<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

SS投稿掲示板


[広告]


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[29540] シンジのシンジによるシンジのための補完【完結済】
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2023/06/22 23:47
はじめまして。dragonflyと申します。

この作品は新世紀エヴァンゲリオンの逆行・憑依・(一応)TSモノになります。そういった要素が気になる方は、スルーの方向でよろしくお願いいたします。

なお、Arcadia様への投稿にあたり、当時一般公開しなかったエピソードなどを追加した増補版としてお送りいたします。

                   Dragonfly 2006年度作品



2006年7月10日に投稿を開始した【シンジのシンジによるシンジのための補完】をはじめシリーズ4巻を書籍化しました。
A4サイズで大変分厚く、お値段も凄いことになっていますが、もしお求めくださるのであれば、私のTwitterを覗いて見てくださいませ。(@dragonfly_lynce)
宜しくお願い申し上げます。m(_ _)m



****


シンジのシンジによるシンジのための補完 プロローグ




気が付くと、膝を抱えてうずくまってたんだ。

目の前が赤い世界じゃないって、心がようやく認識したんだと思う。

『…どこだろう』

白い部屋。壁はクッションのように柔らかそう。

真正面に扉。驚いた様子のお兄さんが慌てて何処かへ。

胸元に、無骨な銀の十字架。

『ミサトさん…の?』

おかしい。この十字架は墓標代わりにしたはずだ。手元に在るわけがない。

押さえつけるように十字架を握りしめて、その手の大きさに違和感を覚える。

さらには十字架越しに伝わってくるささやかな弾力。

襟首を引っ張って中を確認しようとしたその時、扉が開いた。

「気が付いたようだね」

「あっ!はい… !!!」

「驚くのも無理はない。君は2年もの間、心を閉ざしていたのだからね」

確かに驚いた。だけど、そのおじさんが話し掛けてきた内容についてじゃない。

返事をした声が、自分のものではなかったから。まるで女の子のような声だったから。

だけど聞き覚えのある……、声。

「大丈夫。何も心配は要らないよ。葛城ミサト君」

 ……

「ええぇぇぇぇぇ!」

思わず絶叫した。

記憶に有るよりちょっと甲高いけど、それは確かにミサトさんの声だったんだ。


                              はじまる

2006.07.10 PUBLISHED
2006.09.01 REVISED



[29540] シンジのシンジによるシンジのための補完 第壱話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/17 23:30




特別非常事態宣言で足止めをくらったリニアトレインから独り、線の細い男の子が降り立った。

その頼りなげな姿に泣きたくなる。彼の行く末に同情して、自分の思い出に苛まされて。



彼を迎えにくるにあたって、彼女との出会いを再現すべきかどうかは悩みどころだった。

だが、あのタイミングで車を滑り込ませるのは偶然に頼るところが大きすぎる。

かといって、狙ってできることではない。

それに、自分には彼女のような車道楽はなかった。

操縦技術に自信はないし、所有車もあんなスポーツカーじゃない。

ドイツ時代に小回りの利きそうな車を選んだら、実はあの青いスポーツカーと同じメーカーだった。というのには苦笑したが。


そもそも、開けっぴろげでフレンドリーな彼女の性格を、自分では再現できなかった。

ずけずけと乗り込んできて、問答無用で絆を結ぶ。しかも固結びで。

人付き合いが苦手な自分を相手取るなら、これはこれで悪くないアプローチだった。と今なら思う。

だが、固く結んだ紐は、引き離そうとすれば時間をかけて解くか、切るしかない。

距離を置きたいと思ったときに、相手を徹底的に拒絶しなければならないのは当時の自分としてはかなり堪えた。

めげることのない彼女だからこそ、気にもしてなかったような顔して再び強引に絆を結びなおしてくれたが、自分にそれは難しい。

拒絶されると、自分自身を否定されたようで怖くなる。

事態を悪化させたくない一心で、近寄ることすらできなくなるのだ。

そんな自分に、あんな大胆不敵なコミュニケーションは採りようがない。

だから、自分にできる路線を選ぶしかなかった。



「碇シンジ君ね?」

なるべく優しい声音で話し掛ける。
彼は他人が苦手だ。ありていに言えば怖い。

だから、害意がないことを精一杯アピールする。


「あっ、はい。……あなたは……?」

警戒する口調。

見知らぬ土地で名前を呼びかけられれば当然か。

でも、勝手知ったる自分の過去だ。準備に抜かりはない。

白いワンピースはシンプルにAライン。

メイクはナチュラルに。

つばの広い帽子。

視力が両眼1.8でなければメガネをかけただろう。

伊達メガネでいいから用意すべきだったか? いや、さすがにあざとすぎる。



かつて、父さんに捨てられたばかりの頃。夕闇迫るなか独りで砂のピラミッドを作り上げた。

そのとき希求した、自分を気にかけてくれる存在。

独りぼっちの自分を心配し、優しくしてくれる名も知らぬお姉さんを妄想した。

無論そんな都合のいい存在が現れるはずもなく、やるせなさに任せて砂のピラミッドを蹴り崩したが。


「私は葛城ミサト。あなたを迎えに来たの」

ふんわりと微笑む。あのお姉さんのイメージで一所懸命に練習した微笑み。


彼の頬がほんのりと紅くなった。


****


「あれが使徒……、ですか……?」

「そう。人類の敵、とされるモノよ」

山越えの自動車道の途中、遠目に怪物を見せるために車を停めた。

この時点で与えられる情報は、道すがらに話している。

「僕に……、アレと戦えって言うんですか?」

彼の押し殺した声に、遠い記憶を呼び起こされて、うつむく。

「ごめん……なさい」

目頭が熱くなる。


優しい少年だと、よく言われた。

だが、それは弱いだけだった。

傍らで泣かれると、泣かしたことへの責任、慰められない無能さをなじられそうで怖かった。

だから、他人が泣かないよう、他人を傷つけないよう、……警戒した。


泣かれてしまうと、何もできなくなって何も考えられなくなって立ち尽くした。


その弱さを利用するための演技だったはずなのに、涙がこぼれるのだ。

全ての始まりたるこの日が、自分にとっても未だ辛いのだと自覚させられる。

いや、加害者の側に立った今の方がより辛いのかもしれない。他人を非難できない分だけ。

あの時の彼女も辛かったのだろうか……? 閉ざされたままの彼女の心が応えてくれないかと、本気で願った。

「ミサトさん。泣かないで下さい」

彼の声に我に返る。
本気で泣き伏してしまったらしい。自分の心は弱いままだ。
ここに来てから鍛えられてきたつもりだったけれど、自分の心は弱いままだ。
いざという時の覚悟……、いや、開き直りが足りてない。


取り出したハンカチで目尻をおさえた。

「ごめんなさい。泣きたいのはシンジ君の方なのに……。
 こんなんで作戦部長だなんて、軽蔑するわよね」

「いえ……」

盗み見るような視線を感じる。人の顔色をうかがっているのだろう。

「僕のために……、泣いてくれたんですよね?」

頷いた。
自分のための涙は、まだこの時なら、彼のために流したのと同義だ。

そのくらいの欺瞞は赦して欲しい。

言われるより言う方が辛いこともあると、気付いたばかりなのだから。


「……僕に出来るんですか?」

「あなたにしか出来ないわ。
 今ここでエヴァを操縦できる可能性を持つのは、シンジ君だけなの……」

彼の視線を受け止める。あくまで優しく。

「私、むりやり適格性検査を受けたことがあるのよ。
 子供たちを戦わせずに済む可能性が1%でもあるならって。
 自分がベストを尽くしてないのに、子供たちに「命令」なんて出来ないって」

案の定、「命令」という言葉に反応した。
己を無視する言葉。自分を見ずにかけられる言葉。優しくない言葉。言われる者に、……言う者に。

「……なら「命令」すればいいじゃないですか……、戦えって。
 ベストを尽くしたんなら言えるんじゃないですか?」

かつて自分が口にしたことのない言葉は、しかし容易に理解できた。
この時点ではまだ、当時の自分と彼に大きな違いはない。

幼稚な皮肉は彼の甘えなのだ。そうして相手を試す。相手との距離を測る。

ここで命令すればエヴァに乗るだろう。
「逃げちゃダメ」と逃げ道をふさげば戦いもする。
だが、それは彼を追いたてて、破局へ導く詰め将棋の最初の一手と化す。

大人の苦悩を知らされず。自分の苦悩を無視されて。
そうして自分は世界を拒絶した。
悩んでるのは自分だけだと、世界が自分を悩ませるのだと、思い込んで。


視線をそらす。

握り締めたロザリオ。
それは自分に逃げるなと「命令」した彼女の物。そして彼に戦えと「命令」すべき自分が背負うべき物。

彼女は悩んだはずだ。それを教えてくれなかっただけで。

自分は悩まない。でも、悩んでいる振りをする。

自分の欲している物を持っていて与えてくれなかった彼女と、彼の欲している物を持ってないくせに差し出す振りをする自分。

どちらが酷いか、言うまでもない。

これは、背負うべくして受け継いだ十字架だった。自分こそが本来の、正当な持ち主なのだ。

「出来るわけないわ。私だって怖いもの……」

これは本音。
乗ったことがあるから、戦ったことがあるから解かる。……あの恐怖。

「それをシンジ君に押し付けることなんて、出来ない」

これも本音。
できれば平穏に暮らさせたかった。この体ではエヴァに乗れないから採れなかった選択。

「だから……、私に出来るのはお願いすることだけ……戦って欲しいと「お願い」することだけ」

用意していた言葉は、彼が欲しがっている言葉。自分の欲しかった言葉。

父さんは絶対にくれない言葉だから、せめて自分が口にする。
甘えが出るほどに近づけたなら、自分の言葉でも彼に届くはずだ。

視界がゆがむ。また涙が溢れ出たらしい。

彼への同情じゃない。理不尽さへの義憤でもない。苦悩や悔恨なんてありえない。自分が聞きたかった言葉を、彼に言ってあげられたことへの、…嬉し涙だった。


「……ミサトさん」

彼の誤解が。誤解を解かぬことが。十字架をまた重くする。

「もう一度……、言ってくれますか?」

顔を上げて彼を見つめた。涙をぬぐったりはしない。

「お願い、シンジ君。……戦って」







……

 ……目薬、無駄になったな。


  ……

        ……自分って、最低だ。




                                                         つづく



2006.07.10 PUBLISHED
.2006.08.04 REVISED



[29540] シンジのシンジによるシンジのための補完 第弐話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/17 23:31




「最終安全装置解除。エヴァンゲリオン初号機、リフトオフ」

前面ホリゾントスクリーンの中、拘束を解かれた巨人が猫背になる。

使徒はまだ、姿も見せていない。

時間を浪費する要素が少なかったので、まだ第3新東京市に辿り着いてないのだ。

「シンジ君。あらかじめ言ったとおり、エヴァは思考で動く兵器よ。
 したいことを考えながら自分の本当の体は動かしてはならない。そこがちょっと難しいの。
 まずは歩くことだけを考えて」

ヘッドセットインカムのマイクに向かって話す。エヴァへの直通ラインだ。

語っているのは体験談。
あの独特な感覚を言葉で表現して伝えるのは難しいが。

別ウインドウの中で、ぎこちなく彼が頷いた。緊張しているのだろう。無理もない。

「歩いた」

初号機が1歩を踏みだすと、リツコさんが身を乗り出して呟いた。

発令所に拡がる職員の嘆声も、彼の耳には届かない。

そのためのインカム、そのための直通ラインだ。

指揮系統の明確化。それを建前に急遽作らせたシステム。

つまらないことを彼の耳に入れて、エヴァへの疑念、不審を抱かせたくない。
彼の不安を煽りたくないのだ。

歩いただけで奇蹟のような代物に乗っていると、悟らせてはならなかった。


「上出来よ、シンジ君」

深く息を吸う。自分も緊張している。

なにしろ、かつてのこの使徒との戦闘では、その最中に自分は気を失って、経過と結果を知らない。気付いたら、知らない天井だった。

だから、予め考えておいた手立ては全て推測の産物なのだ。

どうすれば彼を同じ目に遭わせずに済むか。まったくの手探り。


緊張がほぐれない。もう一度、深呼吸する。


自分が戦った方が、よほど気が楽だろう。

代われるものなら代わってやりたい。

彼女も、こんな心持ちで見守っていたのだろうか?


『……歩く』

続いて2歩目を踏み出そうとした初号機は、左脚がついてこずにバランスを崩した。

受身も取れず、無防備に顔から倒れこむ。



『うっ…くくっ』

やはり倒れてしまったか。かつて自分も、ここで気を抜いたのだ。

あらかじめアドバイスしたかったが、こればかりは体得するしかないだろう。

「シンジ君、大丈夫?」

『……とても痛いです』

画面の中、彼が額を押さえている。


これは乗ったことのある者にしか実感できないが、エヴァで転ぶとかなり痛い。

エヴァとパイロットはシンクロし、その感覚はフィードバックされるわけだが、その際に問題となるのがその体格差だった。

厳密に検証したわけではないので推測に過ぎないけれど、例えばフィードバック係数が100%のときに、エヴァが切り傷を負ったとしよう。

その痛みは、パイロットが生身で負った場合と同じ痛みとして感じるはずだ。


では、倒れた時も同じか? というと、そうはいかない。

エヴァは人間の20倍以上の身長だ、倒れた時に受ける衝撃は単純計算で400倍。スケール比でも20倍に及ぶ。

もちろん、その衝撃にエヴァは耐えられる。
だが、パイロットは堪らない。20倍の衝撃を、痛みとして感じさせられるのだから。


実に自然な動作で、初号機が立ち上がった。

痛みのせいで、却って無意識に動かしているのだろう。怪我の功名と言っていいものかどうか。

「自分を包む、もう一つの大きな体が在るようだと言われているわ。
 その大きな体に自分を預けるような気持ちで、もう一歩」

これも体験談。
だが、弐号機シンクロ実験で得られた言葉でもある。

「シンクロ率、8.26ポイント上昇。微増傾向です」

報告するマヤさんの向こう。スクリーンの中で、初号機があらためて2歩目を成功させた。

「使徒到着まで、まだ時間はあるわ。
 シンジ君に任せるから、初号機に慣れておいて」

『……はい』

手を挙げたり、周りを見回したりしだした初号機を視界の片隅に収めながら、各種モニターの内容を確認する。

「シンジ君、そのまま続けながら聞いて。
 使徒の武装は、さっきも見た光の槍。
 それに、増えた顔の「そうそれ」その目から怪光線を発射するみたい」

絶妙のタイミングで、エントリープラグ内に解説つきの使徒の模式図が投影された。日向さんの操作だろう。別枠で怪光線を発射する使徒の映像も送られているようだ。

プラグ内の表示内容は全て、こちらでも確認できるようになっている。

他に指示はないかと振り向いた日向さんにグッジョブとばかりにウインクを返すと、顔をそむけられてしまった。

彼女らしい仕種をうまく再現できたと思ったのに、日向さんは顔を真っ赤にするほど怒ったようだ。

やはり不謹慎だっただろうか?

もっと気の利いた対応があるのだろう。こういうところは彼女に及ばない。努力はしているつもりなんだけど。


『怪光線なんて、どうしたらいいんですかっ!』

日向さんに目配せしてコンソール前のカメラを見据えると、間を置かずしてエントリープラグ内に自分の顔が映し出される。

「避けることは難しいわ。
 でも、1万2千枚の特殊装甲があなたを守ってくれる」

目前のディスプレイに、彼の様子が転送されてきた。

『……痛いんですよね?』

おろおろと周りを見渡している。今頃になって恐怖が現実味を帯びてきたのだろう。

倒れた時の痛みを思い起こし、怪光線の苦痛を想像しているに違いない。

「ええ、多分。 とても……」

そういう意味では、考える暇もなかったあの時の方が幸せだったのだろう。じっくりと恐怖に向きあわせている今回の方がよほど残酷だった。

『どうにかならないんですかっ!』

「ごめんなさい。
 それは、シンジ君が優秀なパイロットだということの裏返しなの」

だが、大人の思惑に弄ばれていると思われるよりはマシだ、と己に言い聞かせる。

どうせ解からないからと碌な説明もなく放り出されたあの時、欲しかったのは親身な対応だった。

『そんな……』

「もちろん、最善は尽くすわ」

横を向いて、金髪の技術部長の顔をうかがう。

「赤木部長。フィードバック係数を下げることは可能でしょうか?」

「……そうね。このシンクロ率なら、少し下げても問題ないわ」

「お願いします」

リツコさんがマヤさんに指示するのを確認して、カメラに向き直る。

ここまでの会話は敢えて、カットしていない。

「シンジ君、聞こえていた通りよ。
 これで少しはマシになると思うわ。
 その分ちょっとエヴァから返ってくる感覚が鈍くなったかもしれないけど……、どう?」

『……なんだかぼやけてます』

何かを確認するかのように、初号機が手を握り締めた。

エヴァは、パイロットのもう一つの体になる。
それを動かすには、機体からのフィードバックが不可欠だ。たとえば、三半規管の感覚が伝わらなければエヴァを立たせておくことすら難しい。

フィードバック係数を下げたことで、痛覚を含めたそれらの感覚が伝わりにくくなるのだ。


しかし、それが根本的な解決ではないことを、彼なら気付くだろう。

『ミっミサトさん!』

はぐらかされたかと勘違いして、怒っただろうか?

「なに? シンジ君」

ことさら冷静に返事をして、「残念ながら操縦に支障が出るからそれ以上フィードバック係数は下げられないの。ごめんなさい。酷い物に乗せてしまって」と続けるつもりだった。

『まっ街に子供が居ます!』

「なんですってぇ! ……女の子? 小学生!?」

ディスプレイに回ってくる、監視システムとエヴァ視点の映像。ポップアップされた個人情報には『鈴原ナツミ 8歳』とある。

しまった! トウジの妹を失念していた。

「大至急、保安部を遣って!
 シンジ君、そこでは彼女を巻き込むわ。通りを三つ、むかって右に移動して!」

『はいっ!』

おそるおそる移動する初号機に、しかし危なげな様子はない。随分とエヴァに慣れたようだ。

保安部の出動を確認。まだかかりそう。

「シンジ君。電源供給用のケーブルを替えるわ。
 左手10メートル先のビルにあるケーブルと、今背中に付いているケーブルを交換。できる?」
 
初号機がビルと背中を交互に見た。
プラグ内の映像では目的のビルが点滅している。おそらく、初号機背面をとらえた映像も転送されていることだろう。

『……やってみます』

突発事態に気をとられて余計なことを考えられなくなったのか、『どうやって』とも訊かずに初号機が歩き出す。

保安部が現着。女の子に接触した。もう少し。

慣れない作業に途惑いながらもケーブルの交換を終えた直後、日向さんが振り向いた。

「今、女の子を保護したわ。
 シンジ君、ありがとう。あなたのお陰で人の命が一人救われたのよ」

『そんな……』

「本当のことよ、誇っていいの…… ごめんね、時間切れみたい。 奴さんがおいでなすったわ」

外輪山の稜線に変化。使徒はもう間近だ。

「シンジ君、よく聞いて。
 使徒を観察していて推測されるのは、アレに敵を認識する能力がないかもしれない。ということなの」

『どういうことですか?』

「アレは、自分から先に攻撃するということをしていないわ。
 攻撃されたから反応しただけ。その程度の知能しかないと推測できるの。
 つまり、エヴァを敵だと認識していない可能性があるわけね」

ディスプレイの中で彼が頷いた。

「その証拠に、とっくに怪光線の射程距離内だと思われるのに撃ってきてないわ」

言われてみればそうだ。という表情をしたのが彼以外にもたくさん居たのはどうかと思う。
まあ、彼らにしても初めてのことだ。致し方ない。

「だから採るべき作戦は一つ。待ち伏せよ」

『待ち伏せって…… 思いっきりバレてると思いますけど?』

初号機が使徒を指さす様子は妙に人間くさくて、なんだか滑稽だ。

「アレはエヴァを障害物の一つくらいにしか思ってないわ。だから待ち伏せになるの」

『はぁ……』

その瞬間、スクリーンがホワイトアウトした。

即座に防眩補正されて映し出される、十字の爆炎。

一拍遅れて、揺れが発令所を見舞う。衝撃で天井部が剥落してきただろうことを、過去の記憶が教えてくれた。

「ヤツめ、ここに気付いたか」

発令所トップ・ダイアスから、呟き声が転げ落ちてくる。

父さんはいつものポーズだろう。わざわざ振り仰いでまで、見たいとは思わないけど。

「シンジ君、今の見た? やはりエヴァは眼中にないわ」

日向さんに目配せして、自分の左肩を指す。途端に初号機の左肩ウェポンラックが開いた。

「今、ナイフを出したわ。両手で構えて。
 ……そう。右手で握って、左手を添える。ナイフの柄尻を左の掌で支えるの。
 ……うん、様になっているわ」

ぎりぎりまで使徒の気を惹きたくない。
日向さんのコンソールに視線を遣って、まだナイフへの電源供給が行われてないのを確認する。

「いい? シンジ君がすべきことは一つ。
 使徒が目の前に来るのを待って、そのナイフを突き立てる。それだけよ」

『どこを狙えば……』

「ナイスな質問ね。
 使徒の弱点と推測されるのは2ヶ所。顔に見える部分と、赤い球体よ」

プラグ内の使徒の投影図に、解説が増えた。

「でも、ほいほいと増えるような部分に重要な器官はないわ。
 従って、使徒の弱点は赤い球体部分。そこを狙って」

コアが弱点なのは知っているが、言えるはずもない。

彼がうつむいた。
深く息を吐いたのか、口元から泡が立ちのぼってLCLに溶けてゆく。

『僕に……、僕なんかに出来るでしょうか?』

「シンジ君、気付いてる?
 あなた、エヴァを自分の手足のように使いこなしているわ。今も一緒になってうつむいている」

顔を上げ、見つめてくる。
カメラとディスプレイの位置差の分だけ視線が合わないから、構わずにカメラを見つめ返す。

「あなたにしか出来ないの。 お願い、シンジ君。 戦って」

その瞬間、スクリーンの中の第3新東京市をまたも十字の爆炎が襲った。




                                                         つづく

2006.07.18 PUBLISHED
..2006.10.06 REVISED



[29540] シンジのシンジによるシンジのための補完 第参話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/17 23:32




無事に帰還した彼をケィジに迎えに行き、労い、褒め、お礼を言って休ませた後、向かったのは保安部管理下の会議室だった。


「いい? ナツミちゃん。
 今度サイレンが鳴ったら、すぐにシェルターに避難するのよ。
 はぐれたお兄ちゃんが心配だからって、捜しに出ちゃダメ」

ナツミちゃんは、トウジの妹とは思えないほど可愛らしい女の子だった。

つまり、これが初対面。以前にはお見舞いにも行ってないのだ。

「来ないでいい」とトウジには言われてはいたが、自分がどれだけ自己中心的で、いかに薄情だったか、突きつけられているようで心苦しい。

こんな自分とわだかまりなく友達づきあいしてくれたトウジを、自分は……

「ほんまに、すまんこってす」

「せやかて、ウチんくのニィやん。ホンにチョロコイんやしぃ」

「なんやてぇ」

どうやら避難先のシェルターから走って駆けつけてきたらしいトウジは、まだ息があがっていて言い返す口調も力ない。

「はいはい。ケンカはダメよ。
 今回はシンジ君が見つけてくれたから大事には至らなかったけど、次も大丈夫とは限らないわ」

目線の高さを合わすために屈んでいたのを立ち上がり、上から覆い被さるように精一杯いかめしい顔をする。

「今度から、ちゃんと避難するのよ」

しおらしく頷いてはいるが、あまり堪えた様子ではなさそうだ。やはり自分では、彼女に及ばないのだろう。

「とこいで、そのシンジっちゅうのんがナツミの命の恩人でっか?」

「ええそうよ。……って、これは機密事項だから内緒ね」

唇に人差し指を当てる。

これが彼女なら「よン♪」と語尾をつけてウインクまでしただろうが……、流石にそこまでは自分には無理だ。

だが、トウジはあらぬ方向に視線をそらした。

人の話、ちゃんと聞いてる?

釘を刺してるんだよ。今度出てこられちゃ困るんだから。




****




「おっ、おじゃまします」

「はい、いらっしゃい。
 でも、出来るだけ早く「ただいま」って言ってくれると嬉しいわ。
 ここは、あなたの家になるのだもの」


彼を引き取るかどうかは、随分と迷った。

あの時、強引に同居を決めた彼女を疎ましく思ったのは事実だ。構わないで欲しかった。

死地に放り込まれる者と、それを強要する者。
それらが家族面して同居することの欺瞞に気付かなかったわけではない。
気まずさが増すだけだと、当時でも思ったものだ。

しかし、彼女と演じた家族ごっこが苦痛だけと云うことはなかった。
家族というものをよく知らない自分が素直に楽しめなかっただけで、その温もりに救われていた面が、確かにあった。

それに、よく知る相手とはいえ、離れて暮らして上手くやっていける自信がない。
自分はそれほど毅くも、器用でもないのだ。

もちろん手元に置いたからといって上手くいく保証など、あるはずもないが。


「私も引っ越してきたばかりで、まだ散らかっているんだけど……」

これは謙遜だ。
あの腐海がトラウマにでもなったのか、散らかすのは性分に合わなくなった。整理整頓が身についたのはいいが、彼女のお陰と感謝して良いものかどうか。

むろん彼には関係ないことだから、無意識に押し付けないよう気をつけなければ。

「今晩の献立は、カレーライスにしたのだけど……、」

一昨日から煮込んでおいたのだ。第二東京大学伝統の、レポート白紙提出対策の裏書き用レシピで。

「シンジ君、食べられない物ってある?」

たとえ返事がわかっていても、きちんと訊ねるのが大切だった。

かぶりを振る彼に、笑顔を返す。

「良かった。万が一シンジ君がカレー嫌いだったらどうしようかと思って」

さすがにカレーは彼女直伝ってわけにはいかない。再現不可能だし。



支度らしい支度も必要なく夕食を始めて、牛肉を頬張っていて思い起こしたのは、カレーの具材をどうしようかと迷ったこと。

そして、迷った理由の一因である肉嫌いの少女のことだった。


彼を引き取ることを決めたあと、綾波もそうすべきか悩んだ。

彼に優しくしてやりたいと思う気持ちに負けないほど、綾波に色々な物を与えたかった。

「何も無い」と言い切る綾波のために。逃げ出してしまった償いのために。

異様な光景に怯えて綾波との絆を捨ててしまったが、あんな事態を引き起こし、時を遡って他人の体を乗っ取るような存在が、何を怖がることがあるのか。

けれど、ここへの赴任時には綾波は入院中で、うまく引き取る口実を作れなかった。


その時はうじうじと己を責めたりしたが、こうして彼を迎え入れてみて、結果としてそれで良かったのではないかと思う。

彼に「碇シンジだから迎え入れた」のではなく、「チルドレンだから引き取った」と誤解されかねないのだから。

流石にそれは本末転倒だった。



子供には、無償の愛を与えてやらねばならない時期が存在する。
無論、もっと幼いうちにだが。


かつての自分は、そのせいか自我の形成が未発達だったように思う。

だから、エヴァにすがりつき『僕がここに居ていい理由。僕を支えている全て』などと存在理由を欲した。

―― もちろん中学生ともなれば、自身の存在理由を模索するなど当然の過程ではある――

しかし、それがエヴァ1点に絞られていたところに自分のいびつさが現れていたのではないだろうか?

そして、それは実に、脆い。

エヴァによって支えられた存在理由は、他ならぬエヴァによって叩き壊されたのだ。

己そのものではなく、その付随する要素に基づく存在理由なぞ、儚くて当然だった。


……自分自身で、証明済みだ。


彼にその轍を踏ませたくはない。

そのために引き取った。そのために手元に置くことにした。彼に、無償の愛を注ぐために。

エヴァだけを…… いや、エヴァなんかを拠りどころとさせないために。

……

だが、自分にできるだろうか?

実の親ですら難しい、無償の愛を与えることが。しかも、作戦部長の立場で。

 ……

いや、彼は自分なのだ。自分自身だからこそ、無私の愛情を注ぎこめるはず。

そう、言い聞かせる。

何度もたどり着いたはずの結論を、再び己に言い聞かせる。

だから、

逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。

逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。

逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。


「……さん。ミサトさん!」

「はっはい!逃げちゃダっ……」

危ない危ない。口に出すところだった。

「……ごめんなさい、何かしら」

ニゲチャダってなんだろう。との彼の呟きはつとめて無視して。

「あっ、カレーのお替わり?」

「はい。いいですか?」

「ええ、もちろん。お口にあったみたいで嬉しいわ」

彼が差し出すカレー皿を受け取って、そそくさとキッチンへ向かう。

「……美味しいですから」

自ら進んで気持ちを打ち明けることなど、少なくともこの時期の自分にはありえなかったことだ。

彼は着実に変わりつつある。

嬉しさにゆるむ頬はそのままに、そっと目頭を押さえた。




****




「碇司令の居ぬ間に第4の使徒襲来……。意外と早かったわね」

かつてのこの時期、慣れない環境と孤独感で1日が長く感じられたものだ。

忙しくて、あっという間の3週間だった今回の、それが正直な感想だった。

「前は15年のブランク、今回はたったの3週間ですからね」

光槍使徒戦での被害が段違いだったかつての時はさらに忙しかったのだろうと思うと、彼女の苦労がしのばれる。

「こっちの都合はお構いなしか。女性に嫌われるタイプね」

だからだろう。
彼女なら言いそうなセリフがすんなりと口を突いて出ても、驚きが少なかったのは。


「委員会から、再びエヴァンゲリオンの出動要請が来ています」

「要請を受諾、と返答。作戦の要旨を説明の上で、実行中と伝えて」

了解。と青葉さん。


作戦中ならともかく、通常時の作戦部長の権限はそれほど高くない。
第一種戦闘配置時のほぼ無制限ともいえる権限の高さを、そうやって牽制しているのだろう。

それは解かるし、自分としても権力が欲しいわけではないから否やはない。

ただ、シェルターの整備・運用に口出しできる権限は欲しかった。
トウジとケンスケの件で頭を悩まさずに済んだであろうから。

それとなく関連筋に注意を喚起することも考えたが、ほどなく諦めた。
どれほど言葉を取り繕おうと、二人が脱走するという結果を隠したままでは「あなた方の管理・運用は信用できない」としか受け取ってもらえないだろう。

それは、要らぬ軋轢を生む。

赴任したてで実績が足りないからと、自らの折衝能力の低さを弁護しそうになる自分が、厭わしい。
これが彼女なら、そんなことなど気にせずに即断即決しただろうと思うと、自らの臆病さを恨めしくさえ思う。

だから、せめて2人が脱走する前にカタがつくよう策を練ったのだが。

「作戦はさっき説明したとおり。いいわね? シンジ君」

「はい、ミサトさん」

全面ホリゾントスクリーンの中で頷く彼の姿。
分割表示された初号機は、ハブステーションに固定されたまま儀杖兵のようにプログナイフを捧げ持っていた。

「射出のタイミング取りとルート選定はMAGIが行うから、衝撃に備えて歯を食いしばっておくのよ」

はい。と応えそうになった彼が、慌てて口を閉じる。

彼の声が少しくぐもって、舌っ足らずに聞こえるのは、この作戦のために用意したマウスピースのせいだ。

「使徒、市内に侵入しました」

スクリーン内に分割表示されていた光鞭使徒の姿が拡大されると、途端に初号機が射出された。

浮遊し、胴体下面にコアを持つ光鞭使徒に対して採った作戦。それが、このリニアカタパルトの射出による下方からの奇襲だった。
あらかじめ腕部拘束具を解除された初号機は、光槍使徒戦時と同様の構えでプログナイフを支え持ち、地上到達と同時に肩部拘束具を解除、光鞭使徒に対して攻撃を仕掛けるのだ。

だが、奇襲と呼ぶにはエヴァ発進口のフォースゲート開放は遅すぎた。さらには、自動で展開されたガイドレール。これに気をとられたか、光鞭使徒は戦闘形態へと移行を始める。

そこへ飛び出した初号機は、突き上げたプログナイフを使徒の頭部に掠らせることしかできなかった。

「最終安全装置解除! エヴァンゲリオン初号機、リフトオフ。拘束台爆破。
 シンジ君、使徒から一旦距離をとって!」

初号機の正面にいる使徒から距離を取るには、背後の拘束台が邪魔だ。間髪入れずに爆破されるが、爆煙を掻い潜った初号機の足首には既に光の鞭が絡み付いていた。


ああ、なるほど。
自分はあの時、あんな風に飛ばされたんだな。と妙な感慨を抱けるほどにゆっくりと放り投げられた初号機が、小高い丘へとたたきつけられる。

「シンジ君、大丈夫? シンジ君!?」

しかし彼の返事はなく、その視線から導き出された位置をMAGIが映し出す。


「シンジ君のクラスメイト!?」

ディスプレイに身元照会が回されてくるが、見るまでもない。トウジにケンスケだ。

今回は出て来ないだろうと高をくくっていたために、とっさに指示が出せない。

「なんでこんなところに?」

リツコさんが別のモニターを覗き込んでいる。シェルターの履歴でも閲覧しているのだろうか。

スクリーンの中、滑るように初号機に接近してきた使徒が、宙に浮いたままに光の鞭を振るう。

自分でもやったことがありながら、今また初号機が光の鞭を掴み取ったことに驚いた。

『ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!』

「シンジ君! 大丈夫!」

大丈夫なわけがないことを、誰よりも知っている。
焼け火箸が手の中で暴れるのだ。痛みのあまりキレたことを忘れられるはずがない。

『……なん……とか。どうすればいいんですかミサトさん!』

彼が成長していることを、自分が指揮官として信頼されていることを喜んでいる暇はなかった。

≪ 初号機活動限界まで、あと3分28秒 ≫

……

 ……見捨てる?

ナツミちゃんを救けたことで、彼らは既に大切な友人になってるのに、できるわけがない。


 ……エントリープラグに入れる?

他人の思考が混ざることでこうむる頭痛と、泥の混入で起こる呼吸困難・酸素欠乏、感染症の危険を彼にも体験しろと?


 ……保安部を差し向けて保護する?

初号機の内部電源が保たない! 動かなくなったエヴァを使徒が放置してくれる保証はない。

……


≪ 初号機活動限界まで、あと3分 ≫

とっさに思いついたのは、どれも彼に苦痛を強いる方法ばかりだ。

ならば、割り切るしかない。

「シンジ君。両手で掴んでいる鞭を左手だけで掴み直して。
 大丈夫、宙に浮いてる分だけ鞭のパワーは弱まってる。エヴァなら抑えこめるわ」

はったりだった。
だが根拠がないわけではない。乗っていたから解かる初号機の底力。そして、今の彼のシンクロ率なら。

「いい加減なこと言わないで」

背中に刺さるリツコさんの視線が痛い。

またインカムが役に立った。彼には聞かせられない発言だ。

「プログナイフ装備」

日向さんの操作で、左肩ウェポンラックが開く。

「まだ2分もあるわ。
 前の使徒なら、6回は斃せる時間よ。
 あなたなら出来るわ、シンジ君」

『……はい』




****




目の前ではトウジが土下座していた。その隣でケンスケがうなだれている。

対峙してから十分あまり。室内は沈黙が支配していた。

怒ってないといえば嘘になる。しかし、内心で自分は泣いていたのだ。

二人が無事であった安堵に。見通しの甘い己のふがいなさに。一瞬とはいえ、見捨てることを考えた自分の薄情さに。

その間に何度、「逃げちゃダメだ」と唱えたことか。

懸命に涙をこらえていた自分の姿を、怒りのあまり声も出ないと勘違いしてか、二人は微動だにしない。

これが彼女なら張り手の一つもかまして、さんざん脅して、そしてからからと笑い飛ばしたことだろう。

想像してみて、それはつまり前回の顛末を確認してなかったからだと気付く。

やはり自分は薄情なのだ。それが、また ……自分を打ち据える。

「ミサトはん。泣いてはるんでっか?」

すすりあげる音に顔を上げたトウジが、驚いて腰を浮かす。

その顔にナツミちゃんの面影を見て。だから次の言葉は自然と口をついた。

「当たり前じゃない……
 もしもの時、ナツミちゃんに何て言えばよかったの?
 ……相田君は、どう? ご家族は?」

言われて初めて思い至ったのだろう。

「父が……居ます」

怒られていると思っているから神妙にしていただけの二人に、ようやく加わる深刻さ。

「すっ、すんまへん」

トウジが、床に頭突きせんばかりの勢いでまた土下座した。

「……ごめんなさい。僕がむりやり誘ったんです……」

ケンスケもまた、うなだれる。

妹の命の恩人の戦いぶりを見届ける義務があるんじゃないか? とか言ってトウジを丸め込んでる情景が、目に浮かぶようだ。

「謝るべきは私じゃないわ。
 ナツミちゃんに、お父さんに、ご家族に。
 解かっているでしょう?」

二人は応えない。

「それに、私に謝られても困るわ。
 私は必要なら、あなたたちを見殺しにしたもの」

息を呑む気配。

酷い言葉だが、二人を戦場に近づけないために必要と割り切る。

「隣りにご家族がおみえだから、今日はもういいわ。無事な姿を見せてあげて」

踵をかえして、ドアのスイッチに手をかけた。

「2度とシェルターから抜け出しちゃダメよ。命を量るような真似を、もうさせないでね」

ドアを開く。立っていた保安部員に頷きかけて、後を任す。

「待ったって下さい!」

トウジの声に、足が止まる。止まって……、しまった。

「ミサトはんに謝るのは間違うてたかもしれまへん。
 せやから…… 救けてもうて、ありがトうございました」

救けるために戦うことすらできなかったことがある。とはさすがに言えず。ただ足早にその場を去った。

走り出したいのを懸命にこらえながら。




                                                         つづく

2006.07.18 PUBLISHED
.2006.08.04 REVISED



[29540] シンジのシンジによるシンジのための補完 第四話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/17 23:33




「ミサトさん。綾波に何を言ったんですか」

待ち構えていたのか、帰宅した途端に問い詰められた。

「なっ、何?」

「とぼけないで下さい。
 一日中つきまとって世話を焼こうとするんですよ。ミサトさんの差し金でしょ」

興奮していて、客の存在にも気付かないらしい。



それは何気ない思い付きだった。

光鞭使徒戦で両掌に火傷を負った彼の助けになるかもしれないと、綾波に声をかけたのは。




…………




「それは命令?」

「いいえ、「お願い」よ」

「…お願い。他人に対し、こうしてほしいと頼む。
      自分の気持ちとして、こうなってほしいと強く思う。望む。

  …そう。葛城一尉は私に望むのね。

  …望み。叶えられるとは限らない思い。
      叶えるかどうかは私次第。

  …そう。私が選ぶのね」




…………




ぽつぽつと呟きながら歩み去る綾波を呆然と見送ったものだが、まさか聞き入れてくれていたとは思わなかった。

「弁当は手ずから食べさせようとするし、自分のノート放っといて僕のノートを書き込むし、体育で僕の代わりにバスケの試合でようとするし、とうとうトイレまでついてこようとしたんですよ!」

よほど恥ずかしかったんだろう。触れなんばかりに詰め寄ってくる。


かつて、彼女と自分の距離は微妙だった。
近しいところと遠いところが複雑に同居した、陣取り合戦の末期みたいな関係と言えようか。

肉親の愛情に恵まれないまま反抗期を迎えてしまった自分側の屈折もあるが、多分にそれは彼女の問題だったろう。

作戦部長として、保護者として。様々な自己矛盾と苦悩の結果、よそよそしさと押し付けがましさの乱雑なブレンドとして彼女は在った。

その中途半端さに祐けられ、あるいは傷つけられて暮らした日々を否定するわけではない。

ただ、幼い頃に夢想した家族というものを実現して、彼に与えたかっただけ。

そういう意味では、自分に苦悩のない現在。彼との関係は「ブラコン気味の姉と、姉は嫌いじゃないが疎ましく感じつつある弟」というシンプルな構図に納まりつつある。


「『命令じゃない。これは葛城一尉の望み。私の自由意志に委ねられた彼女の思い。やぶさかじゃないわ』とか呟いて、ワケ解かんないよ」

文句を言うのに遠慮がなく、皮肉がない。好ましい変化だろう。

「呆れた。
 ATフィールド実験中に何を話しかけてるかと思ったら、そんなお節介焼いてたの?」

「ホントお節介ですよ ……って、リツコさん。いらしてたんですか?」

「ええ、お邪魔しているわ」

「すみません、取り乱しちゃってて……。どうぞお上がりください」

これ幸いとキッチンまで撤退したが、声による追撃を防ぐ手立てはなかった。




「それじゃあ……レイちゃんには私から話すとして……」

「当然ですよ」

リツコさんを招く。ということで多少気合を入れた料理の数々と、デザートのシュークリームにカモミールティーの尽力によって、ようやく彼の不機嫌が殲滅された。

仕上げのカスタードクリームを詰める作業を、目の前でして見せたのが良かったのかもしれない。

「それにしても、なんで…レイちゃんは、そんなにかいがいしかったのかしら?
 シンジ君に身に覚えはある?」

「あるわけないですよ。綾波のことよく知らないし……」

つい先日まで自身も不自由な思いをしていたから、同情したとか? ……綾波に限ってそれは無いか。

「リツコ…は、どう?」

「相変わらずね、貴女。なんで私を呼ぶときドモるのよ」

これ見よがしに嘆息される。

「別に貴女だけってわけじゃ、ないじゃない。仕方ないでしょ。癖なのよ癖」

言える訳がない。「当時、あなたははるかに年上だったからです」とか、「つい敬称をつけそうになるからです」などと。

「それよりも、…レイちゃんのことよ」

「そう言われてもね。
 私はレイの健康面の管理者ってだけだから、なんとも言えないわ」

まあ、リツコさんが一筋縄でいくとは自分も思ってない。ここは気長に構えておくべきだろう。

そっと、猫の肉球型の灰皿を、リツコさんの視界に入るように置く。

自分が呑まないので自宅での喫煙は許してないのだが、灰皿を出した時は別。というのが、学生時代からの暗黙の了解だった。

若干ためらったようだが、ニコチンの誘惑に勝てずに灰皿を引き寄せている。

あ、いや。熱い視線は灰皿に釘付けで……。

あのぉ、リツコさん?

もしかして……その灰皿、欲しいんですか?

……

「……おそらくは「命令じゃない」というのがキーワードね」

「どういうこと?」

未練たっぷりの秋波を灰皿に注ぎながら、煙草に火をつける。

「レイは「命令される」以外の他人との繋がり方を知らないのよ」

リツコさんと彼女も大学時代からの友人だったそうだが、ネルフの秘密ということではかなりの隠し事が在ったのだろう。

今もまた、何を話すべきか、何処まで話すべきか、どう誤魔化すべきか、考えているのではないだろうか。

「聞いた話だけど、レイは幼い時に事故で脳死寸前の重体になったことがあるらしいわ」

紫煙を一吐き。

「奇跡的に回復はしたものの、後遺症で感情表現が不得手に。
 以後はネルフの監督下に置かれたそうだから、子供らしい生活は出来なかったでしょうね」

もしかして、綾波が二人目になった時のことなのだろうか?

しかし二人目、三人目と見て、その他大勢を知っていれば、とても一人目が感情表現豊かだったとは考えにくい。

説明づけるためにリツコさんがでっち上げたのか、そう聞かされているのかまでは判らないが、ネルフとしての言い訳がそうだと云うことだろう。

ちらりと視線を遣れば、彼もまた考え込んでいる。綾波という少女について、思いをめぐらせているようだ。

今回、彼と綾波の接点は薄い。光槍使徒戦後に、お見舞いがてらに引き合わせた程度だった。

父親とのにこやかな交流を見せ付けられた彼にとって、綾波の印象が良いはずもないが、これが転機になる可能性はある。

「同じエヴァのパイロットなのに、綾波のことよく解らなくて……」

「いい子よ。貴方のお父さんに似て、とても不器用だけど」

「不器用って、何がですか?」

灰皿のすみで揉み消された煙草。白煙が、最後にひとすじ。

「生きることが」

生きることが不器用、か……。

かつては聞き流した言葉に、どれだけの意味が込められていたのか。

リツコさんの表情を間近に盗み見て、今ようやく解かったような気がした。




****




「何よこれ!」

綾波の部屋だ。

あのあと、綾波に渡してくれと新しいカードを取り出したリツコさんに、車で送るついでに寄ればいいと口実をつけてやって来た。

もちろん綾波を引き取るきっかけになる。と踏んでだ。

「リツコ! どういうこと、説明して!」

「……ドモってない」

リツコさんが緊張するのが判った。

普段は呼び捨てにするのが難しくてためらうのだが、感情が昂ぶった時は別だ。加持さんに指摘されて気付いたこの癖は、怒っていることをアピールするときに便利だった。

この部屋の惨状は知っていたのだから本気で怒っているわけではないが、今後を進め易くするためにもそう思わせたほうが都合がよい。

「だから私は健康面の管理者ってだけで……」

「精神衛生って言葉、知ってる?」

医師免許を持ってる人間に問い質す言葉ではないが、効果は覿面だった。リツコさんがじりじりと後退る。

「こんなところにあと1秒だってレイちゃんを置いとけないわ。私が引き取ります。いいわね、リツコ」

「そんなこと勝手に決めないで!」

「い・い・わ・ね。リツコ?」

リツコさんを玄関の外まで追い詰めておいて、さも今思いついた。という表情をして踵をかえす。追い込みすぎずにはぐらかし、相手に考える時間を与えるのも手管のうちだ。

「ごめんなさい、シンジ君。こんな大事なことを相談なしに決めるところだったわ」

「……いえ、綾波をここに置いとけないのは賛成です」

呆然と部屋の中を、きょとんとする綾波を見つめていた彼は、どう表現していいか判らない。という顔をして振り向いた。

「ありがとう。シンジ君ならそう言ってくれると思ってたわ」

となると本人次第ね。と呟いて、ベッドに腰掛けたままの綾波の前まで進み出る。

見下す視点が嫌で膝立ちになると、赤い瞳とほぼ同じ高さ。

「こんばんわ、…レイちゃん」

「…はい。葛城一尉」

「夜中に突然押しかけて、ごめんなさいね」

「…いえ、問題ありません」

「今日はありがとう。
 お陰でシンジ君の具合も随分良くなったみたい。シンジ君も喜んでるわよ」

「なっ!?」

約束が違うとばかりに文句をつけようとした彼を身振りで黙らせ、綾波の両手を包むようにして握る。

「…いえ、私の…自由意志」

ううん。と、かぶりを振って。

「私の「お願い」を叶えてくれたでしょう?
 それは私の「思い」を受け入れてくれたということ。
 私のために尽力することを惜しくないと思ってくれたということ。
 絆を結ぶに値すると認めてくれた証。
 とても嬉しいわ。
 だから、思いを返すの。

 ありがとう。感謝の言葉よ」

一言一句聞き逃すまいと真剣に見つめてくる綾波の瞳を見つめ返し、ひと言ひと言を丁寧に。

「…はい ……」

……

「どうしたの?」

もの問いたげな綾波を促す。

「…こういう時、なんて言っていいか知らないの」

「こういう時はね「どういたしまして」って言うのよ」

「…「どういたしまして」?」

ええ。と頷いて、いま一度。

「ありがとう」

「…どういたしまして」

微笑む綾波の姿に、思わず両手に力がこもる。

かつて、初めて見せてくれた不器用な笑顔。
この微笑みを直接彼に向けさせられなかったのは失策かもしれない。

「それでね。これからが本題なんだけれど、…レイちゃん。私たちと一緒に住まない?」

「…何故?」

「ほら、シンジ君の具合。随分と良くなったけれど、まだまだ生活に支障があるのよ」

大嘘である。
確かにフィードバックのせいで掌に痺れが残り、痛みによる暗示で自ら火傷を再現してしまったが、生活に困るほどの大怪我。というわけではない。

そもそも、光鞭使徒戦からかなり経っていて、ほとんど治りかかっている。今更といえば今更なのだ。

「…レイちゃんもやる気みたいだし、ここは一緒に住んで、よりシンジ君のお世話をしてくれると嬉しいなぁって思って」

あきれはてて開いた口が塞がらない様子の彼を指し、嬉しさのあまり口もきけないみたいよ。などと嘯く。

「…それも「お願い」?」

「そうね、お願いではあるけれど……、正確には「提案」かしら」

「…提案。議案・考えなどを出すこと。
     より良くするために申し出るアイデア。

 そうね。碇君の手助けをするならその方が効率的。

 それは、私の行動を支援、補強する助言。

 葛城一尉の申し出を支持します。

 …

 …… 」

ぽつぽつと呟いていた綾波が、何に気付いたのか、悩ましげに眉根を寄せた。

「どうしたの?」

「…ここを離れるには許可が要る」

「それなら大丈夫。
 必要な許可や手続きは全て、リツコお姉さんが面倒みてくれるわ」

「ちょっと! 勝手なこと言わないで!」

「面倒、見てくれるわよね。リツコ」

振り返ったりはしない。綾波から視線を外さぬままにリツコさんに話し掛ける。

「セカンドインパクト直後の話、してあげたわよね? こういうの見過ごせないって、知ってるでしょ?」

どういうことかと訝しがる綾波に、そのうちねと微笑みかけて、頭を撫でた。

「あの灰皿。あげるわよ?」

「……わかったわよ」

即答だ。よほど欲しかったらしい。……いや、そんなものは口実に過ぎないだろう。本当は面倒見のいい人だということを、自分はよく知っている。

立ち上がり、膝元を払う。振り返ると、リツコさんが内ポケットを探っていた。

「ありがとう。よろしくね? リツコ…」

不機嫌そうな唇の動きは、さしずめ「またドモってる。現金なヤツ」と云ったところか。

背後でベッドがきしんだ。綾波が立ち上がったのだろう。

「…ありがとうございます。赤木博士」

盛大にため息をついて見せたリツコさんが、踵をかえした。

「期待しないで頂戴」

照れ隠しに煙草を呑みに行ったらしい。

…なぜ赤木博士はどういたしましてと言わなかったの。との綾波の呟きに、どう答えてやったものか……


                                                         つづく
2006.07.31 PUBLISHED
2006.09.01 REVISED



[29540] シンジのシンジによるシンジのための補完 第伍話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2021/12/03 15:41



小さな窓から零号機の姿が見える。再起動実験は、もう間もなく開始だ。

いらついた様子の彼は、着々と進む準備を一顧だにせず睨みつけてくる。

加持さんの言うとおり、安心してる相手だと遠慮がない。

それはある意味、嬉しいのだけれど。

「話してくれるんですよね? 今なら綾波も居ないし」

ひとつ頷いて、口を湿らせるためだけにコーヒーをすすった。

ぬるいな。


……

「私ね、セカンドインパクトの時に南極に居たの」

それは、彼女の記憶。14年間の少女の思い出と、2年分の心の迷宮の軌跡。

還ってきて受け継いだ、彼女のすべて。

「疎遠になっていた父親に急に呼び出されて、むりやり連れて行かれて。恐い物を見せられて」

身に憶えのあるシチュエイションに、彼の瞳が揺れた。

「訳の解からない物に乗って、訳の解からない者と戦えって強要されなかっただけマシだったけれど……」

笑顔。それは境遇を同じくする者へ手向ける、力ない仕種。

彼女の、ではない。自分の、ものとして。

「……ミサトさんは、強要なんかしなかったですよ。あれは僕の意思です」

「……そう言ってもらえると、気が楽になるわ。
 ありがとう、シンジ君」

視線を絡めることなく、交わされる言葉。

それは、見たくないからと手探りで相手の傷を避けようとする愚かな臆病者のスキンシップだ。

「正直、あの時何が行われていたかはよく解らないんだけど、私は唯一の生存者になったわ」

握り潰した紙コップを、ゴミ箱に放った。

「その時に渡された父親の形見が、これ」

胸に下げたロザリオをつまんで、見せる。

銀色のギリシャ十字架は、自分にとっては彼女の形見なのだが。

「生き残ったのは良いんだけど、そのときのショックで心を閉ざしたの」


彼女の過去を垣間見て気付いたのは、自分を同一視していたであろう彼女の心だった。

当時の自分と同い年の少年に己が境涯を重ね。流されるだけの姿に己の失敗を思い起こし。何とかしてやりたいと不器用に尻を叩いていたのだ。

おそらくは、己を投影して干渉する身勝手に悔恨しながら。


「失語症とでもいうのかしらね」

失語症というのは脳の物理的損傷から起こる器質的障害だから正しくないが、統合失調症の陰性症状といっても通じにくいだろう。
 
「2年間も心を閉ざしていたそうよ」

実際には、今なお堅く閉ざされたままの彼女の心の扉。その中にまだ彼女は引き篭もっているのだろうか?

「そのあとも色々と苦労してね。そのころの私は…レイちゃんみたいだったんじゃないかしら」

あながち嘘でもない。
この体で目醒めたあの日から暫く、心と体のバランスが取れなくて苦労したのは事実。女らしい表情を取り繕うことができずに、無表情ですごした時期は確かにあった。

「それで、放っとけない。……ですか?」

頷いた。嘘だが。

それはあくまで、この“葛城ミサト”としての理由だ。
綾波に心砕くことを周囲に納得させるためにでっち上げた方便にすぎない。

「リツコ…も驚いていたけど、私…レイちゃんとの意思疎通が上手でしょ?
 経験かしら。解かるような気がするのよ」

これも嘘だ。
もっともらしい方便だが、単に綾波のことをよく知っているに過ぎない。たとえば、ここでは未来の出来事になるような事柄まで。

「シンジ君をダシに使っちゃって、ごめんなさい。
 なるべく早く、なんとかするから……」

そんなことはもうどうでもいい。と言わんばかりに彼がかぶりを振った。

「……僕も放っとけなかったんですか? ……よく似てるから」

「ええ、そうよ」

これも嘘。
かつての彼女はいざ知らず、今の自分の理由ではない。やはり方便だった。

自分の望んでいた優しい世界を、自分のために、彼のために。

彼が滅びの道を選んで、後悔しないために。

「軽蔑するわよね。
 自分に似た境遇の子供を見つけたから、優しくしてあげただけなの。
 優しくされたかったから、優しくしてあげただけなの。
 自分の代わりに、自分のために」

これは本音。これだけが偽らざる、自分の心。

 ……

「……泣かないでください、ミサトさん」

……



「私、泣いてるの?」

ハンカチを探しているようだが、プラグスーツにはポケットすらない。
諦めた彼が、おずおずと手を伸ばす。

かつての自分なら、何をしていいか判らずに立ち尽くしただろうに。

いや、それどころかこの場から逃げ出したに違いない。

「ミサトさんが言うことがどう云うことか、僕にはよく解かりません」

これが加持さんならキザに人差し指を使うところを、彼は不器用に親指で涙をぬぐってくれた。

「……でも、今日ミサトさんと話せて、ミサトさんが話してくれて良かったと思います」

ぎこちない微笑み。

それに応えようとした途端に割り込んできた、アラート。

≪ ……了解。総員、第一種警戒態勢。繰り返す、第一種警戒態勢 ≫

「シンジ君、ATフィールド実験は中止。控え室で待機して」

「はい」

あの強烈な一撃を思い出して、胸が痛んだような気が、した。




****




「本作戦の要旨を説明します」

ブリーフィングルーム

二人のパイロットが座っている。オペレーター席には日向さん。

「敵使徒は、強力な荷電粒子砲と強固なATフィールドを擁してゼロエリアに進攻。
 現在はレーザービットを備えたボーリングマシンで、天井都市を穿孔中」

ATフィールドを展開する姿。熔かされる兵装ビル。地面を掘りぬくボーリングマシンの様子が、スクリーンに表示される。

「いくつかの威力偵察の結果。
 敵使徒が上下方向への攻撃手段を持たず、応用を効かせる知恵もないと判断し、ゼロエリアの地下、天井装甲板間での待ち伏せ、奇襲を行います」

様々な攻撃の様子。対する反撃の結果が映し出され、最後に第3新東京市とジオフロントの模式的な断面図が重ねられた。

待ち伏せが好きなのかな。との彼の呟きは無視。

好き嫌いで戦術を選べるような余裕はない。
使徒の目的地こそ確証が持てるものの、その進攻時期やルートについての自分の記憶は曖昧な上に確定情報とは言い難い。

子供たちの練度は充分ではないし、そもそも自分は彼らを兵士として完成させようなどとは思っていない。

その上で採れる戦術が、どれほどあろうか?

「第5装甲板と第6装甲板の間、耐熱緩衝溶液を充填した第135吸熱槽をドレーンして空間を確保」

表示された模式図の中、使徒が進攻する先の135と書かれた囲みの水位が下がっていく。

日向さん。芸が細かすぎです。

「エヴァ両機は、無起動状態で専用トレーラーにて移動」

案の定、図案化されたエヴァがトレーラーに寝そべった状態で運ばれてくる。

「起動後、1機はフィールド中和に専念。念のため、防御用の盾を装備します」

なにやら注記が追加された。

 【エヴァ専用耐熱光波防御兵器(急造仕様)】

「もう1機はエヴァ専用ポジトロンライフルで使徒を攻撃」

 【 円環加速式試作20型陽電子砲 】

スクリーンの中で何が起きてるかは確認しないことにしよう。

「これを殲滅します」

今、なんだか画面がフラッシュしたような……。

「本作戦における各担当を伝達します」

それらしく、クリップボードなぞ取り上げてみせる。

「まず…レイちゃんは零号機で砲手を担当。
 エヴァ専用ポジトロンライフルで使徒を攻撃」

 【 零号機 with 円環加速式試作20型陽電子砲 】

ちらり。クリック音に気をとられて視線をやると、注釈が変更されていた。

「…了解」


戦自研が自走式陽電子砲を開発していることは知っているが、今回、それを徴発するのは見送った。

ATフィールドを中和できるなら、あれほどの高出力は必要ないし、仲が良いとはいえない両者の間に、これ以上の軋轢を増やしたくもない。

いずれ必要になるとしても、もっと関係を良くしておいたほうがやり易いだろうし。

それに、フィールドを中和せずに使徒を力技で斃せることをこれ見よがしに喧伝してしまっていいものかどうか、自分には判断できなかったのだ。


「次にシンジ君。
 初号機で防御。及び敵ATフィールドの中和を担当して」

 【 初号機 with エヴァ専用耐熱光波防御兵器(急造仕様)】

タイミング良く、よくもまあ。

「はい」

「この配置の根拠は、ATフィールドについてはシンジ君に一日の長があること。
 第二に、彼の負傷によりインダクションモードでは細かい照準操作に支障が出る可能性があることから決定しました」

彼の眉根が下がった。自身をダシに使われた時、次に何を言われるか判ってきたようだ。

「…レイちゃん。起動実験を成功させたばかりなのに実戦に駆り立てて、ごめんなさい。
 シンジ君を助けてあげてね。
 そして、護ってもらいなさい」

「…はい」

なにやらぽつぽつと呟き始めた綾波を、彼が複雑な表情で見やっている。

「作戦開始は16:00。以後この作戦をアンブッシュと呼称します」

やっぱり好きなんだ、待ち伏せ。との彼の呟きは無視した。




                                                         つづく

2006.08.07 PUBLISHED
.2006.09.01 REVISED


********

 このラミエルを下から攻撃するというアイデアは、エヴァ逆行物の第一人者と私が個人的に称えて尊敬している夢魔氏の著作の一つ「優しさを貴方に」から戴きました。
 相手からは遠く自分からは近いという究極の射程外は、中国拳法の奥義にも通じ、しかも尋常な手段でなしえる事とあいまって最高の作戦案といえます。
 夢魔氏の著作はこうしたアイデアに溢れていて、刺激になると同時に大変な壁でもありました。この越えがたい壁の前に一旦はこの作品そのものを諦めかけたほどです。
 様々な葛藤の末、こうして夢魔氏のアイデアそのままに話を書いているのは「優れたアイデアは人類の共有財産」だとの開き直りだといっていいでしょう。

 ともあれ、不躾にも突然の「アイデア貸して?」メールに、快く許諾していただいたうえ、激励の言葉まで下さった夢魔氏にはいくら感謝しても足りません。ありがとうございました。
 こんなことなら読み終わった後に感想メールの一つも差し上げるべきだったと反省しております。

 なお、夢魔氏の著作は氏のサイト「やっぱ綾波でしょ」に上梓されています。様々なパターンの逆行物が色々なアイデアのもとに掲載されていて厭きさせません。未見の方はご一読をお奨め致します。



[29540] シンジのシンジによるシンジのための補完 第六話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/17 23:35




アラームが鳴る寸前の作動音でまどろみから引き戻され、目覚し時計を止める。

綾波を起こさぬように、そっと体を引き抜いた。

もとよりそのつもりだったので部屋数はあるのだが、内装が整ってない。
ベッドが届くまでの暫定処置のつもりで一緒に寝るようにしたのだが、意外にも綾波がこれを好んだ。


最初の晩。寝入ったあとに無意識に抱きついてきた綾波の頭をなでてやると、全身を使って擦り寄ってきた。

しばらくは気のすむようにさせていたのだが、中途半端にしがみつかれると意外に疲れるので、迎えに行くようにこちらから抱きしめてやる。

右腕を綾波の頭の下に通して肩を枕にさせると、むずがった綾波が半ば覆い被さるようにして落ち着いた。

胸の谷間に顔を埋められ、寝息のくすぐったさに身をよじった憶えがある。

普段の無表情さからでは想像できない積極さだった。

おそらくは本人も気付いてない、自らの求めるものがあるのだろう。


そういえば、アナクリティック・ディプリッションという心理用語があった。

母親から離された乳幼児が情緒不安定になって、たったの3ヶ月で完全に無表情になるまでの過程を指す。

また、そのように充分な母子関係が得られない状態に陥いることをマターナル・デプリベーションと呼び、後々の心身の発達に障害を残す可能性があるという。

これらから綾波の現状を理解し、遡ってその原因を推測することができないだろうか。

綾波の生い立ちは想像するしかないが、どう考えても母親とのふれあいがあったとは思えない。成長期のスキンシップが致命的に足りてなさそうなのだ。

だが、今からでも遅くはないだろう。取り返せるはず。人の適応能力を侮ってはいけない。

母親とは、こんな心持ちかもしれないと想いをはせて綾波をかき抱いたりした。


それにしても、閉ざされた彼女の心を解きほぐす手懸りにならないかと大学で聴講した心理学が、こんなところで参考になるとは思いもしなかったが。



ランドリースペースで服を脱ぎ、バスルームへ。

ぬるめのお湯でシャワーを浴びる。

女の体になって面倒なのは、今の日本の気候では頻繁に汗を流す必要があったことだ。

なりたての頃、男の体と同じつもりで扱っていたら、あっという間に胸の谷間に汗疹ができた。
痒いのは言うに及ばずだが、場所が場所だけにおおっぴらに掻けないのが痒みを助長する。

あれは男にはちょっと理解できない苦しみだと思う。

以来、朝のシャワーは欠かせない。



汚れ物を放り込んでおいた洗濯機に使ったタオルを追加して、ネルフの制服に袖を通す。

作戦部の赤いジャケットの代わりにエプロンを着けてキッチンへ。

制服を汚さないよう袖付きにしたエプロンは、どちらかというと割烹着に近い。

タイマーで丁度ご飯を炊き上げた炊飯器に、布巾を噛ます。

昨晩のうちに下拵えしておいた食材を冷蔵庫から出して、まずはお弁当の準備だ。

水に浸けておいた大豆と練っておいた小麦粉で、肉モドキを作り始める。綾波のために勉強しておいた精進料理。腕前には自信があった。

下拵えを済ませておいた小海老をフードプロセッサーにかけて、冷蔵庫から卵を取り出す。今日は伊達巻だ。

ベランダのプランターからミニトマトを採ってくるのは後回し。

足りない彩りは、緑。肉モドキをピーマン詰めにすると良いかもしれない。


還ってきて以来、自分は彩りに拘るようになったと思う。

なんだか、色とりどりに色彩が溢れていると心が浮き立つようで嬉しいのだ。

最初は赤い世界へのトラウマかとも思ったのだが、思い起こしてみれば、あの世界も決して赤色ばかりではなかった。

真っ赤な海、真っ白な砂浜、真っ黒な空。あの強烈なコントラストは自分を、微妙な色合い好みにさせたのではあろうが。

トラウマの原因はおそらく、南極調査船の白一色のあの部屋だろう。
かつて彼女がネルフの制服をきちんと着ていなかったことも、案外そこに起因するのではないだろうか。

というわけで、まばゆい純白のワンピースなんて代物はあれ1着きり。もちろん袖を通したのも、あの一度きりだ。



蒸らし終わったご飯を弁当箱に詰める頃に、綾波が起き出してきた。

お下がりで与えたパジャマ姿。袖と裾を折り返した格好は実に可愛らしいが、時間を作って早く買い物に行かなくては。


こうして寝間着を着せるのにも一悶着あった。

例によって「…なぜ?」と訊いてくる綾波に、寝汗を放っておくと体に悪いからとか、交感神経の集中する首元は冷やしてはいけないとか、湿気を吸収しやすい素材のものがよいからとか必要性を並べ立てて説明するはめになった。

最終的に納得はしてくれたようだが、綾波更生の道は遠く、険しい。


「…なぜ、ご飯を放置するの?」

「それはね。冷まして湯気を飛ばしておかないと傷むから…… って…レイちゃん。朝、顔を会わしたら?」

「…おはようございます。葛城一尉」

「はい、おはよう。シャワー浴びてらっしゃいな」

「…了解」


シャワーの浴び方、前後の始末などは最初の朝に、一緒に入って教えた。

自分自身、こうしたことの細かい部分は学生時代にリツコさんから教わったりしたのだが、綾波はそうではなかったらしい。

やはり、隔意があるのだろうか。

そこを突き詰めるには、あの時の出来事だけでは手懸りが足りないだろう。


おっと。ミニトマト、取りに行かなくちゃ。


弁当の仕度が終わって朝食の準備になだれ込んだところで、綾波がバスルームから出てきた。第壱中学の制服姿だ。

洗濯機の回る音が聞こえてくる。最後にシャワーを使った方がスイッチを入れるように取り決めてあった。

「ペンペンにご飯、あげてみる?」

頷いたので、焼きあがったアジを皿に盛り付けて渡す。焼いた魚を好む、ペンペンは変わったペンギンだった。

専用冷蔵庫の前にひざまずいて、綾波がノックをしている。

「…おはよう。ペンペン」

出てきた温泉ペンギンに挨拶。グワワと、ペンペンが挨拶を返しているのが微笑ましい。

ところで、温泉ペンギンは情操教育に良いのだろうか? ちょっと判らない。



「おはようございます」

朝食の用意がすっかり整ったころに彼の起床だ。

「おはよう、シンジ君」

「…おはよう。碇君」

同居当初はパジャマ姿だったが、綾波が来て以来、着替えを済ませてから出てくるようになった。

デリカシーが育っている。いい傾向だ。

「顔を洗ってらっしゃいな。ご飯にしましょう」

「はい」



「ミサトさん。本当に今日、学校へ来るんですか?」

汚れた食器を水に浸してると、ダイニングから声をかけられた。

「当たり前でしょう?進路相談なんですもの」

「でも、仕事で忙しいのに」

そう言って、自分も彼女を試したことがある。

「仕事だから」と答えられて傷ついた。

傷つくくらいなら、相手を試したりしなければいいものを。

いや、傷つくことが解かっていて、それでも相手を試してしまう。「生きることが不器用」と云うことか。

今なら、その答えが彼女の照れ隠しであったことに気付いてあげられるのに。

「二人の大切な将来について相談するのよ。仕事なんかしてられないわ」

手を拭いて、キッチンを後にする。

「人類の命運をかけた大切な仕事なんじゃ……」

もちろんその通りだ。

国連軍への出向時代。紛争の火種をくすぶらせる国境地域に派兵させられたことがある。

ひどい貧困と飢餓。

治安維持軍に向けられる怨嗟の視線は、軍内部ではネルフ出向組に向けられた。

国連が、なによりネルフが金を吸上げていることを、誰しもよく知っていたのだ。

もちろんネルフとて無意味に予算を計上、蕩尽しているわけではない。

「ヒトはエヴァのみで生きるにあらず、よ」

だが、目の前で餓死していく幼子に、来るべきサードインパクトを防ぎ人類の命運を守るなどと説いて、なんになるだろう。

しかしそれでもと、自分の使命は少しでも小さな被害で使徒戦を勝ち抜くことだと、己に言い聞かせて背を向けた。ろくに目も開かないうちに亡くなるような赤子を減らすために、自分ができることはそれだけだと。

そのときの決意に、微塵の揺らぎもない。

「いつまでも使徒が来続けるとは限らないわ。二人ともいつかエヴァを降りるときが来る」

我が家の子供たちを幸せにしてやりたいという想いと、世界中の子供たちを救ってやりたいという祈りが相反しないのは、自分にとって数少ない幸いであっただろう。

仕事だから。ではなく、自分の望み。として、彼らのことを気にかけていられるのだから。

「自分のために自分の人生を歩む時が来る」

二人の背後に立って、それぞれの頭に手を載せた。

綾波は例によって、ぽつぽつと呟いている。

「私じゃ頼りないでしょうけど、一所懸命やるわ。
 だから二人とも真剣に考えてね。
 自分の将来のこと」


……

全てが終わったら、NGO活動に身を投じるのもいいかもしれないな。




****




「ちゃんと歩いてる。自慢するだけのことはあるようね」

ジェットアローンの起動実験は順調のようだ。

「ねえリツコ…。あれ、欲しいんだけど」

「正気!? あんなガラクタ!!」

注目を浴びた。リツコさん、声が大きいです。

「何に使う気よ。あんなの」

さすがに気まずかったらしく声を潜めている。目が据わっていて怖い。

「歩く発電機、エヴァサイズの起重機、本部の予備電源、試作兵装のテストベッド…」

指折り数えて挙げていくうちに、リツコさんの表情が和らいでいく。

「言われてみれば……。でも欠陥品よ?」

その途端に天井が抜け落ちた。とっさにリツコさんを抱きかかえて、柱の間に身を投げ出す。

ちらりと投げかけた視線の先に巨大な足。JAが踏み抜いたらしい。

粉塵を吸い込まないように息を止めて、心得のないリツコさんを胸元に押さえつけて、待つ。


……

「作った人に似て礼儀知らずなロボットね。躾が要るかしら」

立ち上がり、リツコさんに手を貸す。

「何をする気?」

服についた埃を払う。黛色の礼装はシックで、結構お気に入りなのに。

右前膊部に打撲傷。右大腿部に擦過傷。ストッキングに伝線。

心なしか、右奥の義歯がぐらついている。

さっき体の右側を下にしたからだろう。

よし、ボディチェック終了。問題ない。

「エヴァを出すわ」

あの時は、彼女の活躍でJAを取り押さえることが出来た。自分もやらねばなるまい。

「使徒戦以外で動かせるわけないでしょう!」

「緊急事態よ。それにデモンストレーションに……いえ、間接的にコンペティションを演出できるわ」

リツコさんの目が光った。披露会場でよほど鬱憤を溜めこんだのだろう。

「第5使徒戦で、ATフィールド実験のスケジュールが遅れてるでしょう?」

「第3回を繰り上げなおして、野外演習に切り替えるわけね。
 演目は?」

どこからともなく取り出した携帯端末を、目も止まらぬ速さで操作し始める。

「空挺降下時の、重力軽減実験……」

ATフィールド実験は、自分の提案で進められているテストだ。

きっかけは、ATフィールドの応用と見做される光鞭使徒の空中浮遊。

エヴァにも可能か? という問いかけに、原理的には、と答えられたので試している。

 ――思えば、かつて自分が空挺降下した時。ウイングキャリアーの進行方向と、着地時の加速度が異なっていた。

おそらく無意識に重力軽減を行って、地球の自転に置いていかれたのだろう――


「それに、あれの足止めに遠隔展開実験、……かしら?」

上手く応用できれば、今後の使徒戦を有利に進められるかもと期待していた。


彼のシンクロ率が高めで安定しているため、時間的余裕が取れているので可能なのだが。


「……F型装備でウイングキャリアーに搭載させるわ。観測機器を詰め込む分、少し時間を頂戴」

うふふ、眼にもの見せてくれる。と呟くリツコさんの傍から、そそくさと離れた。

JAは厚木方面へ暴走中。
戦自、その他軍事方面への根回し、ここのスタッフの説得は自分の仕事だ。




                                                         つづく

2006.08.14 PUBLISHED
2006.08.18 REVISED



[29540] シンジのシンジによるシンジのための補完 第七話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/17 23:36




「ハロゥ、ミサト。元気してた?」

「ええ、アスカ…ちゃんも。背、伸びたんじゃない?」

「ちゃん付け禁止!」

「え~」

「「え~」じゃない!このワタシを子ども扱いしないで」

「だって、そんなに可愛いのに」

サンライトイエローのワンピースは、まるでアスカそのもののように自己主張している。

無骨で無機質な甲板の上となれば、掃天の日輪のようにまばゆい。

「ワタシは可愛いんじゃなくて美しいの!わかった?」


当時、彼女も自分もアスカを呼び捨てにしていた。
彼女に倣ってアスカを呼び捨てたら、いつ素の自分を晒してしまうか判ったものじゃない。

彼女が使っていたそのままを踏襲できない理由。それがアスカだった。


とはいえ、アスカの機嫌を損ねてまで通さねばならない処置ではない。そのぶん自分が気をつければ良いだけのことだ。と不請不承に頷きかけたその時、風が捲いた。

とっさに少年の目をふさぐ。事前の位置取りは完璧だ。

当時、保護者であるはずの彼女の下着まで洗濯していた自分と違って、彼には免疫が少ない。
それに、あまり最悪な出会い方はさせたくなかった。

キッと睨みつけてきた視線は、見ていたのが女だけだと気付いて緩む。

「それで、その冴えないのがサードチルドレン? その陰気っぽいのと、可愛らしいのは?」

やだぁ♪ などと身悶える技術部職員は無視するとして。

「アスカ。
 人を見た目で判断してはいけないと、教えたでしょう?
 物覚えの悪い子にはそれなりの処遇が要るわね」

「なっ何よ!?」

ためらいなく呼んだら怒っている。というのはアスカも認識しているらしい。加持さんの入れ知恵かもしれないが。

「アスカはとっても可愛いので、ちゃん付け決定」

「え~」

「「え~」じゃない。いい大人は、人を見かけで判断しません」

「ぶ~」

「「ぶ~」でもない。反省の色が見えないわよ」

「……わかったわよ。……それで?」

目線で促されて紹介する。

「彼が、初号機パイロットの碇シンジ君。
 彼女は、零号機パイロットの綾波レイちゃん。
 こっちの彼女は、技術部の伊吹マヤちゃん」
 
彼と綾波の肩を抱いて、ちょっと引き寄せた。

「彼女が弐号機パイロット。惣流・アスカ・ラングレィちゃんよ」

よろしく。などと思い思いの挨拶が交わされる。

「アンタたちが本部のチルドレンね。まっ仲良くしましょ」

「うっうん」

「…命令があればそうするわ」

やはりこうきたか。綾波更生の道は遠く、険しい。

「…レイちゃん。人の絆は強制されて結ぶものではないわ。
 貴女はどうしたいの?
 アスカ…ちゃんと友達になりたくない?」

……

「…人の絆。ヒトが他人との繋がりを感じること。
      思いを託しあう相手を見つけること。
      独りきりでないことを確かめること。

  …友達。人の絆の一形態。
      対等の存在。
      自由意志で選ぶしがらみ。

  …孤独。落ち着く。
      嫌じゃない。
      でも、望めば何時でも独りになれる。
      なのに、望むだけではヒトとはふれあえない。

 ふれあい。葛城一尉とのふれあい。
      碇君とのふれあい。
      あたたかい、気持ちのいいこと。
      もっと感じてみたい。様々な形のヒトとのふれあい」

ぐっ、と力を籠めた頷きは、己に言い聞かせでもしているのか。

 ……

「それは、自由意志の発露。
 一つの可能性。
 群れるという進化のカタチ、…ヒトの絆」

縒り合わせるように握りこまれる、拳。

  ……

「そう。私、友達がほしいのね」

ぽつぽつと呟き続けていた綾波を、アスカが胡散臭げに見ている。

「…葛城一尉。私、惣流・アスカ・ラングレィさんと友達になってみたい」

「そう。
 じゃあ手を出して。 アスカ…ちゃんも」

ぎゅっと握らせる。

「「仲良くしてね」か「友達になってね」かしら?」

「…仲良くしてね」

「……いいけど、変わったコねぇ」

律儀に握手を振りながら、アスカが嘆息した。

「…レイちゃんはちょっとね。そのうち話してあげるわ」


後日、クラスメイト全員に握手を強要する綾波の姿があったそうだ。

……ちょっと見たかったかもしれない。




****




「おやおやガールスカウト引率のお姉さんかと思っていたが、それはどうやらこちらの勘違いだったようだな」

「ご理解いただけて幸いですわ、艦隊司令」

会話はもちろん海軍の共通語、英語だ。

「いやいや、私の方こそ、久しぶりに子供たちのお守りができて幸せだよ」

背後からは、聞き取りづらいところを訳してもらっているらしい彼の相槌が聞こえてくる。
英語の成績は悪くないようだが、軍事用語やスラングなどは習うはずもない。

「このたびはエヴァ弐号機の輸送援助、ありがとうございます」

綾波は……、興味ないんだろうな……

「こちらが非常用電源ソケットの仕様書です」

マヤさんが、ペーパーホルダーから書類の束を差し出した。

「はん!
 だいたい、この海の上であの人形を動かす要請なんぞ聞いちゃあおらん!」

「申し訳ありません。わたくしどもの配慮が足りませんでした」

帽子の陰に隠れてろくに向けられなかった視線が、ようやく与えられた。

「……どういう、意味かな?」

潮風にあぶられた肌の隙間から、射込まれるような眼光。
 
「はい。
 連絡に不手際がありまして、貴艦隊の航行計画を確認できませんでした。
 そのため、向来の使徒襲来ルートと重複していることを予め示唆できませんでした」

「ふむ……」

副長を呼んで、なにやら確認している。

「その件に関しては、こちらの落ち度で報告が遅れた可能性もある。
 ご指摘に感謝しよう」

ネルフへの嫌がらせの可能性もある。という意味だろう。さらりと流すのが吉。

「いえ」

ずいっ、と艦隊司令が身を乗り出してきた。

「それで、鉢合わせる可能性は?」

「これまでの出現頻度から考えて、この時期、とても楽観はできません」

「相変わらず凛々しいなぁ」

入り口から飄げた声がかかる。無精ヒゲ、緩めたネクタイ。

「加持せんぱ~い♪」

「加持君。君をブリッジに招待した憶えはないぞ!」

「それは失礼」

歩哨に立っている海兵隊員が、あからさまに不機嫌な顔をしていた。

「どうして加持一尉がここに居るの?」

加持さんが居ることは知っていたから、なるべく冷ややかに聞こえるように声音を抑えている。

「……彼女の随伴でね。ドイツから出張さ」

使えるものは何でも使う。
UN海軍との関係修復に、加持さんも一枚かんでもらうつもりだった。

「艦隊司令。
 彼の同道によって生じた御心労に対し、ネルフを代表して陳謝いたします」

「受け入れよう」

「寛大なご対応に感謝いたします」

敬礼。なぜか艦隊司令の右眉がちょっと上がった。

「……相変わらず手厳しいなぁ」

眉根を寄せてなさけない顔をしてみせているが、内心気にもしてないに違いない。

「加持一尉。
 私は艦隊司令と打合せを続けたいの。子供たちに飲み物でもごちそうしてあげて。
 もちろん、立入許可の出ているところでね?」

にっこりと微笑んであげる。

怒りを隠そうとすると却って笑顔になるのも、加持さんが指摘してくれたことだ。

付き合いの長い知り合いにしか使えないが。


****


『オセローより入電。エヴァ弐号機、起動中』

「なんだと!」

予め警戒態勢を強化してもらえたため、かつてと較べて所属不明潜行物体の発見は早かったのだろう。

先ほどまで居た航海艦橋から1フロア下の戦闘艦橋に移動して、久しい。

マヤさんからヘッドセットインカムを受け取る。手にしたままでマイクを口元に。

「アスカ、その場で待機。弐号機は省電力モード」

文句には取り合わない。

マヤさんが、携帯端末から弐号機内部電源の操作を始めた。
自律起動すら可能な制式型とはいえ、弐号機にもそんなモードは存在しない。

――ゲインモードのエヴァは、ただ座っているだけでも電力を消費する。かといって生命維持モードでは、パイロットが孤立してしまう――

その辺の折衷を込めた自分のアドリブだったのだが、マヤさんは理解してくれているようだ。


全周窓から輸送船を確認。振り向いて艦隊司令に向き直る。

敬礼。やはり艦隊司令の右眉がちょっと上がった。

「艦隊司令、申し訳ありません。
 事後承諾になりますがエヴァの起動許可をお願いします」

「……非常時だ、許可しよう。策はあるかね?」

「はい。
 弐号機はオーバーザレインボゥに移乗。電源確保後、使徒を足止め。直援艦隊の攻撃で殲滅します」

「十二式を跳ね返すようなヤツらだろう? 実際、通常攻撃は効いてないぞ」

十二式というのは、対要塞使徒戦時の独十二式自走臼砲での威力偵察の件だ。
使徒というモノを理解して戴くために、記録映像を見ていただいていた。

「弐号機に敵障壁を中和させます。B型装備では攻撃力に不安がありますから」

「この艦はどうなる?」

「ATフィールドの庇護下になりますから、却って安全です。
 弐号機の移乗に伴って飛行甲板の変形が懸念されますが、お許しいただけるなら後日、請求書を回してくだされば」

使徒出現と同時に、作戦部の権限は強化される。
必要な損害であると、この間に宣言できれば、補償の対象にできた。

そのためには、ネルフの強権発動による徴発ではなく、自主的な協力の結果でなければならない。

「むしろ危険なのは、流れ弾の恐れがある直援艦艇かと」

あごを撫でる仕種。しかし、逡巡は一瞬だ。

「良かろう、許可する。
 作戦行動は貴官に一任する。艦隊運用は副長に直接指示せよ」

「はっ! ありがとうございます」

敬礼。やはり艦隊司令の右眉がちょっと上がった。

「葛城一尉。
 この作戦中、貴官は海軍士官だ。敬礼に気をつけたまえ」

「はっ! 失礼しました」

自分の敬礼は陸軍仕込みなので、角度が鈍い。

手の角度を変えて敬礼しなおすと、艦隊司令が満足そうに頷いた。

副長に向かい直り、あらためて敬礼を交わす。

「各艦艇は広めに散開させて下さい。密集していると使徒の好餌です。
 オーバーザレインボゥは飛行甲板を空けて、弐号機受け入れ準備を。
 喫水、重心はできるだけ低めに、舷側エレベーターも全て下げておいてください。
 観測機をできれば4機、動画を送れる装備で。
 回線は双方向フリーに。
 あと、データリンクへの接続をお願いします」

こちらの要望を、副長が次々に具体的な指示に変換する。

最後に副長が手招くのを見てマヤさんを促すと、「ぱたぱた」という感じで駆けてゆく。

ちょうどオーバーザレインボゥが増速、風上に向かって転舵したため転びそうになったのはご愛嬌だ。


さて、こちらのお膳立てはこれでよし。と、あらためて弐号機へ通信を繋ぐべくインカムを着けた途端。V/STOL機が一機、離陸した。

一切の管制を無視した発艦に、各所から怒号が沸く。

『おぉーい、葛城ぃ~』

戦闘艦橋の高度に合わせて、ホバリング。

『届け物があるんで、俺、先に行くわぁー』

加持さん!? 一体なにごと?

……いや、そう云えばこんなこともあったかも……。かつては、ちょうど海に沈んでいたので印象が薄かったようだ。

一瞬迷ったが、ここは軍人として動くべきだろう。これ以上UN海軍の心証を悪くしたくないし。

「あのフォージャーの撃墜許可を下さい。
 機体はネルフで弁償します。
 パイロットは速やかにベイルアウト。後席を焼き殺せたらご褒美あげるわ」

『かっ葛城!? 冗談は綺麗な顔だけにしろよ』

「黙りなさい、加持リョウジ一尉!
 敵前逃亡、任務放棄、作戦妨害、利敵行為。どれをとっても銃殺刑に充分よ。
 天国まで飛んでいけそうな、いい棺桶じゃない? 骨は使徒に喰わせてあげるから成仏してね」

『葛城ぃ~…』

「葛城一尉。
 Yak-38Uはネルフに貸与する。作戦行動を優先させたまえ」

艦隊司令の声に、不機嫌さは少ない。どうやら丸く治められたようだ。

よかった。本当に撃墜せずに済んで。

予想外のことについ過激な対応をしてしまったが、こんなところで加持さんを失うつもりはないのだ。

「はっ! 申し訳ありません。ご厚意に感謝します」

敬礼を切って、V/STOL機に視線をやった。

「加持一尉。命冥加でよかったわね。目障りだから早く消えてくれる?
 もたもたしてると、アスカ…ちゃんに殲滅させるわよ」

あたうかぎり声音を低く。
艦隊司令の気が変わらないうちに、加持さんには戦場を離れてもらわなければ。
でなければ、ことさらにキレて見せた甲斐がない。

『……ぁああ、後よろしく……』

飛び去る加持さんに心の中で手を合わせ、インカムのマイクに手をかける。

なにを届けるつもりかは知らないが、200㎞程度しか飛べない機体に垂直離陸までさせてしまって、無事に届け先までたどり着けるのだろうか?

 
「アスカ…ちゃん、お待たせ」

『待ちくたびれたわよ』

飛行甲板から、フランカーを始めとする艦載機が発艦し始めた。
ニミッツ級はその艦載機の半数ほどしか艦内に収容することができない。あぶれた機体は飛ばしておくか、他の空母に退避させるつもりだろう。

「シンジ君と…レイちゃんは?」

『…むりやり連れ込まれました』

人聞きの悪いこと言わないでよ。との愚痴は無視。

『一緒に乗ってます』

彼の返答が遅かったのは、英語のヒヤリングの問題だろう。

「作戦は聞いてたかしら?」

『加持先輩なら殲滅しないわよ』

思わず苦笑がもれる。アスカがどんな顔をしているのか、ちょっと見てみたかった。

『そっちに行けばいいんでしょ? その辺の艦を足場にして……』

「アスカ。それは却下」

『じゃあ、どうしろっていうのよ!』

「そうして足蹴にされる艦艇に、何人の将兵が乗っていると思うの?」

ざっと見たところ、駆逐艦を4隻は踏み沈めないとオーバーザレインボゥに届くまい。

『……』

「あなたの任務は何?」

『……エヴァの操縦』

しかも艦隊は散開中なので、距離は開く一方。

「そうね。それで、それは何のため?」

『……使徒を斃すため?』

観測機からの映像が届きだしたようだ。
危なっかしいという理由でマヤさんが座らせられているコンソールの傍らに、移動する。

元来、軍隊の指揮・情報システムは動画を重視していない。
画像では無意味な情報が多すぎて広大な戦場、多量の兵器群を統率するのに向いていないからだ。

観測機と他艦からの映像を表示させると、数少ない偵察用の動画回線をほぼ独占する形になった。

「その通りよ。
 サードインパクトを防ぎ人類の命運を守るために戦う私たちが、目前の戦友を見殺しに……いいえ、ないがしろに出来るわけないわ」

『……それは解かるけど』

モニターの中、カバーシートにくるまって弐号機がしゃがみこんでいる。

軍隊と違ってエヴァの運用・指揮に映像は必須だ。
テレメトリーデータだけでは、エヴァが使徒とどのように取っ組み合っているのか把握しがたい。

これは、戦略シミュレーションゲームと対戦格闘ゲームの違いに似ている。

 ≪ こちら「オーバーザレインボゥ」LSO。フライトデッキステータスはグリーンだ ≫

どうやら飛行甲板が空いたようだ。

 ≪ 予備電源、出ました ≫

 ≪ リアクターと直結完了 ≫

作業報告も次々と上がってくる。

「アスカ…ちゃんが、好きこのんでその方法を提案したわけじゃないことはよく解かっているわ」

輸送船の向こうに現れる航跡。もう時間がない。

「シンジ君。弐号機は感じ取れる?」

弐号機ともシンクロできることは、経験済みだが。

『はい』

「ATフィールドを海面に展開。オーバーザレインボゥまで道を作って」

ATフィールドに押さえつけられて、外洋の荒波がぴたりと治まった。

「アスカ…ちゃん。急いで」

『やってる!』

そこだけ波のない海面を走ってくる赤い巨人の姿は、モーゼの十戒もかくや。
そこかしこで驚嘆のうめき声があがる。

弐号機プラグ内で話し声。なにやら3人でやり取りをしている気配。

オーバーザレインボゥまで開通していた一本道が、急に縮んだ。と思いきや、その鼻先にイージス艦が突っ込んできた。
なるほど、道を譲ったのか。

華麗な前方宙返りで飛び越すと、水没ぎりぎりのタイミングでATフィールドが張り換えられる。

おや、彼がなにやらアスカに文句をつけているようだが?

「そこの【きりしま】!さっさと散布界から離れんか!」

……副長の怒鳴り声のおかげで聞き逃してしまった。
 
 ≪ 飛行甲板、待避 ≫

弐号機が後にした海上で、使徒に断ち割られた輸送船が波間に消えていく。

 ≪ エヴァ着艦準備よし ≫

「飛行甲板はデリケートよ、静かに乗ってね」

ニミッツ級の飛行甲板は、船体を構成する強度甲板ではないはずだ。
弐号機の質量では、踏み抜く恐れがあった。

『エヴァンゲリオン弐号機、ミートボール視認。
 電源は58秒。
 パイロット、惣流・アスカ・ラングレィ』

いつの間に空母着艦手順なんて憶えたのやら。

 ≪ ラジャー。ソーリュー、着艦せよ。デッキクリアー ≫

その気になったマーシャラーが一人、飛行甲板の端でパドルを振りだしたのが見える。
……退避しなくて、いいのかなぁ。

『エヴァ弐号機、着艦します』

「総員、耐ショック姿勢」

だが弐号機は、驚くほど繊細な動作でオーバーザレインボゥに乗り込んで、そのまま重心の移動を伴わずに電源ソケットを掴みとった。
おかげで揺れはほとんどない。
エヴァの操縦はやはりアスカが一番だ。

「90点」

ぼそりと、艦隊司令の呟き。

空母乗りのパイロットは、着艦技術を航空団司令によって評価されるのが慣わしだとか。
艦隊司令直々に評点を下したということは、航空団司令が席を外しているのだろう。

「評価が辛くありませんか?」

「柔らかい土には、柔らかい人間しか生えんからな」

副長の口ぶり、応じた艦隊司令のそぶりからすると、単なる冗談だったのかもしれない。

航空団司令はこの2フロア上、主航空管制所に居られる可能性があったし。


『…左舷9時方向、来るわ』

『外部電源に切り替え』

「切り替え完了。……確認。電源供給に問題ありません」

マヤさんの報告が終わる前に、使徒が弐号機に飛びかかった。

「ATフィールド展開。シンジ君、重力軽減で使徒を持ち上げて」

『はいっ!』

襲いかかった使徒が空中で受け止められ、そのまま弐号機の頭上へと差し上げられる。

『けっこう デカいっ』

『思った通りよ』

その必要はないのにアスカが両腕を宛がうものだから、まるで弐号機が直接持ち上げているかのようだ。

「…レイちゃん。敵ATフィールド中和」

『…了解』

『ワタシは!?』

「真打の登場にはまだ早いわよ」

「使徒、ATフィールドの中和を確認しました」

マヤさんの報告に、頷いて応える。

「全艦、攻撃!」

『 『 『『『『『『『「「「「「「「「 アイァイ!マァム!! 」」」」」」」」』』』』』』』 』 』

あらゆる口が、あらゆるスピーカーが応えた。

驚いてブリッジを見渡すと、にやりと笑う艦隊司令と目が合う。



呆けていたところを大気ごと体を揺さぶられて、慌ててモニターを見やる。

アイオワ級の16インチ砲が、ハープーンが、トマホークが、使徒めがけて殺到していた。

……さすがにスタンダード対空ミサイルは効果がないと思うけどなぁ。

爆音がやまぬ中、使徒を持ち上げているATフィールドが間接的にオーバーザレインボゥを護っている。揺れや熱気はほとんどない。

「マヤ…ちゃん。球体は?」

肩に手を置かれて、マヤさんがピクンと跳ねた。16インチ砲が発する衝撃波に驚いて、我を失っていたようだ。

主砲を撃つためにアイオワ級は少なくとも8㎞は離れているはずだが――低伸射撃のための強装薬だったろうから――、その轟音は素人にはきつかっただろう。

ぷるぷるとかぶりを振って、気を取り直そうとしている。

「……確認できません。
 第5使徒同様、体内と思われます」

知っていることでも、こうして手順を踏まないと明らかにできないのは少しもどかしい。

『ワンダフルワールドより入電。【目標、口腔内ニ赤イ球体ヲ確認】』

回線を双方向フリーにした成果だ。指示するまでもなく報告があがってくる。

「アスカ…ちゃん、どうする?」

『わっワタシ!?』

「そうよ。使徒の弱点が体内にある以上、このままでは決め手に欠けるわ。
 あなたが切り札よ」

『……』

策がないわけではない。
だが、アスカに考えさせることが必要だった。自分の力量を見極めていく、過程が。

『このまま使徒を撥ね上げ、空中で接触。
 ATフィールドの足場の上でプログナイフで殲滅。
 これでどう?』

「できるの?」

『ワタシを誰だと思ってるの?』

「世界一のエヴァパイロット、惣流・アスカ・ラングレィ」

『その通りよ』

自信のほどは確認できた。アスカならやれるだろう。

「いいわ、それで行きましょう。
 シンジ君、合図と同時に重力軽減ATフィールドで使徒を撥ね上げて。
 その後、フィールドを解消。弐号機の前方足元海上にフィールド展開。
 アスカ…ちゃんはそれを足場に跳躍。
 接触したら、オーバーザレインボゥ上空にフィールド展開。
 そこで使徒殲滅よ」

ゆっくりと、一言一句をはっきり発音して指示する。

『いいわ』

……

『はい』

彼の返事が遅いのはヒアリングの問題だろうが、綾波の返事がないのは……

「…レイちゃん、大丈夫?」

『…まだ、いけます』


ATフィールド中和は、難作業だ。

いや、中和といえば聞こえはいいが、実際はリツコさんの言うような侵蝕ですらなく、相殺だった。

つまり、自身のフィールドの全てを以って、相手のフィールドを消し去る。

すなわち、己の心の壁をぶつけて、相手の心の壁をこわす。ということだ。

これが人間同士なら、その後ものすごい拒絶を起こすか大恋愛に陥るかするだろう。

相手が、理解の及ばない使徒でよかった。


「よろしい。15秒後に攻撃停止。
 それまで、敵使徒の顎部に攻撃を集中!」

また、アイァイ!マァムの大斉唱。ちょっと気持ちいいかもしれない。


『左足の前に、片足分でいいわ』

『……わかった』

アスカが、彼に足場を展開する位置を指示している。いい感じだ。


「マヤ…ちゃん、合図と同時に外部電源を外して」

「了解です」

思わず舌なめずり。ちょっと、はしたなかったかな?


「5・4・3・2・1・今よ!」

『フィールド全開!』

「外部電源パージ。……確認」

跳ね上がった使徒に、飛び上がった勢いを叩きつけるように弐号機がドロップキック。
そのまま傷口のひとつに手をかけて取り付くと、顎部の付け根を狙い澄ましたプログナイフの一閃。使徒を蹴りつけてさらに上空へ跳躍する。

やがて、重力に引かれて使徒とエヴァの巨体が落ちてゆく。
自分たちの頭上なのだが、画像の中では現実味がなくて恐怖は感じなかった。

『でぇりゃあぁぁぁぁ!』

オーバーザレインボゥ上空に展開されたATフィールドに叩き付けられた使徒に、追い討ちのダブルニープレスが炸裂。
すかさずフィールド上に降り立つと、すみやかに口をこじ開ける。

のれんをくぐるような何気ない動作で、使徒口腔内に肩口から侵入。

視線をマヤさんの端末に移す。エヴァからの映像はこちらでないと見えない。

使徒の口の奥、赤い球体とその周囲に突き刺さっているのはニードルショットか。いつの間に撃ったのか、見れば右肩ウェポンラックのインジケーターがエンプティと表示されていた。

踵で蹴りつけられて罅いった球体に、諸手に握ったプログナイフが突き刺さる。

『…葛城一尉、手応えが』

「…レイちゃん、フィールド中和解消。防御で展開!」

『…了解』

とどめとばかりに弐号機がプログナイフを薙いだ瞬間、ウインドウが白く染まった。

見上げるモニターの中、オーバーザレインボゥの上で十字の爆炎が上がっている。

 ……

「パターン青、消滅。使徒殲滅を確認しました」

盛大な歓声があがった。
自分を称える声が多いような気がするが、……きっと幻聴だろう。

「アスカ…ちゃん、…レイちゃん、シンジ君。よくやったわ。
 オーバーザレインボゥに着艦して」

『『『 了解 』』』


ヘッドセットインカムを外し、艦隊司令の前に進み出る。

敬礼。右眉は上がらない。

「艦隊司令、使徒殲滅おめでとうございます」

右眉がちょっと上がった。

「使徒を殲滅したのは、君達ネルフではないのかね?」

「いえ、弐号機は弱った使徒に引導を渡したに過ぎません」

あごを撫でる仕種。

「送り主がどうであれ、手向けられた花束に罪はないか」

それをわざわざ面と向かって言うということは、ネルフに対する悪感情を幾らかは拭えたのかもしれない。

「贈られたものを、わざわざ突き返すのも大人気ないな。
 ありがたく戴いておくとしよう」

「はっ! ありがとうございます」

再び敬礼。

ウインクをつけたら、右眉がちょこっと上がった。

     やっぱり、こういうところは彼女に及ばないようだ。


****


退艦時、ネルフスタッフに対して、艦隊司令から直々にUN海軍の階級章が授与された。

「渡し方は君に一任する」と預かった加持さんの分をどうするかが、悩みどころだ。


                                                         つづく

2006.08.21 PUBLISHED
.....2009.01.11 REVISED

special thanks to 赤い羽さま フォージャー撃墜意図の描写不足についてご示唆いただきました



[29540] シンジのシンジによるシンジのための補完 第八話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/17 23:37




『同58分15秒。
   … 初号機のATフィールドにより、目標甲および乙の拘束に成功』

おしくらまんじゅうのようにひしめき合った使徒の姿が映し出される。
 
スライドが切り替わった。

別アングル。
使徒を手前に見て、初号機と弐号機の姿。
後退する青い零号機の様子も写っている。要塞使徒戦で被害がなかったため、戦闘就役改修が間に合ったのだ。

『午前11時03分。
   … 零号機(改)、弐号機による目標ATフィールドの中和。
   … 零号機(改)によるN2爆雷の投入。点火』

ブリーフィングルームは今、薄暗い映写室になっていた。

『  …  構成物質の28%を焼却に成功』

スクリーンに映し出される数々のスライド。分裂使徒戦の過程だ。

要塞使徒の残骸が片付かない今、第3新東京市での迎撃は難しい。

そのために、こうしてこちらから出向いて邀撃戦を仕掛けたわけだが、おかげでN2爆雷で足止めなどという無法きわまりない戦法を取ることが出来た。

『同05分。
   … 初号機・弐号機の攻撃によりパターン青消滅、使徒殲滅を確認』

室内灯がともされる。

3人のチルドレンが、思い思いの席に腰掛けていた。自分以外で大人は日向さんのみ。

作戦そのものは成功したため、ブリーフィングの参加者は最低限だ。

本来なら今から論功行賞を行うべきだが、パイロットが子供なだけに無神経な真似はできない。

「それでは現時点をもって作戦行動を終了。解散」

真っ先に退出しようとするアスカに手招き、これからが本番だ。

その意図を察したらしい日向さんが、彼と綾波を急きたてている。

何を言われるか、見当がついているのだろう。アスカの表情が硬い。

席を勧め、前の席の椅子を回して自分も座る。

「お小言なら聞かないわよ」

腕を組んでそっぽを向いた。

「どうして?」

「聞く必要はないわ。ワタシは間違ってない!」

左手の人差し指が、いらだたしく右の二ノ腕を叩いている。

「正しいなら、なぜ堂々としてないの?」

「ワタシは堂々としてるわよ」

足を組んだ。そういう意味じゃないよ、アスカ。

「なら、私の顔を見て話して」

「ミサトの顔なんか見る価値ないわ」

酷い言いようである。本人が聞いたら烈火の如く怒るに違いない。

「じゃあそのままで聞いて」

「聞く必要はないって言ってるでしょ!」

バンッと左手で机を叩く。
睨みつけられると、かつてを思い出してちょっと…辛い。

「ようやくこっちを向いてくれたわね。でも……」

「何よ!」

「そんな顔してたら、せっかくの美貌が台無しよ?」

虚を突かれた様子のアスカは、なにやら色々と葛藤した挙句、さらにまなじりを吊り上げた。

「おもねれば思い通りにできるなんて思わないことね。
 ワタシをみくびるんじゃないわよ!」

さんざん文句をつけながらも立ち去らないのは、アスカも解かってはいるからだ。

ただ、完璧さを求めるあまり、失敗を認められない。

高すぎる理想が強迫観念となって、自分の限界を見極められない。

エヴァに全てをかける一途さが疑心暗鬼を生んで、他人を受け入れられない。


アスカの身上調書を見て解かったのは、親に認めてもらいたい子供の心だった。

親の目にとまるように、誰よりも前に出ようとする子供の努力だった。

親に振り向いて欲しいがためだけに声をふりしぼる、子供の懸命さだった。


アスカは純粋なのだ。

だから、哀しい。

誉めて欲しい母親は、もう居ないのだから。

だめだ、強がるアスカが痛ましくて、見ていられない。


でも、逃げちゃダメだ。

ここで逃げたら、なんにもならない。

口篭もった自分をどう思ったのか、アスカがまたそっぽを向く。

 逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。

何か言わなきゃ。アスカに何か言ってやらねば。
 
 逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。

でも、かける言葉が見つからない。

 逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。

見つかるはずがなかった。上っ面の言葉など、アスカの心に届くはずがない。

 逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。

アスカの心に届く。そんな言葉があるなら、ドイツ時代に何とか出来ていただろうに。

いや、違う。いまここでアスカに言ってやれる言葉が見つからないのは、ドイツ時代にできることをやらなかった報いだった。

たった一度の失敗を引き摺って恐れ、貴重な機会を荏染と放過していたのだ。



自分ではアスカを救えない。        …その事実に、

失敗を恐れて踏み出せなかった。      …その臆病さに、

それらのことを今更になって自覚した。   …その愚かさに、

逃げたい。逃げたい。今すぐ逃げだしたい。 …その弱さに、


                     …打ちのめされる。



こみあがる涙を隠すために立ち上がり、ことさらゆっくりと出口へ。涙がこぼれないように。

「ちょっと!どこ行くのよ!」

「どこだっていいでしょ」

逃げ出す理由。逃げ出す理由。アスカから逃げ出すための理由。

「プロ意識のない人に何を言っても無駄だわ。
 引き留めてごめんなさい」

駆け出す。
なんでこんな言葉ならすんなり出てくるんだ。逃げ口上ばかり上手くて……、やっぱり自分は……!

聞き捨てなんないわよ。と追いかけてくる足音。

来るな。来るな。来るなアスカ。

全力でないと引き離せない。涙を拭くことも隠すこともできずにひたすら走る。

土地鑑のないアスカを撒くために、何度も通路を折れた。

自分に与えられた執務室に駆け込んで、殴り付けるようにロック。

扉に背中を預けて、ずるずるとくずおれた。


自分はぜんぜん毅くなっていない。弱いままだ。

やり直す機会を得たとき、すべてに向かい合うと、逃げないと誓ったのに。

世界を滅ぼした罪を、少しでも償うのだと。

優しくない世界を、少しでも優しくするのだと。

涙が溢れ出した。嗚咽が止まらなかった。自戒が止めどなかった。

扉が叩かれる。呼び鈴が鳴らされる。怒号が浴びせかけられる。

いやだ。いやだ。いやだ。

弱い自分が嫌だ。優しくできない自分が嫌だ。諦めかけてる自分が嫌だ。逃げ出した自分が嫌だ。

自分はダメだ。
 
弱くてダメだ。優しくないからダメだ。諦めてしまうからダメだ。逃げ出してしまったからダメだ。

償えないよ。救えないよ。優しくなんてできないよ。

助けてよ。誰か助けてよ。誰か自分に手を差し伸べてよ。

ひとりでは、一人では、独りでは、出来ないよ。

誰も彼もじゃなくていい。
ただ一人。この胸の中に眠る彼女の言葉があればいい。その毅さが少しでもにじみ出てくれればいい。

自分に、彼女の代役は勤まらないよ。

一所懸命に演じてきたけれど、やはり自分には無理なんだ。



自分は、ここに居てもいいの?


……

左手が痛い。

いつのまにか握りしめていた掌の中には、銀色のロザリオがあるのだろう。見るまでもなく。

それは、自分が背負うべくして彼女から受け継いだ十字架。

……

そう……

  そうだよな。

この自分を差し置いて、ほかの誰がこんな事をしなければならないというのだ。

嘆いたところで、いまさら引き返せない。

逃げ出そうにも、逃げ帰る場所すらない。

たとえ請われても、誰にも押し付けられない。

嫌だからといって、放り出す勇気すらない。


 ……自分って、最低だ。

……

すすりあげた。
涙は止まりつつある。薄情だから、悲しみすらも持続しない。

「……泣くのは、反則よ」

「えっ! アっアスカ?」

気付くと、仰向けに倒れていた。ロックしたはずの扉が開いている。

なぜ自分は、アスカに膝枕されているのだろう?

「ドアによりかかってんじゃないわよ。頭うつとこだったわよ」

倒れかかった自分をとっさに支え、そのまま膝を貸してくれたのか。

「いい大人が、子供の前であられもなく泣かないでよ。恥ずかしい」

自分は一体どれほどの間、アスカの膝枕で泣いていたのだろう?

「ちゃんと隠れて泣いてたわよぅ……」

上半身を起こし、アスカに向き直る。

「はいはい悪かったわよ、むりやり開けたりして。
 でも、だからって気付きもせずにヒトの膝であんなに泣く?」

「だって……」

「だってじゃないわよ!
 言いたいことがあれば言えばいいじゃない! なんで泣いて逃げるのよ。人聞きの悪い」

「……言わせてくれなかったくせに……」

なぜかハンカチが見つからないので、ぐしぐしとジャケットの袖で頬を拭った。
メイクが崩れただろうが、いまさら気にしても始まるまい。

「ワタシは聞かないって言っただけで、言うなとは言ってないわ」

「詭弁よぉ」

「事実よ。認めなさい」

「アスカ…ちゃんがいじめっ子だってことは、認めるわ」

「聞き捨てならないわね」

アスカが片膝立ちになる。

「事実よ。認めなさい」

自分も片膝立ちに。

「言いたいことも言えないような泣き虫に言われたくないわ」

アスカが腰を浮かす。

「言うわよ。言ってやるわよ。
 なんで私の命令を無視して、突出したのよ」

自分も腰を浮かした。

「エースのワタシが前に出なくて、どうするのよ」

アスカが立ち上がる。

「切り札がほいほい前でてどうするのよ」

自分も立ち上がった。

「戦力の逐次投入なんてナンセンスよ」

ぐっと身を乗り出すアスカ。

「任務は威力偵察だって、言ったでしょ」

自分も身を乗り出す。

「決戦兵器に偵察なんかさせんじゃないわよ」

額を押しつけあう。

「UN海軍じゃ無視されるんだから、仕方ないじゃない」

真っ向から視線がぶつかる。

「威力偵察なら、技量に勝るワタシがワントップで足留め役が最適でしょうが」

「ATフィールドに長けたシンジ君が、防御力の点で適任だと判断したのよ。
 何のための具申権、何のための抗命権なの?
 言ってくれればいいじゃない。進言すればいいじゃない。訊けばいいじゃない。
 なんでいきなり命令無視、独断専行なの。アスカにとって相談する値打もないからよ。
 それが悔しい……」

違う。悔しいのは自分に対してだ。
機会はあったのに、アスカとの信頼関係を構築しておけなかった自分への憤りだった。

だめだ。興奮して、また涙が。

「泣くのは反則よ」

アスカが視線を逸らす。

「……その、悪かったわよ。確かに相談すべきだった」

す……っと、体が離れた。

「太平洋でもミサトはワタシに訊いてくれたのに、解かってなかったわ」

……

「反省してる?」

所在なげな右手が左腕を掴んで、握り締めている。

「……してるわ」

「そう……」

嘆息。ようやく体から、力が抜けた。

仕事は山積みだが、今日はもうそんな気力はない。

こんな時、彼女ならどうするか。

……

日向さんには悪いが、サボらせてもらおう。

「それなら今日1日、私に付き合ってもらうわよ」

「へっ? なんでそうなるのよ」

「これから仕事なんて気分に、なれるわけないでしょう。
 責任とって、とことん付き合ってもらうからね」

アスカの手を強引に引き、むやみに長い廊下を歩き出す。

「勝手に決めんじゃないわよ」

言葉とは裏腹に、抵抗はなかった。


****


「ああ、これね? セカンドインパクトの時、ちょっとね」

ふうん。と、そらされる視線。

アスカに少し場所を譲ってもらって、自分もお湯につかる。
こんなこともあろうかと、バスルームは広めだ。湯船も、詰めればもう1人くらいなんとか。

「知ってるんでしょ、ワタシのことも……みんな」

「身上調書で、押し付けられた情報ならね」

傷痕を指でなぞる。

「でも、紙に書けるような表面的なことで、人は理解できないわ」

反応をうかがうような視線。
入浴剤で色づいたお湯の中、逡巡する肌色。

そのアスカの右手をとって、胸の傷痕に、そっと押し当てる。

「父親を殺した使徒に復讐したかった。セカンドインパクトに奪われたものを取り戻したかった」

これは嘘。「葛城ミサト」としての理由。

「私は、エヴァのパイロットになりたかった」

これは本当。伊達や酔狂で適格性検査を受けたりはしない。

「十年……以上、前になるかしら。使徒を斃せる兵器が開発中だって聞いたの」

虚実、ない交ぜに。
開発中なのは知っていた。いや、幼い頃の記憶を掘り起こし、リツコさんの言葉を思い起こして考えれば判ることだ。
実際の情報は、葛城教授の知り合いから手に入れることができたが。

「そのパイロットになりたくて、なりかたが判らなくて、とにかく1番になりたがったわ。
 選考基準がなんであれ、人類で1番なら選ばれないわけないと思って」

嘘、……ではない。
だが、そんな努力が意味をなさないことはなんとなく解かっていた。エヴァはそんな代物ではないのだから。

努力と根性だけで何とかなる。そんな優しい世界じゃない。


ただ、一縷の望みと、彼女の占めていた位置を掴むために頑張った。

「色々頑張ってね。なりふり構わないで突っ走ったわ。
 誰も彼も私を蹴落とそうとする敵に見えた……」

アスカの指が、やさしく傷痕を撫でてくれる。

「……加持さんに聞いたことあるわ。
 初めて見たとき、男だと思ったって」

それは、まだ女であることを受け入れきれてなかったからだろう……

「……本当になりふり構わなかったから。
 でもね、どんなに努力しても、たとえ一番でもエヴァのパイロットにはなれないことが判ったの」

?、いぶかしがる気配。

「エヴァを操るには、特殊な因子を生まれつき持っていることが必要だった」

これは正確ではない。
正しくは、近親者をエヴァに取り込ませること。なのだろうから。

クラスメイトが全て候補生であることは彼女に聞かされていたから、赴任後すぐにコード707の資料に目を通しておいた。

気になるのは、誰も母親が居ないことだ。

それに符合するように、初号機に消えた母さん、弐号機に蝕まれたアスカの母親。

そこから導かれる推論だった。

もちろん、そのことを今すぐアスカに教える気はない。

だが、エヴァとパイロットの関係を示唆するには、これで充分のはずだ。

その証拠に、傷痕に爪をたてられた。

「そのために努力していたのに、全てを棄てて、そのために」

胸が痛い。肉体も、精神も。

「目標がなくなって自暴自棄になったわ。
 何もする気がおきなくて、碌に食事も摂らずに一週間も部屋に閉じこもった」

これもちょっと違う。

加持さんと出会ったことで突きつけられた問題に打ちのめされて、すべてを諦めて自暴自棄になったのだ。

「……それで?」

血を流させるほど傷つけていたことに気付いて、驚いてアスカが手を引っ込めた。

構わないのに。
平気で嘘八百をならべる自分への罰には、到底およばない。

「パイロットになれないなら、せめて手助けできるようになりたいと思って」

アスカの手が、再び傷痕によせられる。

「それで、作戦部長に?」

「ええ」

これはすり替えだ。
今更その時期に志したわけじゃない。やはり「葛城ミサト」としての理由。


本当は、様子を見に来てくれたリツコさんの、5月病か燃え尽き症候群あたりと勘違いしての一言だった。

「貴女が何でそんなに我武者羅なのか知らないけど、女を棄ててるわね。女であることを無視したって能力は伸びないのよ」と……


彼女に申し訳なかった。
彼女の体を奪い取っておきながら、気遣うこともなく、ないがしろにしていたのだ。

だから、まず女であることを自覚しようとした。
リツコさんに教わりながら女らしさを磨いた。彼女のような素敵な女性であろうと努めた。

いつ、この体を返すことになっても問題がないように。との思いも込めて。

それは新鮮な出来事の連続で、おかげで自分は少し救われたような気がする。

そのためか今では、女を演じることに苦痛はない。
身も心もなりきるまでには、至ってないが。


「……だから、解かるような気がするのよ。
 一つのことだけに打ち込むことの脆さが、全てをなげうつことの危うさが」

「……解かったようなクチ、きかないでよ」

血を洗い流し、改めて傷口をなぞってくれる。やさしく、いたわるように。

「アスカ…ちゃんのことを解かっているわけではないことは、判っているの。
 ただ、そういう経験をしたことのある人間の話として聞いてくれれば、嬉しい」

アスカの手を掴む。

「いつまでも使徒が来続けるとは限らないわ。
 アスカ…ちゃんも、いつかエヴァを降りるときが来る。
 自分のために、自分の力で自分の人生を歩む時が来る」

空いた手でアスカの後頭部を抱いて、胸元に引き寄せた。

「私じゃ物足りないでしょうけど、いつも貴女を見ているわ。
 だから真剣に考えてね。自分の将来のこと」

預けられてくる体の重さが心地よい。

……

「1日中引き廻して、ようやく聞かせてくれた話が、それ?」

両手で押しのけるようにして、体を引き離された。

「武道場でみっちり格闘訓練。
 モンスターみたいに巨大なチョコパフェ。
 ショッピング。
 ゲームセンターでプリクラとクレーンゲーム。
 ネイルサロン。
 自宅に引きずり込んで、ご馳走責め。
 4人でパーティーゲーム。
 お風呂にまで押しかけてきて、さんざん人の体を磨き立てて、
 のぼせそうになるほど湯船に引き留めておいて聞かせたのが、それだけ?」

指折り数えて、顔をしかめている。

「あら? 今晩は同じお布団で眠るんですもの。まだ時間はたっぷりあるわ」

「……勘弁してよ」

疲れたような苦笑が、屈託のない笑顔に変わるのに時間はかからなかった。

こんな笑顔は、見たことなかったな。


                                                         つづく



[29540] シンジのシンジによるシンジのための 補間 #1
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/17 23:38




分裂使徒を撃退して以来、子供たちはATフィールド実験に明け暮れた。

明け暮れさせた。といったほうが正確か。

ATフィールドの応用が使徒戦に有効であることが認知されてきて、時間を取りやすくなってきたのだ。


見下ろすケィジの中。正面に初号機の姿がある。

LCLに漬けられて冷却中のはずの初号機は、なぜかその全容を一望できた。

初号機の周囲にだけ、LCLが存在しないのだ。

まるで、落とし穴にでもはまりこんだように見える。

物質遮断実験。
ATフィールドでLCLだけを押しのけ、寄せ付けないようにしていた。

重力軽減などと較べて一見簡単そうに見えるが、飛来してくるわけでもなく元からそこにある物質を押しのけるのは、意外に繊細さを要求されるらしい。

飛んでくる塵に反射でまぶたを閉じるのは容易いが、目で見て判断して対応しろといわれると格段に難しくなるようなものか。

「たいした物だわ。これを才能というのかしら?」

実験を監督しているリツコさんが、忙しそうにメモをとっている。

「何とかモノになったわね」

「これで、水中型使徒がまた来ても大丈夫ってことね」


海中使徒戦の事後評価で、司令部から、エヴァが水中に沈んだ場合の対処方法がなかったことに対する懸念があげられた。

その程度のことを考慮に入れてなかったわけがない。
だが敢えてそのことには言及せずに、今後の対応のためという名目でこのATフィールド実験を提案したのだ。

もちろん、水中型の使徒が2度と現れないことは知っている。

これは、浅間山火口内での戦闘への布石だった。

高温高圧のマグマさえなければ、あの使徒への対処は容易になるはずだ。

彼の上達度次第では、マグマの海に深い井戸を掘らせ、落とし込んだ使徒に液体窒素を浴びせかけたりできるだろう。


「ハーモニクス、シンクロ率もアスカに迫ってますね」

シンクロテストというわけではない。
だが、ただ起動するだけでも莫大な費用が必要なエヴァなのだから、無駄にすることはなかった。
 
「まさに、エヴァに乗るために生まれてきたような子供ですね」

そんなことを言うオペレーターが居たので、足音を消して背後に忍び寄る。

陸軍だったから、ストーキングはお手の物だ。

「そう云うこと言うのは、このお口?」

ほっぺたを掴んで引っ張る。思いっきり。

なにやら喚いているが、もちろん解読不能だ。

あんな酷いモノに乗るために生まれてくるなどと、そんな理不尽な人生があってたまるか。

なにが哀しくて、あんなモノのために。

初号機に乗って酷い目にあったことが、生まれる前からすべて仕組まれていたような気がして、涙が出そうだった。

やりたいこととできることが一致するような、そんな優しい世界ではないのだ。ここは。

この心をあなたにも分けてあげる。
この気持ち、あなたにも分けてあげる。

 ――拳銃を振り回すには握力が要る――

痛いでしょう? ほら、頬が痛いでしょう?
 
「リツコ。
 部下の教育がなってないわ。1週間ほど私に預けてみない?」

「人手不足なんだから勘弁して」

やれやれとリツコさんが額を押さえている。

「貴方も早く謝りなさい。本気で怒ってるわよ、葛城作戦部長」

いや、随分と前から謝ってはいるのだろう。そうは聞こえないだけで。

「あっあの、葛城一尉。私からも謝りますから、もう赦してあげてください」

このオペレーターの隣りに座っていたマヤさんだ。ちょっぴり涙目。

……ちょっとやり過ぎたかな。

こういうとき、彼女ならどうしただろう?

「そうね。
 マヤ…ちゃんがミサトって呼んでくれるなら、赦してあげる」

「えっ? あっはい。あの……ミサト……さん。お願いです赦してあげてください」

にっこり。微笑んで両手をはなす。

目が笑ってなかったわよ。あとでリツコさんが、そう教えてくれた。

「この際ですから、作戦部からの正式な通達として要請します」

意図的に声音を押さえる。
よく通るように意識した発声と、明快な滑舌で、淡々と。

「シンクロ率やハーモニクスで、パイロットを評価・比較するような言動は差し控えてください。
 ことに、パイロットの前では厳禁です」

「目標や指針が有って、褒められた方がパイロットの為になるんじゃないかしら?」

「リツコ。
 シンクロ率は、努力すれば上がるものなの?」

リツコさんが視線をそらした。

「そうね、表層的な精神状態に左右されるものではないわ。
 本質はもっと、深層意識にあるのよ」

でしょう。とばかりに頷く。

「自身の預かり知らないことで褒められても、嬉しくもなんともないわ」

褒められればアスカに妬まれ、調子に乗れば使徒に呑み込まれ、必死になれば初号機に取り込まれる。

自分もそうだが、アスカだって酷い目にあった。

シンクロ率の増減に一喜一憂することそのものが、精神的な安定を損なうのだ。

「子供たちは、現状の状態でベストを尽くせるように努力しているわ」

彼はATフィールドの使い方で、

綾波はインダクションモードを使いこなすことで、

本来スピードファイターであるアスカは、パワー主体の戦い方をすることで、

それぞれシンクロ率から来たす誤差を修正し克服しているのだ。

褒めるのなら、そういうところを褒めなければならない。


「あとで正式な書類を回します。徹底してください」

踵をかえして管制室を後にする。

ちょっと心が重い。
無心になるために、すこし体を動かすといいかもしれなかった。

アスカがちょうど格闘訓練中のはずだから、つきあって貰おう。




                                                         つづく

2006.09.01 PUBLISHED
2006.09.15 REVISED



[29540] シンジのシンジによるシンジのための補完 第九話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/17 23:40




「こんちまた、ご機嫌斜めだねぇ」

ぎりぎり間に合うようにドアを閉めるのは、なかなか難しい。

「水兵は、臆病者を一番嫌うのよ」

疑っている。とは言えないので、表向きの理由を出した。

「葛城は、海軍じゃなかっただろう?」

「あら、艦隊司令直々に敬礼を仕込まれた私を愚弄する気?」

加持さん本人に含むところはないのだが、一度採ったスタンスを軽々しくは覆せないし。

「勘弁してくれぇ」

加持さんが大袈裟に振り仰いだ瞬間、がくんとエレベーターが停止した。

「あら?」

「停電か?」

「まさか、ありえないわ」

一瞬の暗転。切り替わった非常灯は頼りなげだ。

「変ね。事故かしら」

「赤木が実験でもミスったのかな?」

「でもまあ、すぐに予備電源に切り替わるわ。……ほら」

灯かりが点いて、エレベーターも動き出す。

「正・副・予備・臨時の四系統が同時に落ちるなんて考えられないもの」

「りっ、臨時?」

目が点。というのはこういうのを指すのだろう。イタズラが成功した時みたいで、愉しい。

「ええ、リツコ…におねだりして、ジュリアちゃんに来てもらったのよ」

「……ジュリアちゃんって誰だい?」

「日重のジェットアローンを買い取ったの。
 JAだからジュリエット=アルファ。愛称はジュリアちゃん。どお? 役に立つでしょう」


失敗作と見做されたJAの買収は、あっけないほど簡単だった。

一部とはいえ資金の回収とJAの厄介払いができると踏んだ日本重化学工業共同体は、渡りに船とばかりに二つ返事で応じたのだ。

ただし、原子炉の設置は【核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律】で厳しく規制されているので、超法規的組織であるネルフといえどもないがしろにはできない。

【非核兵器ならびに沖縄米軍基地縮小に関する決議】いわゆる非核三原則もまだ有効だそうだから、一応は兵器であるJAはこちらにも抵触する。

それに、下手に公にするとIAEAの査察を受け入れなければならない。

恥の上塗りを嫌った日重側の意向もある。

そこで、ダミー会社を通して使徒解体用の特殊工作作業機械群ということで購入した。

使徒撤去予算をそのまま流用できることにもなったので、上層部を説得しやすくなったのは嬉しい誤算だったが。

もちろん、その名目も単なる口実ではない。

ある意味エヴァよりも極秘扱いのジュリアちゃんは、要塞使徒の撤去に大活躍だったのだ。


「……そうだな」

なにやら考え込んだ加持さんを見ていてはいけないような気がして、すぐに降りるべく発令所フロアーのボタンを押す。

押し黙って口を開かない加持さん。というのは、自分の知らない存在だった。
呑みこみ隠した疑念の氷塊が大きくなったように感じて、息が詰まりそうになる。

もしや、この停電騒ぎにも加持さんが関わっているのだろうか?


…………


加持リョウジという人物に疑いを抱いたのは、海中使徒戦のさなかだった。

だらしなく、いいかげんな人だが、友人を捨てて逃げるような人物ではないと思っていたのだ。

なにやら重要な任務らしいが、作戦部長である自分にも話せないのだとか。

監査部の活動が秘匿されるという、その部署の存在意義を否定しかねない異常な応対に、疑念を喚起されたといってよい。

それがなんにせよ、ネルフの秘密に関わっているのなら諜報部に訊くだけ無駄だろうとあきらめていたところ、意外なところからヒントが転がり込んできた。

アスカである。

あのあと、なし崩し的に同居に持ち込んだ彼女とは会話の機会が増えた。

食後のティータイム。水着を買いに行くというアスカに付き合おうかと提案したところ、まずは加持さんに頼んでみるという。

即断速攻とばかりに受話器を握りしめたアスカが、佐世保寄港中にエスコートしてくれなかった埋め合わせをしろと電話口で迫っていたのを聞きつけたのだ。

チルドレンの随伴者が、よりにもよって寄港中に護衛対象のそばから離れたらしい。
使徒襲来中にさっさと逃げ出したことと併せて、随伴任務そのものが口実だったのではないだろうか。

太平洋艦隊に問い合わせて裏を取った日程の間に、JA事件があるのが気にかかった。

あの仕組まれたと思しき奇跡。
かつて彼女が不機嫌になった理由を自ら体験したあの事件にも、加持さんが関わっているのではないか?

いや、たとえそうだとしても、それらだけならネルフの諜報活動としては特に問題があるわけではない。

つまらない縄張り意識や利権争いで大事な予算を横取りされるわけには行かないし、飢える子供たちを見殺しにして搾り取った国連の資金を、政治的駆け引きのために浪費されたくなかった。

自分がそういう立場だったとしても、同じようにJA計画を潰しにかかっただろう。

ただ、それらの活動が部長クラスに秘匿されていることに、ネルフの秘密を。彼の所属が諜報部ではなく監査部であることに、ネルフの枠を超えた何かがある。と自分に感じさせるのだった。


****


「よく辿り着いたわね」

電力が確保されているのはネルフ本部棟のみだ。

以前より早かったとはいえ苦労はしただろう。
さすがにダクトから落ちてくることはなかったようだが、3人とも疲れが見える。

「あったりまえでしょ。うかうかしてたら前回の二の舞よ」

「あれは特別よ。
 ATフィールドを張ってなかったんですもの」

浅間山火口内を無警戒に漂っていた繭状の使徒は、N2爆雷3発で充分だった。

戦闘力皆無のD型装備や、あまり意味のない耐熱仕様プラグスーツなどを使わなくても済むように、彼には分裂使徒戦で使ったATフィールドの発展形を特訓させていたのに。

あの使徒がATフィールドすら張ってないと知っていたら、あれらの装備の開発自体を妨害しておいたものを。

「わかったもんじゃないわ。
 使徒に復讐したいって、言ってたじゃない」

ビシっと、音がしそうな勢いで人差し指を突きつけてくる。

「ヒトを修学旅行に追いやっておいて、こっそり使徒殲滅なんて卑怯な真似しでかしてくれちゃって。
 ワタシ、ミサトのことは金輪際信用しないわよ」

「さんざん謝ったじゃない。
 それにあの程度の使徒、アスカには役不足よ?」

「おだてたって無駄よ」

無防備使徒についてグチりだしたらアスカは長い。まだエヴァへのこだわりが強いのだ。

「誰よりもはしゃいでたのに……」

「…エヴァを使わないですむなら、それにこしたことはないわ」

「ナニよ、優等生!」

攻撃の矛先がそれたことを喜んでいいものか、子供たちが盛大に口ゲンカを始める。

まだまだ、この子たちには愛が足りないのだろう。

それでも、アスカと対等に言い合いしているところに、彼と綾波の成長が見て取れた。
1対2で、ようやく五分五分ではあるが。

「はいはい、そこまで。
 搭乗準備が整ったわ」

ぱんぱんと手を叩くリツコさん。

技術部長の介入で、長期化は回避されたようだ。

「パレットライフルを用意しているから持っていってね」


パレットガン・パレットライフルは、ポジトロンライフルが実用化されるまでのつなぎとして開発された運動エネルギー兵器だった。

エヴァサイズの弾丸では火薬による加速など高が知れているので、火薬と磁気を併用した磁気火薬複合加速方式の電磁加速砲である。

大型のパレットライフルが電磁レールガン。小型のパレットガンが電磁コイルガンで、それぞれ別方式なのは開発段階の比較実験のためだろう。

だが、レールガンは弾体を非伝導体にする必要があり、レールによる摩擦の問題もあって弾丸質量が小さく加速も伸びない。

一方、コイルガンは弾体は伝導体で非接触式だが、加速コイルの電気的な抵抗が大きいために初速が制限される。

いずれにせよエヴァサイズで実用化するには、電磁加速部の長さが絶対的に足りなくて充分な速度が出ているとは言いがたかった。

それでもポジトロンライフルよりは省電力なので、こういうときには役に立つ。


「電力不足で、ほとんどサポートできないの。
 アスカ…ちゃんに任せるから、現場の判断で使徒殲滅。お願いね」

「判ったわ、ワタシに任せておきなさい」


思ったとおり溶解液使徒は弱く、あっけなく殲滅された。


****


「「「「「 おめでとうございまーす! 」」」」」

…おめでとうございます。一拍遅れて、ぼそりと。綾波更生の道は遠く、険しい。

「ありがとう、みんな。ありがとう、…相田君」

【祝3佐昇進】のたすきがなんだか気恥ずかしい。【祝賀会場】の張り紙もちょっと遠慮したかった。

「いぇ、礼を言われるほどのことは何も。トーゼンのことですよ!」

「せやけど、なんで委員チョがここにおるねんや?」

「ワタシが誘ったのよ」

「「ねー!」」

アスカはやはり、洞木さんと仲良くなったようだ。
面倒見のいい洞木さんとの交友は、アスカにとって必ずプラスとなるだろう。


「まだ駄目なのかしら? こういうの」

ちらり。と隣りに腰をおろしている彼へ。
仏頂面をしているかと思えば、あにはからんや。

「いえ、最近はなんだか慣れてきちゃって」

毎日が合宿みたいですから。と苦笑い。

「加持さん遅いわねぇ」

「そんなに格好いいの、加持さんって?」

「そりゃあもう!
 ここにいるイモの塊とは月とスッポン、比べるだけ加持さんに申し訳ないわ」

「なんやてぇ? もう一遍ゆうてみぃや!」

立ち上がったアスカにトウジ、口論を始めた皆を見る視線もやさしい。


かつて彼女の昇進を祝わされた時、自分は大騒ぎする皆を疎ましく感じたものだ。

いま思えば、彼女の昇進を心から祝ったかどうかすら怪しい。

他人から、ことに父親から認められたかった自分は、それを得たように見える彼女に嫉妬し、それを歓ばない彼女を侮蔑したのではなかったか。


「昇進ですか……、それってミサトさんが人に認められたって事ですよね」

かつての自分と違って、人の顔色を窺うような声音じゃない。

「……なのに嬉しくなさそうですね」

「私に功績があるとすれば、あなたたちを効率よく戦場に送り込んでる。ってことぐらいだもの」

もちろん、少しでも楽に苦痛なく戦えるように努力はしている。だが、大人が子供を戦場に駆り立てている事実に違いはなかった。

あの時ははぐらかされたが、彼女もそう苦悩していただろう。

今度は自分の番なのだ。だからこそ受け継いだ十字架。

……



いや、待て。

わからぬから想像するしかなかった彼女の苦悩がいかほどのものだったのか、自分は本当に理解できているのだろうか?

エヴァに乗ることの恐怖、孤独、苦痛を体験した自分は、その程度を推し量ることができる。

これぐらいなら耐えられるだろうと、見当をつけられるのだ。

だから光鞭使徒戦で「片手で鞭を押さえ込め」などと平気で命令できてしまう。できるだろうと決め付けてしまえる。

自分は、自ら戦った経験があるだけに、却って彼らの苦痛をないがしろにしかねなかった。

知っているからこそ、この程度の苦痛なら。と割り切ってしまいそうになる。


それが……、怖い。

 
……

さらには、自分に向けられる彼の笑顔。

自分とは違い、今この場で屈託なく笑い、人の輪に溶け込み、真剣に他者を思いやれる彼に、その笑顔に、自分は嫉妬している。

彼女は苦悩ゆえに嬉しくなかったのだろう。

自分も同じだと思っていた。

だが自分は、自分が手に入れられなかったものを手に入れつつある彼を妬んでいる。
そのことに気付かされたから素直に喜べないのだ。


「……莫迦にしないで下さい」

気付くと、彼に睨みつけられていた。

「ワタシをみくびるんじゃないわよ」

「…実際に戦う私たちより、よほど辛そうな顔をしているわ」

「ミサトさんがそのためにどれだけ心を砕いてるか、僕たちが気付かないとでも思ったんですか?」

違う。違うのだ。

それは彼女の苦悩で、理解されるべきは彼女で、慰められるべきは彼女なのだ。

子供に押し付けた苦痛を想像するしかなかった彼女にこそ、与えられるべき言葉だった。
想像とは、際限のないものなのだから。


自分は、自身がやりたくてこんなことをしていながら、その成果に嫉妬するような輩なのだ。

慮ってもらう資格など、あるわけがない。

「ミサトさんが僕たちを戦いの駒だから大切にしていると、そう思っていると、思ったんですか?」

「ミサトならあり得るわね」

「…どうしてそう云うこと考えるの?」

ダメだ。

ダメだ。ダメだ。ダメだ。優しくされたいくせに、いま優しくされると自分が嫌いになる。

自己嫌悪に溺れてしまう。

でも、逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。

いま自分が彼女である以上、この優しさを受け入れて見せないと。

 逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。

そうだ、これは罰だ。身勝手な自分への罰だ。そう思って受け入れるしかない。

 逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。

心に殻を張って、懸命に浮かぶ。

 逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。

……

「私、責められてるの? 私の昇進祝いなのに?」

「自業自得だと思います」

「ミサトが悪い」

「…泣きべそかいてもダメ」

ああもう、早速使い道ができちゃって。…そう、よかったわね。さすがアスカ。って何のこと?

ファンシーな柄の紙袋をびりびりと破りながら、アスカがのしのしと近づいてくる。

「うぅ、誰か私にやさしくしてよぅ」

「ぬわぁ、君達には人を思いやる気持ちはないのだろうか。この若さで中学生3人を預かるなんて大変なことだぞ」

「ワシらだけやなぁ人の心持っとるのは」

トウジとケンスケの的外れな援護も、だからこそ今はちょっと嬉しかった。


****


『『『フィールド全開!』』』

「第3新東京市周辺に強烈な暴風が発生!」

「なんですってぇ!」

3体のエヴァを映し出していた前面ホリゾントスクリーンが、真っ赤な警告表示に埋め尽くされていく。


****


それは時間稼ぎの作戦だった。

衛星軌道上を2時間で1周する。いわば12周回/日の回帰軌道衛星のような使徒を、一時的に追い払ってやろうとしたのだ。
稼いだ時間で戦略自衛隊と交渉するつもりで。

使徒はインド洋上空に忽然と現れてから、地球を1周する度に試射を行った。
初弾は太平洋に大外れ、次弾も日本にかすりもしなかった。
大気圏突入というのは綿密な計算を必要とする繊細な作業なのだ。使徒といえども、物理法則にとらわれているうちは容易に成功するものではない。

かつて、この使徒と対峙したときは、最初の警報から出撃まで10時間近くあった。おそらく4回ぐらい試射をしたのだろう。

それに、前回あったはずの使徒による電波撹乱は、今回まだ始まっていない。

使徒らしからぬ慎重さ。使徒らしい迂闊さ。そこに付け込む隙があった。

3回目の試射を終え、使徒が第3新東京市上空に到達した瞬間。初号機による重力遮断ATフィールド、弐号機・零号機による重力軽減ATフィールドを展開したのだ。

重力は無限に届く。裏を返せば、衛星軌道だろうが影響を及ぼせる。

不意を突かれた使徒は、自らを引きつけていた地球の重力を失って衛星軌道を飛び出した。己の保有している軌道速度によって。


ここまではいい。シナリオどおりだ。問題ない。


失念していたのは、大気の存在だった。

使徒同様に重力のくびきを逃れた第3新東京市上空の大気は、ジェット気流もかくやという速度で宇宙空間へ噴出し、使徒の衛星軌道離脱を後押ししたという。

問題は、大量の空気を失った第3新東京市上空に、当然のように周囲の大気が雪崩れ込んできたことだった。

セカンドインパクトによる海水面上昇で台風は凶悪になったと聞くが、その台風ですら可愛く思えるような暴風、急激な大気流動による発雷、気圧の低下による気温低下と大雨。
場所によっては、15年ぶりの積雪を記録した地域もあるという。

とっさに通常のATフィールドを広げさせたので第3新東京市近郊の被害はそれほどでもないが、周辺地域は深刻な災害に見舞われた。

念のために発令しておいた特別宣言D-17。
使徒の試射による津波対策もあって広範囲に行っていた避難勧告のおかげで、人的被害が軽微であったのが不幸中の幸いであったが。


ATフィールドという常識外のものだけに、使徒にだけ効く。というような思い込みがあったのかもしれない。



「申し訳ありません。
 私の判断ミスで周辺地域に甚大な被害を発生させてしまいました。
 責任はすべて私にあります」

『構わん、使徒殲滅は最優先事項だ。
 その程度の被害はむしろ幸運と言える』

ディスプレイに“SOUND ONLY”の表示。南極に派遣されているUN艦隊との通信だ。

『……ああ、よくやってくれた葛城三佐』

「追い払っただけで使徒殲滅は確認されていませんわ、司令」

これはリツコさんだ。自分の口からは報告しづらいだけにありがたい。

『……そうか、では使徒殲滅確認までこの件は保留だ。
 ところで初号機のパイロットは居るか?』

「はっはい」

『話は聞いた。よくやったな、シンジ』

「えっ? ……はい」

あまり嬉しそうではなかった。

自分はエヴァに乗る理由にするほど、その言葉にすがったのに。

『では、葛城三佐。あとの処理は任せる』

「はい」

あとで、彼と話す時間を作ろう。



「シンジ君、…レイちゃん、アスカ…ちゃん。3人ともお疲れさま。よくやってくれたわ。
 今晩はご馳走よ。何か食べたい物、ある?」

「ブーレッテンとカルトッフェルザラト」

「…ほうれん草の白和え、 …蓮根餅」

二人の少女にはためらいがない。自分の気持ちに素直で結構なことだ。

先を越されて呆気に取られた彼は、このうえ自分の希望を口にしていいものか悩んでいるのだろう。

「シンジ君は?」

精一杯の笑顔を、彼に。

「……チンジャオロースが食べたいです」

照れたような微笑みは、彼の最高の笑顔だ。

「見事にバラバラねぇ。
 いいわ、腕によりをかけて作るから楽しみにしておいてね」

あらたまって話をする必要はないかもしれない。食事中の他愛のない会話で充分のような気がした。


****


結局、3日たっても使徒殲滅は確認できていない。

衛星軌道から弾き飛ばされた使徒はなぜか態勢を立て直そうともせずに漂流し、そのまま長大な楕円軌道を持つ彗星と化したそうだ。

大量に氷着した大気の質量と速度を処理し切れなかったのではないか? と云うのがE計画責任者のコメントだった。

落下することに特化しすぎたのでは? という自分の推測は使徒に酷だろうか?

地球の重力より太陽の重力の影響を強く受ける今の状態では、下手な行動は太陽へのダイビングを意味しかねないのだそうだ。だから動かないのだろう。
いかに使徒といえども、サンダイバーにはなりたくあるまい。

いずれかの惑星を使った重力ターンで、地球軌道に帰ってくる可能性がなきにしもあらず。だそうだが、いったい何年後の話になるのだろう。


そういえば、衛星軌道から攻撃してくる使徒が、もう1人いたか。

重力遮断ATフィールドをモノにした以上、衛星軌道だろうがエヴァは到達可能になった。

ATフィールドを使った移動手段の腹案もある。

ただ、やはり活動限界の短さはいかんともしがたかった。

それさえなければ、単独での恒星間航行すら不可能ではないのに。


それはともかく。

落下使徒がいつ帰ってくるかも判らないし、ここは地道に地上からの迎撃方法を模索しておくべきだろう。

まずは順当なところから、戦自研が開発している自走式陽電子砲の進捗を確認しておくべきかもしれない。

いや、いっそのことエヴァ専用ポジトロンライフルのデータをリークしてはどうだろう?

要塞使徒の荷電粒子砲のデータも付ければ、結構な貸しになるんじゃないだろうか?

やりかた次第では、後々の交渉に役立つかもしれない。



さて、そういう益体もない事をつらつらと考えてるのは、現実逃避しているからである。

うずたかく積まれた書類の山を見たくないのだ。

「関係各省からの抗議文と被害報告書。で、これが周辺自治体からの請求書。広報部からの苦情もあるわよ」

わざわざこの執務室に出向いてきて、リツコさんが書類を追加する。

「ちゃんと目、通しといてね」

ざっと見渡した書類の中には、国際天文学連合からの通知まであった。落下使徒に対し国際標識番号を交付した旨の。

……なにかの嫌味なんだろうか?

そう云えば、スペースコマンドへの使徒監視引継ぎの正式書類も書かなくては。

こころよく従事してもらうために、幾ばくかの資金提供を考えるべきかも。宇宙屋は貧乏だから効き目はありそうだ。

「リツコ…あなた、ああなることが解かってたんじゃないの?」

「私が? まさか」

心外だ。と言わんばかりの表情をしておきながら、なぜ視線を逸らすのですか、リツコさん。

「高名な赤木リツコ博士が、本当に予測できなかったの?」

「ATフィールドはまだ解からないことだらけですもの」

眼が泳いでる。リツコさん、眼が泳いでるよ。

「……で、この書類を殲滅する起死回生の手段。持って来てくれたんでしょ?」

あえて不問にして、追求しないのが吉か。

「一つだけね」

「さすが赤木博士。持つべきものは心優しき旧友ね」

差し出されたメモリデバイスを受け取ろうとして、すかされる。

「残念ながら、旧友のピンチを救うのは私じゃないわ。
 このアイデアは加持君よ」

見てみると「怖~いお姉さんへ♪」と書いてあった。

「ご機嫌取りしたいんだか怒らせたいんだか、よく判らないわね」

撃墜しようとしたことを、まだ根に持っているのだろうか?

いや、そういう人じゃないよなぁ。と思いつつメモリデバイスを受け取る。

その飄げた字体を見るにつけ、単にからかわれているだけのような気がしてきた。




                                                         つづく

2006.09.04 PUBLISHED
.2006.11.10 REVISED



[29540] シンジのシンジによるシンジのための 補間 #EX2
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/17 23:41





「僕は、ミサトさんが先に入るべきだと思うけど」

「い・や・よ!」

「…」

「クワ~っ」

アスカが同居を始めた、その最初の夜だったと思う。

夕飯の後始末に手間取っている間に、彼がお風呂の支度をしてくれたのだ。

お湯が沸いた。と言う彼の言葉にまっさきに反応したアスカを、押しとどめたのには驚いた。

初対面で苦手意識を刷り込まれなかったとはいえ、アスカの前に立ちはだかるとは。

「い~い度胸じゃない。このアタシに命令しようなんて」

「いや、別に、そういうわけじゃないけど……」

…弐号機パイロットはなぜ一番に入りたがるの?との綾波の呟きは無視されるようだ。


そもそもアスカが来るまでだって、自分が一番風呂だったわけではない。
彼がそう考えて、そうあるべきだと思ったことなんだろう。


「はいはい。ケンカしないで」

エプロンで手を拭きながらリビングへ。

「ミサト! ワタシが先に入るわよ」

「構わないわよ。どうぞ」

「ほ~れ見なさい。やっぱりワタシが一番なのよ」

嘆息

「そうじゃないわ、アスカ」

「どういうことよ」

「私は就寝前にゆっくり入りたいから、最後がいい。
 …レイちゃんは肌が弱いから、後のほうがいい。
 シンジ君は拘らないから、何番目でもいい。
 アスカ…ちゃんが一番でも差支えがないってことなのよ」

にやり

「それに、若いエキスが溶け込んでるほうが美容によさそうだし」

冗談のつもりだったのに、アスカは盛大に引いた。

一緒になってちょっと引いていた彼が、表情を曇らせる。こういう冗談に反応するようになったのは、成長と考えていいだろう。

「……先生のところがそうだったから。……余計なこと、だったでしょうか?」

「そんなことないわ、シンジ君。その気持ち、とても嬉しかったもの」

満面の笑顔を、彼に。

他者のために良かれと思って行動すること。それはとても大切なことだ。

その心意気があれば、あとはヒトの意図を見抜く洞察力と、願いを慮る想像力を育てればいいだけなのだから。

……

ふと思いついて、ぽん。と手を打った。

「そうだ。いい手があるわ」

「な~によ~」

不本意なのかこちらも少々いじけているらしいアスカの腕に、腕を絡めて引き摺っていく。

「2人で一緒に入れば、とりあえず今日のところは両方の顔が立つでしょう?」

ちょっと待ちなさいよ。アンタと一緒に入ったら茹だっちゃうでしょ~。とのお言葉は丁重に無視した。

…弐号機パイロットはなぜ葛城一尉と入浴することを厭うの? との綾波の呟きに、ペンペンがクワワクワと答えている。


こうして翌日から、葛城家のお風呂の順番が確定した。




                                                          終劇

2006.11.27 DISTRIBUTED
2007.09.25 PUBLISHED

シリーズの完結を記念し、支えてくださった読者の皆さんへの感謝の気持ちを、この一篇に添えて御礼申し上げます。
ありがとうございました。




[29540] シンジのシンジによるシンジのための補完 第拾話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/17 23:42




「で、なに。今度はリツコが使徒を殲滅しようとしているわけ?」

発令所に連れてきた途端にアスカが言い放ったのが、このお言葉だった。

地底湖に迎えに行き、シャワーを浴びせ着替えさせ、その道すがらに事情を話したのだが。

「そのうちエヴァはお役御免になりそうだわ」

「そうなるといいね」

「…そうね」
 
「アンタ達バカァ? 皮肉に決まってんでしょ!」

口ゲンカを始めたので、早々に発令所からご退散願った。

どのみち、マイクロマシンのようなこの使徒にエヴァは役に立たないのだ。


…………


発令所

多機能会議用テーブルを床下からせり上げて、即席のミーティングルームだ。

R警報の発令を見越して、各フロアの人員は一時待機させている。いつでも退避させられるように。

「彼らはマイクロマシン、細菌サイズの使徒と考えられます」

あらゆる使徒の中で、最も対応に苦慮した1人。それがこの微細な使徒だった。

「その個体が集まって群を作り、この短時間で知能回路の形成にいたるまで爆発的な進化を遂げています」

前回はわけもわからずに放擲され、事が終わるまで捨て置かれた。
裸だったこともあって、随分と心細かったように思う。

「進化か」

だから、どのような使徒で、どうやって殲滅したのか、なにも知らなかった。
知らないということは、それだけで大きなリスクになる。

このような状況の連続で、よくもまあ彼女は勝ち抜けたものだ。

「はい。
 彼らは常に自分自身を変化させ、いかなる状況にも対処するシステムを模索しています」

今こうしてリツコさんの説明を聞いて、ようやくどういった相手であるのかが判った。

かつて、自らがエヴァに乗っていたとき。もう少し周囲のことに興味を持っていれば、この程度のことは知りえただろう。

そうしていれば、短時間とはいえ子供たちを地底湖に放り出さずに済んだだろうに。

ただ流されるままに生きていたあの頃が、いま恨めしい。

「まさに、生物の生きるためのシステムそのものだな」

ダメだ。気持ちを切り替えなくては。後悔など、いつでもできる。

とはいえ、エヴァで対処できる相手だとはとても思えない。
リツコさんに任せるしかないだろうし、きっと彼女もそうしたことだろう。

だが、使徒殲滅の責務を担う作戦部長として、ミーティング中に指を咥えたまま傍観するなど許されるはずがなかった。

「ロジックモードの変更が可能なのですから、電源供給を停止して、MAGIシステムの物理的な停止はできませんか?」

「効果は期待できるけど、最後の手段にしたいわ」

即答だ。
リツコさんのことだから、この程度の対策は検討済みということだろう。

「どうして?」

「MAGIの人格が揮発してしまうからよ」

「コンピュータなのに?」

「貴女の使っているノイマン型ストアードプログラムとかとはモノが違うのよ。……そうね」

リツコさんが皆まで言う前に、マヤさんがホワイトボードを押し出した。

/ マーカーを手にしたリツコさんが、斜め右上に向かって線を引く。

「これ。この続きはどうなると思う?」

「そのまま、右斜め上?」

「そうね。じゃあ、こうすると?」

・ 書いた線をイレーザーで消して、上端の一点だけを残す。

「右斜め上、って答えちゃダメなのね」

その通りよ。と頷いて。

「有機コンピュータである。ということも理由の一つだけど、人格移植型だということのほうが問題なのよ」

リツコさんの右の人差し指が、親指を叩いている。煙草、呑みたいんだろうな。

「MAGIは、考えるコンピュータよ。
 考える。ということは、問題に対する答えが毎回変わりうるってことね」

例えば……。とリツコさんが再びマーカーのキャップを外す。

「過去に、ある命題Aから結論Bを導出させたとするわ」

TheseAと殴り書きにして円で囲む。その横に矢印でつなぐSchlussB。

「そのあとに、命題Cを解かせる」

丸く囲ったTheseC。

「そこで導き出された結論Dは、前提条件として命題Aの結論、その過程に影響されている」

A→B→C→D。矢印でつなぎ合わされ、一直線に。

だから。とリツコさんがTheseA、SchlussBを消した。

「前提条件がないと、命題Cの結論はDではなく、Eになるわ」

SchlussDを×で消すと、TheseCから斜め下に矢印を引いて、SchlussEにつないだ。

それが悪い答えかどうかは一概には言えないけどね。とリツコさん。

「MAGIは、思考を積み重ねてその精度を向上させてきたのよ。
 ログに残ってない失敗ですら、MAGIにとってはかけがえのない反面教師なわけね」

「第127次定期検診が終わったばかりですから、現状への復帰は可能です」

マヤさんの補足に、リツコさんが頷く。

「けれど、思考の継続性は失われるわ。MAGIはこの状態になる」

・ マーカーの先で指し示す、点。

「過去ログを読ませて補強するでしょうけど、元通りとはいかないし時間もかかるわ」

点から左斜め下に向かって、とんとんとんと点線を引いている。

  ・
 ・





思考の継続性こそがMAGIの核心ということらしい。であれば、それを失うことはMAGIを失うことに等しいだろう。

これが使い古した5年落ちのパソコンなら、データを移せばことが済む。

だが、考えるコンピュータであるMAGIにとってそれは、ベテランから新人に業務引継ぎを行うようなものではなかろうか。仕事の内容をすべて教えてもらったからといって、新人がすぐにベテラン並みに働けるわけがない。ということなのだろう。


「……確かに最後の手段ね」

「判って貰えたかしら?」

ええ。と頷く。作戦部長に出来ることはない。と確信した。

「では、臨戦時下作戦部権限によりY-19を補則Fで発令。対使徒作戦権限の全てを第一種戦闘配置解除までの間、技術部に委譲します」

使徒出現が確認された時点で、自動的に作戦部の権限は強化される。
そのための部署だからだ。
さきほどMAGIのI/Oシステムをダウンさせようと試みた時、司令部付きの青葉さんが日向さんにカウントを依頼したのも、そこに起因する。


正式に権限を委譲しておかないと、作戦部の顔色を窺って技術部が思い切った手段を打てない。
門外漢が決定権を握っていては百害あって一利なしだ。

「ミサト、貴女……」

「信頼しているわ、リツコ…。あとはよろしくね」

司令に向き直り、敬礼。

「わたくしは地底湖の子供たちの保護に向かいます」

うむ。と頷く父さんをあとに、発令所を後にした。


…………


「それで、MAGIを護りたかったの?」

リフトアップされたカスパーの躯体内。
のたうち這いまわるパイプ類はボイラー室か何かのようで、これが世界屈指のスーパーコンピュータの内部とはとても思えない。

おっと【のるな!へこむ】って書いてあるパイプに体重をかけるところだった。

リツコさんが電動丸ノコで外板を切り取ると、人の脳にも似たMAGI・カスパーの中枢部が姿を見せる。

「違うと思うわ。
 母さんのこと、そんなに好きじゃなかったから」

接続用の探査針を打ち込み、コンソールにつないでゆく。

「科学者としての判断ね」

リツコさんが苦悩を抱えていることはわかっていた。

「お母さんってどんな人だったの?」

大勢の綾波たちを壊したあのとき、泣き崩れたリツコさんから得たいくつかのキーワード。

“あの人”と“親子揃って大莫迦者” そして、おそらくは“綾波への嫉妬”

「ちょっと、こんな時にカウンセリングはやめてよ」

「こんな時だからよ。今なら心に壁を作る余裕はなさそうだもの。
 素直なリツコ…を見せて欲しいわ」

“あの人”について確証はない。だが“綾波への嫉妬”と、その破壊を自分に見せつけたことから思い当たるのは自分の父親、碇ゲンドウだった。

「油断ならないわね。
 この機会を窺っていたって云うの?」

だが、父さんについては自分に切るべきカードがない。おそらくはリツコさんの方がよほど理解しているだろう。

「まさか、そんなわけないでしょ」

第一、父さんのことは自分にとっても心苦しい話題だった。ミイラ取りがミイラになりかねない。

【碇のバカヤロー!】か……、誰が書いたか知らないけれど、気が合いそうだ。

「そこに至った過程と理由を聞かないと、納得できないわね」

ならば、リツコさんの心をひも解くには親の話を訊いてみるしかなかった。

「……MAGIがお母さんだって、教えてくれたでしょう」

それが父親なのか母親なのか、MAGIの話を聞いていて判ったような気がしたのだ。

「……考えてみたらリツコ…って私にとってお母さんなのよ」

「はい?」

手、止まってるわよ。と指摘されて、リツコさんがキーボードをたたき始める。これで間に合わなかったら貴女の責任よ。と先に倍する速度で。

「ほら、大学時代を思い出したって言ったでしょう。
 あの頃、女の子の一通りを貴女が教えてくれたわ」

「呆れた、その程度の事で母親扱い? 貴女、私をそんな風に見てたの?」

「大事なことよ。気付いたのは最近だけど」

タイピングの音色が半音上がったような気がした。キーボードに集中したリツコさんの、疑問符の提示。

「…レイちゃんを預かったでしょう。
 色々と教えているの、あなたがそうしてくれたように」

マシンガンのような打鍵音が、明らかに乱れた。

「こういうの、母親の役目だわ。って思ったら、学生時代を思い出したのよね」

「そう……」




見事に染め上げられた金髪を、学食で見かけたとき。

時を遡ってから初めて出会った知己の姿に、載せたカレーライスごとトレイを落として泣き出した。

それは、すべてを本当にやり直すことができると実感した瞬間だったから。

嬉しくて嬉しくて身も世もなく泣いて、声をかけてくれたことがまた嬉しくてさらに泣いて、リツコさんを戸惑わせたことをよく憶えている。

「わっ私じゃないわよ」と周囲に弁解しようとするリツコさんの様子がなんだか可笑しくて、泣きながら笑った。


そうして知り合った直後は、べらべらとよく喋るヤツだとリツコさんに思われたことだろう。

当時、自分にとってリツコさんは全てをやり直せることの象徴だったから、顔を見てるだけでも嬉しくて、のべつ幕なしに口を開いていたように思う。

また、常に気分が高揚していて何かと強引だったから、リツコさんも迷惑していたに違いない。

そのせいで、加持さんとあんな出会い方をしてしまったわけで……

なぜあんなにもはしゃいでいたのか。

当時の自分を振り返ってみると、恥ずかしくて顔から火が出そうだ。



「だから、もっと知りたかったのリツコ…のこと、そのお母さんのことも」

嘆息。煙草が呑みたそうだった。

「MAGIにはそれぞれ母さんの人格がインストールされているわ。
 科学者としての母さん。母親としての母さん。カスパーには、女としての母さんがインストールされているの」

ディスプレイを反射して、リツコさんのメガネが光る。ちょっと不気味です。

「科学者としては優秀。でも母親としては最低だったわ。女としては…… 人のことは言えないか」

最後は消え入るように呟いたので、聴き取るのに集中力が要った。

「母さんに、コンプレックスが……あるのかしらね」

プログラムを組みながらキーパンチをして、平然と受け答えをこなしている。リツコさんは頭の中にMAGIでも飼っているのではないだろうか。

「そっか……リツコ…も、まだ子供ってことか」

「なによ、それ」

いらついてきているのは、ニコチン切れのせいばかりではなさそうだ。

「親を気にして、親と較べてるうちは子供なのよ。
 親と同じで苦しみ親と違って悩む、子供って云うのはそういうものなの。
 そんなことはどうでもいいって事に気付くまでは、大人ではないわ」

「較べているうちは大人になれない……か」

「リツコ…はきっと、お母さんを亡くしたときに親離れできてなかったのじゃないかしら。
 居ない相手と比較しても、ただ苦しいだけよ。客観的になれないもの。
 もちろん、成長の度合いを知るために親と比較することは必要なことだけれど」

禁煙パイプかニコチンガムでも差し入れるべきだろうか?

「今この時なら、いくらリツコ…でも感情の立ち入る隙はないと思うわ。
 冷静に、客観的に、お母さんと比較できるまたとない機会ね。
 まずは科学者としての二人はどうかしら? スペシャリストとゼネラリストで較べ難いけど、高名なのは赤木リツコ博士よ。
 女としては、どう?」

「……そうね。互角かもしれないわ」

口の端を吊り上げて、意味ありげな微笑み。
『母娘揃って大莫迦者』とは、そういう意味なのだろうか?


 『来たっ! バルタザールが乗っ取られました!』


始まったか。しかし、自分が慌てても仕方がない。
 
「母親としては、高名な赤木リツコ博士を産み育てたお母さんには実績があるわね。
 でも、娘からは好かれてない。大きな減点だわ。
 当のリツコ…は未知数だけど……、私のこと、どう思ってる?」


   ≪ ・人工知能により 自律自爆が決議されました ≫


「どうって貴女……。まさか……」

思わずこっちを向くリツコさん。それで手が止まらないのが流石。


   ≪ ・自爆装置は三審一致ののち 02秒で行われます ≫


「私はリツコ…のこと好きよ。尊敬してる」

しっかりと顔を見て言うと、一瞬、ほんの一瞬だけ打鍵音が途切れた。

「ちょっと止してよ。冗談きついわ」

そっぽを向く、その頬が赤くなっているようだ。


   ≪ ・自爆範囲はジオイド深度マイナス280 マイナス140 ゼロフロアーです ≫


「本気よ。
 子供を産んだだけでは単に経産婦になったというだけで、母親としての評価に関係ないもの。
 実の母親と育ての母親、どっちが子供にとって大切か。
 親はなくとも子は育つ。要はどう育てたか、どう想われているか、よ?」

今なら解かる。
血縁だけが家族ではないのだと、気付かせようとしてくれていた人が居たことに。
当時の自分にその態度だけで悟らせるには、彼女はあまりにも不器用すぎたが。

その姿を反面教師にしていると言ったら、彼女は怒るだろうか?


   ≪ ・特例582発動下のため 人工知能以外のキャンセルは出来ません ≫


「詭弁よ。
 たとえそうでも、こんなトウのたった娘なんか要らないわよ」

「私でダメなら、…レイちゃんはどう?」


 『バルタザール、さらにカスパーに侵入!』


「私を助けてくれた貴女が、…レイちゃんをほったらかしてるのが信じられなかったわ。
 会わなかった間にいったい何があったの?」

「余計なお世話よ」


 『該当する残留者は速やかに待避してください。繰り返します、該当地区残留者は速やかに待避してください』


「……ごめん」


「……」

しばしの沈黙。でも、判る。打鍵音が教えてくれるリツコさんの心の動き。

「……私も言い過ぎたわ。レイのことは前向きに考えとくから……」

「ありがとう」


   ≪ ・自爆装置作動まで あと20秒 ≫

 『カスパー、18秒後に乗っ取られます』


「言っとくけど、レイに「おばあちゃん」なんて呼ばせたら絞めるわよ」

お継母さん、かも。とか思ったりしたことは、口が裂けても言えない秘密だ。


   ≪ ・自爆装置作動まで あと15秒 ≫


「リツコ…、急いで」

躯体から身を乗り出してみると、スクリーン上のMAGI模式図はほとんど真っ赤だった。
リツコさんに任せておけば大丈夫だと信じていても、さすがに恐い。


   ≪ ・自爆装置作動まで 10秒 ≫


「大丈夫、1秒近く余裕があるわ」

      ≪ ・9秒 ・ 8秒・ ≫

「1秒って」

      ≪ ・7秒 ・ 6秒・ ≫

「ゼロやマイナスじゃないのよ。マヤ!」

      ≪ ・5秒 ・ 4秒・ ≫

『いけます』

      ≪ ・3秒 ・ 2秒・ ≫

「押してっ」

        ≪ ・1秒・ ≫


        ≪ ・0秒・ ≫

            ・

            ・


           ・


 ……静寂が、耳に痛い。


今にも赤く塗りつぶされそうなMAGI模式図の片隅に、1ブロックだけ残された青い領域。
静かな点滅がぴたりと止まったかと思うと、一気に押し戻すようにして全体を青く染め直した。


   ≪ ・人工知能により 自律自爆が解除されました ≫


……

 『 『『『「「「「 ぃやったぁー! 」」」」』』』』 』


発令所から歓声が降ってくる。

マヤさんも、安堵のあまりか泣きそうだ。

振り返ると、リツコさんが内壁にもたれかかったところだった。

「使徒殲滅おめでとう。
 これで貴女もアスカ…ちゃんに睨まれるわね」

「嬉しそうに言わないでよ。それに、そもそも……」

「仲間が欲しかったんですもの」

嘆息。煙草が呑みたそうだ。

「お祝いするんでしょ。私のリクエスト、訊いてくれるのかしら?」

「もちろん」

その日の夕食が随分と豪勢になったことは言うまでもない。



****


「どう、レイ?初めて乗った初号機は?」

第1回機体相互互換試験

『…碇君の匂いがする』

 被験者 綾波レイ

「シンクロ率は、ほぼ零号機のときと変わらないわね」

見下ろすケィジの中。正面に初号機の姿がある。

「パーソナルパターンも酷似してますからね。零号機と初号機」

「だからこそ、シンクロ可能なのよ」

試験中に作戦部長に出来ることはないから、ただ付き添うのみ。

「誤差、プラスマイナス0.03。ハーモニクスは正常です」

「レイと初号機の互換性に問題点は検出されず。では、テスト終了。
 レイ、あがっていいわよ」

『…はい』



エヴァの互換性を確認するというこの実験。
手を尽くして、綾波と初号機の組合せのみで行わせるに押しとどめることができた。

 
「どう、シンジ君。初号機のエントリープラグは?」

第1回機体相互互換試験(追試)

『なんだか、変な気分です』

 被験者 碇シンジ

「違和感があるのかしら?」

『いえ、ただ、綾波の匂いがする……』

かつての零号機の暴走。その原因は判らないが、起こさずに済むならそれに越したことはない。

その時のことは一切憶えてないが、なにか重大なしこりを心に負った。そんな気がするのだ。

「シンクロ率に著変、認められず。ね」

「ハーモニクス、すべて正常位置」

作戦部からの再検討の要望に対し、当然のようにリツコさんは難色を示した。
司令の命令だ。と伝家の宝刀を抜いたほどだ。

だが、その程度で引き下がるほど今の自分は諦めのいい性格ではない。
ことに、子供たちのためとあらば。

もともとパイロットに関わる実験は、越権行為にならない範囲で可能な限り企画立案から立ち会うようにしている。だから自分の技術部に対する発言力、影響力は意外に大きい。

お陰で、意義の少ない第87回機体連動試験を取りやめさせるのは難しいことではなかった。今頃アスカは格闘訓練だろう。

「これであの計画、遂行できるわね」

それに、ATフィールド実験に費やす時間が増えていた。
作戦部がシンクロ率やハーモニクスを重要視しないことも含めて、当然のごとく他のスケジュールは縮小傾向にある。

「ダミーシステムですか? 先輩の前ですけど、私はあまり……」

「感心しないのは解かるわ。
 しかし備えは常に必要なのよ。人が生きていく為にはね」

さらには、他のパイロットを乗せて、エヴァに悪影響がないか? という懸念を提出した。
そのため、このように彼による初号機へのシンクロ追試が優先されたのだ。

「先輩を尊敬してますし、自分の仕事はします。でも、納得はできません」

最後に、作戦部長による技術部長への粘り強い説得工作があった。
何のことはない、微細群使徒を殲滅した夜に祝いと称して酔い潰した。というだけのことであるが――我らが技術部長に限らず、世の働く女性たちは、佳い酒に目がないのだ――。


リツコさんは約束を守る。たとえそれが、酔って前後不覚になったときのものであろうとも。

「潔癖症はね、辛いわよ。人の間で生きていくのが」

ダミーシステムの名を口にしてから、マヤさんの表情は曇りっぱなしだ。

「汚れた、と感じたとき分かるわ。それが」

ついにうつむいた。

「……」

敬愛する先輩から重要な仕事を任せられているのだろうに、その表情は冴えない。


この試験の主眼がダミーシステムの開発にあることは、秘密でもなんでもない。
それは、目の前の師弟が人目もはばからずにやり取りしてるのを見れば判るだろう。

機体相互互換試験は表向き、対外的な名目にすぎないのだ。

だからこそ適当な口実を与えてやるだけで、カモフラージュ目的の他の試験の中止、延期が実現したのだろう。


ダミーシステム。

作戦部はその存在を歓迎していない。
仕様を見れば一目瞭然だが、とても作戦行動をまっとうできる代物ではなかった。制御下にない味方は、敵よりも厄介だ。

できるものなら、かつてエヴァ参号機と対峙した初号機がどんな戦い方をしたか、微にいり細をうがって語ってやりたかった。


もしもの備え。その必要性は判らないでもないから、開発そのものまで妨害する気はないのだが……




                                                         つづく

2006.09.11 PUBLISHED
..2006.10.06 REVISED

special thanks to オヤッサンさま シンジasミサトの家族への思いの源泉についてご示唆いただきました



[29540] シンジのシンジによるシンジのための 補間 #EX1
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/17 23:42




「あっつ~い!」

ランドリースペースの前を、ちょうど通りがかった時である。

アコーディオンカーテンを開けると、アスカもまたバスルームのドアを開けたところだった。

「お風呂熱すぎよ、ミサト!」

「一番風呂だもの、仕方ないじゃない」

「仕方なくないわよ! ワタシの珠のおハダが火傷したらどうしてくれんのよ!」

嘆息

ランドリースペースに踏み入って、後ろ手にアコーディオンカーテンを閉める。

「責任は取るわ」

カットソーの裾に手をかけ、一気に脱ぐ。顔にかかった髪を一振り。

「みっ、ミしゃト!なっなにを……」

さっさと裸になると、後退るアスカを追いかけるようにバスルームへ。

「熱いお風呂をうめる方法はひとつしかないわ」

じわじわと追い詰めるように、ことさらゆっくりと。

「わっワタシは美味しくないわよ」

動揺してる。

壁に張り付くアスカから視線を外して、手桶でかけ湯を2杯。

すっと湯船につかった。

「人が入ればいいのよ」

脱力したらしいアスカが、ずるずるとへたり込んだ。


これ以降、アスカがお風呂の湯温に文句をつけることはなくなった。




                                                          終劇

2006.11.20 DISTRIBUTED
2007.03.12 PUBLISHED

【第八回エヴァ小説2006年度作品人気投票】にて、過分なご支持と評価をいただきました。
 投票してくださった方々への感謝の気持ちを、この一篇に添えて、御礼申し上げます。ありがとうございました。








    【 予 告 】

  デート・墓参り・友人の結婚式

  それぞれの明日を胸に、葛城家の夜は更ける

  立ち去るリツコのあとに、ミサトが見た色とは、その決意とは

  次回「シンジのシンジによるシンジのための補完 第拾壱話」

  この次もサービス、サービスぅ♪



[29540] [IF]シンジのシンジによるシンジのための 補間 #EX9
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2011/10/12 09:51



「これは、なんのスープ?」

「…おみおつけ。味噌……豆の加工品のスープ」

へぇ。とアスカ。

お碗を持ち上げるのに抵抗があるらしく、掬ったスプーンの先に白い塊。

「…具は豆腐。豆の加工品」

ふーん。と、さまよった視線が、彼が手にした醤油注しに。

「…あれは醤油。豆の加工品」

「ソイ・ソースくらい知ってるわ」

そもそも英語の「soy」は、九州や東北地方での醤油の方言「そい・そゆ」が語源らしい。

今では「soy=大豆」だから、醤油の原材料が大豆であることは説明されるまでもなかっただろう。

「こっちは?」

「…湯葉。豆の加工品」

「ふ~ん」

サラダの上に載ってるモヤシはスルーの様子。

「そっちのは?」

なんだか、目が据わってきてる。

「…納豆。豆の発酵食品」

「……ちなみにこれは?」

スプーンで指し示すのは、マナー違反ではないだろうか?

「…卯の花。豆腐を作った後の、豆の搾りかす」

「豆、豆、豆!日本人は豆しか食べないの!」

「…そんなことはない」

そう言いつつ綾波が口に運んだのが、枝豆。

「説得力ないわよ!」

デザートは、あんこときな粉のおはぎだったんだけど、出さない方が良さそうだ。


                                          終劇


成田美名子氏の「エイリアン通り」を読み返してたらエピソードがはまりそうだったので突発的に短編
ボツ事由 アスカがまるっきり日本食を知らないわけはないので

感想板での示唆を受けて表記等を改めました



[29540] シンジのシンジによるシンジのための補完 第拾壱話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2021/10/16 19:42


葛城家の夕食は遅い。作戦部長である自分の帰宅がどうしても遅めになるからだ。

「ねえミサト。あれ貸してよ。ラベンダーの香水」

デザートのレモンケーキを食べているのは自分だけ。急いで咀嚼する。

子供たちは夕飯までのつなぎとして食べてしまっているのだ。

「いいわよ。部屋に入って構わないから好きに使って」

気候変動で手に入らなくなったものは多い。本物の生花から抽出した香料なども、そうだろう。

セカンドインパクト前に製造された貴重品を、いろんな意味で彼女が大切にしていたであろうことが、今の自分には判る。

けれど、薄情な自分にとっては、アスカのご機嫌を損ねてまで惜しむ程の価値はなかった。

「ダンケ、ミサト」

「どういたしまして」

使い終わった食器をキッチンへ。

「お茶のお替わり、いかが?」

「あっ……、はい」

「ワタシはいいわ」

「…希望します」

「クワっ」

ティーポットにお湯を足して、ダイニングに戻る。

リツコさんの影響でコーヒー党になった自分は、紅茶の入れ方がぞんざいだった。
アスカがお替りをしないのは、そのせいだろう。

まず、彼のティーカップに紅茶を注ぐ。

続いて、綾波のティーカップの前、余分に置いておいたマグカップに注いだ。

しばらく置いて、綾波のティーカップに紅茶を移す。すこし待ってマグカップへ。またティーカップへ。


生まれてこのかた、サプリメントと固形バランス栄養食ばかりで暮らしてきたらしい綾波は、若干ながら猫舌気味だった。

――ネグレクトなどで、暖かい食事にあまり恵まれなかった子供によく見られる症状である――

同居当初、食後のお茶になかなか手を出さないので訊いてみたら、熱いのは苦手だと言うのだ。

ラーメンなど、少なめにとった麺を空気にさらして器用に冷ましながら食べていたので気付かなかった。

そういえば、スープの類には手をつけないか後回しにしていたように思える。

冷まし方を教えたので、ふうふうと懸命に息を吹きかける綾波の可愛らしい姿を見られるようになったのだが、できるかぎりはこうして手早く冷ましてやっていた。


…ありがとう。どういたしまして。との遣り取りにアスカが一瞥を投げかけてくる。

やぶにらみ気味なのは、気のない振りなのだろう。それはつまり、不機嫌ではないことの現れだ。

アスカは一見、感情表現豊かに見える。

だが、その多くが演技であることは、アスカが感情を押し隠そうとした時にわかるだろう。

隠すのが下手で、過剰に反応してしまうために攻撃的に見えるのだから。

その姿はまるで、子供を匿った巣穴をふさぐために頭を突っ込むヤマアラシのよう。
使うつもりのない棘が、居もしない外敵を意味もなく威嚇するのだ。

あるべき自分を演出して、懸命に取り繕っているつもりでいる。それが惣流・アスカ・ラングレィという少女だった。


「そういえば、アスカ…ちゃんに、お願いがあるんだけど?」

「なに?」

視線だけをこちらに向けたのは、身構えてない。ということだろう。そういう状態が増えているのは、いい傾向だと思う。

「デザートの買出しを、アスカ…ちゃんに頼めないかと思って」

「え~! ワタシ、ミサトの手作りの方がいい」

自分の分を注ぐ。

琉球ガラスのカフェオレボウルは、アスカの沖縄土産だ。
勝手に使徒を斃した罰。だとか言ってなかなか渡してくれなかったけれど。

夫婦茶碗のような大小2個組みで、小さい方をアスカが使っている。

アスカ自身が気に入ったらしく、2個組みなら丁度いいから。と選んだらしいが、当然のようにあらぬ憶測を呼んだらしい。

手渡されたときに、他意はないわよ。と念を押されてしまった。

「今だって、毎日手作りしているわけではないのよ」

ベビーチェアの上にペンペンの姿がない。お茶のお替わりは要らないということだろう。

「お店で買ってくることもあるし、今日のだってマヤ…ちゃんの差し入れよ」

紅茶を一口。

「そうなの?」

そうなのだ。3人の食事はおろかデザートまで手作りしていることを知って、お手製デザートを差し入れてくれたのだった。

「手抜き反対よ!」

「そう言われると辛いんだけど、最近忙しいのよ」

忙しいのは間違いではないが、食事の準備の片手間でやってるデザート作りを削ったところでいかほどのことでもない。

――デザートを手作りしていたのは、それが子供に効くからである。
お店に並んでいるようなスイーツを目の前で手作りしてやると、子供は魔法を見るように憧れるのだ。

主に綾波対策で始めたのだが、親子の触れ合いを知らないという点では3人とも変わりがなく、誰も日々の楽しみにしている節があった――

それを敢えてやめるのは、アスカにいくつか「お仕事」を与えたいと思ったからだ。
パイロットとしての任務ではなく、家庭内でのお手伝いを経験させたい。

「職務怠慢ね」

親の事情を察し、家庭の運営に関わっていくことも子供の成長に必要なのだ。

「私が貴女たちを預かっているのは、それが職務だからではないわよ?」

一息ついたので、ノートパソコンを取り出して立ち上げる。

「それはわかっているけど…」

渋っているのは、アスカもやはり親の愛情に餓えているからだろう。
彼も綾波も特に口出ししないのは、アスカに同意して任せているからに違いない。

「…この選出の根拠は?」

いや、綾波は不満なのかな? アスカが指名されたことに不服があるのか。

「アスカ…ちゃんが、一番お菓子とかお店を知っているからよ」

「…そう」

ちょっと寂しそうだ。

ビープ音に催促されてIDとパスワードを入力。

「ファーストには荷が重いってことよ」

ささやかながら自己顕示欲を刺激されたらしいアスカが、満足げにふんぞり返った。

「もちろん毎日とは言わないわ。
 休みの日と、その次の日の分は作るから」

次の段階へ移るための踊場。という意味合いもある。
作ってもらうことと自ら選んで買い求めることを経験したら、その先には、一緒に作る。という選択肢だってありえるのだ。

3人のうちの誰かが、お菓子の作り方を教えてくれと言い出す日が来るのを、ちょっと楽しみにしていた。


肉球印のソフトを呼び出し、ファイルを開く。

「わかったわ。やったげる」

内面の問題が片付いたらしく、アスカが頷いた。



「ありがとう。お願いするわね」



はいはい。とばかりに手を振って椅子にもたれかかる。



不満があればいつまでも文句を言うか捨てゼリフで立ち去るのがアスカだから、気のない振りは照れ隠しでもあるのだろう。



…なぜ弐号機パイロットはどういたしましてと言わないの。との綾波の呟きは無視されるようだ。



「…レイちゃんも、食べてみたいお菓子があったらアスカ…ちゃんに相談するのよ。
 新しいお店とかを見つけたら教えてあげてね」

「…はい」



顔を上げて応えた綾波が、ぽつぽつと呟き始めた。
自身の能力を正確に推し量れる綾波は、アスカの補佐という地位に満足したのだろう。少なくとも今は。

ディスプレイに表示された数字の群れに、新たな数値を加えていく。

「それで、ミサトはさっきから何やってんのよ?」

「これ? みんなの栄養管理よ」

差し出して見せたノートパソコンには4人の摂取したカロリーや栄養成分、消費カロリーなど事細かに書き込まれている。

「ふうん? まっエヴァのパイロットなんだから、これくらいは当然よね」

自分の記録を遡ってみたアスカが、眉をしかめた。

「何でワタシの履歴、ここに来てからの分しかないの?」

「それ、私がプライベートにつけてる管理簿ですもの」

「ネルフの仕事じゃないの?」


栄養管理を習慣づけるようになったのは学生時代のことだ。

当時、女性の体に慣れなくてしょっちゅう貧血やら生理不順やらを引き起こしていた自分は、その対策としてリツコさんに管理ソフトを組んでもらったのだった。


「違うわ」

これはその最新バージョン。MAGI・バルタザールのサポートを受けられる優れモノ。

メルキオールのほうが向いてるのに。と文句をいうリツコさんをなだめて、つい先日に切り替えてもらったのだ。

ま、カスパーよりはマシだけれど。と悪態をつくので、つい貰ったばかりのレモンケーキで口をふさいでしまった。

怒るかと思っていたマヤさんが、なぜか機嫌がよくなったのが不思議だったのだが。

「成長期の貴女たちを預かるんですもの、保護者として普通に必要なことなのよ」

このソフトのお陰でここ8年間ほど体型を維持できているのだが、その延長として子供たちの栄養管理をするのはさほど労力がいることでもない。

しかもMAGIのサポートを受けられるようになってからは、携帯端末のオーガナイザー機能を利用できるので入力の手間も格段に減った。

「嘘おっしゃい。こんなこと普通にやってる親なんて居るもんですか」

アスカは気付いただろうが、4人とも必要なカロリーや栄養成分が違うのである。

「みんな忙しいのよ。
 それに、あなたたちほど厳密さが必要なわけではないし」

「ほれ見なさい。結局ワタシたちがパイロットだからやってるんでしょうが」

「違うわ。
 あなたたちがパイロットだからしてるんじゃなくて、あなたたちがパイロットでもあるから、してることに厳密さが要求されるだけよ」

子供たちがパイロットだから、義務で栄養管理をやっているわけではない。
保護者として必要だから、なにより、自分がそうしたいからやっているのだ。ただ彼らはパイロットだから、普通の子供よりも気を配らなければならないだけ。

「私の履歴、開いてみてくれる?もともと8年前からの習慣なのよ」


実際のところ、子供たちの栄養管理を行っているのは司令部に対するパフォーマンスという側面が強かった。

貴重なチルドレンを預かる以上、監督能力があることをアピールしておく必要があるのだ。

医療部に提供することで検診項目を軽減できたり、献立のアドバイスを受けられるというメリットもあるが。

だが「エヴァのパイロットだから見てもらえる」のだと、子供たちに誤解させたくはない。


「…ペンペンのもある」

横手から覗きこんだ綾波がデータを見つけたらしい。それには気付いて欲しくなかったかも。

「なんだか、ペンギンの方が力が入っているような気がするわ」

それは目の錯覚だ。人間とはパラメータが違うのである。

そもそもこの世に温泉ペンギンの栄養管理ソフトなんて存在しない。
ペンペンを引き取った時に一緒に譲り受けた臨床データを元に、リツコさんにでっち上げて貰ったのだ。インタフェースがおざなりなのは仕方がなかった。

「入力項目が違うから、そう見えるだけよ
 あの子は遺伝子操作で生み出された新種で、そのうえ実験動物でしょう。栄養管理が大変なの
 しかも生魚が嫌いで、必ず焼かせるものだからビタミンも不足がちだし」

嘆息。

よちよち。という感じで歩いてきたペンペンがベビーチェアによじ登る。
どうやら、棚まで栄養サプリメントを取りに行ってきたらしい。

テーブルの上に置いたボトルからカプレットを数錠取り出すと、水もなしに飲み下した。丸呑みはペンギンの得意技だ。

「せめて生魚を食べてくれれば、少なくともビタミンCの補給は要らないのにね」

「…ペンペン。好き嫌い……ダメ」

綾波。君が何を言っているのか解からないよ。

「むしろ、あなたたちより難しいのよ」

ちょっと、苦笑い。

ノートパソコンを引き寄せて、今しがたのビタミン摂取を計上。

「天下のチルドレンより、ペンギンの方に手間割いてるってわけね」

やっぱり、怒ったかな?

すっと左手を伸ばして、ペンペンのくちばしの下を掻いている。

自身で手入れできない部分を掻いてもらうのは、動物にとって至福だ。

幸せそうに目を細めた温泉ペンギンが、嬉しげにそのくちばしをアスカの手に擦り付けた。

「まっ、ペンギン相手にナニ言っても始まらないか」

ペンギンですら……。その呟きの続きは、空気に溶けて届かない。

……

ペンペンの反応を窺いながらさまよう左手が、その後頭部にまで達した。

「ねぇ、ミサト。
 ワタシたちがパイロットじゃなくても、やっていた?」

歓ぶ温泉ペンギンのほうを向いたまま。アスカにしては上手な感情の隠し方だ。

「もちろんよ。
 そりゃあ、ここまで事細かくする必要はなくなるでしょうけれどね。
 私がやりたいから、こうしているの。あなたたちがパイロットかどうかなんて二の次、三の次よ」

それは嘘だと言われれば、返す言葉はないだろう。チルドレンだから引き取ったのは間違いないのだから。

エヴァにかかわった不幸をすこしでも軽減してやりたいという思いに嘘はないのに、それを素直に告げられないのはちょっと、つらい。

「この世に存在するチルドレンを全て囲っといて説得力ないけど、まあいいわ。
 それ、ワタシにもアクセスできるようにしといて」

「…私も」

「共有スペースに“葛城”フォルダがあるわ。パスワードは“kazoku”よ」

あからさまなパスワードに当惑したアスカは視線を泳がせた結果、自らの隣りにいけにえを見つける。

「バカシンジ、アンタなに一人でそしらぬ顔してんのよ!」

サーチ&デストロイはアスカの信条だろうか?

「なんだよ! そんなの僕の勝手じゃないか」

パイロットとしての自覚が足りないわ! パスワードは聞こえてたんだから後で見ようと思ったんだよ。…そう、よかったわね。クワっクワワ。などと口ゲンカを始めたので、ノートを閉じてお風呂にお湯を張りにいくことにした。



時は常夏、
日は夜、
夜は九時、
綾波に露みちて、
アスカなのりいで、
彼、床に這ひ、
ペンペン、そこに知ろしめす。
すべて世は事も無し。




……なんてね。


****


ぼすぼす。ふすまのノックは間抜けだ。

「シンジ君、ちょっといい?」

『……ミサトさん? どうぞ』

ふすまを開ける。

「夜中にごめんなさいね」

ベッドの上でSDATを聞いていたらしい彼は、上半身を起こしてイヤフォンを抜いたところだった。

「いえ」

彼の前まで来て、床に正座。

「どうかしたんですか?」

「明日のことを聞いておこうと思ったの」

明らかに動揺した彼がSDATを取り落とす。

「明日のお墓参り、気が進まないなら無理に行かなくてもいいのよ?」

「……でも」

かぶりを振る。

「まず、シンジ君の気持ちが大切なのよ。大人の都合は後回しでいいの」

「……僕の……、気持ちですか?」

今度は首肯。

「お墓参りっていうのは気持ちなの、亡くなった方へのね。
 だから本人の気持ちが伴っていなければ却ってお母さんに失礼よ?」

本当のところ、墓参りというのは生きている者が己のために行うものだと思う。
かつて父さんが言っていたことも、つまりはそう云うことだったのではないのだろうか。

もっとも、父さんの真意は綾波の正体を悟らせない事にあったのかもしれなかったが。

いくら自分や彼が鈍感でも、母さんの写真を見ればそれが誰に似ているのか気付いたことだろう。

気付いたところで、母方の親戚だと誤魔化されるのがオチのような気もするけれど。


それはともかく。

墓参りそのものが嫌でないことは解かりきってる。これは誘い水だ。

「……墓参りが嫌ってわけじゃないんです。その……」

彼の視線が泳ぐ。
だが、いくら捜したところで助けになるようなものなどあるはずもなく。

「……父さんが苦手で」

「ご一緒したくないのね?」

彼が頷いた。

「私は父を憎んでいたからシンジ君とは少し違うけど、気持ちは解かるつもりよ」

「憎んで……、ですか?」

「私の父はね、自分の研究、夢の中に生きる人だったわ。

 そんな父を赦せなかった。憎んでさえいたわ。母や私、家族のことなど構ってくれなかった。
 周りの人たちは繊細な人だと言っていたわ。
 でも本当は心の弱い、現実から、私たち家族という現実から逃げてばかりいた人だったのよ。
 子供みたいな人だったわ。
 母が父と別れた時もすぐに賛成した、母はいつも泣いてばかりいたもの。
 父はショックだったみたいだけど、その時は自業自得だと嗤ったわ。

 けど最後は私の身代わりになって死んだの、セカンドインパクトの時にね。
 私には判らなくなったわ、父を憎んでいたのか好きだったのか」

胸のロザリオを弄ぶ。
かつて聞かされた言葉を元に彼女の記憶を掬い上げると、まるで我が事のように胸が痛んだ。

自分が彼女に共感するように、彼女も自分に共感してくれているのなら心強いのだけど。

「一緒に行きたくないなら、時間をずらしていってもいいのよ?
 先に行ってお花でも供えておけば、司令にも伝わるでしょうし」

提案の内容を呑みこんで、彼がちょっと呆ける。
3年前に逃げ出して以来、別個に行くという選択肢すら思い浮かばなかったのだろう。自分にもそんな憶えがある。

彼が望まないのなら、無理に会わせる必要などないのだ。


ペアレンテクトミーという治療法がある。

気管支炎や喘息、血管神経性浮腫などの心因性の疾患の対策として、子供を問題のある親から引き離す手法だ。

病気の原因になりうるほどに、子供にとって親の存在が大きいということだろう。

それは、逃げるとか逃げないとか、そういうレベルの問題ではない。

彼と父さんの関係に当てはめるのはいささか強引だが、彼の自立に役立ちそうなので参考にしている。


それに、中途半端に相手を理解した気になると、却って後々の傷が大きくなるのだ。


……

しかし、

「……いえ、折角ですから父さんと一緒に行きます」

しばらく考え込んだのちの、彼の返答は予想外だった。

……

「大丈夫なの?」

はい。と頷いて。

「ミサトさんの話を聞いてて、生きてる間に向き合わなきゃって思いました。
 ミサトさん、後悔してるんでしょ。お父さんのこと」

彼の言葉が、胸の傷から彼女の記憶を吹き出させる。2年間の、心の迷宮の軌跡。

それは、ぬか喜びと自己嫌悪を詰めて、後悔で封じた万華鏡だった。

何度でも形を変えて現れ、自分を引きこもうとする。

……

「ミサトさん」

気付くと彼の顔がそばにあった。ベッドを降りてひざまずいている。

いけない。彼女の記憶に囚われて、また泣いたらしい。

ポケットからハンカチを取り出す。楝色のそれは、ほかならぬ彼からの昇進祝いだ。

「ごめんなさい。
 私が出来なかったことをシンジ君がしてくれてるようで、嬉しかったの」

嘘だ。彼女の記憶ゆえに涙した。

でも、本音だった。
自分に出来なかったことを彼が乗り越えようとしていることを、心の底から歓んだ。

本当は怖いです。と頭を掻いた彼を抱きしめてあげたかった。


****


ぼすぼす。ふすまのノックは間抜けだ。

『…葛城三佐』

「…レイちゃん? いいわよ」

ふすまが開いた。枕を抱えた綾波が入ってくる。

もともとノックも挨拶もなく唐突に入室してきたものだが、アスカに見つかった途端に殲滅……もとい、矯正された。

「いつでも来ていいと葛城一尉は言ったのに」と恨みがましくアスカを見つめていた綾波が可愛いらしかった憶えがある。

「先にお布団に入っていてね」


 ――綾波の部屋にベッドが運び入れられた日、彼女のシンクロ率は暴落した。
リツコさんがヒステリーを起こす横で、その日一日の出来事を反芻したものだ。

もしやと思って耳元でささやいたのち、急回復したシンクロ率に、リツコさんに詰め寄られたりした。

以来、頻度は徐々に減ってきつつあるが、綾波が寝床に忍んでくるようになったのだ――



ブラシでくしけずっていた髪をネットでまとめ、化粧水を手にしたところで鏡に映る綾波の様子に気付いた。

自分の枕を備えつけ終えた彼女は、体育座りで自分の作業を見守っていたようだ。

「…レイちゃん。こっちにおいでなさい」

無言でやってきた綾波を、鏡台の前に座らせる。

おろしたてのパジャマ姿。

藍染めのグラデーションは、染め残された襟元から白殺し~瓶覗~水浅葱~浅葱~露草と徐々に色味を増してゆき、裾に至るまでに薄縹~縹~藍~納戸~紺と色づいてゆく。青裾濃という伝統的な染め方を現代風にアレンジしてあった。

このご時世、紺掻き職人は少なくて手に入れるのには苦労したが、その甲斐あってかとても似合っている。

このパジャマのように、綾波自身も色を重ねてくれると嬉しいのだが。


もちろん、この寝間着を与えるまでにも一悶着あった。

普段着など、色々と買い揃えるために連れていったデパート。
最後に寄った寝装具売り場を一瞥した綾波は、あれがいいから。と呟いたきり口を閉ざしたのだ。

こうなると綾波は、ATフィールドでも張ったかのように何者をも受け付けない。

その場は仕方なく戦略的撤退を図った。

おそらく、なにか刷り込みでもあったのだろう。
綾波にとって、お下がりのあのパジャマが大切なものになったのだ。ライナスの毛布のように。

拘りができることは、子供の成長にとって悪いことではない。自我が芽生えた証拠でもある。

ただ、毎日洗濯すべきパジャマに拘られると不都合があった。洗い替えがないのだから。


そうして本日、バスルームにて再戦と相成ったのである。

この日のために用意された専用言霊決戦兵器「毎晩着ると傷むわよ」は、綾波のATフィールドを完膚なきにまで粉砕。

すかさず繰り出した「一所懸命探したの、…レイちゃんに似合いそうなパジャマ」はプログナイフより滑らかに綾波のコアを貫いたようだ。

こうして、用意しておいた寝間着を装備させるに至ったのであった。


ブラシを手にして、色素のない綾波の髪をくしけずる。

太陽光では浅葱色に見紛う綾波の頭髪は、暖色の蛍光燈の下で淡い菖蒲色に見えた。

「…なぜ」

「こうして毛先を揃えておくと、髪が傷みにくくなるのよ」

「…すぐにまた乱れるわ」

「そうね。でも小さな積み重ねが大きな違いに育つのよ」

「…解る気がする」

ブラッシング中でもお構いなしに頷くので油断ならない。

しゅっ、と髪を梳く音だけが部屋を満たす。

……

「…今日、碇君に言われました。
 お母さんって感じがした……と」

そういえば、自分もそんな事を言った憶えがあった。

「…主婦が似合ってるかも……と」

……

「そう。
 それで…レイちゃんはどう思ったの?」

こちらが微笑むのを鏡越しに見止めて、綾波は頬を染める。

「…頬が熱くなりました。私、恥ずかしかったの? …なぜ、恥ずかしいの?」

当時は、てっきり怒らせたものだと思っていたが。それとも前回とはちがうのか。

「……それは、自分の将来を想像したからじゃあないかしら」

「…将来?」

「ええ。
 男の人に惹かれて、結ばれて、子供を産んで。女の子の幸せの一つね」

しゅっ、と髪を梳く音だけが部屋を満たす。

「自分がそうなった姿を想像したんじゃない?」

「…わからない」

しゅっ、と髪を梳く音だけが部屋を満たす。

「男の子が女の子にそういうことを言うのは、その子にそうなって欲しいから。その相手が自分だと良いと思うからよ」

綾波の体がこわばった。

「…碇君は、私とそうなりたいの?」

鏡越しに苦笑を見咎められてしまった。

自分もそうだったが、彼も特に深い意味で言ったわけではあるまい。単なる場つなぎ、その場しのぎだ。

「シンジ君はそこまで具体的に考えているわけではないと思うわ。
 でも、…レイちゃんとのそういう可能性を考えることがやぶさかではないのね。
 好ましいと感じているのよ」

「…好ましい?」

「女の子として魅力的ってことよ」

こわばりをほぐすように、あいた手で肩をなでてやる。

「…魅力的。人が人に感じる憧憬。
  異性をひきつける要素をもつこと。

 …異性。違っていて惹かれるもの。
  結びついて補うもの。つがい。

 …つがい。人の絆の一形態。
  補完された異性。
  ヒトの単位。
  次代を生む組合せ。

  異性に求められること。
  それはヒトとしての悦び。選ばれたことの歓び。補完されることの喜び。

  そう。私、求められたことが嬉しいのね」

ぽつぽつと呟いていた綾波が、視線を上げた。

髪を梳きすく仕種を目で追う。

しゅっ、と髪を梳く音だけが部屋を満たす。



「…私は、葛城三佐が、お母さんって感じがする。…なぜ?」

鏡越しにこちらの様子を伺っていた綾波が、探るように視線を合わせてくる。

「あなたたちが居るからよ」

「…私たちは葛城三佐の子供じゃない」

いいえ。と、かぶりを振る。

「血の繋がりは関係ないわ。
 子供がいて、見守るものが居る。それが親子よ。
 親という字は、木の上に立って見ている。と書くでしょう。それは、子供を心配している姿なのよ。
 逆に、血が繋がっていても親子じゃないものも居る。親であることには自覚と努力が必要なの。
 私の父親やシンジ君の父親は自覚のない親ね」

左手で、胸にさげたロザリオを弄ぶ。

「…碇司令は父親ではない?」

「そうね。子供を見ない親は親ではないわ。
 親子の絆は固いけれど、それはヒトが最初に与えられる絆だから、もっとも長い時間をかけて育まれる絆だから。
 それを投げかけてあげられない者は、親ではないわ」

彼女の記憶、自分の記憶。十文字に交わって形をなした錨が、左手の中で重い。

深みへと引き摺られて、浮き逃れるあぶくのように涙を搾り取られそうになる。

「…私、碇君に言った。
 碇司令の子供でしょ、信じられないのお父さんの仕事が。と」

ぶってしまった。と見つめているのはその右の掌。

「…私、羨ましかったの?
 私よりも確かな絆を、碇君が持ってるように見えたから?」

きゅっと握りしめた。

「…私、怒ったの?
 碇君がそれを、ないがしろにしているように思えたから?」

かすかに震えている。

「…そう。
 私、妬んだのね」

何かを求めるように、おずおずと開かれた。

自らの裡の暗い情念に、綾波は初めて気付いたのだろう。

大丈夫だよ、綾波。それはヒトならば必ず通る道なんだ。

綾波の、成長の証なんだよ。

「…私、何も知らないのに。自分本意に思い込んで、一方的に碇君を……傷つけた?」

さまよった綾波の右手が、ロザリオを握りしめた左手に触れてきた。

心なしか、十字架がその重みを減じたような。

「どうかしら」

傷ついたわけではなかった。ただ驚いて、解からなくて、落ち込んだだけだった。

今なら解かる。
あれが綾波なりの拙いパトスの発露だったことに。外界を受容して内面に生まれた、綾波の心のさざなみだと。

「…こういう時、どうしたらいいか知らないの」

「言わなければ良かったと思ってる?」

こくん。

「なら、謝ればいいの「ごめんなさい」って。
 過ちを認める言葉、謝罪の言葉、赦免を請う言葉よ」

「…赦さ……れる?」

「赦してもらえなくても、まず謝罪することが大切なの」

涙を押しとどめて、鏡の中の綾波に微笑みかける。

「一時の感情がその人のすべてではないわ。だから、人は赦すことを憶えるの」

それは、本当に綾波に向けた言葉だったのだろうか?

なぜか、こわばっていた左手が自然とほどけてゆくのだ。

「大丈夫。シンジ君は赦してくれるわ」

音をたてて、銀のロザリオが滑り落ちた。

「もし、赦してくれなくても、それもまた一時の感情なの。
 それがシンジ君のすべてではない」

その掌に刻まれるように残された十字架の跡。たとえ今は消えなくとも、生きていけば、いつか。

「そのときは、…レイちゃん。あなたが赦してあげるのよ」

…はい。と頷く綾波の体を、ぎゅっと抱きしめた。


****


「そろそろお暇するわ。仕事も残っているし」

リツコさんが一足先に帰ったとき、唐突に綾波のことを思い出したのは、彼女に隠れて見えなかった位置に活けてあった紫陽花の色のせいか。

かつての記憶では、この日。綾波は父さんと行動をともにし、しばらく学校を休んでいる。

作戦部に提出された予定では定期的な精密検査となっていたが、健康面の管理者たるリツコさんが居なくて誰が、何を検査しているのだろう?

昨晩、綾波が寝所にもぐりこんできたのは、それと無関係ではなかったかもしれない。気付いてあげるべきだった。

「なに、考えてるんだ?」

ロックのグラスを、カランと鳴らしてキザに。加持さんだ。

視線の先の紫陽花をなんと見ただろう。

「子供たちのことよ」

学生時代の友人の、結婚式の帰り。ホテルの最上階ラウンジで、3人だけでの3次会だった。

「つれないなぁ。こんな佳い男が隣りに居るっていうのに」

TOKYO-3のグラスに口をつける。

ウォッカベースにミルクとフランジェリコの2層仕立て。
表面に各種ナッツパウダーで描かれる図形は毎回異なるらしく1杯目はアーモンドのハートで、2杯目はピスタチオの花。今回はヘーゼルナッツの星だった。

強いアルコールを甘さと香ばしさで覆い隠した、まさに第3新東京市のようなカクテルだ。

「母親は子供が最優先よ」

一口ごとにミルクとフランジェリコの混ざり具合が変わって、口当たりを変えてゆく。それを愉しんでいるうちにウォッカに殲滅される。そんなレシピだった。

「すっかり母親稼業が板についたな」

「……意外だった?」

「ああ」

出会ったときはまるで男だったからな。と傾けるグラスの中で、同意してか氷が鳴る。


初めて加持さんに出合った時に突きつけられたのは、かつて彼女と加持さんが付き合っていた事実だった。

今から思えば迂闊だったとしか言いようがないが、その姿を目にするまですっかりそのことを失念していたのだ。

いや、憶えていたとして、じゃあ加持さんと女として付き合えるか? と問われれば、そんな覚悟はとてもできない。と答えるしかなかっただろうが。

いま考えればたいしたミスではないと思えるが、当時の自分は違った。

男女のなれそめとしては最低の部類に入る出会い方をしてしまい。歴史のボタンを掛け違えてしまったと思い詰めて動揺し苦悩し絶望した。

たまたま月の障りが酷かったことも重なってすっかり自暴自棄になり、1週間も閉じこもったのだ。

リツコさんが様子を見にきてくれたことで立ち直り、最終的には加持さんとの友情も結ぶことができたが、この一件はかなり尾を引いて自分を苛み、以降の交友関係に影を落とした。

特にドイツ第3支部勤務時代など、かつての知己としては3人目となるアスカに対して中途半端な態度を示してしまったことを、今でも悔やんでいる。
加持さんと交渉のない今回、アスカと打ち解ける最大の機会だったというのに。

結局この呪縛が解けたのは、無事に作戦部長を拝命し、第3新東京市に赴任してきた時だっただろう。
大勢のかつての知己との初対面に、多少の人間関係の誤差などどうでもよかったのではないか? と考えられるようになったのは。


「最悪の出会いだったわよね。私たち」

「……そうだな」

飲み干したグラスを掲げて、ボーイを呼んでいる。

かつての加持さんの行方を、自分は知らない。
留守電の内容と彼女の態度から、死んだのではないかと推測できるだけだ。

彼女が大好物のビールを一切口にしなくなったほどの出来事とは、それぐらいではないかと。


…………

『遅いなぁ、葛城。化粧でも直してんのか?』

『京都、何しに行ってきたの?』

『あれぇ松代だよ、その土産』

『とぼけても無駄、あまり深入りすると火傷するわよ。
 これは友人としての忠告』

『真摯に聴いとくよ』

…………


さっき席を外した時、自分のバッグに仕掛けておいたマイクが拾った会話。

こんなこともあろうかと仕組んだ、真ん中の席。

加持さんがスパイであるのは間違いがない。上層部がそれを把握していることも。

彼が死んだとすれば、原因はおそらくそれだろう。

問題は自分がどうしたいか、だが。

いや、もちろん救けたい。自分にとっても加持さんは大切な人だった。

恋人であった彼女にとっては言うまでもなかろう。

かつて、泣き崩れる彼女に対して、子供だった自分は何もしてあげられなかった。

それが慰めになるというのなら、減るもんじゃなし、肉体なんかいくらでも与えればよかったのに。

傷の舐め合いすら怖れた自分の臆病さに、今更ながら反吐が出る。

だから、彼女の体を借りている今、彼女の代わりに全力を尽くすことは必要なことだと思われた。



蘇比色のワンピースは優しいオレンジの色合いで、一番のお気に入り。

合わせたボレロは深めのグリーン。深木賊色。

花橘と呼ばれる伝統的な配色を、自分なりにアレンジしてある。

銀色のロザリオには不似合いだが、それは致し方ない。十字架から、逃れ得るはずもなく。

まとう香りはカーブチーと月桃のブレンド。
綾波の沖縄土産の香袋は、このコーディネートのためにあつらえたかのようだ。

「加持…君。……私、変わったかな?」

高いヒールは苦手だけど、今日は我慢。

イヤリングで耳が痛いけど、それも我慢。

「綺麗になった」

奨められるままに使徒殺しの異名を持つカクテルを干したのは、覚悟したからだ。

「……あなたは変わらないわね。ふらふらとしてて、いつ居なくなるか判らない」

彼女に出来なかったことが、自分に出来るとは思えない。
だが彼女の知らない結末を知っていることがアドバンテージになるはず。

「……お酒、好きじゃないの知っているでしょう? 甘いのを奨めてくれてありがとう」

さっき席を外した、本当の理由。1階のフロントまで往復してきたから。

「……私は、あなたの錨になれるかしら?」


13年目にして、ようやくできた覚悟。

カードキーをカウンターに置いた。




                                                         つづく

special thanks to ジョニー満さま(@johnny_michiru)
ジョニー満さん(@johnny_michiru)に、この話のイラストを描いて頂きました。ありがとうございました。
(パジャマ姿の綾波が最高に可愛いです。d(>_<))
Twitterで、dragonfly(@dragonfly_lynce)を検索してみてくださいませ。

special thanks to ジョニー満さま(@johnny_michiru)
ジョニー満さん(@johnny_michiru)に、ミサトの勝負服姿のイラストを描いて頂きました。ありがとうございました。
(とても似合ってるのに決死の覚悟な表情で雰囲気を台無しにしちゃうミサト(シンジ)が愛おしいです d(>_<))
Twitterで、dragonfly(@dragonfly_lynce)を検索してみてくださいませ。



2006.09.19 PUBLISHED
..2006.11.02 REVISED
2021.05.20 ILLUSTRATED
2021.10.16 ILLUSTRATED



[29540] シンジのシンジによるシンジのための補完 第拾弐話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/17 23:44




その背中に銃口を突きつけた。

ちらり、と向けられる視線。

「やあ、男にフラレたヤケ酒の味はどうだった? 葛城」

ゆっくりと差し上げられる両腕。右手には赤いカード。

「飲むわけないでしょ、お酒嫌いなのに。
 昨日は夜通しアスカ…ちゃんに慰めてもらったんだから」

ぐりぐりと銃口を押し付けて、苛立ちを演じる。

加持さんを陥とせなかった自分が次に打った手は、それをアスカに対して利用することだった。

それがなんだか後ろめたくて、ついつい手に力がこもる。

「そうか、それじゃあ貸しは返してもらったことになるかな?」

嘆息。しようとして、うかぶ疑問。

「貸しってなに?」

「あっ、いや…」

なんだか話しにくそうだったので、銃口を後頭部に突きつけなおしてお手伝い。

「……いや、なに。
 アスカに頼まれて葛城の執務室のロック、外したことがあってな」

そうか。
どうやって開けたのか謎だったのだが、加持さんの仕業だったか。言われてみれば確かに、この人以外にはありえないと解かるのだが。


余計なこと、と言い切れないのがまた腹立たしい。あの件は、ドイツ時代の失点を補うに充分であったろうと思えるから。

ぐりぐりと照星部分で念入りに。今度は演技ではない。

あいたた、と声をあげる加持さんのわざとらしいこと……

……

嘆息。

「まったく、一世一代の覚悟だったのに」

銃口をそらす。セィフティは外していない。もとより撃つつもりなんかないのだ。

「3人の子持ちのマリア様じゃ、俺の手に余るんでね」

ホント信じられない。と拳銃をしまう。

「こいつは勲章代わりに貰っとくがね」と、赤いカードの後ろから扇状にスライドして見せるホテルのカードキー。
プラスチック繊維製のカードは、一晩限りの使い捨て。

昨夜の決意が、殺意に変わりそうだ……


……




地下2008メートル

ターミナルドグマ

「これがあなたの本当の仕事? それともアルバイトかしら」

こめかみを押さえて、冷静さを取り戻そうと必死に努力する。

「どっちかな」

LCL生産プラント、第3循環ラインの表示が赤い。

「特務機関ネルフ特殊監査部所属、加持リョウジ。
 同時に、日本政府内務省調査部所属、加持リョウジでもあるわけね」

バレバレか。と加持さんが顎をしごく。

「ネルフを甘く見ないで」

「碇司令の命令か?」

持て余した赤いカードを手の上で躍らせている。

「私の独断よ。これ以上バイトを続けると、死ぬわ」

「碇司令は俺を利用してる。まだいけるさ」

なるほど。単なる内調のスパイではなくて、ネルフ側からのスパイでもあったわけか。
ダブルスパイともなれば死ぬ理由には事欠くまい。

「だけど、葛城に隠し事をしていたのは謝る」

「昨日のお礼に……、」

つい本音を言いそうになった。
覚悟はしたものの、完全に女になりきることに不安がなかったわけではない。

しかも、相手は加持さんなのだ。いろんな意味で抵抗が多かった。

おそらくは、そう云った自分の不安を嗅ぎ取ってくれたのだろうが。

いや、二人の出会いを考えれば、加持さんが未だに自分のことを女と見做してない可能性もおおいにあるか。



――出会って暫くしたころ、母親に会いにゲヒルンに行く。というリツコさんにかなりしつこくおねだりした。

ジオフロントがどうなっているのか、この目で確かめたかったのだ。会えるものなら綾波にも会いたかったし。

傍目には、嫌がる女に執拗につきまとうナンパ男に見えただろう。
事実、そう見えたという加持さんの手によって殴り飛ばされたのだが。

いきなり顔を殴られたことに驚く暇もなく、殴りつけてきた相手が加持さんだということに驚かされた。

次いで、彼女と加持さんが付き合っていたことを思い出して、愕然とする。
二人のなれそめは想像するしかないが、少なくともこんな最低の出会いではなかっただろう。

加持さんとの関係は修復不能だと思い込んだ自分は、もう世界を護ることができないと早合点して、泣きながら逃げ出した。

我ながら短絡にもほどがある。


それはともかく。

やり直せることの嬉しさに舞い上がっていた自分は、このときに冷水を浴びせかけられたのだ。

使徒襲来までの13年間。自分が確かな指針は何も持ってなかったことに気付かされたといってよい。

それ以上のイレギュラーの発生を恐れて、なるべく彼女らしく振舞おうとした。酒は好きになれず、車にも興味が持てず、かなり無理をしていたような気がする。

彼女が通ったであろう見えない道筋を探して、歴史を変えてしまうことに怯えて過ごした10年だった。

無事にネルフの作戦部長に納まった今なら、使徒襲来という大事件の前に、一個人の交友関係などにどれほどの意味があるだろう?と開き直れるのだが――



「……無礼を詫びさせるまでは生かしといてあげようかしら」

左手の中に消した赤いカードを、右手から取り出している。

先刻にからかわれた時も思ったが、相変わらず器用なヒトだ。

「……そりゃどうも。
 だが、司令やりっちゃんも君に隠し事をしている。それがこれさ」

加持さんがスリットにカードを通すと、ロックが解かれて隔壁が開き始めた。

……

十字架にかけられた白い巨体。

「これはエヴァ? ……まさか!」

「そう。セカンドインパクトから全ての要であり始まりでもある。アダムだ」

「アダム。あの第1使徒が、ここに……」

こいつの姿は一度だけ見たことがある。カヲル君を殺した時だ。

拳を握り締めて、痛みに耐える。今は記憶に囚われて泣くべきところじゃない。

ぎりぎりと、右奥の義歯が悲鳴をあげた。

だが、白い巨体の前に彼の幻影が見えてしょうがないのだ。

友達を殺した記憶を封じようとして、白い巨体から目を逸らそうとした時だった。脳裏に浮かぶ友の姿に違和感を覚えたのは。

あの時、カヲル君は驚いていなかったか? 打ち倒した弐号機の向こうで、彼は立ちすくんでいたのではないか?

彼は何に驚いたんだ? おそらくは求めていたであろう物にたどり着いて、なぜ立ちすくんだのだ?

何かが違っていたのだろうか?

手懸りを求めるも、白い巨人からは何も読み取れない。あの時と違うのは、槍が刺さっていて下半身がないことくらい。

槍がないことに驚いた? 下半身があることに驚いた?

違うような気がする。

槍があることに驚くなら、下半身がないことに驚くなら、理解できる。

思っていたような姿じゃなかった?

目前まできていて、それは間抜けすぎる。


……アダムが流す血。なぜか赤いその体液はとめどなく滴り落ちて、赤い湖に注ぎ込む。


そもそも彼は何のためにここまで来たんだろう?

アダムに会いに?

アダムにまみえたあと、彼はろくな抵抗もせず、いやむしろ進んで、自分に殺された。

アダムに会って、それで満足だった?

思い残すことがなくなったから、死んで構わなかった?

いや、あの時点で彼は積極的に死を選んだように思える。

生と死が等価値なら、なぜ彼は死を望んだのか?

 死を選ぶためにここまで来たのか?

  わざわざ死に場所を探していたのか?

   生を選ぶためにここに来たのではないのか?

生を望むために来ていたのなら、その目的はアダムだっただろう。

死を選ぶための目的がアダムなら、自分の手にかかる必要はなかったと思えるから。

つまり、彼は生を掴めなかった。
ゆえに死を望まざるを得なかったが、それをアダムは与えてくれなかった。ということではないだろうか?

それは、アダムが彼に生を与えてくれなかったということだ。

では、何故アダムは彼に生を許さなかったのだろう?


いや……、これは、いくら考えても答えの出る問題ではない。情報が少なすぎる。

ただ、アダムと使徒の接触がサードインパクトを生じなかったことについて、類似の事例があった。

かつて、この槍を精神汚染使徒に対して使った時だ。

『アダムとエヴァの接触は、サードインパクトを引き起こす可能性が!』

彼女の懸念は黙殺され、槍が使われた。

これから考えられる推論は二つ。

一つは、アダムと使徒の接触がサードインパクトを起こすというのが、嘘の場合。

だが、これはカヲル君が驚いたことに合致しがたい。

一つは、これがアダムだということが、嘘の場合。

嘘の理由はわからないが、彼が驚くに値すると思う。驚愕ってことだ。

どちらも嘘。という可能性すら存在するが……、そこまで疑っていては推測すら始められない。


だが、おそらく、これはアダムではないのだろう。

アダムに似て非なる者。使徒を誘引する物。つまり、第一使徒と同格のモノ。

だとすれば、これこそが彼女の言っていたヤツなのかも……

「確かにネルフは、私が考えてるほど甘くないわね」

正直な感想だった。



さて、当面の問題は加持さんの処遇だ。

彼がこれを本当にアダムと思っているのか、それとも承知の上で嘘をついているのかは判らない。

嘘をついているなら、こちらがその嘘に気付いたことを悟らせるべきではない。

本気で思っているなら、不用意な情報を与えるべきではない。

……

いや、そういえばスイカ畑で教えられたことがあったか。

『使徒がここの地下に眠るアダムと接触すれば、ヒトは全て滅びると言われている。サードインパクトでね』と。

……

だが、いずれにしろ情報が少なすぎて、加持さんがどう動くか予測するのは難しい。

色仕掛けも通用しなかったし、どうすれば彼を救えるだろう。

それとも加持さんの命は諦めて、情報を引き出すことだけに専念すべきだろうか?

悩んでいる暇はない。
いつまでもここでこうしているわけには行かないのだ。握りしめたロザリオは、往くべき道を指し示してはくれない。

どうすべきか決めかねたまま仕方なく、用意していた最後のシナリオを開く。

拳銃を抜き、セィフティを外して、狙いをつける。ここまでを一動作で済ます。いや、その間に視界がにじんで、狙いはあいまいだ。

「特殊監査部所属、加持リョウジ。
 あなたを旧伊東沖決戦時の敵前逃亡・立入禁止区域への無断侵入・作戦部長執務室への不法侵入幇助・なにより絶世の美女を袖にした罪で銃殺刑に処します」

銃口を突きつけられているのに、加持さんのにやけ顔はこゆるぎもしない。まあ、この状態では当たるものも当たるまいから当然か。

「そいつぁ困った。情状酌量の余地は?」

「絶世の美女に恥をかかせた時点で、微塵も」

言葉尻に被せるように、即答。

自分で言っていて恥ずかしい。頬が熱くなってきているのがわかる。彼女なら心の底から臆面もなく言い放つのだろうが。

これは、必要なゆとりなのだ。
真剣でなければ、相手の心を揺るがせない。しかし、譲歩の余地もないと思わせてしまっては、却って頑なにさせてしまう。

そのために用意した、隙だった。


「司法取引ってのはどうだ?」

つまり、知ってることは話すという意味だ。ちょっと考えるふり。

「情報によるわね」

「こいつに見合うだけのネタは約束するよ」

いつの間にやら指先に挟んで、ホテルのカードキー。



思わず引き鉄を絞りそうになって銃口をそらす。
念のため初弾は空包にしてきたが、この距離では木製弾頭でも安全とは言いがたい。

「からかわな¨い…で .... 」

恥ずかしさに染めた頬を、怒りのせいだと強弁するために怒鳴りつけた言葉尻が、勢いを失った。
てっきり、にやけ面をほころばせていると思ったのに。


見たこともない、真剣な眼差し。恐いくらいに。

こんなにまっすぐに見つめられたことは、ついぞなかったように思う。

あのカードキーは、自分にとっては覚悟の象徴だった。

自分の覚悟を、加持さんはどう受け止めてくれたのだろうか。


銃口など眼中にない。という風情で間を詰めた加持さんが、目尻を拭ってくれる。
人差し指の背ですくい上げる仕種が、なぜかちっともキザったらしくなかった。

思わず下がった銃口を、肘を曲げてひきつける。結果が出るまでは、芝居の幕を引くわけには行かない。

「思い詰めるとそいつを握りしめる癖は、変わらないな……」

加持さんの手は、意外にも熱かった。
視線を外してくれないから確かめられないけれど、いま左手を包み込んでくれているのが加持さんの手であるならば。

そのまま一本一本と指を解かれて、ささえを失ったロザリオが胸元に、ことん。

肝に銘じとくよ。と加持さんが一歩下がった。

……

なにを。と問い質そうとする気配を察してか、くしゃりと戻るにやけ面。

「それに、葛城には貸しがひとつ、あっただろう?」

ぱちん。と音が聞こえてきそうなウインク。

ものの見事にはぐらかされてしまった。この雰囲気から話題を戻す技術も神経も自分にはない。

貸し。
……周辺地域に甚大な被害を及ぼした落下使徒戦。その後始末についてだろう。


――当然のように寄せられた関係各省からの抗議文と被害報告書。周辺自治体からの請求書。広報部からの苦情。それらを片付けるアイデアを与えてくれたのだ。

一言で云えば「MAGIにやらせろ」でしかないその提案は、口で言うほど容易くはない。

MAGIの使用権限は厳密に割り当てられていて、事務作業のような優先順位の低い案件を割り込ませる余裕はないのだ。

だが、受け取ったメモリデバイスには、監査部が確保していて使用していない権限枠の一時譲渡、作戦部長が事務作業に忙殺されることによって使徒戦に及ぼす悪影響の考察が正式な書類として作成されていた上に、承認済を示す副司令の電子サインまで取得済だった。

最終的に副司令自らが調停役として矢面に立つことを確約する覚書まで添付されているのを見た時は、そのあまりの手回しのよさにめまいを覚えたほどだ。

いたれりつくせりである。

あそこまでされてしまうと、他の手段は採りようがない――



セィフティをかけて、拳銃をしまう。

「……押し売りっぽい貸しだったけど、まあいいわ。
 アスカ…ちゃんがおやつ当番なの、最低でも週に1回の差し入れ。
 それが遂行されているあいだ執行猶予」

「了解だ。刑に服そう」

これは儀式だった。素直でない大人が、本音を隠して物事を進めるための。

「執行猶予中に許可なく死なないでね」

「真摯に聴いとくよ」


****
#2
****


『レイ、シンジ。用意はいい?』

第3新東京市の外れ。偵察機から送られてくる映像の中、長方形の穴を取り巻くように立つ3体の巨人の姿がある。
それぞれに構えているのは、ノズル付きのホース。

『うん、いいよ。アスカ』

『…ええ、いいわ。弐号機パイロット』

『ちっが~う! ワタシのことはアスカと呼びなさいと言ったでしょ、レイ』

被さるようにアスカの大声。

『…わかったわ。…アスカ』

『それでいいのよ』

アスカは昨晩の約束をもう実行してくれたようだ。即断実行で実にアスカらしい。

声音に多少の照れが窺えなくもないが、やるとなったら割り切って行えてしまえる。それが惣流・アスカ・ラングレィという存在だった。

『ミサト。こっちはいつでもOKよ』

そして、そうゆう時のアスカは実に頼もしい。

「よろしい。
 作戦開始の合図があってランチャーからミサイルが発射されたら、あとの細かい判断は各自にまかせるわ」

『わかってるわ』

『はい』

『…了解』

やっぱり好きなんだ。何の話よ?…葛城三佐は待ち伏せが好き。との無駄話はつとめて無視だ。


天井を除去した第07吸熱槽をドレーンして確保した空間に、厚めに硬化ベークライトを敷いてある。こういうこともあろうかと、最上層の吸熱槽のいくつかは上面装甲板を取り外せるように手配してあった。


「それでは、コンバットオープン。アタックナウ!」

エヴァたちが遠巻きに見守るなか、中央に設置されたランチャーが対空ミサイルを吐き出す。
MAGIに誘導され、市街地上空へ。

第3新東京市ゼロエリアにて悠然と浮遊していたゼブラパターンの球体は、ミサイルが接触したと思われた瞬間に忽然と姿を消した。

「パターン青。第07吸熱槽中央部です」

直径六百八十メートルの真円の闇が吸熱槽の真ん中に現れるや、たちまちのうちにランチャーが呑み込まれていく。

『『『 フィールド全開! 』』』

3人が協力して織り上げたATフィールドは肉眼で確認できるほど視界をゆがませて、黒円を覆い尽くしたことを誇示した。

『ゲーヘン!』

アスカの合図とともに、3機のエヴァがそれぞれ保持するホースから赤い液体がほとばしる。硬化ベークライトだ。
吸熱槽内壁のバルブからもベークライトが噴射された。

囮を襲って落とし穴に入り込んだところを押さえつけて蓋をする。

殲滅方法の見当もつかないこの使徒の封印をもくろむ。それがこの作戦、バードライムだった。

吸熱槽の半ばまでを覆い尽くして、用意していたベークライトが尽きる。完全に硬化するまで、今しばらくの時間が必要だ。



直径680メートル、厚さ約3ナノメートル。
その極薄の空間を内向きのATフィールドで支えたディラックの海。虚数空間が使徒の正体だとリツコさんが推測した。

ATフィールドで支えているなら、中和すれば斃せるのではないか? と考えないでもないが、ではフィールドを中和された今までの使徒がそれだけで斃せたかといえば、否と答えるしかない。

第一、かつてこの使徒を足止めしようとしたとき、そして呑み込まれたときに、フィールドの中和はさんざん試したのだ。
フィールドを中和して攻撃を行い、それで使徒を斃せれば呑みこまれずに済むだろうと死に物狂いで。

結局、有効な対策が思いつかないがための苦肉の策だった。




……

「ベークライト、完全硬化を確認しました」

「フィールド、解消して」

『…葛城三佐!』

「パターン青。零号機の直下です!」

『レイ!』『綾波っ!』

前面ホリゾントスクリーンが零号機を映し出す。黒々とした底なし沼に、すでに太腿近くまで呑みこまれていた。

吸熱槽は直方体だから、周辺に三機配置すると一機が突出する形になる。
洞察力があるからと、そこに綾波を配置した自分のミスだ。

『…呑みこまれた部位の感覚喪失。
 こちらの行動に対し高い粘性抵抗が見受けられますが、感触がありません』

「シンジ君! ATフィールドを足場に零号機の救出。放り投げて構わないわ。
 アスカ…ちゃんは受け止めて」

『はいっ!』

吸熱槽の上を初号機が駆け出す。目に見えぬ橋を自ら架けて。

零号機も、無抵抗に呑みこまれているわけではないようだ。
黒い水面に両手をついているところを見ると、ATフィールドを張って懸命に踏みとどまっているのだろう。

『ミサト。逆の方が良くない?』

そう言いながら弐号機は、零号機へ直進しない。

「上手く受け止める方が難しいのよ」

『わかったわ』

初号機が闇の上を疾走する。たちまち零号機に取り付き、脇の下に両手を差し入れた。

『シンジ! 左へ』

『わかった』

『…いけない』

綾波が言い終わる前に、零号機を引っこ抜くように放り投げた初号機が沈みこんだ。

『……なっ!? フィールドが』

待ち構えていた弐号機が、危なげなく零号機をキャッチ。

『…葛城三佐。使徒がフィールドを中和しはじめました』

「なんですって! シンジ君、重力遮断ATフィールドは?」

『やってます! でも手応えが! どうしたらいいんですかミサトさん!』

初号機は、早くも腰近くまで呑みこまれてしまっている。

「現状の零号機、弐号機のフィールドは?」

「弐号機は健在。
 零号機、復元しました。
 初号機フィールドは完全に消失しています」

「シンジ君、空中にフィールド展開、掴まれる?」

見えない何かに掴まって体を引き上げた途端、支えを失って落下する。
初号機はそれを何度も繰り返した。

『ダメです!』

仮に呑みこまれても初号機なら大丈夫なのは判っていたが、ためらわない。

「初号機を放棄。プラグを射出します。アスカ…ちゃん!」

発令所トップ・ダイアスから椅子を蹴立てる音が聞こえてきたが、無視。

『判ってるわ。今、向かう』

「使徒の上にフィールド張っちゃダメ!」

近道しようと跳び上がりかけた弐号機がたたらを踏む。
アスカも思い出したのだろう。先だって行われた威力偵察時の、航空隊の末路を。



――攻撃者を足元から呑み込んでいる様に見える使徒に対して、航空機による攻撃を試みることになった。
空中には反撃できないかもと、期待されたのだ。

しかし、姿を消してミサイルを躱した使徒は、丸い影となって、戦闘機の離脱機動を先回りした。
その上空を通過しようとした戦闘機が、壁にぶつかるようにして四散する。

一撃離脱を支援するために牽制射撃をしてしまったVTOL機は、足元に現れた影から逃げるように上昇した。
逃げ場を探すために全弾を撃ちつくして判ったことは、周囲をぐるりとATフィールドに囲まれていたこと。燃料切れで墜落するそのさまが、籠の中で餓死した小鳥のようだった。

おそらくこの使徒は、自身の直上に円筒形のATフィールドを展開できるのだろう――



ATフィールドが届くということは、ATフィールドを中和できるということだ。
あのまま弐号機がショートカットしていたら、初号機と同じように呑み込まれていただろう。

「シンジ君。
 プラグを射出させるわ、対衝撃姿勢。初号機の頭を下げて」

『はい』

位置関係を示した俯瞰図。赤い巨人を示す輝点が、円周に沿って走っている。

「…レイちゃん、使徒のフィールド中和!」

『…了解』

「シンクロカット。プラグ射出!」

中和状況をモニタで確認して、こちらはスタッフへの指示。

「了解。シンクロカット。プラグ射出します」

初号機から射出されたプラグは300メートルほど飛翔し、パラシュートを開くまでもなく弐号機によって回収された。

「シンジ君、大丈夫?」

『はい』

「捕獲用ワイヤ射出。初号機を絡め獲って」

「無理です。間に合いません」

スクリーンに大写しにされる黒円。初号機は呑みこまれきって、影も形もない。

「やってみてから言いなさい!」

「はっ、はい!」

周囲の兵装ビルから鉤つきのワイヤーが複数射出される。
本来は使徒の捕獲、拘束用の装備だが、物は使いようだ。MAGIによって計算され、ガス圧とテンションで操作されたワイヤーが、放物線を描いて影に殺到した。

……

「ワイヤ端センサーに感なし」

モニターに回した、初号機視点の映像。
真っ白だった画面を走査線が乱す。たちまち表示される【信号なし】のインジケーター。

ワイヤーのモニタリングも全て途絶したようだ。

「パターン青、消失。
 目標の波長パターン、オレンジに移行しました」

スクリーンの中、ゼブラパターンの球体が何事もなかったかのように浮いていた。

下から見上げるアングルは、使徒を大写しにしている。今にも落ちてきそうで、なんだか息苦しい。

思わず、喉周りを緩める。

かつて、こいつに呑み込まれたとき、見上げた空すべてを覆う縞模様に圧倒された。押しつぶされそうな存在感に抱いた絶望を、思い出してしまいそうだ。

「アスカ…ちゃん、初号機のケーブル引っ張ってみて」

『わかったわ』

弐号機視点の映像の中、アンビリカルケーブルは黒円に飲み込まれた地点ですっぱりと断ち切れていた。

ワイヤーの巻き戻しは、指示するだけ無駄か。

「アスカ…ちゃん、…レイちゃん。
 いったん仕切りなおすわ、至近の回収ルートから撤退して」


「葛城三佐」

トップ・ダイアスから声をかけられる。碇司令。父さんだ。

「はい」

「なぜ、初号機を放棄した」

「初号機の能力では脱出不可能と判断し、パイロットの生命を優先しました。
 初号機も回収できるよう手を尽くしましたが、力がおよびませんでした」

威圧的なあの赤いサングラスが、父さんの視線を遮ってくれていた。そうでなければ自分が毅然と対応できたかどうか。

それでも辛くて視線をそらすと、ふるふると震える父さんの握りこぶしが目についた。

「葛城三佐、君を……」

父さんの言葉は、盛大な破砕音にかき消される。


『何が始まったの?』

振り返る先、スクリーンの中で影が割れていた。

使徒は3ナノメートルしか厚みがないはずなのに、盛大に地面ごとめくれあがっている。

映像アーカイブで見た流氷や、諏訪湖の御神渡りを思わせる光景。
生々しい赤と毒々しい黒の取り合わせでなければ、荘厳ですらあったろうに。

「状況は?」

「わかりません」

「すべてのメーターが振り切られています」

ゼブラパターンを失って真っ黒になった球体。

……まるで、黒い太陽。
いや、熱気があるようには見えないから、黒き月。と言ったところか。

「まさか、初号機が」

「ありえないわ。
 エントリープラグは射出済みなのよ。動くはずないわ!」

突き破って現れたのは、人のカタチの右手。
特徴的なナックルガードのシルエットが、エヴァの手だと教えてくれた。

吹き出す赤い液体。

使徒なのに、なぜか赤い体液。それがパターンオレンジの原因なのだろうか?

こじ開けるように肉を引き裂いて、赤く染まった鬼面が姿をさらす。

顎部装甲を引き千切って、咆哮。


『ワタシ、こんな物に乗っているの…』

ついに耐え切れなくなって、球体がはじけとんだ。

地面に突き立った初号機が、天に向かって雄叫びをあげる。

使徒の腹に独り呑みこまれて、慌てて目を覚ましたのだろうか? 母さんは。

所どころ装甲が溶けているところを見ると、パイロットが居なかったが故に使徒に直接、侵蝕でもされたのかもしれない。


「なんて物を、なんて者をコピーしたの私たちは」

その答えがあるのなら、自分も是非訊きたいものだ。


血と肉が降りそそぐ中、初号機はいつまでも吼えつづけていた。


                                                         つづく

2006.09.25 PUBLISHED
.2006.10.20 REVISED



[29540] シンジのシンジによるシンジのための 補間 #2
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2021/08/02 22:03



どら焼きを一切れ、頬張った。

京都の老舗の味を写したというそのお菓子は、極太の通信ケーブルを輪切りにしたような形をしている。
背の低い円柱状のこしあんを芯にして、薄く焼いた皮を幾重にも巻いてあるのだ。

修学旅行で沖縄に行って以来、アスカは日本文化に興味を惹かれているらしい。様々な文化の混ざり具合、混ざらなさ具合が好奇心をくすぐるのだろう。

今は和菓子に目がないようで、このあいだは水に遊ぶ金魚を模したゼリーを買ってきていた。

エヴァ以外に関心が向かうのは、いい傾向だと思う。


ばさっ……と、アコーディオンカーテンが引き開けられる音がした。

おそらく綾波が、お風呂から上がったのだろう。

廊下を歩く足音。自分の部屋に直行かな。


「ねえ、ミサト」

「なあに? アスカ…ちゃん」

naaniasukachann……

あらら、思わず打ち込んでしまった。苦笑しながらバックスペースで削除する。

自分が作戦部長という要職にありながら、比較的早く帰宅できる理由。

それが、今使っているノートパソコンだった。

MAGI端末でもあるこのノートは、リツコさん謹製の通信回路と個人認証機能を備え、帯出禁止レベルのデータをある程度まで持ち出し可能にしてくれる。

おかげで、こうしてデスクワークを宿題として持ち帰ることができるのだ。


「……ワタシには無いの?」

「なにが?」


自分が座っているのは、綾波の指定席。
ダイニングで仕事をするときは、照明の具合が一番良いこの場所を借りることが多かった。


……

言いよどむ気配。

「……パジャマ」

……ああ。廊下を歩いていった綾波の寝間着姿でも見てたのかな?

「もちろん、あるわよ」

「あるの! なんで寄越さないのよ」

布地があげた抗議の悲鳴は、アスカがソファーから跳ね起きた音だろう。そのまま、ずかずかと近寄ってくる足音。

「誕生日プレゼントにしようと思って、仕舞ってあるわ」

「ケチ臭いこと言わないで寄越しなさいよ。今すぐ」

背後から、かじりつかんばかりの勢いで首元を抱えられた。

「もうすぐじゃない。我慢しなさいな」

「い~やっ!」

嘆息。

こうなるとアスカは、ATフィールドでも止められない。

まわされた腕にぱんぱんとタップして椅子から立つと、自室に使っている和室へ。


手提げの紙袋を抱えてダイニングに戻ったら、自分が使っていた椅子を胡座で占領して待ち構えていた。

袋から出して、テーブルの上に置いてやる。

……

きちんとラッピングして綺麗にリボンまでかけ終えられたプレゼントの登場に、アスカがたじろぐのが見て取れた。

ペンペン用のベビーチェアをどけて、アスカの指定席から椅子を寄せる。

テーブルの角をはさんで隣りに腰掛けて、うながすようにアスカの顔を覗き見た。

……

「……ファーストには、なんで? 誕生日?」

口で説明するより、見せたほうが早い。

アスカの前にあるノートパソコンを引き寄せて、MAGIにアクセスする。

スロットにIDカードを挿して、目的のデータを呼び出す。

差し出された画面に映る内容に、アスカの視線が釘付けになった。

「……不明。不明。不明って、何よこれ。名前以外は何ひとつ判らないじゃない」

「それが、…レイちゃんの経歴。
 諜報部に拠れば、当時大量に発生した孤児か、コインロッカーベイビーの1人じゃないか。ということだけど」

ちょっとだけ、嘘。
データが抹消されているという不自然さを覆い隠す、カムフラージュだ。

……

「あのご時世に、あの容姿で生れ落ちれば、捨てられても仕方なかったかもね」

キッと睨みつけてきた視線には、目尻にかすかな潤みがブレンドされていた。

だが、言葉はない。

あのアスカが一言も発しないのは、相当に怒っているのだろう。

身寄りも経歴もない孤児だという嘘を補強するためだけの、何気ない一言だったのだが。

睨みつけられるのは辛いが、それ以上に哀しく、それ以上に嬉しかった。「親に捨てられる」その言葉をキーワードに、アスカが綾波の存在に思いを寄せた。そのことが判ったから。

「いつか、…レイちゃんに大切な日ができたとき、誕生日をプレゼントしようと思うの」

それはいつのことになるだろう。行く手の不確かさに気が遠くなりそうだった。

「本当の母親でなければ与えられないモノだけど、私でよければ、私なんかでもよければ、与えてあげたい」

視線を落とす。組んだ指先に落ちる泪滴。

……

嘆息。怒りのやり場を呼気に込めたか、アスカの吐息が熱そうだ。

「ミサトは卑屈すぎるわ。
 ドイツの時ほど酷くはないけど、ワザとらしいぐらいにね。ワタシ、アンタのそういうトコ、好きじゃない」

アスカが今の自分をどう思っているのか。耳にしたのは初めてだろう。

「アスカ…ちゃんに、好かれたいわ」

「なら、堂々と誇りなさいよ。
 天下のチルドレンを3人も立派に養ってるって」

ええ、そうするわ。と目尻を拭うと、アスカも同じ仕種をしていた。

「そうしたら、好きになってくれる?」

「ミサトの心懸け次第ね」

視線をそらしたアスカは、残っていたどら焼きを発見して即時殲滅する。照れ隠しだろう。

いひゅににゃるくぁ、わきゃりゃにゃいきゃりゃ……。もごもごと、食べながら話しかけてくるので、口元を睨みつけてやった。

「アスカ、お行儀悪いわよ」

慌てて口を閉じて、もぐもぐと咀嚼するさまが、とても可愛らしい。

ごっくんと飲み下したアスカが、これまた自分の残りの煎茶をすすった。

行儀には煩いくせに、音をたててすするのはOKって、日本人って解っかんないわね。などと呟いている。

「熱い飲み物が冷めないうちに飲みきってしまうための、生活の知恵なのよ」

熱いものを熱いうちにいただくのは、淹れてくれた者に対する礼儀でもあるのだが。

ふうん。と、ちょっと関心を惹かれたようだ。


それはそれとして。

それで? と促してやると、何か言いかけていたことを思い出したようだ。

「誕生日がいつになるか判らないから、プレゼントだけ先に渡したの?」

ええ。と頷いて、手を伸ばす。

今のアスカなら、さっきの涙が本物なら、受け入れてくれるかも。

「アスカ…ちゃんからも、…レイちゃんにプレゼントをあげて欲しいのだけれど」

アスカの手の上に、重ねる。

急に言われても困るわよ。と声を荒げるので、かぶりを振った。

「……モノ、じゃないから」

「なによ」

憮然とした表情。右手を抜きたがっているようだが、握りしめて許さない。

「…レイちゃんのこと、名前で呼んであげて欲しいの。
 番号じゃない、彼女の名前で」

「そんなのワタシの勝手じゃない。
 なんでミサトに口出しされなきゃなんないのよ」

かぶりを振った   かぶりを振った   かぶりを振った
       お願い       お願い       お願い     アスカ…ちゃん。

「……なんでそんなに……呼び方なんかどうでもいいじゃない」

空いていた左手も掴み取って、併せて握りしめる。

「彼女を記号で呼ばないで。
 エヴァに乗せるために拾われた部品だと蔑まないで」

「そんなつもりは……」

判ってる。アスカ…ちゃんに悪気がないことは解かっているわ。とアスカをむりやり抱きしめた。

テーブルの上に身を乗り出して、覆い被さるように。

「彼女は、エヴァに乗せられるために拾われた存在。
 綾波レイと名付けられる前に、番号を付けられた娘」

これは嘘。やはり不自然さを覆い隠すカムフラージュだ。


MAGI完成の前日に初めて会ったと、リツコさんは言っていた。母親であるナオコ女史も初めてのようだった。とも。

ならば、2010年の話のはずだ。

一方、アスカがセカンドチルドレンに選出されたのは2005年と記録されている。

ゲヒルンの中枢にいた赤木ナオコ博士が5年以上、知らなかった“ファースト”チルドレンの存在。


その不自然さを利用して、レイの存在をアスカに呑ませるための、ほろ苦いオブラートだった。

包んだのは劇薬だが、きっとアスカのためになる。エヴァにすがらない自己を確立する光明になる。

だから、力を込めて抱きしめた。こんな時、下手に相手の顔など見ないほうがいい。


考えて。考えて。考えてくれ、アスカ。

ヒトは、自分の姿を自分で見ることができないものだ。見たければ、鏡に映る虚像を眺めるしかない。

心に至っては、虚像すら映すものがない。自分の心は他者を観ることでしか推し量れないのだ。

人の心の形は、隣り合う他者の心との境界によって形作られるのだから。

己を知ろうとする心。そのための指標は、他者の心の中にあるのだ。

逆に、他者を見るとき、人は己の心を投影する。相手の心もやはり、見えないものだから。

他者への評価、対応、感情は、己への裏返しなのだ。


アスカ。君の綾波への隔意は、自分自身を嫌う君の心なんだよ。彼女は君の鏡なんだ。

綾波を好きになれれば、君はきっと自分を好きになれる。それが始まりの一歩だよ。

……

とんとん。と背中をタップされる。

「……わかったから放して、苦しい」

「お願い。きいてくれる?」

はぐらかそうとしても、ダメ。

……

「……苦しいんだから、とっとと放しなさいよ」

「お願いきいてくれるまではイヤ」

怒った振りして見せたって、ムダ。



「しょっ、しょうがないわね。そこまで言うなら考えといてあげる。
 感謝しなさい、このワタシが自分のスタイル曲げようって云うんだから」

ええ、ありがとう。と、さらに力を入れる。

放せって言ってるでしょ~。と、じたばたもがくアスカの可愛らしさを、堪能し尽くすことにした。

泣いているところをこれ以上、見せたくなかったし。



「……じゃ、これ、仕舞っておいて。……誕生日まで我慢するから」

突き返された箱を受け取る。

「そう。じゃあ土曜日にね。
 パーティーに誰を呼ぶか決まった? 盛大にしましょうね」

喋りながら箱を紙袋に押し込み、いま一度、自室へ。


戻ってくると、アスカの姿は再びソファーの上。
そしらぬ顔で、さもつまらなさそうにファッション雑誌をめくっていた。

椅子に腰掛け、仕事の続きを……

「……ミサト。ダンケ」

……

「ビッテシェーン。アスカ…ちゃん」



アスカの誕生日の数日前、深淵使徒が現れる前の晩の話だった。


因みにアスカのために用意したパジャマは、八汐紅を匂い染めにしたものだ。

色を赤にしてグラデーションも逆さにしてあるが、綾波とはある意味でお揃いだった。

気に入ってくれるといいけれど。




                                                         つづく


special thanks to ジョニー満さま(@johnny_michiru)
ジョニー満さん(@johnny_michiru)に、この話のイラストを描いて頂きました。ありがとうございました。
(パジャマ姿のアスカが最高に可愛いです。d(>_<))
Twitterで、dragonfly(@dragonfly_lynce)を検索してみてくださいませ。


2021.08.02 ILLUSTRATED



[29540] シンジのシンジによるシンジのための補完 第拾参話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2021/08/03 12:39



結論からいうと、エヴァ参号機との戦い――憑依使徒戦――は、前回とほぼ同じ流れになったようだ。



…………




「え~! こいつがフォースチルドレン!?」

昨晩に加持さんが差し入れてくれたザッハトルテを、一人咀嚼しながら頷く。

例によって子供たちは夕方に食べてしまっている。

「信じらんない。
 何でこんなヤツが選ばれたエヴァのパイロットなのよ!」

琉球ガラスのカフェオレボウルを手にして、濃ゆ~い抹茶を一口。

彼ら的にはありえない組合せに、見ていた彼の眉根が寄った。

――セカンドインパクト以降の世代は、煎茶や抹茶と縁が薄い。当然ながら抹茶チョコの類も知らない――

いや、……その……合うんだよ? この組合せ。美味しいんだってば!

「エヴァにシンクロできる素質が認められたからよ」

「ワタシは認めないわよ! こんなヤツ」

「落ち着いてアスカ…ちゃん。
 エースパイロットでしょ。どーんと構えていて頂戴」

ワタシは落ち着いているわよ。と腹立ち紛れにケーキの残りを強奪された。

「参号機は不安が多いから私は使う気はないのだけど、新しいエヴァが来た以上、使える状態にする義務があるのよ」

行き場をなくしたフォークを、皿の上に置く。

「だから、とても即戦力にはならないけど彼を登録、起動実験しておくの。
 使えるようにはしてますよ、でもパイロットの能力が低いのでとても実戦には出せません。って言うためにね」


「ミサトさん、一つだけ教えてください。
 なぜ、ケンスケなんですか? フォースチルドレンが」

その資料から目を上げて、彼の質問。

クラスメイト達の秘密に触れるつもりはないので、当り障りのない理由を用意してある。

「最終選抜に残ったのは誰もドングリの背比べなの。あなたたちとは比べようもなくね」

当然よ。とアスカが胸を張った。

「誰を選んでも変わらないなら、やる気があって、私と面識のある者がいいだろうって」

この言い方は微妙だ。あたかも、上のほうの誰かが決めたように聞こえる。

実際は、自分が決めた。

今日、リツコさんの執務室に行ったときに意見を聞かれたのだ。

最終選抜の決め手に欠けるので、作戦部長の見解を求めることになった。とのリツコさんの言葉を額面どおりに受け取っていいものかどうか、判断のしようもないけれど。

「そんな理由なんですか?」

「それくらい変わり映えがしないのよ」

自分のクラスが選抜者を集めて保護していたことは、かつて彼女から聞いていた。
リツコさんがクラスメイトのプロフィールを並べてみせるまで、そのことに感慨は抱かなかったが。

どう転んでも自分のクラスメイトが選出される。誰であれ知り合いを傷つけることに変わりはなかった。ということに、今日ようやく気付いたのだ。

「それに彼、軍事とか好きでエヴァに憧れていたでしょ。
 いろいろ独自に調べているみたいだし、前科もあるし」

前科ってナニよ。エヴァが見たくてシェルター抜け出したんだよ。…碇君はそのために負傷した。ナニよそれ最っ低。クワ~。との遣り取りはほほえましく見守る。


そうなると気になるのが、かつてトウジが選出された経緯だった。

前回もこうして「葛城ミサト作戦部長」が決めたのだろうか?

……違うような気がする。
自身が関与したならしたと、彼女ならあのとき教えてくれたはずだ。

最後の最後まで言えなかったのは、自ら決断したことではなかったから。彼女自身、納得がいってなかったからではないだろうか?

「どうせなら手元において、知りたいことを教えてあげて、守秘義務を与えてあげたほうが彼のためになるんじゃないかと私も思ったのよ」

だとすると、今回フォースチルドレン選抜に自分が関わったのは、前回との違いが生んだイレギュラーの可能性がある。

だが、トウジに関することで思い当たるのは、今回はナツミちゃんが無事だということぐらいだ。
それがどのように影響を与え得たのか、ちょっと想像がつかない。

ナツミちゃんをコアに取り込ませた可能性も考えたが、そうすると他のクラスメイトが候補者であることと整合性が取れないように思う。

それともエヴァへの生贄は母親であるという推測は、先入観だったとして捨て去るべきだろうか?

ただ、マルドゥック機関がペーパーカンパニーの寄せ集めに過ぎなかったことや、第4次選抜候補者を確保していたはずの2-Aのクラスメイトたちが平気で疎開していったことなどを考えると、チルドレンたる資格のボーダーラインはけっして高くはなさそうだが。

「チルドレンなら護衛がつくから、却って下手なことも出来なくなるでしょうしね」

選抜自体はそれほど迷わなかった。
ケンスケがなりたがっていた事を知っていたこと以上に、トウジが悩んでいたであろうことに思い至ったから。

ならば、前回を踏襲する必要はないと思ったのだ。

もちろん、ケンスケなら酷い目に遭っても構わない。というわけではないけど。


嘆息したアスカが、彼から奪った資料の端を、指で弾く。

「つまりコイツは、名目上のお飾りで二軍の補欠として実戦に出ることもなく座敷牢で一生さびしくベンチウォーマーとして飼い殺しにされるのね?」

そういう言い方はないと思うな。との彼の呟きは無視された。

「そこまでは言わないけど、おおむね、そうよ。
 彼の素質から予想され得るシンクロ率では、弾除けにもならないわ」

起動指数ぎりぎりなのだ。

ばんっ。とテーブルに資料がたたきつけられる。

「そういうことなら仕方ないわね。
 ワタシは心が広いから認めてあげるわ。一応」

一応、なんだ……。…猫の額のように広いのね。でしょう、ワタシをもっと賛えなさい。クっクワワ! との遣り取りは雲行きがあやしくなりそうなので割り込む。

「第二支部のことも含めて、今夜話したことは機密事項だから、外で口にしないでね」

「はい」

「わかってるわよ」

「…了解」

「クワっ」


さんざっぱら悩んで、結局こうしてフォースチルドレンについて話したのは、最後の最後になってトウジの姿を見たときの衝撃と恐怖を忘れられないからだ。

あの時、アスカは知ってるようだった。綾波も、そんな気配がした。
自分だけが知らなかったのは、つまり自分が周囲に関心を持ってなかったから、知ろうとしてなかったからだろう。

……いや、そのことをミサトさんに訊かなかったわけじゃない。
だけどそれは、ケンスケでも知ってることを教えてもらえなかったことへのあてこすりだった。
ミサトさんはミサトさんで悩んでたであろうことなど微塵も考えず、ただ己の感情をぶつけたに過ぎない。
でなければ、ケンスケが闖入してきたぐらいで有耶無耶になどさせるものか。

ならば、あれは自業自得だったのだ。
あらかじめトウジが乗っていると判っていれば、そう覚悟を決めていれば、……救けるために戦うという選択肢だってあったはずだった。

 ……そんな後悔だけは、させたくない。


残る懸念は参号機が使徒に乗っ取られることだが、対策としてダミーシステムの使用を強く要望しておいた。



手にしたカフェオレボウルが、いつのまにやら、空に。

「あなたたちもお抹茶、いる?」

「あ~! ワタシ、ワタシにやらせてっ!」

跳び上がらんばかりの勢いで椅子を蹴立てたアスカは、奪い取るようにして茶筅を握りしめた。「さあ!このワタシにお茶を点ててもらいたいのは誰!」とばかりに睥睨する。

「あ~、……僕はいいゃ」

「…希望します」

「クワっ」

レイはティーセレモニーの作法、知ってる? なんてアスカの質問に、綾波がかぶりを振った。訊かれないうちに、とでも思ったのだろう。彼がリビングに退散する。


2人の分の茶碗をと食器棚へ往復してきたら、アスカが抹茶を山盛りにしようとしていたので、慌てて止めた。

「せっかくだから、いい物を飲ませて上げなさい」と、加持さん経由で冬月副司令から戴いたお抹茶は、同じ重さのプラチナより高価いのに!




…………




「LCL圧縮濃度を限界まで上げろ。子供の駄々に付き合っている暇はない」

「待ってください!」

『ミサトさん!?』

ぎりぎりで間に合った。

採れるだけの手段を講じ、応急手当も拒否して最短で発令所に飛び込んだ。

本部棟内をスクーターで暴走したのは、後にも先にも自分だけだろう。

あとで聞いた話だが、今回の作戦を行った司令部への不信と反感が、発令所スタッフの反応と手並みを鈍らせていたらしい。

「……なんだ、葛城三佐」

発令所トップ・ダイアスから見下してくる父さんの視線。サングラスに隠されてなお突き刺さるようだ。

だが、いま自分は雛を守る親鳥。屈するわけにはいかない。

「パイロットの行為に対する責任。処罰する権利はわたくしにあります。どうかお任せください」

今になって思えば、この時期になって父さんが自分を放逐したのは、父さんなりの温情だったのではないだろうか?

本当は、息子をエヴァなんかに乗せたくなかったのではないか?

使徒襲来の直前になって呼び寄せるようなはめになったのも、本来は乗せるつもりではなかったからではないか?

ダミーシステムが完成し、こうして実用性が証明された今。渡りに船とばかりに処罰にかこつけて、自分を解放してくれたのではなかったか?

「命令違反、エヴァの私的占有、稚拙な恫喝、これらはすべて犯罪行為だ。
 君が責任を取るというのなら、解任もありうるぞ」

しかし、どこか欠陥でもあったのか、以後ダミーシステムが使われることはなく、自分が初号機に乗りつづけることになった。

とすれば、いま彼を放逐することは次の使徒戦を不利にするだけだ。

父さんの真意は測りようがないが、阻止せねばならない。自分としても実に不本意ではあるが。

「承知しています」

頭の傷から再び出血したらしい。染み出た血液が左眼に入ってきた。

ありがたい。お陰で父さんの姿がぼやけて見える。

「……なぜ、そうまで気にかけるのだ」

ああ……。生きることが不器用だとリツコさんが言ってたわけを、今ようやく実感した。

本音を見透かされるのを怖れ、思ったこと、やってることと違うことを言う。
相手が自分を受け入れてくれることを信じられず、命令や恫喝によってしか人と接することが出来ない。
裏腹な態度で相手を測り、愛されていることを試そうとする。

それは、愛を与えられなかった子供の求愛、愛の与え方を知らない大人の逡巡。そして、愛の受け取り方が解からないヒトの防壁だった。

哀しくて涙がでる。

「わたくしは、彼らの保護者ですから」

その姿が、ひどく小さい。
今なら、父さんの眼をまっすぐに見ることができるだろうに。

父さんがサングラスを押し直した。もしかしたら目前で泣かれて面食らったのかもしれない。

……

「……よかろう、葛城三佐。君に一任する。
 ここを治めたまえ。処罰は追って沙汰する」

「はっ! ありがとうございます」

意外にあっさりと引き下がったのは、おそらく逃げたのだろう。
もちろん、単純な泣き落としが効くようなタマではない。思うに、自身に向けられた同情が痛かったのではないだろうか。

トップ・ダイアスを退出する父さんを敬礼で見送り、前面ホリゾントスクリーンに向き直る。

日向さんがヘッドセットインカムを手渡してくれた。

「シンジ君。お待たせしてごめんなさい」

『……いえ、ミサトさん無事だったんですね。良かった……』

彼の声は意外と落ち着いている。冷静に話し合いができそうだ。

こちらの状態に気付いてなさそうなのは、発令所の様子がプラグに流されていないからだろう。そのほうがいい。

インカムを直通ラインモードに、これで余計な雑音を聞かせずにすむ。

「私はね……。
 シンジ君ごめんなさい。今回のことは全て私の責任よ。恨むなら私だけを恨んで」

『そんな! ミサトさんがしたわけじゃないのに、恨む筋合いなんてないよ』

「作戦中に発令所に居なかったのは、私の責任なの」

これはもちろん嘘だ。私用で居なかったわけではないのだから。

『だからって、……ってミサトさん、怪我してるじゃないですか!』

日向さんが気を利かしたつもりで、自分の様子をプラグに流したらしい。思わず睨みつけてしまったのを、見咎められなくて良かった。

「私のことより、シンジ君のほうが先よ」

『わかったよ。降りる、降りるから手当を受けてよミサトさん』

「それはダメよ。シンジ君」

プラグを排出すべくロックを解こうとしていた彼の動きが止まる。

これで一件落着。と安堵しかけていた発令所のスタッフも驚いたようだ。日向さんは、特に。

だが、この場で解決せずに問題を先送りにしては、却って禍根を残しかねない。

彼の性格を鑑みれば、ああして安全に護られていてようやく対等な力関係で話し合いが行えるのだ。ここで自分の怪我を取引材料にしては、せっかくの均衡がこちらに傾いてしまう。

「私のケガへの同情でプラグを出てしまったら、シンジ君の怒りはどうなるの? シンジ君の憤りはどうするの? 友達をその手にかけてしまった心の痛みをどうしたらいいの?」

あの時、一言でいいから父さんが謝ってくれれば。

宙ぶらりんにされた自分の気持ちを思い出して、涙と間違えてジャケットの袖で血をぬぐう。

誰かが向きあわねばダメなのだ。

「今からケィジにいくわ、」

ハンカチを手にして近寄るマヤさんを、身振りでおしとどめる。

「 ……相田君を参号機に乗せた責任は私にある。だから、その怒りは、私に……」

『待って! 待ってよミサトさん。来ないで、こっちには来ないで!』

「どうして? 顔も見たくないの?」

『違う! 違う違う違う。
 傍に居られたら、思わず傷つけてしまうかもしれない。そんなのもう、嫌なんだ!
 
 それに……
 
 ……それに一つだけ訊きたいんだ。
 
 なぜ、なぜ?』

やはり親子だった。彼もまた不器用だ。人のことなど言えた身ではないが。

いや、素直に相手に訊ける分、彼は成長しているのだろう。

「……他の人には内緒だけど……、」

マヤさんに目配せ。

この状況下で秘密もなにもあったものではないが、ここから先がオフレコだと解かってくれればいい。

ディスプレイのインジケーターが一つ、消えた。マヤさんがMAGIのレコーダーを止めてくれたようだ。

気休めだが、しないよりはマシ。

「……まずは、あなたを褒めたいの」

発令所が静まりかえった。プラグの中で、彼も驚いているようだ。

「シンジ君がとっても頑張っているってことを。そのことに不平不満すら言ったことがないってことを」

だから……。と発令所を見渡す。

「エヴァがどれだけ危険で未知数なものか、ネルフの大人たちは忘れかかっていたわ」

左腕が痛い。やっぱり折れてるかな。

右奥の義歯も随分ぐらついているようだ。

「そんなものに、まだ14歳の少年少女を押し込んでいるってことも」

こんな事態はありえて当然だってことを、シンジ君は思い出させただけよ。と続く言葉がかすれる。
 
「忘れていたから、慌てて『君のためだった』なんて口先だけの言葉でなだめようとする。誤魔化そうとした」

今回、この言葉は直接聞いていない。だが日向さんの態度を見れば一目瞭然だ。

「友達に殺されるのと、友達を殺すのと、どっちがいいかなんて、本人ですら簡単には決断できないのにね」

あのとき自分は感情任せに怒鳴り返したが、彼はどう反応したのだろう。

『……ミサトさんだって、ネルフの大人じゃないですか』

さも解かってるかのような顔して近寄る大人は、思春期の青少年が最も唾棄する存在だ。
そう、見えたのだろうか?

いや、単にこちらを試しただけだろう。

「「あなたたちを戦いの駒だから大切にしている」と、やっぱりそう思っているの?」

自身の言葉をつき返されて、彼の瞳が揺れる。

「思われても仕方ないわね。
 大人はそれでいいもの。大人同士なら、割り切って殺し合いに送り込める。人類のために死んで来いって、命令できるわ」

……平気な顔を繕うのが辛くなってきた。それもあって映像はつなぎたくなかったのだが。

「でも子供はダメ。そうしてはダメ。……」

吐息

「……だから私は、あなたたちの親に、母親になりたかった」

『……! 親なら子供を殺しても……、殺し合いに送り込んでもいいんですか』

ちがうわ、そういう意味じゃない。と振ったかぶりが、傷に響く。

インカムを手にしたまま、のろのろと直通リフトへ向かう。やはり間近で話さなくては。

触れ合うような距離でこそ、言葉は心を運んでくれる。
 
「親なら、いざというとき子供を庇っても赦される。世界と子供を天秤にかけて、ためらいなく子供を選べる」

それは、我が子だけを一途に思いつづける母親の愛。子供たちに最も足りないモノ。自分が一番欲しいモノだった。

欲しかったから与えたい。無限大の愛情を込めて、世界より大切だと言ってやりたい。

言われたかったからこそ、言ってやりたいのだ。

……だが、自分の立場では説得力がなかった。

親なら立場を省みずとも赦される言葉は、他人が口にすれば偽善になる。ましてや作戦部長の身ともなれば。

だから、言えない。あえて、言わない。

「でも、私では、シンジ君の母親にはなれない。世界とシンジ君を秤にかけたら、ためらってしまうもの」

リフトの床に座り込んで、そっと一息。

『……ためらってくれるんですか?』

「ためらうわ」

床に刻まれたモールドを押して、操作パネルを開く。

起動スイッチを入れると、パネルごとせりあがって手すりになる。

『なぜ、ためらうんですか』

 ……あなたを…… 声が出ない。咳をひとつ、掌に預けてから見上げる、前面ホリゾントスクリーン。

「……あなたを選んで、それで世界が滅べば、きっとそのことがシンジ君を苦しめるから」

彼が滅びの道を選んで、後悔することがないように。

目の前の出来事だけに囚われず、将来を見越して厳しく接する。

それは父親の愛だ。

それもまた、きっと足りてないモノ。

だから、世界を護る。彼のために、世界を救う。そのために、彼に厳しくあたらねばならぬのだ。

スクリーンの中、彼が両手で顔を覆った。

『……やっぱり来ないで、ミサトさん』

「シンジ君……」

『泣き顔を見られたくないから、ケィジには来ないでミサトさん。
 降りるから、きちんと謝るから、早く手当を受けてよ』

上半身を起こしているのが辛い。リフトの手すりにもたれかかる。

……

「わかったわ。
 ケィジには行かずに手当を受ける。その代わり、シンジ君?」

『……なに? ミサトさん』

「落ち着いてからでいいから、……相田君のお見舞いと付き添いに行ってあげてくれる?」

息を呑む気配。

自分もそうだったが、己の気持ちにかまけて被害者のことを忘れ去っていたのだろう。

『……必ず』


これはまた、彼が不用意に拘束されないための予防策でもある。

ネルフは組織として甘いところが多い。

作戦部長の命令で被害者のお見舞いともなれば、エヴァハイジャックの未遂犯でも無闇に拘束はされないだろう。


「約束よ」

まぶたがひどく重い。視界が暗くなっていく。

そのあとで、ちゃんと叱ってあげる。その言葉をきちんとマイクが拾ったのかは、判らなかった。




****




「知らない天井 ……ね」

いや、かつては見慣れた天井だったが。

「…葛城三佐」

「…レイちゃん。付き添ってくれていたの?」

こくり。

「…順番、番号のとおり。碇君は相田君のところ」

手や肩口など、いたるところに包帯を巻いていて痛々しい。

「そう。ありがとう…レイちゃん」

「…どういたしまして」

うつむく彼女の向こう、ワゴンの上に青紫の花束が見える。

「あら? 紫陽花?」

「…加持一尉が」

このご時世、紫陽花は手に入りづらいのに。

「折角だから、…レイちゃん。花瓶に活けてきてくれない?」

「…いや
  …
  花は嫌い
  同じものがいっぱい
  要らないものもいっぱい」

紫陽花を見ようともしない。
同じ花が沢山寄り集まっているさまが、地下の綾波たちを彷彿とさせるからだろうか?

綾波がなにかと無謀な特攻を行ったのは、いくらでも身代わりが居るから。自分がそのうちの一つに過ぎないと考えているから。だと思っていた。

だが、同じものが沢山あることに嫌悪を覚えるのは、大勢の分身たちの存在を忌避しているから、自分が一つだけの特別な存在だと認識したいから。ではないだろうか?

それは自らの個性を求め、凡百に埋没することを恐れる若者の心理に近いのかもしれない。

その現実に耐えられなかった綾波は、己を消すことで葛藤から逃れようとしていたのだろうか?


「…レイちゃん。その紫陽花を持ってきてくれない?」

ふるふる

「…いや」

……

仕方ないので、ベッドを降りて自分で取りに行く。

大丈夫。体は意外にしっかりしていた。

振り返ると、ベッドの枕元に自分のジャケットが吊るしてあるのに気付く。
誰かが気を利かせたのか、クリーニング済みのパック姿。ジオフロント内にコインランドリーなどないというのに。

ポケットに入っていた私物は、サイドテーブルの上のトレィにまとめてあるようだ。

「…レイちゃん、よく見て。同じように見えるけど、違いがあるわ」

「…いや」

嘆息。ベッドに腰かける。

話の糸口を探す。綾波について考えてきたことを、語ってみる好機かもしれない。

……

「…レイちゃん。双子って知ってる?」

「…一卵性双生児?」

「ええ、全く同じ遺伝子をもって生まれた二人の人間のことよ」

その肩が、ぴくりと跳ねた。

「彼らは同一の遺伝子を持っているのに、驚くほど違う人格に育つことがあるわ。
 それどころかホクロがあったりなかったり、身体的特徴すら違う事だってあるのよ」

ちょっと辛い。ベッドのリクライニングを起こして、もたれかかる。

「スタートラインは同じ遺伝子で一緒でも、ゴールまで一緒とは限らないのね」

花束から一株だけ紫陽花を抜き出す。

「いいえ、当然だわ。
 同じ物でも二つあれば、同一の空間、同一の時間は共有できないもの」

左腕はギプスで固定されている。
ただ、何が起こるか判らないと身構えていた分だけ当時の彼女より軽症で済んだらしく、指先までは覆われていない。

その左手に紫陽花を持つと、これ見よがしに花弁を一つ折り取った。ぱきり、と思いのほか音高く。

「お願い。見て、…レイちゃん」

紫陽花を差し出すと、反射で視線が向いた。

「花を一つ、取り除いたわ。
 でも、同じはずの他の花ではなり代われない。同じはずの花でも入り込めないわ」

綾波の眼差しは、折り取られた花弁のあった、ちぎられた茎に注がれている。

「当然ね。この花の占めていた位置は、この花の生い立ちは、この花だけのものだもの」

折り取った花弁を差し出す。

「誰にも代わりは勤まらないわ」

顔ごと動かして、綾波が折り取られた花弁に向き合った。

「…誰にも?」

「そう誰にも」

「…同じなのに?」

「同じなのに」

右手を紫陽花に添えるように近づけて、折り取った花弁を、ちぎられた茎の傍へ。

「ほら。
 紫陽花に開いた穴を、誰も埋められないわ。この花の代わりなんて、ありえないのよ」

紫陽花と、花弁とを、綾波の視線がゆっくり一往復する。

「…同じ物でも、この花だけのものがある?」

「そうよ。
 今そのことを…レイちゃんに教えたことの栄誉も、この花だけのもの。誰にも奪えない」

「…この花に代わりが居ないなら、私にも代わりは居ない?」

…レイちゃんの代わりなんてありえないけど。と嘯いて、

「何者も、誰かの代わりにはなれないわ。
 もし貴女に双子の姉妹がいたとしても、あなたの記憶、あなたの経験、あなたの感情、あなたの思い、あなたの心、どれ一つとして手に入れることは出来ない。
 たとえ手に入れられても、それは貰い物。自ら手にした貴女とでは、重みが違う。
 貴女は貴女だけのもの。あなたはこの世にたった一人なの」

「…私はたった一人」

綾波の手が、折り取られた花弁に伸ばされた。

「…私だけのもの」

おずおずと、ガラス細工を扱うように手に取る。

……

「花は……、嫌い?」

……

ふるふる

「…好きに……なりました」

顔を上げて、紫陽花の株に目をくれる。その眼差しは驚くほど優しい。

味気ない蛍光灯の下なのに、綾波の微笑みは陽だまりを切り取ったスナップ写真のように時間を止めて見えた。

……

ふと、寄せられる眉根。落とす視線の先に折り取られた花弁。

「…私のために……」

「そうね。かわいそうなことをしたわ」

驚いたことに、綾波の頬を涙が伝った。

……

「…これが涙? 泣いてるのは、私?」

本人が一番驚いているようだが。

「せめて、押し花にしてその姿をとどめましょうか」

「…押し花?」

ぬぐうことも知らず、その涙滴を手に受け止めている。

「水分を抜いて花の形をとどめることよ。作り方は後で教えてあげるわ。
 …レイちゃんは読書が好きだから、栞にするといいかもね。ずっと手元に置いてあげなさい」

「…はい」

手を差し出すと、実に丁重に花弁を託された。

「それじゃあ涙を拭いて、紫陽花を花瓶に活けてきてくれる?」

頷いた綾波は、恭しく紫陽花を受け取ると花束を拾い上げ、しかし涙は拭かずに退室してしまう。

渡そうとしたハンカチが行き場をなくした。折角なので紫陽花の花弁を挟んでからトレィに戻す。

水縹色のハンカチは、奇しくも綾波からの昇進祝い。

くすり、と一苦笑もらして、ベッドに倒れこんだ。
 
すこし疲れたかもしれない。ちょっと一休み……

「ミサト、目が覚めたって?」

……させてもらえないようだ。

「あら、アスカ…ちゃん。体は大丈夫?」

頬につけたバッテン印の判創膏が、なんだか可愛らしい。

「それはコッチのセリフよ。ミサトのほうがよっぽど重傷なんだから」

「大丈夫みたいで一安心だわ。私も問題なしよ」

信用できない。って顔つきでアスカが仁王立ち。

「説得力ないわよ。せめてきちんとベッドに入りなさい」

はいはい。とおざなりに応えてベッドに入ると、アスカがリクライニングを倒してくれた。

「まったく、使徒戦さぼってほっつき歩いてるからそんな怪我するのよ」

もちろんさぼっていたわけではないことは、アスカも解かっているだろう。これが彼女なりの心配の仕方なのだ。

「まったく司令部ときたら、こっちの能力も知らないで適当に配置するし、戦力は逐次投入するし、作戦らしい作戦を立てもしないし、意見具申は聞き入れないし」

ホント酷い目に遭ったわ。と病室を練り歩く姿は、冬眠明けのヒグマのようだった。

「それもこれもミサトが居なかったせいよ」

ご。と口を開こうとするとアスカに睨みつけられる。

「口先で謝ったくらいで赦されると思ったら大間違いだわ。
 いい? 今後ワタシは、ミサト以外の指揮では戦わないわよ」

肝に銘じておきなさい。と捨てゼリフを残して去っていった。

嘆息。アスカも素直じゃないな。

それが可愛いと思えるほどには自分も成長しているようだが。

……

素直じゃない。で思い出して、トレイから携帯電話を取り上げる。

ちりんと鳴る鈴の音。ストラップはシーサーのマスコットで、彼の沖縄土産だった。

時刻を確認する。よかった、それほど眠っていたわけではなさそうだ。

リツコさんにメールを打つ。

 ≪ 優しくして付け込むなら今がチャンス
   決めゼリフは「シンジ君は解かってくれますわ」よ
   これでダメなら「少なくとも私は解かっておりますわ」でトドメ d(>_<) ≫



****


その後、お見舞いに来てくれたマヤさんに託されることとなった紫陽花の花弁は、後日、なぜかプリザーブドフラワーとなって綾波の元に届いた。

綾波は喜んだみたいだから良いけれど。


                                                         つづく



special thanks to ジョニー満さま(@johnny_michiru)
ジョニー満さん(@johnny_michiru)が、この話のイラストを描いて頂きました。ありがとうございました。
(紫陽花の花弁に涙する綾波が最高に可愛いです。d(>_<))
Twitterで、dragonfly(@dragonfly_lynce)を検索してみてくださいませ。

2006.10.02 PUBLISHED
2007.03.27 REVISED
2021.08.03 ILLUSTRATED



[29540] シンジのシンジによるシンジのための 補間 #4
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/17 23:48




逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。

ちらりと横目に見る視線の先に、【相田ケンスケ】と書き込まれたプレート。

逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。


ノックすべく持ち上げた右手に紙袋。見舞いの品を提げていたことすら失念している。

落ち着け。

ギプスの先から覗いている左手の指先に取っ手をかけてみると、ちょっと痛い。

思案した挙句、とりあえず傍らの壁の手すりの上に置くことにした。


深呼吸。

あらためて持ち上げる右手。

逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。

……

こんこん。ついつい控えめになったノックの音は、室内から聞こえてきた爆笑の声にかき消される。

爆笑?

なんだか室内は、ずいぶんと盛り上がっているようだ。

無意味そうなのでノックは諦めてドアを開けると、室内はケンスケ独演会の会場になっていた。

「あ~れ~、シンジさまぁ! お戯れはお止しになって~」

おどけた感じで熱演しているのは、どうもダミープラグ支配下の初号機に蹂躙される場面らしい。
ベッドの上のケンスケが、よよよ。と泣き崩れて見せる。

「ちっ違うんだ。あれはエヴァが……」

彼の頭を優しく突ついたのはアスカだ。

「……じゃなくて、……かっ体が勝手に……」

反論するさまが必死そうなのは、つらいからではなくて、恥ずかしいから……みたいなのだが……?

「体が勝手に!? 本能なのね。このケダモノっ」

胸元をかばって後退るケンスケの演技に、爆笑がまた。

口の端を少し持ち上げて微笑していた綾波が、こちらに気付いて近づいてくる。

「…レイちゃん。何事なの?」

「…鈴原君と洞木さんに事情を説明するために、相田君が始めました」

なるほど、ベッドサイドのこちら側にトウジと洞木さん。向こう側に我が家の子供たちがいたのはそのためか。

…私の出番は終わり。呟く綾波の雰囲気も優しい。

「つまり、エヴァンゲリオンがわやになってもぅたんで、こないなった。っちゅーこっちゃな」

「……相田君、大変だったのね」

「いやいや、俺はちょ~っと痛いのを我慢すれば良かったんだから、たいしたことないさ」

いつもどおり、実に屈託なく笑うケンスケ。
いや、むしろ普段よりテンションが高いように見受けられるのが、ケンスケなりの恐さの表現であったのかもしれない。

「むしろキツいのはシンジの方さ」

「そんなことないよ! ケンスケの痛みに較べたら僕なんて」

「い~や! シンジの方がつらいね」

身を乗り出したケンスケが、人差し指を彼の鼻先に突きつける。

「ケンスケのほうだよ!」

「そうか?」

身を引いて、腕組み。

「そうだよ!」

にやりと笑ったケンスケが、メガネを押しなおした。

「じゃあ、たいしたことないんだから、もう気にしないよな。シンジ」

「ええっ!?」

なるほど、そうきたか。

「一本取られたわね、シンジ。
 やるじゃない、ケンスケ。見直したわ」

人差し指で彼の頭を突ついたアスカが、ケンスケに向かってサムズアップ。

「いやいや、それほどでもあるよ」

「す~ぐ調子にのりくさってからに」

トウジのツッコミに。また、爆笑。

釈然としない様子ながらも、彼も一緒に笑って、笑って……いる。

……

「…葛城三佐」

綾波が差し出してくれたハンカチを受け取った。

受け取ったけれど、まだ涙は拭かない。少しでも長く、この光景を……

「あ~もう! せっかく和やかにやってんのに、湿っぽくすんじゃないわよ」

だって! だって、だって!

盛大に溜息をついたアスカが、視線をベッドの向い側に。

「トウジ、ヒカリ。面会時間終わりでしょ。ゲートまで送るわ」

「もう、そないな時間かいな」

「ホント、お暇しなくちゃ」


それじゃ、また。などと言葉を交わして、子供たちが病室を後にする。

挨拶なんかいいから、泣き虫は放っときなさい。とアスカがみんなを追い立てた。誕生パーティの夜から、アスカはぐっと優しくなったように思う。




「自分は、志願するつもりでしたから」

こっちが落ち着くのを狙いすましたように、ケンスケの一言。

憑き物でも落ちたかのような、爽やかな笑顔で。

かつて電話口で言われたことを思えば、こんな結果でもケンスケにとっては悪いことではなかったのかもしれない。


それからしばらく、今後のことでケンスケと話し合った。それとなくカウンセリングも織り交ぜて。

戦力になれなかったことを残念がっている節はあるが、無理している様子はなかった。

主治医からも太鼓判を押されていたが、確かにこれなら大丈夫だろう。




****




「葛城作戦部長」

お見舞いからの帰り道、呼び止めたのはケンスケの主治医だった。

ケンスケの経過報告をまとめたデータディスクを渡される。


まだ周知徹底がなされてないようだが、自分は作戦課長に任命されていた。

降格、というわけではない。

アメリカ第二支部消滅、エヴァ参号機の移管に伴い、多くの人員が本部へと異動になった。

人数が増えれば役職を増やさなければならないのが組織というもので、そのために行われた組織再編の結果なのだ。

作戦部の下に作戦課が設けられたり、特殊監査部も特殊監察部に名称変更されたりした。

作戦部長職は名目だけで着任者が居ないので、自分の職責に変わりはないのだ。

ただ、リツコさんが技術部長のままであることを考えると、深淵使徒戦で初号機をないがしろにし、憑依使徒戦後に反抗した自分への、父さんからの意趣返しかもしれないけれど。




****




受け取ったばかりの経過報告を執務室で確認しようとしたら、リツコさんからのメールが届いていた。

内容はケンスケの左脚についてだ。

クローン技術で複製した脚を移植するのがベストだろう。とのことだが、予算がないという。

人手や備品の持ち出しはある程度可能だが、新規購入が必要な装置・薬品に充てる費用の宛てがないらしい。
……たいした額ではなさそうなのに。

搭乗するエヴァが健在ならば話はまた違うのだろうし、地下の施設が使えればコストダウンできると思うのだが。

愚痴を言っていても仕方ないので慶弔見舞規程、 業務上災害補償規程、福利厚生規程、制服及び安全用具/装具等の貸与規程(内規)などから考え得る限りの手当、支給をはじき出す。

足りない分はWHOにでも掛け合って、クローニング医療の臨床例として助成金を出させるのはどうだろう? 打診してみる価値はある。
国連軍への出向時代に知り合った軍医や国境なき医師団の参加者に、そうしたツテを持つものが居たはずだ。

それでも足りなければ、自分の蓄えを切り崩してもいいだろう。

結果をまとめてリツコさんに返信を送った。


嘆息。

なんだか最近、この手の規定を逆手に取ったり組み合わせて用途に間に合わせるような仕事が上手くなってきたような気がする。

それもこれもネルフという組織がしっかりした枠組みを持たない割に、運用などは規定通りで杓子定規のお役所仕事的に融通が利かないからだ。

こと組織運営に関しては、元が調査研究機関であることと国連監督下の組織になったことの悪い面ばかりが浮き出ているように思える。

それを痛感したのがケンスケの後処理だった。

搭乗機を失ってチルドレンを解任されたケンスケは、そのまま放擲されかねなかった。
就業中の事故ということで回復するまでの医療施設での治療は認められていたものの、それ以外の補償はろくになかったのだ。

調べてみると、確かにチルドレンに関する規定はほとんどない。

正式雇用されたネルフの職員と較べると戦時徴用兵、いや、それ以下のアルバイトより劣る扱いだった。

我が家の子供たちは自分の庇護下にあったので気にはしつつも急がなかったのだが、ケンスケはそうもいかない。

規定されてないことを逆手にとって、遡って雇用契約。

その上で人事/労務規程を掘り返し、嘱託規程、定年による再雇用に関する規程、業務上災害補償規程、福利厚生規程、保養施設利用規則、社宅(寮)管理規程、制服及び安全用具/装具等の貸与規程(内規)などを組み合わせてケンスケの身分を保証したのだ。
一種の予備役としてでっち上げたといってよいだろう。

口実さえあればなんとでもなるのも、ネルフらしいと言えば云えるのだが……




                                                         つづく









             - 次 回 予 告 -


  エヴァの損耗を狙い澄ましたように進攻する最強の使徒

  弐号機しか出撃が間に合わない状況で、ミサトはジオフロントでの迎撃を決意する

  孤軍奮闘のアスカを支援する、ミサトの策とは、その効果はいかに

  次回「シンジのシンジによるシンジのための補完 第拾四話」

  この次もサービスしちゃうわよ♪



[29540] シンジのシンジによるシンジのための補完 第拾四話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/17 23:48




車椅子を押して、発令所のドアをくぐる。

左腕のギプスはまだまだ取れそうにないが、車椅子を押すくらいなら問題なさそうだ。

チルドレン就任後、じかに松代に向かったケンスケは、医療施設以外のジオフロント施設を見たことがない。

二度と立ち入ることがないと思えるだけに、一度くらいはネルフの中を見せてやりたかったのだ。

礼装に身を包んだケンスケは、手には自分が贈ったネルフ仕様の双眼鏡カメラを握りしめている――もちろん撮影は禁じて、メモリーは抜かせてあるが――。

「ここが発令所。ネルフとエヴァを統括する、いわばHQね」

あまり騒がないようにと釘を刺しておいたためおとなしいが、興奮は隠し切れないようだ。

「ネルフ発令所へ、ようこそ大尉殿」

気付いた日向さんが近寄ってきて敬礼。ケンスケの答礼は案外サマになっている。

日向さんがケンスケを大尉扱いしたのは、襟にUN海軍の階級章をつけているからだ。

加持さんに渡し損なっていたのをプレゼントしたのだが、自分がついていることだし今回限りということで着用させた。

もし、ケンスケが死んでいれば二階級特進ということで、つけていてもおかしくないと言えないこともない。

……もっとも、あまりに痛烈な皮肉になっていたことに気付いて、あとで反省することしきりだったのだが。

詰めていたスタッフに、ケンスケを紹介して回る。
あんなことのあった後だけに気まずさもあるだろうが、だからこそケンスケの現状を見て欲しいのだ。

大人たちよりよほど強かで毅い、子供たちの姿を。




****




発令所を後にして、ケィジを見下ろすキャットウォークを通る。

「お~い! シンジ~」

初号機の首元に居た彼が、ケンスケの呼びかけに気付いて手を振り返した。

ベンチコート姿である。


以前、ハンカチを探した彼の姿を見て思ったのが、プラグスーツにポケットくらいつけられないか? ということだった。

無理。との簡潔なお言葉に、代替案としてスポーツ選手などが着用するベンチコートを買い与えてみたのだ。

それが好評を博したのは、ひとつにはプラグスーツ姿では寒いことがある。ということだった。

体温調節機能はあるが、内蔵バッテリは単独ではさほど長持ちはせず、プラグからでるとLCLの気化熱で体温を奪われる。

空調の効いた本部棟内では特に、薄地のプラグスーツでは体温の保持に問題があろう。

そういえば前回、自分はどうしていたのか? と思い返してみると、パイロット控え室に閉じ篭って室温を上げていた憶えがあった。
独りきりのことが多かったから、それでよかったのだろうが。


もうひとつは、やはり恥ずかしい。ということだ。

綾波は気にしないし、アスカは割り切っているが、彼はそうはいかなかった。

自分にも憶えがあるが、自身の姿が恥ずかしいということ以上に、彼女たちの格好が気になって、またそのことに気付かれないかと怖れていたのだろう。

そういうこともあって、ベンチコートをもっとも歓んだのは彼だった。


今日の予定からするとこの時間はATフィールド実験の最中のはずだが、休憩中なのか傍らにやってきてケンスケと話し込んでいる。

特にわだかまりもない様子に、つい顔がほころんでしまう。

今も、ケンスケがつけている階級章の話で盛り上がっていた。

――チルドレンというのは結構ぞんざいに扱われていて、階級も無ければ福利厚生も整ってない。雀の涙ほどの報酬すらも、子供だからという理由で直接本人には渡らないありさま。
彼らの生活費やお小遣いは、扶養手当という名目で分捕った中から賄ってるし、艦隊司令から階級章を授与された時も、パイロットなのだから少なくとも、ということで少尉待遇にしてもらったのだ――

ケンスケに対して、しゃちほこばって敬礼して見せる姿がほほえましい。

むろん、チルドレンの待遇については改善を要求中である。


そういえば結局、あの篭城騒ぎに対してそれらしいお咎めはなかった。
自分に戒告、彼が自宅謹慎だ。

これは、エヴァの初めての被害らしい被害に、委員会が肝を冷やした結果らしい。

司令部がその指揮能力、組織の運営能力を疑われた陰で、作戦部がそれまでの功績を再評価されることにもなった。

相対的に発言力の増した自分が弁護したため、彼の行為もほぼ不問に付されたといってよい。

では、なぜ自宅謹慎のはずの彼がここに居るのか? というとカラクリがある。

いざという時のために、本部棟内にはチルドレン用の宿泊施設が確保されているのだが、これも自宅だと強弁したのだ。

アスカがトランクルーム代わりに使っているのを思い出しての発案だったが、これが上手くいった。
お役所仕事的に手続きを踏んでいるうちに、謹慎そのものがうやむやになるだろう。

というわけで、少なくとも自宅と本部棟の往復に問題がなくなり、棟内に来ているのなら引き篭もるだけ無駄だとリツコさんに呼びだされて、こうして実験にいそしんでいる次第だった。


さて、そのリツコさんはというと今、彼を呼びにきて、そのままケンスケと義足のスケジュールについて話し込んでしまっている。

下準備もあって、クローン技術で培養した左脚が用意できるのは半年後になるらしい。
「促成培養なので色白になるけど勘弁してね」とのことだが。




続いて、武道場で剣道の指南を受けているアスカを見学する。

日本文化に興味を惹かれだしたアスカは、それ以来、薙刀や弓道などの本部特有のカリキュラムに熱意を見せるようになった。
もともと素質はあるので、成長著しいと師範のお墨付きだ。

「他にも体験してみたい」と言うので、合気道や杖術などの道場と渡りをつけている。

折角だから日舞や座禅もやってみない? と奨めてみたのだが、冗談だと思ったようで、実用性のないのはそのうちね。とすげない。


面をつけるのを嫌がったアスカのために特製のヘッドギアを用意した話などでケンスケと盛り上がっていたら、当の本人に睨みつけられて早々に退散するハメになった。




最後に、シューティングレンジで射撃訓練中の綾波を見学する。

銃器を見て眼を輝かせるケンスケに、実弾射撃を体験させてみた。
病み上がりということで、22口径だが。

ことのほか喜んでくれたので、完治して歩けるようになったら大口径の拳銃を撃たせてあげると約束した。

45口径くらいまでなら、ちょっとしたレクチャーで撃てるようになる。
予備役の権利として、定期的な射撃訓練が組み込めないか検討してみよう。


使い終わったターゲットと空薬莢を回収してくれた綾波が、持って帰る? と言葉少なにそれをケンスケに差し出したのが意外だった。

おおげさに感謝するケンスケに照れたらしい綾波が、頬を赫らめるさまが実に可愛らしい。




ジオフロントにアラートが鳴り響いたのは、そのあと、加持さんから強奪したスイカを戦利品に、本部棟に帰ってきた直後だった。




****




「駒ケ岳防衛線、突破されました!」

ここからなら自力で帰れます。と請合ったケンスケをエントランスに置いて、発令所に駆けつける。
吊ったギプスが邪魔で、実に走りづらい。

「18もある特殊装甲を一瞬に」

いつ来るか判っていたから警戒は怠っていなかったのに、使徒は駒ケ岳防衛線上に降って涌いたように出現した。
こんな唐突に現れるヤツだったとは。

「地上迎撃は間に合わないわね。
 エヴァ3機をジオフロント内に配置。侵入と同時に攻撃」

また待ち伏せ? ホント好きねぇミサトは。との無駄口は聞かなかったことにする。

「サードチルドレンの謹慎を解くわけにはいかん。
 レイは初号機で出せ。ダミープラグをバックアップとして用意」

発令所トップ・ダイアスから頭ごなしに指示が飛ぶ。

「司令!」

「……却下だ」

だめだ、抗弁する時間も惜しい。

「……弐号機には、第5使徒戦で使った盾と……、スマッシュホークを用意」

モニターに目を走らせて、状況を確認。

「赤木博士。使徒のあの攻撃は荷電粒子砲?」

「第5使徒みたいに、円周加速を行っている様子はないわ。
 光学観測できないところを見ると、ガンマ線レーザーの類かしら」

こちらもなにやらモニターを見つめていたリツコさんが、顔を上げずに応えた。

ディスプレイに表示されている怪光線を放つ使徒の姿。
附けられた注釈の最上段に【GLASER?】との表記が足される。

「だめです。
 あと一撃で、すべての装甲は突破されます」

効き目があるかどうか判らないが、できることはやっておくか。

「ジオフロント内の湿度、最大限に上げて。
 続いて、最下層の吸熱槽から耐熱緩衝溶液の散布用意」

空気中の分子密度が充分なら、レーザーは自らの熱量のせいで収束率、命中精度が甘くなる。結果として威力、射程も落ちる。

どんなに出力が高くとも逃れられないレーザーの宿命、熱ブルーミング現象だ。

地上での運用が前提のエヴァが、レーザー兵器を正式採用してないのは伊達ではない。


『違う。まず気温を上げるんだ。そうすれば湿度を上げやすい』

日向さんが下層フロア、副発令所のオペレーターに指示している。

ヘッドセットインカムのマイクを掴んだ。

「アスカ…ちゃん」

『解かってるわ。
 威力偵察、能力を暴きながら時間稼ぎ。これでどう?』

「ええ、申し分なしよ。
 使徒が撃つ怪光線の映像、届いてる? そうそれ。一応湿度を上げて対策してみたけど気をつけて。
 あの体型で腕がないのが気になるわ。
 第3使徒みたいに近接格闘兵器を隠し持ってるか、第4使徒のように展開するかもしれないから、それにもね」

これが、自分にできる精一杯の助言。

『わかったわ』

「弐号機出撃、急いで。
 零号機の出撃準備も進めて、ポジトロンライフル用意」

かつては結局、自分が初号機に乗った。
つまり、綾波もダミーシステムも起動できなかったはずだ。

零号機はATフィールド中和地点に配置中だが、使わざるを得まい。



前面ホリゾントスクリーンは、身構える弐号機越しにジオフロントを映し出している。

「頼んだわよ、アスカ…ちゃん」

スプリンクラーから撒かれる耐熱緩衝溶液がどしゃ降りの雨のようだが、MAGIが画像補正してくれるので視程に問題はない。

その焦点の先、天井部が爆発して装甲板が崩落してきた。

『来たわね』

ヤッコ凧をふくらませたような姿。できそこなった骸骨のような顔。

忘れもしない、帯刃使徒だ。


慎重に距離をとる弐号機。

盾を掲げ、摺り足で間合いを計っている。

スマッシュホークの柄は短めに握り、大振りを避ける態勢。


ぱらぱらと解けるように展開された使徒の両腕が、地面をなでる。

途端に鞭のごとくうねって、流れるように弐号機に襲いかかった。




モニターの中で、初号機のプラグが格納される。

 『 エントリースタート 』

「LCL電荷」

「A10神経接続開始」

『っ……ダメなのね、もう』

プラグの様子を映すウインドウの中で、綾波が口元を押さえていた。

 『 パルス逆流 』

「初号機、神経接続を拒絶しています」

「まさか、そんな……」

「起動中止。
 レイは零号機で出撃させろ。初号機はダミープラグで再起動」

綾波を拒絶したのは、母さんの意思なんだろうか?

「…レイちゃん、お願いね。アスカ…ちゃんを助けてあげて」

『…私にしかできない、役割があるのね……』

映像越しに頷いてやった。

『…行きます』



 ≪ 耐熱緩衝溶液の消尽まで、あと3分 ≫

スプリンクラーから散布可能な耐熱緩衝溶液には限りがある。

ジオフロントでの火災対策用として物理的に回せるのが、最下層の吸熱槽からだけなのだ。

油田火災でも100回は消せる量だが、こんな使い方ではそうは保たない。


『こんっ! ちくしょお!』

アスカの気合に視線を上げると、左腕の攻撃を避けた弐号機が、回転した勢いそのままに盾を使徒の後頭部に叩き込んだところだった。

たたらを踏んだ使徒に、追い討ちをかけようとスマッシュホークを振り上げる。その動作の慣性を使って巧みに変える柄の握り。

『…ダメ。避けて』

動作を力任せにキャンセルしてダッキングした弐号機の上を、不可視の光線が駆け抜けた。のだろう、円筒状に蒸発する耐熱緩衝溶液の雨と、はるか後方に十字の爆炎。

『レイ? ダンケっ』

『…どういたしまし! 手が来る』

横っ飛びに跳ねた弐号機を追った右腕は陽電子に弾かれた。
このタイミングだと、綾波は暖機もプリチェックもなしで撃ったな。あとで整備部から苦情が……、まあ、そのための作戦部。そのための作戦課長、みたいなものか。

パイロットたちの背中を護る。と考えれば、いい。


『…中和は私が。防御に回して』

『わかったわ。
 レイ、無理すんじゃないわよ』

零号機の左手のことだろう。
エヴァ憑依使徒戦で切断された左腕は、まだ修復されていない。機体のバランスを欠いた状態でも正確な射撃をしてみせるところが綾波の凄いところだが。

『…アスカ……も』

綾波更生の道のりも、ずいぶんと踏み越えたようだ。



 ≪ 耐熱緩衝溶液の消尽まで、あと29秒 ≫

「タイミングを合わせて、兵装ビルから天井部破口に向けてチャフ弾発射! 継続的に行って。
 ジオフロント内の空調で、アルミ箔の拡散、滞空時間を伸ばせる?」

「やってみます」

断続的にロケット弾が打ち込まれ、銀の短冊がジオフロントに降りしむ。

耐熱緩衝溶液の雨に代わって、アルミ箔の雪だ。

しろがねの風花。

ホワイトクリスマスには、ちょっと早かろう。彼女の記憶以外では、雪なんか見たこともないけど。



「初号機の状況は?」



ちょっと待て。
いま初号機に打ち込まれた、赤いエントリープラグは何だ?
 
モニターを覗きこむが、手懸りになるものはなにもない。

 『 ダミープラグ搭載完了 』

あれがダミープラグなのか。

なぜ、あのような専用の筐体で運用しているのだろう? 可用性から考えても、普通のエントリープラグのほうが都合がいいだろうに。

 『 探査針打ち込み終了 』

かつて、ダミーシステムを起動させられた時。自分は、背後のディスクドライブが駆動するのを確認した。

だからダミーシステムとは、データやプログラムのようなものだと思っていたのだが……、

「コンタクト、スタート」

「了解」

たちまちパネルを塗りつぶした警告表示に、発令所が赤く染まる。

「なに!?」

「パルス消失。ダミーを拒絶。ダメです、エヴァ初号機起動しません」

綾波もダミープラグも拒絶した。

もう騙されない。ということなのだろうか?

「ダミーを、レイを、…… 」

その呟きに、かつてのリツコさんの言葉が思い起こされる。


  ― ダミーシステムのコアとなるもの ―


そして、プラグスーツの補助なしに直接肉体からハーモニクスを行ったシンクロ実験。あれもオートパイロットの実験だった。

もしかして、あのプラグには、綾波のデータなどではなく……

中にあるものを想像して、ロザリオを握りしめた。

……ダミーシステム。もっと本格的に妨害しておくべきだったか。

 ……あの地下施設も、早めに何とかした方が良いかもしれない。


トップ・ダイアスから、不意にリフトの作動音。

そういえば前回、父さんはケィジのコントロールルームに居た。いま、向かったのだろう。




ちらりと、スクリーンを見上げる。

画面端でスクロールしていく戦況ログを、流し読み。

零号機が加わったことで余裕ができたらしく、弐号機の攻撃オプションに幅が出ていた。

いつの間に撃ち込んだのか、使徒の右目に突き立つニードルショット。右肩ウェポンラックのインジケーターがエンプティと表示されている。
念のため、弾倉を手配しておこう。


『みえみえっ……、なのよ!』

これ見よがしな怪光線を、弐号機がらくらくとよけた。

ステップ先で待ち構えていた左腕も、スウェイでかわす。

だが、弐号機視点の映像と零号機視点の映像を俯瞰していて気付く、使徒の意図。

「零号機狙いよ!」

弐号機に視界をふさがれていた綾波に、その攻撃はかわせなかっただろう。

『こんっ!のぉ!』

強引に盾でカチ上げられて、使徒の左腕がその軌跡をねじまげる。

結果、無防備に体をさらした弐号機を、残る使徒の右腕が狙う。

『…させない』

左腕の攻撃を回避するそぶりも見せなかった零号機が、陽電子を浴びせた。

体表面で起こされた対消滅の衝撃に、のけぞる使徒。



ポジトロンライフルの威力があまり落ちてないように感じる。チャフがさほど役に立ってないのだろうか?

一見、意味のなさそうな機動で立ち位置を変えた零号機が、さらに陽電子を放つ。

いや、違う。

綾波は、使徒が怪光線を撃った直後の空間を利用して射撃を行っているのだ。

トンネリング現象。
高出力のエネルギーが通過した道筋は、周囲がプラズマ化されていて、指向性エネルギー兵器にとって恰好の花道になる。

もちろん、綾波がそこまで狙っているとは思えない。
単に、チャフが一掃された瞬間に目をつけただけだろう。とは云え、その一瞬を遺憾なく利用できることの非凡さが否定されるわけではないが。

かつて、射撃はセンスだと教わったものだ。綾波が今、その実物を見せてくれていた。




 ≪ チャフ弾、残弾僅少。現在のペースで、あと2分38秒 ≫

使徒相手にチャフ弾などが役に立つとは思われていなかったから、その数は少ない。

「ペース落として」

2機だけでしのいでいる今、すこしでも長く支援しなければ。

「葛城三佐っ」

日向さんだ。コンソールにかけたまま、なにやら猛烈な勢いで調べ物をしていた。

「第7次建設の資材の中に、電磁波高吸収繊維があります」

使徒に対してN2爆雷やポジトロンライフルの使用を想定している第3新東京市とジオフロントは、電磁パルス対策が充実している。

電磁波高吸収繊維も、そうしたEMP対策用の資材だった。

「航空機からでも撒こうっていうの? 危険すぎるわ、却下よ。許可できません」

おそらく、VTOLやヘリから人力でばら撒くことになる。使徒とエヴァが取っ組みあってる、その上空でだ。

「しかし!」

「却下よ!」

埒があかないとみた日向さんが、コンソール備え付けのインターフォンを差し出した。

怪訝に思いながらも受け取る。

『やらせてくれないか、嬢ちゃん』

ネルフ航空隊の隊長だ。まがりなりにも作戦課長を嬢ちゃん呼ばわりするのは、この人ぐらいだった。

『あんな危険で未知数なものに、俺たちは14歳の少年少女を押し込んでいるんだよな?』

しかし、と反論しようとした口をつぐむ。

言い出したら聞かない人だ。深淵使徒戦での航空機での威力偵察も、この人がごり押した。

噛みしめた奥歯が、悲鳴をあげる。

『そう言ったのは嬢ちゃんなんだろ?
 ネルフの大人たちに出来ることをやらせてくれよ』

見れば、日向さんはおろか、青葉さんやマヤさんまでもが真剣な表情でこちらを見つめていた。

前回、ちょっとお灸がきつすぎたのだろうか?

だが、考えている暇などない。戦場で逡巡は許されないのだ。こわばった顎を、力づくでこじ開ける。

「わかりました。準備だけ進めておいてください」

思わずインターフォンを投げ返して、トップ・ダイアスを振り仰いだ。

「副司令」

第3新東京市、ジオフロントの建設資材なら冬月副司令が責任者だ。

 『 反対する理由はない。やりたまえ、葛城三佐 』

応えたのは父さんだった。
発令所の会話をモニターしていたらしく、ケィジからわざわざ。

「まったく、恥をかかせおって」

たとえ最高司令官であろうと、むやみに部下の権限の範疇に踏み込んでいいというわけではない。なんのために部下が居るのだ。上官に一々しゃしゃり出られると現場の士気が下がる。

だから、父さんには敢えて返答せずに、そのまま待った。

諦念に取り付かれたような表情でいた副司令が、こちらに気付いて口元をほころばせる。

「任せる。朗報を期待しとるよ」

敬礼。

発令所に向き直るが、命令を下すまでもなく手配が進められていた。

いいだろう。大人同士なのだから割り切って、人類のために死んで来いって命令しよう。

それにしても、日向さんもやるようになったものだ。抗命罪容疑でまた、査問してあげるべきだろうか。




「使徒、右眼復元!」
 
流れ弾が本部棟周辺に着弾したらしい、揺れ。

「若干ながら、威力の増強が認められます!」

「ほぅ、たいしたものだ。戦いながら機能増幅まで可能なのか」

感心している場合ではないと思います。副司令。

ちらりと見上げたスクリーンの中に、2機の勇姿。あの使徒を相手に、見事に足止めしている。

それどころか、巧みに本部棟から引き離しているようだ。




「初号機はまだなの?」

リツコさんの言葉に、自分もモニターのひとつにケィジのコントロールルームの様子を映してみる。

 『 ダミープラグ拒絶。ダメです、反応ありません 』

その胎に迎えたのが忌むべき取り替え子であることに、母さんも気付いたのだろうか。

執拗な【REFUSED】の表示に、なんだか頑なさを感じさせる。

 『 続けろ、もう一度108からやり直せ 』

何度やっても無駄だろう。

戦っている二人の限界も近い、処罰を覚悟してでも彼を乗せねば。

青葉さんのコンソールからインターフォンを取り上げる。
日向さんのコンソールのやつを使うのがスジなのだけど、さっき投げ返してしまったし、青葉さんのなら4個も有るし……

パイロット控え室へ繋ぐと、モニターに加持さんが現れた。

ぃよっ。と片手を挙げて、あいも変わらぬ軽~い応答。

「加持……君?」

ぽたぽたと、なにやらずぶ濡れのご様子。……耐熱緩衝溶液か。水もしたたる佳い男になっちゃってまあ……

「……シンジ君は?」

加持さんの後ろで敬礼しているのはケンスケのようだ。
第一種戦闘配置中にこんなところまで入れるはずがないから、加持さんの差し金だろう。

『 ああ、彼ならそろそろ頃合かな…… 』

『乗せてください!』

答えは、別のモニターからもたらされた。

彼を映せる位置にこちらから使えるカメラがないが、ケィジに居るようだ。おそらくは、あのブリッジの上に。

『僕を、僕を…… この…… 初号機に乗せてください!』

 『 ……何故ここにいる 』

何故もなにも、さっきまでATフィールド実験をしていたのだ。加持さんの口ぶりからして、控え室に居たのは間違いない。

もっとも、自らケィジまで赴くとは思わなかったが。

まさか、加持さん。控え室で水撒いてたりはしないよね?


その想像がさして的外れでなかったことは、のちに知った。

雨宿りがてらに本部棟に駆け込んだ加持さんは、そこでケンスケに出会ったらしい。
館内放送で事のあらましを把握していたケンスケは、加持さんに頼んで控え室に連れていって貰ったそうだ。

二人の入室にも気付かずモニターに釘付けになっていた彼は、加持さんがシャツの裾を絞って落とした雫の音で振り返ったのだとか。

加持さんの顔を見、ケンスケの顔を見、その左脚を見て。なにも言わず、ただ頷いて飛び出していったらしい。


そうして、今。彼は自ら戦うことを選んで、あの場所に……

『僕は、僕はエヴァンゲリオン初号機のパイロット、碇シンジです!』




チャフ弾によるアルミ箔の雪が止む寸前に、電磁波高吸収繊維の黒い雪が降り始めた。

ズームするモニターの中、天井部破口でホバリングするVTOL機やヘリたち。

カーゴベイやハッチを開いて、人力で黒い繊維を撒いている。

破口部周辺にトラックや作業車で乗りつけた保安部や工作部の面々が、持ち出してきた工場扇やブロアーを据えつけ終えた。
すみやかに資材コンテナを開いて、こちらも黒い繊維を吹き散らす。


それらのモニター映像の横に、新たに加わったウインドウ。
激しく揺れる視点の映像の中で、使徒が横からの狙撃に怪光線の射線をずらされていた。

画面の端にちらちらと見える棒状のものはソニックグレイブか。
そう云えば、ダミープラグでの起動に人手を取られて装備の用意ができてなかった。きっと手近にあったものを適当に持ち出したのだろう。
いい判断だ。褒めてあげられるところが増えて、それが嬉しい。


右腕の攻撃を、弐号機が盾の傾斜でしのぐ。その盾の一角は熔け落ちたのか、すでにない。

使徒が、残った左腕を弐号機に向けた。

どうやっても相手のほうが手数が多い。避け続けるのにも限界がある。弐号機はATフィールドを防御に回せているが、使徒の攻撃はそれをも貫いてくるのだ。

『フィールド全っ開!』

奔流の如き攻撃は、傾斜を持ったATフィールドを3枚破って力なく上空へそれた。


いや、“枚”という数え方は適切ではないだろう。ヒトの心の壁は一つきりなのだから。

それは、アコーディオンカーテンのごとく折りたたまれたATフィールド。

質でも量でもなく、技で強度の増強を図った析複化ATフィールドだった。

もちろん、元が一枚のATフィールドに過ぎない以上、一角でも破られれば全体が無効化する。

しかし、加えられる攻撃の速さ次第では、充分な効果が見込めるのだ。

スケジュールからすれば、さっき実験したばかりのはずなのに、彼はもうモノにしたらしい。


『…碇君』

『ようやく揃ったわね。ミサト! 号令かけなさいよ』

「私が何も言わなくても、貴女たちなら大丈夫よ。
 第一、近接戦闘中にできる指示なんてないわ」

今だフック。などと悠長にボクサーに指示するセコンドは居ない。

『そうじゃなくて、アンタの号令で始まんないと気合が入らないのよ』

『ミサトさん』

『…葛城三佐』



そういうことなら、ここは一つケレン味たっぷりに行こう。


「その観察力で戦局の機微を見据える、エヴァ部隊の眼。
 零号機、綾波レイ」

『…はい』

零号機の放った陽電子が、怪光線を撃とうとした使徒の機先を制す。


「ATフィールドを使いこなして、バトルフィールドを己が掌中とするフィールドマスター。
 初号機、碇シンジ」

『はい』

神速で伸ばされた腕は、折り重なったATフィールドに捩じ伏せられて地面を打ちつける。


「最も華麗にエヴァを操るエースストライカー。
 弐号機、惣流・アスカ・ラングレィ」

『ヤー』

盾でカチ上げた使徒に踵落とし、流れのままに追い討ちでスマッシュホークを一撃。


「相手は力押ししか知らない莫迦よ。三人揃ったあなたたちの敵ではないわ」

一息。

「命令します。使徒を殲滅せよ!」

『『『 イエス、マァム! 』』』

……

モニターの中に、アスカのウインク。どうやら仕込んでいたらしい。


スマッシュホークの連打を平然とその身に受けながら、使徒がゆらりと身を起こす。

『……』

するすると移動した零号機が、地面を縫い付けていた使徒の右腕を踏みつけた。

『レイ、ナイス!』

先ほどの例があるので、アスカは後方監視画像もチェックしていたのだろう。綾波の行動の意味を即座に悟る。

『シンジ! アンタもお願い!』

弐号機が攻撃の手を一切緩めないので、使徒はその光球を覆う甲殻を開くことを許されない。

『わかってる!』

アスカ渾身の一撃が、ついに甲殻のかけらを砕き飛ばした。
しかし、限界を超えたらしいスマッシュホークも柄の半ばからへし折れる。

『アスカっ!これ』

駆けながらに投げつけられたソニックグレイブを、振り返りもせずに弐号機が掴み取った。

『ダンケっ』

…なぜ、碇君はどういたしましてと言わないの。との綾波の呟きを無視しているわけではないようだが。

初号機に左腕を踏みつけられた使徒が、その両眼に光を蓄える。

『フィールド全開!』

放たれた怪光線は、プリズムに曲げられる光のようにあさっての方角を爆砕した。

析複化ATフィールドを目隠しに使ったらしい。

目隠しか……
ずいぶん先に予定しているATフィールド実験の項目だが、今の彼なら……あるいは、

「シンジ君。ATフィールドで光を遮断。できる?」

『……光。ですか?』

『ダメモトでやってみなさいよ。アンタならできそうだわ』

アスカは弐号機を一瞬たりとも休ませることなく、光球を覆う甲殻に斬撃をくりだしている。

『…そう、碇君なら……』

零号機は、踏みつけた位置から先で暴れる使徒の腕を焼き切ろうと、ポジトロンライフルを撃っていた。
左腕がないので、プログナイフは装備されてない。

『うん、やってみる』

モニターの中、クローズアップした使徒の眼前の空間が、霞がかって見えるようになった。

再び放たれる怪光線。ジオフロント周縁部に上がった十字架が、小さい。

「シンジ君。使徒の視線を拒絶するつもりで」

『はい。……フィールド、全っ開!』

その途端、使徒の顔が見えなくなった。
幾重にも折りたたまれた黒いアコーディオンカーテンが、視界を遮ったのだ。
即座に別のカメラの映像を回す。

光を完全に遮断したために、闇色になったATフィールド。
その濃さはまるで深淵使徒の姿、リツコさんが言うところのディラックの海を彷彿とさせた。

さらに放たれた怪光線は、ATフィールドを貫くことができず。その闇の中に消える。

『グート! シンジ、やるじゃない』

嬉々として盾を投げ捨てた弐号機が、左手にプログナイフを装備した。

刃を繰り出すや使徒の甲殻の合わせ目に沿わせ、その背にソニックグレイブの柄をたたきつける。

楔のごとく打ち込んだ刃に、くるり。一回転してソバット。

甲殻と相討つようにナイフの刃が砕け散ると、隠されていた光球が垣間見えた。

『さんざん、いたぶってくれたじゃない……』

にやり。モニターの中に夜叉が居る。

ふわりと宙に舞った弐号機が、地面に突き立てたソニックグレイブを支えにしてドロップキックを叩き込んだ。

両腕を引き千切って吹き飛ぶ使徒を追いかけて、ケーブルを切り離した弐号機が駆ける。

『じゅぅ~倍にしてっ!……』

結果として析複化ATフィールドから開放された使徒が両眼を輝かせるが、それを許す綾波ではない。

顔面を陽電子にはたかれ、使徒がのけぞった。

   『……返してやるわよ!!』

たただん。と弐号機がステップを踏んだかと思うや、手にしたソニックグレイブを投擲する。

投げられることなど考慮されてないというのに、ソニックグレイブは甲殻の僅かな隙間に突き刺さった。
あとで解かった話だが、ATフィールドをガイドレールにして誘導したらしい。

銀の短冊と黒い繊維をまぶしたぬかるみを蹴立てて、弐号機が再び駆け出す。

『どおりゃぁ~』

使徒の光球に突き立った棹状兵器。その石突きを、弐号機が疾走の勢いそのままに蹴りつける。たちまち光球はおろか、体ごと貫いてソニックグレイブが飛び出した。

最後の力を振り絞るように放った怪光線は析複化ATフィールドの闇に消え、弐号機は華麗にトンボを切って着地。

使徒に背を向けるような無防備な真似はせず、油断のない身構え。残心。剣道や薙刀を格闘訓練に組み入れたのは正解だったようだ。

膝を折るようにして地に落ちた使徒が、ついに十字の爆炎を上げた。




****




耐熱緩衝溶液でスイカ畑がダメになったことを聞いたのは数日後、おやつの差し入れを手渡された時のことだ。

作物はとうぶん育つまい。と加持さんから愚痴を聞かされたが、さすがにそこまでは責任もてません。


                                                         つづく

2006.10.10 PUBLISHED
2006.10.13 REVISED   注意:「析複化」は私の造語です。おそらく日本語にはありません。

special thanks to オヤッサンさま シンジが搭乗するまでの描写不足についてご示唆いただきました。
                     また、その際にケンスケが居合わせるアイデアをご提供いただきました。



[29540] シンジのシンジによるシンジのための 補間 #5
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/17 23:49




クリスマスパーティの買出しに来たデパート。

パーティそのものの買い物が済んだあとは自由行動。ということで解散したところだった。


まずはパーティグッズ売り場に舞い戻って、ツリー用のイルミネーションを購入する。余興用なので点滅もしない安物で充分だ。


次に、時計売り場で懐中時計を選ぶ。ちょっといいものを3つ、色違いで発注する。

大人の第一歩は時間厳守から。ということで。

腕時計にしなかったのは、携帯電話の普及で時計そのものがあまり流行らないことと、ファッションとしてはそのほうが使い勝手がいいからだ。


続いて猫グッズの専門店、ファンシーショップ、紳士服売り場、スポーツ用品店、ミリタリーマニア御用達の店と巡ってクリスマスプレゼントを選定する。

一応、園芸コーナーも覗いてみたが、結局ひやかすだけに終わってしまった――耐熱緩衝溶液での汚染に、市販の土壌改良薬が役に立つかどうかは疑問だったので――。



全館、クリスマス一色だ。

冬なんかなくなったこの国で、使徒が押し寄せているこんな時に、クリスチャンでもない人々がクリスマスで盛り上がろうとしている。もちろん、自分も含めて。

今は、その逞しさが、ちょっと好きだ。



集合時間までに少し間があるので、展望フロアの喫茶店に入った。

窓から外が見渡せるが、周囲のビルからは視線が通らない場所。
入り口が見えて、店内全てを見渡せる場所を選んでしまうのは職業病か。

グレープフルーツジュースを飲みながら、店全体を視野に入れて観る。
むやみに視線を動かさず、全体像として監視するのだ。やはり陸軍時代の癖が抜けてない。


油断は論外としても、警戒のしすぎもなにかとよくない。

もう少しリラックスすべきと諭したその時、見覚えのある背格好の人影が店の入り口前を横切った。

トウジと洞木さんと、――遠慮しているのか1歩遅れて――ナツミちゃん。

持っていた荷物からすると、今度のクリスマスパーティの用意だろう。

妹同伴というのはいただけないが、2人の仲はそれなりに進展中らしい。

一肌脱いだ甲斐があるというものだ。


…………


アスカの誕生祝い。

12月4日は金曜日なので、人が集まりやすいようにパーティは土曜日に行った。

キャンドルの吹き消しも、プレゼント贈呈も終わり、皆なごやかに談笑している。

大人連中は夕方から来る予定だから、今は子供たちだけだった。


「お呼びでっしゃろか、ミサトはん」

「ええ。まあ、そこに座って」

指し示したのは、テーブルを挟んで自分の斜向かい。洞木さんの隣りだ。

顔を真っ赤にした洞木さんが身を固くするが、嫌がってるわけではないのは表情を見れば判る。
昇進祝いの時にはそんなそぶりは一切なかったのに、あれからトウジと洞木さんの間にいったい何があったのだろう?

まあ、それはともかく。


パーティの開始からずっと、落ち着かない様子の洞木さんに感じるものがあった。

挙動不審だといってよい。

そっとアスカに意見を求めたところ、当人はバレてないつもりなんだそうだ。

意向を伺ってナツミちゃんを引き込み、最終確認のつもりでこの席次を仕掛けた。

彼女が思い煩っている相手が誰か、もう訊くまでもない。

トウジがぜんぜん気付いてないのも、間違いないが。

  かつての自分では絶対に気付かなかっただろうと思うと、少々感慨深かった。


シャッターチャンスを狙うケンスケを、視線で牽制する。いま囃し立てられるのはまずい。

意外に気の回るケンスケは、そしらぬ顔で被写体を本日の主役に戻した。

なにやら褒め殺しにされて、アスカはご満悦のようだ。

最悪な出会い方をさせてないことの副作用か、アスカと、トウジ、ケンスケとの仲はかつての時ほど悪くないように見えた。特に、トウジ、ケンスケの側で。

彼の仲立てが大きな役割を果たしている。と洞木さんから聞くのは後日のことだが。


「今、ナツミちゃんに料理を教えてくれって頼まれたところだったの」

「ミサトはんにでっか?」

トウジが、自分の隣りに座っているナツミちゃんに視線を移す。

「アホぅ抜かされんでぇナツミぃ。
 ネルフの作戦部長様に、ソないな時間があると思とんか?」

「言うてみたかてえぇやん。
 ミサト姐やんの料理、ほんまに美味しぃんやもん。
 ウチ、こないなオナゴになりたいんやし。ニィやんも常々、オナゴは家庭的なんが一番やて言うちょうやん」

なにやら顔の赤味を増した洞木さんが、両手を頬に添えている。

「どアホぅ。まだ火ぃもロクに使わせられん貴サンに、料理なんぞさせられるでぇかぃ」

「はいはい、ケンカしないの。
 トウジ…君も頭ごなしに否定しないのよ。ナツミちゃんもお兄ちゃんがどこまで考えてくれているか、よく考えてみてね」

頭を掻いて恐縮する姿は兄妹でそっくりだ。

「まあ、たしかにトウジ…君の言うとおり。定期的に時間を作るのはちょっと難しいの」

嘘。と云うか、すり替えである。
料理を教えるのに“定期的”に時間を作る必要などないのだから。

「そこでね。…洞木さんが代わりに教えてくれることになったのよ」

「委員チョがかいな」

素直とは言い難い洞木さんの口からそう言わせるのは、なかなか骨が折れたが。

「だから、週2回。ナツミちゃんの送り迎えをトウジ…君にしてもらおうと思って」

「そらぁかまへんのですが……、ええんかいな委員チョ。迷惑とあらへんか?」

「ううん。そんなことない。
 料理は好きだし、教えるのも楽しいの。
 コダマお姉ちゃんもノゾミも、料理することには興味ないから、そういう機会ってなくて」

そいやぁ委員チョの弁当ってえろう美味そうやったもんなぁ。とトウジがなにやら思い出しよだれ。すかさず身を乗り出したナツミちゃんが、それをハンカチで拭く。いい妹さんを持ったねトウジ。

ウチの苦労、解こぅてくれる? ミサト姐やん。だってさ。解かってるよ、ナツミちゃん。骨身に沁みてね。

「ほぅか。そういうことなら、あんじょう頼むわ委員チョ」

「うっうん♪」

「あら、トウジ…君。
 友達として頼み事をするのに、役職名っていうのはないんじゃない?」

「えっあっ、そうでっしゃろか。ミサトはん」

ええ。と頷く。

なるほど、言われてみりゃぁほうかも知らん。とトウジが襟元に手をやっている。

「ほっ、ほな。洞木……はん!」

「はっはい!」

う~む。トウジとしては最大限の譲歩なんだろうけど、まだまだだよね。

「友達なんでしょう? さん付けはないんじゃない?」

「はっはい? しかし、オナゴの名前を呼び捨てるっちゅうんは、どないも……」

「ニィやん。男らしゅうないでぇ」

「じゃかぁっしぃ! 貴サンはダぁっとれ」

顔を真っ赤にした洞木さんが、上目遣いにトウジを見つめている。

……

テーブルの上で指を組んで、あごを乗せた。視線はトウジに。

「大切なナツミちゃんを託せる友達なんでしょう? 特別な相手なんじゃないの?」

トウジがナツミちゃんに視線をやった。
ナツミちゃんがなにやら【可愛い妹オーラ】を発生させているのが、なんとなく判る。

せやなぁ。と、頭を掻くトウジ。

トウジには見えない位置で、ナツミちゃんが親指を立てるのが見えた。

本当に仲のいい兄妹だ。

かつてトウジに殴られたことが当然だったと、今なら思う。

「ほっ、ほな。洞木……。ナツミのことよろしゅう頼んます」

「こっこちらこそ。誠心誠意お預かりします」

お互いに顔を真っ赤にして頭を下げあう姿は、まるでプロポーズだった。

待ち構えていたケンスケによって、ばっちりフレームに収められたことは言うまでもないだろう。



****



「じゃあ、俺は帰るから」

兵どもが夢の跡。
リビングもダイニングも凄いありさまだ。汚れた食器だけ水に浸しておいて、後片付けは明日にしよう。

「加持さん。もう泊まっていけば?」

本日の主役はご機嫌なご様子。

夜も遅いから、アスカの提案は悪くない。同意してか彼も頷いているし、綾波は…… 興味ないんだろうな……

「明日は朝から用事があってね」

「えー? つまんな~い! ね~ぇ、加持さんってばぁ……」

アスカに付き添われて玄関へと消えたはずの加持さんが、ひょっこりと顔を出した。

「うっかり忘れるところだった。葛城は8日だったよな。
 当日は俺、こっちに居ないんでね」

綺麗にラッピングされた小箱を取り出すや、ぽんと放る。

「おめでとさん。じゃ、またな」

反射で受け止めたのを見て取って、ひらひらと手を振ってから再び姿を消す。



……よりにもよってアスカの誕生パーティの日に、わざわざ前倒しで誕生日プレゼントをくれますか。あの人は。



おそらくは、しばらく呆然としていたのだろう。

はっと気付くと、今にも怒髪天を突きそうな形相のアスカが目の前で仁王立ち。

「ミサト、どういうこと?」

「かっ加持なんかとは何でもないわよ!」

すっと伸ばした右手でデコピン。

「そんなコト訊いてないわ」

……

おでこを押さえる。手加減て云うものを知らないから、実に痛い。

「アスカ…ちゃん、痛い」

「8日ってどういうこと?」

中指でタメを作りながら迫るのはやめて欲しい。

……

「……タシ……ジョウ……」

「ヴィービテ!?」

天才をもって自ら任ずるアスカは、単に感情的になっただけで日本語を忘れたりはしない。計算づくで威嚇効果を狙った、アスカなりの怒りの表明だった。

「……ワタシノ……タンジョウビ……」

「聞・こ・え・な・い・わ!」

両手でタメを作りながら迫るのはやめて欲しい。

「……私の誕生日……」

びしびしっと、連続で叩き込まれるデコピン。

……

おでこを押さえる。痛みで涙が出てきた。

「ナンでそんな大事なコト黙ってたのよ!」


正直、忘れていたのだ。

もはや自分にとって、2001年6月6日も1985年12月8日も重要な日付ではなかった。

自分のことなど、とてもかまけていられなかったのだから。

……

とはいえ、そう言ったところで納得してもらえそうにはない。アスカは、本気で怒ってる。

……

「……三十路女の誕生日なんて、祝うもんじゃないわよぅ」
 
つい先日、リツコさんの誕生祝いを企画しようとした時に頂戴したお言葉そのままだった。

「そっそうなの……」

途端にアスカが狼狽する。表情を取り繕おうとしているが、憐憫があからさまだ。

それはそれでちょっと哀しいよ、アスカ。

「気持ちだけありがたく戴いておくから、そっとしておいてくれる?」

これもリツコさんから戴いたお言葉だ。くれる物は戴くわよ。とも宣われたが。

「そっそうね、それがいいかも……。う、うん。わっワタシが悪かったわ」

ワタシもう寝るから、それじゃグーテナハト。と、そそくさと逃げ出すアスカの様子がなんだか可笑しかった。

「ぼっ僕も! おやすみなさい」

じーっと事の成り行きを見ていた綾波を引っ張って、彼も退散する。

ずいぶんとデリカシーが育っているし、気が回るようになってきた。いい傾向だ。



****



乳液の瓶を鏡台に戻すと、最後の仕上げに保湿クリームを塗る。

横目で、目覚し時計の表示を確認。

  午前 0時 2分

この時間までに来なければ、今夜は綾波が忍んでくることはあるまい。

ラッピングされた小箱を手に取る。

丹念に解体していくと、案の定、マイクロチップが出てきた。
トリプルループに結ばれたリボンの、結び目部分に縫いこまれていたのだ。


プレゼントそのものは香水らしい。

ラベルには【Peut Regarder】とある。読みは「プートン ルガルデ」で良かったと思う。

直訳すれば「見るための缶」になるけれど、香水の名前にはいささか不似合いだから、成句かなにかで意味があるのかも。


ノートパソコンを立ち上げた。通信ケーブルはつながずにスタンドアロンで。

ビジネスバッグから取りだしたマルチリーダにチップを入れて、ノートのスロットに挿し入れる。

「パスコード?」

聞いてないって事は、聞くまでもないような言葉なのだろう。

いくつか思い当たる単語を試した結果、答えは「怖~いお姉さんへ♪」だった。


…………………………………………………………………………


         TOP SECRET

          EYES ONLY

Report of United Nations Supreme Advisory Council


…………………………………………………………………………


冒頭から国連最高諮問委員会の帯出禁止画像だ。

セカンドインパクト直前の、南極の様子。彼女の記憶とも一部、合致する。


その他のデータの内容は、裏死海文書、セカンドインパクト、ゼーレ、ゲヒルン、ネルフなどについて。
おそらく加持さんが知る限りの情報なのだろう。

これが誕生日のプレゼントとは、気が利いているというかなんというか。

無意識にロザリオを握りしめていた。


……


人為的に引き起こされたセカンドインパクト。

被害を最小限に抑えるために行われたと彼女は言っていたが、明らかに起こすつもりで仕組まれていたのだろう。

それは、自分の、彼女の、綾波の、アスカの人生をねじまげ、多くの人々を殺し、不幸の渦中に巻き込んだ。

優しくない世界の元凶がそこにあった。

自分を罪人へと追い立てた張本人たちがそこにいた。この手に受難の槍を握らせておきながら、高みの見物してた連中が居た。



いまさら自分のために泣いたところで、何にもならない。

なのに、溢れ出る涙を押しとどめていられない。

むやみに過去を嘆いても、何も始まらない。

だけど、漏れ出る嗚咽を殺し切れない。

倒れこみそうになって鏡台に右手をつくと、スキンケア用品が転げ落ちた。

鏡台に肘をつき、重ねた両腕に額を押し付ける。

「莫迦…… 自分は、ほんとに莫迦だ……」

意味がないと解かっていて、泣くことしかできない。

益にならないと知っていて、嘆くことしかできない。

本当に莫迦だ。


もう、どうしようもできない。

涙が溢れ出るままに任せた。

嗚咽がほとばしるに任せた。

どうせ薄情だから、悲しみも持続しまい。気が済むまで泣けばいいんだ。



ぼすぼす。こんな時でも、ふすまのノックは間抜けに聞こえる。

『…葛城三佐』

「…レイひゃん?ちょっ^っく 待っふぇね」

しゃくりあげていて、ちゃんとした言葉にならない。

あわてて緊急停止用のスクラムボタンを押す。
MAGIとアクセスできる端末には、非常時に速やかに停止するためのスイッチが増設されている。微細群使徒戦時の教訓なのだが、もはや原子炉並みの仕様だった。

シャットダウンを確認して、ディスプレイを閉じる。

「いひわよ」

ふすまが開いた。

じっと立ち尽くす綾波。

なにか言ってやらねばならないのに、しゃくりあげるばかりで言葉にならない。

「…葛城三佐を見ていると、心が痛い」

なぜ? と歩み寄ってくる。

「…悲しみに満ち充ちている」

目前で立ち止まり、ひざまずく。

「ごめんなさい。こういう時、どんな顔をすればいいのか解からないの」

眉根を寄せて。

「笑えばいいと思うよ」

「そうね。
 一緒に泣いたって始まんないし。シンジにしては悪くないアイデアだわ」

いつの間にやら、彼に、アスカまで。

一番奥の洋室にまで聞こえたらしい。自分はいったい、どれほどの大声で泣いていたのだろう?


綾波がぎこちなく微笑んでいると、ずかずかとアスカが近づいてくる。

ちらり。と鏡台の上に視線。

「三十路を儚んでたの?」

見たのは、執拗に分解されたプレゼントの外箱か。

「そういう言い方はやめなよ」

そうね、悪かったわ。と伸ばされた左手が、ぽん。と頭に。

くしゃり。髪の毛を掻き分けて、ぬくもりが心地よい。

「こないだより酷そうねぇ……」

加持さんを陥とせなかったことを、自分はアスカの心に近づくために利用した。優越感をくすぐり、同情を引き出そうと。
そんな自分が酷くあさましく感じて、結局は本気で泣いてしまったが。

分裂使徒戦のときといい、パジャマの一件のときといい、アスカにはずいぶんと泣き虫だと思われていることだろう。

たとえ演技のつもりで始めた場合でも、そのうちに本気で泣いてしまうのだから反論のしようもないけれど。


「……なにもワタシ1人で相手しなくたっていいわよね……」

呟いたアスカが半身だけで振り返って、人差し指を折り曲げた右手を彼に向ける。

その姿は、来迎印を結んだ阿弥陀如来のようだった。

「シンジ。リビングにゲスト用の布団、3組敷いてくんない?」

「いいけど……」

「アンタも加わりたいなら4組、よろしくね」

わかった。とばかりに片手を挙げて、彼がリビングの方へ。

「床の上で寝るのは抵抗あるけど、こういうとき布団って便利ね」

向き直ったアスカは、その右手を綾波の頭に置いた。

「スゥィート・ホットミルク作るから、レイ、アンタも手伝いなさい」

「…熱いのは、いや」

「ちゃんとアンタのは、ぬるくしてあげるわよ」

アスカがくしゃくしゃと乱暴に綾波の髪をかき回す。

不満げに顔をしかめた綾波に笑いかけてやったアスカが、太陽のような笑顔をそのままに小首をかしげた。

「ナニが哀しかったのか知らないけど、アンタがワタシたちを見てくれているように、ワタシたちもアンタを見ているのよ。
 ミサトが笑いかけてくれるように、ワタシたちもアンタに笑いかけてあげる」

だから、ゲンキ出しなさい。と頭を撫でてくれる。

盛大に髪を跳ねさせたままの綾波も。真似をして、

……

あっダメだ。涙腺がまたゆるく……

「ホント、ミサトは泣き虫ねぇ」

今夜は一緒に寝てあげるから、好きなだけ泣きなさい。との言葉とともに、ぽんぽんと頭を叩かれる。

あとはもう、ただただ頷くことしかできなかった。



                                                         つづく

2006.10.13 PUBLISHED
.2006.10.20 REVISED



[29540] シンジのシンジによるシンジのための 補間 #EX4
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/17 23:50





冷蔵庫から手提げ式の紙箱を取り出してダイニングへ。張られたシールにはパティスリー・ポタジエとある。今日のおやつは洋菓子だったらしい。

例によって子供たちは夕方に食べてしまっているのだ。

椅子の上で胡座をかいているアスカが、紙の箱を目で追っていた。

「どうしたの?」

「ん~。ドイツじゃ箱なんかに入れてくんなかったなぁって、思っただけ」

そう云えば確かに、ドイツでケーキを持ち帰ろうとすると、紙皿に乗せて包装紙で包んで渡されるのだ。
当然トッピングのクリームなどは全滅する。

ドライアイスもつけてくれないし。

箱をテーブルの上に置いて気付いたのは、それを目で追っていたのがアスカ1人ではなかったことだった。

「レイちゃんは、どうしたの?」

「…」

固まったかのような綾波に困り果て、助けを求めるようにアスカに視線を移す。

肩をすくめて見せたアスカが、頬杖をついた。

「今日ワタシ、日直だったのよ。
 ちょっと遅くなりそうだったから、おやつ当番をレイに頼んでみたの」

それで? と促すと、アスカの視線が彼に。

「レイが買ってきたケーキに、シンジが驚いちゃって……」

「……私も驚くかもしれないって、身構えてるのかしら?」

かもね? とアスカ。

「そんなに驚くようなケーキなの?」

「ワタシはショートケーキ自体に馴染みがないから、そんなもんかって思ったけど……」

アスカの視線が再び彼に。

「あっ、いや……その、百聞は一見にしかず、だと思います……」

それもそうだと、紙箱を開く。

箱の片隅に、カットされたショートケーキ。その上に載っているのは赤い……

「ミニトマト?」

取り出してみるが、間違いなくミニトマトだった。スポンジのあいだに見え隠れする赤いモノもミニトマトだろう。

確かに驚いたが、前振りが長かっただけに衝撃は少ない。

そう云えば、ポタジエとは「菜園」という意味だったような気がする。

「お野菜を使ったお菓子のお店なの?」

綾波が、ぎこちなく頷いた。

「面白いお店を見つけたのね」

さっそく、一口。

「うん、美味しい♪ 生地に練りこんであるのは何かしら? きっとお野菜よね」

心なしか、綾波のこわばりがほぐれたように見受けられる。

「他にはどんなお菓子があったの? レイちゃん」

「…トマトジャムのモンブラン、ゴボウのショコラケーキ、カボチャのロールケーキ、ナスのタルトなどが、ありました」

目の前にメニューでもあるのではないか、といった風情で読み上げられるスイーツの名前。

「どれも美味しそうね」

もう一口。トマトの酸味を、こんなに美味くお菓子として仕立て上げるとは。

眼から鱗。とはこのことだ。

もう一口。

「面白くて、美味しい。今度、挑戦してみようかしら?」

「…作れるの?」

「……そうね、もちろんまったく同じモノって訳にはいかないとは思うわ。レシピも判らないし。
 でも、自分なりに考えて、似たようなものを作ることはできるでしょう。試してみることが大切なの」

「…自分なりに…… ……私だけの……」

ぽつぽつと呟きだした綾波を、アスカも優しく見ている。

「…ミサトさん。私も……」

「……一緒に作ってみる?」

綾波が頷いた。

「レイばっかり、ずる~い♪ ワタシもワタシも」

アスカが身を乗り出してくる。怒ってるわけではないことは、その表情を見れば一目瞭然だ。

「はいはい、皆で作りましょ」

満面の笑顔なのが自分でも判る。

「嬉しそうねぇ、ミサト」

「ええ、とっても……」

みんなで揃ってお菓子作りができるなんて、かつての時には想像も出来なかった。

嬉しくて、嬉しくて。涙が溢れそうだった。



                                                          終劇

2006.12.11 DISTRIBUTED
2009.04.01 PUBLISHED



[29540] シンジのシンジによるシンジのための補完 第拾伍話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/17 23:51





篠突く雨の中、第3新東京市に3体の巨人の姿があった。

レンズカバーにまとわりつく雨滴が、映像内のその姿をけぶらせている。

お陰で、その左肩にそれまでにない文字が書き加えられていることに気付く者は居ないだろう。

零号機は、【 EYE_OF_E.V.E 】

初号機は、【 FIELD_MASTER 】

弐号機は、【 ACE_STRIKER 】

前回の帯刃使徒戦のさなか、ノリでつけた二つ名を子供たちは気に入ったらしい。

リツコさんにも内緒で、勝手に書いたのだ。

戦自パイロットのTACネームみたいで実に格好よろしいが、見ているほうは、いつバレるか気が気でない。

前面ホリゾントスクリーンの映像を統括している日向さんと、リツコさんが注視しているマヤさんのコンソールをさりげなく監視したりして……。


 ≪ 加速器、同調スタート ≫

 ≪ 電圧上昇中、加圧域へ ≫

分割されたスクリーンの映像の中で、腰を落とした初号機が長大な筒を担いでいる。

一見バズーカでも構えているかのように見えるが、あまりにも長すぎる。
エヴァに比してその5倍。200メートル近くあった。


 ≪ 強制収束器、作動 ≫

 ≪ 地球自転および重力誤差修正0.03 ≫

弐号機は、EVA専用ポジトロンライフル。
零号機は実測データ受け渡しを交換条件に戦自研から借り受けた自走式陽電子砲を、スナイパーライフル仕立てにして伏射姿勢だ。


 ≪ 超伝導誘導システム稼動中 ≫

ただ、どちらも銃身に初号機が構えてる筒と同じ物をエクステンドバレルよろしく装着していた。


 ≪ 薬室内、圧力最大 ≫

『ミサト、初弾のデータ諸元、ワタシにも見せて』

「ちょっと待ってね」

日向さんは忙しいので、インターフォンを取って副発令所の次席オペレーターに指示を出す。

『ダンケっ』

アスカがそのデータを見たがったのは、初弾だけ出力が違うからである。

帯刃使徒戦で綾波が見せたトンネリング現象の活用。その有効性を認められ、ポジトロンライフルの正式な運用方法として採用されたのだ。

これによって、大気圏内でポジトロンライフルを連射する場合は、その初弾の出力を調整して目標に届くだけにするようになった。今回は大気圏を突破するだけの出力しか与えられていない。

つまり初弾はパスファインダーとして、目標までの道作りに専念させるわけだ。


 ≪ 最終安全装置、解除 ≫

 ≪ 解除確認 ≫

つくば研究所から一時的に出向してきている技師たちが、自走式陽電子砲の管制を引き受けてくれている。
お陰で、その立ち上がりが早い。


 ≪ すべて、発射位置 ≫

地上の様子を映している画面が、それぞれに鮮明さを取り戻していった。MAGIの手が空いて画像補正がかかりだしたのだろう。これがどれだけ凄いことなのか、専門用語メジロ押しで説明されたけど、よく解からなかった。…ディコンボリューションって何?

「各機、照準よし」

報告する日向さんに頷きかえし、前面ホリゾントスクリーンを見やる。

分割された表示の中、最も大きく映し出されるのは、羽を広げた光の鳥。

第17監視衛星から最大望遠で送られてきた精神汚染使徒の姿だった。

「よろしい、コンバットオープン。
 UN空軍機の高々度到達と同時に各自のタイミングで攻撃開始。
 エヴァ各機、ユー ハブ トリガー」

『『『 アイ ハブ トリガー 』』』

既存の兵器体系に当て嵌まらないエヴァの運用は、暗中模索といってよい。

人型兵器である以上、ある程度は陸軍のセオリーが通用するが、それ以外は臨機応変に対応する必要があった。


 ≪ UN空軍機、作戦高度まで、あと10 ≫

UN空軍は、この作戦のために2個飛行中隊を投入してくれている。

前世紀にはF-15で編成していたらしいその部隊は、スウェーデンから持ち込まれたグリペンで再編成されたそうだが。

「装薬用N2爆雷、点火用意」

……

 ≪ UN空軍より入電、ステージオン ≫

『点火っ!』

途端に、初号機の構える筒の先から円筒形の物体が複数、すさまじい勢いで射出された。

N2爆雷である。

初号機が構えている筒。その正体は、第3新東京市などで使われている直径5メートル程の下水管だ。

それをATフィールドで補強・連結、内部を真空・無重力化して即席のカタパルトに仕立て上げた。

N2爆雷一発を装薬にすることで、計算上では衛星軌道を射程に収めた迫撃砲となるはずだ。

――分裂使徒戦で行った、筒状に展開したATフィールド内でのN2爆雷点火。天をつらぬく光の柱と化したそれをヒントに思いついた戦法だった――


 ≪ UN空軍飛行中隊、N2航空爆雷射出確認。こちらの触雷予定との誤差、マイナスコンマ02秒 ≫

そして、国連軍に要請したN2航空爆雷が、使徒を背後から狙う。

もとは軍事衛星破壊用に開発されたASATを転用したというN2航空爆雷は、戦闘機から発射される大型のミサイルにしか見えない。
最後の瞬間にクラスター爆弾のように弾頭をぶちまけるから、あくまで爆雷なんだそうだが。

SDI構想の立案者も、ASATの開発者も、使徒などという未曾有の目標に使用されるとは思いもしなかったことだろう。

……

「N2爆雷群、使徒接触まで、5・4・3・2」

弐号機がポジトロンライフルを連射、零号機が半拍遅くポジトロンスナイパーライフルを撃った。

それぞれが銃身の先に装着している筒には不活性ガスを封入して、威力の減衰を抑えている。

「・1・起爆!」

第08監視衛星から送られてくる熱処理画像の中で、光の鳥が球雷のごとき爆光に彩られた。

だが、その輝きは揃って半球を削り取られている。ATフィールドだろう。

物質が希薄な上にほとんどがプラズマ化している宇宙空間では、核もN2もさほど効果的な兵器ではない。これは露払いで、本命は次だと言いたいところなのだが……

爆圧に揺らぐ相転移空間に1条の光線、複数の光弾が襲いかかる。

……

しかし、スクリーンに映る光の鳥はこゆるぎもしなかった。

「ダメです。この遠距離でATフィールドを貫くには、エネルギーがまるで足りません」

大気という障害物のない宇宙空間では、荷電粒子は自身の保有する電荷のために反発しあって急速に拡散する。この距離では、エネルギーがいくらあっても難しいだろう。


衛星軌道上の使徒に対する効果的な攻撃手段を、エヴァはまだ保有していない。
これが現状で考え得るかぎりの布陣だったのだが、ダメだったようだ。

こうなると残された手段は、重力遮断を使ってエヴァごと出向くか、……槍とやらを使うかだが……


「全機、ATフィールドを防御で展開して」

了解。と子供たちが応じると、それぞれが保持していた下水管がばらけて落ちる。

鉄筋コンクリートの円筒がぶちまけられて発生したであろう轟音は、発令所までは届かない。せいぜい、空き缶をばら撒いた程度といったところだろう。
MAGIが先読みして選択減衰処理を行ってるのだ。……こっちは素直にすごいと思う。


前面ホリゾントスクリーンの中、雨雲を吹き飛ばされた空の画像に注視する。何もないように見えるが、その先に使徒が居るのだ。

精神汚染使徒がどのエヴァを標的にするか、この時点では見当もつかなかった。

まずは相手の攻撃をしのげないことには始まらない。3機がかりのATフィールドで防げればいいのだが。


なんの前兆もなく、画像の中心が輝く。たちまち押し寄せる光の奔流に画面がホワイトアウトした。

別の画像。外輪山から望む第3新東京市に注がれる、衛星軌道からのピンスポット。

「敵の指向性兵器なの?」

「いえ。熱エネルギー反応無し」

監視カメラが追う映像の先、照らされたのはエヴァも何もない、第3新東京市を貫く大通りの一角だった。

……

狙いを外したのか……? 使徒が……?

違う!

突如、発令所を照らした光の筋は、迷うことなく自分に殺到した。

使徒の狙いは、……まさか、自分?

「ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

この身を照らした光は体の表面で解けると、細い針金のようになって侵入してくる。

痛みはない。痛みはないが、自分の殻をむりやり剥がされるような不快感は、心が直接感じているとでもいうのか。

体中の毛穴という毛穴から侵入した針金は体内をまさぐりながら中心部を目指している。あらゆる感覚が薄れつつある今、それは肉体的な意味合いではない。

ココロと呼ばれるヒトの中枢に、……たどり着かれた?

「……心の裡に入ってくるつもり?」


……暗闇の中、差し込む光芒。圧迫と開放。まだ開かないまぶたの上から襲いかかる暴力的な光の渦。周囲から失われた温もり。……奪われた安寧。

いきなり思い出させられたのは、この世に生まれたときの苦痛だった。楽園から放逐されたことへの絶望。リア王の言葉を実感しそうなほどに。

憶えているはずもない経験に、むりやり搾り取られた涙が眼窩に溜まる。

……

「……こんな記憶がっ!? ……心を覗く気…」

まずい。このまま記憶を掘り返されては、何を口走るか解からない。


 『 ……使徒が心理攻撃? まさか使徒に人の心が理解できるの? …… 』

 『 ……光線の分析はどうですか!? …… 』

 『 ……可視波長のエネルギー波です。ATフィールドに近いものですが、詳細は不明です…… 』


周囲の声が遠い。

懸命に過去の映像から視線をはがし、現実の視界をまさぐる。

なにか。なにか。

手の届く範囲には何もない。

いや、ポケットの中にハンカチがあったはず。

思い通りにならない手を叱咤して掴み出し、朱華色のそれを口に押し込む。

アンタは泣き虫だから、いくらあっても困らないでしょ。とアスカが選んだという昇進祝い。

その思い出とともにきつく噛みしめると、右奥の義歯が軋んだ。

再びかすみだした視界の中、近寄ろうとする日向さんを身振りで押しとどめた。



……

次に掘り出されたのは案の定、母さんがエヴァに取り込まれたときの記憶。

自分を置き去りにする、父さんの背中。

妻殺しの子だと、なじる声。

蹴り崩した、砂のピラミッド。

3年前の墓参り。逃げ出したあとの、後ろめたさ。

初めて第3新東京市に来た時の思い出は、飴玉をしゃぶるように丹念に再現された。もし体の感覚があったなら、そして自分の意志で体を動かせたなら、舞い戻ったのかと錯覚したことだろう。

トウジに殴られた、痛み。

エントリープラグに二人を乗せた時の、不快感。

黒服に引き立てていかれる時の、無力感。

綾波と話す、父さんの姿。

ミサトさんのカレーの、味。

綾波に叩かれた、驚き。

荷電粒子砲の、熱。

アスカに張り飛ばされた頬の、腫れ。

「冴えないわね」

いまさら 今更 こんなものを見せられたからって 何だというんだ

世界を滅ぼした自分が この程度のことで怖気づくものか

ガラクタを掘り分けるように人の記憶を食い散らかした光の針が、奥底に沈んでいた獲物に手をつける。

思い通りにならない、エヴァ。

握りつぶされる、エントリープラグ。

担ぎ出される、トウジ。

ちくしょう ちくしょう! 何がしたい 何が見たい 何が望みだ


綾波の群れを見た、衝撃。

カヲル君を握りつぶした、感触。

アスカを汚したあとの、罪悪感。


綾波の群れを見た、衝撃。

カヲル君を握りつぶした、感触。

アスカを汚したあとの、罪悪感。


綾波の群れを見た、衝撃。カヲル君を握りつぶした、感触。アスカを汚したあとの、罪悪感。


それか! お前の欲しているのはそれか! 見たければ見ればいい! 欲しければ持っていけばいい!

そんなのは罪のうちにも入らない 何度も後悔して擦り切れた記憶だ 好きにすればいい

……

  ……なのに、涙が流れるのはなぜだろう?

涙の流れる感触だけが鮮明なのはどうしてだろう?


綾波の群れを見た、衝撃。カヲル君を握りつぶした、感触。アスカを汚したあとの、罪悪感。


気に入ったか? 愉しいか? その記憶が面白いか?


飽きたのか、ふっと、うち捨てられる感触。

どうせなら持ち去ってくれればいいのに、掘り起こしておいて目の前に放り出すとは……


……

赤い海。

「気持ち悪い」

拒絶の言葉。別れの言葉。最後の言葉。

赤い海。白い砂浜。赤い海。

そうだ 世界を滅ぼした罪人ならここに居る

赤い海。白い砂浜。赤い海。黒い空。赤い海。

断罪しろ 断罪しろ 断罪しろよ!

赤い海。 赤い海。 赤い海。 崩れ落ちる巨大な綾波。

アスカの首を絞める、この両手。

最大の罪の記憶すらあっという間にうち捨てられて、さらに奥底を探られる気配。不快感。




……


白い部屋。抱えた膝。目の前に立っているのは……

ミサトさん……?

心を閉ざしていた頃の彼女が、虚ろな瞳で見下ろしていた。

『アンタ誰よ』

……僕は…… 碇シンジ……

『その碇シンジが、アタシの体で何やってるのよ』

これは わざとじゃ

『わざとじゃなければ何やってもいいってんの!?』

でも……

『でもじゃないわよ』

……

『なに黙り込んでんのよ』

胸倉を掴まれる。射るような視線。

この激しさ 確かにこのヒトはミサトさんだ

『ヒトの体を勝手に使って、何やってんのか訊いてんのよ!』

……罪滅ぼしを

『罪滅ぼしぃ? ふん、なるほどね。人類を滅ぼすなんて、この上ない極悪人ね』

突き放された。

『で? その極悪人は行きがけの駄賃にアタシの体を奪い取ったわけね』

ちがう

『何が違うのよ。罪、償うんなら自分の体でやんなさいよ』

そんなこといわれたって

『返す気もないのね。罪の意識なんてないじゃない。罪滅ぼしなんて嘘ね』

嘘じゃない

『アタシの体を乗っ取るための口実でしょ』

違う

『若い盛りを13年も横取りして! さぞ楽しかったでしょ』

だってミサトさんが

『人のせいにする気! 空き巣ふぜいが家主をなじろうっての?』

そんなつもりじゃ!

『盗人猛々しいってのはアンタのことね』

やめてよ

『なぜ私がやめなきゃならないのよ』

僕だけが悪いわけじゃない! 僕だって被害者だ!

悪いのはセカンドインパクトを起こした連中だろ! サードインパクトを画策したヤツらだろ!

『そうやって、すぐ人のせいにして! アンタの心が毅ければ何の問題もなかったんじゃないのよ』

やめてよ やめてよ お願いだから僕に優しくしてよ

『なに甘ったれたこと言ってんのよ』

僕に優しくしてよ 傷つけないでよ

『そっちこそ、傷ついた振りはやめなさい』

振りじゃない

『「世界を滅ぼした自分がこの程度のことで怖気づくものか」ですって?
 
 本当に傷ついた人間はこんなこと言わないわ 』

だって そんな……

『「そんなのは罪のうちにも入らない」んじゃないの?』

……

『口篭もった。ほら、やっぱり嘘じゃないの』

嘘じゃない

『いいえ、アンタは嘘つきよ。ほら!』


「私は葛城ミサト。あなたを迎えに来たの」

『嘘つき』

嘘じゃない いま僕が葛城ミサトであることは嘘じゃない


「ごめん……なさい」

『嘘つき』

嘘じゃない 確かに僕の性格を逆手に取ろうとした でも嘘じゃない


「子供たちを戦わせずに済む可能性が1%でもあるなら」

『嘘つき』

嘘じゃない 本当に適格性検査を受けたんだ


「出来るわけないわ。私だって怖いもの……」

『嘘つき』

嘘じゃない 怖さは知っていたんだ


「だから……私に出来るのはお願いすることだけ……戦って欲しいと「お願い」することだけ」

『嘘つき』

嘘じゃない 僕が欲しい言葉だったんだ


「もしもの時、ナツミちゃんに何て言えばよかったの?」

『嘘つき』

嘘じゃない ナツミちゃんの顔が浮かんだのは本当だ


「私はリツコのこと好きよ。尊敬してる」

『嘘つき』

嘘じゃない リツコさんには本当に感謝している 今なんとかやっていけてるのはあの人が気にかけてくれたからなんだ


「ありがとう。感謝の言葉よ」

『嘘つき』

嘘じゃない! 嘘じゃない! 嘘じゃない! 感謝の気持ちに嘘はない!!


『嘘つきは言い逃れも上手いわね。じゃあ、これならどう?』


「セカンドインパクト直後の話、してあげたわよね? こういうの見過ごせないって、知ってるでしょ?」

『アンタの経験じゃないわよね。嘘つき』

……っ!


「私ね、セカンドインパクトの時に南極に居たの」

『これもそうよね。嘘つき』

……


「その後も色々と苦労してね。そのころの私はレイちゃんみたいだったんじゃないかしら」

『ほら、嘘つき』

……


「父親を殺した使徒に復讐したかった、セカンドインパクトに奪われたものを取り戻したかった」

『やっぱり、嘘つき』

……


「ごめんなさい。私が出来なかったことをシンジ君がしてくれてるようで、嬉しかったの」

『嘘つき』

……


「彼女は、エヴァに乗せられるために拾われた存在。綾波レイと名付けられる前に、番号を付けられた娘」

『嘘つき』

……


「まあ、たしかにトウジ…君の言うとおり。定期的に時間を作るのはちょっと難しいの」

『嘘つき』

……


「誰を選んでも変わらないなら、やる気があって、私と面識のある者がいいだろうって」

『嘘つき』

……や


「作戦中に発令所に居なかったのは、私の責任なの」

『嘘つき』

……やめ


「『!…………』…


……


あれ? 今なにか 違和感が…


『考え事? 余裕ね』

なんだか さっきまでと…… 違うような?


『どうしたの? 弁解は終わり? しっかり言い訳しなさい。嘘つきじゃないんでしょう?』

責め方を変えただけ? ……なのか?


『それとも、もう嘘つくのにも疲れた?』



……仕方なかったんだ 本当のことを言えば世界が救えるわけじゃないだろ!


『あら、逆ギレ?』

嘘をついて世界を救えるなら いくらでもついてやる


『今度は開き直り?』

そうだよ! 開き直ったとも 世界を滅ぼした張本人なんだから

ぐじぐじ後悔したって 何にもならないんだ

出来ることは何でもやって 使えるものは何でも使って 今度こそ世界を護るんだ


『大層なご覚悟だこと』

人を傷つけたくないからって背を向けたら それがまた人を傷つけることになるんだ

逃げ出したら何も解決しない

それが嘘でも まず傍に居てあげることが大切なんだ

ヒトには 傍に居てくれる者が要るんだよ!


『そのために、アタシの体を奪ったわけね』

わざとじゃない! わざとじゃないけど この機会を最大限に使わせてもらう


『結構な決意ね』

まだ体は返さない 今 この体は僕のものだ!


『どうしても?』

どうしても! 全てを終えるまで 今返したら取り返しがつかない


『謝る気もないのね』

謝らないよ まだ謝らない 今謝っても それは欺瞞だ


『いい覚悟だわ』

ミサトさんが悪いんだ 心を閉ざしっぱなしで この体をほしいままにさせたミサトさんが!


『私のせいだっての!? 責任転嫁するにもほどがあるわよ』

ミサトさんが逃げなければ こんなに辛くなかったのに

あなたが力を貸してくれれば こんなに悩まなかったのに

……

せめて一緒に居てくれたら こんなに心細くなかったのに


『泣きごと言うんじゃないわよ!』

言うもんか!

いまさら そんなこと 言うもんか!

頼りにならないミサトさんに文句言っただけだ!

僕が 僕が葛城ミサトを演じるためにどれだけ苦労したか

ちょっとしたことで全て台無しにしてしまうんじゃないかと 薄氷を踏む思いをしてきたのを 少しくらい知ってくれたってバチはあたらないだろ!

 
『言うじゃない』

今 この世界を救えるのは 僕だけなんだ

だから 僕はこの体を使って世界を護る それまで返さない それまで謝らない!


『……そう。終わったら返すのね?』

もちろん


『終わったら謝るのね?』

あたりまえだよ


『……なら、しばらく貸しといてあげるわ』


えぇ!?

……

 ……いいの? ミサトさん…

『良いも悪いもないんでしょ』

……でも、

『ああもう! しゃっきりしなさい、碇シンジ!』

はっ はい!

『アナタの罪滅ぼしに較べたらたいした罪じゃないでしょ』

そういわれても

『アナタのことは全て見たわ。胸を張って世界を護りなさい』

ミサトさん……

『逃げちゃダメよ』

……はい


銀のロザリオを手渡された。

あらためて直に受け取ると、銀色のギリシャ十字架はことさら重く感じる。


……

ミサトさん あなたって人はやはり……

いや 今はそんなことはどうでもいいか

彼女がどうであれ 自分がやっていこうとしていることには関係ない



どこかで扉の閉じる音が聞こえたような。そんな気が、……した。

……




****




精神汚染使徒は、零号機の投じた赤い槍で殲滅されたそうだ。


                                                         つづく

2006.10.16 PUBLISHED
2006.10.20 REVISED



[29540] シンジのシンジによるシンジのための 補間 #6
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/17 23:51





保安部員が押すストレッチャーに寝かされ、医療部へ向かう。

さっきまで付き従ってくれていた日向さんは、報告を終えると残務整理のために発令所へと戻っていった。

「ミサトっ」

閉じかけたドアをこじ開けて、子供たちがエレベーターになだれ込んでくる。

「大丈夫ですか、ミサトさん」

プラグスーツのままで、シャワーも浴びてない。LCLが乾いて、気持ち悪いだろうに。

「ええ。ちょっと頭が痛いくらいかしら。問題ないわ」

上半身を起こそうとしたら、保安部員に押しとどめられてしまった。

仕方がないので横になったままで。

「しかしまあ使徒に狙われるなんて、ミサトも出世したもんねぇ」

「私が囮になっている間に安全に使徒殲滅。作戦としては悪くないわね」

「…どうしてそう云うこと言うの」

綾波の視線はきつめだ。

「ごめんなさい。心配してくれたのね」

「…いい」

「まっ、ちょっとした骨休めだと思って、きっちり検査受けてきなさい。ワタシたちのことは心配いらないわよ」

アスカに視線を移す。

「ええ、心配はしてないわ。
 アスカ…ちゃんが、みんなをまとめて的確に指示してくれたって聞いてるから」

「わっワタシは何もしてないわよ。あれはレイとシンジが……」

途端に顔を真っ赤にしたアスカの手を取って、かぶりを振った。

「みんなの心をまとめて、意見を聞き、判断を下す。
 あなたは指揮官としての器をしめしたのよ。たとえ今、使徒が攻めてきたとしても、あなたが居るから安心なの」

「……おだてたって無駄よ」

むりやり手を振りほどいて、アスカはそっぽを向いてしまった。
意味もなく階数表示を見つめたりして。相変わらず素直じゃないな。

次席指揮権をもつ日向さんの存在を忘れていたらしいのは問題かもしれないが、今はいいだろう。

かつん。頬を掻こうとした指先、爪が何かにあたった。

! ヘッドセットインカムだ。着けっぱなしだったのか。

これがなければプラグと通話ができない。
日向さんは指示が出せず、子供たち、ことにアスカは独断ですすめるほかなかったのだ。

自分のミスだった。とっさに投げ渡すなりするべきだったのだ。
直通ラインは厳重に防護されている。通信回線をバイパスさせるのに、かなり苦労したことだろう。

日向さんがそのことを報告しなかったのは、上官のミスを指摘したくなかったのかもしれない。

……あとできちんと叱ってあげなくては。

それはまあ、置いといて……


「レイ…ちゃんも、よく光波遮断ATフィールドに気付いてくれたわね」

……

言葉が見つからなかったらしく、綾波はこくんと頷いた。

その二ノ腕をなでてやる。


初号機の光波遮断ATフィールドによって使徒の支配力が弱まったとすれば、違和感を覚えたあの後で、自分を焚きつけようとしたあの人はもしかして……


「シンジ君も。
 途中、明らかに使徒の攻撃の手が緩んだわ。お陰で耐えきれたのよ。ありがとう」

「……いえ、その……」

綾波の視線に耐えかねて、彼がうつむいた。

「……どういたしまして」

満足そうに綾波が頷いている。


「あなたたちは私の誇りよ。みんな、ありがとう」

「「「 …どういたしまして 」」」

アスカのは小さな呟きだったが、間違いなく耳にした。


ちーん。と、電子音。検査フロアについたらしい。

「そんなに長くはかからないと思うけど、先に帰っててね」

子供たちが道を空けるなか、保安部員に押されてエレベーターを降りる。


……


「……いい子たちですね」

それまで口を開かなかった保安部員が、声をかけてくれた。

「ええ、とっても。あなたも護り甲斐があるでしょう?」

「確かに」

それきりまた口を閉ざしてしまったが、ストレッチャーを押す足取りが力強くなったように感じた。



…………


初号機の暴走によって、崩壊するように殲滅された深淵使徒。

その後始末の指示も終わって、発令所ですべき残務が一通り片付いた。

書類をまとめ、ペーパーホルダーに仕舞う。

「葛城三佐」

執務室へ戻ろうとしていたら、背後から声をかけられた。

「なに? 日向…君」

いえ、その……。と、呼び止めておいて日向さんはなかなか用件を切り出さない。

……こういうとき、彼女ならどうしただろう。

「どうしたの? 日向…君らしくないわよ?」

両手を腰に当て、小首をかしげてウインク。

彼女らしい仕種をうまく再現できたと思ったのに、顔をそむけられてしまった。

もっと気の利いた対応があるのだろう。
やはりこういうところは彼女に及ばない。努力はしているつもりなんだけど。

顔を真っ赤した日向さんがふるふると肩を震わせてる向こうでは、両手をメガホンにした青葉さんが、なにやら小声ではやし立てている。

「ほっ本日は誠に申し訳ありませんでしたっ」

どうやら気を取り直したらしい日向さんは、そう言い放つなり深々と頭を下げた。

一体なにごとだろうと青葉さんにアイコンタクトを送ったが、なぜか椅子からずり落ちててコメントは貰えそうにない。

「……ええと、日向…君?」

「捕獲用ワイヤ射出の件です。
 わたくしが抗弁しなければ間に合ったかもしれません」

ああ、あの件か。

あれは父さんの手前、初号機の回収に手を尽くしたように見せかけるためで、効果を期待したわけではない。
暴走して還ってくる可能性があることは承知していたし、還って来ないならこないで、それでもよかったのだ。

もちろん、そんなことは口に出せないが。

それにしても、日向さん。気にしていたんだな。らしいといえばらしいけど。

目の前で深々と頭を下げたまま、日向さんは微動だにしない。

見れば、青葉さんが両手を合わせてこちらを拝んでいる。怒らないでやってくれという意味だろうか?

もちろん怒る気など微塵もないが、何か声をかけてあげないと日向さんは梃子でも動きそうになかった。

……

ここはひとつ……

こほん。口元に握りこぶしをあてて小さく咳払いしてから、姿勢を正す。

「アっテンション!」

自分同様に軍への出向経験をもつ日向さんが、ビシっと音がしそうな勢いで敬礼した。

驚いた発令所スタッフの注目を集めてしまったようだが、仕方ない。

「よろしい。日向二尉、休め」

敬礼を切った日向さんが背中でこぶしを合わせ、脚を肩幅に開く。

「日向二尉を抗命罪容疑で査問します。
 本日20:00。デザートを5人分調達した上でコンフォート17、12-フォックストロット-1まで出頭せよ」

「……はっはい?」

内容に戸惑ったのだろう。ちょっと怪訝な顔。

「復唱はどうした」

日向さんが踵を鳴らして敬礼。軍靴じゃないので、あまり良い音じゃなかったけれど。

「はっはい。
 わたくし、日向マコトはデザートを5人分調達し、本日20:00、コンフォート17、12-フォックストロット-1に出頭します」

青葉さんとマヤさんがちょっと引き気味だ。リツコさんは額を押さえている。

このノリは軍人でなければ解からないだろうなぁ……

ちょっと恥ずかしくて、頬が熱くなってきた。

「よろしい。さがりたまえ」

「はっ失礼します」

踵をかえした日向さんが、?、?、?と、疑問符をたくさん頭上に浮かべながら自分のコンソールに戻っていく。

考えてみれば日向さんの労をねぎらったことがなかった。気配り上手な日向さんにはいつもお世話になっているのに。

やはり自分は薄情なのだろう。

上司としての心配りすらろくにできてない。

そういうことを気付かせてくれた日向さんに、またひとつ感謝だ。

日向さんの好物ってなんだろう? 青葉さんにでも訊いてみるかな。


執務室へと向かう道すがら、つらつらとそういうことを考えた。


****


その夜、日向さんを送り届けたあと、立ち寄ったのは第3新東京市を見下ろす高台だった。


かつて、初めてエヴァに乗ったあとに、彼女に連れてこられた思い出の場所だ。

もちろん、同じようにして彼も連れていった。


ルノー・サンクのハッチバックからチェロのケースを取り出す。

ボンネットに腰掛けて、チェロを構える。エンジンの余熱が自分を励ましてくれてるようだ。


奏でるのは、【チェロの為のレクイエム】

20年も前におきた大震災の復興支援チャリティのために書かれたというこの曲は、セカンドインパクトからの復興期に多用され、多くの人々の心の支えになったという。

年末の第九とならんで、9月13日のレクイエムは、年中行事の定番曲として誰もが知るところだ。


………


光槍使徒を撃退したその夜。

まだ解かれていなかった彼の荷物からチェロを拝借して、独り、ここに来た。

死者159名。重軽傷者193名。行方不明者314名。光槍使徒が放った怪光線がシェルターを3箇所、巻きこんだ結果だ。

自分が、もっといい作戦を立案できていれば、避けられた被害だったかもしれなかった。

そう、例えば鷹巣山でN2地雷を喰らわせた直後を強襲するとか。

その時点では指揮権がなかったとか、分裂使徒ほどにはダメージを受けていなかったとか、できなかった理由を見つけて己を慰撫したが、どうやったところで自分の心までは誤魔化せない。


………


その後、こっそりとチェロを買った自分は、使徒戦後に被害報告を聞くたびにこうしてここを訪れている。

今夜は、威力偵察で散った戦闘機のパイロットたちのために。
深淵使徒の崩壊に巻き込まれた第375、376地下避難所の被害者、行方不明扱いの500名のために。


♪… ♪…… …♪

はっきり言って難しい曲だった。
13年もブランクのある自分と、チェロを弾くことが染み込んでいないこの体では、最後まで弾きとおすことすら適わない。

涙と嗚咽の止まらない状況で奏でられるそれは、酷いの一語に尽きた。

だが、この曲が上手く弾けるようにならないことを願っている。

被害者を想うために一所懸命に弾いているこの曲の下手さ加減が、自分が何とかやっていけている唯一の指標のように感じるのだ。

どうか、弾きこなせるようになるまでに、全てが終わらんことを。


…………



「やだな。またこの天井だ」

夢を見ていたようだ。
あまりにも生々しかったので、まだ精神汚染使徒の光の中に囚われているのかと思った。

外傷はないので短い検査入院なのだが、途中でうたた寝してしまったらしい。担当医が気を利かせて、ストレッチャーごと病室に運ばせてくれたのだろう。


今回。精神汚染使徒との戦いの被害者は1人。自分だけだった。

あの曲が上手くなる機会がひとつ減って、嬉しい。

こんこんと、控えめなノックの音。子供たちだろうか? 先に帰るように言っておいたのに。

「どうぞ」

「失礼します」

入ってきたのは紫陽花の花束だった。

いや、違う。山ほどの紫陽花を抱えた日向さんだった。

「……日向…くん?」

「……その、紫陽花がお好きだと聞き及びまして」

青みの強い花とは対照的に、日向さんの顔は真っ赤だ。

「ありがとう。とても嬉しいわ」

このご時世、紫陽花は手に入りづらいのに。

満面の笑顔なのが自分でも判る。精神汚染使徒には酷い目にあわされたが、今日はいいことが多い。

やはり、顔をそむけられてしまった。もっと気の利いた対応があるのだろう。やはりこういうところは彼女に及ばない。努力はしているつもりなんだけど。



                                                         つづく



[29540] シンジのシンジによるシンジのための補完 第拾六話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/17 23:53





『 今回の事件の、唯一の当事者である葛城三佐だな 』

   正面から聞こえてきたのは、年月の積み重ねを感じさせる低い声。

「はい」


『 では訊こう。被験者、葛城三佐 』

   右手から、張りのあるテノール。


『 先の事件、使徒が我々人類にコンタクトを試みたのではないのかね? 』

   カン高い神経質そうな声は、左手奥から。

「コンタクトなどというソフトな印象は受けませんでした」


『 君の記憶が正しいとすればな 』

   暗闇の中で査問とは、威圧のつもりなのだろうか?

「記憶の外的操作は認めらないそうですが」

『 発令所の記録は存在するが、確認できることではない 』


『 使徒は人間の精神、心に興味を持ったのかね? 』

   左手手前から新たな声の主。比較的若そうな、雑味のあるリリコテノール。

「その返答は出来かねます。
 はたして使徒に心の概念があるのか、人間の思考が理解できるのか、まったく不明ですから。
 単に、第3新東京市を防衛する物の中枢とみなして解析を試みただけかも知れません」

   使徒に狙われたのは、自分の特殊性ゆえかもしれないと考えないでもないが。


『 今回の事件には、使徒がエヴァを無視したという新たな要素がある。
  これが予測されうる第16使徒以降とリンクする可能性は? 』

   再び正面から。この声の主がこの場の主導権を握っているようだ。

「これまでのパターンから、使徒同士の組織的なつながりは否定されます」

   もし、そんなものがあるのなら、どうしてあの落下使徒が何度も試射を行うものか。

   光鞭使徒や要塞使徒のように重力を遮断して、ATフィールドをスピードブレーキに使えば、大気圏突入なぞ朝飯前だったというのに。


『 さよう、単独行動であることは明らかだ。これまではな 』

   きんきんと右の奥歯に響く声だ。

「それは、どう云うことなのでしょうか?」


『 君の質問は許されない 』

   正面から。

「はい」


『 以上だ。下がりたまえ 』

「はい」


接続が切れた瞬間。気が抜けてくずおれた。


人類補完委員会による査問。

一介の作戦課長を救うために使われたロンギヌスの槍。


精神汚染使徒を貫いたロンギヌスの槍は、軌道を修正、再加速して第10使徒たる落下使徒をも殲滅。
結果、第三宇宙速度をはるかに超えて太陽系から離脱するコースを取っているという。

いまの人類の技術では、とても回収できないだろう。


その責任の追及先として、もっと具体的に根掘り葉掘り訊かれると思って身構えていた分、別の意味で気が抜けたといってもいい。

憶測や印象を聞いて、どうすると云うのだ。

世界7箇所でエヴァ拾参号機まで建造中と聞いていたから、危機感に溢れているとばかり思っていたのだが、どうにも緊張感に欠ける。

9体ものエヴァの建造と、この連中の雰囲気が余りにもそぐわない。

使徒の脅威におびえてエヴァを造らせているようには思えないのだ。

非公式だということも考え併せて、やはり、真の狙いは人類補完計画とやらなのだろう。




****




自分の執務室で、昨日の査問に関しての報告書を作成している最中だった。

「ちょっと、いいかい?」

「加持…君。珍しいわね、どうしたの?」

あけすけな彼女の性格をなぞるべく、ドアの設定はフリーになっている。前に立っただけで開く仕様だ。

もっとも、この人にかかってはロックをかけていても無意味だろうけど。

「今晩差し入れに行くって、アスカに約束してたんだが……」

差し出しされたのはメモパット。すでに何か書き込んである。

【 ゼーレが冬月副司令の拉致を画策している 】

「……仕事が入りそうなんだ」

身内であるはずのネルフに対して、ゼーレがこんな乱暴な手段を講じてくるとは。

これが脅迫だとすれば、その対象はもちろん父さんだ。

それはつまり、父さんを御しきれる手札がゼーレに乏しいことの証左でもある。

「アスカ…ちゃん、楽しみにしていたわよ。
 そのことを聞いたら、仕事なんか【止めさせようとするでしょうね】」

含みのある言葉を話す間だけ、人差し指を立ててみた。

「だからこうして、葛城に相談しに来たんじゃないか」

ぱらぱら。と2枚ほど捲られるメモ用紙。

【 正確な日時、実行犯の規模は不明 事前の阻止は難しい 】

「そう言われたって…… 【あとで埋め合わせする】くらいしかないんじゃない?
 来週、2回来るとか」

「確かに、そうなんだがな…」

ぱらぱらぱら。今度は3枚ほど纏めて捲っている。

【 副司令を監視して、実行後に救出する 】

回答を予め用意してあるらしい。

「アスカのご機嫌取りねぇ……、私【1人でできる】かしら?」

「葛城なら【なんとかなる】と踏んでるんだがな」

真似をするのはいいんだけど、ウインクってのはどうかなぁ。

それはそれとして……

その口ぶりから察するに、もとから加持さん自身も副司令を救出する気でいるようだ。

どんな腹積もりかは判らないが、任せておくしかないだろう。

頷いてみせる。

「買い被りすぎよ、あの年頃って難しいんだから……
 明日のホーム【パーティ】で機嫌直してくれるといいんだけど……」

「パーティ、明日かい?」

パーティとは、ターミナルドグマへ潜入することを示す符牒だ。
それとは別に、明日ホームパーティを開くことも事実だが。上手くいけば、ちょっとした記念日になるだろうし。

「ええ、加持…君も来てくれるでしょ?」

「仕事終わるかなぁ……、野暮用もありそうだし……」

天井を見上げて、加持さんが顎をしごく。

「野暮用?」

「ああ、特殊監察部は委員会の直轄だからな。【今回の仕事がらみ】で無理難題を押し付けられそうなんだ」

口元で立てられる人差し指。口外無用…… いや、詮索不要……かな?

「準備ばっかりで、本番に参加しないなんて詰まんないでしょ。それに……加持…君が来てくれないと、寂しいわ」

「寂しい……ねぇ。俺にまだ気があるのかい?」

「あるわ」

加持さんが目を見開いた。
遊んでいるように見えて、その実、この人はこう云ったストレートな物言いをされるのが苦手なのだ。

いつもの調子で茶化したつもりだろうが、加持さんを死なせたくないという一点で自分は常に真剣だった。そう何度もはぐらかされたりはしない。

「そうは見えなかったがね……」

「一度敗戦してるもの。負ける戦は仕掛けない主義なの」

「そいつぁ同意見だが……」

「……わだかまりは、あるわよ? でも、あの時の思いは嘘じゃないわ」

加持さんが胸ポケットに手をやった。まさか、あのカードキー、肌身離さずに持ち歩いているんじゃあ……

……

そうだったな。と顔を上げた加持さんは、にやけ面を取り戻している。

「真摯に聴いとくよ。
 明日のパーティは、開始時間を見合わせといてくれると嬉しい」

「ええ、待ってるわ」

踵を返した加持さんが、右手を差し上げるだけで応じた。

ヒト1人送り出して、ドアが閉まる。



嘆息して、執務室を見渡した。

恋愛にうつつを抜かしてるほうが人間としてリアルだろうから、少しは欺けるだろう。

誰が聞いているのかは、知らないけれど。




****




ターミナルドグマ。

【人工進化研究所 第三分室】と掲げられたプレートを見上げ、待つことしばし。

そろそろのはず。懐からIDカードを取り出し、リーダーに通した振りをする。

……

「なにしてるの、葛城三佐!」

保安部も連れずに一人で来た。その優しさと甘さに、安堵と後ろめたさを覚えて嘆息。

「ちょっと社会見学にね。ちょうど良かったわ、ここ開けてよリツコ…」

そんな必要はない。それどころか、リツコさんに気取られることなく侵入することも出来るのだが。

「貴女に、この施設へ立ち入る権限はなくてよ」

もたもたと、慣れぬ手つきで拳銃を取り出している。

「今なら見なかったことにしてあげられるから、早く立ち去りなさい」

ろくに照準も合わせず、ただ銃口を向けているだけの構え。セィフティも外してない。

「ありがとう……と言いたいところだけど」

リツコさんの背後に、浮かび上がる人影。

「美人には似合わないから、その無粋なものをくれないか? りっちゃん」

「その声は……、加持君?」

振り返らないのは、背中に銃身でも突きつけられているからだろう。

「貴方、生きていたの?」

ゆっくりと差し上げられた拳銃を、加持さんが無造作に受け取った。

「真摯に聴いとく。そう言ったろ?」

副司令の救出ごくろうさま。という自分の加持さんへの労いも、答えの一部になるだろう。

将を欲すれば、まず馬を。父さんを陥とすのための外堀に、冬月副司令には恩を売っておきたかったのだ。


うながされて、リツコさんが渋々カードリーダーに歩み寄る。

「一体、何を企んでるの?」

「言ったじゃない。社会見学だって」

スリットにカードを通した後のことだろう。光の加減で見えない位置に立っていた者の存在に気付いたのは。

「レイ……、それにシンジ君!」


****


綾波が前に住んでた部屋みたいだ。 …そう、私の生まれ育った場所。

エヴァの……墓場? …ただのゴミ棄て場。

通り過ぎる様々な施設。ついてくる子供たちの会話。


考え直しなさい。 ……ごめん。そうもいかないの。

私を巻き込む必要、あったの? ……それも、ごめん。

先行する大人たちの会話。


リニアエレベーターを降りた時点で、見張りを口実に加持さんは置いてきた。下手に口出しされたくなかったので。

おとなしく留守番してくれてるとは思えないが、しゃしゃり出てくるほど野暮でもあるまい。


ほどなく目的地に到着。かつてのリツコさんが、綾波たちを壊したところ。

入り口で立ち止まってしまった綾波を、彼が不思議そうに振り返った。

あらかじめ綾波にはこのことを話してあるが、今はそっとしてやりたい。

問い質すような表情で向き直った彼を、手招き。


視線でうながすと、リツコさんが携帯端末を取り出した。

……

ためらい。見せつけるために自分を呼び出した前回とは違う。

今のリツコさんに、これを彼に見せる理由はないのだろう。

よかった。かつてのリツコさんの行為にも、それなりの意義があった証拠に思えた。

しかし、おそらく八つ当たりに過ぎなかったであろう行動は、どのような意味であれ彼女のためにはならなかったのだろう。
気が晴れるどころか却って落ち込んで死すら望み、さらには消息不明になったのだから。


リツコさんが綾波たちを壊す気になったきっかけが判らない以上、その根本的な防止は難しい。

だが、無益な行為を思い止まらせることは出来るはずだ。
あるいは、たとえトリガーが引かれても、銃弾が飛び出さない程度にまで火薬の量を減らすことも可能なはず。


どうやら、その撃鉄が起こされる前にお膳立てを整えることができたのだろう。こちらの顔色をうかがって、諦めとともにスイッチが押された。

照明が灯され、照らし出される水槽の中身。

綾波レイ。綾波レイ。綾波レイ。綾波レイ。綾波レイ。綾波レイ。綾波レイ。綾波レイ。綾波レイ…

「綾波……、レイ」

呟いた彼に反応して、視線を向ける綾波たち。

……

「シンジ君。彼女たちが……怖い?」

驚いて言葉が続かない様子。
少なくとも3人は居ることを知っていた自分より、はるかに衝撃があることだろう。

この間隙に、毒を練る。彼の心に流し込む、劇薬を紡ぐ。

虚実を取り混ぜて醸した、禍々しく優しい麻薬を。

「彼女は……、彼女たちは被害者なの」

「……被害者……、ですか?」

ええ。と頷いて。

「シンジ君。
 碇司令が、あなたのお父さんが、あなたをエヴァに乗せたがっていない。と言ったら、信じる?」

「……父さんが?」

信じられません。と、かぶりを振る彼。

「あなたをぎりぎりになって第3新東京市に呼んだのは、そもそもエヴァに乗せるつもりがなかったから」

彼の前を横切る。

「もし最初から乗せる気だったのなら、アスカ…ちゃんのように幼い頃から訓練させたはず」

できるだけゆっくりと、靴音高く。

「司令は、あなたを予備、と呼んでいた。
 零号機の暴走事故がなければ、予定通り…レイちゃんが出撃したでしょうね」

カツ、カツとヒールを鳴らして、その視界から外れる。

「エヴァ参号機を乗っ取った第13使徒戦のあと、司令はあなたを解任しようとした」

足音を消す。

「それはダミーシステムが完成して、実用性が証明された直後のこと。もうあなたを乗せずに済むと、思ったから」

遠回りして、背後から近づく。

「あなたの友達をわざと傷つけたのも、あなたの方からエヴァを降りたいと言わせるためだったのかも」

臆病者は帰れ。彼が聞くことのなかったこの言葉には、父さんの裏腹な想いが込められていたのではなかったか?

満身創痍の綾波を見せつけたのは、逃げ帰らせたかったからではないか?

「碇司令は、あなたのお父さんは、あなたをエヴァに乗せたがってないわ」

父さんが、僕を……。承服し難いのか、何度も呟く彼の左肩に、手を置いた。

自分自身、信じてるとはいえない戯言だ。彼が受け入れられるかどうかは、まさしく彼次第だろう。

ただ、その答えがいずれであろうと、じっくり考える時間を与えるつもりは毛頭ない。

それらは、これから与える大嘘の前提。下準備に過ぎないのだから。

「そのために、あなたをエヴァに乗せないために造られたのがダミープラグ。そして、その材料として造られた彼女たち」

彼の肩越しに指差す水槽。綾波たち。

「……僕の……ために?」

「そう。
 彼女たちは、あなたのために造られた身代わり。もちろん、彼女も……」

視線を誘導すべく、タメをもって指先を右へ。

指し示す先に、綾波。顔をそむけている。

……

「……その割には……大切にされていたように…」

見えましたが。という語尾は濁して。


「 それは、彼女が代用品でもあるから 」

ささやく。

彼とリツコさんにしか聞こえない程度に。綾波には、届かぬように。

何の? と問いかける視線は落ち着かない。

「……あなたの」

「……僕の? どうして?」

驚いたのは彼だけではなかった。
違う答えを聞かされると思っていただろうリツコさんも、また。

「生きるのが不器用な人だと、リツコ…が言っていたでしょう。
 ヒトが生きることに不器用というのは、人づきあいが不得手だということなの。
 碇司令は他人が怖い。サングラスも髭もあのポーズも全て他人から己を守る鎧。
 そして、一番怖いのはあなた、シンジ君よ」

「……どういうことです?」

父さんの言動を推し量れるようになって気付いたのは、自分との類似だった。父子なのだから当然なのかも知れないが、自分がその立場だったらと考えると驚くほどその心の裡が解かるのだ。

立ち位置を変えて、彼の視界から綾波を隠した。

「あなたを……、愛しているから」

「嘘だ!」

嘘じゃないわ。とかぶりを振る。

「ヤマアラシのジレンマって言葉があるの。
 ぬくもりを分かち合いたいのに、身を寄せるとお互いを傷つけてしまう。だからヤマアラシは微妙な距離を保とうとする。
 愛してるから傍に置きたい。でも愛し方を知らない自分の傍らでは、傷つけるばかり。
 愛してるから、傷つけることが怖い。だから遠ざける。
 あの怖がりの司令があなたに嫌われることを厭わないのは、自分が傷つくことよりあなたが傷つく方を厭うから」

それもまた、相手を傷つけるのにね。と、これは自嘲。

他人を傷つけるくらいなら自分が傷ついた方がマシだ。かつてそう考えた自分の、それは相似形だった。

なんのために人の心に壁があるのか、2人してそこに思い至らないのは親子ゆえだろうか。

心の壁がいかに自在なものか、使徒が指し示してくれているというのに。

ATフィールドの有り様が、心の壁の真実を体現して見せているというのに。


  なぜATフィールドは不意を討たれると間に合わないのか。

  なぜATフィールドは展開解消が容易なのか。

  なぜATフィールドは眼に見えないのか。

  なぜATフィールドは中和できるのか。


すべては心の問題なのだ。


 心は心で理解できる。心は心で破壊できる。心は心で象ることができる。だから中和できる。侵蝕できる。相殺できる。

 心は目に見えない。厭うのは傷つけられることだけ、相手の姿を見たくないほどにまで拒んでいるわけではない。なにより拒絶していることを知られたくない。

 心に形はない。自在に変わることができる。状況に応じて合わせることができる。壁の高さも堅さも扉の有無すら自在なのだ。

 心の壁は、殻ではない。いかに頑なな人の心も、常に鎧われているわけではない。


それに気付けば、人はもっと、人の傍に歩み寄れる。優しくなれる。相手の棘などいくらでも防げる。自分の棘などいくらでもとどめられるのだから。


「自分よりも相手を思う。それは愛なの。間違っていようと、どんなに捻くれていようと」

いや、つまるところ愛なんてものは一方的なものでしかありえないのかもしれないが。

「私の父親の話をしたでしょう。愛し方を知らない人たちなのよ」

「……そうだとしても、受け入れられません」

当然だろう。たとえそれが事実だったとしても、自分だって受け入れ難い。

「受け入れなくてもいいの。赦す必要もない。そういうことだと知っていてくれれば充分」

そう。それが目的ではないのだから。

「 ただ、…レイちゃんは赦してあげて欲しいの 」

「綾波……を?」

よく判らない、という顔。自身の裡に眠るわだかまりに、彼はまだ気付いてないのだろう。

「 ええ……
  だって、彼女が大切にされてるように見えたことは、彼女の責任ではないから 」

ことさらに小さな声で。

「 碇司令のことが理解できたのは、彼女が造られた存在だと知ったときだったわ 」

もちろん大嘘だ。自分が父さんの心を理解できることの対外的な理由に過ぎない。

彼が心持ち身を乗り出してくる。気のない振りをしてリツコさんも耳をそばだてているようだ。

「 碇司令がもっとも屈託なく接してる相手が…レイちゃんだわ。
  それは彼女が造られた存在だから。司令が造った存在だから。逆らうことのない存在だから。
  碇司令が他人を恐れているのが解かったのは、造った存在である…レイちゃんにだけ打ち解けていたからなの 」

一息。視線を落とす。

「 ……もっと打ち解けて然るべきヒトが、すぐ傍に居るというのにね 」

それが誰か、などと明言はしない。受け取った者が、受け取りたいように解釈するだろう。

「 ことさら…レイちゃんを大切にしているように見えるのは、司令もやはり愛に飢えているから。自分なんかを愛してくれる人間は居ないと思っているから。
  紛い物でも無いよりはまし。人形でも居ないよりはましだと。
 
  ……でも、それしかないと思っているから大切にするの 」

嘘、ほのめかしと続けて、次は隠し事だ。
わざわざ母さんの事なんか口にしない。綾波と母さんの関係を教えるにしても、まだ先のこと。

「それは代用品に注ぐ愛。紛い物への愛。本当はあなたに与えたい愛が捩じれた結果なのよ」

そして、すり替え。
零号機の暴走の顛末を聞けば、父さんが綾波を道具として扱いきれなかったことがわかる。おそらくは綾波に母さんの面影を見ているのだろう。不器用な人なのだ。


もちろん、そんなことがらはおくびにも出さずに続ける、心の狩り。

まがりなりにも愛されていると、彼に錯覚させるために用意した詰め将棋。

「 想像してみて。
  あの結晶のような形の第5使徒戦前に…レイちゃんに話しかけてたように、あなたに話しかけていたらどうだろうか、と 」

問いかける言葉とは裏腹に、自由な想像など許さない。

「 あんな酷い代物に乗り込まねばならない息子に、とても喜ばしそうな顔で語りかける父親 」

落とすように視線を逸らして、さも独り言かのように呟く。
届いたかどうか、確かめるまでもない。その顔を見なくとも、その表情を見なくとも、これだけ近しければ。

……

 ……

「……ありえないわね」

リツコさんの感想に後押しされたような、彼の頷きが見て取れた。

「 あなたに対する愛がなければ、そうなっていたわ。
  …レイちゃんへの愛が紛い物だから、そうなった 」

もし、寸毫でも父さんを赦せたら、それは容易に綾波への同情に変わる。これはそのための罠だ。


一歩、二歩。綾波のほうへ。

顔をそむけているのは、結果が怖いからだろうか。

拒絶されることへの恐怖。それは社会性が芽生えたことの裏返しでもある。成長……、したんだね。綾波。

……

体をずらすようにして振り返った。再び現れた綾波の姿は、彼の目に小さく見えるだろう。


「シンジ君、もう一度訊くわ……」

声のトーンを戻した。彼のためだけの嘘は終わり、続くのは……

「彼女たちが……、怖い?」

彼のための嘘。綾波のための嘘。二人のための嘘。

結局、この口からは嘘しか紡がれない。

そうして仕立てられるのは、虚偽の布地にわずかな事実で刺繍を施し、憶測の糸で縫い合わせた、裸の王様の服。

見たい者だけに見える服。真実とはそういうものだ。事実と違って肌触りすら、ない。

……

「……怖いというより、……驚きました。いきなりだったんで」

前もって言ってくれればよかったのに。との抗議に、ごめんね。とだけ返す。

衝撃を受けている間に刷り込みを行う。洗脳の常套手段だから、などと言えるはずもない。

「…レイちゃんのこと、好き?」

「ミ、ミサトさん!?」

「嫌いになってないか? って意味だったんだけど、答え聞かなくても判ったわ」

からかわないでよ、もう。と拗ねる彼の呟きはやさしく無視して。

「よかったわね、…レイちゃん。あなたを、あなたのままで、受け入れてくれる人が居るわ」

「…はい」

ゆっくりと近寄ってきた綾波が、上目遣いに見上げてくる。

……

「…葛城三佐は?」

……

「訊かないと判らない?」

……

「…聴きたいから」

そうね、きちんと伝えないとね……。と微笑。


……

「レイちゃん。あなたのことが好きよ」

嘘だらけの言葉の中で、初めて自分が心から想っていることを口にできたのだろう。

だからか、そのひとことは思ったより素直に口をついた。

ドモらなかった。

「…葛城三……」

呼びかけようとした綾波が、かぶりを振る。

いや。いや。いや。いや。いや。いや。いや。いや。いや。いや。いや。いや。いや。いや。いや。いや。いや。いや…

「ミサトさん。って呼べばいいと思うよ」

与えられた好意に返す、ぎこちない微笑み。かつて自分に与えられた笑顔が、今、自発的に彼に向けられている。

照れる顔を観察する余裕はなかった。

…ミサトさん。との呟きとともに飛び込んできた綾波に驚かされたから。



綾波をなだめるのに、少し時間がかかった。

胸元が濡れて、ちょっと冷たい。

頭をなでてやっていた手をとめ、抱きしめなおす。

「彼女たちを、どうしてあげたい? レイちゃん」

息を呑む気配。おそらく、考えたこともない命題。

「…わからない」

「彼女たちを外に出してやって、あなたと同じように生活を与えてあげられるとしたら?」

……

「…彼女たちは、私と同じ株の、私とは違う花。同じように咲く権利がある?」

頷いてやる。

「…私に決める権利が……?」

「それは判らないわ。
 でもお腹の中の胎児に「生まれて来たいか?」と親は訊くことはできないものよ。
 あの子たちも同じだと思うの」

…なら。と腕の中で頷く気配。

「…出てきてから、自分で決めればいい」

そうね。と頷いてやる。

「勝手にそんなこと決めないで! 出来るわけないでしょう」

ちょっと待ってね、怖いお姉さんと話しをつけてくるから。と抱擁を解く。

つかつかと詰め寄ってくるリツコさんに向き直って。

「どうして?」

「魂がないもの!」

「なぜ?」

「ガフの部屋は空っぽだった! 魂が宿ったのは一人だけよ」

「本当に?」

「嘘ついてどうするのよ!」

はあはあと、リツコさんの息が荒い。

……

「……じゃあ、1人目は? 魂なかったの?」

これは賭け。
「葛城ミサト」の知らない事実だから。加持さんですら掴んでいなかった情報だから。

ダミープラグの正体より、はるかに知り難い秘密のはずだ。

でも、そのために加持さんの姿を見せておいた。なによりここに綾波が居る。

リツコさんはそのことを、勝手に結び付けてくれるだろう。

……

「……魂を移した。と聞いてるわ」

よかった。「秘密は漏れるものだ」なんて陳腐な言葉で誤魔化さずにすんで。

「死体から移せるものなの?」

「いいえ。
 その装置で取っていたバックアップを与えたそうよ」

指差す先に、人間の脳幹のごとき器械。

「バックアップが取れるなら、書き込めば魂が生じるんじゃないの?」

「……無駄だと聞いていたから」

試したことないのね。と水槽に手が届く位置まで。

「子供ってね。胎児のうちから色々な経験をするの。
 母親に話しかけられたり、外の物音を聞いたり、ホルモン量の変化から母親の情動を慮ることすらできるらしいわ……
 だから生まれた時にはすでに、それなりの経験を蓄積しているのよ」

ガラスに手を置くと、近くの綾波が視線を寄せる。

「それに、脳のシナプス形成に乳幼児期の接触刺激は必要不可欠だわ。
 ……でも、人工子宮の中で促成培養では、そんなもの望めない」

見分けはつかないが、この中に3人目の綾波も居るのだろう。

「この子たちは、そんな経験すら与えられぬまま大きくなった胎児なの。
 だから魂がないように見える」

振り返り、見つめるのは無機物の脳髄。

「この世に魂があるかなんて、判らないわ。
 でも、ガフの部屋とやらが空っぽだったなら、レイちゃんよりあとに生まれた子供たちにも魂がないの?」


かつて、綾波たちの破壊を見せつけられた時から、魂というものについて考えてきた。綾波だけに生じ、綾波たちには生じなかったと言うモノ。

1人だけにしか生じなかったというのなら、自分の知っている2人のうち、どちらが魂を持つ綾波だったのだろう。

それとも、存在したはずの1人目だけが持っていたのだろうか?

ほぼ同じ記憶を有しながら、温度差を感じさせた2人の綾波。その温度差が魂だろうかと、そう考えたこともあった。


自分なりの結論に至る。その糸口を与えられたのは、他ならぬリツコさんから聞いたMAGIの話。微細群使徒戦の時だ。

人格が揮発する。という言葉が、なぜか3人目の綾波のことを思い出させた。

一応の記憶はあるが、それに伴う実感や情動が見られなかったように思う。無機質とでも言えばいいのだろうか? その3人目に対する自分の印象は、自らが経験せずに記憶だけを与えられたからこそ抱かせたのではないか。

貰い物の記憶しかなかったから、「私は3人目」などと、突き放したように告白できてしまうのではないか?

それはおそらく、人格を揮発させてしまった場合のMAGIの姿でもあっただろう。

2人の温度差について考えていて気付いたのは、2人目もまた、ここから出たばかりの頃は同じような状態だったのではないか? ということだ。最期には自爆までして自分を救けてくれた2人目の綾波にも、3人目のような時期があったと思う。

・ イレーザーで消し残された点。過去ログだけを与えられた器。それが3人目の綾波ではなかったのか。水槽から出されたばかりの2人目の綾波ではないだろうか。

だとすれば2人の綾波の決定的な違いは、肉体を得て体験した時間の差しかない。

/ リツコさんがホワイトボードに書いてくれた斜めの線。線そのものは実在しても、それが示すベクトルはそうではなかろう。

もし、そうならば。
魂とはそれ自体のみで存在し得る代物ではなくて、体験の過程と人格形成の軌跡を表す語彙に過ぎないのかもしれない。その抄録が記憶、ということになるのではないか。



そして、なにより。なによりも、……だ。

魂なんてモノがあるなら、この体でも動いてくれたかもしれない初号機。応えてくれたかもしれない、母さん。

【エヴァパイロットとしての適格性なし】との通知を前に、おそらく自分は一度、絶望しているのだろう。こんな姿でも、母さんなら自分を見分けてくれるかもしれないと、心の片隅に希望を抱いていたのだ。



この世に魂なんてない。

その結論は、つまるところ自分の願望の産物なのだ。

それに、そもそも魂の本質を知らないかぎり答えの出ない命題でもある。

だが、解からないなりに自分で考えて出した答えだった。



ゆっくりと歩いていく。

「……この世に魂がないのなら、そもそもこの子たちが外に出ることに何の問題もない」

装置の下、巨大なガラスのシリンダー。

「……この世に魂があるなら、この子たちだけに魂がない理由がないわ。
 今この瞬間にも子供たちは生まれ、育っている。私が看取った子供たちにも魂はあった。
 この子たちにも魂は、きっとある」

おそらく、この装置は人の記憶を保存し、与える事ができるだけの物に過ぎまい。

「外に出して経験を積ませるのは一人で充分。ダメになれば交換すればいい」

そういうことじゃないかしら。と透明な筒に触れる。

「この前の結婚式の時、レイちゃんは精密検査だと聞いていたわ。
 健康面の管理者たるリツコ…が居ないのに」

筒越しに視線をやると、リツコさんと目が合った。

「リツコ…が必要ないほど簡単な検査? それにしては時間をかけすぎてる。
 リツコ…も知らないような秘密があるかも。と思ったのはそのときだったわ」


例えばリツコさんはさっき、魂を移した。と言った。

だが、死んだ綾波から魂を移せるのなら、停止したMAGIから人格を移すことなど造作もないだろう。揮発したベクトルごとき、どうにでもできて然り。

そこから導き出せるのは、本当は魂なんか移せないか、父さんがリツコさんを信用してないか、騙してるか、のどれかだ。

そのことの屈辱は、科学者としてのリツコさんを動かす原動力になりえるだろう。


「レイちゃんのこと、前向きに考えるって言ってくれたわよね?
 それは、この子たち抜きでは成しえないことよ」

筒を迂回して、リツコさんの方へ歩く。

「初号機がダミープラグを拒絶した今、この子たちの重要性は下落している。
 下手をすれば、このまま破棄されかねないわ」

リツコさんが目をそらした。

「せめてもの罪滅ぼしに、この子たちに未来をあげて欲しいの」

すれ違う寸前で、立ち止まる。

「今すぐってわけじゃないわ。全てが終わってからでいい。
 だから、考えておいてね」

力なく頷いたリツコさんの肩に手を置いて、子供たちに笑顔。

「レイちゃん。シンジ君を連れて先に帰っててくれる?
 大人はこれから悪巧みの相談があるのよ」

「…はい」

「まだなにかあるの!?」

「だって、これだけだとリツコ…にメリットないでしょう? そういうお話もしたほうがいいと思って」

余計なお世話よ。とのお言葉は丁重に無視した。


****


「よくもまあ、あんな大嘘を、べらべらと」

子供たちを帰したあと、せめて椅子が欲しい。ということで3号分室まで戻る道すがら。

リツコさんの機嫌はあまりよくないようだ。

「えぇと、……どれ?」

心当たりが多すぎて……

「ダミープラグの製作意図よ」

エヴァの墓場に向かう階段を無視して、先導していたリツコさんが通路を折れた。こちらを気遣う様子がないのも、不機嫌さの現われだろう。

「事実の表層を撫でれば、そう見える。その見方を教えただけよ」

「たいしたペテン師だこと」

行く手に現れた、ゴンドラ丸出しのリフトに乗り込んでいる。近道だろうか?

いや、リツコさんがそんな不合理な行動を取るとは思えない。
たぶん往きの道筋の方が遠回りなのだろう。おそらくは、自分の気が変わることを期待して……。

「でも、丸っきりの嘘。というわけでもないでしょ?」

続いて自分が乗り込むと、一つしかない赤いボタンをリツコさんが押した。途中下車はなさそうだ。

「だからリツコ…も口出ししなかった。レイちゃんのときと違って」

……

「……そうね。司令にそのつもりが微塵もないとは言えないわね。
 あの呪文、効いたもの」

呪文。エヴァ憑依使徒戦後の助言メールのことだろう。

そうか、効いたのか。
あんな父さんにも可愛いところがあったんだ。案外、頭ナデナデしたら喜ぶかもよ、リツコさん。

少し、リツコさんの雰囲気が柔らかくなった。反面、表情は複雑になる。怒りと哀しみに悔しさを併せて押し隠そうとすれば、あんな顔になるだろうか。

……

ヒトの顔色をうかがう癖、直さないとな……。

視界からリツコさんを外せば、眼下に広がるエヴァの墓場。

「それで、いつ……気付いたの?」

「なにに?」

「私と、あの人の関係に」

見やれば、上目遣いに睨みつけられていた。
柔らかくなっていた雰囲気は微塵もなくて、値踏みするような容赦のない視線。
 
「ミサトにばれるような、そんな素振りを見せた憶えはないわ」

しまった。あのメールは勇み足だったか。リツコさん相手に、あまりにも迂闊だった。

下手な言い逃れは通用しないだろう。
第一、これからやろうとしていることに、リツコさんの協力は不可欠だ。不信を抱かれては元も子もない。

……

説得力のある理由。説得力のある理由。説得力のある理由。

 ……

目的地に着いたらしくリフトは止まるが、とてもゴンドラから降りられる雰囲気ではない。

  ……


「……ゲヒルンの人間関係について、知る機会があったの」

嘘……ではない。
加持さんから貰った情報の中に、それを匂わせる内偵報告があった。

「……それに、カスパーの中で聞いた話を重ね合わせてみたのよ。
 それ以来、なんとはなしに…ね?」

「メールは鎌かけも兼ねて? 油断も隙もないわね」

「そういうつもりはなかったけれど…… その、気に障ったなら……、ごめん」

喋りすぎたみたいね……迂闊だったわ。これ見よがしに嘆息したリツコさんが、ゴンドラを降りる。

あとに続こうとしたら、遮るように立ち止まったリツコさんが振り向いた。

「ところで、加持君にフラレたって、本当?」

自分はよほど変な顔をしたのだろう。リツコさんの表情が緩んだ。

今ので帳消しってことにしてあげるわ。とのお言葉を、ありがたく頂戴するしかなかった。


****


ようやく3号分室に到着。……なんだか遠い道のりだったような気がする。

よぅ、遅かったじゃないか。という加持さんに、リツコさんの一瞥。

「加持君の仕業ね。ミサトに要らないことを吹き込んだのは」

「こんちまたご機嫌斜めだねぇ」

攻撃の矛先がそれた。と歓んでは居られない。これからが本題なのだ。

……

「近いうちに、使徒戦にかこつけて初号機を壊すわ」

「なっ! なに考えてるのミサト!」

落ち着いて。と身振りで押しとどめ、傍らの医療用ベッドに腰をおろす。綾波のかな?

「私は、人類補完計画を潰す」


自分の目の前で息をひきとった難民の幼子。

そういった子供たちを少しでも減らすべく努力してきた。
少しでも小さな被害で使徒戦を勝ち抜くことで、多くの地域の負担を減らせると思ったのだ。

しかし、サードインパクトを防ぐだけなら必要ないはずの多額の費用は計上され続け、使徒戦を錦の御旗に、国連予算は難民救援には出し惜しみされた。

表向きは判らぬよう、極秘裏に。

例えば、存在しないマルドゥック機関。
108ものペーパーカンパニーが請求してきた莫大なチルドレン選抜費用は、そのまま委員会の裏金になっただろう。

大義名分を隠れ蓑に自分勝手に進められようとする補完計画を、見過ごすわけにはいかない。
 
早めにその目論みを挫かねば。


そして、なによりも。本当に仕組まれた子供だったチルドレン。

あんな酷い物に乗るために生まれてくるなどと、そんな理不尽な人生があるなどとは思っていなかった。

だが、綾波は文字通りそのために造り出され、アスカも幼ないうちから辛い訓練に明け暮れたのだ。

二人に較べればマシかもしれないが、自分だって酷い目に遭わされた。

なにが哀しくて、あんな物のために。


人類補完委員会。いや、ゼーレと呼ぶべきか。

その悲願とやらを潰してやることが、仕組まれた子供たちにできる唯一の反抗なのだ。


見やると、見つけておいたらしい椅子を加持さんがリツコさんに勧めている。自身は立ったままらしい。

「司令がこだわる初号機。それこそが補完計画の要でしょう?
 初号機を壊して、計画を潰すわ」

あの時、白いエヴァたちは弐号機には眼もくれず、いや、それどころか単なる慰み物としてうち捨てた。

あの狂乱の宴の中心は、初号機に違いない。

「……それで、初号機を失い、計画を絶たれて途方にくれる司令に取り入れ。と、それが私へのメリットというわけ?」

そのつもりだけど、不満? と小首をかしげる。

いいえ。と応え。

「……でも、計画に初号機は関係ないわよ」

懐からシガレットケースを取り出して、一振り。吸っていいか? のジェスチュア。

頷く。

「委員会が計画している儀式は、リリス、ロンギヌスの槍、12体のエヴァで行われる予定だったのよ。
 槍がないからすでに破綻しているけど、初号機は関係ないわ」

吐き出される紫煙。

「それでも?」

気のない振りをしながら、上目遣いの視線は何かを探るように。

その心を占めるのは、初号機を葬るという甘美な誘惑に違いない。
唐突にもたらされた啓示をいかに現実となさしめるか、その頭脳を総動員しているのだろう。

作戦課長がどれだけ利用できるか測るための揺さぶり。だからこそ、この情報なのではないか。

態度とは裏腹に、リツコさんこそ初号機を葬りたいのだ。想い人の心を独占しているモノを。



!?

ちょっと待て。槍が儀式に必要だった? 確かに儀式の最中に帰ってきたが、そうなることを父さんは、ゼーレは知っていたのだろうか?

槍が自力で戻ってくることまでシナリオの内だとは、とても思えないのだけど。

……

「もしかして司令は、補完計画を阻止した上で乗っ取ろうとしているの?」

さあね? とリツコさん。

どういうことだ? と加持さん。

「使徒に侵入された時、司令は誤報だと言って隠蔽したわ。
 その時は、単なる保身かとも思ったけれど……」

あまりにも不自然だったから、気になっていた事実。

「ゼーレとそのシナリオとやらの存在を知った時に、おかしいと感じたのよ。
 補完計画がシナリオとやらに沿って進んでいるなら、隠蔽する必要はないもの。
 逆にイレギュラーな事態なら、むしろ報告は必須でしょう?」

さらには、加持さんによるアダムのサンプルの横流しも、明らかにゼーレに対する背信行為だ。

「だから、司令に二心があるんじゃないか、とは思っていたわ。
 補完計画に便乗して何かを企んでいるんじゃないか? くらいにはね」

そのこと自体は、ゼーレもまた気付いてはいるのだろう。

さもなくば、身内のはずのネルフに対して、副司令の拉致などといった非常識な手段を採ったりはしない。あれは、ほとんど脅迫だ。
自分が加持さんに頼まなければ、冬月副司令は帰らぬ人になっていた公算が高かった。

「ところが、儀式に必要なロンギヌスの槍を、あっさり使った。
 しかも司令が自ら指示して、委員会の許可も取らずにって話じゃない」

自分が行おうとしていたように、衛星軌道へのエヴァ展開は可能だ。当然、司令部にも立案・提出してあった。

エヴァを失う可能性はあるが、儀式を優先するなら槍の使用はありえない。

量産が進んでいる今、エヴァの保全は口実にすらならないだろう。父さんの腹積もりはともかく。

とすれば、積極的にロンギヌスの槍を破棄すべき理由があるのではないだろうか?

「司令にとって、槍は邪魔だったんじゃないかしら?
 たかが作戦課長を救うために、計画を放棄してまで使うとは思えないもの。
 態よく厄介払いをしたようにしか見えないわ」

槍が邪魔だから計画を阻止することになったのか、計画を阻止したいから槍を破棄したのか、そこまでは判らないが。

「そうならば、もとより司令にゼーレのシナリオを遂行するつもりはない」

もちろん、それだけが目的ではないだろう。でなければ、儀式には関係のない初号機に、あそこまでこだわるとは思えなかった。


結局のところ、父さんの目的は想像するしかない。
だが、便乗するにせよ乗っ取るにせよ、補完計画そのものを潰してしまえば遂行できないはずだ。



なにやら懐手にして、加持さんが歩いてくる。

先んじて訪れた焦げ臭い空気は…… 硝煙の匂いか。

思わず鼻をひくつかせた自分に、加持さんのウインク。

委員会絡みの野暮用があると言っていたが、随分と荒事だったらしい。
もしかして、手を切る決意をしたのだろうか。それが加持さんの身の安全に結びついてくれるなら、嬉しいのだけど。


委員会と云えば……

「委員会に査問された時の印象では、計画が潰えた悲惨さは微塵もなかったけど……」

飲むかい? と差し出された缶コーヒー。加持さん、こんな物どこに隠してたのだろう?

「ロンギヌスの槍がなくても儀式を遂行できる手段があるのかしら?」

受け取った缶は冷たい。UCCオリジナルは熱燗が最高なのに。

常夏の日本で無茶言うな。って顔した加持さんが、もう1本取り出してリツコさんの方へ。

「それは……、判らないわね」

胡散臭げに受け取っている。缶コーヒーは嫌いだったはずだ。

「……となると、ゼーレも司令も、まだ手の内に切り札を隠しているのかもね」

補完計画は、リリス、ロンギヌスの槍、12体のエヴァで行われる予定だったという。

あの時は、初号機、ロンギヌスの槍、9体のエヴァで行われた。
槍の帰還は、父さんにとって予想外だったのではないだろうか?

儀式が始まれば、槍が帰ってくる可能性がある。ならば儀式の発動そのものを阻止しなければならない。

そのために破壊せねばならないのは、リリスと初号機、そして9体のエヴァだ。

アダムのサンプルの存在が気になるが、それ単体で何事かなせるような代物なら、加持さんとて容易に持ち出せはすまい。
所在もわからないし、後回しにするしかなかった。


「司令のこだわりようが気になるから、やはり初号機は潰すわ。
 あれを儀式の切り札として使う可能性を否定できないもの」

ちらりとくれたリツコさんの視線を、知らん振り。

「そのためにいくつか、お願いがあるのよ……」




****




エヴァ侵蝕使徒は、融合された初号機を自爆させることで殲滅に成功した。

弐号機が展開したATフィールドのお陰で、第3新東京市に被害はない。


                                                         つづく

2006.10.23 PUBLISHED
.2006.10.30 REVISED



[29540] シンジのシンジによるシンジのための 補間 #7
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/17 23:53





どうしても聞きたいことがあったので、この機会にリツコさんに訊いてみることにした。

「ところで、水槽の中のレイちゃん達って、誰が髪を切っているの?」

ぴたり。リツコさんの動きが止まった。

「わっ私じゃないわよ……」

「ああ、リツコ…なのね」

案外、解かりやすい人である。

飲み干したUCCオリジナルの空き缶を、とりあえず床に。

「ということは、レイちゃんもリツコ…が切ってあげてたの?」

「自分の話はしない主義なの。面白くないもの」

苛立たしげに揉み消される煙草。

「リツコ…があんなに器用だとは知らなかったわ。シャギーなんて難しいでしょうに」

流し髪を掴んで目の前に。おや、枝毛だ。

「今度、私も頼もうかしら」

あれだけの大人数を、あんなに難しいヘアスタイルで維持できるなんて、よほど面倒見が良くないと勤まらない。

何の経験も積んでいないはずの綾波たちの微笑。その理由を見出したような気がする。

あなた、いい保母さんになれるわよ。と上げた視線が、振りかぶるリツコさんを捉えた。

手にしてるのはUCCオリジナル。

まさか本気で投げる気…… だぁあ!

慌てて頭を下げる。背後で壮絶な衝突音がした。

鍛えてない女性の腕でさほど速度がでるわけはないが、250cc入りコーヒー缶の質量は侮れない。

振り返ると、医療機器とおぼしき装置がひとつ、完全に沈黙していた。位置的に、避けなくても当たらなかっただろうが……

「……UCCオリジナルの、新しい使い方ね」

否定はしないわ。と煙草を取り出したリツコさんが、ちょっと怖かった。

なにやら逆鱗に触れたらしい。とすると、この件にも父さんが絡んでるのかもしれないな。



                                                         つづく



[29540] シンジのシンジによるシンジのための 補間 #EX3
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/17 23:54





綾波の肉嫌いをどうこうする気は、自分にはない。まだそういう段階でもないし。

単なる食わず嫌いや好き嫌いならば、他の食品で補えるのだからたいした問題ではないのだ。

主義主張があってベジタリアンだというなら口を出すいわれもないが、綾波は違うだろう。

そうしたポリシーを身に付けるような育ちをしていないし、ラーメンだって食べる。

厳格なベジタリアンは卵・乳製品はおろか、蜂蜜やイーストを使ったパンすらも食べない。
行き着くとこまで行き着いた人になると、ニンジンを食べるとニンジンを殺すことになるから、お茶を飲むには茶の木を苦しめねばならぬから、木の実を食べれば繁殖を妨げることになるから。と言って果物しか口にしないという。

鶏ガラ・卵・鯵節・鯖節が満載のラーメンなんか、もってのほかだ。
以前に食べに行った屋台はとんこつスープだったから、なおさら。

体質の問題かとも思ったが、「食べられない」ではなくて「嫌い」と言っていたから違うのだろう。


そういった詮ないことをつらつらと考えているのは、行きつけのスーパーにベジミートのコーナーができていたからだ。

ベジミートというのは大豆や小麦などの植物性原料から作られる肉の代用品で、よく自分が綾波に作ってやっている肉モドキの製品版といえる。

アメリカ第二支部消滅、エヴァ参号機の移管に伴い、多くの人員が本部へと異動になった。

当然のことにアメリカ人が多く、国全体が健康強迫症のような処からの流入だけあって、こうした食品が売れるようになったのだろう。

動物は殺したくないが肉は食べたいとは、ヒトという生き物はなんと業の深いことか。

セカンドインパクトからの復興期には日本でもよく作られていたが、蛋白質やグルテンなどを抽出して作ること自体が贅沢であったし、普通に食肉が流通するようになって影が薄くなった。

実際問題として小麦も大豆も育成できないような痩せた土地は、牧草を育てて酪農をするしか使い道がないのだ。人口が激減したとはいえ耕作可能地はそれ以上に減っている。土地を遊ばせておく余裕など今の人類にはなかった。

そう云う意味に限れば、肉は必ずしも贅沢品ではない。

……いや、牛より豚、豚より鶏、鶏よりイナゴの方が効率が良いらしいから、やはり贅沢は贅沢か。

そういうことを思いつつ原材料表示を見てみたら、マイコ蛋白質(糸状菌Fusarium由来)などと書いてある。これなら耕作地の問題や抽出過程の無駄とも無縁かもしれない。テクノロジーは日々進歩しているようだ。

せっかくなので一袋ほど買い物カートに放りこむ。
肉モドキは結構手間のかかる料理なので、これが使えるようなら少しは助かる。


「ミサト~っ、これ買って~」

アスカが抱えてきたのはポテトチップスの袋だ。パッケージが緑色なのはワサビのフレーバーだからか。

「エヴァのパイロットが、ジャンクフードは止しなさい」

人目があるので小声。

「え~」

「「え~」じゃなくて。ポテトチップスくらい揚げてあげるわよ」

「ぶ~。だってワサビの味なのよ」

「「ぶ~」でもなくて。ワサビのディップも作ってあげるから」

「ヴィルクリッヒ? わかった。じゃ、戻してくる」

踵をかえして駆け出したアスカの向こうで、彼がそそくさと引き返していった。手に持っていたのはなんのスナック菓子だったやら。


さて、綾波はどこで捕まっているのかな?

好奇心を発揮することを覚えだした綾波は、買い物に連れてくるたびにどこかしらで引っかかるのだ。

今日はいったい何に興味を引かれたのか、それを知ることが目下の楽しみのひとつだった。



                                                          終劇

2006.12.04 DISTRIBUTED
2008.02.18 PUBLISHED

【第九回 エヴァ小説2007年作品人気投票】にて、過分なご支持と評価をいただきました。
 投票してくださった方々への感謝の気持ちを、この一篇に添えて、御礼申し上げます。ありがとうございました。




[29540] シンジのシンジによるシンジのための補完 第拾七話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/17 23:54





暗いところは、まだちょっと苦手らしい。

自分ではなく、この体が。この体の本来の持ち主が。


第16使徒たるエヴァ侵蝕使徒戦で、むざむざと初号機を失った責任を問われて作戦課長職から解任。

こうして、隔離施設に拘束されていた。

エヴァ憑依使徒戦後の顛末から類推して、こうまで重い処罰がくだるとは思っていなかったが、さすがにそれは甘かったようだ。

案外、父さんはすでに委員会と袂を分かったのかもしれない。

もしくは、委員会も先を見越して作戦課長の排除を考えたのか。

理由はどうあれ、リツコさんが健在で、その協力が仰げるのならその地位に拘泥する必要はなかったが。




…………




「危険です! 初号機の生体部品が侵されて行きますっ!」

スクリーンの中で、光の紐のようなエヴァ侵蝕使徒が、初号機の腹部にがっちりと喰い込んでいた。
びしびしと浮き上がっていく葉脈のごとき錯綜を、どうにも止められない。

引き抜こうと掴んだ両手にまで葉脈が遡上する。


『やっ!』

使徒の動きを見切った弐号機が、ソニックグレイブで叩きつけるようにその反対側の先端を地面に押さえつけた。すかさず連射される零号機のポジトロンライフル。

当然ATフィールドは中和しているだろうに、効果があるようには見受けられなかった。


「いったん初号機を放棄するわ。シンジ君、射出準備よ」

『……はい』



ATフィールド展開に長けた彼を、前面に押し出しての威力偵察。
格闘戦など通用しそうにない相手だけに、その策はすんなり受け入れられた。

もちろん、単なる口実にすぎない。

結果、エヴァ侵蝕使徒はこちらの思惑通り初号機を強襲。ATフィールドをほぼ無視して侵蝕を始めたのだ。



「レイちゃん、アスカ…ちゃん。プラグの射出ルートを確保して」

『わかったわ』

『…了解』

「直接、使徒に触れちゃダメよ」

『…アスカ、…そこは私が』

ポジトロンライフルを放り投げた零号機が、プログナイフを抜きながら弐号機に駆け寄った。その足元に跪くと、ソニックグレイブにナイフを並べるようにして使徒を押さえつける。

入れ替わるように駆け出す弐号機。熟練のリレー走者を思わせるようなスイッチぶりだ。

『そこっ!』

初号機の周囲をのたうつ使徒をたちまち捉えて、ソニックグレイブが振り下ろされた。

「射出ルート、クリアッ!」

すかさず射出されるエントリープラグ。

「目標、さらに侵蝕!」

「危険ね、すでに5%以上が生体融合されているわ」

パイロットがいなくなって抵抗力が下がったのか、侵蝕が速くなったようだ。


「レイちゃん、アスカ…ちゃん。使徒の攻撃圏から離脱して」

『わかったわ』

『…了解』


……

バランスを失ってぐらりと揺れた初号機が、なぜか右足を踏み出して転倒を免れた。

突如、顎部装甲を引き千切って咆哮。

「エ、エヴァ、再起動……」

深淵使徒戦を思い出したのか、マヤさんが怯えている。

「やはり目覚めたの……、彼女が」

リツコさんの呟きは、このあとの自分の目論見を知っているからか、嬉しげだ。
その左手が白衣のポケットに差し入れられたのを、見ない振り。


初号機の右手が翻った。と見るや、その掌中に掴み取られる使徒の反対側の先端。

ほぼ正面に位置する零号機視点の映像の中で、初号機が目を細めたように見えた。

……

「使徒を……喰ってる……」

ポジトロンライフルの直撃に傷一つ負わなかった使徒が、易々と初号機に貪られていく。

「S2機関を自ら取り込んでいるというの? エヴァ初号機が……」

しぶいた赤い体液は初号機の顔面を染めて、返り血そのもの。

口元を押さえ、マヤさんがうずくまる。懸命に吐き気をこらえているのか、くぐもったうめき声。
 
初号機各部の装甲が弾けとび、姿を見せた素体が一回り大きく膨れ上がった。

胸元に見えるのは赤い光球。使徒と寸分違わぬ、コア。

「拘束具が!」

「拘束具?」

「そうよ。
 あれは装甲板ではないの。エヴァ本来の力を私たちが押え込むための、拘束具なのよ」

  その呪縛が今、自らの力で解かれていく……私たちには、もうエヴァを止めることはできないわ……。独り言めいた呟きは、しかしはっきりと耳に届く。リツコさんは意外と役者だ。

スクリーンの中で展開される相剋の図式。
使徒を喰らう初号機と、初号機を侵蝕する使徒が、お互いの尾に喰らいついた蛇のように、その環を縮めていっている。

使徒が勝つか、初号機が凌ぐか。
もし、このまま引き分けたとしたら、融合したそれらは、別の何かに生まれ変わるのではないだろうか。


全身に葉脈を蔓延らせた初号機が、雄叫びをあげた。


「危険ね。
 エヴァンゲリオン初号機は現時刻をもって破棄し、目標を第16使徒と識別。
 初号機の自爆を提訴します!」

ポケットに左手を入れたまま待ち構えていたリツコさんが身じろぎするや、前面ホリゾントスクリーンの一角にMAGI模式図が表示された。

  ≪ ・人工知能 カスパーより エヴァンゲリオン初号機の 自爆が 提訴されました ≫

「なんだとっ!」

トップ・ダイアスで椅子を蹴立てる音。

父さんが慌てるのも当然だった。
一作戦課長が口頭で提言しただけで破棄できるほど、エヴァは軽々しい存在ではない。本来なら、MAGIが取り上げることすらありえないのだ。

「待てっ!」

この時のためにリツコさんにお願いしておいた、自爆シークェンスへの仕掛け。

一見、カスパーが自発的に意見を取り上げたように見えるだろう。それを父さんがどう解釈するかは想像するしかないが。

  ≪ ・特例616発令下のため 人工知能以外によるキャンセルはできません ≫

MAGIに大きな権限を与えて、おんぶに抱っこで頼りきってるネルフは、こうなってしまうともう、手も足も出せない。

微細群使徒戦時に気付いた、ネルフの弱点だ。


  ≪ ・可決 ≫

提訴したカスパーは当然、即答。


  ≪ ・可決 ≫

やや遅れてメルキオールも賛同。

……

  ≪ ・可決 ≫

最後に、バルタザールが赤く染まった。


「やめろーっ!!」

血を吐くような叫びとは、このことだろうか。
思わず耳を塞ぎそうになった両手を、押しとどめる。そんな権利は、自分にはない。


  ≪ ・人工知能により 初号機 自爆が執行されました ≫

母さん。ありがとう……。リツコさんの呟きを、聞き流す。


「アスカ…ちゃん。ATフィールドを円筒状に展開、爆圧は上空に逃がして」

『わかった……』

「レイちゃんは、使徒のフィールドを中和して」

『…了解』


「初号機コア、自壊を開始。臨界まで、あと10!」

齧り取られるように初号機のコアが縮退していく。
その頭上、天使の輪のように光り輝くのはATフィールドの末路だろうか?

「コアが潰れます、臨界突破!」

素体の顔が変化して女性の顔を象った。と見えた瞬間、初号機は十字の爆炎を上げた。


あれは、母さんの顔だったのだろうか?


……

「目標、消失……」

「現時刻をもって作戦を終了します。第一種警戒態勢へ移行」

「了解。状況イエローへ、速やかに移行」


使徒殲滅を確認し、アスカと綾波に帰還命令を出す。彼も無事に保護されたようだ。


見上げたトップ・ダイアスの上では、未だに父さんがスクリーンを凝視していた。

声にならない呟きを繰り返し、サングラスを落としていることにも気付いてない。


……

次第に焦点を失っていった瞳が、力を取り戻した途端に射るような視線を向けてきた。

反射で体はこわばったが、心までは縛られない。
怒りを焚きつけることで己を保とうとしている父さんの努力を、その体の震えに読めたから。

「葛城三佐っ!」

自分を叱責する怒号も、今なら聞き流せる。

「貴様を……っ」

恫喝が通用しないと見て、父さんが声を詰まらせた。

……



「……なぜ、初号機の自爆を提言した」

噛みしめた歯の間から搾り出すように、押し殺した声。

「物理的手段、ATフィールドとも通用しなかったため、初号機の能力では対処不可能と判断。
 第13使徒戦時の前例に倣った上で、最も効果的な方法を採りました」

ぎりぎりと、音が聞こえてきそうなほどに喰いしばられた口元。

胸元でしきりに握り直される右手は、何を意味するのか。
ただ、もし傍らに居たら、殴り飛ばされていたであろうことは想像に難くない。


……

「……初……、エヴァを無為に失った責任は重いぞ」

「あのまま手をこまねいていては、零号機、弐号機まで危険が及びました。
 あれは、最小限の損失です」

【作戦課長・葛城ミサト】にとって初号機は、3体あるエヴァの一つに過ぎないのだ。

父さんの顔から、表情が消えた。その右手がゆっくりと下がる。


逆鱗に触れたかもしれない。

父さんにとって初号機は何物にも替え難かったのだろうから、当然か。

だが、真意を隠したままで思い通りにできるほど、ヒトは単純な存在ではない。

見えない糸で操ろうとすれば、それが自らの足元を掬うことだってある。


エヴァ憑依使徒戦が悪しき前例と化してしまったのは己の秘匿主義ゆえだと、父さんは理解しただろうか。


こうして、その重要性を知らされてない者の手で初号機が葬られてしまったことの意味を、考えて欲しい。

他人を信用せず、MAGIを過信したツケを払わされたのだと、知って欲しかった。


父さんには、他者を駒扱いしたことの過ちに、気付いて欲しいのだ。


かたん。と聞こえてくる音は、抽斗でも開けたのか。

なにやら冬月副司令に小声で諭されて、父さんが動きを止める。


……

苛立たしげな身じろぎと、叩きつけるような音。その怒りは、ひとまず抽斗にぶつけられたようだ。

「冬月。作戦課長を拘束させろ。私は委員会に報告する」

捨てゼリフを残して退出する父さんを、敬礼で見送った。




…………




父さんにとって初号機がどれほど大事だったか。それを見せ付けられた思いがした。哀しいだけだったけれど。

いや、初号機ではなくて、中に居るであろう母さんが大切だったのだろう。

やはり、何らかの手段で母さんを掬い上げるつもりだったのだろうか?

そのためのアダムのサンプルなのだろうか?

だが、この世に魂がないのなら、初号機の中にあるのは母さんの記憶、いや記録に過ぎない。

もし、この世に魂があるのなら、怪物の檻に囚われた母さんは10年もの時の間、正気を保てただろうか?


弐号機から救出された惣流・キョウコ・ツェッペリンの調書を見たことがある。
そこには心を削り取られ、手元に残った少ないモノに異様な執着を見せる偏執症患者の姿があった。

アスカの不幸は、母親の記憶と認識までもが甚だしく失調したため、娘として認知されなかったことにあったのだろう。


では、初号機は? 母さんはどうなのだろう?

かつて、暴走した初号機の中で感じたのは、愛情が変質した独占欲ではなかったか?

当時、愛に餓えていた自分はあの偏執的な情愛すら心地よいと感じたが、本来それは、思春期を迎えた青少年にとっては疎ましいものだ。

自分を生んでくれた母親。しかし、今更その胎の中に還りたいとは望まないものだから。

そういう意味で、母さんが正しく自分を認識してくれていたとは考え難い。

少なくとも、軽い認知障害。
それも、我が子を対象としてみたときだけで、それ以外のものには見向きもしない可能性があった。



……いや、実はそれすらも怪しい。

かつて初号機が暴走したとき、それらは全て初号機そのもの、すなわち母さん自身の危機でもあった。

反面、トウジのときなど自分だけが苦しんでるときは見向きもしてもらえなかったのだ。

さらには、ダミーシステムにはまんまと騙され、父子のいさかいは傍観して息子が強制排除されるに任せていた。

あてつけるように綾波とダミープラグを拒絶して見せたかと思えば、息子を取り込む。

そこに母親の愛情があったのか、自分には断言できない。


ただ、いずれにせよ、父さんの幸せはそこにはないと思う。勝手に決められては不本意だろうが。

人は生きていく中で幸せを見出すべきなのだ。死者は心に留め置けばいい。

きっと今頃はリツコさんが慰めてくれているだろう。

人に想われる。そのことの幸せに、父さんが気付いてくれればいいのだけれど。



空気の抜けるような音がして、独房のドアが開いた。

「よぉ、葛城。差し入れ、飲むかい?」

差し出された缶コーヒーはUCCオリジナル。

「加持…君。大丈夫なの?」

ぁつっ!

受け取って。熱さに驚いて取り落とす。いったい、どこで湯煎してきたのやら。

「りっちゃんが味方についてるからな。ジオフロントの中ならなんとでもなるさ」

そう。と気のない返事をして缶を拾った。熱いので、ジャケットの袖越しに掴む。

「様子はどう?」

プルタブを引いて、……ひとすすり。行儀悪く音をたてるのが醍醐味なのだ。

「司令は篭りっぱなし。りっちゃんが入り浸ってる」

舌を火傷しそうな熱さ。

熱で、糖分と乳成分が活性化している。UCCオリジナルはこうでなくては。

セカンドインパクト以前ならではの味わいは、彼女の記憶に教わった。

「子供たちは騒いでる」



缶に口をつけたまま、目線だけを上げて。

「葛城以外の指揮は受けないって、ハンスト突入寸前だ」

「気持ちは嬉しいけど、益がないわ。なだめといてくれる?」

おおせのままに。と腰を折る加持さん。さまになってないと思う。

「あと、初号機の穴埋めに伍号機が来ることになったらしい。
 それに先駆けて、フィフス・チルドレンが着任してる」

「昨日? 誰かに接触した?」

カヲル君は実質、一昼夜しかここに居なかった。時間的に今日のこととは思えない。

「ああ。シンジ君に接触しようとしたらしいんだが、レイちゃんに嫌われたようでアスカに追い払われたそうだ」

下手をすると、もう彼は……。

   ≪≪ 総員、第一種戦闘配置。繰り返す、第一種戦闘配置…… ≫≫

要求するまでもなく、加持さんがノートパソコンを渡してくれた。


MAGI直結のダム端モードなら、あっという間に立ち上がる。


   ≪ ATフィールド、依然健在。目標は第4層を通過、なおも降下中 ≫

続いて手渡されたヘッドセットインカムを握りしめた。

  『 だめです! リニアの電源は切れません 』

弐号機がメインシャフトを降下中のようだ。

   ≪ 第5層を通過 ≫

いささか速いように思えるのは、彼に待つべき相手が居ないからか。

  『 セントラルドグマの全隔壁を緊急閉鎖。少しでもいい、時間を稼げ 』

いま一度、会いたかった。

   ≪ マルボルジェ全層緊急閉鎖。総員待避、総員待避! ≫

あのハミングを再び聴きたかった。

  『 装甲隔壁は弐号機によって突破されています 』

一晩だけでも一緒に過ごしたかった。

  『 目標は第2コキュートスを通過 』

できれば説得してみたかった。

……

だが、いくら考えてもカヲル君と共存しうる選択肢を見出せなかったのだ。


裏死海文書が手に入り、同時にそれがゼーレのシナリオの基になったものだと知ったときには、何か手懸りにならないかと期待もした。

しかし、裏死海文書というのは一種の報告書のようなもので、インパクトとは何か、インパクトが起きるまでに何が起こるか、が散文的に綴ってあるのみだった。
使徒とは何か、と云うことが記されてないわけではないが、間違っても使徒との共存の仕方は書いてない。

そこから、そのほかの有意な情報を引き出すには、入念な研究が長時間に渡って必要だろう。或いは、類い稀なる頭脳が。
それらの成果と目されるゼーレのシナリオが、単なるサードインパクト手順書だと推測される以上、欲しいのは裏死海文書の基礎研究資料そのものだった。

加持さんに頼むことも考えたが、今となっての下手な行動は、この人であっても命取りになるだろう。

それもまた、不本意で……

 ……


だから、自分は選んでしまったのだ。君に会わない道を。このココロを晒さずにすむ手段を。

最も会いたかったヒトだというのに。


―― 地獄の業火に灼かれながらも、それでも天国に憧れる ――

とても姿を見せられぬ、繊細さの欠片もないこの心。
それでも会いたいと願うこの想いを、誰が予め言葉にしていたのだろう。

銀のロザリオを、そっと握りしめる。


……カヲル君。

会ってしまえば、何もかもなげうって君の手を掴んでしまうだろう。

そのくせ自分のココロに絶望して、たちまち逃げ出すに違いない。

それは、全てを裏切る選択肢だ。


カヲル君……

会いたいけど、会えないよ。


   ≪ エヴァ零号機、ルート2を降下。目標を追撃中 ≫

予想通り零号機が追撃に出たようだ。

  『 零号機、第4層に到達。目標と接触します 』

別ウインドウにエントリープラグ内の映像を呼び出す。

パイロットはもちろん綾波だった。機体相互互換試験はあれ一回きりだから、他に選択肢はない。

『…アスカ、ごめんなさい』

零号機のインジケーターに追加表示。プログナイフを装備したようだ。

  『 エヴァ両機、最下層に到達 』

気付くと、寄り添うようにして加持さんがモニターを覗き込んでいた。

「ちょっと、さわらないでよ」

思わず押しのけようとした左手が、ロザリオを取り落とす。

「仕方ないだろ」

画面、小っちゃいんだからさ。とウインク。

腰に手をまわすのは、やめて欲しいんだけど……。

   ≪ 目標、ターミナルドグマまで、あと20 ≫

発令所の音声に、ときおりアスカの怒号が混じっている。

どこかのコンソールのマイクが拾ったんだろうけど、相変わらず声がでかい。

   ≪ エヴァ両機、降下中 ≫

第4隔離施設を襲う揺れ。地震?

  『 これまでにない強力なATフィールドです! 』

……じゃないのか。

  『 光波、電磁波、粒子も、遮断しています。何もモニターできません 』

  『 目標、およびエヴァ零号機、弐号機、ともにロスト。パイロットとも連絡とれません 』

画面いっぱいに、ところせましと表示される【信号なし】のインジケーター。

「まさに結界。ってやつだな」

これがカヲル君の心の壁なのか。

どれほどの孤独があれば、これほどの拒絶を示せるというのだろう。

生き続ければ孤独。死してなお孤独。そして、おそらくは共存できてすら孤独なのだ。彼は。

せめて好意を持った者の手で。彼がそう願ったのが今なら解かる。当時、自分が背負いきれなかっただけで。


  ―― 生き残るのは、生きる意志を持った者だけよ ――


彼女の言葉が脳裏に浮かんだ。

それは間違いではないだろう。

だが、かつてのあの時、あの瞬間に限っていえば正しくない。

あれは、自分に死ぬ勇気がなかったのだ。
人を殺すくらいなら、自分が死んだ方がいいなどと繊細なふりをしておきながら、いざとなったら好きなヒトでも殺す。
それが、自分だった。

それに、彼は生きる意志を放棄したんじゃない。生きていて欲しい者のために道を譲ったのだ。

死すべき存在ではない。と言ってくれたのだ。


だから、今このとき。彼女の言葉は正しいと改めて肯定しよう。

カヲル君。今回は、生きる意志を持った者として君を殺そう。

人類には、未来が必要なんだよ。かつて君が、言ってくれたとおりに。



  『 最終安全装置、解除! 』

たどりついたようだ。

  『 ヘヴンズドアが開いていきます…… 』

天国の扉を開ける鍵を持つ者、聖ペトロ。イエスの12使徒の筆頭。

聖者は最後に現れる。そう云うことなんだね、カヲル君。


……

喉が渇いていることに気付いて、コーヒーの残りを飲み下す。

 ……ぬるいな。


  ……


空き缶を、とりあえず床に置いた。

かこん、と鳴るスチールとコンクリートの不協和音。


   ……


綾波はためらうだろうか。……ためらえるようになっただろうか。

嫌な役回りを押しつけて、ごめん。


  『 モニター回復しました。パターン青、消滅。使徒殲滅を確認しました 』


いま落とした涙を。はなむけに、

カヲル君。今回は会えなかったけど、君に逢えて嬉しかったよ。

君なくして、今の自分はきっと、ありえない。

……ありがとう。感謝の言葉を、君に。



 『 零号機、健在。弐号機は小破 』

再表示された零号機視点の映像。白い巨人の姿をウィンドウの中で確かめる。


 「葛城ミサト」が、「公式」に、地下の白い巨人を初めて見た瞬間だ。


インカムのマイクを掴み、零号機への回線を開く。

そのためのインカム、そのための直通ライン。

「レイちゃん。その白い巨人を殲滅して」

視線を泳がせている。通信ウインドウを探しているのだろうが、この端末では映像までは送れない。

『…ミサ……、葛城三佐、それは命令?』

「いいえ、レイちゃん。『お願い』よ」

……

『…お願い。他人に対し、こうしてほしいと頼む。
      自分の気持ちとして、こうなってほしいと強く思う。
   
     …望む』

零号機が踵をかえしたらしい。ウィンドウから白い巨人の姿が消えた。

『…そう。ミサトさんは私に望むのね』

ゲートごと蹴倒されていた弐号機に、歩み寄っていく。

『…望み。叶えられるとは限らない思い』

弐号機を見下ろす構図。

『…叶えるかどうかは私次第』

跪いたらしく視点が下がった。

『…そう。私が選ぶ』

弐号機の右手から、柄だけになったプログナイフを取り上げている。

刃は?…… 零号機の胸部装甲にダメージ表示があった。刺さったままで折れたらしい。

 『 レイちゃん。どうしたの…… 』

この声はマヤさんか。

発令所では、プラグ越しでしかこちらの音声を確認できない。綾波が独り言を呟いているとしか見えなかっただろう。

マヤさんが必死に呼びかけているが、無駄だった。

そのためのインカム、そのための直通ライン。

 『 零号機への通信がロストしてます! 』

 『 なんだと、どういうことだ 』


『…ミサトさん』

目の前に掲げられる柄だけの改良型プログナイフ。

ジャカッ、と音が聞こえてきそうな勢いで替刃が装備された。

「なぁに? レイちゃん」


 『 零号機への通信回線が専有されている模様! 』

 『 どこからだ 』

 『 確認中です! 』

端末のスピーカーが、騒然とする発令所の様子を伝えてくる。


『…人は……受け入れてくれるでしょうか?』


「……ヒトは、18番目のシト。その在り様は群れること。他者の存在を他者のままで受け入れることを選び取った使徒。
 寂しさを知り、それを癒す術をも知ったモノ。とても儚いがゆえに使徒よりよほど毅くなれるココロ。
 大丈夫、ヒトは受け入れるわ。あなたを、レイちゃん」

いいえ、違うわね。と言葉をつなぐ。

「あなたを受け入れたヒトのこころ。それが私とシンジ君なの。アスカ…ちゃんもきっと受け入れてくれる。
 そこから始めましょう、レイちゃん」

『…はい』


 『 端末を特定! 場所は ……第4隔離施設? 』

ぽーん。とメールの着信音。

自動開封された文面は簡潔に【貴女ですか?】とだけ。送信元は日向さんのようだ。

一瞬迷ったが、メールであることの真意を汲んで【YES】と返信する。途端に元メールごと表示が消えた。

 『 回線を切断しろ 』

再び届くメール。【こちらは適当にあしらいます】

 『 ダメです。こちらの権限では介入できません 』

 『 ……こちらからも回線を確保しろ 』

打ち返す返信は一言だけ。【ありがとう】

 『 プライオリティが最優先で固定? この回線はまさか…… 』

日向さんがそしらぬ顔で妨害しているさまが、目に見えるようだ。

リツコさんが敵に回らない限り大丈夫だろう。そして、そうすべき理由はリツコさんにはない。


 『 回路をバイパス。音声副回線をかろうじて確保しました! 』

零号機が、さらに弐号機の首元に突き立ったプログナイフに手をかけた。

血に塗れたその右手で、逆手に握る。

 『 まさか! そんなことは許さん、レイ!! 』

父さんの怒号。

『…私は、あなたの人形じゃない』

綾波に動揺はなさそうだ。

 『 なぜだ? 』

『…私はあなたじゃ、ないもの』

自分は、綾波との絆を結べたのだろうか。

 『 やめろ! 命令だ、レイ!! 』

『…ダメ。ミサトさんが望んでる』

零号機が立ち上がったらしい。再び、弐号機を見下ろす構図。

『…そう。これはミサトさんの望み』

 『 ……全神経接続をカットだ、急げ! 』

発令所の中で父さんだけが、零号機が何をしようとしているか気付いたのだろう。
だが、何も知らされていないスタッフたちの反応は鈍そうだ。

『…思いを託しあう相手』

ウインドウの中を流れる景色。目が追いつかない。

白い巨人の胸に、ナイフが滑り込んだ。

 『 ぜっ零号機が…… 』

あまりの成り行きにか、発令所が静まり返った。
黙り込んだスピーカーが、固唾を飲んで見守るさまを教えてくれる。驚愕ではなくて、疑問がもたらした沈黙だろう。

『…応えたいと願う。私の望み』

追い討ちをかけるようにもう一振り。弐号機から奪い取ったナイフが巨人の仮面に突き立った。

ヤハウェの目の、描かれていないその8番目の眼に。

……

零号機視点の映像を、覆い尽くす爆炎。ここまで振動が伝わってくる。

空き缶がカラコロと哀しげに転がっていった。

……

壁にあたって、止まる。



ウインドウの映像の中、巨大な十字架に巨人の姿はなかった。

 『 あれは何だったんだ? 』

 『 使徒か?だから殲滅したのか? 』

ようやく事態を認識したらしい発令所が、蜂の巣をつついたような騒ぎに。
湧き上がる疑念の声を、父さんですら押さえつけられないようだ。


『…殲滅』

「ありがとう、レイちゃん」

『…どういたしまして』

零号機の視線が下がる。刃を失ったプログナイフがうち棄てられた。

『…ミサトさん』

「なぁに? レイちゃん」

あまりの出来事に、発令されたはずのシンクロカットは忘れ去られたようだ。いや、日向さんの仕業かも。

『…ほうれん草のゴマ汚し。…ピンク色のポテトサラダ』

「リクエストね。
 いいわ、作らせてもらえるように頼……、いいえ、また一緒に作りましょう。レイちゃん」

『…はい』

インカムを置く。

白い巨人の存在を目視した元作戦課長が、復讐心に駆られて殲滅を命じた。

事情を知らされてないパイロットがそれに従ってしまった。

周囲はそう判断してくれるだろう。
アダムだという嘘を信じて勘違いしたと、皆そう思ってくれるだろう。


理由は存在すればよい。


まさか狙ってリリスを殲滅したとは思うまい。いま隣りに居る加持さんですら。

残るは白いエヴァだけだ。

「……あれっ」

ぐらり、と体が揺れた。

「おい、どうした!」

落とした端末を、加持さんが辛うじて掴みとっている。



いま、視界が赤く!

体が思うように動かない。

もしかして…… このまま自分は……

ダメだ!

まだ、やり残したことがあるのに……

視界の隅に、体を支えてくれているらしい加持さんの、緩んだネクタイ。

せめて、保険をかけておかねば……

「……ネクタイ、まがってるわよ……」

しがみつくように、ぶら下がるように、ネクタイを引っ張る。

結び目を持ち上げる動作で上体を起こした。

首が締まる。と文句をつける口を、唇でふさいだ。



……

かつて、彼女から受けたレッスン。こんな形で実践するとは。

 …

「おっおい! 変な物、入れるなよ」

両手で押しのけるようにして体を引き離された。

「……プレゼントよ、8年ぶりの。最後かも知れないけど……」

口元に手をあてて、ぷっと吹き出している。

「……あなたの欲しがっていた真実の、一側面」

右奥の親知らず跡に仕込んでいた義歯。
他ならぬ加持さんに殴られてぐらついた奥歯の、なれのはてだった。

いざというときのためのバックアップデータと、これからの計画案がいくつか。

それに、彼女の記憶と自分の記憶をかけあわせて、導き出した考察。

それらをまとめてマイクロチップに隠しておいたのだ。

加持さんじゃ危なっかしくて託す気にはなれないけど、背に腹は換えられなかった。

「……それが私のすべて」

それは嘘だ。自分の正体までは記していない。

「 ……お願い。子供たちを導いてあげてね 」

口を開くことすら、かなりつらくなってきた。肩で息をして、なんとか肺に空気を入れる。

「 ……パスコードは、私たちの最初の思い出よ 」

右ストレート。……嫌な思い出だなぁ。

……

「 ……プランA-R-12は、必ず行ってね…… 」

心残りだったのが、アスカに地下の綾波たちを受け入れてもらうことだった。

そのために用意した嘘のひとつ。それがA-R-12だ。

いざというときのバックアップ、ダミープラグの材料としてクローニングされた存在として綾波たちを紹介するつもりだったのだが……

最初に選ばれた子供ゆえの、この仕打ちだと偽って。


加持さんのその頬に、左手を沿わす。もう掌には感覚がなかった。

「 ……無精ヒゲ、剃りなさいよ…… 」

さっき、くすぐったかったことを思い出して、苦笑。


視界がぶれて、狭くなっていく。


加持さんの声が、聞こえなくなった。



意識が……遠くなる。




最後まで 見届けたかったのに    ……    これは……罰?





最期に 子供たちの顔が見たかったな……






……











****











……






波の音にまぶたを開くと、海は、……赤かった。


                                                         つづく

2006.10.30 PUBLISHED
.2006.11.10 REVISED



[29540] シンジのシンジによるシンジのための 補間 #8
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/17 23:55





自分は、夢を見ているのだろうか。それまでの記憶が走馬灯のように巡っていくのだ。


…………


『ミサト? 入るわよ』

「アスカ…ちゃん? いいわよ」

シャンプーの最中で目が開けられないが、ばくんと音がしてバスルームのドアが開いたのがわかる。

「グーテンモーゲン、ミサト」

「おはよう。アスカ…ちゃん」

手探りでシャワーヘッドを探す。

「シャンプー、終わったトコ? 流したげよっか?」

「ホント? ありがとう」

髪が長いとシャンプーも一苦労だが、何よりアスカの心遣いが嬉しい。

「……どういたしまして」


朝のバスルーム。アスカが同居するようになってから、シャワーの時間がかち合うことが多くなった。

嫁入り前の女の子が3人も居るのだから、当然といえば当然だが。

待たせるとアスカは機嫌が悪くなるし、綾波は裸でぼーっと待っている。

苦肉の策で、シャワーヘッドをひとつ増設したのだ。

それぞれでの湯温調節はできないが、待たせるよりはましだろう。


リンス、コンディショナーとヘアケアを終わらせた隣りで、アスカがシャンプーの容器を手にする。

「シャンプー、流してあげようか?」

「んー? いいわ。気持ちだけ貰っとく。朝ご飯の仕度、早くして欲しいし」

「判ったわ。じゃ、お先に」

バスルームから出ると、ちょうどパジャマを脱ぎ終えた綾波と鉢合わせた。

「…おはようございます。葛城三佐」

「おはよう。…レイちゃん」

他の衣服は脱ぎ散らかす綾波が、なぜかパジャマだけはきちんと折りたたんでから洗濯機に入れるのだ。

無意味な行為ではあるが、頭ごなしに否定してはいけないだろう。

「…レイちゃん、今からシャワー?」

「…はい」

「ちょうどアスカ…ちゃんが入ってるわ。シャンプーの泡、流してあげたらきっと喜ぶわよ」

「…そのつもり」

こくんと頷く綾波は、いつも通りの無表情。だけど愉しんでいることが判る。

「…アスカ。…入るわ」

二つ折りのドアをばくんと開けて、バスルームに入っていった。

「…おはよう。アスカ」

『レイ? いいトコにきたわ。泡、流してくれる?』

…どうしてアスカはおはようって言わないの? との綾波の呟きは、なんだか疲れた様子の挨拶で返されたようだ。

『あイタタ……ほらぁ、泡が目に入っちゃったじゃない。レイ、早く!』

『…ええ、喜んで』

きゅっとレバーを押す音。続いて水しぶきの音。


『ダンケっ、レイ』

『…どういたしまして』


髪を拭いていたバスタオルで、顔を覆う。


パジャマの一件以来、2人の距離は急速に近づいていった。

正確には、アスカが大幅に歩み寄ったのだ。

気丈な娘だから、綾波の存在を認めざるを得なかっただろう。大きな苦痛を伴ったに違いないのに。

だが、自らの雛型も同然の綾波を受け入れたことで、却って己を省みる心のゆとりが生まれたのではないか? そうして生じた過去の自身への素直な憐憫は、容易に綾波への同情にすりかわったことだろう。


戸惑いつつも綾波はそれを受け入れた。

与えられることの歓びに目覚めつつある綾波は、自らの先に居て、自分の求めるものを知っていて与えてくれる存在に心惹かれたのではないか?


何も知らない綾波を、アスカは妹のように扱った。

何も知らない綾波は、アスカを姉のように慕った。

アスカと綾波が、今では仲の良い姉妹のようだ。


お互いが、お互いの足りないものを補い合おうとしていた。

ヒトの補完とは、こうした姿を言うのだろう。

確信した。やはり人類に補完計画など不要なのだと。

補完計画を潰す。その決意が今、固まった。


…………


それはターミナルドグマに彼を連れて行く、その前日の出来事だったはずだ。


                                                         つづく



[29540] シンジのシンジによるシンジのための補完 最終話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/17 23:55





……

真っ赤な海。真っ白な砂浜。真っ黒な空。

こうして見ると、やはり赤一色ってわけではないんだね。この世界も。

だからって、この強烈なコントラストは好きになれないけど。


目の前に広がるのは、はるか昔の記憶と寸分違わぬ風景。

よもや、一炊の夢だったのだろうか?

【葛城ミサト】として生きた13年間は幻だったのだろうか?


胸元で握りしめた左手がむなしく空を掴んで、思わず視線をやる。

そこに、銀色のロザリオはない。

だが、昔はなかったその癖が、この心に刻まれた軌跡を教えてくれた。

それはまた、あの十字架が枷であること以上に、心の支えでもあったことを痛感させてくれたが。

そう。いつだって自分は、あの人に護られていたんだ。幻影の日々のさなかだったとしても。


とても哀しいのに、なぜか涙は流れない。

ミサトさんの体で居た時は、本当にちょっとしたことで泣いてしまったのに。

感情を素直に表すという基本的なことですら、彼女の助けがないと出来ないのだろうか……? 自分は……



ようやく……、ようやく。搾り出すようにしてひとすじ、涙が流れた。

……


「…おかえりなさい」

顔を上げると、第壱中学の制服姿。遠くに見える海の色を透かしてか、薊色に見える髪。

「あっ綾波?」

見下ろし確認する自分の姿も、第壱中学の制服。どうやら、本当の……僕の体。


「…おかえりなさい」

あれ? 今、綾波の機嫌が悪くなったような。


「…おかえりなさい」

このパーソナリティは最初に会った綾波じゃない気がする。

もしかして、リリスを殲滅したことで、あのままサードインパクトが起こってしまったのだろうか?

それにしては、おかえりなさいと言われるのは場違いのような気がするけど……


「…おかえりなさい」

あっ、これ以上怒らせるのはマズいんじゃないかな。

「たっ、ただいま」

「…おかえりなさい。碇君」

よかった。機嫌が直ったみたいだ。


第壱中学の制服。浅縹の淡い青色は、この世界で唯一の優しい色だから。嬉しい。

「その制服。よく似合ってるね」

「…何を言うのよ」

ぽっ、と綾波が頬を染める。両手で頬を押さえ、恥らうように視線をそらした。

やはり、このパーソナリティは最初に会った綾波じゃない気がするんだけど……

「綾波。ここは?」

「…サードインパクトの後」

「僕は時間を遡ったんじゃないの? それともまたサードインパクトを起こしてしまったの?」

「…時間を遡ることは不可能だわ」

「……じゃあ、あれは夢?」

ふるふると綾波がかぶりを振る。

「…世界は一株の紫陽花」

その紫陽花。どこから出したの? 綾波。

「…この宇宙は、その株の中でもっとも早く咲き、あっという間に枯れた一つの花弁」

見れば、つぼみばかりで咲ききってない株の中、花弁が一つだけ枯れている。

「僕が枯らしたんだね」

ふるふると再び。

「…碇君に会いたい一心で、自らの姿も省みずに貴方の元に向かった私がいけなかったの」

…あの時の碇君の叫び…、…私のココロまで揺るがした。と綾波がその赤い瞳を伏せる。

「…ごめんなさい」

ぶんぶんとかぶりを振った。

「僕の方こそ受け入れてあげられなくて、ごめん」

ふるふると三たび。

「…いいえ、碇君は受け入れてくれた。あの宇宙で、迎え入れてくれた。…たくさん与えてくれたわ」

…あの子は私じゃないけど、あの子の喜びは私の歓び。呟く綾波の、頬がほころんだ。ぎこちなさなど微塵もない、ごく自然な微笑み。

心の底から喜んでくれていることが解かったから、少し涙ぐんでしまった。

……

「あれは、夢じゃなかったの?」

「…説明の途中だったわ」

そういえば話の腰を折ったんだったか。
 
「ごめん」

「…いい」

気を取り直した綾波が、再び紫陽花を差し上げる。

「…花が枯れれば、種が生ずるわ」

枯れた花弁の中に、かすかなふくらみがあった。

「…この宇宙が育んだ種。それは礎となった碇君の心」

微妙にずらされる株。一つだけ鮮やかに咲いた花弁に気付く。

「…宇宙は別個の存在。でも、同じ世界の存在として繋がっている」

綾波はその細い指先で、枯れた花弁と咲いてる花弁をつなぐ茎をたどってみせた。

「…碇君の心は、咲く直前のこの花弁に伝わった」

「それが、あの世界?」

…ええ。と頷く綾波。

綺麗に咲いた蒼い花弁。

「あのあと、どうなったんだろう?」

「…見たい?」

「見られるの?」

…ええ。と再び頷く綾波。

「どうなったか気になるんだ。見せてよ綾波」

…そう。じゃあ。と綾波が瞼を伏せる。心持ち顎を上げて。

「ゑ?」

これは、この態勢はもしや……  ∵

「あっ綾波?」

……

片目だけ開けて。

「…見たくないの?」

「じょ、冗談だよね?」

両目を開けて、上目遣い。

「…どうしてそう云うこと言うの?」

「ふっ不自然だよ!」

「…なぜ? これは最低限の形」

「だからって……、そんな」

「…そう、ダメなのね」

なんだか寂しそうだ。僕が悪いの? これ。

右手で左腕を抱え、切なげな視線は地面をさまよっている。

シアワセって何。とか呟いちゃって。

逃げちゃ……ダメなんだろうな……

そう。僕には、あの世界の行く末を見届ける義務があるんだ。

ええい、逃げちゃダメだ。

逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。

逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。

……

逃げたい。

「…そうやって、嫌なことから逃げているのね」

そういう言い方はやめてよ。

逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。

逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。

初めて初号機に乗ったときよりも時間をかけて、ようやく綾波の肩に手を伸ばした。

「…続きは私が……」

綾波。君が何を言っているのか解からないよ。

「…なぜ解かろうとしないの? 碇君は解かろうとしたの?」

綾波。僕の独白に突っ込むのはやめてよ。

「…絆だから」

ヤだよ。そんな絆。

やっぱりこのパーソナリティは最初に会った綾波じゃない気がする。


****


病室のベッドの上で【 葛城ミサト 】は膝を抱えて座っていた。

何も映すことのない、虚ろな瞳。

『……アダムが殲滅されて、張り詰めていたものが緩んだのね。
 精神的にセカンドインパクトの頃まで戻っているかもしれないわ』

リツコさんが解説している。

『…私の……せい?』

『違うと思うよ。
 ミサトさんはこの時のために頑張ってきたんだ。だから、ちょっと気が抜けたんだよ』

『ほんとバカなんだから。
 アンタが居なくて、誰がワタシたちの指揮をとるって言うのよ』


その可能性を考えなかったわけではないのに、こうしてみんなを置き去りにしてしまったことが、つらい。

一生を【葛城ミサト】として生きることを決意したから、みんなに余計な苦悩を与えたくなかったから選んだ、全てを隠しとおす覚悟。

今となっては、その選択が、みんなを見捨ててしまったことになる。無責任にも。

……

誰が活けてくれたのか、たくさんの紫陽花。……それが少し哀しかった。


****


還ってきた視界にちょっと安堵してしまった、この心根が疎ましい。

「……これだけ?」

「…ふれあいが足りないから」

あっ、地雷踏んだ気分。見届ける義務はあるけれど、正直この方法はちょっと……

「あ~……えっと、なんで僕あの時点で帰ってきたんだろう?」

「…リリスを殲滅したから」

即答だ。この調子で答えてくれれば、もう……しなくても済むかな?

次の質問、次の質問。

「向こうのミサトさん、大丈夫かな?」

「…あの宇宙の葛城三佐は最後まで心を開かない」

「じゃあ……」

ふるふると四たび。

「…碇君の心に触れて、貴方の行動を知って、壁は溶け始めている」

「ということは……?」

…ええ。と三たび頷く綾波。

「…心を開くわ。少し、時間はかかるけど」

「よかった」

そう、よかったわね。と、そっけない。

……

背丈は同じくらいのはずなのに、何故か見上げるように覗き込んでくる、赤い瞳。

「…白いエヴァがどうなったか、知りたい?」

「そうだ。綾波、教えてくれる?」

ふるふると五たび。

「…いや」

瞼を伏せた綾波が、心持ち顎を上げる。微妙に小首までかしげて。

しまった。誘導訊問だったのか。

「いや……その…… 教えてくれるだけで充分だから……」

「…百聞は一見にしかず……だもの」

やっぱり、見透かされているか……

「…これは私の心、碇君と一つになりたい……」

綾波。君が何を言っているのか解からないよ。


****


第3新東京市を取り囲むように、6体の白いエヴァが輪を描いて飛んでいる。

3体はウイングキャリアーからのドッキングアウト前に、起動すらさせてもらえずに狙撃されたようだ。

また1体、陽電子の一撃に叩き落されたところだった。


…………


突如発令されたA-801。

MAGIオリジナルに対するハッキングに対し、リツコさんはおとなしく降伏するように見せかけて、土壇場で回線を微細群使徒の眠る模擬体につないだ。

MAGIとの休戦状態にあった第11の使徒は、これを自身に対する攻撃と判断、自衛のために猛然と反撃を開始する。

MAGIオリジナルの支援を受けた微細群使徒は、MAGIコピーの天敵だった。

ロジックモードを変更することすら思いつかず、5台のMAGIコピーはあっという間に支配下に組み敷かれる。
敢えて自爆させなかったのは使徒なりの進化の証なのだろうか?

父さんの手によって、使徒侵入の事実は無かったことにされていたはずだ――緘口令が敷かれた憶えがある――。何も知らないMAGIコピーの運用担当者たちの対策が間に合わないのもむべなるかな。


思い起こしてみればこの使徒は、模擬体からMAGIにハッキング・リプログラムしていただけで、自らMAGIに侵入していたわけではなかった。

MAGIのデータ・思考ルーチンを手にした使徒は、送り込まれた進化促進プログラムの意図に気付き、自滅を嫌って引き篭もったのだ。
そうやってMAGIの思考ルーチンを手放せば、それを利用した進化促進プログラムも無効化できる。

つまり無害化されただけで、殲滅されたわけではない。あの時リツコさんが言いかけてたのは、そのことだったのだろう。

案外、群れという形態をとったこの使徒にとって、MAGI的多数決・民主主義制度が肌に合ったのかもしれない。最終的にはヒトとも共存できうると考えた微細群使徒は、共栄のために一旦その身を引いてみせたのではないだろうか?

科学者の合理性と母親の愛情を知って、使徒も変わったのかもしれない。



「……首相、これはネルフ司令としてではなくて、大学の後輩としての忠告です」

驚いたことに、父さんが陣頭に立って指揮していた。

今は日本政府へのホットラインを開き、脅し、透かし、宥め、誑かし、煽り、惑わして、総理大臣の動揺を誘っている。

「……このままでは日本だけが、バスに乗り遅れますよ」

なぜか、その右手がないのが気にかかった。

父さんの背後、冬月副司令と対になるような位置に加持さんが立っている。こちらもどこかへ電話中で、なにやら裏工作に余念がないようだ。


結果、出撃する時期を逸した戦略自衛隊は、2体のエヴァが展開した広域ATフィールドの前に進軍すら出来ないでいた。

苦し紛れに使ったであろうN2爆雷も大陸間弾道弾も、エヴァの前では癇癪玉ほどにも役に立たない。どうせ使うなら、綺麗なぶんだけ花火の方がましだっただろう。


…………


そうして今、荒れ狂う鮮紅の颶風と化した弐号機と、無慈悲な女王の如く君臨する零号機の連携の前に、白いエヴァたちが殲滅されようとしている。

『…それ、ロンギヌスの槍と同じ感じがする』

あの妙な武器も、ロンギヌスの槍なのだろうか? だとすれば1本やそこら失っても問題なかったのかも。

 ≪ それがロンギヌスの槍だとすれば、第15使徒戦時の記録分析から、ATフィールドに誘引される性質が確認されているわ。気をつけなさい ≫

『いざという時は囮のATフィールドで誘導するよ』

小規模遠隔展開。もうモノにしたのかな。

『任せたわ……、ワタシは…… これで! ラストォ!!』

リツコさんにお願いしておいた白いエヴァ戦への布石。

それは、弐号機のタンデムエントリープラグだった。

流石にインテリアを新調するのは間に合わなかったらしく、括りつけられたシートに納まった彼が追加されたスティックを握り締めていたが。

ほとんど並列にならんでいて、タンデムというよりサイド・バイ・サイドだったけど。

『…見ている?』

『僕も、見守られているような感じがする』

『アンタ達も?
 でも、まっ、戦いだしたらミサトは口出ししないから。そんな気がするだけかもよ?』

『…そう?』

『そうかなぁ……』

大丈夫だ。この3人が揃っている限り、白いエヴァなんかに負けたりしない。

でも、そいつらは再生するみたいだったから気をつけてね、みんな……


****


……!

「ちょっと待って、綾波。まだ知りたいことがあるんだ」

突然戻ってきた視界に慌てて、思わず強引に綾波の唇を奪ってしまった。

これがシアワセ? と、口移しに呟かれる。

綾波。君が何を言っているのか解からないよ。


****


「レイ……」

声に遅れること数拍。見えてきたのはターミナルドグマの一画。

「やはり、ここに居たか」

ぐるり。周囲を水槽に取り囲まれたオレンジ色の闇の中に、新たな影が加わる。

あの日から綾波は、時間を見つけてはここに来て、水槽の中の姉妹たちに話しかけていた。

その習慣は続いているらしい。

「話は聞いた」

入ってきた父さんの後ろに、リツコさんと加持さんの姿。

「約束の時だ。
 
 ……
 
 ……と言いたいところだが、初号機はおろかリリスも槍もない以上、補完計画は断念せざるを得ん。
 レイ。お前の役目も、もはやない」

こくん。と頷く綾波。無表情に見えるが、嬉しそうなのが判る。

父さんの傍らに寄り添うように、リツコさんが進み出た。

二人の間で交わされる視線。アイコンタクト。

父さんもリツコさんも、目元が優しい。

「この娘たちの処遇もきちんと対応するわ。
 もちろん、今ダミープラグに入っている娘もね」

ついでにマヤさんへのフォローも行ってくれると、嬉しいんだけど。

「その代わり、最後の頼みがあるの」

その赤い瞳が、ひたとリツコさんを見据えた。

「お願い。と言い換えた方がいいか?」

にやり。と口の端をゆがめる父さん。

右手の手袋を外し、掌を綾波に向ける。

胎児のようなその姿は、加持さんに貰った情報の中に画像データとして存在していた。

アダム。そのサンプルだということだが、そんなところにあったとは。

「これを零号機で殲滅して欲しい。
 レイにしか頼めん作業だ。お願いする」


アダムを殲滅するということは、父さんは完全に委員会と袂を分かったのだろう。

委員会に対する対策、プランSeは託すまでもなく父さんが遂行してくれそうだ。

あまりに最適な人選は、加持さんの差し金なんだろうか?


……

「…お願い。他人に対し、こうしてほしいと頼む。
      自分の気持ちとして、こうなってほしいと強く思う。望む。

  …そう。碇司令が私に望む。

  …望み。叶えられるとは限らない思い。
      叶えるかどうかは私次第。

  …そう。私が選ぶ」

呟いていた綾波が、視線をめぐらせる。水槽の中の姉妹たち。

その視線が一瞬、僕を捕らえたような気がした。

…あなたたちのために…、…私にできること。綾波の呟きはひどく小さい。

「…いつ?」

「我々に与えられた時間はもう残り少ない。今すぐにでも」

綾波が頷いた。


…………


……視界が暗転したのでてっきり終わりかと思っていたら、まだ続きがあるようだ。

風景は変わらず、ターミナルドグマ。

周囲を水槽に取り囲まれたオレンジ色の闇の中に、人影が二つ。

「この娘たちを外に出す……んですか?」

怯えを隠そうともせずにマヤさんが、告げられた内容を繰り返した。

「そうよ、マヤ」

ひっ。とあげた悲鳴は、水槽を見渡そうとして中の綾波たちと眼でもあったのだろう。

かたかたと、歯の根が合わない様子だ。

「でっでも、この娘たちには魂がないって、人工子宮から出せば朽ちてしまう存在だって、ただの素体だって、先輩が仰ったじゃないですか!」

手にしたクリップボードごと己の体を抱きしめて、マヤさんの悲鳴はもはや慟哭だった。

「だから、だから私、気が進まないけど、先輩の仰ったことを信じて、この娘を、この娘たちを!」

崩れるように座り込んだマヤさんが、口元を手で押さえる。懸命に吐き気をこらえているようだ。

歩み寄ったリツコさんが、マヤさんの背中に手をかけてやった。

「吐いてしまいなさい。楽になるわ」

リツコさんの言葉がなにを突き崩したのか、背中を丸めたマヤさんが胃の内容物をぶちまける。

その背中を撫でさするリツコさんの眼差しも優しい。

……

吐くものがなくなったのを見て取って、リツコさんがハンカチを取り出した。

マヤさんの顔を上げさせ、まず両頬を伝う涙を、次いで口元を拭ってあげている。

「落ち着いた? マヤ」

「……はい。でも……」

マヤさんは、リツコさんと眼をあわそうとしない。

「勘違いしないで。この娘たちに魂がないことに変わりはないわ」

え?……と、ようやく向けられた視線。

「人格移植OSの応用で、綾波レイから記憶と人格を移せば、それが呼び水となって魂が生じる可能性があることをMAGIが指摘したのよ」

「ホント……ですか?」

もちろん嘘だ。
マヤさんに対して用意していたフォロー案、プランMy-d5らしい。かなりアレンジが効かせてあるようだが。

「ええ、なんならバルタザールのログ、確認して御覧なさいな」

いいえ。とマヤさんがかぶりを振っている。

「……先輩の言葉を信じます」

「ありがとう……
 それで本題だけど、そのための作業を手伝って欲しいのよ。
 手始めにダミープラグに入ってる娘を此処に戻して欲しいの。頼める?」

「はい」

それでは早速取り掛かりますね。と言ったマヤさんが、膝元に視線を移した。吐瀉物の存在を思い出したらしい。

「……その前に、こちらを片付けます」

消え入りそうな声で。

「いいわ。それは私がやっておくから」

「えぇっ! そんなこと先輩にさせられません!」

ぶんぶんと、窓でも拭いてるかのように振られる両手。

「いいのよ……」

珍しいことに、リツコさんが語尾を濁した。何が気に入らなかったのか一瞬、眉をひそめて。

「……いいえ、やらせて頂戴。それくらいしか貴女にしてあげられることがないわ」

「そんな! とんでもありません。先輩は……先輩は、たくさんの事を教えて下さいました」

そう? と傾げられるリツコさんの小首。

「でも、私がそうしたいの。それとも、私なんかには任せたくない?」

顎をひいて心持ち上目遣いに。狙ってやってるんだろうなぁ、リツコさん。

「そそそそそんなことはありませんっ! そのっ嬉しいです。不束者ですが末永くお願いします。それでは、ケィジへ作業に行ってまいります。寄り道しないで帰ってきますから」

一気にまくしたてたマヤさんは、立ち上がるや空でも飛びかねない勢いで退出していった。地に足が着かないとは、ああいうのを云うのだろう。

……

嘆息。独り残されたリツコさんが、周囲を取り巻く水槽に目をやる。

「これで良いのよね、ミサト……」

……リツコさん。


「買い被りすぎよ……、 貴女」

何のことだろう?


ほくろに誘われたように、流れる……リツコさんの涙。

……

ダミープラグ製作に関わった人たちの中で、そのことへのフォローが必要だと考えたのはマヤさんだけだった。

事実、リツコさんへのフォロー案、プランRi-d1には一言しか記していない。【 リツコさんなら大丈夫 】と。

リツコさんは毅い人だからと、深く考えもせずにそう判断してしまっていた。プライドの高い人だから、理性で何もかもねじ伏せてしまうだろうと。

あの、泣き伏す姿を忘れたわけではなかったのに……

やはり、僕は薄情なんだ。

……

「でも……」

見上げたのは脳幹のごとき器械。

「約束は守るわ」



……うん。知ってるよ、リツコさん。


****


「…初めての行為。あの人ともしたことないのに……」

ぽっ、と綾波が頬を染める。

綾波。君が何を言っているのか解からないよ。


「その、綺麗に咲いてる花。それが、あの世界?」

「…そう。あの宇宙の具象化」

小さく可憐な花が、みずみずしい花弁を誇らしげに広げている。

もう僕みたいな異分子がなくとも、やっていけるのだろう。これからは自力で咲き誇れるのだろう。

寂しさは隠しようもないけれど、この心の裡に、その花と同じ大きさの誇らしさが咲いた。

「そうか、あの世界はもう大丈夫なんだね」


でも……

「この世界が滅びたことに変わりはない」

ふるふると六たび。

「…いいえ。碇君は葛城三佐の痛みを感じて、葛城三佐の心を知った。だから……」

ちょっと嫌そうな表情の綾波。

「 は~い、シ~ンちゃ~ん。ひっさっしぶり~♪ 」

驚いて、背後を振り返る。海岸線沿いに歩いてきたらしい、その姿は……

「ミっ、ミサトさん!?」

エレベーターで別れた時と寸分違わぬ出で立ち。胸元にロザリオはない。

脇腹の銃創は治ったのだろうか?

「そっ、葛城ミサト。永遠の29歳。たっだいまシンちゃ~ん♪」

元気に歩いてくる姿に、涙腺が弛む。

そのまま抱きしめられた。


その乱雑な優しさを素直に受け入れられる程度には、僕も成長したのだろう。

いろんな意味で恥ずかしかったけど、今はただ甘えることにした。


……


「……ありがとう、ミサトさん。もう……大丈夫だから」


……何も言わず、泣き止むまで待ってくれていたミサトさんは、しかし身じろぎ一つしない。




……

 ………?


いつまで経っても放してくれる気配がないのは、この人のことだから……

「……おかえりなさい。ミサトさん」

「ただいま。シンちゃん♪」

還ってこなくていいのに。との綾波の呟きは聞こえなかったことにしよう。

……

やっと気が済んだらしく、ようやく開放された。それでも両肩には手をかけられたままだったけど。

「そいえばシ~ンちゃ~ん。アタシの体で好き放題やってくれたんだって?」

「いや、その……ごめんなさい」

「いいのよ~、アタシとシンちゃんの仲じゃな~い♪」

んふっ♪ と微笑んでいる。

「体の隅々はおろか、心の隅々まで見られちゃって、もうこれって恋人以上の仲よねぇ♪」

かけてた手を放してくれたかと思えば……

ミサトさん。自分自身を抱きしめてモジモジするのはやめてください。

13年も使えば、自らの体も同然だ。

まるで僕自身がそうしているような気がして、恥ずかしいことこのうえない。

「それじゃあシンちゃん。心置きなくあの時の続きを……」

ミサトさん。あなたが何を言っているのか解かりたくないよ。

13年も女をやってみて、なおかつ目の前の相手の体だったというのに、この人の言動は未だによく解からない。

いや、言ってることは判るのだが、何故そう言いたくなったのか、その動機が解からないのだ。


―― 彼女というのは遥か彼方の女と書く。女性は向こう岸の存在だよ、われわれにとってはね ――


なぜだか、この言葉を思い出してしまった。その意味が実感できるようになってしまいましたよ。加持さん。


「…どいてくれる」

ミサトさんとの間に強引に割り込んできた綾波が、紫陽花を突きつけてきた。眉間に皺が2本も寄っている。なんだか随分と機嫌が悪そうだ。

「…ヒトの数は20億。碇君がその心を知れば、この花弁は甦る」
 
なによぉレイのいけずぅ。と不満げなミサトさんは完全に無視のご様子。

「ホントに?」

…ええ。と四たび頷く綾波。

「…でも、ほとんどの花弁が枯れる。ここと同様に」

「それは、エヴァに関わりのない人の心を知るためだけにその世界に赴けば、結果としてそこのサードインパクトを防げないからってことかしら?」

「…ええ、そうよ」

ミサトさんのほうを一瞥もせずに……。綾波、話すときは人の顔を見ようよ。


この世界を甦らせるために、ほかの世界を犠牲にする。それは、できない選択だ。とはいえ、この世界を見捨てることも、つらい。

「じゃあ、この世界はこのまま……?」

ふるふると七た……、あれ?八たびだったかな。

「…いつか種が熟して、新たな世界の一株となるべく芽を出すわ」

綾波が手をかざす中、次々と花弁が花開き、この世界だという枯れた花弁が膨らんでいく。

「…他の宇宙が花開けば、そのエナジーは世界を潤す。そうすればこの種も大きく豊かになる」

膨らんだ花弁から、こぼれるように種が落ちた。

手に受けたそれをまじまじと見ながら、紫陽花は株分けの方が一般的だよね。と思ったことは内緒だ。

……

「なら、迷うことはないね。一つでも多く、綺麗に花を咲かそう」

「大丈夫よ、シンちゃん。アタシも手伝ったげるから~♪」

バアさんは用済み。との綾波の呟きは聞かなかったことにしよう。



紫陽花の種を握りしめ、赤い海を見やる。

この世界を直接救えないのは哀しいけれど、ほかの世界を護れるなら、それすら心のささえになるだろう。すべてを心の裡に埋めて、礎にできる。弱さを毅さに変える術を、僕は学んだんだ。

ミサトさんが肩に手をかけてくれた。綾波が寄り添って掌を重ねてくれた。


差し出された紫陽花は弱々しく……

手の中の種はまだ硬くて……

だけど、

この紫陽花の咲き誇る姿を見たい。

この種が芽吹くまで見守ろう。



願いは遥か、果てしないけれど、



 この世界のために、ほかの世界のために、何より僕自身のために。

  できることを、やりたいことを、なすべきことを。


   やりなおす機会をくれた、この世界への感謝の気持ちを持って。

    もう一度出会ってくれた、みんなへのまごころを携えて。

     まだ見ぬ未来への、希望を胸に。



       花を咲かそう




                                                         おわり

2006.11.06 PUBLISHED
2006.11.10 REVISED



[29540] シンジのシンジによるシンジのための補完 カーテンコール
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2021/04/30 01:28



「……知らない天井だ」

気付けば、ベッドに寝かされていた。

消毒液のにおい。どこかの病院かな。

点滴やらカテーテルやら色々つながれていて、いわゆるスパゲッティ状態にされているようだ。

……

体が本調子ではないらしく、まぶたを開いていることすら億劫だった。



……

夢とうつつをさまよい、どれだけのあいだ、ぼぅっとしていただろうか?

なにやら地響きがすると気付いた途端。病室のドアが乱暴に引き開けられた。

「おお! ユイ。ユイ。目を覚ましてくれたか!」

あれ?

……この人。

サングラスじゃないし、生え揃ってないところを見ると単なる無精ヒゲみたいだけれど…

父さん!?

しかも、若い!?

「お前がエヴァに取り込まれてしまったとき、俺は一体どうしたらいいか、どうすればいいか…」

うわっ、父さんが泣いてるよ。初めて見た。

……

えっあれっ?

父さんがユイって呼ぶこの体は、まさか……

傍らに置かれた医療機器のCRT、火の入ってない灰色の画面に映る面影は綾波に似て…



もしかして、今度は母さんの体~!!!
 
あっ綾波!よりによって、これはないと思うな。

なにか綾波の気に障るようなこと、したかなぁ?

だったら謝るから、こればかりは勘弁して欲しい。


 ― …楽な方がありがたい。碇君はそう言ったわ ―

えっ綾波? どこに居るの?

 ― …私はどこにでも居る。誰の前にも居る。遍し身だもの。けれど、心を開かなければ見えないわ ―

助けてよ

 ― …ダメ。この宇宙を枯らしたいの? ―

でっでも……

綾波を探して見渡した病室の片隅に、これ見よがしに活けられた紫陽花。

こころなしか花弁がひとつだけ枯れているように見える。

さっきまでは無かったような気がするんだけど……

 ― …自我境界線を乗り越えて還ってきた今のその体なら、エヴァを直接制御できる ―

えっ?

 ― …碇君がその体で初号機に乗って戦う気になれば、アスカは乗らなくて済む。私も生み出されずに済む ―

だけど……

じとりと傍らの父さんの顔を見る。

父さんと夫婦になるっていうのは、いくらなんでも……

 ― …そう、よかったわね ―

そういう言い方はやめてよ

せめて父さんと結婚する前とか、なんとかならなかったの?

 ― …そこまでは関知しないわ。最適の人物を最良の状態で選んだだけだもの ―

綾波ぃ…

 ― …干渉のしすぎはその宇宙に良くないから。じゃ、さよなら ―

あっ綾波。待って、置いてかないで~!

 ― …ダメ。碇君が呼んでも ―




うわっ、父さんが抱きついてくる。冗談きついよ。

これも逃げちゃダメなの?

逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。


……逃げたい。


そう云えば、あの世界で母さんがどうなっていたのか綾波に訊くの忘れていたなぁ。

やっぱり自分は薄情なんだ。だから、あの世界はあんなことに…



だから、もう逃げちゃダメなんだ。



逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。



逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。



逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。



逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。



逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。



逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。


 
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。



逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。



逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。



逃げちゃダメだ。




……


間近に迫る、父さんの顔。


ダメだ。

やっぱり逃げよう。


……


「…あなた、だれ?」


父さん、ごめん。

僕に母さんの役回りは荷が重いよ。

号泣しながら抱きつこうとする父さんを必死に押しとどめ、今後の算段を考える。

記憶喪失のふり。上手くできるといいけど……




                                                  後日譚【Next_Calyx】に続く



[29540] シンジのシンジによるシンジのための 保管 ライナーノーツ
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2021/12/21 20:24



*1 逆行シンジas葛城ミサト に行きつくまで

エヴァFFで見かけるシチュエーションの中で「女装(女性化)したシンジにメロメロになるゲンドウ」というのが好きでした(ギャップ萌えというヤツでしょうか?)一時期、これが読みたいが為だけに性転換モノを読み漁った憶えがあります。
ただ、この時残念だったのが、性転換してしまったシンジが、そのことそのものに思い悩む形式の作品に巡り会えなかったことでしょう(2006年4月時点)。

では、どうすればそういうシチュエーションをエヴァに組み込めるだろうか?最初は単なる思考実験でした。
逆行したら女になっていたとか、サルベージされたら女になっていたとか、リツコさんに改造されたとか、いろいろ考えているうちに、サキエル戦で回復不可能な損傷を肉体に負って綾波素体に脳移植されるとか、第1話の幻影綾波に触れたら心が入れ替わったなどというアイデアを思いつきました(このあたりのネタは機会があれば書いてみたいですね)。

そこまでいきつくと、女としての肉体はシンジである必要はないんじゃないかと暴走し、逆行してきて入る肉体を間違えるとすれば、面白いのは誰か?ということになりました。

即座に、葛城ミサト。と答えましたが(笑)

カーテンコールを読んで頂ければ判るでしょうが、次点が碇ユイでした。


*2 初期プロット

ここにきてようやく、自分で書くことを考え出しました。

若きミサトの肉体で目覚めたシンジは、女の体に戸惑いつつもやり直せる嬉しさでテンションをあげっぱなし。積極的にハッピーエンドを目指します。

南極調査船で冬月とコネを作ったミサトはゲヒルンにも入り込み綾波Ⅰを手懐ける。
夕暮れの公園まで出向いて、黙々とピラミッドを作っているシンジを手懐ける(この名残が第1話の妄想のお姉さんです。単にフェミニンなミサトを想像して笑うネタになってしまいましたが)
ドイツ勤務時代にアスカを手懐ける。
加持とも別れない。

という感じでプロットを組んでみたのですが…

エヴァ本編にたどり着くまでが長すぎる(何せ13年分ですから)
明らかに18禁になる(それが嫌いというわけではないのですが)
オリジナルキャラが必要になる(魅力的なキャラを創りだせる自信がない)

なによりも、どうせエヴァFFを書くなら、原作アニメの絵面、シチュエーションはできるだけそのまま使いたい。というのが私の希望でした。


*3 現行プロットに至る道筋

というわけで本編開始前の13年にはあまり触れず、本編開始時の人物配置もなるべく変えずにプロットの練り直しです。

しかし13年も時間があって本編開始時の人物配置がほとんど変わらない。というのは説得力に欠けます。

ミサトが13年間に出会う作中人物はリツコ・加持・アスカだけ(他のネルフ本部職員は開始の数日前程度と思われるので無視できると判断)ですので、その辺を前プロットと併せて(作中での)理由を模索。
結果、10~12話あたりで言い訳させました(苦笑)

ところがここに来て、本編開始前の13年に触れないということは、性転換コメディとしては展開できない。ということに気付いて七転八倒。「ざぶとん」とか「ひもつき」とかの隠語をリツコに教えてもらうミサト。などの是非やりたかった性転換コメディお約束ネタがお蔵入りに。
プロローグを読んで性転換モノを期待した方には肩透かしをくわせたことでしょう。私も不本意ですが。

この辺の微妙な名残が第6話のシャワーシーンだったりします。


なお本編はなるべく時系列に沿って、原作アニメの絵面やシチュエーションを元にしたシーンを優先して編成。

演出上、後回しにしたいシーンやオリジナルシーンは号外として編纂しました。


*4 執筆

大まかな話の流れを考えたら、細かい配分なぞ無視して書き始めるのが私のスタイルです。ここぞというシーンまで書き上げたらENDマークを打って、次話を書きます。整合性の確認や話の肉付けは、最後の最後、最終回まで書き終えてから行います。
おかげで各回のサイズは実にばらばら。エヴァの「その回その回をベストに演出する」演出方針に倣った。というわけではないのですが。

一通り書き終えた後、エヴァ原作の確認にはフィルムブックを使ったほうが楽だったんじゃないかと気付きました。
DVDレコーダーの部品を無駄に磨耗させたんじゃないかと意気消沈。

それでも折角なのでとフィルムブックを買ったら、セリフを全て網羅しているサイトを発見。
在ってもおかしくないんだから執筆前に探すべきだよなと自己嫌悪。

とまれ、ひととおり最後まで話を持って行けたことで、発表してみようかという気持ちが湧き上がりました。


*5 投稿

テキストは全て上がっているのに連載形式にしたのは、少しでもよいものに仕上げる時間が欲しかったからです。
ならば、完成してから投稿すればよさそうなものですが、そうするといつまで経っても見切りをつけられなくて発表できません。
仮りにでも〆切りというものが必要でした。


*6 小ネタ

本編に差し障りがない程度の小ネタに、他のアニメ等からのパロディが6箇所ほどあります。

また作中で、シンジasミサトは5つほど勘違いや思い違いをしています。(間違っていたことに気付いたことを、作中で言及したのを含めると9つになりますが)

作中、シンジasミサトが色名に拘るのは私の趣味ですが(苦笑)。学生時代に心理学を齧った際に、カラーセラピーの関連で伝統的な染物を調べたことがあるから。と云う設定になっています。
因みに11話の「蘇比」はおそらく万葉仮名の当て字で、正しくはこんな字です「糸熏」。
また「八汐紅」のように、正しくは「紅の八塩」と表記すべきものをアレンジした例もあります。


*7 没ネタ

執筆中の用心に、削除した文章を別ファイルに保存しています。主に言い回しを変えたりするときの事前セーブ代わりに使っているのですが、中にはネタごと没になったものもあります。

第6話。綾波の生い立ちの推測の下りで「白熊ですら育ての親と引き離されれば痙攣の発作を起こすようになると言うのに」
 ボツ理由:セカンドインパクト後にまともに動物園があるかということと、白熊と綾波を比較することに抵抗を覚えたので

第7話。クラスメイト全員に握手を強要する綾波のエピソード後に「ことが男子生徒までおよぼうとした矢先、群がった男子生徒に「不潔よ~」と叫んだ洞木さんが阻止したとかしなかったとか」
 ボツ理由:学校での出来事をシンジasミサトがどこまで把握しているか掴みがたかったので。アスカと同居後の話だったらアスカ伝てに聞くこともありえますが、情報源がシンジではこの程度だろうと

同じく第7話。マヤの返答「『了か…イっイエスマァム!』マヤさん、無理に海軍風にしなくても…」
 ボツ理由:話の流れが悪くなるので

第9話。JAの下りで「ジュリエットと言えば悪女、男ったらしという意味もあるからこの状況にぴったりかも知れない」
 ボツ理由:シンジasミサトがこの時点で停電の主犯が加持だと確信しているわけではないので

同じく第9話。第10使徒が彗星になった下りの最後に「いっそのことメシエ78の彼方まで飛んでいってくれれば面倒がないのに」
 ボツ理由:パリ円盤事件の裏側をシンジasミサトが知っているかどうか判らなかったので。メシエ78と表記したのは、そのまま使うと怒られるから(実際関係者は「勝手に使うな」と激怒したそうですが)

やはり第9話。衛星軌道上へのエヴァ展開構想の中で「ATフィールドを使った発電の腹案はあるが、機構が巨大になるわりに発電量が少なくて戦闘には耐えられまい。戦闘中にATフィールドを割り振れるはずもないし」
 ボツ理由:蛇足。話の流れが悪くなるし、最後の文を殺しかねないので

しつこく第9話。眼が泳いだリツコに対する悪態として「ホラフキリツコダイ」、これはフエフキヤッコダイという魚のもじり。
 ボツ理由:シンジasミサトの性格に合わないし、インパクト後に生息しているかどうか怪しい魚の名前を知っているかどうか疑問だったので

第13話。最後に「これがリツコさんだったらプラスティネーションにされていたかもしれない」
 ボツ理由:蛇足。ウケ狙いはほどほどに。

第15話。N2航空爆雷の下りで「しかし、N2爆雷があそこまで小さく作れるものだとは思いもしなかった。子供でも持てるサイズであの威力とは、人間ほど恐いものはないと実感した」
 ボツ理由:映画【日本沈没】への文句をここで言うべきではないし、なにより話の流れが悪くなるので。

第16話。査問会の下りで「ヒトの息遣いが感じられないところを見るとスピーカー越しなのだろうが、それでは効果が半減する。闇は、その奥に何者がいるか判らないからこそ恐いのだ。ようやく暗さになれてきた。やはり人間は居ないようだ。本来なら入室する前に片目を閉じておくべきだったのだが、自分も少々なまっているらしい」
 ボツ理由:蛇足。号外向けのネタ。

同じく第16話。ロンギヌスの槍の下りで「例によって、国際天文学連合から国際標識番号を交付した旨の通知が来ていたのだが」
 ボツ理由:話の流れが悪くなるし、2度やるほどのネタじゃないので。

やはり第16話。槍が帰ってくる可能性の下りで「光速の10%でカイパーベルトを通過中とはいえ、油断は大敵だ」
 ボツ理由:劇場版での月からの帰還の描写を計って光速の10%は出せる。と算出する自分の姿に自己嫌悪したから。


全18話にして殲滅する使徒の番号とリンクさせようというネタなどもありましたが、あまり意味のない演出なのでボツに。最終的に全18話になったのは偶然です。


*8 最後に

さて、エヴァよりエヴァFFが好きと公言して憚らない私でも、2006年4月の段階では自身がエヴァFFを書くことになるとは思ってもいませんでした。

それもこれも多くのエヴァFFの先達が居られたからでしょう。

エヴァの面白さを教えてくれたのはエヴァFFでした。DVDを買ったのも、鋼鉄のガールフレンドを買ったのも、エヴァFFに出会ったあとのことです。エヴァの色々な謎に答えてくれたのもエヴァFFでした。

重ねて申しますが、エヴァよりエヴァFFが好きです。

こうして私も稚拙ながらエヴァFFの一端に作品を置くことができました。この作品で、エヴァやエヴァFFをより好きになってくれる人が一人でも居られれば、それが私の本懐です。

全てのエヴァFFとその作者の方々、拙作を読んでいただいた全ての方に、「ありがとう。感謝の言葉」を。
 
多くの方々に支えられてこの作品を全うさせることが出来ました。重ねて御礼申し上げます。

                                    Dragonfly 拝
                                    2006年11月吉日



**



待っていてくださった。という方々に


まずは、謝意を。

お待たせして申し訳ありませんでした。


そして、感謝を。

そうした声がなかったら、この作品の復活はなかったでしょう。

本当にありがとうございました。



一応の言い訳をさせていただけるのなら……


投稿掲示板という発表形態が好きです。
同一ジャンルの作品がひしめいている中に自分の作品が並んでいるのがイイんですね。

ただし、業者スレに押し流されて過去ログ落ちするのだけは願い下げでした。

気がついたら最終頁の下のほうに拙作があって、よく考える時間もなく反射的に引き上げたことは忘れられません。

そうして移転先を探すことになったのですが、「転校した高校球児は1年間甲子園に出場できない」ということを聞いたことがあって、そういう心構えで一定期間は自粛するつもりでした。

とりあえず他の作品を手がけたりしていたのですが、そうこうしているうちに体を壊してプライベートが激変。投稿する目処も、自サイトを維持する時間的・精神的余裕も失っていくことに。

今回なんとか都合をつけてネカフェに長時間居座る算段を見出したので、ようやく再投稿する機会を得ることが出来ました。

いずれにせよ、私の下らない拘りが元でお待たせしたわけで、まことに面目ないしだいです。

とまれ、なんとか再投稿を果たせました。今は、それを寿ぐことをお許しください。


再びの邂逅に、感謝を。



                                    Dragonfly 拝
                                    2011年8月吉日


なお、拙作の後日譚として、
【シンジのシンジによるシンジのための補完Next_Calyx(ユイ篇)】や、
外伝として、
【アスカのアスカによるアスカのための補完(アスカ篇)】と、
【初号機の初号機による初号機のための補完(初号機篇)】や、
【旧劇の旧劇による旧劇のための補完(短編)】なども有りますので宜しければどうぞ。

ちなみにテキストで保管いただく際にフォルダ名にお困りでしたら【紫陽花ユニバース】でお願いします。m(_ _)m



[29540] シンジのシンジによるシンジのための 補間 #EX7
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/18 00:00




「赤の豚!?赤の豚ってドコよ!」

赤色もない。豚もいない。それはこれ。

取ろうとしたカードを、潰さんばかりにアスカが引っぱたく。

「…アスカ。ずるい」

「早いモン勝ちに決まってんでしょ」

折角見つけても、気配を察したアスカが先に取ってしまうことが多い。

「なによ。文句があるなら言いなさいよ」

文句はない。早い者勝ちがルールだもの。…でも。

「ああもう!そんな目で見ない。解かったわよ、これは返したげる。でも、文句があるならキチンと口にだして言いなさい。誰もがアンタの気持ちを察してくれるワケじゃないのよ」

差し出されたカードを受け取る。

アスカは優しい。…とっても。



Solch Stroiche!は、ミサトさんが教えてくれたゲーム。ドイツ勤務時代に見つけたと言っていた。

25枚の問題カードには犬・猫・馬・牛・豚のうちいずれか1種類が、赤・青・緑・黄・紫のうちいずれか1色で描かれている。

25枚の回答カードには犬・猫・馬・牛・豚のうちいずれか4種類が、赤・青・緑・黄・紫のうちいずれか4色で塗り分けられている。

伏せられて山積みにされた問題カードをめくり、そこに描かれた動物と色のない回答カードを、開いてばら撒いた中から見つけ出すの。



カードを取った人が、次の問題カードをめくる。

私がめくると、緑色の犬のカード。だから緑色も、犬も居ないカードを探す。



「これっ!」

アスカが、取ったカードを差し出す。正しいかどうか、皆で確認する。

赤い猫、紫の馬、黄色い牛、青い豚。犬が居ない。緑色もない。

頷く。

「今度は文句、ナイわね?」

頷く。



『4人くらい居ないと面白くないのよね』

そう言ってミサトさんがこのゲームを取り出してきたのは、アスカが初めてミサトさんの家に泊まった夜のこと。

『今晩はアスカ…ちゃんの歓迎会だから』と、たくさんのドイツ料理と、同じくらいの日本料理がテーブルに所狭しと並んだ。

『これは何?』と日本料理を訊くアスカに、ミサトさんが嬉しそうに応えていた。

『…これは何?』とドイツ料理を訊く私に応えたアスカの顔。その時は不機嫌だと感じたけれど、今ならそうではなかったと解かる。

食事が終わり、いつもならきちんと後片付けをするはずのミサトさんが、食器を下げるのもそこそこに皆をリビングに呼んだ。

テーブルの上に、小さな箱が載っていた。その時の光景を、なによりミサトさんの笑顔を良く憶えている。



「青い馬!?」

自分でめくっておいて、誰かに尋ねるようにアスカ。

前に訊いたら、『皆に教えてあげてんのよ』と言っていた。問題をアナウンスするルールは無かったはずとルールブックを読んでいたら、『アスカ…ちゃんは自分に言い聞かせてるのよ』とミサトさんが教えてくれた。


「それは… これだね」

碇君が青色も馬も居ないカードを押さえた。

碇君は、けっこう侮れない。下手な素振りを見せるとアスカに横取りされるからと、目当てのカードを見ずに取ったりする。

碇君の戦績は安定していて、大体2位か3位。前に訊いたら、『いくつかは予め問題を逆算しておくんだ。そうすれば一定数は必ず取れるから』と言っていた。やってみたら、確かに成績が上がったような気がする。



碇君が取ったカードを確認するために顔を上げると、ミサトさんの顔が視界に入った。

意思の力を持たない瞳はただのガラス球のようで、見ると心が痛い。…この気持ち知ってる。寂しいという感情。



『ミサトさんは賑やかなのが好きだから』と碇君は言う。確かに、自ら騒ぐ人ではないけれど、賑やかな場を好んでいた様に思える。

だから、オーバーテーブルを余分に借りてきて2台並べ、ベッドの上、ミサトさんの目の前でこのゲームをしていた。疲れるのも厭わず、立ったままで。



「次は…」

「紫の猫~!?どこよ~!」

アスカの瞳がせわしなく動いてる。


…ぺたし

誰も注目してなかった片隅のカードに、掌が乗せられていた。

『銃を握るうちに大きくなった』と言っていたその掌は、この4人の中で一番大きい。

所々にタコがあってちょっと硬いけれど、その掌でなでられると嬉しくなる。

辿るように見上げたその瞳に、まだ意志の力は見えない。けれど唇が何かを紡いでた。

聞こえなかったけれど、なにを言ったのか知っている。

『全体を俯瞰して見るのがコツなのよ』

カードを取った時、必ずそう言っていたから。


「なっ?なんや!?何の騒ぎや?」

特徴的な言葉遣いは、鈴原君。私たちがここに来る時は着いてきて、相田君の体力作りに付き添うことが多い。

「あ!?もしかして…」

続いて戸口から顔を出したのは相田君。勢い込んで入室しようとして、あやうく転ぶところだった。彼が手にしてる松葉杖も、もうすぐ不要になるはず。

「病室で騒…?えっ、なに?」

このところ洞木さんは、いつも鈴原君と一緒みたい。

「ミサト姐やん。目ぇ覚ますんか?」

ナツミちゃん…。ヒトをちゃん付けで呼ぶのはまだ慣れないけど、さん付けで呼ぶと他人行儀だとたしなめられる。特徴的な言葉遣いで。


アスカがナースコールを連打していた。

碇君が懸命に呼びかけてる。

私は、ミサトさんのその手をそっと掴んだ。


ミサトさん。貴女の目覚めを、みんなが待ってます。


                                          終劇
2007.9.18 DISTRIBUTED



[29540] [IF]シンジのシンジによるシンジのための 補間 #EX8
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/18 00:05




ぞんざいに置かれたトレィを見て洩れかけた溜息を、呑み下す。
それがどんな反応であれ、してみせれば、背後でニヤついてる将兵たちに付け入る口実を与えることになる。

こういった状況をやり過ごすには、莫迦になるしかない。
屈辱に耐える姿ですら、彼らを煽り立てるだろう。自分たちが何を仕掛けても無駄だと悟ってくれるまで、柳に風と受け流すのみ。

トレィを手にして、見世物小屋よろしく空けられていた真ん中のテーブルにつく。
足を引っ掛けられなかっただけ、今日はマシだ。


メインディッシュの泥団子。もとい、ミートボールを、さも美味しそうに咀嚼、嚥下した。

ちょっと味が薄いかしら。と嘯いて、せめてもの慰めにコショウとケチャップを多めにかける。……マスタードも、足しておこうか。
ミサトさんが味音痴になった理由を、味付けになりそうなものなら何でも放り込んでしまう癖の理由を、ここに来て知った。

いや、薄情な自分は、あのミサトさんがここに来ていたかどうか知らない。訊いたこともない。だから、おそらくそうだったのではないか? と思えるというだけのことだが。



ここインド・パキスタン国境はセカンドインパクト以前からの、最古の紛争地域だ。そのぶん駐留している国連軍も本格的で、設備も充実している。

問題は、ネルフから出向してきた自分に向けられる目だった。

調査研究組織であるゲヒルンから再編成されたばかりのネルフは、当然軍隊とは見做されていない。そこからやってきた肩書きばかり三尉の自分は、組織構成の都合で一尉待遇だ。

ネルフがどれだけ国連軍の予算を横取りしているか知っている将官と、学者や官僚ごときに上官面されることを快く思っていない兵士たちの世界に飛び込んで、もう一年になる。

最初のうちは何かされるたびに悩み、落ち込んでいたけれど、今ではもうすっかり慣れてしまった。これも自分への罰のうちだと思えば、むしろ歓迎したくなるほどだ。


***


「ここでスプレッド。自分と曹長がこちらを担当するわ」

自分が指し示した方向を確認した部下たちが、唇を動かした。形だけイエスと言ったのだろう。

軍人としての訓練を受けて良かったことが、一つだけある。自らを指して「自分」という呼び方ができることだ。

僕でも私でもなく、自分と呼ぶことで自分は、心と体が遊離しそうなこの現状を受け入れることができたように思う。


国境を越えようとして国連軍に塞き止められた難民たちは、緩衝地帯ぎりぎりに居着いて難民キャンプを形成している。

ゲリラやテロリストが潜伏する危険のある難民キャンプをパトロールすることは、治安維持軍にとって重要なルーチンワークの一つだった。

UNHCRやNGO団体から配給されたらしいテントで構成される街並みを、部下として割り当てられた曹長と歩く。
出向組の自分には直接の部下は居ず、その時折で割り当てられるのだ。まず間違いなく牽制、ついでに嫌がらせだろう。

自分の斜め後方についたこのアフリカ系の曹長はもちろん、広いパトロール区域を分担するために別行動している部下たちも、全員初対面だった。

まとわりついてこようとする難民の子供たちを、アサルトライフルの一振りで牽制する。必要なら威嚇射撃も辞さない。心苦しいけれど、子供にまとわりつかれて身動きが取れなくなったところに手榴弾を投げ込まれた例もあるのだ。

痩せぎすでお腹ばかりが大きい子供たちが、もの欲しそうについてくる。なかには、どこで摘んで来たのか花を手にした子供も居た。

初めてここに来た時には、私財をなげうってこの子たちに食べ物を配ろうかと考えたこともある。
しかし、子供だけで1万人近く居るらしいこのキャンプでそんなことをしても、焼け石に水だった。公平に分配できたとして、それぞれの子供たちのお腹にどれだけのものが納まるというのか。

結局、自分にできたことは、NGO団体へのわずかばかりの寄付ぐらいだった。


ふと、通りの向こうを歩くその少女に視線を捕られたのは、その長い髪がなんとなくアスカを彷彿とさせたからかもしれない。

自分を取り囲む子供たちより幾分か栄養状態の良さそうな体は、彼女が何らかの手段で食料を手にしているのだろうと推し量れる。納得はできないが、理解は……しなければならない。世界は優しくないのだから。

少女の歩いていく先に、武装した兵士。
今日割り当てられた部下で、早いうちに分遣した中の1人だった。にこやかに手を振っているところなど見ると、どうやら旧知の仲らしい。

最低限ツーマンセルのはずなのに兵士が単独行動するのは、今に始まったことではない。もう1人は今頃どこかのテントの中、だろうか?
真面目にパトロールする兵士など、居はしないのだ。そのことを見越して班編成を組んでいる自分も、何かと磨り減ってきているような気がする。

見て見ぬ振りをするのが一番。と視線を逸らしかけて、その少女の左腕が動いてないことに気付いた。まるで、腋の下に何か手挟んでるかのように。

「気をつけて!」

上げた警告に驚きつつも、油断しきった兵士はアサルトライフルに手もかけない。

慌てたその少女が取り出したのが拳銃だと視認した瞬間、自分はトリガーを絞っていた。

銃声に驚いた子供たちが何人か、腰を抜かしてへたり込んだ。照星の先では、側頭部を打ち抜かれた少女が糸の切れた操り人形のように頽れる。

残響が消える頃になって事態を把握したのだろう。子供たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げ出しだした。

「曹長、バックアップ」

「いっ……イエス、マァム」

ゆっくりと、撃ち殺した少女のもとへと歩く。
兵士は、何を勘違いしたかこちらに銃口を向けようとして、下ろす。少女の落とした拳銃に、今頃気付いたらしい。

「二等兵、損害は?」

残念ながら、碌に紹介されなかった本日限りの部下たちの名前は頭に入ってない。

「……ありません」

「よろしい。本部に連絡して」

イエス、マァム。と無線機を取り出す二等兵から視線を剥がして、見下ろすのは少女の亡骸。

転がっているのは、引き鉄の軽そうなサタデーナイトスペシャル。
落ちたはずみでよく暴発しなかったものだと、内心で胸をなでおろす。

自分の腕前なら、拳銃を狙うことも、手だけを狙うこともできただろう。けれど、それでは部下の命の保障ができなかった。

預かった以上、一日限りでも部下なのだ。護る義務が上官にはある。

正直、この手で少女を撃ち殺すより、この間抜けな二等兵を見殺しにしたかった。だが、それでは軍人ではない。そうして「やはりネルフは」と侮られれば、自分はともかく、他の出向組に迷惑がかかる。
もしかしたら、日向さんもここに来るかもしれないのに。

せめて、そのまぶたを閉ざしてあげたかったが、これから現場検証が行なわれる。軍事法廷への出廷すらありうる自分は、無闇に触れられない。


カタカタとなる音にアサルトライフルを見て、自分が震えていることに気付いた。
グリップから手を放そうとして、上手くできない。

トリガーを絞るまでは居た筈の、冷徹な自分。絞ったあとにも居た、打算的な自分。
どちらも体を震わす恐怖の前には、無力だ。


思い出したのは、カヲル君を手にかけたときのこと。

あの時は、怖くはなかった。とても悲しかったから、ひどく寂しかったから。なにより、それを強いたカヲル君を恨んでいたから。

エヴァに乗っていたときは、知らずに誰かを傷つけていたこともある。例えば、トウジの妹を。
そうと知って申し訳なさは湧いたが、恐怖には至らなかった。想像することが、できなかったから。

こうして自らの手で殺して、初めて実感したのかもしれない。

そのことに安堵した自分に、嫌悪する。
人を殺したことに恐怖を覚える、覚えられる自分が少しは人間らしいのだと、思ってしまった。
 
こんな時、ミサトさんならどうしただろう。と考えて、それが現実逃避だということに気付く。自分は卑怯だから、現実を見据えられないでいる。


震えつづける体を、なんとか叱り付けた。ここで毅然とした態度を崩せば、周囲から注がれる視線に耐えられなくなる。

涙がこぼれないよう、目頭に力を篭めた。




                                                          終劇

2008.7.23 DISTRIBUTED


ボツ事由 ミサトの味音痴の理由を模索してみるも、採用プロットからずれてしまったのでボツ。なにより、重すぎ。



[29540] シンジのシンジによるシンジのための補完 オルタナティブ
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441
Date: 2012/01/18 00:05




「ごめーん、お待たせっ!」

そう言ったのは、僕の口だった。

聞き覚えのある言葉に、聞き覚えのある声。なのに、明らかにこの口がそう言ったんだ。

呆然として見下ろすのは、開け放ったドアの先。尻餅をついた少年の姿。かざした腕を、おそるおそる下ろしている。鏡の中でのみ、見知った顔。

どういう状況なのか、頭では理解できているような気がする。だって、身に憶えのある場面なんだから。

けれど、視点が違うことの理由を、明らかにこの口から出た声の理由を、心が受け入れてない。

そのギャップに叫びだそうとした途端、使徒が浮き上がった!

「乗って!早く!」

その手を掴んで引っぱる。膝の上を通して助手席へはたきこんだ。

ハンドルに手をついて、ためらう。けれど、一瞬後には急発進していた。車の運転なんて出来ないと思ったけれど、自然とこの身体が動いてくれたんだ。

認めたくない。認めたくないけれど、アクセルを踏み込んでいるのはハイヒールで、左手にした腕時計は見知った女物で、地肌が引っぱられて頭が重かった。

なにより、折々の爆発で一瞬だけフロントグラスに映る姿。

サングラスをかけているけれど…


僕は今。ミサトさんだった。




  シンジのシンジによるシンジのための補完 オルタナティブ



いったいどうしてこんなことになったのか、見当もつかない。

確か僕はエヴァのパイロットを辞めて、第3新東京市から去ろうとしていたはずだ。そこへ使徒がやってきてシェルターへ避難した。

そして気付いたら、目の前に僕が、今となりに座る僕が居た。

窺うような視線を感じるけど、僕のほうにそんな余裕はない。
車の運転の仕方は判るし、道順も僕の知らない記憶が教えてくれた。けれど、猛スピードでカーブだらけの山道を走る感覚に心がついていけなくて、それどころじゃないんだ。

僕の記憶じゃ、この後すごい爆発が起こるはずで、そのときに避難できる場所まで辿り着かなくちゃ。

カーブで、体が自然とドリフトをかける。大丈夫だと、確かなハンドル捌きが教えてくれるけど、迫ってくるガードレールが怖くて指先の震えが止まらない。

カウンターを当て、わずかな側溝まで利用して次の切り替えしをクリアすると、脳裏に僕の知らないメロディが流れた。

この身体がミサトさんだってことは疑いようがない。

例えば、1時間前のコトを思い出そうとすれば、この山道を逆に飛ばしていた記憶がありありと浮かんでくる。緊急事態宣言でリニアトレインが止まったことを聞かされて、そこのシェルターの避難者リストに僕の名前がないことに驚いて、慌ててこっちに向かってきていた。

そうしてドアを開けるまで、この体は確かにミサトさんの物だった。


山陰に入ったので、すこし息をつく。これで少なくとも爆風に吹き飛ばされることはないと思う。

それにしても、これからどうしたらいいんだろう。
いきなりミサトさんの身体で、使徒が来ていて、隣りにはまだ何も知らない……僕。…僕…だよね?

バックミラーをなおす振りをして、助手席に座る僕の様子を盗み見る。そんなに長い時間無視したわけでもないのにもう、こちらを窺うことすら諦めて俯いている。

やっぱり、僕だよなぁ。何考えてるか、解かるような気がする。きっと、僕が相手をする余裕がないことを、自分への関心がないとか、事務的に迎えに来るぐらいの価値しかないとか、そう云う風に受け取っているんだろう。

僕のときはミサトさんが沢山話しかけてくれたから、この時点でそんなに思い詰めなくてもよかったんだけど……

バックミラーの中で戦闘機が退避するのが見えたので、念のために車を停める。次の瞬間周囲が光で塗りつぶされ、次いで爆音と爆風が駆け抜けていった。

「なっ…!?」

驚いた僕が振り返って、それからこちらを向く。

視線が痛いけど、逃げちゃダメだ。

なんでこんなことになったか解かんないけど、どうしていいか判らないけど、それは隣りに座ってる僕のほうがもっとそうだろう。

逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。

父さんに呼ばれてここに来た時の、飛行機の爆発に巻き込まれそうになった時の、ミサトさんと一緒に車ごと転がった時の気持ちを思い出す。

逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。

なんでこんなことになったか解かんないけど、どうしていいか判らないけど、今なにかをしなきゃいけないのは僕だ。

逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。

今やらなきゃ、覚悟を決めなきゃ。

逃げちゃダメだ。


ゆっくりとサングラスを外して、僕に向き直る。

「…ごめんね、シンジ君。これに巻き込まれるわけにはいかなかったから、余裕なかったの。ホントにゴメンネ」

「…いえ」

納得してくれたらしい僕が、なのに僕の視線を外そうと目を伏せる。

これからどうするか、が問題だった。

できることなら、エヴァなんかに乗って戦いたくはない。戦わせたくはない。

だけどミサトさんの記憶が、今戦えるのは初号機だけ、それに乗りうるのは僕だけということを突きつけてくる。

僕が乗らなきゃ、僕を乗せなきゃ、この街が使徒にやられてしまう。

そのためには、僕がミサトさんになりきらないとダメなんだ。

やたらと乾く口中から、むりやり唾を搾り出して飲み込む。

「シンジ君、お願いがあるの」

向けられた視線が痛くて、今度は僕が目を伏せる。

「……エヴァンゲリオンという兵器に乗って、あれと、あの使徒と呼ばれる敵と、戦って」


                             つづかない



****

「シンジのシンジによるシンジのための補完」が、もともとはシンジをTS化する為の思考実験から生まれたことは以前書きました。いくつかの論理的・設定的・作劇的・感情的帰結から、TS物としては成立しなくなったことも。

では、「シンジがミサトに憑依する」この作品の基本設定を生かしつつTS物として機能させるにはどうしたらよいか?という思考実験の元に辿り着いたのが上記、オルタナティブです。

試しに書いてみた結果、TS描写に行き着く前に、シンジの葛藤と緊急避難的な決意を導き出すまででお腹一杯になってしまいましたが。

こうやって試し書きをして感触がよければ執筆を続けるところですが、難しそうな上に使徒戦も大変そうだということでこの試みは終了しました。



[29540] ミサトのミサトによるミサトのための 補間 #EX10
Name: dragonfly◆23bee39b ID:309fc8f8
Date: 2012/01/18 00:09




「♪…… 祈りは、さながら 同刻への デカローグ ……♪」



篩にかけて粒を揃えるのは、炒った黒ゴマ。

子供たちのおやつに、黒ゴマのチーズケーキを作り始めたところ。



「♪…… ひかり遠き、夜の底に、沈み 朽ちる……願い ……♪」



味音痴なのに、料理もお菓子作りも、得意。

お裁縫はちょーっち苦手だけれど、掃除や洗濯だってパー璧。



「♪…… たなごころが、求めて いる。受け継ぐ べき……罪の重み ……♪」



それは、この体を使って、世界を救ってくれた少年が居たから。

世界を救うためには、まず幼い心を救う必要があると考えた、一人の少年が居たから。



「♪…… 約束の 渚、波を蹴立 て、思い 出を 掻き消し て いる なら ……♪」



その少年の努力を、労なくして手に入れたアタシは…… そう。云わば、カンニングしたのね。

ほんと、アタシらしいじゃない。



「♪…… 何度 も巡 り、私 は、諭 す ……♪」



サードインパクトの危険が失われた今、元作戦課長に出来ることなんかない。

けれど、あの少年が遺してくれた諸々が、今でもこうして子供たちのために役に立っている。

こんなアタシに存在意義を与えてくれてる。


そのことがどれだけ嬉しく、心の支えになっているか。

心を閉ざす前のアタシでは、想像もつかなかったことでしょうね。



「♪…… ヒトの心、弱く はないよと ……♪」



    「ミサトってば、また泣きながらあの歌唄ってる。
     せっかくの手作りおやつが、またしょっぱくなるじゃない。
     ……ねえ、加持さん。あの歌にいったいナニが有るっていうの?」

    「ん? ……いや、確かに俺たちの世代にとっては懐かしくて忘れがたい曲なんだが……
     葛城がああも思い入れを見せる理由までは、ちょっとな」

    「……とても嬉しそうで、それ以上に哀しそう。
     誰よりもつらそうで……なのに、誰かを励まそうとしてる?」

    「クワワぁ~」



「♪…… 囚わ れ し子 よ、頚木を破 って ……♪」



    「なんだか、不思議な感じがするんだ。
     ミサトさんは呟くように歌ってるのに、まるで耳元で囁かれてるみたいにはっきりと聴こえてくる。
     頑張れって頭を撫でられているような気持ちになって、なのに無理するなと叱り付けられてるような空気を感じるんだ」

    「あらあら、流石はフィールドマスター様。空気は読めないのに、ヒトの顔色を窺うのは得意ってワケね。
     自分だけが特別だなんて、奢ってんなら殴るわよ」

    「痛いよアスカ。殴ってから言わないでよ」

    「……ケンカ、ダメ。ミサトさんが悲しむ」

    「ク~ワっ!!」

    「あ、うん。
     ……その、きっとみんなもそう感じてると、そう思ったんだ」

    「そう? ……そうかもね。
     つい殴っちゃったりしてエントシュ……、ゴメンね」

    「クワクワワ」



何もしてあげられないアタシだけど、せめて貴方の代わりに、貴方が為したかった事を。……精一杯。


そして、このロザリオに懸けて、


「♪…… あなたに 捧げる、同刻での デカローグ ……♪」


                  貴方のために、祈りを。






           幸、在れかし




                                                          終劇








他のアニメのFFとかオリジナルなんかも手掛けたりしてますが、このシリーズを完全に放置するつもりもないので、ネタさえあれば更新したいと考えてます(連載中に入れ損ねていた解釈なんかも結構あって、こっそり追加しておくつもり)
今は、とある方から戴いたお題で短編でも書けないかと、構想中(苦笑

さて「慟哭の(JASRAC対策)モノローグ」という曲はまさしくミサトの歌で、このシリーズとしては、いつかは何らかの形で作中に取り入れたいと考えてました。
とは云え、歌詞をそのまま使うのは危険ですし、伏字と云うのも味気ないのでオリジナルで作詞してみました。


話は変わるのですが、先日友人に「シンジ*3が、お隣で翻訳されてるわ」と言われ目が点に。
エイプリルフールを4ヶ月以上間違うとは、腐れ縁の悪友もとうとう焼きが回ったかと嘆きながらググって、驚愕するハメに。本当にハングルになってました。

もちろん読めないので機械翻訳に任せるしかないのですが、確かお隣さんは漢字を使わなくなっているので同音異義語がかなり多いはず。とうぜん機械翻訳ごときの手に負えるはずも無く、「思考」が「事故」に、「儀仗兵」が「胃腸病」に、「い・い・わ・ね」が「含有量が少ない・チャン・ケッ・よ」。人名に到っては「綾波」が「アヤナ米」、「リツコさん」が「リッチ鼻種」と、かなり愉快なコトに。

一応は許諾を得ようとしたらしいので、どこぞの無断転載サイトの時みたいに精神的ダメージを受けることもありませんでした(あの無断転載事件さえ発覚しなければ、このシリーズの復刻が1年近く早くなっていたのに)

それどころか、注釈とか割と付いてて、結構いい待遇(?)っぽくて嬉しい限り。
奥付にも「2011.11.10 TRANSLATED」とか付け加えてあって、楽しい。こういうユーモアは、作品を好きになってくれたからこそだと思えるので、喜ばしい。

惜しむらくは、連絡取ろうとしたのなら2~3日じゃなくて、せめて1週間くらいは待っていて欲しかったことくらい。
事前に連絡がついていれば、あちらの読者さんのためにエピソードのひとつも書き起こしたことでしょう。


と云うか(まだ翻訳も全完了してないようですし)、

「今からでも遅くないので、連絡ください」

手薬煉引いて ゲフンゲフン…… 訳者さんのためにアスカメインの構想を練りながらお待ちしてますので。


念のため

dragonfly_Lynceus@yahoo.co.jp



ちなみに、作中で名付けた綾波のTACネームですが、連載開始直前までLynceus(千里眼の勇者の名前)でした。なので上のメアド、仕込みだったんです(苦笑



[29540] シンジ×3 テキストコメンタリー1
Name: dragonfly◆23bee39b ID:838af4c9
Date: 2020/11/15 22:01
前置き
一人称に拘ったこの作品は、それ故に説明不足な点や読者に開示してない情報などが多々あります。また、作劇上割愛したシーンも少なくありません。
個人的にこの作品を振り返ってみたかったこともあり、裏設定などの解説を加えてオーディオコメンタリー風にまとめてみました。

(大変な時期ですね。自宅待機など息詰まることも多いかと思い、一時の玉箒になればと願ってお蔵入りしていたテキストをUPいたします。続編でも新作でもなくて申し訳ありません。m(_ _)m 早く事態の終息があらんことを)

(あと、Twitterはじめました。@dragonfly_lynce)







シンジのシンジによるシンジのための補完 プロローグ by Dragonfly
日時:2006/07/10 18:30 名前:Dragonfly◆c8iV9KaZZP2
 
 

気が付くと、膝を抱えてうずくまっていた。
 
目の前が赤い世界でないことを、心がようやく認識したのだ。
 
『…どこだろう』
 
白い部屋。壁はクッションのように柔らかそう。
 
真正面に扉。驚いた様子のお兄さんが慌てて何処かへ。
 
胸元に無骨な銀の十字架。 
 (具体的な素材は不明だったので、象徴的に銀とした)
『ミサトさん…の?』
 
おかしい。この十字架は墓標代わりにしたはずだ。手元に有るわけがない。
 
押さえつけるように十字架を握りしめて、その手の大きさに違和感を覚える。
 
さらには十字架越しに伝わってくるささやかな弾力。
 
襟首を引っ張って中を確認しようとしたその時、扉が開いた。
 
「気が付いたようだね」
 
「あっ!はい… !!!」
 
「驚くのも無理はない。君は2年もの間、心を閉ざしていたのだからね」
 
確かに驚いた。だけど、そのおじさんが話し掛けてきた内容についてじゃない。
 
返事をした声が、自分のものではなかったからだ。甲高い女の子のような声。
 
だけど聞き覚えのあるような声。
 
「大丈夫。何も心配は要らないよ。葛城ミサト君」

「ええぇぇぇぇぇ!」
 
思わず絶叫した。
 
記憶に有るよりちょっと甲高いが、それは間違いなくミサトさんの声だった。
 (年を取ると声が低くなるので原作ミサトより高いとしたが、自分の声は低く聞こえるので実際のところは微妙)
 
                                        はじまる
 


シンジのシンジによるシンジのための補完 第壱話 ( No.1 )
日時: 2006/08/04 18:49 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2


特別非常事態宣言で足止めをくらったリニアトレインから独り、線の細い男の子が降り立った。
 (状況的に貸し切りも同然の状態だったのではないかと推察。リニアトレインから降りたら直接シェルターに行くのが正しい行動だと思われるが、原作でシンジは電話をかけようと駅から出ている。
そのコトを知っていたので、リニアトレインの到着にあわせてホームまで迎えに来た。そのことの説明がないのはこの時点ではもうミサトの意識には上って来ないことと、初っ端からグダグダ説明したくなかったから)
その頼りなげな姿に泣きたくなる。彼の行く末に同情して、自分の思い出に苛まされて。
 (自分がミサトになったことを未だに受け入れきれていないため、内心ではシンジのことを彼、自らのことを自分と呼ぶ)
 

彼を迎えにくるにあたって、彼女との出会いを再現すべきかどうかは悩みどころだった。
 
だが、あのタイミングで車を滑り込ませるのは偶然に頼るところが大きすぎる。
 
かといって、狙ってできることではない。
 
それに、自分には彼女のような車道楽はなかった。
 
操縦技術に自信はないし、所有車もあんなスポーツカーじゃない。
 
ドイツ時代に小回りの利きそうな車を選んだら、実はあの青いスポーツカーと同じメーカーだった。というのには苦笑したが。
 (車種はルノー・サンク。ドイツ車でないのは中古車から選んだ結果の偶然としているが、もちろんご都合主義)
そもそも、開けっぴろげでフレンドリーな彼女の性格を、自分では再現できなかった。
 
ずけずけと乗り込んできて問答無用で絆を結ぶ。しかも固結びで。
 
人付き合いが苦手な自分には、これはこれで悪くないアプローチだった。と今なら思う。
 
だが、固く結んだ紐は、引き離そうとすれば時間をかけて解くか、切るしかない。
 
距離を置きたいと思ったときに、相手を徹底的に拒絶しなければならないのは当時の自分としてはかなり堪えた。
 
めげることのない彼女だからこそ、気にもしてなかったような顔して再び強引に絆を結びなおしてくれたが、自分にそれは難しい。
 
拒絶されると、自分自身を否定されたようで怖くなる。
 
事態を悪化させたくない一心で、近寄ることすらできなくなるのだ。
 
そんな自分に、あんな大胆不敵なコミュニケーションは採りようがない。
 
だから、自分にできる路線を選ぶしかなかった。
 (この作品を書き始めるにあたって、ライトノベル調に一文を短く改行をこまめにするよう意識した。また、改行ピッチを選べなかった都合で空白行を差し挟んだため密度が薄い)
 
 
「碇シンジ君ね?」
 
なるべく優しい声音で話し掛ける。彼は他人が苦手だ。ありていに言えば怖い。
 
だから、害意がないことを精一杯アピールする。
 
「あっ はい …あなたは…?」
 (つまりは原作と違って写真を送ってないということ。明記してないが、このミサトは少々写真が苦手。これは後のユイ篇で鏡嫌いにレベルアップする)
警戒する口調。
 
見知らぬ土地で名前を呼びかけられれば当然か。
 
でも、勝手知ったる自分の過去だ。準備に抜かりはない。
 
白いワンピースはシンプルにAライン。
 (なぜAラインかというと、そのほうが胸元を強調せずに済むから)
メイクはナチュラルに。
 
つばの広い帽子。
 
視力が両眼1.8でなければメガネをかけただろう。
 (射撃は得意。ということにしてあるので、それに合わせて目もいい。とした)
伊達メガネでいいから用意すべきだったか?いや、さすがにあざとすぎる。
 (ギャップによるウケねらいと、憑依のせいでイメージが変わった?とミスディレクションも込みで、本来のミサトとは逆のイメージを)
 
父さんに捨てられたばかりの頃。夕闇迫るなか独りで砂のピラミッドを作り上げた。
 
そのとき希求した、自分を気にかけてくれる存在。
 
独りぼっちの自分を心配し、優しくしてくれる名も知らぬお姉さんを妄想した。
 (不遇な子供が優しい庇護者を妄想するのはよくあること。女性であるのは話の都合上)
無論そんな存在が現れるはずもなく、砂のピラミッドを蹴り崩したが。
 
 
「私は葛城ミサト。あなたを迎えに来たの」
 
ふんわりと微笑む。あのお姉さんのイメージで一所懸命に練習した微笑み。
 

彼の頬がほんのりと紅くなった。
 
 
(実はこの場面を、原作1話の幻影綾波よろしくリリスが見ていた。としている
因みに当シリーズでは、原作1話の幻影綾波を、シンジのデジャブ(一種の記憶障害で、後に体験したことを事前に体験済みと錯誤すること)としている。もしあの時点でシンジが本当に綾波を目撃していたのなら、後のアンビリカルブリッジでそうと気付き、何らかのリアクションがあるべきなので)
**** 

 
「あれが使徒…ですか…?」
 (タイムテーブル的には、原作のシンジがサキエルを見たのと同タイミング。としている。つまり、巡航ミサイルが当った辺り)
「そう。人類の敵、とされる物よ」
 (乗車した時点で帽子は脱いでいる筈だが、今更描写しようがないので割愛)
山越えの自動車道の途中、遠目に怪物を見せるために車を停めた。
 
この時点で与えられる情報は道すがらに話している。
 
「僕に…アレと戦えって言うんですか?」
 
彼の押し殺した声に、遠い記憶を呼び起こされて、うつむく。

「ごめん…なさい」
 
目頭が熱くなる。
 

優しい少年だと、よく言われた。
 
だが、それは弱いだけだった。
 
傍らで泣かれると、泣かしたことへの責任、慰められない無能さをなじられそうで怖かった。
 
だから、他人が泣かないよう、他人を傷つけないよう、…警戒した。
 
泣かれてしまうと、何もできなくなって何も考えられなくなって立ち尽くした。
 

その弱さを利用するための演技だったはずなのに、涙がこぼれるのだ。
 
全ての始まりたるこの日が、自分にとっても未だ辛いのだと自覚させられる。
 
いや、加害者の側に立った今の方がより辛いのかもしれない。他人を非難できない分だけ。
 
あの時の彼女も辛かったのだろうか…?閉ざされたままの彼女の心が応えてくれないかと、本気で願った。
 
「ミサトさん。泣かないで下さい」
 
彼の声に我に返る。本気で泣き伏してしまったらしい。ここに来てから鍛えられてきたつもりだったけれど、自分の心は弱いままだ。いざという時の覚悟……、いや、開き直りが足りてない。
 
取り出したハンカチで目尻をおさえた。
 
「ごめんなさい。泣きたいのはシンジ君の方なのに…作戦部長失格よね」
 
「いえ…」
 
盗み見るような視線を感じる。人の顔色をうかがっているのだろう。
 
「僕のために…泣いてくれたんですよね?」
 
頷いた。自分のための涙は、まだこの時なら彼のために流したのと同義だ。
 
そのくらいの欺瞞は赦して欲しい。
 
言われるより言う方が辛いこともあると、気付いたばかりなのだから。
 
「…僕に出来るんですか?」
 
「あなたにしか出来ないわ。今ここでエヴァを操縦できる可能性を持つのは、シンジ君だけなの…」
 
彼の視線を受け止める。あくまで優しく。
 
「私、むりやり適格性検査を受けたことがあるのよ。子供たちを戦わせずに済む可能性が1%でもあるならって。自分がベストを尽くしてないのに、子供たちに「命令」なんて出来ないって」
 
案の定、「命令」という言葉に反応した。己を無視する言葉。自分を見ずにかけられる言葉。優しくない言葉。言われる者に、…言う者に。
 (元来、命令と言うものは、命じた者が責任を持つということであって悪い言葉ではない。軍人同士なら。だがエヴァの世界観で、ミサトと子供たちの関係の上では意味をなさないこととして、悪い意味としてのみ描写している)
「…「命令」すればいいじゃないですか…戦えって。ベストを尽くしたんなら言えるんじゃないですか?」
 
かつて自分が口にしたことのない言葉は、しかし容易に理解できた。この時点ではまだ、当時の自分と彼に大きな違いはない。
 
幼稚な皮肉は彼の甘えなのだ。そうして相手を試す。相手との距離を測る。
 
ここで命令すればエヴァに乗るだろう。「逃げちゃダメ」と逃げ道をふさげば戦いもする。だが、それは彼を追いたてて、破局へ導く詰め将棋の最初の一手と化す。
 (これはこのシリーズのスタンスでもあるが、ミサトはシンジの心さえ毅ければあの悲劇を回避できたと考えている。そのことへの矛先が周囲に向かないのがシンジであろうし、13年の人生経験でもある。としている)
大人の苦悩を知らされず。自分の苦悩を無視されて。そうして自分は世界を拒絶した。悩んでるのは自分だけだと、世界が自分を悩ませるのだと、思い込んで。
 
視線をそらす。握り締めたロザリオ。それは自分に逃げるなと「命令」した彼女の物。そして彼に戦えと「命令」すべき自分が背負うべき物。
 (この作品でエヴァ原作と最も異なるのは当然このミサトなので、オリジナルの癖を持たせた)
彼女は悩んだはずだ。それを教えてくれなかっただけで。
 
自分は悩まない。でも悩んでいる振りをする。
 
自分の欲している物を持っていて与えてくれなかった彼女と、彼の欲している物を持ってないくせに差し出す振りをする自分。
 
どちらが酷いか、言うまでもない。
 
これは、背負うべくして受け継いだ十字架だった。自分こそが本来の持ち主なのだ。
 (プロローグを除いて、物理的にはロザリオ、精神的には十字架、と使い分けている)
「出来るわけないわ。私だって怖いもの…」
 
これは本音。乗ったことがあるから、戦ったことがあるから解かる…あの恐怖。
 
「それをシンジ君に押し付けることなんて出来ない」
 
これも本音。できれば平穏に暮らさせたかった。この体ではエヴァに乗れないから採れなかった選択。
 (ユイ篇にあるように、これはミサトの勘違い。このミサトが初号機にシンクロ出来るかどうかは未知数で、リツコは実際には適格性検査を行なっていない)
「だから…私に出来るのはお願いすることだけ…戦って欲しいと「お願い」することだけ」
 
用意していた言葉は、彼が欲しがっている言葉。自分の欲しかった言葉。
 
父さんは絶対にくれない言葉だから、せめて自分が口にする。甘えが出るほどに近づけたなら、自分の言葉でも彼に届くはずだ。
 
視界がゆがむ。また涙が溢れ出たらしい。
 
彼への同情じゃない。理不尽さへの義憤でもない。苦悩や悔恨なんてありえない。自分が聞きたかった言葉を、彼に言ってあげられたことへの、…嬉し涙だった。
 (「用意していた言葉は~」からここまでの下りはつまり、シンジ(ミサト)がシンジを救うことでシンジ(ミサト)が救われる。またはシンジがシンジ(ミサト)のためにシンジという立場を全うする。という当作品のメインプロットであり、作品名に繋がる。
なお、執筆中この時点までは「それはただ、シンジのためだけの補完」という仮題で、もっと内罰的なシンジが「自己満足に過ぎない」と自嘲するシニカルな内容になる筈だった)
彼の誤解が。誤解を解かぬことが。十字架をまた重くする。
 
「もう一度…言ってくれますか?」
 
顔を上げて彼を見つめた。涙をぬぐったりはしない。
 
「お願い、シンジ君。…戦って」



 


 

 
 …目薬、無駄になったな。
 (シンジにばれないように目薬を点すのは難しいので、実際は目の周囲や鼻の下に塗ると涙が出るペースト状の薬剤)
 
  …
 
        …自分って、最低だ。
  
 
                                       つづく

 

2006.07.10 PUBLISHED
2006.08.04 REVISED



シンジのシンジによるシンジのための補完 第弐話 ( No.2 )
日時: 2006/10/06 16:44 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2


「最終安全装置解除、エヴァンゲリオン初号機、リフトオフ」
 (発令所に入った時点で赤いジャケットを羽織り髪をポニーテールにしているが、例によって今更描写しようがないので割愛)
前面ホリゾントスクリーンの中、拘束を解かれた巨人が猫背になる。
 (前面ホリゾントスクリーンは自衛隊の用語。ネルフの発令所メインスクリーンとは形式等違う筈だが用途は同じなので、国連軍に出向していたミサトは内心でこう呼ぶ)
使徒はまだ、姿も見せていない。
 
時間を浪費する要素が少なかったので、まだ第3新東京市に着いてないのだ。
 (もちろんレクチャーを受ける時間もあったし、プラグスーツもきちんと着ている。この時点でシンジ用のプラグスーツがあるかどうかは微妙だが、原作3話の時点で存在したことからそれほど時間を要しないこと、赴任後にミサトが製作依頼を出していたため間に合ったとした)
「シンジ君。あらかじめ言ったとおり、エヴァは思考で動く兵器よ。したいことを考えながら自分の本当の体は動かしてはならない。そこがちょっと難しいの。
 まずは歩くことだけを考えて」
 
ヘッドセットインカムのマイクに向かって話す。エヴァへの直通ラインだ。
 
語っているのは体験談。あの独特な感覚を言葉で表現して伝えるのは難しいが。
 
別ウインドウの中でぎこちなく彼が頷いた。緊張しているのだろう。無理もない。
 
「歩いた」
 
初号機が1歩を踏みだすと、リツコさんが身を乗り出して呟いた。
 
発令所に拡がる職員の嘆声も、彼の耳には届かない。
 
そのためのインカム、そのための直通ラインだ。
 
指揮系統の明確化。それを建前に急遽作らせたシステム。
 
つまらないことを彼の耳に入れて、エヴァへの疑念、不審を抱かせたくない。
 
彼の不安を煽りたくないのだ。
 
歩いただけで奇蹟のような代物に乗っていると、悟らせてはならなかった。 
 
「上出来よ、シンジ君」
 
深く息を吸う。自分も緊張している。
 
なにしろ、かつてのこの使徒との戦闘では、その最中に自分は気を失って、経過と結果を知らない。気付いたら、知らない天井だった。
 
だから、予め考えておいた手立ては全て推測の産物なのだ。
 
どうすれば彼を同じ目に遭わせずに済むか。まったくの手探り。
 
 
緊張がほぐれない。もう一度、深呼吸する。
 
 
自分が戦った方がよほど気が楽だろう。
 
代われるものなら代わってやりたい。
 
彼女も、こんな心持ちで見守っていたのだろうか?
 
 
『…歩く』
 
続いて2歩目を踏み出そうとした初号機は、左脚がついてこずにバランスを崩した。
 
受身も取れず、無防備に顔から倒れこむ。
 

 
『うっ…くくっ』
 
やはり倒れてしまったか。かつて自分も、ここで気を抜いたのだ。
 
あらかじめアドバイスできればよかったのだが、こればかりは体得するしかないだろう。
 
「シンジ君、大丈夫?」
 
『…とても痛いです』
 
画面の中、彼が額を押さえている。
 
 
これは乗ったことのある者にしか実感できないが、エヴァで転ぶとかなり痛い。
 
エヴァとパイロットはシンクロし、その感覚はフィードバックされるわけだが、その際に問題となるのがその体格差だった。
 
厳密に検証したわけではないので推測に過ぎないが、例えばフィードバック係数が100%のときに、エヴァが切り傷を負ったとしよう。
 
その痛みは、パイロットが生身で負った場合と同じ痛みとして感じるはずだ。
 
では、倒れた時も同じか?というと、そうはいかない。
 
エヴァは人間の20倍以上の身長だ、倒れた時に受ける衝撃は単純計算で400倍。スケール比でも20倍に及ぶ。
 (原作設定ではエヴァの身長は40~200メートルとなっているが、特撮マインド的な絵作りの必要がない当シリーズでは40メートルと統一している)
もちろん、その衝撃にエヴァは耐えられる。だが、パイロットは堪らない。20倍の衝撃を、痛みとして引き受けなければならないのだから。
 (原作におけるフィードバックの詳細がよく判らないので捏造。この理屈だとスケール比すらない熱ダメージなどはもっと酷い目に遭うはずで、ラミエル緒戦はその帰結では?と推測する。人間では瞬時に炭化してしまうために感じとることのない数千~数万度の熱ダメージを浴びせ続けられたためにシンジは心停止したのかもしれない)
 
実に自然な動作で、初号機が立ち上がった。
 
痛みのせいで却って無意識に動かしているのだろう。怪我の功名と言っていいものかどうか。
 
「自分を包む。もう一つの大きな体が有るようだと言われているわ。その大きな体に自分を預けるような気持ちでもう一歩」
 
これも体験談。だが、弐号機シンクロ実験で得られた言葉でもある。
 (原作に具体的な描写があるわけではないが来歴の長い弐号機ならありえるだろうということで)
「シンクロ率、8.26ポイント上昇。微増傾向です」
 (アップした数値に明確な意味付けはない。ただ丁寧にフォローしようとするミサトへの信頼がエヴァに対する拒否感をやわらげた。としている)
報告するマヤさんの向こう。スクリーンの中で初号機があらためて2歩目を成功させた。
 
「まだ時間はあるわ。シンジ君に任せるから、初号機に慣れておいて」
 
手を挙げたり、周りを見回したりしだした初号機を視界の片隅に収めながら、各種モニターの内容を確認する。
 
「シンジ君、そのままで聞いて。使徒の武装はさっき見た光の槍。それに増えた顔の「そうそれ」その目から怪光線を発射するみたい」
 
絶妙のタイミングで、エントリープラグ内に解説つきの使徒の模式図が投影された。日向さんの操作だろう。別枠で怪光線を発射する使徒の映像も送られているようだ。
 
プラグ内の表示内容は全て、こちらでも確認できるようになっている。
 
他に指示はないかと振り向いた日向さんにグッジョブとばかりにウインクを返すと、顔をそむけられてしまった。
 
彼女らしい仕種をうまく再現できたと思ったのに、日向さんは顔を真っ赤にするほど怒ったようだ。やはり不謹慎だっただろうか?
 
もっと気の利いた対応があるのだろう。こういうところは彼女に及ばない。努力はしているつもりなんだけど。
 
『怪光線なんて、どうしたらいいんですかっ!』
 
日向さんに目配せしてコンソール前のカメラを見据えると、間を置かずしてエントリープラグ内に自分の顔が映し出される。
 
「避けることは難しいわ。でも1万2千枚の特殊装甲があなたを守ってくれる」
 
目前のディスプレイに彼の様子が転送されてきた。
 
『…痛いんですよね?』
 
おろおろと周りを見渡している。今頃になって恐怖が現実味を帯びてきたのだろう。
 
倒れた時の痛みを思い起こし、怪光線の苦痛を想像しているに違いない。
 
「ええ、多分。 とても…」
 
そういう意味では、考える暇もなかったあの時の方が幸せだったのだろう。じっくりと恐怖に向きあわせている今回の方がよほど残酷だった。
 
『どうにかならないんですかっ!』
 
「ごめんなさい。それはシンジ君が優秀なパイロットだということの裏返しなの」
 
だが、大人の思惑に弄ばれていると思われるよりはマシだ、と己に言い聞かせる。
 
どうせ解からないからと碌な説明もなく放り出されたあの時、欲しかったのは親身な対応だった。
  
『そんな…』
 
「もちろん、最善は尽くすわ」
 
横を向いて金髪の技術部長の顔をうかがう。
 
「赤木部長。フィードバック係数を下げることは可能でしょうか?」
 (発令所でなおかつ作戦中なので、ワザと他人行儀)
「…そうね。このシンクロ率なら少し下げても問題ないわ」
 
「お願いします」
 
リツコさんがマヤさんに指示するのを確認して、カメラに向き直る。ここまでの会話は敢えてカットしていない。
 
「シンジ君、聞こえていた通りよ。これで少しはマシになると思うわ。その分ちょっとエヴァから返ってくる感覚が鈍くなったかもしれないけど… どう?」
 
『…なんだかぼやけてます』
 
何かを確認するかのように初号機が手を握り締めた。
 
エヴァは、パイロットのもう一つの体になる。それを動かすには、機体からのフィードバックが不可欠だ。たとえば、三半規管の感覚が伝わらなければエヴァを立たせておくことすら難しい。
 (フィードバックについては同上なので、やはり捏造)
フィードバック係数を下げたことで、痛覚を含めたそれらの感覚が伝わりにくくなる。
 
しかし、それが根本的な解決ではないことを、彼なら気付くだろう。
 
『ミっミサトさん!』
 
はぐらかされたかと勘違いして、怒っただろうか?
 
「なに?シンジ君」
 
ことさら冷静に返事をして、「残念ながら操縦に支障が出るからそれ以上フィードバック係数は下げられないの。ごめんなさい。酷い物に乗せてしまって」と続けるつもりだった。
 
『まっ街に子供が居ます!』
 
「なんですってぇ! …女の子?小学生!?」
 
ディスプレイに回ってくる監視システムとエヴァ視点の映像。ポップアップされた個人情報には『鈴原ナツミ 8歳』とある。
 
しまった!トウジの妹を失念していた。
 (この時点でトウジの妹が街中に居たとするのは捏造。名前は初めて読んだ某FFへのオマージュ)
「大至急、保安部を遣って!
 シンジ君、そこでは彼女を巻き込むわ。通りを三つ、右に移動して!」
 
『はいっ!』
 
おそるおそる移動する初号機に、危なげな様子はない。随分とエヴァに慣れたようだ。
 
保安部の出動を確認。まだかかりそう。
 
「シンジ君。電源供給用のケーブルを替えるわ。左手10メートル先のビルにあるケーブルと、今背中に付いているケーブルを交換。できる?」
  
初号機がビルと背中を交互に見た。プラグ内の映像では目的のビルが点滅している。おそらく初号機背面をとらえた映像も転送されていることだろう。 
 (そんな機能があるかは不明)
『…やってみます』
 
突発事態に気をとられて余計なことを考えられなくなったのか、『どうやって』とも訊かずに初号機が歩き出す。
 
保安部が現着。女の子に接触した。もう少し。
 
慣れない作業に戸惑いながらもケーブルの交換を終えた直後、日向さんが振り向いた。
 
「今、女の子を保護したわ。シンジ君、ありがとう。あなたのお陰で人の命が一人救われたのよ」
 
『そんな…』
 
「本当のことよ…  ごめんなさい、もう時間がないわ」
 
外輪山の稜線に変化。使徒はもう間近だ。
 
「シンジ君、よく聞いて。
 使徒を観察していて推測されるのは、アレに敵を認識する能力がないかもしれない。ということなの」
 
『どういうことですか?』
 
「アレは自分から先に攻撃するということをしていないわ。攻撃されたから反応しただけ。その程度の知能しかないと推測できるの。
 つまり、エヴァを敵だと認識していない可能性があるわけね」
 
ディスプレイの中で彼が頷いた。
 
「その証拠に、とっくに怪光線の射程距離内だと思われるのに撃ってきてないわ」
 
言われてみればそうだ。という表情をしたのが彼以外にもたくさん居たのはどうかと思う。まあ彼らにしても初めてのことだ。致し方ない。
 
「だから採るべき作戦は一つ。待ち伏せよ」
 
『待ち伏せって… 思いっきりバレてると思いますけど?』
 
初号機が使徒を指さす様子は、なんだかコミカルだ。
 
「アレはエヴァを障害物の一つくらいにしか思ってないわ。だから待ち伏せになるの」
 
『はぁ…』
 
その瞬間、スクリーンがホワイトアウトした。
 
即座に防眩補正されて映し出される、十字の爆炎。
 
一拍遅れて揺れが発令所を見舞う。衝撃で天井部が剥落してきたか。
 
「ヤツめ、ここに気付いたか」
 
発令所トップ・ダイアスから呟き声が転げ落ちてくる。
 (これも自衛隊用語。文官が座る場所を指す)
父さんはいつものポーズだろう。振り仰いだとしても、ここからでは見えないだろうが。
 
「シンジ君、今の見た?やはりエヴァは眼中にないわ」
 
日向さんに目配せして、自分の左肩を指す。途端に初号機の左肩ウェポンラックが開いた。
 
「今、ナイフを出したわ。両手で構えて。
 …そう右手で握って、左手を添える。ナイフの柄尻を左の掌で支えるの。 …そう。様になっているわ」
 (エヴァの兵装について基本的のこの作品では、原作で初出のタイミングに準拠している。唯一の例外がこの時点でのプログナイフだが、原作でも装備はされていたが出す前に暴走した。としている。
またFFには独自の兵装の設定も多いが、数ヶ月でエヴァサイズの武器の製造ができるとも思えないので、このシリーズには一切ない)
ぎりぎりまで使徒の気を惹きたくない。日向さんのコンソールに視線を遣って、まだナイフへの電源供給が行われてないのを確認する。
 
「シンジ君がすべきことは一つ。使徒が目の前に来るのを待って、そのナイフを突き立てる。それだけよ」
 
『どこを狙えば…』
 
「いい質問ね。使徒の弱点と推測されるのは2ヶ所。顔に見える部分と、赤い球体よ」
 
プラグ内の使徒の投影図に、解説が増えた。
 
「でも、ほいほいと増えるような部分に重要な器官はないわ。従って使徒の弱点は赤い球体部分。そこを狙って」
 
コアが弱点なのは知っているが、言えるはずもない。
 
彼がうつむいた。深く息を吐いたのか、口元から泡が立ちのぼってLCLに溶けてゆく。
 
『僕に… 僕に出来るでしょうか?』
 
「シンジ君、気付いてる? あなた、エヴァを自分の手足のように使いこなしているわ。今も一緒になってうつむいている」
 
顔を上げ、見つめてくる。カメラとディスプレイの位置差の分だけ視線が合わないから、構わずにカメラを見つめ返す。
 
「あなたにしか出来ないの。 お願い、シンジ君。 戦って」
 
その瞬間、スクリーンの中の第3新東京市をまたも十字の爆炎が襲った。
 
 
                                        つづく
 
2006.07.18 PUBLISHED
..2006.10.06 REVISED



シンジのシンジによるシンジのための補完 第参話 ( No.3 )
日時: 2007/03/11 19:45 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2


無事に帰還した彼をケィジに迎えに行き、労い、褒め、お礼を言って休ませた後、向かったのは保安部管理下の会議室だった。
 
 
「いい?ナツミちゃん。今度サイレンが鳴ったら、すぐにシェルターに避難するのよ。はぐれたお兄ちゃんが心配だからって捜しちゃダメ」
 (初号機が暴走しない今作では、シンジとトウジの間に接点がなくなってしまうため状況を捏造した。初号機の出撃が原作より早かったため発生したイレギュラーな状況としている)
ナツミちゃんは、トウジの妹とは思えないほど可愛らしい女の子だった。
 
つまり、これが初対面。以前にはお見舞いにも行ってないのだ。
 (原作に見舞いに行った描写はないが、見舞いに行ってないというのは捏造)
来ないでいいと言われてはいたが、自分がどれだけ自己中心的で、いかに薄情だったか、突きつけられているようで心苦しい。
 
こんな自分とわだかまりなく友達づきあいしてくれたトウジを、自分は…
 
「ほんまに、すまんこってす」
 (これらトウジやナツミの使う関西弁はもちろん正しくない。兄妹なのにベースにした関西弁の種類まで違うし、かなり取り混ぜてある。生の関西弁をそのままテクスト化すると読みづらい上に非常にキツく感じる。なにより、あの独特のイントネーションは字面では伝わらない。と云うワケで此処から先、どのように表現すれば関西弁のイメージをテキスト上で伝えられるか、最後まで試行錯誤だった)
「せやかて、ウチんくのニィやん。ホンにチョロコイんやしぃ」
 (頼りない。どんくさい。もたもたしてる。にぶいといった意味合い)
「なんやてぇ」
 
どうやら避難先のシェルターから走って駆けつけてきたらしいトウジは、まだ息があがっていて言い返す口調も力ない。
 
「はいはい。ケンカしないの。今回はシンジ君が見つけてくれたから大事には至らなかったけど、次も大丈夫とは限らないわ」
 
目線の高さを合わすために屈んでいたのを立ち上がり、上から覆い被さるように精一杯いかめしい顔をする。
 
「今度からちゃんと避難するのよ」
 
しおらしく頷いてはいるが、あまり堪えた様子ではなさそうだ。やはり自分では彼女に及ばないのだろう。
 
「そのシンジっちゅうのんがナツミの命の恩人でっか?」
 
「ええそうよ。…ってこれは機密事項だから内緒ね」
 
唇に人差し指を当てる。
 
これが彼女なら「よン♪」と語尾をつけてウインクまでしただろうが… 流石にそこまでは自分には無理だ。
 
だが、トウジはあらぬ方向に視線をそらした。人の話をちゃんと聞いてるんだろうか?
 
釘を刺してるんだが。今度出てこられちゃ困るのに。
 
 
**** 
 
 
「おっ、おじゃまします」
 
「はい、いらっしゃい。
 でも、出来るだけ早く「ただいま」って言って欲しいわ。ここはあなたの家になるのだもの」
 (コンフォート17だが、部屋数が要る為に11-A-2ではなく、12-F-1。また11-A-2には思い出が多すぎてつらいという面もある。例によって今更描写しようがないので割愛)
 
彼を引き取るかどうかは、随分と迷った。
 
あの時、強引に同居を決めた彼女を疎ましく思ったのは事実だ。放っておいて欲しかった。
 
死地に放り込まれる者と、それを強要する者。それらが家族面して同居することの欺瞞に気付かなかったわけではない。気まずさが増すだけだと当時でも思ったものだ。
  
しかし、彼女と演じた家族ごっこが苦痛だけと云うことはなかった。家族というものをよく知らない自分が素直に楽しめなかっただけで、その温もりに救われていた面が確かにあった。
 
それに、よく知る相手とはいえ、離れて暮らして上手くやっていける自信がない。自分はそれほど毅くも器用でもないのだ。もちろん手元に置いたからといって上手くいく保証など、あるはずもないが。

 
「私も引っ越してきたばかりで、まだ散らかっているんだけど…」
 
これは謙遜だ。あの腐海がトラウマにでもなったのか、散らかすのは性分に合わなくなった。整理整頓が身についたのはいいが、彼女のお陰と感謝して良いものかどうか。
 
むろん彼には関係ないことだから、無意識に押し付けないよう気をつけなければ。
 
「今晩の献立はカレーライスにしたのだけど。シンジ君、食べられない物ってある?」
 (昨晩から煮込み済だった)
返事はわかっているが、きちんと訊ねるのが大切なのだ。かぶりを振る彼に、笑顔を返す。
 
「良かった。万が一シンジ君がカレー嫌いだったらどうしようかと思って」
 
さすがにカレーは彼女直伝ってわけにはいかない。再現不可能だし。
 (ミサトが味付け音痴になった原因の事件をこのミサトも経験している(#EX8)。としているので、実は再現できないこともない。このミサトが味付け音痴にならなかったのは、ミサトのコトを知っていたから心構えがあり、その事件を自分への罰と受け入れたから)

 
牛肉を頬張っていて思い起こしたのは、カレーの具材をどうしようかと迷ったこと。
 
そして、迷った理由の一因である肉嫌いの少女のことだった。
 
 
彼を引き取ることを決めたあと、綾波もそうすべきか悩んだ。
 (綾波のほうを先に引き取るのは、プロット案のひとつだった)
彼に優しくしてやりたいと思う気持ちに負けないほど、綾波に色々な物を与えたかった。
 
「何も無い」と言い切る綾波のために。逃げ出してしまった償いのために。
 
異様な光景に怯えて綾波との絆を捨ててしまったが、あんな事態を引き起こし、時を遡って他人の体を乗っ取るような存在が、何を怖がることがあるのか。
 (時を遡った。と云うのはもちろん誤解。このシリーズは(体裁はともかく設定的には)逆行ではなく、「乗り継ぎの物語」である)
だが、ここへの赴任時には綾波は入院中で、うまく引き取る口実を作れなかった。
 
 
その時はうじうじと己を責めたりしたが、こうして彼を迎え入れてみて、結果としてそれで良かったのではないかと思う。
 
彼に「碇シンジだから迎え入れた」のではなく、「チルドレンだから引き取った」と誤解されかねないのだから。
 
流石にそれは本末転倒だった。
 
 
子供には、無償の愛を与えてやらねばならない時期が存在する。無論もっと幼いうちにだが。
 
かつての自分は、そのためか自我の形成が未発達だったように思う。
 
だから、エヴァにすがりつき『僕がここに居ていい理由。僕を支えている全て』などと存在理由を欲した。
 
もちろん中学生ともなれば、自身の存在理由を模索するなど当然の過程ではある。
 
しかし、それがエヴァ1点に絞られていたところに自分のいびつさが現れていたのではないだろうか?
 
そして、それは実に、脆い。
 
エヴァによって支えられた存在理由は、他ならぬエヴァによって叩き壊されたのだ。
 
己そのものではなく、その付随する要素に基づく存在理由なぞ、儚くて当然だった。
 
 
…自分自身で、証明済みだ。
 
 
彼にその轍を踏ませたくはない。
 
そのために引き取った。そのために手元に置くことにした。彼に無償の愛を注ぐために。
 
エヴァだけを… いや、エヴァなんかを拠りどころとさせないために。
 

 
だが、自分にできるだろうか?
 
実の親ですら難しい、無償の愛を与えることが。しかも、作戦部長の立場で。
 

 
いや、彼は自分なのだ。自分自身だからこそ、無私の愛情を注ぎこめるはず。
 
そう、言い聞かせる。
 
何度もたどり着いたはずの結論を、再び己に言い聞かせる。
 
だから、
 
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。
 
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。
 
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。
 
 
「…さん。ミサトさん!」
 
「はっはい!逃げちゃダっ…」
 
危ない危ない。口に出すところだった。
 
「…ごめんなさい、何かしら」
 
ニゲチャダってなんだろう。との彼の呟きはつとめて無視して。
 
「あっ、カレーのお替わり?」
 
「はい。いいですか?」
 
「ええ、もちろん。お口にあったみたいで嬉しいわ」
 
彼が差し出すカレー皿を受け取って、そそくさとキッチンへ向かう。
 
「…美味しいですから」
 
自ら進んで気持ちを打ち明けることなど、少なくともこの時期の自分にはありえなかったことだ。
 
彼は着実に変わりつつある。
 
嬉しさにゆるむ頬はそのままに、そっと目頭を押さえた。
 
 
****
 
 
作戦中ならともかく、通常時の作戦部長の権限はそれほど高くない。第一種戦闘配置時のほぼ無制限ともいえる権限の高さを、そうやって牽制しているのだろう。
 
それは解かるし、自分としても権力が欲しいわけではないから否やはない。
 
ただ、シェルターの整備・運用に口出しできる権限は欲しかった。トウジとケンスケの件で頭を悩まさずに済んだであろうから。
 
それとなく関連筋に注意を喚起することも考えたが、ほどなく諦めた。どれほど言葉を取り繕おうと、二人が脱走するという結果を隠したままでは「あなた方の管理・運用は信用できない」としか受け取ってもらえないだろう。
 
それは要らぬ軋轢を生む。
 
赴任したてで実績が足りないからと、自らの折衝能力の低さを弁護しそうになる自分が、厭わしい。これが彼女ならそんなことなど気にせずに即断即決しただろうと思うと、自らの臆病さを恨めしくさえ思う。
 
 
だから、せめて2人が脱走する前にカタがつくよう策を練ったのだが。
 
「作戦はさっき説明したとおり。いいわね?シンジ君」
 
「はい、ミサトさん」
 
全面ホリゾントスクリーンの中で頷く彼の姿。分割表示された初号機は、ハブステーションに固定されたまま儀杖兵のようにプログナイフを捧げ持っていた。
 
「射出のタイミング取りとルート選定はMAGIが行うから、衝撃に備えて歯を食いしばっておくのよ」
 
はい。と応えそうになった彼が慌てて口を閉じる。
 
「使徒、市内に侵入しました」
 
スクリーン内に分割されていた浮遊形態の光鞭使徒の姿が拡大されると、途端に初号機が射出された。
 
浮遊し、胴体下面にコアを持つ光鞭使徒に対して採った作戦。それがこのリニアカタパルトの射出による下方からの奇襲だった。あらかじめ腕部拘束具を解除された初号機は光槍使徒戦時と同様の構えでプログナイフを支え持ち、地上到達と同時に肩部拘束具を解除、光鞭使徒に対して攻撃を仕掛けるのだ。
 
だが、奇襲と呼ぶにはエヴァ発進口のフォースゲート開放は遅すぎた。さらには、延長されたガイドレール。これに気をとられたか光鞭使徒は戦闘形態へと移行を始める。
 
そこへ飛び出した初号機は、突き上げたプログナイフを使徒の頭部に掠らせることしかできなかった。
 
「最終安全装置解除!エヴァンゲリオン初号機、リフトオフ。拘束台爆破、シンジ君、使徒から一旦距離をとって!」
 
初号機の正面にいる使徒から距離を取るには、背後の拘束台が邪魔だ。間髪入れずに爆破される拘束台。しかし、爆煙を掻い潜った初号機の足首には既に光の鞭が絡み付いていた。
 
ああ、なるほど。自分はあの時、あんな風に飛ばされたんだな。と妙な感慨を抱けるほどにゆっくりと滞空した初号機が、小高い丘へとたたきつけられる。
 
「シンジ君、大丈夫?シンジ君!?」
 
しかし彼の返事はなく、その視線から導き出された位置をMAGIが映し出す。
 (以上は、プロット段階では存在したシャムシェル戦の前半部。この機会に書き下ろした。
 発表当時このエピソードを削った理由は幾つかあって、ひとつにはラミエル戦と作戦内容が被ること。この時点ではミサトの作戦を失敗させたくないこと。的確なリカバリー案を際立たせるには冗長になること。なによりあまり原作と乖離したくなかったこと。それぞれのシーンの掴みとしてできるだけ原作のセリフを冒頭に持ってくるなど場面が想定しやすくしようとしていたこと。などが挙げられる。
この時点でこの作戦のことに一言も触れていないのは、もちろんミサトの意識に上らなかったからであるが、いつか別作品ででも使えるかもしれないと出し惜しみした一面もある)
「シンジ君のクラスメイト!?」
 
ディスプレイに身元照会が回されてくるが、見るまでもない。トウジにケンスケだ。
 
今回は出て来ないだろうと高をくくっていたために、とっさに指示が出せない。
 
「なんでこんなところに?」
 
リツコさんが別のモニターを覗き込んでいる。シェルターの履歴でも閲覧しているのだろうか。
 
スクリーンの中、滑るように初号機に接近してきた使徒が、宙に浮いたままに光の鞭を振るう。
 
自分でもやったことがありながら、今また初号機が光の鞭を掴み取ったことに驚いた。
 
『ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!』
 
「シンジ君!大丈夫!」
 
大丈夫なわけがないことを誰よりも知っている。焼け火箸が手の中で暴れるのだ。痛みのあまりキレたことを忘れられるはずがない。
 (忘れられるはずがない。と言っておきながら、これはミサトの勘違い。客観的な視点と移入しすぎる感情からそう思い違いした。この時点でのシンジの感情についての考察はアスカ篇で詳しい)
『…なん…とか。どうすればいいんですかミサトさん!』
 
彼が成長していることを、自分が指揮官として信頼されていることを喜んでいる暇はなかった。
 
≪ 初号機活動限界まで、あと3分28秒 ≫
 
… 
 
…見捨てる? 
 
ナツミちゃんを救けたことで彼らは既に大切な友人になってるのに、できるわけがない。
 
 
…エントリープラグに入れる?
 
他人の思考が混ざることでこうむる頭痛と、泥の混入で起こる呼吸困難・窒息、感染症の危険を彼にも体験しろと?
(泥の混入云々は独自解釈) 
 
…保安部を差し向けて保護する?
 
初号機の内部電源が保たない!動かなくなったエヴァを使徒が放置してくれる保証はない。
 

 
≪ 初号機活動限界まで、あと3分 ≫
 
とっさに思いついたのは、どれも彼に苦痛を強いる方法ばかりだ。
 
ならば、割り切るしかない。
 
「シンジ君。両手で掴んでいる鞭を左手だけで掴み直して。
 大丈夫、宙に浮いてる分だけ鞭のパワーは弱まってる。エヴァなら抑えこめるわ」
 (「とっさに」とは表現しているが、この案を今思いついたわけではない。このミサトは13年間、使徒の斃し方を考えてきた。情報不足や前提条件の変化で、今回のように上手く行かない例も多いが)
はったりだった。だが根拠がないわけではない。乗っていたから解かる初号機の底力。そして今の彼のシンクロ率なら。
 
「いい加減なこと言わないで」
 
背中に刺さるリツコさんの視線が痛い。
 
またインカムが役に立った。彼には聞かせられない発言だ。
 
「プログナイフ装備」
 
日向さんの操作で左肩ウェポンラックが開く。
 
「まだ2分もあるわ。前の使徒なら6回は斃せる時間よ。やれるわシンジ君」
 
『…はい』
 
 
****
 
 
目の前ではトウジが土下座していた。その隣でケンスケがうなだれている。
 
対峙してから十分あまり。室内は沈黙が支配していた。
 
怒ってないといえば嘘になる。しかし、内心で自分は泣いていたのだ。
 
二人が無事であった安堵に。見通しの甘い己のふがいなさに。一瞬とはいえ見捨てることを考えた自分の薄情さに。
 
その間に何度、「逃げちゃダメだ」と唱えたことか。
 
懸命に涙をこらえていた自分の姿を、怒りのあまり声も出ないと勘違いしてか、二人は微動だにしない。
 
これが彼女なら張り手の一つもかまして、さんざん脅して、そしてからからと笑い飛ばしたことだろう。
 
想像してみて、それはつまり前回の顛末を確認してなかったからだと気付く。
 
やはり自分は薄情なのだ。それが、また …自分を打ち据える。
 
「ミサトはん。泣いてはるんでっか?」
 
すすりあげる音に顔を上げたトウジが、驚いて腰を浮かす。
 
その顔にナツミちゃんの面影を見て。だから次の言葉は自然と口をついた。
 
「当たり前じゃない…
 もしもの時、ナツミちゃんに何て言えばよかったの?
 …相田君は、ご家族は?」
 
言われて初めて思い至ったのだろう。
 
「父が…」
 
怒られていると思っているから神妙にしていただけの二人に、ようやく加わる深刻さ。
 
「すっ すんまへん」
 
トウジが床に頭突きせんばかりの勢いでまた土下座した。
 
「…ごめんなさい。僕がむりやり誘ったんです…」
 
ケンスケもまたうなだれる。
 
妹の命の恩人の戦いぶりを見届ける義務があるんじゃないか?とか言ってトウジを丸め込んでる情景が、目に浮かぶようだ。 
 
「謝るべきは私じゃないわ。
 ナツミちゃんに、お父さんに。
 解かっているでしょう?」
 
二人は応えない。
 
「それに、私に謝られても困るわ。
 私は必要なら貴方たちを見殺しにしたもの」
 
息を呑む気配。
 
酷い言葉だが、二人を戦場に近づけないために必要と割り切る。
 
「隣りにご家族がおみえだから、今日はもういいわ。無事な姿を見せてあげて」
 
踵をかえして、ドアのスイッチに手をかけた。
 
「もうシェルターから抜け出しちゃダメよ。命を量るような真似をさせないでね」
 
ドアを開く。立っていた保安部員に頷きかけて、後を任す。
 
「ミサトはんに謝るのは間違うてたかもしれまへん。
 せやから… 救けてもうて、ありがトうございました」
 
救けるために戦うことすらできなかったことがある。とはさすがに言えず。ただ足早にその場を去った。
 
走り出したいのを懸命にこらえながら。
 

                                       つづく

2006.07.18 PUBLISHED
.2006.08.04 REVISED



[29540] シンジ×3 テキストコメンタリー2
Name: dragonfly◆23bee39b ID:838af4c9
Date: 2021/12/03 15:42

シンジのシンジによるシンジのための補完 第四話 ( No.4 )
日時: 2006/09/01 17:11 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2


「ミサトさん。綾波に何を言ったんですか」
 
待ち構えていたのか、帰宅した途端に問い詰められた。
 
「なっ何?」
 
「とぼけないで下さい。一日中つきまとって世話を焼こうとするんですよ。ミサトさんの差し金でしょ」
 
興奮していて、客の存在にも気付かないらしい。
 
 
それは何気ない思い付きだった。
 
光鞭使徒戦で両掌に火傷を負った彼の助けになるかもしれないと、綾波に声をかけたのは。
 (これら使徒の名称は、作品の表現上の要求から考案した。映像で表現できる原作に対抗するには、番号に過ぎない「第14使徒」とか、膾炙してるとは言い難い正式名称「アラエル」等ではイメージ喚起力が足りないと感じたので。
なお、これらの名称は意図的にミサトが付けているわけではなく、ミサトが特定の使徒を思い描いた時の言わば「意訳」であり、都度々々使徒を直接描写することを節約する試みに過ぎない。とは言え他にこんな表現をしている作品がなかった以上、この作品を特徴付ける要素ではあろう。
ちなみにこのシリーズではネルフを始めとして公的機関では使徒を番号で呼び習わしているものと推察しており、ミサトも口頭では番号で呼ぶ)

 
…………
 
 
「それは命令?」

「いいえ、「お願い」よ」
 
「…お願い。他人に対し、こうしてほしいと頼む。
      自分の気持ちとして、こうなってほしいと強く思う。望む。

  …そう。葛城一尉は私に望むのね。
 
  …望み。叶えられるとは限らない思い。
      叶えるかどうかは私次第。
 
  …そう。私が選ぶのね」
 
 
…………
 
  
ぽつぽつと呟きながら歩み去る綾波を呆然と見送ったものだが、まさか聞き入れてくれるとは思わなかった。
 
「弁当は手ずから食べさせようとするし、自分のノート放っといて僕のノートを書き込むし、体育で僕の代わりにバスケの試合でようとするし、とうとうトイレまでついてこようとしたんですよ!」
 
よほど恥ずかしかったんだろう。触れなんばかりに詰め寄ってくる。
 
 
かつて、彼女と自分の距離は微妙だった。近しいところと遠いところが複雑に同居した、陣取り合戦の末期みたいな関係と言えようか。
 
肉親の愛情に恵まれないまま反抗期を迎えてしまった自分側の屈折もあるが、多分にそれは彼女の問題だったろう。
 
作戦部長として、保護者として。様々な自己矛盾と苦悩の結果、よそよそしさと押し付けがましさの乱雑なブレンドとして彼女は在った。
 
その中途半端さに祐けられ、あるいは傷つけられて暮らした日々を否定はしない。
 
ただ、幼い頃に夢想した家族というものを実現して、彼に与えたかったのだ。
 
そういう意味では自分に苦悩のない現在。彼との関係は、ブラコン気味の姉と、姉は好きだが疎ましく感じつつある弟。というシンプルな構図に納まりつつある。
 
 
「『命令じゃない。これは葛城一尉の望み。私の自由意志に委ねられた彼女の思い。やぶさかじゃないわ』とか呟いて、ワケ解かんないよ」
 
文句を言うのに遠慮がなく、皮肉がない。好ましい変化だろう。
 
「呆れた。ATフィールド実験中に何を話しかけてるかと思ったら、そんなお節介焼いてたの?」
 
「ホントお節介ですよ …って、リツコさん。いらしてたんですか?」
 
「ええ、お邪魔しているわ」
 
「すみません興奮してて…。どうぞお上がりください」
 
これ幸いとキッチンまで撤退したが、声による追撃を防ぐ手立てはなかった。
 
 
 
「それじゃあ…レイちゃんには私から話すとして…」
 
「当然ですよ」
 
リツコさんを招く。ということで多少気合を入れた料理の数々と、デザートのシュークリームにカモミールティーの尽力によって、ようやく彼の不機嫌が殲滅された。
 
仕上げのカスタードクリームを詰める作業を、目の前でして見せたのが良かったのかもしれない。
 
「なんで…レイちゃんは、そんなにかいがいしかったのかしら?シンジ君に身に覚えはある?」
 (綾波の献身振りがミサトにも意外だったということ)
「あるわけないですよ。綾波のことよく知らないし…」
 
つい先日まで自身も不自由な思いをしていたから、同情したとか? …綾波に限ってそれは無いか。
 
「リツコ…はどう?」
 
「相変わらずね、貴女。なんで私を呼ぶときドモるのよ」
 
これ見よがしに嘆息される。
 (付き合いの長いリツコが今更この話題を切り出したのは、ミサトがシンジに対してドモってないことに気付いたから)
「別に貴女だけってわけじゃないじゃない。仕方ないでしょ。癖なのよ癖」
 
言える訳がない。「当時、あなたははるかに年上だったからです」とか、「つい敬称をつけそうになるからです」などと。
 (10年近く友人やっていてそれはないと思うが、なりきれない不器用さの現れ。としている)
「それよりも、…レイちゃんのことよ」
 (「綾波」と言いそうになるので、リツコと違って前でドモる)
「そう言われてもね。私はレイの健康面の管理者ってだけだから、なんとも言えないわ」
 
猫の肉球型の灰皿を、リツコさんの視界に入るように置く。
 
自分が呑まないので自宅での喫煙は許してないのだが、灰皿を出した時は別。というのが学生時代からの暗黙の了解だった。
 
若干ためらったようだが、ニコチンの誘惑に勝てずに灰皿を引き寄せている。
 
あ、いや。熱い視線は灰皿に釘付けで…。
 
あのぉ、リツコさん?
 
もしかして…その灰皿、欲しいんですか?
 

 
「…おそらくは「命令じゃない」というのがキーワードね」
 
「どういうこと?」
 
未練たっぷりの秋波を灰皿に注ぎながら、煙草に火をつける。 
 
「レイは「命令される」以外の他人との繋がり方を知らないのよ」
 
リツコさんと彼女も大学時代からの友人だったそうだが、ネルフの秘密ということではかなりの隠し事が在ったのだろう。今もまた、何を話すべきか、何処まで話すべきか、どう誤魔化すべきか、考えているのではないだろうか。
 
「聞いた話だけど、レイは幼い時に事故で脳死寸前の重体になったことがあるらしいわ」
 
紫煙を一吐き。
 
「奇跡的に回復はしたものの、後遺症で感情表現が不得手に。
 以後はネルフの監督下に置かれたそうだから、子供らしい生活は出来なかったでしょうね」
 
もしかして綾波が二人目になった時のことなのだろうか?

しかし二人目、三人目と見て、その他大勢を知っていれば、とても一人目が感情表現豊かだったとは考えにくい。
 
説明づけるためにリツコさんがでっち上げたのか、そう聞かされているのかまでは判らないが、ネルフとしての言い訳がそうだと云うことだろう。
 (これはリツコがでっち上げたとしている。ネルフ(と言うよりゲンドウ)が、そんな言い訳を用意しているとも思えないので)
ちらりと視線を遣れば、彼もまた考え込んでいる。綾波という少女について思いをめぐらせているのか。
 
今回、彼と綾波の接点は薄い。光槍使徒戦後にお見舞いがてらに引き合わせた程度だった。
 
父親とのにこやかな交流を見せ付けられた彼にとって、綾波の印象が良いはずもないが、これが転機になる可能性はある。
 
こちらの視線に気付いた彼が、赫らめた頬を隠すように俯いた。
 
「同じエヴァのパイロットなのに、綾波のことよく解らなくて…」
 
「いい子よ。貴方のお父さんに似てとても不器用だけど」
 
「不器用って、何がですか?」
 
「生きることが」
 
生きることが不器用、か…。
 
かつては聞き流した言葉に、どれだけの意味が込められていたのか。
 
リツコさんの表情を間近に盗み見て、今ようやく解かったような気がした。
 
 
****
 
 
「何よこれ!」
 
綾波の部屋だ。
 
あのあと、綾波に渡してくれと新しいカードを取り出したリツコさんに、車で送るついでに寄ればいいと口実をつけてやって来た。
 (原作での状況証拠だが、リツコは自動車を所有してないか、運転しないもの。と推量。もっとも、仮に車で来ていたとしても、ミサトが酒を飲ませたことだろう)
もちろん綾波を引き取るきっかけになる。と踏んでだ。
 
「リツコ!どういうこと、説明して!」
 
「…ドモってない」
 
リツコさんが緊張するのが判った。
 
普段は呼び捨てにするのが難しくてためらうのだが、感情が昂ぶった時は別だ。加持さんに指摘されて気付いたこの癖は、怒っていることをアピールするときに便利だった。
 (「安心してる相手だと遠慮がない」その地がでる)
この部屋の惨状は知っていたのだから本気で怒っているわけではないが、今後を進め易くするためにもそう思わせたほうが都合がよい。
 
「だから私は健康面の管理者ってだけで…」
 
「精神衛生って言葉、知ってる?」
 
医師免許を持ってる人間に問い質す言葉ではないが、効果は覿面だった。リツコさんがじりじりと後退る。
 (リツコの在学期間がおかしいので医学部だった。としている)
「こんなところにあと1秒だってレイちゃんを置いとけないわ。私が引き取ります。いいわね、リツコ」
 
「そんなこと勝手に決めないで!」
 
「い・い・わ・ね。リツコ?」
 
リツコさんを玄関の外まで追い詰めておいて、さも今思いついた。という表情をして踵をかえす。追い込みすぎずにはぐらかし、相手に考える時間を与えるのも手管のうちだ。
 
「ごめんなさいシンジ君。こんな大事なこと相談なしに決めるところだったわ」
 
「…いえ、綾波をここに置いとけないのは賛成です」
 
呆然と部屋の中を、きょとんとする綾波を見つめていた彼は、どう表現していいか判らない。という顔をして振り向いた。
 
「ありがとう。シンジ君ならそう言ってくれると思っていたわ」
 
となると本人次第ね。と呟いてベッドに腰掛けたままの綾波の前まで進み出る。
 
見下す視点が嫌で膝立ちになると、赤い瞳とほぼ同じ高さ。
 
「こんばんわ、…レイちゃん」
 
「…はい。葛城一尉」
 
「夜中に突然押しかけてごめんなさいね」
 
「…いえ、問題ありません」
 
「今日はありがとう。お陰でシンジ君の具合も随分良くなったみたい。シンジ君も喜んでるわよ」
 
「なっ!?」
 
約束が違うとばかりに文句をつけようとした彼を身振りで黙らせ、綾波の両手を包むようにして握る。
 
「…いえ、私の…自由意志」
 
ううん。と、かぶりを振って。
 
「私の「お願い」を叶えてくれたでしょう?
 それは私の「思い」を受け入れてくれたということ。
 私のために尽力することを惜しくないと思ってくれたということ。
 絆を結ぶに値すると認めてくれた証。
 とても嬉しいわ。
 だから、思いを返すの。
 
 ありがとう。感謝の言葉よ」
 
一言一句聞き逃すまいと真剣に見つめてくる綾波の瞳を見つめ返し、ひと言ひと言を丁寧に。
 
「…はい …」
 

 
「どうしたの?」
 
もの問いたげな綾波を促す。
 
「…こういう時、なんて言っていいか知らないの」 
 
「こういう時はね「どういたしまして」って言うのよ」
 
「…「どういたしまして」?」
 
ええ。と頷いて、いま一度。
(↑この表記方法は、某FFから学んだ。
私には「鉤括弧」連続使用恐怖症のケがあるので、この表記方法のおかげでずいぶん執筆期間を削減できただろう)
「ありがとう」
 
「…どういたしまして」
 
微笑む綾波の姿に、思わず両手に力がこもる。
 
かつて、初めて見せてくれた不器用な笑顔。この微笑みを直接彼に向けさせられなかったのは失策かもしれない。
 
「それでね。これからが本題なんだけれど、…レイちゃん。私たちと一緒に住まない?」
 
「…何故?」
 
「ほら、シンジ君の具合。随分と良くなったけれど、まだまだ生活に支障があるのよ」
 
大嘘である。確かにフィードバックのせいで掌に痺れが残り、痛みによる暗示で自ら火傷を再現してしまったが、生活に困るほどの大怪我。というわけではない。
 (原作で明確に言及されてないので、エヴァ破損時のパイロットの負傷は暗示による物とした)
そもそも、光鞭使徒戦からかなり経っていて、ほとんど治りかかっている。今更といえば今更なのだ。
 
「…レイちゃんもやる気みたいだし、ここは一緒に住んで、よりシンジ君のお世話をしてくれると嬉しいなぁって思って」
 
あきれはてて開いた口が塞がらない様子の彼を指し、嬉しさのあまり口もきけないみたいよ。などと嘯く。
 
「…それも「お願い」?」
 
「そうね、お願いではあるけれど…正確には「提案」かしら」
 
「…提案。議案・考えなどを出すこと。
     より良くするために申し出るアイデア。
 
 そうね。碇君の手助けをするならその方が効率的。
 
 それは、私の行動を支援、補強する助言。
 
 葛城一尉の申し出を支持します。

 …

 …… 」
 
ぽつぽつと呟いていた綾波が、何に気付いたのか、悩ましげに眉根を寄せた。
 
「どうしたの?」
 
「…ここを離れるには許可が要る」
 
「それなら大丈夫。必要な許可や手続きは全て、リツコお姉さんが面倒みてくれるわ」
 
「ちょっと!勝手なこと言わないで!」
 
「面倒、見てくれるわよね。リツコ」
 
振り返ったりはしない。綾波から視線を外さぬままにリツコさんに話し掛ける。
 
「セカンドインパクト直後の話、してあげたわよね?こういうの見過ごせないって、知ってるでしょ?」
 
どういうことかと訝しがる綾波に、そのうちねと微笑みかけて、頭を撫でた。
 
「あの灰皿。あげるわよ?」
 
「…わかったわよ」
 
即答だ。よほど欲しかったらしい。…いや、そんなものは口実に過ぎないだろう。本当は面倒見のいい人だということを、自分はよく知っている。
 
立ち上がり、膝元を払う。振り返ると、リツコさんが内ポケットを探っていた。
 
「ありがとう。よろしくね?リツコ…」
 
不機嫌そうな唇の動きは、さしずめ「またドモって現金なヤツ」と云ったところか。
 
背後でベッドがきしんだ。綾波が立ち上がったのだろう。
 
「…ありがとうございます。赤木博士」
 
盛大にため息をついて見せたリツコさんが踵をかえした。
 
「期待しないでよね」
 
照れ隠しに煙草を呑みに行ったらしい。
 
…なぜ赤木博士はどういたしましてと言わなかったの。との綾波の呟きに、どう答えてやったものか…
 
 
                                        つづく
2006.07.31 PUBLISHED
2006.09.01 REVISED



シンジのシンジによるシンジのための補完 第伍話 ( No.5 )
日時: 2007/02/18 12:26 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2


小さな窓から零号機の姿が見える。再起動実験は、もう間もなく開始だ。
 
いらついた様子の彼は、着々と進む準備を一顧だにせず睨みつけてくる。
 
加持さんの言うとおり、安心してる相手だと遠慮がない。
 
それはある意味、嬉しいのだけれど。
 
「話してくれるんですよね?今なら綾波も居ないし」
 
ひとつ頷いて、口を湿らせるためだけにコーヒーをすすった。
 
ぬるいな。
 

 
「私ね、セカンドインパクトの時に南極に居たの」
 
それは彼女の記憶。14年間の少女の思い出と、2年分の心の迷宮の軌跡。
 
還ってきて受け継いだ、彼女のすべて。

「疎遠になっていた父親に急に呼び出されて、むりやり連れて行かれて。恐い物を見せられて」
 
身に憶えのあるシチュエイションに、彼の瞳が揺れた。
 
「訳の解からない物に乗って、訳の解からない者と戦えって強要されなかっただけマシだったけれど…」
 
笑顔。それは境遇を同じくする者へ手向ける力ない仕種。
 
彼女の、ではない。自分の、ものとして。
 
「…ミサトさんは、強要なんかしなかったですよ。あれは僕の意思です」
 
「…そう言ってもらえると気が楽になるわ。ありがとう、シンジ君」
 
視線を絡めることなく、交わされる言葉。
 
それは、見たくないからと手探りで相手の傷を避けようとする愚かな臆病者のスキンシップだ。
 
「正直、あの時何が行われていたかはよく解らないんだけど、私は唯一の生存者になったわ」
 (ミサトがセカンドインパクトの経緯をどこまで見ていたか懐疑的なため、こう表現した。気絶していたミサトが気付いた時、周囲がアダムの放つ光に照らされてなかったこと、次に気付いた時にはただの光の柱しか見てないことなどから、具体的なことはほとんど知らないと推察。後にリリスを誤認したことから、アダムそのものは見たことがあり、それはリリスに酷似している。と判断した)
握り潰した紙コップを、ゴミ箱に放った。
 
「その時に渡された父親の形見が、これ」
 
胸に下げたロザリオをつまんで、見せる。
 
銀色のギリシャ十字架は、自分にとっては彼女の形見なのだが。
 
「生き残ったのは良いんだけど、そのときのショックで心を閉ざしたの」
 
 
彼女の過去を垣間見て気付いたのは、自分を同一視していたであろう彼女の心だった。
 
当時の自分と同い年の少年に己が境涯を重ね。流されるだけの姿に己の失敗を思い起こし。何とかしてやりたいと不器用に尻を叩いていたのだ。
 
おそらくは、己を投影して干渉する身勝手に悔恨しながら。
 
 
「失語症とでもいうのかしらね」
 
失語症というのは脳の物理的損傷から起こる器質的障害だから正しくないが、統合失調症の陰性症状といっても通じにくいだろう。
 (さらには「話すコトをしたがらない」ではなく「話すことが困難」な疾病で、原作の描写と合致し難いし、リハビリには何年もかかるのでリツコとであった時点でべらべらとは喋れないだろう。原作では、解かりやすくする為に失語症と呼んだだけだろうと推量した。おそらくは【心因性発声障害】。また本当の意味で失語症(ジャーゴン失語症:流暢に会話できるが、相手の話を聞いても意味を理解することが難しい、そればかりか自分自身の言葉も理解していないため、まともな会話が成立しにくい)であった為、原作でミサトは他人とコミュニケーションが取れてなかったという考察も頭をよぎったが、これは当然葬った)
「2年間も心を閉ざしていたそうよ」
 
実際には、今なお堅く閉ざされたままの彼女の心の扉。その中にまだ彼女は引き篭もっているのだろうか?
 
「そのあとも色々と苦労してね。そのころの私は…レイちゃんみたいだったんじゃないかしら」
 
あながち嘘でもない。この体で目醒めたあの日から暫く、心と体のバランスが取れなくて苦労したのは事実。女らしい表情を取り繕うことができずに、無表情ですごした時期は確かにあった。
 
「それで、放っとけない。…ですか?」
 
頷いた。嘘だが。
 
それはあくまで、この“葛城ミサト”としての理由だ。綾波に心砕くことを周囲に納得させるためにでっち上げた方便にすぎない。
 
「リツコ…も驚いていたけど、私…レイちゃんとの意思疎通が上手でしょ?
 経験かしら。解かるような気がするのよ」
 
これも嘘だ。もっともらしい方便だが、単に綾波のことをよく知っているに過ぎない。
 
「シンジ君をダシに使っちゃって、ごめんなさい。なるべく早くなんとかするから…」
 
そんなことはもうどうでもいい。と言わんばかりに彼がかぶりを振った。
 
「…僕も放っとけなかったんですか? …よく似てるから」
 
「ええ、そうよ」
 
これも嘘。かつての彼女はいざ知らず、今の自分の理由ではない。やはり方便だった。
 
自分の望んでいた優しい世界を、自分のために、彼のために。
 
彼が滅びの道を選んで、後悔しないために。
 
「軽蔑するわよね。
 自分に似た境遇の子供を見つけたから、優しくしてあげただけなの。
 優しくされたかったから、優しくしてあげただけなの。
 自分の代わりに、自分のために」
 
これは本音。これだけが偽らざる、自分の心。
 
 …
 
「…泣かないでください、ミサトさん」
 

 

 
「私、泣いてるの?」
 
ハンカチを探しているようだが、プラグスーツにはポケットすらない。諦めた彼がおずおずと手を伸ばす。
 
かつての自分なら、何をしていいか判らずに立ち尽くしただろうに。
 
いや、それどころかこの場から逃げ出したに違いない。
 
「ミサトさんが言うことがどう云うことか、よく解かりません」
 
これが加持さんならキザに人差し指を使うところを、彼は不器用に親指で涙をぬぐってくれた。
 
「…でも、今日ミサトさんと話せて、ミサトさんが話してくれて良かったと思います」
 
ぎこちない微笑み。
 
それに応えようとした途端に割り込んできた、アラート。
 
≪ …了解。総員、第一種警戒態勢。繰り返す、第一種警戒態勢 ≫
 
「シンジ君、ATフィールド実験は中止。控え室で待機して」
 
「はい」
 
あの強烈な一撃を思い出して、胸が痛んだような気が、した。
 
 
****
 

「本作戦の要旨を説明します」
 
ブリーフィングルーム
 
二人のパイロットが座っている。オペレーター席には日向さん。
 
「敵使徒は強力な荷電粒子砲と強固なATフィールドを擁してゼロエリアに進攻。現在はレーザービットを備えたボーリングマシンで天井都市を穿孔中」
 (原作では「シールド」とされていたが、物理的に不可能なので下に向かって掘るシールド工法はありえないし、シールドを設置していた描写もなかったので「ボーリング」とした)
ATフィールドを展開する姿。熔かされる兵装ビル。地面を掘りぬくボーリングマシンの様子がスクリーンに表示される。
 
「いくつかの威力偵察の結果。敵使徒が上下方向への攻撃手段を持たず、応用を効かせる知恵もないと判断し、ゼロエリアの地下、天井装甲板間での待ち伏せ、奇襲を行います」
 (ラミエルが上下方向に攻撃できないのはエヴァFFでは既出ネタ。ただしやりようはあるはずで、それを危惧している為盾を持たせている)
様々な攻撃の様子。対する反撃の結果が映し出され、最後に第3新東京市とジオフロントの模式的な断面図が重ねられた。
 
待ち伏せが好きなのかな。との彼の呟きは無視。
 
好き嫌いで戦術を選べるような余裕はない。使徒の目的地こそ確証が持てるものの、その進攻時期やルートについての自分の記憶は曖昧な上に確定情報とは言い難い。
 
子供たちの練度は充分ではないし、そもそも自分は彼らを兵士として完成させようなどとは思っていない。
 
その上で採れる戦術が、どれほどあろうか?
 
「第5装甲板と第6装甲板の間、耐熱緩衝溶液を充填した第135吸熱槽をドレーンして空間を確保」
 (ジオフロントで待ち伏せると尖った本部棟の上に寝そべるハメになる可能性があったことと、長々と使徒のボーリングが終わるのを待たせるのが莫迦莫迦しかったので、天井部に空洞を捏造した。
スペースドアーマーとしても機能するほか、軽量化にも貢献している。としている。また蓄熱や空調などに補助的に利用可能)
表示された模式図の中、使徒が進攻する先の135と書かれた囲みの水位が下がっていく。
 
日向さん。芸が細かすぎです。
 
「エヴァ両機は無起動状態で専用トレーラーにて移動」
 
案の定、図案化されたエヴァがトレーラーに寝そべった状態で運ばれてくる。
 
「起動後、1機はフィールド中和に専念。念のため、防御用の盾を装備します」
 
なにやら注記が追加された。
 
 【エヴァ専用耐熱光波防御兵器(急造仕様)】
 
「もう1機はエヴァ専用ポジトロンライフルで使徒を攻撃」
 
 【 円環加速式試作20型陽電子砲 】
 
スクリーンの中で何が起きてるかは確認しないことにしよう。
 
「これを殲滅します」
 
今、なんだか画面がフラッシュしたような…。
 
「本作戦における各担当を伝達します」
 
それらしく、クリップボードなぞ取り上げてみせる。
 
「まず…レイちゃんは零号機で砲手を担当。エヴァ専用ポジトロンライフルで使徒を攻撃」
 
 【 零号機with円環加速式試作20型陽電子砲 】
 (「with」はメタルフィギュアなどでよく使われる表現。ただし、日向がメタルフィギュアコレクターと設定しているわけではない)
ちらり。クリック音に気をとられて視線をやると、注釈が変更されていた。
 
「…了解」
 
 
戦自研が自走式陽電子砲を開発していることは知っているが、今回、それを徴発するのは見送った。
 
ATフィールドを中和できるなら、あれほどの高出力は必要ないし、仲が良いとはいえない両者の間に、これ以上の軋轢を増やしたくもない。
 
いずれ必要になるとしても、もっと関係を良くしておいたほうがやり易いだろうし。
 
それに、フィールドを中和せずに使徒を力技で斃せることをこれ見よがしに喧伝してしまっていいものかどうか、自分には判断できなかったのだ。
 
 
「次にシンジ君。初号機で防御。及び敵ATフィールドの中和を担当して」
 
 【 初号機withエヴァ専用耐熱光波防御兵器(急造仕様)】
 
タイミング良く、よくもまあ。
 
「はい」
 
「この配置の根拠は、ATフィールドについてはシンジ君に一日の長があること。
 第二に、彼の負傷によりインダクションモードでは細かい照準操作に支障が出る可能性があることから決定しました」
 
彼の眉根が下がった。自身をダシに使われた時、次に何を言われるか判ってきたようだ。 
 
「…レイちゃん。起動実験を成功させたばかりなのに実戦に駆り立ててごめんなさい。
 シンジ君を助けてあげてね。
 そして、護ってもらいなさい」
 (これはアスカ篇で考察しているが、起動実験後すぐさま出動できることは、綾波の精神衛生上プラスになった。としている。
 アスカ篇のシンジが気付いてないのと同様に、このミサトもそのことには気付いてないが)
「…はい」
 
なにやらぽつぽつと呟き始めた綾波を、彼が複雑な表情で見やっている。
 
「作戦開始は16:00。以後この作戦をアンブッシュと呼称します」
(もちろんヒトロクマルマルと読む。ルビは打てなかったし、軍人であるミサトが今更意識するとは思えなかったので言及はなし。しかし、今思えばシンジあたりに質問させればよかったのだった。
作戦名は有名な待ち伏せ戦から「トラシメヌス」にしようかとも考えたが、判りやすさ優先で)
やっぱり好きなんだ、待ち伏せ。との彼の呟きは無視した。
 
 
                                       つづく
2006.08.07 PUBLISHED
.2006.09.01 REVISED
 
********
 

 
 このラミエルを下から攻撃するというアイデアは、エヴァ逆行物の第一人者と私が個人的に称えて尊敬している夢魔氏の著作の一つ「優しさを貴方に」から戴きました。
 相手からは遠く自分からは近いという究極の射程外は、中国拳法の奥義にも通じ、しかも尋常な手段でなしえる事とあいまって最高の作戦案といえます。
 夢魔氏の著作はこうしたアイデアに溢れていて、刺激になると同時に大変な壁でもありました。この越えがたい壁の前に一旦はこの作品そのものを諦めかけたほどです。
 様々な葛藤の末、こうして夢魔氏のアイデアそのままに話を書いているのは「優れたアイデアは人類の共有財産」だとの開き直りだといっていいでしょう。
 
 ともあれ、不躾にも突然の「アイデア貸して?」メールに、快く許諾していただいたうえ、激励の言葉まで下さった夢魔氏にはいくら感謝しても足りません。ありがとうございました。
 こんなことなら読み終わった後に感想メールの一つも差し上げるべきだったと反省しております。
 
 なお、夢魔氏の著作は氏のサイト「やっぱ綾波でしょ」に上梓されています。様々なパターンの逆行物が色々なアイデアのもとに掲載されていて厭きさせません。こちらのデータベースにもリストされていますので、未見の方はご一読をお奨め致します。 



シンジのシンジによるシンジのための補完 第六話 ( No.6 )
日時: 2007/02/18 12:31 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2


アラームが鳴る寸前の作動音でまどろみから引き戻され、目覚し時計を止める。
 (脳そのものが意識の源泉ではない憑依者は、基本的に睡眠が少なく眠りも浅い。憑依した肉体・その意識と同調すればするほど睡眠が必要となってくる。と裏設定。一切睡眠を必要としないアスカ篇のアンジェは、その極端な例。ユイ篇のシンジや初号機篇の初号機は同調が進んでいるため睡眠が必要だし、よく気絶する)
綾波を起こさぬように、そっと体を引き抜いた。
 
もとよりそのつもりだったので部屋数はあるのだが、内装が整ってない。ベッドが届くまでの暫定処置のつもりで一緒に寝るようにしたのだが、意外にも綾波がこれを好んだ。
 
 
最初の晩。寝入ったあとに無意識に抱きついてきた綾波の頭をなでてやると、全身を使って擦り寄ってきた。
 
しばらくは気のすむようにさせていたのだが、中途半端にしがみつかれると意外に疲れるので、迎えに行くようにこちらから抱きしめてやる。
 
右腕を綾波の頭の下に通して肩を枕にさせると、むずがった綾波が半ば覆い被さるようにして落ち着いた。
 
胸の谷間に顔を埋められ、寝息のくすぐったさに身をよじった憶えがある。
 
普段の無表情さからでは想像できない積極さだった。
 
おそらくは本人も気付いてない、自らの求めるものがあるのだろう。
 
 
そういえば、アナクリティック・ディプリッションという心理用語があった。 
 
母親から離された乳幼児が情緒不安定になって、たったの3ヶ月で完全に無表情になるまでの過程を指す。
 
また、そのように充分な母子関係が得られない状態に陥いることをマターナル・デプリベーションと呼び、後々の心身の発達に障害を残す可能性があるという。
 (新生児に一切スキンシップを与えずに育てたら死亡率が高くなったという実験の話があってここで使おうとしたが、調べてみたらその研究者にはアリバイが有るらしいので、その実験は心理学者に伝わる都市伝説と推量し、ボツにした)
これらから綾波の現状を理解し、遡ってその原因を推測することができないだろうか。
 
綾波の生い立ちは想像するしかないが、どう考えても母親とのふれあいがあったとは思えない。成長期のスキンシップが致命的に足りてなさそうなのだ。
 
だが、今からでも遅くはないだろう。取り返せるはず。人の適応能力を侮ってはいけない。
 
母親とは、こんな心持ちかもしれないと想いをはせて綾波をかき抱いたりした。
 

それにしても、閉ざされた彼女の心を解きほぐす手懸りにならないかと大学で聴講した心理学が、こんなところで参考になるとは思いもしなかったが。
 (ミサトと違うコトをするコトを怖れたため心理学で単位を取ったわけではない。ただし関連する講義を聴講、フィールドワークなどにも参加していて実質的に履修したも同然。としている)
 
 
ランドリースペースで服を脱ぎ、バスルームへ。
 
ぬるめのお湯でシャワーを浴びる。
 
女の体になって面倒なのは、今の日本の気候では頻繁に汗を流す必要があったことだ。
 
なりたての頃、男の体と同じつもりで扱っていたら、あっという間に胸の谷間に汗疹ができた。 
痒いのは言うに及ばずだが、場所が場所だけにおおっぴらに掻けないのが痒みを助長する。
 (判りやすさと表現のしやすさから谷間としているが、本当は乳房の下側のほうが汗疹になりやすい)
あれは男にはちょっと理解できない苦しみだと思う。
 
以来、朝のシャワーは欠かせない。
 
 
 
汚れ物を放り込んでおいた洗濯機に使ったタオルを追加して、ネルフの制服に袖を通す。
 
作戦部の赤いジャケットの代わりにエプロンを着けてキッチンへ。
 
制服を汚さないよう袖付きにしたエプロンは、どちらかというと割烹着に近い。
 
タイマーで丁度ご飯を炊き上げた炊飯器の蓋に布巾を噛ます。
 
昨晩のうちに下拵えしておいた食材を冷蔵庫から出して、まずはお弁当の準備だ。
 
水に浸けておいた大豆と練っておいた小麦粉で肉モドキを作り始める。綾波のために勉強しておいた精進料理。腕前には自信があった。
 
下拵えを済ませておいた小海老をフードプロセッサーにかけて、冷蔵庫から卵を取り出す。今日は伊達巻だ。
 
ベランダのプランターからミニトマトを採ってくるのは後回し。
 
足りない彩りは緑。肉モドキをピーマン詰めにすると良いかもしれない。
 
 
還ってきて以来、自分は彩りに拘るようになったと思う。
 
なんだか、色とりどりに色彩が溢れていると心が浮き立つようで嬉しいのだ。
 
最初は赤い世界へのトラウマかとも思ったのだが、思い起こしてみれば、あの世界も決して赤色ばかりではなかった。
 
真っ赤な海、真っ白な砂浜、真っ黒な空。あの強烈なコントラストは自分を、微妙な色合い好みにさせたのではあろうが。
 
トラウマの原因はおそらく、南極調査船の白一色のあの部屋だろう。かつて彼女がネルフの制服をきちんと着ていなかったことも、案外そこに起因するのではないだろうか。
 
というわけで、まばゆい純白のワンピースなんて代物はあれ1着きり。もちろん袖を通したのもあの一度きりだ。
 
 
 
蒸らし終わったご飯を弁当箱に詰める頃に、綾波が起き出してきた。
 
お下がりで与えたパジャマ姿。袖と裾を折り返した格好は実に可愛らしいが、時間を作って早く買い物に行かなくては。
 

こうして寝間着を着せるのにも一悶着あった。
 
例によって「…なぜ?」と訊いてくる綾波に、寝汗を放っておくと体に悪いからとか、交感神経の集中する首元は冷やしてはいけないとか、湿気を吸収しやすい素材のものがよいからとか必要性を並べ立てて説明するはめになった。
 
最終的に納得はしてくれたようだが、綾波更生の道は遠く、険しい。
 
 
「…なぜ、ご飯を放置するの?」
 
「それはね。冷まして湯気を飛ばしておかないと傷むから… って…レイちゃん。朝、顔を会わしたら?」
 
「…おはようございます。葛城一尉」
 
「はい、おはよう。シャワー浴びてらっしゃいな」
 
「…了解」
 
 
シャワーの浴び方、前後の始末などは最初の朝に、一緒に入って教えた。
 
自分自身、こうしたことの細かい部分は学生時代にリツコさんから教わったりしたのだが、綾波はそうではなかったらしい。
 (このシリーズでは、ミサトの母親という存在を意図的に排除している。セカンドインパクト後2年間も隔離されていたことから、その後も監視対象として母親の元へは戻れなかったのでは?と推察)
やはり、隔意があるのだろうか。
 
そこを突き詰めるには、あの時の出来事だけでは手懸りが足りないだろう。
 
 
おっと。ミニトマト、忘れてたよ。
 
 
弁当の仕度が終わって朝食の準備になだれ込んだところで綾波がバスルームから出てきた。第壱中学の制服姿だ。
 
洗濯機の回る音が聞こえてくる。最後にシャワーを使った方がスイッチを入れるように取り決めてあった。
 
「ペンペンにご飯、あげてみる?」
 
頷いたので、焼きあがったアジを皿に盛り付けて渡す。焼いた魚を好む、ペンペンは変わったペンギンだった。
 (なんと、6話目にしてペンペンの登場である。何らかの意味を持たせて登場させたいと考えていたら自然とこの回となった)
専用冷蔵庫の前にひざまずいて、綾波がノックをしている。
 
「…おはよう。ペンペン」
 
出てきた温泉ペンギンに挨拶。グワワと、ペンペンが挨拶を返しているのが微笑ましい。
 
ところで、温泉ペンギンは情操教育に良いのだろうか?ちょっと判らない。
 

 
「おはようございます」
 
朝食の用意がすっかり整ったころに彼の起床だ。

「おはよう、シンジ君」
 
「…おはよう。碇君」

同居当初はパジャマ姿だったが、綾波が来て以来、着替えを済ませてから出てくるようになった。
 (原作ではシンジは制服姿で朝食を摂っているので、パジャマ姿というのは捏造。家事はほとんどしていないし、原作よりもミサトへの甘えがあった為としている)
デリカシーが育っている。いい傾向だ。 
 
「顔を洗ってらっしゃいな。ご飯にしましょう」

「はい」 



「本当に今日、学校へ来るんですか?」

汚れた食器を水に浸してると、ダイニングから声をかけられた。
 
「当たり前でしょう?進路相談なんですもの」
 
「でも、仕事で忙しいのに」
 
そう言って、自分も彼女を試したことがある。
 
仕事だから。と答えられて傷ついた。
 
傷つくくらいなら、相手を試したりしなければいいものを。
 
いや、傷つくことが解かっていて、それでも相手を試してしまう。生きることが不器用、ということか。
 
今なら、その答えが彼女の照れ隠しであったことに気付いてあげられるのに。
 
「二人の大切な将来について相談するのよ。仕事なんかしてられないわ」
 
手を拭いて、キッチンを後にする。
 
「人類の命運をかけた大切な仕事なんじゃ…」
 
もちろんその通りだ。
 
国連軍への出向時代。紛争の火種をくすぶらせる国境地域に派兵させられたことがある。
 (ミサトの来歴については原作で言及されていないため、捏造)
ひどい貧困と飢餓。
 
治安維持軍に向けられる怨嗟の視線は、軍内部ではネルフ出向組に向けられた。
 
国連が、そしてネルフが金を吸上げていることを、誰しもよく知っていたのだ。
 
もちろんネルフとて無意味に予算を計上、蕩尽しているわけではない。
 
だが、目の前で餓死していく幼子に、来るべきサードインパクトを防ぎ人類の命運を守るなどと説いて、なんになるだろう。
 
しかしそれでもと、自分の使命は少しでも小さな被害で使徒戦を勝ち抜くことだと、己に言い聞かせて背を向けた。ろくに目も開かないうちに亡くなるような赤子を減らすために、自分ができることはそれだけだと。
 
そのときの決意に、微塵の揺らぎもない。
 
我が家の子供たちを幸せにしてやりたいという想いと、世界中の子供たちを救ってやりたいという祈りが相反しないのは、自分にとって数少ない幸いであっただろう。
 
仕事だから。ではなく、自分の望み。として、彼らのことを気にかけていられるのだから。
 
「ヒトはエヴァのみで生きるにあらず、よ。
 いつまでも使徒が来続けるとは限らないわ。二人ともいつかエヴァを降りるときが来る。
 自分のために自分の人生を歩む時が来る」
 
二人の背後に立って、それぞれの頭に手を載せた。
 
綾波は例によってぽつぽつと呟いている。
 
「私じゃ頼りないでしょうけど、一所懸命やるわ。
 だから二人とも真剣に考えてね。
 自分の将来のこと」
 

 
全てが終わったら、NGO活動に身を投じるのもいいかもしれないな。
 
 
****
 
 
「ちゃんと歩いてる。自慢するだけのことはあるようね」

ジェットアローンの起動実験は順調のようだ。

「ねえリツコ…。あれ、欲しいんだけど」

「正気!?あんなガラクタ!!」
 
注目を浴びた。リツコさん、声が大きいです。
 
「何に使う気よ。あんなの」
 
さすがに気まずかったらしく声を潜めている。目が据わっていて怖い。
 
「歩く発電機、エヴァサイズの起重機、本部の予備電源、試作兵装のテストベッド…」
 
指折り数えて挙げていくうちに、リツコさんの表情が和らいでいく。 
 
「言われてみれば… でも欠陥品よ?」
 
その途端に天井が抜け落ちた。とっさにリツコさんを抱きかかえて柱の間に身を投げ出す。
 
ちらりと投げかけた視線の先に巨大な足。JAが踏み抜いたのか。
 
粉塵を吸い込まないように息を止めて、心得のないリツコさんを胸元に押さえつけて、待つ。
 

 
「作った人に似て礼儀知らずなロボットね。躾が要るかしら」

立ち上がり、リツコさんに手を貸す。
 
「何をする気?」
 
服についた埃を払う。黛色の礼装はシックで、結構お気に入りなのに。
 
右前膊部に打撲傷。右大腿部に擦過傷。ストッキングに伝線。
 
心なしか右奥の義歯がぐらついている。
 (これはもちろん伏線)
さっき体の右側を下にしたからか。
 
よしボディチェック終了。問題ない。
 
「エヴァを出すわ」
 
あの時は彼女の活躍でJAを取り押さえることが出来た。自分もやらねばなるまい。
 (もちろんこれは誤解)
「使徒戦以外で動かせるわけないでしょう!」
 
「緊急事態よ。それにデモンストレーションに…いえ、間接的にコンペティションを演出できるわ」
 
リツコさんの目が光った。披露会場でよほど鬱憤を溜めこんだのだろう。
 
「第5使徒戦でATフィールド実験のスケジュールが遅れてるでしょう?」
 
「第3回を繰り上げなおして野外演習に切り替えるわけね。演目は?」
 
どこからともなく取り出した携帯端末を、目も止まらぬ速さで操作し始める。
 
「空挺降下時の重力軽減実験。あれの足止めに遠隔展開実験 …かしら?」
 
ATフィールド実験は自分の提案で進められているテストだ。
 
きっかけはATフィールドの応用と見做される光鞭使徒の空中浮遊。
 (シャムシェルが空中浮遊に重力軽減を使っているかどうかは不明。というより実は否定的。ミノフ○キードライブのようにATフィールドで支えている可能性や、ATフィールドで真空のバルーンを作っている可能性のほうが高い。おそらくリツコは全て提示しただろうが、戦術の幅が増えるのでミサトは重力軽減と期待した)
エヴァにも可能か?という問いかけに、原理的には、と答えられたので試している。応用が利けば、今後の使徒戦を有利に進められるだろう。
 
彼のシンクロ率が高めで安定しているため、時間的余裕が取れているので可能なのだが。
 
「…F型装備でウイングキャリアーに搭載させるわ。観測機器を詰め込む分、少し時間を頂戴」
 
ふふふ、眼にもの見せてくれる。と呟くリツコさんの傍から、そそくさと離れた。
 
JAは厚木方面へ暴走中。戦自、その他軍事方面への根回し、ここのスタッフの説得は自分の仕事だ。


                                       つづく

2006.08.14 PUBLISHED
2006.08.18 REVISED





[29540] シンジ×3 テキストコメンタリー3
Name: dragonfly◆23bee39b ID:838af4c9
Date: 2021/04/16 23:40
シンジのシンジによるシンジのための補完 第七話 ( No.7 )
日時: 2007/02/18 12:21 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2


「ハロゥ、ミサト。元気してた?」
 (第3使徒サキエルがドイツを襲わなかったことで、ゼーレにとってアダムの重要性が下方修正されたと考察。それに伴って加持は見逃されただろうし、それに併せて弐号機もお役御免となって放出されたのでは?)
「ええ、アスカ…ちゃんも。背、伸びたんじゃない?」
 
「ちゃん付け禁止!」
 (○○禁止!はARIAネタ)
「え~」
 
「「え~」じゃない!このワタシを子ども扱いしないで」
 
「だって、そんなに可愛いのに」
 
サンライトイエローのワンピースは、まるでアスカそのもののように自己主張している。
 (原作のクリームイエローをサンライトイエローと言い張るのは無理があるが、このシリーズのアスカのイメージとして改変。元ネタは武装錬金で、さらにはジョジョ○奇妙な冒険)
無骨で無機質な甲板の上となれば、掃天の日輪のようにまばゆい。
 (一般的に綾波には月のイメージがあるが、ではアスカは太陽か?というと意外とそうでもないように思える。エヴァンゲリオンタロットのサンのカードも何故かミサトだったし。
と云うわけでこの段を執筆当時、アスカに太陽のイメージを与えて綾波と対比させようとしていた。
因みにミサトは地球。一切描写してないけど)
「ワタシは可愛いんじゃなくて美しいの!わかった?」
 

当時、彼女も自分もアスカを呼び捨てにしていた。彼女に倣ってアスカを呼び捨てたら、いつ素の自分を晒してしまうか判ったものじゃない。
 
彼女が使っていたそのままを踏襲できない理由。それがアスカだった。

 
とはいえ、アスカの機嫌を損ねてまで通さねばならない処置ではない。そのぶん自分が気をつければ良いだけのことだ。と不請不承に頷きかけたその時、風が捲いた。
 
とっさに少年の目をふさぐ。事前の位置取りは完璧だ。
 
当時、保護者であるはずの彼女の下着まで洗濯していた自分と違って、彼には免疫が少ない。それに、あまり最悪な出会い方はさせたくなかった。
 
キッと睨みつけてきた視線は、見ていたのが女だけだと気付いて緩む。
 
「それで、その冴えないのがサードチルドレン?その陰気っぽいのと、可愛らしいのは?」
 
やだぁ♪ などと身悶える技術部職員は無視するとして。
 
「アスカ。人を見た目で判断してはいけないと教えたでしょう?
 物覚えの悪い子にはそれなりの処遇が要るわね」
 
「なっ何よ!?」
 
ためらいなく呼んだら怒っている。というのはアスカも認識しているようだ。加持さんの入れ知恵かもしれないが。
 
「アスカはとっても可愛いので、ちゃん付け決定」
 
「え~」
 
「「え~」じゃない。いい大人は人を見かけで判断しません」
 
「ぶ~」
 
「「ぶ~」でもない。反省の色が見えないわよ」
 
「…わかったわよ。…それで?」
 
目線で促されて紹介する。
 
「彼が初号機パイロットの碇シンジ君。彼女は零号機パイロットの綾波レイちゃん。こっちの彼女は技術部の伊吹マヤちゃん」

彼と綾波の肩を抱いて、ちょっと引き寄せた。
 
「彼女が弐号機パイロット。惣流・アスカ・ラングレィちゃんよ」
 
よろしく。などと思い思いの挨拶が交わされる。
 
「アンタたちが本部のチルドレンね。まっ仲良くしましょ」
 
「うっうん」
 
「…命令があればそうするわ」
 
やはりこうきたか。綾波更生の道は遠く、険しい。
 
「…レイちゃん。人の絆は強制されて結ぶものではないわ。
 貴女はどうしたいの?
 アスカ…ちゃんと友達になりたくない?」
 

 
「…人の絆。ヒトが他人との繋がりを感じること。
      思いを託しあう相手を見つけること。
      独りきりでないことを確かめること。
 
  …友達。人の絆の一形態。
      対等の存在。
      自由意志で選ぶしがらみ。
 
  …孤独。落ち着く。
      嫌じゃない。    
      でも、望めば何時でも独りになれる。
      なのに、望むだけではヒトとはふれあえない。
 
 ふれあい。葛城一尉とのふれあい。
      碇君とのふれあい。
      あたたかい、気持ちのいいこと。
      もっと感じてみたい。様々な形のヒトとのふれあい。
 
   …
 
 それは、自由意志の発露。一つの可能性。群れるという進化のカタチ、…ヒトの絆。
 
   …
 
 そう。私、友達がほしいのね」
 
ぽつぽつと呟き始めた綾波を、アスカが胡散臭げに見ている。

「…葛城一尉。私、惣流・アスカ・ラングレィさんと友達になってみたい」
 
「そう。
 じゃあ手を出して。 アスカ…ちゃんも」
 
ぎゅっと握らせる。
 
「「仲良くしてね」か「友達になってね」かしら?」
 
「…仲良くしてね」
 
「…いいけど、変わったコねぇ」
 
律儀に握手を振りながら、アスカが嘆息した。
 
「…レイちゃんはちょっとね。そのうち話してあげるわ」
 
 
後日、クラスメイト全員に握手を強要する綾波の姿があったそうだ。
 
…ちょっと見たかったかもしれない。
 
 
****
 
 
「おやおやガールスカウト引率のお姉さんかと思っていたが、それはどうやらこちらの勘違いだったようだな」
 (このときに原作同様IDカードを見せている。原作と違ってプロフィールを塗りつぶしたりはしてないが、写真が苦手なので表情は同じ)
「ご理解いただけて幸いですわ、艦隊司令」
 (原作におけるUN軍の制度がどうなっているかわからないが、一空母の艦長が代表者とは思えないので艦隊司令とした)
会話はもちろん海軍の共通語、英語だ。
 
「いやいや、私の方こそ、久しぶりに子供たちのお守りができて幸せだよ」
 
背後からは、聞き取りづらいところを訳してもらっているらしい彼の相槌が聞こえてくる。英語の成績は悪くないようだが、軍事用語やスラングなどは習うはずもない。
 
「このたびはエヴァ弐号機の輸送援助、ありがとうございます」
 
綾波は…  興味ないんだろうな…
 
「こちらが非常用電源ソケットの仕様書です」
 
ペーパーホルダーから書類の束を差し出す。

「はん!だいたい、この海の上であの人形を動かす要請なんぞ聞いちゃあおらん!」
 
「申し訳ありません。わたくしどもの配慮が足りませんでした」
 
帽子の陰に隠れてろくに向けられなかった視線が、ようやく与えられた。
 
「…どういう、意味かな?」
 
潮風にあぶられた肌の隙間から、射込まれるような眼光。
  
「はい。連絡に不手際がありまして、貴艦隊の航行計画を確認できませんでした。
 そのため、向来の使徒襲来ルートと重複していることを予め示唆できませんでした」
 (原作でどうかは不明だが、3体とも太平洋岸から来た以上どれかに交わるだろう)
「ふむ…」
 
副長を呼んで、なにやら確認している。
 
「その件に関しては、こちらの落ち度で報告が遅れた可能性もある。ご指摘に感謝しよう」
 
ネルフへの嫌がらせの可能性もある。という意味だろう。さらりと流すのが吉。
 
「いえ」
 
ずいっ、と艦隊司令が身を乗り出してきた。
 
「それで、鉢合わせる可能性は?」
 
「これまでの出現頻度から考えて、この時期、とても楽観はできません」
 
「相変わらず凛々しいなぁ」
 (このセリフは是非使いたかったので、上記の流れがある)
入り口から飄げた声がかかる。無精ヒゲ、緩めたネクタイ。
 
「加持せんぱ~い♪」
 
「加持君。君をブリッジに招待した憶えはないぞ!」
 
「それは失礼」
 
歩哨に立っている海兵隊員が、あからさまに不機嫌な顔をしていた。
 (原作に描写はないしUN軍でどうかは不明だが、現実のアメリカ海軍では海兵隊が艦橋の警護に当るためそうした)
「どうして加持一尉がここに居るの?」
 
加持さんが居ることは知っていたから、なるべく冷ややかに聞こえるように声音を抑える。
 
「…彼女の随伴でね。ドイツから出張さ」
 
使えるものは何でも使う。UN海軍との関係修復に加持さんも一枚かんでもらうつもりだった。
 
「艦隊司令。彼の同道によって生じた御心労に対し、ネルフを代表して陳謝いたします」
 
「受け入れよう」
 
「寛大なご対応に感謝いたします」
 
敬礼。なぜか艦隊司令の右眉がちょっと上がった。
 (特徴づけに、癖を持たせた)
「…相変わらず手厳しいなぁ」
 
眉根を寄せてなさけない顔をしてみせているが、内心気にもしてないに違いない。
 
「加持一尉。私は艦隊司令と打合せを続けたいの。子供たちに飲み物でもごちそうしてあげて。
 もちろん、立入許可の出ているところでね?」
 
にっこりと微笑んであげる。
 
怒ると却って笑顔になるのも加持さんが指摘してくれたことだ。
 (感情を押さえることを学ぼうと努力した結果、簡便な方法として笑顔で取り繕うようになった。ということ。ただし今回は敢えてそう見えるように振舞っただけ)
付き合いの長い知り合いにしか使えないが。
 
 
****
 
 
『オセローより入電。エヴァ弐号機、起動中』
 
「なんだと!」
 
予め警戒態勢を強化してもらえたため、かつてと較べて所属不明潜行物体の発見は早かったのだろう。
 
先ほどまで居た航海艦橋から1フロア下の戦闘艦橋に移動して、久しい。
 (原作では移動している暇がなく、作画の都合上難しかった。と判断している)
マヤさんからヘッドセットインカムを受け取る。手にしたままでマイクを口元に。
 
「アスカ、その場で待機。弐号機は省電力モード」
 
文句には取り合わない。
 
マヤさんが携帯端末から弐号機内部電源の操作を始めた。
 
 
自律起動すら可能な制式型とはいえ、弐号機にもそんなモードは存在しない。
 
ゲインモードのエヴァは、ただ座っているだけでも電力を消費する。
 
かといって生命維持モードではパイロットが孤立してしまう。
 
その辺の折衷を込めた自分のアドリブだったのだが、マヤさんは理解してくれているようだ。
 
 
全周窓から輸送船を確認。振り向いて艦隊司令に向き直る。
 
敬礼。やはり艦隊司令の右眉がちょっと上がった。
 
「艦隊司令、申し訳ありません。事後承諾になりますがエヴァの起動許可をお願いします」
 
「…非常時だ、許可しよう。策はあるかね?」
 
「はい。弐号機はオーバーザレインボゥに移乗。電源確保後、使徒を足止め。直援艦隊の攻撃で殲滅します」
 
「十二式を跳ね返すようなヤツらだろう?実際、通常攻撃は効いてないぞ」
 
十二式というのは対要塞使徒戦時の独十二式自走臼砲での威力偵察の件だ。使徒という物を理解してもらうために記録映像を見ていただいていた。
 (原作で、出てくる部外者が大抵エヴァを軽視していたのは、使徒の情報が公開されていなかったからと推量。当然ミサトのこの行為は機密漏洩にあたって上層部に知られれば立場的にまずい。ただ、だからこそ艦隊司令はミサトを受け入れたのだろう)
「弐号機に敵障壁を中和させます。B型装備では攻撃力に不安がありますから」
 
「この艦はどうなる?」
 
「ATフィールドの庇護下になりますから却って安全です。問題は弐号機移乗による飛行甲板の変形だけでしょう。
 むしろ危険なのは流れ弾の恐れがある直援艦艇かと」
 
あごを撫でる仕種。逡巡は一瞬だ。
 
「良かろう、許可する。作戦行動は一任する。艦隊運用は副長に直接指示せよ」
 
「はっ!ありがとうございます」
 
敬礼。やはり艦隊司令の右眉がちょっと上がった。
 
「葛城一尉。この作戦中、貴官は海軍士官だ。敬礼に気をつけたまえ」
 
「はっ!失礼しました」
 
自分の敬礼は陸軍仕込みなので角度が鈍い。
 
手の角度を変えて敬礼しなおすと、艦隊司令が満足そうに頷いた。
 
副長に向かい直り、あらためて敬礼を交わす。
 
「各艦艇は広めに散開させて下さい。密集していると使徒の好餌です。
 オーバーザレインボゥは飛行甲板を空けて、弐号機受け入れ準備を。
 喫水、重心はできるだけ低めに、舷側エレベーターも全て下げておいてください。
 観測機をできれば4機、動画を送れる装備で。
 回線は双方向フリーに。
 あと、データリンクへの接続をお願いします」
 (喫水を下げるのは、復元力を上げ、弐号機移乗時の揺れを低減するため。
舷側エレベータを下げたのは、もちろん弐号機が踏み抜かないように)
こちらの要望を、副長が次々に具体的な指示に変換する。
 
最後に副長が手招くのを見てマヤさんを促すと、「ぱたぱた」という感じで駆けてゆく。
 
ちょうどオーバーザレインボゥが増速、風上に向かって転舵したため転びそうになったのはご愛嬌だ。
 (艦載機を発艦させるために機動した。艦体が巨大なので実際には転びそうになるほど急激な変化は起きないだろう)

こちらのお膳立てはこれでよし。と、あらためて弐号機へ通信を繋ぐべくインカムを着けた途端。V/STOL機が一機、離陸した。
 
一切の管制を無視した発艦に、各所から怒号が沸く。
 
『おぉーい、葛城ぃ~』
 
戦闘艦橋の高度に合わせてホバリング。
 
『届け物があるんで、俺、先に行くわぁー』
 
加持さん!?一体なにごと?
 
…いや、そう云えばこんなこともあったかも…。かつてはちょうど海に沈んでいたので印象が薄かったようだ。
 
一瞬迷ったが、ここは軍人として動くべきだろう。これ以上UN海軍の心証を悪くしたくないし。
 
「あのフォージャーの撃墜許可を下さい。機体はネルフで弁償します。パイロットは速やかにベイルアウト。後席を焼き殺せたらご褒美あげるわ」
 
『かっ葛城!?冗談は綺麗な顔だけにしろよ』
 (元ネタは「アーノルド坊や○人気者」)
「黙りなさい加持リョウジ一尉!敵前逃亡、任務放棄、作戦妨害、利敵行為。どれをとっても銃殺刑に充分よ。天国まで飛んでいけそうないい棺桶じゃない?骨は使徒に喰わせてあげるから成仏してね」
 
『葛城ぃ~…』
 
「葛城一尉。Yak-38Uはネルフに貸与する。作戦行動を優先させたまえ」
 (複座があるのはYak-38Uだけだったと思うので)
艦隊司令の声に不機嫌さは少ない。どうやら丸く治められたようだ。よかった。本当に撃墜せずに済んで。
 
予想外のことについ過激な対応をしてしまったが、こんなところで加持さんを失うつもりはないのだ。
 
「はっ!申し訳ありません。ご厚意に感謝します」
 
敬礼を切って、V/STOL機に視線をやった。
 
「加持一尉。命冥加でよかったわね。目障りだから早く消えてくれる?
 もたもたしてると、アスカ…ちゃんに殲滅させるわよ」
 
ことさらに声音を低く。艦隊司令の気が変わらないうちに加持さんには戦場を離れてもらわなければ。
 
『…ぁああ、後よろしく…』
 
飛び去る加持さんに心の中で手を合わせ、インカムのマイクに手をかける。
 (これはユイ篇のネタバレになるが、当シリーズでは加持を戦自の少年兵組織の諜報科出身としている。孤児→戦自→加持家養子→第二東京大学という流れでマンガ版との整合性をとった)
なにを届けるつもりかは知らないが、200㎞程度しか飛べない機体に垂直離陸までさせてしまって、無事に届け先までたどり着けるのだろうか?
 (ホバリングが長かったので、伊豆沖からでは第3新東京市まででも厳しそう)
  
「アスカ…ちゃん、お待たせ」
 
『待ちくたびれたわよ』
 
飛行甲板からフランカーを始めとする艦載機が発艦し始めた。ニミッツ級はその艦載機の半数ほどしか艦内に収容することができない。あぶれた機体は飛ばしておくか、他の空母に退避させるつもりだろう。
 (正しくはスーパーフランカーだろう。ミサトは陸軍だったので、戦闘機等の細かな違いは判らないものとして描写している。Yak-38Uをフォージャーとしてか呼ばなかったのもそういうこと。
オーバーザレインボゥがニミッツ級かどうかは不明だが、某FFへのオマージュで「ドワイド・D・アイゼンハワー」であるとしている)
「シンジ君と…レイちゃんは?」
 
『…むりやり連れ込まれました』
 
人聞きの悪いこと言わないでよ。との愚痴は無視。
 
『一緒に乗ってます』
 
彼の返答が遅かったのは英語のヒヤリングの問題だろう。
 
「作戦は聞いてたかしら?」
 (ドイツから回航中の弐号機はまだ直通ラインに対応してないので、今回はインカムが直通ラインモードになってない。さらには、発令所やMAGIのサポートが受けられずプラグ内に情報が表示されないので、省電力モードの意図を理解したマヤの手によって、プラグと艦隊内の通信が接続されている)
『加持先輩なら殲滅しないわよ』
 
思わず苦笑がもれる。アスカがどんな顔をしているのか、ちょっと見てみたかった。
 
『そっちに行けばいいんでしょ?その辺の艦を足場にして…』
 
「アスカ。それは却下」
 
『じゃあ、どうしろっていうのよ!』
 
「あなたが踏み潰そうとした艦艇に何人の将兵が乗っていると思うの?」
 
ざっと見たところ、駆逐艦を4隻は踏み沈めないとオーバーザレインボゥに届くまい。
 
『…』
 
「あなたの任務は何?」
 (この辺りの言葉は、当然ミサトがイスラフェル初戦敗退後の冬月のセリフを意識している)
『…エヴァの操縦』
 
しかも艦隊は散開中なので、距離は開く一方。
 
「そうね。それで、それは何のため?」
 
『…使徒を斃すため?』
 
観測機からの映像が届きだしたようだ。危なっかしいという理由でマヤさんが座らせられているコンソールの傍らに移動する。
 
元来、軍隊の指揮・情報システムは動画を重視していない。画像では無意味な情報が多すぎて広大な戦場、多量の兵器群を統率するのに向いていないからだ。
 
4機からの映像を表示させると、数少ない偵察用の動画回線をほぼ独占する形になった。
 
「その通りよ。サードインパクトを防ぎ人類の命運を守るために戦う私たちが、目前の戦友を見殺しに…いいえ、ないがしろに出来るわけないわ」
 
『…それは解かるけど』
 (そのつもりはなかったのでミサトは気付いてないが、ここまでの会話は当然艦隊の全将兵が聞いている)
モニターの中、カバーシートにくるまって弐号機がしゃがみこんでいる。
 
軍隊と違ってエヴァの運用・指揮に映像は必須だ。テレメトリーデータだけではエヴァが使徒とどのように取っ組み合っているのか把握しがたい。
 
これは、戦略シミュレーションゲームと対戦格闘ゲームの違いに似ている。
 
≪ こちら「オーバーザレインボゥ」LSO。フライトデッキステータスはグリーンだ ≫
 
どうやら飛行甲板が空いたようだ。
 
 ≪ 予備電源、出ました ≫ 
 
 ≪ リアクターと直結完了 ≫
 
作業報告も次々と上がってくる。
 
「アスカ…ちゃんが好きこのんでその方法を提案したわけじゃないことはよく解かっているわ」
 
輸送船の向こうに現れる航跡。もう時間がない。
 
「シンジ君。弐号機は感じ取れる?」
 
弐号機ともシンクロできることは経験済みだが。
 
『はい』
 
「ATフィールドを海面に展開。オーバーザレインボゥまで道を作って」
 
ATフィールドに押さえつけられて、外洋の荒波がぴたりと治まった。
 (JA時の遠隔展開の発展型。JAの足止めに有効だったので、障害物としての応用が模索されている)
「アスカ…ちゃん。急いで」
 
『やってる!』
 
そこだけ波のない海面を走ってくる赤い巨人の姿はモーゼの十戒もかくや。そこかしこで驚嘆のうめき声があがる。
 
弐号機プラグ内で話し声。なにやら3人でやり取りをしている気配。
 
オーバーザレインボゥまで開通していた一本道が、急に縮んだ。と思いきや、その鼻先にイージス艦が突っ込んできた。なるほど、道を譲ったのか。
 
華麗な前方宙返りで飛び越すと、水没ぎりぎりのタイミングでATフィールドが張り換えられる。
 
おや、彼がなにやらアスカに文句をつけているようだが?
 (アスカが不必要に前方宙返りなんかするものだからぎりぎりまで海面が見えなくて、シンジがATフィールドを張り替えそこないそうになった。そのことに苦言を呈した)
「そこの【きりしま】!さっさと散布界から離れんか!」
 (UN海軍は日米ソの混成らしいので有ってもおかしくないはず。もちろん霧島マナとかけてある)
…副長の怒鳴り声のおかげで聞き逃してしまった。
  
 ≪ 飛行甲板、待避 ≫
 
弐号機が後にした海上で、使徒に断ち割られた輸送船が波間に消えていく。
 
 ≪ エヴァ着艦準備よし ≫
 
「飛行甲板はデリケートよ、静かに乗ってね」
 
ニミッツ級の飛行甲板は、船体を構成する強度甲板ではないはずだ。弐号機の質量では踏み抜く恐れがあった。
 (原作の設定でエヴァの質量が不明とされているため具体的な計算は不可能だが、単位面積あたりの過重は人間の400倍前後になると思われるので、静かに乗っても踏み抜くと思われる)
『エヴァンゲリオン弐号機、ミートボール視認。電源は58秒。パイロット、惣流・アスカ・ラングレィ』
 (実際にはオーバーザレインボウの斜め後方から接近した弐号機では、フレネルレンズ光学着艦システムは見えない)
いつの間に空母着艦手順なんて憶えたのやら。
 
≪ ラジャー。ソーリュー、着艦せよ。デッキクリアー ≫ 
 (本来はラングレイと呼ぶのだろうが、律儀に着艦手順を踏むアスカに好感を持ったマーシャラーがファーストネームを呼ぼうとして勘違いした)
その気になったマーシャラーが一人、飛行甲板の端でパドルを振りだしたのが見える。退避しなくていいのかなぁ。
 
『エヴァ弐号機、着艦します』
 
「総員、耐ショック姿勢」
 
だが弐号機は、驚くほど繊細な動作でオーバーザレインボゥに乗り込んで、重心の移動を伴わずに電源ソケットを掴みとった。おかげで揺れはほとんどない。エヴァの操縦はやはりアスカが一番だ。
 
「90点」
 
ぼそりと、艦隊司令の呟き。
 
空母乗りのパイロットは、着艦技術を航空団司令によって評価されるのが慣わしだとか。艦隊司令直々に評点を下したということは、航空団司令が席を外しているのだろう。
 
「評価が辛くありませんか?」
 
「柔らかい土には、柔らかい人間しか生えんからな」
 (古代オリエントの格言……の筈。ネット上では確認できなかった)
副長の口ぶり、応じた艦隊司令のそぶりからすると、単なる冗談だったのかもしれない。
 
航空団司令はこの2フロア上、主航空管制所に居られる可能性があったし。
 
 
『…左舷9時方向、来るわ』
 
『外部電源に切り替え』
 
「切り替え完了。…確認。電源供給に問題ありません」
 
マヤさんの報告が終わる前に、使徒が弐号機に飛びかかった。
 
「ATフィールド展開。シンジ君、重力軽減で使徒を持ち上げて」
 
『はいっ!』
 
襲いかかった使徒が空中で受け止められ、そのまま弐号機の頭上へと差し上げられる。
 
『けっこう デカいっ』
 
『思った通りよ』
 
その必要はないのにアスカが両腕を宛がうものだから、まるで弐号機が直接持ち上げているかのようだ。
 
「…レイちゃん。敵ATフィールド中和」
 (なぜ原作でシンジが弐号機にシンクロできたのかは不明だが、相互互換試験の結果を知っているミサトはシンジがシンクロ出来る以上レイもできるはずとして命令した。
もしできなければ、ぶっつけ本番だがアスカに指示していただろう。
なお、このシリーズでは、サルベージされたキョウコがアスカへの執着だけを有していたことから、逆に弐号機の中のキョウコはアスカへの執着が薄いとし、シンジやレイがシンクロ出来る理由としている)
『…了解』
 
『ワタシは!?』
 
「真打の登場にはまだ早いわよ」
 
「使徒、ATフィールドの中和を確認しました」
 
マヤさんの報告に、頷いて応える。
 
「全艦、攻撃!」
 
『 『 『『『『『『『「「「「「「「「 アイァイ!マァム!! 」」」」」」」」』』』』』』』 』 』
 (海軍なら了解は「アイ」というのは常識なのに、執筆時にはすっかり失念していて「イエス」と書いてた)
あらゆる口が、あらゆるスピーカーが応えた。驚いてブリッジを見渡すと、にやりと笑う艦隊司令と目が合う。
 

 
呆けていたところを大気ごと体を揺さぶられて、慌ててモニターを見やる。
 
アイオワ級の16インチ砲が、ハープーンが、トマホークが、使徒めがけて殺到していた。
 (フォークランド紛争を知っている世代としてはエグゾセを出したかった)
…さすがにスタンダード対空ミサイルは効果がないと思うけどなぁ。
 
爆音がやまぬ中、使徒を持ち上げているATフィールドが間接的にオーバーザレインボゥを護っている。揺れや熱気はほとんどない。
 
「マヤ…ちゃん。球体は?」
 
肩に手を置かれて、マヤさんがピクンと跳ねた。16インチ砲が発する衝撃波に驚いて我を失っていたようだ。
 
主砲を撃つためにアイオワ級は少なくとも8㎞は離れているはずだが、低伸射撃のための強装薬だったろうから、その轟音は素人にはきつかっただろう。
 (執筆当時、アイオワ級の低伸射撃の諸元を探すのに苦労した覚えがある)
ぷるぷるとかぶりを振って気を取り直そうとしている。
 
「…確認できません。第5使徒同様、体内と思われます」
 
知っていることでも、こうして手順を踏まないと明らかにできないのは少しもどかしい。
 
『ワンダフルワールドより入電。【目標、口腔内ニ赤イ球体ヲ確認】』
 (この空母の艦名は、オーバーザレインボゥと同様に曲名から採った)
回線を双方向フリーにした成果だ。指示するまでもなく報告があがってくる。
 
「アスカ…ちゃん、どうする?」
 
『わっワタシ!?』
 
「そうよ。使徒の弱点が体内にある以上、このままでは決め手に欠けるわ。あなたが切り札よ」
 
『…』
 
策がないわけではない。だが、アスカに考えさせることが必要だった。自分の力量を見極めていく、過程が。
 (ミサトの策は、ガギエル持ち上げているATフィールド上に弐号機をよじ登らせるシンプルなもの。
これだと外部電源のパージが必要ないので、電源切れの恐れがない)
『このまま使徒を撥ね上げ、空中で接触。ATフィールドの足場の上でプログナイフで殲滅。
 これでどう?』
 
「できるの?」
 
『ワタシを誰だと思ってるの?』
 
「世界一のエヴァパイロット、惣流・アスカ・ラングレィ」
 
『その通りよ』
 
自信のほどは確認できた。アスカならやれるだろう。
 
「いいわ、それで行きましょう。
 シンジ君、合図と同時に重力軽減ATフィールドで使徒を撥ね上げて。
 その後、フィールドを解消。弐号機の前方足元海上にフィールド展開。
 アスカ…ちゃんはそれを足場に跳躍。
 接触したらオーバーザレインボゥ上空にフィールド展開。
 そこで使徒殲滅よ」
 
ゆっくりと、一言一句をはっきり発音して指示する。
 
『いいわ』
 

 
『はい』
 
彼の返事が遅いのはヒアリングの問題だろうが、綾波の返事がないのは…
 
「…レイちゃん、大丈夫?」
 
『…まだ、いけます』
 
 
ATフィールド中和は難作業だ。
 
いや、中和といえば聞こえはいいが、実際はリツコさんの言うような侵蝕ですらなく、相殺だった。
 
つまり、自身のフィールドの全てを以って、相手のフィールドを消し去る。
 
すなわち、己の心の壁をぶつけて、相手の心の壁をこわす。ということだ。
 
これが人間同士なら、その後ものすごい拒絶を起こすか大恋愛に陥るかするだろう。
 
相手が、理解の及ばない使徒でよかった。
 (中和は違う物同士で行うもので、同じ物同士なら相殺だろうということも含めて、この作品用に概念を整理した。ATフィールドを中和できるのは、アンチATフィールドだけである。
なおミサトは勘違いしていて、ATフィールドを相殺したくらいで相手の心まで判るわけではない。紫陽花ユニバースにおけるATフィールドとは、心の持つ想像力を物理的に展開した空間で、想像力によって物理法則を捻じ曲げる力を持つ。想像力の及ばない攻撃は防げないし、反対の想像をぶつけることで相殺できる)
 
「よろしい。15秒後に攻撃停止。それまで敵使徒の顎部に攻撃を集中!」
 (正確には、「15秒後に弐号機が行動開始するから、それに合わせて各自攻撃を終え着弾完了していること」になる。冗長になるので、敢えてこう描写している)
また、アイァイ!マァムの大斉唱。ちょっと気持ちいいかもしれない。
 
アスカが、彼に足場を展開する位置を指示している。いい感じだ。
 
「マヤ…ちゃん、合図と同時に外部電源を外して」
 
「了解です」
 
思わず舌なめずり。ちょっと、はしたなかったかな?
  
「5・4・3・2・1・今よ!」
 
『フィールド全開!』
 
「外部電源パージ。…確認」
 
跳ね上がった使徒に、飛び上がった勢いを叩きつけるように弐号機がドロップキック。そのまま傷口のひとつに手をかけて取り付くと、顎部の付け根を狙い澄ましたプログナイフの一閃。使徒を蹴りつけてさらに上空へ跳躍する。
 
やがて、重力に引かれて使徒とエヴァの巨体が落ちてゆく。自分たちの頭上なのだが、画像の中では現実味がなくて恐怖は感じなかった。
 
『でぇりゃあぁぁぁぁ!』
 
オーバーザレインボゥ上空に展開されたATフィールドに叩き付けられた使徒に、追い討ちのダブルニープレスが炸裂。すかさずフィールド上に降り立つと、すみやかに口をこじ開ける。
 
のれんをくぐるような何気ない動作で使徒口腔内に肩口から侵入。
 
視線をマヤさんの端末に移す。エヴァからの映像はこちらでないと見えない。
 
使徒の口の奥、赤い球体とその周囲に突き刺さっているのはニードルショットか。いつの間に撃ったのか、見れば右肩ウェポンラックのインジケーターがエンプティと表示されていた。
 
踵で蹴りつけられて罅いった球体に、諸手に握ったプログナイフが突き刺さる。
 
『…葛城一尉、手応えが』
 
「…レイちゃん、フィールド中和解消。防御で展開!」
 
『…了解』
 
とどめとばかりに弐号機がプログナイフを薙いだ瞬間、ウインドウが白く染まった。
 
見上げるモニターの中、オーバーザレインボゥの上で十字の爆炎が上がっている。
 
 …
 
「パターン青、消滅。使徒殲滅を確認しました」
 
盛大な歓声があがった。自分を称える声が多いような気がするが、…きっと幻聴だろう。
 
「アスカ…ちゃん、…レイちゃん、シンジ君。よくやったわ。オーバーザレインボゥに着艦して」
 
『『『 了解 』』』
 
ヘッドセットインカムを外し、艦隊司令の前に進み出る。
 
敬礼。右眉は上がらない。
 
「艦隊司令、使徒殲滅おめでとうございます」
 
右眉がちょっと上がった。
 
「使徒を殲滅したのは、君達ネルフではないのかね?」
 
「いえ、弐号機は弱った使徒に引導を渡したに過ぎません」
 
あごを撫でる仕種。
 
「贈られた花は受け取るべきだな。ありがたく持たせてもらおう」
 
「はっ!ありがとうございます」
 
再び敬礼。ウインクをつけたら、右眉がちょっと上がった。
 
やっぱり、こういうところは彼女に及ばないようだ。
 
 
****
 
 
退艦時、ネルフスタッフに対して艦隊司令から直々にUN海軍の階級章が授与された。
 
渡し方は君に一任する。と預かった加持さんの分をどうするかが、悩みどころだ。
 
 
                                        つづく

2006.08.21 PUBLISHED
.....2009.01.11 REVISED
 
special thanks to 赤い羽さま フォージャー撃墜意図の描写不足についてご示唆いただきました



シンジのシンジによるシンジのための補完 第八話 ( No.8 )
日時: 2007/02/18 12:36 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2


『同58分15秒。初号機のATフィールドにより目標甲および乙の拘束に成功』
 
おしくらまんじゅうのようにひしめき合った使徒の姿が映し出される。
 (これもJA足止め用の遠隔展開の発展型) 
スライドが切り替わった。
 
別アングル。使徒を手前に見て、初号機と弐号機の姿。後退する青い零号機の様子も写っている。要塞使徒戦で被害がなかったため、戦闘就役改修が間に合ったのだ。
 
『午前11時03分。零号機(改)・弐号機による目標ATフィールドの中和。
     …    零号機(改)によるN2爆雷の投入。点火』
 
ブリーフィングルームは今、薄暗い映写室になっていた。
 
『    …    構成物質の28%を焼却に成功』
 
スクリーンに映し出される数々のスライド。分裂使徒戦の過程だ。
 
要塞使徒の残骸が片付かない今、第3新東京市での迎撃は難しい。
 
そのために、こうしてこちらから出向いて邀撃戦を仕掛けたわけだが、おかげでN2爆雷で足止めなどという無法きわまりない戦法を取ることが出来た。
 (N2で1週間も足止めできることは判っていたので、ミサトは最初から使用するつもりだった。
とはいえ、いきなり使うわけにもいかず、威力偵察の後の作戦案の一つとして提示しておいたに過ぎない。しかし弐号機が2番手に付けられたことに不満を抱いたアスカが独断専行・使徒を両断した。初号機の牽制・零号機の援護で体勢を立て直し、冒頭のシーンにつながる)
『同05分。初号機・弐号機の攻撃によりパターン青消滅、使徒殲滅を確認』
 
室内灯がともされる。
 
3人のチルドレンが思い思いの席に腰掛けていた。自分以外で大人は日向さんのみ。
 
作戦そのものは成功したため、ブリーフィングの参加者は最低限だ。
 
本来なら今から論功行賞を行うべきだが、パイロットが子供なだけに無神経な真似はできない。
 
「それでは現時点をもって作戦行動を終了。解散」
 
退出しようとするアスカに手招き、これからが本番だ。
 
その意図を察したらしい日向さんが、彼と綾波を急きたてている。
 (「食堂がケーキとか仕入れるようになったんだってさ。ご馳走するからご一緒してくれないかい?」とかなんとか、ただ時間が時間だったので日向は昼食をおごることになった)
何を言われるか見当がついているのだろう。アスカの表情は硬い。 
 
席を勧め、前の席の椅子を回して自分も座る。
 
「お小言なら聞かないわよ」
 
腕を組んでそっぽを向いた。
 
「どうして?」
 
「聞く必要はないわ。ワタシは間違ってない!」
 
左手の人差し指が、いらだたしく右の二ノ腕を叩いている。 
 
「正しいなら、なぜ堂々としてないの?」
 
「ワタシは堂々としてるわよ」
 
足を組んだ。そういう意味じゃないよ、アスカ。
 
「なら私の顔を見て話して」
 
「ミサトの顔なんか見る価値ないわ」
 
酷い言いようである。本人が聞いたら烈火の如く怒るに違いない。
 
「じゃあそのままで聞いて」
 
「聞く必要はないって言ってるでしょ!」
 
バンッと左手で机を叩く。睨みつけられると、かつてを思い出してちょっと…辛い。
 
「ようやくこっちを向いてくれたわね。でも…」
 
「何よ!」
 
「そんな顔してたら、せっかくの美貌が台無しよ?」
 
虚を突かれた様子のアスカは、なにやら色々と葛藤した挙句、さらにまなじりを吊り上げた。
 
「おもねれば思い通りにできるなんて思わないことね。ワタシをみくびるんじゃないわよ!」
 
さんざん文句をつけながらも立ち去らないのは、アスカも解かってはいるからだ。
 
ただ、完璧さを求めるあまり、失敗を認められない。
 
高すぎる理想が強迫観念となって、自分の限界を見極められない。
 
エヴァに全てをかける一途さが疑心暗鬼を生んで、他人を受け入れられない。
 
 
アスカの身上調書を見て解かったのは、親に認めてもらいたい子供の心だった。
 
親の目にとまるように、誰よりも前に出ようとする子供の努力だった。
 
親に振り向いて欲しいがためだけに声をふりしぼる、子供の懸命さだった。
 
アスカは純粋なのだ。
 
だから、哀しい。
 
誉めて欲しい母親は、もう居ないのだから。
 
だめだ、強がるアスカが痛ましくて、見ていられない。
 
でも、逃げちゃダメだ。
 
ここで逃げたら、なんにもならない。
 
口篭もった自分をどう思ったのか、アスカがまたそっぽを向く。
 
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。
 
何か言わなきゃ。アスカに何か言ってやらねば。
  
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。
 
でも、かける言葉が見つからない。
 
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。
 
見つかるはずがなかった。上っ面の言葉など、アスカの心に届くはずがない。
 
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。
 
アスカの心に届く。そんな言葉があるなら、ドイツ時代に何とか出来ていただろうに。
 
いや、違う。いまここでアスカに言ってやれる言葉が見つからないのは、ドイツ時代にできることをやらなかった報いだった。
 
たった一度の失敗を引き摺って恐れ、貴重な機会を荏染と放過していたのだ。
 

 
自分ではアスカを救えない。        …その事実に、
 
失敗を恐れて踏み出せなかった。      …その臆病さに、
 
それらのことを今更になって自覚した。   …その愚かさに、
 
逃げたい。逃げたい。今すぐ逃げだしたい。 …その弱さに、
 
 
                     …打ちのめされる。
 

 
こみあがる涙を隠すために立ち上がり、ことさらゆっくりと出口へ。涙がこぼれないように。
 (故に摺り足で歩いていて少し不自然。だからアスカも気になったのだろう)
「ちょっと!どこ行くのよ!」
 
「どこだっていいでしょ」
 
逃げ出す理由。逃げ出す理由。アスカから逃げ出すための理由。
 
「プロ意識のない人に何を言っても無駄だわ。引き留めてごめんなさい」
 
駆け出す。なんでこんな言葉ならすんなり出てくるんだ。逃げ口上ばかり上手くて…、やっぱり自分は…!
 
聞き捨てなんないわよ。と追いかけてくる足音。
 
来るな。来るな。来るなアスカ。
 
全力でないと引き離せない。涙を拭くことも隠すこともできずにひたすら走る。
 
土地鑑のないアスカを撒くために、何度も通路を折れた。 
 
自分に与えられた執務室に駆け込んで、殴り付けるようにロック。
 
扉に体を預けるように、ずるずるとくずおれた。
 
 
自分はぜんぜん毅くなっていない。弱いままだ。
 
やり直す機会を得たとき、すべてに向かい合うと、逃げないと誓ったのに。
 
世界を滅ぼした罪を、少しでも償うのだと。
 
優しくない世界を、少しでも優しくするのだと。
 
涙が溢れ出した。嗚咽が止まらなかった。自戒が止めどなかった。
 
扉が叩かれる。呼び鈴が鳴らされる。怒号が浴びせかけられる。
 
いやだ。いやだ。いやだ。
 
弱い自分が嫌だ。優しくできない自分が嫌だ。諦めかけてる自分が嫌だ。逃げ出した自分が嫌だ。
 
自分はダメだ。
  
弱くてダメだ。優しくないからダメだ。諦めてしまうからダメだ。逃げ出してしまったからダメだ。
 
償えないよ。救えないよ。優しくなんてできないよ。
 
助けてよ。誰か助けてよ。誰か自分に手を差し伸べてよ。
 
ひとりでは、一人では、独りでは、出来ないよ。
 
誰も彼もじゃなくていい。ただ一人。この胸の中に眠る彼女の言葉があればいい。その毅さが少しでもにじみ出てくれればいい。
 
自分に彼女の代役は勤まらないよ。
 
一所懸命に演じてきたけれど、やはり自分には無理なんだ。
 
 
 
自分は、ここに居てもいいの?
 
 

 
左手が痛い。
 
いつのまにか握りしめていた掌の中には、銀色のロザリオがあるのだろう。見るまでもなく。
 
それは、自分が背負うべくして彼女から受け継いだ十字架。
 

 
そう…
  
そうだよな。
 
自分を差し置いて、ほかの誰がこんな事をしなければならないというのだ。
 
嘆いたところで、いまさら引き返せない。
 
逃げ出そうにも、逃げ帰る場所すらない。
 
たとえ請われても、誰にも押し付けられない。
 
嫌だからといって、放り出す勇気すらない。
 
 
 …自分って、最低だ。
 (こうやって、このミサトは徐々に覚悟を新たにして(開き直って)いく)

 
すすりあげた。涙は止まりつつある。薄情だから、悲しみすらも持続しない。
 
「…泣くのは、反則よ」
 
「えっアっアスカ?」
 
気付くと仰向けに倒れていた。ロックしたはずの扉が開いている。
 
なぜ自分はアスカに膝枕されているのだろう?
 
「扉によりかかってんじゃないわよ。頭うつとこだったわよ」
 
倒れかかった自分をとっさに支え、そのまま膝を貸してくれたのか。
 
「いい大人が子供の前であられもなく泣かないでよ。恥ずかしい」
 
自分は一体どれほどの間、アスカの膝枕で泣いていたのだろう?
 
「ちゃんと隠れて泣いてたわよぅ…」
 
上半身を起こし、アスカに向き直る。
 
「はいはい悪かったわよ、むりやり開けたりして。だからって気付きもせずにヒトの膝であんなに泣く?」
 
「だって…」
 
「だってじゃないわよ!言いたいことがあれば言えばいいじゃない!なんで泣いて逃げるのよ。人聞きの悪い」
 
「…言わせてくれなかったくせに…」
 
なぜかハンカチが見つからないので、ぐしぐしとジャケットの袖で頬を拭った。メイクが崩れただろうが、いまさら気にしても始まるまい。
 (この仕種を見たために昇進祝いがハンカチになる)
「ワタシは聞かないって言っただけで、言うなとは言ってないわ」
 
「詭弁よぉ」
 
「事実よ。認めなさい」
 
「アスカ…ちゃんがいじめっ子だってことは認めるわ」
 
「聞き捨てならないわね」
 
アスカが片膝立ちになる。
 
「事実よ。認めなさい」
 
自分も片膝立ちに。
 
「言いたいことも言えないような泣き虫に言われたくないわ」
 
アスカが腰を浮かす。
 
「言うわよ。言ってやるわよ。なんで私の命令を無視して突出したのよ」
 (アスカの独断専行は、ガギエル戦が上手く行き過ぎたことの反動でもある。
またATフィールドを使い勝手のいい足場程度にしか感じなかったこと、エヴァ1体と3体ではATフィールドの可用性に違いが出る事に気付けなかったことなども理由の一つ)
自分も腰を浮かした。
 
「エースのワタシが前に出なくて、どうするのよ」
 
アスカが立ち上がる。
 
「切り札がほいほい前でてどうするのよ」
 
自分も立ち上がった。
 
「戦力の逐次投入なんてナンセンスよ」
 
ぐっと身を乗り出すアスカ。
 
「任務は威力偵察だって言ったでしょ」
 
自分も身を乗り出す。
 
「決戦兵器に偵察なんかさせんじゃないわよ」
 
額を押しつけあう。
 
「UN海軍じゃ無視されるんだから仕方ないじゃない」
 (ガギエル戦でコネが出来たため、ミサトからUN海軍への威力偵察の依頼はすんなりと受理・実行された)
真っ向から視線がぶつかる。
 
「威力偵察なら技量に勝るワタシがワントップで足留め役が最適でしょうが」
 
「ATフィールドに長けたシンジ君が適任だと判断したのよ。
 何のための具申権、何のための抗命権なの?
 言ってくれればいいじゃない。進言すればいいじゃない。訊けばいいじゃない。
 なんでいきなり命令無視、独断専行なの。アスカにとって相談する値打もないからよ。
 それが悔しい…」
 (アスカのこだわりを軽く見て、安全性だけで献策したミサトの作戦ミス。とも言える。
ただ、この時点ではアスカもATフィールドの利便性に気付いているので、ミサトのこの言葉を受け入れられた。この経験は、後のゼルエル戦のガイドレールに結実する)
違う。悔しいのは自分に対してだ。機会はあったのに、アスカとの信頼関係を構築しておけなかった自分への憤りだった。
 
だめだ。興奮して、また涙が。
 
「泣くのは反則よ」
 
アスカが視線を逸らす。
 
「…その、悪かったわよ。確かに相談すべきだった」
 (自ら泣くことを封印したアスカにとって、素直に涙を流しその胸の裡を見せてくれる大人の存在が新鮮だった。それにミサトはアスカの主張を否定してないし、訊けば答えてもらえる程度のことを訊かなかったことへの反省もある。としている)
す…っと体が離れた。
 
「太平洋でもミサトはワタシに訊いてくれたのに、解かってなかったわ」
 

 
「反省してる?」
 
所在なげな右手が左腕を掴んで、握り締めている。
 
「…してるわ」
 
「そう…」
 
嘆息。ようやく体から力が抜けた。
 
仕事は山積みだが、今日はもうそんな気力はない。
 
こんな時、彼女ならどうするか。
 

 
日向さんには悪いが、サボらせてもらおう。
 
「それなら今日1日、私に付き合ってもらうわよ」
 
「へっ?なんでそうなるのよ」
 
「これから仕事なんて気分になれるわけないでしょう。責任とってとことん付き合ってもらうからね」
 
アスカの手を強引に引き、むやみに長い廊下を歩き出す。
 
「勝手に決めんじゃないわよ」
 
言葉とは裏腹に、抵抗はなかった。
 
 
****
 
 
「ああ、これね?セカンドインパクトの時、ちょっとね」
 
ふうん。と、そらされる視線。
 
アスカに少し場所を譲ってもらって、自分もお湯につかる。こんなこともあろうかと、バスルームは広めだ。湯船も、詰めればもう1人くらいはなんとか。
 
「知ってるんでしょ、ワタシのことも…みんな」
 
「身上調書で、押し付けられた情報ならね」
 
傷痕を指でなぞる。
 
「でも、紙に書けるような表面的なことで、人は理解できないわ」
 
反応をうかがうような視線。入浴剤で色づいたお湯の中、逡巡する肌色。
 
そのアスカの右手をとって、胸の傷痕に、そっと押し当てる。
 
「父親を殺した使徒に復讐したかった。セカンドインパクトに奪われたものを取り戻したかった」
 
これは嘘。「葛城ミサト」としての理由。
 
「私はエヴァのパイロットになりたかった」
 
これは本当。伊達や酔狂で適格性検査を受けたりはしない。
 
「十年…以上、前になるかしら。使徒を斃せる兵器が開発中だって聞いたの」
 
虚実、ない交ぜに。開発中なのは知っていた。いや、幼い頃の記憶を掘り起こし、リツコさんの言葉を思い起こして考えれば判ることだ。実際の情報は、葛城教授の知り合いから手に入れることができたが。
 
「そのパイロットになりたくて、なりかたが判らなくて、とにかく1番になりたがったわ。
 選考基準がなんであれ、人類で1番なら選ばれないわけないと思って」
 
嘘、…ではない。だが、そんな努力が意味をなさないことはなんとなく解かっていた。エヴァはそんな代物ではないのだから。
 
努力と根性だけで何とかなる。そんな優しい世界じゃない。
 (努力と根性は【トップをねらえ!】のキーワード)
ただ、一縷の望みと、彼女の占めていた位置を掴むために頑張った。
 
「色々頑張ってね。なりふり構わないで突っ走ったわ。誰も彼も私を蹴落とそうとする敵に見えた…」
 
アスカの指が、やさしく傷痕を撫でてくれる。
 
「…加持さんに聞いたことあるわ。初めて見たとき、男だと思ったって」
 
それは、まだ女であることを受け入れられなかったからだろう…
 
「…本当になりふり構わなかったから。
 でもね、どんなに努力しても、たとえ一番でもエヴァのパイロットにはなれないことが判ったの」
 
?、いぶかしがる気配。
 
「エヴァを操るには、特殊な因子を生まれつき持っていることが必要だった」
 
これは正確ではない。正しくは近親者をエヴァに取り込ませること。なのだろうから。
 
クラスメイトが全て候補生であることは彼女に聞かされていたから、赴任後すぐにコード707の資料に目を通しておいた。
 
気になるのは、誰も母親が居ないことだ。
 
それに符合するように、初号機に消えた母さん、弐号機に蝕まれたアスカの母親。
 
そこから導かれる推論だった。
 
もちろん、そのことを今すぐアスカに教える気はない。
 
だが、エヴァとパイロットの関係を示唆するには、これで充分のはずだ。
 
その証拠に、傷痕に爪をたてられた。
 
「そのために努力していたのに、全てを棄てて、そのために」
 
胸が痛い。肉体も、精神も。
 
「目標がなくなって自暴自棄になったわ。何もする気がおきなくて、食事も摂らずに一週間も部屋に閉じこもった」
 
これもちょっと違う。
 
加持さんと出会ったことで突きつけられた問題に打ちのめされて、すべてを諦めて自暴自棄になったのだ。
 
「…それで?」
 
血を流させるほど傷つけていたことに気付いて、驚いてアスカが手を引っ込めた。
 
構わないのに。平気で嘘八百をならべる自分への罰には、到底およばない。
 
「パイロットになれないなら、せめて手助けできるようになりたいと思って」
 
アスカの手が、再び傷痕によせられる。
 
「それで、作戦部長に?」
 
「ええ」
 
これはすり替えだ。今更その時期に志したわけじゃない。やはり「葛城ミサト」としての理由。
 
 
本当は、様子を見に来てくれたリツコさんの、5月病か燃え尽き症候群あたりと勘違いしての一言だった。
 
貴女が何でそんなに我武者羅なのか知らないけど、女を棄ててるわね。女であることを無視したって能力は伸びないのよ。と…
 
彼女に申し訳なかった。彼女の体を奪い取っておきながら、気遣うこともなく、ないがしろにしていたのだ。
 
だから、まず女であることを自覚しようとした。リツコさんに教わりながら女らしさを磨いた。彼女のような素敵な女性であろうと努めた。
 
いつ、この体を返すことになっても問題がないように。との思いも込めて。
 
それは新鮮な出来事の連続で、おかげで自分は少し救われたような気がする。
 
そのためか今では、女を演じることに苦痛はない。身も心もなりきるまでには至ってないが。
 
 
「…だから、解かるような気がするのよ。一つのことだけに打ち込むことの脆さが、全てをなげうつことの危うさが」
 
「…解ったようなクチ、きかないでよ」
 
血を洗い流し、改めて傷口をなぞってくれる。やさしく、いたわるように。
 
「アスカ…ちゃんのことを解かっているわけではないことは判っているの。
 ただ、そういう経験をしたことのある人間の話として聞いてくれれば、嬉しい」
 
アスカの手を掴む。
 
「いつまでも使徒が来続けるとは限らないわ。
 アスカ…ちゃんも、いつかエヴァを降りるときが来る。
 自分のために、自分の力で自分の人生を歩む時が来る」
 
空いた手でアスカの後頭部を抱いて、胸元に引き寄せた。
 
「私じゃ物足りないでしょうけど、いつも貴女を見ているわ。
 だから真剣に考えてね。自分の将来のこと」
 
預けられてくる体の重さが心地よい。
 

 
「1日中引き廻して、ようやく聞かせてくれた話が、それ?」
 
両手で押しのけるようにして体を引き離された。
 
「武道場でみっちり格闘訓練。
 モンスターみたいに巨大なチョコパフェ。
 ショッピング。
 ゲームセンター。
 ネイルサロン。
 自宅に引きずり込んでご馳走責め。
 4人でパーティーゲーム。
 お風呂にまで押しかけてきて、さんざん人の体を磨き立てて、
 のぼせそうになるほど湯船に引き留めておいて聞かせたのが、それだけ?」
 (つまりアスカは昼飯抜きで、ミサト相手に組み手をするのと併せてそれが罰にあたる。
もっともパフェは2人がかりで食べても余るほどで、昼飯分を賄ってお釣りがくる。
そのチョコパフェモンスターは小説版マクロスから。パーティーゲームはドイツ製のSolch Stroiche!)
指折り数えて、顔をしかめている。
 
「あら?今晩は同じお布団で眠るんですもの。まだ時間はたっぷりあるわ」
 
「…勘弁してよ」
 
疲れたような苦笑が、屈託のない笑顔に変わるのに時間はかからなかった。
 
こんな笑顔は、見たことなかったな。
 
 
                                        つづく


シンジのシンジによるシンジのための 補間 #1 ( No.9 )
日時: 2006/09/15 17:53 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2




分裂使徒を撃退して以来、子供たちはATフィールド実験に明け暮れた。
 
明け暮れさせた。といったほうが正確か。
 
ATフィールドの応用が使徒戦に有効であることが認知されてきて、時間を取りやすくなってきたのだ。
 
 
見下ろすケイジの中。正面に初号機の姿がある。
 
LCLに漬けられて冷却中のはずの初号機は、なぜかその全容を一望できた。
 
初号機の周囲にだけ、LCLが存在しないのだ。
 
まるで、落とし穴にでもはまりこんだように見える。
 
物質遮断実験。ATフィールドでLCLだけを押しのけ、寄せ付けないようにしていた。
 
重力軽減などと較べて一見簡単そうに見えるが、飛来してくるわけでもなく元からそこにある物質を押しのけるのは、意外に繊細さを要求されるらしい。
 
飛んでくる塵に反射でまぶたを閉じるのは容易いが、目で見て判断して対応しろといわれると格段に難しくなるようなものか。
 (重力軽減だって相当難しいと思われるが、原作のJA対応時の空挺降下で穴どころか罅ひとつ出来なかったことから、シンジは本能的に重力軽減を行なっていたとした。またこのシーンで前方に加速度を得ていた筈の初号機が着地時に背後へと滑っていくが、重力軽減の結果、地球の自転においていかれたためとしている)
「たいした物だわ。これを才能というのかしら?」
 
実験を監督しているリツコさんが、忙しそうにメモをとっている。
 
「何とかモノになったわね」
 
「これで水中型使徒がまた来ても大丈夫ってことね」
 
 
海中使徒戦の事後評価で、司令部から、エヴァが水中に沈んだ場合の対処方法がなかったことに対する懸念があげられた。
 
その程度のことを考慮に入れてなかったわけではない。だが敢えてそのことには言及せずに、今後の対応のためという名目でこのATフィールド実験を提案したのだ。
 
もちろん、水中型の使徒が2度と現れないことは知っている。
 
これは、浅間山火口内での戦闘への布石だった。
 
高温高圧のマグマさえなければ、あの使徒への対処は容易になるはずだ。
 
彼の上達度次第では、マグマの海に深い井戸を掘らせ、落とし込んだ使徒に液体窒素を浴びせかけたりできるだろう。
 (元はサンダルフォン戦の没ネタのひとつ)
 
「ハーモニクス、シンクロ率もアスカに迫ってますね」
 
シンクロテストというわけではない。だが、ただ起動するだけでも莫大な費用が必要なエヴァなのだから、無駄にすることはなかった。
 
「まさに、エヴァに乗るために生まれてきたような子供ですね」
 
そんなことを言うオペレーターが居たので、足音を消して背後に忍び寄る。
 
陸軍だったから、ストーキングはお手の物だ。
 
「そう云うこと言うのは、このお口?」
 
ほっぺたを掴んで引っ張る。思いっきり。
 
なにやら喚いているが、もちろん解読不能だ。
 
あんな酷い物に乗るために生まれてくるなどと、そんな理不尽な人生があってたまるか。
 
なにが哀しくて、あんな物のために。
 
初号機に乗って酷い目にあったことが、生まれる前からすべて仕組まれていたような気がして、涙が出そうだった。
 
やりたいこととできることが一致するような、そんな優しい世界ではないのだ。ここは。
 
この心を貴方にも分けてあげる。この気持ち、あなたにも分けてあげる。
 
拳銃を振り回すには握力が要る。
 
痛いでしょう?ほら、頬が痛いでしょう?
  
「リツコ。部下の教育がなってないわ。1週間ほど私に預けてみない?」
 
「人手不足なんだから勘弁して」
 
やれやれとリツコさんが額を押さえている。
 
「貴方も早く謝りなさい。本気で怒ってるわよ、葛城作戦部長」
 
いや、随分と前から謝ってはいるのだろう。そうは聞こえないだけで。
 
「あっあの葛城一尉。私からも謝りますから、もう赦してあげてください」
 
このオペレーターの隣りに座っていたマヤさんだ。ちょっぴり涙目。
 
ちょっとやり過ぎたかな。
 
こういうとき、彼女ならどうしただろう?
 
「そうね。マヤ…ちゃんがミサトって呼んでくれるなら、赦してあげる」
 
「えっ?あっはい。あの…ミサト…さん。お願いです赦してあげてください」
 
にっこり。微笑んで両手をはなす。
 
目が笑ってなかったわよ。あとでリツコさんがそう教えてくれた。
 
「この際ですから、作戦部からの正式な通達として要請します」
 
意図的に声音を押さえる。よく通るように意識した発声と明快な滑舌で淡々と。
 
「シンクロ率やハーモニクスでパイロットを評価・比較するような言動は差し控えてください。ことにパイロットの前では厳禁です」
 
「目標や指針が有って、褒められた方がパイロットの為になるんじゃないかしら?」
 (技術部長の立場として、作戦部に対して一応の対案を出さねばならない義務があるから反論しているが、ミサトの意図を理解して一芝居打っている側面が強い。としている)
「リツコ。シンクロ率は努力すれば上がるものなの?」
 (これは、ミサトの体感から来た疑問)
リツコさんが視線をそらした。
 
「そうね、表層的な精神状態に左右されるものではないわ。本質はもっと、深層意識にあるのよ」
 
でしょう。とばかりに頷く。
 
「自身の預かり知らないことで褒められても、嬉しくもなんともないわ」
 
褒められればアスカに妬まれ、調子に乗れば使徒に呑み込まれ、必死になれば初号機に取り込まれる。
 
自分もそうだが、アスカだって酷い目にあった。
 
シンクロ率の増減に一喜一憂することそのものが、精神的な安定を損なうのだ。
 
「子供たちは現状の状態でベストを尽くせるように努力しているわ」
 
彼はATフィールドの使い方で、
 
綾波はインダクションモードを使いこなすことで、
 
本来スピードファイターであるアスカはパワー主体の戦い方をすることで、
 
それぞれシンクロ率から来たす誤差を修正し克服しているのだ。
 
褒めるのなら、そういうところを褒めなければならない。
 (原作でシンクロテスト等が悪い結果しか引き起こしてないことへのアンチテーゼとしてこの描写があったのだが、読者から「偏差値教育への非難になっている」と聞いて眼から鱗だった。私はミサトが良い保母さんになるように描いていたが、少なくとも良い先生にはなれそうで嬉しかった)
「あとで正式な書類を回します。徹底してください」
 
踵をかえして管制室を後にする。
 
ちょっと心が重い。無心になるために、すこし体を動かすといいかもしれなかった。
 
アスカがちょうど格闘訓練中のはずだから、つきあって貰おう。
 
 
 
                                        つづく

2006.09.01 PUBLISHED
2006.09.15 REVISED



シンジのシンジによるシンジのための補完 第九話 ( No.10 )
日時: 2007/02/18 12:28 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2


「こんちまたご機嫌斜めだねぇ」
 
ぎりぎり間に合うようにドアを閉めるのは、なかなか難しい。
 
「水兵は臆病者を一番嫌うのよ」
 
疑っている。とは言えないので、表向きの理由を出した。
 
「葛城は海軍じゃなかっただろう?」
 
「あら、艦隊司令直々に敬礼を仕込まれた私を愚弄する気?」
 
加持さん本人に含むところはないのだが、一度採ったスタンスを軽々しくは覆せないし。
 
「勘弁してくれぇ」
 
加持さんが大袈裟に振り仰いだ瞬間、がくんとエレベーターが停止した。
 
「あら?」
 
「停電か?」
 
「まさか、ありえないわ」
 
一瞬の暗転。切り替わった非常灯は頼りなげだ。
 
「変ね。事故かしら」
 
「赤木が実験でもミスったのかな?」
 
「でもまあ、すぐに予備電源に切り替わるわ。…ほら」
 
灯かりが点いて、エレベーターも動き出す。
 
「正・副・予備・臨時の四系統が同時に落ちるなんて考えられないもの」
 (JAを組み込んだ電源系統図は、リツコの頭の中にしか存在しない)
「りっ、臨時?」
 
目が点。というのはこういうのを指すのだろう。イタズラが成功した時みたいで愉しい。
 
「ええ、リツコ…におねだりして、ジュリアちゃんに来てもらったのよ」
 
「…ジュリアちゃんって誰だい?」
 
「日重のジェットアローンを買い取ったの。JAだからジュリエット=アルファ。愛称はジュリアちゃん。どお?役に立つでしょう」
 (JAをフォネティックコード読みしてジュリエット=アルファ。ジュリエットと言えば悪女、男ったらしという意味もある)
 
失敗作と見做されたJAの買収は、あっけないほど簡単だった。
 
一部とはいえ資金の回収とJAの厄介払いができると踏んだ日本重化学工業共同体は、渡りに船とばかりに二つ返事で応じたのだ。
 
ただし、原子炉の設置は【核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律】で厳しく規制されているので、超法規的組織であるネルフといえどもないがしろにはできない。
 
【非核兵器ならびに沖縄米軍基地縮小に関する決議】いわゆる非核三原則もまだ有効だそうだから、一応は兵器であるJAはこちらにも抵触する。
 
それに、下手に公にするとIAEAの査察を受け入れなければならない。
 (IAEAは国連機関ではないためネルフの特権が効かない。そのためJAの機密保持レベルも高め)
恥の上塗りを嫌った日重側の意向もある。
 
そこで、ダミー会社を通して使徒解体用の特殊工作作業機械群ということで購入した。
 
使徒撤去予算をそのまま流用できることにもなったので、上層部を説得しやすくなったのは嬉しい誤算だったが。
 
もちろん、その名目も単なる口実ではない。
 
ある意味エヴァよりも極秘扱いのジュリアちゃんは、要塞使徒の撤去に大活躍だったのだ。
 (原作で建築クレーンなどを動員して解体していたところから、エヴァでの作業は費用的に見合わないと推測した)
 
「…そうだな」
 (手続きや根回しの類いはゲンドウや冬月が直接行なっている。そのため加持も知らなかった)
なにやら考え込んだ加持さんを見ていてはいけないような気がして、すぐに降りるべく発令所フロアーのボタンを押す。
 
押し黙って口を開かない加持さん。というのは自分の知らない存在だった。呑みこみ隠した疑念の氷塊が大きくなったように感じて、身震いしそうになる。
 
もしや、この停電騒ぎにも加持さんが関わっているのだろうか?
 (原作の内容からでは判別し難いが、このシリーズのスタンスとしては否定的。この停電は国連施設へのテロにあたるので仕掛ける方はかなり慎重に行った筈。加持のポジションは切り札足りえるのでこの程度で使い捨てるのは勿体ないと推量する。情報提供ぐらいはしたかもしれないが)
 
………… 
 
 
加持リョウジという人物に疑いを抱いたのは、海中使徒戦のさなかだった。
 
だらしなく、いいかげんな人だが、友人を捨てて逃げるような人物ではないと思っていたのだ。
 
なにやら重要な任務らしいが、作戦部長である自分にも話せないのだとか。
 
監査部の活動が秘匿されるという、その部署の存在意義を否定しかねない異常な応対に疑念を喚起されたといってよい。
 
それがなんにせよ、ネルフの秘密に関わっているのなら諜報部に訊くだけ無駄だろうとあきらめていたところ、意外なところからヒントが転がり込んできた。
 
アスカである。
 
あのあと、なし崩し的に同居に持ち込んだ彼女とは会話の機会が増えた。
 
食後のティータイム。水着を買いに行くというアスカに付き合おうかと提案したところ、まずは加持さんに頼んでみるという。
 
即断実行とばかりに受話器を握りしめたアスカが、佐世保寄港中にエスコートしてくれなかった埋め合わせをしろと電話口で迫っていたのを聞きつけたのだ。
 
チルドレンの随伴者が、よりにもよって寄港中に護衛対象のそばから離れたらしい。使徒襲来中にさっさと逃げ出したことと併せて、随伴任務そのものが口実だったのではないだろうか。
 (これは実は誤解。寄航中でも一級護衛対象であるアスカが上陸を認められるはずがなく、それを理由に加持が断っただけ。「エスコートして(連れ出して)くれなかった」ということ。アスカを宥める為に加持は「後日埋め合わせはする」と言ったことだろう)
太平洋艦隊に問い合わせて裏を取った日程の間に、JA事件があるのが気にかかった。
 
あの仕組まれたと思しき奇跡。かつて彼女が不機嫌になった理由を自ら体験したあの事件にも、加持さんが関わっているのではないか?
 (これはもちろん誤解。加持の申し出をゲンドウは断っている)
いや、たとえそうだとしても、それらだけならネルフの諜報活動としては特に問題があるわけではない。
 
つまらない縄張り意識や利権争いで大事な予算を横取りされるわけには行かないし、飢える子供たちを見殺しにして搾り取った国連の資金を、政治的駆け引きのために浪費されたくなかった。
 
自分がそういう立場だったとしても、同じようにJA計画を潰しにかかっただろう。
 
ただ、それらの活動が部長クラスに秘匿されていることに、ネルフの秘密を。彼の所属が諜報部ではなく監査部であることに、ネルフの枠を超えた何かがある。と自分に感じさせるのだった。
 
 
****
 
 
「よく辿り着いたわね」
 
電力が確保されているのはネルフ本部棟のみだ。
 
以前より早かったとはいえ苦労はしただろう。さすがにダクトから落ちてくることはなかったようだが、3人とも疲れが見える。
 
「あったりまえでしょ。うかうかしてたら前回の二の舞よ」
 
「あれは特別よ。ATフィールドを張ってなかったんですもの」
 (原作での捕獲時にフィールド中和の描写がなかったので、なかったものと解釈)
浅間山火口内を無警戒に漂っていた繭状の使徒は、N2爆雷3発で充分だった。
 (耐熱緩衝溶液を充填した耐圧コンテナにN2爆雷を収め、架橋自走車から吊り下げた。としている)
戦闘力皆無のD型装備や、あまり意味のない耐熱仕様プラグスーツなどを使わなくても済むように、彼には分裂使徒戦で使ったATフィールドの発展形を特訓させていたのに。
 
あの使徒がATフィールドすら張ってないと知っていたら、あれらの装備の開発自体を妨害しておいたものを。
 
「わかったもんじゃないわ。使徒に復讐したいって言ってたじゃない」
 
ビシっと、音がしそうな勢いで人差し指を突きつけてくる。
 
「ヒトを修学旅行に追いやっておいて、こっそり使徒殲滅なんて卑怯な真似しでかしてくれちゃって。
 ワタシ、ミサトのことは金輪際信用しないわよ」
 
「さんざん謝ったじゃない。それにあの程度の使徒、アスカには役不足よ?」
 
「おだてたって無駄よ」
 (日本語を勉強したてのアスカは役不足の意味も正しく理解していて、内心まんざらでもない。としている)
無防備使徒についてグチりだしたらアスカは長い。まだエヴァへのこだわりが強いのだ。
 (ボトムズの「無防備都市」のパロディでもある)
「誰よりもはしゃいでたのに…」
 
「…エヴァを使わないですむなら、それにこしたことはないわ」
 
「ナニよ、優等生!」
 
攻撃の矛先がそれたことを喜んでいいものか、子供たちが盛大に口ゲンカを始める。
 
まだまだ、この子たちには愛が足りないのだろう。
 
それでも、アスカと対等に言い合いしているところに、彼と綾波の成長が見て取れた。
 (もちろん少々機嫌を良くしていたアスカが手加減している向きもある)
「はいはい、そこまで。搭乗準備が整ったわ」
 
ぱんぱんと手を叩くリツコさん。
 
技術部長の介入で長期化は回避されたようだ。
 
「パレットライフルを用意しているから持っていってね」
 
 
パレットガン・パレットライフルは、ポジトロンライフルが実用化されるまでのつなぎとして開発された運動エネルギー兵器だった。
 
エヴァサイズの弾丸では火薬による加速など高が知れているので、火薬と磁気を併用した磁気火薬複合加速方式の電磁加速砲である。
 
大型のパレットライフルが電磁レールガン。小型のパレットガンが電磁コイルガンで、それぞれ別方式なのは開発段階の比較実験のためだろう。
 
だが、レールガンは弾体を非伝導体にする必要があり、レールによる摩擦の問題もあって弾丸質量が小さく加速も伸びない。
 
一方、コイルガンは弾体は伝導体で非接触式だが、加速コイルの電気的な抵抗が大きいために初速が制限される。
 
いずれにせよエヴァサイズで実用化するには、電磁加速部の長さが絶対的に足りなくて充分な速度が出ているとは言いがたかった。
 (具体的な設定が不明のため、一般的な理論で補強。2種類設定しているのは設定上でライフル、原作セリフ上でガンと混同されていることへのエクスキューズ。当シリーズではパレットガンはラミエル戦時のバルーンダミーが構えた試作銃のこととしている。完成品はレリエル戦時に初号機が使ったデザートイーグル似のやつで、当シリーズではハンドキャノンと呼称している)
それでもポジトロンライフルよりは省電力なので、こういうときには役に立つ。
 
 
「電力不足で、ほとんどサポートできないの。
 アスカ…ちゃんに任せるから、現場の判断で使徒殲滅。お願いね」
 
「判ったわ、ワタシに任せておきなさい」
 
 
思ったとおり溶解液使徒は弱く、あっけなく殲滅された。
 
 
****
 
 
「「「「「 おめでとうございまーす! 」」」」」
 
…おめでとうございます。一拍遅れて、ぼそりと。綾波更生の道は遠く、険しい。
 
「ありがとう、みんな。ありがとう、…相田君」
 
【祝3佐昇進】のたすきがなんだか気恥ずかしい。【祝賀会場】の張り紙もちょっと遠慮したかった。
 
「いぇ、礼を言われるほどのことは何も。トーゼンのことですよ!」
 
「せやけど、なんで委員チョがここにおるねんや?」
 
「ワタシが誘ったのよ」
 
「「ねー!」」
 
アスカはやはり洞木さんと仲良くなったようだ。面倒見のいい洞木さんとの交友は、アスカにとって必ずプラスとなるだろう。
  (原作からあまり大きく逸脱しないようにプロットを組んでいる以上、原作そのままの状況も出てき得る。それらまで描写していては冗長になるし、特に意味もなくビジュアルを文書化してもダレるだけで益はない。そこで今作では、原作と同じ状況ならできるだけ削る方向で努力していた。
このシーンも同様で、投稿時はここより下から開始したが、流石にツカミに使ったセリフがマイナーすぎて、どのシーンか判りづらかったと指摘を受けて↑を追加した)

「まだ駄目なのかしら?こういうの」
 
ちらり。と隣りに腰をおろしている彼へ。仏頂面をしているかと思えば、あにはからんや。
 
「いえ、最近はなんだか慣れてきちゃって」
 
毎日が合宿みたいですから。と苦笑い。
 
「加持さん遅いわねぇ」
 
「そんなに格好いいの、加持さんって?」
 
「そりゃあもう!ここにいるイモの塊とは月とスッポン、比べるだけ加持さんに申し訳ないわ」
 
「なんやてぇ?もう一遍ゆうてみぃや!」
 
立ち上がったアスカにトウジ、口論を始めた皆を見る視線もやさしい。
 
 
かつて彼女の昇進を祝わされた時、自分は大騒ぎする皆を疎ましく感じたものだ。
 
いま思えば、彼女の昇進を心から祝ったかどうかすら怪しい。
 
他人から、ことに父さんから認められたかった自分は、それを得たように見える彼女に嫉妬し、それを歓ばない彼女を侮蔑したのではなかったか。
 
 
「昇進ですか…それってミサトさんが人に認められたって事ですよね」
 
かつての自分と違って、人の顔色を窺うような声音じゃない。
 
「…なのに嬉しくなさそうですね」
 
「私に功績があるとすれば、あなたたちを効率よく戦場に送り込んでる。ってことぐらいだもの」
 
もちろん、少しでも楽に苦痛なく戦えるように努力はしている。だが大人が子供を戦場に駆り立てている事実に違いはなかった。
 
あの時ははぐらかされたが、彼女もそう苦悩していただろう。
 
今度は自分の番なのだ。だからこそ受け継いだ十字架。
 

 
いや、待て。
 
わからぬから想像するしかなかった彼女の苦悩がいかほどのものだったのか、自分は本当に理解できているのだろうか?
 
エヴァに乗ることの恐怖、孤独、苦痛を体験した自分は、その程度を推し量ることができる。
 
これぐらいなら耐えられるだろうと、見当をつけられるのだ。
 
だから光鞭使徒戦で「片手で鞭を押さえ込め」などと平気で命令できてしまう。できるだろうと決め付けてしまえる。
 
自分は、自ら戦った経験があるだけに、却って彼らの苦痛をないがしろにしかねなかった。
 
知っているからこそ、この程度の苦痛なら。と割り切ってしまいそうになる。
 
それが怖い。
 
  

 
さらには、自分に向けられる彼の笑顔。
 
自分とは違い、今この場で屈託なく笑い、人の輪に溶け込み、真剣に他者を思いやれる彼に、その笑顔に、自分は嫉妬している。
 (ミサトにはそう見えているというだけで、そこまでシンジは成長しているわけではない。「慣れた」と言った以外では、それほど違いはない)
彼女は苦悩ゆえに嬉しくなかったのだろう。
 
自分も同じだと思っていた。
 
だが自分は、自分が手に入れられなかったものを手に入れつつある彼を妬んでいる。そのことに気付かされたから素直に喜べないのだ。
 
 
「…莫迦にしないで下さい」
 
気付くと、彼に睨みつけられていた。
 (これもミサトの主観。
相手の目を見て話すことが苦手な人間が、相手の目を見ようとすると、睨みつけているように見えることがある)
「ワタシをみくびるんじゃないわよ」
 
「…実際に戦う私たちより、よほど辛そうな顔をしているわ」
 
「ミサトさんがそのためにどれだけ心を砕いてるか、僕たちが気付かないとでも思ったんですか?」
 
違う。違うのだ。
 
それは彼女の苦悩で、理解されるべきは彼女で、慰められるべきは彼女なのだ。
 
子供に押し付けた苦痛を想像するしかなかった彼女にこそ、与えられるべき言葉だった。想像とは、際限のないものなのだから。
 
自分は、自身がやりたくてこんなことをしていながら、その成果に嫉妬するような輩なのだ。
 
慮ってもらう資格など、あるわけがない。
 
「ミサトさんが僕たちを戦いの駒だから大切にしていると、そう思っていると、思ったんですか?」
 
「ミサトならあり得るわね」
 
「…どうしてそう云うこと考えるの?」
 
ダメだ。
 
ダメだ。ダメだ。ダメだ。優しくされたいくせに、いま優しくされると自分が嫌いになる。
 
自己嫌悪に溺れてしまう。
 
でも、逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。
 
いま自分が彼女である以上、この優しさを受け入れて見せないと。
 
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。
 
そうだ、これは罰だ。身勝手な自分への罰だ。そう思って受け入れるしかない。
 
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。
 
心に殻を張って、懸命に浮かぶ。
 
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。
 

 
「私、責められてるの?私の昇進祝いなのに?」
 
「自業自得だと思います」
 
「ミサトが悪い」
 
「…泣きべそかいてもダメ」
 
ああもう、早速使い道ができちゃって。…そう、よかったわね。さすがアスカだ。って何のこと?
 (昇進祝いは、アスカの発案で3人ともハンカチ)
ファンシーな柄の紙袋をびりびりと破りながら、アスカがのしのしと近づいてくる。
 
「うぅ、誰か私にやさしくしてよぅ」
 
「ぬわぁ、君達には人を思いやる気持ちはないのだろうか。この若さで中学生3人を預かるなんて大変なことだぞ」 
 
「ワシらだけやなぁ人の心持っとるのは」 
 
トウジとケンスケの的外れな援護も、だからこそ今はちょっと嬉しかった。
 
 
****
 
 
『『『フィールド全開!』』』
 
「第3新東京市周辺に強烈な暴風が発生!」
 
「なんですってぇ!」
 
3体のエヴァを映し出していた前面ホリゾントスクリーンが、真っ赤な警告表示に埋め尽くされていく。
 
 
****
 
 
それは時間稼ぎの作戦だった。
 (まずは一旦追い払うことを優先したため、偵察衛星が壊されてない。そのため以降の状況確認がスムーズになっている。原作でアラエル戦時に航空爆雷を使ってないことからサハクィエル戦で使い切ったものと判断しているが、当作品ではここで使ってないのでアラエル戦で使うことが出来た)
衛星軌道上を2時間で1周する。いわば12周回/日の回帰軌道衛星のような使徒を、一時的に追い払ってやろうとしたのだ。稼いだ時間で戦略自衛隊と交渉するつもりで。
 (原作やクロニクルの記述ではインド洋上空から動いてないように見受けられるが、それでは試射の間隔が説明できないため、こう設定した)
使徒はインド洋上空に忽然と現れてから、地球を1周する度に試射を行った。初弾は太平洋に大外れ、次弾も日本にかすりもしなかった。大気圏突入というのは綿密な計算を必要とする繊細な作業なのだ。使徒といえども、物理法則にとらわれているうちは容易に成功するものではない。
 
かつて、この使徒と対峙したときは、最初の警報から出撃まで10時間近くあった。おそらく4回ぐらい試射をしたのだろう。
 
それに、前回あったはずの使徒による電波撹乱は、今回まだ始まっていない。
 (原作での電波撹乱の開始時点をシンジは知らなかっただろうということで、こういう表現になった。使徒があんなタイミングで電波撹乱を行なったのは演出上の要請だろうが、当シリーズでは特に改変せず同じタイミングで始めるとしている)
使徒らしからぬ慎重さ。使徒らしい迂闊さ。そこに付け込む隙があった。
 
3回目の試射を終え、使徒が第3新東京市上空に到達した瞬間。初号機による重力遮断ATフィールド、弐号機・零号機による重力軽減ATフィールドを展開したのだ。
 
重力は無限に届く。裏を返せば、衛星軌道だろうが影響を及ぼせる。
 
不意を突かれた使徒は、自らを引きつけていた地球の重力を失って衛星軌道を飛び出した。己の保有している軌道速度によって。
 
 
ここまではいい。シナリオどおりだ。問題ない。
 
 
失念していたのは大気の存在だった。
 (実は、プロット段階では私自身が失念していた)
使徒同様に重力のくびきを逃れた第3新東京市上空の大気は、ジェット気流もかくやという速度で宇宙空間へ噴出し、使徒の衛星軌道離脱を後押ししたという。
 (日本はかなり低緯度になっていると思われるので、それなりに遠心力が働いていると思われる)
問題は、大量の空気を失った第3新東京市上空に、当然のように周囲の大気が雪崩れ込んできたことだった。
 
セカンドインパクトによる海水面上昇で台風は凶悪になったと聞くが、その台風ですら可愛く思えるような暴風、急激な大気流動による発雷、気圧の低下による気温低下と大雨。場所によっては15年ぶりの積雪を記録した地域もあるという。
 
とっさに通常のATフィールドを広げさせたので第3新東京市近郊の被害はそれほどでもないが、周辺地域は深刻な災害に見舞われた。
 
念のために発令しておいた特別宣言D-17。使徒の試射による津波対策もあって広範囲に行っていた避難勧告のおかげで、人的被害が軽微であったのが不幸中の幸いであったが。
 (海水面上昇で平野部が水没した日本の海岸線は複雑で遠浅になっているため、津波による被害が拡大するだろうと推量)
 
ATフィールドという常識外のものだけに、使徒にだけ効く。というような思い込みがあったのかもしれない。
 (これはシャムシェルが重力軽減で浮遊していると期待したことと符合している。シャムシェルが重力軽減していながら周囲に影響がなかったことの印象から、使徒にだけ効くとの思い込みが生じた。実際にシャムシェルが重力軽減を使っていたかどうかは判らないし、状況証拠的には使ってなかったといえる)
 
 
「申し訳ありません。私の判断ミスで周辺地域に甚大な被害を発生させてしまいました。責任はすべて私にあります」
 
『構わん、使徒殲滅は最優先事項だ。その程度の被害はむしろ幸運と言える』
 
ディスプレイに“SOUND ONLY”の表示。南極に派遣されているUN艦隊との通信だ。
 
『…ああ、よくやってくれた葛城三佐』
 
「追い払っただけで使徒殲滅は確認されていませんわ、司令」
 
これはリツコさんだ。自分の口からは報告しづらいだけにありがたい。
 
『…そうか、では使徒殲滅確認までこの件は保留だ。ところで初号機のパイロットは居るか?』
 
「はっはい」
 
『話は聞いた。よくやったな、シンジ』
 
「えっ?…はい」
 
あまり嬉しそうではなかった。
 
自分はエヴァに乗る理由にするほどその言葉にすがったのに。
 (これはもちろんミサトの勘違い。この時点では原作のシンジもそれほど嬉しそうではない)
『では、葛城三佐。あとの処理は任せる』
 
「はい」
 
あとで、彼と話す時間を作ろう。
 
 
 
「シンジ君、…レイちゃん、アスカ…ちゃん。3人ともお疲れさま。よくやってくれたわ。
 今晩はご馳走よ。何か食べたい物、ある?」
 
「ブーレッテンとカルトッフェルザラト」
 (「ブーレッテン」はドイツ風の小麦粉(16%)と牛乳(30%)の比率の高いハンバーグ、マスタードで食べる。「カルトッフェルザラト」は茹でてスライスしたジャガイモを、チキンブイヨン・たまねぎ・ベーコン・ワインビネガー・にんにくを煮たソースであえたポテトサラダ)
「…ほうれん草の白和え、 …蓮根餅」
 (「蓮根餅(はすねもち)」は大阪・門真の郷土料理。蒸して皮を剥いた連根の穴に軽く水で戻したもち米を詰め、更に蒸し上げ輪切りにして、きな粉や甘く炊いた小豆を乗せて食べる)
二人の少女にはためらいがない。自分の気持ちに素直で結構なことだ。
 
先を越されて呆気に取られた彼は、このうえ自分の希望を口にしていいものか悩んでいるのだろう。
 
「シンジ君は?」
 
精一杯の笑顔を、彼に。
 
「…チンジャオロースが食べたいです」
 (洋・和と来たので中華。空気を読まずに本当に食べたいものを言ったところにシンジが素直に成長している点を表した。また、このミサトは純粋にセカンドインパクト世代とはいえない部分が有るため、ここでステーキとならなかった)
照れたような微笑みは、彼の最高の笑顔だ。
 
「見事にバラバラねぇ。いいわ、腕によりをかけて作るから楽しみにしておいてね」 
 
あらたまって話をする必要はないかもしれない。食事中の他愛のない会話で充分のような気がした。
 
 
****
 
 
結局、3日たっても使徒殲滅は確認できていない。
 
衛星軌道から弾き飛ばされた使徒はなぜか態勢を立て直そうともせずに漂流し、そのまま長大な楕円軌道を持つ彗星と化したそうだ。
 
大量に氷着した大気の質量と速度を処理し切れなかったのではないか?と云うのがE計画責任者のコメントだった。
 
落下することに特化しすぎたのでは?という自分の推測は使徒に酷だろうか?
 
地球の重力より太陽の重力の影響を強く受ける今の状態では、下手な行動は太陽へのダイビングを意味しかねないのだそうだ。だから動かないのだろう。いかに使徒といえども、サンダイバーにはなりたくあるまい。
 (もちろん、マグマダイバーの元ネタから。実際には太陽系外辺を目指すより太陽に向かう方が大変らしいが、ここはネタ優先で)
いずれかの惑星を使った重力ターンで、地球軌道に帰ってくる可能性がなきにしもあらず。だそうだが、いったい何年後の話になるのだろう。
 (アラエル戦の巻き添えで殲滅されなかったら、太陽風をATフィールドで受けるソーラーセイリングで帰還してきた。と設定している)
 
そういえば、衛星軌道から攻撃してくる使徒が、もう1人いたか。
 
重力遮断ATフィールドをモノにした以上、衛星軌道だろうがエヴァは到達可能になった。
 
ATフィールドを使った移動手段の腹案もある。
 (ユイ篇で使ったATフィールドを蹴る方法や、ダークマターを漕ぐ方法、如意棒のようにATフィールドを伸ばす方法など)
ただ、やはり活動限界の短さはいかんともしがたかった。
 
それさえなければ、単独での恒星間航行すら不可能ではないのに。
 
 
それはともかく。
 
落下使徒がいつ帰ってくるかも判らないし、ここは地道に地上からの迎撃方法を模索しておくべきだろう。
 
まずは順当なところから、戦自研が開発している自走式陽電子砲の進捗を確認しておくべきかもしれない。
 
いや、いっそのことエヴァ専用ポジトロンライフルのデータをリークしてはどうだろう?
 
要塞使徒の荷電粒子砲のデータも付ければ、結構な貸しになるんじゃないだろうか?
 
やりかた次第では、後々の交渉に役立つかもしれない。
 (これは加持を通して実施され、アラエル戦時の陽電子砲借り受けの下地になっている。また戦自技術者がネルフの技術を吸収した結果、組み立て時間の短縮にもつながった)
 
さて、そういう益体もない事をつらつらと考えてるのは、現実逃避しているからである。
 
うずたかく積まれた書類の山を見たくないのだ。
 
「関係各省からの抗議文と被害報告書。で、これが周辺自治体からの請求書。広報部からの苦情もあるわよ」
 
わざわざこの執務室に出向いてきて、リツコさんが書類を追加する。
 
「ちゃんと目、通しといてね」
 
ざっと見渡した書類の中には、国際天文学連合からの通知まであった。落下使徒に対し国際標識番号を交付した旨の。
 (冥王星の時みたいにカードを上げて票決したことであろう)
…なにかの嫌味なんだろうか?
 
そう云えば、スペースコマンドへの使徒監視引継ぎの正式書類も書かなくては。
 
こころよく従事してもらうために、幾ばくかの資金提供を考えるべきかも。宇宙屋は貧乏だから効き目はありそうだ。
 (これはそこそこ効果があって、後のアラエル戦やサハクィエル殲滅、ロンギヌスの追跡などがやりやすくなった。としている)
「リツコ…あなた、ああなることが解かってたんじゃないの?」
 
「私が?まさか」
 
心外だ。と言わんばかりの表情をしておきながら、なぜ視線を逸らすのですか、リツコさん。
 
「高名な赤木リツコ博士が、本当に予測できなかったの?」
 
「ATフィールドはまだ解からないことだらけですもの」
 
眼が泳いでる。リツコさん、眼が泳いでるよ。
 (もちろんリツコは予想していた。としている。と言うかMAGIが指摘した筈。リツコの内心的には、レイの引っ越し許可で苦労させられた分の貸しを回収した。としている)
「…で、この書類を殲滅する起死回生の手段。持って来てくれたんでしょ?」
 
あえて不問にして、追求しないのが吉か。
 
「一つだけね」
 
「さすが赤木博士。持つべきものは心優しき旧友ね」
 
差し出されたメモリデバイスを受け取ろうとして、すかされる。
 
「残念ながら旧友のピンチを救うのは私じゃないわ。このアイデアは加持君よ」
 
見てみると「怖~いお姉さんへ♪」と書いてあった。
 (付き合っていたわけではないので、少なくとも「マイハニーへ」とはならない)
「ご機嫌取りしたいんだか怒らせたいんだか、よく判らないわね」
 
撃墜しようとしたことを、まだ根に持っているのだろうか?
 
いや、そういう人じゃないよなぁ。と思いつつメモリデバイスを受け取る。
 
その飄げた字体を見るにつけ、単にからかわれているだけのような気がしてきた。
 
 
                                         つづく

2006.09.04 PUBLISHED
.2006.11.10 REVISED



[29540] シンジ×3 テキストコメンタリー4
Name: dragonfly◆23bee39b ID:838af4c9
Date: 2022/06/05 05:21
シンジのシンジによるシンジのための補完 第拾話 ( No.11 )
日時: 2007/02/18 12:29 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2


「で、なに。今度はリツコが使徒を殲滅しようとしているわけ?」
 
発令所に連れてきた途端にアスカが言い放ったのが、このお言葉だった。
 
地底湖に迎えに行き、シャワーを浴びせ着替えさせ、その道すがらに事情を話したのだが。
 
「そのうちエヴァはお役御免になりそうだわ」
 
「そうなるといいね」
 
「…そうね」
  
「アンタ達バカァ?皮肉に決まってんでしょ!」
 
口ゲンカを始めたので、早々に発令所からご退散願った。
 (1対2ではあるが、ほぼ対等に口論しているという意)
どのみち、マイクロマシンのようなこの使徒にエヴァは役に立たないのだ。
 
 
…………
 
 
発令所
 
多機能会議用テーブルを床下からせり上げて、即席のミーティングルームだ。
 
R警報の発令を見越して、各フロアの人員は一時待機させている。いつでも退避させられるように。
 
「彼らはマイクロマシン、細菌サイズの使徒と考えられます」
 
あらゆる使徒の中で、最も対応に苦慮した1人。それがこの微細な使徒だった。
 
「その個体が集まって群を作り、この短時間で知能回路の形成にいたるまで爆発的な進化を遂げています」
 
前回はわけもわからずに放擲され、事が終わるまで捨て置かれた。裸だったこともあって随分と心細かったように思う。
 
「進化か」
 
だから、どのような使徒で、どうやって殲滅したのか、なにも知らなかった。知らないということは、それだけで大きなリスクになる。
 
このような状況の連続で、よくもまあ彼女は勝ち抜けたものだ。
 
「はい。彼らは常に自分自身を変化させ、いかなる状況にも対処するシステムを模索しています」
 
今こうしてリツコさんの説明を聞いて、ようやくどういった相手であるのかが判った。
 
かつて、自らがエヴァに乗っていたとき。もう少し周囲のことに興味を持っていれば、この程度のことは知りえただろう。
 
そうしていれば、短時間とはいえ子供たちを地底湖に放り出さずに済んだだろうに。
 
ただ流されるままに生きていたあの頃が、いま恨めしい。
 
「まさに、生物の生きるためのシステムそのものだな」
 
ダメだ。気持ちを切り替えなくては。後悔など、いつでもできる。
 (これまで、内罰状態は外的要因か時間経過でしか止まっていない。ここにきて自力で打ち切れるようになってきた)
とはいえ、エヴァで対処できる相手だとはとても思えない。リツコさんに任せるしかないだろうし、きっと彼女もそうしたことだろう。
 
だが、使徒殲滅の責務を担う作戦部長として、ミーティング中に指を咥えたまま傍観するなど許されるはずがなかった。
 
「ロジックモードの変更が可能なのですから、電源供給を停止して、MAGIシステムの物理的な停止はできませんか?」
 
「効果は期待できるけど、最後の手段にしたいわ」
 
即答だ。リツコさんのことだから、この程度の対策は検討済みということだろう。
 
「どうして?」
 
「MAGIの人格が揮発してしまうからよ」
 
「コンピュータなのに?」
 
「貴女の使っているノイマン型ストアードプログラムとかとはモノが違うのよ。…そうね」
 (MAGI以前のコンピュータは所詮、計算機に過ぎない。とリツコは言いたかったのであろう)
リツコさんが皆まで言う前に、マヤさんがホワイトボードを押し出した。
 
/ マーカーを手にしたリツコさんが、斜め右上に向かって線を引く。
 
「これ。この続きはどうなると思う?」
 
「そのまま、右斜め上?」
 
「そうね。じゃあ、こうすると?」
 
・ 書いた線をイレーザーで消して、上端の一点だけを残す。
 
「右斜め上、って答えちゃダメなのね」
 
その通りよ。と頷いて。
 
「有機コンピュータである。ということも理由の一つだけど、人格移植型だということのほうが問題なのよ」
 
リツコさんの右の人差し指が、親指を叩いている。煙草、呑みたいんだろうな。
 
「MAGIは、考えるコンピュータよ。考える。ということは、問題に対する答えが毎回変わりうるってことね」
 
例えば…。とリツコさんが再びマーカーのキャップを外す。
 
「過去に、ある命題Aから結論Bを導出させたとするわ」
 
TheseAと殴り書きにして円で囲む。その横に矢印でつなぐSchlussB。
 
「そのあとに命題Cを解かせる」
 
丸く囲ったTheseC。
 
「そこで導き出された結論Dは、前提条件として命題Aの結論、その過程に影響されている」
 
A→B→C→D。矢印でつなぎ合わされ、一直線に。
 
だから。とリツコさんがTheseA、SchlussBを消した。
 
「前提条件がないと、命題Cの結論はDではなく、Eになるわ」
 
SchlussDを×で消すと、TheseCから斜め下に矢印を引いて、SchlussEにつないだ。
 
それが悪い答えかどうかは一概には言えないけどね。とリツコさん。
 
「MAGIは、思考を積み重ねてその精度を向上させてきたのよ。ログに残ってない失敗ですら、MAGIにとってはかけがえのない反面教師なわけね」
 
「第127次定期検診が終わったばかりですから、現状への復帰は可能です」
 
マヤさんの補足にリツコさんが頷く。
 
「だけど、思考の継続性は失われるわ。MAGIはこの状態になる」
 
・ マーカーの先で指し示す、点。
 
「過去ログを読ませて補強するでしょうけど、元通りとはいかないし時間もかかるわ」
 
点から左斜め下に向かって、とんとんとんと点線を引いている。
 
  ・
 ・

 

 
 
思考の継続性こそがMAGIの核心ということらしい。であれば、それを失うことはMAGIを失うことに等しいだろう。
 
これが使い古した5年落ちのパソコンなら、データを移せばことが済む。
 
だが、考えるコンピュータであるMAGIにとってそれは、ベテランから新人に業務引継ぎを行うようなものではなかろうか。仕事の内容をすべて教えてもらったからといって、新人がすぐにベテラン並みに働けるわけがない。ということなのだろう。
(有機コンピュータと人格移植型OSというワードからMAGIの解釈を行なった。
これは当然16話でのレイの話やミサトの魂へのスタンスへ繋がり、当初はこの時点でいくらか言及していた。投稿前の最終整理の段階で削ったのだが、関連性を読者に指摘されて驚いた覚えがある)
 
「…確かに最後の手段ね」
 
「判って貰えたかしら?」
 
ええ。と頷く。作戦部長に出来ることはない。と確信した。
 
「では、臨戦時下作戦部権限によりY-19を補足Fで発令。対使徒作戦権限の全てを第一種戦闘配置解除までの間、技術部に委譲します」
(特に深い意味はないがマクロスプラスの「YF-19エクスカリバー」をもじってある。
ガイナックスには「トップにオリジナルなし」という迷言があるので、それを意識してこういったどうでもいいことにも由来をつけるようにしている)
使徒出現が確認された時点で、自動的に作戦部の権限は強化される。そのための部署だからだ。
 (原作でどうかは不明だが、↓のシーンから類推した)
さきほどMAGIのI/Oシステムをダウンさせようと試みた時、司令部付きの青葉さんが日向さんにカウントを依頼したのも、そこに起因する。
 
 
正式に権限を委譲しておかないと、作戦部の顔色を窺って技術部が思い切った手段を打てない。門外漢が決定権を握っていては百害あって一利なしだ。
 
「ミサト、貴女…」
 
「信頼しているわ、リツコ…。あとはよろしくね」
 
司令に向き直り、敬礼。
 
「わたくしは地底湖の子供たちの保護に向かいます」
 
うむ。と頷く父さんをあとに、発令所を後にした。
 
 
…………
 
 
「それで、MAGIを護りたかったの?」
 
リフトアップされたカスパーの躯体内。のたうち這いまわるパイプ類はボイラー室か何かのようで、これが世界屈指のスーパーコンピュータの内部とはとても思えない。
 
おっと【のるな!へこむ】って書いてあるパイプに体重をかけるところだった。
 
リツコさんが電動丸ノコで外板を切り取ると、人の脳にも似たMAGI・カスパーの中枢部が姿を見せる。
 
「違うと思うわ。母さんのこと、そんなに好きじゃなかったから」
 
接続用の探査針を打ち込み、コンソールにつないでゆく。
 
「科学者としての判断ね」
 
リツコさんが苦悩を抱えていることはわかっていた。
 
「お母さんってどんな人だったの?」
 
大勢の綾波たちを壊したあのとき、泣き崩れたリツコさんから得たいくつかのキーワード。
 
“あの人”と“親子揃って大莫迦者” そして、おそらくは“綾波への嫉妬”
 
「ちょっと、こんな時にカウンセリングはやめてよ」
 
「こんな時だからよ。今なら心に壁を作る余裕はなさそうだもの。
 素直なリツコ…を見せて欲しいわ」
 
“あの人”について確証はない。だが“綾波への嫉妬”と、その破壊を自分に見せつけたことから思い当たるのは自分の父親、碇ゲンドウだった。
 
「策士ね。この機会を窺っていたって云うの?」
 
だが、父さんについては自分に切るべきカードがない。おそらくはリツコさんの方がよほど理解しているだろう。
 
「まさか、そんなわけないでしょ」
 
第一、父さんのことは自分にとっても心苦しい話題だった。ミイラ取りがミイラになりかねない。
 
【碇のバカヤロー!】か…、誰が書いたか知らないけれど、気が合いそうだ。
 
「そこに至った過程と理由を聞かないと納得できないわね」
 
ならば、リツコさんの心をひも解くには親の話を訊いてみるしかなかった。
 
「…MAGIがお母さんだって、教えてくれたでしょう」
 
それが父親なのか母親なのか、MAGIの話を聞いていて判ったような気がしたのだ。
 
「…考えてみたらリツコ…って私にとってお母さんなのよ」
 
「はい?」
 
手、止まってるわよ。と指摘されて、リツコさんがキーボードをたたき始める。これで間に合わなかったら貴女の責任よ。と先に倍する速度で。
 
「ほら、大学時代を思い出したって言ったでしょう。あの頃、女の子の一通りを貴女が教えてくれたわ」
 
「呆れた、その程度の事で母親扱い?貴女、私をそんな風に見てたの?」
 
「大事なことよ。気付いたのは最近だけど」
 
タイピングの音色が半音上がったような気がした。キーボードに集中したリツコさんの、疑問符の提示。
(二人の付き合いの長さを表現するために、リツコの癖とそれを理解しているミサトを描いた)
「…レイちゃんを預かったでしょう。色々と教えているの、あなたがそうしてくれたように」
 
マシンガンのような打鍵音が、明らかに乱れた。
 
「こういうの、母親の役目だわ。って思ったら、学生時代を思い出したのよね」
 
「そう…」
 
 
 
見事に染め上げられた金髪を学食で見かけたとき。
 
時を遡ってから初めて出会った知己の姿に、載せたカレーライスごとトレイを落として泣き出した。
 
それは、すべてを本当にやり直すことができると実感した瞬間だったから。
 
嬉しくて嬉しくて身も世もなく泣いて、声をかけてくれたことがまた嬉しくてさらに泣いて、リツコさんを戸惑わせたことをよく憶えている。
 
わっ私じゃないわよ。と周囲に弁解しようとするリツコさんの様子がなんだか可笑しくて、泣きながら笑った。
 
 
そうして知り合った直後は、べらべらとよく喋るヤツだとリツコさんに思われたことだろう。
 
当時、自分にとってリツコさんは全てをやり直せることの象徴だったから、顔を見てるだけでも嬉しくて、のべつ幕なしに口を開いていたように思う。
 
また、常に気分が高揚していて何かと強引だったから、リツコさんも迷惑していたに違いない。
 
そのせいで、加持さんとあんな出会い方をしてしまったわけで…
 
なぜあんなにもはしゃいでいたのか。
 
当時の自分を振り返ってみると、恥ずかしくて顔から火が出そうだ。
(統合失調症の陰性症状の反動で躁状態になっていた。としている。
因みに、統合失調症の陰性症状は鬱病に似ているが、陽性症状と躁病はぜんぜん違う)
 
 
「だから、もっと知りたかったのリツコ…のこと、そのお母さんのことも」
 
嘆息。煙草が呑みたそうだった。
 
「MAGIにはそれぞれ母さんの人格がインストールされているわ。
 科学者としての母さん。母親としての母さん。カスパーには、女としての母さんがインストールされているの」
 
ディスプレイを反射して、リツコさんのメガネが光る。ちょっと不気味です。
 
「科学者としては優秀。でも母親としては最低だったわ。女としては… 人のことは言えないか」
 
最後は消え入るように呟いたので、聴き取るのに集中力が要った。
 
「母さんに、コンプレックスが…あるのかしらね」
 
プログラムを組みながらキーパンチをして、平然と受け答えをこなしている。リツコさんは頭の中にMAGIでも飼っているのではないだろうか。
 
「そっか…リツコ…も、まだ子供ってことか」
 
「なによ、それ」
 
いらついてきているのは、ニコチン切れのせいばかりではなさそうだ。
 
「親を気にして、親と較べてるうちは子供なのよ。親と同じで苦しみ親と違って悩む、子供って云うのはそういうものなの。
 そんなことはどうでもいいって事に気付くまでは大人ではないわ」
 
「較べているうちは大人になれない…か」
 
「リツコ…はきっと、お母さんを亡くしたときに親離れできてなかったのじゃないかしら。
 居ない相手と比較しても、ただ苦しいだけよ。客観的になれないもの。
 もちろん、成長の度合いを知るために親と比較することは必要なことだけれど」
 
禁煙パイプかニコチンガムでも差し入れるべきだろうか?
 
「今この時なら、いくらリツコ…でも感情の立ち入る隙はないと思うわ。
 冷静に、客観的に、お母さんと比較できるまたとない機会ね。
 まずは科学者としての二人はどうかしら?スペシャリストとゼネラリストで較べ難いけど、高名なのは赤木リツコ博士よ。
 女としては、どう?」
 (この評価は多分にミサトの贔屓が入っている。ただ、MAGIはネルフの独占物のはずで、世間的な赤木ナオコの知名度はそれほどでもないだろう。JA披露会と引っ掛けて「高名な」と比較点を限定したのがミサトの詐術)
「…そうね。互角かもしれないわ」
 
口の端を吊り上げて、意味ありげな微笑み。『母娘揃って大莫迦者』とは、そういう意味なのだろうか?
 

 『来たっ!バルタザールが乗っ取られました!』
 

始まったか。しかし、自分が慌てても仕方がない。
  
「母親としては、高名な赤木リツコ博士を産み育てたお母さんには実績があるわね。
 でも、娘からは好かれてない。大きな減点だわ。
 当のリツコ…は未知数だけど…、私のこと、どう思ってる?」
 
 
   ≪ ・人工知能により 自律自爆が決議されました ≫
 
 
「どうって貴女…。まさか…」
 
思わずこっちを向くリツコさん。それで手が止まらないのが流石。
 

   ≪ ・自爆装置は三審一致ののち 02秒で行われます ≫
 

「私はリツコ…のこと好きよ。尊敬してる」
 
しっかりと顔を見て言うと、一瞬、ほんの一瞬だけ打鍵音が途切れた。
 
「ちょっと止してよ。冗談きついわ」 
 
そっぽを向く、その頬が赤くなっているようだ。
 

   ≪ ・自爆範囲はジオイド深度マイナス280 マイナス140 ゼロフロアーです ≫
 

「本気よ。子供を産んだだけでは単に経産婦になったというだけで、母親としての評価に関係ないもの。
 実の母親と育ての母親、どっちが子供にとって大切か。親はなくとも子は育つ。
要はどう育てたか、どう想われているか、よ?」
 
今なら解かる。血縁だけが家族ではないのだと、気付かせようとしてくれていた人が居たことに。当時の自分にその態度だけで悟らせるには、彼女はあまりにも不器用すぎたが。
(不器用というより、単に状況が悪いだけだろう。
「死ね」と命令している中学生相手に、完璧に家族面して接することのできる他人がいるとしたら、人格が破綻している。そんな関係を上手くやっていくには、「死ね」と命令される側に思慮が必要)
その姿を反面教師にしていると言ったら、彼女は怒るだろうか?
 
 
   ≪ ・特例582発動下のため 人工知能以外のキャンセルは出来ません ≫
 
 
「詭弁よ。たとえそうでも、こんなトウのたった娘なんか要らないわよ」
 
「私でダメなら、…レイちゃんはどう?」
 

 『バルタザール、さらにカスパーに侵入!』
 

「私を助けてくれた貴女が、…レイちゃんをほったらかしてるのが信じられなかったわ。
 会わなかった間にいったい何があったの?」
 
「余計なお世話よ」
 

 『該当する残留者は速やかに待避してください。繰り返します、該当地区残留者は速やかに待避してください』
 

「…ごめん」
 

 
しばしの沈黙。でも判る。打鍵音が教えてくれるリツコさんの心の動き。
 
「…私も言い過ぎたわ。レイのことは前向きに考えとくから…」
 
「ありがとう」
 

   ≪ ・自爆装置作動まで あと20秒 ≫
 
 『カスパー、18秒後に乗っ取られます』
 

「言っとくけど、レイに「おばあちゃん」なんて呼ばせたら絞めるわよ」
 
お継母さん、かも。とか思ったりしたことは、口が裂けても言えない秘密だ。
 (ゲンドウの交際相手≒義母と考えたことがあって、今回母子になぞらえたことの遠因ではあった)

   ≪ ・自爆装置作動まで あと15秒 ≫
 

「リツコ…急いで」
 
躯体から身を乗り出してみると、スクリーン上のMAGI模式図はほとんど真っ赤だった。リツコさんに任せておけば大丈夫だと信じていても、さすがに恐い。
 

   ≪ ・自爆装置作動まで 10秒 ≫
 

「大丈夫、1秒近く余裕があるわ」
 
      ≪ ・9秒 ・ 8秒・ ≫
 
「1秒って」
 
      ≪ ・7秒 ・ 6秒・ ≫
 
「ゼロやマイナスじゃないのよ。マヤ!」
 
      ≪ ・5秒 ・ 4秒・ ≫
 
『いけます』
 
      ≪ ・3秒 ・ 2秒・ ≫
 
「押してっ」
 
        ≪ ・1秒・ ≫
 
 
        ≪ ・0秒・ ≫
 
            ・
 
            ・

           ・

 
 …静寂が、耳に痛い。
 
 
今にも赤く塗りつぶされそうなMAGI模式図の片隅に、1ブロックだけ残された青い領域。静かな点滅がぴたりと止まったかと思うと、一気に押し戻すようにして全体を青く染め返した。
 
 
   ≪ ・人工知能により 自律自爆が解除されました ≫
 


 
 『 『『『「「「「 ぃやったぁー! 」」」」』』』』 』
 
 
発令所から歓声が降ってくる。
 
マヤさんも安堵のあまりか泣きそうだ。
 
振り返ると、リツコさんが内壁にもたれかかったところだった。
 
「使徒殲滅おめでとう。これで貴女もアスカ…ちゃんに睨まれるわね」
 (もちろん勘違い。模擬体に居た使徒がどうなったか、原作でも明確に「斃した」とは言われていないため「使徒は必ずしも斃す必要がない」というこのシリーズのスタンスの根拠とした)
「嬉しそうに言わないでよ。それに、そもそも…」
 
「仲間が欲しかったんですもの」
 
嘆息。煙草が呑みたそうだ。
 
「お祝いするんでしょ。私のリクエスト、訊いてくれるのかしら?」
 
「もちろん」
 
その日の夕食が随分と豪勢になったことは言うまでもない。

 
****
 
 
「どう、レイ?初めて乗った初号機は?」
 
第1回機体相互互換試験
 
『…碇君の匂いがする』
 
 被験者 綾波レイ
 
「シンクロ率は、ほぼ零号機のときと変わらないわね」
 
見下ろすケィジの中。正面に初号機の姿がある。
 
「パーソナルパターンも酷似してますからね。零号機と初号機」
 
「だからこそ、シンクロ可能なのよ」
 
試験中に作戦部長に出来ることはないから、ただ付き添うのみ。
 
「誤差、プラスマイナス0.03。ハーモニクスは正常です」
 
「レイと初号機の互換性に問題点は検出されず。では、テスト終了。レイ、あがっていいわよ」
 
『…はい』
 
 
 
エヴァの互換性を確認するというこの実験。手を尽くして、綾波と初号機の組合せのみで行わせるに押しとどめることができた。
 
  
「どう、シンジ君。初号機のエントリープラグは?」
 
第1回機体相互互換試験(追試)
 
『なんだか、変な気分です』
 
 被験者 碇シンジ
 
「違和感があるのかしら?」
 
『いえ、ただ、綾波の匂いがする…』
 
かつての零号機の暴走。その原因は判らないが、起こさずに済むならそれに越したことはない。
 
その時のことは一切憶えてないが、なにか重大なしこりを心に負った。そんな気がするのだ。
 
「シンクロ率に著変、認められず。ね」
 
「ハーモニクス、すべて正常位置」
 
作戦部からの再検討の要望に対し、当然のようにリツコさんは難色を示した。司令の命令だ。と伝家の宝刀を抜いたほどだ。
 
だが、その程度で引き下がるほど今の自分は諦めのいい性格ではない。ことに子供たちのためとあらば。
 
もともとパイロットに関わる実験は、越権行為にならない範囲で可能な限り企画立案から立ち会うようにしている。だから自分の技術部に対する発言力、影響力は意外に大きい。
 
お陰で、意義の少ない第87回機体連動試験を取りやめさせるのは難しいことではなかった。今頃アスカは格闘訓練だろう。
(原作でのアスカの反応を知った上での対応ではなく、単に経費削減)
「これであの計画、遂行できるわね」
 
それに、ATフィールド実験に費やす時間が増えていた。作戦部がシンクロ率やハーモニクスを重要視しないことも含めて、当然のごとく他のスケジュールは縮小傾向にある。
 
「ダミーシステムですか?先輩の前ですけど、私はあまり…」
 
「感心しないのは解かるわ。しかし備えは常に必要なのよ。人が生きていく為にはね」
 
さらには、他のパイロットを乗せて、エヴァに悪影響がないか?という懸念を提出した。そのため、このように彼による初号機へのシンクロ追試が優先されたのだ。
 
「先輩を尊敬してますし、自分の仕事はします。でも、納得はできません」
 
最後に、作戦部長による技術部長への粘り強い説得工作があった。何のことはない、微細群使徒を殲滅した夜に祝いと称して酔い潰した。というだけのことであるが。リツコさんは佳い酒に目がないのだ。
(「飲んじゃったから、送っていけないわ。今晩泊まっていきなさいよ」などと引きとめた)
リツコさんは約束を守る。たとえそれが、酔って前後不覚になったときのものであろうとも。
 
「潔癖症はね、辛いわよ。人の間で生きていくのが」
 
ダミーシステムの名を口にしてから、マヤさんの表情は曇りっぱなしだ。
 
「汚れた、と感じたとき分かるわ。それが」
 
ついにうつむいた。
 
「…」
 
敬愛する先輩から重要な仕事を任せられているのだろうに、その表情は冴えない。
 
 
この試験の主眼がダミーシステムの開発にあることは、秘密でもなんでもない。それは、目の前の師弟が人目もはばからずにやり取りしてるのを見れば判るだろう。
 
機体相互互換試験は表向き、対外的な名目にすぎないのだ。
 
だからこそ適当な口実を与えてやるだけで、カモフラージュ目的の他の試験の中止、延期が実現したのだろう。
 
 
ダミーシステム。
 
作戦部はその存在を歓迎していない。仕様を見れば一目瞭然だが、とても作戦行動をまっとうできる代物ではなかった。制御下にない兵器は、敵よりも厄介だ。
 
できるものなら、かつてエヴァ参号機と対峙した初号機がどんな戦い方をしたか、微にいり細をうがって語ってやりたかった。
 
 
もしもの備え。その必要性は判らないでもないから、開発そのものまで妨害する気はないのだが…
 
 
 
                                        つづく

2006.09.11 PUBLISHED
..2006.10.06 REVISED

special thanks to オヤッサンさま シンジasミサトの家族への思いの源泉についてご示唆いただきました



シンジのシンジによるシンジのための補完 第拾壱話 ( No.12 )
日時: 2007/03/27 18:40 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2


葛城家の夕食は遅い。作戦部長である自分の帰宅がどうしても遅めになるからだ。
 
「ねえミサト。あれ貸してよ。ラベンダーの香水」
 
デザートのレモンケーキを食べているのは自分だけ。急いで咀嚼する。

子供たちは夕飯までのつなぎとして食べてしまっているのだ。
 
「いいわよ。部屋に入って構わないから好きに使って」
 
気候変動で手に入らなくなったものは多い。本物の生花から抽出した香料なども、そうだろう。

セカンドインパクト前に製造された貴重品を、いろんな意味で彼女が大切にしていたであろうことが、今の自分には判る。

けれど、薄情な自分にとっては、アスカのご機嫌を損ねてまで惜しむ程の価値はなかった。

「ダンケ、ミサト」
 
「どういたしまして」
 
使い終わった食器をキッチンへ。
 
「お茶のお替わり、いかが?」
 
「あっ…はい」
 
「ワタシはいいわ」
 
「…希望します」
 
「クワっ」
 
ティーポットにお湯を足して、ダイニングに戻る。
 
リツコさんの影響でコーヒー党になった自分は、紅茶の入れ方がぞんざいだった。アスカがお替りをしないのは、そのせいだろう。
 
まず、彼のティーカップに紅茶を注ぐ。
 
続いて、綾波のティーカップの前、余分に置いておいたマグカップに注いだ。
 
しばらく置いて、綾波のティーカップに紅茶を移す。すこし待ってマグカップへ。またティーカップへ。
 
 
生まれてこのかた、サプリメントと固形バランス栄養食ばかりで暮らしてきたらしい綾波は、若干ながら猫舌気味だった。
 (平気な顔してラーメンを食べていたから、原作にそう云う設定はないだろう。ただあの生活環境から充分に考えられることとして加えてみた)
ネグレイトなどで、暖かい食事にあまり恵まれなかった子供によく見られる症状である。
 
同居当初、食後のお茶になかなか手を出さないので訊いてみたら、熱いのは苦手だと言うのだ。
 
ラーメンなど、少なめにとった麺を空気にさらして器用に冷ましながら食べていたので気付かなかった。
 
そういえば、スープの類には手をつけないか後回しにしていたように思える。
 
冷まし方を教えたので、ふうふうと懸命に息を吹きかける綾波の可愛らしい姿を見られるようになったのだが、できるかぎりはこうして手早く冷ましてやっていた。
 
 
…ありがとう。どういたしまして。との遣り取りにアスカが一瞥を投げかけてくる。
 
やぶにらみ気味なのは、気のない振りなのだろう。それはつまり、不機嫌ではないことの現れだ。
 
アスカは一見、感情表現豊かに見える。
 
だが、その多くが演技であることは、アスカが感情を押し隠そうとした時にわかるだろう。
 
隠すのが下手で、過剰に反応してしまうために攻撃的に見えるのだから。
 
その姿はまるで、子供を匿った巣穴をふさぐために頭を突っ込むヤマアラシのよう。使うつもりのない棘が、居もしない外敵を意味もなく威嚇するのだ。
 
あるべき自分を演出して、懸命に取り繕っているつもりでいる。それが惣流・アスカ・ラングレィという少女だった。
 
 
「そういえば、アスカ…ちゃんに、お願いがあるんだけど?」
 
「なに?」
 
視線だけをこちらに向けたのは、身構えてない。ということだろう。
 
「デザートの買出しを、アスカ…ちゃんに頼めないかと思って」
 
「え~!ワタシ、ミサトの手作りの方がいい」
 
自分の分を注ぐ。
 
琉球ガラスのカフェオレボウルは、アスカの沖縄土産だ。勝手に使徒を斃した罰。だとか言ってなかなか渡してくれなかったけれど。
 
夫婦茶碗のような大小2個組みで、小さい方をアスカが使っている。
 
アスカ自身が気に入ったらしく、2個組みなら丁度いいから。と選んだらしいが、当然のようにあらぬ憶測を呼んだらしい。
 
手渡されたときに、他意はないわよ。と念を押されてしまった。
 
「今だって毎日手作りしているわけではないのよ」
 
ベビーチェアの上にペンペンの姿がない。お茶のお替わりは要らないということだろう。
 
「お店で買ってくることもあるし、今日のだってマヤ…ちゃんの差し入れよ」
 
紅茶を一口。
 
「そうなの?」
 
そうなのだ。3人の食事はおろかデザートまで手作りしていることを知って、お手製デザートを差し入れてくれたのだった。
 
「手抜き反対よ!」
 
「そう言われると辛いんだけど、最近忙しいのよ」
 
忙しいのは間違いではないが、食事の準備の片手間でやってるデザート作りを削ったところでいかほどのことでもない。
 
デザートを手作りしていたのは、それが子供に効くからである。お店に並んでいるようなスイーツを目の前で手作りしてやると、子供は魔法を見るように憧れるのだ。
 (心理学関係で保育園と小児病棟でのフィールドワークに参加、そこの保育士から学んだ。としている)
主に綾波対策で始めたのだが、親子の触れ合いを知らないという点では3人とも変わりがなく、誰も日々の楽しみにしている節があった。
 
それを敢えてやめるのは、アスカにいくつか「お仕事」を与えたいと思ったからだ。パイロットとしての任務ではなく、家庭内でのお手伝いを経験させたい。
 
「職務怠慢ね」
 
親の事情を察し、家庭の運営に関わっていくことも子供の成長に必要なのだ。
 
「私が貴女たちを預かっているのは、それが職務だからではないわよ?」
 
一息ついたので、ノートパソコンを取り出して立ち上げる。
  
「それはわかっているけど…」
 
渋っているのは、アスカもやはり親の愛情に餓えているからだろう。彼も綾波も特に口出ししないのは、アスカに同意して任せているからに違いない。
  
「…この選出の根拠は?」
 
いや、綾波は不満なのかな?アスカが指名されたことに不服があるのか。
 
「アスカ…ちゃんが一番お菓子とかお店を知っているからよ」
 
「…そう」
 
ちょっと寂しそうだ。
 
ビープ音に催促されてIDとパスワードを入力。
 
「ファーストには荷が重いってことよ」
 
ささやかながら自己顕示欲を刺激されたらしいアスカが、満足げにふんぞり返った。
 
「もちろん毎日とは言わないわ。休みの日と、その次の日の分は作るから」
 
次の段階へ移るための踊場。という意味合いもある。作ってもらうことと自ら選んで買い求めることを経験したら、その先には、一緒に作る。という選択肢が待っているのだ。
 
3人のうちの誰かが、お菓子の作り方を教えてくれと言い出す日が来るのを、ちょっと楽しみにしていた。
 
 
肉球印のソフトを呼び出し、ファイルを開く。
 
「わかったわ。やったげる」
 
内面の問題が片付いたらしく、アスカが頷いた。
 

 
「ありがとう。お願いするわね」


 
はいはい。とばかりに手を振って椅子にもたれかかる。


  
不満があればいつまでも文句を言うか捨てゼリフで立ち去るのがアスカだから、気のない振りは照れ隠しでもあるのだろう。
 

 
…なぜ弐号機パイロットはどういたしましてと言わないの。との綾波の呟きは無視されるようだ。
 

 
「…レイちゃんも、食べてみたいお菓子があったらアスカ…ちゃんに相談するのよ。
新しいお店とかを見つけたら教えてあげてね」
 
「…はい」
 

  
顔を上げて応えた綾波が、ぽつぽつと呟き始めた。自身の能力を正確に推し量れる綾波は、アスカの補佐という地位に満足したのだろう。少なくとも今は。
 
ディスプレイに表示された数字の群れに、新たな数値を加えていく。
 
「それで、ミサトはさっきから何やってんのよ?」
 
「これ?みんなの栄養管理よ」
 
差し出して見せたノートパソコンには4人の摂取したカロリーや栄養成分、消費カロリーなど事細かに書き込まれている。 
 
「ふうん?まっエヴァのパイロットなんだから、これくらいは当然よね」
 
自分の記録を遡ってみたアスカが、眉をしかめた。
 
「何でワタシの履歴、ここに来てからの分しかないの?」
 
「それ、私がプライベートにつけてる管理簿ですもの」
 
「ネルフの仕事じゃないの?」
 
 
栄養管理を習慣づけるようになったのは学生時代のことだ。
 
当時、女性の体に慣れなくてしょっちゅう貧血やら生理不順やらを引き起こしていた自分は、その対策としてリツコさんに管理ソフトを組んでもらったのだった。
 
これはその最新バージョン。MAGI・バルタザールのサポートを受けられる優れモノ。
 
メルキオールのほうが向いてるのに。と文句をいうリツコさんをなだめて、つい先日に切り替えてもらったのだ。
 
ま、カスパーよりはマシだけれど。と悪態をつくので、つい貰ったばかりのレモンケーキで口をふさいでしまった。
 
怒るかと思っていたマヤさんが、なぜか機嫌がよくなったのが不思議だったのだが。
 (咀嚼し終えたリツコが「あら、美味しい」と呟いたため)
 
「違うわ。成長期の貴女たちを預かるんですもの、保護者として普通に必要なことなのよ」
 
このソフトのお陰でここ8年間ほど体型を維持できているのだが、その延長として子供たちの栄養管理をするのはさほど労力がいることでもない。
 
しかもMAGIのサポートを受けられるようになってからは、携帯端末のオーガナイザー機能を利用できるので入力の手間も格段に減った。
 
「嘘おっしゃい。こんなこと普通にやってる親なんて居るもんですか」
  
アスカは気付いただろうが、4人とも必要なカロリーや栄養成分が違うのである。
 
「みんな忙しいのよ。それに、あなたたちほど厳密さが必要なわけではないし」
 
「ほれ見なさい。結局ワタシたちがパイロットだからやってるんでしょうが」
 
「違うわ。あなたたちがパイロットだからしてるんじゃなくて、あなたたちがパイロットだからしてることに厳密さが要求されるだけよ」
 (↑このセリフは解りにくいとの指摘を受けて、↓の補足を追加した)
子供たちがパイロットだから、義務で栄養管理をやっているわけではない。保護者として必要だから、なにより、自分がそうしたいからやっているのだ。ただ彼らはパイロットだから、普通の子供よりも気を配らなければならないだけ。
 
「私の履歴、開いてみてくれる?もともと8年前からの習慣なのよ」
 
 
実際のところ、子供たちの栄養管理を行っているのは司令部に対するパフォーマンスという側面が強かった。
 
貴重なチルドレンを預かる以上、監督能力があることをアピールしておく必要があるのだ。
 
医療部に提供することで検診項目を軽減できたり、献立のアドバイスを受けられるというメリットもあるが。
 
だが、エヴァのパイロットだから見てもらえる。と子供たちに誤解させたくはない。
 
 
「…ペンペンのもある」
 
横手から覗きこんだ綾波がデータを見つけたらしい。それには気付いて欲しくなかったかも。
 
「なんだかペンギンの方が力が入っているような気がするわ」
 
それは目の錯覚だ。人間とはパラメータが違うのである。
 
そもそもこの世に温泉ペンギンの栄養管理ソフトなんて存在しない。ペンペンを引き取った時に一緒に譲り受けた臨床データを元に、リツコさんにでっち上げて貰ったのだ。インタフェースがおざなりなのは仕方がなかった。
 
「入力項目が違うから、そう見えるだけよ
 あの子は遺伝子操作で生み出された新種で、そのうえ実験動物でしょう。栄養管理が大変なの
 しかも生魚が嫌いで、必ず焼かせるものだからビタミンも不足がちだし」
 
嘆息。
 
よちよち。という感じで歩いてきたペンペンがベビーチェアによじ登る。どうやら棚まで栄養サプリメントを取りに行ってきたらしい。
 
テーブルの上に置いたボトルからカプレットを数錠取り出すと、水もなしに飲み下した。丸呑みはペンギンの得意技だ。
 (原作にこういった描写はないが、実験動物であったペンペンは元々薬漬けではあろう)
「せめて生魚を食べてくれれば、少なくともビタミンCの補給は要らないのにね」
 
「…ペンペン。好き嫌い…ダメ」
 
綾波。君が何を言っているのか解からないよ。
 
「むしろ、あなたたちより難しいのよ」
 
ちょっと、苦笑い。
 
ノートパソコンを引き寄せて、今しがたのビタミン摂取を計上。
 
「天下のチルドレンよりペンギンの方に手間割いてるってわけね」
 
やっぱり、怒ったかな?
 
すっと左手を伸ばして、ペンペンのくちばしの下を掻いている。
 
自身で手入れできない部分を掻いてもらうのは、動物にとって至福だ。
 
幸せそうに目を細めた温泉ペンギンが、嬉しげにそのくちばしをアスカの手に擦り付けた。
(群を作る動物の中には自分の痒いところを掻いて、掻き返してもらう習性を持つものがある。
このあとペンペンがアスカの口元をあの鋭い爪で掻こうとして騒ぎになるというドタバタ展開の案もあった)
「まっ、ペンギン相手にナニ言っても始まらないか」
 
ペンギンですら…。その呟きの続きは、空気に溶けて届かない。
 

 
ペンペンの反応を窺いながらさまよう左手は、いまやその後頭部に達していた。
 
「ワタシたちがパイロットじゃなくても、やっていた?」
 
歓ぶ温泉ペンギンのほうを向いたまま。アスカにしては上手な感情の隠し方だ。
 
「もちろんよ。
 そりゃあここまで事細かくする必要はなくなるでしょうけれどね。
 私がやりたいから、こうしているの。パイロットかどうかなんて二の次、三の次よ」
 
それは嘘だと言われれば、返す言葉はないだろう。チルドレンだから引き取ったのは間違いないのだから。
 
エヴァにかかわった不幸をすこしでも軽減してやりたいという思いに嘘はないのに、それを素直に告げられないのはちょっと、つらい。
 
「この世に存在するチルドレンを全て囲っといて説得力ないけど、まあいいわ。
 それ、ワタシにもアクセスできるようにしといて」
 
「…私も」
 
「共有スペースに“葛城”フォルダがあるわ。パスワードは“kazoku”よ」
 
あからさまなパスワードに当惑したアスカは視線を泳がせた結果、自らの隣りにいけにえを見つける。
 
「バカシンジ、アンタなに一人でそしらぬ顔してんのよ!」
 
サーチ&デストロイはアスカの信条だろうか?
 
「なんだよ!そんなの僕の勝手じゃないか」
 
パイロットとしての自覚が足りないわ!パスワードは聞こえてたんだから後で見ようと思ったんだよ。…そう、よかったわね。クワっクワワ。などと口ゲンカを始めたので、ノートを閉じてお風呂にお湯を張りにいくことにした。
 
 
 時は常夏、
 日は夜、
 夜は九時、
 綾波に露みちて、
 アスカなのりいで、
 彼、床に這ひ、
 ペンペン、そこに知ろしめす。
 すべて世は事も無し。
 
                 …なんてね。
 (もちろん「ピパの歌」より)
 
****
 
 
ぼすぼす。ふすまのノックは間抜けだ。
 
「シンジ君、ちょっといい?」
 
『…ミサトさん?どうぞ』
 
ふすまを開ける。
 
「夜中にごめんなさいね」

ベッドの上でSDATを聞いていたらしい彼は、上半身を起こしてイヤフォンを抜いたところだった。
 
「いえ」
 
彼の前まで来て、床に正座。
 
「どうかしたんですか?」
 
「明日のことを聞いておこうと思ったの」
 
明らかに動揺した彼がSDATを取り落とす。
 
「明日のお墓参り、気が進まないなら無理に行かなくてもいいのよ?」
 
「…でも」
 
かぶりを振る。
 
「まずシンジ君の気持ちが大切なのよ。大人の都合は後回しでいいの」
 
「…僕の…気持ちですか?」
 
今度は首肯。
 
「お墓参りっていうのは気持ちなの、亡くなった方へのね。だから本人の気持ちが伴っていなければ却ってお母さんに失礼よ?」
 
本当のところ、墓参りというのは生きている者が己のために行うものだと思う。かつて父さんが言っていたことも、つまりはそう云うことだったのではないのだろうか。
 
もっとも、父さんの真意は綾波の正体を悟らせない事にあったのかもしれなかったが。
 
いくら自分や彼が鈍感でも、母さんの写真を見ればそれが誰に似ているのか気付いたことだろう。
 
気付いたところで、母方の親戚だと誤魔化されるのがオチのような気もするけれど。
 
 
それはともかく。
 
墓参りそのものが嫌でないことは解かりきってる。これは誘い水だ。
 
「…墓参りが嫌ってわけじゃないんです。その…」
 
彼の視線が泳ぐ。だが、いくら捜したところで助けになるようなものなどあるはずもなく。
 
「…父さんが苦手で」
 
「ご一緒したくないのね?」
 
彼が頷いた。
 
「私は父を憎んでいたからシンジ君とは少し違うけど、気持ちは解かるつもりよ」
 
「憎んで…ですか?」
 
「私の父はね、自分の研究、夢の中に生きる人だったわ。
 
 そんな父を赦せなかった。憎んでさえいたわ。母や私、家族のことなど構ってくれなかった。
 周りの人たちは繊細な人だと言っていたわ。
 でも本当は心の弱い、現実から、私たち家族という現実から逃げてばかりいた人だったのよ。
 子供みたいな人だったわ。
 母が父と別れた時もすぐに賛成した、母はいつも泣いてばかりいたもの。
 父はショックだったみたいだけど、その時は自業自得だと嗤ったわ。
 
 けど最後は私の身代わりになって死んだの、セカンドインパクトの時にね。
 私には判らなくなったわ、父を憎んでいたのか好きだったのか」
 (これを含め、ミサトの言葉をこれほど正確に覚えては居ないだろう。原作そのままの台詞回しは二次小説としてのお約束であるが、本人に憑依しているため一致率は高い。と一応いいわけ)
胸のロザリオを弄ぶ。かつて聞かされた言葉を元に彼女の記憶を掬い上げると、まるで我が事のように胸が痛んだ。
 
自分が彼女に共感するように、彼女も自分に共感してくれているのなら心強いのだけど。
 
「一緒に行きたくないなら、時間をずらしていってもいいのよ?
 先に行ってお花でも供えておけば、司令にも伝わるでしょうし」
 
提案の内容を呑みこんで、彼がちょっと呆ける。3年前に逃げ出して以来、別個に行くという選択肢すら思い浮かばなかったのだろう。自分にもそんな憶えがある。
 
彼が望まないのなら、無理に会わせる必要などないのだ。
 
 
ペアレンテクトミーという治療法がある。
 
気管支炎や喘息、血管神経性浮腫などの心因性の疾患の対策として、子供を問題のある親から引き離す手法だ。
 
病気の原因になりうるほどに、子供にとって親の存在が大きいということだろう。
 
それは、逃げるとか逃げないとか、そういうレベルの問題ではない。
 
彼と父さんの関係に当てはめるのはいささか強引だが、彼の自立に役立ちそうなので参考にしている。
 
 
それに、中途半端に相手を理解した気になると、却って後々の傷が大きくなるのだ。
 
 

 
「…いえ、折角ですから父さんと一緒に行きます」
 
しばらく考え込んだのちの、彼の返答は予想外だった。
 

 
「大丈夫なの?」
 
はい。と頷いて。
 
「ミサトさんの話を聞いてて、生きてる間に向き合わなきゃって思いました。
 ミサトさん、後悔してるんでしょ。お父さんのこと」
 
彼の言葉が、胸の傷から彼女の記憶を吹き出させる。2年間の、心の迷宮の軌跡。
 
それは、ぬか喜びと自己嫌悪を詰めて、後悔で封じた万華鏡だった。
 
何度でも形を変えて現れ、自分を引きこもうとする。
 

 
「ミサトさん」
 
気付くと彼の顔がそばにあった。ベッドを降りてひざまずいている。
 
いけない。彼女の記憶に囚われて、また泣いたらしい。
 
ポケットからハンカチを取り出す。楝色のそれは、ほかならぬ彼からの昇進祝いだ。
 (楝(おうち)色は、薄めの紫色)
「ごめんなさい。私が出来なかったことをシンジ君がしてくれてるようで、嬉しかったの」
 
嘘だ。彼女の記憶ゆえに涙した。
 
でも、本音だった。自分に出来なかったことを彼が乗り越えようとしていることを、心の底から歓んだ。
 
本当は怖いです。と頭を掻いた彼を抱きしめてあげたかった。
 
 
****
 
 
ぼすぼす。ふすまのノックは間抜けだ。
 (つまり、ミサトの部屋とシンジの部屋がそれぞれ和室でふすま。アスカとレイは洋室)
『…葛城三佐』
 
「…レイちゃん?いいわよ」
 
ふすまが開いた。枕を抱えた綾波が入ってくる。
 
もともとノックも挨拶もなく唐突に入室してきたものだが、アスカに見つかった途端に殲滅…もとい、矯正された。 
 
いつでも来ていいと葛城一尉は言ったのに。と恨みがましくアスカを見つめていた綾波が可愛いらしかった憶えがある。
 
「先にお布団に入っていてね」
 

綾波の部屋にベッドが運び入れられた日、彼女のシンクロ率は暴落した。リツコさんがヒステリーを起こす横で、その日一日の出来事を反芻したものだ。
 
もしやと思って耳元でささやいたのち、急回復したシンクロ率に、リツコさんに詰め寄られたりした。
 
以来、頻度は徐々に減ってきつつあるが、綾波が寝床に忍んでくるようになったのだ。
 
 
ブラシでくしけずっていた髪をネットでまとめ、化粧水を手にしたところで鏡に映る綾波の様子に気付いた。
 
自分の枕を備えつけ終えた彼女は、体育座りで自分の作業を見守っていたようだ。
 
「…レイちゃん。こっちにおいでなさい」
 
無言でやってきた綾波を、鏡台の前に座らせる。
 
おろしたてのパジャマ姿。
 
藍染めのグラデーションは、染め残された襟元から白殺し~瓶覗~水浅葱~浅葱~露草と徐々に色味を増してゆき、裾に至るまでに薄縹~縹~藍~納戸~紺と色づいてゆく。青裾濃という伝統的な染め方を現代風にアレンジしてあった。
 
このご時世、紺掻き職人は少なくて手に入れるのには苦労したが、その甲斐あってかとても似合っている。
 
このパジャマのように、綾波自身も色を重ねてくれると嬉しいのだが。
 (綾波に似合いそうなデザインを、この作品における彼女へのメッセージも込めて考案してみた)
 
もちろん、この寝間着を与えるまでにも一悶着あった。
 
普段着など、色々と買い揃えるために連れていったデパート。最後に寄った寝装具売り場を一瞥した綾波は、あれがいいから。と呟いたきり口を閉ざしたのだ。
 
こうなると綾波は、ATフィールドでも張ったかのように何者をも受け付けない。
 
その場は仕方なく戦略的撤退を図った。
 
おそらく、なにか刷り込みでもあったのだろう。綾波にとって、お下がりのあのパジャマが大切なものになったのだ。ライナスの毛布のように。
 
拘りができることは、子供の成長にとって悪いことではない。自我が芽生えた証拠でもある。
 
ただ、毎日洗濯すべきパジャマに拘られると不都合があった。洗い替えがないのだから。
 
 
そうして本日、バスルームにて再戦と相成ったのである。
 
この日のために用意された専用言霊決戦兵器「毎晩着ると傷むわよ」は、綾波のATフィールドを完膚なきにまで粉砕。
 
すかさず繰り出した「一所懸命探したの、…レイちゃんに似合いそうなパジャマ」はプログナイフより滑らかに綾波のコアを貫いたようだ。
 
こうして、用意しておいた寝間着を装備させるに至ったのであった。
 
 
ブラシを手にして、色素のない綾波の髪をくしけずる。
 
太陽光では浅葱色に見紛う綾波の頭髪は、暖色の蛍光燈の下で淡い菖蒲色に見えた。
 
「…なぜ」
 
「こうして毛先を揃えておくと髪が傷みにくくなるのよ」
 
「…すぐにまた乱れるわ」
 
「そうね。でも小さな積み重ねが大きな違いに育つのよ」
 
「…解る気がする」
 
ブラッシング中でもお構いなしに頷くので油断ならない。
 
しゅっ、と髪を梳く音だけが部屋を満たす。
 

 
「…碇君が、お母さんって感じがした…と」
 
そういえば、自分もそんな事を言った憶えがあった。
 
「…主婦が似合ってるかも…と」
 

 
「そう。それで…レイちゃんはどう思ったの?」
 
こちらが微笑むのを鏡越しに見止めて、綾波は頬を染める。
 
「…頬が熱くなりました。私、恥ずかしかったの?。…なぜ、恥ずかしいの?」
 
当時はてっきり怒らせたものだと思っていたが。それとも前回とはちがうのか。
 
「…それは、自分の将来を想像したからじゃあないかしら」
 
「…将来?」
 
「ええ。男の人に惹かれて、結ばれて、子供を産んで。女の子の幸せの一つね」
 
しゅっ、と髪を梳く音だけが部屋を満たす。
 
「自分がそうなった姿を想像したんじゃない?」
 
「…わからない」
 
しゅっ、と髪を梳く音だけが部屋を満たす。
 
「男の子が女の子にそういうことを言うのは、その子にそうなって欲しいから。その相手が自分だと良いと思うからよ」
 (当時の自分の心理・動機を分析したわけではなく、綾波に将来というものを考えさせるための誘導)
綾波の体がこわばった。
 
「…碇君は、私とそうなりたいの?」
 
鏡越しに苦笑を見咎められてしまった。
 
自分もそうだったが、彼も特に深い意味で言ったわけではあるまい。単なる場つなぎ、その場しのぎだ。
 
「シンジ君はそこまで具体的に考えているわけではないと思うわ。
 でも、…レイちゃんとのそういう可能性を考えることがやぶさかではないのね。
 好ましいと感じているのよ」
 
「…好ましい?」
 
「女の子として魅力的ってことよ」
 
こわばりをほぐすように、あいた手で肩をなでてやる。
 
「…魅力的。人が人に感じる憧憬。
      異性をひきつける要素をもつこと。

  …異性。違っていて惹かれるもの。
      結びついて補うもの。つがい。

 …つがい。人の絆の一形態。
      補完された異性。
      ヒトの単位。
      次代を生む組合せ。
 
 異性に求められること。
 それはヒトとしての悦び。選ばれたことの歓び。補完されることの喜び。
 
 そう。私、求められたことが嬉しいのね」
 
ぽつぽつと呟いていた綾波が、視線を上げた。
 
髪を梳きすく仕種を目で追う。
 
しゅっ、と髪を梳く音だけが部屋を満たす。
 

 
「…私は、葛城三佐が、お母さんって感じがする。…なぜ?」
 
鏡越しにこちらの様子を伺っていた綾波が、探るように視線を合わせてくる。
 
「あなたたちが居るからよ」
 
「…私たちは葛城三佐の子供じゃない」
 
いいえ。と、かぶりを振る。
 
「血の繋がりは関係ないわ。
 子供がいて、見守るものが居る。それが親子よ。
 親という字は、木の上に立って見ている。と書くでしょう。それは、子供を心配している姿なのよ。
 逆に、血が繋がっていても親子じゃないものも居る。親であることには自覚と努力が必要なの。
 私の父親やシンジ君の父親は自覚のない親ね」
 
左手で、胸にさげたロザリオを弄ぶ。
 
「…碇司令は父親ではない?」
 
「そうね。子供を見ない親は親ではないわ。
 親子の絆は固いけれど、それはヒトが最初に与えられる絆だから、もっとも長い時間をかけて育まれる絆だから。
 それを投げかけてあげられない者は、親ではないわ」
 
彼女の記憶、自分の記憶。十文字に交わって形をなした錨が、左手の中で重い。
 
深みへと引き摺られて、浮き逃れるあぶくのように涙を搾り取られそうになる。
 
「…私、碇君に言った。碇司令の子供でしょ、信じられないのお父さんの仕事が。と」
 
ぶってしまった。と見つめているのはその右の掌。
 (IDカードを届けるイベントは起こってないが、同居しているため行動半径が重なり、再起動試験前のビンタイベントは発生していた)
「…私、羨ましかったの?私よりも確かな絆を、碇君が持ってるように見えたから?」
 
きゅっと握りしめた。
 
「…私、怒ったの?碇君がそれをないがしろにしているように思えたから?」
 
かすかに震えている。
 
「…そう。私、妬んだのね」
 
何かを求めるように、おずおずと開かれた。
 
自らの裡の暗い情念に、綾波は初めて気付いたのだろう。
 
大丈夫だよ、綾波。それはヒトならば必ず通る道なんだ。
 
綾波の、成長の証なんだよ。
 
「…私、何も知らないのに。自分本意に思い込んで、一方的に碇君を…傷つけた?」
 
さまよった綾波の右手が、ロザリオを握りしめた左手に触れてきた。
 
心なしか、十字架がその重みを減じたような。
 
「どうかしら」
 
傷ついたわけではなかった。ただ驚いて、解からなくて、落ち込んだだけだった。
 
今なら解かる。あれが綾波なりの拙いパトスの発露だったことに。外界を受容して内面に生まれた、綾波の心のさざなみだと。
 
「…こういう時、どうしたらいいか知らないの」
 
「言わなければ良かったと思ってる?」
 
こくん。 
 
「なら、謝ればいいの「ごめんなさい」って。過ちを認める言葉、謝罪の言葉、赦免を請う言葉よ」
 
「…赦さ…れる?」
 
「赦してもらえなくても、まず謝罪することが大切なの」
 
涙を押しとどめて、鏡の中の綾波に微笑みかける。
 
「一時の感情がその人のすべてではないわ。だから、人は赦すことを憶えるの」
 
それは、本当に綾波に向けた言葉だったのだろうか?
 
なぜか、こわばっていた左手が自然とほどけてゆくのだ。
 
「大丈夫。シンジ君は赦してくれるわ」
 
音をたてて、銀のロザリオが滑り落ちた。
  
「もし、赦してくれなくても、それもまた一時の感情なの。それがシンジ君のすべてではない」
 
その掌に刻まれるように残された十字架の跡。たとえ今は消えなくとも、生きていけば、いつか。
 
「そのときは、…レイちゃん。あなたが赦してあげるのよ」
 
…はい。と頷く綾波の体を、ぎゅっと抱きしめた。
 
 
****
 
 
「そろそろお暇するわ。仕事も残っているし」
 
リツコさんが一足先に帰ったとき、唐突に綾波のことを思い出したのは、彼女に隠れて見えなかった位置に活けてあった紫陽花の色のせいか。
 
かつての記憶では、この日。綾波は父さんと行動をともにし、しばらく学校を休んでいる。
 
作戦部に提出された予定では定期的な精密検査となっていたが、健康面の管理者たるリツコさんが居なくて誰が、何を検査しているのだろう?
 
昨晩、綾波が寝所にもぐりこんできたのは、それと無関係ではなかったかもしれない。気付いてあげるべきだった。
  
「なに、考えてるんだ?」
 
ロックのグラスを、カランと鳴らしてキザに。加持さんだ。
 
視線の先の紫陽花をなんと見ただろう。
 
「子供たちのことよ」
 
学生時代の友人の、結婚式の帰り。ホテルの最上階ラウンジで、3人だけでの3次会だった。
 (原作ではおそらくジオフロント天蓋部のビルの最下層ラウンジと思われる。当然ネルフ関係者しか入れない=ホテルなどの民間施設ではない。と推量した。
原作と舞台が違うのは、この後加持にアタックするミサトの都合に拠る
 ※↑の考察は実は私の勘違いでした。ガイドブックに拠ると、原作TVのラウンジは元箱根にあるそうです。翻訳者さんにご指摘いただきました。m(_ _)m)

「つれないなぁ。こんな佳い男が隣りに居るっていうのに」
 
TOKYO-3のグラスに口をつける。
 
ウォッカベースにミルクとフランジェリコの2層仕立て。表面に各種ナッツパウダーで描かれる図形は毎回異なるらしく1杯目はアーモンドのハートで、2杯目はピスタチオの花。今回はヘーゼルナッツの星だった。
 (こういったものが有っていいだろうということで、第3新東京市をイメージしたオリジナルカクテルを考えてみた。ネルフの士官ラウンジだと、ネルフマークとか描かれるかもしれない
完全な想像の産物なので、このレシピで2層仕立てにできるかどうかは不明)
強いアルコールを甘さと香ばしさで覆い隠した、まさに第3新東京市のようなカクテルだ。
 (憑依者の精神活動はその肉体の脳機能にそれほど依存していないので、飲んでも酔わない。ただ肉体そのものは酔うため、肉体と精神の乖離が激しくなり不快感・不安感を伴う。ミサトはそのコトを知らないため、単に飲酒は不快な物としか認識していない)
「母親は子供が最優先よ」
 
一口ごとにミルクとフランジェリコの混ざり具合が変わって、口当たりを変えてゆく。それを愉しんでいるうちにウォッカに殲滅される。そんなレシピだった。
 
「すっかり母親稼業が板についたな」
 
「…意外だった?」
 
「ああ」
 
出会ったときはまるで男だったからな。と傾けるグラスの中で、同意してか氷が鳴る。
 
 
初めて加持さんに出合った時に突きつけられたのは、かつて彼女と加持さんが付き合っていた事実だった。
 
今から思えば迂闊だったとしか言いようがないが、その姿を目にするまですっかりそのことを失念していたのだ。
 
いや、憶えていたとして、じゃあ加持さんと女として付き合えるか?と問われれば、そんな覚悟はとてもできない。と答えるしかなかっただろうが。
 
いま考えればたいしたミスではないと思えるが、当時の自分は違った。
 
男女のなれそめとしては最低の部類に入る出会い方をしてしまい。歴史のボタンを掛け違えてしまったと思い詰めて動揺し苦悩し絶望した。
 
たまたま月の障りが酷かったことも重なってすっかり自暴自棄になり、1週間も閉じこもったのだ。
 
リツコさんが様子を見にきてくれたことで立ち直り、最終的には加持さんとの友情も結ぶことができたが、この一件はかなり尾を引いて自分を苛み、以降の交友関係に影を落とした。
 
特にドイツ第3支部勤務時代など、かつての知己としては3人目となるアスカに対して中途半端な態度を示してしまったことを、今でも悔やんでいる。加持さんと交渉のない今回、アスカと打ち解ける最大の機会だったというのに。
 
結局この呪縛が解けたのは、無事に作戦部長を拝命し、第3新東京市に赴任してきた時だっただろう。大勢のかつての知己との初対面に、多少の人間関係の誤差などどうでもよかったのではないか?と考えられるようになったのは。
 
 
「最悪の出会いだったわよね。私たち」
 
「…そうだな」
 
飲み干したグラスを掲げて、ボーイを呼んでいる。
 
かつての加持さんの行方を、自分は知らない。留守電の内容と彼女の態度から、死んだのではないかと推測できるだけだ。
 
彼女が大好物のビールを一切口にしなくなったほどの出来事とは、それぐらいではないかと。
 (これは勘違い。ミサトは加持の死後もビールを飲んでいる)
 
…………
 
『遅いなぁ、葛城。化粧でも直してんのか?』
 
『京都、何しに行ってきたの?』
 
『あれぇ松代だよ、その土産』
 
『とぼけても無駄、あまり深入りすると火傷するわよ。これは友人としての忠告』
 
『真摯に聴いとくよ』
 
…………
 
 
さっき席を外した時、自分のバッグに仕掛けておいたマイクが拾った会話。
 
こんなこともあろうかと仕組んだ、真ん中の席。
 (原作でも真ん中だったが、もしかしてそっちもそう云う意味だったのでは?)
加持さんがスパイであるのは間違いがない。上層部がそれを把握していることも。
 
彼が死んだとすれば、原因はおそらくそれだろう。
 
問題は自分がどうしたいか、だが。
 
いや、もちろん救けたい。自分にとっても加持さんは大切な人だった。
 
恋人であった彼女にとっては言うまでもなかろう。
 
かつて、泣き崩れる彼女に対して、子供だった自分は何もしてあげられなかった。
 
それが慰めになるというのなら、減るもんじゃなし、肉体なんかいくらでも与えればよかったのに。
 (これも勘違い。本当は綾波自爆後の話。ミサトに何もして上げられなかったという後悔が強く、こうした勘違いは多い)
傷の舐め合いすら怖れた自分の臆病さに、今更ながら反吐が出る。
 
だから、彼女の体を借りている今、彼女の代わりに全力を尽くすことは必要なことだと思われた。
 
 
蘇比色のワンピースは優しいオレンジの色合いで、一番のお気に入り。
 (原作で、セリフだけ登場したもの。栄養管理ソフトで体形が維持できているので着られる)
合わせたボレロは深めのグリーン。深木賊色。
 
花橘と呼ばれる伝統的な配色を、自分なりにアレンジしてある。
 
銀色のロザリオには不似合いだが、それは致し方ない。十字架から逃れ得るはずもなく。
 
まとう香りはカーブチーと月桃のブレンド。綾波の沖縄土産の香袋は、このコーディネートのためにあつらえたかのようだ。
 (沖縄の伝統的な香り。カーブチーは柑橘系、月桃はグリーングラス系の香り)
「加持…君。…私、変わったかな?」
 
高いヒールは苦手だけど、今日は我慢。
 
イヤリングで耳が痛いけど、それも我慢。
 (このミサトは、ピアス穴を開けてない)
「綺麗になった」
 
奨められるままに使徒殺しの異名を持つカクテルを干したのは、覚悟したからだ。
 
「…あなたは変わらないわね。ふらふらとしてて、いつ居なくなるか判らない」
 
彼女に出来なかったことが自分に出来るとは思えない。だが彼女の知らない結末を知っていることがアドバンテージになるはず。
 
「…お酒、好きじゃないの知っているでしょう?甘いのを奨めてくれてありがとう」
 (このミサトが酒を飲むこと自体珍しい。なので、おすすめを訊かれた加持は口当たりや飲みやすさを優先に幾つか候補を挙げた。その中にウォッカベースの強いカクテルがあることを見てとってミサトが選んだ)
さっき席を外した、本当の理由。1階のフロントまで往復してきたから。
 
「…私は、あなたの錨になれるかしら?」
 (これはもちろん「碇」とかけてあるが、ミサト自身は意図して言ってるわけではない)
13年目にして、ようやくできた覚悟。
 
カードキーをカウンターに置いた。
 
 
                                        つづく

special thanks to ジョニー満さま(@johnny_michiru)
ジョニー満さん(@johnny_michiru)に、この話のイラストを描いて頂きました。ありがとうございました。
(パジャマ姿の綾波が最高に可愛いです。d(>_<))
Twitterで、dragonfly(@dragonfly_lynce)を検索してみてくださいませ。

special thanks to ジョニー満さま(@johnny_michiru)
ジョニー満さん(@johnny_michiru)に、ミサトの勝負服姿のイラストを描いて頂きました。ありがとうございました。
(とても似合ってるのに決死の覚悟な表情で雰囲気を台無しにしちゃうミサト(シンジ)が愛おしいです d(>_<))
Twitterで、dragonfly(@dragonfly_lynce)を検索してみてくださいませ。



2006.09.19 PUBLISHED
..2006.11.02 REVISED
2021.05.20 ILLUSTRATED
2021.10.16 ILLUSTRATED


シンジのシンジによるシンジのための補完 第拾弐話 ( No.13 )
日時: 2007/02/18 12:32 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2


その背中に銃口を突きつけた。
 
ちらり、と向けられる視線。
 
「やあ、男にフラレたヤケ酒の味はどうだった?葛城」
 
ゆっくりと差し上げられる両腕。右手には赤いカード。
 
「飲むわけないでしょ、お酒嫌いなのに。昨日は夜通しアスカ…ちゃんに慰めてもらったんだから」
 (「慰めてもらった」と言うほど積極的にアスカが何かした。と云うワケではない。自室に乱入してきたミサトのグチをいくらか聴き、なだめて一緒に寝たという程度。ただ前述した通り飲酒は憑依者の不安感を増大させるので、泣き上戸が酷い)
ぐりぐりと銃口を押し付けて、苛立ちを演じる。
 
加持さんを陥とせなかった自分が次に打った手は、それをアスカに対して利用することだった。
 
それがなんだか後ろめたくて、ついつい手に力がこもる。
 
「そうか、それじゃあ貸しは返してもらったことになるかな?」
 
嘆息。しようとして、うかぶ疑問。
 
「貸しってなに?」
 
「あっ、いや…」
 
なんだか話しにくそうだったので、銃口を後頭部に突きつけなおしてお手伝い。
 
「…いや、なに。アスカに頼まれて葛城の執務室のロック、外したことがあってな」
 
そうか。どうやって開けたのか謎だったのだが、加持さんの仕業だったか。言われてみれば確かに、この人以外にはありえないと解かるのだが。
 
余計なこと、と言い切れないのがまた腹立たしい。あの件は、ドイツ時代の失点を補うに充分であったろうと思えるから。
 
ぐりぐりと照星部分で念入りに。今度は演技ではない。
 
あいたた、と声をあげる加持さんのわざとらしいこと…
 

 
嘆息。
 
「まったく、一世一代の覚悟だったのに」
 
銃口をそらす。セィフティは外していない。もとより撃つつもりなんかないのだ。
 
「3人の子持ちのマリア様じゃ、俺の手に余るんでね」
 
ホント信じられない。と拳銃をしまう。
 
こいつは勲章代わりに貰っとくがね。と赤いカードの後ろから扇状にスライドして見せるホテルのカードキー。プラスチック繊維製のカードは、一晩限りの使い捨てである。
 
昨夜の決意が、殺意に変わりそうだ…
 
 

 
地下2008メートル
 
ターミナルドグマ
 
「これが貴方の本当の仕事?それともアルバイトかしら」
 
こめかみを押さえて、冷静さを取り戻そうと必死に努力する。
 
「どっちかな」
 
LCL生産プラント、第3循環ラインの表示が赤い。
 
「特務機関ネルフ特殊監査部所属、加持リョウジ。同時に、日本政府内務省調査部所属、加持リョウジでもあるわけね」
 
バレバレか。と加持さんが顎をしごく。
 
「ネルフを甘く見ないで」
 
「碇司令の命令か?」
 
持て余した赤いカードを手の上で躍らせている。
  
「私の独断よ。これ以上バイトを続けると、死ぬわ」
 
「碇司令は俺を利用してる。まだいけるさ」
 
なるほど。単なる内調のスパイではなくて、ネルフ側からのスパイでもあったわけか。ダブルスパイともなれば死ぬ理由には事欠くまい。
 
「だけど、葛城に隠し事をしていたのは謝る」
 
「昨日のお礼に…、」
 
つい本音を言いそうになった。覚悟はしたものの、完全に女になりきることに不安がなかったわけではない。
 
しかも、相手は加持さんなのだ。いろんな意味で抵抗が多かった。
 
おそらくは、そう云った自分の不安を嗅ぎ取ってくれたのだろうが。
 
いや、二人の出会いを考えれば、加持さんが未だに自分のことを女と見做してない可能性もおおいにあるか。
 
  
出会って暫くしたころ、母親に会いにゲヒルンに行く。というリツコさんにかなりしつこくおねだりした。
 
ジオフロントがどうなっているのか、この目で確かめたかったのだ。会えるものなら綾波にも会いたかったし。
 (このシリーズではミサトの身長は170センチ程としている。原作では160センチとなっているがそれではシンジの身長が140センチ以下と小学生なみになるため、せめて中一の平均150センチぐらいにはしたかった)
傍目には、嫌がる女に執拗につきまとうナンパ男に見えただろう。
 (170近くあり、ろくに櫛も通してない長髪で目元は隠れ、ジーンズにダンガリー等の色気とは無縁の恰好。胸が揺れることに慣れることが出来なくて胸元を締め付けるような真似すらしていたかも)
事実、そう見えたという加持さんの手によって殴り飛ばされたのだが。
 
いきなり顔を殴られたことに驚く暇もなく、殴りつけてきた相手が加持さんだということに驚かされた。
 
次いで、彼女と加持さんが付き合っていたことを思い出して、愕然とする。
 
二人のなれそめは想像するしかないが、少なくともこんな最低の出会いではなかっただろう。
 
加持さんとの関係は修復不能だと思い込んだ自分は、もう世界を護ることができないと早合点して、泣きながら逃げ出した。
 (この泣き顔は、加持に少なからずインパクトを与えた。としている。元カノでもなんでもないこのミサトに対して加持が心を寄せる根源がこの辺にある)
我ながら短絡にもほどがある。
 
 
それはともかく。
 
やり直せることの嬉しさに舞い上がっていた自分は、このときに冷水を浴びせかけられたのだ。
 
使徒襲来までの13年間。自分が確かな指針は何も持ってなかったことに気付かされたといってよい。
 
それ以上のイレギュラーの発生を恐れて、なるべく彼女らしく振舞おうとした。酒は好きになれず、車にも興味が持てず、かなり無理をしていたような気がする。
 
彼女が通ったであろう見えない道筋を探して、歴史を変えてしまうことに怯えて過ごした10年だった。
 
無事にネルフの作戦部長に納まった今なら、使徒襲来という大事件の前に、一個人の交友関係などにどれほどの意味があるだろう?と開き直れるのだが。
 
 
「…無礼を詫びさせるまでは生かしといてあげようかしら」
 
左手の中に消した赤いカードを、右手から取り出している。
 
先刻にからかわれた時も思ったが、相変わらず器用なヒトだ。
 (手品師的な起用さはオリジナル設定)
「…そりゃどうも。だが、司令やりっちゃんも君に隠し事をしている。それがこれさ」
 
加持さんがスリットにカードを通すと、ロックが解かれて隔壁が開き始めた。
 

 
十字架にかけられた白い巨体。
 
「これはエヴァ?…まさか!」
 
「そう。セカンドインパクトから全ての要であり始まりでもある。アダムだ」
 
「アダム。あの第1使徒が、ここに…」
 
こいつの姿は一度だけ見たことがある。カヲル君を殺した時だ。
 
拳を握り締めて、痛みに耐える。今は記憶に囚われて泣くべきところじゃない。
 
ぎりぎりと、右奥の義歯が悲鳴をあげた。
 
だが、白い巨体の前に彼の幻影が見えてしょうがないのだ。
 
友達を殺した記憶を封じようとして、白い巨体から目を逸らそうとした時だった。脳裏に浮かぶ友の姿に違和感を覚えたのは。
 
あの時、カヲル君は驚いていなかったか?打ち倒した弐号機の向こうで、彼は立ちすくんでいたのではないか?
 
彼は何に驚いたんだ?おそらくは求めていたであろう物にたどり着いて、なぜ立ちすくんだのだ?
 (これは勘違い。弐号機を退けるまでそれなりに時間がかかった筈で、それだけの間カヲルが何も起こさなかったこと、自分を待っていたように見えたことをそう解釈した)
何かが違っていたのだろうか?
 
手懸りを求めるも、白い巨人からは何も読み取れない。あの時と違うのは、槍が刺さっていて下半身がないことくらい。
 
槍がないことに驚いた?下半身があることに驚いた?
 
違うような気がする。
 
槍があることに驚くなら、下半身がないことに驚くなら、理解できる。
 
思っていたような姿じゃなかった?
 
目前まできていて、それは間抜けすぎる。
 

アダムが流す血。なぜか赤いその体液はとめどなく滴り落ちて、赤い湖に注ぎ込む。
 

そもそも彼は何のためにここまで来たんだろう? 
  
アダムに会いに?
 
アダムにまみえたあと、彼はろくな抵抗もせず、いやむしろ進んで、自分に殺された。
 
アダムに会って、それで満足だった?
 
思い残すことがなくなったから、死んで構わなかった?
 
いや、あの時点で彼は積極的に死を選んだように思える。
 
生と死が等価値なら、なぜ彼は死を望んだのか?
 
死を選ぶためにここまで来たのか?
 
わざわざ死に場所を探していたのか?
 
生を選ぶためにここに来たのではないのか?
 
生を望むために来ていたのなら、その目的はアダムだっただろう。
 
死を選ぶための目的がアダムなら、自分の手にかかる必要はなかったと思えるから。
 
つまり、彼は生を掴めなかった。ゆえに死を望まざるを得なかったが、それをアダムは与えてくれなかった。ということではないだろうか?
 
それは、アダムが彼に生を与えてくれなかったということだ。
 
では、何故アダムは彼に生を許さなかったのだろう?
 
 
これは、いくら考えても答えの出る問題ではない。情報が少なすぎるのだ。
 
ただ、アダムと使徒の接触がサードインパクトを生じなかったことについて、類似の事例があった。
 
かつて、この槍を精神汚染使徒に対して使った時だ。
 
『アダムとエヴァの接触はサードインパクトを引き起こす可能性が!』
 
彼女の懸念は黙殺され、槍が使われた。
 
これから考えられる推論は二つ。
 
一つは、アダムと使徒の接触がサードインパクトを起こすというのが、嘘の場合。
 
だが、これはカヲル君が驚いたことに合致しがたい。
 
一つは、これがアダムだということが、嘘の場合。
 
嘘の理由はわからないが、彼が驚くに値すると思う。驚愕ってことだ。
 
どちらも嘘。という可能性すら存在するが… そこまで疑っていては推測すら始められない。
 
おそらく、これはアダムではないのだろう。
 
アダムに似て非なる者。使徒を誘引する物。つまり、第一使徒と同格のモノ。
 
だとすれば、これこそが彼女の言っていたヤツなのかも…
 (むしろミサトからリリスのことを聞いていたからこそ、この推論に辿り着いた)
「確かにネルフは私が考えてるほど甘くないわね」
 
正直な感想だった。 
 

 
さて、当面の問題は加持さんの処遇だ。
 
彼がこれを本当にアダムと思っているのか、それとも承知の上で嘘をついているのかは判らない。
 
嘘をついているなら、こちらがその嘘に気付いたことを悟らせるべきではない。
 
本気で思っているなら、不用意な情報を与えるべきではない。
 

 
いや、そういえばスイカ畑で教えられたことがあったか。
 
『使徒がここの地下に眠るアダムと接触すれば、ヒトは全て滅びると言われている。サードインパクトでね』と。
 

 
だが、いずれにしろ情報が少なすぎて、加持さんがどう動くか予測するのは難しい。
 
色仕掛けも通用しなかったし、どうすれば彼を救えるだろう。
 
それとも加持さんの命は諦めて、情報を引き出すことだけに専念すべきだろうか?
 
悩んでいる暇はない。いつまでもここでこうしているわけには行かないのだ。握りしめたロザリオは、往くべき道を指し示してはくれない。
 
どうすべきか決めかねたまま仕方なく、用意していた最後のシナリオを開く。
 
拳銃を抜き、セィフティを外して、狙いをつける。ここまでを一動作で済ます。いや、その間に視界がにじんで、狙いはあいまいだ。
 
「特殊監査部所属、加持リョウジ。
あなたを旧伊東沖決戦時の敵前逃亡・立入禁止区域への無断侵入・作戦部長執務室への不法侵入幇助・なにより絶世の美女を袖にした罪で銃殺刑に処します」
 
銃口を突きつけられているのに、加持さんのにやけ顔はこゆるぎもしない。まあ、この状態では当たるものも当たるまいから当然か。
 
「そいつぁ困った。情状酌量の余地は?」
「絶世の美女に恥をかかせた時点で、微塵も」
 
言葉尻に被せるように、即答。
 
自分で言っていて恥ずかしい。頬が熱くなってきているのがわかる。彼女なら心の底から臆面もなく言い放つのだろうが。
 
これは、必要なゆとりなのだ。真剣でなければ、相手の心を揺るがせない。しかし、譲歩の余地もないと思わせてしまっては、却って頑なにさせてしまう。
 
そのために用意した、隙だった。
 
「司法取引ってのはどうだ?」
 
つまり、知ってることは話すという意味だ。ちょっと考えるふり。
 
「情報によるわね」
 
「こいつに見合うだけのネタは約束するよ」
 
いつの間にやら指先に挟んで、ホテルのカードキー。
 

 
思わず引き鉄を絞りそうになって銃口をそらす。念のため初弾は空包にしてきたが、この距離では木製弾頭でも安全とは言いがたい。
 (オートで空包撃つと圧力不足で動作不良を起こすらしいけど、そのことは織り込み済。としておこう)
「からかわな¨い …で .... 」
 
恥ずかしさに染めた頬を、怒りのせいだと強弁するために怒鳴りつけた言葉尻が、勢いを失った。てっきり、にやけ面をほころばせていると思ったのに。
 
見たこともない、真剣な眼差し。恐いくらいに。
 
こんなにまっすぐに見つめられたことは、ついぞなかったように思う。
 
あのカードキーは、自分にとっては覚悟の象徴だった。
 
自分の覚悟を、加持さんはどう受け止めてくれたのだろうか。
 
 
銃口など眼中にない。という風情で間を詰めた加持さんが、目尻を拭ってくれる。人差し指の背ですくい上げる仕種が、なぜかちっともキザったらしくなかった。
 
思わず下がった銃口を、肘を曲げてひきつける。結果が出るまでは、芝居の幕を引くわけには行かない。
 
「思い詰めるとそいつを握りしめる癖は、変わらないな…」
 
加持さんの手は、意外にも熱かった。視線を外してくれないから確かめられないけれど、いま左手を包み込んでくれているのが加持さんの手であるならば。
 
そのまま一本一本と指を解かれて、ささえを失ったロザリオが胸元に、ことん。
 
肝に銘じとくよ。と加持さんが一歩下がった。
 

 
なにを。と問い質そうとする気配を察してか、くしゃりと戻るにやけ面。
 
「それに、葛城には貸しがひとつ、あっただろう?」
 
ぱちん。と音が聞こえてきそうなウインク。 
 
ものの見事にはぐらかされてしまった。この雰囲気から話題を戻す技術も神経も自分にはない。
 
 
貸し。…周辺地域に甚大な被害を及ぼした落下使徒戦。その後始末についてだろう。
 
当然のように寄せられた関係各省からの抗議文と被害報告書。周辺自治体からの請求書。広報部からの苦情。それらを片付けるアイデアを与えてくれたのだ。
 (実際にはこのミサトは事務処理能力も高いので、さほど苦労はしなかっただろうが)
一言で云えば「MAGIにやらせろ」でしかないその提案は、口で言うほど容易くはない。
 
MAGIの使用権限は厳密に割り当てられていて、事務作業のような優先順位の低い案件を割り込ませる余裕はないのだ。
 
だが、受け取ったメモリデバイスには、監査部が保有していて使用していない権限枠の一時譲渡、作戦部長が事務作業に忙殺されることによって使徒戦に及ぼす悪影響の考察が正式な書類として作成されていた上に、承認済を示す副司令の電子サインまで取得済だった。
 
副司令自らが最終的に調停役として矢面に立つことを確約する覚書まで添付されているのを見た時は、そのあまりの手回しのよさにめまいを覚えたほどだ。
 
いたれりつくせりである。
 
あそこまでされてしまうと、他の手段は採りようがない。
 
 
セィフティをかけて、拳銃をしまう。
 
「…押し売りっぽい貸しだったけど、まあいいわ。
 アスカ…ちゃんがおやつ当番なの、最低でも週に1回の差し入れ。それが遂行されているあいだ執行猶予」
 
「了解だ。刑に服そう」
 
これは儀式だった。素直でない大人が本音を隠して物事を進めるための。
 
「執行猶予中に許可なく死なないでね」
 
「真摯に聴いとくよ」
 
 
****
#2  (時系列としては、ここに補間#2が入る)
****
 
   
『レイ、シンジ。用意はいい?』
 
第3新東京市の外れ。偵察機から送られてくる映像の中、長方形の穴を取り巻くように立つ3体の巨人の姿がある。それぞれに構えているのはノズル付きのホース。
 
『うん、いいよ。アスカ』
 
『…ええ、いいわ。弐号機パイロット』
 
『ちっが~う!ワタシのことはアスカと呼びなさいと言ったでしょ、レイ』
 
被さるようにアスカの大声。
 
『…わかったわ。…アスカ』
 
『それでいいのよ』
 
アスカは昨晩の約束をもう実行してくれたようだ。即断実行で実にアスカらしい。
 
声音に多少の照れが窺えなくもないが、やるとなったら割り切って行えてしまえる。それが惣流・アスカ・ラングレィという存在だった。
 
『ミサト。こっちはいつでもOKよ』
 
そして、そうゆう時のアスカは実に頼もしい。
 
「よろしい。作戦開始の合図があってランチャーからミサイルが発射されたら、あとの細かい判断は各自にまかせるわ」
 
『わかってるわ』
 
『はい』
 
『…了解』
 
やっぱり好きなんだ。何の話よ?…葛城三佐は待ち伏せが好き。との無駄話はつとめて無視だ。
 (↓この作戦を待ち伏せと言えるかどうかは微妙)
天井を除去した第07吸熱槽をドレーンして確保した空間に、厚めに硬化ベークライトを敷いてある。こういうこともあろうかと、最上層の吸熱槽のいくつかは上面装甲板を取り外せるように手配してあった。
 
「それでは、コンバットオープン。アタックナウ!」
 
エヴァたちが遠巻きに見守るなか、中央に設置されたランチャーが対空ミサイルを吐き出す。MAGIに誘導され、市街地上空へ。
 
第3新東京市ゼロエリアにて悠然と浮遊していたゼブラパターンの球体は、ミサイルが接触したと思われた瞬間に忽然と姿を消した。
(この作品がギャグ寄りかメタなら、ここは是非カゲスターパターンと表記したいところだった)
「パターン青。第07吸熱槽中央部です」
 
直径六百八十メートルの真円の闇が吸熱槽の真ん中に現れるや、たちまちのうちにランチャーが呑み込まれていく。
 
『『『 フィールド全開! 』』』
 
3人が協力して織り上げたATフィールドは肉眼で確認できるほど視界をゆがませて、黒円を覆い尽くしたことを誇示した。
 
『ゲーヘン!』
 
アスカの合図とともに、3機のエヴァがそれぞれ保持するホースから赤い液体がほとばしる。硬化ベークライトだ。吸熱槽内壁のバルブからもベークライトが噴射された。

囮を襲って落とし穴に入り込んだところを押さえつけて蓋をする。
 
殲滅方法の見当もつかないこの使徒の封印をもくろむ。それがこの作戦、バードライムだった。
 
吸熱槽の半ばまでを覆い尽くして、用意していたベークライトが尽きる。完全に硬化するまで今しばらくの時間が必要だ。
 
 
直径680メートル、厚さ約3ナノメートル。その極薄の空間を内向きのATフィールドで支えたディラックの海。虚数空間が使徒の正体だとリツコさんが推測した。
 (光速度を軸に物理法則が反転した空間で己を保つことは、例え使徒でも難しいとして、レリエルの展開するディラックの海は正式な虚数空間ではない。としているが、主人公がエヴァに乗らないこの作品ではそのことに言及していない。
このシリーズ特有の虚数空間の解説はユイ篇や初号機篇で詳しい)

ATフィールドで支えているなら、中和すれば斃せるのではないか?と考えないでもないが、ではフィールドを中和された今までの使徒がそれだけで斃せたかといえば、否と答えるしかない。
 
第一、かつてこの使徒を足止めしようとしたとき、そして呑み込まれたときに、フィールドの中和はさんざん試したのだ。フィールドを中和して攻撃を行い、それで使徒を斃せれば呑みこまれずに済むだろうと死に物狂いで。
 
結局、有効な対策が思いつかないがための苦肉の策だった。
 
 

 
 ……
 
「ベークライト、完全硬化を確認しました」
 
「フィールド、解消して」
 
『…葛城三佐!』
 
「パターン青。零号機の直下です!」
 
『レイ!』『綾波っ!』
 
前面ホリゾントスクリーンが零号機を映し出す。黒々とした底なし沼に、すでに太腿近くまで呑みこまれていた。
 
吸熱槽は直方体だから、周辺に三機配置すると一機が突出する形になる。洞察力があるからと、そこに綾波を配置した自分のミスだ。
 
『…呑みこまれた部位の感覚喪失。こちらの行動に対し高い粘性抵抗が見受けられますが感触がありません』
 (虚数空間の無重量・真空を、感覚の喪失として受け取った。ということ。粘性抵抗は実数空間との境界面で発生している)
「シンジ君!ATフィールドを足場に零号機の救出。放り投げて構わないわ。アスカ…ちゃんは受け止めて」
 
『はいっ!』
 
吸熱槽の上を初号機が駆け出す。目に見えぬ橋を自ら架けて。
 
零号機も、無抵抗に呑みこまれているわけではないようだ。黒い水面に両手をついているところを見ると、ATフィールドを張って懸命に踏みとどまっているのだろう。
 (こうした応用は意図的に示されて訓練してないと使えないと思われる。原作のシンジやユイ篇のアスカがなす術もなく呑み込まれたのはそう云うことだろう。この作品でチルドレンはさんざんATフィールドの応用を訓練させられているし、ガギエル戦で道を作ったことも大きい。このミサトがATフィールドの応用の可能性に気付いたのは、サハクィエルを受け止めた経験とゼルエルを切り裂いた時の感触から。としている)
『ミサト。逆の方が良くない?』
 
そう言いながら弐号機は、零号機へ直進しない。
 
「上手く受け止める方が難しいのよ」
 
『わかったわ』
 
初号機が闇の上を疾走する。たちまち零号機に取り付き、脇の下に両手を差し入れた。
 
『シンジ!左へ』
 
『わかった』
 
『…いけない』
 
綾波が言い終わる前に、零号機を引っこ抜くように放り投げた初号機が沈みこんだ。
 
『…なっフィールドが』
 
待ち構えていた弐号機が、危なげなく零号機をキャッチ。
 
『…葛城三佐。使徒がフィールドを中和しはじめました』
 (原作に一切描写がないので、基本的に使徒の側からATフィールドを中和してくることはない。としている。ただし、ヒトという存在、その心に興味を示した使徒なら可能。ともしている)
「なんですって!シンジ君、重力遮断ATフィールドは?」
 
『やってます!でも手応えが!どうしたらいいんですかミサトさん!』
 
初号機は、早くも腰近くまで呑みこまれてしまっている。
 
「現状の零号機、弐号機のフィールドは?」
 
「弐号機は健在。零号機、復元しました。初号機フィールドは完全に消失しています」
 
「シンジ君、空中にフィールド展開、掴まれる?」
 
見えない何かに掴まって体を引き上げた途端、支えを失って落下する。初号機はそれを何度も繰り返した。
 
『ダメです!』
 
仮に呑みこまれても初号機なら大丈夫なのは判っていたが、迷わない。
 
「初号機を放棄。プラグを射出します。アスカ…ちゃん!」
 
発令所トップ・ダイアスから椅子を蹴立てる音が聞こえてきたが、無視。
 
『判ってるわ。今、向かう』
 
「使徒の上にフィールド張っちゃダメ!」
 
近道しようと跳び上がりかけた弐号機がたたらを踏む。
 
 
先だっての威力偵察時、地面から離れた者からの攻撃にどう対処するか見るために、航空機による攻撃を行うことになった。
 (空中からの攻撃にもしレリエルが手も足も出なかったら、ATフィールドを足場にして攻撃という手もあった。ということ)
使徒がその針路上に先回りすると、その上空を通過しようとした戦闘機が壁にぶつかるようにして四散する。
 
とっさにホバリングして難を逃れたVTOL機も、逃げ場が見つからずに燃料切れで墜落した。籠の中の小鳥のように。
 
おそらく、自身の直上に円筒形のATフィールドを展開できるのだろう。
 
 
ATフィールドが届くということは、ATフィールドを中和できるということだ。
 
 
「シンジ君。プラグを射出させるわ、対衝撃姿勢。頭を下げて」
 
『はい』
 
位置関係を示した俯瞰図。赤い巨人を示す輝点が、円周に沿って走っている。
 
「シンクロカット。プラグ射出!…レイちゃん、使徒のフィールド中和!」
 
「了解。シンクロカット。プラグ射出します」
『…了解』
 
初号機から射出されたプラグは300メートルほど飛翔し、パラシュートを開くまでもなく弐号機によって回収された。
 
「シンジ君、大丈夫?」
 
『はい』 
 
「捕獲用ワイヤ射出。初号機を絡め獲って」
 
「無理です。間に合いません」
 
スクリーンに大写しにされる黒円。初号機は呑みこまれきって影も形もない。
 
「やってみてから言いなさい!」
 (これが本物のミサトなら「なんてこと」の一言で、やるだけ無駄だと状況を終わらせていただろう。ここでは初号機を回収しようとした実績を残すために拘っている)
「はっはい!」
 
周囲の兵装ビルから鉤つきのワイヤーが複数射出される。本来は使徒の捕獲、拘束用の装備だが、物は使いようだ。MAGIによって計算され、ガス圧とテンションで操作されたワイヤーが、放物線を描いて影に殺到した。
 
「ワイヤ端センサーに感なし」
 
モニターに回した初号機視点の映像。真っ白だった画面を走査線が乱す。たちまち表示される【信号なし】のインジケーター。
 
ワイヤーのモニタリングも全て途絶したようだ。
 
「パターン青、消失。目標の波長パターン、オレンジに移行しました」
 
スクリーンの中、ゼブラパターンの球体が何事もなかったかのように浮いていた。
 
下から見上げるアングルは、使徒を大写しにしている。今にも落ちてきそうで、なんだか息苦しい。
 
思わず、喉周りを緩める。
  
かつて、こいつに呑み込まれたとき、見上げた空すべてを覆う縞模様に圧倒された。押しつぶされそうな存在感に抱いた絶望を、思い出してしまいそうだ。
 
「アスカ…ちゃん、初号機のケーブル引っ張ってみて」
 
『わかったわ』
 
弐号機視点の映像の中、アンビリカルケーブルは黒円に飲み込まれた地点ですっぱりと断ち切れていた。
 
ワイヤーの巻き戻しは、指示するだけ無駄か。
 
「アスカ…ちゃん、…レイちゃん、撤退して」
 
「葛城三佐」 
 
トップ・ダイアスから声をかけられる。碇司令。父さんだ。
  
「はい」
 
「なぜ初号機を放棄した」
 
「初号機の能力では脱出不可能と判断し、パイロットの生命を優先しました。
 初号機も回収できるよう手を尽くしましたが、力がおよびませんでした」
 
威圧的なあの赤いサングラスが、父さんの視線を遮ってくれていた。そうでなければ自分が毅然と対応できたかどうか。
 
それでも辛くて視線をそらすと、ふるふると震える父さんの握りこぶしが目についた。
 
「葛城三佐、君を…」
 
父さんの言葉は、盛大な破砕音にかき消される。
 
『何が始まったの?』
 
振り返る先、スクリーンの中で影が割れていた。
 
使徒は三ナノメートルしか厚みがないはずなのに、盛大に地面ごとめくれあがっている。
 
映像アーカイブで見た流氷や、諏訪湖の御神渡りを思わせる光景。生々しい赤と毒々しい黒の取り合わせでなければ荘厳ですらあったろうに。
 (セカンドインパクト前の自然の映像は、懐古趣味かどうかを問わずポピュラーな娯楽になっていたのでは?と推量。新劇場版ではシャムシェル戦時のケンスケのテレビ画面に「失われた日本の風景シリーズ」とテロップが入っていたので、そういった画像は豊富に残っているものと思われる)
「状況は?」
 
「わかりません」
 
「すべてのメーターが振り切られています」
 
ゼブラパターンを失って真っ黒になった球体。
 
…まるで、黒い太陽。いや、熱気があるようには見えないから、黒き月。と言ったところか。
 (「黒い太陽」は某ラノベに出て来るテロ組織。ファンタジー世界でウルトラマンを表現しようとした意欲作で、好きな作品。映像化とか無理そうなのが残念。
黒き月はもちろんリリスの卵だが、ミサトがそうと知って言っているわけではなく偶然)
「まさか初号機が」
 
「ありえないわ。エントリープラグは射出済みなのよ。動くはずないわ!」
 (当初は原作どおり「エネルギーはゼロ」と書いていたが、状況的に微妙なので修正した)
突き破って現れたのは、人のカタチの右手。特徴的なナックルガードのシルエットが、エヴァの物だと教えてくれた。
 
吹き出す赤い液体。
 
使徒なのに、なぜか赤い体液。それがパターンオレンジの原因なのだろうか?
 (原作での描写に辻褄を与えるため、当シリーズでは知恵の有無で使徒の体液の色が違うと設定している)
こじ開けるように肉を引き裂いて、赤く染まった鬼面が姿をさらす。
 
顎部装甲を引き千切って、咆哮。
 
『ワタシ、こんな物に乗っているの…』
 
ついに耐え切れなくなって、球体がはじけとんだ。
 
地面に突き立った初号機が、天に向かって雄叫びをあげる。
 
使徒の腹に独り呑みこまれて、慌てて目を覚ましたのだろうか?母さんは。
 
所どころ装甲が溶けているところを見ると、パイロットが居なかったが故に使徒に直接、侵蝕でもされたのかもしれない。
 
「なんて物を、なんて者をコピーしたの私たちは」
 
その答えがあるのなら、自分も是非訊きたいものだ。
 
 
血と肉が降りそそぐ中、初号機はいつまでも吼えつづけていた。
 
 
                                         つづく

2006.09.25 PUBLISHED
.2006.10.20 REVISED



シンジのシンジによるシンジのための 補間 #2 ( No.14 )
日時: 2007/02/18 12:34 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2


どら焼きを一切れ、頬張った。
 
京都の老舗の味を写したというそのお菓子は、極太の通信ケーブルを輪切りにしたような形をしている。
 
背の低い円柱状のこしあんを芯にして、薄く焼いた皮を幾重にも巻いてあるのだ。
 (笹屋伊織の代表銘菓。銅鑼のような丸い鉄板の上で焼くからどら焼きというらしい。ドラえもんが大好きな三笠とは別物)
修学旅行で沖縄に行って以来、アスカは日本文化に興味を惹かれているらしい。様々な文化の混ざり具合、混ざらなさ具合が好奇心をくすぐるのだろう。
 (ジャポニズムやタタミゼなど、ドイツ時代にもそこそこ触れては居ただろう)
今は和菓子に目がないようで、このあいだは水に遊ぶ金魚を模したゼリーを買ってきていた。
 (加持からデザート当番のコトを聞いた冬月が、内密に加持経由で高級和菓子などを提供したりしている。本作に出てくる和菓子のほとんどはそれで、アスカが自分で買ってきたとミサトが誤解しているのは、加持が自分のノルマ以外は直接アスカに手渡してたりするから。アスカが日本文化に興味を持つようになった一端が、冬月が提供した本物の高級和菓子に拠るとしている)
エヴァ以外に関心が向かうのは、いい傾向だと思う。
 
 
アコーディオンカーテンが引き開けられる音がした。
 
おそらく綾波がお風呂から上がったのだろう。
 
廊下を歩く足音。自分の部屋に直行かな。
 (11-A-2とは間取りが違うのでこういう描写になる)
 
「ねえ、ミサト」
 
「なあに?アスカ…ちゃん」
 
naaniasukachann……
 
あらら、思わず打ち込んでしまった。バックスペースで削除する。
 
自分が作戦部長という要職にありながら、比較的早く帰宅できる理由。
 
それが、今使っているノートパソコンだった。
 
MAGI端末でもあるこのノートは、リツコさん謹製の通信回路と個人認証機能を備え、帯出禁止レベルのデータをある程度まで持ち出し可能にしてくれる。
 (リツコやマヤあたりは、もっとえげつないデータの持ち出しをしているものと思われる。ミサトはシンジとの同居にあたって、少しでも早く帰宅できるようノートパソコンの機能強化を頼んだ)
おかげで、こうしてデスクワークを宿題として持ち帰ることができるのだ。
 
 
「…ワタシには無いの?」
 
「なにが?」
 
 
自分が座っているのは、綾波の指定席。ダイニングで仕事をするときは、照明の具合が一番良いこの場所を借りることが多かった。
 (どうでもいい話しだが、テーブルでの指定席は以下のとおりと設定している。基本的には入居順に反時計回り。ペンペンはもともとアスカの位置(人間用の椅子は使い勝手が悪くてそもそもほとんど使ってないが)だったが、ベビーチェア購入を条件に現在位置へ移った)
(ミ ア )
 (□□□ペ)
 (シ 綾 )
  リビング

 
言いよどむ気配。
 
「…パジャマ」
 
ああ。廊下を歩いていった綾波の寝間着姿でも見てたのかな?
 (パジャマ自体が初見だったという意味ではなく、言い出すきっかけになっただろうということ)
「もちろん、あるわよ」
 
「あるの!なんで寄越さないのよ」
 
布地があげた抗議の悲鳴は、アスカがソファーから跳ね起きた音だろう。そのまま、ずかずかと近寄ってくる足音。
 (つまり、ミサトはここまでディスプレイから目を離していない。綾波の席を借りて仕事をしているのは、アスカが声をかけやすいよう背を向けているシチュエーションを演出したかったから。
因みに転入時に自然と決まったミサトの指定席は、リビングを見渡せてテレビも見える特等席ではあるが、一番の理由は「外から視線が通らない」ことに拠る)
「誕生日プレゼントにしようと思って仕舞ってあるわ」
 
「ケチ臭いこと言わないで寄越しなさいよ。今すぐ」
 
背後から、かじりつかんばかりの勢いで首元を抱えられた。
 
「もうすぐじゃない。我慢しなさいな」
 
「い~やっ!」
 
嘆息。
 
こうなるとアスカは、ATフィールドでも止められない。
 
まわされた腕にぱんぱんとタップして椅子から立つと、自室に使っている和室へ。
(ミサトとアスカは何度か格闘訓練を行っているため、こういうボディランゲージも成り立つ)
手提げの紙袋を抱えてダイニングに戻ったら、自分が使っていた椅子を胡座で占領して待ち構えていた。
 
袋から出して、テーブルの上に置いてやる。
 

 
きちんとラッピングして綺麗にリボンまでかけ終えられたプレゼントの登場に、アスカがたじろぐのが見て取れた。
 
ペンペン用のベビーチェアをどけて、アスカの指定席から椅子を寄せる。
 
テーブルの角をはさんで隣りに腰掛けて、うながすようにアスカの顔を覗き見た。
 

 
「…ファーストには、なんで? 誕生日?」
 
口で説明するより、見せたほうが早い。
 
アスカの前にあるノートパソコンを引き寄せて、MAGIにアクセスする。
 
スロットにIDカードを挿して、目的のデータを呼び出す。
 
差し出された画面に映る内容に、アスカの視線が釘付けになった。
 
「…不明。不明。不明って、何よこれ。名前以外は何ひとつ判らないじゃない」
 (原作のアスカも、この事実を知れば何かしら思うところがあっただろうと推量している)
「それが…レイちゃんの経歴。
 諜報部に拠れば、当時大量に発生した孤児か、コインロッカーベイビーの1人じゃないか。ということだけど」
 (ユイ篇でも言及しているが、これらの孤児は戦自少年兵部隊に引き取られている)
ちょっとだけ、嘘。データが抹消されているという不自然さを覆い隠すカムフラージュだ。
 

 
「あのご時世に、あの容姿で生れ落ちれば、捨てられても仕方なかったかもね」
 
キッと睨みつけてきた視線には、目尻にかすかな潤みがブレンドされていた。
 
だが、言葉はない。
 
あのアスカが一言も発しないのは、相当に怒っているのだろう。
 
身寄りも経歴もない孤児だという嘘を補強するためだけの、何気ない一言だったのだが。
 
睨みつけられるのは辛いが、それ以上に哀しく、それ以上に嬉しかった。「親に捨てられる」その言葉をキーワードに、アスカが綾波の存在に思いを寄せた。そのことが判ったから。
 
「いつか、…レイちゃんに大切な日ができたとき、誕生日をプレゼントしようと思うの」
 
それはいつのことになるだろう。行く手の不確かさに気が遠くなりそうだった。
 
「本当の母親でなければ与えられないモノだけど、私でよければ、私なんかでもよければ、与えてあげたい」
 
視線を落とす。組んだ指先に落ちる泪滴。
 

 
嘆息。怒りのやり場を呼気に込めたか、アスカの吐息が熱そうだ。
 
「ミサトは卑屈すぎるわ。ドイツの時ほど酷くはないけど、ワザとらしいぐらいにね。ワタシ、アンタのそういうトコ、好きじゃない」
 
アスカが今の自分をどう思っているのか。耳にしたのは初めてだろう。
 
「アスカ…ちゃんに、好かれたいわ」
 
「なら、堂々と誇りなさいよ。天下のチルドレンを3人も立派に養ってるって」
 
ええ、そうするわ。と目尻を拭うと、アスカも同じ仕種をしていた。
 
「そうしたら、好きになってくれる?」
 
「ミサトの心懸け次第ね」
 
視線をそらしたアスカは、残っていたどら焼きを発見して即時殲滅する。照れ隠しだろう。
 
いひゅににゃるくぁ、わきゃりゃにゃいきゃりゃ。もごもごと、食べながら話しかけてくるので、口元を睨みつけてやった。
 
「アスカ、お行儀悪いわよ」
 
慌てて口を閉じて、もぐもぐと咀嚼するさまが、とても可愛らしい。
 
ごっくんと飲み下したアスカが、これまた自分の残りの煎茶をすすった。
 (煎茶は高価くなっていると設定しているため、その登場回数は少ない。また20世紀生まれとしては、緑茶という呼び方はしたくなかった)
行儀には煩いくせに、音をたててすするのはOKって、日本人って解っかんないわね。などと呟いている。
 
「熱い飲み物が冷めないうちに飲みきってしまうための、生活の知恵なのよ」
 
熱いものを熱いうちにいただくのは、淹れてくれた者に対する礼儀でもあるのだが。
 (空気と同時に味わうことで香りも味わう。とする説もある)
ふうん。と、ちょっと関心を惹かれたようだ。
 
 
それはそれとして。
 
それで?と促してやると、何か言いかけていたことを思い出したようだ。
 
「誕生日がいつになるか判らないから、プレゼントだけ先に渡したの?」
 
ええ。と頷いて、手を伸ばす。
 
今のアスカなら、さっきの涙が本物なら、受け入れてくれるかも。
 
「アスカ…ちゃんからも、…レイちゃんにプレゼントをあげて欲しいのだけれど」
 
アスカの手の上に、重ねる。
 
急に言われても困るわよ。と声を荒げるので、かぶりを振った。
 
「…モノ、じゃないから」
 
「なによ」
 
憮然とした表情。右手を抜きたがっているようだが、握りしめて許さない。
 
「…レイちゃんのこと、名前で呼んであげて欲しいの。番号じゃない、彼女の名前で」
 
「そんなのワタシの勝手じゃない。なんでミサトに口出しされなきゃなんないのよ」
 
かぶりを振った   かぶりを振った   かぶりを振った
       お願い       お願い       お願い     アスカ…ちゃん。
 
「…なんでそんなに… 呼び方なんかどうでもいいじゃない」
 
空いていた左手も掴み取って、併せて握りしめる。
 
「彼女を記号で呼ばないで。エヴァに乗せるために拾われた部品だと蔑まないで」
 
「そんなつもりは…」
 
判ってる。アスカ…ちゃんに悪気がないことは解かっているわ。とアスカをむりやり抱きしめた。
 
テーブルの上に身を乗り出して、覆い被さるように。
 
「彼女は、エヴァに乗せられるために拾われた存在。綾波レイと名付けられる前に、番号を付けられた娘」
 
これは嘘。やはり不自然さを覆い隠すカムフラージュだ。
 
 
MAGI完成の前日に初めて会ったと、リツコさんは言っていた。母親であるナオコ女史も初めてのようだった。とも。
 
ならば、2010年の話のはずだ。
 (フィルムブックでは7歳児に見える5歳児と説明されていて2005年登録でもおかしくはない。ただやはり2010年時にナオコが知らないのは不自然なので、チルドレンの番号付けそのものが後付けではないか?と推測。アスカがセカンドなのは選出順ではなくて、番号付けが行なわれた際に本部籍ではなかっただけということではないだろうか)
一方、アスカがセカンドチルドレンに選出されたのは2005年と記録されている。
 
ゲヒルンの中枢にいた赤木ナオコ博士が5年以上、知らなかった“ファースト”チルドレンの存在。
 
 
その不自然さを利用して、レイの存在をアスカに呑ませるための、ほろ苦いオブラートだった。
 (つまりそのあたりの事実はゲンドウしか知らない=アスカには調べようがない。と踏んで綾波の経歴を詐称して見せた。ということ)
包んだのは劇薬だが、きっとアスカのためになる。エヴァにすがらない自己を確立する光明になる。
 
だから、力を込めて抱きしめた。こんな時、下手に相手の顔など見ないほうがいい。
 
 
考えて。考えて。考えてくれ、アスカ。
 
ヒトは、自分の姿を自分で見ることができないものだ。見たければ、鏡に映る虚像を眺めるしかない。
 
心に至っては、虚像すら映すものがない。自分の心は他者を観ることでしか推し量れないのだ。
 
人の心の形は、隣り合う他者の心との境界によって形作られるのだから。
 
己を知ろうとする心。そのための指標は、他者の心の中にあるのだ。
 
逆に、他者を見るとき、人は己の心を投影する。相手の心もやはり、見えないものだから。
 
他者への評価、対応、感情は、己への裏返しなのだ。
 
 
アスカ。君の綾波への隔意は、自分自身を嫌う君の心なんだよ。彼女は君の鏡なんだ。
 
綾波を好きになれれば、君はきっと自分を好きになれる。それが始まりの一歩だよ。
 

 
とんとん。と背中をタップされる。
 
「…わかったから放して、苦しい」
 
「お願い。きいてくれる?」
 
はぐらかそうとしてもダメ。
 

 
「…苦しいんだから、とっとと放しなさいよ」
 
「お願いきいてくれるまではイヤ」
 
とぼけてもダメ。
 

 
「しょっ、しょうがないわね。そこまで言うなら考えといてあげる。感謝しなさい、このワタシが自分のスタイル曲げようって云うんだから」
 
ええ、ありがとう。と、さらに力を入れる。
 
放せって言ってるでしょ~。と、じたばたもがくアスカの可愛らしさを、堪能し尽くすことにした。
 
泣いているところをこれ以上、見せたくなかったし。
 

 
「…じゃ、これ、仕舞っておいて。…誕生日まで我慢するから」
 
突き返された箱を受け取る。
 
「そう。じゃあ土曜日にね。パーティーに誰を呼ぶか決まった?盛大にしましょうね」
 
喋りながら箱を紙袋に押し込み、いま一度、自室へ。
 
 
戻ってくると、アスカの姿は再びソファーの上。そしらぬ顔で、さもつまらなさそうにファッション雑誌をめくっていた。
 
椅子に腰掛け、仕事の続きを…
 
「…ミサト。ダンケ」
 

 
「ビッテシェーン。アスカ…ちゃん」
 
 
 
アスカの誕生日の数日前、深淵使徒が現れる前の晩の話だった。
 
 
因みにアスカのために用意したパジャマは、八汐紅を匂い染めにしたものだ。
 
色を赤にしてグラデーションも逆さにしてあるが、綾波とはある意味でお揃いだった。
 
気に入ってくれるといいけれど。


special thanks to ジョニー満さま(@johnny_michiru)
ジョニー満さん(@johnny_michiru)に、この話のイラストを描いて頂きました。ありがとうございました。
(パジャマ姿のアスカが最高に可愛いです。d(>_<))
Twitterで、dragonfly(@dragonfly_lynce)を検索してみてくださいませ。


2021.08.02 ILLUSTRATED



[29540] シンジ×3 テキストコメンタリー5
Name: dragonfly◆23bee39b ID:838af4c9
Date: 2021/09/16 17:33

シンジのシンジによるシンジのための補完 第拾参話 ( No.15 )
日時: 2007/03/27 18:39 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2


結論からいうと、エヴァ参号機との戦い、憑依使徒戦は前回とほぼ同じ流れになったようだ。
 
 
…………
 
 
「え~!こいつがフォースチルドレン!?」
 
昨晩に加持さんが差し入れてくれたザッハトルテを、一人咀嚼しながら頷く。
 
例によって子供たちは夕方に食べてしまっている。
 
「信じらんない。何でこんなヤツが選ばれたエヴァのパイロットなのよ!」
 
琉球ガラスのカフェオレボウルを手にして、濃ゆ~い抹茶を一口。
 
組合せのおかしさにか、見ていた彼の眉根が寄った。
 
いや、…その… 合うんだよ? この組合せ。美味しいんだってば!
 (現実には珍しくもない組合せだが、常夏化+海水面上昇で日本列島は茶葉の育成に向かなくなった。としている。国産品はタンニンが多くてほとんど番茶に回されているので、抹茶はおろか煎茶も高級品。またコーヒーと違い、自給率が高いうえ独特な蒸青工程がある日本茶は輸入に向かないので未だに値段が落ちない。当然のことに抹茶チョコなんて代物もない。としている。
なお今回の抹茶と前回の煎茶は茶器・茶請けも含めて加持経由で冬月から提供されたが、誰も点て方を知らなかったので先に茶菓子だけ食べてしまった経緯がある)
「エヴァにシンクロできる素質が認められたからよ」
 
「ワタシは認めないわよ!こんなヤツ」
 
「落ち着いてアスカ…ちゃん。エースパイロットでしょ。どーんと構えていて頂戴」
 
ワタシは落ち着いているわよ。と腹立ち紛れにケーキの残りを強奪された。
 
「参号機は不安が多いから私は使う気はないのだけど、新しいエヴァが来た以上、使える状態にする義務があるのよ」
 
行き場をなくしたフォークを、皿の上に置く。
 
「だから、とても即戦力にはならないけど彼を登録、起動実験しておくの。
 使えるようにはしてますよ、でもパイロットの能力が低いのでとても実戦には出せません。って言うためにね」
 
「一つだけ教えてください。なぜ、ケンスケなんですか?フォースチルドレンが」
 
その資料から目を上げて、彼の質問。
 
クラスメイト達の秘密に触れるつもりはないので、当り障りのない理由を用意してある。
 
「最終選抜に残ったのは誰もドングリの背比べなの。あなたたちとは比べようもなくね」
 
当然よ。とアスカが胸を張った。
 
「誰を選んでも変わらないなら、やる気があって、私と面識のある者がいいだろうって」
 
この言い方は微妙だ。あたかも上のほうの誰かが決めたように聞こえる。
 
実際は、自分が決めた。
 
今日、リツコさんの執務室に行ったときに意見を聞かれたのだ。
 
最終選抜の決め手に欠けるので、作戦部長の見解を求めることになった。とのリツコさんの言葉を額面どおりに受け取っていいものかどうか、判断のしようもないけれど。
 
「そんな理由なんですか?」
 
「それくらい変わり映えがしないのよ」
 
自分のクラスが選抜者を集めて保護していたことは、かつて彼女から聞いていた。リツコさんがクラスメイトのプロフィールを並べてみせるまで、そのことに感慨は抱かなかったが。
 
どう転んでも自分のクラスメイトが選出される。誰であれ知り合いを傷つけることに変わりはなかった。ということに、今日ようやく気付いたといってよい。
 
「それに彼、軍事とか好きでエヴァに憧れていたでしょ。いろいろ独自に調べているみたいだし、前科もあるし」
 
前科ってナニよ。エヴァが見たくてシェルター抜け出したんだよ。…碇君はそのために負傷した。ナニよそれ最っ低。クワ~。との遣り取りはほほえましく見守る。
 
 
そうなると気になるのが、かつてトウジが選出された経緯だった。
 
前回もこうして「葛城ミサト作戦部長」が決めたのだろうか?
 
…違うような気がする。自身が関与したならしたと、彼女ならあのとき教えてくれたはずだ。
 
最後の最後まで言えなかったのは、自ら決断したことではなかったから。彼女自身、納得がいってなかったからではないだろうか?
 
「どうせなら手元において、知りたいことを教えてあげて、守秘義務を与えてあげたほうが彼のためになるんじゃないかと私も思ったのよ」
 
だとすると、今回フォースチルドレン選抜に自分が関わったのは、前回との違いが生んだイレギュラーの可能性がある。
 
だが、トウジに関することで思い当たるのは、今回はナツミちゃんが無事だということぐらいだ。それがどのように影響を与え得たのか、ちょっと想像がつかない。
 
ナツミちゃんをコアに取り込ませた可能性も考えたが、そうすると他のクラスメイトが候補者であることと整合性が取れないように思う。それともエヴァへの生贄は母親であるという推測は、先入観だったとして捨て去るべきだろうか?
 
ただ、マルドゥック機関が存在しないことや、第4次選抜候補者を集めていたはずの2-Aのクラスメイトたちが平気で疎開していったことを考えると、チルドレンたる資格のボーダーラインはけっして高くはなさそうだが。
 
「チルドレンなら護衛がつくから、却って下手なことも出来なくなるでしょうしね」
 
選抜自体はそれほど迷わなかった。ケンスケがなりたがっていた事を知っていたこと以上に、トウジが悩んでいたであろうことに思い至ったから。
 
ならば、前回を踏襲する必要はないと思ったのだ。
 
もちろん、ケンスケなら酷い目に遭っても構わない。というわけではないけど。
 
 
嘆息したアスカが、彼から奪った資料の端を、指で弾く。
 
「つまりコイツは、名目上のお飾りで二軍の補欠として実戦に出ることもなく座敷牢で一生さびしく飼い殺しにされるのね?」
 
そういう言い方はないと思うな。との彼の呟きは無視された。
 
「そこまでは言わないけど、おおむね、そうよ。彼の素質から予想され得るシンクロ率では、弾除けにもならないわ」
 
起動指数ぎりぎりなのだ。
 
ばんっ。とテーブルに資料がたたきつけられる。
 
「そういうことなら仕方ないわね。ワタシは心が広いから認めてあげるわ。一応」
 
一応、なんだ。…猫の額のように広いのね。でしょう、ワタシをもっと賛えなさい。クっクワワ!との遣り取りは雲行きがあやしくなりそうなので割り込む。
 
「第二支部のことも含めて、今夜話したことは機密事項だから、外で口にしないでね」
 
「はい」
 
「わかってるわよ」
 
「…了解」 
 
「クワっ」
 
 
さんざっぱら悩んで、結局こうしてフォースチルドレンについて話したのは、最後の最後になってトウジの姿を見たときの衝撃と恐怖を忘れられないからだ。
 
あの時、アスカは知ってるようだった。綾波も、そんな気配がした。自分だけが知らなかったのは、つまり自分が周囲に関心を持ってなかったから、知ろうとしてなかったからだろう。
 
…いや、そのことをミサトさんに訊かなかったわけじゃない。だけどそれは、ケンスケでも知ってることを教えてもらえなかったことへのあてこすりだった。ミサトさんはミサトさんで悩んでたであろうことなど微塵も考えず、ただ己の感情をぶつけたに過ぎない。でなければ、ケンスケが闖入してきたぐらいで有耶無耶になどさせるものか。
 
ならば、あれは自業自得だったのだ。あらかじめトウジが乗っていると判っていれば、そう覚悟を決めていれば、…救けるために戦うという選択肢だってあったはずだった。
 
…そんな後悔だけは、させたくない。
 
 
残る懸念は参号機が使徒に乗っ取られることだが、対策としてダミーシステムの使用を強く要望しておいた。
 
 
手にしたカフェオレボウルが、いつのまにやら、空に。
 
「あなたたちもお抹茶、いる?」
 
「あ~!ワタシ、ワタシにやらせてっ!」
 
跳び上がらんばかりの勢いで椅子を蹴立てたアスカは、奪い取るようにして茶筅を握りしめた。さあ!このワタシにお茶を点ててもらいたいのは誰!とばかりに睥睨する。
 
「あ~…僕はいいゃ」
 
「…希望します」
 
「クワっ」
 
レイはティーセレモニーの作法、知ってる?なんてアスカの質問に、綾波がかぶりを振った。訊かれないうちに、とでも思ったのだろう。彼がリビングに退散する。
 
2人の分の茶碗をと食器棚へ往復してきたら、アスカが抹茶を山盛りにしようとしていたので、慌てて止めた。
 
 
…………
 
 
「LCL圧縮濃度を限界まで上げろ。子供の駄々に付き合っている暇はない」
 
「待ってください!」
 
『ミサトさん!?』
 
ぎりぎりで間に合った。
 (このタイミングはあからさまにご都合主義だけど、まあ二次創作ということでお目こぼしいただきたい。以下はその言い訳)
採れるだけの手段を講じ、応急手当も拒否して最短で発令所に飛び込んだ。
 
本部棟内をスクーターで暴走したのは、後にも先にも自分だけだろう。
 (原作マトリエル戦で日向が副発令所まで選挙カーを走らせているが、このミサトはもちろん知らない。ただし、選挙カーにできることならスクーターでも可能だろうということでこの下りが成り立ってはいる)
あとで聞いた話だが、今回の作戦を行った司令部への不信と反感が、発令所スタッフの反応と手並みを鈍らせていたらしい。
 
「…なんだ、葛城三佐」
 
発令所トップ・ダイアスから見下してくる父さんの視線。サングラスに隠されてなお突き刺さるようだ。
 
だが、いま自分は雛を守る親鳥。屈するわけにはいかない。
 
「パイロットの行為に対する責任。処罰する権利はわたくしにあります。どうかお任せください」
 
今になって思えば、この時期になって父さんが自分を放逐したのは、彼なりの温情だったのではないだろうか?
 
本当は、息子をエヴァなんかに乗せたくなかったのではないか?
 
使徒襲来の直前になって呼び寄せるようなはめになったのも、本来は乗せるつもりではなかったからではないか?
 
ダミーシステムが完成し、こうして実用性が証明された今。渡りに船とばかりに処罰にかこつけて、自分を解放してくれたのではなかったか?
 
「命令違反、エヴァの私的占有、稚拙な恫喝、これらはすべて犯罪行為だ。君が責任を取るというのなら、解任もありうるぞ」
 
しかし、どこか欠陥でもあったのか、以後ダミーシステムが使われることはなく、自分が初号機に乗りつづけることになった。
 
とすれば、いま彼を放逐することは次の使徒戦を不利にするだけだ。
 
父さんの真意は測りようがないが、阻止せねばならない。自分としても実に不本意ではあるが。
 
「承知しています」
 
頭の傷から再び出血したらしい。染み出た血液が左眼に入ってきた。
 
ありがたい。お陰で父さんの姿がぼやけて見える。
 
「…なぜ、そうまで気にかけるのだ」
 
ああ…。生きることが不器用だとリツコさんが言ってたわけを、今ようやく実感した。
 
本音を見透かされるのを怖れ、思ったこと、やってることと違うことを言う。相手が自分を受け入れてくれることを信じられず、命令や恫喝によってしか人と接することが出来ない。裏腹な態度で相手を測り、愛されていることを試そうとする。
 
それは、愛を与えられなかった子供の求愛、愛の与え方を知らない大人の逡巡。そして、愛の受け取り方が解からないヒトの予防壁だった。
 
哀しくて涙がでる。
 
「わたくしは、彼らの保護者ですから」
 
その姿が、ひどく小さい。今なら、父さんの眼をまっすぐに見ることができるだろうに。
 
父さんがサングラスを押し直した。もしかしたら目前で泣かれて面食らったのかもしれない。
 

 
「…よかろう、君に一任する。ここを治めたまえ。処罰は追って沙汰する」
 
「はっ!ありがとうございます」
 
意外にあっさりと引き下がったのは、おそらく逃げたのだろう。もちろん、単純な泣き落としが効くようなタマではない。思うに、自身に向けられた同情が痛かったのではないだろうか。
 
トップ・ダイアスを退出する父さんを敬礼で見送り、前面ホリゾントスクリーンに向き直る。
 
日向さんがヘッドセットインカムを手渡してくれた。
 
「シンジ君。お待たせしてごめんなさい」
 
『…いえ、ミサトさん無事だったんですね。良かった…』
 
彼の声は意外と落ち着いている。冷静に話し合いができそうだ。
 
こちらの状態に気付いてなさそうなのは、発令所の様子がプラグに流されていないからだろう。そのほうがいい。
 (ゲンドウがシンジに対するに顔を見せる可能性は少ないということと、テロや立てこもり犯には情報を与えないようにすることから、プラグには日向との画像回線だけだったと判断した)
インカムを直通ラインモードに、これで余計な雑音を聞かせずにすむ。
 
「私はね…。シンジ君ごめんなさい。今回のことは全て私の責任よ。恨むなら私だけを恨んで」
 
『そんな!ミサトさんがしたわけじゃないのに、恨む筋合いなんてないよ』
 
「作戦中に発令所に居なかったのは私の責任なの」
 
これはもちろん嘘だ。私用で居なかったわけではないのだから。
 
『だからって、…ってミサトさん、怪我してるじゃないですか』
 
日向さんが気を利かしたつもりで自分の様子をプラグに流したらしい。思わず睨みつけてしまったのを、見咎められなくて良かった。
 
「私のことより、シンジ君のほうが先よ」
 
『わかったよ。降りる、降りるから手当を受けてよミサトさん』
 
「それはダメよ。シンジ君」
 
プラグを排出すべくロックを解こうとしていた彼の動きが止まる。
 
これで一件落着。と安堵しかけていた発令所のスタッフも驚いたようだ。日向さんは、特に。
 
だが、この場で解決せずに問題を先送りにしては、却って禍根を残しかねない。
 
彼の性格を鑑みれば、ああして安全に護られていてようやく対等な力関係で話し合いが行えるのだ。ここで自分の怪我を取引材料にしては、せっかくの均衡がこちらに傾いてしまう。
 
「私の怪我への同情でプラグを出てしまったら、シンジ君の怒りはどうなるの?シンジ君の憤りはどうするの?友達をその手にかけてしまった心の傷をどうすればいいの?」
 
あの時、一言でいいから父さんが謝ってくれれば。
 
宙ぶらりんにされた自分の気持ちを思い出して、涙と間違えてジャケットの袖で血をぬぐう。
 
誰かが向きあわねばダメなのだ。
 
「今からケィジにいくわ、」
 
ハンカチを手にして近寄るマヤさんを、身振りでおしとどめる。
 
「…相田君を参号機に乗せた責任は私にある。だから、その怒りは、私に…」
 
『待って!待ってよミサトさん。来ないで、こっちには来ないで!』
 
「なぜ?顔も見たくないの?」
 
『違う!違う違う違う。
 
 傍に居られたら、思わず傷つけてしまうかもしれない。そんなのもう、嫌なんだ!
 
 それに…
 
 …それに一つだけ訊きたいんだ。
 
 どうして、どうして?』
 
やはり親子だった。彼もまた不器用だ。人のことなど言えた身ではないが。
 
いや、素直に相手に訊ける分、彼は成長しているのだろう。
 
「…他の人には内緒だけど…」
 
マヤさんに目配せ。 
 
この状況下で秘密もなにもあったものではないが、ここから先がオフレコだと解かってくれればいい。
 
ディスプレイのインジケーターが一つ、消えた。マヤさんがMAGIのレコーダーを止めてくれたようだ。
 
気休めだが、しないよりはマシ。
 
「…まずは貴方を褒めたいの」
 
発令所が静まりかえった。プラグの中で、彼も驚いているようだ。
 
「貴方がとっても頑張っているってことを。そのことに不平不満すら言ったことがないってことを」
 
だから…。と発令所を見渡す。
 
「エヴァがどれだけ危険で未知数なものか、ネルフの大人たちは忘れかかっていたわ」
 
左腕が痛い。やっぱり折れてるかな。
 
右奥の義歯も随分ぐらついているようだ。
 
「そんなものに、まだ14歳の少年少女を押し込んでいるってことも」
 
こんな事態はありえて当然だってことを、シンジ君は思い出させたのよ。と続く言葉がかすれる。
  
「忘れていたから、慌てて『君のためだった』なんて口先だけの言葉でなだめようとする。誤魔化そうとした」
 
今回、この言葉は直接聞いていない。だが日向さんの態度を見れば一目瞭然だ。
 
「友達に殺されるのと、友達を殺すのと、どっちがいいかなんて、本人ですら簡単には決断できないのにね」
 
あのとき自分は感情任せに怒鳴り返したが、彼はどう反応したのだろう。
 
『…ミサトさんだって、ネルフの大人じゃないですか』
 
さも解かってるかのような顔して近寄る大人は、思春期の青少年が最も唾棄する存在だ。そう見えたのだろうか。
 
いや、単にこちらを試しただけだろう。
 
「「あなたたちを戦いの駒だから大切にしている」と、やっぱりそう思っているの?」
 
自身の言葉をつき返されて、彼の瞳が揺れる。 
 
「思われても仕方ないわね。大人はそれでいいもの。大人同士なら、割り切って殺し合いに送り込める。人類のために死んで来いって、命令できるわ」
 
平気な顔を繕うのが辛くなってきた。それもあって映像はつなぎたくなかったのだが。
 
「でも子供はダメ。そうしてはダメ。… 」
 
吐息
 
「…だから私は、あなたたちの親に、母親になりたかった」
 
『…! 親なら子供を殺しても…、殺し合いに送り込んでもいいんですか』
 
ちがうわ、そういう意味じゃない。と振ったかぶりが、傷に響く。
 
インカムを手にしたまま、のろのろと直通リフトへ向かう。やはり間近で話さなくては。
 
触れ合うような距離でこそ、言葉は心を運んでくれる。
  
「親なら、いざというとき子供を庇っても赦される。世界と子供を天秤にかけて、ためらいなく子供を選べる」
 
それは、我が子だけを一途に思いつづける母親の愛。子供たちに最も足りないモノ。自分が一番欲しいモノだった。
 
欲しかったから与えたい。無限大の愛情を込めて、世界より大切だと言ってやりたい。
 
言われたかったからこそ、言ってやりたいのだ。
 
…だが、自分の立場では説得力がなかった。
 
親なら立場を省みずとも赦される言葉は、他人が口にすれば偽善になる。ましてや作戦部長の身ともなれば。
 
だから、言えない。あえて、言わない。
 
「でも、私では、シンジ君の母親にはなれない。世界とシンジ君を秤にかけたら、ためらってしまうもの」
 
リフトの床に座り込んで、そっと一息。
 
『…ためらってくれるんですか?』
 
「ためらうわ」
 
床に刻まれたモールドを押して操作パネルを開く。
 
起動スイッチを入れると、パネルごとせりあがって手すりになる。
 
『なぜ、ためらうんですか』
 
…あなたを… 声が出ない。咳をひとつ、掌に預けてから見上げる、前面ホリゾントスクリーン。
 
「…あなたを選んで、それで世界が滅べば、きっとそのことがシンジ君を苦しめるから」
 
彼が滅びの道を選んで、後悔することがないように。
 
目の前の出来事だけに囚われず、将来を見越して厳しく接する。
 
それは父親の愛だ。
 
それもまた、きっと足りてないモノ。
 
だから、世界を護る。彼のために、世界を救う。そのために、彼に厳しくあたらねばならぬのだ。
 
スクリーンの中、彼が両手で顔を覆った。
 
『…やっぱり来ないで、ミサトさん』
 
「シンジ君…」
 
『泣き顔を見られたくないから、ケィジには来ないでミサトさん。
 降りるから、きちんと謝るから、早く手当を受けてよ』
 
上半身を起こしているのが辛い。リフトの手すりにもたれかかる。
  

 
「わかったわ。ケィジには行かずに手当を受ける。その代わり、シンジ君?」
 
『…なに?ミサトさん』
 
「落ち着いてからでいいから、…相田君のお見舞いと付き添いに行ってあげてくれる?」
 
息を呑む気配。
 
自分もそうだったが、己の気持ちにかまけて被害者のことを忘れ去っていたのだろう。
 
『…必ず』
 
 
これはまた、彼が不用意に拘束されないための予防策でもある。
 
ネルフは組織として甘いところが多い。
 
作戦部長の命令で被害者のお見舞いともなれば、エヴァハイジャックの未遂犯でも無闇に拘束はされないだろう。
 
 
「約束よ」
 
まぶたがひどく重い。視界が暗くなっていく。
 
そのあとで、ちゃんと叱ってあげる。その言葉をきちんとマイクが拾ったのかは、判らなかった。
 
 
****
 
 
「知らない天井 …ね」
 
いや、かつては見慣れた天井だったが。
 
「…葛城三佐」
 
「…レイちゃん。付き添ってくれていたの?」
 
こくり。
 
「…順番、番号のとおり。碇君は相田君のところ」
 
手や肩口など、いたるところに包帯を巻いていて痛々しい。
 
「そう。ありがとう…レイちゃん」
 
「…どういたしまして」
 
うつむく彼女の向こう、ワゴンの上に青紫の花束が見える。
 
「あら?紫陽花?」
 
「…加持一尉が」
 
このご時世、紫陽花は手に入りづらいのに。
 
「折角だから、…レイちゃん。花瓶に活けてきてくれない?」
 
「…花は嫌い
  同じものがいっぱい
  要らないものもいっぱい」
 (原作のこのセリフを踏まえて、花をこのシリーズの構成要素とすることは決まっていた。原作で使われたヒマワリではなく紫陽花にしたのは、執筆中によく見かけたことと、綾波の髪の色とイメージをダブらせるため、世界観を表しやすい形状だったから)
紫陽花を見ようともしない。同じ花が沢山寄り集まっているさまが、地下の綾波たちを彷彿とさせるからだろうか?
 
綾波がなにかと無謀な特攻を行ったのは、いくらでも身代わりが居るから。自分がそのうちの一つに過ぎないと考えているから。だと思っていた。
 
だが、同じものが沢山あることに嫌悪を覚えるのは、大勢の分身たちの存在を忌避しているから、自分が一つだけの特別な存在だと認識したいから。ではないだろうか?
 
それは自らの個性を求め、凡百に埋没することを恐れる若者の心理に近いのかもしれない。
 
その現実に耐えられなかった綾波は、己を消すことで葛藤から逃れようとしていたのだろうか?
 
 
「…レイちゃん。その紫陽花を持ってきてくれない?」
 
ふるふる
 
「…いや」
 

 
仕方ないので、ベッドを降りて自分で取りに行く。
 
大丈夫。体は意外にしっかりしていた。
 
振り返ると、ベッドの枕元に自分のジャケットが吊るしてあるのに気付く。誰かが気を利かせたのかクリーニング済みのパック姿。ジオフロント内にコインランドリーなどないというのに。
 (これはもちろん日向)
ポケットに入っていた私物は、サイドテーブルの上のトレィにまとめてあるようだ。
 
「…レイちゃん、よく見て。同じように見えるけど、違いがあるわ」
 
「…いや」
 
嘆息。ベッドに腰かける。
 
話の糸口を探す。綾波について考えてきたことを、語ってみる好機かもしれない。
 

 
「…レイちゃん。双子って知ってる?」
 
「…一卵性双生児?」
 
「ええ、全く同じ遺伝子をもって生まれた二人の人間のことよ」
 
その肩が、ぴくりと跳ねた。
 
「彼らは同一の遺伝子を持っているのに、驚くほど違う人格に育つことがあるわ。それどころかホクロがあったりなかったり、身体的特徴すら違う事だってあるのよ」
 
ちょっと辛い。ベッドのリクライニングを起こして、もたれかかる。
 
「スタートラインは同じ遺伝子で一緒でも、ゴールまで一緒とは限らないのね」
 
花束から一株だけ紫陽花を抜き出す。
 
「いいえ、当然だわ。同じ物でも二つあれば、同一の空間、同一の時間は共有できないもの」
 
左腕はギプスで固定されている。ただ、何が起こるか判らないと身構えていた分だけ当時の彼女より軽症で済んだらしく、指先までは覆われていない。
 
その左手に紫陽花を持つと、これ見よがしに花弁を一つ折り取った。ぱきり、と思いのほか音高く。
 
「お願い。見て、…レイちゃん」
 
紫陽花を差し出すと、反射で視線が向いた。
 
「花を一つ、取り除いたわ。でも、同じはずの他の花ではなり代われない。同じはずの花でも入り込めないわ」
 
綾波の眼差しは、折り取られた花弁のあった、ちぎられた茎に注がれている。
 
「当然ね。この花の占めていた位置は、この花の生い立ちは、この花だけのものだもの」
 
折り取った花弁を差し出す。
 
「誰にも代わりは勤まらないわ」
 
顔ごと動かして、綾波が折り取られた花弁に向き合った。
 
「…誰にも?」
 
「そう誰にも」
 
「…同じなのに?」
 
「同じでも」
 
右手を紫陽花に添えるように近づけて、折り取った花弁を、ちぎられた茎の傍へ。
 
「ほら。紫陽花に開いた穴を、誰も埋められないわ。この花の代わりなんて、ありえないのよ」
 
紫陽花と、花弁とを、綾波の視線がゆっくり一往復する。
 
「…同じ物でも、この花だけのものがある?」
 
「そうよ。今そのことを…レイちゃんに教えたことの栄誉も、この花だけのもの。誰にも奪えない」
 
「…この花に代わりが居ないなら、私にも代わりは居ない?」
 
…レイちゃんの代わりなんてありえないけど。と嘯いて、
 
「何者も、誰かの代わりにはなれないわ。もし貴女に双子の姉妹がいたとしても、あなたの記憶、あなたの経験、あなたの感情、あなたの思い、あなたの心、どれ一つとして手に入れることは出来ない。たとえ手に入れられても、それは貰い物。自ら手にした貴女とでは、重みが違う。
 貴女は貴女だけのもの。あなたはこの世にたった一人なの」
 
「…私はたった一人」
 
綾波の手が、折り取られた花弁に伸ばされた。
 
「…私だけのもの」
 
おずおずと、ガラス細工を扱うように手に取る。
 

 
「花は…嫌い?」
 

 
ふるふる
 
「…好きに…なりました」
 
顔を上げて、紫陽花の株に目をくれる。その眼差しは驚くほど優しい。
 
味気ない蛍光灯の下なのに、綾波の微笑みは陽だまりを切り取ったスナップ写真のように時間を止めて見えた。
 

 
ふと、寄せられる眉根。落とす視線の先に折り取られた花弁。
 
「…私のために…」
 
「そうね。かわいそうなことをしたわ」
 
驚いたことに、綾波の頬を涙が伝った。
 

 
「…これが涙?泣いてるのは、私?」
 
本人が一番驚いているようだが。
 
「せめて、押し花にしてその姿をとどめましょうか」
 
「…押し花?」
 
ぬぐうことも知らず、その涙滴を手に受け止めている。
 
「水分を抜いて花の形をとどめることよ。作り方は後で教えてあげるわ。
 …レイちゃんは読書が好きだから、栞にするといいかもね。ずっと手元に置いてあげなさい」
 
「…はい」
 
手を差し出すと、実に丁重に花弁を託された。
 
「それじゃあ涙を拭いて、紫陽花を花瓶に活けてきてくれる?」
 
頷いた綾波は、恭しく紫陽花を受け取ると花束を拾い上げ、涙は拭かずに退室してしまう。
 
渡そうとしたハンカチが行き場をなくした。折角なので紫陽花の花弁を挟んでからトレィに戻す。
 
水縹色のハンカチは、奇しくも綾波からの昇進祝い。
 (水縹(みずはなだ)色は、少し深みのある水色)
くすり、と一苦笑もらして、ベッドに倒れこんだ。
  
すこし疲れたかもしれない。ちょっと一休み…
 
「ミサト、目が覚めたって?」
 
…させてもらえないようだ。
 
「あら、アスカ…ちゃん。体は大丈夫?」
 
頬につけたバッテン印の判創膏が、なんだか可愛らしい。
 
「それはコッチのセリフよ。ミサトのほうがよっぽど重傷なんだから」
 
「大丈夫みたいで一安心だわ。私も問題なしよ」
 
信用できない。って顔つきでアスカが仁王立ち。
 
「説得力ないわよ。せめてきちんとベッドに入りなさい」
 
はいはい。とおざなりに応えてベッドに入ると、アスカがリクライニングを倒してくれた。
 
「まったく、使徒戦さぼってほっつき歩いてるからそんな怪我するのよ」
 
もちろんさぼっていたわけではないことは、アスカも解かっているだろう。これが彼女なりの心配の仕方なのだ。
 
「まったく司令部ときたら、こっちの能力も知らないで適当に配置するし、戦力は逐次投入するし、作戦らしい作戦を立てもしないし、意見具申は聞き入れないし」
 (アスカが意見具申しようとしたことを除けば、原作どおりの展開だった。ということ。因みにアスカの献策は初号機(防御)・弐号機(攻撃)のツートップ、零号機(援護射撃))
ホント酷い目に遭ったわ。と病室を練り歩く姿は、冬眠明けのヒグマのようだった。
 
「それもこれもミサトが居なかったせいよ」
 
ご。と口を開こうとするとアスカに睨みつけられる。
 
「口先で謝ったくらいで赦されると思ったら大間違いだわ。
 いい?今後ワタシはミサト以外の指揮では戦わないわよ」
 
肝に銘じておきなさい。と捨てゼリフを残して去っていった。
 
嘆息。アスカも素直じゃないな。
 
それが可愛いと思えるほどには自分も成長しているようだが。
 

 
素直じゃない。で思い出して、トレイから携帯電話を取り上げる。
 
ちりんと鳴る鈴の音。ストラップはシーサーのマスコットで、彼の沖縄土産だった。
 
時刻を確認する。よかった、それほど眠っていたわけではなさそうだ。
 
リツコさんにメールを打つ。
 
 ≪ 優しくして付け込むなら今がチャンス
   決めゼリフは「シンジ君は解かってくれますわ」よ
   これでダメなら「少なくとも私は解かっておりますわ」でトドメ d(>_<) ≫
 
 
****
 
 
その後、お見舞いに来てくれたマヤさんに託されることとなった紫陽花の花弁は、後日、なぜかプリザーブドフラワーとなって綾波の元に届いた。
 (有機溶剤を染み込ませるなどして花を保存する手法。没ネタにしたプラスティネーションは樹脂を用いるので半永久的に保つ)
綾波は喜んだみたいだから良いけれど。
 
 
                                        つづく



special thanks to ジョニー満さま(@johnny_michiru)
ジョニー満さん(@johnny_michiru)が、この話のイラストを描いて頂きました。ありがとうございました。
(紫陽花の花弁に涙する綾波が最高に可愛いです。d(>_<))
Twitterで、dragonfly(@dragonfly_lynce)を検索してみてくださいませ。


2006.10.02 PUBLISHED
2007.03.27 REVISED
2021.08.03 ILLUSTRATED


シンジのシンジによるシンジのための 補間 #4 ( No.16 )
日時: 2006/10/06 17:18 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2


逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。
 
ちらりと横目に見る視線の先に、【相田ケンスケ】と書き込まれたプレート。
 
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。
 
 
ノックすべく持ち上げた右手に紙袋。見舞いの品を提げていたことすら失念している。
 
落ち着け。
 
ギプスの先から覗いている左手の指先に取っ手をかけてみると、ちょっと痛い。
 
思案した挙句、とりあえず傍らの壁の手すりの上に置くことにした。
 
 
深呼吸。
 
あらためて持ち上げる右手。
 
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。
 

 
こんこん。ついつい控えめになったノックの音は、室内から聞こえてきた爆笑の声にかき消される。
 
爆笑?
 
なんだか室内はずいぶんと盛り上がっているようだ。
 
無意味そうなのでノックは諦めてドアを開けると、室内はケンスケ独演会の会場になっていた。
 
「あ~れ~、シンジさまぁ!お戯れはお止しになって~」
 
おどけた感じで熱演しているのは、どうもダミープラグ支配下の初号機に蹂躙される場面らしい。ベッドの上のケンスケが、よよよ。と泣き崩れて見せる。
 (しっかりと意識を取り戻したトウジが特に痛がってなかったので、限定的で効果的な麻酔技術があるものと推量した)
「ちっ違うんだ。あれはエヴァが…」
 
彼の頭を優しく突ついたのはアスカだ。
 
「…じゃなくて、…かっ体が勝手に…」
 
反論するさまが必死そうなのは、つらいからではなくて、恥ずかしいから…みたいなのだが…?
 
「体が勝手に!?本能なのね。このケダモノっ」
 
胸元をかばって後退るケンスケの演技に、爆笑がまた。
 
口の端を少し持ち上げて微笑していた綾波が、こちらに気付いて近づいてくる。
 
「…レイちゃん。何事なの?」
 
「…鈴原君と洞木さんに事情を説明するために、相田君が始めました」
 
なるほど、ベッドサイドのこちら側にトウジと洞木さん。向こう側に我が家の子供たちがいたのはそのためか。
 
…私の出番は終わり。呟く綾波の雰囲気も優しい。
 
「つまり、エヴァンゲリオンがわやになってもぅたんで、こないなった。っちゅーこっちゃな」
 
「…相田君、大変だったのね」
 
「いやいや、俺はちょ~っと痛いのを我慢すれば良かったんだから、たいしたことないさ」
 
いつもどおり、実に屈託なく笑うケンスケ。いや、むしろ普段よりテンションが高いように見受けられるのが、ケンスケなりの恐さの表現であったのかもしれない。
 
「むしろキツいのはシンジの方さ」
 
「そんなことないよ!ケンスケの痛みに較べたら僕なんて」
 
「い~や!シンジの方がつらいね」
 
身を乗り出したケンスケが、人差し指を彼の鼻先に突きつける。
 
「ケンスケのほうだよ!」
 
「そうか?」
 
身を引いて、腕組み。
 
「そうだよ!」
 
にやりと笑ったケンスケが、メガネを押しなおした。
 
「じゃあ、たいしたことないんだから、もう気にしないよな。シンジ」
 
「ええっ!?」
 
なるほど、そうきたか。
 
「一本取られたわね、シンジ。 やるじゃない、ケンスケ。見直したわ」
 
人差し指で彼の頭を突ついたアスカが、ケンスケに向かってサムズアップ。
 
「いやいや、それほどでもあるよ」
 
「す~ぐ調子にのりくさってからに」
 
トウジのツッコミに。また、爆笑。
 
釈然としない様子ながらも、彼も一緒に笑って、笑って…いる。
 

 
「…葛城三佐」
 
綾波が差し出してくれたハンカチを受け取った。
 
受け取ったけれど、まだ涙は拭かない。少しでも長く、この光景を…
 
「あ~もう!せっかく和やかにやってんのに、湿っぽくすんじゃないわよ」
 
だって!だって、だって!
 
盛大に溜息をついたアスカが、視線をベッドの向い側に。
 
「トウジ、ヒカリ。面会時間終わりでしょ。ゲートまで送るわ」
 
「もう、そないな時間かいな」
 
「ホント、お暇しなくちゃ」
 
 
それじゃ、また。などと言葉を交わして、子供たちが病室を後にする。
 
挨拶なんかいいから、泣き虫は放っときなさい。とアスカがみんなを追い立てた。誕生パーティの夜から、アスカはぐっと優しくなったように思う。
 
 
 
「自分は、志願するつもりでしたから」
 
こっちが落ち着くのを狙いすましたように、ケンスケの一言。
 
憑き物でも落ちたかのような、爽やかな笑顔で。
 
かつて電話口で言われたことを思えば、こんな結果でもケンスケにとっては悪いことではなかったのかもしれない。
 
 
それからしばらく、今後のことでケンスケと話し合った。それとなくカウンセリングも織り交ぜて。
 
戦力になれなかったことを残念がっている節はあるが、無理している様子はなかった。
 
主治医からも太鼓判を押されていたが、確かにこれなら大丈夫だろう。
 
 
****
 
 
「葛城作戦部長」
 
お見舞いからの帰り道、呼び止めたのはケンスケの主治医だった。ケンスケの経過報告をまとめたデータディスクを渡される。
 
 
まだ周知徹底がなされてないようだが、自分は作戦課長に任命されていた。
 
降格、というわけではない。
 
アメリカ第二支部消滅、エヴァ参号機の移管に伴い、多くの人員が本部へと異動になった。
 
人数が増えれば役職を増やさなければならないのが組織というものである。そのために行われた組織再編の結果なのだ。
 
作戦部の下に作戦課が設けられたり、特殊監査部も特殊監察部に名称変更されたりした。
 
作戦部長職は名目だけで着任者が居ないので、自分の職責に変わりはないのだ。
 
ただ、リツコさんが技術部長のままであることを考えると、深淵使徒戦で初号機をないがしろにし、憑依使徒戦後に反抗した自分への、父さんからの意趣返しかもしれないけれど。
 (原作で部署名や役職が変わっていたりしたことを、ここではそう理由付けてみた)
 
****
 
 
受け取ったばかりの経過報告を執務室で確認しようとしたら、リツコさんからのメールが届いていた。
 
内容はケンスケの左脚についてだ。
 
クローン技術で複製した脚を移植するのがベストだろう。とのことだが、予算がないという。
 
人手や備品の持ち出しはある程度可能だが、新規購入が必要な装置・薬品に充てる費用の宛てがないらしい。たいした額ではなさそうなのに。
 
搭乗するエヴァが健在ならば話はまた違うのだろうし、地下の施設が使えればコストダウンできると思うのだが。
 
愚痴を言っていても仕方ないので慶弔見舞規程、 業務上災害補償規程、福利厚生規程、制服及び安全用具/装具等の貸与規程(内規)などから考え得る限りの手当、支給をはじき出す。
 
足りない分はWHOにでも掛け合って、クローニング医療の臨床例として助成金を出させるのはどうだろう?打診してみる価値はある。国連軍への出向時代に知り合った軍医や国境なき医師団の参加者に、そうしたツテを持つものが居たはずだ。
 
それでも足りなければ、自分の蓄えを切り崩してもいいだろう。
 (酒も飲まない、クルマ道楽もないのでそこそこ蓄えはある。としている)
結果をまとめてリツコさんに返信を送った。
 
 
嘆息。
 
なんだか最近、この手の規定を逆手に取ったり組み合わせて用途に間に合わせるような仕事が上手くなってきたような気がする。
 
それもこれもネルフという組織がしっかりした枠組みを持たない割に、運用などは規定通りで杓子定規のお役所仕事的に融通が利かないからだ。
 
こと組織運営に関しては、元が調査研究機関であることと国連監督下の組織になったことの悪い面ばかりが浮き出ているように思える。
 
それを痛感したのがケンスケの後処理だった。
 
搭乗機を失ってチルドレンを解任されたケンスケは、そのまま放擲されかねなかった。就業中の事故ということで回復するまでの医療施設での治療は認められていたものの、それ以外の補償はろくになかったのだ。
 
調べてみると、確かにチルドレンに関する規定はほとんどない。
 
正式雇用されたネルフの職員と較べると戦時徴用兵、いや、それ以下のアルバイトより劣る扱いだった。
 (各FFでの見解の相違がもっとも大きいのがチルドレンの待遇ではなかろうか。レイの暮らしぶりやアスカが大人しく葛城家に居ついたことなどから、それほど自由になる金銭は持たない。と判断した)
我が家の子供たちは自分の庇護下にあったので気にはしつつも急がなかったのだが、ケンスケはそうもいかない。
 
規定されてないことを逆手にとって、遡って雇用契約。
 
その上で人事/労務規程を掘り返し、嘱託規程、定年による再雇用に関する規程、業務上災害補償規程、福利厚生規程、保養施設利用規則、社宅(寮)管理規程、制服及び安全用具/装具等の貸与規程(内規)などを組み合わせてケンスケの身分を保証したのだ。一種の予備役としてでっち上げたといってよいだろう。
 
口実さえあればなんとでもなるのも、ネルフらしいと言えば云えるのだが…
 
 
                                        つづく


シンジのシンジによるシンジのための補完 第拾四話 ( No.17 )
日時: 2007/02/18 12:25 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2


車椅子を押して発令所のドアをくぐる。
 
左腕のギプスはまだまだ取れそうにないが、車椅子を押すくらいなら問題なさそうだ。
 
チルドレン就任後、じかに松代に向かったケンスケは、医療施設以外のジオフロント施設を見たことがない。
 
二度と立ち入ることがないと思えるだけに、一度くらいはケンスケにネルフの中を見せてやりたかったのだ。
 
礼装に身を包み、手には自分が贈ったネルフ仕様の双眼鏡カメラを握りしめている。もちろん撮影は禁じてメモリーは抜かせてあるが。
 
「ここが発令所。ネルフとエヴァを統括する、いわばHQね」
 
あまり騒がないようにと釘を刺しておいたためおとなしいが、興奮は隠し切れないようだ。
 
「ネルフ発令所へ、ようこそ大尉殿」
 
気付いた日向さんが近寄ってきて敬礼。ケンスケの答礼は案外サマになっている。
 
日向さんがケンスケを大尉扱いしたのは、襟にUN海軍の階級章をつけているからだ。
 
加持さんに渡し損なっていたのをプレゼントしたのだが、自分がついていることだし今回限りということで着用させた。
 
もし、ケンスケが死んでいれば二階級特進ということで、つけていてもおかしくないと言えないこともない。
 
もっとも、あまりに痛烈な皮肉になっていたことに気付いて、あとで反省することしきりだったのだが。
 
詰めていたスタッフに、ケンスケを紹介して回る。あんなことのあった後だけに気まずさもあるだろうが、だからこそケンスケの現状を見て欲しいのだ。
 (これはもちろん、ゼルエル戦時のスタッフたちの心意気に繋がる)
 
****
 
 
発令所を後にして、ケィジを見下ろすキャットウォークを通る。
 
「お~い!シンジ~」
 
初号機の首元に居た彼が、ケンスケの呼びかけに気付いて手を振り返す。ベンチコート姿だ。
 

以前、ハンカチを探した彼の姿を見て思ったのが、プラグスーツにポケットくらいつけられないか?ということだった。
 
無理。との簡潔なお言葉に、代替案としてスポーツ選手などが着用するベンチコートを買い与えてみたのだ。
 
それが好評を博したのは、ひとつにはプラグスーツ姿では寒いことがある。ということだった。
 
体温調節機能はあるが、内蔵バッテリは単独ではさほど長持ちはせず。プラグからでるとLCLの気化熱で体温を奪われる。
 
空調の効いた本部棟内では特に、薄地のプラグスーツでは体温の保持に問題があろう。
 
そういえば前回、自分はどうしていたか?と思い返してみると、パイロット控え室に閉じ篭って室温を上げていた憶えがあった。独りきりのことが多かったから、それでよかったのだろうが。
 
 
もうひとつは、やはり恥ずかしい。ということだ。
 
綾波は気にしないし、アスカは割り切っているが、彼はそうはいかなかった。
 
自分にも憶えがあるが、自身の姿が恥ずかしいということ以上に、彼女たちの格好が気になって、またそのことに気付かれないかと怖れていたのだろう。
 
そういうこともあって、ベンチコートをもっとも歓んだのは彼だった。
 (原作で大人数の綾波が迎えに来た青葉などは残念がったかもしれない)
 
今日の予定からすると今はATフィールド実験の最中のはずだが、時間が空いたらしく傍らにやってきてケンスケと話し込んでいる。
 
特にわだかまりもない様子に、つい顔がほころんでしまう。
 
今も、ケンスケがつけている階級章の話で盛り上がっていた。
 
チルドレンというのは結構ぞんざいに扱われていて、階級も無ければ福利厚生も整ってない。雀の涙ほどの報酬すらも、子供だからという理由で直接本人には渡らないありさま。彼らの生活費やお小遣いは、扶養手当という名目で分捕った中から賄ってるし、艦隊司令から階級章を授与された時も、パイロットなのだから少なくとも、ということで少尉待遇にしてもらったのだ。
 (実子でも養子でもないので実際には扶養手当ではない。パイロットに対する食費の補助や小口出納枠があって、そう呼んでる。ということ)
ケンスケに対して、しゃちほこばって敬礼して見せる姿がほほえましい。
 
むろんチルドレンの待遇については改善を要求中である。
 
 
そういえば結局、あの篭城騒ぎに対してそれらしいお咎めはなかった。自分に戒告、彼が自宅謹慎だ。
 
これは、エヴァの初めての被害らしい被害に、委員会が肝を冷やした結果らしい。
 
司令部がその指揮能力、組織の運営能力を疑われた陰で、作戦部がそれまでの功績を評価されることにもなった。
 
相対的に発言力の増した自分が弁護したため、彼の行為もほぼ不問に付されたといってよい。
 
では、なぜ自宅謹慎のはずの彼がここに居るのか?というとカラクリがある。
 
いざという時のために、本部棟内にはチルドレン用の宿泊施設が確保されているのだが、これも自宅だと強弁したのだ。
 (これは有って然るべきだろう)
アスカがトランクルーム代わりに使っているのを思い出しての発案だったが、これが上手くいった。お役所仕事的に手続きを踏んでいるうちに、謹慎そのものがうやむやになるだろう。
 (原作で部屋に入りきらないほどだったアスカの荷物がどこに消えたのか。これがこのシリーズなりの答えである)
というわけで、少なくとも自宅と本部棟の往復に問題がなくなり、棟内に来ているのなら引き篭もるだけ無駄だとリツコさんに呼びだされて、こうして実験にいそしんでいる次第だった。
 
 
そのリツコさんはというと今、彼を呼びにきて、そのままケンスケと義足のスケジュールについて話し込んでしまっている。
 
下準備もあって、クローン技術で培養した左脚が用意できるのは半年後になるらしい。促成培養なので色白になるけど勘弁してね。とのことだが。 
 (クローンの促成培養は色素が薄くなるそうで、綾波もそういうことか?という推量も込めて)
 
 
 
続いて、武道場で剣道の指南を受けているアスカを見学する。
 
日本文化に興味を惹かれだしたアスカは、それ以来、薙刀や弓道などの本部特有のカリキュラムに熱意を見せるようになった。もともと素質はあるので、成長著しいと師範のお墨付きだ。
 
他にも体験してみたい。と言うので、合気道や杖術などの道場と渡りをつけている。
 
折角だから日舞や座禅もやってみない?と奨めてみたのだが、冗談だと思ったようで、実用性のないのはそのうちね。とすげない。
 
 
面をつけるのを嫌がったアスカのために特製のヘッドギアを用意した話などでケンスケと盛り上がっていたら、当の本人に睨みつけられて早々に退散するハメになった。
 (臭いが嫌だったようで、実際には面だけではなく胴や篭手などもプロテクターなどで代用している)
 
 
 
最後に、シューティングレンジで射撃訓練中の綾波を見学する。
 
銃器を見て眼を輝かせるケンスケに、実弾射撃を経験させてみた。病み上がりということで22口径だが。
 
ことのほか喜んでくれたので、完治して歩けるようになったら大口径の拳銃を撃たせてあげると約束した。
 
45口径くらいまでなら、ちょっとしたレクチャーで撃てるようになる。予備役の権利として、定期的な射撃訓練が組み込めないか検討してみよう。
 (初めて大口径の銃を撃つ時は、30~40分ほどのレクチャーを受けることになる)
 
使い終わったターゲットと空薬莢を回収してくれた綾波が、持って帰る?と言葉少なにそれをケンスケに差し出したのが意外だった。
 
おおげさに感謝するケンスケに照れたらしい綾波が、頬を赫らめるさまが実に可愛らしい。
 
 
 
 
ジオフロントにアラートが鳴り響いたのは、そのあと、加持さんから強奪したスイカを戦利品に、本部棟に帰ってきた直後だった。
 
 
**** 
 
 
「駒ケ岳防衛線、突破されました!」
 
ここからなら自力で帰れます。と請合ったケンスケをエントランスに置いて、発令所に駆けつける。吊ったギプスが邪魔で実に走りづらい。
 
「18もある特殊装甲を一瞬に」
 
いつ来るか判っていたから警戒は怠っていなかったのに、使徒は駒ケ岳防衛線上に降って涌いたように出現した。こんな唐突に現れるヤツだったとは。
 
「地上迎撃は間に合わないわね。エヴァ3機をジオフロント内に配置。侵入と同時に攻撃」
 
また待ち伏せ?ホント好きねぇミサトは。との無駄口は聞かなかったことにする。
 
「サードチルドレンの謹慎を解くわけにはいかん。レイは初号機で出せ。ダミープラグをバックアップとして用意」
 
発令所トップ・ダイアスから頭ごなしに指示が飛ぶ。
 
「司令!」
 
「…却下だ」
 
だめだ、抗弁する時間も惜しい。
 
「…弐号機には、第5使徒戦で使った盾と…スマッシュホークを用意」
 
モニターに目を走らせて状況を確認。
 
「赤木博士。使徒のあの攻撃は荷電粒子砲?」
 
「第5使徒みたいに円周加速を行っている様子はないわ。光学観測できないところを見るとガンマ線レーザーの類かしら」
 (原作で見えないのは特撮的な演出上のことだろうが、ここではこう解釈した)
こちらもなにやらモニターを見つめていたリツコさんが、顔を上げずに応えた。
 
ディスプレイに表示されている怪光線を放つ使徒の姿。附けられた注釈の最上段に【GLASER?】との表記が足される。
 (ガンマ線レーザーをグレーザーと表記するのは「太陽の簒奪者」へのオマージュ)
「だめです。あと一撃ですべての装甲は突破されます」
 
効き目があるかどうか判らないが、できることはやっておくか。
 
「ジオフロント内の湿度、最大限に上げて。それと最下層の吸熱槽内の耐熱緩衝溶液を散布」
 (吸熱槽、耐熱緩衝溶液と捏造ついでに、人工降雨用のスプリンクラーから散布可能であるとした)
空気中の分子密度が充分なら、レーザーは自らの熱量のせいで収束率、命中精度が甘くなる。結果として威力、射程も落ちる。
 
どんなに出力が高くとも逃れられないレーザーの宿命、熱ブルーミング現象だ。
 
地上での運用が前提のエヴァが、レーザー兵器を正式採用してないのは伊達ではない。
 
『違う。まず気温を上げるんだ。そうすれば湿度を上げやすい』
 
日向さんが下層フロア、副発令所のオペレーターに指示している。
 
ヘッドセットインカムのマイクを掴んだ。
 
「アスカ…ちゃん」
 
『解かってるわ。威力偵察、能力を暴きながら時間稼ぎ。これでどう?』
 
「ええ、ばっちりよ。使徒が撃つ怪光線の映像、届いてる?そうそれ。一応湿度を上げて対策してみたけど気をつけて。
 あの体型で腕がないのが気になるわ。第3使徒みたいに近接格闘兵器を隠し持ってるか、第4使徒のように展開するかもしれないから、それにもね」
 
これが、自分にできる精一杯の助言。
 
『わかったわ』
 
「弐号機出撃急いで。零号機の出撃準備も進めて、ポジトロンライフル用意」
 
かつては結局、自分が初号機に乗った。つまり、綾波もダミーシステムも起動できなかったはずだ。零号機はATフィールド中和地点に配置中だが、使わざるを得まい。
 

 
前面ホリゾントスクリーンは、身構える弐号機越しにジオフロントを映し出している。
 
「頼んだわよ、アスカ…ちゃん」
 
スプリンクラーから撒かれる耐熱緩衝溶液がどしゃ降りの雨のようだが、MAGIが画像補正してくれるので視程に問題はない。
 
その焦点の先、天井部が爆発して装甲板が崩落してきた。
 
『来たわね』
 
ヤッコ凧をふくらませたような姿。できそこないの骸骨のような顔。忘れもしない、帯刃使徒だ。
 
慎重に距離をとる弐号機。
 
盾を構え、摺り足で間合いを計っている。
 
スマッシュホークの柄は短めに握り、大振りを避ける態勢。
 
 
ぱらぱらと解けるように展開された使徒の両腕が、地面をなでる。
 
途端に鞭のごとくうねって、流れるように弐号機に襲いかかった。
 

 
モニターの中、初号機のプラグが格納される。
 
 『 エントリースタート 』
 
「LCL電荷」
 
「A10神経接続開始」
 
『っ……ダメなのね、もう』
 
プラグの様子を映すウインドウの中で、綾波が口元を押さえていた。
 
 『 パルス逆流 』
 
「初号機、神経接続を拒絶しています」
 
「まさか、そんな…」
 
「起動中止。レイは零号機で出撃させろ。初号機はダミープラグで再起動」
 
綾波を拒絶したのは、母さんの意思なんだろうか?
 
「…レイちゃん、お願いね。アスカ…ちゃんを助けてあげて」
 
『…私にしかできない、役割があるのね…』
 
映像越しに頷いてやった。
 
『…行きます』
 


 ≪ 耐熱緩衝溶液の消尽まで、あと3分 ≫
 
スプリンクラーから散布可能な耐熱緩衝溶液には限りがある。
 
ジオフロントでの火災対策用として物理的に回せるのが、最下層の吸熱槽からだけなのだ。
 (耐熱緩衝溶液は各層ごとに循環させることが可能。上下の層間での循環は天蓋の構造強度保持上できないが、原子炉の一次・二次冷却水のように間接的な熱交換を行なえる)
油田火災でも100回は消せる量だが、こんな使い方ではそうは保たない。
 
 
『こんっ!ちくしょお!』
 
アスカの気合に視線を上げると、左腕の攻撃を避けた弐号機が、回転した勢いそのままに盾を使徒の後頭部に叩き込んだところだった。
 
たたらを踏んだ使徒に、追い討ちをかけようとスマッシュホークを振り上げる。その動作の慣性を使って巧みに変える柄の握り。
 
『…ダメ。避けて』 
 
動作を力任せにキャンセルしてダッキングした弐号機の上を、不可視の光線が駆け抜けた。のだろう、円筒状に蒸発する耐熱緩衝溶液の雨と、はるか後方に十字の爆炎。
 
『レイ?ダンケっ』
 
『…どういたしまし!手が来る』
 
横っ飛びに跳ねた弐号機を追った右腕は陽電子に弾かれた。このタイミングだと綾波はプリチェックなしで撃ったな。あとで整備部から抗議がきそうだ。
 
『…中和は私が。防御に回して』
 
『わかったわ。レイ、無理すんじゃないわよ』
 
零号機の左手のことだろう。エヴァ憑依使徒戦で切断された左腕は、まだ修復されていない。機体のバランスを欠いた状態でも正確な射撃をしてみせるところが綾波の凄いところだが。
 
『…アスカ…も』
 
綾波更生の道のりも、ずいぶんと踏み越えたらしい。
 
 
 
 ≪ 耐熱緩衝溶液の消尽まで、あと29秒 ≫
 
「タイミングを合わせて、兵装ビルから天井部破口に向けてチャフ弾発射!継続的に行って。
 ジオフロント内の空調で、アルミ箔の拡散、滞空時間を伸ばせる?」
 (実際には配備されてないと思われるが、これもご都合主義)
「やってみます」
 
断続的にロケット弾が打ち込まれ、銀の短冊がジオフロントに降りしむ。
 
耐熱緩衝溶液の雨に代わって、アルミ箔の雪だ。
(このシーンのイメージ元は、山下 達郎のクリスマス・イヴ)
しろがねの風花。
 
ホワイトクリスマスには、ちょっと早かろう。彼女の記憶以外では、雪なんか見たこともないけど。
 
 
 
「初号機の状況は?」
 

 
ちょっと待て。いま初号機に打ち込まれた赤いエントリープラグは何だ?
 
モニターを覗きこむが、手懸りになるものはなにもない。
 
 『 ダミープラグ搭載完了 』
 
あれがダミープラグなのか。
 
なぜ、あのような専用の筐体で運用しているのだろう?可用性から考えても、普通のエントリープラグのほうが都合がいいだろうに。
 
 『 探査針打ち込み終了 』
 
かつて、ダミーシステムを起動させられたとき。自分は、背後のディスクドライブが駆動するのを確認した。
 
だからダミーシステムとは、データやプログラムのようなものだと思っていたのだが…
 (このシリーズでは、バルディエル戦で使われたのはダミーシステムで、ダミープラグとは微妙に違うものと定義している。ミサトはこの時点でその違いをよく解かってないが、ユイ篇ではダミーシステムの応用ともいえる遠隔エントリーを試している。
なお、ダミーシステムとは搭乗しているパイロットのパーソナルパターンをそのまま使って、パイロットの代わりに操縦するシステムで、本来はパイロットの気絶時などに操縦を受け継ぐためにある。と設定)
「コンタクト、スタート」
 
「了解」
 
たちまちパネルを塗りつぶした警告表示に、発令所が赤く染まる。
 
「なに!?」
 
「パルス消失。ダミーを拒絶。ダメです、エヴァ初号機起動しません」
 
綾波もダミープラグも拒絶した。
 
もう騙されない。ということなのだろうか?
 
「ダミーを、レイを、… 」
 
その呟きに、かつてのリツコさんの言葉が思い起こされる。

 
  ― ダミーシステムのコアとなるもの ―

 
そして、プラグスーツの補助なしに直接肉体からハーモニクスを行ったシンクロ実験。あれもオートパイロットの実験だった。
 
もしかして、あのプラグには、綾波のデータなどではなく…
 (ダミーシステムに、高カロリー輸液やカテーテル処置といった生命維持装置付きの綾波クローン素体を搭載したものが、当シリーズでのダミープラグ)
中にあるものを想像して、ロザリオを握りしめた。
 
…ダミーシステム。もっと本格的に妨害しておくべきだったか。
 
…あの地下施設も、早めに何とかした方が良いかもしれない。
 
 
トップ・ダイアスから、不意にリフトの作動音。
 
そういえば前回、父さんはケィジのコントロールルームに居た。いま向かったのだろう。
 

 
零号機が加わったことで余裕ができたらしく、弐号機の攻撃オプションに幅が出ていた。
 
いつの間に撃ち込んだのか、使徒の右目に突き立つニードルショット。右肩ウェポンラックのインジケーターがエンプティと表示されている。念のため、弾倉を手配しておこう。
 
 
『みえみえっ…なのよ!』
 
これ見よがしな怪光線を、弐号機がらくらくとよけた。
 
ステップ先で待ち構えていた左腕もスウェイでかわす。
 
弐号機視点の映像と零号機視点の映像を俯瞰していて気付く、使徒の意図。
 
「零号機狙いよ!」
 
弐号機に視界をふさがれていた綾波に、その攻撃はかわせなかっただろう。
 
『こんっ!のぉ!』
 
強引に盾でカチ上げられて、使徒の左腕がその軌跡をねじまげる。
 
結果、無防備に体をさらした弐号機を使徒の右腕が狙う。
 
『…させない』
 
左腕の攻撃を回避するそぶりも見せなかった零号機が、陽電子を浴びせた。
 
体表面で起こされた対消滅の衝撃に、のけぞる使徒。
 

 
ポジトロンライフルの威力があまり落ちてないように感じる。チャフがさほど役に立ってないのだろうか?
 
一見、意味のなさそうな機動で立ち位置を変えた零号機が、さらに陽電子を放つ。
 
いや、違う。
 
綾波は、使徒が怪光線を撃った直後の空間を利用して射撃を行っているのだ。
 
トンネリング現象。高出力のエネルギーが通過した道筋は、周囲がプラズマ化されていて、指向性エネルギー兵器にとって恰好の花道になる。
 
もちろん、綾波がそこまで狙っているとは思えない。単に、チャフが一掃された瞬間に目をつけただけだろう。だからと云って、その一瞬を遺憾なく利用できることの非凡さが否定されるわけではないが。
 
かつて、射撃はセンスだと教わったものだ。綾波が今、その実物を見せてくれていた。
 
 
 
 ≪ チャフ弾、残弾僅少。現在のペースで、あと2分38秒 ≫
 
使徒相手にチャフ弾などが役に立つとは思われていなかったから、その数は少ない。
 
「ペース落として」
 
2機だけでしのいでいる今、すこしでも長く支援しなければ。
 
「葛城三佐っ」
 
日向さんだ。コンソールにかけたまま、なにやら猛烈な勢いで調べ物をしていた。
 
「第7次建設の資材の中に、電磁波高吸収繊維があります」
 
使徒に対してN2爆雷やポジトロンライフルの使用を想定している第3新東京市とジオフロントは、電磁パルス対策が充実している。
 (…だろう。ということでEMP対策用資材がある。とした)
電磁波高吸収繊維も、そうしたEMP対策用の資材だった。
 
「航空機からでも撒こうっていうの?危険すぎるわ、却下よ。許可できません」
 
おそらく、VTOLやヘリから人力でばら撒くことになる。使徒とエヴァが取っ組みあってる、その上空でだ。
 
「しかし!」
 
「却下よ!」
 
埒があかないとみた日向さんが、コンソール備え付けのインターフォンを差し出した。
 
怪訝に思いながらも受け取る。
 
『やらせてくれないか、嬢ちゃん』
 
ネルフ航空隊の隊長だ。まがりなりにも作戦課長を嬢ちゃん呼ばわりするのは、この人ぐらいだった。
 (ネルフに航空隊があるとしたのは某FFへのオマージュ。ただし規模はいたって小さい)
『あんな危険で未知数なものに、俺たちは14歳の少年少女を押し込んでいるんだよな?』
 
しかし、と反論しようとした口をつぐむ。
 
言い出したら聞かない人だ。深淵使徒戦での航空機での威力偵察も、この人がごり押した。
 
噛みしめた奥歯が、悲鳴をあげる。
 
『そう言ったのは嬢ちゃんなんだろ?ネルフの大人たちに出来ることをやらせてくれよ』
 
見れば、日向さんはおろか、青葉さんやマヤさんまでもが真剣な表情でこちらを見つめていた。
 
前回、ちょっとお灸がきつすぎたのだろうか?
 
だが、考えている暇はない。戦場で逡巡は許されないのだ。こわばった顎を力づくで開く。
 
「わかりました。準備だけ進めておいてください」
 
思わずインターフォンを投げ返して、トップ・ダイアスを振り仰いだ。
 
「副司令」
 
第3新東京市、ジオフロントの建設資材なら冬月副司令が責任者だ。
 
 『 反対する理由はない。やりたまえ、葛城三佐 』
 
応えたのは父さんだった。発令所の会話をモニターしていたらしく、ケィジからわざわざ。
 
「まったく、恥をかかせおって」
 
たとえ最高司令官であろうと、むやみに部下の権限の範疇に踏み込んでいいというわけではない。なんのために部下が居るのだ。上官に一々しゃしゃり出られると現場の士気が下がる。
 
だから、父さんには敢えて返答せずに、そのまま待った。
 
諦念に取り付かれたような表情でいた副司令が、こちらに気付いて口元をほころばせる。
 
「任せる。朗報を期待しとるよ」
 
敬礼。
 
発令所に向き直るが、命令を下すまでもなく手配が進められていた。
 
いいだろう。大人同士なのだから割り切って、人類のために死んで来いって命令しよう。
 
それにしても、日向さんもやるようになったものだ。抗命罪容疑でまた、査問してあげるべきだろうか。
 

 
「使徒、右眼復元!」
  
流れ弾が本部棟周辺に着弾したらしい、揺れ。
 
「若干の威力増強が認められます!」
 
「ほぅ、たいしたものだ。戦いながら機能増幅まで可能なのか」
 
感心している場合ではないと思います。副司令。
 
ちらりと見上げたスクリーンの中に、2機の勇姿。あの使徒を相手に、見事に足止めしている。
 
それどころか、巧みに本部棟から引き離しているようだ。
 
 
 
「初号機はまだなの?」
  
リツコさんの言葉に、自分もモニターのひとつにケィジのコントロールルームの様子を映してみる。
 
 『 ダミープラグ拒絶。ダメです、反応ありません 』
 
その胎に迎えたのが忌むべき取り替え子であることに、母さんも気付いたのだろうか。
 
執拗な【REFUSED】の表示に、なんだか頑なさを感じさせる。
 
 『 続けろ、もう一度108からやり直せ 』
 
何度やっても無駄だろう。
 
戦っている二人の限界も近い、処罰を覚悟してでも彼を乗せねば。
 
青葉さんのコンソールからインターフォンを取り上げる。日向さんのコンソールのやつを使うのがスジなのだけど、さっき投げ返してしまったし、青葉さんのなら4個も有るし…
 
パイロット控え室へ繋ぐと、モニターに加持さんが現れた。
 
ぃよっ。と片手を挙げて、あいも変わらぬ軽~い応答。
 
「加持…君?」
 
ぽたぽたと、なにやらずぶ濡れの様子。…耐熱緩衝溶液か。水もしたたる佳い男になっちゃって…
 
「…シンジ君は?」
 
加持さんの後ろで敬礼しているのはケンスケのようだ。第一種戦闘配置中にこんなところまで入れるはずがないから、加持さんの差し金だろう。
 
『 ああ、彼ならそろそろ頃合かな… 』
 
『乗せてください!』
 
答えは、別のモニターからもたらされた。
 
彼を映せる位置にこちらから使えるカメラがないが、ケィジに居るようだ。おそらくは、あのブリッジの上に。
 
『僕を、僕を… この… 初号機に乗せてください!』
 
 『 …何故ここにいる 』
 
何故もなにも、さっきまでATフィールド実験をしていたのだ。加持さんの口ぶりからして、控え室に居たのは間違いない。
 
もっとも、自らケィジまで赴くとは思わなかったが。
 
まさか、加持さん。控え室で水撒いてたりはしないよね?
 
 
その想像がさして的外れでなかったことは、のちに知った。
 
雨宿りがてらに本部棟に駆け込んだ加持さんは、そこでケンスケに出会ったらしい。館内放送で事のあらましを把握していたケンスケは、加持さんに頼んで控え室に連れていって貰ったそうだ。
 
二人の入室にも気付かずモニターに釘付けになっていた彼は、加持さんがシャツの裾を絞って落とした雫の音で振り返ったのだとか。
 
加持さんの顔を見、ケンスケの顔を見、その左脚を見て。なにも言わず、ただ頷いて飛び出していったらしい。
 
 
そうして、今。彼は自ら戦うことを選んで、あの場所に…
 
『僕は、僕はエヴァンゲリオン初号機のパイロット、碇シンジです!』
 
 
 
 
チャフ弾によるアルミ箔の雪が止む寸前に、電磁波高吸収繊維の黒い雪が降り始めた。
 (これらの対策がゼルエルの怪光線に効果があるかは微妙なところ。爆炎の特殊性を考えると怪光線の射線にもATフィールドが使われている可能性があり、全く効果なしでもおかしくない。最大限バックアップされているとパイロット達が感じることの精神的効果のほうが大きいかも)

ズームするモニターの中、天井部破口でホバリングするVTOL機やヘリたち。
 
カーゴベイやハッチを開いて、人力で黒い繊維を撒いている。
 
破口部周辺にトラックや作業車で乗りつけた保安部や工作部の面々が、持ち出してきた工場扇やブロアーを据えつけ終えた。すみやかに資材コンテナを開いて、こちらも黒い繊維を吹き散らす。
 
 
 
モニターに加わった新しいウインドウ。激しく揺れる視点の映像の中で、使徒が横からの狙撃に怪光線の射線をずらされていた。
 
画面の端にちらちらと見える棒状のものはソニックグレイブか。そう云えば、ダミープラグでの起動に人手を取られて装備の用意ができてなかった。手近にあったものを適当に持ち出したのだろう。
 
 
右腕の攻撃を弐号機が盾の傾斜でしのぐ。その盾の一角は、溶け落ちたかすでにない。
 
使徒が残った左腕を弐号機に向けた。
 
どうやっても相手のほうが手数が多い。避け続けるのにも限界がある。弐号機はATフィールドを防御に回せているが、使徒の攻撃はそれをも貫いてくるのだ。
 (力の使徒。に敬意を表して、ゼルエルは力づくでATフィールドを破れるとした)
『フィールド全っ開!』
 
奔流の如き攻撃は、傾斜を持ったATフィールドを3枚破って力なく上空へそれた。
 
 
いや、“枚"という数え方は適切ではないだろう。ヒトの心の壁は一つきりなのだから。
 
それは、アコーディオンカーテンのごとく折りたたまれたATフィールド。
 
質でも量でもなく、技で強度の増強を図った析複化ATフィールドだった。
 
もちろん、元が一枚のATフィールドに過ぎない以上、一角でも破られれば全体が無効化する。
 
しかし、加えられる攻撃の速さ次第では、充分な効果が見込めるのだ。
 
スケジュールからすれば、さっき実験したばかりのはずなのに、彼はもうモノにしたらしい。
 
 
『…碇君』
 
『ようやく揃ったわね。ミサト!号令かけなさいよ』
 
「私が何も言わなくても、貴女たちなら大丈夫よ。第一、近接戦闘中にできる指示はないわ」
 
今だフック。などと悠長にボクサーに指示するセコンドは居ない。
 
『そうじゃなくて、アンタの号令で始まんないと気合が入らないのよ』
 
『ミサトさん』
 
『…葛城三佐』
 

そういうことなら、ここは一つケレン味たっぷりに行こう。

 
「その観察力で戦局の機微を見据えるエヴァ部隊の眼。零号機、綾波レイ」
 
『…はい』
 
零号機の放った陽電子が、怪光線を撃とうとした使徒の機先を制す。

 
「ATフィールドを使いこなしてバトルフィールドを己が掌中とするフィールドマスター。初号機、碇シンジ」
 
『はい』
 
神速で伸ばされた腕は、折り重なったATフィールドに徐々に曲げられ地面を打ちつける。

 
「最も華麗にエヴァを操るエースストライカー。弐号機、惣流・アスカ・ラングレィ」
 
『ヤー』
 
盾でカチ上げた使徒に踵落とし、流れのままに追い討ちでスマッシュホークを一撃。

 
「相手は力押ししか知らない莫迦よ。三人揃った貴方たちの敵ではないわ」
 
一息。
 
「命令します。使徒を殲滅せよ!」
 
『『『 イエス、マァム! 』』』
 (話の流れ的にはガギエル戦を受けて「アイァイ、マァム」とすべきなのだが、アスカはミサトが陸軍だったコトを知っているので陸軍式にした。としている)

 
モニターの中に、アスカのウインク。どうやら仕込んでいたらしい。
 
 
スマッシュホークの連打を平然とその身に受けながら、使徒がゆらりと身を起こす。
 
『…』
 
するすると移動した零号機が、地面を縫い付けていた使徒の右腕を踏みつけた。
 
『シンジ!アンタもお願い!』
 
弐号機が攻撃の手を一切緩めないので、使徒はその光球を覆う甲殻を開くことを許されない。
 
『わかってる!』
 
アスカ渾身の一撃が、ついに甲殻のかけらを砕き飛ばす。しかし、限界を超えたらしいスマッシュホークも柄の半ばからへし折れた。
 
『アスカっ!これ』
 
駆けながらに投げつけられたソニックグレイブを、振り返りもせずに弐号機が掴み取る。
 
『ダンケっ』
 
…なぜ碇君はどういたしましてと言わないの。との綾波の呟きを無視しているわけではないようだが。
 
初号機に左腕を踏みつけられた使徒が、その両眼に光を蓄える。
 
『フィールド全開!』
 
放たれた怪光線は、プリズムに曲げられる光のようにあさっての方角を爆撃した。
 
析複化ATフィールドを目隠しに使ったらしい。
 
目隠しか… ずいぶん先に予定しているATフィールド実験の項目だが、今の彼なら…あるいは
 
「シンジ君。ATフィールドで光を遮断。できる?」
 (これはもちろんアラエル対策)
『…光。ですか?』
 
『ダメモトでやってみなさいよ。アンタならできそうだわ』
 
アスカは弐号機を一瞬たりとも休ませることなく、光球を覆う甲殻に斬撃をくりだしている。
 
『…そう、碇君なら…』
 
零号機は、踏みつけた位置から先で暴れる使徒の腕を焼き切ろうと、ポジトロンライフルを撃っていた。左腕がないのでプログナイフは装備されてない。
 
『うん、やってみる』
 
モニターの中、クローズアップした使徒の眼前の空間が、霞がかって見えるようになった。
 
再び放たれる怪光線。ジオフロント周縁部に上がった十字架が、小さい。
 
「シンジ君。使徒の視線を拒絶するつもりで」
 
『はい。…フィールド全っ開!』
 
その途端、使徒の顔が見えなくなった。幾重にも折りたたまれた黒いアコーディオンカーテンが視界を遮ったのだ。即座に別のカメラの映像を回す。
 
光を完全に遮断したために、闇色になったATフィールド。その濃さはまるで深淵使徒の姿、リツコさんが言うところのディラックの海を彷彿とさせた。
 (もし本当に光を「遮断」したなら、入射光が全反射して鏡のようになるか光り輝くと思われる。ここでは、遮断・拒絶という指示を、シンジが「通行止め」と解釈したため、光だけを塞ぎ止める一種のブラックホール状になった)
さらに放たれた怪光線は、ATフィールドを貫くことができず。その闇の中に消える。
 
『グート!シンジ、やるじゃない』 
 
嬉々として盾を投げ捨てた弐号機が、左手にプログナイフを装備した。
 
刃を繰り出すや使徒の甲殻の合わせ目に沿わせ、その背にソニックグレイブの柄をたたきつける。
 
楔のごとく打ち込んだ刃に、一回転してソバット。
 
甲殻と相討つようにナイフの刃が砕け散ると、隠されていた光球が垣間見えた。
 
『さんざん、いたぶってくれたじゃない…』
 
にやり。モニターの中に夜叉が居る。
 
ふわりと宙に舞った弐号機が、地面に突き立てたソニックグレイブを支えにしてドロップキックを叩き込んだ。
 
両腕を引き千切って吹き飛ぶ使徒を追いかけて、ケーブルを切り離した弐号機が駆ける。
 
『じゅぅ~倍にしてっ!…』
 
析複化ATフィールドから開放された使徒が両眼を輝かせるが、それを許す綾波ではない。
 
顔面を陽電子にはたかれ、使徒がのけぞった。
 
『…返してやるわよ!!』
 
たただん。と弐号機がステップを踏んだかと思うや、手にしたソニックグレイブを投擲する。
 
投げられることなど考慮されてないというのに、ソニックグレイブは甲殻の僅かな隙間に突き刺さった。あとで解かった話だが、ATフィールドをガイドレールにして誘導したらしい。
 (発想の元ネタはイスラフェル戦でのATフィールド内N2爆弾攻撃と、ガギエル戦の橋。これを元にアスカは誘導を、ミサトはアラエル戦での迫撃砲を発想した。としている)
銀の短冊と黒い繊維をまぶしたぬかるみを蹴立てて、弐号機が再び駆け出す。
 
『どおりゃぁ~』
 
使徒の光球に突き立った棹状兵器。その石突きを、弐号機が疾走の勢いそのままに蹴りつける。たちまち光球はおろか、体ごと貫いてソニックグレイブが飛び出した。
 
最後の力を振り絞るように放った怪光線は析複化ATフィールドの闇に消え、弐号機は華麗にトンボを切って着地する。
 
使徒に背を向けるような無防備な真似はせず、油断のない身構え。残心。剣道や薙刀を格闘訓練に組み入れたのは正解だったようだ。
 
膝を折るようにして地に脚をつけた使徒が、ついに十字の爆炎を上げた。
 (主人公が指揮官であるこの作品では、ほとんど使徒戦を描写していない。戦う前に勝てる状況を作り出すこと、想定外の事態などに対処することが指揮官の本義だから
それら使徒戦の中で、最初から最後まで戦闘描写を行なった数少ない例がこのゼルエル戦とガギエル戦。この二つを選んだのは大した理由ではないが、指揮官としてのミサトに変化がない割に、周囲は大きく変化したことの対比という一面がある)
 
****
 
 
スイカ畑がダメになったことを聞いたのは数日後、おやつの差し入れを手渡された時のことだ。
 
作物はとうぶん育つまい。と加持さんから愚痴を聞かされたが、さすがにそこまでは責任もてません。
 (耐熱緩衝溶液は、おそらく有毒)
 
                                        つづく
2006.10.10 PUBLISHED
2006.10.13 REVISED   注意:「析複化」は私の造語です。おそらく日本語にはありません。
 
special thanks to オヤッサンさま シンジが搭乗するまでの描写不足についてご示唆戴きました。
             また、その際にケンスケが居合わせるアイデアをご提供いただきました。



シンジのシンジによるシンジのための 補間 #5 ( No.18 )
日時: 2007/02/18 12:24 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2


クリスマスパーティの買出しに来たデパート。
 
パーティそのものの買い物が済んだあとは自由行動。ということで解散したところだった。
 
 
まずはパーティグッズ売り場に舞い戻って、ツリー用のイルミネーションを購入する。余興用なので点滅もしない安物で充分だ。
 
 
次に時計売り場で懐中時計を選ぶ。ちょっといいものを3つ、色違いで発注する。
 
大人の第一歩は時間厳守から。ということで。
 
腕時計にしなかったのは、携帯電話の普及で時計そのものがあまり流行らないことと、ファッションとしてはそのほうが使い勝手がいいからだ。
 
 
続いて猫グッズの専門店、ファンシーショップ、紳士服売り場、スポーツ用品店、ミリタリーマニア御用達の店と巡ってクリスマスプレゼントを選定する。
 
一応、園芸コーナーも覗いてみたが、結局ひやかすだけに終わってしまう。耐熱緩衝溶液での汚染に、市販の土壌改良薬が役に立つかどうかは疑問だったので。
 
 
全館、クリスマス一色だった。
 
冬なんかなくなったこの国で、使徒が押し寄せているこんな時に、クリスチャンでもない人々がクリスマスで盛り上がろうとしている。もちろん、自分も含めて。
 
今は、その逞しさが、ちょっと好きだ。
 
 
 
集合時間までに少し間があるので、展望フロアの喫茶店に入った。
 
窓から外が見渡せるが、周囲のビルから視線が通らない場所。入り口が見えて店内全てを見渡せる場所を選んでしまうのは職業病か。
 
グレープフルーツジュースを飲みながら、店全体を視野に入れて観る。むやみに視線を動かさず、全体像として監視するのだ。やはり陸軍時代の癖が抜けてない。
 
店の入り口を横切る人影。通路を通り過ぎていったのは、トウジと洞木さんとナツミちゃんだった。
 
持っていた荷物からすると、今度のクリスマスパーティの用意だろう。
 
妹同伴というのはいただけないが、2人の仲はそれなりに進展中らしい。
 
一肌脱いだ甲斐があるというものだ。
 
 
…………
 
 
アスカの誕生祝い。
 
12月4日は金曜日なので、人が集まりやすいようにパーティは土曜日に行った。
 
14本立てたキャンドルの吹き消しも、プレゼント贈呈も終わり、皆なごやかに談笑している。
 
大人連中は夕方から来る予定だから、今は子供たちだけだった。
 
 
「お呼びでっしゃろか、ミサトはん」
 
「ええ。まあ、そこに座って」
 
指し示したのは、テーブルを挟んで自分の斜向かい。洞木さんの隣りだ。
 
顔を真っ赤にした洞木さんが身を固くするが、嫌がってるわけではないのは表情を見れば判る。
昇進祝いの時にはそんなそぶりは一切なかったのに、あれからトウジと洞木さんの間にいったい何があったのだろう?
 
まあ、それはともかく。
 
 
パーティの開始からずっと、落ち着かない様子の洞木さんに感じるものがあった。
 
挙動不審だといってよい。
 
そっとアスカに意見を求めたところ、当人はバレてないつもりなんだそうだ。
 
意向を伺ってナツミちゃんを引き込み、最終確認のつもりでこの席次を仕掛けた。
 
彼女が思い煩っている相手が誰か、もう訊くまでもない。
 
トウジがぜんぜん気付いてないのも、間違いないが。
 
かつての自分では絶対に気付かなかっただろうと思うと、少々感慨深かった。
 
 
シャッターチャンスを狙うケンスケを、視線で牽制する。いま囃し立てられるのはまずい。
 
意外に気の回るケンスケは、そしらぬ顔で被写体を本日の主役に戻した。
 
なにやら褒め殺しにされて、アスカはご満悦のようだ。
 
最悪な出会い方をさせてないことの副作用か、アスカと、トウジ、ケンスケとの仲はかつての時ほど悪くないように見えた。特に、トウジ、ケンスケの側で。
 
彼の仲立てが大きな役割を果たしている。と洞木さんから聞くのは後日のことだが。
 
 
「今、ナツミちゃんに料理を教えてくれって頼まれたところだったの」
 
「ミサトはんにでっか?」
 
トウジが、自分の隣りに座っているナツミちゃんに視線を移す。
 
「アホぅ抜かされんでぇナツミぃ。ネルフの作戦部長様にソないな時間があると思とんか?」
 (関西弁のイメージをテクスト化する試みはこの時点で一応の完成を見る。もちろん、こんな関西弁を喋る関西人はいない。ナツミは特に)
「言うてみたかてえぇやん。ミサト姐やんの料理、ほんまに美味しぃんやもん。ウチ、こないなオナゴになりたいんやし。ニィやんも常々、オナゴは家庭的なんが一番やて言うとろぅに」
 
なにやら顔の赤味を増した洞木さんが、両手を頬に添えている。
 
「どアホぅ。まだ火ぃもロクに使わせられん貴サンに、料理なんぞさせられるでぇかぃ」
 
「はいはい、ケンカしないの。トウジ…君も頭ごなしに否定しないのよ。ナツミちゃんもお兄ちゃんがどこまで考えてくれているか、よく考えてみてね」
 
頭を掻いて恐縮する姿は兄妹でそっくりだ。
 
「まあ、たしかにトウジ…君の言うとおり。定期的に時間を作るのはちょっと難しいの」
 
嘘。と云うか、すり替えである。料理を教えるのに“定期的”に時間を作る必要などないのだから。
 
「そこでね。…洞木さんが代わりに教えてくれることになったのよ」
 
「委員チョがかいな」
 
素直とは言い難い洞木さんの口からそう言わせるのは、なかなか骨が折れたが。
 
「だから、週2回。ナツミちゃんの送り迎えをトウジ…君にしてもらおうと思って」
 
「そらぁかまへんのですが…、ええんかいな委員チョ。迷惑とあらへんか?」
 
「ううん。そんなことない。料理は好きだし、教えるのも楽しいの。コダマお姉ちゃんもノゾミも、料理することには興味ないから、そういう機会ってなくて」
 
そいやぁ委員チョの弁当ってえろう美味そうやったもんなぁ。とトウジがなにやら思い出しよだれ。すかさず身を乗り出したナツミちゃんが、それをハンカチで拭く。いい妹さんを持ったねトウジ。
 
ウチの苦労、解こぅてくれる?ミサト姐やん。だってさ。解かってるよ、ナツミちゃん。骨身に沁みてね。
 
「ほぅか。そういうことなら、あんじょう頼むわ委員チョ」
 
「うっうん♪」
 
「あら、トウジ…君。友達として頼み事をするのに、役職名っていうのはないんじゃない?」
 
「えっあっ、そうでっしゃろか。ミサトはん」
 
ええ。と頷く。
 
なるほど、言われてみりゃぁほうかも知らん。とトウジが襟元に手をやっている。
 
「ほっ、ほな。洞木…はん!」
 
「はっはい!」
 
う~む。トウジとしては最大限の譲歩なんだろうけど、まだまだだよね。
 
「友達なんでしょう?さん付けはないんじゃない?」
 
「はっはい?しかし、オナゴの名前を呼び捨てるっちゅうんは、どないも…」
 
「ニィやん。男らしゅうないでぇ」
 
「じゃかぁしぃ!貴サンはダぁっとれ」
 
顔を真っ赤にした洞木さんが、上目遣いにトウジを見つめている。
 

 
テーブルの上で指を組んで、あごを乗せた。視線はトウジに。
 
「大切なナツミちゃんを託せる友達なんでしょう?特別な相手なんじゃないの?」
 
トウジがナツミちゃんに視線をやった。ナツミちゃんがなにやら【可愛い妹オーラ】を発生させているのが、なんとなく判る。
 
せやなぁ。と、頭を掻くトウジ。
 
トウジに見えない位置で、ナツミちゃんが親指を立てるのが見えた。
 
本当に仲のいい兄妹だ。
 
かつてトウジに殴られたことが当然だったと、今なら思う。
 
「ほっ、ほな。洞木…。ナツミのことよろしゅう頼んます」
 
「こっこちらこそ。誠心誠意お預かりします」
 
お互いに顔を真っ赤にして頭を下げあう姿は、まるで愛の告白だった。
 
待ち構えていたケンスケによって、ばっちりフレームに収められたことは言うまでもないだろう。
 
 
****
 
 
「じゃあ、俺は帰るから」
 
兵どもが夢の跡。リビングもダイニングも凄いありさまだ。汚れた食器だけ水に浸しておいて、後片付けは明日にしよう。
 
「加持さん。もう泊まっていけば?」
 
本日の主役はご機嫌なご様子。
 
夜も遅いから、アスカの提案は悪くない。同意してか彼も頷いているし、綾波は… 興味ないんだろうな…
 
「明日は朝から用事があってね」
 
「えー?つまんな~い!ね~ぇ、加持さんってばぁ…」
 
アスカに付き添われて玄関へと消えたはずの加持さんが、ひょっこりと顔を出した。
 
「うっかり忘れるところだった。葛城は8日だったよな。当日は俺、こっちに居ないんでね」
 
綺麗にラッピングされた小箱を取り出すや、ぽんと放る。
 
「おめでとさん。じゃ、またな」
 
反射で受け取ったのを見て取って、ひらひらと手を振ってから再び姿を消す。
 
よりにもよってアスカの誕生パーティの日に、わざわざ前倒しで誕生日プレゼントをくれますか。あの人は。
 
 
おそらくは、しばらく呆然としていたのだろう。
 
はっと気付くと、今にも怒髪天を突きそうな形相のアスカが目の前で仁王立ち。
 
「ミサト、どういうこと?」
 
「かっ加持なんかとは何でもないわよ!」
 
すっと伸ばした右手でデコピン。
 
「そんなコト訊いてないわ」
 

 
おでこを押さえる。手加減て云うものを知らないから、実に痛い。
 
「アスカ…ちゃん、痛い」
 
「8日ってどういうこと?」
 
中指でタメを作りながら迫るのはやめて欲しい。
 

 
「…タシ…ジョウ…」
 
「ヴィービテ!?」
(「何ですって?」)
天才をもって自ら任ずるアスカは、単に感情的になっただけで日本語を忘れたりはしない。計算づくで威嚇効果を狙った、アスカなりの怒りの表明だった。
 
「…ワタシノ…タンジョウビ…」
 
「聞・こ・え・な・い・わ!」
 
両手でタメを作りながら迫るのはやめて欲しい。
 
「…私の誕生日…」
 
びしびしっと、連続で叩き込まれるデコピン。
 

 
おでこを押さえる。痛みで涙が出てきた。
 
「ナンでそんな大事なコト黙ってたのよ!」
 
正直、忘れていたのだ。
 
もはや自分にとって、2001年6月6日も1985年12月8日も重要な日付ではなかった。
 
自分のことなど、とてもかまけていられなかったのだから。
 

 
とはいえ、そう言ったところで納得してもらえそうにはない。アスカは、本気で怒ってる。
 

 
「…三十路女の誕生日なんて、祝うもんじゃないわよぅ」
  
つい先日、リツコさんの誕生祝いを企画しようとした時に頂戴したお言葉そのままだった。
 
「そっそうなの…」
 
途端にアスカが狼狽する。表情を取り繕おうとしているが、憐憫があからさまだ。
 
それはそれでちょっと哀しいよ、アスカ。
 
「気持ちだけありがたく戴いておくから、そっとしておいてくれる?」 
 
これもリツコさんから戴いたお言葉だ。くれる物は戴くわよ。とも宣われたが。
 
「そっそうね、それがいいかも…。う、うん。わっワタシが悪かったわ」
 
ワタシもう寝るから、それじゃグーテナハト。と、そそくさと逃げ出すアスカの様子がなんだか可笑しかった。
 
「ぼっ僕も!おやすみなさい」
 
じーっと事の成り行きを見ていた綾波を引っ張って、彼も退散する。
 
ずいぶんとデリカシーが育っているし、気が回るようになってきた。いい傾向だ。
 
 
****
 
 
乳液の瓶を鏡台に戻すと、最後の仕上げに保湿クリームを塗る。
 
横目で目覚し時計の表示を確認。
 
午前 0時 2分
 
この時間までに来なければ、今夜は綾波が忍んでくることはあるまい。
 
ラッピングされた小箱を手に取る。
 
丹念に解体していくと、案の定、マイクロチップが出てきた。トリプルループに結ばれたリボンの、結び目部分に縫いこまれていたのだ。
 
 
プレゼントそのものは香水らしい。
 
ラベルには【Peut Regarder】とある。読みは「プートン ルガルデ」で良かったと思う。
 
直訳すれば「見るための缶」になるけれど、香水の名前にはいささか不似合いだから、成句かなにかで意味があるのかも。
 (フランス語で『見てもいい?』という成句)
 
ノートパソコンを立ち上げた。通信ケーブルはつながずにスタンドアロンで。
 
ビジネスバッグから取りだしたマルチリーダにチップを入れて、ノートのスロットに挿し入れる。
 
「パスコード?」
 
聞いてないって事は、聞くまでもないような言葉なのだろう。
 
いくつか思い当たる単語を試した結果、答えは「怖~いお姉さんへ♪」だった。
 

 
 
         TOP SECRET
 
          EYS ONLY
 
Report of United Nations Supreme Advisory Council
 

 
冒頭から国連最高諮問委員会の帯出禁止画像だ。
 
セカンドインパクト直前の南極の様子。彼女の記憶とも一部、合致する。
 
 
その他のデータの内容は、裏死海文書、セカンドインパクト、ゼーレ、ゲヒルン、ネルフなどについて。おそらく加持さんが知る限りの情報なのだろう。
 
これが誕生日のプレゼントとは、気が利いているというかなんというか。
 
無意識にロザリオを握りしめていた。
 
 
… 
 
 
人為的に引き起こされたセカンドインパクト。
 
被害を最小限に抑えるために行われたと彼女は言っていたが、明らかに起こすつもりで仕組まれていたのだろう。
 (ユイ篇の記述と矛盾するが、これはもちろん情報不足から来る誤解だから)
それは、自分の、彼女の、綾波の、アスカの人生をねじまげ、多くの人々を殺し、不幸の渦中に巻き込んだ。
 
優しくない世界の元凶がそこにあった。
 
自分を罪人へと追い立てた張本人たちがそこにいた。
 
 
いまさら自分のために泣いたところで、何にもならない。
 
なのに、溢れ出る涙を押しとどめていられない。
 
むやみに過去を嘆いても、何も始まらない。
 
だけど、漏れ出る嗚咽を殺し切れない。
 
倒れこみそうになって鏡台に右手をつくと、スキンケア用品が転げ落ちた。
 
鏡台に肘をつき、重ねた両腕に額を押し付ける。
 
「莫迦… 自分は、ほんとに莫迦だ…」
 
意味がないと解かっていて、泣くことしかできない。
 
益にならないと知っていて、嘆くことしかできない。 
 
本当に莫迦だ。
 
 
もう、どうしようもできない。
 
涙が溢れ出るままに任せた。
 
嗚咽がほとばしるに任せた。
 
どうせ薄情だから、悲しみも持続しまい。気が済むまで泣けばいいのだ。
 
 
 
ぼすぼす。こんな時でも、ふすまのノックは間抜けに聞こえる。
 
『…葛城三佐』
 
「…レイひゃん?ちょっ^っく 待っふぇね」
 
しゃくりあげていて、ちゃんとした言葉にならない。
 
あわてて緊急停止用のスクラムボタンを押す。MAGIとアクセスできる端末には、非常時に速やかに停止するためのスイッチが増設されている。微細群使徒戦時の教訓なのだが、もはや原子炉並みの仕様だった。
 (物理的断線、メモリの凍結・入出力の停止などを行って、擬似的にシャットダウンを行なっている)
シャットダウンを確認して、ディスプレイを閉じる。
 
「いひわよ」
 
ふすまが開いた。
 
じっと立ち尽くす綾波。
 
なにか言ってやらねばならないのに、しゃくりあげるばかりで言葉にならない。
 
「…葛城三佐を見ていると、心が痛い」
 
なぜ?と歩み寄ってくる。
 
「…悲しみに満ち充ちている」
 
目前で立ち止まり、ひざまずく。
 
「ごめんなさい。こういう時、どんな顔をすればいいのか解からないの」
 
眉根を寄せて。
 
「笑えばいいと思うよ」
  
「そうね。一緒に泣いたって始まんないし。シンジにしては悪くないアイデアだわ」
 
いつの間にやら、彼に、アスカまで。
 
一番奥の洋室にまで聞こえたらしい。自分はいったい、どれほどの大声で泣いていたのだろう?
 
 
綾波がぎこちなく微笑んでいると、ずかずかとアスカが近づいてくる。
 
ちらり。と鏡台の上に視線。
 
「三十路を儚んでたの?」
 
見たのは、執拗に分解されたプレゼントの外箱か。
 
「そういう言い方はやめなよ」
 
そうね、悪かったわ。と伸ばされた左手が、ぽん。と頭に。
 
くしゃり。髪の毛を掻き分けて、ぬくもりが心地よい。
 
「こないだより酷そうねぇ…」
 
加持さんを陥とせなかったことを、自分はアスカの心に近づくために利用した。優越感をくすぐり、同情を引き出そうと。そんな自分が酷くあさましく感じて、結局は本気で泣いてしまったが。
 
分裂使徒戦のときといい、パジャマの一件のときといい、アスカにはずいぶんと泣き虫だと思われていることだろう。
 
たとえ演技のつもりで始めた場合でも、そのうちに本気で泣いてしまうのだから反論のしようもないけれど。
 
 
「…なにもワタシ1人で相手しなくたっていいわよね…」
 
呟いたアスカが半身だけで振り返って、人差し指を折り曲げた右手を彼に向ける。
 
その姿は、来迎印を結んだ阿弥陀如来のようだった。
 (アスカに太陽のイメージを、という趣旨から本当は大日如来にしたかった。大日如来は智拳印か法界定印だけらしいので断念
もっとも阿弥陀如来も「無限の光をもつもの」であり、垂迹神は八幡様で武神だから、これはこれでよいか。とも思ってる)
「シンジ。リビングにゲスト用の布団、3組敷いてくんない?」
 
「いいけど…」
 
「アンタも加わりたいなら4組、よろしくね」
 
わかった。とばかりに片手を挙げて、彼がリビングの方へ。
 
「床の上で寝るのは抵抗あるけど、こういうとき布団って便利ね」
 
向き直ったアスカは、その右手を綾波の頭に置いた。
 
「スゥィート・ホットミルク作るから、レイ、アンタも手伝いなさい」
 
「…熱いのは、いや」
 
「ちゃんとアンタのはぬるくしてあげるわよ」
 
アスカがくしゃくしゃと乱暴に綾波の髪をかき回す。
 
不満げに顔をしかめた綾波に笑いかけてやったアスカが、太陽のような笑顔をそのままに小首をかしげた。
 
「ナニが哀しかったのか知らないけど、アンタがワタシたちを見てくれているように、ワタシたちもアンタを見ているのよ。ミサトが笑いかけてくれるように、ワタシたちもアンタに笑いかけてあげる」
 
だから、ゲンキ出しなさい。と頭を撫でてくれる。
 
盛大に髪を跳ねさせたままの綾波も。真似をして、
 

 
あっダメだ。涙腺がまたゆるく…
 
「ホント、ミサトは泣き虫ねぇ」
 
今夜は一緒に寝てあげるから、好きなだけ泣きなさい。との言葉とともに、ぽんぽんと頭を叩かれる。
 
あとはもう、ただただ頷くことしかできなかった。
 
 
 
                                        つづく
2006.10.13 PUBLISHED
.2006.10.20 REVISED



シンジのシンジによるシンジのための補完 第拾伍話 ( No.19 )
日時: 2007/02/18 12:39 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2





篠突く雨の中、第3新東京市に3体の巨人の姿があった。
 
レンズカバーにまとわりつく雨滴が、映像内のその姿をけぶらせている。
  
お陰で、その左肩にそれまでにない文字が書き加えられていることに気付く者は居ないだろう。
 
零号機は、【 EYE_OF_E.V.E 】
 (E.V.Eは、EVANGELION VANGUARD ELEMENTの略。公式にエヴァ部隊という名称は存在しないとしているが、前回ミサトがノリでエヴァ部隊と呼んだのを訳した。
因みに当初はアルゴナウタイの英雄の一人「全てを見通す目」を持つリュンケウスにちなんだ訳を採用していたので、ネタバレとしてメールアドレスにLynceusを入れていた)
初号機は、【 FIELD_MASTER 】
 
弐号機は、【 ACE_STRIKER 】
 
前回の帯刃使徒戦のさなか、ノリでつけた二つ名を子供たちは気に入ったらしい。
 (一番気に入ったのはアスカで、率先して書いたのもアスカ)
リツコさんにも内緒で、勝手に書いたのだ。
 
戦自パイロットのTACネームみたいで実に格好よろしいが、見ているほうは、いつバレるか気が気でない。
 (リツコにバレてないはずがない。というか犯行現場を記録されていて、黙って勝手にやったことが貸しになるかもと、知らん振りしている。ただ、書き込み自体はあまり気にしてないし、再塗装のついでに書き加えようかと考えてるほど)
前面ホリゾントスクリーンの映像を統括している日向さんと、リツコさんが注視しているマヤさんのコンソールをさりげなく監視したりして…。
 
 
 ≪ 加速器、同調スタート ≫
 
 ≪ 電圧上昇中、加圧域へ ≫

分割されたスクリーンの映像の中で、腰を落とした初号機が長大な筒を担いでいる。

一見バズーカでも構えているかのように見えるが、あまりにも長すぎる。エヴァに比してその5倍。200メートル近くあった。
 
 ≪ 強制収束器、作動 ≫
 
 ≪ 地球自転および重力誤差修正0.03 ≫
 
弐号機はEVA専用ポジトロンライフル。零号機は実測データ受け渡しを交換条件に戦自研から借り受けた自走式陽電子砲を、スナイパーライフル仕立てにして伏射姿勢だ。
 
 ≪ 超伝導誘導システム稼動中 ≫
 
ただ、どちらも銃身に初号機が構えてる筒と同じ物をエクステンドバレルよろしく装着していた。
 
 ≪ 薬室内、圧力最大 ≫
 
『ミサト、初弾のデータ諸元、ワタシにも見せて』
 
「ちょっと待ってね」
 
日向さんは忙しいので、インターフォンを取って副発令所の次席オペレーターに指示を出す。
 
『ダンケっ』
 
アスカがそのデータを見たがったのは、初弾だけ出力が違うからである。
 
帯刃使徒戦で綾波が見せたトンネリング現象の活用。その有効性を認められ、ポジトロンライフルの正式な運用方法として採用されたのだ。
 
これによって、大気圏内でポジトロンライフルを連射する場合は、その初弾の出力を調整して目標に届くだけにするようになった。今回は大気圏を突破するだけの出力しか与えられていない。
 
つまり初弾はパスファインダーとして、目標までの道作りに専念させるわけだ。
 
 
 ≪ 最終安全装置、解除 ≫
 
 ≪ 解除確認 ≫
 
つくば研究所から一時的に出向してきている技師たちが、自走式陽電子砲の管制を引き受けてくれている。お陰で、その立ち上がりが早い。
 
 ≪ すべて、発射位置 ≫
 
地上の様子を映している画面が、それぞれに鮮明さを取り戻していった。MAGIの手が空いて画像補正がかかりだしたのだろう。これがどれだけ凄いことなのか、専門用語メジロ押しで説明されたけど、よく解からなかった。…ディコンボリューションって何?
 (実は私もよく解かってなかったり)
「各機、照準よし」
 
報告する日向さんに頷きかえし、前面ホリゾントスクリーンを見やる。
 
分割された表示の中、最も大きく映し出されるのは、羽を広げた光の鳥。
 
第17監視衛星から最大望遠で送られてきた精神汚染使徒の姿だった。
 
「よろしい、コンバットオープン
 UN空軍機の高々度到達と同時に各自のタイミングで攻撃開始
 エヴァ各機、ユー ハブ トリガー」
 
『『『 アイ ハブ トリガー 』』』
 
既存の兵器体系に当て嵌まらないエヴァの運用は、暗中模索といってよい。
 
人型兵器である以上、ある程度は陸軍のセオリーが通用するが、それ以外は臨機応変に対応する必要があった。
 
 ≪ UN空軍機、作戦高度まで、あと10 ≫
 
UN空軍は、この作戦のために2個飛行中隊を投入してくれている。
 
前世紀にはF-15で編成していたらしいその部隊は、スウェーデンから持ち込まれたグリペンで再編成されたそうだが。
 
「装薬用N2爆雷、点火用意」
 

 
 ≪ UN空軍より入電、ステージオン ≫
 
『点火っ!』
 
途端に、初号機の構える筒の先から円筒形の物体が複数、すさまじい勢いで射出された。
 
N2爆雷である。
 
初号機が構えている筒。その正体は第3新東京市などで使われている直径5メートル程の下水管だ。
 
それをATフィールドで補強・連結、内部を真空・無重力化して即席のカタパルトに仕立て上げた。
 (ひとつのATフィールドにこれだけ特殊能力を付加した例はこのシリーズでは珍しい。このシリーズのATフィールドの効能は使用者の想像力に拠るので、人間ではあまり多くのコトを表現できない。この時点のシンジだからなんとか可能で、綾波とアスカは連結による形状の維持しかしていない。シンジにしても、負担を軽くするために下水管のような小道具を使っている)
N2爆雷一発を装薬にすることで、計算上では衛星軌道を射程に収めた迫撃砲となるはずだ。
 (さらには装薬用のN2爆雷と、砲弾用のそれの間に、装甲板が挟みこまれている)
分裂使徒戦で見た、筒状に展開したATフィールド内でのN2爆雷点火。天をつらぬく光の柱と化したそれをヒントに思いついた戦法だった。
 (こういったATフィールドの応用は某名作FFへのオマージュと言う一面もある。某FFでは魔法陣めいた電子基板でATフィールドを特殊加工して大気圧縮プラズマ化までしていたが、当シリーズではATフィールドをもっと純粋に精神的なものの発露としているため、パイロットが想像できる範囲、もしくはそれらを補うためのギミック付き(今回だと下水管)で、この程度の応用にとどめている)
 
 ≪ UN空軍飛行中隊、N2航空爆雷射出確認。こちらの触雷予定との誤差、マイナスコンマ02秒 ≫
 
そして、国連軍に要請したN2航空爆雷が、使徒を背後から狙う。
 
もとは軍事衛星破壊用に開発されたASATを転用したというN2航空爆雷は、戦闘機から発射される大型のミサイルにしか見えない。最後の瞬間にクラスター爆弾のように弾頭をぶちまけるから、あくまで爆雷なんだそうだが。
 
SDI構想の立案者も、ASATの開発者も、使徒などという未曾有の目標に使用されるとは思いもしなかったことだろう。
 (航空爆雷がどういうものかはっきりしない上に、あらかじめ軌道上に展開してあったとは思えないのでASAT転用で戦闘機から高高度発射ということにした)

 
「N2爆雷群、使徒接触まで、5・4・3・2」
 
弐号機がポジトロンライフルを連射、零号機が半拍遅くポジトロンスナイパーライフルを撃った。
 (本来ならMAGIにタイミングを取らせて自動化するべきだが、パイロットのモチベーションと言う観点からミサトはそれをよしとしなかった)
それぞれが銃身の先に装着している筒には不活性ガスを封入して、威力の減衰を抑えている。
 
「・1・起爆!」
 
第08監視衛星から送られてくる熱処理画像の中で、光の鳥が球雷のごとき爆光に彩られた。
 
だが、その輝きは揃って半球を削り取られている。ATフィールドだろう。
 
物質が希薄な上にほとんどがプラズマ化している宇宙空間では、核もN2もさほど効果的な兵器ではない。これは露払いで、本命は次だと言いたいところなのだが…
 (これは、“N2航空爆雷”が軌道上に配備されてないことの傍証にもなる。宇宙の目標にN2を使うくらいなら、その爆破エネルギーでレーザーでも生成した方が効率が遥かによい)
爆圧に揺らぐ相転移空間に1条の光線、複数の光弾が襲いかかる。
 

 
しかし、スクリーンに映る光の鳥はこゆるぎもしなかった。
 
「ダメです。この遠距離でATフィールドを貫くには、エネルギーがまるで足りません」
 
大気という障害物のない宇宙空間では、荷電粒子は自身の保有する電荷のために反発しあって急速に拡散する。この距離では、エネルギーがいくらあっても難しいだろう。 
 (ならば中性粒子ビームにすればいいのだが、反陽子まで加えると質量が大きすぎて制御・エネルギー調達・射程等に問題が出るだろうとした。というか、原作に出て来ないモノをおいそれと出せないし)
 
衛星軌道上の使徒に対する効果的な攻撃手段を、エヴァはまだ保有していない。これが現状で考え得るかぎりの布陣だったのだが、ダメだったようだ。
 
こうなると残された手段は、重力遮断を使ってエヴァごと出向くか、…槍とやらを使うかだが…
 
「全機、ATフィールドを防御で展開して」
 
了解。と子供たちが応じると、それぞれが保持していた下水管がばらけて落ちる。
 
鉄筋コンクリートの円筒がぶちまけられて発生したであろう轟音は、発令所までは届かない。せいぜい、空き缶をばら撒いた程度といったところだろう。MAGIが先読みして選択減衰処理を行ってるのだ。…こっちは素直にすごいと思う。
 
 
前面ホリゾントスクリーンの中、雨雲を吹き飛ばされた空の画像に注視する。何もないように見えるが、その先に使徒が居るのだ。
 
精神汚染使徒がどのエヴァを標的にするか、この時点では見当もつかなかった。
 
まずは相手の攻撃をしのげないことには始まらない。3機がかりのATフィールドで防げればいいのだが。
 
 
なんの前兆もなく、画像の中心が輝く。たちまち押し寄せる光の奔流に画面がホワイトアウトした。
 
別の画像。外輪山から望む第3新東京市に注がれる、衛星軌道からのピンスポット。
 
「敵の指向性兵器なの?」
 
「いえ。熱エネルギー反応無し」
 
監視カメラが追う映像の先、照らされたのはエヴァも何もない、第3新東京市を貫く大通りの一角だった。
 

 
狙いを外したのか…? 使徒が…?
 
違う!
 
突如、発令所を照らした光の筋は、迷うことなく自分に殺到した。
 
使徒の狙いは、…まさか、自分?
 
「ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
 (使徒が人の心に興味を持っただろうことは原作でも明確だが、イロウルは群という概念を誤解してMAGIを人類の頭脳だと思って接触。レリエルはエヴァを人類の単位だと誤解。アラエルが初めて個人単位の人類を認識した。としている。そうして個人単位の人類の中で最もユニークに見えたのがミサト。とした)
この身を照らした光は体の表面で解けると、細い針金のようになって侵入してくる。
 
痛みはない。痛みはないが、自分の殻をむりやり剥がされるような不快感は、心が直接感じているとでもいうのか。
 
体中の毛穴という毛穴から侵入した針金は体内をまさぐりながら中心部を目指している。あらゆる感覚が薄れつつある今、それは肉体的な意味合いではない。
 
ココロと呼ばれるヒトの中枢に、…たどり着かれた?
 
「…心の裡に入ってくるつもり?」
 
 
…暗闇の中、差し込む光芒。圧迫と開放。まだ開かないまぶたの上から襲いかかる暴力的な光の渦。周囲から失われた温もり。…奪われた安寧。
 
いきなり思い出させられたのは、この世に生まれたときの苦痛だった。楽園から放逐されたことへの絶望。リア王の言葉を実感しそうなほどに。
 (「人間、生まれてくるとき泣くのはな、この阿呆どもの舞台に引き出されたのが悲しいからだ」)
憶えているはずもない経験に、むりやり搾り取られた涙が眼窩に溜まる。
 

 
「…こんな記憶がっ!? …心を覗く気…」
 
まずい。このまま記憶を掘り返されては、何を口走るか解からない。
 
 『 …使徒が心理攻撃?まさか使徒に人の心が理解できるの?… 』
 
 『 …光線の分析はどうですか!?… 』
 (原作ではミサトのセリフだが、ここでは日向のセリフ。としている)
 『 …可視波長のエネルギー波です。ATフィールドに近いものですが、詳細は不明です… 』
 (原作では日向のセリフだが、ここではマヤのセリフ。としている。「危険です、精神汚染、Yに突入しました」のセリフがないのは、プラグと違って観測機器がないから)

周囲の声が遠い。
 
懸命に過去の映像から視線をはがし、現実の視界をまさぐる。
 
なにか。なにか。
 
手の届く範囲には何もない。
 
いや、ポケットの中にハンカチがあったはず。
 
思い通りにならない手を叱咤して掴み出し、朱華色のそれを口に押し込む。
 (朱華(はねず)色は、朱色に近い赤。要所要所で出てくるハンカチの色がそのシーンに合っているのはもちろんご都合主義。もっとも想像しづらい色名を使ってはいる)
アンタは泣き虫だから、いくらあっても困らないでしょ。とアスカが選んだという昇進祝い。
 
その思い出とともにきつく噛みしめると、右奥の義歯が軋んだ。
 
再びかすみだした視界の中、近寄ろうとする日向さんを身振りで押しとどめた。
 
 

 
次に掘り出されたのは案の定、母さんがエヴァに取り込まれたときの記憶。
 
自分を置き去りにする、父さんの背中。
 
妻殺しの子だと、なじる声。
 
蹴り崩した、砂のピラミッド。
 
3年前の墓参り。逃げ出したあとの、後ろめたさ。
 
初めて第3新東京市に来た時の思い出は、飴玉をしゃぶるように丹念に再現された。もし体の感覚があったなら、そして自分の意志で体を動かせたなら、舞い戻ったのかと錯覚したことだろう。
 
トウジに殴られた、痛み。
 
エントリープラグに二人を乗せた時の、不快感。
 
黒服に引き立てていかれる時の、無力感。
 
綾波と話す、父さんの姿。
 
ミサトさんのカレーの、味。
 
綾波に叩かれた、驚き。
 
荷電粒子砲の、熱。
 
アスカに張り飛ばされた頬の、腫れ。
 
「冴えないわね」
 
いまさら 今更 こんなものを見せられたからって 何だというんだ
 
世界を滅ぼした自分が この程度のことで怖気づくものか
 
ガラクタを掘り分けるように人の記憶を食い散らかした光の針が、奥底に沈んでいた獲物に手をつける。
 
思い通りにならない、エヴァ。
 
握りつぶされる、エントリープラグ。
 
担ぎ出される、トウジ。
 
ちくしょう ちくしょう! 何がしたい 何が見たい 何が望みだ
 
 
綾波の群れを見た、衝撃。
 
カヲル君を握りつぶした、感触。
 
アスカを汚したあとの、罪悪感。
 
 
綾波の群れを見た、衝撃。
 
カヲル君を握りつぶした、感触。
 
アスカを汚したあとの、罪悪感。
 
 
綾波の群れを見た、衝撃。カヲル君を握りつぶした、感触。アスカを汚したあとの、罪悪感。
 
 
それか!お前の欲しているのはそれか!見たければ見ればいい!欲しければ持っていけばいい!
 
そんなのは罪のうちにも入らない 何度も後悔して擦り切れた記憶だ 好きにすればいい
 

 
…なのに、涙が流れるのはなぜだろう?
 (「坊やだからさ」と是非つっこんで欲しいところ。この時点ではまだ覚悟と開き直りが足りてない)
涙の流れる感触だけが鮮明なのはどうしてだろう?
 
 
綾波の群れを見た、衝撃。カヲル君を握りつぶした、感触。アスカを汚したあとの、罪悪感。
 
 
気に入ったか? 愉しいか? その記憶が面白いか?
 
 
飽きたのか、ふっと、うち捨てられる感触。
 
どうせなら持ち去ってくれればいいのに、掘り起こしておいて目の前に放り出すとは…
 

 
赤い海。
 
「気持ち悪い」
 
拒絶の言葉。別れの言葉。最後の言葉。
 
赤い海。白い砂浜。赤い海。
 
そうだ 世界を滅ぼした罪人ならここに居る
 
赤い海。白い砂浜。赤い海。黒い空。赤い海。
 
断罪しろ 断罪しろ 断罪しろよ!
 
赤い海。 赤い海。 赤い海。 崩れ落ちる巨大な綾波。
 
アスカの首を絞める、この両手。
 
最大の罪の記憶すらあっという間にうち捨てられて、さらに奥底を探られる気配。不快感。
 
 

 
……
 
 
白い部屋。抱えた膝。目の前に立っているのは…
 
ミサトさん…?
 
心を閉ざしていた頃の彼女が、虚ろな瞳で見下ろしていた。
 (人間観察の一環として、アラエルによって構成された擬似人格。ただし、ミサト(シンジ)の願望込みなので攻撃的)
『アンタ誰よ』
 
…僕は… 碇シンジ…
 
『その碇シンジが、アタシの体で何やってるのよ』
 
これは わざとじゃ
 
『わざとじゃなければ何やってもいいってんの!?』
 
でも…
 
『でもじゃないわよ』
 

 
『なに黙り込んでんのよ』
 
胸倉を掴まれる。射るような視線。
 
この激しさ 確かにこのヒトはミサトさんだ
 
『ヒトの体を勝手に使って、何やってんのか訊いてんのよ!』
 
…罪滅ぼしを
 
『罪滅ぼしぃ?ふん、なるほどね。人類を滅ぼすなんて、この上ない極悪人ね』
 
突き放された。
 
『で?その極悪人は行きがけの駄賃にアタシの体を奪い取ったわけね』
 
ちがう
 
『何が違うのよ。罪、償うんなら自分の体でやんなさいよ』
 
そんなこといわれたって
 
『返す気もないのね。罪の意識なんてないじゃない。罪滅ぼしなんて嘘ね』
 
嘘じゃない
 
『アタシの体を乗っ取るための口実でしょ』
 
違う
 
『若い盛りを13年も横取りして!さぞ楽しかったでしょ』
 
だってミサトさんが
 
『人のせいにする気!空き巣ふぜいが家主をなじろうっての?』
 
そんなつもりじゃ!
 
『盗人猛々しいってのはアンタのことね』
 
やめてよ
 
『なぜ私がやめなきゃならないのよ』
 
僕だけが悪いわけじゃない! 僕だって被害者だ!
 
悪いのはセカンドインパクトを起こした連中だろ!サードインパクトを画策したヤツらだろ!
 
『そうやって、すぐ人のせいにして!アンタの心が毅ければ何の問題もなかったんじゃないのよ』
 (これはもともとシンジ自身の自己分析。ミサトの脳を使って考察していたため筒抜け)
やめてよ やめてよ お願いだから僕に優しくしてよ
 
『なに甘ったれたこと言ってんのよ』
 
僕に優しくしてよ 傷つけないでよ
 
『そっちこそ、傷ついた振りはやめなさい』
 
振りじゃない
 
『「世界を滅ぼした自分がこの程度のことで怖気づくものか」ですって?
 
 本当に傷ついた人間はこんなこと言わないわ 』
 
だって そんな…
 
『「そんなのは罪のうちにも入らない」んじゃないの?』
 

 
『口篭もった。ほら、やっぱり嘘じゃないの』
 
嘘じゃない
 
『いいえアンタは嘘つきよ。ほら!』

 
「私は葛城ミサト。あなたを迎えに来たの」
 
『嘘つき』
 
嘘じゃない いま僕が葛城ミサトであることは嘘じゃない
 

「ごめん…なさい」
 
『嘘つき』
 
嘘じゃない 確かに僕の性格を逆手に取ろうとした でも嘘じゃない
 

「子供たちを戦わせずに済む可能性が1%でもあるなら」
 
『嘘つき』
 
嘘じゃない 本当に適格性検査を受けたんだ
 

「出来るわけないわ。私だって怖いもの…」
 
『嘘つき』
 
嘘じゃない 怖さは知っていたんだ


「だから…私に出来るのはお願いすることだけ…戦って欲しいと「お願い」することだけ」
 
『嘘つき』
 
嘘じゃない 僕が欲しい言葉だったんだ
 

「もしもの時、ナツミちゃんに何て言えばよかったの?」
 
『嘘つき』
 
嘘じゃない ナツミちゃんの顔が浮かんだのは本当だ
 

「私はリツコのこと好きよ。尊敬してる」

『嘘つき』
 
嘘じゃない リツコさんには本当に感謝している 今なんとかやっていけてるのはあの人が気にかけてくれたからなんだ
 

「ありがとう。感謝の言葉よ」
 
『嘘つき』
 
嘘じゃない!嘘じゃない!嘘じゃない!感謝の気持ちに嘘はない!!
 
 
『嘘つきは言い訳も上手いわね。じゃあ、これならどう?』
 
 
「セカンドインパクト直後の話、してあげたわよね?こういうの見過ごせないって、知ってるでしょ?」
 
『アンタの経験じゃないわよね。嘘つき』
 
…っ!
 

「私ね、セカンドインパクトの時に南極に居たの」 
 
『これもそうよね。嘘つき』
 

 

「その後も色々と苦労してね。そのころの私はレイちゃんみたいだったんじゃないかしら」
 
『ほら、嘘つき』
 



「父親を殺した使徒に復讐したかった、セカンドインパクトに奪われたものを取り戻したかった」

『やっぱり、嘘つき』
 



「ごめんなさい。私が出来なかったことをシンジ君がしてくれてるようで、嬉しかったの」

『嘘つき』
 


 
「彼女は、エヴァに乗せられるために拾われた存在。綾波レイと名付けられる前に、番号を付けられた娘」
 
『嘘つき』
 


 
「まあ、たしかにトウジ…君の言うとおり。定期的に時間を作るのはちょっと難しいの」
 
『嘘つき』
 


 
「誰を選んでも変わらないなら、やる気があって、私と面識のある者がいいだろうって」

『嘘つき』
 
…や


「作戦中に発令所に居なかったのは私の責任なの」

『嘘つき』
 
…やめ
 (こうして断罪されることをシンジは望んでいた。自分が犯した(と思い込んでいる)罪を裁かれ、罰を受けることを。(それで楽になれるから)しかし……)

「『!…………』…
 (この時点で光波遮断ATフィールド。一度生じたミサトの擬似人格がもともとの脳機能をいくらか復活させて一時的に本人が起動した。としている)
 

 
 
あれ? 今なにか 違和感が…
 
 
『考え事?余裕ね』
 
なんだか さっきまでと… 違うような?
 
 
『どうしたの?弁解は終わり? しっかり言い訳しなさい。嘘つきじゃないんでしょう?』
 
責め方を変えただけ? …なのか?
 
 
『それとも、もう嘘つくのにも疲れた?』
 

 
…仕方なかったんだ 本当のことを言えば世界が救えるわけじゃないだろ!
 
 
『あら、逆ギレ?』
 
嘘をついて世界を救えるなら いくらでもついてやる
 
 
『今度は開き直り?』
 
そうだよ! 開き直ったとも 世界を滅ぼした張本人なんだから
 
ぐじぐじ後悔したって 何にもならないんだ
 
出来ることは何でもやって 使えるものは何でも使って 今度こそ世界を護るんだ
 
 
『大層なご覚悟だこと』
 
人を傷つけたくないからって背を向けたら それがまた人を傷つけることになるんだ
 
逃げ出したら何も解決しない
 
それが嘘でも まず傍に居てあげることが大切なんだ
 
ヒトには 傍に居てくれる者が要るんだよ!
 
 
『そのために、アタシの体を奪ったわけね』
 
わざとじゃない! わざとじゃないけど この機会を最大限に使わせてもらう
 
 
『結構な決意ね』
 
まだ体は返さない 今 この体は僕のものだ!
 
 
『どうしても?』
 
どうしても! 全てを終えるまで 今返したら取り返しがつかない
 
 
『謝る気もないのね』
 
謝らないよ まだ謝らない 今謝っても それは欺瞞だ
 
 
『いい覚悟だわ』
 (前述の「ご覚悟」とはニュアンスが違う)
ミサトさんが悪いんだ 心を閉ざしっぱなしで この体をほしいままにさせたミサトさんが!
 
 
『私のせいだっての!?責任転嫁するにもほどがあるわよ』
 
ミサトさんが逃げなければ こんなに辛くなかったのに
 
あなたが力を貸してくれれば こんなに悩まなかったのに
 

 
せめて一緒に居てくれたら こんなに心細くなかったのに
 
 
『泣きごと言うんじゃないわよ!』
 
言うもんか!
 
いまさら そんなこと 言うもんか!
 
頼りにならないミサトさんに文句言っただけだ!
 
僕が 僕が葛城ミサトを演じるためにどれだけ苦労したか
 
ちょっとしたことで全て台無しにしてしまうんじゃないかと 薄氷を踏む思いをしてきたのを 少しくらい知ってくれたってバチはあたらないだろ!
 
  
『言うじゃない』
 
今 この世界を救えるのは 僕だけなんだ
 
だから 僕はこの体を使って世界を護る それまで返さない それまで謝らない!
 
 
『…そう。終わったら返すのね?』
 
もちろん
 
 
『終わったら謝るのね?』
 
あたりまえだよ
 
 
『…なら、しばらく貸しといてあげるわ』
 
 
えぇ!? 
 

 
…いいの? ミサトさん…
 
『良いも悪いもないんでしょ』 
 
…でも
 
『ああもう!しっかりしなさい、碇シンジ!』
 
はっ はい!
 
『アナタの罪滅ぼしに較べたらたいした罪じゃないでしょ』
 
そういわれても
 
『アナタのことは全て見たわ。胸を張って世界を護りなさい』
 
ミサトさん…
 
『逃げちゃダメよ』
 
…はい
 
 
銀のロザリオを手渡された。
 
あらためて直に受け取ると、銀色のギリシャ十字架はことさら重く感じる。
 
 

 
ミサトさん あなたって人はやはり…
 
いや 今はそんなことはどうでもいいか
 
彼女がどうであれ 自分がやっていこうとしていることには関係ない
 
 
 
どこかで扉の閉じる音が聞こえたような。そんな気が、…した。
 (これによってミサトはかなり開き直るので、以降その内罰度が減る)

 

****
 
 
精神汚染使徒は、零号機の投じた赤い槍で殲滅されたそうだ。
 
 
                                        つづく
2006.10.16 PUBLISHED
2006.10.20 REVISED



シンジのシンジによるシンジのための 補間 #6 ( No.20 )
日時: 2006/10/20 17:23 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2


保安部員が押すストレッチャーに寝かされ、医療部へ向かう。
 
さっきまで付き従ってくれていた日向さんは、報告を終えると残務整理のために発令所へと戻っていった。
 
「ミサトっ」
 
閉じかけたドアをこじ開けて、子供たちがエレベーターになだれ込んでくる。
 
「大丈夫ですか、ミサトさん」
 
プラグスーツのままで、シャワーも浴びてない。LCLが乾いて、気持ち悪いだろうに。
 
「ええ。ちょっと頭が痛いくらいかしら。問題ないわ」
 
上半身を起こそうとしたら、保安部員に押しとどめられてしまった。
 
仕方がないので横になったままで。
 
「しかしまあ使徒に狙われるなんて、ミサトも出世したもんねぇ」
 
「私が囮になっている間に安全に使徒殲滅。作戦としては悪くないわね」
 
「…どうしてそう云うこと言うの」
 
綾波の視線はきつめだ。
 
「ごめんなさい。心配してくれたのね」
 
「…いい」
 
「まっ、ちょっとした骨休めだと思って、きっちり検査受けてきなさい。ワタシたちのことは心配いらないわよ」
 
アスカに視線を移す。
 
「ええ、心配はしてないわ。アスカ…ちゃんが、みんなをまとめて的確に指示してくれたって聞いてるから」
 
「わっワタシは何もしてないわよ。あれはレイとシンジが…」
 
途端に顔を真っ赤にしたアスカの手を取って、かぶりを振った。
 
「みんなの心をまとめて、意見を聞き、判断を下す。あなたは指揮官としての器をしめしたのよ。たとえ今、使徒が攻めてきたとしても、あなたが居るから安心なの」
 
「…おだてたって無駄よ」
 
むりやり手を振りほどいて、アスカはそっぽを向いてしまった。意味もなく階数表示を見つめたりして。相変わらず素直じゃないな。
 
次席指揮権をもつ日向さんの存在を忘れていたらしいのは問題かもしれないが、今はいいだろう。
 
かつん。頬を掻こうとした指先、爪が何かにあたった。
 
ヘッドセットインカムだ。着けっぱなしだったのか。
 
これがなければプラグと通話ができない。日向さんは指示が出せず、子供たち、ことにアスカは独断ですすめるほかなかったのだ。
 
自分のミスだった。とっさに投げ渡すなりするべきだったのだ。直通ラインは厳重に防護されている。通信回線をバイパスさせるのに、かなり苦労したことだろう。
 (実際にはバイパス作業をするまでもなく光波遮断ATフィールドが発動。見かけ上ミサトへの攻撃が止んだように見えたので、日向が直接インカムのスイッチを切った)
日向さんがそのことを報告しなかったのは、上官のミスを指摘したくなかったのかもしれない。
 
…あとできちんと叱ってあげなくては。
 
それはまあ、置いといて…
 
 
「レイ…ちゃんも、よく光波遮断ATフィールドに気付いてくれたわね」
 

 
言葉が見つからなかったらしく、綾波はこくんと頷いた。
 
その二ノ腕をなでてやる。
 
 
初号機の光波遮断ATフィールドによって使徒の支配力が弱まったとすれば、違和感を覚えたあの後で、自分を焚きつけようとしたあの人はもしかして…
 
 
「シンジ君も。途中、明らかに使徒の攻撃の手が緩んだわ。お陰で耐えきれたのよ。ありがとう」
 
「…いえ、その…」
 
綾波の視線に耐えかねて、彼がうつむいた。
 
「…どういたしまして」
 
満足そうに綾波が頷いている。
 
 
「あなたたちは私の誇りよ。みんな、ありがとう」
 
「「「 …どういたしまして 」」」
 
アスカのは小さな呟きだったが、間違いなく耳にした。
 
 
ちーん。検査フロアについたらしい。
 
「そんなに長くはかからないと思うけど、先に帰っててね」
 
子供たちが道を空けるなか、保安部員に押されてエレベーターを降りる。
 
 

 
 
「…いい子たちですね」
 
それまで口を開かなかった保安部員が、声をかけてくれた。
 
「ええ、とっても。あなたも護り甲斐があるでしょう?」
 
「確かに」
 
それきりまた口を閉ざしてしまったが、ストレッチャーを押す足取りが力強くなったように感じた。
 
 
 
…………
 
 
初号機の暴走によって、崩壊するように殲滅された深淵使徒。
 
その後始末の指示も終わって、発令所ですべき残務が一通り片付いた。
 
書類をまとめ、ペーパーホルダーに仕舞う。
 
「葛城三佐」
 
執務室へ戻ろうとしていたら、背後から声をかけられた。
 
「なに?日向…君」
 (さん付けしそうになるので後ろでドモる)
いえ、その…。と、呼び止めておいて日向さんはなかなか用件を切り出さない。
 
…こういうとき、彼女ならどうしただろう。
 
「どうしたの?日向…君らしくないわよ?」
 
両手を腰に当て、小首をかしげてウインク。
 
彼女らしい仕種をうまく再現できたと思ったのに、顔をそむけられてしまった。
 
もっと気の利いた対応があるのだろう。やはりこういうところは彼女に及ばない。努力はしているつもりなんだけど。
 
顔を真っ赤した日向さんがふるふると肩を震わせてる向こうでは、両手をメガホンにした青葉さんが、なにやら小声ではやし立てている。
 (「がんばれ~やれ~そこだ~男を見せろ~」)
「ほっ本日は誠に申し訳ありませんでしたっ」
 
どうやら気を取り直したらしい日向さんは、そう言い放つなり深々と頭を下げた。
 
一体なにごとだろうと青葉さんにアイコンタクトを送ったが、なぜか椅子からずり落ちててコメントは貰えそうにない。
 
「…ええと、日向…君?」
 
「捕獲用ワイヤ射出の件です。わたくしが抗弁しなければ間に合ったかもしれません」
 
ああ、あの件か。
 
あれは父さんの手前、初号機の回収に手を尽くしたように見せかけるためで、効果を期待したわけではない。暴走して還ってくる可能性があることは承知していたし、還って来ないならこないで、それでもよかったのだ。
 (量産型を接収することで、最終決戦時の敵戦力を削げるかもと期待していた。これはもちろんアルミサエル戦後にも行なおうとしていたが、拘束されてしまったので出来なかった)
もちろん、そんなことは口に出せないが。
 
それにしても、日向さん。気にしていたんだな。らしいといえばらしいけど。
 
目の前で深々と頭を下げたまま、日向さんは微動だにしない。
 
見れば、青葉さんが両手を合わせてこちらを拝んでいる。怒らないでやってくれという意味だろうか?
 
もちろん怒る気など微塵もないが、何か声をかけてあげないと日向さんは梃子でも動きそうになかった。
 

 
ここはひとつ…
 
こほん。口元に握りこぶしをあてて小さく咳払いしてから、姿勢を正す。
 
「アっテンション!」
 (教官の号令は狂気も正気に戻す。…のだとか)
自分同様に軍への出向経験をもつ日向さんが、ビシっと音がしそうな勢いで敬礼した。
 
驚いた発令所スタッフの注目を集めてしまったようだが、仕方ない。
 
「よろしい。日向二尉、休め」
 
敬礼を切った日向さんが背中でこぶしを合わせ、脚を肩幅に開く。
 
「日向二尉を抗命罪容疑で査問します。
 本日20:00。デザートを5人分調達した上でコンフォート17、12-フォックストロット-1まで出頭せよ」
 
「…はっはい?」
 
内容に戸惑ったのだろう。ちょっと怪訝な顔。
 
「復唱はどうした」
 
日向さんが踵を鳴らして敬礼。軍靴じゃないので、あまり良い音じゃなかったけれど。
 
「はっはい。わたくし、日向マコトはデザートを5人分調達し、本日20:00、コンフォート17、12-フォックストロット-1に出頭します」
 
青葉さんとマヤさんがちょっと引き気味だ。リツコさんは額を押さえている。
 
このノリは軍人でなければ解からないだろうなぁ…
 
ちょっと恥ずかしくて、頬が熱くなってきた。
 
「よろしい。さがりたまえ」
 
「はっ失礼します」
 
踵をかえした日向さんが、疑問符をたくさん頭上に浮かべながら自分のコンソールに戻っていく。
 
考えてみれば日向さんの労をねぎらったことがなかった。気配り上手な日向さんにはいつもお世話になっているのに。
 
やはり自分は薄情なのだろう。
 
上司としての心配りすらろくにできてない。
 
そういうことを気付かせてくれた日向さんに、またひとつ感謝だ。
 
日向さんの好物ってなんだろう?青葉さんにでも訊いてみるかな。
 
執務室へと向かう道すがら、つらつらとそういうことを考えた。
 
**
(青葉視点:

「葛城三佐」
発令所を後にしようとしていた葛城三佐に、マコトが声をかけた。
「なに? 日向…君」
いえ、その……。と、呼び止めておいてマコトはなかなか用件を切り出さない。
じれったい野郎だな。愛の告白をする気になったのなら、ためらわずにビシっと決めろよ。時と場合と雰囲気を読んめてないって点は、見なかったことにしてやるからさ。
「どうしたの? 日向…君らしくないわよ?」
葛城三佐はなんと、両手を腰に当てて、小首をかしげてウインクした。
バカだなマコト。なんで、こんな色っぽい仕種から目を逸らすんだ。
「マコト~!男を見せろ~!告白は度胸だ~!」
マコトへの激励は、しかし葛城三佐には聴こえないようにするため、小声で、両手で指向性を持たせて、と中々に器用な真似を強いらされた。
まあ、ミュージシャンたるもの、これくらいの芸当はこなせないとな。
「ほっ本日は誠に申し訳ありませんでしたっ」
……ずるずるずる。力が抜けて、思わず椅子からずり落ちる。
男が、女の前で、あんなに思い詰めてたら、愛の告白だと相場が決まってるだろうが。
なにやってんだよ、お前。付き合いきれねえぞ。あ、いや。ふられた時の自棄酒なら少しは付き合ってやるから、今からでも告白しなおせ!)
** 

****
 
 
その夜、日向さんを送り届けたあと、立ち寄ったのは第3新東京市を見下ろす高台だった。
 (酒を出したので車の運転をさせられなかった。ということ。ミサトに酌をしてもらって日向は嬉しかったことだろう)
 
かつて、初めてエヴァに乗ったあとに、彼女に連れてこられた思い出の場所だ。
 (設定では展望台となっているが、このシリーズの主人公でそのことを把握しているのは初号機篇のレイのみ)
もちろん、同じようにして彼も連れていった。
 
 
ルノー・サンクのハッチバックからチェロのケースを取り出す。
 
ボンネットに腰掛けて、チェロを構える。エンジンの余熱が自分を励ましてくれてるようだ。
 
 
奏でるのは、【チェロの為のレクイエム】
 (作曲はZガンダムなども手がけた三枝成彰氏)
20年も前におきた大震災の復興支援チャリティのために書かれたというこの曲は、セカンドインパクトからの復興期に多用され、多くの人々の心の支えになったという。
 
年末の第九とならんで、9月13日のレクイエムは、年中行事の定番曲として誰もが知るところだ。
 
 
………
 
 
光槍使徒を撃退したその夜。
 
まだ解かれていなかった彼の荷物からチェロを拝借して、独り、ここに来た。
 
死者159名。重軽傷者193名。行方不明者314名。光槍使徒が放った怪光線がシェルターを3箇所、巻きこんだ結果だ。
 (計666名で、つまり「偽りの獣の数字」)
自分が、もっといい作戦を立案できていれば、避けられた被害だったかもしれなかった。
 
そう、例えば鷹巣山でN2地雷を喰らった直後を強襲するとか。
 
その時点では指揮権がなかったとか、分裂使徒ほどにはダメージを受けていなかったとか、できなかった理由を見つけて己を慰撫したが、どうやったところで自分の心までは誤魔化せない。
 
 
………
 
 
その後、こっそりとチェロを買った自分は、使徒戦後に被害報告を聞くたびにこうしてここを訪れている。
 
今夜は、威力偵察で散った戦闘機のパイロットたちのために。深淵使徒の崩壊に巻き込まれた第375、376地下避難所の被害者、行方不明扱いの500名のために。
 (定員が250名と表記されていたので、2ヶ所で500人になる)
… 
 
はっきり言って難しい曲だった。13年もブランクのある自分と、チェロを弾くことが染み込んでいないこの体では、最後まで弾きとおすことすら適わない。
 
涙と嗚咽の止まらない状況で奏でられるそれは、酷いの一語に尽きた。
 
だが、この曲が上手く弾けるようにならないことを願っている。
 
被害者を想うために一所懸命に弾いているこの曲の下手さ加減が、自分が何とかやっていけている唯一の指標のように感じるのだ。
 
どうか、弾きこなせるようになるまでに、全てが終わらんことを。
 
 
…………
 
 
 
「やだな。またこの天井だ」
 
夢を見ていたようだ。あまりにも生々しいので、まだ精神汚染使徒の光の中に囚われているのかと思った。
 
外傷はないので短い検査入院なのだが、途中でうたた寝してしまったらしい。担当医が気を利かせて、ストレッチャーごと病室に運ばせてくれたのだろう。
 
 
今回。精神汚染使徒との戦いの被害者は1人。自分だけだった。
 
あの曲が上手くなる機会がひとつ減って、嬉しい。
 
こんこんと、控えめなノックの音。子供たちだろうか?先に帰るように言っておいたのに。
 
「どうぞ」
 
「失礼します」
 
入ってきたのは紫陽花の花束だった。
 
いや、違う。山ほどの紫陽花を抱えた日向さんだった。
 
「…日向…くん?」
 
「…その、紫陽花がお好きだと聞き及びまして」
 
青みの強い花とは対照的に、日向さんの顔は真っ赤だ。
 
「ありがとう。とても嬉しいわ」
 
このご時世、紫陽花は手に入りづらいのに。
 (正確には、単に高価い。気候の変化が少なくてハウス栽培での手間がそれほど増えない割りに(夏以外の草花は)人気があって高価く売れるので流通量はそこそこある)
満面の笑顔なのが自分でも判る。精神汚染使徒には酷い目にあわされたが、今日はいいことが多い。
 
やはり顔をそむけられてしまった。もっと気の利いた対応があるのだろう。やはりこういうところは彼女に及ばない。努力はしているつもりなんだけど。
 
 
 
                                        つづく



[29540] シンジ×3 テキストコメンタリー6
Name: dragonfly◆23bee39b ID:838af4c9
Date: 2022/11/09 14:23
シンジのシンジによるシンジのための補完 第拾六話 ( No.21 )
日時: 2007/02/18 12:22 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2


『 今回の事件の、唯一の当事者である葛城三佐だな 』

   正面から聞こえてきたのは、年月の積み重ねを感じさせる低い声。
 
「はい」
 
 
『 では訊こう。被験者、葛城三佐 』
 
   右手から、張りのあるテノール。
 
 
『 先の事件、使徒が我々人類にコンタクトを試みたのではないのかね? 』
 
   カン高い神経質そうな声は、左手奥から。
 
「コンタクトなどというソフトな印象は受けませんでした」
 
 
『 君の記憶が正しいとすればな 』
 
   暗闇の中で査問とは、威圧のつもりなのだろうか?
 
「記憶の外的操作は認めらないそうですが」
 
『 発令所の記録は存在するが、確認できることではない 』
 
 
『 使徒は人間の精神、心に興味を持ったのかね? 』
 
   左手手前から新たな声の主。比較的若そうな、雑味のあるリリコテノール。
 
「その返答は出来かねます。はたして使徒に心の概念があるのか、人間の思考が理解できるのか、まったく不明ですから。
 単に、第3新東京市を防衛する物の中枢とみなして解析を試みただけかも知れません」
 
   使徒に狙われたのは、自分の特殊性ゆえかもしれないと考えないでもないが。
 
 
『 今回の事件には、使徒がエヴァを無視したという新たな要素がある。
  これが予測されうる第16使徒以降とリンクする可能性は? 』
 
   再び正面から。この声の主がこの場の主導権を握っているようだ。
 
「これまでのパターンから、使徒同士の組織的なつながりは否定されます」
 
   もし、そんなものがあるのなら、どうしてあの落下使徒が何度も試射を行うものか。
 
   光鞭使徒や要塞使徒のように重力を遮断して、ATフィールドをスピードブレーキに使えば、大気圏突入なぞ朝飯前だったというのに。
 (一般的にはエアブレーキか。この応用法はユイ篇・初号機篇・キール篇で出てくる)
 
『 さよう、単独行動であることは明らかだ。これまではな 』
 
   きんきんと右の奥歯に響く声だ。
 
「それは、どう云うことなのでしょうか?」
 
 
『 君の質問は許されない 』
 
   正面から。
 
「はい」
 
 
『 以上だ。下がりたまえ 』
 
「はい」
 
 
接続が切れた瞬間。気が抜けてくずおれた。
 
 
人類補完委員会による査問。
 
一介の作戦課長を救うために使われたロンギヌスの槍。
 (これはもちろん口実だが、これを真に受けた子供たちが微妙にゲンドウを見直してたりする。もっとも、後の拘禁処分ですぐに下落するが)
 
精神汚染使徒を貫いたロンギヌスの槍は、軌道を修正、再加速して第10使徒たる落下使徒をも殲滅。結果、第三宇宙速度をはるかに超えて太陽系から離脱するコースを取っているという。
 
いまの人類の技術では、とても回収できないだろう。
 
 
その責任の追及先として、もっと具体的に根掘り葉掘り訊かれると思って身構えていた分、別の意味で気が抜けたといってもいい。
 
憶測や印象を聞いて、どうすると云うのだ。
 
世界7箇所でエヴァ拾参号機まで建造中と聞いていたから、危機感に溢れているとばかり思っていたのだが、どうにも緊張感に欠ける。
 
9体ものエヴァの建造と、この連中の雰囲気が余りにもそぐわない。
 
使徒の脅威におびえてエヴァを造らせているようには思えないのだ。
 
非公式だということも考え併せて、やはり、真の狙いは人類補完計画とやらなのだろう。
 

シンジのシンジによるシンジのための 補間 #EX6


自分の執務室で、昨日の査問に関しての報告書を作成している最中だった。
 
「ちょっと、いいかい?」
 
「加持…君。珍しいわね、どうしたの?」
 
あけすけな彼女の性格をなぞるべく、ドアの設定はフリーになっている。前に立っただけで開く仕様だ。
 
もっとも、この人にかかってはロックをかけていても無意味だろうけど。
 
「今晩差し入れに行くって、アスカに約束してたんだが…」
 
差し出しされたのはメモパット。すでに何か書き込んである。
 
【 ゼーレが冬月副司令の拉致を画策している 】
 
「…仕事が入りそうなんだ」
 
身内であるはずのネルフに対して、ゼーレがこんな乱暴な手段を講じてくるとは。
 
これが脅迫だとすれば、その対象はもちろん父さんだ。
 
それはつまり、父さんを御しきれる手札がゼーレに乏しいことの証左でもある。
 
「アスカ…ちゃん、楽しみにしていたわよ。そのことを聞いたら、仕事なんか【止めさせようとするでしょうね】」
 
含みのある言葉を話す間だけ、人差し指を立ててみた。
 
「だからこうして、葛城に相談しに来たんじゃないか」
 
ぱらぱら。と2枚ほど捲られるメモ用紙。
 
【 正確な日時、実行犯の規模は不明 事前の阻止は難しい 】
 
「そう言われたって… 【あとで埋め合わせする】くらいしかないんじゃない?来週、2回来るとか」
 
「確かに、そうなんだがな…」
 
ぱらぱらぱら。今度は3枚ほど纏めて捲っている。
 
【 副司令を監視して、実行後に救出する 】
 
回答を予め用意してあるらしい。
 
「アスカのご機嫌取りねぇ… 私【1人でできる】かしら?」
 
「葛城なら【なんとかなる】と踏んでるんだがな」
 
真似をするのはいいんだけど、ウインクってのはどうかなぁ。
 
それはそれとして…
 
その口ぶりから察するに、もとから加持さん自身も副司令を救出する気でいるようだ。
 
どんな腹積もりかは判らないが、任せておくしかないだろう。
 
頷いてみせる。
 
「買い被りすぎよ、あの年頃って難しいんだから…
 明日のホーム【パーティ】で機嫌直してくれるといいんだけど…」
 
「パーティ、明日かい?」
 
パーティとは、ターミナルドグマへ潜入することを示す符牒だ。それとは別に、明日ホームパーティを開くことも事実だが。上手くいけば、ちょっとした記念日になるだろうし。
 
「ええ、加持…君も来てくれるでしょ?」
 
「仕事終わるかなぁ… 野暮用もありそうだし…」
 
天井を見上げて、加持さんが顎をしごく。
 
「野暮用?」
 
「ああ、特殊監察部は委員会の直轄だからな。【今回の仕事がらみ】で無理難題を押し付けられそうなんだ」
 
口元で立てられる人差し指。口外無用… いや、詮索不要…かな?
 
「準備ばっかりで、本番に参加しないなんて詰まんないでしょ。それに…加持…君が来てくれないと、寂しいわ」
 
「寂しい…ねぇ。俺にまだ気があるのかい?」
 
「あるわ」
 
加持さんが目を見開いた。遊んでいるように見えて、その実、この人はこう云ったストレートな物言いをされるのが苦手なのだ。
 
いつもの調子で茶化したつもりだろうが、加持さんを死なせたくないという一点で自分は常に真剣だった。そう何度もはぐらかされたりはしない。
 
「そうは見えなかったがね…」
 
「一度敗戦してるもの。負ける戦は仕掛けない主義なの」
 
「そいつぁ同意見だが…」
 
「…わだかまりは、あるわよ?でも、あの時の思いは嘘じゃないわ」
 
加持さんが胸ポケットに手をやった。まさか、あのカードキー、肌身離さずに持ち歩いているんじゃあ…
 

 
そうだったな。と顔を上げた加持さんは、にやけ面を取り戻している。
 
「真摯に聴いとくよ。明日のパーティは開始時間を見合わせといてくれると嬉しい」
 
「ええ、待ってるわ」
 
踵を返した加持さんが、右手を差し上げるだけで応じた。
 
ヒト1人送り出して、ドアが閉まる。
 
 
 
嘆息して、執務室を見渡した。
 
恋愛にうつつを抜かしてるほうが人間としてリアルだろうから、少しは欺けるだろう。
 
誰が聞いているのかは、知らないけれど。
 
 
                                         終劇
(以上は、連載時に特別な読者の為に書き下ろした話。今回のおまけとして収録した)

****
#8 (ここに、補間#8が入る)
****
 
 
ターミナルドグマ。
 
【人工進化研究所 第三分室】と掲げられたプレートを見上げ、待つことしばし。
 
そろそろのはず。懐からIDカードを取り出し、リーダーに通した振りをする。
 

 
「なにしてるの、葛城三佐!」
 
保安部も連れずに一人で来た。その優しさと甘さに、安堵と後ろめたさを覚えて嘆息。
 
「ちょっと社会見学にね。ちょうど良かったわ、ここ開けてよリツコ…」
 
そんな必要はない。それどころか、リツコさんに気取られることなく侵入することも出来るのだが。
 
「貴女に、この施設へ立ち入る権限はなくてよ」 
 
もたもたと、慣れぬ手つきで拳銃を取り出している。
 
「今なら見なかったことにしてあげられるから、早く立ち去りなさい」
 
ろくに照準も合わせず、ただ銃口を向けているだけの構え。セィフティも外してない。
 
「ありがとう…と言いたいところだけど」
 
リツコさんの背後に、浮かび上がる人影。
 
「美人には似合わないから、その無粋なものをくれないか?りっちゃん」
 
「その声は…加持君?」
 
振り返らないのは、背中に銃身でも突きつけられているからだろう。
 
「貴方、生きていたの?」
 
ゆっくりと差し上げられた拳銃を、加持さんが無造作に受け取った。
 
「真摯に聴いとく。そう言ったろ?」
 
副司令の救出ごくろうさま。という自分の加持さんへの労いも、答えの一部になるだろう。
 
将を欲すれば、まず馬を。父さんを陥とすのための外堀に、冬月副司令には恩を売っておきたかったのだ。
 
 
うながされて、リツコさんが渋々カードリーダーに歩み寄る。
 
「一体、何を企んでるの?」
 
「言ったじゃない。社会見学だって」
 
スリットにカードを通した後のことだろう。光の加減で見えない位置に立っていた者の存在に気付いたのは。
 
「レイ…、それにシンジ君!」
 (アスカは、待ちに待った神道夢想流杖術の師範と初稽古の最中)
 
****
 
 
綾波が前に住んでた部屋みたいだ。 …そう、私の生まれ育った場所。
 
エヴァの…墓場? …ただのゴミ棄て場。
 
通り過ぎる様々な施設。ついてくる子供たちの会話。
 
 
考え直しなさい。 …ごめん。そうもいかないの。
 
私を巻き込む必要、あったの? …それも、ごめん。
 
先行する大人たちの会話。
 
 
リニアエレベーターを降りた時点で、見張りを口実に加持さんは置いてきた。下手に口出しされたくなかったので。
 
おとなしく留守番してくれてるとは思えないが、しゃしゃり出てくるほど野暮でもあるまい。
 
 
ほどなく目的地に到着。かつてのリツコさんが、綾波たちを壊したところ。
 
入り口で立ち止まってしまった綾波を、彼が不思議そうに振り返った。
 
あらかじめ綾波にはこのことを話してあるが、今はそっとしてやりたい。
 
問い質すような表情で向き直った彼を、手招き。
 
 
視線でうながすと、リツコさんが携帯端末を取り出した。
 

 
ためらい。見せつけるために自分を呼び出した前回とは違う。
 
今のリツコさんに、これを彼に見せる理由はないのだろう。
 
よかった。かつてのリツコさんの行為にも、それなりの意義があった証拠に思えた。
 
しかし、おそらく八つ当たりに過ぎなかったであろう行動は、どのような意味であれ彼女のためにはならなかったのだろう。気が晴れるどころか却って落ち込んで死すら望み、さらには消息不明になったのだから。
 
 
リツコさんが綾波たちを壊す気になったきっかけが判らない以上、その根本的な防止は難しい。
 
だが、無益な行為を思い止まらせることは出来るはずだ。あるいは、たとえトリガーが引かれても、銃弾が飛び出さない程度にまで火薬の量を減らすことも可能なはず。
 
 
どうやら、その撃鉄が起こされる前にお膳立てを整えることができたのだろう。こちらの顔色をうかがって、諦めとともにスイッチが押された。
 
照明が灯され、照らし出される水槽の中身。
 
綾波レイ。綾波レイ。綾波レイ。綾波レイ。綾波レイ。綾波レイ。綾波レイ。綾波レイ。綾波レイ…
 
「綾波…、レイ」
 
呟いた彼に反応して、視線を向ける綾波たち。
 

 
「シンジ君。彼女たちが…怖い?」
 
驚いて言葉が続かない様子。少なくとも3人は居ることを知っていた自分より、はるかに衝撃があることだろう。
 
この間隙に、毒を練る。彼の心に流し込む、劇薬を紡ぐ。
 
虚実を取り混ぜて醸した、禍々しく優しい麻薬を。
 
「彼女は…、彼女たちは被害者なの」
 
「…被害者…、ですか?」
 
ええ。と頷いて。
 
「シンジ君。碇司令が、あなたのお父さんが、あなたをエヴァに乗せたがっていない。と言ったら、信じる?」
 
「…父さんが?」
 
信じられません。と、かぶりを振る彼。
 
「あなたをぎりぎりになって第3新東京市に呼んだのは、そもそもエヴァに乗せるつもりがなかったから」
 
彼の前を横切る。
 
「もし最初から乗せる気だったのなら、アスカ…ちゃんのように幼い頃から訓練させたはず」
 
できるだけゆっくりと、靴音高く。
 
「司令は、あなたを予備、と呼んだ。零号機の暴走事故がなければ、予定通り…レイちゃんが出撃したでしょうね」
 
カツ、カツとヒールを鳴らして、その視界から外れる。
 
「エヴァ参号機を乗っ取った第13使徒戦のあと、司令はあなたを解任しようとした」
 
足音を消す。
 
「それはダミーシステムが完成して、実用性が証明された直後のこと。もう貴方を乗せずに済むと、思ったから」
 
遠回りして、背後から近づく。
 
「あなたの友達をわざと傷つけたのも、あなたの方からエヴァを降りたいと言わせるためだったのかも」
 
臆病者は帰れ。彼が聞くことのなかったこの言葉には、父さんの裏腹な想いが込められていたのではなかったか?
 
満身創痍の綾波を見せつけたのは、逃げ帰らせるためだったのではないか?
 
「碇司令は、あなたのお父さんは、あなたをエヴァに乗せたがってないわ」
 (これらは、私自身の考察の結果でもある。初号機より後に作られたであろう零号機・レイとそのクローン・ダミーシステム、ゲンドウはシンジを乗せないための努力をしてたのではないか?)
父さんが、僕を…。承服し難いのか、何度も呟く彼の左肩に、手を置いた。
 (もちろん、初号機に受け入れられているシンジを見たくない嫉妬の面もあるだろう)
自分自身、信じてるとはいえない戯言だ。彼が受け入れられるかどうかは、まさしく彼次第だろう。
 
ただ、その答えがいずれであろうと、じっくり考える時間を与えるつもりは毛頭ない。
 
それらは、これから与える大嘘の前提。下準備に過ぎないのだから。
 
「そのために、あなたをエヴァに乗せないために造られたのがダミープラグ。そして、その材料として造られた彼女たち」
 
彼の肩越しに指差す水槽。綾波たち。
 
「…僕の…ために?」
 
「そう。彼女たちは、あなたのために造られた身代わり。もちろん、彼女も…」
 
視線を誘導すべく、タメをもって指先を右へ。
 
指し示す先に、綾波。顔をそむけている。
 

 
「…その割には…大切にされていたように…」
 
見えましたが。という語尾は濁して。
 
 
「 それは、彼女が代用品でもあるから 」
 
ささやく。
 
彼とリツコさんにしか聞こえない程度に。綾波には、届かぬように。
 
何の?と問いかける視線は落ち着かない。
 
「…あなたの」
 
「…僕の?どうして?」
 
驚いたのは彼だけではなかった。違う答えを聞かされると思っていただろうリツコさんも、また。
 
「生きるのが不器用な人だと、リツコ…が言っていたでしょう。
 ヒトが生きることに不器用というのは、人づきあいが不得手だということなの。
 碇司令は他人が怖い。サングラスも髭もあのポーズも全て他人から己を守る鎧。
 そして、一番怖いのはあなた、シンジ君よ」
 
「…どういうことです?」
 
父さんの言動を推し量れるようになって気付いたのは、自分との類似だった。父子なのだから当然なのかも知れないが、自分がその立場だったらと考えると驚くほどその心の裡が解かるのだ。
 
立ち位置を変えて、彼の視界から綾波を隠した。
 
「あなたを…愛しているから」
 
「…嘘だ!」
 
嘘じゃないわ。とかぶりを振る。
 
「ヤマアラシのジレンマって言葉があるの。
 ぬくもりを分かち合いたいのに、身を寄せるとお互いを傷つけてしまう。だからヤマアラシは微妙な距離を保とうとする。
 愛してるから傍に置きたい。でも愛し方を知らない自分の傍らでは、傷つけるばかり。
 愛してるから、傷つけることが怖い。だから遠ざける。
 あの怖がりの司令があなたに嫌われることを厭わないのは、自分が傷つくことより貴方が傷つく方を厭うから」
 
それもまた、相手を傷つけるのにね。と、これは自嘲。
 
他人を傷つけるくらいなら自分が傷ついた方がマシだ。かつてそう考えた自分の、それは相似形だった。
 
なんのために人の心に壁があるのか、2人してそこに思い至らないのは親子ゆえだろうか。
 
心の壁がいかに自在なものか、使徒が指し示してくれているというのに。
 
ATフィールドの有り様が、心の壁の真実を体現して見せているというのに。
 
 
なぜATフィールドは不意を討たれると間に合わないのか。
 
なぜATフィールドは展開解消が容易なのか。
 
なぜATフィールドは眼に見えないのか。
 
なぜATフィールドは中和できるのか。
 
 
すべては心の問題なのだ。
 
 
心は心で理解できる。心は心で破壊できる。心は心で象ることができる。だから中和できる。侵蝕できる。相殺できる。
 
心は目に見えない。厭うのは傷つけられることだけ、相手の姿を見たくないほどにまで拒んでいるわけではない。なにより拒絶していることを知られたくない。
 
心に形はない。自在に変わることができる。状況に応じて合わせることができる。壁の高さも堅さも扉の有無すら自在なのだ。
 
心の壁は、殻ではない。いかに頑なな人の心も、常に鎧われているわけではない。
 (「ATフィールド=心の壁」という言葉を受けての、あくまでこの時点までのミサトの解釈なので、若干の誤解を含む)
 
それに気付けば、人はもっと、人の傍に歩み寄れる。優しくなれる。相手の棘などいくらでも防げる。自分の棘などいくらでもとどめられるのだから。
 
 
「自分よりも相手を思う。それは愛なの。間違っていようと、どんなに捻くれていようと」
 
いや、つまるところ愛なんてものは一方的なものでしかありえないのかもしれないが。
 
「私の父親の話をしたでしょう。愛し方を知らない人たちなのよ」
 
「…そうだとしても、受け入れられません」
 
当然だろう。たとえそれが事実だったとしても、自分だって受け入れ難い。
 
「受け入れなくてもいいの。赦す必要もない。そういうことだと知っていてくれれば充分」
 
そう。それが目的ではないのだから。
 
「 ただ、…レイちゃんは赦してあげて欲しいの 」
 
「綾波…を?」
 
よく判らない、という顔。自身の裡に眠るわだかまりに、彼はまだ気付いてないのだろう。
 
「 ええ…
  だって、彼女が大切にされてるように見えたことは、彼女の責任ではないから 」
 
ことさらに小さな声で。
 
「 碇司令のことが理解できたのは、彼女が造られた存在だと知ったときだったわ 」
 
もちろん大嘘だ。自分が父さんの心を理解できることの対外的な理由に過ぎない。
 
彼が心持ち身を乗り出してくる。気のない振りをしてリツコさんも耳をそばだてているようだ。
 
「 碇司令がもっとも屈託なく接してる相手が…レイちゃんだわ。
  それは彼女が造られた存在だから。司令が造った存在だから。逆らうことのない存在だから。
  碇司令が他人を恐れているのが解かったのは、造った存在である…レイちゃんにだけ打ち解けていたからなの 」
 
一息。視線を落とす。
 
「 …もっと打ち解けて然るべきヒトが、すぐ傍に居るというのにね 」
 
それが誰か、などと明言はしない。受け取った者が、受け取りたいように解釈するだろう。
 
「 ことさら…レイちゃんを大切にしているように見えるのは、司令もやはり愛に飢えているから。自分なんかを愛してくれる人間は居ないと思っているから。
  紛い物でも無いよりはまし。人形でも居ないよりはましだと。
 
  …でも、それしかないと思っているから大切にするの 」
 
嘘、ほのめかしと続けて、次は隠し事だ。わざわざ母さんの事なんか口にしない。綾波と母さんの関係を教えるにしても、まだ先のこと。
 
「それは代用品に注ぐ愛。紛い物への愛。本当はあなたに与えたい愛が捩じれた結果なのよ」
 
そして、すり替え。零号機の暴走の顛末を聞けば、父さんが綾波を道具として扱いきれなかったことがわかる。おそらくは綾波に母さんの面影を見ているのだろう。不器用な人なのだ。
 (因みにこの作品では、シンジをシャムシェル解体現場に連れて行ってないので、火傷の説明イベントが起こってない)
 
もちろん、そんなことがらはおくびにも出さずに続ける、心の狩り。
 
まがりなりにも愛されていると、彼に錯覚させるために用意した詰め将棋。
 
「 想像してみて。あの結晶のような形の第5使徒戦前に…レイちゃんに話しかけてたように、あなたに話しかけていたらどうだろうか、と 」
 
問いかける言葉とは裏腹に、自由な想像など許さない。
 
「 あんな酷い代物に乗り込まねばならない息子に、とても喜ばしそうな顔で語りかける父親 」
 
落とすように視線を逸らして、さも独り言かのように呟く。届いたかどうか、確かめるまでもない。その目を見なくとも、その顔を見なくとも、これだけ近しければ。
 

 
……
 
「…ありえないわね」
 
リツコさんの感想に後押しされたような、彼の頷きが見て取れた。
 
「 あなたに対する愛がなければ、そうなっていたわ。
  …レイちゃんへの愛が紛い物だから、そうなった 」
 
もし、寸毫でも父さんを赦せたら、それは容易に綾波への同情に変わる。これはそのための罠だ。
 
 
一歩、二歩。綾波のほうへ。
 
顔をそむけているのは、結果が怖いからだろうか。
 
拒絶されることへの恐怖。それは社会性が芽生えたことの裏返しでもある。成長…、したんだね。綾波。
 

 
体をずらすようにして振り返った。再び現れた綾波の姿は、彼の目に小さく見えるだろう。
 
 
「シンジ君、もう一度訊くわ…」
 
声のトーンを戻した。彼のためだけの嘘は終わり、続くのは…
 
「彼女たちが…怖い?」
 
彼のための嘘。綾波のための嘘。二人のための嘘。
 
結局、この口からは嘘しか紡がれない。
 
そうして作られるのは、虚偽の布地にわずかな事実で刺繍を施し、憶測の糸で縫い合わせた、裸の王様の服。
 
見たい者だけに見える服。真実とはそういうものだ。事実と違って肌触りすら、ない。
 

 
「…怖いというより、…驚きました。いきなりだったんで」
 
前もって言ってくれればよかったのに。との抗議に、ごめんね。とだけ返す。
 
衝撃を受けている間に刷り込みを行う。洗脳の常套手段だから、などと言えるはずもない。
 
「…レイちゃんのこと、好き?」
 
「ミ、ミサトさん!?」
 
「嫌いになってないか?って意味だったんだけど、答え聞かなくても判ったわ」
 
からかわないでよ、もう。と拗ねる彼の呟きはやさしく無視して。
 
「よかったわね、…レイちゃん。あなたを、あなたのままで、受け入れてくれる人が居るわ」
 
「…はい」
 
ゆっくりと近寄ってきた綾波が、上目遣いに見上げてくる。
 

 
「…葛城三佐は?」
 

 
「訊かないと判らない?」
 

 
「…聴きたいから」
 
そうね、きちんと伝えないとね…。と微笑。
 

 
「レイちゃん。あなたのことが好きよ」
 
嘘だらけの言葉の中で、初めて自分が心から想っていることを口にできたのだろう。
 
だからか、そのひとことは思ったより素直に口をついた。
 
ドモらなかった。 
 (以降、レイに対するドモりがなくなる)
「…葛城三…」
 
呼びかけようとした綾波が、かぶりを振る。
 
いや。いや。いや。いや。いや。いや。いや。いや。いや。いや。いや。いや。いや。いや。いや。いや。いや。いや…
 
「ミサトさん。って呼べばいいと思うよ」
 
与えられた好意に返す、ぎこちない微笑み。かつて自分に与えられた笑顔が、今、自発的に彼に向けられている。
 
照れる顔を観察する余裕はなかった。
 
…ミサトさん。との呟きとともに飛び込んできた綾波に驚かされたから。
 
 
 
綾波をなだめるのに、少し時間がかかった。
 
胸元が濡れて、ちょっと冷たい。
 
頭をなでてやっていた手をとめ、抱きしめなおす。
 
「彼女たちを、どうしてあげたい?レイちゃん」
 
息を呑む気配。おそらく、考えたこともない命題。
 
「…わからない」
 
「彼女たちを外に出してやって、あなたと同じように生活を与えてあげられるとしたら?」
 

 
「…彼女たちは、私と同じ株の、私とは違う花。同じように咲く権利がある?」
 
頷いてやる。
 
「…私に決める権利が…?」
 
「それは判らないわ。
 でもお腹の中の胎児に、生まれて来たいか?と親は訊くことはできないものよ。
 あの子たちも同じだと思うの」
 
…なら。と腕の中で頷く気配。
 
「…出てきてから、自分で決めればいい」
 
そうね。と頷いてやる。
 
「勝手にそんなこと決めないで!出来るわけないでしょう」
 
ちょっと待ってね、怖いお姉さんと話しをつけてくるから。と抱擁を解く。
 
つかつかと詰め寄ってくるリツコさんに向き直って。
 
「どうして?」
 
「魂がないもの!」
 
「なぜ?」
 
「ガフの部屋は空っぽだった!魂が宿ったのは一人だけよ」
 
「本当に?」
 
「嘘ついてどうするのよ!」
 
はあはあと、リツコさんの息が荒い。
 

 
「…じゃあ、1人目は?魂なかったの?」
 
これは賭け。「葛城ミサト」の知らない事実だから。加持さんですら掴んでいなかった情報だから。
 
ダミープラグの正体より、はるかに知り難い秘密のはずだ。
 
でも、そのために加持さんの姿を見せておいた。なによりここに綾波が居る。
 
リツコさんはそのことを、勝手に結び付けてくれるだろう。
 

 
「…魂を移した。と聞いてるわ」
 
よかった。「秘密は漏れるものだ」なんて陳腐な言葉で誤魔化さずにすんで。
 
「死体から移せるものなの?」
 
「いいえ。その装置で取っていたバックアップを与えたそうよ」
 
指差す先に、人間の脳幹のごとき器械。
 (このシリーズではこの装置を、ヒトの脳組織やシナプスを機械的に再現し、記憶や意志・思考などを投射できるプロジェクターのようなものと設定している。つまりユイ篇のようにヒトとエヴァのスケール比を埋めるためのアンプとしてシンクロの補助を行なったり、これ自体がMAGIの試作品であり、これをインタフェースに用いて人の記憶を電子媒体に記録させることができる(一昔前にはシステムの違うコンピュータ同士でデータの遣り取りをするのに、一旦ディスプレイに表示させて読み取らせたりした。そのイメージ)。とした。記憶の遣り取り(と云うか上書き)は可能だが、脳構造やシナプス構成が個人個人で違うため他人間では文字化けみたいになって廃人になる可能性が高い。つまり記憶の遣り取りは脳構造が同じ本人同士でのみ成り立つが、これも記録した時点と書き込んだ時点が長いと成長の分誤差が出て上手く行かない。さらには、外に出て生活するのとLCLにぷかぷか浮いているのとでは受ける刺激が段違いで、シナプスの成長度合が異なる。原作で3人目の綾波の記憶が曖昧なのは、これらの誤差による。とこのシリーズでは定義している)

「バックアップが取れるなら、書き込めば魂が生じるんじゃないの?」
 
「…無駄だと聞いていたから」
 
試したことないのね。と水槽に手が届く位置まで。
 
「子供ってね。胎児のうちから色々な経験をするの。
 母親に話しかけられたり、外の物音を聞いたり、ホルモン量の変化から母親の情動を慮ることすらできるらしいわ…
 だから生まれた時にはすでに、それなりの経験を蓄積しているのよ」
 
ガラスに手を置くと、近くの綾波が視線を寄せる。
 
「それに、脳のシナプス形成に乳幼児期の接触刺激は必要不可欠だわ。人工子宮の中で促成培養では、そんなもの望めない」
 
見分けはつかないが、この中に3人目の綾波も居るのだろう。
 
「この子たちは、そんな経験すら与えられぬまま大きくなった胎児なの。だから魂がないように見える」
 
振り返り、見つめるのは無機物の脳髄。
 
「この世に魂があるかどうかは判らないわ。
 でも、ガフの部屋とやらが空っぽだったなら、レイちゃんよりあとに生まれた子供たちにも魂がないの?」
 
 
かつて、綾波たちの破壊を見せつけられた時から、魂というものについて考えてきた。綾波だけに生じ、綾波たちには生じなかったと言うモノ。
 
1人だけにしか生じなかったというのなら、自分の知っている2人のうち、どちらが魂を持つ綾波だったのだろう。
 
それとも、存在したはずの1人目だけが持っていたのだろうか?
 
ほぼ同じ記憶を有しながら、温度差を感じさせた2人の綾波。その温度差が魂だろうかと、そう考えたこともあった。
 
 
自分なりの結論に至る。その糸口を与えられたのは、他ならぬリツコさんから聞いたMAGIの話。微細群使徒戦の時だ。
 
人格が揮発する。という言葉が、なぜか3人目の綾波のことを思い出させた。
 
一応の記憶はあるが、それに伴う実感や情動が見られなかったように思う。無機質とでも言えばいいのだろうか?その3人目に対する自分の印象は、自らが経験せずに記憶だけを与えられたからこそ抱かせたのではないか。
 
貰い物の記憶しかなかったから、「私は3人目」などと、突き放したように告白できてしまうのではないか?
 
それはおそらく、人格を揮発させてしまった場合のMAGIの姿でもあっただろう。
 
2人の温度差について考えていて気付いたのは、2人目もまた、ここから出たばかりの頃は同じような状態だったのではないか?ということだ。最期には自爆までして自分を救けてくれた2人目の綾波にも、3人目のような時期があったと思う。
 
・ イレーザーで消し残された点。過去ログだけを与えられた器。それが3人目の綾波ではなかったのか。水槽から出されたばかりの2人目の綾波ではないだろうか。
 
だとすれば2人の綾波の決定的な違いは、肉体を得て体験した時間の差しかない。
 
/ リツコさんがホワイトボードに書いてくれた斜めの線。線そのものは実在しても、それが示すベクトルはそうではなかろう。
 
もし、そうならば。魂とはそれ自体のみで存在し得る代物ではなくて、体験の過程と人格形成の軌跡を表す語彙に過ぎないのかもしれない。その抄録が記憶、ということになるのではないか。
 

 
そして、なにより。なによりも、…だ。
 
魂なんてモノがあるなら、この体でも動いてくれたかもしれない初号機。応えてくれたかもしれない、母さん。
 
【エヴァパイロットとしての適格性なし】との通知を前に、おそらく自分は一度、絶望しているのだろう。こんな姿でも、母さんなら自分を見分けてくれるかもしれないと、心の片隅に希望を抱いていたのだ。
 

 
この世に魂なんてない。
 (レイ&MAGIとユイ&初号機から導かれた、この時点でのミサトの結論であって、このシリーズのスタンスと云うワケではない)
その結論は、つまるところ自分の願望の産物なのだ。
 
それに、そもそも魂の本質を知らないかぎり答えの出ない命題でもある。 
 
だが、解からないなりに自分で考えて出した答えだった。
 

 
ゆっくりと歩いていく。
 
「…この世に魂がないのなら、そもそもこの子たちが外に出ることに何の問題もない」
 
装置の下、巨大なガラスのシリンダー。
 
「…この世に魂があるなら、この子たちだけに魂がない理由がないわ。
 今この瞬間にも子供たちは生まれ、育っている。私が看取った子供たちにも魂はあった。
 この子たちにも魂は、きっとある」
 
おそらく、この装置は人の記憶を保存し、与える事ができるだけの物に過ぎまい。
 
「外に出して経験を積ませるのは一人で充分。ダメになれば交換すればいい」
 
そういうことじゃないかしら。と透明な筒に触れる。
 
「この前の結婚式の時、レイちゃんは精密検査だと聞いていたわ。健康面の管理者たるリツコ…が居ないのに」
 
筒越しに視線をやると、リツコさんと目が合った。
 
「リツコ…が必要ないほど簡単な検査?それにしては時間をかけすぎてる。リツコ…も知らないような秘密があるかも。と思ったのはそのときだったわ」
 
 
例えばリツコさんはさっき、魂を移した。と言った。
 
だが、死んだ綾波から魂を移せるのなら、停止したMAGIから人格を移すことなど造作もないだろう。揮発したベクトルごとき、どうにでもできて然り。
 
そこから導き出せるのは、本当は魂なんか移せないか、父さんがリツコさんを信用してないか、騙してるか、のどれかだ。
 
そのことの屈辱は、科学者としてのリツコさんを動かす原動力になりえるだろう。
 
 
「レイちゃんのこと、前向きに考えるって言ってくれたわよね?
 それは、この子たち抜きでは成しえないことよ」
 
筒を迂回して、リツコさんの方へ歩く。
 
「初号機がダミープラグを拒絶した今、この子たちの重要性は下落している。下手をすれば、このまま破棄されかねないわ」
 
リツコさんが目をそらした。
 
「せめてもの罪滅ぼしに、この子たちに未来をあげて欲しいの」
 
すれ違う寸前で、立ち止まる。
 
「今すぐってわけじゃないわ。全てが終わってからでいい。だから、考えておいてね」
 
力なく頷いたリツコさんの肩に手を置いて、子供たちに笑顔。
 
「レイちゃん。シンジ君を連れて先に帰っててくれる?大人はこれから悪巧みの相談があるのよ」
 
「…はい」
 
「まだなにかあるの!?」 
 
「だって、これだけだとリツコ…にメリットないでしょう?そういうお話もしたほうがいいと思って」
 
余計なお世話よ。とのお言葉は丁重に無視した。 
 
 
****
 
 
「よくもまあ、あんな大嘘を、べらべらと」
 
子供たちを帰したあと、せめて椅子が欲しい。ということで3号分室まで戻る道すがら。
 
リツコさんの機嫌はあまりよくないようだ。
 
「えぇと、…どれ?」
 
心当たりが多すぎて…
 
「ダミープラグの製作意図よ」
 
エヴァの墓場に向かう階段を無視して、先導していたリツコさんが通路を折れた。こちらを気遣う様子がないのも、不機嫌さの現われだろう。
 
「事実の表層を撫でれば、そう見える。その見方を教えただけよ」
 
「たいしたペテン師だこと」
 
行く手に現れた、ゴンドラ丸出しのリフトに乗り込んでいる。近道だろうか?
 
いや、リツコさんがそんな不合理な行動を取るとは思えない。たぶん往きの道筋の方が遠回りなのだろう。おそらくは、自分の気が変わることを期待して…。
 
「でも、丸っきりの嘘。というわけでもないでしょ?」
 
続いて自分が乗り込むと、一つしかない赤いボタンをリツコさんが押した。途中下車はなさそうだ。
 
「だからリツコ…も口出ししなかった。レイちゃんのときと違って」
 

 
「…そうね。司令にそのつもりが微塵もないとは言えないわね。あの呪文、効いたもの」
 
呪文。エヴァ憑依使徒戦後の助言メールのことだろう。
 
そうか、効いたのか。あんな父さんにも可愛いところがあったんだ。案外、頭ナデナデしたら喜ぶかもよ、リツコさん。
 
少し、リツコさんの雰囲気が柔らかくなった。反面、表情は複雑になる。怒りと哀しみに悔しさを併せて押し隠そうとすれば、あんな顔になるだろうか。
 

 
ヒトの顔色をうかがう癖、直さないとな…。
 
視界からリツコさんを外せば、眼下に広がるエヴァの墓場。
 
「それで、いつ…気付いたの?」
 
「なにに?」
 
「私と、あの人の関係に」
 
見やれば、上目遣いに睨みつけられていた。柔らかくなっていた雰囲気は微塵もなくて、値踏みするような容赦のない視線。
  
「ミサトにばれるような、そんな素振りを見せた憶えはないわ」
 
しまった。あのメールは勇み足だったか。リツコさん相手に、あまりにも迂闊だった。
 
下手な言い逃れは通用しないだろう。第一、これからやろうとしていることに、リツコさんの協力は不可欠だ。不信を抱かれては元も子もない。
 

 
説得力のある理由。説得力のある理由。説得力のある理由。
 

 
目的地に着いたらしくリフトは止まるが、とてもゴンドラから降りられる雰囲気ではない。
 

 
 
「…ゲヒルンの人間関係について、知る機会があったの」
 
嘘…ではない。加持さんから貰った情報の中に、それを匂わせる内偵報告があった。
 
「…それに、カスパーの中で聞いた話を重ね合わせてみたのよ。それ以来、なんとはなしに…ね?」
 
「メールは鎌かけも兼ねて?油断も隙もないわね」
 
「そういうつもりはなかったけれど… その、気に障ったなら…、ごめん」
 
喋りすぎたみたいね…迂闊だったわ。これ見よがしに嘆息したリツコさんが、ゴンドラを降りる。
 
あとに続こうとしたら、遮るように立ち止まったリツコさんが振り向いた。
 
「加持君にフラレたって、本当?」
 
自分はよほど変な顔をしたのだろう。リツコさんの表情が緩んだ。
 
今ので帳消しってことにしてあげるわ。とのお言葉を、ありがたく頂戴するしかなかった。
 
 
**** 
 
 
ようやく3号分室に到着。…なんだか遠い道のりだったような気がする。
 
よぅ、遅かったじゃないか。という加持さんに、リツコさんの一瞥。
 
「加持君の仕業ね。ミサトに要らないことを吹き込んだのは」
 
「こんちまたご機嫌斜めだねぇ」
 
攻撃の矛先がそれた。と歓んでは居られない。これからが本題なのだ。
 

 
「近いうちに、使徒戦にかこつけて初号機を壊すわ」
 
「なっ!なに考えてるのミサト!」
 
落ち着いて。と身振りで押しとどめ、傍らの医療用ベッドに腰をおろす。綾波のかな?
 
「私は、人類補完計画を潰す」
 
 
自分の目の前で息をひきとった難民の幼子。
 
そういった子供たちを少しでも減らすべく努力してきた。少しでも小さな被害で使徒戦を勝ち抜くことで、多くの地域の負担を減らせると思ったのだ。
 
しかし、サードインパクトを防ぐだけなら必要ないはずの多額の費用は計上され続け、使徒戦を錦の御旗に、国連予算は難民救援には出し惜しみされた。
 
表向きは判らぬよう、極秘裏に。
 
例えば、存在しないマルドゥック機関。108ものペーパーカンパニーが請求してきた莫大なチルドレン選抜費用は、そのまま委員会の裏金になっただろう。
 (具体的に演出されてはなかったが、ペーパーカンパニーを作っておいてチルドレン選出の目くらましだけに使って終わりのはずはなかろう。ということで)
大義名分を隠れ蓑に自分勝手に進められようとする補完計画を、見過ごすわけにはいかない。
  
早めにその目論みを挫かねば。
 
 
そして、なによりも。本当に仕組まれた子供だったチルドレン。
 
あんな酷い物に乗るために生まれてくるなどと、そんな理不尽な人生があるなどとは思っていなかった。
 
だが、綾波は文字通りそのために造り出され、アスカも幼ないうちから辛い訓練に明け暮れたのだ。
 
二人に較べればマシかもしれないが、自分だって酷い目に遭わされた。
 
なにが哀しくて、あんな物のために。
 
 
人類補完委員会。いや、ゼーレと呼ぶべきか。
 
その悲願とやらを潰してやることが、仕組まれた子供たちにできる唯一の反抗なのだ。
 
 
見やると、見つけておいたらしい椅子を加持さんがリツコさんに勧めている。自身は立ったままらしい。
 
「司令がこだわる初号機。それこそが補完計画の要でしょう?初号機を壊して計画を潰すわ」
 
あの時、白いエヴァたちは弐号機には眼もくれず、いや、それどころか単なる慰み物としてうち捨てた。
 
あの狂乱の宴の中心は、初号機に違いない。
 
「…それで、初号機を失い、計画を絶たれて途方にくれる司令に取り入れ。と、それが私へのメリットというわけ?」
 
そのつもりだけど、不満?と小首をかしげる。
 
いいえ。と応え。
 
「…でも、計画に初号機は関係ないわよ」
 
懐からシガレットケースを取り出して、一振り。吸っていいか?のジェスチュア。
 
頷く。
 
「委員会が計画している儀式は、リリス、ロンギヌスの槍、12体のエヴァで行われる予定だったのよ。
 槍がないからすでに破綻しているけど、初号機は関係ないわ」
 
吐き出される紫煙。
 
「それでも?」
 
気のない振りをしながら、上目遣いの視線は何かを探るように。
 
その心を占めるのは、初号機を葬るという甘美な誘惑に違いない。唐突にもたらされた啓示をいかに現実となさしめるか、その頭脳を総動員しているのだろう。
 
作戦課長がどれだけ利用できるか測るための揺さぶり。だからこそ、この情報なのではないか。
 
態度とは裏腹に、リツコさんこそ初号機を葬りたいのだ。想い人の心を独占しているモノを。
 
 
 
!?
 
ちょっと待て。槍が儀式に必要だった?確かに儀式の最中に帰ってきたが、そうなることを父さんは、ゼーレは知っていたのだろうか?
 
槍が自力で戻ってくることまでシナリオの内だとは、とても思えないのだが。
 

 
「もしかして司令は、補完計画を阻止した上で乗っ取ろうとしているの?」
 
さあね?とリツコさん。
 
どういうことだ?と加持さん。
 
「使徒に侵入された時、司令は誤報だと言って隠蔽したわ。
 その時は、単なる保身かとも思ったけれど…」
 
あまりにも不自然だったから、気になっていた事実。
 
「ゼーレとそのシナリオとやらの存在を知った時に、おかしいと感じたのよ。
 補完計画がシナリオとやらに沿って進んでいるなら、隠蔽する必要はないもの。
 逆にイレギュラーな事態なら、むしろ報告は必須でしょう?」
 
さらには、加持さんによるアダムのサンプルの横流しも、明らかにゼーレに対する背信行為だ。
 
「だから、司令に二心があるんじゃないか、とは思っていたわ。
 補完計画に便乗して何かを企んでいるんじゃないか?くらいにはね」
 
そのこと自体は、ゼーレもまた気付いてはいるのだろう。
 
さもなくば、身内のはずのネルフに対して、副司令の拉致などといった非常識な手段を採ったりはしない。あれは、ほとんど脅迫だ。自分が加持さんに頼まなければ、冬月副司令は帰らぬ人になっていた公算が高かった。
 (これは、もちろん誤解)
「ところが、儀式に必要なロンギヌスの槍を、あっさり使った。
 しかも司令が自ら指示して、委員会の許可も取らずにって話じゃない」
 
自分が行おうとしていたように、衛星軌道へのエヴァ展開は可能だ。当然、司令部にも立案・提出してあった。
 
エヴァを失う可能性はあるが、儀式を優先するなら槍の使用はありえない。
 
量産が進んでいる今、エヴァの保全は口実にすらならないだろう。父さんの腹積もりはともかく。
 
とすれば、積極的にロンギヌスの槍を破棄すべき理由があるのではないだろうか?
 
「司令にとって、槍は邪魔だったんじゃないかしら?
 たかが作戦課長を救うために、計画を放棄してまで使うとは思えないもの。
 態よく厄介払いをしたようにしか見えないわ」
 
槍が邪魔だから計画を阻止することになったのか、計画を阻止したいから槍を破棄したのか、そこまでは判らないが。
 
「そうならば、もとより司令にゼーレのシナリオを遂行するつもりはない」
 
もちろん、それだけが目的ではないだろう。でなければ、儀式には関係のない初号機に、あそこまでこだわるとは思えなかった。
 
 
結局のところ、父さんの目的は想像するしかない。だが、便乗するにせよ乗っ取るにせよ、補完計画そのものを潰してしまえば遂行できないはずだ。
 
 
 
なにやら懐手にして、加持さんが歩いてくる。
 
先んじて訪れた焦げ臭い空気は… 硝煙の匂いか。
 
思わず鼻をひくつかせた自分に、加持さんのウインク。
 
委員会絡みの野暮用があると言っていたが、随分と荒事だったらしい。もしかして、手を切る決意をしたのだろうか。それが加持さんの身の安全に結びついてくれるなら、嬉しいのだけど。
 
 
委員会と云えば…
 
「委員会に査問された時の印象では、計画が潰えた悲惨さは微塵もなかったけど…」
 
飲むかい?と差し出された缶コーヒー。加持さん、こんな物どこに隠してたのだろう?
 
「ロンギヌスの槍がなくても儀式を遂行できる手段があるのかしら?」
 
受け取った缶は冷たい。UCCオリジナルは熱燗が最高なのに。
 
常夏の日本で無茶言うな。って顔した加持さんが、もう1本取り出してリツコさんの方へ。
 
「それは…判らないわね」
 
胡散臭げに受け取っている。缶コーヒーは嫌いだそうだ。
 
「…となると、ゼーレも司令も、まだ手の内に切り札を隠しているのかもね」
 
補完計画は、リリス、ロンギヌスの槍、12体のエヴァで行われる予定だったという。
 
あの時は、初号機、ロンギヌスの槍、9体のエヴァで行われた。槍の帰還は、父さんにとって予想外だったのではないだろうか?
 
儀式が始まれば、槍が帰ってくる可能性がある。ならば儀式の発動そのものを阻止しなければならない。 
 
そのために破壊せねばならないのは、リリスと初号機、そして9体のエヴァだ。
 
アダムのサンプルの存在が気になるが、それ単体で何事かなせるような代物なら、加持さんとて容易に持ち出せはすまい。所在もわからないし、後回しにするしかなかった。
 
 
「司令のこだわりようが気になるから、やはり初号機は潰すわ。あれを儀式の切り札として使う可能性を否定できないもの」
 
ちらりとくれたリツコさんの視線を、知らん振り。
 
「そのためにいくつか、お願いがあるのよ…」
 
 
****
 
 
エヴァ侵蝕使徒は、融合された初号機を自爆させることで殲滅に成功した。
 
弐号機が展開したATフィールドのお陰で、第3新東京市に被害はない。
 
 
                                        つづく
2006.10.23 PUBLISHED
.2006.10.30 REVISED



シンジのシンジによるシンジのための 補間 #7 ( No.22 )
日時: 2007/02/18 12:38 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2


どうしても聞きたいことがあったので、この機会にリツコさんに訊いてみることにした。
 
「ところで、水槽の中のレイちゃん達って、誰が髪を切っているの?」
 (原作は演出の都合上、綾波と同じ容姿で表現したのだろうが、2005年からずっと切っていなかったとしたら相当な長さになる筈。ここではそのことを、世話をしていた人間がいるはずということで解釈した)
ぴたり。リツコさんの動きが止まった。
 
「わっ私じゃないわよ…」
 
「ああ、リツコ…なのね」
 
案外、解かりやすい人である。
 
飲み干したUCCオリジナルの空き缶を、とりあえず床に。
 
「ということは、レイちゃんもリツコ…が切ってあげてたの?」
 
「自分の話はしない主義なの。面白くないもの」
 
苛立たしげに揉み消される煙草。
 
「リツコ…があんなに器用だとは知らなかったわ。シャギーなんて難しいでしょうに」
 
流し髪を掴んで目の前に。おや、枝毛だ。
 
「今度、私も頼もうかしら」
 
あれだけの大人数を、あんなに難しいヘアスタイルで維持できるなんて、よほど面倒見が良くないと勤まらない。
 
何の経験も積んでいないはずの綾波たちの微笑。その理由を見出したような気がする。
 
あなた、いい保母さんになれるわよ。と上げた視線が、振りかぶるリツコさんを捉えた。
 
手にしてるのはUCCオリジナル。
 
まさか本気で投げる気… だぁあ!
 
慌てて頭を下げる。背後で壮絶な衝突音がした。
 
鍛えてない女性の腕でさほど速度がでるわけはないが、280cc入りコーヒー缶の質量は侮れない。
 (近年ではmlやg表示になっているが、エヴァの作品感から旧来のcc表記にした)
振り返ると、医療機器とおぼしき装置がひとつ、完全に沈黙していた。位置的に、避けなくても当たらなかっただろうが…
 
「…UCCオリジナルの、新しい使い方ね」
 
否定はしないわ。と煙草を取り出したリツコさんが、ちょっと怖かった。
 
なにやら逆鱗に触れたらしい。とすると、この件にも父さんが絡んでるのかもしれないな。
 
 
 
                                        つづく


シンジのシンジによるシンジのための補完 第拾七話 ( No.23 )
日時: 2007/02/18 12:35 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2



暗いところは、まだちょっと苦手らしい。
 
自分ではなく、この体が。この体の本来の持ち主が。
 
 
第16使徒たるエヴァ侵蝕使徒戦で、むざむざと初号機を失った責任を問われて作戦課長職から解任。
 
こうして、隔離施設に拘束されていた。
 
エヴァ憑依使徒戦後の顛末から類推して、こうまで重い処罰がくだるとは思っていなかったが、さすがにそれは甘かったようだ。
 
案外、父さんはすでに委員会と袂を分かったのかもしれない。
 
もしくは、委員会も先を見越して作戦課長の排除を考えたのか。
 
理由はどうあれ、リツコさんが健在で、その協力が仰げるのならその地位に拘泥する必要はなかったが。
 
 
…………
 
 
「危険です!初号機の生体部品が侵されて行きますっ」
 
スクリーンの中で、光の紐のようなエヴァ侵蝕使徒が、初号機の腹部にがっちりと喰い込んでいた。びしびしと浮き上がっていく葉脈のごとき錯綜を、どうにも止められない。
 
引き抜こうと掴んだ両手にまで葉脈が遡上する。
 
使徒の動きを見切った弐号機が、ソニックグレイブで叩きつけるようにその反対側の先端を地面に押さえつけた。すかさず連射される零号機のポジトロンライフル。
 
当然ATフィールドは中和しているだろうに、効果があるようには見受けられなかった。
 
 
「いったん初号機を放棄するわ。シンジ君、射出準備よ」
 
『…はい』
 
 
 
ATフィールド展開に長けた彼を、前面に押し出しての威力偵察。格闘戦など通用しそうにない相手だけに、その策はすんなり受け入れられた。
 
もちろん、単なる口実にすぎない。
 
結果、エヴァ侵蝕使徒はこちらの思惑通り初号機を強襲。ATフィールドをほぼ無視して侵蝕を始めたのだ。
 
 
 
「レイちゃん、アスカ…ちゃん。プラグの射出ルートを確保して」
 
『わかったわ』
 
『…了解』
 
「直接、使徒に触れちゃダメよ」
 
『…アスカ、…そこは私が』
 
ポジトロンライフルを放り投げた零号機が、プログナイフを抜きながら弐号機に駆け寄った。その足元に跪くと、ソニックグレイブにナイフを並べるようにして使徒を押さえつける。
 
入れ替わるように駆け出す弐号機。熟練のリレー走者を思わせるようなスイッチぶりだ。
 
『そこっ!』
 
初号機の周囲をのたうつ使徒をたちまち捉えて、ソニックグレイブが振り下ろされた。
 
「射出ルート、クリア!」
 
すかさず射出されるエントリープラグ。
 
「目標、さらに侵蝕!」
 
「危険ね、すでに5%以上が生体融合されているわ」
 
パイロットがいなくなって抵抗力が下がったのか、侵蝕が速くなったようだ。
 
 
「レイちゃん、アスカ…ちゃん。使徒の攻撃圏から離脱して」
 
『わかったわ』
 
『…了解』
 
 

 
バランスを失ってぐらりと揺れた初号機が、なぜか右足を踏み出して転倒を免れた。
 
突如、顎部装甲を引き千切って咆哮。
 
「エ、エヴァ、再起動…」
 
深淵使徒戦を思い出したのか、マヤさんが怯えている。
 
「やはり目覚めたの…、彼女が」
 
リツコさんの呟きは、このあとの自分の目論見を知っているからか、嬉しげだ。その左手が白衣のポケットに差し入れられたのを、見ない振り。
 
 
初号機の右手が翻った。と見るや、その掌中に掴み取られる使徒の反対側の先端。
 
ほぼ正面に位置する零号機視点の映像の中で、初号機が目を細めたように見えた。
 

 
「使徒を…喰ってる…」
 
ポジトロンライフルの直撃に傷一つ負わなかった使徒が、易々と初号機に貪られていく。
 
「S2機関を自ら取り込んでいるというの?エヴァ初号機が…」
 (当シリーズのS2機関は細胞内のミトコンドリアみたいな、極小で大量にある器官としています。
エヴァにも少量ですが存在はしていて、暴走時などのエネルギー源になったと考えています)
しぶいた赤い体液は初号機の顔面を染めて、返り血そのもの。
 
口元を押さえ、マヤさんがうずくまる。懸命に吐き気をこらえているのか、くぐもったうめき声。
  
初号機各部の装甲が弾けとび、姿を見せた素体が一回り大きく膨れ上がった。
 
胸元に見えるのは赤い光球。使徒と寸分違わぬ、コア。
 
「拘束具が!」
 
「拘束具?」
 
「そうよ。あれは装甲板ではないの。エヴァ本来の力を私たちが押え込むための、拘束具なのよ」
 
その呪縛が今、自らの力で解かれていく…私たちには、もうエヴァを止めることはできないわ…。独り言めいた呟きは、しかしはっきりと耳に届く。リツコさんは意外と役者だ。
 
スクリーンの中で展開される相剋の図式。使徒を喰らう初号機と、初号機を侵蝕する使徒が、お互いの尾に喰らいついた蛇のように、その環を縮めていっている。
 
使徒が勝つか、初号機が凌ぐか。もしこのまま引き分けたとしたら、融合したそれらは、別の何かに生まれ変わるのではないだろうか。
 

全身に葉脈を蔓延らせた初号機が、雄叫びをあげた。
 

「危険ね。
 エヴァンゲリオン初号機は現時刻をもって破棄し、目標を第16使徒と識別。
 初号機の自爆を提訴します!」
 
ポケットに左手を入れたまま待ち構えていたリツコさんが身じろぎするや、前面ホリゾントスクリーンの一角にMAGI模式図が表示された。
 
  ≪ ・人工知能 カスパーより エヴァンゲリオン初号機の 自爆が 提訴されました ≫
 
「なんだとっ!」
 
トップ・ダイアスで椅子を蹴立てる音。
 
父さんが慌てるのも当然だった。一作戦課長が口頭で提言しただけで破棄できるほど、エヴァは軽々しい存在ではない。本来なら、MAGIが取り上げることすらありえないのだ。
 
「待てっ!」
 
この時のためにリツコさんにお願いしておいた、自爆シークェンスへの仕掛け。
 
一見、カスパーが自発的に意見を取り上げたように見えるだろう。それを父さんがどう解釈するかは想像するしかないが。
 
  ≪ ・特例616発令下のため 人工知能以外によるキャンセルはできません ≫
 (616は「本当の獣の数字」と言われているもの)
MAGIに大きな権限を与えて、おんぶに抱っこで頼りきってるネルフは、こうなってしまうともう、手も足も出せない。
 
微細群使徒戦時に気付いた、ネルフの弱点だ。
 
 
  ≪ ・可決 ≫
 
提訴したカスパーは当然、即答。
 
 
  ≪ ・可決 ≫
 
やや遅れてメルキオールも賛同。
 

 
  ≪ ・可決 ≫
 
最後にバルタザールが赤く染まった。
 
 
「やめろーっ!!」
 
血を吐くような叫びとは、このことだろうか。思わず耳を塞ぎそうになった両手を、押しとどめる。そんな権利は、自分にはない。
 
 
  ≪ ・人工知能により 初号機 自爆が執行されました ≫
 
母さん。ありがとう…。リツコさんの呟きは、聞こえなかった振り。
 
 
「アスカ…ちゃん。ATフィールドを円筒状に展開、爆圧は上空に逃がして」
 (アスカは円筒の底面部にも可能な限りATフィールドを展開した。結果、爆心地には初号機の足跡が残って観光名所化するのだが、拘禁されたミサトはそのコトを知らない)
『わかった…』
 
「レイちゃんは、使徒のフィールドを中和して」
 
『…了解』
 
 
「初号機コア、自壊を開始。臨界まで、あと10!」
 
齧り取られるように初号機のコアが縮退していく。その頭上、天使の輪のように光り輝くのはATフィールドの末路だろうか?
 
「コアが潰れます、臨界突破!」
 
素体の顔が変化して女性の顔を象った。と見えた瞬間、初号機は十字の爆炎を上げた。
 
 
あれは、母さんの顔だったのだろうか? 
 
 

 
「目標、消失…」
 
「現時刻をもって作戦を終了します。第一種警戒態勢へ移行」
 
「了解。状況イエローへ、速やかに移行」
 
 
使徒殲滅を確認し、アスカと綾波に帰還命令を出す。彼も無事に保護されたようだ。
 
 
見上げたトップ・ダイアスの上では、未だに父さんがスクリーンを凝視していた。
 
声にならない呟きを繰り返し、サングラスを落としていることにも気付いてない。
 

 
次第に焦点を失っていった瞳が、力を取り戻した途端に射るような視線を向けてきた。
 
反射で体はこわばったが、心までは縛られない。怒りを焚きつけることで己を保とうとしている父さんの努力を、その体の震えに読めたから。
 
「葛城三佐っ!」
 
自分を叱責する怒号も、今なら聞き流せる。
 
「貴様を…っ」
 
恫喝が通用しないと見て、父さんが声を詰まらせた。
 

 
 
 
「…なぜ初号機の自爆を提言した」
 
噛みしめた歯の間から搾り出すように、押し殺した声。
 
「物理的手段、ATフィールドとも通用しなかったため、初号機の能力では対処不可能と判断。
 第13使徒戦時の前例に倣った上で、最も効果的な方法を採りました」
 
ぎりぎりと、音が聞こえてきそうなほどに喰いしばられた口元。
 
胸元でしきりに握り直される右手は、何を意味するのか。ただ、もし傍らに居たら、殴り飛ばされていたであろうことは想像に難くない。
 
 

 
「…初…、エヴァを無為に失った責任は重いぞ」
 
「あのまま手をこまねいていては、零号機、弐号機まで危険が及びました。
 あれは、最小限の損失です」
 
【作戦課長・葛城ミサト】にとって初号機は、3体あるエヴァの一つに過ぎないのだ。
 
父さんの顔から、表情が消えた。その右手がゆっくりと下がる。
 
 
逆鱗に触れたかもしれない。
 
父さんにとって初号機は何物にも替え難かったのだろうから、当然か。
 
だが、真意を隠したままで思い通りにできるほど、ヒトは単純な存在ではない。
 
見えない糸で操ろうとすれば、それが自らの足元を掬うことだってある。
 
 
エヴァ憑依使徒戦が悪しき前例と化してしまったのは己の秘匿主義ゆえだと、父さんは理解しただろうか。
 
 
こうして、その重要性を知らされてない者の手で初号機が葬られてしまったことの意味を、考えて欲しい。
 
他人を信用せず、MAGIを過信したツケを払わされたのだと、知って欲しかった。
 
 
父さんには、他者を駒扱いしたことの過ちに、気付いて欲しいのだ。
 
 
かたん。と聞こえてくる音は、抽斗でも開けたのか。
 
なにやら冬月副司令に小声で諭されて、父さんが動きを止める。
 (ゲンドウはミサトを射殺する気だった。冬月はもちろん止めただろうが、自分を救出してくれた加持からミサトの指示でそうしたと聞かされているので、なおさら)

 
苛立たしげな身じろぎと、叩きつけるような音。その怒りは、ひとまず抽斗にぶつけられたようだ。
 
「冬月。作戦課長を拘束させろ。私は委員会に報告する」
 
捨てゼリフを残して退出する父さんを、敬礼で見送った。
 
 
…………
 (この作品では基本的に使徒戦そのものを淡白に描写しているが、第1槁の段階で5行しかなかったこのアルミサエル戦はその白眉。原作でのゼルエル戦暴走とイロウルMAGI自爆シークェンスを加えるコトを思い立って上記のように膨らんだ)
 
父さんにとって初号機がどれほど大事だったか。それを見せ付けられた思いがした。哀しいだけだったけれど。
 
いや、初号機ではなくて、中に居るであろう母さんが大切だったのだろう。
 
やはり、何らかの手段で母さんを掬い上げるつもりだったのだろうか?
 
そのためのアダムのサンプルなのだろうか?
 
だが、この世に魂がないのなら、初号機の中にあるのは母さんの記憶、いや記録に過ぎない。
 
もし、この世に魂があるのなら、怪物の檻に囚われた母さんは10年もの時の間、正気を保てただろうか?
 
 
弐号機から救出された惣流・キョウコ・ツェッペリンの調書を見たことがある。そこには心を削り取られ、手元に残った少ないモノに異様な執着を見せる偏執症患者の姿があった。
 
アスカの不幸は、母親の記憶と認識までもが甚だしく失調したため、娘として認知されなかったことにあったのだろう。
 
 
では、初号機は?母さんはどうなのだろう?
 
かつて、暴走した初号機の中で感じたのは、愛情が変質した独占欲ではなかったか?
 
当時、愛に餓えていた自分はあの偏執的な情愛すら心地よいと感じたが、本来それは、思春期を迎えた青少年にとっては疎ましいものだ。
 
自分を生んでくれた母親。しかし、今更その胎の中に還りたいとは望まないものだから。
 
そういう意味で、母さんが正しく自分を認識してくれていたとは考え難い。
 
少なくとも、軽い認知障害。それも我が子を対象としてみたときだけで、それ以外のものには見向きもしない可能性があった。
 
 
いや、実はそれすらも怪しい。
 
かつて初号機が暴走したとき、それらは全て初号機そのもの、すなわち母さん自身の危機でもあった。
 
反面、トウジのときなど自分だけが苦しんでるときは見向きもしてもらえなかったのだ。
 
さらには、ダミーシステムにはまんまと騙され、父子のいさかいは傍観して息子が強制排除されるに任せていた。
 
あてつけるように綾波とダミープラグを拒絶して見せたかと思えば、息子を取り込む。
 
そこに母親の愛情があったのか、自分には断言できない。
 
 
ただ、いずれにせよ、父さんの幸せはそこにはないと思う。勝手に決められては不本意だろうが。
 
人は生きていく中で幸せを見出すべきなのだ。死者は心に留め置けばいい。
 
きっと今頃はリツコさんが慰めてくれているだろう。
 
人に想われる。そのことの幸せに、父さんが気付いてくれればいいのだが。
 
 
 
空気の抜けるような音がして、独房のドアが開いた。
 
「よぉ、葛城。差し入れ、飲むかい?」
 
差し出された缶コーヒーはUCCオリジナル。
 
「加持…君。大丈夫なの?」
 
ぁつっ!
 
受け取って。熱さに驚いて取り落とす。いったい、どこで湯煎してきたのやら。
 
「りっちゃんが味方についてるからな。ジオフロントの中ならなんとでもなるさ」
 
そう。と気のない返事をして缶を拾った。熱いのでジャケットの袖越しに掴む。
 
「様子はどう?」
 
プルタブを引いて、ひとすすり。行儀悪く音をたてるのが醍醐味なのだ。
 (今風の本体から外れない方式のタブはステイオンタブと言うのが正しいらしいが、とても人口に膾炙しているように思えなかったのでプルタブとした。また、出来れば本当にプルタブということにして、取ったプルタブのやり場に困って弄ぶ描写なども入れたかったが話の流れ的に断念。若い読者はついてこれないだろうし)
「司令は篭りっぱなし。りっちゃんが入り浸ってる」
 
舌を火傷しそうな熱さ。
 
熱で、糖分と乳成分が活性化している。UCCオリジナルはこうでなくては。
 
セカンドインパクト以前ならではの味わいは、彼女の記憶に教わった。
 
「子供たちは騒いでる」
 

 
缶に口をつけたまま、目線だけを上げて。
 
「葛城以外の指揮は受けないって、ハンスト突入寸前だ」
 
「気持ちは嬉しいけど、益がないわ。なだめといてくれる?」
 
おおせのままに。と腰を折る加持さん。さまになってないと思う。
 
「あと、初号機の穴埋めに伍号機が来ることになったらしい。それに先駆けてフィフス・チルドレンが着任してる」
 
「昨日?誰かに接触した?」
 
カヲル君は実質、一昼夜しかここに居なかった。時間的に今日のこととは思えない。
 
「ああ。シンジ君に接触しようとしたらしいんだが、レイちゃんに嫌われたようでアスカに追い払われたそうだ」
 
下手をすると、もう彼は…。
 
   ≪≪ 総員、第一種戦闘配置。繰り返す、第一種戦闘配置… ≫≫
 
要求するまでもなく、加持さんがノートパソコンを渡してくれた。
 
 
MAGI直結のダム端モードなら、あっという間に立ち上がる。
 (演出上ノートを立ち上げている時間が取れないということもあるが、MAGIをホストと見做せばあって当然だろう)
 
   ≪ ATフィールド、依然健在。目標は第4層を通過、なおも降下中 ≫
 
続いて手渡されたヘッドセットインカムを握りしめた。
 
  『 だめです!リニアの電源は切れません 』
 
弐号機がメインシャフトを降下中のようだ。
 
   ≪ 第5層を通過 ≫
 
いささか速いように思えるのは、彼に待つべき相手が居ないからか。
 (具体的に比較できる根拠をミサトが持っているわけではないので、勘違い。というか願望に近い)
  『 セントラルドグマの全隔壁を緊急閉鎖。少しでもいい、時間を稼げ 』
 
いま一度、会いたかった。
 
   ≪ マルボルジェ全層緊急閉鎖。総員待避、総員待避! ≫
 
あのハミングを再び聴きたかった。
 
  『 装甲隔壁は弐号機によって突破されています 』
 
一晩だけでも一緒に過ごしたかった。
 
  『 目標は第2コキュートスを通過 』
 
できれば説得してみたかった。
 
… 
 
だが、いくら考えてもカヲル君と共存しうる選択肢を見出せなかったのだ。
 
 
裏死海文書が手に入り、同時にそれがゼーレのシナリオの基になったものだと知ったときには、何か手懸りにならないかと期待もした。
 
しかし、裏死海文書というのは一種の報告書のようなもので、インパクトとは何か、インパクトが起きるまでに何が起こるか、が散文的に綴ってあるのみだった。使徒とは何か、と云うことが記されてないわけではないが、間違っても使徒との共存の仕方は書いてない。
 (この作品では裏死海文書とロンギヌスの槍を、アダムやリリスより後に別途もたらされたモノとしている。ミサトが読んだのはゼーレの中堅メンバー向けに翻訳された、補完計画ありきの偏向が入った物で、インパクトを防ぎようのないものとしてある)
そこから、そのほかの有意な情報を引き出すには、入念な研究が長時間に渡って必要だろう。或いは、類い稀なる頭脳が。それらの成果と目されるゼーレのシナリオが、単なるサードインパクト手順書だと推測される以上、欲しいのは裏死海文書の基礎研究資料そのものだった。
 
加持さんに頼むことも考えたが、今となっての下手な行動は、この人であっても命取りになるだろう。
 
それもまた、不本意で…
 

 
だから、自分は選んでしまったのだ。君に会わない道を。このココロを晒さずにすむ手段を。
 
最も会いたかったヒトだというのに。
 
― 地獄の業火に灼かれながらも、それでも天国に憧れる ―
 (「オペラ座の怪人」より)
とても見せられぬ、繊細さの欠片もない今の姿。それでも会いたいと願うこの想いを、誰が予め言葉にしていたのだろう。
 
銀のロザリオを、そっと握りしめる。
 

…カヲル君。
 
会ってしまえば、何もかもなげうって君の手を掴んでしまうだろう。そのくせ自分のココロに絶望して、たちまち逃げ出すに違いない。
 
それは、全てを裏切る選択肢だ。
 
 
カヲル君…
 
会いたいけど、会えないよ。
 
 
   ≪ エヴァ零号機、ルート2を降下。目標を追撃中 ≫
 
予想通り零号機が追撃に出たようだ。
 
  『 零号機、第4層に到達。目標と接触します 』
 
別ウインドウにエントリープラグ内の映像を呼び出す。
 
パイロットはもちろん綾波だった。機体相互互換試験はあれ一回きりだから、他に選択肢はない。
 
『…アスカ、ごめんなさい』
 
零号機のインジケーターに追加表示。プログナイフを装備したようだ。
 
  『 エヴァ両機、最下層に到達 』
 
気付くと、寄り添うようにして加持さんがモニターを覗き込んでいた。
 
「ちょっと、さわらないでよ」
 
思わず押しのけようとした左手が、ロザリオを取り落とす。
 
「仕方ないだろ」
 
画面、小っちゃいんだからさ。とウインク。
 
腰に手をまわすのは、やめて欲しいんだけど…。
 
   ≪ 目標、ターミナルドグマまで、あと20 ≫
 
発令所の音声に、ときおりアスカの怒号が混じっている。
 
どこかのコンソールのマイクが拾ったんだろうけど、相変わらず声がでかい。
 
   ≪ エヴァ両機、降下中 ≫
 
第4隔離施設を襲う揺れ。地震?
 
  『 これまでにない強力なATフィールドです! 』
 
…じゃないのか。
 
  『 光波、電磁波、粒子も、遮断しています。何もモニターできません 』
 
  『 目標、およびエヴァ零号機、弐号機、ともにロスト。パイロットとも連絡とれません 』
 
画面いっぱいに、ところせましと表示される【信号なし】のインジケーター。
 
「まさに結界。ってやつだな」
 
これがカヲル君の心の壁なのか。
 
どれほどの孤独があれば、これほどの拒絶を示せるというのだろう。
 
生き続ければ孤独。死してなお孤独。そして、おそらくは共存できてすら孤独なのだ。彼は。
 
せめて好意を持った者の手で。彼がそう願ったのが今なら解かる。当時、自分が背負いきれなかっただけで。
 
 
  ― 生き残るのは、生きる意志を持った者だけよ ―
 
 
彼女の言葉が脳裏に浮かんだ。
 
それは間違いではないだろう。
 
だが、かつてのあの時、あの瞬間に限っていえば正しくない。
 
あれは、自分に死ぬ勇気がなかったのだ。人を殺すくらいなら、自分が死んだ方がいいなどと繊細なふりをしておきながら、いざとなったら好きなヒトでも殺す。それが、自分だった。
 
それに、彼は生きる意志を放棄したんじゃない。生きていて欲しい者のために道を譲ったのだ。
 
死すべき存在ではない。と言ってくれたのだ。
 
 
だから、今このとき。彼女の言葉は正しいと改めて肯定しよう。
 
カヲル君。今回は、生きる意志を持った者として君を殺そう。
 
人類には、未来が必要なんだよ。かつて君が、言ってくれたとおりに。
 

 
  『 最終安全装置、解除! 』
 
たどりついたようだ。
 
  『 ヘヴンズドアが開いていきます… 』
 
天国の扉を開ける鍵を持つ者、聖ペトロ。イエスの12使徒の筆頭。
 
聖者は最後に現れる。そう云うことなんだね、カヲル君。
(これの出典がなんだったか、思い出せなかった)


 
喉が渇いていることに気付いて、コーヒーの残りを飲み下す。
 
 …ぬるいな。
 
 

 
 
空き缶を、とりあえず床に置いた。
 
かこん、と鳴るスチールとコンクリートの不協和音。
 
 
… 
 
 
綾波はためらうだろうか。…ためらえるようになっただろうか。
 
嫌な役回りを押しつけて、ごめん。
 
 
  『 モニター回復しました。パターン青、消滅。使徒殲滅を確認しました 』
 
 
いま落とした涙を。はなむけに、
 
カヲル君。今回は会えなかったけど、君に逢えて嬉しかったよ。
 
君なくして、今の自分はきっと、ありえない。
 
…ありがとう。
 
 
 
 『 零号機、健在。弐号機は小破 』 
 
再表示された零号機視点の映像。白い巨人の姿をウィンドウの中で確かめる。
 

 「葛城ミサト」が、「公式」に、地下の白い巨人を初めて見た瞬間だ。
 

インカムのマイクを掴み、零号機への回線を開く。
 
そのためのインカム、そのための直通ライン。
 
「レイちゃん。その白い巨人を殲滅して」
 
視線を泳がせている。通信ウインドウを探しているのだろうが、この端末では映像までは送れない。
 
『…ミサ…、葛城三佐、それは命令?』
 
「いいえ、レイちゃん。『お願い』よ」
 

 
『…お願い。他人に対し、こうしてほしいと頼む。
      自分の気持ちとして、こうなってほしいと強く思う。
    
     …望む』
 
零号機が踵をかえしたらしい。ウィンドウから白い巨人の姿が消えた。
 
『…そう。ミサトさんは私に望むのね』
 
ゲートごと蹴倒されていた弐号機に、歩み寄っていく。
 
『…望み。叶えられるとは限らない思い』
 
弐号機を見下ろす構図。
 
『…叶えるかどうかは私次第』
 
跪いたらしく視点が下がった。
 
『…そう。私が選ぶ』
 
弐号機の右手から、柄だけになったプログナイフを取り上げている。
 
刃は?… 零号機の胸部装甲にダメージ表示があった。刺さったままで折れたらしい。
 
 『 レイちゃん。どうしたの… 』
 
この声はマヤさんか。
 
発令所では、プラグ越しでしかこちらの音声を確認できない。綾波が独り言を呟いているとしか見えなかっただろう。
 
マヤさんが必死に呼びかけているが、無駄だった。
 
そのためのインカム、そのための直通ライン。
 
 『 零号機への通信がロストしてます! 』
 
 『 なんだと、どういうことだ 』
 
 
『…ミサトさん』
 
目の前に掲げられる柄だけの改良型プログナイフ。
 
ジャカッ、と音が聞こえてきそうな勢いで替刃が装備された。
 
「なぁに?レイちゃん」
 

 『 零号機への通信回線が専有されている模様! 』
 
 『 どこからだ 』
 
 『 確認中です! 』
 
端末のスピーカーが、騒然とする発令所の様子を伝えてくる。
 

『…人は…受け入れてくれるでしょうか?』
 

「…ヒトは、18番目のシト。その在り様は群れること。他者の存在を他者のままで受け入れることを選び取った使徒。
 寂しさを知り、それを癒す術をも知ったモノ。とても儚いがゆえに使徒よりよほど毅くなれるココロ。
 大丈夫、ヒトは受け入れるわ。あなたを、レイちゃん」
 
いいえ、違うわね。と言葉をつなぐ。
 
「あなたを受け入れたヒトのこころ。それが私とシンジ君なの。アスカ…ちゃんもきっと受け入れてくれる。
 そこから始めましょう、レイちゃん」
 
『…はい』
 
 
 『 端末を特定!場所は …第4隔離施設? 』
 
ぽーん。とメールの着信音。
 
自動開封された文面は簡潔に【貴女ですか?】とだけ。送信元は日向さんのようだ。
 
一瞬迷ったが、メールであることの真意を汲んで【YES】と返信する。途端に元メールごと表示が消えた。
 
 『 回線を切断しろ 』
 
再び届くメール。【こちらは適当にあしらいます】
 
 『 ダメです。こちらの権限では介入できません 』
 
 『 …こちらからも回線を確保しろ 』
 
打ち返す返信は一言だけ。【ありがとう】
 
 『 プライオリティが最優先で固定?この回線はまさか… 』
 
日向さんがそしらぬ顔で妨害しているさまが、目に見えるようだ。
 
リツコさんが敵に回らない限り大丈夫だろう。そして、そうすべき理由はリツコさんにはない。
 
 
 『 回路をバイパス。音声副回線をかろうじて確保しました! 』
 (この作品ではミサトという立ち位置の関係上オペレーターの中では日向がクローズアップされているが、他が無能としているわけではない。このとおり青葉も活躍(?)している)
零号機が、さらに弐号機の首元に突き立ったプログナイフに手をかけた。
 
血に塗れたその右手で、逆手に握る。
 
 『 まさか!そんなことは許さん、レイ!! 』
 
父さんの怒号。
 
『…私は、あなたの人形じゃない』
 
綾波に動揺はなさそうだ。
 
 『 なぜだ? 』
 
『…私はあなたじゃ、ないもの』
 
自分は、綾波との絆を結べたのだろうか。
 
 『 やめろ!命令だ、レイ!! 』
 
『…ダメ。ミサトさんが望んでる』
 
零号機が立ち上がったらしい。再び、弐号機を見下ろす構図。
 
『…そう。これはミサトさんの望み』
 
 『 …全神経接続をカットだ、急げ! 』
 
発令所の中で父さんだけが、零号機が何をしようとしているか気付いたのだろう。だが、何も知らされていないスタッフたちの反応は鈍そうだ。
 
『…思いを託しあう相手』
 
ウインドウの中を流れる景色。目が追いつかない。
 
白い巨人の胸に、ナイフが滑り込んだ。
 
 『 ぜっ零号機が… 』
 
あまりの成り行きにか、発令所が静まり返った。黙り込んだスピーカーが、固唾を飲んで見守るさまを教えてくれる。驚愕ではなくて、疑問がもたらした沈黙だろう。
 
『…応えたいと願う。私の望み』
 
追い討ちをかけるようにもう一振り。弐号機から奪い取ったナイフが巨人の仮面に突き立った。
 
ヤハウェの目の、描かれていないその8番目の眼に。
 (オカルト的に「描かれてない眼」というものはない(…筈)。欠けたる物を追加することで相手を変質させる黒魔術的要素は意識しているが、ここでは単にナイフを刺した場所をほのめかしたに過ぎない)

 
零号機視点の映像を、覆い尽くす爆炎。ここまで振動が伝わってくる。
 
空き缶がカラコロと哀しげに転がっていった。
 

 
壁にあたって、止まる。
 
 
 
ウインドウの映像の中、巨大な十字架に巨人の姿はなかった。
 
 『 あれは何だったんだ? 』
 
 『 使徒か?だから殲滅したのか? 』
 
ようやく事態を認識したらしい発令所が、蜂の巣をつついたような騒ぎに。湧き上がる疑念の声を、父さんですら押さえつけられないようだ。
 
 
『…殲滅』
 
「ありがとう、レイちゃん」
 
『…どういたしまして』
 
零号機の視線が下がる。刃を失ったプログナイフがうち棄てられた。
 
『…ミサトさん』
 
「なぁに?レイちゃん」
 
あまりの出来事に、発令されたはずのシンクロカットは忘れ去られたようだ。いや、日向さんの仕業かも。
 
『…ほうれん草のゴマ汚し。…ピンク色のポテトサラダ』
 (「ピンク色のポテトサラダ」は「トラブルカフェ」の珈琲倶楽部のマカロニサラダのレシピをアレンジした)
「リクエストね。いいわ、作らせてもらえるように頼…、いいえ、また一緒に作りましょう。レイちゃん」
 (アラエル戦後に、一緒にケーキを作ろうと話すエピソードがある。補間#EX4)
『…はい』
 
インカムを置く。
 
白い巨人の存在を目視した元作戦課長が、復讐心に駆られて殲滅を命じた。
 
事情を知らされてないパイロットがそれに従ってしまった。
 
周囲はそう判断してくれるだろう。アダムだという嘘を信じて勘違いしたと、皆そう思ってくれるだろう。
 
 
理由は存在すればよい。
 
 
まさか狙ってリリスを殲滅したとは思うまい。いま隣りに居る加持さんですら。
 
残るは白いエヴァだけだ。
 
「…あれっ」
 
ぐらり、と体が揺れた。
 
「おい、どうした!」
 
落とした端末を、加持さんが辛うじて掴みとっている。
 

 
いま、視界が赤く!
 
体が思うように動かない。
 
もしかして… このまま自分は…
 
ダメだ!
 
まだ、やり残したことがあるのに…
 
視界の隅に、体を支えてくれているらしい加持さんの、緩んだネクタイ。
 
せめて、保険をかけておかねば…
 
「…ネクタイ、まがってるわよ…」
 
しがみつくように、ぶら下がるように、ネクタイを引っ張る。
 
結び目を持ち上げる動作で上体を起こした。
 
首が締まる。と文句をつける口を、唇でふさいだ。
 

 
……
 
かつて、彼女から受けたレッスン。こんな形で実践するとは。
 

 
「おっおい!変な物、入れるなよ」
 
両手で押しのけるようにして体を引き離された。
 
「…プレゼントよ、8年ぶりの。最後かも知れないけど…」
 
口元に手をあてて、ぷっと吹き出している。
 
「…あなたの欲しがっていた真実の、一側面」
 
右奥の親知らず跡に仕込んでいた義歯。他ならぬ加持さんに殴られてぐらついた奥歯の、なれのはてだった。
 (殴られてぐらつきだした奥歯を出向時代に抜いた。としている。細工はそのとき知り合った軍医に)
いざというときのためのバックアップデータと、これからの計画案がいくつか。
 
それに、彼女の記憶と自分の記憶をかけあわせて、導き出した考察。
 
それらをまとめてマイクロチップに隠しておいたのだ。
 
加持さんじゃ危なっかしくて託す気にはなれないけど、背に腹は換えられなかった。
 
「…それが私のすべて」
 
それは嘘だ。自分の正体までは記していない。
 
「 …お願い。子供たちを導いてあげてね 」
 
口を開くことすら、かなりつらくなってきた。肩で息をして、なんとか肺に空気を入れる。
 
「 …パスコードは、私たちの最初の思い出よ 」
 
右ストレート。…嫌な思い出だなぁ。
 (原作では具体的に判らなかったので、この作品用に捏造させていただいた)

 
「 …プランA-R-12は、必ず行ってね… 」
 
心残りだったのが、アスカに地下の綾波たちを受け入れてもらうことだった。
 
そのために用意した嘘のひとつ。それがA-R-12だ。
 
いざというときのバックアップ、ダミープラグの材料としてクローニングされた存在として綾波たちを紹介するつもりだったのだが…
 
最初に選ばれた子供ゆえの、この仕打ちだと偽って。
 
 
加持さんのその頬に、左手を沿わす。もう掌には感覚がなかった。
 
「 …無精ヒゲ、剃りなさいよ… 」
 
さっき、くすぐったかったことを思い出して、苦笑。
 
 
視界がぶれて、狭くなっていく。
 
 
加持さんの声が、聞こえなくなった。
 
 
 
意識が…遠くなる。
 
 
 
 
最後まで 見届けたかったのに    …    これは…罰?





最期に 子供たちの顔が見たかったな…




 
 
……










  
****



 







……



 
 
 
波の音にまぶたを開くと、海は、…赤かった。 
 
 
                                        つづく
2006.10.30 PUBLISHED
.2006.11.10 REVISED



シンジのシンジによるシンジのための 補間 #8 ( No.24 )
日時: 2006/11/02 17:21 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2



自分は、夢を見ているのだろうか。それまでの記憶が走馬灯のように巡っていくのだ。
 
 
…………
 
 
『ミサト?入るわよ』
 
「アスカ…ちゃん?いいわよ」
 
シャンプーの最中で目が開けられないが、ばくんと音がしてバスルームのドアが開いたのがわかる。
 
「グーテンモーゲン、ミサト」
 
「おはよう。アスカ…ちゃん」
 
手探りでシャワーヘッドを探す。
 
「シャンプー、終わったトコ?流したげよっか?」
 
「ホント?ありがとう」
 
髪が長いとシャンプーも一苦労だが、何よりアスカの心遣いが嬉しい。
 
「…どういたしまして」
 
 
朝のバスルーム。アスカが同居するようになってから、シャワーの時間がかち合うことが多くなった。
 
嫁入り前の女の子が3人も居るのだから、当然といえば当然だが。
 
待たせるとアスカは機嫌が悪くなるし、綾波は裸でぼーっと待っている。
 
苦肉の策で、シャワーヘッドをひとつ増設したのだ。
 
それぞれでの湯温調節はできないが、待たせるよりはましだろう。
 
 
リンス、コンディショナーとヘアケアを終わらせた隣りで、アスカがシャンプーの容器を手にする。
 
「シャンプー、流してあげようか?」 
 
「んー?いいわ。気持ちだけ貰っとく。朝ご飯の仕度、早くして欲しいし」
 
「判ったわ。じゃ、お先に」
 
バスルームから出ると、ちょうどパジャマを脱ぎ終えた綾波と鉢合わせた。
 
「…おはようございます。葛城三佐」
 
「おはよう。…レイちゃん」
 
他の衣服は脱ぎ散らかす綾波が、なぜかパジャマだけはきちんと折りたたんでから洗濯機に入れるのだ。
 
無意味な行為ではあるが、頭ごなしに否定してはいけないだろう。
 
「…レイちゃん、今からシャワー?」
 
「…はい」
 
「ちょうどアスカ…ちゃんが入ってるわ。シャンプーの泡、流してあげたらきっと喜ぶわよ」
 
「…そのつもり」
 
こくんと頷く綾波は、いつも通りの無表情。だけど愉しんでいることが判る。
 
「…アスカ。…入るわ」
 
二つ折りのドアをばくんと開けて、バスルームに入っていった。
 
「…おはよう。アスカ」
 
『レイ?いいトコにきたわ。泡、流してくれる?』
 
…どうしてアスカはおはようって言わないの?との綾波の呟きは、なんだか疲れた様子の挨拶で返されたようだ。
 
『あイタタ…ほらぁ、泡が目に入っちゃったじゃない。レイ、早く!』
 
『…ええ、喜んで』
 
きゅっとレバーを押す音。続いて水しぶきの音。
 
 
『ダンケっ、レイ』
 
『…どういたしまして』
 
 
髪を拭いていたバスタオルで、顔を覆う。
 
 
パジャマの一件以来、2人の距離は急速に近づいていった。
 
正確には、アスカが大幅に歩み寄ったのだ。
 
気丈な娘だから、綾波の存在を認めざるを得なかっただろう。大きな苦痛を伴ったに違いないのに。
 
だが、自らの雛型も同然の綾波を受け入れたことで、却って己を省みる心のゆとりが生まれたのではないか?そうして生じた過去の自身への素直な憐憫は、容易に綾波への同情にすりかわったことだろう。
 
 
戸惑いつつも綾波はそれを受け入れた。
 
与えられることの歓びに目覚めつつある綾波は、自らの先に居て、自分の求めるものを知っていて与えてくれる存在に心惹かれたのではないか?
 
 
何も知らない綾波を、アスカは妹のように扱った。
 (このシリーズでアスカは、必ず弟妹に相当する存在と巡り会う)
何も知らない綾波は、アスカを姉のように慕った。
 
アスカと綾波が、今では仲の良い姉妹のようだ。
 
 
お互いが、お互いの足りないものを補い合おうとしていた。
 
ヒトの補完とは、こうした姿を言うのだろう。
 
確信した。やはり人類に補完計画など不要なのだと。
 
補完計画を潰す。その決意が今、固まった。
 
 
…………
 
 
それはターミナルドグマに彼を連れて行く、その前日の出来事だったはずだ。
 
 
                                         つづく


シンジのシンジによるシンジのための補完 最終話 ( No.25 )
日時: 2006/11/10 18:38 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2



 
真っ赤な海。真っ白な砂浜。真っ黒な空。
 
こうして見ると、やはり赤一色ってわけではないんだね。この世界も。
 
だからって、この強烈なコントラストは好きになれないけど。
 
 
目の前に広がるのは、はるか昔の記憶と寸分違わぬ風景。
 
よもや、一炊の夢だったのだろうか?
 
【葛城ミサト】として生きた13年間は嘘だったのだろうか?
 
 
胸元で握りしめた左手がむなしく空を掴んで、思わず視線をやる。
 
そこに、銀色のロザリオはない。
 
だが、昔はなかったその癖が、この心に刻まれた軌跡を教えてくれた。
 
それはまた、あの十字架が枷であること以上に、心の支えでもあったことを痛感させてくれたが。
 
そう。いつだって自分は、あの人に護られていたんだ。幻の日々のさなかだったとしても。
 
 
とても哀しいのに、なぜか涙は流れない。
 
ミサトさんの体で居た時は、本当にちょっとしたことで泣いてしまったのに。
 
感情を素直に表すという基本的なことですら、彼女の助けがないと出来ないのだろうか…?自分は…
 
 
 
ようやく…、ようやく。搾り出すようにしてひとすじ、涙が流れた。
 (記憶や人格を全て移植すると被憑依者の記憶や人格を圧殺することになるため、憑依者の精神活動のうち被憑依者の肉体に依存しているのは、思考と感情のみ。記憶と人格はこの世界に残したままで、リリスによって仮想的に構築・接続されている。SETIなどで個人のパソコンなどの不使用時間を借りて計算したりするが、あのイメージに近い。ミサトがやたらと泣き虫だったのは、女性の脳構造とシンジの内罰的な精神の組み合わせによる相乗効果。としている)

 
 
「…おかえりなさい」
 
顔を上げると、第壱中学の制服姿。遠くに見える海の色を透かしてか、薊色に見える髪。
 
「あっ綾波?」
 
見下ろし確認する自分の姿も、第壱中学の制服。どうやら、本当の…僕の体。
 
 
「…おかえりなさい」
 
あれ?今、綾波の機嫌が悪くなったような。
 
 
「…おかえりなさい」
 
このパーソナリティは最初に会った綾波じゃない気がする。
 
もしかして、リリスを殲滅したことで、あのままサードインパクトが起こってしまったのだろうか?
 
それにしては、おかえりなさいと言われるのは場違いのような気がするけど…
 
 
「…おかえりなさい」
 
あっ、これ以上怒らせるのはマズいんじゃないかな。
 (この世界に戻ってきたシンジは、憑依者の記憶や脳構造の影響から開放されるので、元々の性格や思考を幾分か取り戻す。ただし、相応の人生経験を積んだことに変わりはないので、綾波の機嫌を読み取れる程度には成長している)
「たっ、ただいま」
 
「…おかえりなさい。碇君」
 
よかった。機嫌が直ったみたいだ。
 
 
第壱中学の制服。浅縹の淡い青色は、この世界で唯一の優しい色だから。嬉しい。
 
「その制服。よく似合ってるね」
 
「…何を言うのよ」
 
ぽっ、と綾波が頬を染める。両手で頬を押さえ、恥らうように視線をそらした。
 
やはり、このパーソナリティは最初に会った綾波じゃない気がするんだけど…
 
「綾波。ここは?」
 
「…サードインパクトの後」
 
「僕は時間を遡ったんじゃないの?それともまたサードインパクトを起こしてしまったの?」
 
「…時間を遡ることは不可能だわ」
 
「…じゃあ、あれは夢?」
 
ふるふると綾波がかぶりを振る。
 
「…世界は一株の紫陽花」
 
その紫陽花。どこから出したの?綾波。
 (ちなみに私はこのシリーズのことを【紫陽花ユニバース】と呼んでいます)

「…この宇宙は、その株の中でもっとも早く咲き、あっという間に枯れた一つの花弁」
 
見れば、つぼみばかりで咲ききってない株の中、花弁が一つだけ枯れている。
 
「僕が枯らしたんだね」
 
ふるふると再び。
 
「…碇君に会いたい一心で、自らの姿も省みずに貴方の元に向かった私がいけなかったの」
 
…あの時の碇君の叫び…、…私のココロまで揺るがした。と綾波がその赤い瞳を伏せる。
 
「…ごめんなさい」
 
ぶんぶんとかぶりを振った。
 
「僕の方こそ受け入れてあげられなくて、ごめん」
 
ふるふると三たび。
 
「…いいえ、碇君は受け入れてくれた。あの宇宙で、迎え入れてくれた。…たくさん与えてくれたわ」
 
…あの子は私じゃないけど、あの子の喜びは私の歓び。呟く綾波の、頬がほころんだ。ぎこちなさなど微塵もない、ごく自然な微笑み。
 
心の底から喜んでくれていることが解かったから、少し涙ぐんでしまった。
 

 
「あれは、夢じゃなかったの?」
 
「…説明の途中だったわ」
 
そういえば話の腰を折ったんだったか。
  
「ごめん」
 
「…いい」
 
気を取り直した綾波が、再び紫陽花を差し上げる。
 
「…花が枯れれば、種が生ずるわ」
 
枯れた花弁の中に、かすかなふくらみがあった。
 
「…この宇宙が育んだ種。それは礎となった碇君の心」
 
微妙にずらされる株。一つだけ鮮やかに咲いた花弁に気付く。
 
「…宇宙は別個の存在。でも、同じ世界の存在として繋がっている」
 (パラレルワールドでなかった世界が、途中からパラレルワールドになった。ということ。尤も可能性とか歴史のIFなどとは無関係なのでパラレルワールドとは言いがたく、どちらかというと宇宙多重発生理論(マルチプロダクション)のほうが近い。また、数も有限で決まっていてリリスの千切れた心の数=セカンドインパクト終焉時に生き残っていた人類の数(30~60億?)としている)
綾波はその細い指先で、枯れた花弁と咲いてる花弁をつなぐ茎をたどってみせた。
 
「…碇君の心は、咲く直前のこの花弁に伝わった」
 
「それが、あの世界?」
 
…ええ。と頷く綾波。
 
綺麗に咲いた蒼い花弁。
 
「あのあと、どうなったんだろう?」
 
「…見たい?」
 
「見られるの?」
 
…ええ。と再び頷く綾波。
 
「どうなったか気になるんだ。見せてよ綾波」
 
…そう。じゃあ。と綾波が瞼を伏せる。心持ち顎を上げて。
 
「ゑ?」
 
これは、この態勢はもしや…  ∵
 
「あっ綾波?」
 

 
片目だけ開けて。
 
「…見たくないの?」
 
「じょ、冗談だよね?」
 
両目を開けて、上目遣い。
 
「…どうしてそう云うこと言うの?」
 
「ふっ不自然だよ!」
 
「…なぜ?これは最低限の形」
 (実際には、この方法でないとダメと云うワケではない。ただ、向こうの宇宙のリリスが失われているし、ミサト⇔シンジと本人同士でないのでかなりの労力を必要とする。シンジへの伝達の労力を省くために密着する必要はあった。としている。口実だが)
「だからって…そんな」
 
「…そう、ダメなのね」
 
なんだか寂しそうだ。僕が悪いの?これ。
 
右手で左腕を抱え、切なげな視線は地面をさまよっている。
 
シアワセって何。とか呟いちゃって。
 
逃げちゃ…ダメなんだろうな…
 
そう。僕には、あの世界の行く末を見届ける義務があるんだ。
 
ええい、逃げちゃダメだ。
 
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。
 
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。
 

 
逃げたい。
 
「…そうやって嫌なことから逃げているのね」
 
そういう言い方はやめてよ。
 
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。
 
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。
 
初めて初号機に乗ったときよりも時間をかけて、ようやく綾波の肩に手を伸ばした。
 
「…続きは私が…」
 
綾波。君が何を言っているのか解からないよ。
 
「…なぜ解かろうとしないの?碇君は解かろうとしたの?」
 
綾波。僕の独白に突っ込むのはやめてよ。
 (本当に心を読んでいるわけではなく、13年間シンジの心を維持・仮想展開していたリリスには筒抜け同然だということ。尤も、この世界でのシンジはリリスによって構築されているので、読もうとすれば読めないことはない。ただアラエルに心を覗かれたことのあるシンジには、綾波が心を覗いているわけではないと感じられるのでさほど気にしなかった)
「…絆だから」
 
ヤだよ。そんな絆。
 
やっぱりこのパーソナリティは最初に会った綾波じゃない気がする。
 (ユイ篇ラストと違って綾波がやたらと絆を強調するのは、シンジはまだまだ支えてやる必要があると考えているから。ミサトがして見せたような押し付けがましさでないとシンジには伝わらないと考えているから)
 
**** 
 
 
病室のベッドの上で【 葛城ミサト 】は膝を抱えて座っていた。

何も映すことのない、虚ろな瞳。
 
『…アダムが殲滅されて、張り詰めていたものが緩んだのね。精神的にセカンドインパクトの頃まで戻っているかもしれないわ』
 
リツコさんが解説している。
 
『…私の…せい?』
 
『違うと思うよ。ミサトさんはこの時のために頑張ってきたんだ。だから、ちょっと気が抜けたんだよ』
 
『ほんとバカなんだから。アンタが居なくて誰がワタシたちの指揮をとるって言うのよ』
 
 
その可能性を考えなかったわけではないのに、こうしてみんなを置き去りにしてしまったことが、つらい。
 
一生を【葛城ミサト】として生きることを決意したから、みんなに余計な苦悩を与えたくなかったから選んだ、全てを隠しとおす覚悟。
 (このシリーズでは逆行者は己の正体を明かさない。多くの逆行モノでそうであるように、この赤い世界に言及することにより、その人が犯してない罪を被せることになりかねないから。ミサトは少なくともリツコに会った前後にはそのことへの決意を終えていたであろう)
今となっては、その選択が、みんなを見捨ててしまったことになる。無責任にも。
 

 
誰が活けてくれたのか、たくさんの紫陽花。…それが少し哀しかった。
 
 
****
 
 
還ってきた視界にちょっと安堵してしまった、この心根が疎ましい。
 
「…これだけ?」
 
「…ふれあいが足りないから」
 
あっ、地雷踏んだ気分。見届ける義務はあるけれど、正直この方法はちょっと…
 
「あ~…えっと、なんで僕あの時点で帰ってきたんだろう?」
 
「…リリスを殲滅したから」
 
即答だ。この調子で答えてくれれば、もう…しなくても済むかな?
 
次の質問、次の質問。
 
「向こうのミサトさん大丈夫かな?」
 
「…あの宇宙の葛城三佐は最後まで心を開かない」

「じゃあ…」
 
ふるふると四たび。

「…碇君の心に触れて、貴方の行動を知って、壁は溶け始めている」
 (ミサトに、シンジの記憶が移植されるわけではない。ただし、シンジがミサトであった期間中の行動・思考・憑依中にシンジが思い出した過去の記憶などは覚えている。としている)
「ということは…?」

…ええ。と三たび頷く綾波。
 
「…心を開くわ。少し、時間はかかるけど」
 
「よかった」
 
そう、よかったわね。と、そっけない。
 

 
背丈は同じくらいのはずなのに、何故か見上げるように覗き込んでくる、赤い瞳。
 
「…白いエヴァがどうなったか、知りたい?」
 
「そうだ。綾波、教えてくれる?」
 
ふるふると五たび。
 
「…いや」
 
瞼を伏せた綾波が、心持ち顎を上げる。微妙に小首までかしげて。
 
しまった。誘導訊問だったのか。 
 
「いや…その… 教えてくれるだけで充分だから…」
 
「…百聞は一見にしかず…だもの」
 
やっぱり、見透かされているか…
 
「…これは私の心、碇君と一つになりたい…」
 
綾波。君が何を言っているのか解からないよ。
 (EOE巨大リリス時に枝分かれするようにカヲルが現れるが、このシリーズではあれを依り代(シンジ)の願望を叶えようとした結果としている。本当にカヲルが現れたわけではなく、リリスが再現して見せたに過ぎない。ただ、影響は受けていて、綾波のスキンシップが過剰なのはそのため)
**** 
 
 
第3新東京市を取り囲むように、6体の白いエヴァが輪を描いて飛んでいる。
 
3体はウイングキャリアーからのドッキングアウト前に、起動すらさせてもらえずに狙撃されたようだ。
 (伍号機が配備される話はカヲルを送り込むための方便で、実施されてない。故に量産機の数は原作のまま)
また1体、陽電子の一撃に叩き落されたところだった。
 
 
…………
 
 
突如発令されたA-801。
 
MAGIオリジナルに対するハッキングに対し、リツコさんはおとなしく降伏するように見せかけて、土壇場で回線を微細群使徒の眠る模擬体につないだ。
 
MAGIとの休戦状態にあった第11の使徒は、これを自身に対する攻撃と判断、自衛のために猛然と反撃を開始する。
 
MAGIオリジナルの支援を受けた微細群使徒は、MAGIコピーの天敵だった。
 
ロジックモードを変更することすら思いつかず、5台のMAGIコピーはあっという間に支配下に組み敷かれる。敢えて自爆させなかったのは使徒なりの進化の証なのだろうか?
 
父さんの手によって、使徒侵入の事実は無かったことにされていたはずだ。緘口令が敷かれた憶えがある。何も知らないMAGIコピーの運用担当者たちの対策が間に合わないのもむべなるかな。
 
 
思い起こしてみればこの使徒は、模擬体からMAGIにハッキング・リプログラムしていただけで、自らMAGIに侵入していたわけではなかった。
 (原作でもハッキングと明言され、その対策も「MAGIとの共生の選択」を期待したものだった。つまり、殲滅されてない
このことは必ずしも使徒を斃す必要はないということの傍証で、サハクィエルの殲滅後回しや、ユイ篇のカヲルの処遇&カヲルの使徒対策、リナレイ篇での使徒の処遇に結びついていく)
MAGIのデータ・思考ルーチンを手にした使徒は、送り込まれた進化促進プログラムの意図に気付き、自滅を嫌って引き篭もったのだ。そうやってMAGIの思考ルーチンを手放せば、それを利用した進化促進プログラムも無効化できる。
 (原作ではイロウルが自滅したと見てとれる描写もあるため、このシリーズ用にこう言い訳しておいた)
つまり無害化されただけで、殲滅されたわけではない。リツコさんが言いかけてたのは、そのことだったのだろう。
 
案外、群れという形態をとったこの使徒にとって、MAGI的多数決・民主主義制度が肌に合ったのかもしれない。最終的にはヒトとも共存できうると考えた微細群使徒は、共栄のために一旦その身を引いてみせたのではないだろうか?
 
科学者の合理性と母親の愛情を知って、使徒も変わったのかもしれない。
 
 
 
驚いたことに、父さんが陣頭に立って指揮していた。
 
今は日本政府へのホットラインを開き、脅し、透かし、宥め、誑かし、煽り、惑わして、総理大臣の動揺を誘っている。
 
なぜか、その右手がないのが気にかかった。
 
父さんの背後、冬月副司令と対になるような位置に加持さんが立っている。こちらもどこかへ電話中で、なにやら裏工作に余念がないようだ。
 
 
結果、出撃する時期を逸した戦略自衛隊は、2体のエヴァが展開した広域ATフィールドの前に進軍すら出来ないでいた。
 
苦し紛れに使ったであろうN2爆雷も大陸間弾道弾も、エヴァの前では癇癪玉ほどにも役に立たない。どうせ使うなら、綺麗なぶんだけ花火の方がましだっただろう。
 
 
…………
 
 
そして今、荒れ狂う鮮紅の颶風と化した弐号機と、無慈悲な女王の如く君臨する零号機の連携の前に、白いエヴァたちが殲滅されようとしている。
 
『…それ、ロンギヌスの槍と同じ感じがする』
 
あの妙な武器も、ロンギヌスの槍なのだろうか?だとすれば1本やそこら失っても問題なかったのかも。
 (オリジナルという言及があったので量産機が持っていたのはコピーだろうが、シンジはそのコトを知らないはず)
≪ それがロンギヌスの槍だとすれば、第15使徒戦時の記録分析から、ATフィールドに誘引される性質が確認されているわ。気をつけなさい ≫
 
『いざという時は囮のATフィールドで誘導するよ』
 
小規模遠隔展開。もうモノにしたのかな。
 
『任せたわ…ワタシは… これで!ラストォ!!』
 
リツコさんにお願いしておいた白いエヴァ戦への布石。
 
それは弐号機のタンデムエントリープラグだった。
 
流石にインテリアを新調するのは間に合わなかったらしく、括りつけられたシートに納まった彼が追加されたスティックを握り締めていたが。
 
ほとんど並列にならんでいて、タンデムというよりサイド・バイ・サイドだったけど。
 
『…見ている?』
 
『僕も、見守られているような感じがする』
 
『アンタ達も?でも、まっ、戦いだしたらミサトは口出ししないから。そんな気がするだけかもよ?』
 
『…そう?』
 
『そうかなぁ…』
 
大丈夫だ。この3人が揃っている限り、白いエヴァなんかに負けたりしない。
 
そいつらは再生するみたいだったから気をつけてね、3人とも…
 
 
****
 
 
…!
 
「ちょっと待って、綾波。まだ知りたいことがあるんだ」
 
突然戻ってきた視界に慌てて、思わず強引に綾波の唇を奪ってしまった。
 
これがシアワセ?と、口移しに呟かれる。
 
綾波。君が何を言っているのか解からないよ。
 
 
****
 
 
「レイ…」
 
声に遅れること数拍。見えてきたのはターミナルドグマの一画。
 
「やはり、ここに居たか」
 
ぐるり。周囲を水槽に取り囲まれたオレンジ色の闇の中に、新たな影が加わる。
 
あの日から綾波は、時間を見つけてはここに来て、水槽の中の姉妹たちに話しかけていた。
 
その習慣は続いているらしい。
 
「話は聞いた」
 
入ってきた父さんの後ろに、リツコさんと加持さんの姿。
 
「約束の時だ。
 
 …
 
 …と言いたいところだが、初号機もリリスも槍もない以上、補完計画は断念せざるを得ん。
 レイ。お前の役目も、もはやない」
 
こくん。と頷く綾波。無表情に見えるが、嬉しそうなのが判る。
 
父さんの傍らに寄り添うように、リツコさんが進み出た。
 
二人の間で交わされる視線。アイコンタクト。
 
父さんもリツコさんも、目元が優しい。
 
「この娘たちの処遇もきちんと対応するわ。もちろん、今ダミープラグに入っている娘もね」
 
ついでにマヤさんへのフォローも行ってくれると、嬉しいんだけど。
 
「その代わり、最後の頼みがあるの」
 
その赤い瞳が、ひたとリツコさんを見据えた。
 
「お願い。と言い換えた方がいいか?」
 
にやり。と口の端をゆがめる父さん。
 
右手の手袋を外し、掌を綾波に向ける。
 
胎児のようなその姿は、加持さんに貰った情報の中に画像データとして存在していた。
 
アダム。そのサンプルだということだが、そんなところにあったとは。
 
「これを零号機で殲滅して欲しい。
 レイにしか頼めん作業だ。お願いする」
 
 
アダムを殲滅するということは、父さんは完全に委員会と袂を分かったのだろう。
 
委員会に対する対策、プランSeは託すまでもなく父さんが遂行してくれそうだ。
 
あまりに最適な人選は、加持さんの差し金なんだろうか?
 
 

 
「…お願い。他人に対し、こうしてほしいと頼む。
      自分の気持ちとして、こうなってほしいと強く思う。望む。

  …そう。碇司令が私に望む。
 
  …望み。叶えられるとは限らない思い。
      叶えるかどうかは私次第。
 
  …そう。私が選ぶ」
 
呟いていた綾波が、視線をめぐらせる。水槽の中の姉妹たち。
 
その視線が一瞬、僕を捕らえたような気がした。
 
…あなたたちのために…、…私にできること。綾波の呟きはひどく小さい。
 
「…いつ?」
 
「我々に与えられた時間はもう残り少ない。今すぐにでも」
 
綾波が頷いた。
 
 
…………
 
 
視界が暗転したのでてっきり終わりかと思っていたら、まだ続きがあるようだ。
 
風景は変わらず、ターミナルドグマ。
 
周囲を水槽に取り囲まれたオレンジ色の闇の中に、人影が二つ。
 
「この娘たちを外に出す…んですか?」
 
怯えを隠そうともせずにマヤさんが、告げられた内容を繰り返した。
 
「そうよ、マヤ」
 
ひっ。とあげた悲鳴は、水槽を見渡そうとして中の綾波たちと眼でもあったのだろう。
 
かたかたと、歯の根が合わない様子だ。
 
「でっでも、この娘たちには魂がないって、人工子宮から出せば朽ちてしまう存在だって、ただの素体だって、先輩が仰ったじゃないですか!」
 
手にしたクリップボードごと己の体を抱きしめて、マヤさんの悲鳴はもはや慟哭だった。
 
「だから、だから私、気が進まないけど、先輩の仰ったことを信じて、この娘を、この娘たちを!」
 
崩れるように座り込んだマヤさんが、口元を手で押さえる。懸命に吐き気をこらえているようだ。
 
歩み寄ったリツコさんが、マヤさんの背中に手をかけてやった。
 
「吐いてしまいなさい。楽になるわ」
 
リツコさんの言葉がなにを突き崩したのか、背中を丸めたマヤさんが胃の内容物をぶちまける。
 
その背中を撫でさするリツコさんの眼差しも優しい。
 

 
吐くものがなくなったのを見て取って、リツコさんがハンカチを取り出した。
 
マヤさんの顔を上げさせ、まず両頬を伝う涙を、次いで口元を拭ってあげている。
 
「落ち着いた?マヤ」
 
「…はい。でも…」
 
マヤさんは、リツコさんと眼をあわそうとしない。
 
「勘違いしないで。この娘たちに魂がないことに変わりはないわ」
 
え?…と、ようやく向けられた視線。
 
「人格移植OSの応用で、綾波レイから記憶と人格を移せば、それが呼び水となって魂が生じる可能性があることをMAGIが指摘したのよ」
 
「ホント…ですか?」
 
もちろん嘘だ。マヤさんに対して用意していたフォロー案、プランMy-d5らしい。多少、アレンジが効かせてあるようだが。
 (この手のプランのIDはもちろんデッチ上げ。プランMy-d5は、伊吹マヤに対するダミープラグ関連対策案の5番目という程度の意味)
「ええ、なんならバルタザールのログ、確認して御覧なさいな」
 
いいえ。とマヤさんがかぶりを振っている。
 
「…先輩の言葉を信じます」
 
「ありがとう…
 それで本題だけど、そのための作業を手伝って欲しいのよ。手始めにダミープラグに入ってる娘を此処に戻して欲しいの。頼める?」
 
「はい」
 
それでは早速取り掛かりますね。と言ったマヤさんが、膝元に視線を移した。吐瀉物の存在を思い出したらしい。
 
「…その前に、こちらを片付けます」
 
消え入りそうな声で。
 
「いいわ。それは私がやっておくから」
 
「えぇっ!そんなこと先輩にさせられません!」
 
ぶんぶんと、窓でも拭いてるかのように振られる両手。
 
「いいのよ…」
 
珍しいことに、リツコさんが語尾を濁した。何が気に入らなかったのか一瞬、眉をひそめて。
 
「…いいえ、やらせて頂戴。それくらいしか貴女にしてあげられることがないわ」
 
「そんな!とんでもありません。先輩は…先輩は、たくさんの事を教えて下さいました」
 
そう?と傾げられるリツコさんの小首。
 
「でも、私がそうしたいの。それとも、私なんかには任せたくない?」
 
顎をひいて心持ち上目遣いに。狙ってやってるんだろうなぁ、リツコさん。
 
「そそそそそんなことはありませんっ!そのっ嬉しいです。不束者ですが末永くお願いします。それでは、ケィジへ作業に行ってまいります。寄り道しないで帰ってきますから」
 
一気にまくしたてたマヤさんは、立ち上がるや空でも飛びかねない勢いで退出していった。地に足が着かないとは、ああいうのを云うのだろう。
 

 
嘆息。独り残されたリツコさんが、周囲を取り巻く水槽に目をやる。
 
「これで良いのよね、ミサト…」
 
…リツコさん。
 
 
「買い被りすぎよ… 貴女」
 
何のことだろう?
 
 
ほくろに誘われたように、流れる…リツコさんの涙。
 

 
ダミープラグ製作に関わった人たちの中で、そのことへのフォローが必要だと考えたのはマヤさんだけだった。
 
事実、リツコさんへのフォロー案、プランRi-d1には一言しか記していない。【 リツコさんなら大丈夫 】と。
 
リツコさんは毅い人だからと、深く考えもせずにそう判断してしまっていた。プライドの高い人だから、理性で何もかもねじ伏せてしまうだろうと。
 
あの、泣き伏す姿を忘れたわけではなかったのに…
 
やはり、僕は薄情なんだ。
 

 
「でも…」
 
見上げたのは脳幹のごとき器械。
 
「約束は守るわ」
 
 
 
…うん。知ってるよ、リツコさん。
 
 
****
 
 
「…初めての行為。あの人ともしたことないのに…」
 
ぽっ、と綾波が頬を染める。
 
綾波。君が何を言っているのか解からないよ。
 
 
「その、綺麗に咲いてる花。それが、あの世界?」
 
「…そう。あの宇宙の具象化」
 (シンジと綾波では視点が違うため、「宇宙」と「世界」の用法が異なる。全体を俯瞰している綾波は、全てを世界、個々を宇宙と呼ぶ。内側から見上げるシンジは個々を世界、全体を宇宙と呼ぶ)
小さく可憐な花が、みずみずしい花弁を誇らしげに広げている。
 
もう僕みたいな異分子がなくとも、やっていけるのだろう。これからは自力で咲き誇れるのだろう。
 
寂しさは隠しようもないけれど、この心の裡に、その花と同じ大きさの誇らしさが咲いた。
 
「そうか、あの世界はもう大丈夫なんだね」
 
 
でも…
 
「この世界が滅びたことに変わりはない」
 
ふるふると六たび。
 
「…いいえ。碇君は葛城三佐の痛みを感じて、葛城三佐の心を知った。だから…」
 
ちょっと嫌そうな表情の綾波。
 
「 は~い、シ~ンちゃ~ん。ひっさっしぶり~♪ 」
 
驚いて、背後を振り返る。海岸線沿いに歩いてきたらしい、その姿は…
 
「ミっ、ミサトさん!?」
 
エレベーターで別れた時と寸分違わぬ出で立ち。胸元にロザリオはない。
 
脇腹の銃創は治ったのだろうか?
 
「そっ、葛城ミサト。永遠の29歳。たっだいまシンちゃ~ん♪」
 
元気に歩いてくる姿に、涙腺が弛む。
 
そのまま抱きしめられた。
 
 
その乱雑な優しさを素直に受け入れられる程度には、僕も成長したのだろう。
 
いろんな意味で恥ずかしかったけど、今はただ甘えることにした。
 
 

 
 
「…ありがとう、ミサトさん。もう…大丈夫だから」
 
 
…何も言わず、泣き止むまで待ってくれていたミサトさんは、しかし身じろぎ一つしない。
 
 

 
……
 
………?
 
 
いつまで経っても放してくれる気配がないのは、この人のことだから…
 
「…おかえりなさい。ミサトさん」
 
「ただいま。シンちゃん♪」
 
還ってこなくていいのに。との綾波の呟きは聞こえなかったことにしよう。
 

 
やっと気が済んだらしく、ようやく開放された。それでも両肩には手をかけられたままだったけど。
 
「そいえばシ~ンちゃ~ん。アタシの体で好き放題やってくれたんだって?」
 (人伝てに聞いたような言い方をしているが、ユイ篇でも描写しているとおり憑依者の記憶は全て受け継ぐので、ミサトはシンジの憑依中の全てを我が事の様に知っている)
「いや、その…ごめんなさい」
 
「いいのよ~、アタシとシンちゃんの仲じゃな~い♪」
 
んふっ♪と微笑んでいる。
 
「体の隅々はおろか、心の隅々まで見られちゃって、もうこれって恋人以上の仲よねぇ♪」
 
かけてた手を放してくれたかと思えば…
 
ミサトさん。自分自身を抱きしめてモジモジするのはやめてください。
 
13年も使えば、自らの体も同然だ。
 
まるで僕自身がそうしているような気がして、恥ずかしいことこのうえない。
 
「それじゃあシンちゃん。心置きなくあの時の続きを…」
 
ミサトさん。あなたが何を言っているのか解かりたくないよ。
 
13年も女をやってみて、なおかつ目の前の相手の体だったというのに、この人の言動は未だによく解からない。
 
いや、言ってることは判るのだが、何故そう言いたくなったのか、その動機が解からないのだ。
 
 
― 彼女というのは遥か彼方の女と書く。女性は向こう岸の存在だよ、われわれにとってはね ―
 
 
なぜだか、この言葉を思い出してしまった。その意味が実感できるようになってしまいましたよ。加持さん。
 
 
「…どいてくれる」
 
ミサトさんとの間に強引に割り込んできた綾波が、紫陽花を突きつけてきた。眉間に皺が2本も寄っている。なんだか随分と機嫌が悪そうだ。
 
「…ヒトの数は20億。碇君がその心を知れば、この花弁は甦る」
  
なによぉレイのいけずぅ。と不満げなミサトさんは完全に無視のご様子。
 
「ホントに?」
 
…ええ。と四たび頷く綾波。
 
「…でも、ほとんどの花弁が枯れる。ここと同様に」
 
「それは、エヴァに関わりのない人の心を知るためだけにその世界に赴けば、結果としてそこのサードインパクトを防げないからってことかしら?」
 
「…ええ、そうよ」
 
ミサトさんのほうを一瞥もせずに…。綾波、話すときは人の顔を見ようよ。
 
 
この世界を甦らせるために、ほかの世界を犠牲にする。それは、できない選択だ。とはいえ、この世界を見捨てることも、つらい。
 
「じゃあ、この世界はこのまま…?」
 
ふるふると七た…、あれ?八たびだったかな。
 
「…いつか種が熟して、新たな世界の一株となるべく芽を出すわ」
 
綾波が手をかざす中、次々と花弁が花開き、この世界だという枯れた花弁が膨らんでいく。
 
「…他の宇宙が花開けば、そのエナジーは世界を潤す。そうすればこの種も大きく豊かになる」
 
膨らんだ花弁から、こぼれるように種が落ちた。 
 
手に受けたそれをまじまじと見ながら、紫陽花は株分けの方が一般的だよね。と思ったことは内緒だ。
 

 
「なら、迷うことはないね。一つでも多く、綺麗に花を咲かそう」
 
「大丈夫よ、シンちゃん。アタシも手伝ったげるから~♪」
 
バアさんは用済み。との綾波の呟きは聞かなかったことにしよう。
 
 
 
紫陽花の種を握りしめ、赤い海を見やる。
 
この世界を直接救えないのは哀しいけれど、ほかの世界を護れるなら、それすら心のささえになるだろう。すべてを心の裡に埋めて、礎にできる。弱さを毅さに変える術を、僕は学んだんだ。
 
ミサトさんが肩に手をかけてくれた。綾波が寄り添って掌を重ねてくれた。
 
 
差し出された紫陽花は弱々しく…
 
手の中の種はまだ硬くて…
 
だけど、
 
この紫陽花の咲き誇る姿を見たい。
 
この種が芽吹くまで見守ろう。 
 
 
 
願いは遥か、果てしないけれど、
 
 
 
 この世界のために、ほかの世界のために、何より僕自身のために。
 
  できることを、やりたいことを、なすべきことを。 
 
 
   やりなおす機会をくれた、この世界への感謝の気持ちを持って。
 
    もう一度出会ってくれた、みんなへのまごころを携えて。
 
     まだ見ぬ未来への、希望を胸に。
 
 
 
       花を咲かそう
 
 
 
                                         おわり
2006.11.06 PUBLISHED
2006.11.10 REVISED







シンジのシンジによるシンジのための補完 カーテンコール ( No.26 )
日時: 2006/11/17 17:18 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2  
                                     

「…知らない天井だ」
 
気付けば、ベッドに寝かされていた。
 
消毒液のにおい。どこかの病院かな。
 
点滴やらカテーテルやら色々つながれていて、いわゆるスパゲッティ状態にされているようだ。
 

 
体が本調子ではないらしく、まぶたを開いていることすら億劫だった。
 

 
……
 
夢とうつつをさまよい、どれだけのあいだ、ぼぅっとしていただろうか?
 
なにやら地響きがすると気付いた途端。病室のドアが乱暴に引き開けられた。 
 
「おお!ユイ。ユイ。目を覚ましてくれたか!」
 
あれ?
 
…この人。
 
サングラスじゃないし、生え揃ってないところを見ると単なる無精ヒゲみたいだけれど…
 
父さん!?
 
しかも、若い!?
 
「お前がエヴァに取り込まれてしまったとき、俺は一体どうしたらいいか、どうすればいいか…」
 
うわっ、父さんが泣いてるよ。初めて見た。
 

 
えっあれっ?
 
父さんがユイって呼ぶこの体は、まさか…
 
傍らに置かれた医療機器のCRT、火の入ってない灰色の画面に映る面影は綾波に似て…
 

 
もしかして、今度は母さんの体~!!!
 
あっ綾波!よりによって、これはないと思うな。
 
なにか綾波の気に障るようなこと、したかなぁ?
 
だったら謝るから、こればかりは勘弁して欲しい。
 
 
 ― …楽な方がありがたい。碇君はそう言ったわ ―
 
えっ綾波?どこに居るの?
 
 ― …私はどこにでも居る。誰の前にも居る。遍し身だもの。けれど、心を開かなければ見えないわ ―
 
助けてよ
 
 ― …ダメ。この宇宙を枯らしたいの? ―
 
でっでも…
 
綾波を探して見渡した病室の片隅に、これ見よがしに活けられた紫陽花。
 
こころなしか花弁がひとつだけ枯れているように見える。
 
さっきまでは無かったような気がするんだけど…
 
 ― …自我境界線を乗り越えて還ってきた今のその体なら、エヴァを直接制御できる ―
 
えっ?
 
 ― …碇君がその体で初号機に乗って戦う気になれば、アスカは乗らなくて済む。私も生み出されずに済む ―
 
だけど…
 
じとりと傍らの父さんの顔を見る。
 
父さんと夫婦になるっていうのは、いくらなんでも…
 
 ― …そう、よかったわね ―
 
そういう言い方はやめてよ
 
せめて父さんと結婚する前とか、なんとかならなかったの?
 
 ― …そこまでは関知しないわ。最適の人物を最良の状態で選んだだけだもの ―
 
綾波ぃ…
 
 ― …干渉のしすぎはその宇宙に良くないから。じゃ、さよなら ―
 
あっ綾波。待って、置いてかないで~!
 
 ― …ダメ。碇君が呼んでも ―
 
 

 
うわっ、父さんが抱きついてくる。冗談きついよ。 
 
これも逃げちゃダメなの?
 
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。
 
 
…逃げたい。
 
 
そう云えば、あの世界で母さんがどうなっていたのか綾波に訊くの忘れていたなぁ。
 
やっぱり自分は薄情なんだ。だから、あの世界はあんなことに…
 

 
だから、もう逃げちゃダメなんだ。


 
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。


 
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。


 
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。


 
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。



逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。



逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。


 
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。


 
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。


 
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。


 
逃げちゃダメだ。
 



… 


間近に迫る、父さんの顔。

 
ダメだ。
 
やっぱり逃げよう。
 
 


 
「…あなた、だれ?」
 

父さん、ごめん。
 
僕に母さんの役回りは荷が重いよ。
 
号泣しながら抱きつこうとする父さんを必死に押しとどめ、今後の算段を考える。
 
記憶喪失のふり。上手くできるといいけど…
 

                               ユイ篇につづく



[29540] シンジのシンジによるシンジのための補完 幕間
Name: dragonfly◆23bee39b ID:2115e058
Date: 2022/07/10 00:12



綾波が手にした紫陽花は、僕が逆行して救って来た世界の象徴。

今は、その半ばほどが花ひらいている。

ある時は、ミサトさんになって世界を救ったり、

またある時は、母さんになって世界を救ったり、

はたまたキール議長になってまで、世界を救ったりした。

我ながらよく頑張ったと思う。

でも、僕が頑張れたのは……

「綾波。…ありがとう」
 
「…なに?」
 
胸の前で、綾波の手を包んだ。
 
「綾波がここで待っていてくれるから、安心して行ってこれるんだ。
 …だから、ありがとう」
 
「…なにを言うのよ」
 
ぽっ。と頬を染めた綾波の、視線がこの手に注がれる。
 
ーー帰る家…ホームがあるという事実は、幸せにつながる。良いことだよーー

カヲル君の言葉を思い出して、頷く。

「いつになるか判らないけど、綾波にはここで僕の帰りを待っていて欲しい」

「…うん」

「そうしていつか、すべてにケリをつけたら、加持さんがミサトさんに言えなかったって言葉を綾波に贈るよ」

一瞬、きょとん。とした綾波だったけど、月の光が降り積もるようないつもの笑顔を見せてくれた。

「…待ってる」

               おわり





2006年7月10日に投稿を開始した【シンジのシンジによるシンジのための補完】を書籍化しました。
A4サイズで182ページもあり、お値段も凄いことになっていますが、もしお求めくださるのであれば、私のTwitterを覗いて見てくださいませ。(@dragonfly_lynce)
宜しくお願い申し上げます。m(_ _)m


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.093584060668945