウ」

「ん? なんだ?」

「昨夜のライダーの件についてはどうするのでしょうか?」

「ライダー………か」

心臓部分より血が流れていたライダー。
そのライダーを連れ去ったキャスター。

一体彼女に何があり、何の為にライダーを連れ去ったのか。

「俺一人じゃ推測しかねる部分もあるし、遠坂にも伝えて今後の方針を決めよう」

「そうですか。わかりました」

居間へと戻る。
そこには一足先に私服に着替え終えていた鐘が座っていた。

「おはよう、衛宮、セイバーさん。今までどちらに?」

「おはようございます、カネ。少し道場の方にいました。今朝は早いのですね」

「目が覚めてしまったので。衛宮、悪いが勝手にお茶を用意させてもらっている」

「ああ、別に構わないぞ。セイバーにお茶を出そうと思ってたとこだったから丁度いい」

台所より湯呑を一つ持ってきてセイバーに茶を差し出す。
これから朝食の準備である。



居間に座るセイバーに茶を用意し、士郎は朝食の準備のため冷蔵庫の中身を確認する。
合い挽き肉とねぎ、しめじ玉葱卵を取りだして台所に用意。
あとはパン粉とお酒とサラダ油と…………

「………そういえば、離れに遠坂がいなかったよな。セイバー、遠坂がどこにいるか知ってるか?」

朝食の準備をしながら居間にいるセイバーに声をかける。

「………? シロウ、昨日の出来事を覚えていないのですか? リンの治療の為にイリヤスフィールを凛の家へと送ったのですから、リンは自宅にいます」

「…………あれ? そうだっけか」

う~ん、と思い出してみる。
そういえばセイバーがイリヤを連れて飛び去る姿を見たような気がする。

「じゃあ遠坂の分は用意しなくても大丈夫か………? それともこっちに来てから食べるのかな」

「さぁ。そこのところは私では判断しかねます。気になるのであればアーチャーに尋ねてみてはどうでしょう。アーチャーはリンの家にいますので今のシロウならば尋ねるのは容易かと」

「? 容易ってなんで?」

動かしていた手を止めて、居間へと振り返る。

「アーチャーの今のマスターはシロウなのですから、ラインを通じて会話をすれば直接会わずとも会話は可能です」

「そんなことができたのか。………で、どうやるんデスカ?」

「シロウは一度令呪で私を呼んでいます。その時は“令呪”そのものに呼びかける事によって私を呼びましたが、ただ話しかけるのであれば、令呪のその先にある“ライン”に声を通すような感覚で呼びかければ通じるかと」

「ラインに声を通す感覚………か。やってみるか」

目を瞑り、ラインをイメージする。
とりあえず初めてやるので感覚としてはどういうものだろうか?

『あー、あー、テストテスト』

繋がっているかどうかもわからない状態で話しかけても一人で呟いているようにしか見えない為、適当な言葉で濁してみる。
アーチャーからの返答はない。
どうやらラインとやらのイメージがずれているらしい。

イメージに少し修正をかけて、もう一度。

『あー、あー、もしもし。聞こえてますかぁ?』

『………黙れ。一体何だ、話しかけてきたと思ったらくだらん独り言を』

『……あれ? 通じてるのか? すごいな、これ』

『………お前は携帯電話を初めて買ってもらった子供か。こんな普通のことで何を言っている』

「すごいな、これ。セイバーも遠坂とこのやり取りができるのか?」

「はい、一応彼女とはマスターとサーヴァントという関係なので」

視線を戻し、再びラインに集中する。
慣れてくれば自然とできるのだろうが、今始めたばかりなのでまだ感覚がつかめない。

『アーチャー、遠坂の奴起きてるか?』

『眠っている………と、少し待て。どうやら目が覚めたらしい』

『あ、ならちょうどいいか。遠坂に朝飯どうするか聞いてくれ』

『……凛といいお前といい、サーヴァントは伝言係ではないのだぞ』

そう言ったきりアーチャーからの言葉が途切れる。
その間朝食の準備をしていくのだが、人数が定まらないとなると作る分量もそれなりに変わってくる。

『アーチャー? 聞けたか?』

『………貴様は寝起きの凛の相手をしたことがないからそう気軽に話しかけれるのだろうが……いや、もういい。食事は貰うとの事だ』

『そうか、わかった』

ラインのイメージを解く。
初めてにしては上出来ではないのだろうか?

「シロウ、リンは何と言ってましたか?」

「こっちで食べるってさ」

そうと決まれば早速調理開始。
士郎もそうだが凛も昨日は夕食を食べていない。
となれば少しくらい分量を多めにしても問題はないだろう。

「ん…………?」

ふと、気づく。

「なあセイバー。別に俺がアーチャーに話しかけなくてもセイバーが遠坂に話しかけることもできたんじゃないのか?」

そう。
士郎のサーヴァントがアーチャーならばセイバーのマスターは凛である。
関係上、セイバーと凛もラインでの意思疎通は可能である。

「はい、確かにできますね。これは基本的な事なのでリンならば問題はありません。ですが今後の活動においてシロウができないと言うのは些か心許ない。なのでシロウに少し慣れて貰おうと思いまして」

「………申し訳ないです」



玉葱パン粉お酒卵に塩。
それらを捏ね繰り回した物と、大量の挽肉をこれまたコネコネと捏ね繰り回す。
今朝のメニューは、朝にも関わらず大胆にも和風煮込みハンバーグに決定しました。

今日は土曜日で学校も休校。
聖杯戦争もこの朝から活動はしていない。
なら眠っている人を無理に起こす必要もないし、凛が家にくるまでは少し時間がかかるだろう。
冷めてしまったものを出すより、出来立てを食べて貰いたいので少々時間はかかるがしっかりと作りこむ。

時刻はまもなく七時。
ハンバーグもそろそろできる頃合い。
綾子やイリヤもそろそろ起きてくるだろう。

「………と、何を作っているのだ?」

匂いが気になったらしい鐘が台所へと入ってくる。
コンロの上に置かれているフライパン。
その中にはハンバーグが。

「………今は朝の七時だが、随分と豪勢なのだな? 衛宮」

「ん、まあ何となく作ってみた。おいしそうだろ? 今朝は和風煮込みハンバーグです」

ハンバーグをひっくり返す。
丁度よい焦げ目がついておいしそうだ。

「おいしそうではあるが………和風には拘るのだな」

「拘るってほど大袈裟でもないけどな」

全てのハンバーグがひっくり返る。
後は数分待てばハンバーグは完成である。
その間に和風となる元を作る。

「今日はあたしらが最後か」

すぅ、と障子を開けてイリヤと綾子、セラとリズが入ってきた。
ちゃんと全員着替えており髪も整え終えている。

「お、4人ともおはよう。もうすぐでできるから、ちょっと待っててくれ」

「シロウ、今日の朝ごはんってなにー?」

台所に入ってきたイリヤが士郎の腰に跳びついてきた。
が、流石に料理をしているとだけあって迷惑にならない程度ではあるが。

「和風煮込みのハンバーグ。俺お手製だ」

「ハンバーグ?………朝から食べるものかしら、それ」

「いや、きっと想像しているよりかは食べれると思うぞ? 何せ和風だし。それじゃお茶用意するから居間で座っててくれ」

「ん、判った」

イリヤと入れ替えに入ってきたのは綾子。
鐘と同じように覗いてくる。

「うわ………本当にハンバーグだ。なに衛宮、朝から凝ってるのね?」

「まあな。あ、悪い。そこにあるお茶の葉をとってくれ」

急須と湯呑を人数分用意し、綾子からお茶の葉を受け取る。
湯呑は9人分。
ここにいない凛とアーチャーの分も用意しておく。
二人ももう少ししたらくるだろう。

「けど衛宮。こんなに大量に作っちゃって平気なの? 冷蔵庫の中随分と減ってきちゃってるけど」

「んー、そうなんだよな。前買いだめた時はまさかここまで人が増えるとは思わなかったから。今日こそは買い出しにいくとするよ」

「買い出しも結構だけど、打ち合わせも大事ってことは判ってるわよね? 士郎」

「遠坂?」

居間より聞こえてくる声。
振り返れば、昨日見た凛と何一つ変わらない姿がそこにあった。

「もう少し来るの時間かかると思ったんだけど、案外はやかったのな?」

「まあ着替えて身嗜み整えるだけだったし。荷物とかは全部こっちに置いてあるんだから早いのも当然でしょ」

「ん、それもそうか。何だかんだであれからそれなりに時間たってるしな」

ごとり、とテーブルに湯呑を置いていく。
が、流石9人分。
両側の長辺部分に3人ずつ、両脇の短辺部分に1人分ずつおいて8人。
だが残り一人分がおけなかった。

「流石にテーブルが足りないか。ちょっと別の部屋からテーブル持ってくるよ」

「待て、衛宮士郎。なぜ9人分もある?」

用意された湯呑の数を数え、アーチャーが尋ねてくる。
士郎、セイバー、鐘、綾子、イリヤ、凛、セラ、リズ。
このメンバーで八人。

「なぜって………。お前の分含めれば9人分だろ、何言ってんだ」

「お前が入れた茶を飲めというのか?」

「残念。茶だけじゃなくて朝飯も作ってるから大人しく食え。そして判ったなら空いてる席に座ってろ、アーチャー」

「………ほう、この私に食味をしろというか。いい度胸だ。その思い上がった理想を抱いて溺死しろ」

「溺死なんてするか。そういうお前こそ抜かれるのを覚悟するんだな」

ふん、と互いに視線を合わせる事なく、士郎はテーブルと取りに別室へ、アーチャーは士郎が入れた茶をゆっくりとすすり始めたのだった。
その光景を見るその他一行。
この後に起きるであろう出来事も何となく予想がついたのであった。



そして朝食。
別室からテーブルを持ってきて少しだけ面積が広がったテーブルの上に並べられた料理の数々。
流石9人分とだけあって料理で埋まってしまった。

カチャカチャと進む朝食。
これだけの面子がいながら食事は基本的に静かだ。
セイバーや凛、綾子や鐘は元々食事中におしゃべりするようなタイプではないし、イリヤはお嬢様ということで食事中は大人しく食べている。
メイドであるセラとリズもまた静かに食べる。

つまりはこの食事は静かであるはずなのだが……

「ふん、不味い茶だ。お前では所詮この程度だな」
「悪かったな。どうせ修行中だよ、俺は」

「煮込みが少し足りないな。もう少し味の工夫も追加するべきだ」
「これだけ人数がいるんだからスタンダードに行こうと思ったんだよ」

「米のうまみが完全に出ていないぞ。冬ならば米は大体2時間くらいは吸水させるように心掛けろ」
「起きたのは今朝だったんだ。2時間も吸水できないからぬるま湯使ったんだよ」

なんだかお互いが気に入らないようで、些細なことで口論してくれる二人。
結局彼らの食事が終わるまで、この口論は続いたという。


─────第二節 情報─────

食べ終えたら食べ終えたで食器の後片付けが一苦労。
鐘と綾子がまるでレストランのウエイトレスの様に食器を流しへ運び、それを片っ端から士郎が洗っていく。
途中見かねた凛がアーチャーに洗うように指示をだし、渋々台所に立って食器を洗うというシュールな光景もあった。

その間ニュースを見ていたのだが、やはりというべきか行方不明者がまた発生したという報道があったり、半壊した学校校舎の復旧の映像が映し出されたりと聖杯戦争の被害が報道されていた。
桜のことも間桐臓硯のことも黒い影のこともこれ以上野放しにするわけにもいかない。
今後どうするかの方針を決める必要があるだろう。
そしてそのためにも昨日あったことは共有しあう必要がある。

「遠坂」

「きたわね」

部屋の戸を閉めて用意された座布団の上に座り込む。
朝食の最中に『今後について話し合うから部屋に後で来い』、と言われていたのでこの部屋へやってきたのだ。
が。

「士郎、とりあえず服、脱ぎなさい」

「………は?」

突然の申し出に目が点になる。
一瞬聞き間違えではないかと思ったが、この距離で聞き間違えをするほど耳は弱くない。
つまりその意図が判らない。

「聞こえなかったかしら、服を脱ぎなさいって言ってるのよ」

「………いや、聞こえたぞ。聞こえた上で尋ね返してるんだが」

「言わなきゃわからない? 何をするにしても、資本である体がどうなってるかを見ておかないと今後上手くいかないかもしれないでしょ」

「─────む」

今朝鏡で見た自分の姿。
確かにあれは異常だった。

「いや遠坂。俺の体なら大丈夫だぞ。そりゃあ見た目ちょっとすごいことにはなってるけど服きれば普通に隠せるし、生活には支障でてないし」

「支障がでてない?…………それ、本当かしら?」

或いは本人の自覚がまだ出ていない、ということかもしれないが。

「? 本当だぞ、何言ってるんだ?」

「………まあ、いいわ。とにかく裸になりなさい。共闘仲間が一体どんな状況に置かれてるかっていうのをちゃんとこの目で確認したいのよ、私は」

「いや、だから………」

「なんならガンド使って脱がせましょうか?」

にこり、と微笑む赤い悪魔。
その指先には黒い光が。

「………判った。けど、別に見た目で慌てないでくれよ? 俺本人は問題ないんだからさ」

「士郎、病気って必ずしも表に出るものだけじゃないのよ? 内側から少しずつ削っていって、気がつけば取り返しのつかないことになってる、なんてことはザラなのよ」

「いや、それは判ってるけどさ………」

「判ってるなら脱ぎなさい」

どうあっても調べたいらしい。
裸になるのは気が引けるが、上着だけなら着替えみたいなものだし、そう大事でもないだろう。

「………はあ。脱いだぞ遠坂。で、これからどうするんだ」

「別に、どうもしなくていいわ。私が士郎の体の調子を見るだけだから。………けど、これ」

ちょん、と出っ張った石のようなものに触れてくる。
その手触りからして確実に人肌ではないのだが、その当の本人は別の方へと気を取られていた。

呼吸はとまり、視線は明後日へと向いている。
士郎は上半身裸で、凛がかなり間近に接近している。
つまるところ緊張しているというわけである。
思考がなかなかまとまらない。
学園のアイドル的存在がこれだけ間近にいて、自分は服を脱いで彼女の部屋にいるとなればいよいよ冷静さを保つだけで必死。

刃から指を動かし、そのすぐ傍にある“まだ無事でありそうな肌”に触れる。
無事、とはいうがヒビらしきものが入っており、それだけで無事とは言い難い。
爪を立てて、軽く食い込ませてみる。

ちらり、と士郎の表情を窺うが特に変化は無し。
普通ならそれなりの反応はあるはずだが………。

「………………」

ぎゅっ、と凛が腕の皮膚をつねった。
咄嗟に反応した士郎が腕をひっこめるのを見て、凛は元の位置へと戻っていく。

「痛っ………遠坂、何すんだよ?」

「………いえ、何でもないわ。とりあえず、もう服は着ていいから」

彼女の反応に頭を傾げながらも、それよりも早くと言わんばかりにそそくさと服を着る。
これでやっとまともに呼吸ができる。

「って、遠坂、どうした?」

「………アーチャーが、まさか衛宮くんだったなんてね。………勘付いてはいたけど、こうしてみると不思議ね」

凛の言葉を聞いて僅かに動きが止まる。
だが彼女が知っていてもなんら不思議はない。
鐘と綾子があの場に居合わせた。
ならば何があったかを尋ねれば知ることは容易だ。

「勘付いてはいたって………?」

「柳洞寺に攻めた時にちょっとね。ま、今の貴方に話しても意味はないわよ」

「………遠坂がそういうなら俺は別に深くは尋ねないけどさ」

服を着終えて呼吸を整える。
心拍数は元に戻りつつあり、ちゃんと思考も動き始めた。

「遠坂。遠坂の用事はこれだけか? ならちょっと今後について話したいことが─────」

「………ねぇ、アナタ。私が何の名目でここに呼び出したか、判ってる?」

「え?」

む? と少し前の事を思い出す。
何故ここに呼び出されたか。
それは─────

「………今後について話し合うから部屋に来てって言ったのよ。なら、貴方の体を見て用事は終了、なワケないじゃない」

「………あー、確かにそうだった。すまん、ちょっとボケてた」

そう言えば朝食の時に言われていたのを思い出した。
いや、あの時はイリヤがくっついてきたりセイバーのおかわりの嵐だったりと何だかんだで忙しかったので覚えていなかったらしい。

「で、話は戻すけどこれからどうする?─────っていう話の前にまずは昨日の情報共有と整理だな」

「……………」

「? どうした、遠坂」

「いえ、何でもないわ」

視線を落とし、僅かに俯いてしまう。
そんな彼女の様子を見て疑問に思うのだが、次には元の凛に戻っていた。

「………そうね、とりあえず話し合うとしてセイバーとアーチャーも連れてきましょう。聖杯戦争に関わる以上はあの二人にもいて貰わないと困るし」

「ん、そうだな。それじゃあ呼んでくる」

座布団より立ち上がろうとした士郎だったが、凛がそれを制止する。

「待って。別に呼びに行かなくてもここで呼べばいいじゃない。それにさっき呼んでおいたからもうくるわよ」

「いつの間に。っていうかそれなら最初から呼んでも良くなかったか?」

「そうね。けど、別に気にしなくていいわ。私の気まぐれだし」

「遠坂、どうした? やっぱりまだ本調子じゃないか?」

「………きっと衛宮くんよりはマシよ。そりゃあ完全回復とまでは言ってないけど、イリヤの治療とあの家に居たおかげで大体は回復できたから」

「だから俺は別に問題ないぞ。で、大丈夫なんだな?」

「くどい。それに私の心配するくらいなら自分の心配の一つもしなさい」

コンコン、と戸がノックされる音がする。
入ってきたのはセイバーとアーチャー。

「リン、これからの事についてですね」

「ええ。それじゃまずは互いに情報整理をしましょう。まずは士郎から合った事を話して。貴方が家から出て行って帰ってくるまで一つ一つ克明に」

「克明にって………流石にどうでもいい話までは覚えてないぞ。そりゃあ重要な点は抑えてあるから話すことはできるけど」

「それでいいから、話して頂戴。それで今後の方針も決めましょう」



まず第一。
家より出て病院へ向かった事。
大河を始めとした知り合いにお見舞いに行った。
大河は元気であったが、念のため一日二日ほどは様子見の為入院。
早ければ今日にも退院するだろう。遅くとも明日。

その後自転車に乗り教会へ。
黒い影について何か情報を持っているかもしれないということで神父を尋ねた。

「じゃあ昨日は病院行った後に綺礼に会ったのね?」

「ああ。そこで影について判る分を聞いてきた」

「………判る分、ね。それで?」

「………十年前の火災は“聖杯が破壊されたから起きた”んじゃなくて“破壊された聖杯の中から溢れだしたモノ”がその火災を引き起こした。その“溢れ出したモノ”っていうのが、聖杯の中身──聖杯が願望機として成り立つのに必要なものだったんだ」

「まあ聖杯は万能の窯って言われているだけだから、事実そこにくべられる中身が聖杯たるモノなのでしょうけど。………けどそれって」

「聖杯の中身は願いを叶えるモノ。………それがあの火災を引き起こしたということは」

それが事実。
それこそが十年前の火災を引き起こした原因。

「………願望機が願望によってあの火災を引き起こしたというわけね」

「そんな………。では、前回の聖杯戦争の勝利者─────あの男が火災を引き起こしたと?」

あの男。
前回最後まで生き残ったサーヴァント、ギルガメッシュ。
その彼が今現在も現界しているのだから、その結論に至るのは普通である。
しかし。

「………いや、言峰が言うには聖杯は破壊されたから誰の願望も敵えることはなかったらしい。“願望機そのものが願望を持っていた”からあの火災が起きたんだ」

「………!? 聖杯自身が意志を持っていた、ですか?」

「俺も聞いた時は驚いた。けど前々回の聖杯戦争─────第三次聖杯戦争の時にアインツベルンが“呼んではいけないモノ”を呼んだ所為で、聖杯はああなってしまった………っていってたな」

マキリ・トオサカ・アインツベルン。
御三家と呼ばれるこの者達は聖杯戦争を構築するに当たって、当初は手を取り合っていた。

「つまるところどう頑張ろうが、願望機は参加者が思っていたような願望機にはなり得なくて、“人を殺す”っていう意思を持ったモノになってしまっていた………ってワケね。─────なによ、とんだ茶番じゃない。願望機になんて興味はなかったけど、最初からこの聖杯戦争は破綻してたってワケね」

「そんな………では、私は一体何のために─────」

参加した前回の聖杯戦争。
その時からすでにこの聖杯戦争は破綻していた。
では一体何のために参加していたのか。
願いを叶えるべく参加したはずの代物そのもの自分の考えとはかけ離れた代物だった。

セイバーの反応にどうしても俯いてしまうのだが、アーチャーだけは違った。

「─────それで? お前は本来黒い影について聞きにいった筈だ。それについても聞いたのだろう?」

その言葉を聞いて凛も厳しい顔で士郎を見る。

「アーチャーからある程度のことは聞いてる。………桜が、黒い影の正体なのね、士郎?」

目が覚めた後に聞かされた内容。
昨日間桐家の家に襲撃をかけたことだけあって、アーチャーはまず始めにそのことを凛に伝えたのだ。

「………黒い影の正体は確かに桜だ。だけどその黒い影を作り出してるのは“聖杯の中身”なんだ。つまり、“聖杯の中身”が桜を“黒い影”に変えてるんだと思う」

「そうなった理由─────ってのはわかる?」

「これも言峰から聞いた話だけど、桜に前回の壊れた聖杯の欠片が埋め込まれたことによって、聖杯の中身が桜に力を継承してそうなったって言ってた。………それをした奴が間桐臓硯」

間桐臓硯。
凛が間桐の家に探索に入った時に居た老人で、衛宮の家に使い魔を放ち監視していた蟲の主。

「………そう。間桐臓硯、ね」

視線を落とす。
流れる沈黙。
士郎が家に帰ってくるまでのことはこれで大体は話した。

「士郎」

沈黙の中、凛が話しかける。

「………士郎は、どうするつもり?」

「桜を助けて間桐臓硯を倒す」

きっぱりと、はっきりと。
一寸の迷いなく真っ直ぐに答えた。

「正気? 今日のニュースでも行方不明者は出てたわ。十中八九あの黒い影の仕業。………無差別に人を襲う魔術師よ? もう歯止めが止まってない証拠よ。そんな魔術師を助けるの、士郎?」

「………それでも、助ける」

凛の顔を見て、しっかりと伝える。
変わる事のない意志。
それは。

「桜だって望んであんな風になったわけじゃない。─────なら、絶対に助けて黒い影を止める」

「─────っ、桜の命を握ってるのはあくまで間桐臓硯なのよ? アイツがいる限り桜は操り人形。その果てに今に至ってるのよ。じゃあ助けるって言ってもそう簡単な話じゃない」

「簡単にいくとは思ってない。けど………」

「いいえ、士郎の考えは甘い。桜が一体どういう状況になってるか、貴方は判り切っていない」

「………? 遠坂、それどういう意味だ?」

言葉が詰まる。
凛が間桐邸で見たあの地下室。
あの光景。
床に蠢いていた蟲ども。

「………桜の容体を詳しくみたわけじゃないから断定まではいけないけど、かなり高い確率で桜は体内に刻印虫を飼ってる。………いえ、混入させられているっていった方が正しいか」

「刻印虫………?」

「私も担い手じゃないから詳しくはわからない。けど、間桐の書庫にそれに関する記述があった。簡単に言えば魔術で作った監視装置みたいなものよ。魔力を奪って活動する使い魔」

間桐の書庫に入り込んだ時。
地下に居た蟲どもと思われる書物を偶然手にとって内容を読んでいたのだ。

「長い間、桜はその虫に体を犯され続けた。つまり、それだけあのくそ爺が手塩にかけて教育したってことよ。………けどね、それがどれほどの痛みを伴うかなんて想像を絶するわ。士郎も知ってるわよね? 私の左腕に魔術刻印があるのを。左腕だけの私でも定期的に腕ごとどうにかしたくなるほどなんだから、体内に刻印虫なんて異物があったなら人間としての機能が浸食される。そんなの、魔術師じゃなくて魔術回路の塊よ。人間の脳髄せいしんなんて、魔力の波で簡単に書き換えられる」

人間の体は少しだけでも異物が混入しただけで反応を起こす。
それが全身に入り込んで来たらどうなるか。

「………わかる? 桜はとっくにボロボロなの。ええ、だからこそ桜は臓硯の操り人形。その気になれば刻印虫を発動させて、桜を自由に使える」

「─────桜を、自由に使える………。けど、それなら間桐臓硯を倒せば………!」

「ええ、そうね。桜を助けたいのならなんにせよ臓硯を倒す必要がある。けどね、臓硯を倒すのなら先に桜を倒すしかない。あの子は臓硯の操り人形同然。追い詰めれば、アイツは必ず桜を盾にする」

然り。
この状況ならば、間桐臓硯は十中八九桜を盾にするだろう。
士郎本人は間桐臓硯の姿を見たことは一度もないが、それでもそうしてくるだろうという予感は容易についた。

「だから………あの子は敵なのよ。加えて、桜が黒い影になってるっていうならいよいよ手が付けられなくなる。つまり臓硯は一番強い盾を持って、しかも操れるんだから当然よね。そんな“最強の操り人形”を助けるって貴方は言ってるのよ?」

「……………」

息を吐いて、その顔は如何なることを思ったのか。
無理だ、と内心考えたのか、或いはその事を恐怖に感じたのか。
或いは─────。

「それでも助ける。それには変わらないよ、遠坂」

助けると。
どれだけ状況を説明されようが、士郎の意志は変わらない。

「─────、桜を生かすってことは、桜以外の人間をみんな殺すってことなのに? 事実今朝のニュースでもまた行方不明者が出てた。どういう意味か判っているんでしょう?」

「そうかもしれない。けど、まだそう決まったわけじゃないだろ。桜を助けて、これ以上犠牲者が出ない方法がある筈だ」

じっと互いの顔を見る。
その士郎の顔を見て、はぁ、と息を吐く凛。

「─────、いいわ。じゃあ助けるとして、どうするワケ? 黒い影、刻印虫。どれもこれも一筋縄でいくもんじゃないわよ」

「刻印虫を使ってるのは間桐臓硯なんだろ?………なら話は簡単だ。臓硯を倒せば刻印虫は動かない。もしくは除去できるなら除去すればいい」

「………じゃあ黒い影については? 私、そっちのほうが気になるんだけど?」

士郎の脳裏に浮かぶのは桜の体に浮き出ていた模様。
それを見た時に思ったこと。

「………桜が黒い影を操ってた時に、桜の体に黒い模様があった。それを見て思ったんだよ。………令呪みたいだって」

「令呪………?」

「ああ。それと『黒い影は聖杯の中身を受けた桜』。つまり中身と“繋がってる”んじゃないかって」

聖杯の中身はサーヴァントの魂。
その中身にいる別種の何か。
そして神父が言っていた“第三次聖杯戦争時に呼んではならない者”を呼んで、それが聖杯の中身になったから聖杯はああなった。
ならばその力というものはその“呼んではならない者”のものであり、それはサーヴァントであり、そしてそのマスターとなっているのが桜ではないかと。

「もし俺の考えが当たってるなら………手が一つある。令呪の契約すら破る剣。それを桜に刺せば、聖杯の中身と繋がりと破棄できるかもしれない」

「…………」

キャスターの宝具、破戒すべき全ての符ルールブレイカー
士郎はその効力を見ている。
セイバーはその効力によって一度契約を破棄させられている。
凛もそれを見て、体感した一人であり、アーチャーは自身で投影も行っている。

「………仮に破棄できたとして、既に入り込んだ中身は消えるとは思わないわ。もしくは消えるとしても全てが消えるとは思えない」

「確かに。けど言峰はこうも言ってた。『仮に御し得る者が手に入れたのであれば、“人を殺す”という目的を持った力は行使されない』って。─────桜はいなくなる前に言ったんだ『助けて』って。つまり、まだ桜は意識がある。今入り込んでる分の力には負けてないって証拠だ。それが負けるのは契約を続けて中身が桜に入り続けた時だと思う。なら、その入り口さえ壊してしまえば………!」

難しい表情で頭を抱える。
確かに士郎の言う事には光が見えるような気がする。
だがそれは針の穴ほどの小さな光だ。
少し揺らいだだけで消えてしまいかねないほどの小さな光だ。

それは士郎自身も判っているだろう。
普通に考えれば無理だ。
だが、この男は諦めない。
桜を助けるべく進む。

「………士郎」

「なんだ、遠坂」

「私は遠坂で、この地の管理者でもある。だからこそ、この騒動の元凶である桜を放っておくわけにはいかない。そのためにも、桜が黒い影だって聞いたときは殺すつもりでいた。………それは今も変わらない」

「…………」

「だから士郎。アンタはアンタの目的の為に動きなさい。私も私の目的の為に動く。つまり士郎ができなかったら………」

「そんなことは絶対にさせない。だから遠坂の目的は絶対に達成できないぞ、遠坂」

その顔が。
その姿が。
その在り方が。

「─────」

あの夕焼けの日に見た姿と重なった。
自分では助けることはできないと、そう思って殺すことを考えた。
無理だって判ったから。

どういう経緯でそうなったかはわからなかったけれど、あの地下室、あのタイミングで黒い影────桜が現れた時点で、桜は臓硯の操り人形であり、確実に殺すつもりで現れたと。
その後の衛宮邸でのやりとりでイリヤを連れ去ろうとしたこととかも聞いた。
つまり彼女は敵だと。そう思っていた。

この少年はそれを見たハズだ。
見たからこそ、自分と同じように無理だと思った筈だ。
けれどそれでも彼は前を向き続けた。
助けるためには何ができるかと挑み続けた。

その果てに見つけた、凛には思いつかなかった可能性。
思って、少女は瞳をゆっくりと閉じた。

「………いいわよ、好きにしなさいよ。こうなったら納得いくまで足掻いてみせなさいーってのよ」

ふん、とそっぽ向いてしまう。
ともあれ情報の共有はできた。

「………話は以上ですね。では、少し失礼します」

「………セイバー」

部屋より出ていくセイバー。
そんな背中を見つめるが、何と声をかければいいかわからない。
当たり前だろう。
もとより彼女は聖杯を求めるためにこの戦いに参戦した。
その聖杯自体が破綻しているなどと聞かされては何の為にこの戦いに参戦したのかが判らない。

それにセイバーは前回の聖杯戦争にも参加している。
その時から聖杯が破綻していたなどと知った今、流石の彼女も堪えていた。

「………彼女の方は私が努めよう。二人は具体的にどうするのかを話し合っているんだな」

すぅ、とアーチャーの姿も消える。
決して軽くはない空気だけが、部屋に残ったのだった。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第46話 楓、襲来
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:47a17094
Date: 2012/09/20 20:39
第46話 楓、襲来


─────第一節 太陽の光の下で─────

時刻は昼下がり。
昼食後、やはりと言っていいほどに食材はなくなった。
このままでは夕食分より先の食事ができない。
そう頻繁に買い出しにいける余裕もないため、今日で無理しても三日分ぐらい食材を買いこんでおいた方がいいだろう。

しかしそうなるとどう頑張っても一人ではきつい。
三人分程度の食材を買いこむのならまだしも、九人分の食材を三日間分買い込むとなるとお金を下ろしてこなければならない。
加えてスーパーで食材を買って、家に持って帰ってくるだけでもかなりの重労働になる。

「氷室、美綴。買い出しに付き合ってほしいんだけど」

食材の中には卵など慎重に運ばないといけない食材も買う予定ではあったので、人手は欲しいところだった。
その申し出を受けた二人は快く了承し、通帳と財布を持って家を出た。

坂道を下り、交差点を通り過ぎ、商店街にやってくる。
流石休日の昼下がりとだけあって、夜の静寂が嘘のように賑わっている。

「それじゃあ派手に買い込むか。二人とも何がいい? さしあたっては晩メシのメニューになるけど」

「ん? 衛宮、家から出る前にイリヤ嬢からメニューを聞いていたのではなかったか?」

ピタリ、と士郎の動きが止まる。
鐘の言葉を聞いて思い出そうとするが、どうあっても思い出せない。

「─────あれ、そうだっけ。イリヤ、何がいいって言ってたっけ?」

「あの子、確かシチューがいいとか言ってたけど。なに、衛宮。覚えてないワケ?」

むぅ、と思い出す。
依然としてはっきりとは思い出せないが、それとなくその光景を見た覚えがあった。

「………そう言えば言ってたような気がする。単純にド忘れした。ま、決まってるならさっさと買いに行こう。まずは鶏肉かな」

馴染みの精肉店に足を向ける。
何しろ九人分で三日分の食材である。
わざわざ引き下ろしてきたお金を無駄にはできないし、出来るだけ安くていい食材が手に入れる様に足を使わなくてはいけない。

「ヘイ、らっしゃい。今日は何を買ってくんだい、兄ちゃん」

「えーっと、鶏肉なんだけど安くていいのある?」

ショーウインドに並べられた肉と値段を睨みながら話しかける。
スーパーで買ってもいいのだが、こういう場所の方が安いときもある。

「うん? そうだな、それならこっちに………って、なんだ兄ちゃん。女の子二人引き連れて買い物かい?」

士郎の後ろにいる鐘と綾子に気が付いて、何やらしたり顔で話しかけてくる。

「ん、と。そういうことになる」

「へぇ、両手に花とは言うが実際に見たのは初めてだな。いい相手、見つけたじゃねぇか兄ちゃん。けど、この日本じゃ一夫多妻制は認められてないぞ?」

ぶっ、と噴き出してしまった。
どうしてなかなかすごい方向へ解釈が行っているらしい。

「照れんな照れんな。若い頃は少し旺盛な方が………」

「………別の精肉店に行って買ってもいいんだけど」

「はは、冗談だよ。そう本気で受け取んなって。じゃ、ご所望の鶏肉だが………」

鶏肉を見合いながら話し始める二人。
その光景を後ろで見ていた二人の顔は少し赤くなっていたとかいなかったとか。



─────で、駆け足で商店街をはしごすること四十分。
途中それぞれ買う物を分担して決め、スーパーなどに入り浸った結果結構な量の袋を持つ事になっていた。

「これだけ買えば問題ないか。悪い、二人とも。荷物持ち手伝わせちまって」

「いや、大丈夫よ。あたしらもご馳走してもらってるわけだからこれくらいは当然でしょ」

「寧ろ私達がやるべき雑務と言っても過言ではない。衛宮は家でゆっくりしていてくれてもいいのだぞ?」

ゆっくりと商店街の出口へ向かいながら士郎の持つ袋を見る。
その数は二人がそれぞれ持つ数よりも数個多い。
加えて重量あるものが多いため三人の中では一番重労働だろう。

「いや、家の主が怠けてるんじゃあ駄目だろ。氷室たちはお客さんっていう立場なんだから、むしろ二人がゆっくりくつろいでくれた方が普通だと思うけどな」

「衛宮。君が言った言葉を忘れてはいないか?」

士郎の発言を聞いた鐘が、士郎の顔を覗きこんだ。

「ん? 何か言ったっけ、俺」

「遠坂嬢が食事を交代制で作ろうと言ったとき、君は『家族同然なんだから』と言ったじゃないか。なら、先ほどの『お客さん』という発言は正しくはないだろう?」

「─────む。そんな事言ってたっけか、俺………」

「あ、そういえば言ってたね。『みんながうちで暮らすっていうなら家族と同じだ。飯ぐらい作るのは当たり前だし、俺も楽でいいか』って。………なるほど、なら確かに衛宮の発言は間違いだな」

薄らと笑いかけてきた綾子は、士郎の持つ袋のうちの一つに指をひっかけ

「え? おい………」
「というわけで衛宮の荷物、一つ持たせてもらうよ。楽な方がいいんでしょ、衛宮は」

士郎の手から奪う様に袋を取った。
反論は受け付けません、と言わんばかりの顔である。

「そうだなっと」
「え、あ、ちょっと氷室も………」

反対側にいた鐘もやっぱり奪うようなかたちで士郎から袋をとった。
重量的には少し重くなるが、この程度の重さなど助けてくれた時のことを考えれば全然軽い。

「いや、気持ちはありがたいんだけどさ。ほら、俺魔術師だからある程度重くても問題─────」

「衛宮あああぁぁぁぁぁぁ!!!!」

「「「!?」」」

突如背後より呼びかけられる声。
その声に驚いて咄嗟に後ろを振り向いたが時すでに遅し。
腹部に強力なグーパンチがクリーンヒットしていた。

「うぐっ!おおっ!?」

もろにくらった士郎はそのまま後ろへ二歩ほど後退。
両隣にいた綾子と鐘はその殴ってきた人物へと視線を向ける。
対してその人物はというと、何やら殴った右手を抱え込んで小さく蹲っている。

「ま………蒔の字、何をしている?」
「………アンタ、何やってるわけ?」

その光景を見て、“壁を殴ったはいいが、あまりに強く殴った所為で自分の拳が痛くて我慢できなかった人の図”だと一発で認識できた。
しかし当の本人は全然納得がいかないようで

「衛宮………お前、腹に何仕込んでんだよ!鉄板でもいれてやがるのかコノヤロー!」

「………ぜ、全速力で突っ込んできてそのまま殴ったろ、蒔………」

そう言いながら腹部を抑えた時に、血の気が引き、体感温度が一気に氷点下におちた。
手に伝わる感覚。
それは決して人肌ではない。
触れる分には何も問題ないのだが、先ほどのようにグーで勢いよく殴りつけるとどうなるか。

「おい、蒔寺………!」

すぐさま目の前に右手の痛みに耐えるようにしゃがみこんだ楓に駆け寄る。
近づいた士郎と目があう。
その顔は少しだけ涙が滲んでいる様にも見えた。

「蒔寺、ちょっと右手見せてみろ………!」
「あ、おい………」

楓が何かを言おうとする前に、士郎は強引に楓に右手を見た。
刃が突き出している部分には触れなかったみたいらしく、深い傷はないが血が滲みだしてきていた。

「──────────」

「な、なんだよ。………ああ、そうさ。衛宮の腹殴ってそのまま自爆したんだよ。笑えばいいじゃないか」

痛みの所為で右手が少し震えている。
思い切り殴った先が鋼鉄の刃であるとなると、その拳が無事でいられる筈がない。

「………!? 蒔の字、大丈夫か?」

その異変に気が付いた二人が近づいてきて同様にその拳を見る。
赤くなっている右手。
そして先ほどの光景。

思い出した。
今は服を着ている所為で普通のように見えるが、士郎の腹部は銀色の物体で覆われている。
その光景は昨日見た。
切られた箇所を覆うように剣が乱立しているさまを。

「………蒔寺、俺の家にいこう。そのままじゃだめだ、手当しないと」

ゆっくり立ち上がって、手を差し伸べる。
その表情は嘲笑うでもなく、痛そうだと憐れみるのでもなく、ただ謝罪の色しか出ていなかった。



「これでよし………と」

楓の右手の怪我を手当し、丁寧に包帯を巻く。
魔術での手当が出来ない以上、こうした普通の手当で間に合わせるしかない。

「…………」

右手を見て腕を動かす。
まるで指を骨折したかのように包帯を巻かれている右手。

「………ごめん、蒔寺。折角退院したばかりなのに包帯巻かせるようなことになっちまって」

「────もういいっての。私がいきなり殴ったのがいけなかったんだし。そんな謝られちゃこっちの調子が狂うから、もういいよ」

ごと、とテーブルに置かれる湯呑。
居間にいるのは楓、鐘、綾子、そして士郎の四人。
セイバー、イリヤ、リズ、セラは気を使ってくれたのか、居間から別室へと出ていた。

「………そうだな。では蒔の字、なぜいきなり殴りかかってきたのだ?」

湯呑を持ってきた鐘がそのまま士郎の隣に座る。
綾子は手当した救急箱を直し、自分の湯呑が置かれた場所へと座った。

「なんでって………まさにこの光景についてなんでって聞きたいんだけど、メ鐘」

この光景。
つまり衛宮の家に鐘と綾子がいる、この光景。

「メ鐘のお母さんから、メ鐘が衛宮ン家で勉強してるって聞いてさ。どういうことだって問いただそうと思ったんだ」

「………で、衛宮ン家に来る途中で衛宮を見つけて、あたしらが隣にいた事で聞かずとも判って、勢いそのまま殴ったってワケね」

うんうんと頷く楓。
対する綾子は軽くため息をつきながら茶を口に含んだ。
彼女の手の怪我を自業自得だと言うのは簡単だが、士郎はそう思っていない。
それは彼の表情を見た二人も、そしてその表情を正面から見た楓も判った。

「─────で、なんだってみつづりんはここにいるんだよ。まさかメ鐘と同じでテスト勉強─────」

「残念。あたしもそういう理由でここにいるのです、まる」

ずず、と鐘と二人して茶を飲む。
確かに不自然ではあるだろうが、事実をいう訳にはいかない以上この嘘を突き通すしかない。

「………衛宮。二人に何かやばい薬でも飲ませただろ。ほら、何か飲ませる事で人を自在に操ってしまうようなやばい薬」

「どんな薬だよ。そんな薬は持ってないし、使おうとも思わないぞ、俺は。第一使う意味ないだろ」

「けどおかしいだろ。テスト勉強っていうけど、まだ学期末まではもう少しあるんだぞ。今からテスト勉強の為にって、あとどれくらい続けるつもりだ、衛宮」

「う~ん………あと一週間くらいか?」

ぴたり、と茶に手を伸ばそうとしていた腕が止まる。
ぎぎぎぎぎ、と顔を向けて何やら思い至ったような顔で見る。

「ま………まさか衛宮、何か二人の弱みを握ったのか? それで脅して二人を………」

「………蒔の字、君は一体何を連想しているのか少し聞かせてもらいたいのだが?」

その後不穏当な事を言おうとした楓の口を綾子と鐘が二人がかりで封じ込めたという出来事があったのだが、それは語られることはなかったという。



帰ってきた凛らと対面し、また一騒動あったのだがなんだかんだで落ち着かせることができた。
時刻は間もなく午後六時。
まだ冬とだけあって、すでにこの時間帯でも外は夜に変わっている。

「………なあ蒔寺、家に帰らなくていいのか?」

居間で茶と菓子を頬張りながらテレビを眺めている楓に尋ねる士郎。
現在士郎は夕食の準備中。
本来ならば鐘と綾子も昼に言った手前で手伝おうかと思ったのだが、楓がいる以上彼女が何を言ってくるか判ったものではない。

「ん、あ。もうこんな時間だったのか。いや、メ鐘とみつづりんがまだ家にいるから大丈夫な時間かなーって思ってたんだ」

時計を見て立ちあがる。
そうして一言。

「よし、それじゃあ帰ろうぜー、メ鐘、みつづりん」

…………………。
流れる沈黙。
居間にはセイバーや凛もいるのだが彼女らもまた黙っていた。
当然その当事者である鐘と綾子もその静寂の中にいる。

「? あれ、どうしたんだ?」

周りからの反応がないのに気が付いた楓が再び尋ねる。
何といっていいものか、と二人が思案し始めた時にその思案をぶち破る者が。

「あれ、カネとアヤコ、今日もここにいるんじゃないの?」

イリヤである。
そう、二人はこの家に泊まっている。
故に帰る場所はここであり、外に出る必要はない。
それを当然だと思っていたイリヤの疑問は当然である。
が、楓はそうはいかない。

「………ちょっと待て衛宮。メ鐘とみつづりんはこの家に泊まったのか?」

「あー…………………………………………………………はい」

楓の時間が停止したのだった。


─────第二節 お化け屋敷?─────

時刻は午後八時。
鐘と綾子が帰ろうとしない限り意地でも帰らないとする楓が未だに家にいた。
そしてちゃっかり夕食もご馳走になるという見事な姿が。

「ねぇ蒔寺さん。最近物騒になのだから早く家に帰ってはどうでしょうか?」

笑顔が怖い凛が楓に帰る様に促す。
それを見た楓は僅かに後ずさるが

「いいや、だめだね。みつづりんとメ鐘を衛宮から救出しないと私は心配で夜も眠れないっての」

強気な物言いで否と答える。
先ほどからずっとこれの平行線である。
鐘や綾子が何を言おうとも

『衛宮に操られているんだ!』

と言ってまともに取り合おうとしない。
そんな状況だから士郎は何も言わない。というか言えない。
言ったところで一番まともに取り合おうとしないだろう。

「………ねぇ士郎、いい加減暗示かけて帰してもいいかしら?」

「う………、できれば暗示に頼りたくなかったんだけどな………」

「仕方がないじゃない。ここにいる方がよっぽど危ないわよ」

ひそひそ話で会話する二人。
暗示をかけようとした凛に士郎が待ったをかけたのだ。
できることならば暗示に頼らずに説得でなんとか帰したかった。
人の脳に直接働きかけるだけあってどうしても抵抗は残る。
暗示をかけることなく穏便に説得出来て帰らせることができた方がいいのだ。

が、結果は見事に失敗。
凛の言う通りここにいることは決して安全ではない。
聖杯戦争に無関係な彼女は同じく無関係な場所で過ごしていた方がまだ安全である。
巻き込みかねない状況を考えるとこれ以上は無理。
仕方がないと諦めて凛の提案を了承しようとしたときだった。

「………提案がある。衛宮、遠坂嬢」

同じくひそひそ声で話しかけてくる鐘。

「ん? 何か案が?」

「ああ。一つな………」



「蒔の字、そろそろ帰ろうか。両親も心配しているだろう?」

「む。だーかーらー、メ鐘とみつづりんを救出しない限りは帰れないって」

楓は凛とも友人ではあるのだが、それよりもまずはこの二人をどうにかしなければという思いがあった。
凛は様子を見る限り「ただ遊びに来た」という感じ(実際楓が見たのは凛が家からやってきた様子だけ)だったので、それよりは二人を、ということである。

「それなのだが、私と美綴嬢はまだ帰れないのだ。衛宮から少し依頼を受けていてな」

「依頼?」

ここで初めて聞く単語に訝しげな表情を作りながら鐘に尋ねる。
対して鐘はこの作戦に自信があった。
だがこの時間帯まで言わなかった理由。
それはこの『夜』にある。

「ああ。実はな………衛宮の家の隅にある倉の中に─────“幽霊”が現れるらしい」

「ゆ、幽霊………!?」

今まで強気な姿勢を見せていた楓だったが、鐘の一言でその勢いがなくなる。

「ま、またまた。そんなのいるわけないじゃん。だいたい衛宮の家に倉なんてあったか?」

「ああ、ここからでは少し見えないがすぐそこに。………なんなら見てみようか、蒔の字?」

「…………」

楓から言葉が出てこない。
完全に鐘のペースである。
楓の手をとり、靴を履いて庭へとやってくる。
が、楓の足取りは重い。

「その幽霊を見たと言うことで衛宮から話があってね。おかしいとは思っただろう? ただのテスト勉強の為だけにこれほど早くから衛宮の家にやってくるわけはない。それは母親に対する詭弁で、本来の目的はこちらにある」

「こ………こちらって、じゃあメ鐘は本当はその幽霊とやらを調べる為に衛宮の家にいたのか?」

「ああ。だが幽霊というものはやはりというべきか日が出ている間は見ることはできない。となれば泊りがけでその実態調査を行うしかないのだ、蒔の字。………そら、件の倉が見えてきたぞ」

鐘と楓の正面に見えてくる倉。
心なしかどこか暗く見えなくもない。

「け、けどさ。幽霊ってったって、衛宮の見間違いかもしれないだろ」

「………入ればわかるのだが、中には折れ曲がったパイプや血痕がある。これがどういう意味か、わかるか蒔の字?」

「ど………どういう意味だよ、それ」

「つまり、衛宮はその幽霊に襲われたのだ。でなければパイプが曲がるなんてことはないだろうし、血痕だってあそこまで大きなものにはならない」

「…………」

この夜の静寂と鐘の言い回し。
そして目の前に見える不気味な(楓視点)倉。
加えて先ほどまでそれなりに賑やかだった他の面子が見当たらないときた。

「さて、蒔の字。帰らなければこの先見なくてもいいものまで見てしまいかねないが………どうする? 幽霊とやらにあってみるか?」

「う………ぅ………ううぅぅぅぅぅぅぅぅ…………」

楓の中で揺れ動く針。
帰るか帰らないか。
正直にいうと物凄く帰りたい。ええ、もうそりゃあお金払ってでも帰りたい。
が、ここで帰ると『では先ほどまで二人を救うと言っていた自分は一体なんだったのか』ということになる。

つまり自分の恐怖心から保身へと移り、二人を見捨てるということになる。

それでは格好がつかない。
あまりにも無様である。そして二人にとてつもなく申し訳ない。

揺れ動く行動指針。
その針がゆっくりと揺れ幅を狭め、そしてついに一つの解答を示した。

「………よ、よし。い、いいいいってやややろうじゃないか………!ゆゆゆゆゆゆ幽霊がなんぼのもんじゃーい!!!!」

静寂な庭に響く楓の咆哮。
しかしその声は頼りないほどに震えているのだから、結局格好はついていない。
対する鐘は少し意外でもあった。
怪談話などするとあっという間に逃げる楓が、逃げずにおっかない(と嘘をついた)倉に入るというのだ。
鐘はこの段階で帰ると予想していたのでこの反応は予想外だった。

………しかし、同時に盤石になった。

「………そうか。では中を見てみようか。昨日は調べたが今日はまだ調べていない。美綴嬢はすでに中にいる筈だから合流するとしよう」

「え………みつづりん、もう中に入ってるのか?」

倉の重い戸を開ける。
中はやはりというべきか真っ暗である。

雑多に並べられているガラクタ。
その奥は完全に闇でありどこまで続いているのか視認できない。
入口から死角となる上段奥。
一体何があるかもわかったものじゃない。

視線を落とせば、鐘の言う通り折れ曲がったパイプや途中で千切れているブルーシート。
そして一角には乾いた血の痕もあった。

「─────」

もはや楓にとって遊園地のお化け屋敷などというレベルはとうに越えている。
だが楓自身後には引けないため中に入るしかない。
そうして一歩中へ踏み入れた時だった。

ガシャン!
「ひゃああぁぁうう!!!??」

土蔵の奥。
完全な暗闇の中から聞こえてきた音。
その音に驚き咄嗟に隣にいた鐘の背中に回り込む楓。

おそるおそる中の様子を再度窺って見ると、その場所に

「み………みつづりん!」

綾子が俯せに倒れていた。
辛うじて入口の光が届く場所にいたため、震える足で何とかその傍へとたどり着く。
鐘がしゃがみこみ綾子の容体を確認する。

「美綴嬢、大丈夫か?」
「う………ん………」

どうやら意識はあるらしい。
その光景を見てほっ、と一安心したその時だった。

「─────────────────────────────────────────────」

楓の思考が停止する。
綾子と鐘は気が付いていない。

楓の視線の先にすぅ、と上半身だけ現した白髪で褐色肌の紅い服をきた男。
下半身は見えない。というよりない。
暗闇の中だというのにその男だけは浮き出ているようにはっきりと見えた。
そしてはっきりと見えている筈なのに、やはり下半身がない。

その光景。
先ほどの鐘の言葉。
足元に広がる血痕や折れ曲がったパイプ。
綾子が倒れていた理由。

動かない脳が、それでも理解しようとして必死に酸素を必要としている。
が、息が止まっているために必要な酸素など運ばれてこない。
そして特筆すべきはその“息が止まっている”という事を全く認識できていないことである。

つまり現状を把握できる量は残った僅かな酸素分のみ。
そうして、必要最低限の状況が理解できたとき

「!“#$%‘()=~|{‘}*?>><*」+†●◆☆■Д↓И~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

声ならざる声を出したのだった。


―Interlude In―

「………大丈夫かな、氷室と美綴」

「まあいけるんじゃない? 氷室さんが言うに怖いモノだめだっていうらしいから。あとはアーチャーがどれだけ芝居をうてるかよ」

別室で待機していた士郎ら一行は茶を飲んで一時を過ごしていた。
これも全て楓を納得させて帰らせるためなのだが、イリヤはこの別室待機というのが気に食わないらしい。

「もう。なんで暗示なり催眠なりかけなかったの、リン。こんなことしなくてもそうすればすぐに終わった話じゃない」

「こいつに言いなさいよ。暗示かけるのも催眠かけるのも渋ったのはこいつなんだから」

「悪い、イリヤ。そういう『人の記憶を改竄する』みたいなのはあんまり好きじゃないんだ。そりゃあ蒔寺を聖杯戦争に巻き込む気はないからいざってときはそうするしかないけど、できることならそういうのに頼らないで済ませたいんだ」

イリヤは相変わらずのむくれ面ではあったが、士郎の言い分である以上無碍にはしようとしなかった。

「………わかったわ、シロウがそういうならもう少しだけ我慢してあげる。けど、シロウ。今日も一緒に寝て貰うんだからね」

「………それはそれでいろいろ問題がありそうだけどなあ………」

ポツリと呟いて時計を見る。
この別室に来てから十分が過ぎた。
そろそろ決着はついてるかもしれない。

「と、それじゃあ様子見てくる」

「もし驚いて逃げてきた彼女がいたら、とりあえずは『家に帰って寝て忘れなさい』とだけは言っておいて」

ひらひらと手を振りながら士郎を送り出す凛。
雰囲気を出すために廊下の明かりも全て消灯させており、廊下は薄暗い。
玄関戸へと向かい靴を履き、外へと出て庭へ足を向けようとしたその時だった。

「!“#$%‘()=~|{‘}*?>><*」+†●◆☆■Д↓И~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

声なのかどうかもわからないような声をあげて楓が目の前に走ってきた。
その両手にはそれぞれ綾子と鐘の腕を持っている。
どうやら相当速く走ってきたらしく、その速度についてこれなかった二人が引き摺られるような格好になってしまっているようだった。

「=~|{‘}*?>><●◆☆■Д↓И!!??」

何やら士郎に物凄い勢いで話しかけているが、残念ながら人語ではないため解読・理解ともに不能。
その必死さに面食らいながらも、とりあえず落ち着かせる。

「ま………蒔寺、とりあえず落ち着け。いいか、深呼吸を一回するんだ。そして目を閉じろ。それからちゃんと言いたい事を言うんだ」

が、この状態になった蒔寺に人語は通用せず。
完全パニック状態に陥った楓はとりあえず理解できる言葉で

「お前ン家はお化け屋敷だあぁぁぁぁぁぁ!うわぁぁぁぁぁぁーーーーん!!」

鐘と綾子の腕を放して相変わらずの速度で衛宮の家を飛び出していった。
その光景に唖然とせざるを得ない士郎。

「………なあ、氷室。確かに蒔寺は帰ったけどさ、効果覿面どころの問題じゃなくないか? っていうより学校再開したら俺ン家はお化け屋敷だって噂が絶対広まってるぞ、これ」

「………まあアイツとはいろいろあったけど、今回は大人しくアイツの無事を祈るよ、あたしは」

「ふむ、少々威力がありすぎたか。もう少しホラー要素を下げてもよかったか。まあこれで蒔の字が、私が衛宮の家にいる間は近づかないだろう。これで巻き込む心配はなくなったというわけだが………」

「………何か複雑だ。いや、確かにアーチャーは言ってしまえば“幽霊”だけどさ。─────ちょっと蒔寺の様子見てくるよ。この時間帯だし一応警戒も兼ねて」

「衛宮、私もいこう。流石にやりすぎたと思ったのでな。それに衛宮一人では収取はつかないだろう」

「─────まあ、俺の言葉なんてまるで聞こえなかったかのようだったしな」

念のためアーチャーも霊体で二人に同行する。
まあ、間違っても楓の前で実体化することはもうないだろう。
幾ら状況が状況だったからとはいえ、自分の姿を見られただけであそこまで怯えられるのは少しショックである。

後に再開した学校内で『衛宮邸には幽霊が出没する倉がある』なんて噂が流れて一成やら同級生が物見に訪れたり訪れなかったりがあったそうな。

―Interlude Out―


─────第三節 襲撃─────

ぜぃぜぃと息を荒げた楓を見つけたのは坂を降り切った公園近くの自販機前だった。
声をかけた直後、びくりと体を震わせた楓だったがその人物を見るや否や、鐘に抱き着いてきた。
流石にその光景を見て申し訳ないと思った鐘だったが、しかしあれが全て茶番である、なんて嘘もつけないのでしばらくはこうしておくしかない。

「落ち着いたか、蒔の字。幽霊を見たのだな?」

「…………」

こくん、と頷く楓。
もはや先ほどまでの様子とはまるで正反対である。

「………よし、わかった。ならば私も全力をあげて調べ上げよう。だから今夜見たことは寝て忘れるのだぞ?」

矢張りそれに対してもこくん、と頷くだけの楓。
やはり心霊耐性Eランクは伊達ではなかった。
トラウマにならないだろうかと少し本気で心配する士郎であった。



無事家に送り届けた二人は家をあとにする。
去り際に『怪談話をやっていたので少し怯えてます』と両親に詳しく訊かぬように忠告だけしておいた。
これで誤魔化すことはできるだろう。

「しかし蒔寺があそこまでオカルトに弱いとは思わなかったな。なまじ学校で活発な姿を見てるだけに」

「以前より蒔の字はそういう類の話には弱かったのだ。それ故に最初の前フリだけで終わると思っていたのだが………勇気を振り絞ったのが仇になってしまったな」

「………無事に聖杯戦争終わったらなんか作って持っていくか。というかそれくらいしないとなんだか申し訳ない気がする」

夜道を歩く。
やはり人通りは皆無であり、昼間の商店街と比べると差は歴然である。

衛宮邸に戻るために交差点へと出る。
そこで気づいた。

「なあ、氷室。向こうの………柳洞寺の方、あそこあんなに暗かったっけか?」

「む?」

指さす方へ視線をやる。
いつもと変わらない静寂と暗闇。
それは指差された方も同じである。
だが、それでも目に見えておかしい部分があった。

「家の明かりがついていないのはまだいいとしても………街灯までついていないのはどういうことだ………?」

そう。
士郎が指差した方角。
そこは完全なる“闇”だった。
家の明かりはおろか、街灯すらついていない。
明かりという明かりが一切ない。
否、時刻はまだ午後九時に届かない程度の時間。

一帯全てが真っ暗になるという時間ではない。

「………アーチャー。おまえ、これを見てどう思う?」

「どうも何も、お前とて感じているのだろう? ならば答える必要はない」

新都とは正反対に位置する郊外一歩手前の街並み。
明かりは一切なく、この場所からではまるで黒い隔たりがあるようにすら見える。

「─────少し、調べよう」

それだけ言って、暗い街並みへと歩き出した。
先頭はアーチャー。
その少し後ろを鐘が歩き、そのすぐ後ろをカバーするように士郎が付き添って歩く。

これから先に起きるのは先ほどのような茶番ではない。
本物の殺し合い、本物の化け物達である。
士郎もアーチャーも、そして鐘も無言である。
二人は確信を持っていたし、鐘は漠然とではあるが何が起きたか判る。
矛盾した話。
否定したいと思って歩を進めているのに、歩を進めれば確信は変わることのない事実となるというのに。

「─────っ」

それを目の当たりにしたとき、感じたモノはなんだったのか。
この先には何もない、というかのような黒い壁。
それを抜けて見知った街並みに踏み入った瞬間、この一帯で何が起きたのかを理解した。

街はあまりにも静かすぎた。
それは一般人である鐘ですら判る。
眠りについた、というレベルではない。
ここは人の気配が途絶えた完全な無。
眠りではなく、もう“何も生きていない”という死がもたらす完全な静止だった。
ここ周辺─────おそらく五十軒ばかりの家々は、何の変化もなく夜に沈んでいる。

玄関を破られた形跡はなく、窓を割って中に侵入した形跡もない。
壁をぶち破り、屋根をひっぺがし、建物内にあるモノをごっそりと拾い上げていったクレーンなども、当然ない。

それらと同じく。
百人以上いたであろう住人の気配も、ただの一つとして在り得なかった。

「─────もはや、どこも確認する必要はないな。ここら一帯全てもぬけの殻だ」

見なくとも判る。
感じた事を、一度見た事もあるのだ。
ならば見なくてよい。
死体があろうがなかろうが同じ。この場には誰もいない。

夜が明ければ誰も異常に気がつかない、完璧なまでの清潔さ。
だというのに、この光景があの火災の時以上の荒野に見えた。

「う………く………」
「氷室」

残る気配。
黒い影はそこにはない。
残るのは気配と残像。
建物という建物、道という道、地面という地面。
そこにベッタリと張りついている様子。

「………これ以上の探索はやめておくぞ。その少女までアてられてしまう」

「…………」

鐘の肩を抱き、その場を後にする。
士郎に影響は出ていないが、魔力抵抗がほぼないに等しい一般人である鐘には居続けるのが気持ち悪かった。
惨状。
言葉には出さない。
あの惨状を引き起こした原因が、彼女であるということは判っていた。
だからこそ、一刻も早く見つけ出して助け出さなければいけない。

更なる罪、さらなる犠牲が増える前に。

「………アーチャー?」

前を歩くアーチャーが突如立ち止まった。
アーチャーの前にあるのは一本道。
かなり向こうまで続いている。
何の変哲もない、夜の道。

だが一本道だからこそ、視界を遮る物がないからこそ、鷹の目を持つ男の目にははっきりと見えた。

「衛宮士郎、敵が来るぞ。戦闘準備をしておけ………!」

ギィン! と干将莫邪を両手に投影するアーチャー。
敵という言葉を聞いてすぐさま強化と投影を行う士郎だが、アーチャーの視線の先には誰も見えない。

「………? 敵ってどこだ、アーチャー」

「たわけ、強化が使えるなら視力も強化してみせろ。─────いや、やはりしなくていい」

「なんだよ、一体どういう─────」

─────眼前より、黒い彗星が飛来した

士郎の言葉は続かなかった。
言葉を出す暇があれば鐘を抱いて咄嗟に横へと回避する方が先だ。

ギィン!! という音が死の街に響き渡る。
だが、それを聞きつけてやってくる住人はどこにもいない。

「ぐ………!!」

アーチャーのくぐもった声。
見れば先ほどの立ち位置から後ろに数メートル後退している。
それは決して自ら後退したわけではない。

全力で踏みとどまったにも関わらず、押し出されていたのだ。
それほどの速度、それほどの威力。

「な─────」

士郎に言葉は出ない。
アーチャーの実力がどれほどのものかなんて、直接戦った士郎が一番よく知っている。
その彼を押し出すとなると相当の力が必要だ。

いや、或いはそれはサーヴァントであるならばできて当然かもしれない。
だからこそ、士郎の驚愕はそこにはいかなかった。
士郎の視線の先、

「─────あれは」

鐘の視線の先、

「─────チ」

アーチャーの相手、

「う………うぅぅぅぅぅぅぅ─────」

黒い彗星の正体。
それは紛れもなく─────

「ライダー………!」

あの夜みた人物だった。




[29843] Fate/Unlimited World―Re 第47話 宝具
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:47a17094
Date: 2012/08/11 22:29
第47話 宝具


─────第一節 救援へ─────

士郎らが家を出て数十分。
凛とセイバーは三人の帰りが遅いことを気にかけていた。

「遅いですね、シロウ達は。リン、先ほどの者の家はそれほどに遠いのですか?」

「うーん………決して近くはないけど、こんなに時間がかかるほどの距離でもないハズなんだけどね」

宝石の手入れをしながら、未だに帰らぬ三人の様子を思い浮かべる。
楓の家は凛の言う通り決して近い距離ではない。
が、これほどの時間がかかるほど遠い距離でもない。

「帰り道で周辺探索でもしてるのかしら?………でもそれなら氷室さんを一旦家に戻してからするだろうし、単純に少し時間がかかっているだけかな」

「………そうですか」

それだけを呟いて、空間は静寂になる。
そんな中凛はセイバーをじっと注視する。
当然そんな視線を受けたセイバーは

「どうしましたか、リン?」

気になるわけであり、凛に尋ねてくる。

「ねぇセイバー。一つ、聞いていいかしら」

「? どうぞ」

「………今朝話した通り、この聖杯戦争は破綻してる。どんなに頑張ったってセイバーの願いがかなえられることはないと言ってもいいかもしれない。………それでも、貴女はこの戦いの続けるの?」

「…………」

押し黙る。
前回から続けてきた聖杯戦争。
どれだけ勝ち進んでも自分の願いは叶えられない。

「戦いをやめるならそれでもいい。けど、それはせめてこの事件を解決させてからでお願いするわ。その間は貴女を負けさせる気もないし、消すつもりもない。それだけは理解しておいてね、セイバー」

「………いいえ、それには及びません、リン」

静かに呟いたセイバーを訝しげな表情で見る。

「確かに言う通り、願いを叶えられる代物ではないかもしれません。………ですが、この戦いを続けることには、意味はある。それはシロウとの誓いであり、そして『答え』を見つける為でもある」

「『答え』………?」

セイバーの言った『答え』の意味。
一体それが何なのか、凛には判らない。
けれど。

「………アーチャーから何か言われたのね、セイバー」

「………………」

それには答えない。
けれど、その沈黙こそが肯定であるというのは凛もセイバー自身も判っている。

「アーチャーは言っていました。………『君はいつまで間違った願いを抱いている』、と」

アーチャー。
つまり、衛宮士郎。
即ちアーチャーである衛宮士郎もまた、聖杯戦争を経験していたということであり、そのパートナーは十中八九セイバーだったのだろう。
ならばアーチャーが、セイバーが聖杯に願う願いを知っていてもなんらおかしくはない。
そしてそれを知った上で『間違った願い』と断じている。

だからこそ、それを。
ただの戯言と一蹴することは、できなかった。

「………そう。なら、私がとやかく言う必要はないわね。アーチャーが言った言葉も聞かないことにするわ。セイバーだからこそ言ったってあるだろうし」

ぎし、と音を立てて椅子から立ち上がる。
セイバーに戦う目的があるというのなら、これ以上余計な詮索も忠告も必要ない。

「………にしても、本当に遅いわね。何やってるのかしら、あいつら」

「そうですね。もうすぐ一時間になる。仮に見回りをしていたとしても、カネを連れまわすとは考えにくい」

そもそもの理由で、二人を守るために見回りをしていたのだ。
少し見る程度ならまだしも、本格的な探索にその『守るべき人』を同伴させるとは考えにくい。

「リン」

ガチャリ、と戸を開けて入ってきたのはイリヤだった。
だが、このタイミングで入ってくるとなると………

「あいつらに何かあったのね、イリヤ」

「ええ、私とシロウの間にあるラインから魔力が大量に流れていってる。確実に誰かと戦ってるわ」

魔力のライン。
アインツベルンで繋いだラインのおかげで、士郎が戦闘しているか否かの判別はできる。
昨日の衛宮邸の戦いも、ラインを通じて戦っていることはイリヤは理解していた。
だが、同時に“視界情報から衛宮邸の様子”も窺っていた。
だからこそ、イリヤはセイバーには伝えなかったし、ただその戦いを静かに見守っていた。

だが今回はそうじゃない。

「アヤコはお風呂に入ってる。彼女のことは任せていいから、二人はシロウ達の援護に行ってあげて」

「任せていい、か。大きく出たわね、イリヤ。この隙をついて襲ってくる可能性だってあるっていうのに」

そう言いつつも凛は外出する準備を始める。
セイバーもその様子を見て鎧化する。

「ふん、黒い影が襲ってきたらそもそもとして守りなんて意味ないわよ。………それに」

「────ええ、そうね。放っておいたら取り返しがつかなくなるわね。アイツの体、感覚のある場所と無い場所があったくらいだし」

「………リン、それは」

それにただ無言で頷く。
判っていた。あのような体で、その身に何も問題が起きていないなんていう方がおかしいのだから。

「私は、シロウがいるからこの家に居場所があるの。シロウのいないエミヤの家に、私の居場所はないのよ。だから─────」

「はいはい、判ってるわよ。私だってアイツをむざむざ見殺しにするつもりなんて毛頭ないんだから」

士郎のいる場所を調べる為に使い魔を空へと放つ。
流石にこの広い場所を闇雲に探すのでは時間を食うので、こうして空からの偵察は必要である。

廊下へ出て玄関へ向かう。
その途中で、風呂より出てきた綾子と遭遇する。

「あれ? 外にでるのか、遠坂?」

「ええ、ちょっとね。あのバカの帰りが遅いから様子見てくるわ」

靴を履いて玄関戸を開ける。
外は寒く、冷風が家の中へと吹き込んでくる。

「………遠坂、アンタも気を付けてな」

「………ええ。アヤコも早く寝ておきなさいよ」

手をひらひらと振って門を潜る。
使い魔が士郎らを見つけるのは時間の問題。
この静寂に包まれた漆黒の街なのだ。
そこで戦闘をしているとなると嫌でも目立つ。

「………いたわね。セイバー、いくわよ」

「わかりました」

ダッ、と地を蹴って目的地へと急ぐ。


─────第二節 高速戦闘─────

「チィ!」

あからさまに舌打ちしたアーチャーが、蹴りを入れてライダーを後ろへ蹴り飛ばす。
吹き飛ばされつつ、しかし華麗に着地する。
一気に距離は十メートルほど開く。

だが、相手はライダー。
この距離は“距離”として成りえない。

「はっ!」

一歩でその距離を詰めてきたライダーが、その手に持った短剣に速度を上乗せした力で叩きつけてきた。

ギィン!! という甲高い音が夜に響く。
だが、その音が鳴り響いた次には、さらに大きい音が空間を裂く。
前後左右上空からの猛攻。
その速度はなるほど、疾風という名にふさわしい。
加えて常時彼女の持つ怪力のスキルが発動している故に、その威力は並どころの話ではない。

パワーは単純に速度と力の重ね掛け。
力が強く、速度が早ければその破壊力はその分増す。

「ぐ………!」

ギィン! と、もはや何度目かもわからない音が炸裂する。
その破壊力が下を除く全ての方向から高速で襲ってくるのだ。
鷹の目を持つアーチャーだからこそその速度を捉える事が出来るのであって、それなりのスキルを有さない者ではあっという間に風穴があいている。

だが、それでもアーチャーの不利には変わらない。
目まぐるしく跳び回り死角を突いてくるライダー。
その強力ごうりきは確実にアーチャーを“壊して”いく。

黒い風。
速さと力を兼ね備えたライダーに圧倒されていくアーチャー。

「は─────、ぁ─────」

反撃などもはや思考外。
その奇襲を致命傷にさすまいと反応するだけで手いっぱいである。
僅か一息の間に接近と離脱を行うライダーは黒い火花だ。

実力差は明確。
速度、力ともに劣るアーチャーでは、例え攻撃を防いでいたとしても減衰していく。
目にも止まらぬ高速移動と連続攻撃。
それに加える形で怪力のスキル。
更に増倍させるが如く、速度が怪力を後押しする。

手を抜くなどとは考えていないが、しかし手を抜けない状況でもある。
本気で戦わなければ瞬きした次には首が地面に転がりかねないこの状況。
ならば本来の距離を取れば勝機はあるだろうが、そもそもこの相手から逃げ切るのは絶対に不可能。
距離を取る事すらその方法がない。

投影投擲も、近接距離でこれほど高速接近・離脱を繰り返す相手に直撃させるのは至難の業。
それに投影に集中を注げば、その間に傷を負う事は明確。
故に両手に持った干将莫邪で来るかどうかもわからない勝機を見出し続けるしかないのだ。

「な、に─────!」

だが、それも終わった。
ライダーの短剣は、アーチャーの持つような短剣ではない。

二つを繋ぐ鎖。
高速で跳び回る彼女に付随する鎖が円を描き、アーチャーの首を締め付けんと一気にその輪を狭めてきた。
回避する余裕はない。
だが、このままで首を絞めつけられて終わる。

故に両手でその狭まる輪を食い止めるしかなかった。

「う………ぐ─────!」

鎖が両腕に食い込んでくる。
だが、これに屈したら終わる。
故に全力で抗うが、それは抵抗できない姿を晒すのに等しい。
そしてそれを見逃す敵ではない。

アーチャーの背後より迫る漆黒の風。
一突きでアーチャーを串刺し、終わらせようと短剣を構えた。

時間にして一秒あるかないか。
その隙間へ入り込むように。

「はぁっ─────!!」

強化魔術で身体能力を向上させた士郎が、全力でその短剣を干将莫邪で受け止める。
ギィン!という音のあと、ギチギチと鍔迫り合いが続く。

「ぐ………この─────!」

持ちえる全ての力で対立するも、サーヴァント相手には長く持たない。
いくら強化で力があがっていようと、この怪力と速度を受け止めるのはほぼ不可能。
たった一度受け止めただけのこの腕から既に痛覚は消え去っており触覚すらもない。
残るのはただ痺れた感覚のみである。

自分が果たして短剣をしっかり握っているのか怪しい腕で、渾身の力でライダー目掛けて蹴りを入れる。
だが、それもむなしく空をきるばかりであった。

「はぁ────、はぁ─────。このっ………!」

ライダーが後退した即座に後ろにいるアーチャーを救出する。
締め付ける鎖を外側より輪を広げるようにひっぱり、その隙に脱出するアーチャー。

「チ………よもや貴様に救われるとはな!」

「そんな事言ってる場合か!」

互いに叫びながら、飛来する彗星を左右へ回避する。
綺麗に着地するアーチャーと、地面に倒れ込む士郎。

「衛宮!」

その光景をただ見ていることしかできない鐘が少し離れた場所にいる。

「氷室!もっと離れてろっ………!?」

地面を転がるように咄嗟に横へと回避する。
その次にはドン!!と不気味な音と共にクレーターがその場所に出来ていた。

たった一撃、空からのとび蹴り。
それだけでアスファルトの道はその姿を一変させてしまっている。

「貴様こそ離れていろ、衛宮士郎!」

それと同時。
ライダーの標的が一瞬だけ士郎に移った際に、アーチャーは彼本来の戦闘距離を有していた。
通常ならばマスターを狙われる可能性がある以上、敵を目の前にしてマスターから離れるのはうまくないがあの男なら話は別。
加えて、そもそもマスターを狙わせ続けるつもりなど毛頭ない。

「I am the bone of my sword─────」

無より現れるは弓と黒い矢。
名を─────赤原猟犬フルンディング
射手が狙い続ける限り標的を追い続ける矢。
どれだけ速かろうが意味はない。

「そんなもの─────」

対してライダーはそれを脅威とみなさない。
確かに追尾し続けてくる矢は厄介ではあるが、その時は撃ち落とせばいいだけの話。
鮮血神殿発動時に戦ったが、彼の矢はタイミングさえ誤らなければ容易に撃ち落とせる。

溜めの時間は僅か五秒。
速度、威力ともに決して高いものではない。

弓兵の指より、矢が離れる。
同時に騎乗兵が疾風の名を以ってアーチャーを撃墜すべく飛来する。
この矢はライダーを倒せない。
それはライダーが一番よくわかっている。

だが同時にライダーは、アーチャーを完全には知らない。
なぜ彼が士郎に離れろと命じたのか。その理由が思い当たらない。

そしてその理由は─────

「─────壊れた幻想ブロークン・ファンタズム

それが起きた直後に理解できた。

布石。
“必ず追尾する矢”である以上、それを防ぐには攻勢に出て、それを撃ち落とすしかない。
防御に徹する以上、その矢本来の性能がライダーに牙を向くからだ。
それは学校でその矢と戦ったライダーが一番よく理解していた。

だからこそ、アーチャーは同じ矢を用意した。
“必ず追尾する矢”ならば、それを叩き落とすしかない。
故にその矢に攻撃を仕掛けるしかないのだ。

─────ならば

その矢が“爆弾”として起動させることができるのならば。
その“爆弾”に近づいてくるライダーは、ただの愚か者以外の何者でもない。
無論、そうさせるように仕向けたのがアーチャーなのだが。

溜めが短いのもそれが理由。
アーチャー自身、その矢を音速以上に引き上げることなど容易い。
が、それにはそれなりの時間を要する。
当然そんな時間はないのだが、今回ばかりはこの“状況”に“戦術”がマッチングしていた。

故に溜めの時間が短いことに誰も不審など抱かないし、それほど高速ではない以上“実に予測通りに”ライダーがこの矢に食いついた。

「なっ─────」

死の夜に響く爆発音。
それと共に巻き起こる旋風。
夜はその周囲だけ一瞬昼となり、そしてまた夜へと戻る。

超至近距離からの爆発。
時間の関係上流石に込めた魔力量もそう多くは無かったのだが、それでもこの爆発。

「─────、!」

粉塵の中より離脱するように飛び出してきたライダー。
あの一瞬で衝撃を少しでも和らげようと咄嗟に後退のハンドルをきったのだ。
が、それでも服は焼け、眼帯にヒビが入り、左腕が消えて無くなっている。
それでもなお存命しているのは黒い影のおかげだろうか。

だが息つく暇など与えない。
投影した宝具を矢として使用する錬鉄の英霊。
相手が距離を取らざるを得ない状況を作り出した張本人。

心眼。
彼が保有する、わずかな勝率が存在すればそれを生かすための機会を手繰り寄せる事ができるというスキル。
流れは完全にアーチャーにある。

弓に次弾装填するのは同様に黒い矢。
ただし、溜めの時間は先ほどよりもさらに五秒長い。
そして“それをライダーに見せつける”。

“追尾する”矢の特性。“爆発させる”弓兵の特性。
回避すれば矢の特性がライダーを射抜き、それを迎撃しようものならば直前で起爆する。
まさに“不可避”の矢。
このどちらに転んでも部の悪い状況下でライダーは

「─────」

さらに距離を取った。
余計に分が悪くなるだけだというのに、しかしそれでも距離をとった理由。
それをアーチャーが導き出す前に、目の前の光景は一変する。

迎撃も困難で回避不能。
ならばその迎撃手段はその爆発ごと吹き飛ばす攻撃で射手もろとも破壊するという力技。

ドシュ、と。
残った右手で首に短剣を突き刺した。
噴水の如く飛沫を上げる鮮血。
そして描かれていく陣。

ペガサスの誕生はメデューサの血とともにある。
彼女が首を斬られた際にたまった鮮血より生まれたとされる幻の存在。
故にその神話に基づき、彼女は我が仔ともいえる存在を呼び出す。
それがサーヴァントなるものならば、後の人間達の見識・信仰によってそれは顕著に確定化される。

黒い光が流出する。
風が巻き起こり、その一秒の後襲い来るであろう彗星。
アーチャーは一度、その姿を見たことがある。
あの時はライダーは離脱の為に使った故に回避もできたが、今度は撃破の為に使用する。
しかし前見た光景の純白の光ではなく、漆黒のフレアとなっている。
それが黒い影の影響だと断ずるのは容易である。

「チ─────!」

構えていた矢を打ち出す。
どれだけ強力な宝具であろうと、それが発動する前に倒してしまえば終わる。
溜め時間は十秒。
まだまだの領域ではあるが、この百メートルも満たない距離ではこの矢にとって無いに等しい。

しかし。
それは相手にも言えること。

「“騎英の手綱ベルレフォーン──────────!!!”」

真名解放と共に、黒い彗星が飛来する。


─────第三節 騎英の手綱─────

赤原猟犬フルンディング
射手が狙い続ける限り追尾する剣であり矢。
その矢と宝具「騎英の手綱」がぶつかる直前。

「─────壊れた幻想ブロークン・ファンタズム

大爆発が巻き起こる。
旋風と共に視界が遮られるが、同時にアーチャーは

「I am the bone of my sword─────」

更なる言葉を紡いでいた。
赤原猟犬フルンディングが間に合わなかった以上、次なる手段を講じなければやられるのは道理。
そのアーチャーの思考通り、粉塵の中から次は突進してくる黒い光が。

内部を総加速。
魔力を即座に流し込み、イメージする。
この刹那に呼び出せて、あの攻撃に耐えうる可能性を持つもの。

「“熾天覆う七つの円環ロー・アイアス” ─────!」

それこそ、弓兵が持つ防具の中で最強の硬度を誇る盾の名前である。

百メートルの距離を無視したライダーの宝具がアーチャーへと襲いかかる。
ぶつかる光と花弁の盾。
暴風と高熱を残骸として散らしながら、ライダーの光は花弁の盾の前に停止している。

だがこのアイアスの盾。
投擲武器に対して最強の効果があれど、それ以外の攻撃には一枚一枚が城壁と同等の防御力を持つ程度しかない。
対して相手は『約束された勝利の剣エクスカリバー』に次ぐランクを持つ宝具。そこに加えるように黒い影からのバックアップ。

「─────っ…………!!!!!」

アーチャー自身、防ぎきれるかどうか危い中で出した最強の盾。
が、他の手段がなかった以上これ以外に方法はない。
散っていく花弁。
七枚あったはずの花弁は三枚まで減り、そしてたった今三枚目が散った。

「ぬ─────ああああああああ…………!!!」

残り花弁の数は二枚。
判り切っていることだが、突破されれば跡形もなく吹き飛ぶ。
裂帛れっぱくの気合いを以って、全魔力を己が宝具に注ぎ込んでいく。

パキン、という音ともに残りの花弁が一枚となる。
その光景。
黒い光に呑まれそうになるアーチャーを見て。

「………イリヤ、悪い。ちょっとだけ魔力を借りるぞ」

内面へと浸透する。
イメージするのは常に一つ。

「─────投影、開始トレース・オン

検索は既に完了している。
選出。
解析。
投影。

使うべきものが決定している以上、この投影は一瞬で成る。

「“熾天覆う七つの円環ロー・アイアス ─────!”」

その真名と共に、アーチャーの目の前に新たな花弁が花開いた。

展開される七枚の花弁。
その驚きは二人のモノであるほかない。
自分の眼前に現れた、自分のモノであって自分のモノではない自分の盾。

「………小僧っ!!」

「づ………! あ、あ、あ─────!!」

アイアスより伝わる衝撃を受けながら、花弁を維持すべく魔力を注ぎ込む。
だが、この花弁。
投影するに必要な魔力は剣の数倍を要する。

「─────!!」

ライダーの驚きも同等だった。
眼前に7枚の花弁が展開されただけではなく、加えて7枚の花弁がさらに展開。
総計14枚の盾が展開されたのだ。

「………このままでは」

轟! と音と立て、ライダーが上方へ逸れるようにズレた。
このままでは完全に勢いが殺され、停止してしまう。
そうなる前に空へと舞っていく。

「は─────っ、はぁ─────」

空へと駆けていくライダーを見上げながら、肩で息をする二人。
アーチャーのアイアスは残り1枚、後より展開した士郎のアイアスは残り5枚と、アイアス約一つ分がしっかりと残っていた。
だが、二人が総じて摩耗していることには変わらない。

アーチャーの突きだしていた腕は、朽ち木の如くボロボロになっていたし、苦痛に歪む顔は腕の傷だけではなく、想像絶する頭痛に耐えてのものだった。
士郎自身もアーチャーほどとはいかないがそれなりに体力を消耗している。

「………っ、奴め。再浮上して次は重力を加えて攻撃してくるつもりか」

空を見上げるアーチャー。
視線の先には黒い光が空で弧を描き、再び此方へ突進しようとするライダーが。

このままではいずれ敗北する。
黒い影が聖杯の中身だとするならば、ライダーに供給される魔力はほぼ無尽蔵。
燃費は悪いが高威力の宝具を惜しみも無く連発できる。
そんな相手にただ守りを固めているだけでは勝機はない。
加えて先ほどの宝具により消耗している二人が二度目の宝具に耐えられるワケもない。

そこへ。

「シロウ、アーチャー!!」

衛宮の家より飛び出してきた凛とセイバーが到着した。
相当な速度で走ってきただろうそれは、しかし息など一つも乱していない。

「凛か………。よくここがわかったものだな」

「そりゃあんだけ魔力まき散らして戦ってたら嫌でも判るわよ!というよりアーチャー、その腕大丈夫!?」

駆けつけてきた凛がアーチャーの腕を治癒し始める。
セイバーは士郎の横に立ち上空を見上げる。

「あれは………!?」

到着するや否や上空に確認できる魔力の塊を睨むセイバー。
地上には一直線にめくれ上がった無残なアスファルトの道。
所々にクレーターができており、周囲の民家は吹き飛んでいる。
激しい戦闘があったことなど見て判る。

「凛、手当など後だ。空からライダーが攻撃を仕掛けてくるぞ」

「………なるほど、やはりあの魔力量からしてそうではないかと思っていましたが。宝具ですね、シロウ」

「ああ。なんとか初撃は耐えたけど………っ」

時折襲ってくる激痛。
アイアスを二枚破壊されただけでこの痛み。
ならば平気な様子を装っているアーチャーは一体どれだけの激痛なのか。

カチャリ、と鎧が擦れる音がする。
一歩前に出たセイバーは上空を睨んだまま士郎に尋ねた。

「シロウ、一つ訊きます。この辺り一帯から人の気配を全く感じませんが、この場に我々以外の住民は?」

「………いない。今は戦闘の所為でかき消されたけど、ここに来たときは黒い影の気配はあった」

「………そうですか」

同時に封が解かれる。
幾重もの風を払い、黄金の剣が姿を現す。

迎撃手段は一つ。
相手が強力ならばそれ以上の強力を以って打ちのめすしかない。
アーチャーは負傷。
ならばここで対抗しうる人物はたった一人だ。

「セイバー、思いっきりやっちゃいなさい!」

「了解した、リン!」

吹き荒れる嵐。
それは士郎にとって見知ったものであれど、これから起きることは始めてみる光景。
落下してくる黒い光を見て、それでも動かないセイバー。

「士郎、ここから離れるわよ!これだけ近いと衝撃波もそれなりだから!」

「あ、ああ。セイバー………」

「行ってください、シロウ。私ならば大丈夫です」

彼女の顔を見て、小さく頷きその場を離れる。

「氷室」

先ほどまでの光景を少し離れていた場所で見ていた鐘の元へと近づいていく。

「衛宮、無事か………?」

「ああ。なんとか」

そう言って向き直る。
視線の先。
視えない筈の剣の姿が確かに見える。
少しずつ包帯を解いていくように見えていく。

「あれは………黄金の─────剣、か?」

呟くのは鐘。
だがそれ以外の三人はすでに彼女が何者か知っている。
アーチャーは言わずもがな。
凛はセイバーのマスターである以上は理解しているし、士郎はアーチャーから流れてきた知識の一部に付随していた情報を持っていた。

その四人を余所に吹き荒ぶ風。
箱を開けるかのように展開していく幾重もの封印。
風の帯は大気に溶け、露わになった剣を構え、セイバーは黒い流星へ狙いを定める。
対するライダーは周囲一帯を巨大なクレーターへと変えるべく、さらに速度と重力を増して接近してくる。

夜の街は黄金の光に染められる。
夜の空はより一層黒い光に覆われている。

「“約束されたエクス─────”」
「“騎英のベルレ─────”」

他者の光などいらない。
己の光で、もう一つの光を塗り消していく。
そのために、全力を以って敵を倒す。

「“─────勝利の剣カリバー!!!!!”」
「“手綱フォーン─────!!!!!”」

全く異なる光を収束させた二人が、死の街をそれぞれの色で染め上げた。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第48話 戦争
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:47a17094
Date: 2012/08/11 22:29
第48話 戦争


─────第一節 反撃カウンター・アタック─────

日付……二月九日
午前零時
各警察官が街中を巡回するもこれといった不審人物及び異常は発見できず。
なお後の聞き込み調査によりこの時間帯に槍のような長い棒を持った人物が空を跳んでいたとの証言あり。
証言者は飲酒しており、証言として不確かなため保留とする。

午前一時
道路の一部が陥没しているところを発見。
一体どのような方法を使ってアスファルトの道を陥没させたのか、不明。

午前三時
新都の一区画を担当していた警察官と連絡が不通となる。
すぐさまその区画に向かったとのことだが誰も発見できなかったらしい。
現在もそこを担当していた警察官三名と連絡はとれていない。

午前五時半
家の中がもぬけの殻という世帯を発見。
新聞配達員の通報により発覚したものである。
調査によると配達当時玄関の戸が半開きになっており、不審に思った配達員が中を覗くが誰も人物がいなかったとのこと。
食べ掛けの夜食と思われるものや、無造作に落ちていた衣類からして何らかの事件に巻き込まれた可能性が高い。

午前八時
朝のもはや定例となってしまった記者会見にて現在の状況を一部公開。
意識不明者は少なくなったが対して行方不明者数は増加の一途を辿っている。

午前九時
定例記者会見終了。なお報道協定は守られている為、後の報道ではある程度のことしか報道されていなかった。
最近の事件はほとんどが夜から深夜、早朝にかけて発生しているため日中は眠ることができる数少ない時間となってしまった。
流石に先日日中で発生した学校半壊事件には驚かざるを得なかったが。

午後二時
睡眠・食事など必要最低限のことを済ませ再び本部へと出勤。
同僚たちからは、住民の悲痛な声とも苦情とも言える声を聞かされた。
此方としてもここまで被害が拡大するとは考えなかった。これではまるで十年前の再来だ。

午後六時
巡回中に不審物を発見。
靴が三足分ほど転がっていた。
放置されたものかはたまた何らかの事件が関与しているのか不明。
もはやこういった些細なものですらきっちり検証しなくてはいけないのが余計に負担をかけてくる。

午後八時半
巡回中に赤い髪の少年と灰色の長髪の少女、褐色肌の少女を発見。
聞けば少女を家に送り届けている最中とのこと。
住所も比較的近いので早く家に帰る様にだけは伝えておいた。

午後九時二十分
巡回中に光線を確認。
少し遠かったが、黄金色の光が空へと突きぬけていった。
念の為本部に連絡を入れて発信源と思われる場所へ急行する。
本部からも数人の応援が駆け付けるとの事。

…………とある警察官のメモより




空を染める黄金の輝き。
その圧倒的な奔流を放つセイバーは、この自身の宝具に絶対の自信を持っている。
持っているからこそこの剣がブレることはないし、迷いが発することもない。

しかし異常はすぐに起きた。
光線とも言える黄金の光。
それらは確かに空へ拡散している。
だが肝心の正面方向だけは光が伸びていないのだ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

「なっ─────」

セイバーの驚愕も当然。
全力で放った己の攻撃が、ライダーの攻撃と拮抗している。
かつて怪物すらもその一閃で葬り去ったこの剣が、未だに敵を倒せていないというこの事実。

「お─────おおぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

黄金の輝きを払拭せんと落下を続ける黒い光。
聖杯の魔力を惜しみも無く展開し、セイバーの必殺である『約束された勝利の剣エクスカリバー』と拮抗してみせている。
その異常。

本来ならばライダーの宝具ではセイバーに及ばない。
だが黒い影の力のバックアップは人間のそれを遥かに凌駕する。
そこへさらに守るように展開される無尽蔵の魔力の盾。
結果、格上であるセイバーの宝具と拮抗してみせているという事実がここに成り立つ。

否、この拮抗は徐々に崩れていく。
セイバーのマスターが人である以上、限界はある。
だがライダーのマスターは聖杯そのものと言っても過言ではない。
魔力放出を続ける限り、それはそれぞれのマスターの魔力保有量で戦いが決する。
単純な話で底が見えた方が負けだというならば、この戦いはセイバーの負けである。

そして戦いはさらに加速する。

「!? セイバー、あそこ!!」

異常に気がついた凛がセイバーへと叫ぶ。
ライダーの後方。
彼女の光が及ばないその場所に現れた魔方陣。
そしてその奥に。

「キャスター………!」

ライダーの眼前に展開されている黒い魔力の盾。
ライダー自身が意図的に作りだしたモノとは考えにくい。
一方で黒い影の陣営には魔術に特化しているサーヴァントが存在している。
ならばあの仕業はその者が関与しているのではないかと勘繰るのは当然である。

ジジジ………と、黒い稲妻の如く空間に電気が奔る。
肥大化する魔力。
空間を支配していく圧迫感は、今にも爆発しそうなほどに充満している。

「─────!? 全員ここから離れろッ!!」

その魔術を見たことがあるアーチャーがいち早く叫んだ。
彼は柳洞寺でその攻撃を自身の固有結界にてなんとかぎりぎりやり過ごすことができた。
だが、ライダーの宝具のようにキャスターの攻撃も上昇しているとするならば、その破壊力は以前の情報と照合してはいけない。

「………マキア・ヘカティックグライアー」

闇が、黄金の光に降り注ぐ。


─────第二節 炸裂バースト・アップ─────

第二の黒光が地上にいるセイバーや士郎らを一掃するように降り注いだ。
夜の空がそのまま落ちてきたかのような状態。
照射範囲は尋常ではなく、全力で逃げなければ無事ではすまない。
セイバーは前進、後退していた士郎らはそのままさらに後退することで直撃は避けたが………

ズン、と。
大地が揺れた。
まるで巨大な何かがすぐ傍におちたかのように地響きと振動を体に伝え、突風が視界を奪う。

「くっ………!」

破壊された家の破片が武器となって襲いかかる。
この速度で直撃すると笑い話にもならないため、士郎は鐘を、アーチャーは凛をそれぞれ下にして地面に伏せた。
風が止み、視界が戻る。

「こ………これは」

そうしてつい先ほどまでいた、正面を見た鐘は絶句してしまった。
アスファルトの道。
それなりに丈夫で、普段も歩いている道が円状に周囲の家ごと黒く無くなっていたのだ。
その跡には奈落まで続いているのかと思いたくなるような大穴がぽっかりと口を開いている。

別に高所恐怖症ではないが、この穴を覗きたくはなかった。
いるだけで足がすくみ、覗いたらそのまま引きずりこまれそうなほど異様だったのだから。

だが、それは更なる驚愕によって上書きされた。

さらに視線の奥。
十分巨大な大穴の奥に、それが小さくすら見えるほど、巨大なクレーターが出来上がっていたのだ。
唯一の救いだったとすれば、この周囲の民家に人が誰一人としていなかったことか。
もしこの住宅街に人がいたのならば、死体がそこいらに散らばっていることは間違いない。
鳴き声は夜に響き、助けを求める声がこの街に木霊していたことだろう。

周囲は熱によって煙が生じている。
そのクレーターの中央に、黒い馬らしきものに跨ったライダーが君臨していた。

「な………ふ、ふざけすぎでしょ、この威力………!キャスターもキャスターだけど、ライダーのあれ、どこの隕石が直撃したのよ!」

目の前の光景の変貌に驚愕する凛。
宝具は“そういうものだ”という知識こそあったが、この目にまざまざと見せつけられるとどうしても驚愕を禁じ得ない。
しかもそれが敵のものであるとなると、信じたくもなくなってくる。

「セイバー………!遠坂、セイバーは無事なのか!?」

「令呪は消えてないから大丈夫、ちゃんと生きてる!」

「キャスターめ、攻撃を『約束された勝利の剣エクスカリバー』にもぶつけたな………!」

ダン!と目の前の大穴を飛び越えてアーチャーがクレーターへと向かっていく。
サーヴァントであるアーチャーだからこそできる離れ業であって、士郎や凛らができるような行為ではない。

「っ………、秘匿も何もあったもんじゃないわね!流石の綺礼もこれだけの規模となると動かざるを得ない………周囲の人は任せてキャスターらを潰すのが先か………!」

アーチャーの後を追うべく走り出そうとした凛だったが、鐘が視界の中にちらりと入った時に足を止めた。
対して鐘は目の前で起きた惨状をただ見つめていた。
崩れた城、傷ついた人、血。
普段見る事などないであろう状況を、この戦いでたくさん見てきた。

しかし果たしてつい先ほどまで居た場所が跡形もなく吹き飛んで、大地が抉れているという状況など見た事はあっただろうか?
似たようなものならばアインツベルンの城でもあったが、それでも瓦礫は散乱していた。
だが鐘の目の前には“何もない”。
先ほど凛が言ったように、まるで隕石が落ちてきたかのような、資料などで見るようなクレーターが出来上がっていた。

そうしてなぜ聖杯“戦争”と呼ばれているのかを理解した。
目の前の光景はまるで砲弾が降り注いだ後のようだ。
なるほど、ならば“戦い”というのは相応しくない。
まさしく“戦争”という言葉がこの目の前の惨状を的確に示していた。

それをまざまざと見せつけられては、足も思う様に動かないだろう。

「士郎、氷室さんを家に連れ帰って!ここにいたら危なすぎる!」

鐘の様子を窺った凛は隣にいた士郎に指示する。
士郎もそれに否を唱えるつもりはなかった。
寧ろ言わなかったらこちらから言って連れ帰っているところだ。

「ああ、わかった」

その返答を聞いて凛はすぐさま大穴を迂回するように走り出した。
残された士郎と鐘。
だがこのままじっとしているわけにもいかない。

「衛宮…………」

隣にいる鐘が声をかけてくる。
手を握り、引き寄せる。

「行こう、氷室。家まで送る」

そう言って歩き出した。
少しだけ早歩きで、少しだけ急かす様に。

「い、いや、衛宮。私などに構わなくていい。君はその………」

あそこにいかなくていいのか? とはどうしても言えなかった。
あそこは間違いなく死地だ。
彼は戦う人であるということは理解しているが、わざわざ死地に向かわせるような物言いをするというのが嫌だった。

「確かに戦力的には俺も行ったほうがいいかもしれない。けど、その間に氷室が巻き込まれたらいけないだろ。家にはイリヤ達もいるから夜道で一人になるよりは安全だ」

士郎の背を見ながら嬉しさを感じていたのと軽い自己嫌悪になっていた。
こういう状況下にあっても自分の身の安全を考えた行動をしてくれているという嬉しさ。
そしてそれを嬉しいと感じてしまっている自分が嫌になった。


─────第三節 最優セイバーVS聖杯キャスター・ライダー─────

「ぐっ………」

直径数百メートル爆心地から僅かに離れている場所にセイバーは倒れていた。
鎧の半分は崩壊しており、腕や頭からは血が流れている。
思い切りたたきつけられたこともあり、何とか立ち上がるも視界がまだ安定していない。

「─────っ」

それを己の気合いのみで吹き飛ばす。
黄金の剣を地面に突き刺して、体を持ち上げる。
周囲の光景を目の当たりにしたセイバーは、ただその中心部に佇む敵を睨みつけた。

「まさか………!」

己の宝具、『約束された勝利の剣エクスカリバー』。
無論手を緩めたつもりなど毛頭ない。
全くもって全身全霊を込めた一撃を放った筈だった。

だが、それはライダーとキャスターの手によって打ち破られてしまった。

否、寧ろセイバーを褒めるべきだろう。
相手は聖杯のバックアップを受けた二体のサーヴァント。
いわば聖杯の代行者だ。
ソレが一体では彼女の宝具に拮抗することはできても完全に打ち負かすことはできなかったのだから。
寧ろ先ほどの戦い、拮抗が崩れてはいたがそれはセイバーが“勝利”へと進む方向の崩壊だった。

凛と契約したセイバーのステータスは格段に上がっている。
加えて魔力保有量も士郎のソレを上回る。
今でこそ士郎はイリヤのバックアップを受けているが、そうなる前とでは明らかに異なった。
故にセイバーはその“最優”というクラスの名に、そして“約束された勝利の剣”という言葉に恥じぬ結果を導こうとしていた。

つまり、身を隠していたキャスターにとってもそれは予想外だったということ。
何度も言うが聖杯のバックアップは人間のソレと比べてはならない。
つまりはこの戦い、ライダーの宝具で打ち勝てると考えていたのだ。

それが蓋を開けてみれば、ライダーが僅かに押し負けているという事実。
ならば援護してやるのは当然である。

ライダーの宝具だけではなく、キャスターの最大の攻撃系魔術と言っても過言ではない魔術を受けた宝具。
かくしてセイバーの『約束された勝利の剣エクスカリバー』は破れた。
だがそこに賞賛する価値こそあれ、罵る言葉などないのは道理。

だからこそ、キャスターはセイバーを狙う。

「っ!? キャスターか!」

上空より飛来する魔弾。
一発一発が冗談じみた魔力が籠っている。
それもまた必定。
後ろにいるのは無尽蔵の杯なのだから。

「………しかし!」

一撃を打ち払い、二撃目を弾き返し、三撃目を叩き落とす。
その姿勢のまま次は剣を振り上げ、四撃目を跳ね返して五撃目と相殺させる。

鳴り響く爆発音。
二発はクレーターへと落ち、一発はすぐ傍で爆発。
空中で起爆した二発の魔弾が周囲の魔弾を巻き込み大爆発を引き起こす。

塞がる視界。だが彼女の直感が告げる。
─────“回避しろ”と。

たった一歩のバックステップで二十メートルの距離をとる。
直後、塞がった視界の奥から先ほどの数十倍の数の魔弾が降り注いだ。
その規模は先ほどの五発と比べれば小さいものだが、数が違う。
秒間にして約100発。毎分6000発の魔弾が降り注ぐ。

さながら戦闘機の機関銃。
アメリカ軍が最も普及させているM61シリーズに匹敵する。試験的には毎分1万2000発を発射したとも言われる現代兵器。
だが現代兵器には物理法則というものがあり、続ける限りそれは維持できない。
それをキャスターは魔術にて容易くやってのけている。
弾丸となる魔力は無尽蔵、物理法則に縛られない魔術の法則。
導き出されるのは凄まじいまでの弾丸のスコールである。

果たしてそんなものを受け続けて無事でいられるだろうか?
答えは否である。
秒間100発の魔弾。
対魔力が七人のサーヴァントの中でもとびぬけて優秀のセイバーでも、強化されたこの魔弾を受け続けるのは危険すぎる。

「………キャスター!」

クレーターの淵を高速で走り抜ける。
それを追い掛けるが如く漆黒の魔弾がセイバーを射止めんと連射されつづける。
しかもその一発一発が呪いを帯びているのだから、いよいよもって被弾など考えてはならない。
そして忘れてはならないのがもう一つ。

─────敵は二人である。

「─────!」

視線を上空にいるキャスターから側面へと落とした。
その眼前に迫るは黒いペガサスに跨るライダーの姿。
宝具こそ解放していないが、これほどの速度で突進されてはひとたまりもない。

どこをどのようにして剣を振るえば致命傷を避けられるか。
彼女の直感が即座にその答えを導き出す。

「はっ─────!」

身を翻し同時に剣を振り上げる。
キャスターのガトリングを紙一重で躱し、同時に突進してきたライダーの攻撃をその剣で受け止める。
その勢いを利用しさらにその場から数十メートル後退すると共に、受けた剣でそのままライダーを反対方向へと押し返す。

「      」

何といったかは聞こえない。
だが、ライダーとの距離を離したセイバーの元へ二発の魔弾が降り注ぐ。
それらは先ほどの小型のものではない、かなり大型の魔弾だ。

「そんなものが当たると!」

着弾する前にセイバーは前方へ回避する。
たった一歩で十メートルを詰めようかという彼女の移動。
華麗に回避したセイバーは勢いそのままに数十メートル先にいるライダーへと突貫する。

「っ!?」

ゾクリ、と。
直進する足を無理矢理横方向への舵に切り替えた。
そこを通り過ぎるは先ほど回避した筈の魔弾。

背後より襲いかかる魔弾に息を呑むセイバーだったが、次にはその事実を見る。

「誘導弾………!!」

通り過ぎた筈の魔弾が弧を描き高速でセイバーの元へと殺到する。
同時に足元に感知する魔力の渦。
それが何であるかを理解する前に、咄嗟に後方へ跳び退く。

彼女がいた場所に紫色に光る魔方陣が描かれていた。
あそこにあとコンマ数秒居続ければどうなっていたかなど想像すらつかない。
束縛されあの大型誘導弾を受けていたか、或いはアレ自体が何らかの攻撃を行う魔方陣か。
いずれにせよこの戦いで停止する事は危険すぎる。

「はぁっ!!」

ドォン!! と、崩壊した街に最早何度目かもわからない爆発音が響く。
追ってくる誘導弾をその黄金の剣で叩き潰したセイバーは、上空と地上にいる敵をそれぞれ警戒する。
どちらも難敵。
加えて背後にいるのは聖杯。
魔力は無尽蔵であり、長期戦は圧倒的不利。
ならば短期決戦を狙うも『約束された勝利の剣エクスカリバー』はあの二体の手によって突破されてしまっている。

「っ!」

キャスターがいる空間が光を帯び、再開されるは魔弾のスコール。
それに伴いライダーもまたセイバーを打ち滅ぼすべく突進を仕掛けてくる。
せめてどちらか一人を再起不能にさせてしまえばやりようはあるだろうが、この状況は極めて芳しくない。

チャンスがあるとすれば攻撃を仕掛けるために近づいてくるライダーか。
だが彼女自身の威力が半端ではないため、そうそう上手くいかないのも事実。
先ほど一撃を受け、その返しで攻撃してみせた。
しかしその一撃自体が重く、“返す”のにどうしても時間がかかってしまう。

『セイバー、聞こえる!?』

唐突に頭の中に響いてくる声。
セイバーのマスター、凛である。

『リン………? ええ、聞こえています。どうしましたか!?』

念話に集中する一方で、しかしこの死の砲撃を掻い潜る。
このレベルの魔弾と対峙するのは“三度目”だ。
いくらどうしようもないほどに激烈な攻撃と言えども、対応方法は間違えない。

銃と剣とでは基本的に銃が勝利する。
それに打ち勝つには防御し得る物を以ってして一気に剣の射程圏内に持ち込むこと。
それが出来ない限りは回避し続ける他ない。
幸いキャスターは距離を詰めてこないため常に回避できるだけの速度を維持してライダーの突風とも言える奇襲に備える。

確立した対処法を見出せたのであれば、念話をするだけの余裕は生まれる。
無論余談を許す状況ではない為、必要最低限の集中力しか割けないが。

『あと………十秒ちょっと保って。いける?』

『十秒………。はい、いけます。油断はなりませんがこれならば………っ!』

轟!! とライダーが突進してくる。
それを渾身の力で受け止め、跳ね返す。
それでいながら常に足は動かして、足元から襲う魔方陣と上空から迫る魔弾のガトリングを回避する。

『こっちが合図するから、それと同時に思いっきり後退して。じゃないとセイバーも“ただじゃ済まないから”』

その言葉を皮きりに凛は一方的に通信を切った。
この一瞬のミスが死に至る状況下で、無意味な通信は不要。
伝えたい事だけをさっさと伝えて切ってやった方がまだ存命率はある。

「………アーチャー、ですね。何をするかは判りませんが………」

攻撃とその衝撃によって窪みができているクレーター内部を駆けまわる。
油断こそなれど、この後に起こるであろう出来事に不安は抱かなかった。
なぜならば。

「どのような形であれ彼がシロウだというならば、不安など微塵もない」

来るべき攻撃まで残り十六秒。



時刻は午後九時半を回ったところ。
もうこの時刻になるとこの深山町に人はいない。
街灯だけが闇に染まった道路を照らしていた。

鳴り響く爆発音も、ここまでくると小さくしか聞こえない。
周囲は暗く、ここ最近通りの静寂に包まれている。
そんな街の中で士郎と鐘は衛宮邸へ向かうべく小走りに坂を上っていた。
一刻も早く家にたどり着いて援護に行くべきだろう。

「よし、家が見えて─────!?」

ドン!! と。
坂を上りきったところで、その音に驚愕する。
否、正確には音ではなくその音の音量である。

爆発音自体はあの死の街から離れようとしたときから聞こえていた。
だが家に近づくにつれてその爆心地からは離れていくのだから音量は小さくなっていく。
それは物理法則的に当然の出来事である。

しかしいつからだったか。
その感覚が麻痺していた。
鳴り止まぬ爆発音が離れたこの坂道でも聞こえてくるという事実。
戦闘の規模を考えたら当たり前かと思って疑問すら抱かなかった。

だがここまできて突然この音量はおかしい。
これではまるで目の前で戦闘が行われている●●●●●●●●●●●●●様ではないか?

「─────くそ、何が起きてる………!」

鐘の手を握り、門にやってくる。
庭で何かが起きているということは明白だった。
音からして戦闘音。
ならば襲撃者が現れたと思っていい。

「氷室、ここで待っててくれ」

手を放して庭へと向かおうとする。
その腕を鐘が再び掴んだ。

「? 氷室………?」

振り向いて様子を窺う。
対する鐘は真っ直ぐ士郎を見つめていた。

「衛宮─────いや、“しろう”。………この状況が普通じゃないっていうのは………わかっているつもりだ」

握る手に少しだけ力が入る。
俯いた彼女の体は僅かに震えていた。

「─────けど。その、無茶だけは………しないでくれ、しろう」

再び顔をあげた。
その姿が。

「──────────」

その顔が。
いつか見た姿と全く同じだった。

確かに恐怖ではあるだろう。
この先で起きていることが何か判らないという不安が、この戦争では恐怖へと繋がり、死へと繋がる。

それを理解した上で、士郎は鐘の手を取り

「………大丈夫だよ、氷室。絶対戻ってくるから」

そして放した。
向かうは庭先。

強化を全身に施し、その先を見たときだった。

「………!」

その光景を見て目眩がした。

「衛宮…………!」

庭に入ってきた士郎を見て言葉に出す綾子。
縁側にはイリヤや綾子、セラにリズなど本来この家にいる人間がいた。
そこに何の問題もない。
あるとすればリズがボロボロになってハルバートをそれでも構えているというところか。

だがその反対側。
その姿はいつか見た人物で。
けれどその姿は黄金に輝いていて。
そしてその姿は、決して忘れることのない姿だった。

「─────ほう、今にして戻ったか………贋作者フェイカー

「ギルガメッシュ………!!」

第二の戦場が幕を開ける。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第49話 崩壊する者達
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:47a17094
Date: 2013/04/30 00:28
第49話 崩壊する者達


─────第一節 この世総ての王─────

庭で何かが起きていることは間違いない。
だが肝心の“何が”という部分がわからない。
これでは一知半解であり、どう対応すればいいかもわからない。

一人門に取り残された鐘は足を動かし始めた。
ゆっくりと足音を殺して庭を覗き込む。
危険な行為ではあるが、一体何が起きているか判らないというこの状況もまた危険である。
そうして覗き込んだ先にいた人物は、忘れもしない人物だった。

「────!」

思わず息を呑んだ。
そこにいる人物は間違いなくアインツベルンで見た人物だったが、庭にいるあの人物は現在黄金の甲冑を身に纏っている。
その赤い瞳は今しがた飛び出した士郎を見据えているのだが、その目は恐ろしく冷えていた。
決して鐘を見ている訳ではないが、その“見ているわけではない”鐘ですらその威圧に息を呑んだのだ。

「おまえ………!」

大地をしっかりと踏みしめて立つのは先ほど庭へと向かった士郎。
その両手には干将莫邪が握られている。
視線を横へずらすと縁側には綾子らがいる。
彼女に大きな怪我は見当たらないが、彼女らを守る様にその少し前に立つリズだけは違った。

「リズ!」

イリヤがリズへと駆け寄る。
ギルガメッシュの視線が士郎へと切り替わった際に緊張が解けたのか、或いはそもそもとして限界が近かったのか。
リズは膝から崩れるように地面へ座り込んでしまった。
ハルバートを地面に突き刺して何とか体勢を整えようとしているが、思う様に動いていない。

その光景を視界内に収めながら士郎は黄金の王と対峙する。

「ギルガメッシュ………なんでここに………!」

「何故だと? 見て判らぬか、贋作者フェイカー。杯がここにあるとなればここに来ることなど当然であろう」

横にいる杯ことイリヤに視線をやる。
この黄金の王はイリヤを人として見ていない。
道具或いは人形、もしくはただの器。

「そういう貴様こそなぜここに戻ってきた? まだ庭を荒す輩は残っているだろう。庭師が庭の手入れを怠るなど関心しないぞ、雑種」

「誰がおまえ専属の庭師だ………!─────そういうおまえこそ、留守狙ってやってくるような小物なんだな」

「戯け。仮にも杯を所有する者ならばあってしかるべき防御網は構築しておくべきだろう。このようなゴミ同然の場所で杯を管理していては黒い杯に呑まれる。─────そうなってしまっては面白くもないのでな。我の所有物を杜撰な管理で勝手に下郎に奪われる前に、我が回収しに来たのだ」

「何が所有物だ!イリヤは物じゃないし、おまえのでもない!」

「それこそ間違いだな贋作者フェイカー。世の財は全て我の物。聖杯も、物も、人も、全て等しくな。それにそこの人形が物ではない? ハ、何を言うか。もとより聖杯として機能するために作り出された人造。ならばそれは人ではなく、物であろう。一千年の悲願がどうとかは知らぬがその下らぬ悲願とやらの為に作り出された存在ならば、どれだけ思想・思念を持っていようがそれは“物”だ」

告げられる事実。
士郎はイリヤがどういう存在かというのは知っていたが、綾子と鐘はそれを知らない。
故に彼が言った事実に耳を疑うしかなかった。

「………けど、イリヤは生きてる。イリヤは人だし、おまえの所有物でもない………!」

干将莫邪を構え、姿勢を低くする。
どれだけ言い合ってもあの黄金の王は士郎のいう事を理解などしないだろうし、そもそも理解し合おうという気もなかった。
この者は敵であり、倒すべき存在だ。
ならばこれ以上の会話に意味はない。

間合いは約九メートル。
強化されたこの身体能力ならば、全力で踏み込めば斬りかかれる距離。
だが敵は動かない。

「我が宝物は千を超える。故に、適度に使ってやらねば埃も積もる。………取る程度の働きはすることだな」

否、動く必要はない。背景が黄金色に揺れる。
士郎の動作を見たギルガメッシュは愉快気に笑い。

「─────本物の前にその身朽ちるがいい、偽物」

その言葉と同時に剣が飛来した。

「─────!」

轟! と。
一瞬で距離を詰めてきた一撃を咄嗟に防ぐべく剣を横に薙ぐと共に、次に襲いかかる剣を回避するべく横へ体を流す。

「─────っ!? この………!」

士郎の目が回避した先に迫る剣を捉えた。
初撃を防ぎ、二撃目を回避した先に三撃目がすでに存在しているという事実。
それを。

「はぁっ─────!」

ギィン! という甲高い音と共に防ぎきる。
あわや眉間に直撃するかとも思われた剣をその強化能力を以ってして防ぎきったのだ。
だが“それでも間に合わない”。

「─────っっっっ!」

三撃目までが突風の域だとしたならば、それ以降に続く連撃は暴風だった。
それを直撃する寸前で辛うじて迎撃する士郎。

彼には知識がある。
アインツベルン城での戦いで、この剣舞は見ている。

士郎が経験したことのない知識を持っている。
無論この状況と全く同じというモノは存在し得なかったが、それでも似た経験を知識として持っていた。

そして強化された身体能力が、ギルガメッシュの攻撃を辛うじて防いでいたのだ。
だが、知識・力ともにアインツベルン戦よりも向上した士郎が“押されている”。
士郎の成長がまるで無かったかのように、明らかにアインツベルン城で戦ったときよりもギルガメッシュが強くなっていたのだ。

「ぐっ─────!」

撃ち出される剣を干将莫邪で撃ち落としながら、眼前に立つ王を見る。
強くなっているのではない。
前回が弱かったのだ。
つまりバーサーカーとの戦闘はともかくとして、士郎と戦った際には本気の欠片も出していなかったということになる。
それが少しギアを上げただけでこのありさま。
多少なりとも成長したと言える士郎を嘲笑うかのように英雄王の放つ攻撃は威力と速度が増していく。

「そら、どうした? 手捌きが鈍っているぞ、雑種」

「─────っ………この!」

眼前より迫る死の塊。
一つ一つが必殺に近い威力を誇り、僅かに気を逸らすだけで命を刈り取られる。
だがそれだけではない。
叩き落とすにしても、弾き飛ばすにしてもその方向にまで気を付けなければいけない。
後方へ飛ばせば鐘に、右側へ弾き飛ばせば綾子らに直撃する。
当然、弾き飛ばそうが凶器は凶器。
魔術はおろか抵抗すらできない彼女らの身に降り注げば命はない。

「っづ!」

故に吹き飛ばす方向は常に足元か正面、もしくは誰もいない塀側となる。
だがこの速度で飛来する剣を、その吹き飛ばす方向まで考えて迎撃するとなるとどうしても無茶な部分が出てきてしまう。
そしてその無茶は必ず突かれる。

「守るなどと………。偽善者は身の振りが忙しないよな─────!」

士郎が故意的に弾き飛ばす方向を決めているのはギルガメッシュから見ても容易にわかった。
この期に及んでもなお他者を優先するスタイルは、まわりまわればギルガメッシュを侮辱しているに他ならない。

ギルガメッシュの背後より現れた一つの剣。
一度限りの射出宝具。
それは。

「ヴァジュラ…………!」

叩き落とせば爆発。
直撃は論外。

「っっっ………おおぉぉっ!」

武器の認識から到達までの時間は1秒未満。
その間に出てきたのは対処方法ではなく、故に弾き飛ばす方向は思考も追いつかないまま上空へ。
弾き飛ばすと同時に両手の干将莫邪を眼前に佇むギルガメッシュへと弧を描くように投げつける。
左右から同時に、それぞれ最大の魔力を篭めて一投した。
狙う先は防具に覆われていない敵の首。
弧を描く二つの刃は、敵上で交差するよう飛翔する。

タイミングは同時。
しかしこの相手には同時であろうと意味がない。
この王は攻撃に手を必要としない。
手の数以上の剣が舞うのだから、左右からの同時攻撃など見向きもしないで簡単に弾き飛ばした。

「ハ!防ぐ物もなければただの的だぞ、贋作者フェイカー!」

士郎の手には何もない。
そこへ注ぎ込まれるは四の剣。
その死地へ、一歩前へと踏み出す。
同時に。

「─────投影、完了トレース・オフ

四つの金属音が響いた。
手に持っているのは先ほど投げた干将莫邪。
そもそも先ほど一投した攻撃が成功するなどという甘い考えは持っていない。

「………無駄なことを。何度試そうがその様なモノで我に届くはずもなかろう!」

ギルガメッシュの声を無視し、迫る三の剣を撃ち落とす。
そしてまた同じように干将莫邪を一投する。
それは先ほど防がれたモノと全く同じ。

だからこそ、ギルガメッシュは同じようにその干将莫邪を弾き飛ばそうと………

「………舐めるなよ、雑種!」

“四の剣”が“背後より迫る干将莫邪”ともども撃ち落としていた。
弾き飛ばした筈の干将莫邪が背後に迫っていることをギルガメッシュは感知していたのだ。
空より現れた剣は干将莫邪を叩き落とし、それらは地面に突き刺さる。
それを横目で見届け、再び正面にいる士郎へと視線を戻す。

力及ばぬ者が力ある者に勝つには策がいる。
しかしその策が敗れ去ったとき、相手はただ無残に敗北するだけ。
ならばこの図は士郎の敗北に他ならない………はずだった。

「な─────に?」

視線を戻した直後に、士郎の手に握られていたのは“ヴァジュラ”。
彼が宝具を投影するというのであれば、特別なことではない。
だが、今彼が持つヴァジュラは違う。
あれは“投影品”ではなく“オリジナル”だ。

「貴様、その小汚い手で我の宝物に触れるか!」

「─────らぁっ!!」

やり投げの様な形で、手に取ったヴァジュラをギルガメッシュ目掛けて投げつけた。
ヴァジュラの特性。
ダメージ数値はB+に相当し、所有者の魔力とは関係なく●●●●●●●●●●●●ダメージを与えることができる宝具だ。
つまり、魔力を篭めようと篭めまいとダメージ量は同じ。

「ちっ!」

一直線に飛来するヴァジュラを叩き落とす。
それと同時に爆発し、視界を煙と風が遮る。

塞がれる視界。

「………見えたぞ、雑種!!」

士郎の気配を察知したギルガメッシュが、煙の向こうへと宝具を射出する。
煙の所為で視界情報を得る事が出来なくとも、気配程度を察知できない王ではない。
つまるところ相手は視界を奪ってから一気に接敵し、強襲するという策。
ならば敵は此方へ向かってきているのだからそこへ撃ちこめば攻撃はあたる。
範囲を大きく取り、面の攻撃を行えば回避は不可能。

空間の捩れと共に宝具が周囲の風を纏い、一気に突き抜ける。
察知した場所へと寸分たがわずに飛来し、突き抜ける。
纏った風が爆煙を霧散させ、正面の光景を露わにする。
そこに─────士郎の姿はない。

その光景を見るや否や左右より現れるのは、3度目の干将莫邪。
やはり同じく首を両断せんと飛来する。
だが、一度二度防がれた攻撃が通る筈もない。
干将莫邪を突き刺すように赤い槍と黄色い槍が干将莫邪を串刺しにする。

煙幕状態で士郎を“誤認した”理由をギルガメッシュは知るべくもない。
彼が士郎と戦ったとき、士郎は投影・強化しか使っていなかった。
だが忘れないでほしい。

─────彼は衛宮切嗣の息子なのだと。

「気配遮断………!!」

第三者視点であるイリヤがその姿と、その正体を捉えた。
ギルガメッシュの真下。
身を屈め懐まで潜り込んだ士郎の姿。
その両手には干将莫邪。

後半歩。
それだけ踏み込めば勝利する。
敗因は明確。
ギルガメッシュが、士郎の能力を把握しきっていなかったためだ。
だが、それとは別に士郎自身もある程度の驚きはある。
イリヤとラインを繋いだ後で、苦手な分野の魔術を使う機会はなかった。
つまりこれはぶっつけ本番という形になったのだが、想像以上にスムーズに魔力を編み込むことができた。

とはいえ効力は期待してはならない。
凛などの一流魔術師と比べれば及ぶべくもないし、相手が格上のサーヴァントともなると効果など微塵程度しかないだろう。
保って一秒。
それがサーヴァントを幻惑できる時間である。
これではただの見間違いというレベル。
すぐに再認識されておしまいである。

しかしそれも使いよう。
タイミング、状況、相手の油断。
それらが完璧なまでに一致していた。

咄嗟に思いついた機転。
僅かな勝率。
それを手繰り寄せる能力。
ここに至るまでは完璧だった。

「見えていると言った、雑種………!」

ギロリ、と赤い眸が士郎を見下した。
敗因は明確。

半歩。
その半歩が足りなかった。
1秒ではなく、1秒とその半分ほど保っていれば。
ギルガメッシュが攻撃と同時に空気を巻き上げる宝具を射出していなければ。
半歩分の速度を出せていれば。
或いはもっと速度がだせたなら背後にも回れただろうか?

そんな考えを振り切る様に握った干将莫邪を喉元へと突き出した。
だが何もかもが今更である。

「天の鎖よ─────!」

ガクン、と体が強制的に停止した。
喉元まで迫った刃は、斬り裂くことなく停止を余儀なくされた。

「ぐ─────!投影トレース………………」

ジャラジャラと鎖の音が耳障りに聞こえてくる。
掴まれたという事実を認識するよりも早く、先に暗示をかけようとして─────

「雑種如きに足掻かれては不快だ。─────散れ」

既に手に持っていた鎌が振り下ろされた。
ハルペー。
これでつけられた傷は、自然ならざる回復・復元ができなくなるというスキルを有す剣であり鎌。

この距離でそのような能力を有す剣で斬られては致命傷は避けられない。
加えてそれが回復不可だというならば、その先にあるものは死以外にない。
ならばそれはどうあっても回避すべき剣であるが、またもその刹那の時間が足りない。

振り下ろされる断頭の鎌。
投影が間に合わないほどの刹那の時間。

「─────制約解除」

そんな刹那の時間を停止させたかのようにその声が聞こえてきたのだから、一瞬何が起きたかも理解できなかった。
ギルガメッシュの背後より断頭の刃が一閃する。
迸る銀色の閃光。
高速で薙ぎ払われたであろうそれは、しかし上空へ回避したギルガメッシュに直撃することなく士郎を捉えている鎖を断ち斬るにとどまった。

鎖が砕け、消える。
解放された士郎の目の前にはハルバートを持ったリズが立っていた。

「リズ、助かった。ありがとう」

「………私に惚れるなよ、べいびー」

言葉と共に視線を塀へとやる。
跳びあがって回避したギルガメッシュが塀の上に立ち、庭に立つ士郎らを見下ろしていた。

「まだ動けたか、人形。前回と同じ轍は踏まぬ、ということか?………が、それでも限界は近いようだな」

パチン、と指を鳴らす。
背後に陽炎のような歪みが生じ、眩い刃の輝きが忽然と虚空に出現する。

士郎が駆け付けるまでの間、リズはギルガメッシュの攻撃を耐えていた。
それだけでもすごいのだが、それを可能としたのがリーゼリットという者の正体にある。
彼女はイリヤと同じホムンクルス。
セラとは違い、彼女は聖杯として機能するように調整された存在だった。
だがそれに失敗し、失敗作というレッテルを張られた彼女は紆余曲折を経て戦闘用のホムンクルスという形でイリヤの傍にいる。
その力はサーヴァントともある程度対等に戦えるほど。
だからこそ、ギルガメッシュの攻撃に対して何とか耐えていたのだ。

しかし世の中は等価交換の世界である。
戦闘用に調整されたホムンクルス─────リズはその調整と存在故に、短命という運命を背負っている。
また一日に活動できる時間が決まっており、それ以上活動し続けると短命という命がより短命になってしまう。

つまり、今こうしてギルガメッシュの前に立つことは彼に殺されるという危険性とは別に、自己の破滅という危険性も孕んでいるのである。
現にイリヤのおかげで多少なり回復したとはいえ弱っていることは目に見えて判る。
そんな状態である彼女を見て、無理をさせるわけにはいかない。

「リズ………助かった。けど、イリヤ達を連れてここから逃げてくれ。その体じゃ─────」

「………大丈夫。イリヤ達はセラと一緒に逃げる、から。私は、みんなが逃げ切るための、足止め」

庭に突き刺さる無数の剣。
それがいつイリヤ達に降り注ぐかもわからない。

「衛宮………!」

僅かに縁側へ視線をやる。
そこには綾子と、イリヤ、セラがいる。
玄関付近には鐘もいるのだろう。

ここに居ては戦闘の邪魔になる。
ならここから離れなくてはならない。
そんな当たり前のことは二人とも理解していた。

何と言っていいかわからない。
どんな言葉をかけるべきなのかわからない。
そもそも言葉が必要かどうかもわからない。

だから、短く、一言だけ。

「─────死ぬな、衛宮」

そんな言葉を残して、綾子らは門にいる鐘と合流し家を出た。
落ち合う場所など決めていない。
落ち合う時間など決めていない。
そんな悠長なことを話し合っていられるほど、目の前にいる敵は心優しくはない。

「………ある程度足止めしたらリズも逃げてくれ。あいつは俺が止める」

瞼を閉じ、内面へ集中する。
二十七の魔術回路をしっかりと意識して

「─────投影、開始トレース・オン

ギルガメッシュの背後に揺らぐ剣と全く同じモノ、同じ数を虚空に出現させる。
加えてその両手に握るのはもはや使い慣れた武器である干将莫邪。

戦闘態勢。
リズにも降りかかるであろう剣群ごと相殺するべく、その一挙一動を注視する。

「………うん、ありがとう。その言葉だけで元気、いっぱい。けど、だめ。それだとイリヤが悲しむ。それに、イリヤだけじゃない。カネもアヤコも、悲しむ。私も悲しむ。だから、一緒に戦う」

巨重のハルバートを構え、見下ろす黄金の王をその瞳にとらえる。
何かを言い返したい士郎ではあったが、どのような言葉をかけていいかも、この緊迫した状況では即座に思い浮かばなかった。
対するギルガメッシュの目には、目の前の光景が滑稽に映り、同時に度し難い光景にも見えた。

贋作者フェイカーとできそこないの人形二人でこの我を止めると?─────狂言も大概にしろ、偽物共」

その言葉、威圧は先ほどよりも重い。
感情的なばかりの癇性でもって、黄金の英霊は殺意を剥き出しに放射していた。

「─────いいだろう。そこまで思い上がっているのであればもはや我が宝物、出し惜しみはすまい。偽物を作るその存在、一片たりとも残しはせん─────!」

中空に浮かぶ宝具が繰り出される。
数は二十二。
半分ずつがそれぞれを刺殺すべく急速に飛来する。
それを、

全投影連続層写ソードバレルフルオープン!!」

リズ目掛けて飛来する剣共々、投影した剣群で相殺させる。
ぶつかり合い、破砕し、剣が弾きあう弾幕の中を、ハルバートを携えたリズが一気にギルガメッシュへ接敵する。

「人形風情が………図に乗るな!」

陽炎より射出される名剣達。
そのどれもが世に名高い聖剣・魔剣の類であり、嘘偽りなど全くない原型である。
だがそれを。

「─────っ!!」

投影し、リズに向かう剣全てを同じ剣で防ぐのは衛宮士郎。
飛び散る剣に振り向きもせず、リズはハルバートを構えて一気に飛翔する。
目標は塀の上にいる世界最古の英雄王。
彼の周囲には依然として夥しい数の宝物がその切っ先を見せている。
通常ならばそれを見ただけ息を呑み、接敵しにくくなるがリズはそれを気にしていない。
それは決して命を捨てるという行為ではなく。

「“熾天覆う七つの円環ロー・アイアス ─────!”」

それを防いでくれる人がいるからこそできる行為である。

「やっ!」

何とも気が抜ける掛け声だが、その声に反して振り下ろされたハルバートは塀の一部をいともたやすく崩壊させていく。
例えサーヴァントといえど、魔術にも精通するホムンクルスのあの一撃を食らうのはよろしくない。
回避できるのであれば回避するし、防御できるのであれば防御する。

ヒビが入り次には勢いよく両断される塀だが、やはりそう簡単にいくはずもなく、ギルガメッシュは跳びあがって別の場所へ着地しようとしていた。
だがそれを見過ごすほど、士郎の目は甘くない。
ギルガメッシュの着地予想地点目掛けて剣を投擲する。

「ぬるいわ、雑種!!」

手に握った刀を一振りすると同時。
すぐ傍まで迫った投影剣を一刀両断してしまった。
曰くこの極東の地に『なんでも斬ることのできる刀』があったという。
あれはその原型。

難なく着地したギルガメッシュはその刀を握ったまま、アイアスの盾を纏い再び接敵するリズを睨みつける。
かちゃり、と握る刀が音を立てる。
あれが本当に何でも斬ることができる刀だというならば、アイアスの盾は盾にならない。
それどころかリズの持つハルバートすら両断してしまいかねない。

対するリズはギルガメッシュが持つ刀がどのような代物かを理解していない。
この極東に伝わる名刀の類を知らないのも無理はないのだろうか。

「────鶴翼しんぎ欠落ヲ不ラズむけつにしてばんじゃく

両手に握った干将莫邪を投擲する。
先ほどと同じ光景だが、相手はこの干将莫邪をその手に持った刀で斬る事はできない。
否、片方は斬れるかもしれないがもう片方は不可能。
彼はそこまで卓越した剣術を身につけてはいない。
故にあの手に持つ刀ではこの攻撃は防げない。

「ちっ─────同じことを何度も!」

空間が揺らぎ、飛来した干将莫邪を弾き飛ばす。
その光景を確認することなく、士郎は全力でギルガメッシュの元へ接敵する。
同時に。

「─────凍結、解除フリーズ・アウト

干将莫邪を弾き飛ばしてそのまま士郎の元へ殺到した二の剣を、予め準備しておいた干将莫邪で弾き飛ばす。
塀の上よりリズが、塀の下より士郎がそれぞれアイアスの盾と剣を纏ってギルガメッシュへ肉薄する。

「思い上がるなと言っただろう、雑種ども!」

空間が揺らぎ大剣が姿を見せる。
それとほぼ同時にまたも士郎は剣を一投する。
誰が何のために使うのかもわからないような、全長二メートルを超える大剣群が士郎とリズに矛先を合わせた。
その直前、

「────心技ちから泰山ニ至リやまをぬき

在り得ない方角から奇襲がかかった。
つい数分前とは似て非なるモノ。
その速度、威力は決して先ほどと同じではない。

言葉には力が伴うのと同じように。
また各サーヴァントが、己が半身である宝具の真名を発しながら解放するのと同じように。

それを紅い眸は見逃さない。
右手に握った極悪の刀で斜め後方より迫る剣を両断する。
だが。

「────心技つるぎ黄河ヲ渡ルみずをわかつ

それとは反対側よりもう一度襲いかかるは莫邪。
そして前方側面から迫りくるは新たな干将莫邪。
計三の剣。

「同じ技を二度も三度も………!この我を愚弄する気か、雑種!!」

干将莫邪は磁石のソレと同じ。
そこに干将と莫邪がある限り、それらはそこへ向かって飛来する。
それを。

「────王の財宝ゲート・オブ・バビロン

三の剣を破砕し、接敵する二人の敵を撃ち滅ぼすべく、迫りくる剣のその十倍の剣が姿を現した。
紅蓮に燃える双眸はしっかりと二人の姿を捉え、そして躊躇いも無く放射した。
飛来する三の剣など瞬く間に弾き飛ばされ壁に地面に突き刺さり、破壊されていく。

「────!」

塀の上より近づいていたリズだったが、その光景に足を止めた。
アイアスの盾とて無限ではないし、それを出現させ続けるにも限度がある。
それに伴い防御力は低下するし、アイアスへのダメージはそのまま士郎の負担にもつながる。

だがそれとは別に、更なる驚愕によって足を止めざるを得なかった。
ギルガメッシュの攻撃をそれなりに受け、弾き飛ばしていたリズではあったが、ギルガメッシュの憤怒が臨界に近づいたためだろうか。
その速度が段違いに上がっていた。
ここにきてまだなおその実力の深さを伺い知る事のできない敵。
さも当然。
前回の聖杯戦争、第四次聖杯戦争の名だたる英雄達ですら、彼の実力を見積もることなど不可能だったのだから。

ガン!! とアイアスの盾に剣が刺さる。
盾である以上それに守られたリズは無事ではあるが、それが十、二十と迫ってきてはどうしようもない。
ハルバートを翻し、襲いかかる剣群を迎撃する。
だが悲しきかな、彼女自身もすでに疲弊しており、そこへ速度と威力が上がった英雄王の攻撃ともなるととてもではないが捌ききれない。
彼女を守るアイアスも花弁が大量に散っており、対処も追いつかない。

つい先ほどまで攻勢だったのが、たった一度の攻撃で窮地に立たされる。
或いはこれこそが王の実力というべきか。

「─────う」

ダン、と地を蹴り咄嗟に距離を取る。
迫りくる宝物を蹴散らしていくのにも限界がきた。アイアスも残り一枚。
士郎がどうなっているかも気になるがその僅かな視点移動すらこの雨はさせてくれない。

ハルバートを握り、疲弊した体で叩き落としていく。
迫る一を横に薙ぎ、迫る二を叩き落とし、迫る三を弾き飛ばし、迫る四をハルバートの面で防いだ。

「しまっ─────、た」

ハルバートで防いだその面へ五、六、七が突き刺さり、その衝撃に耐えかねて弾き飛ばされた。
空手になったところへ飛来する八の剣。
最後の一枚の花弁がそれを防ぎ切り、散っていく。
だがその奥。
さらに二つの剣がリズへと迫っていた。

盾はなし。
武器もなし。
回避するにも距離が足りず時間も足りず速度も足りない。

「リズ─────!!」

眼前に迫る宝具に視線を送るしかなかったリズと、迫りくる宝具の間に割って入るように士郎が現れた。
同時に奔るは二つの閃光。
白と黒の剣が描く一閃は、リズを確実に殺そうとした剣を撃ち落としていた。

「う─────ぐ………!」

ぜいぜい、と息を荒げながら僅かに震える腕を押さえつける。
アイアスの全破壊は術者に相応の疲労とダメージを与える。
頭の中は警鐘が鳴り響いており、打ち付けるような頭痛が酷い。
加えるはリズと同様の攻撃を浴びた事もある。

「─────ぁ」

リズの視界内に見えるのは右脚に突き刺さった剣。
二人にそれぞれ暴風雨のように剣が降ったのは間違いない。
その中で助けようと動いたならば、その分自分の防御はおろそかになるのは当たり前である。

血が滲みだし、ズボンは赤く染まっている。
脚は震えており、立っているのが不思議なほどである。

「なんで、助け、た?」

「バカ、助けるに決まってるだろ」

肩で息をしながら再び距離が開いてしまったギルガメッシュを見る。
強いという次元を超えている敵。
戦えば戦うだけ強くなっていく敵。
逆に言い換えればそれだけ敵を甘く見ているという裏返しでもあるが、それでも十二分に強いのは事実だ。

「ふ─────はは、はははははははははははは!!!!!!」

ギルガメッシュは士郎の姿を見て、ただ笑うだけである。
彼にとってリズを庇うという行為は愚考以外の何物でもない。

「正気か貴様? 聖杯の失敗作、己の身一つ守れない人形を庇うなどと、それに何の意味がある? その人形を庇いさえしなければ、その様な傷を負う事もなかっただろうにな」

「………意味がないと助けちゃいけないのか。皆を守るのが俺の正義だ、リズが例外なワケない………!リズが死ぬくらいならこんな傷はないのと同じだ」

士郎の背後に現れるは大量の剣。
全てギルガメッシュが出現させている剣群のコピーである。

残る令呪は二画。
アーチャーを呼び出せば変わるかもしれない。
けれどそれは現在街中で戦っているセイバーと凛から戦力を奪うということになる。

相手は二人。
二体一ではセイバーといえどもかなり危険である筈。
現に彼女の放った宝具は破れたのだから、セイバーにアーチャーの援護は必須。
ならばここにアーチャーを呼び出すのは得策ではないし、その間にセイバー達が敗れてしまっては事態は最悪の方向へ進む。

「─────戯けめ、自らを犠牲にする行為など全て偽りにすぎぬ。それを未だに悟れぬとは、筋金の入った偽善者だ」

すぅ、と虚空に手が伸びる。
その顔にはもはや感情はない。
世界を凍らせるほどの冷たい視線しか残っていなかった。

「アインツベルンの城でのあの女、聖杯の人形、出来そこないの産物………。どこまでも強欲な奴よな。そのうえ貴様のような偽物の人間では何も背負えぬというのに、全てを守るなどと戯言を吐く」

ぞわり、と全身が総毛立った。
中空に浮かぶ切っ先は間違いなく士郎を狙っている。

「傲岸には二種類ある。器が小さすぎる者と望みが大きすぎる者。セイバーは後者だ。故に奴は得難い珍種でもある」

だがそれとは別に、全てが切っ先を向ける中で、ただ一つだけ柄を向けている剣があった。
中空に浮かぶ剣群はどれもが一流だが、その剣が一度姿を現してしまえば忽ちそれらは三流へとおちてしまう。
それほどの宝具。

「だが、貴様は前者だ。珍しくもない愚昧、加えるはこの増殖する世を象徴するかのように偽物を作り出すその存在。いなくてもいい、有象無象の偽物」

ダン! と地を蹴ってギルガメッシュへ肉薄する。
あの柄は間違いなく“あの宝具”。
この疲弊した状態ではまず間違いなく耐えきれない。
たとえ万全の状態であったとしても耐えきる自信はない。

加えて背後にはリズがいるし、ここはアインツベルンの森ではない。
ごく一般的な民家が並ぶ街中。
その中で“アレ”を解放されればどうなるか。

恐らくは先ほどの死の街の再現、否それ以上。
故にどれだけ相手が宝具を見せつけていようとも、あれだけは絶対に抜かせてはならない。

「だめ─────シロウ」

リズが声を出す。
だが駄目だというならば、この場に立ち尽くすことこそが悪手である。
例え何であったとしても、“アレ”だけは決して抜かせてはいけない。
それは被害云々の件もある。
だが本能が伝える。
“アレ”を抜かれたら最後、誰も奴には勝てないと。
だからこそ、全力で封じ込める。

ドンドンドンドン! と、接敵と同時に照射される剣群。
その全てが士郎に向いており、的確に射出してくる。
迎え撃つは同じく投影した剣群。

「そんな輩に足掻かれては如何ともし難い。凡俗には一度器の違い、オレという存在を今一度知らしめる必要がある。愚劣な輩が思い上がらぬよう正しき絶望を与えてやろう」

「言ってろ!」

─────投影、開始トレース・オン

握られるは干将莫邪。
剣の弾丸を相殺させながら掻い潜り、接敵する。
退けば終わり、立ち止まっても終わり、間に合わなくとも終わり。
故に前に進み続けるのみ。
思考など捨てて全力で進む。
迎撃するは必要最低限のモノのみ。
飛来する凶器が増える。
機関銃掃射のような剣の雨の只中にいる士郎には、回避も防御もない。

一つ目を下から弾き、二つ目を返した刃で上から叩き落とした。
次の一本は横へ薙ぎ、その次は横から凪ぐようにして吹き飛ばす。
手で間に合わない攻撃はアーチャーの知識と経験、そして己の知識と経験をフル活用して投影で防ぎきる。
引き出して使う度にアイアスで摩耗した脳が悲鳴を上げ、残り少なくなった魔力が枯渇し始める。

「如何に真に迫ろうと、オリジナルを複製が越えることはありえぬ」

迎撃しつつ迫る士郎を、しかし英雄王は毅然とした態度で見下している。
残り距離僅かという所で、

「─────同調、開始トレース・オン

再加速した。
本来この用途に向けてあるべき回路ではないソレで、限界まで脚を強化する。
一気に数メートルの距離と縮めた士郎は眼前に迫ったギルガメッシュへ干将莫邪を思い切り叩きつけた。
あの黄金の鎧を砕けるほどの威力は持ち合わせていない。
狙うは防御がない首より上。

そこへ、

「─────この状況下にあってまだ戦えるという驕り、増長、傲慢、その全てが癪に障る」

ジャラジャラと音を立てて空間は裂かれた。
現れたのは天の鎖エルキドゥ
数少ない対神宝具であり、高い神性を持つほど千切れる事のない鎖となっていく。
持ちえない者にとってみればただの少し頑丈な鎖だが。

「しまっ─────」

二度目の焼回しだが、突如空間を裂いて現れるその鎖を回避することはできない。
もしそれが可能ならばバーサーカーは捕まる前にそこから離脱していただろう。
そして決定的に違うのはギルガメッシュの手に握られている剣である。

「─────無力を嘆き、死ね」

巻き上げられる空気。
眼前で解放される断界の剣。
三秒先には跡形もなく消し飛ぶ。

「“天地乖離すエヌマ───”」

充満していた魔力が一気に膨張する。
空間を瞬く間に支配していく魔力が全身に叩きつけられる。

─────死ぬのか?─────

眼前に輝く赤色の光。

─────何も守れないで─────

その赤い双眸は紛れもなく死神。

─────誰も救えないで─────

一秒後には魔力が爆発する。
そうすれば終わり。
視界はゼロになって感覚は刹那に失われるだろう。

─────爆発?─────

士郎の目の色が変わった。
その僅かな変化を、英雄王は見逃すはずもなかった。

手に握られているのは幻想。
残り0.8秒。

─────間に合え─────

「─────壊れた幻想ブロークン・ファンタズム

士郎の手の中の幻想が、起爆した。


─────第二節 逃亡─────

爆音が衛宮邸に鳴り響いた。
縁側の窓ガラスは全て吹き飛び、爆風は家の中の物を散乱させる。

間近で衝撃。
目の前が真っ赤に染まり、体が理不尽な暴力にもみくちゃにされる。
視界からあの不気味な剣と黄金の王が消え失せる。
否、これはギルガメッシュが消え失せたのではなく、士郎自身が吹き飛ばされたことが起因である。
強烈な爆圧と爆炎が二人を包み込む。

見れば空中を飛んでいる。
というよりは落下している。
真下は地面で、頭から落ちている。
薄らと開けた瞼からその高度を見てみれば、結構な高さである。

このままでは落下しただけで死ぬ。
両腕は焼けただれ、服もほとんどが焼け落ちていた。
士郎自身これを使った事はなかったが、あのまま殺されるよりかはこの程度の自爆の方がまだ生きる確率はあった。
が、被害は甚大。
それを象徴するかのように、体を覆っていた剣が以前よりも広がっている。

「─────」

呼吸をしようにも喉が焼けたように熱くてできない。
息を吸おうとすると喉を焦がすかのように痛みが停止させてくる。

「─────シロウ」

ドッ、と落ちた。
だがそれは地面ではなく、もっと柔らかい、リズの腕の中だった。
声は出ない。呼吸をするのすら厳しい状態で声など出るわけもない。

「    」

それでも何かを言おうとして、結局。
彼女の顔を見たのを最後、視界はブラックアウトした。



煙が立ち込める衛宮邸の庭。
その煙の中に、ギルガメッシュは立っていた。

「逃げたか」

リズと士郎の姿はない。
ハルバートは置き去りのままなので、十中八九リズが士郎を抱えて逃げたのだろう。
鎧は傷ついているものの、腕で顔を庇ったのもあり体の方は無傷、士郎と比べるとその被害状況は雲泥の差だ。

しかし逃げても意味はない。
何処に逃げようがギルガメッシュからは逃れられない。
故に相手が逃げたからといって慌てて追いかけるような行動はとらない。

この衛宮邸での爆発とは別にもう一つの爆発に黄金の王は気が付いていた。
タイミングとしてはほぼ同時。
ここと街中。
規模は比べるべくもなく街中のほうが大きい。

「─────刻限だな」

そもそもギルガメッシュは士郎に興味などない。
殺す対象であるということは変わりないが、言ってしまえばここでの戦闘は準備運動に他ならない。
故に『埃を取る程度の働きはしろ』である。
今日この場所にいた者達の中で取り立てて脅威となる存在はいない。
いるとすればセイバー程度だろう。故にここでイリヤを取り逃がそうとも彼にとっては何の問題も無かった。
そもそも彼は聖杯に興味がない。
興味があるのは常にセイバーであり、この醜悪な世界の掃除である。
だからこそ、黒い影は抹消すべき対象である。

「騎士王よ、よもやあのような愚劣の下僕に遅れなどとってはいまいだろうな?」

その場より黄金の王もまた去る。
残ったものは戦場の跡だけであった。
数分後、通報を受けた警察がこの惨状を見ることになるがこの事実は永久に明かされないままである。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第50話 抵抗する者達
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:47a17094
Date: 2013/04/30 00:28
第50話 抵抗する者達


─────第一節 明かされぬ過去─────

とある昔。
衛宮切嗣がまだ正義の味方を目指そうとも考えなかった昔。
魔術協会や聖堂教会にも知られないように、とある魔術の研究を行っていた一族がいた。

この世界にはある一つの事に特化することが多い。
二つの人格を有する一族。
人ならざる者の血を身に宿す一族。
魔を殺すことだけに特化した一族。
奇跡を成すために一千年もの間追い求め続けてきた一族。
この一族もまた、彼らと同じようにただある一つの事柄のみを追い続けていた。

だが彼らの目指す者は彼らの世界では『禁忌』とまで言われており、仮にその世界の上役たちに見つかれば封印指定は免れず、体を解剖・分析されるのは避けられない。
それほどまでの『神秘』である。
代を積み重ねながらその研究に没頭していた一族であったが、内部で分裂が起きる。
一つは今まで通り積み重ねてきた研究をつづけ、『究極の一』を目指そうとする者達。
もう一つはその『神秘』の危険性、発症できた時のリスクの高さ、自己の破滅などを鑑みてその運命に嫌気が射し、研究を終わらせようとした者達。

内部の闘争は静かに、外に漏れることなく行われ、外に漏れることなく収束した。
結果その一族の中に「宗家」と「分家」が出来上がり、研究を良しとしない者達は軒並み分家扱いされ、隔離されていくことになる。
その一族の中にいたとある娘もまた、その研究を良しとは思わなかったため、彼女は隔離される前に自らの意志でその家から出て行った。

見知らぬ土地。
見知らぬ場所。
元より魔術師としての研究を続けるつもりのなかった彼女は一般人として過ごしていく。
そこで出会う異性。
恋をし、結婚し、娘を産む。
そうして元々その『究極の一』を体現すべく作り出された体の回路は徐々にその数を減らしていき、一般人と変わらぬほどまで薄まった。

己の家系が元は魔術師の家系だったことなど、もう語り継がれることもなくなったとある女性がいた。
だが、それに反してまだ僅かにその体には『究極の一』を体現することができると言われた体が残っている。
宗家がどうなったかなど彼女は知らない。
否、宗家があることすらもう知る術はないだろう。

彼女もまた恋をする。
だが、何の因果かわからない。
『究極の一』を体現することをやめた分家の末席。
それを体現する可能性など微塵もない彼女の婿として訪れた人物は、かつて『禅城』という名を持つ男性だった。

禅城の家系は「配偶者の血統の能力を最大限引き出した子を成す」という特殊な体質であった。
聖杯戦争の御三家の内の二家の男たちはその家系の女性『禅城 葵』に目をつけた。
そうして生まれたのが『遠坂 凛』らである。

男性たる彼もまたその力を持っていたが、男性であると同時に彼女のように目をつけられる前に遠い地へと移り住んでいた。
彼が家と問題を抱えていたが故の、早い家出だった。
加えるは彼らの家系の体質は当時『可能性』にすぎなかったため、遠坂と間桐の両家に深く追求されることもなかった。

結果、生まれたのは後に『衛宮 士郎』を名乗る事になる人物なのだが、このときはまだ別の人間である。
片方は本当に一般の家族として生きる者。
片方は魔術師の妻として生きる者。

彼女らはこの冬木の地にやってきて生活をし始めた。
新都と呼ばれる都会と、ベッドタウンにもなる深山町という街。
海があり、山があり、人がいて、自然も多く、そこは住めば都といっていい場所だった。

─────そう、十年前までは。


─────第二節 火傷─────


熱い

灼熱地獄。
見えるモノは真っ赤に染まり、感じるモノは全てが熱い。

痛い

腕や体、顔が痛い。
体のあちこちが刺されたように痛い。

みな死んだ。
みな死んでいった。
炎の中、彷徨っていたのは自分だけ。
家々は燃え尽き、瓦礫の下には黒焦げになってしまった死体があり、いたるところから泣き声が聞こえていた。

その泣き声のする方へいく。
目の前には人がいる。

足りなかった。
腕がない。
脚がない。
耳がない。
顎がない。
下半身がない。
上半身がない。
顔がない。
体がない。
首がない。

『ああ、─────そうか』

例えばの話。
自分が街の中で瓦礫に埋もれてしまったらどうしよう。
行くべき場所がある、行かなければいけない場所がある、守りたい約束がある、会いたい人がいる。
そんな思いを持ちながら、瓦礫に埋もれて、炎の海が近づいていたとしたら。
そんなところで、目の前に無事な人間が現れたら?

間違いなく『助けて』と手を伸ばすだろう。
死にたくない。
まだやり残したことがある。
だから手を伸ばす。
やりたいことはたくさんある。
だから死にたくない。

だから、生きたい。

或いは、見殺しにした人達の中には同じような境遇の人がいたかもしれない。
それを見殺しにした。
自分では救えないから。
死にたくなかったから。
こんな痛みを伴って、それでも助かりたいと手を伸ばした人達に背を向けて走り去った。
ああ、だから、

『─────しろ君、しんで』

こんな悪夢を見る。
ああ、これは悪夢だ。
どうしようもない悪夢だ。
夢だと判っていながらそこから抜け出せない。
だから、これは悪夢なんだ。

『ねぇ、一緒に死んで。しろ君』

彼女の手が伸びる。
それから逃れることはできない。
逃れようという意思すら湧かない。

彼女の両手が両腕を掴んだ。
………焼けた。

彼女の手が体に触れた。
………焦げ跡がついた。

彼女の手が頬に触れた。
………皮膚がなくなった。

熱い
痛い

ごめん、と。
謝った。
母親との約束も守れない。
自分自身の約束も守れない。
会う事すらできない。

そうして生き残った。
何もかもを犠牲にして生き残った。
生き残る為に見捨てていった。

『爺さんの夢は俺が叶えてやる。だから、安心しろよ』

隣に現れたのは幼い自分。

『爺さんはオトナだからもう無理だけど、俺なら大丈夫だろ。まかせろって、爺さんの夢は俺が叶えてやる』

そうだ。
この言葉を聞いて彼は逝った。
その瞬間から、正義の味方になるのではなく、ならなくてはいけなくなった。
けれど、それが間違いだとは思わない。
なるか、ならなければいけないかの違いだけ。
そこにある『人を救う』という事実は何も変わらない。

犠牲にしていった人達がいる。
その中で助かった己がいる。

─────彼は誰をも救えなかったから。
君には、誰かを救える人間になってほしかった。

なら、それを叶えよう。
犠牲になる人がこれ以上でないように、みんなを救おう。
もし仮に犠牲が必要となるなら、それは生き残ってしまった自分が引き受けるべき咎なのだから。

からっぽだった自分に中身を入れてくれた憧れた人。

ぎち、と。
体が軋む。
体を蝕む剣山が、広がっていく。

火傷を覆い隠す様に、剣は広がっていく。

『違う、会えたんだ。約束は守れなかったけど、すぐには会えなかったけど、会えたんだ』

目の前に現れたのは小さな自分。

『なら、守らなくちゃ。次は裏切らない。次は泣かせない。次こそは一緒にいる。………ひーちゃんを守るために“剣”になるって決めたんだから』

ぎちぎち、と音を立てる。
その音が。
目の前の自分の結晶体なんだと判った。

自分に嘘をつくな。
これ以上裏切るな。

幼い時の温かい記憶。
犠牲にしてしまったと思って、自らそこに蓋をした。

からっぽだったと思っていた自分の蓋を開けてくれた人。

きっと、何かがずれている。
幼い自分の決意と、小さい自分の決意。
似てる様で、どこかがずれている。

『認めるがいい。その“借り物の意志”と“己の意志”は決して同義にはなれないと』

後ろに現れたのは未来の自分。

『“正義の味方”と“誰かの味方”は決して同じにはならない。何を救い、何を犠牲にする、衛宮士郎』

ああ、そうなのかもしれない。
気付くことはできないけど、きっと何かが違うんだと。
けれど、その中でも同じなモノはある。

それは、助けたいという思い。

人がいた。
死ぬ前に、周りに人がいた。
隣で笑ってくれる子がいた。

人がいた。
救われて、自分に道を歩ませた人がいた。
安心したといって逝った人がいた。

人がいた。
同じ部活で、同じ学校で、気兼ねなく話せる人がいた。
違う部活で、同じ学校で、あんまり話したことのない人がいた。

それだけじゃない。
学校には友人がいた、クラスメイトがいた、姉とも呼べる教師がいた。
憧れとも言える女生徒がいた。
─────妹とも言える、大事な人がいた。

視野は狭いかもしれない。
いや、事実狭かった。
傷ついている人を目の前に見ながらそれに気付けなかったのだから、視野は狭かった。

けれど、同時にみな笑っていた。
地を走り空を跳ぶあの姿も、弓を引き矢を放つあの姿も、包丁を手に取り料理をするあの姿も、彼女らの周囲にいた人たちも、笑っていた。
あの時の時間は決して嘘ではないと。
今でこそこんなことになってしまったが、あの時の時間は必ず取り戻せると。
取り戻して見せると、この戦いに挑んだ。

切嗣との約束。
助けたいという思い。
幼い時の温かい記憶。

からっぽだった自分に中身を入れてくれた憧れた人。
からっぽだったと思っていた自分の蓋を開けてくれた人。

助けられてばかりだ。
救われてばかりだ。
まだ切嗣の目指したモノになれていない、彼女との約束を守れてはいない。
このままじゃ嘘つきだ。
このままじゃあの火災で死んでいった人達にも申し訳が立たない。
救えなかった彼らの分まで、彼らの死を嘆き心に傷を負った者達の分まで、生き残った自分はやり遂げなければならない。

生き残った。
助けを求めた人達を犠牲にしてまで、生き残った。
だから、次はこんな事にはならないようにとひたすら鍛錬し続けた。
犠牲になる人がいないような、みんなが笑える未来。

目を覚ませ。
まだ戦いは終わっていない。
眠るとしてもそれは全てが終わった後だ。
この身に感じる痛みを、意識を奪うモノとしてではなく、意識を再確認させるために使え。

「─────体は剣で出来ている」

今ならこの言葉も理解できる。

「─────血潮は鉄で、心は硝子」

黒い湖に沈みながら、手を伸ばす。

「幾たびの戦場を越えて不敗」

負けてはならない。

「ただ一度の敗走もなく、ただ一度の勝利もなし」

けれど、勝つ必要はない。
戦うのは勝つためじゃない、守る為だ。

「担い手はここに独り、剣の丘で鉄を鍛つ」

このつるぎは、救うために、彼女を守るために。

「ならば、我が生涯に意味は不要ず」

みんなが、彼女が笑っていられるなら、きっとそれは─────

「この体は──────────」

─────それはきっと、幸せなことだと思うから。


『本当に?』

「え?」

手を伸ばし、光を掴んだ時に声が聞こえてきた。

『それは本当に幸せなの?』

どこから聞こえてきた声なのかわからない。

『それだと………きっとひーちゃんは喜ばない。悲しい顔をするだけだよ』

意識が浮上してくる。
それと共に聞こえなくなる声。
今何か重要な事を言った筈なのに、思い出せない。

『本当に幸せを求めるのなら、ボクは─────』

或いはその答えこそが。
ハッピーエンドに繋がる答えなのかもしれない。


─────第三節 向かう街の中で─────


夜に沈んだ街、深山町。
深海の底にいるかのような街の中で、セラ・イリヤ・綾子・鐘の四人はとある場所へ向かっていた。
イリヤとセラが前を歩き、その後ろに続くように綾子と鐘が歩く。
前を行く二人の表情は伺い知ることはできない。
だが隣にいる二人は互いの心中をある程度見抜くことはできた。
つまり、お互い後ろ髪を引かれている、ということだ。

鐘は一度ギルガメッシュの実力の片鱗を見せつけられているし、綾子は士郎が駆け付けるまでの間、リズとの戦闘で相手がどれだけ危険な人物かというのを理解していた。
だからこそ不安になる。
前回の聖杯戦争の生き残り。世界最古の王。前回の戦闘の折、敵と戦った筈なのに無傷だったという証言。
様々なサーヴァントを見てきた二人にとって、『前回の勝利者』というイメージがつくギルガメッシュは、ただ畏怖する対象に他ならない。

「…………」
「…………」

互いに言葉は出ない。
今はまだ二月であり、冬だ。
その冬の寒空の中を、いるべき住家から追われるように逃げ出しているという現実。
そんな光景。

「………戦争だと言うのなら、当然なのかもしれないか」

ぼそり、と小さく鐘が呟く。
数時間前まで楓とバカ騒ぎしていたのが嘘のような現実。
意味もなく悲しくなってくる。
一体どこで道を間違えたのかと、問いたくなってくる。

だがその問いに答えはない。
或いは答えは既に出ている。
だがどれだけ嘆いても変わらぬ事実である以上、受け入れるしかない。
そうして受け入れた結果が、衛宮邸に住むという結論なのだから。

「─────なあ、氷室」

「………何かな、美綴嬢」

隣で歩く綾子が話しかけてきた。
僅かに首を動かして彼女の顔を見る。
やはりその表情は優れない。
自分もきっとあのような表情をしているのだろうと思いながら、綾子の言葉に耳を傾ける。

「信じるって、一体どれだけの力があるんだろうな?」

「………どうしたのだ、藪から棒に」

「藪から棒………? 本当にそう思う?」

「…………」

思わない。
士郎が目の前からいなくなり、戦いへ赴くたびに自分の中に生まれる疑問。
信じるという言葉はきっと美しい。
信じないという態度よりも、きっとそれは輝かしい。

じゃあ、それに一体どれだけの力があるというのだろうか。

或いは。
何もできない自分に言い訳するために、信じるという言葉を使って逃亡しているだけではないか。
けれど実際、彼女ら二人があの戦場でできることは何もない。寧ろいると邪魔になる。
そんな後ろにも前にも行けない状態。
命を預けると言ったものの、できることなら何かを援護してやりたい。
仕方がない、無理だと判っていても、それでもどうにかしたいというこの気持ち。

結局行動に移せないで、信じるという魔法の言葉に浸かっている。
その虚ろな揺り籠の中で、その揺り籠に疑問を抱き続ける、そんな毎日。

「………IFを考え始めると“戻れなくなるぞ”、美綴嬢」

「………わかってるよ、氷室」

だが同時に、そこに救いがあるようにも見えてしまう。
それがこれの悪い性質。

頭を切り替えようとした時だった。
ドォン! という音が響いた。
流石に夜だけあって、遠方の爆発音でも掻き消されずに聞こえてくる。

視線の先に見えたのは白い光。
どう見ても何かが爆発したような光。
現在彼女らは衛宮邸から逃げて坂道を下りきろうとしているところ。
爆発はその視線の先で起きた。
といっても距離にすればまだ先の方。
ついでに言うとこれから向かう方向とは方角は少しずれている。

「遠坂嬢らがいる場所だな………あそこは」

ぽっかりと黒い世界が広がる場所。
夜に沈んでいる所為か、この距離でははっきりと見ることはできないが、近づけばきっとわかる。
あそこにはクレーターができているのだから。

「? どうしたんだい?」

綾子が振り返ったイリヤを見て訪ねる。
その表情はやはり優れない。
そしてその視線は決して綾子を見ているわけではない。
今しがた逃げてきたその先を見つめている。

「─────」

思わず後ろを振り向いた。
ここからでは衛宮邸は見えない。
しかし不気味な灰色の煙が上がっているのが見えた。

「衛宮………」

夜の空に僅かに違いが確認できる煙は、衛宮邸から発したものだろう。
胸の中で騒ぐどうしようもない声を押し殺す。
何もできないもどかしさを感じながら、ただ彼らの無事を信じて止めていた歩みを再開させる。

「………お嬢様」

しかし再開させた歩みはすぐさま停止した。
眼前に広がる闇の道。
その奥より薄らと見えてくるモノ。

「住家を奪われた名家とは………。知る者が見ればこの光景ほど可笑しいものはない。そうは思わんかね、アインツベルンよ」

目前に現れたのは枯れ木の如く老いた魔術師。
間桐臓硯だった。
イリヤ自身は初めて見るわけだが、それが故郷の城を出る時に教えられた、同朋マキリの魔術師である事は一目で判った。

「─────マトウゾウケン。ええ、そうね。けどそれは貴方にも言えることよね?」


目の前に現れた老人を、イリヤは冷淡な瞳で見つめる。
老人の言う通り、イリヤが拠点としていた城はギルガメッシュの手により崩壊させられ、衛宮邸から被害を逃れるべく脱出してきた。

「かつてはアインツベルン・トオサカと共に同じ目的を持って至った同朋。けれど、今は見る影もないわね。私達にはまだ“アインツベルン”が残っているけれど、貴方にはもう何もない。
 ………それほどまでに、マキリの血は衰退したんですもの。影なんてないも同然よね」

イリヤの声は冷たい。
後ろでその光景を見て声を聞く鐘と綾子はそう思った。
嘲りでしかない言葉を、しかし老人は呵々と笑って受け止める。

「いやいや、心配には及ばぬ。事は成りつつあってな。予定では次の儀式で行う筈じゃったが、今回は駒に恵まれての。ワシの悲願はあと数歩で叶おうとしておる」

「そう。なら勝手にすれば? 私は貴方に興味なんてないし。貴方が偽物の杯を使おうと私自身は知らないわ。………けど、邪魔だけはしないで欲しいわね」

「そうもいかぬ。言った筈。悲願までは後数歩要る、と。一歩はおぬしの体の確保。上手くいきすぎる話には不安要素もある。保険として聖杯おまえを押さえておけば、我が悲願は盤石にもなろう」

老人の周囲がざわつき始める。
それの正体が一体何なのかを、鐘と綾子は知る由もない。

「………ふぅん、貴方自ら手を出しに来るなんて。サクラは操れてないってことかしら? それに貴方一人で私を連れ去れると思っている気?」

「いやいや、そう巧い話もないであろう。………が、それにも策があってな。こうして今ここにいる」

老人の言葉を聞いて、イリヤの表情が曇る。
この場面に来て嘘をつくとは考えにくい。ついたところで意味はない。
或いはこの老人の周囲のモノがその策になるのかと注意を払った時だった。

「え─────?」

ドドッ! とイリヤの背中に“何か”が突き刺さった。
何が起きたかも判らずに、視線が正面から地面へと切り替わる。

「お嬢様!」

隣にいたセラがイリヤに駆け寄る。
その背中には二本の短剣が刺さっていた。

「カカカ………、流石のアインツベルンもアサシンの気配遮断は察知できなかったようじゃな?」

同時に老人の周囲でざわついていた何かが消える。
その奥から、すぅと現れたのは白い髑髏だった。

「ご苦労、アサシン。殺してはいないな?」

「無論、ダ」

その光景に息を呑む綾子と鐘。
サーヴァント。
そこにいたかどうかすらも全く気が付かなかった。
鐘と綾子の間から短剣が通った時ですら、彼女らは背後にアサシンがいたという事実が判らなかったのだ。

「─────、聖杯に選ばれてもいないモノが………マスターの真似事をしてる、なんてね………」

浅い息をしながら老人と髑髏を見る。
普段聞こえる筈のない息遣いが、痛々しく二人の耳に聞こえてくる。

「お嬢様、それ以上はしゃべらないでください………!」

す、と手を背中へ伸ばし、短剣を抜き取る。
その痛みでイリヤの表情が歪むがそれは我慢だ。
瞳を閉じ、魔力を組み込む。

「─────Ylx tlirs fawEE LAas tli raYEE光よ 聖なる力よ 護りとなりて救いたまえ

その手の先から光が灯る。

「ほう」

徐々に治癒していくイリヤの体。

彼女もまたリズと同様に聖杯の失敗作である。
ただリズと違う点は、セラは純粋なホムンクルスとして作り出されたという事。
故にホムンクルスとしては完璧なる性能を誇るが、イリヤやリズと違い聖杯という奇跡に至ることはできない。
また戦闘用に調整されたわけではないので、戦闘には不向き。

「奇跡………ではなくあくまで魔術か。ふむ………しかしここで治癒されては些か困る。連れ帰るに暴れられても困るのでの」

老人に鬼気が灯る。
白い髑髏がゆらりと揺れ、消える。
その気配は察することは不可能。

「消えた………? セラさん、アイツがまたくるよ………!」

「どこに………」

綾子と鐘が周囲を見渡す。
夜の道に慣れた目がブロック塀やアルファルトの道などを見抜くが、そこに暗殺者の姿は見えない。
必死にどこにいるか探す二人を見た老人は、

「カカカカ………!まさか魔術の心得すらない者がアサシンを見抜ける筈もなかろうて!サーヴァントですら見抜けぬ暗殺者を見抜くことができるとすれば、それは人を逸脱した暗殺者のみ。おぬしらでは一片とも見つけることはできぬぞ?」

不気味に嗤う。
その言葉通り二人の目には何も映らない。
焦る二人。
先ほどのギルガメッシュとは全く逆。
堂々と姿を見せ、圧倒的な力で相手を恐怖の底へ落とすのではなく、どこにいるかも判らないまま暗殺されるという恐怖へ落とす敵。

「二人とも。此方へ来てください」

その中でも極めて冷静にセラは鐘と綾子に指示を出した。
しゃがみ込んでイリヤの治療を続けるセラの背中を庇う様に二人は立つ。
ほぼ全ての範囲をその視界でカバーしているというのに、やはり暗殺者の姿は見えない。

いや、仮に見えていたとしても鐘と綾子では戦闘にすらならない。
二人は何の力も持たない一般人。
この魔術師同士の戦争の中では足手まとい以外の何者でもない。

「安心してよいぞ? 殺しはせん。そこの二人は衛宮士郎との交渉材料に使わせてもらうだけじゃからの」

「交渉材料………?」

聞き捨てならない言葉が聞こえてくる。

「左様。我が悲願の為にはサーヴァントを取り込むのが手っ取り早いのだが、未だにセイバーとアーチャーが生き残っておる。アレに勝てるとは思わんが………何、抵抗なく呑ますに越したことはない」

「………!私達とセイバーさんらを天秤にかけさせるつもりか………!」

「それだけではないぞ? 彼奴の存在は我が悲願に暗雲をもたらしかねんからの。“そういった意味”でもお主らは非常に良い駒じゃ」

呵々と嘲笑う声。

聞きたくもない言葉が二人の耳に届いた。
一瞬目の前が点滅する。
軽い眩暈に襲われた。

「………シロウと、カネとアヤコの命を天秤にかけさせるつもりね………本当にクズ、ね。ゾウケン」

「何を言うか。我が悲願、不老不死はもうそこに迫っておる。それを邪魔するというのであれば、此方としても相応の手は打つべきであろう?」

「不老不死………? 正気ですか、マキリ。聖杯にかける望みが不老不死だと言うのですか?」

イリヤの代弁をするかのようにセラが問い詰める。
イリヤは現在治療中であり、しゃべるにもまだつらい状態だ。

「当然じゃ。見よこの肉体を。刻一刻と機能を失い、悪臭を放ち、身内は内から溶け、こうしている今の脳細胞は蓄えた知識を失っていくのだ。─────その痛み。生きながら崩れ行く苦しみがおぬしに判るか?」

老人がイリヤを見る。
嫌な汗を流しながら、荒い息遣いでイリヤは、

「………自業自得でしょう。人の体は────っ、五百年の時間に耐えられない。それを超えようというのだから、代償は必要だわ。………それに、耐えられないなら死ねばいい。そうすれば、楽になるんじゃない………?」

その状態でもイリヤの瞳の冷たさは変わらない。

老体が震える。
魔術師は咳をするように背中を震わした後。

「カカ、カカカカカカ………!やはりそうきたかアインツベルン!貴様らとて千年続けて同じ思想よ!所詮人形、やはり人間には近づけなんだ!カカカカ………!」

そう、心底おかしそうに声を発した。

「戯けめ。よく聞くがよい冬の娘よ。人の身において、死に勝る無念などない。虫どもの苗床となるこの痛みなど、己が死に比べれば蚊ほどのものでもないわ。自己の存続こそが苦しみから逃れる唯一の真理。
 死ねば楽になるなどと、それこそ生きていない証ではないか。だからこそおぬしは人形にすぎぬのだ。その急造の体ではあと一年と稼働しまい。短命に定められた作り物に、人間の欲望は理解できぬという事だ………!」

告げられる真実。
綾子と鐘の知らないイリヤの事実。
残り寿命が一年を切っている。
その事実。

「イリヤ嬢………一年とは………!?」

二人の頭の中では、まだピースはバラバラのまま。
パズルは完成していない。

だが、それでも徐々にその完成図は見えてきた。
ギルガメッシュと士郎との会話。
今先ほどの老人の言葉。
少しずつ、答えが見えてくる。

イリヤは鐘の問いかけを無視し、目の前の“敵”に罵る。

「─────ええ、理解できないわ。貴方は人間の中でも特例だもの………。ねぇ、貴方。そんなに死にたくないの?」

その言葉を聞いた老人の口元はさらに歪む。
その言葉こそを待っていた、とでも言うかのように。

「無論。ワシは死ぬワケにはいかん。このまま死にたくはない。─────だが、それはワシが特別だからというのは間違いだな、アインツベルンよ。おぬしらの背後にいるそこの二人」

老人の指が綾子と鐘を指す。
にたりと嗤う、その口から告げられたのは

「─────その二人とて、死にたくないから衛宮の家にいたのであろう? そして死にたくないから、衛宮の家より逃げ出してきた。………そら、ワシとどう違う? 同じじゃよ。死が恐ろしくない人間などいぬよ」

「あ、あんたと一緒にするな!アンタみたいな人間と─────」

「ほう? ならば死んでもよかったと? おぬしらはそれぞれサーヴァントに襲われた時、死の恐怖を感じなかったかね? 助けてと乞わなかったかね?」

死の恐怖。
思わず言葉が詰まった。

鐘はランサーに、綾子はライダーにそれぞれ襲われかけた。
士郎と会うまで必死に逃げていた。
その時に感じたものはなんだったか。
それは紛れもなく、『死にたくない』という感情ではなかったか。

「だ………だが! 貴方みたいに人を犠牲にしようなどとは思っていない!」

「─────カ」

ぞわり、と。
鐘の背筋に悪寒が奔る。

「カカカカカカ!これは傑作!いや、ある意味は当然と言うべきかな。得てして守られる側など、そういった感覚しか持ちえぬよ!」

「な─────なにを」

「よいか、おぬしらが巻き込まれたは二百年前を始まりとした魔術師同士の戦争。それらの戦争時、決して一般人が一人も巻き込まれなかったという事実はない。だが同時におぬしらの様に守られ続けたという経緯もない。
 遠坂の小娘の父、遠坂時臣は一般人ながらも事情を把握していた己の妻ですら聖杯戦争時は家から立ち退かせた。使用人には全て暇を渡しての」

つまり。

「聖杯戦争時に一般人を抱え込むことは危険だということ。………前回の聖杯戦争。衛宮士郎の父、衛宮切嗣は別にいたマスターの許嫁を誘拐した上でマスターもろとも殺した。人質になる危険性を小僧の父親はその手で証明してみせた。
 暗示をかければ情報漏洩、はたまた操られての背後から刺殺などもありうる。わかるか? 魔術師同士の戦争に無力な人間を抱え込むという行為が、どれだけ自身の身を危険に晒すかということを」

「─────」

「言い換えれば、おぬしらは自身の安全の為に小僧に“危険”を与えていることになる。犠牲にしていない、という考えは的はずれよ。………だが、ワシはそれを否と断ずるつもりはない。目の前に生き延びる手段があり、手を伸ばせば届くというのなら─────何者をも、たとえ世界そのものを犠牲にしても手に入れるのが人間だというのをおぬしら自身が証明しておる。
 ワシもまた同じようにしているだけの話よ。その過程でおぬしらと対立しているだけであり、ワシの行いとおぬしら二人の行いに差異はない。故に恥ず必要はない。誰かを犠牲に生を謳歌する、それが人間という生物なのだ」

言い返さなければいけない。
違うと断じなければいけない。
人を、衛宮士郎を犠牲にして生きようとしているという考えなど微塵も持っていないと、断じなければならない。

だがそれとは裏腹に今までの記憶が残っている。
キャスターによって操られて公園に連れてこられ、士郎が傷を負ったという事実はまだ記憶に新しい。
あの時は餌として連れてこられたが、或いはあれが操作の類で士郎を背後から刺殺するように操作されていたらどうなった?
自らの手で守ってくれた人物を見下すことになっていただろう。

自分たちを庇う為に彼が傷を負った事は何度あった?
一度二度ではなかったはずだ。かすり傷程度じゃ済まなかった筈だ。

自分たちという弱点を持ち続ける限り、危険は自分たちを通じて常に存在する。
死に直結するものから、形勢が一気にひっくり返ってしまいかねないほどのものまで。

その事実が、喉まで出かかった言葉を鈍らせていた。

「さて、戯れもここまでじゃ。聖杯である体は要るが、心に用はない。おぬしら二人も“生きておれば”問題はない。我が悲願のため、この間桐臓硯が手を下そうぞ」

老人の声に呼応するかのように、白い髑髏が空より現れた。
同時に投擲されるは短剣ダークと呼ばれる武器。
頭上・背後・側面より投擲されたそれは寸分たがわず四人へと殺到する。

「─────Ylx tlirs fawEE LAas tli光よ 聖なる力よ 護りとなりたまえ

「─────ヌ」

金属音が闇夜に響いた。
アサシンが狙いを外したわけではない。
狙った先に現れたモノ。
白いドーム状の物体だった。
それらは一か所に固まった四人を保護するように周囲を囲っている。

「ほう、魔力の盾とはな。いやいや、流石はアインツベルン製のホムンクルスというべきか。魔術といい、その魔術回路といい、かなりの逸品のようじゃな」

突如展開されたシールドに驚愕する鐘と綾子。
向こう側が僅かに白くぼやけてはいるが、アサシンの攻撃を凌ぐあたりそれなりの強度はあるようだ。

「貴女たちも何を戸惑っているの、カネ、アヤコ」

「え?」

治癒を完了したイリヤが起き上って二人の顔を見つめていた。
その表情は昼間見る無邪気な顔ではない。

「貴女は助かるためにシロウの家に来たのだから、それに戸惑ってはいけないわ。例え私が死んでもリンが死んでもシロウがいなくなっても、生き残ったとするならば貴女達は生きていればいいのよ。
 もし仮にそうなって貴女達が死ぬように追って来たなら、それこそシロウに生きていた意味はなくなってしまう。本当の意味で、貴女達がシロウを殺すことになる」

それに、と続ける。
だが、次の顔には表情が灯っていた。

「シロウは貴女達二人を助けることを負担だ、犠牲だ、なんて思っていないわ。それは判っているでしょう?」

「え─────あ、あ」

「それにシロウは強いよ。だってバーサーカーの剣を使いこなしちゃうくらいだもの。アヤコやカネが心配するほどシロウは弱くない。だから─────二人はシロウが帰ってくることを信じていればいいのよ。だって、そうすることに意味はあるんだから」

この状況に相応しくない明るい笑顔で、イリヤは笑う。
その笑顔を見て、そして自分たちの中にあった“言い表せない黒いナニカ”が。
消えたようにも感じた。

「………まさか、イリヤ嬢のような子供に諭されるとは。私もまだまだという事か………」

「ふ~ん、士郎が欲しかったらお姉ちゃんである私が認める女になりなさいよね、二人とも。それにこう見えても私、二人よりも大人なんだからね」

「な、何を─────」

綾子が何かを言おうとした直前、ギィン! と弾く音が響いてきた。
アサシンの攻撃がセラが作り出した魔術防壁にぶつかったのだ。

「─────っと、そんな話は後だね。まずはここからどうするかだけど」

「………私は戦闘向きではありません。この防御自体を形成することは可能ですが、攻撃を加え続けられるとなるとそう長くは保ちません。お嬢様、如何なさいますか」

防御を解いて戦ったところでアサシンには誰も勝てない。
このまま防御を続けていても遠からず破壊される。
手詰まり状態の四人。
だが。

「大丈夫だよ」

イリヤの視線は、二人に向いたまま。
いや、それよりはもう少し奥へ続いていた。
彼女の中にあるのはかつて繋がれたライン。

「私、本とかで見た事があるわ。………英雄ヒーローは遅れてやってくるものだって」


─────第四節 主人公がいない戦場─────

「そうか、わかった。連絡などはこちらで受け持つ。そちらは引き続いて隠匿作業に入れ」

受話器を戻したのは言峰教会の神父、言峰 綺礼。
いつも通り教会内で聖杯戦争絡みの書面などの仕事をしているときに鳴り響いた電話。
その内容は察するまでも無く、セイバー達の戦場の隠匿であった。
ライダーとキャスターの攻撃は隠匿しようとも規模が大きく、未だに戦闘が続くため警察などの方に対応を迫られており現場隠匿が追いつかないという状況。
被害状況報告でどれほどの規模というものは伝わってきたが、今もなお戦闘が続くとなると隠匿の為に結界を張るのも一苦労である。
地面が抉られているともなると、それを元に戻すために大量の土砂と地下に埋まってあった排水管などの復旧にも取り掛かる必要が出てくる。
アルファルトの整備や家の復旧なども視野に入れる必要があるだろう。

似た騒動はこれで二度目。
普通ならば前回と同じように聖堂教会だけではなく、魔術協会にも協力を依頼し、事態の収拾及び隠匿作業に奔走しなければならないのだが。

「………連絡する気はねぇみてぇだな、言峰」

戻した受話器を再び握ろうとしない神父を見て言うのはランサーだ。

「当然。今ここで無用な外野の戦力が入ってきては、間桐桜の事実が漏れる恐れがある。幸い戦闘は街中といえど、住民が全ていなくなった死の街で行われている。度重なる爆発音でほかの地区に住む住民もそこへ向かおうとはしていない。
 ならば対応すべきは火中に近づいていく警察関係者とマスコミ関係者だけだろう。それだけならば現地の魔術師だけで事足りる。一先ずは防音結界を張らせて事態を気取られないようにするのが急務だな」

淡々と話す言峰だが、ランサーはその声に舌打ちする。

「えらく他人事の様に言うんだな。仮にもこの聖杯戦争の監督役だっていうなら、それなりに慌てたらどうだ?」

「慌てる? 何を言うかと思えば」

ぎし、と音を立てて椅子より立ち上がる。

「むしろ残念だよ。報告通りの規模となると仮に住民がいた場合、そこに地獄が展開されていただろう。燃え盛る家に抉られた大地。そこに嘆きが木霊する人の声。これほどの地獄はなかなか見れるものではない」

「─────そうかい」

聞くランサーもそれ以上の言葉は発しなかった。
マスターとサーヴァントという関係だが、凛とセイバー達のように親密なわけでもない。
そもそも出会いからして歪だったのだから、間違っても親密になるようなことはない。

それとは別にランサーが言葉を打ち切ったには理由がある。

「失礼します」

隠匿作業を行っている内の一人の魔術師がやってきていたからだ。

「なんだ」

「ご報告が一つ。姿を眩ませていた『間桐臓硯』ですが、深山町にて発見。アインツベルンと現在交戦中とのことです」

「………そうか、判った。他にはなんだ」

神父が問いを投げると、報告にきた魔術師は懐より手を伸ばし幾枚か束になった書類を渡してきた。

「現在判っている被害リストとなります。中には“死の街”に居住していた者のリストも含まれております」

書類を受け取り、表紙だけをさっと確認する。
発生場所からその範囲、被害者リストの一部などが克明に書かれていた。

「ご苦労。現在手が足りない状況だ。現地へ行き、隠匿作業の強化にあたれ」

「かしこましました」

頭を下げ、綺礼がいる部屋より退室していく魔術師。
ぱらぱらと紙面に目を通しているときだった。

ガタン!という音と共に、何やら礼拝堂からけたたましい物音が聞こえてきた。
この部屋の作りはどういう訳か礼拝堂のやりとりが聞こえてしまうという欠陥を持っている。
その所為で礼拝堂でのやりとりは筒抜けであり、この音もまた綺礼の耳に届いていた。

書類をデスクに置いて礼拝堂へと向かう。

「誰かね? このような時間に神の御家を騒がすのは」

両開きの扉を開け、礼拝堂に入る。
その視線の先にいたのは。

「こんばんは、神父さん。一応─────初めまして、でよろしいですよね?」

「─────ああ、挨拶はそれで合っているぞ………間桐桜」

キャスターと間桐桜だった。
少女の髪は白く染まり、身を包む装束は、彼女の影そのものだ。
アレは己の体に自らの暗い魔力を纏っている。

「さて一つ聞こう、間桐桜。君はまだ君かね?」

「………初対面だっていうのに、その口調なんですね。或いは元々なんですか、神父さん?」

「さぁな。………ふむ、みる限りでは崩壊はしていないようだな。いや、それもそうか。崩壊しているのであれば間桐臓硯が放っておくわけなどないのだからな」

つい先ほどの報告を思い返し、再び桜を見る。
だがその視線は隣にいるキャスターへと移ってしまう。

「………そこのキャスターは本物かな。深山町でキャスターが戦闘中という報告を受けたのだが?」

「クス………、神父さん、キャスターって人形を作るの上手なんですよ? 遠目では判らない………いえ、例え近くにいても判らないくらいにね」

「なるほど。魔力を帯びた道具………人形を作り出せるというわけか。バックアップにはその力。…………ふ─────すばらしい。名実ともに現段階最強のマスターということになったわけだな、間桐桜」

報告にあったキャスターの攻撃と、今ここにいる本物。
キャスター単体ではそこまでの能力付加はできなかったであろうそれを、やってのけてしまっているという事実。

「ええ、わたしは強くなりました。今まで弱かった………、ただ耐えているだけのワタシはとっくに消えたわ。苦しめてきた人達みんなに、わたしがみんなを苦しめるの」

クスクスと笑う。
二重人格ともとれる発言をする桜であったが、神父はそれを。

「─────おかしなことを言う、間桐桜」

一言で下した。

「………何が、おかしいんですか」

「今までの間桐桜がいなくなったとしたならば、まずはイリヤスフィールの確保へ向かうのが上策だろう。間桐臓硯の手駒になっているかはともかくとして、苦しみを与えるならば訪れるべきはここではない」

少女の表情が僅かに歪む。
だがそれを気にかける神父ではない。

「それはつまりまだ“間桐桜”が存在するということだ。そう考えればここに来た理由も説明がつく」

「………、その説明とやらをしてもらいたいんですけども、神父さん」

少女の貌が強張る。

「“間桐桜”は自分が汚れていたことを隠し通したかった。また、自分が変貌していくということも隠したかった。衛宮士郎にな。………が、衛宮士郎はそれを知っていた。己の姿を見る前からな。
 少なくとも衛宮士郎がその事実を知らなければ、衛宮邸での出来事で“間桐桜”は“衛宮士郎”を呑むことができたはずだからな。その事実。それを知ったのはどこか。─────簡単だ、この教会、この私を経由して“間桐桜”という存在を知った」

淡々と話す神父の前に立つ少女。
足元には僅かに影が広がり始めていた。

「ならば『己の素性をなぜ知っているのか』、『己の素性を看破し得た者は一体何者なのか』、『なぜそれを衛宮士郎に教えたのか』、などと疑問を抱くのは当然であろう。だがそれは“間桐桜”が持つ疑問であって、苦しみを与えたいというおまえの言う“別人格の間桐桜”が抱く疑問ではない。
 求道者だというならば特別気になどしなかったが、苦しめたいという感情と力を持ちながら答えを求めてやってくるほどの求道の心は持っていまい」

ぎり、と歯ぎしりの音が聞こえた。
だがそれに興味は示さないと言わんばかりに、神父は告げた。

「故におまえは“間桐桜”だ。………そして同時に、泥に呑まれ、暴力に酔うおまえもまた間桐桜だ。異なる人格を用意し、“間桐桜”は悪くないなどと言い訳をするにはいささかおかしいな」

「─────」

少女から声はない。
だがその感情を表すかのように、足元の影が急速に礼拝堂を侵食していく。
その速度は今までの比ではなかった。

「─────しかし、そこまで狂っておきながら芯はまだ間桐桜のままか。存外、『衛宮士郎』という存在は大きいようだな。………なればこその間桐の老人の動きか。必死だな、間桐臓硯」

「………まるでわたしがここに来るのも判っていたみたいな口ぶりでしたね。─────いいです、その減らず口、減らしてあげます」

ずあ、と唐突に広がる影。
神父は躊躇うことなく後退した。
かつて代行者として世界を巡ったこともあった。
その時の身体能力は低下したとしても、依然として余りあるほどの能力を有す。

迫りくる影。
だが相手は強大と言えど素人。
戦闘経験はなく、魔術師としても未熟な彼女が相手ならば、百戦錬磨のこの神父ならいかようにも離脱できる。

「─────馬鹿なひと、逃げられると思うの、わたしから?」

同時。
綺礼の体が異常を発した。
ずきん! という激痛と共に喉より込み上げてくるナニカ。
今まで感じた事すらない激痛に礼拝堂へと転がり落ちた。

「は─────ぬ、ぐ…………!」

呼吸をしようとして、その度に激痛は襲う。
血は止まる事を知らず、その度に喉がおかしくなる。

「どうですか、心臓を鷲掴みにされた感想は。どこに居ようと、貴方の命はわたしの手の上なんですよ?」

ゆっくりと近づいてくる。
影の侵食事態は止まっているが、絶体絶命にはかわりない。

「今日まで貴方を生かしてきた仮初の命、そろそろわたしに返してもらいましょうか」

少女の顔が歪む。
その表情は少なくとも、士郎が知る表情ではない。
逃げ切ることは不可能。
そう思った矢先だった。

「っ─────! え、あ、う─────そ………!?」

少女の体が折れ曲がる。
視線は綺礼から黒くなった礼拝堂の床へと切り替わる。

「嘘………ライダー………ライダーがやられ、た………?──────────いえ、まだ………まだ、生きてる。まだ………生きて─────」

ぎろり、と隣にいるキャスターを睨んだ。

「キャスター………どういうこと? 貴女、あっちでは何をしていたの?」

「セイバーが囮になって、私の人形とライダー諸共アーチャーが吹き飛ばしたようです。………『偽・螺旋剣カラドボルグ』。魔力次第であそこまで大規模な攻撃になるとは思いませんでした」

「………っ!貴女、アーチャーとも戦ったことがあるのでしょう? なぜ判らなかったの?」

「あれほどの威力ともなると固有結界内限定のモノだと思っておりましたが故。それにあの矢は空間を斬り裂く………。
 セイバーを注視してしまってたが為、回避も間に合わなかったのです。それよりもマスター。ライダーを援護するためにも魔力を送った方がよろしいのではないですか?」

「─────そうね」

視線を戻した先、そこに神父の姿はない。
血だまりだけがそこに残っていた。

「………ふん、逃げ足だけは達者ね。一瞬で姿を消すなんて。………キャスター」

「承知しました」

すぅ、と姿が消える。
それを確認し、少女は元来た道を戻っていく。

礼拝堂の外。下り坂へと繋がる道。

「ライダーが………負けるはず、ない。─────待ってて、ライダー。すぐに………魔力を」

影が街へ下りる。




「よう、とんだ災難だな、言峰」

墓地に繋がる隠し通路から出てきたのは言峰 綺礼。
その出口でランサーは待っていた。

「ふ─────笑うか? それも構わんが」

「………少なくとも、てめぇが後悔してるように見えねェから笑うことはねぇな」

「後悔? そんなもの、持ちえぬ感情だな」

隠し通路の扉を閉め、周囲の状況を確認する。
そこへ現れるは、

「キャスターか………。間桐桜の命で追ってきたのかな」

「そう、と言えば貴方はどうするのかしら?」

「間桐桜が孕んだモノは私の長年の問いに答えを出せる存在だ。………それが生まれるというのであれば、その誕生の瞬間を祝ってやるのが神父である私の務め。少なくともこの場で潰されるつもりはないな」

「………なんだ、言峰。コイツも殺っていいってならその仕事、引き受けるぜ?」

槍を構えるランサー。
だがその光景を見たキャスターは怪しく笑った。

「てめぇ………何が可笑しい」

「あら失礼。貴方が猛々しいのは構わないのだけれど、生憎私は戦う為に来たわけじゃないの。戦闘を希望していたならごめんなさいね」

「………なんだと?」

キャスターの言葉を聞いた綺礼がキャスターを見る。

「………じゃあてめぇは一体なにを目的に現れた? あれだけの力を持ってるんだ、同盟を組もうなんていう誘いでもあるまい」

ランサーとて間桐桜がどれだけの存在かは理解している。
相手を馬鹿にするような物言いでキャスターに問いかけたのだが返ってきた言葉。
それは。

「──────────あら、察しがいいのねランサー」





[29843] Fate/Unlimited World―Re 第51話 ナイトメア
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:47a17094
Date: 2012/08/11 22:30
第51話 ナイトメア


─────第一節 一般常識の範疇外─────

第五次聖杯戦争。
前回より十年の時を経て、再び始まったこの戦争は最初から破綻していた。
そして、この戦争は前回のソレと同じように、大量の犠牲者を出していた。

冬木市深山町。
とある交差点から柳洞寺方面へと続く道。
いつもなら閑静な住宅街であるのだが、今日この日だけは明らかに違っていた。
当然それは警察に所属し、現場へ一番早く辿り着いた石垣 蓮と佐々木 衛士にとっても同じであった。

「えーっと、先輩。俺達って日本にいるんスよね?」

狭い道路を遮る様に止めたパトカーの中で石塚は運転席に座る佐々木に話しかけた。

「………一応ここは日本だ。そして冬木市の深山町」

ポケットからライターを取りだしてタバコに火をつける。
僅かに窓を開けて肺に溜めた煙を外へと吐いていた。
そんな先輩警官を横目で見ながら、視線を無線機へと落とす。

「──────いやね、必死に呼びかけようとしてるのに無線が全く通じないんじゃ、ここが日本以外のどこかだって考えたくもなるじゃないスか?」

先ほどからパトカーに備え付けられた無線機をひたすら弄りまくっている石塚だが、ウンともスンとも反応しない。
警察車両というものは、バス会社がバスの運行を行う際にタイヤなどを点検するのと同じように、日々車両関係の備品もチェックしている。
いざという時に備品が破損していたり、深刻な事故を引き起こさないためだ。
当然この警察車両も手入れは行き届いている筈なのだが、それに反して無線機が壊れているのだから変な方向に解釈が行くのも無理はない。
だが、その相方である佐々木は。

「………じゃあ俺たちはいつの間に海を越えてきたんだ。日本と韓国に橋でも架かったか?」

平然とした物言いで、いつも通りに対応してくる。
前々から思っていたのだが、この人物に感情なんてあるのだろうか。
無表情でタバコを吹かす先輩警官の反応に息を漏らしながら、正面を見つめる。

「………じゃあ聞くッスけど、俺達は間違えてどっかの映画撮影所の中に入りこんじゃったとかないスか? ほら、実は見落としてたけどどこかに進入禁止の看板があったとか」

周囲を見渡ながらどこかに映画のセットがあるのではないか、と期待半分に周囲を軽く見渡していた。
が、当然そんなものはどこにもなく。

「………映画撮影をしてるならそういう情報は所内でのデスクワークできっちりと認識されてる。それがなかったから映画云々はない。第一この治安不安定な街で映画取ろうなんていう監督はいない」

故に低テンション警官、佐々木 衛士はボケることも確認することもなく石垣の言い分を一刀両断してみせた。
ギャグでもボケでもツッコミでもいいからやってくれればいいものを、至極真面目に当たり前なことを言うもんだから結局はこの“異常”と“地響き”しか残らない。

「う~~~~~~~!!」

佐々木の冷静かつ的確な返答を聞いて頭の髪を掻き毟る石垣。
石垣にとってこんな“異常”な光景は見たことがない。
それなのに隣にいる佐々木 衛士という先輩警官は淡々といつもと変わらぬ表情と対応。
一度頭の内部の構造がどうなっているのか見てみたかった。

というが、普段どちらが優秀かと問われれば間違いなく佐々木 衛士であり、石垣 蓮は所謂“オタク”と呼ばれる人間に分類されていたりする。
そんな事実はさておいて、身の危険を嫌というほどに感じまくっている石垣は吹っ切れたように大声で叫びだした。

「じゃあこのクレーターはなんスか!それにあっち、『小山』なんてあった──────!?」

ズン! と一際大きな地響きが襲った。
車が大きく上下に揺れ、いよいよ冷や汗だらだらになるというところで。

「──────死にたくなかったら口は塞いでろ、石塚」

佐々木がアクセルを思い切り踏み込んだと同時に、パトカーが物凄い勢いで狭い路地道を後退していく。
その速度は瞬く間に三十キロを超え、四十キロへ到達しようという速度。
間違っても路地道で出す速度ではない。
そしてそれが前進ではなく後退での速度なのだから、助手席に座る後輩警官からしてみれば恐怖である。

「うわっ!? 速い、速い速い速い!先輩、法定速度明らかオーバーっスよ!?」

こういう時だけ無駄に法に関することを言い出す後輩警官。
だが隣にいる佐々木はそんな声など聞こえないかのように、しかしいつも通りの表情で思いっきりハンドルを左へときった。

「ひぃいぃぃぃぃぃ!!」

狭い路地のTの字交差点で、タイヤの擦れる音を響かせながらパトカーが急停車、即座にアクセル全開で前進を開始した。
瞬く間にその場から離れていく。

佐々木自身、この状況を冷静に分析した結果、この場に留まるのは危険と判断した。
だがそれは撤退であって逃亡ではない。
無線機が使えないという事実、ほかの応援車両がこない件。
クレーター、地響き、一人も人がいない街。
つまり明らかにこの場所は異常であって、何の情報も持たない自分たちが行動するのは自殺行為。
ぎりぎりまでその場で粘ったのは何等かの情報が得られるかもしれないと考えたため。
だが結果は後輩警官が騒ぐだけだった。

「………とりあえず署に戻って情報整理だな。無線機がどうなってるかも聞く必要がある。だからそれまでに─────」

そう言いながら助手席へと視線を送る。
その先にいたのは。

「………おい、そんなことじゃ警察機動隊には入隊できないぞ、石垣」

「………俺は機動隊員志望じゃないです…………」

ぐったりとなっていた石塚だった。



「残りの警察車両一台、確認しました。対応はこちらで行います。そちらは至急結界をお願いします。防音だけではなく、視覚遮断の方も恐らく必要でしょう。警察の方にも手を回しておいてください」

使い魔による通信を終了させ、魔術師は警察車両に接近していく。
その視線の先とは別方向。

「十年前の再来とはこのことか………」

僅かに視線をそちらにやり、呟いたのだった。


─────第二節 戦いではなく殺し合い─────

「──────────」

言葉にこそ出さないが、セラはこの状況に歯噛みしていた。

現在、サーヴァント・アサシンの攻撃から身を守るべく魔術による結界を張っている。
が、相手はサーヴァント。長く保つ道理はない。
かといって魔術を解けば即アサシンが先ほどの様に主であるイリヤを狙ってくるだろう。
そんなものを許す訳にはいかない以上、持てる力を使い切る覚悟で防御をし続けている。

「カカカ………良く耐える。しかし先ほどと比べれば“中の様子が判りやすくなってきておるぞ?” その結界も限界が近いようじゃな」

ギィン!! と、二十三発目の短剣を受けきる結界。
ここまで保った結界とその発動者には賞賛を与えてもいいだろうが、いわゆる『頑張った賞』などこの生死を分ける戦いの中では意味がない。
破られれば死、張り続けれる限りは生き残れる。
この二択。
そこに中間の存在はない。

「ふぅむ、しかしアサシンの短剣も無限なワケではない。………手間と効率、メリットを考えてワシもちと手助けぐらいはしてやろうかの」

老人の言葉と同時にその足元にナニカが老人の背後より出てきた。
地を這うように出てきたソレを、鐘と綾子が注視する。
………が。

「な、なんだ………アレ………!?」

ゾワリ、と二人の体に寒気が奔る。
それは老人が言う『蟲』なのだが、世間一般が知る虫とはその姿からしてかけ離れていた。

「コイツは魔力を糧にして活動する蟲じゃ。ソレが魔力の網で作られた結界だとするならば、コレにとってみれば餌にすぎぬ。─────その結界、蟲どもの餌となってもらうぞ」

同時。
老人の足元に群がっていた蟲が白い結界へと突進してきた。

「…………!」

しかし回避はできない。
結界の外側に張りつくように蟲たちが纏わりついていく。
前面のほぼ全てを覆い尽くしたソレは、鐘と綾子からしてみれば見たくもない光景だ。

「う………ぇ。よくこんなのを操ろうだなんて思うよな………」

「………それがあの老人の“魔術”なのだろう?─────流石の私もこの光景は見たくないが」

だが、そんな悠長な話をしていられるほど状況は甘くなかった。
その異常に気が付いたのは結界を張っているリズとそれを見ていたイリヤである。

「結界の魔力を食いちぎる………!? けど、そんなのさせないわ」

イリヤが結界の内側に手を添えた。
その部分から薄青色の波のようなものが結界を伝播し、結界に群がっていた蟲たちを弾き飛ばした。
周囲の光景を見て一安心する一般人の二人だったが、目の前の老人は数百年を生きた妖怪である。

「─────え?」

綾子の足元。
ヒビが入り、僅かに盛り上がるアスファルト。
その光景を見て、脳が理解する前に。

「セラ、結界を解きなさい!」
「美綴嬢!」

地中より這い出てきた蟲が、結界内に現れた。
イリヤの声と共に結界を解除し、即座に間桐臓硯と蟲たちからはなれるべく距離を─────

「自らアサシンの元へと近寄るか?─────よかろう、では相手をしてやれ、アサシン」

四人の時間が停止した。
全員足元より現れた蟲を避けるべくそちらへ注視していた。
つまり、振り向きなおした正面はがら空きである。

「─────御意」

虚空より現れたのは暗殺者。
闇に浮かぶ白い髑髏を四人が捉えた。
思考は間に合わない。
動く脚を急停止させようとして、背後に蟲が迫っていることに気付く。
蟲に捕まれば間違いなく終わる。
先ほどの結界のように食い破られるだろう。

だが正面にはサーヴァント。
当たり前だが勝てない。

「──────────ま」

まずい、と。
鐘が言葉にして出す時間すらない。
綾子が前後より襲いかかる敵を避けようとする時間もない。
セラと綾子ではこの状況を打破することもできない。

そこへ。

─────ドォン!!

と、大地が揺れた。

「うわっ………!」
「っ!」

余りに大きな地響きは、まるで近くに巨大な物体が落ちたかのようだった。
その揺れで体勢が崩れ、地面へ倒れる鐘と綾子。
だが、その揺れはアサシン、そして間桐臓硯にとっても予想外だったらしい。

「うぬ─────なんじゃ?」

揺れを感じた方角には巨大な土煙が上がっていた。
それが一体何であるか、この距離からでは確認できない。
だがその方角がセイバーやアーチャーが戦っている方角だと判り、アサシンは再び視点を戻した。
向こうでどれだけ激戦が繰り広げられていようと、今目の前にいる敵を救いに来ることはない。
寧ろ向こうが激戦であればあるほど、こちらにくることはない。

止まっていたアサシンの左手が僅かに揺れる。
もう一度揺れれば確実に銀色の少女に命中する。
次は治癒されないよう、その傍にいる侍女も同時に攻撃する。

一般人など気にかける必要もない。
確実に二人の意識を奪ってから、両足を潰せばいい。
いずれにせよ、この四人はここで─────

「まずハ、二人ダ」

一瞬だった。
アサシンの投擲した短剣はずれる事なくイリヤとセラへと投げ出された。
それを止める時間はなく、それを防ぐ術もない。

「──────────」

だが、イリヤに傷はない。
彼女らに向かった四本の短剣全ては。

「───────────────セラ?」

イリヤを咄嗟に庇ったセラの背中に突き刺さっていた。

「お嬢様………ご無事、で………」

ずるりと体が傾き、彼女の体が地面へと倒れた。
呆然自失でその光景を見るイリヤだったが、彼女らを見た鐘がいち早く叫んだ。

「イリヤ嬢!そこから離れるんだ!」

「え?」

後方。
そこに群がるのは蟲の大群。

「─────っ!この………!ほら早く!!」

比較的近くに居た綾子がすぐさま体勢を立て直し、セラとイリヤの元へ駆け寄った。
セラに肩を貸すような形で持ち上げた綾子だったが、その正面に。

「どこに行ク?」

暗殺者が笑っていた。
逃げ場など無い。
時間も無い。
このままでは─────

『─────投影、開始トレース・オン

そこから導き出される結論を脳が認識するよりも早く。
一番聞きたかった声を、綾子と鐘、イリヤの耳が認識した。

「ヌ─────!!?」

同時。
降り注ぐのは無数の剣。
綾子らに攻撃を仕掛けようとしていたアサシン目掛けて豪雨とも言える剣群が飛来した。
そしてその剣群はそれだけにとどまらない。
鐘と綾子らの背後から襲おうとしていた蟲の大群をも串刺しにしていく。

「っ…………!!!」

周囲の衝撃に瞼を閉じるが、僅かに開いた視線の先には赤い髪の少年がこちらへ走ってきていた。

―Interlude In―

「は─────、はぁ─────」

人通りの全くない夜道。
冬の夜風が身を斬り裂く中、リズは士郎を抱えて走っていた。

しかしその動きは今までの身体能力と比べても明らかに遅い。
ギルガメッシュとの戦闘時に士郎を救うべく行った『制約解放』は一時的なモノでしかない。
彼女もまた活動限界が近いのだ。
本来士郎を抱えるという行為すら避けねばならない状態なのだが、そうと判っていてもリズは士郎を運んでいる。

見るからに重傷。

体の右半分が爆発の影響により大火傷を負っている。
特に起爆物そのものを持っていた右手は辛うじて原型を留めているものの、ただそれだけである。
放置すればそこからすぐにでも崩壊が始まり、死へと至らしめていくだろう。
そうなる前にイリヤの元へ連れて行き、早急な治療を行ってもらう必要がある。

「………!」

だが、そんな彼女の心配を無用だと言うかの様に士郎自身に変化が起きた。
ギチ、と歪な音が聞こえたと思った矢先、彼の右肩から銀色のナニカが出現していた。

その光景に思わず足を止めかけたが、止めた所で今の自分に治癒する術がない以上は一刻一秒でも前に進まなければいけない。
限界近い体で足を動かしていく。
体力と腕力の低下により体勢を崩しかける事も何度もあったが、ぎりぎり耐える。

肌を斬る様に冷気が襲いかかってくる中、一定間隔でギチ、という金属音が聞こえてくる。
その都度に視線を落としてみると、右肩より見えていた銀色の物体が右腕へ侵食していっているのがわかった。
だがそれ以上の思考能力はすでにない。
体は満身創痍。
活動限界を大幅にオーバーしている彼女の思考能力はかなり低下してしまっている。

「リ…………」

「!」

聞こえた声に反応してリズの足が止まる。
進行方向へ向けていた視線を落とした先で、士郎は薄らと目を開けていた。

「─────悪い、ちょっと………寝てた」

相変わらず言葉を発するだけで喉に痛みが奔るが、しゃべれないほどではない。

「………大丈夫?」

言いつつリズはゆっくりと士郎を地面へ下す。
士郎の右手はあの爆発により火傷の痕がひどい。
右手から始まり右腕、右肩、喉、右頬、右目。
右肩から右腕の上腕二頭筋の部分までが体の部分同様に銀色に覆われていた。
痛みが伝わってくることからして神経はまだ死んでいないらしいが、果たして動かせるのか。

「左手は、まだ動く。─────リズ、イリヤ達はどこだ?」

爆発の衝撃で反応が鈍くなっている左手を動かしながら顔を見てくるリズに尋ねる。
右目は開いていない。というより開けるのが怖い。
見えなくなっているのではないか、という恐怖ではなく、開けた時に起こるであろう痛みの所為で動けなくなることが怖い。
“今こうして目を閉じている状態”が一番いい状態であると、本能がそうさせている。
無理矢理右目を開けるのは避けるべきだろう。

「………この道、まっすぐ行けば─────いる………よ」

「! リズ─────」

下り坂を指差そうとして彼女の体が傾いたのを士郎は見逃さなかった。
士郎とは反対側に倒れそうになったリズの背に左手をまわし、何とか倒れないように此方側へ抱き寄せる。
つまりは士郎にリズが抱き着く格好となるわけだが、事態は深刻である。

「リズ………! しっかりしろリズ………!」

「───────」

抱き寄せる体だが、次は彼女の膝が落ちた。
崩れる彼女を己の刃で傷つけないよう、優しく抱えて座り込んだ。

「………ちょっと無理しすぎた、かな。からだ、うごかない」

「………!悪い、疲れてるのに運んでくれて。ゆっくり休んでてくれ。次は俺が連れて行く番だ」

家からここまで。
気を失っている間、疲弊しているにも関わらず男性である自分を運んでくれたリズ。
そんな彼女に感謝と謝罪をし、何も言わずに瞳を閉じたリズを横へ寝かせた。

「─────どうする」

運ぶと言ったからにはこの右腕が使えないと非常につらい。
右手は相変わらず反応しないが、剣に覆われた腕ならばなんとか電気信号が通っているらしい。
腕の上下ならばかろうじてできる。
だがこの腕で誰かに触れるのはかなり危ない。

「ちょっとあれだけど………」

リズの腹部辺りに左肩を入れ、肩に乗せる様に立ち上がった。
こんな運び方だと彼女にも負担がかかるだろうが、右腕が使えない以上は左片方でなんとかするしかなかった。

「─────まずは合流か」

下り坂。
緩やかなカーブを描いているが為、その道の先までは見えない。
まるで地獄へ続くかのように闇へ延びる道を、士郎は駆けだしたのだった。



士郎が見た光景は、初めに驚愕だった。
セラがイリヤを庇う様に倒れ、綾子が殺されそうになっている。
強化した目には鐘と綾子らの背後に蠢く異質なモノも捉えていた。

すぐさまアレが敵だと認識し、即座に投影を開始する。

「─────は、あ─────」

頭を打ちつけてくる頭痛。
右腕が繋がっている右肩部分が痛い。
肩が凝り固まっているような感覚。
だがそれは決して通常のコリではない。

それら全てを押し通して、投影を開始する。

「リズ………、ちょっとだけここにいてくれ」

ブロック塀に凭れさせるように彼女を座らせ、標的をロックする。

「─────投影、開始トレース・オン

撃ち出すは無数の剣。
この傷で、この怪我で、この体力で、この魔力で、これだけの数の投影を行うのはかなりきつい。
だが、今はそんな体の事などどうでもよかった。
今は。今だけは。

「美綴!!氷室─────!!」

─────みんなを守れるだけの力を。

―Interlude Out―


─────第三節 ダウンロード・インストール─────

ヒーロー。
その定義は様々だが、一番判りやすくかつ一番思いつきそうな定義は『身に危険が迫ったとき、助け出してくれる人』だろう。
事実テレビで放送されるのは怪獣やモンスターと戦う『戦隊モノ』であったり、突如現れて敵を撃退する巨人であったりと子供向けアニメに定番なモノが挙げられる。

つまり、この場面で現れた彼は彼女達にとって間違いなく『英雄』なのだが、対して本人はただ歯を噛み締めていた。
走る度に右肩に侵食してくるような痛みに対してではなく、倒れたセラを救うことができなかった己の未熟さに対してである。
そして何より忘れてはいけないのは、どれだけ危機的状況に現れた所で敵はサーヴァントであるということ。
しかもそれがセイバーのような“真っ当な戦いを望む者”ではなく、“ただ殺す”ことに特化した暗殺者なのだから、この危機的状況は何も変わらない。

「飛んで火に入るなんとやらとは言うが、このことかの? いやいや、対面はこれが初めてじゃの、衛宮の子倅。想像以上に人間離れした体を持っておるな?」

「その声………、おまえが間桐臓硯か………!」

駆けつけた士郎は視線を動かして全員とりあえずは無事であることを確認する。
そして同時に、綾子らに攻撃を仕掛けようとしていた黒い人物がいないことにも気が付いた。
姿としてただ後ろ姿をみただけだが、凛やセイバー達から“暗殺者”についてある程度は聞いていた。

そして今現在その姿が捉えられない以上、この状況は極めて危険だ。

「─────投影、開始トレース・オン

左手に握られる短剣は、ライダーの鎖付の杭だ。
アーチャーの短剣は両手を必要とするし、セイバーの剣は今この体の状態で投影しようとすると自殺行為になりかねない。
ここにくるまでにすでにかなりの疲労が積み重なっており、右半身は爆発の影響で未だに活動に大きな影響を残す。

当然そんな大きな傷跡を隠せるワケもなく、駆けつけてきた士郎の体を見た綾子と鐘は言葉を失っていた。
彼の顔の右頬から目のあたりは赤く焼けている。
右目は開いていないし、右肩部分の服は焦げたようになくなっていた。
右手にいたっては、かろうじて原型を留めているだけであり人の腕として機能するとは到底思えない。

「カカカカ、ギルガメッシュ相手によく逃げ果せた………と思ったが、その代償は大きかった様じゃな。その右腕、もう使えまい」

「………それがなんだ。右腕がどうなろうと、おまえだけは絶対に許さない、間桐臓硯………!」

士郎が知る限り、桜を苦しめている敵は紛れもなく間桐臓硯。
その悪の根源が目の前にいる以上、許す理由はない。
遮るモノは体の痛みだけ。
ならばそれを押し切って進むのみ。

地を走る。
十数メートル先には間桐臓硯がいる。
だが走り始めたと同時、背中から異質な気配を感じた。
それがアサシンのものであるということは周知していた。
だがそれでも止まらない。
マスターである間桐臓硯を狙えば、サーヴァントであるアサシンは否応にも守らなくてはいけない。
標的を自分一人に集中させることができれば、一般人である二人が標的になることはないし、治癒を行っている二人が狙われることも少なくなる。

一手に役割をこなすためにも、ここで間桐臓硯を討つ………!

「─────死ネ」

「っ………!?」

すぐ耳元で、不吉な声がした。
視線を横に移すと、そこには短剣を舐め笑う、白い髑髏の面があった。
しかもその横というのが、武器を持つ左側ではなく無防備を晒している右側に現れたのだから。
咄嗟に体を左側へ倒し、攻撃を避けようとして。

「─────っづあっ!!」

投擲された短剣が脇腹に突き刺さった。
音をたててアスファルトの道へ倒れる。
脇腹から血が滲み出ているが、今はそれ以上に上から降り注ぐ短剣を避けなければ─────!

強化された脚を動かし、着弾コンマ数秒前というぎりぎりの時間で、さらに左へと攻撃を回避。
ミシミシと限界駆動を超えた動きを強要される骨が悲鳴をあげる。
右肩や腹部に見える剣が、動くたびに体を突き刺すような痛みを発信する。

「─────っ、馬鹿か俺は………!役割もなにもサーヴァントに速度で勝てるわけないだろ………!」

自分の思考の回らなさを罵倒しながらアサシンと間桐臓硯から距離をとる。
頭に響く鈍痛は変わらない。明らかに集中力を乱している。

アレはマスターを殺す者。
こと戦闘ではなく、殺すことだけに特化したもの。
そんな暗殺者に一体どこまで耐えられる? 背後を取られ頭部に攻撃を食らうか、心臓を一突きにされるか、今の様にいたぶられるように衰弱していくか。

「どれも御免だ。………なら、もう一回………」

押し寄せる頭痛をこらえ、内面へ没頭する。
ギシギシと腹部と右肩の剣が食い込むようなビジョンが見える。
その度にそれらを叩きつけたくなるような感覚を、その度に抑え込んでいく。

「サセぬ………」

瞬間、白い髑髏面めいたものが視界の片隅に映った。
いや違う。
確かに瞬間ではあったが、反応できたはずの速度だ。
なのにそれに反応できなかったのは─────。

「─────っ!」

無我夢中で左手の短剣を振るう。
笑いたくなるような抵抗だが、やってみる価値はあったらしい。
金属音と共に短剣が地面へと落ちた。
だが。

「いっ─────あ、ぐ………!」

投擲された短剣は一本ではなかった。
いや、寧ろアサシンが投擲した短剣など一本も見えなかった。
疲労に加え、闇にまぎれるような短剣を肉眼で追えるわけがない。
不意打ちみたく受けた短剣は右脚、右腕ととことん右側狙い。
どうやら運よく弾いた一撃は顔面を狙っていたものだったらしい。
だがその運なんかよりも、自分の投影時間が長引いていることに気付いた。

「駄目だ………。もっと、もっと早く………」

二歩三歩後退して、自分の状態が悪い方向へ進んでいることに気付く。
ギルガメッシュの戦闘では無茶をしすぎた。
加えて自爆とも言える爆発。
ライダーの宝具を防ぐためのアイアス展開。
そのどれもが今という時間にのしかかってくる。

「衛宮………!」

「─────っ!?」

声が聞こえた。
咄嗟に後ろに振り向けば、そこに鐘がいる。
反対側には綾子らもいる。

巻き込むまいとして突進した筈が、攻撃を受けて後退し、いつの間にか駆けつけたその場所まで下がっていたということだ。

これ以上は下がれない。
いや、そもそも前線なんてものがあったのかすら危ういが、もうそれについては考えない。
まだイリヤはセラの治療を行っている。彼女の受けた傷は致命傷。即座に手当されているからこそまだ息がある。

逃げるにしても逃げられない。
せめて治療が終わるその時までは倒れてはいけない。
今、アサシンと間桐臓硯は確実に自分だけを見ている。
この面子の中では一番“有害”だからだ。

だからこそ、その“有害”という認識を逸らす訳にはいかない。
ここで倒れ、“無害”と認識されてしまったらイリヤ達に魔の手が伸びる。
それは避けなければいけない。
つまり踏ん張りどころはどこでもない、今この瞬間。

「─────投影、開始トレース・オン

弱った自分の力だけは、迎撃が間に合わない。
今の自分の中に、弱り切った状態での効率的な迎撃手段はないし、思考がうまくまとまっていない。
一撃を受ける度、呼吸をする度、痛みを感じる度に視界が揺らぎ、ノイズが奔る。

ならば自分の中にないのなら、自分の中でまとまらないなら、それ以上に経験の宝庫である宝物庫の鍵を開くのみ。

抵抗率低下。
上書き。
上書き。
上書き。
非効率を効率へ。
上書き不要部分はそのままに。
効率化による投影時間短縮・圧縮。
武器の貯蔵の増加。攻撃手順の増加。
剣を矢に変える。
弓を登録。
偽・螺旋剣を認識、登録完了。
赤原猟犬を認識、骨子の情報再照合完了。

「─────憑依経験、共感終了」

アサシンが揺れる。
撃ち出される短剣は正面から四、上方より三、右側より五。

「─────工程完了ロールアウト全投影、待機バレット・クリア

迫る短剣。
普通なら射出しても間に合わない。
だが、今の状態なら。

「─────停止解凍フリーズ・アウト全投影連続層写ソードバレルフルオープン!」

「キ─────!?」

剣が降り注ぐ。
飛来した剣は十二の短剣を瞬く間に撃ち落とし、放ったアサシン目掛けて飛来する。
だが、もとより回避に優れるアサシン。
しかもそこが闇で無限に広がる空間だというならば回避は容易い。

が、それでも豪雨は豪雨。
空より落ちる雨粒を人間が回避できないのと同じように。
回避を試みたところでこの雨からは逃れられない。

「ぎ、ギ─────!!!」

脚に刺さった剣がアサシンを撃ち落とした。
ブロック塀の向こうに落ちるアサシン。

敵は倒れた。
なら後はそのマスター、間桐臓硯を倒すのみ………!!

「まさかここまでやれるとはの………」

「逃が………すか─────!!」

後退していく老人。
アレを逃すわけにはいかない。
ここで倒すべき敵。

「ヌう─────!?」

剣を撃ち出し、足を止める。
群がる蟲を串刺しにし、確実に滅ぼし、強化した脚で一気に接敵する。

凛とアーチャーの話では、間桐邸地下で戦闘し、同じように剣を撃ち出したとのこと。
しかし『敵』は生きていた。
剣群での刺殺は固体に対して有効打であるが、それを以ってしてもなお生き残ってるとなると直接斬りつけるしかない。
生憎と凛のように魔術には長けていない。良しか悪しか、投影による剣の攻撃しか士郎にはない。

退路を断った。
群がる蟲も大半を殺している。
襲ってきてもこの勢いなら脳天より剣を振り下ろせる。

何も進展しなかった展開。
けれど、少なくともこの敵を倒せば桜を救う道へ確実に一歩近づく。

─────勝ったと。

その光景を見た鐘と綾子はそう思った。
短剣をその身に受けた士郎の苦悶の表情はみたくもなかった。
受けた短剣は三。
急所ではないとはいえ、十分身体の活動に影響を与える。
それだけではなく右手のあの状態。
いくら彼が“剣を撃ち出す者”とはいえ、平気であるワケがない。
そんな中で、痛みを押し切って、あろうことかサーヴァントを退け、敵を倒そうとしている。
ならこれで終わると。

二人の認識は共通していた。

だがたった一人。

「だめ………シロウ! 先にアサシンを倒しなさい!!」

この状況が危険だと警鐘をならしたのは、イリヤだった。

「え?」

直後。
崩れたブロック塀の向こう側より現れたアサシン。
その姿は一部を除き通常通りだ。
しかしその一部こそが、命取りだった。

アサシンの羽織っていたマントがはがれる。
本来あるべき筈の右腕。
そこにあったのは右腕ではなく棒だった。

「─────追い詰めた、と思うたかね? 衛宮の子倅よ」

正面あと数メートルにまで近づいた間桐臓硯が、妖しく嗤った。
それと同時。
側面へ飛ばされたアサシンが“変形”した。
骨を砕き、曲げて、髑髏の腕が異形の翼を羽撃かせる。

なんという長腕か。
暗殺者の右腕は、拳と思われた先端こそが“肘”だった。
折り畳まれ、その掌を肩に置いた状態で縫い付けられていた腕だったのだ。

ゾクリ、と悪寒が奔った。
あれほどの長さならばこの距離でも届く。
あの腕に触れられればおしまい。

─────今から剣を撃ち出せば止められる?

無理だ。
撃ち出せて相手に直撃したとしても、同時にあの腕が体に直撃する。
止める事が出来ない。
コンマ数秒の差で相手が攻撃を完了させる方が早い。
何しろ相手はすでに攻撃準備を完了させている。どう足掻いてもコンマの差で負ける。

「──────────っっっ!!!」

じゃあ諦めて放置する?
そんなものは論外。
死ぬと決まったわけではない、抵抗できるならコンマの差で負けようとも抵抗してみせる。

少しでも遠く、少しでも時間をかけさせるため、老人へ向けていた足をアサシンとの距離を離すべく急激な方向転換へと切り替える。
同時に投影を開始。
アーチャーの知識で全面的に上書きし、その知識と経験により圧縮効率化され、時間短縮された投影を以ってして─────

妄想心音ザバーニーヤ

すでに攻撃準備を完了させていたアサシンが、当然のように士郎よりも早く─────呪腕を突き出していた。

─────数秒後の地面、そこに赤い斑模様が描かれていた。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第52話 戦いの果て
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:47a17094
Date: 2012/08/11 22:31
第52話 戦いの果て

2月10日 日曜日


─────第一節 誰が為に立ち上がる者─────

「キ─────」

噴出される鮮血は地面に斑模様を描く。
鐘、綾子、イリヤ、そして士郎すらもその光景に驚いていた。
伸ばされた腕は真紅に染まり、そしてその先にあった筈の腕は。

「キ、キキキキキキ─────!!」

両断されていた。
上空より現れた銀色の鎧が、あの一瞬の時間を以ってしてアサシンの腕を斬り落としていたのだ。

「セイバー!!」

「シロウ、無事ですか!?」

アサシンと対面し構えたまま背後にいる士郎へと声をかける。
ライダー達と戦っていた筈のセイバーが此方へやってきたのだ。

「っ!? 待て、間桐臓硯!」

「ぬ─────!?」

逃げようとする臓硯を追う士郎。
その行く手を阻むように蟲が這い寄ってくる。

「くっ………この!」

「シロウ、私が」

地面を蹴ったセイバーが逃げる臓硯の前に着地し、有無を言わさず。
躊躇うことなく、臓硯の体を横一文字に薙ぎ払った。

「ぬ、う、なん、と─────!」

上半身と下半身が完全に分断したにも関わらず、腰から下が見えない老人は、それでも何かを零しながら地面を這っていた。
その光景。
もはや人ではない。

「やはり人間ではなかったな。リンの件もある。ここで消えてもらおう」

這う老人にセイバーの剣が振り下ろされた。
老人だったモノは斬られ、腐臭を放ちながら溶けるように消えていった。

「シロウ、無事ですか………!?」

消滅したことを確認し、セイバーはすぐさま士郎の傍まで駆け寄ってくる。
だが、その右腕は無事とは言い難い状態である。
セラの治療を終えたイリヤと鐘も近づいてくる。
綾子は少し離れた場所にいるリズを抱えて此方へ向かってきていた。

「待っててシロウ、今その右腕治療するから………」

「あ、ああ………ありがとう、イリヤ」

「シロウ、その火傷は一体………!? 先ほどの敵にやられたものですか?」

「いや、セイバーさん。これはあの………ギルガメッシュにつけられたものだ。そうだろう?」

鐘が告げる事実を聞き、セイバーの表情はさらに驚きの様子を見せた。

「ギルガメッシュ………ですか!? まさかシロウ、一人であの男と戦っていたと………!? なんて無茶な………。どうして私でもアーチャーでも呼ばなかったのです!」

「いや………セイバー、ライダー達と戦ってただろ。相手も二人なのにこっちに呼べば最悪やられるかもしれない。それにリズも助けてくれたから、なんとか無事だった」

「それでもです、シロウはサーヴァントをなんだと思っているのですか? 今回は無事だったから良いものを、サーヴァント相手に、しかもあの男相手に戦うなど無謀もいいところです!大体あなたは私とバーサーカーの戦いのときも─────」

「ま、まぁまぁセイバーさん。落ち着いて。あたしらも衛宮も無事だったんだし。あたしらを助ける為に体張ってくれたんだから、怒るとしたら負担かけたあたしらに怒ってくれないかな」

「セイバー。確かに気が立つのはわかるけど、ちょっと静かにしてくれないかしら。私もちょっと疲れてるから治療に集中したいの。シロウのこの怪我だって簡単に治るわけじゃないんだから」

仮に二対一でもセイバー達なら勝てると判断したならば士郎は呼んだかもしれない。
それを躊躇ったのはセイバーの宝具がキャスターとライダーの前に敗れたからだ。
そこから戦力を差し引いてしまうと敗北するかもしれない、という考えが浮かぶのは無理もない。

「………申し訳ありません、シロウ。私があの二人に打ち勝っていれば、シロウがこのような怪我をすることもなかった」

「いやセイバーは悪くないって。これだってアイツの攻撃じゃなくて負けそうになっての自爆で受けた怪我だし。俺が未熟だったからこんなことになったんだ」

「………話の最中にいいかな、セイバーさん。遠坂嬢たちの姿が見えないが、先ほどの地響きといい、まだ戦っているのだろうか?」

今この場にいない凛たちについて尋ねる鐘。
先ほどの地響きを最後に音すら聞こえなくなったので、不審に思ったのだ。

「そうだ………セイバー、遠坂たちはまだ戦ってるのか? なら今すぐにでも助けに行かないと。今どうなってるかわかるか?」

「………キャスターは撃破しました。ライダーに関しては………対処がありません。─────いえ、正確には対処はあるのですが、それにはシロウの助力が必要となるのです」

「俺の………? それに対処がないって。そこまで強いのか、ライダー」

「─────あれは最早“騎乗兵ライダー”とは呼べません。正真正銘の“怪物”と言った方が正しいでしょう」

怪物、という言葉がセイバーの口より出てくる。
サーヴァントを以ってしても怪物と呼ばれるライダー。

鐘と綾子が知る限り、サーヴァントというものは“化け物”と言っていい次元の存在だ。
身体能力から始まり、人間離れした能力を数々持つ存在。
そのサーヴァントであるセイバーが“怪物”と呼ぶのだから、ではそのライダーは一体どれほどまでに強いのか。
そんな言葉を聞くと普通は怖気づいてしまうのだが。

「………わかった。俺が必要だっていうならそこにいくだけだ。セイバー、案内してくれ」

そんな色の片鱗を見せる事すらなく立ち上がろうとする士郎。
だがセイバー自身がそれを止める。

「いけません、シロウ。右手にいたってはイリヤスフィールの治癒がなければ二度と人の手として使う事のできないほどの怪我だ。確かに助力は必要ですが、そんな状態のシロウを連れて行くわけにはいきません」

「………なら、右手が使えればいいんだな。イリヤ、右手が動く程度の治療だけしてくれ。それさえしてくれれば遠坂たちを助けに行くから。後は自分で何とかする」

治療をするイリヤに告げる。
だが、それに対して鐘はあまり良くは聞こえなかった。

「衛宮、君ではその怪我を何とかできないからイリヤ嬢に治癒してもらっているのだろう? ならまずは自分の体の手当てを─────」

「氷室」

言葉が遮られる。
治療されていた右手が動くようになったのを確認し、ゆっくりと立ち上がる士郎。
だが右手が動くようになっただけであり、他の傷は癒えていない。
右目は未だに瞑ったままだし、疲労が回復したわけでもない。

「俺の体なんて後回しだ。今から遠坂を助けに行く。氷室たちは………そうだな、ここからなら遠坂の家が近いしそこに隠れててくれ。アイツの家なら俺の家と違って魔術的な守りとかあるだろうしさ。………行こう、セイバー。案内してくれ」

しかし止まることなく、闇の向こうへと消えていく士郎とセイバー。
消えていく姿。
残された鐘と綾子は、ただその後ろ姿を見る事しかできなかった。


─────第二節 桁の違う怪物─────

セイバーの案内のもと、音も姿すらも見えない戦場へと駆ける士郎。
そうして体に違和感を感じた直後。
耳を裂くかのような爆発音と、目を潰すかのような閃光、そしてその後に伝わる地震のような揺れが襲いかかってきた。

「っ!? なんだ!?」

「シロウ、危ない!」

地響きによって高さ五メートルを超える電信柱が倒れかかってきた。
その頑丈である柱を彼女の剣が両断する。
だが、本命はそれではない。
両断したと同時に士郎を抱えたセイバーが一気にその場を急速離脱する。

「………!?」

跳びあがり、その眼下に広がる光景を士郎は見た。
今さっきまでいた場所が“別のナニカ”によって上書きされていた。
太さ数メートルはあろうかという太いワイヤーがそこにあった。

「………な」

だが、真に驚愕したのは次。
そのワイヤーがまるで意志を持ったかのように士郎を抱えるセイバーを追ってきたのだ。
それは決して太いワイヤーなどではなく。

「くっ………!!」

数十センチはある大蛇の集団だった。
得物を見つけた大蛇は、その身をセイバーによって斬られるもなお勢いを止めずに前進してくる。
この光景には流石の士郎も驚愕を禁じ得ない。

「な………なんだよあれ!あれがライダーか、セイバー!?」

すりつぶそうというのか、物凄い勢いで迫ってくる大蛇。
あんなものに攻撃されてはひとたまりもない。

「いえ、アレはライダーではありません。アレはライダーの所謂“一部”にすぎません。 本体は………あそこにいます」

セイバーの視線の先。
クレーターのほぼ中心部。
そこに“小山”があった。
今現在も背後より襲いかかってくる大蛇の群れが作る太いワイヤーの根本だ。
それが一本ではなく、複数本存在し、それが折り重なる様に結果十メートルを超える巨体になっていたのだ。

「─────あれがライダー………!? どうなって─────」

「! 範囲内!?」

突如セイバーが意味不明な言葉を発し、咄嗟に屋根を蹴ってその小山から距離を取る様に爆ぜた。
同時、“小山”がゆっくりと旋回するが、その正面に立たないようにセイバーが高速で側面へと回り込んでいく。
だがアレの正面に出ないように周囲を旋回するとなると、その旋回速度の数倍以上の速度で回り込まなければいけない。

そうなっては当然アレに近づくことはできない。
アレを倒しに行く以上、距離をとっていては戦えない。

「セイバー! 回り込むのはいい、まず遠坂たちと合流して近づいて叩かないと………!」

「リンたちと合流するのは確かに先決ですが、それ以上にアレの正面には立ってはいけません、シロウ」

「………どういうことだ、セイバー?」

「ライダーは“石化の魔眼”を持っています。正面に立ってしまうと石化させられてしまうのです」

側面から背面へ回り込むように高速移動しながら、凛たちと合流を計るセイバー。
学校での一面。
慎二から綾子を助け出す際にライダーは魔眼を使用していた。
士郎はそれにかかる前に屋上から飛び降りたおかげで難を逃れたため、それが“石化”だとは知らなかったのだ。

「─────けど、セイバー。ここからあそこまで二百メートルはあるぞ? 流石に範囲外なんじゃないのか?」

「………そうだといいのですが、どこまでが効果範囲か不明なのです。百メートルほど離れたアーチャーですら石化しかけました。対魔力の高い私ですら気を抜いてしまうと石化してしまう恐れがあります。リンやシロウ程度の対魔力では効果範囲内に入った瞬間に石化してしまいかねません」

「百………!? そんな離れててもサーヴァントを石化させるのか………!?」

セイバーの説明を受け、驚愕する士郎。
それとほぼ時刻を同じくして、“小山”の上空にナニカが現れた。

「あれは………」

「アーチャー………!」

無数の剣が青い軌跡を残すように降り注いでいく。
弓兵の名にふさわしく、超遠距離からの狙撃でライダーを攻撃していたのだが。

「あの蛇………アーチャーの攻撃を代わりに受けてるのか!?」

降り注ぐ剣群は大蛇に刺さるばかりで、その本体らしき部位には一本も剣が通っていない。
そして鳴り響く轟音。
攻撃と防御を同時にできるライダー“だったモノ”が、攻撃を仕掛けてくるアーチャーの居る場所を同じ大蛇で制圧しているのだ。
その度に攻撃を中断し、回避と距離を取るべく移動するアーチャー。
明らかにレベルが違う。

「─────セイバー、対処方法があるって言ったよな。………それは何だ?」

「………アーチャーが出してきた案なのですが、私の『約束された勝利の剣エクスカリバー』で範囲外ぎりぎりの場所から攻撃を行い消失させるという単純なモノです。ですが………」

「ですが………? 何か問題があるのか?」

「私の宝具は地上に多大な被害を齎す。今クレーターとなっている部分だけではなく、恐らく人がいる区域まで巻き込んでしまう。威力を押さえれば免れることはできるかもしれませんが、倒せなければ本末転倒です」

「そうか………確かにあれを地上に対して使うと危ないか………。でも俺ができることって─────」

「セイバー! 士郎!」

聞きなれた声が聞こえ、足を止める。
ライダーより死角となるそこに凛がいた。

「遠坂、無事だったんだな………!」

「何とかね………って、その顔と腕!どうしたのよ!」

士郎の体を見て驚く凛だったが、それに返事をしていられるほどの余裕はない。

「そんなのは後だ、遠坂。アレが何かはセイバーから聞いた。俺はどうすればいい!?」

「─────っ、士郎はアーチャーと何とか隙を見て合流して。後はアーチャーの指示に従いなさい。正直ここで話し合っていられるほど余裕もないから!」

「アーチャーと合流………」

アーチャーと合流するということは、あの怪物の正面に出る危険があるということ。

「─────わかった。アーチャーと合流すればいいんだな」

令呪のラインのおかげで移動し続けるアーチャーの居場所はわかる。
ならば問題はない。
二人と別れ、地響きが鳴る方へと近づいていく。
令呪のラインによる通信。
互いが互いの場所を把握し、集合地点を決定する。

対してセイバーはアーチャー達の時間を稼ぐべくライダー………ゴルゴンへと強襲する。

「はぁっ─────」

幾重にも重なった蛇たちを両断していく。
蛇をどれだけ切ったところで本体にダメージは無いに等しいが、注目させるのであれば有効な手段ではある。

戦闘の意識がアーチャーからセイバーへと切り替わっていく中、アーチャーと士郎が合流する。
士郎の姿を見て、目を細めるアーチャーであったが今はライダーを撃破するのが優先。

「アーチャー、俺はどうすればいい?」

アーチャーが、夜空へ一発の信号弾となる矢を放つ。
光る閃光。それを見届け、

「貴様はここにいろ。私一人で事すめばよかったが、生憎と“彼女の本気の攻撃を受けきる自信”はないのでね。令呪のバックアップと貴様の力を使わせてもらう」

言い捨てたアーチャーは、瞳を閉じた。
何をするのか、という問いは最早不要だった。
彼女の宝具を使わねば勝てない。
けれど彼女の宝具だと無関係な場所まで被害が及ぶ。

ならばこれから起こるソレは、失敗など絶対に許されない。

「─────令呪、装填」

士郎もまた、己の回路に魔力を通していく。
残り少ない魔力。
一体どこまでやれるかもわからない。
だが、あのライダーは強力すぎる。

(─────やれるのか?)

そんな問いにアーチャーは答えない。
そんな問いに士郎も答えない。

「──────────」

そこに言葉は不要だった。
そう。
いつだってそうだった。
正義の味方を、誰かを守るということをする時。
相手が自分よりも強いことだってあったし、敵が多いことなんて茶飯事だった。
そこへ投げかけるのは『やれるのか?』という疑問ではない。

敵は神代の怪物、生前のメドゥーサのなれの果て。名をゴルゴン。

「きた………セイバー!」

撃ちあがった信号弾替わりの矢が爆発する。
ゴルゴンの目によって極限にまで重圧をかけられていたセイバーに凛の声と光が届く。
すぐさま場所を移動すべく全力で重圧に耐えながら位置取りする。

立つは正面。
信号があった場所とゴルゴンを一直線に捉える。

「………まるであの時と同じようだ」

もっともあの時戦場は河で、クッションとなる物体は船だったが。
ここは陸で、クッションの役目をするのはまさかサーヴァントとマスター。

不安がないとはいいきれない。
だがアーチャーが『君の元マスターを信じろ』と言うからには手があるのだろう。
果たしてそのマスターとは自身も含まれていたかどうかは定かではないが。

一気に魔力を込める。
最優のサーヴァントという名を以ってして。

「セイバー! 貴女の本気、いまここで証明してみせなさい!!」

彼女の叫ぶ声を、その身で受け止めた。
今日、この短時間で二発目。
いくら凛とはいえ、この短時間で膨大な魔力を使われてはひとたまりもない。
それを承知で命じる。

この一撃に全てを賭ける。

収束する光。
星の輝きを集めた、最強の聖剣。

「─────約束されたエクス勝利の剣カリバー!!!!」

光の線がゴルゴンへと放出された。
光の中に消えて行く巨体。
呑み込んだ光は衰えを知らず、突き抜ける。

「アーチャー………令呪を以って命ずる」

このままではこの深山町そのものが崩壊する。
それを防ぐべく、ここに二人が存在する。

「アーチャー! あの光を防ぎきれ─────!!!!」

星の輝きがゴルゴンを飲み込んだ瞬間。
アーチャーと士郎の前に計十四枚の盾が展開された。

士郎と弓兵が知る中で最強の盾、熾天覆う七つの円環ロー・アイアス
それらを以ってしてセイバーの約束されたエクス勝利の剣カリバーを防ぎきる─────!!

迸る光。
周囲を巻き込みながら光がアーチャーと士郎のいる元へと到達する。
そして。

「ぐ─────ぅおぉぉっ!!」
「ガ─────!!」

受け止めた。
突き出した左腕がブレる。
治ったばかりの右腕が疼く。
腕中の神経・筋肉・血管が暴れ狂う。
弾け散りかねない意識を痛みで再覚醒させて、必死に耐える。

「チ─────ィ!!!」

持ちえる魔力全てを使い切る覚悟で魔力を込める。
ここで耐えなければ、この街が消失する。
彼女の攻撃で消え去るなどと笑い話にもならないし、あってはならない。

「ぎ─────ア、    、─────!」

響く衝撃が体を伝い、脳へと響く。
消しゴムで消していくかのように、衛宮士郎の中身を白く変えていく。

意識が消える。
そこへ流れてくる大量の記憶の奔流。
一体自分が何者なのかがあやふやになる。
その奔流を掻き消すかのように痛みが白く塗りつぶしていく。
その痛みが意識を呼び戻す。

ゼロはイチになり、イチはゼロになる。
繰り返される。

剣が軋む。
内面が裂かれる。
口の中に血が混じる。
思考が漂白する。

散っていく花弁。
士郎の花弁が残り二に対し、アーチャーの花弁はまだ四ある。
勢いは若干死につつあるも、依然として脅威であることにはかわらなかった。


─────第三節 輝きの向こう側へ─────


─────ここまで違う。

これを耐えきらねばいけないというのに、己の花弁は隣に立つ者の半分。

─────何が違う。

風圧の中、もはや風とは呼べない、見えない鋼の壁が肉体を押しつぶす。
眼球がつぶれる。
骨が抜ける。
逆流する血液。

意識が漂白し、思考が漂白する。

何の為に耐えているのか、何の為に敷いているのか。

白くとける。
体も意識も無感動に崩れていく。

何が、どうして、どのように。
なぜ、どこに、どうやって。

薄れていく意識と視界。

だが、その耳に、心に届いた言葉は。

『──────────どうした、衛宮士郎。貴様の理想はその程度か』

ありえないほど、心に聞こえてきた。
ありえないような、幻を瞼の裏に見た。

この、彼女の全力が生み出した風の中。
人が立つ事などできない光の中。
そこに立ち、その服をはためかせ、鋼の風に潰されることなく。

『この程度で消える様ならば、貴様は掛け値なしの愚か者だ。私よりも劣る─────』

顎に力が入った。
ギリギリと歯を鳴らした。
治癒された右手はとっくに握り拳になっていた。

『ならば─────どうした、貴様は─────』

「─────────────────────────」

その声は蔑むように、信じるように。
衛宮士郎の到達を。

『─────ついて来れるか』

待っていた。

「          ─────ついて来れるか、じゃねえ」

視界が燃える。
漂白しきった思考に、意識に、色が灯る。
何も感じなくなった体にありったけの熱を注ぎ込む。

「てめえの方こそ、ついてきやがれ─────!」

渾身の力を込めて、その赤い背中に叫び返した。



ラインを通じて流れてくる。
同じ人物。
故に浸透は驚くほどに早い。
流れを止める関はついさっき消した。
異物が本体に混ざらないように努めていたモノはもうない。

どんどん上書きされていくだけの内容。
域に達していない場所まで一気に上り詰める。
この近道は必ずこの身を壊すだろう。
だがそれでも─────。

「守ると、決めた」

ならば壊れるわけにはいかない。
その過程で力が必要だというならば、一気にそこまで駆け上ろう。

「生きているか、衛宮士郎」

声が聞こえた。
それが誰の声であるかは了解している。

「ああ………なんとか」

仰向けに倒れながら、その声にこたえる。
エクスカリバーを防ぎ切ったあと、アーチャーは霊体化を余儀なくされた。
単独行動スキルを持つアーチャーですら、それほどまでにぎりぎりだったのだ。
少なくとも戦闘は不可能。
衛宮士郎自身も魔力・体力ともに使い切り道路に倒れている始末だった。

肩で息をしながら見えなくなったアーチャーに答える。
その言葉を皮きりに、声が聞こえなくなった。
気配も既にない。
魔力回復に努めるべく、召喚された場所へ………すなわち、遠坂邸へと戻ったのだ。

互いに無事だという事がわかれば、後は言葉を交わす意味などない。

「ちょっと………俺も」

休息を─────と、身にかけた強化を解こうとした時だった。
夜空。
仰向けに寝転がる士郎の視界の先に“異物”があった。
とはいっても手を伸ばして届くような距離では決してない。

常人が見上げて果たして認識できるかというレベルの異物だ。

「─────」

途切れそうになる意識をなんとか繋ぎ止めながらそれが一体何なのかを確認する。
強化した目が捉える。

最初は星かと思った。
小さく輝くそれは、なるほど冬の夜空に輝く星に近い。

だが、それの割には大きかった。
十分小さいが、それでも星だと認識するには些か大きいし光も強い。

では衛星か、とも考えた。
輝く光と大きさ、それらを考えれば確かに衛星だと思ってもおかしくはない。

しかし、ではこの目にとらえられる訳がない。
「光」として衛星を捉えることはできても「形」として衛星を捉える事は出来ない。
いくら強化で目がよくなったところで、地上から大気圏の衛星のカタチを認識できる筈がない。

じゃあ旅客機か、とも思った。
確かに飛行機ならばカタチを捉えることは可能だ。

だがそれは違うと断じざるを得なかった。
旅客機というものは「翼」が存在する。
あの宙に浮かぶ物体はソレがない。

「─────待て。アレ、どこかで………見覚えが………」

頭の鈍痛が先ほどよりもさらに酷くなった脳が回転を開始する。
あれには見覚えがある。
一体どこで見たモノだったか。

思い出す。
思い出そうとして─────

「つっ─────!」

ズキン! と、脳が悲鳴をあげた。
思い出せない。
思い出すのに必要な集中力すらも、頭痛が邪魔をしてくる。

だが一方で、アレに酷く不安を感じていた。
あれは危ないモノだという不安。

見ればゆっくりと移動している。
その時点で星ではないし、衛星でもない。
この数秒から数十秒で移動したことがわかるような衛星や星はない。
そして旅客機だというならば、あれほど遅く移動はしない。

あの移動速度はまるで何かに近づいていくような移動速度。
この近辺に空港はないし、あの速度で移動する飛行機があれば間違いなく墜落している。

「………教会の方に………?」

目で追っていたソレは、視角によって見えなくなった。
方角としては教会方面。

「──────────」

意味もなく、立ち上がった。
アレが一体何なのか確かめる必要がある。
そういえばキャスターはどうなったのだろうか。
ライダーは撃破した。
ではキャスターは?

「………もしかして、今のがキャスターの………?」

違う、という何か違和感がある。
だがそれが一体何なのかがわからない。

「桜………、キャスター達がいたんなら近くにいるかもしれない」

疲弊しきった体を動かしていく。
向かう先はあの浮遊物体が消えた場所。

「ああ、くそ。判らないことだらけだ。こうなったら行ってやる………!」

頭痛の所為でまとまらない思考。
桜は助けなければいけない。
キャスターかもしれない物体が向かったならば、そこに桜がいる可能性は極めて高い。
ならば早く辿り着くべきだ。

「────同調、開始トレース・オン

解きかけた強化を再び脚に行い、教会へと走る。
体が動くことが不思議なくらい、走ることができた。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第53話 英雄王・ギルガメッシュ
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:47a17094
Date: 2012/08/11 22:31
第53話 英雄王・ギルガメッシュ


─────第一節 不安的中─────

薄暗い廊下。
窓より射し込む弱い光が照らす中、鐘は一人外を眺めていた。
だが気持ちは落ち着かない。
無事だろうかと思いながら廊下の窓から外を眺めていた。

ここは遠坂邸。
もちろん衛宮邸とは勝手が違うし、衛宮邸と違い魔術工房などもちゃんと存在する。
つまり立ち入っていい場所といけない場所があるのだ。
そうなるとむやみやたらに家の中を散策するわけにもいかない。
結果使うのはリビング、廊下やトイレ等といった『仮に一般人を呼んだとしても問題ない場所』しかない。
そのほかにも凛の寝室などもあるが、人の寝室に入る必要はない。

『氷室、俺の体なんて後回しだ。今から遠坂を助けに行く。氷室たちは─────』

別れ際に士郎が言った言葉。
一見何の問題もないように見える言葉だけれど、問題がある。

なぜ彼は自分を大切にしようとしないのか。
聞けば彼は自殺願望者じゃない。
それは言っていたしわかっている。
問題はそこじゃない。

“あまりにも他者を優先しすぎている”

それが何よりも心に言い得ぬ不安を齎す要因となっていた。
単純に言えば彼の優しさなのだろう。
けれど、それにだって限度はある。
現に彼の体はボロボロだ。保身的、とまでいかなくとももう少し自分の体を心配するような、せめて素振りだけでもあるのが普通だ。
だが彼にそれはなかった。

「─────」

城の出来事でもそうだった。
熱と痛みでうなされていながらも、一番目の言葉は助けを求める言葉ではなかった。

他人を助けることはいいことだろう。
それは否定しない。
けれどそんなところとは全くの別のところで、“自分”というものを大切にしなければいけない。

「………部屋に戻ろう」

言い得ぬ靄を抱えながら綾子らがいるリビングへと向かおうとしたときだった。
ガチャリ、と玄関より鍵が明けられる音がした。
帰ってきたのかと思い急いで玄関へと向かう。
そこにいたのは凛とセイバーだった。

「遠坂嬢にセイバーさんか。無事だったのだな」

「ええ、まあなんとかね。それなりに疲労はあるけど。………で、聞きたいんだけど士郎帰ってる?」

「………え?」

止まる会話。流れる静寂。
この屋敷の作りを完全に把握していないとはいえ、誰が帰ってきたかくらいはわかる。
そしてこの家に彼女らが帰ってくる今までに誰一人として玄関戸を開いた人物はいなかった。

「あのバカ、まだ帰ってきてないってワケ………」

セイバーの宝具を受けたと思われた場所に向かってみたが誰もおらず、先にイリヤたちのいる遠坂邸に戻ったのかと思った凛とセイバー。
だが蓋を開けてみればまだ帰ってきていないという状況だった。

「………もしかして自分の家に帰ったのかしら?」

むぅ、と考え込む凛だったが鐘がそれを否定する。

「いや、別れるときにここに隠れていろと言った。それを忘れて一人自宅に戻るとは考えにくいのだが………?」

「そう………。ったく!一体どこ行ったっていうのかしらね。セイバー、探しに行くわよ」

「わかりました」

「氷室さん、そういうことだからもうちょっと留守番よろしく。あのバカが帰ってきたら縄で体縛り付けてくれちゃって構わないから」

バタン、と閉じられる戸。
彼女が士郎の動きを把握していないということは、合流できなかったのだろう。
助けに向かって合流できなかった、というのもおかしな話だ。

「………挟撃するために一度別れた、とでもいうのだろうか」

だとしても士郎の動きが把握できていないというのはおかしい。
つまり敵を倒した後、士郎は単独で動いたということになる。
………いや、或いは動かざるを得なかった可能性もある。
そう、例えば誰かに拉致された、とか。殺されそうになって必死で逃げた、とか。

「………馬鹿な考えは止めよう。今はただ無事に帰ってくることを─────」

不意に浮かんだ良くないことを否定しながらリビングへと向かう。
だがこういう時に限って、良くないことは起こってしまうものなのである。
突然勢いよく開かれたリビングの戸。
そこから出てくるのはイリヤ。

「イリヤ嬢、どうし─────」

薄暗い廊下にいた鐘だったが、飛び出してきたイリヤにぶつかった。

「シロウが………シロウが死んじゃう!」

その言葉が何よりも不安を増幅させた。
嫌な汗がにじみ出るのがわかる。

─────衛宮が死ぬ?

一度だけ、内容を反覆する。
それだけだった。

「─────イリヤ嬢」

小さい手を掴み、握る。

「─────場所はどこだ?」





空は雲すらない夜空だ。
にもかかわらず星が一つも見えないのはなぜだろうか。
二月。
嘲笑う口に似た細い月の光は地上を照らすにはあまりにも弱い。

見渡すには頼りない街灯を頼りに冷たい冬の道を進んでいた。
強化はいつの間にか解いていた。
単純に魔力の限界が近かったからだろう。
この先何があるかもわからない以上、魔力の消費は少しでも押さえておきたい。
………そんな考えが果たして士郎の中にあったのかどうかは怪しいが。

寝静まった深山町を抜け、川沿いの公園へと出る。
先に見える鉄橋を超えれば新都へと入る。
川沿いに出た事により見渡はよくなったが、再び上空を見上げてもそこに先ほどみたモノはなかった。

「う、ぶ………」

右肩が発する痛みが士郎を容赦なく突き刺してくる。
気持ちが悪くなる。

今の士郎には自分の行動に対する根拠など何もない。
向かう先に目的の人物がいるかどうかなどわからない。
そもそも目的の人物がどこにいるかなんていうのもわからない。

ならば休んでしまえと体が訴えてくる。
それを押し殺す。

間桐臓硯はセイバーの手によって葬られた。
マスターがいなくなった以上姿を眩ませたアサシンも時間の問題だ。
つまり、桜を縛るモノはあの影のみだ。
そして士郎の中にはその“縛り”から解放できる可能性を持つ術がある。

「なら………せめているかどうかの確認ぐらいしないと」

宙に浮かんでいたモノを正確に捉えたわけではない。
見た覚えもあるモノだからこそ、確認にきた。
それが無関係なモノだったならばそれでいい。
その時は素直に帰るだけだ。

けれどそれが桜に関するモノだった場合。
放っておくわけにはいかない。
そう思ったからこそ、足を止めずに向かっていた矢先のことだ。

「っ!?」

目指していた鉄橋の丁度中央部で閃光が奔った。
時間こそ一瞬だったし、セイバーの宝具ほどの輝きはなかったものの、この暗闇の中では十分な光だ。

「何が………!」

状況がまったく掴めていないが、進路上に起きた事である以上無視もできない。
すぐさま鉄橋へと向かう。

「は─────、はぁ─────」

息ぎれを起こしながら鉄橋へ。
ズン! と振動が足元から再び響いてきた。
同時に先に見える炎。
何かが発火したらしく、橋の中央部に炎の海が出来上がっていた。

「誰かが戦っているのか………?」

解いていた強化を眼に集中する。
魔力が残り少ない以上、無茶はできない。
そう考えていたが、その考えは忽ち吹き飛んだ。

「ギル………ガメッシュ………!! それにあれは─────!」

強化を全身に施し、残り少ない体力で全力で走る。
炎の海を挟んで向こう側。
そこにいたのは、姿は変貌こそすれ、彼女を間違えることなどない。

「桜ぁ─────!」

紛れもなく、間桐桜だった。
びくりと肩を震わした桜と、声に反応したギルガメッシュ。
だがその時を狙っていたかのように、桜の上空に黒い渦が出現する。

「あれは………!」

かつて鐘を人質にセイバーを奪った敵、キャスターだった。

「逃がすと思っているのか、道化師が!」

ギルガメッシュが僅かに背後………士郎の方を向きかけた直後に現れたキャスター。
彼女の神速の言葉はその一瞬があれば完了する。
その一瞬遅れてギルガメッシュが桜へと一つの鎚を投じた。
名をミョルニル。
北欧神話に登場する雷神・トールが使用する武器であり、打ち砕く者という意味を持つ。
投げれば必ず命中しひとりでに手元に戻ってくるという伝承も持つ。

キャスターと桜の姿が消える。
だが、投擲されたミョルニルもまた同時に消えた。
そしてその僅か数秒後、消えたハズのミョルニルが再びギルガメッシュの手元に戻ってきた。
その木槌には大量の血痕が残っている。

「─────」

ゆっくりと振り向いたその赤い眸はそれだけで射殺さんとするほどの眼力だ。
だが今の士郎には関係がない。

「てめぇ─────!!」

もはや思考が真っ白になり、無意識に干将莫邪を投影。
一直線にギルガメッシュへと走る。
だがギルガメッシュにこそ、そんな士郎など関係がない。

「チッ、殺し損ねたか」

ミョルニルを消し、向かってくる士郎へ。

「また貴様か、贋作者フェイカー。幾度となく我の前に現れて………。そんなに死にたいか」

ギルガメッシュの背後に浮かぶ無数の剣のうち、一本が士郎目掛けて飛来する。
その速度は今までの比ではない。

「っ!!」

強化された目が剣の弾道を見抜く。
両手に握った短剣で飛来した剣を弾き飛ばし、さらに前へと突進する。
だがどういうわけかギルガメッシュはそれきり剣を飛ばしてこない。
それがどういう意味かを理解するよりも早く。

「え─────?」

走っていた体が倒れ、アスファルトの上を擦れる。
何が起きたかも理解できず、ただ痛みを発する左脇腹を見る。
そこに剣などなく、あるのは刺し傷だけだ。
血が流れ、激痛が意識を刈り取ろうとしてくる。

「何、が────」

その言葉を言おうとして止まった。
腕と脚に力が入らない。
それどころか視界も歪んでいる。
視界が赤くなる。

「雑種、貴様の目がいいことはわかった。………ならば、だからこそ今の攻撃は避けられん」

燃え盛る炎を背後に近づいてくるギルガメッシュ。
一方で未だに何に斬られたかもわからないまま、必死に立ち上がろうと力を込める。
しかし。

「は─────ぎ………!」

体が上がらない。
何かに刺された脇腹が地面から離れない。
それほどまでに重傷か、とも思ったが

「─────まさか」

左脇腹に手を伸ばし、何もない空を“掴む”。
本来ならば何もない以上掴めるものは何もない。
だが。

「………不可視の、剣………!!」

目には見えずとも、手に伝わる感触でそれが剣だとわかった。
ギルガメッシュの言っていたことも至極妥当だろう。
いうなれば戦闘機のミサイルに光学迷彩を付与したようなものだ。
眼がよかろうと見えるわけがない。
それこそミサイルを感知できるレーダーの類でも持っていなければ避けれる道理がない。

「セイバークラスならば或いは避けるなり弾くなりできただろうが、単純に眼で追うことしかできぬ雑種にその剣が避けれる筈もなかろう」

「ふざけ………やがって………!」

眼で物を追わないでどうして判断できるだろうか。
人が外界の判別を行う時、その約8割を眼が担っている。
それほどまでに眼というものは生きる上で大切な器官だ。

「ぐっ………!」

痛みを伴いながら、脇腹に刺さった不可視の剣を抜き取る。
出血を伴い、刺された周囲の血管や筋肉がまるで警告を発するかのように脈打ち、震えているのがわかる。

「立ち上がったか。それで、立ち上がった貴様はどうする? 逃げてみるか? 刃向ってみるか?」

ギルガメッシュの背後より無数の剣の切っ先が露わになる。
王の財宝ゲート・オブ・バビロン
揃えられぬ物などなく、ありとあらゆる原点を収めた宝物庫。
その中に眠る凶器が寸分たがわず士郎に狙いを定めていた。

「──────────」

意識が定まらない。
脚は嗤い、出血は止まらない。
それでもなお眼は死んでいない。
その姿が何よりギルガメッシュを苛立たせた。

「それほどの傷を負いながらまだ我に逆らうか。─────いや、もはやどうでもよい。どのみち貴様の行動できる時間などないのだからな」

ギルガメッシュの背後より一つの武器の柄が伸びてきた。
それは今しがた見せた鎚、『ミョルニル』。
絶対必中であり、雷神・トールですら力を倍増させなければ持つ事すらできないほどの威力を秘めた神話中最強の鎚。

「見えぬものだから避けられないのは当然………といいたいのであれば、いいだろう。ならばこれを避けてみよ。その理論、正しいというのであれば………見えている以上は避けれる筈だろうよ」

柄の短い鎚が投げられた。
速度こそ先の投擲と同じだ。
けれど、今の士郎にはそれが神速にすら見えた。
さも当然。
血を流しすぎた。
酸素を運ぶ役割を担う血液が不足してしまっている以上、あらゆる機能に支障を来すのは人間の体のつくりだ。

反応速度も例に漏れない。
それでも、迫る鎚に対して反応はできた。
もっとも、それは思考を反映させた行動ではなく条件反射の類であったが。

「ヅ─────」

衝撃が奔った。
イリヤに治してもらった右腕ごと体が左方向へ吹き飛ばされた。
鎚と衝突した際に右側から自身の骨が粉砕される音が聞こえた。
眼前の光景が、横へと流れる。

そこから先の光景など士郎の中には存在しない。
砲弾のような速度で鉄橋より吹き飛ばされた。
落ちぬようにと設けられた柵を簡単に飛び越えた体は数十メートル滞空し、暗い水面に激突した。
しかし衝撃は収まらず、そのあまりの速度に水面の上を跳び、下流に沈む沈没船に激突する形でようやくその勢いを停止させたのだった。

そんな士郎を見届ける事すらなく、眼を閉じる。

「さて、これで邪魔者はいなくなったワケだが─────」

背後より伸びる一本の剣………グラムを取り出し。

「貴様─────!」

眼前より、それこそ風の速度で迫った不可視の剣を受け止める。

「順序こそ違えど後でどうとでもなろう。改めて久しいな、セイバー」

騎士王と英雄王が激突する。



─────第二節 河─────

間に合うことはなかった。
セイバーと凛がそこにたどり着いたときには、士郎はすでに鎚によって吹き飛ばされた直後だったからだ。
その光景を見た二人の間に言葉などでなかった。
一人は正面にいる黄金の王へ斬りかかり、一人はすぐさま来た道を返して吹き飛ばされた少年の救助へと向かう。
救助中にギルガメッシュに攻撃などされてはひとたまりもない。

「あんのバカ………!ただでさえ死に体のくせになんだってこんなところで、あまつさえアイツに喧嘩ふっかけられてんのよ!」

河へ下りられる場所へ。
士郎がいる筈である沈没船の瓦礫まではまだ数十メートルの距離がある。

「ええい、このくらい………!」

靴を脱ぎ捨てて冬の河へ入る。
脚が浸かり、河の中央へ進むたびに深くなっていく。
腰まで浸かり、そして体が河へと沈む。

「まさか私が冬の河に入ることになるなんてね………!ああ、冷たい………」

軽口を叩きながら、しかし一心に瓦礫へと近づいていく。
どうみても先ほどの攻撃は普通ではなかった。
吹き飛ばされたのがその証拠だろう。
あれほどの攻撃を受けてもはや生きているかすら怪しい。

「─────っ、死んでたら氷室さんに何て言えばいいのよ………!あのバカ、死んでたら殺してやる………!!」

冷たさでガチガチと歯を鳴らしながら沈没船へ到着する。
そこに士郎がいた。
衝突の際にへこんだ甲板に座る形で意識を失っている。
右腕は完全に折れていて紫色にはれている。

「士郎!」

顔を覗きこむ。瞳は半開きのままで、声には反応しない。
まさか本当に死んでいるのか、と思った矢先。
半開きの彼の瞳が僅かに動いた。
それは光に反応して瞳孔が小さくなった、という反射的な反応ではなく、視界内に瞳を動かす対象が現れてそこへ視線をやったという自分の意識で動かす反応だった。
それを見て安堵する一方で。

「………コイツ、どういう体のつくりしてんのよ」

折れた右腕の皮膚を突き破る様に銀色の物体が見えていた。
その光景に改めて畏怖する。
ああ、恐らくはこういう体だからこそあの一撃でも命は助かったのだろう。

「─────人間が持つ、自己防衛反応………ってことで今は解釈してあげるわ。ほかの魔術師が見たら解剖モノよ、士郎」

致命傷となる外傷は右肩から右腕にかけてだ。
だが、本命はそこじゃない。
あくまでもそこは折れているだけであり、最悪腕一本切断したとしても人間はいきていける。
それに腕を骨折した程度でこれほど反応が希薄になるのはありえない。
つまり。

臓物なかみがイカれてるってワケ………!こんな不安定なところじゃ処置もできないし運ぶしかないか」

士郎の左腕を掴み自身の肩に回す。
生憎と人を抱えたまま泳ぐなんてことをしたことはない。
強化を使って力任せに泳いでいく。
それでも人一人を抱えて泳ぐ以上、体力消費は凄まじい。
ただでさえセイバーの約束された勝利の剣エクスカリバーを二度使っているのだ。
魔力も体力もいい加減限界が近いというもの。

「よし、何とか………!」

陸へと到達する。
一刻も早く治療を開始しなければならない。
だが、先ほども述べた通り魔力は残り少ない。
加えて今セイバーはギルガメッシュと対峙している。
魔力を使ってはあちらの戦闘に多大な影響を与えてしまう。

「宝石を使うか………!」

ポケットより宝石を取りだす。
河に入った所為で濡れた宝石だが、込めた魔力量は十年分だ。

「………破損した臓器を偽造して代用、その間に必要部分の臓器を全て修復か………こんなの、成功したら時計塔に一発合格ってレベルじゃない………!」

使用する宝石は生半可なモノではだめだ。
それこそ十年間の結晶体とも言えるべき宝石を使う必要がある。

「──────────」

精神を集中し、宝石に籠めた魔力を起動する。
この距離からでもきこえる爆音すらも意識の外へ追いやり、極限にまで精神を集中させる。
冬、しかも冷たい河に入ったにもかかわらず額から汗が流れ落ちる。

赤い光が周囲を照らす。
始め小さかった光は時間を増すごとに肥大化し、ある一定地点を境に徐々に小さく萎んでいく。
そうして周囲を最初と同じ闇が支配したあとに、凛は一つ息を吐いた。

「っかれたぁ………」

カラン、と地面に寝かせた士郎のすぐ傍に使用した宝石を落とす。
そこに籠めていた魔力はその全てを役割として全うしていた。

「─────ごめんなさい、父さん。貴方の娘は、とんでもなく薄情者です」

手をついて空を見上げる。
冷たかった筈の体は今では冷たさを求めるほど熱くなっており、放熱するかのように息を吐いた。

「けど………今更よね。間桐の家に入った時点で、ね」

自嘲気味に呟いて、鉄橋へと視線をやる。
セイバーとのラインから魔力が流れていっているあたり、まだ戦闘は続いている。

「遠坂嬢!」

もう聞きなれた声が聞こえた。
見れば鐘と綾子がこちらへ駆けつけてきていた。

「綾子に氷室さん? 貴女達………危ないから家の中にいろって」

「あの子から衛宮が危ないって聞いてね。遠坂もいなかったし、慌てようも尋常じゃなかったから承知で来たんだよ」

見れば二人とも肩で息をしていた。
恐らく遠坂邸から止まることなく走ってきたのだろう。

「─────そう。ならちょうどよかった。このバカ運んでくれない? 治療はし終えたから今のところは大丈夫な筈だから」

「判った。………しかし、遠坂嬢はどうするつもりだ?」

「私は鉄橋に行くわ。セイバーがギルガメッシュと戦ってる。放っておくわけにもいかないでしょ」

ギルガメッシュ、という言葉を聞いて鐘の眉が僅かに動く。
その名前を聞いていい思い出など何一つない。

「────では、衛宮の意識がないのも………」

「吹き飛ばされたから、ってワケ。………どこにいくつもりだったかは知らないけど、もっと自分の体を大切にしろっていうのよ。私と合流した時点でボロボロだったくせに」

息を吐くと共に立ち上がる。
士郎に対して毒を吐いたものの、対する今の自分も万全といえる状態じゃない。
が、セイバーが戦っている以上は逃げるわけにもいかない。
ギルガメッシュが隙を見せたり逃してくれるというのであれば問題はないが、恐らくそうはならないだろう。

「それじゃ頼んだわね、二人とも。朝方には戻ってこれると思うから」

士郎を任せ、凛は鉄橋へ走り出す。
その背中に。

「遠坂!絶対帰ってこいよ!!」

綾子の声援を受け、手を軽くあげながら。



鉄橋へと向かう凛の後ろ姿を見送ったあと、二人は士郎を抱えて遠坂邸へと帰宅した。
リズはずっと眠り続けており、イリヤもまたその体の活動限界故休息を余儀なくされていた。

「おかえりなさいませ、ヒムロ様、ミツヅリ様」

リビングに入るといるのはセラだけだ。
衛宮邸とは勝手が違うため、人数分の寝床はない。
イリヤとリズはセラの独断により凛の寝室のベッドを使っている。
自分の主をソファーなどに寝かせるつもりはない故である。

士郎をソファーに横たわらせる。
運ぶ時から気付いていたが、どうみても体の異常部分の範囲が広がっていた。
それがどういう意味を持つのかはわからない。

「では私はお嬢様がいる寝室へと戻ります。何かご用でしたらお呼びください」

どこにいってもそうなのか、きっちりとした礼法でリビングを後にする。
こうして部屋には綾子と鐘、そして眠っている士郎の三人となった。

会話はない。
流れるのは静寂であり、時間だけだ。
時計を見れば時刻はすでに午前二時へ向かっていた。

「もうこんな時間か………、早いな」

起床してから既に18時間。
もはや慣れつつあるこの非日常だが、体にかかる負荷だけはどうしても慣れる事はない。

「明日の事も考えて眠っておいた方がいいのではないか、美綴嬢?」

「………いや、もうちょっとだけ起きててみるよ。遠坂が帰ってきた時出迎えくらいしてやりたいからね。そういう氷室こそ寝ていいよ。何かあれば起こすからさ」

「そうか、わかった。………ではお休み、美綴嬢」

「ああ、お休み」

リビングの電気を消して小さな照明をつける。
眠気覚ましに少し熱めの紅茶を用意してソファへ座った。
多人数がけのソファには士郎が眠り、座る様に鐘も瞳を閉じていた。


─────第三節 全ての英霊の原点─────

セイバーの攻撃は疾風といっていいものだった。
間違いなく彼女は騎士王であり、その名に恥じぬ剣戟を放っていた。
そんな彼女ではあるがその振るう剣は一太刀もアーチャー………ギルガメッシュに届くことはなく、空より現れる剣やその黄金の鎧によって完全に防がれていた。

否、それどころか徐々に押され始めていた。
攻撃をし、防がれ、弾き返されたところに中空に浮かぶ凶器が寸分たがわずに降り注いでくる。
最初に見せた勢いは失われつつあった。

「ふ、しかし健気よな。迎えに行くつもりではあったが、わざわざこちらへ出向いてくるとは。良いぞ、その心意気に免じて今一時の戯れを許そう」

「貴様はまたそのような戯言を………!」

弾かれ、大きく後方に跳ぶセイバー。
構えたままギルガメッシュを見据える。
その視線を受けてなお嘲笑を崩さない。

「はっ─────!」

白光が奔る。
黄金の騎士へ跳びこんだセイバーの剣が、雷光を帯びて打ち下ろされる。
閃光装置を見るかのような連撃とともに音が鳴り響く。

純粋な剣術勝負であるならば、ギルガメッシュではセイバーに勝つことはできない。
だからこそ、攻撃は鎧へと流れている。
にもかかわらずその攻撃を受けている鎧は全くの無傷。
軋みすらあげていなかった。

「どうしたセイバー。貴様の剣は我の鎧すら届かんか?」

「くっ─────」

頭上より迫る一本の剣。
死角からの攻撃を、その獣じみた直感で弾き返し再び距離をとる。
今のセイバーは消耗している。
今夜だけですでに約束された勝利の剣エクスカリバーを二度使用している。
士郎がマスターであったならばそれだけですでに戦闘不能に陥っているだろう。
それがないあたりはさすが凛というべきだろうが、それでも限界が近い。

セイバーの必殺の宝具はいうなれば一発限りの大砲。
燃費が悪いかわりにすさまじい威力を誇る。
だからこそ、それを二度も使った以上、魔力不足は否めない。

「────まぁよい。所詮は女だ、力などその程度だろうよ。………戯れは終わりだ。その身、ここで我に捧げるがいい」

パチン、と指がなる。
それを合図として背後に浮かぶ剣群が一気にセイバーへと飛来する。
数にして十二。
剣の天才であるセイバーならば捌ききれない道理はない。

「っ………!はぁっ─────!!」

空を斬る音が鳴る。
一振りで二の剣を弾き、返す一振りで三の剣を弾き、流れるように飛来する一の剣を回避する。

「残り六………!!」

十年前。
セイバーにとっては一瞬の時間だが、最初に見た英雄王の攻撃もソレだった。
無尽蔵とも思える宝具群の投擲。
破壊力は言うまでも無く、その数からしても脅威となるのは間違いない。

飛来する剣を叩き落とす。
鼓膜を破るかのような激音と火花を散らしながら、次に迫る剣を回避。

「つっ………!」

肌が露出する頬に僅かに剣が掠る。
その瞬間的な痛みをすぐさま棄却し迫りくる二の剣を迎撃する。

その手腕は凄まじかった。
同時に飛来する剣を一本の剣でほぼ同時に弾き飛ばす。
もはや剣の英霊でなければ不可能だろう。

残る剣は二。
もはや掻い潜り接近できるほどの数しかない。
剣術では此方の方が上。
魔力が枯渇しつつある関係上、剣圧にも影響がでているものの、それを手数で補えば問題はない。

「─────という剣を知っているか、セイバー」

ギルガメッシュの言葉を半ば無視する形で地を蹴った。
同時に迫ってきていた二の剣をその手に持つ聖剣で弾き飛ばす。
これで飛来する剣はゼロ。

「────最後だ。前回つけられなかった決着をつけよう、アーチャー!!」

二足目で地面が爆ぜる。
一気に加速したセイバーは勢いそのままにギルガメッシュを叩き斬ろうとして─────

「“クラウソラス”という剣を知っているか、セイバー?」

同時。
全身に激痛が奔った。
まるで斬られたかのように体のコントロールを失い、アスファルトの地面へと倒れ伏す。

「な─────ぐ………!?」

クラウソラス。
ケルト神話に登場する神々の王ヌアザが所有とされる剣。
呪文が刻まれており、一度鞘から抜ければ逃れられる者のいない不敗の剣と言われる。

つまり。

「貴様が僅かに霞めたあの剣。………本来ならばアレを避けることすら不可能なのだがな、お前は先ほどの雑種とは違う。流石は騎士王………といったところか?」

ただの掠り傷ですら負ってはならなかった。
標的は絶対に逃げられない必中の剣、どこに隠れていようと必ず見つけ出し屠る剣。
ならばそれは紛れもなく『死の呪詛』に他ならない。
逃れる事の出来ない剣戟。
それがセイバーを襲ったのだ。

それでもなお生きているのは単純にギルガメッシュが宝剣・クラウソラスを扱いこなせていないだけの話。
アーチャーはその宝具の“所有者”であっても“担い手”ではない。つまり、その宝具を完全に生かすことはできないのだ。

或いはセイバーの、刺し穿つ死棘の槍ゲイ・ボルクを回避してしまうだけの強運があってこその賜物なのかもしれない。
そういった加護の類がない限り、間違いなく斬り殺される。

どちらにせよ、セイバーは生きている。
だが死の呪詛によって斬られた体は思う様に動かない。

「しかし一太刀も浴びせられず、か。惜しいものよな、魔力が不足していなければ自慢の宝具で我に傷を負わせるチャンス程度はあっただろうに。全く、マスター無しでは現界できぬ身というものはそれだけで不十分だ」

「ぐっ………!」

近づいてきたギルガメッシュが地に伏したセイバーの頭を踏みつける。
あらゆる宝具を有する世界最古の英雄王。
情報でこそ知っていたし、戦い方も過去に一度見ている。
それでもなお届かない。
魔力が枯渇していた所為だ、と逃げるのは簡単だろう。
だがそんなことをしても勝てなければ同じだ。

「こんの………!私のセイバーに─────」

「む?」

「何やってんのよ、金ピカ─────!!」

ドンドンドンドンドン、と夜の鉄橋に鳴り響く音。
そのどれもが寸分たがわずにギルガメッシュに直撃する。

「─────!」

僅かに足の力が緩む。
その隙を突いて足を跳ね返し、即座に後方へと跳び退いた。
ギルガメッシュがいた場所は魔弾直撃による煙で視認できない。

「セイバー、大丈夫!?」

「はい………と言いたいところですが、手痛い攻撃を受けました」

自己治癒能力でセイバーの傷は癒える。
クラウソラスの呪詛が殺そうと働きかけるが、自信の魔力によってそれを力づくで捻じ伏せる。
だがそうして魔力を使った結果が、深刻な魔力不足だ。
通常戦闘ならばまだ何とかやれるレベル。
凛の魔力も士郎の治癒に魔弾、ライダー戦での消費量とバカにならないほど消費している。
極めつけは二発のセイバーの宝具。
長期戦はもはやできない。

「ふん………誰かと思えばアーチャーのマスターか」

煙が晴れ、見えてきたのは全く無傷のギルガメッシュ。
予想していたとはいえ、ここまで完璧無傷だと言う言葉に詰まる。

「………お生憎様、今はセイバーのマスターよ」

「ほう? てっきりあの小僧がマスターをしていると思っていたが………。─────そうかそうか、貴様がセイバーのマスターか、小娘!」

笑うように話すギルガメッシュ。
その話し方に苛立ちを覚えながら訊きかえす。

「何が可笑しいのかしら、世界最古の英雄王さん?」

「いやなに、思いのほか我の理想の展開だと思ったのでな」

「理想の展開………?」

「ああ、そうだとも。セイバーはいずれ我のモノにする予定ではあったし、貴様にも用があったからな」

「………へぇ、私にも用があった、ねぇ。その用っていうのを教えてもらいましょうか」

ポケットより宝石を取り出し、ギルガメッシュの一挙一動に集中する。
セイバーもまたギルガメッシュを見据え、隙あらば即刻斬り捨てんとしている。
緊迫した空気を二人が放つ一方で、ギルガメッシュは一人余裕を持っていた。

「─────小娘、誰に向かって口を開いている? 貴様は黙って我に使われていろ。光栄に思うがいい、魔術師としては最高の体となることができるだろうよ」

「何を言って─────」

セイバーが口を開いた直後だった。
ギルガメッシュが背後に現れた柄を持ち、引きだしたのは。

「────興が乗った。起きろ、出番だエア」

いつか士郎に聞いた天地乖離す、開闢の星エヌマエリシュだった。
一気に二人の緊張状態が最高潮まで達する。
破壊力はアインツベルン城で証明されている。
生半可な宝具では呑まれるしかない宝具だろう。

「安心しろ、殺しはせん。加減ぐらいはしてやろう。………だが、それだけだ。それで死ぬようならば疾く死ね。弱き者など治める気にもならんぞ、小娘」

風が巻き起こる。
高まる魔力。
これが天地乖離す、開闢の星エヌマエリシュ
これが乖離剣 エア。

「っ………!リン、宝具を使います。貴女は下がってください………!」

「な………、セイバー!? 魔力は─────」

「………一度は使えます。ですがこの後はない。相手があれほどの宝具を放つ以上、こちらも迎え撃たなければやられます」

「っ─────」

唇を噛む。
遠坂 凛は勝算のない戦いはしない。
その筈だった。

だが、今見ればどうだ。

「ええい、弱気になるんじゃない、遠坂 凛!」

頬を叩く。
気合いを入れ直し、自身の腕に残る令呪に魔力を通す。
同時に握っていた宝石を口の中に放り込み呑み込んだ。
それも一つではなく複数。
宝石に籠めていた魔力を自分の体に還元し、少しでもセイバーへ魔力を供給するべく増幅させる。
残り一度きりだと言うならば、万が一にも負けるわけにはいかない。

「セイバー、貴女を宝具を使って自滅………なんてことはさせない。いいわね?」

輝きを放つセイバーの背に声をかける。
ありったけの魔力をセイバーへと注ぎ込む。
それでもセイバーの宝具一回分には届かない。0.8………程度がいいところだろう。
だが全体の8割を補えるのであれば、宝具を使って消失………ということはとりあえず避けられる。
しかし文字通り後はない。背水の陣とはこのことである。

「ハ─────あくまでも抵抗してみせるか、騎士王よ。それに………なるほど、令呪か。決死の覚悟に令呪を重ねて我を超えようという算段らしいが」

轟! と風が音を立てる。
目の前の敵の魔力が格段にあがる。
令呪とセイバーの宝具を意識してだろう。

三つの刃が音を立てる。
セイバーのエクスカリバーが風を払うことによって旋風を呼ぶのならば、ギルガメッシュのエアは風を巻きこむことによって暴風を作り出す。

負けるわけにはいかない。
最初から最後まで逃げれるような隙などなかったし、逃げた所で逃げられない。
ならば打倒するしかない。

約束されたエクス─────」

凛より注ぎ込まれた8割方の魔力。
足りない分は自身の鎧と現界するために必要としている部分から一割ずつ。
これで10割。
出力に不安はない。
加えるは令呪の存在。

天地乖離すエヌマ─────」

対するギルガメッシュの自信は揺るがない。
令呪でブーストされていようが、絶対無二の王はその中からこの瞬間だけ油断を取り除いていた。
確かに令呪でバックアップされた宝具は脅威だろう。

─────それがどうした────

そのような脅威など斬って捨てる。
どれだけ輝きを集めようがこの身に届くことなどない。

セイバーの剣が振り下ろされる。
アーチャーの腕が突き出される。
時刻にして同時。


「──────────勝利の剣カリバー!!!」
「──────────開闢の星エリシュ!!!」

その僅か刹那。
街中で起きた地響きなど些細な事だと笑わんばかりの轟音と地響き、そして夜を昼に変えかねないほどの光が迸った。
凄まじいまでの衝突。
吹き荒れる烈風は離れた場所にある公園の木々すらも薙ぎ払い、鉄橋をかつてないほどまでに揺すぶった。
ぶつかり合う閃光はもはや太陽といっても過言ではなかった。


─────第四節 行方不明─────


鐘が起きたのは午前七時だ。
座る形で寝ていたため、眠りはどうも浅かったらしい。
瞳を動かしてみればソファに士郎がまだ横たわって眠っている。

次に綾子がどこにいるかと見渡してみるが、そこには誰もいない。

「美綴嬢………?」

廊下へと出る。
やはりだがそこに綾子の姿はない。
どこにいったのだろうか、と思いながら家の中を散策していると、窓の向こうに綾子を発見した。
庭にでていたらしい。

何をしているのかと気になり庭へと向かう。
今日は日曜日。
これほど朝早くから活動している人は少なく、外にでても聞こえてくるのは鳥の囀りだけだ。

「美綴嬢」

靴を履いて庭へ。
どうやら眠っていないらしい。
見る姿はどうも眠そうだ。

「………? 美綴嬢、眠っていないのか?」

「え?─────ああ、うん、まあね」

煮え切らない返答。
元気がないようにも見える。
ふと、気が付いた。
なぜ眠っていないのか。
その疑問の答え。

「………美綴嬢、一つだけ尋ねたい。─────遠坂嬢は帰ってきたのか?」

鐘の問いにピクリと反応する。
眠気覚ましに動かしていた体が止まる。

「ん? ああ、遠坂ね。あいつなら─────」

綾子と凛は友人だった。
友人と言っても一言二言では言い表せないような関係だ。
だからこそ、遠坂 凛という人物をよく知っているつもりでいる。
だからこそ、不安を払拭することなどできなかった。


「─────帰ってこなかったよ、氷室」



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第54話 無慈悲な日常
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:47a17094
Date: 2012/08/13 13:19
第54話 無慈悲な日常


─────第一節 許されない─────


………夢を見た。
これが自分にとっての『死』のイメージなのだろうか。
それは判らない。
ただ死に近づけば近づくほど、見る気なんてない光景が蘇ってくる。
より鮮やかに、より明確に、熱を伴い息苦しさを伴って。

動けなくなり崩れて消えていく人々。
誰もが助けを求め、助けなどなかった時間。
悲鳴が響き、泣き声は鼓膜を突き抜け、助けを乞う声だけが精神を切り崩していく。

誰も助けられない。

自分も助かりたい。

苦しかった。
苦しくて苦しくて、生きていることすら苦しくて、いっそ消えてしまえば楽になれるとさえ考えた。
朦朧とした意識の中で、意味もなく手を伸ばした。
今にも雨が降りそうな灰色の空。
思考が停止したまま手を伸ばした。
助けて、なんて考えすら浮かばない。

その灰色の空に、ただ。

『遠いなぁ』

と。

思っただけだった。
それが何を意味していたかなんて、判る筈もない。

その遠い灰色を見届け、意識は消えて持ち上げた手はパタリと地面に落ちた。

………いや、落ちる筈だった。

力無く沈む手を握る大人の手。
それはあの大火災の中、誰でもいいから誰かを助けようとやってきて、この自分を見つけ出した。

………その顔を覚えている。
目に涙を溜めて、生きている人間を見つけ出せたと心から喜んでいる男の姿。

─────それが、あまりにも幸せそうだったから。

まるで救われたのはその男の方ではないかと思ったほど。

機転。
死を受け入れていた弱さは生きたいという強さに変わり、何も考えつかなかった心は助かったという喜びだけで埋め尽くされた。
その後気づけば病院にいて、その男と面会することになる。

それが“衛宮”士郎の誕生。
それが十年前の話。
それが全てを失った者が生まれ変わった時の話。

憧れた。

─────何に?─────

救ってくれたその人に憧れた。

─────なんで?─────

人を救うことに憧れた。

─────なぜ?─────

“衛宮”士郎はただ切嗣の後を追っていた。
その男のようになるのだとしか思えなかった。

あの時の顔が忘れられず、その幻影を被ろうとした。
ただあのように笑っていたいと願って。

燃え爛れる街の中でただ一人生き残れた責任を追い続けた。
それを忘れた事など一度もなかった。

憧れた人の為に目指したモノになると決めた。
あの日の約束の為、そして救われなかった人たちに胸を張れるように使われ続け、それを代償としてここまでやってこれた。

願うものは平和だった。
少なくとも、自分の知り得る範囲の中で泣いている人がいないようにと。
困っている人がいれば助けてあげれるようにと。
そうすればきっと─────いつかは自分も。
あの時の切嗣のように笑えるのなら、それはどんなに、救われるのかと希望を抱いて。

けれど。
不意にこう思った。

『じゃあ、守れたのか?』

………手が、痛んだ気がした。



「──────────」

目が覚めた。
視界はここ最近にしては珍しくクリアな状態だ。
だがそれに反して体は全身に鉛を埋め込んだかのごとく重い。
そして視界がクリアになっても目に入ってきた光景を理解することができなかった。

見慣れない天井、見慣れない家具、見慣れない景色。
時計の音がやけにうるさく感じる。
体にかけられていた毛布と自分が寝ている場所を把握し、ようやくそこが自分の家ではないことを認識する。

「─────ここは」

間違いなく自宅ではない。
自宅にソファなどない。
あったとしてもソファで寝る様な事はしない。

「────、─────。………えっと」

後頭部に痛みを感じながら、体を起こす。
時計は午前七時を少し過ぎたあたり。
寝起きということもあるのだろうか、未だにこの豪華なリビングがどこなのか思い出せない。

気が付いてみたら、その手に固い感触があった。
どうやら知らないうちに何かを握りしめていたらしい。
強く握りすぎていた所為で掌の一部が切れて血が滲み出ていた。

「………これは、ペンダント………か?」

赤い色の水晶、とでもいうのだろうか。
綺麗なカタチ、色合いをしたソレは間違いなく衛宮士郎の持ち物ではない。
が、ではそれがなぜ自分のポケットにあったのかという謎が残る。
そしてこれは一体誰の持ち物なのかという疑問が出てくる。

「………氷室、か? でもこんなの持ってたっけ」

何となく頭の中に浮かんだヒトを口に出して、違うかなと否定する。
となると残る人物は………。

「─────って、よくと考えたら一人しかいないか」

少しだけ意識を向けてそのペンダントを見ればわかる。
僅かではあるが魔力が感じられる。
量こそ強化魔術一回分にも満たないが、“魔力が篭められている”以上はそれは一般人である綾子や鐘ではありえない。

「………遠坂の奴、なんでこれを俺に─────」

言いかけて、止まった。
凛の宝石で魔力が篭められていた、というのであれば士郎の強化一回分すら賄えないような魔力だけを篭めていたとは考えにくい。
が、現時点で残っている魔力量は僅かしかない。
つまりその大部分が何らかの魔術行使に使われて、しかもそれが自身のポケットに入っていた、ということだ。

「ギルガメッシュ………!そうだ、アイツに吹き飛ばされて」

朝の鈍った思考がようやく働いてきたのだろうか。
昨夜の出来事を思い出した。
となればこの体の状態にも、このペンダントの状態にも、それを自分が持っているのも、そしてこの見慣れないリビングにも説明がいく。

「ぐ、─────」

激痛と共に視界にノイズが奔る。
見える世界は揺れ動き、立ち上がろうとする足に力が入らない。

自分の体を見てみる。
変わったところといえば。

「………また、広がっちゃったな」

右腕から右肩にかけて広がる銀色の物体を見た。
首筋に手を添えてみれば、死角的な問題で自分の目では見えないものの、硬い物質を感じる。
鏡で見れば恐らくこの腕と変わらないものがあるのだろう。

「─────」

一番最初に気付いたのは腕。
その時はまだ小さかった。遠目で見ても見間違える程度だ。

アーチャーとの戦いで腹部に“それ”が現れた。
………いや、アインツベルン城でギルガメッシュと戦ったときから兆候はすでに出ていた。

体のほぼ中央部に発生した“それ”は、少しずつ上へ上へと上がってきている。
右腕は右肩へ。
右肩は右側の首筋へ。
腹部は胸部へ。

不意に。
このままいけばどうなるのかと想像した。
上へと上がってきていると言うなら、いずれ顔にも侵食してくるのではないか。
では顔の次は?

「─────それは、まずいな」

息を吐きながら、連想ゲームを止める。
体のあちこちが痛む。
体の中がどうなっているかなんて自分でもわからない。

この肌に見えるように内部も一部がそうなっているというのなら、この引かない痛みにも納得はいく。
だが、それはとてつもなくまずい。
それが脳や心臓に達したらどうなるかなんて、医学者じゃなくてもまずいとわかる。

「自分の体なのに、どうして」

まるで戦うのを止めようとしているようにも見える。
戦うなら自滅するぞ、とこの剣が訴えてくるようにも─────

「─────馬鹿か。そんなこと」

在り得ない、と一蹴した。
寝起きと痛みと混乱の所為でふざけた考えが浮かんだ。
戦いをやめるわけにはいかない。
やめるとすれば、それはこの戦いが終わってからだ。
少なくともこの戦いを放棄すれば助けられないのは判る。

気を抜くと痛みで倒れそうになる体。
自分で自覚して、歯を食い縛って精神を集中させる。

「顔、洗おう………」

このリビングに誰もいないのが気になる。
ギルガメッシュはどうなったのかも気になる。
桜は無事だろうかと気になる。

だがそれらを考えようとする度に、頭を金槌で殴りつけられたかのような頭痛が奔る。
寝起きで頭痛がするなんてことは今までなかった。
意識がちゃんと定まってない所為か、なんて思いながら重い足を動かしていく。

「はぁ─────、あ」

ゆっくりと内部に溜まった息を吐き出す。
呼吸に合わせ痛みに慣れていく。

誰もいないリビング。
朝日だけが弱く射し込むその部屋に、誰かがいたと思われる毛布が二つほどソファに置かれている。
きっと氷室と美綴だろう、と簡単に内部で結論を出して、ソファから立ち上がる。
歯を食い縛ればこの痛みには耐えられる。

「誰もいない、のか」

リビングに一人。
感覚が鈍っている所為で近くに人がいるかどうかも判らない。

ドアに向かう。
気になることは山ほどある。
倒れそうになる体を壁で支えながら廊下へと出る。
視界はゆらゆらと揺らぎ、体が熱い。
頭の中はまだ完全には起動していない。

「………駄目、だ。こんな状態じゃ」

頭を軽く振る。
水で軽く顔と頭を冷やして、そうすればもっとまともになる筈だ。

廊下を歩く。
家の構造は把握していないが、歩き回ればそのうち見つかる。
その途中で誰かを見つければそれでよし、見つからずともこの気持ち悪い状況を改善できれば普通に探せる。

「………水の音?」

静かな廊下。
鳥の囀り程度しか聞こえてこない廊下に僅かに聞こえてくる音があった。
水が流れている音。

音に誘われるように足を動かす。
水が流れているということはそこに洗面所があり、同時にそこに誰かがいるということだ。

扉の向こうより聞こえてくる音。
誰がいるのかと気になりながら、ドアノブに手をかけたときだった。

『─────では美綴嬢、あの橋に行ったのか』

声が聞こえた。
ゆっくりとドアを開けようとしていた腕が止まった。
話し方、声からして今のは彼女だろう。
そして中にはもう一人いる。

『………一応出歩いても大丈夫そうな時間帯になって行ってみたけど、ボロボロの橋だけで誰もいなかった』

思考が、停止した。

クラクラする。
バチッ、と電流が奔るように、一瞬だけ視界が眩んだ。
帰ってきていない。
橋。
誰もいない。
ギルガメッシュ。
戦闘。

─────考える必要は、なかった。


―Interlude In―

外にいた私は顔を洗いたいという美綴嬢と共に洗面所へと来ていた。

「なぜ外にいたのだ、美綴嬢?」

顔を洗う彼女に問いかける。
遠坂嬢が帰ってこなかったという証言。
事実この家に遠坂嬢の姿はない。

「外に出てたから、かな」

問いに対してこの答え。
外に出た理由を尋ねているのに、外に出たことを答えている。
らしくない、と不意に思った感想を、やはり私は取り消した。
取り繕うという努力こそしているけれど、失敗している。

─────帰ってこない

それがどんな意味を示すのかなんて。
日常生活ならまだしも、今行われているソレは『戦争』。
嫌というほど判っている。
普通でなんていられない。

「………街のどこかにいるかもしれない」

気付けば言い聞かせるように呟いていた。
死んだなんて認めたくないのは事実。
帰ってこないのは単純に帰ってきてないだけであって、街の中で無事に活動しているかもしれない。

そう。
セイバーさんが強いというのは十分に理解しているつもりだ。
そんな彼女と一緒にいるのだから、敗北なんて─────

『私は鉄橋に行くわ。セイバーがギルガメッシュと戦ってる。放っておくわけにもいかないでしょ』

ギルガメッシュ。
ああ、矢張りいい思い出なんて何一つ出てこない。
まるで死神のように冷たさしか感じてこない。

あの男の強さもまた私は知っている。
森の中の城、士郎の家。
自分の中であの男なら或いは、なんて考えが浮かんでしまった自分の頭を殴りつけたくなった。

「なんで外にいたのか、だっけ、氷室」

顔を拭きながら話しかけてくる。
だが顔は此方を向いていない。
正面の鏡に映る自分の顔を、そして鏡越しに見える私の顔を見ていた。

「………あんまりにも帰ってくるのが遅いからさ、思い切って外に行ったんだ」

その言葉を聞いて、納得した。

「─────では美綴嬢、あの橋に行ったのか」

いつの時間に行ったのかはわからない。
が、危険であることには変わりなかった筈だ。

「………一応出歩いても大丈夫そうな時間帯になって行ってみたけど、ボロボロの橋だけで誰もいなかった」

誰もいなかった。
その一言がこれほどまでに場を重くする機会が今まであっただろうか。
無論、悲観だけではない。
単純にそこにいなかっただけで、つまりそこに死体がなかったということは、生きている可能性はある。

じゃあ彼女は無事かどうかと言われれば、それは別問題。

「士郎にはなんて─────」

言えばいいのだろうか、と思ったときだった。

「………誰かいるのか?」

僅かに開いたドアに気付いて扉を開いた。

「………?」

しかしそこに人は誰もいない。
廊下はいつも通り静寂。
異変は特に何も─────

「………」

「? 氷室?」

ドアノブ。
外側のドアノブにそれはあった。
血の痕。
絵の具を引き延ばしたかのように血がぬりつけられていた。
恐らくは血が出ている手でドアノブを握った所為だろう。

「………美綴嬢」

視線を戻さず、この場にいたであろう人物を思い浮かべる。
この家の中で一番血を流している可能性が高い人物で、この場所まできていなくなる人物。

「血?─────って、これ、もしかして………!?」

美綴嬢がリビングへ駆けて行く。
だが、私は玄関へと向かった。

ああ、もう彼の性格は嫌というほど判っている。
判っているから。
“自分の為に誰かが犠牲になることなんて絶対に許さない人物”だって。

玄関についてみれば靴がない。
それを確認して、私も彼と恐らくは同じように、外へ飛び出した。


―Interlude Out―


─────第二節 街─────

「は─────ぁ─────」

足を動かす。
とにかく今は捜すことに集中する。

とはいうもののこの剣群の体で出歩けば間違いなく警察に捕まる。
急ぐ気持ちはあったが、そんなことで時間を取られるわけにはいかないため一旦家に帰って上着を着る。
時刻はもうすでに八時を過ぎている。
凛の邸宅からここまでで一時間。
時間の過ぎ方がおかしい。どう頑張っても一時間の経過はおかしい。
体の痛みの所為で行動速度が落ちているのだろう。
事実動くだけで痛みは体中を駆け回り、視界は歪み、思考はドロドロに溶けていく。

「はあ─────はあ、はあ、あ─────」

そうして衛宮邸を出たのが一時間前。
鉄橋に来ていた。

同じ一時間なのにどうしてここまで移動距離に差があるのかなんて、今の状態では考えられない。
朦朧とした頭は、漠然と当てもなく足だけを動かしている。
日曜日とは言えどこの時間帯になってくると人通りも多い。
幸い今は冬の時期なので右腕や腹部の剣群を隠すために少し厚めの上着を着ても違和感はない。

「………やっぱり、そうだよな」

鉄橋の歩道は普通に通行できるが、車道は通行止めになっていた。
看板を見れば橋の補修工事、と銘打っている。
あの戦闘のあとの数時間だけでの隠匿は不可能だったらしい。
しかしこうすれば一般人にはばれる事はないだろう。

そして当然そこに凛やセイバーの手がかりはない。
仮にあったとしても工事を行っている人物が先に見つけているだろうし、ここにきたという綾子が見つけている筈だ。

止まっていた足を動かしていく。
正直どこにいるかも見当もつかないがここに止まっていても手がかりはやってこない。

「そういえば、何も言わずに出てきちゃったな………」

ふと遠坂邸にいるであろう人達の顔を思い出した。
凛が帰ってきていないと聞いたとき、思考が真っ白になって家を出ることを伝えていなかった。

「いや、いざとなったらアーチャーだってあの家にいるだろうし、大丈夫だ」

昨日の夜以来、アーチャーからの連絡はない。
そもそもアーチャーは自らラインを切っている。

『─────くん』

アーチャーというクラスはマスターからの魔力供給を絶ったままある程度の自由行動ができる。
それはつまり、その間はアーチャーがどこで何をやっているかが把握できないということでもある。
確かに士郎の魔力も少ない。
だが、自分自身の魔力が少ないと言う状況で経路を絶つなんて何を考えているのか、と思う。

「………案外、ラインを絶っていても回復に徹すればある程度元に戻るのか?」

ぶつぶつと呟きながら新都の街中を歩いていく。
歩いてはいるもののどこを探せばいいか全く見当がつかない。
頭の中に一瞬だけ過った最悪の結果を振り払い、駆け足になろうとして─────

「衛宮君?」

─────転びそうになった。

「と、遠坂─────」

後ろからかけられた声。
聞き覚えのある話し方だったため、咄嗟に後ろを振り向いて。

「? どうしたの、衛宮君?」

「さえ………枝、か」

振り向いた先にいる少女を見て、正直気が抜けた。

「あ、ようやく気づいてくれた。何度も声かけてるのに反応がないから無視してると思っちゃった」

「え? あ、わ、悪い………。ちょっと考え事しててさ」

由紀香の声を凛の声と間違える。
なんて間抜け。

「それで、どうしたんだ? こんな朝から」

「朝? うーん………朝っていうよりはお昼だと思う。これからお昼ご飯食べる約束してるから」

「………昼?」

周囲を見渡し、時計を見つける。
時刻を確かめてみると、十一時半をすでに過ぎていた。

「─────」

違和感がある。
ついさっきまで鉄橋にいて、その時はまだ9時をすぎたぐらいだったはずだ。
体内時計なので正確な時間ではないが、それでもここにくるまでに二時間もかかったとは思えない。

「衛宮くん、大丈夫? 何か変だよ? どこか具合悪いの?」

「あー……いや、大丈夫。これから食事なんだろ? 誰と約束してるんだ?」

「蒔ちゃんとだよ。私も蒔ちゃんもちゃんと退院できたから、時間ができたらお祝いにっていうことで一緒に食べようって」

「そうか………」

学校が聖杯戦争の戦場になったことは記憶に新しい。
結界によって弱った由紀香もまた大事をとって入院していた。

「鐘ちゃんも誘ったんだけど、手が離せない用事があっていけないって。一緒に食べたかったのにな」

その残念そうな顔を見て、それを断った彼女の心境を考えたとき、ズキリ、と心が痛んだ。
由紀香は鐘が聖杯戦争に巻き込まれていることを知らない。
手が離せない、というのはそのことも考慮してわざわざ断ったのだろう。
三人の仲がいいことは知っている。
何事もなければ休日は三人で街へ繰り出して食事やショッピングなどを楽しんでいただろう。

「また今度誘ってあげればいいじゃないか。次は絶対に大丈夫だからさ」

そう、それが普通だ。
そうでなければいけないモノだ。

「うん、そうだね………?」

「じゃあな、三枝。ちょっと行くところあるから、これで。最近物騒だから夜は出歩かないようにな」

由紀香と別れ、正午の新都を歩いていく。
行くあてはない。
とりあえずは人通りの少ない場所を目指すべきだろう。
セイバーもギルガメッシュも目立つ。
人目に付く場所にいるとは考えづらかったからだ。


─────第三節 行き先─────


士郎を探すため家を出てすでに数時間。
………やはり、というべきだろう。
この広い街中で一人の人間を探し出すのは無理があった。

どこか目的地があってそこにいけばいい、というものならば問題ないのだが、どこに行くかもわからないこの状況。

「美綴嬢からの連絡もない。………お互い見つけれず、か」

士郎の体は無事ではないことくらい鐘も理解していた。
右腕と腹部を基点とするように銀色の物体が広がってきていた。
それを見て無事であると思う訳がない。
それに体の内部が一体どうなっているかも気になる。

「一度家に戻るべきだろうか」

携帯電話に映し出される時間と睨み合いながら新都の街を歩いていく。
流石新都と言うべきか、この正午の時間となると人通りも多い。
食事の時間ということもあり人気店には人も並んでいる。

「………呑気なモノだな」

その光景を眺めながら小さく息を吐いた。
昨日一体何があったのかを知らない人達。
もちろん知ってもらっては困るわけではあるが、そう頭で理解してはいてもため息は出てしまう。

そこまでして、初めて鐘は自分の状態に気が付いた。

「─────全く落ち着きがない」

頭を下げて、深いため息をついた。
昨日まで続く戦闘。
殺されるのではないかと恐怖する毎日。

寝不足もあるだろう。
だが少し考えれば、目に映る平和な人達に対して小言が出てしまう自分がどういう状況かなんてすぐにわかる話だった。

ストレスであり、八つ当たりだ。

大よそ人の戦いとは思えない戦闘。しかもそれに巻き込まれている。
いうなれば世界大戦のど真ん中に生身で立って、いつ死ぬかもわからない中戦争を観察しているのと同じ。
精神に余裕がなくなってくる。

巻き込んだのは自分なのに、巻き込まれたのは彼なのに。
何もできずにただ傷つく姿を後ろから眺めているだけの無力な自分。
意識しても変わらないのなら、前を向いていこうと思ってはいた。
が、どれだけ意識を逸らそうとも負荷はかかってきて、何もできない自分に腹が立ってくる。

「だから、きっと由紀香の誘いも断ったのだろうな。こんな状態で会っても落ち着かないから」

由紀香からの食事の誘いを受けた時、いいかもしれない、と一瞬考えた。
けれど、では死にかけながらも守ってくれる人を置いておいて、食事に出かけていいモノなのか。

「ああ、士郎ならば行っていいぞ、なんていうだろう。………けれど、それは」

自分一人だけ光の中に戻って、彼一人だけを闇の中に置き去りにしているようで嫌だ。
とてつもなく嫌だ。
士郎を救いたい。
解放してあげたい。
もう戦う必要なんてない、傷つく必要なんてない、といいたい。

けれど、止まらない。
昨日の言葉を聞いて、鐘は漠然とそう思った。
例え戦わないでくれ、と言ったとしても士郎は戦うだろう。

─────そう思うだけで心が苦しくなる。

「衛宮………」

ポツリ、と小さく呟いた。
その直後。

「よっ、メ鐘っち!」

どん!と背後から勢いよく背中を叩かれた。
そのあまりの唐突な挨拶により、心臓が一瞬止まったかと錯覚してしまうほど息を呑んだ。

「っ………ば─────」

戦争だの、恐怖だのと思い返していた鐘にとってはこれほど心臓に悪いものはなかった。
いくら白昼とはいえ、この非日常(とはいっても鐘だけだが)で背後から脅かされようものなら、声すらでなくなるのは道理だ。

「ん? あれ? 強く叩きすぎた? おっかしいなー、そんな強く叩いた覚えは─────」

「………蒔の字」

ゆらりと背後を振り返る。
その姿を見た楓の顔が一瞬で引き攣ったが、今の鐘にはまるで関係がない。

「薄暗い森の中にある崩れた城に一人取り残されるか、衛宮の土蔵の中に数日間監禁されるか、どっちがいい………?」

「ひぃぃぃぃぃぃ!? メ鐘が異常に怖いッ!? た、助けてくれ由紀っち!」

ズザザザーと、後ろにいる由紀香の背後に回り込み隠れる楓。
その大袈裟ともいえる行動を見て、疲れを吐き出すように息を吐く。

しかし、逃げた本人は割と本気だったようで、半分涙目になっていた。
最初の森の中の城云々は判らなかったが、衛宮邸の土蔵の件はこれから一生忘れる事すらないだろうほどのイベントだったからだ。
そして振り向いたときの鐘の表情。
冗談ではなく本気でそう言っていると彼女の直感が告げたのだった。

「ま、蒔ちゃん大袈裟だよ………。こんにちは、鐘ちゃん。こんなところで何してるの?」

いつもと変わらぬ表情の由紀香を見てほっとする鐘。
後ろで怯えてはいるものの楓もいつも通り。

それが今の鐘にとって何よりも安心できる。

「む………いや、少し、な」

尋ねてきた由紀香の顔を見て、士郎の居場所を知っていないか尋ねようと考えた。
が、由紀香が知っている筈も無く、後ろに隠れている楓も知る由もないだろう。
もう少し二人と話したい気分ではあったが、士郎探索を中断するわけにもいかないため話を切ろうとしたときだった。

「─────もしかして、衛宮くんを探してる? 鐘ちゃん」


「士郎の居場所を知ってるのか!?」


一瞬、街中の声が止まった。
数秒してまたいつも通り正午の新都の喧騒が戻ってきた。

「…………」
「…………」
「…………」

由紀香は笑顔のままで固まっており、楓は目が点になっていた。
そして君は読心術でも心得ているのかと突っ込みを入れたくなる鐘であった。

「………えー、と。鐘ちゃん?」

「………………何かな」

「とりあえず落ち着いて。ね?」

「………………ああ」

自分のこれ以上ない失態に頭を抱え込みそうになりながら何とか耐える。

「少し前に衛宮くんと街で会ったんだけど、向こうの方に歩いて行ったよ。なんだか疲れてたっていうか………」

「向こうか………」

指差された方角。
あそこは確か住宅街だが、新都の中でも比較的古い建物が多い場所だ。
空家なども多く、人通りもこの新都中心部と比べれば少ない。

「それは何分前のことかわかるかな、由紀香」

「うんと………大体十分くらい前かな。蒔ちゃんと会う直前だったから」

十分。
その時間ならまだ間に合う可能性は高い。

「ありがとう、少し衛宮に用事があって探してたのだ。情報提供感謝する、由紀香」

「どういたしまして。ほら、早く行った方がいいよ? 衛宮くん歩いてたけど追いつけなくなっちゃうかも」

「ああ、ではそうしよう。重ねてすまない、由紀香」

由紀香と楓に別れを告げ、情報を元に士郎が向かったと思われる方向へと進んでいく。
何の情報もなく闇雲に探し回るよりはよっぽど探しやすかった。

遠ざかっていく鐘の後ろ姿。
その後ろ姿に正気に戻った楓が

「お、おい。メ鐘、食事は─────むぐ!?」

「駄目だよ、蒔ちゃん」

叫ぼうとした楓の口を塞ぐ由紀香。
由紀香の背中に隠れていた楓は見ることはなかったが、鐘の顔を正面から由紀香は見て、そして聞いた。

『士郎の居場所を─────』

(鐘ちゃん、最後はしっかり「衛宮」って戻してたけど、さっき咄嗟に「しろう」って下の名前で呼んでたよね)

あの真剣な眼差しを見れば邪魔しちゃいけないと思ったのだ。
二人の間に何があったのかは知らない。

「何があったのかはわからないけど─────私は鐘ちゃんの味方だよ?」

頑張ってね、と小さく呟いて、本来いく筈だったお店へと足を進める。

「え? お、おい由紀っち?」

「さ、ご飯食べよう、蒔ちゃん! 今日はお祝いなのだー」

こうして二人の日常は過ぎていく。
いつかそこに別の二人が加わるかもしれないと、一人頭の中で思いながら………。





闇。
ひたすらそこは闇だった。

何日そこにいるのかもわからない。
日の光が届いているのかも怪しい。

何をされたのかも解らず、声すらもでなかった。
何故─────がないのか、わからなかった。
何をされたのかも理解できない。

理解に数秒。
その数秒が立つ前に想像を絶する痛みが襲って来た。

なぜこうなってしまったのか、理解できなかった。
もしかしたら、─────の忠告を聞いていれば─────

様々な思考が駆け巡った。
走馬灯のようなものも見た気がした。
だが、今はもうどうでもいい。

今、願うこと。
それは

「私は─────死にたくない」

口も動かず、腕も動かず、足も動かない。
意識すらもない。
そうなる直前、ただ漠然と。

誰もが思うことを素直に思って、意識は落ちたのだった。


To Be Continued……….






―an Afterword―

おはようございます、こんにちは、こんばんは。
作者です。

arcadia復活おめでとうございます。
復活からとりあえずは様子見ということで、大体一週間ほど窺っておりました。
一つ思った事は復活からこのTYPE-MOON板の更新をされる他作者様がなかなかいないな、ということです。
やはり皆様負荷を考えて様子見をされているのでしょうか。

更新速度は目に見えて落ちてますが、失踪はしないのでご安心ください。
………9月20日までに終わればいいなー、と思いつつ終わらないだろうと悟っています。

感想などいただけたなら幸いです。
今後ともFate/Unlimited World―Re を宜しくお願いします。






[29843] Fate/Unlimited World―Re 第55話 人間に戻る日
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:47a17094
Date: 2012/09/15 03:35
第55話 人間に戻る日


─────第一節 情報収集─────

「それでアヤコとカネは出て行った、っていうこと?」

「そのようです。書置きもありましたので間違いはないかと」

時計の短針はまもなく完全に12を指そうとしている時間。
身支度を整えたイリヤらは少し離れた場所に止めてある車へと向かっていた。
もちろん遠坂邸はしっかりと施錠してある。どのような方法で、という問答は不要だろう。

「けど、まだ二人帰ってきてない」

「当然よね。いくらシロウが弱ってるって言ってもこの街中で普通に人一人を探し出すなんて簡単じゃないわ」

さも当然、と言う様に後部座席に乗る。
広いこの街を歩いて士郎のところへ行こうとは思わない。
というより疲れる。

「ですがお嬢様。仮に衛宮士郎を見つけたとして、他の二方はどのような手段で見つけ出すのですか?」

「車で街中を走ってればきっと見つかるでしょう。………まったく、カネとアヤコも私を起こしてくれれば無駄骨にならずにすんだのに」

「お嬢様は昨夜、力を使いすぎました。恐らくはそれを気遣っての書置きかと」

「そうかしら?………まあ、いいわ。車を出して。方向は指示するから、その通りに進みなさい」

アインツベルンを乗せた車が新都へと走って行く。
時刻はちょうど正午を示していた。



新都。
十年前の大火災を受け、全国からの復興支援によって街の機能が整えられてきた街。
あの大火災の爪痕を残すモノは焼野原がそのまま使われているような公園と、慰霊碑だけである。
今や火災によって焼け焦げた家は一件もない。

だがどれだけ新都が新しくなっても、一部には未だにこの新都に住まおうとしない人間はいる。
原因不明の大火災。
なぜ原因不明なのか。
あれだけの規模の火災を引き起こしながら、今も原因は謎のまま。
歴史に残る大火災を受けてなお原因不明と言われれば、不安になったり気味悪がったりしてしまう。
結果、一部の人間は新都から逃げるように住家を変え、一時新都の住民の入れ替わりが激しい時期もあった。

今でこそ安定しているものの、そんな時期を経た名残が新都の中には複数残っている。
それが空き家だ。
ちゃんと不動産が請け負って管理している家もあれば、本当に放置された家など点々と残っている。
閑静な住宅街、というのは本来の状態とは別に『人がいない家による静寂』という部分も含まれていた。

今、私がいる場所はそういう場所だ。
決して人通りが多いわけではなく、空き家も点在するエリア。

「情報は得た………とはいうものの」

この辺りはあまり来たことがない。
自宅であるマンションからは離れているし、この辺りは住宅しかないため用事ができてこちらに来ることもない。

「おーい、氷室!」

遠坂邸を私より後に出た美綴嬢と合流した。
由紀香と別れた後、携帯電話でここのことを伝えたのだ。

「こっちに衛宮がきたって本当なのか?」

「由紀香が言うにはこの方角だ。私もこの辺りはあまり詳しくないが、空き家が多いということは母親に聞いた覚えがある」

「空き家、ねぇ。─────なんとなくだけど、衛宮の考えてることが判る気がするよ、あたしは」

「それには私も同意しよう」

士郎が洗面所で二人の会話は聞いていたのは明白だ。
そして遠坂嬢が“帰ってきていない”という事実。
しかし最後に戦ったと思われる場所、鉄橋には死体はなく、血痕らしきものも見当たらなかった。
勿論鉄橋は補修工事という名の通行止めで詳しく見る事はできなかったが、見える範囲の中では見当たらなかった。

………それが隠匿された結果だというのならば、話は変わるだろうが。

つまり、士郎はあのギルガメッシュという男の手によりセイバーさんと遠坂嬢が拉致されたのではないか、と考えている。
私はそう結論を出した。
そうでなければ、用もなくこんな人通りの少ない、空き家の多い住宅街にくるはずがない。

隠す為には人が居ない場所を。
そんな考えの元、あても無く探し回っているのだろう。

「そういえば………イリヤ嬢は?」

「昨日寝たのは結構遅かったし、あたしらと違って体力とか使ってたっていうのもあっただろうから、書置きだけして家を出てきたよ。………ま、これで衛宮を見つけられなかったらあの子にも手伝ってもらうしかなくなるんだけど」

閑静な住宅街を歩きながら士郎と思われる人を探す。
が、それもまた容易なことではなく、捜索は難航していた。
道を右へ曲がり、軽くカーブになった坂道を登って行く。

「こっち方面に来た、っていう情報だけじゃやっぱり頼りないよな。せめてもう少し絞りこめれば………」

「人に尋ねてみようか。例えば………あそこに座っている人とか」

時刻は正午を過ぎている。
にもかかわらず、この道を歩いているのは私と美綴嬢の二人だけだ。
こうなってくると目撃情報も少なくなる。

「んー………? あの人、結構な年齢だと思うんだけど、大丈夫なの?」

私たちの視線の先にあるベンチ。
そこに座っているのは歳のいった老人だ。

「聞かない理由はないだろう? こういう場所にこそ、情報は落ちているものだ」

そういうものなのかね、という美綴嬢の言葉を聞きながら坂道を歩いていく。
生憎と情報収集に関してはそれなりの実績(といっても趣味レベルだが)を持っている(と自負している)。
闇雲に探し回っては午前の二の舞になりかねない。
そう思って私達はベンチに座るおばあさんに声をかけた。


─────第二節 空き家─────

結論から言うと、だ。
情報収集は成功した。

ベンチに座っていたおばあさんは赤い髪の男の子に荷物運びを手伝ってもらったと言っていた。
詳しい容姿などは聞けなかったが、恐らくは士郎と見て間違いない。
尋ねたおばあさんは良くも悪くも、その年齢相応の人物だった。
耳は遠くなっていたが、長くここに住んでいた人らしく、この周辺には詳しい人だった。
恐らくは士郎もそう捉えたのだろう。
この辺りに空き家がないか、とこのおばあさんに尋ねていた。

『なんでそんなことを聞くのか、って聞いたらねぇー、この辺りに引っ越しを考えてるからその下見だと言ってたかしら?』

まさか『攫われた人を探すために隠れてそうな場所を捜しています』とは言えないだろう。
私達も適当に理由をはぐらかして、手に入れた情報を元に手身近な場所から探しに入った。

おばあさんより入手した情報はこの近辺の空き家の位置。
十年前の火災を機にこの地区は、前から聞かされていた通り人の出入りが激しかったらしい。
今でも空き家はところどころに点在しているようだ。

目的地に着き、ぐるっと周囲を美綴嬢と二人で探し、家に鍵がかかっているかどうかを確認するという作業。
二手に分かれて探し出す、というのもありだったかもしれないが、そもそも士郎が空き家を捜している理由を考えた場合、何の力も持たない私達が単独で動くのは避けようということになった。
………焼石に水、程度にもならないというのはわかっていたが。
そうして探し回ること数件。

「次はここか………。些か雰囲気が暗く見えるのは気のせいだろうか」

「…………」

次に到着した空き家は些か古い空き家だった。
今までの空き家と比べると作りの所為なのか、はたまた周囲の静けさの所為なのか、暗く見える。

「美綴嬢? どうした?」

「ん、いや。なんかこう、言葉に言い表せないような変な感覚っていうか………。単純に言えば何か“居心地が悪い”って感じかな、ここ」

「─────夢のような毎日を過ごしている所為で、“そういうモノ”を感じやすくなっている、ということかな? 美綴嬢」

「夢は夢でも悪夢寄りだと思うけどね、悪夢ばかりじゃないとはいえ。……あとそれを言うならあんたも感じてなきゃおかしいわけだけど?」

「………そうだな。それを失くす為に戦っている人がいて、私達はその人を捜すために探している、ということになる」

「─────。………ああ、そうだね。行こうか、氷室」

今までと同じように周囲を探索し、そして今までと同じように何も発見できないまま正面入り口に戻ってきた。
美綴嬢の言う“妙な違和感”というのも気のせいだったかと思いながら扉に手をかけたときだった。
古めかしい音を僅かに響かせて、閉まっている筈の扉が開いた。

「美綴嬢、ここのドアが開いている」

扉を開け、中の様子を見る。
昼を僅かに過ぎたくらいだというのに、中は薄暗い。

「………どうする? 入ってみる?」

「………探すためには入るしかないだろう」

玄関に靴が一足ほどあった。
女性モノとも男性モノともとれる靴だが、まずここに『靴がある』ということ自体がおかしい。
ここは情報によると空き家だ。当然人はいないはず。
にもかかわらず靴があるというのはおかしい話だ。
つまり誰かがこの家の中にいる、ということになる。

士郎の靴ではない。
人違いの空き巣の可能性もあるが、律儀に靴を脱ぐか、という疑問も残る。

「美綴嬢、まずは私が入る。ある程度離れた距離になったら美綴嬢も入ってきてくれないか?」

「………オッケー。一応携帯はいつでもかけれるようにしとく」

ゆっくりと空き家へと入って行く。
空き家なので電気は当然通っていない。

「何か臭うな。なんだ、この臭い………」

奥に進むたびに鼻に突く臭い。
犬の鼻ではないが、それでもいい臭いではないということくらいは判る。
そもそも。

「昼間だというのに薄暗いとは。何が外の光を遮っている?」

「お化け屋敷じゃないんだからさ………」

そう、暗いのだ。
空き家だというのに人の手が加えられたが如く光が家の中に入ってこないから視野も悪い。
おかげで声まで小さくなってしまう。

「………あまりいい予感はしない、か。美綴嬢一旦─────」

後ろにいる美綴嬢に振り返ったときだった。
バン! と勢いよく横にある扉が開かれ、何かが飛び出してきた。

「え………」

この暗さに加え、突然のことで一体何が起きたかも理解できない。
ただ、その一瞬で見えたのは僅かな光を反射する光沢ある刃物だけが見えた。

「氷室!!」



「─────」

目が覚めた。
暗室。
蝋燭が数本周囲に立てられているだけの暗室。
その全体を見る事は敵わない。

「ほう、目が覚めたか魔術師。存外遅い目覚めよな」

「─────あん、たは………!」

凛の目の前にいるのは、見間違えもしない敵だった。
英雄王 ギルガメッシュ。
今は黄金の甲冑こそ身に纏っていないとはいえ、その容姿を忘れることはもうない。

「口の利き方に気をつけろ、小娘。貴様の父親は下らぬ存在ではあったが、我に対する礼儀だけはしっかりしていたぞ」

「………ちょっと、なんでそこに私の父親って言葉が出てくる─────っ、のよ………」

「なんだ、何も知らないのだな。─────いや、知っていたならばそもそも敵に教えを乞うなどしないということか」

そうして数秒、何かを思案したような素振りを見せたギルガメッシュは閉じていた瞼を開いた。
その血色の双眸には悪戯とは程遠い邪悪で剣呑な色を顕し、凛を見抜いた。

「ようやく主が目を覚めたわけだが、今の心境はどうだ、セイバー?」

睨まれただけで全身の力を奪われる。
そんな感覚を感じさせる双眸が凛から外れ、少し離れた場所にいる金髪の少女へと向けられた。

「セイバー………!」

「く─────、申し訳………ありません、リン。私は………」

見ればセイバーの手足には鎖が繋がれていた。
傷は見当たらないものの、鎧を纏ってはいない。
そしてセイバーの命とも言える剣は少し離れた距離に突き刺されていた。

「もう少しばかり手こずると思っていたが、こうもあっさりと勝ってしまうとは。些か拍子抜けだな、セイバー?」

「………!あんたね、セイバーはそれでなくてもライダーやキャスターと戦ってたのよ!疲弊してて当然じゃない!そんな疲れた相手に勝って偉そうにふんぞりかえってんじゃないわよ!」

「………目覚めたばかりだというのに、よくしゃべる女だ。一度その口を失ってみるか?」

「やめろ、ギルガメッシュ!………貴様の目的はなんだ。なぜ私を倒さない?」

凛に向けられていた冷徹な双眸がセイバーへと移る。

「目的、か。目的ならばある。だがそれをお前に言う必要はない、セイバー。忘れたか、十年前に我が下した決定を。お前は黙って我に従えばよい」

「─────っ!まだそんな戯言を………。言った筈だ、私は貴様の物になるなど絶対にない、と!」

前回の聖杯戦争。
最終局面において、目の前の男がセイバーに言った言葉。
セイバーにとっては一瞬の時間ではあるが、この男にとっては十年の歳月。
それだけの月日を経てなおセイバーに固執している。

「ふ、ははははは!吠えるはいいが、その状況でどうする? 鎧すら満足に具現できぬお前が何を言ったところで威厳などないぞ?」

ぎり、と奥歯を噛み締める。
鉄橋での戦いはまさに背水の陣だった。
決死の覚悟で放った一撃も破られ、魔力は枯渇し、現界するのに必要な最低ラインぎりぎりをさまよっている。
凛の魔力供給は少しずつ送られてはきているが、セイバーからすれば満たすには程遠い量。
それほどまでに凛の魔力もまた枯渇していたのだ。

「だがそうだな。セイバーとて不本意ではあろう。十全の状態ではないままこの我と戦ったのだからな。………もっとも十全であったとしても我に敵う筈がないが」

「何を考えている、ギルガメッシュ………!」

「なに、このまま我に組み伏せられたとき『疲弊していたから』という下らぬ理由で逃避されては興醒めなのでな。一つ、チャンスをやろうではないか」

暗室を支配する黄金の男。
力がない今、この男を倒す手段がない。
幸いにも魔力の自然回復は凛もセイバーも止められていない。
今すぐには無理でも機を窺えばこの場を脱出する術はある。
そしてこの男はセイバーも凛も殺すつもりは、“少なくとも”今はないらしい。

「─────そのチャンス、っていうのは何かしら」

ならば今は少しでも時間を稼ぐ必要がある。
今すぐにでも殴りつけたい衝動を抑えながら、ギルガメッシュへと問いを投げる。

「ふ─────抑えようとしているのが丸見えだぞ、娘。父親と違い少しは楽しめそうだ。………それに比べ時臣、奴は最後まで愚劣だった」

ぴくり、と凛の顔が動く。
疑問など思うところはたくさんあるが、少なくとも死んだ自分の父親を知りもせぬ敵に侮辱されるのは気分の良い話ではない。

「………知りもしない─────?」

だが、その苛立ちもそれ以上の疑問によって打ち消された。
目の前にいるのは前回の生き残りであるサーヴァント。
そう“前回の聖杯戦争”の勝者。

「………待って。待ちなさい。アンタ、まさか─────」

「さて─────」

凛の言葉を遮るようにギルガメッシュは口を開いた。
その顔は今まで通り、持ち前の邪悪な微笑を浮かべていた。

「─────せいぜい我を愉しませろよ」


─────第三節 救出─────


「氷室!!」

その声が暗い廊下に響いたときだった。
鈍く光る刃物は動きを止め、顔を隠そうとしていた鐘の腕も止まった。
そしてその光景を見た綾子もまた、目の前にいる人物を見て一瞬言葉が出なかった。

「え………衛宮?」

「氷室に………美綴?」

扉より勢いよく飛び出してきたのは二人の探し人衛宮士郎だったのだ。
体が停止した三人だったが、一つ大きな息を吐いた士郎が最初に動き、廊下の壁に凭れかかった。

「氷室と美綴だったのか………。ごめん、驚かせちまって。けど、どうしたってこんな場所に」

「あたし達は怪我してるのに家出て行ったアンタを捜すためにここまできたんだってば。こんな普段行くことも少ない場所にね」

「………そうだったのか。悪い、こんなところにまで探しに来てくれて。けどよくこんな場所にいるって判ったよな」

「こんな場所、こんな場所、というが衛宮」

ふぅ、と一息入れた後目の前で凭れかかる士郎をじとりと見る。

「そういう君こそなぜこんな場所にいる? 君は自分の体がどうなっているのか理解できていないのか? 見れば少し顔色も悪いじゃないか」

「………む。いや、その………」

反論できなかった。
自分の体が異常だということは理解していたし、気分も少し悪い。
こんな空き家にいる理由もどういえばいいか、すぐには口に出てこなかった。

「─────とにかく、今すぐイリヤ嬢に容体を見てもらうべきだ。イリヤ嬢も流石に起きているだろうから、手当をしてもらいに家に戻ろう」

そう言って手を伸ばす。
だがその手を見た士郎は小さく首を横に振った。

「いや、今はまだ帰れない。………少なくとも遠坂とセイバーを見つけるまでは家に帰っちゃいけない」

その言葉に綾子と鐘は無言で士郎の顔を見た。
内心はやはり、という思いだった。

「俺の昨日の夜にギルガメッシュと鉄橋で戦って、気がついたら遠坂の家にいた。………遠坂、昨日の夜から帰ってきてないんだろ?」

それは紛れもない事実。
鉄橋へ向かったのを最後に彼女らは帰ってこなかった。
それを隠し通せるわけもないし、今さら嘘をつくこともできない。
素直に頷くしかなかった。

「だからシロウはリンを捜す。あの女も助ける。アヤコとカネも守る。無関係な人達も守る。………それがシロウの目的?」

「………!イリヤ嬢」

この空き家にまた一人、人物が現れた。
その現れた姿に少し驚く鐘と綾子。

「どうしてここに、っていう顔をしてるわね。簡単よ、シロウとはパスを繋いでるんだからそれを頼りにそこにいけばすぐにシロウなんて見つけられるんだから」

少し得意げに話す少女を見て苦笑いするしかない綾子。
すぐに見つけれたなら起こした方がよかったかもしれない。

「それでシロウ。体の方は大丈夫なのかしら」

「─────ああ、何とか」

「ふぅん。………にしてはおかしいよね。シロウならカネとアヤコの声くらい聞き分けそうな筈なのに、間違えて襲いかけただなんて。─────“その部屋の中に何がある”のかしら?」

「………!そうだ─────イリヤ、こっちにきてくれないか?」

何かを思い出したように士郎が出てきた部屋へと案内されるイリヤ。
それを何事かと思いながらついていく二人。
その部屋の中。相変わらず昼とは思えない暗さではあるが、その僅かな光が部屋を薄暗く照らしていた。
そして鐘と綾子の二人の目に飛び込んできたのは少し黒くなった飛沫の痕だった。

それだけならこれが一体何か、と問いを投げたかもしれない。
だがそのすぐ近くに“切断された人の腕”が転がっているのだから、息を呑むしかなかった。

「この血の痕から見て切断されたのは一日二日前、ということではなさそうね。けど、シロウ。これを見せて私にどうしてほしいの?」

「まだもう一つある。この家、家の大きさと間取りが合わないんだ。けどその間取りが合わない場所に繋がる部屋や廊下がない」

そう言いながら士郎は“何もない壁”を開けた。
取っ手なんてない壁。周囲のそれと何ら変わりないその壁は、士郎の手によって簡単に動かされた。

「隠し扉というやつか、衛宮」

「ああ、そうだな氷室。これを捜すのに結構時間がかかった」

「………それで? もう大体予想がつくけれど、その中に一体何があるのかしら」

「人が倒れてる」

簡潔に、簡単に。
それでありながら実に判りやすい答えが士郎の口から出された。
イリヤと士郎の間に言葉はない。
互いが互いの顔を見合う。

無言のまま士郎が開けた部屋に入る。
暗い部屋ではあったが、確かにその部屋には一人の女性が倒れていた。

「─────」

瞳を閉じた。
士郎の心境が一体どうなっているか、なんてイリヤには容易く想像できた。
倒れている人を見つけても自分ではどうしようもないという無力感に打たれ、自分の所為で凛とセイバーがいなくなったと考え、自分が気づかなかった所為で桜はああなってしまったと思っている。
ただ、それを彼は顔に出さない。
どれだけ自分がつらくともそれを顔に出さない。
さながらそれは自分というものを感じていないかのような、機械だった。

「イヤよ」

だからイリヤは否定する。

「イリ─────」
「ねぇ、シロウ」

士郎が何かを言おうとするのを、イリヤは制止した。
そうして少女は一つの疑問を投げかける。


「─────自分すら大切にできない人が、“ぜんぶ”を助けることができるって、本当に思ってる?」


士郎の中で、時間が止まった。
イリヤの言葉だけが、続く。

「良く考えなさい、シロウ。貴方の命は─────貴方だけの命じゃない。そして思い出しなさい。なぜ正義の味方を目指したのか、その“本当”の理由を」

「本当、の………」

「キリツグに憧れて正義の味方を目指した。じゃあその憧れは一体何から来たのか。助ける姿、その在り方。今までのシロウならきっと正解でしょう。…けど、今のシロウにとっては不正解でなくても正解ではないハズ」

シロウの知らない部分をイリヤが示していく。
否、士郎の知らない部分をイリヤが知る筈はない。
つまり士郎自身が知っていながら、それに気づいていないだけ。
或いは、もう一人。それを知る事が可能な人物がいる。

「リズ、この女を運んで。ここじゃあれだし、一旦アインツベルンへ戻りましょう」

「うん、わかった」

「え? うわっ………」

綾子の背後に突然現れた人物。
その気配を全く感じなかったのに純粋に驚く綾子。

「アヤコ、ちょっとこっちに来てくれない?」

手招きでイリヤが綾子を招きよせる。
そうして暗闇の中から筒のようなものを持ち出すように指示を出した。

「それ持って一緒にアインツベルン城まで来てくれないかしら?」

「え? いやでも、衛宮の体は─────」

「上限値が下がっているだけだから、元々から見れば弱っているように見えるだけよ。治癒するほど弱ってはいないわ」

「そうなのか………?」

イリヤの言葉に半信半疑な状態で士郎の顔色を窺う。
その顔がどうしても無事であるようには見えない。
いや事実無事ではあるのだから無事なのだが、なまじ今までの士郎を見ていただけにその表情から感じる不安を払拭することはできなかった。

「とにかく、この家を出ましょう。いつまでもここにいたってこの女以外には誰もいないわ」

リズが抱えたスーツ姿の女性を見ながら、玄関へと戻って行く。
その後ろに綾子、鐘、士郎と続く。

「………そういえばイリヤ嬢。アインツベルン城は確か壊されたのでは………」

鐘の記憶の中では、アインツベルン城はギルガメッシュの攻撃で破壊されていた。
或いは自分たちの理解できない“魔術”によって復元したというのであれば─────

「ええ、そうね。けど全壊ではないわ。残ってる部分もある。この聖杯戦争ももう長くない。私達にも“準備”っていうものがあるから一旦戻るのよ」

「………? そうか。それに美綴嬢が同伴する、と?」

「ええ、その筒を持ってもらう為にね」

綾子が持つ筒。
とりわけ何かすごい装飾がされているわけでもない。

「わざわざあたしが持つ必要がある代物、これ?」

「そうね。じゃあその持ち主の素性について少しだけ教えてあげる。………リズが抱えてる女、彼女は魔術師よ。しかも聖杯戦争参加者っていうおまけつき」

「え!?」

「………それは本当なのか?」

「切断された左腕。そこに確かに令呪の痕があった。それだけで素性なんてわかるじゃない」

そういうものなのか、と思う一方で疑問も湧く。

「じゃあ寧ろますますあたしが持つの危なくない? これ、魔術的な何かなんでしょ?」

「ええ、まさにそうね。けれどもし危ないのなら家の中で何らかのアクションが起きてるわ。それがなかったし、アヤコが持っても安全よ」

「………それってもしかして結果論? あたしが持って何か起きてた可能性もあったってこと?」

「ふふん、私がそんなヘマをするとお思いかしら、アヤコ」

「おっしゃる通りで。けどなら、あたしが持つ必要もないような………」

「私に持てっていうの? アヤコが私の体を心配して相談もせずに書置きだけ残していっちゃうくらい、私の体は疲れてるのにー?」

「………あ、何気に根に持ってたのね」

そういって降参ポーズを示す綾子。

「判ったならリズと一緒に車に乗って。あ、助手席ね。後部座席はその女の容体見るから」

「ん、判った」

空き家の前に止まっている車へと向かう。
これからそのアインツベルンとやらに向かうことになる。
が、どうも後ろ髪を引かれてしまう。

イリヤが言った士郎に関する言葉。
どういうことなのかも気になるし、あれから黙り続けている士郎の様子も気になる。

(………一緒に行くって言うなら、その道中に聞けば大丈夫か)

「美綴嬢、一ついいかな」

後ろに歩いていた鐘が話しかけてきた。

「これからイリヤ嬢と共に行くのだろう? イリヤ嬢のさっき言っていた事なのだが─────」

「詳しく聞いてくれ、ってことでしょ? 判ってるよ、氷室。だからそっちは衛宮の事頼んだよ」

「─────そうか、わかった。頼まれた」

互いに意思確認をした後、綾子は止めてある車の助手席へと乗り込んだ。
後部座席にはリズと家の中で倒れていた女性を。

「シロウ」

乗り込む前に、イリヤがシロウを呼ぶ。
その声は今までの声よりもずっとやさしく。

「え?」

その笑顔が、その髪が、その姿が、その仕草が、脳裏をよぎる。
どこかで見た、その『幸せそうな顔』は一体どこで見たものだったか。

「私はシロウが好きだよ。だから私、シロウが何したってシロウの味方だからね。だって好きな人の味方をするのは当然だもの。─────そうでしょう、シロウ?」

「イリヤ………」

ふわり、と体を反転させて車に乗り込む。
その後ろ姿までもが、異様なまでに士郎の頭の中に刻まれる。

時刻は昼を過ぎた頃。
イリヤ達を乗せた高級車はエンジン音を響かせながら、アインツベルン城へと向かうべく道の彼方へと消えていった。


─────第四節 約束─────


新都。
急速に発展した街並みは、何かに急かされるように高いビルばかりを建て、結果として人工的な街になった。
それもここ十年ばかりの話だ。
十年前に起きた大火災によって住宅地はほぼ全焼。
まるっきり人が住まなくなった土地を利用し、高層ビルが建てられている。

─────その中心に、二人はいた。

新都の公園。
イリヤ達と別れた後、セイバー達の捜索をする士郎についていく鐘だったが、反して士郎は特に空き家に探しに入る訳でもなく、いつのまにかここに来ていた。

「相変わらずだよな、ここ」

周囲の味気ない風景を見渡ながら、すぐ隣にいる鐘に聞こえるように呟いた。
その顔は先ほどまでのどこか余裕のない表情ではなく、少し柔らかいモノになっていた。
それを見て、意味も無く、少しだけ、鐘の心も落ち着くことができた。

「いやさ、芝生でも植えればいいのにって思うんだよな。いつまでもほったらかしじゃもったいないだろ?」

「む、確かにそうだな。………しかし、いきなりどうしたのだ、衛宮」

弱い冬の風が吹き寄せる中で、士郎は静かに告げた。

「氷室は覚えてるかな。子供のころ、俺はこの辺りに住んでた。けど、十年前の火災で両親も死んで、家も焼け落ちた」

「………ああ、それは知っている。確か君の家はこの辺りだったかな」

そう言って見渡すものの、もちろんそんな痕跡が残っているはずもない。

「それでその時、親父に助けられてそのまま養子になった。………その時はただ嬉しかった。けど、同時に居心地が悪かったんだ。自分だけが助けられた、自分だけが生き残った。そんな感じがして」

今でも士郎の脳裏には浮かんでくる。
あの悲鳴、助けを求める声、炎、悲劇。

「だから、助けたいと思った。せめて、これから起きることを防ぐ事で。じゃないと死んでいった人達に会わせる顔がないから。だから、俺は切嗣に憧れた。切嗣みたいになれば、人を助ける事ができると思ったから」

死ぬのが当然だと思い知らされて、その時に助けられた。
それは鐘も知っている。誰の口からでもない、今目の前にいる士郎から聞かされた言葉。

「けどそれは違った。違わないけど違ったんだ。………俺を助けた時、切嗣は笑ってたんだ」

「………笑って、いた?」

「─────思い、出したんだ」

ゆっくりと、士郎は言葉を続ける。
それがどうなるかなんて、士郎にも鐘にも判らない。
ただ少なくともそれは間違いでも勘違いでもなく、本物であるという思いがあった。

「ああ。それが………俺を助けたその顔が、あまりにも幸せそうだったから─────」

トクン、と鐘の心音が鳴った。
次に来る士郎の言葉は何か。
期待はしないでおこう、そう言い聞かせても。
この心音は誤魔化せない。

「─────俺も、そうなりたいと思ったんだ」

“幸せになりたい”。
それは誰もが持つ感情。
だが、鐘にとって士郎はそれを持っていないのではないか、と危惧してしまっていた。
それが顕著になったのが昨夜の士郎の発言であり、その時からどうしようもない不安が広がっていた。

─────その不安を、一気に掻き消すかのように。その言葉は響いてきた。

「正義の味方になりたいと思った。それは嘘じゃない。人を助けるのは正しいことだし、走り続ければ、信じ続ければきっと辿り着くと思う。けど、子供の頃に思ったんだ。もっと、氷室と一緒に居たいって」

「………衛宮」

願うものは平和だった。
少なくとも、自分の知り得る範囲の中で泣いている人がいないようにと。
困っている人がいれば助けてあげれるようにと。
そうすればきっと─────いつかは自分も。
あの時の切嗣のように笑えるのなら、それはどんなに、救われるのかと希望を抱いて。

「幸せそうな顔を見て、笑ってる顔を見て、“一緒に笑えたら”って思った。………今思えば馬鹿だよな。助ける事に必死になりすぎて、そんな大切な事も忘れてたなんて」

憧れたものは“衛宮切嗣”であり“正義の味方”だった。
それは間違いようのない事実であるし、今もそれが間違っているとは思わない。

けれど、その大元。
なぜそれに憧れたのか。

人を助けることは素晴らしいことだ。
それは事実。だが果たして幼い子供がそれを理解できるかといえばノーである。
ましてや十年前の火災の只中で、心が壊れた子供がそれを理解することはできない。

子供が憧れを持つのは、何時の時代も単純で判りやすいものだ。
それは士郎とて例外ではなかった。
いや寧ろ、心がなくなったからこそ、その憧れる理由はよりシンプルになる。
人が持つ欲求に忠実に。

ただ、士郎の場合は手順が判らなかった。
心を失ったからこそ、そこにたどり着く術がわからなかった。
一人生き残ったからこそ、誰かの為にあらねばならないと思い込んだ。
だからこそ士郎は切嗣に、そして正義の味方に憧れて、目指した。
ただそれだけの話。

そして、死んでしまった憧れの人の為に、交わした約束を何が何でも成し遂げる。
そこで目的は逆転する。

結果生まれたのが矛盾を孕んだ己の存在。
それが破綻していると気付くことはない。
なぜなら、しっかりと手順を踏んだうえで生じた矛盾なのだから。

けれど。

「………けれど、気づいたのだろう。思い出したんだろう? なら………しろう、君は─────」

「ああ。ごめんな、氷室。もう………大丈夫だよ。俺は─────俺は、生きたい。生きて………みんなと、氷室と一緒に幸せになりたい」

自然と笑みがこぼれた。

まだ聖杯戦争は終わっていない。
まだ救わなければいけない人はいる。

しかしイリヤが言った言葉。
『自分すら大切にできない人が、“ぜんぶ”を助けることができるって、本当に思ってる?』
確かにその通りだ。
自分すら見る事ができない人間が、他人を救えるはずがない。
救えたとしてもそれはカタチだけの自己満足にしかならないだろう。
自己満足にすらならない可能性だってある。

だが、ならば、きっとこれからはうまくいく。
空回りしていた全ての出来事が、きっとうまくいくだろう。
そんな確証なんてどこにもないのは、鐘も士郎も判っている。
それでも。

「ならしろう、約束してくれ。絶対に………絶対に死なない、必ず無事に、全員で帰ってきて、笑っていよう、と」

「ああ、約束する。絶対に守るよ。だって─────」


   ─────好きな人を守るのなんて、当たり前なんだから─────




「………─────っ」

ゆっくりと、目が覚める。
体のあちこちが痛む。
だが、思考は滞ったままだ。
ぼんやりと見覚えのない天井だけが視界情報として送られてくる。

「ここ………は」

「お目覚めかしら?」

まるで子供の声かと疑うような音が聞こえてきた。
しかしその声に反応して寝ていた場所から一気に跳び起きて、周囲の状況を把握するに努める。

「………呆れた。いくら私がすごいからって、そこまで動ける様になるなんてね」

「………あなたは?」

女の前に現れた銀色の子供を見据える。
武器は何も持っていないが、拳で十分。

「その前に一つ訊かせてもらうわ。貴女、記憶は大丈夫かしら?」

「………記憶? 何の話です」

「………流石に仮死状態からの寝起きじゃ理解できないみたいね。そもそもここがどこかも判っていないでしょうし」

「─────ええ、そうですね。では答えていただきましょうか。あなたは何者です?」

構えは崩さず、いつでも反撃できるように。
だが、対する少女はまるで戦闘の意志を示す気配がない。

「とりあえずは初めまして。私はこの地における御三家の一角、アインツベルン。イリヤスフィール・フォン・アインツベルンよ」

「アインツベルン………!」

「そして貴女の素性は調べさせてもらったわ。ようこそ、アインツベルン城へ。もてなす物はないけれど、歓迎するわ」

少女はそう言って薄らと笑う。


「─────バゼット・フラガ・マクレミッツ。封印指定の執行者さん?」



To Be Continued………


―an Afterword―

おはようございます、こんにちは、こんばんは。
作者です。

更新速度が月一状態という状況ですが、その中でも愛読してくれる読者様には本当に感謝の意を示します。
ありがとうございます。
また感想等も頂き、ありがとうございます。

今後ともFate/Unlimited World―Re を宜しくお願いします。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第56話 言峰 綺礼という存在 Chapter9 March Au Supplice
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:47a17094
Date: 2012/10/31 21:29
Chapter9 March Au Supplice


第56話 言峰 綺礼という存在


─────第一節 終局への開幕─────

ゆっくりと午後の陽射しは低くなっていく。
冬の青々とした空は徐々に赤みを帯び、風はさらに身に染みてくる。

新都の公園を後にした二人は、互いの考えを共有しながら街中を歩いていた。
凛の行方については未だに見当がつかないが、互いに『彼女は生きているのではないか』という結論は同じだった。
だが、とりわけ鐘が心配なのは士郎の体である。

士郎の体には人ならざるモノが見えている。
まるで剣が体内から出てきているかのよう。
その範囲が戦闘を終える度に広がっているのが、鐘にとっては恐怖でしかない。
範囲が広がる方向がそれをさらに後押しさせる。
徐々に体全体に広まりつつも、その中で急速に上部方向、つまり顔や頭へと伸びているということに。
それを見せつけられて、何も思わないわけがない。

「………本当にどうかしてる。まず始めに行くべき場所があったのにな」

ぽつりと、横に歩く士郎が呟いた。
その姿は僅かにため息もついていた。
日は傾き始め、新都に出ていた人々も徐々に数を減らしつつある時間。
判ったことは自分がいかに頭が回っていなかったか、という事だった。

「しろう、今はどこに向かっているのだ?」

「教会。言峰教会っていうところだ。氷室は知ってるか?」

「存在なら。けれど実際に足を運んだことはない。………しかし、なぜ教会に?」

目的地は空き家ではない。
もっと何らかの手がかりが望める場所。
丘の上の教会にいる神父なら、凛の場所を知っているのではないか、と考えたのだ。

「ああ、そっか。氷室達には言ってなかったっけ? あそこの教会の神父はこの聖杯戦争の監督役なんだ。一応戦況管理とかしてるみたいだから、或いは────」

坂道を上りながらぽつりぽつりと会話を続けていく。
だがここでふと気づいたことがあった。

「悪い、氷室。その前に一つ謝っとく」

「………? 謝る、とは?」

顔を見て訪ねると、士郎は少し困ったような顔をした。
困った、というよりは申し訳ない、という感じの表情の方が近いだろうか。

「氷室、俺のこと下の名前で呼んでくれてるだろ? なら俺も氷室のことを鐘って呼ばなくちゃいけないんだけど、それはちょっと待ってほしいんだ」

「別に私は………。どうしたのだ?」

だがその表情も次には真剣な顔つきに戻っていた。

「………けじめ、かな。まだやるべきことは残ってる。遠坂も桜も助けなきゃいけない。─────その時まで、待ってほしいんだ。自分の為にも、氷室の為にも」

「─────」

横から士郎の顔を窺っていた鐘はそれを聞き、一度目を瞑った。

「ああ、わかった。なら、その時が来るまで私も衛宮と呼び方を統一しよう。これで対等だ、いいだろう?」

「………ああ、ありがとう」

お礼の言葉を受け取った鐘は、僅かに視線を逸らした後、話を元に戻した。
もう少し余韻に浸っていてもよかったが、捕まっている彼女らの事を考えるとそうもいかない。
或いは士郎もそう思って、前もって断りを入れたのだろう。

「しかし………教会があることは知っていたが裏の顔が監督役とは考えなかったな。それを知っているということはそこの人とは面識があるのか?」

「………ある。けど、正直にいうとあんまり関わりたくない。なんていうか─────ちょっといいにくいけど」

「驚いたな。君にもそういう感覚を感じる人物がいるのか」

鐘の知る“衛宮”士郎は学校ではブラウニーや便利屋などと称させるほどのお人好しだ。
生徒会に頻繁に顔を出しては顔を出しては手伝いがてら、物を修理しているというのが学校内での多くの見解。
そのため鐘の友人、蒔寺 楓からは『スパナ』などという愛称(というよりは馬鹿にしている?)で呼ばれていたりもする。

「俺だって好き嫌いはあるぞ。─────けど、えり好みしてる場合じゃないからな」

「多少の好き嫌いは我慢する、ということか。どういう人物なのか、簡単に教えてはくれないだろうか」

街の喧騒から離れた郊外に建つ教会。
これまでに二度訪れた。
一度目は一般人を助けるため教会に運んだ時、二度目は影に関する事を聞きに行ったとき。

「いや、好き嫌い以前にあいつとは会うべきじゃないと思う。神父っていうけど、根本的に近寄っちゃいけないような気がするんだ」

「そう思う何かを感じるほど、その神父とは会ったということか?」

この坂道を上って行くのは二日ぶり。

「今まで一度も寄りつかなかった事を考えると、頻繁に足を運んでることにはなるかな。………あの教会自体が否応無しに十年前の火災を思い出させるから」

士郎にとって、言峰 綺礼という人物は苦手だった。
だがそれとは別に、あの教会自体も苦手だったのだ。

「そうか………確か、孤児を預かっていた、のだったか? なら或いは─────」

(しろうが寄り付かなかったのも無理はない、か………)

鐘は思った。
ここにくるまでの彼の心境は理解していた。
その悪夢を無理矢理に思い出させるような場所に行きたいとは、幼少だった彼でも思わないだろう。
仮に鐘が士郎の立場だったとしても行こうとは思わない。

そうこうしている間に坂を上りきり、一面の広場に出る。

「…………」

ここにくるのは三度目。
黒い影の件でここを出る際、もうここに来ることはないだろうと思っていたのだが。

「俺は中に入るよ。氷室は少し外で待っててくれないか?」

隣にいる鐘にそう伝える士郎。
だが、鐘はそれに首を傾げた。

「なぜだ? ここまで来た以上は私もその神父を見ておく必要はあると思うのだが。それに衛宮はその男が苦手なのだろう? なら一人にするのは少し………」

「まあ確かに苦手ではあるけども。一人で一回ここに来たこともあるし、心配しなくても─────」

大丈夫と士郎が言う前に、開けようとしていた扉が重い音をたてながら内側から開いてきた。

士郎と鐘の視線の先にいたのは、その話の人物。
言峰教会の神父、言峰 綺礼だった。

「言峰─────」

「本来ならばこちら側から扉を開け、招き入れるようなことはしない。迷う人間が導かれる為に自らの意志でこの扉を開くのだからな。しかし扉の前で話しこまれてはその人間も入るに入れまい。些か、迷惑なのだが?」

士郎の言葉に重ねるように言ってくる。
相変わらず癇に障る口調で、しかし言っている事は正当性があるから性質が悪い。

「く─────、悪かったな」

言い返す事も出来ない以上、素直に非を認めざるを得ない。
そんな士郎を横に、鐘もまた神父を確認する。
特に何の変哲もないただの神父だ。
それは間違いようのない事実ではある。

が、その神父が放つ雰囲気というものがどこか威圧的なような感覚を感じた。
もちろん気のせいと言われると声に出して反論しにくいのも事実だ。
或いは神父という“神聖”に仕る人間の前では自分という存在も委縮してしまい、結果として威圧感を感じてしまうのか、とちょっと難しくも考えた。

しかしそんな小難しい考えを放棄すると確かに“接しにくいタイプ”とも感じ取れた。
士郎の事前情報によってそう感じてしまったのかもしれないが、そこまでは考えなかった。

そんな鐘を一度見た綺礼は、やはり相変わらずの口調で士郎に問いかけてきた。

「隣にいるのは“氷室 鐘”と見受けるが。………さて、彼女を連れてきたということは保護を求めに来たのかな。あれだけ凄んだ割にはあっさりとしたものだな?」

そんな事を言いのける神父に思わずムッときた士郎。

「誰がお前に任せに来たって言った。一緒に来ただけだ、保護してもらうために連れてきたわけじゃない」

少し強めの口調で反論する。
こんな苦手な、関わりたくない人間に大切な人を預けておく、という考え自体持ってないし、持ち合わせようとも思わない。
が、その保護だなんだという話を全く知らない鐘にしてみれば疑問だらけの会話でもある。

「そうか、ならばいい。その判断が正しかったか間違っていたかは終わった後にわかるものだ。─────それで? 今日は何しにきた。世間話ならば他でやってもらいたいのだが?」

「こんなところでする世間話なんてあるか。………聞きたいことがあってきた。ただそれだけだ」

「ならば入口に立って話す必要はなかろう。もとより、私に話さずにそこで独白されても反応などできん。………奥で話そうか。聖杯戦争に関することだろう」

カツン、と足音をたてて奥へと消えて行く。
その後ろ姿を見ながら、鐘に呟く。

「………とりあえず、あんな奴だ」

「わかった気がする。………ところで衛宮、保護というのは何の話だ?」

「─────ここの教会は聖杯戦争の脱落者、或いは無関係な人を保護するっていう役割もあるんだ。………保護っていうのは、そういうことだ」

ゆっくりと教会内へ入って行く。
その後ろ姿を見つめながら、ただ小さく。

「─────ありがとう、しろう」

誰にも気づかれないほど小さく、呟いたのだった。


─────第二節 決定的な違い─────

通されたのはいつぞやに来た一室だった。
相変わらず何もない部屋だが、応接室というならば問題はない。
しかしその部屋にワインの臭いが染みついているというのはどうかとも思うが。

「さて、最初・前回と一人で来たワケだったが、今日は同伴者込み。それで、一体何の話かな」

「遠坂についてだ」

単刀直入に話を進めていく。
与太話に華を添えていられるほど時間があるわけではない。
それにこの神父相手に無駄話をしようとも思わない。

「………それで? 凛がどうしたのかな」

「判ってるだろ、監督役のアンタなら。遠坂が家に帰ってきてない。大橋でギルガメッシュと戦っていた筈だ。その後に連絡が取れなくなってる。………どうなったか、アンタなら知ってると思ってここにきたんだ」

士郎の質問を聞き、僅かに瞼を閉じた。

「言峰」

「まず一つ。お前の口から“ギルガメッシュ”という言葉を聞いたのは初めてだ。お前はどこまで正体を掴んでいる?」

「………あいつは前回の聖杯戦争の優勝者で、残り続けてるサーヴァントっていうのは知ってる。他にもアイツの能力も判ってる。けど、俺が知りたいのは奴の居場所だ。言峰、何か掴んでないか」

「おかしな事を聞く。それではまるでギルガメッシュが凛を攫ったかのように聞こえるが? 殺されて連絡が取れなくなっている、とは考えないのか」

「ああ、可能性としてはあるかもしれない。けど─────アンタのところに来て判った。やっぱり遠坂は生きている」

「………どういうことかな」

「もし仮に遠坂が殺されたっていうなら、その死体を監督役であるアンタが何らかの関わりを持って処理していないのはおかしい。アイツは死体処理なんてことまでするような性質じゃないからな。そしてもしアンタが処理をしていたなら、俺の質問にもっと別のカタチで答えたハズだ。前の黒い影の件のように。それがないってことは、処理していないってことで、つまり遠坂はまだ死んでないってことになる」

「………なかなかの推測だ。だが“跡形もなく消し飛ばされた”だった場合もまた、私が処理に携わる事はないのだが?」

「遠坂はセイバーと一緒にいたんだ、あの大橋で。もし仮にそうなるほどの戦闘なら大橋は確実に落ちてる。けど、大橋は落ちてなかったし、何より遠坂とセイバーがやられる訳がない」

前回ここに来たとき。
士郎は究極の二択を強いられていた。
桜を救いたくばイリヤやセイバー達を見殺しに、それができぬならば桜を殺せ、という二択だ。
冷静になった今ならば、この神父の性格も大まかにわかる。

「─────なるほど、転んでもただではおきないということか。頭が冴えるな、衛宮士郎。その女のおかげかな」

ちらり、と部屋の隅に立つ鐘に視線をやる綺礼。
だがその問いには答えず、神父が答えを出すのを待っていた。

「確かに、此方に遠坂 凛が死亡した、という報告は入っていない。そして報告には鉄橋にてギルガメッシュとセイバーが戦闘を行ったという報告も入っている。─────入っているからこそ、鉄橋の修復の指示を出せたのだからな」

だが、と綺礼は話を区切った。

「お前も判っているだろうが、昨日の戦闘は些か大きすぎた。一区画丸ごとクレーターになる勢いの戦闘だ。それを隠蔽しながら修復し、元に戻すというのは容易なことではない。当然人手も足りないのでな。凛が死んだという情報は入ってきていないが、どこに行ったか、という情報もまた入ってきていない。─────これが答えだ」

神父より出された答え。
つまりこの神父も居場所を掴んでいないということだ。

「………そうか」

これで完全にフリーになった。
どこにいるのか、全く情報がないところから始めなければいけない。
行先に暗雲が立ち込めてきたかとも思ったその矢先。
目の前の神父はある言葉を口にした。

「柳洞寺」

「………柳洞寺?」

「次の聖杯が現れるとすれば、それは柳洞寺だ。聖杯の出現場所は四つ。この教会、柳洞寺、遠坂邸、新都内のとある場所だ。何を目論むにしても、この戦争の目的が聖杯である以上全てはそこに集約される」

「………つまりアンタはギルガメッシュもまた聖杯の為に柳洞寺に現れる、って言いたいのか?」

「それが何より一番手っ取り早い、というだけだ。間桐桜然り、イリヤスフィール然り、その他聖杯を目的とする者然り。目的の人物達が一か所に集まってくれるというなら、そこに陣取っておけば相手が勝手にやってくるだけの構図だ」

綺礼の言葉を聞いて考えに浸る士郎。
士郎の目的は遠坂 凛の救出、セイバーの救出、間桐 桜の救出、そして聖杯の破壊である。
それら全てを達成した先にあるものを士郎は目指している。
故にこれらの目的のうちの一つでもかけてしまってはいけない。

だがどれの目標を達成しようとしても、士郎の体は一つだけだ。
全く別の場所にいる誰かを同時に助けることはできないし、守ることもできない。
しかしこの神父の言う通り全員が柳洞寺に集まると言うのならば話は別。
全員を助け、そこに現れる聖杯を破壊できるというのならばそこに行かない筈がない。

「ギルガメッシュもイリヤを狙ってるし、桜も狙ってる節があった。遠坂達を攫った理由は判らないけど、過去にセイバーとの間で何かあったらしいし………」

そもそも今現在ギルガメッシュの居場所を掴む手掛かりがない。
そして目の前にいる神父もまた、その情報を持ち合わせてはいない。
昨日の戦闘の隠蔽をしていたというならば、納得もできる。

「………言峰、他に可能性のある場所っていうのは判るか?」

「さぁな。だがキャスターの様に瞬間移動ができる、というのであればそれこそ可能性は無限だが、そうでないのであれば行動範囲も限られてくる。十中八九この街にはいるだろう。………もっとも、今のお前で見つけられるかは、また別問題になるわけだが」

「いいさ、そんなのはこっちの苦労だ。話はこれだけだ、癪だけど世話になった。一応礼は言っとく」

ソファから立ち上がり、背を向ける。
今まで背後で二人の話を聞いていた鐘は立ち上がった士郎を見てもう話はいいのか、と目だけで尋ねてくる。
士郎としては聞ける分は聞けたと考えているし、ここに長居をするつもりもない。

「行こう、氷室」

彼女の手を取り、戸を開けて中庭へと出る。
相変わらず豪華な中庭を横目に外へ向かうべく長椅子が並べられた教会へと向かう。
だがその背後。

「待て。質問に答えたのだ、私からも一つ訊きたい事がある」

同じく部屋から出てきた綺礼が二人を呼び止めた。
去ろうとした足が止まる。
気に食わないことなど多々あったが、それでも借りがあるのは確かだ。
それがこれで帳消しになるのなら。

「なんだよ、あんただって忙しい身だろ。俺達だって足踏みしてるわけにはいかないんだ。話なら手短にしてくれ」

「なに。そう時間のかかる問いではない。いつぞやの答えを聞いていないだけだ」

前回この教会へ来たとき、この神父は衛宮士郎に問いを投げた。
桜を助けたければセイバーとアーチャーを生贄にしろ。
それが嫌ならばイリヤスフィールを差し出せ。
それも無理ならば間桐桜を殺せ。
それでなければ鐘と綾子を含めた大量の人間が死ぬことになる。

思い出す。
あの時の神父ほど関わりたくない存在はなかった。
逃げ道を全て塞いだうえで、今自分の立っている足場を爆破して奈落に落とすような話の進め方。
あの時の神父の問いに答えることはできなかった。

桜を殺したくはないし、イリヤを殺したくもない。セイバーやアーチャーを生贄じみたことなんてさせたくもない。
もちろん今手を繋いでいる鐘と今ここにはいない綾子を死なせる気もない。
だからこそ神父の問いに答えられなかった。
後ろも前も、右も左も全てが奈落に通じている選択肢。
そんなものを選べなんて言われて選べるはずもない。
かといって立ち往生すれば今立っている足場も崩れ去る。

あの時ほど精神的に追い詰められたことはないだろう。
留まる事も進むことも戻ることも許されない。
故に落ちていくしか選択肢がなかったそこに─────。

「はっ─────」

小さく息を吐いて、笑う。

「悪いな、言峰」

─────上から手を伸ばしてくれた人は、どこの誰だったか。

「俺はお前が言ったどれの選択肢も取らない。桜は助けるしセイバーやアーチャーを生贄になんてしない。イリヤだって差し出さない。氷室や美綴だって殺させない。俺は─────全部を救う」

はっきりと、あの時には出ることのなかった答えを、目の前にいる神父に叩きつけた。
その答えを聞いた神父は、しかし表情など変えず、僅かな間を置いて無表情のまま尋ね返してくる。

「全てを救う─────と、来たか。だがどう救う? 間桐桜は黒化し─────」

「それについても考えがある。100%………とは言い切れないけど、それでも可能性ならある。俺はそれにかける」

神父の言葉を遮る様に士郎は口に出した。
もうこの神父が作るペースに巻き込まれるつもりはないし、あの時とは違い明確な意思がある。
助けるという意思、守るという意思。そして“生きる”という意思。

士郎の答えを受け、黙る綺礼。

「つまり─────お前は救う者の為に奔走し、その結果自己が破滅すると判っていてもなお己の答えの為に救うということか」

淡々とした声で、士郎の答えを吟味する。
この男の思考回路がどうなっているのか、なんて士郎には判らないし、ましてや今さっき会ったばかりの鐘が知るべくもない。

「─────とんだ正義だな。仮に救えたとして、では間桐桜はどうなる? 前回も言ったが間桐桜自身、そのような自分を容認できるのか? ましてやそこにお前がいないとなれば、いよいよ彼女は容認などできないだろう。その先にあるのは“死”のみだ。ただ救うだけでは結果は何も変わらん。お前のそれはただ“救った”という事実を作りたいだけの偽善でしかないが?」

「おい」

だが、今この男が言った言葉を士郎は否定しなければならない。

「なんでアンタの中で、俺が死ぬことになってるんだ。─────俺は生きるぞ」

「………なに?」

「ああ、そうだ。生きたいって思えるようになったんだ。アンタの思考回路の中ではどうなってるか知らないけど、誰かの為に死んでやるつもりはない。誰かの為に一緒に生きて、自分の為に一緒に生きる。桜が助けを求めてるなら、桜を助けて俺も生きる。………俺の命は、俺だけのモノじゃない。それが判ったんだ。なら、破滅なんてしてやるもんか」

答え。
これが衛宮士郎の答え。
救うという最初の目標は変わらず。
けれどそこにあるべき自分を見つけ出した衛宮士郎の答え。

そんな答えを聞かされた神父は

「─────自分という概念を………」

僅かに驚いた表情を作り、黙り込んでいた。
正直に言ってこの神父が驚く表情を見れた事に驚いた。
無表情、というわけではないが、少なくとも士郎はこの男が自分に対し驚くような表情を見せるとは思わなかったからだ。

「─────ヤツは初めからあったモノを切り捨て、私には初めから切り捨てられるモノがなかった」

「え………?」

ポツリ、と綺礼の口から言葉が零れた。
だがその言葉は目の前にいる士郎に宛てられたものではなく、無論その隣にいる鐘に宛てられたものでもない。
いわば完全な独り言。
まるで目の前にいる士郎らが見えていないかのような独り言だ。

「結果は同じながら、しかしその過程が違いすぎた。ヤツの存在はあまりにも不愉快だった。ヤツの苦悩は明らかに不快だった。そこまでして切り捨てるというのであれば─────」

だがその独り言に僅かな“色”が見えた。

「だが、今のお前はヤツ以上に不快な存在だ、衛宮士郎」

それは“怒り”だった。
この男は持ちえることがないと思っていた、本当の感情が垣間見れた。

「お前は私と“似ていた”。お前は一度死に、蘇生するときに故障した。後天的ではあるが、私と同じ“生まれついての欠陥品”『だった』」

話が飛躍する。
一体この神父の中で何と何が比較され、何と何が勝って敗北したのか。

しかしそんな事を考え着くよりも前に、気がつけば足が一歩後ろへと下がっていた。
意識して下げたわけではない。

「ヤツとの違いは決定的だった。初めから持ちえないのであれば、何故私はこの世に生を受けたのか。その意味をただ問い続ける為に私はここまで犠牲にしてきた」

「………言峰」

「そうして得た答えが十年前の聖杯戦争だ。初めから無いものを捜そうとしたところで手に入ることはなく、ただ指の間を通り落ちていくだけ。それを理解し、己を理解したからこそ」

意識して足を下げたわけではない、というのであれば。
その足はいかにして下げられたのか。
答えは単純明快。

「しかしお前は手に入れた。“私と同じ存在”だった筈のお前は、数千という時間を重ねるわけでもなく、数百という試練を乗り越えるわけでもなく。………お前は、私の存在を否定した」

目の前の聖杯戦争監督役、言峰 綺礼の威圧によるものだ。
その威圧を受けながら、目の前の神父の言っている意味を理解しようとする士郎。
だが、思考回路が読めない以上、どういう心境に陥っているのかというのは判らない。

「氷室、ここから離れてろ………!」

只ならぬ威圧を放つこの男を前に、背を向ける事は出来ない。
そしてこの威圧を前に、これから起きることが予想できない。

「別に私の存在を否定された事に対してではない。─────ならば私の今までの問いは一体なんだったのか。何の為に苛烈な訓練に没頭し、何の為に『代行者』までに至ったのか。“先天的”と“後天的”とではそれほどに違いがあるのか。………もはや私では問いただせない問いだ」

だが、その予測できない事態も、次には容易に予測がついた。
言峰 綺礼より放たれていた威圧は、違う二文字の言葉となって士郎と鐘に襲いかかってきた。

元来どれだけ感応が優れていようと、それが一般人であるならば感知することはできない。
しかし悲しきかな。
士郎の後ろにいる鐘は、一般人でありながら既に一般人あるまじき経験を積んできてしまっている。
だからこそ、目の前の神父が自分たちを『殺す気』でいるということが肌に感じてしまうほどに実感することとなってしまった。

「言峰、お前………!」

「やはり私の求める答えは………“この世全ての悪アンリマユ”以外に答えを出せる者はいない。何者にも望まれなかった者。後天的ではなく、先天的にして生まれ出る者。私が求めている答えを出す者はもはやアレのみだ」

その言葉終了直後、綺礼の手に握られたのは一本の長い剣。
いや、剣というにはあまりにも不向きな形をしている。
剣として使えなくもないだろうが、恐らくは“刺す”ことに特化した剣だ。

それが綺礼の両手に二本ずつ、計四本の剣が現れた。
名を黒鍵こっけん

「その為にはやはりサーヴァントには消えて貰わねばならない。セイバー然り、アーチャー然り。だが今は─────」

両手が大きく振るわれる。
あれが形状通り刺突するに特化した得物だというならば、この距離は安全地帯にはならない。

「っ!? 氷室っ、礼拝堂に逃げ込めっ!!」

「─────!?」

振りかぶられる。
その剛腕は、寸分たがわず二人の元へと飛来する─────!!

「お前達の排除の方が、先のようだ─────!」



To Be Continued………



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第57話 誰が誰を守り守られるのか
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:47a17094
Date: 2013/04/30 00:29
第57話 誰が誰を守り守られるのか


─────第一節 見えなかった敵─────


―Interlude In―

半壊どころか八割強破壊されているアインツベルンの城に、綾子は居た。

「………車で二時間もかかってない場所だよね、ここ」

まるで社会の教科書に出てくるような凝った内装、大部分が壊されているとはいえ、未だにその城という威厳を残す外壁。
これが日本の、しかも車で行ける範囲内にあるなどと誰が思うだろうか。
今現在綾子がいる部屋はその崩壊したアインツベルン城の中でもその破壊から逃れた一室だ。
勿論突然この城が崩れてきたときのことを考え、すぐにでも脱出できる場所でもある。
いわばこの城は廃墟と同じだ。つい数日前まで完全な姿を誇り、ここで士郎らが一時を過ごしていたとしても。

「見学していいって言われたけど、瓦礫とかあっていけない場所の方が多いからねえ………」

あの銀色の少女………イリヤは士郎が発見した女性の介抱を行っている。
そこに入り込んで集中を邪魔するわけにもいかないから、こうして一人で部屋にいるということだ。
部屋の片隅に置かれたベッドに腰を掛ける。
明らかに自分のベッドとは比べ物にならないほどのモノだ。
だが今の綾子にはそんなものは関係なく、道中にイリヤに尋ねた内容を改めて思い返すことに思考が回っていた。

「………衛宮の、アイツの本来の目的は『幸せになること』─────か」

自分よりも明らかに幼い少女が言った言葉。
あの言葉の真意は一体何だったのか。
それを道中で尋ねて返ってきた答えがそれだった。

それを聞いたときは一瞬、『あたりまえだろ』と言いかけそうになった。
けれど、今まで彼の行動を見てきた身としてはその言葉が口から出る事は無かった。
彼のイメージはつまり、『人助け』という印象の方が強かった。
以前士郎と同じクラスである柳洞一成と話す機会があり、その時士郎についての話題になったことがあった。
その際彼は『奴はあまりにも他人を優先しすぎている。手伝ってもらっている身で言うのもあれだがあまりに“献身的すぎる”。友人としては少し怖くすら思えるのだ』と言っていた。
確かに知る限りの彼は気づいたら常に誰かの手伝いをしていたりしていた。
別にそれを悪いことだと否定するつもりはないが、一成の言う通りの感覚もあった。
その時はあまり気に止めなかったが。

「………幸せになる方法なんて、他に幾らでもあっただろうにさ」

聖杯戦争に入る前、そして聖杯戦争に入った後。
その時も彼の在り方は変わらなかった。
そして彼の異常性が聖杯戦争で明確に判った。
少し間違えれば死ぬという時でさえ常に人のことを考えて行動する、それがどれだけ異常かなんて。

だがイリヤの話を聞いて、それを『馬鹿だ』と罵ることなんてできなくなった。勿論最初から罵ろうとは思わなかったが。
彼のそこに至るまでの経緯は、きわめて普通に生きてきた自分と比べるべくもない。

「ねぇ、アヤコ」

「? はい、なんですかリズさん」

物思いに耽っていたところにリズが声をかけてきた。

「イリヤが呼んでる」

「あの子が? というか、あの女の人の手当てしてるんじゃ?」

「それはもう終わった。から、行っていいよ」

リズの言葉に了解し、あの女性が運び込まれた部屋へと向かう。
しかし一体何の用事なのか、綾子には見当がつかなかった。
手当ての手伝いか、とも思ったがそれも終わってるなら違うだろう。というより手伝えるとは思えない。

「おーい、入るよ?」

コンコン、とノックをして中へ入る。
部屋は先ほどまでいた部屋と何ら変わりなく豪華なものだ。
その部屋のベッドには運ばれた女性が腰かけており、向き合う様に椅子に座ったイリヤがいる。

「あ、─────」

「貴女が美綴綾子さんですね。まずは助けてくださってありがとうございます、と言っておいた方がいいでしょうか」

「あ、いえ。私は何もしてませんから。えー、と」

「失礼。私の名はバゼット・フラガ・マクレミッツと言います。呼びやすいように呼んでくださって結構です」

淡々と話している。
ちらりと切断されていた手を見てみると見事にくっついていた。

「挨拶はその辺でいいかしら。ねぇ、アヤコ『携帯電話』って持ってる?」

「携帯? もってるけど、どうしたの?」

「それ、ここからでも繋がる?」

「んーと、ちょっと待ってね」

ポケットから携帯電話を取りだす。
近年スマートフォンが主流になりつつあるが、綾子はまだその波に乗っていない。ついでに言うと鐘もまだである。

「………繋がるみたいね、かなり不安定みたいだけど。それで、どうしたの?」

「………まあ、もうほぼ全壊したような城だし、別にいっか。─────じゃあカネに電話かけれる?」

「氷室に電話? そりゃあ電波届いてるなら繋がると思うよ。電話かけるの?」

「ええ、ちょっとシロウの耳伝えておきたい事があって。ラインから呼んではいるのだけど距離が遠すぎるのと、シロウ自身がラインに気付いて集中をこっちに割いてくれないと聞き取れないからね」

「つまり衛宮に用事ってことね。ちょっとまってね、電話かけるよ」

電話帳から名前を選択し、電話をかける。
電波表示が一本というのが少し気になるが、一応はかかるはずだ。
しばらくしてコール音が聞こえてくる。
こうなれば後は相手が出るだけなのだが、二回三回とコール音が続くだけで一向に出る気配がない。

「? 何か取り込み中かな、でないな」

「………」

綾子の反応を見たイリヤの表情が少し険しくなる。
ベッドに腰掛けるバゼットの表情も固いように見える。
そんな二人に一体どうしたのかと声をかけようとしたところに、ブツ、という音と共に回線が開かれた。
ようやく繋がった、と声に出そうとしたら

『─────……!』

電話の向こうから只ならぬ音が聞こえてきた。


―Interlude Out―


中空を串刺しにする黒鍵。
だがそれらは二人には当たらず壁に突き刺さるだけに終わった。
その光景を神父、言峰 綺礼は目の当たりにする。
氷室 鐘は礼拝堂へ逃げ込んだ。
通常ならばそこで終わっているだろうが、衰えたとはいえ綺礼は『代行者』である。
壁の一枚打ち抜けないほど力を抜いて投擲したわけではない。

だからこそ足を狙わなかった。
礼拝堂へ逃げ込んだところで壁越しに串刺しにできると踏んでいたからだ。
しかし黒鍵は壁を貫通することなく、また血飛沫をあげることもなく、壁や天井、地面に突き刺さり崩れ落ちていた。

「─────自身を襲う黒鍵だけでなく、女を狙った黒鍵までも撃ち落としたか」

綺礼の目の前にいるのは衛宮 士郎。
その両手には白と黒の短剣・干将莫邪が握られていた。

「言峰、お前………!」

目の前の神父を睨む。
先ほどの黒鍵投擲は間違いなく早かった。
大よそ人間が投擲したとは思えないほどの速度だ。
破壊力もやはり人間のそれとは思えない。
撃ち落とす度にその衝撃が腕を通り脳にまで伝わってくるほどだ。

「この距離で全て防がれるとは思わなかったぞ。守ると豪語しただけはある、ということか」

だがそれでもギルガメッシュのそれと比べればどう見えても劣っていた。
目が慣れていた、とは言わないだろうが少なくとも戦いの経験が結果として出たのだろう。

「言峰、いきなり何を………」

「いきなりも何も順当なモノだと考えるが?………ただし、お前がそれを認識しているかというのはまた別問題だがな」

目の前に立つ神父を見て、思考を僅かにそちらへと分ける。
考えられるのは先ほどの問答か。

「─────いいや、もっと前だ。お前としても決して容認できない事実としてある」

「もっと前?」

綺礼の手に黒鍵が現れる。
それを見た士郎が再び構える。
距離は先ほどより数メートル離れた程度。
十分綺礼の射程圏内ではあるが、意識を集中していれば決して反応できない距離ではない。
だが─────

「─────ランサーのマスター。それだけ言えば判るだろう、衛宮士郎」

その言葉が一瞬を鈍らせた。
次の閃光はさらに早く襲いかかってきた。

「な─────ぐ!」

襲いかかる黒鍵。
一瞬の不意をついてきたソレをぎりぎり両手の武器で迎撃する。
左手を横へと流し、右手を振り上げる。
金属音を響かせ投擲された黒鍵が天井へと突き刺ささる、その僅かな時間の間に。

「え─────?」

『活歩』によって数メートルの距離を一瞬で詰めてきた綺礼がそこに居た。
中国拳法による歩法。そんなものを初めて目の当たりにした士郎がそれに反応できるはずもない。

「ご、っ─────!?」

強化を施した筈の体が在り得ないほどの激痛を発してくる。
一瞬呼吸困難に陥り、視界が僅かに霞み、視線が足元へと落ちる。
だがそれだけが不幸中の幸いだった。
その尋常ならざる移動によって一歩前に出た右脚を軸にし、勢いをつけた左脚が士郎の顔面へと襲いかかってきていたのだ。

「がっ─────ぁ………!」

一瞬視界がブレた。咄嗟にガードに入った右腕ごと蹴りが入ってきたのだ。
その直後に襲いかかってきたのは右腕の激痛で、自分のいる位置がおかしいと判ったのは壁に叩きつけられた後だった。

蹴り飛ばす際に腰をひねるような横回転を加えたことにより、真横に飛ばされるのではなく引っかけられる様に後方へと吹き飛ばされた。
結果今までとの立ち位置とは真逆、綺礼が礼拝堂側に立ち、士郎が内部側にと変わっていた。
人間をただ蹴り飛ばすだけでも相当な実力が必要だと言うのに、あろうことかこの人物は『蹴り飛ばす方向』すらもコントロールしていた。

「がっ、げ、………!」

胸元への正拳も相まって肺の空気が全て失われ、叩きつけられた衝撃で呼吸が止まる。
視線は地面。右腕は折れたかのようにマヒしていて動かない。
それでも今までの経験が訴えかけていた。
『ここで止まったら死ぬ』、と。

「─────っっ!!」

ロクに呼吸も吸えないまま両足に魔力を通す。
右脚に力を込め左へと跳ぶ。

ドン! と中庭に一撃が響いた。
超重量の鉄球が落ちてきたかのような音だが、落ちてきたのは足だった。

震脚による地面の踏みつけ。
本来ならば震脚や腰の回転、肩の捻りなど全身を使い、それによって最大級の攻撃力を持つ正拳を放つ。
それが中国拳法『八極拳』である。

今の踏みつけはその一番初めの動作を単体で出しただけに過ぎない。
だが単体で出したからこそ他につなげる必要はなく、故にその単体だけにのみ力を注ぐことができる。
その結果が先ほどの音だ。あのまま頭があそこにあった場合間違いなく頭蓋が踏み砕かれていただろう。

士郎は改めて今目の前にいる神父の認識を改めた。
相手は人間だが人間じゃない、と。

今の士郎ならば数メートルの距離を一瞬で詰めることは可能だろう。
今の士郎ならば床を砕くこともできるだろう。
今の士郎なら石柱を斬ることだってできるだろう。

だがそれは「魔力」を使って、「得物」を使ってできることだ。
しかし相手にはそれがない。
魔術行使をしたような痕跡は一切ないし、何かの得物を使って床を割ったわけでもない。
ただの体術だけでそれらをこなしてみせたのだ。

「………本当に人間か、おまえ………!」

そう呟く一方で、それら一連の動きに見覚えがあるのを思い出した。
今の今まで、吹き飛ばされたその瞬間まで思い出せなかったが、これらの攻撃は彼女と非常に良く似ている。
否、似ているどころではない。
全く同じだ。

「神父のクセに、中国拳法なんて………!」

止まっていた呼吸が再開する。

「そうだな。だが私のコレはただの真似事だ。内に何も宿らぬ物ゆえ、お前一人殺しきれん」

確かに士郎は生きている。
だがそんな神父の言葉も今の士郎には歯を食い縛ることしかできなかった。
魔力行使なしで、加えて真似事でそれほどの速度と威力。
至近距離戦闘において圧倒的に不利だ。
ならば相手は自分の得意とする至近距離ショートレンジに戦いを持ちこんでくるはず。

が、反して神父は近づいて来ようとしない。
なぜ近づいてこないのか、という疑問を思い浮かべるその前に。

「どうした、衛宮士郎。先ほどの言葉の意味は理解できなかったか? もたもたしているとお前より先に彼女が死ぬことになるぞ●●●●●●●●●●●●●●●●●

その言葉に駆り立てられた。

「っ─────言峰!!」

激痛を押しつぶし、礼拝堂へ向かうべく敵へ突進する。

「いい判断だ。そこからの投影では背後の礼拝堂をも襲うだろう。そうなっては意味がない。守る者が襲う者になるなどあってはならないのだからな。しかし─────」

強化した左腕が渾身の一撃を振るう。
普通ならば武器を持たない人間は避けるという行動を取るだろう。
しかしそれを綺礼は見届けたうえで、移動することなく左手を払うように動かした。

触れるのは攻撃してくる士郎の手。
攻撃をしかけている筈が、全てがあしらわれている。
届くはずの剣技は届く前に腕に遮られ、斬りつける筈の剣は隙間を通る様に伸びた腕によって腕ごと軌道を変えられる。
『聴勁』と呼ばれるその体技は、士郎の左手の攻撃を完全に防ぎきっている。
十年前にも彼の父、衛宮切嗣に対して同じことをしてみせた。
あの時と比べると自身の衰えがあり、あの時ほどの効果は出せないが、それでも士郎程度の速さならばまだ十分に通用する。

「こいつ………っ!!」

仕掛ける攻撃全てが受け流される事実。
その中で目の前に立つ神父の口元が僅かに歪んだ。
息を呑み、咄嗟に後ろへと跳び退く。

だが。

「─────それは実力が伴う者のみが選べる選択肢だ」

繰り出された砲弾が、跳び退いた筈の士郎の胸元に再び突き刺さった。
呼吸が止まり、視界がズれる。
外界の映像を認識できなくなり、そのまま後方へと宙を舞い、吹き飛ばされる。
受け身を取る事など到底叶わず地面に叩きつけられ、それでも殺しきれない勢いは口を開けて待っていたかのような闇の底へと、士郎を連れ去って行った。



─────第二節 礼拝堂─────


「衛宮………!?」

礼拝堂に逃げ入り、難を逃れた鐘だったが士郎がやってこない事やなぜいきなり戦闘になったかという事に困惑していた。
なぜあの神父が突然襲い掛かってきたか、なんて判らない。
だが監督役というからにはあの神父も相応の実力者なのだろう。
足止めをしているのかされているのかはわからないが、どちらにしたところで自分に出来る事は何もない。
そう。こと戦闘において一般人である彼女が出来る事なんて何一つもないのだ。

「─────私は」

今までに幾度も悩まされてきた事実に今もまた悩まされる。
出来る事は安全な場所にまで退避して壁の向こう側で戦っている士郎の負担を軽くすることくらいだろうか。
助けを呼ぶにしてもイリヤ達は城に行っており、凛らは行方不明。

「………“彼”は?」

そういえば今朝から姿を見ていないことを思い出した。
アーチャーのサーヴァント。士郎の理想の果て、“エミヤシロウ”。
今考え得る限り助けになりそうな人物は彼以外に存在しない。
その前日の戦闘で休息しているというのであればまだ遠坂邸にいるのだろうか。
或いは士郎と同じように凛の捜索に出ているのだろうか。
士郎がこの状況を伝えて呼んで今こちらに向かってきているのだろうか。
そもそもこの状況が彼に伝わっているのだろうか。

様々な可能性の思考が鐘の中で交錯する。
今この状況においてやれる一番の手は一体何か。

士郎を助けるというのであればアーチャーを呼ぶのが一番だろう。
ただ鐘にはそのアーチャーを呼ぶ手段がない。
まさか英霊が携帯電話を持っているわけもないし、彼とはあの衛宮邸での一件以外ほとんどしゃべっていない。

「どうすれば─────………ッ!?」

浸りかけた時、ドン!という音が鼓膜を激しく揺さぶってきた。

「考えている暇はないか………!」

向こう側の戦闘は思っていた以上に激しいらしく、礼拝堂にもその音が漏れてきている。
壁越しに中庭を見て、止めていた足を再び動かして出口へと向かおうとしたときだった。

鐘の足がピタリ、と地面に縫い付けられる様に止まってしまう。
ちょうど背後の中庭方面から出口へと顔を振り向けた時だ。
この礼拝堂に入ってきたときは誰一人いなかったその出口の前に、“嫌でも見覚えのある人物”が立ちはだかっていた。

「よう。いつぞやの夜以来だな、嬢ちゃん」

「………!」

どっと鐘の背中に冷や汗が流れる。
なぜあの男がここにいるのか、どうして今というタイミングなのか。
一瞬そんな疑問が思い浮かんだが、“そんな疑問を思い浮かぶということが”彼がここにいる理由だということを逆に示していた。

「まさかあの神父がマスター………?」

「御名答。あの時よりかは頭は働くようになってるじゃねえか」

縫い付けられていた足が地面から離れる。
ただしそれは出口方向へではなく後方…つまりは中庭側へ一歩後退するように動かされていたが。

「………あまりにもタイミングが良すぎる、と思っただけなのだがな」

呟くようにして目の前の敵を見ながら後退する。
こうなってしまっては出口への突破は無理だ。
かといって背中を見せて中庭へ逃げても逃げ切れない。
今までサーヴァント、という存在は嫌というほど見せつけられている。
背中を見せて逃げ出した瞬間串刺しにされるだろう。

「ああ、確かにタイミングが良すぎるか。………命令されちゃどうしようもないからな。たとえ、それがどんなにいけ好かねえ物でもな」

感情を殺したような声が礼拝堂に響く。
同時に虚空よりこれもまた見覚えのある紅い槍がランサーの手中に現れた。

「嬢ちゃんを殺せ、って言われてるんでね。まあ、俺がここに現れた時点で予想はしてただろうが。………恨むなら恨んでくれて構わねえぞ」

カツン、と足音が響き始める。
紅い槍を持って、死神が一歩一歩と近づいてくる。
一歩一歩と後退するがそれもすぐに止まってしまう。

目の前の敵を視界に収めながら、しかし思考は最早別に動いていた。
どうする、どうすればいい。

「死ぬ訳には………」

このままでは確実に殺される。
中庭に逃げ込こもうにもその前に殺されるのは確実。
抵抗なんて論外。
なら一か八かで中庭に逃げ込めばまだ可能性はあるだろうか。

「怖がらせるのは趣味じゃねえんだ。安心しろ、苦しまないよう一撃で葬ってやる」

ランサーの膝が僅かに曲がる。
それが一気に跳躍し距離を詰めるものだと認識したと同時。

「─────あ」

鐘の視界にまたも日常的に考えて奇妙な光景が現れた。
槍を構えたランサーの背後。
最初は薄らと、しかし次には確実な実体として赤い服の人物がそこにいた。

蒼い死神と、赤い服の人物。
その二人の間に会話はない。
振り上げた白と黒の両手剣を振り下ろし、構えた紅い槍を振り向きざまに突き出した。

槍と剣のぶつかり合い。
それは先ほどまでの静かな礼拝堂を一瞬で別物にするかのような衝突だった。
ただ振り下ろした、ただ突き出しただけの双方の攻撃は、礼拝堂に並べられている長椅子を周囲に吹き飛ばすほどの風圧を生み出していた。

その中心に変わらずいるのはサーヴァント、ランサーとアーチャー。
双方の攻撃を双方の武器が受け止める。
たった一度の攻撃。しかしそれだけで終わる筈もない。

「らぁ─────!!」

明らかに槍の領域よりも内側に入り込んだアーチャーを紅い槍で押し飛ばす。
すぐさま槍を構え直し敵へ刺突する。
しかしそれを受けるほどアーチャーも弱くはない。
押し飛ばされ、着地したと同時に襲いかかる紅い槍をその目が見切り、防ぎ、反撃する。
受け流す様に槍の軌道をずらし、返す腕でランサーへ斬りつける。
それを槍を傾けるようにして防ぎ、旋回させた槍が下から振り上げられる。
回避するべく後方へ一歩後退したアーチャーに追撃をかけるランサー。
しかしそれを干将莫邪で防ぎきるアーチャー。

戦場というにはあまりにも狭い教会の礼拝堂内。
しかし鐘の目の前で行われている戦闘はそれを感じさせないほど超高速だった。
目に見えたのは一番始めのアーチャーの振り下ろす動作のみ。

その後の剣戟はもはや視認できない。
メガネをかけている鐘の視力が悪い、などの話ではない。
一般常人では再現不可能な速度での戦闘。
激突しあう二人の余波を見ることしかできない。

数度の打ち合いの後二人は大きく距離を取った。
とはいえ礼拝堂の中。
百メートル、二百メートルといった距離をとることはできない。
ランサーは出口付近に、アーチャーは鐘の前に立った。

「実体化してからの急襲、しかも背後からか」

「卑怯だ、などと言うか? 悪いがプライドなど無い身なのでね。騎士道など私には興味がない」

「だろうな。俺が言いてぇのは“それだけの事を仕出かした”くせに俺を仕留めきれなかったってことだ」

「よく言う。一般人を二度ならず三度までも殺し損ねた者が言うことではないな、ランサー」

構えた槍の穂先を静かにあげる。
対してアーチャーは未だに構えを見せていない。
それを見てランサーは目を細めるのだが、アーチャーは涼しい顔のまま

「人とは、変わるものだな」

ポツリ、と呟いた。

「え………?」

「言いたい事があるが今は叶わない。死にたくなければ隠れていろ」

赤い背中が言う。
一瞬呆気にとられた鐘だったが、ここは言う通りにしたほうがいいだろう。
礼拝堂の中央で戦う二人から離れるように隅へと隠れる。
当然鐘を標的としているランサーにもその行為は筒抜けなのだが、アーチャーを放置して鐘を殺せるほど目の前の敵は甘くない。

「は─────弓兵が建物内で戦う? 大よそ正気とは思えねぇが?」

「敵に情けか、ランサー? 確かにここは建物内で遠距離戦など臨める場所ではない。だが─────」

アーチャーの両手に握られていた干将莫邪が消える。
その事実にランサーは訝しげな表情を作るが、アーチャーの顔を見てさらに疑問符が増える。
アーチャーは武器を消しただけではなく、あろうことかこの数メートルという距離で鷹の目すらも自らの意志で閉じていたのだ。

“─────、なんのつもりかは知らねえが─────”

ドッ、と礼拝堂の地面が爆発した。
ランサーの踏み込みに耐えられなかった床が割れたのだ。
だが反してランサーの踏み込みは今までの中で最高のモノだ。
数メートルの距離を刹那の時間で踏み込み、刺突する魔槍。
この距離で武器を持たず目を閉じるというのはただの自殺行為。

ましてや敵は最速のサーヴァント、ランサー。
ならばこの距離で負けるはずがないと結論を出した一方で、さらに注意深く、刺突する直前までアーチャーを観察していた。
自分の取った行動が悪手だというのは理解している筈だ。
それを理解したうえでそれでもなお決行するからには何かしらの“タネ”があると考えるのは判る話だ。

────投影、開始トレース・オン

消え入るような言葉を認識できた。
しかし恐らくはそれがいけなかったのだろう。その直後に中空に現れた無数の剣群に気を取られてしまった。
否、仕方がない事実ではある。
突如自分の真上に無数の剣が真下を向いて現れるという光景を見て、刹那的な反応すらなくすことなどできないのだから。

そこから出来事は最早両者とも息つく暇すらない。
閃光にしかみえない槍を紙一重で躱したアーチャーは、刺突によって生まれる僅かな隙に瞬間的に投影してみせた宝具群を即座に打ちおろす。
攻撃させることによって生まれた僅かな隙を突く。
わざわざ向こうから先に攻撃“させてまで”作り出した隙を逃す手などない。
必殺を以ってして全神経を攻撃に集中させる。

だがこのランサーもまた甘くはない。
その光景を見たという理由で攻撃の手が一瞬緩んだというのであれば、すなわち退避への移行時間は短くなる。
攻撃に使用した勢いを殺すべく足を逆側へ踏み込む力に変え、蹴り出す事によって逆ベクトルへと変換。
脚をバネの様に使用し、一気にアーチャーとの距離を取る。

標的を失った宝具群が礼拝堂の床に突き刺さっていく。
距離を取ったランサー。
一方で今の一撃で仕留められなかった事実に舌打ちしたアーチャーは、追撃をかけるべく投影宝具を射出する。
普通に考えれば相手の『距離を取る』という行為は悪手だ。

数にして十六。
対してその全てがランサーに向けて放たれたわけではない。
ランサーが回避するであろう範囲にも攻撃を放つことによって退路を防いでいた。

「舐めんじゃねえ!!」

しかしそれはこのランサーには当てはまらない。
礼拝堂に金属音が鳴り響く。
彼の持つスキル“矢よけの加護”によって、迫りくる剣群を槍で叩き落とし防ぎきったのだ。
当然退路封じの為に放った攻撃はあたることなく空振りに終わり、ランサー自身を狙った剣群も叩き落とされた。

これで振り出し。
接近戦に関してはアーチャーよりもランサーが上。
このまま中距離戦による宝具群の投擲を続ければいかに“矢よけの加護”を持つランサーと言えど同時に捌ける限度はくるだろうが、そも、それをさせ続けてくれるほどお人好しではない。

一気に槍の攻撃範囲に持ち込むべく加速する。
同じ手は二度通用しない。
穂先を上げ、音速にも匹敵する必殺の槍を刺突しようとして─────

「なっ………!」

アーチャーの右手に現れた大剣に目を奪われた。
マスターの命令によって一度は全ての敵と戦っているランサーは、その武器に見覚えがあった。

「─────だが、私が接近戦を不得意としている訳では断じてない」

それはかつて狂戦士バーサーカーが手にしていたあの大剣である。

「────────是、射殺ス百頭ナインライブズブレイドワークス

直後、礼拝堂に激流が生まれ、音速で刺突された魔槍を、神速を以ってして凌駕した。


─────第三節 助けられた者は助ける者へと─────

―Interlude In―

「氷室? どうしたの、何があった!?」

その只ならぬ音に驚いた綾子。

『もしもし、美綴嬢………!』

「氷室、アンタ今どこにいるの? さっきの崩れるような音はなに?」

『今、教会─────に──────────』

ブチッ、と勢いよく電話の通話が終了する。
全くもって要領を得なかったが、明らかに何かがあったことは理解できた。

「アヤコ? どうしたの?」

「わ、わかんない。けど氷室達に何かあったみたい。教会がどうとか言ってた」

「………教会ですか」

会話を聞いていたバゼットが低い声で呟く。
それに疑問を覚えつつも、どうすべきか目の前にいる少女の返答を待つ。

「………どう足掻いても今の状態の貴女じゃ無理よ。せめて体のリハビリをしないと前回の二の舞でしょう。それは貴女も判ってる筈よね?」

「ええ、了承しています。今の体では走り続けるのも困難ですから」

「え………っと?」

「何でもないわ、アヤコ。シロウ達が普通じゃない状況っていうのは判ったわ。けど、ここからじゃ駆けつけるのに時間がかかりすぎるし、第一私達が駆け付けたところでできることはない。………それは判っているでしょう?」

イリヤの言葉を聞いて内心舌打ちしてしまう。
彼女のいう事は実に的を射ており、事実綾子が駆け付けたところでできることはない。
戦場の事実を知りながら何もできないという事実を突き付けられ、それに苛まれたことなどもう何回目だろうか。

「そう、何もできない。こと戦争に関して言えばアヤコやカネができることなんて全くないわ。………ねぇ? じゃあアヤコはこのままでいいと思ってる?」

「………それ、どういう意味?」

「アヤコを此処に連れてきた意味。それはあるモノを運んでほしいから、なんだけど。正直に言っちゃうと“ソレ”でもただの応急処置にすぎない」

「………?」

まだ疑問符が抜けない綾子を見て薄らと笑うイリヤ。
そして次にでた言葉は今までの綾子の悩みを、そしてもし仮にここに鐘が居たとするならば、彼女の悩みも解消するような言葉だった。

「今まで貴女達二人はシロウに助けて貰ってばかりだった。だから─────次は二人がシロウを助ける番なのよ。その方法も手段も、何もかも教えてあげる」


―Interlude Out―

礼拝堂の隅、この教会の建物を支える柱の裏に、鐘は蹲っていた。
隠れたのを合図にしたかのように礼拝堂で始まった戦闘。
その光景を見る事は叶わないが、聞こえてくる音だけでその激しさは十二分に把握できた。

そんな中ポケットに入れてあった携帯の着信音がなる。
あまりに戦闘音が大きいため着信してから気付くのに時間がかかってしまった。

「これは………美綴嬢か」

隠れているとはいえここも安全地帯ではない。
体をさらに小さくして戦闘の様子を窺いながら電話に出る。

その直後だった。
ドン!! と鐘が隠れていたすぐ傍に武器が突き刺さった。
ランサーが宝具群を槍で弾き飛ばした流れ弾だった。

今の音だけで5年近く寿命は縮んだんじゃないだろうか、などと思いながら改めて電話に出る。

『氷室? どうしたの、何があった!?』

どうやら先ほどの音は聞こえていたらしく、綾子の慌てたような声が先に聞こえてきた。

「もしもし、美綴嬢………!」

『氷室、アンタ今どこにいるの? さっきの崩れるような音はなに?』

状況の説明を求めてくる綾子。
長話はしてられないが、伝えておく必要もある。

「今、教会にいてそこの─────ッ!!?」

だが実際にはその状況を説明する暇すらなかった。
嵐のような暴風と地震のような地響き、そして爆弾が爆発したような轟音が裏に隠れていた鐘に襲いかかってきた。
その衝撃にたまらず頭を抱えて蹲ってしまう。
建物全体が揺れ、床がミシミシと悲鳴をあげている。

数秒後揺れと音、風が止んでいることに気付きゆっくりと顔を上げる。手に握っていた携帯は先ほどの衝撃でどこかにいってしまっていた。
ゆっくりと戦場地帯となっている礼拝堂を覗き込む。
そこで目にした光景はここに訪れたときとはまるで別の場所と変貌していた。

並べられていた長椅子は今や9割がその原型を留めておらず、残る1割でも半分は戦闘の余波によって元の位置に存在していない。
壁には戦闘によって生まれた穴が開いており、外は僅かに赤色の空を残すほどの暗さになっていた。

その戦場の中心地に赤い人物は立っていた。
ランサーはどこにもいない。
先ほどまでの戦闘音も聞こえないことから、ついさっきの人一倍大きな衝撃が戦闘の終了の合図だったのだろう。
そしてアーチャー………エミヤシロウが立っているという事はつまり。

「勝った………のか?」

崩壊したアインツベルン城ほどではないが、歩きにくくなった足場に注意を払いながら戦場に佇むアーチャーへと近づいていく。

「その………エミヤ………?」

問いかけるように声を発すると、アーチャーは鐘の方へと向き歩いて近づいてきた。

「想像以上に荒れてしまったが、その様子だと無事なようだな。あと、私を呼ぶときは『アーチャー』で構わない。同じ呼び名が二人もいては呼びにくいだろう」

「え? あ、ああ。─────じゃあ、アーチャー………さん。ランサーはどうなったのだろうか? 貴方が倒したのだろうか」

アーチャーを見上げる鐘。
身長差も相まって思わずさんづけしてしまった。
鐘の問いに僅かに視線を逸らす。

「倒した、一応はな。………が、“倒してはいない”だろうな。ここからいなくなった、と言うのが正しいか。そちらの方がまだ的確だ」

「………つまり、逃げられた?」

「いいや、『倒した』さ。ただ戦ったモノが“別物の本物”だったということだな」

「別物の本物………?」

アーチャーの言葉に疑問を抱く鐘だったが、ここに士郎がまだいないことに気付き慌てた様子でアーチャーに話しかけた。

「そ、そうだ。まだ衛宮が帰ってきていない! アーチャーさん、助けにいかないと………!」

その慌てた様子を見て、アーチャーも慌てるように………とはならず、

「その必要はないな」

と冷静に断った。
その回答に呆気にとられてしまう。
士郎に助けが必要ない、とはどういうことか。

「別に奴を見捨てると言っている訳ではない。相手がサーヴァント、というのなら話は別だが相手はランサーのマスターなのだろう。ならば私が行く必要はない。もし仮にそれで敗れるのなら奴は所詮その程度だったということだ」

「な………。けど、衛宮は─────」

「あの男はもはや違う。だがな、それでも奴の、“衛宮”である士郎の根本は変わらない。今の奴は“二つの根本”を両立させようとしているだけだ。“衛宮”を捨てた訳ではない。─────否、捨てれるはずがない」

鐘を見ていなかったアーチャーの瞳が、見上げる鐘の顔を視界にとらえる。

「君という過去を、己と言う過去を拾い上げた奴がどうして“衛宮”を捨てることができる。“衛宮”になる前の士郎が奴だというならば“衛宮”になった後の士郎もまた奴だ。
 故に“エミヤ”しか持たない私とはもはや別物だ。この先何を選択するかなど私では判らない。─────だが、それでも一つだけ言えることがある」

「言えること………?」

アーチャーが鐘に背中を向ける。
その咆哮は中庭ではなく、外の方向だ。

「それは奴が私がかつて抱いていた理想よりも更に高い理想を目指しているということだ。……凛やセイバーでも奴を助けることはできるだろう。
 しかしそれだけだ。前しか見ない奴を振り向かせることはできない。後ろを振り向かない奴が、私を超える理想の成就など叶うはずもない。
 ましてやその理想が過去にも関係しているのであれば、余計に後ろを振り向かせる人物が必要だ。無論、いい意味でな。そうなった時、振り向かせるためには後ろにいる人物でなければならない」

「後ろに………」

「そうだ。恥じるな、胸を張れ。君が“そこ”にいて、奴を、衛宮士郎を引っ張り続ける限り、迷う事も惑う事もなく戻ってこれる。
 ならば敵に己に、敗北することなどこれまで以上に在り得るはずもない。イメージするのは常に“最強の自分”なのだからな」

アーチャーの言葉が胸に刺さる。
それは嫌な意味ではない。
それは今までどうしようもないと諦めていた部分を掬い上げるかのように─────

「理想に進ませるのは凛やセイバーがいる。そうではなく、綻びのある理想を補強してくれる存在。それが君だ。君がいるだけで、過程も結果も大きく異なる。─────それで全てが変わるというのならば」

振り返り、再び鐘の顔を見る。
振り返ったアーチャーの顔は小さく、小さくではあるが薄らと笑っていて

「私を頼む。知っての通り危なっかしいヤツだからな。─────君が、救ってやってくれ」

まるで他人事のように、赤い騎士は言った。

かつての自分を恨み、排斥することだけを目的として参加した聖杯戦争。
そこで見たかつての自分とは違う道を辿る自分。
けれど本質は変わっていなくて、それに絶望し改めて殺そうとしたこともあった。
だが敗北し、そして“見た”からこそ、予感は確信へと変わった。

ならばその言葉には遠い希望が乗っている。
自分のような、“エミヤ”という英雄は生まれない、という希望。

伝えたい事は伝えた。
そう言うかのように鐘の返答を待たずして彼は虚空に消えていった。

「─────」

先ほどの言葉通り、士郎を助けに行くつもりはないようだ。
だがそれは見捨てるのではなく、『必ず戻ってくる』ということを疑っていないからこその、衛宮士郎は必ず“ここ”に『戻ってこなければいけない』からこその行為だった。

「………ああ、なるほど」

『だから─────二人はシロウが帰ってくることを信じていればいいのよ。だって、そうすることに意味はあるんだから』

アーチャーの言葉を聞いてかつてイリヤに言われた事を思い出した。
あの時の言葉は、或いはこの事を示していたのだろうか。

「ああ、行こう。私も君も………死ぬワケにはいかないのだから」

中庭で別れた士郎を捜しに教会の奥へと向かう。
一部瓦礫となってしまった礼拝堂の中。
確かに戦闘においては邪魔者だろう。だが、それでも“必要とされている”。その事実を明確に理解できて顔に出そうになった笑みを必死に隠しながら。




[29843] Fate/Unlimited World―Re 第58話 隣にいてくれる人
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:4e5a6920
Date: 2013/01/16 21:01
第58話 隣にいてくれる人


─────第一節 違い─────

アーチャーとランサーの戦いが決着する、その数分前。
士郎は壁に叩きつけられていた。

「はっ………ぁ─────」

激痛で視界が歪むも何とか立ち上がり、今自分のいる場所を確認する。
どうやら階段の踊り場らしい。
横には降りていく階段が続いていて、正面には入口へ繋がる階段が伸びている。
背後には大きめの空間があり、見ればそこの床に手放した干将莫邪が突き刺さっていた。

「─────教会の地下………ッ!?」

カツン、と上方から足音が響く。
見上げればそこに、この教会の神父である綺礼が立っていた。
すぐさま干将莫邪を手に出現させる。

が、同時にこの状況はまずいと判断する。
相手は中国拳法の使い手。
接近されれば間違いなく相手のほうが上手。
にもかかわらず今自分が立っている場所は階段の踊り場。
逃げ場どころか体を存分に動かすスペースすらない。

「どうした? そこで戦う、というのであれば私は構わんが?」

「そうかよ!」

階段の上にいる綺礼に向かって突進し、一撃を加えようと腕を振るう。
この状況は明らかに不利だ。
それは士郎も理解していた。
だが一歩でも後ろに退ける状況ではない。
目の前にいる神父の言った言葉が本当ならば、礼拝堂に逃げ込んだ彼女の前にランサーが現れている筈だ。
それを知って、後ろに下がれるわけがない。
守るために前へと進む。

しかし。

「─────!」

左側から頭部目がけて強烈な蹴りが加えられた。
鈍い音が咄嗟にガードした左腕から伝わってくる。
頭は守らなければいけない。
頭に直撃されては一撃で終わってしまう。
士郎の攻撃が当たらない以上、頭部への攻撃だけは防ぎきらねばいけない。

だが、攻撃は防げても衝撃を殺すことはできず、地下に続く階段へと突き落とされてしまう。
受け身をとれるだけの余裕はなく、ガン!と頭部を強く打ちつけてようやく体が停止した。

「ぐ─────痛ぅ………」

強打した頭部から血が滲みだし、思わず触れた掌は赤く染まっていた。
地下の聖堂。
石造りの部屋であり、明かりはついていないというのに薄青い燐光が帯びている。
正面に見えるシンボルの上。
約十メートルくらいの場所に、先ほどいた入口が見える。
その階段途中に、こちらに向かって下りてきている綺礼がいた。

足と腕に力を入れ何とか立ち上がる。
正面にはシンボルと、側面の階段から降りてくる綺礼。
当然ながら敵である綺礼を注視するが、その異臭によって背後にある扉に気が付いた。
今自分がいる、正面にあるシンボルとは正反対の壁に、黒い闇が穿いている。

鼻につく刺激臭。
瞬間的なものではなく、永続的な物のようで、その闇の奥から放たれている。

「これ、は………」

強化の魔術がかけられた眼がその闇の中を見抜く。
中にあったのは骨と皮だけになった死体だった。
棺らしいモノからわずかに見える手、食い散らかされたかのように床に散乱してる体。
総じて生きてる人は一人もいない。
同じ年齢に見えるそれらの死体は全てが、『死体』だった。

「そんなに気になるなら入ってみてはどうかな、衛宮士郎」

ハッ、と我に返り正面へと向き直る。
階段を下りてシンボルの前に綺礼は立っていた。
その違和感。

確かに士郎は背後の闇に一瞬気を取られていた。
だが、じゃあ先ほどまで階段にいた神父が、正面のシンボルの前に立つまで後ろに気を取られていたのか。
それほどまでに時間をとっていたつもりはなかったはずが、あの神父は今こうして正面に立っている。
そしてもう一つ。
ではなぜ、後ろに気を取られていた士郎に綺礼は攻撃を仕掛けてこなかったのか。
仮に後ろに注意がいっていたとするならば、その間は無防備だったはずだ。

「言峰、後ろのアレは………」

「一体何だ、と問うか? だが………この事実こそお前が一番予期できた筈のモノではないか?」

綺礼の切り返しに一瞬言葉が詰まる。
あの死体を見たとき、一瞬脳裏に過った映像。

「そうだとも。その闇の中で朽ちているのはお前の兄弟ともいえる存在。お前と同じ、あの十年前の地獄を生き延びた者達だ」

その言葉を聞いて、完全に理解した。
死体を見て、普通じゃないとは思っていた。
死体を見て、見覚えがあるとすら一瞬感じてしまった。
その理由。

家も両親も失った子供。
引き取り手が見つかるまで孤児院に預けられるという話。
その前に士郎は衛宮切嗣に引き取られ、その後、彼らがどうなったのかは知らなかった。
孤児院は『丘の上にある教会』で、その気になればいつでも様子を見に行くことはできる。

「お前が衛宮切嗣に引き取られていなければ、そこの骸と同じ末路を辿っていた、ということだ。………どうかな、今の心境は。お前が日の光を浴びて生きていた間、彼らは助けが来ることもなく、ただここにエサとして存在していたのだ」

それでも足を運ぶのは躊躇われた。
引き取り手のいる自分が、引き取り手のいない子供に会うのはフェアではない気がした。
見せつけのような気がした。
だから出会うなら町中で。
偶然町中で出会って、当たり前のように話せて、火事のことなど振り切れてる。
そういう再開を望んで、狭い町だからいつか顔を合わすこともあるだろうと思い─────なぜ今まで、ただの一人とも出会わなかったのか。

「大した不平等だとは思わんかね。同じ境遇にあった人間でもこうも違う。─────そうしてつい先日、彼らはエサとして機能を全うした。最後まで助けなどくることもなく、己がなぜここにこうして存在しているのか知る由もなく」

ギリ、と歯を食いしばる。
感覚が麻痺していた腕に力が入る。

「許せないか? ああ、そうだろうとも。だが、それで私に八つ当たるのは筋違いだ。他の者は解らずとも、お前ならば解った筈だ。お前はここに来る前、ここを“何という場所”として認識していた?」

そうだ。
この教会が『聖杯戦争の監督役がいる場所』と認知する前。
ここを『孤児院』として認識していた筈だった。

「何も思わなかったか? お前が黒き杯………間桐桜について聞きに来たとき、火災の原因が聖杯戦争だと知って」

聖杯戦争によって孤児になった子供が、よりにもよって聖杯戦争を監督している場所へ預けられる。
なら、不審に思うまではいかなくとも気になってもいいはずだった。

「お前は結局、ここにきてその奥を見るまで気付くことはなかった。何も知らぬまま、また、ただ一人助かったのだ。………だが私はお前を責めるつもりはない。むしろ感心すらしている。お前のその生き残る才能は素晴らしいものだ。事実、ここまで生き残っているのだからな」

一つ一つ、チェックリストに印を入れていくかのように、淡々と綺礼は事実を述べる。
事実だからこそ逃れることはできないし、事実だからこそ打ち消せない。
その事実である一つ一つが的確に、確実に、士郎を削っている。

はずだった。

「─────ああ、俺はまた一人で助かった」

綺礼の瞳が、僅かに変化した士郎を捉えた。

「だからこそ、前を向いて生きなきゃいけない。死んでいった人の為にも生きなければいけない。死んでいった人の為にも、今苦しんでいる人を助けなきゃいけない」

蹴られて感覚がマヒしていた両腕に力が灯る。

「けどその為に閉じ込めて置き去りにして、今も生きている人を傷つける様なことがあっていい訳がない。そんな『助けなきゃいけない』なんてモノで誰かを助けられる筈がない」

十年前。
母親も父親も、家も思い出の品も、そのすべてを失った。
けれど、今更だと言われたとしても残っているモノがあった。残っていてくれた人がいた。
その人が見せた表情は、例えこの体が剣に呑まれかけている状況だとしても決して忘れない。

「今も生きている………?」

士郎が呟いた言葉。
それだけを聞けば今を生きている人間を指すのだろうが、しかし綺礼はそのように聞こえなかった。
その違和感、その意味を理解しようとしたとき、頭上から音が落ちてきた。
ちょうど十メートルほど真上。
そこはこの地下へと続く入口にあたる。
綺礼が首を僅かに傾けて見上げる。

その先に

「衛宮………!」

肩で息をした鐘が下を見下ろしていた。
彼女がここにいるということは、ランサーが殺害に失敗したということだ。
だが、今の綺礼にはそんな些細なことはどうでもよかった。

「………まさか」

綺礼の中で一つの結論が導かれる。

「お前の言う通り、俺は気付けなかった。桜が苦しんでたことも、ここに預けられた孤児の人達のことも、氷室が隣にいたってことも、俺がなんで切嗣に憧れたのかっていうことも」

見上げた視線を元に戻す。
僅かに俯いていた士郎の顔は、今はきっちりと正面にいる綺礼に向いている。

「起きたことは元に戻せない。死者は蘇らない。現実は覆らない。その痛みと重さを抱えて進んでいくのが生きるっていうことなんだ」

その瞳に困惑や迷いの色は全くない。

「けど、悲しい事ばかりじゃない。過去には思い出だってある。その今までの思い出が礎になって、今を生きる人間を変えていくと信じてる」

僅かに身を屈める。
アーチャーとの剣の打ち合いでも折れることのなかった、その干将莫邪が強く握られる。

「今の俺を思ってくれてる人がいる、かつての俺を支えてくれた人がいた。それを受け入れた。置き去りにしてたものを拾い上げた。なら………俺だって変わらなきゃいけない。だから─────」

死ぬわけにはいかない、と。
闇に背を向けて真っ直ぐに自身の敵である綺礼に向けて言い放った。
つまり今の言葉は、敵対している綺礼を倒すと言っていることと等しい。

「そうか」

残り数本となった黒鍵を手に出現させる。
今の回答、導き出された結論、その鍵となった存在。
全てを理解した。

「僅かな興味、と言えばそれだけだった」

何の感情もない声で呟いた。

「初めから持たざる者とかつて持ちえた者。考えてみればごく単純な違いだったわけだな。それが解っただけでもよしとしよう」

先天的と後天的。
同じ存在であったとしても、その差が言峰綺礼と衛宮士郎の決定的な違いだった。


─────第二節 決着─────

綺礼がその言葉を言い切った直後。
右手に握られた黒鍵が空気を切り裂くが如く、士郎に向けて投擲された。
速度は地下教会を入口から見下げる鐘では捉えられないほどの速度。

それを干将莫邪が弾き、叩き落とす。
鐘がそこにいる。
つまりランサーは鐘を殺すことに失敗したということだ。

『こちらは守ったぞ』

僅かに聞こえてきた声。
何時聞いてもむかつく声だったが、たった一言を聞いたからにはこちらとしても負ける訳にはいかない。

「はぁ─────!」

高速で飛来する黒鍵の全てを叩き落とす。
だが視覚情報が黒鍵にいったその僅かな隙。
その間に綺礼が士郎の眼前まで迫っていた。

「ぐっ─────!?」

ドゴッ! と鈍い音が地下教会に響く。
胸元で凄まじい衝撃が加えられ、壁に叩きつけられる。

息が止まり、視界が歪むも更なる一撃を加えようと迫る拳を確認する。
ただえさえ攻撃を受けすぎているというのに、これ以上受けようものならば本気で死に至る。

「ぉぉぉおおお!」

朦朧としかけた意識を猛りと共に呼び戻す。
拳が士郎の頭部を捉える寸前のところで横へと回避。
広いというわけではないが、決して狭くはない地下の教会。
強化された脚があの神父の攻撃をかろうじて回避してくれる。

だがそれも何時までもつか。
少なくともこれ以上攻撃を受けた場合、蓄積されたダメージによって動きが鈍るのは間違いない。

「なるほど、厄介な体をしている。話には聞いていたが、殴るだけでこちらにもダメージがくる体とはな」

見れば胸を直撃した綺礼の拳から血がにじみ出ている。
士郎の体の一部はすでにおおよそヒトのモノとよべるそれではない。
そこへ攻撃するということはつまり、剣山に正拳を打つのと同義。

しかしそれで攻撃をやめる神父ではない。
士郎が回避し咄嗟にとった距離を詰めるべく士郎へと迫る。
十年前と比べると衰えているとはいえ、接近戦では綺礼が圧倒的に有利。

それを解っていて近づけさせるわけにはいかない。

歯を食いしばり、両手に握った干将莫邪を投擲する。
左右同時に最大まで魔力を篭めた一撃。
その威力はもはや鉄塊すらをも打ち砕かんとするモノだ。
受ければ死に至る攻撃を、しかし綺礼はその速度によって回避する。
突き出される正拳。
ならば回避なり防御なりするその行為を。

「─────!!」

あろうことか何もせずに体で受け止めた。
胸に突き刺さった正拳は確実に肺をつぶした。
もはや息はできない。衝撃が体を奔り、立つ足を落とそうとする。

「─────、貴様………!」

倒れない。
接近戦では勝てない。距離をとっても綺礼の中国拳法の歩法によって瞬く間に詰められる。
投影掃射をするにもその前に距離を詰められてはできない。
ならば。

「いく────ぞ!!」

止まった息からわずかに言葉に出す。
それが呪文の代わりであったかのように、干将莫邪が両手に現れる。
逆手にとった白い短剣が綺礼の首目がけて振るわれる。
その攻撃を回避すべくバックステップで短剣の攻撃から逃れるが、士郎の脚がそれを逃さない。

強化した脚力で無理やり前へと前進し、左手に握った黒い短剣を右手と同じように敵へ見舞う。
だが相手とて並ではない。
振るわれた士郎の左手を綺礼の右手が受け止める。
それに思考がいくよりも次なる攻撃を加えるべく右腕を振るう。
元より回避を捨ててまで得た攻撃機会。このチャンスをモノにできなければ次に来るのは死だ。
だからこその連撃だというのに、その右腕も左腕と同じように止められてしまう。

両者ともにこれで両手はふさがれた。
しかし綺礼には脚がある。
相手は動いているがもはや活動限界。
あと一撃加えれば死なずとも立ち上がれない。

右脚が浮く。
一秒後には士郎の体を中へと蹴り飛ばし、壁へと叩きつけ、動けなくなったところへ渾身の『衝捶』を打ち込む。
相手が報告にあった通りの投影をしたとしてもこちらのほうが早い。

これで終わり。
そう考えてたからこそ。

「ぐ─────、ぬ─────!?」

自身の胸から現れた二つの剣を見ても、理解ができなかった。
蹴るために浮かせた脚が落ちる。
敵の攻撃を止めた両手から力が抜けていく。

士郎の両手には短剣・干将莫邪が握られている。
ならばこの胸から出ている剣は一体何の剣か。
その結論に達する直前に。

ドス、 と。
とどめの一撃が綺礼の胸を貫いた。

干将莫邪。
それはお互いがお互いの剣を引き合わせる剣。
例え防がれ軌道を狂わされようとも、その手に干将莫邪がある限り自動的に手元へ戻ってくる。
ならばそれを回避したのならば、軌道は弧を描いて戻ってくるというのは必然だった。

つまり士郎はそれだけの為に綺礼の攻撃を受け、綺礼の視線・思考を自分から外さないように前へ出たのだ。
中距離を維持できない以上、接近戦で戦うしかない。
だが接近戦は相手が上手。
こちらの攻撃は奇襲じみた一撃でなくてはならず、かつそれを看破されてはいけない。
それでいてその一撃は決定打でなくてはならない。

だからこその回避行動・防御行動の放棄。
一撃を受けきり、攻撃へ転ずる。
そこに奇襲と気をそらすという二つの意味を込めていた。

「はっ─────ぁ」

突き刺した士郎の両手が短剣から離れる。
一撃を見事耐えて見せたものの、自身の強化を嘲笑うかのように体のあちこちが悲鳴を上げていた。

「残念だ、衛宮士郎」

あまりの激痛で視線が落ちかけた士郎へ目の前の敵が言葉を発する。

「な─────」

今の攻撃は間違いなくヒットした。
相手は倒した。
そう思ったからこそ、発せられた言葉には次こそ体の動きが停止した。

効いていないのか、という思いとは裏腹に、しかし綺礼は動かない。

「また会おう」

「─────え?」

すぅ、と白い煙が綺礼の体から出ていた。
まるで沸騰した湯から出る湯気のようでもある。
そうやって綺礼の体が完全消滅したあと、地面に赤い物体がおちた。

「─────」

息をすることすら忘れて、それを手に取ってみる。
宝石のようなモノ。
その中心部に、まるで“剣にさされたかのような穴”が開いていた。

「衛宮!!」

綺礼の姿が消えたのを確認した鐘が階段を下りてきた。
そこで鐘の思考は停止する。
今までの彼の体。
剣のような物体が体を覆い、浸食するが如く広がっていた。
それは知っている。

けれど。
今目の前にいる士郎の体には、数分前とは比べようもないほどに剣の先端が突き出ていた。
明らかに症状が進行している。
それだけでも危惧すべきだというのに、とうとう恐れていた事態が目の前に起きた。

体を覆っていた銀色の物体が、頬にも現れた。

唇を噛みしめる。
言いようのない不安が襲ってくる。
表面だけが、なんて都合のいい考えがつかない。

「く………、つまり今さっきまで戦ってたのは………偽物か」

手に取った傀儡を床へ落とし、降りてきた鐘へ声をかける。

「氷室………大丈夫、そうだな。よかった」

「ああ、私はアーチャー………さんに助けてもらった。その………衛宮、体の方は」

「大丈夫………って言えたらいいんだけど」

額には嫌な汗がにじみ出ている。
強化していたとはいえ思いっきり正拳を受けた胸元はいまだに痛みが引かず、息苦しさが残る。

否。
息苦しい、で済むハズがない。
いかに強化をしていようとも胸元に正拳を受けたのは一度ではない。
外側ではなく内側の破壊を旨とした一撃なのだから、外部が無事であろうと内部が無事ではない。
だというのに、まだこうして目の前に立つ少女の顔を見ていれる。

「ヴ─────ヅ………」

「衛宮………!?」

そこで理解した。
攻撃を受けた際に視界が歪み、白く切り刻まれるその痛みは、自身の内側から出るモノによる痛みだということに。
外部が覆われていく。
そこに都合よく『外部だけが』という現実などあるはずがなかった。

おそらく今感じている痛みは一生消えないだろう。
額に手をあてたとき、掌に固いモノを感じた。
意識が一瞬停止するが、もはや驚く気にもなれなかった。
なんてことはない。
体を覆っていたモノがとうとう顔にまで上がってきただけだ。

「………ここを出よう、氷室。もうここには何もない」

「え………あ、ああ。衛宮、体の方は─────」

「─────悪い。肩、貸してくれたらうれしい」

彼の言葉を聞いた鐘が肩へと腕を回し、階段を上がっていく。
士郎の体には剣がある。
肩を貸すということはつまりその剣に腕をあてるということだ。
当然貸した腕や肩から痛覚が痛みを伝えてくる。
しかしそんな事が思考の中になど微塵も湧いてこなかった。

階段を登り切り、中庭へと出ようとする。

「氷室」

士郎が声をかけたので足を止める。

「どうした、衛宮?」

そういって顔を見るが、彼の視線は今登ってきた地下教会へと向いていた。
視線の先にあるものを鐘も見る。
壁に四角くくり抜かれた穴。
隣の部屋へと続く黒い穴。

「─────」

一度目を瞑る。
思う事はある、感じる事はある、考えることはある。
だから、心の中で謝罪する。

そして。

「氷室」

「? 衛宮、どうし─────」

「居てくれて、ありがとう」

隣にいてくれている人へ、そう伝えた。

それをどう受け取ったかは、士郎にはわからない。
だけど同じように一言。

「────どういたしまして」

そんな言葉を聞けたから、もう一度目を瞑ったのだった。


─────第三節 記憶と約束─────

教会の外へ出てみると、周囲はもう真っ暗だった。
時間としてはまだ午後七時にはいってないだろうが、まだ冬ということもあって日が落ちるのは早い。

丘の上にある教会は風を遮るモノがなく、結果夜の寒い風が私達の体温を奪っていく。
加えて外に出たはいいものの、そこで立ち往生するほかなくなってしまった。
衛宮の体。
もはや服では隠せないほどの部分がある以上、その状態で人目に付く場所を歩くわけにはいかない。

そもそも仮に剣が出ていなかったとしても、ボロボロの彼を連れて町中を歩けばどうなるかなど目に見えている。
そして間違っても警察のお世話になるわけにはいかない。
かといってこの敵地である教会にいつまでもいるわけにはいかないのも事実ではある。

「ここから衛宮の家は遠すぎるな。かといって遠坂嬢の家も似たような距離だし、タクシーやバスを使おうにもこの状態では………」

ちらりと横目で彼の顔を見る。
弱音こそ吐いていないが、かなり体力を消耗しているのが目に見えて分かった。

間違っても歩きで30分以上はかかる距離を歩かせようとは思わないし、歩かせたくない。
何が悲しくて家に戻るだけで倒れる寸前の彼をダウンさせようとするのか。

そう考えたとき迂闊に動けなくなってしまった。
が、先ほども言った通りここで居続けるのも危ない。
何かいい案は、と必死で頭を回転させる。

ここは新都。
対して衛宮の家は深山町にあって帰るのは困難。
できれば新都内で身を隠せる場所がいい。
けれど他の人には不審に思われない場所………

「あ」

ふと思いついた。
自分の家がある、と。

確か今はまだ両親は病院で療養中の筈であり、家は無人。
自宅だから周辺のことはある程度分かっているし、最近の騒動もあってこの時間帯の周辺は人通りも少ない。
加えて新都にあり、ここからなら衛宮の家にいくよりも断然近い。

「衛宮、少しだけ歩くが大丈夫か?」

「ああ、大丈夫。………ごめん、まだ体が上手く─────」

「謝る必要はどこにもない、衛宮」

歩き始めた。
坂を下り、まだ人通りが多い中心部を避けるように裏道や横道を使ってなるべく人と遭遇しないように歩いていく。
そんな道を選んで歩いていた所為か、人と出会うことはなかった。
最近の騒動がなければ人と遭遇したことは間違いないだろうが、この騒動の下ではこういった路地裏の道や人通りの少ない道は使われることはないらしい。

今この瞬間だけは、誰も通ってくれていないことに感謝しながら、無事自宅であるマンションへと到着する。
入口に監視カメラがあるが、もうそんなモノはどうでもよかった。
監視カメラといえど、常時それを管理人が監視しているわけではない。
何か事件が起きたときにその当時の時間を再生するために監視カメラがあるわけであり、多少映ったとしても問題はない。

エレベータから自分が住んでいる階へ行き、家の鍵を開け中へ入った。
久しぶりの我が家。
そんな感傷に浸ることなく、彼を自室の椅子へと座らせた。

「衛宮、大丈夫か?」

時間は午後七時を少しすぎたくらい。
もし深山町にある彼の家や遠坂嬢の家に向かっていたら、あと一時間はかかっていただろう。

「…………」

「衛宮?」

パチリ、と電気をつける。
返答がないので振り返ってみると、少し驚いたような顔をしていた。

「─────え? あ、ああ」

「………? 衛宮、どうしたのだ?」

反応がおかしかった。
どこに驚く要素がったのか。

「─────いや」

「衛宮、気になることがあったら言ってくれ。私では頼りないかもしれないが、できる限りのことはしようと決めている」

そういうと顔に手をあてて何か考えるように俯いてしまった。
このまま待つのもあれなので、別室においてる救急箱をとってくる。
救急箱程度で手当てができるとは思っていないが、かといって怪我を放置しておくわけにもいかない。

「なあ、氷室。一つ聞いていいか?」

「答えられるものなら答えるつもりだ」

部屋に戻ってくるなり椅子に座っていた衛宮が話しかけてきた。
そうか、と小さく呟いたあと

「ここ、どこだ?」

なんてことを訪ねてきた。

「─────え?」

一瞬、何を言っているのか、一瞬、どう答えたらいいかわからなかった。

「ここどこだって………私の家だ。確かに中に入ったのは初めてだが、すぐ家の前までは来ていただろう?」

「………ああ、うん。だから見覚えなかったのか。いや悪い」

手に持った救急箱を置く。
今の会話。
私は今までに感じたことがないくらいに、背筋が凍った。

確かに家の中に入れたのは今が初めてだ。
見覚えがないのも当然である。
けれど、だから“ここはどこだ”という質問になるのは明らかにおかしい。
ここにくるまでにマンションの前に立ったし、マンションの中に入ったし、エレベータにも乗った。
以前、彼の家に泊まることになったとき、彼は一度ここまできている。
ならば部屋を見たことがなかろうが、ここは『氷室の家』として認識できるはずだ。

「氷室?」

膝に添えられていた彼の手を握った。
おそらく今から怖いことを彼に聞こうとしている。
聞いたらもう後には戻れないことを聞こうとしている。

「衛宮」

それでも、私は聞かなければいけない。

「君は………どこまで覚えている? いや─────どこから覚えていない?」

今考えてみれば予兆はあった。
たとえば買い出しのとき。
衛宮はイリヤ嬢にメニューを聞いていた。
けれどいざ買い出しするときはそれを覚えておらず、私と美綴嬢に夕食のメニューを聞いていた。

たとえばその買い出しから帰宅したとき。
彼が言った言葉を、彼自身が覚えていなかった。

じっ、と。
椅子に座る衛宮の顔を見つめる。

流れる沈黙。
そうして

「─────やっぱり、おかしいのは時間の感覚じゃなかった、か」

吐き捨てるように、衛宮の声が聞こえてきた。
僅かに、私の中の時間がとまって、呼吸が止まった。

「気を抜いて時間を過ごすと、その間何が起きて何をしてたか残らなくなってる………のかな。教会から氷室と一緒に外に出たことまでは覚えてる。けど、それで安心したんだろうな。気が付いたら椅子に座ってて、電気がついた」

記憶できていない。

記憶に穴抜けが生じている。

なんて皮肉。

過去のことを思い出して、かつての目的も思い出して。
なのにその自分自身の記憶に障害が生じてきている。

「何か、意識を張りつめてればそんなこともないだろうけど」

「………そんなことをし続けられる人はいない、衛宮」

「………だよな」

魔術を全く知らない私でもいくつか思いつく。

一つは戦闘。
一つは彼の体そのもの。

どれもこれも解りきったモノだ。
それらが原因であることは間違いない。
なのに

「私は………」

言葉として認識できないほど小さい声で呟いて、歯を食いしばった。
そしてすぐさま自分の言った言葉を切り捨てる。

言った。
私は言った。
自分にできる限りのことはする、と。

言った。
彼は言った。
居てくれてありがとう、と。

言った。
かつての彼は言った。
胸を張れ、と。

それなのに私がこれではどうする。
考えろ。
考えろ。
力はない。そんなものは一番初めからわかっていた。
だから自分の頭で、可能性を見つけ出すしかない。
それでも思いつかなければ相談してみればいい。

「そうだ………携帯」

咄嗟に入れてある筈のポケットに手を当ててみる。
が、そこに携帯はない。
教会での戦闘の際に行方不明になった。
あの状況ではもはや壊れているだろう。

連絡を取ろうとしたのは美綴嬢。
正確には一緒にいるイリヤ嬢だ。
私は魔術に関して全くの素人、対して相手は魔術による損傷。
ならばと思ってみたが連絡手段がなくなっていた。

「氷室、俺なら大丈夫だから」

「また君はそんな………。その体を見て大丈夫だと思うか? 私が」

むっとした表情で衛宮を睨む。
もし本気で私がそう思ってると思ってるなら─────

「いいや、思ってない。氷室は優しいからな。ぶつぶつ言って考え込まれたら嫌でもそう思う」

「な─────」

けれど返ってきた返答は、私が想像していたものとはかけ離れていた。
臆面もなくすごいことを言ってのけた彼は

「高校入って、陸上部に目が行ったときに氷室を見つけて。ああ、もちろん最初は名前は一致しなかったけど。で、それなりに高校生活送ってついた氷室のイメージは、冷静で真面目で何でもできるって感じだったかな」

私の驚きを余所に話を続けていく。

「前に美綴と話したときに陸上部三人組…まあ氷室と三枝と蒔寺のことなんだけど、話の話題に上がってさ。三枝はどうの、蒔寺はどうのって話があって氷室のことも話す機会があって。そのとき美綴の奴、氷室のこと『パーフェクトクールビューティ』なんて呼んでたんだ」

「………なんだ、それは」

私の知らないところで二人でそんな話があったとは。
………後で美綴嬢に何を話したか追及しておこう。

「ほんと何だろうな。けど、それを聞いて『ああ、確かに』って思ったんだ。なんでも出来そうで、事実運動も勉強もトップクラスだったからな。─────ほら、遠坂の奴学校じゃ『高嶺の花』とか言われてたろ? 俺もそれを聞いたときは、なるほど、なんて思ったんだけど」

「ああ、確かに言われていたが」

「けど、蓋を開けてみれば思いっきり猫かぶってて、おおよそ俺が持ってたイメージ全部ぶち壊してくれやがって。まあそれで幻滅した、なんてことはないけど」

「………まあ、私も今までの彼女を見ていたら、学校で持っていたイメージとは随分と違っていたな」

少なくとも今まで見てきた人物達の中で一番猫かぶりではあったと思う。

「─────で」

衛宮の手を握っていた私の手の甲に、彼のもう片方の手が添えられた。

「氷室のイメージもまた変わった、かな」

「変わった………?」

「まずは氷室が朝に弱いってことが解った」

「………む」

「次に氷室は料理が苦手だったいうことが解った」

「………それに関しては否定しない」

何か、耳が痛いような事を言ってくれる。
意地悪くも聞こえる言い方だけれど、そこでふと思った。

「─────氷室が、子供のころ一緒にいてくれた子だって、解った」

そう。
衛宮と一緒に過去の話をしている。

「確かに俺の体は普通じゃない。気を抜けば記憶できてない部分が出てくる。それでもまだ─────“俺はここにいる”。衛宮士郎って存在はまだここにいて、氷室鐘っていう人のことを覚えてる」

目の前に座る衛宮の目はいつか見た目と同じだった。
一番初め。
ランサーに追いかけられて、屋上で彼の手を振り払ったときの顔。

「なら、俺は戦える。俺は絶対に大丈夫だって信じてる。だから大丈夫なんだ。滅茶苦茶かもしれないけどさ」

あの赤い人物は言っていた。
『そこにいるだけで戻ってこれる』と。

─────ああ

彼の言う事は確かに滅茶苦茶だ。
理論なんてあったものじゃない。

けれど。

目の前にいる彼はあの時約束したことを今でも守っている。
傷つきもした。囚われもした。死にかけもした。
それでも助けてもらって、生きている。
そう。
彼は今も立派に約束を守っている。
無茶苦茶だ、無理だ、と思っても私も美綴嬢も生きている。

「わかった。衛宮がそういうなら私から言うことは何もない。だから一つだけ約束してほしい」

「約束?」

唐突に思い至ったことを私は言ってみる。
いや、教会に行く前に約束はしていたのだけれど。

「………教会に行く前、約束したことがあっただろう。絶対にあれは守ってもらう」

全てが終わった後に、彼は私の名前を呼ぶと約束した。
それはつまり無事にこの戦いを終えるということ。
そんな意味も込めて言った。

「ああ、約束だ」



「しかし………」

「?」

「君はなぜそうも臆面もなく恥ずかしい言葉を言えるのか、衛宮」

「うっ………」

「………今更赤くなってどうするのだ」


―an Afterword―

新年あけましておめでとうございます。
作者です。

12月1月と更新が滞ってしまったことを心よりお詫び申し上げます。
これからはこのようなことがないよう取り組んで参りたいと思います。

亀のような速度ですが、今後ともFate/Unlimited World―Re を宜しくお願いします。




[29843] Fate/Unlimited World―Re 第59話 幕
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:4e5a6920
Date: 2013/03/22 03:12
第59話 幕


─────第一節 幕を通す─────

気休め程度にしかならない手当てをした。
こんな程度で痛みが引くわけでも、体の調子が元に戻るわけでもないのに

「ありがとう、氷室。随分楽になった」

なんてお世辞でも気遣いでも何でもなく、本気でそんな事を言ってくる。
そんな彼に何か要望はないか、と問うと

「何か食べる物はないかな。………朝から何も食べてないから、流石に」

ばつが悪そうに尋ねてきた。
一瞬呆気にとられてしまい、目の前に座る少年から空腹を知らせる音が僅かに聞こえてきた。
視線を逸らすために横を向いた顔は、心なしか赤くも見える。
そんな─────誰もが言う当たり前の言葉を聞いて、誰もが見せる当たり前の反応を見て、安心している自分がいた。

「ああ、何か用意しよう。少し待っててくれ、衛宮」

そう言った私の表情は、見事なまでの自然な微笑。

─────理由は、わかる。
今朝までの彼には見えなくて、今の彼には見えるもの。
今朝までの彼には判らなくて、今の彼には判っているもの。
それが感じられたから、きっと意識しなくとも自然に笑えたのだろう。

親のいないリビングへと向かう。
空腹とはいえ、彼は怪我人だ。
がっつりとしたものは食べれないだろう。

じゃあ何を作ろうか、なんて考えて改めてため息をついた。
過去に一度享受しながら一緒に作ったとはいえ、その一回では劇的に腕が上達するはずもない。
不味い物を出すわけにもいかない。

自分の腕とも相談しながら考えてるとお粥、なんてものが真っ先に思い浮かんだ。
公園へ拉致され衛宮邸まで運ばれた朝。
その直前の気恥ずかしさもあってか持ってきたのは遠坂嬢だったが、作ったのは間違いなく彼。

「─────よし」

大手を振って宣言するようなことではないけれど、お粥くらいなら作れる。
酢を使うわけでも油を使うわけでもない。ただお米を鍋で煮込めばいい。
味は一度彼お手製を食べてるから、再現とまではいかなくてもそれなりに近いものは作れるはずだから。




「ああ、何か用意しよう。少し待っててくれ、衛宮」

そう言った氷室の顔は笑っていた。
少し前の学校では見ないような表情。
そんな表情を見せて、部屋を出ていった。

いつかあった日のこと─────
父親がいて、母親がいて、いろんな人がいて、そして少女がいた。
守りたかったもの、大切なもの、失うことさえ思いつかなかったもの。

「ぐ………っ!!」

肺に、異物が“引っ掛かった”。
動く肺に突き刺さる。
深く呼吸をするとより深く食い込んでくるような激痛。

「はっ………はっ………─────は」

交換する空気量は最少で、その分肺の膨らみを小さくする。
無理に呼吸をすれば、何かが炸裂して大量の血が溢れ出してきそうな。
そんな根拠もない感覚が襲ってくる。

ゆっくりと、浅くした呼吸を元に戻していく。
肺が正常に異物に触れないように動くようになってきた。

「本格的に─────やばいよな、これ」

内部破壊、とは言ったものだ。
明らかに外観よりも内部にガタがきている。

次に強力な攻撃をこの身に受ければ、今度こそ倒れる危険性が高い。
生き耐えて攻撃に転ずる、なんてことができる保証もない。
その上、相手は人間とは比べものにならないほどの存在、サーヴァント。

死の危険は、この聖杯戦争を始めたころよりも随分近くにある。
普通に高校生をやっているだけではやってこないそれが、体全体を隅々まで覆い尽くしている。

死が怖くないわけじゃない。
むしろ死への恐怖は増した。
生きていたいと思った。

「ああ、大丈夫だよ」

目を瞑り、息を吐くように小さく呟いた。
消えるわけにも死ぬわけにもいかない。

気付いていた桜に気付かないまま、救えなかった。
助けて、謝って。
桜とまた一緒に笑えるように。

助けてもらってばかりで、世話をかけてばかりだった。
探し出して、助けて。
遠坂にありがとうって伝えて。

守ってもらってばかりで、助けることもできなかった。
見つけて、助け出して。
セイバーに不甲斐なくてごめんなって謝って。

今までずっと寂しい思いをさせて、一人ぼっちにさせていた。
抱き上げて、頭を撫でて。
一緒に暮らそうとイリヤに言って。

守るといって、守れなかった。
謝って、大丈夫と言って。
美綴を安心させてやって。

一番近くにいてくれて、一緒にいてくれて。
手を繋いで、約束して。
これからずっと一緒にいたい。

そうしてみんなが無事に笑っていてほしい。
みんなと一緒に笑っていたい。

だから、死ぬわけにも消えるわけにもいかない。

気付けば痛みは完全になくなっていた。
単に痛みが引いただけなのか、それとも生物としての機能が失われていっているのか、もう判別がつかない。
けれど自滅なんてしてやらない。

死にかける度に暴走する固有結界。
アーチャーは制御をする術を知らないからだ、と言っていた。
けれど今だからこそ判る、それは違うと。

死にかける度に暴走するということは、言い換えれば生きる為に発現するということ。
それが例え人間としての機能を損なうという結果を伴ったとしても。
“ただ生きる為に”固有結界が暴走する。

「─────なら、そこに恐怖なんてない。生きたい、それをカバーしてくれるっていうなら………後は精神おれが耐えればいいんだから」

今朝から休まずに動き続けた体を一時停止させる。
疲労は確実に体に残り、足を鈍くさせているのも今更ながらにわかった。

恐らくはもうこの聖杯戦争は長くない。
根拠はないが、予感はあった。
そしてこれからの戦いはあっという間に、けれど経験したことがないほどのものになるだろう。

なら今は体を休めておこう。
一瞬、リビングに立っている氷室を思い、手伝おうかとも思った。
けれど多分、いや確実に。

『衛宮はゆっくりしていてくれ』

みたいなことを言ってくるだろう。
少し申し訳ないという思いもあるが、ここは彼女の好意に甘えていよう。



用意されたお粥を食べ終えたのは大体一時間と少しした後だった。
鐘も士郎と同じように作ったお粥を少し食べる程度で終えた。
いくら朝昼と食べていないからとは言え、今の状況で大量に食べようとは思わなかった。

時計を見ればもうすぐ午後八時半。
長かった今日も残り三時間半で終わる。

「まずは状況整理かな。イリヤと美綴はアインツベルン城へ行ったんだよな」

「ああ、連絡手段としては私の携帯と美綴嬢の携帯があったが、私の携帯は紛失してしまって手段がない」

椅子に座る士郎とベッドに腰掛ける鐘。
心身ともに落ち着ける状況。

「あー、それなら何とかなるかもしれない。イリヤから魔力を貰ってるから、或いはアーチャーに話しかけるようにイリヤに話しかければ………」

「テレパシー、のようなものか。そんなこともできるのか?」

「多分。そう意識してやったこともないから、うまくいくかは判らないけど」

目を瞑り、中にラインのイメージを作り上げる。
たったそれだけの作業なのに、途端に体が火照ってきた。

『イリヤ』

果たして本当にうまく繋がっているかどうかも定かではないまま、念じる様に少女の名前を呼ぶ。
こういう交信は士郎の場合、落ち着いて冷静にならないとうまくいかない。
戦闘中や切羽詰っているときにやろうとしてもできない……というかそこまで頭が回らない。

『イリ─────』

少し情けなくなりつつも、再び少女の名前を呼ぼうとすると

『あー、シロウ! ようやく気付いてくれた!』

「うおぅ!?」

こちらの話しかける声以上の声が頭の中に響いてきた。
決して大きくはなかったのだがそれでも予期せぬ音量だったために、身構えていなかった士郎は驚いてしまった。
当然、目の前で士郎の様子を見ていた鐘も驚いた訳で………

「え、衛宮………? 大丈夫か?」

「あ、ああ。ちょっと突然のイリヤの声にびっくりして………」

何とか取り繕ってはみるものの、傍から見れば何もないのにいきなり驚いて体を震わせたように見える。
そして何とも情けない声を発して。

「………」
「………」

そんな反応を見せた士郎にただ苦笑いというか『私は気にしないぞ』的な何とも曖昧な笑顔を見せてフォロー。
士郎もそんな鐘の反応を見て素直に感謝しつつ、自分の情けない一面を恥ながら曖昧な笑顔で笑う。

「と、とにかくイリヤと連絡繋がったから状況とか話すよ」

「わ、判った」

変な空気が空間を支配したが、何とか士郎から切り出して脱出。
目を瞑り、再びラインに意識を集中させる。
修行の時も集中するときは一旦外部情報をシャットアウトして魔術行使をしていた。
こうした方が繊細な行動に集中しやすいのだ。
決して恥ずかしさからの目を閉じたわけではない。

『イリヤ? 今はもう話をしても平気か?』

『今の反応の無い間は一体なんだったのか気になるけれど?』

『それは聞かないでくれ。俺の修行不足だ』

『ふーん。まあシロウがそういうなら』

鐘に見られた動作を言葉でイリヤに伝えたくはなかった。
なんとなくかっこ悪い。

『ありがとう。それで、イリヤ。今はどこにいる? まだ森のお城にいるのか? あの女の人はどうなった?』

『流石にもうアインツベルン城からは出てるよ。今そっちに帰ってる途中。シロウが助けた人も平気よ』

『そうか、よかった。他に何か変わったこととかなかったか?』

『こっちは特に。むしろあったとすればそっちでしょう? シロウ、大丈夫なの? アヤコがカネと連絡とれなくなったって言ってるから、何かあったのかってこっちから呼びかけてるのに全然反応しないんだもの』

『えっ、もしかして今の今までずっと話しかけてくれようとしてたのか?』

イリヤの言葉に驚く。
そういえば先ほども『ようやく気付いてくれた!』と言っていたことから、話しかけてきてくれたのは一度や二度じゃないのだろう。

『わ、悪い!ごめん、イリヤ。今までイリヤが話しかけてくれてたことに全然気づかなかった!』

『別にいいよ。シロウからの反応はなかったけれど、その代り魔力が通っているから生きてるってことは判ってたからね』

『そういってくれると助かる。心配かけてごめん。こっちは………まあいろいろあったけど、無事だ』



先ほどの変な空間は消え失せ、目の前には瞑想状態の士郎が座っている。

(とりあえずは報告待ち、ということか)

やることもなく、ただ目の前に座る士郎を眺める。
ただこうして待っているのも手持無沙汰なので、なんとなく士郎の表情を観察することにした。
さきほどの反応といい、話している内容によっては彼の表情に変化がみられると思ったからだ。

そもそも士郎は嘘がつけない。
それは嘘をつかない、というのもあるが表情や仕草に出やすいという面もある。
素直で判りやすい、という反面隠し事は滅法できない。
そんな士郎。

時折彼の眉が僅かに動いたり、口元が動くのを歯で噛んで止めたり。
なまじ話もせずただ士郎の顔を観察していると、そういう普通に会話をしているだけでは気付かないような小さな変化が見て取れた。
それを眺める度に何を話しているのだろうか、何を言われたのだろうか、というのが気になってくる。

そこまで気になって、自分の今の状況に気が付いた。
士郎の顔をじぃっと見つめる、そんな自分。

(………茶碗でも洗ってこようか)

自分の行いがなんだか気恥ずかしくなってきたので、思考を切り替えた。
いわゆる魔術的電話をしている間、士郎が話しかけてくることもこちらが話しかけることもできない。

(電話といえば、携帯はどうしようか)

教会での戦闘の際に紛失してしまった携帯電話。
もう買い換えるしかない。

(そういえば彼も携帯を持っていなかったか。………この際一緒に買うというのもいいかもしれない)

そんなことを思い立って、やはりそれに対して軽く息を吐いた。
認めたくないというわけではないが、認めてしまうと恥ずかしさを感じて、けれど認めたいと思ってしまう。
─────氷室鐘はどうしようもなく、衛宮士郎を欲している。

ぶんぶん、と頭を振った。
心なしか顔が熱くなっていたが、気にしないことにする。
このまま何もしないでこの部屋にいると士郎の顔を眺めることしかできなくなってしまう。
いや、それはそれでいいかもしれないが、やっぱり拙いわけで。

茶碗を洗おうとベッドから立ち上がる。
その動作をした時だった。

「あ………れ………?」

くらり、と視界が歪んだ。
平衡感覚が無くなって、正常に立つことができなくなる。
虚脱感が巡り、思考は停止して、それでも何とか倒れないようにと足を動かそうとして─────

「っ!? 氷室!?」

ちょうど目を開けた士郎に名前を呼ばれた同時、自分のベッドに倒れこんだ。


─────第二節 幕間─────

疑問はあった。

抵抗はなかった。

悦びはなかった。

嫌悪はなかった。

絶望はなかった。

感じる事はなかった。

なぜ私はこの世に生を受け、なぜ私は存在したのか。
その疑問を解くことはできなかった。

「殺す」ことで解が得られると思い、その時を待った。

そうして機会は訪れた。
待ちに待った、というわけではない。
解が得られるとすればただその時だけだったということだけであり、ただその時を待ち焦がれていたわけではない。

─────そうして得た機会は結局、何も得られぬままに幕を閉じた。

他愛なかった。

一言でいうならそれに尽きた。

「殺す対象」が他愛なかった。
どこかで訓練を受けた屈強な人間というわけではなく、優れた腕を持った射撃手というわけでもない。
居る立場こそ上の位なだけで、それ以外は極めて一般で没個性でどこにでもいる人間だった。

「今まで」が他愛なかった。
気が付けば“そこ”にいて、ただこの時の為だけに拳を鍛え、修行に明け暮れていた。
そうして訪れた結末を鑑みると、この程度のモノかと悟った。

「解」が他愛なかった。
解が得られると思い、ただその時の為に生きてきた。
そうして得た解。
それに対しての悦びはない。嫌悪はない。絶望すらもない。
何も感じることはなかった。

─────私には何も無かった

気が付けば私はただ生きていた。
生きる目的を失ったと同時に、死ぬことにも意義を見出せなくなった私は、ただ生きていた。

故に感じることは何もなかった。
世が不況に陥ろうが、大火災が起きて多数の死者を出そうが、何も感じることはなかった。

時間が過ぎる。
それに対して何も思うことなく、ただ流れるままに日々を過ごした。
水面に浮かぶ笹舟の如く。

時には人に求められ、応えることもあった。
だがそれとて心に何かを感じるということはなかった。

言うなら『生きた屍』。
朽ち果てた殺人鬼。
ただそれだけの生涯。
しかしそれで構わない。
求めるものが無いのだから、それで構わなかった。



冬木市にある総合病院。
この街の中では最大の大きさを誇り、医療施設も充実している。
その一室に、その男は居た。

「…………」

ゆっくりと目を開け、どういう状況かを確認する。
窓から差し込む光はまだ明るく、昼過ぎであることを知らせてくる。

上半身を起こし、周囲を確認するとそこは見たこともない一室であった。
が、それに対して驚きはない。
見たことのない一室ではあったが、おおよその見当はついていた。

コンコン、と戸を叩く音。
返事を待たずして開けられた扉から入ってきたのは、穂群原学園で生徒会長を務める柳洞 一成だった。

「あ、葛木先生。起きておられましたか」

「柳洞か」

入ってきた彼の手には花があった。
状況から判断してお見舞いらしい。
見るとベッド傍の花瓶にも花が入っていた。

「お体の方は大丈夫でしょうか」

「………問題はない」

「そうですか。それは何よりです」

「柳洞。私は自身の足でここへ来て眠った覚えはない。どういう経緯でここへ私が運ばれてきたか解るか?」

宗一郎の質問。
それに対し一成は自身の記憶していることを伝えていく。

「ええ、先生が寺の方で倒れていたとのことで、こちらの病院へ。先生以外にも寺の僧らも同じように病院に担ぎ込まれまして、最近になって目を覚ます者が出てきたんです」

「つまり、私がここに運ばれてから数日は経過している、ということか?」

「はい、そういうことになります。私も学校の崩壊の所為か体調を崩していたのですが、寺の僧らや先生の状態と比べれば些細なモノでしたので今までこうして見舞いの方を」

手に持った花束を見せ、花瓶に入れる。
頻繁に来ているらしく、花瓶にはまだ綺麗な花が咲いていた。

「判った。柳洞寺の方はどうなっているか解るか?」

「寺は学校と同じように崩壊しています。………が、それ以上に奇異なのが門から境内奥まで続く“堀”があることでしょうか。まるで何かが通った跡のようなモノが」

「そうか」

ここまでの会話の中に遠坂凛やキャスターの名前は上がってこなかったところから見て、一成は何も知らないということだろう。
ならばその堀とやらは十中八九戦闘の痕とみていい。

「では柳洞。今はどこに住んでいる? 寺が崩れているとなると、そこで寝泊まりするわけにもいかないだろう」

「親父殿の伝手で藤村先生の家の方でお世話になってます。寺がある程度復旧されるまでは仮住まいということで今泊めてもらっています」

「………なるほど。では柳洞、藤村先生に迷惑をかけないように」

「はい、心得ています」

一成が花瓶の花を交換し、窓を僅かにあけた。
隙間から入ってくる風は冷たいものの、その冷たさが僅かに暑い体を冷ましていく。

「しかし藤村先生も何やら大変なようで、病院から帰ってくるなり衛宮の家に行き、『誰もいないー!』といってトンボ帰りしてきました」

ピクリ、と僅かに宗一郎の眉が動いた。
が、当然そんなものに一成は気付かない。

「衛宮は家にいないのか?」

「どうもそうらしいです。まあ単純に入れ違いになっただけかと」

「なら柳洞は衛宮を見た、ということか?」

「少し前に見舞いに来たので、無事であるということは判っています。先に藤村先生の方に見舞いに行っていたらしくて少し疲れた様子ではありましたが」

衛宮士郎は無事である。
その事実を聞いた宗一郎は改めて現状を考えた。
学校でのやりとりがあった以上、衛宮士郎はキャスターを敵視しているだろう。
ならばいずれ再び戦うのは目に見えて判り、今日はすでに数日経過している。
そして衛宮士郎が無事であるということは、キャスターは敗れた、ということになるのだろうか。

「柳洞、街の異変などはどうなった? もう何も起きていないのか?」

「相変わらずのようです。警察も動いているみたいですがまだ収まる気配は………あ、いえ。でも本当にここ最近は情報が出回らなくなっているかとは思います。けど、まだ安心には程遠いかと」

情報が出回らなくなっている、というのは単純にメディアなどの表のモノだろう。
隠蔽などされていたら情報が出回らないのも当然である。



日は暮れ、夜がやってきた。
見舞いに来た一成に要るものはあるかと問われ、いつも学校で来ている服を持ってくるように頼んだ。
体調は良好というわけではないが、病院で寝込む必要があるほど重体でもない。
体はいつも通り動く、拳はいつも通り握れる、腕は以前と変わらなく突ける。
ならばここにいる必要はない。
服を着てネクタイを締め、上着を着る。
寝ていたベッドを元通りに戻し、病室をあとにした。

人通りは比較的多く、ネオンの光が夜の不安を払拭するかの如く煌々と道を照らしている。
だがやがて光は減り、人通りは少なくなってくる。
新都と深山町を繋ぐ橋を渡り、見慣れた町へと戻ってくる。
僅かな街頭が細々と道を照らし、耳に響く風の音がより一層周りの無人さを際立たせる。

だがこの男にはそんなものなど関係ない。
元より朽ちた殺人鬼。
無人であることなど気に留める理由にならないし、むしろ慣れた環境ですらある。

荷物を預かっているという藤村宅に行く気は全くなかった。
行く先は柳洞寺。
覚えている限りで自分が最後にいた場所。

記憶の中。
凛との戦闘で目の前で宝石という名の爆弾を起爆され、それを回避するためにかなり距離を後退せざるをえなかった。
そのおかげもあって軽傷ですんだものの、如何せん視力を奪われていた。
音で探そうにも爆発音が鳴り響く戦場。足音を判別するのは無理があった。
幸い視力は十数秒もすれば元に戻る。ならばそこから追えばいいと思っていたが、何かに足を奪われたあと意識が途絶えた。

だが。
その途絶える寸前で。

『─────宗一郎様!!』

聞き覚えのある声だけが響いていた。

どうなったかなど知らない。
だからこそ柳洞寺へ向かう。
確証を得られるものがあればよし。
ないのであれば生存の確認が取れている衛宮士郎を探せばいい。

未だに聖杯などに興味はないし、人が何人何十人死のうが興味などない。
だがそれでも─────己が始めたことを放棄することはできなかった。


─────第三節 手薬煉─────

アインツベルン城。
崩壊した城の一室で、綾子は目の前に座る銀色の少女、イリヤの言葉を聞き入っていた。

「理解はできたかしら?」

そう問いかけるイリヤであったが、綾子はただ口元に手を当てて考え込むしかなかった。
否、綾子だけではなく同室で説明を聞いていたもう一人の女性もまた驚いた表情を隠せないでいた。
バゼット・フラガ・マクレミッツである。

「………イリヤスフィール」

「何かしら封印指定の執行者さん?」

「………せめて名前で呼んでくれますか。いえ、今はどうでもいいです。それよりも貴女が言った事は本当にできるというのですか?」

「できないことを言ってどうするのかしら?」

「─────もし仮にできたとすれば、それはもはや魔術ではない。“魔法”だ。そうなっては─────」

「ええ、知られれば無事ではすまない。…けど、知られる原因がないのだから問題はないわ。ただ一つの点を除いてね」

「………私、ですね」

「その通りよ、バゼット・フラガ……ってもう、長いからバゼットでいいわよね。貴女が言わない限りは表沙汰になることはないわ」

ベッドに座るバゼットと椅子に座るイリヤが会話する中、綾子だけは未だに押し黙ったまま。
その理由はあまりにも飛躍した内容で、未だに信じられないからだ。

「アヤコ」

「へっ?え? あ、ごめん。聞いてなかった」

名前を呼ばれて我に返る。
どうやら考え込みすぎた所為で、話の腰を折ってしまったらしい。

「重要なんだからちゃんと聞くこと!後でアヤコがカネやリン達にも言うんだから!」

私が? と頭の中に疑問を作った綾子だったが、これ以上話を中断させるわけにもいかないので言葉に出さないでおく。

「………とにかく、今リズとセラが無事な体を探してるけど、あったとしても今の士郎に合うモノは多分ない。となるとどうしても生活に影響がでてきちゃうの。だからアヤコはとある人物を探さなくちゃいけない」

「とある人物って誰なの?」

「蒼崎橙子って人。“こっちの世界”じゃかなり有名な人形師よ」

「人形師………その人が?」

頷くイリヤを見て、小さく口に出す。
全くもって知らない名前だが、今の士郎を助けることができるのがその人だというのなら、何とかして探し出さなければいけない。

「あ、それと。言う必要もないだろうけど、誰かに吹き込まれたりしたら大変だから伝えておくわ」

「ん、何?」

「その蒼崎橙子って人のことを絶対に『傷んだ赤色スカー・レッド』って呼ばないこと」

「スカー・レッド……? わかったけど、なんでまた?」

「それを言った者は必ず殺されているからですよ、美綴さん」

「殺されてって………」

「蒼崎橙子はかつて魔術協会の総本山、時計塔で名を馳せた人物です。ですが、その優秀さが仇となり魔術協会から封印指定を受け、逃亡。現在も行方は分かっていません」

バゼットの説明を受けて、呆気にとられてしまう綾子。
そんな彼女に気付いていないのか、バゼットは説明を続ける。

「魔術協会に実力を認められた人物に対して『色』が与えられます。その条件などはここでは話しても意味はないので置いておきますが、当時蒼崎橙子に与えられた色が『赤』でした。ですが蒼崎橙子本人は『赤』をひどく嫌っていたようで、それ故に『傷んだ赤色スカー・レッド』と呼んだ結果が最初の犠牲者です」

「は、はぁ………とりあえずかなりおっかない人だというのは解りましたけど。─────というか行方不明じゃ探しようがないんじゃ?」

「そうね。けど、もし無理だったならどうする? シロウは一生外に出ることができない。それはアヤコだって嫌でしょう?」

「そりゃあ嫌だけど」

迷いなく即答する。
仮にこの聖杯戦争が無事集結し、元の日常に戻れたとしても士郎の体があのままでは公の場に出ることは無理だろう。
なぜ命を懸けて戦い、勝った代償がずっと閉じこもる生活となるのか。

「………そうだね。なら何が何でもその蒼崎橙子って人を探し出すしかない。正直どうなるか不安だらけだけど、やるしかないね」

そうすることで今まで助けてくれた士郎に少しでも恩を返せるなら、人探しだろうが何だろうがやる。
元より情けない自分が彼の為に何ができるか、と考えた場合これくらいしかない。

「………決意を折るような形になって申し訳ありませんが、本当に見つけられるでしょうか? 魔術協会もまた彼女の行方は調べています。しかし何の情報もないのが現状です。ましてや魔術も使えない一般人。どうしても見つけられる可能性は無いように思うのですが」

「一般人だからこそ見つかる可能性っていうのはあるわ。協会からの追手は当然魔術師。なら魔術師を警戒して、魔術師に対して有効な迎撃手段を用いる。まさか魔術も使えない一般人が魔術世界に生きる自分を、ましてや顔も知らない人が知っているとは思わないでしょう。それに封印指定を受けようが蒼崎橙子は人間。仙人じゃない。必ず魔術師の見えない部分でどこかの誰かとパイプはある。なら価値観も視点も何もかも違うアヤコらが見つけれる可能性はゼロじゃないわ」

「─────理屈でいえば確かにそうなのでしょうが………」

「それに見つからなかったとしても、彼女の作った人形さえ手に入れば問題はないわ。そうね………、最悪オークションにでも出品されてたら落札するっていうのも手ね」

「オークションって………そんなモノもあるの?」

「例え話だからあまり気にしなくていいわよ、アヤコ」

「失礼します、イリヤスフィール様」

ノックと共にセラが部屋に入ってきた。
その姿を見たイリヤは一瞬期待したような顔を見せたが、すぐに元に戻った。

「その様子からすると、やっぱりなかったのね」

「はい、残念ながら。ほぼ全てが先の戦闘で破壊、乃至は損傷してしまっていました」

「まあ判ってはいたんだけどね」

あっさりとした反応を見せるイリヤを見て、バゼットは疑問を投げかける。

「随分な反応ですが、目的の物がないとなると影響がでるのではないですか?」

バゼットはまだ見たことがない人物、衛宮士郎。
聞けば体に異常があり、まともな生活はもうできないという。
その彼を救いたい、と言いつつそれに必要な物がないという状況において、この反応は些かドライすぎる。

確かに可能性としては目の前にいる美綴綾子が探し出すことも考えられる。
しかしそれはあくまで可能性。
それに縋るには余りにも頼りない。

ならばこの状況は多少焦ったり、別の案を考え込んだりするのが普通の筈だ。
少なくとも判っていたと言ってすんなり諦められる状況ではない。

「もしや別の案がある、ということですか?」

「ないわよ。やることは一緒よ」

だが返ってくるのは変わらぬ反応。
それに訝しげになるバゼットの傍らでセラが僅かに見つめていた。

「お嬢様………」

「セラ」

何かを言おうとしたセラを口止めする。

「この聖杯戦争は普通じゃない。なら………普通じゃない結末があってもおかしくない。少なくとも私達はその類●●●でしょう?」

「………」

「アヤコには無理難題を押し付けてる。その内容の時点でもう普通じゃない。けど、アヤコは覚悟した。シロウを助けると覚悟した。なら、私がそれを放棄するわけにはいかない」

黙るセラを話に出てきた綾子が見る。
彼女を様子が普通ではないことは理解していたが、何を思っているのかはわからない。

パンパン、とイリヤが手を叩く。
話は終わりだと言わんばかりの仕切り方で

「さあ、それじゃあ戻りましょう。─────冬木へ」


─────第四節 幕開け─────

アーチャーは夜の街を一人飛び回っていた。
もちろん翼を生やしての「飛行」ではなく、あくまでもその身体能力を生かした「跳び回り」だ。

衛宮士郎に干渉することはもう必要ないだろう。
故に干渉するときは聖杯戦争の戦闘時のみ。
それ以外で士郎が何をしていようが興味などなかった。

自分でありながら、自分とは全く違う存在。
それを妬むことも、羨望することも、憐れむこともしない。

元よりそれらによって敗北したのだから何かを言うことなどできないし、アーチャーである『衛宮士郎』の人生はすでに終了している。
生前のアーチャーにとって特別はセイバーであり遠坂凛であった。
それが間違いだったとは思わないし、今も思わない。
ただそれでも、全くノーマークだった人物が果たして運命を変えてしまうほどの重要人物だったと知った今。
或いは、という考えが出てこなかったわけではなかった。

だからこそ、アーチャーは士郎に干渉しない。
そこに可能性があるとするならば、その可能性を見つけることすらしなかった己が干渉する余地などないからだ。

今現在、アーチャーは凛とセイバーを探し、街を跳んでいる。
残った敵は3。

間桐桜とキャスターの黒聖杯組。
神父とランサーの教会組。
そしてギルガメッシュ。

─────教会でランサーと戦う前まではそう考えていた。

だが、ランサーが消えかける直前

『チッ、だからこんな人形じゃ足止めもできねぇっつったんだよ』

聞こえるか聞こえないか程度の声でそう呟いたのをアーチャーは聞き逃さなかった。
事実、教会でのランサーは今までのどれよりも弱かった。
姿形まではアーチャーに気付かれないレベルで似せることができても、ランサー本人の能力までは忠実に再現できなかったようだ。
こちらが宝具を見せたにも関わらず、相手が宝具を発動しようと構えすら取らなかったのがそれを明確に示していた。

このことから考えられる事実。
ランサーを完全とまではいかずとも模擬できるほどの人形を作り出せる存在がバックにいるということ。
まさかあの神父がそれをできるとは到底思えない。
となるとそれができる人物は実質一人だ。

これで敵は3ではなく2。
果たしてあのランサー組が何を考えてキャスターと手を組んだのかはアーチャーの知るところではない。
否、知る必要もない。
どのみち敵なのだからいずれ戦うことになるのは明白で、倒すことにも変わりない。

だがそうなったとき、戦力が自分一人というのは明らかに分が悪かった。
衛宮士郎には間桐桜を助ける術がある、とは言っても、そこにたどり着く前に倒れては意味がない。
またそれまでに戦って勝ったとしても崩壊しては意味がない。

となるとサーヴァント二体は同じサーヴァントがぶつかる必要がある。
そしてこの二人、アーチャー一人で全て対応できるとは決して言い難い。
特にキャスターの魔術は避ける以外に術がない。
対魔力の高いセイバーならばともかく、アーチャーの対魔力ではあまりにも厳しい。

自分の実力に自信がないわけではない。
むしろ自分の実力に自信があるからこそ、的確な判断を下せる。

「あの少女は衛宮士郎にとって必要な存在だ。奴の傷を癒すのは彼女しかいないだろう。………だが」

ダン! と力強く地を蹴り跳ぶ。
鷹の目と呼ばれる目でより遠方を視界にとらえる。

「………」

視界にとらえた情報を処理し、無言で手に弓を具現させる。
今まで探しても見つからなかった訳。

聳え立つビルの屋上から、“ソレ”を見る。
夜に溶け込もうとすらしていない。

弓を構え、矢を具現する。
その鏃の名を赤原猟犬フルンディング
今までも幾度と使ってきた矢だが、此度の標的相手にはこれほど有効な矢はないだろう。

無銘の弓兵。
投影した宝具を矢として使用する錬鉄の英霊。
狙うは─────

魔力を装填された矢が数キロ先にいる敵を補足する。
気付いているのか、いないのか。
恐らくは気付いている。

アーチャー自身はまだ対峙したことはないが、マスターである衛宮士郎からの情報は受け取っている。
全てを見下ろす為に浮いているアレが、撃ち落とそうとして構えている己を気付いていないはずがない。

─────それでも。

『我を知った上で狙い撃つか、アーチャー』

「無論だ。衛宮士郎が負けなかった男に、私がただ傍観するだけなどと、あってはならないことなのでね」

直後。
赤い光を伴った魔弾が、数キロという距離を無にしたが如く、強風を伴いながら天へと撃ち出された。


─────第五節 黒幕─────

その全てが始まるほんの少し前。
間桐桜は薄暗い洞窟の中にいた。

「流石はセイバー………あの一撃で蟲が無塵に還るとは思わなんだ」

ただし、発せられる言葉は彼女のそれではなかったが。
セイバーに両断されてから既に半日。
それでも死ななかった間桐臓硯は桜の体の中にいた。

周囲には誰もいない。
キャスターもアサシンもいない。
キャスターがいないことについては臓硯がどうこう言うつもりはない。
だが、アサシンが半日たった今でも己の下へやってこないことについては違和感があった。

まさか場所を知らぬというわけでもあるまい。
この場所は事前に知らせておいたし、魔力供給を受けないで行動できるスキルがない以上、ここにくることは必然の筈。

「ええ、来るはずありませんもの。当の昔に取り込んだのですから」

突如桜(臓硯)の背後から空間を捻じ曲げるようにその姿が現れた。
その突然に驚きはしたものの、間桐桜は驚かない。

「キャスター、貴女何を言って─────」

「あら、おかしいわね。扱いやすい様に強制的に眠らせて疑似的に伽藍にしてる私のマスターが、言葉を発するなんて、ね?」

その言葉を聞いた臓硯が、次に起きたことを理解するのに数瞬の時間を要した。

「!?」

今自分がいる場所。
外だった。

「な─────」

言葉を発する。
だがそれも間に合わない。

「罠に乗ってくれてアリガトウ。サヨウナラ」

時間にして数秒。
理解することも反応することも許さない。
瞬間的な摘出と殺害。
その対象物が掌の上に簡単に乗せれるほどのものならば、或いはこの魔術師ならば当然なのだろう。

完全に消え去った間桐臓硯。
そこに何かしらの感情を抱くことはない。

「アサシンとライダーで二騎。バーサーカーで一騎。残る三騎は未だ健在。そして一騎のイレギュラー」

操り人形のように動かない桜を横目にキャスターは一人中央へ。

「この世全ての悪………だなんて、大層なものね」

妖しく笑みを浮かべ、この場所ではない、別の場所をその水晶に映し出す。

「ええ、私はキャスターですもの。他の者が扱えないというならば、私が扱ってあげましょう」

渦。
脳が炸裂するほどの渦。
殺せ殺せと際限なく、止めどなく、流れてくる。

弟を殺し、父を殺し、我が子までも殺した。
女神に翻弄されて、気付けば魔女に成り下がっていた。

─────憎い

求めたものは何だったのか。
今となっては黒く塗りつぶされて思い出すことさえできない。

─────憎い憎い憎い憎い憎い憎い

死ぬ間際、どうしてたった一人にも看取られることなく逝かなければならなかったのか。

─────憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。

翻弄した女神が、邪魔をした殺した者達が、誰一人相手にしてくれなかった周りが!

ならば─────全部殺してしまえ

「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」

映し出されたのは一つの姿。
見たことがある姿。
殺してしまうのは易い。
けれどそれではあまりにも呆気なさすぎる。
そんな、『周囲の人間が死んだ程度の絶望』なんていう、どこにでもありふれたものを再現するつもりはない。

あくまで最初は気付かないように。
─────それでいて効果は劇的に。
外堀を埋めて、気が付いたときにはもう変えられない状況で。
それすらも変えてしまう可能性をちらつかせながら、やってきたところを消し去って。

殺しつくす。
ああ、その為には生かしましょう。
糧となる存在も、人質となる存在も、道具となる存在も、すべて優しく生かしましょう。

このキャスターワタシが、アンリマユアナタの願いをかなえてあげましょう。
吐き気を催すような、邪悪を再現してあげましょう。
そのためならば優しくなりましょう。

それができる。
なぜなら、今の魔法使いすら及ばない、『神代の魔女』なのですから。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第60話 妖冬
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:4e5a6920
Date: 2013/04/30 00:34
第60話 妖冬

─────第一章 綻び─────

1月31日より既に11回目の夜。
いつもと変わらぬ夜が冬木市を覆っている。
薄い雲が夜を照らす月に掛り、ネオンの光は街を照らし続けている。
過ごす人々は己の住処へと帰り、都心は夜の賑わいを、郊外は静けさを醸し出している。

─────が。
数日前まで往々として起きていた事件すら忘れてしまうほどの違いが、この街にあった。
例えこの数日に不気味な事件が多発していたとしても、決して消える事のなかった人の影。
例えこの数日の間に行方不明者や意識不明者が続出したとしても、絶える事のなかった人の声。

時計の針は間もなく夜の九時を指し示す。
都心ならばまだ十分に人の往来がある時間だ。
にもかかわらず今夜に限っては針が一時間………それどころか三時間ほど進んでいるのではないかと訝しむほどに街は闇に沈んでいた。
いつも人混みで賑わう駅前は終電を当に過ぎた後のような無人の姿を見せ、吐息の音すらも聞こえてこない。

昼間に見た名も知らぬ人々や友人達。
いつもの賑わい。
いつもの風景。
いつもの人影。
活気あふれる日常。

そんな街が見せる、全く別の姿が、そこにあった。



これは、夢なのだろうか。
きっと、夢なのだろう。
夢を夢と認識できることなんて、あり得ない事だと思っていた。

例えそれがあり得ないと判っていても、それを夢だと認識する力は夢の中にはない。
この状況がおかしいことなど理解している。
夢を夢だと理解できる時点で、おかしいのだから。

見た夢は彼がいる夢。
夢にまで見る様になったか、なんて呆れていると隣に遠坂嬢がいた。
共同関係にある以上、隣にいること自体は不思議ではない。

しかしよく見てみると、幸せそうに笑う彼と遠坂嬢がいた。
学校では見たこともないような笑顔で笑っている二人がいる。
互いが互いを信じきって安心しきっているような顔。

………それを見て、心なしかほんの少しだけムッときた。
夢ならせめていい夢を見せてほしい。
思わず目を左へ逸らしてため息をついたその視線の先に、また彼がいた。

その彼は独りだった。
誰も周りにいなくて、背中を向けてずっと向こうを向いている。
セイバーさんだけを見続けている。
遠坂嬢にも間桐嬢にもイリヤ嬢にも目を向けず、ただ遥か遠くにいるセイバーさんだけを見続けていて。
置いて、行ってしまった。

………少しだけ、悲しくなった。
彼の理想は知っている。けれど、その理想を追い求め続けた果ても知っている。
止めなければいけないのに、誰も、私にも止められない。

いや、きっと大丈夫。
彼ならきっと大丈夫だろう。
アーチャーさんみたいにはならないと信じるしかない。
これは夢、ただ見ることしかできないのだから。

そう思って右を向いたら間桐嬢と彼がいた。
予期していたことではあった。
間桐嬢が彼の家に通い妻紛いのことをしていると聞いたとき、想像はできていた。
そもそも義務でもないのだから、男性が住む家に毎日朝食を作りに行くというのは生半可な気持ちではできないことくらいは承知している。
………或いは当然の結果かもしれない。
ああして、二人幸せそうに心から笑う姿を見て、そう思う。

夢にしては随分と興味深い夢。
ふと思う。
これは本当に夢なのだろうか、と。

朝起きて今朝見た夢について暇つぶし程度に考える時がある。
正直に言うとバスに乗っている間の時間は暇なので、たまにそういうことに耽ることもある。

もちろんこれは現実ではないということは認識している。
けれど夢にしては些か説明がつかない。
夢の中でこれだけの思考を巡らせること自体ができないのだから。
けれど、これを夢以外の何だ、と問われると答えられない。
これを夢と言うしか他に言葉が見つからない。

もし仮に夢以外の言葉をつけるとすると、何になるだろうか?

私の思考は目の前の光景から、言語の当てはめに切り替わっていた。
それが、軽い逃避になっているのかもしれないと薄々感じつつも。
………なぜ私はこんなにもギスギスした感情を抱いているのだろう?

理由は─────彼が笑う、彼が見つめるその先に私がいないから、か?
………夢に何を期待している。妬いているのか、私は。

そう、これは夢だ。
私が彼の隣にいない夢。
それはつまり『もし私が彼の隣にいなかったら』というIFの世界ということ。

ああ、思いついた。いい言葉がある。
─────『平行世界』─────
同じで、けれどちょっとだけ違う時間軸が同じの世界。
もちろん、そんなおとぎ話を本気で信じようとは………
─────魔術があるくらいだから、少しは信じるかもしれない。

つまるところ、平行世界を夢で見ている、と言ったところだろうか。
判ったところでこれが夢であるということには変わりない。
これから覚めるには自然に起きるか起こされるかのどちらかしかない。
夢の中で起きよう起きようとしたところで目が覚めることはない。

そうして、また私は夢の続きを見る。
これが夢ならばもう少し私にとって有意義な夢を見せてほしいものだと思わなくもない。
次はどこの平行世界だろうか。

後ろを振り返る。
前後左右不覚の夢の中で後ろなんて判る筈もないが、取りあえず後ろを見る。

………言葉が出なかった。

士郎がいた。
周りに誰もいない。セイバーさんの時とは明らかに違う。

─────体は剣で出来ている

辛うじて判る瞳は虚ろで、体はすでに体ではなくなっていた。
見覚えがある。
見覚えがあるからこそ、理解できてしまった。
そしてこの夢が平行世界ではないかと考えてしまった自分を呪った。

私の“目の前で” ─────内側から数百の刃で貫かれた姿をして、彼は独りぼっちで死んでいた。


─────第二章 狂い─────

「─────ッッ!!」

跳び起きて目を開けると、暗い天井が入ってきた。
そこが自分の部屋だと認識する前に、体中から不快感が襲ってくる。
汗をかいていた。
今が冬だという事を忘れてしまいそうなぐらいに汗をかいていた。

肩で息をして、自分の部屋であることを認識する。
周囲を見渡した際に、今一番見たい姿がいないことを把握した。

「衛宮?」

心臓が音を立てて脈打つのを体全体で感じ取る。
今しがた見た映像は、それほどまでにリアルだった。

「衛宮………」

それが前兆も何もない、突拍子のない映像ならまだよかった。
けれど、今の士郎には前兆がある。
ああなってしまう可能性が十二分に存在する。
それを理解してしまっているが故の焦りだった。
夢を夢と認識しつつも、その焦りと恐怖と不安を押し留めることができない。

「衛宮!」

ベッドから立ち上がると、視界が歪んだ。
顔が熱い、体が熱い。
それでも、覚束ない足取りで廊下へ出ようと扉を開けた先に、部屋に入ろうとしていた士郎がいた。

「氷室、どうした? 大丈夫か?」

その姿を見て、呆気にとられる鐘。
彼の手にはタオルが握られていた。
熱を出して倒れた鐘を看病しようとタオルを濡らしていたところ、部屋から自分を呼ぶ鐘の声が聞こえたものだからすぐさま戻ってきたという次第だった。

「………衛宮」

「さっき呼んでたよな? どうしたんだ、何かあったのか?」

夢に見た姿と今目の前にいる姿。
リアルのような夢とはいえ、夢なのだから現実ではない。
当然と言えば当然だが、ちゃんと生きていて、声も発していて、眼も虚ろじゃない。

「………─────」

それだけで精神を支配していた言いえぬ不安が霧散していく。
が、当然目の前にいる士郎には判らない。
僅かに安堵の表情を浮かべた鐘に疑問を抱きつつ、額に手をあてた。

「まだ熱があるか。ほら、ベッドで寝よう」

「え………? あ、ああ」

言われるがまま部屋へと戻り、ベッドに横になる。
布団を被せられ、額に冷たいタオルが置かれた。

「多分、今までの疲労が出てきたんだと思う。熱はあるけど、喉は腫れてないし扁桃腺も大丈夫だったから」

最初何故眠ってしまっていたのか判らない鐘であったが、彼の言葉を聞いて直前の出来事を思い出した。

「すまない、衛宮」

「いや、謝ることなんてないよ。元はと言えば俺が氷室に無茶させてたんだし」

今朝から捜索の為に一人で外出し、それを追って鐘も外に出る。
教会では戦闘に巻き込んでしまっている。
疲労がでないほうがおかしい。
それでなくとも、緊張の毎日だった。
寧ろ今まで体調を崩さなかったほうがすごいことだろう。

「一応念のために熱を測っておこう。さっき手当てした時に体温計が救急箱に入ってるのを見たから、勝手に持ってきておいた」

手に持った体温計をベッドの上の鐘に渡す。
それを脇に挟み、電源を入れる。

「………衛宮、私はどれくらい眠っていたのかな?」

「大体二十分くらいか。今は九時くらいだ」

部屋にある時計へと視線をやる。
つられて鐘も時計を見ると確かに九時前だ。
しかし逆に言うとその二十分の間にあの悪夢を見たということになる。

「………一つ、訪ねてもいいだろうか?」

「ん、いいよ。答えられるなら何でも」

「君の体の具合は大丈夫なのか? その………体のどこかが動かなくなっているとかはないのか?」

口にするのもあまり気分はよくないが、聞かずにはいられない。
信じたくもないが、あれが仮に“成りえる一つの未来”とするならば聞いておかなければいけない事実だから。

「そりゃあ見た目が見た目だけに不安になるのは判るけど、さっきも言った通り俺なら大丈夫だ」

「そうか………すまない。何度も聞き返してしまって」

「いいよ。それだけ心配してくれてるってことだし、正直言ってそれだけで嬉しい。ありがとうな、氷室。………けど今は氷室が病人なんだから、俺としては氷室の容体の方が気になるんだけど?」

「熱はあるみたいだが、私も平気だ。こんな時に心配をかけてすまない」

「いいよ、っていうか氷室。さっきから謝ってばかりだな。もっと気を楽にしてくれていいぞ」

その言葉を聞いて、少しだけ大人しくなる。
心拍数は先ほどの目覚めよりはかなり落ち着いてきていた。

「そういえば、イリヤ嬢からは何て言われた?」

ふと疑問に思ったことを聞いてみる。
自分が倒れる前に話していた内容。
それ次第ではすぐにでも動かなければいけないのではないだろうか。
もしそうであるならば、このまま寝ていてもいいのかという問題にもなる。

「ああ、イリヤ達は今こっちに向かってるって言ってたから─────!?」
「!?」

話の内容を伝えようとした矢先。
ガシャン! と薄気味悪い音が聞こえてきた。
突然の音に一瞬体を震わせて、即座に士郎が立ち上がった。
何が起きたかは判らないが、この状況でまさか窃盗を目論む一般人が侵入してきたとは思えない。

「………氷室、立てるか?」

「ああ………大丈夫」

ゆっくり休む暇すらない。
足元がおぼつかないまま、士郎の力を借りて床に立つ。
一体何が部屋の外にいるのか。

「氷室、扉を開けるから俺の後ろいてくれ」

そういって両手に彼女の色を分割した剣、白と黒の双剣、干将莫邪を手に具現させる。
もし敵であった時のことを考えると、一瞬の気の緩みも許されない。
今、士郎と鐘が置かれているのはそういう状況だ。
そこへ。

「!」

部屋のドアノブが僅かに動き始めた。
扉から一番距離をとれるところまで後退し、剣を構える。
全神経を集中させ、入ってくる者を注視する。

静かな音を立て、扉がゆっくりと開かれる。
入ってくる者の姿が見え始める。
最初は警戒心を。
だが、僅かに見えたその姿に疑問が。
そして全体が見えたその姿に茫然と。
二人の視線の先にいたのは。

「あら、鐘と………士郎くん?」

「お、お母さん!?」

氷室鐘の母親、氷室鈴だった。
あまりに予想外の人物が目の前に現れ、茫然とする二人。
だが手に持っている双剣に気付き、士郎はすぐさま体の後ろへ隠し消し去る。
鐘の方はというと、先ほどの熱による朦朧とした意識が吹っ飛ぶほどの驚いた表情を見せていた。

考えてみれば当然。
この家は氷室鐘の自宅。
ということはその母親が家に帰ってきても何も問題ない。
寧ろそれが当たり前だ。

入ってきたのが母親ということで、鐘の緊張が一気に解ける。
士郎の背中から出て、部屋に入ってきた母親の前へと出る。
久しぶりに見た母親の顔は士郎の家に泊まる前となんら変わらない。

「お母さん、今帰ったんですか?」

「ええ。それより、そちらの人は士郎くん………だったよね? どうしているの?」

「あ、………」

返答に詰まってしまう。
死にかけてたから家に連れてきたとも言えない。
かといって今の状況を誤魔化せるほどの材料がない。
疲労による熱も相まっていいアイデアが浮かんでこない。

「そ、そういえばお母さん。さっきの音は何? 何か割ったんですか?」

苦し紛れに話の内容を変える。
どう頑張っても後で追及されるだろうが、とにかく今は考えるだけの時間が欲しかった。
じとり、と怪しい目で見られる鐘だったが、鈴は

「ええ、置いた覚えのない場所に食器が置いてあったから間違えて落としちゃったの。もしかしてこの家に誰かいるのかって思って。あれ、鐘が使ったのかしら?」

つまりさっきの音は食器が割れる音。
確かに母親からしてみれば使った覚えも出した覚えもない食器が予期しない場所に置かれていると不審にも思うだろう。

「………はい、使いました」

素直に認めるしかなかった。
食べ終えた後、すぐに食器を洗っていればこんなことも起きなかったはず。
完全に自分がやってしまったと思い、思わず頭が下がった。

「事情は後で聞くから、とにかく割れた食器の後片付けを手伝ってくれる?」

「はい」

先に廊下へと出た母親の後についていく。
廊下に出ると先に歩くように、と道を開けられているので、前へと進む。
その直後だった。

「氷室ッ!!!!」

その士郎の大声に体を震わせた鐘が振り返ると、そこに。
包丁を手に持った母親がいた。


─────第三節 反転─────

「え─────?」

その光景を見て、停止する。
体も心も思考も、何もかも。

動けない。
考えられない。
時間もない。
突き出された包丁はそのまま鐘の腹部へと─────

「このっ!!」

届く直前。
思い切り横から士郎が鈴を突き飛ばした。
体勢が崩れ壁に叩きつけられる鐘の母親。
それを僅かに確認したのちに、鐘の手を取り家の奥へと距離を取る。

「な─────」

手を引かれるがまま、けれど廊下の壁に叩きつけられた自分の母親から視線を外せない。
それを士郎が彼女の前に立つことで強引に視界を遮った。

「な、なんで………。衛宮、なんで!!」

何故母親を突き飛ばしたのか。
理解ができない。
理解ができない。
理解ができない。

否、理解できている。
理解できているが、理解したくない。

─────母親が、娘である自分を殺そうとした現実を。

見れば士郎の顔も苦しそうな表情をしている。
それが、鐘の心情を表しているものだということに、この時の彼女は気付けなかった。

今まで様々な敵と、恐怖を体験してきた。
だが今のはそれらとは比べものにならない。
自分の母親は日常の人間。
鐘が目指す、“いつも通りの生活”を代表する人。

それが─────

「!」

混乱の最中、家の明かりが消失した。
部屋の明かりのスイッチを押していないことから、ブレーカーを落としたか或いはもっと別の場所で電気の供給が停止したか。
しかし、この状況においてそんな些細なことなどどうでもよかった。
立ち上がった母親、鈴の奥に見えるシルエット。

鐘の心に負荷がかかる。
操られもした、捕まりもした、助けに来てくれた人が傷つく姿もみた。
けれど唯一無二の肉親が、凶器を持って殺しに来るという光景は見たこともない。
見たくもない。
想像すらしたくない。

だが、悪夢は終わらない。
気付くべきだった。
母親がいるということは─────父親もいるということに。

「………」

もはや声は出なかった。
まぎれもなく、これは悪夢だ。
夢と思いくなるほどの悪夢だ。
夢であってほしいと願いたくなるほどの悪夢だ。

鐘の前に立つ士郎もまた、この光景に苦虫を噛み潰したような表情を作るしかなかった。
目の前にいる人物から魔力を感じない。
つまりそれは二人がただの一般人だということである。

「くそ、操られてるのか………!」

こうなると迂闊に手が出せない。
後ろにいる少女の両親に手を出す訳にはいかないからだ。
こちらからの反撃はできない。

どうするべきか、何か手はあるのか、救い出す方法はないのか。
そんな目の前に立つ士郎の心情が、顔から容易に見て取れた。
それを見て、鐘は唇を噛みしめて、眼を一度強く瞑った。
そして問いかける。

「衛宮、一つ聞いていいだろうか。………私の両親は、いつかの私と同じように操られているのだな?」

「当たり前だ………!氷室の両親が、氷室を殺そうとするわけない。それは氷室が何より判ってる筈だろ」

「そうか………」

「氷室、眼を瞑っていい。何があっても絶対に守るから」

その言葉は、今の一瞬で固まってしまった心を安心させるには十分すぎる温かさを持っていた。

「ああ─────ありがとう」

背中に頭をあてて、手をあてる。
これが衛宮士郎。
一番初めに学校で襲われた時から何も変わらない、氷室鐘にとってかけがえのない掛替えのない人で、英雄ヒーロー

だからこそ、いつまでも共にいたい。

「衛宮、ここはマンションだ。入口への突破は両親がいるから難しい。ベランダから隣の家へと緊急時に突き破れる壁があるから、そちらから行こう」

通常、マンションには火災などの緊急時に避難経路として隣の家へ逃げれるように、ベランダの仕切りは薄い、突き破れる壁が設置されている。
入口がふさがれている以上は他の経路で脱出するしかない。

方法としては学校の屋上から飛び降りた時のような方法もあるが、ここはマンション。高度差が違う。
危険性は学校の時よりもさらに高い。
そうなったとき、必然的に緊急路を使う選択肢しかない。

「…………」

「衛宮、どうした? 何かこの案で問題があったか?」

後ろにいる鐘の顔を見て、驚いた表情を見せる士郎。
鐘としてはこれ以外の方法が思い浮かばなかった為に言ったのだったが、もしかすると何か重大な見落としを─────

「すごいな、氷室」

「え?」

ここにきて予想外の反応を見せた士郎に、逆に驚いてしまう。

「いや、俺の中じゃ強行突破か飛び降りかの二択しかなかったんだ。けど、飛び降りるには高低差がありすぎて危険すぎるし空中じゃ身動きもとれない。かといって強行突破したときに氷室の両親に怪我させてしまうかもしれないし、氷室が怪我してしまうかもしれないで身動きが取れなかった」

マンション暮らしではない士郎にとって、緊急路の存在は知りえなかった。
だからこそ、鐘が出した案はそれこそ救世主のような案でもあったのだ。

そしてそれとは別に、士郎の中にはもう一つの驚きがあった。

今目の前にいるのは操られている両親。
鐘にとってはかけがえのない人で、その二人が殺しに来ていれば混乱もする。
それに加えて彼女は熱のある病人でもある。
しかしその中であっても、彼女は冷静になって、士郎では思いつかなかった案を示してくれた。

「ああ、その方法でいこう。ありがとう、やっぱり氷室は“強い”よ」

彼女の手を取り、ベランダへと向かう。
その手を感じ、背を見ながら小さく、思う。

(君がいてくれたから─────強くなれたのだぞ、衛宮)

だが二人を殺そうとしている敵は、ただ黙って見ているだけの筈もない。
ベランダへ出た二人を鐘の両親が追いかけてきた。

「これか。氷室、これ思いっきり破っていいんだよな!?」

「ああ、何も問題はない。そのための緊急避難路だ!」

鐘の言葉を聞いて思いっきり蹴破った。
隣の家へと続く大穴ができ、それをくぐり隣の家へ侵入する。

このマンションはつい先日までガス漏れ事件現場として調査の為一時封鎖されていた。
入居者も挙って病院送りだったため、それで困る人物がいなかったのが不幸中の幸い。
そうして調査による封鎖が解除され、ここ数日でようやく入居者が帰ってくるようになったマンションである。

それの所為か、蹴破った先の隣の家には住民の姿はなかった。
施錠だけはしっかりとされており、普通ならば侵入することはできない。
だが、この緊急時にそんな悠長な事は言っていられない。
窓ガラスを割り、外から家の中へ侵入し、玄関へと向かう。

「靴は………まあ、無いよな。氷室、足に気をつけろよ」

「ああ、判ってる」

玄関戸開け、マンションの廊下へ出ると、同じくオートロック式の扉から鐘の父親、道雪が廊下へ出てきた。
その手にはゴルフに使うドライバーが握られている。
人を撲殺するには十分な凶器である。

「しめた!」

こちらへ走り出そうとしてきた道雪へ、士郎が先手を打つ。
振りかぶり士郎目がけて振り下ろしたが、干将莫邪がそれを切り落とす。
所詮は一般人。
ゾンビの様に緩慢な動きをしていないにしても、それでもただ攻撃を防ぐくらいならば士郎でも問題はない。

攻撃を難なく避け、道雪が出てきた開け放たれたドアへと入る。
玄関に置いている鐘の靴を咄嗟に掴み、背後から再び襲ってきた道雪の攻撃を干将莫邪で受け止めた。

「氷室、これ履いていけ!」

「君はこんな時に………!」

「足を怪我しちゃいけないだろ!」

片手でつかんだ靴を鐘へ放り投げる。
足元に転がってきた自分の靴を見て小言を言いつつ、靴を履いて後ろを振り返った。

「………!」

鐘が目にした光景。
その目でも一般人と判る人達が、たった一点の光源に集まってくる虫のように廊下から迫ってきていた。

その顔を鐘は見たことがある。
名前こそ知らないが、このマンションでちらほらと見る人達ばかり。
迫ってくる人々は、一見正常のように見える。
しかしそれが何よりの異常だということを鐘自身が感じ取っていた。

「氷室、こっちだ!」

鐘の手を取り、迫ってくる住人から逃れるように階段を駆け下りていく。
エレベータは途中で止められる危険性があるので使うわけにはいかない。

「氷室、体は大丈夫か!? 無理だったら言ってくれ、安全なところまで運ぶから!」

「────今は、まだ大丈夫だ。とにかく今はここから逃げなければ、このマンションの住人に囲まれてしまうぞ!」

階段を駆け下りて、つい数時間前に通ったロビーを抜けて外へと出る。
だがその光景はやはり先ほど見た光景と全く変わっていた。

「何でこんなに真っ暗なんだ………」

本来ついているべき筈の電灯は仕事を忘れたかのように光っておらず、周囲の建物にも光は存在していなかった。
真夜中の海と全く同じ。
光源がないため、人間の目には闇が広がっているようにしか見えない。

「私には何も見えない………。衛宮、君の目には見えているのか?」

「強化して何とかぎりぎり見える程度だ。普段と比べると全然見えない」

「一応、この暗闇でも見えてはいるのか。衛宮、これからどこへ向かう?」

「こうなったらイリヤや美綴達が心配だ、さっき落ち合う場所は決めたから、まずは何とかしてそこに向かう」



「………なんでしょうか、これは」

「見て判るでしょう。キャスターの兵隊達よ」

車から降り、硬化のルーンを刻んだ手袋をはめる。
周囲は完全に闇なのだが、車のヘッドライトのおかげで光源には困らない。

「生憎ですが、私はまだキャスターと戦ったことはありませんので」

「………そうだったわね」

後部座席から周囲を見渡すと、360度を骨の軍団が取り囲んでいた。
綾子にはその骨の軍団に見覚えがある。

「こんなにわらわら道のど真ん中に現れたら、いくら暗闇でも人目につくんじゃないのか? この戦争って基本的には秘匿されるように行われてるんじゃなかったっけ?」

そう、ここは冬木市の公道。
おかしなことに、綾子らが乗った車はその中央で停止を余儀なくされている。

「ねぇ、アヤコ。アインツベルンから冬木の街に入るまでにすれ違った車の数って覚えてる?」

「え? えっと、確か………」

アインツベルンの森を抜け、公道に入り冬木に入るまでの間にすれ違った車の数。
思い出そうとしても思い出すことができない。

「あれ………?」

思い出すことができない。
本当にそうだろうか?
確かに意識してなかった分、詳しい数は覚えていない。
だが

「すれ違った車なんていたっけ………?」

そもそも車とすれ違わないなら、そんな記憶はどこにも存在しない。
それはおかしい。
いくらなんでも交通量ゼロになるような道ではない。

「その通りよ。すれ違った車の数はゼロ。“冬木から出てくる車”は一台も存在しないってこと。これ、どういう意味かアヤコなら理解できるんじゃないかしら?」

「まさか………この町の人全員操ってるっていうの!?」

「まさかもまさか。魔力を無尽蔵に持つ神代の魔術師なら、これくらい朝飯前でしょう」

後部座席よりリズが降り、トランクに入れていたハルバートを握る。
距離は一定で保っているものの、いつ一斉に襲い掛かってくるかわからない。

「車で突破するにしても数で止められますね、これでは。お嬢様、如何なさいましょう」

「こんなところで足止めを受けてる場合でもないから、何とかする必要があるんだけど………」

「では、私とリーゼリットさんの二人で道を開きます。状況を見計らって一気に突破してください」

車の正面に立つバゼットが前方を睨みながら拳を鳴らしている。
が、彼女は武器を持っていない。

「………武器、ないけど大丈夫?」

「大丈夫ですよ、リーゼリットさん。この程度の敵ならば拳だけで十分です。そして─────」

前ぶれもなく、ただ突然に囲う竜牙兵へ接近する。
それに反応した竜牙兵が攻撃を仕掛けるが、体を僅かに逸らすだけで回避し、即座に右ストレートでカウンターを入れた。

一体。二体。三体。四体。五体。
同時に襲い掛かってきた兵隊を、瞬く間に吹き飛ばしてしまう。
無駄のない最小限の回避と、無駄のない完璧な攻撃。

「ええ、リハビリにはもってこいの敵ですね」

右拳を見ながら、自分の調子を確認する。
瞬く間に五体もの竜牙兵を倒してしまった。
それを後ろで見ていたリズは感心したように両手で拍手している。

「………強い」

バゼットの姿を車の中から見る綾子。
この状況下においても怯むことなく接敵し、無傷で敵を倒してしまう。
それでいてあの余裕は彼女が只者ではないということを容易に想像させる。
もちろんこの聖杯戦争の参加者だという時点で只者ではないということは承知していたが、こう目の前で披露されると目が奪われるものがある。

余談だが、綾子は『美人は武道をしていなければならない』という独特な哲学を持っている。
そんな考えも相まって、目の前で華麗に戦うバゼットに余計に目が行ってしまっていた。
ちなみに彼女は弓道をしているが、それ以前は様々な武道を嗜んでいた。
………つまるところ回りまわって『自分は美人だ』と言っているようなものだが、事実なので何も言わないでおくことにする。

「しかし悠長にしていられるだけの猶予がないことも事実です。………一気に突破口を開きます!」

「私も、手伝う」

車の前方にいる敵へ二人が突っ込んでいく。
それに呼応したが如く周囲の竜牙兵が一斉に近づいてくる。

「セラ、あの二人が正面の敵の数を減らしてくれるから、一気に突っ込みなさい。いいわね?」

「畏まりました、お嬢様」

そういっている間にも正面の敵がどんどん減っていく。
綾子の目から見ても、圧倒的であることが判る。
敵は映画に出てくるゾンビのように動きが緩慢なわけではない。
人並みか或いはそれ以上かもしれない動きで襲い掛かってくる。

しかしそれを二人は無傷で倒してしまっている。
それだけで彼女らの強さは十分に理解でき、そして同時にそんな彼女らをも容易に追い詰めてしまうサーヴァントと言う存在がより明確に理解できる。

以前衛宮邸でギルガメッシュが強襲してきた際、迎撃にリズが出た。
その場に綾子も居合わせたのだが、結果は死にこそせずも膝をついてしまった。
今目の前で圧倒的な強さを見せている彼女がである。

「そんな奴ら相手に衛宮は………」

弓道場裏手でサーヴァントによって宙吊りにされていた士郎。
校舎屋上でサーヴァントと斬り合っていた士郎。

「………遠いなあ………」

ただ、そう一言だけ呟いたのだった。



マンションから逃げる様に飛び出して、ずっと走り続けていた。

「くそ、こっちからもか!」

曲がった先にいる街の住人。
手にはそれぞれ大きさも形も違う凶器が握られている。
目的地へ向かおうにも、経路選択を邪魔されて長々と街の中を走らされ続けていた。
そこに、休む暇などなかった。

「はっ、っ、は─────!」

苦しげに吐き出される呼吸は手を繋いでいる鐘からだった。

「ま、だ─────大丈、夫。まだ、走れる、から」

握った手は熱があった。
先ほどまで熱で寝込んでいた彼女に、走り続けられるほどの体力は残っていない。

「いや、これ以上氷室に無茶させられない」

「し、しかし………」

逃げ続けて、気が付けばいつか見たバス停。
マンションからここまで。
同じように操られた人達が襲い掛かってきた。
それを攻撃するわけにもいかない以上、こうして走り続けるしかなかった。

「今は周囲に誰も見えない。大丈夫な筈だ」

「これほど真っ暗だというのに、か?」

「もし襲ってきたら氷室を抱いて逃げる」

「………君は………」

息切れの為に会話が続かない。
何か言い返したくも熱の所為で、思考もうまくまとまらない。
フラフラとした感覚のまま、周囲を見渡す士郎を見つめていた。

一方で周囲を警戒する士郎の目には今のところ誰の姿も確認できない
ここで疑問が生じる。
街の住人を操れるならば、ここまで逃げ切れていること自体がおかしいのだ。
三方向から追い詰めるのではなく、四方向から追い詰めることだって可能なのに、敵はそれをしてこなかった。

(まさか………誘導されている?)

そんな考えが浮かんでくる。
しかし今向かっている方向は、自分達が目的としている方向だ。
単純に考えすぎたかと思考を切り替える。

「衛宮………とにかく、行こう。ここは集合場所ではないのだろう?」

「え? あ、ああ、そうだけど。氷室は平気なのか?」

未だに肩で息をしている鐘の顔は赤い。
疲労しているのは目に見えている。

「休んでいられるほど、状況は甘くはないというのは感じているつもりだ。それに止まっているよりかは歩いている方がまだ楽だ」

「………そうか。なら行こう。けど、氷室が辛そうだと思ったらその時は抱いていくからな」

「─────街中でそのような事をされては本当に気を失いかねない。君の手を煩わせないように気を付けよう」

士郎の手を再び握り、目的地へと闇の中を歩き始めた。


─────第四節 対立─────


新都のビルから飛び降り、舟が消えた方面へとただ走る。
消えたのは山。
柳洞寺であった。

「奴は何を考えている………?」

そう呟きつつも速度は落とさず、全速力で柳洞寺へと続く階段前まで着地した。
ここからは一本道。
道を外れようものならば、それだけで魔力が奪われていく。

山頂から風が漏れてくる。
それを切り裂くが如く、一気に山頂目がけて階段に足をかけた。

目視を間違えていなければ、ギルガメッシュはこの山頂に降りた。
そこへ一息で駆け上がる。
この時点で、到達は気付いているだろう。
ならば正面からの迎撃か? と考え、神経を前方に集中させる。
だがそれに反して攻撃はおろか、姿形さえ現れぬまま柳洞寺の門へとたどり着いた。

「─────」

躊躇わず中へ。
しかし中も変わった様子はなく、以前の戦闘痕が今も残っているのみだ。
ただ一点。
崩れた屋根の上に腰掛け、見下ろす男と、その下にセイバーが剣を構えて立っていた。
剣は風王結界で隠されることなく、その黄金をあらわにしている。

「アーチャー………!」

「凛、無事か?」

「ええ、なんとかね。………魔力は大して戻ってないけど」

セイバーの隣にいた凛が、近づいてくるアーチャーに声をかけた。
見れば怪我はなく、無事であるようにも見える。

「さてアーチャーがやってきたが、貴様はどうする、セイバー?」

「ギルガメッシュ………貴様は何を考えている? 私とアーチャーで二人がかりならば、貴様とて─────」

「勝てるか? それもよかろう。どのみち、ここに来た時点でその雑種を生かすつもりなどない。だが、わざわざ与えたチャンスを無駄にすることになるということも忘れるなよ」

「チャンス? 何の話だ?」

アーチャーがセイバーと凛に問いかける。
その問いに対して凛が平坦な声で答える。

「捕まっていた私たちは『とある目的を達成する』という条件を元に解放されたの。その目的を達成し次第では猶予を与える、ってね」

「その目的とは?」

「黒い聖杯の破壊─────つまり、間桐桜の抹殺よ。そしてそれを邪魔する者全ての排除」

「………それを君は了承したのか?」

「順守すれば、褒美として生の猶予を与えると言っただけの話。それに従わぬのであれば殺す。それが王たる我の決定だ、雑種の了承など必要ない」

ギルガメッシュが話に割って入ってくる。
その血色の眸は、言い難い不気味な感情が込められている。

「つまり私が来なければ、貴様は二人をキャスターの元に送り込んでいた、ということか。仮にこの二人がキャスターに敗れたらどうするつもりだったのだ?」

一歩前に出たアーチャーが負けずとギルガメッシュを睨みつける。
凛もセイバーも魔力は全く以て不足している。
それは目の前に立つこの男が何よりも理解している筈だ。
この二人の魔力を大量に使わせた本人なのだから。

そんな二人を間桐桜、キャスターの元へ向かわせる。
戦力的に厳しい二人が、全てを呑み込んでしまう聖杯と戦えばどうなるかなど予測はつくはずだ。

「どうもしなかった」

アーチャーの問いに対して、ギルガメッシュが答えた。
不敵に微笑んだその顔は、背筋を凍らすほどの邪悪さが感じ取れた。

「昔の話をしてやろう。十人の奴隷を選び、その中で“いなくともよい”者を殺そうとしたことがある。さて、どうなったと思う?」

「どうせ殺したんでしょう。アンタはそういう奴でしょうが」

「いやいや。それがな、一人も殺せなかった。いかな人足とはいえ無駄な者などいなかったのだ、かつての世界には。だが、この世界には余分が溢れている。十人どころか千人という人間を選んだところで、殺せない人間など出てきまい」

皮肉げに肩をすくめる。
だが、一度閉じて再び開けたその眸から周囲の空間が一変する。
空間そのものが重量を持ったかのように、上から下りてくる威圧によって空気が重くなったのだ。

「───同様にお前たちという存在もまたそれと同じなのだ。そこの女には利用価値が、セイバーは愛でる価値がある。我に尽くすのであれば相応の褒美を賜わそう。無駄でしかない者を生かすつもりなどない。この意味、貴様は理解できるか、アーチャー?」

展開される宝具群。
その切っ先は違わずアーチャーに向けられていた。

「さて、どうするセイバー。今貴様たちは自由の身だ。我の決定通り動くのであれば即刻行け。残るというならば好きにするがいい。ただし、一度目と同じ待遇を得られると思わないことだな」

「不遜な態度もそこまでいけば愚かしい。………アーチャー、私が前に出ます。援護を頼みます」

一歩前に出たセイバーがアーチャーと並び、剣を構える。
ギルガメッシュの決定など従う理由がない。
魔力は十全ではなくとも、2対1という関係。
そして何よりアーチャーの実力は理解している。

ならば或いは勝機を見出せるかもしれない。
少なくとも野放しにしておけば、この男が目の敵にしている元マスター・士郎の元へと向かうだろう。
士郎の体はすでにボロボロだ。

“この男は─────ここで倒す”

「─────いいや、あの男の言う通りにしろ。皮肉にも向かう方向は同じだ、このままキャスターを野放しにしておくことはあまりに危険すぎる」

「なっ─────」

隣にいるアーチャーから発せられた言葉に驚く。

「何を言っているのです、アーチャー………!」

「凛、君の家には『相応』の魔術を引き出せる宝石がまだ数個残っていたはずだ」

セイバーの反論に耳を貸すことなく、後ろにいる凛に話しかける。
その言葉に一瞬驚いた凛は、

「………なんでアンタがそれを知ってるのよ」

「セイバーを手に入れたことで内心使わなくてすんだと思って、一部の宝石をしまい込んだのだから、あるわけがないという言葉は通じないぞ」

「だから何でアンタがそれを知ってるって言ってんの!!」

まるで弱みを突き付けられたかのように、半逆切れ状態でアーチャーに食い掛かる凛。
そんなまるで子供のような凛を軽くあしらう様に

「さて、どうしてかな。とにかく、キャスターを倒すのならば、相応の準備をしていけ。そして一刻も早くキャスターを倒すべきだ」

「アーチャー、貴方は………」

「………通常戦闘程度しかできない今の君の魔力では邪魔になるだけだ。大人しく凛と共に行動しろ」

セイバーの魔力は目に見えて少なかった。
宝具の使用は不可。無理に使えばその瞬間に体の維持ができなくなる。

「………そうか」

「リン?」

「ええ、判ったわ、アーチャー。セイバー、悪いけど全速力で私の家にまで連れてってくれない?」

見つめてくる凛の顔は、どこかしらに自信が垣間見えた。

「─────わかりました」

凛が僅かに見せた表情を信じ、後ろへと下がり背を向ける。

「ほう、我の決定に従う気になったか?」

ギルガメッシュが背を向けた二人に問いかけるが、僅かに後ろを振り向くだけでそのまま柳洞寺の門から去って行った。
これでこの場はアーチャーとギルガメッシュの二人だけとなった。

「一つ聞こうか。貴様は本当に、命令すればあの二人がその通りに動くと思っていたのか? 貴様の前から消えた後、命令通りに動くとでも?」

「それはそれで可愛げがあるとは思うがな。セイバーはそのような奴ではあるまい。だが─────それでいい。十全の状態となって我に再び剣を構えた時が最後なのだからな」

もとよりこの男には相手を対等に見て闘争するという発想はない。
玩弄し、辱め、屈服させる様を観賞する為の慰み者、それがこの男にとって『敵』と言える存在。
故に解放する。
愛でるべき対象だからこそ、その愛でるべき者が堕ちていく様を見るのは愉しいのだから。

「そしてもう一つ、我には目的がある。そのためには黒き聖杯は邪魔であるし、サーヴァントにも消えてもらわねばならない」

ゆっくりと右腕が空へ上がる。

「貴様はここで死ね、アーチャー」

─────王の財宝ゲート・オブ・バビロン

静寂を一気に吹き飛ばす轟音と共に、無慈悲な雨が境内へと降り注いだ。




[29843] Fate/Unlimited World―Re 第61話 雲を掴む
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:4e5a6920
Date: 2013/07/21 04:26
この世、全ての悪意アンリマユ』。
生まれながらにして悪と称される存在。
先天性の悪。
天使が善意しか持っていないと言うのであれば、これはそれの対極に位置する存在。

キャスターの魔力源となっているソレは、そう言うに相応しい存在である。
存在もさながら、持つ力そのものも天使と同等と思わせるほどの圧倒的な魔力。
実際に戦えばどちらが強いか、という議論はさておいて、そう錯覚してしまうほどの魔力を有しているキャスターには余裕があった。

だが、余裕はあっても傲慢になることはなかった。

先ほどの話。
天使が善意しか持っていないならば、『この世、全ての悪意アンリマユ』は悪意しか持っていない。
しかし当の本人達は自身の存在をどう認知するというのだろうか?

仮に天使が本当に『善意』しか持っていないというならば、それが『善意』であると認知することはできない。
この世、全ての悪意アンリマユ』もまた同じことだ。

その行いが『善』か『悪』かのどちらかを判断するのは、片方しか知らない本人達では認知することはできない。
判断できるのは『善』も『悪』も知る人間しかいない。
故に、どれだけ自分の行為が『善意的』であったとしても当の本人はそれを『善意』と感じていないし、
どれだけ自分の行為が『悪意的』であったとしても当の本人はそれを『悪意』と感じない。

それ以外を知らないからだ。

キャスターは真っ先にそれに思い至った。
この世、全ての悪意アンリマユ』は確かに極めて優秀な『悪』なのだろう。
だがそれはあくまでも人間の価値観からくる判定であり、自身から見てそれが『悪』であると認知することはできない、と。

─────そしてそれは『効率的』な『悪』にはなれない。

『善意』を知るからこそ『悪』を際立たせることができる。
保有する力が全く同じでも、殺人という引き起こす結果が同じであっても。
それをどのような形で出力し、彩を持たせるかで過程は大きく異なってくる。

そう、必要なものは『悪』という属性を持った膨大な力を、『悪』として適切に操り他の者へ与える者。

その結論に行き着いた時、本当の意味で、キャスターは完全な『悪』となる。

だからこそ、キャスターは現状を現状のままで進行させていた。

キャスターにとって、冬木市に入ってくるイリヤ達は障害ですらない。
目的があるとすればイリヤだが、急務というわけでもなく必然的に優先順位は落ちている。

目下優先事項はギルガメッシュの撃破。
ちょうど真上でアーチャーと戦闘を行っている。
ここで介入するのも悪くはないが、互いに潰しあって疲弊しきったところを呑み込めばいい。
となるとセイバーが次点の優先事項になる。

衛宮士郎はサーヴァント、アーチャーがギルガメッシュと対峙しているためまだ生かしておく必要がある。
合流されると面倒なので新都のビル群で永遠と走りまわさせる。

だが、その隣にいる人物は別─────

この世、全ての悪意アンリマユ』とはつまるところ『呪い』そのものだ。
当然それを浴びれば死ぬ。
いや、そもそもとして一般人が受け入れられるほどの薄い『呪い』ではない。
ならば─────。

学校で誘拐した際に、念には念をという意識の下で作り出した、脳への『勝手口』。

『バックドア』は有効に活用中
衛宮士郎には感知不能な微弱な魔力を拡散
操作対象者達に特定座標を常に自動発信することで、半自動的に疲弊追撃を可能とさせる

この世、全ての悪意アンリマユ』は人を呪い殺すという属性を持った濃い魔力の塊だ。
その魔力の“残滓”だけでも十分すぎるほど、一般人に対して効果を持つ。

─────加えて
『バックドア』から『この世、全ての悪意アンリマユ』の魔力残滓を継続的に与え続ける
現在の兆候として、体温の継続的上昇及び『残滓』による心理的圧迫が確認
存在自体、人への干渉力が強いため『残滓』でも何らかの情報を与えてしまう可能性があり

気になったのは少女が見た『夢』だ。
『悪夢』という名目であるならば、なるほどそれは『悪』であるが。

衰弱にあたり精神の不安定度が上昇
このままいくと精神崩壊、精神負荷による自殺、死亡などを引き起こす可能性が極めて高い

キャスターにとってこれは遊戯と同類。
どうなるのか、という極めて単純な興味からくる行動。
死ぬという結果は変わらない。
しかし過程はどうなるのか。

─────実験続行

そこに、対象者の意思など存在しない。

対象者─────氷室鐘



第61話 雲を掴む

─────第一節 光─────


「こんなものね」

ずらっと机の上に宝石を並べるのはここの家の主、遠坂凛だ。
目の前にあるのはどれもこれも高級そうな宝石ばかり。

「リン、準備はできましたか?」

「ええ、戦力となりえる宝石はこれで全部。ほかにもあるっちゃあるけど、恐らく雀の涙程度しか恩恵はないから置いておくわ」

魔力の還元はすでに済ませた。
体の調子自体はまだ完全ではないが、魔力に関しては問題ないだろう。
つまりそれはセイバーの完全復活ができた、ということでもある。

しかしそれでも正直に言って不安はある。
ギルガメッシュもそうだが、何より桜と対峙するとなった場合、魔力が十全だろうが意味がないということ。
サーヴァントが触れればどうなるかなど、すでに身を以て体験済み。

「とりあえずはギルガメッシュね。アーチャーが頑張ってくれてる。アイツに加勢してとっとと倒しに行きましょう」

「ええ、そうですね。─────しかし、シロウ達はどうしたのでしょうか。アーチャーにも聞きそびれてしまいました」

「この家を使った形跡はあるから、今朝はここに泊まったんだろうけど。でもなんていうか、ここにある魔力の残滓がかなり薄いから、ついさっきまでいたとは考えにくいわね」

「つまり早朝よりシロウ達はこの家を後にした、と?」

「………まあ、アイツの事だから理由は想像に難くないかな。─────そうでしょ、セイバー?」

「─────そうですね、そのためにも私達は勝たねばならない」

無言で互いの目を見て、改めて決意を固める。
そうして寝室を出ようとしたときだった。

『ちょっと待ったぁ!』

「「!?」」

どこかで聞き覚えのある声が聞こえてきた。
無論部屋には凛とセイバーしかいない。

『ようやく姿を見せたわね、リン、セイバー』

「この声………イリヤスフィールですか?」

「………アンタ、どうやって話しかけてきてるワケ?」

『この部屋に目と声を伝達できるように細工しただけよ。だからこの部屋から出ていかれると聞こえなくなるから、この部屋で聞いてちょうだい』

「細工って………一応ここ、私の寝室なんですけど?」

『ええ、そうね。リンにしてはいいベッドを使ってると思うわ。けれど、もっとしっかりベッドメイキングはしておくことね』

メイドを連れてるアンタだから言えることよね、と心の中で突っ込む。
どうやら後でここに仕掛けられた魔術を解いておく必要がありそうだ。

「まあ無駄話をしていられるほど私達に余裕がないっていうのは共通認識の筈よね。それで、要件は何かしら?」

『シロウを助けてほしいの』

その言葉を聞いた二人の顔が僅かに反応する。
無論その反応をイリヤが見逃すはずもない。

「イリヤスフィール、現在アーチャーが柳洞寺にてギルガメッシュと対峙している。そちらの援護にもいく必要があるのです」

『なら、シロウは見捨てる?』

「………それを本気で言っているのであれば、貴女に灸をすえる必要がありますね」

『言われなくても判っているわ。シロウの居場所を伝える』

その後イリヤから伝えられた場所は新都のビル街だった。
もう少し進むとセンタービルもあり、鉄橋も比較的近い。

「それで、アンタ達は何やってるわけ?」

『私達もキャスターの足止めを受けてるのよ。無尽蔵に魔力を持ってるだけあって、数だけは多いし。じゃなきゃ車使ってもシロウのところに間に合わないっていうことはありえないもの』

「そ。つまりこの家に来る前に見た光はアンタ達ってワケね」

凛とセイバーがこの家に来る前に、かなり遠い場所で光があるのを確認した。
普段ならば気にもかけないのだが、こうも街中が暗闇だと車のヘッドライト一つでも十分に目立つ。

『リン、気付いていたの?』

「まあね。ただ距離もあったし、私もセイバーも魔力がかなりまずい状況だったしで先にこっちを優先させたわ」

『賢明ね。魔力不足で来られても迷惑よ。キャスターに狙ってくださいと言ってるようなものだし』

事実イリヤ達が対峙しているのはキャスターの使い魔だ。
そこに魔力不足に陥っているセイバーが来るのは問題である。

だが、それも仮定の話だ。

「リン、行きましょう。アーチャーの方も気になりますが、シロウも心配だ」

「ええ、そうね」

『それと、もう一つ』

部屋を出ようとした足が止められる。
凛がそれに反応するよりも早く、イリヤは伝えた。

『恐らくアーチャーとギルガメッシュの戦いはキャスターも見てる。漁夫の利をキャスターは狙ってる筈だから、まだ動かない。気をつけなさい、今狙われるとするならリン達よ』

「………ご忠告どうも。安心しなさい、もう二度と負けはしないわ」

それだけを言って、凛達は寝室を後にした。
玄関戸を開け放ち、すぐさまセイバーの肩に腕を回した凛と共に空を跳ぶ。

流石はセイバーと言ったところ。
ほどなくして新都と深山町を繋ぐ冬木大橋が見えてきた。

だが─────

「!」

身を翻したセイバーが勢いを止め、アーチの頂の手前にて着地する。
凛もまた、セイバーの行動の理由には気づいていた。
無言でアーチの頂を睨んだ。

高さ50メートルオーバー。
吹き付ける風は強風の域で、整備工とて命綱を必要とするであろうそこに。

「ごきげんよう、セイバーとそのマスター」

かぶるフードは風を忘れたかのように、顔を隠したキャスターがそこにいた。

「案の定、といったところね。悪いけど偽物になんて興味はないの●●●●●●●●●●●●。見逃してあげるからとっとと消えなさい」

「あら、そんな大口をたたくなんて。お情けで生き残った貴女には過ぎる言葉ね。それにこの私が偽物ですって?」

キャスターの言葉を聞いた凛はうんざりした表情を見せる。

「どう見ても偽物でしょうが。街丸ごと操って、そこまでしながら漁夫の利狙おうとする奴がわざわざ私達の前に出てくるわけないでしょう」

その言葉にくすり、と笑うキャスター。
フードの所為で口元しか見えないが、その見えぬ目がセイバーと凛を見下しているということはわかった。

「ふふ、確かにそう。けれど、そんな偽物に敗北するのだから、いよいよ貴女達も惨めよね。“最優”という称号はどこへ行ったのかしら?」

「易い挑発だな、キャスター。そしてギルガメッシュに敗北するつもりも、もう二度とない。貴様に敗北なども同様にだ」

「そう? けれどそれは貴女が決めることじゃないわ、セイバー。数分後、この場に立っている者が決めることよ」

ブゥン!! と異様な音を立て、キャスターの周囲に複数の光が出現する。
それが。

「………!」
「………ウソでしょ?」

キャスターの前方だけに留まらず、この全長665mの威容を誇る冬木大橋全てを取り囲んでいた。

「見せて貰いましょうか。その負けないという意思の強さを」

直後、空中に浮かぶ光が一点へと収束し、轟音を響かせる。


─────第二節 違和感─────

キャスターとセイバーが冬木大橋で激突する、ほんの数分前。

何度目の焼き回しだろうか。
士郎と鐘は街をひたすら走らされていた。

「─────はぁ、─────はぁ」

心因性発熱。
またの名をストレス性高体温症。
精神的ストレスによって熱が、正確には発熱の基準となる37℃以上の高体温となることをいう。

ストレスによる体温上昇には、大きくわけて二つのタイプがある。
1つは一時的に大きなストレスによって急激に体温が上昇するものの、それが過ぎるとすぐに下がるもの。
もう1つは過労や介護など、慢性的なストレス状況で微熱程度の高体温が続くタイプのもの。

氷室鐘はその前記と後記の両方の“悪い部分”だけを獲得してしまった状況だろう。
急激に体温が上昇し、その高体温が継続してしまうタイプ。
彼女が聖杯戦争に巻き込まれてからすでに約十日。
日常とかけ離れた空間の中にそれだけ居続ければ、無意識的であろうが精神負荷は免れない。

“─────おかしい”

手を引かれ走っていた鐘は、漠然とそう感じていた。
普段陸上部として活動をしている彼女にとって走るという行為は日常だ。
状況が状況なだけに日常と同じとは言わないが、それでも『走る』という行為に関しては日常と同じの筈である。

それが、こんなにも苦しい。

別にフルマラソンの終盤に来て全力疾走しているわけでも、酸素濃度が低い高地で走っているわけでもない。
通常の町中で、酸素濃度も通常値の場所だ。
それなのに、まるで長距離水泳をしているかのように体が重く、息が続かない。

“違─────、この感覚は、どこかで”

気になった事は解決するまで調べるのが彼女の性分。
状況が状況なだけに、そうも言っていられないのが事実。
それでも、この感覚には嫌な予感があった。
それを、無茶を承知で思い出そうと必死になる。

─────キャスターの悪意によるものということを、彼女自身が知る術はない。

「氷室、大丈夫か!?」

「問題は………ない………」

前を走る士郎は鐘の状態を気に掛ける。
家に出てからすでに何十分が経過しただろうか。
或いはまだ数分も経っていないのだろうか?
周囲が暗闇な所為で時間の確認もままならない。

だがそれでも士郎には手を引く鐘の症状が悪化していることに気付いていた。

「く─────、氷室!」

「え? な─────?」

襲い掛かってくる住人が、それこそよくあるゾンビのような鈍足なら問題はなかった。
けれど実際は違うのだから、逃げる方としても歩いて逃げられる状況じゃない。

「………!え、み」

「今は躊躇ってる暇なんてないだろ!」

これ以上無理をさせられない、そう判断して鐘を抱き上げた。
士郎の人ならざるモノが鐘の体に痛みを伝える。

「ごめん、氷室。ちょっとだけ我慢しててくれ」

彼女を抱えて暗闇を再び走り始めた。

そもそも高体温が続くということは、生体は体温上昇のために普段より多くのエネルギーを使っているということだ。
いつもなら何でもないことも、体にとっては大きな負担となりうる。

鐘の現在の症状で走り続けることは、あまりにも危険すぎた。
だからこそ士郎はその身を案じて彼女を抱きかかえた。

しかしその行為に対して、鐘はよい顔はしない。

士郎だって先の戦闘のダメージが完全に癒されたわけではない。
気を抜けば次の自分がどうなっているかも怪しい状況だ。
それでも士郎自身が平常に“ふるまえている”ことにも理由があった。

簡単な話。
人間の体には『苦しさを麻痺させるシステム』が組み込まれている。

「っ!」

周囲を睨みながら、士郎は走り続ける。

隠れようにも相手がキャスターならば隠れる意味がない。
相手がこちらの位置を常に把握しているのだから、隠れると逆に追い込まれてしまう。
逃げ続けるしかない。
捕まらないように囲まれないに、細心の注意を払いながら逃げ延びなければならない。

そしてこうしている間にも、腕の中にいる少女は弱っていっている。
それが士郎の焦りに拍車をかけていた。

心因性の発熱が続く場合の注意点は、日常生活における『ペースダウン』。
および睡眠時間を十分に確保することが最重要となってくる。

物事に対して全力ではなく7割程度の力で行う。
『申し訳ない』などの罪悪感を抱かずに完全に割り切る。
こまめに休息を挟み、疲労した時に抱く思考と行動を休息へと転換させる。

鐘はそのどれにも当てはまる行為を行っていなかった。
或いは行えなかった、というのが正しいだろうか。

この疲弊した状況下において、『常に逃げ続けなければいけない』。
7割の力で行動していれば『捕まって殺されるかもしれない』。
或いは士郎がその分をフォローすることで逃れれるものの、『申し訳ない』と思ってしまう。
そこから相まって、なぜ自分はこのくらいもできないのかと『罪悪感』にとらわれてしまう。
仕方がない部分とはいえ、微塵も責めるつもりがないとはいえ。
彼の体の剣は少なからず、体に触れる少女の負荷となる。

そう。
どれも仕方がないことであり、些細なことだ。
“通常ならば”その程度で病状が悪化するなんてことはない。

だが結果、症状はどんどん悪化し。
士郎がよかれと思って、鐘が意識していなくとも、精神的負荷がかかっている。

そこへ。
街中の人間が凶器を持って何も見えない暗闇の中から襲ってきたとしたら?

通常、人間の目は光の反射によって物を見る。
つまり、反射する光がなければ、人は物を見ることができない。

今この街に光はない。
あるのは空から落ちる僅かな明かりだけだ。
当然視界の有効距離は極端に落ちる。
伸ばした手の先が見えればマシではないかというレベル。

そんな中で凶器を持った人間が視界の外から内側へ急に現れたら?

精神的疲弊は極端に上昇するだろう。
暗闇という状況で相手は迷うことなく襲ってこれるというのに、自身は腕の距離よりも近くに来なければ見ることすら叶わない。
唯一の味方である士郎もこの暗闇の中を視認しているというのに、『自分だけが』何がいるかも理解できない。

加えて音という情報源も彼女を不安定にさせる。
視界がほぼ機能しない中で、頼りになるのは音だけだ。
だが、その音も彼女の精神を削り取るパーツとしても機能してしまっている。

「─────」

そうして、鐘は無意識に瞳を閉じた。
思考の外で、これ以上は精神的に持たないと体が判断したのだろう。
もともと見えぬものならば見る必要はない、そう言い聞かせるように。

だから、その直後に起きた事に対してはひどく無関心だった。

「─────ぐっ!?」

捕まらないように囲まれないに、細心の注意を払いながら逃げ延びた先で。
抱えた鐘の首を裁断しようとする刃を見た。

誰がどのような武器を持って攻撃してきたかなど、認識すらしなかった。
ただ『その攻撃が致命的すぎる』という一点だけを脊髄反射で反応した。

抱えていた腕を力の限り自分の体へとひきつけて同時に後方へ飛び引いた。
体勢は崩れ、抱えていた鐘は地面へ倒れ士郎自身も背中から倒れこんでしまう。

「っ………。悪い、氷室!ごめん、怪我は─────」

言葉が止まった。

倒れた際に視界を奪ったノイズ。
一瞬で消え失せ、その光景の先にぐったりと倒れている鐘の姿があった。

だが、倒れているその鐘の姿が。
士郎の目には一瞬だけ─────に見えてしまった。

「ひむ─────、っ!!」

咄嗟に振り向いて干将莫邪を出現させる。
甲高い音を響かせながら、両手に負荷がかかる。
もはや猶予はない。
この短時間で悪化している彼女をこれ以上連れまわす訳にもいかない。
強行突破でも何でもして、とにかくイリヤと合流しなければいけない。
そう心に決めかけた時だった。

「な─────」

再度その姿を眸に映し、その攻撃を受け止めた。
もはや慣れた光景だった。
いや、慣れてはいけないものだが、前例と遭遇してしまっている以上は慣れてしまう。

「蒔寺………」

どこから手に入れてきたのか、日本刀を構えている。
彼女もまた例外なくキャスターの魔術の餌食となってしまっていた。

奥歯を噛み締め、楓を操っているキャスターn─────想─────。

「─────」

横から金属バッドで殴りつけられたかのような激痛が頭に奔る。
今は何かを思考している暇はない。

「蒔寺、俺の声は聞こえて─────」

士郎の言葉を聞いてか聞かずか、一歩踏み込んだ楓が袈裟へ刀を振り下ろしてきた。
風切音が士郎の耳に届く。

「っ、ごめん蒔寺!」

振り下ろされた刀を受け止め、即座に懐へと潜り込んで右手の短刀の柄で腹部を強打した。
その衝撃で手に掴んでいた刀が地面へ転がり落ちる。
普通の人間ならばよろけの一つもするような、クリーンヒット。

そのことでさえ─────今の彼女には関係がない。

「なっ─────!」

倒れるものだと思い込み、後ろに倒れる鐘に気を取られていた士郎はそれに反応できず、押し倒されてしまう。

「っ!!」

後頭部を地面に強打する。
勢いよく倒れた反動で右手に握っていた白色の短剣が地面へ落ちる。
ノイズが奔ったその視線の先にあったのは、握られたナイフだった。

「ぐ、この!」

眼球に全力で振り下ろされたナイフを両手で挟み込んで停止させる。
強化した身体能力だからこそできた反応と抵抗である。

だが、状況は着実に悪化の一途を辿る。
無数の音が近づいてくる。
それは救援の足音ではなく、正気を失っている住人達のものだ。
足音にばらつきがあり、継続的に続いているからして間違いない。

「まずい………!」

この状況で囲まれれば逃げ切れなくなる。
先ほどから後ろにいる鐘の様子もおかしい。

そう思い、見た先に。

「──────────────────────────────」

すでに操られた住人が、倒れている少女の前で。
楓が握っていた日本刀を大きく振りかぶっていた。

殺される。
あと数秒で、凶器が首へと落ちる。
死ぬ。目の前で。殺される。目の前で。守ると誓った少女が殺される。抵抗もできないで、ただ見ていることしか─────

「お、おおおおおおああああああああああああああああああああああああああああっ!」

脳裏に過った鐘の姿。
両手で挟み掴んでいるナイフを無理矢理押し返す。
反動で両腕を押し上げられた楓を押し退け、上半身を起き上がらせた。

視界にノイズが奔った。
─────関係ない。

千切れるような音がした。
─────関係ない。

間に合わない、と声がした。
─────関係ない!!!!

どんな暗闇にいようとも。
どんな絶望的な状況であっても。
必ず助ける。

そう、誓ったのだから。


─────第三節 破戒─────

投影、開始トレース・オン!!」

その一瞬を狙い撃つ。
勢いよく振り下ろされた日本刀は、横から飛び込んできた別の刀によって勢いよく弾き飛ばされる。
刀を握っていた男を蹴り飛ばし、とりあえずの周囲の安全確保を行う。

「氷室………」

優しく抱きかかえると、反応したように瞳が見えた。

「私なら………大丈夫」

弱りきった瞳で、鐘はそう言った。
細い指が頬を撫でる。
その感覚を確かに掴み、その指を握りしめる。

言葉でこそ大丈夫と言っているが、明らかに様子がおかしい。
なぜここまで弱りきっているのか。
熱だからといって、その状態で走ったからといって、ここまで衰弱することはない。

別の原因がきっとある。

「けど、それを確認するには………」

この状況から抜け出さなくてはいけない。

足は止まった。
止められてしまった。

周囲には大勢の住人がいる。
逃げ場はない。
これが敵ではない以上、投影で殺していくわけにもいかない。
しかしここに居続けていれば、きっとさっきと同じ状況が出来上がる。

「─────投影、開始トレース・オン

前後を挟まれ左右はビル。
ならばビルへ逃げ込む以外に道がない。

投影によって開けられた大穴の中に逃げる。
だが建物の中に逃げるということは、それ以上の逃げ場がない場所へ入るということ。
それでも。

投影、開始トレース・オン!」

開けた大穴をふさぐようにさらに壁を壊して瓦礫で埋める。
これで敵はビルの“正規の入口”以外に使う術はなくなった。

「ここは………そうか、センタービルなのか」

建物内の案内のこのビルの名称が書かれている。
冬木市の繁華街「新都」になる高層ビル。

屋上に上ればかなり広範囲まで見渡すことが可能。

「ここなら時間稼ぎはできそうだ。………けど、逆に言えばここから動けない」

広い建物ではあるが、街の住人が一気に攻めてくると逃げ切れる保証はない。

「氷室………」

抱いていた鐘をゆっくりと寝かせる。
マンションから脱出したときよりも明らかに症状が悪化している。

「普通じゃない………よな、これ。でも魔術で何かされているように感じないし………」

士郎では魔術による治療ができない以上、一刻も早くイリヤ達と合流するべきである。
が、これ以上鐘に負荷を与えるわけにもいかない。

「ぁ─────」

「氷室?」

「水………」

「水………? 水が欲しいのか?」

途切れ途切れで聞こえてくる言葉。
それだけでどれだけ苦しいのかがわかる。

周囲を見渡してみるが、ここはビルの中。
水自体は水道があるだろうからそれを探せばいい。
大きいビルなので、自販機ぐらいおいているだろうから飲み水も問題はない。

「─────あの時の」

「え?」

周囲を見渡していた士郎に再びかけられる声。

「あの時、みたいな感覚がして、………気持ちが、悪い。水の中に、いるように体も………」

そう言って、鐘は再び目を閉じた。

あの時? と疑問が湧いた。
あの時とは一体いつの事を言っているのか。
だがそれは彼女に聞くべきではない。

話しているだけで通常の数十倍も体力を必要としているのかと思わせるほど、苦しそうに話す姿。
今は少しでも体力を温存させるべきだ。
苦しいのに、それでもちゃんと伝えてきてくれたのだから、次はこちらが何とかする番。

(気持ちが悪いなら、相応の『嫌な出来事』があったはず)

自分が記憶している限りの悪い出来事を思い出す。
あの時という事は鐘の隣か或いはすぐ近くに士郎自身もいたということ。
ならば思い出せる。
締め付けるような頭痛も、彼女の苦しさと比べればどうってことはない。

『魔術師は血を纏う』。
ある種こうなることが当然なのだから、こうなることが異常である鐘と同等に比較してはいけない。

(水の中にいる………? 息苦しいのか、或いは体が重いのか、その両方か)

士郎が思考の渦にとらわれかけた時だった。
遠くで何かが割れる音がした。
ビル内は基本的に無音であるので、何か音がするだけで響いてくる。

「くそ、キャスターの奴………!」

ガラスか何かを割って、閉ざされた入口を強引に開けて入ってきたのだろう。
逃げなければいけない。

「………キャスター?」

動こうとした体が停止する。
一瞬だけ見えた光景。

公園だった。
瓦礫の中だった。
街の中だった。

情報が交差する。

「そうか………!」

確たる証拠はなかった。
だがそれでも確信に近いものを持っていた。

それならば楓と遭遇したときに『見間違えた』理由も納得できる。

「なら、あとは助け─────っ!?」

士郎が一つの解に辿りついた直後に鳴り響いた爆音。
それは先ほどのガラスが割られる、という些細な音などではなく、爆撃機が爆弾を投下したかと思わせるようなものだった。
それが一度だけではなく何度も連続で起きているあたり、異常事態だと伝えているようなものだ。

「なんだ………何が起きてる!?」

横になっている鐘を抱きかかえ、窓から外を見る。
だが外に立つビルが視界を遮っている所為で確認することができない。

「─────、なら外に出て………」

そう言って振り返るが、いつの間に近づいてきていたのかすでに十人近くの人間が凶器を持ってそこに立っている。
ビル内は無音だ。
近づく音が聞こえれば反応できる。

だが、その足音をかき消すほどの爆音があれば、その限りではない。

「まず─────」

右脚に力を篭めて後ろへ跳ぶ。
腕には鐘がいる。
跳ぶならもっと早く、もっと遠くに。

鋭い風切音。
斧を持った男性が勢いよく斬りかかってくるが、それを回避する。

だが敵は十人。

「っっっ! 投影トレース─────」

金属バットと持った若者二人が左右からスイングしてくる。
受けてはいけない、かすってもいけない。
ただでさえ苦しんでいる少女に追撃をかけるような真似は許さない。

「─────完了オフ!」

士郎の声と共に出現する花弁。
本来ならば遠距離に絶大な効果を発揮する7枚の花弁だが、目の前に現れたのはたった2枚。
それでも、一般人が振るう攻撃を防ぐには十分な硬度を誇る。

「ぎ………!」

金属バットが花弁に叩きつけられる。
罅すら入らない。
だが反して士郎の頭の中には激痛が奔る。

「だめだ、ここから逃げないと………!」

投影をするたびに頭の中を直接たたきつけるかのように頭痛が発生する。
いよいよ疲労が出てきたかと内心薄く感じながら、突破口を探す。

入ってきた時のように壁を壊して外へ出ようかとも考えたが、廃案。
恐らくこのセンタービルは囲まれている。外に出たところで逃げ場はないだろう。

それに準じて強行突破も絶望的だ。
どうあがいても操られている住人を倒さねばならない。
当然だが操られている住人は全くの無関係で無実の人間。
殺すわけにはいかない。

となると。

「くそ、上しかないじゃないか!」

脇目にあった階段を駆け上がっていく。



「─────はぁ、はぁ、はぁ」

そうして、たどり着いたのは屋上だった。
一階から五十階まで。

エレベーターは電源がないため動かず。
動いていたとしても確実に止められるので使うこともできず。

「流石に………五十階まで階段は」

大きく息をしながら、それでもゆっくりと鐘を横にさせる。
四十八階と四十九階、そして屋上へ繋がる唯一の階段を打ち抜いたので、これで当分はやってこないだろう。
心配ごとがあるとすれば、打ち抜いた際に発生した瓦礫が操られている住人に直撃していないか、ということだがそれを今確認する術はない。

「─────、つ、ふぅ」

上がった息を落ち着かせる。
先ほど得た情報。
先ほど得た結果。

もし想像通りとするならば、最早猶予がない。
やるならば一瞬で、対応される前に決行する必要がある。

投影。
自身ができる、力の行使。

「─────投影、開始トレース・オン

体の上から下まで、全身にガタがきている以上、残り何回投影できるかわからない。

それでも。

「衛宮………?」

横たわった鐘が再び、瞳を見せた。
顔色がかなり悪い。
確実に、悪化の一途を辿っている。

もはや口を動かすだけでも辛いはずだ。

それもそうだろう、と士郎は心の中で思った。

キャスターから何らかの『呪い』の類がかけられているとするならば、辛いなんて言葉で表現できないほど苦しいはずだから。

結局、正体は判らない。
だがそれでも、彼女を蝕んでいるのが単純な病気や疲労からくるものではなく。
“そう見せかけて殺そうとしている”呪いの類だということは理解した。

これほどまでに衛宮士郎に効く攻撃はないだろう。
守ると誓った存在。
その傍にいながら、その異常を見逃して死なせてしまう。
あくまでも“自身が気付かなかった所為で”という名目を付け加えさせることで。
それだけで士郎への精神的負荷は計り知れないものとなっていただろう。

そうだ。
これは『彼女』と全く以て同じ状況。

一緒に居たいと願った

だが、気付いた。
間に合った。
そして、何より救い出す術もある。

だから─────

みんなで笑っていたいと─────

「大丈夫、氷室は必ず守るから」

─────だから、この悪意つながりを破戒する。


─────第四節 兆し─────

冬木大橋。
大爆発が起きたその場所から、凛とセイバーはいち早く退避していた。

だがセイバーらが立っていた場所は消失しており、それだけでどれほどの威力が込められているかが見て取れる。

「助かったわ、ありがとうセイバー」

「いいえ。 それよりもリン、どうしますか。無視して抜けられるほどの相手ではありません。しかし─────」

「戦ってるとそれだけで時間を食いかねない」

宙に浮くキャスターを睨む。
制空権は相手が握っている。
逃げ切ることは不可能。
かといってセイバーは跳ぶことはできても、空を飛ぶことはできない。

そして時間を割いていられるだけの余裕もない。
柳洞寺ではアーチャーが、新都のどこかには士郎が助けを待っている筈だ。

「よく避けたわね、セイバー。けどそこからどうするのかしら。あなたの宝具で葬ってみる? それもいいわね。けれど、“偽物”に対してそれを行えるだけの余裕はあるのかしら?」

「っ、魔力が有り余ってるからって言ってくれるわね」

そう、目の前にいるのは偽物。
だが、偽物の攻撃ですら、彼女の対魔力で防ぎきることのできないほど高密度高威力の攻撃。

時間もない、余裕もない、猶予もない。
結局魔力を取り戻し万全になろうとも、事態がそこまで深刻化してしまっている。

“─────どうする”

セイバーは目の前の敵から一挙一動を見逃さない。
確かにあれほどの魔力と魔術を行使できるのは脅威。
加えて制空権も握られている。

だからこそ、そこに逆転のチャンスがある。
圧倒的不利であることには変わりない。
そしてキャスターにとって圧倒的有利であることにも変わりない。
そこに突ける道がある。

唐突に力を手に入れた者は、どれだけ気を払っていてもどこかしらに意識の『抜け』が生ずる。
自分の力を妄信しすぎ、自身の状況が絶対的優位であればあるほど、その『抜け』は突きやすくなる。

ならば、絶対的不利であっても勝利する可能性が存在する。

「気に入らないわね、その目」

杖が揺れる。
たったそれだけで数百の光弾が出現する。
呪いを帯びたAランクという枠組みを超えかねないほどの魔弾が。

「さっきは一撃を重視しすぎたかしら? なら、次は避けきれないほどの数を打ち出してあげる」

凛が確認できたのは、光が動いた、ということだけだった。
セイバーに抱えられた凛は、ただ爆撃音を聞くことしかできない。
橋を飛び降りたセイバーは水面を走る。

橋の下に潜り込もうかとも考えたが、こちら側が一方的にキャスターの位置を把握できなくなるだけだと結論づけた。

「セイバー、降ろして! 私を抱えてちゃ満足に反撃もできないでしょ!?」

「リン………、いえしかしこの状況では─────!」

いくら凛が優秀な魔術師だからといって、キャスターのあの魔術に対抗する術は持っていない。
魔力保有量と出力量の時点で敗北しているのだから、当然と言えば当然。

「そう、その小娘を置いて逃げれば反撃はできるかもしれない。けど残念ね? その小娘はあなたのマスター。結局、守るしかないということ!」

水中で、光が生まれた。
それが下から突き上げてくる魔弾だと理解する。
そしてすでに周囲には無数の魔弾が飛来してきている。

逃げ場がない。
セイバーならば直撃しても、ダメージを受けることはあっても死ぬことはないだろう。
凛は確実に死亡する。

一秒先にくる死の未来。

「「!!!??」」

だが、反して聞こえてきたのは凛の悲鳴でもセイバーの叫びでも、キャスターの高笑いでもなかった。
たった一撃の赤い閃光。

彗星のように飛来したそれは、偽物であるキャスターを寸分狂いなく打ち抜いた。
同時に巻き起こる爆発。
赤白い光が、闇夜を吹き飛ばす。
吹き荒れる風は突風の域を軽く超え、暴風となってセイバー達へ叩きつけられる。

「何が─────」

凛とセイバーは全く同じ疑問を抱く。
だが、その数秒後に全く同じ光景を思い出し、全く同じ結論に到達する。

二人はかつて同じ光景を見たことがある。
一人は攻撃側で、もう一人は回避側。

「この攻撃って─────」

キャスターの偽物が消し去られたことにより、周囲の魔弾は姿を消す。
何が起きたかにせよ、勝利者はこの場に立っている凛とセイバー。
だが、二人にはそんな粗末なことなどどうでもよかった。

「セイバー、今の一撃、どこから放たれたか判る?」

「判りません。判りませんが………知っている場所ならばあります」

水面に立つセイバーはそれだけを言って、すぐさま新都へと水面を蹴った。
地を蹴り、壁を蹴り、空を跳ぶ。

そして二人は目撃する。

「やっぱりセイバー達だったんだな。よかった、無事で」

「遠坂嬢………、セイバーさん………」

どこか表情が優れない氷室鐘と、髪の一部が白くなっている、衛宮士郎を。


―an Afterword―

お久しぶりです、作者です。
今年に入ってからというもの、忙しい日々が続いており、ようやく61話の更新にたどり着けました。

今後も更新が遅いかもしれませんが、更新自体は止めるつもりはございませんので
気長に待ってくれれば幸いでございます。


今後ともFate/Unlimited World―Re を宜しくお願いします。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第62話 忘れない
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:4e5a6920
Date: 2013/11/05 20:55
第62話 忘れない


─────第一節 誓い─────

渇いた音は誰の耳にも聞こえた。
新都、センタービル屋上。
開発が続く新都の中でも最大級の高さを誇る建物。
何をされたかを理解するに数秒、なぜされたかを考察するに数秒。

「なんで叩かれたのか、理由が欲しい? 士郎」

まるで敵を目の前にしているかのように睨んでくる凛。
相当怒っている。
ただ直感だけでそう感じ取り、先ほどの事を思い返す。

響く爆音。屋上から見えた冬木大橋の異常。
強化を施して見てみればセイバーと凛がキャスターと対峙していた。
防戦一方に見えたそこから助けるべく、今自分ができることを模索し、実行した。

「………悪い。もしかしてさっきのでどこか怪我を負ったのか?」

正確にキャスターだけを狙ったはずだったが、如何せんこれほどの遠距離攻撃は『初めて』行う。
自分の想定し得なかった攻撃の余波が彼女を襲ったというのであれば、その怒りも理解できる。
だが。

「─────あんたは」

言葉が耳に届くよりも早く、凛の手が動いた。

「ちょっと待て!?」

「なんでそんな結論になるっ!」

流石に二度目の平手打ちは回避した士郎だったが、それが仇となった。
右手を振りぬいた、その指の形が誰でも一度はやる銃の形へと変わっていた。

「私の説教を避けるなっ!」

「説教するなら口を動かしてくれ!」

「体罰は必要でしょう!?」

「限度っていうものがある!!」

後ろへ避けた士郎へ襲い掛かる魔弾。
この攻撃は既に体験済み。受ければどうなるかも経験済み。
故に受ける訳にはいかなかった。

「ま、待て。待ってくれ! 間違っていたなら謝る! だから攻撃………を………」

士郎の言葉が聞こえたのか、士郎自身が拍子抜けするほど簡単に攻撃は止んだ。
だが言葉が出なくなったのはその所為ではない。
攻撃を仕掛けていた本人の様子が普通ではなかった。

「なんで、あんたは………」

声が聞こえたと同時に魔術が発動された。
また攻撃がくるのか!? なんて考えが浮かんだが、それも消えた。
凛の指が光っていた。
それも黒ではなく、ちゃんとした光。

「………一応言っとくけど、攻撃じゃないわよ。単純に視界を確保するために光を発生させてるだけ。懐中電灯とかと同じ」

「そ、そうか」

視界が確保された。
強化しなければ見ることも叶わない闇の中で、光を得た。
つまりそれは。

「衛宮………その髪」

「………髪?」

一般人である鐘にも外界の情報が入ってくるということ。
言葉につられて髪の毛を触り、軽く髪の毛を引っ張ってみる。
手にあった一本の髪の毛は白色だった。

「確認したそれがたまたま白髪だった、なんてことは言わないでよね、士郎」

ぴたり、と体の動きが止まった。
心音が先ほどより少し早くなったのが分かった。

「今頃気付いた? 暗闇だから気付かなかった? ………それとも、今さっきの異常を異常として考えてなかった?」

士郎は今の今までセンタービルから冬木大橋までという超長距離攻撃を一度もしたことがない。
否、そもそも弓というものを投影したこともなかった。
だが気付けば自然と弓と攻撃のイメージが出来上がっており、躊躇いも疑問もなく弓を構えた。

「そうか………。そういうことか」

自分の体の異常には気付いていた。
記憶が一部曖昧になっていることも理解していた。
だが思考に関しては今まで気付かなかった。

それを、遠坂凛は許さない。

「そうか、じゃない………。あんたは!」

攻撃を避ける為に開いた距離を詰める。
今度は動かない。

「なんでそんなになるまで戦ってるのよ! なんでそんなになっても私達の心配をしてるのよ!」

無音の街に、凛の声が響く。
睨むその目はもはや殺気と変わらない。
それほどまでに凛は本気で怒っていた。

「人を助ける、守る、傷つけさせない。
 立派な考えだわ。けどね、じゃあなんで士郎は自分の考えを自分に当てはめようとしないのよ!
 ライダーと戦ったときもそうだった。
 私と合流したときにはすでにボロボロだったくせに、それを『そんなのは後だ』とか言って自分を気にしないで。
 終わったら終わったで、一人でギルガメッシュに挑んで!」

勝手に動く士郎を罵る。
士郎が悪い。士郎が悪い。

けれど─────それ以上に、私自身が悪い。
助けることができなかった、私自身に腹が立つ。

「アンタにとって私は仲間じゃないっていうの?
 違うっていうなら少しくらい私を頼れ!
 アンタ一人で傷ついて、それをただ結果として知る身にもなってみてよ!
 戦えば確実に壊れていく体で、記憶も曖昧になって!
 アンタは壊れるのが、死ぬのが怖くないっていうわけ!?」

事実、凛の記憶の中にある最後の士郎は、ギルガメッシュの攻撃を受けて命の危機にあった状態。
治療をしたとはいえ、もはや危険な域に達していたというのは見て取れたのだ。

「私が言っているのは人の為にいい事をしろだとか、人の為になることをしろだとか、そんな一般論じゃない。
 そんな偽善とは別のところで、人間は自分を一番にしなくちゃいけない。
 アンタには過去がある、自意識がある。
 なのになんでアンタはそこまで自分を蔑ろに出来るのよ!
 答えなさい、士郎!」

愕然とした表情。
凛には士郎がそう見えた。

「────歪だったっていうことは分かってる」

何も知らない人から見れば、凛が一方的に士郎を糾弾しているだけに見えた。
だが、士郎にはそうは見えなかった。
今なら分かる。
こうして本気で怒ってくれている、その意味を。

「疑問はあった。
 正義の味方─────切嗣じいさんみたいになりたくて、ずっと誰かの為になろうとした。
 方法がおかしいって思いながら、それを理解できなかった」

瞼を閉じる。
暗闇になった中にはたくさんの映像が蘇ってくる。

「けど、今は違う」

「………違う? 今までのことは間違っていた、っていうこと?」

「そうじゃないよ」

思えば。
彼女もこうして心配してくれている。

「今までやってきたことは間違いじゃない。誰かの為になりたいっていう思いが、間違いの筈がないんだからな。─────ただ、その先にあるものを思い出しただけだ」

本当の目的、叶えたいもの。

「─────その、先にあるものって………」

「遠坂嬢」

後ろにいた鐘が声をかける。
彼女は知っている。その目的を。
誰もが望む、純粋な望み。

「士郎、その体がどういうことになってるか、あなた自身が一番理解しているはずでしょう?………そのままいけば行き着く先が破滅だっていうことを」

鐘の顔を見て、質問を変える。
その先にあるものがどういうものか、というのはまだしっかりと理解できていない。
けれどそれが少なくとも間違っていない、というのは感じ取れた。
だからこそ、尋ねた。

「けど、だからって逃げ出さない。今のまま、放り出すつもりはないんだ」

「馬鹿な!」

今まで静観していたセイバーが突如声をあげた。
普段の彼女からは想像し難いほどの声。

「先の結果が破滅だと分かっているのならば、それは避けられる! なぜそうしようとしないのです、シロウ!」

破滅という結果。
襲ってくる後悔。

「確かに退けない戦いはある。けれどシロウ、あなたは下がることができる!ここには私がいる、私がいる!」

自身の胸に手をあてて力強く主張する。
ここにいる誰よりも彼女がよく知っている。
聖杯に“やりなおし”を求めるぐらいに破滅を、絶望を知っている。

「シロウには、下がっていてほしい。………貴方に、そしてその周りの者達にも、破滅を味あわせたくないのです」

視界の情報が処理されるようになったのか、そういってセイバーは視線を逸らした。
誰からも言葉が出てこない。
後ろにいる鐘からも、隣にいる凛からも言葉が出なかった。
それほどまでに、先ほどまでの彼女は必至になっているようにも見えたから。
そしてそれほどまでに必死になる、知らない理由を彼女は知っているから。

「悪い。それはできない」

それでも前に立つ者は戦うと否定する。

「………なぜです。私ではシロウの信頼には届かないというのですか」

小さく唇を噛む。
ここまで言っても、彼の意思は変わらない。

「違う、ただ俺は─────戦うって、決めた」

それを聞いて。
今度こそ、セイバーから言葉が失われた。

「確かに逃げれば助かるかもしれない。けど俺は氷室を、みんなを救いたいから参加したんだ。ならそこから逃げることは間違っている」

ただの自殺願望故の行動ではなく、同情して貰いたいが為の行動でもない。
そこにあるのは芯。

「それに二人を信用していないわけじゃないし、仲間だと思っていないわけじゃない。─────けど、だからって誰かに任せていいっていうものでもないんだ」

大切なものを守るために傷つく覚悟を決めて、目の前の少年はそれを成そうとしている。

「今までいろんなことがあった。一言では言い表せないくらいに多くのことが、辛いこと苦しいことも含めて。けど、ここで逃げればそれら全部が嘘になる。誓いも思い出も約束も、全部」

一つの意思を貫き通そうとしている。
それを理解したとき、分かった。
何を言っても折れることはない、と。

「どうあっても破滅なんてしないし、してたまるか。生きて約束を果たす。そうして向かい合った時、今の自分を誇れるように。そして─────」

決して向こう見ずなどではなかった。
やるべき行動の先にある終わりを見据えている。
そしてそれは決して破滅という絶望ではない。
自身の理想にたどり着くという終わりを見据えている。

「─────みんなと幸せに笑いあえるように─────」

士郎とて破滅という未来を全く考えていないわけではない。
今の言葉から理解できる。
それでも戦うのは─────

─────戦うと決めた

その誓いは、王の誓い。
例え全てを失い、理解されなかったとしてもそれでも自身の中に定めた王の誓い。
その時、王は一体何を捨て、何を選び、何を貫こうとしたのか。
そしてそれは折れる様なものだったのか。

「ほんと………バカね、士郎」

はぁー、と大きなため息一つ。
士郎の方へ歩いていき、そして横を通り過ぎた。

「ええ、ほんと大馬鹿者。私から見れば士郎は甘い。士郎が言ったことは超がつくほどの甘いのよ」

「む………」

風の音以外を聞きとらなかった耳が、異音を聞きとった。
爆発音だった。
士郎、凛、セイバー、そして鐘の耳にすら届いた爆発音の先は柳洞寺。
戦闘によって木々に火が燃え移っていた。

「けど」

それを見たうえで、凛は振り返り、士郎の顔を見る。
肩どころか、首、そして頬にまで到達しつつあるその異常。

「けど、私はそんな大馬鹿者と手を組んだ。そしてアイツはそんな大馬鹿者の為に戦ってる。なら、私だってその大馬鹿者の為に戦ってやろうじゃない」

柳洞寺では今アーチャーが戦っている。決して士郎の為だけではないだろう。
アーチャー本人に尋ねれば絶対にそれは凛の思いすごしだ、なんて言ってくるに違いない。

「─────私がなんとかしてあげるわよ。士郎、アンタがどうなるかっていうのはもう言わない。けど、私は信頼しているんだから。ちゃんと期待に応えてよね」

暗に、絶対に死ぬなと、絶対に成し遂げろと、そう伝えた。

どんなに体が壊れようとも、衛宮士郎という在り方は変わらなかった。
ならばもう外野がどうこう言えることは何一つない。
今の遠坂凛ができることは、一歩踏み違えば、一歩行き過ぎれば破滅する少年を、踏み誤らせないよう、ただ助けることだけだ。

「それで? セイバーは、どうする?」

少し意地悪く士郎の後ろにいるセイバーに尋ねる。
それに少し困ったような表情を見せるが、それで答えが変わるはずもない。

「シロウの誓いは決して折れるようなものではなかった。………ただ、それだけです」

自身に誓いをたて、その達成に全てをかける。
目の前にいる少年は今それを全力で成そうとしている。
対象の大小こそあれど、かつての自分もそうではなかったのか。

「ですが、それにはきっと多くの困難が待ち受けていることでしょう」

自分の場合は、その果てが滅びだった。
士郎を殺そうとしたアーチャーは、士郎の果てだった。
だが、『今』の士郎の果てはセイバーにも、アーチャーにも誰にも分からない。

アーチャーが言った『間違った願い』。
それがなんであるか─────。

「シロウのその誓いは決して折らせない。ならば、私はシロウを守る剣となる。─────先ほどの無礼は許してほしい、シロウ」

その先に答えが必ずあると、そう思えたから。
ならばもう言うことは何もない。

彼が信じた道を、私が信じなくてどうする。
やるべきことはただ一つ。
降りかかる災厄を、この剣で切り捨てるだけだ。

「─────さあ、行きましょう。ここにいても仕方がない。セイバー、悪いけど先に私を下に連れてってくれない? 
 往復させることになるんだけど、その後でもう一回ここにきて士郎と氷室さんを連れて降りてきて」

「承知しました。ではシロウ、少しだけ待っていてください。すぐに戻ります」

士郎の横を通り過ぎ、凛と共にセンタービルから下へと降りようとする。
その背中に。

「ああ、ありがとう二人とも」

今言える、最大の言葉を二人にかけた。
視線は戻ってこなかったが、それでも凛の右腕が上がったから、言葉はちゃんと届いていたのだろう。

「衛宮」

「氷室、もう体は平気か?」

「ああ、さっきに比べればかなり良くなった」

よかった、と笑いかけて深山町へと視線をやる。
小高い山の上。
赤く燃えた柳洞寺。
そこで行われている死闘。

「私では遠坂嬢やセイバーさんみたいに力になることはできない。けれど─────忘れないでほしい。私や美綴嬢もいるということを」

崩れた教会で言われた言葉。
それは絶対に忘れない。

「ああ、どこまで行ったとしても忘れない、必ず戻ってくる。俺の居場所は『ここ』だから」

それだけは─────絶対に忘れない。


─────第二節 大きな光と小さな影─────

「今の爆発はなんだったわけ………?」

綾子が車の中から確認するが、事実を確認することはできない。
当然それは車の屋根にいるバゼットも同じである。

「セラ、止まって」

イリヤの言葉により、車が停止する。
場所は街の中心地である交差点。

「あれ………燃えてないか? あそこ」

周囲が暗闇だからこそ余計に分かりやすかった。
柳洞寺の方角から見える赤い光。
それが炎であるというのは見て取れた。

「ここで待つわ。セラ、ヘッドライトは消さないようにね」

「畏まりました」

「ここで待つって、ここに集まるの?」

「本当は違ったんだけどね、予定変更。向こうに流れていく魔力も安定し始めたし、どうやら間に合ったみたいね」

「安定し始めた………?」

イリヤの言っていることをいまいちよく理解できていないが、安定して間に合ったというからには安全な状況なのだろうか。
もういい加減慣れたと思っていたが、慣れただけではそう簡単に理解できないらしい。

と、車の屋根に乗っていた二人が降りてきた。
後部座席の窓を叩き、イリヤに窓を開けさせる。

「一つ、訊ねます」

そう前置きした上で、バゼットはイリヤに

「今の爆発が何かというのは、貴女ならば分かるのではないですか? 私は戦闘における情報をほぼ持っていない。
 あれほどの魔力、あれほどの爆発。できるとすればこの街を操っているキャスターだと推測するのですが」

自分の考えを示した。
魔術を知り、魔術を行使する者として、先ほどの爆発………もとい戦闘は知っておく必要がある。
その者が自分の敵になる可能性があるというのであれば、なおさらだ。

「正解よ。ただし、半分だけね」

「半分? では残り半分は違うと?」

「ええ、残り半分は貴女を助けたシロウが起こした爆発よ」

「………それは本当ですか?」

バゼットの目が細くなる。
今先ほどまでの爆発はどれもこれも強力な攻撃によるものだ、というくらいは彼女でも分かる。
分かるからこそ、それがサーヴァントのものだと思い込んでいた。

「ちょっと待って。衛宮が起こした爆発だって分かるの? というより衛宮があんな爆発を起こしたの? 車の中からじゃ見えなかったのに。そういう魔術でも使ったの?」

「アインツベルンの森ならともかく、そんな街中のいたるところに『目』なんてつけてないわ。言ったでしょ、アヤコ。流れてた魔力量が安定し始めたって」

「? たしかに言ったけど」

「言い換えれば、普通にしている分には不必要なほどの魔力がシロウの方に流れていっていたということ。なら、自然と答えはでるでしょう?」

魔力。
魔術を使うのに必要な力。
普通にしている分には不必要なほどに流れていった。

「つまり普通じゃないことがあった。─────で、今この状況で普通じゃないことなんて一つだけってことね」

「イリヤスフィール、貴女は半分がキャスターだと言った。そして今、魔力は安定して流れていっている。つまり衛宮士郎くんはキャスターに勝った、ということでしょうか」

「知らないけれど、そうなんじゃないかしら。戦闘が終わってなければ今も爆発や魔力の流れは収まってはいないだろうし」

士郎が勝った。
それを聞いたとき、ほっと安堵した自分がいることに綾子は気付いた。

「アヤコ、車から降りておきましょう」

「え? わかったけど、また何で」

「車は移動手段であって、身を守るものではないからよ」

先に外に出たイリヤの後に続き、綾子も外へと出る。
セラもヘッドライトをつけっぱなしにしたまま外へと出た。
相変わらずの周囲の見通しの悪さ。
今なお燃え続けている柳洞寺の方角と、この車の明かり以外に光が全く見つからない。

「では、キャスターは敗北した、ということでよろしいのですか? 私はどうもそのようには思えないのですが」

「それは正解ね。半分じゃなくて、きっと全部正解。確証はないけれど、確信ならあるわ」

「………やはりそうですか。神代の魔術師というのであれば恐らくは、とは思っていたのですが」

「ちょ、ちょっと待ってくれない? 衛宮の奴が勝ったんだろ、じゃあ相手はいなくなったんじゃないのか?」

イリヤの顔を見る綾子だが、対するイリヤはただ冷静に、事実だけを口にした。

「アヤコ。キャスターっていうクラスはね、魔術師なの。魔術師は自分の城、工房とも呼べるものを構築し、そこに籠る。
 籠った上で何をするかはそれぞれだけど、少なくともキャスターという特性上、そしてキャスターが今持っている力と優位性を考えれば、シロウが倒したのは偽物で本物は─────」

「本拠地にいる、ということですね」

「そういうことになるわね」

魔術師である二人は最初から分かっていた、と言わんばかり。
そんな様子を見て、思わず手を顔にあててしまう。

「気にすることはないわ、アヤコ。分からないのも無理ないんだから」

「いや、けどね………。そりゃあ今のは楽観視しすぎたかなあ、なんて思ったけど、こう─────自分一人だけ何もわかってなかったっていうのは地味に応えるんだよね」

「いた!イリヤ、綾子!」

背後より声が聞こえてきた。
綾子にとってその声は聞き違うことのない声だ。

「遠坂!」

「綾子、無事!?」

闇の向こう側から見えたのは遠坂凛だった。
肩で息をしているところを見ると全力疾走してきたのだろう。

「アヤコ、イリヤスフィール。無事ですか」

民家の屋根や電柱の上を駆けてきたセイバーが綾子の前に降りた。
その背中には背負われている鐘の姿もあった。

「美綴嬢、よく無事で」

「そういうアンタも。携帯に繋がらないからどうしたのかって思ってたぞ」

そう鐘に言い、周囲を軽く見渡す。
もう一人、顔を見たい人物が見当たらない。

「氷室、遠坂。衛宮は?」

「アイツならもう来るわ」

そういって今さきほどまで走ってきた道を振り返ると、確かに足音が聞こえてくる。
そして。

「はぁ─────はぁ。くそ、早いな。最後まで追い付けなかった」

その外見に驚いた。

「何言ってんのよ、私は下に降りて先にこっちに向かってた。あれだけのディスアドバンテージあったくせにここまで追い上げてくるなんて。
 それにセイバーの速度と同等に走れるようになれると思ってるわけ?」

「………思ってないけどさ」

だがそれ以上に、その外見に何も言わない凛やセイバー、そして鐘に驚いた。
無視しているわけでも見えていないわけでもないだろう。
しかしそれでも何も言わない。それが何を意味するか。

「衛宮」

声をかけた。
互いの顔を見る。
今自分の顔がどんな表情をしているのか分からない。

「悪い。心配かけた」

分からないがこんな言葉をかけてくるあたり、ああやっぱり難しい顔してたんだろうな、なんて考えが浮かんだ。

「ああ、そうだね。なんでそうなってるのか気になるし、説明してほしいけど─────」

けど、やはり。

「ただいま、衛宮。お互い、生きてて何よりだ」

薄らと笑う。
その言葉に表情に、一瞬士郎が固まった。
考えていた言葉のどれにも当てはまらなかったのか、空白の時間が生じた。

「む、なんだ衛宮。その意外だっていう顔は」

「あ、ああ。いや、想像してたのとちょっと違っててさ」

轟!!!と。
その後続くであっただろう言葉がかき消された。
一際大きな爆発音が響き、柳洞寺の炎が一瞬大きく膨れ上がった。
柳洞寺の戦闘が激しくなっている。

「………」

全員の視線が柳洞寺へと向けられた。
これからあそこに行く。
この街の住人を操っている奴がいる本拠地へ。
それは戦場で戦うことのない、鐘や綾子にでも分かっている。

「イリヤスフィール、その者は何者です?」

今すぐにでも戦場に行くべきではあるが、それにあたり確認しておきたい事項がある。
セイバーと凛にとっては全く見知らぬ女性がセラの隣に立っている。
だが、士郎と鐘には見覚えがある顔だ。

「アンタは………」

「バゼット・フラガ・マクレミッツ。ランサーのマスターだった者、と言えばよろしいでしょうか。初めまして、セイバー。そして─────衛宮士郎くん」

「ランサーのマスター………?」

その言葉に反応したのは鐘と士郎。
ランサーのマスターはあの神父ではなかったのか。

「待ってほしい。一人のサーヴァントに対して複数人のマスターがいるのだろうか?」

「いいえ、違うわ、氷室さん。つまり─────」

「端的に言うと、奪われたということになります」

凛の言葉を上書きするように本当に短く、ただ事実だけを伝えた。
その裏にあるであろう様々な感情は一切伝わってこない。
代わりに。

「衛宮士郎くん、君には感謝します。貴方が見つけてくれなければ、私は死んでいたかもしれない」

「え? あ、いや。ただの偶然というか、思いがけないことだったというか」

「それでも助けてくれた。その事実は素直にお礼を言わせてほしい」

士郎の前に出て手を差し出してきた。
頭の中に疑問符が浮かんだが、それが握手だということに気付いた。

「………奇怪な体をしていますね、貴方は」

「え?」

目を潜めたバゼットが呟いたが、あまりにも小さな声で士郎には届かない。

「いいえ、なんでもありません。─────それで、これからどうするのです。目的地はもう分かっている筈です。
 ですが、私はともかく貴方達にとっては些か動きづらいと思うのですが」

そう、バゼットが何より懸念している事項がそれだ。
相手は神代の魔術師。
普通の魔術師がやればそれだけで魔法使いになれるであろう大技を容易く行ってくる。

「それは私も考えてた。けど、問題ない。………あそこでアーチャーが戦ってる。アーチャーが戻れば攻撃も防御も問題はなくなる」

「そうね、戦力を分断するにしても片方が弱いとキャスターに必ず付け込まれる。セイバーかアーチャー、どっちかを再起不能にするだけで私達は身動きしにくくなる」

まさか戦えない綾子や鐘まで一緒に敵の本拠地に連れていく訳にはいかない。
かといって置いていけばどうなるか、今までのことを考えると安易な行動はできない。
攻める側に戦力を傾ければ、待機側の戦力が薄くなる。
待機側の戦力を増やせば、攻めきれなくなる恐れがある。
均等にしたところであの圧倒的な魔力量と魔術にはかなわない。

「行くわよ、セイバー。アーチャーを助けてあの金ピカを倒す」

「ええ、承知しています。まだ戦火が広がっているところを見れば彼が奮闘しているのが分かる。行きましょう、リン」

二人して柳洞寺に向かおうとする。
その背中に

「─────ダメだ、行っちゃいけない」

士郎がストップをかけた。

「なによ、士郎。アーチャーがいないとキャスターの搦め手含めた攻撃に対処できないのは分かるでしょう?」

「ああ、それは分かる。分かるけど………えっと、セイバー、はあそこにいっちゃだめだ」

「なぜです、シロウ。ギルガメッシュは強敵だ。しかし私とアーチャーの二人ならば倒せる。それとも私が行っても勝てないというのですか?」

「違う、俺が言いたいのは『そうする事こそが敵の思惑通り』ってことだ。きっとあの戦いを見てる。隙あらば、って。
 そこにセイバーが行ったらそれこそ敵にとって“うまい餌場”になっちまう。だから行かせるわけにはいかない」

「シロウに賛成。そもそもセイバーが行っちゃったらこっちの守りはどうするのよ。─────リン、あなた少し攻撃的すぎないかしら?」

「─────っ」

イリヤの言葉に舌打ちし、唇を噛む。

「─────遠坂」

「………なによ」

「遠坂、どうしたんだよ。これくらいなら遠坂だって考えられただろ? そりゃあギルガメッシュは強いし、セイバーがいけば確実に戦力アップにはなるだろうけどさ」

「………そうね、そこのところは抜けてたわ。ごめんなさい」

その反応にも、士郎にはおかしいように感じ取れた。
何かが違う。最初センタービルの屋上で再開したときは微塵も感じなかったけれど、ここにきて何か微妙に違う。

「では、どうするのです。アーチャーがいなければ身動きが取れないというのであれば、アーチャーへ援護は必要だ。しかしセイバーが行かないとなると─────」

「俺がいく。そもそも、アイツのマスターは俺なんだ。なら、俺が行くのがスジだろ」

「なっ─────アンタね、人に言うだけ言っておいて………」

士郎の言葉に即座に反応した凛。
だが、その次の言葉は出てこない。
かわりに大きな、そりゃあもう士郎が申し訳なく感じてしまうほど大きなため息が。

「………その、遠坂。すまん、何か苦労かけてるか?」

「ええ、思いっきり。これほどってくらいに」

その後ろで他の4名も心の中で凛に同意していたのだが、士郎はそれを知らない。

「セイバーはここに残ってキャスターから皆を守って。柳洞寺へは私とコイツで行く。
 あと─────悪いけれど、貴方にも来てもらうわよ。士郎に助けられたっていうのなら、等価交換してほしいわね」


「お、おい」

「随分と─────いいでしょう。ただし、私にも目的がある。義理は返しますが、その為には死ねませんし、死にたくもありませんので」

「そう? その言葉は何よりも信用できるわね。それじゃ、よろしくね」

バゼットに手が差し伸べられた。
それに思考が一瞬停止する。

「あら、士郎とは握手したのに私とはできない? 仮にも貴方を頼るんだから、これくらいはしておこうと思ったのだけれど」

「………」

改めて、目の前の少女を見る。
遠坂凛。
遠坂という名は覚えがある。
こと聖杯戦争に参加するにあたり、避けては通れない名前。

「ええ、そうですね。よろしく」

奇妙な心地だった。
封印指定の執行者、という立場である彼女は敵に恐怖され、味方ですら畏怖する者がいた。
だが、目の前の少女にそれがない。
寧ろ、全面的に信用しているようにすら見える。

「一つ、聞きます。私を本当に信用しているのですか?」

「ええ、もちろん」

即答だった。
あまりに即答すぎて、質問したバゼットの次の言葉が出てこない。

「これから向かう敵は戦えば最後、どっちかが倒れるまでの戦い。途中離脱させてくれるほどお人好しなヤツはどこにもいない。
 けど、貴女には目的がある。その為には死ねない。─────なら、その目的を果たすためにも死ぬ気で勝たないといけないでしょう?」

凛の言葉を聞いて、なるほど、と理解した。
だが同時にその通りだ、とも思ってしまった。
が。

「それに貴女はここに来た。マスターでもなくなったのに、それでも私の友人を、綾子らを守りながらここにいる。
 なら、私としても相応の信頼をしないと不公平。だから─────」

信用する、と。
そう口にした。

「………なるほど、負けました」

その意味を知る者はいない。
目の前にいる少女は少なくとも、全面的に信頼しているということがわかった。

「少しの間になるとは思いますが、共闘させていただきます。よろしく、遠坂凛さん」

握手を解き、目的地へ向く。
互いの信頼は確かめた。
少なくとも背中を気にして戦う必要はない。

「行きましょう、事態がこれ以上深刻化する前に」

「士郎、アンタもくるんでしょう? なら早く来なさい。─────けど、間違っても私との約束、破らないでよね」

「ああ、行く」

走り出す。
向かうは柳洞寺。
あそこで戦っているアーチャーの救援。
そして来るであろうキャスターの攻撃。

「衛宮」

走り出そうとしたその背中に声がかけられた。
綾子だった。

「………なんだ?」

「さっきのアンタの意外顔だけど、あたしだって言いたいこととか山ほどあるんだぞ? けど、それは三人に言われたんだろ? だから、あたしは聞かない。
 聞かないから─────あたしとも約束しろ。衛宮は死なない、絶対生きて帰ってこい。そして弓道部に戻ってこい!」
 
言葉を、想像した。
彼女が言った、言葉の中身を。

「─────ああ、必ず」

誓いを胸に、約束を力に。
確実に足を前へと進めていく─────





だが。

「美綴嬢? どうしたのだ?」

闇に消えた後ろ姿を見ている。

「いや………」

不安が募る。

「分かってる」

不安が押し潰してくる。

「大丈夫だって、分かってるけど」

方法は知ってる。
教えてもらった、やれることは全てやりつくすつもりだ。
それでも。

「………美綴嬢?」

小さく、小さく、小さく、小さく。
鐘にもセイバーにもイリヤにも、誰にも聞こえないくらいに。

「………アイツ、あたしの名前、呼んでくれなかったな」




─────その先にあるのは、救いか、崩壊か。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第63話 目的地
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:4e5a6920
Date: 2014/06/25 01:05
第63話 目的地

─────第一節 急転─────

ゆっくりと目の前が広がっていく。

どこかも判らない場所。
見たことも、感じたこともない場所。
そこに立っていた。
何故ここにいるのか、どうやってここにきたのか、何のためにここにいるのか、それら全てが曖昧だった。

ただそれでも。
自身の中にあるどうしようもない虚無感だけは、明確に感じることができた。

─────どうしてこうなってしまったのか。

視界の隅に映る姿。
何をするわけでもなく、何を言うわけでもなく、ただこちらを見つめている。
命令を待っているのか、観察しているのか、何かを考えているのか。
わからない。

「……キャスター、外はどうなっているの?」

その問いに彼女は答えず、空間にぽっかり穴だけが開いた。
そこから見えるのは外の世界。

………唯一の顔がそこにあった。

「─────」

その光景が、どうしようもなく許せなかった。
十一年という歳月。
ぎりぎりと体の内側から痛みが湧いてくる。

─────どうしてこうなってしまったのか。

気付けば、胸の中にあった筈の違和感が消えていた。
それが何を意味するのか、桜は理解した。
いつ消失したのか、どのように消失したのか、自身では分からない。

けれど解放されたということはわかった。
巣食っていたものがいなくなったのだから。

─────どうして

ならこの痛みは何の痛みか。
この十一年受け続けた痛みは、それを与えていた者は、いなくなった。
なのに痛い。

「─────ふ」

それが一体何の痛みか、何からくる痛みなのか。
こんなにも壊したくて、殺したくて仕方がない。
縛る者はいなくなって、自由になったのに。

「ふふ─────ふ、あはは………」

ああ、分かってしまった。
自分が異常なのは外からそのように強制されていたせいだったと思っていた。

─────始まりは、そうだったのかもしれない。

けれど、今は違う。

「違う………違う、違う違う違う違う─────!」

それを認識した途端、途方もないほどの怒りが内から湧いてきた。
なりたくてなったんじゃない、望んでなったんじゃない。

─────どうしてこうなってしまったのか。

「─────痛い、痛いです、先輩。痛いんです。だから─────」

ああ、訴えよう。
この痛みを吐き出そう。
誰も彼もが痛みを痛いと思うのであれば。

─────この痛みだって訴えていいはずだから。





まるで天から地を切り裂くが如く打ち下ろされる剣。
強烈なんて言葉では足りないほどの速度。
すなわちパワー。
その着弾点を中心に爆発が発生し、円形の衝撃波を周囲に放つ。

だがその程度、直撃こそ避けるべきだが避けてしまえばどうとでもなる。

回避し、防ぎ、反撃する。
馬鹿正直に真正面から打ち合ってもいいだろうが、生憎魔力は無限ではない。
いかに単独行動が可能なアーチャーといえど、活動限界は存在する。

対するギルガメッシュは無言だった。
撃ち出す攻撃は既に百を超えた。
どれもこれも輝かしい本物。

そのどれをも複製し、ぶつけてくる敵。
そして時折相手が紡ぐ暗示の言葉。
攻撃スタイル、得意とする獲物。
そのどれもが、三度対峙した者と同じ。

そう判断を下したと同時に、理解した。
目の前にいるのはサーヴァント、すなわち『英霊』。

「く─────」

その口元が邪悪に笑う。
器が小さすぎる者。
そう断じた男、三度対峙したあの男はあろうことか『英霊』になる力を持つ者だった。

そうして理解する。
この男も、そしてあの男も。
それを容認したこの世界も。

「色褪せて蔓延する。必要不可欠であったものも、今の世では捨てても余りあるほどに溢れていく」

その言葉をアーチャーは聞き逃さない。
互いが剣を放ち、防ぐその戦闘中であっても、その声は耳に届く。

「価値ある物は埋もれ、沈んでゆく。そうして残るのはガラクタばかりの世界。我が物顔で贋作を振るう貴様─────いや、貴様ら」

ギルガメッシュの前にいる者は、ギルガメッシュ自身が容認できない者。
それを世界はあろうことか『英霊』として認めてしまっている。

「………!」

その光景に、アーチャーの足が止まる。
今まで展開されていた『王の財宝ゲート・オブ・バビロン』が閉ざされたのだ。

「猶予をやろう」

その言葉にアーチャーも構えを解く。
相手が何を求めるかなど知らないが、これはアーチャーにとってもチャンスである。

「この時代の貴様が出来ている行為だけで、この世界が認めるというのであれば、『この世全ての悪』などでは足りん」

原初の英雄が、現代最後の英雄に告げる。

「故に貴様が全てを救うと妄言を吐く、雑種の成れの果てだというのならば─────次に全力を尽くせ。
 さもなければ貴様を殺したその後に………貴様の想像を超える地獄が再現されるだろうよ」

アーチャーの鋭い目がギルガメッシュを睨む。
その言葉に偽りはない。
本気でギルガメッシュはそれをしようとしている。

「仮に全力を出したとして、では貴様はその行為をしないという保証あるのかな、英雄王」

「戯けが過ぎるぞ、贋作者。全力を出す前に殺されたいか」

アーチャーは知る由もないが、かつてギルガメッシュの前には『敵』として認めた男がいた。
名をイスカンダル。征服王と呼ばれた、前回ライダーとして呼び出された英霊。
それまで、時の果てまで呼び出されながら茶番劇とも呼べる毎日。
その日々を過ごしてきたギルガメッシュにとって、その男との戦いは悦に入れるものだった。

その点で言えば、目の前の男も確実にギルガメッシュが『敵』として認めた男に、たった今成り果てた。
だがそこにある感情は、かのイスカンダルに対して抱いたものとはまるで違うものだ。
どれだけ対峙しようとも悦になど入れない。対峙すればするほど、相手が抵抗すればするほど、苛立ちだけが募っていく。
その相手に猶予を与えてまで全力を出せと伝えた真意。

「我以外の王など存在せず不要ではあるが、それでも我が認めるだけのつわものは少なからずいる。
 その参列に貴様のような贋作者がいては不愉快極まりない」

届かぬと、何一つ守れぬと言った偽物の未来が『英霊』などと、ギルガメッシュが許さない。
その相手が英雄だろうと、反英雄だろうと関係ない。

「そら、疾く全力を尽くせ。それとも今までのが全力か? だとすれば最早記憶に留めることすら無意味だ。
 貴様を殺した後、我自ら出向いてあの雑種を殺し、忘却の彼方へ葬り去ることとしよう」

見下すその眼光は、それだけで人を殺しかねないほどの威圧を放つ。
常人が見れば、それだけで失神してしまうだろう。

「今思えば、あの雑種に『二度も気まぐれで』エアを抜いた。
 ああ、今理解したぞ、アーチャー。我はあの雑種に対してエアを抜いたのでは断じてない。
 形はどうであれ貴様を英霊として認めた、偽物に感化されてしまったこの世界に対してエアを抜いたのだ」

対してアーチャーは現状に心の中で舌打ちする。
目の前の男は明らかに自分を見下している。
それは別に問題ではない、むしろそちらの方がやりやすい。

「故にこれから行うのは世界の守護だ。我の庭を汚す、我の最も許さない者から世界を救う。
 汚す者がいなければ、汚れる道理はない。この世に満ち溢れた有象無象の偽物は聖杯の中身に任せればいい。
 だが、我が関せずした間に世界が貴様を、あの雑種を認めたというのであれば、世界の主たる我が世界に示さねばなるまい」

アーチャーが舌打ちをする理由。
それは相手がいつでも“あの”宝具を抜く、という点に集約される。

宝具のぶつけ合いはフェア。
むしろ相手が武器を出してくると同時に読み取り、投影することができる点ではこちらに部がある。
接近戦などはむしろ望むところ。

だが。
衛宮士郎が直感で防ごうとしたのと同じように。
アーチャーもまた理解できている。

─────いかにギルガメッシュに乖離剣を抜かさずに倒すか─────

これに尽きた。

全く以て読み取れない武器。
それは人間の脳では理解できない概念武装。
投影など永劫不可能。
そしてそんなものを抜かれては最後、固有結界を発動したところで無意味。

「私より前に、奴と数度戦闘を行っていたことが仇となったか………」

ギルガメッシュは既に二度、衛宮士郎に対して乖離剣エアを抜いている。
そしてギルガメッシュの高い観察眼が、アーチャーの正体を見抜いた。
そのどれもが本気ではないとはいえ、『抜いている』という事実がある。
この戦いであの宝具を抜く、という確証はないが、抜かないという確証もないのが現状。
否、恐らくは抜く。
相手が英霊エミヤを見ているのではなく、英霊エミヤを認めた世界を見ているというのであれば。
世界に対してエアを抜くだろう。

奇しくもアーチャーが衛宮士郎に対して行ったことを、ギルガメッシュも行おうとしているのだ。
ただ規模が違う。見ているものが違う。
アーチャーは自分自身、すなわち衛宮士郎という一個人を見ていた。
だがギルガメッシュはその存在そのものを赦しておらず、アーチャーを例え反英霊として伝承した世界であっても赦そうとしていない、その違い。

恐ろしく傲慢だ。
アーチャーは断ずる。
そこにこそ、千載一遇にして最後の隙がある。

相手は手に何も持っておらず、そしてあろうことか王の財宝ゲート・オブ・バビロンまで閉じている。
アーチャーの位置からギルガメッシュまでの距離は、アーチャー自身が最速で接近しても5秒はかかる。
その時間があれば王の財宝ゲート・オブ・バビロンを展開するなど容易だろう。

「いいだろう」

だがエアを取り出し、構え、放つまでの時間はこの距離にはない。
故にくるのは先ほどと同じ攻撃。

「─────ならば英雄王、一つだけ忠告しよう」

これを逃せば機はない。
時間を稼がれればエアが出てくる。

両手に現れる干将莫邪。

「俺を殺せても─────奴を殺せる道理はないぞ」

同時。
地面が爆ぜる。

────I am the bone of my sword
─────体は剣で出来ている

継続性など一切考えず、一直線にギルガメッシュへ接敵する。
自分の目算で5秒必要だというのならば、この足は3秒で敵の懐へ潜り込もう。

────Steel is my body, and fire is my blood.
─────血潮は鉄で、心は硝子

王の財宝ゲート・オブ・バビロンが展開され、無数の宝具群が姿を現す。
アーチャーが一歩を踏み出そうとした瞬間に展開されたそれは、一秒後には流星群のようにアーチャーへと殺到する。

「幻の世界で見た夢の結末を知るがいい。この我自らが本物の世界の理を示してやろう」

────I have created over a thousand blades.
─────幾たびの戦場を越えて不敗

姿が見えると同時に投影、照射。
縮まりゆく距離において互いの宝具群は互いを傷つけることが出来ぬまま壊れていく。
その中で、アーチャーは確かに見た。
英雄王しか持ちえぬ、唯一の剣を。

────Unknown to Death. Nor known to Life.
─────ただの一度も敗走はなく、ただの一度も理解されない

「貴様を殺せて奴を殺せない? 無能もいいところだな、贋作者フェイカー。貴様が未来だというならば、貴様の存在が雑種の終着点だ」

残り一秒。
乖離剣に手がかけられる。
だが間に合う。手にかけたところで解放されなければ同じこと。

────Have withstood pain to create many weapons.
─────彼の者は常に独り、剣の丘で勝利に酔う

「─────!?」

がくん、と足が止まる。
トップスピードが一瞬でゼロへと落ちる。
突き出した筈の腕が止まる。

天の鎖エルキドゥ
天の牡牛すら捕える縛鎖。
咄嗟に剣群が鎖を両断しようとするが、致命的なタイムロス。

そして停止するにはあまりにも致命的な距離だった。

「言わなかったか? 我は貴様に対してエアを抜いたのではない、と」

アーチャー自身が詰め寄った距離。
乖離剣エアがアーチャーの胸元を貫くには十分な距離だった。

────Yet, those hands will never hold anything.
─────故に生涯に意味はなく

解放するには時間が足りず、解放するには距離が足りない。
だが、そもそも解放するつもりなどないのであれば、そんな時間も距離も必要ない。

「─────」

体に鈍い衝撃が奔る。
捻じれ廻るその感覚は、生前も死後も体感したことなど一切ない。
甘んじて受けるべきではない傷。

「思い込みが過ぎたな。ならば真実を識れ。貴様に背負える世界などなく、貴様が背負う世界などない。─────偽りの世界ユメに沈め、贋作者フェイカー

乖離剣エアがアーチャーの胸元から離れていく。
致命傷。
ギルガメッシュから見ても、アーチャー自身から見ても、それは分かる。

だが─────それでも間に合う。

口元が僅かにあがる。
紡ぎ出されるのは、苦渋の言葉ではなく。

「────So as I pray, unlimited blade works」

自分の心を、形にする言葉だった。

燃えさかる火は壁となってアーチャーとギルガメッシュを包み込む。
それが一体何であるかを理解した時には、既に世界は一変されていた。
無数の剣が乱立した、剣の丘だけが広がっている。

だが、忘れてはいないだろうか。
今は解放こそされていないとはいえ、ギルガメッシュの手には既にエアが握られている。
ならばあとは彼がエアを使うだけで、この世界は崩れ去る。

「固有結─────」

「はああァァァッ!!」

ギルガメッシュの視点がアーチャーから外れ、外の世界に目移りしたその瞬間。
唯一防具で守られていない首へ、干将莫邪を一閃する。

「っ─────!」

息をのむと同時に後ろへ跳ぶ。
だが遅い、否速い。

アーチャーにとってはギルガメッシュが速すぎた。
否、アーチャー自身が遅すぎた。
首を絶つ勢いで薙いだ一閃は、ギルガメッシュの喉元を斬るに留まった。
胸元の傷が影響していることはもはや疑う余地もない。

ギルガメッシュにとって、自身の回避行動が遅すぎた。
自身が天の鎖エルキドゥでアーチャーの行動を止めたというのであれば、アーチャーはこの世界を以てしてギルガメッシュを止めてみせた。
回避しようとした体は避けきれずに喉から血が噴き出す。
無論これだけで死ぬなどあり得るはずもないが、しかしそれはギルガメッシュが激昂するには十分すぎた。

「貴様ァァァァアアア………!偽物風情が─────!」

だが、一瞬でもアーチャーから目をそらしてしまった。
固有結界発動時しかり、そして喉元を斬られた時しかり。

今度こそ絶句した。
ギルガメッシュが改めてアーチャーをその紅蓮の眸に捉えたその時には。

偽・螺旋剣カラドボルグ

既に攻撃を完了させていた。

「ッッ!!!!」

咄嗟に顔を左腕で塞ぐ。
偽・螺旋剣カラドボルグは顔へと行かず、黄金の鎧を纏うその胸元へと直撃する。

「がっ─────!!」

ゴッ!!!!!! と。
凄まじい衝撃が胸元から伝わる。
剣撃を避けるために後方へ退避した足は勢いを殺しきれずに地面から離れ、勢いを抑えることができなくなった体は衝撃のままに後方へと吹き飛ばされた。
だが衝撃だけではない。
それは大気を根こそぎ捻じ曲げてしまうほどの威力を持つ。
当然鎧が防ごうが、被害はその部位だけには留まらない。
風が鎌鼬のごとく露出している顔に切り傷を刻んでいく。

衝撃を殺すことすら叶わず、反撃をする間もない。
だが、この手にはエアがある。
ならばこの矢が鎧の胸元を破壊するよりも早くこの固有結界ごと破壊できる。

激痛を発する中で右手の剣に魔力を篭めようとした、その時に。

壊れた幻想ブロークン・ファンタズム

固有結界内で爆発が起こる。
宝具が内包する魔力を自壊させることで生じる超爆発。
本来修復困難である宝具をこのような用途で扱う物はそうはいない。
しかし元が魔力により構成し使用しているアーチャーは躊躇いもなくその引き金を引くことができる。

そしてこの至近距離。
相手が鎧を纏おうがこれで無傷ということはありえない。

「─────っはぁ」

固有結界が崩壊していく。
この世界を維持するにはあまりにもこの胸の傷は致命傷すぎた。

そう理解して、しかしなお一度止めた足を最速で向かわせる。

胸の傷は致命傷。
だというのに固有結界を発動なんてさせればどうなるか。
いかに単独行動を得意とするアーチャーといえど、消失以外の道など存在しない。
ならば今すぐにでも傷を癒すべく霊体化し、兎に角治癒を優先すべきである。

だがもはやそれに意味はない。
仮にそうして生き延びたところで自身は戦力にはならない。
そして戦力にならなくなった己など、それこそ存在価値などない。

この世界での、最初の目的は既に達成されている。
後は戦うだけ、戦って勝つことだけが今ここに在る全て。

そもそもセイバーと凛をこの男の前から遠ざけた時点で、倒すつもりでいたのだ。
仮に明確に彼女達に『時間を稼いで逃走しろ』と言われたところでその決定事項は変わらない。

敵は確実に負傷しているはずではあるが、死んではいない。
それはサーヴァントとして今だ煙晴れぬ中心地にある魔力を感知できているが故の確信。
ダメージの大小は分からないが、ギルガメッシュに次手を打たせる前にこちらが行動を起こす。

足は止めない。
ギルガメッシュが吹き飛ばされたと同時にそれに追いつこうとして走り出した足は決して止めない。
吹き飛ばしたことによって生まれた距離は瞬く間に縮んでいく。

「─────それが貴様の世界か。アーチャー」

突如として、巻き起こる膨大な魔力の本流。
戦闘によって破壊され柳洞寺に突き刺さる一流の剣が、魔力の本流に耐えきれずに宙を舞う。

威圧感、存在感。
その全てが桁外れ。
彼我の戦力差は語るまでも無く、絶望的だった。

もはや干将莫邪では届かない。

ならば─────

煙が無くなり、そこに立っていたのは黄金の王。
違う箇所といえば偽・螺旋剣カラドボルグの攻撃と、その後の壊れた幻想ブロークン・ファンタズムによって鎧の大部分が破壊されていること。
明らかにダメージを負い、血が流れている姿であるということ。
そしてそれほどのダメージを負いながら、握ったエアを手に固定するために鎖をその身にまきつけていたこと。

「────I am the bone of my sword」

「識れ」

アーチャーの最後の暗示。
それをもはや無視した形でギルガメッシュはその剣を振りかざす。

「そして絶望しろ。─────創生。貴様では持ちえぬ、その意味を」

その攻撃はアーチャーに向けたものではなかった。
宣告通り、それは世界に向けて放たれた。

同時。
数ある中で、アーチャーが投影してみせたのは。

約束されたエクス

振り下ろされる極光。
世界を割る光の束。
限界を超越した聖剣の行使。

しかし例えどんな結末が待っていたとしても。

「─────勝利の剣カリバー

光ある未来を紡ぎだす。
その道、進む者は─────



柳洞寺へと続く階段までたどり着く。
魔術を行使しているからといって疲労が蓄積しないわけではない。
しかしそれに反して今まで走っていたという疲労感はなかった。
─────走っていた、という感覚も残っていなかった。

「………………」

一瞬だけ、頬が吊り上った。
前を見る二人には気づかれなかったが、顔を見られていたら確実にばれている。

「………いつ来ても慣れないわね。この尋常じゃない生臭さ。吐き気がする」

霊地であり不可侵である場所が人を拒むのは当然。
山の闇は人間にとって脅威であると同時に清浄さを持つ神域の具現でもある。

だが、それはこの柳洞寺には当てはまらない。
吐き気がする、というのは凛の個人的な解釈だが、士郎とバゼットも良い気分ではない。
目の前にあるのは正真正銘の山だが、まるで巨大な臓器を目の前にしているかのような錯覚に陥ってしまう。
それほどまでの異常が目の前にある。

「行こう。なんだか嫌な予感がする」

前の二人を抜いて階段を上った直後だった。

まず三人に与えられた情報は光だった。
まるで昼だと錯覚するほどの眩い光が向かおうとしていた山頂から降り注いできた。
全員がこの暗闇に目が慣れていたところへ突如として襲い掛かる光の暴力はいともたやすく三人の視界を潰し、目蓋を焼く。

「な─────」

なにが、と士郎が言おうとしたときには、音が既に到着している。
ドンッ!!!!!!! という音の暴力が鼓膜を激しく振動させる。
まるで爆弾が投下され、至近距離に着弾し爆発したかのような音。
咄嗟に耳を防ぎ、強すぎる音の振動で鼓膜が破れるのを食い止める。

光と音によって思考能力を奪われる三人。
最後に訪れたのは体を吹き飛ばしかねないほどの烈風だった。
否、全員伏せる時間も与えられず、士郎に至っては階段を上ろうとした矢先のことだ。
当然のように体はバランスを失い、後ろへと薙ぎ倒される。

「や─────」

やばい、と感じたときにはもう遅い。
体は致命的なまでに傾いており、もう自分ではどうしようもできない。
後は後ろへ吹き飛ばされるだけ。

だが後ろには─────

「とお─────!」

まずい。
まずい、まずいまずいまずいまずい─────!

今の士郎の体は危険な状態。
うっかり体ならざる部分で衝突したらどうなるか。
それを瞬時に理解した士郎から一気に血の気が引く。
こんなバカなことで彼女を傷つけてしまう─────!!!

「え、しろ─────」

「っっああ!!」

無我夢中で投影した大剣。
それを衝突する直前で凛の前に突き刺した。
彼女からすれば一体何が起きたのかが理解できない。それほどの短い時間。
だがそのおかげで士郎は凛にぶつかることなく、投影した大剣に体を叩きつけた。

「がっ、はっ─────」

背中を強打する。
体の内部ではそれ以上の激痛が全身を襲う。

だが、この人を吹き飛ばしかねないほどの烈風。
発生地点に近い部分はそれ以上の爆風であることは間違いない。
そしてここは山であり、風は山頂から吹き下りてくる。
つまり─────

「─────くん!」

「え─────」

それは士郎に対してバゼットが叫んだものだが、眩い光と暴風特有の風切音、そして士郎自身の意識が全身の激痛によって、目の前から襲い掛かる凶器群に気付くのに遅れた。
暴風によって薙ぎ払われた木々が士郎達目がけて飛来する。

「ちょっと、士郎─────!」

「遠坂はそこにいろ!」

右手を突き出す。
頭の回転が現状に追いつけていない中で、もはや本能レベルの反射で投影する。

投影、開始トレース・オン………ッ!!」

自分の背中にある大剣と同じ剣が士郎の目の前に突き刺さる。

飛来する木々や瓦、石。
それらを防ぐ盾。

「そうだ、バゼ─────!」

咄嗟に展開した盾はバゼットのいる場所まではカバーしきれない。
ならばこの降り注ぐ凶器は違わず彼女にもとに─────

「─────ト?」

だが、その言葉も出ることはなかった。
凶器と化した飛来物。
それを見逃していいものと迎撃すべきものを的確に判別し、硬化のルーンを以てして『殴り防いでいる』。
当然無傷ではいられないが、かすり傷で済ませられるのもおかしい。

烈風は次第に収まり、光も小さくなっていく。
そして闇が再び戻ってきたころには風も止んでいた。

「止んだ………わね。ちょっと、士郎! 大丈夫!?」

「士郎くん、大丈夫ですか?」

「ま………、なんとか」

首は下を向いているが、手をひらひらと降り無事であると示す。
それを見て一息する凛だったが、バゼットは違うものに目が行ったようだった。

「士郎くん、その手はどうしたのです?」

「え? 手─────?」

バゼットの言葉につられ、見る。

「………?」

それを、士郎も凛も理解ができなかった。

「………?」

そこにあるべきはずのモノ。
そこに存在しなければならないモノ。

「………おい、アーチャー………!」

事実を確認し、手を握りしめる。
知らずに漏れたその声は怒りが籠っていた。

─────手の甲にあるべき令呪が、消えていた。



─────第二節 終地へ─────


その光を見逃した人物など一人もいなかった。
山頂で起きた大爆発。
今までのどれよりも強力な魔力がぶつかりあったそれは、現時点で一番離れているセイバーでも容易に確認できた。

「あれは………」

士郎たちは既に見えなくなっているが、この距離と時間から鑑みてまだ到着はしていないはず。
となればあれはアーチャーとギルガメッシュの衝突のもの。
そしてあの爆発。

「宝具の打ち合いとなった? となればギルガメッシュは“あの”宝具。ではアーチャーは………?」

アーチャーの能力は聞き及んでいる。
宝具の投影。
それがアーチャーの能力。

「まさかアーチャー………!」

数瞬見えた黄金の光。
確証もなく確信もない。
だが担い手だからこそ分かるものがある。
あの光は間違いなく─────

「今の爆発、これまでの比ではなかったがイリヤ嬢、衛宮達は大丈夫なのだろうか?」

一般人である鐘と綾子にも先ほどの爆発は見て取れた。
というより周囲が暗い中、あれほどの光を発せられては気付かない方が難しい。

「あれ、どうしたの?」

綾子が声をかけた。
だが、その言葉にも鐘の言葉にも反応せずただイリヤは黙り込んでいた。
イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。
正規の聖杯として機能する、白き聖杯。
全てが正しく機能していれば、その中身にはサーヴァントの魂がくべられる。

「おおよそ、考えてたシナリオでもかなり悪い部類ね」

そう一言吐き捨てて、セイバーへと視線を向ける。

「イリヤスフィール、何かわかったことが?」

「アーチャーが倒された」

簡潔に内容を伝える。
もうこうなっては一刻の猶予もないのだ。
自分達が勝つためにはキャスター一派とギルガメッシュを倒さなければいけない。
そして、覚悟を決めなければいけない。

「セイバー、アヤコとカネを連れてシロウ達を追って。相手がどういう状態に陥っているか分からない以上、セイバーも行った方がいい」

アーチャーが倒されたという言葉を聞き、大小の反応を見せた三人。
それらを振り切るようにイリヤはセイバーへ指示を出す。

「………ええ、そうですね。しかしイリヤスフィール、貴女は来ないのですか?」

「私達は私達でやるべきことがあるから一緒には行けない。後から行くわ」

「行けないとは………イリヤ嬢とて狙われる対象なのだろう? ならば一緒に行動した方がいいのではないだろうか?」

鐘の言葉は至極当然だ。
セイバーが士郎達に同伴しなかったのはキャスターがこちらを狙ってくる可能性があるからという理由だった。
ならばここでイリヤ達が別行動をするというのは上手い手ではないと考える。

「大丈夫よ、リズがいるもの。確かに戦うとなれば勝てないかもしれないけど、こと逃げるだけなら何とかなる。それよりも貴女達は自分達の心配をしなさい」

「それは………」

「私は狙われる確率が一番高いところに二人を行かせようとしている。むしろ私を恨んでもいいくらいの不条理なの。私の心配なんていらないわ」

「恨む、なんてことするつもりはないけどさ、本当にそれでいいの?」

頭を掻きながらイリヤに訊ねる綾子。
イリヤが言ったことは確かにそうなのかもしれない。
だが仮にイリヤが狙われ何かしらの被害を被ったとき、それは彼女だけの問題では済まない。
無論それは自分達にも影響するが、自分よりもはるかに影響を受ける人物を、綾子は知っている。
何よりも、綾子はその姿をこの目で見ている。

「大丈夫。イリヤは、守る」

イリヤの隣でハルバートを持っているリズが答えた。
彼女の強さは十分承知。
魔術の知識もなければ戦争の知識もない綾子は、それ以上何も言うことはなかった。
そもそも自分の立場上、強く言うこともできないのだ。

「それと、もう一つ伝えておかなきゃいけないことがある。それをシロウ達にも伝えてほしいの」

「伝えておくこと? それってあのお城で言ったこととはまた別の話?」

「ええ」

全ての元凶であり、そして全ての希望である場所。
かつて遠坂・マキリ・アインツベルンが手を結び、白き少女が大聖杯となった地。

「大聖杯。この聖杯戦争の始まりの地であり、そして此度の聖杯戦争の終焉地。きっとそこに─────いいえ、必ず。サクラがいる」





正確に言えば、大爆発の後も両名は存命していた。

片方は鎧が破壊され額より血が流れてこそいるが、平然と立っており。
もう片方は胸元に穴が開いており、両膝をついて荒々しく息をしていた。
双方の魔力の残量を見ても、身体の状態を見ても勝敗は明らか。

「未だに生きているとはな。生き汚さだけは一流か。─────ああいや、我の気を逆なでするのもまた一流か………この贋作者フェイカーがッッ!!!!」

背後より古今東西あらゆる宝具が顔を表す。
放っておいてももはや消えるだけのアーチャーですら、今のギルガメッシュは許せない。
己の自慢の鎧を壊し、あろうことか傷を負わせるまでに至った者。
セイバーならばその技量と威力に或いは感嘆したかもしれない。

だがこの男は違う。
死ねと言えば相手はすぐに死ななければ許さない。
そこに相手を称賛する意識は微塵もない。

「待て、ギルガメッシュ」

目に見える物、その全てを殺さねば気が済まぬという殺気。
その殺気を纏うギルガメッシュにあろうことか静止を促す声があった。

今のギルガメッシュならばそのような声すら聞く耳持たず、今すぐにでも宝具を投擲しただろう。
だがそれでも投擲しなかったのは、その声に聞き覚えがあったからだ。

「何用だ、言峰」

「何用、とは随分な言いぐさだな、ギルガメッシュ。─────あれほどの爆発を見て、気にならない者など一人としていまいだろうに」

苛立ちを隠そうともしていないギルガメッシュに、まるで普段通りに話しかける綺礼。
だがそれすらも今のギルガメッシュには苛立ちを募らせるものでしかない。

「黙れ言峰。今の我は貴様ですら殺すぞ、死にたくなければ失せろ」

「─────怖いな。私もまだ死にたくはないのでね、お前の言う通り下がらせて貰おう」

踵を返し去っていく背中。
だが、ふと思い出したように立ち止まった。

「ああ、そうだ。言い忘れていた、ギルガメッシュ」

その言葉は何でもない事のように、ただ自然に発せられた。
まるで友人に伝え忘れていたときのように、ごく自然な言葉。

ギロリ、とその言葉に反応して綺礼の背中を睨めつける。
同時に複数ある宝具のうちの一つが確実に綺礼へ向けられた。
これ以上何かを言うのであればまずは貴様から殺す、そう殺気で伝える。

「令呪を以て命ず。─────ギルガメッシュ、行動を止めろ」

途端、王の財宝ゲート・オブ・バビロンを含む自身の行動全てが封殺された。
体は尋常ならざるほどの重みを受け、足は一歩も動かない。

「言、峰………キ、サ、マ………!」

「悪いな、今ここでアーチャーに死なれては困るのだ。─────だがギルガメッシュ、お前もまた死んでもらっては困る。故に止まってもらうことにした」

─────投影、開始トレース・オン
その言葉を二人は聞き逃さない。
中空に浮かぶ一本の剣がギルガメッシュに向いている。

「ほう? ここに来てその傷を以てしてなお殺そうとするか。ギルガメッシュが止まったのを好機と見たか、それとも─────」

アーチャーは知っている。
この男が『どの陣営に属しているのか』ということを。
そして今先ほどの言葉。これを理解できないほど、彼は愚かではない。

だが。

「ッ!」

ギィン!!! と。
横から現れた敵によって吹き飛ばされた。

「─────おいおい、この程度しかできねぇならとっとと逃げろよ、馬鹿が」

「ランサー………!」

「ま、逃げたところでその体じゃ推察通り逃げられる訳もねえんだがな」

その通りである。
アーチャーの推測が正しいならば、この状態で逃げ切るなど100%不可能だ。
寧ろ逃げる自分を率先して襲ってくるだろう。

「正解だな、アーチャー。お前の読みは正しい。そしてギルガメッシュを倒そうと躍起になっていたことも、実に正しい選択だ。倒してしまえば、元来行くべき場所へ行くのだからな」

鬼の形相ともいうべき目で綺礼を睨む。
だが当人はそんなことなど知ったことではない。
無論それはもう一つの視線も同じだ。

「誰にも我に指図などさせぬ………! 貴様ら全員我が葬り去ってやる………!」

令呪で確かに動けなくなった筈のギルガメッシュ。
だがそれに反抗するが如く右手がゆっくりと動き始める。
乖離剣エア。
鎖によって右手にまきつけられたそれを今一度解放しようとする。

「やはり恐ろしいな。クラスとしては三騎士だが令呪の縛りに抗い、ましてや私に反旗を翻そうとできるのはお前だけだろう。─────しかし」

今度こそ綺礼は二人に背を向け去っていく。
ランサーも用がなくなったかのように消えてしまう。

「─────刻限だ。私が手を下す理由などないし、必要もない。さらばだ」

綺礼の姿が見えなくなったと同時。
乖離剣が解放されるよりも早く、残された動けぬ二人の背後から黒い津波が押し寄せ─────






そこにあるはずの令呪が─────ない。

「………一歩遅かった、ということでしょうか」

バゼットがそう言葉を出すが、二人はそれすらできない。
アーチャーが負けた?

「アイツ………一人で!」

歯を食いしばる。
敵討ち、なんてことをするつもりはない。
だが勝手に消えてしまったら、何も言うことができない。

「………待って。それは本当に、アイツに敗北したの?」

ギルガメッシュ。
強さは間違いなく本物。
そこに疑う余地はない。
それと対峙し、戦闘していたアーチャーの令呪が消えた。
そこから導き出せる答えは一つだけだ。

「いいえ、ここにはギルガメッシュよりも厄介な敵がいる。力もあってそのくせ狡猾な奴」

「………キャスターがやった、っていうのか?」

「『ただの』キャスターなら問題じゃない。けど、今のキャスターは違う。その後ろにいるものが一体何なのか、忘れたわけ?」

かつて凛も介入されたことがある。
その時犠牲になったのはほかならぬキャスターだった。

「そして頂上から下りてくるこの感覚。─────士郎、アンタなら分かるでしょ、この戦いの結末」

そこまで言われて、ようやく気が付く。

「………桜」

まぎれもなく、それは崩壊した城で、そして衛宮邸で感じたことのあるものだった。
つまりそれは。

「士郎、一つだけ聞くわ」

その声は冷たい。
さっきまでの凛とはまるで別人だ。

「士郎が言ったこと、覚えてる? そして、私が言ったことも覚えてる?」

「………ああ、覚えてる。遠坂は桜を殺す、俺は桜を助ける」

「そ、覚えてるならそれでいい。なら、士郎。その考え、今も変わらない?」

今目の前にいる彼女にはヘタな言葉は使えない。
貸し借りの話を出しても無駄だ。
士郎には士郎の背負っているものがあるのと同じように、凛にもまた背負うものがある。
今ここで、この状況でこの場面で、それを聞いてくるのだ。

「変わらない」

だからこそ、正面から対立する。

互いの瞳が互いの顔を映し出す。
そうして先に視線を切ったのは凛だった。

「このやり取りだって前にしたし、これ以上する必要もないか」

「そうだな」

やることは変わらない。
目的も変わらない。
ならば後は進むだけだ。

「ではどうしますか。当初の目的は失われた。早急に何かしらの対応をすべきだと思いますが」

「どちらにしろ、セイバー達と合流しないことにはどうにもいかないわね。私達の陣営にはもうセイバーしかいないんだから」

「じゃあ来た道を戻るか?」

「それこそ手間でしょう。セイバー達をこっちに呼んだ方が早いわよ」

「いえ、それには及びません、リン」

ガチャン、とすぐそばで音がした。
既にそこにセイバーが到着していた。

「セイバー………早いわね。それに氷室さんと綾子も」

「あたしらはただ運ばれてただけだからね。何もしちゃいないよ」

つい先ほど別れた顔と再会する。
だがそこにいない人物がいる。

「あれ? セイバー、イリヤ達は?」

「別でやることがあるから先に行ってくれ、だそうだ衛宮」

鐘がセイバーの代わりに答えるが、その内容に疑問を持つ。

「別にやることって………、こんな時に何をやるんだ? それに別行動して平気なのか、氷室?」

「それは私も思ったのだが、こっちは大丈夫だと断られてはどうしようもない。何をやるかについてははぐらかされてばかりで聞けなかった」

「兎に角、今現時点での戦力は集まったわけですね。凛さん、どうしますか」

「どうするも、相手の居場所が分からないと攻めようがないわね。かといって待ってられるだけの猶予はないから、こっちからアクションを起こしたいんだけど」

「それについてだけど、遠坂」

綾子が手をあげる。
周囲が自分の言葉を聞くように視線を集め、イリヤから教えてもらったことを正確に伝える。

「この参道から外れた山の中に『大聖杯』って呼ばれる場所に続く入口があるって。ある程度の場所は教えてもらったから行きながら案内はできるよ」

「『大聖杯』………って」

「そこに桜の奴もいる、って………あの子言ってた」

桜がいる。
ならば間違いなくそこが目的地である。

「………そうか、わかった。美綴、ありがとう」

「あたしは言われたことを伝えただけだ。衛宮には敵わないよ」

薄らと笑ってみせた。

「じゃあ綾子、一緒に深部までついてこい、なんて言わないけど入口までは案内お願いね」

「ああ、任された。じゃ、いこうか」

目的地が決定し、階段を上ろうと上を見る。
途中までのぼり、そこから道を外れそこから獣道すらない道を通る必要がある。

いつの間にか月が出ていた。
鐘がマンションから出た頃に比べれば月と星の光で随分と見通せる状態だ。
それでも十分な暗さであることには疑う余地もないが。

「待ってください。─────あそこに、誰かいます」

一番先に上を見ていたバゼットが、全員に静止を呼びかける。
全員の目が長い長い階段へと向けられ、その先に。

「あれは─────」

カツカツ、と小さな足音を立てながら階段をゆっくりと降りてくる。
そうして見えたその姿には見覚えがあった。
この時にこの場で立っているのが何も知らない一般人であるはずがない。
にもかかわらず、一般人である鐘と綾子でも知っていた人物。

「葛木………先生」

朽ち果てた殺人鬼が、幽鬼の如くそこに立ち塞がった。




[29843] ep.64 / それぞれの意志
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:315a7af7
Date: 2015/01/04 15:48
ep.64 / それぞれの意志

─────sec.01 / 不定の心

遡る事、おおよそ二十五年。
彼はその集まりがどのようなものであるか、最後まで知ることはなかった。

人里離れた山の中。
修験者のように集まり、共同体として暮らす中に彼は発生した。

両親も兄弟もない、何の繋がりも持たない赤子として生まれたのだ。
誕生より発生と言う方が正しいだろう。

無垢である事は幸いだ。
例えそこがおよそ人の住む場所でもなく、人が住む方法でないとしても、外界を知らない以上はそれを受け入れた。

以来二十年。
彼は与えられた十メートル四方の森から出ることなく、与えられた一つの芸を鍛え続けた。

彼がいた集まりが所謂『工場』であることを、彼は十歳の頃に教えられた。
彼には道具を作った経験がないので、自分が一体どちら側の存在なのかは悩むまでもなかった。

自身が生活用品である事に抵抗はなく、むしろ安心したと言っていいだろう。

毎日毎日、ひたすら同じ動作を繰り返す。
多様性は不要、ただ一つの動作を完成させる。

そう教え込まれてきた。
自分達は顔も知らない誰かの為に道具なのだと納得し、彼らは更に自分の『用途』に磨きをかけた。

それに納得できなかった物の末路など、納得した物が知るところではない。
気が付けば………否、気が付くこともなく、その集まりの数が僅かに減っていただけである。

彼が自分の『用途』を察したのは、それからすぐの事だ。
いずれその『用途』を不足なく発揮させるために、全く以て余分な学習を叩きこまれる。

彼らは人間の為の生活用品ではあるが、そのためには擬似的に人間になる必要があった。
彼らを作る者達も、余分な機能を付ける事に抵抗はあったらしいが、こればかりは避けては通れない。

その教育によって、彼は自分の『用途』の名称を知ることとなる。
その名を、─────人殺し。

誰にも見つかる事無く、相手に知られる事もなく、息の根を止めること。
それが彼らに求められた『用途』だった。

覚えの早かった彼は十メートル四方の森から離れ、廟に仕える事が多くなった。
とは言っても月が一巡する間に一度程度の割合である。

廟は、ひたすらに清潔な空間だった。
鬼が棲むとも、阿鼻叫喚の地獄だとも噂されていた建物は、一点の染みもない世界だった。

言う事を聞かなかったので生きたまま解体される廃棄品がある。
恥をかかせたとかで脳だけ動物に移植される罰の跡がある。
慰めの為に集められた子供達の肉詰め水槽がる。

そんなものは何も、何もありはしなかった。

確かに起きた事ではあるが、それはここにはない。
ここは退屈しのぎにもならない退屈しのぎとして、今夜の食事のメニューを増やすという理由で。

─────何の関わりもない一般人の人生をお金に替える。

料理の声など食す者には届かない。
どれだけ懇願しても、どれだけ抵抗しても届くことはない。

そうして料理は最期に気付く。
目の前の生き物は自分と同じ姿をした、全く作りの違う人間だということに。

それは廟に限った話ではない。
彼を管理する者は言った。

アレが道具オレたちを使う数少ない特権者であり。
オマエの『用途』は、彼らの為に人間を一人殺すことだけだと教えられた。

彼はそれを『悪』だとは思わなかった。
精神面において、彼は既に完成している。
道徳概念など、都合のいいように育てられている。

故に彼にとって殺人は悪ではない。
悪があるとしたら、それは理に叶わぬ行動だけ。

道具としての理。存在としての理。
言葉を綴る筆が用を成さなくなったのならそれは悪であり、人を殺す為に作られたモノが人を殺さなければ、それこそが悪である。

そうして得た機会。待ち望んだ時。
─────得たものは何もなかった。

そこからはもう語る必要はない。
集まりより用意されていたパーソナリティは教職だったが、全うするだけの知識と技能はなんとか身につけている。

半年も続くまいと想定していた生活は、想定を遥かに超える時間続いた。
彼を捜す者もいなければ、彼自身追手を意識せず生きていこうと決めていた。

普通の生活に憧れてのものではない。
二十年近く生きてきて、人を殺す為の芸だけを磨き上げて。
その結果があのようなモノであったのなら、あとは何も成し得ぬまま消え去るのみだと判断した。

彼は周りの人々と変わるところのない人間だ。
単に『感動する心』が死んでいるだけ。

死んでいるものは蘇らない。
心の奥底に眠っているだの忘れ去っているだの、そんなモノではない。

もう無い。
どんな人間らしい生き方を得ようとしても、彼が感動を得ることは生涯ない。

それを彼は苦しいとは思わなかったし、周りの人々も彼を強い人間だと思い込んだ。
その認識には間違いはなかった。

ただ、努力はした。
このまま無意味に朽ち果てようとも、死んだ心を抱えたまま針の山を歩くが如く、人々の中で生きようと努めた。


─────そうして、女に出会った。

一日の職務を終え帰路につく時だった。
山門に向かう途中、林から物音を聞きつけた。

寺に世話になっている彼は当然の責務として様子を見に行き、血まみれの女を見つけた。
黒い外套に身を包んだ女は、居間にも消えそうなほど衰弱していた。

その時に起きた奇跡は、如何ほどのモノだったのか。
たとえ錯覚だったとしても、あり得ない事が起きた。

何十年間調子を崩さなかった心臓が、一瞬だけ止まって戻る。
停止の反動は僅かながらも鼓動を乱し、死んでいる筈のモノがみじろぐ様に震えた。

目の前で人が倒れている、故に助ける。
これほどに怪しく危険な香りを漂わせる女を、さも当然の如く、一般理論の元に彼は連れ帰り介抱した。

「迷惑だったのなら帰るがいい。忘れろというなら忘れよう」

目が覚めて声をかけても驚きの表情しか見せなかった女に言った言葉。
それを女はどう受け取ったのか、彼が知るところではない。

女は自らの素性を明かし、彼は常識外と言える女の正体をあっけなく受け止めた。
女を抱き、聖杯戦争という殺し合いに参加することも了承した。

さしもの魔女も驚いただろう。
僅かにだが回復していたその力で、断られた瞬間に魔術で心を操ろうとほくそ笑んでいたというのに。
たった一言で、自らの卑しい企みをかき消されてしまったのだから。

彼は魔女を恐れて頷いた訳でも、聖杯に関心を持った訳でもない。
女に協力したのは助けを求められたからだ。

元より殺人を悪と思わない男である。
マスターになる事に抵抗はなかった。

ただ、その過去を遠ざけようと努力していたのは事実だ。
違いがあったとすれば、この時。

今までの努力を放棄して女の手を取った理由に、彼は気付くことができなかった。

「極力、今の生活を乱さないようにしろ。手が欲しい時は言え」

それが彼の方針だった。

彼に願いはない。
彼が助けた女が聖杯とやらを欲しているだけだ。

彼が戦うとしたら、それは聖杯の為ではなく女の為。
自分が助け、協力すると約束したのだから、女に力を貸すことは当然の責務である。

彼にとって聖杯戦争は異常ではあるが、悪行ではない。
自分が定めた『用途』を否定する事こそが、彼にとっての悪なのだから。



─────sec.02 / 葛木 宗一郎

全員が頭上にいる男を見上げる。

ある者はなぜここにいるのかという疑問を。
ある者は一体何者なのかという疑問を。
ある者は何の為にここにいるのかという疑問を。

そんな各々の思考など気に留める様子もなく、その男─────葛木 宗一郎は石段をゆっくりと下り始めた。

敵意は感じられない。
殺気は感じられない。

今でこそ魔力を全く帯びぬ、一般人と変わらない宗一郎。
そもそも彼自身は一般人そのものだ。
先の戦闘では、そんな欠片を微塵も見せてはくれなかったが。

「待て、キャスターの元マスター。それ以上何も言わずに近づくならば容赦はしない」

セイバーが全員に先だって前へと一歩出る。

何も発せずに近づいてくる。
それに例え脅威など感じなくとも、制止の声をかけるのは士郎達を守る者として当然の行為。

「─────」

セイバーの声が届いたのか石段の踊り場付近で足を止める。
しかし気は緩めない。

つい今しがた山頂で起きたアーチャーとギルガメッシュによる戦闘の大爆発。
その後に感じた異様な魔力と感覚。
そしてその山頂から降りてきた宗一郎。

─────これがどれだけ異常な出来事かを理解している人間は、果たしてこの場に何人いるのか。

「そこにいるのは衛宮か? 随分と奇怪な姿になっているが」

「─────」

足を止めた宗一郎の視線の先にいる人物。
その人物の身体から見えているモノに目がいき、その名を確認する。

「まあ、私には関係のない話だったな。衛宮、一つ問う。お前たちはキャスターの居場所を知っているのか」

「知ってる、と言ったらどうするつもりなんだ」

「お前たちが今からキャスターの元へ向かうのならば、後をつけさせて貰う」

「………知らない、と言ったら?」

「それが事実であるならば一考するが、先ほどの美綴の言葉からして知らないということはないだろう」

『大聖杯』。
綾子が言った言葉を宗一郎も聞いていた。

宗一郎にはキャスターが言っていた『聖杯』と『大聖杯』の違いなど知る由もないし、知ろうとも思わない。
だが、キャスターの目的が聖杯を手に入れることだと理解している以上、『大聖杯』というものが無関係とも思わない。

「………誰も『大聖杯』と『キャスターの居場所』をイコールで結びづけてはいなかったと思うけれど?」

「どのみち、柳洞寺には手がかりはない。そしてキャスターの目的が『聖杯』である以上、そこに向かわない理由はあるか? 遠坂」

ないわね、と心の中で答える。
だが問題はそこではない。

行く理由があろうがなかろうが、凛には全く関係はない。
問題は行って何をするつもりなのか、ということだ。

「………氷室、一つだけ確認したいけど」

一方の綾子はこの状況に混乱していた。
なぜここに担任の教師がいるのか、どうして対立するような光景になっているのかが理解できない。

「つまり、葛木先生も………ってことなの?」

「そうか、美綴嬢は気を失っていて知らなかったのだったな。………その考えで間違いはない」

否、理解はできていた。
この状況下において、常識なんてものが通用するとは考えていない。

つまり、彼もまた『あちら側』に通ずる人間だということだ。
今となっては自身も『あちら側』と関わりがある人間ではあるのだが心境は複雑だった。

「葛木」

士郎が口を開く。

「アンタが一体何を目的としてそんな事を言ったのかは知らない。けど、今キャスターがどんな状況か知っているのか」

目の前にいる男はかつてキャスターのマスターだった。
だが今のキャスターは、この男が知っているキャスターではない。
そしてこの男はつい最近まで入院していたのではなかったか。

「俺が藤ねぇのお見舞いで病院に行ったとき、アンタが意識不明で病室で眠っていたのを知っている。
 アンタの容体を診た医者に訪ねたけど、令呪らしきものはどこにもなかった。
 それでもアンタはキャスターの元へ行こうとしている。マスターでなくなったアンタは一体何のために行こうっていうんだ」

士郎の問いの後、僅かな空白。
言葉を選ぶという意味の空白ではなく、自身が決めた行動を自身の内で再確認するための空白。

「お前たちの前に出ずとも、気付かれないように尾行するという選択肢もあった。それをしなかったのには理由がある。
 ─────お前たちがキャスターと戦いを行う前に、私はキャスターに問わねばならないことがあるからだ。
 だが尾行している限り、お前たちより先だってキャスターと会うことはできない。
 そしてキャスターの居場所が分からない以上、お前たちがキャスターに会う前に会うこともできない。
 となれば同伴しキャスターと出会い、戦いが始まる前にキャスターに問うしかない。これが理由だ、衛宮」

何とも分かりやすい回答が返ってきた。
確かに気付かれない様に後をつけるなんてことをしていたら問うタイミングを失いかねない。

先回りしようにも場所を知らない以上は先回りも出来ない。
だからこそ、宗一郎は目の前に現れた。

「─────何を問うのかは知らないけれど、それは私達に害あることかしら? となればここでお断りすることになるけれど」

「それを決めるのは私ではない。言える事は、今の私自身はお前たちに敵対するつもりはなく、害を与えるつもりもない。ただそれだけだ」

「………それは逆に言えば、問いの答え次第で我々と対峙する、という言葉にも受け取れますが。そういう認識でいいのですか」

バゼットが宗一郎の答えに確認を取る。
それに対する言葉はなく、つまりそれは肯定を意味していた。

「─────私には決定権はありませんので何も言えませんが。それでも言わせて貰うならば、連れて行くべきではないかと。
敵対の可能性がある以上、その可能性は潰しておきたいというのが私の意見です」

凛と士郎に確認を取るバゼット。
今の会話からしてあの者も自身と同じ『元マスター』というカテゴライズに分類されるということは認識できたが、あれが如何な危険人物かまでは分からない。

分かりやすく強大な魔力を帯びているとか、得体のしれない武器を持っているとかならばまだしも。
目の前にいる人物はまったくの手ぶらにして、魔術師らしい反応も見られない。

マスターだったというならばそれは魔術師であることには違いないはずなのに。

「そうね、敵になられるのは厄介ね。けど、葛木先生はあくまで一般人。
身体を強化されているならまだしも、今はその加護もないから油断をしなければ私のガンド一発で眠らせることもできる」

油断したら負けるからその点には注意するけどね、と一言加えておく。
つまり連れて行っても連れて行かなくとも問題はない、という回答だ。

「一般人………? 待ってください。彼はキャスターの“元マスター”だった人物なのでしょう?
 それが一般人だったとすれば、彼はどうやってキャスターを使役していたというのですか? 一般人に令呪が宿ったとも思えない」

「それは今でも謎。けど彼自身は絶対に魔術師じゃない。あなたも分かるでしょう? 今こうして対峙しているのだから」

「………魔術師らしからぬ存在だとは認識していましたが。まさか本当に魔術師ではないとは思わなかった」

そもそも宗一郎に令呪など宿ってはいないし、マスターとは言っても凛や士郎みたく魔術的な繋がりがサーヴァントとあったわけでもない。
言ってみればマスターという定義の大部分から外れているイレギュラーな存在だが、それを知る二人ではない。

「それで、士郎はどうする? 連れて行く? 連れて行かない?」

「………その前に一つ、聞きたいことがある」

頭上に立つ宗一郎には変化がない。
こちらがどのような判断をしようとも、自身が決めた事を変更するつもりはないのだろう。

「葛木。その問いたいことっていうのは何だ。………最悪、アンタ自身が殺されるかもしれない。それでもアンタは行くっていうのか」

「愚問だな、衛宮」

士郎の問いにシークタイムを挟まずに答えが返ってきた。
それが当然であり当たり前だと思っているからこそ、この答えがすぐに出てきた。

「………いや、衛宮には分からない話か。だがな、『用途』を再確認する事は何よりも重要なことだ。
 そうでなければ、それは“生きながらに死んでいるだけ”の存在。その分岐点に立っている。
得られる結果はどうであれ、ここで『いかない』という選択肢を取ること自体が私にとって『悪』であることに他ならない」

故に行く。
故に変化がない。

此方側でどのような結論を出そうとも、彼がキャスターの元へ行くという決定事項は揺るがない。
それが揺らぐ時点で彼にとって『悪』そのものであり、それを容認しないのであれば、此方が否定したところで無理にでもついて来るだろう。

「………分かった。なら、一緒に行こう」

そう結論を出した。
相手は十分な認識があり、どうあっても退くつもりはなく、そしてそれが『悪』だと認識しているのであれば、士郎が強制することはできない。

「─────感謝する」

そう一言伝えて再び階段を下りてくる。
そこにセイバーの制止の声はない。

「─────シロウ、本当によろしいのですか?」

「ああ、どうあってもついてくるみたいだし。少なくとも今は敵意がないのも事実みたいだから、大丈夫だろ。
 ………無理に否定して後ろの心配をするくらいなら一緒に行った方がいい」

「………その結果、彼と対峙することになる、という事も考えてのことですか?」

「できればそうなってほしくはないとは考えてるぞ、バゼット。─────けどそうなったらそれは、“敵対しなければそれ自体が『悪』”っていうことなんだ」

そしてそれは『殺されるかもしれない』っていう可能性があったとしても変わらないものだった。
一体目の前の男がどのような過去を持ち、どのような考えを以てこの戦いに臨んだのかはわからない。

加えて、士郎の問いに答えた言葉。
堂々として、迷いも間違いも後悔もないと、当然のように語る姿。

それを見て─────否定するということはできなかった。

「それじゃあ綾子。途切れちゃったけど、道案内お願い。ある程度のところまで教えてくれたら、こっちでも探してみるから」

「………わかった。じゃあ行こう」

本来のメンバーに一人加わって、森の中へと入っていく。

先頭を綾子と凛が行き、その後ろをバゼットが歩く。
士郎と鐘がその後に続き、セイバーが後ろにいる宗一郎を警戒しつつ後をついていく。

「綾子、本当にこっちであってるの?」

「それを言われるとあたしも不安になるんだけど。………小川が目印だって言ってたから、それさえ見つければ」

木々をかき分けて、夜の山を歩いていく。
山には獣道さえなく、ほとんど絶壁じみた岩肌を降りることさえあった。

「言われたのはこのあたりになるんだけど」

柳洞寺の裏手に出たのか、あたりは冬の枯れ木ばかりだった。
人工物なんて当然なく、そこに枯れ木とチロチロと流れる小川があった。

「ここかしら? へぇ、教えてもらっただけにしてもちゃんと案内できるのね」

「………遠坂、あたしをバカにしてるのか?」

「そんなつもりはないわよ。街中の道案内って言うわけでもあるまいし、こうして目的地までたどり着いたんだから純粋に感心してるのよ」

そうかい、と言って後ろを振り返った。
ついてきていた人物は皆はぐれることなくそこにいた。

「この付近に………。遠坂嬢、それらしき場所は見つかったのだろうか」

「まだよ。流石に一目でわかるような作りにはなってないでしょうから、探す必要はある………んだけど、これって………」

「? どうしたのだ?」

周囲を見渡す凛の表情は険しい。
それは凛だけでなく、バゼットも同じだった。

「この周辺に魔術による偽装の痕跡が多数確認できますね。あそこの岩肌、小川の奥、地面………。美綴さん、一つ尋ねますが“入口”はどこにあると聞きましたか?」

「え? いや、ここにいけば後は遠坂とかセイバーさんとかが“魔術的な偽装がある場所”を見つけてくれるからって言ってただけで、具体的な場所は………」

「─────つまり、ここにあるどれかの偽装が本物で、後は偽物ってわけね」

周囲を見渡せば見渡すだけ魔術の偽装が見受けられる。
どれが本物かは見分けがつかない。

「問題はこれが元からこれだけ偽装してあったか、って話だけど。綾子の今の話だとそれはなさそうね。となれば」

「………侵入を拒むために、誰かが意図的に偽装を増やした、ということですか」

「そういうことになるわね。ま、誰か、なんていうのは分かり切っているんだけど。じゃあなんでこんな事をする必要があったのか、ということ」

十中八九これを仕掛けたのはキャスターだろう。
だが今のキャスターはこんな小物の仕掛けをするのではなく、もっと別の方法で隠すことだってできたはずだった。

バゼットと凛の間で共通の答えが導き出される。
つまり、“そうせざるを得ない状況にある”ということ。

「─────しかしなぜ? 街を異常たらしめるだけの魔力を持っておきながら、ここに仕掛けられた魔術にそれほどの脅威を感じない。
 無論罠と分かっていて飛び込むことはしませんが、これならば地雷処理をする要領で潰していけばいずれ本物に辿り着く」

「或いはそれが目的なんじゃない? 乗り込んできてくれるのはウェルカムだけど、今は困る。つまり単なる時間稼ぎ。
 魔術で脅威となりそうな仕掛けがないのは、一つは元々あった偽装と遜色ない程度の反応にする必要があったってところかしら。
 もう一つはそれをする時間がなかった。………つまり、元々ウェルカムだったのに突然来ては困るような状況になった所為。
 そしてそれがつい今しがただったから、私達がこっちに向かってくる目の前で大規模な偽装魔術をするわけにもいかない。
 そんなことしたら、自分で発煙筒を焚くようなものだから。─────これが私の考えだけど」

「ならばここで我々を一掃してしまえばよかった。それをしなかった理由は?」

「セイバーを取り込むため………って考えたらわかりやすいかしらね。一掃すれば大ダメージは確実だし、ヘタすればマスターである私は死ぬかもしれない。
 本来ならその後で消える前のセイバーを取り込めれば御の字………だったのに、それをしなかった。
 ということは、それはしなかったのではなく─────“できなかった”と言う方が正しい」

その会話を士郎も聞いていた。
そして、凛が導き出したその答えの意味を理解する。

「遠坂、それって─────」

そこで士郎の言葉は遮られた。

パチパチパチ、と。
森の中であり得ない音………拍手する音が聞こえてきた。

この場にいる誰かが拍手をしたわけではない。
それはつまり、この場にいない筈の人物が拍手をしたということだ。

そして─────


「─────いや、頭が回るもんだな、嬢ちゃん。この状況からそこまで導くとは、恐れ入る」


その主は小川の先にいた。



─────sec.03 / クランの猛犬

その男は何を隠すわけでもなく、紅い槍を持ち、いたって平然とそこに立っていた。

「ラン………サー………」

その姿を見て、バゼットは一人固まった。

「………」

対するランサーも、バゼットを見ても何も言わない。
ランサーを見るバゼットの瞳は、ランサーと合う事はない。
かわりに─────

「よう、坊主。嬢ちゃん。これで会うのは何度目だろうな」

「─────」

その後方にいた士郎と鐘に軽く挨拶をしていた。
その更に後ろにいた人物にも目がいくが、大して興味がなかったので放っておいた。

「ランサー………!」

セイバーが凛の前に出る。
剣を構え、すぐにでも攻撃できるように戦闘態勢へと移る。

「待って、セイバー。………ランサー、いくつか尋ねるけど、答える気はあるかしら?」

「ああ、いいぜ。そっちの時間が許すっていうなら、答えられるものなら答えてやる」

軽口を叩くランサー。
武装し、戦闘態勢になっているセイバーを前にしてなお戦う構えは見せていない。

それは凛がセイバーに制止の声をかけたからだろう。
彼女がマスターの名に反して斬りかかってくることはない。

そして自身に聞きたいことがあるということを示している以上、それが聞かれるまでは戦闘は始まらない。
それが分かっていたから、セイバーを前にしても手に取った紅い槍を構えることはしなかった。

「一つ。貴方はなぜここにいるのかしら」

「言わねえと分からないか? ここにいて、かつお前たち側じゃないってことは、そういうことだろうに」

「………二つ。貴方がそこに居るということは、その後ろが入口と考えていいのかしら」

「違いねえ。この後ろこそ、お前たちが捜している入口だ」

「─────三つ。今さっきの私の考えに対する貴方の答えだけど、合っているという認識でいいかしら」

「ああ、合ってる。名推理だ」

凛の言葉に答えた後、瞳が向く先は士郎。

「そういうことだ、坊主。今なら恐らく最も安全な状態であの桜って子を助けられるかもしれねぇぞ。………逆に言えば、それを逃せば勝機はないだろうがな」

「………桜が一体どうなってるのか知ってるのか、ランサー」

「まぁな。何せうちの“マスター”が“アレ”と手を組んでるからな。情報くらい分かる。─────ありゃあ一種の『腹痛』だな」

「─────は? 腹痛?」

ランサーの言った言葉が理解できなかった。
思わず聞き返してしまう。

「ん? なんだ、腹痛を知らねえのか? ほらあれだ、食い過ぎた時に胃の消化が間に合わないで─────」

「違う、そうじゃない。腹痛の意味じゃなくて、なんで腹痛なんだ?」

「だから」

やれやれ、といった面持で士郎を見る。
そんなことも分からないのか、という顔で。

「─────あの影はな、柳洞寺でアーチャーとギルガメッシュを飲み込んだ。流石に二体同時は堪えたのか知らんがお陰で今あの影は制御不能っていうことだ。
 と言っても何も暴れ回ってるわけじゃない。どっちかっていうと痛みに耐えているって言う方が正しいか。
 取り込んだ筈の奴が腹の中で暴れ回ってるから、その痛みに耐えて何とか消化しようと躍起になってる所為で思う様に動けないって状態だ」

「─────」

言葉が、出なかった。
というより、なんといえばいいのか分からない。

分からないが、それはつまり。

「………今なら桜も、そしてあの影もまともに動けないってことね」

「そういうことだ。言わずとも知っているだろうが、あの影はやばい。真っ当な英霊なら、取り込まれた時点で終わるものだ。
 ─────だっていうのに、取り込まれてなお抵抗する輩がいるんだ。流石のキャスターも想定外だったらしい」

「なるほど。それなら時間がない、来てもらっては困る、というのにも頷ける。何でもかんでも食べる奴が、食あたりを起こすなんて考えもしなかったでしょうからね」

「が、それもいつまで保つか。数時間か、数十分か、数分か。正直あの影の腹具合なんざ知らねえからな。動くとすれば今だろうよ」

そう。
サーヴァントを取り込んでしまうあの影が動けない。

それはここにいるセイバーが、今限定であの影の脅威から取り払われているということだ。
この事実は大きい。

如何なセイバーと言えども、あの影には勝てない。
そしてそれは士郎と凛も同じ。

その影の抵抗が一時的に無いというならば、いまにおいて攻め込む他にない。

「そうか、今が絶好のチャンスっていうことはそういうことか。─────けど、ランサー。なんでそれを俺達に伝えたんだ?
 お前のマスター………言峰はキャスターと手を組んだって言っただろ」

「だって言うのに、こっちが弱っている情報をお前らに渡すのはおかしい………ってか?」

それが理解できなかった。
今の情報は明らかに士郎達が有利になる情報だった。

それをもたらしたランサーは敵対関係にある。
普通ならば自身側が不利になるような事を敵に教える理由がない。

「当然だろ。仮にお前が言ったことが事実だったとすれば、それは間違いなく好機だ。けど─────」

「そこの嬢ちゃんが証明したじゃねぇか。お前ンところの参謀が出した答えをお前が疑ってどうする、坊主」

「違う。遠坂の推理は凄いと思うし、合ってると思う。俺が聞きたいのは、“お前は一体何が目的”なんだっていうことだ」

ピタリ、と。
ランサーの動きが止まった。

「目的か? そうだな、俺の目的は─────」

同時にランサーの紅い槍が動く。
その動きに反応したセイバーがいち早く対応すべく一気に気を引き締めるが、対するランサーはただ穂先を士郎に向けただけだった。

「俺の目的は足止めだ。言峰の野郎からそう命令されてな。こうしてやってきたってわけだ」

「足止め………。けどそれなら」

「中で待ってりゃよかったんじゃないか、って? ああ、確かにそうだな嬢ちゃん。
 けどな、言峰は『足止めをしろ』とは言ったが“どこで足止めをしろ”とは言わなかった。ついでに言うと戦う前に無駄話をするな、とも言わなかった。
だから俺は純粋に“足止めに来ただけだ”。─────どうだ? 今ここの間でどれだけ時間を費やした?」

「な─────」

にやり、と笑うランサーとやられたという顔をする凛。
だが、それを差し引いても士郎達が得た情報は大きい。

「どうする? まだ話すっていうなら答えてやるが、時間がどれだけ残ってるか分からない以上は急いだ方がいいんじゃねえのか」

「そうね、お言葉通り急がせてもらうけど。─────じゃあ、貴方は邪魔をしないで道を譲ってくれるのかしら」

「ああ、邪魔をするなっていうのは無理な注文だ。………が、他の連中を中に入れないという行動を阻害するような相手なら、或いは入れるかもしれねぇが」

槍の穂先は士郎へ。
視線はセイバーへ。

「さて、どっちが来る。セイバーか、坊主か。或いは両方か。全員でかかってくるっていうなら相手になってやる」

それは既に戦闘態勢へと移行していた。
話す事は話した。後はお前たち次第だ、と言わんばかりに。

「待って─────待ってください!!」

だが、一人だけは納得も何もなかった。
バゼット・フラガ・マクレミッツ。

「ランサー………、私は─────」

「俺はな、バゼット」

今の今まで反応すら見せなかったランサーが、バゼットをしっかりと見た。
何かを言おうとしていたバゼットの言葉が中断される。

「そこの坊主と嬢ちゃんを殺そうとした」

「─────え?」

予想外の言葉が返ってきた。

ランサーの視線の先へ振り返る。
そこに居たのは士郎と鐘だった。

「その時はまだその坊主はマスターじゃなく、魔術師としても大したことがない奴だった。─────だがな、ソイツは俺から逃れた。嬢ちゃんを“守りきった”上で」

何を言っているのか、という視線。
それに気にすることもなく、ランサーは続ける。

「まあその後もいろいろあったんだが、それはどうでもいい。過程はどうであれ、坊主は嬢ちゃんを“守りきった”。だから今こうして二人がここにいる。
 ─────なあ、バゼット。“俺はどうだった?”」

「そ………れは─────」

「マスターが襲撃されて、駆けつけるも相手に反撃もままならず、令呪によって行動を封じられ、傷ついたお前を放って、いいように使役される。
 ─────これが、お前が知っている“俺”か、バゼット」

「─────違う、違う、違う!それは私に責任がある!あの時ランサーは言った、言ってくれた!注意しろと、大丈夫なのかと!
 私は彼を疑わなかった、貴方の言葉に耳を傾けずに彼と接触した私が!外面ばっかりの私が!!」

─────弱かったから。

そう言葉にして、いつの間にか震えていた自分の体を抱きしめる。
その表情は先ほどまでのものとは全く異なり、まるで泣き出す一歩手前の姿だった。

「─────そうかよ。俺はな、“アンタみたいな負け犬に覚えはない”」

そう、一言に付した。

「な─────」

絶句する。
どうしていいのかも分からず、ただ立ち尽くすバゼット。

「一つ聞く。お前は一体何のためにそちら側にいる。確固たる意志があったからこそ、坊主たちと一緒にこっちに来たんじゃねぇのかよ。わざわざ死にかけから回復してまでよ」

「意志………」

「それとも何か? とりあえず、とか、なんとなく、とかでついてきたか? なら正直言って邪魔だ、見逃してやるから帰れ」

「違─────私、は」

言い返そうと、答えようと。
何かを言おうとして、言葉が出ない。

「違うって言うなら!!俺に声をかける前にお前の意志を貫き通せ!!お前の手でお前が言った弱さを変えてみせろ!!一人だけうじうじと過去の失敗を嘆いてんじゃねぇ!!」

─────そんな、バゼットの心が、吹き飛んだ。

鬼のような形相をし、殺意をむき出しにして放った怒号。
それこそ、口答えするならばその瞬間に殺すと言わんばかりの殺気がこの空間を支配する。

「俺はお前を守れなかった。そしてお前もミスをした。ならこれは二人のミスでこの結果だ。
 ………それでも、この結果が気にいらねぇっていうのであれば、それを受け止めて先を見ろ。
 もう一度聞くぞ、バゼット・フラガ・マクレミッツ。─────お前は一体何のためにそちら側にいる」

「私、は─────」

両目が痛かった。
唇は異様に乾いていた。

けれど。

「私は言峰綺礼を倒し、ランサーを取り戻す。それが私の意志で、それが私の目的だ」

それでもはっきりと、確固たる意志を以てそう答えた。

「─────その過程で俺と戦うこととなっても、後ろにいる坊主と戦うことになってもか?」

「ええ、構いません。貴方と戦うことになれば貴方が消失しないように戦うだけですし、士郎くんと戦うことになったら意識を刈り取って勝利してみせます」

迷いなき言葉。
その言葉を聞いて、先ほどの参道での一件を思い出す。

暴風じみた風に運ばれてきた凶器を的確に拳だけで砕いていた姿。

「─────意識だけで済みそうにないんだけど………」

あれで殴られたら意識プラスいろいろな部分が持っていかれそうな気がした士郎だった。

「ハッ、いい覚悟だ。─────“それ”を忘れるな。“それ”が、始めの第一歩だ」

笑ったその姿は、先ほどの怒号とは正反対だった。

「──────ふ」

自然、笑みが零れた。

ああ、本当に。このサーヴァントはいつもこうだったと。
どんなに打ちひしがれても、躓いても彼は何でもないような言葉で私を励まし、前だけを見ていた。

そんな彼を仮に取り戻せたとして、私が変わらなかったら、きっと同じことが起きるだろう。
ならば、劇的でなくてもいいから変わらなければならない。

「わりぃな、こっちの都合で更に時間を食わせちまった」

「いいわよ、別に。今更何かを言おうとも思わないから」

「そうか? ならよかった。─────それで、誰がここに残る。残念ながら俺が何もしない、って選択肢はない。俺を足止めできるだけの奴を用意しろ、本気でやりあってもな」

そう言って、ランサーはその本性を現した。

「言っておくが、今の俺は最高に“ハイ”だ。容赦はしねえ、やりあうからには殺すつもりでいく。恨みたいなら恨んでくれて構わねぇぞ」

「私が相手になる」

ランサーへと一歩前へ出るセイバー。
事実、今のランサーと互角に戦えるのはセイバー以外にいないだろう。

「ま、そうなるわな。─────ほら、さっさと行け、お前ら。ここにいたっていい事なんざ起きねぇぞ」

「─────そうね。行きましょう、士郎。今を逃すわけにはいかないわ」

「あ、ああ。けど、氷室と美綴は─────」

綾子と鐘を見る。
彼女ら二人はここに残ってもらうのだろうか?

だが正直に言うと、それは不安しかなかった。
この場が魔術で偽装されているということは、ここら一体はいつでもキャスターの攻撃を受けるということだ。

「ああ、その二人も連れていけ。言っただろう、“ここにいたっていい事なんざ起きねぇぞ”って。
今のキャスター相手に一般人である嬢ちゃん二人が安全になれる場所なんてねぇよ。
 なら、安全かどうかも怪しい場所に放っておくより、多少危険でも目のつくところに居て貰った方が戦う側としても安心するもんだ」

「………それは、経験からの助言か? ランサー」

「さあな。下らねえこと聞いてる暇があるんだったらとっとと行け、坊主。あの影が復活したら俺もセイバーもてめぇも、誰も助からねぇぞ」

「─────礼は言わないぞ、ランサー」

「当たり前だ。俺がお前ら二人に何をしたか、忘れたわけじゃあるまい。─────ま、それでも忘れるっていうなら忘れてくれて構わねぇんだが」

「冗談。………行こう、氷室、美綴」

「あ、ああ」

後ろにいる二人を呼ぶ。
ただ成り行きを見守っていただけの二人だったが、士郎の言葉につられて後へとついていく。

「………」

ただ、鐘だけは違った。
ランサーの横を通りぬけた後、一度だけ振り返った。

だが、それも一瞬。
士郎と綾子に続くようにその向こう側へと消えて行く。

「ランサー。私が言峰綺礼を倒すまでは負けないでください」

「おいおい、それはセイバーに負けろっていうことか? それはちと酷なんじゃねえのか? 仮にも今のお前はセイバー側だろうに」

「ええ、ですから。『負けないでください』。『勝ってください』、とは言っていません」

何とも無理難題な注文を押し付けてバゼットも向こう側へと消えて行った。
そしてもう一人。

「─────スルーしてもよかったんだがよ。一応聞いておく」

「………」

「てめぇはどっちの味方だ?─────ああ、答えたくないなら答えなくていい。事情はどうであれ、あの坊主らと一緒に来たんだ。通さないつもりはない」

「─────すまない」

そう一言だけ口にして、宗一郎も消えて行く。

そうして漸く。

「これで一対一サシってワケだ」

にやり、と笑うその顔は戦いを待ちわびたランサーの顔そのものだ。
獣じみたランサーの殺気がセイバーの圏内に侵入する。

「彼女には悪いが、ここで時間を取られるわけにはいかない。………ランサー、この戦い、勝たせてもらう」

「よく言った。─────白状するとな、貴様が最後に残ってくれて嬉しいぜ、セイバー………!」

ランサーの槍が閃光となって迸る。
それに正面から立ち向かうセイバー。

再戦は、互いに必殺の一撃を以て開始された。





[29843] ep.65 / 停滞する夜 Chapter.10 / Fate
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:315a7af7
Date: 2015/02/09 06:58
Chapter.10 / Fate / 定められた運命

ep.65 / 停滞する夜

Date:02 / 11 (Mon)

─────sec.01 / 最後の覚悟

そうして、私はこの戦いに巻き込まれる要因を作った者の隣を通過した。

先ほどの話の内容は理解した。
人には人の事情がある、とはよく言ったものだろう。


─────それでも………私にとって、“アレ”は間違いなく許せない人物である


どれほどの壮絶な過程があったにしろ、私はあの男を許すことはない。
殺されかけたという事実は変わらない以上、恐らくどれだけ時間が経ったとしても忘れる日はやってこない。

………では一つ自分へ質問。


仮にあの男と出会わなかったならば、私は『彼』と出会えていただろうか?


意味の無い自問だと、そう思った。
私は魔術師ではなく、超越者でもない。
そのIFは考える事は出来たとしても、それが現実として起こる事はなく、それが現実として起きている訳でもない。

だからこれは単純に妄想だけの世界。
或いは前に一度だけ思いついた『平行世界』とやらの可能性。

ただの同じ学校の生徒同士という面識で終わっていたかもしれないし、もっと別のところで何かしらの関係が築かれたかもしれない。
逆に交わる事すらなく単調な日々を過ごしていたかもしれない。

………それは私にとって意味のない出来事。
しかし少なくとも、『今』は生まれていないだろう。

彼を知らない私、彼を忘れたままの私。
そんな『私』がどのような生き方をするかなんて、今の私には想像もできない。

もし仮にそんな『私』と話せる機会があるのならば、是非とも一度話を聞いてみたいと思う。
それくらいに想像ができなかった。


─────告白すれば。
気が付いた時にはそれほどまでに、私の中の『彼』の存在が大きくなっていた。


だから『彼』がいない『私』を、私は想像できない。
理解も出来ない。

それでも無理矢理に想像するならば、シチュエーション上では出会っていないものだったとしても。
それは想像する私の気持ちを沈ませるものでしかないだろう。

もう一度言うがあの男は私を、彼を、殺そうとした人物だ。
そんな男を許すつもりはないし、忘れるつもりもない。


─────そう考えている一方で、あの男を『憎んでいない』私がいる。


殺されるという恐怖よりも。
彼と会わなかった未来を想像した時の恐怖が勝った、ということなのだろう。

出会わなければ出会えなかった人がいた。
出会わなければ思い出すことのない思い出があった。

出会わなければ──────────。

「氷室」

目の前に、手を差し伸べる彼がいた。

小川の奥にあった洞窟の中。
そこは行き止まりだった。

それが魔術による偽装との事だが、私には判断できない。
私一人ではこれを見て引き返す。

けれど。
私は差し伸べられた手を取った。

「ここから先は急傾斜だ。気を付けて行こう」

私の手を握った彼が壁の中へと入っていく。

手を引かれている以上は、私の目の前にも壁は迫ってくる。
けれどぶつかる事もなく、その先の光景を見た。

大きな暗闇。
そこは人工的な細工がなされていない天然の洞窟だった。

勿論道の整備なんてあるはずもなく、それどころか道らしい道もなかった。
彼が言った通り、急な傾斜が奈落の底まで続いている洞窟。

例によって光はほとんどなく、私では足元の安全確認すら危うい。

それは美綴嬢も同じだったのだろう。
美綴嬢の姿はそこには無く、先を行く遠坂嬢と同伴しているらしい。

水に濡れた地面を手探りで進んでいく。
地面は急激な角度で下へ下へと傾いていた。

狭く、息苦しい闇の圧迫。
前を行く彼の背にくっついて下って行かなければ、すぐさまこの無限の闇へ転がり落ちていきそうだった。

「大丈夫か?」

「君のおかげで」

恐らく彼には前を行く遠坂嬢らが見えているのだろう。
行動に迷いらしきものはなく、確実な足場でこの斜面を下りて行く。

「氷室、こっから先は更に急傾斜だ。服とか汚れちゃうけど………」

「服の汚れは問題ない。どちらかと言うといつまでこの状況が続くか、分かるだろうか」

「それは─────俺もちょっと分からないな」

暗闇の中、坂の傾斜に寝そべってゆっくりと降下していく。
先はどれほど暗く、地下に続いているかは判らない。

淡々と奈落へ降りていく。

「衛宮、一ついいだろうか」

「ん? なんだ、氷室」

「私達は今この急な斜面を下りている。とあればだ。ここから出る時はここを上っていく事になる、ということだろうか」

「─────出口専用なんて道があるとは思えないから、ここを上っていく必要があると思う。何か、気になることがあるのか?」

「………いや、気にしないでくれ」

彼の補助を受けながら下って行く。
後ろを振り返れば、危なげなくあの二人も下りてきていた。

だがその先。
自分が降りてきた場所を見るが、もう入口なんていうものは見えなかった。

(黄泉に通じる道………か)

この先に目的の人物がいて、最後の敵がいる。
──────────この場所こそ、終わりの地。

生きるか、死ぬか。
イチか、ゼロか。

目の前を歩く人物の背中を見る。
否応なしにその体にある異物が目に入ってくる。

「─────」

─────今は動いている。

「──────────」

─────今は正常である。

「───────────────」

視界がブレた。
脳裏に、『見えてはいけないモノ』が過った。

「────────────────────────────────────────っ」

それは。
つい数時間前に夢で見たモノと同じだった。

虚ろな目。
体の中から切り裂かれている『──』の姿。

悪夢の一片。望まない結果。強制的な運命。
考えられる中で、負の方向における最大級の可能性。

「氷室?」

その声に現実へ引き戻された。
歩いていた私の足は止まっていて、後ろにいた筈の二人がすぐ傍まで来ていた。

「どうした? 何かあったか?」

「………いや。少し考え事を」

止めていた足を動かす。
つられて止まっていた二人は、順序を入れ替えて私の前に。
彼はすぐ隣でペースを合わせて歩いてくれた。

急傾斜だった道は、いつの間にか緩やかになっていた。
少しだけ歩いて、それが螺旋状に穿たれた通路であると認識できた。

(………ここまで来て、『終わる事への恐怖』を抱いているのか)

これで終わる、それは変わらない。
少なくとも私自身はそれを望んでいた。
早く終わって、日常に戻れたらと。

なのに、今になってそれが恐ろしく感じる。

きっとこの先に待ち受けているのは、普通ではないことばかりだろう。
なら、それはきっとどう頑張っても無傷で終われるような事ではないだろう。

………なら。
今、私の隣にいる人はこれ以上悪化することはないのだろうか。

「………ふ」

そこまで思考して、小さく笑った。
結局私はまた“ここ”に戻ってきた、と。

不安で押し潰されそうになって、必死に出来る事がないかを探して。
どれだけ探しても見つからなくて、彼に“安心”を貰う。


─────ああ、弱いな。私は


この戦いに巻き込まれる前の自分が嘘に思えるくらいに弱い。

果たしてどこで変わってしまったのか。
この戦いに巻き込まれてからか、それとも彼を意識し始めた時からか。

それとも………元々、私は弱かったのだろうか。

「氷室………、何かあるなら遠慮なんていらない、言ってくれないか?」

私の顔を覗き込む。ぼんやりと、私の顔を見る彼の顔を眺めた。
その心遣いが、ただただ嬉しい。

「─────………」

視界がぼやけて、目が少しだけ熱くなった。
そうなった原因を手で拭う。

「………私は、怖いんだ。これから起きてしまいそうな事を考えると、とても怖くなる」

気が付けば。
不安を吐き出していた。

「これから行く先には間違いなく“終わり”がある。どんな“終わり”があるかはわからないにしろ、それは確実に“終わり”だろう」

………何を言っているんだ、私は。
ここまで話しておいて、自分の愚かさを呪いたくなった。

「衛宮は最後まで無事でいれるのか、ここから無事全員で出ることができるのか………と。
 笑ってくれ、衛宮。今の私はここまで来て怖気づいている。君を信じると、君の無事を祈っていると言った傍から、不安に圧されている。
 何度も、何度も………君の言葉で『安心』をもらったのに、弱い私が私自身を不安にしている。………物分かりの悪い子供のように」

勝手に不安になって勝手にその不安を口にした私が愚かだから。
笑ってくれたら、私としても楽でよかった。

不安を口にするということは不安を煽ることになる。

私は戦えるわけでも、援護ができるわけでもない。
一度戦いが始まってしまうと無用の長物になるどころか、ヘタをすると彼の命を削る道具に成り果てる。

そんな私が、『戦う者』に不安を煽っている。
そう考えるだけで、自分の顔を殴りつけたくなった。

「─────物分かりが悪い、か。氷室がもし本当にそうなら、きっと俺はそれ以上の大馬鹿者だと思うぞ」

けれど、彼は笑いの一つも見せなかった。
私の考えを見越して笑わなかったとかではなく。

彼の顔を見ればそれは分かった。
あの顔は本当に本心でそう言っている。

「………その心は?」

私の問いに、答えがない。
ただ私の顔を見ていた彼は、ぼんやりと前を、遠くを見た。

「多分、一言じゃ言い表せない。けど、氷室が言ったそれが『物分かりの悪い子供』って表現をするなら─────きっと俺は大馬鹿者なんだろうな、って思ったんだ」

………何を思い返していたのか。
何を以てその結論に至ったのか。

─────なぜ、今の君はそんなおだやかな顔をしているのか。

「氷室はもう知ってるだろ?………『俺がおかしい』って事は」

『おかしい』。
それが意味するものを、私は知っている。

『意識を張りつめなければ、その間の記憶が保てない』

じっと、彼の顔を見る。
私よりも背が高い、彼の顔を。

「正直に言うと氷室と別れてここに来るまでの間の記憶がない。走っていた筈なのに、その感覚もなかった。
………きっと胸を貫かれる程の痛みか、同じくらいの集中がないと保てない。そんな集中を常時してなくちゃいけない」

表情には出さないけれど、胸が潰れそうになった。
その事実は理解していた。

その事実を知っているから私は、どれだけ安心する言葉を貰っても不安になってしまう。
ずっと心の奥底で、さっきみたいな夢を見てしまう。

どれだけ大丈夫だと言われても、それを信じきることができない、弱い私。

きっと、本当に君を信じているなら。
こんな不安になることも無いはずなのに。

「けど、いろいろ約束をして誓ったことを、氷室を見ると思い出す。………それに気付いて、ただ呆れてた。
不安を払拭する為に安心を何度も得るっていうのを『物分かりの悪い子供』って言うなら、俺は『近くにいてくれないと覚える事も思い出す事すらままならない』大馬鹿者だった」

彼の顔が前を向く。
真っ暗闇だった筈の視界の先に光源を見た。

「俺だって不安はある。どうやってここまで来たのかが分からなかったとき、正直顔が引き攣った。でも帰るところがある。待ってくれている人がいる。無事を祈ってくれる人がいる。
 それを思い出せるなら………不安を乗り越えて、その先に踏み込める」

私の目線はずっと変わらない。
ずっと隣を歩く彼だけを見ている。

「氷室はさ、きっと無理をしてるんだ。頭の中の覚悟と心の覚悟って、必ずしも一致しない。けどそれは氷室が悪いんじゃない。
 ─────俺が、『頭の中でする覚悟』しか氷室にあげられなかったから。それしかできなかったから。………氷室が悪いんじゃない。それだけは絶対だ」

私の手を握るその手が、ほんの少しだけ強くなっていた。
それに込められた意味を、理解した。

「………悪い。『今』の俺じゃ、これ以上何もできない。もっと何か気の利くこととか言えれば、また違ったかもしれないのに。─────こんなんじゃ、氷室を………」

彼が何かを言う前に、私は行動した。
私の左手を握っていた手を解いて。

「─────ひ、む」

彼を後ろから抱きしめた。

触れる程度の回した腕に、少しだけ力を入れる。
それはつまり、私の腕に刃がより強く触れてくるということ。

彼は言った。
『頭の中の覚悟』と『心の覚悟』は必ずしも一致しない、と。

「ダメだ、離れ─────」

けどそれは。

「………本当に?」

………彼は、私の腕を解こうとはしなかった。

時間にすれば十秒も満たない時間。
名残惜しくも腕を解いた私は、もう一度彼の右手を握った。

「私のわがままに付き合ってくれて、ありがとう。衛宮」

「………いや。ごめん。多分、わがまま言ったのは俺だった。ありがとう、氷室」

「なら、お互い様という事かな」

ここに至るまで何度も不安を抱き、何度も弱さを見せて、何度も安心を貰い、何度も覚悟を決めた。
それを、たった一度で済ませられない弱き者と。
笑わば笑え。

けれどこれが最後。
これ以降は、抱くことも見せることも決めることもない。

二人の約束。
それと今の今までただの願望として、私の中にあり続けたモノ。


─────“ずっと一緒に居たい”のではなく─────


言葉にはしない。
何もできない私が、ずっと無意識のうちに願望で留めていたモノを、はっきりとした意志で心に刻む『誓い』。


─────“ずっと一緒に居てみせる”─────


私たちが望む最上の“終わり”を手に入れるため、そして“続き”を手に入れるため。
不安を乗り越えて、今は前へ進んでいこう。



─────sec.02 / 約束の履行

暗く、長い洞窟。
急傾斜から始まり、一人一人しか進めなかった路は気が付けば穏やかな傾斜となり通路となって奥に続いている。

明かりは必要ない。
光苔の一種なのか、洞窟はぼんやりとした緑色に照らされている。

その光のおかげで何の力も持たない鐘と綾子も改めて自分たちがどのような場所にいるのかが理解できた。

だが二人とも安心した表情は見せない。
それはここから先が死地であるという事を理解しているのもあるが、如何せんここは“生々しすぎた”。

通路には活気が満ち溢れ、生を謳歌しようとする誕生の空気。
それは夥しいまでの“生気オド”であり、視覚化できるほど垂れ流される魔力マナである。

鐘と綾子はこの異常な違和感こそ感じれど、それの正体が何であるか最後まで知ることはなく、知ったところで彼女らにどうにかする術はない。
つい今しがたまで下りてきた洞窟とはまるで一線を画したような違和感。

つまりここから先が死地、ではなく。
この光苔が照らす場所に入った時点で、この場所は既に死地である。

「─────つまりここからが」

洞窟の奥を睨む。
周囲に気を配る必要などなかった。

その相手は既に。

「ええ、私の本格的な領域テリトリーということ」

ここに現れた者全てを薙ぎ払わんと待ち構えていたからだ。

「キャスター………!」

凛の隣に立つ士郎とバゼット。
その姿を睨む凛は、やはり少し溜息をつく。

「まだアンタは偽物なのね。いい加減自分が出てこようとは思わないわけ?」

「そんなに私と会いたいならこの先に進めばいいじゃない。─────それができるならの話ですけど」

「我々の足を止めるだけで戦況は傾く。ならば自分が出て倒される可能性を曝すのではなく、あくまで確実に時間を稼いでいく、と」

しかもここは通路だ。
横幅は決して広くはなく、それはつまり避けようがない事を意味する。

「貴女が誰で何をしに来たのかなんて興味はないけれど」

バゼットを一瞥したキャスターは、その後ろにいる人物に目をやった。
自分の元マスター。

「………なぜ貴方がここにいるのです? よもや、私の邪魔をしに来たと?」

その問いかけは間違いなく宗一郎に向けられていた。
僅かに怒気を孕んだその問いかけに、しかし宗一郎は全く動じずに一歩前に出る。

「そのつもりはない。お前が何を企もうと私には関わりの無いこと、そう伝えた筈だが」

その態度はいつも通りの宗一郎だ。
鐘と綾子の前で教壇に立ち、凛と柳洞寺にて戦い、かつてマスターとしてキャスターの隣にいた時の様子と一切変わらない。

「キャスター、一つ問う。この聖杯戦争を始める際に私に言った事を覚えているか? ─────その時に言ったお前の望みは、今でも変わらないか」

一切変わらない様子で、宗一郎はキャスターに尋ねた。
その問いにどんな意味があるのか、士郎や凛では推測できない。
キャスターすら、その質問にどんな意味が込められているのかを看破することはできなかったのだから。

「ええ、変わってません。─────それが何か?」

答える言葉は最小限。

目的は聖杯を手に入れる事。
聖杯自体は既に手中に収めたようなものだが、それを狙う輩がいる以上、それは『手に入れた』という言葉の前に『一時的に』という言葉が随伴する。

「そうか。ならばいい」

宗一郎は静かな、以前と全く変わらぬ声でキャスターへと近づいていく。
一体何をするつもりかがこの場にいる全員、理解ができなかった。

近づいてくる宗一郎を見て最初は奇襲でもするのかと警戒したキャスターだったが、それに反して宗一郎に殺気が宿っていなかった。
そしてキャスターまで残り三歩と迫った場所で。


─────くるり、と。今まで背中を見せていた士郎達と向き合った。


「………ちょっと。どういうつもりかしら?」

その光景を目の当たりにした凛が目の前で対峙する形となった宗一郎へ尋ねる。
否、尋ねなくとも理解はこの行動で出来た。

「言った筈だ、返答次第ではお前たちの敵となる、と」

「今の答えのどこに敵対する理由があったのかが知りたいわね」

「分かりにくい理由などなかった筈だが。キャスターが聖杯を求めている。キャスターに協力すると約束していた。
………目的が既に達成されていたのであれば特に何をするつもりもなかったが、キャスターが目的の為に戦うのであれば、協力すると言った私もただ戦うだけだ」

淡々と。
この場の誰もが彼の行動に驚いているというのに、当の本人だけは終始変化がなかった。

「………冗談でしょ?」

そう呟いたのは綾子だ。
ここにいる中で一番衝撃が大きいのは間違いなく彼女。

凛と士郎は敵対しているし、鐘はこの男がキャスターのマスターとして自分に何をしたかを理解している。
だが綾子は何も知らない。

「冗談と思うのであれば好きにするがいい。邪魔をしないのであればこちらも何もしない」

いつも通り教壇に立つ姿が、いきなり敵対、しかも命のやり取りに発展する。
そんな耐性なんて持ち合わせていない。

「綾子。酷かもしれないけれど、気持ちを切り替えなさい。アイツは元から私と士郎の敵だったんだから。
………キャスターがあんなだから、もうとっくにリタイアしたものだと思って言わなかったけど。これならあの学校の後で伝えておくべきだったわね」

彼がどういう経緯で同伴するに至ったか。
綾子は凛にこの道中に尋ねていた。

そこで告げられた内容はにわかには信じがたいモノだった。
だがそのお陰で彼は同伴こそしているが決して味方というわけではなく、普通じゃないという事も知った。

しかしである。

この短い間で、無関係と思っていた者が実はこの戦いに深く関わっていて。
それがかつて敵対した存在であって。そして今目の前で敵対するという行動をとって。

ここまで急激な変化を目の当たりにしたら、先ほどの彼女の言葉にも頷ける。
そんな急激な変化に即対応できるほどの覚悟は彼女と言えどもできなかったのである。

「………ッ!!」

どこか苛立ちを含んだように地面を踏みつけた。

特別な間柄というわけではなく、何か思い入れがあるというわけでもない。
それでも自分のクラスの担任教師である以上、知らない人間が殺された事をテレビニュースで知る様な無関心さではいられない。

あの学校の屋上での出来事だ。
今自分が置かれている状況と、目の前にいる人物は関係がない、と。

─────そう思っていたからこそ呼び出しに応じたというのに。

結果は敵だった。
今でこそ傷は完璧に治療されているが、普通ならばその傷跡が残りかねないほどの大きな傷をその身に受けた。

裏切られた、と思うのは勝手な考えである。
それは綾子自身理解している。
事実あの呼び出した男も目の前の男も、一度たりとも『この聖杯戦争と関わっていない』と公言などしたわけではないのだから。

理解した、理解した、理解した。
理解していたからこそ。
この言いようのない感情をどうにかしたかった。

何に対してもドライで無関心でいられたならば、或いはこうもならなかったのかもしれない。

視線を無意識にずらしたその先。
そこにいた赤い髪の少年。

視線が合う。
言葉こそなかったが、その瞳は強かった。

「………葛木。アンタはマスターじゃない。魔術師でもない。ならアンタにはまだ道がある。─────それでも、その道を行くのか?」

例えば学校。
鮮血神殿が形成される直前、鐘はこの男に用事を言い渡された。

それが如何な目的だったのか。
それを知るのは士郎と鐘の二人だけ。

例えば崩れる前の柳洞寺。
そこで凛はこの男と本気で戦った。

「無論だ。もとより─────これは私が始めた事だ。それを、途中で止める事などできない」

結局、彼はただ愚直に“約束を履行すべく”。
求められたように戦っていたのだ。

「………そうか」

それ自体の目的が完了していたならば、目の前の男は言葉通り何もしなかったのだろう。

だが、それ自体の目的がまだ完了していないのであれば。
その約束を全うしない自身は『悪』と、そう考えているのであれば。

「なら、アンタは敵だ。俺だって退けない理由がある、約束がある。─────容赦はしないぞ」

だからこそ、この場で明確に士郎は言葉にした。

この男は自分と同じ場所に立つ人間。
カタチや思想、相手や場所は違うけれど。

─────決して退く事はない、と。
それを理解した。

無言で構えを取る宗一郎。
それこそが士郎の言葉に対する返答だった。

「……………」

その光景。
もはや引き返す事は出来ない場所まで来た。

何が本当に正しいのか、それは誰にも分からない。
『本当の正しさ』なんてものは、敵対した宗一郎も目の前にいる士郎もわからない。

だが二人は自分が信じる『正しさ』を以て、今こうして対峙をしている。
覚悟を決めて、受け入れた上でここに立っている。


(─────じゃあ、あたしは何を誓ってここまで来たんだ?)


脳裏に白い少女の姿が浮かぶ。
アインツベルン城で聞いた、唯一助けられる魔法の様な、信じがたい方法。

瞳を閉じて、もう一度自身の内に溜まった空気を吐き出すかの如く、しかし他の誰にも気取られないように深く息をする。

「─────………」

一瞬自分を抱えて保健室まで運んでくれた、目の前の少年の顔が見えた。
彼が本気で苦悩し、雨に打たれて帰ってきた時の姿を思い出した。

脳裏に焼き付いていたその映像が見えてくる。

考える必要なんてなかった。
覚悟だってしていたし、やるべきことも理解していた。

「氷室」

自分が信じたもの、自分が成したいと思ったもの。
そんなものはここに来る前から既に決まっていた。

「何かな、美綴嬢」

ただ、この最終局面においてその覚悟が足りなかっただけだ。

「お互い生き残るよ。その先にある『やるべきこと』の為にも。………その時になったら氷室にもちゃんと教える」

「教える?」

「そう。─────『衛宮を助ける』、そのやるべきことを」

今この場で言わないのは単純にその話をしていられるだけの余裕はないから。
だがそれとは別で自分自身へ『生きる』ということの誓約でもある。

「─────美綴嬢。その約束は、必ず守って貰う」

「ああ、絶対に果たしてやる」

間近で爆発が起きれば怯みもするし、怪我をしたならばその激痛で動けなくなるだろう。

それでも歯を食いしばって生き残る。
その先にある未来を掴むために。



─────sec.03 / 最後の円舞


敵対する形となった宗一郎の後ろで勝ち誇った笑みを浮かべたキャスター。
魔術師としてキャスターはこの場にいる誰よりも上。

「─────この状況。さて、貴方たちはどうするのかしら? 帰るというのであれば何もしないわよ?」

そもそもキャスターには目の前にいる敵の行動が理解できなかった。

サーヴァントである自分を倒すことができるのは同じサーヴァントのみ。
切り札であるセイバーは不在のままのこのことここまでやってきた。

ならば目の前の者達はただの自殺志願者と同─────

「………いえ。残念ながら、そこの坊やだけは例外。─────あなたは今ここで消えてなさい」

その言葉を鐘と綾子が理解するよりも早く、ソレは展開されていた。

「─────!」

その光景。
一秒に満たぬ間に放たれた魔弾。

一瞬の距離を詰めてくる魔弾を防ぐべく盾を敷こうとして。

「は?」

庇う様に自身の前に出た凛の背中に、呆気取られた。
その右手には見た事がない剣●●●●●●●が。

「なん─────」

士郎が言葉を言うよりも早く。

「Es laBt frei. Werkzug─────!」

凛はその剣を虚空へ勢いよく振り払った。
直後。

カッ!!!!と、凄まじい閃光が迸った。

全力で振りぬいた腕に手心なんて全くなく。
光苔のおかげで少しは見通せる程度の明るさがあったとはいえ、それは味方である士郎の目を瞑らせるには十分すぎた光源だった。

凛が放ったであろう攻撃の余波が通路に響き、嫌な音を軋みあげる。

そうして数秒後。
戦闘において数秒も停止したままというのは、すなわち死に直結する様な行為だが士郎は息絶えてなどいなかった。

「なんだ………それ」

目の前にいた筈のキャスターと宗一郎はそこから消えていた。
代わりに目に入ってきたのは凛が持っている不可思議な『剣』だった。

「ああ、これ?………『アーチャーとイリヤの贈り物』、ってとりあえず言っておくことにするわ」

無色の刀身。
見た目はお世辞にも強そうには見えず、現に今彼女が持つその『剣』に魔力は微塵も感じられない。

「と、遠坂? アンタ、そんな凄い武器持ってたってわけ?」

目の前の光景を目の当たりにした綾子が尋ねてくる。
奥へ奥へと続いていた筈の通路が、もはや通路とは呼べないほどの広さへと変わっていた。
攻撃によって発生したのであろう岩石がそこいらに点在し、その破壊力を分かりやすく物語っている。

「『魔力が満ちるこの場所』だからこそ、惜しみなく使える。逆に街中とかじゃここまで大気に濃い魔力は満ちていないから、残念ながら今みたいな威力は望めないわね」

「………とりあえず出し惜しみじゃないってことだけは分かったけど。そんなの持ってるならせめて一言欲しかったと思うんだが、遠坂」

少しだけ非難の色を含んだ目線で凛を見る綾子。
明るくない場所でいきなり目の前であれだけの閃光を見せられては、視界が回復するには少し時間がかかる。

「あらごめんなさい。けどどこで相手が聞き耳を立てているか分からなかったから言わなかったの」

薄らと笑う凛。
まるで心配はいらないと告げるその表情。

「こういうことだから、セイバーがいないからって一方的にやられるって事はないつもりよ。─────どれだけこの空間に魔力が満ちていようとこの剣は『その魔力を吸い上げて攻撃を放つ』。
キャスターがこの空間の魔力を使う前にこっちが使ってやれば、ここがキャスターにとっての『城』だったとしても問題はない」

自身が持つ剣を細目で見るバゼットに告げる。
今しがた目の前で見た光景は、彼女の今までの経験を以てしても十分に驚くべき内容だった。

「………むしろ大気中の魔力の濃度が濃ければ濃いほどにその剣が使用できる魔力量が増える、ということですか。なるほど、ならばその武器はこの空間において最も有力な武器となる。
 ですが、大気中の魔力とて有限です。この空間に満ちていた魔力は極度にまで薄まっている。─────その剣が何度も戦闘で振るう事が可能とは思えないのですが」

バゼットの指摘は至極当然だ。
今ほどの破壊力を持った剣は戦力として想定以上のもの。

だがその性質が『大気中の魔力』に依存するのであれば、いずれその剣は使えなくなる。
たった一振りでこの空間にあった魔力は他と遜色ないほどまでに薄まっている。

無論奥から漏れ出てくる魔力がある以上は、通常の場所と比べれば満ちるのは早いだろう。
しかしそれを差し引いたとしても消費量の方が圧倒的に多い。

「そう? それが貴女の見解だっていうなら、そういう事にしておきましょう。ただ私はこの先何度もこの剣を振るうつもりでいるということは覚えておいてね」

まだ何かあるのか。
そう思わせる口ぶりで話す凛。
恐らくこれも見えない相手に配慮しての行動なのだろう。

「だから、士郎」

剣を振ったその時から今の今まで目を合わせなかった凛が、はっきりと言う。
その表情は綾子に見せた『安心させるような表情』でもなければ、バゼットに見せた『含みのある笑顔』でもない。

「アンタは出来る限り投影を控えなさい。………いい? これはお願いじゃない、命令。投影は『本当に必要』な相手に『本当に必要な時』にだけ使いなさい」

何かを言おうと思った。
何かを言わなくてはと思った。

だが、その思考は彼女の顔を見て消え失せた。

言わなければわからないのか?
言わせなければならないのか?

「………わかった。遠坂の言う通り、使うタイミングは見計らう。けど、使う時は使う。………使い損ねて後悔なんてしたくないからな」

「当然でしょ。取り返しのつかない事を誘発したらぶっとばすわよ、アンタ」

「けれど使うことで取り返しがつかなくなることも許さない、と。─────薄々感じてはいましたが、割とむちゃくちゃですね」

「褒め言葉として受け取っておくわ」

三人は改めて先を見る。
キャスターと宗一郎がいなくなった場所よりさらに奥。

そこにあの二人はいた。

「………驚いた。そんな隠し玉があっただなんて。なるほど、それが少しは強気に出てこれる理由かしら」

その言葉に対し、凛は一歩前へと出る。
剣の様に見えてその実飛び道具のソレを持ちながら。

「へえ、漸く本物が登場? さっきの不意打ちで人形は確実に消し飛ばした。隣にいた葛木先生がいなかったからまさかとは思ったけど」

凛の言葉に耳を貸さず、戦力の分析を行う。

もとよりどれだけ精巧に作ろうと人形がサーヴァントと同質同等の力を得られるわけはない。
そう言った意味では作り出された人形は劣化コピーとも言える。

だがそんな劣化コピーでも空を飛び、相手の攻撃が極端に制限された状況下なら問題はない。
その時こそ人形は本物とほぼ同等の力を得られる。
事実キャスターの人形はどちらも制空権を握っていた状況下だ。

逆に対等な立場で戦ったらどうなるか。
それは教会でアーチャーと偽物のランサーが戦ったことが証明している。

先ほどは不意打ちから宗一郎を逃がす為に人形は犠牲になったが、本物であるキャスターならば防御をすれば凛の攻撃は防ぐことができる。
そして凛の攻撃力を上回る攻撃を放てれば彼女に負ける事はない。

遠坂凛は面倒だが厄介な敵ではない。

だが片手間に対応できる相手ではない。
そう、あの赤い髪の少年は。

凛はそこを見抜いた。
なにせ目の前で偽物のキャスターが消し飛ばされたのだ。
先ほどキャスターが士郎を優先して殺そうとした理由を、凛は理解している。

この場において、届く刃は衛宮士郎ただ一人。

「綾子、氷室さん」

視線は逸らさずに、自分の背後にいる二人に声をかける。

これから始まる戦闘。
極限にまで張りつめられた場の空気。

その中で。

「そのバカを頼むわよ。ソイツにプレッシャーを与えまくっておいて」

ここから先は魔術師として最大の試練場。
相手は恐らく現段階において最強の魔術師………否、魔法使い。

「バゼット、葛木先生をお願い。流石にそっちまで気を配れないから」

凛だけでは太刀打ちできない相手だが、一人じゃないならば勝算はある。
故に凛に求められるのはいかにキャスターの攻撃を受けずに意識を集めれるか。

「了解しました。─────けれど、一つだけ。相手が『切り札』を放とうとしたら、その時だけ私と戦う相手を替わってください」

「? なんでまた」

「おかしいと思うならばその見解で大丈夫です。どうです? 私を信じますか?」

含みある表情を見せるバゼット。
それは先ほど凛がバゼットに見せたそれと同じだ。

「この場所まで来て信じないなんて無いでしょう。─────ええ、お互いやれることを最大限やりつくす」

「ならばこれ以上の言葉は不要ですね。─────共に勝利を」

ダン! と勢いよく地面を蹴る。

身体の強化は完了済み。
凛はキャスターへ、バゼットは宗一郎へと攻撃を仕掛ける。

その光景をキャスターは見る。
こちらへ近づいてくる敵は二人。

魔力が満ちるこの空間、通常ならば周囲の魔力で空間を固定し動きを止めればいい。
だが。

「そんな真似!」

凛が持つ剣が光を帯びた。
それを見たキャスターだからこそ分かる魔力の流れ。

「Es laBt frei. Eilesalve─────!」

振り抜いたその刃から発した眩い黄金の光が、キャスターへと襲い掛かる。
擬似エクスカリバーとも言えるその光。

「貴女如きに遅れをとる私と思って?」

キャスターはそれでも迎え撃つ。
あれは宝具ではなく、あくまで一人の魔術師が放つ魔術攻撃。

威力は先ほど確認している。
凛が放出する魔力量よりも上を行く出力を行えば問題はない。

大魔力の盾ともいえる術式が発動し、キャスターと宗一郎がいる場所だけが無傷となる。

「キャスター、近づいてくる敵は私が相手をしよう。………元より、私に出来る事などそれしかない」

側面へ視線をやれば、その先にいるのはバゼット。
その体の周囲を浮くように黒い球体が回っている。

「ええ、では」

標的は凛。
だがその背後を忘れてはいけない。

「浅はかね。貴女とあの坊や、どれだけ距離があろうと私には関係がない」

キャスターの周囲に紫色の陣が現れる。
その認識の一秒後には。

「消えなさい、小娘」

黒い光の矢が降り注いだ。
魔女の鉄槌はスコールとなって凛と、その後方にいる士郎へと殺到する。

「─────!!」

間違いなく即死級の魔術攻撃。
殺到するそれにぶつけるように、凛はその剣を振り抜く。

キャスターが光の矢だというならば、凛のそれは光の線。
複数の矢を纏めて光の線が衝突する。

だが悲しきかな。
凛の攻撃ではキャスターの攻撃を受けきれない。

事実衝突した光の矢はその進行を止めず、三秒先に凛へ被弾する。

「─────!?」

しかし息を呑んだのはキャスターだった。

確実に潰せると踏んだ上での魔術攻撃。
それらを飲み込んで光の線がキャスターへと襲い掛かってきた。

瞬時に空間を転移する。
光の線の範囲外へ退避し何とかその攻撃をやり過ごしたが。

「なるほど………」

ぎり、と歯を食いしばる。

見立ては間違えていない。
キャスターが放った光の矢は間違いなく凛の攻撃力を上回る。

対して相手が行った行動。
一回の攻撃がダメなら複数回攻撃すればいい、というシンプルなものだ。

「けどこれだけの威力を複数回。………何かデメリットがあると見ていいかしらね」

「さあ? こっちとしては魔術師のサーヴァント相手に魔術戦をしようだなんて無謀な事をしているんですもの。………多少の不利益、気にしてられるかっての!!」

轟!!! と、振り抜いた先から光の線が降り注ぐ。
キャスターの視界はその『一振り目』の光しか見えない。

「攻撃兼目くらましで第二第三を直後に振り抜く。結果として加算された攻撃が初撃以上の威力を帯びる。─────単純ね」

攻撃を重ねてくるのであれば、こちらもそれを想定した上で攻撃を放てばいい。
魔力放出量では圧倒的にこちらが有利で、だからこそ相手は無制限を最大限活用して放出量を補っている。

「『無制限』だからこそできる力技。こちらの『無尽蔵』に対抗するにはそれしかない、ということでしょうけど。………ならその無制限、本当に『無制限』なのか試してみましょうか」

錫杖が鐘を鳴らす。
キャスターにとて放出量の限界はある。

果たして目の前の人間が、それに対抗できるだけの『無制限』は作り出せるのか。

「と、思わせるのが貴女の目的でしょう?」

直後、キャスターが空間から消えた。

「─────チッ!!」

一瞬にして標的を見失った凛は即座に士郎へと目を向ける。
今先ほどの物言いからして、士郎を狙っていると踏んだからだ。

だがその視線の先にキャスターはいない。

「分からないかしら。─────貴女は今この場において、最も揺さぶりに弱い人間だっていうことを」

「──────────!!!」

背後。
僅か数メートル後方に魔女はいた。

「囮役がフェイクに引っかかるなんて、無様ね」

キャスターの攻撃に呪文など必要ない。
照準を合わせる時間さえあれば完了する。

ドンッ!!! と一発の銃声音に似た音が響く。
だが目の前にある光景は暴風雨なんて言葉では済まされない魔弾。

なんてことはない。
あまりの連続攻撃に音が一つのように聞こえただけの話だった。

その光景。
魔術師である凛だからこそ一目で分かる、二秒先の自分の死。

腕を振り抜く速度も間に合わず、間に合ったとしても一振りでは迎撃できない。

「く─────この………!!」

凛の腕は動く。
一振り目の黄金の光が対の光となる魔弾群へ。

だが放出量が違う。
凛の攻撃を複数回重ねて漸くキャスターの一撃と対等なのだ。

光の線は瞬く間に押し負け爆発する。
衝撃波と突風のその奥より飛来する魔弾群。

直撃コースのそれを。

「私のミスをカバーしてくれるのは、アイツだって分かってるでしょ!! 私のバカ!」

突如現れた花弁が凛への直撃を見事に防いでいた。
その一瞬の光景に、何よりも自分への苛立ちが先に立ったが故に、もはや呪文と言うにはあまりにも大声で。

「Ersts Zweite RandVerschwinden──────────!!!」

しかしそれに呼応したかの如く、二振り目の閃光がキャスターへと襲い掛かった。
一振り目を受けた後とはいえ、二振り目で押し負ける魔弾。

「………!」

その事実に驚くも、攻撃がキャスターに届くことはない。
着弾するよりも早く空間を渡り、回避する。

「驚いた………まさか今までの放出量を上回ってくるなんてね」

呟きの様な言葉は凛には聞こえない。
空間を渡った先を見た凛が即座に閃光を振りかざした。

力任せの全力攻撃と有無を言わせない連続攻撃。
並みの魔術師ならば瞬く間に敗北させ、それどころか消し炭になるほどの攻撃をキャスターに加え続ける。

「ぐ………!」

無制限。
その事実は変わらない。

しかしそれはあくまで剣自体の話。
それを扱う術者に限界がある以上、それは決して無制限ではない。

遠坂凛の額の汗。
一撃振るう度に腕の筋肉を切断していく、宝石剣からの代償。
これだけの猛攻をして、彼女の体が無事で済むはずがない。

それでも。

「Gebuhr zweihander………!」

宝石の剣が光を帯びる。
一度振るう度に無色に変わる刀身は再び七色に輝き、その中心から桁外れの魔力を供給する。

「Es laBt frei. Eilesalve─────!」

こんな痛みは耐えられる。耐えなければいけない。
この程度で弱音を吐く事は許されないし、自分が許さない。

「必死ね、お嬢さん。いいでしょう、そこまで食らいつくというのであれば望み通り専念して相手をしてあげる」


***interlude In***

直球 対 変化球。
剛 対 柔。

そんな表現が一番的確だと錯覚するほどに、この二人は似ていながらカタチが異なっていた。

「ふっ─────!」

バゼットの踏み込み。
ルーンを刻んだその速度は常人が捕らえる事は不可能。

彼女自身『執行者』を任せられるほどの人物であり、その名に相応しい仕事を熟してきた。
少なからず自身の戦闘技術には自信があるし、ましてやその相手が魔術師でもない人間相手に負けることなどあり得ないと考えていた。

「─────ッ!」

ロケット染みた渾身のストレートが紙一重で回避され、這う様に毒蛇の牙がバゼットへと襲い掛かる。

眉間、喉仏、心臓、背骨。
いずれかを的確に、かつ瞬速で打ち抜いてくる鉄の拳。

一呼吸の内に三撃必殺。
魔女の魔術によって強化された拳はルーンを刻んだその体にさえ到達する。

だが、温い。
持ち前の選眼と反応速度、鍛え上げた肉体の力を駆使し一撃で致命傷となるその攻撃を回避する。

「─────」

それを食らうのが毒蛇である。
元よりこの拳は人を殺す為にある。

喉元へと突き刺さる筈の拳は、バゼットの驚異的な反応速度を以て避けられる。
通常ならばそこで終わる攻撃は、まるで直角に曲がったかの如く回避したバゼットの後頭部へと襲い掛かる。

「ぐっ!!」

ショートレンジを間合いとし、肉弾戦を主とするバゼットだからこそ、その僅かな変化に反応できた。
急所へ襲ってくる拳を左腕でガード。

そこから伝わってくるあり得ないほどの衝撃。
巌染みたあの指に強化が加わり、更に自分の想定外となる範囲からの攻撃。

同じショートレンジを戦闘の間合いとする者。
間合いは同じで己の肉体を武器にするという点で一致していても、まるで正反対な戦闘スタイル。

ガード、という選択肢はミスだ。
この高速戦において受けに回ることは相手の更なる攻撃の呼び水にほかならない。

繰り出される拳の雨。
神鉄で作られたかのような強度と重さをもって、バゼットへと襲い掛かる。

しかしバゼットとて格闘の分野においてエキスパート。
主導権が奪われかねないほどの攻撃をされようとも、ならばそれに対して布石を打つ。

「……………!!」

「捕まえた………!」

鞭の様にしなる腕は、しかしあくまで直角に変動する。
放たれる速度が閃光ならば、そこから更に変化する二の腕は鬼神の業。

その拳を『受け止める』という業を見せたバゼットもまた鬼神の域にいる。
右手首を掴まれた宗一郎は必然的に動きが止められてしまう。

肉薄した状態。
一メートルもない距離において、バゼットのストレートが宗一郎の胸元へと突き刺さった。

強化をしない状態でも時速80kmのストレートを繰り出せるという彼女の渾身の一撃。
それをまともに胸元へ受ければ、その衝撃で心臓すら止まりかねない。

「………やりますね」

痛みがバゼットの顔を僅かに歪ませる。
見れば宗一郎の腕を掴んでいた左腕から血が流れていた。

なんてことはない。
手首を捕まえられたのであれば、指で攻撃すればいい。

攻撃直前で左腕からの激痛を受けたバゼットは一瞬拘束していた腕から力が抜け、その隙に宗一郎は右腕の自由を取り戻す。
確実にクリーンヒットするはずだったバゼットの一撃は後方へ飛ぶことでその威力を和らげた。

「…………」

宗一郎の口から僅かに血が流れていた。
強化されているとはいえそれは相手も同じこと。

ゆらり、と幽鬼の如く対峙する。

お互いの戦闘距離は同じ。
現在はその射程外。

戦況分析。

先ほどは攻撃を受け止める事に成功したが、全ての攻撃を受け止めることができるわけではない。
相手は一撃必殺を狙う傾向があり、『狙いが正確で、かつ狙っている場所が限定されている』からこそ防ぐことができただけ。

そしてそれは今の一戦で相手も理解しただろう。
となれば、次は膨大なブラフを見せた中に本命を混ぜてくる可能性が高い。

急所ではない以上、それが致命傷になることはないが対応が遅れるのはまずい。
何よりあの指の力で首に食いつかれれば間違いなく死ぬ。

「─────!?」

突如、宗一郎の姿がブレた。

距離は五メートル強。
しかしバゼットが認識した時には既に互いの戦闘距離内だ。

一度掴まれた右の毒蛇がバゼットの喉元へと襲い掛かる。
それに対応するべく咄嗟に左手で喉元をガードする・

「がっ─────!!」

だがここにきて直角に曲がる。
急所である喉元より下、胸元へ衝撃が奔る。

肺の中の空気が吐き出され、一瞬呼吸が停止する。
バゼットほどの衝撃は無いにしろ、この男が放つ攻撃も身体機能に影響を与えるには十分な威力。

息が止められ、衝撃に視界が揺らぐ。
この状況は宗一郎にとって更なる追撃のチャンスに他ならない。

そもそも宗一郎の攻撃は魔術的な要素など一つも絡んでいない。
あくまで身体能力で再現する殺人拳だ。

殺人を目的とする以上、こうも長い時間打ち合いを行うというのは宗一郎にとって良い状況とは言えない。

さきほどの攻撃は確かに愚直すぎたとわかった。
急所へ責め立て一撃で息の根を止める。

確かに有効な手段ではあるが、相手が同じタイプの人間である場合、そればかりを繰り返していれば当然手は打たれる。
攻め急ぎ過ぎれば、いずれ先ほどの様に見切られかねない。

バゼットへ攻め急いだ原因。
衛宮士郎。

キャスターが真っ先に倒そうとした人物。
それだけキャスターが警戒しているということでもある。

キャスターは凛と戦闘中。
つまり衛宮士郎は現在フリーの状態。

宗一郎自身は衛宮士郎に対して特別な感情は持っていない。
ただ『キャスターが優先して倒そうとした』という事実を知っていれば、それだけでいい。

仮にキャスターが敗北する可能性があるとするならば、それは衛宮士郎が起因するということ。
そうでなければ優先して殺そうとはしないだろう。

だから殺す。
だから目の前のバゼットを早急に殺す。

シンプルな考えだった。

相手は初めて戦う人間で、こちらの情報も持っていない。
となれば殺すのは容易いと踏んだが想定が甘かった。

こちらの目的を果たす前に自身が敗北しては意味がない。
故に、確実に殺せる状況を作り出す。

「ぐっ………、はぁ─────!!」

僅かによろけた隙へ付け込もうと宗一郎が更なる連撃を振るうが、バゼットとてそれは理解している。
致命傷となる攻撃は確実に防ぎ、即座にカウンターじみた格闘を振るう。

宗一郎はそれを回避し、再び距離が開いた。
バゼット自身がそのように行動したからだ。

腑に落ちない点がバゼットにあった。
さきほどの『ブレ』だ。

今先ほどの正体が何かわからない。
幻術・催眠、そうも考えたがこの場にそのような魔術が成された形跡はなく、そもそも相手は魔術師ではない。

(………まさか)

ここはキャスターのテリトリー。
相手はキャスターの強化魔術をその身に受けている。
キャスターは『聖杯』の力を利用している。

「………悠長に戦っている暇はない、ということですか」

具体的に何をされているか、というのは把握できてはいない。
だが宗一郎を覆う強化魔術に『呪い』が付与されていたとするならばいくらバゼットとはいえ戦闘に異常をきたしかねない。

今一度相手をしっかりと捕らえる。
自分の格闘攻撃には自信がある。

相手の攻撃も脅威だが、打ち負けるということはない。
ならばあとは一回の接敵でどれだけ相手に打ち込めるか。

歯を食いしばり、次はバゼットの方から近づこうとした時だった。

「!!」

近づこうとしたバゼットへ、あらぬ方向から攻撃が飛来した。
即座に横へと飛び、回避する。

そこにあったモノ。
それはバゼットも見覚えがある代物。

「黒鍵………!」

すぐさま飛来した方向へ視線をやるがそこに意中の人物はいない。

「どこへ………!」

視線は後方へと流れる。


─────そこに、最大の敵がいた。



***interlude Out***


閃光、爆発、衝撃、崩壊。

キャスターから笑みが消える。
それは余裕がなくなったからではない。
あくまで一人の敵として見たが故の敵対行動。

「けど、忘れていないかしら」

「何がっ!!」

凛の攻撃は暴風のそれだ。
しかしそれでも余裕を見せるキャスター。

「─────あの男は一体どこで何をしているのでしょうかね?」

「………!」

振り抜く腕が一瞬だけ止まった。

ここにランサーがいた。
ランサーは命令されたためセイバーと戦っている。

バゼットの相手は葛木 宗一郎。
今目の前にいるのは魔術師のサーヴァント、キャスター。

「まさか………!」

腕を振るい、攻撃を放つ。
だが一瞬だけ、その流れの中で少しだけ無茶をして後方を確認した。

決して遠くはない後方。
だがこの相手の前では援護にいけない距離。


「綺礼──────────!!!」



衛宮士郎の前に、その神父は立っていた。


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