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[29582] 【習作】リンクライン【現実→ゲーム世界】
Name: 伊月◆ad05b155 ID:68f682b1
Date: 2012/04/04 05:54
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[29582] 1
Name: 伊月◆ad05b155 ID:68f682b1
Date: 2012/04/04 05:52
 すべての始まりはあの日から。
 俺は世界の真実なんて何も知らず、ただ無邪気に、電子世界の中で孤高の剣士を気取っていた。










 褐色の巨人が雄叫びを上げた。
 その手に握られた巨大な金属塊、柄の先に打撃部位がつけられた戦槌が振り上げられた瞬間、俺は動いていた。危機回避の本能に従い、全力で後ろへと跳ぶ。

 鼻先を掠めたそれを躱せたことがどれだけ幸運だったのかは、その後の結果を見れば明らかだ。

 標的を見失い空振った一撃はそのまま勢いを緩めず足元に叩きつけられた。石畳の床が抵抗感なく砕かれ、大小の石片へと姿を変える。現実と同じく、石材はそれなりの硬度、耐久値が設定されていたはずだがまるでお構いなしだ。
 飛び散った礫のひとつが頬を掠め、ピリッとした痛みとともに、ごく僅かだが俺の生命残量を示す横線――HPバーがその長さを縮めた。

「ちっ…………」

 思わず舌打ちが零れる。
 桁外れの膂力に対し、素早さはそれほどでもないのが唯一の救いだろう。回避時の勢いに乗ってさらに距離をとり、追撃を防ぐ。

 剣を構え直し、緊張感に乱れた息を整えながら、俺は改めて相対する敵の姿を見据えた。

 そのシルエットは、二足二腕という行動体系だけ見れば人間とよく似ていた。

 しかし実物を目の前にして奴を同族だという者はいないだろう。暗褐色の肌に筋骨隆々とした巨大な体躯、鼻先の伸びた頭部からは二本の太くねじれた角を生やし、縦に割れた瞳孔を持つ眼が怪しく輝かせるその生物はどう見ても人ではない。
 欲のままに周囲に破壊をまき散らす、理不尽なまでの暴力の化身。その姿を一言で表現するならば鬼か、あるいは悪魔だ。
 見た目通りこの周辺エリア内において最高の筋力ステータスを誇るモンスターで、もし連続技の一つでもまともに受ければ、軽戦士に分類される俺の薄い装甲など容易く破られてしまうことだろう。

「面倒だな……」

 地面の破壊痕を見て思わず、自分があの槌に蠅のごとく叩き潰される光景を幻視してしまう。そんな未来は少々、いや多大に遠慮したいところだ。
 プレイヤー泣かせと名高い、やたらと重い死亡罰則(デスペナルティ)の内容を思い浮かべて顔を顰めつつ、俺はこの危機を乗り越えるべく腰のポーチへと手を伸ばした。
 視線は敵に固定したまま手探りで止め具を外し、中にあるアイテムを取り出す。剣を持たない左手の内にすっぽりと収まったのは、黒い球状の物体だ。そして、形からわかる通りこれは強力な武器でも回復効果を持っているわけでもない。
 使い方は簡単、ただ投げるだけ。
 俺は奴に向けてそれを思いきり放った。悪魔を動かすAIプログラムに黒球のアイテム情報は入っていなかったのか、敵は無造作かつ無警戒にハンマーで打ち落とす。


 ――――光が炸裂した。


「グォォォアアアアアアアア!?」

 耳を、大気を劈く悲鳴が上がる。いかに人外といえどもモノを見る仕組みはそう変わらない。強烈な光は化物、デーモン系モンスター《イビル・レジデント》から視界を奪い取り、直接ダメージこそ与えられないものの足止めとしては十分以上の効果をあげた。

 苦痛にもだえる姿は、あまりにも隙だらけだ。
 当然、俺が見逃すはずもない。
 剣を構え、地を蹴って敵の懐へと飛び込む。

 狙うのは人型モンスターに共通する弱点、首だ。閃光弾の影響でレジデントの反応は鈍い。速度特化ステータスによる機動力を生かし、一息に距離を詰める。

「はっ……!」

 呼気とともに愛剣を横薙ぎに振るう。
 急所への直撃は、武器が攻撃力を重視した両手用の大剣であることと相まって、レジデントの頭上に表示されているHPバーを目に見える勢いで削り取った。

 人間風情に遅れをとったことに対してか、奴は怒りの雄叫びを上げて反撃の態勢を取ったが、盲目状態でできることなどたかが知れている。不恰好に突き出された槌を拳の甲で受け流し、がら空きの腹に再び剣を叩き込む。
 バーはさらに縮み、通常状態の緑から注意域を示す黄に色が変わった。
 互いの武器の長さからして間合いを広く取るのはこちらに不利になるだけだろう。ここは、多少のダメージは覚悟の上で、一気に勝負を決める。俺はひりつく威圧感に顔をしかめながらも、さらに内へと踏み込んだ。

「…………せいっ!」

 左肩から斜めに、脇の下へかけて斬り下げる。
 勢いの乗った刃はしかし、悪魔の厚い胸板の表層を軽くなぞるだけにとどまった。
 バッドステータスから回復したレジデントが、剣の振りに合わせて後ろに下がったからだ。そのまま体勢を立て直されてはたまらない。させるか、胸中でそう呟き、俺もまた前進して密着状態を維持する。
 袈裟斬りから真横への切り払いに。敵の体力表示が危険域の赤となり、気のせいかその表情に焦りの色が浮かんだ。

 グルアッ! と威嚇の咆哮と共にレジデントがハンマーを跳ね上げ、俺の肩を強く打ちつける。しかしそれも苦し紛れの攻撃だ。奴の使う巨槌は確かに恐るべき威力を秘めているが、その大きさゆえにこの位置取りでは上手く振り回せない。
 速さのない鈍器など、脅威ではない。
 走る痛みを食い縛って耐え、止めとなる最後の一撃を放つ。右に払った剣を斜めに斬り上げ、斬撃の始まりと終わりを繋げる。
 意図したわけではないが、俺の攻撃はイビル・レジデントの体に見事な正三角形を刻み付けた。鮮血を思わせる赤いダメージエフェクトが散り、同時に頭上のバーを完全に消し去った。

 短く、鈍い悲鳴が上がる。

 一瞬の静寂、そして――――

 バリン! とガラスが砕けるような音を立て、褐色の巨体がポリゴンとなって割れ散った。
 死体どころか血痕一つ残さない、あまりに簡潔な《死》の光景。唯一、漂う光の粒だけが存在を主張していたが、それもやがて消えた。
 先程までの喧騒が嘘のように場が静まり返る。
 その様子を無感動に眺めながら、俺は剣を引いた。念のため周囲に他のモンスターが隠れていないかを確認してから背中の鞘へと収める。

 戦闘で高揚した気持ちを吐き出すように息をつき、指で眉間を揉む。
 擬似的とはいえ命の奪い合いをしたことで、全身を軽い倦怠感が包んでいた。

「三割……か」

 最後にやられた肩を押さえながら視界の端に映るゲージを見ると、今の戦闘でそれだけのダメージを負っていた。一応安全圏と呼ばれる域ではあるが、ここが高レベルモンスターの巣窟たる最前線フィールドということを考えると少々心もとない。
 回復しとくか、そう思い再び腰のポーチに手を掛けたところで、横合いから緑色の小瓶が放られてきた。掴み、ラベルを見ると、それは普段よく見かける店売りのポーションだった。

「悪いな、助かる」

 短く礼を言い、一気に中身をあおる。甘苦い独特の風味が口の中に広がるとともにラインが右端まで埋まり、生命力ステータスが全快状態に戻った。肩や、それ以前に受けていた傷の痛みがすっと抜けてゆく感覚に安堵する。
 ゴミアイテムは時間経過で自動消滅するため、俺は空になった瓶を適当に投げ捨てるとポーションを渡してきた男――クロノの方に体を向けた。

「お疲れ。今ので七体目だったかい。そろそろレベル上がりそうなんじゃないの?」
「そうだな、あと少しだよ」

 中空に浮かぶ加算経験値とドロップアイテムのリストを見ながら答える。数字の羅列は、あと二、三体ほど同じ敵を倒せばレベルが上がることを示していた。

「僕も似たような感じかな。じゃあ、もう少しだけ狩ったところで、今日は上がろうか」

 MPも回復したことだしね、そう言って肩をすくめる。
 灰がかった長髪を後ろで束ね、眼鏡型のアイテムとローブを装備した姿の通りクロノは《魔法使い》、生粋の後衛職だ。彼のような術士は、その火力は敵になると恐ろしく味方だと頼もしいものだが、反面MP――マジックポイントと呼ばれる魔法行使に必要なステータス数値がゼロになると何もできなくなるという弱みもある。

 二人で《狩り》をしているにもかかわらず、先程俺が一人で戦っていたのはそういう訳だった。MP回復アイテムは非常に高価であるため、時間経過で少しずつ魔力が溜まるのを待っていたのだ。

「考えなしに大規模魔法を連発するからだ、バカ」
「うわっ、ひどいな」
「事実だろ。魔法職の人はMPの残量に気を配りましょう、なんて初心者講座(チュートリアル)でやる内容だぞ。《このゲーム》、ベータテストの時からいるんだからいい加減覚えろ」

 軽く頭をこづいてやる。グローブの金属部分が当たったようで意外といい音がした。
 それに対しクロノは頭を抱えて痛がって見せるが、演技だ。デジタルデータで構成されたこの《仮想の世界》では一定以上の痛みは感じないようにされているため本当に痛いなどということはあり得ない。

 理由は痛いと怖いからという単純な心理も勿論あるが、それ以上に精神が及ぼす肉体への影響とかが関係しているんだったよな……などと、昔読んでみたはいいが、結局半分も内容を理解できなかった論文を思い出す。

 専門用語の飛び交う部分はまったくわからなかったが確か、現実と同レベルの痛みを脳が認識すると、実際には怪我をしていなくても腕が動かなくなったり失明したりする場合があると書いてあったはずだ。

 そう――――。
 ここは、《現実ではない》。

 踏みしめる大地の確かさも、頬をなでる風の柔らかさも、ここで感じるものはすべて脳に送り込まれたデジタル信号によりもたらされる《偽物》なのだ。

「っと、こんなことしてる場合じゃなかったな……」

 俺は時計を見ながら、少しばかり焦りを含んだ声色で呟いた。あと一時間もすれば接続制限時間となり、俺たちは強制的にこの世界から退去(ログアウト)させられてしまうのだ。別にそうなっても構わないと言えば構わないのだが、クロノが言っていたようにもう少しでレベルが上がりそうなのでそこまでやってから終わりたいところである。

 俺はぐるりと周囲を見回すと、長年のプレイ歴によって培われたゲーム勘により敵のいそうな方向の当たりを付けた。脳内に送り込まれた電子信号が見せているとは思えない、美麗な夕焼けのグラフィックを背景にゆっくりと歩き始める。

 いまだぶつくさ言っている相棒に声をかける。

「ほら置いてくぞ」
「あっ、ちょっと、待てよ――ユト!」















 自らの腕で剣をふるい、立ちはだかるモンスターを屠る。各地を旅し人々と友好を深めながら、伝承の謎を紐解いてゆく。

 VirtualReality(バーチャル・リアリティ)――一昔前までは架空の存在だった、そして二〇四三年九月に軍事でも医療でもなく、なんと家庭用ゲーム機器として実際に開発された技術がそれを可能にした。

 従来のマシンがABボタンや十字キーなどといったもので操作されるのに対し、その新たなゲームハードは、脳が発する肉体への命令そのものを直接汲み取って仮想体《アバター》を動かすデジタル信号に変換する。ヘッドギア型のVR接続装置を頭にかぶり電源を入れれば、途端にプレイヤーは各々が作成したアバター〈そのもの〉となってゲーム世界に飛び込むことができるのだ。

 五感情報すべての再現。
 現実とまったく同じ感覚で動ける、その夢のような体験はゲーマーたちを魅了した。俺自身、初めて仮想世界に降り立ったときの感動は今でもよく覚えている。その衝撃たるや、一瞬現実の存在を忘れてしまうほどだった。

 ――――とはいえ。

 画期的技術と目されたVRにも問題がなかったわけではない。いやむしろ、問題の塊だったといっても過言ではないだろう。
 いくつかあるが、その最たるものはソフトとの格差である。VRは三次元の再現を可能とした分要求されるデータ量が莫大になるという欠点が存在し、そのため初期に発売されたソフトの質は低くハードの性能を生かしきれないというようなことが続いたのだ。

 俺が最初に入った仮想世界はゲームというより、実在する土地の風景を再現したという環境タイトルだった。そのためグラフィックはともかく、実際に行動できる範囲はごく狭い。
 逆に広さを優先すると画質が劣化する。せっかくの立体描写がマネキンに写真を貼り付けたような薄っぺらさではプレイヤーも興醒めだろう。それならば大人しく既存のモニターゲームをやっていたほうがまだ面白いというものだ。

 機構の斬新さゆえに、これまでのゲーム製作における常識がほとんど通用しない。すると企業が離れ、ユーザーが離れ、それから半年間、VRはそれ以上の進化を見せることなく次第に過去のものとなっていった。

 《その知らせ》があるまでは。

 VRワールドを制御するコアプログラムの小型化。それに伴って製作が開始されたVRMMORPG(仮想大規模オンラインロールプレイングゲーム)――《ソウルクレイドル・オンライン》。

 当初は、開発会社が大手でないということもあって疑う声が多かった。何しろVRは実際にログインしてみなければ出来がわかりにくい。公式ホームページにはゲーム内の写真も載っていたが、平面と立体では見え方がまるで違うため信用が置けない。

 ベータテストプレイヤー……つまりは正式サービス前の最終チェックに参加する人員の募集も、一度期待を裏切られた経験から多くのゲーマーは尻込みし、ろくに集まらなかったらしい。
 俺もまた同じことを考えたのだが、どうせやってるゲームもないからと気まぐれで応募を決めた。募集は先着順だったため、告知当日に申し込みした俺は勿論当選し、それから数ヵ月ほどしてパッケージが送られてきた。
 ゲームの舞台となるのは、科学の代わりに魔法を中心とした文明を築いてきた異世界だ。プレイヤーは冒険者となって己を磨き、力を蓄え、モンスターの徘徊する危険なダンジョンを制覇してゆく。

 特に目新しい要素があるわけでもない、レベル・スキル併用性の単純なファンタジーMMO。
 しかしVRではそれこそが難しい。何しろ数千、数万のプレイヤーが同時接続する前提だ、全員が狭苦しさを感じることなくゲームを楽しめるようにとすると相当な規模のマップデータが必要となる。
 ただでさえこれまでのノウハウが通用しないというのに、そんなもの一体どれだけの労力を費やせばいいのか、想像するだけで目眩がしてくる。営利目的で挑戦するにはあまりにリスクの大きいジャンル。それが、大多数の人がVRに持つ認識だった。

 当然、ソウルクレイドル・オンライン――略称、《SCO》の開発元もその程度のことは知っているだろう。
 知った上でリリースしてきたのだから、これはもう余程の馬鹿か自信家でしかあり得ない。
 さてどうなることやらと、俺は生身からアバターへと意識を移し――広がる世界に圧倒された。

 かつて見た環境タイトル以上の、鮮やかな現実感。木の葉一枚、小石一つに至る細部まで作りこまれた、本物と見紛うばかりのグラフィック。
 目を疑った。ぼんやりして別のディスクを入れてしまったかとも思ったし、何かの間違いではとフィールドをがむしゃらに駆け回ってみたりもした。どうやら本当に本当らしいと確信するまでに丸一日かかった。

 それからのことは言うまでもないだろう。
 俺はSCOに、真の仮想世界の魅力に取り付かれた。

 家にいる間はほとんどダイブして過ごし、深夜にログアウトして最低限の睡眠だけとる。学校では授業そっちのけでキャラの育成方法を考え、ノートには板書の代わりにゲーム内容に関する考察を書き記す。当時の生活すべてがSCOを中心に回っていたといっても過言ではない。

「どっちが現実だかわからない生活をしている」とは、そんな俺を見ていた兄の言だ。

 全くもってその通りで、俺にとってもはやこのゲームは単なる遊びではなくなっていた。いわば、もう一つの現実、もう一つの人生とも呼ぶべき存在。あっという間にテスト期間が終わり、データがリセットされたときには魂の一部を持っていかれたかのような喪失感すら覚えたものである。

 その後、二〇四五年一月には正式版パッケージの販売がされた。
 ベータの評判が口コミで広がったらしく今度は瞬く間に完売したらしい。もっとも、俺はそちらの騒ぎには参加していないが。テスターには優先購入権という特典がついていたのだ。

 当然購入、即日ログインし、俺は再び剣一本を携えて果てしない冒険への一歩を踏み出した。

 それが中学二年の冬のこと。現在の日付は二〇四七年六月七日。
 俺は、未だここで剣を振っている。















 光の矢が骸骨戦士の頭蓋を抉りとり、骨の体を無数のポリゴン片へと変えた。
 同時に、周囲にいつもはない荘厳なファンファーレが鳴り響く……といってもそう感じるだけで、実際にはこの音は自分にだけ聞こえる仕様なのだが。
 目の前には見慣れたフォントで、今の戦闘において入手した経験値とアイテム名、そしてレベルアップを知らせる表示がなされていた。口笛なぞ吹いている様子を見ると、クロノも同じタイミングで上がったらしい。俺は緩む口元を隠せないまま近くに寄った。

「やったな。これで何レベルだっけ、お前」

 プレイヤー同士での戦闘、PKを認めているこのゲームではレベルやスキルといった個人情報は生命線だ。しかしこいつとはリアルでも親しく、不定期的とはいえこうしてパーティーを組むような仲である。今更隠し立てもなにもない。

「69だよ。ユトは?」

 クロノがあっさりと答えたように、俺もまた何でもなく返す。

「87になった」
「……相変わらず無茶苦茶だね、君は。そりゃあ僕は古参プレイヤーの中では弱い方だけど、それでも20レベ近くも差がついてるとか。いくら何でもやりすぎだろ」

 このレベルホリックめ、という言葉には苦笑で応えるほかなかった。
 SCOのマップ拡張は、ボスを倒し、ダンジョンをクリアするごとに新たなエリアが開放されるという方式を取っている。そのため最新の、つまりはもっとも強力なモンスターが跋扈する区域を最前線、そこを探索するものを攻略組と呼んでいるのだが、レベル87という数値はその中でもさらに上位に位置している。

 つまりそれだけの戦闘を重ねてきたということであり、言い訳などできるはずもないのだ。

「いくらベータの経験と《ダイブ接続制限》があるからったってね……ユトが戦闘系イベント以外に出てるのってほとんど見たことないよ」
「うーん、普通の祭りみたいなのは賞金賞品も大したことないからなあ。経験値稼ぎしてるほうが楽しいんだよ」
「うわぁ、重症だ……」

 ベータテスト。
 ダイブ接続制限。

 それが、掛けた時間がそのまま強さになるMMORPGで、学生の俺が高レベル帯にいられる理由である。
 前者については説明するまでもないだろう。テスターには危険なエリア、安全なルート、モンスターの弱点、レアアイテムの入手場所などといったゲームに必要なあらゆる知識と、そして何よりVR内での戦闘経験というアドバンテージが存在する。
 コントローラーの無いこの世界での強さは単なる数字ではなく、自身の技量というものが深く影響してくるため、一般プレイヤーが慣れずに四苦八苦している間に俺たちベータ経験者は初期から大きな差をつけたというわけだ。

 そして後者。こちらはベータのときにはなかったものであり、その発端はテスト期間中ヘビープレイのあまり栄養失調で倒れた奴が居たことによる。
 VRは五感の全て、味覚とそれに伴う満腹感までをも再現してしまうため、ゲーム内での食事に満足し現実でのそれを怠ったことが原因らしい。倒れているところを家族がすぐに発見したからよかったものの、下手をすれば死亡も有り得たということで運営側はこの事態を重く受け止めた。

 一日四時間、それが規定されたVR接続制限時間だ。
 味覚を消すという案も出たらしいが、そもそも長時間のダイブは筋力低下など様々な問題があるということでそうなったようだ。

 この知らせは俺を含む多くのユーザーを残念がらせた。しかし同時に、限られた時間内でどう行動するかが攻略の鍵となったわけでもあった。いままでのレベル制オンラインゲームでは、言っては何だが暇な奴ほど有利だったのだ。

 そんな中、どうせなら最強を目指してみようと考えるプレイヤーが出てくるのもある意味当然の流れで、俺もそのうちの一人だった。接続時間のほとんどをレベル上げに費やした結果、今の《ユト》がいる。

「別に、それが悪いとは言わないけどね。けどいくら何でも上げすぎじゃないかい?」
「そうでもないだろ。俺は基本的に単独(ソロ)プレイだからな。このくらいじゃないと最前線ではやっていけないし、それに、もっと強い奴らだっている。《時の旅団》のとこのガゼルなんて90越えてるんじゃないか?」

 俺は有名なグループのリーダーを務める男の名を出した。最強の二文字を冠するとすれば、まず間違いなく奴だろう。事実、いつか行われた武道大会では圧倒的な力でもって優勝を果たしていたはずだ。

 そのとき俺はどうしても外せない用事があって泣く泣く出場を断念したのだが、もし出られていたとしても他の参加者たちと同じように地に這いつくばっていたことだろう。

「さすがに90はないと思うけど」
「それでも俺より強いことは確実だろ。あれに勝つのが当面の目標だよ。ただ、これ以上はさすがに時間がとれないんだよなぁ……」

 制限があるとはいえ、四時間だ。休日ならともかく学生が毎日それだけの自由時間をつくるのはなかなか難しい。あまり勉学をおろそかにしていると両親が回線そのものを切断してしまいかねない。もしそんなことになればガゼルを倒すどころか最前線にいられるかどうかすら危うくなる。

「贅沢な悩みだねえ。レベル80越えしている人なんて、SCO全体で見てもほんの一握りだけだと思うけど……それじゃ満足できないのかい?」

 問い掛ける声には明らかな呆れが混じっていた。
 華やかなイベント類には一切目を向けず、ただひたすらに戦闘情報のみを集め、子供じみた《強さへの欲求》を満たそうとする俺は、他のプレイヤーからするとどこか滑稽なものとして映っているのかもしれない。

「いや、ほら、ゲームの中でくらい最強を目指してみたいっていうかだな……」

 言い訳にもなっていない言葉を口にしながら、気恥ずかしさに頬をかく。
 たぶん俺はこのゲームの内に、幼少の頃見た夢の続きを探しているのだと思う。現実で勇者や英雄になりたいと願ってもまず叶うことはない、けれどこの世界なら、と。

「まあ、たかが仮想世界の出来事、数字の増減にすぎないってのは分かってるんだけどさ」

 それでも、たとえ幻想の力と分かっていても、一度手にしてしまった以上失いたくないものなのだ。



 いっそ――《こちら側》が現実ならいいと思ってしまうほどに。



 我ながら頭の悪い考えであるとは思うものの、確かにそれは本心からの望みだった。
 俺は視線をクロノから外し中空へと向けた。そこにはデジタル数字で強制ログアウトまでのカウントダウン表示がなされている。これがゼロになったとき、俺は現実に引き戻される。

 ゲーム世界への突入、ゲーマーの夢を叶える機械、そんなキャッチコピーは俺にとって半分本当で半分嘘だった。

 いや、最初は本当だったのだ。ただ純粋に《ゲームとして》ここでの生活を楽しんでいた。けれど、そのことに物足りなさを感じるようになったのはいつからだろう。
 この世界を好きになれば好きになるほど、ログアウトしたときの空虚感は大きくなる。
 所詮偽物なのだと強く認識させられる。

 俺がレベルホリックと言われるほど戦闘を繰り返す理由の一端も、そこにあるのだと思う。ギリギリの戦い、命のやり取りをしている間だけは、あたかも自分が本当の剣士であるかのように錯覚できるのだ。
 ゲームや本を楽しんだ後に感じる、自分もこんな生活をしてみたいというような思い、異世界への憧れはVRを通じてむしろ強くなっていったと言えるだろう。

 そんなようなことを伝えると、

「なるほど、中二病だね」

 身も蓋もない評価を貰い受けた。
 自覚はあるが、人から言われるとまた違ったダメージがある。肩を落とす俺を笑い、しかしクロノはこう付け加えた。

「けどまあ、気持ちは分からないでもないかな」

 意外な言葉に顔を上げる。
 この世界はリアルすぎるんだよ、そう前置きしてクロノは言う。

「僕もね、ときどき《クロノ》が本当で、現実世界での自分の方が仮の存在だって感じてしまうことがある。そうすると、ログアウトして生身に戻ったら思うんだ。こんなときあの魔法が使えたら、とか。何でこんな軽い物が持てないんだろう、とか」
「……自分の貧弱さに失望する、ってことか?」
「そう。現実にステータス補正はないからね。自分が凡俗な存在である世界と、超人であれる世界。どっちを選ぶかって聞かれたら当然後者だ。だからまあ、ここにずっと居たくなるっていうのも理解できる」

 なるほど、と思う。そもそもRPGとは、直訳すると『役割を演じる遊び』である。現実に不満や劣等感があればあるほど嵌りやすく、特にVRの場合それが顕著に現れるわけだ。
 俺の場合は、退屈な日常からの逃避といったところだろうか。

「まあもっとも、ここが本当に異世界だったら、常に死の危険と隣り合わせの生活を送ることになるだろうけどね」
「ははっ、それもそうだな。街から一歩出たらモンスターがいる環境はぞっとしない。けど、今のレベルならそう簡単にやられることもないだろ。傭兵になって、モンスターを倒して日銭を稼ぐってのも悪くはないんじゃないか?」
「そうだね、僕らならパーティーとしてのバランスもいいし。本当に魔法が使えるようになるのは結構面白そうかな」

 日々命を脅かされる、スリルに溢れた暮らし。
 そんなものを羨むなど、平和な国に生まれたからこそ言えるガキの戯言なのだろう。けれど、想像の中の生活は実に楽しそうだった。

 仮想を現実に。このとき俺たちは、確かに願ったのだ。










 そして――世界はそれを受け入れた。



[29582] 2
Name: 伊月◆ad05b155 ID:68f682b1
Date: 2012/04/04 05:44
 どれくらいの時間が経過したのだろう。
 闇の中で俺は意識を取り戻した。

「うっ、く……ここは」

 呻きながら起き上がり、周囲を見回す。しばらくは暗闇に包まれていた景色だったが、やがて目が慣れてきて物体の輪郭を浮かび上がらせていった。
 最初に見えたものは、木。そして次も木、次も、その次も……生い茂る木々がそこにはあった。腐葉土なのか地面は軽く身が沈むほど柔らかく、草むらからは虫たちの合唱が聞こえ、重ねるようにして鳥もさえずっている。
 気温はやや低く、空気は湿っているようだった。白くうっすらとかかる霧が肌に張り付き体から熱を奪う。
 眼前にはそんな、鬱蒼たる密林が広がっていた。

 おいおいと呟き、顔を顰めながらマップを開くが、ダンジョン名は表示されずオートマッピングされた現在地周辺以外はすべて空白になっている。
 地図は自分でその場所を歩くか、あるいは冒険したプレイヤーからマップデータを購入するかしなければ手に入らない。つまり、ここは俺が来たことのない座標ということだ。

 見た目からしても明らかだが、ここは先ほどまで居た神殿エリアではないらしい。
 原因はあのノイズだろうか。意識を失っている間に一体何が起きたのか、まったく見当もつかない。

「意識を失ってた時間は……そんなに長くないみたいだけど……」

 現在時刻を確かめようと視界端の時計を見たところ、数分程度のものらしい。
 周囲は暗いがそれは枝葉が過剰に茂った森の中だからであるようで、偶に隙間から陽光の茜色が見える。

 とはいえ異常事態は異常事態。
 本来このようなことは有り得ない。
 それに、一緒にいたクロノはどうしたのだろう。
 俺は両手をメガホン代わりにして口元に当てると、大声で名前を叫んだ。

「クロノ! もし聞こえてたら返事をしてくれ!」

 果たして反応は――あった。
 数度の呼びかけを行うと、そう遠くない辺りから返答があったのだ。

「ユトかい!? ちょっと待っててくれ、すぐそっちに行く!」

 聞き慣れた声色にほっと安堵の息を吐く。
 理解の埒外にある現象の連続は不気味だが一人でないならば大丈夫だ――そんな風に根拠のない自信が湧き出る。

 しかし、友との再会によってもたらされたのはさらなる異変だった。
 茂みから出て来たクロノの姿を見て、俺は驚愕に目を見開いた。

「お、お前その顔……」

 簡素なシャツとズボンに、その上から羽織った純白のローブ。
 現れた彼はそんないつもの格好をしながら、けれど、首から上の造詣が明らかに異なっていたのだ。

 そこにあったのは異世界の魔術師、クロノの彫りの深い西洋風の顔立ちではなかった。
 俺とともに高校に通う普遍的な日本人学生の、現実世界のそれだった。

「ユトこそ……なんで……」

 そしてどうやら、向こうも同じ反応を返しているあたり、俺もまた現実世界の顔になっているらしかった。長めに伸びた前髪を引っ掴んで見てみると、色を変えていたはずがいかにも日本人らしい黒に戻っている。

「アバターが初期化されてる、のか?」

 俺は自分の顔の凹凸を確かめるように撫でながら、呆然と呟いた。
 このゲーム、SCOのアバターは、スタート時にプレイヤーの体をスキャンし、現実そっくりの外装を生成してから調整を加えていく方式を取っている。
 簡単なところだと目や髪、肌の色の変更。実際の肉体との差が大きすぎるとゲームから戻ったときに違和感が出てしまうため、あまり極端なことはできないものの、体格などもある程度ならばいじることが可能だ。設定によっては原型を留めていない全くの別人となることすらある。

 しかしそれは逆に言えば、何も変更を加えなければそのままの姿になってしまうということでもある。
 リアル割れ、個人情報流出、嫌な単語が次々と連想された。

 しばらく互いに表情を固まらせてお見合いをしていた俺たちが再起動を果たすまで、十数秒ほどを要した。

「バグ……だろうね。それも致命的な」
「ああ、そうとしか考えられない」

 クロノが難しい顔で推論を口にし、俺も全面的に同意した。
 これが運営の企画したイベントの類だとは思えない。神殿で発生したノイズを皮切りに連続している異常は、正直なところどれか一つだけだったとしても大問題になるレベルの不具合だ。これで全部演出ですなどと言い出した日には暴動が起きる。
 比較的バグやラグの少ない、快適なプレイ環境が整えられているSCOにしては珍しいが、これは何か厄介なことに巻き込まれていると考えた方がいいだろう。

「消えたのは外装データだけなのかな」
「一応、装備の類はそのままみたいだけど……」

 キャラクターデータに異常が出ているのならば、その影響が外装だけとは限らない。
 俺は脳内で小さく「窓」と呟き、胸の前あたりに淡く光る半透明のボード――《メインメニュー・ウインドウ》と呼ばれるゲームの操作システムを表示させた。
 浮遊するそれに触れ、ずらりと並ぶボタンをいくつか叩き各種情報を画面に映す。

「ステータスはそのまま。装備もオッケー。持ち物は……」

 提示された結果に、掠れた声が出る。

「全部消えてる……」

 隣で同じく確認作業をしていたクロノが、皺の寄った眉間を指でほぐしながら頷く。

「僕の方もだ。お金も、アイテムも、手持ちがひとつ残らず消滅してるよ」

 このゲームは死亡すると全ての持ち物を失ってしまう。そのため、冒険の前は万が一を考えて必要なもの以外は拠点のボックスなどにしまっておくのがセオリーだ。
 よってさっきまで持っていたのは今日の冒険で得たものだけなのだが……それでも一日かけての収穫が失われたことに俺は大きな衝撃を受けた。

「うっそお……」と呟きながら背後の木の幹にもたれかかる。
 記憶を探り、消失したアイテムを今の相場でざっと換算する。そうして弾き出された被害総額に愕然とし、さらにそれだけあれば何ができたかを考えて二重に落ち込む。

 一体何なのだ。
 運営は何をやっているというのだ。

 呪詛を吐きながら俺は天を仰いだ。

「特別レアなものを持ってたわけじゃないとはいえ……これは痛いぞ」
「そうだねえ……」

 これはもう、謝罪と賠償を要求したいところである。
 とりあえずこういった場合のセオリーとしてはGM(ゲームマスター)に連絡を入れた方がいいだろうと考え、ウインドウを操作する。トップメニューに戻り、今度はゲーム内での通信が可能なメッセージ機能を呼び出しを行う。
 ゲーム開始当初から強制登録されているGMの連絡先を探し出してコールボタンを押すと、ルルル、と捻りのない呼び出し音が鳴り始めた。

 が、しかし。
 十秒、二十秒、一分と経っても応答の気配がない。眉を顰めながら俺は呟いた。

「…………繋がらないな」

 聞こえるのは延々と繰り返される電子音だけ。
 これ以上は無意味と判断し、呼び出しを中断する。

「どういうことだ?」
「うーん、そうだなあ。有り得るとすれば、サーバ自体に問題が起きてるとかかな。さっきのは局所的なバグじゃなくて、似たようなことが複数発生してるのかもしれない」
「問い合わせが殺到して対応しきれなくなってるってことか」

 適当な推測だけどねとクロノは言うが、確かにあのようなことが各所で起きているとすれば通信が繋がらないのも納得がいった。
 ならば念のため文章での報告だけでも送っておこうと、今度はメールボタンを押して白紙の画面とホロキーボードを表示させる。予想が正しければこちらも見てもらえる可能性は低いが、まあ何もしないよりはマシだろう。

 件名に『バグ報告』と入力しながら、俺はクロノに向けてひらひらと手を振った。

「やっとくから、先に戻ってていいぞ」

 同じ内容のメールを二人して送っても仕方がない。
 長い付き合いであり、変な遠慮をするような仲ではないためクロノはすぐに頷いた。

「そうかい? じゃあお言葉に甘えさせてもらうよ」

 そう言って同じように画面に触れる。
 情報の盗み見を防ぐ不可視モードになっているため、彼のそれは俺からは何も書かれていないまっさらなボードにしか見えない。
 しかし、左側に人型の装備フィギア、右側に各ページに飛ぶためのメニュータブというデザインは全プレイヤー共通のものであるため何をしているか大体の想像はつく。
 クロノは迷いなく右下に指を滑らせ、そこにあるであろう《ログアウトボタン》を叩いた。

 そうして、茶色のローブ姿のアバターから中の人間の意識は抜け出す。
 俺たちが次に会うのは現実世界の学校になる――はずだった。

「……どうした?」

 しかし依然としてそこにはローブ姿のアバターが立っていた。
 フィールドではログアウトを即時離脱の手段にされるのを防ぐため、ゲームから抜けた後も一定時間無防備な人形が残る。だがその場合、その人形は地面に座り込んだ待機姿勢を取るため、このように立ったままいるのは有り得ない。
 これは未だ中の人間の意識が残ったままということを意味していて、事実、クロノはそれを証明するかのように腕を組んで首を傾げる人間的な動作をした。

 てっきりすぐに退出すると思っていたのだが、押したのはログアウトボタンではなかったのだろうか。
 不思議に思ってキーボードを叩く手を止めていると、ふいに、彼は顔を上げてこちらをじっと見つめてきた。

 その表情に浮かんでいたのは、困惑。
 口にされたのは、致命的な事実。

「…………ログアウトが、できない」

 人間は自分の見たいものしか見ないとはよく言ったもので、その言葉を聞いたとき、まず俺が感じたのは驚きでも恐怖でもなく《呆れ》だった。何を馬鹿なことを、そんなことあるはずがない。すでに異常事態の只中にいるにも関わらずそんなことを思った。

「できないって、なに言ってんだよ」

 肩を竦めるが、しかし彼は前言を撤回することはなかった。

「いや、ホントだって。ボタンを押しても反応ないんだ。ちょっとユトもやってみてよ」

 そう言うクロノの顔にふざけている様子はなかった。あまりに真剣な表情で、俺はようやく一抹の不安を感じた。メール画面を一旦閉じてトップメニューに戻ると、操作一覧の中から【Log Out】のボタンを選んで叩く。
 そしてこの後に出る、本当にゲームから抜け出していいですかというYES/NOの最終確認にイエスを選択することで、プレイヤーはアバターから現実世界の肉体へと意識を戻すのだが……。

 え、と間抜けな声が出た。
 何も起こらない。俺の前の画面は何度ボタンを押し込んでも切り替わらず、依然としてトップメニューを表示し続けている。

 周辺に広がるのは先程と全く変わらない夜の森であり、当たり前だが俺の部屋ではない。
 SCOの、ゲームの中である。

「嘘、だろ。これもさっきのアレの影響か?」
「としか、考えられないんじゃないの」

 ノイズと、風景のひび割れ。
 意識の一時的喪失に謎の転移現象。
 リアル割れの危険があるアバター外装の初期化。

 これに加え止めにログアウト不能とは、ふざけているにもほどがある。
 訴訟ものだぞと顔を歪めながら、俺は他にログアウト方法がなかったかと記憶を探った。

 だが――――

「……ないよ。このゲームでは、ウインドウ操作意外に内部からログアウトする手段はない」

 無情にも、クロノが首を左右に振ってその考えを否定する。

「ユトも知ってるとは思うけど、VR内で扱うアバターは脳が発する命令を汲み取って、デジタル信号に変換することで動いてるから」
「ああ。そのおかげで生身の方は壁やら床やらにぶつかって怪我をしないで済んでるんだよな」

 普段ならばありがたい、親切な設計。
 しかし今に限って言えば、それはどうしようもなく邪魔なシステムだった。
 生身が動かないということは、言い換えれば、こちら側にいる間プレイヤーが現実世界に干渉することはどう足掻いてもできないということでもある。今の状況で俺たちにできることはバグが直るか、外部で誰かが接続危機を剥がしてくれるのを待つことだけだ。

 ふと俺はこの状況にデジャヴを感じた。いや、デジャヴと言うには語弊がある。自分が体験したのではなく、何かでこれと同じような事態に陥っているのを見たような気がしたのだ。

 少し考え、それが昔読んだ小説のことだったのを思い出す。
 もう数十年も前に書かれた、当時にはまだ存在しなかったVRゲーム内の世界を舞台にした物語だ。

 確かストーリーは、まず主人公がとあるイベントで行われる世界初のVRゲームのプレイヤーに幸運にも選ばれたところから始まる。彼は最初無邪気に冒険を楽しんでいたのだが、しかし、ゲームは途中からただの遊びではなくなってしまう。ある狂人が施した仕掛けによりゲーム内での死はそのまま現実世界での死に直結し、つまり――

「――デスゲーム」

 そう言ったのは俺ではなく、クロノだった。

「みたいだと、思わないかい?」

 にやりと意地悪く笑う相方を見て、そういえばあの本はこいつに借りたものだったと遅まきながら思い出した。本に限らずゲームなどでも、レトロ作品を収集するのが趣味なのだ。
 異常事態なんだからもうちょっと慌てろよと思いつつ、俺は苦笑しながら言葉を返した。

「だとしたらその犯人はまず間違いなくあの男だろうな」

 クロノには色々とお勧めの作品を貸してもらって――あるいは、これは名作だから絶対に見ろと押し付けられて――いるのだが、件の小説は少々その経緯が特殊で、VRがある一人の天才の力によって生み出され、またその人物がゲームソフトの開発にまでも関わっているという《現実と似通った》部分があったからだった。

「はは、確かにね。《彼》ならやりかねない」

 頭のネジ二、三本飛んでそうだもんねとかなり失礼なことを言うが、残念ながら、俺にはそれを否定できなかった。《彼》はあまりメディアに露出しないが、数少ないニュースや雑誌記事を見る限り、どこか浮世離れしているというか普通の人間とは違う視点を持っているような雰囲気がある。

 そのため、世間の人間評価は大抵の場合、遥か高みに立つ天才に対する畏怖か、得体のしれない化け物を見たような嫌悪となっている。
 もっとも、本人がそれを全く気にしていないであろうことは想像に難くなかったが。

「まあしかし……真面目な話、それはあり得ないよな」
「うん、そうだね」

 しばしその話題で盛り上がった後、俺はそう言い、クロノもそれに同意した。
 これまで幾人もの作家によって創造されてきたその惨劇は、それだけに厳重なセキュリティが組まれ対策がなされている。ファイアウォールなどの電子的な防御は勿論そうだが、そもそも俺たちが被っているギアには人を殺傷するようなことは絶対にできない。

 あれにできるのは人体に影響しないレベルの、ごく穏やかな電気信号を発信するだけだ。
 仮に運営側の人間だろうと、あるいは凄腕のクラッカー――ハッカーの悪質なもの――だかがシステムの全制御をのっとったとしても、せいぜい今のように一時的にログアウトをできないようにするのが限界で、物語のような事件は起こせなくなっているのである。

 正直、あの人の話をしたのは軽い現実逃避的な意味合いも含まれていた。
 溜息を吐きながら、意図的に脱線させていた話を元に戻す。

「俺たちいつまでこのままなんだろうな」

 時計が原因不明のエラーを起こしているため正確な時間は分からないが、目覚めてから今まで、少なめに見積もっても十分以上は経過しているはずだ。
 そもそも普通は意識が途絶えた時点で自動的にログアウトされる、いわゆる寝落ち用の機能がついているはずなのだがそれすら作動しない。

 クロノは腕組みをし、手近な木を背もたれにして寄りかかりながらうーんと唸った。

「そうだよねえ。デスゲームは始まらないにしても仮想空間への意識の隔離なんて、VRゲームでは考えられる限り最悪の事態だ。普通はサーバを停止するなり、ネットワークを切断するなりしてさっさとプレイヤーを戻すのが当たり前の判断だと思うんだけど……」
「いつまで経っても、システムアナウンスの一つすらされる気配がないと。これはもう、直接詰め所まで行って頼むしかないか」

 確かそれなりに規模の大きい街ならば、PC(プレイヤーキャラクター)の、つまり中の人がいるGMが常駐していたはずだ。そこで事情を離せばシステム側から落としてくれるだろう。
 一応晩飯の時間になれば母がゲームを強制終了するとは思うのだが、時計は壊れ、空の色も今の状況では現実世界のそれと一致する保証がないため、いつ来てくれるかは分からない。こんな何もない森でじっと待つだけというのはあまりに不毛だ。

 SCOには移動簡略化のための転移魔法もある。
 どこにでもぽんぽんと移動できるわけではないが、フィールドから最寄りの村や街になら呪文一つで飛べるため、俺はそれを使ってとっとと帰ってしまおうと考えた。

「そういうことで、クロノ。よろしく」

 物理戦闘特化で育てられたこのキャラは呪文を習得しておらず、また同様の効果を持つアイテムも消失してしまっている。よってここは完全にクロノ頼みだ。
 とはいえ別に魔法を使うことでデメリットが生じる訳でもなし、てっきり快諾されると思っていたのだが……しかし、返ってきたのは微妙な言葉だった。

「んー、そうしたいのは山々なんだけど。……マップって、破損しちゃってるんだよね?」
「え? ああ、そうだけど」

 どうしてここでマップの話が出るのか分からず首を傾げると、クロノは悩ましげな顔をして頬を掻いた。

「転移魔法って厳密には、一度立ち寄ったことのある内で一番近い村や街に転移するものなんだよ。だからデータが消えた状態だと、たぶん……」

 言いながら俺を手招きし、効果範囲に入ったことを確認すると、英単語を文脈なく繋げたような呪文を唱えた。
 呼応して、地面に魔法陣が現れる。青白く光るそれからは文字が浮かび出て、対象の手足を拘束するように巻きついてくる。
 相変わらずただの転移エフェクトに無駄な力を入れてるよなと思いつつ眺めていると、数秒ほどで文字の鎖はアバター全体を縛り終えた。

 その後、一際強く瞬くことで効果が発動。
 俺たちは転移時特有の音や風景といった、五感から得られる情報がだんだんと遠ざかってゆく感覚を味わいながら姿をかき消す――はずだった。

「はあっ!?」
「……やっぱりこうなったか」

 バリンッ、という音を立てて文字と魔法陣が砕け散った。
 ゲームをプレイする中で何度か見た経験がある、魔法の発動失敗エフェクト。
 四方にはじけ飛び、空気に溶けるようにして消えていく光の粒を目で追いながらクロノが肩を竦める。

「SCOはオートマッピング式だからさ。マップデータがそのままプレイヤーの行動記録を兼ねてるんだ」

 それがない状態では、イコールどこにも行ったことがないと認識されているのだという。

「ええとそれは、つまり」
「街までは徒歩で行かなきゃダメってことだね」

 うわあメンドくせえ、と顔を顰める。
 頭を掻いて溜息を吐きながら、街に着いたらGMと本社に盛大な文句をつけてやろうと俺は決意した。

「でも、徒歩でったって、マップがないんじゃ街の場所も分からないぞ。一体どうしろって言うんだよ」

 唇を尖らせて言うと、クロノはそうだねえと顎に手を当てて考え込んだ。
 そして背もたれにしていた木を叩いて曰く、登って見渡してみればいいんじゃないか。確かに俺の筋力ステータスならばそれも可能だろうが、ずいぶんと原始的な方法である。

 まあしかし、他にいい案があるわけでもない。
 知恵を働かせたのがクロノならば、動くのは俺の役目だろう。

 見える範囲で一番太く長い大木を選び、助走をつけて一気に駆け上る。足場が丸いのが気になったが壁走りは意外に上手くいき、しっかりとした枝が生える部分まで到達することに成功した。
 そのあとは軽業師のようにするすると上へ上へと登って行き、てっぺんを目指していく。

「どんな感じっ?」

 下からの叫び声に叫び返す。

「見えた! 東の方にそれらしいのが……あの規模ならたぶん街だ!」

 高度的には問題なかったため最後は飛び降りて戻ると、クロノが得意げな顔をして待っていた。僕のおかげだねという言葉に見てきたのは俺だと返して笑う。

「意外と深い森だったな。結構、歩くかもしれない」
「そっか。一つ一つのダンジョンが馬鹿でかいからなあ、このゲーム」

 呆れたようなセリフに、確かにと頷く。
 SCOはVRMMORPGというジャンルで最大規模を謳い、事あるごとにエリアやスキルのバリエーションを増やすことで有名だ。サービス開始から幾度となくアップデートがなされたマップは、今やおよそ三千平方キロメートル……東京都の約一・五倍という馬鹿げた数値になっている。
 しばらく立ち寄っていなかった街に久しぶりに来たら周辺のダンジョン数が倍加していた、などという事態はざらである。

 もっともその規模の大きさこそがVR発表時から今まで、人気ランキング不動の一位を支えている要素なので、ユーザーとしては何の不満もない。
 むしろ、もっとやってくれと言いたいところだ。

「自由度が高すぎる分、無計画な育成したら酷いことになるけどね」
「ああ……ベータのときはそれで結構痛い目見たな。スキルの習得数こそ制限なしだけど熟練度上げるのは時間かかるから、あれこれ試し過ぎると厳しくなったりするんだよな」
「僕も色んな属性の魔法に手を出して器用貧乏になった口だよ。その点ユトは攻撃と素早さ特化で上手く育ててるよね」
「防御と体力は前衛とは思えないほど低いけどな」

 そんなことを話しながら、ざくざくと草むらを掻き分けて進んでいく。
 慎重のしの字もない、初心者プレイヤーのような行動。傍目には雑談しながらのんびり探索するお気楽パーティーに見えることだろう……が、もちろん実際は違う。

 自分で言うのも何だが、俺はこのゲームに関してはかなり熟達している。
 SCOのサービス開始が二年半前、ベータの頃から数えれば三年、それだけの時間プレイしているのだから索敵の重要性くらいは理解している。それでも首を振って周囲を確認したり、沈黙を保ち物音を聞き取り易くしたりしないのは、単にそれ以上に有効な手段を持っているからだ。

 今日こそクロノという仲間を迎えてパーティー狩りをしていたわけだが、普段の俺はソロプレイ――単独での探索を主にしている。
 そして個人行動するプレイヤーにとって最も避けたい事態は《不意打ち》だ。

 もし仲間がいれば不意打ちでHPを大きく減らしたとしても、しばらく盾になってもらい、その間に回復するというようなこともできるだろう。だが、ソロのときのそれは死に直結する。
 ダメージだけならともかく予想外の衝撃を受ければ体勢は確実に崩れ、無防備なところに追撃を受ける。麻痺付加などされていたらもう諦めるしかない。場合によっては後悔する間もなく一撃死するかもしれない。

 よって俺は《探知》というスキルの熟練度を徹底的に高めている。
 クロノとの会話の中にもあったが、スキルとは簡単に言えばキャラの持つ技能のことで、例えば片手剣のスキル熟練度を上げればその武器の扱いが上手くなりダメージアップやその他諸々の恩恵を受けられる。
 他にも鍛冶やら、錬金やらの製作スキルから、はたまた掃除や料理と言った生活スキルも存在し、探知スキルはそのうちの戦闘補助スキルにあたる。

 だいたい名前のニュアンスから察することができるだろうが、効果は周辺のモンスターやプレイヤーの反応を探れるというもの。

 障害物も関係なく、半径十メートル程度を常に把握できる強力な技能なのだ。

「……訓練にかなり時間かかるうえ、反応の知らせ方も微妙だけどね」
「おいこら、その恩恵にこうむっておきながら何て言い草だ」

 暴言に食って掛かるが、クロノは素知らぬ顔で続けた。

「確かに障害物関係ないのはかなりのメリットだけど、十メートルって他の索敵スキルとくらべるとかなり狭いし、それに相手を発見したときに《プレイヤーに違和感を与える》ってさあ」
「効果範囲が狭いのは他のスキルとのバランス取りだろ。違和感を与えるのは……シックスセンスみたいで格好いいと思うんだけどな」

 ゲーム内の世界観を大切にし、なるべくシステム臭がしないようにしたいという運営方針により、探知スキルの反応察知方法は少々特殊だ。
 例えば、ウインドウのマップに敵を示す光点が表示されるなどなら分かりやすいのだがそうではなく、相手のいる位置に違和感を覚えるという何とも曖昧なものなのだ。一つのことに集中していると反応を見逃してしまうことなどもあり、大きなマイナス点と言える。

 しかし俺はそれこそがロマンと言うか、このスキルのいいところだと思うのだ。
 残念ながら理解者は少ないが。

「いいじゃん、こう、一見何もないところで、そこだ! みたいな」

 言いながらその場で実際に剣を抜き、背後の茂みに切っ先を向ける。
 クロノが呆れたように息を吐く。

「あのねえ、今はそんなことをしてる場合じゃないだろう」

 至極真っ当な言葉であるが、俺はそのまま構えを解かずに返した。

「いや、反応があったから準備してるんだけど」
「……それを先に言ってくれよ!」

 慌てて自分の武器を取り出すクロノの姿に苦笑しつつ、油断なく茂みを見つめる。
 森のフィールドであれば、可能性が高いのは獣型のモンスターだろうか。ダンジョンの名前も分からない状態だと、出現するモンスターの強さも判断できない。相方のキャラはあまり戦闘向きではないので低位の敵を希望したいところだ。

 そうして数秒後――がさりと草木を掻き分けて姿を現したのは、一言でいえば巨大なゴリラだった。

 ただし当然、その様相は動物園にいるものとはまるで違っている。
 頭上に表示された文字は、《クリムゾン・フィスト》。その名の通り体毛は保護色という言葉にけんかを売っているような赤で、筋骨隆々とした体躯は現実世界にいるそれと共通しているように思えるが、そもそも全体的な大きさが異なっている。こちらのほうが二回りはでかい。頭には小さいが角など生やし、山奥で出会ったらすぐさま死を覚悟するであろう化物だ。

 現実なら、だが。
 俺たちはその巨体を見て、むしろ安堵の息をついた。

「うわ、久々に見たなあコイツ。赤ゴリラ。ユト、覚えてるかい?」
「もちろんだ。こいつにはさんざん苦労させられたからな」

 クリムゾン・フィスト、紅き拳はSCOの初級ダンジョンに出没するモンスターの名前だった。攻撃力に特化した個体で、ステータスが低くゲームの操作にも慣れていなかった頃は何度一撃死させられたか分からない。
 もしかすると、これまでの二年半にわたるプレイで死亡した回数のうち一割くらいはこいつのせいかもしれない。

「まったく、序盤に出るモンスのステータスじゃなかったよな、こいつは」
「だね。あんまり強いもんだから、ゲームバランスの改善を求めたプレイヤーまでいたってね。受け入れられなかったらしいけど」

 二人でうんうんと頷いて、苦労した昔を懐かしむ。もっとも、俺はベータテスト時に攻略法を完成させていたので、正式版では他プレイヤーとさらに差をつける要因になったのだが。そう考えれば逆にありがたがるべきなのかもしれない。

 と、いきなり目の前で思い出話に花を咲かせ始めた俺たちに苛立ったように、赤ゴリラが雄叫びを上げて突進してきた。

 その姿には初心者プレイヤーが立てなくなるというのも納得のいく、暴走トラックのごとき威圧感があった。

「おおっ」

 しかしクロノの顔に一切緊張の色はない。当然だ。今の俺たちはそれぞれレベル69と87、初級ダンジョンに出る敵程度ならただ突っ立っていても死ぬことはない。
 ただ……通常プレイヤーのレベルを大きく下回るモンスターは基本的に逃げの姿勢に回るのだが、どうして奴は襲い掛かってくるのだろうか。これもバグの一つなのかもしれないなと思いつつ、来るならば迎え撃つだけだと剣を傾ける。

 唸る拳をステップで回避して懐に入り込み、一撃。
 レベル差の関係から何か技を使うまでもなく、刃はあっさりと奴の胴へと吸い込まれていった。










 ――――その瞬間は知覚が加速されたかのようにゆっくりと、鮮明に、俺の網膜に焼きついた。










 軽い手応えと共に刀身が獣毛とその先の肉体に、食い込む。
 筋繊維のぶちぶちとちぎれる感触。血が吹き出て赤い玉を飛ばす。
 内側に見えた骨らしき白い物体は他と比べると少し硬く、けれど勢いに乗った剣はやはり呆気なく切断する。
 重力に引かれた消化しかけの内容物を溢れさせながら地に落ち、べしゃりという湿った音とともに悪臭を周囲に拡散させた。

「え――――」

 生温い液体が俺の顔を濡らした。
 触れてみると、グローブの表面が赤く染まった。

 全身の関節が錆びついたかのように、固まる。
 剣を振り切った姿勢から、ギギギと、ブリキ人形のような緩慢な動きで首を動かし背後のそれを――《死体》を見る。

 嘘だ、有り得ない。
 そんな言葉が何重にもなって脳内に響き渡る。

 HPがゼロになったオブジェクトは爆散し、ポリゴンの欠片となって消えると、そうシステムに規定されている。殺しへの忌避感を薄れさせるからという倫理的な理由であるため、告知もなしに突然仕様が変わるようなことはまず有り得ない。

 それにそもそも、このゲームでは液体の表現はすべて簡略化されているのだ。
 仮にハードの計算能力を全力でそれに当てたとしても、それでもなお不自然さが拭えないほどに流動的な動きは処理が難しい。
 にもかかわらずこの溢れる血は滑らかに流れ、溜まり、俺の靴にへばりついてくる。
 顔についたものにいたっては水分が抜け始めたのか、凝固してぬめりまで出てきている。

「なん、で」

 血溜りの中、ようやくひねり出した言葉がそれだった。

「なんなんだよ、これ」

 答えなど返ってくるはずもない。
 呟きは血臭を含んだ風に流され、消えた。



[29582] 3
Name: 伊月◆ad05b155 ID:68f682b1
Date: 2012/04/04 05:45
 とにかく街へ向かおうと、そう提案したのはクロノだった。
 モンスターの体液を浴び呆然と立ち尽くしていた俺の肩を掴んで、気をしっかり保つよう懸命に呼び掛けていた相方の姿をぼんやりと覚えている。

 無言で、腕を引かれるまま機械的に足を動かし続け、それからどれだけの時間が経ったのか。
 正確なところは意識していなかったが、ふと気が付いた頃にはすでに日はどっぷりと暮れ、周囲を照らすものは月明かりのみとなっていた。いつの間にか俺たちは森を抜けていて、腐葉土の地面は舗装された道路に変わっていた。

 土を叩き固めただけの簡易なものだがこれは都市間を結ぶ主要道路……つまり街道だ。となるとこのどちらかの先には目指していた街があるはずで、うつむき気味だった顔をあげて見回してみると、確かに片方には魔法光によるオレンジ色の輝きが存在していた。

 近い。もう一キロメートルもないだろう。
 しかし、希望の象徴であるはずのそれを見ても、俺の中にさしたる感慨はわかなかった。じきに到着するという事実だけを認め、すぐにまた歩みを再開させる。

 十数分後、門のところまで着いたときもそれは変わらなかった。重厚なつくりの木の扉をぼんやりと眺めるだけだ。目の前のこと以外何も考えたくないという無気力感が身を包んでいた。

「閉まってる。この時間だと当然か……」

 加工の荒い、ささくれ立った表面をなでながらクロノが言った。
 この世界にはモンスターという動く災害のようなものが居るため、辺境の村などならともかく、一定規模以上の都市になると何らかの防備を固めているのが普通となっている。
 ここの場合は街全体を高い石壁でぐるりと囲み、さらに日没後は人の出入りを禁止しているようだった。建築物は基本的に破壊不能オブジェクトになっているので、どれだけ高い筋力パラメーターがあろうとこれを壊して中に入ることはできない。

 とはいえ――それもあくまでゲームの設定上の話。
 もし本当にそんなことをすれば締め出された、あるいは閉じ込められたプレイヤーからの苦情が殺到すること間違いなしだ。そのため建前上は出入り不可でも巨大な門扉の傍らにはもう一つ小さな入り口があり、この時間帯でもそこだけは使えるようになっている。
 構造的に門番の控え室だと思われる。そんなところを一般プレイヤーが自由に出入りするのもそれはそれで不自然ではあるものの、年中門が開きっぱなしであるよりはいいと製作者らが考えたのだろう。

 クロノはいつものように扉に近づき、手をかけた。
 そうして、ノブを回そうとする。

「――――っと」

 が、しかし。
 ガチャリと、ちょうど同じタイミングで向こう側から扉が開かれ、背の高い男が顔を出してくる。
 金属の鎧兜で身を包んだ、冒険者というよりも兵士を連想させるその姿。
 とっさに俺は、中に人間が入っておらずプログラムで動く人形――NPC(ノンプレイキャラクター)だろうかと考えたが、しかしそれは男が驚いたような表情を浮かべたことで否定された。

「うおっ、何だあんたら?」

 発言もまた、人間くさい。決まった問いに決まった答えを返すことしかできない現在のAIではあり得ない反応だ。

「…………人間?」
「あん? いや、それ以外の何に見えるんだよ」

 思わず口にしてしまった問いに、男が戸惑いがちに返してくる。
 これはもう決まりだろう。自分たち以外のプレイヤーと出会ったことに俺は安堵し、あのモンスターの一件からずっと固まっていた表情が自然と緩んだ。

 だが、どうしてか、一方でクロノは逆に顔つきを険しくしていた。
 まるで警戒するような素振りでもって、男に尋ねた。

「……これから狩りにでも行くんですか?」

 内容的には、偶然出会ったプレイヤーとの世間話。
 それをなんでそんな表情で口にするのだろうと俺は疑問に思ったが――しかしそれ以上に驚いたのは向こう側の反応だった。
 兵士風の男はとんでもないと言う様に手を顔の前で振り、大げさに否定したのだ。

「いやいや、日が暮れてから一人で外に出るなんて、そんな危ないことするわけないだろう! 今の時間帯はモンスターの巣窟になってるんだぞ」

 その形相の必死さからは本気で外に出ることを恐れているのが伺え、俺は面食らった。
 確かに夜はモンスターが活性化し、昼間よりも遭遇(エンカウント)率が高くなったり強力なモンスターが出たりする。それは事実だ。しかし照明魔法や暗視スキルを充実させておけば戦闘の感覚自体はそう変わらないため、男の反応はいくらなんでもオーバーに思えたのだ。

 それに、外に出ないというのなら何故ここにいるのだろうか。
 当然のことだがこの門の周辺にはモンスターも出ないしレアアイテムも落ちていない。たった四時間の接続をこんなところで過ごすのは無駄以外の何物でもなく、疑問を感じさせる。
 初心者が街の探索でもしていたのかと考えたものの、男のつけている装備はそれなりに要求筋力値があるように見えた。SCOではキャラ登録時にプレイヤーの脳波を計測し、他人がそのアバターを使うことができないようになっているため中の人だけ違うという可能性もない。

「……まあ何でもいいけど」

 少し考え込んだが、結局俺は思考を放棄することに決めた。
 他人の事情を深く詮索しないのもマナーの一つであるし、それに今はとにかく早いところGMに会ってこの状況から解放されたい。

 出ないならとりあえずそこをどいてくれと言って扉をくぐろうとする。

「あ、待て、勝手に入るな!」

 しかしその動きは腕をつかまれたことで強引に止められてしまう。

「なんだよ」

 連続した異常事態に気が立っていたため、俺は不快感を隠すことなく吐き捨てた。
 半ば突き飛ばすような形で腕を振り払い、睨み付ける。

 それに対し男は一瞬怯んだように腰を引かせたが、しかし気丈にも自らの主張を述べた。

「悪いが入れることはできない。この街は夜間の出入りを禁止している」
「はあ…………?」

 何をふざけたことを言っているのか。
 それが、その言葉を聞いて最初に思ったことだった。

「真面目な顔をして何を言うのかと思えば……」

 顔を顰め、舌打ちする。

「……それはゲームの設定上での話だろ。変なこと言ってないで早く通してくれ」
「いや、だからできないんだって! 規則なんだよ!」
「しつこいな。NPCじゃあるまいし、何なんだよアンタ」
「え、えぬぴーしー? 何のことか知らんがオレは門番だ、ここを守る義務がある!」

 そう叫ぶと、男は通路をふさぐようにして中央に立った。
 扉の内側の壁に立てかけてあった槍を手に取ると、鈍色に光る穂先を俺に突きつけてくる。

 ……本気の目だった。
 俺が再び無理に中に入ろうとすれば迷いなく攻撃してくるだろうと、そう確信させるだけの意志の強さがそこには見えた。

 しかしそれを言えば俺の方も同じだ。
 男の突飛な行動に驚きはしたもののそれだけであり、その感情はすぐに苛立ちと怒りに変わった。二度目の舌打ちをこぼして叫び返す。

「門番って……あんた一般プレイヤーだろ。馬鹿じゃないのか、ロールプレイもいい加減にしろよ、これ以上続けるならハラスメント行為でGMに訴えるぞ!」
「いい加減にするのはどっちだ! ここは通せないと、そう言っている!」
「このっ……!」

 そうしてついに、我慢の限界を迎えた。
 そっちがその気ならばと背中の剣に手を掛け、澄んだ音を響かせながら勢いよく引き抜く。
 一対一の近接戦闘ならばそれなりに自信がある。そんなに言うのならば力尽くで通してもらおうと、俺は平素では考えもしないような暴力的な結論を出した。

 兵士の顔が緊張に歪む。
 それを無感情に眺めながら俺は剣を滑らせようとしたが、しかし、その前に邪魔が入った。
 攻撃を防ぐようにして俺と兵士の男の間に割って入った人物――クロノが険しい顔で俺を止める。

「剣を引くんだ、ユト」

 なぜ、と俺はクロノに目で問いかけた。
 こうして狭い場所に陣取り通行の邪魔をするのは立派な迷惑行為に該当する。
 確かにここで男を斬れば、システム的には先に攻撃した俺が悪という事になるだろう。
 しかしそれも後で運営に事情を話し、プレイヤーの座標ログを確認してもらえばすぐに犯罪者カーソルは解除されるはずだ。

 クロノはしばらく、なにかを迷うようにして視線を揺らしていた。
 しかしやがて決意の光を含んだ、真剣な目つきで真っ直ぐと俺を見つめてきた。

「こんなことで、君を《殺人犯》にするわけにはいかない」
「は……さつ、じん? 何を言って……」

 突然の言葉に戸惑う。
 ただ単にPKを指すには重すぎる表現だった。仮想世界で何度HPをゼロにしようと、蘇生ポイントで復活できる。デスペナルティとてキャラステータスに影響するだけで、真の意味での命には何の関わりもない。

 けれど。

「ユトだって、本当はもう分かっているはずだ」
「何を……」
「これはもう、ただのゲームじゃないってことをだよ」

 もうゲームではない。
 言葉の意味が分からず眉間に皺を寄せる。
 いや違う、俺は分かっていたのだ。分かっていながら、それを認めたくないがゆえにそんな態度を取ったのだ。

「何を言うかと思えば……ただのゲームじゃない? じゃあなんだ、あの小説みたいにデスゲームでも始まったとでも? 確かに変なことは色々起きてるが、それはあり得ないってついさっき話し合ったばかりだろうが」
「違う。デスゲームではないよ。似てるけど、ある意味もっとたちが悪いものだ。なにせクリアしたら終わりというルールもないんだからね」

 たぶん、後から思い返すと、この聡い友人にはそんな心情もすべてお見通しだったのだろう。
 クロノは目を伏せながら、そっと続きを口にした。

「あのノイズが起きてから、おかしなことが連続してる。死体や血液のこともそうだし、それに、この姿もそうだ。アバターデータが初期化されただけにしてはいやにリアルすぎる。元の体を正確に写し取りすぎている。小さな黒子や指先のささくれまで再現するのは、現代の技術力じゃやろうと思ってもできないことだよ」

 言われて、俺は剣を持つ自分の手を見つめた。
 添えていた左手を離し、顔の近くまで持ってくると、今まではあまり気にしていなかった細かいディティールが見えてくる。

 普段から身につけているすべり止め用の革製グローブには、関節部分に小さな皺が数えきれないほど寄っていた。
 付着した血液は時間が経ったことで染み込み、黒く変色している。

 震えながらそれを外して素手の状態にすると、そこにもまた皺が。
 無数の産毛が生え、皮膚の下には薄く血管が透けて見えるきたない手。
 ポリゴンで構成された小奇麗な手とは似ても似つかない――生身の手。

「現実の日本では、当然ない。けれどゲームの中でもない。つまりここは……」

 一拍。
 クロノは深呼吸を挟んで、ついに核心を突く言葉を述べた。










「――――《異世界》」










 どさりと、何か重いものが落ちたような、鈍い音が周囲に響いた。
 それが自分の手から剣が零れ落ちた音であるということにも気が付かず、俺は一歩二歩と後ろに下がり、嫌だとわがままを言う子どものように首を振った。

 有り得ない。
 有り得るはずがない。
 有り得ていいはずがない。

 ヒカガクテキの一言に尽きる推論だ。
 VRは、あの機械はただデジタル信号を変換して脳に送り込み五感を刺激している、言い換えれば脳を騙しているだけで、魂まで運んでいるわけではない。
 本物の異世界に移動させる機能など付いているはずはない。
 そんなものは、ネット上の都市伝説として噂されるだけで十分だ。
 それならばまだデスゲームが始まったのだと言われた方が多少説得力はある。

「……………………う……あ……」

 けれど否定するための言葉は出ずに、喉からは掠れた吐息だけが漏れる。
 なにせたった今、自分でクロノの言葉を証明するものを見てしまったのだ。

 それにもしかすると、俺は心の底では気が付いていたのかもしれない。
 本当に街に着けば終わると、GMに事情を話せばログアウトして現実世界に戻れると信じていたのなら、のろのろと歩くのではなく全力で走ればいい。高レベルのステータス補正をフルに使えばあの程度の森は一瞬で踏破できる。

 それをしなかったのは、残酷な真実と直面するまでの猶予の時間が欲しかったからに他ならない。

 俺は膝から崩れ落ち、その場に座り込んだ。
 激しい運動をしたわけでもないのにどうしてか息が荒くなる。
 それを必死に抑えながら、俺は震える声でクロノに尋ねた。

「帰る方法は――――」

 が、その途中で言葉が止まる。
 自分と同じ立場である彼がそんなことを知っているはずのないことに気が付き、唇を噛みしめる。
 なにか二つの世界を繋げる門のような場所を通ってきたならばともかく、原因不明のノイズが起きて意識を失い、気が付けばこちら側に居たのだから帰還の手段など思いつくはずもない。

 ふざけてる、と。
 無性にそう叫び散らしたい気持ちになる。

 剣と魔法の世界に憧れがなかったとは言わない。
 神殿で話していたように接続制限は煩わしく思っていたし、ずっとこちらの世界に居続けられればいいのにと考えたことは一度や二度ではない。
 しかし、これはいくら何でも突然すぎる。
 夢が叶った、などという歓喜は一切湧き上がらない。
 胸を満たすのは恐ろしいほどの喪失感。

 脳裏に浮かぶ少し口うるさくも仲のいい両親、本の虫の兄貴、馬鹿な話で盛り上がる友人たち。
 彼らにもう会えない? もう戻れない?

「……馬鹿げてる」
「……そう、だね」

 その短いやり取りを最後に。
 それからしばらくの間、俺たちは二人とも一切の言葉を発さなかった。
 俺は俯いたまま焦点の合わない目で虚空を見つめていたし、クロノもその隣にずっといた。風が草木を揺らす音だけが響く中、静かに。

 再びそこに人の声が入り、静寂が破られるまでにどれだけの間があっただろう。
 すっかり話から置いて行ってしまっていた兵士がためらいがちに声を掛けてきたことで、俺はようやく意識を戻した。

「ええと……キミら……」

 中途半端に槍を構えながら男は口ごもる。
 若干滑稽な姿であるが、しかし笑うことはできないだろう。
 彼からすれば今の状況は、夜中に話の通じない冒険者風のガキ共が押し寄せてきて、それでも何とか職務を遂行しようとしたら今度は仲間割れを起こしたというものだ。
 なにがなんなのか全くもって理解できていないだろうし、しかもその上でこの沈黙。
 逆の立場なら勘弁してくれと泣き出したくなるに違いない。

 扉を閉じて中に引きこもってしまえば簡単なのだが、男は人がいいのか、それとも仕事だからなのかその行動には移らない。
 困惑を張り付けた顔で視線を俺たち二人に行き来させ、何かを言おうとしては止めるという繰り返しだ。

 結局、そこから何か話が進むことはなく、場の空気が動いたのはもう少しだけ後のことだった。

「おいおい、一体何の騒ぎだ?」

 守衛室の奥から響く、低く太い声。
 それが聞こえた途端に兵士の男は顔を輝かせながら扉の内側に目を向けた。
 敬礼したところを見ると上司か何かだろう。
 見ると、重い足音とともに出てきたのは兵士よりもさらに一回り大柄な男性だった。
 上等な装備と、それに見合っただけの実力をうかがわせる戦士の風格。年齢は四十代後半といったところだろうか、短く刈った茶髪に藍色の瞳といった西洋風の顔立ちをしている。

 失明はしていないようだが右目を縦に裂くような傷があり、それを見て俺は、そういえばゲームではああいう外装調整はできなかったなと考えた。
 確か傷跡の描写がVRだと微妙に生々しくなってしまうのと、現実で真似をする者が出かねないというのが理由だったはずだ。こんなところにもここが異世界である証拠があるとは、なんだか少し笑えてしまう。

「何があった?」

 傷持ちの男は状況を見て、とりあえずは部下に話を聞くことにしたようだった。
 実は、と話し出す兵士の声を――座っているが――立ち聞きすると、やはり俺たちは意味の分からない存在として理解されていたらしい。申し訳ないとは思うものの、かといって今は精神肉体ともに疲労していて弁解も謝罪もする気が起きない。

「ふむ……」

 一通りの内容を聞いた上司の男は、どういう意味がこめられているのか分かりにくい相槌を打つと、無精髭を撫でながら今度はこちらへと近づいてきた。
 そして俺とクロノをじっと見つめると、やがて小さく眉を動かして言った。

「話は中で聞こう」
「ギリアムさん!? しかしそれは……」

 規則に引っかかる提案に兵士は明らかに慌てた様子を見せた。
 しかしぼんやりとそちらを見ていた俺と目が合った途端、言葉に詰まったように口を閉ざす。
 どうやら今の自分は、一度は明確に敵対し、剣を向けた相手にまで心配されるほど酷い顔をしているらしい。

「さて、聞いた通りだ」

 ギリアムと呼ばれた男は、静かにそう言った。

「……いいんですか?」

 と、これはクロノ。
 探るような目つきと声色で、規則を破ってまで俺たちを入れることに対する疑念を顕にする。

「夜中に訪れた旅人を詰め所で保護した前例がない訳じゃない。暴れるようなら当然拘束させてもらうが、まあ、大人しくしているなら茶の一杯くらいは出そう」

 どうする、とクロノが肩を竦めて問い掛けてくる。
 それに対して俺は、落ち着ける場所に行けるのならばと小さく頷いた。
 今はとにかく、状況と心の整理がしたかったのだ。




[29582] 4
Name: 伊月◆ad05b155 ID:68f682b1
Date: 2012/04/04 05:45
 朝日の眩しさで目を覚ました。
 呻きながら瞼を開くとそこは見慣れた自室ではなく、木張りの壁と天井に囲まれた古風な作りの部屋だった。
 眉をひそめること数秒、やがて昨日自分たちの身に起こったこととその後の経緯を思い出し、俺はどこか空虚な気持ちでそっと呟いた。

「……そういえば、守衛室に泊めてもらったんだっけ」

 隣のベッドで同じように横になっているクロノを一瞥して起き上がる。
 薄いカーテンと窓を開けると、柔らかな日差しが俺の顔を照らした。

 外に見えるのは、西洋中世風ののどかな街並み。
 耳に飛び込んでくるのは人々の喧騒と、日本では聞いた覚えのない鳥の鳴き声。

「違う世界、か……」















 ――――昨晩。
 ギリアムというらしい男が、宣言どおり俺たちを中に入れてくれた後のことだ。

 中に入れてもらったとはいえ、その時点でのこちらの立場はよくて旅人、悪くて不審者。
 実際の斬り合いにはならなかったとはいえ門番に剣を向けてしまったこともあって、まず行われたのは武器の引き渡しと軽い取り調べだった。
 それぞれの装備を床に置き、別室で、なぜあんなにも錯乱し絶望に染まった顔をしていたのかを追及される。
 それに対し俺たちはすべて正直に答えたものの、しかし《異世界》、《パラレルワールド》の概念の有無に躓き、説明は難航した。

 VRMMORPGと、そのタイトルであるソウルクレイドル・オンラインのこと。
 プレイ中に謎の意識喪失と転移現象に見舞われ、気が付いたときには見知らぬ森の中に倒れていたこと。
 ログアウトできなくなったこと、街に向かう途中モンスターに襲われたこと、倒すとポリゴンの欠片となるはずの死体が残ったこと。

 なるべく丁寧に話したつもりだったが、赤子の頃からこの世界に生きているだろう彼らに理解できるものではない。
 すべてを聞き終えたギリアムはしばし瞑目し、そしてすまなさそうに首を横に振った。

「正直に言って、オレには君らの話の半分も理解できない。SCOやログアウトというものが何を指しているのか分からないし、モンスターを斬れば血が出るのも当たり前のことだ」
「………………そう、ですよね」

 クロノは眉根を強く寄せ、顔を顰める。
 とりあえず語弊はあるかもしれないが、とても遠いところから事故で飛ばされてきたと考えてくださいと伝える。未踏破区までの超長距離移動が可能な魔法はゲームには存在しなかったが、今はそう表現するしかない。
 そもそもが原因不明の、超常的な現象について述べているのだ。
 巻き込まれた俺たち自身が正確なところを掴めていないと察してくれたのだろう、ギリアム氏もいちいち矛盾点を指摘してくることはなかった。

 いかつい顔立ちに似合わず――などと言うと少々失礼だが――理解力のあるその姿勢に感謝しつつ、俺は一つ気になっていたことについて聞くことにした。

「あの……」
「ん、どうした」
「この世界にも、ウインドウってあるんですか」

 ウインドウ、そしてレベルやスキルと言ったゲームシステム概念の有無。
 ここに来る前に使用できたことから、俺とクロノがそれを変わらず運用できるのに違いはない。しかしそれはこちら側の住人にとってはどうなのか。どこまで自分たちのゲームの常識が通じるのかというのが、俺の意識の片隅に引っかかっていた疑問だった。

 もしこの世界にそれらのものがなければ気を付けなければならない。
 虚空にふわふわと浮く板をさも当然のように操作する姿は、事情を知らない相手の目には奇妙なものに映ると簡単に想像がついたからだ。

「そりゃあ、もちろん」

 とはいえそれは杞憂だったようで、ギリアムはむしろ、どうしてそんな当たり前のことを聞くのかという疑問顔を浮かべた。
 ほら、と言うように胸の前に音もなく画面を表示させる。
 間違いなく、俺たちが行っているのと同じウインドウの思考操作だ。

「システム面もSCOと同じなのか……。すいません、念のためデザインの方も見せてもらっても――」

 いいですかと、そう言い掛けるが、よくよく考えてみれば赤の他人にウインドウの不可視モードを解除して欲しいと頼むのはかなりのマナー違反だ。
 もうすでにここはゲームではなく異世界だが、まったく同じ見た目のシステムを使っている以上そこに付随するルールも似通っている可能性が高い。

 仕方がなく、自分のウインドウを表示させて不可視モードを解除する。
 ギリアム側から見やすいようにくるりと裏表を反転させ、彼のそれがこれと同じものかを確認する。


 ……後から思うと、この行動は正直かなり迂闊だったと言わざるを得ない。


「おいおい、あまりこういったのは人に見せるものじゃないぞ」

 予想通りウインドウはそう簡単に開示するものではないのか、ギリアムは眉を顰めてそう忠告してきた。
 しかし、おそらく反射的なものだったのだろう、提示した画面に向けて一瞬だけ目が動き――そしてそのまま「ぶはっ」と派手に噴き出した。

 目を丸くする俺たちの前で彼は二、三度咳き込み、それから酸欠の金魚のように口をぱくぱくと開閉させると、部屋中に響くような大声を上げた。

「なんだこりゃ!」
「えっと、あの、一体どうしたんで……」
「どうしたもこうしたも、何だこれは!!」

 言われ、俺は画面を再度ひっくり返し、クロノと共にそこに表示されている文字を眺めた。
 見せたのはトップメニューであるためその大部分はボタンと人型の装備フィギュアに埋め尽くされ、他にあるものと言えば俺の名前とレベル、HP、MPくらいである。
 何も特別なことはないと思うのだがと首を傾げていると、ギリアムは再度怒鳴るような声量で言った。

「レベル87なんて、王国騎士団の連中でも有り得ねえぞ!」
「…………あ、なるほど」

 問題にされていたのはレベルらしい。
 王国騎士団とやらがどんなものかは分からないが、騎士と名がつくからには弱くはないだろう。つまりこの世界において俺は強者に、それも有り得ないと叫ばれるほどの実力者に分類されるということだ。

 そっちのお前はと問われ、ウインドウは開かなかったものの「69です」と素直に答えたクロノの言葉を聞くとギリアムは途方に暮れたような表情で溜息を吐いた。

「ふざけた強さだ。お前たち、出身はどこなんだ」
「ええと、日本の東京……」
「そこでは、お前らみたいなレベルは普通なのか」
「まあ、ユトはともかく、僕くらいの人はそれほど珍しくなかったですね」
「無茶苦茶だな……一体どんな国なんだか」
「一応、それなりに平和な国でしたけど」

 高レベル者が多数住むという情報と平和というイメージが繋がらないのか、ギリアムは大層困惑しているようだったが、実際の、現実世界での俺は剣どころか小ぶりなダガーすら振るったことのない徒人である。
 そんな人間を顔に傷を持つ風格ある男がさも恐ろしげに見ているのだから奇妙なものだ。
 ギャップに、思わず苦笑がこぼれた。

「ニホン……ニホンか……」

 しかし、すぐにその表情は訝しむものに変わることとなる。
 なぜなら、ギリアムが日本と言う単語を反芻するように小さく呟いていたからだ。

「あの、ギリアムさん?」

 イントネーションこそ微妙に異なっているが聞き間違えではない。
 尋ねると、彼は曖昧な返事をしながらこちらをじっと見つめた。

「いや、悪い。なんとなくその名前に聞き覚えがあるような気がしてな」
「聞き覚え、ですか?」

 ここがSCOに準拠した世界であれば当然その中に日本などという地名が存在するはずがない。俺はどういうことなのか分からず首を捻ったが、一瞬の間を挟み、まるで天啓に導かれたかのように脳に電流が走った。

「まさか……!」

 クロノも同じ答えを出したらしく、やや目を見開きながら呟いた。

「そうか、この世界に来たプレイヤーが僕らだけとは限らない。その人が自分は日本人だと吹聴していたとすれば、こっち側の人が日本について知っていてもおかしくない」
「同じ日本人なら、接触すれば協力関係を結べるかもしれない。ギリアムさん、誰が何を言っていたのか、何とか思い出せませんか!」

 詰め寄る俺たちを見てギリアムは眉間のしわを深くした。
 腕を組みながらしばらく唸り続け、そして「ああ」と小さく声を上げた。

「そうだ、昔確かに、同じようなことを言っている奴がいた」
「本当ですか!?」

 その人は今どこに、と勢い込んで尋ねる。
 が、返ってきたのは残念ながら否定の言葉だった。

「分からん。そんなに深い関係でもなかったからな」
「そう、ですか……」

 そう上手く事は運ばない、ということだろうか。

「ちなみにその人、なんて名前でした? できれば顔とか格好についても知りたいんですけど」

 それは、一応聞いておくか程度の気持ちだった。
 捜して見つかる可能性は限りなく低いが念のため――という様に。

 だが、ギリアムの返答に俺たちは再び目を見開くこととなる。

「ああ、それは覚えている。風土的なものだとかで、貴族でもないのに姓がある特徴的な名前だったからな。トキサダ・ミフネだ。ニホンでは姓が先にくるとか言っていたから、正しくはミフネ・トキサダになるのか?」
「ミフネ――」

 それを聞いて、俺は絶句した。周囲の時間が止まったかのような錯覚すらした。
 俺もクロノもその名前を知っていた。いや、おそらくSCOに初期から参加している人間で彼を知らない者はいないだろう。


 ミフネ・トキサダ。


 三船時貞。


 バーチャルリアリティという、それまでSFの世界でしかあり得なかった技術を現実のものとした天才科学者。
 そして同時に、ソウルクレイドル・オンラインの原型を作ったプログラマーでもある。
 ハードとソフト、そのどちらの製作にも携わっている、いわばこの世界の生みの親だ。

「あ、あの人がこの世界に来ていたんですか!?」
「この世界、という言い回しはいまだによく分からないが、会ったことは確かだな。昔飯屋で相席して、少しだけ話したんだ。そのときに、自分はニホンというところの出身だと聞いた」
「それって具体的には……?」
「そうだな、オレが三十になるかならないかの頃だから……十年くらい前だな」

 それを聞き、クロノと顔を見合わせる。
 十年前。SCOのサービス開始が二年半前だから、どう考えても計算が合わない。そんなに前だとVRの本格的な研究がようやく始まったかどうかといったところだ。

「人違いとか、か?」
「でも、そうだとしても、ゲームが存在しない頃からここに日本人が居たことには変わりないよ」
「じゃあ、時間の流れが異なってるとか」
「ゲーム内での時間は完全に現実と同期してたけど……うーん、ギリアムさん、その彼は当時何歳くらいに見えましたか?」
「見た目は二十代前半だったが、実際本人から聞いたところだと二十九だって言ってたな。その外見で俺と同じくらいかよって驚いたら、ニホン人は皆そんなもんだとか……」

 なるほど、SCOは中世ヨーロッパ風の世界観でできている。ここの住人からすると東洋人の顔立ちにそういう感想を抱いてもおかしくはない。実際、試しに俺たちが何歳に見えるか聞いてみたところ返ってきた答えは十四、五歳だった。
 どうやら街に入れてくれた理由には外見が子どもだったからというのもあったようで、本当の年齢を教えると大層驚かれたが、まあそれはともかく。

 三船の年齢は本人申告のものを基準にしたほうが正しいと思われる。
 そうすると彼は現在四十歳前後、時間の流れは現実と変わりないということだ。

「逆転の発想。実はSCOからこの世界ができたんじゃなく、ここを基にゲームが作られた」

 クロノが眼鏡の縁を指でなぞりながら、なら、と新たな説を口にする。
 なるほど確かに、それならば三船が何らかの手段でこちらに来、それから帰った後にVRの研究を始めたと考えれば辻褄は合う。

 一つの大きな問題を除いて。

「けど、三船がこちら側を模倣してゲームをつくったとすると、つまりこの世界には最初からウインドウやら何やらがあったってことになるよなあ」

 魔法などがある時点で元の世界の常識は通用しないとはいえ、ゲームシステムが自然法則の一つとして存在するというのはどうにも納得できない。
 頭が固いと言われるかもしれないが、しかし考えても見て欲しい。本当に最初の最初、例えば星が生まれた直後であればウインドウを使うような生物は存在しないのだ。先史時代に入ったとしても、文字が発明されなければ情報を読み取ることはできないのである。

 それとも、こちらの世界ではダーウィンの進化論は否定されるのだろうか。
 ゲーム内には信仰の対象としてはともかく、本当に世界創造神のような存在がいるとは描写されていなかったはずなのだが。

「うーん、一体どうなってるんだろうね」

 クロノもその矛盾には気が付いていたのか、俺の反論を認めて頭を抱えた。

「三船本人に直接聞ければ早いんだけど……追うにしてもいろいろ問題があるんだよね……」
「主に、今日明日を生き抜く方法とかな」

 そう、彼の足取りを追うにしても今は手掛かりもなければこの世界の常識もない。
 いくらゲームステータスを引き継げているからといって、不用意に動けば痛い目を見るのは確実だ。例えばそう、金とか、金とか、あと金とか。なぜか手持ちの金とアイテムを喪失した現在俺たちは無一文、パンの一つも買えない状態であるため、早いところ対策を打たねばならない。

 ゲームと同じようにモンスターを狩ればいいだけなら簡単なのだが、しかし先刻赤ゴリラを倒したときに残ったのは死体のみでドロップ品などの表示はなかった。ウインドウを改めて確認してみてもやはり、資金0アイテム所持数0のままだ。

 ハンターのように皮やら肉やらを剥ぎ取らなければならないなら素人になす術はない。
 ボタン一つで作業が完了するとは、さすがに思えなかった。

「ふむ、住む場所と仕事に困っているのか……」

 そんな俺たちに救いの手を差し伸べたのは、やはりこの男だった。
 ああでもないこうでもないという言い合いを横で静かに聞いていたギリアムだったが、唐突にそう口にすると、顎に手をやり思案するように視線を動かしながら驚くべき提案をしてきたのだ。

「そうだな、お前たち、とりあえず今日はここに泊って行け」
「え……ここって、守衛室にですか?」
「ああ。どちらにしろ日が昇らない内に街へ入れる訳にはいかん」

 警備兵用のベッドが余ってるからそれを使えと、そう言われる。

「安物だから布は薄いがな。悪いが、背中が痛くなっても苦情は受け付けられんぞ」
「いや、それは別にいいんですけど……」
「明日からは、そうだな、少し手狭だがオレの家に居候でどうだ。仕事については、後で顔見知りに口利きしといてやろう」
「へ? は、あ、いやそんなそこまでしてもらう訳には、ってか何でですか!?」

 さも当然のように提示される、破格に過ぎる条件に俺は思わず叫んでしまった。
 一日ここに泊めてもらえるというのは、彼自身が言ったように規則などもあるならまあ納得できる。
 しかしそれ以降の条件はいくらなんでもおかしい。門番であるギリアムの職務はここの防衛であり、その過程で旅人の保護があったとしてもその後まで関与する必要は全くない。にもかかわらず自分の家に泊めようとする、仕事の面倒を見るというのは奇妙だ。

 今まで親身になって話を聞いてくれていた相手とはいえ、ここまでくるとお人好しの一言では済まされない。

 何か裏があるのでは、と疑ってしまう。
 不躾ではあるが、思わず警戒心に満ちた視線を送る。

「阿呆」

 だが、そんな俺に対してギリアムは溜息と共に一言吐き出した。
 眉間を揉み解しながらウインドウを目の前に呼び出し、先ほど俺がそうしたように半回転させて見せつけてくる。Gilliam、レベル42と書かれた部分を指差して呆れたように、曰く、

「お前たちからすれば大したことはないんだろうが、これでもオレは一流と呼ばれる戦士だったんだ。今でも、この街の最高戦力だと自負している。……つまり逆に言えば、オレよりも強いやつが犯罪に走ったときにそれを力尽くで止められる人間はいない」

 なるほど、と。
 クロノが眼鏡の縁をなぞりながら呟いた。

「どうせなら先に恩を売っておいて、首輪を付けておきたいということですか」
「そういうことになるな。本来ならどれだけ金を積んでも得られないような戦力が目の前にあるんだ、味方にしたいと思うのが自然だろう?」

 一拍遅れて、俺も彼の言わんとするところを理解した。
 ここは剣も魔法もあるファンタジー。
 元の世界とは違い、鍛えようによっては比喩でない一騎当千の力が手に入る場所だ。ゲームでも、多少のレベル差ならば数で圧殺できるものの、あまりにかけ離れ過ぎていると与ダメージ0やら、ダメージが通ったとしてもすぐにそれ以上のHPを自動回復されるなど、どうあがいても勝てない敵と言うのは存在する。

 そして、今現在の俺のレベルは87。ギリアムは42。引き算するとその差は45――はっきり言って俺もクロノも彼に傷一つ負わずに完勝することができてしまう。

「もちろん本当にそうなった場合は応援を呼んで何が何でも捕縛させてもらうが、事を穏便に解決できるならそちらの方がいい。まあ乞食に集まられても困るから、特別扱いについて口外しなければという条件は付くがな」

 提案に、俺たちは無言で顔を見合わせた。どうする、と視線を交わし合う。
 しかし結論など初めから出ていた。さほど時間は掛からずに正面に向き直り、代表して俺がその選択を伝える。

「よろしくお願いします」
「おう。契約成立だな」

 そう言って、ギリアムは豪快に笑った。
 差し出された手を握り返すと、ごつごつとした皮膚の感触と仄かな温かさが伝わってきた。

「もう時間も遅いことだし、詳しい話は明日にしよう。案内するからついて来い……あ、待て。最後に一つだけ聞いておきたいことがあった」
「聞いておきたいこと?」
「ああ。そういえばまだお前らの名前を聞いてなかったと思ってな。いつまでも『お前ら』と呼ぶのは面倒だろう」

 そういえば。こちらは兵士が名を呼んだためギリアムのことを知っていたが、よくよく考えてみると自己紹介もしていないのだ。
 一瞬、本名とキャラネームどちらを名乗るべきかを迷った。しかしウインドウに登録されていないほうが本当ですというのもまた説明がややこしくなりそうなので、大人しく《Yuto》の方を選ぶことにする。

「ユトです。十七歳、男。ステータスとスキル構成は前衛剣士型」

 名前だけというのも味気ないので、少しだけ付け加える。

「クロノです。歳と性別は右に同じ。戦闘スタイルは見ての通り、魔法使い」

 相棒もならって、クロノの方を言うことにしたようだ。三船のように姓は持っていないのかと聞かれたが、まあ、そこは愛想笑いでごまかしておくとする。複雑な事情があると言えばギリアムもそれ以上は追及してこなかった。

「ユトとクロノか……ではこちらも改めて名乗ろう。オレはギリアム、しばらく一緒によろしく頼む」










 それが、昨晩門の中に入れてもらってからの一連の流れ。

 俺たちはその後、体にこびり付いた血液をざっと拭い取り、そして案内された部屋のベッドへと即座に倒れ込んだ。死んだように眠って、そうして今、異世界での初の目覚めを経験したところだった。










「……以上、回想終わり」

 呟きとともに記憶の辿りを終了し、俺は窓の外から内へと視線を戻した。
 未だ夢の中にいる相棒の肩を揺すって強制的に意識を現実に呼び戻しつつ、机に置かれた着替えを手に取る。
 当然ながらこれもギリアムの好意によるものだ。
 昨日着ていた服はすっかり赤黒く染まってしまっていて、見た目的にも臭い的にも一度洗わなければいけなくなっていた。よって、寝間着もそうだったのだが、衣服についてはさっそく彼のお世話になっている。
 さすがに急な事だったのでサイズまでぴったりとはいかないようだったが、多少ぶかっとする程度ならば問題はない。
 麻布でできたシャツの袖部分を折って長さを調節していると、クロノがもぞもぞとベッドから起き出してきた。

「ん……あれ……ここどこ……」

 典型的な寝惚け方に笑いながら俺は彼の分の衣服を投げ渡す。

「おはようクロノ。とりあえずそれに着替えといてくれ」
「んん……?」

 最初は俺の言葉もあまり理解できていない様子のクロノだったが、時間経過によって覚醒してきたのかだんだんと瞼が上がってくる。
 半眼だった目が完全に開いたところで状況を把握、というよりも思い出したのだろう。
 両手を頭の上で組んで大きく伸びをし、そして深い溜息を吐いた。

「……夢じゃなかったんだね」
「俺も同じことを思ったよ」
「ま、そうだろうね」

 お互い考えることは一緒だということだ。
 証拠を突きつけられ、これは現実なのだと認めても、やはり心の奥底では小さな期待があった。一晩寝れば元の日常に帰れるのではないかと希望を持っていた。
 しかし、結果はご覧の通り。
 どこかやるせない気持ちが湧き上がってくる。

「……まあ、ここでぐだぐだ言ってても仕方ないさ。とりあえずさっさとギリアムさんのところに行こうぜ」
「そうだねえ。落ち込むよりも目先の生活、か」

 そんな会話を交わしながらクロノの準備が整うのを待つ。
 昨日ギリアムと話した部屋に向かうと彼は俺たちよりも早く起きたのか、あるいは夜を徹して職務についていたのか、昨日と変わらない姿でそこにいた。新聞らしき紙束を熱心に読んでいるようだったが足音に気が付くとこちらに目を向けた。

「起きたか。ずいぶんと遅かったな」

 現在時刻は午前十時。
 俺の感覚でも遅い目覚めだと思うくらいなのだから、こちらの世界の住人にとってはなおさらだろう。NPCと生きた人間である彼らを同一視してしまっていいかは分からないが、少なくともゲーム内では街は日の昇りと共に起きて日の沈みと共に眠っていた。
 昨晩ギリアムたちが夜中に活動していたのはむしろ例外で、門番という職業故なのかもしれない。
 すみませんと素直に謝りつつ部屋に入る。

「ああ、いや、別に責めた訳じゃないんだがな。疲れていただろうし、仕方がない」
「ありがとうございます」
「とりあえずは飯だな。こんなもんしかないが、ないよりはマシだろう」

 そう言ってギリアムはテーブルの上に置いてある、パンに野菜や肉をはさんだサンドイッチのようなものを示した。こんなもんとは言うがパンのサイズが結構大きく食べごたえがありそうだ。再度感謝の言葉を述べながら俺たちは椅子を引いて腰かけた。
 ありがたく皿から一つ取っていただくと、日本で食べていたものとよく似た、けれど材料の違いかどことなく異なる食感と味がした。
 特に肉は牛でも豚でも、鳥でもない気がする。
 ここがファンタジー世界であることを考えるとモンスターの肉という可能性もある。

「さて。それで今後についての話なんだが」

 食べながら聞いてくれと言って、ギリアムは話し始めた。

「昨日オレが約束したのは居候の件と、仕事の口利きだったな。ただ、最初の内は寝食以外にも何かと入り用だろう。個人の財布からだから大した額は出せんが……」

 ほら、と布でできた小袋を投げ渡される。
 受け止めると、中から硬質な金属音が聞こえてきた。重さもそれなりにある。紐を解いて口を開けてみると硬貨らしい薄い円板が何十枚か入っていた。

「これは……この世界のお金ですか?」

 クロノが物珍しそうに一枚を手に取る。
 ゲームだと買い物はウインドウの数字の増減でしかなかったため、物体化してるのを見るのは初めてだった。
 聞くと、この世界では金に限らずウインドウを使った物品のやり取りはできないらしい。何かをトレードしたいならば一度お互いの品をアイテムストレージから取り出し、外で交換しなければいけないようだ。

 不便と言えば不便だがかさばらないよう収納できるならば問題ない。
 ウインドウに入るよう念じたと光の粒子となって消え、そして現れるよう念じると掌にきちんと出てくる。

 コインの表面を指でなぞりながら、俺はギリアムに尋ねた。

「結構まとまった金額みたいですけど……いいんですか?」
「なあに、稼げるようになったら返してくれ」

 そう言ってギリアムはにやりと口角を持ち上げた。
 どうやら支給ではなく借金という形の金らしい。ケチったというよりはむしろ俺たちに気を使わせないための言だろう。最初に手持ちが全くないのは確かに苦しいため、ありがたく頂戴することにする。

「いつになるかは分かりませんが、必ず返します」
「期待して待っていよう。そのためにも次は、仕事の話だな。冒険者ギルドのことは知っているか?」
「ええっと、はい、自分たちの知っているものと同じであればですけど」

 RPGのお約束に違わず、SCOにもギルドと言う組織は存在する。
 いわゆる冒険者に対する仕事の斡旋を主に行う組織で、クロノなどはファンタジー版ハローワークと身も蓋もない言い方をする。
 簡単に言えば組合の運営する酒場ではモンスターの討伐を行う殲滅系、薬草などの採集を行う探索系など、さまざまな種類の依頼を受けることができるのだ。人里に限らずフィールドやはたまたダンジョン内でもクエストが用意されているSCOではどちらかといえば初心者向けの施設だが、過去にはかなりお世話になったため記憶には鮮明に残っていた。

 自分の持つギルドのイメージを伝えると、こちら側でも大体のところは同じらしい。
 ギリアムは小さく頷くと説明を続けた。

「ギルド長とはそれなりに親しい仲でな。昨日の内にお前たちのことは、歳に似合わず腕の立つ旅人だと紹介しておいた。オレより強いとも言っておいたからかなり期待されているだろう」

 腕の立つ旅人。その表現に俺はなぜ具体的なレベルを明かさずにぼやけた言い回しをするのかと首を傾げたが、どうやらこちらでは自分のステータスを明かすことはほとんどないらしい。
 理由は、手の内を晒してしまった場合、盗賊などに襲われやすくなるから。
 ゲームでも獲物の戦力評価をしたうえでPKを狙うプレイヤーはいたが、この世界では《二度目》がない。HPがゼロになることはイコール本物の死であるため、警戒心も自然と高くなっているのだろう。

 また、俺たちのレベルはあまりに高すぎるため、騒ぎになる可能性があるとも言われた。
 突出した強さは良くも悪くも目を付けられる。国に帰ることが目的なら騎士団やら魔導師団やらに誘われても面倒なだけだろうと真面目な顔で問われ、俺は引き攣った表情で首を縦に振った。
 そんないかにも高名な団体に属してしまえば身動きがとりにくくなるだけでなく、入らないかと要請を受けた時点で、仮に断ったとしてもかなり厄介な事になりそうである。

「……思いっきり暴れてさっさと金を溜めようと思ってたんだけどなあ」
「表向きには駆け出し冒険者を装っておいた方が賢明だろうな。まあ暴れるというのも、ある程度ならこちらとしても歓迎なんだが」
「歓迎?」

 クロノが訝し気に問いかける。

「ん、ああ。最近モンスターどもの動きが活発化してきててな、処理がちょっとばかし追いついてないんだ。普段は森の奥から出て来ないような高レベルのやつまで現れる始末で、仕事熱心な冒険者はかなりありがたい」
「なるほど。でも、高レベルのモンスターですか? 《ハイムズ》にそんな強いモンスターなんていたっけ……?」

 ギリアムの回答に、しかし相棒は完全には納得いっていないようだった。
 呟きの中にあった《ハイムズ》とはこの街の正式名称だ。そしてそれは、ゲーム内でも登場した名前である。近辺の森にクリムゾン・フィストが生息していることからも分かる通り序盤の街で、レベル42のギリアムがいながら対処に苦労するようなモンスターは出現しないはずだった。

「ゲームとは違っているのかな。ギリアムさん、このあたりに出るモンスターってどんなのなんですか? あ、ニホンとここの地域の違いとかは考えなくてもいいですよ。モンスの名前を言ってもらえばたぶん分かりますから」
「本当に近くなら大したものは出ないな。《ベノムグロッグ》とか、《バウンドダル》だとか。ただ、森や山に入ると《ヴァイス》級のも生息している」

 それを聞いて、俺はこの世界の常識を知る必要性を改めて認識した。
 前の二つは毒ガエルに跳ねウサギとも呼ばれる小型の敵、初心者向けのいわゆる雑魚だ。しかし《ヴァイス》は、あれは確かレベル20相当の力を持つ、獅子に似た形状のモンスターであったはず。
 猫科特有の機動力には俺も苦戦した経験があった。
 一体ずつ出てくるのであればともかく、群れをつくっているとなれば確かに彼一人では厳しい。

 いくつかの、というかかなりの部分で両者に一致が見られることから、この世界をゲームの延長線上にあるものという捉え方も間違ってはいないのだろう。しかし同時に、それ以外も有り得る。
 俺の知るソウルクレイドル・オンラインの世界とこの世界はあくまで似て非なるもの。すべてを既知のものとして考え行動するのは危険だと心に刻み付ける。

「そういう奴らは、こちらから手出ししなければわざわざ人里に降りてくるようなことはない。基本的にはな。数が増えすぎると別だ。山の餌が尽きたら、次は人というわけだ」
「だから定期的に減らす必要がある、と」
「ああ。それにさっきも言ったが、最近モンスターの動きが少し妙で――」

 ギリアムはその先を言おうとして、口をつぐんだ。
 部屋の入口に誰かが近づいてきた気配がしたからだ。

 木張りの床を軋ませる音がだんだんと大きくなり、止まる。数度のノックがされ、ギリアムが許可を出すと扉が静かに開けられる。

「……女の子?」

 てっきり昨日の門番あたりが来たのだと思っていたのだが、顔を覗かせたのは俺たちとそう変わらない歳の少女だった。
 肩にかかる程度で切りそろえられた、光の加減によってきらめく銀色の髪。雪のように白く、それでいて不健康さはまったく感じさせない肌。鼻筋の通った顔立ちは、まず間違いなく美人に分類されるだろう。

 それなりに頑丈そうな革装備を身につけているものの、どう見ても兵士とは思えない人物の登場に疑念を覚える。
 ただ、それは向こうとしても同じだったようで、テーブルで食事を取っている俺とクロノの姿を認めると小首を傾げた。

「あれ、取り込み中だった? 都合が悪いなら外で待ってるけど」

 それに対し、ギリアムは首を左右に振る。

「いや大丈夫だ。頼んでた物を持ってきてくれたんだろう?」
「あ、うん。父さんに言われたやつは全部アイテムボックスに詰め込んでおいたけど」

 一瞬、自分の耳を本気で疑った。

「…………は? 父さん?」

 入り口に立つ銀髪の少女を見る。
 視線を少し動かし、俺たちの隣に立つギリアムを見る。

 髪の色、違う。
 肌の色、違う。
 輪郭線、違う。
 目鼻立ち、違う。

 共通点と言えるのはせいぜい深い藍色の瞳くらいだ。
 どう見ても二人が親子の関係にあるとは思えない。
 もしかして聞き間違えたのだろうかと考えていると、ギリアムが苦笑を浮かべながら少女の言葉を肯定した。

「似てないかもしれんが、実の娘だ」
「あ、そうなんですか……すいません」
「よく言われる。気にするな」

 母親似なんだよという言葉に、そういう事もあるよなあと納得する。
 片方の親の特徴を色濃く受け継ぐというのは別に珍しいことでも何でもない。俺は不用意な発言を反省して謝り、口をつぐんだ――いや待て。

 そうじゃない。
 確かに彼らがあまり似ていない親子である事にも驚いたが、そうではない。

 もっと他に大きな突っ込みどころがある。

「あの、ギリアムさん。娘さんがいるって初耳なんですけど」

 既婚者であるということは知っていた。
 昨日、家に二人も居候を置けるスペースがあるのかと尋ねた際、妻が先立ってしまったため一部屋空いているのだと聞いたからだ。しかし与えられた情報はそれだけで、子供の存在についてはまったく言及されていない。

 事情があるとはいえあっさりと居候の提案をしてきたことから、俺は勝手に彼が一人暮らしをしているものだと思い込んできた。
 なのに実態は年頃の娘が同居している、そんな環境に突然若い男を連れてきて今日から住ませますとは。思わずギリアムの防犯意識について心配してしまう。

「言ってなかったか?」
「言ってません。絶対に」
「そうか、そりゃあ悪かったな」

 ちっとも悪いと思っていない顔で言い放つ。

「こいつはフィオナ。オレの娘だ」
「…………いや」

 別に紹介を要求した訳ではない。
 完全に互いの思考がすれ違っている。

 頭痛すら覚え始めた俺をよそに、今度はこちらの紹介が始まった。

「それでこっちは冒険者のユトとクロノだ。しばらくの間、家で面倒を見ることになった」
「面倒?」
「つまり居候ってことだな」

 内容に反して軽い調子でギリアムは告げた。
 おいおい、と自然と顔が引きつるのを感じる。
 一日二日ではきかない長期間、赤の他人を泊める説明がそんなことでいいのかと。
 これはまさか、娘の反対でやっぱり駄目でしたというパターンではなかろうか。

 少女ことフィオナの、親譲りの蒼い目が俺たちを捕らえる。
 観察するような視線を向けられるのは居心地が悪く、追い出されるのではと不安を掻き立てる。

 桜色をした薄い唇が開く。そこから発せられる言葉は――――





「あ、そうなんだ。これからよろしくね」





「軽いなあオイ!」





 親が親なら子も子だった。
 世間話のような気安さで居候を承諾され、俺は脱力のあまり突っ伏した。この数秒間でこちらは家を出たあとの生活にまで思案をめぐらせていたというのに、なんだこの落差は。

「あの……そんな簡単に決めていいんですか。一応僕らは男なんですが」

 額を机に打ち付けた俺の代わりに、クロノが聞いてくれる。
 それに対し、フィオナは苦笑を浮かべながら簡潔に答えた。

「慣れてるから」
「慣れて……?」
「うん。父さんが新人冒険者を拾ってくるのは結構よくあることだから」

 そうなんですかと目線で問うと、ギリアムは小さく頷いた。

「目についた範囲でだがな。無駄に若い命を散らされるのは敵わんし、無茶をやって死にかけた馬鹿に基礎を叩き込むことはある」
「なるほど、そういう事情でしたか」
「まあ、お前たちにはわざわざそんなことをする必要はないだろうがな」

 と、この発言に食いついたのはフィオナだった。
 俺たちには必要ない、つまりいつもの居候とは事情が異なるらしいということを疑問に思ったようで、不思議そうに聞いてきた。

「どういうこと?」
「家に招いた経緯は色々あったとしか言えんが、こいつらは別に駆け出しって訳じゃなくてな。実力的にはお前の上にいるだろう」

 意外そうに目を瞬かせ、じっと俺たちを見つめてくる。

「私より? ……ふうん」

 そこまで露骨ではないものの、その顔からはうっすらと意外そうに思っていることが窺えた。
 気持ちは分かる。よく分かる。なにしろ俺たちの筋肉の付き方は現代のもやしっ子のままであるし、手の平にも豆の一つもなく、戦いなど知らないかのような小綺麗さだ。こんなのが「実は歴戦の戦士なんだ」などと言われても説得力はまるでない。

 逆の立場ならばおそらく同じような反応を返したことは想像に難くなかったため、疑われていることに対して特に怒りは湧かなかった。

 むしろ俺は、俺たちの実力を伝えるのに彼女を引き合いに出したことが気になっていた。

「もしかして、フィオナさんも冒険者なんですか?」
「そうよ。小さい頃から父さんに訓練を見てもらってたから、同年代ではそれなりに強い方だと思ってたんだけど」

 冒険者と一般人を比較しても意味はないためもしやとは思ったが、やはりフィオナもまた冒険者であるらしかった。しかも、本人の言葉を信じるのならば、なかなか強いようだ。
 師匠でもある父に自分よりも強いと言われたせいか、その瞳には不満、対抗心、そして興味の色が見えている。

 そんな娘の様子に肩を竦めながら、ギリアムは言った。

「ま、世の中、上には上がいるってことだな。……ところでフィオナ、お前確か今日は市場に行くと言っていたな?」
「え、うん。そろそろストックがなくなるから、ポーションの材料とか買って回ろうと思ってるけど」
「ならそのついでにこいつらに街の案内をしてやってくれないか。気になることがあるならそのときに聞けばいいし、ついでに荷物持ちにもなるぞ」

 えっ……、と。
 その言葉に俺とクロノ、そしてフィオナの三人ともが同時に声を上げた。

「話、途中じゃなかったの?」
「途中だが、別に今すぐ伝えなきゃならんことでもない。本当はオレが自分で案内するつもりだったんだが……」

 言いながら、机の脇に置かれた書類らしきものを手に取る。

「お前たちが起きる前に急な仕事が入ってな。悪いが、もうすぐここを出なきゃならん」
「最初から私を案内役にするつもりで呼んだってことね……そうならそうと、先に言っておいてよ」

 小さく溜息を吐いてフィオナはこちらを向いた。

「買い物のついでだし、荷物持ちは助かるし、私としては別に構わないけど」
「ぜひお願いします。……で、いいよねユト」
「ああ。俺たちはこっちのことには詳しくないし、断る理由がない」

 俺たちの知る、ゲームの中で描かれていたハイムズ。
 そして今現在滞在している、この世界にあるハイムズ。
 両者の違いを探る意味で、この申し出は非常にありがたいものだった。

 繰り返すようだが、ここはSCOそのものではない。
 異なる星、並行世界、真の意味での仮想空間……いろいろと可能性は浮かぶが、とにかく今までいた場所とは違う。
 もしかすると世界地図を見たら、ゲームとは全く異なる大陸の形をしているかもしれない。この街だって、近くに《クリムゾン・フィスト》の生息する森があるのは同じだが、つい先ほど話ていたように《ヴァイス》などのイレギュラーもある。本当に俺たちの知るハイムズなのかどうか怪しい。

 そもそもゲームではデータ量カットのため居住区などは省略されていた。
 本来ならば《町》と表記するべきところを《街》としているのはそのためなのだ。民家よりも商店の方が圧倒的に多い居住エリアなど普通はあり得ない。
 確認のためにも、そして以前と同じ感覚で歩き回って迷子にならないためにも、街の構造はぜひ知っておきたいところだ。

「それじゃあ、これはあなたたちに渡しておくわね」
「これは……地図、ですか」
「ええ、ハイムズとこの周辺のね。父さんに持ってくるように言われたんだけど、二人のためにってことでしょ?」
「ああ、そうだ」

 返す必要はないとのことなので、ありがたく貰っておく。
 地図は元の世界のものとは明らかに質が悪いが、それでも大体の地形くらいなら分かる。表面は街が、裏面はフィールドの地図が描かれているようだった。
 広げてみると、おそらくはカットされていた居住区が存在するせいだろう、街は記憶の中にあるそれよりやや大きいように思えた。フィールドのほうもゲームと全く同じというわけにはいかないようで、俺の知らない森や洞窟が点在している。

「……気をつけないとね」

 真剣なクロノの声に、深く頷いて同意する。
 低級フィールドと油断していたら後ろから最前線レベルのモンスターが……なんてこともあり得るかも知れない。
 常識はやはり大事だ。そう考えると、街に慣れるというのはすなわち日常生活での常識を知ることに繋がるのかもしれない。物価だとか、流通だとか、戦闘と違い直接命の危機に陥るわけではないが、その辺りの知識もないと交渉の際にぼったくられてしまうだろう。

 買い物ひとつするにも気苦労が多い。
 華々しさとは縁遠い異世界での第一歩に、俺はそっと溜息をついた。

「昼飯時になったら冒険者ギルドの本部に行っておけ。いきなり今日から始めなくてもいいが、どんな仕事をするかの確認だけはしてもらいたいんでな」
「わかりました」

 ギリアムに返事をしながら大口で残りのパンを齧る。
 もともと市場に行く予定だったフィオナに今更身支度は必要ないため、今は俺たちが彼女を一方的に待たせてしまっている状態だ。
 そんなに焦らなくてもいいとは言われたものの素直にゆっくりしている訳にもいかないだろう。茶で胃に流し込み、急いで食事を終わらせる。

「それじゃあ、行ってきます」
「お邪魔しました」

 布巾で手と口元を拭い、借りた服の上から俺はいつもの赤いコートを、クロノは白のローブを羽織って言った。
 ああ、行ってこいと、ギリアムは笑って返してきた。




[29582] 5
Name: 伊月◆ad05b155 ID:68f682b1
Date: 2012/04/04 05:46
 銀色の閃光が奔り、鱗に覆われた下級竜の首を落とした。
 本来(ゲーム)ならばガラスのように割れ散って消えるはずの死体は、しかし切断面からおびただしい量の血液を溢れさせながら倒れた。湿った音を立てて飛沫が散り、常から赤い俺のコートをさらに濃く染め上げる。

 吐き気をもよおすグロテスクな光景だが、生憎ともう慣れた。
 命を奪うことに対しても抵抗感は薄い。そんな感傷に浸っている暇などないというのが本音だ。

 なにしろ、戦闘はまだ終わっていないのだから。
 空気の流れから次なる危険を察知する。剣の動きに逆らわず、振り抜いた勢いに沿って体を流す。


 ――――ガギィッッ!!


 一瞬遅れて、背中側で何かが打ち合わさったような荒い音が響く。攻撃後の硬直を狙った噛み付き、鉄よりも硬い牙と強靭な顎があるからこそできる獣特有の攻め方だ。
 近づかれすぎると剣が振りにくく、力が入らない。
 そんな状態で刃を滑らせたところで大したダメージは期待できないため、ここは無理に攻めることはせず一端距離をとることを選択する。

 今回受けた依頼は竜種の最下級に分類される《シャープタスク》の群れの掃討だった。
 肉食恐竜に蝙蝠の羽をつけたような姿で、飛ぶというよりは滑空して移動する。
 全長は約三メートル。その巨体に比例した高い筋力を持っており、特に強靭な顎には注意が必要だ。

 もっとも、そもそものレベル差があるため食らっても大したダメージにはならないだろうが……かといって進んで痛い目を見ようとも思わない。ゲームと違い、痛覚に制限がなくなっているのは確認済みなのだから。

 避けて避けて避けて、隙を見せたら斬って殺す。
 いつも通りに動き、いつも通りに葬り去る。

 噛み付いてきた相手を潰そうと足に力を込めたところで、また新手が現れた。後方、ちょうど俺を挟み撃ちにするような位置取り。偶然か、それとも竜種に共通する高い知能の賜物か、いずれにせよ俺に不利な状況が作られたことに変わりはない。
 だが、慌てない。俺もまた一人で戦っているわけではないのだ。
 突っ立つ俺を一飲みにしようと新手のトカゲが地を蹴り――その横面を膨大な熱量を持つ火球が叩いた。接触面を瞬く間に、悲鳴を上げる時間すら与えることなく炭化させ、明らかな致死ダメージを与える。

 相棒クロノの放った火属性魔法《バーンクラッド》だ。
 技能階級はそれほど上位ではなかったはずだが、基本的なキャラステータスが高いためシャープタスク相手には十分以上の火力がある。

 熱風を背に受けながら、俺はもう一匹の方へと駆け出した。
 ゲームでのモンスターは形勢不利と判断した途端逃走のコマンドを選ぶのだが、どうやらこの世界の彼らには同族意識というものがあるらしい。
 竜は仲間を殺された怒りに身を震わせ、無謀と解っているだろうに雄叫びと共に突進を敢行してくる。

 それを真正面から受け止めることは――できなくもないが、さすがに無傷ではいられないだろう。格下相手であろうと無駄にリスクの高い手段を選ぶ必要はない。
 激情に駆られた敵の動きは直線的で動きを合わせることは容易かった。衝突の寸前で一歩横に動き、すれ違う瞬間比較的柔らかい腹部を狙って刃を滑らせる。

 鱗を貫き、柔らかな肉を絶つ確かな手ごたえ。

 いかに強靭な生命力で知られる竜でも内臓をかき乱されてまで生きてはいられない。HPを確認するまでもなく、致命傷だ。

 断末魔をあげながら、俺の二倍以上はある巨体が倒れ伏した。
 轟音と共に土煙が舞う。

「…………終わったか」

 剣を一振りし、こびりついた血糊を落としながら周囲を見渡す。
 そこには海が広がっていた。
 首を落とされたもの、腹を捌かれたもの、半身を焼かれたもの、全身を弾痕が覆うもの……総数十二にのぼる大トカゲの死体。むせ返るような鉄錆の匂いが漂う、赤い海。

 惨たらしく命を散らされた生き物たち。
 すべて、自分たちがやったことだ。

「後悔してるかい?」

 その光景をぼんやりと眺めていると、いつの間にか近寄ってきていたクロノがそう尋ねてきた。
 しばし瞑目した後、俺は、否定の意味を込めて首を横に振った。

「まさか」

 生きるために殺したのだ。
 それを悔いるなど、馬鹿げている。















 この世界に来てから二週間が経った。
 日本への帰還方法は残念ながら未だ見つかっていない。というよりも、調べる余裕を持てなかったというのが正しいだろう。
 言葉こそ通じるものの今の俺たちは突然、まるで勝手のわからない海外の国に置き去りにされたようなものだ。異なる文化、生活習慣への適応が最優先される。見つかるかどうかも分からない手掛かりをいきなり探すのではなく、まずは今日と明日を生きるための術を持ちたいと考えるのは当然の成り行きだった。

 日常生活における常識、物価や流通などの商業的知識、そして敵を殺すことに対しての耐性。特に最後が重要だ。
 どれだけ力を持っていても、血を見るたびに顔を青くしていては役立たずもいいところ。今でこそ躊躇いなくモンスターを斬りつけ、死体から利用できる部位を剥ぎ取ることにも抵抗感はないが、最初は本当に酷かった。

 醜態の連続。

 嫌悪感に震えたし、何度も吐いた。

 それでも生きるために無理矢理慣れるしかなかった。冒険者以外の、もっと平和な職につくという選択肢はなかった。俺もクロノもこの地に骨を埋めるつもりはなく、十分な知識と資金を手に入れれば元の世界に帰る方法を探しに旅に出ようと思っていたからだ。

 幸いにも俺たちにはそれができるだけの力があって、他に必要なのは覚悟だけだった。

 旅とは過酷なものだ。ましてや、この世界にはモンスターという危険要素がそこら中を歩き回っている。敵を前にしながら殺したくないなど、ふざけているにも程がある。
 また、モンスターの討伐は旅人にとって最も楽に金を手に入れる手段でもある。短時間で多くの報酬を得られ、何よりその地に縛られないで済む。
 避けては通れない道だというのが二人で出した結論だった。















 日が沈みかけ、大地は朱に染まり始めた頃。
 ゲームにはなかったモンスターの死体の解体という作業を苦戦しながらも終え、俺たちはテレポートでハイムズまで戻ってきた。この後は依頼の処理を行っている中央会館にて討伐証明を行い、報酬を得るのみだ。

 といっても、その前に少しばかり歩くが。クロノが指定した位置は街の隅の隅、中心部にある会館まではそれなりに距離がある。
 何故そのような面倒くさいことをしているかというと、まあ例のごとくゲームとこの世界とにある技能格差の問題だ。比較的メジャーな魔法であった転移だが、それもここでは一部の者だけが扱える上級魔法として認識されている。
 そんな場面を見られてはわざわざステータスを偽っている意味がなくなってしまう。

 念のため意識を集中させ、目撃者がいないかを探る。
 俺を中心とした半径十メートル圏内に探知スキルの反応は……なし。
 大丈夫そうだと、ほっと息をつく。

「それじゃ、行こうか」
「ああ」

 短く言葉を交わすといつもの道順で街の中心を横切る大通りまで出る。
 以前フィオナと共に回った市場のある区画だ。一歩足を踏み入れた瞬間、あの時と同じ活気にあふれた人々の声が耳に飛び込んでくる。今は時間が時間だけに食品系の呼び込みが多いようであちこちから食欲をそそる香ばしい匂いが漂ってきていた。

 当然、呼び込みもある。

「おう、そこの少年たち! 冒険の帰りか? 一本どうだ?」
「…………」
「こらこら、今食べたら夕飯が入らなくなるぞ」

 無言で串焼き屋の方へ行こうとしたクロノを、ローブを引っ掴んで止める。
 ギリアム一家には夕飯時だけは全員が集まるルールがある。皆そろって生活リズムが異なっているため、一日の最後の食事くらいは顔を合わせようということらしい。互いに今日何があったなどを話しながら食べるのはなかなかに楽しく、俺はその時間を結構気に入っていた。

 ちなみに作るのは大抵ギリアムだ。
 そこはフィオナであるべきだろ! と突っ込みを入れたいのは山々だが、聞くところによると彼女あまり料理が得意でないという。

 父親の背を見て育った彼女は同じく冒険者としての道を歩んでいて、レベルもかなり高いらしいのだが、その訓練に時間を費やした分普通の思春期の女子が学ぶようなことはほとんどできなかったようだ。
 サバイバル料理――ムカデの串焼きや蛇の肉団子とか――でいいならと真面目な顔で言われたが、それは謹んで辞退させてもらった。これも旅に出る前に慣れていかなくてはならないと思うとげんなりする。

 もっとも、初日に守衛室で口にしたサンドイッチがそうだったように、この世界にはモンスターを食する文化があるのでかなり今更感は漂っていることは否めない。
 牛や豚、鶏といった元の世界と共通する動物も居るには居るのだが、こちらでは弱者に分類される彼らの飼育はかなり難しいため、主に貴族が食べるものとして認識されている。平民の市場に出回るのはほとんどモンスターの肉である。

 あの串焼きもホーンベアとかの肉なんだろうな、まあ普通に旨いからいいんだけど……そんなことをつらつらと考えながら、各所から流れてくる誘惑を意図的に無視して歩き続ける。
 腹が減っているとついつい手が伸びかけてしまうから困りものだ。
 さっさと換金を済ませて家に向かうとしよう、そう決めて歩調をやや速める。

 目的地であるギルド施設に到着したのは、それから十分ほど経ってからだった。
 冒険者といえば荒くれ者たちが集まる酒場、目の前の建物はそんなイメージを打ち崩す。均一な大きさに切り出された石を積み重ねて造られたそれは、傭兵たちの溜まり場というよりも貴族の邸宅か何かだと言われたほうがしっくりくる。

 なぜこのような立派なものが建てられているのか――その理由は冒険者という職業の社会的地位にある。もちろん頭に相応の実力があればとは付くが、これが意外と高いところに定められているのだ。

 この世界に冒険者に対し仕事の斡旋をする組織、冒険者ギルドが存在することは以前のギリアムの説明にもあった通り。専用の施設で手続きをすれば依頼の発行と受諾の両方が可能となっていて、それはSCOのシステムも同じだった。

 違うのは、こちら側ではギルドに所属しなければ正式な職として冒険者を名乗れないということと、そして《ランク制度》なるものが存在するという二点。

 ここの冒険者ギルドに加入した者にはまず、《ランク1》という数字が与えられる。
 その数字は依頼をこなし実績を積むごとに最大10まで増えてゆき、実力の目安とされるのだ。登録自体は誰でもできるため下位にはチンピラ紛いの者も多いが、最上位にまでなると下手な貴族よりも発言権が強いらしい。
 ゲーム内では国やら貴族やらは単に金払いのいい依頼主の印象しかなかったが、こちらの世界においては絶対的な上位者として君臨している。
 ごく狭き門とはいえそれと同等の地位にまで上り詰められると言うのだから、命の危険を顧みずに職に就く人間が後を絶たないということだ。

 木製の大きな扉を押し開けて中に入ると、その活気を証明するように騒がしい声が聞こえてきた。
 これは会館が依頼の仲介と共に、同業者間による情報交換の場としても機能しているためだ。
 受付を待つための列に並びながら、何か有用なネタがないかとさりげなく聞き耳を立てる。南区の道具屋でセール、裏通りの武器屋が新型の銃を仕入れた、普段山奥にいるはずのモンスターと草原で出会った……。

 たかが食事のついでに語る噂話、大したことを話しているはずがない。そう切り捨ててしまうのは簡単だが、収入的にも命的にも不安定な職業についている以上はどんな些細なものでも情報を集めることは重要だ。
 ただの与太話と思っていたことが実は真実であったり、複数の話を統合すると意外な物事が見えてきたりと。知っているか知らないか、時にはそれが生死の分かれ目になる可能性もある。
 憧れの剣と魔法の世界、そこでの生活は意外とシビアなものだった。
 危険生物の有無といい、衛生環境の整備といい、これまでの自分がいかに恵まれていたのかを思い知らされる。夢が叶ったこの状況下で、皮肉なことに、俺はひたすら故郷への帰還を渇望していた。

「おーい、ユト。そろそろ順番だよ」

 クロノに脇を肘でつつかれ、俺は思考に沈んでいた意識を現実に戻した。
 どうやら色々と愚痴を言っている間に列が進んでいたようだ。ちょうど俺たちの前の組が手続きを終えたようで、受付嬢がこちらに向かって次の方どうぞと業務用の笑顔を浮かべている。
 早くしろ、と後ろで待っている同業者たちの無言の圧力に、俺は慌てて懐から依頼の受諾証明書を取り出した。

「討伐依頼の完了手続きですね。担当職員はどういたしますか?」

 紙面に目を通しながら受け付けの女性が尋ねてくる。
 事務処理の回転率に影響が出ない範囲でと条件は付くが、ギルドでは対応する人員を冒険者側が指名することができるのだ。
 その理由はまあ、仕事帰りに見る顔がおっさんか美女かどちらの方がやる気を出させるかという極めて欲望に忠実なものなのだが。誰それとお近づきになりたいがためにこの職に就いたと公言する奴までいる始末なのだから、効果はあるのだろう。
 その中には実際に思いを告げ、幸せになったりあるいは――こちらの方が圧倒的に多いようだが――玉砕したりする者もいるらしい。

 そんな人間ドラマの繰り広げられる担当員の指名。
 しかし残念ながら、俺たちが抱える事情的に選択肢は非常に狭まってくる。というより一人しかいない。俺は彼の、癒しとは逆ベクトルに突っ走った顔立ちを思い浮かべながら答えた。

「ギリアムさんでお願いします」

 その名前に女性はやや驚いたような顔をしたが、俺たちの身に着ける装備品を見ると納得したように頷いた。おそらく先のウェスリーのような勘違いをしていると思われる。つまり、見た目の貧弱さゆえに成り立ての冒険者だと、ギリアムの弟子であると見たのだろう。
 実際、生活面についてはお世話になりっぱなしなので間違ってはいない。特に訂正することなく案内の続きを待つ。

「了解いたしました。では、番号札を貸出しいたしますので、呼ばれるまでロビーの方でお待ちください」

 討伐系の依頼はその証拠として指定された部位を死体から剥ぎ取り、ギルドに提示することで完了となる。これがモノによっては尋常でない臭いを発するため、手続きは個室で行われるのが一般的だ。
 どうやら今は混んでいてすぐには手続きを行えないようだった。珍しいことではない。モンスターの活動時間帯を考慮し、大抵の冒険者は朝に出て日が暮れる前に帰ってくるスタイルをとっているため人が集中するのは避けられないことである。

 整理券代わりの木札を受けとり、後続の迷惑にならないよう受付から離れる。

「さて、今回の仕事で多少は金銭面に余裕が出てくるといいんだけど」
「基本報酬はあまりあてにならないから、剥いだ素材の買い取りに期待ってところだな」

 クロノと報酬について話しながら、待ち時間の有効活用術として討伐の際に血と油で汚れた剣の手入れを行う。生乾きのそれらからは悪臭が漂っているが、正直なところモンスターと戦った後の人間など体全体が同じような状態であるため特に気にする人間はいない。
 ゲーム内ではボタン一つで終わっていた整備を、薬をしみこませた布で擦って行う。戦いの場において装備は自分の命を預けるものだ。美術品を扱うように、というと少々大袈裟ではあるだろうが、丁寧に慎重に作業を進めてゆく。

 ちなみに魔法使いのクロノはこういった苦労がないのかと言えば、答えは否だ。彼の持つ長杖は魔法補助の役割を担うとともに一つの鈍器としても振るわれている。純粋な近接武器ほどではないにしろ損傷はある。

 二人並んで、それぞれの武器を磨いてゆく。
 受付から整理札の番号が呼ばれたのは、ちょうど刀身が元の銀色の輝きを取り戻したころだった。同じく汚れを落とした鞘に剣を収め立ち上がる。

 案内された部屋へと向かい扉を開けると、この二週間ですっかり聞き慣れた野太い声が俺たちを出迎えた。

「おう、来たか」

 声の主は言うまでもなくギリアムその人だ。
 初めて会ったときの状況から兵士なのだろうかと考えていたのだが、実際の彼はここ冒険者ギルドに務める職員の一人である。警備の件は副業のようなもので、ハイムズ有数の実力者である彼にお偉方から協力の依頼が入ったという事情があるらしい。
 強大な力は良くも悪くも人の目を引き付ける。以前、この世界に来てすぐの頃に言われた言葉は、こういった彼自身の経験によるものなのかもしれない。

「今日の相手はシャープエッジだったか。どうだった」
「んー、そうですねえ。奴らは近接の物理攻撃手段しか持ってないんで、僕の場合は遠距離から魔法で焼けばいいだけだったんですけど……ユトはどうだい?」
「こっちも問題ない。体の動かし方自体はゲームと同じだからな」

 命を奪う感覚に慣れてしまえば、あの頃にやっていたことと何一つ変わっていない。
 唯一の懸念は《痛み》に対する耐性不足だが、それも今のところは大丈夫だろう。俺もクロノも戦闘スタイル上の関係で防御力、体力に難のあるステータスではあるものの、総合的なレベルが高いためハイムズ周辺の敵には大ダメージをもらうことはない。
 いずれは何らかの方法で慣らす必要があるだろうが、とりあえずは順調に戦闘をこなすことができている。
 そう答えると、ギリアムは呆れたように肩をすくめた。

「ったく、ずいぶんと簡単に言ってくれる。本来なら複数パーティーで当たるべき仕事だってのに。まあ、それでこそ、わざわざ自宅に泊めてまで保護した甲斐があったってもんだが」

 恩を売っておいて正解だった、と明け透けな言葉にどう返していいかわからず、俺は曖昧に笑って頭を掻いた。
 寝床をタダで提供し、物品の定価や狩りの仕方、さらには人との交渉術など冒険者として必要な様々な知識を教え込む。
 ギリアムは確かに善人だ。面倒見のいいお人好し、それは間違いない。しかしそれだけで赤の他人に対しここまでの優遇をするかというと、当然そんなはずはない。それらの行動の裏にはしっかりと人間らしい打算が存在する。

 その一つは、契約を交わす前にも言っていた、超高レベル者が犯罪者になった場合手が付けられないということ。
 だがそれだけではなく、俺たちは格安の労働力として利用されている。

 知識が欲しい、旅をするための資金が欲しい、しかし目立つのは避けたいから派手な動きはしたくない……そういったこちらの事情に便宜をはかる対価として、高レベル戦力を本来あり得ない安値で動かす。
 それが一週間ほど前に俺たちとギリアム、そして彼の上司であるギルド長との間に結ばれた契約の内容だ。《借り》という、書類上にはなくとも重い存在が、不利な条件でも頷かざるをえない状況をつくった訳である。

 契約完了後に、人が動く理由に純粋な善意などないと思え、と平然とした顔で口にしたギリアムの姿はひどく印象的だった。
 そりゃあ最初に恩を売って使いたいとは言われていたが、ここまで露骨にやられるとは思っていなかったのだ。

「本当に、あれは驚いたよねえ。うまい話には裏があるって授業料込みだったかな」

 クロノの、苦いものを含んだような呟きに、ギリアムは豪快な笑みでもって応えた。

「まあ勘弁してくれ。お前たちに正式な額の報酬をやろうと思ったら、あっという間にここの金庫が空になっちまう。素材の引き取りに関しては定価でやるから、な?」
「……はぁ。それじゃあ、とりあえず手続きと鑑定お願いしますよ」

 前置きはこれくらいでいいだろう。苦い思い出に溜息をつきつつ――といっても、それを差し引いても彼には十二分に世話を掛けているのだが――俺は本題である討伐証明を行うべくウインドウを表示した。
 アイテム欄をスクロールし一つの名前をクリック、収納されていた品をテーブルの上に実体化させる。じわりと、虚空から滲み出るようにして出てくる十二個の塊。その正体は討伐対象であったシャープタスクの右手、討伐証明に利用する部位だ。

 品物を出したことでギリアムの方も真面目な顔つきに変わった。作業用の皮手袋をはめると、怪しげな儀式のように積み重なる爬虫類の手を一つ一つ丁寧に見てゆく。
 このとき、素人目だと左右の違いがわかりにくいモンスターもいるため、偶に討伐数を誤魔化すため左腕を混ぜる馬鹿がいるらしいが勿論そんなことはしていない。取り引きにおける信用性は目先の金などとは比べ物にならないほど重要だ。特に問題が起こることもなく判断は下された。

「……よし、確認した」

 そう言うと彼は、俺の出した依頼書に判を押した。これでギルドから、秘密裏に正式にというのも何だか妙な話ではあるが、依頼を達成したと認められたことになる。

 そしてもう一つ。

「さて、次は素材の換金だな。剥ぎ取り、少しは上手くなったか」
「どうでしょうね。自分ではそれなりに、と思ってるんですが」

 討伐系の依頼は二度金が入る。モンスターを倒したことで出る報酬と、そしてもう一つ死体から剥いだ素材の換金だ。
 再びウインドウを開くと、今度はシャープタスクから取れた素材を出してゆく。さすがに全てを剥ぐのは面倒だったので比較的価値の高い部位のみを持ち帰ってきたのだが、それでも十二体分、置き場はテーブルだけでなく床にまで及んだ。

 それをギリアムが片っ端から手にとって鑑定してゆく。宝石ほど厳密な判断が求められるものではないが、量が量であるためしばらく掛かりそうだ。
 名前の由来にもなっている牙を手にとりながら、ギリアムは唸った。

「ふうむ……まあ、最初よりはマシになったか。あくまでマシってだけだが。面倒なのは分かるがな、いい加減に何でも力尽くでやろうとするのは止めろ」
「うっ……」

 言われ、返す言葉に詰まる。確かに面倒な工程を筋力パラメータ補正で無理矢理やっていた部分があったかもしれない。

「ユトって意外と雑な性格してるんだよねえ。痛んだ素材はそれだけ売値が下がるんだから、もっとしっかりやってくれないと」
「うっさいな! 魔法の威力設定高くし過ぎてモンス丸ごと炭化させた奴に言われたくねえよっ」
「何やってんだお前らは……」

 結論、五十歩百歩。
 狩りの仕方など忘れて久しい現代日本人、その俺たちが剥ぎ取り技術を習得するまでにはもうしばらく時間が必要なようだった。

 ゴホン、とわざとらしく空咳をして尋ねる。

「それはともかく。どの程度になりますか?」
「ふむ。そうだな、基本報酬とあわせて十二万リルってところか」

 どさりと、金貨の詰まった重量感あふれる袋がテーブルの上に置かれる。
 リルとはゲーム内で使われる通貨の単位で、この世界では大体三万もあれば平民の一般家庭なら一ヶ月は暮らせるらしい。契約によって相当割り引かれているにも関わらずこの額だ。つくづく冒険者業の異様さを思い知らされる。

 袋に触れてアイテム情報を表示させる。
 麻袋・金貨(120000リル)――ギリアムの示した金額と差異がないことを確認し、クロノと半分ずつ分け合ってウインドウに収納した。

「目標金額まであと少し、か。旅をするにもずいぶん金がかかるもんなんだな」
「そうだね。徒歩でのんびりってならまた違うんだろうけど、僕らの場合は一応急ぎの用。馬車の購入費用が大きいよ」

 足の確保、食料や水の貯蔵、武器防具の整備あるいは新調、ポーションにスクロールといった消耗品……金はいくらあっても困らない。さらに言えば、最低限の準備だけでなくある程度懐に余裕を持たせておきたいところだ。

 しかしながら、ならばすぐにでも次の依頼を……とは、残念ながらできないことになっている。
 実はこちら側では、他の冒険者のことや生態系の維持などの事情もあるため、討伐系依頼の連続受注がギルドの方で規制されているのだ。

 特に今はモンスターが活発化しているため下手な手出しは厳禁とされている。
 これを聞いたときは普通逆ではないのか、積極的に狩りに行くべきではないのかと疑問を覚えたものの、一部を討つことで他が一気になだれ込んでくる危険性があるようだ。準備が整えば、おそらくハイムズ中の冒険者を総動員した殲滅戦が始まるだろう。

 現状、討伐依頼が出るのは街に近づきすぎた個体に限られている。
 敵がいなければいくらレベルが高くても意味はない。まったく、ただひたすらにモンスターを狩っていればよかったあの頃を懐かしく感じてしまう。現実では考えなしに力を振るだけでは資金を得ることはできないのだ。

 逸る気持ちはあるがここは素直に休んでおくべきだろう。キャラステータスを引き継いだ肉体はともかく、俺たちの中身は何の変哲もない一般人だ。目には見えずとも精神的な疲労と言うのは確実に溜まっているはずである。
 疲れが溜まっていて動けませんでした、死んでしまいましたは笑えない。

「まあ、金があったとしてもハイムズでの調査が終わらなければ意味はないんだけどね。ギリアムさんによると三船はここに立ち寄ったことがあるわけだから、外よりも手掛かりが見つかる可能性は高いわけだし」
「そうだな。旅に出ること自体が目的じゃないんだから、時間ができたのはむしろいいことなのかもしれない」

 書物を漁るか、人に聞いて回るか、体に負担がかからない程度に明日はいろいろとやってみることにしよう。
 と、そうして翌日の予定も決まったところで俺たちは鑑定室の固い椅子から立ち上がった。
 後ろに並んでいた同業者たちのことを考えると、その先の話し合いは外でやるべきだろう。混雑中、用が済んでいるにも関わらず居座り続けるのはマナー違反もはなただしい行為である。

「それじゃあ、そろそろ失礼します。鑑定ありがとうございました」

 そう言って扉に手を掛ける。

「おう。あ、いや待て。言い忘れてた。今日の夕飯なんだがな、書類が溜まってて帰りが遅くなりそうだから、悪いが何か買って食べておいてくれないか」
「わかりました。ユト、何か希望あるかい?」
「んー、昨日は魚だったから今日は肉が食べたいかな。ここに来る途中にあった串焼き屋とかどうだ」

 最初の頃は、モンスターを殺したその日はまともに食事が喉を通らなかった。だがそんな嫌悪感など、生きるという目的の前には簡単に霞むものだ。特に何を感じることもなく、クロノにメニューのリクエストをする。

 血の海に沈んだトカゲたちのことなど、思い出しもしない。

 両手を血に染めることで金を得る。
 それが今の、俺たちのいる日常だ。



[29582] 6
Name: 伊月◆ad05b155 ID:68f682b1
Date: 2012/04/04 05:47
 もし、この一連の流れが俺たちを主人公に置いた物語のようなものだとするならば。
 きっと始まりはあの現象、ゲームのプレイ中に異世界に来てしまったなどという荒唐無稽なことがあった日なのだろう。
 ノイズと共にこの地に降り立ち、ギリアムやフィオナとの出会いを経て、混乱しつつもなんとかこちら側での日常に慣れてきた辺りまでが起承転結で言う起の部分。少々地味で、長い期間だったが、後から振り返ってみるとそう思う。

 そして――話が動き出す承の部分。

 始まりはとある晴れた日の事だった。

 雲一つなく澄み渡った青い空。季節的に陽射しは厳しいものの、地理的な関係なのか元の世界の都心と比べればまだ耐えられる暑さ。風による空気の流れもあり、清々しい気分になれそうだったあのとき。
 俺は、未だかつて経験したことのないほど最低な気分で背中の剣柄を握っていた。
 小さな争い。しかし今思えば、承はあの日からだった。あれを境に物語は変化を見せ、そして最大の山場である転へと展開していったのだ。










 午前十時。
 日の出と共に活動を開始するものもいる冒険者の中では、やや遅いとされるであろうその時間。

 いつものように会館で討伐の仕事を引き受けた俺は、さっそく街の外へと出るべく活気にあふれた中央通の石畳を歩いていた。
 以前フィオナが言っていたが、辺境とはいえかなりの規模を持つこの街の人口は多い。何かの祭りかと思うほどの人混みが恒常的にできている。その中を縫うようにして進み門を目指す。他人とぶつからないようにする術は繰り返すうちに自然と身につけた。

 ずいぶんとまあ、この街での生活にも慣れたものである。
 正直、複雑な心境だ。今後のことを思えばこの適応は喜ぶべきものなのだが、それはつまり慣れてしまうほどの長期間〈こちら側〉に居座ってしまっていることの証明でもある。
 ここと、元の世界における時間の流れは高確率で同一だ。ここで一年を過ごせば向こうでも一年が経過する。帰ったら行方不明になっていたときから数時間しか経っていませんでしたなどと都合のいい事態にはならない。

 両親、兄、友人たちの顔が頭に浮かぶ。
 二人の人間が突然消えた現象を彼らはどう思っているだろうか。

「……早いとこ帰らないとな」

 最近明らかに多くなった溜息を吐きつつ、呟く。
 現状に慣れてきたことでこの地での生活を楽しむ余裕も出てきた。しかし、さすがに心配してくれているだろう人々の思いを踏みにじってまでここに留まろうとは考えられない。

 やはり帰りたい、帰らなくてはいけないというのが俺たちの結論だ。

 だから――今日は隣にクロノの姿はない。

「役割分担、か」

 隣に誰もいない、そのことに何となく違和感を覚えるのは、ここに来てからずっと行動を共にしていたからだろうか。
 つい先日までは単独で行動しているのが当たり前だったのに、本当に慣れとは恐ろしいものだ。

 苦笑しつつ、昨夜、提案があると部屋に押しかけられた時のことを思い返す。

 ――――明らかにオーバーキルだと思うんだよね。

 片手を顎に添えながら、クロノはそんなことを言った。
 戦いに慣れてきた今、この地域に出現するモンスター相手に二人で当たるのは非効率以外の何物でもないと。

 どちらか片方が依頼をこなし資金集めを、もう片方が帰還のための情報収集を行った方がいいのではないか。もっともな話だったので特に渋ることなく同意。話し合いの結果ゲームでもソロでの活動を行っていた俺が前者を担当することになった訳だ。
 多分、クロノは方々の書店でも巡って本を読み散らかすのだろう。
 目に見える成果が出るかは分からないが、何もしなければ何も得られない。今の俺たちにできるのは、ただ全力で取り組むことだけ。

 俺の担当がひたすらモンスを狩るだけの単純作業――こんなことを口にすれば同業者たちから本気で殴られかねないが――に対し、クロノがあるかもわからない手掛かり探しという不平等さはあるものの。その辺りはまあ、とっとと討伐を終えて補助に回ればいい。
 少し急ぐかなと微妙に歩調を早める。大した意味のない自己満足的な行為だが、そのせいもあって目的地、ハイムズの内外を繋ぐ門へはさほど時間が掛からずに着くことができた。

 ここに来ると道行く人々の数も大分減ってくる。何しろ外は化け物どもの闊歩する危険地帯なのだ。たとえ初期のマップ、出没するのが雑魚中の雑魚といえども戦闘訓練を積んでいない一般人にとっては十分以上の脅威であり、ピクニック感覚で気軽に出歩くわけにはいかない。
 よって門を利用する人間は大体二種類。俺と同じような冒険者か、あるいは金儲けのため各地を回っている商人だ。丈夫そうな、しかし戦闘を考慮していない布服に身を包んでいるのは後者だろう。その傍に張り付くように立っている護衛を見て、ゲームから引き継いだ能力を隠すという事情がなければ、わざわざ個人用の馬車を買わなくとも護衛の仕事を引き受ける手もあったのになと考える。

 そうすれば移動もできて、ついでに金も稼げて。一石二鳥である。
 もし、などといった可能性は考えるべきではないのだが、ついつい後ろ向きな思いに囚われてしまう。

「……まあ、そう都合よく行きたい所への護衛依頼が出ているとも限らないし」

 そんなことを呟いて自分を誤魔化してみるものの、馬車とそれに付随する細々な道具の購入費用を計算するとどうしても視線は下向きになってしまう。地面と、動くブーツの足先をぼんやりと眺めながら、俺は眩暈を堪えてふらふらと歩いた。
 そんな不安定な姿勢がいけなかったのだろう。
 どんっ、という軽い衝撃。頭を上げると高級そうな白銀の鎧が目に入る。どうやら俯いていたせいで前方から歩いてきた人に気が付かなかったらしい。

「っと、すいませ――――」

 慌てて姿勢を正し、謝罪の言葉を述べようとして、俺は凍りついたかのように止まった。
 なぜならぶつかった相手の顔が見覚えのあるものだったからだ。何よりも実用性を優先する冒険者には珍しい、豪奢なつくりの軽装鎧。腰に差した細長い片手剣。長い金髪と翡翠色の瞳を持つ、苛つくほどに整った顔立ちの男。

 邂逅自体は一度きりだが、その特異さから奴の事は強く印象に残っている。
 ハイムズのエースなどとも呼ばれる高レベル剣士。誰もが憧れる立場にある男で、しかしその性格故にフィオナから絶対に関わらないようにと忠告された相手。名前は確か、ウェスリーだったか。

 どうやら向こうも隣に立つ仲間らしき冒険者と話しており、前方に注意を払っていなかったらしい。何事だと、不快そうに顔を顰めて俺を見てくる。

 やばい、どうする、ちくしょう、面倒臭い、思考が泡のごとく弾け消えていく。

「あ、はは……」

 強張った笑みを浮かべながら、俺は、落ち着けと必死に自分に言い聞かせた。奴と会ったのはもう二週間も前の話、こちらにとってあの言い草は衝撃的だったが、向こうまでそうとは限らない。ただの日常的な出来事として忘れられている可能性も――……

 そんな、淡い希望は見事に裏切られた。

「その顔は……」

 ウェスリーは何かを思い出そうとするように眉を顰め、やがて「ああ」と納得の声を上げた。口元に浮かぶのは嘲笑。他人を見下し慣れた表情で言葉を紡ぐ。

「あの時の身の程知らずか」
「……どーも」

 一瞬頭に血が上りかけたが、理性でもって制止する。
 ここで喧嘩を買うことには何のメリットもない。目立たないと決めた以上はそれを貫き通すべきだ。

 思考を巡らせ、この場から切り抜ける方法を考える。何も特別話すことがある間柄でもあるまいし、愛想笑いでも浮かべつつとっとと去るのが一番なのだが、何故だかこの男は俺に絡みたいらしい。
 舐めるように俺の体を上から下まで眺め――あまりの気持ち悪さに寒気がした――腰の辺りで止まる。何かを確認するように目を細めると、ウェスリーは笑みを深めた。

「買わなかったみたいだな」

 唐突な言葉。
 理解できずに首を傾げる。

「あのときの短剣だ」
「ああ……」

 そういえばそんな物もあったか。
 こいつとの諍いの原因は道具屋で同じものを取ろうとし、指がぶつかり合ったことなのだ。

「くくっ、いい判断だな。魔法の刻まれた武器など貴様にはもったいない。使いこなせずにガラクタとなるのが関の山だろう。ああ、それとも、そもそも金が足りなかったか?」

 魔法具は高いからな、と。
 言外にお前のような貧乏人は買えないだろうと小馬鹿にしてくる。

 とはいえ実際それは正しい。収入がある程度安定してきた今ならばともかく、当時の俺の財布はギリアムからの借金を除けば空だった。無一文だった。購入しようとしてもできなかっただろう。
 だから、特に反論することなく俺は頷いた。
 そうですねと、苛立ちを込めないよう、なるべく平淡で無感情な声を意識して出す。そしてそのまま、仕事があることを理由に脇をすり抜けようとした。

「待て」

 しかし、それが逆に癇に障ったのか、背後から怒りを押し殺したようにして呼び止められてしまった。無視しても良かったのだがそうすると更なる確執を生みそうだ。俺はしぶしぶながら振り返った。

「まだ何か?」

 目に入ったのは怒りに歪んだ形相だ。
 勝手な推測だが、この様に、適当にあしらわれた経験がないのだろう。30レベルを超えるような冒険者はそれだけで上位者として見られる。それが日常的だったからこそ、ただ一度会っただけの俺に対してこうも執着する。
 もう少し柔らかく対応すべきだったかなと少し後悔。しかしもう遅い。せめてこれ以上の関係の悪化は防ごうと、人を呼び止めておいて黙り込んだウェスリーに、何もないならこれでと声を掛け足早にこの場を去ろうとする。

「……君はまだ、ギリアム殿の世話になっているのかい?」

 一歩目を踏み出した瞬間、問われる。
 先程までとは打って変わり、愉悦を含んだ声色に疑問を覚えつつも、俺は曖昧に頷いた。

「ええ、そうですが」
「そうか……ふっ……」

 嘲笑。いい加減見飽きたその表情に、もはや怒りは感じない。ただひたすら面倒に思うだけである。早く仕事を終わらせてクロノの補助に回りたい、そう切実に思う。

 しかし――次の一言で、俺の感情は再び激しく高ぶった。

「かつて国内最強とまで言われた戦士が、ずいぶんとまあ堕ちたものだ」
「……お前」

 蔑みの対象は俺ではなかった。恩人への侮辱に、自然と目が細められる。

「才能のない人間は、どれだけ努力しようと無駄。そんなことも理解せずに落ちこぼれを教育など……耄碌したか」

 その言葉に、今までただ周りに立っているだけだった奴の仲間も追従する。類は友を呼ぶのか、エースとまで呼ばれる人間の所属するパーティーとは思えない、下劣な笑い声を上げて口々にギリアムへの蔑みの言葉を吐き出してゆく。

 ――――案外わかっててやってるんじゃないのか。
 ――――そういやアレが引退直前に受けた依頼、結構な死者が出たらしいな。
 ――――はっ、怖気づいて隠居か。それでいて偉そうに新人教育とか抜かしてんのかよ。
 ――――戦場には出たくないけど威張り散らしたいってか。

 粘着質な、不快な言葉が俺の耳に入ってくる。平静を保とうとして失敗し、抑えられなかった激情が拳を握りしめ目つきを険しくさせた。
 だが、その反応は相手を喜ばせるだけのものでしかない。所詮俺は平和な世界で生きてきただけの人間なのだ。多少剣の扱いに慣れた程度で人を怯ませるような殺気を出せるはずもなく、睨みを受けた彼らはただ愉悦に浸る。

 にやにやとした、不快な笑み。

 歯を、強く噛み締める。

 目を瞑り、深呼吸を行う。挑発に乗ってはいけない。ここで剣を抜き、感情に任せて振ってしまえば、それはきっと俺とクロノの都合に収まらない不都合が生じる。

 ギリアムやフィオナに、迷惑が掛かる。
 だから落ち着け、落ち着くんだと、何度も自分に言い聞かせる。

 けれど、










「娘も優秀だって聞くが、こうなるとそれも怪しいよなあ。あれか、体売って他の冒険者の手柄を自分のものにしてんのかねえ」










 何かが、頭の奥で千切れた気がした。

「お前ら――――」

 視界が赤く染まり、手が、背中の剣へと伸びた。
 その柄を強く、強く、強く強く握りしめる。

「――――少し黙れ」

 俺の言葉に、ウェスリーが唇を醜悪に歪める。
 その表情に怒気に対する怯えなど一片も見られない。ただ挑発に乗ってきた馬鹿を嗤う気持ちがあるだけだ。

 そしてそれは取り巻き共も同じ。
 数人の集団から一際軽薄そうなシーフ風の男が歩み出てくる。腰から小ぶりのナイフを抜出し、気障ったらしくくるくると回してから握る。

「オイオイオイ、なんだそりゃあ? やる気か? 決闘かぁオイ!!」

 明らかにこちらを舐めきった態度。恫喝に、こちらがすぐに怯えると確信した目。まるでチンピラ、いや、事実そのものなのだろう。

 それに対し俺は、自分でも驚くほどに冷めた声で答えた。

「ああ……別に、それでも構わないが」

 あっさりとした返事が予想外、だったのか。
 男はぽかんと間抜けな面を晒した後、格下であるはずの相手から舐めた言動をされた屈辱に顔を紅潮させていった。

「いいぜぇ……後悔すんなよクソガキが……」

 震える声でそう言い、男は両手にナイフを構えた。随分とまあ喧嘩っ早いことで、すでに腰を低くしていつでも飛びかかれる体勢を取っている。

 決闘――それは、国公認の一対一の戦いだ。主に冒険者が、腕試しや依頼報酬の取り分の決定などのために行う。

 やり方は至極簡単で、対象となる両者がそれを受諾し、第三者の立会人を設ける。この場合は不穏な空気に集まってきた野次馬の内の誰かだろう。ウェスリーの仲間が彼らに声を掛け、やがて面白そうに成り行きを見守っていた冒険者風の男が俺たちの間に立った。

 審判役となった彼は、咳払いをしてから定められたルールの確認をし始めた。

 殺しと、決着後の不要な追撃以外ならば何でもあり。野蛮と思われるかもしれないがこの世界ではそれほど珍しいことではない。むしろ無闇に法で縛ってしまうと、憲兵の目の届かない裏側でもっと酷い殺し合いが行われてしまう可能性がある。

 相手の構えるナイフの鈍色の輝きを無感情に眺めつつ、こちらも剣を鞘から抜き払って正眼に構える。

「両者、準備はいいか?」

 もっとちゃんとした、闘技場でなどならば何かしらの口上があるのかもしれないが、こんな道端で行われる試合に言葉の装飾は必要ない。立会人の短い問い掛けに俺と奴は同時に頷き、

「――――始め!」

 名乗り上げも何もなくあっさりと開幕した。
 先に動いたのは相手側だった。未だ名前も知らないそのシーフは、俺を打ち倒し屈服させた時の事でも考えているのか、自信に満ちた凶暴な笑みを浮かべながら突進してくる。

 全身をうっすらと赤く発光させているのは武技スキル――武器の熟練度が一定以上になったとき使えるようになる、一種の魔法のようなものの影響だろう。
 攻撃に属性を付加する、有効範囲を広げる、幻影を見せて相手を翻弄する……その効果は多岐に渡りとてもではないが個人で全てを把握することなどはできない。

 しかし、俺には目の前で繰り出されるスキルがそう複雑なものではない確信があった。
 なぜなら、男の動きがあまりにも遅かったからだ。

 シーフとして器用さにステータスを割り振っているだろうことを考慮しても10レベル台といった動き。ついでに言えば能力値の関係ない足運びにも無駄が多い。地を蹴るたびにドタドタとうるさい音を立て、前進するための力を拡散させている。
 そんな敵が繰り出せるようなものなど高が知れていた。熟練度の低い段階で出せるスキルと言えば、おそらくは単純な威力増加の効果。軽装の身軽さを生かし素早く近づいたところで必殺の一撃を叩き込む、そんな考え。

 正直、瞼を閉じていても捌けるような幼稚な攻撃だった。
 本人はこれで軽快に走っているつもりなのだろうか。だとしたら、実に滑稽だ。

 思い出すのはこの世界に来る直前に戦っていたモンスター、《イビル・レジデント》。
 最前線に出没する中でも特に肉体能力に優れた厄介な敵。あの剛腕から繰り出される一撃と比べるとあまりにも遅く、緩慢に、突き出されたナイフが俺の喉元を狙って迫る。

 殺しはなし、のはずなのだが。
 不慮の事故とでも言い訳するつもりか。
 まあ確かに、まさか小手調べの一撃で死ぬとは思わなかったとでも述べれば、批判の対象は実力差を弁えず決闘を受けた馬鹿に逸れるのかもしれない。

 こちら微動だにしないことを反応できていないと勘違いしたのか、男は嬉々として進んでくる。
 回避行動をとったのは、刃先が体から十センチほどの距離まで迫った時だった。僅かに体を傾け、首を曲げることで突きを躱す。

 驚愕の表情。
 何が起きたのか理解できないとばかりに間抜けに開けられた口。
 無視して長く伸びきった腕を掴むと、攻撃が不発に終わったことでスキル発動を示す燐光がパッと散った。
 それを一瞥しつつ相手の体を引き寄せ、前に倒れ込んだところに蹴りを叩き込む。

「がっ……!?」

 無防備に空いた腹への一撃。
 しかし男の身につけていたチェーンメイルの防御力と、何より俺が殺さない程度の力加減が分からず必要以上に手を抜いたことが影響し、勝負を決めるほどのものではない。頭上のHPバーの減少もせいぜい全体の一割弱だ。

 仕方がなく相手の眼前に向けて剣を振る。
 力を込めず、スキルも使用していない、斬撃と呼ぶのもおこがましいような緩やかな動きで刃を滑らせる。反撃を受けた驚きを引きずっているのか、反応の遅れた男は慌ててそれを避けた。

 大袈裟な回避運動によってできた隙をつき、一気に接近。
 殺さずに無力化を図るならば、やはり体術の方がいいだろう。足を払い、何も握っていない左手で腹を強く押す。できればこのまま一発くらいは本気で殴ってやりたいところなのだが、それをすると比喩でなくこいつの頭が破裂しかねない。
 体を傾けることでバランスを崩し、転倒させるだけに留めておく。

「なんっ……」

 信じられない、そんな風にして見上げてくる。
 その無様な姿に多少溜飲が下がるも、優越感は大して感じなかった。ただ、必要な作業として首筋に剣を添えてやる。いつでも殺せるという意思表示。地味だが、決着には十分だろう。
 驚きに目を見開いているウェスリーとその仲間、野次馬、立会人。そんな彼らを無感情に一瞥して声を掛ける。

「審判」
「へ、あ、ああ」

 唖然としていた立会人がようやく我に返る。そして勝者の名を高らかに叫ぼうとして――困ったように俺の顔を見た。

「……すまん。俺、君の名前知らないや」
「……ユト、だ」

 本日二度目の溜息が出た。
 大方、俺が勝つと思っていなかったからだろう。まあ、片や有名パーティーの一員、片やぼろコートに身を包んだガキである以上文句をつけることはできない。
 名前を伝えると、再びの謝罪とともに「勝者ユト!」と微妙に恥ずかしい宣言がなされた。その瞬間、それまでの戸惑ったような空気が吹き飛び、ギャラリーがどっと沸いた。

 普通の腕試しならばここで握手の一つでも交わし互いの健闘を讃えるのだろうが、当然、そんなことはしない。屈辱に震えるシーフは放っておき、俺は未だに険悪な空気の中でウェスリーと静かに睨み合っていた。


 次はこいつが出てくるのだろうか、それとも――――


 警戒するが、しかし奴は舌打ちをするとこちらに背を向けた。


 確か、連戦はマナー違反だったか。
 そんなことを気にするような性質ではないはずだが、さすがに人目が多いと感じたのだろう。
 歩き去るウェスリーを見て、仲間たちが慌てて後を追う。決闘相手のシーフも大したダメージは与えていなかったため、最後に憎しみを込めた視線をこちらに送ってくると、逃げるようにしてその姿を消した。

「……やっちまったなあ」

 頭を掻き、空を見上げる。
 後悔はない。あそこで何もせず、なあなあで済ませることは流石にできなかった。しかしだからといって何も思うところがないかと言えばそうでもない訳で。

 悪目立ちは避けるこの世界での活動方針。
 ウェスリーと関わり合いになるなというフィオナからの忠告。
 諸々を台無しにした罪悪感が酷い。

 あくまで倒したのはウェスリーでなくその仲間、おそらくはあの中で最も弱い推定レベル15、6のシーフであるため街中大騒ぎとまではならないと思うのだが。とりあえずどんな風にこの件を皆に伝えればいいかについて悩む。

 勝利からくる爽快感など欠片もなく、興味を持って話し掛けてくる野次馬を適当にあしらいながら、俺は憂鬱とした気持ちで本来の目的である門の方へと足早に向かおうとした。



 そして、視界の端に陽光に煌めく銀色の髪を見た。



「え?」

 ゆっくりと近づいてくる彼女の姿を、俺はただ石のように固まって待っていることしかできなかった。
 正面に立ち、頭一つ分ほど違う身長の関係から、フィオナは覗き込むようにして俺の顔を見た。そこに浮かんでいるのは華やかな笑み。なのにどうして背筋が寒くなるのだろうか。

「……見てた?」
「うん。割と最初の方から」

 どうやら俺には言い訳を考える時間さえ与えられないらしい。
 ただ最後の足掻きとして、お手柔らかにと、今から始まるであろう説教に恐怖しながら強張った顔で口にした。




[29582] 7
Name: 伊月◆ad05b155 ID:68f682b1
Date: 2012/04/04 05:49
 石壁の外側に広がる草原、柔らかな緑の上に俺は立っていた。
 目の前には半透明の四角いボード、ウインドウが展開されている。数多くある機能の中で現在は音声通信を使用しており、表面には【Sound Only】の文字が表示されている。
 どんな仕組みなのか知らないが、これを介して届けられる声は周りに響くことがない。脳に直接情報が送られてくるような、そんな不思議な感覚を味わいながら、俺は通信相手であるクロノの返答を待った。

『君って……馬鹿? 単独行動を始めた初日で問題起こすとか、さすがに想定外なんだけど』

 まったくもってその通り、言い返す言葉もない。
 眉間を押さえて呻くクロノの姿を幻視しつつ、俺はひたすら頭を下げた。電話を掛けながらお辞儀する営業マンのごとく、繰り返し。

「すまん、本当に」
『まあ、戦ったのがウェスリー・クレイグでない事だけが唯一の救いだね。前に噂を耳に挟んだことがあるけど、その男って適当なシーフが見つからなかったからパーティーに入れただけの奴だそうだし』

 大したレベルでもないらしいし、ぎりぎり大丈夫かな。とクロノは仕方がなさそうに言った。

『でも頼むから、これ以上は止めてよ? あとは一応、ギリアムさんとフィオナさんにも事情を説明しておくこと。決闘が公式に認められた行為だとはいえ、相手が相手だけに何か問題が起きる可能性もある』
「わかった。というか、フィオナには決闘が終わった直後に見つかった。これから説教。正直怖い逃げたい」
『自業自得だね』

 できる限り悲痛な調子で言ってみたのだが、にべもなく切り捨てられた。当然のことだが。
 続きは帰ってきてからということで通信を終了する。無音状態になったウインドウを閉じると、俺は恐る恐る背後を振り返った。

 視界に入るのは、ネーピア家で見る私服とは違い、実用性に富んだジャケット型の迷彩服に身を包んだフィオナの姿だ。
 特徴的な髪色を隠すためかフードも完備。
 小柄な体躯でじっとしていれば、森の中などではさぞ高い隠蔽度を誇ることだろう。

 背中にはモンスターから剥いだ骨皮でつくられた大型の弓を担いでいる。
 他に目につく装備はないため、おそらくはこれがメインウェポンなのだと思われる。
 魔法が存在するとはいえ中世時代をイメージしたSCOでは、プレイヤーが扱える唯一の遠距離武器。
 一撃の威力では刀剣類に大きく劣るものの、俺のような近接戦一辺倒の人間にとっては間合い外から狙われるというのは中々に厄介なものだ。

 腕が悪ければ矢を、イコール金を消費し続けるだけのガラクタになってしまうため、その戦闘スタイルを取れるということ自体が強さの証明になっている。
 その辺りはやはり、あのギリアムの娘という事なのか――――

「通信、終わったの?」
「え、あ、ああ」

 ――――などと思考を逸らして現実逃避している間に、俺と彼女との距離はゼロになっていた。

 先程までの笑顔はどこに行ったのやら、今度は完全な無表情で俺のことを見てくる。なまじ顔が整っているだけあり、ただ単純に怒りを顕にされるよりもずっと怖い。

 止まらない冷や汗を流していると、彼女は桜色の薄い唇を小さく動かし何事か呟いた。

「……ここにいてもしょうがないから。歩きながら話しましょう」

 そう言って、俺の返事を待たないまますたすたと進み始めてしまう。無論、無視して逃げるなどといった選択肢はない。慌てて後を追う。

 それからしばらくはお互い無言のまま足を動かし続けた。
 ちなみに目的地は茜の森と呼ばれる、ハイムズの北方に広がる巨大な森だ。今日の俺の仕事場であり、そして偶然にも、フィオナもまたそこでの依頼を引き受けていたことから道中を共にすることになったのである。
 なんという運命のいたずら。その結果がこの空気、素晴らしすぎて涙が出て来そうだ。
 やはりこちらから話を切り出して謝るべきだろうかとも思うのだが、あまりの沈黙の重さに気後れしてしまう。これはもういっそ土下座でも敢行する他ないのではないかと思考が暴走し始めた頃、突然彼女が口を開いた。

「さっきのことだけど」
「は、はいっ」

 不意打ちに心臓が跳ね上がる。裏返った珍妙な返事に、しかしフィオナは何の反応を示さず、ただ淡々と言葉を紡いだ。

「私、さ。ウェスリーとは関わらないでって、言ったよね?」

 怒りを抑えているのか、意図的に感情を込めていない平淡な声。
 俺は罰の悪さに頭を掻いた。

「……ああ。言われた。あのとき道具屋で、確かに」

 ごめん、と。
 芸もなく、ただそれだけを言う。

 再びの沈黙。気まずい空気の中で、しかし今度はフィオナが何かを言おうと言葉を探していることが分かったため、俺は何もせずに待っていた。

「怒ってくれたことは、嬉しかった。凄く」
「っ…………」

 感謝される。それはつまり決闘に至った経緯を知っている、ウェスリーらの暴言を聞いていることに他ならない。
 最初の方から居たとは言っていたが、まさかそこからとは思っていなかった俺は驚きに息を詰めた。

「門に向かうユトを見つけて、声を掛けようと思ったんだけど、先にウェスリーに絡まれてて。口論が始まってて。止めようにも私が出ていくと余計に空気が悪くなりそうだったから、遠くで見てるだけにしたの」

 表情を見れば、彼女がその時の判断を悔いていることがよく分かった。
 だが、それはきっと正しかっただろう。あの場にフィオナが出てきて、例えば俺を無理やり連れだすなどの解決策を取ったところで諍いがなかったとは思えない。それこそあのシーフだけでなくウェスリーと剣を交える結果になった可能性すらある。

 ごめんね、と説教を受けるはずが何故だか逆に謝られてしまい俺は慌てて言葉を探した。

「あ、いや、別にその判断は間違ってなかった、と思う。武器を振るう者はそれを正しく扱うための自制が必要だ――って、ギリアムさんにも教えられたし。それを破って、感情任せに戦った俺が悪い」

 フィオナが気に病む必要などまるでない。そう伝えると、彼女はくすくすと小さく笑った。どこか嬉しそうに、楽しそうに、言ってくる。

「優しいね、君は」
「……そうか?」

 庇って言っている訳ではないのだから、そういうのとは違うと思うのだが。
 意外な評価が気恥ずかしく、なんとなく渋い顔をして誤魔化そうとしてみるも、それを見てより一層彼女が笑みを深めている所からして上手くいっていないようだ。
 どうやら俺にポーカーフェイスの才能はないらしい。
 剣を振るしかできない脳筋みたいで微妙に嫌だが、腹芸や交渉事はクロノに任せた方がよさそうである。

 そうしてしばらくの間フィオナは忍び笑いを続けていた。しかし不意に、表情を真剣なものに戻した。

「けど、やっぱりあれは私の判断ミスよ。もっと他にやり様はあったはず。だから、ね。本当はこんなこと言う資格はないんだけど……」

 言いながら、立ち止まる。
 真剣な表情で俺の目を見つめ、告げる。

「……ウェスリーとは関わって欲しくない。何があっても、何を言われても」

 俺たちの間を穏やかな風が吹き抜けた。
 流れる髪を押さえながら、憂うような目をしてフィオナは言った。

「私や父さんのために怒ってくれるのは嬉しい。気にしないようにはしてるけど、暴言を吐かれるのは嫌だから。けど、その結果あなたに迷惑がかかるのはもっと嫌」

 だから、もう彼らと揉めないと約束して欲しい――その言葉に俺は目を瞑り、考える。今後また同じような事、絡まれて目の前で恩人に対する侮辱がなされるのを無視できるのか。耐え忍び、問題を起こさずに処理することができるのか。

 ……正直、自信はない。

 なんせ今の心情からして、反省はしているが後悔はない、というものなのだ。もう一度があったとして、むしろ剣を抜かない自分の方が想像しにくい。

「気を付けるよ、できるだけ」

 それが精一杯の回答だった。
 全然安心できない返しだなあと、フィオナは困ったように笑う。

「まあけど……今はそれでいいことにしておくわ。私もあまり強く言える立場じゃないし。本当に気を付けてよ?」
「ああ。俺としても変に目立つのは遠慮したいから好んで突っかかるような事はしない」

 それだけは、本当に。今回は最悪の事態、ウェスリーとの直接戦闘にならなかったこともあり許してもらえたが、これ以上馬鹿をやったらクロノに見捨てられかねない。
 いやまあ、幼馴染だし、長い付き合いだし、本気でそうなる事はないと思うのだけれど。その好意に甘え続けるのは俺自身が嫌なのだ。

「そう……じゃあ、この話はこれでお終わりね」

 パンッ、と手を打つ音が響く。

「自分で話を振っておいてなんだけど、そろそろ本格的にモンスターの出てくる地域に入ることだし、いつまでも雑談している暇はないわ」

 言われ、周囲を眺めると、いつの間にか丈の短い草に覆われた地面がなくなりかけていた。目的地である茜の森に着いたのだ。
 街に近い草原はモンスとの遭遇率が低く、事実ここに来るまで出会うことはなかった。しかしこの先からは危険度が跳ね上がる。敵の数も、質も、遥かに上回るのである。

 ゲームでは初心者向けダンジョンとして低位の敵しか出なかったものの、その理屈が通用するのは外側のみだ。
 ギリアムの話によると結構なレベルのものも居るようなので、俺は油断することなく表情を引き締めた。剣の吊る位置を確かめ、いつでも抜けるように整える。隣ではフィオナが同じように装備の簡単な点検を行っていた。

 俺の受けた依頼は森の片隅に出没する対象の討伐、彼女の方はそこからやや逸れた場所で行われるモンスターの巣の破壊だ。複数の冒険者によって行われる仕事らしく、定時までに現地に集合しなくてはならないとのこと。
 二つの区画がそれほど離れていなかったため、フィオナの目的地までは二人で進むことになった。この森は奥まで潜らない限りそれほど厄介な敵は出てこないものの、やはり仲間がいるかいないかでは安全度がまるで違う。

「じゃあ、途中まで、即席だけどパーティーね。父さんからは駆け出しだって聞いてたけど、さっきの戦いを見た限り腕はいいみたいだし。前衛を頼んでもいいかしら」
「ああ、問題ない。そっちは武器的に遠距離が専門なんだろ?」
「ええ、そうよ。援護は任せて」

 頼もしい言葉に自然と笑みが浮かぶ。
 それに、見る機会の少ない《こちらの世界での戦闘》についての興味も多少あった。ギリアムから回されるのは大抵が極秘依頼であるため、仕事中に他の冒険者と出会うようなことが滅多にないのである。

 出費のかさむ弓矢はSCOでも使い手が少なかった。
 それを、ゲーム以上に金銭面で厳しいこの世界でどのように扱うのか。実に楽しみだ。

 特に声を掛けあうこともなく、俺たちはどちらともなく歩みを再開させた。
 季節がら、名前に反しまだ茜には染まっていない森に一歩踏み出す。腐葉土の柔らかさを靴底に感じながら、普段とは違うパートナーとの冒険に心を躍らせる。
 それは、殺し尽くすことが日常となっていた最近では珍しく、かつてゲームの中で感じていた純粋な冒険心による期待感だった。



[29582] 8
Name: 伊月◆ad05b155 ID:68f682b1
Date: 2012/04/04 05:49
 かつて冒険者であったギリアムが、現役時代は国内最強とまで言われる凄腕だったことを知ったのはつい最近の事だ。
 一流、とは自分で言っていたしレベルの高さも見た。しかしまさかその頂点に位置する人間だとは思っていなかったため、当時はずいぶん驚いたものである。彼一人のことだけを記した本まで出ている始末で、その中にはよく今まで生き残れたなと感心よりも呆れの気持ちが先立ってしまうような戦歴の数々があった。

 そんな彼が引退を決意し、ここハイムズへとやってきたのは、ウェスリーの仲間が口にしていたような理由ではなく娘であるフィオナだった。

 何でも、もともとあまり体の強くなかった奥さんが出産と同時にお亡くなりになり、男手一つで育てなければならなくなったらしい。さすがに冒険者を続けながら子育てとはいかず、いい機会だと完全に現役から降りたのだそうだ。

 だが、武器を振るうことを止めてギルドの一職員となった後も、ギリアムの本質自体は変わらなかった。体が鈍らないよう訓練は続け、そしてそれを毎日のように見ていたフィオナが同じ道を進もうとするのはある意味当然の流れだろう。
 紆余曲折があった結果、扱う獲物の種類は変わったが、物心ついた頃からの訓練は年齢にそぐわない強さを身につけるに至った。

 その凄まじさは、彼女の戦闘を見ていれば痛いほどによく分かる。

 ヒュッ――と空気を裂く鋭い音が鳴るとほぼ同時、前方から徒党を組んで襲い掛かろうとしていたゴブリンの内一匹の頭に矢が生えた。それも一本ではなく、複数。一瞬の間に緑の小人はハリネズミと化し青黒い体液を溢れさせながら倒れる。

 当然HPバーは一ドットも残らずに消滅している。
 きーきーと叫び声を上げる残りの首を斬り落としながら、俺はその正確無比な射撃の腕に感嘆の息を漏らした。

 遮蔽物の多い地形をものともせず、敵と、そしてそれの近くで戦っている味方の動きを完璧に把握した上で矢を放つ。当たり前のように急所を狙っているが、それがどれだけ難しいことなのかは専門でない俺でさえ理解できる。

 なにしろ、この世界の仕様がゲームと同じならば、命中率に影響するスキルやアイテムは一切存在しないのだ。

 これは弓矢だけでなく俺の使う剣などすべての武器に言えることなのだが、SCOでは攻撃や防御を補佐する効果のスキルはあっても、プレイヤーの動き自体にシステムが介入することは一切ない。

 例えば、俺の保有するスキルの中に《スルーエッジ》というものがある。効果は単純で、移動速度と武器攻撃力の上昇だ。
 これを戦闘中に発動したとする。しかし、そこでプレイヤー自身が何もしようとしなければ、スキル効果はそのまま時間制限により消滅してしまう。自然に体が動いて敵を追ってくれるなどの便利な機能はなく、どんな強力な技を持っていたとしてもそれを生かせるかどうかは個々人の腕にかかっている訳だ。

 特に遠距離武器は風向きやその強さ、重力による矢の落ち方、敵の動き方、それらを全て自らの頭で計算しなければならない。その難易度故にメインで扱うものは少なく、逆説的に扱える者の腕は驚嘆に値する。

 フィオナの動きは、それこそ攻略組の弓使いにも匹敵していた。
 攻撃の速さ、威力、正確性といった近視的な要素では負けるつもりはないが、その一撃をいつどんなタイミングで放つかという、戦局への全体的な影響を考慮した動きは俺にはないものだった。

 レベルはあくまで基礎能力値を示すものであって、強さの絶対的な評価ではないのかもしれない――そんなことを考えながら剣を振るう。

 前方から石斧を持って接近する二匹、木の上から奇襲しようと飛び降りてくる一匹。上体を逸らして上からの攻撃を避け、タイミングを合わせてボールのように蹴り飛ばす。見事前方から迫ってきていた敵に当たり、全員が体勢を崩してくれた。
 フィオナが見ている以上全力では動けないが、初期に現れるスキルくらいならば問題ないだろう。
 使う、という俺の意思に反応して剣が淡い燐光を纏う。一振りすると同時、直線上に斬撃を飛ばす基本技《ソニック》が発動して固まっていた敵の胴をまとめて切断した。
 さて次は、と周囲に目を走らせたところで、横合いから小さな火球が飛び出てくる。
 木々の奥、暗闇に潜んでいたゴブリンメイジ――初期魔法を扱えるゴブリンからの不意打ちだ。

 にたり。そんな擬態語がぴったりの笑みを浮かべるメイジ。
 しかし探知スキルによって始めから存在を知っていた俺は、ほんの少し後ろに跳ぶことでそれを回避する。
 驚きに目を見開き、慌てて次を用意しようとしたところでフィオナの放った矢が飛来。
 呪文が完成することはなくゴブリンメイジは永遠に沈黙した。

 あっという間に味方が討ち取られ、獲物を振り回しながらがむしゃらに突っ込んできた相手の始末をしたところで敵反応の全消滅を確認した。
 剣を振ってざっと血糊を払い、鞘に納める。

「お疲れ様。今のでゴブリンは二十体目だっけ。やっぱり森に入ると遭遇率が高くなるわね」

 同じく弓を背のベルトに仕舞ったフィオナが労いの言葉を口にしながら近寄ってくる。
 どことなくデジャヴを感じる台詞。何だったかなと考え、思い出す。そう、確かこちら側に来る前に、レベル上げの狩りをしているときクロノが似たような事を言っていた。

「ん、そうだな。後はギリアムさんが言ってたけど、最近はなんだかモンスターが活発化してるとかなんとか」

 生息域の変化と凶暴化、だったろうか。俺は以前の森について何も知らないため異変と言われても実感がわきにくいのだが、曰く、常ならばさほど好戦的でなく衝突を避けられるモンスまでが襲ってくるようになったため、探索の危険度が飛躍的に上昇したらしい。
 ギルドの方で警告は出しているものの聞くかどうかは個々人の判断だ。残念ながらそれをあまり重要視せず、普段と同じ感覚で入った冒険者が死亡する事態は増えていると言う。

「原因はわかってるのか?」

 職員ではないにしろ、それでも街に来たばかりの俺よりは詳しいことを知っているだろうと思い尋ねてみる。

 が、フィオナは戸惑いの表情を浮かべながら首を振った。

「出没地域の変化を地図に書き込んでみると、全体的に、森の中心から外に向けて移動しているみたいなのよね」

 まるで、何かから逃げ出そうとしているかのように。
 よって最初の頃は龍種などの強力な個体が流れつき、森に巣をつくったのではないかと考えられていたらしい。しかし実際に調査隊を向かわせてみればそれらしい姿は何もなく、ただ中心部から生き物の気配が消えている不可思議な状態だけが確認されたそうだ。
 他にもいくつか仮説は出ているものの信憑性は薄く、すでにギルドは原因解明を諦め大規模討伐などの直接的な手段でもって解決を図ろうとしているとのことである。

「それだと、根本的なところでは何も解決できてないんだけどね。もたもたして街に被害を出すわけにもいかないから」
「そうか……」

 ゲームでは絶対の安全圏であった街だがこちらではそうはいかない。ウインドウやレベルなど、未だこの世界の法則には不明瞭な点が多いが、一つ言えるのはここも一つの〈現実〉であるということだ。
 復活の神殿などなく一度死ねばそれで終わり。電子の神によるシステム的保護の恩恵は消え、生き抜くには自らの両腕を振るうほかにない。
 本当に、厄介だ。

 そのうちギルドの方からそれに関しての召集が行われることだろう。
 ハイムズには優秀な冒険者が多い。加えて、現在は俺とクロノという、自分で言うのも何だが規格外の戦力が存在している。大丈夫なはずだ。はずなのだが、どうしてか喉の奥に何かが引っかかっているかのような気持ち悪さを覚える。

「……何事もなければいいんだけどな」

 そんな俺の呟きを最後に、ともすれば後ろ向きな考えに囚われてしまいそうだったため、この話題はここで意図的に終わらせることになった。
 そもそもモンスターの領域である森に踏み込んでいる時点で悠長にお喋りを楽しんでいる暇など本来はない。木漏れ日と鳥の囀りの穏やかさに騙されがちだが、ここはすでに命の危険が蔓延るダンジョンなのだ。

 カンストまで育てた探知スキルの効果により安全は保障されているのだが、負けたら本当に死ぬと思うとどうしても緊張してしまう。
 今にもそこの茂みから飛び出てくるのではないか、木の上に潜んでいるのではないか、地中や上空から狙われているのではないか……そんなあり得ない想像をしてしまう。ゲームから能力を引き継いでも変わらない、俺のへたれた心が必要以上に行動を慎重にさせた。

 だが、そんな俺の気の張りつめようとは裏腹に、その後は簡単な戦闘を二、三度行っただけで目的地付近にまで辿り着くことができた。

 マップを開き現在位置を確かめる。これ以上進むと俺にとっては遠回りになってしまうだろう。フィオナに声を掛け、この辺りで別れることを告げる。

「そっか。あ、ユトの方の依頼って、どのくらいで片付けられそうなの? 父さん今日も遅いみたいだから、夕飯どうするかまだ決めてないんだけど」
「それならクロノがやってくれるって言ってたよ。あいつ結構器用だから、変なものは出てこないと思うぜ」
「へえー、ちなみにユトは料理できるの?」
「簡単なものなら。見た目にこだわらない男飯だけど」

 ちなみにサバイバル料理はまだ苦手である。いや、調理自体はある程度できるようになったのだが、いまだに虫の類を口に入れることに抵抗感があるのだ。その点クロノの方は「腹に入れれば全部同じじゃないか」と豪気に食べるのだが。

 と、ほのぼのとした空気は名残惜しいものの、雑談もそこそこにしておかなければ人の気配を察した獣に寄って来られかねない。
 じゃあ行くねと、手を振りながら歩き去ってゆくフィオナの背を、一抹の寂しさを感じながらも見送る。
 仲間とともに行く探索は一端これで終わり。あとは一人で適当に獲物を討ち取り素材を剥ぎ取って帰る一日になる。





 ――――そう、思っていた。





「えっ、これって……?」

 数メートルを進んだ辺りで何故かフィオナが立ち止まった。戸惑いの声を上げ、小さく鼻を動かす。その表情が徐々に深刻なものに変わっていくのを見て俺は慌てて彼女の元に駆け寄った。

「どうした?」

 問いかける俺に、彼女はただ一言だけ答えた。

「……臭いが」

 それだけでは全く状況が分からない。
 やや苛立つが、背中の弓を下ろして素早く戦闘態勢を整えているところを見ると、おそらく詳しく説明している余裕がないのだろう。

 仕方がなく、俺は先程彼女がそうしていたように鼻を動かしてみる。
 感じたのは草木から香る緑の、そしてそれに混じって届く微かな錆のにおい。

 これは、まさか――――

 はっとする。風上は確か、フィオナが仕事前に集まると言っていた場所であるはずだ。
 最悪の事態が頭に浮かび、俺は自分の引き受けた依頼のことなど忘れて彼女と共に森の中を駆け抜けた。

 そして俺は、十数分前に覚えた嫌な予感が見事的中したことを知った。

 討伐依頼の事前集合場所とされていたその地点には、むせ返るような血の臭いと、無残にも体を食い散らかされた冒険者たちの死体が転がっていた。



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Name: 伊月◆ad05b155 ID:68f682b1
Date: 2012/04/04 05:49
 常から膨大な数の利用者を抱え比類なき賑わいを見せている冒険者ギルドの本部だが、今日はいつにも増して酷い混雑具合だった。
 凶報に職員が慌ただしく動き回り、それを見た冒険者が何事かと状況の説明を求めて受付に詰め寄っている。中には薄々事情を察している者もいるのか深刻な表情で仲間と話し合いをしている所もあった。

 怒号が乱れ飛ぶ中、俺は建物の片隅に置かれた長椅子に腰を下ろしてこの様相を招く原因となった出来事を思い返していた。

 数時間前に発見したあの血みどろの光景。初めて見る人間の死体とその惨たらしさに呆然と突っ立っているしかできなかった俺に対し、フィオナはさすがの行動力で迅速にギルドへと連絡を入れた。ウィンドウを介した通信には距離制限があるため直接ギルドの方に乗り込んだのだが、戸を比喩でなく蹴破って登場した彼女の姿はその場に居たものに強烈な印象を与え、事の重大さを伝えたに違いない。

 ――――冒険者六名がイレギュラーとの戦闘により死亡。

 彼女が受けていた依頼はそれなりに大規模で、高ランクの実力者のみを対象としたものだったと言う。それが突然の全滅。平和な街に衝撃を与えるには十分な内容だった。
 フィオナの調査によると、死体の損壊状態などから見て敵対したのは大型の肉食獣であり、特に可能性が高いのは獅子に似た形状のモンスターである《ヴァイス》だそうだ。群れに奇襲を受け、ろくな抵抗も許されずに殺されたというのが彼女の見解だ。

 以前、ギリアムとの会話の中でもちらりと出てきたそれは、人間的に言えば大体レベル20相当の力を持っている。
 そのような強力な個体は本来森の奥深くに住んでいるはずなのだが、最近の生息域変化の影響がここまで出てきてしまったらしい。

 死亡した六人がギルドの警告を無視し、対策を怠っていた訳ではない。
 むしろ彼らはその話を誰よりも熱心に聞いていた。装備を整え、変化した危険地帯について情報を集め、その上で依頼に当たっていたと証言も出ている。

 問題は、異変が準備を凌駕していたことだ。
 今まではいくら何でもヴァイスのような敵が森の隅にまで出てくるといった話はなかったのだ。そうであればもっと事は大きくなって、早急に討伐隊が組まれている。

 事態が加速している。

 原因が分からないそれのことを考えてみるも、つい先日まで平凡な高校生をやっていた俺が何かを閃くわけもなく、ただ焦りだけが募っていく。苛立ちから人差し指でこつこつとテーブルを叩いていると、ふと背後から近づいてくる気配を感じた。

「や、ずいぶん大変な目に合ったみたいだね」
「クロノ……」

 街中を歩き回っていたからだろう、戦闘用のローブではなく、こちらに来てから購入した布の平服に身を包んだクロノが俺の肩を叩いてくる。
 隣に座りつつ、どこかで買ってきたらしい飲み物を渡される。礼を言って一口含むと熱く苦い液体が喉を通っていった。この味は確か、精神安定作用があるとされるお茶だったか。
 その効能によって、というよりはその気遣いによって俺は多少落ち着きを取り戻した。

「で、メールで送ってきた内容は全部本当なのかい?」

 できれば嘘や冗談の類であってほしい。そんな感情のこもった問い掛けに、俺は時間の経過と共に混迷具合を深める冒険者たちを示すことで応えた。クロノは疲れたような溜息を零し、指で眉間を揉んだ。

「まったく、ようやくこっちでの生活が落ち着いてきたと思ったのに……なんでこう次から次へと問題が起きるのかなあ」

 心の底から同意する。波乱万丈な人生は第三者の視点だからこそ楽しめるものであり、自分がそうなるのは面倒以外の何物でもない。波に呑まれた状況を楽しむような人種もいるにはいるのだろうが、少なくとも俺たちはそれに当てはまらない。

「ギリアムさんに軽く話を聞いただけだけど、ギルドの上層部は大分慌てているみたいだよ。前々から噂されてた大規模討伐部隊の編成を急いでる」
「まあ、そうだろうな。これ以上放っておいたらそれこそ街にまで押し寄せられかねない。俺たちの扱いについてはなんて?」
「分からない。忙しそうだったからね、あまり引き止めてはおけなかった。けど多分どこか適当な部隊に組み込まれるんじゃないかな」
「独立して裏で暴れ回るんじゃなくてか?」
「そうすれば確かに戦況は変わるだろうけど、それこそモンスターが追い立てられるように動くよ。下手に動いても混乱を呼んで、余計な被害を出すだけだと思う」

 相方の冷静な判断を聞き、奥歯を噛む。
 レベル87といえど所詮は個人。単にモンスターを殲滅するだけならばともかく、街全体の守りを気にしながら戦う力はない。

「仮に人目を気にせず広域殲滅魔法を連発したとしてもなあ、やっぱり微々たるものだよ。そもそもMMORPGってのは一人のプレイヤーが何でもできるような万能さを持たないようバランス調整されてるんだから」
「結局、ギルドからの指示を待って動くのが一番いいってことか」

 きっとギリアムならば、俺たちなどよりもずっと戦いに慣れている彼ならば効率的な駒の配置を行ってくれる。今はそう信じるしかない。
 それからさらに数時間を俺たちはギルドの中で過ごした。俺が外に出ている間クロノは例の調べ事をしていたはずだが、どうしても目先の面倒事に注意が向く状態では成果を聞き出す気にはなれず、手元の茶をちびちびと啜りながらギルドの動きを待った。

 やがて職員の一人が出てきて簡単な状況説明を行い、同時に、四日後に動ける人員全てを投入する大規模作戦の発表がなされた。ちなみにこれに関して今現在ハイムズに居る冒険者に参加拒否権はない。滞在中の都市で大きな問題が起きた場合は必ず助力するようにと、登録時の誓約条項に記されているのだ。

 街に近づきつつあるモンスター全てを討ち取り、強引に侵攻を止める。あまりにも暴力的な、けれど確かに効果の期待できる手段だった。

 それ以外の方策がない、とも言えるが。















「ではこれより、三日後の作戦に関しての説明を行う」

 翌朝、俺たちは再びギルド施設へと集まっていた。理由は今しがた部屋の前方で指揮官――ギリアムが述べた通り、件の作戦について細かいところを詰めるためだ。
 会議室にはおよそ三十人といった数の冒険者が席についている。作戦参加が強制である以上はこの会議も強制なのだが、パーティーを組んでいる場合は代表者一人を出せば構わないことになっているため実質的な人数はこの二、三倍程度と見ていいだろう。

 あとは国に所属する兵士と、外部に依頼を出して集めた冒険者を加えてハイムズの全戦力だ。無論、作戦中に街を空にするわけにもいかないためその全てを当てられる訳ではないが、それでも数百人規模の人員が動く。
 ゲームでも多人数が参加するイベントはあったものの、ここまでの規模となるとさすがに数えるほどの経験しかない。俺は正面のボードに張られた周辺地域の地図をやや緊張しながら見つめた。

「やることは単純だ。森の外側に出てきたモンスター共を全て討つ、それだけだ。連携訓練なんてしている時間はないからな、無理に足並みを揃えようとするよりは各々の考えで動いてもらう方が高効率だと判断した」

 指示を出すのは担当する区画のみだ、そう言って指示棒で正面の地図を叩く。A、B、C、とほぼ等間隔に並ぶアルファベットの位置がその担当とやらを示しているのだろう。

「それぞれ二パーティー、十人程度を目安に入ってもらう。それぞれの実力と戦闘スタイルを考慮してこちらで決めた。質問があれば手を上げてくれ」

 ギリアムの指示により部屋の隅に控えていた職員たちが用紙を配り始める。回ってきた一枚を眺めてみると、どうやら編成表のようだった。コピー機による印刷ほど便利ではないが写本用の魔法というものがあるから多分それでつくったのだろう。グループ別に名前と、それからランクに主要武器について記されている。

 上から順に見ていき自分の名前を探す。Fグループの欄で見つかった。西洋風世界観の中で日本語とアルファベットが混じって記載されている様子は何となく違和感を覚えるものの、今はそんなことを気にしている場合ではない。
 パーティー登録をしているクロノがきちんと同じグループに入っていることを確認し、俺は他に誰が入っているのだろうかと視線を走らせた。どうせ知らない名前が並んでいるのだろうと思いながらの行動だったが、なんと、その内の一人はフィオナだった。

「ふうん、彼女と同じグループか。そういえばユト、昨日はフィオナさんと一緒に居たんだよね。どんな感じなんだい」
「強いよ。レベルはともかく、身のこなしは攻略組と遜色なかった」

 偶然か、それともギリアムが手を回したのかは知らないが、彼女と共に動くならば何も心配はいらないだろう。そう安堵しつつ俺は再びリストに目を向けた。フィオナの他はやはり見覚えのない者ばかりだ。とりあえずは戦闘スタイルだけ覚えることにして適当に眺める。

 そうやって最後の欄を見ようとした、まさにそのとき。

「質問がある」

 後方からそんな声が上がった。
 聞き覚えのありすぎる声だった。

「何だ、ウェスリー。編成に不満でもあったか」

 恐る恐る背後を見てみると、あからさまに機嫌の悪そうな顔をしたウェスリーの姿があった。用紙を叩き示し、怒りのこもった口調で問い掛ける。
 今度は一体どんな面倒事を持ち込んでくるのだろうか。半ば反射的に身構えるが、俺の予想は意外にも外れることとなる。

「ええ、大有りです。なぜ我々のチームにたったランク2の冒険者が名を連ねているのか、理由をお聞きしたい」

 相変わらず他者を見下している風なところはあるものの、それは思いの外まっとうな問いだった。
 実力差の大きい人員で組まれたパーティーは弱い。レベルの低い人間が足枷になるのだから、これは至極当然の事だ。性格に難があるとはいえウェスリーの強さは確かなものであり、この大事な作戦においてそのようなことをする意味が分からない。
 さすがにレベル30と同格の冒険者は存在しないにしろ、それに近い実力者をつけるべきではないのだろうか。ランク2と言えば、こう言ってはなんだが初心者に毛が生えた程度のものでしかない。
 会議室がざわめきに包まれる中、しかしギリアムは何でもない事のように「ああそのことか」と頷いた。

「問題ない。彼らは最近登録を行ったばかりでな、ランクは低いが腕は確かだ」

 ざわめきがさらに大きくなる。
 へぇそんな人が居るのか、と俺はぼんやりと彼の言葉を聞いていた。隣でクロノが何やら納得したような様子を見せているが、もしかして誰だか知っているのだろうか。

「低ランクで実力者? そんなもの――」
「証拠ならあるぞ。というより、つい先日、お前のとこのシーフが決闘で負けた相手だ」
「…………ッ!」

 最近ギルドに登録して、実力はあるけど実績がないせいでランクが低くて、ウェスリーの仲間と決闘した冒険者か。そんな奴が俺以外にもいたとは驚きだ。

 何故だかウェスリーが物凄い形相でこちらを睨んできている気がするが、きっと見間違いだろう。

 クロノが憐れむような視線と共に優しく肩を叩いてくるのも気のせいに違いない。

「いや、諦めて現実と向き合いなよ」
「表向きは駆け出し冒険者の設定じゃなかったのか……」

 思わず呟いた愚痴に相棒が、いや君のせいだろ、自業自得だろ、と容赦のない突っ込みを入れてくる。言い返せないのが痛い。
 俺は深く、深く、本当に深い溜息をついてのろのろとギリアムの方へと視線を動かした。

「配置の変更を求める!!」

 ウェスリーが失礼極まりないことを叫ぶが、気持ちとしては俺もまったく同じだった。奴と共同で戦うなど想像すらできない。さすがに背後から襲われることはないと信じたいが、少なくとも息の合った行動というものは絶望的だろう。互いに互いをお荷物扱いするような険悪な道中が簡単に頭に浮かんだ。

 しかしギリアムは訴えをあっさりと撥ね返した。

「許可できない」
「なぜだっ……!?」
「レベル帯を合わせる都合上だ。お前たちのパーティーに合わせられる強さで、かつ人数的にも十に近くなるようにと組み合わせた場合これ以外にない。ずいぶんと仲が悪いみたいだが、まあ、その辺りは冒険者を名乗るなら適当に折り合いをつけろ」

 いきなり親友になれとは言わないが、足の引っ張り合いをしないくらいは簡単だろうと。
 プロ意識を刺激する言い方にウェスリーは悔しそうに黙りこみ、俺も渋々ながら了承する。奴の取り巻きも露骨に舌打ちを零すなどの悪態はつくものの、ギリアムの睨みを受けると慎み深く沈黙を守った。

「他に、編成について疑問のある者はいるか? ……居ないようだな。では次に各ポイントに現れると予想されるモンスターについて知らせておく――」

 その後、会議は特に問題が起きることなく淡々と進み一時間ほどで終わりを迎えた。
 グループごとで顔合わせをしておくようにという指示に反しとっとと部屋を出て行ったウェスリーの背を見送りつつ、椅子から立ち上がって大きく伸びをする。
 大口を開けて欠伸をしていると背中を軽く叩かれる感触。振り向くと、透き通るような蒼い瞳と目が合った。

「フィオナか。どうしたんだ?」

 問い掛けると、隣でクロノが呆れたように溜息をついた。

「どうしたって、顔合わせしとけって言われたばかりじゃないか」
「ああ、そっか。フィオナも同じグループなんだっけ。すっかり忘れてた」
「……すごく自然な表情で酷いこと言うわね」

 いや、ウェスリーの件が衝撃的過ぎてつい。
 ツンと顔をそむけて拗ねる姿に微笑ましさを感じつつ謝罪する。すると彼女は不安そうに目を伏せ、懸念を口にした。

「大丈夫かしら、三日後」

 何を指しての事かは、もはや言わずとも分かる。

「んー、僕は道具屋のときも決闘のときもその場にいなかったから彼の事をよく知らないんだけど。ギリアムさんがそうしたってことは、大丈夫ってことなんじゃないかい?」

 いささか楽観的なようにも思えるが確かに一理ある。決闘の件について触れていたのだ、俺と奴の衝突を忘れていた訳でもあるまい。その上で、居候二人だけでなく、実の娘であるフィオナをもメンバーに加えているという事は問題が起こらないと確信していなければできないはずだ。

「まあ確かに、ウェスリーは強さを笠に着る分、その源になってる冒険者業に関しては真面目に取り組んでいるのよね」

 命のかかった仕事の中で協力できない輩は三流と蔑まれても反論できない。完璧主義的な思想を持っている奴のプライドがそんなことを許すはずはない。

「なんだか疑念が一周回って信頼に変わったような歪さだけど、とりあえず依頼遂行中に不意打ちを受ける可能性は低いってことだね」

 一先ずそのような結論に落ち着いた。
 対モンスター戦よりも先に仲間内の裏切り行為を心配とは、どこか皮肉な感じがするが。

「まったくだね。じゃあ次は、もう少し建設的な話をしようか」

 くいっ、とクロノが気持ちを切り替えるように眼鏡のブリッジを指で押し上げる。
 提案は、今のうちに互いのできることをある程度教えあっておこうというものだった。ギリアムの言っていた通り今から息を合わせる練習をしている暇はないが、事前におおよその強さや戦闘スタイルを把握しておくだけでも大分異なってくる。

「情報の共有か……うん、そうね、賛成だわ。ユトを見る限り、私が考えていた以上に色々とできるみたいだしね」

 父さんから聞いていたとはいえ正直実力を疑ってたんだけど、と。
 悪戯っぽく笑いながらの言葉に苦笑が漏れる。

「酷いな。まあ、俺たちが見た目弱そうっていうのは否定しないけど」
「あはは、ごめんごめん。今はもう、疑ってないから」

 そんなやり取りに肩を竦めながら、クロノが本題に入る。

「それじゃあ早速はじめようか。僕は普段の格好を見てれば分かるとは思うけど、魔術師だ。得意なのは攻撃魔法。レベルは――――」

 一瞬の間。
 冒険者は普通、具体的な数字を他者に明かさない。自分たちの戦力を正確に把握されては狙われる危険性が増えるためだ。よってクロノは「ユトと同じくらいと思ってくれればいい」と答えるに留めた。

「ということは、結構期待していいみたいね。使える属性は?」
「下級魔法なら一応は全部。中級は今のところ火属性だけだね」
「優秀なのね」
「器用貧乏なだけさ」

 肩をすくめて言うが、全七種ある主要属性魔法スキルのうち実に三つの熟練度を限界まで育て上げ、残りも戦闘に耐えうる程度には育てている男をそんな風に表すとこの世の魔術師は全員が初心者以下になってしまうだろう。
 本人曰く使える魔法の幅は増えてもレベルの低さから威力が出ないとのことだが、69という数字は最前線以外の場所ならば力不足はあり得ない。
 しかしそんな事はおくびにも出さず、クロノは笑顔を張り付けたまま質問を返した。

「それでそっちは、弓を使うんだっけ?」
「ええ。専門は狙撃なんだけど、今回の森みたいな場所では速射に特化した、射程の短いものを使ってるわ。パーティーを組んでいるときは基本的に後方支援に徹してる」
「うん、かなりの腕だって聞いてるよ」

 それから弓の基本性能や持ち込める矢の数、魔法の刻まれた特殊な鏃についてなどの説明を受け、次はいよいよ俺の自己紹介の番となったが――よくよく考えるとフィオナとは昨日一緒に戦った際にある程度の事は伝えているし、クロノについては今更だ。
 特に語ることもなく、少し寂しいがそのまま話を進める。

「現地での動き方も決めておかないとな。といっても三人だから大して悩むことでもないか。剣士と弓使いと魔法使い、そのまま前衛中衛後衛でいいか?」
「ええ。ウェスリーの方も勝手に動くだろうし、問題ないわ」

 その後も俺たちは会議室が閉められるまで延々と話し合いを続けた。
 集団戦や奇襲時の対応など、様々なパターンを想像する。
 実際の戦闘でそれを思い出す余裕があるかといえば正直怪しいものの考えるだけならばタダだ。少なくとも全くの無駄にはならないだろう。念には念をと、作戦開始までの三日間、俺たちは思いつく限りの準備をした。

 超人的なレベルを持っているのだから生半可な事では死なない。
 そんな思いが一片もないとは言わないが、それでもこの世界では「何が起こるか分からない」のだ。

 ゲームでも経験が少なく、またこちら側では初の大規模戦闘。
 実働的には少数パーティーが分散して狩りをするというだけであるものの、冒険者にとって油断とはすなわち死であり、そしてこの世界でのそれは正真正銘の終わりを意味する。
 対策を練るのは、むしろ当然の判断と言えた。

 油断大敵。
 転ばぬ先の杖。
 後悔先に立たず。

 まあもちろん、杞憂で済めばそれが一番いいのであるが、しかし。










 作戦当日。
 その行動はあまり喜べないことに、非常に役立った。




[29582] 10
Name: 伊月◆ad05b155 ID:68f682b1
Date: 2012/04/04 05:50
 苛烈。
 その一言が状況の全てを表していた。

 刃が閃き、獣の皮と肉を抉って臓器を断絶する。
 魔力光が周囲を照らし、一拍遅れて全てを燃やし尽くす火矢が放たれる。
 足元はすでに元の土色が判別できないほど黒く、モンスターの体液によって染められていた。

「ったく、数だけは多い!」

 愚痴を漏らしながらも足は止めず、俺は周囲を囲んでいる敵、レベル6モンスター《グレイウルフ》へと突進した。鋭い牙と爪を使った攻撃を紙一重で避け、すれ違いざまに腹を裂く。

 返り血が派手に顔へと掛かる。
 目に入らないようコートの袖で拭おうとするが、生地が顔以上に濡れていてあまり意味を成してくれない。

 やむなくその状態のまま戦闘を続行。
 今度は逆に向こうから飛び掛かってきた数匹をまとめて相手にする。
 低位のモンスターであるため負ける気はしないが、イヌ科の脚力で後方に抜けられると面倒だ。いかにして敵の注意を自分に引き付けて戦うかを考えていると、前触れなく背後から細長い棒のようなものが飛び出してきた。

 先端に鋭い鏃、後方に白い羽がつけられた矢は奴らの額を正確に狙い、音もなく打ち抜く。
 脳を貫かれた狼たちは断末魔を上げる間もなく血を吹き出して倒れ伏した。

「ナイスアシスト!」

 振り向かないまま感謝の言葉を述べつつ、撃ち漏らしに接近して首を落とす。

 これで、残存する敵反応はあと五つ。
 およそ二十を数えるウルフの群れと出会ってから半時間。個体能力は低いながらも、巧みな連係によって翻弄され、長引いてしまった戦闘にもようやく終わりの気配が見えてきて気を緩めないまでも僅かながら安堵する。

 やっと一息つける――そんな風に思った瞬間。

 狙ったかのようなタイミングで、反対側で戦っていた男の一人が悲痛な叫びを上げた。

「くそったれがっ、新手だ! 奥から十、いや十一、近づいてくるぞ!!」
「またかよ……!」

 自然と舌打ちが漏れる。
 一瞬だけ後方に目を向けると、緑を茂らせる木々の間を縫うようにして進む、人よりも巨大なカマキリの姿が確認できた。

 思うようにいかない事態に歯噛する。
 いくらなんでも数が多すぎだ。
 森に踏み込んでから遭遇した敵数はすでに会議で伝えられた予測を大きく上回っていた。

 苛立ちに叫びながら剣を振るう。
 振るうたびに血が流れ、その匂いがまた別なモンスターを呼び込む悪循環。
 もともと一帯に存在する全てを狩る作戦とはいえ、こうも連続して来られては休む暇もない。

 何か打開策はないのか、戦いながら思考を巡らせていると背後で人の動きを感じた。
 一拍遅れて聞き慣れた相棒の声が耳に入る。

「一度引いて体勢を整える、逃げるよ!」
「…………ッ! わかった!」

 大声で返事をし、ポーチから出した煙玉を投げて後方に下がる。
 特殊な野草を混ぜ込むことにより嗅覚による追跡も妨害できる便利品であり、そしてその効果の高さに比例して値段も高い道具だ。
 そういった大量の目くらましアイテムと牽制の弓矢を消費しながらの撤退戦。とてもではないが報酬額に見合わない仕事に辟易しながら、俺たちは何とかその場をやり過ごすことに成功した。















 掃討戦が始まってからすでに、五時間が経っていた。
 逃走中に偶然発見したこじんまりとした洞窟。少し奥に進んだだけで行き止まりになり、脅威となるモンスターの居住になってもいなさそうな、一先ずは安全と判断したそこに俺たちは座り込んでいた。

 満身創痍、という訳ではない。
 先のグレイウルフを含めここまで戦ってきた数種のモンスターたち。それらは特別強くはなく、むしろ初心者の狩りの対象となるような雑魚である。俺とクロノはもちろん、推定平均レベル20といった他のメンバーも苦戦するような相手ではない。

 よって傷はごく少なく、見回してHPバーを確認してみても、一番減っている者で二割前後。そこらに生えている薬草をすり潰して塗っておけばそのうち回復するような微々たる怪我だ。

 問題は気力と体力の消耗で、連戦に次ぐ連戦、息をつく暇もない闘争の繰り返しは俺たちに色濃い疲労を与えていた。

「こういうのは、ゲームにはなかった感覚だね」

 額に滲んだ汗を鬱陶しそうに拭いながら、白いローブを赤く染めたクロノが呟いた。

「SCOにはスタミナのシステムはなかったからな。俺たち元一般人がこれだけ動けてるってことは、ブラインドステータスみたいなのがあるのかもしれないけど……」
「その補正にも限界はある、か。前みたいにダンジョンの奥地でキャンプ狩りとかはできなさそうだね」
「よくやったよな、それ。何かもう懐かしさすら覚えるよ」

 目の前の男や他の仲間たちと無茶をしていた昔を思い返し、くすりと笑う。
 一瞬だけ穏やかな空気が流れたが、しかしすぐに俺たちは互いに表情を引き締めて状況の考察に移った。

「で、どう思う?」
「まずいね。それもかなり」

 難しい顔で周囲を見回しつつ、クロノははっきりとそう言った。
 洞窟の奥へと向けられた視線の先には、憔悴して座り込んだウェスリーの姿があった。

「皆、消耗が激しい。このままじゃ正直、長くは持たない」
「……だよな。出発前にウェスリーを警戒してたのが馬鹿らしいくらいだ」

 この戦いにおける一番の敵はパーティー内の不和。
 冗談交じりにそんなことも考えていたが、蓋を開けてみればこの様だった。
 最初こそいつも通りに――と表現してしまうのも癪なのだが――出会い頭の皮肉と嫌みから始まり、道中も静かに対立をしていた。しかし奥に進むにつれだんだんと互いに余裕がなくなり、気が進まなかろうが何だろうが連携を取らねばならない状況に追い込まれていった。

 五時間にまで及んだ連続戦闘に疲労を滲ませていない者など誰一人いない。
 ウェスリーはエースなどと呼ばれるだけあって他と比べればまだ顔色はいいが、それでも普段の無駄に尊大な態度は鳴りを潜め、息を荒くして体力の回復に努めている。

 もはや今の俺たちに、仲間内で醜い争いを繰り広げるような、無駄なことに労力を割く余裕はなかった。
 フィオナは入り口で見張りに立っているためここにいないが、現状に対する感想として、嫌味を言われない現状を不安に思わなきゃいけないなんてとんだ皮肉ねと愚痴を漏らしていた。

「個体の強さこそ大したことはないが、とにかく数が多い。斥候の報告の数倍は確実にいるぞ。一体なにがどうなってるんだか……」

 今までは、生息域の変化と言ってもほんの少しずつズレていくだけだった。
 無論それだけでも異常な事であり、だからこそ俺たちがここに派遣されている訳だが、この森の落ち着かなさはいくらなんでもおかしい。

 例えるならば、そう、以前のモンスターの動きが龍の巣から遠ざかろうとしているものだとするならば、現在は龍そのものに追い立てられているような雰囲気だ。

 やはり、引き金となったのは《ヴァイス》なのか。高位モンスターの生息域の変化が、他の生物に過敏な反応をさせたのだろうか。情報が少ない中での勝手な推測だが、まあ、それが当たっているにしろ外れているにしろ討伐の命令は出ているので奴らとの戦いは避けられない。

 なにせウェスリーにフィオナ、それから決闘の一件で相応の腕を持っていると認識されてしまった俺たち、高レベル帯の人間を揃えたFグループには、低ランク冒険者には荷の重いモンスターを討つという実に面倒な仕事が押し付けられているのである。

 最低限ヴァイスを狩っておかなければ、ただでさえ少ない、雀の涙ほどの報奨金すら受け取れなくなってしまう。
 よっていつ遭遇してもいいように準備を、万全は無理だとしてもせめて息くらいは整えておきたいところだった。

 もし仮に今の状況で出会ってしまったとすると、正直まともに戦えるかどうかすら怪しい。逃げに徹するにしても犠牲が出る可能性は否定しきれない。





 殿(しんがり)、もっと言ってしまえば囮役は必ず必要になる。





 その時は――――





「一応言っておくけどさ、変な気は起こさないでくれよ」

 不意に、クロノが俺の方に顔を近づけ小声で囁いた。

「……どういう意味だ」
「全力で戦うとか、考えるなって言ってんの。力を見せることで生じる面倒事についてはギリアムさんに聞いているだろ」

 見透かされている。
 言葉を詰まらせる俺を見て溜息を吐き、クロノは表情を険しいものへと変えた。

「やっぱりか……。君は、少し優しすぎる。甘いと言い換えてもいい。人間的に言えばそれは長所なんだろうけど、現状を考えると短所だよ。まさか助けられる力があるのだから全てを救うべき、なんて勇者じみた正義感は持ってないだろうね?」
「そこまでは思わない。けど、だからといって、今日だけの話とはいえ仲間が危機に陥ったとき、力を隠すためだけに見殺しにするのは抵抗感がある」
「別に見殺しにするとまでは言っていないさ。目立たない範囲で、こっそりと援護すればいい。気づかれないように弱体化魔法を掛けるなりなんなり手はある」
「もし、強敵に奇襲を受けたら? 俺の探知スキルじゃ十メートルを探るのが限度だ。後衛の立つところまではカバーしきれない」

 瞬時の判断を求められる場面で「こっそりと」などと悠長な真似をしている暇はない。それでも自分たちの都合を優先するのかと、やや強い調子で問い詰めた。

 感情的になっている俺に対しクロノはどこまでも冷静だ。
 しばらく考え込むように俯いた後、視線をこちらに戻し、そして小さく頷いた。

 奥歯を、噛む。

「それがフィオナでもか。ギリアムさんの、恩人の娘でもか……!?」

 頭に浮かぶのは先日の凄惨な光景。人間としての尊厳など関係なく、生きたまま貪られ餌となった冒険者たち。あれがフィオナに変わっても仕方のない事だと、必要な犠牲なのだと言うのか。

 その非道徳性に俺は声を震わせたが、クロノは前言を撤回する様子は見せなかった。

「彼らには世話になった。それは事実だし、僕だって感謝してる。けどそれに見合った対価の支払いは終えているんだよ。格安で依頼を引き受けていたのはそのためだろう?」
「お前……!」

 恩を金に換算するようなその考えに怒りを覚え、俺はクロノを睨みつけた。
 それを冷めた目で見つめ返し、彼はまた衝撃的な宣言をする

「この際だからはっきり言ってしまうけど、僕は、何よりも《僕ら》を優先して動く。君と一緒に元の世界に帰ることが第一なんだ。それ以外なら誰が生きようと死のうと――些事だ」

 あまりに迷いのないその口調に思わず呼吸を忘れた。
 リアリストだとは知っていた。元の世界に居た頃から常に堅実な道を選ぶタイプで、ギリアムに保護された日の夜、何とか現実を受け入れて今後について二人で話し合いをしたあのときも、目の前の相方はまず真っ先に資金確保と常識の学習を提案した。

 徹底的な合理主義者。
 幼少期からの長い付き合いだ、時に冷たいと感じるほど計算尽くの考え方をすることはよく知っている。

 だが、それでもこいつは、俺と同じくつい先日まではただの高校生でしかなかったはずだ。
 戦いとは縁遠い平和な国の住人がここまで冷徹に損得を計算し、取捨選択ができるものなのだろうか。

「まあ、我ながら随分と機械的な思考だとは思うよ」

 自嘲気味に、クロノは唇を吊り上げた。

「けど本音だ。嘘偽りのない、ね。……軽蔑したかい?」

 その問い掛けに俺は、力なく首を横に振った。そんなことはあり得ない。クロノが正しく現実を見ていることは理解できている。世界は俺たちに優しく接し続けてくれる訳ではなくて、いつまでも子供のわがままを通すことを許してはくれないのだから。

 けれど一方で、そう簡単に割り切れないのもまた事実だった。我ながら煮え切らない、中途半端な思考だ。なら君はどうしたいんだという当然の問いに対し俺は卑怯にも黙り込み、うなだれた。

 そしてそのまま、確固たる答えを出さないまま、外から慌ただしく響いてきた足音によって話は中断されることとなる。

 駆け込んできたのは迷彩柄のフードで銀髪を隠したフィオナだ。時計を見るも、まだ見張りの交代には早い。となるとそれが意味することは一つ。
 彼女は疲労を滲ませながらも凛とした声で緊急の知らせを口にした。

「敵襲よ。さっきとは別口みたい、すぐに準備を」

 休憩は終わりという事らしい。以前訪れたのと同じ森とは思えないエンカウント率に溜息が出る。それだけ外側にモンスターが押し寄せてきており、街に脅威が迫っているということだ。

 それぞれ剣と杖を握って洞窟から出る。

 集まってきていたのは総勢十の《グリーンキーパー》――樹木が意志と歩き回るための体を持つ、緑に包まれた巨人とでも言うべきモンスターだった。
 丸い窪みで目と口を形作る顔はどことなく愛嬌を感じさせるものの、その姿に反してかなりの凶暴性を持っている面倒な相手である。

「……確かあれって、HPが減ったら種族関係なく周辺の敵を呼び込む特性がなかったっけ。また連戦になるのは正直怠いんだけど」

 クロノがうんざりとした顔で言う。
 ウェスリーにもその知識はあるのだろう。腐っても高位パーティーという事なのか、手早く指示を出すと仲間に集中攻撃の構えをさせていた。

「《呼び声》が発動される前に片付けるぞ! 我々は右に行く、貴様らは左だ、もし鈍間に敵を呼び込んだときは覚悟しておけ!!」

 貴様ら、とはもちろん俺たち三人のことである。
 そっちこそと肩を竦めて返し、剣を構える。あれの弱点は中心部にある核だったか。迅速に壊せば問題は起こらない。狙いをつけバネのように勢いよく踏み込む。あくまで常識的な速度で、けれどこちら側の陣営に被害が出ないようモンスターを屠ってゆく。

 いい加減飽きのきていた単調な作業だが、この時ばかりはありがたかった。
 少なくとも戦闘に集中している間は、先の問答に思考を裂かれなくて済む。

 そして結局、戦闘終了後も、俺は移動や索敵を言い訳にして考えることをしなかった。
 きっと何とかなるはず、上手くやれるはず。そんな根拠のない妄言を抱いている訳ではないが、今まで平凡な学生として生きていた俺にとって命の取捨選択というのはあまりに重く忌避したいものだったのだ。

 正直に言えば、このまま結論を先送りにしてすべてをうやむやにしておきたいという気持ちもあった。





 ……だが、今の状況はそんな《逃げ》を許してはくれず、この数時間後、結局俺は再びこの問題と睨み合うことになった。





 きっかけは彼女の一言。
 木漏れ日の穏やかな、しかし見かけ上の雰囲気に反しモンスターとの遭遇率が異常なまでに高い危険な森の小路。
 緊張から雑談の一つもなく、全員がただ黙々と足を動かし続けている中であったがため、その声は小さいながらもはっきりと耳に入った。

「撤退を提案するわ」

 動きが止まる。
 視線が声の主に――フィオナに集中した。

「……なんだと?」

 戸惑いの空気が流れる中、先頭に立つウェスリーだけは実に分かりやすく怒りを顕にしていた。目元を吊り上げ、額には青筋を浮かべ、そのまま腰の剣でも抜きそうな勢いで彼女に詰め寄る。

「それはどういう意味だ、フィオナ」

 なまじ整った顔をしているだけに、感情のままに歪められた形相には迫力がある。しかしそれは同時に、どこか手負いの、追い詰められた獣のような印象を見る者に与えていた。
 フィオナは怯む様子もなく、むしろ冷めた目で奴を見返して言った。

「意味も何も、言葉通りよ。これ以上の戦闘行動は無理があるわ。一度街に戻って休息を取るべき。そうでしょう?」

 同意を求める声に俺とクロノは頷き、他の者は渋い表情を浮かべた。否定の意味ではなく、ウェスリーの顔色を窺っているような雰囲気だ。普段はオウムのごとくリーダーの意見に迎合する彼らにしては、この反応は珍しい。
 反対の声を上げない仲間に苛立ったようにして、奴はさらに眉を吊り上げた。荒い語調で、唾と共に言葉を吐き出す。

「まだ目標を見つけてすらいないんだぞ……依頼を放棄する気か!?」

 心中を探るまでもなく、はっきりと伝わってくる焦燥。
 その原因は何となくだが察することができた。何せ聞いた話では、これまでウェスリーの戦歴に失敗の二文字が刻まれたことはないというのだから。
 おそらくだが、彼にとってギルドから引き受けた依頼は、成功して当然のものとして認識されているのだろう。成功率百パーセントの数字はその有能さを証明しながら、一方で窮地に追いやられた際の対処法を知らないという意味でもある。

 想定以上のモンスターの数に思わぬ消耗を強いられ、経歴に傷がつくかもしれないことに対し恐怖を抱き、心に余裕がなくなっているといったところか。

 言うまでもない事だが、パーティーのトップに立つ人間がそのような心理状態に陥ってしまっているのは非常に悪い兆候だ。だからこそ、フィオナも反発を覚悟の上で意見を述べたのかもしれない。声を荒げる相手に引っ張られない冷静な口調で、彼女は率直に現実を口にした。

「そうなるわね。けど、仕方ないでしょう。今の状態でヴァイスの群れと戦うことになれば、例え勝てたとしても、私たちはかなりの被害を受けることになる」

 冒険者にとっての最優先事項は自らの生存である――そのことを丁寧に諭そうとする。
 依頼を達成し、金や名誉を得ることも確かに大事だが、欲に囚われたばかりに命を落としては何の意味もない。勇気と無謀を履き違えるな、生きてさえいれば何とかなる、新人がベテランの冒険者たちに心構えなどを聞くと大抵はこういったことを言われるものだ。

 逃げは、決して恥じではない。
 一度引いて体勢を整えることも立派な策なのだと訴える。

 プライドを逆撫でする、しかし真っ当な論にウェスリーは苦虫を噛み潰したかのような顔をした。それを口にしているのがフィオナという、非友好的な関係の相手であることも素直に正しさを認められない要因なのかもしれない。

 不穏な空気、睨み合いはしばらくの間続いた。

 加勢は出来なかった。ウェスリーの性格からしていつ感情が爆発し腰の剣に手が伸ばされるか分からないものの、フィオナ以上に相性の悪い俺が出ると、奴は余計に意固地になって依頼の続行を主張する可能性があった。

 固唾を呑んで成り行きを見守る。
 幸い、さすがにこれ以上の騒ぎはまずいと判断したのか、ウェスリーの仲間の一人が顔を顰めながらも間に立った。

「少し落ち着いてください、ウェスリーさん。あんま大きな音出すとまたモンス共を呼び寄せかねないですって」

 パーティーの副リーダー的立ち位置にいるらしいその男は、自分もフィオナの意見は気に食わないということを露骨に舌打ちするなどの態度で示したうえで、しかしその判断の妥当さを認めた。

「癪ですけど、あの女の言うことは最もっす。さっきの洞窟では結局大した時間は休めなかったんで……今の消耗具合でヴァイスとやり合ったら、一人二人は死者が出ますよ」

 せめてもう一度休憩を――ダンジョン内で大声を出さない程度の理性は残っていたらしく、ウェスリーはその進言を歯噛みしながらも受け入れた。

「……周辺の安全確認と見張りを。ここで三十分の休憩を取る」

 それが、奴の最大の譲歩だった。
 さっそく腰を下ろし手近な木の幹を背もたれにすると、これ以上の議論はないとでも言わんばかりに目を瞑る。フィオナはその決定にも不満を持っているようだったが、不毛な言い争いを嫌ったのか一先ずは引き下がった。
 離れた場所で、同じく木を背にして座り込む。フードを目深に被っているため表情は見えないが口元ははっきりと不機嫌そうに曲げられている。少しだけ迷ったものの、結局俺は彼女に話し掛けることにした。

「大変だったな」

 こういうとき、自分の語彙の貧弱さが嫌になる。
 もっと気の利いた言葉を掛けてやれればいいのだが、残念ながらこれが俺の限界だ。

「……まあね」

 複雑な感情の滲んだ低い声に肩を竦めつつ、勝手に隣に腰かける。

「一応、向こうもこの状況がまずいってことは分かってるみたいだけどな」
「敵地の真ん中で取る休息なんて当てにならないわ。緊張を完全に解く訳にはいかないから、疲れは取れにくい」

 無謀よ、とフィオナ。さらに続けて呟く。

「最悪、私たちだけで森から出ることになるかもね」

 その言葉に俺は目を見開いた。クロノの時と同じく、自分と同年代の少女の口からそのような選択肢が出るとは信じられずに彼女の顔をまじまじと見つめた。

 本気か? と聞こうとして、止めた。答えなど分かりきっている。普段の平和な生活では忘れがちになっているが彼女は俺などよりもずっと経験豊富な戦士なのだ。冗談でそのようなことを言うはずがない。
 勝手な戦線離脱には当然ペナルティが課されるが、それでも奴の指揮下で無駄に命を散らすよりはいいという判断なのだろう。

「本当は、ギルドの方に直接指示を仰げればいいんだけどね。さすがにこの距離だと無理だから」
「……ウインドウの通信限界距離か」

 フィオナの言葉に自然と表情が苦いものを含んだようになる。
 ゲームではプレイヤーがどこに居ようとも連絡が可能だったウインドウの通信機能だが、この世界ではいくつかの条件があり、その内の一つに距離がある。どういう訳か、たった数キロメートル程度の範囲でしか繋がらないのだ。
 もちろん無いよりはある方がいいものの、その利便性はかなり失われてしまっている。
 携帯電話のように気軽に会話することはできなくなっていた。

「もし、逃走用のアイテムが尽きかけてもウェスリーが依頼達成にこだわるなら、私はグループからの離脱を宣言するわ。あなたたちはどうする? 仮とはいえ、仲間を見捨てるに等しい行為だから強要はしないけど」

 その問いに俺はしばし瞑目した。

「……それは、俺一人じゃ決められない」

 クロノと話してくる――そう言って俺は立ち上がった。
 それが自分の答えを出すまでの時間稼ぎでしかないことは俺自身がよく分かっていた。数時間前の会話からして、クロノは躊躇うことなく彼女の提案に乗るだろう。

 ウェスリーのことは嫌いだ。嫌悪している。決闘にすらなりかけた。だが、死んで欲しいと思うほどではない。
 助けられるならば助けたい。そんな下らない甘さを自覚し、自嘲しながら相方の白ローブ姿を探して視線を巡らせる。これまでの戦闘でローブは半ば赤に染まっていたが、それはそれで目立つ色彩であったためすぐに見つけることができた。

「クロノ――って……」

 声を掛けようとして、言葉が途中で止まる。彼は地べたに座り込み、そしてなぜか森の奥の方を怪しむように目を細めて見つめていた。
 自主的な見張りの手伝い……にしてはやけに一点を凝視している。
 俺は頭に疑問符を浮かべながら尋ねた。

「何やってんだ?」
「……ん、ああユトか。いや大した事じゃないんだけどね」

 ちょっと妙なものが、と指を差すクロノ。俺は素直にその先に目を向け、小さく疑問の声を上げた。日常的にテレビやPCの画面を見続けるゲーマーとしては珍しく俺の視力は両目とも二、〇だ。警戒スキルの範囲外、かなり遠い所だが、網膜には木々の合間に草の緑と土の黒色以外の何かがはっきりと映った。

 色は黄土色。サイズは、ちょっとここからでは分からない。

「まさかまたモンスターか?」

 頬を引きつらせるが、クロノは否定する。

「その割にはどうも動きがないんだよね」

 どうしようか、とクロノが尋ねてくる。俺は少しだけ考え込み、不確定要素はなるべく排除しておくべきだろうという結論に達した。心配性だと言われるかもしれないが、あの色は獅子の皮のものによく似ていた。あれがモンスで、動いていないのはただ様子見をしていただけという可能性も僅かながらにある。

 フィオナの提案については、今は置いておくことにする。話ならあれの正体を確認してからすればいい。優先順位はこちらの方が高いだろう。

 それに、どうしてか胸騒ぎがした。
 根拠は何もなく、ただ第六感のようなものが頭の中で警鐘を鳴らしていた。

 俺は一番近くにいた男に簡単に事情を説明すると、偵察に出てくると言い残してクロノと共に奥へと進んだ。
 焦燥、不安、恐怖、一歩進むごとにその思いは強くなり、半分ほどの距離で確信に変わり、俺は顔を顰めて駆け出した。補正をフルに使った全力疾走。風景が瞬く間に背後へと流れてゆき、十数秒の後その場所に辿り着く。

 むせるような血の臭い。
 視界に入ったのは黄金の瞳、他者を威圧する鬣、無駄な肉をそぎ落としたネコ科特有のしなやかな体。茜の森においては有数の危険度を誇る獅子型モンスター《ヴァイス》。

 並の冒険者では太刀打ちできない故に、俺たちが当てられた討伐対象。
 それが――肉片と体液をまき散らして、一つの群れを形成できる程の数が死んでいた。

「これは一体……」

 理解できない光景だった。
 それぞれ腹や背、頭を巨大な質量によって無理矢理押し潰されたような死体だった。ミンチのように、原型を留めない程痛めつけられている個体もある。おそらく使われたのは棍のような鈍器だが、この惨状からしてその大きさは人が使うようなものではない。

「まるで……巨人が小人を叩き潰したみたいだね……」

 クロノの言う通りだった。
 地面に残った戦いの痕跡を見る。本来、そこから流れの一挙一動を見極めるような特殊技能は俺にない。しかし今回に限っては実に分かりやすかった。ずんぐりとした巨大な窪みが中心にあり、その周りをヴァイスが土を蹴った際にできたと思われるネコ科の足跡が囲っている。

 敵はおそらく少数。それにヴァイスが群れを成して襲い掛かり、返り討ちに合った。しかも血痕からして傷らしい傷すら与えられずに。
 つまり、この相手はヴァイスを遥かに上回る脅威だということだ。
 光の消えた目をした一匹に、そっと触れてみる。
 まだ温かい。戦いの終わりから現在までそう時間は経っておらず、未確認の敵は近くに潜んでいる。

「まずいな……」

 報告と撤退の再度提案を。そう思い、慌てて立ち上がる。










 ――――ぞくり、と。










 背筋を冷たい手が撫で、本能的にクロノを引っ張ってその場から飛び退いたのはまさにそのときだった。
 空気を唸らせながら飛来してくる巨大な――《木》。森に乱立する大木の内の一本。轟音を響かせて着弾し、土砂を巻き上げたそれは、明らかに俺たちを狙って投げ込まれたものだった。

「いきなり何だい!?」

 突然の事態についていけず、クロノが叫ぶ。
 俺は抱えるようにして持っていた彼の体を地面に下ろし、背中の剣を引き抜きながら言った。

「どうやら、元凶のお出ましみたいだ」

 周囲に充満する土煙。
 その奥にはうっすらと、こちらに近づいてくる影が複数見えた。



[29582] 11
Name: 伊月◆ad05b155 ID:68f682b1
Date: 2012/04/04 05:50
 弓に矢をつがえ、弦を引き、射る。
 長年の訓練と実践により身に染みついたその作業を狂いなく繰り返す姿とは裏腹に、銀髪蒼眼の少女――フィオナの心中はかつてないほどに焦りに満ちていた。

「足だ、足を狙え! 体勢を崩して機動力を奪え!!」

 余裕のない声でウェスリーが指示を飛ばす。
 もうやっていると苛立ちが募るが言い返す暇はない、この未知の強敵を前に仲間内で争っている場合ではなかった。

 性格に難はあるもののレベル30を超える、間違いなく一流の剣士とその仲間が全力を出しているにも関わらず戦況は不利だった。普段はなるべく温存する、コストのかさむ魔法矢を惜しみなく使ってもまるで効いている気がしない。
 幾多の斬撃、射撃、魔法を浴びてなお平然としている《それ》を、フィオナは整った顔立ちに似合わない荒々しい舌打ちをしながら睨みつけた。

 二足歩行の、しかし人間とは比較にならない巨大な体。
 黒い皮膚と血のように赤く凶悪に輝く瞳。
 全長四メートル程もある巨人が体躯に相応しい大きさの棍を振るう迫力の前では、この近辺で最も危険とされるヴァイスすら霞んでしまう。

 彼女の記憶の中にそのモンスターの姿に一致する情報はなかったが、あえて言うなら話にだけ聞いたことのあるオーガ種に似ているかもしれない。
 食人鬼の異名を取る、遭遇した時点で死を覚悟しなければならないとまで言われる最悪の敵に。

「くそっ……!」

 鬼の分厚い筋肉に放った矢が弾かれる光景を見て、屈辱に歯を噛みしめる。
 弓矢は攻撃力の固定された道具だ。いかに使い手の技量が並外れていたところで急所を狙う以外にダメージ量を増やす術はない。
 前衛に敵の注意がいかないよう牽制に集中しつつ、ここぞという瞬間のみ威力の高い矢を撃つ。

 せめてあの二人が居れば――そんな思いを抱く。
 ユトとクロノ、ギリアムが拾った胡散臭いながらも腕のいいあの冒険者たち。しかし彼らは何か妙なものが見えたなどと言って森の奥へと行ってしまった。
 今の森を少数で歩く危険性は知っているだろうからそこまで遠くへ行くとは思えないのだが……事実として、二人は未だ戻ってきていない。
 戻ってきたが、この惨状を見て彼らだけで逃げたのか? それも考えたが、何となく違う気がした。クロノと名乗った魔術師はともかく、ユトに自分たちを見捨てる選択ができるとは思えなかったのだ。

 ウェスリーを残して帰還する、そう言ったときに彼の顔が僅かに歪んだのをフィオナは知っていた。冒険者としてはどうかと思ったが、その甘さは人間的に好ましく、微笑ましかったものだ。

「となると……向こうにもイレギュラーが出たとか……」

 目の前のこれが一体だけという保証はない。同じようなものに捕まって戦っているか、あるいは、すでに敗れて死んでいるか。数で勝る自分たちがすでに全滅の憂き目に遭っていることを考えると、残念ながら後者である可能性は非常に高い。
 援軍は期待できない。もちろん無事でいてほしいとは思うものの、定石的には、この場では彼らは居ないものとして考えるべきだった。ギルドの方も同じ。緊急用の発煙筒はすでに点火したものの、ここに来るまでどれだけ時間が掛かることか。ついでに言えば仮に援軍が間に合ったとして、生半可な戦力ではただ死者が増えるだけだった。

 どうにか現状に希望を見出そうと思考を巡らせる度に絶望が深まる。

「っちぃ、埒が明かん……!」

 果敢にも巨人と正面から切り結んでいたウェスリーが、額に血と汗を滲ませながら悪態を吐いた。雑魚相手ではあまり使っていなかったポーションを胃に流し込み、半分まで減っていたHPバーを少しずつだが元に戻す。

 対し、敵のバーは未だ二割程度しか削れていない。分かってはいたが、こうして改めて力量差を見せつけられると武器を持つ手から力が抜けそうになる。

 本来なら尻尾を巻いて逃げるべき相手。それをしないのは、逃走のコマンドを選ばないのはウェスリーのプライドが高く敗北を認めないから……ではない。むしろそうであった方が良かったとフィオナは思う。それならばとっとと彼を見限って一人離脱することができるから。

 では何故か? 単純に、逃げられそうな隙がないのだ。今の不利な状況すらフィオナと、ウェスリーら六人のパーティーが何とか支えているだけに過ぎない。誰か一人でも欠ければあっという間に全滅への道筋を辿ることになる。
 メンバーの様子を見る。前衛、ウェスリーの他に壁役の重装戦士が一人と盾と片手剣を装備したベーシックな剣士の二人はHPにあまり余裕がなさそうだ。後衛の魔術師はMPが、弓使いはフィオナと同じく残弾が不安になる頃だろう。

 レベルが低く、特化したステータスもなかったが故、アイテムでの支援に徹していたシーフに尋ねる。

「道具の残りはっ」

 男は答えない。理不尽すぎる現状を前に、青ざめた顔で立ちつくしていた。
 苛立ちを覚えながら、もう一度怒鳴る。

「聞いてるの!? アイテムはあとどれだけ残ってるのか答えなさい!!」
「ひっ!」

 ユトと揉めたそのシーフはウェスリーとしても仕方がなく、補充要員としてメンバーに加えたと聞いている。
 決闘のときは偉そうなことを言っていたものの、おそらく実戦経験はそれほどでもないのだろう。低位モンスター相手ならば多少は活躍していたのだが想定外の強敵の出現にはただただ恐怖しているだけだった。

 気持ちは分からないでもないが、生憎とそんな事情を考慮しているような余裕はない。
 睨みつけると、男は何とか金切り声で叫び返してきた。

「か、回復用のポーションがあと五つと、煙玉が二つだ! 他の奴らも同じくらいのはず……」
「…………そう」

 随分と消費したものだ、と顔を顰める。ここまでの戦いでは負傷率が低くほとんど使っていなかったため、実質持ち込んだすべての回復薬をこの敵だけに減らされたようなものである。

 本当に、でたらめだ。

「あんたはどうなんだ、弾はあと何発ある!?」
「普通の木の矢ならそれなりに。でも普通に射っても弾かれるだけみたいだから、実質、魔法加工されたやつが十数本あるだけね」

 爆炎系の魔法が刻み込まれている弾ならばそれなりのダメージを与えられる。
 全てを神経の集中する爪先にでも当てられれば、倒すことは出来なくとも撤退の時間稼ぎくらいはとフィオナは考えていた。

 可能性は低いが確かに存在する希望。
 しかし、シーフは異なる捉え方をしたようだった。

「ふ、ふ、ふざけんなっ! 絶望的じゃねえか!!」

 半狂乱になって喚き、そして、

「オレは楽して金が稼げるからってここに入ったんだぞ!? こんなの聞いてねえ、やってられるか!!」

 フィオナと巨人に背を向け逃げ出した。
 男の役割はさほど重要ではないとはいえ、今はまずかった。慌てて制止するが聞く耳を持つはずもなく、壊れたような笑い声を上げながら走って行く。





 その動きを見て、巨人が嫌らしく口角を吊り上げたことに彼は気が付かない。





 初めに異変に気が付いたのは至近で戦っていたウェスリーだった。大きく息を吸い込むモーションに反応し、素早く耳を塞ぐように指示を出す。性格に難があるとはいえ経験豊富であることは間違いない冒険者たちは即座に何が起きるかを察し、シーフだけがそれを無視して足を動かし続けた。

 巨人が――――吠えた。

 ゲームでは《ハウリング》と呼ばれるその技は、多くのモンスターが持つ威嚇手段だ。
 大声を上げ、自分よりも低レベルの相手に限って動きを一時的に止める。

 そして巨人は、この場にいる誰よりも高位の存在だった。
 耳を塞いでいてなお鼓膜が破れそうな衝撃。音の暴力が周辺を蹂躙し、物理的に草木を揺らし土を捲る。逃げていたシーフはそれを全身に叩きつけられた。
 物理的ダメージはなく、せいぜい倒れたときに体を地面に打ち付けた程度だ。
 しかし三半規管の機能を奪われ、まともに立つことすらできなくなった男の命運はそこで尽きていた。

 巨人が持っていた棍を振りかぶる。

「あ…………」

 それは誰が漏らした声だったか。
 勢いよく投擲されたそれは止まった的――シーフへと真っ直ぐに飛んで行った。着弾と同時に水袋の破裂するような、湿り気を帯びた音が響く。

 土煙のせいで様子を伺うことはできないが即死だろう。

「ちくしょう!」

 誰かが叫ぶ。
 仲間が死んだことではなく、均衡が崩れてしまったことに対する焦り故に。
 冷静に考えれば巨人も武器を失い戦闘力を低下させているのだが、そんな思考を巡らせる余裕がある者は少ない。
 硬直している間に軽戦士が一人殴り飛ばされ、後方に転がってくる。
 何とか死んではいないものの重症を負っており、復帰は絶望的だった。

 そこから先の瓦解は早かった。
 まず魔術師の魔力が完全に底を尽き、魔法の支援がなくなる。
 剣士が剣と共に戦う意思を折られ、その場に虚脱して座り込む。
 壁役の重戦士がその頑強な鎧ごと吹き飛ばされ、後衛の人間を巻き込んで気絶する。

「う、おおおおおおおおおお!!」

 吠え声。
 フィオナ以外で唯一戦える体であるウェスリーが、最後の力を振り絞ってスキルを発動させる。全身を黄金の輝きに包むそれは、防御を捨てた突進技。
 弓兵として動体視力には自信を持つフィオナでさえ、追うのが難しいほどの速度。
 巨人の反応も追い付かず、懐に潜り込んだウェスリーが勝利を確信した笑みを浮かべる。
 黄金の剣が黒色の表皮に触れる。皮を破り、肉を抉り、体内に侵入する刃。心の臓を貫かんと突き出されるそれを巨人は――鬱陶しそうに、胸部に力を込め筋肉を絞ることで止めた。

「お……?」

 笑ったままの表情で固まったウェスリーを無造作につかみ、投げる。軽装とはいえ鎧を着こんだ人間一人を簡単に振り回せる筋力、その異常さに背筋を凍らせる。
 ウェスリーは何度か地面をバウンドし、転がった。起き上がってくる様子はない。死んでこそいないようだが、どうやら気を失ったらしい。

「……嘘、でしょ」

 呆然した呟きが唇から零れる。
 時間にして十数秒。たったそれだけの間で、パーティーは完全に壊滅の様相を見せていた。
 どうやら最初のシーフ以外は昏倒しているだけのようだが、それは彼らが巨人の攻撃に耐えたという訳ではない。
 歯を剥き出しにした醜悪な笑みと粘りつく不愉快な視線から、フィオナは敵の思惑を察した。

 ――――嬲っている。

 奴にとってこれは《戦い》ではないのだ。
 奪うものと奪われるものが最初から決まった、《狩猟》に過ぎない。

 ふざけるなと、叫びたい。
 舐めるなと、腸が煮え返る気分だ。
 しかし現実として、力の差は歴然。
 すでに行動可能な人間は彼女一人であり、勝ち目などまるでなくなっている。

 化け物。
 ゆっくりと近づいてくる巨人は、まさにそう形容するのが正しい。

 反射的に迎撃をするが当然のごとく通じず、鏃の先端すら刺さらずに弾かれるか、魔法の矢であっても皮膚の一部を剥がすことしかできない。

 それでもフィオナが腰から接近戦用のダガーを引き抜いたのは、偏に冒険者としての意地だった。
 一点の曇りもなく、白く光る刃。人間相手になら十分な殺傷能力を持つ品だが、本職の剣士が破れているのだ、さすがにこれで勝てるとは思っていない。しかし、こちらを見下した、汚らしい歯を剥き出しにした醜悪な笑み。せめてあの顔にこれを突き立てでもしなければ気が収まらない。

 声にならない叫びを上げながら飛び掛かり、慣れないステップを踏み、皮一枚の距離で拳を躱す。少しでも近くへと足を動かし続け――――

 ドンッ、と。
 大気を震わせ、腹に響く重低音。

 足踏み。
 地面がひび割れるほどの力で行われたそれにより、足元が揺れる。突然のことに姿勢を崩したフィオナは勢いを殺せずその場に倒れ込んだ。

「しまっ…………」

 その衝撃で唯一の希望、最後の武器さえ、手から零れ落ち遠くに転がっていった。
 今度こそ、終わった。もはや彼女に抵抗の手段はなく、できる事と言えば徐々に迫ってくる敵の姿を睨みつけることだけ。
 この体を握り潰さんと伸ばされる腕を、フィオナは悔しさに歯噛みしながら見ていた。

 ステータスのバランスが筋力と体力に偏っているのだろう、どこまでも緩慢な動きだった。ハウリングさえなければ簡単に逃げ出せたのにと益体のないことを考える。
 血と土に汚れた黒い指が、産毛の一本一本を視認できるほどまでに近づく。
 30センチ、20センチ、10センチ、やがて頬に不快な感触。振り払おうとするが弓使いの筋力でそれができるはずもなく、むしろ巨人はそんなささやかな抵抗を楽しむかのように哂って、





 唐突に、張り飛ばされたかのように横方向へと吹き飛んだ。





「――――え?」

 理解できない光景だった。
 木の折れる激しい音と共に巨人が森の中へと消える。代わりにその場に降り立ったのは赤いコートを着込んだ人間だ。一陣の風のごとく、彼はそこに現れた。
 予想の斜め上を行く展開にフィオナが呆然としたまま座り込んでいると、少年――ユトが静かに声を掛けてくる。

「無事か?」
「え? あ、ええ」

 一瞬、自分に迫っていた命の危機も忘れてフィオナはユトを見つめた。
 今までどこにいたのか、何をしていたのか、何をしたのか、聞きたいことは多々あるものの上手く頭が働かない。

 そうこうしている内に、登場人物は増える。

「あー……もうさ、分かってたんだけどさあ何となく。結局こうなるわけだ」

 心底面倒臭いといった様子で彼の相棒、汚れで変色したローブに身を包んだクロノが草むらを掻きわけて出てくる。

「悪い。けど、彼女だけは見捨てられない」
「わかった、わかったよまったく。まあ確かに、この状況を見て見ぬ振りするのも目覚めが悪いしね。それで、この惨状をつくったのもさっき潰したのと同じ奴なのかい?」
「ああ。黒い、見慣れないモンスだった。とりあえず蹴り飛ばしといたけど、死んではいないだろうな」
「ステが明らかに体力と防御力に偏ってるもんねえ。おかげで、ずいぶんと長く足止めを食らったよ」

 滅茶苦茶な会話の内容がまた混乱を呼ぶ。
 さっき潰した、それはつまりあれと同等のものと出会い二人だけで勝利したということだろうか。
 そういえば二人からは真新しい血の臭いが漂ってくる。しかしそんなことが可能なのか、というかそもそも蹴り飛ばしたってなんだだとか疑問が尽きない。

 しかし、ただ一つだけ。
 どうやら自分は助かったらしいと、フィオナは理解した。



[29582] 12
Name: 伊月◆ad05b155 ID:8176fa62
Date: 2012/04/04 05:53
 戦闘終了まで五分と掛からなかった。
 それだけで、あれだけ苦戦を強いられていた敵の首と四肢が飛んだ。剣の鋼と魔法の風の刃があっさりと骨肉を断ち、青黒い体液をまき散らさせながら、巨人を無様に地に伏せさせた。

 あまりにも呆気ない決着を、救われた少女は混乱しながらも憧憬の色を乗せた瞳で、敗北した青年は嫉妬と憎悪を抱きながら見つめた。










 戦いの終わった翌日、その夜、ギルド施設内にある酒場では馬鹿騒ぎが起こっていた。
 血の滲む包帯やらガーゼやらを体に張り付けながらも、冒険者たちの表情は皆明るい。赤ら顔で今日の戦果について口にし、自慢し、生き残れた幸運を祝いながら酒を浴びるように飲む。中には物理的に浴びて店員に殴られている者もいるが、それもまた笑いを買って場を盛り上げる要因となっていた。

 下手な歌を歌う酔っ払いに罵声が飛ぶやら、魔法を使った大道芸を失敗して全身火だるまになる馬鹿が居るやら、もはや何でもありなその光景を俺は部屋の隅で苦笑しながら見ていた。
 未成年なので――といってもこの世界では成人とされる年齢も、飲酒に関する法律も異なるのだが――酒の代わりに注いでもらったホットミルクを啜りつつ呟く。

「作戦成功、街の危機は去った……か」

 最悪、モンスターが引くまで、何日間にも渡って続けられる可能性もあった大規模討伐は、何とたった一日で終了した。本件の原因と思われるイレギュラー、黒色の巨人を《英雄ウェスリー・クレイグが一名の尊い犠牲を出しながらも討伐した》からである。

 警戒態勢は未だ取られているものの、巨人の死亡とほぼ同時にモンスの活動は沈静化し、森へと引き返していったそうだ。ただ力に優れているだけでなく高い隠蔽能力まで持っていたという新種の敵に対する恐怖はあるものの、一先ず解決には至ったということで皆そろって安堵の息を吐いている。

 今後の対応についてなどの難しい話はお偉方に任せておいて、一般市民が今注目しているのは新たな調査隊の派遣などではなく、ウェスリーと巨人、その激戦の一部始終である。
 次々と仲間が倒れていく中、自らの命を顧みない特攻によって見事巨人を討った――パーティー内で唯一最後まで意識の残っていたフィオナによって証言されたその様は、すでに街中に広まっている。

 犠牲者は出たものの、こう言っては何だが特に目立たない有象無象の一人。
 薄情だとも思うが、この世界では日本と比べ死が日常と近い。もっと多数の犠牲が出ると誰もが考えていたため、黙祷を捧げた後はすぐにこの騒ぎへと繋がった。

 おそらく会館に入りきらなかった冒険者や市民は別の酒場で同じようなことをしているだろうから、今日は街中が祭りのようになっているはずだ。
 主役であるウェスリーこそ戦闘による負傷を理由に不在だが、勢いは止まらない。同じグループにいたということで話を聞かせろと寄ってくる人々へ適当に物語じみたことを言ったこともあり、今や彼の評価は性格の悪さを差し引いてもこれ以上ないほど上がっている。
 目論見通り、皆の注意は俺とクロノから逸れてくれている。

「なんとか誤魔化せた、のかな」

 勝手に囮とさせてもらったウェスリーには悪いが、これまで奴のせいで被った迷惑への慰謝料代わりとでも思ってもらう他にない。まあ、聞くところによると捨て身の突進技を放った直後に気を失ったそうなので、上手くいけば自分が止めを刺したのだと勘違いしてくれるだろう。

「一応はね。フィオナさんには思いっきり見られてたけど、口止めは出来たし。何とかなったんじゃないかい」

 隣に立つクロノが溜息を吐きながら言う。
 疲れ切ったその様子に、俺は気まずい思いをしながら尋ねた。

「……怒ってるか?」

 フィオナを、助けてしまったことを。
 力を見せてしまったことを。
 見捨てるべきだったとは今でも思わないが、ひょっとするともっといい手があったのではないかという後悔はある。

 例えばヴァイスの死体を二人そろって見に行かなければ、どちらかがあそこに残っていれば、もう少し状況はよくなっていただろう。クロノが以前言っていたように、気づかれない範囲での援護ができたはずだ。そうすれば死者も出ず、このような面倒を背負うこともなかったかもしれない。その辺りについての相方の考えが気になった。

 しかし、意外にも返ってきたのは軽い声だった。

「んー、別に」

 表情には、微かに笑みすら浮かべながら。

「なんか、フィオナさんに必死になって口止めしてるユトが可笑しくて、どうでもよくなってきた」
「…………えー」

 そういう理由か。
 まあ確かに、割とプライドを捨てて縋り付いたりしていたのだが。そもそもの原因が俺だとはいえ、事を大きくしないようにと努力したことくらいは評価してくれてもいいのではないだろうか。

「それにまあ、ほら、君が馬鹿なのはいつものことだしさ。慣れた」
「……いくら何でも酷くないか? そりゃあ確かに、こっち来てからは色々余計なことしてる自覚はあるが……」

 あまりの言い草に不満を口にすると、ごめんごめんと全く心のこもっていない謝罪が返ってきた。どうやら俺という人間像に対しての見解が妙なところで異なっているらしい。その内腹を割って話し合う必要がありそうだ。

「じゃあ言い方を変えて、熱血漢?」
「そんな柄でもないと思うけどな」

 自分が少年漫画の主人公のごとく熱いセリフを言っている姿など、想像しただけでも恥ずかしい。
 ただ同時に、考えるよりも先に体が動く性質など、否定できない部分があることにも気が付いた。となると目の前のこの友人はそんな俺を冷静に諭し引き止める参謀役だろうか。眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げ、キランッと光らせるクロノ。やたらとしっくりきた。

 そのポジション分けから連想されるものとして、脳筋、と。
 何だか頭に浮かぶ単語があったが、それについては意図的に忘れることにする。

「まあ、例え君が暴走したとしても僕がちゃんと手綱を握っていればいいだけの話だからね。あんまり気にしなくてもいいよ」
「おいおい……」

 手綱とはまた、馬を扱うような風に言ってくれる。
 さすがに聞き捨てならず何だそれはと食って掛かるも、胡散臭い笑みと卓越した話題逸らしの技術でのらりくらりと躱される。相変わらずというか何というか、こいつと口で争って勝てる気がしない。
 そうして十分程、喧嘩やら雑談やらをして時間を潰していると、クロノは「ギリアムさんと今後について話してくる」と言い出した。

「ったく、とっとと行け。それでもう戻ってくんな」

 すっかりやり込められてしまった腹いせにそんなことを言いつつ、手で払うような仕草をする。
 正直、ただ話しているだけでも時折グサリと胸に刺さる言葉を放ってくるので、これ以上の会話はごめんだった。

 そんな子供じみた反応に、クロノは同じく大袈裟に両手を上げた。
 そして、おそらくギリアムのいるであろう事務所の奥へと向かおうとする。

「あ、そうそう」

 が、数歩で立ち止まってこちらに振り返ると、笑いをこらるようにして言った。

「彼女への事情説明、よろしく。ここまで来るといっそ全部明かして協力を求めてしまうのも手かもしれないねえ。まあ、その辺りの加減も全部君に任せる。頑張ってくれ」
「は? あ、てめっ、おいこら待て!」

 最初はその意図を理解できなかったが、入れ替わりのようにこちらへ歩いてくるフィオナの姿を見て、俺はクロノが逃げたのだということを悟った。焦って呼び止めるも、奴の背中はすぐに人混みの中に消えてしまう。

 ――――後処理くらいは自分でしろってか。

 喉の奥から声を出して唸りながら、頭を掻き毟る。事情説明――そう、彼女にはまだ諸々のことについて話していないのだ。隠していた力の事だとか、駆け出しと偽って居候していた訳だとか、何一つ説明せずにただ「自分たちについて誰にも何も話さないでおいてくれ」と、強引に頼み込んだだけなのである。
 昨日はまだ事があった直後で、彼女の混乱を利用して上手く丸め込むことができたものの、一夜明ければ完全に冷静になっているだろう。これから追及を躱す苦労を思うと……自然と頬が引きつる。

「人が悪いわね」

 開口一番、フィオナはソプラノの声でそう口にした。

「本当は全部あなたたちがやった癖に」

 戦いで疲労しているにもかかわらず報告のためギルドに引っ張られ、そこからさらに話をせがむ冒険者たちに宴会の場まで連れてこられた彼女はいかにも不機嫌そうだった。

「本当にイレギュラーを倒したのは、あなたたち。しかもあの一体だけじゃなくて、私たちを助けに来る前にも複数と遭遇していた……事実をありのまま話すだけでも苦労するのに、挙句、妙な注文をつけられて、整合性を取るのにどれだけ頭を悩ませたことか……」
「うん、まあ、悪かった」

 苦笑を浮かべる。笑い事じゃないと、肩を叩かれた。
 痛みのない軽い攻撃。自分は怒っていますと示すためのポーズ。その意図に気が付き笑う、また叩かれる、笑う、しばらくそんなことを続けて最後にはフィオナが溜息を吐いて拳を引いた。

 そして沈黙。互いに手に持ったグラスを傾けながら、騒ぎを黙って眺めていた。てっきり事情を話せと詰め寄られ、胸倉を掴まれるくらいは覚悟していたのでこれは意外だった。
 もっとも、それが良かったか悪かったかと言えば、悪かった。根掘り葉掘り聞かれるのは困るが、かといって何のリアクションもないのも妙に居心地の悪さを覚える。
 十分ほど経って――体感時間ではもっと長かったが、ウィンドウの時刻表示によるとその程度だった――ついに居心地の悪さが我慢できなくなって、俺の方から話しかけた。

「聞かないのか?」
「何を?」
「何をって……分かってて言ってるだろ」

 憮然として言うと、フィオナは微かにだが今日初めての笑顔を浮かべた。

「まあね。でも、聞いてほしいの?」

 いたずらっぽく目を細めて、そう返される。

「冒険者は色々と事情を抱えた人が多いから、隠していることをわざわざ追及したりはしないわ。ましてや命の恩人に対してそんな無礼な真似できる訳ないでしょ」
「フィオナ……」

 その心遣いに俺は感謝の言葉を口にしようとした、が、

「まあ、それは理由の半分だけなんだけどね。ギルドの方から聞き出すことを禁じられてるのよ。父さんと、普段は顔も見せないようなギルド長の署名付きで書状が来たときは驚いたわ。ずいぶんと裏では激しく動いてたみたいね」
「……フィオナ」

 感動して損した気分になった。
 俺が口下手なのか、それとも周りの人間が上手いのか、今日はどうもやり込められている感が否めない。肩を落とした姿がよほど情けなく見えたのか、フィオナは目を逸らし顔を赤くして笑いを堪えていた。

「クロノといいフィオナといい、なにか今日は俺の扱いが酷いような気がするんだが」
「あははっ、ごめんごめん。反応が面白くて。ほんと、よく表情が変わるわね。君、腹芸とかできないタイプでしょ」
「…………」
「ほらまた、そうやって顔を顰める」

 分かりやすいなー、と。
 悔しいが、全く反論は出来なかった。

「誘導尋問とかすぐに引っかかりそうね」
「……それは困った。じゃあ、フィオナにそれをやられないよう早めに退散しておくとするか」

 これ以上からかわれるのが嫌だったのが半分、熱気のこもった室内から出たかったのが半分。俺は彼女の言葉に乗っかってそう言った。グラスを空にし、店員を呼び止めて返す。未だ冷めやらぬ酒盛りの光景を尻目に外へと出る。
 夏とはいえ、夜になると肌寒い。顔を撫でる風に震えながらウィンドウを呼び出し、仕舞っておいたいつものコートを実体化させる。まだ水洗いで表面の汚れしか取っていないそれは少々臭うが、他に上着となる物を持っていないので仕方がない。

「それで、なんでついてくる」

 同じくアイテムボックスから上着を取り出し、羽織っているフィオナをじとっと見つめる。理由の半分は彼女から離れるためだったのに、なぜ当然のように後を追ってきているのだろう。

「ん? それはほら、まだ言ってない事があるから」

 まだ何かあるのか、とうんざりする。溜息を吐き、俺はいかにも気乗りしないといった風に先を促した。

「ありがとう」
「……は?」

 考えてもいなかった言葉に驚き、顔を上げる。視線の先にはフィオナが、いつになく真剣な表情で俺を見ていた。

「助けてもらった、お礼。あの時は言いそびれてたから」
「あ、ああ……」

 そういえば自分はそういう立場だったのか、と今更ながら思い出す。

「一歩、いや二歩も三歩も遅かったけどな……。もっと早く駆けつけてれば、それ以前に俺とクロノのどちらかを置いておけば死者は出なかったはずだ」
「それは言っても仕方のない事でしょう。もし、何ていう、あったかもしれない未来を想像していたらキリがないわ。ただ一つの事実として、私はあなたたちに助けられた。それだけよ」

 俺の後悔の言葉を、フィオナはそう言って斬り捨てた。その眼に嘘の色はない。同情や、庇うなどの意味はなく、本気でそう考えていることが伺えた。
 世界観の違い、そして冒険者業という刹那的な生き方故か、いつまでも想いを引きずる俺と違って切り替えが早い。彼女の言い様に少しだけ救われた気がして、小さく謝辞を口にする。

「……ありがとう」
「どういたしまして。何でお礼を返されてるのかよく分からないけど」

 気にするなと言って、俺は空を見上げた。日本の都心では絶対に見られないような満天の星空がそこにはあった。

「ねえ」
「ん?」

 星の並びも元の世界とは違うのだろうかと曖昧な記憶を元に星座を探していると、またフィオナが声を掛けてきた。

「質問、してもいいかしら。答えたくないなら黙ってくれていいから」

 唐突な、けれどどこかで予想していた言葉だった。
 俺が頷くと、彼女は二、三秒ほど間を置いてから掠れた声で聞いてきた。

「どうしてあなたたちは、あんなにも強いの? どんな経験をすればその高みにまで到達できるの?」

 視線をフィオナの方に向ける。

 目が、合った。

 揺れる青い瞳の中にあるのは憧れと、微かな嫉妬。グループを全滅寸前にまで追い込んだ敵、それを容易く葬り去った自分と歳の近い冒険者。興味を持って当たり前だ。
 しかしそれは直接ではなくとも、半ば、俺たちの隠したい事情に触れた質問だ。答えなくてもいいと予防線を張っているのは彼女自身も、聞き出すなという命令に反しかねないと理解しているからだろう。

「強い、か」

 拒絶することは簡単だが、しかしその問いは俺の引け目――ゲームで培った能力を引き継ぎ手に入れた力――を突くものだったため、思わず深く考え込んでしまった。

「強いのかな、俺」

 空虚さを感じながら呟くと、フィオナがはっきりと気分を害された様子でこちらを睨んできた。

「それは嫌味なのかしら。あれだけの力を持つあなたが強くないなら、私たちは一体何って話になるわよ」

 そういう意図での言葉ではなかったのだが、確かに事情を知らない彼女にとってはそれ以外に受け取り様がない。
 素直に謝罪しつつ、どう説明すればいいのかと頭を悩ませる。まさか馬鹿正直に全てを語るわけにもいくまい。先程クロノはそれでもいいようなことを言っていたが、さすがにそんな冗談を真に受けるほど俺も馬鹿ではない。
 結局口から出たのは、嘘ではなく、けれど真実からも微妙に遠い回答だった。

「環境が良かったから、かな」

 夢のない、あまりにも現実的な答え。けれど仕方がない、それ以外に言い様がないのだから。
 才能は、ゲーム攻略の才ならともかく実際の戦闘に関しては分からない。努力をしたとは、彼ら彼女ら冒険者の体に残る生傷を見ていると、とてもではないが恥ずかしくて口にできない。

「環境?」

 その言葉が意外だったのか、フィオナはきょとんとした表情を見せた後、顎に手を添え少し考えるような風にして言った。

「それは、あなたの故郷の近くに経験値の多いモンスターが生息していただとか、私の父みたいに訓練に付き合ってくれる戦闘経験者がいただとか、そういうこと?」
「…………まあ、そうだな。そんな感じだ」

 本当は、その程度で収まるような差ではないが。
 一定以上の痛みを感じず、死んだとしても簡単に蘇生できる。本来の戦闘において背負うべきリスクの一切がない。そんな状況だったからこそ俺たちは一人モンスターの群れの中に突貫できたし、腕を引き千切られながら敵に剣を突き立てることも可能だった。デスペナルティはかなり重く設定されていたが、それは所詮、遊戯に少しばかりのスリルを加える程度の効力しか持っていない。
 疲れを感じないのをいいことにダンジョンの最奥で延々と剣を振り続けるなど、無茶無謀とされる行動を続けることで、俺たちはこちらの世界の常識的にはあり得ないペースでレベルを上げていったのだ。

 成長率、速度など比べるべくもない理不尽な差。

 彼女が真実を知ったとしたら、果たしてどのように思うだろうか。

「詳しくは言えないけど、色々あった。ただ一つ確かなのは、俺は、冒険小説の主人公みたいに死に物狂いの努力なんかはしちゃいないってことだよ」

 奇跡の上に奇跡を重ねて手に入れた力。
 必要以上に自分を卑下するつもりはないが、しかしあまり誇れないものであるのは事実だろう。隠し事をしてるのは目立つのが面倒な以外にも、そのことに関する引け目もある。

 仮想世界での《ごっこ遊び》がどういう理屈か現実になり、一般人から剣士にクラスチェンジした俺と、実際に命を賭けて今まで戦い抜いてきたフィオナたち。
 どちらが強さを手にするに相応しいかなど、考えるまでもない。

 そうやって改めて、自分がゲームの能力以外に頼れるものがないと自覚すると、急にすべてを告白して楽になりたいという衝動が生まれた。俺は勢いのままにそれを口にした。
 いつの間にか、問う側と問われる側の立ち位置は逆転していた。

「なあフィオナ、もし、もしもの話だ。ここに飲むだけで何十もレベルが上がる、それでいて副作用も全くないなんて馬鹿みたいな薬があったとして――」

 何の努力もせずに、

 何の苦労もせずに、

 何の対価も支払わずに、

「――それで得た力に、価値はあるのかな」



[29582] 13(プロットのみ)
Name: 伊月◆ad05b155 ID:8176fa62
Date: 2012/04/05 18:38
 街全体が吉報に騒ぐ中、独り、ひたすらに人気のない方へと歩いてゆく男の姿があった。
 体の各所に巻かれた包帯とそこに滲む赤色、対照的に真っ青な顔色、どう見ても治療が不十分な状態でベッドから抜け出してきた姿。長い髪を乱したまま、その彼は夢遊病者のように虚ろな目をしてふらふらと足を動かしていた。

 喜色で溢れる表通りから、街の人々の笑い声から、できる限り遠ざかろうとする。
 体が痛むのか時折躓き倒れそうな場面もあったが、それでも足は止めない。路地を奥へ奥へと進み、やがて虫の鳴き声以外は何も聞こえない場所に行き着いた。
 月明かりの下で、男――ウェスリーは静かに拳を握りしめる。

「くそ……くそ、くそ、くそおおおおおっ…………!」

 怨嗟の声。
 表情は怒りと憎悪に染まっており、唇を血が滲むほど強く噛んでいる。

「何が英雄だ、何が勇者だ!」

 思い出すのは街の住人たちによる称賛だった。よくやってくれたと、流石だと、そんな、普段ならば自尊心を大いに満たし気を良くさせるはずの言葉は――しかし今の彼にとっては憎しみの元にしかならない。
 街に迫っていた脅威を見事打ち払った冒険者?
 激戦の末、止めの一撃を放った若き英雄ウェスリー?
 運び込まれた病室のベッドで目を覚まし、初めてその話を聞いたとき、ウェスリーは激昂した。ふざけるなと、怒りに任せて叫び散らした。

 ……彼は、全て覚えていたのだ。

 あの黒い巨人と遭遇し、戦い、最高の技を放ち、そして打ち負けた。
 最強の代名詞であったはずの剣技は巨人の肉を割くことに成功したが、内臓に達する手前でいとも簡単に止められた。その後鬱陶しそうに、それこそ纏わりつく虫を払うかのようなぞんざいな動きで彼は吹き飛ばされた。

《あの巨人を倒したのは自分ではない》。

 ウェスリーはその事実を正しく認識している。

「あのガキ……ユト……あれが倒した……このオレが倒せなかったモンスターを……」

 ユト。
 初めて会ったときから何故か癇に障る、黒髪黒目をした異国の少年。それがギリギリのところで駆けつけ、あっという間に巨人を屠った姿をウェスリーははっきりと覚えていた。
 殴り飛ばされ、地面を跳ねながら転がった彼だが、フィオナの推測に反しその時点ではまだ意識があったのである。

 自身が敗北したモンスターに格下と見ていた者が勝利する、それは彼のプライドを傷つけるには十分過ぎた。また、その成果を挙げたのが自分となっていることも。
 訝しみ、様子を見に訪れたギリアムに食って掛かると、返ってきたのはとても納得できるものではない答え。曰く、あの二人には事情があり、目立つことは避けさせたい。そのため全てはウェスリーによって成されたものとする、と。

 愕然とした。数秒の間喉から言葉が出て来ずに口の開け閉めを繰り返した。
 ギリアムは瞑目し、ただ静かに、これがギルド長の決定であることを告げた。無論、本来ならば功績を譲るなどということはできない。表沙汰にできない密約の類であることは察せられたが、だからといって一介の冒険者がそれに逆らえはしない。
 他国との交易が盛んながら、辺境の土地として国の手の入りが少ないハイムズでは、ギルドの影響力がかなり強いのだ。

 仮にウェスリーが真実を公表したとして――つまりそれは、彼が自分の負けを宣言することに繋がるため心理的な面からしてもあり得ないことであるが――人知れず《消される》のが関の山だろう。
 将来の有望株として期待されている彼だが、このような理不尽を押し付けられている時点で組織がどちらを優先させるかは明らかだった。

 その事実が理解できてしまったために、ウェスリーは屈辱に顔を歪め、感情のぶつけ場を求めて幽鬼のように彷徨っていた。
















 転移にあたって引き継いだアバターのステータス。平均レベル帯がゲームよりもかなり低いこの世界では、もはや人外の域に達していると表しても過言ではない力。それが誰かの意図によるものなのか、それとも偶発的な出来事の結果なのかは置いておくとして、俺はずっとその価値について悩んでいた。

 努力もなく、労力を費やしたわけでもなく。
 何か特別な試練を乗り越えたわけでもなく得た力の価値。

「努力も、苦労もしないで……?」

 俺の言葉にフィオナは戸惑ったような表情を浮かべた。
 当然だろう。いくらレベルやスキルと言った概念があるこの世界でも――いや、モンスターを倒して経験値を得、気の遠くなるほど長い時間訓練を重ねて技の熟練度を上げて強くなっていくシステムが土台にあるからこそ、降って湧いた偶然で強くなるなどということは理解できないはずだ。

 ただそれでも、ゲームにはいわゆる《ステータス強化アイテム》が極少数ながらも実装されていた。
 それを例えに出せば分かりやすいかもしれないと、俺は彼女にそういった物の存在を知っているかと尋ねた。

「……話に聞いたことだけはあるわ。かなり希少なもので、貴族ですらそう簡単には手を出せないって」
「そっか。なら、俺たちはそれを使って強くなったと考えてくれ」

 フィオナはまだ何かを――おそらくはそのアイテムを使ったにしろここまでレベルを上げることは不可能だというようなことを――言いたそうにしていたが、無視して話を進める。
 それはある意味で懺悔のようなものだった。
 他の冒険者が死の危険を冒して得た強さ、レベルを、何もせずに手に入れたという負い目。剣を振るう度に、そしてその結果を感謝される度に湧き上がる自己嫌悪。それらすべてを明かして楽になりたいという、自分勝手な罪の告白。

 正直、事情を知らない人間にとっては全くもって意味の分からぬ話だったろう。
 怒るか呆れるかして立ち去ってしまっても不思議ではない。いやむしろ、そうしないでここに留まる選択をしたフィオナの方が少数派だろう。
 もちろん、あくまで留まって話を聞いてくれただけであり、馬鹿正直に信じてくれた訳ではないが。
 懐疑の表情をはっきりと浮かべながらも会話を成り立たせてくれる彼女は父親に似てお人好しだ。

「そこまでの力を得られる量のアイテムを集めようとすると、国家予算を数十年単位で費やしても不可能だと思うけど……」

 そう前置きしながら彼女は言った。

「あなたは力を手に入れたことを後悔しているの?」
「いいや、それはない。ここに来てから俺は何度もそれに助けられたんだ。感謝こそすれなければいいなんて思ったことはない」

 特別な能力のない、元の世界に居た頃の自分がそのままこちら側に来たとして、おそらく最初の戦いで死んでいただろう。動物園にいるようなゴリラですら四、五〇〇キロの握力を持っているのだ。それよりも二回りは巨大なクリムゾンフィストには勝てるどころか手傷を負わせられるイメージすら湧かない。
 また、その場は何とか上手くやり過ごせたとして、今度は日常生活をどうするかと言う問題が出てくる。今のようなモンスター討伐で金を稼ぐような真似はできないから他の方法を見つけなければならない。

 素のままの俺にできる事などせいぜい家事程度だ。
 現代日本と違ってここでは普通の平民は学校に通わないから、もしかすると計算ができるのは強みになるかもしれない。しかしだからといってそうすんなりと職に就けるかというと疑問が残る。

 ついでに、これは直接自分の生死に関わっていた訳ではないが、以前あった決闘騒ぎ。
 今は亡きシーフとの一悶着の原因は相手の挑発に俺が乗ってしまったことだが、そもそも剣を交えられる能力がなければさすがにあのような発言はしなかっただろう。力がなければたぶん、怒りは覚えても歯向かうような真似はしなかったはずだ。
 恩人を貶した相手を叩きのめせた点においても、俺はこの力に感謝している。

「なら…………」
「ただ、時々考えてしまうんだ」

 掛けられた声を遮るようにして俺は内心を吐露した。

「代償なく力を得た俺の存在は、それそのものが悪なんじゃないかって。本当に努力をしている人たちに対する、酷い侮辱なんじゃないかってさ」

 自分で事情をぼかしている以上理解してくれと言うのは無理な話で、理不尽だと分かっていたが、溢れ出す感情に流されるようにして口は動いた。途中からそれがフィオナではなく自分に言い聞かせるようになっていたことに気が付き、そこでようやく一方的な言葉の押しつけを止める。

「……すまない、話が脱線しすぎたな。つまり俺たちはかなり特殊なケースでフィオナの参考にもならないってことだよ」

 溜息を吐き、かぶりを振る。少々深いところまで話し過ぎた。
 もっともこの世界の住人にとってはまるで意味不明な妄言でしかないだろう。俺は強引に話を打ち切ると誤魔化し笑いをしながら顔を上げ――彼女が思いのほか真剣な表情を浮かべていることに気が付いた。

「――――冒険者に求められるのは常に結果であり、その過程ではない」
「え……?」

 突然投げかけられた言葉に眉を顰める。
 フィオナは笑いながら、父に教わった冒険者としての心構えの一つだと言う。

「過程よりも結果……逆じゃないのか?」
「いいえ、これであってるわ。例えば、そうね、モンスターの襲撃を受けている小さな村があるとする。住人たちは皆でお金を出し合い、冒険者に討伐依頼を出すことにした――――」

 この世界では実際によくある事例を彼女は口にする。
 依頼を受けようとした冒険者は二人。片方は努力を惜しまず日々鍛錬に明け暮れているが、まだ職に就いてからの年数が短く未熟。片方は反対に怠惰な生活を送っているが、その実力自体は一流と言って差し支えない。

「村の経済状況は貧しく、雇えるのはどちらか一人だけ。あなたならどちらを雇うかしら?」

 問いに、しばらく迷ったが「後者だな」と答える。

「……人間としては新人の方が信用できそうだけど、肝心のモンスターが倒せるかどうか分からない奴に依頼はできない」

 一息。
 じっと紺碧の瞳を見つめて返す。

「俺の悩みも、その話と同じだと……?」
「そういうこと、なんじゃないかしら」

 自分と同年代でありながら、自分よりも遥かな高みに位置する相手。
 嫉妬もある、妬みもするとフィオナははっきりと己の心情を明かした。しかし同時に、そのような葛藤は世間的には全く無意味なものなのだとも語る。

 完全に納得がいった訳ではないが今までとは全く異なる考え方を知り、また悩む。

「俺は――――」









 ――――――――――――――――――――
 以下、完全にプロット。
 ――――――――――――――――――――





 彷徨い続けて、どれだけの時間が経っただろう。
 定められた目的地がある訳ではなく、ただ人目を避けて動くウェスリーの歩みは唐突に止まった。彼の進行方向を塞ぐようにして一人の男が立っていた。

 苛立っているウェスリーは剣呑な視線を向ける。
 敵意を越えて殺意すら篭ったそれを受け、しかし男は一切怯んだ様子を見せない。それどころか楽しげに笑みさえ浮かべて小さく呟く。

「ああ、君はなかなか良さそうだね」
「良さそう……?」

 意味が分からずに顔を顰めたものの、すぐに取るに足らないことだと切り捨てる。
 顔見知りでもない相手と会話を交わす必要はない。再度そこを退くように言い男を無視するようにして進むが、しかしやはり男は微動だにしない。
 細い路地の中央に陣取られては回り込むこともできないためウェスリーの感情はさらに高ぶり、ついに手が出る。

「どけ!」

 殴るまではいかないがかなり強めの力を込めて押しのける。
 怪我人であるとはいえ、前衛剣士として高い筋力パラメータを持つウェスリーの腕に男は抵抗なく跳ねのけられ無様に地べたへ腰をつける――はずだった。

 だが、実際に起こったことは真逆。
 ウェスリーの拳は硬い岩石にぶつけたような痛みと衝撃が残り、男の位置は一センチたりとも動いていない。

 男、戸惑うウェスリーを一顧だにせず一方的に言葉を投げかけてくる。
 歪みが足りない、一帯のモンスターを贄にしてみたが駄目だった、境界を崩すにはより大きな痛みが必要だ……意味は分からないが不気味さを感じる。静かに狂っている。何もできずに固まっていると男は話が逸れたことを謝る。

 君には関係ない話だったねと言い、ウェスリーに声を掛けた理由を話す。力を欲しがっていたから。手伝いができるといって黒い玉を差し出してくる。完全な円ではなく卵のような形。
 最初は何の変哲もない物体に見えたが、内側から殻を破るようにして罅が入ると同時、その内に秘められた力の大きさを知る。
 呑まれ、立ち尽くすウェスリーに向け男は説明。

「これは力の塊。この周辺にいたモンスターの魂を分解、圧縮したものと言って通じるかな?」

 この世界では生物を殺したとき、その生物が持っていた力の一部を吸収できる。
 ゲームで言う経験値。卵はそれを男が無理矢理集めて固めたもの。取り込めば確実に強くなれる、まさに君の求めていたものだとウェスリーに渡す。

 反射的に受け取り、ぼんやりと卵を見つめる。
 見つめている間に罅は大きくなり、やがて中が覗けるほどの亀裂が入る。奇妙な男に対する警戒心、戸惑いと、目の前にある力の大きさへの喜びが複雑に混じり合う。

「まあもっとも――――」

 男、ウェスリーを楽しげに見つめながら呟く。

「――――自分よりも巨大な力を一息に取り込んだところで、自分もその一部になってしまうだけなのだがね」

 その言葉の意味を尋ねる前に卵が完全に割れる。
 中から闇が噴出しウェスリーは取り込まれる。海に砂糖を一匙入れたところで全体の味が変わる訳がない。卵の中に込められていた莫大な力はウェスリー一人で抗えるものではなかった。

 一瞬の後、ウェスリーは完全に消滅。
 代わりに森で遭遇した黒色の巨人と同質の、しかし体長は十数倍となったモンスターが出現する。

 男、嬉しそうに笑う。
 魔物の肉体に魔物の魂ではあまり歪みは生じず多少強力な個体ができるだけだった。器を人間に変えたことでより大きな「世界にとって自然でない」状態が発生。世界の形がゆがむ。

「さあ、存分に暴れてくれたまえ。それだけ世界は歪み――《こちら側》と《あちら側》の境界は薄まる」

 ユトたちが暮らしていた世界と、こちら側の世界の境界を崩すことが男こと三船時貞の目的。










 またシーンが戻って、ユトとフィオナの会話。

「俺は――――」

 何かを言い掛けたそのとき、遠くで爆発音。
 尋常ではない様子に会話は中断。何が起こったのだと音のした方向を見ると、そこにはウェスリーの変化した巨大なモンスターが。

 状況確認のため急いでギルドへ。
 祭りの雰囲気は消し飛び、混乱している。いつかのように怒号が飛び交う中ギリアムを探し出す。モンスターの出現原因は不明。とにかく人を集めようと言ったところで化け物が吠え、暴れ出す。ギリアム、一般人の避難誘導をするよう周りの人間に指示。ユト、フィオナと別れて行動する。

 


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