大きな影が太陽の光を遮ったことを覚えている。
次の瞬間には全身から重力の感触が消え去り、上か下かも判然としない方向へと堕ちた。
いつ終わるとも知れない落下現象に晒されながら断片的に脳内を過ぎる非常識な戦場の風景があった。
それは誰かの記憶のようだ。その誰かは、鋼鉄のような鈍い輝きを纏った蠍や燃え盛る体毛に覆われた獅子、エナメル質の甲殻に覆われた空飛ぶ蛇などの非現実的な怪物たちが跋扈する世界を旅していた。人間を遥かに上回る巨躯を誇る怪物たちを旧世代の戦闘のように剣や槍を駆使して駆逐していく姿は、神話や幻想で語られる英雄を見ているようだった。しかし、どの風景にもその誰かの姿ははっきりと映っていない。視界の端に武器を握る手や怪物を蹴り飛ばす足などが僅かに見えただけで、顔は見えなかった。その視界は、まるで自分自身がその誰かの目を通して見ているような感じだった。
「アンタは、何でそんなに虚しいんだ」
自分と英雄が同一化したような錯覚を覚えると同時に、その英雄の心が流れ込んできたように感じた。
それは絶望的なまでの孤独。
圧倒的な暴力の化身たちを相手に己が身一つで戦い、傷付き、死に瀕することも厭わず武器を揮い続けるかの英雄は、人の身でありながら人に許された限界を軽々と凌駕してしまっていた。英雄は強くなろうとして強くなった存在ではなかった。ただ今日を生きるため、明日を迎えるという当たり前のことが英雄にとっては生死をかけた戦場だったというだけだ。生まれ育った環境が英雄を鍛え上げた。それこそ自らの弱さを徹底的に駆逐するかのように英雄はいろいろなモノと戦っていた。
『……もう飽きちまった』
それは英雄の末期を物語る呟きだった。
英雄は多くの戦いを越えた果てに絶望的なまでの孤独を背負うこととなった。
人として生まれた彼は、最後の瞬間まで人として生きるようと努力していたが、彼はどこまでいっても英雄であり、ただの人にはなれなかった。
英雄は多くを救ったが、それ以上に多くを殺し、多くを奪っていた。それは英雄が生まれ持ってしまった性質でもあり、生まれ育った環境がその性質を磨き上げていった結果でもあった。英雄とは優れた存在ではあったが、人としては決して道徳的な存在ではなかったのだろう。彼の目を通して見る世界は敵意の嵐だった。実際にはそんなはずがないのに彼は世界中全ての視線から蔑視されていると感じていた。何がそこまで彼を歪めてしまったのかは分からない。もともとそのような感性を持って生まれてしまっただけなのかもしれないが、そうだったとしても俺は彼に同情してしまった。
何処ともしれない奈落へと墜落する中、俺は彼の存在を羨んでいた。
神よ 慈悲を与えたまえ
弱きものを赦し正しき光の下へ導き清めたまえ
生なる喜びを与えたまえ
尊き原初の愛よ
護りとなりて全てを救いたまえ