<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

SS投稿掲示板


[広告]


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[29218] 銀の槍のつらぬく道 (東方Project) 
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/05/06 19:25
 このたびは当SSに興味を持っていただきありがとうございます。
 当SSは小説家になろうにも掲載されていますので、ご了承ください。

 また、注意点として以下のようなものが挙げられます。

 当SSは東方Projectの二次創作作品です。
 滅茶苦茶過去から始まります。
 主人公はかなり強いですが、濡れたトイレットペーパー装甲です。
 オリキャラがそれなりに出ます。
 なるべく原作の歴史に沿うつもりですが、ずれたりねじれたりするかもしれません。
 ほのぼの系だとは思いますが、途中シリアスだったりギャグだったり。
 
 以上の点に不快感を感じる方は、回れ右することをお勧めいたします。
 拙い文章ではあるかと思いますが、宜しくお願いいたします。



[29218] 銀の槍、大地に立つ
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/06 21:18



「う……ん?」

 暗い部屋の中で何者かが目を覚ます。
 声は少し高めの青年のもので、小豆色の胴着に紺の袴を履いている。
 髪は研ぎ澄まされた鋼のごとき銀色で眼は黒曜石の様な輝きを持つ黒、身長は百七十五cm程度であった。
 やや童顔だが、年齢にして十代後半から二十代前半と言ったところであろう。

「……これは一体どういうことだ?」

 青年は自分の体を手で触っていく。
 青年は困惑しており、事態が飲み込めていない様であった。
 
 ……足りない。

 何故か唐突にそう思った青年は足元に転がっているものをおもむろに拾い上げた。

 そこにあったのは、一本の槍だった。

 槍の長さは三メートル位の笹葉型の刃の直槍で、全体が銀色に輝くその槍は青年の手に驚くほど馴染むと同時に彼の喪失感を埋めていく。
 そして彼はそれが自分の一部、いや、自分自身であることを何となく悟った。

 青年が周りを見渡すと、そこはどうやら倉庫の様だった。
 その倉庫はもう長いこと忘れ去られていたらしく、様々な物がほこりを被っていた。

「……」

 青年はおもむろに手にした槍を振るい始める。
 その槍は青年にとって見た目の割に軽く、彼はそれを手足の様に軽々と振りまわして見せる。
 辺りの物にぶつけることなく、一つの演舞の様な槍捌きだった。
 しばらく振りまわした後、青年はその場に座り込んだ。

「……槍を振りまわしている場合ではないな……」

 全く状況が分かっていない青年はそのまま考え事を始めた。
 まず、ここはどこなのか?
 この先どうすればいいのか?
 そして何より自分は何故人の姿を手に入れられたのか?
 青年は腕を組み、必死で頭をひねる。

「……全く分からん……ん?」

 青年がそう呟いた瞬間、倉庫のドアが何やらカチャカチャと慌ただしい音をたてはじめた。
 その音に青年は咄嗟に槍を構える。
 青年は音のする方向を強く睨み、大きく息を吐きながら警戒する。
 しばらくするとガチャッと錠前が外れる音がしてドアが開く。
 すると開かれたドアから太陽の強い光が入り、青年はそれに目が眩み思わず目を覆った。

「力を感じて来てみれば……妙な存在がいたものね」

 古ぼけた倉庫の中に、凛とした女性の声が響く。
 そこには青と赤の二色で分けられた服を着た銀色の髪の女性が立っていた。
 光に眼が慣れてきた青年は、即座に距離を取って槍を構えなおす。

「あら、私と戦うつもりかしら?」

 女性は余裕の笑みを浮かべて青年に問いかける。
 彼女は青年の槍など怖くないと言うような様子で、ゆっくり歩いて近づいていく。

「……それは貴様次第……ッ!?」

 そこまで言うと青年の頭の中に急速にもやがかかってきた。
 そしてそのもやの中に、どこか見覚えのある精悍な顔つきの男の顔が浮かんだ。

 ―――僕には女の子や子供に手を挙げる気は無いよ―――
 ―――女の子には優しくするのは当然だろう?―――
 
 その男の念がどんどん青年の心の中にしみ込んでくる。
 男の声はどこか懐かしく、とても暖かい声色であった。
 青年はそれを受けて、槍の線を殺した。

「……いや、女子供に向ける刃は無い。失礼した」
「そう……気配は妖怪だったから襲われるかと思ったけれど、意外と紳士的なのね、あなた」

 槍を下ろした青年の言葉を聞いて、女性は笑みを深くした。
 女性は青年の前に立ち、その眼を合わせる。
 女性の眼には強い興味の色が浮かんでおり、嬉々とした表情で青年に話しかけた。
 
「訊いても良いかしら? あなたは何者?」
「……分からない。気が付けばここにいたからな……分かることと言えば俺は多分この槍だったのだろうと言うことぐらいだ」

 女性の質問に青年は眼を閉じてゆっくりと首を横に振る。
 それを聞いて、女性は少し考えるような仕草をした。

「つまり、自分がその槍だったということしかわからないのかしら?」
「……ああ」

 青年がそう答えると、女性はしばらく考えてから青年の肩に手を置いた。

「それなら、私がわかる範囲で教えてあげるわ。あなたみたいな存在は始めてみるけど、大体のことなら想像は付くしね」

 女性はにこやかに笑いながらそう口にする。
 その言葉に嘘は無いようで、青年の眼をしっかりと見据えている。
 それを聞いて、青年は軽く首をかしげた。

「……良いのか?」
「もちろん。私の名前は八意 永琳。あなたの名前は……って分からないわよね。困ったわ、なんて呼べばいいのかしら?」 

 困ったような表情を浮かべる永琳の質問に対して青年が考えようとした時、また頭の中にどこか懐かしい男の顔が浮かんできた。
 どうやら前にこの槍を扱っていた男の様だった。

 ―――この……槍が……たけ……まさし……―――

 途切れ途切れに聞こえてくる男の声。
 なんて言っているのかは分からないが、名乗るにはちょうど良さそうだと漠然と考える。

「……槍ヶ岳(やりがたけ) 将志(まさし)。そう名乗ることにしよう」

 何となく、呟くように青年はそう名乗る。
 その言葉を聞いて永琳は満足そうに頷いた。

「どうしてそんな名前が出てきたかは知らないけれど、良い名前ね。槍ヶ岳 将志、ね。それなら将志と呼ばせてもらうわ」
「……ああ、宜しく頼む」
「それじゃあとりあえずここを出ましょう。ここは話をするには空気が悪すぎるわ」
「……了解した」

 永琳に連れられて将志は倉庫を出る。
 外は燦々と日光が降り注いでいて、青空が広がっている。
 将志は日の眩しさに目を細めながら永琳の後をついていく。
 遠くに見える建物はどれも背が高く、天を貫かんばかりの摩天楼群がそびえたっている。
 ここはそれらの建物から離れた場所らしい。
 そして永琳が自動ドアの建物の中に入っていったので後に続いて入ると、中は白い壁と床の研究室だった。
 研究室内はたくさんのロボットが働いており、時折ロボット同士で何やら会話をしているようだった。

「実験室が珍しいのかしら、将志?」

 将志が足を止めて研究室を窓の外から見学していると、永琳が将志に話しかけてきた。

「……初めて見るからな」

 それに対し、将志は研究室から眼を離さずに上の空で永琳に応えた。
 将志の興味は完全に研究室の様子に注がれており、動く気配が無い。
 そんな彼の様子に、永琳は苦笑いを浮かべた。

「後で幾らでも見れるわよ。今はとりあえず話をしましょう?」
「……ああ」

 将志をそう言うと再び永琳について歩き始めた。
 しばらく歩いて行くと、「八意 永琳」と書かれたネームプレートが付けられた一室に案内された。
 永琳は部屋に入ると緑茶を二人分淹れて出した。

「……?」

 将志は出されたお茶が何なのか分からず首をかしげる。
 湯呑みを手に持ち、それをじっと眺めては再び首をかしげる。
 その様子が滑稽で、永琳は笑いをこらえるので必死になる。

「大丈夫よ、別に薬とか入れているわけじゃないんだから飲んでも平気よ?」

 永琳はそう言いながら緑茶に口を付ける。
 それを見て将志はそれが飲み物だと判断して永琳の真似をして湯呑みに口を付ける。

「……っっ!?」
「きゃっ!?」

 その瞬間、将志はビクッと一瞬大きく震えて慌てて湯呑みを置く。
 永琳もそれにつられて驚き、思わず湯呑みを落としそうになる。
 
「ど、どうかしたのかしら?」
「…………………」

 何があったのか訊ねる永琳に将志はジッと視線を送る。
 そして、たっぷりと間を開けた後。

「…………熱い」

 と真顔で言うのだった。

「…………(ふるふるふる)」

 真顔で当たり前のことを言う良い歳した男がツボに入ったのか、永琳は腹を抱えてうずくまった。
 将志は訳が分からず首をかしげる。

「……何事だ?」
「……~~~っっっ、い、いえ、何でもないわ……それより、あなたのことについて分かることを話しましょう」

 永琳は眼の端に涙を浮かべながらそう言った。

 そして永琳の話が始まった。
 その内容を要約するとこのようなものだった。

 ・将志は長い年月を経た槍が妖怪化したものである。
 ・槍そのものは大昔にこの町の警備隊が扱っていたもので、理論的には壊れたりすることが絶対にない。
 ・将志自身は生まれたばかりの状態であり、人間で言うなれば赤ん坊と同じ状態である。
 ・妖怪と人間は相容れないものであり、本来であるならばすぐにでも抹殺されてしまう存在であること。

 将志は真剣にこれらの話を聞き、自分の中の知識として取り入れた。
 全てを話し終わると、永琳はお茶を飲んで一息ついた。

「それで、何か質問はあるかしら?」
「……何故俺は殺されない?」

 将志は聞いて当然の質問を永琳に投げかける。
 永琳はそれに笑みを浮かべて答えた。

「まず一番の理由があなたに敵意が感じられないからよ。これはあなたの生まれが関係しているのでしょうけれど、元々人間を守っていたものが変化したからだと考えられるわ。二つ目はあなたに利用価値があると考えられるから。後で体力テストをするけれど、それ如何によってはあなたがいることは私にとってプラスに働くわ。最後に私の単純な興味。人間に育てられた妖怪がどんなふうに育つかと言うことが純粋に気になるのよ。これが私があなたを殺さない理由。わかった?」

 永琳の言葉を聞いて再び将志の脳裏に自分の使い手だったと思われる男の顔が浮かんでくる。
 
 ―――誓おう、僕はあなただけは絶対に守る。この槍に誓って、この命に代えても―――
 ―――ぐ……う……ごめんよ……どうやら……先に逝くことになりそうだ……―――

 男は目の前の人物に槍を掲げ、誓いを立て、戦場の中で朽ちていった。
 その心情が将志の心に流れ込み、真っ白な心を少しずつ染めていく。
 真っ白な心を染め上げたのは忠誠と戦士としての誇り、そして志半ばで散った男の無念。
 その忠誠心の方向は命を拾った永琳へ。
 将志は気が付けば槍を掲げていた。 
 
「ま、将志?」 
「……誓おう。俺は主を今度こそ絶対に守る。俺の槍に誓って、命に代えてもな」
 
 突然の将志の宣言に永琳は唖然とする。
 いくら赤ん坊と同じくらい純粋だからと言って、まさかここまで言われるとは思っていなかったのだ。

「……将志? 主(あるじ)ってどういうことかしら?」
「……本来俺は何も分からず殺されるはずだった。だが、主は俺を見つけて知識を与えてくれた。言ってみれば命の恩人とも呼べる。主と認めるには十分すぎる。頼む、俺の主になってくれ」

 射抜くような視線で永琳を見つめながら、厳かな声でそう話す将志。
 そんな将志の様子に、永琳は額に手を当ててため息をついた。
 この将志の状況を見てとある現象に思い至ったのだ。

 それは刷り込み。
 生まれたばかりの雛が初めて見たものを親だと思い込んでついて来る現象である。
 そして将志はまさに生まれたばかりであり、永琳はそれを拾い上げたのだ。
 刷り込みが起こっても何の不思議もないのだった。

「……まあ、どの道あなたにはここに居てもらうつもりだったから良いけど」

 永琳は少々苦笑混じりに将志にそう話す。
 永琳にとっては観察対象が近くにいるほうが都合が良いので将志の申し出は都合が良いのだが、少々大げさすぎて少し戸惑っているようである。

「……ありがたい。それではこれから宜しく頼む、主」

 そんな永琳の様子に気づいているのかそうでないのか、将志は恭しく頭を下げた。
 永琳はそれを若干苦笑しながらそれを受ける。

「そんなに堅苦しくしなくて良いわよ。それよりも今からあなたのことをもっとよく知りたいから、少しテストをさせてもらいたいのだけれど良いかしら?」
「……構わない」

 そう言う訳で将志は永琳が出すテストに挑むことになった。


 まず、50m走。

「…………」
「……どうかしたのか、主。遅かったのか?」
「……いえ、流石は妖怪ね……」

 永琳の手元のストップウォッチは0.00秒。
 あまりに速すぎて、ボタンが押せなかったのだ。


 続いて槍投げ。

「はあああああああ!!!!」

 将志は全身の筋肉をしなやかに動かし、体全体で競技用の槍を投げた。
 槍は唸りを上げて飛んで行き、あっという間に見えなくなった。
 二人して飛んでいった先を無言で見やる。

「……」
「……」
「…………」
「……取ってくる」


 記録、測定不能。



 お次は重量挙げ。

 将志の目の前に置かれているのは巨大な金属の塊。
 その塊はとても重く、運ぶのに相応のクレーンが使われる程であった。

「……ふんっ!!」
「はい、測定不能ね」

 しかしそれはあっさり持ち上げられ、記録は測定不能と相成るのであった。



 そして番外編の耐久力。

「あっ」

 後片付けをしている永琳の手から、湯飲みが滑り落ちる。
 その湯飲みは、わずか五センチメートル下にいた将志の頭を直撃した。
 その衝撃は、軽く頭を小突かれるのと同程度のものであった。

「……がっ」

 しかし、将志はその瞬間床に崩れ落ちてしまった。
 完全に気を失ってしまっており、ピクリとも動かない。

「何でこれだけ人間以下なのよ……しかも高所からの着地とかは平気なのに……」

 そんな将志を見て、永琳は呆れ半分に首をかしげるのであった。
 耐久力、濡れたトイレットペーパー程度。



 テスト終了後。
 
「何か色々と矛盾する結果が出てるけれど、正直妖怪だとしても生まれたばかりとは思えないスペックね。……一体何があなたをこんなに強い妖怪に仕上げたのかしら?」
「……分からない」

 テスト結果を見て、永琳は苦笑いを浮かべて頭を掻いた。
 将志はその様子を見て何が問題なのだろうかと首をかしげる。
 とりあえず、豆腐を肩に投げつけられて脳震盪を起こす軟弱っぷリは問題であろう。

「……主、次は何をすればいい?」
「そうね……これほどの力を持っているなら能力を持っていてもおかしくは無いわね。今度はそれをチェックしてみましょう」
「……了解した。それで、どうすればそれが分かる?」
「そうね……眼をつぶって、自分の中を覗いて見る感覚でやってみなさい。こればっかりは感覚でしかないから、上手く行くかどうかは分からないけどね」
「……やってみよう」

 将志は眼を閉じ己が内に埋没していった。
 そうしているうちに心の中が段々と静まっていき、己の中身が見渡せるようになってきた。
 そんな中、段々と頭の中に浮かんでくるものがあった。


                『あらゆるものを貫く程度の能力』


 その言葉が見えた瞬間、将志は眼を開いた。

「どうだった?」
「……主。俺の能力は『あらゆるものを貫く程度の能力』らしい」
「能力まで完全に攻撃特化なのね……防御に使える能力なら良かったのだけど……」

 永琳はそう言いながら頬を掻いた。
 その様子を見て、将志はわずかながら眉尻を下げて肩を落とした。

「……期待に添えなかったか……」
「え、あ、ああ!! そう言う訳じゃないのよ!? 生まれてすぐなのに能力を持っていた時点で万々歳なんだからそこまで気にすることは無いわよ!?」

 肩を落とす将志に永琳は慌ててフォローを入れる。
 将志はそれを受けて少しだけ顔を上げ、何処と無く不安げな瞳で永琳の眼を見る。

「……そうなのか?」
「ええ、そうよ。ただでさえ能力持ちはそんなに多くないのに、生まれてすぐで能力を持っているのはもう滅多にいないわよ。だから気を落とさないでむしろ喜ぶべきよ?」
「……そうか」

 そう言うと将志は嬉しそうに口角を吊り上げた。
 永琳はそれを見て思った。

(……なんだか将志って犬みたいね……)

 永琳は試しにそこらにおいてあった木の棒を拾ってきた。
 そして将志の前に立つと、

「将志、取ってきなさい!!」

 と言って木の棒を遠くに投げた。

「……御意!!」

 すると将志は即座に猛スピードで木の棒に向かって走っていった。
 そして数秒もしないうちに戻ってきた。

「……取ってきたぞ主……どうかしたのか?」
「…………(ふるふるふるふる)」

 木の棒を取ってきどこか誇らしげな将志を見て、永琳は腹を抱えてその場に座り込んだ。
 笑いをこらえることに必死で、その肩は小刻みに震えている。
 もう永琳の眼には、将志に犬の耳と尻尾が付いているように見えてしょうがないのだった。

「……主?」
「い、いえ、何でもないわ……と、とにかくあなたの能力が分かったのだから、今度は実践してみましょう」

 永琳は息も絶え絶えにそう言うと、何とか立ちあがって移動を始めた。
 将志も槍を持って永琳の後ろについてゆく。
 すると目の前には巨大な金属の塊が置いてあった。

「……主、次は何を?」
「次はこの金属塊に穴を開けてみて欲しいのよ。まずは能力を使わずに槍で普通に突いてみて」
「……了解した。はああああああ!!!!」

 将志は槍を水平に構え、何も考えずに自突きを放った。
 自然な構えから、無駄な動きの無い最速の突きであった。
 
「ぐっ!?」

 しかし、目の前にある金属塊は固く、絶対に壊れない槍を持ってしてもわずかに傷が付く程度だった。
 それを見て、永琳は軽く頷いた。

「やはり無理か。それじゃあ、今度は目の前にあるものを貫通できるように能力を使ってついて御覧なさい」
「……御意」

 永琳の言葉に将志は再び槍を構える。
 今度は意識を槍の先端と相手に集中させる。
 そして相手を貫くイメージが出来上がると同時に、自らの出せる最高の一撃を繰り出した。

「……はっ!!」

 すると今度はほとんど手ごたえ無く、まるでプリンを楊枝で突き刺したかのような感覚であっさり槍は金属塊を貫通した。
 勢い余って、将志は金属塊に顔面から突っ込んだ。

「ぐおおおおおっ!?」
「……あら」

 ぴくぴくとその場に倒れて痙攣する将志を、永琳は呆然と見つめる。
 永琳はしばらくしてから懐に忍ばせておいた救急キットを取り出して将志の手当てをした。
 すると、すぐに将志は意識を取り戻した。

「大丈夫かしら、将志?」
「……ああ……手間取らせてすまない……」

 永琳の手を煩わせたことが気になるのか、将志は少々沈んだ声を出す。
 それを聞いて、永琳は微笑みながら将志に声をかけた。

「落ち込む必要は無いわよ。まさかあんなにあっさり貫通するとは思わなかったもの。さ、そんなことより次行きましょう。次は能力を使いながら指で軽く突いてみて」
「……了解」

 将志は今度は金属塊に軽く指を埋没させるイメージで金属塊を押した。
 すると、金属塊の中にずぶずぶと指が沈み込んで行く。

「……これでどうだ、主」
「ええ、上出来よ。とりあえず、これであなたの能力がどんなものなのかは大体わかったわ。まだ実験し足りない部分もあるけれど、今日はもう遅いから明日にしましょう」
「……了解した」

 褒められてうれしいのか、将志の顔にうっすらと笑みが浮かぶ。
 永琳はそれに笑い返すと、夜の帳が落ち始めた外に向かって歩き出した。 



[29218] 銀の槍、街に行く
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:94c151d5
Date: 2012/08/06 21:22
 日もまだ出ていない、遅い月が地上を照らす早朝の中庭に風切音が響く。
 その音を辿ってみると、そこでは銀髪の青年が自分の身長よりも遥かに長い槍を振りまわしていた。
 突き、薙ぎ払い、切り上げ、打ちおろしと、銀の軌跡が流水のごとくつながっていき、くるくると舞い踊るかのように優雅な動きで青年は槍を振るう。
 そんな青年のことをジッと無言で眺め続けている女性が一人。

「……主、どうかしたのか?」
「いいえ、たまたま近くに来たから見ていただけよ。素人目に見ても見事な動きだったわ、将志」
「……そうか」

 眺めている女性、永琳に気が付いた将志は槍を操る手を止め、永琳の元へ行く。
 永琳が感想を述べると、将志は嬉しそうに薄くだが笑った。

「ところで、こんな時間に何でここで槍を振っていたのかしら?」
「……何か拙かったのか?」

 槍をふるっていた理由を訊かれて、将志は何か失敗をしたのかと少々不安げな表情で永琳を見やった。
 それを見て、永琳は苦笑しながら言葉を足した。

「ああいえ、そう言うことじゃないわ。ただ単に理由が知りたかっただけよ」
「……そうだな……何故かそうしなければならない様な、そんな気分がした。何と言うか、体が槍を求めている、そんな感じだ」

 手にした槍を見て、不思議だと言わんばかりの表情を浮かべる将志。
 将志にしてみればただ己が欲求に従っただけであり、永琳の質問には上手く答えられそうも無いようである。

「そう……ひょっとしたら、それが持ち主の習慣だったのかもしれないわね」
「……俺の持ち主か……」

 永琳は少し考えてからそう口にし、それを聞いた将志は槍をじっと見つめたまま、脳裏に浮かぶ懐かしい顔の男を思い出した。
 将志の脳裏に浮かぶ男は自らの本体である槍を持って戦っており、かなりの熟練者であることが知れている。
 それ故に、将志は永琳の仮定を聞いて素直にそうであったのだろうと結論付けた。
 将志が考えをめぐらせていると、永琳が笑顔で将志に話しかけた。

「そうだ、せっかくだからもう少しあなたの槍捌きを見せてもらえないかしら? あなたの槍、月明かりで光ってとても綺麗に映るのよ」
「……了解した」

 将志は短く言葉を返すと、再び槍を振り始めた。
 月明かりに照らされ、蒼白い夜明けの庭に冷たく輝きながら銀の槍は舞う。
 その様子を少し離れて永琳がどこか楽しそうに眺める。
 その光景は、月が沈み柔らかい朝日が二人を照らし出すまで続いた。

「……どうだ?」

 槍捌きを止め、将志は永琳に自分の槍の感想を聞く。
 すると、永琳は拍手をしながら答えた。

「綺麗だったわよ。思わず見とれてしまうくらいにはね。……んー!!! さてと、朝日も昇ったことだし、そろそろ……あ……」

 永琳は伸びをして朝日を見つめたまま固まった。
 そして恐る恐るポケットから懐中時計を取り出し、時間を確認する。
 そんな永琳を見て、将志は小さく首をかしげた。

「……どうした?」
「し、しまった~っ! 今日よく考えたら学会じゃない! そうよ、そのために私早くここに来たんじゃないの! ああもう、もう朝ご飯食べる時間もないわ!」

 永琳は眼に見えて慌て始め、大急ぎで研究室に駆けていく。
 将志はその横に並走してついていく。

「……俺のせいか?」
「いえ、そう言う訳じゃないけど……どうしようかしら、今からタクシー拾って間に合うかしら……?」

 少し悲しそうな声を出して問いかけてくる将志に、時計を見ながらそう返事をする。
 永琳がタクシーを拾って間に合うかどうか考えていると、俯いていた将志が顔を上げて話しかけてきた。

「……主。場所は分かるか?」
「え? ええ、分かるけれど……」
「……送っていこう。主が走るよりは早い」

 将志の申し出に永琳は額に手を当てて思案した。
 凄まじい身体能力を持つ将志の背に乗っていけば、確かに今からでも時間前に着くだろう。
 しかし人間に敵意が無いとは言え彼は妖怪、人前に姿を見せるのは極めて危険だ。
 しかし今日の学会は自分にとって、いや、人間にとってとても重要な発表である。
 それに遅れるのは言語道断であり、この機を逃せば二度と世に出ることは無いだろう。
 そこまで考えて、永琳は決断を下した。

「……背に腹は代えられないわね。ありがとう、それじゃあお願いするわ。その代わり、妖力をしっかり抑えなさいよ?」
「……御意」

 そう言うと、将志は身支度をして外に出た。
 外に出て、将志の背に永琳が乗り、将志は両手でそれをしっかり支えている。
 槍は間違っても主に傷が付かないようにと、永琳が背中に背負う形になっていた。

「……忘れ物は無いか、主」
「ええ、無いわよ。それじゃあ、お願いね」
「……ああ。しっかり掴まっていてくれ」

 そう言うと将志は急ぎの主を一刻も早く送り届けるため、地面を蹴り猛烈な勢いで走りだした。
 突然の急加速に永琳は驚いて将志の首にしっかりつかまる。
 前方からはけたたましい音と共に強い風が吹き、永琳の長い髪を激しく揺らす。
 永琳が恐る恐る眼を開けると、周りの景色は想像していたよりもはるかに速く後ろに流れ去っていた。

「きゃああああああ!? ちょっと将志、速すぎるわ!! それからもっと人目に付かないところを行きなさい!!」
「……失礼した」

 永琳がスピードを落とすように言うと将志は少し残念そうにそう言ってスピードを落とし、人目に付かないようにビルの屋上を飛び移ることを繰り返して走ることにした。
 スピードが落ちたことで落ち着きを取り戻したのか、永琳は現在位置を把握して将志に正確に目的地の方角を伝える。
 将志はそれをもとに行き先を決め、摩天楼の空を颯爽と駆け抜けていった。

「……ここか?」
「……え、ええ……」
「……時間は大丈夫か?」
「……ええ……十分前よ……」

 目的地のビルの屋上から飛びおりて、入口の前に軽やかに着地する。
 将志が確認を取ると、永琳は少し疲れた表情でそれに応えた。
 今まで経験したことの無い速度を体感し、少々参っているようだある。
 永琳は大きく深呼吸をし、心身を落ち着かせる。

「ふう……ありがとう、将志。おかげで助かったわ。帰りも見つからないように注意して帰りなさいよ?」
「……了解した」

 永琳は花の様な笑顔を浮かべて将志に礼を言った。
 将志はそれをわずかに笑みを浮かべて受け取ると、再び摩天楼の上に駆けて行った。


 *  *  *  *  *


 時は巡って日が沈み、再び空に月が昇った頃、永琳が学会から研究所に帰ってくると、何やら良い匂いが研究室内から漂ってきていた。

「あら……これは?」

 香ばしい醤油の焦げる匂いが漂ってくる研究所の一室を覗いてみると、そこでは銀髪の青年が和服にエプロンと言う服装でガスコンロの前に立っていた。
 近くのテーブルを見てみると料理のレシピの本が広げてあり、何度も読み返したのかそのページは指紋だらけになっている。
 その隣には見本通りにきっちり作りこまれたかぼちゃの煮つけ、そして味噌汁と炊きたての御飯が出来上がっていた。
 そして現在、フライパンの上でたれにしっかりと付けこまれた豚ロース薄切り肉が焼かれていた。
 なおこの部屋には最新の調理器具がそろっていたが、将志には使い方が分からなかったらしく全て鍋やフライパンで調理されていた。

「む……帰ったか、主」
「あ、あなた何をしているのかしら?」

 永琳が調理場に入ってくると、将志は永琳の気配を察して声をかけた。
 永琳が戸惑い気味に声をかけると、将志は少し悔しげな表情で答えた。

「……今朝方、主は朝食を摂ることが出来なかった。だが今日俺が送っていった時、時間は十分残っていた。と言うことは食事の準備を俺がしていれば主はわずかでも朝食を摂れたはずだ。ならば俺が食事を用意することが出来れば、忙しい主の手伝いになると思ったのだが……」

 実は将志は永琳を送った後ずっとそれについて考えており、それが彼を料理させるに至っていた。
 しかも主にがっかりされたくない一心で、何度も何度もずっと調理場で練習を繰り返していたのだった。
 恐るべきは将志の主人愛と言ったところであろう。
 将志が伺いを立てる様にそう言うと、永琳はしばし驚嘆の表情を浮かべた後、にこやかにほほ笑んだ。

「ふふふ、ありがとう。それじゃあお願いしても良いかしら?」
「……任された。今はまだ献立も少ないが、その辺りは勉強させてもらおう」

 永琳の言葉を受けて将志は満足げに頷いて足取り軽く調理場に戻っていく。

「…………(ふるふるふるふる)」

 そんな将志に、永琳は嬉しそうにパタパタと振られる犬の尻尾が付いているのを想像して思わず笑いそうになり、俯いて肩を震わせる。
 しばらくして豚の生姜焼きが焼きあがり、千切りキャベツとくし切りのトマトと共に皿に盛り付けられて永琳の前に運ばれてくる。

「……待たせた」
「いえ、そんなに待ってなんかないわよ。さあ、食べることにしましょう?」
「……?」

 永琳の言葉に将志が不思議そうに首をかしげる。
 そんな将志を見て、永琳はとあることに気が付いた。
 将志の前には何も置かれていないのだ。

「将志? あなた、自分の分はどうしたのかしら?」
「……考えていなかった。失敗作を食したからな」

 キョトンとした表情でそう言う将志に、永琳は苦笑した。
 何度も何度も失敗を重ねながら作っていた将志は、既に相当な量を食べているのだった。

「そう。次からは一緒に食事を摂りなさい。そうすれば後片付けの手間も省けるでしょう?」
「……了解した。次回からは主と共に食事を摂るとしよう」

 将志はそう言うと使った調理用具を片付け始めた。
 鍋にフライパン、ボールに槍にまな板と将志は洗っていく。
 その様子を見て永琳は眼を丸く見開いた後、目じりに指を当てて溜め息をついた。

「……将志。何で槍を洗っているのかしら」
「……槍を調理に使ったからだが……」
「包丁はどうしたのかしら?」
「……無かった」

 永琳が調理器具の入った棚を確認すると、確かに何故か包丁が入っていなかった。
 永琳は一つため息をついた。

「将志、明日包丁を買いに行くわよ」
「……俺が外に出るのは拙いのではないのか?」
「大丈夫よ。見た目は人間なんだから妖力を抑えることが出来ればそう簡単にバレたりはしないわ。そのための道具もちゃんと作って、今日完成したはずだから安心しなさいな」
「……かたじけない」

 永琳の言葉に将志は深々と頭を下げた。
 それを受け取ると、永琳は席に戻った。

「それじゃあ、冷める前にいただくわ」
「……ああ」

 永琳は目の前に置かれた豚の生姜焼きに手を付けた。
 口の中に入った瞬間、醤油だれと肉の旨みが全体に広がる。

「……どうだ? 口に合えば良いんだが……」
「基本に忠実な味でおいしいと思うわ。初めて作ったにしては上出来だと思うわよ」

 感想を訊いてくる将志を永琳は素直に褒める。

「……そうか……」

 しかし、帰ってきた反応はどこか不満そうなものだった。
 将志の満足そうな微笑が見られると思っていた永琳は思わず首をかしげた。

「……どうかしたのかしら?」
「……いや、自分で味見をしたときに何かが足りない様な気がしたのだ。それが何なのかは分からんが……」

 そう言うと将志は腕組みをしながら考え事を始めた。
 自分が作った料理はレシピ通りに作られた、基本にとても忠実なものである。
 しかし、自分で食べているうちに何か物足りなさを感じるようになっていたのであった。
 それが何かは分からず、完璧なものを食べさせてやれないことが将志にとって不満なのだ。
 一方、将志の発言を聞いた永琳は納得がいったようで、頷いていた。

「そう言うこと……なら、色々と研究してみれば良いと思うわよ? 色々試してみて、それで自分がおいしいと思うものが出来たら、また私に食べさせてちょうだい」
「……了解した」

 将志は一つ頷いて食事を摂る永琳の前に座り、緑茶を飲んだ。
 主のために最高のお茶の淹れ方をマスターすべく今日一日で5リットルは飲んでいるそれを、将志は味を確かめる様に飲む。
 将志はそれを飲んで少し顔をしかめると、永琳の前に置かれた湯呑みを取り上げて流し台に向かおうとする。
 それを見て、永琳は将志を呼び止めた。

「あら、どうかしたのかしら?」
「……茶を淹れるのに失敗した」
「別に良いわよ。喉が渇いているからそのお茶ちょうだい」

 永琳はそう言いながら湯飲みを受け取ろうと手を伸ばす。
 それに対して、将志は少々戸惑いながら自分の持っている湯飲みを見た。

「……俺の出せる最高の物では無いんだが……」
「それでもよ。それにおいしいかどうか判断するのは私でしょう?」
「……了解した」

 将志は苦い顔を浮かべて永琳の前に湯呑みを戻す。
 永琳はそれを受け取ると、湯呑みに口を付けた。
 少し冷めてしまっているが、お茶の旨みは十分に永琳の口の中に広がった。

「ふう……これ、十分においしいわよ? 何でこれを捨てようなんて思ったのかしら?」
「……俺が一番うまいと思ったものよりも甘みが少し足りない。恐らく、温度の調節が甘かったんだろう」
「淹れてもらえるなら私は文句は言わないわよ?」
「……それでもだ。俺は主には常に最高の物を出していきたい。これは俺の意地だ」

 将志は永琳の眼を真正面から見据えてそう言った。
 そのあまりに真剣な表情に、永琳は思わず笑みを浮かべた。

「ありがとう。でも、程々にしときなさいね? 張りつめた糸ほど切れやすいのだから、少しは妥協を覚えないとダメよ?」
「……善処しよう」

 そっぽを向いておざなりに答える将志。
 明らかに善処する気のないその態度に、永琳は苦笑するしかなかった。


 *  *  *  *  *


 翌日の朝、朝日がさす中庭で将志が槍を振っている所に永琳がやってきた。
 主がやってきたのを確認すると、将志は手を止め主の所にまっすぐやってくる。

「おはよう、将志。今日も精が出るわね」
「……おはよう、主。朝食ならすぐに作るから少し待っていてくれ」
「ああ、その前に一つ渡しておくものがあるわ」

 永琳はそう言うと将志にペンダントを手渡した。
 ペンダントは黒耀石の周りを銀の蔦で覆ったようなデザインをしている。
 黒耀石はゆがみの無い真球で、見ていると吸い込まれそうな感覚になるほど透き通っていた。

「……これは?」
「あなたが妖怪だと思われないように妖力を抑える道具よ。これを付けていればあなたも町の中を堂々と歩くことができるわ」
「……ありがたい。早速つけさせてもらおう」

 やや嬉しそうな声でそう言うと、将志はペンダントを首にかけた。
 将志は動作を確かめるべく体を動かす。
 その動きは見た目には何の変化も無く、外からでは異常は感じられなかった。

「どうかしら? 何か違和感はある?」
「……いや、特には無い。強いて言うならば体から漏れ出していたのが閉じたような感覚があるだけだ」

 手を開いたり閉じたりしながらそう話す将志に、永琳はホッとした表情を浮かべた。

「そう、特に問題は無いのね。それじゃ、今日は朝ごはん食べたら買い物に出かけましょう」
「……了解した」

 将志と永琳は朝食をとると身支度をして外に出た。
 なお、朝食は将志が前日の夜に死ぬほど練習を重ねたふわふわのオムレツだった。


 *  *  *  *  *


 町に出た二人はまるで誘われるかのように摩天楼群の中にぽつんと存在する古めかしい金物屋に向かい、包丁の棚を覗き込んだ。
 そこには鉄も斬れることを謳い文句にした包丁や、何に叩きつけても切れ味が落ちないことを売りにした包丁など様々な包丁があった。

「それじゃ、この中から気に入った物を選びなさいな。お金なら馬鹿みたいに高いものを買わなければ大丈夫だから、心配しなくて良いわ」
「……了解した」

 将志は一つ頷くと包丁をじっと見つめ、良さそうなのを手にとって握る。
 次々と試していく中、将志の眼にとある一本の包丁が目にとまった。

 その包丁は何気なく棚に並んだ、ありふれた三徳包丁。
 しかし、将志はその一本だけが銀色に美しく輝いて見えた。
 将志は『六花(りっか)』と銘打たれたそれを手に取る。
 するとその包丁はまるで最初からこうあるべきであったというように、将志の手に驚くほど馴染んだ。

「おや、その包丁が良いのかえ?」

 将志が包丁を眺めていると、その店の店主の老婆が将志に声をかけてきた。
 店主は将志を興味深そうに見つめると、包丁について語りだした。

「その包丁はこの店にある物の中でも一等古くてね、ずっと昔からここにある包丁なんだよ。それで良いのかい?」
「……ああ。俺にとってはこれが一番良い」
「そうかい。はあ……ようやくこの包丁も使い手を選んでくれたかね」

 店主は感慨深げにそう呟いた。
 店主の言葉に、将志は首をかしげた。

「……使い手を選ぶ?」
「あたしの店にある包丁はねえ、そこらの大量生産品と違って一つたりとも同じ包丁は無いんだよ。それで、包丁は自分で使い手を選ぶんだ。自分を大事に使ってくれる使い手をね。この店の包丁を衝動買いしたくなったりした時は、うちの包丁が使い手を呼んでいる時なのさ」

 店主はそう言いながら、大量に包丁が並んだ棚を見やった。
 その棚の包丁は静かに佇んでおり、将志にはそれが未だ見ぬ自らの使い手を求めているように見えた。
 ふと手元に眼を落すと、手元にある包丁はキラリと満足そうに輝いた。

「……そうか。と言うことは、俺もこの包丁に呼ばれてここに来たのか?」
「そうだろうねえ。まあ、大事に使ってくりゃれ」

 将志は店主に包丁の代金を支払い、金物屋を後にした。 


 *  *  *  *  *


「気に入ったのがあって良かったわね、将志」 

 永琳は手元にある梱包された包丁をじっと眺める将志に声をかける。
 将志は永琳の声にしばらくしてから言葉を返した。

「……俺も、この包丁の様に主を呼んだのだろうか?」

 ふと、将志は包丁を眺めながらそう呟いた。
 自分も元は一本の槍であり、自我が形成されると同時に主である永琳がやってきたのだ。
 将志には、自分と永琳との間には何か因縁があるのではないかと思えてきた。

「……将志? どうかしたのかしら?」
「……いや、何でもない」

 永琳に短く答えを返すと、将志はゆっくりと首を横に振って包丁から顔を上げる。
 永琳は将志が何を考えていたのか気になったが、深く追求することはしなかった。

「そうだ、最近このあたりにおいしいコーヒーや紅茶を出してくれる喫茶店が出来たのよ。将志、そこに寄っていかない?」
「……主が望むなら行くとしよう」
「決まりね。それじゃ、行くとしましょうか」

 そう言うと、二人は摩天楼群から少し離れたところにある路地にやってきた。
 そこには鉄筋コンクリートの建物に挟まれた、小綺麗なログハウスがあった。
 永琳はそのログハウスのドアに手をかけ中に入る。
 まだ開店して間もないせいか、店内の客は永琳と将志の二人だけの様だった。
 店員に案内されてカウンター席に座ると、永琳が話を始めた。

「この店、機械化が進んだ最近じゃ珍しい全てが手作業の店なのよ。噂では機械じゃ出せない絶妙な味が味わえるって話なんだけど」
「……ほう……」

 永琳の話を将志は興味深いと言った面持ちで聞く。
 しばらくすると、店員がメニューを持ってきたので二人は注文をすることにした。

「そうね……ラムレーズンのシフォンとミントティーを頂けるかしら?」
「……ブレンドを頼む」
「かしこまりました。それでは今からご用意いたしますので、お時間が掛りますがしばらくお待ちください」

 店員がオーダーを伝えると、マスターがカウンターの前に来て湯を沸かし始めた。
 湯が沸くと、マスターは流れるような手つきで紅茶とコーヒーを淹れていく。

「…………」

 その様子を将志がじっと眺めている間にコーヒーも紅茶も完成し、出来あがったオーダーを店員が受け取ると二人の前に持ってきた。
 紅茶とコーヒーの香ばしい香りと甘いシフォンケーキの匂いが漂ってくる。
 永琳はミントティーを口に含むとリラックスした表情を浮かべた。

「ふぅ……評判どおり、機械で淹れるよりもおいしいわね」
「……そうか」

 将志の頭の中で『人の手>機械』という図式が出来上がる。
 そして将志は目の前に置かれたカップを口に運び、コーヒーを飲んだ。

「……!!!」

 口の中に広がる心地の良い苦みとほのかな酸味とかすかに甘い後味、そして芳醇な香りが脳まで突き抜けていく。
 その瞬間将志は凄まじい衝撃を受け、カッと目を見開いた。

「……美味い……」

 将志の頭の中ではあまりの美味さに見ず知らずのオッサンが口から極太のビームを発射して叫んでいた。
 将志は口の中でコーヒーを転がしながら飲み、しっかりと味わった後で永琳に話を切り出した。

「……主、相談がある」
「ん? 何かしら?」

 シフォンケーキを口に運んだ状態の永琳が将志の方を見る。
 将志はこれまでに無いほど真剣な目をして、

「……お代りを頼んでも良いか?」

 と、のたまった。

「…………(ふるふるふるふる)」

 あまりに真剣な表情で、あまりにくだらないことを言い出す将志に永琳は撃沈した。

「あ、主、どうかしたのか?」

 机に突っ伏し肩を震わせて笑いをこらえる永琳に将志は困惑する。
 将志にとってはかなり深刻な問題のようであり、何で己が主の腹筋が大変なことになっているのかが理解できなかった。
 永琳はこみ上げる笑いを何とか落ち着かせて、ミントティーを飲んで一息ついた。

「ふぅ……いいえ、何でもないわ。良いわよ、それ位なら」
「……かたじけない」

 再び店員にオーダーをし、マスターがコーヒーを淹れ始める。
 その様子を将志は穴があくほど凝視する。
 そんな将志を見て、永琳は将志が何をしたいか察した。

「……お金、足りるかしら?」

 永琳はこの後も注文しまくるであろう将志を見て、乾いた笑みを浮かべた。

 その後、案の定将志はコーヒーを何度も注文し永琳に泣きつかれ、己の不忠に大いに凹むことになるのだった。
 



[29218] 銀の槍、初めて妖怪に会う
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/06 21:26
 皆が寝静まった静かな夜。
 空高く上った蒼い月の下で銀の槍が風を切る。
 その槍の担い手である槍とおそろいの銀の髪の青年、将志は一心不乱に槍を振り続けている。
 将志が自我を持ってから二年間、一度も欠かしたことの無い日課であった。

「……ふっ」

 体が覚えている動きを自らの出せる最高速度で繰り出していく。
 その結果、槍の形は眼に捕えられなくなり、見た目には現れては消える銀の軌跡だけが見える状態になっていた。
 将志は何も考えず、ただひたすらに槍を振り続ける。

「いや~すごいね♪ 何度見ても惚れ惚れするよ♪」

 そんな中、将志の後ろから明るく楽しげな少女の声が聞こえてきた。

「……!!」
「ひゃあ」

 突然後ろから声をかけられ、将志はとっさに槍を声がした方へ突きだす。
 するとその声の主は突然の攻撃に驚きの声を上げ、地面に何かが落ちる音が聞こえた。
 将志が振り向いた先には、フリルのついた黄色いスカートとオレンジのジャケットを着て、赤い蝶ネクタイと赤いリボンのついたシルクハットを身に付けた小柄な少女が倒れていた。
 スカートには四方にトランプの柄が一種類ずつ描かれていて、ちょうど同じ色の柄が反対側に来るようになっている。
 そして左眼の下には赤い涙が、右眼の下には青い三日月のペイントが施されていて、道化師のような見た目をしていた。

「……何者だ」

 将志がそう問いかけると、少女はむくりと起き上がり近くに落ちていた黒いステッキを拾い上げ、近くに転がっていた黄色とオレンジの二色に分けられたボールの上に飛び乗った。
 少女はうぐいす色のショートヘアーの頭をさすると、将志に向かって話しかけた。

「あいたたたた……ひどいなぁ~、突然攻撃するなんて♪」
「…………何者だ」
「きゃあ! 待って待って、そんな怖いもの突き付けられたら僕泣いちゃいそう♪」

 槍をつき付けられた少女は軽い口調でそう言いながら、両手を上に上げて敵意が無いことを示す。
 その瑠璃色の瞳は澄み切った輝きを放っており、まっすぐに将志の黒耀の瞳を見つめていた。

「…………」

 その様子に、将志は引き続き警戒をしながらも一旦槍を収める。
 すると、少女はホッとした様子で両手を下ろした。

「やれやれ、いきなり槍を突き付けられるとは思わなかったよ♪ 女子供に手を上げない紳士な君はどこに行ったのかな♪」
「……主に危害を加えるのであれば例え女子供であっても容赦しない。もう一度聞く、お前は何者だ?」

 将志が再度そう問いかけると、少女はよくぞ聞いてくれましたとばかりに手を叩いた。

「僕の名前は喜嶋 愛梨(きしま あいり)、しがないピエロさ♪」

 喜嶋 愛梨と名乗った少女は、歌うようにそう言いながら帽子をとってボールの上で深々と礼をした。
 その様子を、将志は怪訝な顔で眺めた。

「……こんな時間に出歩くと言うことは、お前は妖怪か」
「その通り♪ 僕は妖怪だよ♪」
「……ちっ!」
「うきゃあ」

 将志は愛梨が妖怪だと知るや否や槍を横に薙ぎ払い、愛梨はそれを後ろにジャンプして避ける。
 将志がそれに追撃を加えようとすると、慌てた表情で愛梨が声を出した。

「待って待って待~って! 僕は別に人間を襲うつもりは無いよ! 僕が用があるのは君さ♪」

 逃げ惑いながらそう言う愛梨に、将志は槍をピタッと止める。

「……俺に、何の用だ?」
「君を笑わせに来たのさ♪」

 槍を構えたままそう訊ねる将志に、愛梨はウィンクしながら答えた。
 将志は訳が分からずに首をかしげる。

「……何故そんなことを?」
「そうだね、君が槍を振るうのと同じ理由かな♪」
「……どう言うことだ?」
「そういう妖怪だからさ♪」

 将志の質問に愛梨はボールの上で楽しそうにくるくると回りながら答える。
 返ってくる答えに、将志は俯いて首を横に振る。

「……分からない。そういう妖怪、とはどういうことだ?」
「あれ、ひょっとして良く分かって無い?」

 愛梨は回るのをやめてボールの上に座り、瑠璃色の眼で将志の眼を覗き込んだ。
 大きなボールの上に座っているので愛梨の視線がちょうど将志の視線と同じ高さになる。

「君も妖怪でしょ? だったら、君は何をする妖怪かな?」
「……そんなものは知らん。俺はただ主を守れればそれで良い」

 将志は愛梨の質問に憮然とした表情でそう答える。
 すると愛梨は納得したように頷いた。

「何だ、君はそういう妖怪か♪」

 はっきりと言い切った将志に愛梨はそう言って笑った。
 将志はその声に顔を上げ、愛梨の眼を見る。

「……どう言うことだ?」
「つまり、君は君の主様を守る妖怪だってことだよ♪ きっと、君は誰かを守りたいって気持ちが妖怪にしたんだろうなぁ♪」

 ここまで聞いて将志の頭の中はこんがらがってきた。
 永琳の話によれば、人間と妖怪は互いに相容れない存在である筈だ。
 ならば、人間を守るために存在している自分は矛盾しているのではないか?
 そんな疑問を抱いた将志は、愛梨に問いかける。

「……妖怪とは、何だ?」
「いろんな感情が生みだした存在だよ♪」
「……感情が生みだした存在?」
「そ♪ そうして、誰かの思いを叶えて、それを糧にするのが妖怪さ♪」

 ボールの上で片手で逆立ちをしながら愛梨はそう言った。
 将志はますます妖怪が分からなくなり、頭を抱える。

「……分からない。それなら、何故妖怪は恐れられる?」
「それはね、生き物全てに共通する強い感情が恐怖だからさ♪ 例えば、夜になるとお化けがやってきて、捕まったら食べられちゃうと子供が信じたとするよね♪ これって、そうなったら良いって考えるのと一緒で、怖いっていう感情から妖怪が生まれて、生まれた妖怪は当然それを叶えるのさ♪ そうして妖怪が人に信じられると、妖怪が生みだした恐怖からまた新しい妖怪が生まれて、信じた人の数だけどんどん人を糧にする怖い妖怪は増えるんだ♪ そりゃ当然恐れられるってものさ♪」

 笑顔を崩さず、子供に御伽噺を読み聞かせるように愛梨はそう言う。
 そんな愛梨に、将志は疑問を投げかける。

「……お前は何者だ? 何がお前を妖怪にした?」
「僕かい? さっきも言ったでしょ♪ 僕はみんなを笑わせるピエロさ♪ 僕の糧はみんなの笑顔だよ♪」

 鈴の音の様な澄み切った声でピエロの少女は笑う。
 そして愛梨はボールから飛び降りると、スッと姿勢を正して礼をした。

「さて、これから始まりますは歓喜の宴。しがない道化師の私めでございますが、精一杯おもてなしをさせていただきます。皆様、笑顔のご用意をお忘れなく。それでは、開演と行きましょう♪」

 愛梨がそう言って顔を上げると、手にしたステッキが急に五つの小さい玉になった。

「ではでは玉の舞をご覧に見せましょう♪ お客さんも宜しいですね?」
「あ、ああ」
「それでは皆様ご注目♪ 宙を舞い踊る色とりどりの玉の宴をどうぞ♪」

 そう言うと愛梨は困惑する将志に二つの玉を渡し、手にした三つの玉でジャグリングを始めた。
 愛梨の手によって玉はまるで意思を持っているかのように宙に舞う。
 宙を舞う玉は時には高く飛び、時には消えたり現れたりし、時には三ついっぺんに空へあがったりする。
 玉を操る愛梨は心の底から楽しそうに笑っていて、将志はその演技と笑顔に段々と引き込まれていった。

「さあさあ次は高く上げた玉をくるっとまわってから取るよ~? それでは皆様、ワン、ツー、スリーで行きますからお見逃しなく♪ 行っくよ~、ワン、ツー、スリー!」

 そう言って愛梨は手にした玉を一つ高々と放り投げてその場でくるくると回りだした。

「あ、あらららら!?」

 しかし、途中で眼をまわして倒れてしまう。

「うきゅ~……はっ!? おととっ!!」

 しばらく倒れていた愛梨だったが、ハッと大げさなほどコミカルに驚いて、寝っ転がったまま落ちてきた玉をキャッチしてジャグリングを続ける。

「はぁ~危なかった~♪ 皆様、ご心配をおかけしましたが、何とか成功だよ♪ 拍手とかしてくれたら嬉しいな♪」

 そういわれて、将志は自分でも気がつかぬうちに手を叩いていた。
 その将志の反応を見て、愛梨は嬉しそうに笑いながら手を振った。

「ありがとう! それじゃ、次は玉を五つに増やしていくよ? それじゃ、玉を持っている人は僕に向かって投げて欲しいな♪」

 愛梨は笑顔で礼をすると、将志に向かってそう言った。

「……ああ」

 将志は手にした二つの玉を投げてよこす。
 愛梨はそれを上手く受け取ってジャグリングの中に組み込んだ。
 それからまたしばらくジャグリングは続き、愛梨は次から次へと技を成功させていく。

「さあ、次が最後だよ♪ 最後は空に虹をかけるよ♪ それでは皆様、しっかりとご覧ください!」

 そう言うと、愛梨は五つの玉をシャワーと言う技と同じ方法で空高く上に放り投げる。
 そしてそれらが放物線の頂点に届いたころ、

「ワン、ツー、スリー!!」

 と言って指を鳴らした。
 すると空中で玉が弾けて虹色の光が飛び出し、月夜の空に綺麗な虹が掛った。
 将志はその光景に心を奪われ、ただジッとそれを見つめる。

「はいっ、玉の宴は以上だよ♪ 皆様、ありがとうございました!」

 元に戻ったステッキが落ちてくるのをキャッチしてそう言うと、愛梨はくるりと回って帽子をとり深々とお辞儀をした。
 将志はそれに自然と拍手を送っていた。

「どうだったかな? ……って、訊くまでもないみたいだね♪」

 将志に声をかけた愛梨は満足そうに頷いた。
 その視線の先には、微笑を浮かべて拍手をする将志が立っていた。

「……ああ。何と言うか、綺麗だった」
「キャハハ☆ 君の笑顔、一つ頂きました♪ あ、そうだ君の名前を訊いても良いかい?」
「……槍ヶ岳 将志、槍の妖怪だ」
「槍ヶ岳 将志くん、だね♪ 覚えたよ♪ これで僕達はお友達だね♪」

 愛梨は太陽のように明るい笑顔で、嬉しそうにそう言った。
 それを聞いて、将志は首をかしげた。

「……友達?」
「そうさ♪ 僕と、君がね♪」

 愛梨は自分と将志を交互に指差しながらそう言った。
 すると、将志は眼を閉じて小さく首を横に振った。

「……俺には人間の主が居る。人間に育てられている妖怪と友人になっては拙いのではないか?」
「そんなことないよ♪ 友達になるのに身分も立場も、種族だって関係ないのさ♪ 必要なのは仲良くなりたいと思うことだけなんだ♪ そんなに思いつめることは無いよ♪」
「……そういうものなのか?」
「そういうものだよ♪ 君は僕と友達になってくれるかな?」

 愛梨はそう言いながら、将志の眼を覗き込んだ。
 その表情は笑顔ではあるが、瑠璃色の瞳には期待と不安が入り混じっていた。
 将志は眼を閉じ、無言でその場に佇んでいる。

「……ああ、良いだろう。俺としても、いざと言うときに頼れる相手が居ると楽だからな」

 将志はしばらく考えた後、ゆっくりと頷いた。
 その瞬間、愛梨の顔に笑顔がはじけた。

「キャハハ☆ 宜しくね、将志くん♪」

 そこまで言うと、突然ぐ~っと腹の鳴る音が二つ聞こえてきた。
 将志は眼をつぶって押し黙り、愛梨は頬を赤く染めてポリポリと頬を掻く。

「……腹が減ったな」
「そ、そうだね♪」
「……何か食うか?」
「そうしよっか♪」

 二人はそう言うと研究所の中に入っていった。
 静かに歩く将志の後ろを、愛梨が楽しそうに周囲を見回しながらついていく。
 そして調理場に入ると、将志は冷蔵庫を確認しながら愛梨に話しかけた。

「……何が食いたい?」
「そうだね……君に任せるよ♪」
「……そうか」

 将志はそう言うとやかんに湯を沸かし始めて冷蔵庫を開けて中身を確認し、調理を始めた。
 やかんの湯が沸くと将志は一旦調理の手を止め、愛梨に紅茶を差し出した。

「……料理ができるまでこれでも飲め」
「ありがと♪ それじゃ、頂きます♪」

 愛梨は差し出された紅茶を笑顔で飲もうとする。
 すると、将志はふと思い出したように愛梨に振りかえった。

「……ああ、そうだ。それを飲むときは「あっつぅ!?」……遅かったか」

 将志は熱いから注意するように言おうとしたが、愛梨は既に紅茶を飲んで舌を火傷した後だった。
 将志は冷凍庫から氷を取り出し、愛梨に手渡す。

「うぅ……こんなに熱いなんて聞いてないよ~……」
「……済まなかった」

 若干涙目になりながら火傷した舌に氷を当てて冷やす愛梨。
 そんな愛梨に将志は調理をしながら詫びを入れる。
 しばらくして、プレーンオムレツが出来上がり愛梨の眼の前に差し出された。

「……出来たぞ」
「うわぁ……♪」

 出てきたオムレツを見て愛梨はキラキラと眼を輝かせて感嘆の声を上げた。
 そして、その眼を将志に向けると興奮した様子でしゃべり始めた。

「すごいや♪ 君はいつもこんなものを作って食べてるんだね♪」
「……そう言うお前は普段何を食べてるんだ」
「みんなが笑えるなら何でも食べるよ♪」
「……そうか」

 愛梨は手にしたスプーンで次々とオムレツを口に運んで行く。
 将志は向かい側で、今回の出来栄えを確かめる様に味わい、改善点を探す。

「ん~♪ 美味しい♪ 将志くんは料理上手だね♪」
「……それはどうも」

 将志は自分の料理がほめられたことに満足げに微笑んだ。
 それを見て、愛梨が嬉しそうな表情とともにあっと声を上げる。

「あ、本日二度目の笑顔いただきました♪ やったね♪」
「……それはそんなに嬉しいものなのか?」
「もちろん! 楽しい笑顔を見るのが大好きなんだ、僕は♪」

 太陽のように笑いながら愛梨はそう言ってオムレツを頬張る。
 すると、ふと思い出したように愛梨は将志に問いかけた。

「ところでさ、将志くんは人間を食べたことはあるのかな?」
「……何?」

 突然愛梨にそんなことを言われ、将志はオムレツを食べる手を止めた。
 愛梨は相変わらずオムレツを口に運びながら話を続ける。

「だから、人間を食べたことはあるのかな?」
「……無いし、主の同族を喰うつもりも無い。……例外があるとすれば、主に命じられた時だけだろう」
「そっか♪ 僕は食べたことあるよ♪」
「……何だと?」

 明るい口調でそう言われ、将志は愛梨を睨みつける。
 愛梨が主である永琳を襲う可能性が出てきたからである。
 それに対して、愛梨は手をパタパタと振った。

「ああ、そんな怖い顔しないで欲しいな♪ 僕はわざわざ人を襲ったりしないよ♪ ただ単に友達からもらっただけさ♪ その友達を笑顔にするために人間を食べたのさ♪」
「……では、主に危害を加えることは無いんだな?」
「そんなことしないよ♪ 怖がられたら笑ってくれないじゃないか♪」
「……信用していいんだな?」
「いいともさ♪ むしろ信用して欲しいな♪」
「……その言葉……」
「ひゃあ」

 愛梨の言葉を聞いて、将志は槍を愛梨に突き付けた。
 愛梨は将志の突然の行為に思わず椅子ごとひっくり返りそうになる。

「……嘘だったら後悔することになるぞ」

 将志は愛梨を鋭い視線で睨みつけながらそう続けた。
 すると愛梨は若干慌て気味に手を振った。

「だ、大丈夫だって! そんなことしたら君が笑えないでしょ? だから友達に槍を向けるのはやめて欲しいかな♪」
「……友人といえども、主に牙を向くのであれば容赦などしない。それだけは覚えておけ」

 将志はそう言うとようやく槍を収め、食事を再開した。
 それを見て、愛梨はホッと胸を撫で下ろす。

「やれやれ……君の主人愛はすごいね♪」
「……主は俺の命の恩人なのだ。当然のことだ」

 将志は当然のようにそうつぶやくと、またオムレツに口をつける。
 しばらくすると、今度は将志の方から質問を始めた。

「……何故、あんな質問をした?」
「人間の主様と暮らす君が、人間のことをどう思っているかが知りたかったんだ♪ 君は主様以外の人間のことはあんまり気にしないみたいだね♪」

 愛梨は将志の質問に朗々とそう答えた。
 愛梨からしてみれば、将志が人間のことをどのように考えているかは重要なものであり、今後の付き合い方に関わってくるからである。
 もし将志が好き好んで人間を捕食するような妖怪であった場合、愛梨も妖怪として人間を襲うことがあるかも知れないからであった。
 愛梨が将志との付き合い方を考えていると、将志が再び愛梨に質問を始めた。

「……最初の玉と最後の虹、どうやって出した?」
「ああ、あれ? 最初の玉は単純に妖力を変化させた奴で、最後の虹は僕の能力も使ってるよ♪」
「……お前の能力?」
「そ♪ 僕の能力は『相手を笑顔にする程度の能力』さ♪ だから、誰かを笑顔にさせるためなら何でもできるのさ♪ 例えば、こんな感じでね♪」

 愛梨はそう言うと、ポケットから小さなボールを取り出した。
 そしてそのボールに手をかざすと、ボールは液体となって溶けた後、再び寄り集まって人形に変化した。
 その人形は、愛梨の目の前に居る槍妖怪をそのまま小さくしたような見た目をしていた。

「……ほう……これはなかなかに面白いな」

 目の前に現れた精巧な出来栄えの人形を手に取り、薄く笑みを浮かべて興味深そうに眺める将志。
 それを見て、愛梨も楽しそうに微笑んだ。

「ほら、笑顔になったでしょ♪ これが僕の能力さ♪」
「……妖力の変化は?」
「あれ、君はしたこと無いのかな? 体の中の妖力を外に出してやれば色々と出来るんだけどな♪ ほら、こんな感じ♪」

 愛梨はそう言うと右手を手のひらを上に向けた状態で差し出した。
 そして手のひらの上に妖力で虹色に光る炎を生みだした。

「……そうか。……はっ!」

 それを見て、将志は真似をして手を突きだして妖力を送り込む。
 しかし、出そうとした炎は起きず、手のひらからわずかに煙が上がるだけだった。

「……上手く行かんな」
「まだ初めてだから仕方ないよ♪ 練習しないとね♪」

 すこし落胆した表情を浮かべる将志を愛梨がそう言って励ます。
 すると、愛梨が良いことを思いついたと言わんばかりの表情を浮かべた。

「そうだ♪ 今度から僕が妖力の使い方をレクチャーしてあげるよ♪ どうだい、将志くん?」
「……良いのか?」
「良いの良いの♪ 僕らはこうやって一緒にご飯まで食べた友達だよ? 遠慮はいらないさ♪」

 首をかしげる将志に、愛梨はそう言って笑う。
 それを聞いて、将志は深々と頭を下げた。

「……願ってもない。宜しく頼む」
「了解♪ それじゃ今日はもう遅いから帰るけど、明日の夜から教えてあげるよ♪」
「……そうか」

 愛梨は席を立ち、研究所の外に出る。
 将志も見送りのために一緒に出る。
 外に出ると、入口のすぐ近くに置いてあった玉乗り用の玉に軽々と乗った。

「それじゃあ、また明日♪ ばいば~い♪」

 愛梨が笑顔でそう言って手を振ると、愛梨を乗せた玉がバウンドをしながら遠のいていく。
 将志はそれを無言で見送ると、空を見上げた。
 空は月がかなり低い位置まで移動していて、その反対側からは太陽の光が少しずつ空を照らしはじめていた。

「……槍でも振るか」

 将志は背負っていた槍を取り出すと、いつものように振り始めた。
 槍を振り始めてしばらくすると、近くに人の気配が近づいて来るのが分かった。
 将志は槍を振るのをやめ、そちらの方を向く。

「……おはよう、主」
「おはよう、将志。今日も朝から元気ね」

 将志は主である青と赤の二色で分けられた服を身にまとった銀髪の女性に挨拶をする。
 主である永琳もにこやかな表情で将志に挨拶を返す。
 すると、永琳が何かに気が付いたように声を上げた。

「あら、そう言えばいつもより表情が何となく柔らかいわね。どうかしたのかしら」

 永琳にそう言われて、将志はこれまでの出来事を思い返す。
 すると、主以外の初めての友人の顔が脳裏に浮かんできた。
 それを受けて、将志は微笑を浮かべて永琳の質問に答える。

「……いや……少し良いことがあっただけだ」
「それは良かったわね。良かったら何があったか聞かせてもらえるかしら?」
「……ああ。実は……」

 二人は会話をしながら研究所の建物の中に入っていく。
 その後、将志に妖怪の知り合いが出来たことで一悶着あったのだが、それはまた別の話。



[29218] 番外:槍の主、初めての友達
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/06 21:51
 今回はちょっと番外編。
 永琳が月に行く前のお話。

---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------



 天に届かんばかりにそびえたつ摩天楼群から離れた位置にある森の近くに、一つの研究所があった。
 中は様々な部門に分かれており、幅広い分野の研究が出来るようになっている。
 しかしその実験室に人影は無く、代わりに沢山のロボットが実験を行っていた。
 そのほぼ機械化された研究所はある一人の天才のために与えられた、専用の研究施設だった。

「ふぅ……こんなものかしらね」

 その天才と言われる銀色の髪の女性、八意 永琳は一人研究を続ける。
 彼女がいる最新設備がそろった研究所では、工学、医学、薬学、理学、生物学、そして妖怪に関する研究など、幅広い研究がおこなわれている。
 そのすべてに精通する永琳の提出する論文は、全てがその最先端を行っていた。
 彼女は常識を打ち破る発想、人並みはずれた理論の組み立て能力、そしてそれを証明する能力など、科学者に必要なものを全て携えていたのだ。
 よって討論をしようにもそれについて行けるものが居らず、他の科学者が何を言っても彼女にとっては既に既知の話になってしまっていた。
 それならばその思考を邪魔することがないようにと、永琳以外は入ることが出来ない研究所が与えられることになったのだ。

 故に、常に一人だった。
 しかし、永琳はそれを特に気にすることは無い。
 何故なら、彼女は常に一人だったからだ。

 永琳は幼いころから才気を発し、周囲から注目を浴びてきた。
 その凄まじいまでの才能から、永琳は英才教育を受け続けることになった。
 永琳は驚くほど短期間でものを学び理解し、全てを理解すると講師を変え、その知識を深いものにしていった。
 そして気が付けば、周囲から天才と呼ばれ、尊敬を集めていた。
 しかし、そんな人生を送っていたため、永琳は友人との語らいや、人並みの恋などを経験することは無かった。
 更に言えば、永琳はそんなことを気にすることもなかった。
 その存在そのものを知らなければ、気にしようもないのだ。
 それ故に、永琳は自分が一人でいることに何の疑問も抱かなかった。

 そんな彼女に、ある日転機が訪れた。
 永琳はその日、自室でモニターに向かい研究レポートをまとめていた。
 内容は妖怪の生態学に関する最新レポートであった。
 すると、突如モニターに異常を知らせるシグナルが点った。
 研究所内のセキュリティシステムが永琳以外の生体反応を感知したのだ。
 しかもそのシグナルは妖怪のものだった。
 そしてそれは、研究所の敷地の隅にある倉庫エリアから出ていた。

「嘘……何でこんなところに……!」

 永琳はとっさの判断でその倉庫に向かうことにした。
 妖怪の中には、優れた知能や凄まじい身体能力を持つ者もいる。
 それが倉庫の中の道具を使って大暴れする可能性があり、早急に手を打たねば何を仕出かすか分かったものではない。
 ならば、警備隊に通報するよりも先に自ら抑えに行く方が良い。
 そう判断した永琳は、武器を隠し持って急いで倉庫に向かうことにした。

 倉庫エリアに着き、永琳は漂っている妖力を辿って場所を特定する。
 その結果、首をかしげることになった。
 その倉庫はこのエリアの中でも特に古びた倉庫で、この研究所が出来る前からあったものだった。
 そしてその一度も開けられたことのない倉庫の鍵は、しっかりと掛ったままだったのだ。
 しばらくして、壁を通り抜けられる妖怪の可能性を考えることで納得した永琳は、急いで倉庫の鍵をあけることにした。
 倉庫の扉をあけると、中のほこりが舞い、光が差し込む。
 中は古い武器庫のようであり、既に時代遅れとなっていた武具が並べられていた。

 そして、そこには一人の青年が立っていた。

 青年は眩しさから眼を手で覆っていて、その反対の手には銀色の槍が握られていた。
 永琳は、彼を見て内心驚いた。何故なら、妖力の流れが青年からではなく、手にした槍から流れているからだ。
 それを見て、永琳はこの倉庫に置いてあった槍が長い年月を経て、今この時に妖怪になったと結論付けた。
 その結論に、思わず永琳は笑みを浮かべて言葉を発していた。

「力を感じて来てみれば……妙な存在も居たものね」

 永琳がそう言うと、目の前の妖怪は手にした槍を彼女に向けた。
 その黒曜石の様な瞳には、強い警戒心が生まれていた。

「あら、私と戦うつもりかしら?」

 永琳はそれに対して敢えて笑顔で挑発した。
 もしこの妖怪の糧が恐怖であるのならば、それを容易に見せるのは危険であるからだ。
 更に言えば、生まれてすぐの妖怪ならば自分でも倒せると踏んでの判断だった。

「……それは貴様次第……ッ!?」

 妖怪は何か言おうとしたが、突然言葉を詰まらせた。
 良く見てみると、その眼は焦点が合っておらず、どこか遠くを見ているような眼をしていた。
 永琳は少し警戒しながら事の次第を見届けることにした。
 しばらくすると、妖怪は槍を収めた。

「……いや、女子供に向ける刃は無い。失礼した」

 殺気を引っ込めて、申し訳なさそうに頭を下げる妖怪。
 それを見て、永琳はその意外な行動に笑みを深めた。

「そう……気配は妖怪だったから襲われるかと思ったけれど、意外と紳士的なのね、あなた」

 永琳がそう言うと、妖怪は無言で視線を切った。
 興味がない、と言うよりは紳士的だと言われてくすぐったかったのだろう。
 おまけに、視線を切るという動作から目の前の妖怪の敵意が無くなっていることも感じ取ることができる。
 永琳は、そんな妖怪に興味を持った。

「訊いても良いかしら? あなたは何者?」
「……分からない。気が付けばここにいたからな……分かることと言えば俺は多分この槍だったのだろうと言うことぐらいだ」

 永琳の問いに、妖怪はしばらく眼を瞑って考えた後で首をゆっくりと横に振った。
 永琳はジッと将志を観察していたが、嘘をついているようなそぶりは見られない。

「つまり、自分がその槍だったということしかわからないのかしら?」
「……ああ」

 永琳はその妖怪の眼をじっと見つめながら妖怪に質問を重ねた。
 妖怪の声色に嘘は見受けられず眼の動きも落ち着いているため、永琳は彼の言い分が本当であり、彼は生まれたばかりであると確信した。
 それから永琳は少し考えて、目の前の銀髪の妖怪の肩に手を置く。
 妖怪がそれを受け入れたことから、永琳はこの妖怪の敵意が完全になくなっていることを確信した。
 そこで、永琳の中である一つの面白い考えが浮かんだ。

 この妖怪を自分の手で育ててみよう。

 それは今まで事例の無いものであり、新しいものを追い求める科学者として興味深いものであった。
 そしてその被検体となるものが目の前にいるのだ。
 彼女がそう思うのは、ごく自然な流れであった。

「それなら、私がわかる範囲で教えてあげるわ。あなたみたいな存在は始めてみるけど、大体のことなら想像は付くしね」
「……良いのか?」
「もちろん。私の名前は八意 永琳。あなたの名前は……って分からないわよね。困ったわ、なんて呼べばいいのかしら?」 

 永琳がそう訊ねると、妖怪は少し困ったように額に手を当てた。
 すると、妖怪の眼の焦点がまた急に合わなくなり、宙をさまよいだした。
 そしてしばらくすると、妖怪はゆっくりと口を開いた。

「……槍ヶ岳 将志。そう名乗ることにしよう」
「どうしてそんな名前が出てきたかは知らないけれど、良い名前ね。槍ヶ岳 将志、ね。それなら将志と呼ばせてもらうわ」
「……ああ、宜しく頼む」

 これが、一人の天才と銀の槍妖怪の出会いであった。
 その後、この槍妖怪が自分を主と呼び出したり、身体テストが異常な結果だったり色々あって、永琳はそのたびに驚くことになる。



 その日の夜。
 永琳は自室に戻り、日誌をつけるべく端末の前に座った。
 モニターには研究室で行われた実験のデータが次々と映し出されており、永琳はそのデータをレポートにまとめる。
 全てのデータがまとめ終わって端末の電源を落とそうとした時、ふと永琳の動きが止まった。

「……そうだ」

 永琳はそう呟くと、端末を操作してモニターに新しいファイルを作成した。
 そのファイルには、『妖怪観察日誌』と題をつけ、早速記録をつけるためにそれを開いた。


 ○○/○/○
 倉庫エリア16番倉庫にて生体反応を感知、生後間もない妖怪を保護した。
 外見は身長175cm、体重65kg、銀髪黒眼の十代後半から二十代前半くらいの人間の男性型で、小豆色の胴着と紺色の袴を着用していた。
 個体は『槍ヶ岳 将志』と名乗り、著者のことを主と認める様になったことから、刷り込みが発生したと考えられる。
 身体能力は異常なほど発達しているが、耐久力のみ人間以下であった。
 能力は発現しており、『あらゆるものを貫く程度の能力』であるらしいことが判明した。
 妖力に関しては生まれて間もないが、既に中級妖怪以上の力を見せている。
 これに関しては、本体である槍が既に長い年月を経ておりかつ、持ち主の残留思念が強かったためと考察されるが詳細は不明である。
 知性は言語を操りこちらの言うことも理解をしているところから、少なくとも人間と同等程度の知性を有すると考察される。
 しかしながら、以上の知見はまだ確実と呼べるものではなく、これから検証していく必要がある。
 よって、本日より人間が妖怪を育てた事例のサンプルとして、『槍ヶ岳 将志』に関して観察日誌をつけるものとする。


「……こんなところかしらね」

 永琳はその記録を保存すると、今度こそ端末の電源を落とした。
 その横にあるモニターを確認すると、将志はベッドの上で槍を抱えたまま座り込んで眠っていた。

「ふふっ、まるで戦争中の武者みたいね」

 将志の寝姿に、永琳は思わず笑みを浮かべた。
 永琳はモニターを消し、部屋の電灯を消してベッドに横になった。



 翌日の朝、永琳が学会のために朝早く起きてモニターを確認すると、観察対象はそこに居なかった。
 永琳は少し考えて脱走の線は消し、研究所内を探すことにした。
 しばらく探していると、中庭からかすかに何かが風を切るような音が聞こえてきた。
 永琳はそこに向かうことにした。

「……ふっ」

 そこでは、将志が槍をふるっていた。
 彼の槍は月明かりに照らされて、幻想的に冷たく輝いていた。
 それが、将志の手によって縦横無尽に動き回り、夜明け前の青い空に銀の線を残していく。
 担い手である銀の髪の青年は洗練された動きで槍を振るっていく。
 その動きはまるで踊っているかのような、神秘的で華麗なものだった。

「…………」

 気が付けば、永琳は我を忘れてそれに見入っていた。
 永琳にはその動きがどこか物悲しく、それでいて強い意志が込められているように見えた。
 しばらくして、将志が気付いて寄ってくるまで永琳はそれを見続けていた。
 永琳は何故槍を振るうのか、と将志に尋ねた。

「……そうだな……何故かそうしなければならない様な、そんな気分がした。何と言うか、体が槍を求めている、そんな感じだ」

 すると、将志は手にした槍を見つめながらそう答えた。
 永琳はその視線の先を追った。
 銀の槍は何も語らず、月明かりを受けて輝いている。
 しかし、永琳はその槍から言葉に出来ない様な強い意志を感じ取った。
 それは、『主の命がある限り、主を守り通す』という、悔恨を孕んだ強い意志だった。
 その温かい意志を受け、永琳は将志に笑いかけた。

「そうだ、せっかくだからもう少しあなたの槍捌きを見せてもらえないかしら? あなたの槍、月明かりで光ってとても綺麗に映るのよ」

 永琳は観察のためではなく、純粋に将志が槍を振るう姿が見たいと思った。
 将志はそれに応え、再び槍を振るい始める。
 そして演武は日が昇り始めるまで続き、永琳は学会に遅刻しかけて送ってもらう羽目になるのだった。



 学会から帰ってきた永琳は、研究室内に漂う醤油の焼ける匂いに気付き、首をかしげた。
 台所に行ってみると、将志が真剣な表情で眼の前で焼かれている豚肉を見つめていた。
 何をしているのか聞いてみれば、

「……今朝方、主は朝食を摂ることが出来なかった。だが今日俺が送っていった時、時間は十分残っていた。と言うことは食事の準備を俺がしていれば主はわずかでも朝食を摂れたはずだ。ならば俺が食事を用意することが出来れば、忙しい主の手伝いになると思ったのだが……」

 という答えが返ってきた。
 永琳はまさかそんなことを考えているとは思わず、唖然とした表情を浮かべた。
 ふとその横を見てみると、大量のキャベツの芯や、豚肉のパック等が置いてあった。
 その様子から、将志が何度も何度も作り直しをしたことが垣間見えた。
 自分のために一生懸命頑張った将志の様子が微笑ましくて、永琳は思わず笑顔を浮かべた。

「ふふふ、ありがとう。それじゃあお願いしても良いかしら?」
「……任された。今はまだ献立も少ないが、その辺りは勉強させてもらおう」

 永琳がそう言うと、将志は嬉しそうにそう言って台所に入っていった。
 その姿を永琳はじっと見つめる。普段の彼女にとって料理は栄養摂取の手段でしかなく、材料を入れれば勝手に調理される機械によって作られたものを食べることが日常であった。
 このように自分のために誰かが料理をしている光景は、彼女にとってとても新鮮なものだったのだ。
 その後、永琳が将志の体に犬の耳と尻尾が生えているのを想像して笑いそうになったり、将志が料理に槍を使っていたことに呆然としたり色々なことがあった。


 その夜、永琳は端末の電源をつけると一番にペン型のデバイスを手に取った。
 その理由は、将志にあげる妖力を抑える道具のデザインの決定のためであった。
 将志には、もう漏れ出す妖力を抑えるための道具を作ってあると言ってある。
 しかし、実際はそう言わないと将志は遠慮して作らなくて良いと言いかねないため、そう言ったのだった。
 つまり、永琳は一晩で妖力を抑えるための道具を作らなければいけなくなったのだ。

「どんなデザインにしようかしら……」

 永琳はペンを握って考える。
 実際、妖力を抑える道具を作ること自体は永琳の手に掛れば楽な物である。
 本人のイメージから、材質はもう銀と黒曜石と決めてある。
 問題はどんなデザインにするかであった。
 常に身に付けられるようなアクセサリーの形をとることは既に確定。
 料理を作ると言う点から指輪やブレスレットは不可。服装からベルトやタイは却下。ピアスは本人のイメージにどうしても合わせられなかったため、不採用。
 結果的に、道具はペンダントの形を取ることになった。
 次はペンダントの形とした際のデザインである。
 黒曜石が中心になるのは既に確定済み。
 後はそれに銀をどの様に組み合わせるのかが問題であった。
 永琳は、材料となる黒曜石を見つめた。
 その透き通った黒い色は、強い意志を秘めた槍妖怪の瞳の色に良く似ていた。

「……そうね」

 永琳はおもむろにペンを走らせ始めた。
 思いついたのはゆがみない真球に削りだした黒曜石を、銀の蔦で覆うようなデザイン。
 そのデザインは、永琳の将志に対するイメージから考えられたものだった。
 もし私が本当に危険な目に遭ったら、将志は本気で自分の全てを捨ててでも自分のことを守りかねない。
 そうなったときに、誰かが彼を守ってくれるように。感情の乏しい将志を笑顔にしてくれるように。
 永琳は出会って間もない妖怪の本質を見抜き、真っすぐな心の将志を真球の黒曜石に見立て、それを支える生命として銀の蔦で覆うデザインにしたのだ。

「……これで良いわね。それじゃあ、作るとしましょう」

 永琳は出来たデザインを加工する機械に送信し、作業を開始させる。
 それから手早くデータをまとめると、その日の日誌をつけることにした。



 ○○/○/X

 槍の残留思念は強いらしく、本能的に槍を振ることを求めているようであった。
 その腕前は素人目に見ても見事なものであり、前の持ち主の技術が受け継がれたものと考察する。
 また、料理の勉強を始め、その探求に意欲を見せたところから、やはり人間並み以上の知性は有しているものと考えられる。
 本妖怪の性格は妥協を許さない性格であると同時に、心を許した者にはかなり尽くす性格の様である。
 なお、経験が浅いためか包丁代わりに槍を使うなどの奇行も見られたため、まだ成長過程にあるとも考えられた。



 「……これで良いわね」

 永琳はそう言うとモニターで将志が寝ていることを確認した。
 将志は昨日と同じように、槍を抱えて座ったまま眠っていた。

 きっと彼は私に何かあったとき、すぐ動けるようにするためにそうしているのだろう。

 そう考えると、永琳の頬は自然に緩んでいた。
 彼女はしばらく将志の寝顔を眺めた後、眠りについた。



 それからしばらくの間、二人きりの生活が続いた。
 永琳は観察の一環として会話を重ね、話すごとに将志のことを理解していく。
 将志は主のために日々努力を重ねていく。
 少しでも主を喜ばせようと、永琳の実験に負けないほど料理の研究を重ね、有事の際に主を守れるように鍛錬を忘れない。
 そんなひたむきに自分のためにと尽くしてくれる将志に、永琳は段々と心を許していく。
 永琳にはここまで近くで尽くしてくれる存在と接するのは初めてであり、その存在が輝いて見えたのだ。
 そして気が付けば、永琳は観察するために将志と関わるのではなく、将志と関わるために観察をするようになっていた。
 悲しいことに近くに親しい友人など居なかった永琳はどう接すればいいのか分からないため、将志に話しかけるのに理由が必要だったのだ。
 ……もっとも、当の将志はそんなことこれっぽっちも気にしちゃいないのだが。


 そして二年が経ったある日のこと、火種は放り込まれたのだった。
 永琳がいつものように将志が槍を振るうのを見に行くと、将志が話しかけてきた。

「……おはよう、主」
「おはよう、将志。今日も朝から元気ね」

 永琳は将志に挨拶を返すと、将志の表情がいつもより心なしか柔らかい様な気がした。
 それが気になって、永琳は将志に問いかけた。

「あら、そう言えばいつもより表情が柔らかいわね。どうかしたのかしら?」
「……いや……少し良いことがあっただけだ」

 その発言に対して、将志は微笑を浮かべて答えを返した。
 本当に良いことがあったようで、永琳も笑みを浮かべる。

「それは良かったわね。良かったら何があったか聞かせてもらえるかしら?」
「……ああ。実は、妖怪に知り合いが出来たのだ」
「……え?」

 永琳は将志の言葉を聞いて凍りついた。

「……それで、その妖怪に妖力の使い方を教わることになったのだ」

 少し楽しそうに将志は永琳に報告する。
 しかし、永琳は呆然としたままその言葉を聞いていなかった。
 将志は元々妖怪である。その将志が妖怪と関わると言うことは、今は人間側についている将志が妖怪側に移ってしまう可能性が考えられたのだ。
 もちろん、将志の性格を考えればその可能性は限りなく低いと言える。
 しかし、妖怪の人間に対する評価を聞いて失望し、離れていってしまう可能性がない訳では無かった。
 その可能性に、永琳は強い危機感を覚えた。

「……将志、その妖怪はどんな妖怪なのかしら?」
「……良くは分からんが、誰かを笑顔にする妖怪と言っていたな」

 永琳は俯き、低い声で将志にそう尋ねる。
 その手は握り締められており、焦燥を堪えているようであった。
 その言葉に将志が表情を変えずに答えると、永琳は俯いたまま将志に言葉を発した。

「悪いけど、私はそれを信じる訳にはいかないわ。その妖怪があなたを騙している可能性は考えなかったのかしら?」
「……そうだとしても、俺はあの妖怪に会う事で得られるものがあると思っている。それに、あいつを主に合わせるつもりは毛頭ない」
「駄目よ、相手が幻惑するタイプの能力を持っていたらあなたどうするの?」
「……ならば主、それを防ぐことのできるものを作ってくれないか?」
「今はその材料が無いわ。だから無理よ」
「……それならば俺の方で材料を発注しておこう。材料を言ってくれ」
「……発注はこっちでするから良いわ」

 いつもと違って頑なにその妖怪の知り合いに会うと言ってきかない将志。
 そんな彼に、永琳はいらだちを募らせていく。
 手は爪が白くなるほどに握り締められ、肩が震えだし、声に感情が表れてくる。
 もはや今の彼女には自分の感情を隠し通すことが出来そうになかった。
 すると将志は永琳の様子の変化に気付き、問いかける。

「……主? どうかしたのか?」
「何でもないわよ」

 永琳は将志に背を向け早足で歩いていき、将志はその後を追う。
 将志が追いつきそうになると、永琳は更に歩く速度を挙げた。

「……何でもないことは無かろう」
「あるわよ!」

 将志の言葉に、永琳は叫ぶようにそう答えた。
 すると、将志は素早く永琳の前に回りこんだ。

「……では、何故泣いている?」
「……っ!」

 永琳は自分の顔を手で覆った。
 将志の言うとおり、永琳の眼からは涙があふれ出していたのだ。
 それを指摘された永琳は立ち止り、その場で肩を震わせる。
 将志はそんな永琳の前に立ち、深々と頭を下げた。

「……主、俺が何か不義を働いたと言うのならば謝ろう。だが、俺は何としても主のために強くなりたいのだ。ここで妖力が使えなかったから主を守れないなどと言うことになる、こうなったら、俺は死んでも死にきれん! 主、対価なら何でも払おう、だからこれだけは許してくれ!」

 永琳は将志の言葉を聞いて、こぼれる涙を手で拭った。

「……私の、ため?」
「……当たり前だ。主が何を考えているかなど、俺には分からん。だが、俺が主から離れていくことはあり得ん。俺はこの槍に誓って、主への忠を尽くすつもりだ」

 将志の言葉は優しく、それでいて並々ならぬ決意がこもっていた。
 その言葉を聞くと、永琳は深呼吸をして将志の顔に目を向けた。 

「そう……なら、少し私の話を聞いて行きなさい」

 将志はその言葉に姿勢を正した。
 永琳は軽く息をつくと、ゆっくりと話を始めた。

「私はね、幼いころから天才と言われてずっと大事にされてきたわ。自分が何かをするたびに周りはそれを褒めてくれて、私は幼心にそれが嬉しくて褒められたい一心で勉強を始めたわ」
「……主らしいな。それで?」
「それはもう色々なことを勉強したわ。学問と言う学問は網羅した。それでも飽き足らず、研究者になって更に勉強しようとしたわ。研究者になれば新しいことを発見できるし、学者同士の意見の交換は一番の勉強になる……少なくとも、私はそう思っていたわ」

 ここまで話すと、永琳は若干声のトーンを落とした。
 将志は眼を閉じ、次の言葉を促すことにした。

「……と言うことは、違ったのだな」
「ええ……結果的にはそうなるわ。実験をしても自分の理論通りの結果しか出ない。意見交換をしても誰も私の話について来れない。周りの評価も変わったわ。もてはやすのは変わらないけど、『私なら出しても当然』っていう感じになったわ」
「……それは、つらいことだったのか?」
「少し退屈ではあったわね。でも、全ては私の掌の中って言う優越感があったし、叩かれているわけでもなかったから辛くはなかったわ」

 永琳は何でもないことのようにそう言う。
 しかしその眼はまるで当時の自分を憂いているようであり、嘲笑を浮かべていた。
 それに対して、将志は首をかしげた。

「……では、問題は無かったのではないか?」
「……○○年○月○日。全てが変わったのはこの日よ。将志、この日が何なのか分かるでしょう?」

 永琳は眼を閉じ、その意味をかみしめる様にとある日付を口にした。
 将志はその日付を聞いて、あごに手を当てて考える。
 そして、ふと気が付いたように顔を挙げた。

「……俺が、ここに来た日……」
「そうよ。最初に話した通り、私があなたを拾ったのは単純な好奇心からだったわ。単純に学術的な意味で妖怪を人が育てたらどうなるのかを調べる。それだけの筈だった。でもね、そうはならなかったのよ。あなたは私のことを主と認めて、尽くすようになった。いつでも私のそばに居て、どんな些細なことでも話を聞いてくれて、私のために精一杯努力してくれた。そして、私はある日気が付いた」
「…………」

 将志は永琳の言葉を無言で聞き続ける。
 将志の眼は、しっかりと永琳の眼を見据えていた。

「私はあなたがくれたその温かさを、今まで褒めてくれた誰からももらっていなかったのよ。親の愛情を受ける間もなく勉強をして、講師と親しくなる間もなく次の講師に代わり、研究者は肩を並べる前に抜き去っていた。褒めてくれた人たちも、私の才能や知識しか見ていなかった。思えば私はずっと一人だったわ……」

 不意に永琳は将志に微笑んだ。
 その笑みは、優しく温かく、どこか儚い笑みだった。

「だから、それに気が付いた時はあなたに心の底から感謝したわ。あなたが居なければ、私はあんなに温かい気持ちを一生知らなかったかもしれない。私には、友達と言える人も居なかった、しね……」

 言葉を紡ぎながら、永琳の笑顔はどんどん崩れていく。
 言い終わるころには俯いて、肩が震えはじめていた。

「……だから、私はあなたを絶対に失いたくない! あなたをその妖怪に取られたくないのよ! 将志、お願いだから私を置いて行かないで!!」

 永琳は自分の感情の全てを将志にぶつけて、将志に飛び付いて泣き始めた。
 泣き叫ぶような永琳の言葉を聞いて、将志は溜め息をついた。

「……主、失礼する」
「え?」

 将志はそう言って腰に抱きついた永琳をそっとはがして、両肩に手を置いて永琳の眼を覗き込んだ。
 永琳は呆然とした様子でそれを受け入れる。
 そして、将志はそっと永琳を引き寄せて――――――





















「……てい」

 永琳の頭にからてチョップを喰らわせた。

「あいた!?」

 永琳は訳が分からず、頭を抱えてその場に屈みこんだ。
 そんな永琳に対して、将志は小さくため息をついた。

「……すまん、あまりに遺憾だったのでこのようなことをさせてもらった。主に忠を誓った俺が、どうして主を置いて立ち去ると言うのだ? もう少し信頼してくれても良いと思うのだが?」
「……はい……」
「……挙句、その胸の内を隠して俺に突っかかって八つ当たりをするとは……正直悲しいものがあるのだがな?」
「はい……はい……」

 ふてくされたような態度で淡々と文句を言う将志に、永琳は頭を抱えたまま返事をすることしか出来なかった。
 ふと、しゃがみこんでいる永琳の顔を将志は覗きこんだ。

「……主、俺はその必要がない限り、決して主を置いていくようなことはしない。それに友人が居ないと言っていたが、俺が友人では駄目なのか?」

 その一言に、永琳はキョトンとした表情を浮かべる。

「ま、将志? 私はあなたを研究対象にしていたのよ?」
「……主は友人と言う言葉に少し固くなりすぎてはいないか? 元の扱いなどどうでもよかろう。友人とはもっと気軽な物だと思ったのだが……」
「で、でも、あなた私のことは主って……そ、それに人間が友達で良いのかしら?」
「……友人に身分も種族も関係ないと聞いたが?」

 将志の言葉に、永琳は動揺を隠せなかった。
 友達がどう言ったものかが全く分からない上、将志とは今までの立場があったために余計に混乱しているのだ。
 そんな永琳に、将志は諭すように言葉を並べる。

「……え、ええと……良いのかしら?」

 永琳はしどろもどろになりながら、将志にそう尋ねた。
 おっかなびっくりの永琳の言葉に、将志は再び小さくため息をついた。

「……そもそも、良くなければ普通このようなことは言わんと思うが……それとも、俺と友人になるのは許容できないのか?」
「い、いいえ、そんなことは無いわよ!?」

 それに対して、永琳は大慌てで将志の言葉を否定した。
 それを聞いて、ようやく将志は微笑を浮かべた。

「……なら、これで俺と主は友人だな。今後とも宜しく、主」
「え、ええ、宜しく」

 そう言いながら二人はがっしりと握手をした。
 その時、ふと思い出したように永琳が将志に声をかけた。

「そう言えば、少し良いかしら?」
「……む? どうした、主?」
「それよ。せっかく友達になったのに、何で未だに『主』って呼ぶのかしら」
「……これは俺のけじめだ。俺は二君には仕えん、故に主と呼ぶのは主だけだ」

 永琳の問いかけに、将志が力強い口調でそう告げる。
 どうやら生半可なことではこの決意を動かすことは出来ないようである。
 そんな将志に、永琳は少し不満げに頬を膨らませた。

「普通に名前で呼んでくれても良いと思うのだけれど?」
「……それでもだ。俺は主にずっと仕えると言う、この気持ちを忘れたくは無い」
「そう呼ばなきゃ維持できない気持ちなのかしら?」
「……そう言う訳ではないが、俺の気持ちの問題だ。すまん」

 そう言って頭を下げる将志に、今度は永琳が大きくため息をついた。

「……はぁ、分かったわよ。それじゃあ、気が向いたら私のことを名前で呼びなさいな」
「……気遣いに感謝する」

 そう言いながら、友人同士になった二人は朝食のために台所に向かった。
 その日の食事は、いつもよりも少しだけ豪華だった。

 



[29218] 銀の槍、その日常
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:94c151d5
Date: 2012/08/06 21:30
 月も沈まぬ早朝の研究所の一室で、短い睡眠から槍の妖怪は眼を覚ました。
 この妖怪、今まで一度も横になって寝たことが無く、いつでもすぐに主の元に駆けつけられるように座って寝ているのだった。
 槍の石突を地面に突き立ち上がると、銀の髪の青年はいつもの服である小豆色の胴着と紺色の袴を脱ぎ、全く同じもう一着を着用する。
 この格好、街中ではメチャクチャ浮くのだが、本人は全く気にした様子が無い。
 なお、永琳からもらった黒曜石のペンダントは、片時も肌身離さず身につけている。
 
 着替えると、青年は槍を持って洗面所へ。
 槍を常に持ち歩いているのはその本体が槍であり、それから一定距離以上離れることができないからである。
 青年は洗面所でそのやや童顔な顔を洗うと、そのまま中庭へ出る。
 
「……はっ」

 中庭に出た青年は眼をつぶって精神統一をすると、カッと目を見開いて槍を振るい始める。
 彼はこの日課を、生まれてこの方一日たりとも欠かしたことは無い。
 この弛まぬ鍛錬の結果、青年の槍捌きは更にどんどん上達していったのだった。

「……ふっ」

 なお、最近では自分なりに槍の振るい方を変えてみたりして更なる高みを目指すべく奮闘している。
 また、自らの分身を仮想の対戦相手として作り出し、それを相手にすることで何か欠点が無いかを探ったりもしていた。

「…………」

 そして、そんな青年を横で眺めるのがその主の日課となっていた。
 この時ばかりは余程のことがない限り、永琳が声をかけるかひと段落つくまで手を止めないのがこの場の暗黙の了解である。
 そしてひと段落ついたのか、青年は槍を振る手を止めて槍を収める。

「お疲れ様。今日も調子が良さそうね、将志」
「……ああ、おはよう、主」

 永琳が笑いかけると、将志はそれに対して右手を上げて返す。
 そうやっていつも通り挨拶を交わすと、研究所の中に戻っていく。
 研究所の中に入ると将志は真っすぐに調理場に向かい、朝食の用意を始める。
 将志は手にした『六花』と銘打たれた包丁でリズミカルにキャベツとトマトを切り、水煮にしたコーンを添える。
 それから玉ねぎとジャガイモをコーンと一緒に炒めた後に生クリームと水を加えて煮込み、出来あがったものをミキサーにかけて鍋に戻す。
 煮込んでいる間にパンをトースターに入れ、卵とベーコンを焼き始める。
 今日の献立はベーコンエッグにコールスローサラダ、コーンスープにトーストである。
 なお、将志は高度な調理器具は使わず、ほとんどを手作業で行っている。
 どうやら彼の頭の中では『手作業>>>>(越えられない壁)>>機械化』の考え(偏見を多分に含む)が強く根づいているようだった。

 朝食の準備を終えると、将志はラボで論文を読んでいる永琳を呼びに行く。
 永琳が台所に入ると、そこではいつも将志が気合を入れて作った朝食が並んでいる。

「それじゃ、いただきます」
「……ああ」

 二人は同時に席に着き、朝食を食べ始める。
 永琳が食事をしながら笑みをこぼすところから、将志の努力は報われているのだろう。
 将志もそれに満足して微笑を浮かべた。

「将志、今日の予定は?」
「……いつも通りだ。主もいつも通り研究か?」
「そうね、もしかしたら午前中出かけることになるかもしれないから、午前中はここに居てくれないかしら?」
「……了解した」

 食事をしながら一日の予定を確認する。
 将志は永琳の予定を聞くと、自分の予定を微調整する。
 そうして雑談交じりの食事が終わると、将志は後片付けをして槍を持って外へ出て、食後の運動を始める。
 この運動は自分の能力の扱いの練習も兼ねていて、将志にとって最も重要な運動とも言えよう。

「……はっ」

 将志は抜き手で目の前の金属の塊をつらぬく。
 2m四方の巨大な金属の塊は日々の特訓によって穴だらけになっていて、将志の努力の程が窺える。
 
「……せいっ」
 
 将志がしばらく突き込んでいると、金属の塊が限界を迎えて崩れ落ちた。
 金属塊が音を立てて自らに手を突き入れている将志の上に崩れ落ちる。

「のおおおっ!?」
「将志、またなの!? そうなる前に言いなさいって何度も言ってるでしょう!?」

 その際に金属片に埋もれて気を失い、将志の断末魔を聞き付けた永琳が血相を変えて飛んでくるのもいつものことである。 


 
 さて、永琳の治療によって眼を覚ました将志は、今度はテレビが置いてある部屋に向かう。
 そこで将志は小型のメディアを取り出して、プレーヤーにセットする。
 
「さあ、今宵の料理の超人はどのような物を出してくるのか? そしてそれに対し挑戦者はどんな料理で対抗するのか! 今ここに世紀の料理対決が開宴します!」

 中に録画されていたのはプロの料理人同士が料理の腕を競う料理番組だった。
 将志はその番組の料理人が調理している風景を食い入るように見つめる。
 そして料理人が技を繰り出すたびに巻き戻し、その技を目に焼き付ける。

「……ふむ」

 料理人の技をしっかりと覚えた将志は、早速実践すべく料理場へ向かう。
 そしてその料理人が作っていた料理を自らの全力で持って作る。
 全ては主に喜んでもらうためであり、将志はそのための努力を惜しまない。
 失敗作をいくつも作っては、自分が納得のいくまで作り直すのだった。

「……ま、また随分作ったものね……」
「……そうだな」

 その結果、将志は昼食に大量の失敗作を処理することになり、永琳がそれにひきつった笑みを浮かべるのが常となっている。
 なお、永琳には一番上手く出来たものを昼食に提供しており、かなり好評である。
 将志がプロ並みの料理人になる日は近い。


「……主、出かけてくる」
「ああ、行ってらっしゃい。どれくらいで帰ってくるつもりかしら?」
「……少し遅くなりそうだ」
「そう、分かったわ。それじゃあ晩御飯は先に食べてるわね」
「……夕食はいつも通り冷蔵庫に入っている。それでは、行ってくる」

 午後になると将志は決まって町に足を運ぶ。
 永琳からもらったペンダントのおかげで将志が妖怪だとバレることは無い。
 ……もっとも、周りが洋服を着ている中、一人で和服を着て布を巻いた長物を持ち歩くその姿は途轍もなく目立つが。

 将志が向かった先は摩天楼群から少し離れたところの路地にあるログハウスの喫茶店。
 いつの日か永琳に連れて行ってもらったあの店である。

「あ、将くん待ってたよ。さ、早く着替えて手伝ってくれるかい? お客さんが多くて手が回らないんだ」
「……了解した」

 将志はマスターにそう言うと店の奥に入っていつもの服から店の制服に着替える。
 黒いズボンとベストに白いワイシャツ、そして赤いネクタイと言う格好で厨房に戻ってきた。
 
「来たね、それじゃあこれを五番テーブルに運んでくれないかい?」
「……了解した」

 将志はマスターから品物を受け取ると五番テーブルまで運んで行く。

「……ブレンドと紅茶のシフォンだ」

 将志は仏頂面で、しかし丁寧に仕事をこなす。


 そう、将志はこの喫茶店で昼から夕方までバイトしているのである。
 その理由は、料理の練習に使う食材の代金を稼ぐためと、ここのマスターのコーヒーや紅茶を淹れる技を盗むためである。
 なお、無愛想だがその丁寧な仕事ぶりから客には割と受け入れられているようだ。


 え、主大好きの彼が主を放り出して何でそんなことを出来るのかって?
 またまたご冗談を、あの忠犬槍公が主を放り出していけるわきゃねえのである。
 じゃあどうしているかと言えば、

「……主を頼む」
「君が笑顔になるならお安いご用さ♪」

 と言う訳で、将志がバイトに言っている間は愛梨が留守を密かに預かっていたりするのである。

 閑話休題。


 夜が近づき喫茶店から客足が遠のくと、将志とマスターは二人でカウンターの前に立つ。
 マスターの前で将志は自らの手でコーヒーを淹れる。
 香ばしい匂いと共にコーヒーが淹れられ、将志はそれを二つのカップに注ぐ。
 マスターはそれを受け取ると、それを口に含んだ。

「うん、結構良くはなってるけどまだ少しお湯の温度が高いかな? ちょっと香りが飛んじゃってるね」
「……そうか……」
「でも、これくらいのレベルならあと少しでお客さんに出せるレベルのものが出来ると思うよ。頑張ってね」
「……そうか」

 マスターの評価を受け取り、改善点を確認しながら自分が淹れたコーヒーを飲む。
 このコーヒーは日によっては紅茶だったりするが、そちらも将志は勉強中である。
 
「……指導に感謝する」
「どういたしまして、次も宜しくね」

 それが終わると買い物をして研究所に戻る。
 研究所に帰ると真っ先に愛梨の元に行き、引き継ぎを受ける。

「……主に変わりは無いか?」
「無いよ♪ それじゃ後でね♪」

 それを済ますと次は緑茶を淹れ、永琳のラボに持っていく。

「……主、茶が入った」
「あら、ありがとう。今日の晩御飯もおいしかったわよ」
「……そうか」 

 永琳の感想に頷くと、今度は自分の夕飯を作る。
 今日の様に永琳と別に食べる場合、やはり料理の特訓が始まる。
 なお、永琳と一緒に食べる場合は何事もなく雑談をしながらの夕食になるのだった。
 そうして出来た料理を腹に収めると、三度槍を持って鍛錬をする。

「やあ♪ また来たよ♪」

 陽気な笑顔を浮かべた顔なじみのピエロがボールに乗ってやってきたら槍を収めて、今度は妖力を操作する特訓が始まる。

「う~ん……だいぶ良くなってるけど、数が増えるといまいち制御が上手くいかないみたいだね♪」
「……む」

 将志は愛梨に妖力の操作を一から教わっていて、妖力を形にするところからその変換や数の増加など幅広く習っている。
 その結果、こちらも槍術程ではないが進歩していっているのだった。
 
「それじゃあ、ちょっと遊んでみようか♪」
「……良いぞ」

 愛梨はそう言いながら妖力で大量の玉を作って将志に向けて飛ばす。
 将志もそれを同じように妖力で弾丸を作って愛梨に向かって放つ。
 これは二人の間の特訓を兼ねた遊びで、妖力操作の特訓の最後に必ず行っているものだ。
 これをすることで将志は妖力の操作、愛梨は攻撃の回避の練習になるのだった。

「……っ」

 愛梨の複雑な攻撃を、将志はすいすいと潜り抜けていく。
 初めのうちは避けきれずに槍で受けることもあったが、最近では槍を使わずとも愛梨の攻撃を避けられるようになっていた。
 しばらくすると、愛梨からの攻撃が止む。

「……終わりか?」
「そうだね♪ また全部避けられちゃった♪」

 愛梨が可愛らしく舌を出してはにかみながらそう言うと特訓終了。
 それと同時に二人は真っすぐ台所に向かう。
 この時間になると夜も遅く、永琳もとっくに就寝しているので音を立てないように注意して向かう。
 なお、将志は愛梨を研究所に立ちいらせることの許可を永琳から台所と通路限定でもらっている。
 
「……出来たぞ」
「わぁ♪ これはまたおいしそうだね♪」

 ここでも例によって例のごとく料理の試作品を作る。
 将志にとってここは自分の料理の意見が貰える貴重な場所であり、やはり将志は気合をいれて料理を作る。
 愛梨にとってはおいしいご飯が食べられるところなので、愛梨はこの時間をとても楽しみにしている。
 なお、毎夜毎夜ここで出される料理のせいで段々と愛梨の舌が肥えてきているが、二人とも特に気にしない。
 将志はそれならそれでそれを納得させられるように努力するし、愛梨は愛梨でどのみち将志の料理の腕が上がってくるので問題は無いのだ。
 ……将志が槍の妖怪なのか料理の妖怪なのか分からなくなってきている気がするが、瑣末な問題である。

「ん~♪ おいしい♪ この魚、塩味が良く効いてておいしいよ♪ オリーブオイルの風味もいいね♪」
「……そうか」

 にっこり笑っておいしそうに食べる愛梨の顔を見て、将志は満足げに微笑を浮かべる。
 
「はい、笑顔一つ頂きました♪ 良い笑顔だよ、将志くん♪」
「…………そうか」

 愛梨にそう言われて将志は気恥ずかしげにそっぽを向いた。
 それを見て、愛梨は浮かべた笑みを深くした。

「キャハハ☆ 照れた将志くんは可愛いなぁ♪」
「……うるさい」

 こうして料理の品評会が少し続いた後、食後のお茶会が開かれる。
 今回は今日教わったコーヒーを二人で飲む。

「ふぅ♪ 食後のコーヒーもおいしいな♪」
「……まだまだだな」

 笑顔でコーヒーを飲む愛梨の横で、将志は自分の淹れたコーヒーを飲んでそう呟いた。
 すると愛梨はキョトンとした表情を浮かべる。

「えっ、これでダメなのかい?」
「……マスターのコーヒーには届かん」
「本当に自分に厳しいなぁ、君は♪」

 苦い表情を浮かべる将志に、愛梨はニコニコと笑いかける。
 このようなやり取りが大体毎夜行われるのだった。
 そうしてお茶会が終わると、将志は愛梨を見送る。

「将志くん、また明日♪」
「……ああ」

 その後はサッと風呂に入って、部屋に戻るとベッドの上に座り壁に寄りかかって眠りに就くのだ。
 


 ……こんな日々が何年か続いたある日、将志は永琳に呼び出された。

「……主、どうかしたのか?」
「将志、月に行くわよ」

 唐突にそう言われて、将志は首をかしげた。

「……月に行く? 何故だ?」
「近年の妖怪の被害やその他諸々の問題から、議会でこの都市を放棄することが決まったのよ。その移住先が月なのよ。今までは理論上永住が可能であるとなっていたのだけれど、実地試験で確証が得られたから、本格的に移住が始まることになったというわけ」
「……俺の扱いはどうする気だ?」
「あなたは私の連れと言うことにしてあるからちゃんと月で暮らせるわよ。その代わり、これまで以上に妖怪だとバレないようにしないとならないけどね」

 永琳は将志の処遇を淡々と説明した。
 それを聞いて、将志は小さく頷いた。

「……そうか。いつ発つのだ?」
「一週間後よ。それまでに将志も準備をしておきなさい」
「……了解した」

 将志はそう言うと永琳の部屋を後にした。
 月に行くことに関しては将志は特に異論は無かった。
 主が月に行くと言うのだ、それについて行くのを断る理由は無いし、その気もない。
 将志はそう思いながらその一週間の間ですることが無いかを考え始めた。
 あれこれ考えていると、ふとあることが脳裏によぎった。

 自分は地球には何の未練もないはずだ。だが――――

『それじゃ、将志くん♪ また明日♪』

 ――――あの太陽の様な笑顔がもう見られないのは少しさびしいかもしれない。

「……せめて挨拶くらいはしておくべきか」

 将志は次に愛梨にあった時に、別れについて話すことを心に決めると、その日の夕食を作るべく調理場に向かうのだった。



[29218] 銀の槍、別れ話をする
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/06 21:38
 永琳から月への移住を告げられた翌日の夜、将志はいつも通り槍を振るっていた。
 その槍捌きはいつも通り冴えており、将志の心に乱れが無いことが見て取れる。

「やっほ♪ こんばんは、将志くん♪」

 そこに、笑顔のまぶしいピエロの少女がオレンジと黄色に塗られたボールに乗ってやってきた。

「……来たか」

 将志はそれを確認すると槍を収め、愛梨の方を見た。
 愛梨はいつものようにボールの上に座っていた。
 将志がジッとその様子を見ていると、愛梨がその視線に気づく。

「あれ、今日は何かいつもと雰囲気が違うね♪ 何か僕に言いたいことでもあるのかな?」

 愛梨はそう言って笑顔のまま首をかしげ、瑠璃色の瞳でじーっと将志を見つめる。
 それに対して、将志はゆっくりと頷いた。

「……ああ。だがそれは後で話そう。今は練習をするとしよう」
「おっけ♪ それじゃ、早速始めよっか♪」

 そう言うと二人はいつも通り妖力操作の練習を始めた。
 この数年間で将志の妖力操作も慣れたもので、今では教官役の愛梨に追いつかん勢いである。
 将志は妖力を銀色の炎に変えて自分の周りにいくつも浮かべている。
 愛梨はその様子を自分も同じように虹色の炎を浮かべながら見ている。

「うんうん♪ 将志くんもだいぶ制御が上手くなったね♪」
「……そうでもない。空を飛ぶことに関してはまだまだだ。まだ走る方が早い」
「そ、それは君の脚が速すぎるだけだと思うな~♪」

 厳しい表情を浮かべる将志に、愛梨はうぐいす色の髪の頭を掻いて苦笑いを浮かべた。
 実際空を飛んだ時、将志は愛梨と同じか少し劣る程度の速さは出ている。
 しかし将志の場合は妖力を使って空を飛ぶよりも、妖力を使って作った足場を蹴って移動したほうがはるかに速いのだった。

 誤解がないように言っておくが、愛梨も決して弱い訳ではない。
 愛梨も能力が持つほどの実力者であるし、仮に対妖怪用の武器を持った人間に襲われてもそれに対処する力はあるのだ。
 単に将志の身体能力が異常なだけである。

「じゃあ、今日は練習はこれくらいにしてあそぼっか♪」
「……良いぞ」

 将志はそう言うと自分の周りに円錐状の銀の弾丸を生みだした。
 一方の愛梨も、手にした黒いステッキから様々な色の弾丸を作り出して自分の周りに浮かべた。

「それじゃあ将志くん、宜しくね♪」
「……ああ、宜しく頼む」

 愛梨がシルクハットを取って恭しく礼をすると、将志も礼を返した。
 二人が顔を上げた瞬間、銀の弾丸が愛梨に飛んでいき、様々な色の弾丸が将志に向かって飛んでいく。
 それと同時に、二人も空を飛んで弾丸を避け始める。

「キャハハ☆ まずはウォーミングアップだね♪」
「……そう言うところだな」

 愛梨は銀の雨を楽しそうに潜り抜けていき、将志は必要最低限の動きで無駄なく躱していく。
 こと回避に関して言えば、将志は愛梨よりもはるかに上手い。
 何しろ将志は耐久力の問題で、一発でも被弾しようものなら即座に戦闘不能になってしまうのだ。
 そこで将志は死ぬ気で回避を練習した結果、身体能力も相まって驚くべき回避性能を得ることに成功したのだった。

 一方の愛梨も将志の妖力制御が上手くなって弾数が増えていくにしたがって、回避の腕前は上がっていっている。
 それに加えて、回避上手な将志に何とか一発当てようと努力した結果、愛梨自身の妖力制御技術や弾幕の密度も上がっていくのだった。

「……そろそろ行くぞ」
「おっけ♪ こっちもいっくよ~♪」

 お互いにそう言うと、それぞれの弾幕の密度が跳ね上がった。
 それに応じて、避ける側も一気に動く速度を上げる。

「……せいっ」

 将志は銀の弾丸の雨の合間に、槍の形に固めた妖力を投げつける。
 弾幕で相手の動きを制限された中で投げつけられるそれは、高速で愛梨に向かって迫る。
 しかも、その槍は船が通った後の波の様に弾丸をばらまいていく。

「おっと♪」

 愛梨は風を切って飛んでくるそれを、トランプの柄が書かれた黄色いスカートを翻しながらギリギリで避ける。
 そのお返しに、五つの玉を将志に向かって飛ばす。
 五つの玉は将志を囲む様に飛んでいき、将志がその中心に入った瞬間爆発して大量の弾をばらまいた。

「……ちっ」

 将志はとっさに足場を作り、その常識はずれな脚力で一気にその場から離脱した。
 将志を狙った弾丸は彼の紺色の袴をかすめるにとどまり、本人は被弾しなかった。

「すごいなぁ♪ あれも避けちゃうんだ♪」

 愛梨は自分の攻撃を避けられたと言うのに、嬉しそうにそう笑った。
 それは、今この時間を心の底から楽しんでいる事を示した証拠であった。

「……」

 将志はその表情を見て、内心複雑な心境を抱えていた。
 この笑顔が見られるのも、あと数回もない。
 正直に言って、将志はこの笑顔を見るのが好きだ。
 だが、一番大事な主を守るためには、別れも仕方がないことだ。

「あっ!?」

 将志が弾幕を避けながらそんなことを考えていると、突然愛梨が焦ったような声を上げた。

「……む? ぐはああ!?」

 それに気が付いた瞬間、将志は研究所の壁に勢いよく頭から突っ込んで行った。
 当然、頭に棚の上から湯呑が落ちてきた位で気絶する将志に耐えきれる筈は無く、将志は気を失った。


 *  *  *  *  *


「……うっ……」

 将志が目を覚ますと、そこは研究所内の台所だった。
 頭の上には濡れタオルが置かれていて、その心地よい冷たさが激しくぶつけた痛みを癒す。
 体には体が冷えないように配慮されたものなのか、オレンジ色のジャケットが掛けられていた。

「あっ、気が付いたみたいだね♪」

 声がする方を見てみると、ジャケットを脱いでブラウス姿の愛梨がこちらを見ていた。
 将志が体を起こすと、愛梨は安心したように笑みを浮かべた。

「びっくりしたよ、突然壁に向かって突っ込むんだもの♪ どうかしたのかな?」
「……少し、考え事をな」

 首をかしげる愛梨に、将志は小さく息を吐きながらそう答えた。
 それを聞いて、愛梨は反対方向に首をかしげた。

「それは、今日話したいことに関係することかな?」
「……ああ」

 将志はそう言って立ち上がると、愛梨にジャケットを返して調理場に向かう。

「将志くん?」
「……心配をかけたな。すぐに食事を作るから待っていろ」

 将志はそう言うと冷蔵庫から食材を取り出して料理を始める。
 調理場は将志が調達してきた調理道具で溢れていて、作れない料理は無いと言わんばかりに並べられていた。
 その中から、将志はひと際丁寧に管理されている包丁に手を付ける。
 包丁は将志が手に取った瞬間、意思を持っているかのようにキラリと光った。

「……始めるか」

 将志は手にした『六花』と銘打たれた包丁でまたたく間に食材を切っていく。
 何度も何度も料理のプロの包丁捌きを見返して盗んだそれは、その手本となった動きに遜色ない。
 全ての食材を切り終わった後、将志はそれらを調理していく。
 その間にも様々な小技を積み重ねて、少しでもおいしくなるように工夫をする。
 そうして出来た料理は、見た目も色鮮やかで食欲を誘う香りを放つ見事なものだった。

「……出来たぞ」
「いやいや、相変わらずすごいね♪ 流石は料理の超人に勝ったシェフだね♪」

 愛梨はそう言いながら台所の隅に置かれたトロフィーを指差した。
 そう、将志は自分が料理の研究のために見ていた番組に出演し、勝利を収めていたのだ。
 なお、出演するきっかけになったのは、

「将志、随分と料理の腕を上げたわね。いっそのこと、料理の超人にでも出てみたら?」

 と永琳が冗談めかして言った言葉を真に受けたためである。
 この勝利によって将志には様々なレストランからスカウトが来るようになったが、全てを断っている。
 ……加えて言えば、すべて独学でここまで上り詰めたところから『料理の妖怪』等と言う妙に的を得た称号を得ている。

「……そんなことはどうでも良い。早く食わないと冷めるぞ?」
「そうだね♪ それじゃ、いただきます♪」

 将志に促されて愛梨は目の前の料理に手を付けた。
 食材こそ町のスーパーで売られているようなものであったが、将志の手腕によって極上の一品に仕上がっていたそれを口にした愛梨の顔からは笑顔がこぼれる。

「う~ん、おいしい♪ 本当にお店が開けそうな味だよ♪ ねえねえ、やってみる気は無いのかい?」
「……俺の料理は主の為のものだ。売り物にする気は無い」
「でも、僕はそれを食べさせてもらってるけど?」
「……それは日頃の礼だ。そうでなければ振る舞ったりなどせん」

 将志は淡々と愛梨にそう告げる。
 それを聞いて、愛梨は嬉しそうに笑った。

「そっか♪ つまり僕は君にとって特別なんだね♪ 嬉しいな♪」
「……かもしれんな」

 愛梨は将志の呟きを聞いて、料理を食べる手を止めた。
 普段の彼であるならば「うるさい」と言ってそっぽを向くのだが、今日の将志は心ここにあらずといった様子で呟くのみなのだ。
 そんな将志の変化に、愛梨は首をかしげ、瑠璃色の眼でじーっと将志を見つめる。

 「……将志くん、本当にどうしたんだい? さっきの特訓の時といい、今の受け答えといい、何か変だよ?」

 愛梨の言葉に、将志は眼を閉じて軽くため息をついた。
 そして静かに目を開けると、話を切り出した。

「……実はな……月に移住することになった」
「……え?」

 将志の一言に愛梨は呆けた表情を浮かべた。
 将志は眼を伏せ、話を続ける。

「……何でも、町の議会がこの都市を放棄することに決めたらしくてな、住民全員月に移り住むことになったらしい。無論主もその中の一人に含まれているし、俺も主についていくことになる」
「そ、それじゃ……」
「……ああ、お前とももう会えなくなる」

 うろたえる愛梨に、はっきりと会えなくなることを将志は告げた。
 愛梨は力なく腕を下げ、俯く。

「……いつ、月に行くんだい?」
「……六日後、だ。いや、もう日付も回ったから残り五日か」
「そっか……寂しくなるな……」

 いつも太陽みたいな笑みを浮かべていた愛梨の寂しげな表情に、将志の心がチクリと痛む。
 数少ない友人、それも永琳を除けば一番の親友とも言える愛梨を悲しませた事実は、将志の胸に突き刺さった。

「……すまない」
「ううん、君が謝ることは無いよ♪ 決まっちゃったものは仕方がないさ♪」

 謝る将志に、そう言って笑顔で答える愛梨。
 しかし、その表情は普段通りではなく、どこか痛ましい笑顔だった。

「そ、そうだ♪ ちょっと喉が渇いたから、コーヒーをもらえないかな? ついこの間免許皆伝を受けたコーヒーが飲みたいな♪」
「……ああ。すぐに用意しよう」

 つらい感情をごまかすような愛梨の言動に耐えかね、将志は調理場に引っ込む。
 そして自分の心をごまかすように湯を沸かし、豆を挽き始めた。
 
「…………」

 深呼吸をし、黙想をすることで自らの心を落ち着かせ、コーヒーを淹れることに集中する。
 そうやって愛梨のために淹れられたコーヒーは、悲しいほど最高の出来栄えだった。

「……待たせた」
「ありがと♪ ……良い香りだね♪」

 愛梨はいつの間にか料理を食べ終えており、将志からコーヒーを受け取るとまずはその香りを楽しみ、口に含む。
 将志はその様子を食い入るように見つめている。

「ふぅ……おいしいや……これが君がずっと追いかけてきた味なんだね♪」
「……ああ。たどりつくのには苦労した」

 どこか切ないが、それでも自然に笑ってくれた愛梨に将志は笑いかける。
 すると愛梨はそれに笑い返した。

「あ、今日初めての笑顔頂きました♪ やっぱり君は笑顔が一番だよ♪」
「……そうか」

 将志は愛梨の言葉に微笑を浮かべて頷き返す。 
 それはしばらくしてコーヒーを飲み終わるまで続けられた。

「それじゃ、今日はこの辺で帰るね♪」
「……ああ」

 愛梨はそう言いながら来るときに乗ってきたボールに飛び乗る。
 
「それじゃあね~♪」

 愛梨は将志に手を振りながら、弾むボールに乗って去っていく。
 将志はそれに対して手を振り返して見送った。



 
 それから愛梨は将志の所に顔を出さなくなった。
 将志は毎晩いつものように槍を振るっていたが、陽気なピエロはついに現れることは無かった。
 そして月へ旅立つ前日、将志は槍を振るうでもなく、地上から見る最後の月を眺めていた。
 すると、将志の背後から誰かが近付く気配がした。
 将志がその気配に振り向くと、そこには永琳が立っていた。

「珍しいわね、将志。あなたが外に出て槍を振るわずに空を眺めるなんて。何かあったのかしら?」
「……いや、明日にはあの場所に旅立つのだな、と思ってな」

 将志はそう言うと、視線を空に映る蒼い満月に向けた。
 永琳も将志の隣に立ち、同じようにその月を眺めた。

「穢れの無い世界、ね……そこに行けば人はもう死に怯えることもなく生きられる……将志、これをどう思うかしら?」

 永琳の唐突な問いかけに将志は首をかしげ、考え込んだ。

「……分からん。そもそも、俺は死ねるのか?」

 将志の答えを聞いて、永琳は苦笑を浮かべた。

「そうか……そう言えばあなたは死ねるかどうかすら分からないのよね……それじゃあ、あなたは死についてはどう思うかしら?」

 永琳の質問に将志は俯いて再び考え込む。
 しばらく考えて、将志は顔を上げた。

「……やはり分からん。分からないが、それでも死という概念があるからには、そこには何か意味があるのだと思う。逆に、死なないことにも何か意味があるのだろうとも思う」
「そう……あなたはそう考えるのね……」
「……主?」

 眼を閉じて将志の言葉の意味を捉える永琳。
 将志は質問の意図が分からず、永琳に声をかける。
 すると永琳は眼を開き、言葉を紡ぎ始めた。

「私はね、正直にいえば寿命が延びることはどうでも良いのよ。精々が無限に時間を与えられることで出来ることが増えるくらいだしね」
「……では、何故あのような質問を?」

 将志の質問に永琳は言葉を詰まらせる。

「……何故でしょうね? 本来ならば、永遠に与えられた時間をどう生きるかを考えるべきなんでしょうけど……これから失うものに対する未練、かしらね?」

 自分でも良く分からないという風にそう口にする永琳。
 それに対し、将志は月を見上げて質問を重ねる。

「……死に未練があるのか?」
「無いと言えば嘘になるわね。私は医師でもあって、死に抗うための研究をしていたから」
「……では、主は無限の時間をどう過ごす?」
「さあ? 何をするかなんてその時にならないと分からないわよ? 何か研究をしているかもしれないし、教育者として教鞭を振るっているかもしれないわ。そう言うあなたはどうするつもりかしら?」

 永琳の質問に将志は眼を閉じた。思い浮かべるのはピエロの友人の姿。
 そして月から何か彼女のために出来る事が無いか考えるが、思いつかない。
 将志は月を見上げる。するとそこには、愛梨の右眼の下に描かれたものとそっくりな蒼い三日月が浮かんでいた。
 それを見ながら、将志は自分がすべきことを思い出す。
 そして、一つ息を吐いて永琳の方に向き直った。

「……俺は何をしていようと変わらん。俺はただ、主に忠を尽くすのみだ」

 将志は一切の迷いもなく、力強くそう言い切った。
 それを聞いて、永琳は蒼く輝く月の様な、綺麗で穏やかな笑みを浮かべた。

「そう……それならこれからも頼りにさせてもらうわよ?」
「……ああ」

 笑いかけてくる永琳に将志は頷き返すと、再び月を見上げた。
 永琳もその隣で静かに月を見上げる。
 そんな二人を、月はただただ蒼く柔らかい光で照らしだしていた。




[29218] 番外:槍の主、テレビを見る
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/06 21:56
 将志が永琳の友人となってしばらく経ったある日のこと、永琳はいつものように研究所で実験データを見ながら理論を組み立てていた。
 この日将志は出かけており、いつ帰ってくるか分からないとのことだった。

「……それにしても、将志はどこで何をしてるのかしら……」

 永琳はやたらと気合の入った表情を浮かべて出かけていった親友の顔を思い浮かべた。
 一度考え出すと、永琳は組み立てていた理論を一度棚に置き、大きく伸びをした。

「さて、喉も渇いたことだし、一度休憩にしようかしら」

 永琳はそう呟くと、台所に言ってお茶を淹れ、休憩室にやってきた。
 その白い壁紙の休憩室のなかには観葉植物などが植えられていて、リラックスできる空間になっていた。
 その部屋にある白いソファーに座ると、永琳はお茶をすすった。

「……ふぅ、やっぱり将志が淹れたお茶には敵わないわね……」

 日ごろ世話をしてくれている親友に感謝しながら、永琳はテレビの電源を入れた。
 すると、いつも将志が見ている番組が放送されていた。
 なおこの番組は、ふだん所謂ゴールデンタイムに放送されている視聴率の高い番組であった。

「さあ、生放送でお送りしている今日の料理の超人スペシャル、数多くの料理人達のによって繰り広げられてきた激戦を勝ちあがってきた男が、満を持して超人に挑みます! それでは、出でよ挑戦者!」

 司会の一言でスモークが噴き上がり、ゲートが煙で覆われる。
 永琳はお茶を飲みながら新聞のテレビ番組表を見て、見たい番組を探している。

「本日の挑戦者、並み居る強豪を相手に奇抜なセンスの料理を繰り出し、圧倒的なポイントで薙ぎ倒してきた最強の素人、槍ヶ岳 将志の入場です!」

 ぶはぁっ。

 永琳は突然聞こえてきた名前に緑茶を噴き出した。

「……え?」

 永琳は緑茶にぬれた顔をぬぐうことも忘れ、呆然とした表情でテレビに眼を移した。
 するとそこには、いつも見慣れた仏頂面があった。

「な、何をやっているのよ、あなた!?」

 思わずそう叫ぶ永琳を余所に、司会は将志と話を始める。

「槍ヶ岳さんはどこかで修業を積んでいらしたんですか?」
「……いや、すべて独学だ」
「それにしてはプロ顔負けの技をたくさん使っていましたが、どこで覚えたものですか?」
「……この番組を見て覚え、出来るようになるまで、納得できるまで何度も練習をした」
「あ、いつもご視聴ありがとうございます。それと、これまでユニークな料理が多く出ていましたが、あれはどうやって考えられたものなんですか?」
「……単に味が合いそうだから作ったものだ。恐らく、学がないからこそ出来たものだと思う」
「それでは最後に、今回の戦いに対する意気込みをどうぞ」
「……応援している人のためにも、全力を尽くす」

 永琳は淡々としゃべる将志が実はガチガチに緊張しているのが分かった。
 何故なら、眼を閉じっぱなしにして周りを全く見ていないからだ。
 これは将志の緊張した時に良くやる癖だった。

「ありがとうございます。さあ、この恐ろしいまでの料理センスを持つ男を迎え撃つのは……」

 対戦相手を紹介している間に、永琳は台所から夕食を持ってくることにした。
 今日の夕食は、黄金の煮こごりを使った冷たい前菜に、じっくりと煮込まれたソラマメのポタージュ、冷めてなお芳醇な香りを放つパンに、肉が口の中でとろけるようなビーフシチュー、そして飴細工の飾りが付いたフルーツケーキ。
 ……誰がどう見ても、一般家庭で通常出るような料理では無かった。
 なお、この一見豪華なコース料理がここでは希望によって和・洋・中と形を変えて毎日出ている。
 しかも、材料は全て近所のスーパーで売られているありふれたものである。
 流石将志、まったくもって自重をしやしねえ。

「それでは、調理、開始!」

 司会の一言で料理が始まる。
 両者ともに会場の真ん中に置いてある食材から欲しいものを取り、調理を始める。
 料理の超人は流石のもので、次から次に手際よく料理を作っていく。
 一方の将志も、手際良く料理を作っているのだが……

「……はっ」

 何かパフォーマンスが始まっている。
 フライパンから昇るフランべの火柱、宙を舞う料理、素早い飾り切り。
 その光景が面白いので、カメラは将志の手元に釘づけになる。

 ……実はこれ、愛梨が仕込んだ芸だったりする。
 愛梨が面白半分でやって見せたところ、将志が本気になり、猛特訓を重ねた結果が今の料理法である。
 なお、その技術は将志の体にしっかりと染みついており、眼をつぶってても出来るようになっていた。

「…………」

 永琳は将志の料理の光景を見て食事の手を止め、手元にある料理をじっと眺めた。
 今食べている料理が、どんな様子で作られたのか気になったのだ。
 当然の反応である。

「さあ、勝負も佳境に入ってまいりました! 両名共に仕上げの段階に入っております!」

 司会の言葉に、制限時間が迫っていることが言外に告げられた。
 
 料理の超人の料理は、見た目は正統派のフランス料理だが、中身は別物。
 細部まで事細かに仕事がしてあり、見た目も色鮮やかである。
 食べればその芳醇な味わいが口の中に広がるのは約束されたようなものである。

 一方の将志の料理は、一目で従来の料理の型にはまっていないことが分かる料理だった。
 パッと見たときには洋風に見えるが、アクセントを加えているのは和の食材である。
 色とりどりの食材で構成されたそれからは、どんな味がするのか想像もつかない。

「それでは、試食タイムと参りましょう。まずは挑戦者、槍ヶ岳将志の料理からです!」

 司会の一言で、将志の料理が審査員の前に運ばれてくる。
 そして、審査員たちは一斉にそれを口にした。

「ンまぁーーーーーい!」
「うーーーーーまーーーーーいーーーーーぞーーーーーーーー!!」

 二人目の審査員が評を口にした瞬間、画像が乱れた。
 画面はブラックアウトし、信号が途絶えたのが分かる。

「……何事?」

 テレビの前の永琳は何が起きたのか訳が分からず、放送再開を待った。
 しばらくすると、別のカメラが起動し会場を映し出した。
 会場には、何故かビームか何かが薙ぎ払ったような跡があった。

「えー、大変申し訳ありませんが、時間の都合上すぐに判定に移りたいと思います。それでは、点数の表示を、お願いいします!」

 会場のライトが落とされ、ドラムの音が鳴り響く。
 テレビに映し出された将志は眼を閉じ、緊張した面持ちであった。
 それに合わせて、永琳も背筋を伸ばして、緊張した面持ちで結果発表を待つ。

 「挑戦者、9点、9店、10点、トータル、28点! 超人、9点、9点、9点、トータル27点!! よって、挑戦者、槍ヶ岳将志の勝利です! おめでとうございます!!」

 司会の言葉と共に将志にスポットライトが当たる。
 その結果を受けて、将志は誇らしげな微笑を浮かべて礼をした。

「……お祝い、どうしようかしら?」

 永琳はテレビを見ながら、自分の親友と呼べる人物に対する祝いの品について考えだした。
 



 そしてその翌日。
 永琳が部屋で過去の文献を確認していると、通信が入った。
 相手は買い物に出ていた将志だった。

「もしもし、どうかしたのかしら?」
「……主、助けてくれ……」
「え?」

 将志は若干憔悴した声で永琳に答える。
 永琳は訳が分からず、聞き返した。

「ちょっと、どうしたの!?」
「……何故かは知らんが、人に追われている」

 その言葉を聞いて、永琳は気を引き締めた。
 小さく深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。

「将志、追手の人数は?」
「……今は三人だ」
「人並みの速度で撒ける?」
「……いや、相手はかなり足が速い上に、チームワークが良い。人間の速度では振り切れん」
「それじゃあ……?」

 永琳はここまで聞いて、少し考えた。
 もし妖怪だとバレているなら、将志は連絡するまでもなく返り討ちにしているはずである。
 しかし、将志はそれをしていない。

「……将志。追手の装備は何かしら?」
「……カメラだ」

 その言葉を聞いて、永琳は一気に脱力した。

「……取材くらい受けてあげれば?」
「……カメラは……苦手なんだ……」

 将志は半分泣きそうな声で永琳にそう話す。
 永琳はそれを聞いて小さくため息をついた。

「……将志、一番早い方法を教えるわ」
「……何だ?」

 永琳の言葉に、将志は少し明るい声で方法を訊いてくる。
 それに対し、永琳はニッコリ笑って答える。

「……諦めなさい」
「……ぐ……」

 永琳の非情なる一言を聞いて、将志は絶望の声を上げる。
 それっきり、通信は途絶えた。
 無音になった部屋で、永琳は再び文献を読み始めることにした。




[29218] 銀の槍、意志を貫く
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/06 21:45
「将志、準備は出来たかしら?」
「……ああ、いつでも出られる」
「そう、それじゃ、出発しましょう」

 月へ移住する当日、将志と永琳は荷物を最低限まとめて研究所を出て、月へ向かうスペースシャトルの発射台へと向かった。
 公共の交通機関が全て停止しているため、二人は歩いて移動することになる。
 永琳の研究所は町のはずれにあるため、発射台のある基地からはもっとも遠い。
 その結果、かなりの距離を歩くことになる。

「…………」

 途中の街を、将志は黒曜石の様な眼でじっと眺めながら歩く。
 普段大勢の人々で賑わう街には誰もおらず、その綺麗なまま打ち捨てられた様子には物悲しいものがあった。
 ゆっくりと辺りを見回しながら歩く将志に、永琳が声をかけた。

「どうかしたのかしら?」
「……あれほど賑わったこの街路も、随分淋しくなったものだな。死んだように静かだ」

 そう語る将志の口調は、どこか淋しげだった。
 将志にとってはまだ短い生涯ではあるが、生まれてからずっと過ごしてきた街なのだ。
 それが無くなると言うのはやはり悲しいものなのであろう。
 そんな将志に、永琳は頷く。

「……そうね。人がいなくなると言うことは、街が死ぬと言うことですもの。その表現は言い得て妙ね」
「……そうか……街も死ぬのか……では、槍である俺もいつかは死ぬ時が来るのだろうか?」
「かもしれないわね。けど、来たとしても当分先だと思うわよ? 第一、あなたに死んでもらっては困るわ」

 二人はそう話しながら街中を歩いていく。
 すると、目の前に一件の古びた背の低い建物が見えてきた。
 そこは、かつて将志が包丁を買いに来た金物屋だった。
 通りざまに将志が外から中を覗くと、中にはまだかなりの量の金物が残っていた。
 そして、将志がとある一区画を見た時、彼は小さく笑みを浮かべた。

「……くく、あの店主らしいな」

 将志が見たのは、包丁が並べてあった一角だった。
 他のものが随分残されているにもかかわらず、包丁だけは全てが持ち出されていたのだ。
 将志はそれを確認すると、どことなく安堵感を感じながら自分の背負った鞄を見やった。
 その中には、ひと際丁寧に梱包された、将志の愛用する『六花』と銘打たれた包丁が入っていた。

「将志?」
「……ああ、今行く」

 突如立ち止った将志に、永琳が声をかける。
 将志はそれに応えると、駆け足で永琳の所に戻っていった。

 しばらく歩くと、摩天楼群を抜けて住宅街に入っていく。
 そして、二人はその中に一件のログハウスを見つけた。
 将志はその前で立ち止まり、ログハウスを見上げた。
 そこは、将志がずっと修業をしていた喫茶店だった。

「……ここも、今日で見納めか……」

 そう話す将志は、やはりどこか淋しげだった。
 そんな将志を見て、永琳はふと何かを思いついたような表情を浮かべた。

「ねえ、将志。少し寄って行かないかしら?」

 将志は突然の永琳の提案に首をかしげる。

「……主?」
「ほら、私達が乗るシャトルは最終便だし、今から行っても少し早すぎるのよ。だから、少し休憩したいと思うのだけど?」

 そう言って微笑む永琳を見て、将志は頷いた。

「……了解した。少し待っていてくれ」

 将志はそう言うと、鞄の中から鍵を取り出した。
 それは鞄の中に入りっぱなしになっていた、この店の鍵だった。
 将志は鍵を開けて中に入ると、思い出をかみしめる様にカウンターの中に入っていく。
 店の中の物は殆どが運び出された後であったが、その中の一角にぽつんとコーヒーセットとティーセットが一組ずつ置いてあった。
 将志はそれを確認すると、怪訝な表情でそれに近づく。
 すると、そこには一枚の置手紙が置いてあった。
 将志はそれに目を通した。

『将くんへ
 将くんのことだから、きっと月に行く前にこの店に来ると思って、この手紙を残します。
 月に来る前に、この思い出の詰まった店でコーヒーでも紅茶でも好きに楽しんでください。
 私は先に行って、将くんのことを待っています。
 月でまた一緒に喫茶店を盛り上げていきましょう!
                             マスターより』


「……マスター」

 将志は手紙を大事そうに懐にしまうと、永琳に声をかけた。
 
「……主、何か飲みたいものはあるか?」
「あら、今何か用意できるのかしら?」
「……紅茶でもコーヒーでもどちらでもな」
「そうね……それじゃ、コーヒーをもらおうかしら?」
「……了解した」

 永琳のオーダーを聞いて、将志はガスの元栓を開きお湯を沸かし始めると同時に、ミルでコーヒー豆を挽き始めた。
 将志はこの店で淹れられる最後のコーヒーを淹れるために、手際よく作業を進める。

「……出来たぞ」

 将志はカップにコーヒーを注ぐと、ソーサーに乗せ、カウンター席に座る永琳に出した。
 コーヒーは香り高く湯気を立て、将志の修業の成果が如実に現れている。
 永琳はそれを受け取ると、しばらく香りを楽しんだ後、口に含んだ。
 すると、口の中にさわやかな風味が漂うと同時に、深みのあるまろやかな苦みが広がった。

「ふふふ、流石ね。インスタント何かとは比べものにならないわ」
「……喜んでもらえて何よりだ」

 笑みをこぼした永琳に将志は満足げに頷き、自分の分のコーヒーを飲む。
 その味は、自分が修業を積んだ場所に対する敬意と感謝の籠った、温かみのある味だった。



 喫茶店を出て、二人は再び基地に向かう。
 基地の周囲では、妖怪の襲撃に備えて数多くの兵士達が待機していた。

「八意博士、お待ちしておりました。失礼ですが、乗船許可証の提示をお願いいたします」
「ええ、これで良いかしら?」

 永琳が入口に居る物々しい対妖怪用の銃を持った兵士に乗船許可証を見せると、兵士はそれを確認した。

「八意 永琳 様、槍ヶ岳 将志 様、確かに確認しました。それでは中にお入りください」

 そう言うと兵士は道を開け、二人は中へ入っていく。
 基地の中では、そこでは月へ向かうスペースシャトルがずらりと並んでいて、人々が乗り込んでいっていた。
 永琳が乗りこむのは兵士や技術者たちのために用意されたものであった。
 この計画の最高責任者である永琳は、不具合が起きた時などに備えて最後まで待機することになり、将志はそれに付き合う形になる。

「状況はどうかしら?」
「現状全く問題はありません。先発の船からのシグナルも異常は無く、全てが順調に行っております」
「そう。少しでも異常を見つけたらすぐに私に言いなさい」
「分かりました」

 この移住の指揮を取っている本部に着くと、永琳は早速中にいる技術者と話をする。
 その間、将志は技術者たちの邪魔にならないように本部の外で待機をする。
 そして、いくつかのシャトルが月へと旅立った時、兵士の一人が血相を変えて本部に飛び込んできた。

「大変です! 妖怪たちが今までにない大群でこちらに向かってきています!」

 その一報を受けて、本部は一気に騒然となった。

「落ち着きなさい! まだ妖怪たちが来るまで時間はあるわ! 全員緊急の会議を行うから、ただちに集合しなさい!」

 慌てだす技術者達を永琳はその一言で落ち着かせ、技術者と軍の上官を呼び集めた。
 役員全員が集まると、永琳を議長として緊急の会議が始まった。
 会議の内容は妖怪達の軍団の規模と進行状況、交戦までの時間、現存勢力での相手の撃退の可否など、様々なことが議題に上がった。
 その結果、交戦までの猶予はほぼなく、更に現在地上に残った軍の現存勢力での撃退は不可能であるなど、ネガティブな要素が多数確認された。
 そして会議の結果、シャトルの発射時間の繰り上げが決定し、全員に通達された。

「将志」

 会議が終わると、永琳は即座に将志の所へ向かった。
 シャトルの搭乗予定時刻よりはるかに早い主の登場に、将志は首をかしげた。

「……主? どうかしたのか?」
「シャトルの発射時間が繰り上がったわ。もうすぐ発射するから急いで乗りなさい」
「……了解した」

 永琳の言葉に頷き、将志は自分が乗る予定のシャトルに乗り込む。
 永琳もシャトルに乗り込むと通信室に入り、月の先遣隊との通信を始めた。

「月管制塔! 当方は妖怪達の攻撃を受けているわ! 今から残りの全機が発射するから急いで準備しなさい! ……無茶でも何でも良いから、死ぬ気でやりなさい! アウト!」

 永琳はそう言うと、通信を一方的に切断した。
 ちょうどその時、外から新たな報告が飛び込んだ。

「緊急連絡! 妖怪達が基地内への侵入を始めました! 物凄い勢いでこちらに侵攻しています!」
「何ですって!?」

 その報告に永琳は眉をしかめた。
 妖怪達の侵攻速度が算出されたものよりもはるかに速かったのだ。
 永琳は俯き、唇を強く噛んだ。
 切れた唇からは血が流れ、その白い肌に赤く線を引いた。
 そして、永琳は苦渋の決断を下した。

「……軍部に通達! 発射までシャトルを防衛しなさい! 生き残れば絶対に救援を寄越すわ!」

 その通達を受けて、軍の兵士達が次々とシャトルから飛び出し、シャトルを守るべく妖怪達との戦闘を開始した。
 兵士たちは理解していた。この戦場が自分達の死に場所になると。

「総員、何が何でも、燃え尽きるまでシャトルを守り通せ!!」

 兵士たちは仲間を守るため、自らの命を捨てて奮戦する。
 
「お前達、何としてでも人間共が月に行くのを阻止しろ!」

 一方の妖怪達も、何か譲れないものがあるらしく、捨て身の攻撃を仕掛けてくる。
 一人、また一人と人間もしくは妖怪が倒れていく。
 戦況はしばらくの間膠着状態に陥っていたが、物量に優る妖怪達が段々と押し始める。

「準備完了しました、発射します!」

 そんな中、一機、また一機とスペースシャトルは月に向かって飛び立っていく。
 そして、残るは永琳たちが乗ったものただ一機となった。

「ほ、報告します! 一,四,七中隊、全滅しました! 我が隊もほぼ壊滅、うわあああああああああ!!!」

 通信機からは、防衛部隊からの戦況報告が届く。
 そしてそのほとんどが、隊員の全滅を知らせるものだった。
 永琳はそれを悲痛な面持ちで聞き届ける。

「管制塔! 発射許可はまだ出ないの!?」
「こちら月管制塔、許可が下りました! 準備が整い次第発射してください!」
「了解!! 機長、ただちに発射を……」

 永琳は窓の外を見て凍りついた。
 何故なら、窓の外にこちらに迫ってくる妖怪の大群が見えたからだ。
 その前には防衛部隊はすでに存在していなかった。
 
 ――――間に合わない。

 永琳は奥歯を噛みしめ、来るべき衝撃に身構えた。



 ……しかし、いつまで経っても衝撃は来なかった。
 永琳が不思議に思って窓の外を見ると、妖怪達の大群を銀が切り裂いていくのが見えた。

「ま、まさか!」

 永琳は窓に駆け寄り、外を注視した。
 そこには、妖怪の大群を相手にたった一人、槍一本で立ち向かう銀髪の青年の姿があった。

「将志!」

 永琳は青年の名を叫んではめ殺しになっている窓を必死に叩く。
 すると将志はそれに気が付き、永琳の方を向いた。
 そして、今までにない形相で永琳に何か言葉を発した。
 それは明らかにこう言っていた。

 主! 何をやっている、早く行け! ……と

 永琳はそれを見た瞬間、思わず息を飲んだ。
 それと同時に将志を助ける方法を考えるが、出てこない。
 永琳は視界が真っ暗になり倒れそうになるが、何とか踏みとどまった。
 そして、

「……っ……機長! 準備が整い次第発射しなさい! この戦場で散っていった者のためにも絶対に月に行くわよ!」

 永琳は血が出るほどに拳を握りしめ、泣き叫ぶようにそう言った。
 ……その言葉は、天才ゆえに周囲から敬遠されてきた自分を主と呼ぶ、初めての親友との別れを意味していた。




 一方、シャトルの外では、将志が妖怪達を相手に手にした銀の槍で戦っていた。
 そんな彼の胸中には、主を守るという、強い使命感が渦巻いていた。
 その思いに応えるように銀の槍は主に害を為す妖怪達を薙ぎ払っていく。

「……はあっ!!」

 将志が槍を一振りすれば、近くにいた妖怪がまとめて倒れる。
 一突きすれば、前にいた妖怪がまとめて串刺しになる。
 その戦いぶりは、まさに獅子奮迅と言っても過言では無かった。

「くっ……人間共の中にこれほどの者がいたとは……」 

 大将格であろう妖怪が将志の戦いぶりを見て、思わずそうこぼした。
 妖怪の大将は将志を見やると、妖怪達に指示を出した。

「者ども、あの男は無視して背後の宇宙船を破壊せよ!」

 大将の指示に従って、妖怪達は一斉にシャトルに向かっていく。

「……船には誰一人として手を触れさせん!!」

 将志はその妖怪の中を眼にもとまらぬ速さで駆け抜ける。
 銀の軌跡が通り過ぎた所にいた妖怪は、一斉に崩れ落ちた。
 その人間としてはあまりに異常な様子を見て、妖怪の大将は将志を睨みつけた。

「……貴様、妖怪だな?」
「……それがどうした」
「妖怪の身でありながら、何故人間に味方する?」

 妖怪の大将の言葉を聞いて将志は小さくため息をついた。

「……何かと思えばそんなくだらない話か」
「何だと?」

 心底くだらないと言った表情で放たれた将志の言葉に、妖怪の大将は眉を吊り上げる。
 それに対し、将志は妖怪の大将を睨みつけ、槍の先端を大将に突き付けた。 

「……妖怪であろうが人間であろうが関係ない。俺はこの身に代えても主に忠を尽くし、主を守る。……誰に何と言われようと、俺はこの意志を貫く!!」

 そう言う将志の黒曜石の様な黒い瞳には、その言葉を裏付けるかのように強烈な意志が宿っていた。
 直後、その背後から轟音が鳴り響き、強烈な突風が吹き始めた。
 スペースシャトルが発進し、月に向かってどんどん高度を上げ始めた。

「くっ、者ども、追え!」

 大将の一言によって妖怪達は飛び立つシャトルに向かって飛び付き始める。
 その様子は、横から見ると塔の様に空へ向かって伸びていた。

「……その船に、主に触るなぁ!!」

 将志はその妖怪の塔を作りだす妖怪を蹴散らしながら、神速とも言える速度で駆け昇っていく。
 それは、一本の銀の槍が天を貫かんばかりに伸びていくように見えた。

「おおおおおお!!」
「ぐええええええ!!!」

 そして将志は、その塔の最上部にいた妖怪を貫く。
 いつしか将志は永琳の乗るスペースシャトルを追い抜いていた。
 後ろから追いかけてくる妖怪はもういない。
 将志は慣性に身を任せ、空を漂う。
 その空中で止まった将志を、スペースシャトルはゆっくりと追い抜いていく。
 将志がすれ違うスペースシャトルを見ると、ちょうど窓から中を除くことができた。

「……!!!」

 その窓には悲しみを抑えきれず、涙を流しながらこちらを見ている永琳の姿が映っていた。
 彼女は窓にすがりつき、必死に将志に呼びかけている。

「……主……」

 将志は、そんな永琳に笑いかけた。
 自らの主を守り切ったことによる達成感と安堵感から生まれた笑みだった。
 それと同時に離れ離れになる主を不安にさせないようにと言う、将志の心遣いも入っていた。

「…………」

 それを見て、永琳は呆けた表情を浮かべて泣くのをやめた。
 そしてスペースシャトルは完全に将志を抜き去り、宇宙に向かって飛び出していった。

「…………」

 将志はそのスペースシャトルの姿を眼に焼きつけるように、見えなくなるまでじっと眺める。
 しばらくすると、シャトルは完全に見えなくなった。
 その瞬間、将志の心の中から何かがごっそりと消えてなくなったような感覚を覚えた。

「……ぐあっ!?」

 その直後、将志は相手の妖怪の攻撃を受け、地上に落下する。
 地上には、刃の根元に蔦に巻かれた黒曜石が埋め込まれた銀の槍が落ちてきた。
 
「ぐあああああああああ!?」

 その槍は、まるで意思を持っているかのように妖怪の大将を貫いた。
 銀の槍に貫かれた妖怪の大将は、音もなく砂の様に消え去っていく。
 それに呼応するかのように、戦う相手のいなくなった妖怪達も次々とその場から去っていった。



 ……そして、誰も居なくなったその場には、一本の銀の槍だけが残された。



[29218] 銀の槍、旅に出る
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/06 22:14
 永琳達が月に移住してしばらくして、世界では人間と妖怪の対立が深刻な物になっていた。
 その切欠となった出来事は永琳達の月への移住が原因であった。
 月への移住が成功したのを切欠に、各地で人間達の月への脱出計画が練られるようになったのだ。
 それを妖怪達は見過ごすわけにはいかなかった。
 何故なら、妖怪の糧となるのはある種の信仰なのである。
 そしてその大部分を供給する人間の消失は、妖怪の消失を意味するのだ。
 妖怪達は自分達の生活を守るべく、人間を誰一人として月へ行かせまいとして、その拠点を攻撃していった。
 一方の人間達も黙ってやられるはずがない。
 人間達はある者は一人でも多くの人命を穢れのない月へ運ぶため、ある者は愛する人を守るために武器を取って妖怪に立ち向かい、散っていった。
 その戦いに善悪など存在しない。
 誰もが皆生きるために戦い、命を燃やしつくし、戦場の華と散っていった。
 そして、いつの日か戦火は世界中に広がり、多くの命を飲みこんで行く。


 後に、人妖大戦と呼ばれる戦いであった。


 かくして、世界を飲み込んだ人妖大戦が終結してから数年後。
 打ち捨てられた基地の中に、一本の槍が刺さっていた。
 その槍は穂先の中央に銀の蔦に巻かれた黒曜石の球体をあしらった、全身が銀色に光る見事な槍であった。
 数年間放置されていたにもかかわらずその槍には錆一つ見つからず、気高い輝きを放っていた。



 その日の空は雲ひとつなく、青白い満月の日であった。
 月の明かりは物悲しくも神秘的で、荒れ果てた基地を優しく照らし出していた。
 銀の槍も月明かりに照らされ、埋め込まれた黒曜石はかつて自分を構成していた、己が主を守るために奮戦し、見事に守り切った者の強い意志の籠った瞳の様に、誇り高い輝きを静かに放っていた。
 その輝きに答える様に月はその黒曜石を照らし続ける。
 すると、黒曜石は月の光をどんどん集めていき、強い輝きを放ち始めた。


 そしてその輝きが収まると、そこには銀髪の青年が現れていた。


 青年は辺りを見回し、自らの状況を確認した。
 自分の体には特に違和感は無い。
 身につけているものもいつもの通りの小豆色の胴着に紺色の袴、そして黒曜石のペンダントだ。
 違うものがあるとすれば、青年は黒い鞄を身に着けていた。
 中身を確認してみると、そこにあったのは一本の包丁であった。
 『六花』と銘打たれたその包丁は丁寧に包装されており、取り出すと再び担い手に握られることを喜ぶかのように光を放った。
 青年は自分の状況を確認し終えると、静かに目を閉じた。

「……主」

 青年が思い浮かべたのは自らが守り通した主と呼んでいた女性のこと。
 ……主は息災だろうか。
 青年はそう考えるも、確認する手立てもないので振り払う。
 ここで、青年は主のとある言葉を思い出した。

 ――――――生き残れば絶対に救援を寄越す。

 主がそう言っていたのを思い出した青年は、静かに発射台の残骸により掛って地面に座った。
 そして、その日から青年はずっと待ち続けた。
 雨が降ろうと、雪が降ろうと、青年はそこから一歩も動くことなく、月からの迎えを待ち続けたのだ。

 その行動は無駄であると言うのに。
 正規の軍人は個人IDを登録することで生死が確認できるようになっていたのだが、当然将志にはそんなものは付いていないのである。
 よって、生存が確認できないのであるため、月からの迎えなど何億年経とうと来るはずがないのだ。
 それでも青年は待ち続けた。
 主に忠を尽くし、主を守る。
 その意志は、未だに貫かれたままだった。



 いくつもの夜を超え、季節が何度も移り変わったとある日のこと。
 青年はいつも通り空を眺めていた。
 空は生憎の雨模様で、銀色の雲が一面を覆い、冷たい雨粒が空から降ってきていた。

「……?」

 ふと、将志は何ものかの気配を感じてその方向を見た。
 それは長い間待ち続けていた中で、初めての他の存在を認知した瞬間であった。

「……は、はは……こ、こんなことってあるんだ……」

 そこに立っていたのは一人の少女であった。
 オレンジ色のジャケットは雨に濡れており、トランプの柄の入ったスカートは擦り切れてボロボロになっていた。
 その表情は信じられないものを見たという感じであり、また雨で良く分からないが、その瑠璃色の瞳は泣いているようでもあった。

「……愛……梨?」

 青年は自分の友人の、その懐かしい少女の名前を呼んだ。
 その瞬間、少女の手から黒いステッキが滑りおち、カランと音を立てて雨にぬれたコンクリートの地面に転がった。

「将志くん!!」

 愛梨は将志の胸に飛び込んだ。
 将志はとっさに愛梨の小さな体を受け止める。

「……みんな、みんないなくなっちゃった……もう誰も居ないと思ってた! もう誰も笑ってくれないって思ってた!! 君がいてくれて本当に良かった!!!」

 愛梨は今まで溜めこんでいた感情の全てを将志に吐きだし、泣き始めた。

「…………」

 将志はそんな愛梨をそっと抱きしめ、その全てを受け止める。
 二人は、雨が止むまでずっとそのまま抱き合っていた。




 雨が止むと、二人はお互いのことについて話し合うことにした。
 愛梨もさんざん泣いてすっきりしたのか、少し気は楽そうである。

「……あれから何があった」
「世界中で妖怪と人間が戦争をしていたんだ。それで、最初に人間がいなくなって、次は妖怪がどんどん消えていった。僕の周りの妖怪もみんな消えちゃったし、僕ももうすぐ消えてしまうところだったんだ。それで……消えてしまう前に君のことを見たくなってここに来たら……と言う訳さ」
「……平気なのか?」
「今はもう大丈夫だよ。将志くんの感情が、さっきので伝わってきたから」

 そう言う愛梨は未だに将志に抱きついている。
 先ほどと違う点があるとするならば、今度は泣き顔では無くて穏やかな笑みを浮かべているところである。

「ねえ、将志くんは僕が来るまで何をしてたんだい?」
「……主は生きていれば必ず迎えに来ると言っていた。だから、俺はここで主を待っている」

 将志がそう言うと、愛梨は押し黙った。
 愛梨は月からの迎えが来るはずがないことを理解していたのだ。
 しかし、将志は必ず迎えが来ると信じて疑っていない。

「……そっか……早く迎えが来ると良いね♪」

 愛梨は、そう言って将志に笑いかけた。

「……ああ」

 将志はそう言って頷くと、空を眺め出した。
 雨上がりの空は、少しずつ青空を取り戻しつつあった。

「…………」

 その横顔を、愛梨は複雑な心境で見ていた。
 このまま放っておけば、それこそ将志はこの世の果てまで主を待ち続けるだろう。
 しかし、そんないつまで経っても報われないことをしようとする最後の友達が、愛梨にはどうしても許せなかった。

「……ねえ、将志くん♪ 喉が乾いちゃったな♪」
「……愛梨?」

 横で突然喉の渇きを訴え出した愛梨に、将志は首をかしげた。
 そんな将志の着物の袖を、愛梨はぐいぐいと引っ張る。

「ほら、前に君が話してくれた喫茶店があるじゃないか♪ 連れてって欲しいな♪」
「……だが……」

 将志は再び空を眺めた。
 ……もしこの場を離れた時に迎えが来ていたら……将志はそんなことを考えていた。

「大丈夫だよ♪ あの人たちなら、きっとどこに居ても見つけ出してくれるさ♪」

 しかし、愛梨にその考えは読まれていたようだ。
 その言葉に将志は少し考えると、ゆっくりと頷いた。

「……良いだろう。それではついてこい」

 そう言うと将志は基地の出口に向かって歩き出した。
 その後ろを、愛梨は黄色とオレンジのボールの上に乗って器用に転がしながらついて来る。

「…………」

 将志は打ち捨てられた街の中を眺めながら歩く。
 妖怪が気付く前に脱出したせいか、街に襲撃の跡は見られず、昔の面影をそのまま残して佇んでいる。
 その一方で、流れる年月の中で管理する者がいなかったその街は、その年月の中で確実に風化が始まってきていた。
 綺麗だった町並みは長い年月によって少しずつ浸食をうけ、ところどころが崩れかけていた。
 そんな中で、将志は一軒のログハウスの前に立った。
 それは、いつか将志が永琳に最後のコーヒーを振る舞った時のまま、静かにその場所に建っていた。

「……ここだ」
「あ、ここなんだ♪ それじゃあ、おじゃましま~す♪」

 二人は思い思いに店内に入る。
 店内はところどころほこりを被っており、過ぎた時間を感じさせる。

「……まずは掃除だな」
「そうだね♪」

 そう言うと、将志はロッカーから、残されていた掃除用具を取り出して掃除を始めた。
 愛梨も手伝おうとして箒に手を伸ばすと、それを将志が手で制した。

「……座って待っていてくれ」
「何で? 二人で掃除したほうが早いと思うよ?」
「……客に掃除をさせる店などない」
「キャハハ☆ そう言うことなら待ってるよ♪」

 生真面目な店員に笑顔でそう言うと、愛梨は将志が掃除したカウンター席にの真ん中に座った。
 将志は慣れた手つきで掃除をし、店内の時間を巻き戻していく。

「♪~」

 そんな将志の様子を、愛梨は楽しそうに眺めている。
 しばらくして掃除が終わり、将志は店のブレーカーを上げる。
 予備電源がまだ生きていたこともあり、喫茶店は再び息を吹き返した。

「……ふむ」

 将志は感慨深げにうなずくと、カウンターの中に入って中にあるものを確認した。
 そこには、この店のマスターが置いていった紅茶が未開封のまま残されていた。
 試しに開けてみると、中からは紅茶の良い香りが漂ってきた。

「……紅茶になるが、それで良いか?」
「うん、良いよ♪」

 愛梨の返事を聞いて、将志は湯を沸かし始めた。
 お湯が沸くと、将志は二つのティーポットとカップにお湯を注ぎ、温める。
 ポットのふたが十分に温まったらそのうち一つのお湯を捨て、茶葉をいれて熱湯を注ぎ、しばらく待つ。
 最後にもう片方のポットのお湯を捨て、その中に茶漉しを使ってポットの中の紅茶を移す。
 その最後の一滴まで淹れ終わると、将志はそれを温めたカップと共に愛梨の元へ持っていった。

「……出来たぞ」
「うわぁ、ここからでも良い香りがするね♪」

 愛梨は運ばれてきた紅茶の香りに、顔を綻ばせた。
 将志は愛梨の横に立ち、カップに紅茶を注ぐ。
 二人分の紅茶を注ぎ終わると、将志は愛梨の隣に腰を下ろした。

「ん~♪ 久しぶりに飲んだけど、やっぱりおいしいね♪」
「……そうか」
「あ、久々の笑顔、頂きました♪ やっぱり笑顔は良いね♪」
「…………そうか」

 紅茶を飲みながら、二人は笑顔で会話をする。
 数分後、そこには空のポットとカップが置かれていた。
 将志はそれを片付けるために席を立とうとすると、愛梨が引き留めた。

「……将志くん♪ 話があるんだ♪」
「……何だ?」
「僕を、君の傍に置かせてもらえるかい? 僕にはもう君しか残っていないんだ……もう、一人は、淋しいのは嫌なんだよ……」

 明るい声で問いかけようとするが、段々と泣きそうな表情へ変わっていく。
 愛梨は将志の手を握り、縋るような眼で将志を見つめた。
 それに対して、将志はふっと溜め息をついた。

「……何故ことわる必要がある? 友人とは支え合うものなのではないのか?」

 将志はぶっきらぼうにそう言うと、ティーセットを片付け始めた。
 愛梨はそれを聞いて、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。

「ありが、とう……」

 愛梨は将志が全てを片付け終わるまで、静かに泣き続けた。




 店を出る直前、愛梨は再び将志を引き留めた。
 将志はそれに振り向き、愛梨の元へ行く。

「将志くん、君はこれからどうするつもりなんだい?」
「……俺は生きて主を待ち続ける。今の俺が主のために出来ることはそれだけだ」

 愛梨の質問に、将志はやや強い口調でそう言った。
 その一字一句予想通りの返答に、愛梨は思わず苦笑した。

「それは違うよ将志くん♪ 君に出来ることはまだあるはずだよ♪」
「……何?」
「将志くん、僕と一緒に旅に出ないかい? 世界を回って色々見て、それを話して君の主様を喜ばせてみたいと思わないかい?」

 首をかしげる将志に、愛梨は腕を大きく広げてそう話した。
 それを聞いて、将志は少し俯いて考え込んだ。

「……ああ、それも良いかもしれないな」

 将志の言葉に、愛梨は嬉しそうにその場で飛び跳ねた。

「そうこなくっちゃ♪ それじゃ、早速準備をしようか♪」

 そう言うと、愛梨は何故か店の中へ戻っていった。
 訳が分からず、将志は首をかしげる。
 しばらくすると、愛梨はコーヒーと紅茶のセットに、それを作るための水を用意してきた。

「……それ、持っていくのか」
「旅には楽しみが必要でしょ♪」
「……まあ、別に構わんが」

 呆れたと言う風に溜め息をつく将志に、愛梨は笑顔でそうのたまった。
 そして持ってきたものを、愛梨は自分の乗っていたボールの中にしまい込んだ。
 ボールの中は七色に光っているような、全てが溶け合った抽象画の様な、不思議な空間になっていた。
 それを見て、将志はジッと愛梨を見つめた。

「……それ、そんなことができたのか?」
「ピエロは魔法使いだよ♪ これくらいならお茶の子さいさいさ♪」
「……そう……なのか…………?」

 愛梨の発言に、流石に将志も首をかしげ、「……ピエロは関係あるのか?」と呟いた。
 それを気にした様子もなく、愛梨はそのボールの上に飛び乗った。

「さあさあ、どんどん準備しよう♪」
「……ああ」

 それから二人はしばらく誰も居ない、閑散とした街を歩き回った。
 途中で店を見つけては、何か使えそうなものは無いか探しまわった。

「そ、そんなに持っていくのかい?」
「……出来るだろう?」
「そ、そりゃ出来るけどね?」

 ……途中、妥協と自重をしない男が金物屋やデパート跡で調理道具や、それに関係する資料をかき集めたりしたが、何とか準備は整った。
 準備を終えると、将志が寄りたいところがあると言ったので、そこに行くことにした。

 向かった先は、永琳の研究所だった。
 研究所の中には、置き去りにされた研究用の機材がいくつも残されていて、それは静かに佇んでいた。
 鍛錬を重ねてきた中庭、気絶するたびに運ばれていた医務室、愛梨と語らった台所と、将志は回っていく。
 最後に将志は永琳の私室だった場所に足を運んだ。
 そこにはもう据え置きの家具しか残されておらず、がらんどうの状態だった。

「……主……いつか、必ず」

 将志はそこで永琳との再会を誓うと、踵を返して部屋を後にした。

 外に出ると、愛梨がボールの上に座って将志の帰りを待っていた。
 愛梨は将志が戻ってきたことに気が付くと、ボールを転がして将志の所に寄ってきた。

「あ、もういいのかな?」
「……ああ、もうここには未練は無い」
「そっか♪ それじゃ、行こっか♪」
「……ああ、行こう」

 二人は笑いあってそう軽くやりとりをかわすと、全ての始まりであった街を旅立った。


 ……そして、二人が旅立った街には、思い出だけが残された。


 *  *  *  *  *


「…………」

 銀髪の長い髪を三つ編みにした女性が、ぼんやりと窓の外を眺めている。
 窓の外には、暗い空に浮かぶ大きく青い美しい星。
 そこは、数年前まで彼女達が住んでいた星であった。
 彼女は今、月の都の中央の研究所に所属しているのであった。
 そんな彼女の元に、一人の男が近づいてくる。

「八意博士。地上からの最後の船が着陸したようです」
「……そう。それで?」

 男の言葉に、永琳は振り返ることなくどこか上の空で返事をする。
 すると、男はいたたまれない表情を浮かべた。

「……槍ヶ岳 将志の姿は確認できませんでした」
「……そう」

 男の言葉を聞くと、永琳は窓から離れてフラフラと歩き始めた。

「あ……」

 男は、そんな彼女をただ見送ることしか出来なかった。



 永琳はぼんやりとしたまま歩いていく。その先にあるのは居住区。そこにある自宅に、永琳は戻っていく。
 そして自分に割り当てられた大きな家の前に立つと、玄関のドアを軽く撫でる。
 すると玄関のドアが主人の帰りを認識し、ドアが開いた。

「……ただいま」

 誰もいない家の中に入ると、永琳は誰に聞かせるでもなくそう言った。
 そして、フラフラと家の中を歩きとある一室を目指した。

 その先にあったのは、ベッドだけしかない空っぽの部屋。
 そこは、本来将志が使うはずであった部屋であった。
 永琳はその部屋のベッドの上に倒れこんだ。

「っ……ああ……最後の便にも居なかったか……」

 永琳はそう言いながら、腕で眼を覆う。
 永琳は将志が後から来る船に乗ってやってくる可能性に賭けて待っていたのだ。
 しかし最初の方こそ気丈に振舞っていたが、次々に将志を乗せていない船が到着するたびに焦り始め、研究が手につかなくなっていった。
 そして最近では全く仕事が出来なくなり、窓からぼんやりと地球を眺める日々が続いていたのだ。

 そこに伝えられた非情な一報。
 それは将志が月に来る可能性が無くなった事を示していた。

「……まさしぃ……」

 永琳は将志の名前をポツリと呟いた。
 するとその瞬間、眼から涙がジワリとこみ上げてきた。
 それと同時に、溜め込んできた思いが段々と溢れ出して来た。
 もう、その感情を抑えることは出来なかった。

「……なんで……なんでよ!! ずっと一人で頑張ってきたのに!! やっと手に入れた暖かさだったのに!! 私が何をしたって言うの!? 何で将志と離れ離れにならなきゃいけないの!? なんで!? なんでなんで!?!?」

 永琳はそう言って泣き叫びながらベッドのマットを殴りつける。
 やり場の無い怒りと悲しみが心の中を支配し、感情のコントロールが利かなくなる。
 とめどなくこぼれ続ける涙がシーツを濡らしていく。
 そのシーツを握り締めたまま、永琳は涙が枯れるまで泣き続けた。



「……ん……」

 数時間後、永琳は静かに体を起こした。
 泣き続けたせいで声は枯れ、喉がカラカラに渇いていた。

「…………」

 永琳は幽鬼のように立ち上がり、よたよたと台所へと歩いていく。
 何度も壁に体をぶつけながらたどり着くと、グラスに水を注いで飲み干した。

「…………」

 そして目の前に飛び込んできたのは、一度も使われていない調理器具。
 元々は将志が使っていたものなのだが、永琳がそれを使ったことは一度もない。
 それを見て、永琳はとあるものを思い出した。

「……ビデオ……」

 永琳はよろよろと歩きながらテレビのあるリビングに行き、電源をつけた。
 それから少し操作をすると、録画されていた番組が始まった。

「さあ、生放送でお送りしている今日の料理の超人スペシャル、数多くの料理人達のによって繰り広げられてきた激戦を勝ちあがってきた男が、満を持して超人に挑みます! それでは、出でよ挑戦者!」

 司会の一言でスモークが噴き上がり、ゲートが煙で覆われる。
 その中から、ライトに照らされてぼんやりと人影が浮かび上がってくる。

「本日の挑戦者、並み居る強豪を相手に奇抜なセンスの料理を繰り出し、圧倒的なポイントで薙ぎ倒してきた最強の素人、槍ヶ岳 将志の入場です!」

 司会がそう言った瞬間、銀髪の青年が煙の中から現れた。
 その姿は、永琳がずっと待ち続けていたものであった。

「槍ヶ岳さんはどこかで修業を積んでいらしたんですか?」
「……いや、すべて独学だ」
「それにしてはプロ顔負けの技をたくさん使っていましたが、どこで覚えたものですか?」
「……この番組を見て覚え、出来るようになるまで、納得できるまで何度も練習をした」

 画面の中の将志は眼を閉じ、緊張した面持ちでインタビューに答えている。

「……っ……」

 そのやや低めのテノールの声を聞いて、永琳の眼から再び涙が流れ出した。
 そんな彼女を他所に番組はどんどん進んでいき、永琳は泣きながらそのビデオを見続ける。
 目の前に映るものは、もう手に入らない。そう思いながら。

「また凄い技が出ました! この男、本当に独学なのか!? まさに料理をするためだけに生まれてきた、料理の妖怪!!」

 画面の中では将志が鮮やかな手つきで料理を作り、司会がそれを興奮した様子で実況していく。
 それを聞いて、永琳の体がピクリと動いた。

「……料理の……妖……怪……?」

 永琳は一つ一つ確かめるように言葉を紡ぎ、その意味をじっくりと吟味していく。
 そして、あることに思い至った。

「……そうよ、将志は妖怪!!」

 永琳はそう叫ぶや否や、家から飛び出していた。向かう先は自分の研究室。
 彼女は脇目も振らずにそこに駆け込むと、中にある資材を確認した。

「……銀に……黒耀石……行けるわ!」

 永琳はそう言うと、作業を始めた。
 そしてしばらくすると、永琳の手の中にはアクセサリーが出来上がっていた。

「出来た……出来たわ!!」

 永琳は興奮気味に出来上がったものを見た。
 そこにあったのは一つのペンダント。銀の鎖に銀の蔦に巻かれた真球の黒耀石をあしらったものであった。

 そう、それは将志に作ったものと同じものであった。
 永琳は妖怪の生態に着目して、それを作ったのだ。
 妖怪は、人に信じられることで存在することが出来るものである。
 ならば例え自分の元に来られずとも、誰かが強く信じていれば妖怪である将志は存在できるのではないか?
 実際に将志と暮らしていた私なら、存在できるほど強く信じられるのではないか?
 永琳はそう考え、将志のことを忘れないためにまったく同じペンダントを作ったのであった。

 永琳はペンダントを握ると、強く祈り始めた。

「……どうか将志とまた一緒に暮らせますように。笑顔で再会できますように……」

 永琳はそう念じると、ペンダントを首から提げた。
 そして一息つくと、彼女は顔を上げた。

「さてと……将志に会ったときに恥ずかしくないようにしないとね。まずは遅れた分を挽回するわよ!」

 永琳はそう言うと、打って変わって生き生きとした表情で溜まっていた仕事に手をつけた。


 その時、地球からは青白い満月が輝いて見えた。




[29218] 銀の槍、家族に会う
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/06 22:04
 将志が愛梨と旅に出て、かなりの時間がたった。
 最初の方こそ時間を数えていたが、今はもう数えるのをやめている。
 その旅の間、辺りの景色は長い時間をかけてゆっくりと、時には時代の濁流に流されるかのように激しく移り変わっていった。

「ガアアアアアアアッ!」
「……来い……!」

 ある時点では眼の前に立つ巨大なトカゲを相手にして、将志は槍を構えた。
 その日の夕食は、オオトカゲのステーキと相成った。

「…………」

 ある時は、水中鍛錬のついでに海洋生物を狩っていた。
 たゆまぬ鍛錬の末、将志は水中でも滅茶苦茶な機動力と攻撃力を持つようになった。
 陸海空全域対応槍妖怪とはこれいかに。

「将志くん、大丈夫?」
「……だ、大丈夫だ……」

 ある時は、飽くなき食への探求心から未知の食材を食し、毒に当たった。
 その看病は全て愛梨の役割である。
 こいつはいつになったら自重をするのか。

「うわぁ~♪ これは凄いや♪」
「……ああ」

 ある時は大自然の雄大な景色に愛梨と二人で感動を覚えた。
 巨大な滝、空を覆うオーロラ、荒々しく活動する火山、生命の溢れる巨大な森など、世界の至る所を回った。
 移り行く世界の美しさを心に刻み、旅を続ける。

「それじゃあ、行くよ~、将志くん♪」
「……来い」

 ある時は二人で永琳の研究所時代のように特訓をした。
 その結果、将志は弾幕を避けるだけでなく斬り払うことも覚え、愛梨は様々なバリエーションの弾幕を会得した。

 その長い旅の間、将志と愛梨はいつもどんなときも一緒だった。
 そして、それはこれからも続くのだろう。
 少なくとも、二人はそう思っていた。



 ある日、その二人きりの旅に変化が訪れた。
 その日はいつもの通り、手ごろな洞窟で一夜を過ごすことにした。

「キャハハ☆ いっぱい濡れちゃったね、将志くん♪」

 うぐいす色の髪から水を滴らせながら、愛梨は楽しそうに笑う。

「……全く、突然の雨は困る」

 その一方で、銀色の髪から水滴を落としつつ将志がそうぼやく。
 突然の雨にぬれた二人は濡れた服を着替え、濡れた服を適当なところに広げておいた。
 将志はその日の夕食を作るべく、自分の鞄から包丁を取り出そうとした。

「……っ」

 そして、鞄の中を見て将志は眼を見開いた。
 その眼は明らかに動揺しており、冷や汗が額に浮かぶ。
 そんな将志の様子に、愛梨が気がついて声をかけた。

「おや、どうしたんだい、将志くん?」
「……無い」
「え? 何が?」
「……包丁が、無い」

 すこし悲しげな声で将志はそう言った。
 料理人にとって、包丁はとても大切な宝物の様なものである。
 それは将志とて例外ではなく、将志もあの包丁を大切に手入れしながら使ってきたのだ。
 それがなくなったのだから、将志の落胆はどれほどのものであるか想像もつかない。
 それを知って、愛梨は驚きの声を上げた。

「嘘ぉっ!? ついさっきまであったはずだよ!?」
「……その筈なのだが……ご覧の有り様だ……」

 将志はそう言っていつも自分で大事に持ち歩いている、黒いウェストポーチのような鞄の中身を愛梨に見せた。
 鞄の中身は、確かに空っぽだった。
 それを見て、愛梨は腰に手を当ててうなった。

「う~ん、ホントに無いや……どうするんだい? これじゃ料理は厳しいよ?」
「……久々にやるか」

 そう言うと、将志は自分の本体である銀の槍を取り出した。
 それを見て何がしたいのか察して、愛梨が唖然とした表情を浮かべた。 

「……将志くん……君、まさか……」
「……離れていろ」

 将志はまな板の上の食材に対して槍を向けた。
 眼を閉じ、精神を集中させると、将志は眼を見開いた。

「……はっ!」

 将志はまな板に槍の柄を叩きつけた。
 その衝撃でまな板の上の食材が跳ねる。

「……ふっ、ふっ、ふっ、は!」

 その宙に浮いた食材の間を、銀の線が幾重にも描かれていく。
 槍がかすめるたびに食材は下に落ちることなく切れていき、段々と細かくなる。
 最終的に、まな板の上には賽の目に切られた食材が揃っていた。

「……まずまずだな」

 将志は残心を取ると、まな板の上の食材を見てそう言った。
 それを呆然と見つめる瑠璃色の視線。
 目の前で曲芸師も裸足で逃げ出すような芸当を見せられたのでは、そう言う反応にもなるであろう。

「ねえ、将志?……ひょっとして包丁要らないんじゃないかな?」
「……いや、あれがないと飾り切りが出来ない。それに、あれで切ったほうが楽だ」

 将志はそう言って布で槍の刀身を拭きながら、包丁を探して辺りを見回しながらそう言った。
 愛梨はそんな将志が何処まで技を持っているのか知りたくなって、質問をした。

「……えっと、一応聞いとくけど、どんな切り方が出来るんだい?」
「……一通りの切り方は出来る。イチョウ切り、小口切り、乱切り、千切り、短冊切り、この他にも基本的な切り方はこいつで出来る」

 つまりこの男、スペースや飾り切りを考えなければ包丁など要らないのである。
 何でこんな技を覚えたのかと言うと、試しに愛梨を驚かせようと考えて練習をしていたのだ。
 その効果は大いにあったようで、愛梨は楽しそうに笑い出した。

「キャハハ☆ それは凄いや♪ それじゃあ、ご飯が食べられなくなる心配は無いね♪」
「……ああ」

 その日二人は普通に食事を取り、少し遊んでから休息を取ることにした。



 翌朝、いつものように槍を抱えて座って寝ていた将志の肩を、揺らす影があった。

「お兄様、お兄様、朝ですわよ?」
「……む」

 少し低めの色香を含んだ女性の声で起こされ、将志は眼を覚ます。
 将志は立ち上がって軽く伸びをすると、いつも通り槍を振るって稽古をする。

「……♪」

 透き通った黒い瞳からのご機嫌な視線を受けながら、将志は気にせず槍を振るう。
 しばらくしてそれを終えると、今度は朝食の準備に取り掛かる。

「……はっ!」

 将志は昨日と同じように槍で食材を刻み、着々と支度を進めていく。

「すごいですわね。包丁なしでもここまで出来るものですの?」
「……それは練習次第だ」

 質問に淡々と答えて朝食の準備を済ませ、将志は愛梨を起こしに行く。

「……愛梨、朝だぞ」
「う……ん……もうそんな時間か~……」

 愛梨は眠そうな目をこすりながら今日の食卓へと歩いていき、将志はその横をついて歩く。
 愛梨の玉乗り用のボールの中から机と椅子を取り出して並べる。
 そして三人揃って席に着くと、アルトの声が号令を掛けた。

「来ましたわね。それじゃ、食べましょうか」
「「「いただきます」」」

 そうして朝食が始まった。
 今日の朝食は魚のソテーに、木の実の粉で作ったパンにスープと言う、シンプルなメニューだった。

「で、将志くん♪ 今日はどこに行くのかな♪」
「……そうだな。今日は東の方に行ってみよう。あの方角はもう長いこと行っていない筈だ。何か変わったことがあるかもしれない」
「へえ、それは面白そうですわね」
「……反対意見は無いのか?」
「無いよ♪ 君と居ればどこだって楽しいよ♪」
「私も特にありませんわ。それじゃ、早く食べて準備しましょう?」

 朝食を食べながらその日の段取りを決めていく。
 今日はどうやら東の方角へ進むようだ。
 そんな中、愛梨が笑顔で将志に声をかけた。

「ところで将志くん♪」
「……なんだ?」
「君の隣の子は誰かな♪」

 そう言われて、将志は自分の隣に座っている人物を見た。

「……(にこっ♪)」

 将志に見つめられて、少女は満面の笑みを浮かべる。
 その笑みは花のように可憐であり、美しいという表現が良く似合う大人びた笑みであった。

「……誰だ?」

 将志は愛梨に向き直り、キョトンとした表情で問いかけた。
 その瞬間、愛梨は全身の力がガクッと抜けてずっこけた。

「今まで分かんないで喋ってたの!? 流石にそれはどうかと思うよ!?」

 即座に立ちあがって愛梨は将志に抗議する。
 一方、件の少女はと言うと相変わらずニコニコと笑いながら将志のことを見ていた。

「もう、酷いですわお兄様。もう数えられないくらい長い時間を一緒に過ごした私をお忘れになって?」
「……む……ぅ?」

 微笑を浮かべたまま将志の腕に抱きつきながら、少女はそう責めた。
 しかし、そんなこと言われても将志には少女が何者なのかさっぱり分からなかった。
 将志は再び少女のことを良く見てみる。
 少女は将志と同じ銀色の髪を長くのばしていて、眼も将志と同じ黒曜石の瞳に、非常に色気のある赤い唇で顔立ちは芸術的なほど整っている。
 身長は将志よりも少し低いくらいで、160後半くらいの身長。
 スタイルは出るところはしっかり出ていて、引っ込むところは引っ込んでいる、所謂スタイル抜群の人であった。
 おまけにそれでいて服装は赤地に桔梗の花が描かれた長襦袢に深緑色の帯、髪に小さな花がいくつか並んだ髪飾りと言う服装で、将志からは見えないが、何かが帯に挿してあった。

「……ああ、そう言うことか♪」

 将志が考え込んでいると、愛梨が何か思い当たったようだ。
 愛梨は少女の所に駆け寄ると、耳元で何かをしゃべった。
 すると、少女は楽しそうに笑った。

「ふふふ、正解ですわ」
「キャハハ☆ やったね♪ そう言うことなら早く言ってくれればいいのに♪」
「いきなり名乗っても面白くありませんわ。これくらいの余興があったほうが良いのではなくて?」
「それもそうだね♪」

 いきなり仲良く話しだす二人に、将志はますます訳が分からなくなった。
 その光景を見て、少女はくすくす笑っている。

「ヒントを差し上げますわ。ヒントは私の髪飾りですわよ」
「……む」

 少女に言われて、将志は少女の髪飾りを注視した。
 髪飾りは白い花が六つ円形に並んで居る髪飾りだった。
 それを見ながらしばらく考えていると、将志はとある名前に思い至った。

「……『六花』……?」
「何ですか、お兄様?」

 名前を呼ばれたらしい少女は、将志に対して嬉しそうに微笑んだ。
 将志はその少女の眼をじっと見つめた。

「……お前、俺の包丁か?」
「ええ、そうですわよ。自己紹介いたしますわ。お兄様の名字を借りるならば、槍ヶ岳 六花(りっか)。お兄様の妹であり、長年連れ添った包丁ですわ」

 そう言って、六花と名乗った少女は恭しく礼をした。
 それを聞いて、将志は更に首をかしげた。

「……俺の妹?」
「ああ、そう言えばお兄様はご存じないかもしれませんわね。私とお兄様は同じ刀匠が鍛えたものですわよ?」

 六花はそう言って自分の本体である包丁を見せた。
 その刃は、よく見てみれば刃の波模様である刃紋が将志の槍のものと非常に良く似ていた。
 このことから、少なくとも二人は同じ流派の人間が作り出したものであり、同じ刀匠が鍛えたものである可能性が極めて高いことが分かった。

「そういうことか♪ でも、何で六花は将志くんがお兄さんだって分かったんだい?」
「私、お兄様の兄弟槍を見てますの。その槍とお兄様が持っている槍がほぼ一緒なんですのよ。一目見て、兄妹だって分かりましたわ」
「……あの時、俺を選んだのか?」

 将志が言っているのはあの金物屋で包丁を買った時のことである。
 六花はそれを聞いて頷いた。

「ええ、もちろん選びましたわ。自分の家族が妖怪になって包丁を探しているなんて、運命を感じましたもの。それに大事に扱ってくれましたし、今でもあの選択は間違っていなかったと思っていますわ」

 どこか夢を見るような視線で六花は将志を見ながらそう言った。
 それに対して、将志は更に質問を続けた。

「……長い間残っていたと店主が言っていたが、何故だ?」
「ああ、それは単に良い相手が居なかっただけですわ。どうも、パッとしない人ばかりでしたの。あの時、半分諦めかけていたんですのよ?」
「……そうか」

 将志はそう言うと、食事を再開した。
 六花はそんな将志のことを、笑顔を浮かべたままジッと見つめる。

「……冷めるぞ」
「ふふ、それはいけませんわね。それじゃあお兄様の料理、頂きますわ」

 六花はそう言うと、目の前に置かれていた料理に手をつけた。
 ……何故ナチュラルに三人前用意してあったのかは気にしてはいけない。

「……ん~、おいしいですわ! お兄様の料理初めて食べましたけど、こんなにおいしいとは思いませんでしたわ!」
「……そうか」

 将志の料理を食べた六花は、絶賛しながら大はしゃぎした。
 初めて食べた料理がおいしかったことが嬉しいようだった。

「キャハハ☆ そりゃあ、料理の妖怪ってあだ名が付く様な料理人だもんね♪ でも、将志くんこれでもまだ修業中って言うんだよ♪」
「そうなんですの?」

 愛梨の一言に、六花は将志の方を見た。
 将志は眼を閉じ、ゆっくりと頷いた。

「……道を究めることに、終着などない。どこまで上り詰めても、たとえ自分の上に誰も居なくなったとしても、上ろうと思えばどこまでも上ることができる。槍も料理も、俺は存在が無くなるまで修練を続けるつもりだ」
「ひゅ~ひゅ~♪ カッコイイこと言うね、将志くん♪」
「お兄様、素敵ですわ♪」

 将志の言葉を聞いて、愛梨は笑顔ではやし立て、六花は眼を輝かせた。

「……うるさい」

 それに対して、将志は静かにそう呟いてそっぽを向いた。



 食事が終わると、三人は食器を片づけて出る支度をした。
 荷物を愛梨のボールの中にしまい、その上に愛梨が飛び乗る。

「ところで六花ちゃん♪」
「何ですの?」
「今まで聞いてなかったけど、君は本当に僕達について来るのかな?」

 愛梨はボールの上にしゃがみこんで、六花に問いかける。

「ええ、もちろん。私はお兄様の包丁、そうでなくてもたった一人の家族ですもの」

 それに対して、六花は迷うことなく笑顔で頷いた。

「そっか♪ 歓迎するよ、六花ちゃん♪ それと、笑顔ごちそうさまだよ♪」

 六花の返答を聞いて愛梨は嬉しそうにボールの上で跳ねた。
 その横で、将志は眼を瞑って立っていた。

「……家族、か……」

 将志はふとそう呟く。思い出すのは月に向かった主のこと。
 離れ離れになってしまっているが、それまでは家族のように暮らしていたのだ。
 それを思い出して、将志は再び主と再会することを心に誓う。

「どうかしまして、お兄様?」

 そんな将志の呟きに、六花がその顔を覗き込んだ。
 それを受けて、将志はゆっくりと首を横に振った。

「……いや、何でもない。では、行くとしよう」

 将志はそう言うと、前に向かって歩き始めた。
 その足取りはとても力強い。

「あ、待ってよ将志くん♪」
「おいてかないでくださいまし、お兄様!」

 その後を、二人の少女が続いていく。
 こうして、二人で続けてきた旅に、新たなメンバーが加わった。










「ところで、東ってあっちだよ♪」
「……あら?」
「……間違えたか」

 ……お後が宜しいようで。




[29218] 銀の槍、チャーハンを作る
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/06 22:26
「……む……」

 旅を続けてさらに幾年、その日の休憩所に使っている洞窟の中で、将志は中華鍋を前にして唸っていた。
 中華鍋の中には米の代用品の穀物を使った見事な試作品の黄金チャーハンが出来上がっていた。
 しかし、それを作り出した将志の顔は難しい表情だった。

「お兄様? どうかしたんですの?」

 中華鍋を前にして腕を組んでにらみを利かせる将志に、六花が話しかける。
 それを受けて、将志は六花に対して無言で目の前の黄金チャーハンを乗せたレンゲを差し出す。

「…………お兄様?」
「……食べてみろ」

 しかし、六花は少しあきれたような表情を浮かべて首を横に振った。

「違いますわ、お兄様。そういう時は、あ~んってするのですわ」

 子供に教えるような優しい口調で、六花は将志にそう言った。
 その言葉を聞いて、将志はあごに手を当てて首をかしげた。

「……いつも疑問に思うのだが、そういうものなのか?」
「そういうものですわ」

 将志の質問に六花は即答した。
 それを聞くと、将志は一つため息をついて再びレンゲを差し出す。

「……あ~……」

 将志はレンゲを差し出しながらそう声を出した。
 ちなみにこの男、これがどんな行動だか欠片も分かっていない。

「あ~ん♪」

 それを見て、六花は大層嬉しそうに笑ってレンゲの上のチャーハンを食べた。
 口の中でパラリと解け、程よい塩味と深い味わいが口の中に広がった。

「……お兄様、この黄金チャーハンちゃんとおいしいですわよ? 何を悩んでいるんですの?」
「……このチャーハン、火の通りが少し甘い。今使っている火では弱い」
「そうなんですの?」
「……ああ」

 将志はそう言うと再び腕を組んで唸り始めた。
 どうやら将志にとっては深刻な問題らしく、眉間にしわがよっていた。
 すると、そこに鈴の音のような澄んだ声が聞こえてきた。

「あ♪ 将志くん、チャーハン作ったんだ♪ ねえねえ、僕にもくれないかな?」

 愛梨は瑠璃色の瞳をキラキラと輝かせて将志にそう尋ねた。

「……良いぞ」

 将志はそういうと、レンゲでチャーハンをすくって愛梨に差し出した。

「……あ~……」

 ……この声付きで。

「あ、あ~ん♪」

 突然の将志の行動に一瞬戸惑ったが、愛梨はすぐに持ち直してチャーハンを食べた。
 しかしその白い頬は赤く染まっており、左眼の下の赤い涙のペイントが目立たなくなっていた。

「……どうだ?」
「え~っと……おいしいんだけど、前に将志くんが作ってたチャーハンはもっとおいしかった気がするよ♪」

 将志が感想を訊くと、愛梨は素直にそう答えた。

「……やはりな……」

 それを受けて、将志は再び考え込んだ。
 愛梨の舌は長年将志の料理を食べ続けてきたせいでかなり肥えており、将志にとっては重要な判断基準になりえる。
 それが以前よりも今のものの味が劣っていると言うのだから、自分の思い違いではないということが分かったのだ。
 そんな二人に、六花が首をかしげた。

「お兄様のチャーハンって、これよりもおいしいんですの?」
「うん♪ びっくりするほどおいしいよ♪ あんなチャーハンまた食べたいな♪」

 愛梨はうっとりとした表情で将志が以前作っていたチャーハンに思いを馳せた。
 六花はその様子を羨ましそうに見つめた。

「……食べてみたいですわ、そのチャーハン……」
「……だが、さっきも言ったとおりそのチャーハンを作るには火力が足りない。何らかの方法で火力を補わなければ最高の味は出せん」
「妖力で炎は出せないんですの?」

 悩む将志に、六花はそう提案した。
 しかし、将志も愛梨も首を横に振った。

「……炎を出しながら料理をするのは難しい。それに、俺はそういった妖力の使い方は苦手だ」
「きゃはは……残念ながら、僕もあんまり得意じゃないんだよね……失敗すると、鍋が溶けちゃうんだ♪」
「うっ……お二人のどちらかが出来るかと思ってましたのに……」

 それから三人はしばらくの間なにか良い方法がないか考えていたが、なかなか良い案が出てこない。
 結局考えはまとまらず、三人はとりあえずの行き先を決めて歩き出そうとした。
 すると、目の前にあるものを見つけて一行は止まった。

「……使えそうか?」
「うまくいけば使えるかもね♪」
「少なくとも私達が火をおこすよりは良いと思いますわよ?」

 三人の目の前にあるのは、もくもくと噴煙を上げる活火山だった。
 どうやら、溶岩を火の代わりに使おうという算段のようだ。

「……行くか」
「うん♪」
「行きましょう」

 こうして、何も具体的なことを言わずとも即座に次の行動が決まるのだった。
 



「……ふっ、はっ」

 将志は跳ぶようにして火山を登っていく。
 妖怪の中でもずば抜けた脚力を持つ将志は、あたりの景色を次々と置いてきぼりにしていく。

「うわぁ~、相変わらず速いね、将志くん♪」
「ちょっとお兄様! あんまり置いてかないで欲しいですわ!」

 その後ろからボールに乗って飛んでくる愛梨と、普通に空を飛ぶ六花が追いかけてくる。
 しかし将志の足は速く、どんどんと差がついていく。
 風を切る音が激しくて、将志の耳に六花の声が届いていないようであった。

「聞こえてないみたいだね♪ 六花ちゃん、少し僕に掴まっててくれるかい?」
「え? ええ、分かりましたわ」

 六花が愛梨に掴まると、愛梨は六花を自分が乗っているボールの上に乗せた。

「よ~し、それじゃあ、いっくよ~♪」
「え、きゃああああああああ!?」

 愛梨はそういうと、乗っているボールを地面に落とした。
 突然の落下する感覚に六花は愛梨にしがみつく。

「せーの、それっ♪」

 そして着地する瞬間、愛梨はボールに溜めていた妖力を爆発させた。
 その勢いで、ボールはものすごい勢いで上に登って行く。

「いやああああああああああ!?」

 今まで体験したことのない速度に、六花は悲鳴を上げる。
 愛梨はそれを敢えて無視して、同じ行動を何回も繰り返した。
 その結果、愛梨達は将志に追いつかんばかりの速度で山を登っていった。

 

「……この辺りか」
「キャハハ☆ 着いたよ、六花ちゃん♪」
「や、やっと着きましたわ……」

 将志達は火口に着くと、料理に使えそうな溶岩が無いか捜索を始めた。
 ただし、フラフラの状態の六花はしばらくの間休憩を取ることになった。

「……六花に何をした?」
「ちょっとね♪ 六花ちゃんを乗せて全速力出したから♪」

 将志は愛梨と一緒に溶岩を探す。
 しかしどれもこれも冷えていて、目的を達成できそうなものは無かった。

「……無いな」
「……そうだね……」

 二人は場所を変えながら使えそうな溶岩を探していく。
 そんな中、突然地面が揺れ始めた。

「わわわ、これはひょっとするかな?」
「……来る」

 将志達が身構えたその時、轟音を響かせて火山が大爆発を起こした。
 轟音と共に溶岩が空高く吹き上がり、黒い煙が空を覆う。

「うわぁ、噴火した」
「……一度退くぞ!」

 将志はとっさに愛梨を抱えて走り出した。
 空から降ってくる火山弾を躱しながら、将志は六花のところまで一気に駆け抜ける。

「お兄様、どうしますの!?」
「……一度安全なところまで退避して、それからもう一度探す。とにかく今は逃げるぞ」
「わかりましたわ!」

 三人揃って、一度安全なところまで下山し、活動が沈静化するのを待つ。
 しばらくすると揺れも収まり、火山の活動も穏やかになってきた。

「……そろそろ大丈夫か?」

 将志はそう言いながら山の頂上を見る。
 頂上では勢いよく吹き上がっていた溶岩もなりを潜め、噴煙も少なくなっていた。

「大丈夫そうだね♪ 行ってみよう♪」
「そうですわね」
「……行くか」

 三人はそう言うと、再び火口を目指すことにした。

「……っと、その前に将志くん♪」
「……何だ?」

 突然声をかけられ、将志は愛梨のほうを向いた。
 愛梨は人差し指を立て、口元に当てて、

「君は走ると僕達を置いてっちゃうから、僕より前に行っちゃダメだよ♪」

 と、将志に注意した。

「……む」

 全力で山を駆け上って鍛錬をしようとしていた将志は、どこと無く不満げな顔で頷いた。





「……これは……」
「真っ赤だね♪」
「これなら大丈夫そうですわね」

 火口に行ってみると、先ほどの噴火によって飛ばされてきた赤い溶岩がところどころに落ちていた。
 その周囲は、都合がいいことに歩いて近づける場所が沢山あった。

「……始めるか」

 将志はおもむろに調理道具を広げ、料理を始めた。
 中華鍋に油を引いて溶き卵を流し込み、それが固まる前にあらかじめ炊いた米をいれてサッと絡める。
 その中にほかの具材を投下し、溶岩の強火ですばやく炒める。

「……完成だ」

 将志はそう言って出来たチャーハンを皿に盛って、一人一皿ずつ配った。

「わ~い♪ いただきます♪」
「それじゃあ、いただきますわね」
「……ああ」

 三人はそう言ってそれぞれにチャーハンを口に運んだ。
 すると、その場に一気に笑顔の花が咲いた。

「ん~♪ これこれ♪ これが将志くんのチャーハンだよね♪」
「っ! この前のとは段違いに、本当に驚くほどおいしいですわ!」
「おおおお、俺こんなにうまい飯初めてだああああああ!!」
「……そうか」

 感想を聞いて、将志は薄く笑顔を浮かべて頷いた。

「「…………」」

 その一方で、愛梨と六花は口にレンゲをくわえた状態で固まっている。

「うおーっ、うめええええええ!! 兄ちゃんお替り!!」

 そんな中、幼い少女が叫ぶようにそう言いながら将志に皿を差し出した。
 将志はそれを見て立ち上がる。

「……了承した」
「「ちょっと待ったあああああああ!!」」

 何の疑いも持たずにお替りをよそおうとしている将志に、二人が待ったをかけた。
 将志は訳が分からないといった表情で二人を見た。

「……どうした?」
「どうしたもこうしたもありませんわ! どうみても一人増えてますわよ!?」

 将志は慌てふためく六花にそう言われて、辺りを見回した。

「お~い、兄ちゃ~ん。お替りまだか~?」

 お替りを催促する声を聞いてそっちを向くと、そこには炎のように赤い髪をくるぶしまで伸ばし、真っ赤なワンピースを着た小さな少女が立っていた。
 少女は空の皿を両手で持って、オレンジ色の瞳でじ~っと将志の事を見ていた。

「……誰だ?」
「いやいや、最初の時点で気付こうよ!? ていうか前にもあったよね、こんなこと!?」

 キョトンとした表情を向けてくる将志の一言に愛梨が全力でツッコミを入れる。
 それに対して、将志はただ首を傾げるばかりだった。

「おうおう、俺が誰かって? 俺は炎の妖精、アグナ様よ! 分かったか!? 分かったな、良し!!」

 アグナと名乗る少女はそう言うとえっへん、と胸を張った。
 よく見ると、足元からは炎が噴き出していて、少女が言っていることが本当であるっぽいことが分かる。

「……炎の妖精?」
「おうよ! 『熱と光を操る程度の能力』でちょっとした暖房代わりから森を一瞬で焼き尽くす炎まで、何でもござれよ! そんなことよりお替りだ!!」

 アグナはそう言いながら小さな体で一生懸命伸びをしながら将志に皿を渡そうとする。
 その声に、将志は中華鍋の中を覗き込んだ。そこにはもう米粒が数えるほどしか残っていなかった。

「……すまん、もう鍋が空だ。お替りがない」

 将志が鍋の中を確認してそういうと、アグナはカッと眼を見開いた。

「そんなわけあるか! あると思えばそこにあるんだ、あきらめるのはまだ早いだろ! もっと熱くなれよおおおおおおお!!!」
「……うおっ!?」

 アグナはそう叫ぶと、足元から巨大な火柱を噴き上げた。
 将志は即座にその場から退避した。

「……俺の分ならあるが……」

 将志がそう呟くと、アグナは火柱をあげるのをピタッと止めた。

「本当か!?」

 身を乗り出すようにして将志に詰め寄るアグナ。
 それを見て、将志はさらに声をかける。

「……いるか?」
「いる!!」

 瞳をキラキラと輝かせながらアグナは将志に元気よく返事をした。
 将志は自分の皿を手に取ると、レンゲでチャーハンをすくってアグナに差し出した。

「……あ~……」

 ……やっぱりこの声付きで。

「ふおおおっ!? 何だこれは、俺をナンパしてるのか!? むむむ、俺に目をつけるとは見所がある、しかも初対面でこの度胸、うん、気に入ったぞ、兄ちゃん!!」

 アグナは顔を真っ赤にしてそう一息でまくし立てると、将志のレンゲを差し出す手をがしっと小さな両手で握った。

「じゃあ、ありがたくいただくぞ! はむっ♪」

 アグナは将志の両手をしっかりと掴んだまま、差し出されたレンゲに食いついた。
 小さなアグナが将志のレンゲを小さな口でほお張るその姿は、えさを食べている小動物を連想させた。

「「(あっ、かわいい……)」」

 その姿をどうやら二人の見物客は気に入ったらしかった。
 アグナは頬いっぱいにチャーハンを頬張り、ニコニコと笑いながらもごもごと口を動かす。

「むぐむぐ……んっく、よし次だ!!」
「……あ~……」
「はむっ♪」

 将志はアグナにチャーハンをどんどん食べさせていく。
 アグナは満面の笑みを浮かべてどんどん食べる。
 なお、チャーハンを口に運ぶたびにアグナは将志の手が逃げないように両手で捕まえている。
 その様子を、残る二人はジッと見ていた。

「ねえねえ、そういえば将志くんがあ~んってやってるのはどうしてなのかな♪」
「……む? そういうものではなかったのか?」

 愛梨の質問に将志はアグナに食べさせながら首をかしげた。
 それを聞いて、愛梨は苦笑いを浮かべた。

「ちょっと違うと思うよ♪」
「……六花はそういうものだと言っていたが?」
「……六花ちゃん?」

 将志の言葉を聞いて、愛梨は六花のほうを向いた。
 その笑顔にはかなりの威圧感があり、見ていると気おされそうになる。

「ちょ、ちょっとしたお茶目でしたの、オホホホホホ……」

 そんな愛梨の視線に六花は眼をそらし、乾いた笑みを浮かべながらそういった。
 それを聞いて、愛梨は笑みから威圧感を消した。

「まあ良いけどね♪ 笑顔があればそれで良し、だよ♪」
「……そうか」

 笑顔を見せる愛梨の言葉に、将志は頷いた。

「それはそうと、何で皿ごと渡さなかったんですの?」

 六花の言葉に将志とアグナは食事を中断した。
 そして、六花のほうを見て、チャーハンの入った皿を見て、お互いの顔を見合わせた。

「「……あ」」






「ふぃ~……食った食ったぁ! ごっつぁんです! めちゃくちゃうまかったぜ!!」
「……そうか」

 アグナが満足そうに笑みを浮かべてそう言うと、将志は一つ頷いてそれに答えた。
 食事が終わると、将志は空になった食器を片付け始めた。
 将志が片付けている最中、アグナが寄ってきた。

「おう、兄ちゃん! そういや兄ちゃんはこんなところに何しに来たんだ?」
「……チャーハンを作りにきただけだ」

 威勢よく声をかけるアグナに、将志は淡々と事実を告げる。
 すると、アグナは大げさなまでに驚いた。

「おおう!? あれを作るためだけにこんなところまで来たのかよ!? そりゃまた何でだ!?」
「……手持ちの道具では火力が足りん。あれを作るには強い火が必要だった」
「なるほどねえ……」

 アグナはそういうと、何か考えるような仕草をした。
 少しすると、アグナはポンッと手をたたいた。

「そうだ! 兄ちゃん達、俺も一緒に連れてっちゃくれねえか!? 強い火が必要なら、俺は役に立つぜ! もちろん、加減した火だって出せるがな!!」
「……願っても無い話だが、良いのか?」
「良いってことよ! ここは住み心地はいいが、飯がねえし、あってもまずい。だったら、兄ちゃん達についてってうまい飯にありついたほうがずっと良いってもんよ!!」

 アグナが威勢よくそう言い終わると、将志は愛梨と六花の顔を見た。

「……愛梨、六花……」
「私には反対する理由はありませんわ。賛成する理由ならありますけど」

 澄ました笑顔で六花は賛成票を入れる。

「キャハハ☆ これでおいしいご飯が毎日食べられるんだから僕としては万々歳だよ♪ 笑顔もかわいいし、ぜひとも連れて行きたいね♪」

 愛梨は太陽のような笑みを浮かべてOKサインを出した。
 その二つのサインを見た将志は笑みを浮かべて、

「……そういう訳だ。これから宜しく頼む」

 といってアグナの頭を撫でた。

「よっしゃあ! うおおおおお、燃えてきたあああああああ!!!」

 アグナが眼に炎を宿らせて熱くそう叫ぶと、再び火山の火口に巨大な火柱が立った。



 ……その中央付近に、煤がついた銀の槍があるような気がするが気にしてはいけない。



[29218] 銀の槍、月を見る
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/06 22:31
 アグナが一行に加わってから、また長い年月が過ぎた。
 将志達は相変わらず世界中を飛び回っていた。
 そうやって世界を旅している内に、世界はどんどんと変遷して行った。

「……む……もう材料がなくなったか……」

 将志は愛梨のボールの中の空間を見ながらそう呟いた。
 ボールの中の食料庫は空になっており、食べられそうなものはほとんどない。

「きゃはは……星が降ってきてから一気に食事が出来なくなったね……」

 それを聞いて、道化師の少女は乾いた笑みを浮かべて辺りを見回した。
 辺りは一面の荒野になっており、生き物の気配がほとんど無い。
 隕石が落ちてきて環境が激変し、それまで生育していた動植物がそれに付いて行けずに死に絶えてしまったのだ。
 それ故に、将志達の食料も一気になくなってしまったのだった。

「くううう……腹減ったああああああ!!」
「叫んでも火柱を上げても無い物は無いんですわ……」

 大声で叫んで足元から巨大な火柱を上げるアグナに、疲れた表情で答える六花。
 この時代では、常に腹を空かせる事になった一行であった。



「……せいっ」

 将志の放つ銀の槍が、全身に毛の生えた鼻の長い動物の額を貫いた。
 その直後、地面に巨体が雪の上に倒れた。
 それを見て、愛梨が嬉しそうに笑った。

「キャハハ☆ 晩御飯ゲットだね♪」
「おっしゃあああ!! 今日の飯は焼肉だああああ!!」

 目の前に現れた大きな食料に、アグナが足元から巨大な火柱を上げる。
 周囲を赤く染め上げ、足元の雪を溶かして巨大な水溜りを作った。
 その勢いに、六花が思わず後ずさった。

「きゃあ!? ちょっとアグナ! 突然火柱を上げないでくだいまし!」
「おお、わりぃわりぃ」

 こんな様に、雪原でマンモスを狩ったりした事もあった。



「……ぐふっ……」

 突如として将志が地面に倒れこみ、小刻みに痙攣を始めた。
 その手には赤いキノコが握られており、それにはかじられた様なあとが残っていた。
 どうやら道端に生えたキノコを食べて倒れたようだ。つくづく学習しない男である。

「お兄様……道端に生えているキノコを興味本位で衝動的に食べるのはどうかと思いますわよ……」
「キャハハ☆ いつもの事だから仕方がないさ♪」

 そんな将志に六花は額に手を当ててため息をつき、愛梨は楽観的に笑う。
 そして、アグナは将志の頭の側に立った。

「どうした兄ちゃん! 毒にあたったくらいなんだって言うんだよ! その気になれば毒なんて平気だって! もっと熱くなれよおおおおおおおお!!」
「……こっちも平常運転ですわね……」

 天高く炎を吹き上げて檄を飛ばすアグナに、六花は再びため息をつくのだった。
 


 そうやって過ごしている間に、一行はとあることに気が付いた。

「……久々に見たな……」
「うん……僕もだよ♪」
「最後に見たのはいつでしたっけ……」
「何だ何だ? ありゃ何かの家か?」

 一行の前には、簡単な作りの家が並ぶ集落があった。
 その集落の真ん中には、宵闇を照らし出す炎が揺らめいていた。
 そこには、直立二足歩行をする生物が集団で生活していた。
 そう、人間が再び姿を現したのだ。

「…………」

 将志はその集落を見た後、空を眺めた。
 その黒曜石の瞳には、青白く輝く月が映っていた。

「……いつか必ず……」

 その月を眺めながら、将志は静かにそう呟いた。
 普段から将志は皆が寝静まって一人になると、月を眺めては主との再会の誓いを新たにする習慣があった。
 その行為は永琳と離れ離れになって以来、槍の鍛錬と共に一日たりとも欠かしたことが無い。
 将志の心の中から永琳が消えることは今の今まで、数億年の時を経ても一度も無かったのだ。
 そんな将志の表情は無表情だったが、どこか淋しげにも見えた。

「ん? どうしたんだ、兄ちゃん?」

 そんな将志を見て、赤く長い髪の炎の妖精が首をかしげた。
 初めて見る将志の様子が純粋に気になっているのだ。

「……月に、お兄様の大切な人が居るんですの」

 それに対して、六花は少し悲痛な面持ちになった。
 六花はただの包丁だったときの記憶から、将志が永琳と共に過ごしていたときのことをおぼろげながらに分かっている。
 そして、自分達がそれを失ったことによって出来た将志の心の隙間を埋めることが出来ていないことも。

「そうなのか? 兄ちゃんに俺達の他にダチが居るってのは初耳だぞ?」
「友達じゃありませんわよ。お兄様にとってはもっと大事な誰かですわ」

 六花はそう言いながら月を見つめる。
 その視線は睨む様でもあり、まるで将志を残していった相手に恨み言を言うようなものであった。

「むうううう……俺にはわからんぞ……」

 頭から黒い煙を出しながらアグナは唸る。
 アグナにとって、話をしたりする相手は将志達しか居ないのである。
 故に、友達よりも大切な相手と言うものがどういうものかが良く分からないのだ。
 そんなアグナの前に、六花はしゃがみ込んで頭を撫でた。

「大丈夫ですわよ、私にも分かりませんもの。分かるのは、お兄様とその相手だけですわ」
「むぅ……」

 六花の言葉に、アグナは納得がいかないといったように頬を膨らませた。




 その一方で、空を見上げる将志のところに愛梨が近寄った。

「将志くん♪」
「……?」

 愛梨が声をかけると、将志はその方を向いた。

「それっ♪」
「……っ!?」

 それに対して、愛梨はにっこりと笑って差し出したステッキの先から強烈な光を発した。
 突然の閃光に、将志はとっさに腕で眼を覆った。

「キャハハ☆ びっくりしたかな、将志くん♪」
「……何のつもりだ?」
「君、主様のこと考えてたでしょ? だったら、もっと笑わなきゃ♪」

 どことなく暗い雰囲気の将志に、愛梨は笑いかける。
 将志は愛梨の言葉の意味が分からずに首をかしげた。

「……何故だ?」
「だって、将志くんのお話だと主様はまだ生きてるんだよね? それなら、会おうと思っていればいつかは会えるよ♪」
「……そういうものか?」
「そういうものだよ♪ だって、不可能じゃないんだからさ♪ 現に、君の主様は月に行けたでしょ♪」

 優しい口調で愛梨は将志にそう声を投げかける。
 それを聞いて、将志はふっとため息をついた。

「……そうか」
「それに、将志くんひどいよ? 僕も六花ちゃんもアグナちゃんも居るのに、そんな淋しそうな顔するなんてさ♪」

 少し拗ねたような表情を浮かべる愛梨に、将志は微苦笑した。
 それは苦笑いであったが、どこかすっきりした表情だった。

「……それはすまんな」
「謝るんならみんなに謝んなきゃね♪ お~い、みんな~!」
「……む?」

 愛梨は大声で六花とアグナを呼び寄せた。
 その声を聞いて、赤い服を着た二人組みがやってくる。

「どうかしましたの?」
「呼んだか、ピエロの姉ちゃん?」
「将志くん、僕たちが居るのに淋しかったみたいだよ♪」
「……いや、実際に淋しかったわけでは……」
「あら……それは頂けませんわね……」

 将志は愛梨の言葉に訂正を入れようとするも、その前に六花が反応した。
 六花は将志の背後に回ると、少し強めに抱きついた。
 
「ひどいですわ、お兄様。淋しいのでしたら言ってくれれば宜しかったのに……」

 六花は吐息がかかる様な距離に赤く艶やかな唇を持っていき、そう囁きかけた。

「……別に淋しかったわけではない……ただ淋しそうな顔をしていると言われただけなのだが……」
「それも同じことですわよ? そういう訳で、今日は私がお兄様に添い寝してあげますわ♪」
「……好きにしろ」

 それに対し、将志はいろいろ当たっているにもかかわらず顔色一つ変えずにそう答える。
 そんな将志の反応を見て、六花はため息をついた。

「はぁ……その返し方は少し冷たすぎますわ、お兄様。かわいい妹の申し出なんですのよ?」
「……それはすまん」
「む~……」

 そっけない態度を指摘されて将志は謝るが、六花はそれでも面白くなさそうな顔をしていた。

「……あむっ」
「……っっっっ!?」

 六花は将志の耳をおもむろに甘噛みした。
 突拍子の無い行為に、さすがに将志も背中をぞくりと震わせた。
 その反応を見て、六花は満足そうに笑った。

「ああ、やっと反応してくれましたわね、お兄様」
「……お前は何がしたいのだ?」
「別に何でもないですわ。愛情表現を兼ねて少しからかってみただけですわよ」

 六花はそういうと、呆れ顔の将志から離れていった。
 そんな六花に、愛梨が話しかけた。

「六花ちゃん、あれはやり過ぎなんじゃないかな♪」
「愛梨、お兄様は手ごわいですわよ。私が思ったとおりの反応をしてくれませんわ」
「というより、あんなからかい方どこで覚えたのかな?」
「店に居たときに見た、仲の良いカップルを参考にしましたわ」
「きゃはは……普通、兄妹でそんなことしないと思うけどなぁ……」

 六花の発言に、愛梨は乾いた笑いを浮かべることしか出来なかった。
 
「なあ、兄ちゃん。兄ちゃん、淋しいのか?」

 そんな二人を尻目に、アグナが将志に話しかけていた。
 将志はそれに対して首を横に振った。

「……いや、淋しいわけではない」
「何だ、そんなら何も問題ねえな。そんなことより腹減っちまったぜ! という訳で、兄ちゃん飯!!」

 元気いっぱいのアグナの一言に、将志は思わず笑みを浮かべた。

「……了承した。アグナ、火は任せるぞ。六花、包丁を貸してくれ。愛梨、テーブルのセットは頼んだ」
「合点だ、兄ちゃん!!」
「了解ですわ、お兄様」
「おっけ♪ 任されたよ♪」

 そういうと、将志は料理を始めた。
 その日の調理風景はいつもより気合が入ったものになった。
 料理が出来るにしたがって、周囲には料理の良い匂いが漂い始めた。

「……出来たぞ」
「それじゃ、食べよっか♪」
「頂きますわ」
「うおおお、腹減ったぁー!!」
「ふむ、噂に違わず旨そうだな」

 テーブルの上に並んだ色とりどりの料理を見て、全員用意された席に着いた。
 席に着くと、それぞれ思い思いに料理を食べ始める。

「確かに評判どおり、いや、想像以上に旨い……この料理はなんて言うのだ?」
「……料理の名前など特に決めてはいないが……名前が必要なのか?」
「必要であろう。名前があればその料理の説明が楽になるであろう?」
「……ふむ、確かにそうかも知れん」
「そうかも知れん、ではなくそうなのだ。しかし、聞いていた以上にこの味は良い……我が食した中でも五本指に入る旨さだ」
「……そうか」

 他愛も無い話をしながら、それぞれ食事を続ける。
 穏やかに時間が流れ、全員がリラックスした状態で料理の味を楽しんでいる。
 そんな中、ふと将志が食事の手を止めた。

「……ところで……お前は誰だ?」
「……何故その質問が会話の最初に来ないかが我には不思議でならない……」

 将志のあまりに今さらな質問に、質問された人物はがっくりと脱力した。  

「我が名は八坂 神奈子。大和の神の一柱なり」

 注連縄を背負った神は気を取り直して尊大な態度でそう名乗った。
 将志はそれを聞いて首をかしげた。

「……その神が、いったい何の用だ? 食事だけというのならば別にかまわんが」
「驚きもしないとは、ずいぶんと肝が据わっておるな」
「……神ならばこれまでにも何度か会ったからな。現にいくつかの神はまれにこの場に顔を出す。それ故、またどこぞの神が食事に来たのかと思ったのだが……」
「……道理で頼んでも無いのに我の分の食事が並んだわけだ……しかし、幾らなんでも初対面の相手と誰も何の疑問も持たずに食事をするというのは……」

 神奈子はそう言って同席している者を見回した。

「キャハハ☆ それが将志くんだから♪」
「正直、もう慣れましたわ」
「飯がうまけりゃそれで良し!!」

 神奈子の質問に、愛梨は満面の笑みで答え、六花は苦笑いと共に返し、アグナは威勢よく言い切った。
 それを聞いて、将志は神奈子へと向き直った。

「……だそうだが」
「……もう良い、貴方達としゃべってると威厳を保つのが馬鹿らしくなってきたわ」

 将志達の言葉を聞いて、神奈子は頭を抱えた。
 そんな神奈子の様子に、将志は再び首をかしげた。

「……悩んでいるようだが、どうかしたのか?」
「誰のせいで頭抱えてると思ってるのよ!?」

 神奈子に言われて、将志はあごに手を当てて考えると、

「……誰だ?」

 と、首をかしげたままそう答えた。
 なお、将志は本気で考えた末にその結論を出している。
 この男、ピンポイントでアホになるときがあるため困る。

「自分だって言う答えに何故たどり着けないのよ……」

 神奈子はそう言うと、テーブルの上にぐったりと伸びた。

「……修行が足りませんわね。お兄様の話相手をするにはコツがありましてよ?」

 六花は優雅にスープを口に運びながらそう言った。
 神奈子はそれを聞いて、顔を上げた。

「そのコツって何?」
「細かいことを気にしないことさ♪」
「……………………」

 愛梨のアドバイスに、神奈子は沈黙するしかなかった。
 神奈子はその場で首を振り、目の前に置かれたスープを飲んだ。
 そして一息ついてから、将志に向き直った。

「槍ヶ岳 将志! 貴方に頼みがある!」

 今までの醜態を振り払うように神奈子は大声で叫んだ。
 将志はそれを自然体で聞き入れる。

「……何だ?」
「次の宴会で料理を作ってほしい!」

 神奈子の言葉に、将志は首をかしげた。

「……何故神が俺に宴会の料理を依頼する?」
「今、夜になっているわね?」

 神奈子はそういって空を指差した。
 空は満天の星空で、その中心に見事なまでの満月が浮かんでいる。誰が見ても、見紛う事なき夜の姿であった。
 将志はそれを見てこくりと頷いた。

「……ああ」
「これ、当分の間夜明け来ないわよ」
「……何故だ?」
「うちのところの引きこもりが引きこもったせいよ。あれが出てこないと朝は来ないわ」

 神奈子は困り顔でそう話す。どうやらかなり深刻な問題のようで、かなり疲れた表情を浮かべていた。
 そこまで聞くと、将志は納得したように頷いた。

「……成る程、それでおびき出すために宴会をするから、その料理を作れというわけだ。しかし、何故俺なのだ?」
「なに、知り合いの神が旨い料理を食わせる妖怪が居ると言っていたのよ。だから試しに来てみたのだけれど、想像以上だったわ。これなら宴会を盛り上げることも出来るわ」
「……別に俺でなくとも料理の上手い奴はいるだろう」
「それが、今までの料理担当者が過労で倒れてね。その代役を探してるのよ。駄目かしら?」

 神奈子はそう言うと将志の返答を待った。
 一方の将志は、あごに手を当てた状態で愛梨達に目配せをした。

「キャハハ☆ いーじゃん、将志くん♪ やってあげようよ♪ 神様に混じって大騒ぎできるなんて滅多にないしさ♪」
「私はお兄様に任せますわ」
「俺はうまい飯が食えるなら何でも良いぞ!!」

 三人の回答を聞くと、将志はふっと一息ついた。

「……良いだろう、引き受けた」
「ありがとう、助かるわ。それじゃ、これから案内するからついて来なさい」

 しかし、誰もついてこようとしない。
 その様子に、神奈子は首をかしげた。

「……どうかしたのかしら?」
「ちょいちょい、姉ちゃんよぉ、せめて飯ぐらい食わせてくれねえか? 残していくのはもったいねえぞ?」

 不満げなオレンジ色の瞳で見られて、神奈子はあっと声を上げた。

「それもそうね。それじゃ、ゆっくり堪能させてもらうわよ?」
「……そうするが良い」

 神奈子はそう言うと、食事を再開した。
 料理を口に運ぶと、口の中に程よい塩味と魚の旨味が絶妙のバランスで広がっていく。

「……やはり、おいしいわね。言葉が見つからないわ」
「……そうか」

 おいしい料理に神奈子は思わず笑みをこぼし、それを見て将志もつられてかすかに笑う。

「キャハハ☆ 神様と親友の笑顔いただきました♪ 良い笑顔だよ、二人とも♪」
「そ、そう?」
「……そうか」

 楽しそうな愛梨の言葉に神奈子は戸惑ったように頬を染め、将志は目を閉じて視線を切った。


 こうして穏やかに食事の時間を済ませた後、将志達は神奈子に連れられて宴会場に行くことになった。




[29218] 銀の槍、宴会に出る
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/06 22:39
 将志達が宴会場に行くと、そこには大勢の神が屯していた。
 宴会場は周囲を森に囲まれており、その中央が少し盛り上がっていて舞台のようになっていた。
 そのすぐ隣には大きな岩の戸があり、どうやらその中に引きこもっている神がいるようだ。
 そんな彼らに対して、神奈子は声を上げた。

「おーい、料理人代理を連れてきたわよ!」

 その声に、神達は一斉に将志達を見た。

「あ、あいつはこの間の料理妖怪じゃないか!?」
「おお、それならば今日の料理は期待できるぞ!」
「料理妖怪来た、これでかつる!」

 将志の姿を見た瞬間、神々の間から歓声が上がる。
 どうやら、将志は完全に料理の妖怪という認識になっているようだった。

「……貴方、ずいぶんと人気あるわね」
「……俺は食事を作っていただけなのだがな……」

 あまりの熱狂振りに神奈子は思わず将志を見る。
 それに対して、将志は肩をすくめて首を横に振った。

「ところで、いつから宴会を始めるつもりなのかな♪」
「料理が出来次第はじめるつもりよ。それがどうかしたかしら?」

 愛梨の質問に神奈子が答えると、連れられてきた一行はくすくすと笑い出した。

「……何よ、何がおかしいのよ?」
「いいえ、そういうことなら宴会の時間を繰り上げることをお勧め致しますわ」
「おおよ、兄ちゃんはこういうときの料理は作るのを見るだけで楽しいもんな!!」

 ムッとした神奈子に、六花とアグナが笑いをかみ殺しながらそう言った。
 その横で、将志は着々と料理の準備を進めていく。

「……神奈子、材料はどこにある?」
「材料ならあそこにあるわよ。大体の料理は作れるはずだから、期待してるわ」
「……ところで、宴会料理で良いのだな?」
「ええ、いいわよ」
「……了解した」

 将志は用意された食材をどんどん調理場の横に運び始めた。
 全てを運び終わると、将志は布に包まれた槍を手に取った。
 それを確認すると、愛梨が将志の立つ調理場の前に立った。

「さあさあ、よってらっしゃい見てらっしゃい!! これからこの料理の妖怪が料理を始めるよ♪ たかが料理と思っちゃダメだよ? きっと見ないと損するよ♪ それじゃあ将志君、よろしく頼むよ♪」
「……始めるか」

 愛梨が高らかに口上を述べると、将志は槍に巻いた布を取り払った。
 突然の将志の行動と現れた銀の槍に、会場がどよめいた。
 何事が始まるのか、会場に居るものには全く分からないのだ。

「……はっ」

 将志は槍をまな板に叩きつけ、宙に浮いた食材を槍で刻み始めた。
 長い槍を手足のように扱い、食材を欠片も落とすことなく正確に切り刻んでいく。
 その流れるような銀の軌道は、見るものの目を惹きつけた。

「……アグナ」
「合点だ、兄ちゃん!!」

 将志が合図すると、アグナは中華鍋の下に火をつけた。
 それを確認すると、将志は刻んだ食材を高々と上に跳ね上げた。
 その間に中華鍋に油を敷き、準備を整える。

「……ふっ」

 その中華鍋で落ちてきた食材を受け止め、すばやく炒め始める。
 途中で香り付けのために酒を加えると、中華鍋から大きな火柱が立った。

「これはすごいわね……」

 将志が料理をしている光景を見て、神奈子は思わずそう呟いた。
 周りでは、神々が食い入るように食材が宙を舞い踊るその光景を見つめていた。
 将志の料理風景はもはや曲芸であり、見世物としても充分に楽しめるものであった。

「……六花」
「準備なら出来てますわ、お兄様!」

 将志の呼びかけに六花が応える。
 六花の目の前には、空の大皿が置かれていた。

「……せいっ」

 それを確認すると、将志は中華鍋を大きく振った。
 すると、中華鍋の中の料理が高々と空に飛び上がった。

「え?」

 その様子を神奈子は呆然と見届ける。他の神々も突然の事に声も出ない様子だった。
 せっかく出来た料理が突然鍋の中から消えうせたのだから、無理も無いだろう。
 静まり返った会場を少し見やると、将志は会場に背を向けた。

「……一品目、完成だ」

 将志がそう言った次の瞬間、空の皿に狙い澄ましたかのように料理が降って来た。
 それと同時に、辺りにはその料理のいい匂いが立ち込めた。

「お……おおおおお!? こいつはすげえ!」
「芸術的だ!」
「しかもうめええええええ!」

 次の瞬間、全体から一気に歓声が上がった。
 それを受けながら、将志は二品目に取り掛かる。
 その曲芸料理が出来るたびに会場は盛り上がっていった。

「キャハハ☆ さっすが将志くん♪ よーし、僕も負けてらんないよ♪ 全員ちゅうもーく♪ ここから先は僕がみんなを笑顔にする番だよ♪」 

 そんな将志に触発されて、今度は愛梨が芸を披露する。
 愛梨は大玉の上に乗ると、手にした黒いステッキを上に投げた。
 ステッキは赤、青、黄、緑、桃の五色の玉に変化して愛梨の手元に落ちてきた。

「それじゃあ、いっくよー♪」

 愛梨はそう言うと大玉を転がしながらジャグリングを始めた。
 準備運動代わりに会場の周りをぐるりと一周回ると、愛梨は大玉に乗ったまま部隊の上に飛び乗った。

「ハイッ、それじゃあ今度は上に投げた玉をくるっと一回回ってからキャッチするよ♪ 3,2,1,それ!」

 愛梨はそういうと五つの玉を全て上に高々と上げ、その場で一回転した。
 ただし横回転ではなく、バック宙で。

「よっととと!」

 大玉の上に着地し、落ちてくる玉を全てキャッチして再びジャグリングを始める。
 その一連の動作は危なげなく、それでいてどこかコミカルな動きで行われた。

「ふぅ~……ハイッ、無事成功したよ♪ みんな、拍手をお願いするよ♪」

 愛梨がそういった瞬間、観客から盛大な拍手が聞こえてくる。

「ありがと~♪ みんなの笑顔が見れて、僕うれしいよ♪ よーし、僕、みんなのためにはりきっちゃうぞ♪」

 それから愛梨は次から次へと技を繰り出して行った。
 中には大玉の上で逆立ちした状態で行う技や、玉が消えたり増えたりする不思議な技があった。
 それらの技が成功するたび、観客からは拍手が響いてくる。
 そして最後に、愛梨は五つの玉を全て上に高く投げて元の黒いステッキに戻し、それをキャッチすると大玉の上から飛び降りた。

「ハイッ、これで僕の演技は全部だよ♪ 楽しんでくれたかな? みんな、最後まで見てくれてありがとうございました!!」
「お見事、面白かったぞ!」
「後でもう一度見せてくれ!」
「おい、俺達も負けてられねえぞ! 早く舞台へあがれ!」

 愛梨が赤いリボンのついたシルクハットをとりながら恭しく礼をすると、盛大な拍手と大きな歓声が響いた。
 愛梨はそれに満面の笑みを浮かべて手を振って舞台の上から降りると、神奈子のところへ向かった。

「僕達の演技はどうだったかな、かなちゃん♪」
「んぐっ!? ごほごほっ、か、かなちゃんって……」

 普段されない呼び方をされて、酒を飲んでいた神奈子は盛大にむせ返った。
 愛梨はそんな神奈子の様子を見て、からからと笑う。

「キャハハ☆ 細かいことは気にしない気にしない♪ で、どうだったかな?」
「正直、ここまでやるなんて思ってなかったわ。貴方達、旅芸人としてもやっていけると思うわよ?」
「うんうん、気に入ってもらえて何よりだよ♪」

 神奈子の言葉に愛梨は満足そうに頷いた。
 そんな愛梨に、神奈子は杯を回す。

「ほら、せっかくだから貴方も飲みなさいな」
「あ、ありがと~♪ 僕お酒飲むの初めてなんだ♪」

 愛梨は杯を受け取ると、ゆっくりと飲み始めた。

「わぁ、お酒ってこんな味なんだ♪ おいしいな♪」
「それは良かった。まだ沢山あるから、欲しくなったら自由に注ぎなさい」
「うん♪」

 本当においしそうに酒を飲む愛梨にそういうと、神奈子は周囲を見渡した。
 すると、舞台そっちのけで何やら人が集まっているところがあった。

「六花ちゃん、こっちにもお酌してくれ~」
「あ、テメェ次は俺の番だぞ!」
「お前も何言ってやがる、俺のほうが先だろうが!」

 そこでは、男達が六花にお酌をしてもらおうと群がっていた。
 美人でスタイルもよく、色気のある六花はあっという間に紳士共の人気者になったのだった。

「あらあら、そんなに慌てなくても大丈夫ですわ。順番にお酌しますから、待っていてくださいまし」

 そんな男達に、六花は余裕たっぷりの態度で相手をする。
「それに……」と言いながら六花は色鮮やかな赤い唇に人差し指を当てて笑顔を見せる。

「……落ち着いた殿方のほうが、私は好きですわよ?」

 その一言を聞いた瞬間、野郎共は一気に静まりかえり、その場に正座した。
 もはや六花はその場を完全にコントロールしていた。

「きゃっ!? もう、お触りは厳禁ですわよ?」

 そんな中、赤い長襦袢からのぞく白く滑らかな肌の太ももを触られ、六花は思わず声を上げる。
 すると、その様子を周囲で見ていた者達の眼が鋭く光った。

「貴様……紳士協定に違反したな……」
「実に許されざる行為だ……」
「よって、これより貴様を粛清する」
「あ、ちょ、待て、話せば分かる……」

 お触りを敢行した男が、紳士達に連れられて森の中に消えてゆく。
 その後、森の中から闇夜を劈くような悲鳴が聞こえてくるのだった。

「……うちの男共は何をやってるのよ……」

 その様子を見て、神奈子はあきれ果てたようにため息をついた。
 一人の女に手玉に取られる男共の姿にはなんとも情けないものがあったのだ。

「くぅ……兄ちゃ~ん、俺も腹減ったぞ~」

 一方、将志と共にずっと調理場で頑張っていた赤髪の小さな妖精がそう声を漏らした。
 腹からはきゅぅぅぅぅ……と、可愛らしい音が聞こえている。
 将志はその様子を見て、材料を確認した。

「……ふむ。アグナ、もう少し頑張れるか?」
「おおう? まあ、何とかいけるけどよ」
「……今からお前の分を作る」

 その言葉を聞いた瞬間、アグナのオレンジ色の瞳に炎が灯った。

「マジか!? よっしゃあ、燃えてきたああああああああ!!!」

 天を焦がすほどの巨大な火柱を上げて気合を込めるアグナ。
 それによって辺りは一瞬で真っ赤に染まり、明るく照らし出した。
 その間に将志は材料を刻む。

「……アグナ」
「おうよ!!」

 将志の合図で、アグナはかまどに火を入れる。
 その火の上で、将志はすばやく鍋を振るう。

「……出来たぞ」

 将志が作ったのは黄金チャーハンだった。
 腹を空かせたアグナのために、すぐに出来るものを選んだ結果である。

「おおう、ありがてえ!!」

 アグナは料理を目の前にして目をキラキラと輝かせた。
 将志はチャーハンを盛った皿と、レンゲを持ってアグナのところへ向かった。

「あ~♪」

 すると、アグナは口をあけて待ち構えた。
 ニコニコと笑いながら口を開き、将志の行動を待つ。

「……そうか」

 将志はアグナがして欲しいことに気がつき、静かに頷いた。
 そしてレンゲでチャーハンをすくい、アグナの口元に持っていった。

「……あ~……」
「あ~……はむっ♪」

 レンゲを差し出す将志の手を小さな両手でしっかり掴んで、チャーハンをほお張るアグナ。
 アグナはニコニコと笑顔を浮かべており、見るからに幸せそうな表情を浮かべている。
 その光景は、傍から見ると槍を持った青年が幼女に餌付けをしているように見える。

「もきゅもきゅ……んくっ、ふぉおおおお、やっぱうめえな! 次くれ、次!!」
「……ああ」

 太陽のような笑みを浮かべてアグナは将志に次をせびる。
 それに対して、将志はそっとレンゲを差し出す。

「あら、あの子かわいい」
「ああ、私も食べさせてみたい!」

 調理場の前では、その様子を見ている者が出始めていた。
 そんなことには一切気付かず、二人は食事を続ける。

「……さて……俺はあと少し作業がある。一人で食べてもらえるか?」
「お、おおう、いいぜ!」

 将志が料理に戻る旨を告げると、アグナは少し残念そうな顔をして答えた。
 それを聞くと、将志はレンゲを皿に置いて調理場に戻って行った。
 将志が離れるや否や、見物していた者達が流れ込んできた。

「うおおお!? な、なんだ姉ちゃんたち!?」
「今度は私たちが食べさせてあげる!」
「ええ、順番にね」
「お、おおおおお!? ひょっとして俺、人気者か!? よっしゃ、そんなら食わせてくれよ!!」

 突然のことに一瞬戸惑いはしたが、状況を理解するとアグナは大はしゃぎで歓迎した。
 そんな中、将志は淡々と作業を続けて料理を完成させていく。
 その度に会場内の空になった皿の上に料理が降り注ぎ、神々の間から歓声が上がっていく。

「……このくらいあれば当分は持つな」

 将志はそう言うと調理道具を洗って台の上に置き、神奈子のところに向かうことにした。

「あ、おい! この揚げ物がもう無いんだが」
「……それならもう出来ている」

 将志がすれ違いざまにそう言うと、皿の上に注文の料理が降って来た。
 その香ばしい匂いをかいだ瞬間、声をかけた神は嬉しそうに笑った。

「おお、ありがたい! アンタも楽しんでくれよな!」
「……ああ」

 将志はそう言って返すと、再び神奈子のところに歩き出す。
 神奈子は将志が来るのを確認すると、そちらに向かって手を振った。
 それに対して軽く手を振り返し、将志は神奈子の横に座った。

「お疲れさん。料理はおいしいし、見ていて楽しかったわ」
「……そうか」
「それにしても、あんな料理の仕方どこで覚えたのよ? 普通に料理していたらああはならないわよ?」
「……狩りと料理以外することが無かったからな。愛梨に言われて余興のつもりで練習していた」
「つまり、暇だったから覚えてみたって事?」
「……そういうことになるな」

 話をしながら将志と神奈子は酒を酌み交わす。
 神奈子が振る話に、将志は酒を飲みながら淡々と答えていく。
 そんな中、将志はジッと神奈子のある一部分を見つめる。

「……ところで、これは今どういう状況だ?」
「ああ、これはまあ仕方が無いことよ」
「うにゃ~♪ 何かいい気分~♪」

 将志が見ていたのは神奈子の膝の上。
 そこには、顔を真っ赤に染めて丸くなっている愛梨の姿があった。
 左頬の赤い涙は消えており、右頬の青い三日月ははっきりと浮かび上がっていた。
 将志がしばらく見つめていると、愛梨は熱に浮かされたような眼で将志を見た。

「あ~♪ 将志くんだ~♪」

 愛梨は将志の姿を認めると、のそのそと将志のところに向かっていった。
 そして、あぐらをかいている将志の膝の中に納まった。

「にゃ~♪ あったかくて気持ちいいな~♪」
「……そうか」

 愛梨は将志の胸に頬をすり寄せる。
 将志はその様子を普段と変わらぬ様子で見ていた。

「……酔っているのか?」
「そうね。さっきから結構飲んでると思うわよ? 飲むのが初めてって言っていたから、よく分からずにどんどん飲んでたみたいだし」

 将志が問いかけると、神奈子は苦笑いを浮かべてそう答えた。
 それを聞いて、将志は小さくため息をついた。

「……そう言えば、酒など飲んだのはいつ以来だったか……」

 将志は永琳と過去に飲んだ時の事を思い出した。
 初めて飲んだ酒で酔った時、将志は酒を毒だと思って思いっきり警戒していたところを永琳に笑われたこともあった。
 月の綺麗な夜に、二人で静かに酒を酌み交わしたことも会った。
 今はもうはるか昔の出来事になってしまっているが、将志はその様子を鮮明に思い出すことが出来た。
 将志はその記憶を肴に、しみじみと酒を飲む。

「あ~! またそんな顔してる~!」

 その様子を見て、愛梨が不満げな声を上げる。
 その声に将志が目をやると、愛梨は瑠璃色の瞳でじ~っと視線を送っていた。

「……愛梨、別に俺は本当に淋しいわけではなくてだな……」
「ダ~メ~だ~よ~! 僕の目が黒いうちはそんな顔しちゃダメ~!」

 酔った愛梨は将志の胸倉を掴んで揺すりながらそう訴える。
 その一言に、将志は不思議そうな顔で首をかしげた。

「……お前の眼は青いんだが……」
「ごふっ!? がはっ、げほっ!」

 将志のあんまりな発言に神奈子は思わず飲んでいた酒を噴き出す。

「……どうかしたのか?」
「けほっ……どうかしたのかって、貴方があんな不意打ちしかけてくるなんて思わなかったわよ……」
「……俺が何かしたのか?」
「あ、あれ素で言ってたのね。理解したわ」

 神奈子は首をかしげる将志の疑問をさらりと流した。
 順応の早い神である。

「こら~! 僕を無視するな~!」
「……それはすまない」

 将志が神奈子と話していると、ふくれっつらした愛梨がべったりと将志の小豆色の胴着の襟を掴んでくっついた。
 そんな愛梨に将志は一言詫びを入れ、手のひらで愛梨の頭を軽く撫でてから再び酒を飲む。
 撫でられた愛梨は気持ち良さそうに目を細めて将志の手を受け入れる。
 その様子を、神奈子は微笑ましいものを見る目で見つめていた。

「……あれ、そういえば何か大事なことを忘れているような気がするわ」

 神奈子はふと何か大事なものを忘れているような感覚を覚えたが、気にしないことにした。




「え~ん、ちょっとぉ~! 私も混ぜてくださいよぉ~!」
「ダメですな。あなたには少し反省の意をこめて中にこもってもらいます」
「そうそう、アンタが出てくると宴会終わっちまうからな!」
「わ~ん! 私だってお料理食べたいのに~!!」

 いつしか宴会場にある天岩戸には何重にも注連縄が巻かれていて、戸の隙間からは引きこもった神のすすり泣く声が聞こえていた。
 なおこの神はしばらくしてから無事に注連縄を解かれ、閉じ込めた連中は神奈子のオンバシラによって友愛されたのだった。



[29218] 銀の槍、手合わせをする
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/06 22:46
 将志達は宴会の後、しばらく大和の神と過ごしてからまた自由気ままに旅をすることにした。
 ただし、以前のように世界中を旅して回るのではなく、後に日本と呼ばれる一帯だけを旅することになった。
 と言うのも、ちょっとした理由があって外に出られなくなったからである。

「本当に貴方達には申し訳ないことをしたわね……まさか、貴方達が手の届かないところに行こうとしたら実力行使をするなんて思いもしなかったから……」
「きゃはは……おいしすぎる料理も考え物だね、将志くん……」

 頭を抱えてため息をつく神奈子に、愛梨は苦笑いを浮かべる。
 そう、将志達が日本から出ようとすると太陽が隠れたり雷が落ちたりするようになったのだ。
 今では毎日のように神がとっかえひっかえ食材をもってやって来ては将志に勝負を挑んだり、愛梨の芸を見たり、六花に相手してもらったり、アグナを愛でたりして、最後には食事をしていた。
 なお、現在神奈子は将志達の様子を見に、食材をもってやって来ていたのだった。
 その話を聞いて、将志は小さくため息をついた。

「……だが、それほどまでに認められていると言うこと、悪い気はしない。それに、この辺りの変化を見届けるのも悪くはないだろう」
「そう言ってもらえるのは助かるけど、貴方達はそれで良いのかしら?」
「良いも悪いもありませんわよ。こちらとしては、食料をそちらがもってきてくれるおかげでお兄様が道端のキノコや野草で実験をしなくてすむので良いのですけど」
「兄ちゃん、よく毒に当たって倒れるもんな~。この前は魚食って泡吹いて倒れたな」

 神奈子の質問に六花は呆れ顔で将志を見ながら答え、アグナは最近の将志の惨状を思い出しながらそう語った。
 それを聞いて、神奈子は大きくため息をついた。

「……よくそれで今まで生きてこれたわね……」
「……食の探求に犠牲は付き物だ」
「限度ってものがあるわよ……」

 親指をグッと立てて力説する将志に、神奈子は絶句した。
 そんな神奈子に、愛梨が違う話題を振る。

「でも、かなちゃんずいぶん久しぶりだよね♪ 他のみんなは結構来るけど、今まで何かあったのかな?」

 愛梨の呼び方に、神奈子はがくっと一気に脱力した。

「だからかなちゃんって……まあ良いわ。貴方達、今大和の神の間でどういう扱いになっているのか全然知らないのね。貴方達に会うのは予約制よ。その予約を取るのに戦争が起きるくらいなんだから、貴方達に会うのはすごく苦労するのよ」
「あら、神様達に人気って言うのも悪くないですわね。それで、何でそんなことになっているんでしょう?」
「それが意見を聞いてみると、飯がうまい、面白い芸が見れる、かわいい娘が居る、闘いも楽しめる……要するに、貴方達は退屈を紛らわせるには需要を満たしすぎているのよ。おかげで会いに来るのが大変だったわ」

 楽しそうに笑う六花に対して、神奈子は若干疲れたような仕草で答えた。

「……それで、今日はいったい何を所望だ?」
「そうね、さし当たっては食事かしら。それから、後で少し手合わせをして欲しいわね」

 将志が話を切り出すと、神奈子はそう答えを返した。
 将志はその答えを聞くと、ゆっくりと神奈子の眼に視線を合わせた。

「……手合わせか……誰とだ?」
「一番強いのは誰?」
「そんなら兄ちゃんかピエロの姉ちゃんだな」

 神奈子の質問にアグナが即座に答えた。
 すると、愛梨は顔の前でそれはないと言った風に手を振った。

「違うよ♪ 将志くんのほうがずっと強いよ♪ だって、将志くん全然本気出してないもんね♪」
「そうなんですの? 今でさえ全然勝てませんのに?」

 愛梨の言葉に六花は黒曜石のような黒い瞳をパチパチと瞬かせた。
 それに対して、愛梨は我が事のように楽しそうに話を続ける。

「だって将志くん、『女子供に向ける刃は無い』って言ってなかなか本気出してくれないよ♪ 僕は本気の将志くんとたまに勝負するけど、未だに勝てないよ♪」

 普段将志達は何かあったときに自分の身を守れるように、お互いに模擬戦を行いながら訓練を積んでいる。
 その時将志も訓練を行うのだが、彼は他の三人を相手に圧倒しているのであった。
 しかし、自らの信条を貫く将志は普段は彼女達に本気で戦うことは無い。
 唯一本気で戦うことのある愛梨ですら、将志が本気の自分を忘れないようにするために仕方なくといった感じである。
 愛梨の話を聞いて、将志は小さなため息と共に首を横に振った。

「……妖力の制御は愛梨のほうが上手いのだがな……」
「キャハハ☆ それでも将志くんのほうが動きも速いし力も強いから、やっぱり僕じゃ勝てないよ♪ そういう訳で、将志くん、ご指名だよ♪」

 愛梨がそう言うと将志は目を閉じ、軽く息をついた。

「……いいだろう。神奈子はそれで良いか?」
「ええ、音に聞こえた槍妖怪の銀の槍にどれだけの冴えがあるのかも気になることだし、お願いするわ」
「……そうか……ならば先に手合わせをするとしよう。食事の後にすぐ動くと体に障る」

 将志はそういうと背中に背負っていた槍を手に取り、巻きつけていた布を取り払った。
 中からは、全体が銀で出来た3mくらいの直槍が出てきた。
 槍のけら首の部分には銀の蔦に巻かれた黒曜石の玉があしらわれていた。

「そうね。食事は運動の後でゆっくり食べたほうが良いわね」

 神奈子がそういうと、神奈子の周囲に紅葉の様に見える力が集まり、両脇に巨大なオンバシラが控える。
 それを前にして、将志は肩慣らしに槍を軽く振るう。
 槍はいつものとおり流れるように舞い、銀の線を宙に描いた。
 神奈子は始めてみる将志の槍捌きに思わず見とれた。

「……見事な舞ね。これ単体でも結構受けは良いと思うわよ?」
「……俺の槍は見世物ではない。俺の槍はただ一つ、大切なものを守る槍だ。……少々泥臭いかも知れんが、勘弁してもらおう」

 そう言うと将志は眼をゆっくりと開き、神奈子に向かって槍を構えた。
 神奈子はそれに笑って答える。

「泥臭くったって良いじゃないの。大切なものを守るためならそれくらいでちょうど良いわよ。さて――――貴方の槍、見せてもらおうか!!」

 神奈子がそういった瞬間二人は同時に空へ飛び上がり、勝負が始まった。
 最初はお互いの手の内を探るために二人は神力、または妖力の弾を飛ばしあう。
 将志は神奈子の色鮮やかな弾幕をすり抜けるように躱し、神奈子は将志の銀と黒の弾幕を最小限の動きで避けていく。

「……次、行くぞ」

 その中に、将志がだんだんと妖力で出来た長い槍を投げ込み始める。
 急旋回や宙返りなどアクロバティックに素早く大きく移動して放たれるそれは、弾幕の回避と共に多方向からの攻撃を仕掛ける。

「まだまだ甘いわ」

 神奈子はそれを冷静に躱し、将志に密度の高い弾幕で反撃を仕掛ける。
 将志はそれに対して、避けずに突っ込んで行った。
 先ほどと打って変わって、将志は移動速度を落としてゆっくりと弾幕を回避する。

「隙あり!」
「……ちっ」

 その抜けてくる将志に向かって、神奈子はオンバシラを投げつけた。
 将志は妖力で銀色に光る足場を作ってそれを蹴り、直角に軌道を変えると同時に急加速して避けた。
 その状態から将志は神奈子の頭上を取り、上から妖力の槍を数本まとめて投げつけた。

「おおっと!?」

 将志の突然の高速移動に一瞬驚くが、神奈子は冷静に避けていく。
 将志の槍の弾幕は通った後に銀の軌跡が残り、その軌跡が弾幕に変わってランダムな方向に飛んでいく。
 それにより行動範囲はかなり制限されることになるが、神奈子は慌てることなく銀の檻から抜け出す。

「……そこだ」

 将志はその抜けて出てくるところを狙って、槍を投げた。

「まだよ!」

 その槍に対し、神奈子はオンバシラをぶつけることで対抗する。
 オンバシラにあたった槍はその場で消え、オンバシラはそのまま唸りを上げてその向こう側に飛んでいく。

「……ふっ!」

 将志はそのオンバシラの横に回りこみ、すれ違うようにして弾幕を放つ。
 将志の耳にはオンバシラが風を切る音が聞こえ、ギリギリの回避であったことが伺えた。
 神奈子がそれを迎え撃とうとすると、急に将志が銀の壁にまぎれるように眼の前から消え失せた。
 弾幕を避けながら辺りを見回すと、将志は真下から新たに弾幕を放っていた。

「くっ、素早い!」

 神奈子は想像以上の将志の素早さに歯噛みした。
 緩急をつけた動きの中で瞬時に眼で追えないほどの速度まで加速するとは思っていなかったのだ。
 しかもその軌道は直角だったり、180度変わっていたり、かなり無理のある滅茶苦茶なもので予想がつかない。
 それ故に相手の移動した先を狙ったはずの弾幕が、結果的に見当違いの方向に飛んでいくことになっていた。
 更に、将志の放つ弾幕もまた想像以上に苛烈だった。
 素早く動く銀の弾幕の中に速度の遅い黒い弾丸が入ることで、その黒い弾が絶妙な位置で障害物と化すようになっているのだ。

「ええい!」

 神奈子は移動する将志の前後にオンバシラを投げつけ、動きを止める。
 将志はそれに対して再び銀の足場を蹴る事で直角に移動し、それを回避する。

「まだよ!」

 その将志の移動した先に、神奈子は弾幕を張る。
 目の前に迫る極彩色を見て、将志は今度は真下に跳躍した。

「そこっ!」
「……っ」

 神奈子は今度こそ将志を捉えるべくオンバシラを投げた。
 先の二本のオンバシラと弾幕により脱出口を完全に固定された一撃だった。

「……はっ」

 眼前に迫るオンバシラを将志は体を強引にひねり、手元に壁を作って力尽くでそれを押し、無理やり移動することでそれを躱した。
 オンバシラが将志の銀の髪をかすめて飛んでいく。
 体勢を崩した将志は空中で立て直し、地面に着地した。

「……ふっ」

 将志は着地すると、自分に向かって飛んでくる弾幕を手にした銀の槍で全て叩き落した。
 将志の手の中の銀がひるがえる度に、神奈子の弾幕がかき消されていく。
 その動きは、美しく回る独楽を連想させた。
 全てを叩き落した将志は、その場で残心を取る。
 それを見た神奈子は、将志のところへ降りてきた。

「あら、これで終わりかしら?」
「……ああ。動きすぎて食事が出来ないと言うのもなんだからな」

 将志はそう言いながら槍を収める。
 槍を収めると、将志は愛梨達のところへ歩いて行った。
 するとそこでは、森の中の広場に愛梨達の手によって調理場とテーブルが用意されていた。
 なお、それらのものは全て愛梨の大玉の中の不思議空間に収納されていたものである。

「あ、きたきた♪ おーい、将志くん♪ 準備は出来てるよ♪」
「あとはお兄様の料理を待つだけですわ」
「腹減った~ぁ! 兄ちゃん、早いとこ飯にしようぜ!!」
「……ああ」

 将志は小さく頷くと早速料理に取り掛かった。
 調理場からは聞いただけで空腹になるような音が聞こえてきて、うまそうな匂いが当たりに立ち込める。
 今日の料理は天津飯に鶏と野菜のスープ、それに桃饅頭だった。

「……完成だ」

 完成した料理を盆に載せ、将志はそれぞれに配って行く。
 全員に回ったところで、一斉に食事を開始した。
 愛梨と六花はお互いに話しながら箸を進め、アグナは一心不乱に食事をしている。
 そんな中、将志の隣に座った神奈子が将志に話しかけた。

「それにしても、貴方本当に強いわね。最後に弾幕を叩き落した槍捌きは見事だったわ」
「……鍛錬の結果だ。そう言われると毎日続けた甲斐があると言うものだ」
「本当にそれだけかしら? 私は少し貴方に聞きたいことがあるのだけれど?」

 神奈子の言葉に、将志は食事の手を止めて顔を上げる。

「……何だ?」
「貴方、いったい何者? ただの妖怪にしては強すぎる。何か隠し事とかは無いかしら?」
「……そう言われてもただの槍妖怪としか言いようが無いのだが……」

 突然の質問に淡々と答える将志。
 それに対して納得がいかなかったのか、神奈子はさらに将志に詰め寄った。

「ただの槍妖怪が神である私と互角以上の戦いが出来るものですか。それに、普段の妖力とさっきの妖力の量が違いすぎるわ。あの妖力量ならもっと体から出てこないとおかしいはずよ。いったい貴方はどうなっているのかしら?」
「……そうは言うが、本当に何でもないのだが……ただ毎日鍛錬を重ねていただけで……」

 将志は困ったような表情をわずかながらに浮かべる。
 すると、ふと気がついたように神奈子は質問をした。

「そうだ。そういえば、貴方は何歳なの?」
「……分からない。一万を越えた時点で数えることをやめた。それもやめてかなり長い時間が経っている。あのまま数えていれば、億の単位までいっているのかもしれないな」

 それを聞いて、神奈子は驚いた表情を浮かべた。

「億単位!? 私達よりもずっと昔から生きているってこと!? ……なるほどね、そこまで旧い妖怪ならその強さも納得だわ。でも、どうやってそんな妖力を隠しているのかしら? 見た目人間以下の妖力の大妖怪なんて聞いたことないわよ?」
「……それも分からない。俺は普通に過ごしているだけだが……」

 将志の言葉を聞いて、若干呆れた様に神奈子はため息をついた。

「分からないって、自分のことでしょうに。本当に分からないのかしら?」
「……ああ」
「……まあ良いわ。知ったところでどうしようも無いことだし」

 少し疲れた様子でそういうと、神奈子は食事を再開した。
 その間に将志はアグナの注文を受け、天津飯のお替りを持っていく。
 ご満悦の表情のアグナを見て微笑と共に頷くと、将志は神奈子に話しかけた。

「……ところで、何故いきなり手合わせを申し込んだのだ?」
「ああ、それは今度ちょっと東に居る神に戦を仕掛けることになって、それに私が行くことになったのよ」
「……それで、その肩慣らしのつもりで俺に手合わせを申し込んだのか」
「そうよ。もっとも、ああまで強いとは思っても見なかったけれどね。本気出してないでしょう、貴方」

 神奈子は将志を見やりながらそう言った。
 何故なら、先程の戦いでは将志は自分の槍を一度たりとも攻撃に使ってこなかったからである。
 前評判では美しい槍捌きと俊敏な動きが秀逸と言う評価だったのだが、その槍は使われていない。
 そう考えると、手加減されていたとしか考えられないのであった。
 すると、将志は眼を閉じ小さくため息をついて頷いた。

「……元より食事前だ。食事前に暴れすぎて気絶などと言う事は避けたかった。それに、俺は本当に必要なとき以外はあの槍は振るわん。これだけは絶対に譲れん。まして、本気を出していない相手に向ける刃などはない」
「それじゃあ私が本気を出していたら貴方も槍を振るったのかしら?」
「……それは、相手の技量しだいだ。……やってみるか?」

 将志はそう言いながら神奈子を見やる。
 その視線から圧力は感じられないが、底の知れない深さがあった。
 その眼を見て、神奈子は首を横に振った。

「試してみたい気もするけれど、やめておくわ。大事な戦の前に余計な消耗はしたくないしね」
「……そうか」

 二人はまた食事を再開する。
 どうやら自分の思った以上の味が出せたのか、将志はスープを飲んで満足そうに頷いた。
 その向かい側では、笑顔で談笑しながらデザートの桃饅頭を頬張る愛梨と六花の姿があった。

「ああ、そうだ。貴方達、私と一緒についてきてくれないかしら?」
「……何故だ?」

 唐突に放たれた神奈子の言葉に将志は首をかしげた。
 そんな将志に神奈子は話を続ける。

「どうせ戦の後は宴会になるんでしょうし、そうなれば貴方達が呼ばれるのは確実でしょう? それならば、いっそ私に同行してもらおうと思うのだけどどうかしら?」
「……俺は別に構わないが……」

 将志はそう言うと他の三人の方を見た。

「僕は良いよ♪ 将志くんが行くならついていくよ♪」
「私も良いですわよ。別に何か用事があると言うわけでもないのですし、良い退屈しのぎになると思いますわよ?」
「宴会があるなら俺も行くぞ!!」
「……だそうだ」

 どうやら反対意見などないらしく、全員賛成のようだった。

「なら問題ないわね。それじゃあ、よろしく頼むわよ」
「……ああ」

 満足そうに頷く神奈子に、将志は頷き返す。
 こうして、一行は神奈子と共に東へ行くことになった。



[29218] 銀の槍、迷子になる
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/06 23:08

「……はっ」

 小さな掛け声と共に銀の槍がまな板に叩きつけられる。
 その衝撃で宙に浮いた食材を神速の槍捌きで切り刻む。

「……ふっ」

 その食材に将志は素早く串を打ち込む。
 調理台に置かれた皿には串刺しになった食材がいくつも並び、うず高い山を形作っていた。

「…………」

 その食材を火であぶる。
 表面に焦げ目がつくと火から下ろし、塩や香辛料、柑橘類などを使って調合した特製の塩ダレにつけて皿に盛る。
 串焼きの盛り合わせの完成である。
 将志はそれを酒と共に膳に載せて運ぶ。

「……出来たぞ」
「お、出来たんだ。んー、これまた旨そうだね! そんじゃ、冷めないうちに食べようか」

 その先にはなにやら眼が付いた帽子をかぶり、蛙が描かれている紫を基調とした服を着た少女が座っていた。
 少女は膳の上に置かれた串焼きを旨そうに食べ、酒を飲む。

「く~! 酒のつまみに最高だね、これ! 将志、お替り!」

 少女は気持ち良さそうに笑ってそういうと、空の杯を将志に差し出す。
 将志はそれを受け取ると、燗にしていた酒を杯に注いで返す。

「……しかし、本当に俺がここに居て良いのか?」
「ん~? いーんじゃない? 妖怪ってわかるほど妖力は出てないし、私達に危害を加えるつもりも無いんでしょ? それに、こんなに旨い料理が食べられるんならむしろいつまでも居て欲しいもんだよ」

 将志の問いに、少女は手にした串焼きを口に運びながらそう答えた。



 ところで、いったい将志が今どこに居て、何故こうなっているかを説明する必要があるだろう。
 それでは、しばし時間を巻き戻すことにしよう。


 *  *  *  *  *  *


 将志達は神奈子の先導により、一路東に向かって歩いていた。
 なお、空を飛ばない理由は途中で食材を採取するためである。

「あ、確かこの草は食べられるんだよね♪」
「ええ、それからこのキノコも食べられたはずですわ」

 愛梨と六花は木の実や食べられる野草を見つけては拾いに行く。
 食料の保存は全て愛梨の大玉の中で行っていて、食べられるかどうかの判断は六花が行っている。
 なお、知識の出所は全て将志が食べて倒れたかどうかである。

「お、こいつは甘くてうまいんだよな! どうせだからあるだけ採っちまえ!!」

 アグナは木になっている木の実を集める。
 体が小さいため、木の枝の奥にあるものも易々採ってくる。

「……はっ」

 将志は茂みに向かって、槍を投げる。
 すると、けたたましい鳴き声と共に木の葉が揺れる音が聞こえてきた。
 将志が確認に行くと、そこには立派なイノシシが倒れていた。

「……上出来だな」

 将志は仕留めたイノシシを肩に担ぐと愛梨のところへ向かう。
 愛梨は将志が獲物を担いでいる姿を確認すると、大玉を転がしながらそこに向かった。

「わぁ~、大きなイノシシだね♪」
「……頼む」
「おっけ、任されたよ♪」

 大きなイノシシを見て瑠璃色の眼を輝かせた愛梨は、そういうと大玉にイノシシをしまいこんだ。
 それを見て、六花は納得したように頷いた。

「今日の分はこれで十分ですわね。ところで、目的地まで後どれくらいかかりますの?」
「大体三日ってところね。途中で色々と困っている者がいないか見て回らないといけないからね」
「か~っ、神様ってのも楽じゃねえなぁ!!」

 腰まで伸びた銀色に輝く長い髪に付いた木の葉を払いながら、六花は神奈子に問いかける。
 それに神奈子が答えると、アグナが燃えるような赤い髪をかき乱してそう叫んだ。

「それじゃあ、次はどこに向かいますの?」
「ここから少し行ったところに村があるから、まずはそこまで言って様子を見るわよ。それで私達に解決できることがあれば解決するし、出来ないようならその様子を後で他の神に伝えないといけないわね」
「うんうん、また人助けだね♪ 今度はどんな笑顔が見れるかな、将志くん♪」
「……(もぐもぐ、ごっくん)見てみないと分からないだろう」

 楽しそうに話す愛梨に、将志は何かを飲み込んでから答えた。
 その様子に、その場に居た一同は固まった。

「おうおうおう、兄ちゃん今何食った!?」
「……何のことはない。ただのキノコだ」

 大いに慌てた様子でアグナが将志に食いかかると、将志は平然とした様子でそう答えた。
 それを聞いて、六花は頭を抱えた。

「……お兄様、そのただのキノコで自分が何回倒れたか覚えていませんの?」
「……数えるのをやめて幾日経ったか……」

 六花の問いかけに将志はしれっとそう答えた。どうやら全く反省していないようである。
 そんな将志の態度に、とうとう神奈子の堪忍袋の緒が音を立てて切れた。

「貴方、少しは学習しなさい! 数え切れないほど拾い食いで倒れる人なんて聞いたことがないわよ!」
「……食の探求に犠牲は付き物!」
「だから限度があるわよ!!」

 神奈子の言葉に何故か誇らしげに答える将志。
 それを見て、愛梨は乾いた笑い声を上げた。

「きゃはは……将志くん、何ともない?」
「……そうだな……特に体に異常は無いな」

 将志は自分の体調を注意深く確認してそう言った。
 その一言を聞いて、一同は安堵の息をついた。

「そんなら別にいいか! そういや、次の村ってどこにあるんだ?」
「この先にある山を越えたところにあるわ。……そうね、人目も無いことだし、特に他の用がなければ飛んでいく方がいいわね」
「なら、そうしますわ。お兄様もそれで良いですわね?」
「……特に異論はないが……しいて言うなら一番後ろではなく、前を行かせて欲しいとしか……」
「将志くんは置いてっちゃうからダメだよ♪ それじゃ、次の村まで行ってみよー♪」

 そういうと、一行は空を飛んで移動を始めた。
 神奈子が飛んで先導をし、最後尾に将志が付く。

「……!?」

 しばらく飛んでいると、将志は急に全身に痺れを感じた。
 体の自由が利かなくなり、フラフラと横に滑りながら地面に落ちていく。
 どうやら、またしても毒キノコに当たったようだ。
 いいかげん学習能力と言うものが身に付かないのであろうか。

「……ぐあっ」

 将志はその先にあった大木に頭をぶつけ、大きく開いた木の洞に突っ込んだ。
 頭に湯飲みが落ちた程度で気絶する将志に耐え切れるはずもなく、将志はその場で意識を失った。



 しばらくして将志が眼を覚ますと、あたりはすっかり夜になっていた。

「……これはまずいな」

 将志は木の洞から出ると、方角を確認した。
 北極星を見つけることで方角を確認すると、将志は東に向かって猛スピードで飛び出した。

「……確か村に行くと言っていたな」

 将志は神奈子がそう言っていたのを思い出し、山を越えて先を急ぐ。
 ……不運なことに夜も遅く明かりが消えていたため、将志には山のすぐ裏側にある集落が眼に入らなかった。
 そんなことにも気付かず、将志はどんどん速度を上げて空を走る。
 そしていくつか山を越えたところに、明かりを見つけた。
 将志はその明かりを目指して飛び、開けた場所に着地した。

「……ここは……?」

 将志が周囲を見渡すと、そこは村などではなく神社の境内だった。
 将志はここが何なのかを尋ねるために、明かりの点いている建物に向かって歩き出した。

「……っ」

 突然背後に強い気配を感じて、将志は注意深くゆっくりと振り返った。
 すると、そこには少女が立っていた。

「こんな時間に客とは珍しいね……って違うや、こんな時間だからこそかな? ……何の用だ、妖怪」

 少女は将志をにらみながら問いかける。
 帽子の眼も、将志をキッとにらみつけている。
 それに対し、将志は赤い布に巻かれた銀の槍に手をかけた。

「……いや、少し訊きたいことがあるだけだ……村を探しているのだが、知らないか?」
「得体の知れない妖怪に答えると思う? あんたが村を襲わないと言う保障がどこにある?」

 少女は将志を威圧するようにそう言い放った。
 将志は首筋に何やらチリチリとした不快な感触を覚え、それを振り払うために妖力を開放した。

「……確かにそのとおりだ。それを証明する術を俺は持っていない。だが、突然相手に危害を加えるのはどうかと思うが?」

 将志は小さくため息をつきながら、平然とした様子で少女を見やる。
 泰然とした将志の言葉に、少女は一瞬驚いた表情を浮かべた後、面白いものを見つけたと言わんばかりに笑った。

「へえ、耐えるんだ。結構力を込めて祟ったんだけどな? なるほどねぇ、そんじょそこらの雑魚妖怪とは違うみたいだね」

 そう言うと、少女はどこからともなく鉄の輪を取り出し、将志に向けて投擲した。
 鉄の輪は弧を描きながら将志に左右から襲い掛かる。
 それに対して、将志も槍に巻かれた布を取り払い、弾き返した。
 少女が帰ってきた鉄の輪を受け取ると同時に、将志は月明かりに輝く銀の槍を構えた。

「……やる気か?」
「もちろん。得体の知れない妖怪を放っておく訳には行かないよ。……それに、あんたとなら思う存分遊べそうだからね!」
「……っ」

 将志は下から殺気を感じて後ろに飛びのく。
 すると、将志が立っていた場所を大きな岩が貫いていた。

「……やると言うのなら相手になろう」

 将志は飛びのいた先から妖力で銀の槍を数本作り、少女に投擲する。
 少女はそれを岩を創り出して受け、その岩を投げて攻撃する。
 その間に将志は素早く移動して、少女の背後を取った。

「うわっ!? やるね!!」

 突然の背後からの銀の弾丸に驚きつつも、少女は反撃する。
 飛んでくる無数の弾幕と岩に対して、将志は槍を振るう。
 将志の前には無数の銀の線が走り、次々と少女の攻撃を叩き落して行った。
 その様子を、少女は不思議な表情で眺めていた。

「……ねえ、何で今避けなかったの? あんたなら避けて死角に回り込むくらい出来そうなのにな?」
「……後ろに建物があったからな。防げそうだったから防がせてもらった。無駄に被害を広げることは避けるべきだろう?」

 見ると、将志の後ろには神社の拝殿があった。
 将志のその一言に、少女はぽかーんとした表情を浮かべた後、腹を抱えて笑い出した。

「あははははは! まさかそんな心配されるとは思わなかったよ! あんた、名前は?」

 少女はそう言いながら将志を見る。
 その少女の眼に浮かんでいるのは、強い興味と警戒心、そして小さな怒り。
 相手が何者かは分からないが強い力を持っていて、もし敵ならば強大な敵になりえるであろうことは分かる。
 しかし、だからと言って自分との勝負よりも建物の被害を気にされるのは気に食わなかったようである。
 少女が油断なく見つめる中、将志は少女の質問に答える。

「……槍ヶ岳 将志だ」

 将志が名前を答えると、少女は首をかしげた。

「あれ、どっかで聞いたねその名前……ああ、あんたが巷で有名な神にも妖怪にも人間にも旨い料理を出す料理妖怪か!」

 ぽんっ、と手を叩いてそう言う少女。その眼からはそれまでの警戒心や怒りは消え去っており、代わりに噂の有名人を見つけた喜びに溢れていた。
 そんな彼女に今度は将志が首をかしげた。

「……そこまで名の知れているものなのか、俺は?」
「里の人間が言ってたよ。「森の中で幸運にも銀の槍を見かけたらそばで待っていろ。この世のものとは思えぬ至高の品が出てくる」ってね。名前はこの間絞めあげた妖怪から聞いたよ」

 少女は将志に関する噂を伝える。
 その場に居るものを種族関係なく公平に扱う将志は、道に迷った人間や近くを通りかかった妖怪などにも料理を振舞っているのだ。
 それ故に将志に関する噂は様々な形で広がり、少女の耳にも入ることになったのだった。
 その話を聞いて、将志は小さくため息をついた。

「……そうか……ところで、一つ訊きたいことがある。村はどこだ?」
「村って言われても……どんな村?」

 将志に害意が無いことが分かった少女は、一転して協力的な態度を取る。
 そんな少女の問いに、将志はあごに手を当てて天を仰ぎ考える。

「…………分からん」
「……噂どおり抜けてるね、あんた……」

 真顔で言い放つ将志に、少女はがくっと脱力する。
 少女は気を取り直して将志に質問を返す。

「そんじゃ、何でその村に行きたいわけ?」
「……連れがそこに居る」
「なるほどねぇ、それでそこに行きたいのか。それで、連れってどんなの?」
「……妖怪が二人、妖精が一人、神が一柱だ」
「神様ねぇ……なんて神?」
「……八坂 神奈子。何でも、東の神に戦を仕掛けるらしい」

 少女はそれを聞くと眉をひそめた。
 かぶっている帽子の眼もすっと細まっている。

「ああ、そーゆーこと……それなら多分ここに来るね」
「……そう言えば、まだお前の名前を聞いてなかったな」

 将志がそう呟くと、少女はあっと小さく声を上げた。

「おおっと、そういえばそうだったね。私の名前は洩矢 諏訪子。ここに住んでる神だよ」
「……そうか。それで洩矢の神」
「諏訪子でいーよ。こっちも将志って呼ぶから。ところでさ、あんたの連れなんだけど、たぶんここに来ると思うよ? だからしばらくここで待ってみない?」
「……良いのか?」
「いーのいーの、その代わり食事を作ってもらうけどね。下手に動き回るよりここで待っていたほうが確実だよ?」
「……そういう事なら、しばらくここで待たせてもらおう。宜しく頼む、諏訪子」
「こっちこそ宜しくね、将志」

 こうして、将志は神奈子達が来るまで諏訪子の食事当番をすることになったのだった。


  *  *  *  *  *  *


 そして話は現在に戻る。
 将志は空になった串焼きの皿を片付け、代わりに野菜のおひたしと焼きハマグリを出す。
 もちろん、おひたしに使った出汁醤油は将志特製である。

「……酒のつまみになりそうなものを作ってきたが、いるか?」
「あ、いるいる! ていうか、あんたも少しは飲みなよ。一人で飲むより二人のほうが楽しいからさ」
「……そういう事なら頂こう」

 将志はそういうと、厨房から二つ目の杯を取り出して酒を注ぎ、杯をあおった。
 米酒の甘味と芳醇な香りが口の中に広がる。
 その余韻の中に、少し塩辛く味付けをしたおひたしを放り込む。
 甘い酒の後味とおひたしの塩気が絶妙に交じり合い、口の中に爽快感をもたらす。

「……まあまあだな」
「えー、私的にはこれで満足なんだけどなー?」

 将志の問いに諏訪子が意外そうな表情でそう呟く。
 それを聞いて、将志はゆっくりと首を横に振った。

「……俺の連れが居ればもっと旨いものが色々作れるのだが……」
「それホント? こりゃ連れが来たときが楽しみだね」
「……ああ、その時はもっと旨いものを振舞おう」

 二人で話しながら酒を飲み、料理に箸を伸ばす。
 どんどん食が進み、終いには料理も酒も空になった。

「ありゃりゃ、もうお終いかぁ~」
「……存外に飲んだな……」

 顔を赤らめてほろ酔い気分の諏訪子にそう言いながら、将志は食器を片付ける。
 片付け終わると、将志は槍を持って外に出ることにした。

「あ~、ちょっと待った!!」

 その時、諏訪子から待ったの声が上がった。
 突然かけられた声に、将志は振り返る。

「……どうした?」
「将志はあんまり外に出たらまずいよ」
「……何故だ?」
「下手に場所が知られると、人も妖怪も将志に殺到して大変なことになりそうだし」
「……そうなのか?」
「って、自分のことでしょ!? さっき噂になってるって言ったじゃん! 少しくらい気にしなよ!」

 将志の自身の評価に関するあまりの無頓着さに、諏訪子は頭を抱える。見ると、帽子の眼も困り顔だ。
 それに対して、将志は小さくため息をついて諏訪子に話しかけた。

「……そう心配することはない。すぐそこで槍の鍛錬をするだけだ」
「ならいいけど……あんまり目立ちすぎない様にね?」
「……了解した」

 将志はそういうと槍に巻かれた布を解きながら境内に下りる。
 将志は槍を構えると眼を閉じ、その場で黙想を行った。

「……ふっ」

 将志は眼を開くと、いつもの型稽古を開始した。
 踊るような足捌きと、柔らかい手首の返しによって銀の槍は様々な軌道を描く。
 青い月に照らされて儚げに光るそれは、一瞬しか映らない芸術のようだった。

「……うわ~」

 諏訪子はその様子をぼーっと見ていた。
 今まで槍を持った者は数多く居たが、将志ほどの技量を持った者は誰一人としていない。
 億を数えた将志の鍛錬を重ねた年数は、彼の槍を幻想的とも言える美しさと強さを持ったものに変えていた。
 静かな境内に、風を切る音だけが響く。

「……はっ」

 最後の一振りを終え、将志は残心を取る。
 そして一息つくと、槍を収めた。

「……見ていたのか、諏訪子」
「うん」

 将志の問いに、諏訪子はまだぽーっとした状態で答えを返した。
 帽子の眼も夢見心地で、トロンとしている。
 そして、次の瞬間とんでもない一言を言い放った。

「将志、あんた鍛錬禁止」
「……は?」

 流石の将志もこれには絶句した。
 いつもの日課を禁止されるとは思っていなかったからである。

「……どういうことだ」
「だって、想像以上に目立つよ? 幾ら夜に鍛錬をするって言っても、あんなに月明かりで光るんじゃすぐに見つかるって。それに、あんな芸術的な槍捌きをするようなのがそこらにごろごろ居るわけないじゃん。そんなんじゃあっという間に妖怪たちに見つかっちゃうよ」

 訳が分からないと言った表情で将志は諏訪子に問いかけると、諏訪子はそれに対して答える。
 しかし、将志はそれに対して首をひねる。

「……いや、俺は見つけてもらわねばならんのでは?」
「あーうー、あんた少しは私の苦労も考えろー!」

 手で床をバンバンと叩きながら主張をする諏訪子。
 将志の意見ももっともであるが、諏訪子の意見にも理がある。
 何しろ人も妖怪も神もまんべんなく寄ってくるのだ。
 一堂に会したとき、面倒ごとが起きるのは間違いない。

「……ならば、屋内で出来る場所はあるか?」
「ん~、それならどっか広い部屋を見つけて使うといいよ。その代わり、壊さないでね」
「……心得た」

 将志はそう答えると、周囲を見回した。

「どうかした?」
「……いや、どこで眠ろうかと思っただけだ」
「ここでいいじゃん」

 諏訪子はそう言いながら本殿を指差した。
 それを聞いて、将志は首をかしげた。

「……ここは本殿では?」
「そうだよ? ここなら私以外は入ってこないから見つからないよ?」

 一応遠慮しているのか、将志は諏訪子にそう尋ねる。
 しかし、諏訪子は全く気にする様子がない。

「……そうか」

 一連のやり取りの後、将志はすぐ近くの壁に寄りかかるようにして座り、槍を抱きかかえる。
 諏訪子は将志の行動の意味が分からず首をかしげる。

「……どうしたの?」
「……眠い、寝る」
「寝るって、その体勢で?」
「……ああ、いつもこの体勢だ」
「……あんたやっぱり変だよ……」

 将志の変人ぶりに、諏訪子は呆れかえってため息をついた。
 こうして、将志の居候生活一日目が終了した。



[29218] 銀の槍、奮闘する
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/06 23:18
 夜明け前、神社の本殿から顔を出す人影があった。
 銀髪で胴着姿の青年は外に出てくると、ちらりと本殿の中を覗き込んだ。
 そこには、まだ夢の中にいる小さな少女がいた。

「……よし」

 将志はそれを確認すると小さく頷き、けら首に黒曜石をあしらった銀の槍を取り出した。
 それは稜線から顔を出した朝日によってキラキラと輝きを放っていた。
 将志は槍を構えて眼を瞑り、心を静める。

「……ふっ」

 眼を開くと同時に、将志はいつものように手にした槍を振り始めた。
 その銀の穂先が翻るたびに、静かな境内に風を切る音が響く。

「……ふわぁ~……」

 そこに、寝ぼけ眼をこすりながら諏訪子がやってきた。
 頭の帽子も眠そうで、目はほとんど閉じていた。
 諏訪子はぼんやりした頭で将志の槍捌きを見る。

「……ふっ……」

 しばらくして、将志は元の構えに戻って残心をとり、槍を納める。
 諏訪子はトコトコと歩いて将志のところに向かう。
 そして、将志の腕を抱え込んだ。

「……む、起きたのか、諏訪ごふぅっ」

 殺気と予備動作の無いボディーブローを受けて、将志はその場に沈む。
 諏訪子はその将志を見て、ため息をついた。

「見つかるから外で槍を振るなって言ったのに……さっさと戻るよ、将志」
「…………」

 諏訪子は将志にそう声をかけるが、防御力に関しては濡れた和紙ほどに弱い将志は当然失神している。
 ピクリとも動かない将志に、諏訪子は首をかしげた。

「あれ? おーい、将志~ 中に戻るよ~」

 諏訪子はそう言いながら将志の頬をペチペチと軽く叩く。
 しかし将志は反応を示さない。
 諏訪子はポリポリと頬をかいた。

「うっわ~……気絶しちゃってるよ……将志って身体能力めちゃくちゃな癖して、意外と虚弱体質なんだね……あーうー、運ぶしかないか……」

 諏訪子はそういうと将志の両足を持ち、ずるずると本殿に引きずって行った。
 本殿に入ると諏訪子は杯に水を汲み、将志の顔にかける。

「……う……む?」

 すると将志は目を覚まし、何事も無かったかのように起き上がった。
 将志は辺りを見回し、その黒曜石のような瞳が諏訪子の姿を捉える。

「……おはよう、諏訪子」
「おはよう、将志。って、あんた腹に一発食らったくらいで気絶はないでしょ」
「……朝食でも作るか」
「あ、逃げた」

 諏訪子の話を聞いてそそくさと台所に消えていく将志。
 諏訪子はそれを冷ややかな眼で見送るが、腹も減っているので追撃を控えた。
 しばらくすると、台所からは軽快な包丁の音と何かの焼ける音が聞こえてきた。

「……出来たぞ」

 将志は朝食の載った膳を持って諏訪子の前に置く。
 今日の朝食は魚の塩焼きに山菜の吸物、ほうれん草のおひたしに卵焼きといったラインナップだった。
 食欲をそそるにおいがあたりに充満する。

「お、きたきた。そんじゃ、いただきます」
「……うむ」

 将志が自分の分を持ってくるのを待ってから、二人同時に食事を始める。

「ん、この魚うまいね。普段食べてるのと比べてもこっちが上だよ」
「……そうか、それは今朝方湖に潜って捕ってきた甲斐があるというものだ」
「え」

 突然の将志の言葉に、諏訪子は絶句する。
 実は、将志は朝の鍛錬の前に近くの湖に潜って魚を獲っていたのであった。
 水中をそこらの魚と同等以上の素早さで泳ぎながら魚を捕まえていくそれは、かなり異様な光景であった。
 唖然としている諏訪子に、将志は小さく息を吐いた。

「……これもまた、鍛錬だ」
「あんた、どこに向かってるのさ……」

 そんな将志に、諏訪子は頭を抱えてため息をつくのであった。
 そんな感じで話をしながら朝食を進めた。
 食べ終えると将志は膳を下げ、諏訪子は仕事に向かう。
 巫女を使って神託を下したり、民の話を聞いて害をなす妖怪にミシャグジを向かわせるなど、諏訪子は次々に仕事をこなす。
 将志はその間やることも無い上に外に出ることを禁止されているので、厨房にこもって料理の研究をすることにした。

「……む、材料が足りんな」

 が、材料が足りなくなるとこっそり抜け出して調達に行くので、諏訪子の言いつけは大して守られていなかった。
 料理が出来ると、将志は諏訪子の休憩時間を見計らって料理を持っていく。

「……諏訪子。菓子を作ってみたのだが、どうだ?」
「何だか涼しそうなお菓子だね。これ、なに?」

 諏訪子は目の前の菓子に眼を輝かせながら将志に尋ねる。
 それに対して、将志は淡々とした口調で説明を始めた。

「……葛という植物に手を加えて作った餅に、甘草の汁で煮込んだ豆をすりつぶしたものを包んだ菓子だ。ようするに、葛餅だ」
「待って、そんな材料どこにあった?」
「…………」

 諏訪子の問いに、将志は無言で眼をそらした。
 その仕草が、無断外出したことを雄弁に物語っていた。

「あーうー……少しは私の言うこと聞いてよ……あんた居候でしょ……」
「……善処しよう」
「善処する気無いね、あんた……」

 眼をそらしたままそう言う将志に、諏訪子はがっくりと肩を落とした。
 そんな日々をすごしながら、将志は神奈子と愛梨達の到着を待っていた。



 将志がはぐれてから七日後、諏訪子の神社に来客があった。

「洩矢 諏訪子! 貴殿の社を貰い受けに来た!」

 そこには注連縄を背負い、巨大なオンバシラを携えた神がいた。
 将志の待ち人の一人である、神奈子である。
 その声を聞いて、本殿で将志と共に食事をとっていた諏訪子は顔を上げた。

「来たね。将志、一緒について来て」
「……了解した」

 将志は箸を置き、諏訪子について外に出て行く。
 外に出ると、将志の姿を見た神奈子は驚きの声を上げた。

「将志!? 貴方、こんなところに居たの!?」
「……ああ。愛梨達はどうした?」
「みんな立会人としてここから少し離れたところにいるわよ。もっとも、貴方のことが心配で気が気ではなかったようだけどね」
「あー、お話は後にしてもらっていい?」

 将志と神奈子が話しているところに、諏訪子が割り込んでくる。
 神奈子は将志から視線を切り、諏訪子に目を向ける。

「洩矢 諏訪子は私だよ。いきなり出てきて信仰を奪おうだなんてずいぶんと乱暴だね、八坂 神奈子」
「より強い神が民を守る、その方が民にとってもためになるであろう。信仰を守りたくば、我に力を見せてみよ!」

 そう言って神奈子は戦闘を開始しようとするが、諏訪子はそれを制止した。

「待った。私は神社と信仰を賭けて、そっちは何も賭けないなんて不公平だよ。そっちもそれ相応のものを賭けてもらうよ」
「大和の神の信仰はやれぬぞ」
「そんなことはわかってるよ。だから、別のものを賭けてもらうよ。私が勝ったら、槍ヶ岳 将志をもらっていく。妖怪一人引き渡すだけなんだ、出来ないとは言わせないよ?」

 それを聞いた瞬間、神奈子は顔を引きつらせた。
 その横で、首を傾げた将志が諏訪子に話しかけた。

「……諏訪子、俺が表に出ると面倒なことになるのでは?」
「ああ、それはあんたがよそ者だからだよ。あんたが正式にここに来ることになれば、あんたを神様にして信仰の対象にすればいいし。今の時点でうわさになるくらいだし、神様になれば結構信仰もらえると思うよ」
「……そういうものなのか?」
「そーいうもんだよ」

 将志と諏訪子の話を聞いて、神奈子は額に手を当ててため息をついた。
 もし負けて将志を取られたりしたら、他の神が暴動を起こしかねないので当然の反応である。

「……これはもう絶対に負けられないわね。準備は良いか?」

 神奈子は内包した神力を強め、諏訪子に圧力をかける。
 どうやら最初から本気を出す気らしい。
 それに対して諏訪子も両手に鉄の輪を持って、周囲にミシャグジ達を呼び出した。

「こっちは別にいつでもいーよ。将志、結界とか張れる?」
「……いや、出来ない」
「あーうー、それじゃあどうしよう……」

 将志の言葉を聞いて、諏訪子は困った表情を浮かべた。
 しかし、それに対して将志は小さくため息をついた。

「……人の話は最後まで聞け。結界など張れずとも、お前達の流れ弾から神社を守るくらいのことは出来る」
「え……どうやるの?」
「……簡単なことだ。この槍で全て叩き落してやればいい」

 キョトンとした表情を浮かべる諏訪子に、将志はそう言って槍を手に取った。
 その眼は静かにまっすぐ諏訪子の眼を見つめている。
 そんな将志に、諏訪子が怪訝な表情を浮かべた。

「本気? そんなことが出来るの?」
「……出来なければ、こんなことは言わないさ」

 将志は薄く笑みを浮かべてそう言うと、本殿の屋根の上に飛び乗った。

「……出来なかったら後が酷いからね、将志」

 諏訪子はその後姿を見送ると、再び強い威圧感を放つ神奈子に向き直った。
 にらみ合う二柱の神はそのまま空へと上がっていく。

  
 そして、戦いが始まった。
 突如として空一面を色とりどりの弾幕が覆い尽くし、オンバシラが飛び、ミシャグジ達が空を舞う。
 神奈子はあまり動かずに全方面に弾幕を張り、あらゆる方向から襲い掛かってくるミシャグジを打ち落とす。
 隙あれば巨大なオンバシラを投げ、諏訪子を狙う。
 あまり動かず大威力の攻撃を繰り返す神奈子の姿は、大砲を携えた要塞のようだった。

 一方の諏訪子はミシャグジ達と共に隊列を組み、神奈子の周りを高速で急旋回や急降下を繰り返し、複雑な軌道を描いて飛び回りながら多角的に弾幕を放った。
 時には神奈子のすぐ横を掠めるように飛び、鉄の輪で直接攻撃を仕掛けることもする。
 神奈子が要塞ならば、諏訪子はそれに攻め込もうとする戦闘機のようであった。

 その激しい戦いは、周囲に多数の流れ弾を生み出す。
 湖は飛沫を上げ、森の木は薙ぎ倒され、地面には穴が開く。
 神奈子も諏訪子も周囲への被害を気にする余裕は無く、次々と流れ弾は地上に降り注いでいた。

「……ふっ、はっ」

 そんな中神社の上では将志が休むことなく動き回り、神社に飛んでくる弾幕を弾き飛ばしていた。 
 これまで結界を張ることなど無かった将志は結界を張れないため、将志はその全てを手にした槍で叩き返していた。
 空中には銀の玉が大量に浮かんでおり、将志はそれを足場に使って宙を跳びまわる。
 その姿は眼で追うことが出来ないほど速く、またそうでなければ神社を守ることは出来なかった。

 そんな将志のところにオンバシラが飛んできた。
 将志はそれを確認すると周囲の弾幕を叩き落しながらオンバシラに向かっていく。
 真正面から叩き落すのは不可能ではないが、それを行えば周囲に被害が出るのは明白である。
 そこで将志は、一度オンバシラの後ろに回った。

「……はあっ!」

 次の瞬間、オンバシラに銀の螺旋が巻きついた。
 その直後、螺旋が消えると共にオンバシラの射線上に将志が現れる。
 するとオンバシラはバラバラに分断され、細かい破片となって将志に向かっていく。
 その破片を将志は被害の出ない場所に弾き飛ばし、将志は他の弾幕を落としに掛かった。

「…………」

 将志は無言で弾幕を弾きながら、周囲に眼を配った。
 弾幕は激しさを増しており、時間が経つにしたがってどんどん数が増えていく。
 それを見て、将志は眼を閉じて薄く笑みを浮かべた。

「……くくっ、いい鍛錬になりそうだ」

 将志がそう言った瞬間、その体から鋭い刃のような銀色の光が吹き出し始めた。
 溜め込んでいた妖力を開放し、全身に巡らせる。
 そして将志が眼を開くと、その視界に映る世界は全てがスロー再生になったようなものへと変わった。
 その世界の中で、将志は普段と変わらぬ速度で槍を構えた。

「……行くか」

 そう言うと、将志は弾幕を叩き落すべく飛び出した。
 その速度は先程よりもはるかに速く、銀の残光を残しながら空を駆け巡っていく。
 それは例えるのならば近づく弾幕を絡め取る、銀の糸で紡がれた蜘蛛の巣のようであった。
 将志はただ、有言を実行すべく動き回るのだった。



 三者三様の激しい戦いは長く続き、やがて二度目の夜明けを迎えた。
 神奈子の弾幕は狙いがだんだん甘くなり、消費を抑えるために密度を下げ始めた。
 諏訪子は味方のミシャグジをほとんど撃墜され、弾幕中心の戦いから鉄の輪による直接攻撃に重点を置くようになった。
 両者共に顔には疲労の色が濃く現われており、限界が近いことが良くわかる。

 一方、下で孤軍奮闘していた将志にも疲労の色が見え始めた。
 いつまで続くのか分からないというこの状況は、肉体よりも先に精神の方を蝕んでいく。
 それでも将志は歯を食いしばって守り続けた。
 今までに、将志の銀の蜘蛛の巣を潜り抜けたものは一つもない。
 そんな中、再びオンバシラが飛んでくる。

「……くっ……」

 将志はそれに対して数本の妖力で作った槍を投げてオンバシラを砕き、破片を払った。
 そして次を迎え撃とうとして空を見ると、ちょうど弾幕の切れ目で、神奈子と諏訪子の闘いを垣間見ることが出来た。
 神奈子は弾幕の狙いを諏訪子に絞り、斬りつけてくる諏訪子をオンバシラで叩き落そうとする。
 一方、一人残った諏訪子は弾幕を神奈子の行動を制限するために使い、迎撃をギリギリで躱して攻撃を仕掛けようとする。
 諏訪子のすぐ近くをオンバシラが大気を震わせながら通り過ぎ、投げられた鉄の輪が神奈子の髪を鋭く掠める。
 両者の力は拮抗しており、一進一退の攻防が続いていた。

「……良い戦いだ」

 二人の戦いを見て、弾幕をはじき返しながらそう呟いた。
 そして日も高く昇ったころ、とうとう決着がついた。
 オンバシラを躱した諏訪子の一瞬の隙を突いて神奈子が至近距離で弾幕を放ち、諏訪子に直撃する。
 そうして動きを止めた諏訪子に、神奈子はオンバシラによる渾身の追撃を加えて地面にたたきつけた。

「……くっ」

 本殿に向かって勢いよく落ちてくる諏訪子の腕を取り、将志はその勢いを使ってあえて諏訪子を上に放り投げる。
 そして再び落ちてくる諏訪子を将志はしっかりとキャッチした。
 諏訪子は気絶しており、疲れもあいまって眠ったような表情を浮かべていた。

「……良く頑張ったな」

 将志はそう言うと、自分に纏わせていた銀の光を霧散させた。
 その瞬間、将志の額から一気に汗が吹き出し始める。
 勝負が着いて、気が緩んだために起きたものであった。
 将志はその汗を袖で拭いながら、大きく深呼吸をする。

「はあっ、はあっ……お、終わったわ……」

 その将志の隣に、疲れ果てた表情を浮かべた神奈子が降りてきた。
 神奈子は肩で息をしており、膝に手をついてかがみこんでいた。

「……お疲れ、神奈子。長かったな」
「ええ……これで他の神に怒られずに済むわ……それにしても、貴方も本当に守りきるなんて思わなかったわ」

 神奈子はそう言いながら辺りを見回す。
 周囲の森の木は薙ぎ倒され、地面には流れ弾が直撃したと思われる跡が多々見受けられる。
 しかし、将志が守っていた神社の敷地内には傷一つ無かった。
 そう、将志は自分が宣言したことを見事に実行したのだ。
 それに驚く神奈子の言葉に、将志は一つ息をついて答えた。

「……己が発言には責任を持たねばならん。俺はそれを果たしただけだ」
「それができる者が何人居ることやら……」

 そこまで言うと、神奈子はあることに気付いて首をかしげた。

「あら? 将志、貴方いつの間に神になったのかしら? 神力を感じるわよ?」
「……む?」

 将志はそういわれて自分の中の力を確認した。
 すると、どうにも今まで慣れ親しんだものとは違う力があることに気がついた。
 将志がその力を解放してみると、それは妖力の鋭い銀ではなく、どこか暖かみのある綺麗な銀色をしていた。

「……何だ、この力は?」
「それは信仰の力よ。貴方が何をしたかはわからないけど、これで貴方は何かの神になったと言うことよ」
「……そう言われても、俺には何故神になったのかがわからないのだが……」

 将志が首をかしげていると、腕の中の諏訪子が眼を覚ました。

「う……ん……あいたたたた……あーうー、負けちゃったよー」
「……残念だったな。だが、いい戦いだったぞ」

 諏訪子は将志の腕の中でシクシクと泣き始めた。
 将志はそんな諏訪子の頭を撫でる。
 ちなみに帽子は飛ばされていて、眼を覚ましたミシャグジが捜しに行っている。
 しばらく泣いて気が済むと、諏訪子もやはり首をかしげた。

「あれ、将志が神になってる」
「……そのようなのだが……理由がわからん」
「単純に考えてこの戦いでなったんでしょうけどね……」

 三人はしばらく考えていたが、考えても埒が明かないのでやめた。

「それはともかく、私が勝ったのだからここの信仰は頂いていくわよ」
「……まあ、負けちゃったわけだし、そういう約束だから仕方ないか……」

 そんなやり取りの後、神奈子は民を集めて事情を説明した。
 しかし、民の間からは「そんなことをしてミシャグジ様に祟られたくない」と言って神奈子を拒絶した。
 挙句の果てには、こんな言葉が飛び出す始末であった。

「諏訪子様が負けたとしても、まだ守り神様が残っている以上、そんなことは出来ない」

 これには神奈子も同席した諏訪子も揃って首をかしげることになったが、しばらくして将志のことだと思い至った。
 どうやら将志が社を守り続けていたのが見えたらしく、新しくやってきた神社の守護神だと思っていたようだ。
 二人は思わず顔を見合わせ、その場で頭を抱えることになった。
 何とか将志が通りすがりの神であることを伝え、表向きには神奈子がこの地を統治し、実際には諏訪子が治めるという構図になり、信仰は二人に分配される形になった。
 なお、守り神様こと将志に関しては感謝の意味をこめて近くに分社(とは言うものの本社がないので実質的な本社)を建てることになった。



 一方、一仕事終えて将志が辺りをぶらぶらしていると、見慣れた格好の人物を見つけた。

「……愛梨」

 将志はそのトランプの柄の入った黄色いスカートとオレンジ色のジャケットを着た人物に声をかけた。
 すると愛梨は振り向いて、将志の姿を確認するなり将志の胸に飛び込んできた。

「もう! いつもいつも心配かけて! どれだけ僕達が心配したと思ってるのさ!」
「……すまないな」

 半ベソをかきながら愛梨は将志にそう叫んだ。
 将志はそれを聞いて、そっと愛梨のうぐいす色の髪を撫でた。

「本当に酷いですわ。これは少し何かお詫びが欲しいですわね」
「……考えておこう」
「ふふっ、約束ですわよ?」

 愛梨の頭を撫でる将志に、後ろから六花がぎゅっと強く抱き着いて耳元で色香のある声で囁く。
 将志がそれに答えると、六花は笑みを浮かべて将志から離れた。

「まったく、兄ちゃんはホントに人騒がせだよな~。それはともかく、腹減ったから飯にしようぜ! 七日ぶりの兄ちゃんの飯を食わせてくれよな!!」
「……くくっ、了解した。では戦も終わったことだ、食事にするとしよう」

 威勢よく足元から炎を吹き上げるアグナに将志は笑みを浮かべると、将志は食事の支度を始めることにした。
 七日ぶりの将志の本気の料理は神奈子と諏訪子を合わせた全員で食べることになり、初めて食べた諏訪子を大いに驚かせることになった。




[29218] 銀の槍、家を持つ
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/06 23:29
 神奈子と諏訪子の戦の後、将志は調停者としてしばらく残ることになった。
 その理由は、大和の神でもなく完全な中立の神として非常に都合の良い存在であったからである。
 もちろんその間の食事は全て将志が作ることになり、愛梨達も将志の社に一緒に寝泊りするようになった。
 その結果。

「ねえ、将志。うちの神社がいろんな神のたまり場になってんだけど、どうすんのさ」
「……こればかりは俺にはどうしようもない……」
「人間より先に神に知られる神って言うのもおかしな話だけどね……」

 と言う具合に、将志達の噂を聞きつけた神がしょっちゅう遊びに来る事態となった。
 なお、その迷惑料として将志は自分に集まってくる信仰を神奈子と諏訪子に支払っている。
 ちなみに、家内安全の守り神や料理の神、更には戦神として結構な信仰が得られている。
 そのお守りの形は槍の形をしているそうな。

 また、将志は神奈子や諏訪子から神とはどんな存在かと言うことを教え込まれ、それと同時に神力の扱い方を教わった。
 クソ真面目で馬鹿正直な将志は日々特訓を重ね、妖力と同じように使えるまでになった。
 その副産物として、日々将志の社から放たれる神気に民が感謝をし、より一層の信仰を得ることにもなった。

 それを確認すると今度は知り合いの神のところに遊びに行くと称して営業に向かう。
 手の足りていないところの守護をして、神奈子や諏訪子の言うとおりにせっせと民のために尽力した。
 思いっきり便利屋扱いなのだが、その結果として将志は小さいながらもあっちこっちに分社を持つ神になった。
 その分出張の機会も多くなったのだが、将志自身が身軽なためにそこまで苦にはなっていない。
 なお、愛梨達は将志が出張に言っている間は代わりに民の話を聞く役目をしているのだった。
 閑話休題。

 そしてそんな生活が続いて数百年。
 神奈子と諏訪子の仲も良くなり、将志も神としての仕事に慣れてきた頃、将志達は再び旅立つことにした。

「本当に行くのかしら?」
「……ああ。もしかしたら、どこかに主がいるかもしれんからな。捜しに行かねば」

 神奈子の問いかけに、将志ははっきりとそう答える。
 それを聞いて、諏訪子が大きなため息をついた。

「あ~あ、将志のご飯も当分は食べられないのか~……」

 諏訪子は心底残念そうにそう話す。
 その様子を見て、愛梨が諏訪子に笑いかけた。

「たまにはここに遊びに来るよ♪ その時にまた一緒にご飯食べようね♪」
「ここでの生活も悪く無かったですわ。また機会があったら会いましょう」
「また遊ぼうぜ、姉ちゃん達!!」

 笑みを浮かべる六花に、ぶんぶんと大きく手を振るアグナ。
 実際のところは二人よりもアグナのほうが年上なのだが、見た目的に誰も気にしない。

「……ここには俺の社もある。そのうちまた来ることもあるだろう」
「そうね。その時を楽しみにしてるわ」
「出来るだけこまめに帰ってきてね」
「……ああ」

 将志はそういうと、数百年にわたって神としての修行の日々を過ごした社を後にした。
 愛梨達も将志について社から離れていく。
 とある秋口の話だった。



 それから将志達にとっては少し、人間にとってはそれなりに長い年月がたった。
 世の中は、蘇我馬子が物部守屋を倒したり、中大兄皇子や中臣鎌足が蘇我入鹿を討ち果たしたりしていた。
 将志達は旅芸人の体裁を取りつつ、国中を回る。
 途中、甚大な被害を振りまく妖怪の退治や悪政を布く領主への制裁、果ては周囲に迷惑をかける妖怪退治屋の成敗など、守護神としての仕事にも余念が無かった。
 特に、法外な報酬を取る退治屋などには特に厳しく、それが適正なのか、はたまた退治する必要があったのかを厳しく追求した。
 すると、将志達にとって少し困ったことが起きた。

「大将、次は北の悪徳領主を裁くんですかい?」
「殿、南方で不当な妖怪退治が横行しているようです。助けに行きましょう!」
「聖上、東では妖怪による限度を超えた人間の捕食が問題になって候。直ちに制裁が必要であるかと思われ……」
「御大、西で天照が御大を呼んでいるのだが……」

 気が付けば、将志の周りは妖怪だらけになっていた。
 彼らは将志によって窮地を救われた者であったり、将志の槍や食事によって改心したものであったりした。
 そんな妖怪達が、各地の情報を次から次に将志に持ってくる。

「……俺の体は一つしかないのだが……」

 あまりの仕事の多さと、ひっきりなしに自分の元にやってくる妖怪達に将志は頭を抱える。
 初めのうちは慕ってくる妖怪達を大勢のほうが楽しいと思って旅の仲間に加えていた。
 次に数が増えてきて大所帯になってくると、将志は妖怪達を各地に点在する自分の分社に妖怪達を配置し、本体への情報伝達に使っていた。
 最近ではその情報員も増え、どこにいても自分の管理地域の情報が流れ込むようになり、力があり信頼できるものは代行者として使いに出すこともあった。
 そして気が付けば、将志は人間の暮らしを守る守護神でありながらその一帯の妖怪達の総大将と言う、訳の分からない立場に収まることになったのだった。
 しかし、こう毎日毎日妖怪達が自分を取り巻いていては本来の旅の目的である主探しがおちおち出来ないのである。
 何しろ、探している相手は人間のいる場所にいる可能性が高いのだから。

「困りましたわね……これじゃあ人間の里になかなか立ち寄れませんわよ?」

 妖怪達が帰っていくと、銀色の艶やかな髪を手で梳きながら六花はそう呟いた。
 もう長いこと人間の里に入ることが出来ていないせいか、少し苛立たしげである。

「でもよう、(んぐんぐ)妖怪の兄ちゃん達が持ってくる仕事を放って置くわけにはいかねえだろ(もしゃもしゃ)? その情報を持ってきてくれんだから来るなって言うわけにもいかねえぞ(もきゅもきゅ)?」

 将志が作ったおにぎりを口いっぱいに頬張りながらアグナがそう言う。
 それを聞いて、将志は腕を組んで考え込んだ。

「……せめて来る妖怪が一日に一人程度なら問題は無いのだが……こうも四六時中来られてはな……」

 将志がそう呟くと、隣で同じく考え事をしていた愛梨がぽんと手を叩いた。

「そうだ♪ それならそういう風にしちゃえば良いんだよ♪」
「それ、具体的にどうするんですの?」
「情報を集める場所を作って、そこからまとめて情報を持ってくるようにすれば良いんだよ♪ こうすれば、将志君のところに来る妖怪も一人で済むでしょ?」
「でもピエロの姉ちゃん、それじゃあその集める場所はどうすんだ? 今あるところじゃ人目に付き過ぎて、妖怪が集まるのは無理じゃねえのか? それじゃ兄ちゃんがその妖怪達を懲らしめに行くなんて事になりそうだぞ?」
「……それならば、良い場所を知っている。人目に付かず、ある程度の広さを持ったところをな。ついて来い」

 将志はそう言うと緩めた速度で飛び始めた。
 他の三人も将志について飛んでいく。

 しばらく飛ぶと、岩山の山脈が見えてきた。
 山々は険しく、雲海を上から眺めることが出来るほど高かった。
 将志は山脈に着くと、辺りを見渡した。

「……あった」

 将志はそういうと、とある山の頂上に向かって飛んでいった。
 他の三人がそれについていくと、そこは三つの山が連なっている所であった。
 一つは比較的なだらかな白い山。元々火山だったようで、その河口には大きなカルデラがある。
 二つ目は剣のように鋭い外見の灰色の山。山頂付近は人一人がやっと立てるぐらいのもので、上るのは体力に自信のある妖怪でも一苦労であろう。
 そして三つ目は、中央に険しく高く聳え立つ円錐状の山。その山もやはり険しく、その上横にも広い大きな山であった。 
 将志はその三つ目の山に目をつけた。

「……ここなら問題ないだろう。位置的にも他の社の中間ほどの距離の場所だ。ここを俺達の拠点にしよう」
「うんうん、確かにここなら普通の人間は近づけないね♪」

 愛梨は広場の周囲を見回して、満足そうに頷いた。
 広場の周りは切り立った崖になっており、並の人間ではとてもではないが近づくことは出来そうもない。
 しかし、それを聞いて六花が眉をしかめた。

「でもお兄様、これでは拠点になりませんわよ? 拠点にするにはそれなりの施設がいると思いますわ」
「施設って……ここに建てたってそんなに大きい奴は建てられねえ……いや、気合で何とかなるか!!」
「きゃはは……流石にそれは厳しいと思うよ♪」

 滅茶苦茶な根性論を展開するアグナに、愛梨が苦笑いを浮かべる。
 その横で、将志が六花に話を持ちかけた。

「……それなのだが、ここは一つ六花に頼みたいと思ってな」
「私にですの?」
「……ああ。六花、お前の能力でこの山の頂上を平たく切り開いて欲しいのだ」

 将志は三つ目の山を指差しながら、六花にそう言った。
 それを聞いて、六花は少し考えると笑顔で頷いた。

「……そう言うことですの。分かりましたわ、では少し離れていてくださいまし」

 六花はそう言うと、山の頂上を自分の正面に水平に来るように位置を取った。
 そして、静かに自分の若草色の腰の帯に刺さった包丁の柄に手をかける。

「はっ!!」

 次の瞬間、六花は気合と共に包丁を横に一閃した。
 しばらくの間、静寂が辺りを包み込む。そこに将志が近寄って山を確認して頷いた。
 見てみると、山はとある部分を境にすっぱりと切れていた。

「……よし、次は俺の仕事だな」

 将志はそう言うと、切り取られた山の頂上に妖力の槍を次々に突き刺して砕いていく。
 そして砕かれた山頂部を取り除くと、後にはかなり大きな広場が現れた。

「……これで良いだろう。助かったぞ、六花」
「どういたしまして、ですわ」

 その広場を見て、将志は満足そうに頷きながら六花に礼を言う。
 それに対して、六花も嬉しそうに微笑みながら答える。

「……さて、ここに拠点となる建物を建てたいところだな」

 将志は広場の中央をにらんでそう言った。

「ところで兄ちゃん、妖怪の中に大工仕事の出来る奴なんていたか? それに、柱をおっ建てるにも下が岩じゃきついんじゃねえか?」

 そんな将志に、アグナが燃えるような赤色の髪の頭をかきながらそう言った。
 将志はそれを聞いて、少し考え込んだ。

「……少し待っていろ」

 将志はそういうと、すさまじい速度で岩山を駆け下りていった。
 そしてしばらくすると、将志は大工を抱えて山を登ってきた。

「……連れて来た」

 将志は大工を抱えたままそう告げる。
 将志の腕に抱えられた大工はおびえきっており、顔が真っ青になっていた。

「連れて来た、じゃありませんわよ!? それ、人攫いになるのではなくて!?」

 突然の将志の奇行に、六花は大いに慌てた様子でそう言った。
 それに対して、将志は首をかしげた。

「……む? 報酬は払うつもりでいるし、終わればきちんと帰すつもりでいるのだが?」
「きゃはは……その前に、ちゃんと大工さんにお話はしたのかな?」
「……そういえば、まだだったな」

 乾いた笑みを浮かべる愛梨の言葉に、将志は今思いついたと言うようにそう言った。
 それを聞いて、アグナが唖然とした表情を浮かべた。

「おいおいおい、それじゃあマジで誘拐じゃねえか! 話ぐらいつけろよ、兄ちゃん!!」 
「……そういうものなのか?」
「そういうもんだよ!!」

 すっとぼけた将志の言葉に、思わずアグナが炎を吹き上げた。
 頭は悪くないのに常識と言うものが欠落している将志に、一同は唖然としている。
 それを気にも留めず、将志は大工のほうを振り向いた。

「……突然のことですまないが、頼みがある」
「ひっ……あ、アンタ何者だ!?」
「……おびえる必要は無い。俺の名は槍ヶ岳 将志。一応神をやっている」

 おびえる大工に将志が自身の象徴である銀の槍を取り出して自分の名を言うと、大工は一転して豪快な笑顔を見せた。

「な、何でえ、誰かと思えば守り神様かい! こりゃこっ恥ずかしいところを見せちまったな!」
「……頼みを聞いてもらえるだろうか?」
「あったりめえよ! 守り神様のおかげで夜もゆっくり眠れるんだからな!」

 将志は大工に事情を説明した。
 すると大工は苦い顔をした。

「むう……守り神様の注文は難しいな……材料を運ぼうにもここじゃあ無理だし、柱も建てられん。どうしたものか……」
「……材料は俺の方で用意しよう。それから柱なのだが、建てるのは俺に任せてくれないか?」
「良いんですかい? 結構な大仕事になると思いますぜ?」
「……男に二言は、無い」

 将志の言葉に、大工は豪放磊落に笑った。

「はっはっは! 守り神様は男前だな! それじゃあお願いしやすぜ」
「……任された。何を持ってくれば良い?」

 将志は大工から必要なものを聞くと、頷いた。

「……了解した。明日までに全てそろえよう」
「あ、あの……こう言っちゃなんですが、本当に出来るんですかい?」
「……出来る。まあ、待っていろ」

 将志は半信半疑の大工の棟梁を村まで送っていく。
 そして山の頂上に戻ると、将志は妖力で槍を作り出した。

「お兄様? 何をなさるんですの?」
「……なに、少し人手を集めるだけだ」

 首をかしげる六花にそう言うと、将志は空に向けて手にした槍を放り投げた。
 槍は空高く飛んで行き、最も高いところで強烈な光を放って消えた。
 その光は遠くまで届いていた。

「どうしたんでい、大将!」
「どうかなさいましたか、殿?」

 すると、その光を見た妖怪達が続々と将志の下へ集まってきた。
 その光景に呆気にとられている一行をよそに、将志は事情を話した。

「……というわけで、お前達には資材を集めてもらう。良いな?」
「「「「「了解!!」」」」」

 妖怪達は将志が話し終わるが早いか、即座に散って行った。
 将志はそれを見届けると、広場に座して待つことにする。

「将志くん、いつの間にあんな号令考えたんだい?」
「……ついさっきだ。一度俺と戦った奴なら今ので分かるはずだからな」

 愛梨の質問に将志は淡々と答える。
 それを聞いて、六花が苦笑いを浮かべた。

「……そのむやみな確信はどこから来るんですの?」
「こまけえことはいいじゃねえか! そんなことより腹減っちまったよ! 兄ちゃん、そろそろ飯にしようぜ!!」
「……そうだな」

 将志はそういうと、いつもどおり食事の準備を始める。
 ただし、今回は材料をかなり大量に用意している。
 資材を集めに行っている妖怪達の分も作るつもりなのだ。

「……今日は少し量が多いぞ。時間まで持つか、アグナ?」
「はっ、俺を誰だと思ってるんだ!? この炎の妖精に不可能はねえ! うおおおおお、燃えてきたああああああああ!!!」
「……良い火力だ」

 眼に炎を宿らせて火柱を吹き上げるアグナの頭の上に、将志は具材の入った中華鍋を置く。
 幼女の頭の上に置かれた中華鍋が、何ともシュールな光景を生み出している。
 少しずつ料理が出来始めた頃、資材を取りに行っていた妖怪達が段々と戻り始めてきていた。

「む、この匂いは……」
「おお、これは運が良い、御大の手料理が食せるとは!」

 一帯に広がる料理のにおいをかいで、妖怪達は歓喜の表情を浮かべる。
 将志はそれを見て、今ある材料で足りることを確信する。

「……早かったな。もうすぐ食事が出来る。手間賃代わりに食べていけ」

 将志はそういうと、調理している鍋を振り上げた。
 すると鍋の中の料理が机の上にセットされた皿の上に極めて正確に飛び、綺麗に盛り付けられる。
 そして調理を終えた将志が席に着くと、一斉に食べ始める。

「……あ~……」
「あ~……はむっ! んぐんぐ、今日の飯もうまいな、兄ちゃん!!」
「……そうか……あ~……」
「あ~……むっ!」

 将志は隣に座ってにこにこと笑っているアグナに料理を箸で差し出す。
 すると、ひな鳥のように口をあけたアグナが差し出された将志の手を両手でつかんで料理を食べる。

「……これは……愛いな……」
「まったくもって微笑ましいな」

 そんなアグナを、周りは愛玩動物を愛でる様な視線で眺めていた。

 ほっこりと心温まる食事の時間を終えて妖怪達が帰ると、再び将志は人里に下りて大工を連れてきた。
 ただし今回は一人ではなく、数人まとめて抱えてきている。
 棟梁は将志が用意した資材を見て、眼を丸く見開いた。

「こいつぁおでれぇた! まさかもう用意しちまってるとはな!!」
「……これで足りるか?」
「ああ、十分すぎるほどだ! おい野郎共! とっとと仕事に取り掛かるぜ!」
「「「「「「応!!」」」」」」

 棟梁の号令で大工達が仕事を始める。
 信仰している神直々の依頼とあってか、やたらと気合が入っており異様な速さで仕事が進んでいく。
 気が付けば、あっという間に柱が完成していた。

「で、守り神様よ、柱を建てるってどうするつもりで?」

 棟梁がそう問いかけると、将志は無言で大黒柱となる大きな柱を担いだ。
 その怪力に、大工達は騒然となる。

「……どこに建てれば良い?」
「あ、ああ、その辺りに建ててもらえれば立派なものが出来るが……」
「……分かった」

 将志は柱を建てる場所を聞くとそこに向かい、岩で出来た地面をにらんだ。

「……貫け」

 将志はそう短く呟くと、大黒柱を地面に突き込んだ。
 すると大黒柱は容易く岩にもぐりこみ、直立したまま動かなくなった。
 それを見た棟梁は、驚きのあまり手にした鎚を落とした。
 そんな棟梁達を前に、将志は涼しい顔で二本目の柱を担ぎ上げた。

「……次はどこに建てれば良い?」
「お、おおおお、次はその柱をそこに……」

 棟梁の指示に従い次から次に柱を建てていく将志。
 その後も力仕事は将志が担当し、職人の技が必要な部分は大工達が引き受けて協力しながら作業を続けた。
 そのような感じで予定よりもはるかに早いペースで社を組み立てていく。


 そして作業することわずか数日。
 凄まじい人海戦術の末、険しい岩山の頂上にどう建てたのか分からないほどの堂々たる社が完成した。
 入り口には大きな石の鳥居が建ち、拝殿へ続く参道には灯篭が並べられている。
 そのところどころに金細工を施された本殿には、将志のもつ銀の槍を模した直槍が奉られている。
 なお、人を呼ぶ気も無いのに拝殿どころか摂末社までしっかりとある。
 その摂社に祭られているのは愛梨達であったり、過去に世話になった神奈子や諏訪子だったりした。

「……これはまた……ずいぶんと大きいものが出来たな……」

 完成した自分の神社を見て、将志は呆然とした様子でそう口にした。
 建てているときは少し広いなと思っていたが、まさかここまでの規模になるとは思っていなかったのだ。
 ……なぜ資材運搬のときに気付かなかったのか。

「なあに、これも日ごろの感謝の気持ちって奴だ! これからもよろしく頼みますぜ、守り神様!」
「……あ、ああ。この礼はしっかりとさせてもらおう」

 剛毅に笑う棟梁たちに引きつった笑みを返してから人里に送ると、将志は気を取り直して各地にいる自分の配下の妖怪達を呼び寄せ、この社の説明をした。
 その後行われた協議の結果、情報処理が得意な妖怪をここに配置し、将志不在時の代行の者を当番制でここに住まわせることになった。
 ちなみに妖怪達は自分達の大将の社を見て、しばらく言葉も出なかった。

 こうして、将志は自分を祭る立派過ぎるほど立派な神社を手に入れることに相成った。

 ……なお、当の本人が考えていたのは少し広いだけの掘っ立て小屋のような社だったことをここに述べておく。貧乏性め。



[29218] 銀の槍、弟子を取る
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/06 23:36
 社が完成してからと言うもの、将志達はかなり自由に歩けるようになった。
 情報の伝達が定時に行われるようになったおかげで、配下の妖怪と会うのも一回で済む様になったためだ。
 これにより、将志は人里に入ることも楽になり、人里から直接自分の足で情報収集が出来るようになったのだ。

「……どうしてこうなった……」

 しかし、それでも将志は頭を抱えることになった。
 将志はその頭痛の原因に眼を向ける。

「建御守人(タケミモリト)様、ぜひ貴方の槍を見せていただきたい!」

 そこに居たのは、黒い戦装束に臙脂色の胸当てをつけた少女であった。
 その背中には将志のものと同じ形の、漆塗りの柄の直槍を背負っている。
 精悍な顔つきで、額には鉢金が巻かれ、長い黒髪を後ろで結わえて邪魔にならないようにしている。
 そんな彼女が、土下座をしてまで将志に槍を振るうように頼み込んでいる。

「……う~む……」

 将志は困り果てていた。
 実は、このように将志に演舞や挑戦を申し込んでくるのはこれが初めてではない。
 将志が守護神兼戦神とあって、不在の間も武人達が非常に険しい山道を登ってきてまで参拝しに来るのだ。
 さらに、『槍を持たせればその優雅さと強きに勝るものなし』等という噂が立ったために、なおのこと人が来るようになった。
 加えて言えば、その厳しい山道こそが神が与えし試練と言う話になり、ますます挑戦者は増える一方であった。
 要するに、人が来ないと踏んでいたはずのところに想定外の参拝客が現われたために大弱りをしているのだった。

 ちなみに、建御守人とは神として有名になった際に、神奈子が将志につけた神としての表向きの名前である。
 由来は、神奈子が建御名方(タケミナカタ)神にゆかりがあるためと、将志は主に守護神として祭られているためである。
 ……もっとも、当の将志はその名前で呼ばれるのがあまり好きではないのだが、流石にそれでは名付け親に悪い上、外に出る際には隠れ蓑として使えるために甘受している。

 将志は目の前で土下座を続けている少女に眼を向ける。
 普段の挑戦者であるならば、対等の立場をとろうとするのでこのような態度はとらない。
 見るだけであるならば、そもそもここまでこなくてもそこらにある分社に居る自分の分体に頼めば、地鎮祭などで槍を取ることもある。
 わざわざ険しい岩山の頂上まで来て、土下座までして見に来ようという人間は将志も初めてであった。

「……一つ訊こう。何故俺の槍を求める?」
「武人として、槍を極めた貴方様の槍を見たいのでござる!」
「……質問の追加だ。お前は極めた槍が見たいのか?」
「はい!」
「……最後に一つだ。その槍を見てどうする」
「武人として、自らの生涯をかけてその槍に少しでも届かせる所存でござる!」

 淡々と投げかけられる将志の質問に、少女は自らの思いの丈をぶつけるように力強く答える。
 質問を終えると、将志は眼を瞑り、背を向けた。

「……済まないが、そういうことであるならば、俺は答えることができない」
「っ!? どういうことでござるか!?」

 将志の言葉に、少女は身を乗り出して問い詰める。
 将志はそれに対し、布にくるんだままの槍を向けて話し始めた。

「……まず、お前は大きな思い違いをしている。俺は槍を極めたなどとはただの一度も思ったことはない。故に、俺はお前に『極めた』槍を見せることは出来ない」
「で、では貴方様が思う極めた槍とは何でござるか?」

 その問いに、将志はゆっくりと首を横に振った。

「……仮に、山道があるとしよう。お前は、その頂上を目指すべく登って行く。そして幾ばくかの苦労を重ねて頂上に着いた。辺りにそこよりも高い山はない。……さて、お前ならどうする?」

 将志はそう言って少女に眼を向ける。
 少女はしばらく考えるが、結局分からずに首をかしげる。

「……分からないでござる。その先に道はないし、どうしようもないと思うのでござるが……」
「……俺ならば、空を見る。山の頂上に登っても、太陽に、星に……そして月には届かん。だが、そこから飛び跳ねれば少しは空に近づける。何万、何億か飛び跳ねていればいつかは空に届くやも知れん。……お前から見て俺が山の頂上に居るとするならば、俺は今飛び跳ねている時なのだ」

 将志は空を眺めながら目の前の少女にそう話す。
 その眼は未だに手に届かない、昼の空に隠れている月を眺めていた。
 そんなどこか遠い目をしている将志に、少女が質問を重ねる。

「では、空に届いたらどうするのでござるか? 太陽も星も月も、全て手に入れたら終わりなのでござるか?」
「……その全てを手に入れたとしても、その向こう側に何かがあるやも知れん。そのようなことは、追求すれば止まることを知らん。……長い話だったが、結論を言おう。極めた槍など存在しない」
「し、しかし! そうであったとしても貴方様の槍はすばらしい物でござる! 拙者はそれを……」
「……先に言っておく、お前は絶対に俺に追いつけない。俺の槍はたとえどんな戦神が真似しようと追いつくことはないだろう」

 少女は将志の言葉をさえぎる様に話し始めるが、さらにそれを将志が冷たい言葉でさえぎった。
 それに対して、少女は若干ムキになって答える。

「っ、それは承知の上でござる! それでも、真似事ぐらいは出来よう!」
「……では、俺の槍を真似て何をする? 何のために修練を積む?」
「それは、武人として……」
「……武人、武人と言うが、お前の言う武人とは何だ? 力を振りかざすのが武人だと言うのならば妖怪や山賊も武人だ。そうでなくば、何を持って武人と言う?」
「くっ、武人とは、命を懸けて主や民を守るものだ! 幾ら貴方様でも、これ以上の侮辱は許さんぞ!!」

 繰り返される将志の問いに、とうとう少女は憤慨した。
 背中の槍を抜かんばかりの形相の少女を見て、将志は目を閉じて頷いた。

「……理解した。良いだろう。それがお前の譲れぬ武人の誇りか」

 将志はそういうと、少女に頭を下げた。

「……目の前で土下座までされたのは初めてでな、真意を確かめたかった。試すような真似をしてすまなかった」

 突如頭を下げた戦神に、少女は困惑した表情を見せる。

「え、あ、謝られても困るでござるよ! 理由があったのだから、拙者は何も文句はないでござる!」

 慌てた口調でまくし立てる少女の言葉を聞いて、将志は顔を上げた。
 そしてその場で数秒眼を閉じて黙想をすると、手にした槍の布を解いた。

「……お前の願い、聞くことにしよう。本来見世物ではないゆえ、不恰好かも知れんがな」
「ほ、本当でござるか!?」

 将志の言葉を聞いて飛びつかんばかりに身を乗り出す少女。
 それに対して、将志はゆっくりと首を縦に振った。

「……ああ。元より俺の槍は唯一つ、大切なものを守るための槍だ。……誰かを守ることを誇りとするお前ならば、俺の槍の一部を覚えさせても良い」
「あの……水を注すようであれなのでござるが、どうしてそれを信じたんでござるか?」

 恐る恐るといった様子で将志に声をかける少女。
 それに対して、将志は眼を閉じ彼女に言い聞かせるように答えた。

「……もしその誇りが偽ならば、仮にも神に対して激昂はしないだろう」 
「あ……」

 将志の言葉に言葉を失った少女を尻目に、将志は銀の槍を慣らすように軽く振ると構えた。

「……行くぞ」

 将志は短くそう言うと、手にした槍を振るい始めた。
 薄く霧がかかる境内で、銀の穂先が白いもやを切り裂いて宙を舞う。
 速く正確で、その上美しいその舞を、少女は食い入るように見つめている。
 少女の眼には、将志の一つ一つの挙動が現実のものでないかのように映り、耳には将志の槍が風を切る音しか聞こえてこない。
 それほどまでに将志の動きは洗練されており、その周囲だけ切り取られたような独特の世界を作り出していた。

「……以上だ」
「……お見事」

 全ての動作を終えた将志に、少女が何とか言えたのはその一言だけであった。
 色々と言いたいのだけれど、それを表す言葉がないのだ。

「いや~、久々に見るけど相変わらずすごいね」
「本当にね。素人目に見ても素晴らしいものだと思うわよ?」
「な、何奴!?」

 少女は突然後ろから聞こえてきた声に、驚いて飛びのく。
 そこには注連縄を背負った女性と、眼のついた帽子をかぶった少女が居た。

「……来ていたのか、神奈子、諏訪子」

 将志は槍を納めながら少女の後ろの二柱の神に眼を向けた。

「ええ、なにやら覚えのないところから信仰が流れてきたから、二人とも手が空いた時間を使って出所を探してたのよ。まさか、貴方のところからだとは思わなかったけどね」
「おまけにこんな岩山のてっぺんにこんなでっかい神社建ててるし……あんた何やったの?」
「……俺はもっと地味なものにするつもりだったのだがな……」

 諏訪子の言葉に将志は少し肩を落としながらそう答える。
 そんな将志に、少女が恐る恐る声をかける。

「あの、建御守人様? その方々はどちら様でござるか?」
「……知り合いの神だが?」

 将志がそう答えると、少女は蒼褪めた顔でサッと後ろに引いた。
 そんな少女を前に、諏訪子が将志に話しかけた。

「ねえ、ところでここの私達への信仰の出所はどこ?」
「……それならあれだ」

 将志の指差す先には神奈子と諏訪子が祭られた摂社があった。
 摂社も巨大な本殿や拝殿には負けるものの、細部にまでしっかりと手が入れられた立派なものだった。

「……あれ、摂社かしら? それにしてはずいぶんと大きいわね……」
「……ここを立てた大工が大張り切りで作ったものだ……本来はただの情報拠点にするだけだったのだが、この際だから作ってもらったものだ」

 将志は神奈子や諏訪子、そして普段から世話になっている者への感謝の気持ちにとして、立派な摂社を大工に立てさせたのだ。
 大工は大張り切りでそれを作り、将志もここには妥協をしていないため、それ相応のものが出来上がっているのだ。
 それを見た後、神奈子は真正面の荘厳な造りの建物を見やった。

「それであれが本殿かしら?」
「……いや、あれは拝殿だ。人を呼ぶつもりなどないと言うのに、何故か作られていてな……おまけに本殿はこれ以上に大きなものだからどうしてこうなったのやら……本来はただの情報拠点にするだけだったのだがな……」

 どうしてこうなったと言わんばかりにうなだれる将志。
 それまで野宿の生活が長すぎてへんなところで貧乏性になってしまっている将志には、今の神社は立派過ぎて落ち着かないようだ。

「それを大工が頑張りすぎたせいでこうなったって言いたいの? うわぁ~、そりゃあんた自分の信仰の度合いを量り間違えてるよ……これ、それだけの信仰を集めてるって事だよ、常識的に考えて」
「貴方、真面目すぎるくらい真面目だからね……長いこと律儀に自分の足で仕事を続けてたでしょう? 力の強い神があちこち営業してたらそりゃ信仰も溜まるわよ」

 そんな将志を呆れた目で諏訪子は見つめ、神奈子はため息をつく。
 神奈子の言葉に、将志はきょとんとした眼で神奈子を見る。

「……そういうものなのか?」
「そういうものよ」

 将志と神奈子が話していると、奥からアグナが走ってきた。

「お~い、兄ちゃ~ん! そろそろ飯の時間だぞ~!!」
「おっと」

 アグナはそう言いながら将志の胸の中に飛び込んでくる。
 将志はそれを上手く勢いを殺しながら受け止める。
 そのアグナの一言を聞いて、諏訪子が笑みを浮かべた。

「お、こりゃ運がいーね! 私達も食べてっていい?」
「……断る理由はない。食べていくと良い」
「いーね、そうこなくっちゃ!」
「ふふ、そういうことなら頂いていくわ」

 諏訪子と神奈子の返事を聞くと、将志は少女に眼を向ける。

「……お前も食べていくといい」
「い、良いんでござるか?」
「……かまわん。一人分増えたくらいでは調理の手間はかからんからな」

 将志の言葉を聞いて、少女は驚きの表情を浮かべた。

「え、貴方様が料理をするんですか!?」

 その言葉を聞いて、神奈子と諏訪子は顔を見合わせて笑った。

「あら、有名な話なのだけど知らないのかしら?」
「あいつは守り神だけど、料理の神様としても有名だよ?」



 しばらくして、本殿の舞台に置かれた机の上に沢山の料理が並んだ。
 本殿には料理のいい匂いが漂っている。
 そこに、摂社で待機していた神奈子と諏訪子がアグナに呼ばれてやってきた。

「あ、かなちゃん♪ ケロちゃんも久しぶり♪」

 神奈子と諏訪子の姿を見て、愛梨が笑顔で声をかける。
 それを聞いて、神奈子と諏訪子は額を押さえて俯いた。

「だからかなちゃんって……威厳が……」
「あーうー、ケロちゃんって言うなー!」
「キャハハ☆ かわいいんだから気にしない♪」
「だからそういう問題じゃ……」
「それでも言うなー!」

 にこやかに笑う愛梨に二柱の神は抗議するが、愛梨は気にする様子はまったくない。
 その横で、六花が将志のところへ歩いていく。

「お勤めご苦労様、お兄様。そこのお方はどちら様ですの?」

 六花は将志の横に居る少女を見てそう言った。
 将志は少女の頭からつま先までをじっくりと眺めた。

「あ、あの、そんなに見つめられても困るでござるよ……」

 少女は居心地が悪そうに身じろぎする。
 そんな少女を見て、将志は首をかしげた。

「……そういえば、お前は何者だ?」
「またこのパターンですの……」

 発せられた将志の言葉に、六花は盛大にため息をついた。

「おお、そういえばまだ拙者が何者か言っていなかったでござるな。拙者は雇われの武官をしている迫水 涼(さこみず りょう)と申す。以後お見知りおきを」
「おーい! 早く食わねえとせっかくの飯が冷めちまうぞ!!」

 戦装束の少女、涼が自己紹介を行うと、すでに着席しているアグナから声が上がった。
 アグナは目の前の料理をジッと見つめていて、もう待ちきれないと言う表情を浮かべていた。

「……そうだな。暖かいうちに食わねば食材に失礼だな」

 将志はそういうと、自分の席に着く。
 他の者も次々と空いている席に着く。
 そんな中、涼は座るのをためらっていた。

「……どうした?」
「あ、いや……いざとなると、どうにも神々と同席するのは恐れ多くて……」
「キャハハ☆ 気にしない気にしない♪ ほらほら、ここに座って♪」
「うわっ!?」

 半ば強引に愛梨は涼を着席させる。
 全員が着席したのを確認すると、将志達は食事を始めた。




「おいしかったでござる!」
「……そうか」

 食事を終えると、涼は開口一番にそういった。
 将志はそれに若干の笑みを浮かべて頷く。

「……またいつでも来ると良い。俺の槍は非才の者が長い年月の間ただひたすらに槍を振り続けて身につけたもの故、教えることは出来ん。だが、そもそも俺の技をただ真似るだけでは意味が無い。俺の技から何かを見取り、それを自分のものにしなければならん……お前が望むのなら、俺はまた槍を持とう」

 将志は涼に向けてそういった。

「……あれで非才?」
「……あんたが非才なら世の中全員非才だよ……」

 隣で話を聞いていた神奈子と諏訪子が呆れ顔でそうこぼした。

「はいっ! ありがとうございます、建御守人様!」
「……その名前で呼ばれると少し困る。俺には槍ヶ岳 将志と言う名がある。次からはそちらを使うといい。それに硬くなられては俺もやりづらい。もっと楽に話せ」
「……かたじけない。では、失礼いたす!」

 涼は笑顔でそういうと、山を下りて行った。
 それを見送る将志の後ろでは、少しふてくされた顔の神奈子が立っていた。

「将志、私があげた名前で呼ばれると困るって言うのはどういうことかしら?」
「……あの名前は人間に知られすぎている。もし俺の涼に対する待遇が知られたとすれば、俺は一日中ここで数多の人間を指導せねばなるまい」

 将志の発言に、神奈子は納得したように頷いてため息をついた。

「ああ、そういうことね。人が来すぎて困るなんて贅沢な悩みね、まったく」
「……俺には神である前に、主を待つ槍妖怪だ。本来ならば、主を捜す為にも神としての仕事は少ないほうがずっと良い」
「それにしても、何であの娘にあんなこと言ったの? そんなことしなければ、こんな面倒くさいことにならないのに」
「……どうにも他人に思えなくてな……」

 諏訪子の問いかけに将志はそういうと、ふっと軽くため息をついた。
 将志の目には、涼が自分とまったく同じ考え方をしているように映ったのだ。

「まあ、そのあたりは将志の自由だし、私達が口出しするところじゃないわよ。さてと、私達もあまり留守にしているのもあれだし、そろそろ帰るわ」
「将志も、たまにはこっちにある社に来てね。未だに将志を信仰している人も多いからさ」
「……ああ。ではそのうち行くとしよう」
「宜しい。それじゃ、また会いましょう」
「じゃあね、将志」

 軽く言葉を交わした後、神奈子と諏訪子は帰って行った。
 将志はそれを見送ると、山頂から下を見下ろした。

「……さて……今日は都に行くとするか……」

 将志はそういうと、山を駆け下りて行った。



[29218] 銀の槍、出稼ぎに出る
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/06 23:46
 将志は情報収集のために都にくると、すぐ近くの料理屋に顔を出した。

「……邪魔するぞ」
「おう槍の字、来たのか。生憎と今日はアンタがやれる仕事は無いぞ? それとも、今日こそはうちで働く気になったか?」

 将志が声をかけると、料理屋の店主であるが威勢のいい声でそう話しかけた。
 この料理屋、実は手配師としての側面も持っており、将志は屋敷の警備などをして生活費を稼いでいた。
 仮にも一介の神が何故そんなことをしているのかというと、料理に使う調味料などの代金を稼ぐためであった。
 なお、各地で奉納される供え物は全て現地の人間に還元している。
 つまり、信仰はあれども収入は無いのだった。

「……俺はこれでも多忙の身だ。ここで本格的に働く時間は無い。それに仕事が無いことはないだろう? ここ最近の流行病で護衛が欲しい所が多いのではないのか?」
「つれねえなあ。アンタがここで包丁握ってくれりゃあウチも繁盛間違いなしなんだがなあ。それに、その手の仕事は俺のところに来る前にほとんど貴族様が自分で取っちまってるよ。俺のところに来るのは余程の物好きか、つてのねえ連中さ」

 店主は心底残念そうにそういうと、再び仕事に戻る。
 将志はカウンター席に座ると、出されたお通しを口にする。

「そういや、最近巷じゃお公家様が熱心に通う場所があるんだよな」
「……どうせ女だろう。遊び暮らしている公家達が通うようなところなど、それくらいだ」

 将志は若干呆れ口調で、吐き捨てるようにそう呟いた。
 将志からしてみれば、日々を遊び暮らしている公家の生活が無意味なものに思え、受け入れがたいものであった。
 そんな将志の言動に、店主は磊落に笑った。

「アンタずいぶんと辛辣なこと言うねえ。ま、正解だがな。なよ竹のかぐや姫と呼ばれている超美人さんらしい。興味わいたか?」

 店主はニヤニヤと笑いながら将志にそう問いかける。
 それに対して、将志は心底どうでも良いと言った風にため息をついた。

「……どうでも良い。そもそも、そんなことに構うくらいならば俺は仕事をする」
「かぁ~っ! 若い兄ちゃんがそれで良いのかよ!?」

 二人がそうやって話していると、立派な服装をした武官がやってきた。
 店主は話を止め、客に応対する。

「へいらっしゃい。ご注文はお決まりですかい?」
「玉将定食の出前を頼む」
「ああ、かしこまりやした。でしたら、そちらの暖簾を潜ってその先の席でお待ち下せえ」

 店主はそういうと、店の奥へ引っ込んで行った。
 それと同時に、武官も店主に言われたとおり暖簾をくぐる。
 なお、もうお気づきの方もいらっしゃると思うが、玉将定食の出前とは手配師としての仕事を依頼するときの暗号である。

「……仕事、か……」

 将志はお通しをちびちび食べながら話が終わるのを待つ。
 すると、暖簾の奥から店主が出てきた。

「おーい、槍の字! ちと来てくれや!」
「……了解した」

 将志は店主に呼ばれて暖簾の奥へ入る。
 そこには、先程の武官が席について待っていた。
 机の上には、依頼内容が書かれた木の板が置かれていた。

「槍の字、お待ちかねの仕事だぜ。かぐや姫の護衛だとさ」
「……詳しい話を聞こう」

 将志は武官から詳しい話を聞いた。
 何でも、町で流行の病によって護衛が大幅に減少してしまったそうな。
 そこで、夜に忍び込んでくる不届き者を追い払うための腕の立つ護衛を探しているらしい。
 内容を聞くと、特に問題は無いと判断したのか将志は頷いた。

「……良いだろう。引き受けよう」
「ありがたい、任期は十五日間だ。その間、しっかり頼む」

 そんな訳で、将志はかぐや姫のところへ向かうことになった。



 武官に連れられて、かぐや姫の屋敷に案内される。
 屋敷に着くと、家主に侵入者と間違われないようにするために顔見せを行うことになった。
 奥の間に案内されると、そこには翁と嫗、そして艶やかな長い黒髪を持つ見目麗しい少女が居た。

「失礼致す。新たなる護衛の者をお連れ致した。……お主、名を名乗れ」
「……槍ヶ岳 将志という。覚えてもらえるとありがたい」

 将志がそう名乗ると、竹取の翁は頷き、少女は興味深げに眼を細めた。
 
「うむ、下がってよいぞ」
「……失礼する」
「待ちなさい。貴方は今、確かに槍ヶ岳 将志と名乗りましたね?」

 将志が下がろうとすると、少女が将志にそう声をかけた。
 その問いに対し、将志は小さく頷いた。

「……ああ。確かに俺はそう名乗った」
「そう……後で話があります。半刻の後、私の部屋に来なさい」
「……? 了解した」

 突然の呼び出しに、将志は首をかしげながらも承知する。
 これには周囲の人間も真意が分からず、同様に首をかしげることになった。

「お主、姫に何かしたのか?」
「……いや、初対面のはずだが……」

 詰め所に向かう間、武官と将志はかぐや姫の言葉について話しながら歩いていく。
 そして半刻後、将志は言われたとおりにかぐや姫の部屋に向かうことにした。

「……槍ヶ岳 将志、ただいま参上した」
「……入って」

 将志が部屋に入ると、少女は将志を頭のてっぺんからつま先までじーっと見つめだした。
 それはまるで何かを確認するような目つきで、髪、眼など体を一つ見るたびに彼女の表情は楽しそうなものに変わっていった。
 将志は訳が分からず、首をかしげる。

「……俺がどうかしたのか?」
「へえ……貴方があの槍ヶ岳 将志ね……まさか、こんなところでこんな有名人に会えるなんて思わなかったわ」

 少女は弾むような口調で将志にそう言った。
 その唐突な物言いに将志は首をかしげた。
 自分が彼女に名前を知られるような行為をした覚えは全く無いからであった。

「……どういうことだ?」
「自己紹介がまだだったわね。私は蓬莱山 輝夜。月の民よ。輝夜でいいわ」
「……なに?」

 輝夜の言葉に、将志は固まる。
 何しろ、目の前に居るのは捜し人と同じ月の民なのだ。
 そして、そんな将志を輝夜は面白いものを見るような眼で見ていた。

「まあ、そこに座りなさいな。……しっかし、本当に生きてたのね~ 最初に聞いたときは信じられなかったけど」
「……何の話だ?」

 月の民を目の前にして、将志の口調が少々強いものになる。
 主のことを知っているかもしれない、そのことが将志の心を焦らしていく。
 そんな将志の心境を知ってか知らずか、輝夜は楽しそうに話を続ける。

「あら、貴方月の民の間じゃ超有名よ? 何しろ、最高の料理を作る『料理の妖怪』で、たった一人で妖怪たちから船を守った『銀の英雄』……そして『天才の最初の理解者』。そんな有名人の名前を最近噂で聞いて、思わず探してみようかと思ったわよ」

 輝夜の言葉に、将志はピクッと反応した。
『天才の唯一の理解者』、この言葉の天才に当たる部分の人間に心当たりがあったからである。

「……主を知っているのか?」
「永琳のこと? もちろん知っているわよ。だって、貴方のことは永琳から散々聞かされていたもの。妖怪だから生きている可能性があることも含めてね」

 輝夜は将志の質問に朗々と答える。
 それを聞いて、将志は小さく息を吐いた。
 将志は永琳が自分のことを忘れていないことを知ると、真っ先に気を病んでいないかを気にしたのだ。
 もし、自分と離れ離れになったが故に心を壊していたとすれば、将志はどうしようかと考える。
 永琳の境遇からすれば、彼女が自分にかなり精神的に依存していたであろうことが想像できたからである。
 将志は緊張した面持ちで輝夜に質問をすることにした。

「……息災だったか?」
「ええ、元気よ。時々淋しそうな顔して地球を見つめていたけどね」
「……そうか……」

 将志は永琳が無事だと聞かされて安心した笑みを浮かべた。
 主が気を病むことは無かった、それを知って心の底から安堵した。
 その様子を輝夜はニヤニヤと笑いながら見ていた。

「……どうした?」
「い・い・え~♪ 傍から見れば貴方たちが途方もない遠距離恋愛をしているように見えるだけよ?」

 そんな輝夜の言葉を聞いて、将志は首をかしげた。

「……何を言っている? 主は主であり、友人だぞ?」
「……貴様もか、似たもの主従め」

 将志の返答に、輝夜はギギギと歯がゆい表情を見せてそういった。
 ちなみに、遠距離恋愛云々に関して永琳に輝夜が言及したときには、

「え? 恋愛なんて私は知らないけど、将志は私の親友よ。……そう、私の大事な大事な、一番の親友」

 と、月についてから作った将志とおそろいのペンダントを握り締めながら、満たされた表情で永琳はそう言ったのだった。
 輝夜は内心「ペアルックとかどう見ても恋人同士です、本当にありがとうございました、というか二億年間相思相愛とか、もうとっとと結婚しちまえお前ら」と思ったり思わなかったりした。
 気を取り直して、輝夜は将志に話しかける。

「とにかく、貴方が生きてるなんて知れたら月じゃ大変な事態になるわよ。下手すると、貴方を回収するために使者が来るかも」
「……流石にそれは大げさ過ぎないか?」
「ちっとも大げさじゃないわよ。さっきも言ったとおり、貴方は有名人なのよ? それも永琳と肩を並べるほどのね。確か貴方を題材にした映画まであったはず。死んだと思われてなければ一斉捜索をされるレベルよ?」
「……そうか」

 将志はそう言うと考え込んだ。
 何せ、月へ行って永琳に会うことが出来る可能性が出てきたのだ。
 将志はどうやって月に居る人間と連絡を取ろうか考え始めた。
 そんな彼に、輝夜が話しかける。

「ところで、貴方は今何をしているの?」
「……護衛だが?」

 すっとぼけた将志の返答に、輝夜は顔から床に崩れ落ちた。
 その輝夜の反応の意味が分からず、将志は首をかしげた。
 将志にとっては今していることといえば輝夜の護衛なので、大真面目にそれに答えただけなのである。
 輝夜は額を手で擦りながら立ち直ると、将志に質問を続けた。

「……そうじゃなくて、普段は何をしているの?」
「……神と妖怪の頭領、それから日雇いの仕事だな」

 将志は自分の現状を輝夜に簡単に説明した。
 すると、輝夜は唖然とした表情を浮かべた。

「何よ、それ? 神なのか妖怪なのかはっきりしなさいよ。ていうか、日雇いの仕事をする神様って何?」
「……信仰だけでは飢えはしのげん」
「……あ、何か涙出てきた……」

 世知辛い世の中に、輝夜は無性に悲しくなる。
 それからしばらく話をしていると、翁がやってきた。

「輝夜、そろそろお公家様がいらっしゃるから準備なさい」
「は~い……な~んだ、もうそんな時間なの」

 輝夜は気だるげにそう答えるとため息をついた。
 将志はそれを見て立ち上がる。

「……大変そうだな」
「ええ……あ~あ、何が悲しくてあんなおじ様方の相手をしなきゃならないのよ……」

 輝夜はそう言いながらごろりと床に転がった。
 もう心底面倒だと言わんばかりに床に伸び、大きなため息をついている。
 それを見て、将志は小さくため息をついた。

「……俺なら逃げ出しているところだ」
「私も出来ればそうしたいわよ。つまらない話を毎度毎度聞かされるくらいなら、こうやって貴方と話していたほうが何倍も有益よ」
「……そうか」
「そ。そういうわけで、また後で私の相手をしなさい。雇い主の命令だから、ちゃんと来なさいよ?」
「……ふむ、そうまでして俺と話がしたいか。……了解した。終わり次第そちらに向かおう」

 将志はそういうと、輝夜の部屋を辞した。




 数刻の後、輝夜の部屋には疲れた二つの人影があった。
 ひとつは絹のような質感を持つ黒髪の少女、もうひとつは小豆色の胴着と紺色の袴を着けた青年だった。

「……なんで貴方が疲れてるのよ……」
「……任務に戻った途端に質問攻めだ……護衛衆も輝夜に興味があるらしい」

 ぐったりと身体を投げ出した輝夜に、背中を丸めて胡坐をかいた将志。
 ふと、将志の言葉に輝夜が顔を上げる。

「じゃあ、そういう貴方はどうなのよ? 貴方も私に興味があるのかしら?」
「……無いと言えば嘘になるが、俺が興味あるのはお前が持つ主の情報だ。そもそも、俺は仕事が無ければお前に関わることは無かっただろう」

 将志は自分が輝夜に関わった理由を嘘偽り無く話した。
 それを聞いて、輝夜は少し悔しそうな表情を浮かべた。

「それはそれで何か悔しいわね……私、これでも容姿には自信があるのよ?」
「……輝夜が綺麗なのは認めよう。だが、俺にとってはそれだけのこと。俺が輝夜個人に興味を持つには至らん」

 将志がそう言い放つと、輝夜は大きくため息をついた。

「はぁ~……将志みたいな人に限ってそうなのよね……他は私の容姿を見たいがために簡単に釣れるのに」
「……そういうものなのか?」
「そういうものよ」

 容姿だけで簡単につれる男達の感情が分からずに首を傾げる将志。
 輝夜はそんな将志をジッと見つめる。

「……どうかしたのか?」
「ねえ、将志はどんな人なら興味を持てるの?」

 輝夜の質問に将志はあごに手を当てて考え込んだ。
 そしてしばらく考えると、将志は答えを出した。

「……そうだな……守ってやろうと思える人物か?」
「例えば?」
「……例えば、恩義を感じた者、孤独の中で迷う者……挙げればキリが無いな」
「って、それじゃ私はその挙げればキリが無い例にもかかってないって事?」
「……そういうことになるな。少なくとも、今の時点では俺の琴線には触れていないな」

 輝夜の質問に、将志はばっさりと真っ向から何のためらいも無くそう言った。
 その言葉を聞いて、自尊心を一刀両断された輝夜は再び床に突っ伏した。

「将志……貴方、乙女のプライド傷つけるような言葉をズバズバ言ってくれるわね……」
「……それはすまない」

 少しいじけたような輝夜の言葉に、将志は本気で申し訳なさそうな表情をほんの少し浮かべた。
 それを聞くと、輝夜は突如ガバッと身体を起こして立ち上がった。

「あ~もう! 貴方のせいで乙女のプライドズタズタよ! ほら、悪いと思っているなら何か慰めの言葉とか無いわけ!?」

 ビシッと将志を指差しながら輝夜はそうまくし立てた。
 それに対して、将志は困り顔で考え込んだ。

「……う……ん……? あ、あ~……?」
「だあああ~! 考え込むほど慰める要素も無いの、私!?」

 輝夜は将志の態度に地団太を踏んだ。
 将志にしてみれば全くもって理不尽なものであるし、そもそも誰かを口説いた経験は全く無いため、それを責めるのは酷というものであろう。

「ていっ!」
「……むっ?」

 突如として、輝夜は将志に抱きついた。
 突然の奇行に、将志はきょとんとした表情を浮かべる。

「……ねえ……これでも何も感じないの……?」

 輝夜は狙い済ました上目遣いと、切なげな声でそう呟いた。
 それは、男なら十人中十人が堕ちてしまいそうな、そんな仕草だった。

「……輝夜も誰かに抱きついたほうが安心できる性分なのか?」
「何でそんなに冷静なのよ!?」

 が、相手が悪かった。
 何しろ、この手のことに関しては六花という強力な相手が居るのだ。
 輝夜に負けず劣らずの美貌を持つ六花に常日頃からこのようなことをされていれば、嫌でも慣れるというものであろう。

「ああもう、こうなったら意地でも興味を持たせてやるんだから!」

 それからしばらくの間、将志は輝夜から猛烈なアタックを受け続けることになった。
 将志はそれをのらりくらりと無意識で躱していく。
 気がつけば、時刻は草木も眠る丑三つ時となっていた。

「……どうしてこうなった……?」
「……うう……まだまだ……」

 今現在、将志は胡坐をかいて座っている。
 そして膝の上には、輝夜の頭が乗っかっていた。
 輝夜は将志の胴着の裾をしっかりと掴んでいて、放す気配が無かった。

「……仕方が無い……」

 仕方が無いので、将志はそのまま寝る事にした。

 翌朝、嫗に輝夜が将志に膝枕をされているのを発見され、大騒ぎになったのは言うまでもない。



[29218] 銀の槍、振り回される
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/06 23:58
 将志が輝夜の元で護衛を始めて数日、将志は休憩時間のたびに自分の社に戻って仕事をする日々が続いた。
 おまけに初めに話して以来輝夜がすっかり懐いてしまい、将志は周囲から色々な視線を感じるようになった。
 もっとも、将志本人は全く気にしていないが。

 もちろん、近くにいた護衛たちに睨まれる事もあった。
 その日、将志がいつものように輝夜に呼びつけられて話をしていると、他の護衛たちが輝夜の部屋を訪ねてきた。
 その者達が直訴して曰く、突然大勢の不届き者共が襲ってきたら何とするか。
 曰く、お前に守りきることが出来るのか。
 様々なことを周りの護衛が口にした。
 それを聞いて、輝夜は愉快そうに眼を細めた。

「だって、将志。どう思う?」
「……至って全うな発言だと思うが?」

 輝夜の問いに、将志はそう言って返す。
 しかし、輝夜は意地の悪い笑みを浮かべて言葉をつむいだ。

「なら、将志が一人で貴方達から守りきれれば文句はないわね? そういうわけで将志、ちゃっちゃと勝負しちゃいなさい」

 その言葉を聞いて、将志は渋い表情を浮かべた。

「……失礼ながら、今この場で争って、唯でさえ減っている護衛の数を更に減らすのは得策ではないと思うのだが?」
「そんなの、勝った人間が補えば良いだけのことでしょ? 将志が勝ったとしても、それは将志がここにいる二十人分の働きが出来る証明になるから何の問題もないわ。これは雇い主の命令よ。さあ、全員さっさと準備なさい!」
「……何と横暴な雇い主だ……」

 将志はため息をついて首を横に振ると、横に置かれていた槍を手に取った。
 神であることがバレては拙いので、槍は鍛冶屋で調達したそれなりのものを使っている。

「……済まないが、練習用の槍を持ってきてはくれないか? 流石にこれで死人を出すわけには行かないだろう?」

 将志が槍をもってそういうと、護衛のうちの何人かは僅かにたじろいだ。
 将志からは、勝負が始まってもいないのに僅かながら威圧感が流れていたのだ。
 ……要するに、今の将志は機嫌が悪い。

「ふふふ、銀の英雄の立ち回りが見られるなんてラッキー♪ 頑張ってね、将志♪」

 他の護衛達が練習用の刃のない槍を取りに行くと、輝夜は楽しそうにそう言った。
 将志はそんな輝夜にジト眼と呆れ顔をくれる。

「……まさか、それだけのためにあんなことを言ったのか?」
「いいじゃない。将志のことだし、あれくらい簡単に倒せるでしょ?」

 楽しそうに笑いながら輝夜は将志に話しかける。
 それを聞いて、将志は額に手を当てて小さくため息をついた。

「……簡単に言ってくれる。人間のふりをしながら勝つのは楽では無いのだぞ?」
「と言うことは不可能ではないって事ね。楽しみにしてるわ、将志」

 冷ややかな視線を輝夜に向ける将志。
 しかし輝夜は悪びれることなくそう言った。



 しばらくして、輝夜の部屋の前に将志が練習用の槍を持って立った。
 将志の前の広い庭には、護衛の兵士達が三十人ほど散らばっていた。
 それを見て、将志は少々呆れたようにため息をついた。

「……人数が増えていないか?」
「すまん、抑えきれなかった……」

 将志の前には、護衛をまとめる武官が頭を下げていた。
 どうやら輝夜に毎日御呼ばれしている将志のことを面白く思わない人間は多かったらしい。
 将志はそれに対して再び小さくため息をついた。

「……全く、どうしてこうなったのやら……」

 将志はそういうと肩鳴らしに槍を振った。
 多少重さに違いはあるものの、将志の槍の動きに乱れは無かった。
 護衛達はその美しく素早い動きに眼を見張った。
 その動きは素人目に見ても凄まじい量の鍛錬を積んだものだということが分かるものであった。

「……初めてみるけど、綺麗ね。永琳が言うだけあるわ」

 将志の後ろで、輝夜はそう呟いた。
 その一方で、将志は槍の穂先を斜め下に向けて構えた。

「……いつでも、どこからでも掛かって来るが良い」

 将志がそういった瞬間、護衛達は動き出した。
 まず、最初の一人が将志に向かってまっすぐに槍を突き出す。

「……ふっ」
「ぐぅ!?」

 しかし、それが届くよりも早く将志の槍が正確に相手の水月を突いた。
 その後に慣性で伸びてくる槍を、将志は半身開いて躱す。
 水月を激しく突かれた相手はその場でもんどりうって倒れた。

 すると次の相手がすぐに出てきた。
 次は三人まとめて将志に槍を突き出した。

「……甘い」

「うおお!?」
「え?」
「なにぃ!?」

 前三方向から迫ってくる槍に対して、将志は螺旋を描くように槍を素早く動かしてまとめて巻き込む。
 そして、相手の勢いを殺さずに三本の槍を一気に上に弾き飛ばした。
 弾き飛ばされた槍は高々と宙を舞い、突然手元から槍が消えた護衛は呆然とその場に立ち尽くした。

「……ふっ」

「ぐっ!」
「あっ!」
「げっ!」

 そんな三人組の水月に容赦なく槍を当てて戦線離脱させる。

「はああああああ!」
「うおおおおおお!」

 間髪いれずに将志の背後と正面から槍が迫ってくる。

「……未熟」
「がっ!?」

 将志は軸をずらしながら独楽のように素早く一回転した。
 手にした槍で前から迫る槍をはじき、軸をずらすことで後ろから迫る槍を躱しつつ、遠心力の加わった槍を相手の横っ腹にたたきつけた。
 横っ腹を打ち据えられた護衛は、庭の池に突っ込み大きな水柱をあげた。

「ひっ……」
「……遅い」
「ぐあっ!」

 将志はその様子を見て怯んだもう一人の水月を穿ち、昏倒させる。
 それを確認すると、将志は周囲を確認した。

「……どうした、掛かってこないのか?」

 将志は尻込みする護衛達を睨みながらそう言った。
 あっという間に六人を倒され、しかも将志は最初の立ち位置からほぼ動いていないのだ。
 その圧倒的な技量の違いを見せ付けられて、護衛達に厭戦の気配が見え始めた。
 それを確認すると、将志は槍を納める。

「……まあ、それも良いだろう。俺達の本懐は護衛……」
「あいや待たれい! その勝負、拙者が受けて立つ!」
「……この声は」

 槍を納める手を止め、将志は声のした方向を見る。
 するとそこには、鉢金を巻いて練習用の槍を構えた少女が立っていた。

「拙者に相手をさせて欲しいでござるよ、将志殿、いや、お師さん!」

 涼はまっすぐに将志の眼を見つめ、威勢のいい声でそう言った。
 それを聞いて、将志は薄く笑みを浮かべた。

「……そうか……確かに俺はお前の師とも言えなくも無いな、涼。……良いだろう、来るが良い」
「ありがとうございます、お師さん! 皆の者、この立会いに手出しは無用でござる!」

 将志と涼は向き合って槍を構えた。
 将志は先程と同じ膝を狙った下段の構え。
 涼は相手の喉下と心臓と水月の三点を狙った中段の構えを取った。

「行くでござる!」

 涼は将志に対してまっすぐ水月に突きこんだ。
 その速度は先程の護衛の兵よりもはるかに早い。
 将志はそれを見て先程のように突き返すのは危険と判断し、槍ではじきながら身体を横に移動させ、身体を回転させて槍を薙ぎ払った。

「何の!」
「……っ」

 涼は身体を低くかがめることでそれを躱し、将志の槍を避ける。
 手応えが無いことを確認した将志は、相手の槍の範囲外に即座に下がった。
 そして涼を見やると、感心したように小さく頷いた。

「……なるほど、どうやら先程までの者とは違うようだな」
「くくっ、お褒めに預かり至極光栄でござる」
「……では、どこまで付いて来れるか試してやろう」
「はい! 胸を借りるでござるよ、お師さん!」

 涼は嬉しそうにそう答えると、素早く槍を構えた。
 その瞬間、笑顔から鋭い顔つきに変わる。
 一方の将志は終始表情を変えることなく槍を構えた。

「……今度はこちらから行くぞ」

 今度は将志が涼に向かって攻撃を仕掛ける。
 将志の槍は稲妻のような速度で涼の水月に迫っていく。

「くっ、てやああああ!」

 涼はそれをあえて引き入れるようにして線を逸らし、空いたところを突き返す。

「……そこだ」
「くっ!」

 将志は涼の突きを半身開いて避け、素早く移動して涼の背後を取る。
 その動きは涼の目からは突然音も無く消えたように見えた。
 涼は振り向くことなく前に全力で移動し、将志に向き直る。

「……遅い」
「くうっ!」

 振り返るとすぐに将志の槍が迫ってくる。
 涼は突然現われたそれを、身体を開きながら手首を返して叩き落し、そのまま石突で将志に突きを加える。
 しかし、苦し紛れのそれは将志に容易に躱される。

「……そらっ」
「あっ!?」

 将志は自分の槍で涼の槍を下に押し込み、下を向いたの先を踏んで固定する。
 そして動きの止まった涼に向かって槍を繰り出そうとする。

「やああああああ!!」
「……む?」

 涼はとっさに棒高跳びの要領で将志の頭上を飛び越えた。
 突然の涼の行動に、将志は目を見開く。

「……うっ!?」
「……そこまでだ」

 が、着地した瞬間目の前に将志の槍があった。
 眉間の手前でピタリと止められたその槍は、勝者を明確に示していた。

「……参りました、お師さん」
「……ああ」

 涼が負けを認めると、将志は槍を納めた。
 それを見て、涼はふっとため息をついた。

「いや~、完敗でござるな! 流石にお師さんは強い!」
「……その歳にしてはかなり経験を積んでいる様だな。悪くなかった」
「そう申されても、お師さんは本気を出していないから説得力が半減でござるよ?」
「……俺が本気を出せばどうなるか分かるだろう?」
「はっはっは! そうであったな!」

 負けたと言うのに涼は豪快に笑う。
 一方、周りはあれだけのことをしておきながらまだ本気ではないと言う将志に若干の恐怖を覚えていた。
 それを意に介さず将志は輝夜の方を向く。

「……さて、周りの連中は戦意を喪失したわけだが?」
「はあ……情けないわね……貴方達、将志みたいなのが侵入してきたらどうするつもり? この程度で恐れるようじゃ護衛は成り立たないわ。首になりたくなかったら将志に掛かりなさい」
「……結局戦わざるを得ないのか……」

 ため息交じりの輝夜の言葉に、将志は盛大にため息をついた。

 その後は、消化試合もいいところであった。
 将志は優雅に舞うようにして槍を振るい、その度に挑戦者を倒していく。
 結果、五分で残りの二十四人が片付いた。

「……全員精進が足りんな……己が槍と存分に向き合うが良かろう」

 将志はため息混じりにそう言いながら槍を納めた。
 将志の額には汗一つ無く、本当に唯の軽い運動で終わったようなものだった。

「お見事でござる、お師さん! 拙者もああいう風に槍を振ってみたいでござるよ!」
「……ならば、毎日槍を取れ。そうせん事には何も分からぬ。一度で実入りが無くとも、何万何億と繰り返し振るっていけば、いつかは何か得られるであろう。……それにお前は人と立ち会う機会が多いようだからな。し合う内につかむ物があるやも知れん。いずれにせよ、精進することだ」

 近くに寄ってきた涼に、将志は淡々と言葉を投げかける。
 それに対して、涼は元気良く頷いた。

「はい! ところでお師さん、この後休憩時間はござらぬか?」

 涼の言葉を聞いて、将志は空を見上げた。
 太陽は空高く昇っており、そろそろ正午を迎えようとしていた。

「……あと少しで休憩時間になるな……どうかしたのか?」
「食事がてらお師さんの話を聞きたいでござる!」
「……構わん。ではそれまで詰所で待っているが良い」
「心得たでござるよ!」

 将志と話を終えた涼は笑顔でそう答えると詰所に向かって歩いていく。
 それを見送ると、将志はふっと一息ついた。
 そんな将志に、輝夜が近寄って話しかけた。

「……あの子は誰?」
「……最近俺のところに修行に来るようになった者で、名を迫水 涼と言う。今日初めて立ち会ったが、なかなか筋が良い」

 部屋に戻りながら、将志は輝夜の問いに淡々と答える。
 一方、輝夜は将志のことをジッと見つめている。その表情は、どこか面白くなさげである。
 そんな輝夜の様子が気になったのか、将志は輝夜の方を見やった。

「……どうかしたのか?」
「いいえ……貴方が弟子を取っているなんて意外だったから。それで、何で弟子にしたわけ?」
「……涼が進む道を俺が気に入ったからだ」

 将志は問いかけにやはり淡々と答える。
 それを聞いて、輝夜は興味深そうに将志に質問を続けた。

「へえ。どんな道よ?」
「……武人として主や民を守る道、だそうだ」
「何それ。それって結局貴方と進む道が似てるからってだけじゃない」

 将志の言葉に、輝夜は少しつまらなさそうにそう呟いた。
 もう少し面白い理由を期待していたのだが、期待はずれだったようである。
 そんな輝夜に対し、将志は話を続ける。

「……だからこそ、俺は弟子にした。もし、単に最強を目指すなどと言うことであれば、俺は弟子にはしなかった。元より、俺の槍とは目指すところが違う」
「そう……」

 輝夜はそういうと少し考え込んだ。
 将志は何を考えているのか分からず、輝夜の顔を覗き込んだ。

「……どうかしたのか?」
「え、きゃあ!? ちょっと将志、顔が近いわよ!?」
「……む、それは済まなかった。だが突然深刻な表情で黙られた故、気になってな……」

 驚いて後ろに下がる輝夜に、将志は謝った。
 そんな将志を見て、何かひらめいたのか輝夜は手をぽんと叩いた。

「そうだ。将志、貴方お昼を作ってくれないかしら?」
「……む?」

 輝夜の突然の物言いに、将志は首をかしげた。

「……それは構わないが……いきなりどうした?」
「良く考えたら、せっかく料理の妖怪がいるのにその料理を食べないって言うのは勿体無さ過ぎるわ。そういうわけだから、宜しく」
「……了解した」

 上機嫌で部屋を去っていく輝夜に、将志は涼と食事に行くにはまだまだ時間が掛かりそうだと内心思いながらため息をついた。



 半刻後、膳の上には沢山の料理が並んでいた。
 菜の花の粕漬けや、アジのつみれ汁、ハマグリの酒蒸しに栗のおこわなど、当時としては贅を尽くした食事が並んだ。
 ……もっとも、将志にとってはただそこにある、使っても良いと言われた食材を調理したに過ぎないのだが。

「……出来たぞ」

 将志はそういうと、料理を配膳すべく女中にそういった。
 だが、女中は首をかしげた。

「……どうした? 早くもって行かねば冷めてしまうのだが」
「あ、あの、四人分配膳するようにと言われているのですが……あと、料理人本人に配膳をさせるようにと言う指示もあります」
「……む」

 将志はそれに疑問を感じながらも、いつもの癖でおかわり用に取っておいた分を漆塗りの食器に注ぎ分けた。
 将志は女中達とともに膳を運ぶ。

「失礼致します。ご昼食をお持ちいたしました」

 女中がそういうと、四人分の料理を並べた。
 しかしこの場には翁に嫗と輝夜の三人しかおらず、どう考えても一人分多い。

「失礼致しました」

 その様子に首をひねりつつも全員退出しようとする。

「待ちなさい。将志はここに残りなさい」

 が、将志は輝夜に呼び止められてその場に残る。
 将志はそれを怪訝に思いながらも、その場に残ることにした。

「さあ将志、自分の膳の前に座りなさいな」

 女中が去ると、将志は空いている四つ目の膳の前に座ることになる。
 将志が座った場所は翁と嫗の対面、そして輝夜の隣である。
 翁も嫗もなぜ一介の護衛がこの食卓に同席しているのか疑問に感じており、当の将志も目的が全く分からない。

「輝夜、何故この者がここに居るのかね?」
「私がお呼びしたんですよ、お爺様。少し彼を詳しく紹介したいと思ってね」
「へえ、確か槍ヶ岳 将志さんだったね?」
「……覚えていただき光栄だ」

 嫗の一言に、将志は座したまま礼をした。
 翁は将志を見定めるような視線を送り続けている。

「して、この者は何者だね?」
「三十人の護衛を瞬く間に打ち倒した剛の者にして、目の前の食事の料理人よ。さ、食事が冷める前に食べてしまいましょ?」

 輝夜がそういうと、全員一斉に食事を食べ始める。

「おお、これは旨い」
「あれま、こんなに美味しいご飯は初めてだね」

 翁と嫗は将志の食事を食べて笑顔を浮かべた。
 その一方で、輝夜は食事を口にした状態で固まっていた。
 将志はそれを見て首をかしげる。

「……どうかしたか」
「……ふ、ふふ、あははははは! これは面白いわ!」
「……何が面白い?」

 大声で笑う輝夜に、将志は怪訝な表情を浮かべた。
 輝夜はひとしきり笑うと、涙を浮かべて将志に答えた。

「理由は後で話すわ。はぁ~、面白い。あ、味は心配しなくても最高に美味しいわよ。流石は料理の妖怪ね」
「何と!? 将志殿は妖怪なのか!?」

 輝夜の言葉を聞いて、翁は勢い良く立ち上がった。

「ああ、違うわよお爺様。単に彼が巷で料理の妖怪って呼ばれているだけよ。だって将志は神様だものね」

 今にも飛び掛らんとする翁に、輝夜は笑ってそう言った。
 その言葉に将志は箸を止める。

「……冗談はよせ」
「あら、何も隠す必要は無いじゃない? 建御守人様が家の護衛を引き受けてくれるなんてありがたい話がある訳だし?」

 輝夜は将志の本性を突然暴露し始めた。
 その突然の行為に、将志の表情が厳しいものに変わる。

「……おい」
「建御守人様がどうしたって?」

 輝夜の言葉に将志が反論しようとするが、それを嫗がさえぎる。
 輝夜は待ってましたとばかりにその問いに答えた。

「ああ、そこに居る槍ヶ岳 将志が建御守人様ご本人だって話よ」

 それを聞いた瞬間、翁と嫗は将志に向かって拝み始めた。

「おお、守り神様が我が家に来られて、しかもお食事まで作っていただけるとは……ありがたやありがたや……」
「ほんに、ありがたいことじゃ……」
「ま、待て、俺が神だとは一言も言っていない! 第一、神がそう簡単に人前に現れるわけが……」

 突然拝まれて、将志は困り果てた。
 何しろ神だと知られてしまうと外での活動が一気にやりづらくなってしまうのだ。 
 将志としては、自分の身分がばれるようなことは絶対に避けたいところである。

「私ね~、将志がいつも持ってるこれの中身が気になるわ~♪ そういうわけで開けてみましょ♪ そ~れ、くるくる……」
「あ、おい!」

 しかし困惑する将志の横で、輝夜がにこやかに笑いながら赤い布に巻かれた細長い物体に手を伸ばし、布を取り始めた。
 止めようとする将志の抵抗もむなしく、布が取り払われる。
 すると中からは建御守人こと将志の象徴である、けら首に銀の蔦に巻かれた黒耀石をあしらった銀色に輝く槍が現れた。

「おお~、これはまさしく建御守人様の銀の槍ではないか~♪ いや~ありがたやありがたや♪」

 中から現われた銀の槍を見て、輝夜は実に楽しそうにそう言った。
 これにより、言い逃れが出来なくなった将志はため息をついた。

「…………輝夜、お前の狙いは何だ?」
「貴方に言いたいことは唯一つよ。末永く宜しく頼むわよ、将志♪」

 要するに、将志をただの雇われ護衛から家付きの護衛に変えてしまおうということだった。
 将志からすれば、下手なことして正体をばらされたらもう町をうろつけなくなるので、従うより他ないのだった。
 将志は再び大きくため息をついた。

「……お前にはため息をつかされてばかりだな、輝夜……」
「うふふ、何のことかしら?」

 将志の呟きに、輝夜は意地の悪い笑みを浮かべて返した。
 そしていつの間に片付けたのか、将志は食事を終えて立ち上がる。

「……悪いが客を待たせているのでな。先にあがらせてもらおう」

 将志はそう言うと部屋から出て行こうとする。
 が、ふと将志は立ち止まる。

「……ああ、そうだ。俺は別に友人の家を守ることくらいなら喜んでするつもりだ……だから俺を縛り付ける必要は無いぞ、輝夜」
「え……?」

 将志の唐突な言葉に、輝夜は言葉を失った。
 その間に、将志は部屋を出て行く。
 将志が部屋を出て行った後、輝夜は俯いた。

「……油断したわ……これが永琳の言ってた不意打ちの一言か……確かにこれは来るものがあるわね……何よ、興味がないとか言っておきながら……」

 輝夜はそう言って、大きくため息をついた。
 輝夜はここに来てから大事に育てられてきたが、周りに友人だと言える者は一人も居なかったのだ。
 月に居たときも高い身分に居た輝夜に友人はほとんどおらず、親しく話すのは永琳くらいのものであった。
 そのため、将志の言葉はかなり心に深く刺さったようであった。
 輝夜は目の前に置かれた料理を口にする。

「美味しい……本当に、永琳の味にそっくり……」

 輝夜の呟きは誰にも聞かれることなく部屋に溶けていった。





「……済まん、遅くなった」
「遅いでござるよ……あ~、お腹空いたでござる! と言う訳で、お師さんの手料理が食べたいでござる!」
「……了解した」

 余談だが、大遅刻をした将志がひたすらに料理を作って涼のご機嫌を取ったのは言うまでもない。

 




[29218] 銀の槍、本気を出す
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 00:14
 将志は当初の任期であった十五日を過ぎると同時に、即座に竹取の翁によって買収された。
 突然の出来事に手配師は眼を白黒させたが、目の前に置かれた大金と翁の鬼気迫る表情により、首を縦に振ることになった。

「おい槍の字。アンタいったい何をした?」
「……俺がやったのは三十人をまとめて叩きのめして料理を作ったくらいなのだが……」
「やれやれ、相も変わらずめちゃくちゃだな、アンタは……おかげでうちの看板が傾きそうだぜ……」

 将志の報告に手配師は大きなため息をついた。
 実際、将志はこの手配師のもっとも信頼の置ける働き手だったために、手配師も少し苦い顔をしている。

「……まあ、暇になったらここにも顔を出そう。片手間で済ませられるような仕事であるなら引き受けられるだろうからな」
「はあ……なるべく頻繁に顔出せよ」

 将志はそういうと、料理屋を後にした。




 そんなやり取りが合ってから数年。
 将志は日々を輝夜の護衛と神としての仕事という二束のわらじで忙しく過ごしていた。
 もっとも、護衛の仕事は輝夜の話し相手や食事の準備などで、将志にとっては休憩に近かったのだが。
 たまに進入してきた夜盗に鉄槌を下したり、物珍しさその他の視線から輝夜を守ったりしていた。
 一方の輝夜も、あの有名な五つの難題を貴族達に出したり、帝からの求婚を躱したりといった生活を送っていた。

「はあ……全く、帝も良く飽きずに来るものね。ああまで熱心だと感心するわ」

 輝夜は呆れ口調でそう言いながらため息をつき、床に足を投げ出した。
 相手が余りに自分に熱を上げているせいで、話していてもの凄く疲れる様である。
 それを見て、将志は小さく息を吐いた。

「……ずいぶんと疲れているな。輝夜のことだ、もう少し適当に流すかと思ったのだが」
「話をちゃんと聞かないと同じことを何度も言うんですもの。適当に流せやしないわよ。逆に、将志はもう少し私の話を真面目に聞いてくれてもいいと思うけどね」

 輝夜は将志に少々じとっとした、訴えかけるような視線を送った。
 それに対して、将志は小さくため息をついて視線をそらした。

「……善処しよう」
「うわ、出たよ典型的なあいまいな返事」

 将志の返答に、輝夜は白い眼を将志に向けてそう言うのであった。
 二人は縁側に並んで座りながらゆったりとした時間を過ごす。
 空には大きな満月が出ていて、辺りを青白く照らし出していた。

「……」
「……」

 二人は黙って満月を見上げた。
 将志は若干の淋しさを湛えた表情を向けている。
 輝夜はどこか悲しげな表情を浮かべて月を眺めていた。

「……主は……今、月からここを見ているだろうか?」

 将志のこぼした一言に、輝夜はそちらに眼を向ける。
 将志は月をひたすらに見つめており、いつものように月へと旅立った主のことを思っていた。
 そんな将志に、輝夜は声を投げかけた。

「永琳? そうね、永琳は今こっちを見ているかもしれないわね。何せ、一番の親友と姫が両方とも居るわけだし」
「……そうか……」

 輝夜の言葉を聞いて、将志は立ち上がった。
 そして月明かりに照らされた庭に出ると、将志は再び月を見上げた。

「将志? どうかしたの?」
「……少し、主のことを思い出していた」

 将志をそういうと、手にした槍に巻かれた赤い布を取り払った。
 中からはけら首に銀の蔦に巻かれた黒曜石が埋め込まれた、長さ3mほどの銀の槍が現われた。
 その槍は月明かりを受けて、神秘的な輝きを放っていた。

「……ふっ」

 将志はその場で槍を振るい始める。
 淀みなく、時には嵐のように激しく、時には流水のように優雅に槍を振るう。
 その度に銀の軌道が複雑に絡み合い、幻想的な映像を見るものの脳に焼き付ける。
 その中心にいる将志は穏やかな表情を浮かべており、舞うような動きを見せている。
 辺りは静寂に包まれており、槍が風を切る音や将志の息遣いなどが聞こえてくる。
 そしてそれらの要素が合わさって、その場には惹きつけられるような不思議な世界が出来上がっていた。

「…………」

 輝夜はすっかりそれに心を奪われていた。
 瞬きすら忘れ、将志の一挙一動すべてを見逃さないように見入っている。
 大上段から槍が振り下ろされ、その直後に将志は素早く残心を取る。
 そしてふっと一息つくと、槍を納めた。

「……主は、月明かりに照らされた俺の槍を見るのが好きだった……今となってはもう気の遠くなるような昔の話ではあるがな……今でも、月から見えるように主のためにこうして舞っているのだ」

 将志は誰に聞かせるまでもなく、眼を閉じて思い出を噛みしめるようにそう呟いた。
 研究所の中庭で月明かりの下で将志が槍を振るい、それを永琳が楽しそうに眺める。
 その光景は、将志の中で数億年経った今でも色褪せずに残っていた。

「……そう……初めて見たけど、すごく綺麗ね。永琳が毎日見ていたのも分かるわ」
「……そうか」

 将志は僅かに笑みを浮かべると縁側に戻り、少しぼんやりした表情の輝夜の隣に腰を下ろす。
 輝夜はしばらく黙った後、口を開いた。

「……ねえ、将志。話があるの」
「……何だ?」
「私ね……次の満月の夜に月に帰るの」

 輝夜は将志に事の詳細を告げた。
 自分が蓬莱の薬を飲んだこと、それにより罪人として地球にやってきたこと、そして月に帰る期限が近づいてきていることを。
 将志はそれを黙って聞き入れる。
 そしてしばらく考えた後、将志は言葉をつむいだ。

「……それで、輝夜はどうしたいのだ?」
「……正直、月に帰りたいとは思わないわ。月はもう全てが終わっているもの」
「……それはどういうことだ?」
「永い年月を生きることは必ずしも良いことばかりじゃないわ。全員が全員永く生きすぎて、ただ時間を浪費するだけの人生。月はもう何も変わらないし、変われない。そんなところに、私は帰りたくないわ。それに、私はここが気に入ってるのよ。お爺様もお婆様もやさしいし、他の人間だって月と違ってずっと良い。だから、私はここに残りたい」

 そこまで言うと、輝夜は将志の手を取った。

「……だから将志、お願いだから私を守って……たぶん、私を守れるのは貴方だけだから……」

 輝夜は縋る様な眼で将志を見る。
 その眼を見て、将志はふっとため息をついた。

「……ああ」

 将志はそういうと、輝夜の手を握り返した。




 それから瞬く間に一月が経ち、月から迎えがやってくる日が来た。
 事前にこの日のことを聞かされていた護衛達は、何が何でも輝夜を守ろうと意気込んでいた。
 そんな中、月から淡い光と共に使者がやってくる。

「うっ……」
「あっ……」

 その淡く白い光を見ただけで、護衛達は成す術もなく次々と地に伏していく。
 それはまるで下賎の者には見ることすら許されんと言わんばかりのものであった。

「……来たわね」
「……ああ」

 屋敷の奥の一室に座している輝夜を守るように前に立ち、静かに相手を待ち構える将志。
 将志にも白い光は効果を及ぼしているが、自らに流れる力でその効力を打ち消していく。
 その目の前に、月の使者が降り立った。
 使者は二十名ほどの人数で、その手にはアサルトライフルのような武器が握られている。

「姫様、お迎えに上がりました。さあ、こちらへ」
「……嫌よ」

 使者の言葉に拒絶の意を示す輝夜。
 そんな彼女の反応に、使者は顔をしかめた。

「そうおっしゃられても困ります」
「それなら思う存分に困ればいいわ」
「……そうですか。では、仕方がありませんね……っ!?」

 武器に手をかけた使者の眼前に、突如銀の槍が突き出される。
 使者は思わず後ろに飛びのいた。

「……言うことに従わなければ実力行使とは、ずいぶんと乱暴だな」
「貴様……何者だ!?」

 目の前の人間が突然動き出し、使者は狼狽した様子で声をかける。
 それに対して、将志はただ静かに槍の切っ先を向けて口を開いた。

「……俺の名を聞いてどうするつもりだ? 今の俺は輝夜の護衛、それだけで充分だろう?」

 一斉に銃を向ける使者達に、将志は泰然とした様子で声をかける。
 敵に名乗る名などない、そう言わんばかりの態度で輝夜と使者の間に立つ。
 すると、使者の中から息を飲む気配がした。

「……将志? 将志なの!?」
「……! この声は!?」

 突如上がった声に、将志は眼を見開いた。
 声の方向に眼を向ければ、紺と赤で色分けされた服を来た銀色の髪の女性の姿があった。
 輝夜の家庭教師であった彼女は、今回輝夜を迎える使者として地球に来ていたのだ。
 その表情は驚きに染まっていて、駆け寄ろうとするのを必死で堪えているように見えた。

「……主……」

 将志は視線の先の永琳を見つめながらそう呟いた。
 その様子を見て、使者の態度が変わった。

「……これはこれは、こんなところであの『銀の英雄』に会えるとは思いませんでした。何故生きているのかは知りませんが、貴方も一緒に月にお迎えしましょう」

 一転して武器を下ろし、友好的な態度で将志に話しかける月の使者。

「…………」

 将志の心は揺れていた。
 後ろには、守ると約束した友人がいる。前には、ずっと捜し求めていた主がいる。
 将志は輝夜と永琳の顔を、何度も見比べた。

「……将志……」

 そんな将志にすがるような視線を送る輝夜。
 彼女には将志の心が揺れていることが良く分かった。
 そして、それが永琳に傾いた瞬間自分は連れ戻されてしまうのだということも。

「…………」

 一方の永琳は困惑した様子で将志を見つめていた。
 将志との再会を望んでいた彼女であったが、よりにもよってこのタイミングで出会ったことは計算外であったようである。
 その眼は時折将志の後ろの輝夜に動いており、輝夜のことを心配しているようにも見えた。

「……ふむ……」

 将志はそんな二人をジッと観察する。
 そして、将志は天を仰いでため息をついた。

「……ふっ」

 次の瞬間、使者の武器に銀の線が引かれた。
 武器はその線のとおりに真っ二つに両断された。

「……せっかくの申し出だが、それに答えることは出来ん。約束を反故にするのは性分に合わないのでな」

 将志は槍を振りぬいた状態で静止しており、その眼は月の使者達を油断なく睨んでいた。
 それを見て、使者は残念そうに首を振った。

「……そうですか、それが貴方の答えですか……ならば、無理やりにでも連れて行きます! 総員、構え!」

 使者がそういうと、後ろで待機していた者が永琳を除いて全員銃口を将志と輝夜に向けた。
 それに対して、将志は槍を静かに構えた。

「……悪いが、今の俺は手加減が出来んぞ……死にたくなければ、早々に立ち去るが良い」

 将志は威圧するような低い声でそう言う言い放った。
 将志の体からは銀の光があふれ出し、部屋の中を真昼のように照らし出す。
 そんな将志の様子に、使者はニヤリと笑った。

「出来るのですか? この人数を相手に? そんな槍一本で?」
「……出来ない事は言わない主義だ。第一、俺の名を知ると言うことは俺の仕出かしたことも分かっているのだろう? 警告だ、ここで引かねばお前達は死ぬことになるぞ」

 将志はそう言いながら、使者達の前に静かに佇む。
 その様子には気負いすらなく、お前達では相手にならないと言外に述べていた。
 それを見て、使者の顔から笑みが消えた。

「……そういう貴方こそ、自分の身の心配をしたほうが良いと思いますよ。総員、撃てーっ!」

 その号令で、使者達は一斉に将志に銃を向ける。
 しかし、銃から弾が発射されることはなかった。
 引き金を引く直前、月の使者達はトンッと左胸に軽い衝撃を受けたのだ。
 そして気が付けば、前に居たはずの将志が自分達の後ろに音もなく立っていた。

「……忠告したはずだ。死にたくなければ早々に立ち去れと」

 将志は眼を閉じて呟くようにそう言うと、手にした槍を一振りした。
 すると、月の使者達は全員その場に倒れこんだ。
 その全てが、綺麗に心臓を穿たれていた。

「……終わったぞ、輝夜……主……」

 将志は纏った光を霧散させてそう言いながら、穂先に付いた血を紙でふき取って槍を納める。
 そんな将志に、永琳は飛びついた。

「将志! 会いたかった!」
「……ああ、俺も会いたかったぞ、主」

 永琳の眼には涙が浮かんでおり、今にも泣き出しそうな表情だった。
 将志はそれをしっかりと抱きとめ、優しく声をかけた。

「……良く私が考えていたことが分かったわね」
「……輝夜を見る眼が気に掛かったのでな。それに、主ならこうするだろうと思った」
「……すごいわね……おかげで助かったわ、将志」

 二人は強く抱き合ったまま、囁くようにして会話を続ける。
 お互いにもう二度と放すまいと言わんばかりに手に力が篭っていて、想いの強さが良く表れていた。

「はいはい、感動の再会もいいけど、これから先どうするのよ? どこか隠れる場所を探さないと、またすぐに追っ手が付くわよ?」

 そんな二人に呆れた表情を浮かべながら輝夜がそう提案する。
 将志はそれに対して少し考える。

「……たしか、ここから少し離れた竹林に打ち捨てられた屋敷があったはずだ。そこに行くとしよう。……失礼する」

 将志はそういうと、将志は二人を肩の上に座らせる。
 ちなみに槍は邪魔にならないように背中に背負っている。

「……輝夜、しっかりと捕まりなさい。将志はすごく足が速いから」

 自分を担ぐ将志の手をしっかりと握り締めて永琳は輝夜にそう言った。

「そうなの?」
「……行くぞ」
「え、きゃああああああ!?」

 輝夜が首をかしげている間に将志は走り出した。
 将志は空を飛ぶように走り、景色をものすごい勢いで置き去りにしていく。
 そして、あっという間に屋敷に着いた。

「……着いたぞ」

 将志はそう言うと二人を肩から降ろした。
 すると永琳は将志にもたれかかり、輝夜はその場にしゃがみこんだ。

「……あ、相変わらず速いわね……」
「う~、気持ち悪い……飛ばし過ぎよ、将志……」

 永琳の体はふらついており、輝夜は顔面蒼白になっている。
 どうやら将志の移動速度に体がついて行けずに酔った様である。

「……大丈夫か? これでも手加減はしたつもりなのだが……」

 そんな永琳や輝夜の様子を見て、将志は少々気まずそうに頬をかいたのだった。
 そしてしばらく休んだ後、将志達は屋敷の中を見て回った。
 中は無人になって久しいのか、ホコリが到る所に溜まっている。
 が、基礎や柱はまだしっかりとしていて、少し片付ければ住むことが出来そうだった。

「……これならば少し改修すれば十分に住めるだろう。周囲は竹林に囲まれていて人間はそう簡単に立ち入れないし、ここがちょうど良いだろう」
「でも、ずっとここに留まっているんじゃすぐに見つかってしまうわよ?」
「……それに関しては、俺に任せてもらう」

 将志は見つかることを心配する永琳にそう言うと、空に飛び上がった。
 竹林全体を見下ろせる位置まで上ると、将志は集まってくる信仰の力を八本の巨大な銀の槍に変化させた。
 それを作り出した瞬間、将志は体から力が一気に抜けたような感覚を覚えた。

「……くっ……はあああああ!」

 将志はそれをこらえて八本の槍をそれぞれ八つの方角へ飛ばし、地面に突き立てる。
 すると竹林全体を霧が覆い始め、空からは何も見えなくなった。
 それを確認すると、将志は地上に降りる。

「将志、あなた今何をしたのかしら?」
「……主達が見つからない様に、俺の力で結界を張った。これで空からは見えなくなり、普通の人間であればこの屋敷にたどり着くことはまず無いだろう」

 将志は永琳にいました事について簡単に説明をした。
 彼は神奈子達の元で修行を積んだ結果、ある程度のレベルの結界を張れるようになっていたのだ。
 その話を聞いて、輝夜は首をかしげた。 

「それって、普通の人間じゃ入れないって事?」
「……そうではない。そのようなことをしたら何故入れないのかを怪しまれる。中に入ったものには少し迷ってもらうだけだ」
「私達が迷う心配は無いのかしら?」
「……主達にはこの結界に抵抗出来るほどの力がある。方角を押さえていれば、主達が迷うことは無いだろう」

 将志は自分の張った結界について簡単に説明をした。
 その結界は微弱な神力で作られた霧で竹林を覆うものであり、方向感覚を狂わせる力がある。
 それと同時に、霧で覆うことで空から発見されることを防ぐ意味もあるのだった。
 その説明を聞いて、永琳が心配そうに将志を見やった。

「でも将志、あなたそんなに力を使って大丈夫なのかしら? この結界を維持するのは大変ではないの?」
「……この程度であれば、今の俺には造作も無いことだ。守護神としての信仰の力だけで十分に補える。心配は全くいらない」
「……流石に建御守人としてそこらじゅうに知れ渡ってる神だけあるわね……」

 心配そうな表情を浮かべる永琳に将志は淡々と答え、輝夜は感嘆の表情を浮かべる。
 しかし永琳はそう言われても将志に対する心配が無くなる訳ではなかった様で、再び将志に質問を重ねた。

「それでも、これで将志は他の事に本気を出せなくなるわ。本当にそれでいいのかしら?」
「……俺は主を守るためにここに居る。主が生きている限り、俺はどんな手段を用いてでも主を守り抜く。主が何と言おうと、俺はこの意志を貫く」

 将志は眼を閉じ、厳かな口調で永琳の質問に答えた。
 その言葉は自らに言い聞かせる様でもあり、永琳に誓いを立てる様でもあった。

「なっ……!?」

 力強く言い切られた将志の言葉に、横で聞いていた輝夜は言葉を失った。
 一方、直接言葉を向けられた永琳は苦笑交じりに頷いた。

「そう……それなら、ありがたく厚意に甘えさせてもらうわね」
「……ああ」

 永琳と将志はそう言い合うと、肩を並べて屋敷の中へ入って行った。
 そんな二人を、残された輝夜はジッと見つめていた。

「……将志の台詞、考えようによってはプロポーズの言葉なんだけど……二人とも何でそれに思い至らないのかしら……?」

 輝夜は釈然としない表情を浮かべて首を横に振ると、後を追って屋敷に入って行った。



 こうして安全な隠れ家を手に入れた永琳達は、早速屋敷の掃除に取り掛かった。
 掃除をするのは台所周りと居間に寝室。
 とり急いで掃除を行う必要のある場所のみを掃除した。

 掃除が終わり、全員居間に腰を下ろす。
 机の上には将志が即興で作った熊笹茶が並んでいて、三人でそれをすする。

「それで、将志はこの後どうするのかしら?」
「……今回使者を全滅させたために、俺の生存は恐らく知らされていないはずだ。よって、諜報と物資調達の役割を果たすためにも敢えて外に出ようと思っている」

 将志は現在自分が置かれている状況を整理し、自分がこれから取る行動を永琳に伝えた。
 永琳はそれを聞いてしばらく考え込んでいたが、やがて大きなため息をついた。

「そう……仕方が無いわね、前と同じように一緒に暮らせたらと思ったのだけど……」

 永琳は心底残念そうに肩を落としてそう言った。
 どうやら先程まで何とか一緒に暮らすことが出来る方法を考えていたのだが、結局将志の言うことが正しいという結論に至ったようである。

「……それが出来れば一番なのだが、そういうわけにもいかんだろう。こまめに通うことにするから、それで勘弁してくれ」

 そんな永琳に、少し困ったような表情を浮かべて将志が返す。
 ……その様子を輝夜が面白いものを見るような表情で眺めているのだが、二人は気付いていない。

「それじゃあ、せめて今日だけでも泊まっていきなさい。久々に逢えたことだし、話したいことが沢山あるのよ」
「……了解した。こちらも、話す話題には困らないだろうからな」

 二人はそういって笑いあう。
 二人の距離は、引き離されたあの日よりも近くなっているようだった。

「……このバカップルめ……」

 そんな二人を見て、すっかり放置されている輝夜は恨めしそうにそう呟くのだった。




 しばらくして、将志は永琳の部屋に呼び出されて来ていた。
 部屋の中は暗く、窓から差し込む月明かりだけが蒼白く部屋の中を照らし出している。
 永琳は将志が来ると、にこやかに笑ってそれを迎え入れた。

「いらっしゃい、将志。待ってたわよ」
「……ああ」

 将志は永琳の言葉に小さく頷くと、永琳の前に座った。
 すると永琳は将志にそっと抱きつき、将志もそれを受け入れる。

「……会いたかった……別れてからずっと、ずっとあなたに会いたかった……」

 涙ぐみながら、永琳は掠れた声でそう言った。
 感極まっており、それ以外の言葉が見つからないようである。

「……長かったな……あれからもう、数え切れないほどの時が経っているな……」

 そんな永琳に、将志も感慨深げに声をかける。
 将志は泣きそうになる永琳を宥めるように背中を撫でる。

「長すぎるわよぉ……一人だって実感するたびに、毎回あなたを思い出して泣いてたんだからぁ……何であの時私を置いていったのよぉ……!!」

 将志に背中を撫でられて、その暖かさに永琳は泣きじゃくる。
 再び会えると信じて信じて信じ抜いて、二億年もの長い間一人で気丈に振舞ってきたのだ。
 そして、その求めた暖かさが今目の前にある。
 永琳は緊張の糸が切れ、堰を切ったように涙を流し始めた。
 将志は眼を閉じ、静かに息を吐いた。

「……あの時、何が何でも主を守らねばならないと思った。そう思った時、俺の体は勝手に動いていた……主を置いていったことに関して、俺は全く申し開きは出来ん」

 当時を思い出しながら、将志は静かにそう答えた。
 迫り来る妖怪の群れ、護衛の居ない船、そして守るべき主。
 それを見たときのことを将志は鮮明に覚えていた。
 将志はゆっくりと眼を開き、まっすぐに永琳を見つめる。

「……だが、俺はそのことを後悔したことは一度もない。自己満足と言われても仕方の無いことだが、俺は主を守りきることが出来たのだからな」
「馬鹿!! それで助けられて、一人残された私はどうなると思ってたのよ!! あなたが居なくなって、淋しかった!! 何度も何度も心が折れそうになった!! こんなにつらい思いをさせて、あなたはそれでもそう言うの!?」

 将志の言葉に、永琳が泣き叫ぶようにそう訴えた。
 激情の赴くまま、今まで溜め込んでいたものをぶつけるかのように溜まっていた不満を叩きつける。
 それを聞いて将志は俯き、目を伏せて一つ息をつく。

「……何度でも言おう。俺は自分の行動を後悔していないし、これからもすることはない。主につらい思いをさせてしまったことは謝るが、それでも主を守り抜き、こうして再会することが出来たのだ。……俺にとって、これ以上の結果は望むことすら出来ん」
「っ……!」

 将志の言葉に、永琳は絶句する。
 自分の思いを告白しても、どんなにつらかったのか伝えても後悔しないと答える将志に憤りを感じる。
 そんな永琳の様子に気づいたのかどうかは知らないが、将志はふと窓から見える月を見上げた。

「……何度月を眺めただろうか……」
「え?」

 月を見つめながら呟くように発せられた将志の言葉に、永琳は聞き返す。
 それに続けて、将志は淡々と話を続ける。

「……俺は主と別れてから、毎日月に向かって槍を振るっていた。それは一日たりとも休んだことはない」
「あ……」

 誰に聞かせるでもなく、将志は宙に向かって言葉を放つ。
 その顔に表情は無く、そこから将志の感情は窺い知ることは出来ない。
 そんな将志の言葉を聞いて、永琳は再び言葉を失った。
 永琳は将志がずっと自分のために槍を振るい続けていたということを理解したのだ。
 将志は眼を閉じ、小さくため息をつく。

「……俺は信じることしか出来なかったのだ。いつか主に会える日が来る。それだけを信じて、俺は今日の今日まで生きてきたのだ。……いつか月から迎えが来るかもしれんと思っていたが、終の終まで来ることは無かったな」
「…………」

 起伏の無い声で、ひたすらに淡々と将志は話を続ける。
 そんな将志を見て、永琳の頬を涙が伝う。
 永琳の眼には、以前将志が持っていた少しの感情すら抜け落ちてしまったように見えたのだ。
 その空虚さがたまらなく哀しくて、永琳の胸に熱いものがこみ上げてくる。
 そんな永琳に、将志は静かに眼を向ける。

「……何故、今まで月からの行動が無かったのだ?」
「……不可能だったのよ。もし将志が生きているとしても、何故生きているかが問題になるわ。そうすれば、あなたが妖怪であることがばれてしまうのよ……だから、あなたを迎えに行きたくても出来なかったのよ……」

 永琳は将志の問いかけに、震える声でそう答えた。
 その言葉には悔しさとやるせなさが入り混じっていて、自分を責めるようなものであった。
 それを聞いて、将志は小さく頷いた。

「……そうか。ならば過ぎたことには何も言うまい。俺はまた主に会えた、その事実だけで充分だ」
「……嫌よ……それで満足しちゃ……」

 顔を伏せ、張り裂けそうな声で永琳は小さく呟く。そして、将志を抱く腕に力を強く込めた。
 突然の永琳の行動に、将志は不思議そうに永琳を見た。

「……主?」
「もう放さないし、勝手に居なくなることも許さない。今度勝手に居なくなったりしたら、どんな手段を使ってでもあなたを連れ戻すわ」

 永琳は命令するように、強い口調で将志にそう宣告した。
 それは将志に対する言葉であると共に、自分に対しての決意を示した言葉であった。
 その強い想いの篭った言葉を聞いて、将志は眼を閉じた。

「……主の不幸を俺は望まん。本当に必要の無い限り、俺は主の側を離れんことを誓おう」

 将志は一つ一つの言葉をかみ締めるように、自分の心に刻み込むように誓いを立てた。

「……約束よ」

 それを聞いて、永琳は小さな声でそう囁いた。



[29218] 銀の槍、取り合われる
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 00:21
 竹林の中の古屋敷に止まった翌日。
 さわやかな朝の風が畳張りの居間に吹き込み、卓袱台の上の朝食の香りを運んでいく。

「「「「…………」」」」

 しかし、そんな穏やかなはずの食卓ではギスギスとした空気が漂っていた。
 テーブルを挟んだ二人一組が向かい合い、異様な威圧感が居間を包み込んでいる。

「……どうしてこうなった……」

 そんな食卓を見て、将志は頭を抱えた。

 さて、何故こんな事態に陥ったのか、少し時間を遡って見てみるとしよう。


 *  *  *  *  *


 まだ日も昇らぬ夜明け前、沈みかけの月明かりの下で将志は日課となっている槍の練習を行う。
 その横には、いつかと同じように永琳が立っていた。

「……はっ」

 将志が最後の一振りをして残心を取ると、永琳は将志に近寄っていく。

「お疲れ様。久しぶりに良い物を見せてもらったわ」
「……おはよう、主……主が俺の槍を見るのも久々だな……」

 将志は槍を納めながら永琳にそう答える。
 ずっと待ち望んでいたやり取りに、永琳は思わず笑みを浮かべた。

「……何だか将志、顔つきが変わったわね」
「……そうか?」
「ええ。前はどことなく幼い感じがしてたんだけど、今はそれが無くなってすごく大人っぽくなっているわよ」
「……そうか」

 将志は永琳の言葉にそういって頷くと、屋敷の中へ永琳と肩を並べて入っていく。
 屋敷に入ると将志は朝食の準備をするべく台所に向かうが、そこであることに気が付いた。

「……しまった、食材が全く無いな……」

 将志は材料が全く無いことに気づき、取りに行くことにした。
 周辺にどんなものがあるのか分からないため、取りに行くのは自分の社の台所まで取りに行くことにした。

「……主、朝食の材料を取ってくる」
「ああ、了解。どれくらい掛かりそう?」
「……そう時間は掛からん。あるところから持ってくるだけだからな」
「そう。それじゃあ、気をつけていってらっしゃい」
「……行ってくる」

 居間でお茶をすする永琳に一言言い残してから将志は屋敷を出る。
 将志にとってはそこまで遠い場所でもないため、全力で走れば五分と掛からない。
 朝霧が立ち込める境内に降り立つと、将志はまっすぐに台所に向かう。

「あら、お兄様。帰ってらしたの?」

 そこでは、今から食事の準備をしようとしていた六花が居た。
 六花は将志が不在の間の食事当番を任されているため、今朝の朝食は六花の当番であった。
 赤い長襦袢に割烹着という格好で、自らの本体である三徳包丁を手にしている。
 その姿は、新婚の若い奥方のようにも見えた。
 ちなみに味は将志の妹だけあって、かなりのものである。

「……ああ、主達に朝食を作ろうと思ったら食材がなくてな。ここから少し持って行く」

 それを聞いて、六花は動きを止めた。
 その表情はなにやら焦燥が感じられるものだった。

「……お兄様、主って彼女のことですか?」
「……ああ、昨日再会した。今日からは主と」
「こ、これは一大事ですわ! 愛梨! アグナ! 大変ですわよ!!」

 兄の捜し人が見つかったと知って、六花は大慌てで愛梨とアグナを呼びにいった。

「……幾らなんでも、大げさすぎではないか……?」

 取り残された将志は、訳が分からずその場に立ち尽くした。
 するとすぐに奥から慌ただしい足音が三つ聞こえてきた。

「主様が見つかったって本当、将志くん!?」

 飛びつかんばかりの勢いで将志を問い詰める愛梨。
 その瑠璃色の視線と鈴のような声にはいつもの愛梨らしからぬ焦りが含まれていた。

「何だ何だ、みんな大騒ぎして何が起きたんだ兄ちゃん!?」

 一方、事情が良く分かっていないアグナは困惑した様子で将志に問いかける。
 しかし、その質問をさえぎって六花が声を荒げる。

「こうしちゃ居られませんわ! 今すぐあの女のところに乗り込むべきですわ!」
「賛成! 将志くん、今すぐ案内頼むよ!」
「……あ、ああ……」

 やたらと息をまく二人の剣幕に将志は思わずたじろいだ。
 とりあえず、将志は六人分の朝食の材料をそろえて準備をする。

「なあ兄ちゃん、姉ちゃん達どうしたんだ?」
「……知らん。むしろ俺が訊きたい……」

 アグナの問いに、将志は少々疲れた声でそう答えた。



 そういうわけで全員揃って竹林の屋敷へ。
 将志に先導されて着いた先では、輝夜が縁側に座ってボーっとしていた。

「あれ、将志? その後ろの人たちは誰?」

 輝夜は将志についてきた三人を見てそういうと、その内二人の出す異常な雰囲気に気が付いた。
 にこやかに威圧感を放つ橙色のジャケットとトランプの柄の入った黄色いスカートを着た道化師のような少女と、将志と同じ黒曜石のような眼で射抜くような視線を送ってくる銀髪の少女。
 将志はその二人の様子を見て、思わず俯いて額を押さえた。

「……紹介は後でする。まずは主を呼んできてくれ」
「う、うん。……ねえ将志、あの人たち、何であんなに殺気立ってるの?」
「……それは俺が訊きたい……」

 小さくため息をついて将志は居間に愛梨達を案内する。
 居間に着くと、真ん中に置かれた卓袱台の前に全員を座らせる。
 が、そこから逃げるようにして燃えるような赤髪の幼い外見の少女が将志の元へやってきた。

「……どうした、アグナ?」
「い、いやな、今の姉ちゃんたちがおっかなくってな……つーわけで、俺は兄ちゃんの手伝いに回ろうかと……」
「……ならば湯を沸かしてくれ。まずは茶でも飲んで落ち着いてもらおう」
「合点だ!」

 アグナの能力で、一瞬にしてやかんの水が沸騰する。
 将志はそれを使って丁寧に熊笹茶を淹れると、お盆の上に載せた。

「……これを持って行ってくれ。それから、すぐに朝食を作るから戻ってきてくれ」
「合点だ、兄ちゃん!」

 将志に元気良く返事をすると、アグナはお茶を今に運んでいった。
 それを見届けると、将志は料理を始めた。
 ……何故話より先に料理を始めたかというと、単なる現実逃避である。

 しばらく料理を作っていると、いよいよ居間からは強烈な圧力が感じられるようになった。
 その直前の足音と気配から、永琳と輝夜が居間にやってきたのだと知れた。

「なあ兄ちゃん、すんげえ出て行きづらいんだけどよ……」

 アグナは途方にくれた表情を浮かべ、炎のような橙色の瞳で縋るように将志を見る。

「……行くしか、あるまい……」
「……とほほ……仕方ねえなぁ……」

 それに対して将志は覚悟を決めた声でアグナに返し、朝食を持って居間に向かう。
 アグナもがっくりと肩を落としてそう呟くと、同じく朝食を持って居間に向かった。


  *  *  *  *  *


 そうして話は冒頭に戻る。
 大きな長方形の卓袱台の短辺に座る将志は、向かい合う二組を眺めた。
 右側には、笑顔でプレッシャーを掛ける愛梨と、親の敵を見るような眼で相手を見る六花。
 左側には、怖いくらいの無表情で向かい合う相手を見つめる永琳と、状況の説明を受けて面白くなさそうな表情を浮かべた輝夜の姿があった。
 そして、隣にはこの空気に耐えられなくて避難して来たアグナが居る。

「……朝食が冷めてしまうぞ?」

 睨みあっていても埒が明かないので、将志は食事を開始する。
 両者とも無言で箸を取り、食事を始める。

「……あなたが、喜嶋 愛梨ね?」
「……うん、そうだよ♪ 会うのは初めてなのに、良く分かったね? そういう君は、八意 永琳であってるかな?」
「ええ……あっているわよ」

 永琳は愛梨に対して名前を確認すると、スッと眼を細めた。
 一方の愛梨は、永琳の名前を聞いて笑みを深めた。
 二人とも一見穏やかに話しているように見えるが、その実水面下では腹の探り合いが始まっていた。

「で、隣の貴女はどなたですの?」
「名を名乗るときは、自分から名乗るのが礼儀じゃないかしら?」
「……それもそうですわね。私は槍ヶ岳 六花、そこに居る槍ヶ岳 将志の妹ですわ」
「そう。私は蓬莱山 輝夜。八意 永琳の主人よ」

 六花は敵意を隠すことなく輝夜に名前を尋ね、輝夜も不機嫌さを隠すことなくそれに答える。
 両者の間には、もはや見るまでもなく壁が出来ていた。

「……それで、あなたたちは何の用でここに来たのかしら?」
「そうだね……しいて言うなら、決着をつけに来た、かな?」

 永琳の問いに愛梨が答える。
 永琳はその返答に、首をかしげた。

「あら、決着をつけるような出来事なんてなかったと思うのだけれど?」
「ならば単刀直入に言わせてもらいますわ。お兄様は返していただきますわよ」

 永琳の言葉に、六花が横からそう言って割り込んだ。

「……む?」

 突然自分の名前が挙がって、今度は将志が首をかしげた。
 全く持って訳が分からない、そんな表情で将志は両者を見渡した。

「返してって、別に将志は貴女の所有物じゃないでしょ? それに、所有権云々を言うんなら元々の親権その他は永琳にあると思うわよ?」
「だったら二億年以上も放置してるんじゃないですわ。そんな人に親権があるとは思えませんわよ? それに、それを証明するものがあるのかしら?」
「それを言うなら貴女の方こそ将志との関係を証明できるの? 今この場で証明して見なさいよ」
「それならば、お兄様に訊いてみればいいですわ。何万回尋ねようが、帰ってくる答えは同じですわよ?」

 六花と輝夜は火花を散らしながら睨みあい、激しい舌戦を繰り広げる。
 言葉を返すたびに口調は強くなり、どんどんエスカレートしていく。
 その横で、永琳と愛梨は静かに視線を交わし続ける。

「……建前を言っても仕方がないから、素直に言わせてもらうよ。僕は君に将志くんを渡したくない」
「……そう……でも私だってもう将志を失いたくはないわよ。やっと逢えたのに、またお別れなんてご免被るわ。あなたが将志を連れて行くというのなら、私は全力でそれを阻止させてもらうわよ」
「そんなの僕だって同じだよ。君が僕から将志くんを奪っていくんなら、僕は全力で奪い返してみせる」
「……なるほどね。どうやらあなたとはいくら話しても無駄のようね」

 静かにそう言い合うと、二人はスッと立ち上がった。

「それじゃあ、力ずくででも奪い返させてもらうよ」
「そうはさせないわよ」

 静かに闘志を燃やしながら愛梨と永琳はそう言葉を交わす。
 お互いに譲る気は無いらしく、二人の間には激しい火花が散っていた。

「きぃぃぃ! 表に出なさい! 格の違いを思い知らせてあげますわ!」
「上等じゃない! 貴女ごとき、けちょんけちょんにしてあげるわよ!」

 その奥でも、今にも飛び掛らんばかりの勢いで六花と輝夜が立ち上がる。
 その場には一触即発の空気が漂う。

「うわっ!?」
「きゃあ!?」
「あうっ!?」
「いたっ!?」

 そんな四人の額に唸りを上げて飛んでくる箸置き。
 四人はその直撃を受けて、一斉に額を押さえて飛んできた方向を見た。

「……全員、そこに並んで正座」
「に、兄ちゃん?」

 その方角には、箸置きを投げた状態で眼を瞑って静かに怒気を放つ将志が居た。
 その横には、将志の怒気に当てられて涙目になっているアグナが居る。

「「「「…………」」」」

 ただならぬ様子の渦中の人物に、四人は黙って言われたとおりに並んで正座する。
 将志はその前に立ち、四人を見下ろした。

「……全く、様子がおかしいと思えば……そんなくだらないことで喧嘩を始めるとは……」
「く、くだらなくなんてないよ!」
「……くだらないことだ。そもそも、何故俺がどちらか片方にしかつけない事になっている? まず前提からしておかしいと思うのだが?」

 くだらないと言い放つ将志に愛梨が喰らい付くが、将志はそれを一笑に付した。
 将志は小さくため息をつきながら話を続ける。

「……まず、輝夜。お前は何故怒っているのだ? 正直、理由に見当が付かないのだが」
「……そ、それは……」

 将志の問いに、輝夜はそっぽを向いて言いよどんだ。
 その様子を見届けると、今度は六花に眼を向ける。

「……六花は、俺が家族を放り出すような薄情者に見えるのか?」
「っ!? そ、そんなつもりじゃ……」

 六花は将志の言葉に、悔いるような表情を見せて俯いた。

「……愛梨も、何故俺が主に構うとお前に構わなくなる等と決め付ける? 友人としては悲しいものがあるのだがな?」
「うっ……ごめんよ……」
「……それに、俺は愛梨には感謝しても返しきれない恩がある。あの日、愛梨が俺を連れ出していなければ、俺はあの町と共に朽ち果てていたことだろう。今の俺が居るのは愛梨のおかげなのだ、そんな恩人を見捨てておけるほど俺は恩知らずではない。……今さらだが言わせてもらう、感謝しているぞ、愛梨」

 将志が感謝の言葉を述べると、愛梨は頬を染め、照れくさそうに笑った。

「う、うん……えへへ、これからも宜しくね♪」
「……ああ、よろしく頼む」

 将志はその言葉に頷くと、今度は永琳のほうを向いた。

「それから、主。前にも言ったと思うが、何故一度忠を誓った主を見捨てると思う?」
「でも、そう言ったあなたは私の前から姿を消したじゃない!」

 将志の発言に永琳は思わずそう叫んで立ち上がった。
 将志は眼を伏せ、その言葉を真摯に受け止める。

「……確かに、俺は一度主の下から離れた。だが昨日話したとおり、俺は主のことを忘れたことは一度もない。主が望むだけ、可能な限り俺は主の側に居たいと思っている」

 将志は淡々と、それで居て力強い声でそう言い切った。
 しかし、その直後に将志は小さくため息をついて首を横に振った。

「……と言ったところで所詮は前科持ちの言葉、これでは信用してもらえる訳もないか」

 将志はそういうと、槍に巻いた赤い布を取り払い、永琳の前に掲げた。

「……再び誓おう。俺はこの槍にかけて、主の命ある限り主を守ろう。……信じてもらえるか、主」
「……嫌よ。そんな誓いなんて聞きたくないわ」

 永琳は将志の誓いを俯いたまま首を横に振って拒絶した。
 将志は少し困った表情を浮かべて槍を引っ込めた。

「……では、俺はどうすればいい?」

 将志は困惑した表情で永琳を見た。
 永琳は一つ深呼吸をすると、顔を上げた。
 その視線には、有無を言わせない力強さがあった。

「誓いなさい。私を守るより何よりも、生きて私のそばに居ると、私に誓いなさい」
「……主……」

 強い念の篭った永琳の言葉は、将志の心に深く突き刺さった。
 その言葉を受け、将志は眼を閉じ、首をたれた。

「……主がそう望むのならば」

 将志は永琳の言葉と、自分の誓いの言葉を深く胸に刻み込んだ。
 そして、それが終わると将志は手を叩いた。

「……さて、説教はこの程度にしておこう。せっかく朝食を作ったのだ、冷めてしまっては台無しになる。全員くれぐれも、喧嘩の無いようにな」
「そうね。久しぶりの将志のご飯ですものね」
「そうだね♪」
「……色々と言いたいことはありますけど、この場は引きますわ」
「……そうね、将志の朝ごはんに免じて引いてあげるわ」

 喧嘩を始めそうになっていた面々も、将志の一言に自分の席に戻っていく。

「ふぃ~、ようやく落ち着いて飯が食えるぜ……なあ兄ちゃん! いつものあれ頼む!!」

 アグナはホッとした表情を浮かべた後、笑顔で将志に箸を手渡した。

「……いいだろう」

 将志はアグナから箸を受け取ると、自家製の魚の一夜干しをほぐしてアグナの口に持っていく。

「……あ~……」
「ぶっ!?」
「…………(ふるふるふるふる)」

 将志がいつもどおりアグナに食べさせようとする時の声を聞いて、輝夜は思わず噴き出した。
 その横では噴き出しこそしなかったものの、永琳も俯いて笑いをこらえていた。

「……どうした?」
「あ、貴方がそれやる!? あ、ダメ、ツボに入った、あはははははは!」
「ご、ごめんなさい、将志がそういうことをするのが意外で……」
「あ~むっ♪ か~っ! やっぱ兄ちゃんの飯はうめえな!!」

 首を傾げる将志に、輝夜は腹を抱えて笑い転げ、永琳も笑いをこらえながら将志に答えを返した。
 それを気にせず、アグナは満面の笑みを浮かべて食事を続ける。

「……六花のときはこういうものだと言っていたが?」

 その言葉を聞いて、輝夜は固まった。
 そしてゆっくりと六花の方へ振り向いた。

「……ちょっと、貴女ひょっとして将志にああやって食べさせてもらったことあるの?」

 輝夜はまるで信じられないものを見るような眼で六花を見る。
 それを受けて、六花はむっとした表情を浮かべた。

「……だったら何ですの?」

 六花は輝夜を睨みながら、低い声でそう言った。
 それを聞いて、輝夜は養豚場の豚を見るような眼で六花を見た。

「うわ~、引くわ~ 実の兄にそんなことさせるなんて信じらんないわ~」

 輝夜がそう言った瞬間、六花の中で何かが切れた。

「……その喧嘩、買いましたわ!」
「上等よ!」
「……黙って食え」
「「はい……」」

 喧嘩を始めそうな六花と輝夜を、将志は威圧感のある声で抑止する。
 しばらくすると、今度は愛梨が話しかけた。

「ねえ、輝夜ちゃん♪ さっき将志くんも言ってたけど、どうしてあんなに不機嫌だったのかな?」
「うっ……そ、それは……」
「……たしかに、それは俺も聞いておきたい。それによっては、今後の俺の身の振り方を考えることになるからな」

 将志と愛梨の二人に問いかけられ、輝夜は言いづらそうに口ごもる。
 そしてしばらくすると、輝夜は俯いて小さな声で話し始めた。

「……ったからよ」
「……ん?」
「せっかく出来た友達が居なくなると思ったからよ! 何度も言わせないでくれる!?」

 将志が聞き取れなくて訊き返すと、輝夜は自棄になってそう叫んだ。
 その顔は真っ赤で、叫んだ後は肩で息をしていた。
 その発言を聞いて、将志は小さくため息をついた。

「……なるほどな。そういうことならば特に問題は無い、俺がこまめに顔を出すだけで事足りる」
「あら、大問題ですわよ。どうせ友達なんてお兄様くらいしか居ないんでしょうし、いっその事トドメをさしてあげた方が良いのではなくて?」

 将志の言葉に、六花が横から軽い口調で茶々を入れる。
 その瞬間、輝夜の堪忍袋の緒が音を立てて切れた。

「……おい、そこの腐れアマ。表出ろ」
「やれるもんならやってみてくださいまし!」
「……箸置きをくれてやろうか?」
「「……済みませんでした……」」

 再び喧嘩を始めようと立ち上がる六花と輝夜を、将志は箸置きを投擲する姿勢を見せることで抑止する。
 その様子を見て、愛梨は笑みを浮かべた。

「うんうん、六花ちゃん、もう輝夜ちゃんとあんなに仲良くなったね♪」
「ええ、本当にね」
「なにをどう解釈したらその結論になるのよ!?」
「なにをどう解釈したらその結論になるんですの!?」

 六花と輝夜が喧嘩しそうな雰囲気である一方で、愛梨と永琳は割りと和やかに食事を勧めていた。
 どうやら、こちらは双方共に将志を失うことがなくなったために一定の相互理解を得られたようだった。

 こうして、朝は騒がしく過ぎていった。



[29218] 銀の槍、勧誘される
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 00:28
 将志が永琳と再会し、またそれなりに時間がたった。
 その間、将志は朝一で銀の霊峰と呼ばれるようになった岩山の社から竹林へと足しげく通い、こまめに情報を伝える。
 それが終わると、社に戻って集められた情報を確認する。
 その情報を元に、配下の妖怪達に仕事を伝え、自らも神としての仕事をする。
 とは言うものの、参拝にくる武芸者が多く、なかなか外に出られないこともあるが。
 将志が普段暮らしている岩山は道が険しく、別名試練の霊峰とまで呼ばれているにもかかわらず、挑む武芸者は後を絶たないのだ。
 生真面目な将志はそれを無碍にする気は全く無いので、来る人間には全力で応対する。
 それが無いときは愛梨に留守を任せ、情報収集もかねて自ら営業に回るのだ。
 なお、神無月には天照から真っ先に呼び出しがかかる。

 将志は暇な時間を使って人里に下りる。
 流石に空を飛んで都に突入するわけには行かないので、将志は都までの道を歩く。
 人間と勘違いして襲ってくる妖怪を軽く伸し、場合によっては仲間に引き入れる。
 将志は神ではあるが、それ以前に妖怪の長であるゆえ、妖怪に対するケアも忘れないのだ。

 将志が都に行くときはたいてい仕事で金を稼ぐときである。
 この時代、女性が日雇いで得られる仕事は無く、妖怪達は人間との生活が出来ない。
 それ故、男であり人間にまぎれて生活することの出来る将志が働きに出るしかないのだ。
 なお、将志の世間の評価は『神懸りの槍兵』と呼ばれる槍の達人として世間に広まっているので、仕事に困ることは無い。

 こうして将志は、建御守人と言う神としての生活と、妖怪の長としての生活、そして槍ヶ岳 将志と言う人間としての生活と言う3つの暮らしを並行して行っていた。



 そんなある日のこと、将志は留守番を愛梨達に任せて散歩に出ることにした。
 散歩とは言っても、巡回と気分転換と食料採取をかねたものである。
 将志が担いでいるのは赤い布を解かれた銀の槍で、妖怪としての本来の姿でそこに立っていた。
 狩りの際に、長い槍を二本も持っていると邪魔になるからである。

「……む?」

 将志は自分がいる森の様子が普段と違うことに気がついた。
 近くに生物どころか、幽霊や妖怪の類の気配も全くしないのだ。
 自らの周囲に起きた異変に、将志は槍を手に取った。

「……出て来い」
「ええ、良いわよ」
「……っ?」

 将志が一言言うと、背後から気配がした。
 振り向いてみれば、そこには妖しげな笑みを浮かべた上半身だけの少女の姿があった。
 紫を基調としたドレスを着た少女は、虚空に現われた謎の空間から出てくるとその上に腰掛けた。

「……見たところ妖怪のようだが、何の用だ?」
「あら、何者かは訊かなくてもいいのかしら?」
「……まずは用件を聞かせてもらおうか。それからでも遅くはあるまい」

 将志は槍を持ったまま、構えずに相手をじっくりと見定める。
 見たところ本人に敵意は無さそうではあるが、何が目的で接触してきたのか分からない。
 おまけにその少女はどこか得体の知れない雰囲気を醸し出しており、全く油断が出来そうにない。
 そんな将志の心境を知ってか知らずか、少女は意味ありげに微笑んだ。

「それじゃあ、お望みどおりにそうさせてもらうわ。貴方には色々と頼みたいことがあるのよ。銀の霊峰の妖怪の長、槍ヶ岳 将志にね」

 少女がそう言うと、将志は眼を閉じゆっくりと頷いた。
 自分の正体を知っている、その事実から相手が何者なのか詳しく知る必要があるからである。

「……聞こうか」
「まずは質問ね。貴方、全てを受け入れる箱庭についてはどう思うかしら?」

 漠然とした少女の質問に、将志は首をかしげた。

「……質問を返すようで悪いが、全てを受け入れるとはどういう意味だ?」
「神も妖怪も人間も、全てを平等に受け入れる場所よ。神であり妖怪でありながら人間に混じる貴方なら、何か面白い意見が得られると思ったのだけど?」

 少女の話を聞き、将志はあごに手を当てて考えた。

「……まず、存在自体は可能だろう。だが、人間を妖怪が淘汰するようでは駄目な上、人間が強すぎても問題が起きる。全体を管理できなければ、存在し得ないと言うところか」
「否定はしないのね?」
「……する必要が無い。言うだけなら容易いし、妖怪としての観点から見ても有益ではあるからな」
「それじゃあ、協力して欲しいといったら?」
「……内容次第だ」

 将志の言葉を受けて、少女は笑みを深めた。
 夢物語だと否定されなかったことが気に入ったのだ。

「……やっぱり、貴方と話をして正解ね。場所を変えましょう」
「……ん?」

 突如として、将志の足元にスキマが開く。
 その中は、無数の眼や手足が見えていて、かなり禍々しい空間になっていた。
 将志はその中に落下していく。

「……ちっ」

 将志はとっさに足場を作り、スキマから脱出しようとした。
 が、その時頭上にあったのは少女の膝だった。

「ぐあっ!?」
「きゃっ!?」

 脳天にニードロップを食らい、将志は一瞬で意識を手放した。




 将志が目を覚ますと、目の前には古ぼけた天井があった。
 木でできた粗末なつくりの社で、奥には小さな祭壇があった。
 そこはかつて諏訪子のところに世話になっていたとき、営業中の休憩場所として将志が見様見真似で建てた小さな小屋のような社だった。
 将志は素早く身を起こして槍を手に取り、周囲を見回す。
 すると、そこには先ほどの少女が謎の空間の上に座っていた。
 将志は少女に対して槍を向けた。

「……いきなり槍を向けるなんて、いくらなんでも乱暴じゃない?」

 槍を向ける将志に、少女は薄く笑みを浮かべながら答える。
 そんな少女を、将志は油断無く見据える。

「……武器を向けられているというのに、ずいぶんと余裕だな?」
「ええ、だって戦う必要は無いもの」

 余裕を見せる少女に、将志は槍を下ろして小さくため息をついた。

「……一つ忠告をしておく」

 将志はそういうと、一瞬で間合いを詰めて喉元に槍を突きつけた。
 その様子は、紫から見ると突然目の前に銀の槍が現われたように映った。

「え……?」
「……何かあったらすぐ逃げられる……その甘い考えを捨てることだ」

 反応できずに呆けた表情を見せる少女に、将志はそう忠告した。
 それが終わると、将志は槍を引いた。

「……ふふふ、肝に銘じておくわ」
「……そうしておけ。見たところお前はかなりの力を持っているようだが、俺からすればお前はまだ若い。日々精進するのだな」

 将志の言葉に、再び少女は笑みを浮かべる。

「優しいのね。てっきり殺しに来るのかと思ったのだけど?」
「……お前の言うとおり、戦う必要も無いからな。それに、元より女子供に向ける刃は無い」

 将志はそういうと、少女に向き直った。
 少女の能力を鑑みて、将志は何があってもすぐに対処できるように立ったまま会話を続ける。

「……さて、色々と質問がある。訊いても構わないだろうか」
「ええ、良いわよ。何が訊きたいのかしら?」
「……何故わざわざここに移動した?」
「それは貴方との話を邪魔されたくなかったからよ」
「……それは何故だ?」
「私、神隠しを起こして妖怪退治屋に目をつけられてるの。貴方とはじっくり話がしたいから、こうやって落ち着いて話せる場を作ったってわけ」

 淡々と質問を重ねる将志に、少女は笑みを崩さずに答えていく。
 将志は少女の意図を理解すると、小さく頷いてから本題を切り出した。

「……それで、そうまでして話したい用件は何だ?」

 将志がそう質問をすると、少女の顔つきが真面目なものになった。

「貴方には少し協力を要請したいのよ。さっき言った箱庭、幻想郷を作るためのね」

 発せられた言葉は強い想いが感じられるものだった。
 将志はその言葉を受け止めると、質問を繰り出した。

「……何故そんなことを?」
「妖怪が生きていくためよ。今はまだ大丈夫かも知れないけど、いつか人間は妖怪を超えるようになるわ。人間の力強さ、貴方が一番よく知ってるはずでしょう?」

 少女の言葉に将志は遠い過去、かつて主と共に暮らしていた時代を思い出した。
 そこでは人間は妖怪を恐れることなく、地上を支配していた。

「……確かに、人間は妖怪や神をも超えうる力を持っている。それを存分に発揮したとき、俺達の大部分はこの世から消えてなくなるだろう」
「だから、私は妖怪が安心して生きていける場所を作りたい。そのためにも、貴方の協力をぜひとも仰ぎたいのよ」
「……ふむ……」

 将志はそれを聞くと考え込んだ。
 将志の眼は目の前の少女を見据えており、難しい表情を浮かべていた。
 そして眼を閉じ、一つため息をついた。

「……協力してやっても良い。だが、今は駄目だ」

 将志がそう言うと、少女は口に扇子を当てて難しい表情を浮かべた。
 協力的なはずの将志の言うことの意図がいまいち掴めないのである。

「……理由を聞かせてもらえるかしら?」
「……仮に今俺が手を貸し、箱庭を作り広げたとしよう。さて、その時に何らかの事態で俺がいない状態で管理が出来るか? ……出来るはずがない。だからこそ、俺を頼るのだからな」
「それじゃ、どうすれば協力してもらえるのかしら?」
「……まずは力をつけろ。そして俺を認めさせることだ。俺が手を貸しても問題が無いほどの力をつけたとき、喜んでお前に手を貸そう」
「そのためにはどうすれば良いかしら?」
「……それを考えるところから始めるんだな。やることは幾らでもある、その中で自分に必要なものを選んでやれ」
「ふふふ、そうするわ」

 少女の質問に、やはり淡々と抑揚無く答えを出す将志。
 少女は笑みを浮かべると、ふと何かを思い出したような表情をした。

「そういえば、まだ名乗っていなかったわね。私は八雲 紫。スキマ妖怪よ」
「……槍ヶ岳 将志。知っての通り、ただの槍妖怪兼ちょっとした神だ」

 紫の自己紹介に合わせて、将志も改めて自己紹介をする。
 それを聞いて、紫は意味ありげな胡散臭い笑みを浮かべた。

「あら、貴方はただの妖怪でもなければ、ちょっとした神でもないわよ?」
「……そんなことはどうでも良い話だ。評価など、元より当てにならん。肝心なのは実際にどんな仕事をするかだ」

 将志はそういいながらゆっくりと首を横に振った。
 紫はそんな将志をみて、意味ありげな含み笑いを浮かべた。

「ふふふ、貴方はもう少し周囲の評価を見るべきだと思うわ。それはそうと、ちょっと訊きたいことがあるんだけど、良いかしら?」
「……何だ?」
「さっきからずっと貴方の父性と母性の境界を弄っているのだけれど、ぜんぜん効かないの。どういうことかしら?」

 紫はにこやかに笑いながら将志にそう問いかける。
 紫からは何かしらの力が働いているようであるが、将志はそれを無意識にブロックしているのであった。

「……その前に、何故そんなことをしている?」

 紫の発言と行動の意味が分からず、将志は思わず首をかしげた。
 そんな将志を、紫は少し楽しそうな表情で見つめる。

「私の『境界を操る程度の能力』で貴方が私を甘やかすように境界を弄れたら認めてもらえるかな、とか考えてたり」

 紫の言葉に、将志はため息をついて首を横に振った。
 そして、呆れ顔で紫の顔を見た。

「……言っておくが、俺にその手の精神操作系の能力は効かんぞ」
「あら、どういうことかしら?」
「……俺の能力は『あらゆるものを貫く程度の能力』だ。俺が己が意思を貫いている限り、俺を操ることなどできん」
「それは残念、上手く行けば私の夢の成就の大きな近道が出来たのに」
「……戯け、楽することばかり考えるな」

 からかうような紫の発言に、将志は呆れた口調を隠さず淡々と苦言を呈した。
 しかし、紫はそれをまったく意に介さずに答えを返した。

「でも、楽できるときは楽したほうがお得でしょう?」
「……確かにそうだが、楽をするのと手抜きは訳が違うぞ?」
「結果が良ければ過程なんてどうでも良いのよ。それに、要領良くやることも必要なことだと思うのだけど?」

 度重なる紫の反論に、将志は額に手を当ててため息をついた。
 紫の言うことも確かに正論なので、将志は言い返しづらいのだ。

「……まあ、そういう考えもありと言えばありだがな……地力があることに越したことは無いだろう?」
「それも正論ね。まあ、今は将来的に心強い協力者を得ることが出来たってだけで万々歳よ」

 紫はそういうと将志に笑いかけた。
 一方の将志は相変わらずの仏頂面である。

「ねえ、ところでもう一つ質問があるんだけど、良いかしら?」
「……今度は何だ?」

 将志は若干気だるげな声で紫の質問に耳を貸す。
 すると紫は満面の笑みを浮かべて問いかけた。

「『私の式になって』って言ったら、貴方はどうするかしら?」
「……俺は二君には仕えん」

 紫の問いに、将志は即答した。
 それを聞いて、紫は残念そうに首を横に振った。

「ちぇ、やっぱりダメか。将志が式になってくれたらとても心強かったのだけれど」
「……それ以前に、式を制御しきれるのか? 紫は力は強いが、俺を扱うには妖怪としての格が低い。強力な式が欲しいのならば、それこそ修行が必要だと思うが?」
「あら、別に式にならなくても、貴方が味方についてくれれば私は満足よ? 問題は貴方がどこまで私の言うことを聞いてくれるかってとこよ」
「……それは、紫の成長しだいだ」
「その言い方だと、最終的に将志が私に絶対服従することになるわよ?」
「……戯け、成長するのがお前だけだと思うな。お前が成長すると同様に、周りも成長するのだからな」

 くすくす笑う紫に、将志は淡々と答えを返していく。
 そしてしばらくすると、将志はため息を一つついて結論を出した。

「……とにかく、今のままでは俺が紫を助けるのは恐らく良い方向には働かないだろう。だが、俺は紫の夢が悪いとはかけらも思っていない。だから俺に是非とも手伝わせてくれ、と言わせるような妖怪になって欲しい」
「ずいぶんと期待されたものね」
「……生憎と俺は紫のように自由でもないし、それを行うような能力を持っていない。ならば、妖怪にとって益となるそれを行おうとする者に期待を掛けるのは当然だ」

 将志の発言を聞いて、紫は嬉しそうに笑う。

「ふふふ、やっぱり貴方と話をして良かったわ。貴方には是非とも幻想郷に来て欲しいわね」
「……ああ。時が来ればその夢を手伝わせてもらおう」

 将志はそういうと社の扉に手を掛けた。

「もう行ってしまうのかしら?」
「……一応これでも多忙の身でな。神も妖怪の長も楽なものではないさ」

 将志はそう言ってため息をつく。
 それを見て、紫は少し残念そうな表情を浮かべた。

「そう……また逢えるのを楽しみにしているわ、将志」
「……ああ。俺も紫の成長を楽しみにしている」

 将志はそう言い残して、古びた社から飛び出していった。
 後に残された紫は、将志が出て行った扉をジッと眺めていた。

「槍ヶ岳 将志、ね……ふふふ……気に入ったわ」

 紫はそう呟くと、スキマを開いてその中へ消えて行った。



[29218] 銀の槍、教壇にたつ
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 00:34
 槍ヶ岳 将志は守護神であり、戦いの神である。
 この神を祭った社は数多くあり、様々な場所に見受けられる。
 人々は家内安全などの願いを込め、礼拝をする。

 また、彼を語る上で忘れてはいけないのが、彼は料理の神でもあるという事実だ。
 つまり、将志は食材さえ用意すればその腕をふるう。
 人も妖怪も果ては神さえも将志の作る料理を求めて、食材を差し出すのだ。
 将志の料理の味に惹かれて頼みに来るものは後を絶たない。
 
 だが、将志としては自分の作る料理をそう簡単に食べさせるわけには行かないのだ。
 何故ならそれはただの施しであって、ご利益を参拝者にもたらしているわけではないからである。
 本当にご利益を得ようとするならば、自分で料理をしなければならないのだ。
 しかしながら、主に人間を主食としている妖怪達はもちろん、そうでない者も料理など普通に生活していればあまりしない。

「……では、始めるとしようか」

 そういう訳で、将志は定期的に本社の本殿で料理教室を開いているのだ。
 内容は幅広く、包丁の使い方、食材の知識、調理の際の注意事項、さらには飾り切り等の高等な技術まで教えている。
 しかしここで最も重要としていることは、食料を無駄にしないことである。
 ありふれた食材を無駄なくどこまでいい物に出来るか、それが将志の料理教室の目指すところである。
 その料理教室に配下の妖怪はもちろんのこと、暇をもてあました外部の妖怪や神が料理教室に参加するのだ。

「……ところで、一つ訊きたいのだが良いだろうか?」

 将志の一言に、生徒である妖怪達は一斉に将志の居る教壇に眼を向けた。
 目の前にズラッと並んだ妖怪達を将志は眺める。

「……食材で人間を連れてきたものは居ないか? 俺も神としての体裁がある、この場で人間を殺すのは控えたいのだが……」

 将志がそういった瞬間、妖怪達の一部から不満の声が上がる。
 この妖怪達はどうやら外部聴講生らしく、人間を連れてきていた。
 騒がしくなった本殿に、将志は手を叩いて黙らせる。

「……まあ、少し落ち着いて欲しい。確かに、妖怪の中には人間を食す事が存在意義の者も居るだろう。だが、ここではそれは少し置いておこう。どうしても人間で実践したいものはここで技術を盗み、その上で自分で試してみるのがいいだろう。それから、人間の諸君にはこの場での命の保障をさせてもらう。だが、外に出てからどうするかは自分で考えろ。助けを求めるばかりのものに手を差し伸べるほど神も甘くは無い。生き延びたくば考えるべきだ」

 将志の言葉に、妖怪達は再び静まった。
 それを確認すると、将志は話を続けた。

「……さて、全員常日頃様々なものを様々な形で食しているとは思うが、ここに居るということは全員少なからず自分の食生活に不満があるのだろう。普段の味に飽きたり、味を改善したり、何らかの解決策を探しにここに来た者も居るだろう。また、自らの腕に磨きをかけたいものも居るはずだ……そういう者は、この場では全て俺が面倒を見る。分からないことがあれば訊いてくれ」

 将志はそういうと、調理場に立つ。
 将志が調理場に立つと、妖怪達は将志の手元が見えるような位置までつめて行った。
 調理台のまな板の上には、大きなスイカが置かれていた。

「……今日の包丁技は少し面白いものを見せるとしよう」

 将志はそう言うと、包丁でスイカを切っていく。
 するとまな板の上には厚めの輪切りにされたスイカが並んだ。
 将志はそのうちの一つを手に取った。

「……ふっ」

 将志はスイカの皮と身の間に包丁を入れ、転がすように素早く輪切りのスイカを動かした。
 皮を沿うように包丁が滑り、スイカの身と皮が分断された。
 その後将志は切り出したスイカの身を一口大に切り分け、円形に残ったスイカの皮の中に放り込む。
 これで、見た目も綺麗なスイカの器が出来上がった。

「……これは大車輪切りと言う技で、円または球形の食材に使える技だ。このように皮の硬いスイカなどの食材で行えば、残った皮を器にも使えて見た目も良くなることがある。覚えておくと面白いかもしれないな」
「へえ、そういう使い方もあるのね」

 将志が包丁を握っているすぐ隣の空間が裂け、興味津々と言った表情を浮かべた少女が現われる。
 少女は紫を基調としたドレスを身にまとい、一風変わった帽子をかぶっていた。

「……来ていたのか、紫」
「ええ、来てたわよ。結構盛況してるわね、これ」

 紫はそこに集まっている聴講生を見ながら、切り分けられたスイカに手を伸ばした。
 将志はそれを見て、紫に楊枝を手渡す。

「……手が汚れると後が面倒だ。これを使え」
「あら、気が利くわね」

 紫はそれを笑顔で受け取ると、一口大に切られたスイカを口に運んだ。
 その様子を、将志はジッと眺めていた。
 それに気付き、紫は将志に笑いかけた。

「どうかしたの? 私の顔に何かついてるのかしら?」
「……せっかくだ、お前も挑戦してみるか?」
「え?」

 突然の将志の一言に、紫は思わず呆けた表情を浮かべた。
 それに構わず、将志は紫に包丁を手渡す。

「ちょっと待って……挑戦って、何に?」
「……大車輪切りだ。紫もさっき見ていただろう?」
「私、包丁なんて今まで持ったこと無いのだけど?」
「……今持っているだろう?」

 困惑する紫に、将志は真顔でそう言った。
 そのあまりに見当違いの発言に、紫は思わずこめかみを押さえた。

「……いえ、手にしたことがあるかどうかではなくて、使ったことが無いってことよ?」
「……心配しなくても、ここに居る者のほとんどが今の技を初めて見る者で、更にその中には料理自体初めてという者も少なくない。失敗して当たり前だ。……だが、やってみないことには何も始まらん。物は試しだ、やってみるがいい」

 将志はそう言って紫の肩を叩いた。
 紫の手には先ほど将志が使っていた包丁が握られていて、目の前には輪切りにされたスイカがある。
 自らの置かれている状況に、紫は頭を抱えたくなった。

「ねえ、せめてもっと簡単なことを覚えてからの方が良いと思うのだけど……」
「……そうか……確かにただやれと言われても難しいか……では、一回で成功させたものには俺が直々に腕をふるって注文の品を作ろう。……これならどうだ?」

 将志の発言に、それを聞いた聴講生達は色めき立った。
 身内以外の者にとって、将志の料理は滅多に食べられないご馳走なのだ。
 しかも注文されたとおりのものを作るとなれば、やる気も出るというものであった。
 聴講生達から上がる熱気に、紫は思わず感心した。

「流石ねえ。貴方が腕を振るうってだけで、ここまで反響があるのね」
「……一応料理の神でもあるからな。腕にはそれなりに自信がある」
「それで、本当に出来たら一品作ってもらえるのかしら?」
「……ああ、約束しよう」

 将志の言葉を聞いて、紫は輪切りのスイカに眼を向けた。
 そのうちの一つを手に取り、包丁を皮と身の間に差し込む。
 そして、ゆっくりと包丁を動かし始めた。

「……他にも挑戦したい奴は手を上げろ。用意した食材に限りがある、選ばれなくても恨まない事だぞ?」

 将志は手を上げた聴講生の中から数人を選び、前で大車輪切りに挑戦させた。
 やはり初めてでは勝手が分からないのか、上手くできたものはほぼ居なかった。

「……出来なくても気を落とすことは無い。俺も最初から出来たわけではないからな。この手のものは何度も練習し、失敗して初めて身につくものだ」

 将志はそう言って出来なかった聴講生達を励ました。
 そしてそう言いおわると、将志は隣を見た。

「……ところで、紫はいつまでそれをやっているのだ?」
「あら、貴方はこれを終わらせるのに制限時間なんて設けなかったでしょう?」

 将志の横では、紫が未だに大車輪切りに挑戦していた。
 軽口を叩いてはいるものの、その表情は真剣そのものだった。
 手つきは拙く、極端なまでに慎重に包丁を動かしていた。

「……確かに設けてはいないが、一応講習の終了時間があるのだが……」
「……ちょっと待ちなさい、あと少しなんだから……出来たわ」

 紫はそういうと、将志の前に切り分けたスイカを置いた。
 時間は多分に費やしたが、確かに大車輪切りは出来ていた。

「……若干時間が掛かりすぎではあるが、及第点としよう」

 将志が若干ため息混じりでそういうと、紫はほっとため息をついた後、笑みを浮かべた。

「……ふふふ、約束は覚えてるわね?」
「……ああ、覚えている。……何を所望だ?」

 将志がそう問うと、紫は笑みを深くして言った。

「幻想郷を一つ」
「……注文は料理に限らせてもらおう」
「あら残念」

 額に手を当ててため息をつく将志を見て、紫は楽しそうに笑った。
 そんな紫に、将志は冷ややかな視線を向ける。

「……そういえば、何故紫がここに居る? まさか聴講にきたわけではあるまい?」
「ええ、もちろん。少し妖怪観察に来たのよ」
「……まだ協力者を探しているのか?」
「いいえ、今募集は休止中よ。私は貴方を観察しに来たの」

 紫の言葉に、将志は首をかしげる。

「……俺を観察して何になるというのだ?」
「この霊峰を統括していて、将来協力者になってくれそうな妖怪なら観察するには十分よ」

 紫はそう言いながら将志に近寄っていく。
 そして妖艶な笑みを浮かべて将志の耳元に口を置いた。

「それに……私、貴方のことが気に入っているの。気に入った相手なら、その相手のことを知りたくなるものでしょう?」

 囁くような紫の声に、将志は眼を閉じてため息をついた。

「……どうでも良いが、講習の途中だ。話は後にしてもらおう」
「つれないわね……ええ、それじゃあ後ろで待たせてもらうわ」

 紫は笑みを浮かべたままそういうと、後ろに引っ込んだ。
 それを確認すると、将志は講習を再開した。




「……では、今日の講習を終了する」

 将志がそういうと、本殿から妖怪達がぞろぞろと出て行く。
 それと同時に、後ろで見ていた紫が将志に近づいていく。

「お疲れ様。なかなかに堂に入った教え方をするのね」
「……もう幾度と無く講習を開いているからな。流石に慣れる」

 将志は本殿の掃除をしながら紫に答える。
 紫はその様子をジッと眺める。
 ふと、雑巾掛けをしていた将志がその手を止め、紫の方を向いた。

「……ふと思ったのだが、俺を観察してどうするつもりだ? どうにも目的が見えんのだが……」
「観察する理由はあるけど、目的なんて無いわ。しいて言うなら、ちょっとした趣味の範疇かしら?」
「……そうか」

 紫の返答を聞くと、将志は興味をなくしたように掃除に戻った。

「あら? てっきり皮肉の一つや二つでも出ると思ったのだけど?」
「……別に見られて困るようなことをしている訳でもないし、紫が襲い掛かってくるわけでもない。気にする必要は全く無い」
「気にも留められないことを嘆くべきか、信頼されてることを喜ぶべきか分からないわね。でも、私が貴方を襲わない保障なんてどこも無いわよ?」

 紫のその言葉を聞いて、将志はピクリと眉を動かした。
 次の瞬間には、将志から僅かながらピリピリとした空気が流れ出した。

「……仮にお前が俺を襲う気だったとしても、今の紫には俺を殺すことなど出来ん」

 将志は普段より少し低い声を出し、軽く牽制する。
 紫はそれを涼しい表情で受け流した。

「ええそうね。確かに今の私に貴方を殺せる力は無いわ。もっとも、殺すつもりもないけど」

 紫のその言葉を聞いて、将志はため息と共に額を手で押さえた。

「……分からない奴だ。ならば、何故俺に疑念を抱かせるようなことを言う?」
「貴方と話をするのが楽しいから、では駄目かしら?」

 将志の疑問に紫は妖しげな笑みを浮かべてそう答える。
 その回答を聞いて、将志はゆっくりと首を横に振った。

「……本当にお前はよく分からん奴だ」
「私も貴方がよく分からないんだから、お互い様でしょう?」

 ため息交じりの将志の言葉に、紫は表情を変えずにそう返す。
 その間に将志は掃除を終え、掃除用具を片付けた。

「……それで、まだ何か用か?」
「そうね……ずっと話をしていたいのはやまやまだけど、そろそろお暇させてもらうわ」

 紫はそういってスキマを開く。
 が、何かを思い出したかのように立ち止まり、将志に詰め寄った。

「ああ、そうそう。私に付き合ってくれる時は遠慮なく言って頂戴。喜んで歓迎するわ」
「……そのためにも、さっさと俺が認めるほど成長するのだな」

 紫が耳元でそう囁くと、将志は表情を崩さずに淡々と言葉を返した。
 紫はそれに苦笑すると、将志から離れた。

「ええ、分かってるわ。それじゃ、また逢いましょう、将志」

 紫はそういうとスキマの中へ入っていった。
 それと入れ違うように、広間に赤い髪の小さな少女が入ってくる。

「お~い、兄ちゃん! そろそろ飯の時間だぞ!!」
「……おっと」

 アグナは将志を目掛けて駆け出し、胸に飛び込んだ。
 将志はその勢いを上手く殺しながらアグナを受け止める。

「……今日は何を食いたい?」
「久々にチャーハンが食いたい!!」
「……了解した。ではいつもどおり頼むぞ、アグナ」
「おう! 任せろってんだ!!」

 二人は手をつなぎながら、仲良く広間から出て行った。



[29218] 銀の槍、遊びに行く
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 00:43
 将志がいつものように出稼ぎに都に行こうとすると、行く先に一人の青年が立ちはだかっていた。
 一見華奢な体つきの歳の若い青年だが、その表情には自信が溢れていた。

「そこのアンタ、ちょっと待ちな」
「……何の用だ?」

 声をかけられ、将志は立ち止まる。
 将志は目の前の青年の眼を見て、相手が何をしたいのかを大体察した。

「……なるほど……ずいぶんと腕に自信があるようだな」
「そういうアンタもな」

 青年はニヤリと笑いながら肩をほぐす。
 それに対して、将志は背負った槍に手を掛けずに言葉をかえす。

「……やるというのなら相手になるが?」
「へへっ、話が分かるじゃねえか」

 青年は小さく不敵に笑ってそういうと構えを取った。
 しかし、将志は一向に背中の槍を構えるそぶりを見せない。

「おいおい、背中の槍は飾りかよ?」
「……そういう訳ではないのだがな。その構えを見る限り、俺が槍を取るのは不公平だと思ってな」

 淡々とした将志のその言葉を聞いて、青年の顔が一瞬にして憤怒に染まる。

「……上等じゃねえか……俺を舐めてかかったこと、きっちり後悔させてやる!」

 青年はそういうが早いか、将志に向かって駆け出していた。
 その自信を裏付けるかのように、凄まじい気迫と速度で将志に迫る。

「うおおおおおお!」
「……ふっ」
「ぐあっ!?」

 将志は殴りかかってくる青年の腕を掴み、相手の勢いを利用して一本背負いを食らわせる。
 男は激しく叩きつけられたが、すぐに立ち上がろうとする。

「……そこまでだ。先に言っておくが、何度やろうが結果は変わらんぞ?」
「……参った」

 しかし眉間に槍を突きつけられ、青年は降参した。
 ちなみに、槍は人間と偽装している時の漆塗りの柄の槍である。
 将志は地面に倒れている男を見下ろした。
 その青年の額には、小さいながらも角が生えていた。

「って~……なんっつー強さだ、最近の人間はこんなに強いのか?」
「……力はあるようだが技と言うものを軽視しすぎだ。それで、鬼が俺に何の用だ?」

 将志がそう問いかけると、青年はゆっくりと身体を起こした。
 負けを認めた鬼が攻撃をしてくることは無いため、将志は槍を納める。

「いや、最近都で評判の強者が居るって聞いてな。そいつがどんな奴か確かめるために都の近くまで行くつもりだったんだけどよ」
「……ほう?」

 鬼の言葉に、将志は面白いことを聞いたとばかりに口元を吊り上げる。
 実はいろんな流派の戦いが見られるため、最近人間との手合わせが楽しみになってきた戦いの神様だった。

「……そうか……都にもまだその様な強者が居るのだな……それで、誰を探している?」
「その前に、アンタ何者だ? 鬼を軽くあしらうような人間なんて初めて見るぜ?」

 見定めるような青年の視線に、将志は首を横に振った。

「……お前は一つ勘違いをしている。あまり大きな声では言えんが、俺は人間ではない」

 その言葉に、鬼の青年は呆けた表情を浮かべた。

「はあ? でもアンタほとんど妖力を感じねえし、さっきの力だって人間とあんまり変わんなかったぜ?」
「……妖力は押さえているだけ、そして先ほども言ったが、技を上手く使えば力など不要だ。人間の編み出した技術、なかなか馬鹿にならないものだぞ?」

 鬼の質問を受けて、将志はそのからくりを答える。
 しかしそうやって答えても、鬼の表情は怪訝なもののままであった。

「そうかい。で、結局アンタは何者なんだよ?」
「……申し遅れたが、俺の名前は槍ヶ岳 将志。ただの槍妖怪だ」
「槍ヶ岳 将志……し、失礼しやした! 俺としたことが、とんだご無礼を!」

 将志の名前を聞いた瞬間、青年は突如として背筋を伸ばして直立し、敬礼をした。
 余程慌てているのかおかしな行動に出ている上に、額には大量の冷や汗が浮かんでおり、顔は蒼褪めている。
 そんな青年の反応に、将志は首をかしげた。

「……幾らなんでも大げさ過ぎないか? どんな肩書きを持っていようが、俺はただ少し力の強い一介の妖怪に過ぎん。そうかしこまることもあるまい」
「しかし、そう言われても……やっべぇ、想像以上の大物引っ掛けちまった……」
「……む」

 狼狽している青年の言葉に将志は眉をしかめる。
 霊峰の妖怪の王であると同時に、強い力を持つ守護と戦の神。
 相も変わらず、将志はその自分の肩書きにどれほどの意味があるのか分かっていない。

「と、とにかく、この侘びをしたいので妖怪の山まで来てくれ!」
「……とは言うものの、俺はその場所を知らないのだが……」
「それなら案内させてもらうぜ!」

 青年はそういうと、どんどんと歩き始める。
 その歩調は速く、明らかに案内する者の歩く速さではなかった。

「……やれやれ」

 それを見て、将志は青年の頭に水筒の水を少し掛けた。

「うわっ!? 何すんだ!?」
「……いったん落ち着け。想定外の事態が起きたからといって、その度に慌てていては解決できるものも解決できん。平常心を保て」
「は、はあ……」

 将志の言葉を聞いて、青年は大きく深呼吸をする。
 すると青年は落ち着いたようだった。

「すまねえ。だが、いずれにせよ侘びはしないといけねえから、やっぱ妖怪の山には来てもらうぜ」
「……そうか。俺としてもいずれは行かねばならんと思っていたから丁度良い。案内を頼む」
「おう、任せろ」

 こうして、鬼に案内されて将志は妖怪の山に向かうことになった。
 その途中、将志は近くの鬼に話しかける。

「……一つ提案があるのだが、構わないだろうか?」
「あ? 何だ?」
「……俺を人間として山に送り込んで欲しい」

 将志は鬼に対して、そう提案する。
 それを聞いて、鬼は呆けた表情を浮かべた。
 人間として入るという事は、この先面倒なことが待っているということであるからだ。

「はあ? 何でまたそんなことを?」
「……少し試したいことがある」
「まあいいけどよ……」

 いろいろと話をしていると、目的地である妖怪の山が見えてきた。
 将志は案内の鬼を止める。

「……鬼神は頂上に居るのか?」
「あ、ああ……本当にここまでで良いのか? 中には哨戒の天狗やらそんなのが居るんだが……」
「……ああ。少しばかり、お手並み拝見と言う奴だ」

 将志は薄く笑みを浮かべて青年にそう話す。
 それを聞くと、青年は納得したように笑みを浮かべて頷いた。

「ああ、そういうことかよ。へへっ、天狗共が正体を知って慌てふためくのが眼に浮かぶぜ」
「……では、また後でな」

 将志は楽しそうに笑う青年にそういうと、山の中へ入っていった。








「そこな人間! ここをどこと心得る!」

 山の中をしばらく歩いていると、哨戒天狗が警告にやってきた。
 力を抑え人間のふりをしている将志は立ち止まり、それに答える。

「……さあ?」
「知らぬなら教えてやる。ここは妖怪の山、人間如きが立ち入ってよい場所ではない!」
「……どこであろうと別に構わんだろう。それに妖怪が居るとなれば、人間としては黙っているわけにはいかんのだがな?」

 将志はあえて挑発するような態度でそう言いながら、先へと進もうとする。
 哨戒天狗はそれを許すまいとして、その前に立ちはだかった。

「忠告はしたぞ、命が惜しくば、早々に立ち去れ!」

 哨戒天狗はそういうと、将志の足元に妖力の弾丸を放った。
 将志は一歩下がってそれを避けるとため息をついた。

「……力ずくと言うわけか。なるほど、分かりやすいな。だが、そういうわけにも行かないのでな。通らせてもらうぞ」

 そういうと、将志は再び歩き出した。
 哨戒天狗はそれを見ると、再び将志に警告を発した。

「止まれ! 死にたいのか!」

 天狗は再び将志の眼前に、足止めをするように妖力の弾を打ち込んだ。
 目の前に打ち込まれる弾幕を、将志は今度は立ち止まることなく前進しながら軽やかに避ける。
 あくまで力を抑え、せいぜいが運動神経のよい人間と同等レベルの身体能力で次々と避けていく。
 全てを避けきると、将志は天狗に対して余裕の笑みを向けた。

「……この程度では止められんぞ? 仕事柄妖怪の相手もしたことがあるのでな、舐めてかかると痛い目に遭うぞ」

 挑発するような将志の言葉に、哨戒天狗は奥歯をかみ締めた。

「言ったな……妖怪を、天狗を舐めたことを後悔させてやる!」

 哨戒天狗は将志に対して三度弾幕を展開した。
 今度は足止め用のものではなく、将志を狙った密度の高い弾幕だった。
 それに対して、将志は背負った柄が黒く塗られた槍を抜き妖力を込め、弾幕を叩き落しながら躱し、反撃に銀の弾丸を一発だけ哨戒天狗に放つ。
 その弾丸は速く正確に飛び、哨戒天狗の帽子を弾き飛ばした。

「……言い忘れていたが、一応俺も弾丸を放つことは出来る。空に居るからといって油断をしないことだ」

 将志は涼しい顔で哨戒天狗にそう言い放つ。

「くっ……私一人では手に負えないか……敵襲ー! 敵襲ー!」

 哨戒天狗は悔しげな表情を浮かべると、周囲に敵の襲来を叫びながら撤退していった。
 将志はそれを見て、感心したように頷いた。

「……相手の力量を正しく見極めて援軍を呼びに行ったか……良い判断だ」

 将志はそう呟くと、槍を片手に先に進む。
 しばらく歩くと、たくさんの哨戒天狗が将志の前に立ちはだかった。

「居たぞ! 絶対にここを通すな!」

 天狗達は将志の姿を確認すると、一斉に弾幕を展開した。
 雨のように迫ってくるそれを見て、将志は小さくため息をついた。

「……神奈子と諏訪子の喧嘩に比べればまだまだだな。何しろあれは避けてはいけないからな……」

 そう言いながら将志は最小限の動きで弾丸を避け、必要があれば叩き落す。
 なお、神奈子と諏訪子が喧嘩したときは周囲への被害を防ぐために弾幕をすべて叩き落しにかかっていた将志であった。
 天狗達は大勢で弾幕を放ったにもかかわらず生き残った人間を見て、驚きの表情を浮かべた。
 そんな天狗の一人の額に、小さな銀の弾丸が突き刺さった。

「きゃん!?」
「……呆けている暇はないぞ?」

 撃墜された仲間を見て、天狗達の間に緊張が走った。
 ――――こいつはただの人間ではない。
 天狗達はそう確信した。

「おい、大天狗様に報告だ! こいつは我々だけで手に負えるか分からん!」
「了解です!」

 その隊長と思わしき天狗が、部下の一人に指示を出す。
 他の天狗は、その連絡係が無事に離脱できるように身体を張って道を作った。

「……連携も悪くない……これに関してはうちの連中も見習わせるべきか?」

 息の合ったチームプレーを見て、将志は再び感心した。
 現在のところ将志の中の妖怪の山の評価は、個々の力は霊峰の妖怪のほうが上だが連携や数で勝る集団と言うものだった。
 将志は怪しまれないように散発的に弾丸を打ち出す。

「踏ん張れ! 援軍が到着するまで持ちこたえろ!」

 残った哨戒天狗達は将志を先に進ませないように、必死の抵抗を続ける。
 それに応じて、将志も気付かれない位少しずつギアをあげていく。

「くそ、奴は本当に人間か!?」

 隊長の顔には焦りが見える。
 良く見ると、部下の天狗もたった一人の人間に押されているせいか狼狽している者が見受けられる。

「……個々の力が若干劣る分、実力を大きく上回る相手が出てくると精神的に脆い部分もあるか……」

 将志は冷静に相手の様子を見極める。
 すると、そこに援軍がやってきた。
 そのたくさんの天狗達に混ざって、約一名立派な服を着た天狗が居る。
 将志はそれを見て、大天狗本人が現れた事を知った。

「ふむ、お前が侵入者だな?」

 大天狗は高圧的な態度で将志に話しかける。
 将志はそれに頷く。

「……ああ、その通りだ」
「この妖怪の山に何の用だ?」
「……なに、少し腕試しをしたかっただけだ」

 相変わらず挑発的な言動を繰り返す将志。
 そんな彼に、大天狗は愚弄するように鼻を鳴らした。

「ふん、命知らずめ……我らを愚弄して、ただで帰れると思うなよ? 者ども、掛かれ!」

 大天狗の号令で天狗達は一斉に将志に攻撃を仕掛ける。
 迫り来る攻撃を、将志は踊るようなステップで躱していく。
 それと同時に、避けきれない弾幕を手にした槍が次々と撃ち落していく。
 撃っているはずなのに当たらない。そんな将志の動きは、哨戒天狗達にとってはとても怖いものであった。
 その最中、将志は弾幕にもぐりこませるように少数の弾丸を天狗達に向けて放つ。

「止まるな! 的にならないように動きながら敵を撃て!」

 大天狗の指示により、天狗達は段々とまとまった動きで将志に攻撃を仕掛けていく。
 それを見て、将志はふっとため息をついた。

「……流石に厳しいか」

 将志はそういうが早いか、将志は空に飛び上がった。
 大天狗はそれを見て、天狗達の隊列を変える。

「空を飛んだぞ、隊列を変えろ! 甲班は上下から、乙班は丙班と共に左右で挟撃せよ!」

 隊長の指示通り、天狗達は将志を上下左右で挟みこむようにして部隊を展開する。
 そして真正面には大天狗が立ち、将志に真っ向勝負を挑む。

「ここから先は一歩も通さんぞ、人間!」
「……行くぞ」

 弾幕の雨を潜り抜けながら、将志は大天狗に迫っていく。
 しかし、そんな将志の目の前を嵐のように紅い弾幕が通り過ぎていった。

「……む」

 将志は思わずその場に立ち止まった。
 見ると、大天狗もなにが起こったのかよく分かっていないようだった。
 将志は弾幕の飛んできた方を見た。

「……全く、せっかくの休日をふいにしてくれた馬鹿はどこの誰だ?」

 不機嫌そうな声が頭上から響く。
 その声の主は将志を見つけると、一瞬でその前まで詰め寄った。
 声の主は妙齢の女性であり、背中には黒く大きな翼が生えていた。
 その手には、巨大な剣が握られている。

「ずいぶんと腕が立つようだが、侵入者と言うのは貴様か?」
「……だとしたら、どうする?」
「今の私はすこぶる機嫌が悪い。悪いが、憂さ晴らしに付き合ってもらうぞ」

 その言葉を聞いて、大天狗が慌てだす。

「て、天魔様!? 何も天魔様が手を下さなくとも……」
「うるさい。日ごろ鬼共のせいで山積みになっている報告書を睨んで鬱憤が溜まってるのだ。折角八つ当たりの対象が来たのだ、手出しをせずに哨戒にもどれ」

 慌てる大天狗に天魔と呼ばれた天狗は苛立ちを隠すことなくそう告げる。
 それと同時に、周囲を取り囲んでいた哨戒天狗達も一気にその場から離脱して行く。
 その場には、将志と天魔だけが残された。

「……天魔……か。これまでの天狗達はお前の部下だな?」
「ああ、そうさ。それはさておき、お前は何者だ? ……正体を現せ、人間もどき」

 天魔の言葉に、将志は小さくため息をついた。

「……流石に気がついたか」
「当たり前だ。どこに戦えるほどの妖力を発する人間が居る? 人間なら霊力を発するはずだ。私は気が短い、早く名乗れ」

 名前を聞かれた将志は、ふっと一息ため息をついて黒塗りの槍を背負い、代わりに赤い布が巻かれた細長い物体を手に取る。
 将志が赤い布を取り去ると、中からは将志の半身である、けら首に真球の黒曜石がはめ込まれた銀の槍が現われた。
 それと同時に、槍から強い妖力が流れ出した。

「……槍妖怪、槍ヶ岳 将志。所用あってここにきた」

 将志が名乗りを上げると、天魔はスッと眼を細めた。

「……これはとんでもない来客もあったものだ。噂はかねがね聞こえている。で、神にして霊峰の大妖怪が妖怪の山に何の用だ?」
「……なに、少し鬼の招待を受けただけだ。他意はない」

 将志は妖怪の山に来た理由を簡潔に述べた。
 それを聞いて、天魔は苛立たしげに鼻を鳴らした。

「ふん、それなら素直に鬼に案内してもらえ。そうであれば、こんな面倒なことをせずに済んだものを……」
「……それについては俺の独断だ。妖怪の山の実力と言うものが気になったのでな、少し挑ませてもらった」
「貴様のその独断のせいで苦労するのは私だぞ?」
「……それはすまない」

 恨めしげに見つめてくる天魔に、将志は頭を下げる。
 将志顔を上げると、再び天魔に話しかける。

「……さて、俺はそろそろ鬼の元へ向かうとしよう。なかなかに良い連携だった」

 将志はそういうと、山の頂上に向けて飛んだ。

「……っ?」

 が、その将志の頬を一発の弾丸が掠めていった。
 将志が振り返ると、そこには剣を担いだ天魔が立っていた。

「……何の真似だ?」
「誰が貴様を行かせると言った? 流石にここまでやられて、はいそうですか、と嘗められたまま先に通すわけには行かん。せめて一矢報いなければ、部下達にも申し訳が立たんのでな」

 天魔は睨むような眼で将志を見ながらそう言った。
 それを聞いて、将志も納得したように頷いた。

「……なるほど、それも道理だ。……今、ここでやるのか?」
「当然だ。それに先ほども言ったが、私は今すこぶる機嫌が悪い。折角現われた憂さ晴らしの相手を、みすみす逃したりはせんよ。……覚悟は良いか?」

 そう言って剣を構える天魔の言葉を聞いて、将志は手にした銀の槍を構えた。

「……良いだろう。来るが良い」

 将志は一つ深呼吸をすると、天魔に向けてそう言った。



[29218] 銀の槍、八つ当たりを受ける
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 00:51
 妖怪の山の上空を、素早く動き回りながら交錯する影が二つ。
 その影が交わるたびに、金属がぶつかり合う甲高い音が周囲に響く。
 少し距離が開いたかと思えば、嵐のように弾幕が飛び交う。

「はああああ!」

 天魔は弾幕で将志の移動を制限し、動きが止まったところに高速で飛び込んで大剣で切りつける。

「……ふっ」

 一方将志は大気を震わせて迫ってくる大剣をギリギリまで引きつけてから銀の槍で受け流す。
 将志は反撃しようとするが、反撃する前に天魔は飛び込む勢いを利用して一気に離脱している。

「……疾」

 そう見るや否や将志は銀の足場を作り出し、それを蹴って素早く間合いを詰めて攻撃に移る。
 その強靭な脚力で生みだされる推進力は、間合いを切ろうとする天魔との距離を即座に詰められるほどであった。

「させるか!」

 しかし天魔はそれに気付くと体をひねるようにして方向転換をしながら弾幕をばらまいた。
 後を真っすぐに追いかけていた将志は、その壁の様に迫ってくる弾幕に突っ込む形になった。

「……ちっ」

 将志はそれを槍で薙ぎ払いながら強引に天魔との間合いを詰める。
 銀の槍は円を描くような軌道で、間合いに入った弾幕を次々と叩き落としていく。

「なっ、やああああ!」

 強引に突っ込んでくる将志を見て天魔は一瞬驚きの声をあげるが、すぐに立ち直って大剣を振りぬく。
 しかし剣が当たる瞬間、将志は一瞬にして幻のようにその場から消え失せた。

「……ッ、そこか!」
「……くっ」

 しかし天魔は冷静に死角に入っていた将志を見つけだし、弾幕で攻撃する。
 撹乱に失敗した将志は追撃を諦めて後ろに下がった。
 両者は距離を取り、お互いを睨む。

「……やるな。並の相手なら先ほど死角を突かれた時点でとれていたのだがな」

 将志は自分の攻撃を躱し切った天魔を素直に賞賛した。

「ふん、お褒めに預かり至極光栄とでも言わせたいのか? 並みの相手と比べている時点で私にとっては相当な侮辱なんだがね」
「……それは失礼した」

 その賛辞を、天魔は憮然とした表情で受け取りながらそう言い返す。
 その反応に、将志は非礼を詫びる。

「……それで、気は済んだか?」
「まさか。一撃も加えられないのに鬱憤が晴れる訳が無い。早く終わらせたくば大人しく的に徹していろ」

 高圧的な態度で天魔は将志にそう言って剣を向ける。
 しかし、そんなことをされては一撃で気絶してしまう将志は首をゆっくりと横に振った。

「……生憎とその要望だけは聞けん」
「ならば無理矢理にでも的になってもらおう!」

 天魔はそういうと将志を取り囲むように弾幕を展開した。
 四方八方から迫ってくる弾幕の隙間を縫って将志は回避する。
 将志はまるでざるをすり抜ける水の様に回避に成功すると、天魔に対して銀の弾丸を打ち出した。

「はあっ!」

 天魔はその銀の弾丸を弾き返しながら更に弾幕を追加する。
 将志は密集してくるその弾幕の間隔が広がっているうちに高速移動ですり抜けた。
 そしてその勢いのまま天魔に向かって槍を繰り出した。

「くっ!」

 天魔はその槍を大剣の腹で受け止める。
 体重の乗った重い一撃に、天魔は強烈な衝撃を受けて後ろに下がる。

「ちっ、流石に戦の神を名乗るだけはあるな……ならばこれならどうだ!」

 天魔は黒い翼を大きく広げ、距離の離れた将志に対して弾速の速い紅いレーザーのような弾を放った。
 しかし将志は飛んでくる気配を察知して難なく回避する。

「……苛立っていては当たるものも当たらんぞ?」
「別に苛立っているわけではない。ただこうも当たらないと癪ではあるがね。まあ、これまでの戦いで貴様に思うことが無いわけではないが」

 将志が天魔に対して話しかけると、天魔はつまらなさそうにそう答えた。
 そして、天魔は将志に対して僅かに怒りのこもった視線をぶつけた。

「……貴様、私を侮辱するのもいい加減にしてもらおうか? さっきから見ていれば避ける一方、攻撃の手は数えるほどである上に弾幕も散発的だ。これは一体どういうことだ?」
「……そもそも、戦う必要が無かったからな。どうにも今までの言葉を聞いていると八つ当たりの相手を務めれば良いだけと判断も出来たからだ」

 将志は天魔の問いに眼を伏せ淡々と答える。
 そこまで言い切ると将志は顔を上げた。

「……だが、それは間違いだったな。お前が求めているのは闘いの相手のようだ。……良いだろう。そういうことならばこちらも思う存分やらせてもらおう」

 将志はそういうと、周囲に七本の槍を妖力で編み出した。
 それを見て、天魔も広げた翼に妖力を溜め込む。

「ふん、ようやくやる気を出したか。それでは行かせてもらおう!」

 天魔は先程よりも速い速度で風を切り、飛び回りながら将志に対して弾幕を放つ。
 雨のような弾幕で動きを封じたところにレーザーを打ち込むような戦い方で将志を攻めたてていく。

「……まだだ」

 将志はその弾幕の中の安全地帯を見出し、冷静に躱していく。
 その合間に、将志は作り出した槍を投げて天魔を狙う。
 投げられた槍は銀の軌道を残しながら天魔に迫る。

「それが当たると……ちっ!」

 天魔はそれを躱すが、その銀の軌道が崩れて弾幕に変わっていくのを見て舌打ちをする。
 銀の弾幕は不規則な弾道を描き、天魔の行動を制限した。
 その身動きが取れない天魔に、将志は近づいて槍で攻撃を仕掛ける。

「……せいっ」
「くっ!」

 天魔は突き出される槍を身体をひねる事によってギリギリで躱す。
 そして腕が伸びている将志に、ひねった体勢から勢い良く大剣を振り下ろした。

「はあああっ!」
「……甘い」

 その大剣を、将志は剣の腹を蹴ることで太刀筋を逸らした。
 将志はそのまま回転を利用して槍を天魔に叩きつける。

「ぐっ!?」

 天魔は左腕につけた籠手でそれを受け、下に落とされながらも耐え忍ぶ。
 その天魔に、将志は容赦なく銀と黒の弾幕を浴びせてくる。

「っ……出し惜しみしていては勝てないか……」

 天魔は左腕の痛みをこらえながらそう呟く。

「……ぐっ!?」

 次の瞬間、将志の左肩に何かに貫かれたような激痛が走った。
 将志は左肩を見てみたが、見た目には全く異常が見られない。
 天魔はその隙に体勢を立て直した。
 その天魔を、将志は怪訝な表情で見やる。

「……何をした?」
「卑怯な様ですまないが、少し能力を使わせてもらった」
「……能力だと?」
「ああ、『幻覚を操る程度の能力』だ。実際は貴様の身体には何の異常もない。悪いが貴様はどうにも出し惜しみをして勝てる相手ではなさそうだから使わせてもらった」
「……本気の闘いに卑怯も何もない。それを使うことで勝利の目が見えるのであれば使うべきだ。それが戦術と言うものだろう。ならば、俺はその戦術を潰さねばなるまい」

 将志は痛む肩を押さえながらも、淡々とそう答える。
 しかしその眼は勝利を諦めておらず、静かに闘志を燃やしていた。
 それを見て、天魔は笑みを浮かべた。

「くっくっく……上等だ。破れるものならば、破ってみるがいい!」

 そういうと天魔は先ほどとは比べ物にならない量の弾幕を放った。
 その気配から、将志は幾つかが自分の見せられている幻覚であることを察知し、避ける必要のあるものだけ避ける。

「……むっ?」

 しかし、将志は突如危険な気配を感じて槍を薙ぎ払った。
 高い金属音と共に槍に衝撃が走る。
 避けたはずの弾の後ろに、見えない弾丸が存在していたのだ。
 そのことから、将志は増やされた弾丸があるのと同時に、幻覚で消された弾丸があることを悟った。

「……なるほど……これはなかなかに厄介だな」
「「「「「「それで終わりだと思うなよ? このまま封殺させてもらう!」」」」」」

 将志の呟きに、四方八方から天魔の声がする。
 見てみると、天魔が何人も周囲を飛んでいた。
 将志は気配をたどって本物を探そうとするが、すべての天魔に気配を感じてどれが本物か分からない。

「……どういうことだ?」
「「「「「「これが幻覚を操るということだ。気配と言っても所詮は感覚に過ぎん。そんなものは幻覚で幾らでも作り出せる」」」」」」

 弾幕を避けながらの将志の言葉に、天魔が答えた。
 それを聞いて、将志は眼を閉じた。

「……なるほど、気配を隠すのならば気配の中か……確かに気配を消すよりもはるかに効果的だな」

 そう言いながら、将志は眼を瞑ったまま次々に弾幕を避けながら弾幕を飛ばしていく。
 しかし、将志の弾丸は天魔の幻影を突き抜けるだけだった。
 天魔はそんな将志に一方的に攻撃を仕掛けていく。

「「「「「「幻覚に攻撃しても意味はないぞ? 消せるわけでもないのだからな」」」」」」
「……そうか……ならばこちらにも考えがある。……その準備も整ったことだしな、はあっ!」

 将志はそういうと、二人が戦っている空間全体にちりばめるように銀の球体を浮かべた。
 そのうちの一つに将志は着地をし、大きく息を吐いた。

「「「「「「何の真似だ?」」」」」」
「……天魔。お前のその能力、今から俺が打ち破ってやる。……刮目して見るが良い」

 将志はそういうと銀の球体を足場にして、空間全体を強靭な脚力を使って超高速で駆け巡った。
 その通り道にある弾丸はすべてかき消され、天魔の幻影に次々と突っ込んでいく。
 将志は一度攻撃を仕掛けた幻影に二度目を仕掛けることなく、縦横無尽に駆け巡りながら次を狙う。
 天魔は何とか将志を撹乱しようと幻覚を増やすが、眼で追うことすら難しい将志の速度についていけない。
 そして、とうとう将志は本物に牙をむいた。

「くっ!」

 天魔は将志の攻撃をとっさに大剣で弾いた。
 その感触に、将志は薄く笑みを浮かべた。

「……見つけたぞ、天魔。お前の能力は気配を作り出すことは出来るが消すことは出来ない。それがその能力の弱点だ」

 つまり将志の思いついた方法とは、片っ端から攻撃を仕掛けていけばそのうち本物に当たるという、単純な方法であった。
 もっとも、実際にそれが可能かと問われれば首を傾げざるを得ないのだが、将志はそれを無理矢理敢行したのだった。
 将志の言う準備とは、天魔の気配がどこにどうあるかと言うものを探るためのものであったのだ。

「ちっ……まさかこんな力ずくの方法で打ち破ってくるとはな……」

 天魔は忌々しそうに眼を瞑ったまま笑みを浮かべる将志を睨む。
 将志はそんな天魔を槍で弾き、追撃を加える。
 能力を破られた天魔は力の消耗を抑えるために幻影を消し、将志に大剣で攻撃する。

「……むっ?」

 その攻撃に、将志は思わず後ろに下がった。
 将志の眼には、七つの相手の太刀筋が同時に迫ってくるように見えたのだ。
 その行動に、天魔はニヤリと笑みを浮かべる。

「くくっ、やはりこういうけん制にはまだ効果はあるみたいだな。たとえあの幻覚を破られてもまだ終わったわけではない。決めさせてもらうぞ!」

 天魔は幻覚で相手に見える太刀筋を増やしながら将志に切りかかる。
 その気配を持った幻覚に、将志はどれが本物か分からずに回避するしかなかった。
 更に言えば、本来槍の持ち味である間合いの長さも相手が同じような長さの大剣とあっては有効には働かず、将志は遠距離で勝負せざるを得ないかのように思われた。

「……その程度で俺を止められると思うな」

 将志は一瞬の隙を突いて天魔の背後を突く。

「背後をとっても無駄だ!」

 天魔はそれに対して振り向きざまに幻覚を見せながら剣で薙ぎ払う。
 しかし、今度は将志はあえてその剣劇の群れに突っ込んで行った。

「……気は済んだか?」
「……ちっ、私の負けか……」

 将志は天魔の肩に腕を回し、喉元に槍を突きつける。
 それを受けて、天魔は負けを認めて剣をおろした。
 その顔には、苦々しい表情が浮かんでいた。

「やれやれ、流石に一妖怪と神の差は大きかったか。全力を出して負けたのは鬼神に負けたとき以来だな」
「……俺としては、一妖怪のままで居たかったがな」

 将志はそう言いながら槍を納めた。
 その将志の言葉に、天魔は首をかしげる。

「何故だ? 神であれば更に強い力を得ることも可能だろうに」
「……その代償として人間に尽くすのが神だ。……神でなければ、俺は常に主ただ一人に尽くせたものを……」

 将志はため息をつきながら天魔の問いに答えた。
 それを聞いて、天魔は笑い出した。

「くっくっく、ただ一人に尽くす妖怪とはとんだ妖怪もあったものだな。貴様のような大妖怪を従える奴とは、どんな奴だ?」
「……主のためにも、それは秘匿させてもらおう」
「くくっ、忠犬ここに極まれりだな。まあそれは他者の意向だ、私が口を出すことではあるまい」

 天魔はそう言うと表情を引き締めて将志に向き直った。

「さて、今後のために貴様には質問がある。貴様は妖怪の山に敵意があるか?」
「……無いな。敵対したところで何の得にもならんし、その理由も無い」

 将志は天魔の質問に考えることすらなく即座にそう答えた。
 元々ここに来たのも道楽のようなものなので、敵意などあるはずも無い。
 それを聞いて、天魔は質問を重ねる。

「それは霊峰の総意か?」
「……そこまでは知らんが、恐らくはそう取ってもらっても大丈夫だろう。何しろうちの連中は俺を慕ってくれているものだ、話せばある程度の理解は得られるだろう。……もっとも今日の俺のように、血の気の多い奴が腕試しを考えるかも知れんがな」
「出来ればそれもするなとは言わんが、程々にしてもらいたいものだな。また書類仕事が増えるのは御免だ」

 将志のその言葉を聞いて、天魔は大きくため息をついた。

「まあいい、だというのなら私から特に言うことはない。うちの連中には後でお前の正体については明かしておこう」
「……それに関しては任せた。さて、俺はそろそろ鬼のところへ行くとしよう」
「……あまり鬼と問題を起こすなよ? 尻拭いをさせられるのは私達天狗なのだからな」
「……覚えておこう」
「は、たった今騒動を起こした奴の言葉を信用していいものかね」

 天魔はそう言いながら将志にジト眼をくれる。
 将志はそれを全く意に介さず天魔の次の言葉を待つ。

「……話は終わりか?」
「他に話すことなど無いな。折角今日は休みだったんだ、さっさと帰って惰眠をむさぼることにするさ」

 天魔はそういうと将志に背を向ける。
 その天魔に向かって将志は声をかけた。

「……機会があれば、また戦おう」
「ふん、私は鬼とは違うのだがな……まあ、頭の片隅にはとどめておく。ではな」

 天魔はそういうと黒く大きな翼をはためかせて飛び去って行った。
 将志はそれを見送る。

「……さて、すっかり遅くなってしまったが、そろそろ鬼の元へ行くとしよう」

 将志はそう呟くと、今度こそ鬼のもとへ向かうことにした。




[29218] 銀の槍、大歓迎を受ける
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 00:59
 妖怪の山の山頂に向かって将志が飛んでいくと、山頂には人だかりが出来ていた。
 近づいて良く見てみると、そこには異様な熱気に包まれた鬼達が将志の到着を待っていた。

「……何事だ?」

 将志は良く分からないまま妖怪の山の山頂に下りる。
 すると鬼達は一斉に将志に向かって駆け寄っていった。

「すごかったぜ! アンタ本当に強いな! あの天魔に本気を出させた上に、勝っちまうんだもんな!」

 最初に案内をしていた鬼の青年が将志に声をかける。
 どうやら先程の戦いを見ていたようである。
 それを皮切りに他の鬼達もわらわらと将志に群がってくる。

「いや、スカッとしたよ!」
「天魔にはいつも酷い目に合わされてるからな! 清々するぜ!」

 鬼達は口々に天魔に勝ったことについてそう述べる。
 そのあまりの言い草に将志は首をかしげた。

「……天魔がいったい何をしたというのだ?」
「あいつ、俺達が少し騒いだだけですぐに殴りこみに来るんだよ!」

 鬼達はこぶしを握り締め、涙ながらにそう語った。
 その表情は心の底から悔しさがにじみ出ていて、今まで良い様に扱われていたのが見て取れた。

「……確か、鬼は天狗よりも強かったと記憶しているが?」

 聞き及んでいたものとは違う鬼達の話に、将志は額に手を当てながらそう呟いた。
 すると鬼達は声を大にして、訴えるように将志に詰め寄った。

「あいつだけは別格だ。真正面から鬼を嬉々として片っ端から一方的に伸していく天狗なんてそうゴロゴロ居てたまるか!」
「おまけに能力使われると四天王でも勝てねえし、天狗の癖に反則なんだよ!」
「……なるほど、確かに天魔は今まで仕合った妖怪の中では格別に強かったな」

 将志は鬼達の訴えを聞くと同時に先程の天魔との勝負を思い出し、納得したように頷いた。

「……さて、招待を受けた身としてはここの首領に挨拶をしたいものだが、案内を頼めるか?」
「その必要はありませんよ」

 将志が案内を頼もうとすると、奥から声が聞こえてきた。
 将志が奥に眼を向けると、そこには白と緑を基調とした服を身にまとった女性がたたずんでいた。
 髪は茶色で、眼は優しさの感じられる深い緑色をしていた。

「妖怪の山にようこそ。お話は伺っておりますよ、槍ヶ岳 将志さん」
「……お前が鬼神か?」
「はい。鬼子母神、薬叉 伊里耶(やくしゃ いりや)と申します。この度はうちの子がお世話になりました」

 伊里耶と名乗った鬼はそういうと恭しく頭を下げた。

「……いや、むしろ俺がここに連れてきてくれた鬼に礼をするべきなのだが……」

 将志は頭を下げる伊里耶にそう言って返す。
 そんな将志に伊里耶は穏やかな声で言葉を返す。

「それこそ気にする必要はありません。貴方はその子の相手をしてくださいました。それだけで十分ですよ」
「……そうか」

 穏やかに笑う伊里耶に、将志は若干調子を狂わされていた。
 やはり聞き及んでいた鬼の性格と、鬼の頭首である伊里耶の対応が全く違うからだ。
 てっきり将志は会ったらいきなり戦闘が始まるものと思っていたのだが、実際はこの通り穏やかに談笑をしているのだった。

「ねえ、いつまで話してるのさ」
「そうよー。折角強いのが来たんだし、もっとやることがあるでしょ?」

 ふと、伊里耶の後ろからそんな声が聞こえてくる。
 将志がそこに眼を向けると、二人の鬼が立っていた。そちらは聞き及んでいた通りの性格のようである。
 その二人の鬼を、伊里耶は優しく制する。

「慌ててはいけませんよ、二人とも。将志さんはたった今天魔さんと一勝負してきた後なんですよ? 万全の状態になるまで休んでもらってからのほうが良いでしょう?」
「ああ、それもそうか。てことはまずはあっちで歓迎だね」

 その言葉を聞いた瞬間、将志は歩き始めた。
 きょろきょろと辺りを見回しているところから、何かを探しているようであった。

「あ、どこにいくの?」
「……お前達のことだ、どうせ酒盛りなのだろう? ならば、つまみでも作ろうと思ってな」
「ああ、お客さんは座っていて構いませんよ?」

 働こうとする将志に、伊里耶はそう口にする。
 しかしそれを聞いて将志は首をゆっくりと横に振った。

「……気にするな、これは俺の実益を兼ねた趣味だ。して、台所はどこだ?」
「それなら案内させましょう。勇儀、案内してあげなさい」
「あいよ。んじゃ、ついてきてもらうよ」
「……ああ、頼む」

 将志は勇儀と呼ばれた額に一本の角が生えた鬼の後について台所に向かう。
 鬼の住処は石を切り出して作られており、多少暴れても問題がないように頑丈な造りをしていた。

「……そういえば、まだ名乗っていなかったな。槍ヶ岳 将志、ただの槍妖怪だ」
「私は星熊 勇儀さ。あんたの事はいろんなところで話を聞いてるよ。しっかし、神様とは名乗らないのかい?」
「……確かに建御守人などと呼ばれて信仰を集めてはいるが、所詮は神の肩書きなど後からついてきたものにすぎん。俺の本質は一本の槍でしかない。ゆえに、俺は槍妖怪を名乗っている」
「にしても、『ただの』槍妖怪はないでしょうに。流石にそれは嘘をついていることになるよ?」

 勇儀は将志の言い分にそう言って少し眉をしかめる。
 その意味が理解できず、将志は首をかしげた。

「……そういうものなのか?」
「そういうもんだよ」

 将志の言葉に勇儀はそう答える。
 それを聞いて、将志は少し考えてから口を開いた。

「……そうか……ならば変わり者の槍妖怪とでも名乗るか」
「……あんた、意地でも神様とは言わない気だね」

 将志は勇儀と話しながら台所に向かって歩いていく。
 台所は石造りの土間にあって、かなりの広さがあった。
 一角には酒の入った瓶がずらりと並んでいて、そこからは酒精の匂いが漂っている。

「ここが台所さ。まあ、ここを使う奴は大体決まってるけどね」
「……ずいぶん広いが、ここで全員分作っているのか?」
「んー多分そうだろうねえ。そもそも、ここにしか台所ないし」

 将志は話しながら台所にあるものを確認していく。
 調理器具と食材は一通り揃っており、問題は無いようであった。

「……うむ、特に問題は無いな。ところで、ここにある食材はどこまで使って良い?」
「ああ、多分全部使っていいんじゃない? そこにある奴全部今日取ってきた奴だし」

 それを聞いて、将志は小さく息をついた。

「……それは調理のし甲斐があるな。了解した、では早速取り掛かるとしよう」
「了解。それじゃあ出来たら呼んで。配膳くらいなら手伝うからさ」

 将志は握った包丁をくるくると回しながらそういうと、すぐに料理を始めた。
 トトト、と早いリズムで包丁の音が聞こえ、次々と食材が切られていく。
 それが終わると合せ調味料を作ったり食材に下味をつけたりしていく。
 いくつもの料理が並行して作られていき、台所には湯気と煙と旨そうな匂いが立ち込めだした。

「……つまみ食いはしても良いが、ほどほどにな」
「ありゃりゃ、バレてら」

 将志がそういうと、煙の中から一人の背の低い鬼が現われた。
 その瞬間、将志は机の上に置いてある皿の上に料理を鍋を振って放り投げる。

「……待ちきれないのならばそれでも食べていろ。幸いなことに、まだたくさん食材はあるからな」
「いいの? んじゃ遠慮なく頂くよ」

 鬼は皿に盛られた肉と野菜の炒め物に手をつける。
 口の中に野菜の甘みと肉の旨味、そして絶妙な塩加減が広がった。

「うわ、これ美味しい!」
「……それは重畳だ」

 将志はそう言いながら手元の料理に酒で香り付けをする。
 勢い良く注がれたそれが火柱を上げる。
 そして香り付けが済んだ料理を、再び机の上に並べられた皿の上に放り投げる。
 料理は少しもこぼれることなく皿の上に盛り付けられ、香ばしい匂いが漂ってきた。

「……そういえば、まだ名前を聞いていなかったな。俺は槍ヶ岳 将志。変わり者の槍妖怪だ」
「え、何その自己紹介」
「……嘘はついていないだろう?」
「いや、そりゃそうだけどさ。まあいいや、私は伊吹 萃香。四天王の一人さ」

 萃香は将志に出された料理を食べ、瓢箪から酒を飲みながら自己紹介をした。
 その間にも将志の手元で食材が宙を舞い、次々と料理が出来上がっていく。
 萃香はそんな将志の様子をじ~っと眺めていた。

「……どうかしたのか、伊吹の鬼?」
「萃香でいいよ。あんたの料理曲芸みたいだね、見ていて面白いよ」
「……それは実際に曲芸をやっていたからな」

 将志は次々と料理を仕上げていく。
 萃香は将志の料理と曲芸じみた料理風景を肴に酒を飲む。
 しばらくすると、広い机の上には所狭しと将志の作った料理が並んだ。

「……ふむ、まずはこんなところだろう。さて、冷めないうちに運ぶとしよう。萃香も手伝ってくれるか?」
「良いよ! さっさと運んで始めよう!」

 将志と萃香はそれぞれ料理を持って会場に向かう。
 会場では鬼達が既に酒を飲み始めていて、主賓なしで盛り上がっていた。

「おーい! つまみが上がったよー!」
「……まだあるから何名か運ぶのを手伝って欲しいのだが……」
「お、そういうことなら手伝うぜ!」
「俺も手伝おう!」

 将志の言葉に数人の鬼が威勢よく答えて一緒に取りに行く。
 しばらくして、会場には大量の料理と酒が並んだ。
 将志は配膳を終えると、適当に空いているところに座ろうとする。

「ちょっと待ったぁ! 主賓がそんなところでこじんまりとしていて良い訳ないでしょうが!」
「あんたの席はあっちだ! さあ、早く行くよ!」
「……む?」

 しかし突如現われた勇儀と萃香にしっかりと脇を固められて連行される。
 将志は特にそれに抵抗する理由もないので、大人しく二人に従う。
 案内された先は、伊里耶が居る最上座の席であった。

「美味しい料理をありがとうございます。料理の神の肩書きは伊達ではありませんね」
「……そういうと大仰な様だが、実際は練習を積み重ねた結果だ。神とは言うが、訓練をすれば他の者にあの味が出せないわけではない」
「ふふふ、謙虚ですね」

 伊里耶はそう言いながら将志に酒を注ぐ。
 将志はそれを受け取ると、伊里耶に返杯する。

「ところで、都に向かって歩いているところをうちの子が見つけたみたいですけど、何をしに行くつもりだったのですか?」
「……少し出稼ぎにな」
「あら? 食料でしたら、神ならお供え物とかで賄えるのでは?」
「……人間からは信仰だけで十分だ。食料をささげられても、俺は料理を作ることでしか還元出来ん。農耕や天災に対しては俺は無力だからな」
「それでは、奉げられたお供え物はどうなさっているのですか?」
「……全て人間に返している。俺は信仰の対価以上の働きなど出来んし、してはいけない。神が人間に関わり過ぎると人間は強くなれないからな」

 将志は酒を飲みながら伊里耶にそう告げる。
 実際将志は守り神ではあるが、地震や台風、洪水などの自然災害から守れるのは人だけなのである。
 それも、その後の生活を保障するのは将志の役目ではなく、別の神の役目である。
 それ故に、将志は人間からのお供え物を受け取るほどではないと考えているのだ。
 ……などと言うのは実は建前で、本当の理由は別にあったりするのだが。

「それで、自らの食い扶持を稼ぐために都に?」
「……ああ。なに、これもやってみると意外に面白いものだ。俺は今の生活に満足している」

 将志は淡々と、しかしどこか楽しそうな声でそう話した。
 要するに、将志は今の人間として働く生活が気に入っていて、そのために将志はお供え物を受け取っていないのだ。
 そんな将志を見て、伊里耶は微笑んだ。

「そうですか。でしたら、私からその件について言うことはありませんね。ところで、霊峰に居る妖怪達はどこから来たんですか?」
「……さあ? 何しろ至る所からついてきたからな、どこから来たとは答えられん」
「と言うことは、各地から力の強い妖怪が集まったのがあの霊峰なんですか?」
「……それは少し違うな。あの岩山は人間には銀の霊峰だの試練の霊峰だのと呼ばれているが、妖怪にとってもあの山は修行の場になる。あの山では妖怪達に自由に戦わせて勝敗の記録をつけ、優秀なものには褒美が出る。妖怪達は自主的に修行をして自らの技を磨き、好敵手とお互いに力を高めあう。そうして力をつけて行ったのがうちの山の妖怪達だ。恐らく、この山の妖怪とは訓練の密度が違うのであろう。好きこそ物の上手なれとはよく言ったものだ」

 銀の霊峰の妖怪達は、各地を飛び回っていた時代に将志についてきた妖怪が多くを占めている。
 将志は彼らと戦ってそれぞれの強さを確かめて格付けを行い、似通った強さの者同士を戦わせていたのだ。
 そうすることで妖怪達に目的意識を与え、向上心を持たせることに成功した。
 また、その副産物として様々なことにやる気を出すようになった妖怪達が仕事の分担を行い、小さいながらも集落としての体を持ち始めることになったのだ。

「へえ、それはいいことを聞いたな」
「……む?」

 将志が後ろを振り向くと、そこには笑顔を浮かべた勇儀と萃香が立っていた。

「ねえ、その霊峰って自由に戦えるの?」
「……ああ。記録をつけるためには一度本殿で登録をする必要があるが、基本的に来るものは拒んでいない。スサノオやタケミカヅチが来た時は大いに荒れたがな」
「そりゃあいいね! 今度遊びに行かせてもらうよ!」
「霊峰の妖怪がどんなもんなのか、楽しみだねえ」

 将志の言葉を聞いて、勇儀と萃香は早くも霊峰の妖怪達の戦いに思いを馳せていた。
 そんな二人を尻目に将志は注がれた酒を飲み干し、赤い布に巻かれた槍を取って立ち上がる。

「あら、どうしましたか、将志さん?」
「……そろそろ良いだろう。血の気の多いお前達のことだ、どうせやるのだろう? 負けて食いすぎで調子が悪かった等とは言われたくないからな」

 将志がそう言った瞬間、会場が一気に沸きあがった。

「待ってました!」
「流石、話が分かってらっしゃる!」

 沸きあがる鬼達を前に、将志は銀の槍にまかれた赤い布を解く。
 それを慣らす様に振り回すと、穂先を鬼達に向けた。
 その瞬間、鬼達が一気に静まり返るほどの気迫が将志から漂いだした。

「……今日は招かれた礼に誠意を持って相手をさせてもらう。油断などない、本気で行かせてもらう」

 それを聞いて、静まり返っていた鬼達は更に大きく騒ぎ出した。

「おい、誰が最初にやるよ!?」
「あ、それなら俺からやる!」
「馬鹿野郎、最初は俺だ!」

 鬼達は最初に誰が将志に掛かるかで騒ぎ出す。
 それに対して、将志は大きく手を叩いて静まらせた。

「……俺は逃げも隠れもせんし、簡単に負ける気も無い。そうそうあせる必要もないだろう。相手の指定はこちらでやらせてもらおう」

 将志は鬼達が組んだ円陣をぐるりと見回し、最初の相手を探した。
 そして、一人の鬼に穂先を向けた。
 その鬼は、妖怪の山まで案内をしていた鬼だった。

「……案内の礼だ、まずはお前に相手をしてもらおう」
「よっしゃあ! 一番槍もらったぁ!」

 槍を向けられた鬼は大喜びで将志の前に立つ。
 将志はそれに対し、槍を中段に構えた。

「……さあ、来るが良い」

 そういった瞬間、将志の長い戦いが始まった。



[29218] 銀の槍、驚愕する
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 01:04
「うおおおおお!」

 戦いが始まると同時に、指名された鬼は将志に対して攻撃を仕掛けようと駆け寄ってくる。
 それに対して、将志は鬼をギリギリまで引きつけてから槍をスッと眼の前に突き出した。

「うおわっ!?」

 その場から微動だもせずに突きだされた槍を、鬼はかろうじて避ける。
 ただ目の前にあるだけでも、自分から突っ込んで行けばただでは済まない。
 鬼が体勢を立て直している間に、将志は距離を取って槍を構える。

「ぐっ……」

 その構えを見て、鬼は歯がみした。
 将志の構えはただ真っすぐに鬼に向けられているだけである。
 それだけのはずなのに、鬼には将志に隙が見つけられないのだ。

「……来ないなら行くぞ」
「うっ、ぐあっ!?」

 そう言った将志が顔に突きを放ってきたのを、鬼はとっさに防御しようとする。
 しかしその次の瞬間に延髄を柄で打ち据えられ、その場に倒れた。
 鬼が顔を覆ったのは一瞬だけ、まさに神速と呼べる動きだった。

「……悪いが人数が多いからな、早々に終わりにさせてもらった」

 将志は倒れた鬼に少し申し訳なさそうにそう言った。
 倒れた鬼は他の鬼によって場外に運ばれていく。
 それを確認すると、将志は次の鬼に槍を向けた。

「……次はお前だ」
「よし、行くぞ!」

 二人目の鬼は将志の前に立つと構えを取り、将志を油断なく見つめた。
 それを見て、将志は相手にゆっくりと歩いていく。
 そして鬼にある程度近づいた時、将志が動いた。

「……はっ」
「っ!」

 将志が上に高く飛びあがったのを受けて、鬼は迎撃しようと上を向いた。
 しかし、見上げたところには誰も居なかった。

「えっ、があああああああ!?」

 将志が目の前から消えたことによって鬼の思考に一瞬の空白が出来た。
 その空白の間に、鬼は脇腹を痛烈に殴打されて人垣に突っ込んで行った。

「おい、今の見えたか!?」
「い、いや、分からなかった!」
「すっげえ、あんな技見たことねえ!」

 周りの鬼は今の将志の技にざわめいた。
 周りの眼には将志が上に飛び上がったと思ったら、突然背後に現れて攻撃を仕掛けたように見えたのだ。
 将志の動きが目で追えないと言う事態に、鬼達は俄然将志と戦う意欲を増大させた。

「…………」

 将志は弾き飛ばした鬼の方を槍を構えたまま睨みつける。
 しばらくすると、頭上に×印を作った鬼が出て来て戦闘不能を伝えた。

「……次か」

 将志は次々に相手を指名していき、勝利していく。
 その放たれる凄まじい気迫に鬼達は沸きあがり、指名された者は嬉々として将志に掛っていく。

「……せいっ」
「ぐうっ!」

 今もまた、一人の鬼が石突を水月に喰らい倒れ込む。
 残っている無事な鬼達はそれを回収し、戦いの邪魔にならないように寝かせておく。
 鬼の円陣の外はもはや死屍累々と言った有り様で、倒れた鬼でいっぱいになっていた。
 それでも鬼達の闘志は消えることなく、むしろ更に燃え盛っていた。

「……流石は鬼だ。その果てのない闘争心には恐れ入る」

 将志は微笑を浮かべながら、爛々とした瞳を向ける鬼達にそう言った。
 そんな中、突然手を叩く音が辺りに響き渡った。

「はい、皆さん一度ここで戦いは終わりにしましょう。将志さんも予定があるでしょうし、あまり長い時間捕まえておくのは迷惑になってしまいますからね」

 手を叩いた人物、伊里耶はそう言って鬼達を静まらせた。

「えーっ、そりゃないぜかーちゃん!」
「こんな強い奴を前にして力比べしないなんて失礼だろ!」

 そんな伊里耶に、鬼達は明らかに不満の声を上げた。
 しかし、伊里耶は首を横に振る。

「いけませんよ。今まで見ていましたが、将志さんは明らかに今のあなた達に敵う存在ではありません。このまま行けば、貴方達全員そこで伸びることになるだけです。将志さんのためにも、もっと強くなってから挑むべきだと思いますよ?」
「……ちぇ、わかったよ……」
「仕方ないか……」

 穏やかに諭すような伊里耶の言葉に、鬼達は渋々と言った表情で輪を解いた。
 そんな鬼達に、将志は声をかける。

「……俺と勝負したくば、俺の社がある霊峰に来て己が力を示すが良い。俺はその頂で待っている」
「それって、戦って勝ち上がって来いって事?」

 身を乗り出して眼を輝かせる萃香の言葉に将志は頷いた。

「……そういうことだ。そして俺と戦う機会を自らの力で掴み取れ。……お前達と戦える日を楽しみにしているぞ」
「お、いいね、私はそう言うの好きだよ。よし、そんじゃ今度早速行ってみるかね!」

 将志の言葉を聞いて、勇儀は楽しそうに笑いながらそう言った。
 他の鬼達も嬉しそうに霊峰への殴り込みの算段を始めている。
 そんな中で伊里耶が将志に声をかけた。

「ありがとうございます。この子たちも満足できるでしょうし、良い修業の機会になります」
「……気にすることは無い。外からの刺激は更に己の技を磨く良い機会になるだろう。こちらとしても歓迎したいことだ」
「そうですね。……ところで、一つ良いですか?」

 将志がその声に伊里耶の方を向くと、伊里耶は微笑を浮かべていた。
 しかし、良く見ると伊里耶の顔は若干赤く染まっており、わずかではあるが息遣いが荒くなっている。
 将志は首を傾げつつ、伊里耶の言葉を聞くことにした。

「……どうした?」
「私はこの妖怪の山で鬼達をまとめています。ですので、他の子みたいにそう簡単にこの山を離れる訳にはいきません。そして、私は鬼子母神などと大層な名前で呼ばれていますが、それでもやっぱり鬼なんです」

 そう話す伊里耶の眼は、まるで恋い焦がれた相手を見るかのような、熱い眼差しであった。
 そしてその眼差しは将志をしっかりと捉えていた。

「……ふむ」
「将志さん、私とお手合わせ願えますか?」

 伊里耶の言葉に、将志は眼を閉じてふっと一息ついた。

「……やはり、お前もか」
「はい。実は、もう貴方が来たときからずっと戦いたくて体が疼いてるんです。それなのに、私だけ戦えないなんてひどい話はありませんよ。将志さん、お願いできますか?」
「……断る理由もない。それに、あの天魔に勝ったと言うお前との戦いには俺も興味がある。正直、このまま何も言われずに帰ることになったらどうしようかと思っていたところだ」

 将志は伊里耶の申し出にそう答え、軽く槍を振るった。
 表情には表れていないが、その行動から将志がやる気になっているのは見て取れた。
 それを見て、伊里耶も嬉しそうに笑い返す。

「ふふふっ、良かった。貴方も楽しみにしていてくれたんですね。では早速始めましょう……と、その前にやることがありますね」

 伊里耶がそう言うと、突然将志の体から熱と疲れが引いていった。
 自らの体に起きた変化に、将志は自分の体を見回した。

「……これは?」
「『あらゆるものを平等にする程度の能力』ですよ。これで貴方の体の熱と疲れを私に分けたんです。……凄いですね、あれだけ戦っても殆ど疲れていないんですね」

 伊里耶は将志に説明をしながら、自分の体に起こった変化に驚く。
 何故なら、将志は先程から何連戦もしているのにほとんど疲れを感じていないことが分かったからである。
 一方、能力の説明を聞いた将志は小さく頷いた。

「……戦うのならば同じ条件でと言う訳か。なるほど、勝ち負けに言い訳の効かない勝負になると言う訳だ」
「はい。人間には鬼の力も分けるんですけど、貴方には必要ありませんね。では準備も整ったことですし、改めて始めましょう」

 伊里耶はそう言うと将志を真正面から見据えた。
 一方の将志も、手にした銀の槍を伊里耶に向けて構えた。
 その瞬間、場の空気が一気に張りつめたものになる。
 二人ともその状態から動かない。
 が、戦いの場には両者の凄まじい気迫がぶつかり合い、それだけで周囲を圧倒するような戦いが既に始まっていることが感じられた。

「ねえ勇儀、本気の母さんいつぶりだっけ?」
「えーっと、最後に本気を出したのが天魔との喧嘩の時だから……百年くらい前じゃない?」
「……もう少し離れて見ないと危なかった気がするんだけど、どうだっけ?」
「……そう言えば、この距離は危ない距離だねえ」

 張りつめた空気の中、萃香と勇儀はそう言いあって後ろに下がる。
 他の鬼達も伊里耶の放つ気迫に危険を感じ、後ろに下がっていた。

「……行きます!」

 全ての鬼達が後ろに下がった瞬間、伊里耶は真っすぐに将志に突っ込んで行った。
 将志はそれに対して迎撃しようとするが、嫌な予感を感じてとっさに横に跳んだ。

「……ちっ」
「はあああああ!!」

 将志が横に跳んだ直後、伊里耶は踏み込むと同時に拳を前に突き出す。
 すると踏み込んだ地面が大きく揺れると同時に、拳から風を切る大きな音が聞こえてきた。
 将志が着地すると同時に伊里耶の足元を見てみると、そこはひびが入り、砕け散っていた。

「……流石は鬼の頭領だな。防御は通用しなさそうだ」
「貴方も素晴らしい速度ですね。追いつくのが大変そうです」

 将志は極めて冷静に相手の攻撃を分析し、伊里耶は将志の動作に笑みを浮かべる。
 今度は将志から伊里耶に攻撃を仕掛けていった。

「……はっ」
「たあっ!!」

 将志の突きを伊里耶は身体を捌きながら手で受け流し、将志に抜き手を入れようとする。
 それに対して将志は身体を回転させるようにして攻撃を躱し、そのまま槍を背中に叩きつける。

「っ、まだまだです!」
「……ふっ」

 その槍を伊里耶は腕で受け、振り返りざまに将志のわき腹を狙う。
 将志は伊里耶の腕に槍を押し付けるようにし、回転の勢いを利用して遠くに飛ぶ。

「せやあっ!」
「……くっ」

 距離を取ろうとする将志に、伊里耶は素早く追撃を掛ける。
 将志はその攻撃を真正面から受けず、受け流すようにして線を殺す。
 真正面から受けたわけではないが、それでも手が痺れそうなほどの衝撃が槍から将志の手に伝わる。
 もし真正面から受けていれば、衝撃に負けて防御を崩されることは間違いないだろう。
 将志はヒヤリとしたものを感じながら、相手の死角を突いて背後を取る。

「……せいっ」
「うっ!?」

 伊里耶は背後を取られたことに気付いて前に跳ぶ。
 少し遅れて、伊里耶のいた場所を銀色の線が一瞬走る。
 その一撃は大気を震わせることなく、静かに鋭く空を切った。

「……はっ」

 将志は前に跳んで体勢が崩れている伊里耶に対して最速の突きを放った。
 その突きはただひたすらにまっすぐ突き出された愚直なもの、だがそれ故に神速にまで至ったものであった。
 冷たく光る銀が、稲妻のように伊里耶に迫る。

「…………」

 体勢が崩れ重心が後ろにずれている伊里耶は、迫ってくる槍を見据えた。
 何を考えるでもなく伊里耶は手を前に差し出し、円を描くように素早く手を動かす。

「ふっ!」
「……なっ!?」

 そして伊里耶は、倒れこみながら手の動きに槍を巻き込み、掴んだ。
 将志の黒耀の眼が一瞬驚愕によって見開かれる。

「……ちっ!」

 将志は伊里耶が体勢を立て直す前に槍を振り上げ、伊里耶を地面に叩きつけようとする。
 対する伊里耶は振り上げられると同時に槍から手を離し、離れたところに着地した。
 両者は最初と同じように向かい合う。

「……ふむ……槍を掴まれたのは初めてだな。俺もまだまだ修行が足りんと見える」

 将志は眼を閉じ、静かにそう呟いた。
 その呟きは深いもので、何処と無く感慨深いものを感じることが出来る。

「正直危ないところでした……貴方の槍、その一突き一突きに怖いものを感じます」

 そんな将志に対して、伊里耶は大きく息を吐きながらそう返した。
 伊里耶からしてみれば、何故先程将志の槍を掴めたのか分からない。
 無想の境地に達した状態で、とっさに出た行動だったのだ。

「……礼を言うぞ、伊里耶。俺はまだまだ成長できるようだ。天魔と言いお前と言い、この山もなかなかに面白い」

 将志はそう言いながら再び槍を構えた。
 それと同時に、将志の周りには七本の妖力で編まれた銀の槍が現われた。

「くすっ、天魔さんもあのものぐさなところと慢心がなければもっと強くなるんですけどね。それに私も、貴方と戦えば強くなれそうな気がしますよ」

 伊里耶は微笑みながらそういうと、赤紫色の大きめの弾を生み出す。
 その弾は、鬼子母神が持つ吉祥果のような形をしていた。

「……では、続きと行こう。出し惜しみはせん、全てを見せてやる」
「ええ、私も全力で行かせてもらいます!」

 二つの影はそう言い合うと、勢い良く空へと飛び出して行った。



[29218] 銀の槍、大迷惑をかける
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 01:13
 空一面が二つの色に染め上げられている。

「……はっ」

 一つは冷たく輝く銀色。
 鋭く光る銀は、無数の弾丸となって空を飛び交う。

「やああっ!」

 もう一つはどこか温かみのある赤紫色。
 赤紫色の吉祥果が次々に弾け、一面に広がっていく。
 二つの色は空中でせめぎあい、混じっていく。
 色鮮やかなその有様は、まるで万華鏡の世界の様に美しかった。

「散らばれー! 塊で飛んでくるよ!」
「槍が出てきたぞ! みんな注意しな!」

 もっとも、地上に居る鬼達はその光景を見ている余裕などなかった。
 空一面を覆い尽くすほどの弾幕ともなれば周囲への流れ弾も相当なものである。
 更に将志も伊里耶も力の強い実力者であり、当然その攻撃に当たればタダでは済まない。
 よって、鬼達は嵐のように降り注ぐ弾幕を避けながら観戦しなければならないのだ。

「……ふっ」
「せいっ!」

 そんな地上のことなど気にも留めずに二人は戦いを続ける。
 弾幕を掻い潜りながら将志が槍を繰り出せば、伊里耶はそれに対して技を返そうとする。
 その技に対し、将志が更に技を重ねて引き離すと言う、一進一退の攻防が続く。

「……疾」
「くっ……!」

 将志の槍を上から叩きつけられ、伊里耶は地面に落とされる。
 伊里耶は空中で体勢を立て直し、着地して地面を滑る。

「……そこだ」

 その伊里耶の周りに銀の槍が放たれ、取り囲むように四角錐が作られる。
 四角錐の檻はやがて崩れ、無数の弾幕となって伊里耶に襲い掛かった。

「たあああああ!」

 伊里耶はそれを見て、地面を全力で殴りつけた。
 その衝撃は地面を砕き、大量の破片が空中にはじけ飛んだ。
 飛び散った破片は銀の弾丸とぶつかり、それをかき消した。

「……まだだ」
「甘いですよ!」

 地面を殴って動きが止まったところに、将志の銀の槍が投げられる。
 唸りを上げて迫るそれに対して、伊里耶は赤紫色の吉祥果で応戦する。
 二つはぶつかり合い、光を放ちながらはじけて消える。

「っ! そこです!」
「……ちっ」

 その光が収まらぬうちに、伊里耶は背後に気配を感じて攻撃を仕掛ける。
 そこには将志がいて、攻撃を仕掛けようとしていた。
 光を目くらましにして素早く移動し、伊里耶の背後をついていたのだ。
 反撃を受け、将志は後ろに下がる。

「今度はこちらから行きます!」

 伊里耶はそういうと、将志の周りに四つの吉祥果を出現させた。
 吉祥果は将志の周りを飛び回り、弾幕を敷く。

「……ふっ」

 将志は吉祥果を撃ち落とそうと銀の弾丸を放った。
 弾は正確に飛び、狙い違わず吉祥果に突き刺さる。
 すると次の瞬間、吉祥果ははじけておびただしい量の弾幕を放ってきた。

「……なっ!?」

 将志は若干驚きながらも飛んでくる弾幕を銀の槍で打ち払う。
 舞い踊るように振るわれるそれは、飛んでくる攻撃を全て叩き落とした。

「やあっ!」
「……ぐっ」

 その将志の頭上から、伊里耶が全体重と力をかけて将志に蹴りを仕掛ける。
 将志はそれを槍で捌くが、あまりの勢いに地面すれすれまで落とされた。

「そこです!」
「……遅い」

 伊里耶の追撃を、将志は銀の球状の足場を作り出してそれを蹴って高速移動することで回避した。
 伊里耶の攻撃は地面に刺さり、大きな穴をあける。
 将志は体勢を立て直して着地し、地面から拳を引きぬく伊里耶を見やった。

「……本当に、大したものだ。素手で槍に対抗するのは並大抵のことではないだろうに……」
「それでも私はこれが一番慣れていますし、一番自信があるんです。それこそ、剣も槍も怖くないくらいには修練を積んでいるつもりなんですよ?」

 素直に感心している将志の言葉に、伊里耶が微笑みながら答える。
 それを聞いて、将志は眼を伏せて首を横に振った。

「……全く、自信が無くなるな。俺とて修練を怠けていた訳ではないのだがな……」
「何を言ってるんですか。将志さんは今まで私の攻撃を全部捌いてるじゃないですか。まともに攻撃を当てられていないですし、こんなにあっさり背後を取られ続けるなんて初めてですよ? 断言できます、将志さんは今までの相手の中で一番強いですよ」

 若干落ち込み気味の将志に、優しい口調で伊里耶は声をかける。
 その声に将志は顔を上げる。

「……まあいい、己が未熟だと思うのならば精進すれば良いだけの事だ。この戦いは己を見つめなおすいい機会になりそうだ」
「ふふふ……将志さん、貴方はそんなに強くなって何を目指すのですか?」
「……俺に目指すものなどない。俺はただ、行ける所まで行き着くのみ。他の事などは後から勝手についてくるものだ」

 伊里耶の問いに将志はそう言って答えを返す。
 それを聞いて、伊里耶は笑みを深めた。

「良いですね。そういう考え方、私は好きですよ」
「……気に入ってもらえて何よりだ」

 将志はそう言うと再び槍を構え、それを見た伊里耶も身構える。
 再び銀の槍が宙に浮かび、吉祥果がその実をつける。
 それと同時に、将志の周りには今までになかった、銀の蔦に巻かれた黒い球体が二つ浮かんでいた。
 直径が人の身長ほどもあるその球体は吸い込まれそうなほど深い黒色で、どこまでも透き通っていた。
 周囲の鬼達はその美しさに目を奪われ、伊里耶もまたそれに見入っていた。

「……これを実戦で使うのは初めてだな。お前ほどの相手にどこまで通用するか、試させてもらおうか」

 将志がそういった瞬間、二つの黒い球体が銀の蔦でつながり、回転しながら弾幕を放ちつつ伊里耶に向かって飛んで行った。
 
「……っ!」

 思わず見とれていた伊里耶であったが、迫ってくるそれを見てそれを躱す。
 弾幕が髪をかすめたが、伊里耶は構わず将志に向かっていく。

「……そこだ」

 そこに向かって、将志は吉祥果の弾幕を躱しながら銀の槍を投擲する。

「甘いです!」

 狙い済ましたような一撃を、伊里耶は驚異的な身体能力で避ける。
 そして、反撃を警戒して吉祥果を落とせないでいる将志に向かって攻撃を仕掛けた。

「はああああ!」
「……っ」

 伊里耶は一直線に将志に向かって踏み込む。
 将志はそれに対して迎撃すべく槍を構える。

「……そこです!」

 しかし、伊里耶の声と共に将志の周囲を飛んでいた吉祥果が一斉にはじけ、大量の弾幕が降り注いだ。

「……ちっ」

 将志はそれを見て、弾幕を叩き落しながら後ろに下がろうとする。
 が、伊里耶がすでに目前にまで迫っていた。

「…………」

 将志は弾幕を回避ながら、攻撃を仕掛ける伊里耶を見据えた。
 将志の体勢は後ろに傾いており槍は弾幕を打ち払っているため、伊里耶の攻撃に対処する術を今の将志は持たない。
 迫ってくる拳。



 しかし、それが将志に届くことはなかった。



「きゃああああ!?」

 突如として、伊里耶は背後から強い衝撃を受けて吹き飛ばされた。
 吹き飛ばしたのは、先ほど将志が放った黒い連星。
 放たれた後、再び将志の下へと戻ってきていたのだった。

「……ふっ」

 吹き飛ばされて宙を舞う伊里耶を、将志は追いかけて抱きとめる。
 そして伊里耶を抱きかかえたまま、地面にそっと降り立った。

「……怪我はないか?」
「あいたたた……はい、大丈夫です……」

 将志が声をかけると、伊里耶は痛みに顔をしかめながらそう答えた。
 将志の腕の中で、伊里耶は残念そうにため息をついた。

「はあ……これは私の負けですね。不覚です……後ろからの攻撃に気付けなかったなんて……」
「……そうするために一芝居打ったからな。正直、最後の一撃は肝が冷えたぞ」

 将志はそう言うと、深いため息をついた。
 正直な話、黒い連星の速度があと少し遅ければ将志は倒されていたのだ。
 その緊張感は、将志が今まで感じた中でも上位五指に入るほどのものであった。
 将志の言葉を聞いて、伊里耶は小さく微笑んだ。

「……でも、次はあの手には掛かりませんよ?」
「……だろうな。あんなもの、初見の相手にしか通用せんよ」

 伊里耶を抱きかかえたまま、将志は鬼達の元へ戻っていく。
 戻ってみると、鬼達は将志に抱きかかえられた伊里耶を見て騒然としていた。

「嘘……母さんが負けたの……?」
「……私も母さんが負けるのは初めて見るね……」

 萃香と勇儀も呆然とした様子でそれを眺めている。
 そんな鬼達の目の前をとおり、先ほどの宴席の上座に伊里耶を下ろす。
 伊里耶は将志の手から離れると、手を叩いて鬼達に声をかけた。

「みんな落ち着いてください。今回の結果に驚くのは分かります。けど私だって無敗で強くなったわけではないんです。ここは、新しい目標が出来たことを喜びましょう?」

 伊里耶は晴れやかな笑顔を浮かべて全員に呼びかける。
 すると、鬼達は一気に沸きあがった。

「よっしゃあ! 絶対にアンタを超えてやる!」
「今度遊びに行くからな!」
「……いつでも来るが良い。俺はそうそう簡単に乗り越えさせるつもりはないぞ?」

 駆け寄ってくる鬼達を、将志はそう言って奮い立たせた。
 その言葉に、鬼達は更に昂った。

「ようし、今から英気を養うために飲むぞ!」
「賛成! 宴会じゃ宴会じゃ!」

 そういうと、再び宴会が始まった。
 将志は用意された席に座り、その光景を眺める。

「お注ぎしますよ、将志さん」
「……ああ」

 伊里耶が将志の杯に酒を注ぐと、将志もそれに対して返杯する。
 周囲の喧騒から外れ、穏やかな空気の中で二人は酒を飲む。

「…………」

 将志が酒を飲む姿を、伊里耶は微笑みながら眺める。
 その視線に気付き、将志は顔を上げた。

「……どうかしたのか?」
「今日はありがとうございました。こんなにみんなが楽しそうなのは久しぶりです」
「……こちらからも礼を言わせてもらおう。楽しかったぞ」
「ふふふっ、楽しんでいただけたのなら何よりです」

 伊里耶はそう言いながら将志に近づき、空の杯に酒を注ぐ。
 二人の距離は肩が触れ合うほどに近づいている。

「……将志さん」
「……? どうした?」

 しなだれかかりながら声をかける伊里耶に、将志は顔を向ける。
 将志からは、肩にしなだれかかる伊里耶の表情は伺えない。

「あのですね……今、一番下の子も大きくなって私の手から少しずつ離れていってます。正直、私少し淋しいんです」
「……ふむ?」

 伊里耶の意図するところが分からず、将志は小首をかしげた。
 すると伊里耶は顔を上げて将志の眼を見た。

「ですからね……そろそろ、次の子が欲しいと思うんです」

 そう話す伊里耶の視線は熱を帯びていて、顔は紅潮し、呼吸は乱れ始めていた。
 将志はその様子を見て、考え込んだ。

「……? 何でそれを俺に言う?」
「……はい?」

 キョトンとした表情で首をかしげる将志に、伊里耶は思わずぽかんとした表情を浮かべる。
 しばらくして、伊里耶は将志が朴念仁であると考えて話を続けた。

「くすくす、ですから、貴方の子供が欲しいんですよ」

 妖艶な笑みを浮かべながら伊里耶は将志にそう言った。
 将志の腕を抱き、伊里耶は返答を待つ。

「……? 俺に何をしろというのだ?」
「……あら?」

 しかし、伊里耶の予想のはるかにナナメ上を将志は行く。
 ……ひょっとして、その手の知識を何も知らないのではないか?
 そんな考えが伊里耶の頭の中に浮かんだ。

「……あの、将志さん? ひょっとして、私が何をしたいのか分からないんですか?」
「……すまん、正直分からん。何となく俺と伊里耶で何かすると言うのはわかるのだが……」

 実のところ、将志は伊里耶が何をしたいのかさっぱり分かっていなかった。
 何故なら、将志にその手のことを教えるものは居なかったうえ、本人が全く興味を示さなかったからである。
 本気で困った顔をしている将志を見て、伊里耶は将志を抱き寄せた。

「そうですか……なら、これから私が教えてあげます。子孫を残すのは生きている者の義務ですよ?」
「……よく分からんが、そういうものなのか?」
「ええ、そういうものです。さあ、こちらにどうぞ」
「……ああ」

 何をするのかさっぱり分かっていない男の手を引きながら、伊里耶は母屋のほうへ歩いていく。

「ねえ~勇儀~、なんか母さんに火がついてたね~♪」
「あっはっは、こりゃ新しい仲間が増える日も近いかも知れんね」

 その様子を見て、萃香と勇儀が酒を飲みながらそう言って笑う。

「…………」
「……?」

 が、二人ともすぐに戻ってきた。
 とても穏やかな顔をした伊里耶の横で、将志が訳も分からず首をかしげている。

「……ねえ、何か様子がおかしくない?」
「……そうさねえ、やったにしては早すぎるし……」

 萃香と勇儀は互いに顔を見合わせ、伊里耶のところに向かった。
 伊里耶は何かを悟ったような表情を浮かべており、どこまでも穏やかであった。

「母さん、いったいどうしたの?」
「仲間増やしに行ったと思ったんだけど?」
「それがですね……将志さんがその気になりそうにないので、性欲を平等にしようとしたんです。すると私の体から熱が引いて、それがどうでもよくなるくらいとても穏やかな気分になってきたんです。悟るってこういう感覚なんでしょうか?」

 その言葉を聞いて、萃香と勇儀は唖然とした表情で将志のほうを向いた。
 将志は相も変わらず、何が何だか分からないという表情を浮かべていた。

「……あの状態の母さんを悟りの境地に持っていくとか……」
「幾らなんでも悟りすぎじゃないかい?」
「……むう?」

 槍ヶ岳将志、性欲がマイナスに天元突破している男であった。




「うぎゃあああああ!?」
「ぐあああああああ!?」

 宴会中しばらく戦ったり酒を飲んだりしてドンチャン騒ぎをしていると、突如として鬼達が吹っ飛ばされて宙を舞った。

「……何事だ?」

 突然の事態に、将志が顔を上げる。

「来たね……」
「あっはっは、将志とやれなかった分、しっかりやれそうだ」

 萃香と勇儀は酒を飲む手を止め、楽しそうな笑みを浮かべて立ち上がる。
 将志は二人の後ろについていき、事の次第を確かめることにした。

「くっ、毎度毎度やられてばかりだと思うな!」
「今日こそお前をぶっ倒してやる!」

 鬼達は異常なまでの剣幕でそう叫ぶ。

「……ふん、今日は貴様等雑魚共に用はない。失せろ!」

 その中心には、大きな黒い翼を生やした妙齢の女性が居た。
 その整った顔立ちは不機嫌そうに歪められており、近づくと手にした大剣で両断されそうな危険な空気を漂わせていた。

「ざ、雑魚だと……てめえええ!」
「ふんっ!」
「ぐうっ……」

 殴りかかってきた鬼を、天魔は軽くいなして鳩尾に掌打を喰らわせて沈める。
 その様子を見て、鬼達は一気に加熱した。

「やりやがったな!」
「敵をとれ!」
「何が何でも!」

 そんな鬼達の声を聞いて、天魔は苛立ちを隠さなかった。

「……ちっ、面倒だ。まとめて果てろ!」
「うわあああああ!」
「ぎゃあああああ!」
「ぎええええええ!」

 天魔はそういうと翼からレーザーを数本放って鬼達を一気に薙ぎ払った。
 レーザーはかなりの高出力で、食らった鬼達は地面ごと空高く吹き飛ばされていた。

「このおおお!」
「遅い!」
「ぐふっ……」

 レーザーを掻い潜って殴りかかってくる鬼達を、今度は大剣で弾き飛ばす。
 一対一で掛かってくる鬼達を、天魔は次々と倒していく。

「貴様で最後だ!」
「がはっ!」

 最後の一人を天魔はレーザーで弾き飛ばす。

「……ふん、懲りない奴らめ。毎度毎度余計な時間をくわせてくれる」

 天魔は相変わらず不機嫌そうにそう言う。
 後には、気絶した鬼達が死屍累々と言った有様で転がっていた。

「相変わらずやるねえ、天魔。ねえ、今度は私と遊んでよ!」

 天魔の前に萃香が躍り出て、勝負を申し込む。
 天魔はそれを聞いて、ため息をつく。

「今回の用事は貴様でもない。引っ込んでろ」
「……ひぅ!?」

 天魔がそういうと、突如として萃香の様子がおかしくなった。
 体が震え始め、おどおどし始めた。

「はわわわわ……」

 萃香は瓢箪を手に取り、中身を一気に飲み始めた。
 強烈な酒精が萃香の中に注がれるが、萃香の様子は変わらない。

「あううう、酔えない、酔えないよう……」

 萃香はそう言いながら、ひたすらに酒を飲み続ける。
 どうやら、天魔の能力で「酔いが醒めたという幻覚」を覚えているようであった。
 その様子を見て、勇儀は頭を掻いた。

「あっちゃ~……禁じ手を使うなんて、こりゃずいぶんと機嫌が悪いね」
「ふん、折角の休みを何度も何度も台無しにされていれば当然だろう。ところで、鬼神はどこだ? 後ろのそいつ共々話があるのだがな?」
「……む」

 天魔はそういうと、勇儀の後ろに立っていた将志をにらみつけた。
 その言葉に、将志は頬を掻く。

「……貴様、私との別れ際に何と言った? それを忘れて貴様と言う奴は……」
「……ぐっ」

 突如として、将志の頭を目の前が真っ暗になるほどの激しい痛みが襲う。
 将志は眼を閉じ、精神を集中させる。
 しばらくすると痛みは消え、目の前には憮然とした表情の天魔がいた。

「……まさか耐えるとはな。「地面を転げまわるほどの痛み」を味わったはずなんだがね?」
「……簡単なことだ。痛くないと思い込むことを貫き通せば、耐えられないことはない」
「そんな根性論で耐えたのかい……」

 淡々とした様子の将志のとんでもない発言に、勇儀が横で唖然とした表情を浮かべていた。
 その後ろから、人影が現われた。

「あらあら、天魔さんがここに居ると言うことは、やっぱり迷惑かけちゃいましたか?」
「迷惑も何も大迷惑だ。そこらじゅうに弾幕をばら撒いてくれたおかげで山は滅茶苦茶、おかげで私は休日返上で仕事だ。どうしてくれる」

 若干申し訳なさそうにそう言う伊里耶に対して、天魔はいらいらした様子で苦情を言う。
 天魔はキセルを取り出し、それに火を入れる。

「さて、どう落とし前をつけてくれるのだ?」
「そうですね……」

 天魔の問いに、伊里耶は考え込む。
 そして将志を見やると、伊里耶は名案を思いついたと言うように笑顔を見せた。

「では、今度貴女の代わりに私が銀の霊峰への視察に行くことにします。天魔さんはその日を代休にすればいいと思いますよ?」

 それを聞いて、天魔は口から紫煙を吐き出す。

「……色々と言いたいことはあるが、まあいい。結果として私の休日は戻ってくるし、妖怪の山の戦力の一端を霊峰の連中に示すことが出来る。今回の落としどころとしては悪くないか」

 天魔はそういうと、踵を返した。

「では、私は戻る。くれぐれもこれ以上面倒を増やしてくれるなよ」

 天魔は念を押すようにそう言うと飛び去っていった。

「はう~……やっと元通りだよ……」

 天魔が飛び去っていくと同時に、萃香の幻覚が解けて酔いが回る。
 ホッとした様子の萃香に、将志は話しかける。

「……大丈夫か? ずいぶんと錯乱していたようだが……」
「あ~、何とか大丈夫よ。あ~もう! あの手は反則って言ったのに~!」

 萃香はそう言って地団太を踏む。
 どうやらまともに勝負してもらえなかったのが癪に障っているらしい。

「……天魔はいつもああなのか?」
「ううん、いつもはちゃんと勝負してくれるよ。何でも、相手が反撃してこないと楽しくないとか何とか」
「……なるほど、そういう性格か」

 萃香の言葉に、将志は頷いた。
 要するに、天魔は抵抗してくる相手を力で無理やりねじ伏せるのが好きなのである。
 その被害を最も受けているのが一般の鬼であり、その天魔にとって程よい強さと闘争心から適当な口実を作ってはしょっちゅう殴り込みに行っているのであった。

「……ところで、この惨状はどうするのだ?」

 辺りを見回しながら、将志はそう呟く。
 周囲には立ってる鬼は僅かしか居らず、他は全て地面にに転がっている。

「どうするって、看病するしかないさね。残念だけど、宴会はこれでお開きだね」
「……致し方なし、か」

 そう言って肩をすくめる勇儀に将志は頷く。
 その将志に、伊里耶が近づいて頭を下げた。

「ごめんなさい、将志さん。今日はここまでです」
「……いや、俺はもう満足だ。先ほども言ったが、今日は楽しかった。改めて礼を言わせてもらおう」
「どういたしまして。またいつでもいらしてください」
「……ああ、そうさせてもらおう」
 
 将志はそういうと、自分の社に帰るべく空へと飛び立った。



[29218] 銀の槍、恥を知る
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 01:20
 銀の霊峰の社にて、銀の髪の妖怪は頭をフル稼働させていた。
 何やら必死で考えるその姿は、その悩みが本物であることを窺わせる。
 将志は朝から晩まで考え事をしており、周囲の妖怪や幽霊達も将志が何に悩んでいるのかと軽い騒ぎになっていた。

「……う~む……」

 食事の時間も将志は考え事に忙しく、うんうんと唸っていた。
 愛梨達が話しかけても上の空で、あまり会話に参加できていない。
 そのうえ余程考え事が大事なのか、用が済むとすぐに自室へと戻ってしまうのだ。

「将志くん、いったいどうしちゃったのかな?」
「お兄様、滅多なことでは悩みませんのに……」
「む~、最近兄ちゃんが構ってくれなくて淋しいぞ……」

 今までになかった将志の状態に、愛梨達は何事が起きたのか測りかねていた。
 そんな中、突如として燃えるような赤い髪の小さな少女が立ち上がった。

「よしっ! 分からなけりゃ聞きゃいいんだ! 姉ちゃん達、俺、兄ちゃんのところへ行って来る!!」

 アグナはそういうと一直線に将志の部屋まで駆けて行った。

「……アグナのあの行動力は私達も見習ったほうが良いかもしれませんわね」
「キャハハ☆ そうかもね♪」

 赤い和服の少女と、黄色い服のピエロの少女はそう言いながらアグナを見送る。
 二人は食事の後片付けをして、それぞれの時間を過ごす。
 六花は己の本体である包丁を磨き、愛梨は暇つぶしにジャグリングの新しい技を考えたり玉乗りの練習をしたりしていた。

「ねーちゃん達~!!」

 しばらくそうしていると、アグナがパタパタと走って戻ってきた。

「とうっ!!」
「きゃあ!? もう、アグナ! いきなり飛びつくと危ないですわよ?」

 まっすぐに胸に飛び込んできたアグナに、六花は苦笑しながらそう言った。
 するとアグナはそれに対して楽しそうに笑い返した。
 
「あはは、細かいことは気にすんな! そんなことより、姉ちゃん達に訊きてえことがあるんだ!!」

 アグナがそういうと、愛梨が乗っている大玉を転がしながらアグナのところへやってくる。

「いいよ♪ 何が訊きたいのかな?」

 愛梨はニコニコと笑いながらアグナにそう問いかけた。

「おう、じゃあ訊くぜ!!」

 次の瞬間、元気良く発せられたアグナの質問に、一同は絶句することになった。



「子供ってどうやって作るんだ!?」



 愛梨は大玉から転げ落ちそうになり、六花の時が止まる。
 アグナの橙色の眼はどこまでも純粋な光を放っており、単純に興味からそう訊いているのが分かる。

「……ええと、アグナちゃん? どうしてそんなことを訊きたいのかな?」

 大玉から降り、引きつった笑みを浮かべながら愛梨がアグナにそう訊き返す。
 するとアグナは満面の笑みを浮かべて言った。

「兄ちゃんの悩み事がそれだから!!」
「六花ちゃん、将志くん召喚」
「心得ましたわ」

 愛梨の一言で、襷をかけた六花が腕まくりをしながら将志の部屋に向かう。
 しばらくすると、六花に腕を掴まれた状態の将志が現われた。

「……どうした?」
「どうした、じゃないよ……将志くん、君はいったい何に悩んでるんだい?」
「……む、実はこの間妖怪の山に行ったときにだな、子供を作らないかと言われたのだ。生きているものとしての義務と言われたので実行しようとしたのだが、生憎と俺は方法を知らんのでな。教えてくれるはずの者も気が変わってしまったらしく、結局分からずじまいだ。そういうわけで、どんな方法なのかを考えていたのだが……分かっているのは誰かと二人で行うということくらいだ。何か知らないか?」

 将志はそう言うと、愛梨と六花に眼を向けた。
 将志の黒曜の瞳はどこまでも澄んでいて、これまた純粋な疑問のようであった。
 それを受けて、二人は顔を見合わせたした。

「……お兄様、ちょっと愛梨と話し合って宜しくて?」
「……? 別に構わんが……」

 将志がそういうと、六花と愛梨は将志に背を向けて小さな声で話し始めた。

「……まさか、お兄様がそこまで純粋培養だったとは思いませんでしたわ……」
「きゃはは……よく考えたら、将志くんって今まで一度もそういうことに興味示さなかったもんね……」

 額に手を当ててため息をつく六花に、乾いた笑みを浮かべる愛梨。
 想定していた事態をはるかに上回る現状に、二人はため息をつく。

「妹の身分としては、枯れていることを心配するほどでしたが……そもそも全く知識がないというのは想定外ですわ……」
「それはそうとして、どうしよう? 教えてあげないと将志くん悩みっぱなしになっちゃうけど……」

 愛梨はそう言って六花のほうを瑠璃色の瞳でちらっと見やる。
 愛梨は頬を真っ赤に染めており、落ち着かないのか手にした黒いステッキをくるくると回している。
 良く見てみるとその眼には熱が篭っており、呼吸もわずかながらに乱れ始めている。
 そんな愛梨の言葉に、六花は首を横に振る。

「だからと言って、私達でどうやって教えるって言うんですの? 口で言うのは難しいですし、かと言っていきなり本番をやらせるわけには行かないですわよ?」
「だ、だよね~!! そ、そういうことは本人も納得してからじゃないとね~!!」

 六花がそういった瞬間、愛梨は弾かれたように顔を上げて手を目の前でぶんぶんと振った。
 愛梨の表情は明らかに慌てたものであり、真っ赤だった顔はさらに赤くなって耳まで染まっている。
 それを見て、六花は愛梨にジト眼を向ける。

「……愛梨、まさか貴女……」
「わわわ、そ、そんなことより将志くんのことを考えようよ!」

 慌てて取り繕う愛梨を見て、六花は盛大にため息をついた。

「まあ良いですわ。今は当面の問題を……」
「あの~姉ちゃん達?」

 話し合いを続ける二人に、アグナが話しかける。

「何ですの?」
「んとな、兄ちゃん、朝の定時連絡に行っちまったぞ?」
「「え……?」」

 二人が将志が立っていたところを見ると、将志はいなくなっていた。


*  *  *  *  *


 一方その頃、将志は迷いの竹林に向かって道を歩いていた。
 道とは言うものの、そこは森の中の獣道のようなもので、辺りには誰もいない。
 当の将志はといえば、相変わらず考え事をしていて少し歩みが遅くなっていた。

「……う~む……」
「あら、何を考えているのかしら?」
「……む」

 考え事をしている将志の目の前に、突如現われるリボン付きの空間の裂け目。
 その中の禍々しい空間から、一風変わった帽子をかぶった少女が顔を出した。

「貴方が考え事なんて珍しいじゃない。貴方が思い悩むような大事なんて最近あったのかしら?」

 紫は笑みを浮かべながら将志にそう問いかける。
 将志はそれを聞いてふっとため息をついた。

「……これが珍しいと言えるほど、お前には会ってないはずなのだがな?」
「ええ、確かに会ってはないわね。でも、私は貴方の事をいつだって見ているのよ?」

 紫は目を細め、愉快そうに笑う。
 将志はそれを聞いて、額に手を当ててため息をつく。

「……やれやれ、時折感じていた視線はお前か、紫。見ていて面白いものでもないだろうに」
「面白いかどうかを判断するのは、貴方じゃなくて私よ?」
「……それはそうだが」

 将志はそう言いながら首を横に振る。
 そして、小さく息を吐くと紫の眼を見つめた。

「……それで、わざわざ目の前に出てきたと言うことは何か用があるのだろう?」
「いいえ、特には。私はただ貴方とお話がしたかっただけですもの」

 将志の問いかけに、紫はそう言って笑みを浮かべる。
 そのからかうような紫の言葉に、将志は再びため息をついた。

「……全く、お前だけは全く分からんな」
「誉め言葉と取らせてもらうわ」

 そういうと、紫はスキマの中から出てきて将志に近寄る。

「それで、貴方はいったい何を考えていたのかしら?」

 紫は将志の顔を下から覗き込みながらそう問いかけた。
 その表情は、まるで親しい者からもらった贈り物の箱を開ける時のような表情だった。
 将志は少し考えて、紫に話してみることにした。

「……実はな、子供の作り方について考えていたのだ」
「……え?」

 将志の言葉を聞いた瞬間、紫の眼は点になった。
 それに構わず、将志は話を続ける。

「……以前、子孫を残すのは生きている者の義務と言われてな。俺も生きている以上それを実行せねばならんのだが、どうやって作るかわからないのでそれを考えていたのだ。紫はどうすれば良いか……?」
「っっっっ~!」

 将志が話を止めて紫を見やると、紫は顔を火が出るのではないかと言うほど真っ赤に染め、顔を手で覆い隠すようにして俯いていた。
 紫の頭の中では将志の言う子孫を残す方法がぐるぐると回っていた。
 しかもなまじ頭が高性能なせいで、それが細部までリアルに想像できてしまったのだ。
 おまけに紫には男性経験など皆無で、その手のことに対しては全く免疫が無い。
 その結果、紫の頭はオーバーヒートを起こし始めていたのであった。
 訳が分からず、将志は首をかしげる。

「……紫。何故そんなに赤くなっているのだ?」
「な、なななななんでもないわ……」

 紫は何とか平静を取り繕おうとするが、顔に注した朱は取れておらず、動揺は隠し切れていなかった。

「……そうか……それで、子供を作る方法は分かるか?」

 しかし将志は紫が何かに反応していることは気がついていたが、原因が分からないので平然とトドメを注しにいくのだった。
 将志の質問に、紫は顔を隠しながら激しく地団太を踏んだ。

「っ~~~~~!! し、知らないわ。残念だけど、他を当たってちょうだいっ!」

 紫はそういうと、スキマを開いて逃げるようにして飛び込んだ。

「……はて……いったいどうしたと言うのだろうか……?」

 将志はただ紫の行動に首を傾げるばかりだった。


*  *  *  *  *


 永遠亭についてから、将志は普段どおり調達してきた物資を渡し、情報を交換する。
 その後、いつもの通り湯を沸かして茶を入れ、居間に運ぶ。

「……茶が入ったぞ」
「ご苦労様。そう言えば将志、最近面白いことはあった?」
「……妖怪の山で面白いことがあったな。二人の強者に出会うことが出来た……俺はまだまだ強くなれそうだ」
「それ以上強くなってどうするのよ……」

 永琳の問いかけに将志が答えると、半ば呆れ口調で輝夜が呟いた。
 三人はそれぞれ話をしながら将志が入れた緑茶を口にした。

「……っ」
「あら?」
「……?」

 その緑茶を口にした瞬間、将志は顔をしかめ、永琳は首を傾げ、輝夜はその二人を見て首を傾げる。

「どうしたの、二人とも?」
「将志、あなた何か悩み事でもあるのかしら? 何となく、いつもの味と違う気がするわ」
「……流石に主には隠しとおせないか」
「え、え?」

 茶の味に関する二人の会話に、輝夜はついていけずに困惑する。
 輝夜はもう一口手元の緑茶を飲むが、いつものものとどこが違うのか分からない。
 永琳が見つけた違いは、普段から良く味わって飲んでいる者でも見落としてしまうくらいの僅かな変化だったのだ。

「将志。いったい何があなたを悩ませているのかしら? 教えてくれるかしら?」
「……しかし、良いのか?」
「良いに決まってるわ。友人って、気軽なものでしょう? そう言ったのはあなたなのよ?」

 永琳がそういうと、将志は嬉しそうに微笑を浮かべた。

「……くくっ、主には敵わないな。まさかそんな大昔の言葉を覚えているとはな」
「何言ってるのよ。あの時の言葉で私がどれだけ救われたと思ってるのかしら? 一時だって忘れたことはないわ」

 笑みを浮かべる将志に、永琳は当時を思い返しながら穏やかな顔で笑い返した。

「……お茶が甘いわ……」

 その横で輝夜がげんなりした顔でお茶を飲んでいたが、誰も気にしない。

「それで、あなたは何を悩んでいるのかしら?」
「……実はな、子供の作り方がわからなくてな……」
「……はい?」
「ぶふっ!? ゲホッ、ゲホッ!!」

 将志の悩みの内容に、永琳は呆気にとられ、輝夜は茶を噴き出した。
 その様子を見て、将志は首をかしげた。

「……いつも思うのだが、俺は何か妙なことを言っているのか? 尋ねるたびに妙な顔をされるのだが……」
「そ、その前に、貴方本気で言ってる?」
「……? 本気だが……何故そのようなことを訊く?」

 少々焦り気味の輝夜の質問に、将志は淡々と答える。
 それを聞いて、輝夜は信じられないと言う表情を浮かべた。

「永琳、ちょっと」
「……ええ」

 輝夜に呼ばれて、永琳はそちらに向かう。
 永琳は呆然としていて、どこか上の空だった。
 将志があんなことを言い出すとは思ってもみなかったのである。

「ねえ、将志って本気で何の知識もないの?」
「……少なくとも、私が教えた覚えはないわね……」
「にしたっておかしいでしょ!? 億単位で生きてきて全く知らないなんて、どういう生活送ってきたのよ!?」
「そういうことを知らずに済む生活としか言い様が……」

 二人は小声でそう話し合う。
 将志はそんな二人を見て、ひたすらに首をかしげる。

「……何を話しているのだ?」
「い、いえ、こちらの話よ。ところで、何でそんなことを知りたくなったのかしら?」
「……ついこの間の話なのだが、子孫を残すのは生きている者の義務だから子供を作らないかと言われてな。作り方を知らないから教えてくれるとのことだったのだが、相手の気が変わってしまって分からずじまいだ。義務と言うからには必ず実行せねばならないと思うのだが、その方法が分からないのではな……」

 将志は至って大真面目にそう話す。
 義務であるのであればしなければならない。将志の考えはただそれだけのことで、妙な下心など全く無いものであったのだ。
 そのあんまりな理由に、二人は頭を抱える。

「うわぁ……本当に何も知らなかったのね……」
「……無知って怖いわね。やっぱりある程度の知識は必要みたいね……」

 そう呟く永琳を見て、輝夜は何か思いついたようだ。
 輝夜は薄く笑みを浮かべると、将志のほうを向く。

「ねえ、将志。そんなにやり方を知りたいのなら、私が教えてあげようか?」
「……輝夜?」

 輝夜はそう言いながら将志ににじり寄る。
 それを聞いて、将志は頷いた。

「……ああ。教えてもらえるのならありがたい。ご教授願えるか?」

 やはり全く分かっていないのだろう、将志は眉一つ動かさずにそう答える。
 その返答に、輝夜は妖艶な笑みを浮かべて将志の腕を抱き寄せた。

「うふふっ、良いわよ……でも、ここじゃ教えられないから私の部屋に……」
「……? ああ」
「ちょっと、輝夜!!」

 輝夜の言葉に頷きかけた将志を見て、慌てて永琳が割ってはいる。
 それを確認すると、輝夜は笑い出した。

「あははははは、必死な永琳なんて久しぶりに見たわ!」
「何を言ってるのよ! 無知なのを良いことに将志を弄ぶ気!?」

 普段からは考えられない剣幕で輝夜に詰め寄る永琳。
 そんな永琳を、輝夜は手で制した。

「まあまあ、怒らないで。このままじゃ、将志は誘われたらホイホイついて行っちゃうのがはっきりしたんだしさ。そんなに言うなら、永琳が教えてあげれば良いじゃない」
「……分かりました。そういうことなら私が教えましょう。将志、ちょっとこっち来なさい」
「……ああ」

 永琳はやたらと気合の入った顔で立ち上がると、将志の腕を掴んで自室に案内した。



  ――授業中――



「……俺は、何と言うことを……」

 しばらくすると、将志が部屋から出てきた。
 将志は酷く落ち込んだ様子で、眼を手で覆っていた。
 どうやら人並みの羞恥心は持ち合わせていたようであった。

「あ、終わった?」
「……申し訳ない、知らなかったとはいえ、女子にあのようなことを訊くとは……」

 居間に入ってくるなり、将志は輝夜に頭を下げた。
 将志の羞恥に染まった表情を見て、輝夜は笑みを浮かべた。

「へえ……将志もそんな顔するんだ……ま、私は気にしてないから安心しなさい」
「……感謝する。それから、今日はもうこれで失礼する。では、な」

 将志はそう言うと、逃げるようにして永遠亭を後にした。
 それからしばらくして、永琳が居間に戻ってきた。

「ふう……なかなかに骨が折れたわね……」
「あ、お疲れ、永琳。あの様子ならもう大丈夫ね」
「ええ……本当に、子作りは生きている者の義務、なんて言った奴に苦情を言いたいわ」

 永琳はそう言いながら将志が淹れたお茶を飲む。
 冷めてしまってはいたが、それでも話し続けて渇いた喉を潤すには十分だった。

「でも、将志の珍しい表情が見れたから良しとしましょう」
「はいはい、ごちそうさま」

 満足げな笑みを浮かべてそういう永琳に、輝夜は投げやりな言葉を掛けるのだった。



[29218] 銀の槍、酒を飲む
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 01:28
 蒼い月が空高く昇る夜、将志は永琳に呼び出されて永遠亭に来ていた。
 己が無知を散々に恥じた将志であったが、毎日の報告は欠かしていなかったのでわだかまりも解けている。
 ……もっとも、愛梨と六花が妖怪の山に抗議しに行き、大喧嘩に発展したのだがそれは別の話である。

「……はっ」

 永琳は薬の材料の備蓄を確認しており、その待ち時間を使って将志は鍛錬をする。
 伊里耶との戦いの後、将志は己が技に磨きをかけるだけではなく、新たな技を生み出すべく模索を続けていた。
 将志は舞い踊るように手にした槍を振るう。
 水が流れるように淀みなく、研ぎ澄まされた刃のように鋭く銀の槍が翻る。

「……ふっ」

 そんな中、将志はまっすぐに突きを放つ。
 ただ速度だけを重視した愚直な一閃。
 そして、ついこの間伊里耶に破られたものでもあった。
 将志は素早く槍を引き、構えなおす。

「……せっ」

 将志は斜め下、相手の足元を狙って突きを入れる。
 しかし、将志は手首を動かしてその軌道を捻じ曲げる。
 その結果、銀の槍は曲線を描いて仮想の相手を貫いた。
 しかし、将志はそれを見てわずかに眉をひそめた。

「……違うな」

 将志は槍を戻しながらそう呟く。
 この程度で敗れる相手なら、伊里耶はあの一突きを掴めたはずが無い。
 そう思いながら再び槍を構える。

「将志? どうかしたのかしら?」

 将志が声に振り向くと、そこには紺と赤の服を着た女性が立っていた。
 その姿を認めると、将志は小さく一息ついて口を開いた。

「……いや、俺はいつから停滞していたのだろうかと考えていたのだ。だからこうやって新しい技などを考えていたのだ」
「……停滞していた?」
「……ああ。人間は俺がただ愚直に槍を振るっている間に、次々と新しい技を見につけている。それが戦いにしろ、料理にしろだ。だというのに、俺はといえばただひたすらに同じことを繰り返しているだけだ。これを停滞といわずしてなんと言う?」

 まるで自嘲するかのように将志はそう言った。
 それを受けて、永琳は少し考え込んだ。

「……ねえ、将志。それって本当に停滞なのかしら?」

 永琳の一言に、将志は首をかしげた。

「……どういうことだ?」
「私は将志とは長い間離れ離れになっていたわ。それでまた会えたあの日、久しぶりに見たあなたの槍捌きは前と比べても比べ物にならないくらい綺麗で、すごいと思ったわ。それって停滞してるといえるのかしら? それに、あなたはその新しいものに負けたと思ったことはあるのかしら?」
「……少なからずあるが……」
「じゃあ、それを見て何も感じなかった?」

 永琳に言われて、将志は今までの相手を思い返した。
 神奈子や諏訪子、天魔や伊里耶、そして愛梨など、今まで戦った中で印象に残った者達との戦いが頭によぎる。

「……いや、感心するものもあれば、嫌悪するものもあった。そして、真似したいと思ったものは真似をした」
「それって十分に成長と言えるんじゃないかしら? 何も自分で作り出すだけが正しいとは限らないわ。人から学ぶことだって成長よ。それに、新しいからといってそれが優れているとも限らない。愛梨から聞いたんだけど、将志は滅多なことじゃ負けないでしょう?」
「……ああ」
「なら、あせる必要は無いわ。良いものは吸収して、悪いと思えば直す。あなたは自分が正しいと思ったものを選べばそれでいいと思うわよ」
「……そういうものか?」
「ええ、そういうものよ。下手に思い悩むよりも自分を信じなさい。私が信じるあなたは、自分が思うよりもずっと強いのだから」

 永琳は優しく微笑みながらそう言った。
 その瞳は目の前の親友を心の底から信じている、どこまでも暖かなまなざしだった。

「……そうか」

 将志はそう言って静かに頷き、再び槍を構える。
 あたりは穏やかな静寂に包まれており、将志の纏う空気も穏やかなものである。

「…………」

 そのまま、気を張ることなく将志は槍を振るい始める。
 月に照らされ銀の光を放つ槍は風を切って宙を舞い、そのたびに空中に煌く銀の線が走る。
 将志は軽やかにステップを踏み、華麗に舞踏を続ける。
 その銀の芸術を、永琳は穏やかな表情で眺めていた。

「…………」

 最後の一突き、いつも渾身の力で放っていたものを、将志は穏やかな心のまま放つ。
 その一突きは不思議と軽く、想像以上の手ごたえがあった。

「……拳や剣は嘘を吐かないとはどこで聞いた話だったか。槍もまた同じことか。迷いや気負い、そういったものが如実に表れるな」

 将志は静かにそう呟いてで槍を納める。
 そして、永琳に向かって礼をした。

「……礼を言おう、主。主の一言で背負っていたものが無くなった。俺が信じる主が俺を信じるというのなら、俺は自分を信じよう」

 将志の一言に、永琳は嬉しそうに笑った。

「ふふっ、嬉しいことを言ってくれるわね。ところで、何を背負っていたのかしら?」
「……そんなものは忘れたな」

 将志は槍を赤い布で巻くと、永琳の下へ歩いていく。
 永琳は将志がやってくると、その隣に立って歩き出した。

「……それで、今日はどうしたのだ?」
「いいえ、あなたが妖怪の山に言ったときの話を聞いて、少しお酒が飲みたくなったのよ。それで、将志と一緒に飲もうと思ったのだけど、駄目だったかしら?」
「……いや、今日の仕事はもう終わっている。それに、この時間にここを訪ねることが決まった時点で今日の泊まりは確定だ。よって、気兼ねすることは何も無い」
「そう、それは良かった」

 お互いに話しながら広い永遠亭の中を歩く。
 二人の肩は触れ合うほどに近く、片時も離れることは無い。
 台所へ酒を取りに行くと、将志は永琳に声をかけた。

「……何か肴でも作るか?」
「いいえ、それは後で欲しくなったらにしましょう。それよりも、今日は月が良く見えることだし、それを見ながらのんびりと飲みましょう?」
「……月見酒か……成る程、それは美味い酒が飲めそうだ」

 将志はそういうと杯を取り出した。
 手に取ったところで、将志はふと思い出したように永琳に問いかけた。

「……そう言えば、輝夜は誘わないのか?」
「それがね、輝夜は絵巻物の読みすぎで寝不足なのよ。だから、今日はもう寝ちゃってるわ」
「……そうか。ならば来たときに杯を用意するとしよう」

 将志は二つの杯を持つと、永琳と共に月の見える縁側に腰を下ろした。
 月は空高く昇っており、一面を青白く照らし出している。
 あたりは静まり返っており、時折吹く風の音が優しい音楽として流れてくるのだった。
 永琳は酒の入った瓶の栓を抜き、杯に注いだ。
 白い濁り酒は青白く染まり、その海の中に白い月が浮かぶ。

「それじゃ、飲みましょう?」
「……ああ」

 二人はそういうと、酒を飲み始めた。
 米酒の深い甘みと共に豊かな風味が口腔内に広がっていく。

「……美味い酒だ。いつかの神達や鬼達と共に飲むにぎやかな酒も良いが、こういう風情のある酒もまた美味い」
「……にぎやかなお酒ね……そういえば、将志と一緒にそういうお酒を飲んだことはないわね」

 しみじみと呟いた将志の言葉に、永琳がそう呟く様に返した。
 それを聞いて将志は天を仰いだ。

「……いつか、飲めると良いな」
「……そうね。そのときは、どんな面子が揃っているのかしら?」
「……そうだな……主と俺、輝夜、愛梨や六花、アグナは最低限呼ぶだろう」

 将志がそういうと、永琳はその面子が揃った様子を想像して笑った。

「ふふっ、輝夜と六花が喧嘩して、将志に怒られるのが眼に見えるわね」
「……少しは大人しくして欲しいものだがな……ああまで顔を合わせるたびに喧嘩をされたのでは騒がしくてかなわん」
「でも、あれで二人とも結構楽しんでるみたいよ?」
「……それはそうだが、それを止めるのは俺なのだぞ?」

 ため息混じりに将志はそう言う。
 輝夜と六花が喧嘩をするたびに、将志は二人を宥めるのに苦労をしているのだ。
 酷いときは喧嘩両成敗と言うことで二人まとめて叩きのめすことすらあるのだった。
 永琳はそんな将志に楽しそうに笑いかける。

「お兄ちゃんは大変ね」
「……せめて輝夜はそちらで止めてくれないか?」
「私が言うよりあなたが言ったほうが早いわよ?」
「……そうなのか?」
「ええ、将志が思ってる以上に懐いてるわよ、輝夜は」
「……正直、懐かれるようなことをした覚えはないのだがな……」

 将志は首をかしげながら酒に口をつける。
 空になった杯に、永琳は新たに酒を注いだ。

「それが事実なんだから受け入れなさい。たぶんあなたが見えていないだけで、輝夜みたいに親愛の情を抱いている人はたくさんいるはずよ?」
「……だからといって、伊里耶みたいなのは……正直、対処に困る」
「さ、流石にそういうことを言う人は極少数だと思うわよ?」

 伊里耶の発言を思い出して、将志は疲れた表情を浮かべた。
 そのあとの騒動を考えれば、将志の表情も頷けるものである。

「……でも、顔を真っ赤にした将志は新鮮で可愛かったわね」
「……やめてくれ。今思い出すだけでも恥ずかしいのだぞ?」

 嬉々としてそう言う永琳に、将志は顔を背けながら言葉を返す。
 言葉の通り恥ずかしいのか酒に酔っているのかは分からないが、その顔は若干赤く染まっていた。

「……しかし、再びこうして主と酒が飲めるとはな。正直、あの日再会するまでは諦めかけていたのだが……」
「淋しかったかしら?」
「……淋しい以上に辛かった。守ると約束した主の側に居られないのだからな。その間に何かあったらと思うと、正直夜も眠れなかった。自分一人で何も出来ずに居るのが悔しくて、何も考えることが出来なかった」

 将志は当時の感情をかみ締めるように、暗い声でそう話した。
 そこには長い間将志が背負ってきた二億年の情念がにじみ出ていた。
 その壊れてしまいそうになるほどの重たい感情を感じて、永琳は眼を閉じた。

「そう……なら、愛梨に感謝しないとね。彼女が居なければ、本当にあなたは壊れていたかもしれないわ」
「……全くだ。愛梨が居なければ、俺は今頃この世のどこかで朽ち果てていただろうな……」

 将志は当時を思い返すように空を見上げた。
 星々の大海は以前と変わらぬ姿で目の前に広がっており、月はただ優しくあたりを照らしていた。

「……私は淋しかった。たった一人の親友が、あなたが居なくなっただけで、私はしばらく何も出来なかったわ。その間に出来たことといえば、あなたの無事を祈るだけだった。少しでもつながりが欲しくて、こんなものまで作ったわ」

 永琳はそういうと、首にかけていたペンダントを取り出した。
 そのペンダントは、真球の黒曜石を銀の蔦で覆うようなデザインをしていた。

「……それは……」
「ええ、あなたにあげたものと同じものよ。と言っても私のは霊力を抑えるためのものだから、あなたのものとは少し違うわ。でも、これがあるだけであなたが側に居る気がした。自分で作ったものなのに、いつかこれがあなたに逢わせてくれる様な気がしたわ。ねえ、将志。あなたは今もこれをつけているのかしら?」

 永琳の問いに、将志は無言で小豆色の胴着の中に手を突っ込んだ。
 そして、その中からペンダントを取り出した。
 それは永琳のものと全く同じデザインだった。

「……俺はこれを一時たりとも外したことはない。主がくれたこれを、どうしても外す気にはなれなかった」
「ふふっ、そこまで気に入ってくれて嬉しいわ。それね、ちょっとした願いを込めてあるのよ」

 永琳はそう言って優しく微笑んだ。
 将志はその言葉に永琳の方を見る。

「……願い?」
「私を守るあなたを誰かが守ってくれますように、あなたを笑顔にしてくれますように。それがそのペンダントに込めた私の願いよ」

 永琳は歌うようにペンダントに込めた願いを口にする。
 その言葉は将志の心に暖かさを残しながらしみこんでいった。

「……そうか……ならば、俺はその願いに救われたのだな」
「そうかもしれないわね。私のペンダントの願いも叶ったし、ひょっとしたら私にはおまじないの才能もあるのかも」
「……主のペンダントの願い?」
「決まってるじゃない。あなたに逢えますように。それがこれに込めた願いよ」

 永琳はそう言いながら自分の首に掛かったペンダントを指で弾く。
 将志はそれを聞いて嬉しそうに微笑んだ。

「……そこまで想われるとは友人冥利に尽きるな」
「あら、あなたにとって私はただの友人かしら?」

 将志の言葉に、永琳は拗ねたような口調でそういった。
 それに対し、将志は首を横に振った。

「……まさか。主であり、最大の友。ただの友人とは格が違う」
「それじゃあ、愛梨のことはどう思う?」

 永琳は少し真剣な表情でそう尋ねる。
 永琳にとって、愛梨は今でこそ和解しているが自分の下から将志を連れ去ってしまうかもしれない相手なのだ。
 その相手を将志がどう思っているかと言うのは永琳にとってとても大事なことなのであった。
 その質問を聞いて、将志は首をかしげながら考え出した。
 
「……何故愛梨のことが出てくるのかは知らんが……そうだな、友にして相棒。そういったところか」
「相棒ね……」

 永琳はそう言うと考え込んだ。
 考えようによっては、愛梨は永琳よりも近い位置に居る可能性がある。
 そう考えると、永琳は杯の酒を一気に飲み干して将志に質問を投げかけた。

「ねえ、将志。もし、私と愛梨が同時に危機に陥ったとしたら。将志はどっちから助けるかしら?」
「……主からだな」

 永琳の質問に、将志は即答した。
 それを聞いて、永琳は嬉しそうに微笑んだ。

「ずいぶん早い結論ね。それはどうしてかしら?」
「……俺は主を守ると決めた。だから何があろうとまずは主を守るし、何が何でも守ってやりたい」
「それじゃ、愛梨はどうするのかしら?」
「……愛梨に関しては全く心配していない。愛梨は強い。正直、愛梨はどんな危機に陥っても笑って乗り越えそうな気がする。だから、俺は愛梨を心配することはない」
「……それはそれで妬けるわね。愛梨のことをずいぶん信頼してるじゃない」

 永琳は少しふてくされた表情でそう言いながら将志に寄りかかる。
 それを受けて、将志は小さくため息をついた。

「……曲がりなりにも、長いこと共に居たからな。だからこそ、お互いのことはほぼ知り尽くしている。故に相棒なのだ」
「……まあ良いわ。一番の親友って言う立場は私のものなんだし」

 永琳は将志の腕を抱きながら杯に酒を注ぐ。
 将志が空の杯を差し出すと、永琳はそれにも酒を注いだ。

「ねえ将志。今からでもここで暮らさない? 私はやっぱりあなたと一緒に居たいわ」
「……そうしたいのはやまやまだが、今の俺には面倒なことに、神にして妖怪の首領と言う立場がある。俺はここに住むには、いささか目立ちすぎるのだ」

 将志の言葉に、永琳は残念そうに首を横に振った。

「はあ……やっぱり駄目か。立場ってどこでも面倒なものね」
「……すまないな。その代わり、俺は呼べばいつでも駆けつけよう」
「いいのかしら? しょっちゅう呼ぶわよ? 私、これでも淋しがりやよ?」
「……そこは、仕事に支障が出ない程度に頼む」

 楽しそうに腕を抱きしめてそういう永琳に、将志は思わず苦笑いを浮かべた。
 二人して月を眺める。月はどこまでも優しく二人を照らし出していた。

「……月が綺麗ね……」
「……ああ、俺もそう思うぞ」

 二人はそう言って寄り添いながら、しばらく月を眺めていた。



[29218] 銀の槍、怨まれる
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 01:35
 にぎやかな都の大通りの裏の仕立て屋。
 そこに小豆色の胴衣を着た、研ぎ澄まされた鋼のような銀の髪の一人の男が入っていった。

「……邪魔するぞ」
「……アンタか、槍次」

 仕立て屋の主人は将志を見ると、そう呟いた。
 この仕立て屋は仕事の手配師もしており、将志は出稼ぎのために出向いていた。
 なお、槍次というのは将志が仕事を請けるときに使っている偽名である。
 何故そんなことをしたかと言うと、以前本名で仕事を請け負った際に有名になりすぎ、名乗った時に妙な眼で見られることになったからだ。
 鑑 槍次(かがみ そうじ)。それが今将志が名乗っている名前である。
 ちなみに、これは将志が『掃除』で『鏡』を磨いている間に思いついた偽名であった。

「……仕事はあるか?」
「……あるな。それも槍ヶ岳の後継者個人に向けたのがな」

 それを聞いて、将志はいぶかしむ様に眉をひそめた。
 通常、この手の仕事は全員が受けられるようになっているものである。
 しかしこの依頼は個人に向けてのものなのである。
 事と次第によっては、依頼人が仕事人を罠に掛けようとしている可能性が考えられるのであった。

「……依頼人がわざわざ俺を指名してきたのか?」
「いや、そういう訳じゃない。以前から色んな奴が失敗した依頼が余所から舞い込んできただけだ。となれば、必然的にうちの看板に任せることになるだろう?」

 将志は主人の出したその情報を聞いて警戒を若干解く。
 しかし罠である可能性は減ったとは言えども、かなり難易度の高い依頼であることは違いないので気を引き締める。

「……つまり、任せられるのが俺しか居ないと?」
「そういうことだ。妖怪退治は初めてじゃないだろう?」
「……まあ、確かにそうだが……妖怪がらみなのか?」
「ああ。何でも、はずれの森の中の小屋に妖怪が住み着いたらしくてな。その持ち主が対処に困って依頼してきたんだよ」

 主人は依頼の内容を簡潔に説明する。
 それを聞いて、将志は眼の色を変える。妖怪がらみとなれば、自分が出たほうが平和に片付くからである。

「……ほう。それで、依頼人はどこだ?」
「依頼人は用事があるらしく帰ったぞ。その代わり、ことの詳細を書いた書簡を賜っている。これだ」

 将志は主人から書簡を受け取ると、内容を確認した。
 そこには依頼の概要と報酬の提示、そして目的地までの地図が書かれていた。

「……成る程、必要な情報は全て書かれているわけだ。報酬の額もこの額なら妥当なところだな」
「……それで、受けるのか?」

 主人は少々厳しい表情で将志にそう尋ねた。
 主人にとって、将志は裏の顔の看板なのである。
 それを失うことになれば、手配師としては大打撃を受けることになるのだ。

「……受けよう」

 将志がそういうと、主人はため息をついた。

「……まあ、アンタがそう言うなら止めはしない。……生きて帰って来い」
「……ああ」

 将志は短くそう答えると、仕立て屋を後にした。




 夜、将志は地図を頼りに妖怪が出るという小屋へ向かった。
 小屋は森の奥にポツリとたっており、かなり長い間放置されていたことが分かる。

「……行くか」

 将志は偽装のための漆塗りの槍を地面に刺すと小屋に向かって歩みを進めた。
 妖怪を相手にすると言う仕事から、自分も妖怪であると言うことを示したほうが話が通るからである。
 将志は小屋へとまっすぐに歩いていく。

「……っ」
「あああああああああ!!」

 将志が小屋に近づくと、上から突然炎が降って来た。
 将志はそれを後ろに飛ぶことで躱す。

「……罠か」

 将志は今までの状況を鑑みて、冷静に判断を下した。
 そう、この依頼は最初からおかしかったのだ。
 顔を出さない依頼人、数々の失敗の報告、使用された形跡のない小屋。
 思い返してみれば怪しい点がいくつもあるのだった。

「……探したよ……まさかあの女の護衛が妖怪だったなんて思いもしなかった」

 炎の中から声がする。
 その声は少し低めの女性の声だった。

「覚悟は良いか?」

 炎が消えると、中からは白い髪の少女が現われた。
 少女の顔は憤怒に染まっており、将志のことをにらみつけていた。

「……覚悟、と言われても俺には全く身に覚えが無いのだがな?」
「うるさい!」

 叫ぶ少女から炎が放たれる。
 将志はそれを横に飛ぶことで回避し、少女を見据える。

「……あの女はもういない……だけど、あの女が大切にしていた奴は目の前にいる。だから、私はあんたを滅茶苦茶にしてやる!」

 再び少女から激しい炎が放たれる。
 炎は周りの森を焼き、周囲を真昼のように明るく照らし出した。

「……目的は復讐か?」

 将志は迫りくる炎を躱しながら少女の目的を探る。
 炎は将志の頬を軽く焼きながら通り過ぎていく。
 少女がどこまで巨大な炎を出せるか分からないため、あえてギリギリで避けることで放つ炎の規模を拡大させないようにしているのだ。

「……一つ訊こう。あの女とは、誰のことだ?」
「あんたに答える筋合いは無いっ!」

 熱風が将志の銀の髪を焦がしていく。
 爆発する感情に任せて放たれる炎によって、周囲は火の海と化していた。

「……ちっ」

 将志は足元を焦がし始めた炎を避けるために空へと上がる。

「逃がすかぁ!」

 そこをすかさず火の鳥が突っ込んでくる。
 将志はそれを冷静に見極め、回避した。

「…………」

 将志はどうするべきか考えた。
 少女の言動と己の今までの行動から推察して、あの女とは恐らく輝夜のことであろう。
 そしてこの少女を放置した場合、今後どこで襲われるか分からない。
 つまり、永遠亭にいる輝夜や永琳が危機にさらされる可能性があると言うことである。
 と言うことは、何とかしてこの炎の少女を止めなければならない。

 そこまで考えて、将志は妖力で銀の弾丸を作り出し、少女に向けて撃ち出した。
 弾丸は迫りくる炎を貫き、少女の左肩と右わき腹に命中した。

「あうっ、まだまだあああああ!!」

 しかし少女は傷を負っても止まる気配が無い。
 それどころか、先程よりも激しく燃え上がりながら将志に攻撃を仕掛けてくる。
 そこに、躊躇など存在しなかった。
 そんな自らの怪我をものともしない少女の姿を見て、将志は眼を閉じた。

「……お前の怨み、請け負おう」

 将志は祈るようにそう呟くと、銀の槍を作り出した。
 その間に、少女は夜空を赤く照らしながら将志に迫っていく。
 そんな彼女に、将志は正面から向き合った。

「……ふっ」
「うっ!?」

 将志は銀の槍を躊躇うことなく少女に向かって投げた。
 槍は少女の心臓を、狙い違わず貫いた。
 少女は地面に落ちていく。

「…………」

 将志は地面に降り、少女を見やった。
 少女の左胸には、自身が放った銀の槍が突きたてられている。

「……すまない」

 将志はそう言って少女に背を向け、立ち去ろうとする。

「……っ!?」

 しかし、強烈な殺気を感じて将志は空へ飛び上がった。
 すると少し遅れて将志が立っていた所を炎の激流が走っていった。
 その先にあった木々は一瞬にして燃え上がり、崩れ落ちていく。

「……これは、いったい?」
「おおおおおおおおおおお!!」

 将志が想定外の事態に困惑していると、下から再び炎が飛んでくる。
 見ると、その炎の中に先ほど心臓を貫かれたはずの少女がいた。
 胸の傷はふさがっており、跡形も残っていなかった。

「……くっ、どうなっている?」

 将志は少女の攻撃を避けながら銀の槍を三本作り出す。
 そして、少女に向かって一気に投げつけた。

「ぐうっ! このおおおおお!!」

 が、少女はその槍を身体に受けながらも攻撃をやめない。
 それどころか、更に攻撃は苛烈になっていった。

「……くっ、まさか……」

 ここまでの少女の挙動を見て、将志はある推論へと至った。
 それは、少女が蓬莱の薬を飲んだのではないかと言うことであった。
 もしこの少女が輝夜と関係があるのならば、可能性が無い訳ではない。
 そもそも、輝夜と関係がある人間であるならば、数百年経った今を生きていることすらおかしいのだ。
 ……長い戦いになる。
 そう思った将志は、小さくため息をついた。




 将志のため息から数刻の時が経った。

「かはっ……いい加減に、食らえ!」
「…………」

 少女が放つ炎を将志は淡々と避ける。
 少女の身体には先ほどから何度と無く銀の槍が突き刺さり、出血を強いる。
 あれほど苛烈だった炎は疲労のせいか段々と小さくなっていた。

「……く……はあっ!」
「……当たらん」

 既にフラフラな状態の少女に対し、平然と立っている将志。
 勝負は既に決しているようなものの、少女は諦めようとしない。

「……そこまでにしておけ。これ以上は無駄だ」
「う、うるさい!」

 放たれる火の玉。将志はそれをあえて避けずに、槍で切り払った。
 もはやお前の炎など恐るるに足りん、そう言わんばかりの行動であった。
 それを見て、少女はその場にへたり込んだ。体力と精神の限界が来たのだ。

「……くそっ……なんで、当たらないの……」

 少女はしゃがみこんだまま、悔しげにそう言って涙をこぼした。
 そんな少女に、将志は声をかける。

「……生憎と俺の命は俺だけのものではないのでな。当たってはやれん。ましてや、俺が襲われる理由が分からないのでは、降りかかる火の粉をふりはらうことしか出来んよ。……いったい何があった?」
「っ、アンタに話すことなんて、ないっ……!」

 少女は泣きじゃくりながら将志にそう言い放つ。
 それを聞いて、将志はふっとため息をついた。

「……そうか。では、話す気になったら聞くとしよう」

 将志はそういうと座り込み、焼け落ちた小屋の燃え残りに寄りかかった。
 そして少女に動きがあるまで待つことにした。





 しばらく時間が経ち、少女の気力と体力が回復する。
 少女が立ち上がるのを受けて、将志も立ち上がった。

「……まだやるつもりか?」

 将志は槍で肩をトントンと叩きながら少女に問いかける。
 あえて挑発するような素振りをしているのは、少女の心を折るためである。

「当たり前じゃない。私はアンタを滅茶苦茶にするまでは諦めないよ」
「……正直、力の差は歴然だと思うがね。さっきの様な力任せでは俺には勝てんぞ?」
「私は死なない。何万回殺されたって、アンタに喰らいついてみせる!」

 首を横に振り、諭しに掛かる将志に、少女は力強く断言した。
 その眼は息を吹き返しており、強い光を放っていた。
 そんな彼女に、将志は呆れたようにため息をついた。

「……世話が焼ける」

 将志はそう言うと、素早く背後を取って首に槍を突きつけた。

「え?」

 少女は呆けたような声を上げて、目の前に現われた槍を見た。
 少女からは将志が急に消え、いつの間にか目の前に槍がある状態になっていた。
 急激な状況の変化に、少女の頭は軽くパニックに陥っていた。

「……そういう事は、せめてこれを避けられるくらいの力量が付いてから言え。相手の力量をきちんと測れなければ、死ぬぞ?」
「だから、私は死なない!」
「……体は死なずとも、心を殺す方法は幾らでもあると聞くが? 事実、俺は一度お前の戦意をへし折っているわけだぞ? 妖術の中には相手の心を壊すようなものなどいくらでもあるのだがな」
「ぐっ……」

 少女は悔しげに口を結ぶと、俯いて黙り込んだ。
 将志は少女を放すと、正面に回りこんだ。

「……何にせよ、一度落ち着くべきだ。俺と戦うにも、今のお前ではどうにもなるまい」

 将志はそういって、少女の応答を待つ。
 少女はしばらく俯いて震えていたが、やがて力なく肩を落とした。

「……私は、お父様の恥を雪ぐことも出来ないの……?」

 地面に雫が落ちる。
 その様子に、将志は背を向ける。

「……はっきり言って、お前の父親の恥など俺は知らん。お前の言うあの女が誰かなども分からん。だが、たかがその女が懸想した雇われの護衛に殺意を持つほどにその女が憎いか……」

 将志はそういうと、再び少女の後ろに立つ。
 その理由はその先に身分の偽装に使っていた槍の穂先が落ちているからだ。

「……俺が憎ければそれでも良いだろう。八つ当たりも大いに結構だ。俺はお前が依頼を持っていった仕立て屋で鑑 槍次と言う名で通っている。お前の名を出せば、何度でも相手になってやろう。……名は何と言う?」

 将志の言葉に、少女は涙を袖でぬぐった。

「……妹紅。藤原 妹紅」
「……槍ヶ岳 将志。変わり者の槍妖怪だ」
「アンタは絶対に私が倒す。せいぜい首を洗って待ってて」
「……上等だ。そのためにも強くなるが良い。では、俺はこれで失礼するぞ」

 将志はそう言うと、燃え残った槍の穂先を拾い上げて燃え尽きた森を後にする。
 森を出ると、将志は深々とため息をついた。

「……全く、俺も不可解なことをする。何故あのようなことを言ったのだ、俺は?」

 将志は自分で自分の言動に首をかしげた。
 しばらく考えて、矛先が主人に向かないように出来たのだからこれで良いという結論に至った。
 不思議と心は晴れやかで、確かな満足感に包まれていた。

「……まあ、妹紅の今後に期待か。どこまで強くなれるのだろうな、あいつは」

 将志は静かにそう呟きながら、帰路に付く。
 その足取りは、とても軽やかなものだった。






 しかし、数日後に己が発言を心底後悔することになる。





 将志はいつもどおり依頼を受けに仕立て屋に向かった。

「……仕事はあるか?」
「……その前にいつもの客だ」
「……来たね」

 主人がそういうと同時に、店の奥から妹紅が顔を出した。
 それを見て、将志は額に手を当ててため息をつく。

「……おのれ、またか」
「うるさい、今日こそはアンタを倒す!」 
「……俺は何度でもとは言ったが、いつでもとは言った覚えは無いぞ?」

 息をまく妹紅に、将志はジト眼を向ける。
 事実、妹紅は毎日のように仕立て屋に押しかけ、将志を待ち構えるのだ。
 最近では将志の仕事を横取りすることも覚え始め、将志にとっては頭痛の種になり始めていた。
 妹紅はそんな将志を一笑に付した。

「そんなの知らん。……覚悟はいいか」
「……良い訳が無いだろう。俺は仕事を請けにきたのだぞ?」
「問答無用! 表出ろ!」
「……喧嘩は町の外でやれ。アンタらの喧嘩は洒落にならん」

 将志の手を引っつかんで出て行こうとする妹紅に、主人は布地の在庫の確認をしながらそう言った。
 もはや諦めの境地に立っている。
 そんな妹紅の手を振り払いながら、将志は主人に抗議した。

「あ、おい! 仕事はどうした!?」
「……そこの猛獣押さえるのが今のお前の仕事だ。それが終わってからまた来な。それまで仕事は無いと思え」
「ええい、往生際が悪い!」
「……どうしてこうなった……」

 将志はがっくりとうなだれながら、仕立て屋を後にした。



 しばらくして、都の近くの平野に火柱が立った。



[29218] 銀の槍、料理を作る
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 01:45
 リズミカルに響く包丁の音。
 その鮮やかな包丁捌きによって食材は無駄なく均一に切られる。
 その横では大きな鍋いっぱいに食材が煮込まれており、美味そうな匂いを辺りに立ち込めさせていた。
 その厨房の中で、慌てることなくいくつもの料理を並行して作る男の姿があった。

「……少し塩気が足りんか? いや、恐らくこれよりも甘いほうが好みであろう」

 将志は煮物の出汁を味見し、そう結論付けて味を調えた。
 この男、長い料理人生の果てに人に合わせて味を調整する離れ業まで身につけていた。
 初対面の相手でさえ、自らの舌に驚くほど合ったその味付けに感動を覚えるほどの技術であった。
 槍ヶ岳 将志、料理の神の異名は伊達ではない。

「調子はどうかしら?」
「……まあまあだ」

 将志は調理をしながら問いかけに答える。
 問いかけをした紫色のドレスの少女は、将志が料理をする光景を楽しそうに眺めていた。
 紫の目の前には、出来立ての料理が机の上にずらりと並んでいた。

「流石は料理の神様ね。食材を余すことなく、こんなに多彩な料理が作れるんですもの」
「……それ以前に訊きたいことがあるのだがな」
「あら、何かしら?」
「……俺は何故、突然拉致されて料理を作る羽目になっているのだ?」

 実は料理を作る前、将志はいつもの様に朝霧立ち込める境内で槍の鍛錬を行っていた。
 そこに紫が現われ、将志を掻っ攫って行ったのだ。
 そして気が付けばこの厨房にいたというわけである。
 ちなみに将志が暴れなかった理由は、単に女子供に無意味に手を上げないという信念を貫いただけに過ぎない。

「ちょっとした事件があって、ここの料理人が倒れているのよ。で、その代役でとっさに思い浮かんだのが貴方だったって訳」

 紫は将志に連れてきた理由を説明する。
 将志は料理人が倒れた理由は気になったが、対して重要ではないので捨て置いた。

「……成る程、それは分かった。それで、もう一つ質問なんだが……本当にこれは一人前か?」

 将志は目の前に置いた大量の料理を見てそう呟く。
 大きな机の上には料理が山盛りになった大皿が二十数枚並べられており、とても一人前の量とは思えない。
 それに対して、紫は呆れ顔で答えを返した。

「……ええ、残念ながら」
「……もはや健啖家と言う言葉では足りんな……」

 将志と紫は二人揃ってため息をついた。
 そうやってため息をついていると、厨房に入ってくる人影があった。

「この匂いは……これはいったい!?」

 入ってきたのは銀髪の青年だった。
 腰には二振りの刀が挿されていて、その男の周りには何やら半透明の物体が取り巻いていた。

「あら妖忌、もう目が覚めたのかしら?」
「ええ、ご心配をかけて申し訳ございません、紫様。それで、この料理はいったい……」

 妖忌と呼ばれた青年はそう言うと厨房で鍋を振るう将志に眼を向ける。
 その将志を見た瞬間、妖忌は刀の鯉口を切った。
 一挙動で放たれる鋭い一太刀を、将志は布で巻かれた槍で受ける。

「……いきなり斬りかかるとはどういう了見だ?」
「……貴様が何者かは斬ってみれば分かることだ」

 鍔迫り合いの状態で、呆れ口調で将志が話しかければ、妖忌は剣呑な口調で言葉を返した。
 それに対して、将志はため息をついた。

「……紫、これなら俺は必要なかったのではないか?」
「そうでもないわよ? 恐らく今頃あの子は机の上で伸びてるでしょうから、耐え切れずにこっちに来る前に料理が出せるわよ。要するに、時間の問題ね」

 将志と紫の会話を聞いて、妖忌は眉をひそめた。

「紫様? 彼が何者かご存知で?」
「ええ。私が呼んだんだから、もちろん知ってるわよ。彼はとってもありがたい存在よ」
「ありがたい?」
「彼の名前は槍ヶ岳 将志。妖忌にしてみれば、建御守人って行ったほうが分かりやすいかしら?」

 紫がそういった瞬間、妖忌は凍りついた。

「あの、紫様? 建御守人って、あの建御守人様ですか?」
「そうよ。その建御守人様ご本人♪」

 段々顔が蒼褪めていく妖忌に、悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべて紫は答えた。
 妖忌は錆び付いたロボットのような動きで将志の方を向く。

「……ほ、本当ですか?」
「……ああ。証拠ならあるぞ」

 将志はそう言いながら槍に巻いていた赤い布を取り去った。
 すると中からけら首に黒耀石がはめ込まれた、建御守人の象徴とも言える全身が銀色に輝く槍が現れた。
 次の瞬間、妖忌は見事なジャンピング土下座をその場で決め込んだ。

「も、ももも、申し訳ございませんでした! 貴方があの高名な方とは知らずご無礼を……」
「……何、気にすることは無い。家主に知らせずにここに居る以上、怪しまれるのは当然だ。それから先ほどの一太刀、悪くなかったぞ」
「は、はい! ありがとうございます! 申し遅れました、私は魂魄 妖忌と申します! 貴方とお話できて光栄です!!」

 妖忌は将志の言葉に眼を輝かせて嬉しそうに言葉を返した。
 それを受けて、将志はどうしてそこまで嬉しそうなのかが分からずに首をかしげた。

「……紫、妖忌はいったいどうしたのだ?」
「ふふふ、将志は本当に自分のことには無頓着なのね。妖忌は貴方の熱烈な信者よ」

 紫は面白いものを見た後の顔で将志にそう言った。
 それに対して、将志は訳が分からずに首をかしげた。

「……どういうことだ」
「妖忌はここの門番もしているわ。門番なら、守護神で戦神である貴方を信仰していてもおかしくは無いでしょう?」
「……そうか」

 将志はそう言いながら器を取り出し、小さな鍋からおたまで雑炊を注ぐ。
 そして、妖忌の前に差し出した。

「……食すがいい。今は良くとも、先ほどまで倒れていたのだ。今日のところはゆっくり休み、万全の姿を見せて主を安心させるが良い」
「え、あ、ありがとうございます! それでは早速……」

 妖忌は雑炊を受け取ると、一口一口を噛みしめるようにして味わいながら食べ始めた。

「……ああ……」

 雑炊を食べている妖忌は感激で死ぬのではないのかというほど幸せそうで、冗談抜きで半霊の部分が昇天しかかっていた。

「……さて、次はこれだな」

 将志はそういうと、また別の小さな鍋から料理を取り分ける。
 そして小さめの皿に上品に盛り付けると、紫の前に差し出した。
 白米に山菜の天ぷら、味噌汁に筑前煮など、色とりどりの料理が目の前に並んでいた。

「あら、私の分もあるのかしら?」
「……物のついでだ。どうせなら食して行け」
「どう考えてもついでっていう量じゃないわよ?」
「……まあ、気にするな。お前のために作ったのだから、無理にとは言わんが食してくれればありがたい」

 将志がそういうと、紫は嬉しそうに眼を細めて笑った。

「ふふっ、そういうことなら喜んでいただくわ」
「……そうしてくれ」

 紫はそういうとこれまた美味しそうに料理を食べ始めた。
 将志は自分の作った料理を食べて笑顔を浮かべる二人を見て、静かに頷いた。

「……良い笑顔だ。それでこそ作った甲斐があるというもの……」

 そんな将志の背後に、ひたひたと迫る人影があった。
 その人影は幽鬼のように音も無く将志に迫っていく。

「……む?」

 将志は気配に気付いて後ろを振り向いた。
 するとそこに居たのは、自身の頭をつかんで今にも喰らいつかんとする少女の姿だった。



 ガブリ♪

 バタッ☆



 外部からの攻撃に対して極端なまでの虚弱体質である将志は、頭に齧り付かれて意識を手放した。








「幽々子、貴女料理よりも先に将志に噛み付くなんてどういうつもりだったのかしら?」
「だって、おなかが減ってたんですもの」
「そういう問題じゃないでしょう……」

 将志が少ししてから眼を覚ますと、頭を抱えた紫と幸せそうな表情でお茶を飲む幽々子と呼ばれた少女の姿があった。
 机の上には空の大皿がいくつも置かれており、竈に置かれた鍋の中も空になっている。
 なお、妖忌は将志の雑炊のせいで未だに天国から返ってこれていない。

「……ぐっ……いつから俺自身が食材になったのだろうか?」

 将志は頭を擦ってそう言いながら起き上がる。

「おはよう、将志。少しは頑丈になったら?」
「……それが出来れば苦労はしない」

 笑顔の紫に将志はため息混じりにそう言う。
 それから将志は紫の隣に座っている桃色の髪の少女に眼を向けた。

「……ところで、紫の隣に居るのは誰だ?」
「西行寺 幽々子よ。よくわかんないけど、亡霊をやってるわ」
「……む?」

 幽々子の自己紹介に、将志は首をかしげた。
 亡霊とは、強い未練を残して死んだものがなるものである。
 つまり、亡霊となったものは何故亡霊となったのかが明確にわかるのが普通である。
 よって、幽々子のように亡霊となった理由が分からないというのは通常ありえないのだった。

 将志は紫に眼を向ける。

「(後で教えてあげる)」

 紫は視線でそう伝えると、視線を切った。
 将志は一息つくと、幽々子に自己紹介した。

「……槍ヶ岳 将志。変わり者の槍妖怪だ」
「変わり者? どう違うのかしら?」
「……妖怪の首領と神の兼業をしている」
「ああ、確かに変わってるわね」

 将志の言葉にどこか気の抜けた返事を返す幽々子。
 その様子は何やら他の事に集中しているようでもあった。

「……っ!?」

 突然、将志は今まで感じたことが無いほどの強烈な殺気を感じてその場から飛びのいた。
 その将志がいたところを、紫色に光る蝶が飛んで行った。
 将志はその蝶に、得体の知れない危機感を感じた。

「あら、残念。新しいお手伝いさんが増えると思ったのに」

 幽々子は少し残念そうにそう呟いた。

「……幽々子。今将志は避けたけど、当たってもそう簡単には効かないわよ。と言うか、何してるのよ?」

 そんな幽々子に紫は抗議の視線を送る。

「だってこんな美味しい料理を食べるのは初めてだったんですもの。妖忌のご飯も悪くないけど、この料理には負けるわ。だから、毎日食べたいと思って」
「……そんなことで俺を殺そうとしたのか……」

 自分を殺そうとしたそのあまりに酷い理由に、将志は頭を抱えた。
 その横で、紫は呆れ顔でため息をつく。

「そんなことしたら多方面の神や妖怪達が黙っちゃ居ないわよ。第一、将志をめぐって神が戦争したことがあるくらいよ? 無理矢理手に入れようとしたら利益以上の災厄が降りかかるわ。将志が欲しければ自主的にくるのを狙うしかないわね」
「そう。それじゃ、貴方今日から私のものにならない?」
「……俺は二君には仕えん」

 幽々子の申し出を即座に一蹴する将志。
 その様子を見て、紫は首を横に振った。

「無駄よ、幽々子。将志の主人に対する忠誠心は妖忌以上、呪いに掛かっていると言っても不思議じゃないほど強いわよ。どう転んだって将志は首を横に振らないわ」

 紫はそう話しながら将志の下へ近づいていく。

「……もっとも、だからこそなおのこと貴方が欲しくなるのだけど」

 紫はそう言いながら、妖しげな笑みを浮かべて将志の顔を下から覗き込んだ。
 それに対して、将志はため息混じりに返答する。

「……俺の返答は分かっているだろう?」
「ええ、今はまだ貴方の協力は得られないでしょうね。でも私はいつか貴方に認めさせるし、あわよくば引き抜いてみせるわよ」
「……認めさせるは大いに結構、だが引き抜きは絶対に無いな。そもそも、いかな方法を用いたとしても主を裏切るような奴など欲しがりはしないだろう?」
「あら、それは方法によるわよ? 貴方が泣く泣く主を切らなければならない状況にしながら私に忠誠を誓わせられる方法があるのなら、私は迷わずそれを実行するわ」
「……俺は生きて主の側に居ることを望まれ、そしてそれを誓った。その誓い、何者にも曲げることなど出来ん」
「はあ……やっぱり貴方の主が羨ましいわ」

 淡々と主への忠誠を固持し続ける将志に、紫は大きなため息をついた。
 二人がそうやって言い合っていると、笑い声が聞こえてきた。

「くすくす、紫がそんなに熱を上げるなんてよっぽど優秀なのね。それに、将志が大いにモテることもわかったわ。ご飯も美味しいし」
「……俺はそこまで優秀ではない。俺が本当に優秀なら、主を悲しませることも無かっただろう」

 眼を閉じて懺悔をするように将志はそう呟き、片付けを始めた。
 それを聞いて、紫は再び深々とため息をついた。

「二言目には主ね……妬けるわ、本当に」
「あら、欲しければ手に入れればいいじゃないの」
「え?」

 幽々子の一言に、紫は不意を突かれた様な顔をする。
 紫は将志のほうを見るが、将志は洗い物をしていて気が付いていないようだった。

「別に主従関係に囚われる必要はないじゃない。協力関係で良いのならば雇用者と従業員と言うのもありだし、本当に自分のものにしたければ夫婦なんていう選択肢もありよ? 将志にとっても主を捨てるわけじゃないし、案外上手くいくと思うのだけど」

 紫はそれを聞いて少し考え込んだ。

「……確かにそれなら悪くはなさそうね。将志が主に時間が割けなくなるとか言い出しそうだけど、そこはこちらからそれに対する対価を持ってくれば……」
「いっそ、既成事実でも作ってそれを盾に篭絡するとか?」

 幽々子がそういった瞬間、紫の顔から火が出た。

「なっ、何を言ってるのよ! 大体将志もそういうのは苦手なのだから、そんな事言った時点で逃げられるわよ!」
「あら、何で将志がそういうのが苦手ことを知っているの?」
「そ、それは将志のことは気に入っていたから、色々観察したりしていたからよ」

 しどろもどろになりながら紫がそういうと、幽々子は少し引いた。
 ぶっちゃけ紫のやっていたことはストーカーなので、正常な反応と言えよう。

「……ちょっと、それってそこはかとなく危険な匂いがするわよ? と言うか、そんなに気に入っているなら今すぐにでも……」
「だから、私も将志もそういうのは苦手だって言ってるでしょう!」
「……俺がどうかしたのか?」

 洗い物が終わって、将志が戻ってくる。
 近づいてくる将志の声を聞いて、紫は慌てて取り繕った。

「な、何でもないわ」
「そうね、何でもないわ。時に、既成事実を作って相手を落とす方法についてどう思うかしら?」

 幽々子がそういった瞬間、将志は首をかしげた。
 その横では、紫が顔を真っ赤にして俯いている。

「……すまないが、既成事実とはどういうことだ?」
「あら、分からないの? じゃあ、教えてあげるわ。既成事実って言うのは……」

 そういうと、幽々子は説明を始めた。
 説明をしていくうちに、将志の顔がどんどん赤く染まっていく。
 ついでに紫も耳まで赤く染まっていく。

「……もういい。どういうことかはもう分かった」

 途中で聞くに堪えなくなり、将志は眼を手で覆い幽々子から顔を背けながら説明を止めさせた。
 その様子を見て、幽々子は笑みを浮かべた。

「あらあら、本当にこういう話は苦手なのね。英雄色を好むと言う話はまやかしだったのかしら?」
「……他の連中がどうなのかは知らんが、少なくとも俺に関しては違う」
「そう。で、どう思う?」
「……それは、色香に負けた男が悪い。そういう目に遭いたくなければ、元より気をつけるべきだ。もっとも、そういう手段に出る女もどうかと思うがな」

 将志はため息をつきながら、疲れた表情でそう答えた。
 ふと将志が話題転換のネタを捜して横を見ると、妖忌が今にも成仏してしまいそうなほど幸せそうな表情のまま呆けていた。

「……妖忌、いい加減に帰って来い」
「は、はい!」

 将志が手の甲で頭を軽く叩くと、妖忌はようやく現世へ戻ってきた。
 そんな彼に、将志は緑茶を淹れて差し出す。

「……茶は要るか?」
「あ、いただきます。すみません、お客様なのにこんなことさせてしまって……」
「……気にするな、俺が好きでやっていることだ。逆にこうしていないと俺が落ち着かん。だから気兼ねなく座っていろ」

 申し訳なさそうにしている妖忌に、将志はそう言いはなつ。
 使用人根性の抜けない霊峰の頭領だった。

「……はあ……なんて心地いい……」

 妖忌は茶を一口飲んだ瞬間、とろけた表情を浮かべてそう呟いた。
 そしてそのまま全身からありとあらゆる力が抜けていく。

「……いい加減にしろ、戯け」
「あうっ!?」

 再び極楽浄土に旅立ちそうになった妖忌を、将志が頭を小突いて現世に引き戻す。
 すると妖忌は首をぶんぶんと大きく横に振り、大きく深呼吸をした。

「う~ん、このお茶といい、さっきの料理といい、建御守人様の料理はすごいですね」
「……すまないが、俺のことは槍ヶ岳 将志と呼んでくれ。外でその呼び方をされると面倒なことになるのでな」
「あうっ、それは申し訳ございません……」
「……なに、知らなかったのだから気にする必要は無い。それはさておき、俺に料理を習いたくば料理教室を開いているから、それに顔を出すといい。少しは参考になるだろう。それから、武芸の修行をしたければ銀の霊峰を登って来い。その頂上に俺の社がある。時間があれば、俺が相手になろう」
「あ、はい! 必ず行かせていただきます!」

 嬉しそうに笑いながら妖忌は返事をした。
 将志はそれを聞いて頷くと、背中に背負った槍の布を解いた。

「……ところで、一つ相手をしてみないか? お前の剣筋を少し見てみたいのだが」
「え、将志様が相手していただけるんですか!?」

 将志の申し出に、妖忌は酷く驚いた様子で聞き返した。
 それを受けて、将志はゆっくりと頷いた。

「……ああ。剣のことは大して分からんが、体捌きや足の運び、戦いの姿勢などについては何か気付けるかも知れん。……どうだ?」
「はい! 宜しくお願いします!」

 将志の言葉に、妖忌は深々と頭を下げた。

「その前に、少し話があるのだけど良いかしら、将志?」

 将志と頭を下げている妖忌の間に、紫が割り込んでくる。
 それを受けて将志は紫のほうを見た。

「……む、何だ?」
「とりあえずここじゃ出来ない話だから、少し庭に出ましょう?」
「……? ああ」

 将志は首をかしげながらも紫の後についていく。
 すると、大きな桜の木が植えてある庭に出てきた。
 桜に花は付いておらず、どこか物悲しい雰囲気を醸し出していた。

「……これは?」
「西行妖。この下に幽々子の死体が封印されているわ」
「……何故だ?」
「生前、幽々子は『人を死に誘う程度の能力』を持っていたわ。その能力はどんどん強くなって周囲の生物を人妖関係なく次々と死に誘っていった。それに苦しんだ幽々子は、耐え切れずに自刃したわ」

 紫は笑みを消し、少しつらそうな表情でそう話した。
 人間である幽々子を救えなかった、その悔しさがにじみ出ている表情であった。
 それに対して、将志は淡々と話を続ける。

「……死してなお封印せざるを得なかった理由は何だ?」
「仮に幽々子が転生したとして、同じ能力を持っている可能性が高いのよ。だから、あえて死体を封印し亡霊として存在し続けるように仕向けたのよ」
「……そんなことをしては、閻魔が黙っていないのではないか?」
「そのあたりは大丈夫よ。閻魔にはちゃんと話は通してあるし、許可も貰ってるわ。幽々子には冥界を管理してもらうことになっているわ」
「……妖忌が気絶していたのはどういうことだ?」
「幽々子には生前の記憶が無いのよ。それを疑問に思った妖忌に理由を話したら、その場で気絶したってわけ。だから、もしかしたら将来幽々子はこの下にある存在を甦らせようとするかもしれないわ」

 紫がそこまで話し終えると、将志は額を手で押さえながらため息をついた。

「……成る程な。つまり最初からこれが本題で、俺に定期的にここを見回るようにさせるのが目的だったわけだな?」

 将志がそういうと、紫は楽しそうに笑った。

「大正解。……駄目かしら?」
「……いや、生まれ変わるたびに周囲に死を振り撒かれては大事だ。これに関しては例外的に認めよう。現状で安定しているのならそれを維持するに越したことはないからな」

 将志は目の前の事の重大さに、紫の申し出を承諾した。
 そして言い終わると紫の方へ向き直った。

「……それにしても、いつの間にやら閻魔に話が通せるほどに成長したな、お前は」
「初めて会ったあのときから三百年は経ったかしら? それは成長するわよ」
「……ふむ、それもそうだ。……俺がお前に協力する日も、そう遠くないかも知れんな」

 将志は紫の成長を実感し、感慨深げにそう呟いた。
 それを見て、紫は笑い返す。

「ふふっ、貴方にそう言われると嬉しいわね。あと少しで貴方と肩を並べられると思うと感慨も一入よ」
「……期待しているぞ。俺はいつでも楽しみに待っている」

 将志はそう言うと、妖忌を呼びに中へ入っていった。
 紫はそんな将志の背中を黙って見送る。

「あと少しね……何をしようかしら?」

 紫は今後やるべきことを考えながら、将志に続いて屋敷の中に入っていった。




「……これはいったいどういうことだ?」

 将志が屋敷の中に戻ると、妖忌が食事の用意をしていた。
 その横では、箸と茶碗を持った幽々子が虚ろな眼でその様子を眺めていた。

「……妖忌。何事だ?」
「それがですね……幽々子様は先程の料理の味が忘れられなくて、思い出すたびにお腹が減っていったらしいんです……おかげで今はもう空腹みたいです……」
「……いったいどういう胃袋を持っているというのだ……」

 げんなりとして様子の妖忌の説明に、将志は頭を抱えた。
 そして将志は黙って包丁を握った。

「将志様?」
「……手伝おう。一人ではつらかろう?」
「……はい、お願いします……」

 将志の申し出に答える妖忌の背中は煤けていた。
 その後、料理を食した幽々子は再び将志の料理の味を思い出し空腹になり、将志が料理を作ると悪循環になることが発覚した。
 料理を作らなくなった将志を、幽々子は恨めしげに眺めていたと言う。



[29218] 銀の槍、妖怪退治に行く
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 02:05
「……この程度で俺に勝とうなど百年は早い」
「ちくしょー! 覚えてろ!」

 近くの野原で妹紅を返り討ちにした将志は、仕事を請けるべく仕立て屋に向かう。
 すると、そこには何やら多くの人が集まっていた。
 その人影は、都の役人の格好をしていた。

「……何事だ?」

 将志は怪訝に思いながらも店主に話を聞くために店の中に入ろうとする。
 すると役人の一人が将志に声をかけた。

「そこなもの、すまないが鑑 槍次と言う人物に心当たりは無いか?」

 鑑 槍次とは将志が現在名乗っている偽名である。
 それを聞いて、将志は首をかしげた。

「……その人物に何の用だ?」
「実はな、上皇様に仕えていた女官、玉藻前が白面金毛九尾の狐で上皇様の病の原因であったことが分かり、この度討伐軍を結成する運びとなった。それに槍次殿にも参加するようにと言う辞令が出ているのだ」

 将志はため息混じりに首を横に振った。

「……鑑 槍次とは俺のことだが、何故俺が借り出されることになっているのかが分からないのだが?」
「何を申すか。鑑 槍次と言えばあの神懸りの槍兵、槍ヶ岳 将志の再来とも言われる腕利きの兵と町中で噂されているのだぞ。その話は宮中にも届いている。今までは得体が知れなかったゆえに声が掛からなかったが、此度は相手が相手だ。汝にも参加してもらうぞ」

 役人はその神懸りの槍兵本人を目の前にしてそう言い放った。

 それを聞いて将志はため息をつく。
 何故なら、この妖怪退治は普段のものとは訳が違うからだ。

 普段、将志はどんなに危険な相手であろうと妖怪退治の依頼は単独で受けることにしている。
 何故なら、将志は依頼された妖怪退治の仕事はその全てを討伐しているわけではないからである。
 何故討伐の依頼をされるに至ったか、何故そのような行動を取ったのかを詳しく調べて妖怪当人と話し合い、交渉が成功すればそれに乗っ取った行動を取り、気がふれていたり決裂した場合のみ退治するというスタンスを取ってきたのだ。

 しかし、今回はそうではない。
 討伐軍という大勢の他者が居る中で働かなければならないのだ。
 これでは交渉など出来はしない。

 将志には話を聞く限りでは、玉藻前が何故上皇を病に煩わさせたのかが分からない。
 更に女官として仕えていたと言う事実から、気がふれているとも考えられない。
 将志がどう考えようとも、単独で交渉したほうが上手くいきそうな相手なのだ。

 だが、それももう遅い。
 既に軍が編成されてしまっている以上、将志はそれに従うしかない。
 単独先行などしてしまえば、今度は自分に周囲の目が向き、自らの周囲にまで手が回ってしまう恐れがある。
 主の身の安全を一番に案じる身として、それだけは避けなければならないのだ。

「……良いだろう、その依頼引き受けよう。ただし、条件がある。俺は今回、殿にしか付かない。それでも良いなら引き受けるとしよう」

 将志は額に手を当てながらそう答える。
 すると、役人は眼を見開いて驚いた。
 それも当然、殿とは軍が崩れて敗走するときに勢いのある相手の攻撃を抑えるという、もっとも危険な役割なのだから。

「良いのか? 相手は白面金毛九尾の狐、押しも押されぬ大妖怪なのだぞ?」
「……なに、俺も仕事柄妖怪退治をこなしている。そのような強者ならば、命を懸けるには相応しい相手だとは思わないか?」

 将志はあえてニヤリと笑いながら役人を見やった。
 役人はその将志の瞳を見て、思わず後ずさった。

「……ま、まあ良い。そういうことだ、汝にはこれから宮中に来てもらう。付いて来い」
「……ああ。では主人、行って来る」
「ああ。せいぜい稼いで来い」

 将志は店主と軽く挨拶を交わすと、役人の後について行くことにした。



 将志は宮中にて司令官から作戦の説明を受けた。
 幾ら名が知られているとはいえ、将志はここでは一兵卒に過ぎないので話を聞くだけである。
 司令官の話を聞きながら周りを見回すと、そのほとんどが武装した武官達だった。

「(……無謀な)」

 将志は内心でそう呟いた。
 何故なら、相手は妖術を使ってくると言うのに、揃えている駒はほとんどが何の対策も取られていない武官であるからだ。
 これでは、妖術で惑わされて同士討ちになるのが眼に見えているのだった。

「(……どうすることも出来ないか……)」

 もちろん、将志が守護神としての力を発揮すれば妖術を防ぐことが出来る。
 しかし神と妖怪を平等に扱わなければならない立場である将志には、当人達が持つ信仰に応じた力しか振り分けることが出来ない。
 よって、将志はあくまで人間の一兵卒としてこの戦に参加しなければならないのだ。
 将志は憮然とした表情で作戦の概要を聞く。
 話が終わると、司令官の号令と共に周囲の武官が鬨の声を上げた。
 将志はただその様子を冷ややかな視線で眺めるのだった。




 場所は移って那須野の平原。
 そこでは、阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられていた。
 将志の懸念どおり、狐の妖術によって惑わされた武官たちが同士討ちを引き起こし、軍は総崩れになったのだ。

「このままでは持たん、撤退するぞ!」
「ひぃぃぃぃ!! おいて行かないでくれ!」
「ぎゃあああああ!!」

 悲鳴と怒号がそこらじゅうに響き渡る。
 我先にと逃げ出す者を操られたものが次々と斬り殺していく。
 もはや他人のことを気にする余裕のあるものは一人も居なかった。

「……頃合か」

 そんな中、将志は動き出すことにした。
 逃げ惑う兵士達の中を掻い潜り、まっすぐに九尾の狐の下へ向かっていく。

「おおおおおおおお!!」
「……ふっ!」
「ぐっ……」

 襲い掛かってくる操られた兵を将志は手にした槍の一突きで沈める。
 九尾の狐に近づくにつれその数は増えていき、将志はそれらを全て倒していく。
 将志の通った後には操られていた兵達の骸で道が出来、最後には戦場に立っているのは将志だけとなった。

「……すまない」

 将志は眼を閉じ、自らが手にかけた兵士達の冥福を祈る。
 ふと、将志は近づいてくる気配を感じて顔を上げる。
 やがて、目の前に青白い狐火が見えてきた。
 その中心には、美しい黄金色の体毛の九尾の狐が立っていた。

「……しぶとい奴だな。さっさと滅びるが良い!」

 九尾の狐は現われるなり将志に妖術を放つ。
 将志はそれを躱し、九尾の狐に近づいていく。

「……戦いの意志は無い。俺はお前と話をしにきた」

 将志は槍を下ろしたまま近づいていく。

「そんな戯言を信じると思うか!」

 しかし、九尾の狐は構わずに妖術を放ってくる。
 将志はそれを避けながら、ため息をついた。

「……そうか。ならばこれでどうだ?」

 将志は手にした漆塗りの柄の槍を地面に突き刺した。
 そして背負った銀の槍の布にすら手を掛けることなく、手ぶらのまま再び歩き出した。
 そのあまりに異様な行動に、九尾の狐は酷く驚いた。

「く、来るな!」

 九尾の狐は後ずさりしながら妖術を放つ。
 青白い狐火が将志を取り囲み、一斉に襲い掛かる。

「……どうした、そんなにおびえることは無いだろう? 俺は話がしたいだけなのだが……」

 将志はその間をすり抜けながら更に近づいていく。
 その様子に九尾の狐は恐怖した。
 自らが大妖怪であるという自覚はある。
 しかし目の前の得体の知れない存在はそんな自分におびえることなく、しかも自分の攻撃をもろともせず近づいてくるのである。
 それもあろう事か、武器すらも捨ててこちらに向かってきているのだ。
 目の前の光景が信じられず、九尾の狐は恐慌状態に陥った。

「くっ、来るな来るな来るな!!」

 九尾の狐はがむしゃらに妖術を放ちながら後ずさっていく。
 しかし将志はその妖術を次々に避けていき、どんどん近づいてくる。

「……っ!? しまった!?」

 気がつけば、九尾の狐は平原の傍にある森にまで下がっていた。
 そして、背後には柿の木が立っていた。
 退路が無くなった九尾の狐に、将志はどんどん迫っていった。

「……くっ!」

 九尾の狐は思わず眼を瞑った。
 目頭には涙が浮かび、歯は強く食いしばられていた。
 しかし、自らの最期を覚悟していた九尾の狐を待っていたのは優しい抱擁だった。

「なっ!?」
「……怖がることは無い。先程も言ったが、俺はお前と話がしたいだけだ」

 将志は怖がる狐に優しく声をかけ、なだめる様に背中を撫でた。
 強張っていた体から、どんどん力が抜けていく。
 気がつけば、九尾の狐は将志に身を委ねていた。
 しばらくして、相手が落ち着いたことを確認して将志は身体を離した。

「……落ち着いたか? これで、こちらに敵意が無いことを信じてもらいたいのだが……」

 将志がそういうと、九尾の狐は一つ頷く。
 そして、狐の状態から美しい女性の姿へと形を変えていった。

「……ああ。敵意が無いのは認める。戦いで武器も持たずに敵に抱きつくような馬鹿はいないだろうからな」

 女性は毒気を抜かれた表情で将志に答えた。
 それに対して、将志は一つ頷いた。

「……助かる。名は玉藻前で合っているか?」
「ああ。確かに私が玉藻前だ。お前は何と言う名前だ?」

 玉藻前に尋ねられて、将志は少し考えた。

「……俺の名前は鑑 槍次と言う。これから話を聞きたいのだが、いいだろうか?」

 将志はあえて本名を名乗らなかった。
 何故なら玉藻前が将志のことを知っていた場合、萎縮してしまう恐れがあったからだ。

「……話とは、何だ?」
「……お前が何をしたのかを大体は聞いた。だが、俺にはどうにも腑に落ちない部分が多すぎる。それについて、話が聞きたい。……何を思ってそんなことをしたのか、聞かせてもらえるか?」

 将志がそう問うと、玉藻前は俯いた。

「話せば長くなるが、良いか?」
「……構わん。その代わり、全てを聞かせて欲しい」

 将志は玉藻前の眼を正面から見据えてそう言った。
 すると、玉藻前は静かに話し始めた。

「……私は妖狐として生まれ育った。日々を生きるために力を付け、周囲を蹴散らし、ただがむしゃらに生きていた。馴れ合いなど存在しない、弱肉強食の世界だった……だが、人間の姿に化けられるようになって、それも変わった。皆が私に優しくしてくれたのだ」

 そこまで話すと、玉藻前の頬が緩んだ。

「ただひたすらに嬉しかった……私が笑えば周りも笑った。みんなが私を笑わせたくて色々してくれた。時の王すら私を笑わせようと必死になった。私はそれが嬉しくて仕方なかったし、楽しかった」

 当時を懐かしむように話す玉藻前。
 しかし、その瞳の奥には隠しきれない悲しみがあった。

「……でも、上手く行かなかった。私の妖気に狂った王は暴政を布き、国を滅ぼした。そして私が妖狐であることが明るみに出て、私は追われることになった。……あの時は悲しかった……一夜にしてすべてが崩れ去ってしまったのだからな……そのとき、私はもう人間には関わらないと誓った」

 そう話す玉藻前の表情は泣きそうな表情であった。
 その表情が、当時の強い悲しみを想起させた。

「……だが、それも無理だった。一度人の温かみを知った私には、再び孤独に戻るのが耐えられなかった。だから、私は二度と失敗しないようにあらゆる手を尽くした。あらゆる学問を習得し、社会を学び、妖気の扱いも散々に練習した……」

 一つ二つと頬に涙の筋が走る。
 そして次の瞬間、玉藻前は感情を爆発させた。

「それでも駄目だった!! どんなに努力をしても私は妖怪でしかなかった!! 私を愛してくれた人は妖気のせいで病に伏せ、私はまた妖怪として追い出された!! 何で!? 何で私はいつも上手く行かないんだ!?」

 泣きじゃくりながら玉藻前はそう叫んだ。
 将志はその悲痛な叫びをただ黙って聞き入れると、ポツリとこぼした。

「……愛を知り、愛を求め、愛に溺れた末の結末か……」

 将志は玉藻前の肩に優しく手を置いた。
 将志には、目の前の妖狐の悲しみがどのようなものか漠然と理解したのだ。
 何故なら、その悲しみは己が主が感じていたものと非常に良く似ていると思えたからだ。
 将志は眼を伏せ、静かに口を開いた。

「……俺にはお前の気持ちが分かるとは言えん。ただはっきりわかるのは、お前は何も悪くないということだけだ。後はただ慰めることしか出来ん。許せ」
「ぐすっ……今の話、信じるつもりか?」

 その言葉に玉藻前は鼻をすすりながら将志に問いかける。
 将志は、玉藻前の涙を指で拭った。

「……確かに、話の捏造など幾らでも出来るし、上手い者ならそのような演技も出来るだろう……だが、嘘を吐くにしてはお前の眼は綺麗過ぎる。だから、他の誰が信じなくとも俺はお前を信じる」

 将志は玉藻前の眼を見て力強く断言した。

「うっ、うぐっ、うわああああああああ!」

 玉藻前はその場で泣き崩れた。
 それを見て、将志は何も語らずにそっと肩を抱きしめる。
 すると玉藻前は将志の小豆色の胴着の裾を掴んで泣きついた。

「……っ!?」

 玉藻前が泣きついてしばらく経った頃、突如として将志がその場に崩れ落ちた。

「……え?」

 突然の出来事に、玉藻前は泣くことも忘れて呆然とした面持ちで目の前に倒れた将志を眺めた。
 よく見ると将志の頭にはコブが出来ており、足元にはまだ青い柿が転がっていた。

「…………」

 玉藻前は倒れた将志を前に思わず考えた。
 まさか頭に柿が当たった程度で気絶した、いやあれほどの猛者がそんなことで倒れるはずが無い。
 頭の中で思考がぐるぐると回転を始める。
 そしてしばらく考えた結果、

「……んしょっ」

 とりあえず持って帰ることにした。
 


  *  *  *  *  *



「んしょっ……」

 肩に担いだ鑑 槍次と名乗った男を自分がねぐらにしている小屋の寝台に寝かせる。
 槍次は完全に気を失っていて、当分起きる気配が無い。
 私は槍次の槍と背負っていた赤い布に巻かれた長物を壁に立てかけ、槍次の看病をすることにした。

「…………」

 槍次は静かに眠り続けている。
 よく見てみれば、妙に達観したその言動に対してその精悍な顔付きは非常に若々しく、異常なまでに整っている。
 眼は閉じられているが、その黒耀石のような瞳はどこまでも澄み切っていて、力強い光を放っていた。
 銀色の髪は落ち着いた色をしていて、触ってみると心地の良い肌触りがする。
 私は槍次の髪から指を滑らせ、頬を伝わせ、唇をなぞった。
 思い出されるのは先程この口から発せられた言葉。

「他の誰が信じまいが俺はお前を信じる、か……」

 恐らくこの言葉に偽りは無いだろう。
 だって、あんなにまっすぐな澄み切った眼で私を見ていたのだ。
 何故槍次がそんな眼を出来るのかはわからないが、とにかくそんな奴が嘘を吐くとは思えない。
 少し自分の中で美化されている気もするが、それでも人の眼をまっすぐに見て嘘をつくような奴では無いはずだ。
 嘘を吐いたのは恐らく自己紹介の名前くらいだろう。

「……ふふっ」

 私は緩んでしまう頬を抑えきれなかった。
 何しろ、槍次は誰が相手であろうと私の味方になると言ってくれたのだ。
 それも、私が妖怪であると言うことを知っているにもかかわらずである。
 今まで妖怪だと知れるたびに全てを失ってきた私にとって、これほど嬉しいことは無い。
 槍次が何者なのかは分からないが、そんなことは些細なことだ。

「よっと」

 私は槍次の眠っている布団にもぐりこむことにした。
 布団には槍次の体の熱が伝わっていて、暖かい。
 私はその暖かさの中で、先程の抱擁を思い出した。
 槍次の抱擁はぶっきらぼうな口調に反してとても優しく、思わずしがみ付いてしまった。
 今思うと気恥ずかしいが、それでも思い出すだけで胸の奥が暖かくなるのを感じた。

「……失礼するぞ……」

 私は槍次の服を肌蹴させ素肌をさらし、その胸に耳を当てた。
 頬に槍次の体温が直接伝わり、鼓動が聞こえてくる。
 それはとても心地よく、穏やかな気持ちにさせてくれる。
 その状態のまま槍次の顔を見ると、穏やかな表情で眠っていた。
 それを見て、私の胸中に何かこみ上げてくるものがあった。

 ――愛おしい。

 今まで何度も感じてきたもの、間違えるはずが無い。
 この気持ちはそういうものだ。
 だが、居ても立ってもいられなくなるほどまでに強いのは初めてだ。
 何故かなど知らないし、知る必要もない。
 今度こそ上手くやってみせる。
 さあ、そのために今は休もう。
 疲れた頭では考えもまとまらないだろうからな。

 私は槍次の頬をそっと撫で、彼の体温と鼓動を感じながら眠りに就いた。


  *  *  *  *  *


 将志が眼を覚ますと、そこにあったのは知らない天井だった。
 自分の身体には布団が掛けられており、どうやら気絶していたらしいことが分かった。
 更に、胸の上に何やら重みを感じる。

「……すぅ……」

 首を起こして見てみると、そこには安らかな寝顔の玉藻前が居た。
 いつの間にか胴着は肌蹴られており、心臓の辺りに耳が置かれている状態であった。
 更に九本の尻尾が将志に巻きついていて、動くに動けない状態だった。

「…………」

 将志は何も言わずに再び横になる。
 抱きつかれるのは慣れているので、将志は特にそれに関して思うことは無い。 

「……ふっ……」

 ため息をつく将志の胸中は複雑だった。
 人の温かみを知り、それを失う。
 その境遇が、己が主の境遇とどうにも被って見えるのだ。
 だとすれば、主の悲しみは如何ほどだったのか?

「(……いや、それよりも玉藻前をどうするかだ)」

 将志は思考を切り替え、今後のことを考えることにした。
 玉藻前はもう人間の社会に戻ることは出来ない。
 受け入れるとするならば妖怪の社会になるのだろうが、そこにも懸念事項がある。
 何故なら、銀の霊峰や妖怪の山では玉藻前を受け入れることが出来ないと将志は考えているからだ。
 銀の霊峰では、参拝客に見つかった際に討伐軍が送られることになる可能性がある。
 そうなってしまうと、芋づる式に霊峰の他の妖怪達まで討伐されてしまう可能性があるのだ。
 妖怪の山の場合、既に高度な社会体制が組み上がっていることが最大の難点となる。
 力の弱い妖怪ならば何事も無く紛れ込むことも出来るが、それを行うには玉藻前の力は強すぎるのだ。

「……どうしたものか……」

 将志は思わずそう呟いた。
 すると、胸元で眠っていた玉藻前がもぞもぞと動き眼を覚ました。

「ん……おはよう、槍次」
「……気分はど、んっ!?」

 将志が玉藻前に今の気分を尋ねようとすると、いきなり口を塞がれた。
 玉藻前の腕は将志の首に回されており、口を塞いでいるのは柔らかい唇である。
 突然の行為に将志が硬直していると、玉藻前は将志の唇をチロチロと舐め始める。
 その段階に至って、将志は何とか冷静さを取り戻して玉藻前を唇から引き剥がした。

「ふふっ、少し乱暴すぎたかな?」
「……何のつもりだ?」

 将志の上で楽しそうに笑う玉藻前に、少し頬を赤く染めた将志はそう問いかけた。

「なに、ちょっとした愛情表現だ。しかしこの程度で赤くなるとは、意外と初心なんだな、槍次は」
「……そんなことはどうでもいいだろう」

 からかうような玉藻前の言葉に、将志は拗ねた表情で顔を背けながら答える。
 そんな将志の頬を玉藻前は愛おしそうに撫でる。

「……こうしてみると結構可愛いな、槍次は」
「……それよりも、先に話し合うことがあるだろう? お前はこれからどうしたいのだ?」
「叶うのならば、私は槍次と共に居たい」

 将志の目をまっすぐに見据えて玉藻前はそう言った。
 それを聞いて、将志は首を横に振った。

「……すまないが、それには応えられん。こちらとしても事情があるのでな。その代わり、お前が落ち着くまでは俺が支援するとしよう」

 将志は玉藻前の要望にそう言って眼を伏せた。
 それを聞いて、彼女は残念そうに俯いてしまった。

「そうか……そういうことなら仕方がない。それで、他に私の行く先に当てはあるのか?」
「……あると言えばあるが……ん?」

 将志が答えようとすると、突如として小屋の中に新たな気配を感じた。
 しばらくして、何もない空間が裂けて中から紫を基調としたドレスを着た女性が出てきた。

「やっほ、将志。調子はど……う……?」

 紫は将志に声をかけようとして固まる。
 その視線の先には布団の中で横になっている将志がいる。
 ただしその着衣は乱れている上に、将志の上には見知らぬ女が乗っているのだ。
 その結果、紫の頭の中ではよからぬ妄想が繰り広げられることになった。
 その内容を具体的に言えば、男と女が絡み合う例の行為である。

「……紫?」

 硬直している紫に、将志は声をかける。
 すると、見る見るうちに紫の顔は茹で上がっていった。

「ご、ごごごごゆっくりどうぞ!!」
「あ、待て! それは誤解だ!」

 紫はそういいながら大慌てでスキマの中に引っ込んでいく。
 将志は紫が何を考えたのかを察して引きとめようとするが、間に合わない。
 その様子を見て、玉藻前はくすくすと笑った。

「そうか、お前の本当の名前は将志と言うんだな。いい名前だ」
「……気が付いていたのか?」
「ああ。将志は自分の名前を言うときだけ私から眼を逸らしたからな。偽名ではないかとは思っていたよ」

 本名を聞けて嬉しそうに笑う玉藻前。
 それを見て、将志はため息をついた。

「……まあいい、改めて名乗ろう。俺の名は槍ヶ岳 将志。変わり者の槍妖怪だ」
「妖怪? 妖怪が私を助けたのか?」
「……ああ。妖怪も孤高の存在ではない。妖怪の中でも、人間のような社会を小規模ながら作るものが居る。俺はその一つに所属している」

 怪訝な表情を浮かべる玉藻前に、将志はそう説明する。
 実は、妖怪の山や銀の霊峰のようなコミュニティを持つ妖怪はそう多くはない。
 むしろ、自分勝手に行動する者の方が圧倒的大多数を占めるといっても過言ではない。
 玉藻前がその存在を知らなくても不思議ではないのだ。

「……そうか。つまり私をその妖怪の社会に迎え入れると言うわけだな?」
「……そういうことになるな」

 玉藻前は将志の言葉からそう解釈し、将志はそれを肯定する。
 玉藻前は頷いていたが、しばらくすると急に表情が変わった。

「……ところで、今さっきの女は誰だ? 人間ではなさそうだし、将志のことを知っている様だったが……」

 玉藻前は将志の頭を抱え込み、真正面からその黒耀の瞳を覗き込んだ。
 嘘をつくことは許さない。彼女の瞳は何よりも雄弁にそう告げていた。

「……俺の知り合いの一人で、今回のお前の受け入れ先の当てだ」

 玉藻前の質問に、将志は深々とため息を吐きながら答えを返した。
 将志の頭の中ではどうやって誤解を解くべきかと言うことを考えていたが、そこでとあることに気がつく。

「……ところで、いつまで俺の上に乗っているつもりだ?」
「……もう少しだけこうさせて欲しい」

 将志の問いに玉藻前はそう言って答えた。
 腕は首に回され、九尾は将志の身体を包み込むように巻きつく。
 その後もう少し、もう少しと延長され、結局一刻ほどその状態が続いた。




 しばらくして再び紫が現われたので、将志は事情を説明した。
 紫は話を聞くと、しばらく考えて結論を出した。

「なるほどねえ……確かに私のところが一番無難ね。貴方のところは少し人間に知られすぎているもの」
「……頼めるか?」
「ええ、良いわよ。もうそろそろ人手が欲しくなってきたことだしね。……ところで一ついいかしら?」
「……何だ?」
「……その子は何で将志にくっついているのかしら?」
「……む?」

 紫の視線の先には、将志の腕に抱きつき尻尾まで巻きつけてべったりとくっついている玉藻前の姿があった。
 それはもう二度と放すかと言わんばかりのくっつきぶりだった。

「……誰かに抱きついていたほうが安心するのではないのか?」
「……そうね、そういえば貴方はそういう人だったわね」

 将志の返答にがっくりと脱力する紫。
 色の話は苦手なのに、周囲のせいで妙な免疫のついている将志であった。

「……とにかく、玉藻前を受け入れると言うことで良いのだな?」
「ええ、その子がよければの話だけれどね」

 その返答を聞いて、将志は玉藻前の方を向いた。

「……だそうだ。後はお前次第だ。俺も紫もしばらくはここに居る。紫とも話をして、ゆっくり考えるが良い」

 将志はそういうと玉藻前から離れ、赤い布に包まれた銀の槍を手にとって小屋の外に出た。





 いつもどおりの鍛錬を終えて小屋の中に戻ると、どうやら話はまとまったらしく、紫と玉藻前は雑談に興じていた。
 将志は銀の槍に赤い布を巻き、背中に背負う。

「……話はまとまったのか?」
「ええ、まとまったわよ。だから今は女誑しについての話をしていたのよ」
「……む?」

 若干ジト眼混じりの紫の視線に、将志は首をかしげた。
 この男、自分に対する婉曲表現というものが全く通用しない。

「……それで、どのような話にまとまったのだ?」
「この子を、藍を私の式にしてうちに住まわせることになったわよ。うちなら人間の目にはつかないし、安心して暮らすことが出来るわ」
「そういうわけで、紫様から名前を賜ったので改めて自己紹介をさせてもらおう。玉藻前改め、八雲 藍だ。よろしく頼むぞ、将志」
「……ああ」

 藍の自己紹介を聞いて、将志は頷いた。

「……それで、式にするとはどういうことだ?」
「それについては私の要望だ」

 将志が紫に質問を続けると、藍から声が上がった。
 将志はそちらのほうを向いた。

「……何故だ?」
「何も式になると言うことは悪いことばかりじゃない。情報の共有が出来るし、遠く離れていてもすぐに連絡が取れる。それに何よりも、主の力が強力ならば命じられたことには自分の全力以上の力を発揮できるんだ」
「……なるほど、本人が納得しているのなら俺から何も言うことはない」
「こっちには色々と言いたいことがあるんだけどな?」

 淡々と答えを返す将志に、藍が少し不貞腐れた表情でそう言った。
 それを聞いて、将志は首をかしげた。

「……何だ?」
「将志、妖怪どころか神だったんだな。おまけに妖怪としても銀の霊峰と言う一組織の長なんだって?」
「……肯定しよう。確かに俺は建御守人と言う神の端くれであり、銀の霊峰の長になっている。それがどうした?」

 藍の問いかけに、将志はそう言って頷きながら切り返す。
 それを受けて、藍は拗ねたように言葉を紡いだ。

「私は自分の事をお前に教えたのに、お前は自分の事をみんな隠していたじゃないか。不公平だと思わないか?」
「……一理あるな」
「それだけじゃない。組織の長と一柱の神でありながら、仕えている主が居るとはどういうことだ?」

 藍は強い力の篭った視線を将志に向けながらそう尋ねる。
 どうやら藍にとっては先程のことよりも、このことの方が余程重要なことであるようであった。
 それを聞いて、将志は額に手を当ててため息をついた。

「……話が逆だ。主に仕えたのが先で、長の立場も神としての力も後からついてきたものだ。例えこの先どうなろうとも、俺が主の従者であることは変わることは無い」

 将志はそういうと、壁に立てかけてあった漆塗りの柄の槍を手に取った。

「もう行ってしまうのか?」
「……ああ。少しばかり時間を掛け過ぎた。帰ってやることが山ほどあるのでな」

 名残を惜しむ藍に、将志はそう言葉を返した。
 そして外に出ようとすると、再び藍から声が掛かる。

「将志! 帰ったら、お前のご主人様に宜しく言っておいてくれ!」
「……? ああ、伝えておこう」

 将志はどこか不敵な笑みを浮かべる藍に首をかしげながら、小屋を後にした。



[29218] 銀の槍、手助けをする
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 02:16
 ある日、朝霧が立ち込める境内の石畳の上で将志がいつものように銀の槍を振るっていると、目の前の空間が裂けた。

「将志、ちょっといいかしら?」

 その中から顔を出した紫に、将志は槍を振るう手を止めて眼を向けた。

「……何事だ?」
「少し相談したいことがあるのよ。出来ることなら、霊峰の妖怪を全部集めて欲しいわ」

 紫のその言葉に、将志は眼を伏せて首を横に振った。

「……その前に、まずは用件を聞こうか。流石に全ての妖怪に集合をかけるとなるとそう簡単にはいかんのでな」
「ええ、分かったわ。それじゃ、単刀直入に言うわよ。将志、私は月に行ってみようと思うのよ」

 紫の言葉を聞いて、将志はピクリと反応した。

「……月だと? 月に行って何をするつもりだ?」
「月について調べてみたら、月には大昔に地球を離れた人間達が暮らしているという噂を聞きつけたのよ。その人間達がどういうものか調べてみようと思うのよ」

 その言葉を聞いて、将志は眼を閉じて昔を思い出した。
 高度な文明を誇っていた人類、町で出会った人々、そして月への脱出。
 今まで生きていた時間の中ではほんの僅かの時間であったが、自らを形成した大切な時間であった。

「……月に居る人間は、かつて地上の穢れを嫌って自らの力で昇っていった者達だ。今の地上の人間などとは比べ物にならないほど発達した文明を誇り、かつてはその全てが妖怪を打倒せしめる力があるほどに強かった者達だ。……それでも行くと言うのか、紫?」

 将志は自分が覚えている当時の人間の姿を紫に語る。
 すると紫は興味深そうな眼を将志に向けた。

「ずいぶん詳しいわね?」
「……それはそうだ。その当時、俺はその人間達と共に生きていたのだからな……もう気の遠くなるような昔の話だ」

 どこか遠い目をしてそう話す将志に、紫は唖然とした表情を浮かべた。

「え、なにそれ怖い。将志、貴方何歳なの?」
「……六花に聞いてみたところ、二億は超えているようだが……」

 あごに手を当てて、思い出すようにして将志は答えた。
 それを聞いて、紫は額に手を当ててため息をついた。

「……道理で私を子ども扱いするわけね。今ここに居る誰よりも年上じゃない」
「……いや、一番年上は愛梨だな」
「なにそれこわい」

 更なる年上が居ると聞いて絶句する紫であった。

「……それはともかく、本当に月に行くつもりか?」
「ええ。将志の言うことが本当ならば、今後脅威となりえるのかどうか確かめに行かなければならないわ。そのためにも、私は月に行ってみようと思うわ」
「……なるほど、決心は固いわけだな。それで、俺に話を持ちかけたと言うことは、俺達にそれに同行しろと言いたいわけだ」

 力なく首を振る将志に、紫は頷いた。

「その通りよ。危険なのは分かっているけど、外からの脅威があるとなればそれに備えなければならないわ。万全を期すためにも、貴方にはついてきてもらいたいのだけれど」

 そう言ったのを聞いて、将志は額に手を当てて考え込んだ。
 紫はそんな将志の顔を覗き込んだ。

「……駄目かしら?」
「……うちの連中を連れて行ったところで、数が少なすぎる上、月の連中の攻撃に耐え切れるとは思えん。だが、お前をみすみす死なせるわけにはいかん。うちの連中全ては無理だが、俺一人だけはついていこう」

 紫の問いに、将志は重々しい口調で答えを返す。
 その表情から、本当はそのようなことはしたくないと言う本音が僅かながら見て取れる。

「他の妖怪達はやっぱり駄目かしら?」
「……ここの妖怪達は俺を慕って集まった者達だ。俺が号令を掛ければ即座に集まるだろう……俺はそんな奴らをみすみす死線に送りたくはない。はっきり言ってしまえば、お前が月に行くことすら反対なのだ。それだけは覚えておけ」

 将志はそういうと、紫から視線を切り再び鍛錬に戻った。




 後日、将志は紫に呼び出されて湖畔に向かった。
 空には真円を描く蒼い月が浮かんでおり、湖はその姿を鮮明に映し出していた。

「……よくもまあこんなに集まったものだな……」

 将志は湖畔に集まった妖怪の数を見て思わずそう声を漏らした。
 そこには数え切れないほどの妖怪がひしめき合っていた。
 その眼はどれもギラギラと光っており、すぐにでも暴れだしそうな状態だった。

「……天狗や鬼達は来ていない様だな……」

 将志はそう言って安堵のため息をついた。
 将志の記憶の中では、かつての妖怪の強さや奮戦する人間達の姿が蘇っていた。
 記憶の中の人間達は、近づかれるまでの間妖怪達を圧倒していたのだ。
 妖怪達も、そんな人間達に対抗するかのようにどんどん強くなっていた。
 ……今の妖怪達に、当時のような強さがあるとは思えなかった。

「……浮かない顔をしているな、将志?」

 将志が物思いにふけっていると、近づいてくる人影があった。
 その声に、将志はゆっくりと振り向いた。

「……藍か。この妖怪達は紫が集めたのか?」
「ああ。いろいろなところに声をかけて回ったからな。行きたくとも来られなかった妖怪を含めればもっと多かったことだろう。もっとも、妖怪の山と銀の霊峰には振られたみたいだがな」

 藍はそう言いながら将志の横に寄り添うようにして立つ。
 将志は藍の言葉を聞いて首を横に振った。

「……仕方があるまい。妖怪の山はこのような事態にすぐ動けるような組織ではないし、銀の霊峰の妖怪は月の人間の強さを教えられている。正直、ここに居る面子が全滅したとしても不思議ではないのだがな」
「それでもお前は来てくれるんだな、銀の霊峰の首領さん?」

 藍はそう言いながら将志に笑いかける。

「……紫やお前に死なれると目覚めが悪い。それだけのことだ」

 将志はそう言いながら藍から眼を逸らす。
 その言葉を聞いて、藍は途端に不安そうな表情を浮かべる。

「……その言葉、そっくりそのままお返しするよ。頼むから、死ぬな」
「……俺には主との誓いがある。そう簡単にくたばるつもりはない。安心しろ、俺はお前達を守り通して生き延びてやる。俺は曲がりなりにも守り神なのだからな」

 藍のその言葉に、将志は力強くそう答えた。
 それを聞いて、藍は不満げな表情を浮かべて将志を見た。

「やれやれ……生き延びる最大の理由は主のためか……そこは嘘でも私のためと言って欲しいものだ」
「……悪いが、ここだけは譲りたくないのでな」

 藍の言葉に、将志はそう言って背を向けるのであった。



 そして、月に移動してから妖怪達は町を目指して行進していった。
 だが、妖怪達の眼は依然として狂気じみた光を宿しており、紫の号令一つですぐにでも飛び出していきそうだ。
 将志は紫のすぐ前を歩く。その視線は周囲の風景を捉えている。

「…………」

 真横には凪いだ海。
 星を散りばめた漆黒の空。
 そして、そこに浮かぶ蒼い地球。
 その全てが将志に感銘を与えていく。

「……ここが、主が過ごした月か……」

 将志は誰にも聞こえないようにそう呟き、一歩一歩確かめるようにして歩く。
 自分が主と過ごすはずの場所であった月。その地を踏んでいることに、将志の精神は高揚していた。 
 そんな将志を、紫と藍は面白そうに眺める。

「……楽しそうですね、将志」
「ええ、戦の前だというのにね」

 その声を聞いて、将志は罰の悪そうな顔をした。

「……すまない、少々不謹慎だったか」
「いいえ、相手方とぶつかる前には戻って……」

 紫はその言葉を最後まで言い切ることが出来なかった。
 何故なら、突然前からけたたましい叫び声と銃声が聞こえてきたからだ。

「……交戦開始だな」
「ええ……藍、将志、周囲の警護は任せたわよ」
「了解しました」
「……了解した」

 戦いは一方的な展開で進んでいった。
 紫達妖怪軍は、月の軍隊によってどんどん数を減らされていく。
 嵐のような弾丸の雨にさらされると同時に、近づいたところで相手の将に次々と斬られていた。

「……やはり、こうなったか……」

 怒号と悲鳴の中、将志はただひたすらに眼を閉じ、周囲の気配に気を配りながら弾丸を弾く。
 妖怪達は瞬く間にその数を減らし、散り散りになっていく。

「舐めるなああああ!」
「遅い!」
「ぐええええええ!」

 散っていく妖怪達の声を、将志はただ黙って聞くことしか出来ない。
 血の気が多すぎる妖怪達までを救うような手段はないのだ。

「……紫、これ以上は無駄だ。撤退しろ」

 将志は紫に向かってそう提案した。
 紫は目の前で倒れていく妖怪達を見て、口を一文字に結んだ。

「……分かったわ。でも、今のままじゃ撤退の時間が……」

 悔しそうに紫がそういった瞬間、藍がハッとした表情を浮かべた。

「将志、まさかお前!」
「……ああ。お前が考えている通りだ、藍。俺が時間稼ぎをする間に逃げる手はずを整えろ」

 叫ぶような藍の一言に、将志は平然と肯定の意を見せる。
 それを聞いた瞬間、藍は将志の腕を掴んだ。

「駄目だ! そんなことは絶対にさせない!」
「……だが、今のままでは撤退する前に全滅するぞ? 代案があるならそれに越したことはないが、あるのか?」
「くっ……」

 何とか引きとめようとする藍に、将志は冷酷に現実を突きつける。
 藍は必死に将志の言う代案を探すが、見つからない。
 そんな藍に紫が静かに声をかける。

「……藍、残念だけど、ここは将志に任せるしかないわ……頼んだわ、将志」
「し、しかし……」

 紫の言葉に藍は何とか反論しようとするが、言葉が見つからない。
 そんな必死で言葉を探す藍の頭に、優しく手が置かれた。

「……大丈夫だ。相手の司令官を止めるだけなら、俺にも出来る。それに、誓いがある限り俺は死なん。だから、安心して待っていろ」

 将志は藍に優しくそう語りかけた。

「……生きて帰らないと、承知しないからな」
「……分かっているさ。では、行って来る」

 将志は眼に涙を浮かべた藍にそう告げると、敵陣に向かって走って行った。
 飛んでくる弾丸を掻い潜り、仲間の死骸を乗り越え、敵の司令官と思われる人物に突っ込んでいく。
 将志は敵軍とぶつかる寸前、地面に妖力の槍を叩き込んで砂塵を巻き上げ、目晦ましをして指揮官に切り込んだ。

「……ふっ」
「甘い!」

 将志と指揮官は切り結ぶと、いったん下がった。
 少し間をおいて、再び将志は銃弾を掻い潜って敵将の下へ斬り込んだ。
 その途中、敵兵達を何人か弾き飛ばし、混乱をもたらした。

「なっ!?」
「……はっ」

 飛び込んでくる将志を見て、指揮官は驚きの表情を浮かべた。
 指揮官は青みがかった銀色の髪をリボンでポニーテールにまとめた少女で、その手には長い刀が握られていた。
 そんな彼女に、将志は休むまもなく攻撃を仕掛ける。

「……行くぞ」
「きゃあっ!?」
「わあっ!?」
「ひゃん!?」

 将志は指揮官を攻撃しつつ、周囲の敵兵を戦闘不能にしていく。
 敵陣を切り裂くように走り回り、次々と混乱をもたらしていた。

「くっ、させない!」

 指揮官は将志に対して一瞬で間合いを詰めて斬りかかった。
 将志はその一太刀を受け止める。
 彼女の刀からは、激しい火花が散っていた。

「……その太刀筋、建御雷のものか」
「くっ!」

 将志は指揮官を押し返すと、再び鋭く突きこんだ。
 対する相手も、その突きを受け流しながら反撃を加えていく。
 将志はその反撃を紙一重で避けながら槍を振り下ろした。

「……やるな。よく神の力を使いこなせている」
「……嘘だ……」
「……む?」

 将志が話しかけると、指揮官は俯いてそう呟いた。
 それを聞いて、将志は眉をひそめた。

「依姫様を援護しろ!」
「……ちっ」 

 敵兵の援護射撃を受けて、将志はその場から飛びのいた。

「……すまないが、しばらく大人しくしてもらおうか」

 将志は敵陣の中を風のように駆け抜けた。
 すれ違う敵兵に攻撃を仕掛け、次々に戦闘不能に追い込んでいく。
 将志はあえて殺すことなく怪我人を増やしていった。
 これは負傷した兵を救助するために兵を裂かなければならなくなることを見越したものであった。

「やあああああ!!」
「……ふっ」

 切り込んできた依姫と呼ばれた指揮官の一太刀を、銀の槍で受け止める。
 依姫は切り結ぶと、鍔迫り合いの状態に持ち込んだ。

「……確認したいことがあります……その力、建御守人様のものですね?」
「……ああ」
「……そして貴方の本当の名前は……槍ヶ岳 将志。そうなのですか?」
「……ああ」

 依姫は将志の眼を見ず、俯いたまま質問を重ねる。
 一方の将志は、相手の問いに淡々と答えていく。

「貴方の話を聞いて……貴方の戦いとそのあり方を見て、私はずっと貴方に憧れていました……その貴方が、銀の英雄とも呼ばれた人が、何故敵なんですか!!」

 指揮官は戸惑いと強い怒りを含んだ声でそういうと、将志を思い切り突き飛ばした。
 将志は空中で体勢を整え、着地する。

「……何故と言われても……友人が死地に踏み込んでいるのだ、助けようとするのが当然ではないのか? 別に、俺自身にお前達に攻撃を仕掛ける意志は無い。ただ、全員が無事に撤退できれば良いだけの話だ」

 将志はそう涼しい顔でそう言いながらその場に佇む。
 それを聞いて、依姫は将志に正面から向き合った。

「……つまり、こちらが攻撃しなければ貴方はこちらの敵にはならないと?」
「……そうだ。そうでなくとも、妖怪達は既に総崩れだ。攻撃をやめれば、速やかに撤退することを約束しよう」

 将志と依姫は油断無く見つめ合いながら話を続ける。
 その間に、戦意を失った妖怪達は次々と戦線を離脱していっている。
 しかし、月の防衛軍はそれを逃がすまいと追撃を始めていた。

「……条件があります。貴方の身柄をこちらで拘束します。それがこちらから提示する条件です」

 依姫は将志に刀を突きつけ、妖怪の完全撤退の条件を提示した。
 将志はそれを聞いてため息をついた。

「……断る。それでは俺は主との誓いを果たせなくなる。二度も誓いを破ることなど、俺には出来ん」
「……先生と、八意 永琳と再会できたのですか?」
「……ああ。俺は主と再会し、生きてそばにいることを誓った。この誓い、何者にも破らせはせん。俺は己が全てに代えても、この誓いを守る」

 将志がそう言うと、依姫は将志に対して微笑みかけた。

「ふふっ……本当に貴方は私が憧れた、あの銀の英雄なのですね……」
「……そんな大それた名など、俺には要らん。俺は主の従者。この肩書きだけで十分だ」

 将志はそう言うと、槍の石突を地面につけて周りを見渡した。
 将志の周囲は武器を構えた兵士達が取り囲んでおり、依姫は正面に構えている。
 妖怪達も撤退を続けてはいるが、数が多いために遅れているものが次々と攻撃を受けていた。

「……観念してくれましたか?」

 依姫は将志が要求を飲まざるを得ないことを確信してそう尋ねた。
 しかし、将志の回答は依姫の期待したものとは違うものであった。

「……まさか。この程度で観念するほど、俺が貫く信念は弱くない」

 将志がそういった瞬間、将志を取り囲むようにして銀の槍が降って来た。
 銀の槍が将志と周囲を隔てたのと同時に、将志は空へと飛び上がった。

「くっ……総員に告ぐ! あの男を捕らえろ!!」

 依姫の号令で月の兵士達は一斉に将志に攻撃を仕掛けた。
 しかし、将志はその攻撃を次々と躱して風を切り裂くような凄まじい速さで撤退していく。
 そして、将志が向かったのは撤退していく妖怪達の最後尾であった。
 そこに降り立つと、将志は追撃を掛ける防衛軍に向けて、ただ一人で槍を構えた。

「……さあ、来るが良い。立場は逆だが、お前達の言う銀の英雄の戦場の再現と行こうか!」

 将志はそう言うと蓄えていた力を開放し、銀色の光を放ちながら弾丸のように戦場を駆け巡った。
 放つ攻撃は触れたものの意識を次々と刈り取っていき、気絶した兵が戦場に伏していく。
 その姿は、まさに一騎当千の戦士であった。

「一点に集中するな!! 散開して左右から敵に攻撃を仕掛けながら退路を断て!!」

 その状況を見て、依姫が全軍に指示を出す。
 その号令を受けて、防衛軍側は一気に広がって妖怪達を攻撃し始めた。

「きゃあああ!?」
「ひいいいい!?」
「……させると思ったか?」

 しかし、その防衛軍の頭上に将志の妖力で編まれた銀の槍が雨のように降り注いだ。
 それは空一面に広がる流星群の様に美しいものであった。
 その攻撃を受けて再び防衛軍は混乱し始め、依姫は驚きの声を上げた。

「なっ!?」
「……俺が守るからにはこれ以上の犠牲者は出させん……そう、ただの一人も!!」

 将志は強く気を吐くようにそう言いながら、地面に槍を突き立てた。
 するとその瞬間、地面からまばゆい光を放つ銀の光の柱が次々と空へと伸びていった。
 それは空の流星に気を取られていた者を次々に薙ぎ倒していく。

「くうっ!?」

 依姫はその眩しさに眼がくらみ、周囲の状況が分からなくなる。
 その間にも将志の攻撃はやむことがなく、反撃に移ることは出来ない。

「将志! こっちだ!!」

 将志にむけて、撤退するためのスキマから藍が声をかける。
 気がついてみれば撤退している妖怪はもう既にスキマを通過しており、残っているのは将志だけであった。
 それを確認すると、将志は全速力で藍の下へと向かう。
 そしてスキマの前に立つと、身動きが取れなくなっている依姫の方へ振り向いた。

「……さらばだ! 縁があればまた会うこともあるだろう!!」

 将志はそう言い残してスキマの中に滑り込んだ。 
 それと同時に、スキマは閉じて跡形も無くなった。






 スキマから出ると、そこは出発点であった湖畔であった。
 ひしめき合うほどにいた妖怪達はその大部分が居なくなり、残った者にも無傷のものはほとんど居なかった。
 将志はその中を歩き回り、目的の人物を探し出すことにした。
 しばらくすると、湖畔の岩に腰掛け、月を眺めている女性を見つけた。
 将志はその女性の下へ歩いていく。

「……完敗だったわね……あれ程のものだなんて思いもしなかった……」

 紫は月を眺めたまま、陰鬱なため息を漏らした。

「……月の人間も、ただ無為に生きてきたわけではなかったと言うことだ。あの長い年月を、僅かの衰退も無く文明を保つ事は困難なものだ。それを行ってこれる力があったからこそ、俺達をああまで圧倒せしめたのだ」

 将志は紫の横に立ち、同じく月を見上げる。
 月はいつもと変わらず、周囲を青白く照らし出していた。
 その月に向かって、紫は再びため息を漏らす。

「はあ……あと少しで貴方を認めさせられるってとこだったのに、これじゃあ減点ものね。取り返すのが大変そうだわ」
「……ふっ、そんなお前に朗報だ。実はな、今回の件で俺はお前を認めてやっても良いと思っている」
「……はい?」

 将志の一言に、紫は呆気に取られた表情を浮かべる。
 そんな紫に対して、将志は理由を説明した。

「……今回集まった妖怪共は、そのほとんどがところ構わず暴れだしそうな奴らばかりだった。そいつらが目の前に破壊対象の都市があるというのに、お前の令に従って規則正しく行進をしていたのだ。もう認めたっていい、お前は立派に妖怪達をまとめることが出来る」
「そ、それじゃあ……」
「……ああ。今からこの槍ヶ岳 将志、並びに銀の霊峰は八雲 紫を全面的に支持しよう。これからは、幻想郷の一員として扱ってもらって構わない」

 将志は紫に対して銀の槍を掲げ、力強くそう言った。
 その言葉を聞いた瞬間、暗く沈んでいた紫の表情が一気に明るくなった。

「ふ、ふふふ、ありがとう、将志。これからも宜しく頼むわよ?」
「……ああ。こちらこそ、宜しく頼む」

 花のような笑顔を浮かべる紫と、将志は固く握手を交わした。

「じゃあ、これから将志はうちに来て家事をあいたっ!?」
「……調子に乗りすぎだ、戯けっ」

 そして、調子に乗った紫に拳骨を落とす将志であった。







「……逃げられましたか……」

 一方、こちらは将志が去った後の月の平原。
 依姫は将志が去ったのを見て、残念そうに肩を落としていた。
 目の前にあるのは、将志が妖怪達守るために戦っていた場所。
 その向こう側には、妖怪の死体は一つもなかった。
 将志は宣言どおり、一人の犠牲者も出すことなく守り抜いたのだ。

 そこに向かって、歩いてくる人影があった。

「そっちは終わった、依姫?」
「……ええ、終わりましたよ、お姉様」

 歩いてきた人影、自らの姉である豊姫に依姫はそう答えを返した。

「あら、ずいぶんと嬉しそうな顔をしてるわね。どうかしたのかしら?」
「……いえ、憧れた人が自分の思った以上に格好良かっただけですよ」

 豊姫の質問に、依姫は微笑みながらそう返した。
 信念を貫き通す強い意志と、それを可能にする力を持った銀の英雄。
 その姿を目の当たりにして、依姫の心の中には沸き立つものがあったのだ。

「……それにしても残念だね。将くん、逃げちゃったのか……」

 そんな依姫の後ろから、一人の男性が現われた。
 その声に、二人はその男性の方を見た。

「……今までどこにいらっしゃったのです、月夜見様?」
「いや~、ついさっきまで店で新しい紅茶のブレンド試してたんだけど、将くんが来てるって聞いて飛んできたんだ。……ちょっと遅かったみたいだけどね」

 後から来た男性、月夜見に対してジト眼を向ける依姫。
 その視線を受けて、月夜見は頭を掻きながら苦笑いを浮かべた。

「月夜見様は喫茶店のマスターをする前に溜まっている書類を片付けてください! ……それはさておき、彼とは知り合いなんですか?」
「うん。だって、将くん前に僕の店でアルバイトしてたもの」
「え、嘘ぉ!?」

 月夜見の告白に、姉妹揃って驚きの表情を浮かべた。
 特に依姫に至っては、あまりの衝撃に手にした刀を取り落としている。

「……銀の英雄が、アルバイト、ですか……? 嘘ですよね……?」
「本当だよ。主のために紅茶とコーヒーの淹れ方を教えて欲しいって頼み込んできてさ。将くんが作る料理は絶品だったなあ……あの料理を目当てに来る人も多かったもの」
「……そう言えば、建御守人様って料理の神様でもありましたね……そんなに先生が好きだったんですか……」

 依姫は月夜見の話を聞いて、思わずギャルソン姿の将志を思い浮かべた。
 そして何故か異様にしっくりくるその姿を、頭を振ってかき消した。
 そんな依姫の肩を、ふくれっつらをした豊姫が叩く。

「もう、依姫ってばそんな人を逃がしちゃうなんて!」
「私だって捕まえられるなら捕まえたかったですよ! でも相手はあの銀の英雄で戦の神様だったんですよ!? 防衛部隊全員で掛かってもこの有様なのに、どうしろって言うんですか!!」

 依姫はそう言いながら辺りを指差した。
 辺りには気絶した兵士達が所狭しと倒れていて、惨憺たる有様であった。
 そんな興奮している依姫に、月夜見が話しかけた。

「まあまあ、落ち着いて。なんだったら、蓬莱山 輝夜と八意 永琳の捜索のついでに、将くんも、槍ヶ岳 将志も一緒に探したら良いんじゃないかな? 地上にいるのは確かなんだし」

 月夜見の提案を聞いて、二人とも居住まいを正した。

「こほん、そうですね。元より先生達の捜索をしなければならないんですし、銀の英雄こと槍ヶ岳 将志の捜索と言うならばそれだけでも十分に意味があります。早速捜索隊を召集しましょう」
「うふふ……どんなご飯が食べられるのかな~♪」
「新しい制服、一着用意しておこうかな」
「……貴方達も、自分の仕事に戻ってください……」

 既に将志を捕まえた後のことを考えている二人を見ながら、依姫は盛大にため息をつくのだった。



[29218] 銀の槍、説明を受ける
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 02:19
 月への遠征が終了してから数日後、将志は八雲家の住居であるマヨヒガを訪れていた。
 その傍らには、銀の霊峰の主要メンバーである愛梨や六花、アグナがついてきている。

「お待ちしておりましたわ。さあ、こちらへどうぞ」

 家主自らが将志達を出迎え、応接間へと案内する。
 十畳ほどの広さの応接間には立派な欅の机が置かれており、そこには座布団が人数分並べられていた。
 将志達は案内されるまま席に着席する。

「失礼いたします。お茶をお持ちいたしました」

 するとすぐに毛並みのいい金色の九尾の女性がお茶を配って回る。
 配り終えると女性は将志達の対面、紫の隣に腰を下ろした。

「このたびは、貴重なお時間を割いていただきありがとうございます。私は幻想郷の管理を行っている、八雲 紫と申します」
「その補佐をさせていただいている、八雲 藍です。以後お見知りおきを」

 二人は恭しく礼をしながら自己紹介をした。
 将志はそれを受けて、首をゆっくりと横に振った。

「……俺達に堅苦しい挨拶は要らん。初めて会うものも居るが、全員そう言うのが苦手なのでな。楽にしてもらえると助かる」
「そう、それならお言葉に甘えさせていただくわ。今日集まってもらったのは私が管理している幻想郷についての話と、貴方達の役割についての話をするためよ」
「んっと、幻想郷っつーのは確か現実と幻想の共存のために作られたもんなんだよな?」

 幻想郷という言葉を聞き、アグナが額に指を当てて思い出すようにしながら質問をした。

「ええそうよ。もっとも、これが本当に必要になってくるのは人間以外の幻想なのだけれど」
「だろうね♪ 人間って、とっても強いもんね♪」
「今は良くとも、今後妖怪より強くなっていくのは確かですわね」

 微笑を浮かべながら返答をする紫に、愛梨も笑顔で賛同する。
 それを聞いて、六花は銀色の長い髪を弄りながらため息をついた。
 その六花の言葉に、将志は反論する。

「……いや、今ですら人間は十分に強い。人間の力は弱い。だが、その力を補う術を捨てるほど持っている。結束、知略、技巧、道具……場合によっては、神ですら打ち破りかねない力を持つ。それが人間と言うものだ」
「ホントか!? うちの妖怪達とどっちが強いんだ!?」
「落ち着いてくださいまし、アグナ。この家で火事を起こすつもりですの?」

 将志の言葉に橙色の瞳を爛々と輝かせて炎を吹き上げようとするアグナを、六花が手で制した。
 アグナが収まったのを確認すると、紫は再び話を始めた。

「いいかしら? それじゃあ、これから幻想郷について説明するわよ。まずは……」

 紫は将志達に幻想郷の概要、現在の勢力、幻想郷内の規則など、様々なことを説明していく。
 将志達はその言葉をしっかり聞き入れ、必要な情報をそろえていく。
 ……もっとも、アグナは退屈だったのか途中から船をこぎ始めていたが。

「……以上が幻想郷の概要よ。何か質問はあるかしら?」

 紫は話を終えると、周囲に質問を促した。
 すると、愛梨が手を上げた。

「ちょっと良いかな♪ 人里に妖怪が入って悪さをした場合の罰則ってどうなるのかな?」
「然るべき処分を受けることになるわね。幻想郷には妖怪退治屋も多いから、そもそも襲った時点でタダじゃすまないわ」

 愛梨の質問に紫は簡潔に答える。
 それを聞いて、将志が質問を重ねる。

「……もう一つ質問だ。仮に妖怪が何らかの理由があって人里に入り、人間から襲撃を受けたとする。これに対しての防衛行為はどう判断するつもりだ?」
「それは審判をつけて判断してもらうことにするわ」

 紫がそう答えると、アグナが大あくびをして頭を掻きながら首をかしげた。

「ふわ~ぁ……それじゃダメなんじゃねえか? 妖怪と人間の審判が居たとして、それぞれで自分の仲間を味方したらどうしようもないぞ?」
「それに関しても考えてあるわよ。妖怪と人間両方に当てはまらない、もしくは中立の立場にある人物を当てることにするわ」

 アグナの疑問に、紫は用意していた答えを返した。
 それを聞いて、将志は納得したように頷いた。

「……成る程、その役目が俺に回ってくるわけだ」
「ええ、悪いけど貴方個人に対する頼みごとは沢山あるわ。それについての話は後でするから、まずは銀の霊峰全体に頼む役割を言うわよ」
「……すまないが、うちの妖怪達に出来ることは少ないぞ?」
「それは分かってるわよ。けど、私が頼みたいのは貴方達がもっとも得意とする分野、さらに言ってしまえば貴方達にしか出来ない仕事をして欲しいの」

 紫のその言葉を聞いて、六花は額に手を当ててため息をついた。
 どうやらあまり乗り気ではないようである。

「……つまり、私達は荒事担当という訳ですわね」
「その通りよ。貴方達には有事の際に妖怪達を指揮して欲しいのよ」

 その言葉を聞いた瞬間、愛梨は首をかしげた。

「あれ? でも妖怪の山も似たようなものだったんじゃないかな? 何かあればそこを頼れば良さそうな気もするけど?」
「妖怪の山は貴女達とは少し毛並みが違うのよ。彼らの社会は山の中で完結しているわ。それに比べて、銀の霊峰はもっと開放的な組織。必然的に他の組織と顔を合わせることも多いでしょう。そしてその勢力はとても強い。それこそ、本気を出せば組織の一つや二つ丸々潰してしまうほどにね」
「……成る程な、言ってしまえば俺達は幻想郷の治安維持軍として働くわけだ」
「そうなるわね。現状、幻想郷内でも銀の霊峰の勇名は響いているわ。立場を明らかにすれば、貴方達が居るだけでもかなりの抑止効果が見込めるでしょうね。権限としては私からも完全に独立した特殊部隊として配置するつもりよ」
「……む? それはまたずいぶんな権限だな。何故そんなことをする?」

 頷いていた将志はその言葉に顔を上げて紫を見た。
 眉をひそめたその表情からは、紫の考えが理解できていないことが見て取れた。

「理由は簡単よ。何かあるたびに私の指示を待っていたのでは間に合わないこともあるし、私が間違うこともあるかも知れないわ。そんな時、将志が自分で動くことが出来れば迅速な対応が出来る。だから、私とは独立させたわ」
「……良いのか? それでは俺が反乱を起こした場合にうちの連中全てを相手することになるぞ?」
「そうなったらそうなったで考えるわ。でもね、幾ら銀の霊峰でも幻想郷全体を相手にして無事に済むと思うのかしら?」

 紫は将志を挑発するような薄ら笑いを浮かべて将志に問いかけた。
 それに対して、将志は眼を瞑り、起こりえる事態を想定して頭の中で戦略を組み立ててみた。
 そしてしばらくして、将志はゆっくりと首を横に振った。

「……無理だろうな。妖怪の山の戦力は脅威足りえる。確かに俺達が全力で掛かれば制圧は出来るだろうが、損害はいかほどになるか計り知れん。俺達の力で幻想郷を制圧するのは現実的ではないな」
「ふふふ、そういう考えが出来るし、何よりも将志の性格からして裏切るとは思えない。何故なら、貴方は情に縛られるから」

 底の見えない笑みを浮かべて紫は将志にそう言った。
 それを聞いて、将志は小さく息を吐いた。

「……面白い。お前は俺を力でも法でもなく、情で縛りつけようと言うのか。良いだろう、ならば俺は大人しくその脆く頑丈な縄に縛られておこう」
「ありがとう、将志。そういう気持ちの良いところが私は好きよ」
「……気に入ってもらえて何よりだな」

 にこやかに笑う紫に、将志は小さくそう呟いた。
 そんな中、アグナから質問の声が上がった。

「ところでよ、有事の際ってどんな時だ? 俺達のせいで他のみんなが大人しくなっちまったらそれはそれでつまんねえぞ?」
「そうだね♪ やっぱり楽しくないとね♪」
「何もそんなしょっちゅう眼を光らせる必要はないわよ? 有事って言うのは本当に危険な時。幻想郷が壊れてしまいそうな時だけよ」
「それじゃあ、少しくらい大騒ぎしても大丈夫なんだね♪ やった♪」

 紫の発言を受けて小躍りでもしそうなほど楽しそうに愛梨は笑った。
 それを見て、六花が呆れたような眼で愛梨を見やった。

「……愛梨、貴女何を考えていますの?」
「キャハハ☆ 誰かを楽しませるのがピエロの仕事さ♪ 面白いことはどんどんやらなきゃね♪」

 愛梨はそう言って楽しそうに笑うと、あれやこれやと考え始めた。
 そんな愛梨を見て、紫もつられて笑みを浮かべた。

「ふふふ、期待してるわよ? 長い年月を生きる妖怪の一番の敵は退屈ですもの。さて、次は将志個人に対するお願いね」

 紫の一言に、将志はその方を向いた。

「……聞こうか」
「将志にはさっきも言ったとおり人里内での妖怪達の行動の監視と各組織の上層部への連絡係をお願いしたいわ。それから以前から頼んでいた白玉楼……冥界の管理者との会談も継続して欲しいわ」
「……ふむ。だが俺も一組織を束ねる身、行動の監視なぞいつも出来るものではない。他に担当者は居ないのか?」
「もちろん居るわよ。だから時間が空いたときだけしてくれれば良いわ」

 将志はそこまで聞くとあごに手を当てて思案した。
 しばらくして、ゆっくりと頷いた。

「……承知した。それで良いのならば引き受けよう」
「ありがとう。ところで、一つ確認したいことがあるのだけれどいいかしら?」
「……何だ?」
「将志の強さは私達もよく知っているけど、他の人達の強さを私は見たことがないのよ。だからどのくらい強いのか見ておこうと思うのだけど、いいかしら?」

 紫はそう言いながら愛梨達に眼をやった。

「うん、良いよ♪」
「別に構いませんわ」

 太陽のような笑みを浮かべながら頷く愛梨に、お茶を啜りながら淡々と答える六花。

「良いぜ! よっしゃあ、燃えてきたあああああああ!!」
「……少し落ち着こうか」

 アグナはその眼に燃える闘志をみなぎらせて立ち上がった。
 将志は天井に着火しない様に、火柱を上げて燃え上がるアグナの頭に中華鍋をかぶせた。
 その横で、愛梨がふと思い出したように声を上げた。

「ねえねえ、そういえば合格点が分からないんだけど、どう判定するのかな?」
「そうね……貴女達は銀の霊峰でも上位に入る強さを持つって聞くわ。だから藍と勝負して判断させてもらうわよ」
「……良いだろう。ならば少し準備をせねばなるまい」

 そういうと、将志は立ち上がって藍のところへ向かった。
 将志は藍の隣に来ると、静かに腰を下ろした。

「……藍、手を出してくれ」
「え? あ、ああ、分かった」

 藍が差し出した右手を将志は両手で包み込む。
 その手から、将志は自らの力を藍に送り込んだ。

「これは……」
「……俺の守護の力をお前の中に送り込んだ。愛梨達の攻撃は特に苛烈だからな、それで怪我をされては困る」

 将志は慈しむような口調で藍に語りかける。
 藍は将志の手から自分の体の中に流れてくるものを確かに感じていた。
 それは藍の体の中を駆け巡り、誰かに守られているような穏やかな安らぎを与えるものだった。

「……暖かいな。ありがとう、将志の優しさが伝わってくるよ」

 藍は左手を胸に当て、穏やかに微笑んだ。
 その顔は薄く高潮しており、やや潤んだ視線は将志の黒耀の瞳をまっすぐに捉えていた。
 それを見て、将志は静かに視線を逸らした。

「……別に感謝されることではない。俺がやりたくてやったことだ」
「ふふっ、それでも礼を言わずには居られなかったのさ」

 藍はそう良いながら左手を将志の手の上に添えた。
 藍の九本の尻尾は、嬉しそうにゆらゆら揺れていた。 

「(にこにこ)」
「……いつまで握っているつもりですの……」
「あっ、いいな~あの姉ちゃん……」

 そんな将志と藍の様子を、三人はじっと眺めていた。
 愛梨は笑顔だが、その笑みには得体の知れない威圧感が含まれていた。
 六花は露骨に藍を睨んでおり、嫉妬心をむき出しにしていた。
 それに比べて、アグナはただ羨ましそうに眺めるだけであった。
 そんな三人の下に、将志が戻ってくる。
 それを見る藍の視線は、名残惜しそうなものだった。

「……お前達も準備しろ」
「……将志くん、僕達には何もないのかな?」

 近づいてきた将志に愛梨はそう問いかけた。
 すると将志はそっと眼を閉じた。

「……必要ない。何故なら、お前達なら絶対に藍からの攻撃をもらわずに勝つことができるはずだからだ。……行って来い、信じているぞ」

 その言葉を聞いた瞬間、愛梨はこれ以上無いほどの綺麗な笑顔を見せた。

「……うん♪ 頑張ってくるよ♪ だって僕は将志くんの……」
「……相棒、だろう? 分かっているから行ってくるが良い」
「キャハハ☆ 任せといてよ、将志くん♪」

 将志が瑠璃色の瞳を見据えて答えると、愛梨は楽しそうにそう言って笑った。
 その様子を、藍は横からジッと眺めていた。

「……ほう……なるほど……」
「藍? どうかしたのかしら?」
「いえ、何でもありませんよ紫様。さあ、早いとこ準備をしてしまいましょう」

 紫に声をかけられ、藍は庭へと歩いていく。

「……敵は主だけじゃなかったか……ふふっ、これは堕とし甲斐がありそうだな……」

 藍は眼を細めて笑みを浮かべた。
 それは敵を目の前にして笑みを浮かべる武芸者のような凄絶な笑みであった。




[29218] 銀の槍、救助する
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 02:25
 銀の霊峰の中腹にある広場に六つの影が降り立っている。
 先ほどマヨヒガで準備を済ませた一行が、周囲への被害を考えて紫のスキマで移動したのだ。
 その広場の中央に、藍が立っている。

「それで、最初は誰が掛かるのかしら?」
「俺! まずは俺にやらせてくれ!!」

 紫の問いかけに、燃えるような赤い髪の小さな少女が元気よく手を上げる。
 それを受けて、紫は頷いた。

「ええ、いいわよ。えーっと……」
「おっとこいつはいけねえ、自己紹介がまだだったな! 俺はアグナだ! 宜しくな、紫!!」
「ええ、こちらこそ宜しく頼むわ、アグナ」

 自己紹介を終えると、アグナはまっすぐに藍のところへ向かい、正面に立つ。
 藍はアグナを真正面から見据える。

「最初はお前か。こう言っては何だが、お前みたいな奴に攻撃するのは正直……」
「なあに、遠慮すんな! 俺も毎日兄ちゃんや姉ちゃんに鍛えてもらってんだ、どーんと来い!!」
「ああ、分かった。それじゃあそうさせてもらうよ。もっとも、やるからには容赦はしないからな」
「おう! ……先に言っとくけど、俺の炎は魂を焼き尽くすほど熱いぜ?」

 アグナがそういった瞬間、風が熱を持ち始めた。
 アグナの足元からはまるで踊っているかのように炎が吹き上がり、周囲を赤く染め始めた。
 それを見て、藍は息を呑んで身構えた。

「……本当に、見た目など当てに出来ないな。これは本当に容赦が出来そうにない」

 藍の目の前は、アグナが巻き起こす炎で埋め尽くされている。
 その一方で、藍も妖力を集めて弾丸を作り出した。
 そんな二人を見て、紫は微笑んだ。

「双方とも準備は良さそうね。では、始め」
「燃え尽きろぉ!!」

 紫が号令をかけると同時に、アグナは身にまとった炎を一斉に藍にぶつける。
 炎は巨大な束となって、大量の火の玉と共に一直線に飛んで行った。

「ふっ」

 藍は慌てることなくそれを避け、攻撃を放った直後のアグナに無数の弾丸を撃ち返す。
 するとアグナは躊躇することなくその弾幕の中に突っ込んできた。

「なっ!?」
「へへっ、喰らえぇ!!」

 体が小さいことを利用して弾幕を素早く潜り抜けてきたアグナは、藍に向かってスライディングを掛けた。
 その速度は弾丸の様に速く、地面には紅蓮に燃える一筋の線が引かれる。
 藍は一瞬驚いたが、上に飛び上がることでそれを回避した。

「そこだぁ!!」

 突如として、アグナがそう叫んだ。
 次の瞬間、藍は頭上に強烈な熱を感じた。
 上を見てみると、そこには真っ赤に燃える龍の顎が迫っていた。

「くぅ!」

 藍は避けきれないと悟り、自らの妖力を集めて障壁を作る。
 その直後、炎の龍が藍の体を飲み込んだ。

「はっ、まだまだぁ!!」
「ちぃ……!」

 アグナは追撃の手を緩めずに炎をまとって目の前の火柱に飛び込んだ。
 すると真っ赤に燃え盛る炎の塔から藍が弾き飛ばされてきた。
 藍は空中で体勢を整えると、着地して地面を滑った。

「そこだ!」

 藍は火柱の中から出てくるアグナに対して弾丸を放つ。
 しかし、その直後藍の眼は驚愕に見開かれた。

「なにっ!?」
「へへっ、はっずれ~!!」

 一瞬硬直する藍に、悠然と佇むアグナ。
 直撃したはずの弾丸は、アグナの体をすり抜けて彼方へと飛んでいったのだ。
 アグナは目の前の現象に驚いている藍を見て、笑みを浮かべた。

「おらおらぁ! 次いくぜぇ!!」

 アグナがそういうと炎の塔が集束していき、その手に小さな光の玉ができた。
 その玉は純白に輝いており、今までとは比べ物にならない熱量を含んでいることが見て取れる。

「……っ!」

 それを見て藍は思わず息を呑んだ。
 まともに受ければ、生きていられるかどうか分からない。
 今まで培ってきた本能がけたたましく警鐘を鳴らし始めた。

「そぉらよ! 骨まで燃えろぉ!!」

 アグナはそういうと純白の光を放つその玉を藍に向かって放り投げた。
 それが着弾した瞬間玉ははじけ、激しい閃光が周囲を包み込んだ。

「きゃあっ!?」

 その光は離れて見ていた紫の視界すらも奪っていく。
 それと同時に、紫は肌が焼け付いてしまいそうになるほど異常な熱を感じた。
 光が収まり視界が開けてくると、着弾した一帯は溶岩のように変化していた。

「……まったく、いくらなんでもやりすぎだ、アグナ」

 将志はそう言いながら空に浮かんでいる。
 その腕の中には、呆然としている藍の姿があった。
 将志は藍が逃げ切れないと見るや、即座に救出に入ったのだった。

「……大丈夫か、藍」
「……あ、ああ……」

 状況に気がつくと、藍は頬を染めて将志の小豆色の胴衣を掴んで胸に頬を寄せた。
 将志はゆっくりと降下していき、安全な区域に降り立った。

「……まずはこちらの一勝だ、紫」
「……ちょっと将志。この火力はいったい何?」

 藍を降ろして勝利宣言をする将志に、紫は冷や汗を垂らしながら質問をする。
 将志はその質問を聞いて笑みを浮かべた。

「……なに、うちの最終兵器だ。何しろ火力に関しては連中の中では最強だからな」
「いくらなんでも強すぎよ。これじゃあ封印が必要になるわよ?」

 自慢げに話す将志に、紫は深々とため息をついてそういった。
 それを聞いて、将志はきょとんとした表情を浮かべた。

「……そうか?」
「ええ。ここで力を見る機会があって良かった。アグナの力が悪用されたら幻想郷が火の海になりかねないところだったわ」
「……いや、別に本人がちゃんと制御できていれば良いだけの話ではないのか?」
「残念だけど、その制御を失わせる術式は存在するし、アグナ本人を狂わせる術式だって存在するわよ。万全を期すためにも、私はアグナの力を一部封印することを勧めるわ」

 紫の言葉に、将志は腕を組んで考え込んだ。
 しばらくして何か思い当たったようで、将志は頷いた。

「……なるほど、確かに俺にも心当たりはある。ふむ、それならば後でアグナと話をしよう」

 将志がそういうと、駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。
 振り返ってみると、一直線に走ってくるアグナの姿があった。

「兄ちゃーん! どうだった!?」

 アグナはそう言いながら将志の胸に飛び込んでくる。
 その眼は期待に満ちており、褒められるのを待っている眼だった。

「……少々やりすぎだな。もう少し加減を覚えろ。だが、戦い方としては悪くなかったぞ。最初に主導権を握って短期決戦に持っていく上手い戦い方だった」
「へへへ~♪」

 将志が苦笑を浮かべながら頭を撫でると、アグナは嬉しそうに笑った。
 そしてその視界の中に藍を見つけると、グッと親指を立てた。

「よお、姉ちゃん! どうだ、燃えたろ?」
「……ああ。本当に燃え尽きるかと思ったよ」
「へへっ、そうだろ! 俺の炎に燃やせないものは無いんだからな!!」

 アグナは楽しそうにそういって笑うと、興奮が冷め遣らないのかどこかへ飛んでいった。
 それを確認すると、藍は将志の肩を叩いた。

「将志、もう一度力を分けてくれないか? アグナとの勝負でちょっと使いすぎた」
「……良いだろう。手を出すがいい」

 その言葉に、藍は自分の右手を差し出した。
 将志はその手を両手で包み込むようにして持ち、力を送り込む。
 しばらくそうしていると、藍は将志の胸に身を寄せてきた。

「……藍?」
「……すまないが、しばらくこうさせてくれ。正直、さっきの火球を見たとき、私はもう死ぬかもしれないと思った。今もまだ、怖くて足がすくみそうなんだ。だから落ち着くまでしばらくこうさせてくれ」

 うつむいた藍の体はわずかに震えており、縋るように将志の服の裾を掴んでいた。
 将志は藍の手を離し、その体を抱きしめた。

「将志?」
「……怖がることはない。確かにアグナの炎は危険だった。だが、俺が守っているからにはお前には傷一つたりとて負わせはしない。だから安心しろ」

 将志はそう言いながら安心させるように藍の髪を指で優しく梳いた。
 藍は心地良さそうに目を細め、将志の腰に手を回して胸にしなだれかかった。

「……いきなり抱きしめるとは、随分と大胆だな」
「……親しい相手が不安な時、こうしてやると相手は安心すると聞いている。俺はお前の不安な表情など見たくはない。その不安を解くためなら、いくらでもこうしてやるさ」

 優しく響くテノールの声で藍の耳元で囁く。
 それを聞いて、藍は将志を抱く腕に軽く力を込めた。

「ふふっ……本当に罪作りな男だな、お前は。そういう言葉を殺し文句って言うんだぞ?」
「……そうなのか?」
「ああ……おかげで私はいつまでもこうしていたいと思っているよ」

 安らぎに満ちた声で藍は将志の胸元で囁く。
 将志はそれを聞いて小さくため息をついた。

「……そうか。ならば好きなだけそうしているが良い」
「……ありがとう」

 藍は将志の体に九本の尻尾を巻きつけ、夢見心地の表情でその身を預けた。
 それに応えるように、将志は藍を抱く腕にそっと力を込めるのだった。

 そんな二人の姿を遠巻きに眺める姿が二つ。

「……六花ちゃん? ちょっとお話があるんだけど良いかな? あれ、六花ちゃんが仕込んだのかなぁ?」

 愛梨はにこやかに笑いながら六花に問いかけた。
 そのあまりの威圧感に、六花は思わず体を後ろに引いた。

「な、何のことですの?」
「だって、将志くんにああいうことを教えそうなのは君ぐらいだよ?」
「くっ……認めますわ。私は確かにお兄様の教育方針を誤った……まさか、お兄様にそういう才能があるなんて思いもしませんでしたわ」

 実は六花は日頃から将志に対して様々なことを吹き込んでいた。
 その内容は人が落ち込んでいるときの慰め方や女性に対する禁句など、六花が独自に実体験や恋愛小説などを参考にじっくり研究を重ねてきたものである。
 ……もっとも、流石に兄妹なのでキスやらそれ以上のことは自粛していたのだが。
 その結果がご覧の有様である。

「どうするのさ、あれじゃあ将志くんの毒牙に掛かる子がどんどん増えちゃうよ!?」
「本人が気づいていないのも問題ですわね……早く手を打たないと、どんどん手遅れになりますわ……」

 目の前の惨状に二人して頭を抱える。
 将志の性格上誰にも彼にもそういうことをするとは考えられないが、一定以上近づいた相手ではふとした拍子に餌食になりかねないのだ。

「……今はそんなこと考えていても仕方ないですわね。まずは現状を打破しないことには始まりませんわ」
「……そうだね♪」

 二人はそう言い合って頷いた。
 すると六花が抱き合っている二人の下へと向かう。

「あの、そろそろ次に行きたいのですけど、宜しくて?」
「……ああ、すまない。そろそろ始めるとしよう」

 六花が声を掛けると、藍は名残を惜しみながら将志から体を離した。
 その様子を見て、将志は小さく頷いた。

「……もう大丈夫そうだな」
「ああ。おかげで随分楽になったよ。ありがとう」
「……なに、役に立ったのならば幸いだ。俺でよければ、いくらでも胸を貸そう」
「ふふっ、それじゃあまた今度借りることにするよ」

 将志の言葉に藍はそう言って笑いかけた。

「……なにを口走ってますの、お兄様……」

 その横で、考えなしの将志の台詞に六花は頭を抱える。
 将志本人は完璧に善意のみでそう言っているのだから、まったく持って始末に負えない。

「それで、次は誰がやるんだ?」
「私、槍ヶ岳 六花がお相手いたしますわ。宜しくお願いいたしますわよ、藍」
「ああ、こちらこそよろしく頼む」

 六花と藍はお互いにそう言って礼を交わすと、広場の真ん中へと歩いていく。
 溶岩と化していた広場の地面は、紫が大量の海水をスキマによって運んで冷却済みである。

「……お前は将志の妹か?」
「ええ、実の妹ですわ。それがどうかいたしまして?」
「いや、何でもない。姓が同じだったから少し気になっただけだ」

 藍は六花にそう言うと、自分の立ち位置に向かった。
 そんな藍の言葉に、六花は眉をひそめた。

「今のは探りに入りましたわね……」

 六花はそう呟きながら自分の立ち位置に立った。
 藍はすでに準備を終えており、いつでも始められる状態であった。

「双方共に準備は良いかしら?」

 紫は開始位置に二人が立つと、それぞれに確認を取った。
 それに対して二人は頷く。

「ええ、いつでも大丈夫ですよ」
「こちらも準備は出来ていますわ」

 藍はそういうと手に力を込め、六花は帯に挿した包丁を抜き放った。
 六花の包丁は銀色に光り輝き、その切れ味を感じさせる。

「では行くわよ。……始め」

 紫がそういった瞬間、激しい弾幕合戦が始まった。



[29218] 銀の槍、空気と化す
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 02:29
 銀と藍の弾幕が広場で交差する。
 六花がまず撃ちだしたのは妖力で編んだ銀の弾丸。
 将志の弾丸の様に貫通力を求めたものではなく、少し大きめの弾丸であった。
 藍は飛び交う弾丸を正確に避けていきながら相手と一定の距離を保つ。
 何故ならば、藍は妖術を使って戦うタイプであり、接近戦はそこまで得意ではないからだ。
 一方、現在の相手である六花はじりじりと近づいてきている。
 どうやらアグナほど避けるのは上手くないらしく、一つ一つ丁寧に避けている。
 時折手にした包丁で将志と同様に弾幕をはじいているところからも、遠距離はあまり得意ではないようである。

「このまま押し切れるか……?」

 藍は攻撃の手を緩めることなく相手を見据えながらそう呟いた。
 六花は迂回しながら接近を試みるが、藍はそれに合わせて弾幕を張り続ける。
 その結果、六花はジリジリと押され始めていた。

「このままではジリ貧ですわね……」

 そう言いつつも、六花はまったく焦ることなく冷静に相手を見据えていた。
 六花の目の前には迫りくる藍色の弾丸の壁がある。

「……ならば、戦い方を代えるまでですわ」

 六花はそういうと、手元に何かを生み出した。

「そーれっ!」

 そしてそれを両手で持ち、藍に投げつけた。

「……え?」

 藍は投げつけられたそれを見て呆気にとられた。
 投げつけられたものは緑と黒の縞模様の球体。
 要するにスイカである。
 ただし、その大きさは直径十尺ほどもある巨大なものだった。
 巨大なスイカは迫り来る弾幕を駆逐しながら藍に向かって一直線に飛んでいく。

「うわっ」

 藍はスイカを躱すが、その後ろから飛んでくる弾幕に危うく直撃しそうになる。
 巨大なスイカの陰に隠れて、その後ろから迫ってくる弾丸が見えづらくなっているのだった。

「それっ、それっ、そぉーれ!」
「くっ……」

 次々と連続してスイカを投げつける六花。
 藍はそのスイカを忌々しそうに睨みながら躱していく。
 何しろ、このスイカのせいで張っていた弾幕が消えてしまうのだ。
 それ故に、藍は六花が視界から消えないように移動しながら攻撃をしなければならない。

「……不味いな、攻撃が全部消される」

 藍は苦い顔をしてそう呟いた。
 この状況を打破するためには、あのスイカを消し去るか、避けられなくなるまで近づく他ない。
 しかし、近づくということはそれだけ相手の得意な距離に近づくということでもあるのだ。
 先ほどまでの六花の戦い方から考えるに、六花が接近戦で一撃必殺の技を持っていても不思議ではない。

「逃げてばかりでは、私には勝てませんわよ!」

 六花はそう言いながらスイカ投げつつ包丁を振るった。
 すると包丁を振るった手元から白い燕が三羽現れ、藍に向かって飛んでいった。
 燕達は三方向から藍に向かって襲い掛かる。

「当たらなければどうということはない!」

 藍は六花の挑発を受け流し、くるくると回りながら攻撃を回避していく。
 そして六花の周りを移動しながら弾幕を敷いていった。
 六花には四方八方から藍色の弾丸が雨のように降り注ぐことになる。

「……っ、なかなかやりますわね」

 六花はそう言いながらスイカを投げ、弾幕を消しながら避けていく。
 藍は常に移動しているため、六花はなかなか攻撃を当てることが出来ていない。
 それどころか逆に藍の攻撃を捌き切れずにいくらか体を掠めている。

「仕方がないですわね、これならいかが!?」

 六花はスイカを投げるのをやめ、その代わりに自分の周りに六輪の銀の花弁の花を生み出した。
 その花は飛び回る藍に向かって追尾するように飛んでいった。

「喰らいなさいまし!」
「うっ!?」

 六花の号令と共に藍の周りを飛び回っていた花からレーザーが発射される。
 藍がそれを避けると、再び追尾して取り囲みレーザーを発射する。

「ええい、うっとおしい!」

 何度躱しても追尾してくる花に、藍は攻撃を加える。
 しかしその攻撃を放った直後、花は消え去った。

「なっ!?」

 その横から、再び巨大なスイカが藍に向かって飛んでくる。
 先ほど花に妨害されて動きを止められていた藍はそれを何とかギリギリで避ける。
 しかし、そのスイカの陰には赤い長襦袢を着た人影が隠れていた。

「しまっ……」

 六花は藍とすれ違いざまに手にした包丁を滑らせる。
 それは眼にも留まらぬ早業だった。
 次の瞬間、藍を覆っていた薄い膜のようなものが音を立てて砕け散った。

「……お兄様の加護、断ち切らせていただきましたわ。そして、この距離なら私は確実に貴女を取れますわよ」
「……参った」

 喉元に包丁を突きつける六花に、藍は両手を上げて降参の意を示した。

「勝負ありね。二人とも、お疲れ様」

 紫はそんな二人に声を掛ける。
 その声を聞いて、六花は手にした包丁を鞘にしまって帯に挿した。

「やれやれですわね。お兄様、私の戦いはどう見えましたの?」
「……やはり遠距離相手だと崩すまでに時間が掛かるな。もっと相手を良く見て、どうすれば最も早く崩せるか考えたほうが良いだろう。だが、接近してからの包丁捌きは流石の一言だった」

 ため息をついて肩をすくめる六花に、将志はそうアドバイスをした。
 その横で、紫は興味深そうに六花の事を見ていた。

「貴女、随分と強いわね?」
「せっかく力があるんですから、守りたいものを守るために努力したんですの」
「でも、貴女は見てるとあんまり戦いには乗り気じゃなさそうね」
「当たり前ですわよ。本来、包丁は戦いに使う道具じゃありませんのよ?」

 意味ありげな笑みを浮かべる紫の質問に、六花はため息混じりにそう答えた。
 どうやら心の底から戦いは嫌いな様である。

「ところで、最後の一撃は何をしたのかしら? ただの包丁で将志の強力な加護を崩せるとは思わないのだけど?」
「ああ、それは私の能力ですわ。『あらゆるものを断ち切る程度の能力』、お兄様と似たような能力ですわよ」
「つまり、何でも切れるってことかしら?」
「ええ。お望みとあれば、海でも山でも何でも切って差し上げますわよ?」

 紫の発言に六花は自信あふれる様子で答えを返した。
 実際、銀の霊峰の社を立てる際に山の頂上を斬っているのだから洒落になっていない。
 その後ろでは、将志が藍の手を握って三度加護と妖力を与えていた。

「……終わったぞ」
「ああ、ありがとう。しかし、銀の霊峰の妖怪達はみんなこんな感じなのか? こんなのに大勢で暴れられたら手がつけられないぞ?」
「……そういうわけではない。今この場に集まっている四人は全員が紫よりも遥かに古い妖怪達だ。他の連中とは積み重ねてきた時間が桁違いに多いのだ。むしろ藍はその年齢にしては俺達相手に善戦していると思う。うちの連中と戦ってもそうそう引けを取りはしまい」
「そうか……」

 将志の言葉を聴いて、ホッと胸をなでおろす藍。
 連敗を喫しているが、実際には藍自身も白面金毛九尾の狐という都を震撼させた大妖怪なのだ。
 そんな自分があっさり負けるような妖怪達がゴロゴロ居たら、はっきり言って恐怖でしかない。
 藍が思わず安堵したのも当然である。
 そんな藍の元に、赤いリボンの付いたシルクハットをかぶった少女が近寄ってきた。

「やっほ♪ 次は僕の番だね♪」
「ああ、そうだな。すまないが、名前を聞かせてもらってかまわないか?」
「おっとっと、そういえば言ってなかったね♪ 僕の名前は喜嶋 愛梨さ♪ 宜しくね♪」
「先ほども名乗ったが、八雲 藍だ。宜しく頼む」

 愛梨は藍に対して笑顔で自己紹介をする。
 藍はそれに対して改めて自己紹介をするをすることで答えた。
 挨拶を終えると、二人は肩を並べて広場の真ん中へ歩いていく。

「……ねえ、藍ちゃん♪ ちょっと訊きたいことがあるんだけど、良いかな?」
「ああ、訊きたいことは分かっている。私は将志を愛している。答えはこれで十分だろう?」
「……そっか♪ でもね、僕だって相棒として将志くんを譲ってあげるつもりはないんだ♪」
「それも承知しているよ。だから、私は正面から将志を奪い去って見せる」

 二人はそう話しながら笑い合う。
 しかしその二人の間には異様な威圧感が漂っていた。

「……紫、あの二人の周囲の空間が歪んで見えるのは俺だけか?」
「……奇遇ね、私にもはっきりと歪んで見えるわよ」

 将志と紫はそんな二人の様子を見てそう言いあった。
 ちなみに、愛梨と藍の会話は二人には聞こえていない。
 その間に愛梨と藍はそれぞれの開始位置に着く。

「……これより始まりますは喜悦の舞。色とりどりの色彩は、見た者の心を奪うでしょう。皆様、どうか笑顔の準備をお忘れなく。それでは、まもなく開演にございます」

 愛梨は広場の中心で手を広げ、歌うように前口上を述べて恭しく礼をした。
 その言葉は不思議と聴いたものの耳に残る声だった。

「……その口上は?」
「僕はピエロだからね♪ みんなを楽しませるのが僕の仕事さ♪ どうせなら、周りのみんなにも楽しんでもらった方がいいよね♪」

 愛梨は手にしたステッキをくるくると回しながら藍にそう言った。

「二人とも、準備は良いかしら?」
「うん、大丈夫だよ♪」
「はい、こちらの準備も整っております」

 紫が確認を取ると、二人はそれぞれそう言って頷いた。

「それじゃあ行くわよ。始め!」



[29218] 銀の槍、気合を入れる
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 02:35
 試合が始まると、愛梨は赤青黄緑白の五色の弾丸を全方向にばら撒き始めた。
 その密度はかなりものもがあり、日頃から積み重ねてきた特訓が生かされていた。
 それを見て、藍は動き回ることよりも確実に避ける戦法をとり、藍色の弾丸で愛梨を狙い打つ。
 その弾丸を、愛梨は踊るような動きをしながら避けていく。

「キャハハ☆ 取り出したるは五つの玉♪ 色鮮やかな玉の舞をご賞味あれ♪」

 愛梨はそういうと、手にしたステッキを五つの玉に変化させた。
 その大きさはいつもジャグリングに用いていた大きさではなく、バスケットボールくらいの大きさのものだった。
 それらの玉は、愛梨の周りを取り囲むようにぐるぐると回っていた。

「行っくよ~♪ それっ♪」

 愛梨が号令を掛けると、五つの玉は一斉に散らばっていった。
 散らばった方向はバラバラであり、藍に向かって飛んでいったものは一つもなかった。

「いったい何を……っ!?」

 藍が疑問に思った瞬間、頭上を後ろから赤い玉が通り過ぎていった。
 それは先ほど見当違いの方向に飛んでいったはずのものだった。
 藍が愛梨の五色の弾丸を避けながら周囲を見回すと、先ほど散らばっていった玉が縦横無尽に走り回っているのが見えた。
 よく見ると、玉はある程度進むと見えない壁のようなものに当たって跳ね返ってきていた。
 しかも、跳ね返ったと同時に数が増えていく。

「そういうことか……!」

 藍は現状を把握すると動き出した。
 玉は自分を狙っているわけではなく、ただ動き回っているだけである。
 しかし、時間が経つにつれて四方八方から複雑な弾道で攻撃を受けることになるのである。
 つまり、早く対処しないと何も出来ないうちにやられてしまうのである。
 それを理解した藍は、愛梨に近づいて密度の高い弾幕で集中砲火を掛けた。

「うわわわっ、危ない危ない♪」

 愛梨は藍の攻撃をすれすれで躱していく。
 分裂していく玉と跳ね返るための障壁の制御に集中しているためか、愛梨は普通の妖力弾を撃ってこない。
 そこに付け込んで、藍は一気にたたみかけようとする。

「当たれ!!」
「そう簡単にはやられないよ♪」

 藍の猛攻を滑らかな動作で避けていく愛梨。
 そのおどけた口調とは裏腹に、額には若干汗がにじんでいた。
 藍色の弾丸は愛梨のうぐいす色の髪や、トランプの柄の入った黄色いスカートを次々と掠めていく。
 接近された状態での高密度の弾幕は、日頃から将志達と訓練を行っている愛梨をもってしても避けきるのは難しいのだ。

「くっ……」

 その一方で、藍の方も次第に厳しくなってきた。
 広場の中を縦横無尽に飛び交っていた五色の玉は今やその数を増やし、四方八方から嵐の様に藍に襲い掛かっていた。
 藍はそれを躱していくうちにだんだんと愛梨から引き離されていく。
 戦況はだんだんと愛梨に有利な方向へと変わり始めていた。

「……焦ってはだめだな」

 藍は周囲を見回しながら、焦ることなく冷静に状況を判断する。
 飛び交う玉の数が増えるということは、その分だけ制御も難しくなるということである。
 つまり、避けることに割いていた意識をその分制御に回さなくてはならないということである。
 藍は攻撃の手を止め、避けることに集中することにした。

「……そこだ!」
「ひゃあ」

 藍は目の前に道が開いたと思った瞬間、一気に踏み込んで愛梨に接近した。
 愛梨は思わず飛びのくと同時に、飛び交っていた大量の玉を消して藍に反撃する。

「おっと」

 藍はそれを回避しながら愛梨から距離をとった。
 すると、愛梨は笑顔で藍に拍手を送っていた。

「すごいな~♪ あの状態から巻き返されるとは思ってなかったよ♪」
「でも、まだ勝負が決着したわけじゃないだろう?」
「キャハハ☆ そうだね♪ それじゃあ、次行くよ♪」

 愛梨はそういうと五つの玉を手元に戻し、今度は二つの箱に変化させた。
 箱は赤青の二色があり、その大きさは人が入れるほどの大きさであった。
 愛梨はその中の赤い箱の前に来た。

「さあて、次はちょっとした魔術に挑戦するよ♪ 瞬き厳禁、不思議な現象をご覧あれ♪」

 愛梨はそういうと赤い箱の中に入った。
 それと同時に、藍の周囲が真っ暗になった。

「なっ!?」

 藍は突然の事態に眼を見開く。
 冷静になって周りに手を伸ばすと、周囲は何やら四角い空間になっているのが分かった。
 藍が状況を分かりかねていると、その空間の壁が外側に向けて倒れていった。

「……っ!?」

 その瞬間、藍は凍りついた。
 何故なら、全方位に凄まじい密度の弾幕が設置されていたからだ。
 その向こう側に、青い箱が置いてあるのが見えた。

「じゃ~ん♪ 成功♪」

 その青い箱の中から愛梨が出てきた瞬間、藍に向かって一斉に弾幕が迫ってきた。
 藍はその弾幕を必死に避ける。
 藍がすべてを避けきったとき、愛梨は再び赤い箱の前に浮かんでいた。

「もう一度行くよ~♪」

 愛梨が再び箱の中に入ると、藍の視界もまた闇に染まる。
 そして壁が倒れると、大量の弾幕と共に青い箱が現れた。
 その中から愛梨が出てくると、弾幕は藍に向かって殺到する。

「……よし」

 藍は愛梨の技を冷静に分析し、対策を立てた。
 その目の前で、愛梨は三度赤い箱の中に入り、藍も暗闇の中に入る。
 そして目の前の壁が倒れ始めた。

「……それっ!」

 藍は一気に前進し、まだ止まっている弾幕の中をすり抜ける。
 そして、青い箱の前に到着した。

「やあっ!」
「うきゃあ」

 愛梨は青い箱から出てくると、突然目の前に現れた藍に驚いた。
 それと同時に、藍は愛梨に向けて全力で弾幕を張った。

「うん、はっ、ほいっと!」

 しかし愛梨は素早く持ち直し、後ろに後退しながら藍の弾幕を回避していく。
 藍はそれを前進しながら追撃していく。
 それに対して、愛梨は落ち着いてくると反撃を開始する。

「ちっ!」
「……あ~、危なかった♪ 今のはやっぱり改良しないといけないね♪」

 反撃を受けた藍が後退すると、愛梨はホッとため息をつきながらそう言った。
 それを見て、藍は忌々しそうに愛梨を見つめた。

「……随分余裕なんだな」
「キャハハ☆ そうでもないよ♪ さっきは本気でダメかと思ったよ♪」
「ふん、妖力弾の一発や二発じゃ墜ちないくせによく言う」
「……それじゃあダメなんだ♪ だってさ、それじゃあ僕は将志くんの信頼を裏切ることになっちゃうもんね♪ 他の二人が出来て相棒の僕が出来ない何ていうのはダメでしょ? だから、僕はたとえ一発たりとも受けずに藍ちゃん、君を倒してみせるよ♪」

 愛梨はにこやかな笑みを浮かべて、しかし瑠璃色の瞳には強い意志を込めて藍にそう言った。
 その様子を見て、藍は笑い返した。

「……なるほど。つまり、私はお前に一撃でも当てられれば良い訳だ」
「うん♪ そして、一撃ももらわずに君を降参させられれば僕の勝ちさ♪」

 二人はそう言いあうと、しばらく笑顔のまま見つめあった。

「行くぞ、愛梨!!」
「行くよ、藍ちゃん!!」

 それから二人は激しく撃ち合った。
 空は弾幕で埋め尽くされ、虹色に染め上げていく。
 藍も愛梨もそれを潜り抜けては攻撃し、ぶつかっていく。
 愛梨の攻撃は苛烈になり、藍は愛梨のすぐ近くを飛び回って攻撃する。
 愛梨の表情からは笑顔が消え、真剣な表情を浮かべていた。

「……口上が無くなった……本気なんだな、愛梨」
「藍もさっきまでよりもすごい動きをしてるわね。何ていうか、防御を捨てて攻撃に走っているみたい」

 そんな二人の戦いを、将志と紫は下から見上げていた。
 将志は愛梨の戦いを見て、小さく笑みを浮かべた。

「……どうかしたのかしら?」
「……いや、愛梨が必死なのが嬉しくてな。俺の信頼はあいつにとって余程重要らしい」
「そんなに必死だったかしら? 所々笑っているように見えたけど?」

 紫は今までの様子を思い返して首をかしげる。
 それに対して、将志は首を横に振った。

「……そうでもない。何故なら、愛梨が最初に使った技は、愛梨が持つ一番攻撃力が高い技なのだからな」
「それじゃあ、その次のは?」
「……あれは俺も初めて見たな。恐らく自分の一番の技を破られて焦り、まだ一度も実戦に使っていない技に賭けたのだろう。もっとも、未完成だったみたいだがな」

 将志は愛梨の行動を思い返し、冷静に分析する。
 それを聞いて、紫は楽しそうに笑みを浮かべた。

「ふふふ、貴方の信頼のためにあれだけ必死になるなんて、随分と愛されてるじゃない」
「……男に意地があるように、女にだって意地があるだろう。もっとも、俺に女の意地は良く分からんがな」

 ニヤニヤと笑う紫に対して、将志はそう言って顔を背けた。
 紫はそんな将志の正面に回り込んで顔を覗き込む。

「ねえ、将志はどっちが勝つと思う?」

 紫が質問をした瞬間、将志は小さくため息をついた。

「……決まっているだろう。愛梨は必ず信頼に応えてくれる。だからこそ、俺の相棒なのだからな」

 将志がそういった瞬間、爆音と共に空に大きな大輪の花が咲いた。
 虹色に輝く花火が散ると同時に、人影が地面に向かって落ちてくる。
 それを見るなり、将志は駆け出した。

「……ふっ」

 将志は落ちてきた人影をキャッチする。
 その横に、もう一つの人影が下りてきた。

「ふ~っ、危なかった♪ もう少しで信頼を裏切るところだったよ♪」
「……少々焦り過ぎだぞ、相棒。いつも通り冷静に持久戦に持ち込めば良かっただろうに」
「きゃはは……いいところを見せようと思ったんだけどな~♪」

 気絶した藍を腕に抱きながらため息をつく将志。
 その一言に、愛梨は苦笑いを浮かべた。
 そんな二人の下に紫が近づいてきた。

「お疲れ様。銀の霊峰の名に恥じない良い戦いぶりだったわ。多少問題点はあるけど、これなら安心して役目を任せられそうね」
「……満足してもらえたのなら幸いだ。とりあえず、藍を本殿に運ぼう」

 将志はそういうと、藍を抱えたまま本殿に向けてゆっくりと飛び始めた。
 将志の加護に守られていた藍に怪我は無く、気絶したのは衝撃のせいであった。
 本殿に着くと、将志は普段から怪我をした妖怪のために布団を敷いてある部屋に向かった。
 そして藍を布団に寝かせようとすると、小豆色の胴衣の襟を掴まれた。

「……起きていたのか、藍」
「…………」

 藍は無言で将志の胸に顔をうずめる。
 将志は訳が分からず、首をかしげた。

「……藍?」
「……将志。敗北って、こんなに悔しいものだったのだな」

 藍は将志に眼を合わせずにそう言った。
 その声と肩は震えており、必死で涙をこらえているのが感じられた。
 将志は黙って藍の肩を抱き、頭を撫でた。

「……そうだな。だが、敗北というのは悪いものでもない。負けても次があるのならば、そこで勝てば良い。次が無ければ、その相手よりも大きなものを飲み干せば良い。今回の負けなんて、そんなものだ。悔しければ、その分だけ強くなれば良いのだ」

 藍はしばらくの間黙って将志の手を受け入れていた。
 将志も黙って藍の頭を撫で続ける。

「……強くなりたいな……」

 呟くような藍の一言に、将志は撫でる手をとめた。

「……何故だ?」
「……負けたくない。他の何に負けても良い、でも愛梨にだけは絶対に負けたくない!!」

 そう叫ぶ藍の声は力強く、強烈な想いがこもっていた。
 将志はそれを聞いて、小さくため息をついた。

「……愛梨は強いぞ? 今のお前では逆立ちしても勝てるものではない。それは分かっているな?」
「……ああ、分かっているさ。だから私を勝たせてくれよ、将志……」

 藍はそういうと将志の胴衣の襟を掴む手に力を込めた。
 それを受けて、将志は穏やかな笑みを浮かべた。

「……良いだろう。だが、やるからには手を抜かんぞ。どうせなら幻想郷にその名が轟くほどに強くしてやる。覚悟は良いな?」
「……ああ。宜しく頼むよ、将志」

 藍はうずめていた顔を挙げ、将志に笑顔を見せた。
 将志は穏やかな笑みを浮かべたままその笑顔を見つめていた。

「……ところで、いつまで俺に抱きついているつもりだ?」
「……放して欲しければ、下を向いて眼を瞑ってくれ」
「……こうか……んっ?」

 将志が言われたとおりにした瞬間、唇に柔らかい感触を感じた。
 眼を開けてみると目の前には藍の顔があり、触れているのがその唇であることが知れた。

「ふふっ……これくらいは先を行かせてもらわないとな」

 藍は将志から口を離すと、そう言って微笑んだ。
 将志はその言葉に意味が分からずに首をかしげた。

「……いったい何の話「……おお~……」……ん?」

 将志が藍に話を聞こうとすると、横から声が聞こえてきた。
 その声に振り向くと、そこには将志をジッと見つめる小さな少女の姿があった。

「……アグナ?」
「……とうっ!!」
「……おっと」

 突然飛び込んできたアグナを将志は座ったまま受け止めた。
 ちなみに、藍は走りこんできたアグナを見て退避済みである。

「兄ちゃん、俺知ってるぞ! 今の接吻って言うんだよな!!」

 アグナは眼をキラキラと輝かせて興奮した様子で将志にそう問い詰める。

「……ああ……んっ!?」
「なっ!?」

 そして将志が頷いた瞬間、唐突にアグナは将志の唇を奪っていった。
 突然のことに、藍も思わず声を上げた。

「おお~……なんかふわふわして気持ちいいな、これ!!」
「……いきなり何をんむっ!?」

 将志が何事か尋ねようとした瞬間、再びアグナは将志の口を塞ぎに掛かった。
 今度は将志の頭を両腕でがっちり抱え込み、唇をぎゅっと押し付けている。

「ん~……」
「!?」
「ちょっ!?」

 それどころか、アグナはどこで覚えたのか将志の口の中に自分の舌を滑り込ませてきた。
 突然の事態に将志も藍も軽くパニックに陥って完全に停止している。
 抵抗しないのを受け入れられていると感じたのか、アグナはその行為をひたすらに続けた。
 行動はエスカレートしていき、舌を吸い出したり唾液を掬い取ったりし始める。

「ぷはっ!!」

 しばらくして息苦しくなったのか、アグナは将志から口を離した。
 将志もアグナも顔は真っ赤であり、肩で息をしていた。

「へ……へへっ……なんかボーっとしてきたぞ? 癖になりそうだぜ……」

 アグナは恍惚とした表情で将志にそう話しかけた。
 その表情は、どこか背徳的なものを感じさせるものだった。

「アグナ……お前……」

 将志はその表情に思わずたじろいだ。
 何故なら、アグナの視線が自分に狙いをつけた獣のような視線だったからだ。
 それは何故か勝てないと思わせるようなものであり、将志は全く動けなくなる。
 アグナは体重をかけて将志を押し倒し、抱え込んだ腕で顔を正面に向かせた。

「逃げるなよ、兄ちゃん……俺、兄ちゃんのことが好きだからこうしたんだぜ? それとも、兄ちゃんは俺のこと嫌いか?」
「そういうわけではないが、んむぅ!」

 アグナは甘い声色でささやくと、再び将志に襲い掛かった。
 口の中に入り込んだ舌が将志の口の中を激しく蹂躙する。
 将志はしがみついているアグナを何とか引き剥がそうとする。
 しかし、アグナも幼く見えて長い年月を積み重ねた大妖怪である。
 その力は強く、しっかり抱え込まれてしまってはそうそう簡単に引き剥がせるようなものではない。

「藍~? 体の調子はど……う……?」

 そこにちょうど藍の様子を見に来た紫が現れた。
 眼に映ったのは幼女とも言える外見の小さい少女が男を押し倒してその唇を貪っている場面と、その横で硬直をしている九尾の女性の姿だった。

「っ~~~~~!」

 将志は視線と手振りで紫に助けを求める。
 しかし紫は目の前の光景に顔がどんどん赤く染まっていき、激しいパニック状態に陥っていく。

「ど、どどどどうぞごゆっくり!!」
「ん~~~~!」

 紫は急いでその場から離脱した。
 将志は引きとめようと手を伸ばすが、当然届くはずも無い。

「んっ……何よそ見してんだよ、兄ちゃん……ちゃんとこっち向いてろよ……んっ」

 橙色の熱っぽい瞳で見つめ、タガが外れたかのように将志の唇を求めてくるアグナ。
 その行為はかなり強引であり、もはや将志はアグナの為すがままになってしまっている。

「……ちょっと頭を冷やそうか」

 その時、ようやく藍が再起動した。
 藍は将志と一緒に力を合わせてアグナを引き剥がした。

「む~っ、何だよ~!!」
「何だよ、じゃない。お前こそ何のつもりだ?」

 ふくれっ面をするアグナに、藍が冷たい声でそう問いかけた。
 なお、将志は引き剥がした瞬間に疲れ果ててその場にへばっている。

「接吻って好きな相手にするもんなんだろ? 俺は兄ちゃんが好きだから兄ちゃんにしただけだ! だって兄ちゃんは家族なんだからな!!」

 アグナはまくし立てる様にそう叫んだ。
 それを聴いた瞬間、藍は唖然とした表情を浮かべて頭を抱えた。

「……恋愛と家族愛を一緒にされては困る。確かに家族間でも余程親しければするかもしれないが、お前のそれは度を越している。家族間ではこんなことはしないぞ?」

 それを聴いた瞬間、アグナはきょとんとした表情を浮かべた。

「……そうなのか、兄ちゃん?」
「……そうだと思うぞ」
「……そっか……」

 将志の回答に、残念そうな顔をするアグナ。
 それを見て、藍と将志は頭を抱えた。
 どうやらアグナは味を占めてしまったようである。

「……ところでアグナ。どこでこんなことを覚えた?」
「んっとな~、広場で勝負した妖怪の兄ちゃんや姉ちゃんたちから聞いたんだ。こうすると良いとかいろいろ教わったぞ!」
「……そうか……」

 楽しそうに答えるアグナに、将志は疲れ果てた表情でため息をついた。
 ……今度乱入してしばき倒す。
 将志はそう胸に誓った。

「ところで兄ちゃん……」

 そんな将志にアグナが声をかける。
 アグナの視線と声は熱を帯びており、将志は嫌な予感を感じた。

「……何だ?」
「……気持ちよかったから、またしても良い?」
「……勘弁してくれ……」

 満面の笑みで訊ねてくるアグナに、将志はげんなりとした表情で答えを返した。



[29218] 銀の槍、頭を抱える
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 02:47
 銀の霊峰の朝は穏やかに始まる。
 その霊峰の主である銀髪の男は誰よりも早く起き、いつも通り槍の稽古をした後に朝食の準備をする。
 本日の朝食はカブの味噌汁と菜っ葉のおひたしに、近くの川で取れた鮎の塩焼きと玄米である。
 それらを手早く作り終えると、将志は他の住人が起きてくるまで掃除をする。

「……はぁ……」

 そうして掃除をする将志の顔は浮かないものであった。
 というのも、ここ最近になって非常に悩ましい問題が浮上してきたからである。
 将志はその解決策を必死になって考えるが、上手い方法が見つかっていない。
 そうやって考え事をしていると、住人たちが起きてきた。

「あ、将志くん、おはよ♪ 今日も早いね♪」
「おはようございます、お兄様。悪いですわね、いつも掃除してもらって」
「……おはよう、二人とも。朝食が出来ているぞ。先に席について待っていてくれ」

 起きてきた愛梨と六花に将志は挨拶をする。
 それを終えると、将志は深々とため息をついた。

「……アグナはまだなのか?」
「ええ、いつも通りですわよ」

 将志の言葉に、六花も苦笑交じりに答える。
 それを聞いて、将志は肩をすくめて首を横に振った。

「……起こしにいくか」
「キャハハ☆ 頼んだよ♪」

 どこか疲れた表情そう呟く将志に、愛梨は笑顔でそう声をかけた。
 将志は本殿の奥にある居住区画の一室に足を運んだ。
 その部屋の前に立つと、将志は部屋の戸を叩いた。

「……アグナ、入るぞ?」

 将志がそう問いかけるも、返事はない。
 一つため息をついて将志は部屋の中に入る。
 すると部屋の真ん中には布団が敷いてあり、盛り上がっていた。
 どうやらアグナはまだ夢の中のようである。
 将志は額に手を当てため息をついた。

「……アグナ、朝だぞ」
「…………」

 将志は離れたところから声をかけるが、アグナは一向に起きる気配がない。

「……起きろ、朝食が冷めてしまうぞ?」

 将志は近づきながら声をかけるが、それでもアグナは無反応。
 そんなアグナの様子に、将志は盛大にため息をついた。
 将志はアグナのそばまで歩いていく。

「……おい、いい加減にしむぅ!?」

 将志がアグナを揺り起こした瞬間、アグナは将志に飛びついてキスをした。
 その不意打ちの一撃で、アグナは将志の口の中をチロリと舐める。

「へへっ、おはよう兄ちゃん!!」

 燃えるような赤い髪の幼い外見の少女は満面の笑みを浮かべて将志に挨拶をした。
 それに対して、将志は頭を抱えてため息をついた。

「……アグナ。せめて起きる時ぐらい普通に起きられないのか? 流石に毎日毎日これというのは……」
「えー、いいじゃねえかよー! 減るもんじゃねえし、兄ちゃんも俺のこと好きなんだろ? ならいいじゃねえか!!」

 将志の言葉にアグナは口を尖らせてそう返した。
 それに対して、将志は力なく首を横に振った。

「……とにかく、朝食の準備が出来ている。早く来い」
「おう! すぐ行くぜ!!」

 将志が食堂に向かうところを、アグナは後ろについて行く。
 食堂に着くと、席について全員一斉に食事を始める。

「……ご馳走様」
「ご馳走様♪」
「ご馳走様でした」
「ゴチっしたぁ!!」

 将志は朝食を終えると洗い物を始める。
 何故将志がここまですべてをやっているかといえば、将志にとって後片付けまでが料理なのだからだった。

「(じ~っ……)」

 そんな将志を、横でジッと見つめる影が一つ。
 将志がその視線に眼をやると、そこには橙色の瞳をキラキラと輝かせて自分を見つめるアグナの姿があった。
 将志は洗い物を終えると、アグナの横を通り過ぎて書簡を整理するために自室に向かう。

「♪~」

 アグナはそんな将志の後ろを鼻歌を歌いながらついて行く。
 将志が自室に入ると、アグナもそれに続いて中に入る。
 そして将志が机の前に座ると、アグナは将志に飛びついた。

「なあ兄ちゃん、一つくれよ!!」

 アグナは将志の膝の上に向かい合うようにして乗っかると、将志にそういった。
 その眼は相変わらずキラキラと輝いており、何かを期待している様子だった。

「……アグナ、この前の藍の話を「くれないんならもらってくぜ!!」むぅ!!」

 アグナは喋ろうとした将志の口を強引に自分の口で塞ぐ。
 そして将志が口を閉じる前に舌を滑り込ませ、口腔内を弄んだ。

「…………」

 将志は口の中を弄られながらもアグナの肩を叩く。
 すると、アグナは将志から口を離した。

「へへっ……大好きだぜ、兄ちゃん。それじゃ、また後でやろうぜ!!」

 アグナははにかんだ笑顔でそういうと、外に向かって駆け出していった。
 将志は解放されると、机の上に力なく突っ伏した。




 ……そう、このアグナの行動こそが、将志の目下最大の悩みなのであった。




 この前の一件で、アグナはキスの快楽にどっぷりと浸かってしまったのだ。
 そのおかげで、アグナは事ある度に将志の周りに付きまとってキスをねだる様になったのだった。
 そのたびに将志は一応の説得を試みるのだが、成功した試しはない。
 というわけで、将志は事ある度に精神をすり減らすことになるのだった。

「……というわけだ。何とかならないだろうか……」

 困り果てた将志は、愛梨や六花に相談することにした。
 将志の話を聞いて、二人は顔をしかめた。

「う~ん、あのアグナちゃんがねぇ……」
「お兄様、それ本当ですの?」

 二人とも、どうやらアグナがそういう行動をとることが信じられない様子であった。
 それに対して、将志は疲れ果てた表情で話を続ける。

「……本当の話だ。嘘だと思うのなら、藍や紫あたりにでも訊いてみるといい」

 その言葉を聴いて、二人の表情が急に深刻なものになった。
 二人の経験上、将志が他の者にも訊いてみろという場合、その信憑性は格段に跳ね上がるからである。

「……どうやら本当みたいだね♪」
「……詳しく聞かせてほしいですわね」
「……ああ……」

 将志は一例として今朝から今までの自分に対するアグナの行動を列挙した。
 すると、想像以上のアグナの行動に二人は唖然とした表情を浮かべた。

「きゃはは……何ていうか……」
「……これは酷いと言わざるを得ませんわね……一番多い日で何回されたんですの?」
「……朝方寝起きに一回、朝食後に一回、出かける前に一回、帰ってきて一回、昼食後に一回、間食時に一回、訓練前に一回、訓練後に一回、夕食後に一回、風呂に入る前後で二回、寝る前に三回……十四回だな」

 しばし無音。
 愛梨も六花もしばらくの間呆然としていた。

「はっ!? 呆然としている場合ではありませんわ! お兄様、アグナに対してどんな説得をしたんですの?」
「……前に藍が言っていたのだがな、恋愛と家族愛は違うのだと。お前のは家族愛なのだから、そういうことをするのは違うのではないかとな」
「でも、ぜんぜん解決できてないよ?」
「……しばらくの間は大人しくしていたのだが、そのうち言い返すようになってな。そんなことは知らない、俺は好きだからこうするのだ、とな。この言葉に対する切り返しがどうしても出来んのだ」

 将志はそう言って首を横に振った。
 このような事態になるまで愛という命題について考えたことのなかった将志には、アグナに返す言葉がなかったのだ。
 それを聞いて、六花は深々とため息をついた。

「……愛が重いですわね……しかもアグナは純粋だから余計に……」
「迷惑だとは……言えないんだよね、将志くんは……」
「……ああ。アグナの行為は六花の言うとおり、純粋な好意から来るものだ。甘いと思うかも知れんが、俺にはそれを拒絶することなど出来ん。家族なのだからなおさらだ」
「本当に甘いですわね。でも、それが一番お兄様らしいですわ」

 落ちてきた艶やかな銀色の長い髪をかき上げながら、六花はそう言って微笑んだ。
 その横で、愛梨が腕を組んで首をかしげていた。

「ところで、僕たちも家族なのに何で将志くんだけなんだろう?」
「……アグナに至らぬことを吹き込んだ連中が、男と女でするものと言っていたからだそうだ」
「……お兄様、その余計なことをしてくださった連中は……」
「……然るべき処置を施してある」

 将志は静かに怒りを燃やす六花をそう言って制した。
 なお、将志が施した然るべき処置とは以下の文で示されるようなものである。

 デデデデザタイムオブレトビューションバトーワンデッサイダデステニーナギッペシペシナギッペシペシハァーンナギッハァーンテンショーヒャクレツナギッカクゴォナギッナギッナギッフゥハァナギッゲキリュウニゲキリュウニミヲマカセドウカナギッカクゴーハァーテンショウヒャクレツケンナギッハアアアアキィーンホクトウジョウダンジンケンK.O. イノチハナゲステルモノ
 バトートゥーデッサイダデステニー セッカッコーハアアアアキィーン テーレッテーホクトウジョーハガンケンハァーン
 FATAL K.O. セメテイタミヲシラズニヤスラカニシヌガヨイ

 ダイジェストでお送りいたしました。

「……それで、何か良い案はないか?」
「そうですわね……まずは実際に見てみないことにはどれくらい根深いのかが分かりませんわ」
「そうだね♪ 見てみれば何か分かることもあるかもしれないしね♪」
「……分かった。では一先ず保留としておこう。俺は自室で書簡を片付けてくる。連中のことは頼んだぞ」
「うん♪ 任せといてよ♪」




 将志が書簡を片付けている間に、アグナが外から帰ってきた。
 愛梨と六花はその姿を認めると頷きあった。
 そんな二人のところにアグナは走ってくる。

「なあ姉ちゃんたち! 兄ちゃんどこに居るかしらねえか!?」
「お兄様なら、自分の部屋に居ますわよ?」

 元気良く話しかけてくるアグナに、六花は答えを返す。
 六花の言葉を聞いて、アグナは満面の笑みを浮かべた。

「おう、ありがとな!!」

 アグナはそういうと将志の部屋のある方向へと走っていった。
 愛梨と六花はその様子をじっと見守る。

「……そういえば、最近アグナは何かあるたびにお兄様の居場所を訊いてましたわね」
「うん……良く考えたら僕もそんな気がするよ♪」
「追いますわよ、愛梨」
「うん、分かってるよ六花ちゃん♪」

 二人はアグナの後を追って将志の部屋まで気配を殺して歩いていく。
 そして将志の部屋の前に来ると、戸の隙間から部屋の中を覗き込んだ。

「…………」
「…………」

 中では仕事中の将志と、横でその様子を眺めているアグナの姿があった。
 アグナは仕事の邪魔にならないように黙っており、礼儀正しく座っている。
 その座った姿勢は前傾姿勢気味であり、何かあったら飛び出していきそうな雰囲気であった。
 そんな中、仕事が終わり将志は筆を机に置く。

「終わったのか!?」
「……ああ」
「とうっ!!」

 アグナは将志が仕事を終えたと見るや飛び付いた。
 将志には席を立つ時間すらも与えられず、アグナは膝の上に収まることになった。

「……アグナ、俺はこれから別の仕事の準備があるのだが?」
「何言ってんだ? 兄ちゃんの次の仕事までは結構時間があるから、次は休憩時間だろ? 準備なんて後でいいじゃねえか!!」
「……確かにそうだが、先に終わらせるに越したことはんむっ!?」

 話を続けようとする将志にアグナはおもむろにキスをする。
 アグナは頭を抱え込んでおり、将志は抜け出すことが出来ない。
 しばらくその状態が続いた後、アグナは将志から口を離した。

「……何度も言うが、恋愛と家族愛はちがっ!!」

 話をしようとする将志の口を、アグナは言わせないと言わんばかりに塞ぐ。
 今度は将志の口の中に舌をねじ込み、思いっきりかき回す。
 将志にはなす術がなく、ただ受け入れるだけしかできなかった。
 両者の間には銀色の糸が引かれ、アグナの息は荒く熱の篭ったものになっていた。

「はぁ……恋愛だとか家族愛だとか、そんなの知らねえよ……俺は兄ちゃんが好きで、兄ちゃんも俺のことが好きなんだろ?」
「……確かにそれは認めるが……んっ」

 歯切れの悪い声でアグナの質問に答える将志。
 その口を、アグナはついばむ様なキスで軽く押さえる。

「ならいいじゃねえか……俺はそんな大好きな兄ちゃんと一緒に気持ちよくなりたいんだ」

 アグナは蕩けた顔で嬉しそうにそう答えた。
 その表情は幼い外見からは想像もつかないような、背徳感を感じるような色気があった。
 アグナは力が抜けている将志をそっと押し倒した。
 その拍子にアグナは戸から覗いている視線に気がついた。

「ん? 誰だ?」

 アグナは将志から離れて部屋の戸を開ける。
 するとそこには、顔を真っ赤にした愛梨と六花が立っていた。

「何だ姉ちゃんたちか。そんなところで何やってんだ?」
「そ、それはね……」
「な、何と言えばいいんですの……」

 アグナに質問をされ、言いよどむ二人。
 二人は先程まで目の前で繰り広げられていた展開に少々パニック状態に陥っている。

「そうだ! 一緒にまざらねえか!?」
「えっ?」
「はい?」

 突然のアグナの一言に、二人は虚を突かれて固まる。
 そんな二人の手をアグナはぐいぐいと引っ張っていく。

「いいじゃねえか、家族なんだし! 兄ちゃんが好きならやっちまえよ!!」
「いやいやいや、それはおかしいんじゃないかな!?」
「むしろ家族であんなことしていたら大問題ですわよ!?」

 笑顔でとんでもない発言を繰り返すアグナに、二人は大慌てで止めに入った。
 それを受けて、アグナは首をかしげた。

「ん? 何でだ? 何で家族でしちゃいけねえんだ?」
「それは道徳的な問題がだよ?」
「じゃあ、何が問題なんだ? 好きな相手に好きって言って何が悪いんだ? 同じ好きでも、家族じゃ何で接吻しちゃダメなんだ?」
「そ、それは……なんて説明すればいいんですの、お兄様!?」
「……それが分かればとうの昔に解決している」

 六花は将志に助けを求めるも、それは何の解決にもならなかった。
 言い返す言葉が見つからず、愛梨と六花は焦り始める。

「どうすればいいんですの、愛梨!?」
「あわわわわ、僕も分かんないよ!?」

 そんな慌てふためく二人を見て、アグナは悲しそうな表情を浮かべた。

「……姉ちゃんたちは兄ちゃんのことが嫌いなのか?」
「え、そうじゃないけど……」
「そんなことはありませんわよ?」
「じゃあ、何でしねえんだ?」
「それは……」
「家族だからですわ」
「じゃあ、何で家族だからってしねえんだ? 家族ならむしろ遠慮しねえでやっちまえよ。遠慮なく付き合えるのが家族なんだろ?」

 自分の気持ちと現状との間で心が揺れ動き、愛梨は言いよどむ。
 あくまで家族だからと、六花は拒否する。
 それに対して、アグナは家族だからこそ遠慮しない。
 どうやら、そもそもの道徳性が違うようであった。
 両者の意見は平行線をたどっている現状に、二人は途方に暮れた。

「……どうしようか、六花ちゃん?」
「……こうなったら仕方ありませんわ。もっと経験がありそうな人物の意見を聞くとしましょう」




「……それで、私のところに来たわけ?」
「ええ、全くもって癪な話ですけどね」

 ところ変わって永遠亭。
 銀の霊峰の面々はそろってここに集まっていた。
 その理由は、少なくとも自分達よりは経験がありそうですぐに頼れる輝夜に何とかしてもらおうと考えたからである。
 なお、伊里耶も一応は候補に挙がったのだが、初対面の相手に仕掛けた行為を考えると事態を悪化させかねないため、除外した。

「……茶が入ったぞ」

 将志は普段どおり茶を淹れて全員に配る。
 アグナは将志の後ろをついて周り、その手伝いをしていた。
 ちなみに、永琳は輝夜によって戦力外通告を受けたため、将志と話をしている。

「……話を聞いていると、そもそも私達とは考え方が違うわね。恐らく、そういう行為に関する禁忌というのが分からないんじゃないかしら?」
「そうだね……このまま行くと、何だか取り返しのつかないことになっちゃいそうで怖いよ……」
「道徳を使って説得できないなら、別の方法を使えばいいじゃない」
「そんな方法がありますの?」
「あるわよ。まあ、見てなさいな」

 輝夜はそういうと、将志の隣に座っているアグナに声をかけた。

「アグナ、ちょっといい?」
「お、何だ姉ちゃん!?」
「貴女、最近将志にキスしまくってるんだってね?」

 輝夜がそういうと、アグナは首をかしげた。

「キスって何だ?」
「……接吻のことよ」

 それを聞くと、アグナは不機嫌そうに頬を膨らませた。

「む~っ……何だよ、輝夜の姉ちゃんも道徳がどうとか言うのか?」
「そんなことは言わないわよ。私はそれがもっと気持ちよくなる方法を教えようと思っただけよ」

 輝夜がそういった瞬間、アグナの表情は一転して笑顔になった。
 そして、食いつかんばかりに輝夜に詰め寄った。

「そうなのか!? なあ、それ教えてくれよ!!」
「良いわよ。で、どうするかは簡単よ。安売りをしないで我慢して、一番好きな人にここぞという場面ですることよ」

 輝夜がそういうと、アグナは口元に指を当てて考え込んだ。

「ん~……ここぞという場面って、何だ?」
「さあ? それは自分で考えることね。少なくとも、毎日毎日ひっきりなしにやってたら飽きるし、籠められる想いも軽くなっちゃうわよ?」
「籠められる想い?」
「そう。ずっと与え続けていたらそのうちそれが当たり前になって、もらっていることを気付けなくなっちゃうのよ。好きだって言っているのに気がついてもらえないなんて嫌でしょ?」

 輝夜の言葉を聞いて、アグナは考え始めた。
 そしてしばらくすると、頭から黒煙を上げて叫んだ。

「う~、そんなの嫌だ!!」
「なら、大事にとっておきなさいな。本気で好きだって伝えるその時まで」
「うん、分かった!!」

 アグナは元気よくそういうと、将志のところへと走っていった。

「……どうした、アグナ?」
「へへへ……んっ」

 アグナは笑みを浮かべると、唐突に将志の唇を奪った。
 それは貪るようなものではなく、そっと触れるだけのやさしいキスだった。
 それを受けて、将志は深々とため息をついた。
 
「……輝夜の話を聞いていたのではないのか?」
「だからだよ、兄ちゃん。俺が今一番好きなのは兄ちゃんだ。これだけは伝えておきたかったんだ」
「……そうか」

 全力で愛情表現をしてくるアグナに、将志は苦笑いを浮かべた。

「次はいつにすっかな~? あんまり早いとあれだし……一月ぐらい待てばいいのか?」

 アグナは次の予定を早々に組み始めた。
 それを見て、将志は疲れた表情を浮かべて輝夜のほうを見た。

「……輝夜、根本的な解決になっていないのだが……」
「……将志、こういう言葉があるわ。『激流に身を任せ同化する』(意訳:あきらめろ)」
「……くっ……」

 諭すような輝夜の言葉に、将志は頭を抱えた。

「…………」

 ふと、将志は視線を感じて顔を上げた。
 するとそこには、こちらをジッと眺めている永琳の姿があった。

「……どうした、主?」
「いえ、何でもないわよ」

 将志の質問にそう答えて永琳は顔を背けた。
 しかし何か気になるのか、自分の唇を触りながらチラチラと将志の方を見やっていた。

「……?」

 将志はその行為の意味が分からずに首をかしげた。
 すると、ぺちっと手を叩く音が聞こえてきた。

「よし、一月に一度にしよう!!」

 アグナはそういうと、次に思いを馳せて楽しそうに笑った。
 将志はそれを見て頭を掻く。

「……輝夜、一月後が怖いのだが……」
「激流に身を任せ……」
「……もういい」




 その後、将志は一月に一度アグナから猛攻を受けることになった。



[29218] 銀の槍、引退する
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 02:53
「……これだけあれば十分といったところだな」

 将志は蓄えていた銅銭や金銀財宝を数え、帳簿をつける。
 雇われの用心棒や妖怪退治などで稼いだ財は莫大な額であり、通常の人間ならば一生遊んで暮らせるだけの資産がそこにはあった。
 将志達はそこまで贅沢をしたりはしない上に食料の一部を自分で獲っているため、持たせようと思えば二百年は持つ。

「……そろそろ潮時か……」

 帳簿を見ながら、将志はそう呟いた。
 将志は二十年間町で仕事をしていたが、現在引退を考えている。
 もちろん、身体能力的には全く問題はない。
 しかし、それが逆に問題となるのだ。
 何故ならば、将志は人間のように歳を取らないからだ。
 そんな人物がずっと同じ町に居座っていたらどうなるか?
 恐らく、良い事など一つもないだろう。
 だから、将志は今まで仕事をしてきた町から手を引くのだ。

「……行くか」

 将志は赤い布で巻かれた銀の槍を背負い、黒い漆塗りの柄の槍を担いで仕事場にしていた町へと出発した。




 将志は町に着くと、いつも仕事を請けていた仕立て屋に向かった。
 仕立て屋では、店主が番台に座って店番をしていた。

「……槍次か。今日は珍しく客は居ないぞ」
「……そうか」
「で、仕事を請けに来たのか」
「……あるのならば請けよう。だが、その前に話がある」

 将志が話を切り出すと、店主は仕事内容が書かれた木簡を取り出す手を止めた。

「話だと?」
「……ああ。そろそろ潮時じゃないかと思ってな。故郷に帰ることにした」
「……そうか。考えてみれば、あれから二十年経ったのか。お前も若く見えて、中ではガタが来ていたというわけだ」

 店主は感慨深げにそう呟いた。
 それに対して、将志は静かに頷いた。

「……そういうことだ。そういう店主も、俺が辞める時には廃業するつもりだったのだろう?」
「ああ。手配師も実際は綱渡りの様な仕事だ。知りたくもない裏の事情を知らなくてはいけないこともあるし、場合によっては命を狙われることだってある。……俺はもう、そういう綱渡りをするのは疲れたのさ」

 そう話す店主の顔には影が差しており、どこか疲れた表情を浮かべていた。
 それを見て、将志はため息をついた。

「……歳を取ったものだな。店主が弱音を吐くところなど初めて見たぞ?」
「ふっ、違いない。さて、仕事の話と行こう。残ってるのはこいつだけだ、お互いに有終の美を飾るとしようじゃないか」
「……ああ」

 そう言い合うと、二人は仕事の話を始めた。
 仕事の内容は周辺に現れた盗賊の退治だった。
 将志は依頼の内容を確認し、早速仕事に取り掛かった。
 藍の一件で狐殺しと呼ばれるようになった一騎当千の兵にとって、それは楽な仕事だった。




 仕事が終わり、将志は仕立て屋に戻ってきた。
 仕立て屋の店主は将志がやってくると、茶を出して出迎えた。

「……終わったようだな」
「……ああ。これが証拠だ」

 将志は盗賊の隠れ家から持ってきた武器の類を店主に見せる。
 店主はそれを確認すると、報酬の包みをそっと机の上においた。

「これが最後の報酬だ。今までご苦労だったな。おかげで随分と稼がせてもらったぞ」
「……稼がせてもらったのはお互い様だ。それで、店主はこれからどうするつもりだ?」
「なに、幸いにして表の顔も軌道に乗っているからな。これからは、仕立て屋一本でやっていくさ」
「……そうか。なら、その門出を祝ってこれでももらおうか」
「故郷の誰かに手土産か。そらよ、お買い上げどうも」

 二人はそう言って小さく笑いあう。
 そこには、二十年間で積み上げてきた信頼関係が確かに存在した。

「……達者でな」

 将志はそういうと、仕立て屋を後にした。

「ああ。お前も元気でやれよ、槍次」

 店主はそれに対して短く答えを返して今生の別れを告げた。



 将志が町の出口に向かって歩いていくと、そこには門の柱に寄りかかっている人影が見えた。
 その人影は将志を視界に捉えると、前に立ちはだかった。

「……居ないと思えばここに居たのか」
「……逃がさないぞ、将志。勝ち逃げなんて出来ると思うなよ」

 立ちふさがった人影、妹紅は俯いたまま将志に向かってそう言った。
 それに対して、将志は小さくため息をついた。

「……やる気か?」
「……もちろん」
「……良いだろう、では移動するとしよう」

 将志と妹紅は町の外にある草原に移動する。
 二人は向き合うと、お互いに向かって構えた。
 将志が構えるのは漆塗りの槍ではなく、自らの本体である銀の槍である。
 一方の妹紅は体に炎を纏わせて戦闘準備に入った。

「……行くぞ」
「来い!」

 将志は一気に踏み込み、妹紅に対して突きを放った。
 妹紅はそれを躱し、炎を纏った拳でカウンターを狙う。

「……ふっ」
「ぐっ……」

 将志はそれを体を捌くことで冷静に躱し、妹紅に膝蹴りを叩き込む。
 妹紅はとっさに後ろに跳んで受身を取り、受けるダメージを少なくした。

「……はっ」

 将志はそこに妖力の槍を投げつける。

「っ!」

 体勢が崩れている妹紅はそれを見てあえて後ろに倒れた。
 すると銀の槍は妹紅の目の前を通り過ぎていき、銀の軌跡が残った。
 それを確認すると、妹紅は素早く横に転がった。
 銀の軌跡が崩れ、夥しい量の弾幕が妹紅が居た場所に降り注いだ。

「っ、はあああああ!!」

 妹紅は素早く体勢を立て直すと将志に向かって炎を放った。
 将志はそれを難なく避け、炎で視界がさえぎられている妹紅の背後を易々と取る。

「そこだ!」
「……っ」

 しかし妹紅は将志の行動を先読みして後方へ攻撃を仕掛ける。
 炎を纏った妹紅の攻撃を受け止めるわけには行かないため、将志は大きく後退した。

「……くっ、出会ってすぐは今の攻撃を避けられなかったものだったが……成長したな」
「はっ、あんたが毎回毎回背後だの死角だの突いてくれるもんだから慣れたんだよ」

 一息ついて将志は妹紅の成長を素直に褒める。
 それに対して、妹紅は吐き捨てるように言葉を返した。

「……なるほど、二十年間俺に喰らいついてきたのは伊達ではないか。ならば、どこまで付いて来られるか試してみようか」
「上等だ。余裕ぶっこいて追い抜かされても泣くなよ?」

 将志が七本の銀の槍を作り出して宙に浮かべると、妹紅の背中から翼が生えたかのように炎が噴出す。
 両者はしばらく睨み合い、相手の出方を伺う。

「……どうした、来ないのか?」
「……そうかい。なら、遠慮なく行かせてもらう!」

 妹紅はそういうと将志に向かって炎を放った。
 その炎は翼を広げた鳳凰のような姿で飛んでいく。

「……疾っ」

 将志はその鳳凰の上を飛び越えるように跳躍し、妹紅に向けて槍を投げる。
 対する妹紅もその槍をすり抜けるように前に進み、将志を下から炎で突き上げた。

「どうだ!」
「……甘い」

 将志は球状の足場を作り出してそれを蹴り、素早く妹紅の死角に入る。
 そして妹紅に水面蹴りを掛け、足を払う。

「うわっ!?」
「……はっ」

 倒れこんでくる妹紅を、将志は槍の石突を下から叩き込んで宙に浮かせる。

「……ふっ、せいっ、そらっ」
「ぐっ!」

 宙に浮いた妹紅に、将志は次々と追撃を掛けた。
 その連撃を妹紅は必死の形相で耐える。

「……やっ」
「ぐあっ!」

 追撃の最後に将志は槍を振り下ろして妹紅を地面に叩き付けた。
 将志は着地すると、油断なく妹紅を見やる。

「くっ……まだだ!」
「……流石に頑丈だな」

 即座に立ち上がってくる妹紅に対して将志はそう呟いた。
 将志は再び銀の槍を数本作り出し、妹紅に向かって投げつける。

「はああああああ!」

 すると妹紅はその槍を飲み込むような巨大な炎を撃ちだした。
 しかし槍は燃え尽きることなく飛んでいき、そのうちの一本が妹紅の腹に突き刺さる。

「がっ……そこだぁ!」
「……ちっ」

 将志が炎に隠れて妹紅の真上から攻撃を仕掛けようとすると、妹紅は手から出している炎をそのまま将志の居る方角へ向けた。
 将志はそれを見て足場を作り出し、それを蹴って一気に離脱した。

「……今日はいつになく荒いな……」

 将志は妹紅の攻撃を見ながらそう言った。
 普段の妹紅はここまで捨て身の戦法を取ったりはしない。
 将志が知る限り、妹紅は自身の機動力を下げないようにこちらの攻撃を躱しながら戦う形を主としている。
 不死者であるのに将志の攻撃を躱す理由として、将志の槍は刺さったらそのまま残されるからだ。
 かつて将志は妹紅が体に刺さった槍を抜こうとしたところを叩きのめしたことがあるため、妹紅はそれを嫌うようになったのだ。

「逃がすかぁ!」

 しかし、今日の妹紅は完全に防御を捨てて攻撃に走っている。
 腹に槍が突き刺さったまま、妹紅は将志に向かって炎を放つ。
 その炎も普段より苛烈なものであり、天を焦がしそうな勢いがあった。

「…………」

 そんな妹紅に対し、将志は黙って槍を投げつける。
 それと同時に、将志は一発の弾丸を妹紅に向かって放った。

「ぎゃうっ!?」

 妹紅は槍と一緒に弾丸を額に受け、その場に転がった。
 そして起き上がろうとすると、突然腹に刺さった槍が消えた。
 妹紅がそれを怪訝に思いながら体を起こすと、そこには黙って空を見上げる将志が立っていた。

「くっ……まだ終わっていないぞ……」
「……ああ。確かにまだ終わっていないな」

 将志はどこか上の空で妹紅に対して答えた。
 視線は宙を彷徨っており、明らかに戦闘に集中していない。
 その様子に、妹紅は顔をしかめた。

「……あんた、何を考えているんだ?」
「……いや、思えば短い間ではあったが、この喧嘩も日常の一つだったとな。少々感慨に浸っていたのだ。今まで一度も勝ちを拾えずとも、何度でも喰らいついてくるお前の執念には恐れ入るよ」

 将志はそう言いながら大きく息を吐いた。
 それを見て、妹紅はにやりと笑った。

「そうか。それで、私にやられてくれる気になったのか?」
「……今まで俺はお前に対して少々無礼を働いてきた。その理由はいろいろあるのだが、今となってはそれもない」

 将志は眼を閉じ、静かにそう口にした。
 その言いたいことの意味がわからず、妹紅は首をかしげた。

「何が言いたいんだ、あんた?」
「……お前の執念と根性に敬意を表して、これから俺の本気を見せてやる。……お前が越えようとした山、決して低くはないぞ?」

 将志がそういった瞬間、周囲が銀色に輝き始めた。
 そこから感じられる力に、妹紅は眼を見開いた。

「な、あんたまだそんな力を……」
「……銀の霊峰の守護神にして主の守護者、槍ヶ岳 将志。その力、しかと眼に焼き付けるがいい」
「うぐっ!?」

 将志がそういった瞬間、妹紅は吹き飛ばされていた。
 起き上がってみると、さっきまで自分が立っていたところに槍を振りぬいた格好の将志が立っていた。

「な、何がっ!?」

 状況が理解できていない妹紅がそう呟いた瞬間、足を払われて妹紅の体が宙に浮いた。
 そして次の瞬間、七本の槍が体を貫いていた。

「がはっ……」

 妹紅は空中で体勢を立て直して周囲を見た。
 すると、そこにはバスケットボールぐらいの大きさの大量の銀の玉が浮かんでいた。
 それを見た瞬間、風と共に腹に焼け付くような痛みを妹紅は感じた。

「……え」

 見ると、そこには一筋の赤い線が引かれていた。
 それを確認すると同時に、今度は右足と左肩に痛みが走る。
 妹紅が呆気に取られている間に、傷はどんどん増えていった。

「あっ……」

 そして妹紅は自分にまっすぐ迫ってくる将志を確認した瞬間、銀の槍で体を貫かれたのだった。




「……ははは、これがあんたの本気か……今の私じゃ手も足も出ないや……」

 妹紅は全身ボロボロの状態で地面に横たわってそう呟いた。
 そんな妹紅のところに、将志は歩いて近づいていく。

「……俺が本気を出したのは蓬莱人とはいえ人間では初めてだ。なかなかだったぞ」
「……結局、最後まであんたに勝てなかったなぁ……」
「……なに、お互いに死とは程遠い存在なのだ、縁があればまた会うこともあるだろう。それまでに俺を倒せるほど強くなればいいさ」

 将志はそういうと、倒れている妹紅の腹の上に紫色の布の包みをおいた。
 妹紅はゆっくりと体を起こし、包みを眺めた。

「何だ、これは?」
「……着物がボロボロだろう、婦女子をそんな格好で歩かせるのは俺の気が許さん。大人しくそれを着ておくがいい」

 妹紅が包みを開くと、中には飛び立つ鶴が描かれた浴衣が入っていた。
 それを見ると、将志は妹紅に背を向けた。

「……お前はまだまだ強くなれる。いつかお前はそこに書かれている鶴のように、お前の炎が見せた鳳凰のように飛び立つことが出来るだろう。その時には、こちらから戦いを申し込ませてもらうとするよ。……また会おう、妹紅」

 将志はそういうと、妹紅の前から一瞬で姿を消した。
 それを見て、妹紅はため息をついた。

「……あ~あ、結局勝ち逃げされたか。腹立つ……」

 妹紅は傷が癒えると、すっと立ち上がった。
 そして将志に渡された浴衣を羽織り、帯を締める。

「でもまあ、あいつの言うとおり生きてりゃそのうち会えるか。首を洗って待っていろよ、将志」

 妹紅はそういうと、町の中へと消えていった。
 その口元は、わずかにつり上がっていた。



[29218] 銀の槍、苛々する
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 03:00
「……来たか」

 妖怪の山の森に囲まれた広場にて、大きな黒い翼を背に持つ妙齢の女性がそう呟く。
 すると、その前に銀色の髪の男が降りてきた。
 男の背中には、赤い布にくるまれた細長い棒状のものが背負われていた。

「……いきなり呼び出すとは、何かあったのか、天魔?」
「一つ確認したいことがある。今日はそのために貴様を呼び出した」
「……確認したいことだと?」
「ああ。そしてそれが正しければ――――」

 天魔はそういうと、背中の大剣を抜き放って剣先を将志に向けた。

「貴様は私に倒される」

 天魔のその宣言に、将志は興味深そうな視線をむけた。

「……ほう? 確かにそれは気になることだ。早速試してみるか?」
「ああ。そのために貴様を呼び出したのだからな」

 将志は背負った銀の槍の赤い布を解き、手に取った。
 天魔は大剣を片手に持って構える。

「……行くぞ」

 将志はそういった瞬間に天魔の背後を取って攻撃する。
 天魔はそれを前に飛ぶことで躱し、翼から弾幕を展開する。

「……ふっ」

 将志はその弾幕を難なく潜り抜けて弾幕を返す。
 至近距離で展開された銀の弾幕は密集したまま天魔に襲い掛かった。

「ちっ!」

 天魔は素早く後退しながら弾丸を避けて行く。
 その天魔に対して、将志は槍で追撃を加える。

「……はっ」
「くっ!」

 天魔は将志の突きを大剣の腹で受け流すようにして避ける。
 そして、天魔と将志は鍔迫り合いの状態になった。

「……さて、ここまではこの前と変わらんが……何を考えている?」
「……お前の弱点は、たとえ僅かな衝撃でも戦闘不能になる身体の脆弱さだ」
「……確かに、それが俺のどうやっても克服できなかった致命的な弱点だ。……だが、当たらなければ問題はあるまい」

 将志はそういうと天魔を弾き飛ばし、妖力で編んだ銀の槍を投擲した。
 天魔はそれを剣で叩き落し、将志に向かって弾丸を放つ。
 その弾丸は以前のものよりも小さく、その代わりに数が大幅に増加したものになっていた。

「……手数を増やしただけでは当たらん」

 しかし将志はそれを避け、時には槍で弾き返しながらそれを潜り抜ける。
 それを処理している間に、将志の視界からは天魔が居なくなる。

「……上か」
「うっ!?」

 将志は上に向かって銀の槍を放つ。
 するとそこには大剣を振り下ろそうとしていた天魔がいた。
 天魔はその一太刀で飛んでくる槍を払う。

「……そらっ」
「くっ……」

 そうして出来た隙に将志は手にした銀の槍を叩き込もうとする。
 天魔は身体を捻ることでそれを躱し、地面スレスレを飛ぶようにして体勢を立て直した。
 将志は素早く間合いをつめ、天魔に接近戦を仕掛けた。

「……せっ」
「はあっ!」

 将志と天魔は激しく打ち合った。
 槍と大剣が交差するたびに火花が散り、その激しさを物語る。

「はああああ!!」
「……疾!」

 数十合打ち合った後に、再び鍔迫り合いになる。

「……幻覚は使わんのか? あれを出し惜しみして勝てるほど俺は甘くはないと思っているのだが?」

 将志はそれまでの戦いを振り返り、首をかしげた。
 天魔の能力は『幻覚を操る程度の能力』である。
 以前戦ったときはその能力を使って将志を撹乱しながら戦っていた。
 しかし、今回の戦いでは天魔は依然としてその能力を使っていないのだ。

「ああ、使わん。あれを使ったところでお前相手には効果が薄い。ならば、使わずに力を温存しておくべきだ」
「……ふむ、ではどうやって俺を倒すつもりだ?」
「……無論、貴様の弱点を突いて倒す」

 天魔はそういうと鍔迫り合いの状態のまま将志に弾丸の雨を降らせた。
 将志はその弾幕が届く前に素早く飛びのき、全ての弾丸を躱した。

「そこだ!」

 天魔は将志が飛びのいた先に紅色のレーザーを打ち込んだ。
 レーザーは速く正確に将志を撃ち抜くべく飛んでいく。

「……それも甘い」

 しかし将志はまるで読んでいたかのようにそのレーザーを回避する。
 レーザーは地面に着弾し、空に大量の土や石を空高く噴き上げた。

「まだだ!」

 天魔は空を飛ぶ将志に更に下から弾丸の嵐で追撃をかける。
 将志はそれを避けたり弾いたりして難なく無効化する。

「てやああああ!!」
「……せやっ」

 斬りかかってくる天魔に、将志は反撃する。
 天魔はあえてそれと切り結び、三度鍔迫り合いを始めた。

「……この程度では俺を捉えることなど出来んぞ?」
「ふん、相変わらず化け物じみているな。だが、それも当たり前か。貴様の最大の強みとは何か? 誰もが惚れ惚れするような華麗な槍捌き? 誰にも捉えることの出来ない疾さ? その身に溜め込まれた膨大な妖力? いや、そんなものではない」

 突如として天魔は将志の強みと思われる部分を列挙していく。
 それを聞いて、将志は興味深そうに頷いた。

「……ほう? では何だと考えている?」
「貴様の最大の強み、それは悪意を察知する能力。貴様はありとあらゆる攻撃に含まれるどんなに微細な殺気や悪意でも感知し、それを元に回避していく。それこそ眼を瞑ってでも回避を出来るような、未来予知とも呼べるような精度でな。そして人間や妖怪、更には神すらもその力を超えることが出来ず、お前に触れることすら叶わなかった」

 天魔は将志の最大の強みに対してそう断言した。
 将志はそれを聞いて感慨深げにため息をついた。

「……知っての通り、俺の身体は赤子に殴られても気を失うほど脆弱なのだ。故に、俺はいかなる攻撃も躱せるように修練を積んだ。たとえ僅かな害意も見逃すことなく拾い上げ、危険を無意識下でも回避できるようにな。それが最大の脅威というのならば、確かにそうなのだろう」

 将志は長い間積み重ねてきた修行を思い浮かべながらそう呟いた。
 それに対して、天魔は苦々しい表情を浮かべた。

「全く、ふざけた奴だ。その境地に至るまで、どれほどの修練を積んだのかなどと考えるだけで頭が痛くなる。そのようなことをするくらいなら、もっと頑丈な身体を作るもんなのだがな?」
「……だが、それは無駄にはなっていない。現に俺はどんなに強力な攻撃も躱すことが出来る。これほど頼りになる感覚を、俺は他に知らない」
「確かに、それを持っている以上普通の攻撃では貴様を捉えることなど出来ない」

 天魔は静かにそう呟く。
 そして、ニヤリと笑った。

「……だが、それを持っているが故に貴様は負けるのだ」
「……っ!?」

 次の瞬間、将志の視界は暗転した。





「……ぐっ……」

 将志が眼を覚ますと、空には月が浮かんでいた。
 かなり長い間気絶していたらしく、身体はかなり冷えていた。

「ようやく起きたか。全く、噂には聞いていたがいくらなんでも脆弱すぎるぞ」

 その声に振り返ってみると、そこには呆れ顔の天魔がいた。
 天魔は近くにあった切り株に座っており、将志を眺めていた。

「……俺の負けか、天魔」
「……ああ。そして私の勝ちだ、将志」

 将志が呟くと、天魔はそう返して微笑んだ。
 その笑顔を見て、将志は深々とため息をついた。

「……やれやれ、仮にも戦神が負けるとはな。どうやら俺もまだまだ修行が足りんようだ」
「個人的には貴様にこれ以上強くなってもらっては困るのだがな」

 天魔の言葉に、将志は首をかしげた。

「……何故だ?」
「何かあったときに貴様に仕事を押し付けられなくなるだろう?」

 そう話す天魔の顔は、それはもう見事な笑顔であった。
 そんな天魔に、将志はジト眼を向ける。

「……天魔、何を考えている?」
「現時点で、幻想郷内で貴様に勝ったのは私だけだ。つまり、貴様を力で従わせられるのも私だけということだ」
「……俺を使い走りにするつもりか?」
「ふっ、敗者に口答えの権利などない。大人しく従ってもらおうか?」

 天魔は笑みを浮かべたまま将志にそう話す。
 それを聞いて、将志は額に手を当ててため息をついた。

「……そんなことをすれば、うちの連中が黙っていないぞ? 俺が何も言わなくとも、勝手に飛び出してくるだろう」
「何も銀の霊峰全体を配下にする気はない。私は貴様を従えさせられればそれで十分だ。……くくっ、神を従えさせることが出来るとは実に痛快だな」

 本当に愉快そうに天魔は笑う。
 それに対して、将志は怨嗟のこもった視線を天魔に送った。

「……待っていろ、すぐにお前を倒して自由になってやる」
「今のお前には負ける気はしないな。いつでも来るがいい。逆に貴様が負けるたびに面倒事を押し付けてやる」

 将志の言葉に、天魔は不敵に笑ってそう答えた。
 そして、将志に近寄って肩に手を回した。

「そういうわけで、これからうちに来てもらおうじゃないか」
「……何の真似だ?」
「しばらく放っておいたせいで書簡が溜まっていてだなぁ。それの処理の件で下から突き上げを食らっているのだよぉ。もう煩くて敵わんのでな、そろそろ片付けようと思うのだよぉ」

 にこにこと笑いながら天魔は将志にそういう。
 その声は人の神経を逆なでするような声色だった。

「……まさか、俺にやれというのか?」
「察しが良いな、その通りだ。なに、私は同じ部屋に居るから分からないことがあれば存分に訊くが良い」

 天魔はそう言いながら将志の頭を撫でる。
 将志ははらわたが煮えくり返りそうになるのを抑えながら天魔の話を聞く。

「……拒否権はあるか?」
「あるわけないだろう、負け犬君?」
「……くっ」

 天魔の言葉に、将志は悔しげに奥歯を噛み締めるしかなかった。




「……おい、天魔。貴様、何ヶ月分溜め込んでいた?」

 天魔の家である木造の屋敷に着いて仕事部屋に入るなり、将志は震える声でそう言った。
 それに対して、天魔は額に手を当てて考え込んだ。

「ん? そうだな……一番古い書簡が確かこれだから……」

 そういうと、天魔は部屋の片隅に置いてある書簡に手を伸ばした。
 将志はそれを横から覗き込む。

「……見間違いだと信じたいが……この日付は二年前のものではないか? つまりここにあるのは二年分の書簡ということなのだな?」

 将志は額に大きな青筋を浮かべながら書簡を指差し、周囲を眺めた。
 そこには、天高く積まれた書簡の山が部屋を埋め尽くしていた。
 壁沿いにびっしりと並べられた書簡は動線を侵食しており、歩いて肩が触れれば崩れ落ちてきそうな有様であった。

「細かいことなど気にするな、将志。どの道貴様はこれを片付けることになるのだからな」
「……一つ訊かせてくれ。貴様、今までどういう仕事をしていた?」

 最高にいい笑顔を浮かべる天魔に、将志は当然の疑問をぶつけた。

「ふむ、山をうろついて妖怪達と駄弁り、不満が出たら片っ端から潰していたが?」

 天魔はそれが当然といった様子で将志にそう答えた。
 それを聞いて、将志は呆れ果てた表情でため息をついた。

「……良くそれで組織として体裁が保てていたな……」
「なに、指導者など部下や住民を満足させられればそれでいい。それさえ出来れば書類仕事などという詰まらんことをせんで済むと私は何度も主張を」
「……何のための書類仕事だと思っているのだ……」

 元より住民の不満の声や政策を実行に移すために必要なことが書簡に書かれているのが普通である。
 本末転倒なことを言っている天魔に、将志は頭を抱えざるを得なかった。

「まあいい、とにかく貴様はその書簡を片付けろ。私はそこに居る、分からないことがあったら声を掛けろ」
「……どうしてこうなった」

 将志は深々とため息をつきながら、仕事に取り掛かることにした。



「……(いらいら)」

 将志は今、非常に苛立っていた。
 元よりやる必要のない仕事を押し付けられているのだから、機嫌がいいはずはない。
 しかし、その不機嫌具合を加速させる要因がここにあったのだ。

「おお~、仕事が速いな将志。ナデナデしてやろう」

 仕事を続ける将志の頭を、そう言いながら天魔は撫で付ける。
 そのもう一方の手には赤い漆塗りの杯が握られていて、酒が注がれていた。
 将志に勝った事が余程嬉しかったのだろう、ものすごい勢いで酒が消えていく。
 酒臭い息が将志の顔に掛かるたび、手元では手にした筆が破滅の音色を奏でている。

「……おい、天魔。人に仕事を押し付けておいて自分は酒を飲むとは何事だ?」
「ん? いいじゃないか、別に酒を飲みながらでも仕事は出来るだろう? なんだったら貴様も飲むか?」

 天魔はそう言いながら杯を将志に差し出す。
 将志はそれを見て額に手を当てて首を横に振った。

「……もういい、話すだけ無駄だ」
「おいおい、つれないことを言うな。っと、その案件はもう解決済みだ。そっちの案件は下の連中に放り投げてあるから心配ない」

 天魔は将志の肩を抱きながら書簡の内容に関して指示をする。
 将志は痛む頭を抱えながら指示通りに書簡を処理する。

「……仕事を手伝うのはいいが、俺にしなだれかかってくるな。あと、いくら自宅だからとはいえ小袖一枚でうろうろするんじゃない」
「おや、年頃の綺麗な女にこのような格好で迫られるのは褒美になると思ったのだがな?」

 現在、天魔が着ているのは少し大きめの小袖一枚のみである。
 この時代で言う小袖とは下着として使われている丈の短い着物である。
 現代風に分かりやすい例えでいくと、今の天魔の格好は裸に大きめのワイシャツを一枚着ただけという状態が一番近しい例えになるだろう。
 そんな天魔に、将志は深々とため息をつく。

「……貴様にやられると罠にしか見えんし、そもそも興味がない」

 将志は意地の悪い笑みを浮かべる天魔の言葉を、そう言って一刀両断した。
 将志は六花に女性に対して言ってはいけない言葉を教えられている。
 それ故に、効果的にダメージを与える言葉を言うことも出来るのであった。
 その言葉は効果覿面で、天魔は聞いた瞬間に凍りついた。

「……元々冗談とはいえ、流石にそこまで言われると女としての在り方を考えるぞ?」
「……喧しい、勝手に考えていろ酔っ払いが」

 軽く落ち込む天魔に対して、将志は吐き捨てるようにそういうのだった。


 その後、将志は天魔の絡み酒に付き合いながら夜明け前に仕事を終わらせ、家に帰ったところを愛梨達に散々説教される羽目になった。
 そして、いつか天魔に復讐する事を心に誓った。



[29218] 銀の槍、一番を示す
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 04:42
 宵闇と銀の霧が覆う竹林の中を一人の男が歩いていく。
 男は小豆色の胴衣と藍染の袴を身に纏っていて、その首には銀の蔦に巻かれた黒曜石のペンダントが掛かっていた。
 その男こと、将志は永琳に呼び出されて永遠亭に向かっていた。
 将志の手には町で買い集めた物資が握られていた。

「……む?」

 その途中、将志は違和感を覚えて立ち止まる。
 目の前に広がるのは普段どおりの獣道、しかし将志はそこに確かな悪意を感じるのだ。
 将志は妖力を集めて銀の槍を作り出し、目の前の道に突き刺した。
 すると目の前の地面が崩れ、大きな穴が現れた。
 穴はかなり深く、人為的な物であることが分かった。

「……落とし穴?」

 将志は目の前で口をあけている穴を見ながら思考を巡らせた。
 永遠亭に住んでいるのは輝夜と永琳、そして交流があるのは将志と愛梨、六花とアグナである。
 しかし、その全員がこのような罠を仕掛けたことはなかった上、仕掛ける必要がない。
 誰かが暇つぶしで作ったのかも知れないと思いつつ、将志は進んでいく。
 すると次から次に罠が見つかり、将志はその一つ一つを丁寧に躱していく。

「……随分と手の込んだ罠だな」

 将志は道を進みながらそう呟いた。
 罠は巧妙に隠されており、一目見ただけでは分からない。
 その上、罠にはまって慌てて抜け出そうとした場合、その抜けた先に更なる罠が仕掛けてあるのだ。

「……誰かは知らないが面白いことを考えたな」

 将志はその罠を掻い潜りながら道を進んでいく。
 将志は自分への挑戦を真っ向から受けてたったのだ。
 そして、その後将志は一つも罠を発動させる事なく永遠亭にたどり着いた。
 罠の気配を探してみるが、それ以上の悪意は感じられなかった。

「……俺の勝ちだな。さて、誰がこんな罠を仕掛けたのやら」

 将志はそう言いながら永遠亭の中に入った。
 すると、永遠亭の中には大勢の兎がせわしなく飛び跳ねていた。
 兎達は広い屋敷の中を掃除をしたり、庭で植物を育てたりしていた。

「……これはいったい?」

 将志は首をかしげた。
 しばらく見ないうちに住民が大量に増えているのだから当然であろう。
 疑問に思いながら将志は座敷へと歩いていく。

「……む」

 将志は襖に手を掛けようとすると、そこにかすかな悪意を感じた。
 その悪意の方向は上。
 将志はそれを確認すると、襖を勢い良く開け放ち、その場にとどまった。
 すると、将志の目の前に紐がついた桶が落ちてきた。

「ほら、将志に罠は通用しなかったでしょう?」
「うぐぐ……屈辱だわ……」
「というか、何であんな完璧に避けられるのよ?」

 その向こう側で話をしているのは紺と赤の服の女性に、長く艶やかな髪の少女、そして兎の耳の生えた少女だった。
 将志は見かけない顔に首をかしげた。
 そんな将志に永琳が声を掛けた。

「お帰りなさい、将志。あなた宛の挑戦状はどうだったかしら?」
「……なかなかに面白かったぞ。罠の仕掛け方の勉強にもなったしな」
「くぅ……つまり余裕だったってわけね……」

 将志の言葉に、ウサ耳の少女は悔しそうにそう呟いた。
 それを聞いて、将志はその少女に眼を向けた。

「……お前は何者だ?」
「因幡 てゐ、ここに住んでる兎達のまとめ役よ。そういうあんたは何者よ?」
「……槍ヶ岳 将志。変わり者の槍妖怪にしてそこに居る主の従者だ」
「ちょ、自分で変わり者って……」

 将志の自己紹介に、輝夜が思わず物申した。
 それに対して、将志は首をかしげた。

「……嘘は言っていないだろう?」
「まあ、確かに嘘は言っていないわね」

 将志の言葉に永琳が苦笑しながら頷く。
 実際は嘘は言っていないが色々と情報が不足しているのだった。

「それで、何で私が罠を仕掛けた場所がわかったのよ?」
「……罠というものは相手を傷つけるものだ。そこには大小様々あれど悪意が存在する。俺はその悪意を感じ取って避けただけに過ぎん」
「ねええーりん、将志はいったい何を言っているの?」
「……流石にこれは常軌を逸しているわね……」

 平然とした態度で言い切る将志に、輝夜は永琳に思わず尋ねた。
 永琳も滅茶苦茶なことを言い出した将志に唖然とした表情を浮かべていた。

「……それよりも、俺を呼び出したということは何かあったのか?」
「ああ、直接的な用事はもう終わっているわ。てゐの挑戦状と紹介が面だった用事だったから」
「……そうか。ならば少し早いが食事にするとしよう」

 将志はそういうと、てゐの顔と体をジッと眺めた。

「な、なによ」
「……ふむ」

 将志は一つ頷くと台所に入っていった。
 てゐは将志の行動の意味が分からずオドオドとしている。
 その一方で、輝夜は面白そうに将志を見ていた。

「……わ~、将志すごいやる気ね……」
「あら、将志のやる気はいつも十分よ? 普段の料理だって将志は全力で作っているわ」
「そうなの?」
「ええ。何故なら、将志は決して妥協をしない妖怪だから」

 永琳は楽しそうに将志の事を話す。
 輝夜はその様子をジッと眺めていた。

「あら、どうしたのかしら?」
「……永琳は何でそこまで将志のことが分かるの? 一緒に過ごした時間は私と同じくらいなのに、どうして私が知らない将志をそんなに知っているの?」
「それは、将志が全部教えてくれるからよ」
「え?」

 永琳の一言に輝夜は呆気に取られた。
 将志は普段感情をあまり外に出さず、己が胸中を打ち明けるようなことは少ない。
 行動一つ取ってみても、将志はどんな心理状態にあっても決して揺らぐことはないのだ。
 つまり、将志が黙っていれば誰にも分からないのである。
 だというのに、永琳は将志が教えてくれるというのだ。

「……どういうこと?」
「良く見ていれば分かるのよ。話すときの仕草や声、料理やお茶の味、歩き方や息遣い。それが将志が今どんな状態なのかを全部教えてくれるのよ」
「……てゐ、えーりんが何言ってるか分かる?」
「……盛大に惚気ているようにしか見えないわ」

 要するに、永琳は将志の一挙一動を余すことなく観察しているということである。
 常軌を逸した主従に、輝夜とてゐは盛大にため息をついた。




「……出来たぞ」

 しばらくして、将志が料理を運んできた。
 将志は手にした盆を次々と配膳していく。

「……ところで、今日は酒を飲むのか?」
「もらうわ」
「そうね……頂こうかしら」
「くれるって言うんなら遠慮なくもらうわよ」
「……了解した」

 将志は酒の入った瓶と杯を用意して配っていく。
 そして配り終えると、将志は自分の分の料理が並べられた膳の前に座った。
 将志が座ると同時に食事が始まる。
 そして一口食べた瞬間、てゐが固まった。

「あら、どうしたの?」
「ふふふ、てゐは驚いているだけよ。たぶん、その料理の味があまりにも自分好みだったから」
「……私、お師匠様よりも料理が上手い人って居ないと思ってたのに……」
「それはそうよ。私の料理は将志の真似して作ってたんだから。言ってみれば、将志は私の料理のお手本みたいなものよ?」

 てゐの一言に、永琳は楽しそうに笑いながらそう言った。
 実は永琳は離れ離れになっていたとき、将志の料理の再現がしたくて自分で作り始めたのだ。
 彼女は将志が料理の研究に使っていた資料を片っ端から調べ上げ、その再現に成功したのであった。
 その横で、輝夜が永琳に疑問をぶつける。

「でも、自分好みってどういうこと? 確かに将志の料理は永琳のよりおいしいとは思うけど……」
「その答えは私の分の料理を食べてみれば分かるわよ」

 永琳はそういうと自分の盆の上にある煮付けの器を輝夜とてゐに差し出した。
 二人はそれを食べた瞬間、きょとんとした表情を浮かべた。

「……あれ? いつもの永琳の料理とあんまり変わらない?」
「ええ。そしてこれが私好みの味。どういうことだか分かったかしら?」
「つまり、相手によって味付けを変えているわけ? 何でそんなことを……」
「だから言ったでしょう、将志は決して妥協をしないって。将志にとって、この少人数ならまとめて作ることすら妥協になってしまうのでしょうね」

 永琳はそう言いながら将志の方を見た。
 その視線を受けて、将志は感嘆のため息をついた。

「……まさか見破られていたとはな」
「いつも使っている鍋の他にたくさんの小鍋があれば大体の想像はつくわよ。それに将志の考えそうなことなら大体分かるしね」
「……やれやれ、これでは隠し事もままならないな」
「あら、何か隠し事をするつもりなのかしら?」

 その言葉を聞いて、将志は小さくため息をつきながら首を横に振った。
 それに対して、永琳は意地の悪い笑顔を見せた。

「……まさか。俺は誰に隠し事をしようとも、主にだけは洗いざらい打ち明けることにしている」
「それはどうして?」

 永琳は笑みを浮かべて将志にそう問いかける。
 その視線を受けて、将志は小さくため息をついた。

「……言わせる気か?」
「ふふふっ、分かってるわよ。だって私はあなたの……」


「……一番の親友だからだ」
「……一番の親友だからね」


「てゐ、その焼き魚の塩ちょうだい」
「あげないわよ。私だって口の中が甘ったるいんだから」

 将志と永琳がそう言い合っている隣で、輝夜とてゐは焼き魚に添えられた盛り塩をひたすらに嘗めていた。
 そんな二人の様子に将志が気付く。

「……む? 塩気が足りなかったか?」
「いいえ違うわ」
「糖分の過剰摂取よ」
「……どういうことだ?」

 皮肉の籠もった二人の言葉に、将志は首をかしげた。
 この男、意味が分かっていないようである。
 その様子を見て、輝夜とてゐは顔を見合わせてため息をついた。

「……てゐ、今日は飲むわよ。こんなのに付き合わされるのは御免だわ」
「……付き合うよ。この二人に付き合うほうが酒の過剰摂取よりも精神衛生上よっぽど身体に悪いわ」
「……?」

 その後、将志は酒を浴びるほどかっ喰らった二人を介抱する羽目になった。








 蒼白い月に照らされた縁側に座り、持って来た酒を飲む。
 中秋の夜風がその銀色の髪を優しく撫でていく。
 将志は風音と鈴虫の声に抱かれながら、ぼうっと月を眺めていた。

「やっぱりここに居たわね、将志」

 そんな将志の横に、永琳が腰を下ろす。
 その手には酒瓶と杯が握られており、将志と一緒に飲むつもりのようであった。

「……あの二人はもう寝たのか?」
「ええ。酔い覚ましを飲ませた後で寝たわよ」

 将志はそう話しながら永琳の杯に酒を注ぐ。
 乳白色の濁り酒に月が浮かび、風情を醸し出す。
 その酒を、永琳はゆっくりと飲み干した。

「……ふぅ、あなたとこうやってお酒を飲むのも久しぶりね」
「……ああ。最近は特に忙しかったからな」
「幻想郷関連の話かしら?」
「……ああ。まあ、幻想郷というよりはその中の一団体関連というべきか……」

 そう話す将志の眉間には、若干のしわがよっていた。
 この間の一見以来、将志は天魔によく絡まれるようになってしまったのだ。
 将志は何度も戦って自分の敗因を探るのだが、未だに掴めていない。
 それによって、将志は天魔に雑用を押し付けられる羽目になるのだった。
 それを見て、永琳は心配そうな表情を浮かべた。

「……相当嫌なことがあったみたいね」
「……ああ。だが、そのおかげで得るものもあったからな、それに関してはもう気にしないことにしているのだ」

 それを聞いて、永琳は一転して安心した表情を浮かべた。
 将志と永琳は注がれた酒をゆっくりと飲み干すと、空になった杯に酒を注ぐ。

「そう、それなら良かった。ところで、最近愛梨の前に強敵が現れたって聞いたけど?」
「……強敵? ……ああ、恐らく藍のことだろう」
「その人、妖怪かしら?」
「……白面金毛九尾の狐だ。今は幻想郷の管理者のところで補助をしている。最近では、強くなりたいと言って俺と毎日稽古をしているな」
「じゃあ今は師弟関係みたいなものなのね。それで、どんな妖怪なのかしら?」

 永琳は将志に寄りかかり、酒を飲みながら将志に質問をする。
 将志は空になった永琳の杯に酒を注ぎながら藍について考えた。

「……そうだな……頭が良くて気丈で、とても優しい妖怪だな。そして、どことなく主を連想させる」
「あら、それはどういうことかしら?」
「……藍は愛を知り、愛を求め、そして愛を失った。そして寂しがりやで、甘え癖がある。……そんなところが、主に似ていると思う」

 将志はどこか優しい眼をして永琳にそう話した。
 その横で、永琳は杯を空にしながら将志の腕を掴む。

「……その子に優しくするのはいいけど、ちゃんと私にも構ってくれないと拗ねるわよ?」
「……分かっている。そもそも、俺が主を蔑ろにする等ありえん」
「そう、なら早速甘えさせてもらうわ」

 そういうと、永琳は将志の膝の上に座った。
 将志は永琳の身体を右腕で抱きかかえるようにして支える。

「ねえ、その藍って子はどういう風に甘えてくるのかしら?」
「……俺に甘えるときはしなだれかかってくることが多いな」
「……こうかしら?」

 そういうと永琳は将志の胸に身体を預けた。
 永琳の重みが将志に心地良い刺激となって伝わっていく。

「……ああ、そういう感じだな。その状態でしばらくそのままの状態が続くことが多い」

 将志がそう言っている間に、永琳はしなだれかかったまま酒をくいっと飲み干した。
 そして、将志の首に手を回した。

「……それだけじゃないでしょう? 続くことが多い、って事はその他にもやることがあるのでしょう?」
「……む、確かに藍は俺の心音を聞いたり抱きついたりするが……何故そこまで聞く?」
「あなた自分の弟子にはそこまで甘えさせるのに、主で一番の親友の私にはさせないつもりかしら?」

 少々戸惑い気味の将志の質問に、永琳は拗ねた表情で答える。
 首に回された手には力が込められ、将志の顔を引き寄せてその黒耀の瞳を覗き込んでいた。

「……いや、そういうわけではないが……」
「じゃあ、教えなさいな。久々に甘えられるんですもの、徹底的にやるわよ。まずは抱きついて心音を聞くんだったわね」

 永琳はそういうと将志の服をはだけ、抱きついて耳を胸に当てた。
 とくん、とくん、と心臓が脈打つ音が永琳の耳に聞こえてくる。

「……心地良い音ね……聞いていて安心するわ……」

 永琳はうっとりとした表情で将志の心音に聞き入っていた。
 将志はその様子を見て、困ったように頬を掻いた。

「……主、実はかなり酔っていないか?」
「……ええ、少なくとも理性が少し飛ぶくらいには酔っているわよ? で、他には?」

 永琳は将志をぎゅっと抱きしめ、心音を聞きながら質問する。
 その質問を受けて、将志は正直に答える。

「……あと、藍はよく接吻をしてくるな」
「接吻ってことは、その藍って子にとってはあなたが一番ってことか……」

 永琳はそういうと将志から身体を離し、杯に酒を注いで一気に飲み干した。
 将志はそれを見て、唖然とした表情を浮かべた。

「……主、あまり飲みすぎると翌日に響くぞ?」
「将志、実はね……今日の用事、まだ終わっていないのよ……」
「……いきなりどうしたんっ?」

 頬を手で掴まれると同時に、将志の唇に永琳のそれが重なる。
 突然の出来事に、将志は眼を白黒させた。

「……主?」
「……これが今日のあなたへの本当の用事よ」

 永琳は将志から手を離すと、小さくそう呟いた。
 その表情は、軽く触れただけで壊れてしまいそうな、そんな不安そうな表情だった。
 その意味が分からず、将志は永琳に問いかけた。

「……何故こんなことを?」
「正直に言うとね、私結構焦っているのよ。この間、アグナがあなたにキスしたでしょう? あれを見て思ったわ、いつか誰かが私から一番を奪っていくんじゃないか、私の前から将志を連れ去っていくんじゃないかって。そう思うと、急に怖くなったのよ。だから……っ!?」

 震える声で言葉を紡ぐ永琳の口を、やわらかく暖かいものがそっと塞ぐ。
 永遠にも感じられる一瞬の後、それはそっと離れていく。
 永琳の目の前には、優しい眼をした将志の顔がすぐ近くにあった。

「……これで安心したか?」
「将志……」

 永琳は惚けた表情を浮かべながら人差し指で自分の唇をなぞった。
 将志からキスを、自らが一番であるという証拠をもらったという事実が未だに信じられていない様子だった。
 そんな永琳に、将志は優しく言葉を紡ぎ出す。

「……俺の一番は主だ。この想いは生まれてからずっと変わっていない。そして、これからも変わることはないだろう。……だから、主が俺を失うことを怖がることはないし、そんなことは絶対にさせん」
「……そう……ありがとう、将志……良かった……」

 永琳はそう言いながら安堵する。
 余程不安だったのか、その眼には僅かに涙が湛えられていた。
 その涙を将志はそっと指で拭い、優しく抱きしめる。




「……ねえ、将志」


 ふと、将志の胸元で永琳が話しかける。


「……む?」


 その声を聞いて、将志は腕の中に眼を落とす。


「……もう一度、あなたの一番を感じさせてくれないかしら?」


 永琳は顔を上げ、潤んだ瞳で笑顔を浮かべて眼を見つめながら、将志にそう問う。


「……ああ」


 将志はその頼みを、微笑と共に頷いて聞き入れた。






 そして蒼白い月を背景に、二つの影が重なった。



[29218] 銀の槍、門番を雇う
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 04:44
 ある朝将志がいつもの鍛錬を終えてくつろいでいると、外から笛の音と歌声が聞こえてきた。
 奏でている音楽は明るく楽しげなもので、思わず踊りだしてしまいそうになる音楽だった。

「……この音楽は?」

 将志が音のする方向へと歩いていくと、社の境内に出てきた。
 そこには愛梨とアグナがいた。
 愛梨は銀色に光るフルートを吹いていて、その横でアグナが笛の音に合わせて楽しそうに歌を歌っていた。
 透き通ったフルートの音と鈴の音のような歌声が朝の霊峰に響き渡る。

「…………」

 将志ががそれに聴き入っていると、隣に六花がやってきた。
 六花もまた楽しそうに二人の協演に聴き入っている。

「♪♪~♪~♪~♪♪~」

 空を飛ぶ鳥は愛梨とアグナの周りを飛び回り、動物達が近寄ってくる。
 霊峰に住む妖怪達も音楽につられて境内に集まってくる。
 時間が経つにつれ、一人、また一人と聴衆はどんどん増えていく。
 やがて境内は音楽を聴きに来た妖怪達でいっぱいになった。
 その全てが笑顔を浮かべており、全体が楽しそうな雰囲気だった。

「♪~♪♪~♪~♪~」

 楽しい時間はあっという間に過ぎ、やがて曲が終わる。
 すると妖怪達から拍手と歓声が上がった。

「聞いてくれてありがと~♪ みんなの笑顔、いただきました♪ 今日も一日頑張ろうね♪」

 愛梨がそう言って礼をすると、妖怪達は解散していった。
 そんな中、将志と六花は協演していた二人のところへ向かった。

「……良い音楽だったぞ」
「えへへ~♪ ありがとう♪ 久しぶりだったから上手く吹けるかどうか不安だったけど、上手くいってよかった♪」
「アグナも随分と良い声してますのね。思わず聴き入ってしまいましたわ」
「へへっ、そりゃ良かった!!」

 演奏と歌声をほめられ、二人は嬉しそうに笑う。
 そんな中、将志が愛梨に質問をした。

「……ところで、何故急にこんなことを?」
「昨日しまっていた道具を整理していたらこれが出てきてね、折角だから今日吹いてみようと思ったんだ♪」
「んでな、俺はそれを知ってたから一緒に歌ってみたんだ。今日は絶好調だったぜ!!」

 フルートを見せながら話す愛梨に、アグナが楽しそうに話をかぶせる。

「それにしても、これだけで随分と笑顔が集まったよ♪ 今度から定期的に演奏してみようかな?」
「おう、そんときゃ付き合うぜ!!」

 二人で笑い合う愛梨とアグナ。
 ふと、愛梨は何かを思い出したように手を叩いた。

「あ、そうだ、将志くんも六花ちゃんも何かやってみない? 楽器なら余ってるんだ♪ はい♪」

 そういうと、愛梨は乗っていた大玉の中の不思議空間から楽器を取り出した。
 その種類は様々で、どれもこれもが使い込まれた後があった。

「……この楽器は?」
「……僕が将志くんに逢う前の友達の楽器だよ♪ 使ってもらえたら嬉しいな♪」

 そう話す愛梨の表情は、昔を懐かしむような、どこか悲しげな表情だった。

「……そうか」

 将志はそういうと、自分の近くにおいてあったアコーディオンを手に取った。
 それは手に取ると意外に重く、籠もっていた使い手の想いが伝わってきた。

「……これを使わせてもらおう」
「それじゃあ、私はこれを使わせてもらいますわ」

 そう話す六花の手にはハープが握られていた。
 それを聞くと、愛梨は嬉しそうに笑った。

「ありがと~♪ たぶん慣れるまでは時間掛かると思うけど、いつかみんなで演奏しようね♪」
「……しかし、そうなると楽器を余らせるのが惜しいな……」

 将志は余っている楽器を見やった。
 そこにはギターやドラム、木琴やハーモニカなどがあった。

「あの……お久しぶりです、お師さん!」
「……よし、お前はこれをやれ」
「……はい?」

 声を掛けてきた黒い戦装束の少女に、将志はドラムを押し付けた。
 押し付けられた本人は、訳が分からず呆然とした表情を浮かべている。

「あの……お師さん? 話が見えないんでござるが?」
「……む? 誰かと思えば涼か?」
「うむ、以前お世話になっていた迫水 涼でござる」

 声の持ち主に気がつき、将志は再び声を掛ける。
 涼の姿は以前よりも少し大人びていて、その眼は深い鳶色をしている。
 手にした槍は赤い柄の十字槍に変わっており、それは数々の戦場を潜り抜けてきた跡が刻まれていた。
 その姿を見て、将志はため息をついた。

「……急に来なくなったと思ったら、亡霊なんぞやっていたのか」
「ははは……恥ずかしながら、使えていた家が焼き討ちにあってその時に死んだのでござるが……どうにも未練が多すぎたみたいで、気がついたら亡霊になっていたでござる」

 涼は恥ずかしそうに笑いながらそう答える。
 しかしその苦笑いには、当時の悔しさがとても強く感じられる、そんな乾いた笑みだった。
 将志はその無念を悟り、眼を伏せた。

「……そうか。お前のことだ、きっと最後の最後まで主人の下で奮戦したのだろう。それで、ここに来た理由は何だ?」
「実はそれからどこかの守護霊になろうと思いしばらく修行の旅をしていたんでござるが、どこも埋まっていて途方に暮れていたのでござる。お師さんはどこか空いている場所を知らないでござるか?」
「……ふむ、そういうことならここの門を守るが良い。お前なら信用できるからな」

 将志は少し考えた後、涼にそう言った。
 それを受けて、涼はきょとんとした表情を浮かべた。

「え、良いんでござるか? ここはお師さんの……」
「……俺はあちらこちらに飛び回っているし、愛梨達もそれぞれに仕事があるのだが、この山に来る連中は血の気が多くてな、よく俺達に挑戦状を叩きつけてくるのだ。だから常に門を守る者が居れば安心して仕事が出来る様になると思うのだが」

 そう話す将志の表情はどことなく疲れた表情だった。
 実際問題、書類仕事をしているところに何度も挑戦状を叩きつけてくる妖怪達が多いのである。

「そうでござるか……そういうことなら任されたでござるよ!」
「……頼んだぞ」
「はい! ……ところで、これはどうすれば良いんでござるか?」

 そういうと、涼は手渡されていたドラムを指差した。

「……詳しいことは愛梨に聞くといい。では、お前の修行の成果、見せてもらおうか」
「はい! では、いざ「あら、新しく門番を雇ったのかしら?」……はい?」

 涼がドラムを置いて槍を構えようとすると、突如として空間が裂けた。
 その大量の眼が覗く禍々しい空間から、白地のドレスに紫色の前掛けを掛けた女性が姿を現した。

「……紫か。どうかしたのか?」
「手合わせするのもいいけどね。このまま始めたら、その子死んじゃうわよ?」

 紫は涼を見やりながら、意味ありげな笑みを浮かべてそういった。
 それを聞いて、涼は僅かに眉を吊り上げた。

「む、拙者は簡単に死ぬほど弱くはないでござる!」
「ええ、貴女は決して弱くはないわ。ここに居る妖怪を相手にしても大体は勝てるでしょう。でも、圧倒的な力で塗りつぶされてしまえば消滅してしまう。例えば、そこの炎の化身の全力を受けたりするとね」

 そう言いながら紫はアグナを見やった。
 アグナは橙色の瞳をキラキラと輝かせながら涼を見つめていた。
 今にも飛び出しそうなその様子から、涼と手合わせをしたいようだった。

「……アグナ?」
「ん、何だ? どうかしたのか、兄ちゃん?」

 将志の呟きに、アグナはそちらを向いた。
 その横から紫が話を続ける。

「もし貴女がアグナと手合わせをすれば、きっとそのうちアグナは手加減を忘れるわ。そして、その全力を受ければ貴女は絶対に助からない。アグナの炎は魂まで熱し、焼き尽くしていくわよ。何しろ、炎には浄化の力があるのだから」
「む~、何だよ~! さっきから何の話なんだ!?」
「アグナ。前にも話したけれど、貴女の力は強すぎるのよ。私は貴女が怖いわ。だから、私は貴女に少し力を封印して欲しいのよ」

 訳が分からずふくれっ面をするアグナに、紫は事情を説明する。
 すると、アグナは首をかしげた。

「何でだ? 俺が怖けりゃ、怖くなくなるまで強くなりゃいいじゃねえか」
「……アグナ。お前の力はそう簡単に超えられるものではない。以前、藍に対して全力を出したことがあるだろう。その炎は俺が助けに入らなければ藍を容易に死に至らしめただろう。俺としては心苦しいのだが、その力を少し抑えてもらうことになる」
「……兄ちゃんがそう言うんならそうすっけどよ……」

 将志の言葉に、アグナは不承不承といった様子で俯いた。
 それを見て、将志は小さくため息をついた。

「……なに、限られた力で戦い方を考えるのも楽しいものだぞ? 練習をするのならば付き合おう」
「本当か!? よっしゃあ!!」

 将志が練習に付き合うといった瞬間、アグナは嬉しそうに飛び跳ねた。
 それを見て、紫は微笑ましいものを見るような表情を浮かべた。

「ふふ、それじゃあ封印を受けてくれるかしら?」
「本当はあんまり気はすすまねえけど、受けてやるよ」
「感謝するわ。それじゃあ将志、これを」

 紫はそういうと青いリボンを取り出した。

「……これは?」
「水の力を込めた護符のようなものよ。それをアグナの髪に結べば封印は完成するわ」
「……そうか……アグナ」
「おう」

 将志はアグナを呼び寄せると、その膝の辺りまで伸びた、長く燃えるように紅い髪を丁寧に三つ編みにしていく。
 それが終わると、将志はリボンを結んだ。
 するとアグナの身体から力が抜けていった。

「あう……何だか力が入らねえぞ……」
「水で火を封じ込めているのだから当然よ。それを解くには効果が無くなるのを待つか、私か将志に解いてもらうかしかないわ」

 紫の話を聞いて、アグナは髪を結わえている青いリボンを引っ張ろうとした。
 しかし、護符の力に阻まれて触ることが出来なかった。

「むう……自分じゃ解けねえのか……」
「……自分で解けたら封印にならないだろう……」

 不満そうなアグナの一言に、将志はため息混じりにそう言った。
 そんな中、紫がアグナに声を掛けた。

「ねえ、今出せる全力を出してもらえないかしら?」
「おう、わかった!!」
「あ、おい……」

 紫の言葉にアグナは頷いた。
 アグナは空を見上げた。

「うおりゃあああああああ!!」
「うわっ!?」

 アグナが力を込めると、その足元から空高く火柱が上がっていった。
 その天を焦がさんばかりの勢いに、涼は思わず顔を覆った。
 しばらくして、炎はだんだんと収まっていった。

「むぅ……やっぱり力が出ねえ……」
「ん、封印はちゃんと効いてるようね」

 アグナは不満そうに頬を膨らましている。
 紫は封印の効果を確認して満足そうに頷いた。

「あの……お師さん? これ、本当に封印が効いてるんでござるか?」
「……もしアグナに封印が効いていなければ、俺はお前を抱えて逃げ、無責任なことを言って社を全焼させた紫を折檻しているところだ」
「え……?」

 将志の言葉に涼は呆然とした。
 何故なら、涼はアグナからかなり離れた位置に立っており、なおかつアグナは空に向かって火柱を上げただけなのだ。
 しかし、それでも将志は涼を抱えて逃げるということは、ここに届くほど巨大な火柱が上がるということなのだ。

「なあ、兄ちゃん! 早速練習に付き合ってくれよ!!」

 そう言いながらアグナは将志の胸に飛び込んできた。
 将志はそれを受け止めると、そっと地面に下ろした。

「……付き合うのは良いが、まだ食事も何も済ませていないだろう。まずは食事にしようではないか」
「おおっと、そういやそうだったな! んじゃ早いとこ飯にしようぜ!!」
「……ああ、そうしよう。涼も一緒に来るが良い」
「良いんでござるか? ならばご相伴させてもらうでござる!」

 将志の申し出に、涼は嬉しそうにそう言って笑った。
 それを確認すると、将志は紫のほうを向いた。

「……ふむ、紫はどうする?」
「魅力的なお誘いだけど、うちで藍が準備をしてくれているから朝はいいわ。今日の藍の稽古後のお昼は何かしら?」
「……きつねうどんにするつもりでいるが?」
「ふふっ、藍が喜びそうな献立ね。それじゃ、お昼を楽しみに待っているわよ」

 紫は笑みを浮かべてそういうと、スキマを開いて去っていった。
 それを見送ると、アグナがぐいぐいと将志の手を引っ張っていく。

「なあ兄ちゃん! 早く飯にしようぜ!!」
「……そんなに焦らなくても良いだろう」
「あ、待ってよ! まだ楽器しまってないんだ!」
「手伝いますから愛梨もそんなに慌てる必要はないですわよ」

 そうやって本殿へと入っていく二人を見て、愛梨が慌てて楽器をしまい始める。
 その横から、六花が手伝って楽器をしまう。

「お師さんの料理も久しぶりでござるなあ……」

 涼は数百年ぶりに食べる将志の手料理に思いを馳せ、嬉しそうな笑みを浮かべながら本殿へ入っていった。





「あ~♪」
「……あ~……」
「……お、お師さん?」

 膝の上に座るアグナに、将志は食事を食べさせる。
 その様子を、涼は信じられないものを見るような眼で見つめる。

「兄ちゃん、あ~♪」
「……ん」

 今度はアグナが将志に食事を食べさせる。
 将志はそれをごく自然に口にする。

「……何だか、アグナいつにも増してお兄様にべったりくっついてますわね」
「……そうだね♪」

 アグナは先程から将志にくっついてなかなか離れようとしない。
 将志が料理をしているときでさえ邪魔にならないギリギリの位置で待っていたのだ。
 流石に様子がおかしいので、将志はアグナに質問をすることにした。

「……アグナ。今日はやけに甘えてくるが、どうかしたのか?」
「んとな……これつけてから、どうにも人肌恋しくてな……まあ、正確には兄ちゃんにくっついていたいだけだけど、そんな気分なんだ」

 アグナは自分の髪を結わえている青いリボンを指差してそう言った。
 少し考えて、将志は一つの可能性にたどり着いた。

「……まさか、封印の影響か?」
「あ~、そうかもな~」

 アグナはそう言いながらぐりぐりと将志の胸に顔を押し付けてくる。
 そうしている間に将志の服ははだけ、胸板が露出し始めていた。

「とりあえず、俺は兄ちゃんにくっついていたい。だからしばらくこうしている」

 アグナは将志に張り付いたまま動かない。
 その様子に、将志は箸を止めた。

「……アグナ、それではいつまでたっても食事が終わらんのだが……」
「……むぅ」

 将志の一言に、アグナは渋々将志から離れて食事を再開した。
 そしてしばらく続けていると、アグナは卵焼きを口にくわえて将志の方を向いた。

「ん~」
「……んむっ」

 アグナが口にくわえた卵焼きを、将志は平然と食べた。
 その様子を、他の面々は唖然とした様子で眺めていた。

「……お兄様? 何をしてるんですの?」
「……む? アグナは俺に卵焼きを食べさせたかったのではないのか?」

 呆然としている六花の問いに対して、将志は何を言っているんだといわんばかりの勢いで答えた。
 その回答を聞いて、愛梨が頭を抱えながら質問をする。

「……それにしたって、その食べさせ方はどうなのかな?」
「うん? 俺はこの食べさせ方をすると良いって言われたからそうしたんだぞ?」
「……俺もそういう方法があるという話を聞いたな」

 アグナと将志は口をそろえてそう言った。
 それを聞いて、涼がおずおずと手を上げた。

「……あの、お二方? それ、誰から聞いたんでござるか?」
「この前来た鬼神の姉ちゃん!!」
「……伊里耶からだが?」

「ちょっと妖怪の山に行ってくるよ♪」
「ちょっと妖怪の山に行ってきますわ」

 アグナと将志が涼の質問に答えた瞬間、愛梨と六花はスッと立ち上がった。
 そして、二人で涼の肩を鷲掴みにした。

「え、ちょ、拙者も行くんでござるか!? せ、せめて食事くらいは……」

 愛梨と六花は涼を引きずりながら外へと出て行った。
 その途中、壁に立てかけてあった涼の槍を回収することを忘れない。

「なあ、兄ちゃん。姉ちゃん達、何があったんだ?」
「……さあ?」

 そんな面々をよそに、二人は食事を続けた。



 その日、妖怪の山ではちょっとした騒ぎが起きた。
 なお三人が帰ってきたとき、約一名ボロ雑巾のような状態になって帰ってきたことを追記しておく。



[29218] 銀の槍、仕事の話を聴く
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 04:47
「……ん……む?」

 月も沈みきらぬ早朝、将志は普段どおり眼を覚まそうとしていた。
 しかし、いつもと違い右腕に重みを感じる。
 ついでに言えば何かを抱きかかえているような格好になっているのだった。

「…………」

 将志は布団を少しはだけて中を確認してみた。

「……ん……兄ちゃん……」

 そこには燃えるような紅い髪の小さな少女が将志に抱きついて眠っていた。
 どうやら寝ている間に潜り込んできたようである。

「……やれやれ」

 将志は腕の中で眠っているアグナをそっと撫でる。
 さらさらとしたその髪は心地良い手触りで、白い肌の頬に触れると柔らかく程よく弾力のある手ごたえを感じた。

「……にゅ……」

 するとアグナは少しくすぐったそうに身じろぎした。

「……それにしても、どうしようか」

 将志はアグナを撫でながら起こさないように起きる方法を考える。
 封印を施して以来、アグナがすっかり甘えん坊になってしまった。
 以降度々布団の中に潜り込んでくるのだが、朝の早い将志は確実にアグナより先に起きる。
 そして、その度にアグナを起こしてしまうのだ。

「…………」

 将志は起こさないようにゆっくりとアグナの頭を抱き寄せて持ち上げ、下から腕を引き抜く。
 そして身体に巻きついている腕を、引き剥がしていく。

「……むぅ……」

 それを嫌がるかのように、アグナは眉をひそめる。
 将志は慎重にアグナを身体から引き離していく。
 しかし、アグナの抱きつく力は思いのほか強く、なかなか離れない。

「……ん……むむぅ?」

 将志が引き離そうと力を込めると、アグナは眼をこすりながら身体を起こした。
 どうやら、今日も抜け出すのは失敗したようだ。

「……起こしてしまったか」

 将志は小さくそう呟いた。
 アグナはそれに対して大きくあくびをしながら答えた。

「ふわ~ぁ……おはよ、兄ちゃん。今日も早いな」

 アグナはそう言いながら将志に擦り寄ってくる。
 寝ぼけたアグナは将志の胸に頬ずりをしながら抱きついてくる。

「……おはよう、アグナ。だが、まだ寝ていてもいいんだぞ?」

 将志はアグナの頭を優しく撫でながらそう言った。
 すると、アグナは顔を将志に押し付けたまま首を横に振った。

「……んにゃ、せっかくだから俺も起きる。兄ちゃんと一緒に練習したい」

 アグナはそう言って下から将志の顔を覗き込んだ。
 将志はそれを聞いて、アグナの頬を撫でた。

「……良いだろう。ならば一緒に鍛錬を行うとしよう。さて、そうと決まれば仕度をせねばな」
「おう!!」

 将志とアグナは布団から出るとそれぞれ準備を始める。
 そして準備が終わると、将志達は境内へと出て行く。

「はっ! やあっ!」

 すると、そこには先客がいた。
 戦装束に鉢金を巻いた少女は赤い漆塗りの柄の十字槍を軽々と振り回す。

「……ふむ」

 将志は即座に銀の槍に巻かれていた布を取ると、涼の前に躍り出た。
 そして、槍を振るっている涼に対して突きこんだ。

「せいっ!」

 涼はその槍を払いのけて将志に突き返した。

「……む」

 突き返す槍を将志は身体を半歩開いて躱し、涼に銀の槍を上から叩きつける。

「せやっ!」

 その振り下ろしを涼は槍で捌き、手首を柔らかく使って将志を下から突き上げる。

「……ふむ」

 それを将志は更に躱して涼に技を返す。
 その返し技に対して涼は将志に技を返す。
 お互いに申し合わせたかのような攻防が続き、最後にお互いに距離をとる。

「……修練は怠っていないようだな。その調子で続けるがいい」
「はい、ありがとうございました!」

 将志は槍を納め、涼に声をかける。
 それに対して、涼は礼をした。

「にーちゃん、次は俺と練習だぞ~?」

 しばらく放って置かれたせいか、アグナは少し拗ねた表情でそう言った。
 それに対して、将志は小さくため息交じりに頷いた。

「……すまなかったな。では、早速始めるとしよう」
「おう!!」

 それから、二人はしばらくの間戦闘訓練を行い、その光景を涼が見学することになった。




 将志達が朝食を終えて休憩をしていると、突如として目の前の空間が裂けた。

「お邪魔します、ご機嫌いかがかしら?」
「失礼するぞ」

 するとその中から紫と藍が現れ、将志達に挨拶をした。

「……紫か。藍も一緒に居るということは、ただ世間話をしにきたわけではなさそうだな」
「ええ、少し大事な話があるわ。将志、最近の幻想郷の問題点は何だと思う?」

 紫の問いかけに、将志は眼を閉じて答えた。

「……全体的に妖怪が弱い。今はまだ平気だが、このままではこの先増え続ける人間に対処しきれなくなって妖怪が滅ぶぞ」

 その将志の声はため息交じりで、妖怪の現状を憂うような口調であった。
 それに対して、藍が口を挟んだ。

「人間が強くなった、とは言わないのだな」
「……人間が強くなったわけではない。人間は元から強いのだ。普段人間を食料としてしか見ていない妖怪達はその危険性に気付いていない。故に、人間を軽んじたものから弱体化していくのだ。……俺からすれば、今の妖怪達は一部を除いて弱すぎる」

 将志はかつて、人間の側に立って妖怪達を相手取ったことがあった。
 その妖怪達は現在よりもはるかに強い人間を相手に戦い、圧倒するほど強かった。
 それを考えると、将志から見て今の妖怪はあまりにも弱すぎるのだ。
 その意見を聞いて、紫は笑みを浮かべた。

「随分と辛辣な意見ね。でも、間違ってはいないわ。たかが人間と軽く見ていた妖怪は妖怪退治屋に次々と退治されていったわ。人間は確実に妖怪の脅威となりつつあるわよ」

 それを聞いて、愛梨は首をかしげた。

「じゃあ、何でそんな話をするのかな? そういう話は僕達じゃなくて、妖怪のみんなにするべきだと思うよ♪」
「確かにそうね。でも、私がするのは別の話。貴方達にとっては大事な話よ」

 愛梨の質問に、紫はそう答えて話題を変えた。
 それを受けて、将志は納得したように頷く。

「……なるほど、仕事の話か」
「察しがいいわね。その通り、この先少し荒れそうだから、貴方達には少し様子を見ていて欲しいのよ」
「荒れるって……何が起きるんですの?」
「何だ? 誰か来んのか?」

 紫の言葉に六花とアグナがそろって質問をした。
 六花の表情はうんざりとしたものであるのに対し、アグナの表情はどこか期待に満ちた表情を浮かべていた。
 その質問に対して、紫は笑顔をもって答える。

「ええ、来るわよ。大陸の妖怪がね」
「大陸の妖怪、でござるか?」
「……足りなければ他所から持って来れば良いと言う事か?」
「大体そんな感じね。今のままじゃ妖怪は人間に押しつぶされてしまうわ。一番良いのは今いる妖怪達が強くなることなんでしょうけど、それを待つには時間が足りない。だから、この国だけではなく他所からも連れて来て数で対抗しようというわけよ」
「それ、大丈夫なんですの? 私達が幻想郷の一員になったときも他勢力と一悶着ありましてよ?」

 紫の構想に、六花が待ったを掛ける。
 実際問題、銀の霊峰が幻想郷の一部となった際も他の勢力と一悶着あったのだ。
 おまけに銀の霊峰の非常時における戦力という立場上、その力を危惧する者達が波のように押しかけたため、銀の霊峰は総出でそれを鎮圧することになったのだ。
 最終的には、すでに交流のある妖怪の山が仲裁に入り、そこまで大きな事態にはならなかった。
 余談ではあるが、それを盾に天魔が将志をこき使ったため、将志がそのストレスを発散するために下の勝負に乱入し、銀の霊峰の内部で再び嵐が起きた。
 その時の将志の荒れようは凄まじく、例えるのならば以下のような悲惨な戦いであった。

 ザタイムオブレトビューションバトーワンデッサイダデステニーヒャッハーペシッペシッペシッペシッペシッペシッペシッペシッペシッヒャッハー ヒーッヒヒヒーッヒヒヒーッヒヒヒーッヒヒヒーッヒヒヒーッヒヒヒーッヒヒヒーッヒヒ ヒーッヒヒヒーッヒヒヒーッヒヒヒーッヒヒヒーッヒヒヒーッヒヒヒーッヒヒヒーッヒヒヒーッヒヒヒーッヒヒヒーッヒヒヒーッヒヒヒーッヒヒヒーッヒヒヒーッヒヒヒーッヒヒヒーッヒヒヒーッヒヒK.O. カテバイイ
 バトートゥーデッサイダデステニー ペシッヒャッハーバカメ ペシッホクトセンジュサツコイツハドウダァホクトセンジュサツコノオレノカオヨリミニククヤケタダレロ ヘェッヘヘドウダクヤシイカ ハハハハハ
 FATAL K.O. マダマダヒヨッコダァ

「その時のための貴方達じゃないの。貴方達の役目はそういう小競り合いが起きたときの調停役よ。いざというときには相手を武力制圧しても構わないわ」
「つーことは、大暴れしても問題ないんだな!?」

 紫の発言にアグナが橙の瞳をキラキラと輝かせながら紫を見つめた。
 その様子を見て、紫は楽しそうに笑いながら答えた。

「やりすぎなければ構わないわ。暴力で向かってきたら容赦なく叩き潰してあげなさい。私はそれをのんびりと観戦させて貰うわ」

 つまり、紫は言外に私のところまで来させるなと言っている。
 何故なら彼女は幻想郷のトップである。
 そんな彼女が簡単に戦う様では、彼女自身が軽く見られてしまう可能性があるのだ。
 トップの人間が軽く見られるようでは、外の世界の者が幻想郷を潰しに来る可能性すらある。
 それを考えれば紫は戦うべきではなく、その部下や協力者に戦わせる必要があるのだ。
 もし、紫の元に力の強い部下や協力者が居るとなれば、外の勢力も幻想郷には容易に攻め込めないからである。

「随分過激なことを言うでござるな。そこまでやる必要があるんでござるか?」
「貴女は自分よりも力の強い者に立ち向かう度胸があるかしら?」
「守るためならばいくらでもあるでござるが?」
「……普通そういった度胸がないものなのだけど。少なくとも、話くらいは聞くでしょう?」

 それが当然と言った表情で質問に答える涼に、紫は呆れたといった表情を浮かべる。
 ため息混じりにそう話す紫に対して、涼は腕を組みながら頷いた。

「確かに。戦わないに越したことはないでござるからなぁ」
「お前は強いものと戦うことに興味はないのか?」

 涼の言葉を聞いて、藍は首をかしげる。
 何故なら、元々銀の霊峰にいるのはほとんどが強さを求めて流れ着いた者達なのだ。
 だと言うのに、戦闘員の一人である涼には強さに対する執着と言うものがあまり無いのだ。
 藍の疑問は当然のものであった。

「それは当然あるでござるよ。しかし、それで怪我をしたり死んでしまっては守れるものも守れないでござる。それに、拙者にはお師さんという相手がいるからして、強者は間に合っているでござるよ」

 藍の疑問に涼はそう言って答えた。
 涼が惚れ込んだのは強さではなく、将志の思想なのだ。
 よって涼が求める強さは戦いの強さではなく、何かを守る力なのだ。
 更に一度死んだときの経験から命を賭して誰かを守るという思想は捨て去っており、何が何でも生き延びるというスタンスを取っているようである。
 それを聞いて、紫は興味深そうに笑みを深めた。

「なるほど。ここの妖怪の中にもそういう考えの者がいるのね」
「……むしろ、少しくらいはこういうのがいてもらわねば困る。最近は妖怪の山やその他の勢力に挑戦状を送る者がいて苦情が出ているのだ。ついこの間も、天魔がうちに怒鳴り込んできたところだ」

 将志はそう言って頭を抱えてため息をついた。
 なお、将志は天魔にその迷惑料として(ry

「そいつらなら私のところにも来たぞ。将志の教えを受けているものがどれほどの強さなのか確かめるだのなんだの言って勝負を挑んできたが、返り討ちにしてしまってよかったのか?」
「……思う存分に叩きのめしてくれ。そうすれば勝負を挑んだ奴も満足するだろう。逆に断ったり手加減をして負けたりすると、相手が本気で勝負をするまで付きまとってくるからな」

 藍の言葉に、将志は投げやりな表情でそう答える。
 それを聞いて、藍は首を小さく横に振った。

「……まるで鬼達と変わらんな。ここの連中はそんなに強者に飢えているのか?」
「……来るものは拒んでいないのだが、どうにも軍隊という印象が強いみたいでな……気軽に挑戦してくる連中がいないのだ。居たとしても鬼程度だ。当然、何度も戦っている間に新しい相手を求めだす訳だから、外に流れる者が出て来てしまうのだ」

 将志はそう言って再びため息をつく。
 元々外から強者が挑んでくることを前提として門を開いているのだが、その入りは思わしくない。
 実を言えば、将志達がやってきた際にやりすぎたことが原因なのだが、将志はそれに気付いていない。

「そういえば、拙者も来てすぐにここの者達に挑戦状を山ほど送られたでござるなぁ」
「でも、涼ちゃん全部返り討ちにしてたよね♪」
「いや、一つだけ黒星がついたでござる」

 愛梨の言葉を涼はすっぱり否定した。
 それを聞いて、将志が興味深そうに眉を吊り上げた。

「……ほう? 誰に負けたのだ?」
「アグナ殿でござる」
「おう、そうだったな! なかなかに楽しかったぜ!!」

 アグナは楽しそうにそう言って笑う。
 一度アグナは封印された後、涼に対して挑戦状を叩きつけていたのだ。
 その結果、涼はそれなりに善戦はしたのだが、最後はアグナの炎に焼かれて敗北したのだった。
 涼の強さを観戦して知っている紫は、それを聞いてため息をついた。

「力を封印されているはずなのにそれでも強いのね」
「……当たり前だ。ただ力の強いだけのものは、この社に一生上がってこれん。アグナは元の力も強大だったが、それを制御しきれる能力を持っているのだ。変幻自在のアグナの炎はそう簡単に避けられるものではないぞ?」
「確かに、アグナの炎はどこまで逃げても追いかけてくるな。あれを躱しきるのは骨が折れる」
「へへへっ、なんかそう言われると照れくさいぜ……」

 将志と藍に賞賛されて、アグナは頬を染めて頭を掻いた。

「ところで、話題が盛大に逸れておりますけど、本題はどこに行ったんですの? まだどうやって大陸の妖怪を呼び込むとかそういう説明が全くありませんわよ?」
「そうね、それについても説明が必要ね。方法としては幻と実体の境界によって、勢力の弱まった外の妖怪を自動的に呼び寄せる方法を取るわ。だからこっちにきてもあまり大規模な騒動にはならないと思うのだけど、もしかしたら勢力が大きいままこちらに来るかもしれない。その時のために貴方達には備えておいて欲しいわ」

 紫がそこまで言うと、愛梨がポンと手を叩いた。
 どうやら何か考え付いたようである。

「そうだ♪ どうせだから、一緒にここの宣伝もしちゃおうよ♪ そうすればみんな喜んでくれると思うよ♪」

 愛梨の提案に、将志は少し考えをめぐらせた。
 そして、ゆっくりと首を縦に振った。

「……悪くないな。他で騒動を起こす前にここに呼び込むことが出来れば、わざわざ外に出るまでもなく解決できる。ここの連中も外から強者が挑んでくれば他に殴りこみに行かなくなるだろう」
「となると、何とかしてこちらに呼び込む必要がありますわね。その方法はどうしまして、お兄様?」
「……それに関しては放っておいても来るようになるだろう」
「ん? どういうこった、兄ちゃん?」
「……外から入ってきた連中の情報をうちの連中に伝えれば、血の気の多い奴が挑戦状を送るだろう」

 将志がそういうと、紫と藍は将志の思惑を理解したらしく頷いた。

「ああ、なるほど。それならば暴れたり力を持とうとする奴は向かってくるし、戦うつもりのない奴はくることはない。危険な妖怪も一緒に判別できるし、確かに理にかなっているな」
「ということは、境界を越えた妖怪の情報を将志に送ればいいわね」
「……ああ。頼む。それから、涼。お前には頑張ってもらうぞ」

 突然話を振られて、涼は呆気にとられた表情を浮かべた。

「はい? どういうことでござるか?」
「……お前にはここに登ってきた者を全員追い返してもらう。お前はこの社の一番槍だ、お前の力を見せてもらうぞ」
「任されたでござるが……場合によっては抑えきれないかもしれないでござるよ?」
「……それならそれで構わない。その時は、俺達が丁重にもてなすとしよう」

 将志はそういうと、手にした槍を軽く振るった。
 この男、やる気満々である。

「……そういえば、将志本人も結構戦い好きだったわね……」

 紫は遠い眼でそう呟く。
 しばらくして、紫は思い出したように手を叩いた。

「ああ、それから今日は藍が料理の献立を教えて欲しいみたいだから宜しくね」
「……ふむ、良いだろう。だが、その前に今日の稽古を始めるとしよう」
「ああ、早速始めよう」

 将志は藍と共に本殿から境内に向かっていく。
 その様子を、アグナが羨ましそうに眺めていた。

「……いいなぁ、狐の姉ちゃん……」
「キャハハ☆ それは同感だね♪ それじゃあ、僕と一緒に練習しようか♪」
「おう! 今度は負けねえぞ!!」

 アグナは愛梨に連れられて山の中腹にある広場へと向かう。
 境内ではアグナの炎が強すぎて火災を引き起こす可能性があるからだ。

「私は少し下の様子を見て参りますわ。荒れている妖怪が居たら止めなければなりませんし」
「では、拙者は門番に戻らせてもらうでござるよ」

 六花と涼はそう言いながら本殿を出ようとする。
 すると、門から人影が飛び込んできた。

「あ、見つけた!」
「門に居ないと思ったら、こんなところに居たのかい!」

 二つの人影は現れるなり涼の肩をがっちりと掴んだ。
 その人物に涼の顔から血の気がサッと引いた。

「す、萃香殿に勇儀殿!? 何故こんなところに!?」
「いや、だってまだ私達との勝負に決着ついてないでしょ?」
「それに、うちの連中もまたあんたに会いたがっていたからね。とりあえず、妖怪の山まで来てもらおうか?」

 以前愛梨と六花に連れ去られて以来、涼は度々妖怪の山に呼び出されることがあった。
 涼は大勢の鬼相手にボロボロになりながらも奮戦し、倒してきた。
 鬼達はその強さと不屈の闘志を甚く気に入り、将志ともども事あるごとに呼び出すようになったのだ。

「い、いや、拙者門番の仕事があるんでござるが!?」
「えー、こんな戦力過剰のところに門番なんて要らないよ。さあさあ、つべこべ言わずにちゃっちゃと来る!」
「と言うわけで、涼を借りていくよ!」

 二人の鬼は涼の左右を固めて腕を取り、逃げられないように拘束する。
 涼は抜け出そうともがくが、鬼の強い腕力で固められていては抜け出せるはずも無い。

「り、六花殿! 何とかならないでござるか!?」

 そこで涼は必死の形相で六花に助けを求めた。
 ここで連れ去られれば、再びズタボロになって帰ってくるのが目に見えているのである。
 六花はそれを見て、額に手を当ててため息をついた。

「……ここで断っても変わらないですわよ? どうせなら、早いうちに清算してしまったほうが楽ですわ」
「よし決まったね、さっさと行こう!!」
「あ、ちょ、六花殿ぉー!!」

 しかし、六花の無情の一言によって望みは断たれることになった。
 萃香と勇儀は嬉々として涼を連れて外に出て行く。

「生きて帰ってくれば文句は言いませんわよー!」
「あいよ!」

 段々と離れていく影に、六花はそう注意した。
 それに対して、勇儀が任せたと言わんばかりに返事を返した。

「殺生なぁー!!」

 空に、涼の悲痛な叫びが響き渡った。




 数日後、涼は杖を突きながら社に帰り着き、玄関先でバッタリと倒れているところを六花に発見されるのだった。



[29218] 銀の槍、招待を受ける
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 04:51
 将志達が朝の訓練を終えて食事を取っていると、突如として門の方角から轟音が響いてきた。
 それと同時に、一人の妖怪が本殿の将志のところに駆け込んできた。
 その妖怪は涼と交代で門番をさせていた妖怪で、戦っていたのかボロボロの状態であった。

「……何事だ」
「御大……鬼の客人です……対応をお願いします……」

 妖怪はそれだけ言うと気を失った。
 それを見て、将志はため息をつく。

「……またか……いったい誰だ?」
「ううっ……また拙者は連れて行かれるんでござろうなぁ……」

 憂鬱な表情を浮かべた涼がそう呟くと同時に、食卓に二つの人影がやってきた。
 その人影にはそれぞれ鬼の象徴である角が生えていた。

「やっほ~ お邪魔するよ、将志」
「相変わらず美味そうなもの食べてるねぇ。これ、もーらい!」
「ああっ、それは拙者の卵焼き!」

 勇儀は涼の皿から卵焼きを奪い、口にした。
 突然の暴挙に涼は反応できず、それを見送るしかなかった。

「あ、それじゃあ私はこれを……」
「へぇ……横取りしようってのか? 二本角の姉ちゃん?」

 萃香が菜の花の粕漬けを掠め取ろうとすると、その持ち主から紅蓮の炎が上がり始めた。
 アグナは鋭い目つきで簒奪者を睨みつけ、身に纏った炎で威嚇する。
 そのあまりの気迫と熱気に、萃香は思わずたじろいだ。

「うっ……じゃあこっちもらうよ!」
「あっ、それも拙者の!」

 萃香は標的を変更して涼の粕漬けを奪い去った。
 その後も、萃香と勇儀は絶妙なコンビネーションで涼から次々とおかずを奪い去っていった。
 その結果、涼に残ったのは白米だけという散々な有様となった。

「ううっ……あんまりでござる……」
「……後で好きなもの一品作ってやるから泣くな。お前達も、人の食事を横取りするものではないぞ?」
「まあまあ、硬いことは言いっこなしだよ」
「そうそう、ケチケチしない!」

 将志の注意を二人の鬼は笑って受け流す。
 その様子を見て、将志はため息をついて首を横に振った。

「……そうか、せっかく来たのだから何か一品作ろうかと思ったのだが、要らないのだな」
「ちょっと待ったぁ! 食べる、食べます!」
「そういうことは早く言ってくれないかい? そのせいで涼のおかずがいくつか犠牲になったじゃないか」

 将志の一言に、鬼達は一気に態度を変えて取ったおかずを涼に返した。
 しかし、もう既にその大部分が二人の腹に収まっており、残っているのは微々たる量であった。

「くぅっ……抜け抜けとよくも……」
「……やれやれ、だ」

 がっくりと肩を落とし恨めしげに鬼達を眺める涼を見て、将志はため息をつくのだった。






「ん~、美味い! 相変わらず酒によく合う料理だね!」
「ホントにね。うちの奴らの中にこれくらい作れる奴が居りゃあ良いんだけどなあ」

 将志が作ってきた料理をつまみながら、萃香と勇儀は酒を飲む。
 そんな二人に、将志は話しかけた。

「……それで、わざわざここに酒を飲みに来たわけではあるまい?」

 将志がそういうと、二人は顔を見合わせた。

「あれ~? そうだっけ~?」
「ああ、そういえばそうだったね。今日は招待状を届けに来たんだった」

 勇儀はそういうと、折りたたまれた紙を取り出して将志に渡した。
 紙には妖怪の山で宴会を開く旨が書かれていた。

「……招待状?」
「あぁ。丁度ここに居る面子全員に妖怪の山への招待状さ。ま、無理に来いとは言わんけどね」

 その言葉を聞いて、涼は安堵のため息をついた。

「そういうことなら、拙者は門b」



「ただし、涼!! アンタは強制よ!!」
「ただし、涼!! あんたは強制だ!!」



「な、何故でござるかぁー!?」

 しかし鬼達の無情の一言により涼の思惑は崩れた。
 その理不尽な仕打ちを嘆く涼を無視して、萃香は他の面子に声をかけた。

「それはともかく、みんな来るの~?」
「おう! 面白そうだし、俺は行くぜ!!」
「私も行きますわ。またアグナやお兄様に余計なこと吹き込まれては堪ったものじゃありませんもの」
「僕も行こうかな♪ きっと楽しくなると思うしね♪」
「……特に断るような理由も無い。その招待、受けるとしよう」

 萃香の問いかけに、全員が参加の意を示した。
 それを聞くと、二人の鬼は笑顔を浮かべた。

「よ~し、そうと決まれば早速行こう!」
「さあ、早く準備をしな!」
「…………」

 これからの宴が楽しみでしょうがないといった様子の鬼達の後ろで、こそこそと離れていこうとする影が一つ。
 涼は鬼達から逃げ出そうと気配を消して本殿の奥に歩いていく。




「逃がさないよ!!」
「逃がすと思ったのかい!!」




 しかしまわりこまれてしまった!

「うにゃああああ! は、放すでござる!」
「嫌だね♪」
「嫌なこった♪」
「行きたくないでござる! 絶っっっ対に行きたくないでござる! はーなーせぇー!!」

 萃香と勇儀は涼の両脇をしっかりと固めて逃げられないようにする。
 そして楽しそうに無理矢理引きずって空へと飛び上がった。

「……さて、涼が悲惨な目に遭う前に俺達も行くとしよう」
「きゃはは……そうだね♪」

 それを見て、将志達は苦笑いを浮かべながら後を追うのだった。






 妖怪の山に着くと、そこにはたくさんの食材が並んでいた。
 食材の状態で並んでいるのは、どうやら料理好きの将志に対する配慮のようであった。

「皆さん、ようこそいらっしゃいました。今日は宴の席を設けましたので、どうか楽しんでください」

 全員が地上に降り立つと、伊里耶は恭しく礼をした。
 将志はそれに対して返礼すると、早速食材のほうへ眼を向けた。

「……ふむ、では早速準備に取り掛かるとしよう。アグナ、頼んだぞ」
「へへっ、任せろ兄ちゃん」

 将志に頭を撫でられ、アグナはくすぐったそうに笑って答える。
 そして愛梨の大玉から携帯式厨房を取り出し、設置する。
 そうしている間に、愛梨が前に立って全員の注目を集めた。

「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい♪ 宴会には料理が付き物、でもただ用意するだけじゃつまらないよね♪ そんなみんなに、ちょっと変わった料理を見せるよ♪ 料理の神様の曲芸料理、見ないと絶対損するよ♪ さあ、将志くん、アグナちゃん、一丁思いっきり頼むよ♪」
「おう、任せろってんだ!!」
「……行くぞ」

 愛梨の口上でアグナは気合を入れ、将志は銀の槍の布を解く。
 将志は食材を眺めると、その一つに槍を突き刺した。

「……ふっ」

 掛け声と共に銀の線が幾重にも走る。
 宙に浮いた食材はその度に銀の槍によって刻まれ、形を変えていく。
 その槍捌きは観る者が黙り込むほど華麗な槍捌きであった。

「……アグナ」
「おうよ!!」

 その最中に、アグナは設置されている三つのかまどに火を入れ、火を調節する。
 その上にはそれぞれ中華鍋が設置されており、将志は片手で槍を振り回しながら油を引く。
 それが終わると、刻んでいた食材を三つの鍋に入れて炒め始める。
 なお、この状態で三つの鍋の中身は違うものであり、それぞれ別の料理になるようになっている。
 三つの鍋を交互に振るたびに食材が宙を舞い、見ていて飽きない料理風景であった。

「……ふっ、はっ、そらっ」

 味付けを終えて十分に火が通ると、将志はその三つの鍋を順番に振り上げた。
 鬼達は何が起こっているのか良く分かっておらず、呆然と将志の行動を眺めていた。

「……まずは三品、存分に味わうといい」

 将志がそういった瞬間、宴会場に置かれた皿に次々と料理が降ってきた。
 突如目の前に現れた料理に、鬼達は唖然とした表情を浮かべる。
 そしてしばらくして、観衆から拍手と歓声が上がった。

「……次だ」

 それを確認すると、将志は素早く次の品を作り始める。
 次に作り始めたのは饅頭。
 その生地をこねる際に、将志は様々な形で放り投げることでパフォーマンスを行う。
 生地の中に肉や野菜を空中で素早く詰め、次々に蒸し上げていく。
 蒸している最中にも饅頭を作り、出来次第蒸篭に入れて蒸していく。
 そして蒸しあがると、将志は観客席のほうを見た。

「……少し味見をさせてやろう」

 将志はそういうと、目にも止まらぬ早業で饅頭を投げた。

「あむっ?」
「むぐっ?」

 その饅頭は少し離れたところで酒を飲んでいた萃香と勇儀の口にすっぽりと収まった。
 二人は訳も分からないままその饅頭を咀嚼し、呑み込んだ。

「んっく、今何が起きたの?」
「さあ……突然饅頭が口の中に飛び込んできたみたいだけど……」

 二人はそう言って将志の方を見た。
 すると、将志はありとあらゆる方向に饅頭を投げ飛ばし、次々と口の中に放り込んでいたのが分かった。

「……さて、このあたりで一笑いさせてもらおう」

 ふと、将志はそう小さく呟いた。
 そして、手元にあった饅頭を投げ飛ばした。

「んぐっ……」

 投げ飛ばされた饅頭は萃香の口に納まった。
 萃香はしばらくそれを咀嚼していたが、段々と動きが遅くなり、そして止まった。

「……萃香?」

 様子がおかしいことに気がついた勇儀が萃香の顔を覗き込む。
 萃香の顔は真っ赤で、何かを耐えるような表情を浮かべていた。

「~~~~~~~~っ、ひーーーーーっ!! 辛ひ、辛ひよ!!!」

 そして次の瞬間、萃香は口から盛大に火を吹いて飛び跳ねた。
 将志が投げたのは、食べた瞬間猛烈な辛さが口の中に広がる饅頭だったのだ。

「あっはっは! なかなか面白いことをするねえ将志は、んむっ!?」

 勇儀は大騒ぎする萃香を見て腹を抱えて大笑いしていたが、その口の中に饅頭が飛び込んできた。
 そしてそれをかじると、舌がしびれて頭を突き抜けるような強烈な刺激を感じた。

「うぐうううう!? すっぱい! 痛い! 頭に来る!!」

 火を噴きながら飛び跳ねる萃香の横で、今度は勇儀が頭を抱えて転げまわる。
 鬼達は四天王の普段では考えられない醜態を見て、大笑いをしていた。

「おやおや、どうやら将志くんの悪戯に掛かっちゃったみたいだね♪ みんな、気をつけて♪ 将志くんの悪戯は誰にくるか分からないよ♪」

 その様子を見て、愛梨が笑いながら周囲に注意を促した。
 その瞬間鬼達は身構えたが、それよりも早く将志は行動に出ていた。

「……それっ」
「はむっ?」

 将志が投げた饅頭は伊里耶の口に入ることになった。
 その瞬間、鬼達は口の中が大惨事になっている二名以外静まり返った。
 伊里耶は少し冷たい饅頭をかじった。
 するとゼラチン質が広がり、口の中でとろけた。
 伊里耶の口の中では、そのゼラチンの優しく繊細な甘みが広がっていった。

「あら、口の中でとろけて……甘くておいしい……」

 伊里耶はその味にウットリとした表情を浮かべた。
 それを見て、鬼達は一斉に胸をなでおろした。
 しかし、それを見て黙っていない者が居た。

「ほら~~~~っ!! はあはんらへひいひふるはーーーーーー!!(訳:こら~~~~っ!! 母さんだけ贔屓するなーーーーーー!!)」
「く~~~~~っ!! 私らだけこんな目にあうのは不公平じゃないかい!?」

 萃香は火を噴きながら、勇儀は額を叩きながら将志に猛抗議した。
 両者とも涙目であり、今の状態がとてもつらいということが見て取れた。

「はっはっは、日頃の行いという奴でござるぐっ!?」

 それを見て、心底愉快そうに涼が笑うが、その口に飛んでくる一個の饅頭。
 それを噛んだ瞬間、口の中に想像を絶するような苦味が走った。

「うええええ、苦い、苦いでござるよお師さん!!」

 涼は口を押さえながらその場で悶絶する。
 あまりの苦さに錯乱しているのか、その場でオロオロしている。

「あはははは! ほれみろ!」
「あっはっは! いいねえ、最高だよ、将志!!」

 そんな涼を見て、萃香は炎を吐きながら大笑いし、勇儀は頭と腹を押さえながらその場を転げまわった。
 率直に言って、この三人の周りだけがカオスな状況に陥っていた。

「……随分と面白い反応をするな」

 将志はそれを見てわずかに口元を吊り上げた。
 そんな将志に、愛梨が苦笑いをしながら大げさに注意をした。 

「もう、将志くん! 悪戯が過ぎるよ! しょうがないなあ、ここからは悪戯好きな将志くんに代わって、僕がみんなを笑顔にしてあげるよ♪」

 愛梨は声高らかにそういうと、大玉の上に飛び乗った。
 鬼達の視線は一気に愛梨の元へと集まる。
 それを確認すると、愛梨は手を大きく広げて口上を述べた。

「はい、みんなちゅうも~く♪ 今から僕がみんなを笑顔にしてみせるよ♪ 五つの玉の織り成す舞、とくとご覧あれ♪」

 愛梨はそういうと手にしたステッキを上に放り投げ、五つの玉に変えた。
 玉は愛梨の意のままに宙を舞い、愛梨自身もアクロバティックな動きをしながら玉を操る。
 そのどこか危なっかしくてコミカルな動きに、鬼達は沸きあがった。

「さあ、最後の仕上げだよ♪ ワン、ツー、スリー!」

 最後に愛梨は五つの玉を空高く打ち上げた。
 玉は最高到達点まで上ると、虹色の光を放つ大輪の花へと変わった。
 その場に居る全員がその花火に見とれている中、愛梨は落ちてくる黒いステッキを受け止める。

「はい、これで僕の演技は以上だよ♪ みんな、最後まで見てくれてありがと~♪」

 愛梨がそういって礼をすると、観客は惜しみない拍手を浴びせた。
 その表情は、一人残らず笑顔であった。
 そんな中、料理を終えた将志が伊里耶の隣にやってきた。

「お疲れ様、将志さん。あんなことが出来るなんて思いませんでしたよ」

 伊里耶はそう言いながら将志の杯に酒を注ぐ。
 将志はそれを受け取ると、ゆっくりと飲み始めた。

「……なに、長い時間生きてきて暇だったから覚えただけのものだ。練習すれば誰にでも出来るはずだ」
「そうなんですか?」
「……ああ。ところで、何故いきなりこんな宴会を開いたのだ?」

 将志は予てから気になっていたことを伊里耶に質問した。
 何故なら、わざわざ招待状まで作って呼び出した理由が分からなかったからであった。
 その瞬間、伊里耶の表情が少し影を帯びた。

「実はですね……私達、鬼は幻想郷を去ろうと思っているんです」
「……何故だ?」
「鬼は人間をさらい、そのさらった鬼を人間が退治する。私達は今までそうやって暮らしてきました。ですが最近の人間達は自らの報酬のためだけに、何もしていない鬼を罠に陥れて乱獲するようになりました。もう、鬼が暮らしていくには厳しい環境になってきたんです」

 その表情は子供達の将来を憂う母親の表情だった。
 鬼子母神である伊里耶にとって、ここに居る鬼は全て自分の子供のようなものである。
 その子供達が次々に卑劣な手段で倒されていくのを見るのは、どれほどつらいことなのであろうか?
 将志はその胸中を察することは出来なかった。

「……しかし、幻想郷から去るとして何処へ行くというのだ?」
「それは今度地獄が移転することで地底が空くので、そこに移り住むことになると思います。妖怪の一部を受け入れ、怨霊を地底に抑え込む役目を担うことを条件に管理者にもう話をつけてあります」
「……そうか。ということは、いずれ俺のところにも紫から話が来るのだろうな」
「はい……もう、こうやって地上でみんなで宴会を開ける機会は僅かしかありません。ですから、今日は皆さんと、将志さん達と楽しもうと思ってお誘いしたんです」
「……そうだったのか……」

 将志はそういうと、会場に眼を向けた。
 そこでは、戦い好きの鬼達が愛梨達を相手に勝負していた。

「へっへ~! まだまだ甘いぜ、兄ちゃん達! 俺はまだまだやれるぜ!!」

 アグナは自由自在に炎を操り、鬼達を近づかせることなく焼いていく。

「全く、鬼が調理道具に負けてどうするんですの? もう少ししっかりしなさいな」

 六花は近づいてくる鬼の手をすり抜け、鮮やかな包丁捌きで相手を制していく。

「キャハハ☆ 楽しんでもらえたかな? それじゃ、ゆっくり休んでね♪ さて、次のお客さんは誰かな?」

 愛梨は四方八方から変則的な弾幕を張り、軽い身のこなしで相手の攻撃を避けながら倒していく。
 鬼達は掛かっていった者が敗れるたびに次々と挑戦していく。

「くっ、見た目の割りに何て強さだ!」
「噂には聞いていたが、銀の霊峰は化け物ぞろいだな!」
「だが、だからこそ挑み甲斐があるってもんよ!」

 そんな底知れぬ強さの三人に、鬼達は闘志を燃やす。
 宴会場はいつしか闘技場と化し、あちらこちらで戦いが始まっていた。

「なあ、涼! 久しぶりに私と勝負しないかい!?」
「勇儀殿、この場にはお師さんをはじめとして拙者なんかよりも強い者が四人も居るんでござるが?」
「そりゃあ、強い奴と戦うのも良いさね。でもね、実力が伯仲している相手と戦うのも勝負が見えなくて面白いのさ!」

 そう言いながら勇儀は涼に殴りかかる。
 涼はそれを足捌きを使って回避し、手にした十字槍で反撃する。

「っと、そうは言っても拙者は勇儀殿や萃香殿には負け越しているでござるよ!」
「それでも、私に勝てないわけじゃないだろ? 全身ボロボロになりながらもその槍の誇りのために立ち向かってくる、そんなあんたは羨ましいくらい綺麗だよ!」
「くっ、それは光栄でござるな!」

 涼と勇儀はそう言い合いながらお互いに一歩も譲らぬ白熱した攻防を続ける。
 それを見て、小さな鬼が不満の声を上げた。

「あーっ! 勇儀ずるい! 私も涼と戦おうと思ってたのに!」
「なに言ってんだい、早いもんがちさ! それに、私が終わってからやればいいだろうさ!」
「あーもう、次は私の番だからね!」

 戦いを楽しむ勇儀に対して、萃香はふてくされた様にそう言い放った。
 それらの光景を、将志と伊里耶は一段高い位置から見渡していた。

「……皆、楽しんでいるな」
「ええ、そうですね。今日は来て下さって感謝してますよ」
「……いや、俺も楽しませてもらっている側だ。感謝されるものではない」
「ふふっ、それは良かったです。……ところで、こうしてみてると私達も踊ってみたくなりませんか?」

 伊里耶は期待に満ちた表情で将志にそう語りかける。
 それを聞いて、将志は杯の酒を一気に飲み干した。

「……ふむ、久々に一戦やるか?」
「はい。お手柔らかにお願いしますよ?」
「……お前相手では、それは保障しかねるな」

 そういうと、二人は闘技場と課している宴会場へと降りていった。





「はぁ……やっぱりお強いですね、将志さん」

 しばらくして、将志と伊里耶は元の席へと戻ってきた。
 伊里耶は将志の腕を抱いており、寄りかかる格好で歩いてくる。
 どうやら、此度の勝負は将志が制したようである。

「……とは言うものの、差としては紙一重なのだがな。俺は年月こそ長く生きているが、種族としては同じ神でも元が鬼であるお前に対して、ただの槍であった俺は大きく劣るのだ。この槍にこもった執念が薄ければ、今頃俺はこうはなっていなかったであろう」
「その年月の差は、貴方が思っているほど軽くはありませんよ。天魔さんの言うとおり、貴方が長い年月をかけて培ってきたものは神すら超えてしまうんですから」
「……その神を超えた者にあっさり勝利する者の言葉ではないな」
「本当に、天魔さんはどうやって貴方に勝ったんでしょう? いくら考えても分かりません」
「……さあな、俺もその答えが分からないのだ。何しろ、いつも気がついた時には地に臥しているのでな」

 将志と伊里耶はそう言いながら少し考え込んだ。
 将志も伊里耶も、天魔がどのようにして将志を倒したのかを教えられていないのだ。
 
「……将志さん」
「……何だ?」
「私、やっぱり貴方の子供が欲しいです」
「なっ!?」

 唐突に告げられた一言に、将志は絶句した。
 それに構わず、伊里耶はその理由を述べる。

「私が地底に行ってしまえば、将志さんが私に会いに来る事は出来なくなります。そして私もそう簡単に外に出られるとは限りません。ですから、貴方との繋がりが欲しいんです」
「し、しかしだな……」

 将志はかつてこの手の話題で大恥をかいたため、若干トラウマと化している。
 それゆえに、当時の恥を思い出して将志の顔は赤く染まった。

「ふふっ……赤くなっちゃって……可愛い人ですね、将志さん。大丈夫ですよ、貴方と私の子なら、きっと強い子が生まれてきますよ」
「いや、そういう問題ではなくてだな……」
「……ああ、そういうことですか。それも問題ありませんよ。何て言っても、浮気は男の甲斐性ですから。別に流されたってばれなければ良いんです。もっとも、ばれても私は気にしませんけど」
「ええい、そういう問題でも……」
「……恥ずかしいのは最初だけですよ? 一度嵌ってしまえば、後は堕ちていくだけです。心配しなくても、私が一緒に堕ちてあげますよ」

 伊里耶は将志の言葉をことごとく遮りながら、耳元でやたらと色っぽい声で囁き続ける。
 それは将志のトラウマを深く刺激するものだった。

「…………」

 そこで将志は伊里耶の言葉を聞き流すべく、眼を閉じて黙想を始めた。
 将志の精神はこれによって静められ、段々と穏やかな心を取り戻していく。

「……うっ!?」

 しかし、首筋に感じた生ぬるい感覚によって将志の精神は呼び戻された。
 伊里耶が将志の黙想を妨害すべく首筋を舐めたのだ。

「瞑想なんてさせませんよ。悟りの境地にいる将志さんを堕とすのは簡単ではないですけど、じっくり時間を掛ければ堕とせない訳じゃないはずですから」
「そうは言ってもだ、そもそも現時点で性欲というものを感じていないのだからっ!?」

 将志が無理矢理逃げようとするのを、伊里耶は口づけを持って封じる。
 それは相手の心をかき乱すような、甘いものであった。

「……はい、それは生物として異常です。ですから、私が正常に戻してあげるんです。さあ、見つからないうちに母屋へ「誰に見つかると不味いのかな♪」……あら」

 伊里耶が将志の腕を抜けられないように極めながら母屋に向かおうとすると、横から声が掛かった。
 そこには、笑顔を湛えた愛梨の姿があった。
 しかし、その笑顔からはとてつもない威圧感が感じられ、周囲の温度が数℃下がった。

「い~り~や~ちゃん? 無理矢理迫るのはちょっとおかしいんじゃないかな~♪」
「でも、このままじゃ将志さんは永遠に堕ちませんよ? ここは一回強い衝撃を与えて……」
「だからってこんなの……」
「ああ、そうです。どうせなら一緒に将志さんを堕としてしまいませんか?」
「ゑ?」

 伊里耶の突然の提案に、愛梨は眼を点にした。
 そんな愛梨に対して、伊里耶は更に語りかける。

「分かりますよ? 貴女の視線、恋する乙女の視線ですもの。この際ですし、将志さんに迫って意識させてみてはどうですか? 見たところ、将志さんはここに居る人達を異性として見てはいない様ですし」
「え、えっと……」
「怖がる必要はないんです。何故なら、将志さんは貴女に対して確実に好意を持っています。それも、絶対の信頼ともいえるものを。仮に失敗しても、将志さんの性格上大した痛手にはならないと思いますけど」

 動揺する愛梨に伊里耶は一気に畳み掛ける。
 その悪魔のささやきに心の隙を突かれ、愛梨の心は激しく揺れていた。

「……僕でも、大丈夫なのかな?」

 愛梨は俯いたまま、ポツリと呟いた。
 その声は震えていて、何者かに対する恐怖が含まれていることが分かる。
 そんな愛梨の頬をそっと撫でながら、伊里耶は語り続ける。

「ええ、大丈夫ですよ。見ていると、貴女は身を引きすぎていて歯がゆいですよ?」
「(……何やら風向きが怪しい気がするな……)」

 一方、将志は何やら不穏な気配を感じていた。
 助けに来たはずの味方が、どうにも丸め込まれそうな気がする。
 将志の頭の中では、激しく警鐘が鳴らされていた。

「…………」

 将志は冷静に己の現状を把握した。

 単独での脱出……右腕を完膚なきまでに固められており不可能
 伊里耶または愛梨の説得……伊里耶は無理、愛梨は伊里耶の話を聞いており、こちらの話を聞くか不明
 更なる援軍の要請……涼は不可、アグナは悪化の可能性あり、六花は現在の戦闘が終われば望みあり

 まだ投了には早い様である。
 将志は何とかして一番確実性のある六花への連絡方法を模索することにした。

「……む?」

 が、突如首に重みを感じて思考の海から己が意識を引き上げた。

「……将志くん」

 すると目の前には、潤んだ瑠璃色の瞳で己が瞳を見つめる愛梨の姿があった。
 愛梨は将志の首に腕を回しており、将志の顔を引き寄せる。

「……んっ」

 そして、愛梨の桜色の唇がそっと将志のそれに触れた。
 その瞬間、愛梨は弾かれたかのように将志から距離をとった。

「い、今はこれが精一杯なんだ♪ でも、これから頑張るから!!」

 愛梨はそういうと一目散に逃げ出していった。
 将志は訳が分からないままそれを見送る。

「ふふふっ……初々しいですね、愛梨さん」
「……むぅ」

 とりあえず、自分の周囲が何やら面倒なことになっていることにようやく気がついた将志であった。

「さあ、将志さん。早く母屋に「母屋に何をしに行くつもりですの……?」……駄目でしたか」

 その後、将志は無事に六花の手によって救出された。




 将志が伊里耶に迫られて大弱りしていた頃、その脇では未だに戦闘が行われていた。

「シッショー!!」

 勇儀の拳が突き刺さり、涼は豪快に吹っ飛ぶ。
 何回か地面で弾んだ後、ぐったりと横たわるのだった。

「ふう、危ないところだった。もう少しで負けるところだったよ」

 勇儀はそう言いながら額に浮かんだ汗を拭った。
 勇儀の身体にも涼の十字槍が掠めていて、所々に切り傷が見受けられた。

「あーあ、涼ってばまたボロ雑巾みたいになっちゃって……こりゃ私との勝負は明日以降に持ち越しか~」
「そうさね。まあ、将志に頼めばまたしばらく貸し出してくれるさ」

 萃香はそう言って、地面に転がっている涼を突っついた。
 その言葉に、勇儀は笑顔で言葉を返した。

「うう……また負けたでござる……」

 涼は起き上がると、沈んだ声でそう呟いた。

「まあ、そんなに気を落とすことはないよ。一介の幽霊が鬼の四天王と一対一で勝負できるだけでも十分凄いんだから」
「でも、お師さんに教えを受けている以上、負けたくはないんでござるよ」

 肩を軽く叩いて慰めの言葉をかける萃香に、涼はそう言って答えた。
 その言葉に、勇儀は感心したように頷いた。

「健気だねぇ……本当に良い女だよ、あんた」
「……良い女といえば、涼って何気に良い身体してるよね」

 萃香はそう言いながら戦装束に身を包んだ少女の身体を眺めた。
 その体つきは健康的で、女性特有のしなやかさが感じられる体つきであった。

「確かに……おまけに肌も綺麗だし、戦いに身を置いていたとは思えないね」

 勇儀はそう言いながら涼の頬を指で撫でた。
 その肌はすべすべとした感触で艶やかであり、押すと程よい弾力を持って指を押し返してくる。

「現に泥まみれでも傷だらけでも何だか綺麗に見えるし……」
「この泥落としたら、いったい何処まで綺麗になるんだろうね?」
「あ、あの……何の話でござるか?」

 急激な話題の変化についていけず、涼は二人にそう問いかけた。



「一緒にお風呂に入ろうよ!」
「一緒に風呂に入ろうか!」



「ど、どういう脈絡でそういう話になるんでござるか!?」

 突如として発せられた二人の言葉に、涼は思わずそう叫んだ。
 すると二人の鬼は何を言っているんだと言わんばかりの表情で顔を見合わせた。

「え~? 身体動かした後に水浴びやお風呂に入るのはおかしくないでしょ~?」
「それに、たまには女同士裸の付き合いも悪くはないさね!」

 そう言いながら萃香と勇儀は涼に近寄ってくる。
 その様子を見て、涼は思わず後ずさった。

「お二人と一緒に入ることに危機感を感じるんでござるが!?」
「ま~ま~、そう言わずにさ~」
「別に見られたって減るもんじゃなし、いいじゃないか」
「ひゃうん!? ど、どこを触っているでござるか!」

 横に張り付いてセクハラまがいの行為をする二人に、涼は顔を真っ赤にしてそういった。
 しかし、それに対して鬼達は意地の悪い笑みを浮かべた。

「ん~? 洗いっこするんだからこんなもんじゃ済まないんだけどね~?」
「そうそう。まあ、そういう反応があるのも面白くていいけどね!」

 そう言いながら萃香と勇儀は涼の身体のあちらこちらを撫で回した。
 それに対して、涼は身じろぎをしながら抵抗する。

「ぴぃ!? あ、あっちこっち変なところを触らないで欲しいでござる! しまいには怒るでござるよ!」

「キャーリョウチャンコワイー」
「キャーリョウチャンコワイー」

「ば、馬鹿にしてるんでござきゃうっ!?」

 セクハラに怯んだ隙を突いて両脇を素早く固める鬼達。
 例によって例のごとく腕をがっしりと捉えられていて抜け出すことが出来ない。

「よ~し、この調子で連行するよ、勇儀!」
「おうともさ、萃香!」
「は、放すでござる! はあうっ!?」

 連行中に脱出しようともがく涼に、二人は再びちょっかいをかけて黙らせる。

「往生際が悪いよ、涼!」
「たかが風呂に入るだけだ、そんなに暴れるな!」
「いーーーーーーーやーーーーーーーーー!!」

 涼の悲痛な叫びは誰にも聞き入れられず、二人の悪鬼によって連行されていった。




 宴会が終わって将志達が帰った翌日、涼は何か大事なものを失ったような表情を浮かべ燃え尽きた状態で戻ってきたと言う。



[29218] 銀の槍、思い悩む
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 04:59
 マヨヒガの上空に銀の雨が降り注ぐ。
 その中を潜り抜けるように、黄金に輝く九尾を持つ女性が空を飛んでいる。

「……こっちだ」

 その前方には銀の髪の男。
 男は右へ左へとふらふら飛びながら弾幕を敷いていく。
 その速度は速すぎず遅すぎずと言った絶妙な塩梅で、追ってくる女性がじわじわと追いつけるような速度であった。

「くっ……追いつけないか……」

 女性はなかなか追いつけない標的を前にして、そう呟いた。
 その瞬間、彼女に銀の槍が突き刺さった。

「あうっ!!」

 槍を突き立てられた女性は、真っ逆さまに地面に向かって落ちていく。
 その落ちた先には先程の銀髪の男が立っており、落ちてきた彼女を受け止めた。

「……少々諦めるのが早すぎるのではないか、藍」

 男は腕の中に納まっている藍に向かってそう声をかけた。

「全く、お前には念力でもあるのか? まるで私の心を読んでいるみたいだぞ、将志?」

 それに対して、藍は苦笑しながらそう答えた。
 藍には将志の加護が付いていて、先程の槍による怪我はなかった。

「……このような場では心と言うものは意外と分かりやすく出るものだ。今のお前の姿勢には、諦めが含まれていたぞ」
「しかし、わかってはいても難しいものだな。あれだけ長い時間追い続けても捕まえられないと、流石に心が折れそうになる」

 現に藍は将志をもう四半刻ほど追い続けていた。
 その時間全力を出し続けると言うのは、かなりつらいものがあった。
 将志はそれを聞いて考え込んだ。

「……だが、俺はお前が全力を出せば追いつける速度で飛んでいる。それでも追いつけないと言うことは、まだどこか動きに無駄があるということだ」
「む……動きの無駄は随分と減らしたはずなのだが……」
「……だとするならば、足りないのは自信や度胸といった類のものだ。自信を持てぬものに、俺を捉えることなど出来ん。俺を捕まえたくば、自分を信じろ」

 将志は藍の動きを思い返しながらそう言った。
 実際、藍は初期に比べると随分と動きに無駄は無くなっていた。
 それでも追いつけないと言う事態を、将志は心因性のものと結論付けたのだった。

「そうか。では、もう一度頼む」
「……いいだろう。来るがいい」

 そう言って、再び空の弾幕鬼ごっこが始まった。





「はぁ……はぁ……」
「……こんなところか。惜しかったな、藍」

 訓練が終わり、二人は縁側に座って休憩を取る。
 全力で飛び回っていた藍は、床に伸びている。
 そんな藍に、将志は柑橘類を搾って作ったジュースを差し出した。
 藍はそれを受け取ると、ゆっくりと飲み始めた。

「……はぁ……あと少しだったのだがな……まさかそこで上からやられるとは思わなかったよ」
「……戦いと言うのは最後までわからないものなのだ。そして、勝利間近の時こそ一番隙が出来る。故に、最後の詰めこそ最も慎重かつ大胆になるべきなのだ」
「難しいことを簡単に言ってくれるな……とも思ったが、言ったのがお前だとものすごい説得力だな」

 将志はどんな状況でも一発喰らっただけで即終了なのである。
 故に、将志の発言の説得力は非常に高かった。

「しかし、接近戦に遠距離戦、短期決戦に持久戦……将志が私に求めているものが分からないな」
「……無論、俺はその全てを求めている」

 将志はそれが当然という様にそう言った。
 それを聞いて、藍は頭をかきながらため息をつく。

「……それはまた、随分と厳しい注文だな。どれか決まった目標があったほうがやりやすいと思うが?」
「……たとえば、お前は愛梨に持久戦では勝てないし、接近戦では六花に負け、短期決戦を持ち込めばアグナに畳み込まれるだろう。さて、これを聞いてお前はどうする?」

 将志の言葉を聞いて、藍は少し考えた後にうなずいた。

「ああ、そういうことか。つまり、相手の土俵に立たせない事が目的なのか」
「……そういうことだ。前に戦って分かっただろうが、愛梨は短期決戦に持ち込もうとすると崩れやすいし、六花は遠距離を苦手としている。勝つためには、そこを突くのが最も効率がいいわけだ」
「そこでどんな相手でもどこかで勝れるように今は鍛えているわけだな?」
「……そういうことだ。もちろん、一本槍の戦い方が悪いとは言っていない。それならそれで、自分の得意分野に持ち込むことが出来れば勝つ可能性は多分にあるからだ。戦い方はそれぞれ。俺の特訓だけに拘らず、自分の得意な戦い方を見出してみることだ」
「自分の得意分野か。そうだな、考えてみるとしよう」
「……それがいいだろう。さて、日も高くなったことだし、昼飯にするとしよう」

 将志はそういうと立ち上がり、台所へ向かおうとする。
 藍はそれを見て、空を見上げた。
 青空には太陽が高々と上がっており、真昼の訪れを告げていた。
 そのまぶしさに、藍は眼を細めた。

「ん、もうそんな時間か。今日の献立は決まっているのか?」
「……いい山菜が手に入ったから、手早く天ぷら蕎麦にしようと思っている。お前が倒れている間に麺は打ったから、後は湯がいて天ぷらを揚げるだけだ」
「相変わらず仕事が速いな。何か手伝うことはあるか?」
「……特にはないな。出来るまで、これでも食べて待っていてくれ」

 将志はそういうと包みを取り出し、中から筍の皮の包みを取り出した。
 藍はその包みの中から漂ってくる甘い匂いを感じると、耳と尻尾をピンッと立てた。

「っ!? いなり寿司か!? ありがたくいただこう!!」

 藍は将志から受け取ると、早速包みを解いて食べ始めた。
 中に入っていたのは三角形のいなり寿司が三つであった。

「ああ……この噛んだ瞬間に口の中に広がる油揚げの甘みがたまらない……どれも美味いが将志のものは格別だ……」

 藍はいなり寿司を口にした瞬間、うっとりとした表情で味わう。
 尻尾はパタパタと振られており、とても嬉しそうである。

「……ふっ、喜んでもらえて何よりだ。では、手早く仕上げるとしよう」

 将志はそれを見ると少し微笑みながら台所に向かう。
 卵を冷水で溶き、小麦粉を入れてざっくり混ぜて衣を作り、山菜や海老などを油で揚げていく。
 その間にお湯を沸かし、熱湯で蕎麦を茹で、時間になればざるに空けて冷水で締める。
 それを特製のめんつゆに入れて暖め、ネギやミョウガを添え、天ぷらを見栄え良く皿に盛り付け抹茶塩を添えれば、かけ蕎麦と天ぷらの盛り合わせの完成である。

「……これで良し」

 将志は昼食が完成すると、縁側に居る藍を呼びに行く。
 すると、そこでは食べかけのいなり寿司を持った藍がなにやら考え事をしていた。

「……まだ食べ終わってなかったのか……というか、何をしている?」
「くっ……最後の一口……これで終わりかと思うと、勿体無くて、食べられない……」

 藍は真剣な表情で食べかけのいなり寿司を睨みながらそう言った。
 それを聞いて、将志は額に手を当ててため息をついた。

「……また作ってやるから、とっとと食え」
「本当か!? なら遠慮なく……」

 将志がそういった瞬間、藍は嬉しそうに笑いながら最後の一口を食べた。
 その後、一向は食事が用意された座敷に向かい膳の前に座った。

「……では、いただくとしよう」
「…………」

 将志が食べ始めるが、藍は目の前の料理をジッと眺めたまま食べようとしない。
 その様子に、将志は首をかしげた。

「……? どうした?」
「……くぅ……せめて、この余韻が消えるまでは……」

 藍は苦悶の表情を浮かべながら目の前の料理を眺め続ける。
 その様子を見て、将志は一気に脱力した。

「……俺の分を食後に出してやるから早く食え。伸びるぞ」

 その言葉を聞くと、藍はピクリと反応して将志の方を向いた。
 その表情は期待に満ちた表情だった。

「良いのか?」
「……ああ」
「そうか……なら蕎麦が伸びないうちに食べるとしよう」

 藍はそういうと、急いで蕎麦を食べ始めた。
 その勢いたるや、普段の食事速度の倍くらいの勢いがあった。

「……何という愛情だ……深すぎる……」

 将志はその様子を見て呆れ顔で額に手を当て、深々とため息をついた。
 油揚げに釣られてとんでもない失敗をしないかどうか心配し始めた時、藍が将志に声をかけた。

「ところで、将志は午後はどうするつもりなんだ?」
「……ふむ、書類仕事は大体終わっているし、さし当たってやることもない。道場破りも有名どころはあらかた制覇してしまったし……」

 将志の言葉を聞いて藍は呆気に取られた。

「道場破りって……お前は何をやっているんだ……」
「……ただの暇つぶしだ、他意はない」

 藍は目の前の戦神の破天荒な行動に頭を抱えて首を横に振った。

「戦神が暇つぶしで道場破りをしてどうするんだ……相手にならないだろうに」
「そんなことはない。次々と生まれる新しい流派の技を盗むのは楽しいものだ」

 将志は蕎麦をすすりながら、静かにそう語った。
 実際、将志は道場破りを行った相手の技のいい部分を盗み、自分なりに改良して使っているのだった。

「……まだ強くなるつもりなのか、将志?」
「……当然だ。俺は己のために、何処までも高みを目指し続ける。そのためならば、いかなるものでも飲み干して見せよう」

 将志は藍の問いにそう言って答えた。
 その眼には強さへの飽くなき探究心がはっきりと浮かんでいた。

「それで、話は戻るがこの後どうするんだ?」
「……どうしようか」
「何もすることがないのなら、たまにはここでゆっくりしていけばいい。紫様は居ないが、私でよければ話し相手になろう」

 藍がそういうと、考え込んでいた将志がふと顔を上げた。

「……そうだ、それならば少しばかり頼みたいことがある」
「頼みたいこと?」
「……ああ。少し待っていろ、すぐに戻る」

 将志はそういうと全速力で空へと飛び出していった。
 それからしばらくすると、風を切り裂きながら将志は戻ってきた。
 将志の手には、年季の入ったアコーディオンがあった。

「……待たせたな」
「将志、それは何だ?」
「……楽器だ。鍵盤を押しながらふいごを動かすことで音が出る仕掛けになっている。最近愛梨に勧められて練習を始めたのだが、なかなかに面白くてな。ある程度弾けるようになったから第三者の意見が欲しくなったのだ」
「それで私に聞いて欲しいと言うわけだな?」
「……ああ。頼めるか?」

 将志がそういうと、藍はにこやかな表情でうなずいた。

「ああ、いいぞ。将志がどんな演奏をするのか、期待させてもらうとしよう」
「……ありがとう。では、早速始めるとしよう」

 将志はそういうと鍵盤に手を掛け、演奏を始めた。
 アコーディオンは将志の手によって音楽を奏で始めた。

「……これは……」

 藍は将志の演奏に思わず聞き惚れた。
 時には重厚な音で、時には軽快な音で紡がれる曲は、藍の心に沁みていく。 
 いつしか、藍は音に抱かれているような感覚を覚えていた。

「……藍? 何故に泣く?」

 そして演奏が終わるころ、藍の眼からは知らずに涙がこぼれていた。
 将志の問いに、藍は涙を拭いながら答えた。

「いや……良く分からないが、聴いているうちに気がつけば流れていたんだ。何というか、心に直接語りかけてくるような曲だった」
「……そうか」

 将志はそれを聞くと、満足そうにうなずいた。
 そんな将志に藍は話しかけた。

「しかし、将志は本当に何でも出来るんだな。音楽で泣かされるとは思わなかったぞ?」
「……これに関しては違うと言っておこう。俺がここまで演奏が出来るようになったのはこの楽器のおかげだ」
「その楽器の?」
「……この楽器を見た時、正直俺は魅入られたようでな。そして手に取った瞬間、この楽器の前の持ち主の念が流れ込んできたような気がしたのだ」

 将志はそう言いながらアコーディオンを撫でる。 
 アコーディオンを見つめるその眼は、まるで友人に語りかけるようなものであった。

「……俺が鍵盤に指を置いた時、その思念が俺に弾き方を教えてくれた。理屈ではなく、身体と心にな。初めて愛梨の前で演奏した時はひどく驚かれたよ。『あの人と同じ演奏だ』とな」
「それじゃあ……」
「……ああ。俺はこの楽器を一人で弾いているわけではない。俺はこの楽器の持ち主と二人で弾いているのだ。故に、俺はその思念に答えるためにも演奏の練習を行っている」

 将志がそういった瞬間、藍は微笑を浮かべた。

「ふふっ、やはり将志は優しいな」
「……なんだ、いきなり?」
「既に居なくなって思念だけになった、しかも見ず知らずの者のためにそこまで出来る者はそうは居ない。それが出来るのだから、将志は十二分に優しいと思うぞ?」
「……そうか」

 将志はそう言って眼を閉じ、藍から顔を背けた。
 それは将志が照れ隠しの時に良くやる仕草であった。
 その様子を、藍は微笑ましいものを見る表情で眺めた。

「そうだ、せっかくだからもう一曲何か頼めるか? 今度は明るい曲が聴いてみたい」
「……いいだろう」

 そういうと、将志は再び演奏を始めた。
 今度の曲は軽快で聞いているだけで明るくなれるような曲であった。
 その後も、将志は藍のリクエストに応じて何曲も演奏した。
 藍はその曲を楽しそうにずっと聴いていた。



 こうして、二人だけの演奏会は夕暮れまで続いた。
 演奏が終わると、将志はアコーディオンを縁側に置いた。

「……こんなに長く演奏をしたのは初めてだな」
「ふふふっ、いい音色だったよ。また機会があったら聞かせて欲しいものだ」
「……ああ。こちらとしてもいい練習になる、ぜひそうさせてもらおう」

 二人はお茶をすすりながら話をする。
 藍は将志にぴったりと寄り添い、時折肩に頭を乗せる。
 その表情は幸せそうなものであり、穏やかな笑みを浮かべていた。
 将志はその行動に対して特に何も言うことはなく、彼もまた穏やかな時間を過ごしていた。

「将志、夕飯はどうするつもりだ?」
「……そうだな……主のところへ行こうかと思って断ってきたが、良く考えたら今日はそこの従業員達の休日で、俺が行くと緊張させてしまうのだ。かと言って今から帰っても食材の準備が間に合わんだろう。だからどうしようか考えていたのだが……」
「なら、ここで食べていくといい。紫様はスキマの中で冬眠をしていて私一人しか居ないから、話し相手が欲しい」
「……なるほど。そういうことならばそうさせてもらおう。夕食に注文はあるか?」
「特にはないが、一緒に作らせてくれないか? いろいろと教えて欲しいんだが……」
「……ふむ、そういうことなら問題はない。わからないことがあれば教えよう」
「ありがたい。それじゃあ、まずは材料を確認しよう」
「……ああ」

 二人は台所に移動すると、材料を確認した。
 材料はひとしきりそろっていて、色々と作れる量があった。

「これが今うちにある材料だが……何が作れる?」
「……ふむ……考えられる献立は何通りかあるが、どのようなものが食べたい? しっかり食べるか、それとも酒のつまみのようなものか?」
「そうだな……たまには酒を飲むのも悪くないだろう」
「……ならば酒のつまみか。ということは少し塩気の強いもののほうが良いか。では、作るとしよう」
「ああ」

 二人はそういうと、調理を始めた。




 食事が出来、将志と藍は酒を飲みながら料理に箸を伸ばす。
 二人はどんどん酒を飲んでいき、空の酒瓶がその場にいくつも転がっていた。

「ううっ……それで紫様ときたら、私が仕事が出来ると思ったら今年から冬眠する何て言い出して……」
「……まあ、一日の半分を寝て過ごすような奴だからな……」

 藍は酔った勢いで紫への不平不満を将志へとぶつける。
 将志はそれを淡々と聞きながら相槌を入れる。

「それからご褒美をあげるからと言われてついてきてみれば、スキマを開いて入浴中の将志の覗き見を」
「……一度紫とはそのあたりの決着をつけねばならんようだな……」

 藍の言葉を聞いて、将志は静かに拳を握り締めた。
 しかし、次の藍の一言で将志は一気に脱力することになる。

「まあ、あれは私としても眼福だったので良しとしよう」
「……おい」

 将志は恨めしげな視線を藍に向ける。
 それを受けて、藍は苦笑いを浮かべる。

「だとしても、冬の間私は何を楽しみにすればいいんだ!? 紫様が寝ている間の仕事は全て私に回ってくるし、この家の中には私しか居ない。うう、寒くて心細くて寂しい冬の夜を何度過ごしたことか!!」
「……苦労しているのだな……」

 将志はそう言いながら藍の頭を撫でる。
 それを受けて、藍は涙ぐんだ。

「ぐすっ……そうやって慰めてくれるのはお前だけだよ、将志……」
「……いや、良く頑張っているよ、藍は。この幻想郷の管理という仕事は決して楽ではないはずなのだからな」

 将志は優しく声をかけながら藍の頭を撫で続ける。
 すると、藍は突如熱のこもった視線を将志に向けた。

「……将志、抱き付いて良いか?」
「……藍?」
「今私はお前が愛しくて仕方がないんだ。今すぐ抱き付いてお前を感じたい。……駄目か?」

 そう言いながら、藍はジリジリと将志に這い寄っていく。

「……それくらいは別に構わないが……っと」

 将志がそういうと、藍は即座に将志に飛びついた。
 将志がそれを受け止めると、身体に両腕と九本の尻尾がきゅっと巻きついた。

「ふふふ……暖かいな、お前は」
「……お前の方が暖かいがな」
「そうか……ふふっ、もうこうやって抱きしめたまま眠ってしまいたいよ」

 藍は幸せそうに笑いながら将志の胸に顔をうずめる。
 それを受けて、将志は苦笑しながらため息をついた。

「……俺は抱き枕とは違うのだが……」
「ああ、違うな。抱き枕は私をこうまで惑わせはしない」
「……っ」

 藍は将志の頭を抱き寄せ、その耳を胸に押し当てた。
 突然のことに将志は驚き、為すがままの状態になる。

「……聞こえるか、私の鼓動が? お前と一緒に居るだけでこんなにも大きく速くなるんだぞ?」

 藍の鼓動はその言葉通りに脈打っており、興奮状態にあることが分かった。
 それを聞いて、将志は藍の胸に抱かれたまま質問を投げかけた。

「……それは俺が居なければ起きないものなのか?」
「そういうわけじゃない。お前に逢えない時も、将志のことを考えるだけでもこうなる。……いや、痛みを伴う分、こっちのほうが遥かにつらいな」
「……苦しくはないのか?」
「苦しいに決まっているだろう? そして、それを静められるのは将志だけだ」

 藍はそう言いながら将志を抱く腕の力を強める。
 その吐息は切なげで、見た目にも苦しそうであった。
 そんな藍に、将志は少し考える。

「……そうか。それで、俺は何をすればいい?」
「……欲を言えば色々として欲しい事はある。だが、それは私が口にするべきことじゃない。だから、お前はただ私に身を任せてくれるだけでいい」
「……っ」

 藍は将志を顔を持ち上げ、唇を合わせた。
 将志は藍の言うとおりに身を任せ、素直にそれを受け入れる。

「……はあっ……はあぁ……」

 しばらくして唇が離れると、藍の顔は紅潮し、呼吸は荒くなっていた。
 その様子を見て、将志は藍の顔を覗き込んだ。

「……大丈夫か? 呼吸まで乱れてきているが……うんっ?」

 すると、藍は再び将志の唇を奪う。
 少しの間そうした後、藍は将志の頭をぎゅっと抱え込んだ。

「……すまない……今日の私は少しタガが外れているようだ。もう自分を自分で止められそうにないんだ。……少し、激しくなるぞ」
「……藍? むぅ!?」

 藍は狂ったかのように将志の唇に吸い付き、舌をねじ込む。
 将志は豹変した藍に驚きつつ、なおもその身を預け続けた。

「んっ……頼むから、気を失わないでいてくれ……そうなったら、今の私はどこまで行くか分からないんだからな……」

 口が離れるたびに銀の糸を引き、それが切れるまもなく再び藍は将志の唇をむさぼる。
 巻きついた尻尾は将志の身体を這い回り、服の中を撫で回す。
 その尻尾は段々と将志の胴衣を剥ぎ取っていき、胸板が露出し始める。

「……ああ、駄目だ。本当に止められない。なあ、お前はどうなんだ?」

 藍はそういうと将志の胸に耳を置いた。
 その瞬間、激しく動いていた尻尾がその動きを止めた。

「……なんだ。私がこんなに苦しくても、こんなに求めても、お前はこんなに穏やかなのか……」

 将志の鼓動はいつもと変わらぬ調子で脈を打っていた。
 藍の態度の変化についていけず、将志は首をかしげた。

「……藍?」
「……すまない。少し熱くなりすぎていた。一人で勝手に舞い上がって、馬鹿みたいだな、私は」

 そう言いながら、藍は将志から身体を離した。
 その表情は自嘲するような、悲しみを感じられるような表情であった。

「……藍。一つ聞かせてくれ。お前も愛梨も、そして主も皆が俺を求めてくる。だが、俺は何故皆が俺を独占的に求めようとするのかが分からない。何故身体の繋がりを求めるのかが分からない。藍、俺は何かおかしいのだろうか?」

 将志は藍に自分が抱いた疑問をぶつけた。
 その表情は苦悩に染まっており、理解できないことを必死で考えていることが分かった。
 それを見て、藍は将志がどんな状態にあるのかを理解した。

「そうか……将志は恋というものが分からないのだな……」
「……恋の概念なら理解しているつもりだが……」

 呟くような藍の言葉に、将志は首をかしげた。
 それに対して、藍は首を横に振った。

「違うな。お前は本当の意味で恋というものを理解していない。まるで楽園にいるかのような心地良さ。魂を焼き尽くす地獄のような熱さ。そして理性を超越した愛情。そういったものを、お前は感じたことがないだろう?」
「……分からない。何故俺にそんなものを感じる? そして、何故俺はそれを感じない?」

 藍の言葉を聞いて、将志は額に手を当てて俯く。
 将志は自分の中の欠如している部分を理解しようとして思考をめぐらせた。
 そんな将志の手を、藍はそっと握った。

「将志。その質問はきっと誰に訊いても答えられない。恋は頭で考えるものじゃない。気がつけばそこにあるものなんだ。だから、何故恋をするかなんて誰にも分からない」

 藍は将志を抱き寄せながら、諭すようにそういった。

「……いつか、俺にも分かる時が来るのだろうか?」
「……ああ、きっと来るさ。その時の相手が、私であることを祈っているよ」

 将志の呟きに、藍はそう言って答える。
 それを聞くと、将志は藍から身体を離した。

「……そうか……では、今日はこれで失礼させてもらおう」
「泊まっていかないのか?」
「……明日は早朝から仕事があるのでな。社に戻っておかねば間に合わん」

 将志は乱れた服装を直しながらそう呟く。
 それを聞いて、藍は残念そうにため息をついた。

「そうか。そういうことなら仕方がない。では、またいつでも来てくれ」
「……ああ」

 将志は挨拶を済ませると、アコーディオンを手にとって家路に着いた。



 将志が銀の霊峰の社に着くと、そこにいるはずの門番の姿がないことに気がついた。
 そこで首をかしげながらも社に戻り、涼の所在を訊くことにした。
 将志は本殿に入るなり、目の前を丁度歩いていた六花に声をかけた。

「……おい、涼はどこに行った?」
「ああ、涼ならさっき萃香さんと勇儀さんが連れて行きましたわよ?」
「……なに?」

 六花の言葉を聞いて、将志はなおも首をかしげた。
 将志の反応の意味が分からず、六花は困惑した。

「……どうかしたんですの?」
「……今日は鬼が地底に潜る日なのだが」
「……はい?」




 後日、涼は地底の入り口を両足に萃香と勇儀をぶら下げながら這い上がってきたところを藍に発見され、無事に救助された。



[29218] 銀の槍、料理を作る (修羅の道編)
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 05:04
「やあああ!」

 黒い戦装束の少女が朱色の柄の十字槍を気合と共に突き出す。
 その突きは唸りをあげて相手を仕留めんと飛んでいく。

「ふっ」

 その相手である赤い長襦袢の女性は身体を傾けることでその突きを躱す。
 そして次の瞬間、涼の目の前から消え失せた。

「遅いですわよ」

 次の瞬間、涼の目の前に女性が背を向けて現れる。
 その直後、涼は膝をついた。
 涼の腹には、一筋の赤い線が細く引かれていた。

「ぐっ……」
「……そこまでだ。この勝負、六花の勝ちだな」

 その様子を見て、立会人である将志は試合を止めた。
 六花はそれを受けて手にした包丁を鞘に戻して帯に挿す。

「宣言どおり、無傷で勝たせていただきましたわよ、涼。約束どおり、境内の掃除を代わってもらいますわ」
「いたた……滅茶苦茶でござるよ……というか、間合いに大きな差があるのに、何でこんなにあっさり入り込まれるんでござるか?」
「だって……貴女が来るまで、誰が私の相手をしていたと思っていますの?」

 当然ながら六花の至近距離での格闘の指導は、涼が来るまでは将志が引き受けていたのである。
 それに慣れてしまえば、それよりも技量の低い涼の槍を見切るのはそう難しいことではないのである。
 その言葉を聞いて、涼は悔しげに肩を落とした。

「くぅ……分かってはいたでござるが、お師さんとの差は大きいでござるなあ」
「……当たり前だ。俺はお前の少なくとも千倍の修行を積んできているのだ。そう簡単に追いつかれては立つ瀬がない」
「将志様ぁ~!」
「……ん?」

 頭の上から声をかけられて、将志達は上を見上げた。
 すると、刀を持った青年が大慌てですっ飛んでくるのが見えた。
 前に降り立った青年に、将志は声をかけた。

「……どうした、妖忌? そんなに慌てて?」
「幽々子様が将志様の料理が食べたいといってごねてます!」

 妖忌が慌てて飛んでくるのだ、幽々子が何もしていないはずがない。
 将志は妖忌の報告を聞いて額に手を当てる。

「……それで、今度は何を仕出かした?」
「幽霊を引き連れてこちらに押しかけようと、召集を……ゴホッゴホッ!」

 妖忌は報告中に激しく咳き込んだ。
 将志は報告の内容にため息をつきながら、妖忌の背中をさすった。

「……全く、世話が焼ける……と、妖忌、お前は大丈夫なのか?」
「は、はい……昨日少し風邪をこじらせて寝込んでいたのですが、もうだいぶ良くなりました」
「……そうか。無理はするな、お前がまた倒れれば幽々子に心配をかける」
「お兄様? そちらの方はどなたですの?」

 将志と妖忌が話をしていると、六花が話に入り込んできた。
 それを受けて、妖忌は六花に向き直った。

「ああ、申し遅れました。私は白玉楼で庭師兼剣術指南役をしております、魂魄 妖忌と申します。いつも将志様にはお世話になっております」
「槍ヶ岳 六花ですわ。それで、何でお兄様の料理を食べるためだけにそんなことをするんですの?」
「……まあ、幽々子だからな」
「そうですね……将志様の料理の味を知ってからというもの、時たまこのように求めるようになりまして……」
「……しばらく行っていなかったからな。禁断症状が出たか」

 六花の発言に将志は額に手を当てため息をつき、妖忌はがっくりと肩を落とす。
 その話を聞いて、涼が躊躇いがちに質問をした。

「……あの、お師さん? お師さんの料理には、そういう薬か何かが入っているんでござるか?」
「……涼。実際にそういうことをするとどうなるか、その身を持って味わってもらおうか?」
「え、遠慮するでござる! 不用意な発言をしてすみませんでしたぁ!!」

 ジト眼を向けられて、涼は即座に土下座を敢行した。
 その様子を無視して、妖忌は将志に頭を下げた。

「とにかく、急がないと幽々子様が暴れだします! 将志様、お願いします!」
「……全く仕方のない奴だ。涼、お前にもついて来てもらう。いいな?」
「へ? 何で拙者も?」
「……とにかくついて来い。道中で説明する」

 そして将志、涼、妖忌の三人は大急ぎで白玉楼に向かった。




 白玉楼に着くと、将志は一直線に台所に向かい準備を進める。
 その間に残りの二人を集め、作戦を伝えることにした。

「……涼、今から俺は支度をする。その間、何人たりとも台所に入れるな。いや、台所の戸を開けさせるな。中の匂いが漏れてしまえば幽々子は即座にこちらに来るだろう。そうなってしまえば、幽々子が満足する味を作り出すのは不可能だ。満足しなければ、幽々子は無限に料理を求めてくるぞ。万が一開けられてしまった場合は、俺のところに来る前に食い止めろ。手段は問わん」
「了解したでござるよ」

 涼はそういうと台所のすぐ外に待機した。
 続いて、将志は妖忌に作戦を伝える。

「……妖忌。お前は何とかして幽々子の暴走を抑えろ。必要とあればこれを使え」

 将志はそういうと巾着を取り出し、中から筍の皮で小分けにした包みをいくつか取り出した。
 妖忌がそのうちの一つを開けてみると、中には柏餅が入っていた。

「柏餅……ですか?」
「……俺が作ったものだ。それを食べさせれば、僅かではあるが理性を保たせることが出来るだろう。だが、使いどころに気をつけろ。幽々子の性格上、一時的な満足感の後に急激に空腹になっていくはずだからな。病み上がりにはつらいかも知れんが、堪えてくれ」
「心得ました。それでは幽々子様のところへ行ってまいります」

 妖忌はそう言うと柏餅を入れた巾着を手に取り、幽々子の元へ向かった。

「……任せたぞ、二人とも」

 将志はそれを見送ると、急いで食事の用意を始めた。




 妖忌が居間に戻ると、そこでは机の上に幽々子が伸びていた。
 部屋の中に入ると、幽々子はゆっくりと身体を起こした。

「妖忌……そこに隠し持っている柏餅を遣しなさい」

 幽々子は妖忌を見るなり、開口一番そう言った。
 そこには異常な威圧感があり、思わず妖忌は気圧される。

「な、何のことでございましょうか?」
「隠しても無駄よ。この甘い匂いは将志が私のために作った柏餅の匂い……他の柏餅とは一線を画した極上の一品……」

 幽々子は妖忌の持っている巾着から漏れ出ているわずかな匂いを嗅ぎ取り、ジリジリと妖忌に近寄る。
 恐ろしいまでの嗅覚である。

「ゆ、幽々子様!?」
「……さあ、妖忌……こっちに渡しなさい!!」

 幽々子はそういうと、妖忌に向かって飛び掛った。
 妖忌はそれを躱して、部屋の外へと飛び出す。

「くっ……今はまだ、渡すわけには!」
「逃がさないわよぉ~……その柏餅は私を呼んでいるのだから……」

 幽々子の周りにはたくさんの蝶が飛び回り、妖忌を取り囲む。
 蝶達は妖忌に向かって一斉に飛び掛っていく。
 それと同時に、幽々子はどこからか取り出した日本刀で妖忌に襲い掛かった。

「くぅぅぅ! 幽々子様! お気をお確かに!」

 妖忌は蝶を躱しながら幽々子の攻撃を受け止める。

「あら……私は正気よぉ? 私はいたって普通に私の柏餅を取り返そうとしているだけですもの……」

 幽々子はそう言いながら両手が塞がっている妖忌が持っている巾着に手を伸ばす。
 妖忌は相手の狙いを悟ると、素早く後ろに飛びのいた。

「柏餅くらいで刀を持ち出さないでください! というか、そんなもの必要ないって言ってませんでしたか!?」
「だって、これで斬ろうとすれば妖忌は両手を使って防ぐでしょう? そうすれば、その分柏餅の防御は甘くなるわぁ……」

 妖忌は迫り来る蝶の弾幕を避けながら幽々子を台所から遠ざけていく。
 幽々子はそれを逃がすまいとして刀を持って追いかけてくる。
 幽々子の太刀筋は妖忌が指南しているだけあって、それなりに鋭いものである。
 妖忌とて、油断をしていると足元をすくわれかねなかった。

「せ、正常な思考を失っている……止むを得ないか、それっ!」

 妖忌は幽々子に向かって柏餅を一つ投げた。

「そうそう……素直に渡してくれればいいのよ~」

 幽々子はそれを受け取ると、包みを解いて柏餅を食べた。
 幽々子はしばらく満足そうに笑っていたが、食べ終わると再び妖忌に眼を向けた。

「……さて、妖忌……まだ持っているわね?」

 幽々子の視線は獲物を目の前にした狩人のような視線で、妖忌は思わずたじろぐ。

「ほ、本当に今日はどうしたのですか? いつになく荒れてますけど!?」
「ふふふ……いいえ~、妖忌が寝込んでいて私がひもじい思いをしている間にも、銀の霊峰では将志がおいしいご飯を作って食べてると思うとね……」

 幽々子は俯いて笑いながらそう話した。
 その言葉には、妖忌や将志に対する深い怨嗟が込められていた。

「そ、それでこんなことに……」

 理由を聞いて、妖忌は愕然とした。
 そんな彼の耳に、ぐぅ~という腹の音が聞こえてきた。

「くすくすくす……貴方がそんな有様だから、くうくうお腹が鳴りました。蝶は甘い香りに誘われて、ご飯を求めて飛んでいきます」

 昏い笑みを浮かべながら幽々子はそういうと、静かに手を上に揚げた。
 妖忌がそれに対して警戒をすると、突如として幽々子の蝶が妖忌の足を払った。

「うわっ! し、しまった!」

 妖忌が慌てて立ち上がろうとするが、幽々子は素早くその上に覆いかぶさった。
 二の腕から肩にかけてしっかりと抑え込まれており、妖忌は立ち上がることが出来ない。

「ふふふ……妖忌。貴方を、いただきます」

 幽々子は焦点のあっていない眼で笑うと、ゆっくりと妖忌に顔を近づけていった。

「なあっ!? 幽々子様やめ、ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」






「……っ! 妖忌殿……!」

 外から聞こえてきた妖忌の悲鳴を聞いて、涼は顔を上げる。

「……妖忌殿という防壁がなくなった以上、次の防壁は拙者か……」

 涼はそう呟いて、手にした十字槍を握りなおす。
 すると、段々と近づいてくる気配に涼は気がついた。

「ふふふ……なぁんだ、ご飯はすぐ近くにあるんだぁ~」

 幽々子は台所からかすかに漂ってくる匂いを嗅いで笑う。
 涼はいったん槍を収め、説得を試みることにした。

「幽々子殿。もう少しで完成するのでござる。もうしばし待たれよ」
「うふふふふ……」

 説得に耳を貸さず、幽々子は台所へと近づいていく。
 涼はそれを見て、槍を構えた。

「……ここは、通さんでござる!」
「羽、ぱたぱたぱた。羽根、ふわふわふわ。翅、ひらひらひら。蝶はご飯を目指します」

 幽々子は錯乱した笑みを浮かべながらふらふらと台所へと向かっていく。

「くっ、正気に戻られよ、幽々子殿!」

 そんな幽々子に対して、涼は槍の石突を繰り出した。
 幽々子はそれを受けて後ろに転がった。

「いったぁ~い……あら……」
「……っ!?」

 起き上がった幽々子に見つめられた瞬間、涼の背筋に強烈な寒気が走った。
 そんな涼に対して、幽々子は綺麗で凄絶な笑みを浮かべた。

「あはははは……貴女おいしそ~……ねえ、貴女は食べてもいい亡霊?」

 幽々子はそういうと、廊下全体に桃色に輝く蝶を飛ばした。
 廊下が一瞬にして桃色に染まり、涼を取り囲む。

「うっ……ひ、退かぬ! 拙者は退かぬでござる!」

 涼は背筋に走る悪寒を堪えながら幽々子に対して構える。
 槍を握る手には汗が滲んでおり、その緊張が見て取れる。
 そんな涼に向かって、一斉に蝶が飛び掛った。
 狭い廊下に過剰なほどに集まった蝶は、涼に一切の回避の余地を与えなかった。

「がはっ!」

 全身に衝撃を受け、涼はその場に膝を突く。
 そこに向かって、幽々子は思いっきり飛び掛った。

「ぐぅ!?」
「つ~かま~えた~♪ うふふ……もちもちしてて美味しそうねぇ、貴女」

 幽々子はぐるぐると渦巻く瞳で笑いながら涼の頬を撫で、舌なめずりをする。
 それは、生物なら誰でも本能的に恐怖を感じさせるものだった。

「ひっ……」
「それじゃあ……いただきます♪」
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」






 台所の戸がゆっくりと開かれ、音を立てる。
 その音を聞いて、料理人は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

「くっ、持ちこたえられなかったか……」
「ふふふふふ♪ 私のご飯♪」

 料理を作る将志の背後に、幽々子はひたひたと迫っていく。
 煮物はまだ味が染みきっておらず、将志の目指す味にまだ至っていない。
 焼き魚は香ばしい匂いこそ漂っているが、中にまだ火が通っていない。
 将志は深くため息をついた。

「……今ある時間では、仕上げるのは無理か……」
「わ~、いい匂い♪」
「…………仕方がない」

 将志はそういうと、菜箸を置いた。

「いっただきま~す♪」
「……ならば時間を作るまでだ」
「むぐっ!?」

 将志は幽々子の口に手元にあった饅頭を突っ込んだ。
 幽々子がしばらくそれを咀嚼していると、その顔が段々青ざめてきた。

「……っ!? ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?!? 甘辛すっぱ苦渋ううううううううううううううううう!?」

 幽々子の口の中に七色の味が広がる。
 口の中は灼熱地獄になり、頭を突き抜けるような強烈な刺激を受け、筆舌に尽くしがたい苦味と渋みがのどを覆う。
 幽々子はそのあまりに凄惨な味に、絶叫しながらその場に転がって悶絶した。

「……今だ」

 将志は転げまわる幽々子を抱えて納戸に向かう。
 そしてその中に幽々子を寝かせると、戸を閉めて閂を掛けた。

「……これでよし……」

 将志はそう呟くと、素早く台所に戻った。
 幸いにして、丁度焼き魚をひっくり返すタイミングであった。

「……最初からこうすればよかったのかもしれないな……」

 将志はのんびりと料理を続けながらそう呟く。
 そして全ての調理を終えると、将志は幽々子を呼び出しに納戸に戻った。

「…………」

 そこには、口から魂が抜け出しかかっている幽々子の姿があった。
 口の中は未だに大惨事となっており、幽々子が戻ってくる気配はない。

「……ふむ」

 将志は懐から紙に包まれた丸い物体を取り出した。
 その紙を取り去ると、中からは翡翠色の飴玉が出てきた。
 将志はその飴玉を幽々子の口の中に放り込んだ。

「……はっ!?」

 すると幽々子は即座に眼を覚ました。
 それと同時に、とろけそうな笑顔を浮かべた。

「はぁ……これ……すごい……」

 幽々子の口の中はまるで天国のような状態になっていた。
 先程までの地獄を洗い流してなお、口の中に言い表すことなどとても出来ないような清涼感と、うつ病患者でさえこの世を楽園と思わせられるような味が広がっていた。

「……ふむ。試作品だったのだが、その様子なら問題はなさそうだな」

 将志は幽々子の様子を見て、そう言ってうなずいた。

「もう、酷いじゃない。あんなもの食べさせるなんて」
「……不完全な料理を食べさせることは俺の流儀に反するのでな。力ずくでも止めさせてもらった。それに、そういうことを言う割には顔が笑っているぞ?」
「だって、今の私は最高に美味しいものを食べてるもの。飴玉一つでこんなに幸福感を感じるなんて思いもしなかったわ」
「……そうか。気に入ってもらえて何よりだ。食事の準備が出来ている。落ち着いたら食べるがいい」

 将志はそういうと、涼達を起こしに行こうとする。
 そんな将志を、幽々子は引き止めた。

「……ちょっと良いかしら?」
「……何だ?」
「あの飴玉って、まだあるのかしら?」
「……あることはある。だが、食後に食べてもその味は出せないぞ?」

 それを聞いて幽々子は首をかしげた。

「……どうしてかしら?」
「……その飴玉は、あの饅頭を食べた後でないとその味にならん。相応の試練を乗り越えたものだけが、その味を楽しめるという仕組みだ」

 将志の発言に、幽々子はジト眼と共に頬を膨らませた。

「意地が悪いわね~……そんなことしなくてもこの味は出せないものなの?」
「……無理だ。そもそも、その味を出すためにあの饅頭を作ったのだからな」

 幽々子の質問に、将志はそう言って首を横に振った。
 それを聞いて、幽々子はぽかーんとした表情を浮かべた。

「え、嫌がらせのためにあれを作ったんじゃないのかしら?」
「……お前は俺をなんだと思っているんだ……」
「腕は良いけどたまに鬼畜な料理人」
「……後で覚えておくがいい……」

 将志はため息と共に、幽々子に対する復讐の爪を砥ぐことにした。





「はぁ~……」
「ほへ~……」

 幽々子の食事が終わって座敷に戻ってみると、そこにはとろけた表情の涼と妖忌がいた。
 二人は気付けのためにあの地獄饅頭(仮)を食べ、そのご救済飴(仮)を食べたのだった。

「ふふふ、あんなに緩んだ妖忌の顔なんて滅多に見られないわね」
「……そうなのか? 俺は割と見ているが」

 二人の様子を見て微笑みながらそう呟く幽々子に将志は首をかしげた。

「それは、将志の料理の中毒性が高いだけよ」
「……俺の料理はそういうものではないのだが……」
「あら、美味しいということは十分な中毒性を持つわよ? というわけで、貴方やっぱりに住み込みで働いてみないかしら?」
「……俺には別に本来の仕事がある」
「……本当、それが残念でならないわ」

 将志の言葉に、幽々子は心底残念そうにため息をつくのだった。





「はらほらはらひれ~♪」

 時は移ろい夕食後。
 本殿の広間にて、涼はくるくると回転しながら踊っていた。
 突然の奇行に、愛梨とアグナが唖然とした様子でそれを眺めていた。

「……ねえ、将志くん。涼ちゃん、どうしちゃったの?」
「……料理で楽園を実際に見せられないかと思ってな……少し、幻覚作用のあるキノコを入れてみたのだが……」

 実は、将志は涼の夕食の中にかつて自分が食べて幻覚を見たキノコを混ぜていたのだ。
 いわゆるアッパー系のマジックマッシュルームである。

「……兄ちゃん、流石にそれは無理だと思うぜ?」

 それを聞いて、アグナは将志に抱きついたまま自分の意見を言う。

「……やはり無理か」

 アグナの意見に、将志は残念そうに肩を落とした。

「ああ、あんなところに青い鳥がいるでござる~♪」

 涼はそういうと外へと歩いていき、きりもみ回転をしながら夜空へと飛び立っていった。
 その軌道はふらふらとして安定せず、どこに飛んでいくか見当もつかなかった。
 速度だけは速かったので、将志達はあっという間に涼の姿を見失ってしまった。

「……飛んで行っちゃったね♪」
「……どうすんだよ、兄ちゃん?」
「……効果が切れるまで放っておくしかあるまい……涼のことだ、あの状態でも死にはすまい」

 結局、将志達は捜索をあきらめて中に戻ることにした。
 



 翌日、涼は白玉楼の桜の木に引っかかっているところを妖忌に発見された。



[29218] 銀の槍、呆れられる
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 05:15
「ん? お師さん、全員そろってどこに行くんでござるか?」

 ある朝、涼が山門を警護していると、その上を見知った顔が飛んでいるのを発見して声を掛けた。
 声をかけられた四人は、立ち止まって山門へと降り立った。

「……少し古い知り合いのところにな」
「古い知り合い、でござるか?」
「おう! というか、姉ちゃんも会ったことあるぞ!!」

 元気よく将志の肩の上から答えるアグナに、涼は首をかしげた。

「はい? 心当たりが無いんでござるが……」
「涼。貴女、ここで私たち以外の神様にあったことがあるはずですわよ?」
「そうそう♪ かなちゃんとケロちゃんだよ♪」

 愛梨がそういうと、しばらく考え込んでいた涼はハッとした表情で手を叩いた。
 どうやら思い出したようである。

「……ああ~! 拙者が初めてここに来た時の二柱でござるか! でも、いきなりどうしたんでござるか?」
「……なに、このたび分社を建て替えることになってだな。一時的に加護が切れるから、その穴埋めに行くのだ」
「それで、せっかくだからみんなで会いに行こうって事になったんだ♪」
「もう随分会ってねえからな~ 元気にしてっかな?」
「それならたぶん心配ないですわよ。きっと喧嘩しながらでも仲良くやってると思いますわよ」

 将志達は久々に会う面々に期待を膨らませながら口々にそう言う。
 実際には将志は出雲に召集を受けた時に会っているのだが、他は長いこと会っていなかったのだった。

「……そういうわけで、しばらくここを空ける。涼、留守は任せたぞ」
「引き受けたでござる!」

 涼が笑顔でそういうと、将志達は目的地へ向けて出発した。






 将志達は近くに大きな湖のある神社の境内に降り立った。
 将志達は力を抑えているため、普通の人間には見えないようになっている。

「……ここに来るのも久しぶりだな……」
「ん~、何年ぶりだっけか?」
「ざっと二百年くらいですわ」
「う~ん、随分と間が空いちゃったね♪ さあ、早く会いに行こう♪」
「あ、あの……あなた達はどなたですか?」

 口々に話をしている一行に、声をかけるものが居た。
 その人物は白い胴衣に赤い袴を着た少女であった。
 将志はその格好から巫女であると判断し、声を掛けることにした。

「……この神社の者か?」
「い、いえ……ですが、この神社のことは知っています」

 将志が声をかけると、少女は緊張した様子で答えを返した。
 どうやら目の前の一行が人間ではないことに気付いているようである。

「……今の俺が見えるということは、この神社に住んでいる神も見えるな?」
「え、あ、はい……」
「……ならば伝えてくれ。槍ヶ岳 将志、建御守人が来たと」
「は、はい!?」

 将志が正体を明かすと、少女は驚いた表情を浮かべた。
 建御守人の名前はやはりこの辺りにも響き渡っているようである。
 もっとも、ここが発祥の地なのであるからそれが当然なのかもしれないが。

「……驚くことはない。俺達はここの神とは古い知り合いだ。俺達はここで待っている。連絡を頼めるか?」
「わ、分かりました!」

 少女はそういうと本殿へと走っていった。
 一行はその様子を笑顔で見送った。

「可愛い子だったね♪ ここの巫女さんかな♪」
「……違うとは言っていたが、恐らく巫女ではあろうな」
「そういえば、うちの神社には神主も巫女もいねえな」
「必要がありませんものね……お兄様、普通に人前に出てきますもの」

 実は将志は銀の霊峰では人間にも見える妖怪という体裁を取っているため、預言者である神主や巫女を必要としないのである。
 よって、将志の神社には人間が存在しないのだ。
 もっとも、銀の霊峰の頂上までくる時間と体力と根性のある人間など滅多に居ないのだが。

 しばらくして、一風どころかかなり変わった帽子をかぶった少女が奥からやってきた。

「んあ? おお、将志じゃないか! 随分久しぶりだね」
「キャハハ☆ ホントに久しぶりだね、ケロちゃん♪」
「あーうー! ケロケロ言うな~!」

 腕を振り上げて諏訪子は愛梨に抗議した。
 それに対して、将志に肩車されたアグナが声を掛ける。

「まあ良いじゃねえか、蛙の姉ちゃん!!」
「……私、本当は蛙じゃないんだけどなぁ……」
「気にしたら負けですわ、諏訪子さん」

 肩を落としていじける諏訪子に、六花は苦笑しながらそう声を掛ける。
 すると、諏訪子は首を軽く横に振って暗い気持ちを振り払って話題を変えた。

「……そうだね。そんなことより、風の噂で聞いたことについて質問があるんだけどさ……」

 そういうと、諏訪子は愛梨とアグナのほうをジッと見つめ、微妙な表情を浮かべた。
 それを受けて、視線を向けられた二人は首をかしげた。

「うん? 僕のほうを見て、どうかしたのかな?」
「なんだ? 俺にも何かあるのか?」
「……あー、将志と六花は後でね。あいつと一緒に質問するよ。だからちょっと向こうに行ってて」
「……? ああ」
「はあ……分かりましたわ」

 諏訪子の言葉にうなずくと、訝しげな表情を浮かべながらも二人は離れていった。
 それを確認すると、諏訪子は愛梨達のほうへ向き直った。

「僕達に何が聞きたいのかな?」
「ねえ、将志ってさ、好きな相手居るのかな?」
「え?」
「なんだ? 何でいきなりそんなこと訊くんだ?」

 突然の諏訪子の一言に、思わず呆けた表情を浮かべる二人。
 そんな二人に対して、諏訪子は話を続ける。

「顔が良くて、強くて、紳士で、料理が美味くて、愛想は悪いけど優しくて……そんな男が独り身だったとして、いつまでも放っておかれると思う?」
「……何が言いたいのかな、ケロちゃん♪」
「将志を狙っているのはあんた達だけじゃないってことだよ。神有月の出雲で、将志に送られる熱視線は凄いんだから」

 諏訪子は出雲での将志の様子を思い浮かべながらそう話す。
 実際問題、将志の性格や料理に惹きつけられたものはかなり多いのだ。
 しかし、それを聞いてアグナは首をかしげた。

「ん~? でも、兄ちゃんの周りにそんな気配は無いけどな~?」
「それはみんなそれぞれの仕事で忙しいから会いに来れないし、将志も将志で宴会になるとすぐに料理だの手合わせだので居なくなっちゃうからね。それ以外で話をするのは私と神奈子ぐらいだし……あの時の周りの視線、痛いんだよね」

 諏訪子はそう言いながら苦笑いし、頬を掻く。
 将志を狙っている者からすれば、親しく話をしている諏訪子や神奈子は嫉妬の対象でしかないのだった。

「もしかして、将志くんに口説き落とされた子も居たりするのかな?」
「……それに関して質問。将志に殺し文句を覚えさせたのは誰? あいつ、うら若き乙女の揺らいだ心に適切に止めを刺しに行くから凄く性質が悪いんだけど?」
「それなら、六花ちゃんだよ♪ それと、たぶん将志くんはそれが殺し文句だって気付いていないと思うよ♪」
「なお性質悪いわ!!」

 愛梨から殺し文句の実情を聞いて、諏訪子は声を荒げた。
 その横で、アグナが首をかしげていた。

「なあ、殺し文句って何だ?」
「そうだね……たとえば、悩んで落ち込んでいるところに「……上辺だけの信仰だと? 断言しよう、それだけは絶対にない。もしそうだというのなら、お前のその身に宿る力は何だ? 心の底からの信仰を受けているからこそ、お前はそれ程の大きな力があるのではないのか? もっと自分に自信を持て。少なくとも、俺はお前が上辺だけの進行を受けるような者ではないと信じている。だから、自分が信じられなければ俺の言葉を信じろ」と顔を持ち上げて眼を正面から見つめながら言うとか?」
「……ケロちゃん、それって……」
「神奈子が言われた原文ママですが何か? 倒れてしまいそうな時に縋れるものがあったらそりゃ縋るでしょ」

 諏訪子はそう言いながらため息を付く。
 その当時、神奈子は自分の信仰の裏にはミシャクジの祟りによる諏訪子への信仰があり、自分はその表層を覆っているだけに過ぎないのではないかと苦悩していた。
 それを見かねた将志は、落ち込み悩む神奈子を元気付けようとして声をかけたのだった。
 その結果が上記の言葉である。

「あ~、それたぶん兄ちゃんは励まそうとしただけだと思うぞ?」
「そのただ励ましただけの言葉であいつは危うく堕ちるところだったんだけどね……おかげでしばらく神奈子は頭が混乱して使い物にならなかったよ」
「きゃはは……ごめんね、迷惑かけて……」

 疲れた表情でそう語る諏訪子に、愛梨は苦笑いを浮かべながら謝罪した。
 ひとしきり疲れた表情を浮かべると、諏訪子は話題を切り替えることにした。

「でも、将志ってそういう話は多い割りに、色の話とかあんまり聞かないんだよね。何というか、自分の仕事に忠実すぎて周りを見ていないような感じでさ。そんなもんだから、みんな諦めようにも諦められないんだよね。だから、早いとこ誰かとくっついてくれないかなとか思ってるんだけど」
「う~ん、難しいと思うよ♪ 悟りきった朴念仁だもんね、将志くんは♪」
「なんつーか……欲が無さ過ぎるんだよな、兄ちゃんって。あったとしても強くなりてえとか、自分を磨くことばっかだしな。休みの日にどっか出かけるか訊いてみたら、「俺より強い奴に、会いに行く」としか言わなかったし」
「そういや、あいつ私らと一緒に暮らしてた時もあんまり何が欲しいとか言わなかったね」

 解決策、ゼロ。
 その事実に、三人は深々とため息をついた。

「ところで、何で六花ちゃんを話から外したのかな?」
「六花にはちょっと別の話をしたいからね。それに、実の兄妹なのにかなり依存してるみたいだし、今の話を聞いたらどうなることやら……」

 諏訪子がそう話していると、その背後から人影が近づいてきた。
 それは背中に注連縄を背負っていて、胸元に鏡を携えた女神だった。

「あら、貴方達も来てたのね。随分久しぶりね」

 神奈子は愛梨達の姿を認めると手を上げてそう言った。
 それに対して、諏訪子が答えを返した。

「あれ、出かけてたの?」
「ええ。ほら、今日建て替えるための資材が届いたから様子を見にね。それで、将志はどこに居るのかしら?」
「将志くんなら向こうに居るよ、かなちゃん♪」
「あ、相変わらずその呼び方なのね……まあいいわ、とりあえず将志と話をしてくるわ」
「ああ、私達も話は終わってるから一緒に行くよ」

 愛梨の言動に脱力しながらも、神奈子はその指が指す方向へを向かっていった。
 その後ろから、諏訪子達もついて行く。

「久しぶりね、将志。前に出雲で会って以来かしら?」
「……そうだな。あれから自信は持てるようになったか?」
「う、あの時のことはあまり言わないで欲しいわ……」

 将志の言葉に、神奈子は頬を赤く染めて俯きながらそう言った。
 その言葉は後半になるにつれてどんどんと小さくなり、最後には聞き取れなくなっていた。
 どうやら、将志の殺し文句は未だに効果を発揮しているようである。
 そんな神奈子を見て、諏訪子は呆れ顔でため息をついた。

「……神奈子、アンタまだ立ち直ってなかったの?」
「い、いえ……立ち直ったつもりだったんだけど……やっぱりあの時のこと思い出すとどうしてもあの言葉を思い出すのよ……」
「……俺はそんなに強烈なことを言ったのか?」

 将志はそう言いながら首をかしげる。

「……将志はもう少し自分の言葉の殺傷能力に自覚を持ったほうがいいと思うよ」
「……むぅ?」

 ジト眼を向けてくる諏訪子に、将志はただ首をかしげることしか出来なかった。




 しばらくして、将志は自分の分社まで出向いて工事に関する説明を神奈子から受けた。
 その話によると、老朽化によって倒壊しそうな社を取り壊し、新しく少し大きな本社を建てようというものであった。
 神社の規模自体はそんなに大きくは無いので、拝殿などは作られないようである。

「これで建て替えようと思うんだけど、問題は無い?」
「……ふむ、問題は無い。しかし、何故急にこんなことを?」
「ほら、今の社って急造のものだから所々ガタが来始めてるのよ。参拝客も多いことだし、この際だからもっとしっかりした社を建てようと思ったのよ」
「……確かに俺の加護があっても、この様子ではそう長くは持ちはすまい。しかし、祭壇は生きているからそれは残しておこう」
「そだね。そんじゃま、確認も済んだことだし、早速宴会にしようよ」

 全ての確認が終わった瞬間、諏訪子がそう言い出した。
 それを聞いて、神奈子がため息混じりに答えた。

「宴会って……まだ昼よ?」
「いいじゃんいいじゃん、たまには息抜きしようよ」
「そうね……急ぎの仕事も無いし、せっかく集まったんだからたまにはそれもいいか」
「そうこなくっちゃ……って、あれ? 将志は?」
「もう向こうで料理始めてるよ♪」
「早っ!?」

 愛梨の指差す方向を見ると、将志は凄まじい速度で材料を切って下ごしらえを始めていた。
 その横では鍋がぐつぐつと煮込まれており、着々と宴会の準備が進められていた。

「早く準備しないと間に合いませんわよ? お兄様の料理を作る速さは年々速くなっているんですのよ?」
「あ~、まだ焦んなくても大丈夫だぞ? 今作ってんのは時間のかかる煮物だからな」

 準備をせかす六花に、アグナはそう言って答える。
 六花の横に居るアグナを見て、神奈子は首をかしげた。

「あら、アグナ? 貴女料理の手伝いをしてるんじゃないの?」
「ん~? こんくらいのことなら別にこうやって話しながらでも出来るぞ。まあ、封印されて力の制御を集中的に練習するようになってから出来るようになったんだけどな」
「そういえば、あんた少し大人しくなったね。封印ってその髪留め?」
「おう。ちょっと俺の力は強すぎるみたいでな。危ないからって少し封印されたんだ。まあ、おかげで兄ちゃんが前より構ってくれるようになったからいいけどな」

 アグナは落ち着いた様子で諏訪子に答える。
 その視線は将志にジッと向けられており、いかにも構って欲しそうである。

「そ、そう……」

 突如として、神奈子は顔を真っ赤にして俯き始めた。
 それを見て、諏訪子が呆れ果てた表情を浮かべる。

「……神奈子、あんた今何を想像した?」
「い、いえ、またあの言葉が……」
「あーもう、いい加減にしろ! 初めて告白されて悶々とする子供か、あんたは!?」
「だって……私ああいうこと言われたのは初めてで……」
「だぁ~! もう、どうしようもないね! 将志の性格、あんた知ってんでしょうが!」
「わ、分かってはいるんだけどね……」

 大声でまくし立てる諏訪子に対して、神奈子はしどろもどろになりながら答える。
 その様子を見て、六花はため息をついた。

「……これはひどい、重症ですわね……いったいお兄様に何を言われたんですの?」

 六花の質問に、諏訪子は神奈子が将志に言われたこととその状況を洗いざらい説明した。

「というわけなのサ!」
「お兄様……自分の言動には気をつけろとあれほど言いましたのに……」

 想像以上に酷い事態に、六花は頭を抱えた。

「たぶん気をつけた結果がこれじゃねえの? ほら、姉ちゃんってよく兄ちゃんに人に言っちゃいけねえ言葉とか教えてたし」
「キャハハ☆ これこそもうどうしようもないね♪」

 アグナの言葉に、愛梨は笑ってそう言った。
 実際問題、もう笑うしかない。

「笑い事じゃありませんわよ! こんな言動をあちらこちらで繰り返していたら、そのうち後ろからグッサリやられても不思議ではありませんわ!」
「あ~、兄ちゃんに関してはそれは……やべぇ、ありそうだ」

 六花の言葉にアグナはそう言って冷や汗を掻いた。
 それを聞いて、諏訪子は首をかしげた。

「え? 将志なら避けそうなもんだけど?」
「きゃはは……将志くんなら、避けた後に相手の話を聞いた後に自分から刺さりに行くと思うよ……死にはしないけどね……」

 クソ真面目な将志のことである。
 刺そうとした相手の言葉を聞いて、贖罪のためにわざと刺されるのは眼に見えているのであった。
 一行がそんな話をしていると、将志がやってきた。

「……何の話をしているのだ?」
「い、いえ! こっちの話よ! あ、あはは……」
「ちょっと、神奈子! いくらなんでも挙動不審にもほどがあるよ!」

 乾いた笑い声を上げる神奈子に、諏訪子が慌てて声をかける。

「……そうか」

 しかし将志は何も聞かず、話を切り上げた。
 その様子に、諏訪子は唖然とした表情を浮かべた。

「え、今ので納得するの?」
「安心と信頼の鈍さですわね……」
「何言ってんだ姉ちゃん。ああいう風に躾けたのは姉ちゃんじゃねえか」
「つまり、この先将志くんが何かしでかしたら大体は六花ちゃんの責任ってことだね♪」
「ちょ、愛梨!? 何でそんなことになるんですの!?」

 突然話を振られて、六花は慌てた声を上げる。

「私は妥当だと思うけどなぁ。現にこいつも被害にあってるわけだし」

 諏訪子は神奈子を見やりながら追撃をかける。
 それに対して、アグナは同意の意を込めてうなずいた。

「そうだなぁ……兄ちゃんの起こす事件って、大体女が絡むからなぁ……」
「うう……お兄様ぁ……」

 六花は助けを求めて将志に縋りついた。

「……よくは分からんが、俺が引き起こしたことならばそれは全て俺の責任となるのが筋だろう。それに関して、お前が咎を負う必要は全く無い。仮にそれでお前が責められることになるのなら、俺は全力を持ってお前の力になろう」

 将志は六花を抱き寄せ安心させるように頭を抱え込みながら優しいテノールの声で囁いた。

「はい……」

 六花はうっとりとした表情でその声を聞き入れ、その身を預ける。

「……なに、この雰囲気?」
「じ、実の妹まで……しかも普段から親しい分だけ更に強力……」

 その様子を、唖然とした表情で眺める神様二人組み。

「……いいなぁ、姉ちゃん……」
「う~……ホントに迂闊ことは言えないね……」

 一方、アグナと愛梨はその様子を羨ましそうに眺めているのであった。




 宴会が始まると、大騒ぎが始まった。
 将志と愛梨が芸を見せれば、六花とアグナが客の相手をする。
 しばらくすると、皆思い思いに集まって話を始めていた。

「うにゃ~……将志く~ん……」

 胡坐をかいた将志の膝の上では、愛梨が丸くなっていた。

「……まるで猫だな……」
「にゃ~……」

 将志が顎をくすぐると、愛梨はくすぐったそうにしながら胸に頬ずりをする。
 まるでマタタビを与えられた猫のようであった。

「おう、兄ちゃん! 俺にももう一杯くれ!!」

 将志の頭上から、威勢のいい声が聞こえてくる。
 アグナは将志の肩の上に陣取り、そこで酒を飲み続けているのであった。
 かなり酔っ払っており、時折杯から酒がこぼれて将志の頭に掛かっていた。

「……どうでもいいが、人の頭の上に酒をこぼすな」
「ははは、悪いな!!」

 将志の言葉に、アグナは豪快に笑いながらそう答えた。
 そんな将志に、先程将志が伝言を頼んだ巫女が近づいてきた。

「あ、あの、大丈夫ですか?」
「……気にすることは無い。この二人が酒を飲むとこうなるのはいつものことだ」
「そ、そうですか……」
「……それよりも酒の追加を頼む。愛梨はともかく、アグナはまだ飲むだろうからな」
「は、はい!!」

 巫女は緊張した面持ちでそういうと、酒を取りに戻っていった。
 その様子を、将志の隣に座っていた諏訪子が笑いながら見ていた。

「……緊張しちゃってまあ……自分のところの神様だろうに」

 その言葉に、将志はピクリと反応した。

「……む? お前のところの巫女ではないのか?」
「うちのはあそこで酔いどれてるよ。全く、どこでああいう風になったのかねぇ?」

「いいですかぁ~! みんな型にはまりすぎなんですよぉ~! そんなもの、破り捨てなさ~い!」
「ち、ちょっと……飲みすぎだよ……」

 諏訪子の指差す先では、一人の巫女と思わしき少女が酔っ払って周囲に説教をしていた。
 少女は近くに居る人間に次々と絡んでは、酒を飲ませまくっている。
 その横では、酒を取りにいった巫女が暴れる少女をなだめていた。

「……何か色々と投げ捨てていないか?」

 その様子を、将志は何とも言えない表情で眺める。
 その横で、諏訪子は乾いた笑い声を上げた。

「あはははは……まあ、気にしないで。ああ見えて私の子孫だし、力は強いんだから」
「……子供が居たのか?」
「まあね。ちなみにあんたの所も同じ血筋の子がやってるよ」
「……そうか。ならば、礼を言わないとな」
「いいっていいって。この辺りも戦とか結構あったけど、あんたのお陰でそんなに被害は出なかったし、むしろ礼を言うのはこっちだよ」

 諏訪子の言葉を聞いて、将志は憂鬱な表情を浮かべた。

「……戦か……最近はあちらこちらで戦が起きているな……」
「……浮かない顔だね」
「……俺の加護もそこまで強いものではない。信心が薄ければ守りきれんし、例え強くとも一人が受ける加護には限界がある。……例え神といえども、全てを救うのは難しいのだな」
「あ……そうか。あんたは守り神だから、人の死には敏感なんだったね」

 実際に、将志の加護を受けていても戦で死ぬ者は多いのだ。
 何故なら、片方がその加護を受けていたとしても、相手方もその加護を受けていることが多いからである。
 その場合、加護の弱いほうが負けて、怪我をしたり殺されたりするのであった。
 将志が死者に対する思いを語っていると、横から声が聞こえてきた。

「ちょっと、そこの神様ぁ! そんな暗い顔をしない! それからこの料理美味しいです! 結婚してください!」

 先程の少女は将志に対して空の皿を突き出しながらそう叫んだ。
 その顔を、先程からなだめていた巫女がわしづかみにした。

「……少し頭を冷やそうか……」
「え、あ、ちょっ!?」
「お別れですっ!!」
「きゃああああああ!?」

 巫女が力を込めると、掴まれた少女の周りに強い風が吹いて少女は吹き飛ばされた。
 それを追いかけて、巫女は走り出していく。

「お、喧嘩か!? 面白そうだな、俺も混ぜろ!!」
「あ~! ダ~メ~だ~よ~! みんな~! 喧嘩はダメ~!」

 アグナはそれを見て眼を輝かせながら加勢に行き、愛梨は喧嘩を静めるべく後を追いかける。

「……いくらなんでも飛ばしすぎではないか?」
「うん、そうだね……」

 その様子を、将志と諏訪子は呆然と見送った。
 そんな二人に近づいてくる気配があった。

「あら、こんなところに居たんですの、お兄様?」
「捜したわよ、二人とも。それで、この面子でどんな話をするのかしら?」

 六花と神奈子はそういうと将志の隣に座った。
 諏訪子はそれを確認すると、話を切り出した。

「ん~、ぶっちゃけ将志の状況確認。どうも将志は最近大変なことになってるみたいだし」
「大変なこと?」
「そ。簡単に言えば、引っ掛けた女の子のこと」

 諏訪子がそういうと、将志は首をかしげた。

「……別に女子を引っ掛けた覚えは無いが」

「お前は何を言っているんだ」
「貴方は何を言っているのよ」
「お兄様は何を言っていますの」

「……解せぬ」

 三人揃って同じ事を言われ、いじけたように将志は酒を飲み始めた。
 そんな将志を放っておいて、三人は話を続ける。

「それで、実際どうなのさ? 明らかにこいつは将志に惚れてるなって思う奴居る?」
「そうですわね……私が知っている限りでは、お兄様のご主人様と、白面金毛九尾の狐、この二人が主ですわね」
「あれ、あんたのところの後二人は?」
「あの二人は家族ですから除外ですわ」

 諏訪子に質問されて、六花は答えていく。
 その言葉に対して、神奈子がため息をついた。

「何言ってるのよ。家族といってもあの二人は将志と血縁は無いでしょう? なら、十分に将志を狙えるわよ。第一、神の中には自分の血縁者と契った者も居るから、貴女だって対象になるかもしれないのよ?」
「……はい?」

 神奈子の言葉に、六花の眼が点になる。
 将志、愛梨、六花、アグナは家族となっているが所詮は家族ごっこに過ぎないのである。
 更に言ってしまえば、六花すらも自称兄妹なのであり、本当に兄妹なのかどうかは怪しいものである。
 以上のことから、全員将志と婚姻を結ぶことに全く障害は無いのである。

「なるほど、ということは今のところ将志の周りには少なくとも五人の女が居るのか……意外と少ないね。話じゃもっと多いはずなんだけどな?」
「どういうことですの?」
「知り合いの話じゃ、町の外で女と遊んでいるところを見つけたのが居るらしいんだよ。必死に炎を操って攻撃してくる女と、将志は楽しそうに戦ってたって話だよ?」
「そうなんですの、お兄様?」

 諏訪子の話を聞いて、六花は将志に確認する。
 将志は少し間を置いて答えた。

「……それは妹紅のことか? 確かによく勝負した覚えはあるが……」
「……他にはどんな人がいますの?」

 それを聞くと、六花は別の被害者が居ないかどうか確認することにした。

「あーっと、最近堕ちたの誰だっけ?」
「出雲の話かしら? なら、一番新しいのは静かな紅葉の神様だと思うわよ?」

 諏訪子と神奈子は顔を見合わせて、一番最近の被害者を挙げる。
 それを聞くと、六花の眼がスッと細められた。

「……ちなみに、お兄様は何て言ったんですの?」
「……別に大した事は言っていないはずだが」
「ほほー、それじゃあ詳しく話してあげよう。こんな感じだったよ」

 そういうと、諏訪子は楽しそうに話を始めた。


  *  *  *  *  *


 時は遡り、神有月の出雲。
 毎年この月には日本中の神が集められ、大規模な集会が開かれる。
 その集会が終わると、宴会が始まるのだ。
 料理や手合わせを終えた将志が何をするでもなく歩いていると、暗い顔をして俯いている神が眼に映った。

「……なにを落ち込んでいるのだ?」

 将志はその神に声をかけた。
 相手は赤い服に黄金色の髪といった格好の女神で、紅葉をかたどった髪飾りをしていた。

「……私は……何の役に立っているの……?」

 将志の問いに、その女神は呟くようにそう答えた。
 それを聞いて、将志は首をかしげた。
 神である以上、周囲に何らかの影響を及ぼしているはずだからである。

「……お前は紅葉の神だったな。それで、それはどういう意味だ?」
「……穣子は……妹はいつも人間に感謝される……でも、私はそんなこと言われない……」
「……それで、自分の存在意義に疑問を持っているというわけか?」
「……うん……」

 落ち込む彼女の言葉を聞いて、将志は少し考える。
 そして、ゆっくりと結論を出した。

「……俺は人間ではないからこれが正しいのかは良く分からんが……人の眼に見える形で秋の訪れを伝えるというのは、とても大事なことだと思うぞ?」
「……でも……それでも私は一度も感謝なんてされたことは無い……!」

 しかし、紅葉の女神は将志の言葉に強く反発した。
 それを聞くと、将志は一つため息をついた。

「……礼ならそれこそ沢山の人間がしているはずだぞ?」
「……そんなこと……」
「……このたびは幣も取りあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」
「……え……?」
「……小倉山峰の紅葉葉心あらば いまひとたびのみゆき待たなむ」

 突然和歌を詠み始めた将志に、彼女はキョトンとした表情を浮かべる。
 それを見て、将志はその歌を詠んだ理由をゆっくりと告げた。

「……百人一首の中の歌だ。この他にも、紅葉の美しさを歌った歌などいくらでもある。こう歌にまで詠まれているというのに、何故感謝されていないと思う?」
「……あ……」
「……恐らく、直接礼を言われる妹を見て自分に自信を持てなくなったのだろう。だが、気にすることは全くない。お前も充分に感謝をされているのだ。むしろ歌にまで詠まれているのだから、その分自分が勝っていると思えばいい」

 将志は俯いた彼女に対してそう言葉を繋いだ。
 すると、彼女の口から静かな声が聞こえてきた。

「……秋……静葉……」
「……む?」
「……私の名前……」
「……そういえば、名乗っていなかったな。槍ヶ岳 将志だ。ふむ、妹が居るとなれば名で呼ぶほうが良いか。宜しくな、静葉」

 将志は静葉の自己紹介を受けて、そう名乗りを上げた。
 すると、その隣からくぅと可愛らしい音が聞こえてきた。

「……あぅ……」

 腹の音を聞かれ、静葉は顔を真っ赤に染めて俯く。
 将志はそれを聞いて、笑みを浮かべた。

「……そうだな……せっかくだ、お前のために一品作ろう。ついてくるが良い」
「……(こくん)」

 将志は静葉の手を引いて台所に案内した。
 そこで静葉に出された料理は、紅葉によって飾られたとても綺麗な季節の料理であった。


  *  *  *  *  *


「何てことがあったよ」
「……そういえば、そんなことをしたような気がするな」

 諏訪子がそういうと、将志は何てことのないように頷いた。
 それを聞いて、六花は盛大にため息をついた。

「……完璧に堕としに掛かってますわね……」
「ていうか、完璧に堕ちたね、ありゃ」
「将志の性格を知っていても危なかったからね。もし、あ、あれを言われたのが初対面だったら……」

 神奈子はそう言いながら盛大に自爆する。

「あーうー! いい加減にしろー!」
「あいたぁ!?」

 将志の言葉を思い出して悶える神奈子の頭を、諏訪子は思いっきりはたき倒した。
 その横で、六花は深刻な表情を浮かべる。

「……とにかく、そろそろ本気で刺されかねない状況になってきたのは間違いないですわね。どうするんですの、お兄様?」
「……どうするといわれても、俺にはどうしようもないと思うが……」
「むしろお兄様以外に誰が収拾をつけられますの?」
「……そうは言うが、本当にどうしようもないのだ。何故なら、俺には恋愛が分からないらしいからな」
「……はぁ?」
「……誰に、どんなに求められても俺は何も感じない。相手の苦しさを理解してやることも出来ない。そんな状態では、俺にはどうすることも出来んと思うが」

 将志はつらそうな表情でそう話す。
 それを見て、六花は首をかしげた。

「……お兄様? ひょっとして……」
「……ああ。アグナや愛梨や藍、そして主に求められたことはあるが、そのどれ一つとして俺は何も感じなかった。実際、藍に言われるまで恋愛にそんな感情が存在することすら知らなかった。それに分からないのだ。何故自分にはそんな感情が存在しないのか。伊里耶も言っていたが、そんな俺は確かに異常なのであろうな」

 将志は凄くもどかしそうな表情でそう話す。
 そこにはどうにかしたくてもどうにも出来ないという悔しさが滲んでいた。

「これは思ったよりも厄介な問題に当たったかもね。流石にこればっかりは教えてどうにかなるもんじゃないからね……」
「そうね……そもそも、言葉で言い表せるものでもないし」
「……そうですわね。これに関しては、私達でもどうしようもありませんわね」

 全員そう言って押し黙る。
 しばらくの静寂の後、諏訪子が大きく手を叩いた。

「よし、もうこの話は終わり! さあ、後は呑んで騒いですっきりしよう!」
「うぃ~……兄ちゃ~ん……」

 諏訪子が飲み会の再開を宣言すると、アグナが将志の元へやってきた。
 アグナは千鳥足で将志のところへやってくると、背中にしなだれかかった。

「……どうした、そんなに酔いつぶれて?」
「あれ……」

 将志の問いかけにアグナはとある方向を指差した。

「うふふ……あらあら、もう酔いつぶれちゃったんですか?」
「うにゃあ……も、もう無理ぃ~」
「きゅぅぅぅぅ……もう呑めません……」

 そこでは、酒瓶を持って笑う巫女と、酔いつぶれて転がっている少女と愛梨の姿があった。
 巫女の顔は赤く、相当量の酒を飲んでいることが分かった。

「……おい、あれは不味いのではないか?」
「……あんたのとこの巫女だ。あんたが何とかして」
「私達はちょっと用事があるからね。流石にうちのを放っておくわけにはいかないし」
「私は愛梨を回収してきますわ」

 将志が指摘すると、他の三人はそそくさと退散していった。
 将志も退散しようとすると、その巫女と眼があった。
 巫女は、将志を見ると嬉しそうに笑った。

「……何やら身の危険を感じるな……」
「あらあら、逃がしませんよ? せっかくうちの神社の神様が来たのに、何のもてなしも出来ずに帰すわけにはいけないですよね?」

 巫女はそう言いながら将志の腕を取る。
 先手を取られ、将志は逃げ出すことを諦めるしかなかった。

「……まあ、気持ちは分かるが……」
「はい♪ どうぞ呑んでください♪」
「……うむ」

 将志は差し出された杯を受け取ると、それを飲み干した。

「うふふ……良い呑みっぷりですね♪ それじゃあ、次をどうぞ♪」

 すると、巫女は嬉しそうにそう言って将志の杯に酒を注いだ。
 それを見て、将志は酒瓶を取り出した。

「……呑ませるだけではもてなしとは言えないな。俺は共に呑んで楽しんでこそのもてなしだと思っている。さあ、一緒に呑もうか」
「はい♪ 良いですよ♪」

 巫女はそういうと、将志と一緒に酒を呑み始めた。
 そこから先は将志と巫女の激しい呑み比べになったのだった。





「……すぅ……」
「むにゅ……」

 しばらくすると、将志の膝の上には二つの頭が乗っかっていた。
 一つは先に酔いつぶれていたアグナのもの、もう一つは先程まで勝負をしていた巫女のものだった。

「……将志~、生きてる~……って返り討ちにしてるし」
「……危ないところだった……流石にこれ以上呑まされれば少しきつかったな」

 生存確認をしに来た諏訪子に対して、将志はそう言って答えた。
 事実、将志もこれ以上飲むとどうなるか分からない程度には飲まされていたのだった。

「それじゃ、みんな粗方つぶれた事だし、今日はお開きにしようか」
「……そうしてくれ」

 諏訪子がそういうと、将志は頷いてアグナを背負い、巫女を手に抱えた。
 そして母屋へと運び込むと将志は外でいつも通り鍛錬を行い、就寝するのだった。



 余談だが、その翌日に神社は巫女の二日酔いで臨時休業をすることになった。
 なお、生き残っていたのは神奈子と諏訪子と将志だけであり、ただ一人家事のできる将志が馬車馬のように働いたのは言うまでもない。



[29218] 銀の槍、心と再会
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 05:38
 ある日、将志が永遠亭への道を歩いていると、目の前の風景が突如として変わった。
 竹林だったはずの場所が、焼け野原になっていたのだ。

「……これはいったいどういうことだ?」

 将志は焼け焦げた竹に手をかざした。
 炭化した竹は既に冷たく、かなり時間が経っていることが見て取れた。

「……はて、アグナがここに来て暴れたのか?」

 将志は周囲を見ながらそう考える。
 少し考えて、将志は首を横に振った。

「……いや、違うな。アグナが暴れただけなら竹がこんなに折れたりはすまい。それに、アグナならもっと狭い範囲で灰化させるはずだ」

 将志の周囲の竹は燃えただけではなく、何かに当たってへし折られたような跡があった。
 更に周囲の焼け跡に人が倒れたような跡があったことから、少なくとも二人以上の人物が居たことも分かった。

「……いずれにせよ、この惨状に永遠亭の誰かが関わっている可能性が高いな……」

 将志はそう判断すると、永遠亭に向けて歩き出した。
 途中、対将志用に設置された罠を掻い潜りながら永遠亭を目指し、難なく目的地にたどり着く。

「ぐぬぬ……今日もダメだったか……」
「……いや、今日も面白かったよ。俺が人間なら、例え罠の位置が分かっていても対処できなかっただろうさ」

 罠を潜り抜けられて、てゐは悔しそうに呻る。
 将志はそれに笑いかけると、永琳が居る座敷へ向かった。

「…………」
「お帰りなさい、将志。今日は早めなのね」

 将志が座敷につくと、永琳が出迎える。
 その向こうでは、輝夜がぶすっとした表情で体育座りをしていた。
 将志は輝夜の様子が気に掛かったが、とりあえずは永琳に答えることにした。

「……ああ。仕事が早く終わったのでな」
「そう。で、今日は泊まっていくのかしら?」
「……ああ。今日やるべき仕事はほぼ終わらせたからな。後は別に明日以降でも構わん」

 将志の言葉を聞いて、永琳は嬉しそうに微笑んだ。

「ふふ、良かった。それじゃあ今日はゆっくりできるのね」
「……ああ。ところで主、一つ訊いていいだろうか?」

 将志が輝夜に視線を向けながらそういうと、永琳は苦笑いを浮かべながら答える。

「言わなくても分かるわ。何故輝夜が不機嫌なのかって話でしょう?」
「……ああ。いったい何があったんだ?」
「それに関しては私よりもてゐが知っているはずよ。ちょっと待って、呼んでくるから」

 永琳はそういうと、座敷から出て行った。
 しばらくすると、永琳はてゐと一緒に座敷へと戻ってきた。

「話は聞かせてもらったわよ。輝夜がどんな目に遭ったか知りたい?」

 てゐはニヤニヤと笑いながら将志に話しかけてくる。
 どう見ても話したくてうずうずしているようにしか見えない。

「……随分楽しそうだな……」
「ええ、それはもう♪ ふふふ、売り言葉に買い言葉、おまけに自分から喧嘩売っといて手も足も出ずにやられてんの! あ~、おかしかった!」
「うっさいわね! 今日はちょっと調子が悪かっただけよ!」

 面白おかしく笑いながら話すてゐに、輝夜が怒鳴りつける。
 しかし、てゐはそれに対して一切怯むことなく、嫌味な笑いを輝夜に向けた。

「ほっほ~? 相手に一撃も与えられずに完全封殺されておいて、ちょっと調子が悪かったねえ? それじゃあ、調子が良くても高が知れるわよ?」
「うぎぎ……あ~もう! 何であんな逆恨みに付き合わなきゃなんないのよ! 冗談じゃないわ!」

 輝夜の言葉を聞いて、将志はぴくんと眉を吊り上げた。

「……逆恨みだと?」
「ええ、そうよ! 何がお父さんに恥をかかせたよ! そんなの達成できなかったほうが悪いのよ! それも正々堂々とやればいいものを、あんな紛い物でだまそうとしたし! あ~! 思い出しただけで腹が立つわ!」
「……そうか」

 将志はそういうと考え込んだ。
 将志の記憶の中に、そんなことを言っていた人物がいるような気がしていたからである。

「何よ、笑いたければ笑えば?」
「違うわよ。心当たりがあるのね、将志?」
「……ああ。輝夜、そいつは次に来る可能性はあるか?」
「知らないわよ。でも、来たら来たで今度こそやっつけてやるんだから!」
「そう言って返り討ちにされるんですね、分かります」
「てゐ!」

 リベンジしようと息をまく輝夜を、てゐがにやけながら茶化す。
 そんなてゐを、輝夜は睨みつけるのだった。
 そんな二人を他所に、将志と永琳は話を続ける。

「それで、次に来たらどうするのかしら?」
「……その時は、返り討ちにするまでのことだ」
「そう……でも、いつ来るかは分からないわよ?」
「……そこでだ。しばらくの間、俺もここに泊り込むことにする。宜しく頼むぞ、主」
「それは構わないし、むしろ大歓迎なのだけど……仕事は大丈夫なのかしら?」
「……なに、これも俺の仕事の内だ。輝夜を倒すということは、相手も相当な強者ということだ。そういった者を管理するのもうちの管轄だ。だから、それに関して主が心配することは何もない」
「でも、連絡はしなくても……」
「……心配するな」

 将志はそう言うと、線香を取り出して火をつけた。

「……この線香が燃え尽きる前に連絡をして帰ってくる。しばし、待っていてくれ」

 将志はそういうと、縁側から文字通り神速で銀の霊峰に向けて飛び立っていった。
 そんな将志を残った面々は呆然と見送った。

「……そんなに焦らなくても、まだ時間はたっぷりあるのに……」
「ふふふ、これは自分の鍛錬をかねた彼なりの礼儀よ。待たせるのが嫌いなのよ、彼は」
「だからって、こんな限界ギリギリの速さでいかなくたって……」

 輝夜と永琳がそう言って話をしていると、庭をものすごい勢いで滑っていく影があった。
 しばらくして、その影が滑っていった方向から将志がやってきた。

「……待たせたな……宣言どおり、線香は燃え尽きていないぞ」
「……速い……なんて……アホ……」

 誇らしげに線香を指差す将志に、てゐは唖然とした表情でそう呟いた。
 その一方で、永琳は将志にねぎらいの言葉を書ける。

「ご苦労様。それで、これからどうするのかしら?」
「……実はな、随分と懐かしいものを手に入れられたのでな……」

 将志はそういうと、四角い缶を取り出した。
 それにはアルファベットで色々と文字が書かれており、ふたを開けると香ばしい香りと共に乾燥した葉が出てきた。

「それ、紅茶?」
「……ああ。先日行商人と話をしていたら、たまたま手に入ってな。久々に淹れてみようと思ったのだ」
「……ねえ、将志って紅茶の淹れ方……」
「知ってるわよ。それも、あの月夜見とほぼ同レベルのものを淹れられるわ」

 永琳は輝夜に将志の紅茶の腕前を伝える。
 すると、輝夜は首をかしげた。

「月夜見って……あのスローライフキングの月夜見?」
「ええ。あの趣味にしか頭が働いてない放蕩党首の月夜見よ」

 酷い言い草である。どうやら、二人の中では月夜見は完全にダメ党首と思われているようである。
 そんな二人の会話を聞いて将志が反応する。

「……月夜見……まさかとは思うが、マスターのことか?」

 将志がそういうと、輝夜がキョトンとした表情を浮かべて将志を見る。

「へ? マスター?」
「……ああ。確か、俺がバイトしていた喫茶店のマスターの名前が月夜見だったと記憶しているが……」
「ええ、将志。恐らくその月夜見であっているわよ」
「はい? バイト? あんたが? うそーん……」

 将志がかつてバイトをしていたと聞いて、輝夜は信じられないものを見る眼で将志を見る。
 それに対して、将志は言葉を返した。

「……嘘ではない。俺はそのマスターの元で紅茶とコーヒーの淹れ方を修行したのだ。言ってみれば、俺の第二の恩師と言ったところだ」
「……そういう言い方をされると第一の恩師が気になるわね……」

 永琳はそういうと将志に微笑みかける。
 それを受けて、将志は小さくため息をついた。

「……言わせたいだけだろう、主?」
「あら、分かったかしら?」
「……俺の一番の恩師は主に決まっているだろう。心配せずともこれは不動だ」
「ふふふ……はい、よく言えました。嬉しいわ、将志」

 将志の言葉に、永琳は満足そうにそう言って笑った。

「将志! 早く紅茶をちょうだい! 砂糖は抜きで!」
「こっちも! お茶菓子はいらないわ!」

 そんな二人を見て、輝夜とてゐがもうやってらんねえといった表情で紅茶を催促した。



 しばらくして、和風の座敷の机の上に上品な磁器のティーセットが並んだ。
 将志の手によって淹れられた紅茶は薫り高く、穏やかな午後を演出していた。

「……む、むぅ、本当に月夜見と同じ味を……」

 輝夜は将志の紅茶を飲んでそう言って呻った。
 どうやら文句のつけようのない出来だったようである。

「私にはちょっと濃いわね……」
「……失礼するぞ」

 将志はそう言って割り込むと、てゐのティーカップに湯を少し注いだ。
 突然の行為に、てゐは驚いた。

「ちょっ、何してるのよ!?」
「……紅茶は濃ければ注し湯が出来るのだ。これで大丈夫か?」

 再び差し出された紅茶を飲む。
 するとそれは程よい苦味と香りをもっててゐを楽しませた。

「……うん、これなら大丈夫よ」
「……主はどうだ?」
「……相変わらず美味しいわね。ふふふ、紅茶が手に入ってからブランクを埋めるために必死になったのがよく分かるわ」

 微笑みながらそういう永琳に対して、将志は苦笑いを浮かべてため息をついた。

「……ふぅ……主は本当に何でもお見通しだな。確かに、二億年の空白を埋めるのは一筋縄ではいかなかったぞ。だが、これからは少々値は張るが手に入る。じきにマスターとも違う、自分なりの紅茶の淹れ方を編み出して見せるさ」
「期待して待ってるわ」





「……今日で三日目か……」

 将志が輝夜を襲撃した犯人を待ち続けて、三日目の朝が来た。
 将志はいつも通り銀の槍を手に取り、庭で鍛錬を行っていた。
 すると、そこに輝夜が眼をこすりながらやってきた。

「将志~ 今日の朝ごはんは?」
「……塩鮭、ほうれん草の巣篭もり、味噌汁、白米、葡萄だ。それにしても、こんな朝早くに起きてくるとはどうかしたのか?」
「単に早く起きただけよ。それはそうと槍なんて持ち出して、鍛錬でもするの?」
「……ああ。いつも通りの鍛錬だ。それがどうかしたか?」
「……それ、毎日やってるの?」
「……ああ」
「何故そんなことするの?」
「……色々と理由はあるが、今となっては習慣になっているからだ。もっとも、原初の理由を忘れたわけでもないがな」
「原初の理由?」
「……簡単なことだ。単純に強くなりたかった。それだけのことだ」
「それで、今以上に強くなってどうするの?」
「……俺は自分が弱いとは決して思っていない。自分が弱いなどと考えるような軟弱者に、大切なものは守れん。だが、俺が強くなればなるほど、主を守りやすくなる。そして、その強さに果ては無い。故に、俺はただひたすらに強さを求める」
「それじゃあ、その先に何を求めるの?」
「……何も求めん。何故なら、俺にとって強くなることは目的ではないからだ。俺にとって、強くなることは手段でしかない。主が守れるのであれば、何も強さにこだわる必要は無いのだ。故に、俺は強さの先に求めるものなど無い」

 将志は輝夜の質問に次々と答えていく。
 すると、輝夜は呆れたようにため息をついた。

「はあ……本当に将志の頭の中は永琳のことでいっぱいなのね」

 そして次の瞬間、輝夜は引き金を引いた。

「それに、あなたまるで機械みたい」
「……なに?」

 輝夜の言葉に、将志は固まった。
 将志が眼を向けると、輝夜はいつになく無機質な視線で将志を見つめていた。

「だって、将志って自分のこと考えたことある? 自分のためだけに何かしたことがある? 何かをして心に感じた事はある? ただ他人のために働くだけだったら、機械と何ら変わりないわよ」
「……それは……」
「言っておくけど、永琳を守ることが自分のためだ、なんてふざけた事は言わせないわ。大体、貴方は何で永琳を守ろうとしているわけ?」
「……主は命の恩人だからだ。だからこそ、俺は生涯主のことを守るのだ」

 将志がそういうと、輝夜は呆れ果てたといった表情でため息をつきながら首を横に振った。

「……呆れた。あんなに入れ込んでたから余程の理由があるのかと思えば、たったそれだけなの? つまり、自分の意思に関係なくそんな使命感で永琳を守っていたわけ。それじゃあ、本当にプログラムに沿って行動するだけの機械と変わらないわ。ふん、こうしてみると永琳も滑稽なものね。永琳はロボットにずっと焦がれているんだもの」
「……黙れ。それ以上言うのなら、お前でも容赦はしないぞ」

 輝夜の口から放たれる暴言に、将志は輝夜にそう言って槍を向ける。
 しかし、輝夜はそれに怯むことなく言葉を続けた。

「あんた、怒ってんの? 怒ってるのは私のほうよ。大体、あんた永琳のことをちゃんと見てあげたことはあるの? いいえ、永琳だけじゃない。私も愛梨もアグナも、六花にだってあんたは真面目に向き合ったことなんて一度も無い! あんたは自分の課した使命感におぼれて、自分自身を置き去りにしてる! そんな奴に、絶対に人を見ることなんて出来ないわ!」
「……な……」

 輝夜の叫びに、将志は思わず言葉を詰まらせた。
 頭が輝夜の言葉を理解することを拒否する。

「恋愛感情が分からないのだって当然よ……使命感が先に立って、自分の気持ちなんて見向きもしない……ああ、違うわね。あんたの場合それすらないんだったわね」
「……楽しいと思ったり、つらいと思ったことならあるぞ」

 将志は輝夜に何とか反論しようとしてそう言った。
 しかし、それは火に油を注ぐ結果となった。

「楽しいと思う? つらいと思う? 何それ、あんたいちいち考えないと分からないわけ? そんなの、心が無いのと一緒じゃない! 楽しいとかつらいとか、そういうのは感じるものなのよ! そうやって何にも感じないのに、友達だから助ける? 友達はそんなに薄っぺらなものじゃないわよ! 心から相手を気遣えるから友達なのよ!? どうしてそんなことも分からないの……?」
「……くっ……俺は……」
「大体、あんたの顔を見れば分かるわよ。あんたの表情には感情がまるでない。きっと永琳が居なくなっても、あんたは一滴の涙も流さずに探すんでしょうね!」

 将志は輝夜の言葉に頭を抱えた。
 否定しろ、否定しろ。
 頭は必死で将志にそう命令する。

「……永琳が可哀想よ……親友だと思ってた奴が……二億年間も恋焦がれた相手が……ただの使命感で自分のことを守ってたなんてさ……永琳のことが好きだから守る、くらいのことが何で言えないの……?」

 涙を流しながら輝夜は将志に訴え続ける。
 そして輝夜は、泣き叫ぶようにして最後の言葉を放った。

「そんなあんたなんかに……永琳を守る何て言う資格はない!」


 ……その一言で、将志の中の一番大事な何かが音を立てて崩れ去った。


「……っ!」

 輝夜の言葉に耐え切れず、将志は永遠亭を飛び出した。
 空は、鈍色の雲で覆われていた。




「…………」

 降り注ぐ雨の中、将志は竹林の一角に腰を下ろしてぼんやりと空を見上げる。
 その眼は何も映さず、空虚な視線を空に送っていた。

 今まで将志は永琳のために頑張ってきたつもりであった。
 しかし、輝夜はその全てを否定して気持ちをぶつけてきた。
 ……将志は何も反論できなかった。
 そう……何故なら、思い返してみれば輝夜の言うとおりであるからだ。

 『主を守る一本の槍であり続ける』

 その誓いは将志の拠り所となると共に、心を蝕む強烈な呪いとなっていたのだ。
 その呪いはいつしか虚構の心を作り上げ、本物に成り代わっていた。
 すべては主を守るため。感情を捨て去り、使命感のみで塗り固められた仮面の心。
 それが崩れ去った今、将志を支えるものも縛るものも何もなかった。

 そんな空っぽの将志に、近づく人影があった。

「やっと見つけた……さあ、今日こそは……?」
「…………」

 その人影、妹紅は将志の様子を見て怪訝な表情を浮かべる。
 将志は相変わらず空虚な眼で空を眺めていた。
 その姿は今にも消えてしまいそうで、生気など感じられない。

「……あんた……こんなところでなにしてるんだ……?」

 そう話す妹紅の声は震えていた。
 この声の中には、別人であって欲しいというかすかな願いが込められていた。

「……妹紅、か……」

 しかし、その願いは将志の言葉によって打ち砕かれた。
 妹紅は変わり果てたかつての怨敵の姿に膝をついた。

「……違う……違うだろ……あんたはこんな奴じゃなかった……私が追いかけてきたのはこんな抜け殻みたいな奴じゃない!」

 妹紅はそう叫びながら地面を殴りつけた。
 その叫びを聞いて、将志は昏く笑った。

「……抜け殻か……くくっ、言いえて妙だな……」
「ああもう、なにがあったんだよ、あんたは! くそっ、こっち来い!」

 妹紅は将志の腕を掴むと、将志を引っ張っていった。
 雨をしのげる場所を見つけると、二人はそこに落ち着いた。

「……俺は、何だったのだろうな?」

 その場に座り込んだ将志の口から、そんな言葉が漏れ出す。
 その声に、対面に座った妹紅が顔を上げる。

「……なんだよ、いきなり?」
「……俺は、俺のことが分からなくなってしまった……」
「それはまた訳の分からない状態になったもんだな。で、それがどうした?」
「……妹紅。心って、何だ?」

 将志が質問をすると、妹紅は呆けた表情を浮かべた。

「はあ?」
「……頼む。教えてくれ」

 将志は空虚な、耳を澄ましてようやく聞こえる程度の声でそう言った。
 それを聞いて、妹紅は涙を堪えるように俯いた。

「……正直、あんたに訊かれると心底納得するよ。やっぱりあんたに心が無かったんだってね。あんたの表情、薄っぺらかったもの」
「…………」

 妹紅はため息混じりにそう話す。
 その表情は暗く、どこか悲しそうであった。
 将志がそれを黙って聞き入れていると、妹紅は立ち上がった。

「……表へ出な。私が心とは何か教えてやるよ」

 妹紅に言われるがまま、将志はその後へ続く。
 そして開けた場所に出ると、妹紅は将志と対峙した。

「将志。これから始めるのはただの勝負だ。ここには私の恨みなんて無い。むしろ、そんな状態のあんたを倒したって面白くもなんとも無い。ここにあるのは、何の意味もない試合だ。いいな?」

 妹紅は無表情のまま淡々と将志にそう告げる。
 その視線は、まるで路傍の石を見るような視線であった。

「…………」
「始めるぞ、将志。ここで燃え尽きたくなけりゃ、精一杯避けな!」
「……っ!」

 妹紅の繰り出す炎を、将志はかろうじて避ける。
 炎は将志のすぐ横をかすめ、肌を焼く。

「逃がすか!」
「……くっ」

 そこにすかさず妹紅は次の手を打つ。
 将志はそれを避けると、妹紅に向けて銀の弾丸を放った。

「そんな攻撃、当たるか!」
「……っ……」

 妹紅はそれを避けながら攻撃を仕掛ける。
 将志は攻撃を中止し、ただ避けることに専念する。
 その動きは、悉くが精彩を欠いており、かつての動きは見る影もない。
 すると、突如として妹紅の動きが止まった。

「……勘弁してよ……あんたがそんなんじゃ……泣けてくるよ……」

 突如として、妹紅はその場に泣き崩れた。
 何とか必死に感情を抑えていたが、その限界が来たのだ。
 がらんどうの将志には何故泣くのかが理解できず、首をかしげた。

「……何故……泣く?」
「だって、悲しいだろ……あれだけ必死になって追いかけてきた背中が……こんな情けないことになって……」

 妹紅はすすり泣きながら将志の質問に答える。
 妹紅にとって、将志はずっと追いかけてきた目標だったのだ。
 いつか将志を越える、その為に妹紅はずっと妖怪退治屋として修行を積んできていたのだ。
 ところが、その将志は今目の前で抜け殻のようになってしまっているのだ。
 その悲しみと絶望は、妹紅にとってとても耐えられるものではなかった。

「……妹紅……」

 将志は呆然と泣き続ける妹紅を眺めることしか出来なかった。
 降りしきる雨の中、妹紅は泣き続ける。
 しばらくすると、妹紅は俯いたまま立ち上がった。

「……消えろ……そんな無様な姿のあんたなんか……魂すら残らず消し去ってやる!!」
「……なっ!?」

 妹紅がそう叫んだ瞬間、灰色の世界が一瞬にして朱に染まった。
 周囲は炎の壁に覆われ、天蓋は熱く燃え盛っていた。
 将志は逃げ道を探すが、どこにも見当たらなかった。

「……逃がさないぞ。今のあんたなんかこの外の世界に晒してたまるか。あんたは外では綺麗なまま、この炎の檻の中で燃え尽きるんだ。死にたくなければ、私を倒して見せろぉ!」

 妹紅は頬に涙を伝わせながらその顔を憤怒に染める。
 ずっと目標にしてきた将志が、こんなどうしようもない状態になっているのが許せないのだ。
 妹紅は憎しみを視線に込めながら、将志に向かって炎を放った。

「…………」

 将志は迫り来る炎をぼうっと眺めた。
 妹紅が激情に駆られて繰り出す炎は荒々しいまでに赤く、とても熱かった。
 ふと、将志はその炎を美しいと感じた。
 そしてここで死んでしまえば、こんな美しい炎はもう見られないと思った。
 次の瞬間、将志の身体は勝手に動いていた。

「喰らえぇ!」

 将志の眼前に、再び妹紅の炎が自らを焼き尽くそうと迫ってくる。

 ――いやだ。もっとこの炎を眺めていたい。

 将志は再び炎を避けた。

「くっ、ちょこまかとぉ!」

 今度は炎を鞭のように使って横薙ぎに払ってきた。

 ――綺麗だ。もっと強い炎が見たい。

 将志は上に飛び上がって回避した。

「これならどうだぁ!」

 将志の周囲を炎の渦が包み込み、じわじわと巻き付いてくる。

 ――美しい。もっと激しい炎が見たい。少し怒らせて見ようか。

 将志はその炎を銀の槍で振り払い、自分の興味の赴くまま妖力の槍で妹紅に反撃した。

「あうっ!? こ、このぉ!!」

 上から大きな炎の柱が次々と落ちてくる。
 天蓋を焼き尽くす紅蓮の炎が、将志の周囲を一気にその色に染め上げる。

 ――素晴らしい。もっと怒らせて見よう。

 将志は炎の柱を躱すと、手にした槍で妹紅を空中に打ち上げた。

「がはっ!? く、まだまだぁ!!」

 妹紅は空中から巨大な火の鳥を将志に向けて飛ばしてきた。
 その火の鳥は妹紅の激しい憤怒の情を表すかのように、強く猛々しく燃え盛っていた。

 ――最高だ。

 将志はそれを素早く移動することで回避した。

「…………ふっ」

 気がつけば、将志は笑みを浮かべていた。
 この戦いが楽しいのだ。
 それも、今までに思ったことが無いほどに。

 今、全てのしがらみから解き放たれた将志は、誰よりも自由だった。
 そして、空っぽの将志の中に、何かが生まれたような気がした。

「……ははっ、何だよ……消してやろうと思ったとたんに良い顔になったじゃないか」

 妹紅はそんな将志を見て、嬉しそうに笑う。

「……ああ。良く分からんが、こんなに気分が良いのは初めてだ。楽しいと思うことは今までもあったが、今のような気分になったことは終ぞ無い。これが楽しいと感じることなのだな。……なるほど、思うと感じるのとでは大きな違いだ」

 将志も、そう言って笑い返す。
 その眼には、もはや空虚さなど残っていなかった。

「そう感じたんなら、あんたは立派に心を持っているよ……さあ、分かったところで思う存分やり合おうじゃないか!」
「……ああ!!」

 そういうと、二人は駆け出した。





「がふっ……あ、あんた、なんか前より強くなってるな……」

 妹紅は倒れ臥したまま将志を見上げてそう言った。
 雨はもう既に上がっており、雲の切れ間からは太陽が顔をのぞかせていた。

「……ははは、それは毎日鍛えていたからな。そういう妹紅は随分と強くなったな。見違えたぞ」

 将志はそれを聞いて嬉しそうに笑った。
 その笑みは、どこまでも明るい笑みだった。

「……あんた、そういう笑い方も出来るんだな」
「……ああ、俺も今初めて知ったよ」

 妹紅の言葉に、将志は感慨深げにそう言った。
 妹紅は傷が癒えると、立ち上がって将志に話しかけた。

「それで、これからどうするつもりだ?」
「……そうだな……まずは主に……永琳にきちんと話をしなければな……もっとも、今までのことを知られたとしたら何を言われるか……?」

 永琳に言われる言葉を想像したその瞬間、将志の胸に痛みが走る。
 それと同時に、将志の頬を一筋の涙が伝う。

「お、おい、将志!?」
「……くっ……何だ……何が、どうなっているというのだ……!?」

 次から次へと溢れ出る涙と胸の痛みに、将志は戸惑いを見せる。
 零れ落ちた涙は妹紅の炎によって乾いた地面を再び濡らしていく。
 その様子を見て、妹紅はため息をついた。

「楽しさ、嬉しさ、そして次に来るのが悲しみか……」
「……悲しみ……っく、そうか、これが悲しいと、いう感情なのか……妹紅……この場合は……どうすれば、良い?」

 どうしようもなくなった将志は妹紅に答えを求める。
 すると、妹紅は将志の頭を抱き寄せた。

「泣け、ひたすらに。そうすれば治る」

 妹紅は将志に優しくそう言って、頭を撫でた。

「……すまない。では、そうさせてもらう……」

 将志は妹紅の言葉に甘えて、初めての涙を流す。

「……やれやれ、世話の焼ける奴だ」

 そんな将志に、妹紅は苦笑いを浮かべるのだった。





「ほら、キリキリ歩け!」
「……いや、少し待ってくれ。心の準備というものがだな……」

 永遠亭までの道のりを、将志は妹紅に引きずられるようにして歩く。
 妹紅は煮え切らない将志の態度に、がしがしと頭をかいた。

「ああもう、少しは前みたいな鉄の心臓を残しておきゃ良かったのに!」
「……そうは言ってもな……寄る辺にしていた信条が崩れた今、何に縋ればいいのか分からんのだ……あと、その三歩先に落とし穴だ」
「はあ? んなわけ、ぬあっ!?」

 将志が指摘した落とし穴に、妹紅は見事にはまる。
 そんな妹紅の手を、将志はしっかりと掴んで引き上げる。

「……だから言っただろうに……」
「っと……悪い、助かった。今度から忠告聞くよ」

 そんなこんなで、しばらくえっちらおっちら歩いていくと、永遠亭が見えてきた。
 そこでは先程妹紅が罠にはまったことで様子を見に来たのか、三人とも表に出てきていた。
 なお、輝夜は気まずいのか、永琳の陰に隠れるようにして立っていた。

「……将志」
「……っ」

 永琳が一歩前に出ると、将志は思わず後ろに下がる。
 拒絶されるのが怖いのだ。
 その様子を見て、永琳は怪訝な表情を浮かべた。

「……本当に将志……? 何だか、昨日と随分雰囲気が変わったわね……」
「……永琳……俺はっ!?」

 将志が何か言おうとするまでに、永琳は将志に抱きついた。
 その力は痛みを覚えるほどに強かった。

「……馬鹿。勝手に出て行くなんて、絶対に許さないから」
「……しかし……」
「輝夜から話は聞いたわ。でも、今までの事はどうでもいいのよ。あなたが悪いと思ったのなら、これから直していけばいいわ。ただ、一つだけはっきりさせておきたいことがあるわ……んっ……」

 そういうと、永琳は将志の唇に自分のそれを合わせた。

「は?」
「へ?」
「ほ?」

 それを見ていた三人は不意を突かれて素っ頓狂な声を上げる。
 そんな面々を尻目に、永琳は話を続ける。

「……誰が何て言おうと、私の一番はあなたよ、将志。だから、心の整理がついた時にまた答えを聞かせて欲しいわ」
「あ、ああ……」

 将志は顔を背けながら答える。
 それを見て、永琳は楽しそうに笑った。

「あら? 将志、ひょっとして照れてる?」
「……っ、悪いか!!」
「……いいえ、そんなことはないわよ。むしろ今のあなたの方が楽しそうに見えて良いわ」

 永琳はそう言って将志に笑いかける。
 将志はそれを聞いて、満足そうに頷いた。

「……そうか。それなら、散々落ち込んだ甲斐があったというものだ」
「おい、そこに私の多大な努力が含まれているのを忘れるなよ!?」
「……ああ、分かっているさ。お前にはどれだけ感謝すれば良いか分からないな。何かあれば可能な限り手を貸そう」

 自己主張をする妹紅に、将志は笑顔でそう言った。
 そんな将志に対して、輝夜が永琳の影から声をかける。

「……えーっと……さっきはごめんね、将志……私、酷いこと言っちゃって……」
「……気にすることはない、輝夜。お陰で俺は変わるきっかけが掴めたんだ。むしろ礼を言わせてもらうよ」

 将志がそういうと、輝夜はホッとした表情を浮かべて永琳の陰から出てきた。

「そ、そう……それじゃあ、朝ごはんにしましょう? 朝のゴタゴタでまだみんな朝ごはん食べてないのよ。みんなで将志の朝ごはんが食べたいわ」
「そうね。特に輝夜はさっきまで将志に酷いこと言った、帰ってこなかったらどうしようって号泣してたしね?」
「ちょ、ちょっとえーりん!?」

 にこやかに微笑む永琳の言葉に、輝夜は慌てた様子で口を塞ごうとする。
 それを見て、将志は思わず笑みを浮かべた。

「……ははは、了解した。すぐに取り掛かろう」
「んじゃ、私もついでだしもらっていこうかな」

 そう言いながら、妹紅は永遠亭の中に入っていこうとする。
 その肩を、輝夜ががっしりと掴んだ。

「……あんた、何でうちの中に入ろうとしているわけ?」
「ん? だってそっちが「みんなで」って言ったんだぞ? その中には私だって入るはずだぞ?」
「あんたはそのみんなの中に入ってないの。そこらの竹の皮でも剥いで食べてなさい」
「ふん、自分の言葉の責任すら取れないのか? 言い訳が幼稚すぎるぞ、あんた」

 売り言葉に買い言葉である。
 二人の間に見る見るうちに険悪な空気が漂い始めていた。

「……この……言わせておけば……」
「……なんだ……やるのか……」

 睨みあう両者。
 その二人の間に、銀の槍が差し込まれた。

「……そこまでだ。今ここで喧嘩をするというのならば、俺が全力で相手になるが?」

 将志は額を手で押さえながらそう言った。
 それを見て、妹紅は何か面白いことを考え付いたようである。

「……面白い、だったらこうしよう。将志に止めを刺したほうの勝ち。今日の朝食と将志を景品として勝負だ」
「……おい、俺が景品とはどういうことだ?」

 妹紅の言葉に、将志が抗議の声を上げる。
 すると妹紅はそれに対する答えを返した。

「噂で聞いてるんだぞ? あんた、料理の神だろ? なら、あんたを手に入れれば食事には困らないじゃないか」
「ちょっと、そんなことで将志を賭けなきゃならないの!? 私達の大損じゃない!」

 いかにも名案であると言わんばかりに妹紅はそう言う。
 それに対して輝夜は妹紅に掴みかからんばかりの剣幕でまくし立てた。

「様は勝てばいいんだ、勝てば。それとも何か? この期に及んで怖気づいたか?」
「く~っ! やってやろうじゃない! あんたなんてけちょんけちょんにしてやるんだから!」

 妹紅の挑発に、輝夜は臨戦態勢を取る。
 しかし、そんな二人の戦いに予期せぬ乱入者が現れた。

「へぇ……面白そうね……私も混ぜてもらおうかしら?」
「え?」
「へ?」

 にらみ合っていた二人は、声の主である永琳を呆然と見つめた。

「だって、将志の主は私よ? なら、参加しないわけには行かないでしょう。てゐ、これ預けるわ。久々に本気出すわよ」

 永琳はどこからともなく弓を取り出し、自らの霊力を抑えているペンダントを取り外し、てゐに渡した。
 その瞬間、永琳は凄まじい気迫を発し始め、その場に居たものを圧倒する。

「……何この無理ゲー」
「……勝てる気がしないんだけど」

 そんな永琳を見て、二人はそう呟いた。
 その横で、将志はてゐに話しかけた。

「……てゐ、この状況に何とか収拾つけられるか?」
「……あんた、私を殺す気? 大人しく袋叩きに遭うが良いわ」
「……やるしか、ないのか……」

 将志は冷や汗をかきながら、自らの命綱である銀の槍を握り締めた。
 その後、将志にとって地獄とも思えるような壮絶な鬼ごっこが始まった。






 その日の夜、将志は疲れ果てた様子で縁側に座っていた。
 その隣には永琳が座っており、一緒に風景を眺めていた。

「……やれやれ、今日はいろいろあったな……」
「ええ、本当にね……」
「……朝の勝負は本気でどうなるかと思ったぞ……」
「後ちょっとで将志を捕まえられたんだけどね。将志の方が上手だったわ」

 朝の勝負において、永琳の無差別攻撃により輝夜と妹紅は早々に沈み、ほぼ一対一の対決となっていた。
 そのあまりの猛攻に将志は逃げることしか出来ず、永琳もまた将志を手中に収めるために全力全壊(誤字にあらず)で挑んだのであった。
 結局、その勝負は時間切れによって将志の勝利に終わった。

「……そう簡単に捕まるような鍛え方はしていないからな。とは言うものの、本気の永琳は強かったな。元々護衛のつもりで居たが、要らないのではないか?」
「あら、か弱い乙女に戦わせて、自分は高みの見物を決め込むつもりかしら?」

 永琳は将志に寄りかかりながら、そう言った。
 それに対して、将志は困ったような顔を見せて答えを返した。

「……今日の戦いを見る限りでは、か弱いという部分には大きな疑問符がつくのだが……」
「……意地が悪いわね。いや、ちょっと待てよ。いっそ将志を力ずくで手篭めに……」
「……こ、怖いことを言わないでくれるか、永琳……」

 首に手をかけようとした永琳に、将志は思わず身を引いた。
 それを見て、永琳はからからと笑った。

「冗談よ、冗談。それにしても、今日一日で随分と表情豊かになったわね。今もそうだけど、おびえる顔なんて前はしなかったし。それにどうしたの? 急に私のことを名前で呼び始めて」
「……少し思うところがあってな……しかし、今となっては何故前のような状態になっていたのかが分からんな」
「まあ、分かってしまえば簡単だったんだけどね。将志は『主を守る一本の槍』であろうとしていた。それも、『あらゆるものを貫く程度の能力』まで使って頑ななまでにね。将志は何よりも私のことを一番に考え、私のために常に全力を尽くした。同時に、私を守る手段として他者に接し、仲間を増やしていった」
「……その結果があのような不出来な機械人間というわけだ。いや、俺は妖怪だったのだから機械妖怪か。……む、語呂が悪いな」

 将志は大きくため息をつきながらそう言った。
 それを見て、永琳は苦笑いを浮かべた。

「何事もやりすぎは禁物ってことね。二億年越しに身を持って知ったわね、将志」
「……ははは、違いない。いつか永琳がそう言っていたことを思い出すよ」

 永琳の言葉に、楽しそうに笑う将志。
 そんな将志を、永琳は感慨深げに見つめた。

「その笑い方も、私は今日初めて見る。嬉しいわ、やっと将志が自分を出してくれた」
「……気付いていたのか? 俺自身気付いていなかったというのに?」
「確証が持てたわけじゃないけど、何かがおかしい気はしていたのよ。感情の変化は確かにあるんだけど、どこか空虚だったわ。でも、今はそれがない。やっと本当の将志に逢えたわ」
「……まあ、一応動いていたのは俺自身の意思ではあったのだがな」
「それでも、やっぱり感情があるのとないのとでは大違いよ」
「……そういうものか?」
「そういうものよ」

 そう言い合うと、将志は憂鬱なため息をついた。

「……ふう……しかし、ここだけでこの騒ぎでは、帰ってからまた一波乱ありそうだな……今の俺を見たら、六花辺りは発狂しそうだ」
「本当ね……そういえば、六花と言えば名前の由来は包丁の銘だったわね」
「……ああ、そうだが?」
「それじゃあ、将志の槍にも銘打たれているかしら?」

 永琳は興味深そうな眼で将志を見つめる。
 それに対して、将志は自分の銀の槍を見つめながら頷いた。

「……確かに、俺の槍にも銘は入っている。もっとも、気がついたのは俺が槍ヶ岳 将志を名乗ってからだいぶ時間が経ったときだったがな」
「それで、なんていう銘なのかしら?」
「……俺の槍の銘は『鏡月(きょうげつ)』。つまり、本来ならば俺は鏡月と名乗っているところだったのだ」

 将志は傍らに置かれている銀の槍を撫でながら、それに刻まれた銘を答える。
 その手に、永琳はそっと手を添える。

「……綺麗な名前ね。使わないでおくのが勿体無いわ」
「……では、今からでもそう名乗るか?」

 将志の問いに、永琳は首をゆっくりと横に振った。

「……いえ、名乗らないで。その名前、『鏡月』は出来ることならここに居る二人だけのものにしたいわ」

 それはほんの些細な独占欲。
 永琳の言葉には、それが如実に含まれていた。

「……そうか。ならば、俺は槍ヶ岳 将志の名を生涯通すとしよう」

 将志はそう言って、永琳に答えた。
 すると、永琳は添えた手をキュッと握って将志の手を掴んだ。

「……実はね……私も、本当は永琳って名前じゃないのよ」
「……そうなのか?」
「ええ……」

 将志の問いかけに、永琳は肯定の意を示す。
 それに対して、将志は躊躇いがちに問いかけた。

「……聞いてもいいのか?」
「良いわよ……いえ、あなたにだけは聞いて欲しい。私の本当の名前は、××」

 永琳は将志の耳元で囁くように自分の本名を告げた。
 将志はそれをかみ締めるように、しばらく眼を閉じていた。

「……それが本当の名前か……月並みだが、良い名前だな」
「気に入ってもらえて嬉しいわ。……ふふっ、二人とも偽名でお揃いね、私達」
「……ははは、確かにそうだな。俺達はお揃いだ」

 二人はそう言って嬉しそうに笑いあう。

「ねえ……」
「……どうした、んむっ……!?」

 永琳は向かい合うと、おもむろに将志の唇を奪った。
 頭を抱え込み、将志の唇を少し強めに吸う。

「……んちゅ……これであなたは私の一番……あなたの一番は誰、鏡月?」

 永琳は紅潮した顔で将志に向かって、本名を呼びながら問いかける。

「…………」

 しかし、将志からの返事が返ってこない。
 その様子に、永琳は首をかしげた。

「……鏡月?」
「……はっ!? 一瞬、意識が……すまない、もう一度言ってもらえるか?」

 永琳が再び声をかけると、将志は息を吹き返した。
 それを見て、永琳は面白そうに笑った。

「ふふふ……ひょっとしてびっくりして意識が飛んだのかしら? 良いわよ、何度でも言うわ。あなたの一番は誰、鏡月?」
「……そうだな……」

 将志は少し考えると、永琳の頬にキスをした。
 唇を頬に押し当て、軽く吸いながら舌で少しなめる。

「……すまん、今の俺にはこれが限界だ……俺はまだ、自分の気持ちがどうなっているのかが分からない。だが、はっきりと言える事は俺は永琳を好いている。それだけは確実だ」

 将志は永琳の眼を見て、今の自分の嘘偽り無い気持ちを伝えた。

「…………」

 しかし、今度は永琳からの応答がなかった。
 永琳は呆けた表情で、将志の顔を眺めている。

「……永琳? どうしたのだ?」
「……い、いえ……前に唇にキスされた時よりも破壊力があったものだから……それより、少し物申したいことがあるわ」
「……永琳?」
「それよ。せっかく私が鏡月って呼んでるんだから……」

 永琳はそう言いながら不満げに頬を膨らませる。
 すると将志はハッとした表情を浮かべた。

「……××」
「ふふっ、宜しい♪ あなたとはもっとじっくりと話がしたいわ。まだ夜は長いことだし、今日は思い切り甘えさせてもらうわよ」

 永琳はそういうと将志の膝の上に乗った。
 それに対して、将志は微笑みながら答える。

「……俺の心が耐え切れる程度で頼むぞ? どうにも、前とは勝手が違うようだからな」
「……善処なんてしないわよ?」
「……いや、そこは嘘でも善処すると言ってくれ……」

 永琳の発言に、将志は若干冷や汗をかきながら答える。

「……××」

 ふと、将志が永琳に話しかける。

「ん? なにかしら?」
「……今までろくでもないことをしていた俺だ。こんな俺でも、また主と呼ばせてもらって構わないか?」

 将志は少し緊張した面持ちで永琳にそう問いかけた。
 すると、永琳は笑って将志を抱きしめた。

「……何言ってるのよ。あなたのことは、例えあなた自身が泣きながら頼んだって手放してあげないわ。喜んでそう呼ばれてあげるわよ」

 永琳がそういうと、将志は安心した表情を浮かべてため息をついた。
 そんな将志に、永琳は更に言葉を投げかけた。

「でも、こういうときくらいは対等で居ましょう、鏡月?」

 そう話す彼女の笑顔は、何よりも綺麗だった。



[29218] 銀の槍、感知せず
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 11:38
 将志が永遠亭で心を取り戻してからというもの、関係者は大騒ぎとなった。
 特に銀の霊峰の面々は将志の変貌に大パニックとなり、暴走したところを将志が武力で鎮圧に掛かる事態となった。

 そして数日後、将志と関係の深い者が集まって話し合いをすることになった。

「え~っと、状況を確認するよ♪ まず、将志くんが自分のことを考えるようになって、主様から少し独立したんだよね?」
「それで、そのお兄様は今どうなってますの?」
「今は別の部屋で寝てるぞ。顔が真っ赤だったから熱でもあるんじゃねえか?」

 将志は現在、話し合いが行われている部屋とは離れたところで伸びている。
 アグナが言ったとおり、その顔は真っ赤に染まっていた。

「……お師さんに、何があったんでござるか?」

 涼の言葉に、全員の視線が客人に向けられる。

「ああ、それなら私がさっき少し将志のことを弄ってみたんだが……そうしたらああなった」
「いったい何をしたのかな、藍ちゃん?」
「最初は仕事の報告がてらうちに来てな。変われたのかどうか分からないから、確認する方法はないか、と言われたから、抱きついたり接吻したりその他諸々を。で、今回再確認のためにもう一度同じことをしてみた」
「……色々と問いただしたいことはありますが今は不問にしますわ。それで、どうでしたの?」

 藍の報告を聞いて、六花が額に手を当てながら藍にジト眼を向けた。
 すると、藍はため息をついて肩をすくめた。

「……断言しよう。今の将志は紫様と同格だ。いや、抱きついても平気な分だけ紫様よりはマシか。だが、接吻の段階で脈拍が乱れ始め、色々弄りだした段階で精神が限界を迎えた。正直、男としてはもう少ししっかりしていて欲しいものだ」

 ちなみに比較対象となった紫も将志と同じ部屋で伸びている。
 藍の指示によって将志がそっと抱きしめて愛の言葉を囁いたところ、あっという間に頭がパンクしたのだった。
 なお、愛の言葉は将志が条件反射で発したものであり、藍の指示には入っていなかった。
 恐るべし。

「でも、何でこんなことになったんだ? 兄ちゃん、俺が思いっきり接吻した時だって全然平気だったのによ」
「……将志が言うには以前までは相手の行為を特に意識していなかったらしいのだ。ほら、良くあるだろう、自分が何か窮地に立たされた時、自分を人形か何かだと思い込むことでそれをごまかそうとする奴だ。今まではいつもその状態だったらしい」
「それに……たぶん、好意を受けることにも慣れてないんじゃないかな? 今まで全部受け流していたのを受け止めることになったけど、それに心も身体も慣れてないんだと思うよ♪」
「しっかし、兄ちゃんって女が苦手だったんだな~……その割には、くっついたり一緒に寝たりするのは大丈夫みたいだけど、何でだ?」

 アグナは困ったように頭をかきながらそう言った。
 それに対して、藍がため息混じりに答えを返した。

「……そこは教育の賜物だろう。六花の教えの中には、相手を抱きしめたりするものもあったからな。というか、現に私がそれで堕ちた口だ」
「お、おほほほほ……ほ、本当に申し訳ないですわ」

 藍の言葉を聞いて、六花は乾いた笑みを浮かべた。
 その謝罪に対して、藍は首を横に振った。

「いや、これに関しては良くやったというべきだろう。流石に触られたりするだけで過剰反応するようでは手に負えないからな。抱きついたり出来る分まだ救いがある。だが、ある一定以上の男女間の接触となると途端に弱くなるんだ、将志は」
「で、どうやって直すんですの?」
「それはもう慣れさせるより他ないだろう。ただ、あまりやりすぎると逆に症状が悪化したり逃げ出したりするだろうから、少しずつ慣らしていったほうが良いだろう」
「……藍ちゃん、随分と手馴れてるね♪」

 愛梨がそういうと、藍は薄く笑みを浮かべた。

「ふふふ……こういう経験ならそれなりに積んでいるからな。ご希望とあれば、男を飼いならす方法くらい教えるぞ?」

 藍の言葉に、その場にいた者は若干引く。
 しばらくの静寂の後、六花がそれを何とか破る。

「……この面子だと使う相手がお兄様しか居ませんわよ」
「ん? ここの連中に使ってもいいんだぞ? 馬鹿な男は女に簡単に踊らされるから、思いのままに操ることだって出来るぞ?」

 藍はそういうとニヤリと笑った。
 その経歴から考えると、藍の言葉は洒落になっていない。

「黒い、黒いですわよ、藍! というか、やったことあるんですの!?」
「いや、ない。ただ方法を知っているだけだ。第一、そんなことをしても将志みたいな奴は大体引っかからないし、使う意味がない」

 藍は残念そうにそう言って首を横に振る。
 つまり、意味があれば使ったのかもしれない。
 皆がそう考える中、アグナが声をあげた。

「そんで慣らしていくのはわかったけど、誰がどうやって慣らしていくんだ?」
「う~ん、将志の嗜好が分かれば考えようはあるんだがな……」

「…………」
「…………」
「…………」

 愛梨、六花、アグナの三人はその場で黙り込んだ。
 何故なら、問答無用で将志に好かれる存在に心当たりがあったからである。

「……なるほど、銀髪で、瞳の色は黒、知的で落ち着いた雰囲気で、大人びた印象だな……三人とも随分と具体的じゃないか」
「なあ!? 狐の姉ちゃん、今何やったんだ!?」

 突如藍が口にした言葉に、アグナが慌てて声を上げた。
 藍の目の前には藍色に光る妖力の玉が浮かんでおり、そこに三人の心の中が映し出されていた。

「私を甘く見ないで欲しいものだな。お前達より力は劣るが、妖術の扱いまで負けた覚えはない。心の情景を読むくらい訳のないことだ。それで……誰なんだ、今の女は?」
「……そ、それは……」
「ほう……将志の主、名前は八意 永琳か。ぜひとも会ってみたいものだな。それで、どこにいる?」
「あ、あの、藍ちゃん?」
「……迷いの竹林……その中の屋敷、永遠亭か。そうか、そういうことか。ようやく繋がった。あの竹林にあふれる力は将志のものか」

 質問するごとに藍は三人の心の中を見て、答えを得ていく。
 その鬼気迫る雰囲気に、アグナが冷や汗をかきながら声を上げた。

「……こ、こえ~……これ、あれか? 妖怪の兄ちゃん達が言ってた狂気って奴か?」
「ああ、そのとおりだ。愛情というのは最もありふれた、それでいて一番強い狂気だからな。さて、行くとしようか」
「行くって……まさか貴女!?」
「決まっているだろう? 永遠亭だ」
「あ、ちょっと待ってよ!?」

 藍が部屋を出て空へ飛び立って行くと、心を読まれた三人組はその後に続いて出て行く。
 その後姿を、涼は苦笑いを浮かべながら見送った。

「……愛に狂った者は怖いでござるな……お師さんもなかなかに業が深い……」

 涼がそう呟くと、扉を叩く音が聞こえてきた。

「む、客人でござるか? すぐに参るでござる!」





「ええと……突然押しかけてきてどうしたのかしら?」

 ところ変わって永遠亭。
 突然の来客に対応したのは、八意 永琳その人だった。

「きゃはは……ごめん、ちょっとトラブルがあってね……」
「トラブル?」

 苦笑いをする愛梨に永琳は首をかしげる。
 すると、愛梨の前に藍が出てきた。

「初めまして。貴女が八意 永琳だな?」

 永琳はそう話す藍を見て、スッと眼を細めた。

「……金毛の九尾……そう、あなたが将志の話していた藍って子ね? どうしてここが分かったのかしら?」
「そこの三人から聞き出させてもらったよ。少しばかり反則技を使わせてもらったがな」
「反則技ね……そんなことをしてまで私に何の用かしら?」
「なに、少し挨拶をしに来ただけだ」

 永琳の問いかけに、藍は微笑を浮かべてそう言った。
 それに対して、永琳もまた笑い返す。

「ふふふ、あなたがするのは挨拶の名を借りた宣戦布告ではないのかしら?」
「そう焦ることもないだろう。それに別の話もある。まずはお互いのことを知るところから始めようじゃないか」
「まあ、それも良いでしょう。それじゃあ、中へどうぞ」

 永琳に案内されて一行は座敷へと向かっていく。
 すると、前からうさ耳の少女が歩いてきた。

「あれ、お師匠様? その人誰?」
「ああ、藍って言って将志の知り合いよ。お茶を準備してくれるかしら?」
「ん、わかった。それから、たぶん姫様が燃え尽きてるころだと思うから後で回収に行くよ」
「ええ、お願いするわ」

 てゐはそういうとお茶を用意しに台所へと向かった。
 座敷につくと、一行は四角い長机の前に座る。
 ちょうど永琳と藍が向かい合うように座り、愛梨達はその横に座る形である。

「さてと、まずは自己紹介から始めましょう。私は八意 永琳。将志の主よ。まあ、たぶんあなたは知っているでしょうけどね」
「八雲 藍だ。種族は妖狐。将志とは今のところ友人、更に言うならば師弟関係だ。もっとも、将志のことだからこれくらいのことは話していると思うがね」

 自己紹介から相手にけん制を仕掛ける二人。
 話し合いを始めて、早速周囲にプレッシャーが掛かる。

「それで、何を話すのかしら?」
「そうだな……まず、ここにいる者で普段将志がどんな行動をしているのか情報交換をしようか」
「いいわね。私が見ていない間の将志を知るのにちょうど良いわ。愛梨達にも話してもらうわよ?」
「え? 僕達も話すの?」

 突然話を振られて、愛梨はキョトンとした表情を浮かべた。
 それに対して、永琳がため息混じりに話を続ける。

「当たり前じゃない。むしろ一番話すべきなのはあなた達よ? さあ、話しなさい」
「えっと……普段将志くんはうちにいるときは大体勉強か仕事をしてるよ♪」
「勉強? 何の勉強だ?」

 愛梨の話を聴いて藍が質問をする。
 すると、その質問にアグナが答えた。

「あ~っと……確か最近読んでた本は図鑑だな。草とか木の実とかキノコなんか調べた奴を確認してたぞ?」
「私が確認したときは動物図鑑でしたわ。特に毒を持った生き物について念入りに調べてましたわね」
「そういえば、この前将志は毒を持った生き物をたくさん捕まえてきたわね。お陰で血清の備蓄が充実したわ」

 将志は永琳のところに様々な毒を持った生物を生け捕りにして来ていた。
 また、ヒュドラやマンティコアのような連れて帰れない生物は毒だけ抜き取って持ってきていたのだった。

「後は僕達と特訓したり、料理の研究をしたり……あ、あと一緒に見回りをしたりしてるよ♪」

 その愛梨の言葉を聞いて藍と永琳はジト眼を愛梨に向かって向けた。

「見回りか……ものは言い様ね」
「私からしてみれば逢引と変わらん気もするがな」
「ち、ちゃんとした仕事だよ~!」

 二人の言葉を、愛梨は必死に否定するのだった。
 そして、話が途切れたところで今度は藍が話を始めた。

「それじゃあ、次は私だな。私とは戦闘訓練をした後、一緒に昼食を作り、時間があれば演奏を聴いたりしているな」
「演奏? 何のことかしら?」

 藍の言葉に、今度は永琳が疑問を抱く。
 それに対して、アグナが何か思いついたように声を上げた。

「もしかしてあれか? あこーでぃおんって奴」
「それだ。将志が練習の成果を私に聴いて欲しいって言ってきてな。それ以来将志の演奏を聴かせてもらっているよ」
「そっか~、最近上手くなったと思ったらそういうことをしてたんだ♪」

 将志の演奏技術の上達を素直に喜ぶ愛梨。
 その横で、永琳が悔しそうな表情を浮かべた。

「聴いてみたいけど、ここじゃ聴けないわね……外に出られないのがこんなにもどかしくなったのは初めてだわ」
「出られないだと? どういうことだ?」
「……それはこの場では関係ないことよ」

 月の人間に追われている現状、永琳達は発見されるわけにはいかない。
 また、どこに耳があるか分からないため、将志が永遠亭でアコーディオンを演奏することも叶わないのだった。
 そんな永琳に対して、六花が話しかける。

「それじゃあ、最後にここでのお兄様の生活を話してもらいますわよ」
「良いわよ。ここでは将志は基本的にお茶を淹れたり料理をしたりすることが多いわ。後は私の話し相手によくなってくれるわ」

「…………」
「…………」
「…………」
「…………」

 永琳の言葉に、全員押し黙る。
 何故なら、ある一点において決定的な違いがあるからなのだった。

「そういえば……」
「お兄様がただ世間話をするだけって、ほとんどないですわね……」
「……いいなぁ……」
「いつも大体は何か用事があったり、実のある話しかしないな……」

 四人は羨ましそうに永琳を見つめる。
 それを受けて、永琳は首をかしげた。

「あら、そうなの? 将志ってあの性格の割には結構おしゃべりだと思っていたけど、違うのかしら?」
「ううん、将志くんはあの性格通り自分からはあんまりしゃべらないよ♪」
「精々が話しかけられたからそれに答える、というくらいだな」
「それ以外は、大体何か別のことをしてますものね」
「そうだよなぁ……」

 実際問題、将志は滅多に自分から話をすることはない。
 基本的に将志は上昇志向が強く、暇があれば自分を磨く性格である。
 そんな彼が取り留めのない世間話をすると言うことは稀なのであった。
 それを聞いて永琳は嬉しそうに笑った。

「ふふっ、それじゃあその点に関しては私のほうが一歩進んでるってことね」
「ふっ、だが、確実に私の方が進んでいる部分もあるぞ?」
「あら、それは何かしら?」

 不適に笑う藍に対して周囲の視線が集まる。
 そして、藍は口を開いた。

「……将志を脱がせて見たことはあるか?」

 その瞬間、一瞬時が止まった。

「……え」
「……藍ちゃん? どういうことかな?」
「……まあ、元はといえばただの事故だったのだがな。この前将志をうちに泊めたときに、うっかり将志が風呂に入っているのを忘れていてな」
「それで、どうしたんですの?」
「仕方がないから一緒に入った。で、ついでだから抱きついてみた。流石に今の将志には刺激が強かったのか、あっという間にのぼせ上がっていたがな。あと、身体を磨く手ぬぐい代わりに私の尻尾を」

 仕方がないにしては、このお狐様ノリノリである。
 やりたい放題な内容に、六花が盛大にため息をついた。

「……何やってますの、貴女は……」
「ん? 少しでも女に慣れてもらおうという真心だ。……まあ、少し刺激が強すぎたかもしれないが」
「貴女は少しという言葉を辞書で調べなおしてきてくださいまし!!」

 悪びれもせずにそう言い放つ藍に、六花が叫んだ。
 六花がそう叫ぶ横で、考え込む姿が二つ。

「将志とお風呂か……」
「兄ちゃんと風呂か……」

「君達も何を考えているのかなぁ!?」

 よからぬことを考える永琳とアグナを愛梨はそう言って止めようとする。
 それに対して、藍が横槍を入れた。

「そうは言うが、私からしてみればお前達が初心過ぎると思うぞ? 将志だって男だ、今はああだがいつ変貌するか分かったものではないし、やはり男女の行き着く先にアレがあるのは確実なわけだからな。まあ、それが全てとは言わないが」
「……あの、私実妹ですわよ……?」

 将志とお揃いの銀髪の実妹がそう言ったが、その言葉は見事にスルーされた。

「ところで、お前は風呂に入って大丈夫なのか? 炎の精だろう?」
「ん~? 兄ちゃんに加護を掛けてもらえば入れねえことはねえぞ? さっぱりしてえ時とか、割と水浴びとかしてっし。そん代わり、兄ちゃんがいねえと出来ねえけどな」

 将志は戦神や料理の神として有名であるが、本分はあくまで守護神である。
 その加護を直接受けていれば、例え炎の妖精であるアグナでも風呂に入れる程度にはなるのだ。
 風呂好きの炎の妖精とは、これ如何に。

「……まあ、いいか。間違いが起きたらそれはそれで……」
「あ、あの~永琳さん? さっきから何を考えてるのかな~?」

 永琳の呟きに愛梨が冷や汗を流しながら問いかける。
 その質問に、永琳は即答した。

「将志の合意が得られたら一緒にお風呂に入ってみようと思っていたのよ」
「いや、でも、恥ずかしくないの?」
「何を恥ずかしがる必要があるのかしら? 私は将志になら全て曝け出せるし、全てを受け止めてあげるつもりでいるわよ?」

 永琳は何も苦にせずそう言い切る。
 その様子から、その言葉が本気であることが見て取れた。

「言い切ったな……」
「当然。二億年間想い続けた相手だもの。それくらい訳ないわよ」
「う、うう~……僕だって、隠し事はしてないもん……」

 平然と言い切る永琳の横で、愛梨が顔を真っ赤にしながら眼に涙をためてそう呟いた。
 その様子に、藍は大きくため息をついた。

「……やれやれ、敵は思った以上に強大だな。これは全力で堕としに掛からないと盗られそうだ」
「あら、宣戦布告するのかしら?」
「ああ。悪いが、将志は私がもらう」

 藍は永琳と愛梨に向かって力強くそう宣言した。
 それを聞いて、永琳は不敵に笑った。

「ふふふ……まあ、精々頑張ればいいと思うわ」
「……随分余裕だな」
「当たり前じゃない。将志は必ず私のところへ戻ってくる、私はそう信じているもの。でもね、それだけじゃまだ足りないのよ」

 永琳はそういうと、ピエロの少女に向かって人差し指を向けた。

「……だから愛梨。私はあなたに宣戦布告する。あなたの持つ相棒の座、いつかこの手に収めて見せるわ」

 そう話す永琳の眼は本気で、将志の全てを欲しがっているようであった。
 それを受けて、愛梨は俯いた。

「……それは譲れないなぁ……ううん、それだけじゃない……僕だって将志くんが好きなんだ、絶対に負けないよ!」

 愛梨は顔を上げると、そう叫んで相手を見返した。
 その眼には、確かな決意が込められていた。

「ふふっ、それじゃあこの時点を持って戦闘開始……とは行かないのだ、これが」

 藍の言葉に、周囲の人物の力が一気に抜けた。
 訳が分からず、六花が藍に声を掛ける。

「……いったい何だって言うんですの?」
「あの将志のことだ、いつどこで新しく女を引っ掛けてくるか分かったものじゃない。それに将志自身が本当の意味で女に慣れていないし、そもそも興味を持っているかどうかすら怪しい。そこで、だ。将志が女に慣れて、興味がこっちに向くまで共同戦線を張ろうと思うのだが、どうだ?」

 その話を受けて、永琳と愛梨は考え込んだ。

「確かに将志の様子を見る限り、意識はしても興味を持っているとは言えないわね……良いわ、手を組みましょう」
「そうだね♪ 興味を持ってもらえないと、どんなに面白い芸も見てもらえないもんね♪」
「良し、そうと決まれば早速作戦を練ろうじゃないか」

 藍は愛梨と永琳と一緒に今後将志にどう仕掛けていくかを話し合い始めた。
 その様子を、置いてきぼりにされた二人がジッと眺めていた。

「……なあ、俺達ってここに何しにきたんだっけか?」
「……私にはさっぱりですわ……折角ですし、輝夜に追い討ちでも掛ける事にしますわ」
「そっか。んじゃ、俺は散歩でもしてくる。輝夜の姉ちゃんを倒した相手には興味があるし」

 そう言いながら、六花とアグナは座敷から出て行った。




 一方そのころ、銀の霊峰では。

「……茶でも飲むか?」

 縁側に座っている紅葉の神様に、将志はそう問いかける。
 何故静葉がここにいるかというと、将志が自分が居る幻想郷にいると知って挨拶に来たからである。

「……(こくん)」
「……了解した。しばらく待ってくれ」

 静葉が頷くと、将志は準備をしに台所へと向かう。
 しばらくして、将志は盆に湯飲みとお茶請けの饅頭を乗せて戻ってきた。
 もちろん、饅頭は将志のお手製であり、中身は決して以前幽々子が食べた七色の味ではない。

「……茶が入ったぞ。それから、ついでにこれも食べるといい」
「……ありがと……」

 静葉はお茶を一口飲むと、饅頭を食べ始めた。
 饅頭は少し大きめで、静葉は両手で持って饅頭を食べる。

「……(はむはむ)」
「……美味いか?」
「……(こくこく)」
「……それは良かった」

 静葉が問いに頷いたのを見て、将志は優しく微笑んだ。
 それを見て、静葉は将志の顔を見ながら首をかしげた。

「……前より優しくなった……?」
「……ふふっ、かも知れないな」

 静葉の言葉に将志はそう言って笑う。
 そんな将志に、静葉は寄りかかった。

「……どうした?」
「……この方が楽……」
「……そうか」

 その後、二人は縁側に寄り添うように座りながら日向ぼっこを楽しんだのであった。




「……お師さん……拙者はお師さんが後ろから刺されないかが心配でござるよ……」

 その様子を、門番が不安そうに見つめていたのは余談である。



[29218] 銀の槍、心労を溜める
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 11:48
 将志が洗い物をしていると、白いドレスに紫色の前掛けをかけた女性が空間の裂け目から現れた。
 将志はその気配に洗い物を中断して振り向くと、その場に固まっている女性に声をかけた。

「……紫か。今日は何の用だ?」
「……ちょっと荒事を頼みたいのよ」

 将志は紫の言葉に小さくため息をついた。

「……また随分と唐突だな。荒事が必要な事態が起きるのか?」
「ええ。というか、ひょっとしたら幻想郷中が大騒ぎになるでしょうね」

 紫は薄く笑みを浮かべながらそう話す。
 それを聞いて、将志の表情が一気に引き締まった。

「……用件を聞こうか。うちの山の連中を総動員するとなれば、それ相応の騒ぎになるはずだからな」
「そうね……まず、最近になって随分と妖怪が増えてきたと思わない?」
「……そうだな……今までこの日の本の国には居なかった妖怪が一気に増えたな」
「そこで、幻想郷自体を結界で隔離しちゃおうってわけよ」
「……相変わらず話の脈絡が繋がらんな……が、そうせざるを得ない事態が迫ってきているのだな?」

 話が繋がらない紫の言葉に、将志は額に手を当ててため息をつく。
 そんな将志を見て、紫は楽しそうに笑った。

「ええ。まあ、これをするともう幻想郷と外の世界を自由に行き来することは難しくなるわ。いえ、実質不可能と見たほうがいいでしょうね」

 紫がそういうと、将志は納得したように頷いた。

「……なるほど、そんなことをすれば妖怪達は黙っては居ないだろうな」
「ええ、だからお願いできるかしら?」
「……結論から言おう、今回に限ってはうちの山の連中も当てには出来ん」

 将志は紫の問いに、眼を伏せながらそう答えた。
 それを聞いて、紫は首をかしげた。

「……どういうことかしら?」
「……確かに、今俺はこの銀の霊峰を統治している。だが、それを成しているのは規律でも法でも力ですらない。あくまで個人の感情なのだ。今回の件、銀の霊峰内で分裂が起きたとしても全く不思議ではない」

 現に将志は銀の霊峰において人員の管理こそすれ、特に規律も戒律も布いていない。
 将志は何をしていたかと言えば、積極的に下の様子を見に来て話をしていた。
 銀の霊峰の妖怪にとって、将志は指導者であると同時に、目標であり友人でもあるのだ。
 将志が心を取り戻してからと言うもの、その繋がりはさらに強化されていたのだった。
 しかしそれ故に、彼らを縛れるものは何もなかった。
 紫はそれを聞いて扇子を口元に当てながら話を続けた。

「それは貴方が見限られるということかしら?」
「……どうだろうな。見限る者も居るだろうし、説得を試みるものもいるだろう。いずれにせよ、一度話し合う必要性がある」
「そうね。この結界は妖怪達のための物。それを理解させるのは難しいかもしれないけど、根気良く説得しなければね」
「……そうだな。ところで、この結界に関して質問なのだが、どこまでが範囲になるのだ?」
「そうね……東の果ては博麗神社、というところしか決めてないわ。後は人里と妖怪の山、銀の霊峰、太陽の畑、冥界、地底の入り口、迷いの竹林、魔法の森……主立った所はそれくらいね」

 将志はそれを聞いて安堵した。
 もし、迷いの竹林が対象外になっていた場合、将志は永遠亭の存在がバレるのを覚悟で頼むつもりであったからだ。

「……もう一つ質問だ。妖怪や人間にはどう説明するつもりだ?」
「そこが一番の問題ね……人間は良いのよ。まだ理屈で分かってくれる人が多いし、反発しても押さえ込もうと思えば抑え込めるから。問題は妖怪達なのよね。外から人間をさらって来る者からすれば、死活問題になりかねないものね」
「……だが、そこはもう考えてあるのだろう?」
「もちろん。世の中には神隠し、と言う言葉があるものよ」

 それは妖怪の食糧問題に対する解決策を端的に示した答えだった。
 しかし将志の表情は晴れない。

「……それはさておき、本気でどうするつもりだ? 確かに解決策は用意してある。だが、相手を納得させられるかは別問題だ」
「そうなのよね……これだけやれば十分と思うのだけど……」

 その紫の発言に、将志は首をゆっくりと横に振った。

「……一つ言っておこう。いくら説得しても、絶対に全ての妖怪達を納得させることは出来ない。これは確実だ」
「……それは何故かしら? 自らの存在は保障されるし、食料にも困らない。その上で何故?」

 紫は薄ら笑いを浮かべながら将志に問いかける。
 将志は額に手を当てて、呆れ顔で答えた。

「……分かっていて言っているだろう? 妖怪の最大の敵は退屈だ。人間をさらってくることを生きがいにしている妖怪は間違いなく反発するぞ」

 将志のその言葉に、紫は陰鬱な表情でため息をついた。

「はあ……そうよね……その一点だけがどうしても解決できないのよ……ねえ、その辺りここの妖怪達で何とかならない?」

 紫は将志に人間をさらうと言う行為を妖怪との闘争で代用できないか訊いてみた。
 しかし、将志は首を横に振った。

「……無理だ。妖怪と人間では違いすぎる。相手と戦うのと、玩具で遊ぶのとでは違うものだ」
「あら、まるで人をさらったことがあるかのような言い回しね?」
「……実際にさらったことがあるが?」

 将志がそういうと、紫は眼を点にした。
 今までの将志の行動原理から言って、人をさらう要素が全くないからである。

「……はい? いつ?」
「……随分と前に、この神社を建築する時だ。作業的なものではあったが、周囲に見つからずに人をさらって来るというのは、今思えばなかなかに面白いものだったぞ?」

 将志はそういうと、当時を思い出して楽しそうに笑った。
 紫はそれを見て乾いた笑みを浮かべた。

「……良くそれが癖にならなかったわね?」
「……ははは、当時の俺は愚直な虚け者だったからな。それに、俺はやはり強者と戦ったほうが楽しい」
「そうよね、貴方はそういう人だったわね。それにしても、何とかならないものかしら……」

 将志が発した言葉に、紫はため息をつきながら肩をすくめた。

「……まあ、それに関しては後でいいだろう。一番の問題は結界を張ることだ」
「ええ、そうね。当日、間違いなく妨害しようとするでしょうね、反対派は」
「……それを防ぐのが俺達の役目だ。味方もきっと少なくはないだろう。古くから存在する理知的な妖怪は味方についてくれることだろう」
「お願いするわ。貴方達のことは信頼しているわよ」

 将志と紫はそういうと笑いあった。
 しばらくすると、紫は将志に対して質問をした。

「……ところで、その格好は何?」
「……む? 服が汚れないようにする前掛けだが?」

 今の将志の服装は、いつもの小豆色の胴衣に紺色の袴、そしてピンク色のフリルが付いたエプロンだった。
 紫はその珍妙な格好に引きつった笑みを浮かべる。

「……どこで手に入れたのかしら?」
「……大陸からやってきた妖怪からだ。服に油染みが付いたりしなくて助かる」

 ちなみに、エプロンを送った妖怪は将志が家事をしているなどとは欠片も思っておらず、美的センスも正常であることを明記しておく。

「そ、そう……それじゃあ、他のところに説明に行かせてもらうわね」

 将志は紫がスキマに入っていくのを見送ると、洗い物を再開した。






「……ということなのだが、お前達はどう思う」

 しばらくして、将志は銀の霊峰の重鎮達を集めて説明を行った。
 意見を求めると、全員黙り込んだ。

「……正直に言うと、俺はあんまりその結界を張るのは乗り気じゃねえ。乗り気じゃねえが、大将の言うことも良く分かる……俺は大将に合わせる」

 一人は苦い顔をしながらそう答える。

「私は聖上に付き従うのみだ」

 一人は無感情で淡々と答える。

「御大が納得しているなら特に言うことはない。だが、全ての者が納得するとは到底思えないな」

 一人は賛同しつつも不安な点を指摘する。

「そのときは我々で殿を支えるべきであろう。某は殿に最後まで仕える所存であります」

 一人は将志の前に跪き、そう言いながら忠誠を誓う。

「……この山の連中は任せたぞ……離脱者も含めてな」

 将志はそれらの声を聞くと、眼を閉じたまま立ち上がり、そう言って部屋から立ち去った。
 その声には、自分を支えてくれる面々への感謝の意が込められていた。



 将志が説明をしてから数日たった。
 将志が危惧したとおり、銀の霊峰は結界賛成派と反対派に分かれ、対立を始めていた。
 その結果、反対派は銀の霊峰を出て行き、ストライキを始めたのだった。
 そんな中、本殿では将志達が集まって話し合いを始めようとしていた。

「……兄ちゃん……ここも、随分と寂しくなっちまったな……」
「……そうだな……」

 寂しそうにそう話すアグナに将志は呟くようにそう返す。

「……結界に反対のみんなは出ていっちゃったもんね……」

 寂しげな二人に合わせるように愛梨が口を開く。
 そんな中、六花が折りたたまれた紙を持ってやってきた。

「お兄様、反対派から嘆願書が届いてますわよ」

 六花の持つ紙には、結界に対して考え直すようにと言う訴えが書かれていた。
 将志はその嘆願書に眼を通すと、力なく首を振った。

「……だが、俺達はそれに答えるわけにはいかない。あの結界には、妖怪の未来が掛かっていると言っても過言ではない。この結界だけは絶対に実施せねばならんのだ」

 将志がそういうと、六花が深々とため息をついた。

「それをお分かりいただければ、反対なんてすることはないでしょうに……よくも悪くも、妖怪には刹那主義が多いですわ」
「……いずれにしても、俺達のやることは変わらない。相手が誰であれ、全力で当たるのみだ」
「現実問題として、抑えきれますの?」
「……約半分が抜けたとはいえ、銀の霊峰にはまだ古くから付き合っている連中が残っている。戦力的には抜けた連中を抑えるには十分だ。それに、妖怪の山の天狗達は全員が味方だ。……恐らく数としては遅れを取るだろうが、やってやれないことはない」
「話は大体分かったでござるよ。それで、この五人だけで集まったと言うことは我々は特別にすることがあるんでござろう?」
「……ああ、そうだ。俺達は藍とともに結界を張る儀式を行う場所、博麗神社の最終防衛線を担当する」

 将志は自分達に課せられた任務を伝えた。
 その任務の重要さから、紫の将志への厚い信頼を感じられる。

「……となると、そこまでやってくるような妖怪はそれなりの強さを持っていますわ。それを食い止めるのが私達の仕事と言うわけですわね」
「……そうなるな」

 六花はそういうと陰鬱なため息をついた。
 本来戦いが嫌いな六花にとって、どうしても戦わなくてはならない今回の事件は欝なものであった。
 将志はそれを見て苦笑いを浮かべた。

「ところで、実際にどういうふうに守るんでござるか? 最終防衛線と言っても、この人数しか居ないんでござるよ?」
「……そのあたりのことは特に気にする必要はない。妖怪の山の戦力を鑑みれば、俺達のところに来るのはほんの一握りだろう。余程のことがない限り、俺達のところまで来ることはないだろう。だが、ここにはまだ俺達も知らない強者が存在する可能性がある。ゆめゆめ警戒を怠らないことだ」
「う~ん、その一握りが怖いね……最近になって、強い妖怪がどんどん集まってきてるからね……」

 現在、外から流れてくる妖怪の数が格段に増え始めていた。
 欧州などでは産業革命が始まり、科学の進歩によって幻想は事象に成り下がっていった。
 それにより、力の強い妖怪達まで勢力をどんどん弱めていき、幻想郷に流れ着くようになったのだった。
 その話を聞き、涼はため息をついた。

「それだけ外では妖怪が住み辛くなって来たってことでござるか……」
「……住み辛くなったのではない。住めなくなったのだ。愛梨なら分かるだろう? 信じられなくなり、迷信へと落ちた妖怪の末路を」
「うん……存在できなくなって、消えちゃう……妖怪って、信じてもらえないと存在できないからね……」

 愛梨はそういうと悲しげな表情を見せた。
 その表情は、どんどんと力を弱めていく妖怪達の行く先を憂いているようであった。

「なあ、いったい何が起きてんだ? 今までそんなこと全然無かったじゃねえか」

 何が起きているのか分からないアグナが、将志に質問をぶつける。
 すると、将志は台所から卵を取り出した。
 将志はその卵を手のひらに置くと、アグナに話しかけた。

「……例えばだ。ここにゆで卵がある。これに力を加えると、卵は宙に浮かぶ。アグナ、このときに俺は何をしたと思う?」

 将志は手の上のゆで卵に手をかざし、ゆで卵を宙に浮かせる。
 その様子は、手のひらの上で触れてもいないのにゆで卵が上下しているように見えた。

「ん~? 卵を妖力だか神力で浮かせたんじゃねえの?」
「……実際はこうだ」

 将志はそういうと、ゆで卵を側面から見せた。
 すると、かざしていた手の親指がゆで卵に突き刺さっていたのが見えた。
 それに対して、アグナは呆気に取られた表情を見せた。

「何じゃこりゃ? 指を突き刺して持ち上げただけか?」
「……その通りだ。さて、もう一度やってみよう。さあ、どう思う?」

 再び将志は手の上のゆで卵を宙に浮かせる。
 それを見て、アグナは呆れた表情を見せた。

「んあ? どうせまた指差して持ち上げただけだろ?」
「……では、こっちに来て見てみるがいい」

 将志はそういうとアグナを呼び寄せた。
 すると、今度は卵に指は刺さっておらず、正真正銘ゆで卵は宙に浮いた状態であった。

「ありゃ、今度は指刺さってねえな? 今度は妖力か」
「……こういうことだ。人間は自分では理解できないことが自分で起こせると知ると、その事象を全て自分の知識の中で完結させてしまう。すると、妖術や魔法などと言ったものは夢幻のものとされ、信じられなくなる。今、人間の世界で起こっているのはそういうことだ」
「でも僕達がまだあの町に居た時、人間は何でも出来たけど妖怪はちゃんと生きていられたんだよね……」
「……ああ。当時は妖怪はもっと人間に近かったからな。妖怪学などという学問すらあった程だ。何故なら、当時の人間は妖怪に立ち向かってきていたからだ。それに比べて、今の人間は妖怪から逃げ続けている。……いずれ、人間は妖怪の存在を忘れ去る。それを防ぐのが今回の結界なのだ」

 愛梨は過去への憧憬を込めて呟き、将志はそれに対して言葉を紡ぐ。
 かつて、人間は誰もが妖怪を恐れていて、誰もがそれに対抗する術を持っていた。
 妖怪もまた全てが強い人間と戦わなければならなかったため、隠れたりすることなどはなく、今よりも堂々としていた。
 と言う事は、お互いの生活の一部に相手が必ず関わるということであり、ある意味での共存関係が築かれると言うことである。
 この状態では妖怪が忘れ去られることはなく、人間も妖怪も競争関係で存在することが出来る。
 しかし、現在の人間は妖怪退治を一部の人間に依存し、妖怪もまた弱い人間ばかりを襲う者は退治屋を恐れて身を隠してしまう。
 つまり、今の妖怪は昔に比べて人間から遠く離れてしまっているのだ。
 そこに科学の発展が始まり、説明の付かなかった現象が次々と人間の解釈で解明されていく。
 すると、例え妖怪が起こしたことでさえ科学で説明されてしまい、逆に妖怪の仕業だとすると異端とされた。
 もはや、外の世界では妖怪は消え去りつつあった。

「そういえば、いつそれが実施されますの?」
「……紫の計画では五日後だ。それまでの間、幻想郷内は荒れるぞ」




 将志の言葉どおり、その間幻想郷は大荒れになった。
 妖怪達は発案者である紫を探そうと血眼になっていた。
 一方、将志のところにも妖怪は次々と押しかけ、山のように嘆願書が送られてきた。
 将志は精神をすり減らしながらもそれに真摯に対応し何とか宥めようと努力したが、上手くいかなかった。
 そしてそのまま時間は流れ、結界を張る当日になった。

「……反対勢力の様子はどうだ、紫?」
「正直に言うと、あまり芳しくないわね。私達が説明するよりもずっと速く妖怪達に広まってしまったわ。そのせいで、反対派の勢力は大きく膨れ上がってしまったわね」

 そう話すお互いの顔には若干の疲れが見えていた。
 双方共に妖怪達の対応に追われ、碌に休めていないのだ。

「……仕方の無いことだ。こう言っては何だが、妖怪の大部分は先のことなど考えないからな。そういった連中には、力で分からせるしかないからな」
「そうね。その時のために、貴方達は居るんですもの。それじゃあ、今日は任せたわよ」
「……ああ。任せてくれ」

 将志は紫にそう言って頷くと、愛梨達が待つ場所へと向かう。
 その後ろから、藍が追いかけてくる。

「将志。紫様に今日はお前の指揮下に入るように指示された。私はどうすればいい?」
「……藍か。藍は六花と組んで左翼を守ってくれ。基本的に遠距離でけん制して、抜けてくるような奴は六花が接近戦を仕掛けられるように援護して欲しい。あとは六花とその場で判断をしてくれ」
「と言うことは、僕は涼ちゃんと組めばいいのかな?」

 将志が藍と話していると横から愛梨が割り込んできた。
 その言葉を聞いて、将志は思わず笑みを浮かべた。

「……ふふっ、流石に分かっているな。涼は相手を引き付けるのが上手いから、涼が捌き易い様に援護してやってくれ。集まってきたら、一気に畳み掛けてやれ。右翼は任せたぞ、相棒」
「キャハハ☆ 任せといてよ♪」

 愛梨は嬉しそうにそう言って笑うと、涼のところに飛んでいった。
 それを見送っていると、将志は藍が自分のことを見つめていることに気がついた。

「……どうした?」
「いや、私にも何か一言欲しいと思ったのだが……」

 藍がそういうと、将志は小さくため息をついた。

「……お前に掛ける言葉はない。俺はそれ程にお前を信頼している」
「ふふっ、それだけ聞ければ十分だ。それじゃあ幸運を祈るよ、将志」

 藍もまた、嬉しそうに笑いながらそう言って飛んでいく。

「そういえば、指揮官の言葉で兵の士気は上がると本に書いてあったな……今度何か上手い口上でも考えておくか……」

 それを見て将志が見当違いのことを考えていると、小さな少女が将志の袖を引く。

「なあ、兄ちゃん。俺はどうすりゃ良いんだ?」
「……俺達のところは来るとすれば相当な手錬だ。アグナは無闇に攻め込まず、相手の出方を見ろ。もし、戦ってみて強いと思った者が居たら俺に向かって火を放て。封印を解いてやる」
「最初から解かないのは何でだ?」
「……お前の役目は相手の霍乱だ。相手は間違いなく俺を狙ってくるが、お前が本来の力を出すと敵が分散してしまう。それを防ぐためにしばらくは力を抑えたまま戦ってもらう。そして、もしお前が本気を出すに値する相手が出てきたら思いっきり暴れてやれ。お前は俺の今日の相方であると同時に切り札でもある。頼りにしているぞ、アグナ」

 将志はそう言いながらアグナの頭を撫でる。
 すると、アグナはくすぐったそうに笑った。

「へへっ、そうまで言われたら頑張んなきゃな!!」
「……ああ。さて、そろそろ配置に着くとしよう」
「おう!! 兄ちゃん、手繋いでくれっか?」
「……ふふっ、お安い御用だ」

 差し出された小さな手を、将志は優しく掴む。
 そしてその手を優しく引いたまま配置に着いた。



 長い一日が始まろうとしていた。



[29218] 銀の槍、未来を賭ける
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 11:53
「くぅ……! 流石に多いでござるな!」

 波のように押し寄せてくる妖怪達を、涼は十字槍や霊力弾で撃退していく。
 涼の攻撃は全体にばら撒くようになっており、妖怪達を引きつけている。

「頑張って、涼ちゃん♪ 僕達が崩れたら将志くんが大変だよ♪」

 その涼が撃ち漏らした妖怪を虹色の弾丸で撃墜しながら、愛梨は援護する。
 愛梨の弾幕は苛烈で、一匹たりとも逃しはしない。

「何のこれしき! お師さんの全力や鬼の四天王を相手にする方が余程きついでござるよ!」
「うん、その意気だよ♪」

 愛梨は涼に対してそう言って笑いかける。
 涼はそれを受け取ると、敵の群れに向き直った。

「下がれ! ここから先には誰一人して通さんぞ!」

 涼が気合と共に槍を薙ぎ払うと、近くに居た妖怪達が一気に墜落していく。

「やるね~♪ でもまだ先は長いよ♪ もっと落ち着いて♪」

 愛梨はそれを確認すると、涼に向かってそう言いながら弾幕を張り続けた。




「ああもう! 次から次へとしつこいですわよ!」

 敵の群れの中を銀の線が無数に駆け巡っていく。
 その線が走るたびに、妖怪は地に墜ちて行く。
 六花は半ばうんざりしながらも、ひたすらに妖怪達の中を駆け巡っていた。

「六花! 私もいるのだからそんなに突っ込むこともないだろう!」

 そんな六花に、藍は援護射撃を加えながら声をかける。
 藍は激しく動き回る六花の邪魔にならないように藍色の弾丸を撃ち込んでいく。

「違いますわよ! 貴女がいるから突っ込むんですわよ! 漏らした分は任せましたわ!」
「そういう問題じゃないだろう! お前に怪我させたら将志に何を言われるか!」
「心配には及びませんわ! 私、この程度の相手に負けるほど柔ではありませんもの!」
「だから、それじゃあ持たないというのに!」

 六花と藍はそんな言い争いを続けながら、次々と相手を落としていくのだった。




 一方、こちらは博麗神社の真正面の道。
 そこでは銀の槍を振るう青年と、灼熱の炎で敵を倒していく小さな少女の姿があった。

「……はあああ!」

 銀と黒の弾丸が戦場を飛び交い、次々と撃墜していく。

「さっすが兄ちゃん♪ 余裕そうだな!!」

 橙の炎の玉が、迫り来る敵を焼いていく。

「……アグナもまだ平気そうだな」
「にしても、何か思ったよりも敵が少ねえな。兄ちゃんを怖がって送らなかったのかな?」

 まだらにしか現れない敵を見て、アグナはそう呟いた。
 それに対して、将志は状況を分析して答えた。

「……いや、違うな。俺達は自分達の配置をそれぞれの攻撃で明確に示している。相手はここに俺とアグナが揃っているのを知っているはずだから、このようにアグナ一人で抑えられるような戦力しか送ってこないというのは考えられない。と言う事は、俺かアグナのどちらかを一人で縫い付けられるような相手が出てくるということだ」
「ああ。そのとおりだ」

 正面からかけられた声に、将志とアグナは顔を上げる。
 そこには見上げるような大きな人影があった。
 その人影は銀の毛並みを持っており、鋭い爪と牙を持っていた。

「……その身体……人狼か。お前も結界を阻止しに来たのか?」
「如何にも。その為にも、貴様を倒させてもらう」
「……説明は聞いていたのか? この結界を張る意義は伝えたはず。妖怪の末永い繁栄のためには、この結界は必要なのだ」
「ああ、知っている。妖怪が消え去らないように、外の世界からこの幻想郷を隔離するのだろう?」
「……では、何故結界を阻止しようとする?」
「知れたこと。人間を襲うことこそ、我々の生きる意義であり、最大の誇りなのだ。それを失ってなお生きるのは、少なくとも俺には生き恥をさらすだけとしか思えん。そうまでして生きるくらいなら、俺は誇りを抱いて消え去ることを選ぶ!」

 人狼の訴えを聞いて、将志は頷いた。
 考えなしの反対ではない故に、少々感心したのである。

「……成程……自らの命と誇りを天秤にかけ、その上で出した結論か……」
「その通りだ。貴様とて妖怪だ、分かるだろう! 自分の存在意義を貫くことが、どれほどのものか!!」

 人狼は将志に叫ぶように主張した。
 将志は眼を閉じ、それを聞き入れる。

「……ああ。妖怪として、それに拘るのは正しいことだ……俺も、そう信じて生きてきた」
「ならば、何故このようなことをする! 何故我々の邪魔をするのだ!」
「……それだけでは不完全だからだ。かつて俺は自らの主を守ることを存在意義とした妖怪だった。他の事を考えず、ただがむしゃらに主を守るためだけに生きてきた。だが、それでは駄目だったのだ。ただ己の存在意義のためだけに生きるということは無意味だと知らされたのだ」

 将志は静かに、それでいて自嘲するような声でそう言った。
 それを聞いた瞬間、人狼の眼が憤怒に染まった。 

「貴様……我が存在を無意味と言うか!」
「……ああ。ただそれだけのために生きると言うのであればな。お前は何の為に生き、人を襲う?」
「決まっている! 我等が人狼の誇りのためだ! その誇りこそ、我等が生きた証なのだ! それを残すことこそ、俺が生きる意味だ!」

 人狼はどこまでもまっすぐな眼で将志に訴える。
 それを聞いて、将志はそっと眼を開けた。

「……そうか……だが、俺とて生き続けなければならない身だ。お前が誇りに全てを賭けるように、俺は妖怪の未来に全てを賭ける。故に、お前の言うことは聞いてはやれん」
「……やはり言葉では分からぬようだな」
「……当然だ。お互いに譲れないものがある以上、言葉を交わすのは無意味だ。となれば、やることは一つしかあるまい?」

 お互いに構える。
 人狼は己の牙と爪を、将志は手にした槍、『鏡月』の刃を向ける。

「良いだろう……俺の人狼の誇りと、貴様の未来への想い、どちらが上か確かめよう……我が名はアルバート・ヴォルフガング。俺は人狼の長として、人狼の誇りを賭けて貴様を倒す!」
「……建御守人、槍ヶ岳 将志。俺が賭けるのは妖怪の未来だ……覚悟は良いな?」
「上等だ……行くぞ!」
「……来い」

 その言葉と共に、二つの影が交差する。
 将志はスピードでアルバートを翻弄するが、アルバートは攻撃を受けながらも将志に迫っていく。
 横では、アグナが激しくぶつかり合うその姿を眺めていた。

「兄ちゃん、強い奴に当たったなあ……」

 アグナは将志とアルバートの戦いをジッと眺める。
 しばらくすると、新たに妖怪がやってくる気配を感じ、その方を向いた。

「……お~い、お前ら。兄ちゃんの戦いを邪魔すっと火傷するぜ?」

 アグナはそういうと炎の弾丸をばら撒いた。
 妖怪の群れはアグナの炎に焼かれて次々と墜ちて行く。

「……ん?」

 そんな中、アグナは強烈な気配を感じてその方向を見た。
 そこには、何やら大きな黒い球状のものが浮かんでいた。
 周囲の光を吸い込んでいるそれは、アグナに強い力を感じさせた。

「……強いのが居るなあ……う~ん、封印されたまま勝てっかな~……」

 アグナはその闇の塊を見てそう呟く。
 球状の闇はゆっくりとアグナに近づいてきていた。
 アグナは戦っている将志をチラリと見ると、困ったようにため息をついた。

「あ~……兄ちゃんの邪魔はしたくねえんだけどなあ……っとぉ!?」

 攻撃の気配を感じてアグナは飛び退く。
 すると、アグナが居たところを太い光線が通り過ぎていった。

「あら、可愛い見た目の割りに良い勘してるわね」

 アグナの頭上から大人の女性のアルトの声が響く。
 その方向に眼をやると、女性はゆっくりとアグナの目の前に降りてきた。
 女性は緑色の髪で、白いブラウスに赤いチェック柄のベストとスカートといった姿で、手には白い日傘を持っていた。

「いきなり何すんだ!?」
「何すんだ、ってここは戦場よ? いつどこから攻撃が飛んできてもおかしくないでしょう?」

 アグナの言葉に、女性はにこやかに笑いながらそう答えた。
 それを聞いて、アグナは身構えた。

「……てことは、俺とやる気なんだな?」
「ええ。ちょうど退屈してたとこだし、貴女には暇つぶしに付き合ってもらうわよ?」

 女性はそういうとアグナに日傘の先を向ける。
 その横に、球状の闇が降りてきた。

「ふふふ……思わぬ援軍が現れたわね……」

 闇の中からソプラノの声が聞こえてくる。
 女性は近づいてくる闇に対して眼を向けた。

「何? 邪魔をするつもりかしら?」
「……いいえ、私は一切手出しをする気はないわ。私は貴女が負けたときのための保険と思ってくれればいいわ」

 闇の中からの声に、女性の顔が不機嫌そうに歪む。

「……気に入らないわね。私が負けるとでも言いたいのかしら?」
「さあ? 私はただ思ったことを言っただけ。貴女の勝ち負けなんて関係ないわ」
「……あの子を手折ったら、次は貴女を相手してあげる。精々首を洗って待ってなさい」

 女性はそういうと、再びアグナのほうを向いた。

「ちっ……やるっきゃねえか」

 アグナは目の前の二人の強敵を前にして、そう呟いた。
 その言葉には、全力を出せないもどかしさが含まれていた。

「燃えろぉ!!」

 アグナは女性に向かって前方上下左右から炎の弾丸を飛ばした。

「おっと、なかなかやるわね」

 女性は日傘を開いてそれを受け止めながら躱す。
 その女性に、アグナは炎を操って前後左右上下から揺さぶりを掛けるが、全て日傘に阻まれる。

「ちっ……今一つ押し込めねえな……全力ならあの日傘ぶち抜けるかも知れねえのになあ……」
「そらそら、避けてみなさい!」
「だぁ~! 無いものねだりしてもしゃあねえ! やってやらぁ!!」

 アグナの戦いはどんどん激化していく。

「ふふふ……」

 その横に、暗闇が不気味に浮かんでいた。





「……あれは……!? くっ、アグナ!!」

 将志はアグナの横に浮かんでいる闇を見て、表情を変えた。
 そこから感じられる力は強大で、今のアグナよりも大きいものだったからである。

「余所見をしている場合か!」
「……ちっ!」

 繰り出される爪を、将志は紙一重で避ける。
 そしてそのまま相手の背後へと回りこんだ。

「……うおおおおおお!!」

 がら空きの背中を将志は連続で突く。

「ぐううううっ!」

 しかしアルバートは呻るだけであり、即座に振り向いて攻撃を仕掛けた。

「……ちっ……なんと言う耐久力だ……」
「……まだだ……我が誇り、この程度のことでは倒れはせん!」

 アルバートは一心不乱に将志に攻撃を仕掛けてくる。
 その身体は傷だらけであり、身体には銀の槍が数本突き刺さっている。
 しかしその速度や力は全く変わっていない。

「……くっ」

 将志はアグナのほうに時折眼をやりながら攻撃を仕掛ける。
 しかし、その隙を逃さずアルバートは反撃する。

「どうした! 仲間を気にかけている場合か!」
「なら、気にならなくさせてやるよ」
「……!?」
「ぐあああっ!?」

 突如として、アルバートに向かって朱色の炎が踊りかかった。
 その炎に焼かれて、アルバートは下に落ちていく。
 それを見送る将志の隣に、炎の翼を生やした少女が降りてきた。

「よう、将志。大変そうだな」

 妹紅はそう言って片手を挙げて挨拶をする。
 目の前に現れた援軍に、将志は首をかしげた。

「……妹紅か? どうしてここに?」
「どうしても何もあんたを手伝いに来たんだけど?」
「……何故だ? 人間にはあまり関係のない話なんだが……」
「妖怪が消えるってことはあんたも消えるってことだろ? そんなことで勝手に消えられて勝ち逃げなんてされたら困るんだよ。あんたが消える時は、私の炎で消えてもらわなきゃならないんだからな」

 妹紅はそう言って笑う。
 絶対に逃がさない。その眼は将志に対してそう訴えていた。

「……ふふっ、俺なら大丈夫だ。それよりもアグナをここに連れてきてくれ」

 妹紅の言葉に、将志は楽しそうに笑った。
 しかしその視線は下で燃えている人狼の王から眼を離していない。

「アグナ……ああ、あいつか。よし、少し待ってろ」

 妹紅は上で戦っている炎の精を視認すると、そこに向かって飛んでいった。



「っとぉ!」

 日傘から放たれる太い光線を、アグナはスレスレで避ける。
 その反撃として、炎の矢を雨のように降らせた。

「あはは、なかなかやるじゃない。さあ、避けてごらんなさい!」

 その炎の雨を女性は楽しそうに潜り抜けながらアグナに対して弾幕を張る。

「ちっ……このままじゃヤベェな……もう一人いるっつーのに……」

 アグナは弾幕を避けながら、そう言って苛立ちを露にした。
 そんな中、下のほうから火の鳥が女性に向かって突っ込んできた。

「邪魔だ退けええええええ!!」
「くっ!」

 女性は身を翻してそれを躱す。
 すると火の鳥は、アグナを守るように前に下りてきた。

「……誰かしら、私の邪魔をしてくれたのは?」

 女性は突然の乱入者に笑顔を向ける。
 しかしその眼は笑っておらず、怒りが灯っていた。
 それに構わず、妹紅は相手をジッと見つめる。

「その格好、誰かと思えばあんたか。噂は聞いているよ、風見 幽香」

 妹紅は妖怪退治屋をしていた時、この妖怪の噂を耳にしていた。
 その相手を、妹紅は油断なく見ながらアグナに近寄る。

「なあ、姉ちゃんはどうして……」
「将志が呼んでる。さっさと行って来い」
「お、おう」

 アグナは妹紅にそう答えると、将志のところに飛んでいく。
 すると、それを見送った幽香から声が掛かった。

「さてと……まさか邪魔をしておいてタダで帰れるとは思ってないわよね?」
「もちろん。私もついでに腕試しをしようと思っていたところだったから、むしろちょうど良いさ」

 幽香の言葉に妹紅は微笑を浮かべて答える。
 それを受けて、幽香は面白そうに笑った。

「ふうん……私で腕試しとは、良い度胸ね」
「はっ、あんたぐらい超えられないと目指す背中には追いつけそうもないからな。あんたにゃ悪いが、勝たせてもらうぞ!」
「……上等!」

 その直後、炎と花がぶつかった。




「兄ちゃん!!」
「……アグナ、無事でよかった」

 飛んでくるアグナを、将志は抱きしめる。
 それに対して、アグナはくすぐったそうに笑う。

「んにゅ……抱きしめてくれるのは嬉しいけど、今はそれどころじゃねえだろ?」
「……分かっている。アグナ、今からお前の封印を解く」
「おう! 頼んだぜ、兄ちゃん!!」

 将志はそういうとアグナの髪を結っている青いリボンに手を伸ばした。
 将志が手をかざすと、リボンは独りでに解け、将志の手に収まった。
 するとアグナの足元から炎が噴出し、大きな火柱を上げた。

「……へへっ、久しぶりだぜ、この感覚……いや、前より調子がいいな」

 火柱が収まると、中からくるぶしまで伸びる燃えるような紅い髪の女性が現れた。
 その姿は幼いものではなく、成熟した女性の姿だった。

「……そのようだな。見た目からして既に違う」
「は? ……ってうおおおおおおお!? なんか色々でっかくなってやがる!? これじゃあ足元見えねえぞ!?」

 将志に指摘されてアグナは自らの全身像を見回し、驚きの声を上げる。
 アグナの成長は、十歳児が突然二十台半ばの女性に変わった様なものなのだから当然であろう。

「……慌てるのは後だ。お前にはあの闇を相手してもらわなければならない。頼めるか?」
「おう! 今の俺なら、あんな奴楽勝だぜ! んじゃ行ってくる!!」

 アグナはそういうと、先程から傍観していた闇の塊のところまで飛んでいく。
 その一連の様子を、闇の主がため息混じりに眺めていた。

「やれやれ、思わぬ援軍が来たのは向こうも一緒か。あの槍妖怪を抑え込めれば楽勝だと思ったんだけどな」
「へえ……俺を見てもまだそんなことが言えるか?」

 アグナの周囲には、橙と蒼白の炎が取り巻いている。
 それはアグナを覆い隠すほどの強さで、封印を解く前とは段違いの力を見せていた。
 すると、闇の中から気だるげな声が聞こえてきた。

「はあ……めんどくさいことになったわね。本当は貴女を速攻で倒して槍妖怪のところに行きたかったけど……」
「兄ちゃんのところには行かせねえよ?」
「……これだものね。ちょっと激しい運動になりそう」
「ちょっとねえ……ま、どうでも良いや。舐めて掛かってくるなら勝手に燃え尽きるだろうし」
「言ってくれるじゃない。まあ、確かに手を抜いて勝てるような相手じゃなさそうだけどね」

 闇の中からの声は相変わらず気だるげである。
 その声に、アグナは不敵に笑った。

「へへっ、せっかく封印まで解いたんだ、あっさり終わってくれんなよ? そうだ、一応名前聞いとこう。俺はアグナだ。あんた、なんて言うんだ?」
「ルーミアよ。貴女のほうこそ、つまらない戦いはしないでね?」

 アグナの名乗りに、闇の主、ルーミアは少し楽しげにそう名乗った。
 それを聞いて、アグナは声を上げて笑った。

「ははは、そいつに関しちゃ心配ねえよ。魂まで熱く焦がしてやるぜ!!」

 アグナはそういうと、目の前の深淵の闇を照らし出すべく炎を放った。



 妹紅とアグナの戦いを、将志は下から見上げる。
 二人の炎使いは白熱した攻防を繰り広げていた。

「……やはり、あれで終わってはくれんか」
「当たり前だ。我等人狼の誇り、あの程度の炎で燃え尽きはせん」

 将志の呟きに背後から声が聞こえる。
 振り向くと、そこには無傷の銀の人狼が居た。

「……一つ訊いても良いか?」
「……何だ?」
「何故貴様はあの娘に任せて自分で仲間のところへ行かなかった?」

 アルバートは将志にそう質問をする。
 効率だけを取るのならば、自分を妹紅に任せ、将志がアグナの元に行くほうが上策であった。
 しかし、実際には将志が自分を監視し、わざわざ戦っているアグナをこちらに呼び寄せるという無駄の多い策だったのだから、当然の疑問であろう。

「……その必要がなかったからだ。妹紅もアグナも、そう簡単にやられるような隙を見せたりはしない。それに、お前は自らの誇りに全てを賭けて俺に挑み、俺は妖怪の未来を賭けてそれを迎え撃った。だというのに、俺が退くようでは妖怪の未来を投げ出すことになるし、お前にとっても侮辱になる。生憎と、俺はもう合理性を求めるだけの機械ではないのでな」

 その質問に将志は淡々と答えた。 
 将志のとった行為は、アルバートの持つ人狼の誇りを貶めぬようにするためのものだったのだ。
 その回答を聴くと、アルバートは将志に深々と礼をした。

「……感謝する。ならば、そんなお前に敬意を表して全力を尽くすことを約束しよう……できることならば、もっと違う形で出会いたかったものだ」
「……全くだ」

 将志とアルバートはそう言ってお互いに感傷に浸る。
 二人の場を沈黙が支配する。

「……行くぞ!」
「……行くぞ!」

 そして、沈黙を破って二つの銀が交差した。



[29218] 不死鳥、繚乱の花を見る
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 11:59
 空が百花繚乱に染め上がっていく。
 色とりどりの花が空を覆っては、朱の鳥がそれを喰らい尽くしていく。

「ふうん……人間にしてはやるわね」

 その様子を、興味深そうに眺めながら幽香はそう呟いた。

「そっちは流石ってところだな。けど、私が戦えないわけじゃなさそうだ」

 その言葉に対して、妹紅も余裕を持って答える。
 すると、幽香は妹紅に笑い掛けた。

「ええ、そうね。こっちも退屈はしなさそうだし、遊んであげるわ」
「ふっ、舐めて掛かってると足元すくわれるぞ!」

 そう掛け合うと同時に、再び二人の間に弾幕の花が咲く。
 幽香はその場からあまり動かず、ゆったりとした動作で朱色の炎を躱していく。
 対する妹紅は多少の被弾を気にせずに、幽香に猛攻を仕掛けていく。

「そこっ!」

 突如として素早い動きを見せた幽香が、炎の川を潜り抜けて日傘を振り下ろす。
 妖怪の怪力で振り下ろされたそれは、風を切る音と共に妹紅の頭頂部を狙う。

「ぐっ……」

 妹紅は腕を交差させ、それを受け止めながらあえて下へと弾き飛ばされる。
 受け止めた腕からは嫌な感触と音が鳴って骨折したらしいことが分かるが、蓬莱人である妹紅の腕は即座に回復する。
 それに対して幽香は追撃の弾幕を張る。

「そらっ!」

 妹紅は懐から札を出して前にかざし、炎の壁を作り出した。
 その壁は幽香が放った弾丸を次々に焼き、妹紅まで届くことを阻んだ。

「……貴女、ただの人間じゃないわね? ただの人間が折れたはずの腕をそう振り回すことができるはずが無いもの」

 その様子を、幽香は怪訝な表情で眺めていた。
 それに対して、妹紅は痛みをごまかすように手を振りながら答える。

「それがどうした? この程度のこと、妖怪なら出来る奴が居てもおかしくないだろ?」
「それを人間がやっているからおかしいのよ。まあ、それならそれで構わないのだけどね」

 二人はそう言い合いながらも攻防を続ける。
 巨大な花が頬を掠める中、妹紅は首をかしげた。

「はあ? 私が倒せないと困るんじゃないのか?」
「別に困らないわよ。第一、私は結界のことなんてどうでもいいもの」

 妹紅の疑問に幽香は涼しい顔をして炎を日傘で受け流しながら答える。
 その一方で、妹紅に対して攻撃を仕掛けることも忘れない。

「じゃあ、何しに出てきたんだ?」
「だって、面白そうじゃない。銀の霊峰も妖怪の山も総出で大騒ぎするのよ? それに強い妖怪もたくさん集まるだろうし、退屈しのぎにはちょうどいいわ」
「……そんなことであんたは喧嘩を売ってたのか?」
「そんなこととは言うけどね、妖怪にとって一番の敵は退屈なのよ? 惰性で生きることほど毒になることはないの」

 花びらのように弾幕が舞い、吹き荒ぶ熱風が肌を焼く。
 何気なく話す二人の戦闘は、話の内容に反してどんどん苛烈になってきていた。
 それでもなお、幽香も妹紅もその表情には余裕が見えていた。

「退屈ねえ……私も千年以上生きてるけど、退屈なんて感じることはなかったな」
「ふうん……それは羨ましい限りね。貴女の周りは余程楽しいことが多かったんでしょうね?」

 少々羨ましそうに幽香はそう問いかけた。
 それを聞いて、妹紅は笑みを浮かべながら首を横に振った。

「いいや、そこまで楽しいことばかりじゃあなかったな。特に最初の数百年は辛いことしかなかった。本当に楽しかったといえるのは……そうだな、あの二十年とここ二百年くらいだな。がむしゃらに生きてりゃ、退屈なんて感じないもんだ」
「そう……まあ、どうでもいいことね。いくら貴女が楽しくったって、私が楽しくなるわけじゃないもの。そんなことより、私と遊びたいんでしょう? なら、こんな話はもうお終い。精々楽しませてくれる?」

 幽香は妹紅の言葉にそう言って笑う。
 その笑みは人を見下したようなもので、とても嗜虐的な笑みであった。

「くっ、言われなくても相手してやるよ!」

 妹紅はそういうと、幽香の側面に素早く回りこんだ。

「燃えろ!」
「まだまだね」

 側面からの妹紅の攻撃を、幽香は易々と避けていく。
 そのお返しといわんばかりに、幽香は妹紅に激しく弾幕を展開した。

「ちっ!」

 妹紅は避け切れないと判断すると、冷静に手に札を貼り付けて避け切れない弾を殴り飛ばした。
 妖怪退治屋をしていた時にかじった、陰陽道を応用した技であった。
 そこには、将志と初めて会ってから約七百年間積み重ねてきた努力と経験が光っていた。
 殴られた弾は妹紅の手に当たって火花を散らせた後、幽香に向かって跳ね返っていく。
 幽香はその跳ね返ってきた弾丸を、構成している妖力を霧散させることでかき消した。

「流石にそれなりの経験は積んでいるようね。じゃあ、これはどうかしら?」

 幽香はそう言うと妹紅に向けて光線を発射した。
 妹紅はそれを弾き返せないと判断し、回避に専念する。

「っと!」
「ほら、そこっ!」

 幽香は妹紅が光線に気を取られている隙を突いて攻撃を加える。
 その攻撃は妹紅の位置からでは完全に見えないものであった。

「甘い!」
「おおっと!?」

 しかし妹紅はそれをいとも簡単に避けてみせ、更に幽香に対して反撃までして見せた。
 予期せぬ反撃に、幽香は緑色の髪を少し焼きながら後退する。

「へぇ~……今のも避けられるのね? 完全に死角に入ったと思ったのだけど?」

 幽香は焼け焦げた髪の先端を手で弄りながら妹紅に話しかける。
 その眼には、先程までの見下すような視線は含まれていない。

「生憎とその手の攻撃は慣れっこでね。昔散々に鍛えられたものさ。私に不意打ちは効かないと思いな」

 幽香の言葉に、妹紅はそう言って笑った。
 妹紅には、将志に挑戦し続けた二十年間の経験が今も息づいているのだった。
 それを聞いて、幽香は楽しそうに笑った。

「ふふっ、面白いじゃない。さっきの子も面白そうだったけど、貴女もなかなかに楽しめそうじゃないの。さあ、どこまでついて来れるか試してあげるわ!」
「ふん、そっちこそ追い抜かれてほえ面かくなよ!」

 そう言うと、二人は再び激しくぶつかり合った。
 幽香が広範囲に弾幕を張ると、妹紅は一点に集中させるように炎を放つ。
 幽香は妹紅の炎を真正面から受けないように動きながら日傘で受け流していく。

「そこだぁ!」
「うっ!?」

 その幽香を下から突き上げるように、炎の弾丸が襲い掛かった。
 幽香はとっさに上に飛び上がり、妹紅から放たれる炎と一緒に日傘で防いだ。

「まだまだぁ!」

 今度は幽香の真上から黄金に輝く巨大な鳳凰が突っ込んでくる。
 幽香の体勢は崩れており、回避は出来そうになかった。

「くぅぅぅぅ!?」

 幽香はその炎をポケットに仕込んでいた植物の種を発芽させ、その蔦を障壁にした。
 鳳凰が蔦の障壁にぶつかると、蔦は黄金色に染まり激しく燃え上がった。
 しばらくして蔦は完全に燃え尽きたが、幽香は辛くも防ぎきった。
 しかし無事には済まなかったらしく、幽香の白い肌には所々火傷が見受けられた。

「ふ……ふふっ……やってくれたわね、小娘……手加減してあげようと思ったけど、やめたわ。貴女は全力で叩き潰してくれるわ!」

 凄絶で嗜虐的な笑みを浮かべて幽香は妹紅にそう言い放つ。
 それと同時に、幽香から感じられる気迫と妖力が一気に膨れ上がった。

「ああ……全力で来い。そいつを超えて、私はあいつに追いついてやる」

 妹紅はそれを見て、不敵な笑みを浮かべた。
 その妹紅の言葉を聞いて、幽香は苛立たしげに妹紅を睨んだ。

「……ああもう、本当に気に入らないわ。さっきから私を通過点としてしか見ていないその眼が気に入らない……ああ、その眼を抉り出してやりたいわ」
「やれるもんならやってみな。あんたを超えないと目指す背中に追いつけないのは事実なんだ、こんなところで負けてやるわけには行かない!」
「良いわ。貴女が焦がれるその背中ごと叩き潰して、じっくりと虐めてあげる……貴女が泣き叫んで私に懇願する姿、今から楽しみだわ!」

 幽香がそういい終わった瞬間、爆発的に弾幕の密度が跳ね上がった。
 一気に倍以上に膨れ上がった弾丸の嵐を、妹紅は間を縫うように避けて行く。
 そして避けながら妹紅は集中的に幽香に炎を浴びせていく。

「ええい、しつこいわね!」

 幽香はそういうと、迫り来る炎をまとめて日傘で切り払った。
 そこに、再び上下から火柱が迫ってくる。

「同じ手が通用すると思わないことね!」

 それを幽香は上下に巨大な花の弾幕を盾の様に展開して防ぎ、しのぎ切る。
 次に、幽香は網目状に弾幕を展開した。
 弾幕に隙間はなく、一度捕まってしまうと容易には抜け出せない。

「っ! しまった!」

 妹紅はそれに捕まり、動きを絡め取られる。
 幽香は妹紅に向けてゆっくりと日傘を向けた。

「喰らいなさい……」

 次の瞬間、動けない妹紅に向けて極太の光線が放たれた。
 光線は周りを飛んでいた炎を飲み込みながら、一直線に妹紅に迫る。

「くっ、間に合え!」

 妹紅は札を四枚取り出し、正方形の形になるように展開した。
 光線が届く寸前で炎の結界が展開され、軌道をずらす。

「ぐっ……うううう!」

 妹紅は白色の烈光を朱色の炎で必死に受け止める。
 その横を覆い尽くすように光線が飛んでいき、あたりを染め上げる。
 大威力の攻撃を抑える妹紅の息はあがり始め、額には大粒の汗が浮かんでいる。
 結界からは軋む様な音が聞こえ始め、そう長くは持たないことが分かった。

「……っ……持ちこたえてくれよ……!」

 それでもなお、妹紅は結界を維持するために力を込めた。
 妹紅にはその時間が無限にも感じられるほどの負担が掛かる。
 が、しばらくして光線が収まってきた。
 どうやらこの攻撃は終了の様であった。
 結界はボロボロになりながらも、まだ残っていた。

「……防ぎきったか……」
「ええ、あの攻撃はね」
「ぐああああっ!?」

 妹紅が光線を防ぎきった瞬間、その背中を強烈に殴打される。
 背中からは骨が砕ける感覚と強烈な激痛が走り、妹紅は弾き飛ばされた。
 地面に落ちて行く妹紅を、幽香はつまらなさそうに眺めていた。

「……呆気ないものね。まあ、人間なら直接殴られればこんなものよね。さて、どうしてくれようかしら……っ!?」

 突然下から上がってきた火柱に、幽香は思わず飛び退く。
 見ると、妹紅が落ちたところから巨大な火柱が上がっていた。

「……まだ終わっちゃいないよ。生憎と私は死ねない身体なんでね」

 妹紅は背中から黄金の翼を広げながら空へと舞い戻ってくる。
 幽香はそれを見て、楽しそうに笑った。

「……背骨を砕いたはずなのに、まだ立ち上がってくるのね……ふふっ、虐め甲斐があっていいわ」
「その余裕、いつまでも続くと思うなよ? 例え何度倒されようとも私は甦る。私と戦うときは、不死鳥か何かと戦ってると思いな!」

 妹紅は黄金の翼を羽ばたかせ、幽香へと襲い掛かる。
 その姿は、正しく不死鳥のようであった。

「おっと!」

 炎の翼に触れそうになり、幽香は退避する。

「逃がすか!」

 そこに向けて、妹紅は身体を捻りながら炎の弾丸を撃ち込んだ。
 幽香はそれを日傘を広げて受け止め、弾幕を展開する。

「不死鳥ねえ……面白いじゃない。だったら、私はそれを飼いならして見せるわ。貴女が鳥なら、私の花は鳥籠。私から逃げられるとは思わないことね!」

 幽香は空一面に花を散らし、妹紅を攻め立てる。
 妹紅はそれを掻い潜りながら幽香に攻撃を仕掛ける。

 一進一退の攻防は、まだまだ続きそうであった。



[29218] 炎の精、暗闇を照らす
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 12:06
「やあああ!」

 闇から伸びる暗黒の剣は、光を吸い込みながら大気を切り裂く。
 その剣は長大で、当たれば一撃で命を刈り取ってしまいそうである。

「へっへ~♪ 当たんねえよ、んなもん!!」

 燃えるような紅い髪の女性が、その長い髪を翻し踊るように迫り来る闇の剣を避ける。
 それと同時に、闇の中に橙と蒼白の炎を打ち込んでいく。

「そこだ!」
「うぉっと!? あっぶねえ、ちと油断しすぎたか」

 背後に回りこんできた闇色の弾丸を、アグナはスレスレで躱す。
 弾丸は髪をかすめ、真紅の髪がはらりと宙を舞った。

「にしても、あん中に居られちゃあ、こっちの攻撃が当たんねえんだよなあ……どうっすっかね?」

 アグナは目の前の球状の闇を見つめながら、腕を組んで考える。
 先程から炎の弾丸を闇に向かって撃ち込んでいるが、手ごたえは全くない。

「あきらめてさっさと倒れたら? そしたら私は貴女を取り込んで槍妖怪のところへ行けるから」

 闇の中から気だるげでなおざりな声が聞こえる。
 その声を聞いて、アグナは疑問を覚えた。

「ちょっと待て。あんた、いったい何がしたいんだ? 結界が張られるのを阻止したいんじゃねえのか?」

 三対三で戦っている現状を鑑みれば、普通であれば突破して博麗神社へ向かうのが当然である。
 しかし、目の前の闇の妖怪は自分を倒した後に次の相手を狙うという。
 結界の展開を阻止するというには、あまりに不自然であった。

「阻止するわけないじゃない。誰が好き好んで消えたがるもんですか。どちらかといえば私は賛成派よ」
「はあ? んじゃ、何で俺達戦ってんだよ?」
「ふふふっ、私の目的は貴方達の力。銀の霊峰を束ねる四人の力を手に入れられれば、きっともう怖いものはなくなるわ。だから、大人しく私の一部になってくれる?」

 闇の中から無邪気な少女の笑い声が聞こえてくる。
 それを聞いて、アグナは闇をにらみつけた。 

「お断りだ、バカヤロウ! テメェなんかに兄ちゃん達をやらせてたまるかってんだ!!」
「貴女の意思は関係ないわ。貴女が望もうが望むまいが、私は貴方達を取り込む。さ、まずは貴女の番よ。覚悟は良い?」

 ソプラノの声が歌うようにアグナに宣戦を布告する。
 それと同時に、球状の闇の周りに次々と闇色の剣が現れた。
 それらの剣はひたすらに黒く、そこだけ底なしの穴が開いているように見えた。

「寝ぼけたこと言ってんじゃねえぞ……テメェは俺がここでぶっ飛ばしてやる。そっちのほうこそ、覚悟を決めな!!」

 アグナがそう叫ぶと、その足元に荒れ狂うように二色の炎が渦を巻いた。
 橙と蒼白の炎は、それぞれアグナの右手と左手に集まった。
 集まった炎は二本の白い三叉矛に変化し、その刃にそれぞれの色の炎が灯る。

「やれるもんならやってみなさい」

 剣の切っ先が一斉にアグナに向かう。
 アグナはそれを見て、両手に携えた三叉矛を構えた。

「はっ、その程度で俺を捉えられると思うなよ!!」
「……言ったわね。それじゃあ、避けてごらんなさい!!」

 その瞬間、一斉に闇色の剣はアグナに向かって殺到した。
 アグナはその剣を最小限の動きで躱していく。

「……あくびが出るぜ、こんなん。そらよ!!」

 アグナは目の前に飛んできた剣を三叉矛で絡めとり、投げ返そうとする。

「……っとぉ!?」

 しかし突如感じた虚脱感に、アグナは慌ててその剣を三叉矛から振りほどいた。
 三叉矛の先に灯っていた炎は、剣に吸い取られて消え失せていた。

「ちっ……面倒くせえことしやがんな、全く」

 アグナがそう呟く間に、振りほどかれた剣は球状の闇へと戻っていく。
 すると、その闇はわずかながら大きくなった。

「ふふふっ……凄い力ね。あんな切れ端だけなのに、こんなに強い力が手に入るなんて……貴女自身を手に入れたら、どれだけの力が手に入るのかしら?」

 闇の中から無邪気な笑い声と共にそんな声が聞こえてくる。
 ルーミアは剣に触れたものの力を吸い取り、自らの力に変換していたのだ。
 アグナの力を具現化したものである三叉矛に触れた剣は、その力を吸収して本体に持ち帰っていたのだった。

「出来ねえことを言うんじゃねえよ。逆に身体に刺さる前で良かったぜ。もうテメェの剣は俺には触れねえよ」
「あら、そっちこそそんなことできるの? 私の剣、そんなに甘いもんじゃないわよ?」

 再びアグナの前に大量の剣が現れる。
 夥しい数の暗黒の剣軍は、まるで一つの軍隊のように整列していた。
 それを見てなお、アグナは不敵に笑う。

「バーカ、俺が出来ると言ったからには出来んだよ。つべこべ言ってねえで、さっさと来いよ!!」
「……大した自信ね。いくら力が強くても、避けられるかどうかは別問題なのに。良いわ、避けられるもんなら、避けてみなさい!!」

 ルーミアの号令と共に、暗黒の剣軍は一斉にアグナに向かって飛び掛った。
 剣軍は狙い違わずアグナの元へ疾駆する。
 そして、次々とアグナの身体を貫通していった。

「……な~んだ、大口叩いといて避けられてないじゃない」
「ぐ……あ……」

 ルーミアは宙にフラフラと浮いているアグナに向けてそう言い放つ。
 しかし、突如として闇の中から焦りを含んだ声が聞こえてきた。

「……っ!? 力を吸収できてない!?」
「……へっへ~♪ ぬか喜びさせちまって悪いな!!」

 慌てるルーミアに対して、アグナはしたり顔でそう言った。
 剣が貫通したかに思われたアグナの身体には、怪我一つ確認できなかった。

「ま、まぐれよ!!」
「おおっと、がむしゃらに撃っても効かねえぞ?」

 ルーミアは再び剣軍をアグナに飛ばす。
 しかし、アグナはその場から一歩も動かず、その場で迫り来る剣軍を受け止める。
 アグナは身体を数百本もの剣が貫通したが、不敵に笑い続けていた。

「くっ、どうなってるの!?」

 ルーミアは訳が分からず剣軍を止める。
 剣軍は空間全体に広がっており、その切っ先は全てアグナに向けられている。

「しっかし、どうしたもんかね?」

 一方のアグナも、闇に守られている敵に対して攻めあぐねていた。
 迂闊に攻撃をすれば、ルーミアの周りの闇はその攻撃を吸収してどんどん大きくなってしまう。
 それ故に、アグナもまたルーミアに攻撃できないでいた。

「こうなったら……!」

 ルーミアは剣軍を呼び戻し、再び整列させる。
 さらに自分を取り囲んでいる闇を削って新たに剣を呼び出し、数に加える。
 アグナの前には、ざっと千を越える数の剣が一面に並んでいた。

「行けえええええ!!」

 ルーミアは今度はがむしゃらに剣を一斉に放った。
 剣はアグナに向かって空を埋め尽くすような数で迫り、広範囲を覆っていた。

「あ、やばっ!!」

 すると、当たっても効かないはずのアグナが慌てて避け始めた。
 それも飛んでくる剣の位置とはちぐはぐな方向に避けている。

「ふふっ……そっか……そういうことなんだ……」

 闇の中から少女の笑い声が聞こえる。
 その声色には、どこか楽しそうで、嗜虐的なものが含まれていた。

「何のことだ?」
「貴女、蜃気楼を使ったわね?」
「……さあ、どうだろうな……」

 ルーミアの問いにアグナは無表情でそう言って答えた。
 それに対して、ルーミアはくすくすと笑う。

「まあいいや。とにかく、これで貴女が慌てるってことはこれで攻めていけばいい訳だし、じっくりと攻めさせてもらうわよ!!」

 そういうと、ルーミアは闇色の剣軍で何度も何度も攻撃を仕掛け始めた。
 広い範囲を覆う攻撃に、アグナは何度となく回避行動を取らされる。
 髪を、服を、暗黒の剣は掠めてはまた襲い掛かってくる。

「……まずいなぁ……」

 アグナは内心焦っていた。
 あんなやけっぱちな攻撃から、自分の防御のからくりを悟られるとは思っていなかったからである。

 アグナが取っていた行動は、自らの能力である『熱と光を操る程度の能力』を使って光を屈折させ、相手から自分が見える位置をずらすという技を使っていた。
 つまり、相手が一点集中で攻撃してくるときは問題はないのだが、先程のように全体にばら撒くように攻撃されては効果がなくなってしまうのだった。
 更に言えば、声などに関しては一切操作できないため、使いこなすには相当な技術が必要とされるものでもあるのだ。

 それを偶然とはいえ破られてしまった。
 これにより、アグナは再び攻撃を避けながら相手への反撃の策を練らなくてはならなくなったのだ。

「あはははは、いつまで避けていられるかしら?」

 ルーミアは無邪気に笑いながらアグナに攻撃を仕掛けてくる。
 それは小さな子供がアリの巣に水を流し込んだりする時のような声色であった。

「チクショー、調子に乗りやがって……」

 アグナは悔しそうにルーミアが籠もっている闇を眺めた。
 剣を大量に放ったことでいくらか縮小しているが、相変わらず本人の姿は確認できない。
 このままでは遠くに浮かんでいる相手に対して攻撃の手段がないのだ。

「うわっと!?」

 アグナは横を掠めるように飛んできた剣をスレスレで避ける。
 剣は三叉矛のすぐ横を通ってまた別の場所へ飛んでいく。

「ん? そういや、何で……」

 ふと、アグナは何かが引っかかって考え込む。
 アグナの視線は、手元の三叉矛と遠くに浮かんでいる闇の球体に向けられている。
 これまで、ルーミアは闇の球体の中からずっと自分から離れて攻撃している。
 そして、自分の攻撃は相手の闇に触れると吸収され、相手の力になってしまう。
 アグナはこのことに妙な違和感を感じ始めていた。
 しばらくすると、アグナは何かに気がついたように顔を上げた。

「ひょっとして!!」

 アグナは顔を上げると、辺りを飛び交う闇色の剣を見据えた。

「よっ!!」

 そのうちの一つに光を圧縮したレーザーを当てる。
 すると剣はしばらくの間光を吸収していたが、突如としてパリンとガラスが割れるような音を立てて砕け散った。

「なっ!?」

 それを受けて、ルーミアに明らかな動揺が見られた。
 アグナはそれを見て、頷いた。

「ははぁ~……そういうことか! そりゃあ!!」

 アグナはそういうと、闇の玉に向けて一気に突っ込んでいった。
 突然の行動に、ルーミアは何も出来ずにその場に固まった。
 闇の中に入るとアグナは目の前が真っ黒に染まり、全身にまとわり付くような気配を感じた。

「ひっ……な、何を……!?」
「……なあ、俺って炎の妖精って名乗ってっけどさ、『熱と光を操る程度の能力』っていう能力的にはどっちかっつーと光の妖精っぽいわけよ。んでさ、一応光を扱っているから、闇についてもそれなりには分かるんだよね、俺」

 アグナは声のする方向へゆっくりと進んでいく。
 体からは段々と力が抜け始めているが、それも微々たる量であった。
 相手の方向を確認するために、言葉を発しながら闇の中に浮かぶ。

「な、何が言いたいのよ……!?」

 闇の中の声はおびえたような声でそう言う。
 アグナはその震える声を聞いて、その方向へと向かう。

「闇ってさ……確かに何でも吸い込むし、何でも溶かしちまう。けどさ、それでいて凄く繊細なんだよな」
「い、いや、来ないで!!」

 ルーミアは泣き叫ぶような声を上げて闇の中を逃げ惑う。
 その声と気配にアグナは更に声をかける。

「お~お~、俺が怖いか。ま、分からなくもないわな。闇っつーのは光がなければどこにでもあっけど、少しでも光があるとそれだけで薄れちまうもんな。ましてや、俺みたいに強烈な光を放てるような奴が来たら、なおさらなあ?」

 これがルーミアが力を欲した理由。
 ルーミアは、自分自身が闇のような妖怪である。
 彼女はその闇を照らし出してかき消してしまう光が怖かった。
 何故なら、いつかそのまま自分も一緒に消えてしまいそうだったから。
 だからルーミアは、光を気にすることが無くなるほどの力を求めたのだ。

「来ないでって言ってるでしょ!?」
「限界まで薄れた闇はもう闇と呼ばれねえ。だからテメェは俺を一気に取り込まなかった。いや、取り込めなかった。だから、お前は俺に近づかなかったんだ」

 少しずつ変えていかないと、駄目だったから。
 一気に光を取り込んだら耐えられないかもしれないから。
 だから、炎を纏う光の妖精を一気に取り込むことが出来なかった。
 アグナはそう言うと、不敵に笑った。

「ま、御託はこの程度にしてとっとと終わらせようぜ。お前が纏った闇、全部まとめて照らしつくしてやるよ!!」
「いやあああああああああああああああああああああああ!!!」

 そういうと、アグナは全身からまばゆい光を放った。
 その烈光はルーミアの纏う闇を一気にかき消していった。

「やっと、見つけたぁ!!」

 アグナは自らが作り出した光の世界の中に金色の髪の少女を見つけた。

「あああああああああああああああああああ!!!」

 ルーミアは錯乱した様子で黒い大剣をアグナに向かって振り下ろす。
 その太刀筋は荒く、目に付くものを薙ぎ払うべく猛威を振るう。

「甘ぇ、そこだぁ!!」

 アグナはその剣を左手に持った三叉矛で受け止め、右手の三叉矛でルーミアの頭部を強打した。

「あっ……」

 アグナの一撃を喰らい、ルーミアは気を失って地面に落ちて行く。
 アグナはその身体を下に回りこんで受け止めた。

「最初に俺に当たったのが運の尽きだったな。もしこれが兄ちゃん達だったらどうなってたやら……」

 ルーミアの人格を考えるとまだ幼いのだろうが、その力はアグナを持ってしても脅威となりえるものだったのだ。
 もしルーミアが将志や愛梨に先に当たっていたら、こうはならなかったかもしれない。
 そう思うと、アグナの背中に冷たいものが走る。

「そもそも闇であるあんたが、光を怖がること自体間違ってるんだぜ? 光と闇は別物のようで表裏一体、切っても切り離せねえものなんだからよ」

 アグナは腕の中で気を失っているルーミアにそう語りかける。
 ルーミアはそれに答えることなく、ぐったりとした様子である。

「……にしても……どうすっかなぁ、こいつ……」

 アグナは腕の中の住人に眼を落とす。
 ルーミアは余程打ち所が悪かったのか、未だに目を覚ます気配が無い。

「……あんなことはしたけど、悪い奴じゃなさそうなんだよなぁ……」

 アグナはとりあえず近くの野原に降り、足を投げ出して座ってルーミアの頭を自分の膝に乗せた。
 そして解決策を求めて将志達の方を見た。
 そこでは未だに銀が飛び交い、花と炎が百花繚乱に咲いていた。

「兄ちゃんも姉ちゃんも戦ってるし、かと言ってこいつを放り出すわけにはいかねえし……」

 アグナは座ったままどうするべきか考える。
 そのうち、アグナの頭からは黒い煙が上がりだした。

「だぁ~! 考えたってしゃあねえや! 寝る!!」

 そういうと、アグナはルーミアに膝枕をした状態でその場で大の字に寝転がった。



[29218] 銀の槍、誇りを諭す
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 12:11
 銀色の毛並みの人狼の周りを、無数の銀の線が走る。

「がっ、ああああああ!」

 銀の線が走るたびに人狼から赤い飛沫が飛ぶ。
 しかしその傷はすぐに塞がっていき、跡形も無くなる。

「……くっ、やはり本物の銀でなければ効果は無いか……」

 将志はアルバートの周りを飛び回りながらそうこぼす。
 将志の持つ銀の槍『鏡月』は、実際に銀で作られているわけではない。
 月の民の刀匠の技術で作られた、銀色に輝く別の素材で作られたものであった。
 それ故に、吸血鬼や人狼を祓うような破魔の力は有していないのだ。

「……ならば、心が折れるまで戦うのみだ!」

 将志はそういうと、攻勢を強めた。
 無数に走っていた銀の線はどんどん重なっていき、やがてアルバートの身体を塗りつぶしていく。
 それと同時に、アルバートの銀色の毛はどんどん赤く染まっていく。

「まだだ……この程度では終わらん!」

 アルバートは素早く動き回る将志に向かって、何とか反撃しようと爪を伸ばす。
 しかし、高速で動く将志を捉えることは出来ず、その手は空を切った。

「……その程度では俺は捉えられん」
「ぐううううう!」

 将志は相手の心を言葉で揺さぶりながら、アルバートの身体に妖力の銀の槍を突き刺した。
 槍はその身体を貫き、そこに留まる。

「おおおおおお!」

 アルバートは自らに刺さった銀の槍を引き抜くと、将志に向かって放り投げた。
 その身体に開いた穴は鮮やかな紅い色があっという間に埋め尽くし、元の銀の毛並みが再生する。

「……当たらん」

 将志は投げられた銀の槍を躱し、アルバートに手にした槍を突き出す。

「ふんっ!」

 それに対してアルバートも爪を繰り出す。
 刃と爪がぶつかり合い、火花を上げる。

「はあああああああああああ!!」

 アルバートは将志に連続で斬りつける。
 左右正面から息を吐かせぬ猛攻を繰り出していく。

「……お前の攻撃は、全て読めている」

 将志はそう言いながらその全てを手にした槍で捌く。
 爪が槍に触れるたび、甲高い音と共にオレンジ色の火花が散る。

「……次はこちらから行くぞ!」
「ぐっ……」

 将志はそういうとアルバートの攻撃を打ち払い、そこに向かって連続で突きを入れた。
 体勢が崩れたアルバートは攻撃をいくつか受けながらも捌いていく。

「……っ!?」

 将志は突如として危機を察し、身体を引く。
 するとアルバートは大きく息を吸い込んだ。

「オオオオオオオオオーーーーーーーン!!」

 アルバートは遠くまで聞こえるような、低く響く大きな遠吠えを上げた。
 その遠吠えには魔力が込められており、周囲には強烈な衝撃波が走る。

「……そこだっ!」

 将志は遠吠えを上げるアルバートの腹に銀の槍を投げつける。
 しかし、アルバートは飛んでくる槍を掴み取った。

「その攻撃、既に見切った!」

 アルバートはその槍を将志に向けて投げる。
 将志はそれを苦にせず避ける。

「……それがどうした? お前はまだ俺の攻撃の一部を見切ったに過ぎん。俺にはまだ指一本触れられていないぞ?」
「それがどうした! こうして一つ一つ見切っていけば、いつか貴様に届くはずだ! さあ、来るが良い!」
「……良いだろう、ならば次はこれだ!」

 将志は銀の槍をアルバートから少し離れた場所に向かって投げた。
 銀の槍は水上を進む船が立てる磯波のように弾幕をばら撒いていく。

「……さあ、この攻撃を見切れるものならば見切ってみるが良い!」

 将志は次から次に槍を放り投げていく。
 ゆっくりと進んでくる弾幕の間を縫って、鋭く銀の槍が飛んでくる。

「くぅ……!」

 目の前を覆いつくす銀に、アルバートは手を触れる。
 ゆったりと漂う銀の弾丸は、触れるとはじけてその手に突き刺さる。
 アルバートは、大きく息を吸い込んだ。

「オオオオオオオオオーーーーーーーン!!」

 その遠吠えは自分の周囲に迫ってきた弾幕を消し去った。
 それを見て、将志は小さく舌打ちをする。

「……ちっ、あの遠吠えは厄介だな……」

 衝撃波を放つ魔力の籠もったアルバートの遠吠えは、将志にとって脅威となりえるものであった。
 防御をしていようと範囲にいれば問答無用で喰らってしまうその攻撃は、放たれてしまえば一撃で状況を逆転してしまうのだ。
 つまり遠吠えでかき消されない攻撃をするためには、遠吠えを受けるリスクを背負わなければならないのだ。

「……くっ……届かんか……」

 一方のアルバートも将志が遠吠えを嫌っていることに気付いていた。
 しかし遠吠えをするには息を大きく吸い込む必要があり、連発することは出来ない。
 その間にも、銀の壁が再び迫ってくるのを再び遠吠えで退ける。

「……今だ!」

 将志は遠吠えの直後の隙を見計らって一気に突っ込み、槍を繰り出した。

「がっはあっ……」

 アルバートはその槍を腹に受け、口から血の塊を吐き出す。
 そして、にやりと笑った。

「……っ!?」
「くくっ、捕まえたぞ……」

 アルバートは腹に刺さった銀の槍を掴み、大きく息を吸い込んだ。
 将志の頭の中で、けたたましく警鐘が鳴り響く。

「はああああああ!!」

 将志は左手で槍を引きながら、右手で体重を乗せて掌打をアルバートの胸に打ち込む。
 身体の内部に衝撃を伝えるその一撃は、その狙い通り肺を強打した。

「がひゅっ!?」

 アルバートの口から吸い込まれた空気が押し出され、奇妙な音が鳴る。
 そして将志は緩んだ手から槍を引き抜き、喉を蹴り抜いて一気に離脱した。
 喉を蹴られたアルバートは、声を出せずにそのまま将志を見送った。

「……そこだっ!」

 将志は銀の蔦で結ばれた二つ黒耀の球体を、呼吸が乱れて体勢が崩れているアルバートに投げつける。
 当たると蔦が巻きつき、その身体を拘束した。

「ぐ、こんなもので……」

 アルバートは振り解こう土地からを込めるが、銀の蔦は千切れない。
 鉄の鎖を容易に引き千切れるはずの力が、身体に巻きついている細い銀の蔦を千切れないという現状にアルバートは焦りを覚える。

「……その銀の蔦、そう簡単に千切れるものではないぞ」
「ぐはっ!」

 将志は拘束されているアルバートの足を払い地面に叩きつけ、銀の槍で地面に縫い付ける。
 そしてその喉元に『鏡月』の刃を当てる。

「ぐっ、貴様……」
「……動くな。下手なことをすると、俺の槍がお前の首を刎ねる。以下に人狼といえど、首を刎ねられればただでは済まないであろう?」

 将志はアルバートを見下ろしながらそう言い放つ。
 すると、アルバートの体から一気に力が抜けていった。

「……私の負けか……」
「……ああ」
「……殺せ。私は生き恥を晒すのは御免だ」

 アルバートは眼を閉じ、そう言い放った。

「……下らんな」

 将志はその言葉にそう言って返した。
 それを聞いて、アルバートは眼を開く。

「……何?」
「……下らん、実に下らん。貴様の誇りはその程度のものなのか?」

 アルバートを蔑むように将志はそう言う。
 突然の将志の物言いに、アルバートは困惑した。

「貴様、何を言って……」
「……貴様の誇りというものは、ただ一度の敗北で全てを諦められる様なものなのか? ……ふざけるな、俺が賭けたものはそんなに軽いものではない。貴様が賭けた誇りが俺の賭けたものに釣り合うものだと言うのであれば、立ち上がって見せろ。再び俺の前に立ちはだかり、結界を叩き壊す位して見せろ!!」
「な……!?」

 怒りを含んだ将志の言葉に、アルバートは呆然とする。
 それを見て、将志はアルバートの眉間に槍の切っ先を突きつけた。

「……答えろ! 貴様の誇りとは何だ! それはどれだけの重みがある! そのために貴様はどこまで出来る! 答えろ、アルバート・ヴォルフガング!!」

 その表情は憤怒に染まっており、声は怒鳴り散らすようなものであった。
 それを聞いて、アルバートは眼を伏せた。

「……そうであった。私の、人狼の誇りは、我等が生きていくための一縷の希望だ。ただ一度の敗北のために諦められるものではない。だというのに、私は……」

 アルバートは悔いるような口調でそう呟いた。
 それを聞いて、将志は槍を引き、拘束を解いた。
 もう既に戦意が折れていると判断しての行為であった。

「……ならば、ここで首を刎ねられるわけにはいくまい」
「しかし、何故だ? 何故貴様は私を生かしておく? 私は確実にお前の妨げになるぞ?」
「……貴様を殺したところで、敵などまだ数えるのも面倒なほどいる。殺したところで敵がいるのは変わらないのなら、俺は殺さん。それだけの話だ」

 将志の言葉に、アルバートは思わず笑みを浮かべた。

「ふっ……敵なんぞ歯牙にもかけないのだな、貴様は」
「……そうでもない。俺としてはお前のような強敵が現れることは喜ばしいことだ。強い者が周囲を束ねることで弱い者が育つことが出来る。その点を考慮しても、お前を殺すのは惜しいのだ」

 その言葉に、アルバートは唖然とした表情を浮かべる。

「貴様……まさか私の群れのことまで考えていたのか?」
「……ああ。長とは群れのことを常に考えて生きるものだからな」

 アルバートの問いに、将志はそれが当然といった様子で答えを返した。
 それを聞いて、アルバートは深々とため息をついた。

「……私の完敗だな。私はお前の仲間のことなど少しも考えなかった……」
「……一つ気になったことがある。お前の持つ誇りが、何故希望とまで呼ばれるようになっているのだ? 何故己が存在を賭けてまでそれに縋る?」

 ふと将志はアルバートに疑問を投げかけた。
 それを聞いて、アルバートはゆっくりと身体を起こした。

「……それを話すと長くなるが良いか?」
「……ああ、構わない」

 将志が頷くと、アルバートは語り始めた。

「人狼は、本来忌み嫌われるものなのだ。私も人狼となったときは絶望した。逃げるように村を去り、自害しようにも死ねず、狂気に呑まれて人を襲う日々。その当時は地獄のような日々だった。孤独に苛まれ、人間には迫害され続けた。一つ目の転機は、仲間が出来たことだ。仲間が出来たことにより、私は孤独ではないと知った。そして、私達は誰にも知られずに森の中に身を隠した。それから何百年間もの間、我等はそこで誰にも知られることなく過ごしたのだ」
「……では、何故人を再び襲うことになったのだ?」
「森の中での生活は平穏そのものだった。自然と共に育ち、共に生きていく。それだけで十分に幸せであった。だがある日、人間共は森を破壊しつくした。自らの贅のためだけに木を切り倒し、動物を狩りつくした。その時我等は深く絶望したのだ。人間とはかくも醜いものだったのか、と。そして、我等は自らの姿を見た。人間を襲うための爪や牙、人知を超えた力と治癒力、そして人間を襲う本能。それらを見つめなおした時、我等は悟ったのだ。我等は人間を狩るために生まれたのだ、あの醜き心から無垢なものを守るために生まれたのだ、と。その日から、我等は忌み嫌っていた自らの力に誇りを持つようになったのだ。そしてそれは、我等人狼が生きるための寄る辺となったのだ」
「……人間の悪意から周囲を守る。それが人狼の誇りの本質か……」
「……それを失ってしまえば、我等はどうすれば良いのか分からない。だから、その誇りだけは決して失ってはならんのだ」

 アルバートがそう言った瞬間、空の色が博麗神社の方角から虹色に染まっていき、全体を覆いつくした。
 そして数瞬の後、元の青空へと戻っていった。

「……結界が張られたか……」
「くっ……」

 将志の呟きに、アルバートは無念そうに地面にこぶしを打ちつけた。
 そんなアルバートに、将志が声をかける。

「……人間を襲う件だが、手立てが無い訳ではない」

 その声を聞いて、アルバートは将志に眼を向ける。

「……どういうことだ?」
「……ここ、幻想郷は全てを受け入れる。つまり人を喰らう妖怪も当然多く存在するということだ。そしてそれらが生活するためには、人間が供給されなければならない」
「だが、この結界で外からは隔離されているのだぞ?」
「……この結界だが、外に出る手段が無い訳ではない。そして、責任者は食料となる人間を確保するための係を設置すると聞いている」

 将志のその言葉を聞いて、アルバートの瞳に希望の色が灯る。

「……では……」
「……お前達が希望するのであれば、俺が責任者に推薦しておこう。それで満足できない場合は……もう一度俺に挑むが良い」

 将志はアルバートに槍を向けながらそう話す。

「……感謝する」

 アルバートは、感謝の意を示すように頭を垂れた。
 そして顔を上げると、将志に声をかけた。

「こちらからも一つ聞いて良いか?」
「……何だ?」
「お前が賭けた妖怪の未来とはいったい何だったのだ?」

 アルバートがそういうと、将志は顎に手を当てて考え込んだ。
 思いついてはいるのだが、それを上手く言葉に出来ないようであった。

「……そうだな……上手くは言えないが、一言で例えるならば……『笑顔』だな」

 将志の回答を聴くと、アルバートは笑みを浮かべた。

「笑顔、か。成程、私が誇りを賭けるに相応しいものだな」
「……ああ。もっとも、俺は主との誓いで勝手に消えるわけにはいかないというのもあったがね」
「誓いだと?」

 将志の言葉に、アルバートはそう言って尋ねる。
 すると将志は眼を閉じた。

「……生きて傍にいる。それだけの誓いだがな」

 将志は自分の中に再び刻み込むように、厳かにそう呟いた。
 それを聞いて、アルバートは静かに頷いた。

「……良い誓いだ。お前のような臣下が居たら、主も鼻が高いだろう」
「……ふっ、そうだと良いがね」

 二人はそう言って笑いあう。
 もはや最初に会った時の敵意など、そこには無かった。

「……さて、これから責任者の元に行くが、一緒に来るか?」
「ああ、そうさせてもらおう」

 二人はそう言い合うと、博麗神社に向けて飛び立った。



[29218] 銀の槍、事態を収める
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 12:23
 将志が博麗神社に向かうと、そこにはピエロの少女と十字槍の女戦士が居た。
 二人とも特に目立った外傷はなく、無事に終わっていたようであった。

「あ、将志くんだ♪」
「おお、お師さん! 無事でござったか!」

 将志が境内に降り立つと、二人は将志に近寄ってきた。
 将志はそれに対して平然と答える。

「……ああ、俺は問題ない」
「む? そちらの御仁はどちら様でござるか?」

 涼は将志の隣に居る、銀の髪の初老の男性を見てそうたずねた。
 スーツ姿の男は、たずねた涼に対して礼をした。

「申し遅れた。私はアルバート・ヴォルフガング。人狼の長をしている。今日はこの結界の責任者に話があってここに来た」
「あ、ゆかりんにお話があるんだ? ん~、ちょっと待ってね♪ 今呼んで来るから♪」

 愛梨は笑顔でそういうと、神社の本殿へと走っていった。
 その様子を、アルバートは穏やかな表情で見送る。

「……良い笑顔だな。あれがお前の守りたかったものか?」
「……ああ。俺が守りたかったものの一つだ」
「そういえばお師さん、アグナ殿はどうしたんでござるか?」

 将志達が話をしている横から、涼がそう口を挟む。
 それを聞いて、将志は首をかしげた。

「……む? 見当たらなかったから、てっきりもうこちらに来ているものだと思っていたのだが、違うのか?」
「いや、来てないでござるよ?」

 涼の返答を聞いて将志は怪訝な表情を浮かべた。

「……妙だな。相手にしていた闇の妖怪も居ないし……」
「あんぎゃああああああああ!!」

 突如聞こえてきた叫び声に、場に一気に緊張が走った。

「今の声は!?」
「……アグナだ! 涼、お前はここで待っていろ!」

 将志はそういうと、声のした方向に風を切り裂きながら飛んでいった。



 一方そのころ、声の主はというと。

「おいコラテメェ! いきなり人の太ももに噛り付くとはどういうつもりだ!?」

 燃えるような紅い髪の女性が、そう言いながら膝枕をしている金髪の少女の頭をはたく。
 アグナの太ももにはくっきりと歯形が残っていた。

「ん……え、ええっ!? な、何で私、こんなことに!?」

 眼を覚ました少女は、頭の下の柔らかい感触に意味が分からず狼狽する。
 それを聞いて、アグナはドッと力が抜けた。

「何だよ……寝ぼけてただけかよ……いってえな……」

 その声を聞いて、ルーミアはアグナのほうを向く。
 そしてその姿を確認した瞬間、顔が一気に恐怖に染まっていく。

「ひっ……」
「何ビビッてやがんだよ。俺があんたを殺す気なら、もうとっくにあんたは死んでるぜ? もう俺はあんたを攻撃するつもりはねえよ。それに、あんた今光を浴びてっけど全然平気じゃねえか。何が怖いんだ?」 
「え……あれ?」

 ルーミアはアグナの言葉を聞いて、ペタペタと自分の身体を触って現状を確認する。
 状況をよく理解できていないルーミアに、アグナは苦笑いを浮かべた。

「闇の妖怪だからって光を怖がるこたぁねえんだよ。むしろ光を飲み込んでやるくらいの勢いが無くてどうすんだよ?」
「……ねえ、貴女は私が憎くないの? 私、貴方達を取り込もうって思ってたのよ」

 ルーミアはキョトンとした表情でアグナにそう問いかける。
 それを聞いて、アグナは首をかしげた。

「ん~? 結果的には誰も食われてねえし、あんたも今はその気も無さそうだし、そもそも悪い奴じゃなさそうだしな。だっつーのに何で憎まなきゃいけねえんだ?」
「じゃあ、怖くは無いの?」

 ルーミアがそう問いかけると、アグナは腹を抱えて笑い出した。

「あはははは! あれだけ盛大に負けておいて、俺があんたを怖がるとおもってんのか!? むしろいつでも掛かって来いよ、その度に返り討ちにしてやっからよ!!」
「……お人よし」
「お~お~、褒め言葉だぜ! ま、今はそのままもうしばらく寝ときな。しっかり休んで様子見てからじゃねえと、後で何かあったとき大変だからな」
「……そうさせてもらうわ」

 ルーミアはそういうと、再びアグナの膝の上に頭を乗せて眠り始めた。
 それからしばらくして、アグナの元に将志が降り立った。

「……アグナ、無事か?」
「おう、無事だぜ。兄ちゃんも大丈夫そうだな」
「……ああ。ところで、膝の上で寝ているのは誰だ?」
「ああ、ルーミアっつってさっきの闇妖怪だ。悪い奴じゃ無さそうだから、どうしようか悩んでんだ」

 アグナは将志にルーミアの処遇についてそう話した。
 それを聞いて、将志は少し苦い表情を浮かべた。

「……だが、あの力は放置しておくには危険だぞ? 少なくとも、お前と同じように力の封印くらいはしておくべきであろう」

 将志はアグナの言葉にそう言って返した。
 すると、アグナは頬をかきながらため息をついた。

「あ~、やっぱり? まあ、それに関しちゃこいつと話をしてからだな。そうじゃねえと不公平だからな」
「……そうだな。まあ、まずは博麗神社に向かうとしよう。その妖怪も、ここで寝るよりはその方が良いだろう」
「そだな。んしょっと」

 アグナはルーミアをそっと抱きかかえる。
 そんなアグナに将志は声をかけた。

「……俺が運ぼうか?」
「いんにゃ、こいつは俺が戦った相手だ。最後まで面倒を見ないとな」
「……そうか。では、行くぞ」

 そういうと、二人はゆっくりと博麗神社に向けて飛び立った。
 アグナは社の一室にルーミアを寝かせると、境内に出てきた。
 すると、一同は唖然とした表情を浮かべた。

「……あの、どちらさまでござるか?」

 涼は見慣れぬ人影に恐る恐る声をかける。
 それを聞いて、体が成長しているアグナは首をかしげた。

「ん? 何だよ槍の姉ちゃん、俺はアグナだぞ?」
「そ、そうは言われましても……」
「きゃはは……これはちょっと予想外だなぁ……」

 アグナが名乗ったが、周囲の反応は困惑したものであった。
 それを見て、アグナは怪訝な表情を浮かべた。

「んん~? そういや、なんかみんなちっとばっかり小さくなったな?」

 アグナは自らの置かれている状況を良く分かっていないようである。
 そんなアグナに、将志は額に手を当てながら声をかけた。

「……アグナ。お前はまず自分の身体をよく見直してみるといい」
「はあ……おおう、そうだった! 封印が解けたらこうなってたんだったな、すっかり忘れてたぜ!!」

 アグナは自分の成長した身体を見回すと、ハッとした表情で手を叩いてそう言った。
 そんなアグナを、藍と紫はまじまじと見つめる。

「しかし、あれだな……見事なまでに色々と成長しているな」
「本当ね……あんなに小さかったのが、私よりも背が高くなっているものね……」
「特にここなんか、凄い成長をしているな」

 藍はそういうと、急成長を遂げたアグナの胸に掴みかかった。
 藍の手の中で、二つの山がぐにぐにと形を変えていく。

「はあんっ!? な、何しやがんだ!?」

 突然の行為に、アグナは驚いて後ろに飛び退く。
 すると、藍はアグナの後ろに回りこんで抱き付くようにして胸に手を伸ばした。

「む、この大きさの割りに形も崩れず、弾力もある。同じ女としては羨ましくもあるな」
「あら、本当ですわね。……まさか、アグナに追い抜かされるとは思ってもいませんでしたわ」
「ひゃうんっ!? や、やめろよぉ!!」

 途中から六花も加わり、弄られているアグナは顔を真っ赤にして身悶える。
 しかし二人掛かりで抑えられているため、抜け出すことが出来ない。
 必死でもがくアグナを拘束しながら、その胸を揉みしだいていく。

「……アア、どこかで見た光景でござるな~」

 その様子を、涼は現実逃避気味に眺めていた。
 涼は弄り倒されているアグナの姿を、かつて鬼に弄り倒されていた自分の姿に重ねていた。

「ら、藍? 弄るのはそれくらいにして……」

 紫は目の前で繰り広げられている暴挙を収めようと、藍に声をかける。
 すると、藍の視線は紫に向いた。

「……そういえば、紫様もなかなかのものを持ってますね。大きさは手にしごろよりは少しこぼれるくらいで……男を堕とそうと思えばすぐに堕とせるんじゃないですか?」
「きゃうっ!? ちょ、ちょっと、藍!?」

 藍は唐突に紫に後ろから抱き付いて胸を掴みにかかる。
 下から持ち上げてみたり、押しつぶしてみたりと、次々と弄くっていく。
 己が従者の行為に紫は振り解こうともがくが、藍はしっかり抱き付いて離れない。

「貴女も人のことは言えませんわよ、藍さん? この感触なら、紫さんよりもあるのではなくて?」

 その藍の後ろから六花が抱き付き、弄りに掛かる。
 六花は後ろから鷲掴みにするように手をやって、くにくにと握る手に力を入れる。
 すると藍の口からは色っぽい吐息が漏れ始めた。

「くぅんっ……お前には劣るがな。それにしても、六花は本当に色気の多い体つきをしているな」

 それに対して、藍は体勢を入れ替えて六花の身体を弄り返す。
 お返しとばかりに赤い着物の懐に手を突っ込み、直接掴みにかかる。
 その感触に、六花は思わず体を震わせた。

「ぁんっ……まあ、このお陰で損も得もしていますわ」

 こうして、藍と六花がその場の女性陣を弄り倒すという、桃色の空間がその場に出来上がる。

「……(じ~っ)」

 そんな中、愛梨はジッと女性陣を見回した。
 そして、冷静に戦力分析を行った。

 各自の戦闘力

      涼:平均以上、ただし胸当てで隠れている可能性あり。
      紫:包容力を感じる
      藍:数々の男を虜にした実績あり
     六花:色気たっぷり
 アグナ(大人):圧倒的

「……(ぺたぺた)」

 愛梨は自らの身体を見下ろし、胸に手を当てる。

「……(ず~ん)」

 そして現実を確認すると、その場に崩れ落ちて手を着いた。

「きゃはは……世の中って、不公平だよね……」

 口からは怨嗟の言葉が漏れ出ており、纏う空気は重かった。

 そんな女性陣を、男二人は呆れ顔で眺めていた。

「……将志、こやつらは天下の往来で何をやっておるのだ?」
「……知らん。が、近づいたら巻き込まれそうなのでな。急ぎの用があるわけでもなし、収まるまで待つとしよう」
「……ガールズトークにはついていけんな」
「……全くだ」

 境内には、シンクロする男二人のため息が響いた。




「……それで、何が原因でアグナはこうなったのだ?」

 しばらくして場が収まったので、将志は紫にアグナの変化の原因をたずねることにした。
 すると、紫はその場で少し考え込んだ。

「恐らく、封印で抑え込まれて蓄積された力が解放されて、その力の受け皿がアグナの小さい身体じゃあ足りなかったんでしょう。で、それを補うために成長したんだと思うわ」

 紫の回答を聞くと、将志は納得したように頷いた。

「……そうか。ところで、紫に話があるのだが……」
「あら、何かしら?」

 将志は紫に人狼への処置に付いての話をした。
 内容は、食料係への推薦と人狼の立場についてであった。

「……成程ね、食料調達係に人狼の一団を推薦するわけね……」
「我等の生きる寄る辺となっていることなのだ。是非とも、その役目を我等に任せていただきたい」

 思案する紫に、アルバートは懇願するような視線を送る。
 それに対して、紫は答えを示す。

「当番制だから、毎日全員が出て行けるわけじゃあないけど、それでいいなら」

 紫の言葉を聞いた瞬間、アルバートの表情が明るいものに変わった。

「おお、それでも構わん。人間を狩れるのならばそれで良い」
「そう。それなら後で詳しい話をするから、その時に」
「ああ」

 アルバートの返事を聞いて、紫は満足げに頷いた。
 そして、その視線は神社の一室で眠っている金髪の少女に向けられる。

「さてと、次はこの子の処遇ね。いったいどんな力を持っていたのかしら、この子は?」
「そいつが持っていたのは闇の力だ。闇に触れたものを吸い取って、自分の力にする能力だった。途中で俺の力を吸い取って強くなるなんて芸当をしてきたぞ」

 紫の質問を受けて、アグナはルーミアの能力について説明する。
 アグナの説明を聞くと、紫の表情はやや険しいものになった。

「……怖い能力ね。もし貴女が負けていたら、もう手に負えなくなるところだったわ。この子には悪いけど、封印させてもらうわ」
「ちょっと待ってくれよ!! せめて俺から説明させちゃくれねえか?」

 紫の提案にアグナが慌てて抗議する。
 それを聞いて、紫は眉を吊り上げた。

「……起きたらまた攻撃してくるかもしれないわよ? それでも?」
「そん時はそん時で、また倒すだけだ」

 アグナは自信に満ちた橙の瞳で紫にそう告げる。
 それを聞くと、紫は大きくため息をついた。

「……まあ良いでしょう。一度倒された相手に、消耗した状態で戦うほど無謀なことはしないでしょう。でも、逃げられないように周りは固めておくわよ?」
「おう、頼んだ」

 アグナはそういうと、ルーミアのすぐ近くに寄った。

「おい、起きな」
「……ん……何よ……ってここ何処?」

 アグナが肩を揺すると、ルーミアは眠たげに眼をこすりながら眼を覚ます。
 眼が覚めてくると、ルーミアはキョロキョロと辺りを見回した。

「近くにあった神社だ。それはともかく、お前に話がある」
「……話?」
「ああ……遠まわしな言い方は苦手だからズバッと言うぜ。封印に関する話だ」

 アグナの言葉を聞くと、ルーミアはハッと息を呑んだ。

「っ、私を封印するのね……」
「そういうこったな」
「嫌よ! 私は封印なんてされたくない! 閉じ込められるなんて嫌!!」

 ルーミアはアグナに向けて拒絶の意を思い切り叩きつける。
 それを受けて、アグナはルーミアの肩を抱いて耳元で囁く。

「……だろうな。だからよ、少し言うこと聞いちゃくれねえか?」
「……な、何よ?」
「実はな、俺もこの後力を封印されるんだわ。ほら、テメェも見ただろ? 青い髪留めを外す前の俺をさ。あの髪留め、封印の札だったんだわ」
「それで?」
「ぶっちゃけ危険視されてんのお前の力だけだし、力だけ封印してみねえかって話だ」
「それで本当に許してもらえるの?」
「やってみねえとわかんねえ。けど、やるんなら今すぐ出来るぜ? ま、やるかやらねえかはあんた次第だけどな」

 アグナが問いかけると、ルーミアは少しの間考える。
 しばらくすると、ルーミアは小さく頷いた。

「……やるわ。全身封印される可能性が低くなるのなら、その封印受けても良いわ」
「うっし、分かった。んじゃ早速始めっから、動くなよ?」

 アグナはルーミアの頭に手を置くと、手に力を送り始めた。
 アグナは自分の力を封印していたリボンを思い浮かべ、自分の光の力をその形に変換していく。
 そして光の力の籠もった封印の赤いリボンを、ルーミアの髪に結びつけた。

「……これでよし。どうだ?」
「……う~ん、力が入らないわ……」

 ルーミアは手元に試しに剣を呼び出そうとするが、闇が集まってくるだけで剣は取り出せなかった。
 落胆するルーミアの肩を、アグナは優しく叩く。

「まあ、お前の闇の力を俺の光の力で抑え込んでっからな。そりゃ力は出ねえよ」
「まあ良いわ。とりあえずこれで表に出よう、お姉さま?」

 その一言を聞いて、アグナは固まった。

「……は? お姉さま?」
「良いじゃない、私がお姉さまのことを何て呼んだって。それよりも弁護宜しくね、お姉さま」
「……あれ、何か性格変わってねえか? っておい、引っ張んな!!」

 しれっと言い放つルーミアに腕を取られながら、アグナは境内へと引っ張られていった。




「……というわけで、力だけ封印してみたんけどよ……」

 境内に居る一行の前で、ルーミアは力が封印されているかどうか確認をする。
 その結果、剣は呼び出せず他者からの力の吸収も出来ないことが発覚した。

「むぅ……剣は持てないし、吸収も出来ないのね……」
「ま、慣れりゃそんなの気にならなくなるさ」

 力が一気に落ちたことにルーミアは肩を落とす。
 アグナはそのルーミアの肩を叩いて励ましの言葉をかける。
 それを見て、紫は苦笑いを浮かべた。

「……まあ、これならそんなに危険って訳でもないし、大目に見るとしましょう」
「ねえ、質問なんだけど良い?」

 ルーミアは紫に対して質問を投げかける。
 それに対して、紫は快く答える。

「何かしら? えーと……」
「ルーミアよ。あのさ、やっぱり私に監視員って付くの?」
「まあ、当分の間は付くでしょうね」
「それじゃあ、その監視員を私から指定するのは?」

 ルーミアは紫の眼をじっとみながらそう尋ねる。
 すると紫は口に扇子を当てたまま微笑んだ。

「……別にいいわよ。ただし、ここに居る人だけよ」
「なら問題ないわ。宜しく頼むわよ、お姉さま?」

 ルーミアは満面の笑みでアグナの手を取ってそう言った。
 その瞬間、アグナは思わず噴出した。

「ぶっ!? 俺なのかよ!!」
「当然。私を封印したのはお姉さまでしょ? なら、最後まで責任を持ってくださる? ねえ、お姉さま♪」
「だあぁぁ! 分かったからそんなにくっつくなって!!」

 ルーミアはアグナにギュッと抱きつき、アグナは逃れようともがく。
 その様子を、周囲は微笑ましいものを見るような眼で眺めた。

「……良くは分からんが、これで問題は無さそうだな、紫?」
「ええ。一番安心の出来る相手に自分から納まってくれたわ」
「……さてと、アグナ。こっちに来い」

 将志は懐から青いリボンを取り出し、アグナを呼び寄せる。
 すると、アグナはその場で止まって将志に眼を向けた。

「何だ、兄ちゃん? ああ、そういや俺がまだだったな。おい、ちっと離れろ」
「わかったわ、お姉さま」

 アグナは将志の手に握られた青いリボンを見ると、ルーミアに声をかけて離れてもらう。
 ルーミアが離れると、アグナは将志の前まで駆け足で近寄っていく。

「……それじゃあ、後ろを向いてくれ」
「おう」

 アグナが後ろを向くと、将志はその紅く長い髪を指で軽く梳き、三つ編みにし始める。

「……それにしても、長い髪だな」
「へへっ、俺はこの髪好きだぜ。だって、こういう時に兄ちゃんが長く触ってくれっからな」

 将志の呟きに、アグナはにこやかにそう答える。
 アグナは将志に構ってもらえるのが嬉しいらしく、封印されるというのに笑顔であった。
 将志が先端を青いリボンで結ぶと、アグナの身体を光が包み込んだ。
 それが収まると、くるぶしまで燃えるような紅い髪を伸ばした小さな少女が現れた。

「……終わったぞ」
「っと……やっぱこの身体のほうが色々と軽いな。力は入らねえけど」
「ふふふ……大きいお姉さまも格好良くて綺麗だったけど、小さくなったお姉さまも可愛くていいわね」
「あ、コラ! 引っ付くんじゃねえ!!」

 封印が施され小さくなったアグナにルーミアは早速抱き付く。
 そんな二人を尻目に、将志と紫は話をする。

「さてと、残った問題は何かしら?」
「……さしあたっては、未だに喧嘩を続けるあの二人か」

 二人はそういうと空のある一点を見つめた。
 そこには、繚乱の花と朱に燃え盛る炎が広がっていた。

「……風見 幽香と、藤原 妹紅かしら? これはまた凄い戦いね」
「……あの二人を知っているのか?」
「風見 幽香は太陽の畑の主で、藤原 妹紅は一時期世間を賑わせた、将志や槍次等に次ぐと言われた妖怪退治屋よ。もっとも、人間をやめているんじゃないかって言う噂も流れていたけどね」

 将志の質問に、紫は胡散臭い笑みを浮かべながらそう答えた。
 実際には将志も槍次も同一人物なのだが、紫はそれに気がついていないようである。

「……妹紅、そんなに有名になっていたのか」

 将志はふとそう呟いた。
 将志は一応自分がどれだけ有名になっていたのかを知っているため、そのような感想を述べたのだ。

「あら、知り合いかしら?」
「……まあ、いろいろあってな。さて、あの二人を止めてくるとしよう」

 将志はそういうと、花咲き誇り不死鳥が舞う戦場へを赴いた。




「はああああ!!」

 不死鳥が激しく花をついばむ。
 その炎は幽香を執拗に攻め立て、燃やし尽くそうとする。

「くっ、しつこいわね!」

 花は不死鳥を捕らえるべく咲き乱れる。
 舞い散る花びらの様に弾幕が展開され、妹紅を攻め立てる。

「……そこまでだ、二人とも。これ以上の戦いは無益だ」

 そんな二人を隔てるように、銀の槍が割ってはいる。
 それを見て、妹紅は将志に詰め寄った。

「……なんで止めるんだよ、将志。私も相手もまだ戦えるんだぞ!」
「……では、はっきりと言おう。妹紅、今のお前では彼女には勝てん」

 将志は妹紅の眼を見て、はっきりとそう言いきった。
 それを聞いて、妹紅の眼の色が変わる。

「何だと!? あんた、何の根拠があって……」
「……根拠ならいくらでもある。一つ、お前は人間で彼女は妖怪、持久力は彼女のほうが圧倒的に上だ。二つ、今は昼だ。相手は夜になるほど強くなるというのに、この時間で千日手になるようでは勝てるはずがない。少なくともこの二つの要因があるのだが?」
「ぐっ……」

 理路整然と列挙される根拠に、妹紅は押し黙った。
 その妹紅を諭すように、将志は言葉を投げかける。

「……冷静になれ。俺が思うに、お前はまだまだ強くなれる。そして強くなって、相手を見返してやるが良い」
「勝手なことを!!」

 将志の言葉に妹紅は憤慨する。
 そんな妹紅に対して、将志は『鏡月』の切っ先を向ける。

「……そう思うのなら、俺を倒して黙らせて見ろ。もっとも、お前に出来るのならばだがな」
「ちっ、興が冷めた。私は帰る。……今に見てろよ、将志」
「……ああ。ありがとう、今日は助かった」

 恨めしげに睨んで来る妹紅に、将志は笑顔で礼を言った。

「……ふん」

 妹紅は不機嫌そうに鼻を鳴らすと、その場を去っていった。
 将志はそれを見届けると、もう一人の当事者に向き直った。

「……さて、残りはお前だけとなった訳だが……どうする?」

 将志は油断なく幽香を見やりながらそう声をかける。
 そんな将志を見て、幽香は深々とため息をついた。

「はぁ……今日はやたらと邪魔が入る日ね。止めにしておくわ。貴方とやるのは面白そうだけど、また邪魔が入ったら今度こそ我慢できなくなりそうだもの」
「……そうか。ならば俺も立ち去るとしよう」

 幽香のその回答を聞いて、将志は構えを解いて立ち去ろうとする。
 そんな将志に、幽香は声をかけた。

「ねえ、さっきの子が言っていた目指す背中って貴方のことかしら?」
「……さあ、どうだろうかな? 俺は妹紅ではないから、あいつが誰を指してそう言ったのかなど分からんよ」

 幽香の問いに微笑を浮かべながら将志は答える。
 それを見て、幽香は興味深そうに将志を眺めた。

「ふうん……まあ良いわ。いつか貴方とも思いっきり踊ってみたいものね」
「……その機会があるのならば、俺も全力でお相手しよう」
「ふふふ……待ってるわよ? それじゃあ、御機嫌よう」

 幽香はそういうと、太陽の畑の方向へと飛び去っていった。

「……さてと、これで指し当たっての問題は解決できたな。いったん戻るとしよう」

 将志はそれを見送ると、再び博麗神社へと戻ることにした。



 当日の全ての任務を完了し報告をするために紫を探すと、紫はアルバートと食料係に関する協議を行っていた。

「……紫はアルバートと協議中か……」
「おや、将志。紫様に言付けか?」

 将志が部屋を覗いて立ち去ろうとすると、横から藍が声をかけた。

「……ああ。当初の任務を完了したのでな。その報告だ」
「そうか。私が代理で伝えておこうか?」
「……いや、直接伝えたほうが良いだろう。それにこの協議の結果も気になるところだ」
「ふむ、ならゆっくりしていけば良い」
「……そうさせてもらおう。ところで何やら騒がしいが、何事だ?」

 紫とアルバートが協議する一方で、何やらバタバタと音が聞こえる。
 それは誰かが暴れまわっているような音であった。
 将志の質問に、藍は頬をかいた。

「実は、協議はもう一つ行われていてだな……アグナとルーミアなんだが」
「……それが?」
「ルーミアがアグナに絡み付く一方で話が進まんのだ。今決まっていることといえば、アグナが封印を解かれていない時はルーミアも封印が解けないようになっているくらいでな」

 藍の言葉を聞いて、将志は首をかしげた。

「……一番重要なことは決まっているようにも思えるが?」
「将志。ルーミアをアグナが預かるということは、ルーミアも銀の霊峰に住むということになるのは分かるな?」
「……ふむ、確かにそうだ。それで?」
「今話をしているのは、ルーミアがどの部屋に住むのかと言う話だ」
「……? 空いている部屋なら客間を一つ提供すれば良いだけだが……それに、それに関しては戻ってから話をしてもいいだろうに」
「ルーミアはお姉さまの部屋が良いんだとさ。それで、アグナが大弱りしているのだ」
「……アグナは自分の部屋をほとんど使わんのだが?」

 将志の言葉に、今度は藍が首をかしげる。

「……どういうことだ?」
「……アグナは普段外に居るし、社に居る時はほとんど広間や書斎に居る上、寝る場所に至っても大概俺の部屋に来るからな。実質、アグナの部屋はほとんど機能していないのではないか?」

 実際にはアグナは将志が居る場所によく出没しているのだ。
 つまり、将志にいつもくっついて回っているため、アグナはほとんど部屋に居ることがない。
 その話を聞いて、藍は羨ましそうにため息をついた。

「何ともまあ羨ましい生活をしているな、アグナは。まあ、そのうち向こうも決まるだろう。私達は居間でのんびりと待とうじゃないか」
「……そうだな」

 二人は連れ添って居間に向かう。
 そこには誰も居らず、静寂がその場を支配していた。

「……愛梨達はどうした?」
「ああ、先程銀の霊峰から使いが来てな。その対応のために戻っていったぞ。将志には食料係の協議の結果を聞き届けるようにと言う愛梨からの伝言を受けている」
「……そうか」

 将志が縁側に腰を下ろすと、その隣に藍が腰を下ろす。
 藍はぴったりと寄り添う様に座っており、将志の肩に頭を乗せている。

「……随分と疲れているようだな」
「そういうわけではないんだが……」

 藍はそういうと辺りを見回した。
 辺りには誰も居らず、近づいてくる気配もない。

「……いや、やはり少し疲れているようだ。将志、折角頑張ったのだから、少し褒美をくれないか?」
「……褒美? 何か欲しいものでもあるのか?」
「ああ……お前からの接吻が欲しい」

 藍は将志の腕を抱き、下から上目遣いで覗き込むようにしてそういった。
 その眼は潤んでおり、頬は仄かに赤く染まっている。

「……それくらいならお安い御用だ」

 将志は一つ頷くと、藍の頬にキスをした。
 それを受けて、藍は少し不満げな表情を浮かべた。

「……唇には、くれないのだな」
「……唇は俺にとって一番の者にすると決めている。だから、今は藍にはしてやれない」
「今は?」
「……自分の気持ちが良く分からんのだ。好意を持っているというならば、俺は多くの人物に対して持っている。だが、その中で誰が一番なのか……そう言われると、良く分からんのだ」

 困った表情で将志はそう話す。
 それを聞いて、藍は興味深そうに将志を見る。

「ほう……てっきりお前の主に先を越されたものかと思っていたが、違うんだな?」
「……主への気持ちが特に分からない。俺は確かに主に対して好意を、それも飛びぬけて強いものを持っている……だが、それがまた使命感や何かから来ているのではないかと思うと、自信がなくなるのだ。こんなことでは、胸を張って主が一番とは言えん」

 かつて、将志は強烈な使命感に縛られていた過去がある。
 それから開放した輝夜の一言は、未だに将志の心に深々と突き刺さっているようだ。
 それはトラウマとなり、永琳に対する自分の気持ちに自信が持てなくなってしまっていたのだ。

「なるほど……やはり敵は強大だな……だが、付け入る隙はまだあるようだな」

 藍はそういうと、将志の頬に手を伸ばす。
 それに対して、将志はキョトンとした表情を浮かべた。

「……藍?」
「お前が口付けにそういう考えを持っているのならば、私もそうさせてもらおう」

 藍はそういうと将志の頬を両手で掴み、唇にキスをした。
 唇を吸い、舌を絡め、口の中を蹂躙する。
 藍のキスは、炎のように情熱的で糖菓子のように甘かった。

「……んちゅっ……お前の主にとって将志が一番であるように、私にとって一番はお前だ。私はお前の一番を諦める気などさらさらない。それは覚えておいてくれ」

 頬を染め上気した表情で藍はそう言い、将志を抱きしめる。
 一方の将志は不意を突かれて呆然としており、成すがままになっていた。
 そんな中、紫とアルバートが協議していた部屋から人が動く気配が感じられた。
 それを受けて、藍は将志から身体を離す。

「協議が終わったようだな。では、紫様に話をつけてくる」

 藍はそういうと、立ち上がって紫がいる部屋へと向かっていった。
 それと入れ違いに、アルバートがやってきた。

「む? どうした、将志? 何を呆けておるのだ?」

 アルバートはぼーっとしている将志にそう声をかける。

「……友人関係というものは、難しいのだな……」
「……?」

 将志の言葉に、アルバートはただ首を傾げるばかりだった。



[29218] 番外:演劇・銀槍版桃太郎
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 12:38
注意

 この話は本編のキャラクターを使った作者のやりたい放題の話です。
 以下の点にお気をつけください。

 ・著しいキャラ崩壊
 ・カオス空間
 ・超展開
 ・一部メタ発言

 なお、この話は本編とは一切関係ありません。
 以上の点をご了承しかねると言う方は、ブラウザバックを推奨いたします。

 では、お楽しみください。




















「みんな~!! 今日は集まってくれてありがと~♪ 今日は演劇『桃太郎』を披露するよ♪ それじゃあ劇の始まり始まり~♪」

  *  *  *  *  *

『(ナレーター:愛梨)昔々、あるところに、おじいさん(演者:妖忌)とおばあさん(演者:幽々子)が住んでいました。ある日、おじいさんは山に芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に行きました』

「それじゃあおばあさん、気をつけてくださいね」
「ええ、おじいさんも気をつけてね」

『おばあさんは川に着くと、早速洗濯を始めました』

「う~ん、なかなか落ちないわ~」

『おばあさんが川で洗濯をしていると、どんぶらこ、どんぶらこと大きな桃が流れてきました』

「あら、美味しそうな桃ねぇ」
「いただきま~す♪」

『おばあさんは川から桃を掬い上げると、そのままかぶりつきました』

  *  *  *  *  *

「はいカット」

 唐突に、観客席から声が上がる。
 その声は舞台監督を任されている輝夜のものであった。

「ちょっと、そこは家に持って帰るんでしょ!? 何でその場で噛り付くのよ!?」
「え~、だって脚本にはそんなこと書いてなかったわよ?」
「そんな訳ないでしょうが! ちょっと脚本見せてごらんなさい!!」

 輝夜は幽々子から脚本をふんだくると、中に眼を通した。
 しかし、その眼はすぐに点になった。

「……何これ? 配役だけしか書いてないし、後は白紙じゃない」

 幽々子の脚本には、幽々子がおばあさん役をやるということしか書かれていなかった。
 輝夜が取り落としそうになった脚本を、助監督をすることになった妹紅が手に取る。

「て言うか、この脚本書いたの誰だ?」
「ふっふっふ、それは私よ!」

 妹紅が問いかけると、今回の脚本家であるてゐが不敵な笑みを浮かべて声を上げた。

「……てゐ、ちょっと来なさい。これはどういうこと?」
「桃太郎なんて誰だって知ってるでしょ? だから、白紙の脚本を配って好き放題やってもらうことにしたのよ。さあ、話が進まないから先に進めましょ?」

  *  *  *  *  *

「よく考えたらおじいさんにも分けてあげないと可哀想ね。持って帰りましょう」

『おばあさんは少しかじってそう思い、桃を持って帰ることにしました』

「おや、随分と大きな桃ですね……って、おばあさんつまみ食いしたんですか……」
「だって美味しそうだったんですもの……」

『桃についた歯形を見て、おじいさんは呆れ顔です』

「まあいいです。折角ですし、食べることにしましょう。切り分けますので、少し下がってください。えいやっ!!」

『おじいさんはそういうと、腰に挿した日本刀を抜いて一息で桃を真っ二つにしました』

「……きゅう」

『すると、桃の中から窒息した子供(演者:涼)がぐったりとした状態で出てきました』

  *  *  *  *  *

「カットカット」

 輝夜は頭痛を抑えるように額に手を当てながら舞台を止めた。

「……なんかいきなり子供が死に掛かってるんだけど?」
「……空気穴を開けるの忘れてたかしら……」

 輝夜の問いかけに、てゐはそう呟いた。

「というより、あの桃どういう仕掛けになってるんだ?」
「お師匠様の薬で巨大化させた桃の中に、スキマ妖怪の力で桃太郎役を埋め込んだんだけど?」
「……なんという惨いことを……」

 てゐの涼に対するあまりに酷い仕打ちに、妹紅はほろりと涙をこぼす。
 その横から、輝夜がふとした疑問をこぼした。

「それはそうと、身動き取れない中でどうやってあの一撃を回避したの?」
「……さあ?」

 大きな疑問を残したまま、舞台は再開される。

  *  *  *  *  *

『半死半生で桃の中から出てきた子供は桃太郎と名づけられました』

「あら、まだこんなに残ってるじゃない。食べないんならもらうわよ、二人とも」
「ああ、それは拙者のおかず!」
「おばあさんが食べるのが速すぎるだけですよ、それは!」

『桃太郎は弱肉強食の食卓の中で逞しく育ち、立派な青年へと育ちました』

「お宝は頂いていくよ!」
「それじゃあ私は酒でももらおうか!」
「すみませんね、皆さん。では、失礼します」

『そんなある日のこと、鬼達(演者:萃香、勇儀)が大将(演者:伊里耶)に連れられて近くの村々を荒らしまわり、略奪の限りを尽くすようになりました』

「おじいさん……もうご飯がないわ……これもきっと鬼のせい……」
「むむむ……これは由々しき事態でござるな!」
「いや、家には鬼は来てませんよ? 単におばあさんが食べすぎなだけですからね?」

『桃太郎は我が家の食料事情に危機感を覚え、鬼達から食料を強奪するために立ち上がりました』

  *  *  *  *  *

「カットカットカット!」

 突如として舞台監督が声を上げる。

「どうしたの、輝夜ちゃん?」
「さっきからナレーションおかしくない!? 鬼から食料を強奪とか童話にあるまじき話じゃない!」
「だって普通にやってもつまんないよ♪ だったら、少しでも面白い方がいいでしょ♪」
「いや、そういう問題じゃないでしょ!?」

 まくし立てる輝夜に対して、愛梨は楽しそうにそう答える。
 頭をガシガシと掻き毟りながら愛梨に抗議する輝夜の肩を、てゐがぽんっと叩く。

「姫様……」
「な、何よ?」
「気にしたら負けよ♪」

 釈然としない表情の輝夜を他所に、舞台は再開する。

  *  *  *  *  *

「桃太郎、旅は辛いものになるでしょう。これをもっていきなさい……あれ?」
「ごちそうさま~」

『おじいさんが桃太郎に持たせようと思っていたきび団子は、既におばあさんのお腹の中に納まっていました』

「おばあさん! 桃太郎に持たせる分のきび団子まで食べないでください!」
「あら、そうだったの? ごめんなさいね、だったら代わりにこのお団子をもっていきなさい」

『怒り心頭のおじいさんにおばあさんはなおざりに謝ると、おばあさんは台所から大きな包みを持ってきました』

「随分と大きくて重いでござるな?」
「それだけ大きなお団子なのよ。さあ、行ってらっしゃい」

『桃太郎はおばあさんからお団子の入った大きな包みを受け取ると、準備を始めました』

「では、行って来るでござる!」
「気をつけて行って来なさい」
「おみやげ宜しくね~♪」

『おじいさんとおばあさんに見送られて、桃太郎は旅に出発します』

「おや、あれは?」

『しばらく歩いていくと、目の前にとても強そうな犬(演者:将志)が一匹現れました』

「……わんわん」
「……」
「……わ、わんわん」
「…………」

『………………』

  *  *  *  *  *

「ごめん、カット……ひー、ひー」
「ぷくく……わんわんって……あんたが言うと似合わないにもほどが……」

 輝夜は腹を抱えて笑いをこらえながらいったん舞台を止める。
 その横では同じように妹紅が必死で笑いをこらえていた。

「……ええい笑うな!」

 そんな二人に対して、将志は顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。

「……お兄様? 洒落にしてはいくらなんでも……」
「……うるさい、俺の脚本にはそういうように書いて……」

 六花に反論しようとすると、将志は視線に気がついてそちらに眼を向ける。
 するとそこには、呆然とした表情でジッと将志のことを眺める銀髪の初老の男がいた。

「…………」
「…………」

 無言で見つめあう二人。
 しばらくすると、アルバートは力なく首を横に振りながらその場から立ち去っていった。

「待て、アルバート! これは劇だ、普段からこんなことをしているわけでは……!」

 将志は大慌てでアルバートを追いかけていく。

「あはははは! もう最高~!」

 その慌てふためく様子を、てゐは大笑いしながら眺めていた。

 しばらくしてがっくりとうなだれた将志が帰ってくると、舞台は再開される。

  *  *  *  *  *

『周囲の時を止めた犬の発言から帰ってきた桃太郎は、犬と話をすることにしました』

「……鬼退治に行くのか?」
「そうでござるが?」
「……そうか」
「そうだ、お団子をあげるからついて来てくれぬか?」
「……了承した。では、いただこう」

『桃太郎は背負っていた荷物を降ろし、包みを解きました』

「ふふふっ……さあ、召し上がれ♪」

『すると、包みの中から大きなお団子(演者:永琳)が出てきました』

「「………………ゑ」」

  *  *  *  *  *

「カット……カットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットォ!!」

 輝夜はそう叫びながら手にしたメガホンを地面に叩き付けた。
 そして、舞台上の永琳に詰め寄った。

「ねえ、えーりん……貴方はいったい何をしているの?」
「何って、きび団子がなくなったからその代役をしているだけよ?」
「おかしいでしょ!? せめて食べ物で代用しなさいよ!」

 悪びれる様子もなく質問に答える永琳に、輝夜は頭を抱える。
 その横で、将志は脚本家に演技の相談をしていた。

「……てゐ。あの場合どうするのが正解なのだ?」
「そんなの、美味しくいただいちゃえばいいんだよ」
「やめんか! あんたはこの話を十八禁にするつもりか!?」

 混乱している将志にとんでもないことを吹き込もうとするてゐ。
 そんなてゐを妹紅が止めに入る。

「……きゅうう~~~」

 その横で話を聞いていた紫が、何を想像したのか顔を茹蛸のように真っ赤に染め、眼を回して倒れた。

「紫様!? 話だけで気を失わないでください! どんだけ初心なんですか、貴女は!?」

 それを見て、藍は大慌てで紫を介抱するのであった。

 混沌とした空気を引きずりながら、舞台は再開される。

  *  *  *  *  *

『お団子に諭された犬は、桃太郎と一緒に旅をすることになりました』

「……歩きづらくはないか?」
「そんなことはないわよ。そんなことよりも、もう少し寄っても良いかしら?」
「……構わんぞ」

『お団子は犬とくっついて歩いていて、とても楽しそうです(羨ましいなぁ……)』

「あはははは……む、あれは……」

『海岸沿いをしばらく歩いていくと、今度は元気な猿(演者:アグナ)が出てきました』

「うっき~♪ あんたが桃太郎か!?」
「そうでござるよ。猿殿は何をしているのでござるか?」
「それが腹減っちまってな……何か食いもん持ってねえか?」
「う……参ったでござるな……」

『食べ物を持っていない桃太郎は大いに困りました。すると、犬が猿に声をかけました』

「……猿。しばらく時間は掛かるがそれで良いのであれば食事を作ることは出来るぞ。どうする?」
「いいのか!? そんじゃ頼むわ!!」

『犬が食事を作ることを提案すると、猿は大喜びでその提案に乗りました』

「……承知した。少し待っていろ」

『犬は海に飛び込むと次から次へと槍で魚を取ってきて、早く食べられるように塩焼きにしました』

「ん~うめぇ! ごちそうさま!!」
「よく食べたでござるな。ところで猿殿、一緒に鬼退治をして欲しいんでござるが……」
「おう、良いぜ! 宜しくな!!」

『お腹一杯ご飯を食べて大満足した猿は、桃太郎の鬼退治について行くことにしました』

  *  *  *  *  *

「はいカット」

 輝夜は話を止めると、体育座りをした。

「……何だろう、桃太郎の話で犬が海に飛び込んで漁をするのがまともなのかと言われたらそうじゃないのに、今までと比べるとまともだと思ってしまう私はおかしいの?」
「それに関しちゃ私も同意だよ。おかしいはずなのに、何でおかしいと思えないんだ……」

 輝夜と妹紅は二人して桃太郎と言う話を見つめなおす。
 そんな二人を、紫は苦笑いをしながら見つめていた。

「そもそも、犬が槍を持っている時点でおかしいと思うのだけど……」
「それ以前に団子が平然と喋って歩いていることの方が問題でしょう……くっ、こんなことなら、私が団子の役をしたというのに……」

 藍は悔しそうにそう呟いた。

 微妙な空気の中、舞台は再開される。

  *  *  *  *  *

「えへへ~、兄ちゃん♪」
「……どうした?」
「うんにゃ、何でもねえ!!」
「寒くはないかしら、犬さん?」
「……いや、そこまでは寒くはないが……寒いのか?」
「ええ、私は少し寒いわ。だからもう少し寄らせてもらうわよ」
「ははは、犬殿はモテるでござるな~」

『猿は犬の肩の上で楽しそうにはしゃいでいて、お団子は相変わらず犬にくっついて歩いています。桃太郎はそんな一行を苦笑いを浮かべながら見ていました』

「む? あそこに見えるのは……」

『しばらく進むと、目の前に酔いどれた雉(演者:天魔)を見つけました』

「ん~? 何だ、貴様ら?」
「ああ、拙者は桃太郎と申すものでござるが……」
「あー、そう。まあ、とりあえず呑め」
「それでは、一杯だけいただくでござる」

『雉はそういうと桃太郎に向かって杯を差し出し、桃太郎はそれを飲みました』

「おお、良い呑みっぷりだな」
「かたじけのうござるよ。ところで折り入って相談があるんでござるが……」
「鬼退治だろう? 手伝ってやらなくはないが、少し腹が空いていてな」

『雉がそういうと、再び犬が前に出てきました』

「……ならば、俺が用意しよう」
「そうか……ならば用意してもらおうか、満漢全席」

『雉は意地の悪い笑みを浮かべながらそう言いました』

  *  *  *  *  *

「カット」

 輝夜は頭を抱えて話を止めた。
 そして、雉役の天魔のところに向かう。

「……冗談よね?」
「至って本気だが?」
「童話の中で鬼退治の対価に満漢全席なんて頼む奴は居ないわよ! 何を考えてるのよ!?」
「ふん、食いたいものを頼んで何が悪い。第一、鬼退治のような命をかけた行為をたかがきび団子一つで引き受けることこそ狂気の沙汰だ。食べ物で釣るのならば、それこそ最後の晩餐の様なものでなければならんだろう?」
「これ演劇だから! 童話に現実を持ち込まない!!」
「だが断る」

 そうして天魔は輝夜の主張を一笑に付すのだった。

 輝夜に頭痛の種を植え付けたまま、舞台は再開される。

  *  *  *  *  *

「それで、どうするんだ?」
「……面白い。その挑戦、受けて立とう」

『雉の注文を聞いた瞬間、犬の料理人魂に火がつきました』

「……桃太郎、俺はしばらく旅に出る。その間、ここで待っていてくれ」
「私も犬さんについて行くわ」
「俺も一緒についてくぜ!!」
「あ、ちょっと!?」

『犬と猿とお団子は、そういうと桃太郎を置いてけぼりにして一目散に駆け出していきました』

「兄ちゃん、燕の巣ってこれで良いか?」
「……すまないが、それは質が悪い。出来るだけ白いものを頼む」
「交渉してきたわ。食材を分けてもらえることになったわよ」
「……火腿(フオトェイ:豚の腿をカビで発酵したもの)が手に入ったか。よし、次に行こう」
「兄ちゃん、サメ獲れた?」
「……ああ。フカヒレの分はこれで十分だ」
「犬さん、次は何を探しに行くのかしら?」
「……烏龍茶だ。最高の料理には最高の茶と酒が必要だ」

『犬達は世界中を駆け回り、満漢全席のための最高の食材を厳選しました』

  *  *  *  *  *

「……カット……」

 輝夜は手にしたメガホンを握りつぶしながら舞台を止めた。

「ねえ、これ桃太郎よね? 最高の満漢全席を作る料理番組じゃないわよね!?」
「……作るからには手を抜かん。ましてや、満漢全席ともなれば最高のものを作りたくなるではないか!」

 襟首を掴んで将志に詰め寄る輝夜。
 それに対して、将志は眼に炎を宿しながらそう張り切って答えた。

「な、何と言う料理人魂……本気すぎる……」
「というか、無駄に輝いてるわね……」

 そんな将志を見て、妹紅とてゐは呆れ半分でそう呟いた。

 無駄に闘志を燃やす料理馬鹿を止める者が現れないまま、舞台は再開される。

  *  *  *  *  *

「……どうだ。これが世界を回って集めた食材で作りあげた、最高の満漢全席だ」

『犬は自分の技術の全てを出し切って、注文の料理を完成させました。雉の目の前には、数え切れないほどの美味しそうな料理が並んでいます』

「ほう……完成させてきたか」
「……はへ~……」

『雉は目の前にある料理を見て、感心しました。その横では、雉に酔い潰された桃太郎が寝転がっていました』

「……ふむ。では次に犬、貴様に食べさせてもらおうか」
「……何?」

『雉の突然の要求に、犬は首を傾げました。そんな犬に、雉は肩に手を回してしなだれかかります』

「死ぬかもしれない仕事を手伝うのだぞ? 協力者の願望を叶えてやるのが筋だろう?」
「……良いだろう」
「ああ、そうだ言い忘れていた。私に食べさせるときは、箸も手も一切使っては駄目だ。……どうすればいいか、分かるな?」
「……なん……だと……」
「分からないなら言ってやろう。口移しで食わせてみろ」

『雉はニヤニヤ笑いながらひたすらに相手の足元を見続けます。雉の無茶苦茶な要求に、犬は大慌てです』

「き、貴様はそれで良いのか!?」
「悪ければこんなことは言わないだろう。減るものでもなし、躊躇するものでもないと思うが?」
「大体何の目的でこんなことを要求するのだ!?」
「男が女を侍らせる様に、女だって男を侍らせてみたくなるものだ。今この場に男は貴様しか居ない。さあ、どうする?」

『雉がそう言って犬を困らせていると、犬をかばうように猿とお団子が前に出てきました』

「……おい、調子にのんなよ……?」
「……これ以上狼藉を働くのなら、私にも考えがあるわ」
「……おお、怖い怖い。ま、この程度にしておくか。そいつの困った顔は思う存分堪能できたしな」

『怒った猿とお団子を前にすると、雉は大人しく引き下がりました。どうやら犬をからかいたかっただけのようです』

「それで~……どうするんでござるか~?」
「こうして満漢全席も出されたことだし、満足するまで食ってから手伝うことにするさ」

『雉は目の前の満漢全席に舌鼓を打ちながらそう答えま「ご~は~ん~!!」うわぁ!?』

  *  *  *  *  *

「カット! 誰かあの女をとめて!」

 輝夜はいきなり舞台に乱入した幽々子を止めるように周りに指示する。
 すると、真っ先に妖忌が幽々子の元へと走っていった。

「幽々子様! いくらお腹が空いたからって演劇中の舞台に突撃しないでください!」
「だって~……あの将志が材料選びから本気で作った料理なんて食べないほうが無礼でしょ~?」
「どうせ満漢全席なんて一人で食べきれる量じゃないんですから、場面が移るまでくらい我慢してくださいよ!」
「ちょ、ちょっと、引きずらないで!?」

 妖忌は舞台の上から幽々子を引きずって舞台袖に降りていった。

 気を取り直して、舞台を再開する。

  *  *  *  *  *

『満漢全席をおなかいっぱい食べた雉は、鬼退治について行くことにしました(食べ切れなかった分はスタッフが美味しくいただきました)』
「ん~ここか? ここが良いのか?」
「っ……何処を触っているのだ、貴様は……」
「なに、暇だから貴様の弱点でも探ってやろうかと思ってな。ほら、次はここだ」
「うっ……止めんか、酔っ払いが!」

『犬は酔っ払った雉の執拗な逆セクハラに耐えながら旅を続けます』

「……なるほど……そこが弱いのね」

『お団子はその様子に興味津々です』

「なあ、兄ちゃんたちは何をしてんだ?」
「……知らなくていいことでござるよ」

『桃太郎は猿の視線をその光景から逸らしながら先に進みます。しばらくすると、鬼ヶ島が見える海岸に着きました』

「……あれが鬼ヶ島でござるか」
「舟があるな。これで行けっつーことか?」
「そのようでござるな。皆の衆、準備は良いでござるか?」
「……大丈夫だ、問題ない」
「私は大丈夫よ」
「へへっ、いつでもいいぜ!!」
「つべこべ言ってないでとっとと行くぞ」
「うむ、ではいざ行かん!」

『仲間の言葉に力強く頷くと、桃太郎は舟に乗って鬼ヶ島に向かいました』

「ふふふ、待ってたよ桃太郎!」
「早速だけど、私らと遊んでもらおうかね!」

『桃太郎が鬼ヶ島に着くと、早速鬼が戦いを挑んできました』

「……その前に、俺達と戦ってもらおうか」
「まさか、俺を仲間はずれにするなんてこたぁねえよな?」
「私も久々に暴れさせてもらうとしようか……覚悟はいいな、鬼共」

『すると鬼以上にやる気満々な桃太郎の仲間が鬼の前に出てきました。それを見て、出迎えた鬼は嬉しそうに笑います』

「良いねえ、そう来なくっちゃ。野郎共! 丁重にもてなしてやりな!!」

『鬼の一人が号令をかけると、たくさんの鬼達が桃太郎の仲間に向かっていきました』

「……遅い!」
「へっ、当たんねえよんなもん!!」
「温い……砕け散れ!」

「「「うぎゃあああああああああああああああ!?」」」

『犬と猿と雉は圧倒的武力で鬼達を片っ端から一方的に駆逐していきます。その様子は、ほとんど弱いものいじめみたいな雰囲気でした』

「ふふふ……皆さん、お強いですね」
「あ、大将」

『しばらくそうしていると、鬼の大将がやってきました。大将の登場に、桃太郎は気を引き締めました』

「さてと……お名前をお伺いしても宜しいですか?」
「……一つ、人の世の生血を啜り、二つ、不埒な悪行三昧、三つ、醜い浮世の鬼を退治してくれよう桃太郎。お主が大将でござるな? この桃太郎、お主達の横暴を決して許しはせぬぞ!」

  *  *  *  *  *

「カット」

 輝夜はこめかみを押さえながら舞台を止めた。

「……ねえ、その台詞怒られるんじゃないの? もろに某時代劇のパクリじゃないの」
「むう、そうなんでござるか?」

 輝夜に指摘されて、涼は残念そうにそう呟いた。
 そんな涼に妹紅が話しかける。

「というか、あんた全然戦ってないな……」
「……お師さん達が強すぎて、拙者の所まで敵が来れないんでござるよ……」

 将志にアグナに天魔。
 実際に戦うと、この三人は涼よりもはるかに強いのだ。
 この三人が前にいるせいで、涼と戦うはずの鬼までまとめて倒されてしまうのだった。

「藍さん、さっきからニヤニヤ笑ってどうかしたんですの?」
「なに、天魔は温いなと思ってな……私なら抵抗させる間もなく将志を沈められる。将志の弱点など知り尽くしているからな」

 藍はにやりと笑いながら六花にそう話す。
 それを聞いて、六花の眼がジト眼に変わる。

「……何処でそんなことを知ったんですの?」
「将志が風呂に入っている時に突撃して弄り倒した時だ。身体をあっちこっち弄られて悶える将志の姿はなかなかに来るものがあったぞ」
「……貴女は本当に何をしてるんですの……と言うか、セクハラで張り合わないでくださいまし」

 六花はそういうと、盛大にため息をつくのだった。

 なんやかんやで、再び舞台は動き出す。

  *  *  *  *  *

『桃太郎の名乗りを聞いて、鬼の大将は楽しそうに笑いました』

「桃太郎さんですか……貴女と戦うのもいいですけど……」
「ちょっと待った! 桃太郎とは私が戦うの!」
「何言ってるんだい、先に私が戦うのさ!」

『大将が桃太郎と話している横で、二匹の鬼はどっちが桃太郎と戦うのかで揉めていました』

「……とまあ、貴女は順番待ちのようですし、他を当たりますよ。ちょうど気になる人も居ますし」
「あ、待つでござる!」
「行かせないよ! まずは私が相手よ!」
「く~っ! この賽の目が……」

『桃太郎の目の前には二匹の鬼が立ちはだかり、鬼の大将は別のところに行きます。大将が向かった先は、犬のところでした』

「こんにちは、犬さん」
「……お前が大将か」
「はい……ふふふ……」

『鬼の大将を前に構える犬でしたが、大将は攻撃してくるわけでもなく笑っていました』

「……何がおかしい?」
「いいえ、貴方をどう責め落とせばいいのかを考えていたんですよ」
「……おい、何か今「せめおとす」の部分に不穏な感じがしたのは気のせいか?」
「話は聞かせてもらった、協力しよう」

『犬と鬼の大将が話をしていると、雉が話に割り込んできました』

「いいか、私が今まで試したのは首と脇と……」
「あ、じゃあまだ耳とかはやっていないんですね」
「それで、貴様は犬をどう弄るつもりなのだ?」
「無論、食べます。もちろん性的な意味で」
「よし、協力しよう。まずは弱点を徹底的に洗い出すとしよう」

『雉は鬼の大将と一緒に、犬の弄り方を考え始めました』

「雉ぃぃぃぃぃぃ! 貴様、裏切るつもりか!?」
「裏切る? 違うな、私は常に自分の信条に沿って行動している」
「……信条だと?」
「常に面白いほうに付く!」
「ふざけるな!」

『フリーダムな雉の行動に、犬は爆発寸前です』

  *  *  *  *  *

「Cut, ……life led break down, beckon for the fiction! ……駄作!!!」

 一連の流れに、輝夜が握り締めたメガホンを木っ端微塵に粉砕しながら舞台を止める。
 輝夜は手から砕け散ったメガホンの欠片をパラパラとこぼしながら伊里耶と天魔のところへと向かう。

「ねえ、あんたたちこれが童話だってこと理解してんでしょうね?」
「はい、桃太郎ですよね?」
「その時点で十分すぎるほどに童話だな」

 輝夜の質問に、伊里耶と天魔はそう言って頷いた。

「だったら何で将志の弱点だの性的な意味で食べるだなんて言葉が出てくるのよ!?」
「あの、舞台の上では流石にしませんよ? 舞台袖に降りてからじっくり味わうつもりですのでそこは安心してください」
「そういう問題じゃなーい! 童話なんだからそういう言葉も自重しなさい!! いいわね!?」

 見当違いなことを言う伊里耶を、輝夜は思いっきり叱りつけた。
 そんな輝夜の言葉に、天魔はため息をつきながら肩をすくめる。

「全く、注文の多い監督だな……」
「あんたらがフリーダム過ぎるのが原因でしょうがぁーーーーーー!!!!」

 天魔の言葉に、輝夜は地団駄を踏みながら大声で叫んだ。

 監督大荒れのまま、舞台は再開される。

  *  *  *  *  *

「さて、覚悟はいいか、犬?」
「ふふふ……可愛がってあげますよ、わんちゃん?」
「……っ」

『ジリジリと迫ってくる雉と鬼の大将に、犬は大ピンチになりました』

「大丈夫よ、犬さん。私がついてるわ」

『そんな犬を、お団子が後ろから抱きしめてそう言いました』

「……団子……ああ、頼む。背中は任せたぞ」
「ええ……さあ、早く終わらせましょう?」

『犬とお団子は力をあわせて鬼達と戦うことにしました』

「そらっ、おりゃ!」
「うわああああああ!」
「へっへ~、二十人抜き達成! 次はどいつだ!?」

『犬達が激闘を繰り広げている横で、猿は鬼を相手に何人倒せるか腕試しをしていました。猿の周りには負けた鬼達が累々と転がっています』

「お姉さまぁ~!」
「はぶぅ!?」

『そんな猿に、鬼にさらわれていた女の子(演者:ルーミア)が飛びついてきました』

「ぐう~!」

『猿は鳩尾に女の子の頭が入ったみたいで、苦しそうです』

「た、大変!? お姉さま、今お持ちk……手当てをするわ!!」

『女の子は猿を抱きかかえると、そのままどこかへ走り去っていきました』

  *  *  *  *  *

「……ちょっとカット」

 輝夜は疲れ果てた表情で舞台を止める。
 そして、脚本家の方に眼を向けた。

「ねえ、これどう収拾つけるの? 話がもうグッダグダなんだけど?」
「はあ……仕方がないなぁ……こうなったら秘密兵器を出すしかないわね」

 てゐはそういうと、なにやら人型のものを取り出した。

「……あの、それ何?」
「某所から借りてきたキ○グ・クリム○ン。それじゃ、ちゃちゃっと仕事してくるわ」

 そうして全ての過程が消し飛び、結果だけが残された。

  *  *  *  *  *

『それから色々あって、桃太郎は無事鬼退治を終えることが出来ました』

「……主と呼ばせてくれないか?」
「ええ、喜んで。これからも宜しく頼むわよ」

『犬はお団子を仕えるべき主と認めて、一緒に旅に出ました。二人はいつも一緒で、とても幸せそうです』

「お姉さまぁ~!」
「だぁ~! いつも出会い頭に飛びつくなっつってんだろ!!」

『猿は助けた女の子と一緒に暮らすようになりました。色々気苦労は絶えないようですが、毎日楽しそうです』

「それで、今日は何をするつもりだ?」
「そうですね……いいお酒が手に入ったので、一緒に呑みませんか?」

『雉は鬼の大将と意気投合して、鬼ヶ島で暮らすようになりました。毎日やりたい放題で来て、とても満足そうです』

「ただいま帰ったでござる!」
「おお、お帰りなさい。無事で何よりです」
「おみやげはあるのかしら?」
「うむ! これで当分の間は食事に困らないでござる!!」

『そして、桃太郎は鬼にたくさんの宝物を持たされて帰ってきました』

「……ところで、後ろの人はどちら様で?」
「……あ~……何と申したらいいでござるか……」
「鬼ヶ島からやってきました~♪」
「これからよろしく頼むよ!」

『……二匹の鬼と一緒に。めでたしめでたし』

  *  *  *  *  *

「はい、これでお話は終わりだよ♪ みんな、聞いてくれてありがとー♪」
「……一つだけ、思ったんだけど良い?」
「ん? 何かな?」

 疲れた表情の輝夜の言葉に、愛梨は耳を傾ける。

「あんた達、やりたい放題したかっただけでしょ?」
「キャハハ☆ そうかもね♪」

 そう話す愛梨の顔は、とても楽しそうな笑顔だった。



[29218] 銀の槍、人狼の里へ行く
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 12:52
 幻想郷の南側に広がっている平原を将志は歩く。
 平原には膝くらいの背丈の草が青々と茂り、所々に岩が転がっている。
 高台にあるため、そこは夏でも涼しい風が吹いていて避暑地には良さそうである。

「ねえ、将志くん♪ こっちにくるのは初めてだよね? 今日はどこに行くのかな?」

 将志の隣で、頬に赤い涙と青い三日月が描かれた背の低いピエロの少女がトランプの柄の入った黄色いスカートを翻しながら楽しそうに歩く。

「……今日向かうのは人狼の里だ。アルバートから招待を受けたからな」

 その隣で、将志は地図を見ながら現在位置を確認する。
 それを聞いて、愛梨は首をかしげた。

「そういえば、人狼の里って今まであんまり聞いたことなかったけど、見落としてたのかな?」
「……いや、それは無いだろう。アルバートは力の強い人狼、そんな奴が居たら確実に紫や俺の耳に入ってくるはずだ。恐らくは、最近になって幻想入りしたのだろう」
「う~ん……幻想入りしたにしては、ちょっと力が強すぎる気もするけどなぁ?」
「……それだけ大陸の西側では妖怪や魔法が幻想と化していると言うことだ。もっとも、アルバートの話では人間の中に潜んでいる人狼はまだ外の世界には居るようだがな」

 しばらく話しながら歩いていくと、愛梨が何かに気付いて前方を指差した。

「あ、あれかな♪」
「……その様だな。地図でもちょうどこの辺りに印がついている」

 将志の目の前には、レンガ造りの家が立ち並ぶ集落が見えてきた。
 道は石畳で舗装されており、家は白く塗装されているお洒落な村であった。
 その集落の奥には丘があり、そこには歴史を感じさせる古びた石の城がそびえていた。

「なんだか随分と綺麗なところだね♪」
「……ああ。想像していたよりも整っているな。それに、思った以上に規模が大きい。どうやら、この里そのものが幻想入りしたものらしいな」
「でも、それにしては騒ぎにならなかったよね?」
「……聞いた話によれば、アルバートは元が貴族だった故に周りから押し上げられて長をやっている身だ。それに本人は生きることよりも誇りを重要視する人物で、話していても権力欲というものがまるで無かった。それ故に、初めは俺達と関係を持つことなど考えもしなかったらしい」
「それって、自分の周りが平和ならそれで良かったってこと?」
「……そういうことだ」

 将志達が話していると、深い紫色の執事服を着た老紳士が声を掛けてきた。

「槍ヶ岳 将志様でいらっしゃいますか?」
「……何者だ?」
「失礼致しました。私はヴォルフガング家で執事をしております、バーンズ・ムーンレイズと申します。アルバート様より、貴方様方をお連れするようにというお達しを受けましたので、お迎えにあがりました」

 バーンズと名乗る老紳士は、そういうと恭しく礼をした。
 それに対して、愛梨が笑顔で答える。

「キャハハ☆ ありがとー♪ ひょっとして、あの丘の上のお城に連れて行ってくれるのかな?」
「左様でございます。途中村の中を案内するようにとも伝えられておりますので、気になることがございましたら気兼ねなく申し付けてくださいませ」
「それじゃあ、早速訊いていいかな♪ あの窓にはめ込まれた透明なものは何かな?」

 愛梨はそういうと、家の窓にはめ込まれて光を反射する透明な板を指差した。
 バーンズはその指差す先を見て頷く。

「ああ、ガラスでございますね。村の中に職人が居ますが、寄ってみますか?」
「うん♪ いいよね、将志くん?」
「……別に構わんぞ」

 将志達は村の中の案内を受けながらガラス職人の居る工房に向かう。
 その途中、鍛冶屋やパン工房、磁器工房などを見て回る。
 しばらくして、目的地であるガラス工房に着いた。

「こちらがこの村のガラス工房でございます」

 ガラス工房の中には熱気がこもっており、中では職人達が黙々と作業を行っていた。
 入り口付近にはその作品が展示されており、売られているようであった。

「わぁ~……綺麗だね♪」
「……芸が細かいな。見事なものだ。それに、この窓のものにしても風を通さずに光を入れることが出来る。実用面でも有用そうだな。……そうか、もうここまで追いついてきたのか」

 二人は色鮮やかなガラス細工の置物やグラスなどを見て感嘆の息をこぼす。
 特に将志は透き通った窓ガラスを見て感慨深いものを感じていた。
 遠い昔の記憶の中にしかなかった物が、今目の前にある。
 そのことから、外の人間がかなり技術的に発展してきていることを知ったのだ。
 しばらくすると、職人の一人が客に気がついて話しかけてきた。

「ん? ああ、領主様のところの執事さんか。どうかしたのかい? まさか、見つかったのか!?」

 職人は何かを期待してバーンズに話しかける。
 しかし、バーンズは首を横に振った。

「いえ、残念ながら別件です。ご主人様がお客様をお招きになったのでその案内を」
「そっか……何とかならんもんかな……」

 職人はそう言って肩を落とす。
 その職人の様子が気になったのか、将志が職人に声を掛けた。

「……どうかしたのか?」
「ん? あんた誰だ?」
「……銀の霊峰の首領を務めている、槍ヶ岳 将志というものだ。何か困っているようだが、どうかしたのか?」
「いやね、ここに来てから材料が手に入んないんだよ。今は残り少ない材料と古ガラスを工面して何とか回してる状態さね。俺達は長いことガラス職人をやってきたから、この仕事が無くなったら他に食い扶持がねえんだよ。何とかならんもんかね……」
「……その原料というのは?」
「これさ」

 職人はそう言うと、原料を持ってきた。
 原料は真っ白な石で、手に取ると冷たい感触が伝わってきた。
 それは珪石と呼ばれる石で、ガラスの原料である珪砂を得るために使われるものであった。
 将志はそれを見て、一つ頷いた。

「……ああ、これか。これならある場所を知っているぞ」
「ほ、本当か!?」

 将志の言葉に職人が勢いよく飛びついた。
 どうやら余程困っていた様で、藁にもすがる気持ちのようである。
 そんな彼に対して、将志は自分の持っている情報を告げる。

「……ああ。うちの山のすぐ近くの山に、これと同じ石がゴロゴロ転がっている。恐らく、掘り返せば大量に出てくるのではないか?」
「将志くん、それって何処のこと?」
「……うちの神社がある山の近くに、白っぽい山があるだろう。あの山だ」

 銀の霊峰には大きく三つの山があり、それぞれに特徴がある。

 一つは、将志達の神社がある銀の霊峰の本山。
 本山には冬になると雪が降り積もり遠くからでも輝いて見えることから、その主共々銀の霊峰の名前の由来となっている。
 上部は修行の場と戦いの場を兼ねており、もっとも妖怪達が集まる山でもある。
 また麓では雪解け水が溶け出して出来た地下水が川となって渓流を作り出し、緑豊かになっているところから妖怪達の生活の場ともなっている。

 二つ目は、険しい本山よりも更に険しい灰色の岩山である。
 この山は本山での修行に飽き足らない者が修行の場として用いる山である。

 そして三つ目が比較的なだらかで、中央にカルデラ湖のある白い死火山。
 ここでは怪我から復帰した妖怪がリハビリをする場となっている山であり、戦闘が禁止されている場でもあった。
 その三つ目の山に、ガラスの原料になる珪石があると言うのだ。

「思わぬところから耳寄りな情報が手に入りましたね。早速調査に向かわせるよう、旦那様に手配いたしましょう。宜しいですかな?」
「ああ、頼む!」

 バーンズの言葉に、職人は嬉しそうに頷いた。
 しばらくして、三人は職人達に礼を言われ続けながら工房を後にした。

「ありがとうございます。ガラスというものは需要が高いものでして、此度の問題は管理者に相談しようかと考えていたところだったのです」
「……気にすることは無い。こちらとしても職人の困窮というのはつらいものだと分かっているからな」

 バーンズからのお礼に将志はそう言って答える。
 すると老執事は首をかしげた。

「はて、貴方様も何かお作りになるのですか?」
「……料理をな。欲しい時に欲しい材料が手に入らないということが良くあるのだ。中には代用が効かないものもあって、それで作るのを断念する場合もあったものだ」
「そうですか……でしたら、市場を覗いてみてはいかがでしょうか? 目新しい食材が手に入るかも知れませんぞ?」

 バーンズの言葉を聞いて、将志は一つ頷いた。

「……寄ってみよう。案内を頼めるか?」
「かしこまりました」

 バーンズの案内を受けて、将志達は市場に向かった。
 市場はたくさんの露店が並んでいて、どの店も活気にあふれていた。

「こちらが市場でございます」
「……おお……」

 将志はその市場に並んでいる品物を見て眼を輝かせた。
 例えば、パセリやオレガノ、セージ等のハーブ類。
 例えば、トマトやエシャロット、パプリカ等の野菜類。
 例えば、レモンやメロン、オレンジ等の果物類。
 例えば、人里では貴重な労働力となっているため滅多に出回らない牛肉や馬肉。
 そこに並んでいたのは今まで将志が欲しくても手に入らなかったものであった。

「ま、将志くん? どうかしたのかな~……」
「……今までどうしても手に入らなかった香草類や野菜がここにはこんなにたくさんある……これならば、今まで作りたくても作れなかった料理がまた作れるようになる!」

 将志は大はしゃぎで市場の中を見て回った。
 商品を一つ一つ見て周り、いくつか買って実際に食べたりして品質を確かめる。
 その度に、将志は満足そうに頷くのだった。

「……ふむ、人里では見られない野菜や肉類が豊富な代わりに、人里にある野菜や魚が不足しているのだな」

 将志は一通り市場を回って感想を口にする。
 人狼たちの市場は欧州圏の野菜が多い代わりに、白菜やにら等日本に古くからある食材が少ないのだ。

「お魚に関して言えば人里も多いとは言えないよね……」
「……そうだな。幻想郷には海がないからな。どうしても川魚が多くなる。紫曰く、森にある湖に行けば獲れるらしいが、どんな魚が取れるのかを調べるには時間が足りん」
「え、将志くん、自分で獲りに行くつもりなの?」
「……当然だ。たとえば昨日の食卓に上がった魚は俺が獲ってきたものだ」

 魚は基本的に川でしか獲れず、そのためには妖怪の山の川か、銀の霊峰の渓流まで行かなければならない。
 海の魚ともなれば、なぜか生息しているという森の中の湖にしか存在しない。
 と言う事は、魚を獲りに行くということは妖怪に襲われる危険性が高いということになるのである。
 それ故に、魚を獲るのはそのほとんどが気まぐれな妖怪である。
 よって、いつ売り出されるか分からないため、将志は自分で獲りに行くという行為に出たのだった。
 ちなみに将志の場合、魚を竿で釣るというよりは魚を槍で狩る手法を取るため、大物狙いになりがちである。

「きゃはは……相変わらず凄い情熱だね♪」
「失礼致します。お時間が迫っておりますゆえ、そろそろ城に案内させていただきたいのですが、宜しいですか?」
「……む、失礼した。少々熱くなり過ぎたようだ。早速案内してくれ」
「僕は大丈夫だよ♪」

 時間を告げるバーンズに将志は頭をかきながらそう答え、愛梨も頷く。

「かしこまりました。それではご案内いたします」

 バーンズは二人の返事を確認すると、丘の上の古城へと二人を案内した。
 村の中をくねくねと曲がり分かれ道の多い町並みは、道を知らなければ奥の城へは簡単にはたどり着けなくする迷路の役割を果たしている。
 その道を、バーンズは迷うことなく城へ向かって進んでいく。

 しばらく進むと、城の前に着いた。
 城の門は大きな木の扉で、とても人間の手で開くようなものではなかった。
 そういうわけで、将志達はその脇にある通用門から中に入る。
 城の中は総石造りで、床には金の刺繍で縁取られた紫紺の絨毯が敷かれていた。
 その廊下には数々の調度品が置かれており、華やかに彩っていた。
 そんな廊下をしばらく歩いていくと、バーンズは一つの部屋の前に立つ。
 その部屋のドアは開いており、中ではスーツ姿の初老の男が黒縁の眼鏡を掛けて本を読んでいた。

「よく来た。この度は世話になったな」

 アルバートは将志達の来訪に気が付くと本にしおりを挟み、眼鏡を置いて立ち上がった。
 将志が近づいてくると、アルバートは右手を差し出す。
 将志はその手をしっかりと握り握手を交わす。

「……気にすることは無い。お互いに満足の行く結果になったのだからな」
「そう言ってもらえるとありがたい。バーンズ、ここは良いから茶を持ってくるがよい」
「かしこまりました」

 アルバートの指示を受けて、バーンズは一礼して部屋を辞した。
 それを確認すると、アルバートは将志に手振りで席に付くように促した。
 丸いテーブルには椅子が四脚並んでいて、三人は将志と隣り合うようにして座った。

「さて、いかがだったかな? 我等の村は」
「……いい村だ。職人も多く、農地もしっかりしている。暮らしていく上では不自由はしないだろう」
「気に入ってもらえたようで何よりだ」

 将志の反応に、アルバートは満足そうに微笑む。
 そんなアルバートに、愛梨が質問をする。

「ねえ、一つ気になったんだけどいいかな?」
「何かな?」
「この村に住んでいるのって、みんな人狼なのかな?」
「ああ、そうだ。その様子だと、人間と変わらぬ生活をしていて驚いたようだな」
「うん♪」

 アルバートの言葉に、愛梨は楽しそうに頷いた。
 てっきり、人狼はその身体能力を生かして仕事をしていると思っていたのだ。
 そんな彼女に対して、アルバートは人狼について語りだした。

「人狼も普段はただの人間と変わらん。人狼でも人間の姿の間は運動能力も何もかもが人間と同じで、違いといえば人間より死ににくくて妖力が高いくらいのものだ。人狼は夜になってこそその本来の能力を発揮するのだ」
「……お前はこの間昼に人狼となっていたが?」
「それは少し特殊な薬があってな。これを飲むといつでも人狼になれるのだ」

 アルバートはそういうと上着のポケットから包み紙にくるまれた薬を取り出した。
 包み紙を開くと鮮血のような色の赤い丸薬が出てきた。
 アルバートがそれをしまうと同時に、部屋の扉がノックされる。

「お茶をお持ちしました。旦那様、奥方様が同席したいと仰っておられますが、いかが致しますか?」
「通せ。どうせだから紹介しておきたい」
「……そう仰られると思いまして、お茶は四人分用意してあります」

 バーンズはそう言いながら四人分のティーカップとティーポットをテーブルに並べる。
 その用意の良さに、アルバートは満足そうに頷いた。

「流石だな、バーンズ。下がっていいぞ」
「かしこまりました。それでは、御用が出来ましたらいつでも申し付けてください」

 バーンズはそういうと、再び一礼して部屋を辞した。

「……結婚していたのか、アルバート?」
「ああ。お前はどうなんだ?」

 将志の問いかけに、アルバートはティーカップに紅茶を注ぎながらそう切り返す。
 それに対して、将志は首を横に振る。

「……俺は良く分からん」
「何だそれは」

 将志の返答に、アルバートは若干拍子抜けした表情を浮かべる。
 それを他所に将志は紅茶を飲む。

「……む? この紅茶は?」
「ああ、それもこの村の職人が作ったものだ。茶畑もこの高台の下にある。今は持ち込んだ苗が育ってきたところで、まだ試作の段階だがな」
「……いや、なかなかにいい茶だ。味に癖がなくて、ブレンドのベースにはちょうど良い」

 将志はそういうと、じっくりと味わって紅茶を飲む。
 それを聞いて、アルバートは興味深げに眉を吊り上げた。

「なに、お前は紅茶を自分で淹れるのか?」
「キャハハ☆ 将志くんは紅茶どころか、コーヒーと緑茶も淹れられるし、お茶菓子や料理も自作しちゃう料理の神様だよ♪」
「……基本的に料理は俺の領分だ。そもそも、家に家政婦は居ないしな」
「というより、将志くん気がついたら家事を全部やっちゃうんだもんね♪ 家政婦さん雇ってもすることなくなっちゃうよ♪」

 将志は基本的に誰よりも早起きであり、暇な時間を嫌う性質である。
 それ故、鍛錬して時間が余ると掃除をしたり洗濯をしたりするのだ。
 ちなみに、将志は女性陣の服を洗濯することに抵抗はないし、女性陣も将志が下心など持つわけがないと思うどころか一部は持っていても構わないと思っているため誰も何も言わない。
 そんな将志の生活に、アルバートは唖然とした表情を浮かべた。

「……お前、守護神ではなかったのか?」
「……そうだが?」
「守護神っていっても、普段はあんまり戦ったりしないよ♪」
「だが、幻想郷内ではそれなりに小競り合いが起こっていると記憶しているが?」
「……あの程度のことで、俺が出る必要はない。放っておいても仲間がやってくれるさ」

 アルバートの言葉に、将志ははっきりとそう断言した。
 それを聞いて、アルバートは感心したように頷く。

「指示すら出していないのか? 随分と仲間を信頼しているのだな」
「……忠誠に信頼を持って応えれば、仲間はちゃんとついてくる。俺は忠誠に応えているだけに過ぎんよ」

 将志が話していると、部屋の扉が開かれて新たな人影が現れた。
 その人物は艶やかな長い黒髪にベールのついた帽子をかぶっていて、褐色の肌に映える薄紫色のアラビアンドレスに大きなエメラルドがついたチョーカーをつけていた。
 その中で特に目を引くのが、ドレスのベルトにぶら下げられた黄金のランプである。

「アル、きたわ」

 女性はそういうと、アルバートの横にやって来る。

「紹介しよう、私の妻のジニだ」
「アルの妻のジニよ」

 ジニは自己紹介を終えるとアルバートの隣に座る。

「……槍妖怪、槍ヶ岳 将志だ」
「喜嶋 愛梨だよ♪ 宜しくね♪」
「宜しく。そちらもご夫婦?」
「ええっ、夫婦!?」

 ジニの発言に愛梨は顔を真っ赤にしてうろたえる。

「……いや、違うぞ」

 その横で、将志はズッパリと否定する。 

「……そんなにバッサリ言わなくてもいいのになぁ……」

 あんまりな将志の発言に、愛梨はホロリと涙した。
 それを聞いて、アルバートは納得の行かない顔をしていた。

「しかし、あれほど綺麗どころを集めておいて結婚しないのか? 私の眼から見てもなかなかに壮観な絵柄であったが……ん?」

 アルバートが話していると、服の裾がギュッと握られる。

「アル……う、浮気はしても、い、いいけど……ぐすっ、絶対帰ってきて!」

 アルバートが振り返ると、翡翠の様な眼に涙を湛えて泣きじゃくりながらジニがすがり付いていた。
 その様子は捨てられた子犬が感情を露にしたらこうなるであろうという状態だった。

「……浮気はしないから泣かないでくれ」

 アルバートはそんなジニの様子に罪悪感をたっぷり感じながら彼女を宥める。
 ジニが泣き止むと、将志がアルバートに質問をした。

「……彼女も人狼か?」
「いや、ジニは違うな。ジニは魔人だ」
「魔人だって?」
「ああ。元はランプに封じられていて、呼び出したものの願いを無償で何でも三つ叶える魔人だった」

 アルバートが説明をすると、将志は大きくため息をついて首を横に振った。

「……何とも物騒なランプもあったものだな。何でも三つ、とは世界すらも容易く滅ぼせるということだろうに」
「仕方が無いことよ、そういう呪いだったんだもの。正直、作った人間の正気を疑うわ」
「呪い?」

 呪いと言う言葉に愛梨が反応する。
 それを聞いて、ジニは紅茶を飲んで一息ついてから話し始めた。

「私は最初からこのランプに中に居たわけじゃないわ。大昔に罪を犯して、その罰として呪いを掛けられて閉じ込められたのよ」
「その罪も、元をただせばただ一つの叶わぬ恋。その恋がジニを狂わせ、国を滅ぼしたのだ」
「……どこかで聞いたような話だな……」

 将志はジニの話を聞いてそう呟いた。
 将志の頭の中には、愛に溺れて国を滅ぼしたことがある九尾の狐の姿が浮かんでいた。

「それで、暗く狭いランプの中からようやく出してくれたのがアルだったんだけど、最初の願いが「私を殺してくれ」だったのよ」
「当時の私は人狼になったばかりで絶望していたからな。即座に出てきた願いがそれだった」

 アルバートは苦笑いを浮かべながら当時のことを語る。
 それを聞いて、将志は首をかしげた。

「……人間に戻りたいとは願わなかったのか?」
「願わなかった。その時俺は衝動に抗えず、既に何人も手に掛けた後だった。殺された人間のことを考えると、今更人間に戻って生活するなど申し訳なくて出来なかった。だから私は死を望んだのだ」
「あの時は思いとどまらせるのに苦労したわ……」
「ああ、君は泣きながら私を殴り飛ばして「死に逃げるな」と叱り飛ばしたのだったな。あの一撃が今まで受けた中で一番堪えたよ」
「もう……ぐすっ……し、死ぬなんて言わないよね……?」

 苦笑いを浮かべるアルバートの袖を、ジニが泣きながら引っ張る。

「……言わないから泣かないでくれ」

 その懇願するような視線に、アルバートは即座に折れる。
 女の涙に男は勝てないのだ。

「……それで、結局アルバートは何を願ったのだ?」
「アルが私に願ったのは、自分が殺した人間の全てを永遠に覚えていられるようにすること、不幸な人狼がこれ以上増えないようにすること……そして、私を自由にすること」
「……なかなかに重たい願い事だね……」

 アルバートの願いを聞いて、愛梨はそう呟いた。
 つまり、アルバートは自分が殺した人間の全てを背負って生きていくということを選んだのである。
 その背中にいくつの続くはずだった人生を背負っているのか、愛梨には想像もつかなかった。

「……殺した全ての人間のことを覚えておくなど、俺の自己満足に過ぎんよ。もう一つの願いも、見るものが見れば偽善と映るだろう」
「でも、そのお陰で多くの人狼が助かっているのも事実よ。現にここに居る人狼達に自分を不幸だと思っている者は一人も居ないわよ」

 自嘲気味に笑うアルバートに、ジニは優しい口調でそう言った。

「……そして紆余曲折の後、結婚したと」
「そうなるな……で、お前はどうなんだ?」

 突如としてアルバートはニヤニヤと笑いながら将志にそう問いかけた。
 それに対して、将志は難しい表情を浮かべる。

「……どうと言われてもな……親しい友人はそれなりに居るのだが……」
「で、実際はどうなの?」

 将志の答えを聴いてすぐに、ジニが愛梨に質問をした。
 その質問に、愛梨は肩を落とした。

「……将志くん、恋愛が良く分かってないみたい。キスしても、一番仲のいい友達にならみんなするのかもとか考えているみたいで……」
「「……は?」」

 あまりに酷い内容に、聞き手の夫婦は呆気にとられる。
 ジニは一つ咳払いをして、質問を重ねることにした。

「……一番仲のいい友達=恋人にはならないの?」
「それが、将志くんの方からは一度もそういうことはしてくれなくて……何人かアプローチしてるんだけどまだ誰も返事もらってないんだ……」
「……ふっ!」
「うおっ!?」

 愛梨の言葉を聞いた瞬間、アルバートが隣にいた将志に左ストレートを放った。
 将志はとっさに身体を捻ってそれを躱し、追撃を警戒して立ち上がる。

「……いきなり何をする、アルバート?」
「やかましい、このヘタレを滅殺せよと俺の本能がそう叫んでいるのだ……!!」
「何の話だ!?」

 アルバートは将志に対して激しく攻撃を続ける。
 その攻撃を、将志は右へ左へと避け続ける。
 そんな二人を尻目に、ジニと愛梨は話を続ける。

「朴念仁なのか優柔不断なのか判断に悩むところね。ほかには?」
「おまけに、ちょっと変な訓練を受けさせられてて言動が……」

 愛梨がそういった瞬間、部屋にメイドが入ってきた。
 ちょうどそこに、攻撃を避けた将志が後ろに下がってきた。

「ご主人様、少し相談がきゃっ!?」
「……っ、まずい!」

 将志は自分を避けようとして転びそうになるメイドの手を掴み、一気に引き寄せる。
 結果的に、メイドは将志の腕に仰向けに倒れこむように抱かれる形になった。

「……っと、すまない。怪我はないか?」
「え、あ、はい……」
「……それは良かった。君のような綺麗な娘に傷をつけたりしては大変だからな」

 呆然としているメイドに、将志の天然スキルが発動する。
 柔らかい笑顔と共に優しいテノールで紡がれたその言葉を聞いた瞬間、メイドの顔が一気に赤く染まった。

「へ!? あ、ありがとうございます……」
「……何に対する礼かは知らんがありがたく受け取っておこう。さ、アルバートに用なのだろう?」
「あ、いえ、お客様がいらっしゃるのでしたら後で伺います! 失礼しました!!」

 メイドはパニック状態でそういうと、はじけたように走り去っていった。
 将志はその様子を呆然と見送る。

「……別に気にする必要はないと思うが……「ぜやあっ!!」おっと!?」

 その将志に、革靴のかかとが降ってくる。
 将志はそれを紙一重で避けると、アルバートに向き直った。

「……だから、俺が何をしたというのだ!?」
「黙れ、うちのメイドを速攻で口説くような女誑しはこの場で粛清してくれる!!」
「俺がいつ口説いたというのだ!?」

 嵐のような連撃を将志は次々と躱していく。
 その将志の言葉を聞いて、ジニが呆れ顔でため息をついた。

「なるほど、天然誑しとは厄介な性格してるわね」
「うん……お陰で仕事であっちこっち行っては女の子を毒牙に掛けてるみたいで……最近じゃ家にまで来る子もいるよ……」
「本格的に女の敵ね。その手の言葉を言えなくする薬でも作ろうか?」
「え、お薬作れるの?」
「ええ、風邪薬とかは作れないけど、魔法に関するものはね。アルに持たせてる人狼の薬も私が作ったものよ」

 女性陣がそうやって話していると、先程まで暴れていた男二人が帰ってきた。

「……とりあえず、紅茶でも飲んで落ち着け、アルバート」
「はぁはぁ……くそっ、相変わらずなんと言う素早さだ……」

 息が上がっているアルバートに将志は涼しい顔で紅茶を勧める。
 アルバートはそれを受け取ると、一気に飲み干した。
 そこに、執事服の老紳士がやってきた。

「失礼致します。旦那様、幻想郷の管理者がお見えになっておりますが、いかが致しますか?」
「む、通せ」
「それじゃあ、遠慮なく」
「なっ!?」
「うにゃあ!?」

 アルバートの言葉が聞こえてすぐに、目の前の空間が裂けて客人が現れた。
 胡散臭い笑みを浮かべたその客人の姿を見て、将志は呆れ顔を浮かべた。

「……紫、せめて部屋に入るときくらいドアから入ってこないか?」
「いやよ、私の数少ない楽しみですもの」
「……そんなことしていると、この間のようになるぞ?」
「あ、あれは将志が悪いんでしょう!? 出てきてすぐ目の前に槍の切っ先があったら誰だってびっくりするわよ!!」
「……あれはお前の自業自得だろう」

 それはある日、紫が将志を驚かせようとして背後に現れた時のこと。
 最初に紫の眼に入ったのは、目の前に迫る銀の槍。
 紫はそれに大いに驚き後ずさった。
 しかしその後ろにあったのは階段であり、足を踏み外した紫は長い階段をゴロゴロと階下まで転げ落ちる。
 おまけにそこには雑巾を洗った水が入った桶が置かれていて、紫はその水を思いっきり被るという散々な眼にあったのだった。

「ア、アルぅ~、あの女は何!?」

 突如現れた乱入者に、ジニは眼に涙を浮かべながらアルバートの陰に隠れて震える。

「幻想郷の管理者、八雲 紫だ。怖がることはない……はずだ」

 アルバートはジニを宥めながら自信なさげにそう言った。

「……そこは断言してくれないかしら? それと、そんなに怖がられるとは思わなかったわ……」

 そんな二人の様子を見て、紫は苦笑いを浮かべて頬をかいた。
 しばらくして、アルバートは紫に向き直った。

「それで、ここに来たということは俺に用なのだろう? 何の用だ?」
「この間の協議内容をまとめた書類を届けに来たのよ。過不足があるか確認してちょうだいな」
「ふむ……」

 アルバートは紫が取り出した紙を受け取ると、内容を確認した。
 中には人狼が幻想郷の外で人を襲うことを容認する趣旨等、先の協議で決まったことが事細かに書かれていた。
 それを確認すると、アルバートは一つ大きく頷いた。

「……確認したが、問題はない。確かに受け取ったぞ」
「ええ。それから、将志にもこれね」

 紫はそういうと将志に折りたたまれた紙を渡す。
 将志はそれを受け取ると、内容を流し読む。

「……報告書か。確かに受け取った。後で目を通しておこう」
「あ、そうそう。将志、天魔が貴方のことを捜してたけど、何かしたのかしら?」

 紫がそういった瞬間、将志は嫌そうな表情を浮かべる。

「……俺は何も知らんぞ」
「天魔というと……妖怪の山の首領か。確か妖怪の勢力としては最大の勢力ではなかったか?」
「将志くん、どうするの?」
「……放置しておけ。行ったところで碌なことがない」

 愛梨の問いかけに将志は苦い表情でそう答える。
 その表情は、将志には珍しく嫌悪感を露にしたものだった。

「そういうわけにも行かないんじゃない? 首領同士の話となるとそれなりに重要な話なんじゃないの?」
「……断言しよう、天魔に限ってそれはない!」

 ジニの言葉に対して、将志は力強く断言した。
 過去に数々の辛酸を舐めさせられた天魔に対して、将志は欠片も信頼などしていないのだった。

「あら、どうしてそう言い切れるのかしら? 前に話したときは真面目な話をしていたけど? それに時期が時期だし、案外真面目な話かもしれないわよ?」
「……くっ、否定する要素がないか……すまないが、今日はこの辺りで失礼させてもらう」

 紫の言葉に、将志は心底嫌そうな表情でそう答えて部屋を出ようとする。

「ああ。次は酒でも飲みながらじっくり話をしよう。最高のワインを用意して待っているぞ」
「……楽しみにさせてもらおう。では、またな」

 アルバートの言葉に、将志は軽く深呼吸していったん気分を落ち着けてからそう答えた。

「愛梨、めげずに頑張りなさいよ」
「……うん♪ 頑張るよ♪」

 その一方で、ジニは愛梨に激励の言葉を送るのだった。
 愛梨はそれを受け取ると、駆け足で先に行っている将志を追いかけるのだった。





「……さて、一度帰って書類をしまわなければな」

 空を飛んで銀の霊峰の近くまで戻ってくると、将志はそう言って頂上に向かう。
 なお、真っ直ぐ妖怪の山に向かわなかったのは将志の天魔に対するささやかな抵抗である。

「あ、それじゃあ僕は下の様子を見てくるよ♪」
「……ああ、頼む」

 愛梨は将志に一言告げると、旋回して霊山の麓へ向かっていった。
 将志はそれを見送ると、社に戻っていく。
 そし山門まで来たとき、将志は異変に気がついた。

「……む? 門番が居ないな……今日は涼だったはずだが……」

 将志は門の近くに降り立って周囲を捜してみる。
 すると、金色の髪に赤いリボンをつけた闇色の服の少女が倒れていた。

「……ルーミア? おい、どうした!?」

 将志はルーミアを抱き起こし、本殿へと運ぶことにした。
 ルーミアは傷だらけで、かなり手ひどくやられたであろうことが分かった。

「うう……お兄さま?」
「しっかりしろ、アグナはどうした!?」

 将志は腕の中で目を覚ましたルーミアに問いかけた。
 ルーミアは眼の焦点があっておらず、意識が朦朧としているようであった。

「お姉さまは襲撃者を追いかけていったわ……」
「……襲撃者だと?」
「ええ……襲撃者は、門番をさらってこんな紙を置いていったわ……」

 ルーミアはそういうと、手にした紙を将志に差し出す。
 将志はルーミアを救護室の布団に寝かせると、その紙を受け取って中を見た。

『将志へ お前が来ないから拗ねてやる。門番を帰して欲しかったらさっさと来い 天魔』

 その紙は涙で濡らしたとでも言いたいのか、所々濡れた様な跡があった。
 将志は内容を確認すると、無言でその紙を丸めて床にたたきつけた。

「……よし把握した。少し出かけてくる」

 後にルーミアは語る。
 このときのお兄さまは、少しでも動けば殺されてしまうと思うほど怖かったと。

 その日、妖怪の山では大爆発が相次いで起きた。

 余談だが、その日帰ってこられたのは悔しそうな表情を浮かべる妖精と半死半生の門番だけだったことを追記しておく。



[29218] 銀の槍、意趣返しをする
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 13:02
「……貴様、何のために呼び出したかと思えば……」
「良いじゃないか、仕事を押し付けようとしていた訳ではないのだし」

 額にでっかい青筋を浮かべ肩を震わせる銀髪の男に、黒い翼を生やした妙齢の女性は何てことのないようにそういう。
 それを聞いて、男の額に青筋が増えていく。

「……だからと言って、涼を誘拐しルーミアやアグナと喧嘩してまで呼びつけておいて、理由が晩酌の相手が欲しかっただけとはどういうことだ!?」

 将志はそう言って憤慨する。
 門の傍に倒れていたルーミアから手紙を受け取った将志は、大急ぎで妖怪の山へと向かった。
 そこで天魔を追いかけて先に向かっていたアグナや誘拐されていた涼と共に天魔を相手に暴れまわった後、天魔の謀略によって将志は天魔の家に向かうことになった。
 なお、その際の条件でアグナと涼は銀の霊峰へと帰ることになったのだった。
 そこまでして呼びつけられたと言うのに、その理由が晩酌の相手では将志もやってられないであろう。

「頭の固い大天狗共と飲んでもつまらんし、下っ端の連中だと萎縮してしまって相手にならん。結果として、貴様が最善の相手として残ったわけだ」

 憤慨する将志に、天魔はそう言って理由を説明する。
 それを聞いて将志は頭を抱える。

「……紫や藍なら空いていたのではないか?」
「幻想郷の管理者が貴様より暇な訳がないだろう? それに、その二人よりも貴様のほうが弄り甲斐があって楽しいからな」
「弄り甲斐とはどういうことだ! ええい、そういうことなら俺は帰るぞ!」
「つれないことを言うな、将志きゅ~ん♪ 寂しい女の一人酒に付き合うくらいの度量は見せてくれてもいいのではないか?」

 怒鳴り散らした後に帰ろうとする将志の肩に腕を回し、にやけた表情で天魔はそう話しかける。
 それに対して、将志は肩に回された腕を払って更に怒鳴りつけた。

「何が将志きゅ~ん、だ! 大体寂しく一人酒をすることになったのは貴様の自己責任だろうが!」
「そうは言われてもだ、私も忙しい身なんでな。周囲と交流をする暇など、」
「嘘をつけ! 忙しい者があんな大量に書類を溜めるか!」
「むぅ……それ以上言うと、拗ねるぞ? 泣くぞ?」

 将志の激しく怒鳴りつける言葉に、天魔は将志の小豆色の胴衣の袖を掴んでそう言った。
 その様子に、将志は深々とため息をつく。

「……貴様のような鉄面皮がこの程度で泣く訳なかろう」
「……私が泣かないと思ったら、っく、大間違い、だからな……」

 天魔は眼に涙をため、泣くのを堪えながらそう言った。
 それを見て、将志は頭を激しく掻き毟った。

「……っ、ああくそ! 付き合ってやるから泣くな、鬱陶しい」
「よし、言質は取ったぞ」

 将志の言葉を聞いた瞬間、天魔は一瞬で泣き止んだ。
 あまりの変わり身の早さに、将志は天魔を睨みつける。

「……貴様という奴は……っ!」
「涙は女の武器と言う奴だ、悪く思うなよ? さあ、飲もうじゃないか」
「……その前にだ……」

 将志は暗い声でそういうと天魔の肩を掴んだ。
 突然の行為に、天魔の顔が引きつった。

「……な、なんだ? 何をする気だ、貴様!?」
「……前に俺が書類整理をさせられてから三ヶ月……この間に色々と重要書類が出回っていたはずだな?」

 将志はそう言いながら天魔にバックブリーカーを掛ける。
 天魔の腰が首筋に当てられ、左腕が喉に食い込み脚に添えられた右腕と共に天魔の体を弓なりに締め上げる。

「あぐっ、極まってる、腰と首が極まっている!」
「……さあ、溜まっていないか確認と行こうか。溜まっていたら……分かっているだろうな?」
「うっ、放せぇ……」

 抵抗する天魔を締め上げたまま、将志は仕事部屋である書斎に向かう。
 書斎に着いたとき、将志の眼に留まったのは机の上に積み上げられた書類の山だった。

「……ほう……見事に溜まっているな……三ヶ月分……」
「うっ……ぐ」

 将志は両腕に力を込めながらそう呟く。
 腰に掛かる強烈な負担に、天魔は呻き声を上げる。
 将志は机の前へ歩いていった。

「……はあっ!」
「うわっ!?」

 将志は天魔を足から床に能力を使って深々と突き刺した。
 天魔の体は腰まで床に埋まった。

「ぐっ、床にはまり込んで抜けないだと!?」

 天魔は抜け出そうともがくが、しっかりと嵌ってしまっていて抜けない。
 そんな天魔を将志は冷たい眼で見下ろす。

「……書類整理が終わったら抜いてやる。しっかりやれよ?」
「こ、こんなことをして何になると、っ!?」

 天魔が何か言いかけると、天魔の周りに七本の銀の槍が現れた。

「……ちなみにサボったりしたら貴様の身体に一本ずつ撃ち込んでやる。それが嫌なら、真面目にやることだ」

 将志は書類の山をまとめながら天魔にそう言った。
 その眼には強い威圧感があり、言ったことを確実に実行するという意思が見て取れた。

「くっ、仕方がない……やるしかないか……覚えていろよ、将志」

 天魔は恨めしそうに将志を睨みながらそういうと、積み上げられた書類を片付け始めた。
 将志は天魔が処理した書類を分かりやすくファイリングしていく。

「む、この案件は確か……」
「……この資料のものだろう?」

 将志は天魔が持っている書類を見て、即座に必要な資料を手渡す。
 その手には手渡した資料の他に何枚かの資料が抱えられていた。

「ああ、それだ。って、この他のものは何だ?」
「その書類の山の案件に必要な資料を全て集めてきたものだ。ここに置いておくから使うが良い」

 将志はそういうと、天魔の手に取りやすい場所に資料の束を置く。

「……随分と用意が良いのだな?」
「……最初に書類の内容を確認して資料を用意しておけば、いちいち探す手間が省ける。早く終わらせたいのなら覚えておくことだ」
「いや、それ以前に将志が私よりもこの部屋の書類に詳しいことがぐあっ!?」

 疑問を浮かべる天魔の脳天に、将志は『鏡月』の石突を叩き込む。
 その一撃には、日頃の恨みが存分に込められていた。

「貴様が溜め込んだ書類の山を処理したのは誰だと思っている! お陰で妖怪の山の内部事情や機密事項まで全部俺の頭の中に入っているのだぞ!? それでいいのか!?」
「別に問題はないが? むしろお前に知らせることで両者の間で連携が取り易くなると思っているのだがね? 第一、隠し事をしたところで我々には何の利点もない。機密事項など、あって無い様なものだ」

 天魔は全く気にする様子もなくそう言い切る。
 それを聞いて、将志は額に手を当てて盛大にため息をついた。

「……もう良い。さっさと終わらせろ」
「……やれやれだ」
「それは俺の台詞だ!」

 


 しばらくして、机の上にあった書類は全て無くなった。
 それらは全て将志の手に渡っており、確認が終わり次第ファイリングしていく。
 全ての資料がファイリングされると、将志は一息ついた。

「……意外と早く終わったな」
「一応首領だからな。このくらいは出来なければ」

 天魔はどうだと言わんばかりに将志を見る。
 その様子を見て、将志は呆れ顔で視線を送る。

「……その前に書類が溜まらない様にしろ、戯け」
「まあ、細かいことは気にするな。そんなことより飲もうか」
「……待て、胃が空の状態で飲むと胸焼けを起こす。つまみでもサッと作ろう。台所を借りるぞ」
「気が利くな、では待っているぞ」

 天魔と分かれて台所がある土間へと将志は向かう。
 そしてそこにたどり着いた時、将志は愕然とした。

「……これは酷い……」

 将志の目の前には、洗い場に大量に詰まれた汚れた食器と調理器具だった。
 その様子に、将志は大きく深呼吸した。

「……まずは片づけからか……」

 将志は腕まくりをすると、気合を入れて洗い物を始めた。
 丁寧に勝つ手早く作業を行っていき、次々と洗い終えていく。

「……しかし、こうしてみるとなかなかに良い道具が揃っているな」

 将志は洗い終わったものを見てそう呟いた。
 洗いあがった道具はかなり質の良いものが揃っていて、包丁にいたってはかなりの業物と思われるものが一式揃っていた。
 その使われ方から、天魔が普段料理をしているであろうことが感じ取れた。
 将志は作る料理を考えるために食材を確認する。

「……食材も色々ある。ふむ……」

 将志は思いの他揃っている食材を眺めながら、献立を考えることにした。





「……待たせたな」
「む、遅いぞ将志。あんまり遅いから先に始めたぞ?」

 将志が居間に向かうと、天魔は既に酒を飲み始めていた。
 天魔の言葉を聞いて、将志はため息をつく。

「……そういうなら台所くらい片付けておけ。せっかく調理器具は良い物が揃っているのに、あれでは台無しになる」
「そうしようにも出来ないのだよ。これでも会議などはしっかりと出ているのでね」
「……書類仕事をサボっておいて、よく会議の内容についていけるな?」
「そんなもの見なくても周囲を見て回れば何が問題なのかは自ずと見えてくるものだ。それに、石頭の大天狗共ばかり出席する会議なんぞたかが知れている。あんなものに出るくらいなら村の井戸端会議に出るほうが余程有益だ」

 天魔は苦い顔をしてそう言い放つ。
 天魔にしてみれば、大天狗達は保守的過ぎて会議をしてもつまらないものでしかないのだった。
 それを聞いて、将志は首をかしげた。

「……そういうものなのか?」
「そういうものだ。第一、お前のところも会議など行っていないだろうに」
「……そういえばそうだったな」

 銀の霊峰では会議など一切行っていない。
 何故なら将志は現場の意見を即座に反映するために、現場のことはその現場を管理している者に一任しているからである。
 将志が銀の霊峰内ですることといえば、下から上がってくる意見を聞いて人事異動を行ったり、必要があれば自らが現場に出向いて問題を解決するくらいである。
 将志の主な仕事は、外交関係の仕事なのである。

「それで、つまみはどうした?」
「……足の速い食材が多かったから、大量になった。まあ、俺も食うからちょうど良い量ではあるだろう」

 天魔に催促されて、将志は大きく赤い漆塗りの盆に載せた料理を広げた。
 盆の上には数多くの料理が載せられており、少人数であれば宴会が出来そうなほどであった。
 その内容も和洋中を出来る範囲で揃えたバラエティーに富んだものであった。

「……また随分と作ったものだな。まあ良い、ちょうど塩気が欲しかったところだ。早速食べるとしよう」

 天魔はそのうちの一品を口にする。
 しばらくの間、二人は黙々と料理を食べながら酒を飲む。

「……将志」

 突如として、天魔は将志に話しかけた。
 その声に、将志は顔を上げる。

「……どうした?」
「……お前、私の嫁になれ」

 その瞬間、将志の時が止まった。

「……はあ?」

 しばらくして、将志はようやく間の抜けた声を絞り出した。
 それに対して、天魔は料理に眼を向けながら話を続ける。

「書類仕事が速い、喧嘩も強い、料理は美味い、おまけに顔立ちも整っている。よく考えてみたら、お前は男にこの言葉を使うのもおかしいが才色兼備の超優良物件だ。これを逃す手はないだろう?」
「……お前は何を言っているんだ」
「なに、お互いに行き遅れているんだ、行き遅れ同士仲良くしようじゃないか」

 呆れ顔を浮かべる将志と肩を組み、翼で抱え込みながら天魔はそう言う。
 それに対して、将志は露骨に嫌そうな表情を浮かべた。

「断る。俺は結婚がどうこうだとかそういうことは知らんが、貴様に毎日付き合わされるのは御免だ」
「おや、私はお前に選択肢をくれてやったつもりはないのだがね? これは命令だ。敗者は勝者に従うべきだろう?」

 天魔はそう言いながら胡坐をかいている将志の膝の上に乗った。
 その行動に将志の表情が硬くなる。

「……っ、何をするつもりだ」
「……なあ、将志。そもそも女が一人暮らしをしている家に、男がのこのこ一人でやってくるとはあまりに無防備だとは思わないか?」
「……っ!?」

 天魔の言葉を聞いた瞬間、全身を寒気が走った。
 見ると、天魔は自分の袴の帯に手を掛け、するすると外し始めていた。
 黒い袴は帯が解けると同時にするりと落ち、天魔はそれを取り払う。
 白く肌理細やかな肌で細く引き締まった綺麗な脚が露になる。

「私は将志に勝つことが出来る。つまり、私は貴様を襲おうと思えばいつでも襲えるというわけだ。それに、こうされてはいくら将志でも避けられまい?」

 天魔はそう言いながら自らが着ている小袖を少しずつ肌蹴ていく。
 少しずつ胸元が開いていき、形の良いふくよかな胸が見えてくる。

「なっ……なっ……」

 その行為に、将志は顔を真っ赤にして眼を背ける。
 天魔はそれを見て、ニヤニヤ笑いながら将志の顔を覗き込む。

「おや、そんなに赤くなってどうかしたのか? まさか、あの面子と暮らしていてなお女の身体を見慣れていないということか? 初心な奴め」
「くっ、離れろ!」
「断る。じたばたしても逃がさんぞ? 私が軽く小突けば、お前は失神する。そうなったら、私はお前に好き放題出来るというわけだ。そうなりたくなければ、下手な抵抗はやめろ」

 天魔は胸を将志の顔に押し付けるようにして抱きつきながらそう言った。
 その声は囁くような声で、色香を多分に含んでいた。
 警告を聞いて、将志は抵抗を止めて成すがままになる。

「ぐっ……冗談はよせ……」
「む、流石に私も誰にも彼にも冗談でこんなことをするほど安売りをするつもりはないのだがね?」
「……俺にはそういう冗談を言うだろうが、お前は……」

 天魔の言葉に、将志はそう言って返した。

「……冗談でなかったとしたら?」

 突如として、天魔の声が真剣なものに変わる。
 その言葉に、将志もピクリと肩を震わせる。

「……何?」
「私としては、立場や人格、そして本人の能力において並び立てる男は将志、お前しか居ないと思っている。感情としても悪いとは思っていないし、有体に言えば好ましく思っている。私が婚姻を結ぶとするならば、まずお前を選ぶぞ?」

 天魔はそう言いながら愛おしそうに将志の頬を撫でる。

「……なん……だと……」

 その瞬間、将志は呆然とした様子で固まった。

「……聞かせてくれ……お前の答えを」

 そんな将志の頬を両手で掴み、眼をじっと見据えながら天魔はそう話しかけた。
 同時に、将志はその場で眼を伏せた。

「……どうしてこうなった……」

 困惑する将志の表情は目まぐるしく変わっていく。
 眼は泳ぎ、頭は抱えられ、冷や汗がダラダラと流れる。

「……くくくっ……あはははははは! 本当にからかい甲斐があるな、お前は!」

 将志がしばらく悩んでいると、天魔は突然大きな声で笑い出した。
 その様子は心底おかしいと言わんばかりの様子で、腹を抱えて笑っていた。

「……おい……貴様、騙したな?」

 将志は天魔の言葉を聞いて、奥歯をかみ締めながら無表情でそう言った。
 その声は地獄の底から漏れてくるような声で、かなりの怒りが込められていた。

「いいや、騙してなどいないさ。私の隣に立てる男はお前くらいしかいないのは事実だし、好意を持っているのも場合によっては婚姻を結んでもいいと思っているのも本当だ。だが、やはり私はお前とはこういう関係のほうが気が楽でいい。婚姻を結ぶ気はないさ」

 そんな将志に対して、天魔は涼しげな笑顔でそう言った。
 その眼はまっすぐに将志の黒耀の瞳に向けられており、嘘が無いことが将志には分かった。
 しかし、将志は俯いたまま天魔の両肩を力を込めて掴んだ。

「……天魔……覚悟は良いか?」
「……お、おい、そう怒るな。ちょっとしたお茶目じゃないか」

 力強く肩を掴まれ、冷や汗をかく天魔。
 将志は俯いていて、その表情をうかがい知ることは出来ない。
 そして天魔が将志の表情をうかがおうとした瞬間、将志の唇が天魔の唇のすぐ脇に触れた。

「なあっ!?」

 突然の将志からのキスに天魔は飛び上がるほど驚いた。
 その表情は普段冷静な彼女の様子から考えられない、茫然自失とした表情であった。

「……ふっ、お前にあるまじき奇妙な表情だな、天魔」
「き、貴様、いったい何を……むっ!?」

 口をパクパクと動かしながら混乱している天魔の唇を、将志は人差し指をそっと押し当てて塞ぐ。
 そして将志は天魔を抱き寄せ、追撃をかける。

「……仕返しを兼ねた、ほんのお返しだ。俺とてお前の能力は認めるところではあるし、ああは言っているが俺もお前のことは嫌いではない。振り回されて辟易することもあるが、その性格はどちらかといえば好みだよ。正直、貰い手が居なかったのが不思議なくらいだ」

 柔らかい笑みを浮かべながら相手の顎を指先でそっと持ち上げ眼を覗き込み、甘い言葉を優しく投げかける。
 顔の距離は近く、あと少し進めば唇と唇が触れ合ってしまいそうなほど近い。

「だ、だからと言って……その……」

 天魔の顔は見る見るうちに真っ赤に染まっていき、段々と縮こまっていく。
 声も聞き取れないくらい小さくなっており、もう眼も合わせられないといった状態であった。
 そんな天魔を見て、将志は楽しそうに笑った。

「……おや? 自分から仕掛けるのは平気でも、こう返されるのは苦手なのか? はははっ、案外可愛いところもあるのだな、ん?」
「っっっっ~!! ええい、忘れろ! 今のことは全て忘れてしまえ!!」

 天魔は近くにあった酒瓶を手に取り、将志の口に押し込んだ。

「わぷっ!? こ、こら、無理矢理酒を飲ませようとするな!」
「黙れ! 今日は酔い潰れずに帰れると思うな! 記憶がかっ飛ぶほど飲ませてやる!!」

 天魔は真っ赤な顔のまま、鬼気迫る表情で将志の口に次々と酒瓶を突っ込んでいく。
 将志はそれに抵抗するが、大量の酒を口の中に注がれていく。

「……この、やられてばかりだと思うな!」
「んむっ!?」

 その状況をまずいと判断したのか、殺られる前に殺れと言わんばかりに将志も酒瓶を手にとって天魔の口に突っ込む。
 天魔の口の中にも、どんどんと酒が流し込まれていく。

「ぐっ……やってくれたな、将志!」
「……先に仕掛けたのは貴様だろうが!」

 二人は激しく言い合いながら酒を飲ませあう。
 こうして、その夜は騒がしく過ぎていった。

 翌日、会議に来なかった天魔の様子を見に来た天狗が二つの屍を見つけて大騒ぎになるのだが、それは余談である。



[29218] 銀の槍、人里に下る
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 14:31
「……そらっ」
「ちっ、喰らえっ!!」

 妖力で編まれた銀の槍が炎の翼を生やした少女に飛んでいき、朱色の炎が蔦に巻かれた黒曜石を埋め込まれた銀の槍を持つ男に向かっていく。
 その男、将志はその炎を難なく躱し、相手の少女である妹紅に攻撃を仕掛ける。

「このぉ!!」
「……それでは俺には当たらんぞ」

 将志の攻撃をギリギリで躱しながら妹紅は炎の翼を将志にぶつけようとする。
 しかし、将志はそれを当たる直前で身をかがめることで避ける。

「……ふっ……」

 激しい空中戦の中、将志の体が突然掻き消える。
 実際に消えたわけではないが、消えたと錯覚するほどの速度で相手の死角に入り込んだのだった。

「それは効かないと言ったはずだ!」

 妹紅はそれに対して振り向きざまに炎で薙ぎ払って迎撃する。
 かつて何度となく辛酸を舐めさせられた攻撃であるが故に、妹紅もこれの対策は十分に持っているのだ。

「……残念、ここだ」
「ぐあっ!!」

 しかし、将志はその上を行く。
 消えたと思った将志はその実まだ妹紅の真正面にいて、妹紅が振り向いた瞬間がら空きとなった背中に攻撃を加えたのだった。
 攻撃を受け、妹紅は地面に叩きつけられる。
 将志はそれを素早く追いかけ、首筋に手にした槍を突きつける。
 勝負ありである。

「……効かないと分かっているものをそのままにしておくほど俺は甘くはないぞ? それを逆手にとってやればこの通りだ」
「くっそ~……遊びやがって……」

 楽しそうに笑いかける将志に、妹紅は悔しそうな表情を浮かべながらそう呟く。
 それに対して、将志は槍を納めながら話を続ける。

「……だが、俺も少しずつではあるが段々と本気を出してきているのだぞ? 人間の身分でここまで俺についてこられるのは主とお前くらいだろうな」
「……ちっ、そんな余裕な状態で言われても何の慰めにもならねえよ。第一、あんたのそれは本気の何十分の一だ?」
「……そう思うのなら、俺に膝を突かせて見ろ」

 やさぐれた妹紅を、将志は苦笑いを浮かべながらそう言って煽った。

「……兄ちゃんが膝を突くってーのは無理だと思うけどなぁ……」

 その横から、幼い少女の声が聞こえてきた。
 将志がその方向に振り向くと、そこにはくるぶしまで伸びる燃えるような紅い髪を三つ編みにした小さな少女が立っていた。

「……む? アグナか。どうかしたのか?」
「……えへへ~……兄ちゃん♪」

 アグナは将志に話しかけられた瞬間、そう言ってにこやかに笑った。
 その様子に、将志は首をかしげる。

「……何だ?」
「とうっ!! ……んちゅ♪」

 突如としてアグナは将志に飛びつき、唇に吸い付く。

「はい?」

 突然の出来事に、妹紅は呆気に取られた表情でそれを眺めた。
 しばらくして、二人の唇がゆっくりと離れると将志がため息をついた。

「……まさか、今日か?」
「おう! 今日は放さねえぞ、兄ちゃん♪」

 アグナは嬉しそうにそう言いながら将志に頬ずりする。
 今日は以前アグナが定めた月に一度の日。
 アグナが全ての将志に対する甘える行為を解禁する日であった。
 もっとも、その日はアグナの予定によって前後するので、この様に唐突に決まることもあるのだが。

「……だからと言ってこんなところでんむっ」
「ん……そう思うんならさっさと帰ろうぜ? 今まで散々おあずけ喰らってたからもう我慢なんて出来ねえぞ、俺」

 諌めようとする将志の口を強引に唇で塞いで、アグナはそう言った。
 将志はそれに対して、首を横に振る。

「……いや、今日は人里の見回り当番の日だから、まだ家には帰れんっ」

 再び将志の言葉を遮って、アグナが口をつける。
 今度は先程よりも深く、口の中に舌を入れようとしてくる。

「んはぁ……なら兄ちゃんが我慢してくれよ……悪いけど、もう俺ちょっと止まれそうにねえぞ?」

 潤んだ橙色の瞳で将志の黒耀の瞳をジッと眺めてそういうアグナ。
 対する将志は、困り顔で頬を掻いていた。

「……おい、あんた何やってんだよ?」

 そんな将志に、何とも言えない表情で妹紅が話しかける。
 状況が分かっていないらしく、妹紅の眼は泳いでいた。

「……何と言えば良いか……気がついたらこうなっていたとしか……ぐっ」
「ちゅ……余所見すんなよ、兄ちゃん……今は俺だけを見てくれよ……」

 アグナは妹紅のほうに向いていた顔を両手でしっかりと掴んで自分のほうに向け、唇で話を中断させる。
 将志の舌を吸い出すと、アグナはそれに自分の舌を絡めて行く。

「……アグナ、頼むから仕事の間はむっ」
「……嫌だ。兄ちゃんなら俺が何をしていても見回りくらい出来んだろ?」
「……そういう問題でもないのだが……」

 将志はアグナが吸い付いてくるたびに首を引き、唇を離そうとする。
 その度に、アグナは将志の頭をしっかりと抱え込んで再び喰らい付く。

「む~……そんなこと言ってっとぶん殴ってでも連れて帰るぞ?」
「……はぁ……仕方がない、殴られるわけには行かんからな……」

 ふくれっ面で抗議するアグナに、将志が折れる。
 すると、その様子を見た妹紅は唖然とした表情を浮かべた。

「おい、そこで折れるのか!? そこは仕事が大事だから先に帰ってもらうとかじゃないのか!?」
「……妹紅、一つ教えてやろう。気付いているかも知れんが、俺は頭や腹に衝撃を受けると戦闘不能になる」
「は? そりゃあ強く殴られりゃ誰だって……」
「……かつて、俺は木から落ちてきた柿の実を頭に受けて気絶したことがある」
「……はあ?」

 あまりに酷い将志の貧弱ぶりに妹紅は気の抜けた返事しか返せなかった。
 なお、一番酷いのは耐久試験の時に永琳に頭に豆腐を投げつけられて気絶した時であろう。
 ちなみに永琳は何とか鍛えようとしたのだが、最終的に月に向けて匙を全力で放り投げたのは言うまでもない。

「……つまりだ。俺は避けられない攻撃を放たれると一巻の終わりというわけだ。このように密着された状態では流石に避け切れんから、気を失いたくなければ俺はアグナに従うしかなくなるのだんむっ」
「んちゅ……俺を放っておくなよ……今日の兄ちゃん、何か意地悪だぞ?」

 拗ねた声色でそう言いながらアグナは抱きつき、唇を求める。
 将志はそれを受け入れながら額に手を当てた。

「……分かっているから、話くらいさせてくれないか? もしくは別の日に移すとか……」
「むぅ……仕方ねえな……話くらいなら良いぞ」

 アグナは不承不承と言った面持ちで将志の言葉を聞き入れると、将志の首に抱きついた。
 両手両足でがっちりと抱え込んでいるため、将志が手を離しても落ちる事は無い。

「それで、これからどうするつもりだ? まさかそいつ貼り付けたまま見回りをするのか?」
「……そうするより他あるまい。家族なのだし、好意を無碍にするわけにも行かないからな」

 妹紅の言葉に、将志はため息混じりにそう答える。
 それを聞いて妹紅は呆れ顔を浮かべる。

「……どう考えても家族間の行為じゃないよな、それ」
「……それに関してはとうの昔に諦めている」

 将志はそういうと、力なく肩を落とした。

「……かぷり」
「っっっ!?」

 突如としてアグナが将志の耳を甘噛みする。
 将志は背中に電流が走るような感覚を覚え、思わず顔を上げる。

「……い、いきなり何をする、アグナ?」

 将志は息を荒げながらアグナにそう言った。
 先ほどの行為によって、将志の心拍数は上がり呼吸も乱れていた。

「だって、兄ちゃん話をしている間は構ってくんねえじゃん。だから、せめてこうして気を紛らわせようと思ったんだ」
「……だからと言って耳を噛むのはやめてくれないか? くすぐったくて敵わんのだが」
「……むぅ」

 将志の言葉に面白く無さそうな声を出してふくれっ面をするアグナ。
 腕に力が籠もり、将志の首を軽く圧迫する。 

「それにしても、何をどうしたらこうなるんだ? 家族として接してるんなら、普通こうはならないと思うぞ?」
「……アグナ曰く、お互いに好きなんだから良いじゃないか、だとさ」

 アグナの様子に疑問を持った妹紅に対して、将志はそう言って答える。
 それを聴いた瞬間、妹紅の将志を見る眼がジト眼に変わる。

「……あんた、その手の趣味があるのか?」
「……断じて違うと言っておこう」

 そう話す将志の声には力が籠もっていた。
 それを聞いて妹紅は少しつまらなさげに将志を見た。

「ふ~ん……で、見回りすんだろ? こんなところで油売ってる暇はないんじゃないか?」
「……それもそうだ。では、これで失礼する」

 将志はそう言うと踵を返して人里に向かって飛んでいく。
 その横を、妹紅が併走する。

「……何故ついてくる?」
「ん? いや、家に帰ったところで退屈だし、今のあんたについていった方が面白そうだからな」
「……俺は見世物ではんむっ」

 妹紅に反論しようとすると、アグナが即座に将志の口を塞ぐ。

「ちゅ……ダメだぞ、兄ちゃん。話は終わってんだろ? なら今は俺の時間だ。んちゅ……」

 アグナは自分のものだと言わんばかりに将志の唇に吸い付き、口の中に舌を入れる。
 将志はもうどうしようもないので黙ってそれを受け入れる。

「……おーおー、随分と情熱的な愛情表現じゃないか。そいつが大人になったら娶ってやれよ?」
「……大人になったらと言うが……アグナはお前よりもはるかに年上だぞ?」

 ニヤニヤ笑いながら二人の行為を見続ける妹紅に対して将志はそう言った。
 それに対して、妹紅はキョトンとした表情を浮かべた。

「そうなのか? まあ、確かに妖精にしちゃ力は強いけど……何年くらい生きてるんだ?」
「……出会ったのが初期の恐竜が滅んだ頃だったから……少なくとも一億年は生きているはずだぞ? それに、力が強いとは言うがアグナの本気はお前が知るよりもはるかに強いぞ?」

 自分の想像とは桁違いのアグナの年齢を聞かされて、妹紅の眼が点になる。

「……それ、本当か?」
「……嘘を言ってどうする? ちなみに封印を解いたアグナは銀の霊峰の最大火力だ」
「……ぺろぺろ」
「っっく!? おい、アグナ。耳を舐めるのはやめろ」

 耳を責められ、将志は一瞬上ずった声を上げてアグナに抗議する。

「だったら余所見すんなよぉ……俺は兄ちゃんしか見てねえんだぞぉ……兄ちゃんも俺だけ見てくれよぉ……」

 それに対して、アグナは涙をポロポロとこぼしながら将志に抱き付く。
 どうやら構って貰えないのが余程淋しいらしかった。

「……今日はいつにも増して甘えてくるな……」
「だって、今までルーミアの相手をしてて出来なかったんだぞ? 一年経って、やっとルーミアを監視しなくても良くなったんだぞ?」

 アグナは博麗の大結界が張られて以降、ルーミアのお目付け役を言い渡されていた。
 それにより、アグナは常時ルーミアについていないといけなくなり、将志に甘えることが出来なかったのだ。
 それが最近になって、ルーミアの素行に問題が無いことが認められ、アグナはその任を解かれることになったのだ。
 これにより、アグナはようやく思う存分に将志に甘えられるようになったのだった。
 アグナにとって、これがどれほど楽しみだったのかは想像に難くない。
 そんな泣きじゃくるようなアグナの訴えに、将志は困り顔を浮かべる。

「……だが、お前だけ見ていたら見回りにはならんのだが……」
「そんなんサボっちまえよぉ……どうせ事件なんて起きるわけがねえんだからよぉ……」

 アグナは涙を流し続けながら、ひたすらに駄々をこねる。
 将志としても、今まで頑張っていたので出来る限り要望に応えてやりたいのだが、仕事を投げ出すわけには行かない。

「……妹紅、こういうとき俺はどうすればいいのだ?」

 困り果てた将志は、妹紅に助けを求めることにした。

「……私に訊くなよ」

 妹紅はそういうと、深々とため息をついた。
 しばらくすると人里が見えてきたので、三人は道に降り立つ。
 人里の門をくぐると、路地から人影が現れた。

「ん? 妹紅じゃないか。今日はどうしたんだ?」

 その人物は妹紅の姿を認めると、声をかけてくる。
 全体的に青い服装で、頭には一風変わった帽子が載せられていた。

「慧音か。別に人里に様があるって訳じゃない。私はこいつを冷やかしているだけだ」
「そちらの御仁は?」
「……お初にお目にかかる。槍ヶ岳 将志という者だ」

 将志が名乗りを上げると、慧音と呼ばれた女性は怪訝な表情を浮かべた。
 なお、視線は将志の顔と正面に張り付いているアグナとの間を行ったりきたりしている。

「槍ヶ岳 将志だって? 銀の霊峰の頭が人里で何をしてるんです?」
「……里の見回りだ。ところで、名前を訊いても良いか? 妹紅の知り合いというのであれば一応聞いておきたいのだが……」
「おっと、申し遅れました。私は寺子屋で教員をしている、上白沢 慧音と言います」

 慧音はそういうと将志に対して自己紹介をした。
 将志はそれを聞いて首をゆっくり横に振る。

「……かしこまる必要はない。普段どおりに話してくれたほうが俺としても色々とありがたい」
「色々と?」
「……もし、俺の素性が知られれば住人が緊張してしまうだろう? その為にも出来ることなら将志と呼び捨てにして欲しい」

 将志の言葉に、慧音は合点が言ったという風に頷いた。

「ああ、そういうことならばお言葉に甘えさせてもらうとしよう。それで、妹紅とはどういう関係だ?」
「……古くからの知り合いだんむっ」
「なっ……」

 将志が話をしていると、またしてもアグナが将志の口を塞ぐ。
 一心不乱に吸い付き、舌を絡め、口の中を蹂躙していく。
 慧音は見た目幼い子供の激しい求愛行動に唖然とした表情を浮かべた。

「んちゅ……はあ……兄ちゃん、頼むから俺に集中してくれよぉ……」
「……分かったから、少し待ってくれ」
「むぅ……」

 眼に涙を浮かべながら訴えかけてくるアグナに、将志は額に手を当ててそう答える。
 それを聞いてアグナはふくれっ面をした後、せめてもの抵抗として頬ずりをし始めた。

「……あ~、将志。そのさっきからお前に張り付いているのは誰だ?」
「……銀の霊峰で妖怪を束ねている者の一人でアグナという。見た目は幼いが、内包している力は凄まじいぞ」
「妙に懐いているが、どういう関係だ?」
「……家族だ」
「いや、でも家族にしてはやっていることが……」
「……誰がなんと言おうと家族であるということは事実だ」

 物言わせぬ将志の視線に、慧音は黙り込む。
 すると、くぅと言う可愛らしい腹の音が聞こえてきた。

「……兄ちゃん、腹減った」

 その音の主は将志に軽く口づけすると空腹を訴えた。

「……そうだな……もう昼時だし、何か食べるとしよう。何が食べたい?」
「兄ちゃんの作る飯が食べたい」
「お、それ良いな。あんたの飯は美味いし、私もご相伴に預からせてもらおうか」

 アグナの言葉を聞いて、妹紅がそれに賛同する。
 それを聞いて、慧音が慌てだした。

「おい、妹紅!? いくらなんでもそれは……」
「……それ自体は別に構わんが、何処で調理を行えばいいのだ?」
「慧音の家使えば良いじゃないか。そこなら一番近いぞ」
「……ふむ。慧音、台所を借りるが、良いか?」
「は、はあ……別に構わないが……」
「……よし、ならばまずは一度台所を見ておくとしよう。何が作れるか確認を取りたいのでな、案内を頼めるか?」
「あ、ああ、分かった。案内しよう」

 訳の分からないうちに次々と決まっていく今後の予定に、慧音は考えるのをやめた。
 案内されて向かった慧音の家に着くと、将志は慧音の許可を得て台所の道具をチェックした。

「……ふむ、一通りのものは作れるようだな。さてアグナ、何が食べたい?」
「ん~……炒飯が食べたい」
「……ならば、昼は中華を作るとしよう。さて、市場に向かおうか」

 将志はアグナの意見を聞くと、即座に市場に向かった。
 そこで将志は昼食の食材を買い集めた。
 将志が買った食材は炒飯だけではなく、その他の料理の食材も含まれているようであった。

「……さてと、作るとしようか」
「兄ちゃん、こんないっぱい何を作るんだ?」
「炒飯、麻婆豆腐、ホイコーロー、海老のチリソースがけ、それと焼餃子に食後の桃饅頭だ。四人前ならこれくらいあれば十分だろう。アグナ、手伝ってくれるか?」
「おう!!」

 将志はアグナの威勢のいい返事を聞くと、手際よく作業を始めた。
 米を炊き、材料を刻み、調理を進めていく。

「……凄い手際の良さだな。流石は料理の神というところか」
「実際に作ってるところを見るのは初めてだけど、あんな何品も同時に作れるもんなんだな」

 その様子を慧音と妹紅は眺めながら感心していた。
 ふと、慧音は思いついたように妹紅に話しかけた。

「そういえば妹紅。お前、いつ将志と知り合ったんだ? 古い知り合いと将志は言っていたが……」
「ああ、私があんたと会う前の話だよ。あ~っと、九百年位前か?」
「どういう経緯で知り合ったんだ? 接点が全く見えないんだが?」
「将志は以前、輝夜の護衛をやっていてな。その当時、姫が懸想している護衛がいるって言う噂が立ったものなんだ。で、輝夜が姿を消した後、当てもなく旅を続けていたらその護衛そっくりな奴を見かけてな。調べてみたら名前以外の何もかもが当時の護衛そのままだったから、少し復讐してやろうと思って戦いを挑んで、徹底的に叩きのめされた」

 妹紅の話を聞いて、慧音は深々とため息をついた。
 何故なら将志の正体を知っているので、その無謀さが良く分かるからである。

「……お前は何て無謀なことをしてるんだ……おまけにそれじゃあ完全に八つ当たりだ。それで、その後どうなったんだ?」
「その後どういう訳か将志は自分の勤め先を教えてくれてな、私はそこにだいたい二十年間毎日通って将志に戦いを挑み続けたんだ。ま、散々手加減されてた上に結局一回も勝てなかったけどな」

 妹紅は当時の様子を懐かしそうにそう語る。
 その表情は楽しげで、将志と戦い続けたその期間が良い思い出になっていることを示していた。
 それを見て、慧音は何か思い当たったことがあったようで妹紅に話しかけた。

「……ひょっとして、お前がずっと追いかけていた相手とは将志のことか?」
「ああ、そうだ。慧音と会ったのは修行を兼ねて妖怪退治をしていた頃だな」
「それで、二百年くらい前に再会したという話だったな?」
「あん時、輝夜と喧嘩しようと思っていたら道端に将志が呆然と佇んでいてな。その時は何もかも失くした様な顔で酷い有様だったぞ。心が何か分からないって言われたから試しに戦ってもみたが、見れたもんじゃなくて本気でやるせなくなった。大切なものを汚された気がして、本気で殺してやろうと思った。あの時抱いていた殺意は輝夜に持っていたものよりも強かったかもしれない」
「その当時で七百年追い続けた相手だったか。それで、結局将志は生きているわけだが?」
「それが殺そうとした瞬間いきなり元気になりだしてな。見てみりゃ見た事がないくらい楽しそうに笑ってやがった。どうにも戦っている最中に心とは何かと言うものを理解したみたいでね。そこから先はもう私が一方的に攻撃されて終わりさ」
「随分と劇的な話だな。それで、今に至ると」

 納得したように頷く慧音。
 それに対して、妹紅は話を続ける。

「いや、その話には続きがあってな。将志には主人がいて、そいつに何かしでかしてたみたいだったんだ。そしたら主に嫌われたくないっていきなり泣き出したんだ。胸を貸してやったら脇目も振らずに大泣きしていたぞ」

 そう話す妹紅の表情は面白いものを見たと言う表情で、ニヤニヤと笑っていた。

「……その情けない姿を晒したのも、大泣きしたのを見たのも後にも先にもお前だけだよ」

 そこに、将志が苦笑しながら料理を運んでくる。
 鼻腔を刺激する料理の匂いがその場にいるものの食欲をそそる。

「おや、もう作り終わったのか?」
「……ああ。後は饅頭を蒸し上げるだけだが、それは食後でも構わないだろう」

 将志はそう言いながらそれぞれの料理を配っていく。
 配り終えると、将志は自分の料理が置いてあるところに座る。
 すると、即座にアグナが将志の膝の上に上ってきた。

「それで、今はどういう関係なんだ?」
「……俺からしてみれば、妹紅は不屈の挑戦者といったところだな」
「私からしてみりゃあんたは越えるべき壁だな。ま、まだ随分高いけどな」

 慧音の質問に、将志と妹紅はそれぞれ答える。
 それを聞いて、慧音は心底意外と言う表情を浮かべた。

「ほう、恋人とまでは行かないのか」
「……はあ? 何言ってんだよ、慧音」
「だって泣き顔を見た唯一の人間で、男の友情よろしく拳で語り合う仲なんだろう? そういう関係になっても全く不思議ではないと思うぞ?」

 慧音はわざとらしい笑みを浮かべて二人にそう言う。

「……そうなのか、妹紅?」

 慧音の言葉に、将志はキョトンとした表情を浮かべて妹紅のほうを向いた。

「だから私に訊くなって」

 妹紅はそれに対して頭を抱えながらそう答えた。

「そうだ、将志から見て妹紅はどんな人物だ? 参考までに聞いておきたい」

 慧音の質問に、将志は腕を組んで考え込む。

「……そうだな……少々熱くなり過ぎるきらいはあるが、家族愛が強く、懐が広くて包容力がある、強くて優しい人物だな。ふむ、きっと良い母親になることだろうな」

 将志は今までの妹紅との接触から、自分の思う妹紅への印象を嘘偽り無く答えた。
 すると、慧音はにこやかに笑みを浮かべた。

「なるほど、もう子供のことまで考えているのか。式も挙げないうちから気が早いものだな」
「ぶっ、おい将志! あ、あんたそんなこと考えてるのか!?」
「ま、待て! 俺は客観的に妹紅の人格を評しただけだぞ!? 慧音も訳の分からないことを言うのではない!」

 慧音の言葉に妹紅は思わず噴出し、将志は大慌てで妹紅の言葉を否定する。

「なあ兄ちゃん……飯冷めちまうから早く食おうぜ?」

 そんな将志の袖を、アグナはくいくいと引っ張る。
 それを受けて、将志は落ち着きを取り戻した。

「……そうだな、冷める前に食べるとしよう」

 将志はそういうとレンゲを取り、自分の前に置かれた炒飯を掬ってアグナの口元に持っていく。

「……あ~……」
「あ~……むっ♪ むぐむぐ……んくっ、兄ちゃん、今度は俺の番だぞ! あ~♪」

 アグナはレンゲを持つ将志の手を小動物のように両手で掴むと、差し出された炒飯を食べた。
 そのお返しに、アグナはホイコーローを将志に差し出す。

「……んっ。ふむ、ちゃんと狙い通りの火加減になっているな」

 将志は差し出されたホイコーローを食べてそう評価を下す。

「なんと言うか……」
「こいつら親子みたいだな」

 二人が食べさせあう様子を見て、慧音と妹紅はそう呟いた。
 その様子は膝の上に子供を乗せて料理を食べさせる父親のような様子であった。
 しかし、その印象は次の行為で一発で崩れることになる。

「はむっ、ん~……」
「……はむっ」

 アグナは餃子を咥えると、その顔を将志に向ける。
 すると、将志はなんの躊躇いもなくその餃子を口にする。
 アグナが餃子を落とさないように押し込もうとするため、お互いの唇が触れ合う。

「「……は?」」

 その様子を見て、慧音と妹紅は愕然とした表情を浮かべた。
 二人の皿の上で取り落としたレンゲが高い音を立てる。

「お前達、何をやっているんだ……?」
「……何って、食べさせあっているだけだが?」

 呆然とした声で慧音が質問をすると、将志が平然とそう答える。

「一つ確認させてもらうが、家族なんだよな?」
「おう、兄ちゃんは俺の家族だぞ」

 妹紅が頭を抱えながら質問をすれば、アグナは笑顔でそう答える。
 それを聞いて、妹紅は乾いた笑みを浮かべて慧音のほうを向いた。

「……慧音、最近の家族はここまでするものなのか?」
「そんな訳ないだろう!? 先程から見ていて思ったが、家族のふれあいの度を越しているぞ、こいつらは!!」

 妹紅の言葉に、慧音は髪を振り乱してそう叫んだ。
 教育者の立場からすると、目の前の光景は何としても是正したいものであった。

「……だよなあ。家族のふれあいにしては濃厚すぎるもんなあ」
「おまけに何だ、この犯罪的な絵柄は!? いや、年齢は問題ないのかもしれないが、それにしても……」
「……兄ちゃん……ごめんな、もう我慢できねえ……んちゅ」
「っ!?」

 慧音が青年と幼女が口移しで食べさせ合いをしている様子に言及しようとしていると、何かが倒れこむ音が聞こえた。
 見ると、アグナが将志を押し倒し、一心不乱にその唇をむさぼっているのが見えた。
 将志は必死で押さえようとしているが、不利な体勢に持ち込まれていてどうしようもなくなっている。

「……妹紅。これ、どういう風に見える?」
「……どうって……幼女に襲われる男の図?」
「止めないと色々と不味いな」
「言っとくけど、アグナも私と同等以上に強いぞ?」

 そう話し合う二人の表情は目の前で繰り広げられる惨状に固まっており、もうどうすればいいのか分からないという表情だった。

「……アグナ、せめて食事が終わってから……むぅっ」
「……はあ……兄ちゃん、兄ちゃん、兄ちゃん……」

 キスの合間に将志は何とかアグナを宥めようとするが、アグナはやめようとしない。
 それどころか、興奮した様子のアグナは将志の声を聞いてより激しく将志に喰らい付く。

「……これ普通男女逆じゃないか?」
「そういう問題じゃあないだろう!? どうするんだ、この二人!?」

 間の抜けた妹紅の言葉に、慧音は将志達を指しながらそう叫ぶ。
 それを聞いて、妹紅はポリポリと頭を掻いた。

「……あ~、気が済むまで放っておくしかないんじゃない? そのうち将志が食われるかもしれないけど」
「私はなんて無力なんだ……」

 何も出来ない現状に、慧音はがっくりと床に手を着いた。






「はぁ……はぁ……お、落ち着いたか、アグナ?」
「ん。満足はしてねえけど、とりあえずは落ち着いた。続きは帰ってからな、兄ちゃん♪」
「……あ、ああ……」

 しばらくして、ようやく将志が解放された。
 将志の顔はベトベトであり、その表情は疲れていた。
 アグナは一しきり満足したようで、すっきりした表情をしていた。
 ただし、家に帰ればもう一度するつもりのようではあるが。

「あれで満足してないのか……」
「……苦労するな、将志」

 アグナの言葉に、慧音と妹紅は同情の視線を将志に向ける。

「……桃饅頭を蒸してくる」

 それを背に受けながら、将志は重い足取りで台所へ向かうのだった。

「アグナ、と言ったかな?」

 将志が台所に向かうと、慧音がアグナに話しかけた。
 アグナは調理場のかまどに火を放つと、慧音のほうを向いた。

「ん~? 何だ?」
「寺子屋に通ってみる気はないか?」
「寺子屋? ん~……勉強なら家でも出来るしなあ……」
「それはそうだが、寺子屋は何も勉強をするだけの場ではないぞ? 友人を作って遊んだりする場でもあるんだぞ?」

 もっとも、慧音の真の目的は道徳を学ばせることであるのだが、アグナはそれに気がつかない。
 一方の慧音も、それはかつて将志達が必死になって行ったが無駄だったことを知らない。

「へぇ~……でも、人間と遊ぶのも面白そうだけど、俺一応仕事があるしな」
「……それに関してだが、別に構わないぞ?」

 仕事を理由に断ろうとすると、台所から将志がそう言いながら帰ってきた。
 その言葉を聞いて、アグナは首をかしげた。

「ん? どういうこった?」
「……銀の霊峰も人里とは無関係ではないのだ。貨幣を得るためには人間相手に商売をしないことには成り立たんからな」
「あれ、うちんとこ何か売れるようなものってあったか?」
「……一応、魚や包丁などいくつかはあるが……俺達が重きを置いているのは物以外の商売だ」
「物以外の商売?」
「……例えば、最近になって人里と人狼の里で交易が始まったのは知っているな? それを俺達が仲介してその代金を取ったり、依頼を受けて仕事をする便利屋のような仕事をしたりもしているぞ」

 事実、銀の霊峰の妖怪の中には人里や人狼の里で商売をしているものも存在する。
 人狼の里で作られるものは人里でも有益なものであるし、人里のものは人狼の里で手に入りにくいものもある。
 その他にも、山などに生える山菜類や川や湖で取れる魚はどちらの里にとっても需要があるものである。
 しかし、人間はもとより人狼も昼間は人間と区別がつかず、どちらも妖怪に狙われる恐れがある。
 それ故、物資の輸送や調達が容易には行かず、ちょっとした問題になっているのだった。
 そこで将志はそれらの仕事を代行する仕事を思いつき、商売を始めたのだった。

「んで、それと寺子屋って関係あるのか?」
「……あるぞ。お前は銀の霊峰の幹部だ。それが人里で子供と一緒に遊ぶとなれば、銀の霊峰を身近に感じてくれるだろうからな。そうなれば気軽に依頼が出来るようになって、うちの商売も更に収益が上がるだろう。もっとも、お前は仕事もあるからたまに顔を出す程度になるだろうがな」
「そっか……んじゃ、寺子屋に行ってみるか」

 将志の説明で利点を見出したのか、アグナは寺子屋に通うことを認めた。
 それを聞いて、慧音は笑顔で頷いた。

「そうか。なら、後でどれくらいの学力があるか見るために試験をさせてもらうぞ」
「おう、いいぞ」
「……さて、桃饅頭も蒸しあがった頃だろうし、取ってこよう」 

 将志はそう言いながら席を立ち、空になった皿を下げる。

「それにしても、本当に美味い料理だった。女としては立つ瀬がないな」
「だろ? 私はこいつがどこぞの宮廷料理人をやっていたと言われても不思議とは思わないな」
「……お褒めに預かり至極光栄だな」

 慧音と妹紅の賞賛を受けながら、将志が饅頭を持ってくる。
 饅頭は蒸篭に入れられていて、その中には一口サイズの桃饅頭が八つ入っていた。

「料理だけじゃねえぞ? 兄ちゃんは気がついたら掃除するし、洗濯も自分でするぞ?」
「なあ、あんた生まれてくる性別を間違えたとか言われないか?」
「……身に覚えがありすぎて困る。逆に、間違えてくれて良かったとも言われたことがあるな」

 妹紅の一言に、将志は苦い表情をしてそう言った。
 ちなみにその言葉を言った主な人物を並べると、輝夜、てゐ、諏訪子、藍、幽々子、天魔、そして大和の神々など、そうそうたる面子が揃うことになるのだった。
 その言葉を聞いて、慧音が苦笑いを浮かべる。

「……それは女としてはどうなんだ?」
「まあ、それを言われると私もつらいところではあるけど……な……?」

 妹紅が饅頭を口にした瞬間、妹紅の動きが止まった。

「ん? どうした、妹紅?」
「……~~~~~~~~~~~~~~~っ!?!?!?」

 慧音が話しかけた瞬間、妹紅は顔を真っ青にして悶絶し始めた。

「お、おい!? どうしたんだ!?」

 尋常ならざる妹紅の様子に、慧音は慌てて妹紅に声をかける。
 しかし妹紅は言葉も発せられない状況で、一切状況が把握できない。

「……今回の当たりは妹紅か」
「あ~、あの地獄饅頭入ってたのか」

 その様子を見て、将志とアグナは他人事のようにそう呟く。
 それを聞いて、慧音は将志のほうに眼を向ける。 

「地獄饅頭? 何だそれは?」
「んとな、とっても甘くて辛くて酸っぱくて苦くて渋くてしょっぱい饅頭」
「どんな饅頭だ、それは!?」
「……妹紅がご覧の有様になる饅頭だ」

 将志がそう言いながら妹紅のほうを指差すと、蒼褪めた表情で倒れている妹紅の口から魂が抜け出し始めていた。

「これは酷い……おい、どうするんだこれは!?」
「……まあ待て。今からその地獄に蜘蛛の糸を垂らすのだからな」

 将志はそういうと、懐から紙に包まれた丸い物体を取り出した。
 その包み紙を解いて中から翡翠色の玉を取り出すと、将志はそれを妹紅の口の中に放り込んだ。

「……ほにゃ~」

 すると妹紅の表情が一気に緩み、穏やかな笑みを浮かべだした。

「なっ……死にかけていた表情が一瞬にして至福の表情に?」

 その表情の早変わりを見て、慧音が驚きの表情を浮かべる。
 それを見て、将志は微笑を浮かべて言葉を紡いだ。

「……地獄を見たのなら相応の報いがあって良いだろう? だから、『はずれ』ではなく『当たり』なのだ」
「地獄饅頭を食った後の救済飴は兄ちゃんの料理の中でも抜群に美味いんだよな~」

 そう話すアグナの表情はうっとりとしたものであった。
 どうやらその時口の中に広がる味を思い出しているようであった。

「なるほど、それは試したくもあるな……?」

 慧音がそう言いながら饅頭を口にすると、口の中に違和感を覚えた。
 数瞬の後、慧音の口の中に強烈な灼熱感が広がった。

「か、辛いっ!? 口の中が焼ける!?」
「あ、そりゃはずれだ」
「……残念だったな、慧音」

 身悶える慧音を見て、アグナと将志は面白そうに笑いながらそれを見守る。

「み、水ーーーーーっ!」

 そんな薄情者共を無視して、慧音は台所にある水瓶へと走っていった。




「「「ごちそうさまでした」」」
「……お粗末様。感想はどうだ?」

 食事が全て終わり、将志は慧音と妹紅に食事の感想を聞いた。
 すると、二人は口を揃えてこう言った。




「「饅頭怖い」」




[29218] 銀の槍、宣戦布告を受ける
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 14:44
 博麗大結界が張られてからというもの、長きに渡って賛成派と反対派の抗争が続き、銀の霊峰はその収拾に追われていた。
 そんな忙しい毎日を送っていた将志が少ない休日を使って永遠亭に来てみると、突然輝夜に呼び出された。

「……いきなり呼びつけてどうしたのだ、輝夜?」
「……将志、あんた少し私に付き合いなさい」

 唐突な一言に、将志は訳が分からず首をかしげた。

「……何がしたいのだ?」
「……あの女の弱点を教えなさい」
「……はあ?」
「あの女、妹紅の弱点を教えなさいって言ってるのよ」

 輝夜は不機嫌そうに将志にそう要求する。
 その様子から鑑みるに、どうやらまたこっぴどくやられたようであった。
 将志は困ったように頭を掻いた。

「……要するに、妹紅に何としても勝ちたいから弱点を教えろと、そう言いたい訳だな?」
「そうよ。あんたも妹紅と結構戦ってるんでしょ? なら分かるわよね?」
「……確かに分かる。妹紅の癖も弱点も、確かに俺は把握している」
「なら、教えてくれる?」
「……いや、教えない」

 輝夜の要求に、将志は首を横に振る。
 それを見て、輝夜は俯いた。

「……何でよ」
「……理由は簡単だ。それはあくまで俺から見た弱点だからだ。一つだけ妹紅の特徴を挙げるとするならば、その攻撃の特性上攻撃の際に炎で視界が悪くなると言う点がある。俺はその炎の影に隠れて移動をして攻撃を出来るわけだが、恐らく輝夜はそれほど速くは動けまい。それに、輝夜と妹紅の間にはどうあっても覆せないものがある」
「……経験、か」

 輝夜は俯いたまま、悔しそうにそう呟いた。
 それを聞いて、将志は頷いた。

「……そうだ。輝夜と違って、妹紅は今日に至るまで妖怪退治をして様々な経験を積んで来ているし、現在では俺と戦うことで更に力を伸ばしている。この差を埋めるのは生半可なことではないぞ?」
「それでも、今みたいに軽くあしらわれるのはもう嫌なのよ! ついでに言えば、六花にだって一泡吹かせてやりたいわ!」

 輝夜は顔を上げるとあらん限りの声で叫んだ。
 今までやられっぱなしだったのが余程堪えていたのだろう。
 それを聞いて、将志はため息をついた。

「……妹紅はともかく、六花は厳しいぞ。そもそも、だ」

 そういうと、突然輝夜の目の前から将志が消え失せた。

「……あれ?」

 輝夜は何が起こったのか理解できずに、目を瞬かせた。

「……これに反応できないようでは、六花の相手は務まらんぞ?」
「きゃあ!? い、いつの間に後ろに立ったのよ!?」

 唐突に背後から聞こえてきたため息混じりの声に、輝夜は思わず飛び退いた。
 それを見て、将志は額に手を当てる。

「……さっき目の前で移動しただろう? ちなみに、今のは妹紅なら恐らく反応できるだろうな。それが経験の差だ」
「うっ……そ、それでもやられっぱなしは嫌! 何とかならないの!?」
「……何とかしようにも、俺は輝夜がどれほどの強さなのかを知らない。まずは試しに俺と戦ってもらうが、それでいいか?」
「良いわ。それじゃあ、早速始めましょう」

 そういうと、輝夜は庭に出て行った。
 将志はそれを追って庭に出ると、思い出したように輝夜に話しかけた。

「……ああ……先に言っておく、俺の動きを読もう等と考えるな。とにかく全力で向かって来い」

 将志がそういうと、周囲の空気が一瞬にして変わる。
 その威圧感に気圧され、輝夜は一歩後ずさる。

「え、ええ。分かったわ」

 輝夜は何とか将志にそう答えると、攻撃を始める。
 戦闘の内容は輝夜の攻撃を将志が避け続けるだけのもので、輝夜に攻撃が加えられることは無い。
 輝夜は色とりどりの弾幕で将志を攻め続けるが、結局当たることは無かった。
 将志の合図で戦闘は止められ、再び庭に下りる。

「……どう?」
「……なるほど、内包する力自体は妹紅よりはるかに上か。だが、力はあってもその利用効率が悪いと言うところだな」

 将志が感じ取ったのは輝夜の持つ潜在的な霊力である。
 輝夜は霊力と言う点では妹紅よりも遥かに強い力を蓄えられていたのだった。
 しかし輝夜は戦いなれていないため、その力を上手く扱えていないというのが将志の抱いた感想であった。

「それで、私はどうすればいいのかしら?」
「……俺が輝夜のような状態で戦うとするならば、相手の動きを常に見られる状況に持っていく。輝夜の場合は遠くから相手に向かって攻撃する形になるだろうな」
「そのためにはどうすればいいの?」
「……それを考えるのは俺の仕事ではない。俺が言ったところで、それが輝夜の戦い方に適しているかと言うと必ずしもそうとは限らん。そのあたりのことは実際に戦って覚えていくしかない。霊力の扱いに関してもそれは同じだ」
「じゃあ、将志はその相手をしてくれるの?」
「……ああ、しようとも。俺としても、輝夜には万が一の時のために自衛の手段を持っていて欲しいからな。俺のほかにも、主やてゐ等に頼んでみるのもいいだろう」

 将志は輝夜の質問に順番に答えていく。
 そして輝夜の質問が全部終わったのを確認すると、視線を縁側に移した。

「……ところで、先程からこちらをじっと見てどうしたのだ、主?」

 将志が眼を向けた先には、将志のことをジッと眺める永琳の姿があった。
 将志と輝夜は永琳のところまで歩いていく。

「いえ、いきなり輝夜が将志のことを呼び出したからどんな用なのか気になっただけよ。ところで、将志は誰かに負けたことはあるのかしら?」
「……あるぞ。初めのころは愛梨に負け越していたし、今も何故かは分からんが勝てない相手が一人居る。もっとも、それ以外にはそうそう負けはしないがな」
「それって相手の攻撃を全部避けきれるってことよね?」
「そりゃ攻撃が来る方向と位置をあらかじめ分かっていれば避けられるわよ。あんたの能力、正直チートだもの」

 輝夜はため息混じりに将志を見やりながらそう呟く。
 それを受けて、将志はキョトンとした表情を浮かべた。

「……『悪意を感じ取る程度の能力』のことか? これは長いこと修行を続けて得たものなのだが……」
「どんな修行を積んだのかしら?」
「……最初期は目隠しをしたまま愛梨達と戦っていたな。眼の見えない状況で愛梨達や恐竜などと戦っていくうちに、ある日突然全身の感覚が冴え渡るような感じがしてだな。これ以来、眼をつぶっても前後左右上下ほとんどの攻撃を察知できるようになったのだ」

 将志は当時のことを懐かしむように修行内容を話す。
 その修行内容を聞いて、輝夜は呆れたようにため息をついた。

「よくもまあそんなことする気になったわね」
「……せざるを得ない状況であったからな。何しろ、俺は一撃を軽くでももらったら致命打になりかねないのだから」
「本当にね。頭に豆腐が当たっただけで失神した時はどうしようかと思ったわよ。私も匙を投げるしかなかったわ」

 将志の言葉に今度は永琳が苦笑いを浮かべた。
 それを見て、輝夜はもうなんともいえない表情を浮かべた。

「……永琳が将志関係で匙を投げるってことは、もう本当にどうしようもないのね。というか、豆腐の角で頭ぶつけて気絶って……」
「……初めのうちはアグナに飛びつかれては気絶したものだ。段々と受身を取れるようになって何とか受け止められるようにはなったが、そこまでが長かったな……」

 将志は当時の苦労を思い出して苦笑する。
 その様子を永琳はジッと眺めていた。

「……それっ!」
「……っと」

 突如飛びついてきた永琳を将志は勢いを受け流すように一回転しながら抱きとめる。
 その回転で永琳が飛んでいってしまわないように、将志はしっかりと永琳を抱きしめた。

「……いきなりどうかしたのか、主?」
「何となくやってみたくなっただけよ。それにしても、何で避けようとか思わなかったのかしら?」
「……避けるとアグナは泣きそうになるのでな。それに、今のように主がこうするかもしれない。そう思うと克服する必要があると考えたからだ」

 将志がそう言うと、永琳はハッとした表情で将志を見やった。

「それって……」
「……まあ、端的に言えば主のためではあったな」

 将志は気恥ずかしそうに腕の中に居る永琳から眼を逸らしながらそう言った。

「そう……そういうことなら時々飛びつかせてもらおうかしら?」

 それを見て、永琳は嬉しそうに笑って抱きついた。

「将志、コーヒーちょうだい。とびっきり濃い奴」

 そんな二人を見て、輝夜はうんざりした表情で将志にそういうのだった。
 それを聞いて、将志は永琳から体を離した。

「……コーヒーと言えば、生豆がちょうど手に入っていたな。待っていてくれ、すぐに淹れてくる。主はどうする?」
「いただくわ。そういえば、てゐが居ないわね。どうしたのかしら?」
「てゐなら、今頃罠の改良でもしてるんじゃない? 今日もまた将志が無傷で通り抜けてきたわけだし」

 部屋の中を見回しててゐを捜す永琳に、輝夜はそう言った。
 それを聞いて、将志は苦い表情を浮かべる。

「……最近、その罠の仕掛け方がどんどんえげつなくなってきている気がするのだが……あれでは迷い込んだ人間が悲惨な目に遭うぞ?」
「ああ、あれはあれでいいのよ。今のところ悲惨な目に遭うのは妹紅だけだから」

 将志の言葉に、心底愉快そうに輝夜は笑った。
 どうやらてゐの罠に嵌りまくる妹紅の様子が面白くてたまらないらしかった。
 ……実は、罠に掛かった妹紅の鬱憤は輝夜を叩きのめすことで解消されているのだが、それを知らせるのは酷というものであろう。

「ひめさま~」

 将志達が話をしていると、人型のウサギが一人入ってきた。

「あら、貴方どうしたの?」
「てゐさんから伝言で、落とし穴にいのししが掛かったからはりなおしに行ってくる、だそうです」
「ちょうど良いわ。今日は将志も居ることだし、猪料理にしましょう」

 舌足らずな口調で話すウサギに、輝夜はそう言って返す。
 そんなウサギを見て、将志は首をかしげた。

「……ふと思ったのだが、ここに居るウサギ達は普段食事とかはどうしているのだ?」
「それは各自で取るようにしているわ。ちょうど小鍋も多いことだし、時間を決めて交代で作れば問題はないでしょう?」
「……ふむ」

 永琳の言葉を聞いて、将志は考え込んだ。
 そんな将志の顔を永琳は覗き込む。

「将志? どうかしたのかしら?」
「……いや、どうせならここで料理教室を開いてみようかと思ってな。ウサギ達も食事当番を決めて料理をすれば仕事の効率も上がるだろう?」
「あの、私たちにお料理教えてくれるですか?」

 将志と永琳が話していると、ウサギは将志に話しかけてきた。
 それを受けて、将志はウサギに答えを返す。

「……ああ。なに、心配することは無い。菜食主義者だったとしても、ちゃんとそのための献立を俺は知っている。だから安心してくれて構わないぞ」
「あ、いえ、できるなら普通の料理がいいです」
「……む? てっきり野菜しか食べないと思っていたが、気のせいだったか」
「あの、私たちはそうですけど、ひめさま達にも食べてもらいたくて……」
「……そうか。小さいのにえらいな」
「あ、あう~……」

 将志は体の小さなウサギの頭を優しく撫でる。
 するとウサギは顔を真っ赤にして俯きながらそれを受け入れる。

「……よし、それなら野菜だけの料理と普通の料理を両方用意しよう。期待して待っているがいい」
「あ、は、はい……じゃ、じゃあ、失礼しますっ」

 ウサギはそう言うと駆け足で部屋を出て行った。

「……ははっ、健気なものだな」

 将志はそれをほほえましいものを見る表情で見送ると、コーヒーを淹れに台所に入っていった。
 そんな将志を、唖然とした表情で見つめる約二名。

「……ねえ、えーりん。将志って、実はものすごい女誑しなんじゃ……」
「……話には聞いていたけど、本当に息を吐くように口説き文句が出るのね。実際に、つい最近も人狼のメイドを口説いて領主から攻撃を受けたそうよ」
「ひょっとして、プレイボーイ?」
「それは違うみたいね。将志は自分の言葉が口説き文句だって気がついていないみたいだから」
「……それ、なおの事性質が悪いじゃない」
「……料理教室で被害者が出なければいいけどね……」

 将志の言動に、二人はそう言いながら深々とため息をついた。
 そんな二人を他所に、将志がコーヒーとお茶請けの菓子を持ってきた。

「……コーヒーが入ったぞ。それからワッフルを作ったから食べてくれ」

 お盆の上に載っていたのはコーヒーと、生クリームにラズベリーのソースが掛かったワッフルだった。

「あら、このワッフルの上のソースはラズベリーかしら?」
「……ああ。人狼の里で栽培されているものでな。なかなかに質が良かったから買ったのだ」
「それにしても、将志ってこんなお菓子も作れるのね」

 ワッフルを食べて、輝夜がそう感想を述べる。
 今まで将志が作っていたのは日本茶に合わせた和菓子が多かったため、あまりこの様な洋菓子を作る機会が無かったのだ。

「あら、将志は道具と材料さえ揃えば何でも作れるわよ? 将志が作ったお菓子には飴細工で飾られたフルーツタルト何て言うのもあったわよ?」
「……人狼の里には今まで手に入らなかった果物や乳製品も結構見られるからな。洋物の菓子もこれからは作れるぞ」

 それを聞いた瞬間、輝夜の眼が輝き始めた。

「それじゃあ、ザッハトルテとか食べてみたいんだけど、作れる?」
「……チョコレートが手に入りづらいから、いつでもと言うわけには行かないな。手に入り次第作らせてもらおう。さて、俺は少し外に出るとしようか」

 将志はそういうと、部屋から出て行こうとする。
 その将志に、永琳が声をかけた。

「どこに行くのかしら?」
「……てゐの力じゃ、落とし穴に掛かった猪を取り出すのは厳しいだろうからな。手伝ってくる」

 将志はそう言うと、外へと向かっていった。
 その日の夕食は、豪勢な猪料理だった。




 夕食後、しばらくいつもの面子で語り合い、全員が寝静まった夜。
 将志は一人庭で自らの半身である銀の槍を振るっていた。

「……ふっ」

 月明かりに照らされて白く輝く銀が空中に線を引く。
 次から次へと繰り出される槍は、夜の庭に銀色の芸術を作り上げる。

「……はあっ」

 将志は最後に無駄を全て取り払った真っ直ぐな一突きを繰り出した。
 それが流星のように一条の光を放った後、将志は槍を納めた。

「終わったかしら?」
「……ああ。今日の分は終わりだ」
「そう……それじゃあ、少し付き合ってもらって良いかしら?」
「……ああ、いいぞ」

 酒瓶と杯を用意して待っていた永琳の居る縁側に、将志は座る。
 将志が隣に座ると、永琳は将志の杯に酒を注ぐ。

「最近はどう? 随分と忙しそうだけど」
「……博麗の大結界の騒動の後からどうにも小競り合いが多くてな……それの仲裁や処理に負われているよ」
「……無理はしないでね。何となくだけど、疲れて見えるわ」
「……そうか? 俺としてはそんなに疲れているような感覚は無いのだが」

 心配そうに話しかける永琳に、将志は意外そうな表情でそう返す。
 それを聞いて、永琳は首を横に振った。

「疲れって言うものはそういうものよ。気付かぬうちに疲れが溜まっていて、いつの間にか倒れてました何ていう事例もあるのよ? 疲れを感じないからって油断は禁物よ」
「……そうか。そういうことならもう少し休みを増やすことにしよう」
「そうしなさい。あなたは少し根をつめ過ぎるところがあるわ。少し休みが多いと思うくらいがちょうど良いと思うわよ。何なら、その休みに私が体の状態をチェックしてもいいわよ?」
「……ならば、その言葉に甘えさせてもらうとしよう。俺が倒れると周囲も混乱するだろうからな」

 定期的な診察を勧める永琳に、将志は頷いた。
 それを聞いて、永琳は嬉しそうに笑みを浮かべた。
 彼女にとってそれは将志と会う頻度が増えることになるのだから、それが嬉しいのだろう。

「了解。これからは定期的にここに来ること。ちゃんと休めているか確認させてもらうわ」
「……頼む」
「……ところで、主は……」
「鏡月?」

 自分のことを主と呼ぶ将志に、永琳はこの場の二人だけが知っている将志の本当の名前で呼びかける。
 それを聞いて、将志は永琳の言いたいことに気付いて頭をポリポリと掻いた。

「……××は退屈していないか? ここにずっと居ては娯楽などとは無縁だろう?」
「全然。あなたが居るだけで毎日が楽しいわ。会えない日だって、会える日を想うだけで退屈しない。だから気にすることは無いわよ」

 そう言いながら永琳は将志の膝の上に移動する。
 将志はそれを黙って受け入れながら酒を飲む。

「……そうか。それは何よりだ」
「でも、強いて文句をつけるならもう少しこまめに来て欲しいわ。退屈はしなくても、鏡月が居るのと居ないのとでは大違いなんだから」

 将志の首に腕を回しながら、永琳は将志に文句を言う。
 それを聞いて将志は苦い表情を浮かべた。 

「……出来る限りの努力はしよう」
「約束よ? あんまり疎かにしていると、私拗ねるわよ?」
「……疎かになどするものか。仕事がなければここに来るさ」
「それじゃあ足りないわよ。仕事があってもここに来て欲しいわ」

 永琳は自信を持ってそう言いきる将志にそれでも足りないという。
 それを聞いて、将志は困った表情を浮かべた。

「……流石にそれは無茶というものだろう……」
「む……私と仕事どっちが大事かしら?」
「……××が大事だからこそ仕事をするのだが……」

 わがままを言い続ける永琳に、将志は困り果てた。
 そして、どう説明すればいいのか考え込んだ。

「ふふふ、分かってるわよ、鏡月。あなたが頑張っているおかげで、ここには人も来ないし強い妖怪も流れてこない。お陰で私達のことは噂にもなっていないのでしょう? それくらいのことはちゃんと分かっているから我慢するわよ」

 そんな将志の様子を見て、永琳は笑みを浮かべた。
 永琳は首に回した手に力を込め、将志の頭を口元に引き寄せる。

「その代わり、来た時には思いっきり甘えさせてもらうわ」
「……その言葉、毎回言っていないか?」

 耳元で囁かれた言葉に、将志は苦笑した。

「だから言ってるでしょう? 今のままじゃ足りないのよ。一が手に入ると十が欲しくなるし、十が手に入ると百が欲しくなる。私があなたに満足することなんてきっと無いわよ」
「……それは困ったな。俺が主の為に一度に割ける時間には限りがあるのだが……んっ」

 困り顔を浮かべる将志の口を、永琳が口付けで塞ぐ。
 永琳は将志の唇を吸い、甘噛みする。

「……ちゅ……もどかしいわ。月に行くまでは鏡月の全てが手に入れられていたのに……今は時折会いに来るあなたにこうして甘えることしか出来ないわ」
「……だが、おかげで飽きないだろう?」
「毎日だって飽きないわよ。私は今でもあなたにここで暮らして欲しいと思っているもの」
「……そう言ってもらえると嬉しいよ」

 永琳は愛おしそうに将志の頬を撫でながら願望を訴える。
 二人の顔は近く、少しでも顔を前に動かせば唇が触れ合う距離であった。

「……ところで、あなたキスされても全然動じなくなったわね?」
「……それは今まで散々にされてきたからな。アグナや藍はかなりの頻度でしてくるし、最近では愛梨も好奇心からかしてくるようになったな。特にアグナはこちらが参ってしまうほど求めてくる。まあ、流石にそれだけされれば慣れもするさ」
「ふ~ん……そう……」

 こともなげに言いきる将志に、永琳は少し冷ややかな視線を送る。
 一方の将志は、何で永琳にそんな視線を送られるのか良く分かっていないようである。

「……××?」
「ねえ、鏡月。私もアグナみたいに甘えても良いかしら?」
「……何? んむっ……」

 永琳は悪戯っぽく笑ったかと思えばいきなり将志の唇を奪った。

「……どうしたのだ、いったいっ」

 訳が分からず問いかけようとするが、永琳は将志にしゃべる時間を与えない。
 しばらく口を塞ぎ続けた後、永琳は熱のこもった瞳で将志の眼を見つめた。

「……私ね、あなたに関することは何でも一番になりたいのよ。それが例えあなたにキスした回数だろうとね……んっ」

 それだけ言うと、永琳は再び将志の唇にキスをする。
 永琳のキスは唇、頬、鼻の頭と色々なところに落ちて行く。
 それに対して、将志は永琳の唇に人差し指を押し当てることで一度その動きを止める。

「……はぁ、落ち着いてくれ、別に逃げはせん。何か焦っているように見えるが、何事だ?」
「だって、悔しいじゃない……本当なら私が一番付き合いが長いはずなのに、色々なことを先に越されてる。私はその分を取り戻したいのよ……ちゅっ」

 永琳はトロンとした眼を潤ませながら将志の唇を吸う。

「っ……そんなに悔しいものなのか?」
「ええ、そうよ。私、こう見えて独占欲は強いほうよ?」

 永琳はそういうと、将志に笑いかけた。
 首に回された手は将志を逃がすまいと力が込められている。

「私はあなたの主の座と、親友と言う肩書きと、『鏡月』という名前を持っているわ。でも、私はそれじゃあ足りないわ。いつか私はあなたの全てを手に入れてみせる」

 永琳は熱に浮かされた眼で将志の眼を見つめる。
 手のひらはそっと頬を撫で、唇からは熱い吐息がこぼれる。
 その上気した表情は、これ以上無く艶かしいものだった。

「……覚悟は良いかしら、鏡月?」

 永琳はそういうと、将志にそっとキスをした。
 それは永琳の、将志に対しての宣戦布告であった。



[29218] 銀の槍、話し合いに行く
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 14:54
「やああああ!」

 六花は長い銀色の髪を振り乱しながら、将志に向かって斬りかかる。
 その攻撃は残像が残るほど素早く、相手に息をつかせぬものだった。

「……はあっ!」

 それに対して、将志は的確に槍を突き出していく。
 包丁と槍が激しく打ち合う。
 二つの刃がぶつかり、火花を散らす。

「せいっ!」

 六花は懐に飛び込み、将志に攻撃を仕掛ける。
 槍の刃の内側に入り、絶好の機会を得る。

「……っと!」
「っ!」

 将志はそれに素早く反応し、手首を返して槍を回転させる。
 下方向から槍の石突が六花の鳩尾を狙い、六花は後退を余儀なくされた。

「……流石だな、六花。いい動きだ」
「お兄様には及びませんわ。第一、私の攻撃を全て捌ききっておいてから言われても信憑性に欠けますわよ?」

 将志の言葉に、六花は少し不満げにそう答える。
 二人はそれぞれ自分の武器を納め、神社の本殿へと帰っていく。

「……それは仕方が無いだろう、俺は一撃でももらうと倒れてしまうのだからな。おかげで俺は常にお前達の倍以上修練を積まねばならなかったんだぞ?」
「……お兄様、無理をしないでくださいまし。ただでさえお兄様の仕事量は多い上に家事も全部やって、その上に修行を私達の倍も積んでいたらそのうち倒れてしまいますわ」

 他人の倍以上修行をしなければならないと言うことを、将志は楽しそうに六花に語る。
 それを聞いて、六花は心配そうに将志の眼を見てそう言った。

「……なに、無理だと思ったらすぐに休む。だからそんなに心配する必要も無い」
「そうは言ってもお兄様ですし……」

 健康を憂う六花の頭に、将志の手が軽く置かれる。

「……六花。心配してくれるのは嬉しいが、あまり心配しすぎると今度はお前の身が持たんぞ? もう少し気軽に考えるがいい」

 将志は微笑みながらそう言って、六花の頭を優しく撫でる。
 六花はそれをくすぐったそうに目を細めながらそれを受け入れる。

「……努力はしてみますわ。ところで、今日のご予定はどうなってますの?」
「……今日は紫への定時連絡の日であったな。この後紫の家に行くことになるだろう」
「そうですの。でしたら、後のことは任せて今は休んでくださいまし」
「……それがだな、今日は藍からの連絡で六花にも連れてくるようにという連絡が入ったのだ。だから今日は六花にも同行してもらうぞ」

 将志の言葉を聞いて、六花は首をかしげた。

「はあ……私にいったい何の用なのですの?」

 その六花の質問に、将志は肩をすくめた。

「……さあ? 俺は何の用なのか具体的には聞かされてはおらんのだ。俺に伝えんと言う事は何か個人的な用なのだろう」
「そうなんですの? 私、全く心当たりありませんわよ?」
「……まあ、行ってみれば分かるだろう。さて、昼前には来る様にということだからそろそろ出るとしよう」

 二人はそういうと支度をし、紫の待つマヨヒガへと向かうことにした。
 しばらく行くと、目的地に着いた。

「……む?」

 玄関先に降り立つと、将志は違和感を感じて声を上げた。
 その声に反応して、六花は将志を見る。

「お兄様? どうかしたんですの?」
「……気配が一つ多い。どうやら紫と藍の他にも誰か居る様だ」
「紫さんのお客様ですの?」
「……いや、どうにも違うようだ」

 将志はそう言うと普段足場に使っている銀の玉を作り出し、それを玄関の横にある茂みに落とした。

「ふぎゃっ!?」

 するとそこから短い悲鳴が聞こえ、中から小さな人影が転がり出てきた。
 その人影には猫耳と、黒い二本の尻尾が生えていた。

「……化け猫ですわね」
「……その様だな」
「いったぁ~……いきなり何するの!?」

 その化け猫は涙眼で頭をさすりながら将志達を睨みつける。
 それを受けて、将志は肩をすくめた。

「……ああまで明確に敵意を持たれてはこちらとしても警戒せざるを得ないのでな。悪いが先手を打たせてもらったよ」
「だ、だからっていきなり殴ること無いじゃない! というか、あんたたち誰!?」
「……銀の霊峰の首領を務めている槍ヶ岳 将志というものだ」

 将志が名乗りを上げると、化け猫の少女の表情が固まった。

「槍ヶ岳 将志……た、大変だ~! ら、藍さま~!」

 化け猫の少女は大慌てで家の中へと駆け込んでいった。
 将志達はそれを呆然と見送った。

「……六花、俺がここに来ると何かあるのか?」
「……さあ……私は知りませんわよ?」

 将志達は顔を見合わせ、首をかしげる。
 しかし、次に家の中から聞こえてきた声に事態は一変する。

「藍しゃま~! 玄関の外に危険人物が~!!」
「ぶっ!?」
「……ああ、なるほど。そういうことですのね」

 先程の少女の声に将志は噴出し、六花は全てを察して納得する。
 そんな六花の様子に将志は眼を向ける。

「……六花……俺は本当に何かしたのか?」
「お兄様、こればっかりは仕方がありませんわ。お兄様はある意味では大変な危険人物ですもの」
「……解せぬ」

 六花の言葉の意味を理解できず、将志はポツリと呟いた。
 すると、家の中から誰かが廊下を走ってくる音が聞こえてきた。

「何処だ危険人物……って何だ、将志のことか。橙、将志は危害をくわえるような奴じゃないぞ?」

 家の中から飛び出してきた狐の九尾を持つ人影は将志の姿を見て拍子抜けした表情を浮かべた。
 そんな藍に、橙と呼ばれた化け猫の少女は困惑した表情を浮かべる。

「で、でも藍さま危険人物って……」
「ああ、危害は加えないが確かに危険人物だよ。だから迂闊に近づいちゃ駄目だぞ?」
「はい、藍さま!!」

 藍の言葉に、橙は力強く返事をした。
 そのやり取りを聞いて、将志は藍に抗議の視線を送った。

「……おい、藍。俺が危険人物とはどういう了見だ?」

「自分の胸に聞いてみるのだな、将志」
「自分の胸に聞いてくださいまし、お兄様」

 将志の質問に、藍と六花の声が見事に重なる。

「…………解せぬ…………」

 そのダブルパンチを受けて、将志はがっくりと肩を落としてそう呟くのだった。
 そんな将志を尻目に、一行は中へと案内される。

「紫様、将志達が来ました」
「相変わらず計ったかのように時間通りくるわね……って、藍? 将志が何か凹んでいる様に見えるのは何故?」

 紫はうなだれた状態で現れた将志を見て、藍に質問をする。
 そんな紫に、将志は助けを求めるような視線を送る。

「……紫、俺は危険人物なのか?」
「……どういうことかしら?」
「紫様、気にすることはありませんよ。紫様には実害はありませんから」

 首をかしげる紫に、藍がそう答えを返す。

「実害?」
「仮に紫様が被害にあっても、紫様は目を回して伸びるだけですから」
「……ねえ、それって十分に被害を受けるって言わない?」

 藍の言葉を聞いて、紫が将志をジッと見ながらそう返す。
 その眼にはわずかながら将志に対する警戒心が含まれていた。

「いいえ、本当に被害を受けるともっと深手を、場合によっては一生ものの呪いを受けることになるので軽いほうですよ」
「……おい、何のことだ?」

 藍の言葉に、紫の眼が興味深そうなものに変わる。
 将志はそれを受け、訳が分からず首をかしげる。

「将志がそんな呪いをねえ……ちなみに、貴女はどうなの、藍?」
「私ですか? 私はもう手遅れですよ。たぶん、掛かった呪いも一生ものでしょうね」

 藍はそう言いながら将志のことを舐めるように見やる。
 私を堕としたからには責任を取れ。
 その視線はそう語っていた。

「……ああ、呪いってそういうこと。確かに危険ね、特に女は」

 紫は藍の様子を見て、全てを理解し、そう言って頷いた。
 その言葉に、六花が眉をひそめる。

「紫さん、お兄様の呪いが男に効果があるように言わないでくださいまし」
「あら、戦国武将には戦場での寂しさを紛らわせるために衆道の道に走る者も……」
「紫様? 将志に関してそのような行為に走る者は私が責任を持って処理をいたしますから問題ありませんよ?」

 からかうような紫の言葉に、間髪入れずに藍はそう言った。
 藍は笑顔こそ浮かべているがその語気は強く、その体からは周囲に重圧をかけるほどの妖気が立ち込めていた。

「ちょ、じょ、冗談よ、藍。だからその立ち込める妖気を引っ込めなさい」

 その藍の様子に紫は慌ててそう告げる。
 その横で、将志は理解できないことがあったようで首をかしげていた。

「……六花。衆道とは何だ?」
「……知らない方がお兄様の身のためですわよ」

 純粋な好奇心からそう聞いてくる将志に、六花は頭を抱えながらそう答えを返した。
 すると場の流れを変えるために藍が話題を提供する。

「そうだ。六花には少し橙の様子を見ていて欲しいんだが、構わないか?」
「別に構いませんけど……ひょっとして今日の用事ってそれですの?」

 六花が質問をすると、藍は六花に近寄り耳元に口を置いた。

「……いつ何時将志の毒牙に掛かるか分かったものじゃないからな。念のための用心という奴だ」
「……それは言えてますわね。分かりました、それでは私は橙さんのところに行きますわ」

 小声での藍の言葉に、六花もまた小声で答えて頷く。
 それを確認すると藍は六花から体を離した。

「案内しよう。一度私から話を通しておかないと橙も納得しないだろうからな」

 そう言うと藍は六花を連れて部屋を出て行く。
 しばらくして、紹介と案内を終えた藍が戻ってくると話し合いが始まった。
 将志は銀の霊峰の現状をまとめた書類を紫に提示し、状況を説明した。
 藍はその隣で筆を持ち、話し合いで決まった事を記録する。

「……これが現在の銀の霊峰の現状だ。現在のところ特に困っていることは特には無い……が、今日はそちらの話が本題だったな?」
「ええ、今日の本題は外交関係の話よ」

 紫の言葉に、将志は首をかしげる。

「……外交だと? 外の世界を相手にするつもりか?」
「ええ、そうよ。幻想郷では原則的に自給自足の生活を心がけているけど、外の世界じゃないとどうしても手に入らないものもあるのよ」

 幻想郷では手に入らないが、需要があるものは意外と多い。
 例えば、幻想郷の気候では育てられない作物及びその生産品。
 例えば、幻想郷では手に入れられる地形が無いもの。
 前者の例では重要なところでは砂糖が、後者には塩や魔法使いが使う貴金属や宝石類が挙げられる。
 また、幻想郷内の需要に生産が追いつかないものもかなりあり、必然的に外との物流を考えなくてはいけなくなったのだった。

「……ふむ。確かに博麗大結界の後から品不足になった品がいくつかあるな。だが、それを買い集めるには外の世界の通貨が必要だぞ? 通貨というものは時代によって変わっていくものなのだからな」
「だから今、各組織の代表に外の世界に売れるものを集めているのよ。手っ取り早いのは金とか銀だけど、幻想郷じゃあ取れないから外に売れる特産品みたいなものが欲しいのよ」
「……そうだな……包丁等はどうだ? うちの山の鍛冶師が打った物だが、なかなかに良い物が揃っているぞ?」
「それ、緋緋色金だとかミスリルだとか、原料に幻想入りしたものは使っていないかしら?」

 紫は将志にそう問いかける。
 実は幻想入りした品物が再び外に出ること自体に特に問題はない。
 しかし、幻想入りしたものは人に信じられなくなったために幻想入りしたのであり、外の世界の人間には信用が無い。
 つまり、外に持っていっても価値が認めてもらえないのである。
 当然、そんな勿体無いことをするくらいなら中で使うことだけを考えるべきである。
 紫の質問は、単に物的価値を損なわないための質問であった。

「……使っているものもあるが……基本的には使っていないな。そもそも、緋緋色金などは包丁などの日用品に使うには数が少なすぎる。基本的にそういった物は儀礼用の刀剣に使われるぞ」
「そう……それじゃあ今度その実物を持ってきてくれないかしら? 外の世界で売れるかどうか検品をするから」
「……ふむ、良いだろう。次の機会に持ってくるとしよう」
「お願いするわ。ああ、そうそう。そういえば最近……」

 話し合いはまだまだ続く。





 紫達が話し合いをしている頃、六花と橙は玄関先の門に来ていた。
 橙は門の前に立ち、あたりをキョロキョロと見回している。

「橙さん、何をしてるんですの?」
「怪しい奴が来ないか見張ってるの」
「それで、来たらどうするんですの?」
「戦って追い払う!!」

 橙は六花の問いかけに元気よく答えた。
 その様子に、六花は笑いかける。

「ふふふっ、元気がいいですわね。それじゃあ、私も手伝いますわ」

 六花がそういうと、橙の眼が六花に向いた。

「む、そういうあんたは強いの?」
「戦うのは好きじゃありませんけど、それなりに腕に覚えはありますわよ?」
「……怪しいな~、本当なの?」

 橙は疑りの視線で六花をじろじろと見回した。
 その様子に、六花は苦笑しながら軽くため息をついた。

「……それじゃあ、瞬きしないで見ていてくださいまし」

 六花がそう言うと、橙の視界から六花が消え失せた。

「……あ、あれ?」

 橙はその場からいなくなった六花を捜して周囲を見回す。

「ここですわよ、橙さん?」
「うにゃあ!? び、びっくりした~」

 そんな橙の背後から、六花が声をかけた。
 橙は飛び上がって驚き、六花から大きく距離をとる。
 尻尾の毛は逆立ち、その驚き方が激しいものであったことが分かる。

「今の動きが貴女に見えまして?」
「……見えなかった」

 六花が橙に質問をすると、橙は少し悔しそうにそう答えた。
 それを聞いて、六花は満足そうに笑みを浮かべた。

「とまあ、私はこんな感じですわ。だから、橙さんが私のことを心配する必要はありませんわよ?」
「……ねえ、他には何が出来るの?」

「他には……そうですわね、こんなことが出来ますわ」

 六花はそういうと、足元に転がっていたこぶし大の大きさの石を手に取った。

「……ふっ!」

 六花はその石を上に放り投げると、その石に対して包丁を素早く滑らせた。
 石は地面に落ちると、六つの櫛切りにされた欠片に分かれた。
 その断面は鏡のように磨かれた状態になっており、六花の包丁の切れ味をうかがわせる。

「……おお~……六花って凄いね!」
「ふふふ、ありがとう」

 感嘆の声を上げる橙に、六花は笑顔で答えを返す。
 そんな六花の袖を、くいくいと橙が引いた。

「あのね、私も一つ練習してることがあるんだ。ちょっと見てくれる?」
「いいですわよ」

 六花はそういうと、橙の邪魔にならないように離れて縁側に座る。
 それを確認すると、橙は大きく深呼吸をした。

「それじゃ、いくよ」

 橙はそういうと、指笛を吹いた。
 すると、何処から現れたのか大小さまざまな猫があちらこちらから集まってきた。

「あら、猫ですわね? これまた随分たくさん来ましたのね」
「……よし、呼ぶのは出来た。次は……」

 橙はそう言って猫達に次の行動を指示しようとする。

「あ、あらら?」

 しかし、猫達は橙が指示する前に一斉に六花に群がっていった。
 六花の周囲はあっという間に猫まみれになり、肩や膝、果ては頭の上にも所狭しと猫が乗っている。

「はぁ~……私まだ何も指示出してないんだけどなぁ……やっぱりまだダメか~……」

 言うことを聞かない猫達に、橙はがっくりと肩を落とす。
 そんな橙を励ますべく、六花は優しく声をかける。

「でも、猫を呼ぶまでは上手くいってるんですからそこまで落ち込むことはありませんわよ?」
「そ、そうかな?」
「私には出来ないことですもの。練習すればきっと凄いものになると思いますわよ?」
「……うん、私頑張る!」

 六花の言葉に、橙は力強く応えた。

「みぃ~」
「きゃあ!? ちょっと、くすぐったいですわよ!?」

 突如として胸元に子猫が潜り込み、六花はそのくすぐったさに身をよじる。
 子猫は六花の胸の中心にすっぽりと収まり、その温かさに気持ち良さそうに眼を細めている。
 そんな六花を見て、橙は首をかしげた。

「それにしても、六花って人気者ね。何かあるのかな?」
「さあ……猫に好かれる要素なんて思いつきませんわよ?」

 六花はそう答えながら膝の上に乗っている猫達の頭を撫でる。
 猫達はそれが気持ちいいらしく、ゴロゴロと喉を鳴らした。
 そんな猫達を、橙はジッと眺める。

「……ねえ、私も膝の上に座ってもいい?」
「別に構いませんわよ。それじゃあ、ちょっと失礼しますわよ」
「にゃあ……」

 六花が膝の上の猫を退かすと、猫達は未練たらたらな声を上げてその場から退いた。
 そして空いた膝の上に、橙は座ろうとする。

「それじゃあ、よいしょっと」
「み゛ぃぃぃぃ~!」
「にゃあぁ!?」

 六花の胸にもたれかかった瞬間、その胸元から苦しそうな子猫の声が聞こえた。
 それを聞いて、橙は驚いて飛び上がった。

「ああ、そういえばそこに居ましたわね。ほら、出てらっしゃい」
「みぃぃぃぃ!!」

 六花は苦笑いを浮かべて胸元に潜り込んでいた子猫を引っ張り出そうとする。
 しかし子猫は六花の服に爪を引っ掛けて抵抗する。

「こらこら、爪を立ててはいけませんわ。大人しく出ておいでなさい」

 六花はそう言いながら子猫を前後左右に動かし、布に引っかかっている爪をはずして外に引っ張り出した。
 外に出ると、子猫は六花の手から逃れようとジタバタと脚を動かした。

「ごめんなさいね。少し我慢してくださる?」
「みぃ……」

 六花がそう言うと、子猫はしょんぼりとした声を出して六花の肩の上に移動した。
 それを確認すると、六花は赤い長襦袢に付いた猫の毛を軽く手で払う。

「さ、橙さん、もう大丈夫ですわよ」

 六花はそういうと、誰もいなくなった自分の膝の上を叩いた。

「大丈夫? じゃあ、こんどこそ……」

 橙はそういうと再び六花の膝の上に座った。
 すると、橙の体を柔らかい感触が包み、段々と人肌の温かさが伝わってきた。

「座り心地はどうですの、橙さん?」
「何か、あったかくてやわらかくて良い気持ち~♪」

 橙は気持ち良さそうに眼を細めながら六花にそう答える。
 六花はそれを聞いて笑みを浮かべる。

「まあ、この時期ですと肌寒くなってきますから暖かくはあるでしょうね。それにしても、そんなに座り心地の良いものですの?」
「うん……気を抜くと寝ちゃいそう」

 橙はそういうと眠そうに眼をこすった後で欠伸をする。
 それを見て、六花は手を伸ばして橙の体を抱きかかえる。

「別に寝ててもいいですわよ? 会議が終わるまでまだ時間があるでしょうから」
「そう? それじゃ、遠慮なく……」

 橙はそう言うと全身の力を抜いて六花に体を預けた。
 しばらくすると、橙から規則正しい寝息が聞こえ始めた。

「本当に寝ちゃいましたわね……気持ち良さそうな寝顔ですこと」
「すぅ……」

 六花はすやすやと眠る橙の顔を見て微笑む。
 頬を指でつつくと、ぷにぷにとした心地良い感触が伝わってくる。 

「そういえば、眠ったアグナを膝の上に乗っけているお兄様もこんな感じでしたわね……」

 六花はそう言いながら、書斎の椅子で同じ状態になっている将志の様子を思い浮かべた。
 将志の膝の上で眠るアグナは幸せそうで、一方の将志も優しい表情でアグナの頬を撫でているのだった。
 そんな様子を思い出して、六花は笑みを深くした。

「それにしてもどうしましょう……猫達も寝ちゃいましたし、全く身動きが取れませんわ……」

 六花は全身に猫がくっついた状況に我に返ると、苦笑いを浮かべてそう呟いた。





「橙、そろそろお昼の時間だぞ~」

 六花が身動きが取れなくなって半刻ほど経ち、藍が橙を呼びにやってきた。
 その声を聞き、六花は顔を上げる。

「藍さん、こっちですわ」
「ん、何だそこにいるのか……って何がどうなってるんだ、これは?」

 藍は猫まみれになっている六花を見て疑問の声を上げる。
 唖然とした藍の様子に、六花は苦笑した。

「見ての通りですわよ。私の上に座ったまま橙さんが寝てしまったのですわ」
「ほう、橙も随分と懐いたようだな。これなら次からは警戒することも無いだろう」
「話し合いはもう終わったんですの?」
「ああ、終わったよ。今は将志が昼食を作ってくれている」
「……この匂い、炊き込みご飯ですわね?」

 六花は漂ってくる匂いを嗅いで、昼食の献立を言い当てた。
 すると、藍がくすくすと笑い始めた。

「どうかしたんですの?」
「いや、それが将志と来たら橙に危険人物と言われたのが相当堪えたらしくてな……そのご機嫌取りに魚の炊き込みご飯を作っているんだよ。その他にも焼き魚とか煮付けとか、今日は魚尽くしだ。紫様も献立を聴いた瞬間、腹を抱えて笑いだしたぞ」

 楽しそうに笑いながら藍はそう話す。
 その話を聞いて、六花もまた面白そうに笑い出した。

「ふふふっ、お兄様ってば必死すぎますわね。まあ、お兄様はあんまり嫌われたことがありませんし、その分心にくるものがあったのだと思いますわ」
「そうかもな。正直、私は将志が嫌われているところなど想像もつかん。さて、もうすぐ食事も出来ることだし、橙を起こすとしよう。橙、もうすぐお昼ご飯になるぞ」
「ん~……らんしゃま~……」

 橙は寝ぼけ眼をこすりながらそういうと、六花に抱き付く。
 それを見て、六花と藍は目を見合わせた。

「……盛大に寝ぼけてますわね」
「私と六花を間違えるくらいだ、これは完全に寝ているな……橙、起きろ!」
「ふにゃあっ!? な、なんでしゅか、藍しゃま!?」

 藍が少し強く呼びかけると、橙は六花の膝の上から飛び退き、藍に向かってそう問いかけた。
 その様子に、藍は少し呆れ顔でため息をついた。

「もうすぐお昼だからこっち来なさい。今日は将志がお前のために頑張ってくれているからな」
「は、はい!」

 勢いよく答えて橙は藍の後について行く。
 そんな橙に、六花は声をかける。

「ちょっと、橙さん」
「え、なに?」
「この猫達はどうすればいいんですの?」

 六花の膝の上には大量の猫が乗っかっており、肩も頭の上も猫で満席状態であった。

「……どうしよっか」

 そんな様子を見て、橙は乾いた笑みを浮かべて頬をかくのだった。
 ちなみに、猫達は将志が庭で七輪を使って魚を焼くことで無事に六花の上から退かすことが出来た。







「……では、次来るときは包丁を一式持って来ればいいのだな?」
「ええ。お願いするわ、将志」

 将志と紫はそう言って今日の話し合いで決まった事を確認しあう。

「……次は一週間後だったか。それまでに鍛冶師に用意させよう」
「一週間といわず、毎日来ても良いんだぞ?」

 将志の言葉に、藍がそう言葉をかぶせる。
 それを聞いて、将志は小さくため息をついた。

「……流石にそれは厳しいな。来れても三日に一度程度だろうな」
「無茶を言わないでくださいまし、お兄様。そんなことしたらお兄様は睡眠時間を削って仕事をするのでしょう? もう少しご自愛くださいまし」
「む、それはいかんな。会いにきてくれるのは嬉しいが、それで体調を崩して何日も会えなくなったら本末転倒だ。それなら私に構わずゆっくり休んでくれ」

 将志の言葉を六花が少し強い口調で諌めると、藍も少し心配そうに顔をしかめてそう言った。
 それを聞いて、将志は少し残念そうな表情を浮かべた。

「……む……藍と会って話をするのはなかなかに有意義だから好きなのだが……仕方がないか」
「う……そう言われると後ろ髪を引かれるな……そうだ、今度うちに泊まりに来ればいい。そうすれば話も出来るし、ゆっくり休むことも出来るぞ?」

 将志の言葉に、藍は少し嬉しそうな表情を浮かべてそう言った。
 それを聞いて、紫も頷いた。

「それは名案ね。いっそのこと家に住み込んでもらって家事と仕事を「……調子に乗るな、戯け!」あいったあ~~~~!?」

 嬉々として仕事を押し付けようとする紫の脳天に、将志は容赦なく手刀を振り抜いた。
 ガツンと言う凄まじい音が鳴り響き、紫の頭を激しく揺らした。
 紫はその場に頭を抱えてしゃがみこみ、うなり声を上げている。 

「……まあ、考えておくよ」
「そうか。期待して待っているからな」

 そんな紫を放置して、将志と藍はそう言葉を交わすのであった。

「六花、今度はうちに遊びに来てね」

 一方、橙は六花と話をしていた。
 橙の言葉に、六花は首をかしげる。

「あら、貴女はここに住んでるんじゃないんですの?」
「違うよ。私はこことは違う迷い家に住んでるのよ。今日は紹介したい人がいるからって、藍さまに呼ばれたんだよ」
「そうだったんですの。橙さんも一人暮らしは大変でしょうに」

 六花がそういうと、橙は首を横に振った。

「私のことは橙って呼んで? その代わり、私も六花って呼ばせてもらうから」
「……分かりましたわ、橙。それじゃあ、今度は貴女の家に遊びに行きますわ」
「うん、待ってるよ、六花」

 橙はそういうと、藍のところへ戻っていった。

「……さて、俺達はこれで失礼しよう」
「では、またお会いしましょう」

 二人はそういうと、銀の霊峰へと帰っていった。







「の、脳が揺れるわ~……きゅぅ~……」
「ゆ、紫様!?」

 その日、将志の脳天唐竹割りを喰らった紫は、一日中眩暈が止まらず寝込むことになったという。



[29218] 銀の槍、拾い者をする
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 15:23
 どこまでも続く竹林の中を、銀の槍を背負った男が歩く。
 その男、槍ヶ岳 将志の足取りは心なしか軽く、どことなく早足であった。

「……さて、今日はどのような罠の構成なのだろうか……」

 将志は目的地である永遠亭の前にいつも仕掛けられている罠に考えをめぐらせる。
 いつも罠を仕掛けてくる兎の少女の長きに渡る挑戦は、全て将志に軍配が上がっている。
 それを受けて、てゐは何とかして将志を罠にかけようと罠を試行錯誤し、段々と難易度の高い罠の設置を行ってきている。
 将志は毎回永遠亭を訪れるたびに、密かにそれを掻い潜ることを楽しみにしているのだった。

「……む?」

 ところが、この日は少し様子が違った。
 目の前の道には大量の石が散乱していて、何かが爆発したような後があり、更にその奥には大きな穴が口をあけていた。
 どうやら先に罠に掛かった不幸な者がいるらしかった。

「……妹紅か?」

 将志は普段てゐの罠に酷い目に遭わされている少女の名を呟きながら落とし穴を覗いた。
 すると中には崩れてきたと思われる土砂から天に向かって突き出した二本の脚が生えていた。

「……いったいなんだと言うのだ……」

 将志はそう呟くと落とし穴の中に降り、土砂を掘り返した。
 すると、中から見慣れない人物が現れた。
 その頭にはウサギの耳が生えていた。

「……む?」

 そんな見覚えのない少女を見て、将志は何かが引っかかった。
 どこかでこの少女の服装を見たような気がする。
 将志は何となくそんな気がした。

「……いずれにせよ、ここに放っておくわけにはいかんな。兎のことならてゐが把握しているだろう」

 将志はそう言うと気絶している少女を抱き上げ、一度永遠亭に向かうことにした。





 将志は少女を抱いたまま罠を掻い潜り、永遠亭へとたどり着く。
 するとまず出迎えたのはてゐだった。

「……なぁ~んだ、掛かったのはあんたじゃなかったのか……」
「……はははっ、残念だったな」

 罠に掛かったのが将志ではないと知るや否や、てゐはがっくりと肩を落とす。
 そんなてゐに、将志は笑いかけた。
 その様子を、てゐはつまらなさそうな表情で見つめた。

「というか、その子を抱きかかえたまま罠を突破してきたわけ?」
「……まあ、そういうことになるな」
「……今度から罠の前に赤ワインを注いだワイングラスを用意しておくわ」

 てゐは投げやりな声でそう言って頬を膨らませた。
 そんなてゐに将志は質問を投げかける。

「……ところで、この娘はどうすれば良い?」
「ん? この子、うちの兎じゃないわよ? 大体ここの兎達には罠の場所は教えてあるし、余程の事が無いと掛かんないもの」
「……ということは、どこかから迷い込んできたということか」
「そうなるね。とりあえず、お師匠様のところへ行ってみたら? この子は私が預かるわ」
「……頼む」

 将志はそういうと、少女を抱えたまま兎達の部屋へと向かうことにした。
 少女を個室の寝台に寝かせると、将志は奥にある居間へと足を運ぶ。
 するとそこには暇をもてあましている輝夜が寝転がっていた。

「あら、もう来たの? 今日は随分と早いわね」

 将志がやってくると、輝夜は体を起こしてそのほうを向いた。
 一方の将志はその正面に座り、背負った槍を脇に置く。

「……今日は休みの日だからな。本来ならば仕事はあるのだが、全て愛梨や六花に取られてしまったよ」
「そういえば、普段将志はどんな仕事をしているの?」
「……基本的には対外関係の仕事が一番多いだろうな。他の組織の情報や部下達が持ってきた情報をまとめ、それを踏まえて警邏のルートの変更や人事の再編等をするのが主な仕事だな」
「意外と事務的な仕事なのね」
「……どこの組織も上層部は似たようなものだ。部下をまとめるとなると重要になってくるのは情報だ。それを処理するとなれば、必然的に事務的なものになるだろう」
「体を張った仕事はしないの?」
「……いや、することはするぞ? 幹部で集まって合同で稽古会を行うこともあるし、俺自身が警邏に出ることもある。下からの情報を鵜呑みにするのは危険だから、重要だと思うことは自らの眼で確かめるのだ。特にうちの組織の仕事は場合によっては大事件に発展しかねないからな、そこは慎重にならねばならん」

 二人が話していると、人がやってくる気配がした。
 将志がその気配に振り向くと、そこには紺と赤で染められた服を着ている己が主の姿があった。

「将志、ちょっと良いかしら?」
「……主か。どうかしたのか?」
「あなたが拾ってきた兎のことなのだけど……あの子、月兎よ」

 固い表情を浮かべながら永琳は将志にそう告げる。
 それを聞いて、将志は顔をしかめた。
 その纏う空気が剣呑なものになり、思わず槍に手が掛かる。

「……何だと? 追手である可能性は?」
「分からない。今はてゐが容態を見ているわ。とにかく、あの子が目を覚まして事情を聞くまでは私達は会うわけには行かないわ。場合によってはあの子を追い出すなり何なりしなくてはならないわよ」
「……俺はどうすれば良い?」
「将志もここに残ってなさい。あなたも月の人間から見れば何が何でも捜し出したい人物なのよ? あなたの存在が知られれば間違いなく確保に乗り出すでしょうね。あの子の目が覚めたら呼ぶように言ってあるから、話を聞きにいくわよ」
「……了解した」

 こうして、将志は永琳と輝夜と共に月兎の少女の目覚めを待つことにした。

 




「……う……ん……」

 月兎の少女が目を覚ますと、目の前には少々狭い天井があった。
 少女はぼんやりとした頭で体をゆっくりと起こす。

「目が覚めたみたいね。具合はどう?」

 そんな少女に、少し幼さを残す声がかけられる。
 少女がそのほうを向くと、狭い部屋の中に置かれた椅子に座っているウサギの耳を生やした小さな少女が座っていた。

「ひっ……」

 その少女、てゐを見て月兎の少女は恐怖に顔をゆがめる。
 その姿を見て、てゐは首をかしげた。

「……どうしたの? 私、なにかあんたが怖がるようなことした?」
「あ、貴女は月から来たんじゃないの?」

 てゐの質問に、酷く怯えた様子で少女は言葉を返す。
 その言葉に、てゐは首を横に振る。

「いんにゃ、違うよ。私はずっとここに住んでる白兎の因幡 てゐよ。で、月がどうかしたの?」
「あ、その……何でもない……」

 少女はてゐの言葉を聞いてホッと一息ついて体から力を抜く。
 その表情からは恐怖が消え、少し安心したようであった。

「……ひょっとして、あんた月から来たの?」
「っ……はい……」

 てゐの質問に少し身を強張らせながら少女は答えた。
 月と言う言葉に対して過敏に反応するその様子から、月に関して何か嫌なことがあるらしいことが分かる。

「何でまた月からはるばるこんな辺境に来たわけ?」
「……ここなら、月のみんなには見つからないと思ったから……」
「それってどういうこと?」
「私……月から逃げてきたのよ……」
「どうして?」
「月では地球から人間が攻めてくるって言う話が上がって、それを迎え撃つために戦争を起こす準備を始めたのよ。それで、私は……戦争が怖くて逃げ出した……」
「ふ~ん……まあ、確かに戦争は怖いわね。で、あんたは自分が逃げたことで何を怖がっているわけ? 戦争がないところに避難するのは普通のことだと思うけど?」
「私、軍人だったのよ……それも、指揮官にとても近い兎だった……だから、連れ戻されたら何をされるか……」

 絞り出すような声で少女はてゐの質問に答えていく。
 質問に答えていくたびに少女の顔は蒼ざめていき、かなり精神的に追い詰められているようだ。
 そんな少女の言葉に、てゐは無感情で頷いた。

「……そういうこと。つまり、帰る気はもう無いわけね?」
「……もう私は月には帰れない……」
「そういうことなら、ここに住みなさい」
「え?」

 突然投げかけられた大人の女性の声に、少女は顔を上げる。
 すると開け放たれた個室の扉の前に永琳が立っていた。

「お師匠様?」
「……や、八意様?」

 突然現れた手配中のかつての月の重役を前に、少女の表情が引きつったものになる。
 永琳はそれに構わず話を続ける。

「貴女が外に出歩くと、月から逃げてきた兎がこの一帯にいるということが明るみに出るわ。それならば、ここに住んで情報の拡散を防いだほうが良いでしょう?」
「……あ、あの……」
「何かしら? ちなみに拒否権は無いわよ。貴女には何が何でもここに住んでもらうわ」
「……じゃあ、私を月に追い返したりはしないんですね?」
「しないわよ。そんなことをしたら私達の居場所が知られるかもしれないでしょう?」

 永琳はやや高圧的な態度で少女に当たる。
 しかし、少女は永琳の言葉に逆に安心し、どんどん表情が柔らかくなっていく。

「そ、そうですか……ところで八意様がいるってことは……他の方も?」
「ええ、居るわよ。紹介が必要かしら?」
「あ、はい……」
「そう。二人とも入ってらっしゃい」

 永琳がそういうと、長く艶やかな黒髪の少女が部屋の中に入ってきた。
 どうやら先程までの話を部屋の外で聞いていたらしかった。

「蓬莱山 輝夜よ。知ってるかもしれないけど、貴女と同じ月から逃げてきた者よ」

 輝夜は少女に対して軽く自己紹介をする。
 そんな輝夜を見て、永琳は首をかしげた。

「あら、将志はどうしたのかしら?」
「将志ならお茶を淹れに行ったわ。もうすぐ戻って来るはずよ」

 輝夜は行方不明のもう一人の居場所を端的に告げる。
 すると、月兎の少女がその名前に反応した。

「あ、あの……将志ってもしかして……」
「あら、知ってるのかしら?」
「あってるかどうか分からないですけど……銀の英雄の槍ヶ岳 将志さんですか?」
「ええ、そうよ……ってちょっと待って、何であなたは将志が生きていることを知っているのかしら?」

 ふと沸いた疑問を永琳は少女に問いかける。
 何故なら、永琳が居た頃の月では、将志は移住する際に永琳達を守って死んだと思われていたのだ。
 その質問に、今度は少女が首をかしげた。

「あれ、依姫様が結構頻繁に分霊を呼び出しているので、生きているんだとは思ってましたけど……それに過去に将志さん本人が月に来られて、それ以来捜索隊が結成されたという話もありますよ」

 少女が知っている話は、大和の神の一柱である建御守人こそが銀の英雄たる槍ヶ岳 将志本人であり、未だに地上で生きていると言う話である。
 そして月ではその将志を何とかして月に連れてこようと捜索隊が組まれていると言うのが、少女の認知している事実であった。
 その話を聞いて、永琳は頭を抱えた。

「……ちょっと将志を呼んでくるわ」
「……俺ならここに居るが?」

 永琳が将志を呼ぼうとすると、当の本人が人数分の紅茶を盆に載せて運んできていた。
 訳が分かっていない将志に、永琳が質問を投げかけた。

「将志、あなた月に行ったことがあるのかしら?」
「……そういえばそんなこともあったな……幻想郷の管理者が月に進攻するというから、その護衛でな」

 永琳の質問に、将志は懐かしそうにそう答えた。
 まるでことの重大性が分かっていない将志に、永琳は顔を手で覆う。

「それで、あなた名乗りを上げたのかしら?」
「……名乗ってはいないが、敵の大将に言い当てられたな。何とかして俺を捕らえたかったようだが、振り切ってきた」
「その大将の名前は分かる?」
「……確か、依姫と呼ばれていた気がするな。神の力を上手く使いこなしていたから、何となく覚えていた」

 将志は記憶の片隅に会った敵の大将の名前を永琳に告げた。
 すると、永琳は深々とため息をついた。

「なるほどね……あの子なら確かにあなたを捜そうとするわね……」
「将志さん……」

 永琳がため息を付く傍らで、月兎の少女はジッと熱のこもった視線で将志を眺めていた。
 彼女に声をかけられ、将志はそちらに眼をやる。

「……む? どうした?」
「あの、サインください!」

「「「「…………はい?」」」」

 突然発せられた少女の言葉に、彼女以外のその場にいた面々が思わず呆けた表情を浮かべる。

「……すまんが、話が見えてこんのだが……どういうことだ?」
「だって、二億年離れ離れでもご主人様に忠誠を誓うとか格好いいじゃないですか! 見た目も良いし、何より強くて優しいって評判なんですよ!? 将志さんは知らないでしょうけど、月には依姫様を筆頭に未だにファンが多いんですから!! まだ生きていると判った時の騒ぎは凄かったらしいですよ!!」

 訳が分からないといった表情で将志が問いかけると、少女は興奮した様子でそう捲くし立てた。
 その様子は、人気アイドルに詰め寄るファンそのものであった。

「……分かったから落ち着け。全く、月ではいったい何が起きているのだ……」

 そんな彼女に、将志は困惑した表情でそう呟く。
 自分の与り知らぬ所で勝手に膨れ上がった自らの評価に、どうすれば良いのか分からないのだ。

「何と言うか……将志ってアイドル的人気があるのかしら?」
「まあ、建御守人って言う神様が将志に似ているってだけで崇拝されるレベルだしね……それにエピソードも英雄らしくて格好いいし、料理番組に出るような趣味人でもあるし……」
「……信仰ではなく、崇拝なのか……」

 呆然とした様子の永琳に輝夜が乾いた笑みを浮かべてそう答える。
 それを聞いて、将志はげんなりとした表情を浮かべた。

「そういえば、あなたの名前をまだ聞いていなかったわね?」

 気を取り直して、永琳は少女にそう話しかけた。
 すると少女はそちらの方を向く。

「あ、そうでした。私はレイセンって言います」
「レイセンね……念のため名前を地上の者に合わせたほうが良いかもしれないわね……」
「……つまり、レイセンの名前をここに合う様に改名するということか?」

 少女の名前を聞いて永琳はそう呟き、将志はそれに質問をする。

「そういうことね。ええと、あの花の名前何て言ったかしら……あの花の名前つけたいのだけど……」

 永琳はそう言いながらその部屋においてある本棚から植物図鑑を取り出し、目的の花を捜す。
 しばらくすると、永琳は幻想入りした植物の図鑑の中からそれを発見して声を上げる。

「ああ、あった。優曇華の花って言うのね」
「あ、あの、いくらなんでも語呂が悪すぎませんか?」
「兎って言えばやっぱり因幡の白兎よね。と言うわけでイナバってつけたいわ」
「ねえ、その因幡の白兎の実物が目の前にいるんだけど?」
「……レイセンに漢字を宛てるとすればどんな漢字になるだろうか……」

 こうして、月兎の少女の名前を考える話し合いが始まるのだった。





「……というわけで、今日からあなたの名前は鈴仙・優曇華院・イナバよ」

 長い話し合いの末、少女の名前が決定した。

「何だか、随分と長い名前になっちゃいましたね……」

 鈴仙は新しく自分につけられた名前に苦笑いを浮かべながらそう呟く。

「……まあ、特に長くて困ることは無いとは思うが……」
「……私、あんたらの感性が良く分からなくなったわ……」

 てゐは鈴仙の少々変わった名前をつけた張本人達にに対してそう言い放つ。
 もう少し良い名前があっただろう、その眼はそう告げていた。

「あら、感性なんて人それぞれよ。例えば、将志の料理も独創的なものはどうして思い至ったのか私には分からないもの」
「……俺としては、主の研究の発想の方が分からないがな。論文を読めば確かに納得は出来るが、そこに至る発想が常識から外れているからな」
「常識に囚われていたら研究に進歩は無いわよ。大体、あなたの料理だって常識を覆すようなことをいくつもして来たでしょう?」
「……そう言われればそうだったな」

 お互いの感性について、将志と永琳はそう言い合う。
 永琳は常識を覆すような発表をいくつもしてきたし、将志も度肝を抜くような奇抜な料理を出してきたのである。
 そんな中、輝夜が疑問を呈して将志に質問を投げかけた。

「……ねえ、将志って永琳の書いた論文の内容が理解できるの?」
「……少しだけだがな。俺がかじったのは栄養学だ」

 輝夜の質問に将志はそう答える。

「そういえば、将志ってよく栄養学の本を読み漁ってたわね。その一点においては私の話に完璧について来れていたわ。恐らく、栄養博士の学位は楽に取れるレベルにはなっていたでしょうね。けど、どうしてそこまで熱心に勉強してたのかしら?」

 永琳は将志と初めて出会ってからの数年間を思い出して懐かしそうな表情を浮かべて質問をする。
 それに対して、将志も当時を思い出しながら質問に答えた。

「……俺の料理で体調を崩されては元も子もないからな。また、食品の成分は味にも大きく影響するから尚のことだ。それに、だ」

 将志は言葉をそこで一旦切る。
 不自然な言葉の切られ方に永琳は首をかしげた。

「……それに?」
「……主と対等に話が出来ることが嬉しかったからな」

 すると、将志は照れくさそうに眼を逸らしながらそう言った。
 余程照れくさかったのか、その表情には少し赤みが注している。

「将志……」

 永琳はそれが嬉しかったのか、将志を笑顔を浮かべて優しい眼で見つめながらそっと抱きついた。

「…………」

 将志はそれを受けて反射的に抱き返し、無言で永琳の眼を見た。
 見つめあう二人。
 周囲には、どこからともなく甘ったるい空気が漂い始めていた。

「うわ、二人の世界形成しおるし」
「ほんっっっとに隙さえあれば惚気るから油断ならんわ」

 その二人を見て、輝夜とてゐがもうやってられねえと言わんばかりに吐き捨てた。
 それを聞いて、鈴仙は苦笑いを浮かべた。

「これが昼ドラだと、将志さんが浮気したり取り合いになったりしますよね」
「ごめん、それ洒落になってない」
「ゑ」

 冗談のつもりで言った一言に返ってきた輝夜の深刻な返答に、鈴仙の表情が固まる。
 輝夜はそれを見て、ため息をつきながら事情を説明しだした。

「将志に対する恋愛病末期患者が永琳の他にも何人か居てね……今はその末期患者が集まってこれ以上患者が増えないように努力してるのよ」
「しかも肝心の将志は超が付くような朴念神だし、おまけに無意識で女の子口説くもんね……鈴仙も毒牙に掛からないように気をつけるのよ?」

 将志の所業に呆れ顔を浮かべながら、てゐは鈴仙にそう呼びかけた。

「将志さんに口説かれる……それ、いいかも……」

 すると鈴仙は将志に口説かれるのを想像し、うっとりとした表情でそう呟いた。
 それを聞いて黙っちゃあいないのが約一名。

「……将志は渡さないわよ」
「ひっ……」
「えーりん、空間歪んでるから落ち着いて」

 笑顔で物を言わせぬ重圧をかけてくる永琳に、鈴仙は思わず声にならない悲鳴を上げた。
 輝夜は空間を歪ませるオーラを纏う永琳を宥める。

「……さっきから何の話だ?」
「……あんたは少し察することを覚えるべきだと思うわ」
「……む?」

 そして状況を全く理解していない将志に、てゐは盛大にため息をつくのだった。



[29218] 銀の槍、冥界に寄る
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 15:05
 先が見えないほど長く伸びる石の階段。
 その階段を銀色の髪の男が延々と登っていく。
 その男、槍ヶ岳 将志の背中には赤い布が巻かれた長物が背負われており、手には黒い漆塗りの柄の槍が握られている。
 空を飛べるはずのこの男が何故わざわざ歩いているかといえば、ちょっとした修行になるかもしれないという思いつきでやっているだけである。

「おお、ようこそいらっしゃいました、将志様」

 そんな将志の上から声が掛かる。
 将志がそれに顔を上げると、目の前には冥界の管理者の屋敷とその門番があった。

「……妖忌か」
「はい。今日はどうかなさったのですかな?」
「……いや、たまたま近くを通りかかったから立ち寄っただけだ」

 将志が黒塗りの槍を持つときは大体が人里に顔を出す時である。
 将志の持つ銀の槍、『鏡月』はただでさえ全身が銀色に輝いて目立つ上に、けら首の部分に銀の蔦で巻かれた黒曜石の真球が埋め込まれるという印象に残りやすいものである。
 そのため、将志は人里に降りるときはその身分を隠すために銀の槍を力を遮断する赤い布で覆い隠し、代わりに黒塗りの槍を持つのである。
 つまり、黒塗りの槍を持っている今は人里からの帰りであるのだった。

「そうですか。そうだ、実は貴方様にお伝えしたいことがございまして……」
「……伝えたいこと?」
「はい。実は、そろそろ引退しようと思っておるのです」

 年老いてしわがれた声で妖忌はそう言った。
 妖忌の肌には歳を重ねることによって出来た皺がいくつも見受けられ、口元からは髭が伸びている。
 将志は妖忌の言葉に、小さくため息をついた。

「……そうか……お前も随分と歳を取ったからな……だが」
「むっ」

 いきなり黒塗りの槍を振りぬく将志に、妖忌は腰に刺した刀を素早く抜き放った。
 刃と刃がぶつかり合い、火花を散らす。
 舞うように槍を繰り出す将志に対して、妖忌は流水のように自然な動きで刀を振るう。
 数合打ち合った後、二人はお互いの得物を引いた。

「……俺の眼に狂いが無ければ、お前の剣は老いて衰えるどころか冴えが増している気がするがな。以前に比べて雑念が完全に消えている。俺としては引退には早いと思うが」
「だからこそ、です。私もいつまで生きられるか分からない身、体が動くうちに後進を育て、それを見守っていこうと思うのです」
「……跡継ぎがいるのか?」
「はい。今はまだ半人前ですが、私が教えられることは全て教えました。後は本人が経験を積んで、自分で成長していくだけです」
「……なるほど。もう自分のやることは全て終わったと、そう言いたいのだな?」
「はい」

 そう話す妖忌の眼に迷いは無く、どこまでも澄み切っていた。
 それは悟りを開いた者の眼であった。
 その眼を見て、将志は微笑と共にため息をつく。

「……ふっ、それも良いだろう。今まで主人に尽くしてきた分、自分の人生を楽しむが良い」
「とは言うものの、私は暇な時間と言うものを今まで持ったことが無いので何をすればいいのやら……」
「……それは俺に言われても分からんな……」

 困った表情を浮かべる妖忌に、将志はそう答える。
 将志の場合は人生の大半を旅をして過ごしていたが、幻想郷内では行けるところなど限られている。
 更に永琳と再会してからは銀の霊峰の首領としての仕事や建御守人としての神の仕事も行っていたため、暇な時間など大して存在していないのだ。
 強いて言うならば、将志の趣味は修行であろうか。

「……一つ聞くが、ここを出てどこに行くつもりだ?」
「そうですな……妖夢が簡単に私を頼れぬようなところにでも隠居しようと思うのですが……」
「……それならば、迷いの竹林に行くと良いだろう。そこであれば、仮に居場所を知られたとしても簡単にはたどり着けんからな」

 将志は妖忌にそう進言する。
 なお、将志は妖忌に永遠亭が発見される危険性は考えていない。
 何故なら、永遠亭はそう簡単に発見されるような場所には無い上、近くに寄ったところでてゐの罠があるのだ。
 それ以上に将志は妖忌のことを信用しているため、何も話したりする必要はないと将志は考えたのだった。
 将志の進言を聴いて、妖忌はうなずいた。

「分かりました。行ってみることにします」
「……ところで、やけに幽霊の数が多いようだが何事だ?」

 将志は周囲を見回してそう言った。
 白玉楼の庭にはたくさんの幽霊たちが漂っており、人口が飽和した状態になっていた。

「どうやら外の世界からの死者が爆発的に増え始めた様で、冥界の許容量を超え始めてるのです。戦争でも起きたにしては何年もずっと続いてますし、……何か心当たりはありませぬか?」
「……おそらくは医学の進歩や大戦争の終結など、人口を増大させるような環境が整い始めているのだろう。だとすれば、これから先もっと幽霊の数が増えてくると考えたほうが良いだろう」
「となれば、これは紫様に相談しなければなりませぬな?」
「そうなるだろうな。だが、その前に幽々子に詳しく話を聞いてみないことにはな。幽々子のことだ、もう既に話を通しているかもしれん」
「くせ者ー!」
「……おっと」

 殺気を放つ幼い声に反応して、突如斬りかかってきた少女の一撃を将志は槍で受ける。
 その幼い少女は将志を睨みながら攻め込む隙を探す。
 そんな少女に、将志はため息混じりに問いかけた。

「……いきなり斬りかかってくるとはどういう了見だ?」
「貴方を斬ってみれば全部分かる!」
「……妖忌、非常に身に覚えのあるやり取りなのだが?」

 少女の言葉に、将志は昔を懐かしむような表情を浮かべて妖忌を見た。
 一方の妖忌は少女の言動にため息をつきながら首を横に振った。

「……妖夢。刀を交えてみれば相手が分かるとは言ったが、いきなり斬りかかる前に相手の力量を測るようにとも伝えたはずじゃぞ?」
「でもお爺様、そこにくせ者が!」
「妖夢、彼は曲者でもなければお前が敵うような相手でもない。もう少し相手をよく見ることじゃ」

 妖忌の言葉を聞いて、妖夢と呼ばれた少女は将志を見やった。
 その眼は未だに将志を警戒しており、睨むような視線を送っていた。

「……そうなのですか?」
「……ああ、幽々子と妖忌の友人の、槍ヶ岳 将志と言う」
「槍ヶ岳 将志ですか……確認を取ってきます」

 妖夢はそう言うと屋敷の中へ走っていく。
 その姿を将志は見送ると、妖忌のほうを見やった。

「……幼いながらになかなかの太刀筋だな」
「そうですな。ですが、それはあの歳にしてはと言うだけの話です。今後伸びていくかどうかは、本人次第ですな」
「……俺の見立てだが、あれは伸びると思うぞ。だが、少々固すぎる部分も見受けられるな。まるで出会った当初のお前みたいにな」
「ほっほっほ。当時の私は無鉄砲でしたからな。今であれば、いきなり斬りかかるなどと言う無体なことはしますまい」

 妖夢が返ってくるまで将志と妖忌は取り留めの無い雑談をすることにした。
 しばらくすると、大慌てで妖夢が屋敷の中からすっ飛んできた。

「し、ししし、失礼しましたぁー! まさかあの建御守人様だとは知らずにとんだご無礼を!」

 妖夢は将志の前に現れるなりスライディング土下座を決め込んだ。
 将志はそれを見て、少々疲れた表情を浮かべて妖忌を見やる。

「……妖忌。これまた身に覚えがありすぎるやり取りなのだが?」
「ほっほっほ。まさかここまで同じやり取りをするとは私も思いませんでしたぞ」

 妖忌は過去の自分と今の妖夢を照らし合わせ、そう言って笑う。
 将志は面倒なことになったと思いながら深々とため息をついた。

「……全く……幽々子め、こうなるから俺が何者なのか伏せておいたと言うに……」
「建御守人様!」
「……気にすることはないから顔を上げてくれ。それから俺のことはその名前ではなく、将志と呼んでもらえたほうがありがたい」

 土下座をしながら頭を上げようとしない妖夢に、将志は困った表情を浮かべてそう告げる。
 すると妖夢はキョトンとした表情を浮かべて顔を上げた。

「え、でも……」
「……良い。神とは言っても、こうして話す分には人間や妖怪とさして変わらんし、そもそも元をただせば俺はただ古いだけの妖怪に過ぎない。建御守人の名はこの様な場では不要だ」
「でも、私いきなり斬りかかって……」
「……それを言うなら、道場破りを多数して師範から門弟まで全員叩きのめした俺はどうなるのだ? それに、俺は辻斬りに会うのは慣れている。だからそう気に病むな」
「……将志様、そんなことをなさってたのですか?」

 将志が白状した自らの所業に、妖忌は若干呆れたような視線を送る。
 それに対して、将志は肯定の意を示した。

「……ああ。嘘だと思うなら紫にでも頼んで記録を見せてもらうがいい。鑑 槍次という俺の偽名が出てくるはずだ」

 将志が告げた偽名を聞いて、妖忌は記憶を呼び起こそうとする。
 すると、思い当たる節があったのかその場でうなずいた。

「鑑 槍次……そういえば、過去にここに来た武芸者の中にその名前を尋ねてきた者が結構いましたな……あれは、将志様だったのですか」
「……恐らくそうであろう。まあ、そういうわけだからいきなり斬りかかった事も全く気にしていない。むしろ久々に緊張感を感じて心地よいくらいだ」
「そ、そうですか……」

 将志の言葉に、萎縮しながらも釈然としないといった表情で妖夢はうなずいた。

「……それはさておき、幽々子と話をしなければならんな。妖忌、通してもらうぞ」
「はい、どうぞお通りください」

 妖忌の返事を聞いてから、将志は白玉楼の中へと入っていく。
 屋敷の中も、客間などには幽霊が大勢入り込んでいて、かなり窮屈そうである。
 将志が幽々子の姿を探して屋敷の中を歩いていると、奥の座敷で茶を飲んでいる幽々子を発見した。
 奥のほうは幽霊は立ち入れないらしく、幽々子の周りには幽霊はいなかった。

「あら、将志じゃない。今日は何の用?」

 幽々子は将志の姿を確認すると、にこやかに笑いながら手を振った。
 将志は座敷の中に入り、幽々子の対面に机をはさんで座る。

「……いや、特に用も無く来てみたのだが、来てから少し訊きたい事が出来てな」
「それはここに溢れている幽霊たちのことかしら?」

 幽々子は将志が聞きたいであろう事を察して先に話を持ちかける。
 将志はそれに対してうなずいた。

「……ああ。紫には相談したのか?」
「ええ、一応は。今は閻魔様との協議待ちよ」
「……ふむ。それで、現状としてはどうなのだ?」
「冥界が満員になって捌ききれないわよ。三途の川の渡し主もずっと働き詰めているけどもう限界。それで、どうしようもないから幽霊達にここの一部を開放しているのよ」

 幽々子は苦い表情を浮かべながら将志にそう言った。
 どうやら事態は将志が思っている以上に深刻な様である。

「……その原因、幽々子はどう見る?」
「恐らく、もう戦争のような一時的なものでは無いでしょうね。やってくる幽霊も若い人は少なくなってきてるし、お年寄りの割合が増えているもの。それにその歳の取り方も以前とは段違いに長い年齢を重ねたような人ばかり。つまり、外の世界では怪我や病気では死ににくくなったと考えられるわ」
「……やはり幽々子もそう思うか。となると、子供の病気も減って生き延びる確率が高くなり、成長した子供が更に子供を増やす……そう考えるべきだろうな」
「そうね。きっと、これから先はもっと死者は増えてくるでしょう。それを受け入れるためにも、冥界をもっと大きな新しいものにしなければならない。それに関しては紫にも話してあるし、後は協議の結果を待つだけ。まあ、余程の事が無ければまず通るでしょう」
「……つまり、さし当たって幽々子に出来ることはないわけだ」

 幽々子の話から状況を整理して、将志はそう言った。
 それに対して幽々子もうなずいた。

「そういうこと。私の仕事は新しい冥界が出来てからが本番ね。恐らくゴタゴタするでしょうから、貴方のところの妖怪達の力を借りるかもしれないわよ?」
「……うちの妖怪を誘導に使うのか? 確かに出来なくはないが、もっと他に適した連中がいるのではないか? 妖怪の山の天狗衆などの方が向いていると思うが」

 将志はそう言って首をかしげながら幽々子の言葉に疑問を呈する。
 その疑問に幽々子はゆっくりと首を横に振る。

「そうでもないわよ? いくら力の弱い幽霊達といってもこの数ですもの。天狗達では大人数になるし、私が天狗達をまとめ切れないわ。その点、銀の霊峰の妖怪たちは一人一人が強い力を持っている。つまり、その分一人当たりの担当人数を大きくすることが出来るし、私が管理をする人数も少なくなってまとめやすいのよ。それに移動回数が少ないほうが先導の負担も少ないでしょう?」
「……となると、うちの連中の中から力が強く、集団行動に向いたものを選抜せねばなるまい。やれやれ、うちの重鎮共を総動員せねばならんかも知れんな」

 将志はそう言って苦笑した。
 銀の霊峰の連中は基本的には脳筋な連中ばかりである。
 頭を使って行動できるタイプの妖怪はそういう連中を上手く捌いて来れる為、大体は上位陣を占めてくるのだ。
 その中でもリーダーシップを持つものとなると、もう古くから将志に付き従っている重鎮達を動かさざるを得ないのが現状である。
 ……もう少し知性派の妖怪が増えてもいい、そう思っている将志であった。

「宜しく頼むわ。……さて、せっかく来たんだし、ご飯よろしくね~」

 突然幽々子が発した言葉に、将志は一気に脱力する。

「……普通せっかく来たのだからという時は、家主が客をもてなすものではないのか?」
「他所は他所、うちはうちよ~♪」

 呆れ顔で問いかける将志に、幽々子はルンルン気分で将志に問いかける。
 将志はそれに対して盛大にため息をついた。

「……全く、人遣いが荒いな。台所を借りるぞ」

 結局、将志は幽々子の分の料理と妖忌と妖夢の分の料理を作ることになったのだった。



「……」
「……」
「……」
「……あの、皆さんどうなさったんです?」

 食事が終わり、無言で目の前に置かれたものを眺めている三人に、妖夢がちょこんと首をかしげる。

 将志達の目の前に置かれているのは大皿に乗った人数分の蒸したての饅頭。
 その大皿の中央には台座が作られていて、その上には翡翠色の玉が乗っかっていた。
 そしてその翡翠色の玉を見た瞬間、幽々子と妖忌は固まったのだった。

「……将志。この真ん中の玉って、あの飴玉よね?」

 幽々子は引きつった笑みを浮かべて将志に問いかける。
 その額には玉のような冷や汗が浮かんでいる。

「……ああ。そうだが?」

 それに対して、将志は平然とそう答える。

「……と言う事は、あの饅頭があるんでございまするか?」

 今度は妖忌が恐る恐るといった様子で将志に問いかけた。
 妖忌の顔は青ざめており、声は少し震えている。

「……そうでないと、その飴玉が意味を成さないのだが……」

 それに対して、将志はやはり泰然と答える。
 そう、目の前にある四つの饅頭のうちの一つは例の地獄饅頭なのであった。

「お爺様、あの饅頭とは何なんです? 将志様の作った料理にまずいものはありませんでしたよ? むしろ何度でも食べたくなるような美味しい料理で……」

 妖夢はうっとりとした表情のまま目の前の饅頭に手を伸ばす。

「ま、待て妖夢! この饅頭に迂闊に手をつけてはならん!」
「え、ええ?」

 すると妖忌は慌ててその手を掴み警告した。
 妖夢は訳が分からず、キョトンとした表情を浮かべる。
 そんな妖夢の肩を幽々子は掴んで、自分のほうに顔を向ける。

「……よく聞きなさい? 将志は確かに並び立つものの居ない程の料理の達人よ。でも、将志はとても捻くれた性格をしていて、わざと酷い味がするものを作ることがあるのよ」
「え、じゃあ……」
「そう。この四つの中の一つに食べると地獄の苦しみを味わうようなお饅頭があるのよ。その名も地獄饅頭。将志の隠れた一面を表すような鬼畜な味のするお饅頭よ」

 幽々子は真剣な表情で妖夢にそう語る。
 そのあまりの真剣さに、妖夢は若干及び腰になった。

「……幽々子、お前とは後でじっくりと話し合う必要がありそうだな?」

 そんな幽々子に対して、将志は額に青筋を浮かべながら幽々子にそう語りかける。

「事実を言われて怒るのは大人気ないわよ、将志?」
「……今に見ていろ……」

 そう言って受け流す幽々子を、将志は恨めしげに見つめるのだった。

「……お饅頭、冷めちゃったら美味しくなさそうですし、私これもらいますね」

 そんな中、妖夢が目の前にある饅頭を手に取る。

「……それでは俺はこれをもらおう」
「で、では、私はこれを」
「……ということは、私は残ったこれね」

 それを皮切りに、全員が饅頭を選んで手に取る。
 ちなみに饅頭の中身は将志にもわからないようになっているため、将志が地獄饅頭に当たる可能性もある。

「じゃあ、一斉に食べましょう。せ~の……」

 幽々子の合図で、全員が一斉に饅頭を口にした。

「……俺のはただの肉饅頭だな」

 将志が食べたのは普通の肉まん。
 口の中に肉汁があふれ出し、旨味が口の中に広がる。

「私のはなにやら甘い汁が出てきますな。甘味としては申し分ないですぞ」

 妖忌が食べたのは将志特製の甘い饅頭。
 かじると中からトロリとした優しい甘みの汁が出てくる。

「……ということは、残りのどちらかが大当たりというわけだ」

 将志はそういうと、残りの二人に眼を配る。

「…………」
「…………」

 幽々子と妖夢は饅頭に噛り付いた体勢のまま固まっており、どちらがどんな饅頭を食べているかは分からない。

「……っっっっっ~~~~~~!!!」
「……っっっっっ~~~~~~!!!」

 次の瞬間、幽々子が頭を抱えて転げ周り、妖夢が蒼い顔で口を押さえてその場に倒れ臥した。

「……妖夢が大当たりで幽々子がはずれか」

 将志はそういうと皿の上の救済飴を手に取り妖夢の元へ向かう。

「……妖夢。助かりたければ口を開けろ」
「~~~~~~~~っ!!」

 妖夢は将志の言葉にすぐに口を押さえていた手を退け、口を開ける。
 すると将志はその口の中に翡翠色の救済飴を放り込んだ。

「……みょ~ん……」

 口の中に究極にして至高の味が広がり始める。
 蒼ざめていた表情に一気に赤みが注し、苦悶の表情が至福のものに変わる。

「……と言うわけで、地獄を見た後には相応の救いがあるという話だ。その味はあの饅頭を食べた後でしか味わえないからな。じっくり味わうと良いだろう」

 そんな妖夢に、将志は笑顔でそう語りかけた。
 すると妖夢は蕩けた表情のままそれにうなずき、じっくりとその味を味わうことにした。

「将志様、幽々子様はどうするので?」
「……頭に響くほど酸味の強い饅頭を食べただけだ。直に治る」

 妖忌の問いに将志は素っ気なく答える。
 先程の妖夢への対応に比べると随分と冷たい反応である。

「……何やら幽々子様の扱いがぞんざいではございませんかな?」
「……幽々子曰く、俺はひねくれていて鬼畜なのだろう? ならばその通りに振舞ってやろうではないか」

 将志はニヤリと笑って幽々子を見やる。
 幽々子は余程つらいのか、苦し紛れにゴンゴンと柱に頭をぶつけている。

「ところで、はずれが私や妖夢に当たった時はどうするつもりだったのですかな?」

 妖忌がそう問いかけると、将志は懐から包み紙にくるまれた木の実を取り出した。

「……実はここに酸味を中和する木の実があってだな。これを食えば酸味は無くなるのだ。これがあるから、饅頭を激辛にせずに酸味の強いものにしたのだ」
「ちゃんと妖夢のことは考えていたのですな」
「……当然だろう。いくらなんでも幼子に料理でつらい目にあわせるだけというのは気が引けるからな。ちゃんと救済策は持たせてあるのだ」

 感心した様子の妖忌に、将志はそう言って返す。
 その言葉を聞いて、妖忌は笑みを浮かべた。

「それで、それを幽々子様に使う気はありますかな?」
「……もうしばらく悶えてもらうことにしようか」

 結局、それから四半刻ほど幽々子がのた打ち回った後でその木の実は手渡されたのであった。
 柱に頭を打ちつけ続けていたせいで、幽々子の額は赤く腫れていた。






「……ひどいわ~……将志、いくらなんでも大人気なさ過ぎるわよ……」
「……ならば、言葉には気をつけるのだな。台所に立つ人間を敵に回すと怖いぞ?」

 涙眼で抗議する幽々子に、将志はそう言い放つ。
 将志の表情は薄く笑みを浮かべたものであり、いかにもしてやったりといった表情であった。

「妖夢、お前は大丈夫か?」
「はい……お饅頭は酷い味でしたが、その後の飴は天にも上るような味でした……あれを食べられるんなら、あのお饅頭も食べられる気がします」
「そ、そうか……」

 一方、妖忌の問いに妖夢は夢心地の表情でそう答える。
 どうやら、地獄饅頭のあとの救済飴の味が余程気に入ったらしかった。
 そんな妖夢を見て、将志は笑みを浮かべた。

「……どうやら、こういうところは妖夢のところが上のようだな、妖忌?」
「この身は老い先短い身、そう冒険することもありますまい」
「……それも考えの一つだが、中には先が短い故に冒険に出るものも居る。まあ、頭の片隅にでも留めておくと良いだろう」

 妖忌に対して、将志はそう語りかける。
 そんな将志に、妖夢が声をかけた。

「将志様、今度稽古をつけてくださいますか?」
「……ふむ、時間が空けば稽古に付き合うとしよう。次に来るまで、しっかりと修練を積むのだぞ?」
「はい!」

 将志の言葉を聞いて、妖夢は嬉しそうに返事をした。
 将志はそれを聞いて笑みを浮かべる。

「……良い返事だ。さて、そろそろ俺は帰るとしよう」
「……今度は美味しいものだけ作ってちょうだい」

 恨めしげな表情で幽々子は将志にそう言い放つ。
 それを聞いて、将志は全身に虚脱感を覚える。

「……お前は食事以外に言うことはないのか? まあいい。では、達者でな」

 そう言うと、将志は持ち直して帰路に付いた。



[29218] 銀の槍、呼び出しを受ける
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 15:31
 将志が書斎で仕事をしていると、うぐいす色の髪に赤いリボンの付いたシルクハットをかぶった少女が部屋に入ってきた。
 その手には赤い封筒が握られている。

「将志くん、君宛に手紙だよ♪」
「……俺宛の手紙? 誰からだ?」
「分かんないよ♪ でも果たし状とかじゃあないみたいだね♪」

 愛梨はそう言いながら将志に封筒を差し出す。

「……果し合いでなくても、面倒を運んでくる輩がいるから油断は出来んぞ? 天魔など、俺に流れてくる面倒事の八割方は奴が絡んでくるからな」

 将志は渋い顔を浮かべてそう言いながら封筒を受け取る。
 それを聞いて、愛梨は天魔の所業を思い返して苦笑いを浮かべた。

「きゃはは……天ちゃんは、ちょっとね……」 
「……まあいい、まずは中を見てからの話だ」

 将志は封筒を開けて中身を取り出し、手紙に眼を通した。
 するとしかめられていた表情が緩み、いつもの表情に戻っていく。
 少なくとも天魔からの手紙ではないらしい。

「……ねえ、誰からなのかな?」
「……静葉だ。冬が来る前に俺に会いたいそうだ」

 将志は愛梨に手紙の送り主の名前を告げる。
 すると愛梨はその名前に首をかしげた。

「静葉ちゃん? あ、いつも家に遊びにくるあの子だね♪ 確か神様なんだっけ?」
「……ああ。紅葉を司る神だ」
「そういえば、紅葉の神様って秋以外は何をしているのかな?」
「……普段はこれといった仕事が無いそうだ。だから普段は散歩をして、木々の様子を見ながら過ごしているらしい」
「それで、将志くんは会いに行くのかな?」
「……ああ。友人の誘いならば断る筋合いは無い。早速返事を書くとしよう」

 将志はそういうと、机の引き出しから便箋と万年筆を取り出して返事を書き始めた。

「……友達かあ……静葉ちゃん、結構油断ならないんだよね……」

 愛梨はそんな将志の様子を見ながらそう呟いた。
 最近になって静葉が将志に逢いに来る頻度が多くなっており、それに対して将志は仕事を切り上げてまで応対するようになっているためである。
 愛梨からして見れば、静葉の存在が段々と無視できなくなってきていたのだった。

「……うん、藍ちゃんや主様に相談してみよう♪」

 愛梨はそういうと、部屋に戻って藍と連絡をとることにした。





 所と日が変わって永遠亭の一室。
 そこにはピエロと狐と医者が集まっていた。
 三人は円陣を組んで座り、話し合いを始めた。

「というわけで、久々に集まってみたわけだが……今日は愛梨から報告があるんだな?」
「このメンバーを集めるってことは、将志関係ね?」
「うん、そうだよ♪」

 藍と永琳に問いかけられ、その両方を愛梨は肯定する。
 それを聞くと、藍は一つ頷いた。

「宜しい、それで議題は何だ?」
「実は……将志くんによく会いに来る女の子が居るんだ♪」

 愛梨のその言葉を聞いて藍は眉をしかめ、永琳は額に手を当ててため息をついた。

 あいつ、またか。

 二人の心境が120%シンクロする。

「……なるほど、新しい女の影が現れたというわけだな?」
「……また増やしたのね……でも、今まであなたが報告に来るようなことは無かったわよね?」
「それがこの子の場合はちょっと変わっててね……直接うちにまで会いに来るんだ♪ それで、最近頻繁に会いに来るようになったからちょっと相談してみようと思ったんだ♪」

 愛梨の報告を受けて、藍と永琳はそれぞれ考え込んだ。

「ふむ……ただ将志に口説かれただけ、と言うわけでは無さそうだな。それだけなら、そう何度もあんな辺境に会いに行くようなことはすまい」
「そうね……恐らくその子の心の相当奥深くまで将志の存在が食い込んでると思うわ。将志がその子に何をしたのか分かるかしら?」
「……それが六花ちゃんから又聞きした話なんだけどね……」

 愛梨は六花が諏訪子から聞いた将志の出雲での顛末を二人に話した。
 落ち込む静葉を励ます将志の話を聞いて、二人は頭を抱えた。

「……存在意義の肯定か。懐く理由としては十分すぎるな……」
「本当に将志はあっさりと女の子を落とすのね……けど、論点はそこじゃないわ」

 永琳の言葉に藍が顔を上げる。

「どういうことだ?」
「確かに将志に好意を持っていることはこれで分かるわ。でも、その子が抱いているのは本当に恋心なのかしら?」
「あ、そっか♪ 六花ちゃんやアグナちゃんみたいに、ただ懐いてるだけってこともあるんだよね♪」

 愛梨は楽観的な表情を浮かべてそう言う。
 すると、藍がその言葉に意義を唱えた。

「……私としてはアグナは十分に怪しいと思うがな? あの好意の示し方は家族にするにしてはやはり異常だ。それに家族とは言っているが、解釈によってはとんでもないことを言っているようにも聞こえるぞ?」
「とんでもないこと?」
「その家族というのが、嫁を指す場合だ。アグナの性格では考えにくいことではあるが、それすらも演技だと考えれば……」

 首をかしげる愛梨に、藍は自身が想定する可能性の一つを提示する。
 するとしばらくして、永琳がその意見に首を横に振った。

「……流石にそれは考えすぎだと思うわよ。もしそうなら、アグナはとっくにキスの先を狙っていてもおかしくは無いわ。けど、アグナはそれをしない」
「でも、お互いに好きだから良いじゃん、って言って将志くんにキスしてるんだよ?」
「その先のことに関しては、実はもう私が先手を打ってあるのよ。その先のことは、結婚した相手とすることだって教えてあるわ」

 永琳はアグナに施してある策の一つをここで公表する。
 それを聞いて藍はうなずき、愛梨はホッとした表情を浮かべた。

「つまり、アグナがそれを素直に受け入れていたとしたら、夫婦間でないと行為には至らないということになる。ということは、本当にただの家族としてしか見ていないということになるな」
「そうだね♪ アグナちゃんは純粋だから、そのあたりのことは安心していいと思うよ♪」
「けど、アグナは自分が将志に抱いているのが恋心だって気付いていないだけという可能性もあるから、油断は出来ないわよ? 何て言ったって、アグナにとっての一番も将志なのだから」
「……油断はならんということだな。もし敵に回ったとしたらあの積極性は脅威だぞ?」

 アグナの純粋な性格はこの場に居る全員の知るところである。
 そしてアグナはキスを自分の一番好きな異性に対して行うものとして認識している。
 つまりアグナが一番好きな異性は将志であると言うことである。
 もし、本人が将志を家族ではなく恋愛対象としてみていた時には強力な恋敵となったであろうことは想像に難くなかった。

「でも、あの体型では将志にその手の趣味が無い限りは手出しはしないと思うわよ」

 藍の懸念に、永琳はそう言って反論した。
 すると、愛梨と藍は揃って首を横に振った。

「主様……アグナちゃんの封印が解けたらそんなこと言えなくなるよ?」
「そうだな……正直、ああまで変わるとは思わなかった……」

 そう話す愛梨と藍の表情は固く、事態の深刻さを物語る。
 その様子に、永琳は首をかしげた。

「……そんなに変わるのかしら?」
「あのね、六花ちゃんよりもスタイルが良くなるんだよ?」
「正直、あれは桁違いだ。あの体型を武器に使われれば大抵の男は堕とせるだろうな。普段封印されていて幼児体型なのがせめてもの救いだよ」

 愛梨と藍は封印が解けたときのアグナの体型を思い浮かべてため息混じりにそう話した。
 永琳は自らが知っているスタイルの良い女性の筆頭である六花よりも良いと聞いて、陰鬱なため息をついた。

「そう……私もそれなりに自信はあったのだけど、それでも厳しいのね……」
「確かに、永琳も随分といい体型をしているな」
「きゃあっ!?」

 突如として、藍は永琳の背後に回りこんで胸に手を伸ばした。
 藍の手の中でぐにぐにと永琳の豊かな胸が形を変える。

「ふむ、程よい揉み心地だな。あの将志よりも長く生きているにしては張りがある」
「はぁ、んっ、ち、ちょっと、いきなり揉むことは無いじゃない?」

 すると永琳はその手を払って飛び上がるように立ち上がった。
 自身の胸を守るように手で抱え、真っ赤な顔で藍に抗議の視線を送る。  

「いいなぁ、みんな……ちくしょー……」

 その様子を見て、愛梨は自分の胸をペタペタと触りながら涙を流した。
 それを聞いて、藍は愛梨のほうに向き直った。

「む? 愛梨は胸が小さいのがそんなに不満か?」
「え? うきゃあ!?」

 藍は素早く愛梨の背後に回りこみ、胸を掴む。
 突然の出来事に、愛梨は上ずった声を上げた。

「なるほど。確かに控えめで外からは目立たなくはあるが、触ってみればきちんと柔らかい感触があるじゃないか」
「あっ、やめっ……やぁ……」

 藍はブラウスの中に突っ込んだ手をくにくにと動かす。
 すると愛梨は途切れ途切れの艶っぽい声を上げながら抵抗しようとする。
 しかし藍は愛梨の小さな体をしっかりと抱え込んでおり、離れない。
 しばらくすると、愛梨の顔が上気したものに変わり呼吸が激しく乱れ始めた。

「おや、随分と感度が良いな。ふむ、これ以上続けると恐らく耐えられまい。この辺にしておくとしよう」

 そんな愛梨の様子を見てこれ以上は持たないと判断して手を離す。
 藍が手を離すや否や、愛梨は倒れそうになって床に手を着いた。

「はぁ……はぁ……もうっ……」

 愛梨は乱れた呼吸を整えながら、涙眼で藍を睨む。
 床に着いた手は震えており、力が上手く入っていないようであった。

「それで話が思いっきり逸れたけど、将志に会いに来ている子はどんな感じなのかしら?」
「ちょ、ちょっと待って……ふぅ……」

 愛梨は大きく深呼吸をして乱れた呼吸を整える。
 その少々大げさな様子に、藍は思わず苦笑いを浮かべた。

「そんなに激しくしたつもりはないのだが……」
「そ、そんなこと言われてもな~……僕、他人に触られたりするの慣れてないし……」

 藍が眼を向けると、愛梨は両手で胸をかばって後ずさりをしながら藍に答える。

「慣れていないにしてもだ、愛梨のそれは明らかに過敏すぎるぞ? 弱点であったとしてもこの程度でこれでは……」

 藍は半ば呆れ顔で愛梨にそう言った。
 すると、永琳がその話を遮るように咳払いをした。

「ちょっと、また話が逸れてるわよ? 大事なのは私達の事ではなくて将志のことでしょう?」
「おっと、そうだったな。それで、実際どうなんだ?」
「う~ん……たぶん、あの子は将志くんに惚れてると思うよ♪ 将志くんが居るのと居ないのとでは表情が全然違うもんね♪ あの笑顔は好きな人に見せる笑顔だよ♪」

 愛梨は将志と話している静葉の表情を思い出してそう答える。
 それを聞いて、藍はため息をついた。

「黒か。だとすればどうする? どうにかして遠ざけるか、仲間に引き込んでしまうかの二通りが考えられるぞ?」

 藍はそう言って他の二人に意見を求める。
 しばらくの静寂の後、永琳が口を開いた。

「……鈍感なようで鋭いのが将志よ。そして何より、将志は人の悩みを聞きだすのが上手い。下手に遠ざけようとすると将志はすぐに感づくわよ。そうなるくらいなら、いっそ味方に引き込んだほうが二重の意味で得でしょうね」
「二重の意味?」
「正直に言って、将志が自分から他の女の子に靡くとは考えづらいわ。確かに将志は無意識に口説くけど、将志自身の心が口説いた子に移るわけではないからね。むしろ、女性に興味を持ってもらうことのほうが余程重要よ」
「だが、愛梨が話すような積極的な奴が出てくるとなると話は違うぞ? 将志はとある一線を越えると急に態度が軟化する。つまり、友人と認識される前に何とかしないと敵を増やすことになるというわけだ」
「けど、親友って認められてるともっと違うと思うよ? だって、将志くんは僕達とゆゆちゃんやてゐちゃん達でやっぱり態度が違うでしょ? だからそこまで焦る事はないと思うけどなあ?」

 二人の意見を聞いて、藍は考え込む。
 しばらく考えて、藍はゆっくりとうなずいた。

「……確かにそうだ。だが、その点で言うと量りかねるのが約一名居るな」
「そうなのかしら?」
「う~ん……あ、もしかして……」

 藍の言葉に永琳は首をかしげ、愛梨は思い当たる人物が居たようで声を上げる。
 その愛梨の声に、藍は答えを告げる。

「天魔だよ。一番将志が遠慮なく付き合っているのは間違いなく彼女だ。何しろ、あの将志が礼儀すら投げ捨てるくらいなのだからな」
「そういえば将志くん、天ちゃんにだけはつらく当たるね……」

 将志の天魔に対する待遇を思い出して、愛梨はそう呟いた。
 しかし、それに対して永琳が否を唱えた。

「……それは違うと思うわよ? だって、将志は本当に関わりたくないなら逃げるはずだもの。だから将志は嫌な顔をしてるけど、心のどこかで相手に好意を持っていると私は思うわ」
「こちらは天魔が将志を仲の良い友人としか見ていないし、当分は問題はないはずだ。となると、やはりその新しい女をどうするかだ。で、永琳は仲間に引き込もうと言うのだな?」

 天魔に関してのひとまずの結論を告げ、藍は永琳に意思の確認を取る。
 それに対して永琳はうなずいた。

「ええ、そうよ。まずは競争相手以前の、最も難しい問題を解決しないといけないわ。将志を女に興味を持たせるという難題をね」
「そうだね……とうとう将志くん、キスくらいじゃ全然動じなくなっちゃったもんね……」
「あれだけ露骨に愛情表現をしているのに未だに全員親友止まりだからな……それに将志は恋人どころか一番の親友までしか見ていない。これではそこに男が座ったりしたら眼も当てられないぞ?」
「それなのだけど……将志はどうにも恋愛と友愛の区別がついていないみたいなのよ。当たり前に恋愛感情を向けられるものだから、自分の中で恋愛感情と家族愛と友情が混ざり合って、何が何だか分からなくなっているみたいよ?」
「なるほど、つまり将志は愛情は理解するが恋心を理解するには至っていないということか……となると、根気よく攻めて行くしかないか」

 三人は深刻な表情で将志が抱いているであろう感情について討論する。
 一向に解決の糸口が見えない問題に、三人の表情は沈む。
 そんな中、愛梨が一つの疑問を投げかけた。

「そういえば、将志くんはどんな女の子なら恋してくれるのかな?」
「……皆目見当もつかんな」
「どうなのかしらね? 私も好意を向けられている自覚はあるけど、恋愛感情は無さそうよ」
「一つ分かることは、みんな今のままじゃダメだってことだね……」

 愛梨からの質問は、三人に現状からの変化が必要だと言うことを確認させるだけにとどまった。
 すると、永琳から質問の声が上がった。

「そうだ、将志に会いに来てる子はどんな性格なのかしら?」
「えっと、とっても静かな子だよ♪ 将志くんと一緒に居る時もあまりしゃべらないで、隣でぼーっとしていることの方が多いかな♪」
「将志の方からは何もしないのか?」
「将志くんもお茶とお茶菓子を出した後は隣に座って日向ぼっこしてるよ♪ 何と言うか、しゃべったりくっついたりはしないんだけど、そこに居るだけで空気が和む感じがするんだ♪」

 静葉が将志と過ごす時間は、その大半が日の当たる縁側での日向ぼっこである。
 この場に居る三人のように話したりじゃれ合ったりせず、ただゆったりとした穏やかな時間を過ごすのである。
 その話を聞いて、永琳は笑みを浮かべてうなずいた。

「……なるほどね。私達とは全然違うタイプの子なのね。なら、ますます協力してもらわないといけないわね」
「ああ、そうだな。将志の好みを調べる手伝いをしてもらわないとな」
「キャハハ☆ そうだね♪ じゃあ、今度連れてくるよ♪」
「ええ、頼むわよ」

 三人はそう言って笑いあう。

「ふむ、それでは次はいつもの報告会と行こうか」

 そして、議題を変えてまた話し合いが始まるのだった。



 そんな三人を遠巻きに眺めるものが居た。

「……あの、師匠達は何をしてるんですか?」

 鈴仙は三人の様子が気になって仕方がない様子で、傍でお茶を飲んでいる輝夜とてゐにそう問いかける。

「気にするものじゃないわよ」
「そうよ鈴仙。あれは末期患者の集いなんだから」

 それに対して、輝夜とてゐはさして気にした様子もなくそう告げた。

「???」

 鈴仙は話の意味が分からず、首をかしげるのだった。

 後日、この末期患者の中に一名の新参者が入ることになるのだが、それは別の話。






 一方その頃、妖怪の山。
 将志は静葉からの手紙により、呼び出された場所にやってきていた。

「……いつ見ても、ここの紅葉は素晴らしいな」
「……気に入ってもらえて嬉しい……」

 将志が周囲に広がる色鮮やかな赤と黄色のコントラストにそう呟くと、横から少し嬉しそうな小さな声が聞こえてきた。
 将志がそのほうを向くと、そこには紅葉の髪飾りを付けた静かな紅葉の女神が立っていた。

「……居たのか、静葉。待たせてしまったか?」
「……今来たところ……」

 将志の言葉に、静葉は微笑をもって返す。
 そんな静葉に、将志は質問を重ねる。

「……ところで、今日はいったいどうしたのだ? 普段ならば直接俺の社に来るだろうに」
「……今日は少し仕事に付き合って欲しい……」
「……仕事だと?」
「……来年はどんな風に紅葉をさせるか、一緒に考えて欲しい……」

 静葉の言葉を聞くと、将志は納得がいったようにうなずいた。

「……ああ、なるほど。それで一緒に紅葉を見て回るために散歩をしようと誘ったわけだ」
「……(こくり)」

 将志の言葉に静葉は小さくうなずく。
 それに対し、将志は笑顔を浮かべた。

「……ふむ。ただ散歩をするのもいいが、そういう風に意識して紅葉を楽しむのも面白そうだ。喜んで付き合わせてもらうよ」
「……ありがとう……」

 静葉が微笑を浮かべて礼を言った。

「……では、ゆっくりと見て回るとしよう。弁当も二人分作ってきてあるから、今日一日丸々使ってもらっても構わないぞ」
「……(わくわく)」

 将志が手にした赤い包みを見せながらそういうと、静葉は楽しそうに歩き出した。
 将志はその後ろから歩いてついて行く。

「……将志……」

 ふと、静葉は立ち止まって将志のほうへと向き直る。

「……どうした?」

 その言葉に、将志も足を止める。

「……手……」

 静葉はそう言いながら将志に向かって左手を差し出す。

「……ああ、良いぞ」

 それに対して、将志は笑顔で右手を差し出す。

「……じゃあ……」

 静葉は柔らかい笑みを浮かべながら将志と指を絡めるようにして手を繋ぐ。

「……では、行くとしようか」
「……(こくん)」

 二人は笑顔で視線を交わすと、色鮮やかな落ち葉が舞う山の中へと歩いていった。



[29218] 銀の槍、戦いを挑む
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 15:38
「……っ」

 とある日の夜、書斎で本を読んでいた将志はふと顔を上げた。
 その表情はやや険しく、眉間に皺がよっている。

「ん? どうかしたのか、兄ちゃん?」

 それを横で本を読んでいたアグナが感じ取り、声をかける。
 その膝には眠っているルーミアの頭が乗せられていて、今まで穏やかな夜をすごしていたことが分かる。

「……妙な胸騒ぎがする。何やら良くないことが起きそうな気がする」

 将志は立ち上がると、近くに立てかけてあった赤い布が巻かれた長物を手に取った。
 それを背負って部屋を出て行こうとすると、後ろから声が掛かる。

「兄ちゃん?」
「……少し出る。アグナ、お前は念のため何があってもすぐに動けるように待機していてくれ」

 将志の言葉に、アグナは眉をひそめる。

「……気のせいじゃねえのか?」
「……だと良いのだがな。念のためだ」

 アグナの問いかけに、将志はそう言って返す。
 それを聞くと、アグナは大きく息を吐いた。

「……あいよ。気をつけていってきなよ、兄ちゃん」
「……ああ。後のことは任せたぞ」

 将志はアグナにそういうと急いで玄関に向かい、玄関先に立てかけてある黒い漆塗りの柄の槍を持って外へと飛び出した。





 将志は外に飛び出すと、周囲を念入りにチェックしながら空を飛ぶ。
 少し飛んだところで、将志はふっと小さくため息をついた。

「……悪い予感がするわけだ。これほどまでに濃密な悪意を放たれていてはな」

 将志は幻想郷の端にある銀の霊峰から少ししか離れていないその場所で、強い悪意が放たれているのを感じた。
 その悪意の方向はバラバラで、まるで何かを探しているようでもあった。

「……まずは人里に向かわねばな」

 将志はそういうと地面に降り、全速力で人里へと走っていった。
 将志はその強靭な脚力で風を置き去りにしながら人里へと向かう。 
 そして人里に着くと、一軒の家を訪ねた。 

「……慧音、居るか?」

 将志は中の住人に呼びかけながら家の戸を叩く。
 すると、家の中で誰かが動く気配がした。

「誰だ、こんな時間に……む、将志じゃないか。どうかしたのか?」

 その家の住人は、やってきた客人の顔を見るなり怪訝な表情を浮かべた。
 将志は慧音に対して、単刀直入に用件を伝えることにした。

「……外から力の強い妖怪が来たようだ。そして、恐らくこの人里に向かってくる」
「何だって? 将志、それは本当か!?」

 将志の言葉を聞くなり、慧音は掴みかからんばかりに将志に詰め寄った。
 そんな慧音の言葉を頷くことによって肯定する。

「……ああ。先程からまるで襲う相手を求めているかのように悪意をばら撒いている。もしここが見つかれば、襲われてしまう可能性が高い」
「銀の霊峰から人員は割けないのか?」
「……今から連絡しても待機中の連中では数が足りんし、何より間に合わん。悪意を放つものが拡散してしまっていて、それらの対応に追われることになるだろう」

 幻想郷の中心部にある人里では、将志はあらゆる方向からの無作為な方向に伸びる悪意を感じていた。
 よって銀の霊峰の妖怪達を対応に当たらせるにも、広い範囲に人員を割かなければならないためすぐに動ける人数だけでは足りなくなってしまっているのだ。
 それを聞いて、慧音は苛立たしげな表情を浮かべた。

「くっ……分かった、人里は任された。私の能力で人里を隠し通すくらいは出来る。その間に、何とか事態を収めてくれ」
「……了解した。銀の霊峰の威信にかけて、この事態に収拾をつけて見せよう」

 将志は慧音にそう告げると、人里から飛び出していった。
 それからしばらく空を飛び、人里や妖怪の集落から遠く離れたところで立ち止まった。

「……さて、始めるとするか」

 将志はそういうと一度山の中に降り、カモフラージュ用の黒塗りの柄の槍を地面に突き刺し、背負った赤い布に巻かれた鏡月と銘打たれている銀の槍の布を解く。 
 そして再び空に上がると、将志はその手に妖力で編み上げた銀色の槍を作り出した。
 それと同時に、将志の体から鋭く輝く銀色の光が漏れ出し始める。

「……さあ、侵入者達よ。これは俺からの挑戦状だ。この銀の槍が怖くなければ、掛かって来るが良い!」

 将志はそう言い放つと、空に向かって手にした妖力の槍を力強く放り投げた。
 星の降りしきる暗い夜空に向かって一条の光が一直線に伸びていき、やがて大爆発を起こした。
 その光は辺りを昼のように明るく照らし出し、空一面を銀色に染め上げた。 
 すると、将志は不揃いだった悪意の方向が一斉に自分の方向を向くのを感じた。

「……そうだ。真っ直ぐ俺に向かって来い」

 将志は槍を構え、自らの周りに纏わせた銀の光を強く光らせた。
 その光に向かって、妖怪の大軍の黒い影が向かってくる。

「テメェか、さっきの光は?」
「……ああ。その通りだ」

 そのうちの一人、熊のような妖怪が将志に話しかけてくる。
 将志はそれを肯定する。

「テメェ、どこのもんだ?」
「……幻想郷常駐軍、銀の霊峰首領、槍ヶ岳 将志。お前達全員に挑戦状を送らせてもらう」

 問いかけに将志は正直に答える。
 すると、相手は失笑した。

「へっ、正気か? テメェがどんな奴だかしらねえが、一人で俺達全員を相手にしようってのか?」

 相手は周囲と笑いあい、将志に見下した視線を向ける。
 それを見て、将志は思わず笑い返した。

「……なに、心配することはない。お前達のような軟弱者共が幾ら束になったところで俺一人倒せんよ」
「なんだとぉ?」
「……御託はいいから早く掛かって来るが良い。それとも、お前達の爪や牙は飾りか?」

 眼の色を変えた相手の妖怪達に、将志は不敵な笑みを浮かべながら槍を構える。
 その将志の言葉を聞いて、話をしていた妖怪は激昂した。

「テメェ、ぶっ殺してやる!!」

 妖怪は鋭い爪を振りかざし、将志に向かって振り下ろす。
 将志はそれを体を少し傾けることで避けると、無言で相手に向かって槍を振り抜いた。 

「……がっ……」

 頭を殴られた妖怪は、気を失って地面へと落ちて行く。
 将志をそれを見ずに、呆れ顔で大きくため息をついた。

「……相手が一人だからといって慢心する、その精神が軟弱だというのだ。俺の首を取りたくば、全力で向かってくるが良い」
「ちっ、やっちまえ!!」

 妖怪達の十数人が将志に向かって踊りかかる。
 将志はその妖怪達の中を音もなくすり抜けていく。
 すると、将志が通り抜けた妖怪の群れはその場で動きを止めた。

「……はて、俺は全力で掛かって来いと言ったはずだが?」

 将志はそう言って、手にした銀の槍で空を切る。

「うっ……」
「ぐぅ……」
「がはっ……」

 すると襲い掛かった妖怪達は一人残らず地面に向かって落ちていった。
 将志はそれを一瞥もくれずに妖怪の大軍に槍を向けた。

「……どうやら勘違いしているようだから言ってやろう。俺は、全軍の、全力を尽くして、俺一人に掛かって来いと言っているのだ!! 戦神、建御守人の名は伊達ではないぞ!!」

 将志は妖怪の大軍を前にそう恫喝した。
 そのあまりの覇気に、妖怪達は尻込みをする。

「……戦神、ね……それじゃあ、貴方を倒せば神を超えたことになるのかしら?」

 そんな将志の目の前に、妖怪の大軍を割るようにしてその後ろから人影が現れた。
 人影は幼い風貌の少女で、背中には蝙蝠の様な翼が生えていた。
 その少女からは、幼い見た目からはかけ離れた力と威厳が感じられた。

「……なるほど、お前が大将か」

 将志はそんな少女の姿を見て、彼女こそが大将であると確信した。
 そんな将志に、少女は微笑み掛けた。

「ええ、そうよ。今日は良い夜ね」
「……ああ、確かに良い夜だ。強いて言うならば、俺としてはもっと静かに過ごしたかったがな」

 話しかけてくる少女に対して、将志もそう言って笑い返す。
 その言葉を聞いて、少女は呆れたようにため息をこぼした。

「あれだけ派手なことをしておいてよく言うわ。おかげで分散させていた妖怪達がほとんど集まっちゃったわよ」
「……当たり前だ。あちこちで騒ぎを起こされては余計に騒ぎが大きくなる。それならば、原因をまとめて掃除した方が良いだろう?」

 将志は不敵に笑いながら少女に自分の考えを滔々と述べる。
 それを聞いて、少女は不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「ふん、私達全員を一人で相手して勝つつもりだったってわけ。随分と舐められたものね」
「……勝算もないのにああいうことをするわけがないだろう? 勇気と蛮勇は別物だ。俺は死にたがりではないから、生きて帰る算段は当然ある」
「そう。でも、その算段は狂っているわよ。貴方がいくら強くても、この人数を相手にしながら私の相手をするのは厳しいでしょう?」

 少女はそう言って将志を見やる。
 すると将志は笑みを浮かべたまま肩をすくめた。

「……それはやってみないと分からないだろう? それに、お前は何か勘違いをしていないか?」

 将志の言葉を聞いて、少女は眉をひそめた。

「勘違いですって?」
「……俺はな、「一人で戦う」などと口にした覚えは全くないぞ?」

 将志がそういった瞬間、真上から極彩色の弾丸の雨が降り注いだ。

「……っ!」

 突然の襲撃に、少女は素早く身を翻して弾丸を避ける。
 その一方で、後ろに控えていた妖怪達が弾丸を受けて数を減らしていった。

「やっほ、将志くん♪ ちゃんと無事みたいだね♪」

 そんな中、陽気な声を響かせながらオレンジ色のジャケットの少女が、オレンジと黄色の二色が交互に塗られた大玉に乗って上から降りてきた。
 愛梨はトランプのマークが入った黄色いスカートを翻しながらその場でくるりと向きを変えると、真っ赤な靴を履いた足で大玉を転がしながら将志のところへ向かった。

「……おい相棒。お前、出る機会を狙ってたな?」
「キャハハ☆ だって、将志くん余裕そうなんだもん♪ だったら、ドラマチックに登場した方が楽しいでしょ♪」

 愛梨は太陽のような明るい笑顔を若干呆れ顔を浮かべる将志に向けながら、楽しそうにそう言った。

「……それはそうだが、どうやら向こうは面白くなかった様だぞ?」

 そんな愛梨の言葉に、将志は苦笑しながらそちらのほうに眼を向ける。
 すると、そこには苛立たしげに真紅の瞳で二人を見つめる少女の姿があった。

「……馬鹿にしているの? たかが一人が二人になった程度で状況が変わるとでも言うのかしら?」
「ん~、変わるか変わらないかって言われたら、あんまり変わらないかな♪ だって、たぶん僕が来なくても将志くんは勝っちゃうもんね♪ 僕はね、君達を逃がさないようにするために来たんだよ♪」
「……それにだ。戦場においては、一足す一は二にはならないものだ。俺と愛梨が揃えば、十にも百にでもなるさ」

 少女の問いかけに、愛梨は楽観的な答えを返し、将志は飄々と答える。
 すると少女は、スッと眼を伏せた。

「ふ……ふふふふふ、ここまで馬鹿にされたのは初めてよ。貴方達、覚悟は良いかしら?」

 少女は暗い声で笑いながら二人に眼を向ける。
 当然その眼は笑っておらず、瞳には怒りの炎が灯っていた。
 それを見て、将志はため息をつきながら首を横に振った。

「……やれやれ、大将とは一騎討ちをしたいと言う俺の心情を汲んではくれないのか?」

 将志は残念そうに首を振りながら少女に向かってそう言った。
 すると少女は拍子抜けして力が抜けたのか、がくっと肩を落とした。

「あ、貴方ねぇ、二人で連携を取るのか一対一の勝負をするのかはっきりしなさいよ……全く、調子狂うわね……」

 少女はため息混じりに頭を抱えながら、将志に向かってそう呟いた。
 それを聞くと、将志は一つ頷いた。

「……ならば、一対一で勝負といこうではないか。お互いに大将同士、非常に分かりやすいと思うが?」
「……良いわよ。確かにそれが一番分かりやすいわ」

 将志の言葉に、少女は気を取り直して頷く。

「それじゃ、他のみんなは退屈しないように僕がお相手するよ♪」
「……頼んだぞ、相棒。一つ派手な演舞を見せてやってくれ」
「キャハハ☆ 任されたよ♪」

 愛梨はそういうと将志から離れて敵の大軍の前に移動する。
 そして全体が見渡せる場所に来ると、全体の注目を集めるためにクラッカーを取り出して破裂させた。
 その音に全体の視線が集まったことを確認すると、愛梨はかぶった黒いシルクハットを取って彼らに向かって恭しく礼をした。

「紳士淑女の皆様、今宵はお集まりいただきありがとうございます。これより始まりますは愉悦の舞。しがない道化師の私めではございますが、精一杯のおもてなしをさせていただきます。皆様、笑顔のご用意をお忘れなく。それでは、開演と参りましょう!!」

 愛梨はそういうと、手にした黒いステッキを空高く放り投げた。
 次の瞬間、ステッキは赤・青・黄・緑・白の五色の光る玉に姿を変え、敵陣の中を縦横無尽に駆け巡った。
 敵陣からは悲鳴が上がり、バラバラと地面に向かって落ちて行く。
 しばらくすると五つの玉は愛梨のところに戻ってきて、その周りでふわふわと浮きながら待機状態になる。
 その玉の一つ一つに愛梨から妖力が送られ、それぞれの色の力強い光を放っている。

「キャハハ☆ いきなり驚かせてごめんね♪ でも、これで僕が君達み~んな相手に出来るってわかったよね?」

 愛梨は敵軍にそう言って笑顔で話しかける。
 それに対して、敵は憤怒の形相で愛梨をにらみつけた。

「やってくれたな……ただで済むと思うなよ!」
「ごめんね♪ でもこれもみんなの笑顔のためなんだ♪ だから、ちょっと痛いけど我慢してね♪」

 次々と襲い掛かってくる敵達の攻撃を、愛梨は笑顔を崩さずに踊るように避けて行く。
 それと同時に、光り輝く五つの玉と色鮮やかな弾幕で敵に向かって反撃する。
 反撃のたびに悲鳴が上がり、その数だけ地面に墜落して行く。

「……失敗したわね。こんなことなら、出し惜しみなんてしないで門番も一緒に連れて来れば良かったわ」

 次々と愛梨に倒されていく妖怪達を見て、少女はため息と共にそう呟く。

「……なに、過ぎたことを悔いても仕方がないさ。そんなことよりも、その失態を取り戻す術が今目の前にあるだろう?」

 それに対して、将志は苦笑しながらそう答えを返した。
 その言葉に、少女は不敵な笑みを浮かべる。

「そうね。あいつらの勝敗に関わらず、私が貴方を倒せばこちらの勝ち」
「……そして、俺が勝てばこちらの勝ちと言うわけだ」

 将志はそう言うと、右手に持った槍をゆっくりと掲げ上げる。
 槍が天を指すと今度はその槍を振り下ろし、切っ先を少女に向けた。
 その様は異様に芝居がかっていて、少女は一つの舞台に立っているような感覚を覚えた。

「……戦神及び守護神、建御守人にして幻想郷常駐軍銀の霊峰首領、槍ヶ岳 将志。一手所望だ」

 闇夜に響くような声で将志は名乗りを上げ、戦いを申し込む。
 それを聞いて、少女は楽しそうに笑みを浮かべる。

「あら、戦いの前に名乗りを上げるのがここの作法なのかしら?」
「……いや、そういう訳ではないさ。単に気分の問題だ」
「そう。でも、そういうのは嫌いじゃないわ」

 そう言って笑う少女は、戦いの中でなければ見とれてしまうほど綺麗で、生き生きとしていた。
 少女は将志に向き直ると、スカートの端をつまんで礼をした。

「ツェペシュの末裔にしてスカーレット家現当主、レミリア・スカーレットよ。貴方の挑戦、受けて立つわ」

 レミリアはそう言うと、手を上にかざす。
 するとその手の中に、真紅に輝く槍が現れた。




「――――こんなに月も紅いから――――」




 レミリアは天を仰ぎ、謳うように言葉を紡ぐ。
 漆黒の夜空には数多の星が散りばめられており、その真ん中には鮮血のように紅く光る月が浮かんでいた。
 それを見て笑みを浮かべると、銀の槍を持って泰然と佇む将志の方へと顔を向ける。




「――――その首、私が貰い受ける!」







[29218] 銀の槍、矛を交える
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 15:46
 紅い月が浮かぶ夜空に、真紅の槍と白銀の槍が眼にも留まらぬ速さですれ違う。
 激しくぶつかり合う槍からは甲高い金属音と共に火花を散らす。
 距離が離れるとお互いに弾丸を飛ばしあい、相手に息をつかせることなく攻撃を仕掛ける。

「……なかなかに速いな」

 将志は自分の動きにしっかり付いてくるレミリアを見てそう呟く。
 その表情には余裕があり、レミリアの動きを冷静に見切っている。

「あら、その言葉を言うのはまだ早いわよ? それに、お互いにまだ本気ではないでしょ?」

 それに対して、レミリアは薄く笑みすら浮かべて言葉を返す。
 その真紅の瞳は不敵に笑っていて、こちらも余裕が感じられる。

「……確かに、その様子ではそうだろうな」

 将志はそう言いながらレミリアに一気に接近して攻撃を仕掛ける。
 速度の乗った一撃をレミリアは受け流すように躱し、通り抜けたところを素早く追撃する。
 将志はその追撃を横に打ち払い、空いたところに妖力で編んだ槍を突き出す。
 それに対し、レミリアは打ち払われた勢いに身を任せて体を反転させ、爪でその槍と切り結んだ。
 それを受けて将志は素早く後退する。
 すると将志が居たところを真紅の槍が風を切って通り過ぎていった。

「……そらっ」

 将志は槍を振り下ろした状態のレミリアに手にした妖力の槍を投げつける。
 槍は迅速かつ真っ直ぐにレミリアに向かって飛んでいく。

「当たるわけないわ、そんなもの」

 レミリアは飛んでくる槍を薔薇の棘のような真紅の弾丸で撃ち落とす。
 そしてその反撃に弾幕を張る。
 将志はその弾丸の雨の中を縫うように避けながらレミリアに近づいていく。

「そうら、そこだ!!」

 そんな将志に、レミリアは錐揉み回転をしながら高速で飛び込んでいく。
 纏った魔力が光を帯び、紅い弾丸の様に見えた。

「……っ」

 将志はそれを見て、即座に銀色に光る球状の足場を作り出してそれを蹴る。
 強靭な脚力による急加速で、将志はわずかの差でその攻撃を避け切った。

「あら、避けられちゃったわね」
「……この程度では俺は落とせんぞ? 八百万の神が存在するこの国で遠い昔から戦い抜き、戦神の名を勝ち取ったのは伊達ではないからな」

 意外そうな表情を向けるレミリアに対して、将志は余裕の笑みを浮かべる。
 それを見て、レミリアは面白く無さそうな表情を浮かべた。

「ふん、この程度で私を見くびってもらっては困るわ。言ったでしょう? 私はまだ本気じゃないのよ?」
「……ならば、本気を出すが良い。出し惜しみをして勝てるほど、俺は甘くはないぞ?」

 将志がそういうと、その背後に黒く光る球体が六つ出てきた。
 その球体は二つで一組になると、互いに銀の蔦で絡み合う。

「……さて、俺も一つ札を切るとしよう。さあ、避け切って見せろ!」

 将志がそう言って手にした銀の槍の切っ先をレミリアに向けると、三組の黒耀の玉は彼女をめがけて飛び出していく
 それに対して、レミリアは前に出て行くことでその攻撃を掻い潜る。

「はあっ!」

 レミリアは手にした真紅の槍を将志に繰り出す。

「……甘い」

 将志は風きり音と共に迫ってくるそれを白銀の槍で弾き、突き返す。
 それに対して、レミリアも将志の突きを弾いて再び突き込む。
 その反撃を受けながら、将志はニヤリと笑みを浮かべた。

「……面白い。この俺に槍捌きで勝負と言うわけか」

 将志はそう呟くと、槍を大きく振るう。
 体の小さなレミリアは、それを受けた衝撃で弾き飛ばされる。

「ちぃ!」

 レミリアは弾かれてすぐに将志に再接近し、接近戦を仕掛けてくる。
 それに対して、将志は槍を構えなおした。

「……西洋の槍捌き、とくと見せてもらおうか!」

 将志がそういった瞬間、打ち合いが始まった。
 二人の槍捌きによって描かれる紅白の線が絡み合い、中心でぶつかり合う。
 その度に激しく火花が散り、遠目からはまるで線香花火のように見えた。
 その周りに二人の様子を伺うように、将志が先程放った三組の黒耀の連星が取り巻いている。

「……思った以上にやるな」
「あら、もう音を上げるのかしら?」

 突如将志が発した声に、レミリアは打ち合いながら答える。
 激しく打ち合っておきながら、その表情にはまだ余裕が見える。

「……まさか。調子を上げていく。どこまでついて来られるかな?」
「良いのかしら、そんなこと言って? 追い抜かされても泣かないでよ?」

 将志の宣言に、レミリアは笑みをこぼしながら言葉を返す。
 それを聞いて、将志は笑い返した。

「……ふっ、出来るものならば是非とも泣かせてもらいたいものだな」

 将志はレミリアに対して、そう言って挑戦状を送りつけた。
 その見下したかのような言葉に、レミリアの表情が苛立たしげなものに変わる。

「っ……それなら、お望みどおり泣かせてあげるわ!」

 そう言うなりレミリアの攻撃が加速しだした。
 空に走る真紅の線の数が格段に増え、濁流のように攻撃が将志に押し寄せる。

「……む」

 将志はそれを流れるような槍捌きで躱していく。
 確認のために時折出来た隙に反撃してみるとそれを正確に弾いてくるので、レミリアはただ熱くなっているだけではないことが分かる。

「……そう来なくてはな」

 それを確認すると、将志も攻撃のペースを上げる。
 レミリアの攻撃にあわせながら、上下左右に相手を揺さぶって体勢を崩しに掛かる。

「……そこだ」

 将志は一瞬の隙を付いてレミリアの背後に回りこみ、攻撃を仕掛ける。
 するとその直前にレミリアの姿が下に沈みこみ、将志の攻撃は空を切る。

「ふっ!」
「……おっと」

 将志の視界から一瞬消えたレミリアは、その後方下から真紅の槍で突き上げてきた。
 将志はそれを最小限の動きで躱し、相手の攻撃をやり過ごす。
 そして、全く同じ攻撃をやり返した。

「やあああああああ!!」
「はあああああああ!!」

 二人は互い違いに攻撃を様々な攻撃を繰り出していく。
 その様子は互い違いになっている螺旋階段を駆け上っていくようであった。
 紅白の二重螺旋はやがて雲を貫き、空高く上っていく。
 そして雲を遥か下方に見下ろす位置までやってくると、二人は弾かれたように距離をとった。
 紅く輝く月を背景に、二人は互いに向かい合う。

「……はははっ、ここまでついて来られるとは正直予想外だ。まさか、一度も背後を取れんとは思わなかったぞ?」

 将志は自分が想像していたよりも相手が強かったことに満足そうに笑う。
 それを見て、レミリアは面白く無さそうな眼を将志に向けた。

「ちぇっ、予想を覆しても泣くどころか笑ってるじゃないの。しかもまだ余裕がありそうなのがまた気に食わないわ」
「……いや、結構本気で背後を取りに掛かっていたのだがね? 俺に全く背後を取られない奴など、そうは居ないはずなのだぞ?」
「当然よ。私を他の妖怪達と一緒にしないでくれるかしら?」
「……ああ、しないとも。百年ぶりに新しく楽しめそうな相手を見つけたのだ、そんな相手が普通なわけがない」

 将志はとても楽しそうに笑いながらそう話す。
 その様子に、レミリアの表情が少し引きつったものに変わる。

「……ひょっとして、貴方戦闘狂?」
「……戦いが嫌いな戦神など、居る訳がないだろう?」

 レミリアの問いかけに、将志はとてもイイ笑顔で答えを返した。
 その新しい玩具を与えられた子供のような笑みに、レミリアは頭を抱えてため息をつく。

「……もしかして、性質が悪いのに捕まった?」
「……褒め言葉と受け取らせてもらおう。さて、槍の腕前は大体見せてもらった」

 将志がそういった瞬間、その背後から妖力で編まれた銀の槍が現れる。
 そこには、景色を埋め尽くすほどの銀の槍が現れていた。

「……では、射の方はどうかな?」
「っ!!」

 将志がそういった瞬間、レミリアの真下から銀の蔦に巻かれた三つの連星が襲い掛かってきた。
 レミリアはそれを躱し、将志に反撃をする。
 その瞬間、将志の背後にあった槍が一斉に動き出した。

 銀の槍が真っ直ぐに白銀の軌道を描きながら飛び、レミリアの動きを封じる。
 その軌道から生まれた弾丸の嵐が、動けないレミリアに更なる選択を迫る。
 それを切り抜けたところで、黒耀の連星が勝利を刈り取る。

「……いかん、少々やりすぎたか?」

 将志は自分が放った弾幕を見て、思わず頬をかく。
 少々熱くなりすぎ、思っていたよりも激しい弾幕になってしまった。
 将志は自らの失態に反省をしながら、事の顛末を見届ける。

「…………」

 銀の壁の中を、黒耀の連星が縦横無尽に駆け巡る。
 前に藍にこの技をこの密度で試してみたところ、彼女は弾丸に集中しすぎて銀の蔦に絡め取られていた。
 妹紅に試したときは、黒耀の連星は避け切ったがその後の弾幕を避ける事が出来なくなって撃ち落とされた。

 そこまで考えた時、将志の手元に何かが飛んできて槍にぶつかり、甲高い金属音が聞こえてきた。
 そして聞こえてくる翼の音。

「……っ!?」

 将志は危険を感じ、その場から一気に離脱する。
 すると将志が居た一帯に、巨大な紅い十字架が現れた。
 その十字架から放たれる魔力の奔流は、周囲に突風を起こしながら空を真っ赤に染め上げた。

「全く、フェアじゃないわね。こういう決闘の時はお互いの準備が整ってから始めるものでしょうに」

 その十字架が消えると、中からレミリアが優雅な仕草で将志の前に現れる。
 スカートの裾やドレスの肩の部分を弾丸が掠めたのかその部分が切れているが、体には全く外傷はなかった。

「……ふっ……ははははは! そうか、避け切ったか! 良いぞ、お前と言う奴はつくづく俺の期待を裏切ってくれるな!」

 将志は大声を上げて笑いながら興奮気味に捲くし立てる。
 その様子に、レミリアは呆れ顔を向ける。

「はいはい、ご期待に副えた様で光栄ですわ。それで、次は何をご所望かしら?」
「……いや、もう十分だ。俺ももう出し惜しみをするのは止めだ」

 そういった瞬間、将志の纏う空気が変わった。
 将志から発せられていた銀の光がその強さを増し、渦を巻き始める。

「……次は確実に仕留める。覚悟は良いか?」
「……っ」

 強烈な威圧感を乗せた視線をレミリアに送る。
 レミリアはそのあまりの様変わりに、若干の戸惑いを覚えた。
 が、すぐにそれを振り払い、その眼を真正面から見返す。

「……ええ、良いわよ。何が来ようとお前では私は倒せない」
「……上等だ。では、いくぞ!」

 そういうと、二人の周囲に銀の球状の足場が大量に現れた。
 それは上下左右前後に散りばめられ、星の海の中にいるような光景であった。
 その瞬間、将志はレミリアの前から姿を消した。

「っ、そこっ!」

 レミリアは銀の軌道を描きながら足場を蹴って疾走する将志に向かって弾丸を放つ。
 しかしその弾丸は将志を捉えることが出来ず、彼方へと飛んでいく。
 将志の動きは非常に速く、眼で追うことすら難しい。

「……回れ」

 将志は一言そう呟く。
 すると、二人を取り巻く銀瑠璃の星々が回転を始めた。
 それと同時に、将志が描いていた銀の軌跡も動き出す。
 その軌跡は、ゆっくりと崩れだして無数の弾丸へと変わっていく。

「……まだまだ行くぞ」

 将志はその星々の大海の中を彗星の様に駆け巡りながら、更に攻撃を続ける。
 流星の様に銀の槍が飛び交い、星屑の様に弾丸が舞い、銀河の様に足場が回る。
 彗星は次々に銀の線を引いていき、流星は船が起こす波のように星屑を生み出す。
 やがてその星達はレミリアを完全に取り囲んだ。

「くっ、こんなもの……!」

 レミリアはその星々の間を紙一重で潜り抜けていく。
 流星が髪を掠め、星屑が服の裾を裂いていく。
 そんな彼女の死角から、銀河の星が迫り来る。

「ぐあっ!」

 レミリアはそれに気付けず、直撃を受ける。
 弾き飛ばされた先には、たくさんの弾丸が待ち構えていた。
 それらは容赦無く彼女に襲い掛かる。

「くっ、うっ!」

 全身に弾丸が突き刺さり、レミリアの表情が苦悶に歪む。
 それを歯を食いしばって何とか耐え切ると、空を翔る彗星を睨みつけた。

「……負けてたまるものですか……こんなところで……」

 レミリアはそういうと、手にした槍を強く握り締めた。
 その瞬間、槍が真紅の光を放ち始める。

「負けるわけには行かないのよ!」

 そう叫ぶと、レミリアはその真紅の槍を全力で投げ飛ばした。
 その紅い光は将志へと吸い込まれるように伸びていく。

「……っ!」

 次の瞬間、激しい衝撃音が聞こえた。





「……グングニル、か。たしかそんな名前であったな。狙った相手を必ず貫く神の槍……これがそれであると疑いたくなるよ。もし本物だとしたら、俺は自分の生まれに感謝しなくてはなるまいな」

 鏡月に突き立てられるグングニル。
 その神の槍は、狙った相手の本体である槍を正確に捉えていた。
 しかし、絶対に壊れないと言う呪いが掛けられている銀の槍を破壊することは叶わなかったのだ。

「……俺の勝ちだ、レミリア・スカーレット」

 将志は攻撃を受けて落ちて行くレミリアに、そう宣言をした。
 急いで追いかけてレミリアを受け止める。

「……そして歓迎しよう。幻想郷へようこそ、お嬢さん」

 将志は腕の中で伸びているレミリアにそう言い放った。
 すると、何となくレミリアの表情が不機嫌なものになったような気がした。






「終わったのかな、将志くん♪」
「……ああ」

 将志が下へと降りていくと、無傷の愛梨が笑顔で出迎えた。
 敵の妖怪達はすっかり戦意を喪失しており、一箇所に固まって縮こまっている。
 どうやら、今回の愛梨は相当激しかったようである。

「それで、その子はどうだったのかな?」
「……直線的な攻撃が多すぎて藍ほど攻撃は上手くないし、アルバートや妹紅ほど頑丈でもない。しかしそれを補えるほどに速度に優れ、避けるのが非常に上手い。修練を積めば幻想郷でも指折りの実力者となるであろうな」

 楽しそうに話す将志に、愛梨は笑顔で頷いた。

「そっか♪ それで、どうするのかな?」
「……アルバートの様に、里ごとやってきた例もある。もしかしたら住居ごとやってきたのかもしれんし、眼が覚めるまでしばらく様子を見てやってくれ」

 将志はそう言いながら手の中にいるレミリアを愛梨に預けた。

「将志くんはどうするの?」
「……黒い槍と覆い布を下に置いてきているのでな。それを拾いに行ってくる」
「おっけ♪ 行ってらっしゃい♪」

 愛梨の返事を聞くと、将志は下の森へと降りていった。 




「……これは、どういうことだ?」

 擬装用の槍を取りに来た将志が見たものは、ぐったりと倒れている妖怪達の姿だった。
 愛梨に倒されたものとも考えられたが、そこは愛梨が戦っていた位置とは遠く離れていて、大勢が落ちてくるような位置ではなかったので、その可能性を将志は否定する。
 更に、将志にはそう確信させる証拠があった。

「……刃物による傷か……」

 妖怪の体には、刃物によるものと思われる深い裂傷があり、その傷は将志には見慣れたものだった。
 ちょうど、槍で突いたり斬ったりしたときの傷がこのようなものであった。
 しばらく周囲を探すと、普段使っている赤い覆い布が落ちているのを発見した。

「……俺の槍がなくなっているな」

 将志は周囲を確認するが、槍を突き刺したはずの場所にその姿はなかった。
 誰かが持ち去ったものであると判断し、将志は周囲を探る。
 すると、妖怪達がある一定の方向に向かって倒れている数が増えているのを確認した。

「……こっちか」

 将志は妖怪達が倒れている方向に向けて歩き出した。
 その誰も彼もに槍によるものと思われる裂傷があり、先に進んだ者ほどその数が増えている。
 このことから、将志は相手がこの方向にいることを確信した。

「……間違いないな」

 将志は槍を手に持ち、先へと進んでいく。
 すると、木の葉が騒がしくこすれる音と、怒号が聞こえてきた。

「……あそこか」

 将志はその方角へと駆け出した。
 その間に大きな悲鳴が聞こえ、何か大きなものが倒れこむような物音が聞こえてくる。

「……っ!?」

 将志がたどり着いた先は、森の中の開けた広場。
 その広場には大勢の妖怪達が転がっており、その全てが血を流している。
 だが、将志が驚いたのはそんなことではない。

「……はあっ、はあっ、はあっ……」

 その中心に血染めの黒い柄の槍を杖に様にして立っていたのは、齢にして五歳くらいの小さな少年だったのだ。



 この少年が、後に共に幻想郷内を駆け回ることになるとは、将志には知る由もなかった。



[29218] 銀の槍、面倒を見る
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 15:54
 多くの妖怪たちが倒れ臥している広場の中心で、将志の物である黒い漆塗りの槍を杖代わりにして立っている者がいる。
 その息を荒げている人影は、見たこともない異国の服を纏った、四歳から五歳程の幼い少年だった。
 身に纏っているのが霊力であることから、妖怪や神の類ではないことが見て取れた。

「……これは、お前がやったのか」

 将志は少年に問いかける。
 すると、少年はゆっくりと将志のほうを向いて、こくりと頷いた。
 少年の眼には汗が眼に入っているのか、その眼は堅く閉じられていた。

「……そうか。これだけのことをしてまで、お前は生き延びたかったのか? この者達も生きているのだぞ?」

 将志が再び質問をすると、やはり少年は肯定する。

「……ならば、ついて来るが良い。この場にいては、また妖怪に襲われるからな」

 将志の口からは自然とそんな言葉が流れ出す。
 すると、少年は一つ頷いて将志の元へとやってきた。
 それを確認すると、将志はゆっくりと歩き出した。

「……はて、俺は何故こんなことを言い出したのやら」

 将志は不思議な感覚に陥っていた。
 何故か、この少年のことが放っておけなかったのだ。
 人間と妖怪、そのどちらにも中立を保っていなければいけない身分であるにもかかわらずである。
 おまけに、どこか懐かしいとさえ感じてもいたのだ。
 将志は後ろを振り向く。

「……っく……」

 そこには、槍を抱えて必死について来る少年の姿があった。
 それを確認すると、将志は再び前を向いて歩き出す。
 森の中を歩き、激しく流れる川を渡り、渓谷へと入っていく。
 そして、しばらく歩くと高い岩山が目の前に聳え立つ場所に来た。
 銀の霊峰である。

「……ここを登るぞ。休みたくなったら言うが良い」

 将志がそういうと、少年は不平も不満も言わずに頷いた。
 それを見て、将志は頂上へと繋がる道を歩き始めた。
 かつて参拝客に試練とも言わしめた険しい山を、将志はゆっくりと登っていく。
 振り返れば、少年は小さな体に合わない大きな槍を背負い、這うようにして登ってくる。
 その姿からは、生き延びたいと言う少年の強い意志が伝わってくる。

「…………」

 将志は後ろを確認しながら黙々と先へ進む。
 少年は休むことなく、それについて行く。
 社への道は元々人が来ることなど想定して作っていないため、ほとんど整備されていない。
 参拝客が何とか道を作ったが、それですら試練と呼ばれてしまうような厳しい道である。
 数々の武士すらそう表する道を、少年は弱音一つ吐かずに進んでいく。
 そしてついには、社の前の門までたどり着いた。
 結局、少年は休みたいとは一言も口にしなかった。

「……着いたぞ。ここまで来ればもう安心して良い」
「……っ」

 将志が到着したことを告げると、少年はその場に崩れ落ちた。
 それを将志は抱きとめる。
 すると、門の影から黒い戦装束を身に纏った女性が現れた。

「お師さん、帰っていたのでござるか。その子供は?」
「……事情は中で話す。皆を集めてくれ」
「承知したでござるよ」

 涼はそう言うと社の中へと入っていく。
 将志もそれに続いて中に入り、客間の一室の寝台に少年を寝かせる。
 少年の小さな手は擦りむけて血が滲んでおり、必死で槍を取って戦っていたことが良く分かる。
 しばらくすると、愛梨を除く銀の霊峰の主要メンバーが集まってきた。

「お兄さま、この子は食べても良いの?」
「良い訳ねえだろ、バカ!!」
「あいたっ!?」

 入ってくるなり少年を食べようとするルーミアを、一緒に入ってきたアグナが頭を殴って止める。
 するとルーミアは頭を抱えてその場にうずくまった。

「お兄様、その子はどうしたんですの?」
「……その前に、愛梨は……あ」

 六花に愛梨の居場所を尋ねようとして、将志は固まった。
 少年のことがあって忘れていたが、愛梨にレミリアのことを任せていたのを思い出したのだ。

「ここにいるよ、将志くん♪」

 そんな将志の耳に陽気な声が入ってくる。
 その声の主は部屋に入ってくると、両手を腰に当てて将志の顔を覗き込んだ。

「ひどいなぁ~……将志くん、勝手に僕をおいて帰っちゃうんだもん……」

 瑠璃色の瞳でジト眼を向ける愛梨。
 それを受けて、将志は罰の悪そうな表情を浮かべる。

「……わ、悪かった。この埋め合わせは今度するから、今は勘弁してくれ」
「……約束だよ?」
「……ああ」

 上目遣いで見つめてくる愛梨に、将志は頷く。
 すると、愛梨の表情がたちまち嬉しそうなものに変わった。

「キャハハ☆ じゃ、許してあげる♪」

 その言葉に、将志はホッとした表情を浮かべた。

「……ところで、レミリアはどうした?」
「レミリア……ああ、あの子は手下の妖怪達の中に家の場所を知っている子が居たから、その子に送ってもらったよ♪」
「……そうか」

 愛梨の報告を聞いて、将志は一つ頷いた。
 そんな将志に、アグナが話しかける。

「んで兄ちゃん、こいつはいったいどうしたんだ?」
「……にわかには信じがたいと思うが、聞いてくれ」

 そういうと、将志は寝台で眠っている少年について話を始めた。
 話を聞いていた者は、その突拍子もない内容に唖然とした表情を浮かべる。

「……ということだ」

 将志が話し終わる頃には、全員が信じられないものを見るような眼で少年を見つめていた。
 そんな中、六花が口を開いた。

「確かに、信じられない話ではありますわね。この子、本当に人間ですの?」
「……少なくとも、妖怪や神の類ではない。俺がこの少年から感じたのは確かに霊力だったから、人間の類ではあるのだろう」

 霊力は人間や幽霊が持つ力であり、妖怪が持つ妖力や神が持つ神力、魔法に必要な魔力とは質が違う。
 人間が持てるのは霊力と魔力であり、妖力と神力を持つことが出来ない。
 一方で、妖怪が持てるのは妖力と魔力であるし、神ならば神力と魔力、場合によって妖力や霊力である。
 普通は自らが持つ最も強い力を使うため、霊力を使うのは大体が人間か幽霊なのである。

「それじゃあ、能力持ちの人間ってことなのかな?」
「……それは間違いないだろう。そうでなければ、せいぜい壊れにくいだけで自らの丈には合わない槍を振るって妖怪の群れを一人で返り討ちにするなどという芸当を、このような幼い子供が出来る筈がないのだからな」
「妖怪を祓う程度の能力、かしら?」

 ルーミアは予想される限り最悪の能力を口にした。
 仮にそうだとすれば、能力の程度によっては将志や紫、天魔なども消滅してしまう可能性がある。
 そのような事態になれば、幻想郷そのものの危機が訪れてしまうのだ。
 しかし、将志はその可能性を否定した。

「……それはないと思うぞ? それならば、妖怪は跡形もなく消滅するはずだが、実際にはその場に倒れ臥しているだけだったからな。第一、槍を取る必要すらない。それに、それならばここまで自分の足で来られるはずがない。恐らく、身体能力や生命力が上がる類の能力であろう」
「そうだよなぁ。こんな小さい子供が兄ちゃんの槍を担いでこの山を登りきっちまうんだからなぁ」
「この山は人間だった時代に登ったことがあるでござるが、死ぬほどきつかったでござるよ。何しろ、鍛えている者でも音を上げるでござるからな」

 心の底から感心しているといった表情のアグナと、当時麓から社まで通い詰めていた時代を思い出す涼。
 そして、将志は深々とため息をつく。

「……だが、こいつは一度も休むとは言わず、足を止めることもなかった。そして、頂上に着いた瞬間にその場で崩れ落ちた。はっきり言って、精神に異状をきたしているとしか思えん」

 普通は、疲れたら休憩するものである。
 だというのに少年は一度も休憩せず、その結果頂上で気を失うことになった。
 将志にはどうしてそういうことになったのか全く分からなかった。

「ちょっと話は変わりますけど、お兄様は何故この子を自分の足でこの山を登らせたんですの?」
「……何故かは分からんが、こいつなら出来ると確信出来たのだ。そう思わせるだけの力が、この少年からは感じられたのだ。まあ、一度も立ち止まらなかったのは予想外だったがな」

 将志はそういうと、少年の方を見る。
 少年は静かに寝息を立てており、その眠りが深いことをうかがわせる。
 そんな彼を見て、将志は軽く息を吐く。

「……それに、こいつが他人ではないような気がしてならんのだ。何と言うか、何か惹きつけられるようなものを感じる」
「そっか♪ まあ、後はこの子から出来るだけ詳しい事情を聞かないとね♪」
「それはそうですけど、話を聞いた後はどうするつもりですの?」
「……しばらくはここで面倒を見ることになるだろうな」

 六花の質問に将志は返答する。
 すると涼が首をかしげた。

「む、人里には預けないんでござるか?」
「……こいつの霊力……いや、魔力も混じっているか。それがこの歳にしては異様に高い上、能力の正体が不明だ。今回こいつの被害にあったのは妖怪だったが、人里で暴走すればその被害は甚大なものになるだろう。そうならない様にするためにも、ここで引き取って訓練させる方が良いだろう?」
「そうですわね。それじゃあ、後はお兄様に任せることにしましょう」
「んあ 何で兄ちゃんなんだ?」
「……こいつは俺の顔しか見ていない。ならば、俺と話をしたほうが相手も緊張しなくてすむだろう」

 頭の上に?マークを浮かべるアグナに将志はそう説明する。
 その傍らで、ルーミアがジーッと少年を物欲しそうな眼で見つめていた。

「もったいないなあ……この子、凄く美味しそうなのに……」
「食うんじゃねえぞ、ルーミア。食おうとしたら折檻だからな」
「分かってるわ、お姉さま。言ってみただけよ♪」

 言葉でけん制してくるアグナに、ルーミアはそう言って抱きつく。
 ルーミアよりもアグナのほうが小さいので、アグナはルーミアの腕の中にすっぽりと納まる。

「だぁ~! くっつくな、うっとおしい!!」

 そう言って、アグナはルーミアを振りほどこうとする。

「え~、お姉さまもお兄さまによくやってるじゃない」

 ルーミアは不満げな表情を浮かべて反撃する。
 するとアグナは少し焦りだした。

「あ、ありゃ良いんだよ、兄ちゃんも合意の上だかんな。ていうか、何で兄ちゃんのことをお兄さまって呼んでんだ?」

 痛いところを突かれたアグナは無理矢理話題を変えた。
 それに対して、ルーミアは笑顔で答える。

「だって、お姉さまが兄ちゃんって呼んでるじゃない? だったら、私にとってもお兄さまって事でしょ?」
「んじゃ、他のみんなを名前で呼んでるのは?」
「私のお姉さまはお姉さまだけよ♪」
「あ、この、抱き付くな頬ずりすんなほっぺた舐めんな!!」

 アグナに対して過剰なスキンシップをするルーミア。
 アグナはそれから何とか脱出しようともがいている。

「……お前達、ここに怪我人が居るのを忘れていないか?」

「「はい……」」

 それを将志に睨まれて、その場に二人は縮こまった。

「……平和でござるな……」

 そんな光景を、涼はほのぼのとした表情で見守るのだった。





 将志がしばらく仕事をして少年の様子を見に行くと、寝台は空になっていた。

「……む、居ない?」

 将志は居ないと見るや少年を捜し始める。
 一通り捜したところで愛梨を見つけ、声をかけた。

「……愛梨、あの少年を見なかったか?」

 将志がそう問いかけると、愛梨はキョトンとした表情を浮かべた。

「え? もう起きたの?」
「……部屋に居なかったぞ」
「わかった、捜して見るよ♪」
「……頼む」

 愛梨は早速居なくなった少年を捜しに行く。
 将志はそれを見送ると、別の場所を探し始める。
 そして拝殿の中を捜していると、将志はふと足を止めた。

「……あれは」

 将志が窓から外を見てみると、そこに境内を歩き回っている少年を発見した。
 少年はキョロキョロと周囲を見回し、何かを探しているようであった。
 将志は境内に出て、少年の元へ向かう。

「……何を探している?」

 将志が声をかけると、少年は足を止めて向き直った。

「……おじさん」

 少年は将志と眼を合わせずに、俯いたままそう告げる。
 それを受けて、将志は問い返す。

「……それは俺のことで良いのか?」

 将志がそういうと、少年は頷いた。
 少年の言うおじさんとは将志のことで良かったらしい。

「……そうか。それで、体の調子はどうだ?」
「……疲れてるけど大丈夫」

 少年はぼそぼそとした声で将志に答えを返す。
 その声からは少年がかなり疲れていることが分かる。
 が、将志は少年の意志を尊重して話を続けた。

「……ならばいくつか聞きたいことがあるのだが、良いか?」
「……うん」
「……お前は何故あの場に居た?」
「……わかんない。気がついたらあそこに居た」

 少年は将志の質問に淡々と答える。
 歳の割には落ち着いた物腰で、見た目よりも大人びた性格のようである。
 むしろ、何も分かっていない状況であるにもかかわらずにこの態度なのだから、いささか冷静すぎるくらいである。

「……お前は幻想郷の名前を聞いたことがあるか?」
「……幻想郷?」

 少年は幻想郷の名前を聞いて顔を上げ、首をかしげる。
 この時点で、将志は少年が外から来た人物であることを確信する。

「……ここの事だ。ここは幻想郷の中にある銀の霊峰の社だ。心当たりは無いか?」
「……聞いたことない」

 少年はそういうと、再び俯く。
 その様子から、どうやら顔を上げるのもつらい程疲れている様であった。

「……では、ここに来る直前に何をしていた?」
「それは……っ」

 質問に答えようとしていた少年が突然言葉を詰まらせる。
 どうやら混乱しているようで、頭に手を当てて必死の形相を呈していた。

「……どうした?」
「……思い出せない。あそこに来る前のことがわかんない」

 少年はやや呆然とした表情でそう告げる。
 どうやら幻想郷に来るまでの記憶を失っているらしかった。

「……そうか。それで、お前はこの後どうしたい?」
「……わかんないよ、そんなの。でも、死にたくない。おじさん、僕はどうすれば良いの?」

 将志の問いに、少年はそう言って返す。
 少年の茶色い瞳は光を失っていて、縋るように将志に向けられていた。
 それに対して、将志は答えを出す。

「……ならば、しばらくここに住むが良い。大した事は出来んが、生き残る術を教えよう」
「……良いの?」

 少年の瞳に光が燈る。
 それに対して、将志は微笑みながら頷いた。

「……ああ。ところで、名前は思い出せるか?」
「……ううん、思い出せない」

 少年はしばらく思い出す仕草をした後、力なく首を横に振った。

「……そうか。ならば、名前が必要だな……」

 将志はそう言って名前を失った少年の新しい名前を考え始める。
 ふと空を見上げると、月が眼に入った。
 先程まで紅かったはずの月は、いつの間にか美しい白銀の月に変貌していた。
 将志はジッと、その月を眺める。

「……銀月(ぎんげつ)。お前にはあの優しく光る大きな星の名前をやりたいのだが、どうだ?」
「銀月……それが僕の名前?」

 少年はかみ締めるように、自分につけられた名前を口にする。
 将志はやや緊張した面持ちで少年を見つめる。

「……駄目か?」
「……ううん、良いよ。お月様が僕の名前に居るって、何か良いな」

 少年は微笑みながら、喜んで将志の付けた名前を受け入れた。
 銀月の言葉を聞いて、将志はホッとした表情を浮かべた。

「……そうか。では、今日から銀月と名乗ってくれ」
「うん。ねえ、おじさんは何ていうの?」
「……そういえば、まだ名乗っていなかったな。槍ヶ岳 将志。変わり者の槍妖怪だ」

 将志が自己紹介をすると、銀月の目が点になった。

「え、おじさん妖怪なの?」
「……まあ、元は妖怪だが世間は俺のことを守り神と認知しているよ」
「本当に? じゃあ、証拠見せてよ」

 銀月は将志に疑りのまなざしを送る。
 将志はそれを見て、苦笑いを浮かべた。

「……まあ、良いだろう。見て驚くなよ?」

 将志はそういうと、手元に銀の槍を神力で作り出した。
 すると、銀月は眼を見開いた。

「うわあ、すごい……」
「……ふふふっ、驚くのはまだ早いぞ」

 将志はそういうと手にした槍を地面に突き刺した。
 すると、その槍はどんどん沈み込んでいく。
 完全に沈み込むと、突如として境内が銀色の光を放ち始めた。

「うわっ!?」

 そのまぶしさに、銀月は思わず眼を覆う。
 しばらくすると、その光は集束していき、将志と銀月を取り巻くように大量に光の柱が現れた。

「……さあ、ここからが本番だぞ。しっかり見ていろ」

 将志はそういうと、空に向けて手を思いっきり振り上げた。
 すると、光の柱から夜空に向かって無数の銀の槍が飛び出していった。
 槍は白銀の光を放ちながら一直線に伸びていき、高い空で弾ける。
 神力の残滓は光を失うことなく夜空を埋め尽くし、星屑のように落ちてくる。
 その光景は、神の気まぐれによってしか見ることの出来ないとても幻想的なものであった。

「わぁ……」

 銀月は言葉も出ない様子でその光を眺める。
 それを見て、満足そうに将志は頷いた。

「……銀の霊峰へようこそ、銀月」

 こうして、銀の霊峰に新たな住人が加わることになった。



[29218] 銀の月、自己紹介をする
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 16:00
「今日からここでお世話になります、銀月といいます。宜しくお願いします」

 将志に名前をもらった翌日の朝、銀月は本殿の広間に集まった一堂の前でそう言ってぺこりと頭を下げる。
 それに対して、それぞれ自己紹介をする。

「キャハハ☆ 随分と礼儀正しい子だね♪ 喜嶋 愛梨だよ♪ 宜しく、銀月くん♪」
「槍ヶ岳 六花、そこに居る将志の妹ですわ。宜しく頼みますわよ、銀月」
「俺はアグナだ。宜しくな、銀月!!」
「ここの門番をしている、迫水 涼でござる。宜しく頼むでござるよ」
「ルーミアよ。……ねえ、貴方は食べても「おらぁ!!」いあっ!?」

 食べてもいいか、などと問いかけるルーミアをアグナは全身をしなやかに使った見事なガゼルパンチで顎を打ち抜く。
 それを受けたルーミアは空中で縦に一回転し、べちゃっと床に落ちて動かなくなった。

「幻想郷の管理者をしている、八雲 紫よ。貴方のことは見ていたわ。将志とは仲良くやりなさいよ?」
「紫様の補佐を担当している、八雲 藍だ。将志とは親友という間柄だ、何かあったら遠慮なく頼ってくれ」

 紫は胡散臭い笑みを浮かべながらそう言い、藍は微笑を浮かべて自己紹介をする。
 唐突に現れた妖怪に、六花は額に手を当ててため息をついた。

「……ちょっと待ちなさい、何で貴女方がいらっしゃるんですの?」
「私も居るよ、六花!」

 六花の言葉に、二本の尻尾と猫耳をつけた少女が藍の後ろから出てくる。
 勢いよく出てきた彼女に、六花は笑顔を向けて手を振る。

「あら、橙。貴女も来てたんですのね。で、どうかしたんですの?」
「将志が人間の子供を拾ったから、直接会いに来たのよ」
「僕に会いに来たの?」

 紫の言葉に、銀月がこてんと首をかしげながら問いかける。
 それに対して、紫は微笑みながら答える。

「ええ、そうよ」

 そういうと、紫は銀月の身体をじっくりと見回した。
 それが終わると、今度は将志に眼を向ける。

「……どうかしたの?」

 紫の行動の意味が分からず、銀月は紫にそう言った。
 すると、紫は小さくため息をついた。

「……こんなこともあるものなのね……ねえ、銀月。貴方、将志が来たときに妙に安心感を覚えなかったかしら?」
「えっと……そういえばそうかも」

 銀月は将志と初めて会った時のことを思い出し、そう言った。
 紫はそれを聞いて一つ頷くと、今度は将志のほうを向いた。

「将志、貴方もこの子に親近感とか感じなかったかしら?」
「……む、良く分かったな?」

 紫の問いかけに、将志は意外そうな表情でそう言った。

「当然よ。だって、銀月の魂が貴方の魂によく似てるんですもの。おまけに、お互いに引き合うように干渉してるわ。ちょうど、磁石がお互いに引き合うみたいにね」
「……どういうことだ?」

 紫の言いたいことの意味が分からず、将志は問い直す。
 それに対して、紫は胡散臭い笑みを深めた。

「少し意味は違うけど、類は友を呼ぶってことよ。魂の形が似ているということは、その者を構成するものが似ているということ。こうしてみると髪や眼の色は違うけど、きっと銀月は将志と同じような才能を持っていて、将志と似た姿に成長するでしょうね。例えるなら、父親とその血を色濃く受け継いだ子供みたいな感じね」
「つうことはだ、銀月には戦いの才能と料理の才能があるってことか?」
「それは実際にやってみないと分からないわ。よく似ているとは言っても、ところどころに違いはある。その変わった部分が何なのかによって、才能にも違いが出るはずよ」

 紫の話を聞いて、将志は複雑な表情を浮かべて銀月を見る。

「……『あらゆるものを貫く程度の能力』だけは持っていて欲しくはないな」

 かつて、将志は自らの能力のせいで心を見失ったことがあった。
 将志は銀月がそうならないかどうかが気に掛かる。

「いや、それもそうだが、お前の一番恐ろしいところはそこではなくてだな……」

 そんな将志に、藍が違う意見をぶつけようとする。
 その後ろで、銀月はジッと紫のほうを見ていた。
 視線に気付き、紫は銀月のところに向かう。

「……どうしたのかしら?」
「あ、ごめんなさい……その、綺麗な人だなと思っただけで……」

 紫の問いかけに、銀月は素直にそう言った。
 表裏のないその様子を見て、愛梨は藍のほうを向く。

「……藍ちゃん……」
「……どうやら、一番似なくて良い才能はしっかり持っているようだな」

 将志を髣髴とさせる言動。
 嫌味無く素直に相手を褒めるその人誑しの言動に、二人はげんなりとした表情を浮かべた。

「……ありがとう。子供に言われるくらいなら私もまだまだいけそうね」

 紫はそれに対して、嬉しそうに微笑んだ。
 その様子を見て、態度が激変するものが居た。

「ゆ、紫様が口説き文句に耐えただと!?」
「い、いつもなら顔を真っ赤にして、眼を回して倒れるのに!?」

 藍と橙は紫の銀月に対する反応を見て、飛び上がらんばかりに驚いた。
 何故なら橙が言ったとおり、紫は異性に少し口説かれただけで混乱してしまって眼を回すからである。
 そのせいで、外の世界でナンパされたときに気絶し連れて行かれそうになり、たまたま同行していたアルバートに助けられるなどという事態に陥ったのだった。
 紫だけでなく、藍にとっても頭の痛い問題なのであった。

「銀月、ちょっとこっちへ来い」
「え、なに?」

 声をかけると、銀月はとてとてと藍の所へとやってきた。
 銀月がやってくると、藍はその肩をしっかりと掴んで目線を合わせた。

「銀月、一つ確認したいことがある。一度、紫様に抱きついてみてくれないか?」
「何で?」

 藍が何を考えているのか分からず、銀月はちょこんと首をかしげる。
 それに対して、藍は真剣な表情で銀月の茶色い瞳を見た。

「……頼む、紫様のためだ」
「うん、わかった」

 藍の真剣さを汲み取って、銀月は頷く。
 そして紫に近づくと、きゅっと腰の辺りに抱きついた。

「あらあら、いったいどうしたの?」
「よくわかんないけど、頼まれた」

 笑みを浮かべる紫に、銀月は顔を上げてそう答える。
 銀月はどうしたら良いか分からず、そのまま抱きついたままになる。

「……お姉さん、良い匂いだね」

 銀月は思ったことを素直に口にしながら、抱きつく腕に少し力を込める。
 そんな銀月の頭を、紫は微笑みながら撫でる。

「うふふ、口が上手いのね。でも、あんまりお姉さんを困らせちゃ駄目よ?」

 紫がそういうと、銀月は慌てて紫から離れた。

「ご、ごめんなさい……」
「うん、素直で宜しい」

 罰が悪そうな顔で必死に謝る銀月に、紫は笑みを深くする。
 そんな彼女の後ろから近づく人影。

「……失礼するぞ」

 その人影こと、将志は紫の肩を掴み強引に抱き寄せる。
 そして腰に手を回し、しっかりと抱きしめた。

「きゃっ!? な、なななななななんなの!?」
「……いや、藍に頼まれてな。理由は良く分からんが、抱きしめて来いと」

 顔を真っ赤にし、混乱した様子の紫。
 そんな彼女に、将志もやはり訳が分からないといった様子で答えを返す。

「ら、らん!? な、何で……っ!?」

 藍に向かって問いかけようとする紫。
 だが、その質問は頬に触れる指の感触で止められる。

「……いつも思うのだが、肌が綺麗だな、紫は」

 将志は指先で紫の頬を目元から顎の先まで優しく撫でながらそう呟いた。
 傍から見れば、それはどう見ても将志が紫を口説いているようにしか見えなかった。

「あ、あう……きゅぅ~~~~~……」
「お、おい紫!?」

 案の定、耳の先まで真っ赤に染まり眼を回して紫は倒れこんだ。
 そんな紫の様子を見て、将志は慌てて彼女の肩を揺する。

「……やはり、そうか……」

 そんな紫の様子を見て、藍が静かにそう呟く。
 藍の様子に、同じく隣で見ていた橙が首をかしげる。

「藍さま?」
「ふっ……見えたかもしれないな、光明が」

 藍はそう言って笑みを浮かべた。
 その一方で、やはり先程の様子を見ていた銀の霊峰の面々が集まって話をしていた。
 なお、ルーミアはアグナのガゼルパンチがクリティカルヒットしていたらしく、未だに起き上がってこない。

「それにしても、銀月はあの歳にしてあれですの……」
「……ありゃほっとくと兄ちゃん以上の誑しになるんじゃねえのか?」

 幼い銀月の言動に、恐ろしいものを感じて将来を案じる六花とアグナ。
 ただでさえ将志一人で大騒ぎをしていると言う現状。
 だというのに天然誑しがもう一人増えるかもしれないという事実に、その表情はげんなりとしている。

「つまり、お師さんの女誑しは魂に刻み込まれているレベルだった、という事でありますなぁ」
「きゃはは……ひょっとしたら、将志くんも六花ちゃんが仕込むまでもなくこうなってたのかもね……」

 遠い眼をして呟く涼に、愛梨は乾いた笑みを浮かべることになった。




 それからしばらくして、紫が何とか息を吹き返した。
 紫は気を取り直して一つ咳払いをすると、男二人に話しかけた。

「ところで、将志、銀月、ちょっと試してみたいことがあるのだけど、良いかしら?」
「……何だ?」
「……どうしたの?」

 紫に話しかけられ、二人は紫の前にやってくる。

「もしかしたら、銀の霊峰の神社に神主が出来るかも知れないと思ってね。銀月は霊力も結構高いし、将志との相性も良い。だから、将志の分霊を降ろせるんじゃないかと思うのだけど?」
「……どういうこと?」

 紫の言うことの意味が分からず、銀月は首をかしげた。
 それに対して、紫は噛み砕いた説明をする。

「貴方の中に神様が入れるんじゃないか、ってことよ」
「入ったらどうなるの?」
「その神様の力を借りられるわ。将志だったら、守り神と戦神それから料理の神様の力ね」
「……だが、俺の力や経験をそのまま移したりしたら恐らく体が耐え切れんぞ?」

 紫に対して、今度は将志が質問をする。
 将志は実際に自分の分霊を降ろした人間を見たことが無いため、どうなるかが分からないのだ。

「それは当然、出来ることには限度があるわ。強い力を体に詰め込むと、他の事が犠牲になる。例えば、将志の経験を最大限に引き出したら、運動能力や神力の恩恵はわずかしか受けられないわ。その逆も然りよ。この使える量は修行によってどんどん増えるはずだから、使いこなしたかったら修行をすることね」
「じゃあ、どうやって神様を中に入れるの?」
「基本的には祈れば出てくるけど……まあ、その辺りの祈祷の作法とかは後で教えるわ。まずは出来るか出来ないかを確認しましょう? それじゃ銀月……」
「……む?」

 紫が試そうとすると、どこからとも無く銀色の光の粒が流れてきた。
 無数に流れるその光の粒は、銀月の小さな身体の中に流れ込んでいた。
 銀月がしていることといえば、ただ眼を瞑って立っているだけである。

「……これは驚いたわね。銀月がただ祈るだけで、将志の力がこんな簡単に流れてくるなんて……」

 銀月の様子に、紫は少し驚いた様子でそう呟いた。
 いくつかの手順が必要な神降ろしを相性が良い神とはいえ、いとも簡単にやってのけたのだからそれも頷けるであろう。

「……っ」

 しかし、しばらくすると銀月は顔をしかめ、光の粒は身体の中に入らなくなった。
 入ろうとしても拒絶されているような状態になり、光の粒は入っていけない。

「……ふむ、どうやら俺の力をすぐに引き出すことは出来るようだが、その限界が極端に小さいようだな。これでは出来ても精々身体能力を上げることが出来る程度だな」

 将志は銀月の様子をそう解釈して分析した。
 それを聞いて、紫はどこか腑に落ちないといった表情を浮かべた。

「う~ん、銀月ならもっと受け入れられると思ったのだけど……やっぱり、どれもこれも揃ってるって訳には行かないのかしら? まあ、銀月の場合は元の霊力も高いし、何より将志と同じような才能を持っている可能性があるわ。ちゃんと育てていけば、銀の霊峰の優秀な人材になるんじゃないかしら?」
「……要修行、といったところだな。俺の場合は才能と言うよりも日頃の修行が実を結んだようなものだからな」

 将志はそう言いながら銀月の肩を軽く叩く。
 それに対して、銀月は頷いた。

「うん……頑張るよ、お父さん」

 その言葉を聞いて、将志は固まった。

「……なに?」
「だって、僕はお父さんの子供みたいなものって言ってたよ?」
「……いや、それはものの例えで……」
「……だめ?」

 少し混乱している将志に、銀月はそう問いかける。
 銀月の眼は純粋な光を湛えたまま、将志を見つめている。
 その眼を見て、将志はため息をつきながら力なく首を振った。

「…………好きに呼ぶと良い」
「……ありがとう、お父さん」

 将志の承諾を受けると、銀月は嬉しそうに笑った。
 その様子を、橙はジッと眺めていた。

「ねえ、おかあsむぐぅ!?」
「橙、ここでそれは禁句ですわ!!」

 橙の口を即座に塞ぎに掛かる六花。
 もし、その言葉がそのまま発せられていた場合、厄介な状況になったことは想像に難くなかった。

「ああ、そういえば言い忘れるところだったわ。銀月、命が惜しかったら白玉楼には近づかないことね」

 紫はふと思い出したようにそう言った。
 それを聞いて、将志は怪訝な顔で紫を見た。

「……どういうことだ?」
「将志、貴方は幽々子に始めて会ったときに何をされたか覚えていないのかしら?」

 紫は薄ら笑いを浮かべながら、それでいて瞳では将志に強く警告していた。
 そんな紫を見て、将志は少し考える。

「……ああ、そういうことか」
「ええ。幽々子はきっと銀月を気に入るでしょうね」

 幽々子と始めて会った時のことを思い出して、将志は納得した。
 かつて、幽々子は将志を手に入れるために死に誘おうとしたのを思い出したのだ。
 もし、そんな幽々子の前に魂のレベルでそっくりな銀月が現れたら、どうなるかは容易に想像できた。

「ねえ、どうかしたの?」

 そんな二人に何も知らない銀月は問いかける。

「……いや、何でもないさ」
「ええ、そうよ。とにかく、少なくとも私や将志が大丈夫と判断するまで白玉楼に行っては駄目よ?」

 二人は銀月を不安にさせないように幽々子のことを教えず、再び白玉楼に行かないように念を押した。

「うん、わかった」

 それに対して、銀月は素直に頷いた。

「大丈夫、他の人に殺されるくらいなら私が食べ「テメェもう黙ってろ!!」ぎゃふん!!」

 復活して銀月に話しかけるルーミアに、アグナが遠心力をフルに使った強烈なローリングソバットを決める。
 アグナの脚は鳩尾に刺さり、ルーミアは二、三回床を転がってうつ伏せに倒れた。
 そんな二人を尻目に、愛梨が思いついたように手を叩いた。

「あ、そうだ♪ みんなで銀月くんの歓迎会をしようよ♪」

 それを聞いて、六花が微笑を浮かべて頷く。

「良いですわね。となると、材料の調達をしないといけませんわね。私が行ってきますわ」
「……猫に食材を取られないようにな」
「……分かってますわよ」

 将志の言葉に、六花は少し苦い表情を浮かべて頷く。
 何故なら、六花が人里に入ると何処からともなく猫が寄り集まってきて、六花を先頭とした大行列が出来るからである。
 おかげで六花は買い物の度に裏路地に入って猫を振り切らないといけないのであった。

「ルーミア殿、そこで伸びていないで準備を手伝うでござるよ」
「うう~……お姉さま、激しい一撃だったわ……」

 涼は床に伸びているルーミアの頬を指で突いて起こす。
 ルーミアは腹を押さえながら、ゆっくりと立ち上がった。
 二人は大勢で囲める長机を部屋の真ん中に置き、準備を始める。

「……さて、俺は今ある食材の仕込を始めるとしよう。アグナ、頼むぞ」
「おう、任せろ兄ちゃん!!」

 将志は肩にアグナを乗っけると、台所へと歩いていく。
 すると、その後ろを追いかけるように銀月がトコトコとついていく。
 その様子は、親鳥についてくる鴨の雛のようであった。

「……将志もいきなり随分懐かれたものだな」
「本当にね。まるで本当の親子みたいに見えるわ」

 藍と紫はそれを微笑ましい眼で見守る。
 そんな藍の服の袖を橙が引っ張る。

「藍さま、私はどうすればいいの?」
「私達はお客さんだから、ここで待っていれば良いさ」

 橙の質問に、藍はしゃがみこんで橙と眼を合わせて頭を撫でながら答えた。



 リズミカルな包丁の音が台所に響く。
 将志の手元では、次々と食材が切られていく。
 その様子を、銀月は少し離れたところから眺めていた。

「……どうした、銀月?」

 視線に気付き、将志が声をかける。
 すると銀月は躊躇いがちに答えを返す。

「その、やることがなくて……だから、ここで見てて良い?」
「……ああ、構わんぞ」

 将志はそういうと、次々と下ごしらえをしていく。
 材料を切り、鍋をかき混ぜ、フライパンで炒める。
 その一連の動きは、銀月の眼には踊っているように見えた。

「……お父さん、楽しそう」
「……実際に楽しいからな」

 銀月の呟きに将志は調理をしながら答える。
 それを聞いて、銀月は期待に満ちた視線を将志に送る。

「それ、僕にも出来るかな?」
「……料理を覚えたければ教えよう。その他にも、お前がここで生きていくために必要なことは全部教えてやるし、知りたいことがあれば皆に聞けば良い。覚えることは沢山あるが、まあ慌てずに覚えていくが良いさ」

 将志はそういうと、洗い桶で包丁を洗って布巾で水気を拭き取る。
 どうやら一通りの仕事は終えたらしく、後は六花の帰り待ちとなったようだ。

「……お父さん……」
「……ふふっ、心配することは無い。お前には沢山の手本がいる。それは俺であったり、愛梨であったり、はたまたもっと違う誰かかもしれん。例えお前がくじけそうなときも、きっと誰かが手を差し伸べてくれることだろう。だから、そう焦るな」
「でも、みんなの期待に応えられなかったら……」

 銀月は不安そうな表情で将志の紺色の袴を握り締める。
 余程不安なのか、その手が白くなるほど力が込められていた。
 そんな銀月の頭の上に、将志は手のひらを優しく置く。

「……考えすぎだ。良いか、紫によれば、お前は俺と同じくらいの才能がある確立が高いと聞く。つまり、少なくとも俺と同じくらいのことが修練を積めば出来るということだ。それに、俺と違う部分が俺に劣っているとも限らんだろう? だから、お前はお前なりに頑張れば良い。後のことは俺が引き受けてやるからな」
「……うん、分かった。僕、頑張るよ」

 そう話す銀月の眼は、決意を込めたとても強い光を宿していた。




 余談ではあるが、その後開かれた歓迎会において銀月が早速将志の地獄饅頭に直撃して死線を見たことと、怖いもの見たさに饅頭をかじった門番が救済の無いまま昇天しかけたことを追記しておく。



[29218] 銀の月、修行を始める
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 16:11
「……銀月、こっちへ来い」

 銀の霊峰の神社の本殿の一室で絵本を読んでいる黒髪の少年に、銀髪の青年が声をかける。
 その声を聞いて、銀月と呼ばれた少年が部屋の入り口までやってくる。

「どうしたの、お父さん?」
「……今からお前に渡したいものがある」

 将志はそういうと、銀月に細長い棒状のものを手渡した。
 簡素な木の棒の先には、銀色に光る笹葉状の刃が付いていた。

「これ、槍だね」
「……そうだ、お前の槍だ。試しに作ってみたのだが、どうだ?」

 手渡された槍を眺める銀月に、将志はそう問いかける。
 銀月は手にした槍を少し弄ると、こてんと首をかしげた。

「……よく分かんない」
「……それもそうか。では、俺の動きを真似て振ってみろ」
「うん」

 将志は自身の本体である、けら首に銀の蔦に巻かれた黒耀石の玉が埋め込まれた銀の槍を取り出した。
 そして、手本になるように少し遅めの動きで舞うように槍を振るう。
 銀月はそれを見て、その真似をしながら槍を振るった。
 その動きは固く、肩に余計な力が入っているようであり、身体も少しぶれていた。
 将志はその動きを見て、槍が銀月に合っているか確認した。

「……少し身体を持っていかれているが……まあ、この程度ならそのうち慣れていくか」
「お父さん、どうだった?」
「……少し力みすぎだ。もう少し肩の力を抜き、余裕を持たせて構えろ。振る時にも無駄な力が入らないように意識しながら振るべきだ」
「う、うん……こうかな?」

 銀月はそう言うと再び槍を振るった。
 すると今度は腕が大きく振り回され、上体が大きく揺れた。
 将志はそれを見て、小さくため息をついた。

「……今度は抜きすぎだ。力を抜きすぎるから槍の重さに身体を持っていかれる。身体の軸がぶれないようにすることも重要なことだぞ?」
「う~……難しいよ……」

 将志のアドバイスを聴いて、銀月は悔しそうな顔でそう呟いた。
 それを見て、将志は苦笑いを浮かべた。

「……まあ、俺も初めから出来るとは思っていない。槍も作っては見たが、それ以前に基本的な体捌きを覚えなければならんからな」
「……それ、生きるために必要なこと?」

 銀月はそう言って将志の顔を見上げた。
 茶色の瞳は将志の黒耀の瞳に真っ直ぐ向けられており、本人にとって重要な質問のように思えた。

「……ああ。俺達と共に生活するというのならば、是非とも覚えていて欲しいものだ。俺達の生活にはどうしても戦いが付いて回るし、お前も銀の霊峰の一員だというだけで戦いを挑まれるかも知れんからな。だから、お前にはせめて自分の身は自分で守れるくらい、相手が強くても俺達が駆けつけるまで耐えられるだけの力を持っていて欲しいのだ」

 将志は銀月の言葉にそう言って答える。
 すると、銀月はその言葉を噛み締めるように頷いた。

「……そうなんだ。じゃあ、それ教えて」
「……では、こっちへ来るが良い」

 将志は銀月を連れて、本殿の裏にある広場にやってきた。
 そこは、銀の霊峰の本殿の住人が私的な鍛錬を積むための場所になっており、かなりの広さがあった。
 その真ん中で、二つの人影が体術を使って手合わせを行っていた。
 一人は赤いリボンの付いた黒いシルクハットを被った小柄なピエロの少女。
 もう一人はくるぶしまで伸びた燃えるような赤い髪を三つ編みにして青いリボンで留めた小さな少女であった。

「てりゃあ! せやあ!!」

 アグナは小さい身体を生かそうと、手足を素早く繰り出して攻撃を加えながら何とかして相手の懐に飛び込もうとする。
 飛び込みながらの脚払いや全身をしなやかに使ったアッパー等を流れるように放っていく。

「よっ♪ はっ♪ おっと、危ない危ない♪」

 その攻撃を、愛梨はトランプの柄の入った黄色いスカートを翻しながら軽快なステップで避けていく。
 アグナとは一定の距離を保ちながら、相手が攻撃しづらいところへと移動して捌いていく。

「攻守交替だよ♪ それっ♪」

 愛梨はそう言うと、アグナに反撃を始める。
 その攻撃は蹴りが主体で、ダンスのような足捌きであった。

「ほっ、ふっ、よっ!!」

 アグナは上下左右から揺さぶりをかけてくる愛梨の多彩な蹴りを、小さい身体を上手く利用して潜り抜けていく。
 しばらく避け続けると、アグナは大きく前に踏み込んだ。

「へへっ、今度はもう一度俺の番だ! やあっ!!」

 アグナはそういうと、回し蹴りを放って後ろを向いた状態の愛梨に正拳突きを放った。

「迂闊だよ、アグナちゃん♪」
「あ、やべっ!?」

 愛梨はアグナの攻撃を身体を開くことで避けると、その手首を掴んだ。
 その瞬間、アグナの顔に焦りの表情が浮かぶ。

「キャハハ☆ つ~かま~えた♪」
「ぐえっ!」

 愛梨はそのまま回転するようにアグナを背負い、鮮やかな一本背負いを掛けた。
 相手の力を巻き込んだ合気の技に、アグナは背中から地面に叩きつけられた。
 勝負ありである。

「……どうだ、銀月。体術も突き詰めていくとここまで来る」

 その様子を、将志は銀月と共に見学していた。
 勝負が付いたところで、将志は銀月に感想を問う。

「……すごいや……」

 すると銀月は、呆然とした様子でそれに答えた。
 将志はそれを見て、満足そうに頷く。

「……お前の場合、こちらをある程度覚えてから槍を持たせたほうが良いのかも知れんな」
「お父さんはどうだったの?」
「……俺は少し反則でな。最初からそれなりに心得があったのだ」
「そうなんだ。ねえ、早く教えて、お父さん」
「……そう焦るな。さて、どうしたものかな……」

 早く教えるようにせがむ銀月に、将志はどうすれば良いか考える。
 そんな将志のところに、先程まで手合わせをしていた二人がやってきた。

「将志くん、銀月くんなら大丈夫だと思うよ?」

 愛梨は将志に向かってそう意見する。
 それに対して、将志は首をかしげた。

「……どういうことだ?」
「だって、将志くんの槍を持って妖怪達をやっつけちゃったんでしょ♪ 試しにどれくらい避けられるのか試してみようよ♪」

 愛梨は手にした黒いステッキをくるくると回しながら、楽しそうにそう話す。
 それを聞いて、将志は納得したように頷いた。

「……そういえばそうだったな。では愛梨、頼めるか?」
「キャハハ☆ お安い御用さ♪」

 愛梨は将志にそう言うと、銀月のほうを向いた。
 そして、手のひらにこぶし大の玉を作り出して銀月に見せた。

「それじゃあ銀月くん、僕が君にこの小さいボールをたくさん投げるから、それを避けながら僕のところに来てね♪ 当たるとちょっと痛いから、頑張って避けてね♪」
「……うん、分かった」

 銀月は愛梨に一つだけ頷いて答えた。

「……む?」

 そんな銀月に、将志は若干の違和感を覚えた。
 何故か銀月の眼の色が変わったような気がしたのだ。
 首を傾げる将志を尻目に、訓練が開始される。

「それじゃあ、いっくよ~♪ それっ♪」

 愛梨はそう言うと、妖力で作り出した玉をばら撒いた。
 手加減されているのかその密度はそこまで高くは無いが、上手く避けないと当たってしまうような数であった。

「んっ、しょ、やっ!」

 銀月はその中をすいすいと潜り抜けながら愛梨の元へと近づいていく。
 その動作は安定していて、安心して見ていられるものであった。 

「キャハハ☆ やるね~、銀月くん♪ それじゃあ、少しレベルアップするよ♪」

 その言葉と共に、愛梨は弾丸の数を増やしていく。
 赤青黄緑白の五色の玉は時間と共にその数を増やしながら銀月に向かっていく。

「わっ、ととっ、んしょ!!」

 いきなりの玉の増加に銀月は一瞬戸惑う。
 しかし、すぐに持ち直して再びすいすいと躱していく。
 それを見て、愛梨は若干の驚きを込めて笑みを浮かべる。

「わぁ、頑張るね~♪ じゃあ、これはどうかな♪」

 愛梨はそういうと、バスケットボール位の大きさの赤い玉を三つ作り出して銀月に放った。
 その玉は銀月を的確に狙い打つもので、外れても再び銀月をめがけて飛んでいくものだった。

「うわっ、たた、あいたぁ!?」

 銀月はその玉に意識を持っていかれ、弾幕を避け切れずに額に受ける。
 余程痛かったのか、銀月は額を押さえてその場にしゃがみこんだ。

「……そこまでだな」
「いったぁ……」

 将志は銀月に訓練の終了を告げる。
 すると、銀月は眼に涙を浮かべて顔を上げる。

「う~ん、正直ここまで出来ると思ってなかったよ♪ 凄いよ銀月くん♪」
「お前なかなか器用な動きが出来るんだな。やっぱ兄ちゃんみたいに才能あるんじゃねえの?」

 そんな銀月に、愛梨は笑顔で拍手を送りアグナは感心したそぶりを見せた。
 それを受けて、銀月は嬉しそうに笑った。

「そ、そうかな……? あの、もう一回練習させてください!」
「おっけ♪ 何度でも良いよ♪」

 元気良く練習を申し込む銀月に、愛梨も笑顔をで答えを返す。
 そんな愛梨に、将志は少々複雑な表情で声をかけた。

「……愛梨、頼みがある」
「どうかしたのかな、将志くん?」
「……しばらくの間、銀月の様子を良く見てやってくれ」
「ん~? 銀月くんがどうかしたの?」
「……俺の勘だが、恐らく銀月は何度でも立ち上がってくる。もう無理だと思った時点で止めてやってくれ」

 そう話す将志の顔は少々真剣なものである。
 そんな将志に、愛梨は首をかしげる。

「それは良いけど……銀月くんはまだ子供なんだよ? そんなに無理するのかな?」
「……俺が銀月の立場なら、何度でも立ち上がって愛梨に挑むだろう。例えどんなに傷だらけになろうと、立ち上がれる限りはな」

 愛梨の言葉に、将志はそう言って首を横に振った。
 銀月と将志は魂から非常によく似ている。
 つまり、二人は性格もかなりに通っていると言うことである。
 と言うことは、将志は銀月の取りそうな行動が大体分かるのだ。
 その将志の話を聞いて、愛梨は頷いた。

「……そっか……そういえば、将志くんも最初はそうだったね……うん、分かったよ♪」

 愛梨は将志の言葉に頷くと、銀月との訓練を再開した。




「うわあっ!?」

 誘導型の赤い玉が銀月の身体を捉える。
 強い衝撃を受けた銀月は弾き飛ばされ、後ろに転がる。

「も、もう一度……」

 銀月は立ち上がり、もう一度愛梨に練習を申し込む。
 しかし身体は既に痣だらけであり、受けたダメージのせいで脚はがくがくと震えていた。
 既に銀月は数十回にわたり訓練を続けており、被弾するたびに立ち上がっていたのだ。

「……もう無理だよ、銀月くん……だって君、脚震えてるじゃないか……」
「そうだぜ……そんなんじゃ碌に動けねえぞ、銀月?」

 そんな銀月に、愛梨とアグナは心配そうな表情で思いとどまるように言った。

「ううん……まだ、動ける……もう一回、お願いします!!」

 しかし、そんな二人に対して銀月は首を横に振る。
 銀月の眼は死んでおらず、強い光を放っていた。 

「……却下だ、戯け者」
「あうっ!?」

 その銀月の頭に、将志は拳を軽く振り下ろす。
 頭を殴られた銀月は再びうずくまり、頭を抱えた。

「お、お父さん?」
「……早く強くなりたいと思う心とその根性は認めてやる。だが、無理をしたからといって強くなれるわけではない。やるにしても、休息をしっかりとってからだ」
「でも……」
「……例えば、今無理をして怪我をしたとする。すると、それが治るまでの間は鍛錬など出来ん。その分を取り戻すのは大変だぞ? そうならないためにも、しっかりと休息すべきだ」
「……はい」

 淡々と、それでいて強い口調の将志の言葉に、銀月は渋々訓練を取りやめる。
 それを見て、将志は頷いた。

「……では、全員で休憩するとしよう。茶を用意してくる」

 そう言うと、将志はお茶の用意をしに台所へ向かった。


 しかし、これは始まりに過ぎないのだった。





「銀月! いい加減に出てらっしゃいまし!!」
「…………」

 激しく流れ落ちる滝の水に打たれている銀月に、六花は叫ぶように呼びかける。
 しかし聞こえていないのか、銀月は一向に出てくる気配が無い。
 将志は六花の姿を認めると、滝音響くその場所にやってきた。

「……六花、どうかしたのか?」
「それが、滝行で精神を鍛えると言って滝の中に入ったのですけど、銀月と来たらもう一刻くらい打たれっ放しなんですの」

 つまり、銀月は二時間滝の中から出てきていないことになる。
 普通であれば、体温が奪われてかなり危険な状態になっている可能性もあり得るのだった。

「……連れ戻してくるか」

 将志は大きくため息をつき、銀月を呼び戻しに行った。






「銀月殿、あんまり根を詰め過ぎると身体が持たないでござるよ?」
「……まだ、大丈夫。それよりも、ちょっとでも上手くなりたいんだ」

 少々困った様子で話しかける涼に、銀月はそう言った。
 銀月は歯を食いしばりながら霊力で弾丸を大量に作り出し、宙に浮いた空き缶を落とさないように撃ち続けていた。
 そこに将志が通りかかった。

「……涼。この射的はどれくらい続いている?」
「かれこれ一刻程やっているでござる。その前は飛行訓練をずっとやっていたから、銀月殿はもういつ倒れたとしてもおかしくないでござるよ」

 銀月はこの射的を行う前に、徹底的に空を飛ぶ練習を積んでいたのだ。
 つまり、かなり消耗した状態から二時間あまりこの集中力が必要な特訓を行っていたことになるのだった。
 それは練習量から言えば、無謀と言わざるを得ない状況であった。

「……やめさせるとしよう」

 将志は頭を抱えてそう言うと、銀月の元へと向かった。



 それからも、銀月は疲労で動けなくなるほどの厳しい修行を毎日続けた。
 ある時は手から血を流すほど槍を振るい続け、ある時はひたすらに銀の霊峰の険しい山道を往復し、ある時は力尽きるまで霊力の制御の練習を行っていることもあった。
 そして悪いことに、その修行を積むことで銀月の能力や技量はメキメキと伸びていったのだ。
 そのせいで、銀月は更に激しい修行を自らに課すと言う悪循環が生まれてしまった。
 監督者の制止すらも振り切って修行を重ねるその行為は、もはや暴走と呼べるものであった。

「……幾らなんでも、これは酷い」

 将志は集まった社の住人にそう言いながら、陰鬱な表情でため息をつく。
 なお、現在銀月は修行で疲れ果てて自室で眠っている。

「このままじゃ、銀月くん大変なことになっちゃうよ……」

 愛梨は少し泣きそうな表情で銀月を心配する。
 いくら静止しても隠れて修行をするので、どうすることも出来ないのだ。

「危なっかしくて見てられませんわ」
「あれならまだサボってくれた方が何倍もマシだぜ……」

 六花とアグナは呆れ顔でそう言い放つ。
 特にアグナは毎日おぼつかない足取りで帰ってくる銀月の世話をしているため、かなり苦々しい表情であった。

「……正直、銀月が怖いわ。まるで何かに取り憑かれてるみたい」
「拙者から見ても修行量が出鱈目でござるよ。いったい何が銀月殿をそこまで駆り立てるんでござろうな……」

 涼とルーミアは異常とも言える銀月の修行に対してそう評した。
 それに対して、将志も頷いて同意する。

「……少なくとも、ただ強くなりたいわけでは無さそうだ。何と言うか、銀月からは何かに追われる様な、強迫観念のようなものを感じる。それを何とかしない限り、銀月は無理をし続けるだろうな」
「お兄様、銀月が強迫観念を持つようなことに心当たりはありますの?」

 六花は将志に対してそう問いかける。
 銀月と似通った将志であれば何か答えが得られるかもしれないと思ってのことであった。
 しかし、将志はそれに対して首を横に振る。

「……それが分からんのだ。銀月にはかつての俺の様な使命感などはないはずだからな」

 将志は腕を組んで考えながら、そう答えた。
 かつて、将志は強くなろうと修行を積んでいた。
 それは己が主を守るためと言う、明確な目的があってのことであった。
 しかし、銀月が置かれている状況は違うのだ。
 それ故に、将志は何故銀月がああまで過剰な修行を積むのかが分からなかった。

「う~ん……何とかならないかな?」
「銀月が抱えている強迫観念の正体が分からないことにはどうしようもないですわね。とにかく、今は銀月を休ませることを考えないといけませんわ」

 必死で考える愛梨に対して、六花はまず目の前にある問題を解決することを提案した。
 すると、普段面倒を良く見ているアグナと涼が深々とため息をついた。

「と言っても、あの様子じゃ全然休みそうにないでござるよ。表向き休む格好で、その影で隠れて修行とかしそうでござるな」
「だよなあ……ついこの間も、休憩時間に隠れて霊力の操作の特訓してたもんなあ……」

 そう言うと、二人は再び大きくため息をついた。
 休みと言う休みを取らないため、見ているほうは気が気ではないのだった。

「それじゃあ、一日中誰かが銀月に付いてないと休ませられないってことになるのか~……」
「……そうなるな。もうこうなったら銀月に交代で誰かが付いているしかない。それで修行をする暇を与えないようにしなければならんな」

 ルーミアの呟きに、将志がそう言って肯定する。
 それに対して、六花が考え込むような仕草をしながら将志に質問をした。

「でも、銀月に暇を出さないようにするってどうするんですの? いくら係を作っても、銀月から一秒たりとも眼を離さない何てことは不可能ですわよ?」
「……それなのだが、銀月に趣味があれば良いのではないか? 他にやることがあれば、銀月もそちらになびくと思うのだが……」
「趣味ねえ……銀月が興味ありそうなものって、何があるってんだ?」

 銀月の興味を引けるものを考えながらアグナが質問をする。

「……本人曰く、銀月は料理に興味を持っているようだ。だから、銀月にはまず料理を教えてみようと思う」
「そういえば、銀月殿は愛梨殿の芸を結構眺めているでござるなあ。ひょっとしたら、曲芸や手品などにも興味があるかもしれないでござるよ」
「曲芸はちょっと厳しいんじゃないかな? 手品とか簡単なお芝居なら、銀月くんに教えられると思うけど……」
「何でも良いですわ。とにかく、銀月の興味を引けそうなものを色々と試してみましょう?」
「……ふむ、ならばまずは俺が試してみよう。その結果を見て、今後の方針を決めようではないか」

 将志の言葉に全員頷く。
 こうして、銀月を何とかするための仮の方針が決まったのだった。




「えいっ、やあっ!」

 本殿裏の石畳の広場で、銀月が一心不乱に槍を振るう。
 将志や涼に教わってからと言うもの、銀月は見違えるほど槍の扱いが上達していた。
 それは確かに、自らに課した激しすぎる修行の成果であった。

「……銀月」

 修行中の銀月に、将志は声をかける。
 すると銀月は手を止め、将志の元へとやってきた。

「どうしたの、お父さん?」
「……なに、これから料理を教えようと思ってな。どうだ?」
「でも……」

 将志の誘いに、銀月は手元の槍に眼を落とす。
 どうやらまだ修行を続けるつもりの様であった。
 そんな銀月に、将志はため息をつく。

「……どの道、今のお前は鍛錬が過剰だ。その休憩も兼ねて教えようと思っているのだが……」
「……うん、だったら教えて」

 将志の言葉に、銀月は後ろ髪を引かれるような感覚を覚えながら頷く。
 すると将志は、ホッとした表情を浮かべて頷き返した。

「……では、台所へ行くとしよう」

 台所へ向かうと、二人は料理を始めた。
 将志が教えたのは簡単な煮込み料理である。
 その中で包丁の使い方や火の起こし方等も教えていく。
 銀月は将志の教えに沿って、少しぎこちない手つきで料理を作っていく。
 その間将志は一切手を出さず、手本を一度見せるだけであった。

「……後はこのまましばらく煮込めば良い」

 将志は銀月に鍋に落し蓋をさせるとそう言った。
 初めての料理で緊張していたのか、銀月の口からは大きなため息が漏れ出した。

「ふぅ……分かった。どんな味になるのかな……」
「……お前は何故ああまで修行を積むのだ?」

 鍋をジッと見つめている銀月に、将志はそう問いかけた。
 それに対して、銀月はキョトンとした表情で将志のほうを見た。

「え?」
「……はっきり言って、お前の修行のこなし方は異常だ。人間はおろか、妖怪ですらお前の様な修行の仕方はしない。何故、倒れそうになるほどの修行をするのだ?」
「強くなりたいから」

 将志の問いかけに、銀月は素直に答えた。
 銀月は俯いており、その表情は窺えない。

「……何故強くなりたいのだ?」
「僕、妖怪に襲われるかもしれないんでしょ? だから、それに負けないように強くなりたい。死ぬのは、嫌だ」

 そう話す銀月の肩は震えていて、死に対する恐怖が浮かんでいた。

「……なるほど……死にたくないから強くなる、と言うことか……」

 将志は納得したように頷きながらそう呟いた。
 それと同時に、生半可なことでは銀月の修行を止められない事も理解した。
 恐怖のような感情は膨大なエネルギーを生み出すものである。
 特に死に対する恐怖と言うものはとりわけ強いもの。
 銀月はそれに追われて、普通なら倒れてしまいそうな修行を重ねていたのだった。

「……銀月。お前が何を思って修行を積んでいたのかは良く分かった。では、お前は生きて何をしたい?」
「……え?」

 急な将志の問いに、銀月は呆気に取られた表情を浮かべて顔を上げた。
 そんな銀月に、将志は話を続ける。

「……ただ生きるだけではつまらないだろう? 生きるからには、何か打ち込めるものがあった方が良い。さて、お前はいったい何をする?」

 将志が再び質問をすると、銀月は考え込んだ。
 しばらくして、銀月は首を横に振った。

「……分かんない。何がしたいのかなんて分かんないよ……」
「……本当か? どんな些細なことでも良いのだぞ?」
「……それでも分かんない……けど、僕は死にたくなんてない。お父さん、僕はどうすればいいの?」

 銀月は泣きそうな眼で将志を見つめる。
 必死になってやりたいことを探そうとするその姿に、将志は思わず苦笑した。

「……何を悩む必要がある? そのようなものは生きている間に探すものだ」

 将志がそう言うと、銀月はぽかーんとした表情を浮かべた。
 そしてその言葉の意味を理解すると、こてんと首をかしげた。

「そうなの?」
「……第一、生まれたばかりの赤子は何をしたいのかなどとは考えることもしないのだぞ? 生きてさえいれば、生きがいと言うものはいつか見つかるものだ」
「そっか……うん。それじゃあ、僕もやりたいことを探してみるよ」

 将志の言葉を聞いて、銀月はホッとした表情を浮かべてそう言った。
 その言葉に将志は頷く。

「……ああ。だが、今のままでは駄目だ。修行以外にも自分が興味を持ったことには積極的にならなければならない。そのためには今のように余裕の無い修行ではなく、もう少しだけゆとりのある修行をするべきだ」
「僕、練習するの嫌いじゃないんだけどな……強くなれそうな気がして」
「……戯け。お前が良くても、周りが見ていて怖いのだ。大体、修行が終わるたびに倒れて寝るようなことでどうする。それでは修行の後で疲れ果てたところを襲われたら一巻の終わりだぞ? お前の場合、少し物足りないくらいがちょうど良いと思うが」

 将志は銀月に戒めの意を込めて強い視線を送る。
 それを見て、銀月の身体は萎縮した。

「う……分かった、気をつけるよ」

 銀月がそう言うと、将志は一つため息をつく。
 そして何を思ったのか、将志は笑みを浮かべた。

「……しかし、本当にお前は俺に似ているな。俺も最初のうちは一日中修行に明け暮れたものだ」
「そうなの?」
「……ああ。それで下手を打って倒れるところまでそっくりだ」

 将志は修行に明け暮れていた時の自分を思い返してそう呟いた。
 事実、初期の将志はよく修行中に気絶し、永琳や愛梨に看病されたものである。
 そんな話を聞いて、銀月はにこやかに微笑んだ。

「そっか……僕、お父さんにそっくりなんだ」
「……どうかしたのか?」
「だって、嬉しいんだ。お父さんに似てるの」

 銀月はそう言って嬉しそうに笑う。
 それを見て、将志は照れくさそうに眼を背けた。

「……そうか……だが、目的のために無茶をするところまでは似るなよ?」
「でも、それでも何とかしちゃいそうなところはそっくりになりたいな」
「……本当は無茶をしなければならない状況にしないようにすることが重要なのだ。無茶をするようでは、まだまだ二流だ」
「そういうものなの?」
「……そういうものだ。さて、そろそろ火も通ったところだろうし、仕上げに入るとしよう」
「うん」

 二人はそう言うと、料理を再開した。

 なお、初めての銀月の料理はその日の食卓にのぼり、好評を得ることが出来たのだった。



[29218] 銀の月、趣味を探す
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 16:13
「……最近、銀月が修行を終えたと思ったら部屋に籠もっているのだが、何をしているか心当たりは無いか?」

 小豆色の胴衣と紺色の袴を着けた銀髪の男が、問いかける。
 その問いに、赤い長襦袢を若草色の帯で留めた女が男に向き直る。
 女は男と同じ美しい銀色の髪を腰まで伸ばしており、六つの白い花が円形に並んだデザインの髪飾りをつけていた。

「流石に部屋の中で修行はしていないと思いますけど……けど、中で何かぶつぶつ言ってるのは分かりますわ」
「……祝詞でも読んでいるのか? だとすれば、それも修行になってしまうのだが……」

 将志と六花はそう話し合いながら、古めかしい板張りの廊下を歩く。
 廊下はしっかりと手入れが施されており、ささくれ等は見当たらない。

「う~ん、やっぱり上手くいかないなぁ……ううん、諦めちゃダメダメ! 僕は絶対出来る、そう思わなくっちゃ♪」

 しばらく歩いていくと、二人に耳に少し高めの明るい少女の声が聞こえてきた。
 その声は、二人が古くから聞いてきた声であった。

「……愛梨の声?」
「……銀月の部屋の方から聞こえてきましたわね?」
「……行ってみるか」

 何故愛梨が銀月の部屋に居るのかと疑問を抱きつつ、二人は銀月の部屋へと向かう。
 部屋に近づくに連れて、何やら物音も聞こえてくるようになった。
 どうやら、部屋の中で何か運動をしているらしい。

「やっ! ……ああ、あとちょっと! よ~し、もうちょっとだ、頑張るぞ♪」

 部屋の中からの声は先程と変わらず、明るいピエロの少女の声。
 その声を聞いて、二人は顔を見合わせる。

「……やはり銀月の部屋から聞こえてくるな」
「……そうですわね」

 そう言って、二人は中へ入ろうとする。
 が、直後に聞こえてきた声にその足を止めることになる。

「……うっそぉ~……」
「「え?」」

 背後から聞こえてきた声に、二人は同時に振り向いた。
 するとそこには、呆然とした表情を浮かべたピエロの少女が立っていた。
 部屋の中に居るはずの少女を見て、二人は首をかしげた。

「……愛梨? 何故ここに居るのだ?」
「貴女、銀月の部屋の中に居るのではありませんの?」
「う、ううん、僕はずっと外に居たよ?」

 二人の問いに、愛梨は首を横に振って答える。
 それを聞いて、将志は部屋の戸に眼を向ける。

「……では、今の声は?」
「……入ってみれば分かると思うよ?」

 愛梨の声に促され、将志は静かに戸を横に引く。
 すると、中では銀月が三つの玉でジャグリングをしていた。 
 銀月はボールを上に放り投げると、その場で後ろに宙返りをしてボールをキャッチする。 

「よっ! やったね、成功だよ♪」
「「はい?」」

 銀月の口から出てきた声に、将志と六花は間の抜けた声を上げた。
 何故なら、銀月の口から出てきた声は愛梨の声とほぼ一緒であったからだ。
 その声を聞いて、銀月がキョトンとした表情でその方を向く。

「え? ……わ、わわ、お父さん!? それに六花お姉ちゃんに愛梨お姉ちゃん!?」

 銀月は将志達の姿を見て、上ずった声を上げた。
 どうやら、この練習を見られたくなかった様である。

「……何がいったいどうなっているのだ……」
「何で、銀月の口から愛梨の声が聞こえたんですの?」

 訳が分からず、二人は混乱した様子でそう疑問の声を漏らす。
 その横で、愛梨が乾いた笑い声を上げた。

「きゃはは……まさか、本当にやっちゃうなんてなぁ……」

 その言葉を聞いて、将志と六花が愛梨の方を向いた。

「……どういうことだ?」
「えっと……説明するね……」



  *  *  *  *  *



 透き通ったフルートの音色が辺りに響き渡る。
 演奏しているのは、うぐいす色の髪に赤いリボンの付いた黒いシルクハットを被った少女。
 そんな少女のところに、黒髪の幼い少年がやってきた。
 少年は茶色い瞳に好奇心を宿しながら、その演奏を聴いていた。
 少女の演奏が終わると、少年は話しかけた。

「愛梨お姉さん、何してるの?」
「ん? ああ、今はちょっと笛を吹いてたんだ♪」
「そうなんだ……ねえ、僕もやってみていい?」
「うん、いいよ♪ ちょっと待ってね、確かこの中に……ああ、あったあった♪」

 愛梨は普段乗っている黄色と橙色に塗り分けられた大玉の中から、細長い箱を取り出した。
 その箱を開けると、中から銀色に光るフルートが出てきた。

「はい♪」

 愛梨は取り出したフルートを銀月に手渡す。
 すると銀月はそのフルートをまじまじと見つめた。

「わぁ~……ピカピカだぁ……ねえ、吹いてもいい?」
「どうぞどうぞ♪」

 愛梨の言葉を聞くや否や、銀月はフルートを吹き始める。
 しかし息の吹き込み方が悪く、音はならない。

「ふ~、ふ~……あれ~?」

 音が鳴らないフルートに、銀月は首をかしげた。
 それを見守っていた愛梨が、にこにこと笑いながら銀月に声をかける。

「これね、音を出すのにコツがあるんだ♪ よく見ててね♪」

 そう言うと愛梨は自分のフルートに口をつけ、息を吹き込んだ。
 するとフルートは澄み切った綺麗な音を辺りに響かせた。

「綺麗な音……」

 銀月はその音に聞き惚れながら、思わずそうこぼした。
 それを聞いて、愛梨は笑みを深くする。

「キャハハ☆ ありがと~♪ それじゃ、やってみてごらん♪」
「う、うん……」

 銀月は愛梨に促され、再びフルートを吹き始める。
 初めのうちは音が出なかったが、何度も繰り返すうちに段々と音が聞こえ始めた。

「……音が鳴った……」

 銀月はひたすらフルートに息を吹き込む。
 そのうちコツを掴んだのか、フルートからは澄んだ音が聞こえてきた。
 愛梨はその音を聞いて頷いた。

「うんうん♪ それじゃあ、今度は指を動かしてごらん♪」

 銀月は言われるがままにフルートに添えた指を動かす。
 すると高めの音であったものが、優しい低音に変わっていった。

「音が変わった!」

 音が変わったことがが嬉しかったのか、銀月は色々と指を動かし始める。
 その度に音は様々に変わっていき、銀月は笑みを浮かべる。

「そうそう、その調子! よ~し、それじゃあ簡単な曲を練習してみよっか♪」
「うん!」

 それからしばらく、愛梨と銀月は一緒になってフルートの練習をした。
 愛梨が手本を見せると、銀月がぎこちないながらもついて行く。
 しばらくすると、銀月はごくごく簡単な曲を演奏できるようになっていた。

「キャハハ☆ 上手い上手い♪ うん、今日はここまでにしよっか♪」

 愛梨は突如としてそう言うと、フルートをしまう。
 それを見て、銀月は不満そうな表情を浮かべる。

「え~……もっとやってみたいのに……」
「ごめんごめん♪ でも、実はね……銀月くんに見せたいものがあるんだ♪」
「見せたいもの?」
「これさ♪」

 こてんと首をかしげる銀月に、愛梨はそのものを差し出した。
 それは、人形劇で使われるマリオネットであった。

「……お人形?」
「うん♪ これから少し人形劇をするよ♪」

 愛梨がそう言うと、銀月は少し訝しげな表情を浮かべた。

「……面白いの?」
「キャハハ☆ 面白いかどうかは見てのお楽しみさ♪」

 愛梨はそう言って笑うと、大玉の中から人形劇のセットを取り出した。
 そして裏で少し準備をすると、観客に眼を向けた。

「それじゃあ、『長靴を履いた猫』の始まり始まり~♪」

 その言葉と共に、舞台の幕が上がった。
 愛梨はマリオネットを巧みに操りながら、話を続けていく。

「やい、魔王! お前が何にでも化けられるってホントか!?」

 愛梨は高めの女のよく通る声で長靴を履いた猫の台詞を言う。
 その黒猫の人形の尻尾が二本になっていて、銀月の知り合いの化け猫に良く似ていた。

「いかにも。貴様が望むのならば見せてやろう」

 それに対して、今度は少し低めのハスキーな声で魔王の台詞を話す。
 魔王の人形には黒く大きな翼が生えていて、山の大将を思わせた。

「じゃあ、まずはライオンに化けてみろ!」
「ふっ、容易いな。それっ!」

 魔王の台詞と共に煙が上がり、舞台が真っ白になる。
 煙が晴れると、そこに居たのは立派なライオンの姿だった。

「どうだ?」
「ふふん、今のはお前が化けられるか確かめただけだ! いくらお前でもドラゴンには化けられないだろ!」
「その程度が出来ぬと思ったか? そらっ!」

 再び煙が上がり、魔王の姿が隠れる。
 次に現れたとき、その姿は大きなドラゴンに変化していた。

「……これなら文句は無いだろう?」
「へ~んだ、どうせでかいのしか化けられないんだろ! 悔しかったらネズミに化けてみろ!!」
「いいだろう、お安い御用だ」

 三度舞台の上が煙で白く染まる。
 すると魔王は、小さなネズミの姿に変わっていた。

「……これでもまだ不満か……?」
「いただきまーす♪ パクリ♪」

 猫はネズミに化けた魔王を食べて、魔王の城と財産を自分のものにした。
 そして、その猫の主人である三男は姫と婚約を結ぶ。

「こうして、三男はお姫様と結婚し、末永く幸せに暮らしました。そして、その傍らにはいつも賢い相棒の姿がありましたとさ。……めでたしめでたし」

 愛梨がそう言うと、舞台の幕が下りた。

「どうだったかな、銀月くん♪」
「面白かった……愛梨お姉ちゃん、声変わるの凄かったよ」

 銀月の感想を聞いて、愛梨は嬉しそうに笑う。

「キャハハ☆ ありがと~♪ これね、こんなことも出来るんだ♪ あ、あ~……」

 愛梨は何かを確認するように声を出す。
 そしてしばらく眼を閉じると、一つ頷いて口を開いた。

「うぉっしゃあああああ! 燃えてきたぜええええ!!」

 口から発せられたのは、幼い少女の熱い叫び声。
 その声は、銀月にとってとても馴染み深いものだった。

「あ、アグナお姉ちゃんだ!」

 本物そっくりなその声に、銀月は思わず声を上げた。
 その様子に、愛梨は楽しそうに笑った。

「それから次は~……銀月、そろそろ夕食の時間ですわよ?」
「今度は六花お姉ちゃんだ!」

 大人びた女性の声を聞いて、銀月ははしゃぐ。

「ね、面白いでしょ? これで変装とかすれば色んなお芝居が出来るんだよ♪」
「へぇ~……ねえ、僕にもそれ出来るかなぁ?」

 眼をきらきらと輝かせて問いかける銀月。
 それを聞いて、愛梨は困った表情で頬をかいた。

「う~ん、これはちょっと難しいかな? いっぱい練習しないといけないし、お芝居は声だけじゃ出来ないからね♪ そのお芝居の役の人がどんなことを考えるかが分からないといけないし、他の人になりきるんならその人の癖とかも分からないといけないよ♪」
「練習すれば出来るの?」
「それはやってみないと分からないかな?」

 夢を壊さないように、愛梨はわざとぼかしてそう告げる。
 しかしそれを聞いて、銀月の眼は強い光を放った。

「そっか……よし、頑張ってみる!」

 そういうが早いか、銀月は走り出していた。
 その後姿を、愛梨は呆然と見送る。

「……ひょっとして僕、やっちゃったかな……?」

 火の付いた銀月に、愛梨は苦笑いを浮かべることしか出来なかった。


  *  *  *  *  *


「……というわけなんだ……」

 愛梨の説明を聞いて、将志は納得したように頷いた。

「……つまり、銀月は愛梨が披露した声真似がしたくて、ずっと練習していたのだな?」
「ううん、違うよお父さん。僕はね、真似がしたかったの」

 将志の言葉を、銀月はそう言って否定した。
 それを聞いて、六花が首をかしげた。

「真似……ですの?」
「うん。僕ね、愛梨お姉ちゃんにびっくりさせられてばっかりなんだ。だから、愛梨お姉ちゃんの事を全部真似してびっくりさせようと思ったんだ」
「それで、今ジャグリングの練習をしてたのかな?」
「うん。でも、もうバレちゃったけどね……」

 愛梨の質問に、銀月は肩を落としながらそう答える。
 それに対して、愛梨は首を横に振った。

「ううん、僕もう十分びっくりしたよ……だって僕、これは絶対に真似できないって思ってたんだよ?」

 愛梨がそう言うと、銀月がキョトンとした表情を浮かべて愛梨の方を見る。

「そうなの?」
「うん……だって、僕はあの声真似に『相手を笑顔にする程度の能力』を使ってたんだよ? だから、普通なら出来ないはずなのに……」

 愛梨の能力は、相手を笑顔にするためならば様々な事が出来るようになる能力である。
 それを使って、通常女性が出せない音域の声を出すことが出来るようにしていたのである。

「……ますます分からなくなってきたな。銀月、お前の能力はいったい何だ?」

 しかし、今回銀月はそれと同じ事をやってのけたのである。
 これにより、将志の頭の中に大きな疑問が現れる。
 能力が効果を及ぼす範囲が広すぎるのだ。
 銀月が今まで能力を発動させたと思われるのは、最初の妖怪達との戦闘、その後の銀の霊峰の登山、そして今回の声真似である。
 それぞれ必要なものが戦闘力、持久力、演技力とあまり関連性が無く、銀月の能力の正体が分からないのだ。

「……わかんない。お父さんに言われたとおりにしてみても、ぼやけてて全然見えないんだ」 

 将志の問いに、銀月は困った表情を浮かべてそう答える。

「声真似を抜きにしても、あの声の感じや感情の籠もり方は間違いなく愛梨のものでしたわよ?」
「ねえ、銀月くん。他の人の演技も出来るのかな?」
「えっと……うん、ちょっと待ってね…………お師さん、今日は一日平和だったでござる!」

 聞こえてきたのは、少年のようなさっぱりした声。
 その声の本来の持ち主は、銀月の兄弟弟子のものであった。

「……どう聞いても涼の声だな。他には?」
「えっと……手伝うわ、お姉さま♪ ……だぁ~! 手伝うとか言っときながら抱きついてんじゃねえ!! ……まあまあ、遠慮しないで♪ ……燃えさらせえ!! ……わきゃあ~!?」

 次に聞こえてきたのは、楽しげな少女と少し怒り気味の幼い少女のやり取り。

「ルーミアとアグナですわね。恐らく、眼を瞑って聞いたら銀月の声とは分からないでしょうね……」
「……おまけに浮かべる表情まで本人によく似ている……何だ? 確実に能力は発動しているはずだ。いったいどんな能力ならばこんなことが出来る?」
「……俺にも分からん……何しろ能力を使ったと言われても、俺は使った感覚が無いのだからな……」

 将志の問いに、銀月は低めのテノールの声で答えを返す。
 間の取り方、込められる感情、その全てが父親そっくりであった。

「今度はお兄様……滅多に見せない困り顔もそっくりですわね……」

 二人を見比べて、六花は思わずそう漏らした。
 その傍らで、愛梨が銀月に話しかける。

「銀月くん、今度は僕が言う役をやってみてくれるかな?」
「どんな役?」
「妖怪に食べられる人間の役さ♪ 妖怪役はつけないから、自分で想像してやってみてね♪」
「……う、うん、やってみるよ……」

 銀月は躊躇いがちに頷くと、一つ深呼吸をする。
 そして、その場で走る演技を始めた。

「はぁ、はぁ……うわぁ!?」

 足を木の根に引っ掛けたように、銀月はその場に倒れこむ。

「いったぁ……ひっ、こ、来ないで!!」

 銀月は振り返ると、恐怖に顔を歪めて手で床を押して後ずさる。
 腰が抜けて立てないらしく、手足をじたばたと動かしている。

「やだ、やだよぉ……僕まだ死にたくない! だれか、だれかたすけうああああああ!?」

 泣き叫びながら這いずる様に逃げようとすると、銀月の左足が後ろに引っ張られるように伸び、ずるずると後ろに下がる。
 そして、劈く様な叫び声を上げた。

「あ、あう……痛い……痛いよぉ! ぐすっ……足が、足がなくなっちゃったよぉ……ぎゃああああああ!!」

 銀月は左膝の辺りを触りながら、半狂乱で泣き叫ぶ。
 その手は左膝から右足首、右膝へと移っていき、段々と食べられていく様が見えてくる。
 そしてその手が下腹部まで登ってきた時、銀月の顔に笑みが浮かんだ。

「あ、あははははは……もうすぐお腹も食べられちゃう……へ、へへへへへ……次は胸かなぁ……それとも腕から食べられちゃうのかなぁ……それともそれとも、頭からバリバリいっちゃうのかなぁ……うふふ……うふふふふふふふふふふふふふふふふ……」

 銀月は完全に発狂し、焦点のあっていない眼で虚空を見上げながら、自分の身体を食んでいる妖怪の頭を抱え込むような動作を取った。
 そしてその手が腹の上部に届いた時、銀月は力なく倒れた。
 それからしばらくして、銀月は何事も無かったかのように起き上がった。

「えっと……どうだったかな……?」

 銀月は緊張した面持ちで感想を問う。
 すると、六花が額に手を当てながら首を横に振った。

「……正直、生々しくて見てられませんでしたわ……」
「……実際に人間が食われていたところに出くわしたことがあるが……まさにこんな感じだったな……で、何でこんな役をやらせたのだ?」

 将志は苦い表情を浮かべながら、愛梨にそう質問をした。
 すると、愛梨は腰に手を当てて考え込んだ。

「あのね、銀月くんの能力が『誰かの真似をする程度の能力』じゃないかなと思って、この役をやってもらったんだけど……違ったみたいだね♪ ほら、死ぬ時の怖さってそのときにならないと絶対に分からないことだよね? だけど、銀月くんは食べられてる最中まで細かく演技してたよね? だからたぶん、演技自体は銀月くんの才能なんだと思うよ♪」
「才能にしても行き過ぎですわ。今度からはもっと明るい役を演じてくださいまし」

 愛梨の考察を聞いて、六花は深々とため息をつきながらそう言った。

「うん。分かったよ、六花お姉ちゃん」

 そんな六花の言葉に銀月は頷いた。
 すると、愛梨が何か思いついた様に手をたたいた。

「あ、そうだ♪ 銀月くん、さっきまでジャグリングとか曲芸とかやってたみたいだけど……覚えてみる? ちょっと見たけど、君なら頑張れば出来そうだしね♪ 色んな事をいっぱい教えてあげるよ♪」
「うん、やってみる!」

 愛梨の言葉に、銀月は元気良く返事をした。

「キャハハ☆ それじゃあ、早速やってみよう♪」

 愛梨はそう言って笑うと、銀月を連れて部屋から出て行った。




 愛梨が銀月に色々と教え始めてからしばらくして、再び銀月が部屋にこもることが多くなった。
 そこでその様子が気になった将志が銀月の部屋に入ると、中で銀月は縄抜けの練習をしていた。
 将志が床に眼を向けると、鍵も無いのに外された手錠や錠前が落ちていた。

「……縄抜け、錠外し、気配消し……銀月、何故そんなものを覚えているのだ? 忍者にでもなるつもりか?」

 将志は気配を消して背後に回ろうとした銀月にそう声を掛ける。
 すると、銀月は首を横に振った。

「違うよ。もし捕まっても、これが使えれば逃げられるから。それに、これでみんなをびっくりさせてやるんだ」
「……確か、愛梨に曲芸を習っていたのではなかったのか?」
「うん。けど、それじゃあ愛梨お姉ちゃんはびっくりしてくれないでしょ? だから、愛梨お姉ちゃんが知らないやり方でびっくりさせるんだ」

 どうやら、銀月は何が何でも愛梨を驚かせてやりたいようである。
 そんな銀月の声を聞いて、将志は一つ頷いた。

「……そうか。なら、一つ面白いことを試してみるか?」
「え、何、お父さん?」
「……付いて来い」

 興味を示した銀月を、将志は外に連れて行く。 
 将志の手には中華鍋が握られていて、その中には手ぬぐいが入っていた。
 そして、銀月には皿を手渡した。

「……銀月、今から俺がここからこの鍋の中の手ぬぐいを投げる。お前はそれを皿で受け止めてみろ。手ぬぐいには紙粘土が包んであるから、それをこぼさない様に受け止めるのだ」
「う、うん」

 将志の言葉に、銀月は緊張した面持ちで頷く。
 それを確認すると、将志は鍋を軽く二、三回振るう。

「……行くぞ。そらっ」

 そう言うと、将志は鍋を大きく振り上げた。
 中身が高々と宙を舞い、綺麗な放物線を描く。

「うわっ!?」

 銀月はそれを受けきれずに、下に落としてしまう。
 散らばった紙粘土を拾い集めて手ぬぐいに包み、将志のところへ持っていく。

「……逃げずに受け取れ。次行くぞ」
「よいしょ! あっ!?」

 将志が投げた手ぬぐいを銀月は皿で受けた。
 しかし、皿にぶつかった衝撃で中身が弾け、周囲に散らばってしまった。

「……受け取る時には皿を引きながら受けて勢いを殺せ。それっ」

 将志はそう言って三度目を投げる。
 それは銀月のいる位置から大きく外れていた。

「うわわわわ、遠いよお父さん!!」

 銀月は必死に手を伸ばしたが、あと一歩のところで届かず地面に落ちる。
 それを見て、将志は一息ついて銀月に近寄った。

「……銀月、愛梨の曲芸を思い出せ。手だけで受け取ろうとするのではなく、全身を使って受け止めるのだ」
「う、うん!」

 その後、銀月は将志の期待に応えようと必死に努力をするのだった。




「……愛梨達を驚かせるにはまだまだ練習が必要だな。精進しろよ、銀月」
「う、うん……分かったよ、お父さん……」

 練習を終えてヘトヘトになっている銀月に、将志は声をかける。
 それを聞いて、銀月は大きく深呼吸をした。

「……さて、一しきり汗をかいたところで茶でも飲むとしようか」
「うん。ねえ、お父さん。今日のお茶は僕が淹れてもいい?」

 立ち上がる将志に、銀月はそう尋ねる。
 それを聞いて、将志は納得したように頷いた。

「……なるほど、練習がしたいのか」
「うん。お父さんが仕事してる時に練習したから、味を見て欲しくて……」

 将志の言葉に、銀月はそう言って頷いた。

「……いいだろう。言っておくが、俺の採点は厳しいぞ?」
「僕はその方がいいな。だって、早くお父さんに追いつきたいもん」

 銀月はそう言って将志に笑いかける。
 それを見て、将志も笑い返した。

「……その意気だ。ふふっ、本当にお前は俺の修行時代を思い出させてくれるな?」

 将志はそう言って銀月の頭を撫でた。
 すると、銀月はくすぐったそうに笑った。

「えへへ……だって僕、血は繋がってないけどお父さんの子供だもん」
「……そうか」

 お互いに笑みを浮かべながら、二人は台所へと向かう。
 なお、この日の銀月のお茶は75点であった。



[29218] 銀の槍、未だ分からず
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 16:18
 ある日、将志がその日の書類仕事を終えて広間でくつろいでいると、来客があった。
 その客は、黄金色の毛並みの九本の尻尾を持つ親友の一人であった。

「将志、一つ頼みがあるんだが良いか?」
「……む、藍か。頼みとは何だ?」
「銀月を少し貸して欲しいんだが……」

 藍の申し出に、将志は首をかしげた。

「……銀月を? 何故だ?」
「紫様の仕事に少し付き合わせようと思っているんだ」
「……紫の仕事に? はて、書類仕事はまだ教えていないし、荒事にしても銀月は筋は良いが経験が無い。何かの役に立つとは思えないが……」

 藍が何を考えているか分からず、将志は考え込む。
 そんな将志を見て、藍は苦笑交じりに答えた。

「ああ、仕事をさせるわけじゃあないんだ。銀月にはただ傍にいて話をしてもらうだけだ」
「……話が見えんな。銀月でないと駄目な話なのか?」
「ああ、その通りだ。この役目は銀月でないと出来ない」

 将志の問いに、藍はそう言って頷く。
 銀月にしか出来ないことと言われ、将志はますます何がしたいのか分からなくなる。

「……分からん。説明してくれ、藍」
「実はな、以前からの大問題が解決できるかもしれないんだ」
「……と言うと?」
「紫様ははっきり言って男に免疫が無さ過ぎる。ほら、将志に抱きしめさせた時、紫様は眼を回して倒れてしまったろう? 少し口説かれただけでも舞い上がってしまうのだ」

 現に将志が抱きしめて少し甘い言葉を囁くと、紫は顔を真っ赤にして混乱し、眼を回して倒れてしまうのだ。 
 しかし、そんな現状を聞いても将志の頭の上には疑問符が浮かぶ。

「……だが、それでも特に問題は無いのではないか? 紫と対等に話をする男は俺とアルバートくらいのものだろう?」

 どういう訳かは分からないが、幻想郷では女性の方が強い力を持つ傾向がある。
 よってほとんどの組織の代表は女性であり、男で代表となっている将志やアルバートは珍しい例なのであった。
 ちなみに、将志やアルバート、果てはその執事であるバーンズまでも一部のご婦人方に狙われているのだが、それはまた別の話。
 どうやら、歳を取っていようが既婚者であろうが気にしていないようである。

「確かにそうなんだが、それは幻想郷の中の話だ。紫様は仕事柄、幻想郷の外で活動することがある。その時に声をかけてくる男が後を絶たないんだ」

 藍は困り顔で事情を説明する。
 要するに、幻想郷内では問題はなくとも外に出たときに大きな問題になるのだ。
 ナンパしてきた男の話を聞くだけで卒倒している現状では、はっきり言って仕事にならないのだ。
 紫の実態を聞いて、将志は深々とため息をついた。

「……紫の正体を知っていればそんな命知らずなことは出来ないだろうに……」
「全く持ってその通りだが、それが現実なのだから仕方が無い。そこでだ、銀月を使って男に慣れさせようと思うんだ」
「……銀月なら平気なのか?」
「ああ。お前が言ったなら卒倒してしまう様なことを、銀月が言っても紫様は笑顔で受け流していたからな」
「……単に子供が言ったから平気と言うことはないのか?」
「その可能性は大いにあるが……ああも自然に口説き文句を吐ける子供と言うのはなかなか居なくてな」
「……それで銀月と言うわけか……」

 藍の説明を聞いて、将志は納得した様に頷いた。
 そこに、パタパタという少し早足な歩調が聞こえてきた。

「あ、お父さん見つけた! と、こんにちは、藍さん」

 その足音の主は藍の姿を見るなり頭を下げて挨拶をする。
 自分の事を探していたらしい黒髪の幼い少年に、将志は声をかけた。

「……どうした、銀月?」
「あのね、お父さんにこれあげる」

 銀月はそう言うと、一枚の札を差し出した。
 細長い長方形の紙には筆で文字が書かれており、力が込められていることが分かる。

「……札?」
「こう使うんだ、ちょっと見てて」

 銀月は手にした槍に札を当て、軽く念じた。
 すると、槍は札の中に吸い込まれるようにして消えていった。

「……消えた?」
「それでね、もう一度念じるとね……」

 再び念じると、札から突然先程の槍が現れた。
 銀月はそれを将志に見せ、傷などが無いことを確認させる。

「どうかな、お父さん? お父さん、いつも槍を背負ってて通りづらそうな時があるから作ってみたんだけど……」

 銀月は笑顔で将志にそう問いかける。
 ところが、将志はそれに対して苦い表情を浮かべた。

「……気持ちはありがたいが、俺の槍には使えないな」
「え、何で?」
「……試しに、俺の槍に対してその札を使ってみるが良い」
「うん」

 銀月は将志の持つ銀の槍に札をあて、軽く念じる。
 すると、確かに銀の槍は札の中に吸い込まれた。

 ……ただし、その担い手である将志ごと。

「あ、あれれ?」
「……まさか、将志もその中に?」

 銀月が慌てて出てくるように念じると、銀の槍と共に将志も札から出てきた。
 その顔には、苦笑いが浮かんでいる。

「……とまあ、こういう理由で俺には使えん。俺の本体がこの銀の槍である以上、こいつから離れることは出来ないのでな」
「…………」

 将志の言葉を、銀月は俯いたまま聞く。
 銀月は何か考え事をしているようであり、ぶつぶつと何かを呟いている。

「……銀月、どうかしたのか?」
「ううん、ちょっと今新しいお札のアイディアが浮かんだだけ。それじゃあ修行してくる!」
「ああ、待ってくれ銀月。今日は少し手伝って欲しい事があるんだ」

 走り出そうとする銀月を、藍は引き止めた。
 銀月は振り向くと、キョトンとした表情を浮かべた。

「え、僕が手伝うの?」
「そうだ。なに、特に難しいことをするわけじゃないんだ。少し紫様と話をするだけだ」
「……それだけで良いのか? 下手をすると紫の邪魔になってしまうと思うのだが……」
「なっ!?」

 突如として銀月の口から発せられた言葉に、藍は驚愕する。
 何故なら、銀月の口から出たはずの声は将志の声と同一のものであったからだ。
 それを聞いて、将志は額に手を当ててため息をつく。

「……銀月、何故そこで俺の真似をする?」
「えへへ、少しびっくりさせてみたくなったんだ。どうかな?」

 将志の問いに、銀月は悪戯が成功した時のように笑った。
 銀月の言葉に、藍は呆然とした状態から抜け出して答える。

「いや……素直に驚いたよ。眼を瞑って聞いたら本人の声と間違えそうだ」
「あとね、こんなことも出来るんだよ? ちょっと耳貸して?」
「ん? ああ、良いぞ」

 銀月の言葉を聞いて、藍はその口元に耳を置く。
 すると、銀月はにこりと笑った。

「……(ぽそっ)」
「っっっっ!?」

 銀月が何かを囁くと、藍の顔が一気に真っ赤に染まった。
 その様子を見て、将志は首をかしげた。

「……おい銀月。藍に何を言った?」
「お父さんが滅多に言いそうにない言葉だよ。試しに言ってみたらどうなるのかなって思って」

 銀月は楽しそうに笑いながら将志にそう答える。
 すると、突如として藍が将志に抱きついた。

「将志……」

 藍の顔は上気しており、将志の眼を潤んだ瞳で見つめながら腕と尻尾で将志を抱え込む。
 突然の行為に、将志はその場に固まる。

「……急に抱きついたりしてどうした、藍?」
「……すまない。銀月の言葉だと分かってはいるが、どうにも止められないんだ……んっ」

 藍はおもむろに将志と唇を重ねる。
 訳が分からないまま、将志は素直にそれを受け入れる。

「んむっ……おい、銀月。本当に何と言ったのだ?」
「えっとね……「……愛しているよ、藍」って言ったんだよ」

 銀月は将志の真似をしながら感情を強く込め、甘い声で愛の言葉を囁いたのだった。
 その効果のほどは、ご覧の通りである。

「なあ、将志……今から家に来ないか? ここに居ると言うことは仕事は終わっているんだろう?」

 藍は熱のこもった声で将志に問いかける。

「……確かに終わっているが……っ」

 将志が答えると、藍は将志の唇を素早く奪う。
 そして、それによって出来た隙を利用し、将志の腕を取って引っ張り出す。

「なら、紫様も待たせていることだし早く行くとしよう。銀月も、良いな?」
「う、うん……」

 少々強引な藍の言葉に、銀月は多少気圧されながら従うのだった。
 その表情は、何でこんなことになったのか良く分かっていないようであった。



 紫達が住むマヨヒガに着くと、そこにはちょうど紫が居た。
 紫は飛んでくる人影を確認すると、微笑を浮かべて手を振った。

「あら、いらっしゃい、銀月。それに将志も……って藍、貴女は何をしているのかしら?」
「恥ずかしながら、どうにも止められなくなりまして……」

 将志にべったりとくっついている藍に、紫は苦笑いを浮かべる。
 何しろ、藍は両腕で将志の左腕を抱きかかえており、九本の尻尾で首と胴と左脚を抱え込んでいるのだ。
 自分に思いっきり抱きついている藍に、将志は少々言いづらそうに話しかける。

「……藍、幾らなんでもここまでくっつかれると動きづらいのだが……」
「良いじゃないか、そんなに動く必要も無いのだし。ところで紫様、これからお出かけですか?」
「ええ、ちょっとあの子の様子を見にね」

 紫はそういうと、何か思いついたようにぽんと手を叩いた。

「そうだ、銀月も一緒に行ってみないかしら? 同世代の子供が友達になればあの子も喜ぶでしょうし」
「うん、いいよ。良いよね、お父さん?」

 紫の言葉に頷き、銀月は将志の方を見た。
 すると将志は少々苦い表情を浮かべた。

「……俺は別に構わないが……道中には気をつけるのだぞ?」
「うん。ねえ紫さん。手、繋いでくれる?」
「上手く飛べるかどうか自信が無いから、かしら?」
「うん……」

 微笑を浮かべて問いかけてくる紫に、銀月は少し恥ずかしそうに頷く。
 それを聞いて、紫は笑みを深くした。

「ふふふっ、大丈夫よ。飛んだりしなくてもすぐに着くわ」

 紫はそういうと、目の前にスキマを開いた。
 目の前に避けた空間は両端にリボンが結んであり、中には大量の眼が覗いていた。

「これを潜ればすぐに目的地よ。さあ、行きましょう?」
「え、えっと……やっぱり手を繋いでもらっても良い?」

 銀月は少し慌てた表情で紫にそう言った。
 それを聞いて、紫は苦笑いを浮かべた。

「……ひょっとして、これが怖いのかしら?」
「ちょっとだけ……だめ?」

 少し潤んだ茶色の純粋な瞳で、上目遣いに紫に頼み込む銀月。
 そんな銀月の頭を、紫は優しく撫でる。

「……本当、素直で可愛いわね……あの子にこの可愛げが半分でもあればいいのに……はい」

 紫はそう言って銀月に手を差し伸べる。
 銀月がその手を握ると、紫も優しく握り返した。

「……手、暖かくてすべすべしてて綺麗……」

 銀月は呟くように握った手の感触を述べる。
 それを聞くと、紫は嬉しそうに笑った。

「ふふふ、ありがとう。それじゃ、目的地に着くまで離しちゃ駄目よ?」
「うん」
「宜しい。じゃあ、行ってくるわね、藍」
「はい。行ってらっしゃいませ」

 藍がそういうと、二人はスキマの中に入っていった。
 それを確認すると、藍は将志に眼を向けた。

「……さてと、二人きりになった訳だが……」
「……ふむ……茶でも飲むか?」

 将志がそう言うと、藍は首を横に振った。
 そして腕から手を離すと、今度は正面から将志に抱きついた。

「いや……それよりも、私はお前を感じていたい。なあ、抱きしめてくれるか?」
「……良いだろう」

 藍の要望を受け、将志は優しく抱きしめる。
 その腕の中で、藍は嬉しそうに微笑んだ。

「……やはり暖かい……初めて会った時も、お前は敵である私を抱きしめたんだったな……」
「……もう千年近く前の話か。あの時の事はまだ鮮明に覚えているよ。その後、俺は柿の実を頭に受けて気絶したのだろう?」
「あの時は驚いたぞ。私が操る人間の群れを一人で打ち倒し、無傷で私のところまで来た猛者が、たかが柿の実を頭に受けたぐらいで気絶するとは思わなかったからな」

 昔の己の失態を思い出し、将志は苦笑する。
 そんな将志に、藍も苦笑いを浮かべながら相槌を打つ。

「……しかし、よくもあの時逃げ出さなかったものだな? 俺がお前を騙しているとは考えなかったのか?」
「お前と同じだよ。「他の誰が信じなくとも俺はお前を信じる」、そう言ったお前の眼はどこまでも真っ直ぐだったからな。あんな眼をする奴が嘘をつくなんて思えなかったのさ」

 藍は将志の眼を真っ直ぐに見つめながらそう言った。
 将志の黒耀の瞳は今も真っ直ぐな透き通った輝きを放っている。
 しかし、以前はどこか無機質だったものが、今は温かみを帯びたものになっていた。

「……そうか……」
「あの時から、私はお前が愛おしくてたまらない……私の心は、ずっとお前に囚われたままだ。私はいつになったらお前を捕まえられるのだろうな……」

 藍はそう言いながら将志の頬を優しく撫でる。
 その問いに、将志は藍を抱く腕に力を込めながら答える。

「……捕まえなくとも、俺はここに居るぞ?」

 しかし、その答えに藍は首を横に振る。

「違う。私が捕まえたいのはお前の心だ。唇を重ねるのも、こうして抱き合うのも簡単だ。だが、それでは心は手に入らない。私はどうすればお前の心を手に入れられるのだろうな?」

 そう言いながら藍は将志の胸に耳を押し当てる。
 将志の鼓動は落ち着いたもので、どこか安心感を与えてくれる音であった。
 藍の言葉に、将志は首を横に振った。

「……そう言われても、何を持って心を捕らえるというのかが分からん。ただ、俺は確かに藍を好いている。これでは不満なのか?」
「ああ、不満だ。今まではそれでもいくらかは我慢できた……だが銀月の演技とはいえ、ああまで情熱的な愛の言葉を聞いてしまってはもう満足など出来ない。私はお前の口から、心からの愛の囁きを聞いてみたい」

 藍はじれったそうな声で将志にそう告げる。
 藍の吐息は艶っぽく、将志の唇をそっと撫ぜる。
 それに対して、将志は困った表情を浮かべた。

「……とは言われてもな。ただの好意で満足できないとなると、俺はどうすればいいのだ?」
「銀月の演技は完璧だった。もし恋愛感情を持っているのならば、ああ言った感じなのだろう。だが、それは演技として完璧なだけだ。本物の愛の囁きはあんなものではない。私を満足させたいのなら、銀月の演技を上回る告白を聞かせて欲しい」

 藍はそう言いながら、将志の唇を人差し指でなぞる。
 そして、その指を自分の唇に塗りつけた。
 そんな藍を他所に、将志はため息をつく。

「……恋愛感情か……俺はお前が以前に話してくれた感覚をまだ知らない。分からないのだ……」
「ふふっ……それを私に感じたら、いつでも言ってくれ。私は喜んでお前を捕まえに行くからな」

 藍はそう言うと将志の頭を抱え込み、再び唇を重ねる。
 そして舌を吸い出し、甘噛みし、自分のものと絡めあう。
 将志はそれを特に抵抗することなく受け入れ、藍に身を委ねた。
 しばらくして藍が口を離すと、両者の間に銀色の架け橋が出来ていた。

「……はぁ……さて、こんなところでいつまでもこうしていないで、早く中に入るとしよう」
「……ああ。茶でも飲んで休憩するとしようか」
「そうだな……今日は長いんだ、続きは後でゆっくりと、な?」

 そう言って、藍は妖艶に微笑むのだった。



[29218] 銀の月、ついて行く
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/09/15 04:25
 空間が裂け、たくさんの眼が覗く禍々しい空間が現れる。
 その中から二つの人影が現れた。

「ねえ紫さん、もう着いた?」

 そのうちの一人、銀月は眼をギュッと閉じたまま案内人に問いかける。
 その手は紫の手をしっかりと握っている。

「ま~だまだ。目的地にはもう少し時間が掛かるわよ」

 そんな銀月に、紫は意地の悪い笑みを浮かべながら答えた。
 とっくに目的地には着いているのだが、それを告げることなく銀月の手を引く。

「うう~……」

 それを聞いて、銀月は紫の手を握る力を強めた。
 その表情は必死で、スキマの中の空間が余程怖かったようである。
 そんな銀月を、紫は微笑ましいものを見る眼で見つめる。

「ふふふ、本当に可愛いわね……」
「……何やってるのよ、紫」

 そんな紫に声を掛ける者が一人。
 その声を聞いて、銀月は首をかしげた。

「あ、あれ? 人の声?」
「あら、ここまでかしら? 着いたわよ、銀月」
「うん……」

 銀月は恐る恐ると言った様子で眼を開く。
 そして、周囲を確認するように見回した。

「えっと……ここ、神社?」
「それ以外の何に見えるのよ? て言うか、あんた誰?」

 声を掛けられて、銀月はその方を見る。
 そこに居たのは、黒髪に大きな赤いリボンをつけた巫女服の少女だった。
 少女は銀月と同じぐらいの年齢のようである。

「あ、あの、銀の霊峰に住んでる銀月って言います。君は?」
「銀の霊峰? どっかで聞いたことあるわね……」

 銀の霊峰の名前を聞いて、少女は考える仕草を見せる。
 その少女に、紫が話しかけた。

「ほら、前に教えたじゃない。この幻想郷の防衛部隊よ」
「ああ、そう言えばそんなものもあったわね。てことは、こいつ妖怪?」
「妖怪の中に紛れ込んだ妖怪みたいな人間よ」
「面倒くさいわね……」

 胡散臭い笑みを浮かべた紫の返答に、少女はうんざりした表情を浮かべる。
 どうやら普段から紫のややこしい表現につき合わされているようである。

「あ、あの……」
「何よ」

 銀月が声をかけると、少女は不機嫌そうにそちらを見やった。
 銀月は一瞬怯みそうになるが、こらえて話を続ける。

「君は誰?」
「ああ、そういえば自己紹介がまだだったわね。博麗 霊夢、この博麗神社の巫女よ」
「つまり貴方の同業者って事よ、銀月」

 霊夢が自己紹介をすると、紫が横からそう付け加えた。
 それを聞いて、霊夢は首をかしげた。

「え、こいつ神主なの?」
「……貴女ねえ、それも前に教えたじゃない。銀の霊峰には神社があって、そこに元妖怪の強い守り神が住んでるって。銀月はその守り神なら儀式なしで力を引き出せるわよ?」

 紫はため息混じりに霊夢に説明する。
 その話を聞いて、霊夢は信じられないと言った表情を浮かべた。

「はあ? そんな簡単に神様の力が使えるもんですか。それが本当だって言うんなら証拠見せてみなさいよ」
「銀月、見せてあげなさい」
「……うん」

 銀月は頷くと、眼を閉じて祈り始めた。
 すると銀月の周りに銀色の光の粒が集まり始め、身体の中へ流れ込んでいく。
 そこから感じられる力は、確かに神の力の一端であった。

「……嘘でしょ? 眼を瞑って祈るだけ? 何よ、そのお手軽な儀式は?」

 それを見て、霊夢は唖然とした表情を浮かべてそう呟く。

「まあ、これが出来るのはそこの祭神だけなのだけどね。それに銀月自身は神主としては不完全だから、そんなに多くのことは出来ないわ」

 紫はそう言って、銀月の力について補足する。

「つまり、巫女としては私のほうが上ってことね」

 すると霊夢は少し安心したようにため息をついた。
 その様子を見て、紫は意味ありげな笑みを浮かべる。

「まあ、そういうことね。でも、間違いなく銀月のほうが多芸よ?」

 その言葉を聞いて、霊夢の表情が怪訝なものに変わる。

「……ちょっと紫、今そいつはそんなに多くのことは出来ないって言ったじゃない」
「それは神主としてのことよ。銀月自身が出来ることはとても多いわ。とりわけ戦いに関して言えば、あの歳でああまで強い人間はそうは居ないわね」
「……そうなの?」

 紫の話を聞いて、当の本人がキョトンとした表情を浮かべて首をかしげた。
 その反応に、紫の表情が一瞬固まる。

「……もしかして、貴方自分が普通だと思ってるのかしら?」
「違うの? 僕、お父さんや涼姉ちゃんみたいに槍を上手く扱えないし、愛梨お姉ちゃんや六花お姉ちゃんみたいに速く動けないし、アグナお姉ちゃんみたいに力の扱い上手くないよ?」

 銀月は自分の師匠達の名前を挙げながらそう告げる。
 その眼は純粋な輝きを放っていて、心の底からそう思っていることが窺える。
 そんな銀月の様子に、紫は頭を抱える。

「銀月、それは比べる相手がおかしいだけよ。貴方が名前を挙げた人たちはこの幻想郷内でも屈指の能力を持つ人達だって分かっているのかしら?」
「でも、僕は早くお父さん達に追いつきたい。強くなりたいよ」

 銀月はそう言って強い眼差しを紫に向けた。
 そんな銀月に興味を持ったのか、霊夢が話しかけてきた。

「……ねえ、あんた霊力をどこまで扱えるの?」
「えっと……ちょっとだけ……」

 霊夢の問いかけに自信なさげに答える銀月。
 それを聞いて、霊夢は値踏みするように銀月を眺める。

「ちょっとねえ……じゃあ、全力を見せなさいよ。どっちが多くの弾を飛ばせるか勝負しましょう?」
「うん。それじゃあ、僕から……それっ!」

 そう言うと銀月は空に向かって全力で弾幕を張った。
 大量の銀色の弾丸が空に広がり、その中を宝石のような緑色の弾丸が駆け巡る。
 それを見て、霊夢は感心したように頷く。

「へぇ……なかなかやるじゃない。でも、私のほうが上ね。見てなさい」

 そういった瞬間、霊夢から強大な霊力が発せられるようになった。
 そして空に向かって赤と青の符の形をした弾幕が飛び出した。
 それは先程までの銀と緑を覆い尽くし、空を紫色に染め上げた。
 その様子は圧巻と言うより他なかった。

「どう?」
「わぁ……すごいや……」

 したり顔を浮かべる霊夢に、銀月は素直に称賛を述べる。
 そんな霊夢に、紫は笑みを浮かべて話しかける。

「……霊夢、言っておくけど銀月は霊力よりも接近戦の方がメインよ? それに、銀月の一番の強みは……」
「……よし、僕もちょっといいとこ見せなきゃ……霊夢さん、見ててね」

 銀月は気合を入れるように頬を叩いてそう言うと、収納札の中から普段使っている打ち込み用の藁人形と自分の槍を取り出した。
 藁人形を設置すると、今度は霊力で銀色の球状の足場を三つ作り出す。
 その足場は手前から右下、左中、正面上の三箇所に設置され、その奥に藁人形を臨む形になる。

「行くよ……たあっ!!」

 銀月は槍を構えて一気に走り出した。
 右下の足場を踏んで左中の足場へ跳び、更にそれを蹴って素早く正面上の足場へ。
 最後に正面上の足場に上下逆に着地し、それを蹴って藁人形に風を切って急降下しながら槍を突き刺した。
 この一呼吸の動きの間、外に発せられた霊力は足場を維持するものしか感じられず、その動きの全てが己の身体能力のみで行われていることが霊夢と紫には分かった。
 それは銀月の血の滲むような修行の成果であった。

「む~……やっぱりお父さんや六花お姉ちゃんみたいに早く出来ないな~……もっとこう、しゅばばばーって出来ないかな?」

 動作を終えた銀月は藁人形や槍を札にしまいながら、不満そうにそう呟く。
 銀月の頭の中では、もっと長い距離を眼で追えないくらいの速さで同じ芸当をする将志や六花の姿が再生されていた。
 それに比べれば自分の動きは遅いと、銀月はそう考える。
 そんな銀月を、霊夢は唖然とした表情で見つめていた。

「……ねえ、こいつ忍者か何か? ていうか本当に人間?」
「だから言ったでしょう、妖怪みたいな人間って。滅茶苦茶な鍛え方をしたせいで、身のこなしが人間離れしてきちゃったのよ」

 紫は苦笑交じりに霊夢にそう話す。
 将志の華麗な槍捌きと愛梨の曲芸じみた身のこなし、六花の眼にも留まらぬ速さにアグナの精密機械じみた妖力の制御。
 銀月は生き残りたいが故にその全てを目指し、倒れそうになるほど死に物狂いで修練を積んできたのだった。
 その様は、かつて将志が己が主を守れるように血反吐を吐くような修行をしたものに重なる。

「ちょっと、あんた普段どんな生活してるのよ?」
「え? 日が昇る前に起きて修行して、朝ごはんを作って修行して、愛梨さんから曲芸とかそういうのを習って修行して、お風呂に入って寝るくらいだけど……」

 霊夢の問いに、銀月は平然とそう答えた。

「……分かったわ、こいつ修行中毒なのね」

 何かするたびに修行をしていると言う銀月の生活パターンを聞いて、霊夢は深く頷いた。
 その一方で、紫が乾いた笑みを浮かべて銀月に話しかける。

「……銀月、貴方この前修行しすぎで将志に怒られたばかりじゃなかったかしら?」
「う……うん、昨日も怒られちゃった……で、でも、お料理したり笛を吹いたり、曲芸やお芝居したりして趣味も頑張ってるんだよ?」

 修行ばかりじゃない、と必死に主張する銀月。
 しかし、それを聞いて紫は苦笑いを浮かべた。

「それ、早く寝なさいって言われなかったかしら?」
「え、何で分かるの?」
「ねえ、あんたそれ本気で言ってるの? そんなにやる事だらけじゃ寝る暇なんてないじゃない」

 キョトンとした表情の銀月に、霊夢が思わず口を挟む。
 すると、銀月は納得が行かないと言う表情を浮かべた。

「そうでもないと思うんだけどなぁ……だって、お父さん達よりは寝てるもん」
「銀月、妖怪と人間を一緒に考えるのは危険よ。よく覚えておきなさい」

 人間と妖怪を同列に考える銀月に、紫はそう警告した。
 その横から、霊夢が話しかける。

「それに趣味のお芝居って何よ?」
「あら、お芝居が何か分からないのかしら?」
「「え?」」

 銀月の口から発せられた紫の声に、二人は呆気に取られた表情を浮かべた。

「何よ、そんなに驚くことないじゃない。私はただあんた達の真似しただけじゃない……なんてね♪」

 銀月は霊夢の声で言葉を紡ぐと、楽しそうに笑った。
 しばらくして何が起こったのか理解したのか、紫が頷いた。

「声帯模写……もう、いきなり何事かと思ったわ。銀月ってそんなことも出来たのね」
「最初の声、胡散臭いところまで紫そっくりだったわ。隠し芸にはちょうど良さそうね」
「二人とも透き通った綺麗な声してるから、結構簡単だったよ」

 銀月はにこやかに笑いながらそう言って二人の声を褒める。

「ふふふ、褒めるのが上手ね、銀月は」
「……どうでも良いわ」

 素直な銀月の言葉に紫は嬉しそうに笑い、霊夢は気恥ずかしそうに顔を背けるのだった。
 すると、どこからともなく腹のなる音が聞こえてきた。

「……そういえば、もうすぐお昼だね」

 その音の主は、少々恥ずかしそうに頬を染めてそう言った。

「そうね。あ~あ、お昼ご飯どうしようかしら?」
「あら、なら銀月に作らせて見れば? 料理の神様に習っているわけだし、きっと美味しいわよ?」

 霊夢の呟きに、紫がそう提案する。
 それを聞いて、霊夢は銀月のほうを期待に満ちた表情で見た。

「……本当に?」
「うん。お父さん、料理の神様でも有名って……」
「そう。なら作ってちょうだい」
「うん、分かった。それじゃあ作ってくるからちょっと待っててね」

 銀月はそう言うと、台所に向かっていった。
 しばらくすると、小気味の良い包丁の音がし、いい匂いが漂ってきた。

 約三十分後、台所から銀月が料理を盆に載せて運んできた。

「はい。みんなお腹空いてるだろうと思ったから簡単なものにしちゃったけど、良かったら食べて」

 そう言って銀月が持ってきた料理は、ほうれん草の胡麻和えに大根と里芋の煮物、きんぴらごぼうと南瓜の味噌汁にご飯と言う献立であった。
 これらの料理は、銀月が将志に基本として教わった料理であった。

「ええ、それじゃあ頂くわ」
「……いただきます」

 二人はそれぞれにそう言うと、料理に箸をつけた。
 銀月はその様子を緊張した面持ちで眺める。

「……どうかな?」
「流石にあの将志に教えを受けているだけあるわね。なかなかの味よ」
「……良かったぁ~……お口に合わなかったらどうしようかと思ったよ」

 笑顔で述べられた紫の感想を聞いて、銀月はホッと胸をなでおろした。
 その横で、霊夢は黙々と料理を食べている。

「……久々にこんなにしっかりした料理を食べたわ……」
「……え?」

 霊夢の口から出た言葉に、銀月は首をかしげる。

「だって、前にこの神社に居たのは料理なんて出来なかったし、私も教えてくれる人が居なかったからからっきしなのよ? これまで何度生煮えの米と野菜の丸かじりで過ごしてきたか……」

 霊夢はホロリと涙をこぼして悲惨な食生活を語りながら、銀月の料理の味を噛み締める。

「た、大変だったんだね……」

 どんな霊夢の様子に、銀月は苦笑いを浮かべた。
 すると、突然霊夢は勢いよく銀月のほうを向いた。

「あんた、銀月って言ったわね?」
「う、うん」
「今度からうちにご飯作りに来なさい」
「え、え~?」

 霊夢からの突然の提案に、銀月は思わず間の抜けた声を上げる。
 そんな銀月に畳み掛けるように、霊夢は話を続ける。

「どうせ修行ばっかりして、休めって怒られてるんでしょ? だったらその分ここでご飯作りなさいよ」
「え、えっと、僕が教えてあげるから、自分で作ったりとか……」
「嫌よ、めんどくさい。それに、出来る人がやった方が確実でしょ?」

 銀月の提案をノータイムで棄却する霊夢。
 霊夢の発言に、銀月はどうすればいいのか分からないといった様子で俯く。

「それはそうだけど……」
「そういう訳だから、明日から宜しく~」
「ええっ!? ちょっと待ってよ! 家からここまですっごく遠いんだよ!?」

 霊夢の勝手な発言に、銀月は慌てて声を上げる。

「良いじゃない、全力で空を飛んでくればあんたの大好きな修行にもなるわよ?」
「あ、そっか……空を飛ぶ練習にもなるね……」

 しかし、次の霊夢の発言に納得したように頷いた。
 そんな銀月に、紫は乾いた笑みを浮かべた。

「そ、それで納得しちゃうのね……本当に大丈夫なのかしら?」
「アグナお姉ちゃんが言ってたんだけどね……無理って思ったら無理なんだ。出来なかったら、出来るようにするんだ!」

 銀月は勢いよくそう言って、気合を入れた。

「……流石はアグナ、凄い熱血ぶりね……」

 それを見て、紫は銀月に根性論を吹き込んだ張本人を思い浮かべ、苦笑いをする。

「まあそれはともかく、これで食事係ゲットね」

 その横で、霊夢はホクホク顔で料理を食べるのだった。





「……あ、お湯が沸いた。ちょっと待っててね」

 食後、銀月は火に掛けていたやかんの水が沸騰しているのを確認すると、再び台所に向かっていった。
 その様子を、紫はジッと眺めている。

「本当、将志に似てよく働く子ね。霊夢も少しは見習ったら?」

 紫はそう言って、霊夢を見やる。

「私は無駄なことはしない性質なのよ。出来る人に任せた方が効率がいいし」

 一方、霊夢は座布団を枕にし、畳張りの床に寝転がったまま紫に答えを返す。
 それを聞いて、紫はため息をついた。

「貴女は出来なさすぎよ。銀月みたいにしろとは言わないけど、もう少し努力して見なさいな」
「大きなお世話よ」

 霊夢は不機嫌そうにそう言うと、寝返りを打って紫に背を向けた。
 そんな中、銀月がお盆に三つの湯飲みを載せて居間に戻ってきた。

「お茶が入ったよ。はい、どうぞ」

 銀月が部屋の真ん中にあるちゃぶ台に湯飲みを並べる。
 すると、霊夢は起き上がってのそのそとお茶を飲みに来た。

「ありがとう……ふぅ、他人が淹れるお茶は美味しいわ」
「そう? 喜んでもらえて嬉しいよ、霊夢さん」

 銀月は霊夢にそう言って笑いかける。
 すると、霊夢は不愉快そうに眉をひそめた。

「その呼び方やめてくれる? 面倒だから霊夢でいいわよ」
「うん、わかったよ、霊夢」

 銀月は霊夢の言葉に素直に頷く。
 そんな銀月に、紫が声を掛けた。

「ところで銀月、貴方ここから銀の霊峰までの帰り方って分かるのかしら?」
「ここから家までの帰り道は見えるから分かるけど……こっちに来る時が分かんないかも」
「あら、ここに来るのも簡単よ。東に向かって飛んで、結界にぶつかったら壁沿いに探せば見つかるわ。それに、銀月なら結界の基点を探せば見つけられるはずよ?」
「そうなんだ……う~ん、結界の勉強しないと……」

 紫の話を聞いて、銀月はうなり出した。
 どうやら、苦手な分野の話の様である。
 そんな銀月に、霊夢がため息混じりに口を挟む。

「あんなの簡単じゃない。基点を作ってそこから展開すれば良いだけじゃないの」
「でも、僕はちょっと苦手なんだよね……」
「じゃあさっさと覚えなさいよ。私のご飯が懸かってるんだから」
「うん、頑張る」

 自分の生活が懸かっているせいか語気が強い霊夢に、銀月は頬を叩いて気合を入れながらそう言って答える。
 その様子を見て、紫が苦笑いを浮かべて止めに入る。

「そんなに焦る必要はないわよ。霊夢はその辺りの才能は凄いから簡単に見えるだけよ?」
「ううん、僕はやるよ。みんなに追いつきたいなら、僕はみんなよりもずっと多くの練習をしないといけないんだから!」
「いい加減にしなさい、銀月!!」

 突如として、紫は声を張り上げて銀月を叱りつけた。

「えっ……」

 いきなり怒られて、銀月は呆然とした表情を浮かべる。
 そんな銀月に、紫は深々とため息をついた。

「全く……何でこの子はこんなに余裕が無いのかしら? そんなことしていたら、妖怪に襲われる前に過労で死ぬわよ? これ、将志や愛梨達が何度も言っているはずよ?」
「あう……」

 紫の言葉を聞いて銀月は肩を落とし、しゅんとしょげ返ってしまった。
 そんな銀月を宥めるように、紫はそっと抱きしめた。

「それに、本当なら貴方は強くなる必要すらないのよ? 貴方がどんなに弱くても、将志や銀の霊峰の皆が貴方を守ってくれる。彼らが動けなかったら、私が守ってあげるわ。だから、無理だけはしないでちょうだい。強くなりたいのは分かるけど、それで倒れてしまっては元も子もないのだから」
「うん……」

 打って変わって優しく囁くように諭してくる紫に、銀月は眼を合わせずに頷く。
 そんな銀月に、紫は話を続ける。

「これは約束よ? 貴方のお父さんは絶対に約束を破らなかったわ。貴方にそれが出来るかしら?」
「……約束する。もう、絶対に破らない」

 銀月は顔を上げ、真っ直ぐな瞳で紫の眼を見つめてそう言った。
 父と慕う将志の背中を追いかける銀月に対して、紫の言葉は抜群の効果を示しそうであった。
 紫は銀月の視線を受け止めると、微笑を浮かべて銀月の頭をそっと撫でた。

「うん、宜しい。破ったらきつ~いお灸を据えてあげるから、覚えておきなさい?」
「うん」

 紫の言葉に、銀月は力強く頷いた。
 そんな二人のやり取りを、面白く無さそうに見つめる者が約一名。

「……紫、私と銀月で待遇に差があるような気がするのは気のせいかしら?」
「別に神事とかをサボったりしなければ何も言わないわよ? それに、銀月は頑張ってるし可愛いから、つい優しくしたくなっちゃうわけ。お分かり?」
「……むかつくわね……」

 薄く笑みを浮かべる紫の言葉に、霊夢は苛立ちを隠さずに睨みつけた。
 そんな霊夢を気にも留めず、紫は銀月に声を掛けた。

「さて、そろそろ戻るわよ、銀月」
「あ、うん。ちょっと待って、台所がまだ片付いてないんだ」

 銀月はそう言って台所に駆け込もうとする。
 その後ろから、霊夢が声をかける。

「その前に銀月、今日の晩ご飯用意して行きなさい」
「それならお昼の残りがまだ一人前ずつ位残ってるんだけど……それじゃダメ?」
「……まあいいわ。それじゃ、明日からも宜しく」

 霊夢は今日の夕食が確保されていることを確認すると、居間に寝転がった。
 そんな霊夢を他所に銀月は大急ぎで洗い物を片付け、紫の元へと駆け寄った。

「終わったかしら? それじゃ、戻るわよ」
「うん」

 銀月が手を繋ぐと、紫はスキマを開いて中へと入っていった。





「……藍、これはどういうことか説明してくれるかしら?」

 マヨヒガに着くと、紫は藍に状況を説明するように促した。

「その、少しやりすぎてしまいまして……」

 藍は罰が悪そうな表情を浮かべて紫にそう言った。
 着衣は少々乱れており、慌てて直したことが良く分かる。

「…………」
「お父さん、顔真っ赤……どうしちゃったんだろう……」

 その傍らで、銀月は顔を真っ赤にして眼を回している将志を前に呆然と突っ立っていた。


 槍ヶ岳 将志、キスより先のことはまだまだのようである。



[29218] 銀の月、キレる
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 16:41
 銀月が銀の霊峰に来てから数年が立ったある日、来客を示す鐘の音が銀の霊峰の社に響き渡る。
 突然の来客に将志が対応すると、そこに現れたのはグレーのスーツ姿の初老の男だった。

「久しいな、将志」
「……良く来たな、アルバート。今日はどうしたのだ?」
「今日は紹介したい者がいるのでな」
「……紹介したい者だと?」
「ああ。ギル、こっちに来い」

 アルバートが声を掛けると、後ろから子供が現れた。
 子供の髪は金色で眼は青く、ジーンズと黒いジャケットを着ていた。

「……その子供は?」
「私とジニの息子だ」
「ギルバート・ヴォルフガングって言うんだ、宜しく」

 ギルバートと名乗ったアルバートの息子はそう言って軽く礼をする。
 将志はそれに対して会釈をして返す。

「……銀の霊峰首領、槍ヶ岳 将志だ……アルバート、息子なんて居たのか?」
「ああ。今年で八歳になる。少々口は悪いが、こちらからも宜しく頼む」
「……親父、人間の匂いがするぜ? ここには妖怪しか居なかったんじゃないのかよ?」

 二人が話していると、ギルバートが不愉快そうに表情を歪めながらそう言った。
 それを聞いて、アルバートも漂っている匂いを嗅いだ。

「……確かにそうだ。将志、ここに人間が居るのか?」

 アルバートはそう言って将志に視線を向ける。
 それを聞いて、将志はため息混じりに答えを返した。

「……確かに居る。少し訳ありでな、ここに住まわせているのだ」
「どんな人間だ?」
「……いささか純粋すぎる子供だ。齢にしてお前の息子と同じくらいだろうか?」

 将志がそう言うと、奥から誰かが走ってくる軽快な音が聞こえた。

「お父さん、愛梨お姉ちゃんが呼んで……あ、お客さん……」

 現れた黒髪の少年は、将志が客に応対しているのを見て気まずそうに口ごもった。
 アルバートは、その白い胴衣と袴を身に着けた少年に眼を向ける。

「その子供が訳ありの人間か?」
「……ああ。名を銀月と言う。便宜上は俺の養子という扱いになっているようだがな」
「えっと、銀月と言います。宜しくお願いします」

 銀月はそう言うと、アルバートに深々と頭を下げた。
 アルバートは銀月を見て、怪訝な表情を浮かべた。

「流石に妖怪の子が人間と言うのは無理がある……と言いたい所だが、ここまで纏う空気が似通っているとはな」
「……ああ。紫曰く、魂のレベルで似通っているらしいからな」

 将志がそう言うと、アルバートは興味深いと言った視線を銀月に送った。
 それを受けて、銀月は無言でその場に固まる。

「人間でありながら神と近しい魂を持つ子供か。将来どのような人物になるのだろうな?」
「ふん、所詮は人間だろ? だったら碌な奴にはならないさ」

 アルバートの疑問に、ギルバートが吐き捨てるようにそう言った。
 その発言に、アルバートは大きくため息を吐いた。

「ギル、前にも言っただろう。全ての人間が愚かな者ではないのだと」
「だとしても信用できないな。こいつが親父達を追いやった連中と違うなんていう証明は無いだろ」

 アルバートの説得にも、ギルバートはそう言い返した。
 視線は銀月を見ようともせず、まさに取り付く島もないといったところである。

「あの……僕、何かしちゃった?」
「話しかけてくるなよ、人間。俺は人間と話す気なんて無いんだからな」

 銀月が話しかけると、ギルバートは目を背けながらそう返した。
 その言葉に、銀月はこてんと首をかしげた。

「……君は人間じゃないの?」
「あ? 人狼とお前達人間を一緒にするな、殺すぞ」

 銀月の言葉に、ギルバートは射殺さんばかりの眼で睨みつけた。
 その言葉を聞いて、笑うものが約一名。

「……はははっ、銀月をそう簡単に殺せるものならやってみろ」
「……なに?」
「え、お父さん?」

 将志の発言に、ギルバートと銀月の眼がそちらに移る。
 すると将志は笑みを崩さぬままそれに答えた。

「……伊達に俺達と一緒に修行を積んでいるわけではあるまい、銀月? 同世代の相手と戦ういい機会だ、試しに戦ってみるが良い」
「……うん。分かったよ、お父さん」

 将志の発言に銀月は頷き、気合を入れるように自分の頬を叩いた。
 その一方では、人狼の親子が話をしていた。

「さて、向こうは乗り気のようだが……お前はどうする、ギル?」
「ああ、やってやるよ。人間なんて叩き潰してやる」

 ギルバートはそれだけ言うと、銀月の前に立った。

「……お願いします」

 銀月はギルバートに一礼して、その前に立つ。
 手には何も握られておらず、武器を持っているそぶりも無い。

「……銀月、槍は出さないのか?」
「ちょっと試したいことがあって……」

 将志が疑問を呈すると、銀月はそう言って答えた。

「……そうか。まあ、好きにするといい」

 それを聞いて、将志は一つ頷いてその場を離れた。

「ギルも、その姿で良いのか?」
「ああ。ちょうど良いハンデだろ?」

 ギルバートは人間の姿のまま、アルバートにそう言い放つ。
 その表情には自信が溢れていて、負けるわけが無いという思いが溢れていた。

「……ギル。相手を侮るな。うかうかしていると足元を掬われるぞ」
「はっ、人狼が人間に負けるわけ無いだろ」

 ため息混じりに忠告するアルバートに、ギルバートは手をひらひらと振りながらそう返して、開始線に立った。
 それを確認すると、将志が号令を掛けるべく試合場に立つ。

「……では、始め!」
「……行くよっ!!」

 開始と同時に、銀月はギルバートの懐に風切り音と共に飛び込んで蹴りを放つ。
 霊力で身体能力を強化し、勢いを殺さずに素早く放たれた攻撃は見事と言わざるを得ない。

「なあっ!?」

 ギルバートはその想定外の速さに対応できず、攻撃を腹に受けて派手に吹っ飛ぶ。

「……あれっ?」

 一方の銀月も、この程度ならば避けられてしまうだろうと思っていたため、唖然とした表情を浮かべていた。

「ちっ……まぐれだ。次は当たらない!」

 ギルバートは素早く受身を取って態勢を立て直すと、銀月に向かって走り出した。

「でやあっ!!」

 ギルバートは全体重を乗せて銀月に体当たりを掛ける。
 こちらも身体能力を強化されているのか、八歳の子供とは思えない速度で相手に突っ込む。

「ふっ……やあっ!」

 それに対し、銀月は飛び上がってギルバートの頭を左手で掴み、逆立ち状態になる。
 そして向こう側に倒れる勢いを利用して投げ、ギルバートを片腕で地面に叩きつけ、背中に右の拳を突き刺した。

「ぐあっ!!」

 背中を痛打され、ギルバートはその場で激しく咳き込む。
 銀月は反撃を警戒して素早く後方に下がった。

「えっと……ごめんね。お父さん達よりずっと遅いから……」

 銀月は少し言いづらそうにそう言った。
 普段相手しているのが将志以下銀の霊峰のトップメンバーの化け物達であるため、銀月の基準はそれになってしまっているようである。
 そんな声を掛けられているギルバートに、アルバートが声をかける。

「だから行っただろう、馬鹿者が。今のが銀の武器だったらお前は死んでいるぞ?」
「くそっ……まだだ、まだ負けちゃいない!」

 ギルバートは立ち上がると、右手をグッと握り締めた。
 すると手首の辺りに魔法陣が現れ、その手を覆うように金色の玉が現れた。

「はあっ!」

 ギルバートはその金色の魔弾を銀月に向かって投げ飛ばす。
 しかし唸りを上げて迫るそれは、銀月が手を一振りすると真っ二つに裂けて狙いを外れていった。

「よし、上手く行ってるみたい」

 銀月の両手にはいつの間にかそれぞれ札が人差し指と中指で挟むようにして持たれていた。
 元は薄い半紙であるはずの札は真っ直ぐに伸びており、銀月の霊力によって仄かに銀色の光を帯びていた。
 どうやらこの札がギルバートの放った弾丸を切り裂いたようである。

「……認めろ、ギル。相手は人間の姿のまま勝てる相手ではない。あの人間は今のお前では死力を尽くして戦うような相手だ」
「く、くっそ……」

 再び声を掛けてくるアルバートに、ギルバートは悔しそうにそう呟く。

「別に人間に狼の姿を見せるのが恥だと言う訳ではないのだろう? 逆に、本気を出さずにいて負けるほうが余程馬鹿馬鹿しいと思うが?」
「畜生……やってやる……ぶっ殺してやる!」

 アルバートの話を聞いて、ギルバートはポケットから鮮血の様な紅色の丸薬を取り出してそれを飲んだ。
 すると、ギルバートの姿が人間の子供のものから、群青色の狼のものへと変化した。
 爪や牙が鋭く伸び、その身体を取り巻くように金色のオーラが溢れ出ている。

「……えっ?」

 突然の姿の変化に、銀月はその場で呆然と固まる。
 そんな銀月に、将志は声をかける。

「……銀月、これが人狼だ。幾ら人間に近しいとは言っても、中にはこのような魔物を飼っている。先程までの相手と思うな」
「……うん」

 銀月は将志の言葉に頷きながら、手にした札を強く握った。

「生きて帰れると思うなよ、人間!」
「まだ……やるって言うんなら!」

 二人はそう言うと、激しくぶつかり合った。
 人狼と化したギルバートが空気を震わせながら腕を振るえば、銀月は曲芸じみた動きでそれを躱す。
 銀月が素早い動きで視界から消えて蹴りを放てば、ギルバートはそれを人狼の耐久力で耐え忍ぶ。
 双方共に子供とは思えない、激しい攻防が続いた。

「驚いたな……将志、あの子供は本当に人間か?」

 人狼と身体一つで肉弾戦を繰り広げる銀月に、アルバートはそう呟く。

「……間違いなく人間だ。ただ、色々と常軌を逸しているところもあるがな」
「なるほど……人間も鍛えていくとこれほどまでの動きが出来るのだな……」

 将志が苦笑混じりにそう答えると、アルバートは感心したように頷いた。
 そんなアルバートに、将志は視線をギルバートに向けながら問いかける。

「……そうは言うが、お前の息子も唯の人狼ではあるまい?」
「ああ。ギルは正確には人狼ではない。人狼と魔人の混種で、形式的に魔狼と呼ばれている。素質としては、私よりも上かも知れんな」
「……見たところ、かなり鍛えているように見えるが?」
「そのつもりではいたが……これでは鍛え直さんといかんかもしれんな」

 銀月の動きに翻弄されているギルバートを見て、アルバートは苦笑する。
 それを聞いて、将志はその肩を叩いてため息を吐きながら首を横に振った。

「……やめておけ。銀月の修行の量は俺から見ても逸脱しているのだ。生半可な気持ちで同じことをやると、あっという間に倒れてしまうぞ?」

 その将志の様子を見て、アルバートは唖然とした表情を浮かべた。

「……お前が見てそれなら、余程のことなのだろうな」
「……注意をしてすぐは鍛錬を控えめにするのだが、しばらくするといつの間にか元の量よりも多くなっているのだから始末に終えん。今まで何度修行禁止令を出したことやら……」

 目尻を押さえて唸りながら将志はそう言う。
 それを聞いて、アルバートはため息を吐いた。

「そこまで来ると、もはや病の類だな。修行以外にしていることはあるのか?」
「……最近は料理や芝居に凝っている様だな。あとは愛梨に曲芸や笛を習っている」
「随分と多芸だな。ギルも色々と習わせては居るが、それ以上だな」

 将志はアルバートと試合を見ながら話を続ける。
 一方、その話題に上がっている二人は依然として激しい攻防を繰り広げていた。

「……このっ、くたばれ!」

 ギルバートが腕を振るえば、黄金の爪がその身体を引き裂かんと銀月に飛んでいく。

「だから、僕が何をしたって言うのさ!」

 銀月は飛んでくる斬撃を霊力を通した札で切り払うと、反撃に銀の弾丸を放つ。
 ここまで銀月はこの札を防御にしか使っておらず、その攻撃は全て弾丸か蹴りである。

「うるさい! 人間は大人しく俺達に狩られてれば良いんだよ!」

 その弾丸を躱し、ギルバートは爪で襲い掛かる。
 それは鋭く光り、触れたものを切り裂くような力が感じられる。

「何でさ!」

 銀月は手にした札でその攻撃と切り結ぶ。 
 その感触は、まるで刀同士で切り結んだような感覚であった。

「人間は自分達の勝手な都合で親父達を追い出したんだ! だから俺は人間を許さない!」
「それじゃあ唯の八つ当たりじゃないか! 僕は君のお父さんを追い出したりなんてしていない!」

 ギルバートと銀月はそう言い合いながら激しく斬り合う。
 切り結ぶのは爪と札、しかし聞こえてくる音は金属音だった。
 その甲高い音が、絶え間なく連続でその場に響き渡った。

「だが親父達だって何もしていなかったはずだ! それを人間達は平気で!!」

 ギルバートはそう言いながら突き飛ばすように爪を繰り出す。
 銀月はそれを受け止めると、勢いを殺すように後ろに跳んだ。

「……そうかい。だから、君はその仕返しに僕を殺すって言うんだね?」

 そう言った瞬間、銀月の纏う空気が変わった。
 くりくりとした眼は鋭く細められ、ギルバートを睨みつけていた。

「っ!?」

 その眼に睨まれた瞬間、ギルバートの全身の毛が一気に逆立ち、寒気が走った。
 今まで感じたことの無い感覚に、ギルバートは思わず立ち止まった。

「……ふざけるな。そんな八つ当たりで殺されてたまるか。そんなことで殺されるくらいなら、僕は君を殺す……覚悟は出来てるよね?」

 銀月の声がその場に響く。
 その声は冷たく、まるで機械の様に感情の無い声であった。

「……ああ。やれるもんなら、やって見やがれ」

 そんな銀月に若干の恐怖感を覚えながら、それを微塵も感じさせない声でギルバートはそう答えた。
 それを聞いて、銀月は少し俯いた。

「そう……後悔しないでね……っ!」

 そう言った瞬間、突然ギルバートの前に離れていたはずの銀月が現れた。

「は、速い!」
「……しっ」

 驚くギルバートに向かって、銀月は音も無く二度三度と腕を振りながらすり抜ける。
 すると、群青の毛並みの手足に赤い線が引かれ、鮮やかな色彩の液体が流れ出した。

「ぐっ……」
「……痛い? 君はこれと同じ事を僕にしようとしてたんだよ?」

 思わず膝を突くギルバートに、銀月は冷たく言い放つ。
 指に挟んだ札からは血が滴っており、それがギルバートの身体を切り裂いていたことが分かる。

「この……っ!」
「遅い!」
「がはっ!?」

 繰り出される手を銀月は掴み、相手の腹に札を突き刺す。
 そして相手の勢いを利用して肩に担ぎ、一本背負いの要領で地面に叩き付けた。 
 ギルバートの腹には横一文字の深い刺し傷が刻まれ、血が流れ出している。

「殺すって言うからにはもっと痛いことをするつもりだったんだよね? まだまだ終わらないよ」
「舐めるなぁ!」
「遅すぎる!」
「ぐふっ!?」

 立ち上がって弾丸を放とうとするギルバートに、銀月はそれよりも早く弾丸を撃ち込んだ。
 鳩尾に弾丸を受け、ギルバートは両膝をついてその場に沈む。

「……一方的にやられる気分はどう? 君はこれと同じ事を他の人間にもするつもりだったのかな?」

 そんなギルバートを、銀月は感情の籠もらない瞳で見下ろす。
 上から降ってくる声に、ギルバートは悔しげな表情で顔を上げる。

「ぐ、ぐぅ……人間なんかに……」

 そう言っている間に、人狼の再生能力が発動してギルバートの身体の傷は塞がっていく。
 それを見て、銀月は小さくため息を吐いた。

「そうだったね、君は人間よりは強いんだったね。でも覚えておいて。お父さんの言葉だけど、『強者は弱者を守るためにあるべきだ』。君みたいに、八つ当たりに使うなんておかしいんだよ」
「くっ……偉そうに!」

 淡々としゃべる銀月に、ギルバートは掴みかかろうとする。
 それを見て、銀月はため息をついた。

「……もういいや、寝てろ!」

 銀月は掴みかかってくるギルバートの腕を掴み、その勢いを利用して宙に放り投げる。
 跳躍してそれを空中で受け止めると、銀月は相手の首に膝を当て、そのまま地面に叩き付けた。

「がっ……」

 後頭部を強く打ち首を圧迫されたことで、ギルバートの意識は混濁し、動かなくなった。

「……えっと……生きてるよね?」

 そんなギルバートを、一転して心配そうな表情で銀月は見つめる。

「安心しろ、首を飛ばされたり銀の武器で心臓を突かれない限りは死にはせんよ」

 そんな銀月にアルバートが声を掛けた。
 すると、銀月はアルバートに深々と頭を下げた。

「あ、あの……ごめんなさい……」
「なに、気にすることはない。今日のことはギルにとってもいい薬になっただろう。ギルは少々人間を嫌いすぎる上に見下している節があるからな。出来れば仲良くしてやってくれ」

 アルバートは苦笑気味にそう言い放つと、ギルバートのところへ向かった。
 それと入れ替わりに、将志が銀月に話しかける。

「……なかなかに強くなったな、銀月。その札は何だ?」
「いつもの槍をしまってるお札に霊力を通しただけだよ。お父さん達に追いつくにはいろんな戦い方が出来ないとダメかなと思って……」

 銀月は札についた血を払い落としながら将志にそう言った。
 ……また修行量増やしたのか。
 将志は頭を抱えながらそう思いつつ、銀月と話を続けた。

「……それにしても、お前最後まで槍も俺の力も使わなかったな。何故だ?」
「……お父さんからもらった槍に血を付けたくなかったから。この人、こうなるまで絶対に止まってくれないと思ったから。それに、お父さんの力を使うのは奥の手だもん」

 それを聞いて、将志は苦笑いを浮かべた。

「……銀月。俺がやったものを大事にしてくれるのは嬉しいが、それはお前の大切なものを守るためのものだ。ただの喧嘩に使うのはあれだが、このような場や身の危険を感じた時にこそ使って欲しいものだ」
「うん……」

 将志が頭を撫でると、銀月は少し嬉しそうに眼を細めた。
 それを見て頷くと、将志は倒れている群青の人狼を指差した。
 倒れたことにより、その身体に纏っていた黄金のオーラは消えている。

「……さて、勝者の責任として、そこで寝ている魔の人狼を看病してやるがいい」
「うん、分かった」

 銀月は一つ頷くと、ギルバートを手当てするために運んでいった。
 そんな銀月を、観戦していた二人は見送る。

「……それにしても、銀月がああまで怒るのも珍しいな」
「そうなのか? お前に似て、ああ見えて激情家なのではないのか?」

 アルバートの言葉を聞いて、将志は首をかしげる。

「……俺が激情家だと?」
「自分で気付いていないのか? お前、誓いや誇り、絆といった類のものに関しては普段からは想像も出来ないほど感情的になっているのだぞ?」
「……そうか?」
「その通りだと思うわよ?」

 将志が問い返すと、どこからとも無く大人びた女性の声が聞こえてくる。
 その瞬間、目の前の空間が裂けて金髪の女性が現れた。
 白いドレスに紫色の垂をつけたその姿を見て、男二人は深々とため息を吐いた。

「……また突然現れたな、紫。何の用だ?」
「そうねえ……用があるとすれば銀月にかしら?」

 紫は口に扇子をあて、意味ありげに笑いながらそう言い放つ。
 その胡散臭い言動に、将志は眉をひそめた。

「……銀月に何の用だ?」
「無理をしていないかどうか気になってね。あの子、約束してもどんどん無茶をしそうだし」

 それを聴いた瞬間、将志はため息と共に大きくうなずいた。

「……銀月、本当に信用が無いな……同意するが」
「それにしても……怒らせると怖いわね、銀月は。たぶん、一歩間違えていれば人狼に命は無かったかもしれないわね。何しろ、銀月には前科があるし」

 紫は銀月が去っていった方向を見つめながらそう言った。
 それを聞いて、将志はため息混じりに問いかける。

「……それはあの夜のことを言っているのか?」
「ええ。あの夜以来、銀月があの時みたいに大暴れしたことは無いわ。けど、いつどんな時に銀月がまたあの夜みたいになるか分からない。その時は将志、貴方が止めてあげて」
「……ああ」

 紫の言葉に、将志は静かに頷いた。
 そんな二人に、訝しげな表情を浮かべてアルバートが声をかける。

「……あの夜、とは何だ?」
「……銀月が訳ありと言われる所以となった夜だ。銀月はかつて、たった一人で妖怪の群れを槍一本で全滅させたのだ」

 アルバートの問いに、将志は淡々と答える。
 それを聞いて、アルバートは唖然とした表情を浮かべる。

「……信じられんな。あんな子供が、妖怪達と命のやり取りをして生き残ったと言うのか?」
「そういうこと。そんな子を、むやみに人里なんかに預けられないでしょ?」

 紫はそう言って、言外に銀月がここに居る理由を述べた。
 言わんとすることを理解し、アルバートは頷いた。

「俄かには信じがたいが、この現状こそが事実か。成程、銀月のあの空気と気迫は実際に命のやり取りをしていたから作り出せたものか」

 アルバートの言葉に、紫は満足そうに頷く。

「ええ……って、藍? 突然通信を入れてきてどうしたの? 仕事しろ? やあねぇ、銀月の様子を見に行くのもちゃんとした仕事……はぁ? だったら将志が女を口説かないかどうか監視する仕事に移る? わかった、分かったからちょっと待ってちょうだい! ……じゃあ、これで失礼するわね」

 そう言うと、紫はそそくさとスキマを開いて帰っていった。
 すると、アルバートは将志にジト眼を向けた。

「……お前、そんなにそこら中で女を口説いているのか?」
「……そんなはずは無いのだがな……」

 アルバートの問いに、解せぬと言わんばかりに将志は首を横に振るのであった。





「……うっ……」
「眼は覚めたかい?」

 金髪青眼の少年が眼を覚ますと、横には黒髪茶眼の少年がついていた。
 ギルバートは布団から身体を起こすと、銀月に視線をやった。

「……お前……」
「強く頭を打ったから、少し頭がぼーっとすると思うけど……」
「……俺を殺すんじゃ、なかったのか?」

 その言葉に、銀月はキョトンとした表情を浮かべた。

「え、殺すわけ無いよ。僕が君を殺すとしたら、君が本当に僕を殺しそうな時ぐらいだよ」
「つまり、俺がお前を殺せそうだったら……」
「……たぶん、僕は本気で君を殺そうとしたと思う。だって、死にたくないもの。死んだらもう終わりだからね」

 銀月は少し暗い表情でギルバートにそう告げた。
 それを聞いて、ギルバートは悔しそうに床に拳を叩き付けた。

「……ああくそ、つまり俺は歯牙にも掛けられなかったって事かよ」
「けどね、それでも僕は君を殺さなかったよ。だって、あの場にはお父さんも君のお父さんも居たから」
「は?」
「だって……君のお父さんは、君が殺されそうになってるのを黙ってみてると思う? 逆だってそう。お父さんは、たぶん僕が殺されそうになったら助けてくれたよ」
「ちっ……そういうことかよ……っと」

 ギルバートはそう言うと立ち上がった。
 まだダメージが抜け切っていないようで、足元は若干ふらついている。

「お前、名前は?」
「え、銀月だけど……って、君大丈夫?」

 ふらついているギルバートに、銀月は心配そうに声をかける。
 それを聞いて、ギルバートは煩わしそうにため息を吐いた。

「君君ってうるせえな。俺にはギルバートって名前があるんだよ……その名前覚えたぜ。次は負けねえよ、銀月」
「いいよ。次も負けないからね、ギルバート」

 憮然とした表情のギルバートに、銀月はそう言って笑い返した。



 その後、銀月とギルバートは幾度と無く拳を交え、互いに修練を積むことになるのだが、それはまだ先の話。
 余談ではあるが、銀月はギルバートに負けないようにと懲りずに修行を増やし、将志に見つかってこっ酷く叱られることになるのだった。



[29218] 銀の月、永遠亭へ行く
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 16:53
「えいっ、やあ!」

 気合の掛け声と共に、銀月は銀色に光る二枚の札を携えて相手に打ち込んでいく。
 その攻撃は絶え間なく、相手の武器を弾き飛ばして攻め込んでいく。

「せいっ、はっ!」

 それに対して、涼は手にした朱の柄の十字槍を巧みに操って捌いていく。
 劣る手数を槍の長いリーチを上手く使って補っている。

「そこだっ!」

 銀月は涼の槍を弾いて隙を作ると、即座に札から槍を取り出して突き込んだ。
 その突然の切り替えは、初見であるならば間違いなく対応出来ない程素早かった。

「甘いでござるよ!!」

 しかし、その放たれた槍を涼は脚捌きを使って避けながら弾き、銀月の側面に回りこんだ。
 そして、銀月の背中に槍の柄を叩き付けた。

「ぎゃうっ!?」

 銀月は叩かれた衝撃で地面を転がり、倒れ臥した。
 将志の守り神の守護が掛けられているため大怪我はしないが、それでも痛いことには変わりない。

「惜しかったでござるなぁ、銀月殿。でも、まだまだ拙者はお主には負けんでござるよ」
「うう~っ、修行不足かな~?」

 涼が声を掛けると、銀月は涙眼になりながらそう言った。
 それを聞いて、涼は大きくため息をついた。

「……間違ってもそれは無いから安心するでござる。現に、銀月殿の技量はその年齢では考えられないくらい高いでござる。銀月殿に足りないのは実戦経験でござるよ。こればかりはここでの修行だけでは補えんでござるからなぁ」
「経験か……どうすればいいんだろう?」
「手っ取り早いのはここで開かれている大会に参加することでござるな。そこで戦ってみれば、今のお主がどのくらいの強さを持っているかの指標にもなるでござるからな」
「そっか……それじゃあ、お父さんに聞いてみるよ」

 銀月はそう言うと社の中に入ろうとする。
 その肩を、涼はがっしりと掴んだ。

「その前に……ちょっとその槍を見せるでござる」

 涼の声を聞いて、銀月の顔はみるみるうちに蒼くなった。
 どうやら、何か後ろめたいことがあるようであった。

「うっ……て、手入れはちゃんとしてるよ?」
「いいから見せるでござる」
「……はい……」

 そう言って、銀月は恐る恐る手にした槍を差し出した。
 涼はそれを受け取ると顔をしかめた。

「……ほうほう、総鋼造りの槍でござるか……道理で打ち合った感触が重かったわけでござるなぁ……これ、結構高かったでござろう?」
「うん……今までのお小遣い全部使って……」

 銀月は頭を抱え、震える声でそう言った。
 それは正に親に怒られるのを怖がる子供の図であった。
 それを聞いて、涼は再び大きくため息をついた。

「はあ……成長期の子供がこんなものを扱ってたら身体を壊すでござるよ……可哀想でござるが、このことはお師さんに報告するでござる」

 それを聞いた瞬間、銀月は弾けた様に顔を上げた。

「ええっ!? お願い涼姉ちゃん、お父さんに言うのだけは……」
「駄目でござる。唯でさえ修行のし過ぎで体が悲鳴を上げているはずなのに、こんなものを使っていたら身が持たないでござるよ。お師さんにこってりと搾られるが良いでござる」

 泣きそうな眼で懇願する銀月に、涼は非情な一言を投げかける。

「あううう……」

 それを聞いて、銀月はがっくりとうなだれるのだった。
 そこに、燃えるような紅い髪の小さな少女が駆け寄ってきた。

「お、いたいた。銀月、兄ちゃんが呼んでるぜ……って、うなだれてどうしたんだ?」
「ああ、アグナ殿。これを持ってみれば分かるでござるよ」

 涼はそう言ってアグナに銀月の槍を手渡した。

「ん? って重っ!? 何だ、この槍は!?」

 あまりの重さに落としそうになり、アグナは慌てて持ち直す。
 そんなアグナに、涼は苦笑しながら正体を告げる。

「銀月殿が買ってきた総鋼造りの槍でござる」

 それを聞いた瞬間、アグナはガシガシと頭を激しく掻いた。

「か~っ! 滅茶苦茶すんな~、お前は! こんなん見つかったら兄ちゃんに怒られっぞ!?」
「……うん……」
「これは叱られるべきでござるよ。どうにも銀月殿は修行と無茶の区別が付いていないようでござるからな」
「連行だな、こりゃ」

 そう言うと、アグナと涼は銀月の両腕をしっかり抱え込んで歩き出した。
 向かう先は、将志の居る書斎である。

「ううう~っ……」

 連行される最中、銀月はうなだれたまま唸り続けていた。
 書斎の前に立つと、アグナは戸を三回叩いて中に入った。

「兄ちゃん、銀月連れてきたぜ」

 アグナが声を掛けると、植物図鑑を読んでいた将志は顔を上げた。

「……ありがとう、アグナ。冷蔵庫にプリンが入っているから、それを食べるが良い」
「お、いいのか!?」

 将志の言葉に、アグナのオレンジ色の瞳がキラキラと輝きだす。
 それに対して、将志は笑顔で頷いた。

「……元々お前の分だ、遠慮することはない」
「おう! ……それはそうと兄ちゃん……」

 アグナはそう言いながら、若干頬を染めて将志を見る。
 それを見て、将志は苦笑した。

「……分かった。食べさせてやるから待っていろ」
「へへへ~、んじゃ待ってるぜ!!」

 アグナは嬉しそうに笑うと、部屋からスキップしながら出て行った。

「お姉さま、そういうことなら私が食べさせて「テメエはすっこんでろぉ!!」あ~れ~!!」

 突如飛びついてきたルーミアを、アグナは見事なジャイアントスイングで投げ飛ばして星に変えた。

「……ファー」

 星になったルーミアを遠い眼で見送る将志。
 そんな将志に、銀月が声を掛ける。

「それで、僕に用って何?」
「……今日は出かけるから、仕度をしろ」
「出かけるって……どこに?」
「……そろそろ紹介しても良い頃合だと思うのでな。付いてくればわかる」
「う、うん……」

 将志の言葉に、銀月は素直に頷いた。
 その一方で、将志は銀月の隣に居る涼に眼を向けた。

「……ところで、何故涼がここに居るのだ?」
「お師さん、何も言わずにこれを持って欲しいでござる」

 涼はそう言って銀月の鋼の槍を手渡した。
 将志はそれを持って軽く振ると、小さくため息をついた。

「……これは……成程、全てが鋼で作られた槍か。それで、これがどうかしたのか?」
「それ、銀月殿が買ってきたものでござるよ。先程まで、銀月殿はそれを使って鍛錬をしていたでござる」

 涼の言葉は、将志の予想通りのものだった。
 それを聞いて、将志は頭を抱えて盛大にため息をついた。

「……また無茶なことを……銀月、矢鱈滅多にこういうことをすれば良いと言う物ではないと、何度言ったらわかるのだ? このような物はきちんと段階を踏んでから使っていくものだ。今のお前に、この槍は重すぎる。しばらくの間これは預からせてもらうぞ」
「そんなぁ~……」

 銀月は眉尻をハの字に下げ、泣きそうな眼で将志を見つめる。
 そんな銀月を見て、将志はまた小さくため息をついた。

「……なに、その行為自体はそこまで間違ってはいない。身体に負荷を掛けることで筋力を増強させることが出来るし、重い武器と言うものは使いこなせれば一概に高い威力を持つものだ。だが、お前のそれは程度が過ぎているのだ。もう少し落ち着いて鍛錬を積むが良い。時期が来たらお前に返してやる」
「は~い……」
「……それから、罰として今日一日は鍛錬を禁止する。今一度、修行について考え直すが良い」

 将志は銀月に淡々と処分を下す。
 それを聞いて、銀月はふくれっ面をした。

「むう……修行時間を減らせば大丈夫だと思ったのになぁ……」
「……だから、方法が極端すぎるのだ。その為の槍が欲しいのなら、俺が新しいのをやろう。さあ、仕度をしてくるが良い」
「……うん、分かったよお父さん」

 銀月は不承不承といった面持ちで仕度をしに行った。

「……さて、俺はアグナのところへ行くとしよう」

 銀月を見送ると、将志はアグナとの約束を果たしに向かった。



 銀月が仕度を終えて将志がアグナにプリンを食べさせ終えると、二人は迷いの竹林へと向かった。
 銀月はここに来るのは初めてであり、将志の後ろにしっかりついて行く。
 しばらく竹林の中を進んでいくと、二つの人影が見えてきた。
 ひとつは、地面に倒れている長い黒髪の少女。
 もうひとつは、長い銀の髪に六輪の花の髪飾りをつけた少女だった。

「……きゅうううう~……」
「あら、もうお終いですの、輝夜? 少しだらしが無いのではなくて?」

 眼を回して倒れている輝夜に、六花はにこやかにそう問いかける。
 その表情は、とてもスッキリとした表情であった。
 そんな六花に、銀月が声を掛ける。

「あれ、六花お姉ちゃん? どうしてここに居るの?」
「ちょっとした運動ですわよ、銀月。運動不足は避けないといけないでしょう?」

 六花は相変わらずにこやかに笑いながら銀月に答える。
 それを聞いて、将志が首をかしげた。

「……だが、お前は戦闘を好まないのではなかったのか?」
「ああ、輝夜は別ですわよ。こういう運動にはちょうど良いですし、何よりこれほど気分がスッキリする相手も居ませんわ」

 六花の答えを聞いて、将志は大きくため息をついた。

「……相変わらずだな、全く。六花、今日は主の元へ行くから、後は任せたぞ」
「了解しましたわ、お兄様」

 将志は輝夜を担ぎ上げると再び歩き出し、銀月もそれに続く。
 しばらく進むと、なにやらテーブルが置いてあった。
 ご丁寧に白いテーブルクロスが掛かったそのテーブルの上には、赤ワインが半分ほど注がれたワイングラスが置いてあった。

「……銀月、輝夜を任せる。ここから先は俺の後ろを黙ってついて来い。空を飛ばず、俺が踏んだところ以外は決して踏むな」

 将志は銀月に輝夜を託すと、ワイングラスを手に取った。
 その瞬間、グラスの中の透き通った深く赤い液体が揺れる。

「う、うん……」

 銀月は輝夜を背負うと、将志の後ろにピッタリ付いた。
 それを確認すると、将志は歩き出した。
 銀月はその後ろを黙ってついて行く。

「……ふっ」

 ある地点まで来ると、将志は軽やかに跳び始めた。
 その柔らかい動作は、グラスの中の赤ワインをほとんど揺らすことは無い。
 池の飛び石を踏むように、将志は軽々と進んでいく。

「それっ! それっ!」

 銀月はその後ろを必死でついて行く。
 霊力で脚力を強化し、将志が足を付けたところを頑張って踏みに行く。
 しかしその一つで加減を間違えた瞬間、銀月の足は地面に沈み込んだ。

「うわわっ!?」

 周囲の地面が崩れ落ちると同時に、銀月は咄嗟に将志が踏んだ足場を掴んだ。
 背中には輝夜を背負っているため、当然片手である。
 下を見ると、なにやら白い物体が顔を覗かせていた。
 そのべったりとした質感から、鳥もちのようである。

「んしょ……」

 銀月は足に霊力を通し、壁に足を突き刺しながら何とかよじ登る。
 日頃鍛えているおかげで、少女を一人担いだ程度ではどうと言うことはない。
 更に壁に深々と足を突き刺しているため、手を離しても落ちることが無く片手で登ることが出来るのだ。

「な、何でこんなに大きな落とし穴が……」

 銀月は浮島のような足場に何とか立つと、思わずそう漏らした。
 落とし穴は道全体を覆うほど広く、異様に大きかった。

「……急がなくっちゃ」

 銀月は見失ってしまった父親の背中を急いで追いかけ始めた。
 すると、前方から大きな物音が聞こえてきた。

「……えっ?」

 銀月は将志の足跡をたどりながら、その方向へと足を進める。
 すると、そこには瓦礫の山が出来上がっていた。

「……お父さん?」

 銀月は気絶している輝夜を瓦礫の上に乗せると、瓦礫を退け始めた。
 その途中で耳をそばだててみると、僅かながら呼吸が聞こえてくる。
 それを聞いて、銀月は急いで瓦礫を退ける。
 すると、中からウサギの耳をつけた少女が現れた。

「あれ……女の子?」

 銀月は突如現れた少女をジッと眺める。
 よく見ると足首を捻挫しているらしく、そこが赤く腫れあがっていた。
 銀月はしばらく考えた末、収納札の中からロープを取り出した。
 そして輝夜を背負うと落ちないように固定し、身体を動かして落ちたりしないか確認した。

「……よし、これで大丈夫」

 銀月はそう言って両手で頬を叩き気合を入れると、気絶している二人目の少女を抱きかかえた。
 そして、将志の足跡を再びたどり出した。

「よっ、はっ!」

 飛び飛びになっている足跡を、銀月は次々と跳躍しながら踏んでいく。
 その額には汗が滲んでいて、かなり消耗しているようである。

「う……ん……あれ?」

 そんな中、銀月の腕の中から声がした。
 少女は銀月の小さな腕の中に居ることを確認すると、慌てだした。

「え、ええっ!?」
「落ち着いて、兎さん。暴れると落ちちゃうよ?」
「え……あ、はい……」

 銀月が優しく声を掛けると、少女は大人しくなった。

「それじゃあ、しっかり掴まってね!」
「ひゃああああ!?」

 銀月は少女をしっかり抱えると、飛ぶように走り始めた。
 その急加速に、少女は思わず銀月の首にしがみつく。
 それを受けて少女を抱く腕に力を込め、銀月は走り続けるのだった。



 一方、永遠亭の前では一人の少女が面白く無さそうな表情を浮かべていた。
 その視線の先には、ワイングラスを手にした銀髪の男。

「……今度こそあんたの間抜け面が拝めると思ったのに……」
「……ははっ、残念だったな。それとお前の挑戦にも勝ったぞ、てゐ」

 将志はてゐに笑顔で手にしたワイングラスを見せる。
 中の赤ワインは一滴もこぼれた様子はなかった。

「くっ……この化け物……」

 てゐの表情が悔しげに歪む。
 それを見て、将志は苦笑いを浮かべながら通ってきた道を見た。

「……しかし、銀月にはまだ早かったか? てゐの罠はかなりえげつないからな……」
「そのえげつない罠を難なく突破するあんたは何なのよ……」
「……さあ、何であろうな? ……ふむ、このワインはなかなかに美味いな。銘柄を調べておくとしよう」

 ジト眼を向けるてゐに、将志はワインを飲みながらそう答えた。
 それからしばらくすると、なにやら色々抱え込んだ人影が現れた。

「あの……重くない……?」

 抱えられた少女はおずおずと銀月に声を掛ける。

「ううん、そうでもないよ。僕、鍛えてるからね。お姉さんくらいなら軽いものさ」

 その問いかけに、銀月は笑顔で答える。
 しかし、少女は困惑した表情で銀月の後ろを見る。

「でも後ろには姫様も居るし、降ろしても良いのよ? 二人は流石につらいんじゃ……」
「ダメだよ。兎さん、脚を怪我してるじゃないか。無理して酷くなったら大変だから、我慢して」
「は、はい……」

 銀月の一言で、少女は黙り込んだ。
 そんな少女を運ぶ銀月に、将志が声を掛ける。

「……ご苦労だったな、銀月。まさか二人目を拾ってくるとは……」
「お父さん、何でこの道はこんなに罠だらけなの?」

 銀月は将志に疲れた表情でそう問いかける。
 すると、将志の眼が急に泳ぎ始めた。

「……あ~……それに関しては俺には何も言えんのだ。とにかく、そういう道だって言うことにしておいてくれ」

 将志は冷や汗を流しながら苦笑いを浮かべ、銀月にそう答えを返す。
 その横で、てゐがニヤニヤと笑いながら腕の中の少女を眺めていた。

「で、いつまで抱かれてるのよ、鈴仙。しかも子供に」
「は、はひっ!? あ、あの、もう良いから降ろして!!」

 鈴仙は何とか降りようとジタバタをもがく。
 しかし、それに対して銀月は落とさない様にギュッと腕に力を込めた。

「却下。そんな腫れた足じゃ歩けないでしょ? せっかくの綺麗な脚をダメにしたくないんなら、大人しく運ばれて」
「あ……はい……」

 少し語気を強めてかけられた言葉に、鈴仙は少し頬を染めて大人しくなった。
 そんな鈴仙を抱える銀月に、将志が声をかけた。

「……銀月、俺が代わろうか?」
「ダメよ、将志。こんな面白い光景滅多に見られないんだし、そのままにしておきましょ?」

 行動を制するように掛けられたてゐの声に、将志は首をかしげた。

「……そういうものなのか?」
「そういうものよ」
「それで、この人達はどこに運べばいいの?」
「……医務室があるから、そこに運ぶが良い。てゐ、案内してやってくれ」
「了解。それじゃあ、こっちよ、銀月」

 てゐはそう言うと、永遠亭の中へと歩き始めた。
 そんなてゐの言葉に、銀月は首をかしげた。

「あれ、何で僕の名前知ってるの?」
「さっき将志があんたのことをそう呼んでたじゃない。さあ、早く行くわよ。いつまでもそのままじゃ重いでしょ?」
「そんなこと無いんだけどな……」

 銀月は苦笑いを浮かべてそう呟きながら、てゐについていった。
 一方、将志は一人廊下を歩いて居間に向かっていた。
 居間の襖を開けると、そこには自分が主と慕う女性が待っていた。

「お帰りなさい、将志。将志がここに居るってことは罠に掛かったのは別の人物ね?」
「……ああ。どうやら鈴仙と銀月が掛かったようだ」

 銀月の名前を聞いて、永琳は口に人差し指を当てて思い出す仕草をした。

「銀月……ああ、何年か前にあなたのところに来た人間だったわね。それじゃあ、その二人は今医務室かしら?」
「……ああ。銀月が輝夜と鈴仙を運んでいるはずだ」
「輝夜も?」
「……先程六花に手酷くやられたようでな」

 将志のため息混じりのその言葉を聞いて、永琳は苦笑いを浮かべながらため息をついた。

「またなのね……まあ、喧嘩するほど仲が良いとも言うし、さっさと起こしに行きましょう」

 永琳がそう言うと、二人は医務室へと向かった。
 二人が医務室に着くと、そこでは空っぽのベッドが待っていた。
 それを見て、二人は首をかしげた。

「……おかしい、まだ着いていないのか?」
「でも、現にここには誰も居ないわよ?」
「……てゐに案内させたのは失敗だったかも知れんな……」

 将志がため息混じりにそう言った瞬間、廊下を誰かが歩く音が聞こえてきた。
 軽やかな足音と若干重たい足音が近づいてくると、医務室の戸が開いた。

「ああそうそう、ここだったわね。着いたわよ、銀月」
「ここだね……ってお父さん?」

 銀月は先に医務室で待っていた将志を見てそう呟いた。
 そんな銀月に、将志は疑問をぶつけてみた。

「……銀月、今までどこに行っていた?」
「てゐさんに案内してもらったんだけど……てゐさん迷っちゃったみたいで……」
「それでその格好で歩き回っていたってわけね?」
「うん」

 永琳の問いに、銀月は素直に頷いた。
 無論、てゐが迷ったのはわざとであるが、銀月はそれを疑うそぶりも見せない。

「うう……引き回しの刑に遭いました……」

 その手の中には、顔を真っ赤にして縮こまっている鈴仙の姿もあった。
 どうやら銀月はこの状態のまま永遠亭の中を歩き回ったようである。

「二人も担いで、重くは無かったのかしら?」
「ううん、そんなこと無かったよ。二人とも軽いもん」

 永琳の問いかけに、銀月は笑顔でそう答えながら鈴仙と輝夜を寝台に寝かせる。

「……銀月は並の鍛え方をしていないからな。ただ歩くだけならこの程度は平気だろう」
「ふぅん……まだ子供なのに凄いわね。つまり、将志が手塩にかけて育てているわけね」

 少し誇らしげな将志の言葉に、永琳は感心したようにそう言った。
 しかし、それを聞いて将志は首を横に振った。

「……いや、勝手に育っているのだ」
「……そうだった、いつも休んでくれないってぼやいていたわね、将志は」
「……鍛錬が好きなのは大いに結構、しかし限度を知らないようでは困るのだがな……」

 そう言って大きくため息をつく将志。
 そんな将志に、永琳は笑顔を見せる。

「本当に将志そっくりね、そういうところは。二人とも向上心が凄いもの」
「……だがあまりに酷いから、今日などはもう鍛錬禁止を言い渡してある。時間があれば全員見張っておいてくれ」
「あはは……姫様と違ってサボらないように見張るんじゃないんですね……」

 疲れたような将志の呟きに、鈴仙が乾いた笑みを浮かべる。

「悪かったわね、いつもサボってて」

 その声に、鈴仙の隣の寝台から不機嫌な声が飛んできた。

「あら、起きたのかしら、輝夜?」
「……ちっくしょー、また負けた……ああ、腹立つわね!!」

 輝夜は苛立った声でそう言いながら枕を殴りつける。
 そんな輝夜に、銀月が声を掛けた。

「あの……大丈夫?」
「……何、この子?」
「あの、銀の霊峰でお世話になっている銀月って言います。随分ボロボロになっちゃってるけど、大丈夫ですか?」
「……別に平気よ。いつもの事だし」

 銀月の問いかけに、憮然とした表情で輝夜は答えた。
 それを聞いて、銀月はホッとした表情を浮かべた。

「そっか……鈴仙さんはどう?」
「私はちょっと足首が痛みますね……」
「あらあら、これまた随分酷い捻挫ね。見たところ骨折はして無さそうだけど、薬を塗ってしばらく安静にしてないとダメね」

 永琳は鈴仙の腫れあがった足首を見てそう診断し、塗り薬を取り出した。

「そうですか……」

 それを聞いて、鈴仙は陰鬱なため息をついた。
 そんな鈴仙に、銀月が笑顔を見せながら声をかける。

「鈴仙さん、ちょっと面白いものを見せてあげるよ」
「はい?」

 銀月はそう言うと札の中から無色透明なガラスのコップを取り出した。
 鈴仙は銀月の行動の意味が分からず、困惑した表情を浮かべる。

「確認して。空っぽだよね?」

 銀月は鈴仙にコップを手渡し、空であることを確認させる。

「え、ええ」

 鈴仙は確認を終えると、銀月にコップを返した。
 すると銀月は近くにあった木の机の上にコップを置き、ポケットから赤いハンカチを取り出した。

「それじゃあ、このハンカチを掛けるよ……っと、その前に何もないか確認して?」

 銀月はハンカチを鈴仙に手渡す。
 鈴仙はハンカチを裏返してみたり揉んで見たりするが、何か仕掛けがあるようには思えなかった。

「……やっぱり何もないね」

 鈴仙はそう言いながらハンカチを返す。
 銀月はそれを受け取ると、コップが完全に隠れるようにハンカチを掛けた。

「はい、それじゃあ改めてハンカチを掛けるね。じゃあ行くよ。……3、2、1、それっ!」

 銀月はそう言ってハンカチを取る。
 しかし、コップは空のままだった。

「……あれ?」
「あれれ? おかしいな、これ何度も練習したのにな?」

 銀月はそう言うと再びハンカチをかけてそれを取る。
 しかし、やはりコップは空のまま。
 銀月はハンカチを掛け直して首をかしげる。

「あはは……上手く行かないこともありますよ、銀月くん」
「おっかしいな~……鈴仙さん、試しにちょっとめくってみてくれる?」
「ええ、いいですよ」

 鈴仙は苦笑いを浮かべてそう言うと、ハンカチをめくった。
 すると、いつの間にかコップの中に橙色の液体が入っていた。
 もちろん銀月はコップに手を触れてなどいない。

「あ、あれ!?」

 突然現れたそれに、鈴仙は驚きの声を上げた。

「……ほう……」
「え、何、今の?」
「へぇ……上手いものね……」

 周りで見ていた将志達も感心したり、驚いたりしていた。
 そんな中、銀月は鈴仙に笑いかけた。 

「はい、僕が作ったニンジンのジュースだよ。良かったら飲んでね♪ あと、それから……」

 銀月は鈴仙の前にスッと手を差し出した。
 その手には何も握られておらず、ただひらひらと振られるだけだった。

「3、2、1、それっ!」

 銀月が素早く手首をくるりと回すと、いつの間にかその手には白い鈴蘭の花が握られていた。
 その花からは、鈴蘭特有の芳しい香りが漂っている。

「えっ?」

 突然現れた鈴蘭の花に、鈴仙は呆然とした表情を浮かべる。
 そんな鈴仙の手を包み込むように、銀月は花を手渡す。

「これ、あげるよ。だから、早く元気になってね。笑ってる顔のほうが、絶対に可愛いと思うから」
「あ、はい……」

 優しい笑顔を浮かべて銀月がそう言うと、鈴仙は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
 そんな銀月を、唖然とした表情で女性陣は見ていた。

「うっわ~……気障な口説き方……」

 鳥肌を立てながらてゐはそう呟く。
 その横で、永琳は額に手を当てながらため息をついた。

「……銀月も将志と同じかそれ以上の女誑しになりそうね……それに鈴蘭の花って狙ってやってるのかしら?」

 永琳の言葉に、輝夜とてゐが首をかしげた。

「どういうこと、えーりん?」
「鈴蘭の花言葉は『純潔』『幸福の訪れ』もしくは『純愛』なのよ」
「……ますます持って気障ね」

 永琳の言葉に、てゐは銀月にジト眼を向ける。
 実際のところ、銀月は見た目と香りで鈴蘭の花が気に入っているだけなのだが、この場で言っても信じてもらえないであろう。
 そんな女性陣の言葉に、将志が腕を組みながら首をかしげる。

「……口説いてるのか、これは?」
「「「どこからどう聞いても口説き文句です。本当にありがとうございました」」」

 将志の言葉に鈴仙以外の女性陣の声が見事に重なる。

「……て言うか鈴仙、あんたも何頬染めてるのよ。ひょっとして、銀月は射程範囲内?」
「え、ちがっ、その、そういうわけじゃ、」

 ニヤニヤと笑うてゐに声を掛けられて、鈴仙は慌ててそれを否定しようとする。
 そんな鈴仙の言葉を遮って、永琳が声をかける。

「あら、そう言って否定するのは勿体無いんじゃないかしら? 銀月がこの先とっても素敵な男の子に成長する可能性は大いにあると思うわよ? いえ、この調子ならその可能性のほうが大きいわね」

 永琳のその言葉を聞いて、輝夜は考え込んだ。

「……まあ、確かに歪んで育つような環境じゃないし、これだけ心配りが出来るんなら上等な部類ね。それに顔も将来に期待が出来そうだし、要らないって言うんなら私がもらっていこうかしら?」

 輝夜はそう言いながら、値踏みをするかのように銀月を眺める。
 そんな輝夜に、鈴仙は再び慌てた声をあげる。

「ま、待ってください! 私はまだ何も、」
「ふ~ん、そう言った反応をするってことはちょっとは考えてるわけね、逆光源氏計画」
「だからちょっと待ってよ、てゐ!」

 からかうような表情のてゐに、鈴仙は真っ赤な顔で怒鳴るように抗議する。
 そんな鈴仙を見て、永琳もまたニヤリと笑って声をかける。

「成程ね……貰えると良いわね、枯れた白薔薇。ね、うどんげ?」
「か、枯れた白薔薇?」
「教えてあげる、枯れた白薔薇の花言葉はね……」

 永琳はそう言って鈴仙に耳打ちする。
 そしてその花言葉を聴いた瞬間、鈴仙の顔から火が噴出した。

「……ちょ、ちょっと師匠!?」
「ま、私はある意味貰った様なものだけどね。ねえ、将志?」

 永琳はそう言いながら将志に視線を送る。
 それを聞いて、将志は深く頷いた。

「……確かにそうだな。何なら、改めて贈ろうか? 枯れた白薔薇を」
「いいえ……私はそんなものより、態度で示して欲しいわ」

 永琳はそう言いながら将志の腕に抱きついた。
 その表情は笑顔で、何かを期待する表情であった。

「……出来る限りの努力をしよう」

 そんな永琳に、将志は少し困った表情をしながら、それでいてしっかりと眼を見つめながら答えを返した。

「……銀月、貴方紅茶かコーヒーかどっちか淹れられる?」

 二人の世界を構築する将志と永琳を見て、輝夜が銀月に声を掛けた。
 その横では、てゐと鈴仙も銀月に視線を送っている。
 その威圧感に、銀月は少したじろぐ。

「え、ええと、一応両方淹れられるけど……」

 銀月のその言葉を聞いた瞬間、三人は眼を見合わせて頷いた。

「深煎りのコーヒーを特濃で飲みたいわ」
「深煎りのコーヒーを特濃でちょうだい」
「深煎りのコーヒーを特濃で下さい」

 三人の声が見事に重なる。

「えっと……ミルクやお砂糖は……」

「要らないわ」
「要らないわ」
「要らないわ」

 語気を強め、再び見事なまでに三人の声が重なる。

「……分かった」

 それを聞いて、銀月は台所へと歩いていった。

 その後、銀月が入れたコーヒーは胸焼けしそうなほど異常に苦かったが、三人は全員三杯ずつブラックで飲み干した。
 そのお茶請けは、甘い空気だったそうな。





 *  *  *  *  *


 ちょっと小話。

 枯れた白薔薇の花言葉『生涯を誓う』

 これを覚えてからもう一度将志と永琳の会話を見ると、糖度が上がるかもしれない。



[29218] 銀の月、練習する
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 17:00
「遅くなってごめん! 今から仕度するね!」

 博麗神社の境内に、白い胴衣と袴を着けた少年が飛び込んでくる。
 空は雲一つ無い晴天だというのに、その黒い髪からは水が滴っている。

「……その前に銀月、何でいきなりずぶ濡れになってるのよ?」

 そんな銀月に対して、紅白の巫女服を着た少女が声をかける。
 足元には木の葉が積み重なっており、手には竹箒を持っていた。
 今しがた境内の掃除を終えたところのようである。

「ちょっと早く出たから、少し滝行をしてたんだ。そしたらちょっとやり過ぎちゃって……」

 銀月は札の中からタオルを取り出し、髪を拭く。
 そんな銀月に、霊夢は呆れた眼を向けた。

「この修行馬鹿。まあいいわ、さっさと朝ごはん作って」
「うん」

 銀月はそう言うと真っ直ぐに台所へと向かう。
 しばらくすると小気味の良い包丁の音が聞こえて来た。
 その一方で、霊夢はすることが無いので居間に寝そべって料理の完成を待つ。

「はあ……」
「どうしたの、ため息なんてついて」

 居間から聞こえてきた大きなため息に、銀月が料理をしながら声をかける。
 喋っていても手が止まることは無く、着々と料理が出来上がっていく。

「……退屈なのよ。何か面白いことはないかしら?」
「面白いことって、どんなことが起こればいいのよ……」

 霊夢の発言に、銀月は霊夢の声マネをして問いかける。
 それを聞いて、霊夢は眉をひそめた。

「ちょっと、何でいきなり私の声マネするのよ」
「だって、今料理してるんだよ? 僕が霊夢の退屈を紛らわせようとするなら、これくらいしか出来ないよ?」
「もっと他に何かないの? 見てて退屈しないようなやつ」
「う~ん……槍の舞はお父さんほど綺麗に出来ないし、曲芸は愛梨お姉ちゃんほど上手く出来ないし……どれにしたって今は無理だよ」

 銀月は具材の入った出汁に味噌を溶きながらそう答える。
 それを聞いて興味を持ったのか、霊夢は身体を起こした。

「曲芸ね……試しにやってみなさいよ。どんなことが出来るの?」
「えっと……ジャグリングとシガーボックスくらいかな……後は演劇と笛だね」
「ジャグリングって、お手玉のこと?」
「うん。五つまでなら何とか。三つならいくつか技も出来るよ」
「例えば?」
「ちょっと待って、後ちょっとでご飯できるから」

 銀月はそう言うと、皿や器に料理をよそっていく。
 今日の朝食はご飯にワカメの味噌汁、岩魚の塩焼きに卵焼きとほうれん草と椎茸の炒め物のようである。

「はい、召し上がれ」
「いただきます」

 二人はそう言うと朝食を食べ始める。

「はぁ……やっぱり朝は味噌汁ね。良い出汁が出てるわ」

 味噌汁を飲んで、霊夢は笑顔をこぼす。

「む~……なんか違う……」

 その一方で、銀月は味噌汁を飲んで眉をしかめるのだった。
 そんな銀月の様子に、霊夢は首をかしげた。

「どうしたのよ?」
「何ていうか、お父さんの作る味噌汁に比べると何か足りないんだ。この感じだと、出汁のとり方が違うのかな……?」

 銀月は自分の作った味噌汁の味をじっくりと確かめながらそう呟く。
 その他にも、色々と自分の料理を食べては将志の料理との違いを探している。
 そんな銀月を見て、霊夢は疑問を浮かべる。

「あんたそのお父さんに料理習ってるんじゃないの?」
「うん、でも基本だけね。『……俺の味を目指したかったら、盗んでみろ』って言われて、詳しい作り方は教えてくれないんだ」

 銀月はそう言いながらも考え続ける。
 霊夢はそれを聞いて、苦笑いを浮かべた。

「……ここでも修行なのね……」
「そうだね……そう言えば、今日どうしようかな……今日は危ないから家には戻るなって言われてるし、修行禁止って言われちゃったんだよな……」
「今度は何やったのよ?」
「銀の霊峰本山頂上から麓まで三往復。前に一往復して何も言われなかったから増やしてみたら怒られちゃった……全身鍛えられていいと思ったんだけどな……」

 銀月は少ししょんぼりしながらそう呟く。
 それを聞いて、霊夢は唖然とした表情を浮かべた。

「……馬鹿でしょ? あんな崖みたいな山道を三往復もしたわけ? よくもまあそんなことしようと思ったわね……」
「だって、僕早くお父さん達に追いつきたいもの。そのためだったら幾らでも修行できるよ」

 銀月のその言葉を聞いて、霊夢は深いため息と共に首を横に振った。

「あんたの思考が理解できないわ。何であんたはそんなに修行をしたがるわけ?」
「……死にたくないから。妖怪って、人間を食べるでしょ? お父さん達は僕を守るって言ってくれるけど、それに頼ってばかりじゃいられない。だから、僕は少しでも早くお父さん達に追いつきたい」
「確か、あんたのお父さんって神様だったわね? 本気で届くと思ってるの?」
「うん。出来ないなんて思わない。無理って思うから無理なんだ。少しでも可能性があるんなら、僕はそれに向かって頑張って見せるよ」

 銀月は真っ直ぐな瞳で霊夢の眼を見つめながらそう話す。
 その眼には、何が何でも将志達に追いついてやると言う強い決意が込められていた。

「……意外と熱血漢なのね、銀月」
「かもね。それに、修行して出来ないことが出来るようになると楽しいんだ。だから、僕は毎日に退屈したりなんてしてないよ」
「……やっぱり理解できないわ。私は役に立つかどうか分からない苦しい修行を積むよりは、退屈でものんびりお茶でも啜ってた方が良いわ」

 霊夢は再び首を横に振りながらそう呟く。
 そんな霊夢に、銀月は苦笑いを浮かべる。

「……そっか。お茶、淹れようか?」
「お願いするわ」

 銀月はそう言うと、お湯を沸かしてお茶を淹れる。
 お湯を湯飲みに入れ、ある程度置いてから急須に注ぐ。
 茶葉から十分に味が染み出してきたところで、銀月は湯飲みに茶を注いだ。

「はい、どうぞ」
「ありがと……それにしても、銀月って本当にちょうど良い温度でお茶を淹れてくれるようになったわね。どうやってるの?」
「淹れるたびに霊夢の表情を見て、最初にお湯を湯飲みに入れておく時間を調節したんだ。見つけるのに一週間掛かったよ」

 銀月は霊夢の質問に笑顔で答える。
 それを聞いて、霊夢はため息をつきながら顔をそむけた。

「……よく見てるわね」
「お父さんが言うには、相手をよく観察することも料理人の資質なんだって。お父さんなんて、相手の顔を見ただけでその人に合った味付けが出来るんだよ?」

 銀月は少し誇らしげに将志の特技について語る。
 現に将志は初対面の人間の好みの味を一発で作れるため、その観察眼は大変なものである。
 それを聞いて、霊夢は興味深そうに頷く。

「流石に料理の神様ってわけね。私も一度ご馳走になりたいわ」
「本当は、僕が早くそういうことが出来るようになれば良いんだけどね」
「でも、私は銀月の味も結構好きよ? 美味しいし」
「そ、そう? えへへ~、それは良かった」

 霊夢の感想を聞いて、銀月は嬉しそうにそう笑った。
 そんな銀月に、霊夢はふと思いついた質問をぶつけることにした。

「一つ思ったんだけど、銀月は何で銀の霊峰に居るわけ?」
「え……?」
「だっておかしいじゃない。あんな妖怪だらけのところに、一人だけ人間が居るわけでしょ? 普通、人間なら人里に居るもんじゃないの?」

 若干語気を強めて、身を乗り出すようにそう尋ねる霊夢。
 その様子には、何やらただならぬ雰囲気が感じられた。

「えっと……それはね……」

 銀月は霊夢の質問に答えようとする。

「ばあっ♪」
「うわぁ!?」

 すると突然、銀月の目の前に逆さまの女性が現れた。
 いきなり上から出現した逆さ吊りの金髪の女性に、銀月は驚きすくみあがった。

「ふふふ、ドッキリ成功ね」

 銀月の反応に、紫は無邪気に笑いながら降りてくる。
 そんな紫に、霊夢がジト眼を向ける。

「……何やってんのよ、紫。今、私と銀月で話をしてたのよ?」
「ええ、知ってるわ。それも話の内容まで事細かにね」

 少し苛立たしげに、霊夢は紫に話しかける。
 それに対し、紫は意味ありげな笑みを浮かべながら霊夢に言葉を返す。
 すると霊夢は紫の眼をジッと見つめた。

「……知ってるのね」
「知ってるわよ」
「教えなさいよ」
「教えたらどうするつもり?」
「……別にどうもしないわ。まあ、場合によっては考えるけどね」
「別に大した理由じゃないわよ? ただ、銀月の能力が分からないだけで」

 紫はあっさりと銀月が銀の霊峰に居る理由を告げた。
 もっとも、それは表向きの理由であって、何故そうするに至ったかと言う経緯は隠されていたが。
 それでももったいぶった割にさくっと答えられ、霊夢は拍子抜けした表情を浮かべた。

「……それだけ?」
「それだけよ?」
「じゃあ、何で銀月はそれだけのことで銀の霊峰に居るわけ?」
「そうね……例えば、銀月の能力が『暴れ狂う程度の能力』だったらどうするかしら?」
「……大迷惑ね」
「でしょう?」

 苦い表情を浮かべた霊夢に紫は満足そうな笑みを浮かべる。
 そして、銀月のほうへと向き直った。

「それはそうと聞いたわよ、銀月。貴方、また無茶をやらかしたんですってね? 約束はどうしたのかしら?」

 紫は少し戒めるような視線を銀月に送る。
 それを受けて、銀月は肩を落として俯いた。

「……出来ると思ったから。それが無茶だとは思えなかったんだ」
「出来ると思った?」
「うん。昨日は調子が良くて、何でも出来そうだったんだ。疲れてもすぐに元気になったし」

 銀月はその時の様子を思い出しながらそう語った。
 それを聞いて、紫は口元に扇子を当てて考え込んだ。

「成程ね……ということは、やっぱり銀月の能力は生命力や身体能力に関係があるのかしら? でも、何か違うような気もするわね……銀月、自分でなんだと思う?」
「分かんない……あの時だって、僕は何であんなことが出来たのか全然分かんないんだ」

 あの時とは、銀月が将志に拾われた夜の出来事である。
 銀月の言葉を聞いて、紫は小さくため息をついて思考を中断した。

「……そう簡単に分かったら苦労しないか。それで、家に帰れず鍛錬を禁止された銀月はどうするのかしら?」
「何も考えてないんだ。あ、でも曲芸の練習くらいは良いよね?」

 銀月は期待を込めた視線で紫を見つめる。
 そんな銀月に、紫は額に手を当ててため息をついた。

「却下よ、銀月。将志は貴方の身体を休ませるために鍛錬を禁止したのよ? それなのに激しく動く練習をしてどうするのかしら?」
「そんなにアクロバティックなことはやらないよ。ジャグリングと手品ぐらいだよ」
「そう……それじゃあ、私が見てる前でならやってもいいわ。お手並み拝見という奴ね」
「うん、いいよ。それじゃあ、ジャグリングから」

 銀月は収納札から赤青緑の三つの玉を取り出すと、ジャグリングを始めた。
 基本となる形から、玉が消えたり現れたりする技、腕を交差させる技、片手でのジャグリングなど、次々と技をこなしていく。
 全ての玉は銀月の手によって生きているかのように舞い踊る。

「これで、ラスト!」

 銀月はそう言うと玉の一つを高く放り投げ、遅れて残りの二つの玉を同時に放り投げた。
 二つの玉が上に上がると同時に、最初に投げた球が落ちてくる。

「やっ!」

 銀月はそれを後ろに宙返りしながら高々と蹴り上げた。
 着地すると、銀月は落ちてくる二つの玉を先にキャッチし、最後の一個を横からスタイリッシュに掴み取った。

「……よし、上手く行った。紫さん、霊夢、どうだった?」

 銀月は額に浮かぶ汗を拭いながら二名の観客に感想を尋ねる。

「なかなかに面白かったわよ」

 紫は軽く拍手をしながらそう答える。

「やるじゃない、銀月。それ、宴会芸に使えるんじゃない?」
「あはは……それはちょっと無理かな……」

 感心した様子の霊夢の感想を聞いて、銀月は苦笑いを浮かべた。
 それを聞いて、霊夢は首をかしげる。

「何でよ?」
「だって、愛梨お姉ちゃんなら今のを大玉の上で出来るんだよ? それに玉の数も五個でやってるから、僕のじゃちょっと……」
「ふふっ、師匠の背中は遠いわね、銀月?」
「うん……これももっと練習しないとね。それじゃあ、次はマジックだね」

 銀月はそう言うと懐から二つのサイコロを取り出した。
 それは黄金色に輝いており、綺麗に磨かれているのが分かった。

「あら、真鍮のサイコロなんて珍しいわね」
「これね、愛梨お姉ちゃんが初めてくれた道具なんだ。だから、このサイコロはいつも持ち歩いてるんだ」

 銀月はそう言いながら二つの真鍮のサイコロを指で撫でる。
 その指使いはとても優しく、大切そうであった。

「ふーん、銀月の宝物ってわけね」
「うん。今からするのはね、このサイコロを使ったマジックだよ」

 銀月はサイコロの他に、小さなケースを取り出した。
 ケースは二重になっていて、それぞれ取り出せるようになっていた。

「じゃあ、まずはお手軽なのから。二人が入れたサイコロの目を当てるマジックから行くよ。二人とも、このケースに仕掛けがないことを確認して」

 銀月はそう言うと、二人にケースを差し出した。
 二人はひっくり返したり、指を突っ込んだりして仕掛けが無いか確認する。

「……確かに仕掛けは無さそうね」
「……普通のケースみたいね」

 二人は仕掛けが無いことを確認すると、銀月にケースを手渡す。
 すると銀月は小さいケースを大きいケースの中に入れる。

「それじゃあ、二人とも好きな目を上にしてサイコロを入れて。僕は後ろを向いてるから、その間にね」

 銀月がそう言って後ろを向くと、紫と霊夢はそれぞれサイコロを中に入れた。
 二人とも五を上にしていれ、外から見えないようにふたを閉じる。

「いいわよ」

 霊夢が声を掛けると銀月は振り向いた。

「……よ~し、それじゃあこれから念力を使ってこの中のサイコロの数字を当てるね。行くよ……」

 銀月はケースに手をかざし、眼を閉じる。
 ケースには手を触れず、ケースの周りをあちこち行ったり着たりさせる。

「……見えてきた。うん、二人とも五を上にしたね?」

 銀月はそう言うとケースのふたを取る。
 すると宣言どおり、サイコロの目は二つとも五であった。

「あら、正解」
「……まぐれなんじゃない?」

 笑顔の紫に対して、訝しげな視線を銀月に送る霊夢。
 それを見て、銀月は笑みを浮かべる。

「まあ、一回だけならそうかもしれないね。でも、まぐれじゃないんだ。もう一度やってみようか」

 再び銀月が後ろを向くと、二人はケースの中にサイコロを入れる。
 それが終わると、銀月は再びケースに手をかざした。

「……今度は一と六だね?」
「あら、また正解」
「……怪しいわね。絶対何か仕掛けがあると思うんだけど……」

 霊夢はそう言いながらサイコロとケースを改める。
 そんな霊夢に、銀月は笑みを浮かべて話しかける。

「うん。これ、種も仕掛けもあるんだ。でもね、だからこそマジックって面白いんだよ? お客さんは種を見破ろうとするし、マジシャンはそれを見破れないように腕を磨かないといけないからね」

 銀月は楽しそうに二人にそう語る。
 それを聞いて、紫は面白そうに笑みを浮かべた。

「成程ね。つまり、観客への挑戦状を贈っていることになるのね」
「あはは、そうかもね。それじゃ、次のマジックに行ってみようか」

 その後、銀月は次々とマジックを披露していった。
 増えるサイコロに、消えるコイン、予言のマジック等、次々に成功させていく。
 それを紫は純粋に楽しみ、霊夢は何とか種を明かそうと睨んでいた。

「はい、今日のマジックはこれで以上だよ」
「……一個も分からなかったわ」

 霊夢はそう言いながら、悔しそうに俯く。
 そんな霊夢に、紫は笑いかける。

「ふふふ、それだけ銀月の方が上手だったってことね」
「あ、そうだ。紫さん、渡したいものがあるんだ」
「あら、何かしら?」
「はいこれ」

 銀月はそう言うと、手を軽く振って一輪の白薔薇を取り出した。
 紫は首をかしげながらも、それを受け取る。

「白薔薇?」
「あのね、この前少し勉強したんだ。白薔薇の花言葉はね『心からの尊敬』だよ。紫さんいつも忙しいのに僕のことも見てくれるから、お礼がしたくて……」

 銀月はそう言いながら紫の眼を見つめる。
 その眼には、紫に対する純粋な尊敬と好意が含まれていた。

「ふふっ、ありがとう。でもね、私も好きでやっているのだから、そんなに気にすることないのよ?」

 紫は微笑と共に銀月の頬を撫でる。

「……手、あったかいな……」

 銀月はその手を気持ち良さそうに受け入れる。
 そんな銀月に、紫は何かを思いついたように話しかけた。

「そういえば、白薔薇の花言葉といえばこんなものもあったわね。『私はあなたに相応しい』……そっちで取ってしまっても良いかしら、銀月?」
「え、ええっ!?」

 突然の一言に、銀月は驚いた表情を浮かべた。
 そんな銀月に、紫は銀月を抱きしめながら笑顔で二の句を告げる。

「私は銀月なら構わないわよ? 一生懸命働いてくれるし、可愛いし。愛の告白なら受けてあげるわよ?」
「え、あ、その……」

 紫の言葉に、銀月の顔が真っ赤に染まる。
 想定外の紫の反応に、銀月はしどろもどろになっている。
 その横で、霊夢が盛大にため息をついた。

「何寝ぼけたこと言ってんのよ、紫。人間と妖怪じゃつり合う訳ないじゃない」
「あら、それなら銀月に人間をやめてもらえばいいだけの話よ? 銀月なら仙人にはたぶんなろうと思えばなれるだろうし、妖怪化させる手段だってあるわよ?」
「え、えっと……僕、人間やめちゃうの……?」

 銀月は少し泣きそうな眼で紫を見つめる。
 それを見て、紫は若干慌てた表情を見せた。

「ああ、冗談よ、銀月。だからそんな泣きそうな顔しないでちょうだい」

 紫がそう言うと、銀月は安心したように頷いた。

「う、うん……あ、そうだ。そう言えば藍さんに頼まれてたことがあったんだっけ」
「頼まれ事?」
「紫さん、ちょっと耳貸して」
「何かしら?」

 紫は銀月の口元へと耳を持っていく。
 すると、頬に何か柔らかい物が触れた感触があった。

「えっ?」

 突然の感触に、紫の眼が思わず点になる。
 銀月に眼を向けると、銀月は顔を赤くしてもじもじとしていた。
 その様子から、銀月が頬にキスしたものだと知れた。

「……銀月、あんた何をやってるのよ?」

 霊夢は呆れ顔で銀月に問いかける。
 すると銀月は大きく深呼吸をしてからそれに答えた。

「ええっと、これが頼まれてたことなんだけど……紫さんのためにって頼まれたんだ……」
「何で頬にキスをするのが紫のためになるのよ?」

 銀月の言葉の意味が分からず、霊夢は首をかしげる。
 その横で、藍の意図を理解した紫はため息混じりに頷いた。

「……成程ね。藍ったらそんなことを考えているのね。銀月、それって会うたびに何度かするように言われてはいないかしら?」
「うん。藍さんもそう言ってたよ」
「そう……確かに、そろそろ何とかしないといけないわね。それじゃあ銀月、これからお願いしてもいいかしら?」
「……うん。僕も紫さんのことは大好きだから大丈夫だよ」

 紫の頼みに、銀月は少し気恥ずかしそうにそう言いながら笑った。
 そんな銀月を、霊夢は唖然とした表情で眺める。

「……銀月、あんたよくもそんなこっ恥ずかしいこと言えるわね……」
「え、何が?」

 霊夢の言っていることの意味が分からず、銀月は首をかしげる。
 そんな銀月に、紫が笑顔で声を掛けた。

「そうだ。銀月、今日は人里に行ってみましょう? 確か、まだ行ったことなかったでしょう? 私が連れて行ってあげるわ」
「いいの? それじゃあ、お願いします」

 銀月はそう言うと紫に頭を下げた。
 すると、霊夢が横から口を挟んだ。

「その前に、お昼にしましょ? もうすぐ十二時になるし」

 その言葉に、三人揃って壁に掛かった時計を見る。
 時計の針は二つとも十二を指すところだった。

「そうだね。それじゃ、何か作るよ」

 そう言うと、銀月は台所へと向かって行った。



[29218] 銀の月、人里に行く
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 19:53
「それじゃあ銀月、晩ごはんまでには帰ってきてね」

 白い胴衣と袴の少年に、巫女は笑顔でそう告げる。
 どうやら夕飯を暖かいまま食べられるのが嬉しいらしい。
 なお、普段は銀月が朝に三食分作っていくので、昼と夜は必然的に冷めたものとなるのだった。
 巫女の言葉に、銀月は小さくため息をついた。

「……作るのは僕なんだけどなぁ……というか、霊夢は行かないの?」
「だって特に行く理由もないし。行くとしたら買出しぐらいだけど、そんな必要もないしね」
「そうだ、ついでだし何か欲しいものはある? それか何か食べたいもの」
「そうね……あ、そうそう、前に作ってくれたクリームコロッケが食べたいわ」
「クリームコロッケね……ちょっと待って、材料確認するから……コンソメスープ、残ってたかなぁ……」

 銀月はそう言いながら台所にあるものを確認しに行った。
 その背中を、霊夢と紫は見送る。

「……すっかり主夫ね、銀月……」
「そうね。我ながら良い拾い物をしたわ」

 苦笑いを浮かべた紫の呟きに、霊夢が満足げに笑いながら頷く。
 その言葉に、紫は呆れ顔でため息をついた。

「拾ったのは貴女じゃないでしょう? それにあんまり銀月に任せ切りだと、銀月に何かあったときに何も出来なくなるわよ?」
「あんたも式神に全部やらせてるくせに、何言ってるのよ」
「あら、私は良いのよ。家事が出来なくても困らないから」

 ジト眼をくれる霊夢に、紫は胡散臭い笑みを浮かべてそう返す。
 そんな中、台所では冷蔵庫を漁る銀月の姿があった。
 氷冷式の冷蔵庫の中を、銀月は確かめていく。

「えっと……バターとパン粉とトウモロコシ……ソースは前に作ったのが残ってるからそれを使おう。キャベツが無いな、買って来よう。コンソメは……ああ、あったあった。うん、これだけあれば大丈夫だね。霊夢、今日はクリームコロッケにするよ」
「宜しく~♪」

 銀月がそう言うと、霊夢はそう言ってにこやかに手を振った。
 それを確認すると、銀月は買い物袋を収納札の中にしまって紫の元へとやってきた。

「お待たせ、紫さん。準備できたよ」
「良いかしら? それじゃあ飛んでいくわよ」
「うん」

 銀月が紫の手を握ると、二人は空へと浮かび上がった。
 手を繋ぐのは藍の方針であり、紫の異性に対する苦手意識を克服させるためのものであった。
 しばらくのんびりと飛んでいくと、人里が見えてきた。

「はい、ここが人里よ。ここから先は一人で行ってちょうだい」

 紫の言葉を聞いて、銀月はちょこんと首をかしげた。

「あれ、紫さんは行かないの?」
「ついて行ってあげたいけど、私が人里に入ると大騒ぎになっちゃうのよ」

 苦笑いを浮かべながら、紫はそう言う。
 それを聞いて、銀月は頷いた。

「あ、そっか。紫さん、幻想郷で一番偉い人だもんね」
「少し違うけど、まあそういうこと。博麗神社までの帰り道は分かるわね?」
「うん、大丈夫だよ。案内してくれてありがと、紫さん」

 銀月はそう言うと紫の頬にキスをした。
 これもやはり藍の差し金である。
 紫はそれを受けて、嬉しそうに笑った。

「どういたしまして。それじゃあ、失礼するわね」

 紫はそう言うと、スキマの中へと消えていった。
 それを確認すると、銀月は人里の入り口へと降りていった。

「……えっと、晩ごはんまで時間があるから……ちょっと町の中を歩いてみよう」

 銀月はそう呟くと、人里の中を歩くことにした。
 あっちこっちを見てまわり、そのうち人通りの多いところへとやってきた。
 真っ直ぐに伸びた道の両脇に、様々な品物を並べた店がたくさんある通りであった。

「ここが商店街かぁ……色んなお店があるね」

 銀月は商店街の店を興味深そうに眺めながら歩いていく。

「あら、見ない子ね。どこから来たのかしら?」

 しばらく歩くと、銀月は声を掛けられた。

「えっと、僕のこと?」

 突然の声に、銀月はその方を向く。
 すると、そこには恰幅の良い女性が立っていた。
 その後ろには店があり、たくさんの野菜や果物が並んでいた。
 青果店のようである。

「そうよ。今日はお使いか何かかな?」
「うん。あ、そうだ。え~っと……これがいいかな。このキャベツ下さい」

 銀月はキャベツの山の中から、緑色が濃いキャベツから芯の様子や重さを見て選んだ。
 店番の女性は、銀月の選別眼をみて驚いた表情を浮かべた。

「あら、随分と良いのを持っていくわね。おばさんびっくりよ」
「だってこれが一番美味しそうだったんだ。でも、他のも美味しいと思うよ?」
「ありがとう。そうだ、これおまけしてあげる」

 店番はそう言うと、銀月にりんごを手渡した。
 すると、銀月は笑顔を浮かべた。

「いいの? ありがとう! あ、そうだ。せっかくだからこのりんごももう一つ下さい」
「あら、誰かへのお土産かしら?」
「うん、ちょっとデザートに焼きりんごを作ってあげようと思って」

 銀月がそう言うと、店番はキョトンとした表情を浮かべた。

「え、料理できるの?」
「うん。今日の晩ごはんはクリームコロッケだよ」
「凄いねぇ。だったらりんごをもう一個サービスしちゃうよ」

 店番はそう言うと、銀月にりんごをもう一つ手渡した。
 銀月はそれを受け取ると、困惑した表情を浮かべた。

「えっと、本当にいいの?」
「良いの良いの。頑張る男の子にはうんとサービスしないとね♪」

 店番はそう言って銀月に笑いかけた。
 それを聞いて、銀月はぺこりと頭を下げた。

「ありがとう。それじゃ、次のところに行くね」
「毎度あり。これからもうちの店をご贔屓にね」
「うん!」

 その後、銀月は色々と店を回って買い物を済ませていった。
 小さい子供のお使いに店員は次々とサービスしていき、銀月の買い物袋は膨れ上がった。
 銀月は道の脇で買い物袋の中を確認し、買い忘れがないか確認する。

「……えっと、お買い物はこれで全部だね。うん、時間もあるしちょっと散歩してみようかな」

 銀月は買い物袋を収納札にしまうと、気分良く歩き始めた。




  *  *  *  *  *



 時間は少しさかのぼり、昼前。
 人里の人気の無い通りに、一人の少年が立っていた。
 壁に寄りかかったその少年は金髪で、ジーンズと黒いジャケットを着ていた。

「全く、何で俺がこんなところに……」

 少年は苛立ちを隠すことなくため息をつく。
 ふと上を見上げると、一羽の白い鳩が止まっていた。
 その鳩はジッと少年のことを見つめており、微動だにしない。
 その鳩を見て、ギルバートという少年は再びため息をついた。

「……親父の奴、母さんに監視させてまで俺にこんなことさせて、いったい何がしたいんだ……?」

 ギルバートはそう呟く。
 目の前の白い鳩は母親であるジニがギルバートの様子を観察するために飛ばしているものであった。
 これによって、ギルバートは嫌でも人里に入らなければならなくなったのだ。
 しばらくその鳩を眺めていると、横から誰かが近づいてくる気配を感じた。
 その気配が真っ直ぐ自分に向かってくるのを感じ、ギルバートは顔をしかめた。

「……なあ、お前さっきから何やってんだ?」

 近づいてきた人影はギルバートに声をかける。
 声をかけてきたのは同年代の少女で、モノトーンの服に金色の髪が特徴的であった。
 その少女から、ギルバートは眼を背ける。

「……別に」
「んじゃ、暇なのか? なら少し話でもしようぜ!」

 少女はギルバートの様子に構うことなく話を続けようとする。
 ギルバートはそれを受け、嫌そうな顔を浮かべながら背を向ける。

「……いきなりなんだよ。話しかけんな、人間」
「え、人間じゃないのか?」
「ああ違うね。俺は人狼だ。人間なんかと一緒にすんじゃねえよ」
「人狼って、夜になると狼になるあれか?」
「ああそうだ。頼む、もう話しかけんな。本当は人間何ざ見たくもねえんだからな」

 強い好奇心を滲ませる声で話しかけてくる少女。
 そんな少女に、ギルバートは背を向けて眼を合わせずに話をする。
 突き放すようなその言葉に、少女は首をかしげた。

「……んじゃ、何でここに居るんだ? ここは人間だらけなんだぜ?」
「知らねえよ。俺はただ、親父に言われてきただけだ。……人間の良い所を見つけて来いだなんて、何をかんがえてるか知らねえけどな。それじゃあ俺は行くぜ、あばよ」
「待った! そういうことなら私が人間の良さをじっくり教えてやるぜ! 私は霧雨 魔理沙! お前、名前は?」

 立ち去ろうとするギルバートの前に、霧雨 魔理沙と名乗る少女は回りこんでそう言った。
 それを受けて、ギルバートは180度方向転換をして背を向けた。 

「……おい、人の話を聞いてなかったのか? 俺は話しかけんなって言ってんだよ。あっち行けよ」

 ギルバートは手で追い払う動作をしながらそのまま立ち去ろうとする。
 そんな彼の目の前で、再び回りこんだ魔理沙の人差し指が振られた。

「ちっちっちっ……ダメだぜ、そんなことじゃ。そんなこと言ってたら人間の良い所なんて見つけられないぜ! なあ、名前教えてくれよ」
「うるさいな……ギルバートだ。これでいいな、さっさとどっかに行ってくれ」

 詰め寄ってくる少女に、ギルバートは頭を抱えながら名前を告げる。
 しかしその言葉とは裏腹に、魔理沙は更に詰め寄ってきた。

「ギルバートだな。どっから来たんだ?」
「……お前、本当に人の話を聞かないな。どっか行けって言ってるんだよ。俺は人間なんて大っ嫌いなんだからな」
「おいおい、そんなこと言うなよな。お前は人間の良い所を探しに来たんだろ? そんなんじゃ一生掛かっても見つけられないぜ?」
「知るかよ、そんなこと。もう良いだろ、俺は行くぜ」

 ギルバートは吐き捨てる様にそう言うと、魔理沙に背を向けて歩き出す。

「しょうがないなぁ……それじゃ、私が案内してやるよ!」

 すると、魔理沙はその横について一緒に歩く。

「ついて来るなよ」

 ギルバートはそう言いながら歩調を速める。

「そうは言うけど、ギルバートは一人だろ? 食事できる場所を知らないとお腹減るぜ?」

 魔理沙はそう言いながら、早足でついて来る。
 ギルバートはしばらく考えて、自分が食事のできる場所のことを何も知らないことに気づき、苛立たしげに頭をかいた。

「……ああくそ、もう勝手にしやがれ」
「じゃあ、そうさせてもらうぜ」
「……ふん」

 満足げに笑う魔理沙に一瞥をくれると、ギルバートは歩き出した。
 その横に、魔理沙はしっかりとついて来る。

「そっちに行っても何もないぜ」
「良いんだよ、何もなくて。人間が居ない方に行きたいんだからな」
「だからダメだって。ったく、しょうがないなぁ~ 私が連れてってやるよ!」

 魔理沙はそう言って笑うと、ギルバートの腕に抱きついた。
 そしてしっかりと掴んだのを確認すると、ぐいぐいと引っ張って歩き始めた。

「っ、放せ!」

 ギルバートは魔理沙を振りほどこうとする。
 しかし肘の部分をしっかりと抱え込まれているため、簡単には抜け出せそうも無かった。
 そんなギルバートの様子に、魔理沙はニヤリと笑みを浮かべた。

「い~や、放さないぜ。こうでもしないと人間の居るところに行かないだろうしな。さあ、行こうぜ!」
「あ、おいっ!?」

 魔理沙はどんどん人が多いところへ向かって歩いていく。
 すれ違う人間は、ギルバートの腕を抱え込んだ魔理沙を微笑ましいものを見る眼で見送っていく。

「お、霧雨のところの嬢ちゃんじゃねえか。隣のは彼氏か?」

 そんな中、一人の男が魔理沙に声をかける。

「いんにゃ、人間の良さを探しに来た人狼だってさ」

 その男に、魔理沙はギルバートを腕を抱えたまま見せびらかすように突き出す。
 眼を逸らしているギルバートを、男は興味深そうに眺めた。

「へぇ、そうかい。人狼のところにゃお世話になってるからな、人間の良さをじっくり語ってやってくれよ!」
「言われなくてもそのつもりだぜ!」

 お互いに親指を立ててそう言い合うと、男は去っていった。
 その後しばらく歩いていくと、二人は商店街へとやってきた。
 人間が多い通りを見てギルバートが嫌悪感を示すが、魔理沙はそれに構わずどんどん進んでいく。

「こんにちは、八百屋のおばちゃん!」
「こんにちは、魔理沙ちゃん。隣の子は誰?」
「ギルバートって言って、人狼なんだ。今、人間の良さを教えてるところなんだ」
「あら、そうなの。それじゃ、おばさんもいいとこ見せないとねえ……ほら、これあげるよ」

 そう言うと、店番は魔理沙にりんごを手渡した。
 それを受け取ると、魔理沙は嬉しそうに笑った。

「いいのか? やった、今日はついてるぜ!」
「ほら、君も」

 続いて、ギルバートにもりんごを差し出す。

「……礼は言わないからな」

 それを、ギルバートはぶすっとした表情のまま顔を背けて受け取る。
 それを見て、店番は苦笑いを浮かべた。

「あらあら、気難しい子なのね。それじゃ魔理沙ちゃん、頑張ってね」
「うん!」

 魔理沙はその後もギルバートをあちらこちらに連れまわした。
 明るい魔理沙に周囲はどんどん声をかけ、ギルバートもそれに晒される事になった。
 それに対して魔理沙は笑顔で答え、ギルバートは憮然とした表情で最低限の答えを返すのだった。

「どうだ? 人間の良さ、何か分かったか?」

 しばらく歩くと、魔理沙は隣の少年に声をかけた。
 それに対して、ギルバートは疲れた表情でため息をついた。

「……どうでもいい。とにかく少し休ませてくれ……」
「なんだよ、だらしないな。男がそんなことでどうするんだよ?」
「あのなあ、自分のペースで歩けないのは思ってるよりきついんだぞ? お前のペースにずっと合わせてりゃきついに決まってるだろ。ちょっとはこっちの事も考えろ、人間」
「まあ良いじゃないか、将来彼女が出来たらこうなるんだろうし。て言うか、いい加減私のことを名前で呼べよ。ちゃんと名乗っただろ、魔理沙って」

 ギルバートの物言いに、魔理沙は不満げに頬を膨らませて抗議する。
 その抗議を、ギルバートは一笑に付した。

「知るかよ。人間は人間で十分だ……?」

 突如として、ギルバートの動きが止まる。
 辺りを見回し、何かを探しているようである。

「ん、どうしたんだ、ギルバート?」
「……悪いが、案内はここまでだ。少しやることが出来たからな!」

 ギルバートはそう言うと魔理沙の手を振りほどき、民家の屋根へと飛び上がった。
 そして、そのまま屋根伝いに走って行ってしまった。

「あ、おい! ……行っちゃった。どうしたって言うんだ?」

 一人残され、魔理沙はそう呟くしかなかった。



  *  *  *  *  *


「銀月!」
「ん、この声はギルバート?」

 突如として上から声がかかり、銀月はその方を向く。
 すると屋根の上から人影が飛び降りてきた。

「よお、こんなところで会うとは奇遇だな」

 ギルバートは笑みを浮かべて銀月に話しかける。
 その笑みは、獲物を前に笑う獣のようなものだった。
 そこから発せられる威圧感をものともせず、銀月は首をかしげた。

「あれ、人間嫌いの君がどうしてここに?」
「親父の言いつけでね、仕方なくここに来てんだよ」
「そうなんだ……で、僕に何の用?」

 銀月はそう言うとスッと眼を細める。
 どうやら、相手の様子から何が望みなのか大体分かっているようである。

「少し憂さ晴らしに付き合ってもらうぜ。人間だらけのところに居てムカムカしてんだよ」

 ギルバートはそう言いながら銀月を見つめる。
 それを聞いて、銀月は大きくため息をついた。

「はあ……また八つ当たり? 君は人狼でしょ? 人狼が人間に対して弱いものいじめをしていいの?」
「どの口でそんな台詞を吐いてやがんだよ。俺はお前を弱者だなんて絶対認めねえからな」

 呆れ口調の銀月に、ギルバートも呆れ口調でそう返す。
 それを聞いて、銀月は薄く笑みを浮かべた。

「……分かったよ。僕も修行を禁止されてね、少し運動したいところだったんだ。ちょうど良いから相手してあげるよ」

 銀月はそう言いながら肩を回す。
 どうやら欲求不満だったのはギルバートだけではなかったようだ。
 そんな銀月の様子に、ギルバートは不敵な笑みを浮かべた。

「上等だ。なら移動しようぜ。ここじゃあ人が多すぎるからな」
「そうだね」

 二人は頷きあうと、屋根の上に飛び上がって町中を風のように駆け回った。
 そしてしばらくすると二人は揃って上を向き、空へと飛び上がった。
 集落を一望できる高さまで飛び上がると、ギルバートは頷いた。

「……ここなら良さそうだな。人も居ないし、広いし」
「ねえ、ギルバート。君、狼になるの?」
「あ? どういうことだよ?」
「だって、人里の中で狼になるのは拙いでしょ?」

 銀月がそう質問すると、ギルバートは大きくため息をついた。
 そして煩わしそうに舌打ちをすると、銀月に向き直った。

「……余計な心配すんな。今日は魔法と体術だけでやってやるよ」
「分かった。そう言う事なら僕も札や槍は使わないよ。これで対等だね?」
「ああ。それじゃあ、始めようぜ!」
「うん!」

 二人はそういうと、お互いに弾幕を展開した。
 片方は金色の弾幕の中にサファイアのように輝く青い弾丸。
 片方は銀色の弾幕の中にエメラルドのように煌く緑の弾丸。
 二つの弾幕はぶつかり合い、空を複雑な色彩に染め上げた。
 その中心では、それらを放った本人達がぶつかり合う。

「はあっ!」
「おっと、やあっ!」

 ギルバートの下からの飛び蹴りを、銀月は紙一重で躱す。
 そして、後ろを向いているギルバートに追撃をかけようとする。

「そこだぁ!」
「うっ!?」

 銀月が蹴りを入れようとすると、ギルバートはカウンター気味に拳を放ってきた。
 それを銀月は咄嗟に交差させた腕で受け後ろに後退し、ギルバートを睨んだ。

「……やるね。ちょっと見ない間に随分と修行を積んだみたいだね?」
「ああ。この前と同じだと思うなよ?」

 防御の体制をとった銀月に、ギルバートはニヤリと笑った。
 その一方で、銀月は額を押さえながら大きく深呼吸をした。

「ふぅ……いけないいけない。『どんな相手も決して侮るな』。そうだったね、お父さん」

 銀月はそう呟くと、眼を閉じて大きく息を吸い込んだ。
 そしてその息を吐き出しながら、銀月は構えを変えた。
 左手を前に突き出し、右手を腰の位置に添えると、銀月は眼を開いて相手を見据えた。

「……来なよ。もう油断はしないよ」
「ああ……行くぜ!」

 ギルバートはその言葉と共に、弾幕を潜り抜けながら銀月に拳を繰り出した。

「……ふっ!」
「ぐあっ!?」

 銀月はその拳を巻き取り左手で掴むと、その手を引きながらギルバートの右わき腹に右ひじを突き刺した。
 相手の勢いに自分の力を乗せた一撃に、ギルバートは思わず怯む。

「こなくそ、まだだ!」
「そこっ!」

 再び銀月に突っ込んでいくギルバート。
 そのギルバートに、銀月は前に突き出すような蹴りを繰り出す。

「ぐぅ、喰らえっ!」

 ギルバートはあえてその蹴りを左肩で受け、反転する身体を使って強烈な右ストレートを叩き込んだ。
 そのパンチは、銀月の腹へと吸い込まれていった。

「がふっ!? ごほっ、ごほっ……やったなあ!」

 銀月は体勢を立て直すと、今度は自分からギルバートに向かって攻め込み始めた。
 それからしばらくの間、二人は激しい打ち合いを始めた。
 銀月がカウンターを狙えば、ギルバートはそれを力技で打ち破ろうとする。
 ギルバートが攻撃を耐え切ると、銀月は素早く動いて相手を翻弄する。
 二人はお互いの弾幕を潜り抜けながら、ひたすらに殴りあった。
 が、しばらくすると、段々と趨勢が決し始めてきた。
 銀月の速度に、ギルバートが追いつけなくなってきたのだ。

「そらっ!」

 疲れてガードが上がったところを、銀月が鳩尾に突き刺さるような蹴りを入れる。
 ギルバートは対応できず、その直撃を受けた。

「ぐふっ……く、くそっ……まだ!」

 ギルバートはそれを何とか耐え切り、銀月への反撃に移ろうとする。

「遅い!」
「があああっ!?」

 そこに、銀月は上から強烈な踵落としを喰らわせた。
 ギルバートは頭頂部にそれを受けて、地面に叩きつけられる。

「これで、終わり!」

 そこに止めを刺すべく、銀月は高速で降下して行った。

「ちょっと待ったあああああああ!」

 その間に、一人の少女が割ってはいる。
 それは先程までギルバートと一緒に街中を歩き回っていた少女だった。

「ええっ!?」

 突然の闖入者に、銀月は慌ててブレーキをかける。
 その体は足から着地すると激しく滑り、魔理沙の目の前で立ち止まった。

「やめてくれよ! もうギルバートはボロボロじゃないか!」

 魔理沙はギルバートをかばうように手を広げ、銀月の前に立ちふさがる。
 その脚は震えており、目の前の人間に恐怖しているのが分かった。
 目の前の人間は空を飛び、人間離れした身体能力で戦っていたのだ。
 その相手に向かってただの人間が立ち向かうのは、どれだけの勇気がいるのかは分からない。
 魔理沙はただギルバートを助けたい一心で、銀月の前に立ちはだかったのだ。
 そんな少女の様子に、銀月は困惑した表情を見せた。

「えっと……これ、僕とギルバートの勝負なんだけど……」
「そんなの知るか! 友達がボロボロになっていくのを黙って見ていられる訳ないだろ!」

 魔理沙は涙眼になりながらも、銀月に必死でそう訴える。
 するとその後ろでギルバートが立ち上がろうとする。
 その姿は傷だらけであり、口の中が切れているのか口から血の混じった唾液を吐き出していた。

「ぐっ……退けっ……」
「いいや、退かないぜ! 私はお前がやられるのを見たくないんだ! どうしてもやるって言うんなら、私を倒してからにしろ!!」

 戦いを続けようとするギルバートに、魔理沙は彼に背を向けたまま気丈にそう言い放つ。
 その様子に、銀月は大きくため息をついた。

「……はあ……これじゃあ僕が悪人みたいじゃないか……もう良いや。ギルバート、この勝負なしでお願いしていいかな?」

 銀月はそう言って二人に背を向け、肩をすくめる。
 その行動に、ギルバートが怪訝な表情を浮かべた。

「何だと?」
「だって、続けるにはそこの女の子を君が倒さなきゃいけないんでしょ? そんなことしたら弱いもの虐めになるじゃないか」

 銀月は心底やる気が失せたと言った声色でギルバートにそう言った。
 それを聞いて、ギルバートは苛立たしげに舌打ちをした。

「ちっ……しょうがねえな……分かったよ、この勝負なしだ。これで良いだろ、魔理沙?」

 ギルバートは仏頂面で魔理沙に向かってそう言い放つ。
 その場に胡坐をかいて座り込み、不機嫌そうに頬杖をつく。

「う、うん……へへへ、やっと名前で呼んでくれたな、ギルバート」

 ようやく名前を呼ばれ、魔理沙は嬉しそうに笑う。

「ふん……」

 そんな魔理沙から、ギルバートは少し照れくさそうに眼を背けるのだった。

「お~い、お前達!」

 突然、その場に人影がやってきた。
 その人影は成熟した女性のもので、三人の下へ真っ直ぐ走ってきていた。

「あ、はい。何でしょうか?」

 その人影に、銀月は応対しようとする。
 しかしその能天気な対応が走ってきた女性、上白沢 慧音の逆鱗に触れたようである。

「あんな派手に喧嘩しておいて、何でしょうかじゃないだろう! 二人とも、そこに直れ!」
「え、えっ!?」
「な、なんだよ!?」

 慧音は銀月とギルバートの腕を掴むと、横に並ばせる。
 突然のことに、二人は慧音のなすがままになる。

「ふんっ! ふんっ!」


 ごっすん。ごっすん。


 慧音は思いっきり、骨が砕けんばかりの勢いで二人に頭突きをかました。
 周囲に鈍い音が響き渡る。

「あいったああああああ!?」
「いってえええええええ!?」

 頭突きを受けた二人はあまりの痛さに倒れこみ、その場で悶絶する。
 そんな二人を慧音は容赦なく立たせ、その場に正座させる。

「さあ、何であんなことをしていたのか説明してもらおうか?」

 かくして、慧音のお説教タイムが始まるのだった。



 説教が終わり二人が解放されると、魔理沙が二人の下へとやってきた。

「お、終わったみたいだな。怪我、大丈夫か?」

 魔理沙はそう言いながらギルバートの怪我を心配する。
 すると、ギルバートは不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「……この程度どうってことねえよ。人狼を舐めるな」
「その頑丈さは僕も見習いたいな。というか、前に比べると急に強くなったよねギルバート。秘密の特訓でもしたの?」
「お前に負けるのだけは癪に障るんだよ。負けたくないなら、鍛えないとダメだろ」

 銀月の浮かべた疑問に、ギルバートはそう言って答える。
 そんな二人を、魔理沙が興味深そうに眺めていた。

「なあ、お前らいつもこんなことしてんのか?」
「ああ、こいつと会ったときは大概こんな感じだよ。だから止める必要なんざねえってのに……」

 魔理沙の質問に、ギルバートは不機嫌そうにそう答えた。
 やはり人間である銀月に負け越しているのが気に食わないのである。

「まあ、仕方が無いさ。今回は人里って言う人目の多い場所だったわけだし。今度は邪魔の入らない場所でしようか?」
「……ああ、いいぜ。次は絶対にお前を倒してやる」

 銀月が笑顔で誘うと、ギルバートもそれに笑みを浮かべて答える。
 今度こそ倒す、ギルバートの眼はそう言っていた。

「ところでさ、二人ともどうやって空飛んでたんだ? あと、何か撃ち合ってただろ? あれ、何だ?」
「……どうせ渋ったところでしつこく聞いてくるんだろうから答えてやる。魔法だよ」

 魔理沙の問いにギルバートはため息をつきながらそう答える。
 すると魔理沙は楽しそうな笑みを浮かべて考え込んだ。

「魔法かぁ……私も使えるようになるかな?」
「……知るかよ」
「あはは……こればっかりは僕にも分かんないな」

 魔理沙の呟きに、ギルバートは吐き捨てるようにそう言い、銀月は乾いた笑みを浮かべる。
 すると、魔理沙は銀月に視線を向けた。

「そう言えば、お前誰だ? 私は霧雨 魔理沙。で、そっちの名前は?」
「僕? 銀月って言うんだ。宜しくね、魔理沙さん」
「おいおい、堅っ苦しいのはなしにしようぜ? 魔理沙でいいぜ」
「じゃあそうさせてもらうよ、魔理沙」

 二人はそう言って笑いあう。
 すると、魔理沙は何か気になったことがあったのか首をかしげた。

「ところで、銀月は苗字は無いのか?」
「あ~……あるけど、ちょっと今は名乗れないかな……」

 魔理沙の質問に、銀月は冷や汗を浮かべて苦笑いを浮かべながらそう返す。

「え~、なんだよそれ。言えよ~」

 そんな銀月の答えに、魔理沙は不満そうに頬を膨らませながら肘で銀月のわき腹を突く。
 すると、しどろもどろになっていた銀月が何かを思い出したように顔を上げた。

「あ、そうだ。早く帰って霊夢に晩ごはん作ってあげなきゃ! じゃ、じゃあね!」

 銀月はそういうと風のように空を飛んで行った。
 それは一切の妨害の余地を見出せない、見事な撤退であった。

「あ、こら逃げんな! ……ちぇ、逃げられたか」

 魔理沙は悔しそうにそう言いながら足元の石を蹴る。
 その横で、ギルバートは自分の腕時計を見てため息をついた。

「さてと、俺ももう帰っても大丈夫だろ。それじゃあ魔理沙、俺も帰るぜ」
「え~……もう帰っちまうのかよ」

 魔理沙はそう言いながらギルバートのジャケットの袖を掴む。
 ギルバートはため息をつきながらその手を外した。

「良いだろう、俺がどうしようと。それにもう帰らねえと遅くなっちまうからな。じゃあな」

 ギルバートはそう言うと、ふわりと宙に浮かび上がった。
 そんなギルバートを、魔理沙は走って追いかける。

「ギルバート! また会えるよな!?」
「……さあな」

 ギルバートはそう言い放つと、人狼の里に向けて飛び立っていった。
 その去り際、魔理沙には彼の口は笑っているように見えた。

「……また、会えるよな」

 魔理沙は笑顔を浮かべてそう呟くと、家に帰ることにした。
 その足取りは、とても軽いものだった。



  *  *  *  *  *



「あら、帰ったのね、ギル」

 ギルバートが家に帰ると、薄紫色のアラビアンドレスを身に纏った褐色の肌の女性が出迎えた。

「ただいま、母さん。疲れた、少し寝る」

 ギルバートはそう短く告げると、自分の部屋へと向かおうとする。

「それで、人間の良い所は見つかった?」

 その背中に、ジニはそう問いかける。
 すると、ギルバートはその場に立ち止まってため息をついた。

「……知らねえ。人狼とあまり変わらねえし」

 ギルバートはため息混じりにそう話す。
 それを聞いて、ジニは満足そうな笑みを浮かべた。

「そう。おやすみ、ギル」
「うん、おやすみ、母さん」

 ギルバートはそう言うと、自分の部屋へと入っていく。
 部屋に入ると、きちんと整えられたベッドの上に身体を投げ出した。
 そして、しばらくそのまま天井を見つめる。

「……友達、か……」

 ギルバートはそう呟くと、眠りの淵へと落ちていった。
 その時の夢は、とても良い夢だった。



[29218] 銀の槍、訪問を受ける
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 19:59
「……で、いったい何をしに来た、天魔?」
「そんなに邪険にすることは無いだろう? お前だって家に良く上がりこんでいるではないか」

 銀月が博麗神社に出かけているころ、畳張りの応接間で二人は面と向き合って話し合う。
 天魔と呼ばれた黒い翼の妙齢の女性の天狗は、出された緑茶を啜りながら会話に参加する。
 その彼女の言葉に、将志はジト眼とともにため息をつく。

「……俺は自分の意思でお前の家に行った覚えはない。大体は貴様が行かざるを得ない状況にしたんだろうが」
「はて、そうだったか?」
「……とぼけるな。貴様、何度うちの門番を拉致すれば気が済むのだ? その度に俺は取り戻しに行かねばならんのだぞ」

 首をかしげる天魔に、将志は少々語気を強めながら抗議する。
 しかし天魔は涼しい表情でそれを聞き流し、話題を転換する。

「……門番といえば、ここには門番は一人しか居ないのか? いつもあの十字槍の門番しか居ない気がするのだがね?」
「……そんなはずは無いのだが……確かにさらわれた経験があるのは涼だけだな……あいつは致命的に運が無いからな……」
「それから、その涼とやらは妖怪の山にトラウマでもあるのか? 連れて行くたびに顔が蒼ざめるのだが?」
「……鬼に玩具にされていたからな。ちょうど四天王と実力が拮抗していたのが運の尽きだ」

 天魔の質問に、将志は若干陰鬱な表情で回答する。
 それを聞いて、天魔は納得したように頷いた。

「成程、それで何度も連れ去られていたわけか。高々亡霊の身分でご苦労なことだ」
「……涼の能力も災いしていてな。何しろ涼の能力は『一騎討ちする程度の能力』、これほど鬼が好みそうな能力はあるまい」
「どんなに大勢で掛かっても必ず一騎討ちになる能力と言ったところか。鬼共が聞いたら嬉々として戦いを挑むだろうな?」
「……正確には、本人が望めば対多人数も出来るらしいがな。そういうわけで、鬼に気に入られた訳だ。地底にまで連行されるくらいだから、余程気に入られたのだろうな」
「ほう……まあ、亡霊ということは妖怪ではないから、ギリギリ地底に入れるか? たまには使いに出してやったらどうだ?」
「……涼がそれを了承すると思うか?」
「思わんな」

 そう言うと、天魔は茶を飲んだ。
 そうして一息つくと、再び将志が話を始めた。

「……話が逸れたな。もう一度訊こう、ここに何の用だ?」
「なに、大した用はない。名目としてはただの視察だ。ちゃんとうちの議会の承認も得てあるから、れっきとした仕事だ」

 将志の問いに、天魔はいたって真面目な表情で答える。
 それを聞いて、将志は怪訝な表情を浮かべた。

「……話が見えんな。何故今になってここを視察する必要がある? 特に目立った動きはしていないはずなのだが?」
「いや、議題に上ったのはお前ではない。お前が拾った人間の子供だ」

 その言葉を聞いた瞬間、将志の眉が吊り上った。
 表情が少し険しいものになり、やや睨むような表情で天魔を見る。

「……銀月が?」
「神経質なうちの大天狗共がうるさくてな。槍一本で妖怪達を蹴散らした人の子が銀の霊峰に引き取られた、という情報を聞いただけで大騒ぎを始めたのだ。それで、腰抜け共の代わりに私が様子を見に行くことになったというわけだ」
「……成程、銀月が危険因子となりうるかどうかを確かめにきたというわけだ。何処からの情報だ?」
「スキマ妖怪だ。何でも、その人間の子供が暴れだした時の備えに妖怪の山の戦力も当てにしたいとの事だったのでな。一度説明に来ていたのだ。まあ、暴走しなければ特に問題は無いんだがな」
「……成程な」

 そう言うと、将志は表情を緩めた。
 少なくとも、天魔が理由も無く銀月を害することは無さそうだと判断したのだった。

「そういうことだ。で、その銀月とやらはどこだ?」
「……あ~……言いにくいのだが、今日は帰ってこないぞ」

 将志は眼を宙に泳がせ、言いづらそうに頬をかきながら天魔にそう伝えた。
 それを聞いて、天魔は怪訝な表情を浮かべて首をかしげた。

「どういうことだ?」
「……まさかそんな真面目な理由だとは思わなかったからな……お前が何かしでかすだろうと思って、避難させてしまったのだ」
「やれやれ、お前は私を何だと思っているのだ? 私がそんなにいつもふざけているとでも思っているのか?」

 天魔は視線で抗議しながら将志にそう詰め寄る。
 それに対して、将志も視線と共に反論した。

「……お前の日頃の行いが悪いからな」
「くっ、反論できないところが忌々しい……」

 将志の言葉に天魔は悔しそうに唇を噛む。
 それを見て、将志は大きくため息をついた。

「……自覚があるのなら少しは自重しろ」
「だが断る」

 天魔がそう言った瞬間、応接間の戸が勢いよく開いた。
 そして、燃えるように紅く長い髪を三つ編みにした小さな少女が飛び込んできた。

「天魔ぁ! 俺と勝負しろ!!」

 アグナは天魔の姿を確認すると即座に食って掛かった。
 そんなアグナを見て、天魔は首をかしげる。

「む、お前は確かアグナと言ったな……いきなりどういうことだ?」
「どういうこともくそも、あんだけやられてやられっぱなしでいられるほど俺は根性なしじゃねえんだよ。さあ、表に出てもらうぜ!!」

 以前、天魔が涼をさらった時にアグナは天魔を追いかけて戦闘を挑み、負けたことがあるのだった。
 アグナはそれが悔しかったらしく、再戦を申し込んでいるのだった。
 それを聞いて、天魔は首を横に振った。

「……全く、愛を語らう時間すらくれないのか、お前は?」

 呆れ口調で天魔がそう言うと、アグナは首をかしげた。

「はぁ? どういうこったよ?」
「どういうこともなにも、そのままの意味だ。私は将志に逢引の誘いを掛けに来たんだがね?」

 天魔は自分がここに来た理由をアグナに告げる。
 もちろんこれは虚偽のものであり、本当のところは先程将志に話したとおりである。
 将志はそれを聞いて頭を抱えた。

「……おい、何を口走っている?」
「何をと言われても、ここに来た用件としか言い様がないのだがな?」

 将志の質問に、天魔は涼しい表情でそう答える。
 それを聞いて、アグナは大きくため息をついた。

「何だよ……兄ちゃん、また女を引っ掛けたのかよ……」
「……ちょっと待て。その話、詳しく聞かせてもらおうか?」

 アグナの言葉に天魔が身を乗り出して食いつく。
 すると、アグナは半ば呆れ顔で事情を説明した。

「んあ? いや、だって兄ちゃん滅茶苦茶モテるぞ? 俺が知ってるだけでも四人は兄ちゃんにゾッコンだぜ?」
「何、だと……」

 アグナの説明を聞いて、大げさに後ろによろける天魔。
 そして、将志に詰めより襟首を掴んだ。

「おい、貴様……私とのことは遊びだったのか!?」
「遊びもへったくれも、貴様と恋仲になった覚えなどない!!」

 天魔の追求に、将志はそう叫びながら手を払いのける。
 その将志の言葉を聞いて、アグナは口に人差し指を当てて唸った。

「ん~……でも、兄ちゃんはその気が無くてもそういう風に見えることすっからなぁ……」
「成程……つまり貴様はその気もないのに女を引っ掛けているということだな……この女の敵め、表出ろ」

 天魔はそう言いながら将志の小豆色の胴衣の袖を掴んで外に引っ張ろうとする。
 そんな天魔に、将志はこめかみを押さえながら反論する。

「……ええい、何の根拠があってそんなこと……」
「兄ちゃん……それ、俺だけじゃなくてみんなが思ってることだぞ? 正直、兄ちゃんが後ろから刺されても誰も不思議に思わねえと思うぜ?」
「……解せぬ」

 呆れ口調のアグナの言葉に、将志はがっくりと肩を落として呟くのだった。
 そんな将志の肩に、天魔が優しく手を置く。

「さて、じっくり話を聞かせてもらおうか、将志くん?」
「……話す事などない!!」

 将志がそう言って天魔の手を払いのけると同時に、誰かが廊下を走る軽快な音が聞こえてきた。
 その音は段々と大きくなっており、応接間に近づいてきていることが確認できた。

「お姉さまぁ~!!」
「げっ、この声は……」

 聞こえてくる少女のソプラノボイス。
 それを聞いて、アグナはげんなりした表情を浮かべる。

「お姉さまあああああ!!」

 足音の主の闇色の服を着た金髪の少女は、応接間に入るなり手を大きく広げてアグナに飛び掛った。
 全力疾走のフォームから一切の勢いを殺さずに跳んだ、見事なジャンプであった。

「はああああああ!!」
「きゃいん!!」

 そんなルーミアを、アグナは顔面に空手チョップをかけて打ち落とす。
 衝撃波と共に部屋の中に鈍い音が鳴り響き、ルーミアは腹ばいに床に叩きつけられた。

「う~、お姉さまのいけず……抱きつくぐらいいいじゃないの」

 ルーミアは眼に涙を浮かべながら顔をさする。
 そんな彼女に、アグナは怒鳴り散らした。

「うるせえ! 抱きつくにしてもお前はやりすぎなんだよ! 大体、服の中にまで手を突っ込んでくる奴があるか!!」
「少しでもお姉さまとスキンシップを取りたいって言う私の気持ちを汲み取ってはくれないの?」
「だから、ちったあ自重しろっつってんだよ!!」

 反省の色を見せないルーミアに、アグナは足元から炎を吹き上げながら地団駄を踏む。
 そんなアグナを見て、ルーミアは不満そうに頬を膨らませた。

「え~……お姉さまはお兄さまに対して全然自重しないのに?」
「う……そ、それは……」

 ルーミアの追求に、アグナは言葉を詰まらせ冷や汗を流した。
 そんなアグナの様子に、天魔の琥珀色の瞳が光った。

「ほう? 詳しい話を聞こうじゃないか、あ~……」
「ルーミアよ、天魔。それで、お姉さまのお兄さまへのスキンシップの話ね。実際に見たほうが早いわ。と言うわけでお姉さま、実演ごー♪」

 ルーミアは楽しそうに笑いながらそう言って、将志を指差す。
 そんなルーミアに、アグナは詰め寄って抗議する。
 それを受けて、アグナは顔を真っ赤に染めてうろたえ始めた。

「ばっ、あれは月に一回と決めて……」
「しなかったら、私がお姉さまに同じことをやるわ。あ、むしろその方が……」
「だああああ! 分かった、やりゃあ良いんだろ、やりゃあ!!」

 手をわきわきと動かしながら迫ってくるルーミアを押しやり、将志の前に立つアグナ。
 そして軽くジャンプして将志の首にしがみつくと、よじ登って視線を合わせた。

「……兄ちゃん……これ、不可抗力だから見逃してもらっていいか?」
「……月に一度と決めたのはお前であろう? 俺に訊く必要などはない。が、出来れば時と場合を考えてくれ」

 言いづらそうに問いかけるアグナに、将志はため息をつきながら答えを返す。
 それを聞いて、アグナは安心したように笑みを浮かべた。

「……ありがとな、兄ちゃん……んちゅ」

 そう言うと、アグナは将志の唇に吸い付いた。
 将志は抵抗することなくそれを受け入れる。

「なっ……」

 そんな二人を見て、天魔は絶句する。
 唖然とした表情を浮かべる彼女を他所に、アグナは将志の唇を吸い、舌を絡める。
 しばらくすると、将志の方から口を離した。

「……アグナ、もう良いだろんむっ!?」

 将志が止めようとすると、アグナは急いでその口を塞ぐ。
 舌で将志の歯茎を軽くなぞると、アグナは熱に浮かされたオレンジ色の瞳で将志の黒耀の瞳を見つめた。

「……!」

 その瞳を見て、将志の背中に寒気が走った。
 それは、まるで獰猛な肉食獣に狙いを付けられたかのような、とても危うい感覚だった。

「……悪い、兄ちゃん……ちっとスイッチ入っちまったみたいだ……ちゅっ……」

 アグナはそう言うと、将志の口に激しく吸い付き始めた。
 その勢いたるや、将志が呼吸困難になってしまうようなものであった。

「んくっ……あ、アグナ……」
「んっ……にいちゃん……ちゅる……とまんねえよぉ……はむっ……せつねえよぉ……んちゅ……」

 アグナはとろけた表情でひたすらに将志の口を貪る。
 舌を吸い出し甘噛みし、絡めあっては再び吸い付く。
 その度にアグナの脳髄にしびれるような感覚が流れ込み、まるで媚薬のように作用する。
 それによりアグナの感覚はどんどん敏感になっていき、唇に途切れ途切れに掛かる荒い吐息すら強烈な快楽を与えた。
 もはやアグナには周りは見えておらず、ひたすらに将志を求めることしか考えられなくなっていた。
 一方の将志は必死にそれから逃れようとするが、どこまでも追いかけてくるアグナからは逃げ切れずに成すがまま。
 おまけに頭をしっかりと抱え込まれてしまい、何も出来ない状況へと追い込まれてしまった。

「ああ……お姉さまのエロい表情がたまんない……」
「ふむ……見た目幼い子供になすがままにされる男とは、何やら背徳のにおいがするな……」

 その様子を、ルーミアはうっとりとした表情で眺め、天魔はニヤニヤと笑いながら眺めていた。
 発情した獣のような表情で幼女が青年に迫るその光景は、背徳的であるが故に眼を背けられない魔力のようなものが感じられた。
 二人は見ている心境こそ違えど食い入るようにその情事を見つめ、途切れ途切れの息遣いと声を聞き、自らの鼓動を早めていく。

「……おい……っむ、そろそろ良いだろう……?」

 将志は肩で息をしてそう言いながら、アグナから何とか口を離す。
 お互いの口に銀色の橋がかかり、溢れ出た液体が口の周りを濡らす。
 その橋が落ちる前に、アグナは小さく首を横に振って将志の口を塞ぐ。

「んちゅ……やぁ……やめたくない……にいちゃんと気持ちよくなりたい……んんっ」

 アグナは舌足らずな声で艶っぽくそう言うと、再び将志に口を付けた。
 口の周りの唾液を舐め取り、将志の首を下向きに傾けて口の中を舐めまわす。
 アグナにはその液体が甘露の様に感じられ、一滴でも多く飲み干したくて舌で掻き出そうとする。
 白く肌理細やかな肌の頬を、受け切れなかった唾液が伝う。
 上気し蕩けた表情の上で伝っていくそれは、アグナの表情をより一層淫靡なものへと変えていた。 
 そんなアグナを、将志は腕で無理矢理引き剥がしてとめることにした。

「んむぅ……分かった、後でしっかり構ってやるから今は勘弁してくれ……一応来客中なのだからな」
「あうぅ……満足できてねえのにおあずけなんて酷いぜ、兄ちゃん……」

 将志の言葉に、アグナは泣きそうな眼で将志を見つめる。
 そして、切ない声で将志に訴えかけた。
 顎から滴り落ちるしずくが、行為の激しさを物語っている。
 そんなアグナに、将志は首をゆっくりと横に振った。

「……それでもだ。これが終わったら幾らでも相手してやる。だからしばらく我慢していろ」
「……約束だかんなぁ……」

 ため息混じりの将志の言葉に、アグナはそう言って胸に顔を押し付けると、逃げるようにその場から去って行った。
 そんなアグナを、ルーミアが辛抱たまらんといった表情で眺めていた。

「く~っ、涙眼のお姉さまも可愛い!!」
「……ルーミア、お前は後で折檻してやるから覚悟しておけ」

 将志が低くドスの効いた声でそう言うと、ルーミアは凍りついた。
 そして錆付いたロボットのような動作で将志の方を向くと、乾いた笑みを浮かべた。

「……や、優しくしてね、お兄さま?」

 ルーミアはそう言うと、一目散に逃げ出していった。
 その隣で、笑い声が上がった。

「くっくっく、面白いものが見れたな」

 愉快げに笑う天魔に、将志は疲れた表情で顔を拭きながら視線を送る。

「……面白がっている暇があったら止めてくれ。幾ら慣れたとはいえどもああまで拘束されていると流石に苦しいものがあるのだぞ? いや、好意を示してくれること自体は嬉しいのだがな」
「断る。こんな面白いものが見れるというのに、何故止める必要があるのだ? お前のあんな情けない姿などそう滅多に見られるものではないからな」
「……覚えていろよ、貴様」

 ニヤニヤと笑う天魔に、将志は憎らしげな表情を浮かべて地の底から響くような声でそう言った。
 そんな将志の呪詛にも涼しい顔で、天魔は何か思い出したように手を叩いた。

「そうだ、珍しいといえば最近幻想郷三大宝玉と言う物が出来たらしいな」
「……何だそれは?」
「『博麗の陰陽玉』、『悪魔の翠眼』、そして『檻中の夜天』だ」

 聞き慣れない名前を並べられ、将志はキョトンとした表情で首をかしげた。

「……博麗の陰陽玉は聞いたことがあるが、後の二つは何だ?」
「『悪魔の翠眼』というのは正体不明の妖怪の眼のことらしい」
「……正体不明の妖怪だと?」

 将志はそう言って眉を吊り上げた。
 正体不明の妖怪がいるということは、銀の霊峰で調査をする必要がある可能性があるからである。

「見た者によって証言が違うのだ。曰く、右腕が異様に長い妖怪、小さな猫のような獣、人型の妖怪……その容姿のどれが正しいのか誰も分からないが、恐ろしく強いのだそうだ」
「……それは鵺ではないのか?」

 将志は天魔の話す特徴から、その姿を自由に変える妖怪の名前を挙げた。
 しかし、それに対して天魔は首を横に振った。

「いや、それがどうにも違うらしい。これらの証言をしたものは、皆一瞬しか見ていなかったり、恐慌状態だった者ばかりだ。それに、鵺本人もその妖怪に関しては知らないと言っていたぞ? 大体、それならば見た者によって見た目が変わってくるはずだが、この妖怪に関しては全員が一致する特徴を挙げている」
「……特徴だと?」
「眼、だ。その妖怪を目撃した全ての者が翠玉(エメラルドのこと)の様に輝く眼を特徴に挙げている。その緑色の光は力強く神々しくさえある光で、まるで悪魔に魅入られたように見入ってしまうような眼なんだそうだ」
「……それで、『悪魔の翠眼』か……」
「ああ。その妖怪が何者かは知らないが、その強さも相まってそう呼ばれるようになったようだな」

 そこまで聞くと、将志は腕を組んで考え込んだ。

「……調査の必要があるか……?」
「目撃情報が少ないから難しいと思うがね? そもそも、全員が何かと見間違えている可能性もある。まあ、被害がそこまで大きいわけではないし、ここ数年間その被害も出ていない。どうしても暇なときでいいのではないか?」

 天魔の意見を聞くと、将志は少し考えて小さく頷いた。

「……そうだな。もし被害が大きいようなら俺の耳にも入っているはずだからな。で、『檻中の夜天』とは?」
「む? お前の槍の黒水晶だが?」

 将志の問いに天魔は何とはなしに答える。
 それを聞いて、将志は唖然とした表情を浮かべた。

「……何?」
「まるで銀の蔦の檻の中に曇りのない夜空が閉じ込められているような宝玉、と言う意味だ」

 天魔が名前の由来を言うと、将志は少し嬉しそうに微笑んだ。

「……大層な名前がついたものだ。まあ、悪い気はしないがな」
「まあ、そこまで傷一つなく見事な真球の黒水晶など滅多にないからな。それに、激しく打ち合っても砕けぬとなればなおさらだ。宝玉に見えても不思議ではあるまい」
「……そういうものか?」
「そういうものだ。さて、そろそろ戻らないとうちの大天狗共がうるさくなるな。帰らせてもらおう」

 天魔はそう言うと立ち上がった。
 そんな彼女に続くように将志も立ち上がり声をかける。

「……天魔、少しいいか?」
「む、何の用だ……!?」

 天魔が振り返った瞬間、将志はいきなり天魔をやや強引に抱きすくめた。
 あまりに突然の出来事に、天魔は眼を白黒させている。

「……やはり、綺麗な眼をしているな」

 そんな天魔の眼を見つめながら、将志はそう言って微笑みかけた。
 すると、天魔の頬が赤く染まった。

「っ、い、いきなり何の真似だ?」
「……ふっ、なに、少しばかりお前のその可愛い顔が見たくてな」

 天魔の問いに、将志はさらりとそう答える。
 その瞬間、天魔の顔の火が一気に全面に広がった。

「ば、馬鹿、いきなり何を言い出すのだ!? わ、私が可愛いなど世迷言を……」
「……ふふっ、そう言うところが可愛らしいよ、お前は」

 わたわたとする天魔の頬を、将志は指先で優しく撫でる。
 すると天魔の身体は一瞬ピクリと跳ね、ふるふると震え始めた。

「っ~~~~~~! ええい放せ、この女誑し!!」
「……それこそ断る。言ったはずだ、俺は覚えていろと」

 将志は胸を叩こうとする天魔の手を左手で掴み、動けないように強く抱きしめる。
 天魔はしばらく抵抗したが、動けないと分かると真っ赤な顔で将志を睨みつけた。

「た、ただの仕返しで抱きつくのか、貴様は!?」
「……おや、ただの仕返しなら俺はこうはしないぞ? それなら殴ったほうがずっと早い」
「じゃあ何故そうしない!?」

 将志の発言に、天魔はそう言って叫ぶように問いただした。
 それを聞いて、将志はため息混じりに笑みを浮かべた。

「……はっきり言わないと分からないか? これはお前に対する愛情表現だと」
「嘘をつけ! 単に私の反応を面白がってっ!?」

 一気にまくし立てる天魔の口を人差し指で塞ぎ、頬にキスをする。
 その瞬間天魔の時が止まり、一瞬の静寂が訪れた。

「……別に嘘は言っていないぞ? 確かにからかってはいるが、嫌いな相手に抱きついたりはしないし、好きでもない相手の頬に接吻などしない。お前に対して一定以上の好意はちゃんと持っているつもりだぞ?」

 将志は微笑を浮かべながら、天魔の口を塞いでいた人差し指をぺろりと舐めた。
 この一連の行為は完全に狙ってやっているものであり、どうすれば効率良く天魔をからかえるかを考えて計算されたものであった。

「あ、あう……」

 一方、天魔は将志の攻撃に耳まで紅く染めて沈黙し、俯いている。
 しばらくすると、天魔は深呼吸を始めた。

「……このっ!」
「んっ?」

 天魔は勢いよく顔を上げ、将志の口元にキスをした。
 不意を撃たれ、将志はなす術もなくそれを受ける。

「……ど、どうだ?」

 天魔は肩を上下させながら将志の反応を伺う。
 彼女にしてみれば、それは将志に対しての精一杯の仕返しであった。
 将志は天魔がキスをした部分を指でなぞった。

「……ああ。お前の好意、確かに受け取ったよ」

 そして、柔らかな笑みを浮かべて天魔にそう言い放った。
 その瞬間、天魔は金槌で打たれたかの様にガクッと項垂れた。

「っ……く~~~~~っ! 馬鹿阿呆間抜け朴念仁の女誑し! 貴様本気で後ろから刺されて地獄に落ちろ!!」

 天魔は怒鳴り散らすようにそう言うと、将志をがむしゃらに殴り始めた。

「……はっはっは、こうなると本当に可愛らしいな、天魔は」

 将志は天魔の攻撃を笑いながら避けていく。

「ええい、黙れ!!」 

 そんな将志を、天魔は腕を振り回しながら追いかけるのであった。
 結局、その追いかけっこは半刻ほど続き、将志がアグナに拉致されることで終わりを告げるのだった。



[29218] 銀の月、研修を受ける
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 20:03
 いつもより早い朝、霊夢が物音に眼を覚まして台所に行くと、包丁がまな板を叩く音が響いていた。
 そこには、見慣れない衣装を身に纏った、いつも見慣れた顔があった。

「……ちょっと銀月。どうしたのよ、その格好は?」
「何のことでしょうか?」

 霊夢に声を掛けられ、銀月は包丁を動かしながら答えを返す。
 普段の子供っぽい口調とは違い、身に纏った黒い執事服に見合った落ち着いた丁寧な口調での返答であった。
 そんな銀月に、霊夢はこめかみを押さえた。

「何のことでしょうか、じゃないわよ。いつもの白装束はどうしたのよ?」
「ああ、今日から研修なんですよ」
「研修? 何の研修よ?」
「何って……執事ですが?」

 それ以外の何があると言わんばかりに銀月はそう言う。
 それを聞いて、霊夢は首をかしげた。

「……何でそんな研修受けんのよ?」
「ギルバートさんに誘われまして、一緒に受けることになったのです。何でも、人の上に立つのであれば、仕える者の気持ちが理解できなければならないとのこと。私も銀の霊峰の首領の息子と言う立場ですので、仕える者の気持ちを学んでみようと……」

 霊夢の質問に銀月は淡々と答えていく。
 そんな銀月の態度に、霊夢は大きくため息をついた。

「どうでもいいけど、その喋り方やめてくれない? 凄く調子狂うんだけど」
「……むぅ、遊びながら仕事が出来るから楽しいのにな」

 霊夢の言葉に、銀月は少し不満そうな表情を浮かべて口調を戻した。
 銀月の態度の変化に、霊夢の表情がようやく柔らかくなる。

「遊びながらって……どんな遊びよ?」
「今、僕は執事の格好してるでしょ? だから、執事の役を演じて遊んでるんだよ。執事の勉強にもなるしね」

 銀月は楽しそうに笑いながらそう語る。
 霊夢はそれを見て小さくため息をついた。

「……ああ、あんたの趣味の演劇か。いいわね、楽しそうで」
「何だったら、霊夢もやってみる? 服装によって色んな役を演じると結構楽しいよ?」
「嫌よ、めんどくさい。私は自然体のほうがいいわ」
「うん、僕が霊夢だったらたぶんそう言うだろうと思った」

 霊夢の反応に、銀月は苦笑しながらそう答える。
 その言葉を聞いて、霊夢は少し考えた後で銀月に話しかけた。

「……待って、あんた私も演じられるの?」
「たぶん出来ると思うよ? ただ、特殊メイクとか色々しなきゃいけないから大事になると思うけど……」

 銀月は額に人差し指を当て、しばらく考えてからそう言った。
 なお、特殊メイクの指導はもちろん愛梨の仕込である。
 それを聞いて、霊夢はニヤリと笑った。

「それじゃあ、あんたが私に化けて変わりに神事や修行をしたりとか……」

 その言葉を聞いた瞬間、銀月は盛大にため息をつき、がっくりと項垂れた。

「……あのねえ、僕は霊夢みたいに神事が出来るわけじゃないし、修行に至っては僕がやっても意味ないじゃないか。そういうのってあっさりばれるんだよ? 精々出来て霊夢の代わりにお客さんの相手をするくらいだよ」
「ちっ、使えないわね……楽できると思ったのに……」

 銀月の言葉を聞いて、霊夢は面白く無さそうな顔で舌打ちした。
 その様子を見て、銀月は再びため息をつく。

「そんなこと言ってると、また紫さんに怒られるよ? ……あ、そろそろ行かないとバーンズさんに怒られちゃう。じゃあ、また明日!」

 銀月はそう言うと、大急ぎで博麗神社から飛び出していった。

「……お茶汲み頼もうと思ったのに……何でもうちょっとゆっくり出来ないのかしら?」

 そんな銀月を見て、霊夢は不機嫌そうにそう呟きながらお茶を淹れ、それを啜る。

「……やっぱり銀月が淹れたほうが美味しいわね。どうやってるのかしら?」

 自分で淹れたお茶との違いに首をかしげる霊夢であった。





 人狼の里に着くと、銀月は真っ先に丘の上に立つ古城に飛んでいった。
 木で出来た古めかしい大きな扉を叩くと、中から執事服を着た老紳士が現れた。
 深い紫色の執事服が、他の執事やメイドとは一線を画した立場にいることを示している。

「どちら様ですかな?」
「おはようございます、バーンズさん」

 現れた人影に、銀月は礼をする。
 するとバーンズはつけていた銀縁のモノクルの位置を直しながら返礼をした。

「おお、おはようございます、銀月さん。いつものお勤めは終わったのですかな?」
「はい。霊夢さんには少し朝食の予定を早めてもらいました」
「移動が大変なのではございませんかな? ここから博麗神社まで結構距離があると思ったのですが……」
「それも鍛錬だと思えばどうということはございませんよ。むしろ朝の新鮮な空気が吸えて得をした気分になります」

 バーンズの問いに銀月は丁寧に答えていく。
 それを聞いて、バーンズは感嘆の息を漏らす。

「いやはや、素晴らしいですな。ですが、あまり無理をしてはなりませんぞ。無理をして体調を崩し、職務に差し障るということが一番の禁忌なのですからな」
「はい、重々心に刻んでおります、執事長」

 銀月は若干の遊び心を込めて笑いながらバーンズにそう言った。
 一方、バーンズもそれが気に入ったのか笑みを浮かべて頷く。

「宜しい。さて、そろそろギルバート様もいらっしゃる頃なのですが……」
「俺ならここにいるぞ」

 バーンズの言葉に、銀月と同じ黒い執事服を身に纏った金髪青眼の少年が答える。
 その言葉を聞いて、バーンズは一つ咳払いをした。

「……ギルバート様、いえ、ギルバートさん。その服を身に纏っているからには言葉遣いなどにも気を配ってください。執事というものは、常に相手に敬意を払っておくものですぞ?」
「おっと、失礼いたしました。不慣れなもので、失念しておりました」

 バーンズの物言いに、ギルバートは姿勢を正して頭を下げる。
 その態度に、バーンズは納得したように頷いた。

「いえ、気をつけていただければ問題はないのです。では、まずはお二方がどこまで仕事が出来るのか確認をしたいと思いますので、私の指示に従って行動してください」
「「かしこまりました」」

 二人はそう言うとバーンズの指示を仰ぎ、行動を始める。
 その内容は、料理・掃除・勉学・戦闘をそれぞれ行い、現時点でどれほどのことが出来るのかを確認するというものであった。
 バーンズが準備をしている最中、銀月とギルバートは二人で控え室で待つことになった。

「ところで、何で僕をこれに誘ったのさ?」
「俺一人でやっても張りがないからな。競う相手が人間のお前なら、やる気も出ると思ってな」

 ギルバートはそう言って銀月を見る。
 以前の人里での一件以来、二人は会うたびに様々な事で勝負をすることになった。
 その内容は戦闘であったり、大食い勝負であったり、徒競走であったり様々であった。
 このような勝負を重ねた結果、気がつけば二人は親友とも呼べる間柄になっていた。
 もっとも、それで人里の中で周囲に迷惑をかけるたびに慧音から深~い愛のこもった頭突きを受けることになっているのだが、両名共に全く懲りていない。
 そして、現在戦績は銀月がギルバートに大きく勝ち越しているのだった。
 その相手である人狼の言葉に、銀月は薄く笑みを浮かべる。

「そうなんだ。そういうことなら、僕は負けないよ。うん、君にだけは負けてたまるか」
「ふん、こっちだって人間、特にお前に負けるのだけは御免だね。どっちが上なのか、勝負と行こうぜ」
「望むところさ」

 こうして、今日も銀月VSギルバートの激しい戦いが幕を開けるのだった。




 第一戦、料理対決。
 バーンズの目の前には、二人が作った料理がそれぞれ並んでいる。
 審査員たる老執事はその料理をじっくり味わい、判断を下した。

「流石にここは将志様の息子、と言ったところですな。料理に関しては文句なしで銀月さんの勝ちと見ていいでしょう」
「ありがとうございます」

 惜しみない賞賛に、銀月は笑顔で礼をする。
 バーンズはそれを受けると、ギルバートの方に向き直った。

「ギルバートさんも普段料理をしていない割にはなかなかのお手前でした。どうです、これを期に料理を始めて見られては?」
「……ええ、そうします。彼に負けるのは悔しいので」

 ギルバートは苦い表情でそう言うのだった。





 第二戦、掃除対決。
 同程度に散らかされた部屋を片付け、どちらが綺麗に片付いているかを競うものである。
 一般の片付けと違って物を勝手に捨てることが出来ないため、収納スペースをいかに効率良く利用できるかどうかが鍵となる勝負である。
 バーンズはクローゼットの中まで念入りにチェックし、どちらが上手く片付けられているかを判断する。

「掃除は甲乙付けがたし……ですが、ベッドメイク等の作法の差でギルバートさんの勝ちでしょうな」
「はい、ありがとうございます」

 軍配が自分に上がったことで、ギルバートは満面の笑みを浮かべる。
 銀月に一矢報いたことが嬉しいようである。

「銀月さん、このような作法は恐らく和風の家に住まれているためご存じないと思われますが、これから覚えていきましょうね?」
「はい、精進させていただきます」

 銀月は敗北を喫したにも関わらず、余裕を持ってバーンズの言葉に応えた。





 第三戦、勉学勝負。
 様々な分野の問題を解いていき、知識を競うものである。
 勉学といっても、数学などの基礎教養だけではなく、薬草学などの生活に役立つ知識や、話題の種になりそうな雑学など、幅広い分野の問題が出された。
 答案用紙の採点をすると、バーンズは二人に答案を返却した。

「成程……知識の面においてはギルバートさんが上ですね。この調子で勉学に励んでください」
「ありがとうございます」

 ギルバートは返却された答案用紙を眺め、間違った箇所をチェックしながら礼をした。
 その一方で、バーンズはやや苦笑気味に銀月に答案用紙を返却した。

「……銀月さん、もう少し勉学に眼を向けたほうが良いのではないでしょうか? 知識を蓄えておけば話の引き出しも増えますし、様々なところで応用が効きます。決して損はしないと思いますよ?」
「……はい」

 生活の知恵と一部の雑学に正答が偏った自分の答案用紙を見て、銀月は恥ずかしそうに返事をした。





 第四戦、戦闘勝負。

「ぐあああああああっ!?」

 銀月の蹴りが群青の狼と化したギルバートの顎を捕らえる。
 深々と刺さったそれは、突き抜けるような衝撃を脳天まで届けた。
 意識が飛び、群青の毛皮を覆っていた黄金のオーラが残光を残して霧散する。
 この勝負、銀月の勝ちの様である。
 相手を速度で翻弄する、父親譲りの戦い方であった。

「……いやはや、これは驚きを隠せませんな……ギルバートさんもその歳では人狼の中でもかなりの強さを持っておられるのに、人間の身でそれすらも凌駕して見せるとは……」
「普段から修行を積んでおりますから」

 身体能力で勝る人狼を人間の身で圧倒する銀月に、バーンズは驚きを隠せない。
 そんな彼に、銀月は自信の籠もった微笑を向けて言葉を返した。

「ギルバートさんも今申したとおり、その歳では飛びぬけた強さを持っております。しかし、銀月さんのような格上の相手と戦う場合、手の内の読み合いが重要になって参ります。貴方は少々その読みが甘いのではないかと思われます」
「……くっ……ありがとうございます」

 ギルバートは悔しそうな表情を浮かべて、そう言いながら身体を起こした。




 番外勝負。

「あの、すみません」
「あれ、どうかしましたか?」

 銀月は近くを通りかかったメイドに声をかける。
 小さな執事に話しかけられ、メイドは笑みを浮かべて答えた。

「裁縫道具ってどこにあるか知りませんか?」
「ああ、お裁縫箱なら控え室にありますよ」
「…………」

 銀月はぼーっとメイドの顔を見つめる。
 そんな銀月の様子に、メイドは首をかしげた。

「えっと、私の顔に何か付いてますか?」
「あ、ごめんなさい。眼が宝石みたいで綺麗だったから……」
「あはは、褒めても何もでませんよ?」

 銀月の素直な褒め言葉に、メイドは余裕の笑みを持って答える。
 そこに、ため息混じりに近づいてくる人影が一つ。

「おい、お前何を言ってんだよ」
「あ、ギルバート」

 銀月はギルバートが何が言いたいのか分からず、首をかしげる。
 ギルバートはメイドを一瞥すると、銀月に向かって口を開いた。

「眼が綺麗なのは認めるが、それよりも透き通るような茶髪もだろ」
「……あれっ?」

 予想外のギルバートの言葉に、メイドの表情が笑顔のまま固まる。
 その一方で、銀月はギルバートに向かって首を横に振った。

「それだけじゃないでしょ。唇だって艶やかな桜色で柔らかそうだよ?」
「何でそんなにピンポイントなんだよ。唇といわず肌全体が絹のように綺麗だろうが」
「え、あ、ちょ……」

 突然二人に褒めちぎられて、メイドの表情が困惑したものになる。
 そんな彼女の様子を気にも留めず、二人は話を続ける。

「だね。手の形もすらっとしてて見栄えがいいし」
「だから全体を見ろっつってんだろうが。全体的にアイドルになれそうなほど可愛いだろうが」
「あ、最初からそういえばよかったね。性格も明るくて可愛いし」
「声も鳥がさえずる様な高めの可愛い声だしな」
「は、はうううううう~! すみません、失礼しますっ!!」

 二人の言葉に耐え切れなくなり、メイドは顔を真っ赤にして走り去って行った。
 そんな彼女を、二人は呆然と眺める。

「……あれ、どうしちゃったんだろう?」

 訳が分からず、ただ首を傾げるのみの銀月。

「……ああくそ、こいつの天然誑しが移ったか、俺……?」

 その一方で、ギルバートは己の発言を省みて苦い表情を浮かべるのだった。

「何を口走っているのだ、あいつらは……」

 その一部始終を、人狼の父親たる初老の男は呆れた表情で見ていた。

「誰に似たのかしらね、あれは」
「……たぶんお前だと思うぞ、ジニ」

 横からかかった妻の声に、アルバートはそう返した。
 その言葉に、薄紫色のベールの下の表情が不機嫌なものに変わる。

「あら、私は誰にも彼にもああいう言葉は使わないわ」
「そうか?」
「ええ。だって、私はアルの好きなところを言うくらいしかしないもの」
「そうか……」

 アルバートは誰に聞かせるでもなくそう呟くと、ジニの華奢な身体をそっと抱きしめる。

「ふふっ、急に抱きしめたりしてどうしたの?」

 ジニは優しい笑みを浮かべて抱き返し、アルバートの頬を撫でた。

「……夫が妻を抱きしめて何が悪い」

 ジニの問いかけに、アルバートは顔を見せずにそう答えた。
 顔にかかるベールを、アルバートはそっと取り除いていく。

「……本当に、可愛い人」

 夫の言葉に、妻は慈愛の眼差しを向けて微笑む。

「……うるさい」

 そんな妻の口を、夫はそっと自らの口で塞いだ。


 


「はい、貴方方がどれほどの技能を持っているかは把握しました。それでは、貴方方に覚えてもらうことを書いた紙がございますのでそれをお読みください」

 バーンズはそう言うと、二人に紙を手渡した。
 二人は紙にジッと眼を通すと、首をかしげた。

「……あの、バーンズさん。この器楽、舞踏とはどういうことでしょうか?」
「お二方に目指していただくのは使えた主人に喜んでいただける執事です。執事はただ仕事が出来れば良い、というわけではないのですよ、銀月さん。場合によっては、主人や客人のダンスパートナーを務めたり、演奏を披露しなければならないこともあるかと思われます。その時に恥をかかないために覚えていただきます。そうでなくとも、覚えて置いて損はないと思いますよ?」
「とにかく、ここに書いてあることをこなせるようになれば宜しいのですね?」
「はい。それが出来れば、ここの執事としては一定の水準に達したことになります。さて、これから一月でどこまで覚えられるでしょうかな? 期待しておりますぞ、お二方」
「「はい」」

 こうして、二人の研修生活が始まった。
 銀月は博麗神社と人狼の里を毎朝往復し、ギルバートは領主の息子の顔と執事の顔を使い分けて生活をする。
 研修においては、二人は競い合いながら共に学んでいき、次々と技能を身につけていくのだった。



「おや、困りましたね……」

 数ヶ月がたったある日のこと、台所を点検しているバーンズがとあることに気付いて声を漏らした。
 そこに、たまたま休憩時間に入ったばかりの銀月が通りかかった。

「いかがいたしましたか、バーンズさん?」

 執事服を着たままの銀月はバーンズに丁寧な口調で話しかける。
 するとバーンズはモノクルを掛けなおしながら銀月のほうを向いた。

「ああいえ、特に大した事ではないのですが、緑茶を切らしてしまいまして……」
「緑茶……ああ、そう言えば奥方様が好んでお飲みになっておられましたね」

 銀月はジニが一人の時に緑茶を良く飲んでいたのを思い出してそう言う。
 そこに、ジーンズに黒いジャケット姿のギルバートが現れた。

「おい、銀月居るか?」
「おや、どうしました、ギルバートさん?」
「親父の言いつけでまた人里に行く羽目になったんだよ。だからお前も付き合え」

 ギルバートは苦い表情を浮かべてそう言う。
 幾分かはマシになったが、彼の人間嫌いはまだまだ治っていない様である。

「それは構いませんが、何故私に?」
「決まってるだろ。どっちが早く人里までいけるか勝負だ」
「ちょうど良いですね。銀月さん、ついでに緑茶を買ってきていただけますか? 銘柄はこれと同じものをお願いします」

 ギルバートの提案を聞いて、バーンズが銀月に話しかけた。
 緑茶の缶を渡された銀月は、笑みを浮かべて頷いた。

「ははぁ……そういうことでしたら、喜んでお供しましょう。では、仕度をしてまいります」

 そう言うと、銀月は部屋に戻っていった。



[29218] 銀の月、買出しに行く
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 20:15
「やあああああああ!!」
「おおおおおおおお!!」

 人里に向かって飛んでくる二つの弾丸。
 まるで競うように横に並んだそれは、同時に人里の門を猛スピードで潜り抜ける。

「うわあっ!?」
「きゃあっ!?」

 二人の勢いは止まらず、激しくブレーキングをしながら地面をすべる。
 それは土煙を巻き上げ、周囲を土色に染めた。
 そんな二人に、住人は大いに驚くのだった。

「ふふん、僕の勝ちだね、ギルバート!」

 執事服の少年が相手の金髪の少年に自信たっぷりにそう話しかける。

「いいや、タッチの差で俺の勝ちだ、銀月!」

 すると、ギルバートも銀月に勢い良く答えを返す。

「そんなはずはないよ。絶対僕の方が速かった!!」
「違うね、俺の方が速かっただろ!!」

 天下の往来で二人は激しく言い合いを始める。
 そんな二人に、忍び寄る影が一つ。

「ほほう……なら、どっちが先に音を上げるか我慢比べをしてみないか?」

 二人の頭をがっしりと掴み、慧音は地の底から響くような声を発する。
 上から降ってきた声に、二人の頬を冷や汗が伝う。

「うっ……」
「こ、この声は……」

 二人がそう言った瞬間、頭を掴む力が握りつぶさんばかりに強くなる。

「お~ま~え~ら~! あれほど周りに迷惑を掛けるなと言っただ、ろう! 何度言えばわかるん、だ!」


 じっしん。みっしん。


 ぶつかり合う額。脳髄まで響く衝撃。暗転する視界。
 倒れこんでしばらくして、強烈な痛みが二人の頭に走った。

「うぎゃあああああああ!!」
「ぐおおおおおおおおお!!」

 あまりの痛みに悶え苦しむ二人。
 そんな二人に、麻袋と手袋が渡される。

「お前達には罰としてゴミ拾いをしてもらうぞ。集めたゴミは寺子屋の前に持って来ること。いいな」

 慧音はそう言うと、その場から立ち去ろうとする。
 すると、倒れていた二人はゆっくりと立ち上がった。

「……よし、どっちが多くゴミを拾えるか勝負だ、ギルバート」
「……いいぜ。制限時間は二時間、分別しなけりゃ減点だ。準備はいいな?」

 二人はふらつく足を何とかしてしっかりさせ、お互いに深呼吸をする。

「「レディー……ゴー!!」」

 二人はそう言うと勢い良く駆け出した。
 二人が走っていった方角から、悲鳴が聞こえてくる。

「こらぁー! 少しは静かに出来ないのかお前らは!!」

 それを聞いて、慧音は再び二人を追いかけることになった。




「……なあ、何でお前らそんなところで伸びてんだ?」

 白黒の服を着た金髪の少女が、倒れている金髪の少年の頬を突く。
 少年達の額には大きなタンコブが出来ている。

「……ゴミ拾いをしていたら石頭に襲われただけだ」
「酷いよね……僕達は真面目に掃除してたのに……」

 二人は憮然とした表情でそう言い合う。
 それを聞いて、魔理沙は大きく頷いた。

「OK、把握した。要するにまたやらかしたんだな」
「おい、またって何だよ、魔理沙?」
「言葉の通りの意味だぜ、ギル」

 白い視線を向けてくるギルバートに、魔理沙はさらっとそう答える。
 それを聞いて、銀月は首をかしげる。

「……そんなに僕達何かしてたかなぁ?」
「むしろ何もしていない事の方が珍しいと思うぜ? というか、お前達勝負以外に何かすることは無いのか?」
「そりゃあ、あることはあるけど……ねえ?」

 そう言って銀月はギルバートの方を見る。

「二人で勝負したほうが早く終わるんだよな、色々と」

 銀月に対してギルバートは頷きながら答える。
 それを聞いて、魔理沙はため息をついた。

「ああそうかい。で、今日は何しにここに来たんだ?」
「また親父の言いつけだよ。そうでもないと来るか、こんなところ」

 本気で嫌そうな顔をしながらギルバートはそう答える。
 そんなギルバートの肩を魔理沙が叩く。

「だからそんなこと言うなって。お前が人間嫌いなのは分かるけど、人間だって良い奴はいるだろ?」
「ふん、全員がそうだとは限らないだろ。人狼を追い出したのは人間なんだからな」

 魔理沙の問いかけに、ギルバートは憮然とした表情でそう言い切った。
 それを聞いて、魔理沙はがっくりと肩を落とした。

「はぁ……おい銀月、こいつの人間嫌いいい加減治らないのか?」
「あはは……これでもマシになったんだよ? 僕なんて初対面で殺されそうになったし」

 銀月は乾いた笑い声を上げながらそう話す。
 すると、その横から大きなため息が聞こえてきた。

「……その後きっちり数倍にして返したくせに何言ってやがる。あれは人間だったら首の骨折れて死んでたぜ?」
「うん、今になってちょっとやりすぎたかなって思ってる」

 呆れ顔のギルバートに、銀月はにっこり笑ってそう返す。
 それを聞いて、魔理沙はぶるりと肩を震わせた。

「……私、やっぱりギルバートよりも銀月のほうが怖い気がするぜ。人間やめてるって言われても驚かないぜ、私は」
「そりゃあなあ……親父からも、銀月を人間と思うなって言われてたしな」

 魔理沙の発言にギルバートは遠い眼をしながらそう相槌を打つ。
 その発言を聞いて、銀月は膝を抱え込んでいじける。

「……みんな酷いや。僕、ちゃんと人間なのに……」
「だったら壁走りとか天井に着地とかしないで人間らしい動きをしろよ。どう大目に見てもあれじゃあ忍者だぞ?」
「だ、だれだって修行すればあれくらい……」
「お前、昨日何時間修行して怒られたんだっけか?」
「……五時間です……」

 ギルバートにジト眼で尋ねられ、銀月は小さくなりながらそう答えた。
 そのやり取りを聞いて、魔理沙が首をかしげた。

「ん? 何でそんくらいで怒られるんだ? 一日暇ならそれくらいやっても……」
「魔理沙。今俺達は執事の研修を受けていて、朝から晩まで仕事があるんだ。それで、睡眠時間や休憩時間を合計すると自由時間は精々十時間だ。その上で、こいつは毎日人狼の里と博麗神社の間を往復している。これで分かったな?」

 ギルバートは呆れ顔のまま魔理沙に銀月の現状を話す。
 すると、魔理沙は唖然とした表情で銀月を見た。

「……銀月、お前修行中毒か何かか?」
「だ、だって修行を一日サボると取り返すのが大変で……」
「だからその量がおかしいんだよ、お前は。バーンズも言ってただろ、維持するだけならそんなにやる必要はないって」
「でも、どうせやるなら強くなりたいし……それに、無理はしてないよ?」

 銀月はそう言って二人に抗議の視線を送る。

「本当かよ……」
「私はもう十分無茶をしてると思うぜ」

 しかし、二人から返ってきたのはじとっとした視線であった。

「む~……」

 銀月は二人の視線に不満げに頬を膨らませる。
 そんな銀月に、魔理沙が話しかける。

「それで、銀月はどうしてここに来たんだ? ギルバートの付き添いか?」
「それもあるけど、一番の理由はお使いを頼まれたからかな? お茶屋さんで買い物しないと」
「で、今日は確かお前も半ドンだったろ?」
「うん。だから一回人狼の里に帰ってから、またここに来るよ」
「んじゃ、先に買い物済ませちまおうぜ」

 そう言うと、三人は指定された緑茶を買いに茶屋に向かった。
 買い物を済ませると、三人は人里の入り口へと向かった。

「それじゃ、僕は一回戻るね」
「おう。さっさと戻って来いよ」
「うん。じゃあ、また後で!!」

 銀月はそう言うと、ものすごい勢いで空へと飛んで言った。
 風を置き去りにする銀月の速度に、魔理沙は呆然とする。

「速ぇ~……どうすれば銀月みたいになるんだ?」
「人間離れした修行を人間をやめる勢いで繰り返せばああなる」

 魔理沙の質問に、ギルバートは淡々と答える。
 それを聞いて、魔理沙は苦笑いを浮かべる。

「……やっぱあいつ人間やめてるんじゃないか?」
「ああ、あれは銀月と言う名の生物と見たほうが良いな」

 ギルバートは銀月が飛び去った方角を見ながらそう言って笑う。
 それに釣られて魔理沙も笑う。

「同感だぜ。で、この後どうするんだ?」
「どうするもこうするもねえよ。適当にぶらぶらするしかないし」
「銀月が帰ってくるまでどれくらい掛かるんだ?」
「そうだな……あいつが全力でここまで来るのに三十分掛かるから、一時間ぐらいじゃないか?」
「一時間か……ちっとばっかし半端な時間だな。まあ、ここに居てもしょうがないし、適当に歩こうぜ」
「そうするか。けど、あんまり人が多いところはやめてくれ」
「OK、じゃあまずは商店街に行ってみようぜ!!」

 魔理沙はそう言うと商店街に向かって歩き出そうとする。
 その肩を掴んでギルバートが止める。

「おい、人の話聞いてたか? 俺は人が少ないところに……」
「却下だぜ! さあ、早く行こうぜ!」

 魔理沙はそう言うと素早くギルバートの腕に抱きつき、商店街へと引っ張っていく。

「あ、こらっ!?」

 ギルバートはそれに引っ張られ、商店街へ行くことになるのだった。





「……ったく、相変わらず人の話を聞かないな、お前は」

 商店街の隅のベンチで、ギルバートは膝に頬杖を付いて不機嫌そうにそう呟く。
 右手には先程青果店でもらったみかんが握られている。
 その横で、魔理沙がみかんを美味しそうに食べていた。

「まあ良いじゃないか。人間の良いとこ探しもはかどるだろ?」
「ああ、人間の強引さ探しにはちょうど良いだろうよ」

 魔理沙の発言に、ギルバートは白い視線を魔理沙に向ける。
 それを見て、魔理沙は肩をすくめて首を横に振った。

「やれやれ、そんなに不機嫌になることもないだろ? ささっと通り抜けただけじゃないか」
「それを商店街の端から端まで、腕を掴んだまま何往復したよ?」
「三往復だぜ!!」
「……じゃあ今からお前に三往復ビンタを食らわせてやる。こっち向け」

 ギルバートは軽く袖を捲くりながら魔理沙にそう言った。
 すると魔理沙は座ったまま少し後ずさった。

「な、何だよ、お前女の子に暴力振るうのか? 弱いものいじめはしないんじゃなかったのか!?」
「じゃあ逆に訊くけど、人が嫌がることをしてはいけないと言われなかったか? それにな、ハンムラビ法典という有名な法典があってだな、やられたことをやり返すような法典があるんだよ」
「い、今は関係ないだろ! とにかく暴力反対だぜ!」

 魔理沙はそう言うと立ち上がって逃げようとする。

「逃がすかよ!」

 しかし、ギルバートは素早く反応して魔理沙の肩を掴みにかかる。
 魔理沙は逃げ切れず、ギルバートに捕まった。

「わ~っ! 放せ~!」
「あ、魔理沙ちゃん!! うちの子を見なかったかい!?」

 魔理沙がギルバートから逃げようとジタバタしていると、一人の女性が話しかけてきた。
 二人はじゃれあうのを止め、そのほうに眼を向ける。

「えっ、見てないぜ? どうかしたのか?」
「うちの子がお父さんと喧嘩して、出て行っちゃったのよ。それで町中探したんだけど居なくて……」
「わかった、こっちでも探してみるぜ! 行くぜ、ギル!」

 魔理沙はそう言うと走り出そうとする。
 ギルバートはその肩を掴んで止めた。

「はあ……ちょっと待て、魔理沙。すみません、その子が直前まで使っていた物とか、家にありますか?」
「あの子が使っていた布団ならあるけど……」
「よし、魔理沙。この人のうちに行くぞ」
「え……何でだ?」
「……こんな面倒なこと、さっさと終わらせたいからな。ほら、早く行くぞ」
「あ、ちょっと待てよ!!」

 すたすたと歩いていくギルバートに、魔理沙は慌ててついて行く。
 女性に案内されて中に入ると、ギルバートは何かに集中しているようであった。

「これがあの子が使ってる布団だけど」
「失礼します……」

 ギルバートはそう言うと、布団に顔を近づけた。
 そして、周りにあるものにも顔を近づけていく。

「ちょ、お前何してるんだよ!?」
「……よし、行くぞ魔理沙」

 ギルバートは顔を上げると、すたすたと歩き始めた。

「だからちょっと待てって!」

 魔理沙はギルバートの行動の意味が分からず、急いで追いかける。

「……こっちか」

 ギルバートは時々しゃがみこんであちこち振り向く。
 そこに魔理沙が追いついて声をかける。

「おい、ギル! 何やってんだよ、さっきから!?」
「俺は人狼、元は狼だぜ? 人間より鼻が利くんだよ。匂いをたどればどこに行ったかぐらいすぐに分かる。次はこっちだ」
「ああ、わかったぜ!」

 ギルバートの嗅覚を頼りに、二人はどんどんと歩いていく。
 そして、ギルバートはとある辻の匂いをかぐと、その場に立ち止まった。

「……この方向は……」
「おいおい、マジかよ……」

 二人はそう言って目の前にあるものを眺める。
 そこにあったのは、人里の外へと続く門であった。

「急ごう! 里の外で襲われたらどうしようもないぜ!」
「あ、おい待て魔理沙!」

 駆け出していく魔理沙を、急いでギルバートが追う。
 匂いをたどっていくと、どんどんと深い森の中へと入っていった。

「お~い! 出てこ~い!」
「……ちっ、まずいな……妖怪の匂いがしてきてやがる……魔理沙、こっちだ!」

 ギルバートは追ってきた匂いの他に別の匂いが混ざっているのを感じ取り、魔理沙に手招きをした。

「ああ!」

 魔理沙はギルバートが指した方角に先行し、子供を捜す。
 すると、藪の中に小さくなっている影を見つけることが出来た。

「見つけた!」
「な、魔理沙姉ちゃん!? 何でここが……」
「馬鹿野郎! お前里の外に飛び出して妖怪に襲われたらどうするんだ!? さあ、帰るぜ!」

 魔理沙はそう言って隠れていた少年の手を引こうとする。

「しゃがめ、魔理沙!」

 そこに、突如としてギルバートの叫び声が聞こえてきた。
 魔理沙が倒れこむようにしゃがみこむと、魔理沙の頭上を黄金の閃光が通り過ぎていった。

「うわあああああ!?」
「魔理沙、そこを動くな。下手に動くと狙われる」

 しゃがみこむ魔理沙を背に、ギルバートは立つ。
 その前には、背丈を遥かに越える大きさの蠍が立っていた。
 ギルバートは目の前で尻尾を振り上げるそれを睨む。

「キシャアアアア!」

 蠍は鋏を振り上げ、魔理沙に突き刺すように振り下ろす。
 鋏はそれだけでギルバートの背丈と同じくらいあり、突き刺されば人間などひとたまりもない。

「はあああっ!」

 ギルバートはそれを魔法で強化された脚で蹴り飛ばし、軌道をずらす。
 それを受けて、蠍は標的をギルバートに変えた。 

「砕けろっ!」

 正面を向いたところを、ギルバートは顔面に黄金の魔力弾を叩き付けた。
 しかし蠍は後ろに大きく後退したものの、身体を覆う殻は僅かに焦げた程度であった。
 それを見て、ギルバートは舌打ちをする。

「……ちっ、かってえな……」
「ギル! 後ろぉ!」

 魔理沙の悲鳴のような叫び声に後ろを振り向くと、いつの間にか背後に大きな翼の生えたカメレオンのような妖怪が自分に向かって舌を伸ばしていた。

「なっ……」

 完全に不意を撃った捕食攻撃。
 しかしギルバートに向かって伸びるその舌を、上から降ってきた黒塗りの槍が貫いた。

「あがぁっ!?」

 カメレオンのような妖怪は、攻撃が失敗したと見るや素早く舌を戻し、槍を飲み込んで空を睨む。
 すると、空から白装束の少年が降りてきた。

「ふぅ……何とか間に合ったみたいだね。上手く行ってよかった」

 銀月は大きくため息をつきながらそう言った。
 それを見て、ギルバートはニヤリと笑う。

「へっ……遅いじゃねえか、銀月」
「捜したんだよ? 君の魔法がなかったら僕は見つけられなかったよ」

 銀月はそう言って安堵した様子でギルバートを見る。
 彼は先程ギルバートが放った黄金の弾丸を目印に、ここにやってきたのだった。
 銀月は全員の無事を確認すると、妖怪達に語りかけた。

「さてと……二人とも、退いてくれないかな? 里の人間を食べなくても良い様な仕組みになっているはずなんだけど?」
「笑わせるな、人間。里の外にいる時点で食われに来た様なもの。それを見逃すなど笑止だ。貴様も共に喰らってやろう」

 銀月の問いかけを、カメレオンのような妖怪は一笑に付した。
 それどころか、銀月達まで食べようとしているようである。
 それを聞いて、銀月は小さくため息をついた。

「……そう、退く気は無いんだね……」
「こっちも退く気は無いみたいだぜ」

 ギルバートの目の前には、再びじりじりとにじり寄ってくる大蠍の姿があった。
 二人は背中を合わせ、話をする。

「行けそう?」
「余裕」

 銀月の問いかけに、ギルバートは笑って答える。
 その返答を聞いて、銀月も笑う。

「そっか……じゃあ、どっちが先に倒せるか……」
「ああ。勝負だ、銀月!!」

 その瞬間銀月は札を取り出し、ギルバートは真紅の丸薬を飲んで群青の狼と化した。

「やああああっ!」

 銀月はカメレオンの妖怪に次々と札を投げつける。
 手を振るたびに手品のように現れるその札は、全てが吸い込まれるように突き刺さっていく。

「ふん、痒いな」

 しかし、相手は涼しい顔でそれを受け流しながら銀月に舌を延ばす。
 表皮には札が刺さりっぱなしになっているが、痛手にはなっていないようである。

「……思ったより堅いね。皮が厚いのかな?」

 銀月は相手の舌を躱しながら札を投げ続ける。
 今度は投げる位置を目元や口の中など、表皮に守られていない部分に集中させている。

「ええい、猪口才な!」

 妖怪はそれを煩わしく感じて舌で薙ぎ払う。
 その瞬間に、銀月は妖怪から少し距離をとる。

「散!」

 銀月がそう言った瞬間、妖怪の身体に刺さった札が銀色の閃光を発しながら爆発した。

「ぎゃああああ!?」

 突然の衝撃と熱に、妖怪はたまらず声を上げて落下する。
 表皮には所々穴が開いており、傷口は黒く焼け焦げていた。

「まだまだ……せいやっ!」

 銀月は落下する妖怪の腹を、下から全力で蹴り上げた。

「ぐふぇっ……」

 妖怪は腹を激しく圧迫され、飲み込んでいたものを吐き出した。
 銀月はその中から槍を拾い上げた。

「槍は返してもらうよ。で、まだやる気?」

 銀月は槍を片手に相手にそう問いかける。

「こ、小癪な……」

 すると妖怪はまだ諦めていないらしく、銀月に向けて舌を伸ばした。
 銀月はそれを悠々と避ける。

「やれやれ……ふっ」

 銀月は一息ついて槍をしまい両手に札を持つと、音も無くすれ違うように妖怪の隣を駆け抜けた。

「ぐああああああ!?」

 すると妖怪の皮膚は深々と裂け、中から血が流れ出した。
 悶える妖怪の眉間に、銀月は槍を突きつける。

「……死に急ぐな、木っ端。これでも銀の霊峰の門を叩いた者、君ごときにやられはしない。早々に去るが良い。まだやると言うのならば、私は生きるために君を殺す」

 銀月は相手の目を冷たい眼で見やりながらそう呟く。
 その表情は無表情で、まるで相手の命を奪うことに躊躇いが無いように見えた。

「ぐ、ぐううううう……」

 それを受けて、妖怪は銀月に背を向けて去っていった。



 一方その頃、ギルバートは大蠍を相手に立ち回っていた。

「はっ、遅い!」

 相手の大振りな攻撃を躱し、相手の間接部分を掠めるように爪を滑らせる。
 黄金の爪は柔らかい間接部分を容易く切り裂き、中から体液が漏れ出す。
 しかし、大蠍は一向に引く様子が無い。

「ちっ……何度もやられてるのに退く気はないか……言葉も通じないし、死ぬまで止まらないか、これは?」

 そう言いながらギルバートは相手の攻撃を躱していく。
 なるべく追い払うだけにしようと考え、いつでも切り落とせる間接を全て斬りつけるだけに留めていたのだが、どうやら無駄になりそうである。

「最後通告だ、これで退かなきゃ殺す!」

 そう言うと、ギルバートは相手の眼を殴りつけた。
 その攻撃を受け、大蠍は眼を庇う様に鋏で覆って後ろに下がった。 

「キシュ……シャアアアアアア!!」

 しかし、すぐに襲い掛かってきた。
 鋏を振り上げ、一直線にギルバートに向かっていく。

「……警告はしたからな!」

 ギルバートはそう言うと、両手に金色の魔力を集めていく。
 手には眩しい位の光が集まり、辺りを黄金色に染め上げた。

「ぶっ飛べ!」

 ギルバートは両手を振り上げ、地面に振り下ろす。
 するとギルバートを中心として黄金の竜巻が現れ、周囲のものを吹き飛ばしていく。
 それは大蠍も例外ではなく、遠くへと吹き飛ばされていった。

「終わったか……おい、銀月。そっちはどうだ?」

 ギルバートは目の前から大蠍が消えたのを確認すると、人間形態に戻り手に付いた土を払うように振りながら銀月に問いかける。
 銀月は妖怪の体液で汚れた槍を、札から水を流して洗っていた。

「こっちも今終わったよ。お疲れ、兄弟」
「ああ、お前もな、兄弟」

 二人はそう言いながら、笑顔で拳をあわせる。
 お互いの無事を確認すると、ギルバートは魔理沙に眼を向けた。

「二人とも怪我はないか?」
「ああ、ないぜ……」
「う、うん、俺も大丈夫……」

 ギルバートが声をかけると、魔理沙と助けられた少年は呆然とした様子で応答した。
 どうやら目の前で起きた戦いが強烈だったようである。
 そんな二人を見て、銀月はホッと胸を撫で下ろした。

「良かった。それじゃあ、早く里に戻ろう。みんなきっと心配してるよ」
「そうだな。まだ他に妖怪がいるかもしれないし、急いだほうがいいだろ」
「うん。それに僕お昼ご飯食べてないんだ。早く食べたいよ」

 銀月は弛緩した表情でそう告げる。
 そんな銀月に、少年が声を掛けた。

「……なあ、兄ちゃん。もうちっと格好いい喋り方できねえ?」
「え?」

 少年の一言に、銀月は固まった。
 そんな銀月に構わず、少年は二の句を継ぐ。

「だって、兄ちゃんの喋り方弟と一緒なんだもん。ガキっぽいよ」

 その瞬間、銀月は石になった。
 やはり年下の子供にガキっぽいと言われるのは流石にきついものがあるようである。
 そんな銀月の横で、ギルバートは腹を抱えて笑い転げた。

「ぶわはははははは! ガキっぽいとか、確かにそうだ!!」
「あ、酷いよギルバート! そんなに笑うことないじゃないか!」

 大笑いしているギルバートに、銀月は若干涙眼になりながら抗議する。
 そんな銀月に、魔理沙が横から口を挟む。

「でも、いつまでもその喋り方じゃおかしいとも思うぜ? もうちょっと男っぽい喋り方して見ろよ」

 魔理沙がそう言うと、銀月は悔しそうに少し唸った後、大きく深呼吸をした。

「お、男っぽい喋り方ねえ……そうだな、こんな感じでいいのか? 俺には良く分からないが」

 銀月は少し考える仕草をすると、あっさりと口調を変えた。
 子供っぽい口調から、涼やかな声の穏やかな口調への変化。
 普段から演劇をやっている銀月に、口調を変えるだけのことなど造作も無いことであった。
 突然の変化に、少年が驚いた声を上げた。

「うわっ、なんかいきなり雰囲気が変わったぞ?」
「へえ、喋り方一つで結構変わるもんだな。今度からそれでいけよ、銀月」

 驚く少年とは対照的に、ギルバートは感心したように頷く。
 それを見て、銀月はため息をついた。

「……良く分からないが、これで良いんだな? まあ、慣れるまでが大変だろうが」
「ま、そんなことより早く帰ろうぜ。急がないとまた妖怪に出くわすからな」
「なら飛んで帰ろう。ギルバート、魔理沙は任せた」
「OK。じゃあ魔理沙、背中に掴まってろ」
「それじゃあ、君は俺が抱えて帰るとしようか」
「分かった」

 ギルバートが魔理沙を背負い、少年を銀月が背負う。
 そして飛び立つ前に、銀月は少年に声を掛けた。

「よし、じゃあしっかり掴まっ、ってろよ?」

 思いっきり台詞をかむ銀月。
 どうやら、自然に男っぽい口調をすることにはまだまだ苦労しそうである。
 それを聞いて、隣で飛び立とうとしていたギルバートがヘナヘナと崩れ落ちた。

「おいおい、もうちょい流暢に喋ろうぜ、銀月?」
「うるさい、喋りなれてないんだから仕方ないだろ!! ああもう行くぞ!!」
「わわっ、ちょっと待ってよ兄ちゃん!!」

 銀月は真っ赤な顔を隠すように、急いで飛び上がっていった。
 その後から、ギルバートがゆっくりと飛び立つ。
 そんなギルバートに、魔理沙が話しかけた。

「そういや、何でお前は私を手伝ってくれたんだ? 人間嫌いだったら無視すると思ったんだけどさ?」
「……幾ら相手が人間でも、友達と認めた奴を捨てておくほどろくでなしになった覚えはない。それだけだ」
「そっか……結構格好良かったぜ、ギル」
「……ふん、人間に言われても嬉しくねえよ」

 ギルバートはそう言って魔理沙から顔を背ける。
 その反応に、魔理沙はニヤリと笑った。

「おお? ひょっとして照れてる? 照れてんのか? んん?」
「っ、馬鹿野郎! 放り投げるぞ、テメェ!!」

 からかう様な魔理沙の言葉に、ギルバートはそう喚きながら身体を揺する。
 それを受けて、魔理沙は笑いながらギルバートにしがみつく。

「にゃはは、悪い悪い。悪かったから落っことすのは勘弁だぜ」

 無邪気な笑みを浮かべながら、魔理沙はギルバートにそう話す。
 それを聞いて、ギルバートは憮然とした表情を浮かべた。

「ちっ……これだから人間は……」
「おいおい、この前確か人狼も似たようなものって言ってなかったか?」
「あ~あ~、聞こえねえなぁ~」

 魔理沙とギルバートは楽しく話しながら一緒に人里へと戻っていった。
 その後、無事に少年を両親の元に送り届けると、三人は仲良く里の中を歩き回ることにしたのだった。





 里を歩き回って日も暮れた頃、銀月は博麗神社へと足を運んだ。
 宵闇に満たされた境内に足を踏み入れ、霊夢の住居へと足を運ぶ。

「お邪魔するよ、霊夢」

 銀月が家の中に入ると、今で寝そべっていた霊夢がむくりと身体を起こした。
 その表情は笑顔であり、久々の暖かい夕食への期待が込められていた。

「待ってたわ、銀月。早くご飯作って」
「……相変わらず努力する気は無いんだな」

 眩しいまでの笑顔を向けてくる霊夢に、銀月はそう言ってため息をつく。
 すると、霊夢は若干うんざりした表情を浮かべて答えを返した。

「だって、銀月に任せたほうが確実じゃない。私が料理を頑張ったところで食材の無駄よ」
「だからって、俺に任せ切りで良いのか? 何かの拍子で俺が来れなくなったらどうするつもりだ?」

 銀月はもう紫と一緒に何度したか分からない質問を霊夢に投げかける。
 そんな銀月に、霊夢は首をかしげた。

「……ねえ、その喋り方どうしたの?」
「……色々あるんだ、ほっといてくれ」

 霊夢の問いかけに、銀月は憮然とした表情でそう答える。
 すると、霊夢はそれっきり興味を失ったように笑顔を見せた。

「まあいいけど。そんなことより早くご飯♪」
「はいはい、分かったよ。それじゃ、さっさと作るとしますかね」

 霊夢に催促されて、銀月は苦笑いを浮かべながら料理を始めた。
 なお、この日の料理は銀月の執事修行を兼ねて、材料持込のかなり豪華なフルコースとなっていた。
 これに味を占めた霊夢が後日同じことを銀月にねだって大弱りさせたのだが、それは余談である。



[29218] 銀の槍、蒼褪める
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 20:21
「……む、帰ったか銀月」
「ああ、ただいま、父さん」

 帰ってきた銀月に、庭で槍を振るっている将志は声をかける。
 それに対して、銀月も返事をする。

「……夕食は居るか?」
「大丈夫だよ。霊夢のところで食べてきたから」
「……どうせお前が作っているのだろう?」
「あはは、さすが父さん。俺のこと良く分かっているな」

 将志の問いかけに、銀月は笑ってそう返す。
 それを聞いて、将志はフッとため息をついた。

「……ふむ。今日はもう休むが良い。明日もまた早いのだろう?」
「そうだな。今日はもう寝るよ。おやすみ、父さん」
「……ああ、おやすみ」

 挨拶をすると、銀月は自室へと戻っていく。
 将志はそれを見送ると、自分も木造の本殿の中へと入っていく。

「…………」
「あれ、どうしたの将志くん? 顔が真っ青だよ?」

 中に入ると、牛乳瓶を片手に持った愛梨が声を掛けてきた。
 どうやら風呂上りのようであり、ペイントが施された頬は赤く上気している。
 一方、その声が示すとおり将志の顔からは血の気が引いており、見事なまでに蒼ざめていた。

「……愛梨、銀月以外の全員を集めてくれ。少し相談がある」
「え、どうしたの?」
「……いいから早く」
「う、うん……」

 深刻な表情の将志に促され、愛梨は主だった面々を集めていく。
 しばらくすると、銀月以外の住人が広間に集まっていた。

「どうしたんだ、兄ちゃん? いきなり集めてよ」
「何かあったんですの?」

 突然の召集に、一同は首をかしげる。
 そんな面々に、将志は質問を投げかけた。

「……銀月の口調が変わっているのだが、何があったか知らないか?」
「口調……でござるか?」
「……自分のことを『僕』と呼んでいたのが『俺』に変わっている上、子供っぽさが無くなっているのだ」

 将志は銀月の口調の変化を端的に告げた。
 それを聞いて、愛梨達はめいめいに考え込んだ。

「それはまた急に変わったね……何かあったのかな?」
「誰かの真似でもしてるんではないんですの? 例えば、お兄様の真似とか」
「……それは無いだろう。何故なら銀月ならば声色まで真似できるはずだからな。声そのものには変化は無かった」
「もしかしてグレた? よし、それならおしおきとして頭からバリバリ食べ「だらぁ!!」おうふっ!?」

 とんでもないことを言い始めたルーミアに、アグナが心臓を打ち抜くコークスクリューパンチを叩き込んだ。
 ルーミアが崩れ落ちると同時に、将志の前方の空間が裂けて人影が飛び出してきた。

「ちょ、ちょっと将志!!」
「……ん? いきなりどうした、紫?」
「銀月の口調がガラッと変わっているのよ!!」

 紫は血相を変えて将志にそう詰め寄る。
 将志はそれを受けて紫の方を向いた。

「……今その話をしているのだが……」
「その前に、ちょっと待つでござる。銀月殿は今寝室にいるはずではござらぬか?」

 涼がそう呟いた瞬間、一同の視線が一斉に紫の方を向く。
 その視線には紫に対する懐疑の念が込められていた。

「……確かにそうだ。寝室に入り込んだのか、紫?」
「だって、銀月はいつどうなるか分からない子なのよ? こまめに様子を見てあげないといけないじゃないの」
「……それで、本音はなんですの?」
「それが本音よ?」
「だったら、何も寝室に直接行く必要はねえんじゃねえの?」
「案外、自分の子供みたいな感覚で会いに来てたりして♪」
「……そんなこと無いわよ?」

 にこやかに笑いながら紡がれた愛梨の言葉に、紫は一瞬言葉を詰まらせる。
 それに対して、将志は軽くジト眼を送った。

「……おい。今の間は何だ、今の間は?」
「……何よ、良いじゃないの。日頃の疲れを癒してくれる子に会うくらい」
「わはは~、それじゃあ子供というよりペットに構いに行く飼い主ね~♪」

 不貞腐れた様子で話す紫に、ルーミアが心底楽しそうにそう言った。
 それを聴いた瞬間、涼の表情が若干軽蔑するような表情に変わる。

「……うげ、紫殿にそんな趣味が……」
「違うわよ!! そんなアブノーマルな趣味はしてないわよ!!」
「なるほど、つまり逆光源氏を狙ってますのね。恐ろしい女ですこと」
「キャハハ☆ だとするとギルくんも危ないかもね♪」

 慌てて涼の発言を否定する紫に、六花と愛梨がくすくす笑いながら追い討ちをかける。

「……貴女達、覚えてらっしゃい」

 それを、紫は恨めしげに見つめるのだった。

「それは置いといてよぉ、とにかく銀月がどうかしちまった訳だろ? 紫、どんな印象だったんだ?」

 そんな一行を尻目にアグナが話を始める。
 すると紫はサッと思考を切り替え、銀月の様子を思い出した。

「そうね……口調が変わった以外は対して変化は無いわね。少なくとも、何か嫌なことがあったと言うわけでは無さそうよ?」
「誰かの口調を真似たとかは無いんですの? お兄様とか」
「ん~……それも無いわね。確かに将志に似せてはいるんだけど、将志や人狼の長みたいに小難しい口調じゃないし、アグナや人狼の子ほど乱暴な口調でもないし……きっと自分なりに考えてあの口調になったんだと思うわ」
「……だとするならば、いったい何故突然口調を変えたりしたのだろうか……アグナ、分かるか?」

 考え込む将志は、アグナにそう問いかけた。
 すると、アグナはキョトンとした表情を浮かべた。

「え、何で俺に振るんだよ、兄ちゃん?」
「……いや、一番今の銀月の口調に近いのがお前だったからな。何か分かるかと思ってな」
「……流石にそんなことはわかんねえよ。俺は最初っからこんな口調だったしな」
「……ふむ、やはり明日銀月に直接聞いてみることにしようか」

 そう結論付けると、一同はいったん解散することにしたのだった。





 翌朝、霊夢の朝食を作りに博麗神社へと向かう銀月に将志が話しかける。

「……銀月。なにやら口調が変わっているが、何かあったのか?」
「あはははは……何でもないよ、父さん。それじゃ、行ってくる!」

 銀月は乾いた笑みを浮かべると、逃げるように飛び出していった。





「……というわけで、銀月は話してくれなかったわけだが……」

 将志は深刻な表情で周囲にそう話す。
 その声は沈んでおり、不安がにじみ出ていた。
 それを聞いて、愛梨が考え込むように唇に人差し指を当てる。

「う~ん……何か言いづらい事でもあるのかな?」
「とは言っても、あの銀月が非行に走るとは考えにくいと思いますわよ?」
「え~、分からないわよ? 子供って意外と親の知らないところで色々やっているものじゃない? ほら、現にみんなに隠れて修行してるじゃない」
「それを言われりゃつれえな……確かに俺達も銀月の行動を全部見てるわけじゃねえもんな……」

 ルーミアの発言にアグナも苦い表情を浮かべる。
 その一方で、楽観的な表情を浮かべて涼が喋りだした。

「とは言うでござるが、それならば普通は全く尻尾を掴ませない様にするのが普通ではござらぬか? 疚しい事が無いからこそ、今のように口調が変わったのだと拙者は思うでござるよ」
「……ふむ、ルーミアの言うことも分かるが、涼の意見にも一理ある。さて、この場合どう考えるべきだろうか?」
「やっぱり、直接本人に聞くのが一番じゃない?」

 将志の言葉に、ルーミアがそう口にする。
 それを聞いて、将志はその方を向く。

「……確かにそうだが……どうやって聞きだすつもりだ? 俺が訊いても話してはくれなかったのだぞ?」
「簡単よ、言わなければ指を一本一本かじって「アホかぁ!!」あふんっ!?」

 アグナの黄金のかかとがルーミアの頭頂部に突き刺さる。
 倒れ臥すルーミアに、六花が呆れ口調で話しかけた。

「拷問はダメですわよ、ルーミア。もうちょっと平和的な方法を考えるべきですわ」
「ねえ、一つ思ったんだけどさ、他の誰かが原因を知ってたりしないかな? 本人が喋りたく無いんだったら、他の人に聞けばいいと思うんだけどどうかな♪」

 愛梨は周囲に対してそう提案する。
 しかし、それに対してアグナが疑問の声を上げた。

「そりゃそうだけどよ、誰に訊きゃ良いんだ?」
「そこなんだよね……その誰に訊けば良いかが分かんないんだよね~……」

 アグナの質問に、愛梨はため息をつきながらそう呟いて黙り込んだ。

「やっぱり、私が銀月の指を「テメェは銀月を食いたいだけだろぉ!!」うわらばっ!!」

 立ち上がって発言するルーミアの顎を、アグナのサマーソルトキックが捉える。
 ルーミアは真上に打ち上げられ、頭から床に落下した。
 その光景を尻目に、将志が口を開いた。

「……その尋ねる相手だが、心当たりがまるで無いわけではないぞ」
「え、誰ですの?」
「……銀月の研修先……アルバート達が何か知っているかも知れん。子育てとしても向こうが先輩だ、ついでに助言なども聞けるかも知れん」
「あ、そっか♪ そういうことなら僕も聴きに行こうかな♪」
「……ふむ、そうと決まれば銀月が戻り次第向かうとしよう」





 そしてその日の夜。

「なに? お前の息子の口調が変わった理由が知りたいだと?」
「たったそれだけのことでわざわざここまで来たわけ?」

 銀髪の青年の質問に、スーツ姿の初老の男は呆けた表情を浮かべる。
 その横では、薄紫色のアラビアンドレス姿の褐色の肌の女性が唖然としている。

「うん、そうなんだ♪」
「……急に変わったものだからな、何か起きたのではないかと……」
「何しろあの子は訳ありだから」

 人狼と魔人の夫婦の質問に、三者三様の答えを返す。
 すると、将志は自分の隣に立つ紫色のドレス姿の女性を見やった。

「……で、何故紫まで居るのだ?」
「理由なら今言ったじゃない。あの子は訳ありなのよ? ふとした弾みにあの日の再現なんてことになったら大変よ?」
「……だから、この前も言っただろう。それでわざわざお前が出てきては俺が預かる意味がなくなると。それに、紫が動くと飛んだ大事の様に見えてしまうだろうが」
「だって大事ですもの。銀月の能力が分からない以上は余計に。銀月の能力が『全てを滅ぼす程度の能力』だったらどうするつもりかしら?」
「……それならば、あの場に負傷者など出るはずがないだろう」
「ええい、言い争いなら他所でやれ貴様ら。そんな大事が起こっていたならとうの昔に貴様らのところに駆け込んで居る。全く、血相を変えて飛び込んできたから何かと思えば、子供の口調が変わった理由が知りたいとは……」

 不毛な言い争いを続ける続ける二人に、アルバートは少々苛立ちながらそう声をかける。
 その横で、ジニが深々とため息をついている。

「本当にね……子供の口調が変わるくらい良くあることじゃないの。うちのギルだって、いつの間にか口調が変わってたぐらいの認識だったわよ?」
「……そういうものなのか?」
「そういうものだ。大体、お前達は自分の領地に居る子供と話したりしないのか? 銀の霊峰の麓の集落にも妖怪の子が居るはずだろう?」
「……うちの市井の警邏は全て部下に任せていたからな……」
「きゃはは……そんな変化に気付くほど関わってはなかったもんね……」
「私も男の子の成長を見るのは初めてね。子供といえば巫女の相手ぐらいしかしてないし」

 アルバートの質問に、問いかけられた三人は気まずそうにそう答えた。
 それを聞いて、アルバートはため息をつきながら首を横に振った。

「……やれやれ。とにかく、お前の息子の口調が変わったことは別に大した事ではない。理由もギルから聞き及んで入るが、それも些細なことだ」
「……その理由とやらを是非とも聞かせてくれないか?」
「僕も聞きたいな♪ 銀月くんが何を気にしてああなったのか気になるしね♪」

 将志達はアルバートに銀月の口調が変わった理由を聞き出そうとする。
 それに対して、ジニはその理由を思い出して微笑ましい表情を浮かべた。

「ふふっ、結構可愛い理由よ?」
「……もったいぶってないで早く教えてちょうだい」
「何でも、年下の人間の子に話し方が子供っぽいと言われてショックを受けたらしいのだ。それが原因で周りが口調を変えるように勧めたみたいでな」

 アルバートから理由を聞いて、一同はぽかーんとした表情を浮かべた。

「……それだけか?」
「ああ、そうだが?」
「な~んだ……そんなことだったのか♪」

 想像していたよりもずっと些細な理由に、全員気の抜けた表情を浮かべる。
 そんな三人に、ジニが何かを思いついたように頷いた。

「ああ、それからお互いの平和のためにここで理由を聞いた事は秘密よ? 銀月くん、結構気にしてたみたいだから」
「……ああ、分かっている」
「うむ……しかし、お前意外と子煩悩だな、将志?」

 アルバートにそう言われ、将志は不意を打たれた様な表情を浮かべた。

「……そうか?」
「試しに訊くが、銀月が一人暮らしをしたいと言えばどうする?」
「……条件付で一人暮らしをさせるが?」
「どんな条件だ?」
「……大した事ではない。週に一度顔を出してもらうだけだ」

 その言葉を聞いた瞬間、夫婦は顔を見合わせた。

「……思ったより重症ね」
「男子でこれか……子離れ出来るのか、こいつは?」
「銀月くんが男の子で良かったわね」
「ああ。もし女子であったら恋人を連れてきたときにどうなっていたやら……」

 本人を目の前にして、言いたい放題言うアルバートとジニ。
 そんな二人の発言を聞いて、将志は首をかしげた。

「……そんなに酷いか?」
「ああ、割と酷いぞ」
「キャハハ☆ 子煩悩な将志くんはさておき、銀月くんに大した事がなくて良かった良かった♪」
「……私は前の口調の方が可愛くて好きだったけどね」

 笑顔を見せる愛梨に、紫がぽそっと呟く。
 それを聞いて、ジニはため息混じりに話しかけた。

「それ、本人の前で言っちゃダメよ? 銀月が子供っぽいって言っているのと同じだし、下手を打つと泣くわ」
「ついでに言えば、男子に可愛いというのもあまり良い顔はされんな」
「……ああ。正直、あれは言われると複雑な心境になるな。悪気がないだけに、反発しようにも出来ん」

 複雑な表情を浮かべながらお互いに頷きあう男二人。
 どうやら二人とも身に覚えがあるようである。

「そうね。一度ならいいかもしれないけど、言い過ぎると拗ねるわ」

 ジニは意味ありげな微笑を浮かべながらアルバートを見つめる。
 それを見て、将志はアルバートに眼を向けた。

「……拗ねたのか、アルバート」
「喧しい」

 将志の問いかけに、アルバートは不貞腐れた表情で頬を背けた。
 その行動はもはや肯定に等しいものだった。
 そんなアルバートを見て、ジニは柔らかい笑みを浮かべた。

「本音を言えば、拗ねたところも可愛いのだけどね」
「キャハハ☆ ごちそうさま、だよ♪ 僕も将志くんに言ってみようかな~?」
「……頼むからやめてくれ」

 ニコニコと笑いながらこちらを見る愛梨の言葉に、将志は苦い表情を浮かべてそう言った。

「さて、せっかく集まったことだし酒でも飲むか? この間酒蔵を改めていたらかなり上物のブランデーを見つけたのだが……」

 アルバートがそう言うと、将志は頷いて答えた。

「……ふむ、もらって行こう。愛梨はどうする?」
「僕ももらっていこうかな♪ ゆかりんは飲んで行くの?」
「私はちょっと仕事があるから遠慮しておくわ。じゃあ、私は先に失礼するわよ」

 紫はそう言うとスキマを開いてその中へと消えていく。
 それを確認すると、アルバートは立ち上がった。

「ふむ、ならばグラスは四つだな。では持ってくるとしよう」





 将志達が人狼の里から帰ってくると、銀月が蝋燭の明かりの下で本を読んでいた。
 親が帰宅したのを察知して、銀月は顔を上げる。

「あれ、父さん? 今までどこに行ってたんだ?」
「……少し話を聞きにな。まあ、他愛もない話だ」
「ふ~ん……で、酒を飲んできたと」
「……ああ」

 銀月はそう言いながら将志の背後を見やり、将志は背負っているものに眼をやる。

「ふにゃ~……将志く~ん♪」

 するとそこには、顔を真っ赤にして将志の背に頬ずりをしている愛梨の姿があった。
 その表情は幸せそうであり、蕩けた表情をしていた。

「あはは……愛梨姉さん、すっかり酔っ払ってるね」
「……ああ……」

 将志はそう言いながらため息をつく。
 それを見て、銀月は首をかしげた。

「……やけに疲れてるけど、どうかしたのかい?」
「……いや、それがな……」
「そ~れ、ペロペロペロ♪」
「っっっっっ!?」

 将志が銀月の質問に答えようとすると、愛梨が将志の首から耳にかけてを小さい舌で舐め回した。
 その湿っぽく生暖かい感触に、将志は背筋を震わせる。

「……なるほどね。ちょっと水を持ってくるよ」
「……頼む」

 銀月は苦笑しながら立ち上がり、水を取りに行くのだった。



[29218] 銀の月、止められる
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 20:29
 まだ日も昇らぬ早朝、白い胴衣と袴の少年が銀の霊峰の社の境内に現れた。
 その顔は何やら思案顔である。

「さてと……今日の朝ごはんはどうするかな……」
「おはよう、銀月」

 朝食の献立を考える銀月の目の前の空間が開き、中から白いドレスに紫色の垂をつけた女性が現れた。
 その女性に対して、銀月は礼をする。

「ああ、おはようございます、紫さん」
「今から出るところだったかしら?」
「ええ。今から出るところでした」
「今朝は博麗神社に行ってはダメよ」

 唐突に言われた一言に、銀月は首をかしげた。

「……はい? それはまた、何故です?」
「博麗神社で異変が起きているからよ。今、霊夢が解決に向かっているわ」

 紫のその言葉を聞いた瞬間、銀月は眉をひそめた。

「それなら俺も手伝いに行った方が……」
「それもダメよ。霊夢一人で手に負えないときは助けを呼ぶかもしれないけど、それでも貴方だけは絶対に来てはいけないわ。いい? 異変が解決するまで絶対に博麗神社へ行っちゃダメよ?」

 今にも飛び出しそうな銀月を、紫はそう言って制止する。
 それを聞いて、銀月は紫の方を向いた。

「何故です? 何故俺だけダメなんですか?」

 銀月は無表情で紫を見つめてそう言った。
 その声は低く、こもった声からは苛立ちが垣間見えた。
 そんな銀月に、紫は胡散臭い笑みを崩さずに答えた。

「貴方の能力が未だにはっきりしないからよ、銀月。忘れないでちょうだい、貴方はこの幻想郷で最も危険な玉手箱なのだから」
「……俺が、幻想郷を滅ぼすって言うんですか?」
「そこまでは言わないけど、それでも貴方は幼くして妖怪達を相手にし、大勢の死傷者を出したわ。そんな子供が過酷な修行を積んで力をつけた。これで貴方が暴れだしたとして、私達が貴方を止められる保障がどこにあるのかしら?」
「……それでも、俺は父さん達を信じています。俺が暴走しても、絶対に止めてくれるって。この中には紫さんも入っているんですよ?」
「それが貴方の死を意味しても、かしら?」
「……それは……」

 紫の言葉を聞いた瞬間、銀月は言葉を詰まらせた。
 そんな銀月に、紫は浮かべた笑みを消して眼を覗き込んだ。

「はっきり言うわ。貴方の能力の正体が分からない以上、私には暴走した貴方を殺さずに止められる自信はない。だから、貴方が暴走したら躊躇なく貴方を殺すわよ」
「…………」

 銀月はそれを聞いて黙り込む。
 その表情はとても悔しげで、唇は横一文字に結ばれていた。
 そんな銀月に、紫は続けて声をかける。

「何も貴方を殺したいわけじゃないのよ? 殺さないで済むのならそれが一番良いのだし、懐いてくれている子を殺すことに何も思わないほど私は非情でもないわ。だから、私に貴方を殺させるようなことだけはやめてちょうだい」
「……分かりました……」

 紫がそう言うと、銀月は俯いて返事をした。
 すると、紫が何かを思い出したように手を叩いた。 

「ああそうだ。銀月、藍から手紙を預かっているわ。これよ」
「手紙ですか?」

 紫が懐から取り出した手紙を、銀月は読み進めていく。

「……ええ~……藍さん、それは……」

 すると、見る見るうちにその表情が変わっていった。
 どうやらとても問題のある内容だったらしく、その表情はなんともくたびれたものになっていた。

「あら、どうかしたのかしら?」
「すみません、藍さんのところに案内してもらっていいですか? 少し手紙の内容に抗議したいので」
「手紙の内容がどうかしたのかしら?」
「……すみません、ちょっと言えないです。とにかく、案内してもらえますか?」

 手紙の内容を聞かれて、銀月はなんともいえない微妙な表情で答える。
 そんな銀月の要求に、紫は怪訝な表情を浮かべながらも答えることにした。

「え、ええ」
「失礼します……」

 スキマが開くと、銀月はその中に入っていく。
 紫はそのスキマを開きっぱなしにして、会話を聞くことにした。

「藍さん! 幾らなんでもこれは無理ですよ!」
「頼む銀月! 紫様のためなんだ、協力してくれ!」

 すると聞こえてきたのは激しく抗議する銀月の声と、必死に懇願する藍の声。
 その話の内容から、手紙の内容は銀月への依頼だったことが分かった。

「嫌ですよ! こんなことして弾みで殺されたらどうしてくれるんですか!?」
「うっ……だ、だが抱きしめたり接吻したりは大丈夫なんだろう! ならばこれくらい笑って許してくれるかもしれないだろう!?」
「訳が違いますよ! 一歩間違えたらこれ訴えられますよ!? 藍さんだってそうするでしょう!?」
「私は将志からなら別に……あいたぁ!!」

 すぱーんと大きく乾いた音がスキマの奥から聞こえてくる。
 どうやら銀月がハリセンで藍の頭をはたいたようである。

「それは藍さんの願望でしょうが! とにかく、俺はやりませんからね!!」
「しかし、紫様は以前これをやられて気絶して、危うく誘拐されるところだったんだぞ!? 頼む、手遅れになる前に手を貸してくれ!!」
「だ、だからって……何で俺が……」
「むしろお前だからこそなんだ、頼む! 紫様が一番慣れている男はお前なんだ!」

 口ごもる銀月に、畳み掛けるように藍は頼み込む。
 すると、銀月のやけになったような声が聞こえてきた。

「……ああもう! 一度だけですよ!?」
「すまない……ああ、そうだ。お前私や紫様に敬語使うのやめろ。むしろ馴れ馴れしいくらいの方が良い。なに、知らない仲じゃないんだ、今更畏まることも無いだろう?」
「……まあ、それくらいなら良いけど……」
「よし、では頼んだぞ」

 藍がそう言うと、銀月がスキマの中から戻ってきた。
 その表情は暗く、陰鬱なものである。

「……はぁ……何で俺がこんなこと……」
「どうかしたのかしら、銀月?」

 紫は銀月に話しかけた。
 先程の話の内容から自分に何かするように依頼されたのだという事は分かっているが、その内容が分からないのである。

「失礼します……」

 銀月はその質問に答えることなく、紫を抱きしめた。
 それなりに成長した銀月は紫よりも少し低いくらいの身長であり、もうすぐ追い抜きそうである。
 そんな銀月を、紫は優しく抱きしめ返す。

「本当にどうかしたのかしら? 急に改まって……」
「……ごめんなさいっ!!」
「きゃあんっ!?」

 銀月は一言謝ると、紫の胸と尻を二三度揉んだ。
 そして紫から素早く離れると、その場に崩れ落ちた。

「……ううっ……頼まれたからって、俺は何てことを……」
「……ら、藍の指示?」
「……はい……申し訳ございません……」

 顔を真っ赤にした紫の問いかけに、銀月は土下座をしながら答える。
 それを聞いて、紫はギクシャクした様子で言葉を返した。

「そ、そうよね……銀月が自分からこんなことするはず無いものね……」
「……私のことは犬とお呼びください、紫様……」

 銀月は土下座を敢行したまま、紫にそう言った。

「ちょっ!? 銀月、いきなり何を……」
「……紫、お前そんな趣味があったのか? ん?」

 そんな言葉と共に、慌てる紫の頬に背後からひたひたと当てられる冷たい物体。
 それは将志の持つ銀の槍、『鏡月』の刃であった。
 その瞬間、紫の顔から血の気がサッと引いていく。
 将志の表情は怖いくらいの笑顔であり、その表情で紫を見つめていた。

「そ、そんな訳ないでしょう!! そんなことより銀月を止めてちょうだい!!」

 紫は大慌てでそう言って銀月の方を指差した。

「……ああ、消え去ってしまいたい……」

 そこには、地面に寝転がって暗黒のオーラを放って自己嫌悪に陥っている銀月の姿があった。
 それを見て、将志は唖然とした表情を浮かべた。

「……何やら銀月から黒い波動を感じるのだが……」
「実はね……」

 紫は将志に銀月がこうなった経緯を話した。
 それを聴いた瞬間、将志は目頭を押さえた。

「……成程。つまり銀月は藍の頼みを聞いたせいでこうなったという訳だ」
「ええ。幾らなんでもやりすぎだと思うわ」
「……そういうことならば、少々抗議しに行くとしよう」
「抗議って……何をするつもり?」
「……この前勉強の一環で読んでいた本なのだが……ハンムラビ法典と言うものがあってだな……」

 唐突に将志が出した話題に、紫の眼が点になる。

「……え? ごめんなさい、繋がりが見えないのだけど?」
「……要するに、嫌なことをされたらやり返してやれと言う訳だ。と言うわけで、行って来る」

 将志は紫が止めようとするのも聞かずに猛スピードで飛び出していった。
 一見冷静なようで、内面はかなり熱くなっていたようである。
 紫はそれを呆然と見送る。

「……行っちゃった。それは銀月や私がやるから効果があるのであって、将志がやっても返り討ちに遭うのに……」
「……私は犬、私はイヌ、私はいぬ……わんわん……」

 紫の足元で、銀月がぐったりとした様子で寝そべりながら呪詛のように呟く。
 どうやら先程の一件が余程こたえたようである。

「ちょっと銀月!? いい加減帰ってきなさい! 私は気にしてないから!」
「……本当?」

 紫が声をかけると、銀月は顔だけ起こして紫を見る。
 その眼は死んでおり、なんとも情けない表情を浮かべている。

「ええ、本当よ。大体、貴方の意思ではなかったのでしょう? なおのこと気にすることは無いわよ」
「そ、そう……」

 銀月は紫の言葉を聞いて、のそのそと立ち上がる。
 しかしその表情は晴れず、どこか気まずそうである。
 そんな銀月を見て、紫は何かを思い出したようだ。

「……そうだ。銀月、私も藍から課題を言い渡されていたのよ」
「……課題って……え?」

 頬に触れる柔らかくしっとりとした感触。
 銀月が驚いてその方を見てみると、悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべた紫が居た。

「ふふっ、これで分かったでしょう? 私は気にしていないって」

 紫は自分の唇を撫でながらそう言って笑う。
 そんな紫に、銀月は困惑した。

「え、でも今の課題って……」
「まあ、確かに元は出来そうなら挑戦してみるようにって言われていたものだけど、さっきのを気にしているのならこんな事しないわよ」

 困惑する銀月に、紫は優しくそう言う。
 それを聞いて、ようやく銀月の表情に笑みが戻った。

「……そっか。ありがとう、紫さん」
「お礼を言われるようなものじゃないわ。さあ、落ち込んだりしている暇があるならもっと有意義に使いましょう?」
「うん。それじゃあ今日は思いっきり修行しよう!」
「……程々にしなさい」

 意気込む銀月に、紫はため息をつきながらそう言うのだった。



 一方その頃、マヨヒガでは。

「あだだだだだだ!」
「……ふむ、ここが痛いということは眼の使いすぎだな。少し休めるべきだ」

 将志はそう言いながら、指で藍の足を強く押していく。
 その足つぼマッサージを受けて、藍は痛みに悶絶するのだった。
 しばらく続けた後、将志は藍の横に白湯の入った湯のみが置かれた盆を置いた。

「……では、そろそろ仕事に戻らねば……むっ」

 将志はそう言って立ち去ろうとするが、その袴の裾を藍が掴む。

「……逃がさないぞ、将志。散々私が嫌がることをしてくれたんだ、ならばその分の対価は払ってもらうぞ」

 藍は将志の身体を這い上がるようにして立ち上がった。
 それと同時に、尻尾を巻きつけて将志を拘束する。

「……それは、お前が銀月に無理な頼みごとをしたから……っく」

 将志が一言言おうとすると、藍は将志の首筋を舐めて言葉を切る。

「それはお前の勝手な価値観であって、銀月が本当に私に仕返しをしたかったのかは分からない。それに、そもそもお前はその件には無関係のはずだ。つまりお前は当事者の思惑とは関係なしに、私的な感情で的外れな仕返しを私にした訳だ。こんなもの、仕返しでも何でもない」
「……何だと……?」

 藍に指摘され、将志の顔色が段々と悪くなっていく。
 それを見て、藍は微笑んだ。

「冷静になれば分かることだろう? 報復というものは被害者が行わなければ成立しない。つまり、お前が行ったことはただの攻撃で、私はそれに対して報復する権利があると言うことだ。さて、何か異論はあるか?」
「……だが、お前は俺の家族に……」
「家族は物ではないだろう? 銀月は明瞭に自己を持っている人間だ。幾ら家族とはいえ、本人の意思を無視して親が事を起こすのは間違っていると思うが?」
「う……ぐ……」

 苦し紛れに反論をするも、藍は容赦なく正論を突きつけてくる。
 何も言えなくなった将志の頬を、藍は指先で撫でる。

「ふふふ……銀月を大事にしすぎるあまり、とんだ失態を演じたな、将志? さて、覚悟はいいな?」
「……待て、そういうならば何故最初にそれを言わなかった? そうすれば、お前も痛い思いをせずに済んだだろうに」
「ああ、それはな……せっかく自分から飛び込んできた獲物を逃げられないようにするためだ」
「……っ」

 藍がそう言った瞬間、将志は背骨が氷柱になったような感覚を覚えた。
 今の将志は、蜘蛛の巣に捕らえられた羽虫のようなものであった。
 そんな将志に、藍は妖艶な笑みを浮かべて相手の唇を指でなぞる。

「……何をする気だ?」
「なあに、私はお前に報復などはしないさ。その代わり、しばらくの間お前を好きにさせてもらうぞ」
「……なん……だと……んぐっ」

 焦る将志の唇を、藍は強引に奪いに行く。
 それと同時に、藍は将志の口の中に唾液を流し込む。
 将志が思わずそれを飲み込むと、藍は口を離した。
 二人の間には銀色の橋がかかり、口の周りを濡らしていく。
 藍は熱に浮かされたような表情を将志に向けた。

「はぁ……言っておくが、今日ばかりは手加減なんてしないからな。私も最近色々溜まってるんだ……ゆっくりたっぷり味わわせてもらうぞ……」

 藍は息を荒げながらそう言うと、将志を部屋の中に引きずり込み、静かにふすまを閉めた。

 ……どうやら、将志は当分の間帰ることは出来ないようである。





 夜になり月が空高く上ったころ、空を飛ぶ影が一つ。
 その影は少女のものであり、紅白の巫女服を身に纏っている。

「あ~……疲れた……全く、理不尽よね……何かもらえるわけでもないし……」

 霊夢は大きなため息をつきながら自宅である博麗神社に向かって飛んでいく。
 今日異変を解決した彼女は、酷く疲れた様子であった。
 しばらく飛んでいくと、霊夢はあることに気がついた。

「……あれ、家に明かりがついてるわね……まさか、異変がまだ終わっていなかった何て言うんじゃないでしょうね……」

 霊夢はそう言いながら疲れた表情を強くした。
 そして、その表情が段々と苛立ったものに変わっていく。

「ああもう! こうなったらとっとと蹴散らして不貞寝してやるわ!」

 そう叫ぶと、霊夢は速度を上げて自宅に向かって飛んでいく。
 そして自宅に着くと、彼女は首をかしげた。

「……おかしいわね……てっきり何か仕掛けてくると思ったのに、誰も居ないわね……」

 霊夢はそう言いながら家の中を歩いていく。
 そして明かりのついている居間に足を踏み入れた。

「……あ」
「……すぅ……すぅ……」

 するとそこには、ちゃぶ台に覆いかぶさるようにして寝ている銀月の姿があった。
 その表情は緩んでおり、とても気持ち良さげである。

「……ちょっと銀月。あんた何でこんなところで寝てんのよ」

 そんな銀月に、霊夢はいらいらとしながら声をかける。
 すると眠りが浅かったのか、銀月はすぐに眼を覚ました。

「……ん……あ、霊夢……ひょっとして、俺寝てた?」
「そりゃもう腹が立つくらい気持ち良さそうに寝てたわよ」
「そっか……ちょっと待って、今料理を温めなおすから」

 銀月はそう言いながら台所に向かおうとする。
 そんな銀月に、霊夢は意味が分からず声を上げた。

「え?」
「だって、異変を解決してきたんだろ? だから疲れてお腹を空かせて帰ってくるんじゃないかなと思って。で、仕事帰りに冷たいご飯なのもあれだから帰ってくるのを待ってたんだけど、余計だったかな?」

 銀月はそう言いながら霊夢の方を見る。
 そんな銀月に、霊夢は一転して嬉しそうな笑みを浮かべた。

「……そんなこと無いわよ。それじゃあ、なるべく急いで持ってきて。私もうお腹ペコペコよ」
「了解。それじゃ、急いで持ってくるよ」

 銀月はそう言うと、台所がある土間へと走っていった。

 この日の夕食は、霊夢の好物ばかりが並んでいた。



[29218] 銀の槍、手伝いをする
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 20:44
「……スペルカードルールだと? 何だ、それは?」
「新しい決闘の方式よ。そのルールに則れば、お互いに死ぬことなく決闘が出来るというものよ」

 銀髪の髪の男に、金髪のドレス姿の女性が説明をする。
 将志はスペルカードルールと言う弾幕勝負の詳細に耳を傾ける。

「……つまり、常時手加減状態と言うことか? それでは不完全燃焼を起こす者も居そうだが……」
「ああ、そういうことじゃないのよ。全力を出しても死なないようにするのがこのルールの肝よ」
「……つまり、俺が全力で人間に槍を突き刺しても人間が死なないようになるということか?」
「まあ、端的に言えばそういうことね。そのための道具がこれよ」

 紫はそう言うと何も書かれていない長方形の厚紙を取り出した。
 将志はその紙を隅から隅まで眺めると、首をかしげた。

「……成程、これがスペルカードか。しかし、何の力も込められていないようだが?」
「ええ、今はまだただの厚紙よ、これは。この厚紙がスペルカードになるには、将志の守護が必要なのよ」
「……どういうことだ?」
「この紙切れに私が簡易的な結界を張る力と貴方の守護神の力を封じて、中で何があっても死なないようになる結界を張れるようにするのよ。そうすれば、中で何をしても平気になるでしょう?」
「……それは分かった。だが、何故この様なカードにしたのだ? 取り出さずとも使えるような形にすれば便利だったものを」
「それはね、ちょっとした遊びを考えているからなのよ」
「……遊びだと?」
「一定の条件化で相手のスペルカードに記された攻撃を終了させると、そのスペルカードが自分のものになるというルールよ。これなら、妖怪達も積極的に戦うようになるでしょう?」

 紫はカードにした理由を将志に説明する。
 それを聞いて、将志は納得したように頷いた。

「……そういうことか……確かに、それならば飽きることは少なくなるだろうな。だが、そのカードが地味ではつまらないな」
「そうねえ。集めてて楽しくなるようにしたいわね……」

 二人はそう言うと、その場で考え込んだ。
 二人の力では、カードの模様を操作することはなかなかに難しいのである。

「キャハハ☆ そういうことなら僕に任せて♪ 要するに、この紙が面白くなれば良いんだよね♪」

 そこに横から愛梨が現れ、スペルカードとなる厚紙を手に取った。
 愛梨はその厚紙に何やら力を込めると、将志に手渡した。

「将志くん♪ ちょっとこれを持って、スペルカードに登録する技を使ってくれないかな?」
「……ああ」

 将志は愛梨からカードを受け取ると、言われたとおりに技を使ってみた。
 将志が使った技は、妖力で編んだ銀の槍を流星の様に飛ばす技であった。
 流星は船の立てる磯波のように、星屑のような銀の弾幕を残して飛んでいく。
 そんな中、将志の手に握られたカードに何やら模様が現れた。

「……これは……」

 出てきた模様は流星が星屑をこぼしながら夜空を翔る絵であった。
 愛梨はそれを見て満足そうに笑った。

「カードを一度使うと、その技に合わせた絵柄が出るようにしたんだよ♪ これなら誰が使っても別々の物が出てくるし、取り出したカードと技が違うって言う反則も防げるよね♪」
「あら、綺麗な絵柄ね。これなら集めても満足できそうね。なら、これも採用しましょう」
「……カードとスペルカードに登録した技……まあ、スペルと呼ぶとしよう。それの食い違いを防ぐために、スペルの名前をカードの発動の鍵にしてはどうだ?」
「それも良いわね。ああでも、宣言の前に殺す気で撃ち合いを始めてはどうしようもないわね……」

 紫はそう言うと、困った表情を浮かべて考え込んだ。
 それを聞いて、将志が首をかしげた。

「……その時のための俺達なのではないのか? 流石に俺達が出てくるとなれば、血の雨が降るような事態は控えるとは思うのだが……」
「……それもそうね。なら、その辺りの事は貴方達に任せることにするわ。じゃあ、スペルカードを作るとしましょう?」
「……ああ」
「おっけ♪ よ~し、頑張るぞ♪」

 三人はそう言うと、スペルカードの作成に掛かった。





 数時間後、そこには白紙のスペルカードが山のように積みあがっていた。

「ふ~……これだけ作れば大丈夫かな?」
「ええ……予定していた分は出来たわ……」
「……後はこいつらがきちんと機能するか調べないといけないわけだが……」

 三人は額に浮かんだ汗を拭いながらそう話し合う。
 三人ともかなり力を消費しており、疲れた表情を浮かべていた。
 そこに近づいてくる影があった。

「んあ? 何やってんだ、兄ちゃん達?」
「何やらたくさん札が積んでありますわね」

 近づいてきたのは燃えるような赤い髪の小さな少女と、美しい銀の髪に桔梗の柄が描かれた赤い長襦袢の女性だった。
 その二人を見て、将志は二人を手招きした。

「……ちょうど良い。お前達、少しスペルカードルールで戦ってみてはくれないか?」
「ん? なんだ、そりゃ?」
「どんなルールですの?」

 近づいてきた二人に、将志はスペルカードルールの詳しい説明をした。
 それを聞いて、二人は面白そうに笑った。

「……へぇ、なかなか面白そうじゃねえか」
「そうですわね。スペルの名前を考えないといけませんけど、これなら遊び感覚で戦えますわね」
「んじゃま、試しにやってみようぜ、包丁の姉ちゃん!!」
「いいですわよ。じゃあ、まずはスペルカードを作らないといけませんわね」
「そだな。じゃ、ちゃっちゃと作ってくる!!」

 二人は楽しそうな表情でスペルカードを手に取ると、それぞれ別々のところに行ってスペルを考えることにした。





 しばらくして、銀の霊峰の試合場に全員集まっていた。
 勝負をするのは六花とアグナ、観客は将志、愛梨、紫の三人である。

「よし、それじゃあ始めるぜ!」
「ええ、行きますわよ!」

 二人はそう言うと、一枚目のスペルカードを取り出して発動させた。


 竜符「ヴォルカニックドラゴン」


 アグナが発動させたのは巨大な炎の龍を呼び出すスペル。
 炎の龍が地面から飛び出し、相手に喰らい付いては地面に潜っていく。
 それを避けたとしても龍の長い胴体が残り、通り過ぎるまで動きを制限するものである。


 飛符「燕の巣作り」


 一方の六花が発動させたスペルは燕を模した斬撃の弾幕が飛びまわるスペル。
 相手の動きを制限するように燕が飛び、動きが止まったところを刈り取る手法のものである。
 見た目としては、燕がまるで巣を作るかのように六花のところに舞い戻ってくる形のものだ。

「おいおい姉ちゃん、手加減してんだろこれ!!」
「そう言うアグナも本気ではないですわね!!」

 二人はそれぞれ余裕の表情でお互いの弾幕を躱していく。
 二人とも危なげなくお互いの攻撃を避け、スペルの制限時間が過ぎていった。

「行きますわよ!」
「おっと、こっちも行くぜ!!」

 お互いのスペルが終わると同時に、二人は二枚目のスペルカードを取り出した。
 

 花符「六花式フラワービット」


 先手を取ったのは六花。
 銀色の花弁を持つ花が三つ飛び出し、弾幕を放ちながら相手の周りをぐるぐる飛び回る。
 そしてアグナを中心に円を描くように静止すると、相手を狙ったビームが発射される。


 渦符「レッドメイルシュトローム」


 対するアグナのスペルは、赤い炎の弾丸が周囲から渦を描くように集まってくるスペル。
 フィールドの中心に全方位から火球が集まり、中心では炎の大渦が出来上がっていた。
 受ける側としてはアグナが直接放つ蒼白い炎の弾幕を避けるために離れなくてはいけないのだが、そうすると後ろから弾丸が飛んできてなかなかにやりづらいものであった。

「ちぃ! やっぱしつけぇなあ、これ!!」

 アグナはそう言いながら飛んでくるビームを躱し、相手に蒼白い炎の弾丸を放つ。
 ビームはアグナの髪を掠めて飛んでいき、はらりと宙に舞う。

「くっ、前後から来られると少し面倒ですわね……」

 六花はは少し嫌そうな表情を浮かべながら相手の弾幕を避けていく。
 前方からの蒼白い炎に気を配りながら、後方から身体を焼く赤い炎を躱していく。
 流石に慣れたもので、パターンを理解した二人はあっさりとお互いのスペルを破った。
 その瞬間、お互いに笑みを浮かべた。

「へっ、そうこなくっちゃなあ!!」
「そうですわね! 次、行きますわよ!」

 そう言い合うと、六花は三枚目のスペルカードを取り出した。


 果符「黒緑の大玉ころがし」


 六花の三枚目のスペルは巨大なスイカを放り投げるスペル。
 相手を狙って投げられるそれは向かってくる弾丸を打ち消し、一方的に相手を攻撃する。
 それを見て、アグナは頭を掻き毟った。

「かぁ~っ、これかよ! そんならこいつだぁ!!」

 そう言うと、アグナは三枚目のスペルカードを取り出した。


 炎符「エアロナパーム」


 アグナの三枚目のスペルは相手の周りにナパーム弾のような弾丸を発射するスペル。
 爆発した弾丸はその場で燃え続け、相手の行動を制限する。
 それを見て、六花は苛立たしげな表情を浮かべた。

「ああもう! 設置系の技は嫌いですわ!!」

 六花は煩わしそうに空中で燃え盛る炎を睨みながらアグナの弾幕を避ける。
 途中でアグナに向かってスイカを投げ、反撃をする。
 スイカは進路上にある火球を弾き飛ばし、唸りを上げてアグナに迫っていく。

「ちっくしょ~! 本当にめんどくせえな、これ!!」

 アグナはそう叫びながらスイカを回り込むように避け、反撃をする。
 お互いにお互いの攻撃が苦手なのか、両方とも攻めあぐねている間に制限時間が過ぎた。

「流石にやるなあ、姉ちゃん」
「貴女もですわよ、アグナ」

 二人はそう言いながらお互いに見つめあう。
 そしてしばらくすると、同時に最後のスペルカードを使用した。


 発火「イグニション・オブ・ザ・サン」

 刃符「斬空三徳包丁」


 スペルの発動と同時に周囲の空気が熱を帯び始め、六花の包丁が光を放つ。
 次の瞬間、フィールドに太陽のような巨大な火の玉が現れ、空気を切り裂く斬撃が飛び出した。
 アグナのスペルで生まれた火の玉は放射状に高密度の弾幕を放ち、全体を火の海に染める。
 六花のスペルで生み出された斬撃はその炎を切り裂きながらアグナに向かっていく。
 そしてしばらくして、その紅蓮に染まったフィールドからアグナが弾き飛ばされた。
 それと同時に周囲を染めていた炎も消え、勝負が付いたことを示した。

「……ってぇ……おりょ? けど全然怪我はしてねえな?」
「そうですわね……結構強く当たったと思ったのですけど、切り傷は付いてないようですわね」

 アグナは身体を起こすと、怪我のない自分の身体を不思議そうに眺める。
 しばらくして、隣に降りてきた六花もその様子を眺めた。
 その様子を見て、将志は頷いた。

「……ふむ、どうやら上手く行ったみたいだな」
「そうだね♪ カードの模様も綺麗に出てるし、これなら問題ないよね♪」
「ええ、そうね。後はどれほど強い攻撃に耐えられるか分かれば良いんだけど……」
「……それなら良い相手が居る。少し待っていろ、呼んでくる」

 紫の呟きにそう答えると、将志はどこへともなく飛んでいった。




 しばらくして、将志が帰ってきた。
 その後ろには何やら人影があり、客を連れてきたようだ。

「……連れて来たぞ」
「おい、いきなりここに連れてきてどうするんだよ?」

 連れて来られたのは白い髪の蓬莱人、藤原 妹紅であった。
 訝しげな表情を浮かべる彼女を見て、紫は納得したように頷いた。

「ああ、成程。確かにこの子なら適任ね。それで、相手は誰がするのかしら?」
「……火力といえばやはりアグナだろう。アグナ、こっちに来い」
「おう」

 将志はアグナを呼ぶと、髪留めの青いリボンを解いた。
 するとアグナの体がまばゆい光を放ち、大人の女性へと変貌していく。

「……ふう……封印解くのも久々だぜ」

 アグナは色々と大きくなった自分の身体をあちこち見回し、軽く動かす。
 そんなアグナを見て、妹紅は眼をしばたたかせた。

「……え、誰これ?」
「おいおいおい、そりゃあねえんじゃねえのか? アグナだよ、前にも会ってるだろ?」
「変わりすぎだろ! 幼女がいきなりこんな風に変わるなんて誰が思うんだ!?」

 アグナのあまりの変わりように、妹紅は頭を抱えてそう叫んだ。
 幼女が一瞬でグラマラスな美女に変われば叫びたくもなるであろう。
 それを聞いて、周りの者が苦笑いを浮かべる。

「きゃはは……まあ、普通は思わないよね……」
「私達ですらこうなるとは思いませんでしたものね……」

 愛梨と六花がそう呟くと、妹紅は疑問を振り払うように首を横に振った。

「それで、私は何をすればいいんだ?」
「……今から全力のアグナと戦ってもらう。スペルカードルールでな」
「スペルカードルール? 何だそりゃ?」

 首を傾げる妹紅に、将志は事の詳細を説明する。
 すると妹紅は分かったような分かってないような表情を浮かべた。

「……はあ。そういうことか。とにかく、私はあのアグナと戦えば良いんだな?」
「ええ、そうなるわね。はい、これがスペルカードよ」
「ん。それじゃあ作ってくる」

 紫からスペルカードを数枚受け取ると、妹紅はスペルカードを作りに行く。
 その横で、アグナが将志に声を掛けた。

「兄ちゃん、俺も新しいのが欲しいぞ。俺が全力を出すと、さっきのスペルじゃ収まんねえんだ」
「……そうか。なら、持って行くと良い」
「よし、んじゃ作ってくるぜ」
「……アグナ。今のお前の最大の威力の攻撃を入れてくれ。一撃で勝負が決するような奴をな」
「へへっ、言われなくてもそのつもりだぜ!!」

 アグナはそう言って笑うと、数枚のスペルカードを持って遠くへと飛んでいった。





 しばらくして準備が完了し、アグナと妹紅が開始線に付く。
 アグナの手には二本の白い三叉矛が握られていて、準備は万端のようである。

「……双方とも準備はいいか」
「ああ、こっちは大丈夫だ」
「俺も平気だぜ、兄ちゃん!!」

 将志が確認を取ると、二人はそう言って答えた。
 それを聞いて、将志は一息ついた。

「……では、始め!!」

 将志がそう言うと、二人は一斉に飛び出した。

「始めから飛ばしていくぜ!!」

 アグナはそういうと早速スペルカードを使用した。


 烈光「ウルトラノヴァ」


 アグナの両手の三叉矛に、それぞれ強烈な光と熱が集まってくる。
 その純白の光が極限まで集まると、アグナは両手を振りかぶった。

「いっけええええ!!」

 アグナはそう言うと三叉矛を放り投げた。 
 妹紅がそれを飛んで避けようとすると、突如として圧縮された光が凄まじい勢いで広がっていった。

「え、ちょ……」

 そのあまりの変化についていけず、妹紅は光に飲み込まれた。
 光がはじけると共に周囲の温度が急上昇し、熱風が辺りに吹き荒れ、砂礫が空へ高々と舞ってキノコ雲を作り出す。
 その様子を見て、紫は思わず手にした扇子を取り落とした。

「……将志。アグナ、前に見たときよりも凶悪になってないかしら?」
「……前よりも威力が格段に上がっているな。封印されている間に妖力が熟成されたのだろうか?」

 二人は冷や汗をかきながらそう話し合う。
 何故なら、アグナが封印される原因となったあの攻撃を遥かに上回る威力であると推定される攻撃だったからである。
 どうやら、封印で抑圧された妖力は大変なことになっているようである。
 スペルカードルール下での戦いでなければ、周囲はマグマの海と化していたことであろう。
 その一方で、アグナはあっさりと倒れた妹紅を見てキョトンとした表情を浮かべていた。

「おりょ? もう終わりか? まあ、人間がまともに喰らえば終わっちまうか」
「けほっ……なんだよ、この無茶苦茶な火力は……って、私生きてる?」

 妹紅は大火力の攻撃を受けても無事であることに首をかしげる。
 それを見て、将志と紫は頷き合った。

「……アグナの最大火力を受けてなおその程度の傷で済むのか。実用面でも申し分ないな」
「弾幕による周辺の被害も抑えられるから、その面でも良さそうね」
「おお~……これなら気にすることなく全力を出せるな! よっしゃ、包丁の姉ちゃんにリベンジしてくる!!」

 アグナは大喜びでそう言うと、一直線に飛び出していった。
 それと入れ替わりに、二つの人影が飛び込んでくる。

「何でござるか、今の閃光は!?」

 一人は黒い戦装束に身を包み、頭に鉢金を巻いた少女。

「今凄い光が見えたけど何事!?」

 もう一人は白い胴衣と袴を身に纏った黒髪の少年であった。
 その少年を見て、妹紅は首をかしげた。

「ん? 何で銀月がここに居るんだ?」

 妹紅がそう呟くと、今度は銀月が首をかしげた。

「……あれ、父さんから聞いてないのかい?」
「は? どういうことだ?」

 二人は揃って将志の方を見る。
 すると将志は小さくため息をついた。

「……それ以前に、お前と妹紅が顔見知りであることが初耳なのだが?」

 将志はそう言って二人を見やる。
 そんな彼に、妹紅が詰め寄って質問をする。

「おい将志、あんた銀月とどんな関係なんだ?」
「……どんな関係かと言えば、親子だが?」
「……はあ?」

 将志の発言に、妹紅は唖然とした表情を浮かべる。
 そんな妹紅に、今度は将志が質問を投げかけた。

「……こちらからも聞くが、銀月とはどういう関係だ?」
「銀月には陰陽道を教えたり戦闘訓練をつけたりしてるんだ。成程ね、道理で筋が良いと思ったらあんたの息子か」

 妹紅はそう言いながら納得したように頷いた。
 それを聴いた瞬間、将志は目頭を押さえた。

「……銀月。逃げるな」
「うっ……」

 将志の言葉に、その場を立ち去ろうとしていた銀月がぴたりと足を止める。
 将志は銀月の手を掴んで妹紅のところに連れてくると、事の真相を問いただすことにした。

「……お前、修行禁止されていた時によく人里に行っていたな? あれはこのためか?」
「ちょっと待て、修行を禁止ってどういうことだ?」

 将志の発言に、妹紅が割ってはいる。
 それに対して、将志は質問で返した。

「……銀月に最後に講義したのはいつだ?」
「五日前だけど?」
「……その日は前日に一日中戦闘訓練を行っていてな……全身ボロボロになって帰ってきたのだ。そこで休養させるために修行を禁止したのだが……」
「おい、そうなのか銀月?」

 将志の話を聞いて、妹紅は睨むような視線で銀月を見る。
 すると銀月はそれから眼を逸らしながらそれに答えた。

「えっと……うん、はい、そうです……傷も完治したから大丈夫かな~って思って……」
「馬鹿野郎、そんな無茶するんじゃない!! 今度それが発覚したら二度と教えねえぞ!!」
「あう……分かりました……」

 怒鳴りつけられ、がっくりと肩を落とす銀月。
 その後ろで、紫が深々とため息をついた。

「はあ……銀月って、無茶を無茶と思わないのが問題ね……」
「……熱心なのは良いが……もう少し抑えて欲しいものだ」

 紫の後を追うように、将志もため息をつく。
 その隣で、妹紅が首をかしげた。

「……けど、実際教えたときは疲れたりどこか痛めたような様子は無かったんだよな……」
「……そうなのか?」
「ああ。実際、そんな無茶をしているなんて今言われるまでちっとも気付かなかったしな」
「……もしかして、それも銀月の能力の影響かしら?」
「……可能性はあるな。しかし、だとするとどんな能力だ?」

 妹紅の発言を受けて、将志と紫は考え込んだ。
 それを聞いて、妹紅がキョトンとした表情を浮かべた。

「まさか、銀月の能力は分からないのか?」
「……ああ。それが俺が銀月を預かっている理由でもある」

 将志がそう言った瞬間、突如として巨大な火柱が上がった。
 三人がその方を見ると、二つの人影が将志達のところへ向かってきていた。

「ひゃっほう! 俺の勝ちだ、姉ちゃん!!」
「あ、アグナ……貴女幾らなんでも大人気ないのではなくて……?」

 勝って大はしゃぎするアグナと、若干髪が乱れて煤まみれになりながらアグナに抗議の視線を送る六花。
 勝敗の行方は明らかであった。
 そんな二人を見て、将志が苦笑いを浮かべた。

「……まあ、この手の勝負は六花は苦手だろうからな。逆に、この手の勝負はアグナや愛梨の得意とするところでもあるから、まあ仕方のない結果ではないか?」
「くっ……次は負けませんわよ、アグナ」
「おう! いつでも来いってんだ!!」

 立ち去っていく六花に、アグナはそう言って声を掛ける。
 そんなアグナに、将志はため息混じりに話しかけた。

「……封印を解く時は俺に言うのだぞ?」
「分かってるって兄ちゃん!!」

 アグナは将志にそう返事をすると、近くに居る人影に気がついた。

「お、槍の姉ちゃんに銀月じゃねえか。修行中だったか?」
「え、ええっと……どちら様?」

 銀月は突然声を掛けてきた見慣れない人影に、困惑しながらそう質問した。
 アグナはそれを受けて、自分の身体を見下ろしてハッとした表情を浮かべた。

「ん? ああ、そういや銀月にこの姿で会うのは初めてだったな。アグナだよ」
「え、アグナ姉さん? あれ、アグナ姉さんが何で「お姉さまああああああああああ!!」……あ」

 銀月が質問をしようとすると、どこからともなく少女のソプラノボイスが聞こえてきた。
 それを聞いて、アグナがうんざりした表情を浮かべた。

「……また面倒なのがきたよ……」
「わぁ~!! 久しぶりの大きなお姉さまああ「落ちろぉ!!」きゃうん!!」

 飛び込んでくるルーミアに、アグナのジェノサイドカッターがカウンター気味に当たる。
 振りぬかれた長い足はルーミアの顎を正確に捉え、意識を混濁させる。
 ルーミアは激しく縦回転しながら顔面から地面に落ちた。

「ル、ルーミア姉さん、大丈夫?」
「だ、大丈夫じゃないわ……でも、銀月の右腕を食べればきっと「でりゃあああ!!」ぎゃうっ!?」

 うつぶせに倒れているルーミアを、アグナは首を掴んで持ち上げ壁に勢いよく叩き付けた。
 後頭部を激しく打ちつけ、ルーミアはその場に崩れ落ちる。

「銀月、ルーミアに情けを掛けてやる必要はないぜ。むしろ遠慮なくトドメをさしてやれ」
「え、いや、でも……」

 アグナの一言に銀月は困惑した様子で答える。
 すると、アグナの足元に転がっていたルーミアがゆっくりと身体を起こした。

「ひ、酷いわ、お姉さま……」
「まだ息があんのか……ふん!!」
「げふっ……」

 起き上がろうとするルーミアに、アグナは非情なる一撃を加える。
 すると、ルーミアは再び倒れ臥し、小刻みに痙攣し始めた。
 それを見て、銀月の顔がサッと蒼くなった。

「うわぁ……本当にトドメさした……」
「大丈夫だって、どうせしばらくしたらまた起きてくる。で、修行してたんじゃないのか?」
「違うよ。今日大会の日だったからそれに参加してたんだ。これ」

 銀月はそう言うと、収納札から一枚の紙を取り出した。
 それは銀の霊峰の武術大会の優勝を示す表彰状であった。

「お、優勝してきたのか。しかも無敗か。まあ、銀月なら出来んだろうな」
「……ふむ、もはや下にいる妖怪達では相手にならんか。となると、次からは門番クラスを相手にすることになるな」

 その表彰状を見て、将志はそう呟く。
 それを聞いて、銀月の眼が期待に輝いた。

「門番クラスって……涼姉さんと同じクラス?」
「……いや、涼はもうそのクラスではない。涼はそのクラスでは敵が居なくなってしまったからな、俺達と同じクラスだ。俺達と一緒に暮らしているのが何よりの証拠でもある」
「だからと言って、決してその門番達が弱いわけではござらぬぞ。お主も対戦者達から聞いたなら分かるであろうが、ここの門番というのは一つの称号のようなものでござる。言ってみれば強者の証、拙者も始めてここに来たときは凄い眼で見られたものでござるよ」

 涼は当時のことを思い出しながらそう語る。
 それを聞いて、将志は笑みを浮かべた。

「……涼の場合はいきなり門番を頼んだからな。あの頃が一番きつかったのではないか?」
「あれは本気できつかったでござる。門番や門番に近い者達が次々と勝負を仕掛けてくるから、寝る暇も無かったでござるよ……つまり、ここの門番というのはそれほどの意味があるんでござる」

 涼は苦笑いを浮かべながらそう言い、銀月に言い聞かせる。
 その言葉に、将志が言葉を継ぐ。

「……まあ、そういうことだ。門番の連中は古くから俺に付き従っている者も居る。俺と同じところに立ちたければ、大会であいつらを相手に全勝して見せろ。そうなった時、お前はもう一つの門をくぐったことになる」
「もう一つの門?」
「……銀の霊峰の一員としての社の門だ。お前が普段俺の家族として潜っている本殿の戸は、本来であるならば俺が強さを認めた人間しか入れないことになっている。実力で勝ちあがってきたのは今のところ涼だけだな」
「他の門番の人はダメなのかい?」
「……重鎮達に認めても良い奴は何人か居るが、奴等はそれぞれに家庭を持っているからな。無理強いはしていない。その代わり、ここを目指すものが越えるべき壁となってもらっているのだ」
「つまり、本当なら俺はその重鎮達に勝たないとここでは暮らせない訳だ」
「……そういうことになるな」

 将志がそう言うと、銀月は黙り込んだ。
 そしてしばらくすると、何かを決意した眼で将志の方を向いた。

「……分かった。そういうことなら俺もそれに従おう。父さん、俺一人暮らしをして、もう一度ここを目指してみるよ」
「それはダメよ、銀月。貴方は何が何でもここに住んでいないといけないわ」

 銀月の言葉に、即座に反対の声が飛んでくる。
 それを聞いて、銀月は反対した人物の方を向いた。

「……紫さん。それは俺の能力が分からないから?」
「そうよ。自由にさせて上げられないのは可哀想だけど、将志には貴方を監視する義務がある。だから、貴方は将志と一緒に居ないといけないのよ」
「……はぁ……分かったよ、そういうことなら従うよ」

 銀月はそう言って肩を落とす。
 その様子に、紫が意外そうな表情を浮かべた。

「随分聞きわけがいいわね。自分の能力がわからないことにもっと腹を立てると思ったのだけど?」
「……そりゃあ、腹が立たないといえば嘘だ。これまで能力が分からないことに何度腹を立てたか分からないさ。けど、そのお陰で俺はここに居られたわけだし、みんなと仲良くなれた。そう思うと、仕方ないかなって思うんだ」

 銀月はため息混じりに紫の疑問に答えた。
 それを聞いて、紫は感心したように頷いた。

「そう……そういう考え方もありね。出来るだけ頑張って貴方の能力は調べるから、それまで辛抱してね?」
「ええ。ここまで待ったんだし、この際死ぬまでなら待つよ」

 紫の言葉に、銀月は笑みを浮かべながらそう答えた。

「……その慰めになるかどうかは分からんが……銀月、お前に渡すものがある」

 そんな銀月に、将志は一本の槍を取り出した。
 その槍は全身が鈍く光っている槍であった。
 銀月はそれを無言で手に取った。

「これ……俺が昔買った鋼の槍……」
「……そろそろ返しても良い頃だと思ってな。だが、驚くのはまだ早いぞ。これもやろう」

 将志はそう言うと、布にくるまれた長さは大体3mくらいの長い棒状のものを銀月に手渡した。

「え……って重っ!? 中身、何だ!?」

 受け取ろうとして、銀月はあまりの重さに思わず地面に落とす。
 地面に落ちたそれは重々しい音と共に地面を少し揺らした。
 そして布を解いてみると、中には二本の槍が包まれていた。
 槍はそれぞれ鈍い光沢を放つ黒い槍と青白い光を放つ銀の槍であった。

「槍か……二本入ってるけど……」
「……試しに振ってみろ」
「あ、ああ。んしょっ!?」

 将志に言われて銀月が青い槍に手を掛けて力いっぱい持ち上げようとすると、銀月は勢い余って後ろにひっくり返った。

「か、軽っ!? 何だこの軽さは!?」

 銀月は手にした槍のあまりの軽さに驚き、それを振り回す。
 そんな銀月の様子を、将志はニヤニヤと笑いながら見つめていた。

「……軽いからと言ってあまり振り回すな。そっちはミスリル銀で出来ている。切れ味は並の刃物とは比べ物にならんからな。そこらの岩など容易く徹すぞ」

 それを聞いて銀月が実際に足元の岩場にさしてみると、まるでバターに突き刺すように刃が沈んでいく。
 それにも驚いた後、銀月は再びその青い槍を軽く振った。

「それにしても軽すぎるぞ、父さん。これ、すっごく使いづらいんじゃ……」

 実際、銀月がそれを振るうとあまりの軽さに槍の起動が波を打っている。
 これがある程度重みのある槍ならば真っ直ぐになるので、銀月には非常に使いづらく感じることであろう。
 だが、将志は銀月の言葉に首を横に振った。

「……それを使いづらく感じると言うことは、無駄な力が入っている証拠だ。それを使いこなせるようになったとき、お前の槍は今よりももっと上達しているはずだ」
「成程ね。そういう事なら使いこなせるように頑張るかな。それじゃ次は……」

 将志の言葉に頷くと、銀月は次に黒い槍を手に取ろうとする。
 しかし、銀月の動きがそこで止まる。

「……どうした? 早く振って見せろ」

 将志はその様子を意地の悪い笑みを浮かべて眺める。
 つまり、こうなることが分かっていて銀月に渡したのであった。

「くっ……と言っても、黒い方は重すぎて上がんないんだけど……」

 銀月は全力を出し、全ての霊力を筋力の増強に当ててまで持ち上げようとしたが、槍はピクリとも動かない。
 そんな銀月を見て、将志は笑みを浮かべて種明かしをした。

「……まあ元は武器ではなく、神珍鉄と言って錘に使う凄まじく重い棒だったものを槍にした物だからな。試しに俺の力を借りて持ってみろ」
「分かった」

 銀月はそう言うと、眼を閉じて将志の力を自分に取り込み始めた。
 銀色の光の粒が銀月の体の中に入り込んでいき、銀月の体が光を帯び始める。
 ある程度集まると、銀月は眼を開いて槍に手を掛け、重たそうに振り回した。

「やっ……何とか振り回せるって感じだな。父さんの力を使う特訓にはちょうど良いかも……」
「……ははは、それでも随分軽くしたのだぞ? それに、その槍の面白いところはそれではない。少し貸してみるが良い」
「何があるって言うんだ?」

 銀月は首をかしげながらも将志に黒い槍を渡す。
 将志はそれを受け取ると、槍を縦にして地面につけた。

「……伸びろ!」

 将志がそう言った瞬間、槍は凄まじい勢いで天に向かって伸びていった。
 銀月はそれを唖然とした表情で眺めた。

「の、伸びた?」
「……とまあ、使用者の意思によって伸びたり縮んだりするのだ」

 将志はそう言いながら伸びた槍を元の長さに戻した。
 それを見て、銀月は楽しそうに笑った。

「何だか、西遊記の如意棒みたいだな」
「……おや、知らないのか? 如意棒の大本は神珍鉄だぞ? あれはこれよりも太くて重いものだ」
「そうなのか……そういえば、父さんさっきこれを片手で持ってなかったか?」
「……戯け、人間と妖怪を一緒にするな。腕力でなら人間になど絶対に負けん」

 将志はそう言いながら黒い槍を地面に突き刺す。
 槍は重々しい音と共に地面に刺さり、ピクリとも動かなくなる。
 そんな槍を見て、紫が興味深そうに呟いた。

「にしても……よくもそんなもの持ってたわね? 神珍鉄もミスリル銀も滅多にお目にかかれないものじゃないの?」
「……鍛冶屋の親父がな、使い道に困っていたのだ。神珍鉄は重すぎて使い道が無く、ミスリル銀は高くて買い手が付かんとな。そこで眠らせておくのも惜しいから、俺が買い取ったと言うわけだ」
「高かったんじゃないの?」
「……当分俺が自由に使える金は無いな」

 将志はため息と共にそう言った。
 それを聞いて、紫は面白そうに笑みを浮かべた。

「あらあら、無理しちゃって……」
「……なに、金がどうしても必要になれば、人間に化けて用心棒でもやるさ。それにどの道使い道に困るような金だ、俺の懐で死ぬよりは先行投資をして市場を賑わせた方が良いだろう?」

 将志は微笑を浮かべて紫にそう話す。
 それを聞いて、紫は胡散臭い笑みを浮かべて話を続ける。

「で、本音は?」
「……高い食材が買えなくて自由に料理が出来ない」

 そう言うと、将志は少し悲しげな表情を浮かべて肩を落とした。
 そんな将志を見て、紫はくすくすと笑った。

「やせ我慢はやめなさい。どうしてもお金が必要になったら、藍に借りればいいわ」
「……そうさせてもらうよ」

 将志は紫の言葉に頷いた。

 後日、これで金を借りた将志が藍に色々と申し付けられるのだが、それは別の話である。

 閑話休題。

「さてと、スペルカードも作ったことだし、後はこれを広めるだけね」
「……何それ?」

 スペルカードと言う言葉に、銀月は首をかしげる。
 そんな銀月に、紫はスペルカードを数枚差し出す。

「新しい決闘法の道具よ。銀月も試してみる?」
「ああ、試してみるよ」

 銀月はそう言ってカードを受け取った。
 そんな銀月に、将志が声を掛ける。

「……だが、今は一度休め。大会が終わってすぐであろう?」
「えー……」

 将志の言葉に、銀月は不満げな声を出す。

「ダメだぜ、ちゃんと休め。そしたらちゃんと相手してやっからよ」
「はーい……」

 アグナに言われて、銀月は不承不承といった様子で返事をした。
 そんな銀月に愛梨が笑顔を向ける。

「その時は僕も相手してあげるよ♪ 色々試してみたいしね♪」
「……広めることに関しては俺も手伝おう、紫」
「宜しく頼むわよ。白玉楼には私が行くわ」
「……人狼の里や紅魔館等には俺が行こう」
「人里と地底はどうしようかしら?」
「……そうだな……妹紅、慧音にスペルカードルールのことを伝えてくれないか?」
「ん。それくらいなら任されてやるよ」

 妹紅はそう言うと紫からスペルカードを受け取る。
 紫は妹紅にスペルカードを手渡すと、再び考え込んだ。

「問題は地底ね……私達は行けないし、人間である銀月を行かせる訳には行かないわね……」
「……そこは適任が居るぞ。涼! こっちに来てくれ!」

 将志はそう言って涼を呼びつける。
 すると、涼は軽やかな足取りで将志のところへやってきた。

「どうしたんでござるか、お師さん?」
「……スペルカードルールを地底に広めて来い」

 将志がそう言った瞬間、涼の表情は一変した。

「え……せ、拙者に、地底に行けと仰るんでござるか!?」

 涼は泣きそうな表情で将志に問いかける。
 それに対して、将志は罪悪感を感じながらも頷いた。

「……ああ、頼む」
「い、嫌でござる!! 地底には奴等が……」
「私からもお願いするわ。スペルカードルールを地底に広める適任が貴女しか居ないのよ。この通り、お願いするわ」
「……終わったら俺が出来る範囲で願いを聞いてやる。だからこの通りだ」

 必死の表情で懇願する涼に、将志と紫は揃って頭を下げる。
 それを見て、涼は口ごもった。

「く、くぅぅぅ……分かったでござる……」

 涼は震える声でそう言うと、白紙のスペルカードの束を受け取ってフラフラと飛んでいった。
 その後には涙の雫がキラキラと舞い落ちていた。

「……では、早速行くとしよう。まずは人狼の里だ」
「ええ。じゃあ、私もこれで失礼するわ」

 二人はそう言うと、それぞれ出かけていった。



[29218] 銀の月、友達を捜す
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 20:52
「……はぁ……はぁ……」

 部屋の中で息を荒げる黒髪の少年。
 少年は床に仰向けに倒れこみ、額に玉のような汗をかいている。
 そこに、炎のように赤い髪の幼い少女がやってきた。

「お~い、銀月! ちっと遊ぼうぜ……ってどうしたんだ!? 顔が真っ青じゃねえか!!」

 アグナは部屋に入ってくるなり大慌てで銀月の元へ駆け寄った。
 それを見て、銀月はゆっくりと身体を起こす。

「くっ……大丈夫だよ、アグナ姉さん。ちょっと力を使いすぎただけだから」
「お前、今度は何をした!?」

 凄まじい剣幕で詰め寄るアグナ。
 そんな彼女に、銀月は大きく深呼吸をして答えた。

「……ふう……これを作ってたんだよ」

 銀月はそう言うと、机の上に置かれている複雑な模様の描かれた二枚の紙を指差した。
 アグナはそれを見て首をかしげた。

「……何だこれ、札か?」
「そうだよ。ちょっと特殊な札でね、これはその試作品」
「どんな効果の札だ?」
「ふふっ、それは内緒。でも、これが上手く出来たら俺は少し自由になれるんだ」

 銀月はそう言って満足そうに笑う。
 それに対して、アグナはキョトンとした表情を浮かべる。

「はあ……よくわかんねえな。触っていいか、これ?」
「うん、大丈夫だよ」

 銀月がそう言うと、アグナは机の上の札を手に取った。
 すると、札からは人肌程度の温度が伝わってきた。

「うわっ、この札なんか暖かいぞ? どうなってんだ?」
「それも秘密。けどまあ、そのお陰であんまりぽんぽん作れるものじゃないんだけどね」
「まあ、今のお前の様子を見りゃそう簡単に作れねえものだっつーのは分かるぜ。とにかく、落ち着くまでちっと休んでろ」
「ああ……そうさせてもらうよ」

 銀月はそう言うと、布団に潜って眠り始めた。




 しばらくして、銀月は胸から腹にかけて重みを感じ眼を覚ました。

「……じゅるり」
「っ!?」

 すると、目の前には自分を見つめながら舌なめずりをするルーミアの姿があった。

「ああ……やっぱりすっごく美味しそう……」

 ルーミアは恍惚とした表情でそう言いながら銀月の頬を両手で掴む。
 突然のその行動に、銀月は思わず固まった。

「る、るーみあ姉さん?」
「舐めるくらい良いわよね?」
「え、はい?」
「ペロペロ」
「うわっ!?」

 銀月が言葉を理解する前に、ルーミアは銀月の顔を舐め始めた。

「……はう~、美味しい~♪ ペロペロ」
「ちょっと、ルーミア姉さん、くすぐったいって!!」
「レロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロロレロレロ……」

 銀月の静止も聞かず、ルーミアはその顔を舐めまわす。
 頬から鼻、額にかけてを余すことなく舐めていく。

「あうっ、ちょ、やめてってば!!」

 銀月はそう言ってルーミアの顔を引きはがした。
 すると、ルーミアはうっとりとした表情で大きく息を吐いた。

「はふぅ……舐めるだけでこれなら……かじったらどれくらいなのかな……」
「る、ルーミア姉さん……?」
「……ねえ、銀月。あなたを食べさせてくれる?」

 ルーミアは銀月の上に寝転がり、頬杖を突きながらそう問いかけた。
 その瞬間、銀月の眼が大きく見開かれる。

「なっ!?」
「もちろん、ただでとは言わないわよ? 食べさせてくれるんなら、私を食べていいわ」
「い、いやおかしいでしょ!? 俺妖怪を食べる趣味はないぞ!!」

 大慌てで銀月がそう言うと、ルーミアはキョトンとした表情を浮かべた。

「え? ああ、そういうこと……こっちの意味を知らないのね……ふふふっ」

 ルーミアはそう言って笑うと、銀月の白い袴の紐に手を掛けた。
 銀月は思わずその手を払う。

「待って、何する気!?」
「ん~? 今から銀月のこと二重の意味で食べちゃおうと思って。今からその一つ目を実行するわ」

 ルーミアは薄く笑みを浮かべながら、銀月の袴の脇から手を突っ込んだ。

「ちょ、どこに手を突っ込んでんの!?」
「え~? だってせっかく食べるんなら気持ちいい方がいいでしょ? きゃん!?」

 ルーミアがそう言うと同時に、銀月はルーミアを突き飛ばすように引きはがした。
 銀月の顔は赤く、ルーミアの突然の態度に困惑しているようである。

「だからちょっと待ってってば! 俺は食べも食べられもしたくないって!!」

 銀月はそう言いながらルーミアと距離をとろうとする。
 その一方で、ルーミアはジリジリと銀月との距離を詰めていく。

「ふっふっふ……逃がさないわ「おらぁ!!」ぐぎゃっ!?」

 突如として紅い弾丸が飛んできて、ルーミアのわき腹に突き刺さる。
 ルーミアは横に吹っ飛び、壁に激しく叩きつけられた。
 その紅い弾丸ことアグナは、鬼のような形相でルーミアを睨みつける。

「……おい、テメェ銀月を食うなってあれほど言ったのにまだ懲りねえのか?」
「あたたた……お姉さま、冗談よ。少し味見をするくらいで……」

 赤符「C・F・H」

「いやあああああああ!?」

 炎上しながら窓の外へとはじき出されるルーミア。
 アグナはそれを呆れ顔で見送る。

「……ったく、これじゃあ銀月が休めねえじゃねえか……おい、銀月。大丈夫か?」
「うん。怪我とかは特にないよ」
「体調は?」
「そっちも十分休んだから大丈夫。それよりも顔を拭きたい。ルーミア姉さんに舐めまわされてベトベトなんだ」
「そだな……銀月、今日は人里に行って来い。あいつが居るんじゃ上手く休めねえだろうからな」

 アグナはそう言いながら銀月にハンカチを渡す。
 その言葉に、銀月は苦笑いを浮かべた。

「だからもう大丈夫だって」
「ダメだっつーの。お前は平気で自分の限界を超えやがるからな、疲れてなくても休みやがれ」
「信用無いなぁ……俺」
「そういうことは自分の行動を振り返ってから言えよ。とにかく、人里で羽を伸ばして来い。兄ちゃんには言っておいてやるから」
「分かったよ。それじゃあ、行ってくる」

 銀月はそう言うと、身支度をして人里へと向かった。






「……札作りは成功だったけど……妹紅さんに悪いことしたな……」

 銀月は苦い表情でそう呟く。
 先程、銀月は妹紅に頼んで作った札のテストをしたのだが、何やら嫌なことがあったようだ。

「よお、兄弟。なに辛気臭い顔してんだ?」

 そんな銀月に上から掛かる若い少年の声。
 それを聞いて銀月は顔を上げると、上から降りてくる少年に声をかけた。

「ん、ギルバートか。いいや、別に何かあったわけじゃないけど……」
「そうかい。ところで、魔理沙見なかったか? 久しぶりに来たから顔を出そうと思ったんだが、いないんだ」

 ギルバートは魔理沙を捜して人里の上を飛んでいたようである。
 そんな彼の言葉を聞いて、銀月は首をかしげた。 

「魔理沙? 俺は見てないぞ。そういえば、結構頻繁に人里に来てるけど、魔理沙に長いこと会わないな。どうしたんだろ?」
「あら、二人ともこんにちは」

 二人がそう言って話をしていると、青果店の店員が声をかけてきた。
 それを受けて、ギルバートは仏頂面で頭を下げ、銀月は笑顔を返した。

「……どうも」
「あ、こんにちは。すみません、魔理沙を見ませんでしたか?」
「魔理沙ちゃんねえ……それがね、つい最近知ったんだけど、あの子随分前に勘当されて人里から出て行っちゃったのよ」

 店員の言葉を聞いて、ギルバートははじけたように顔を上げた。

「はぁ!? それまた何で?」
「何でも、魔理沙ちゃん、魔法が使えるようになったらしくてね……それが原因でお父さんと大喧嘩したらしいのよ。で、どこ行っちゃったかわかんなくなったって訳」

 それを聞いて、ギルバートは大きくため息をついた。

「マジかよ……あいつ魔法の才能あったんだな……」
「そうですか。分かりました。情報ありがとうございます」
「どういたしまして。それじゃ、またね」

 銀月は店員に頭を下げると、青果店の前から歩き出す。
 その横をギルバートが思案顔で歩く。

「で、どうする? 魔理沙を捜しに行く?」
「まあ、魔理沙がどんな魔法を使えるようになったのか気になるしな。少し捜してみっか」
「そうだね。でも、どこに行ったんだろう?」
「当てがあるっちゃあるぜ。魔法使いになったならあそこに居るかも知れないな」

 ギルバートはどうやら魔理沙の行き先に心当たりがあるようである。
 それを聞いて、銀月は首をかしげた。

「あそこって?」
「魔法の森さ。あそこには魔法の手助けになるものがたくさんある。もし俺が家出をするならば、俺は間違いなくそこに行くぞ」
「そう……ならまずはそこに行ってみよう」

 二人はそう言うと、人里を出てギルバートの案内で魔法の森へと向かった。
 森の入り口に着くと、二人は一度そこで降りた。
 森の中は薄暗く、先が見えない。
 銀月はそんな森を見て、少し顔をしかめた。

「……何ていうか、少しやな感じがするな」
「そりゃそうだ。魔法の森には瘴気が溜まってるからな。何の力もない人間じゃあすぐに倒れるぞ。んじゃ、魔理沙を捜すとしますかね」

 二人はそう言うと、森の中をゆっくりと飛び始めた。
 しばらくすると、青い屋根の白い家が見えてきた。

「あれ、こんなところに家がある」
「まあ、間違いなく魔法使いの家だろうな。少し聞いてみよう」

 二人は家の前に降り立つと、ドアをノックした。
 しばらくすると、中から住人が現れた。
 住人は金色の髪に青い服を着た少女であった。

「あら……見ない顔だけど、どちら様?」
「ああ、俺は銀月と言います」
「俺はギルバート・ヴォルフガングだ。少し質問があるんだけど、良いか?」
「別に良いわよ。答えられる範囲なら答えるわ」
「霧雨 魔理沙って言う人を知りませんか? 最近魔法使いになったみたいで、捜してるんだけど……」

 銀月は少女にそう言って質問をする。
 すると少女は首を横に振った。

「残念だけど、私は知らないわ」
「そうか……じゃあ、もう一つ質問。スペルカードルールって知ってるか?」

 ギルバートがそう尋ねると、少女は首をかしげた。
 どうやら、少し興味を持ったようであった。

「それも初耳ね。何かしら、それは?」
「それはな……」
「ああ待ちなさい。話が長くなりそうだし、上がりなさい」
「そういうことなら上がらせてもらうぞ」
「失礼します」

 二人は家の客間に通され、ソファーに座る。
 西洋風のその客間は綺麗に整頓されており、せわしなく小さな人影が動き回っている。
 よく見れば、それは人形のようである。
 銀月がそれに気を取られている間に、ギルバートがスペルカードルールの説明をした。

「ふ~ん……そういうものが出来たのね。で、それはどこで手に入るのかしら?」
「白紙のスペルカードなら、人狼の里や銀の霊峰、人里とか妖怪の山なんかで配ってるぜ。っと、悪いが名前を教えてもらえるか?」

 ギルバートはメモ帳を取り出し、少女に名前を聞く。
 どうやらスペルカードルールを広めた相手の名前を記録するように言われているらしい。

「アリス・マーガトロイドよ」
「Alice Margatroid……綴りはこれでいいのか?」

 ギルバートは名前を書き示すと、目の前の少女に確認を取る。
 それを見て、アリスは頷いた。

「ええ、合っているわ。ところで、貴方達何者?」
「俺は人狼の里の長の息子。こいつは銀の霊峰の首領の息子だ」
「と言うことは、人狼と妖怪かしら?」
「いいや、俺は正確には魔狼っていって人狼と魔人の雑種。銀月は人間だ」

 ギルバートは自分と銀月の説明を簡単にする。
 すると、アリスはギルバートに興味を持ったように眼を向けた。

「と言うことはギルバート、貴方の親の片方は魔法使いなのね?」
「まあ、魔法使いの定義で言えば魔人も魔法使いだな。で、それがどうした?」
「魔法使いなら魔道書を集めてるはずでしょ? だから、今度見に行こうと思って」

 アリスの言葉を聞いて、ギルバートは考えるそぶりを見せる。
 その表情は何やら難しいもので、どうやら何がしかの問題があるようである。

「母さんの魔道書か……楔文字とかヒエログリフみたいに、古いのはちょっと特殊な言語とかあって分かりづらいのもあるけど大丈夫か?」
「それくらいなら大丈夫よ」
「……生きて噛み付いたりしてくる本もあるけど?」

 ギルバートはアリスに自分の家の図書館の本について説明する。
 すると、アリスの微笑が引きつったものに変わった。

「……やっぱり、その時は案内を頼むわ」
「ああ、いいぜ。母さんには友人ってことで通しておくよ」

 アリスの依頼に、ギルバートはそう言って答えた。
 その一方で、銀月は隅で動く二体の人形を見つめていた。
 人形は片方が何かを探すように箱の中を漁っていて、もう片方がそれを見守るような格好をしていた。

「ああこら、散らかしちゃダメでしょう?」
「後で片付けるから良いじゃん♪ それよりもあれどこに行ったのかな~♪」

 銀月は声を可愛げのある少女の声に変え、人形の動きに合わせてそう話す。
 その様子を、ギルバートが白い眼で見つめていた。

「……銀月。お前はいったい何をしてんだ? 人形遊びか?」

 ギルバートがそう言うと、銀月はびくりと肩を震わせた。

「はうっ!? い、いや、少し暇だったから人形の動きに声を当ててみようと……」

 銀月が説明をすると、ギルバートは大きくため息をついた。

「本当にお前の声帯はどんな構造してんだよ。明らかに別人の声じゃねえか」
「あら、これ魔法じゃないの?」
「違うわ。これは単なる声マネ。魔法でもなんでもないわよ」

 アリスの言葉に、銀月はアリスの声マネをしながら答えを返す。
 それを聞いて、アリスは興味深そうな眼を銀月に向けた。

「……確かに、魔法を使ったような痕跡はないわね。不思議な技もあるものね……」
「だろ? 俺もどうやってんのかさっぱりわかんないんだ、これ」
「俺の能力が関係してるらしいけど、俺もどんな能力か知らないしな」

 今度はギルバートの声で銀月が喋る。
 すると、ギルバートはぶるりと背筋を震わせた。

「おい、俺の声でしゃべんな。目の前でやられると寒気がする」
「はははっ、悪いね☆」
「ぜってー悪いと思ってねえだろテメエ!!」

 爽やかに笑いながらの銀月の言葉に、ギルバートは殴りかかる。
 銀月はそれを苦笑しながら受け止める。

「冗談だって。それより、あんまり長居してると魔理沙を見つける前に日が暮れるぞ?」
「それもそうか。それじゃ、俺達はこれで失礼するぜ」
「ええ。今度人狼の里に行くから、その時はお願いね」
「ああ」

 二人はアリスの家を出て、再び空へと浮かび上がった。

「さて、魔理沙はどこに……」
「お~い! そこの二人~!」

 ギルバートが呟いた瞬間、二人の耳に元気な少女の声が飛び込んできた。
 二人は一斉にその方を向く。

「あれ、魔理沙?」
「空飛んでる……本当に魔法を使えるようになったんだな」
「へへっ、これでギルや銀月達と一緒に飛べるぜ!!」

 ギルバートの呟きに魔理沙は嬉しそうにそう答える。
 そんな魔理沙に、銀月が話しかけた。

「ところで、その帽子どうしたんだ?」

 魔理沙の頭には人里に居た時には被ってなかった黒い帽子が乗っていた。
 その質問に、魔理沙は笑顔で答える。

「ん? そりゃやっぱ魔法使いって言ったら黒い服にこの帽子だぜ!」
「……つまり、形から入ったんだな」
「そうとも言うぜ!」
「あはは……魔理沙らしいな」

 魔理沙の回答にギルバートは若干呆れ顔で答え、銀月は苦笑いを浮かべた。
 すると、魔理沙は何か思い出したように話し始めた。

「そういや服装って言ったら、何で銀月はいつも真っ白な服なんだ? なんか意味でもあるのか?」
「ああ、これか。実は魔理沙とあんまり意味が変わらなかったりするんだな、これが」

 銀月は自身の真っ白な服装を指しながらそう話す。
 それを聞いて魔理沙は首をかしげ、ギルバートは納得したように頷いた。

「どういう意味だ?」
「ああ、そういうことか。お前そういえば神主だったな」
「それもあるけど、別の意味もあるんだ」
「別の意味?」

 今度はギルバートも首をかしげる。
 首をかしげた二人組みに、銀月は理由を話すことにした。

「ちょっと本気で役者も目指してみようと思ってね……それで、真っ白な服を着ることで気合を入れようと思ったんだ」
「わかんねえな、何でそれで白い服なんだよ?」
「演じる役が絵だとすれば、役者は色を乗せる画用紙さ。白にはどんな色だって乗せられるだろ? だから、俺は役者を目指すと決めたときから白い服を着るって決めてたんだ」
「そういえば、お前初めて会ったときからずっと白い服着てたな。あの時は?」
「ああ。ギルバートと会ったときにはもう決めてたよ」
「しかし、何でまた役者なんだ? お前ならそのまま銀の霊峰の一員として働くことも出来るだろうに」
「……父さんは、銀の霊峰の首領として幻想郷中で働いている。愛梨姉さん達もみんな自分の仕事をしながら父さんを支えてくれている。でも、父さんが本当に助けが欲しい時、誰も来れないかも知れない。みんなが手伝えるようなことじゃないかも知れない。だから、俺は父さんを助けられるように何でも出来るようになりたかった。そんな時、他人を演じる仕事である役者と言う仕事に会ったんだ。この仕事なら、いろいろなことを学びながら父さんの手助けが出来るような何でも屋になれるかもしれない。だから、俺は役者って言う道を選んだんだ。これなら、真似事で人を笑顔にすることも出来るしね」
「それじゃ、銀の霊峰に入るつもりは?」
「ないよ。そりゃ銀の霊峰の仕事を手伝うことはあるかもしれないけど、それは父さんの……家族の手伝いだからだ。俺は、俺個人として家族を支えたい。そう思っているよ」

 ギルバートの問いかけに、銀月ははっきりと答える。
 組織に縛られることなく自由に人助けをする、それが銀月の考えであった。
 それを聞いて、ギルバートは頷いた。

「結構しっかり考えてんだな、銀月は」
「父さんから生きて何をしたいか、って言われて考えたからね。俺、拾われた身だろ? だから、その恩返しをしようと思うんだよ」

 銀月はそう言って笑顔を浮かべる。
 そんな中、魔理沙は一言も喋らずに銀月を見つめていた。
 そんな魔理沙に、ギルバートが話しかけた。

「……どうした、魔理沙? さっきから黙り込んで」
「なあ、今銀月は銀の霊峰の首領を父さんって呼んでなかったか?」
「ああ、そうだが?」
「あれ、言ってなかったか?」

 魔理沙の発言に二人はキョトンとした表情を浮かべる。
 その二人の言葉に、魔理沙は呆然とした。

「初耳だぜ……銀月、そんなお偉いさんの息子だったんだな?」
「お偉いさんって言うんならギルバートだって似たようなもんだぞ? 人狼の里の領主の息子だし」
「そういや、それも言ってなかったか?」

 魔理沙の言葉に銀月もギルバートの身分を明らかにする。
 すると、魔理沙は突然困惑し始めた。

「え? え? お前ら揃いも揃ってそんなお坊ちゃまだったのか!?」
「そんな身構えるなよ。正直お偉方だからなんだってんだよ? 今までどおり喋ってりゃいいんだよ」
「そうそう。正直、魔理沙に畏まられるのも妙な感じだしね」
「いや、そんなつもりはないけどな?」
「ならそれでいいじゃねえか」
「そっか、そうだよな!」

 三人はそう言うと笑いあった。
 ふと空に眼をやると、綺麗な夕焼けが眼に入った。
 太陽は山の稜線にかかり始めており、日暮れが近いことを示していた。

「……もう随分日が暮れたな……」
「おい魔理沙。家の場所を教えてくれよ。たまに遊びに行くからよ」
「いいぜ。こっちだ」

 ギルバートの提案で、魔理沙は魔法の森の自宅に二人を案内した。
 せっかくだからと言われて中に入ると、二人は苦笑いを浮かべた。
 床には大量に本が積み上げられており、机の上には魔法の道具が散乱しているのだった。

「……雑然としてんな……」
「何ていうか、物をそのまま積み上げましたって感じだね……」
「良いんだよ! そのうち片付けるって!」

 魔理沙は二人に少しむっとした表情でそう言った。
 それに対して、ギルバートは冷ややかな眼を向けた。

「そう言って片付ける奴を俺は見たことがねえよ。銀月、どれくらいで出来そうだ?」
「俺と君なら十五分くらいで片付くんじゃないか?」
「よし、とっとと片付けるぞ」
「了解」

 二人はそう言って目配せをすると、部屋の中を片付け始めた。
 そんな二人に、魔理沙は声を掛けた。

「お、何だ、片付けてくれんのか?」
「ああ。このまま行くと雪崩が起きそうだからな」

 二人は手際良く片づけを進めていく。
 そして宣言どおり、十五分でだいぶ綺麗に整理整頓されることになった。

「よし終わり」
「これだけやれば当分は大丈夫だな」

 二人はそう言って手を洗う。
 一方、家主は片付けられた部屋を見て嬉しそうに笑った。

「おお、これまた随分と片付いたな。二人とも随分手際が良いんだな?」
「そりゃあねえ?」
「俺達二人とも執事の技能に関しちゃ執事長に文句なしの合格もらってるしな」

 魔理沙の言葉に、二人は目を見合わせてそう言った。
 以前の研修で、競い合いながら執事の修行を積んだ結果、バーンズが舌を巻くほどの成長を見せたのだった。
 その結果、どこに出しても恥ずかしくないような執事が二名出来上がったのだった。
 それを聞いて、魔理沙は笑みを浮かべる。

「へぇ~ んじゃ、うちで執事やってみないか?」

 そんな魔理沙の言葉に、ギルバートは大きくため息をついた。

「……却下だ」
「俺もちょっと無理かな……て言うか、もう帰らないと遅くなるぞ?」
「いけね、そうだった。んじゃ魔理沙、俺達は帰るぜ」
「ああ。いつでも遊びに来いよ!」

 銀月とギルバートは魔理沙に見送られながらそれぞれの家路に着いた。




 銀の霊峰に付くと、銀月は社に向かっていく。
 辺りにはもう夜の帳が下りており、霊峰の妖怪達も活発に動き始めている。
 既に霊峰では有名人となっている銀月は、途中妖怪達に話しかけられながらも真っ直ぐに社に向かった。

「ただいま」
「あ、お帰り銀月くん♪ ねえねえ、将志くん見てないかな?」

 銀月が社につくと、オレンジ色のジャケットにトランプの柄の入った黄色いスカートのピエロの少女が声を掛けた。
 その問いかけに、銀月は首を横に振る。

「父さん? 父さんなら見てないけど……まだ帰ってないの?」
「うん……ひょっとして、また天ちゃんにさらわれたかな?」

 愛梨はそう言って苦笑いを浮かべる。
 それを聞いて、銀月も苦笑いを浮かべる。

「天ちゃんって……天魔様のこと?」
「うん♪ だから銀月くん、今日の晩ごはん頼めるかな?」
「OK、分かった。んじゃ、早速作るとするよ」

 銀月はそう言うと台所に向かった。
 結局その日、将志は帰ってこなかった。


 そして次の日、幻想郷を紅い霧が覆った。



[29218] 紅魔郷:銀の月、呼び止められる
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 20:55
 紅い霧の蔓延した夜、一人の巫女が空を飛んでいた。
 巫女の顔は不機嫌そうで、大きくため息をついた。

「全くどこのどいつよ、こんなはた迷惑なことをするのは?」

 霊夢はそう呟きながら、自分の勘を頼りに先に進んでいく。
 そんな霊夢の前方に、なにやら人影が浮いているのが見えた。

「誰か居るわね。誰かしら?」

 霊夢はその人影が気になり、そちらへと向かう。
 よく見てみると、その人影は真っ白な服装をしているのが分かった。

「……こっちか。急がないと」

 人影はそう言うと、霊夢に背を向けて飛んでいこうとする。
 霊夢はその見覚えのある人影に声を掛けた。

「銀月? あんたこんなところで何やってんのよ?」
「あ、霊夢。ちょっと、この霧の原因を突止めにね」

 声を掛けられ、銀月は霊夢の方を向いてそう言った。
 そんな銀月に、霊夢は首をかしげた。

「あんた異変に関わるの禁止されてるんじゃなかった?」
「そうだけど、今回ばかりはそうも行かない」

 銀月はそう言って首を横に振る。
 その表情は深刻で、なにやら大変な事態が起きているようであった。

「何でよ?」
「この紅い霧……少しだけど父さんの力を感じるんだ」
「あんたのお父さん?」
「昨日から帰ってないんだ。そんな折にこの霧だろ? だから、きっとこの異変に関わってると思ってね」

 銀月はそう言いながら進もうとした方向を見やった。
 将志が長いこと帰ってこないため、捜しに出たようである。

「で、当てもなく探し回っているわけ?」
「いいや、意識すれば父さんの力がどこから流れてくるのか大体の方向はわかる」
「そう。それじゃ、案内頼むわよ」
「分かった。こっちだ」

 そう言うと、銀月は力を感じる方向へと飛び始めた。
 霊夢はその後ろにぴったりついて行く。
 その道中、妖精達が次々と現れては二人に向かって弾丸を浴びせてきた。

「甘いわね」
「遅い!」

 霊夢は人間離れした勘で悠々と先読みして避け、銀月は人間離れした機動力で素早くすり抜けていく。
 二人は躱しながら反撃し、妖精達を大人しくさせていく。

「妖精達が活発になってるな……普段は見境なしに攻撃はしてこないのにな」
「これも異変の影響じゃないの? とにかく、さっさと終わらせるわよ」
「そこの二人、ちょっと待ったぁー!」

 先を急ぐ二人に、横から声が掛かる。

「誰?」
「うっ、この声は……」

 そのソプラノボイスに霊夢はその方を向いた。
 一方、銀月は苦い顔をして冷や汗を流す。
 そんな二人の前に、闇色の服を着た少女が現れた。

「見つけたわよ、銀月。勝手に抜け出して悪い子ね」

 ルーミアは銀月を見てそう声を掛ける。
 どうやら、銀月を連れ戻しにきたようである。
 そんな彼女に、銀月は頭を下げた。

「ルーミア姉さん……頼む、今は見逃してくれない?」
「そう言われて見逃すと思う?」
「デスヨネー……」

 交渉が決裂し、銀月は乾いた笑みを浮かべる。
 そんなやり取りを交わす二人を見て、霊夢は銀月に話しかけた。

「銀月、知り合い?」
「知り合いと言うか、半分家族みたいなものと言うか……」
「まあ、とにかく邪魔しに来てるのよね?」
「いや、別に霊夢の邪魔をしに来た訳じゃないと思うけど?」
「変わらないわよ。だって、あんたが居た方が早く片付くじゃない。それを邪魔するんなら敵よ」

 霊夢はそう言うと、銀月の前に立ってルーミアを見据えた。
 それを見て、ルーミアはスッと眼を細めた。

「ふ~ん、つまり私とやろうって訳?」
「あんたがやるって言うんならやるわよ」

 一触即発の空気を作り出す霊夢とルーミア。
 そんな二人の間に、銀月が慌てて割って入った。

「二人とも、ちょっと待った!」
「何よ銀月、あんたも邪魔をするの?」

 割って入った銀月に、霊夢はジト眼をくれる。
 銀月はそれを受けながら、霊夢の眼を見つめ返した。

「……霊夢、少しルーミア姉さんと話をさせてくれ」
「まあ、いいけど。さっさと終わらせなさい」

 霊夢はため息をついてそう言うと、後ろに下がっていった。

「ありがとう」

 銀月は霊夢にお礼を言うと、ルーミアに相対した。

「ルーミア姉さん。この異変には父さんが関わってる。理由は分からないけど、俺は父さんのところに行きたいんだ」
「銀月、自分のことは良く分かってるはずよね? それでも、そこの巫女と一緒に行くわけ?」

 ルーミアは霊夢に眼をやりながらそう話す。
 それに対して、銀月は頷いた。

「ああ。家族が関わっているのに、見て見ぬ振りは出来ない」

 銀月は真剣な表情で、訴えかけるようにそう言った。
 それを聞いて、ルーミアは俯いてため息をついた。

「そう……本当に悪い子ね。言うことを聞かない悪い子にはお仕置きが必要よね?」

 ルーミアはそう言って薄く笑うと、妖力で弾丸を作り出した。
 それを見て、銀月は手元に札を取り出した。

「……悪いけど、これだけは譲れない!」

 銀月がそう言った瞬間、銀色の弾丸がルーミアに向かって飛び出した。
 ルーミアの弾丸と銀月の弾丸が交差し、相手をめがけて飛んでいく。
 二人はお互いに相手の攻撃をするすると躱していく。

「この程度じゃ私は落とせないわよ? お姉さまの弾幕はもっと激しいもの」
「ああ、分かってるよ!」

 銀月はそう言うと、スペルカードを取り出した。


 白符「名も無き舞台俳優」


 銀月がスペルカードを発動させた瞬間、銀月の足元を埋め尽くすように銀の弾丸が現れた。
 その光景は、銀月が白銀の舞台の上に立っているように見えた。
 そしてしばらくすると舞台を形作っていた弾丸の列が崩れ、激しい弾幕となってルーミアに襲い掛かった。

「あはは、まだまだぁ!」

 ルーミアは笑いながらその銀色の雨の中をすり抜けていく。
 接近戦が得意な銀月から距離をとりながら、ルーミアは弾丸を放つ。

「そこだっ!」

 銀月は突如急加速してルーミアに接近していった。
 相手の弾幕に突っ込み、手にした札で弾丸の一部を切り払いながら相手に突っ込んでいく。

「おおっと!」

 ルーミアはそれを確認するや否やなりふり構わず上に飛んだ。
 すると、ルーミアが居たところを鋭く銀月が通過する。
 銀月の手に握られた銀に光る札が翻り、風切り音が聞こえた。

「……外したか」

 銀月は手ごたえが無いのを確認すると、無感情にそう呟いた。
 ルーミアが体勢を立て直す間に、銀月の足元に再び舞台が形成され第二波が放たれる。
 それを見て、体勢が整っていないルーミアは冷や汗を流した。

「うわっ、ちょっと危ないかな」

 ルーミアはそう呟くと、スペルカードを取り出した。


 夜符「ナイトバード」


 ルーミアが使用を宣言すると、彼女をめがけて飛んでいた弾丸が掻き消され鳥が翼を開くような形で弾幕が現れて飛んでいった。
 間断なく放たれるそれは、銀月のスペルを中断させるには十分だった。

「っと、まだまだ!」

 銀月はスペルを突破されると、相手のスペルを回避することに専念する。
 狭い弾丸と弾丸の隙間を、銀月は縫うようにして躱していく。
 途中、何度と無く髪や服を弾丸が掠めたが、銀月は動揺することなく反撃の隙をうかがう。

「今だ!」

 銀月は弾幕が途切れた隙を逃さず、手にした札をルーミアに放り投げた。
 札は飛んでくる弾丸を切り裂き、ルーミアに吸い込まれるように飛んでいく。

「ぎゃふっ!?」

 銀月の札はルーミアの腹に直撃し激しい衝撃を与え、スペルを破ることになった。
 ルーミアは激しく咳き込みながら銀月を見返す。 

「っく……やっぱりこの程度じゃ崩せないか……」
「そりゃ、俺だって伊達や酔狂で普段修行しているわけじゃないからね」

 ルーミアは体勢を立て直すと、素早く二枚目のスペルカードを取り出した。

「一気に決めるわよ、銀月!」


 闇符「ディマーケーション」


 ルーミアのスペルが発動する。
 色鮮やかな弾幕が水面に広がる波紋のように押し寄せてくる。
 銀月はそれをスレスレで躱しながらルーミアに近づこうとする。

「ふふっ……迂闊ね、銀月!!」
「なっ!?」

 その銀月に、ルーミアは前方から大量の弾丸を集中的に浴びせた。
 至近距離まで近づいていて、とても避け切れる位置ではない。
 避け切れないと悟ると、銀月は即座にスペルカードを取り出した。


 好役「派手好きな陰陽師」


 弾丸が銀月の鼻先に触れる直前、スペルカードから発せられる衝撃波で弾幕が消し飛ぶ。
 それから銀月は一気に距離をとった。

「危なかった、なぁ!」

 銀月はそう言いながら手に持った札を投げる。
 投げられた札はルーミアを取り囲むように飛び、ピタリと空中に静止する。

「やばっ……!」

 ルーミアはそれを見て急いで札の包囲から脱出する。
 そしてしばらくすると銀色の閃光を放って轟音とともに爆発した。
 スペルカードの通り、もの凄く派手な効果であった。
 ルーミアはそれから何とか逃げ切る。

「あ、危なかった……」
「そこまでだ、ルーミア姉さん」

 その声を聞いて、ルーミアは凍りついた。
 気がつけば、いつの間にか背後に銀月が立っていた。
 先程の爆発を目暗ましに使って回り込んでいたのだった。

「はっ!」
「あ……」

 銀月はルーミアの首筋に手刀を入れる。
 すると、ルーミアは気を失って落ちて行く。
 銀月は落ちて行くルーミアを素早く回り込んで抱きとめた。

「……きゅう~……」
「……ふう、楽しかったよルーミア姉さん。今度またやろうな」

 銀月は腕の中のルーミアにそう言って微笑みかけた。
 そんな銀月のところに、霊夢がやってきた。

「……結局私が勝負しても変わんなかったんじゃないの、これ?」
「あはは……そうかもな」

 霊夢の言葉に、銀月は苦笑いを浮かべる。
 すると銀月の腕の中でルーミアが動いた。

「あいたた……ううっ、銀月に負けたぁ……もう追い抜かされちゃった……」

 ルーミアは涙眼でそう呟く。
 どうやら銀月に負けたのが余程悔しかったらしい。

「大丈夫、ルーミア姉さん?」
「……そりゃあ一応スペルカードルールだから大丈夫だけど……」

 銀月の問いかけに、ルーミアは落胆した様子でそう返した。
 すると、銀月はホッとした表情を浮かべた。

「良かった。やっぱりルーミア姉さんには怪我して欲しくないもの」

 銀月がそう言うと、ルーミアは不機嫌そうに頬を膨らませた。

「む~……私の心配するなんて、銀月の癖に生意気ね……それっ!」

 ルーミアはそういうと、銀月の顔をがっちり掴んで顔を舐め始めた。
 突然のルーミアの行為に、銀月は後ろに仰け反った。

「うわっ!? 何するのさ!?」
「悔しいからペロペロしてやる~っ!!」
「わ~っ!?」

 ルーミアは銀月にしっかり張り付いて顔を舐めまわす。
 銀月は抵抗するが、ルーミアが離れる気配は無い。

「何遊んでんのよ、銀月。ほら、さっさと行くわよ!」
「きゃん!?」

 そんな時、業を煮やした霊夢がルーミアを強引に引きはがした。
 ルーミアは落ちそうになり、慌てて空を飛ぶ体勢を整えた。
 霊夢はそれに構わず、銀月の襟首を掴んで引っ張り出した。

「あうっ、ちょっと霊夢引っ張らないでくれ! まだ話は終わっていないんだ!!」
「……早く終わらせなさいよ」

 霊夢は不機嫌そうに銀月の襟首から手を放す。
 銀月は衣服の乱れを直すと、ルーミアに向き直った。

「ルーミア姉さん、俺はもうみんなが思っているほど弱くはないんだ。無理だと思ったらすぐに帰るから、お願い!!」

 銀月はそう言うと、ルーミアに向かって頭を下げた。
 するとルーミアは大きくため息をついた。

「……どうせ止めたところで行くんでしょ? なら私が言っても無駄じゃない。気が済むまで行って来れば良いわ」

 ルーミアは投げ遣りな態度でそう言った。
 それを聞いて、銀月はルーミアに笑いかけた。

「ありがとう。大好きだよ、ルーミア姉さん」

 銀月がそう言うと、ルーミアは一瞬あっけに取られた表情を浮かべた。
 そしてしばらくすると俯いて銀月に近づき、抱きついた。
 その力は強く、銀月を失うことを恐れている様でもあった。

「……帰ってこなかったら、承知しないからね」
「ああ。必ず帰ってくるよ」

 耳元で囁くルーミアに、銀月はそう答えて優しく頭を撫でる。
 しばらくそうしていると、ルーミアはそっと銀月から離れた。
 月明かりに照らされたその顔は真っ赤に染まっていた。

「……それじゃ、帰るわ」
「うん。行って来るよ」

 銀月の言葉に頷くと、ルーミアは銀の霊峰に向かって飛び去って行った。
 銀月がそれを見送っていると、霊夢が後ろから声を掛けた。 

「話は終わった?」
「ああ。さあ、早く終わらせて帰るとしよう」

 銀月はそう言うと、将志の力を感じる方向へを飛び始めた。
 霊夢はその後ろにぴったりついて行く。

「……随分と仲良いわね、あの妖怪と」

 ふと、霊夢が銀月にそう声を掛けた。
 それを聞いて、銀月は笑みを浮かべる。

「そりゃ家族だし、可愛い姉さんだもの。俺は好きだよ」

 銀月は霊夢に臆面も無くそう答えを返す。
 それを聞いて、霊夢は盛大にため息をついて首を横に振った。

「……ああやだやだ、あんたの言葉聞いてるとこっちが恥ずかしくなってくるわ」
「え、俺そんな風になるようなこと言った?」

 霊夢の言葉に、銀月はキョトンとした表情を浮かべる。
 それを見て、霊夢は軽く頭を抱えた。

「無自覚なのね……まあ良いわ、早く行くわよ」
「そうだな」

 二人は頷きあうと、速度を上げて飛んで行った。



[29218] 紅魔郷:銀の月、因縁をつけられる
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 21:00
 ルーミアと分かれると、銀月の先導で先へ進んでいく。
 深い霧が掛かった森を抜けるとそこには大きな湖があり、二人はその上を飛んでいく。
 湖の上も深い霧が立ち込めており、先があまり見えない。
 そんな光景を見て、霊夢は嫌そうな表情を浮かべた。

「相変わらずだだっ広い湖ね。霧で視界が悪いし」
「でも、父さんの力はこの先から流れてる。きっとこの先に父さんがいるよ」

 銀月はそう言って前方を指差す。
 すると、その方向から妖精が大挙してやってきた。
 それを見て、霊夢はため息をつく。

「進めば進むほど妖精も増えているしね」
「そうだな。いつも通り大人しくしてくれればいいのに」

 二人はそう言い合いながら妖精達を撃ち落としていく。
 妖精達の攻撃は数が多いため激しかったが、二人は苦も無く躱していく。

「けど、あんたお父さんの力ならすぐに引き出せるんでしょ? 強い守り神みたいだし、それを使えば手っ取り早いのに何で使わないの?」
「ああ、それは俺がやっているのは一般的な神降ろしとは違うからだよ」

 銀月がそう言うと、霊夢はその場に止まって首をかしげた。
 どうやら銀月の行ったことの意味が良く分からないようである。
 それに気がついた銀月が、周囲の妖精を追い払いながら霊夢のところへ戻ってくる。

「はあ? どういうことよ?」
「普通は神降ろしって神様に身体を貸すもんだろ? けど、俺のは違うんだ。俺は逆に、父さんから力を借りてるんだよ」
「それで、どう違うの?」
「神様に身体を貸した場合って、力の制御も奇跡の行使も全部神様がやるだろ? つまり神様が余程無茶をするか悪者でもない限り、術者が受けるのは少しの反動だけ。俺がやるのは、父さんから借りてきた力を自分で制御して自分の意思で扱うのさ。当然、制御に失敗したらドカンと行くだろうな」

 銀月は特になんて事の無い様にそう言い切った。
 例えるのなら、飛行機に乗るのと同じことである。
 通常の神降しならば、飛行機に客として乗るのと同じであり、後は腕の良いパイロットに任せて飛んでいく。
 しかし銀月の場合は自らが飛行機のパイロットとなるのだ。その分自由度は高いが、自分でしっかりと制御しなければ大事故に繋がる。
 しかもこれは飛行機ではなく、強大な力を自分の体に降ろして使うのだから、失敗すればその先に見えているのは死か廃人となるかのどちらかである。
 それを聞いて、霊夢は愕然とした。

「……あっぶな~……そんな綱渡りみたいなことして、暴走したらどうするつもり?」
「だからそうならないように、毎日修行を積んでるんだよ。いつ、どこで父さんの力が必要になるか分からないからね。少しずつ使える力の量を増やしてるよ。使わないのは、単純に使わなければ暴走もしないからさ」
「……それ、紫は知ってるの?」

 霊夢は銀月が親しくしている保護者の名前を挙げて質問をした。
 それを聞いて、銀月は苦笑いを浮かべた。

「たぶん知らないんじゃないかな? 聞かれてもないし、話したのは霊夢が初めてだよ。きっと、話したら父さんも紫さんも卒倒すると思うよ?」

 銀月はそう言って悪戯っぽく笑う。
 しかしそれに対して霊夢は怒鳴りつけた。

「馬鹿、何でそんな大事なこと誰にも言ってないのよ!? 下手すりゃ命に関わるのよ!?」
「言ったら父さんや紫さんは絶対に使わせてくれないから。俺はこれが使えなかったばっかりに取り返しの付かないことになる何ていうのは嫌だからね」

 霊夢は責めるような態度で詰め寄るが、それに対して銀月は飄々とした態度で答えを返す。
 取り付く島のない銀月の態度に、霊夢は歯噛みする。

「だ、だからって自分の命を捨てるようなこと……」
「……霊夢、勘違いしてもらっては困るよ。俺は、自分が生きるためにこの力を求めたんだ。死んでしまっては、守りたいものも守れないからね。これだけは覚えておいて」

 霊夢の言葉に、銀月は語気を強めてそう言い放った。
 その言葉は普段の柔らかい物腰とは違いとても冷たく、どこか鬼気迫った態度であった。
 そんな銀月の態度に、霊夢は薄ら寒いものを感じた。

「銀月……あんた時々怖いとか言われない?」
「う~ん……修行してる時とか、たまに言われるかな?」

 そう話す銀月の態度は、いつものように柔らかいものであった。
 霊夢はそれを見て、内心ホッとした。

「そ、そう……まあ今はとにかくこの異変を片付けましょ?」
「そうだな」

 霊夢の言葉に頷くと、銀月は再び先導を始める。
 霧の中から現れる妖精達を撃ち落しながら先に進んでいく。

「あ、また人間だ!」

 すると、突如として霧の中から声が聞こえてきた。
 ふとその方向に眼をやると、緑色の髪に青い服を着た妖精が現れた。
 その妖精は先程までの者とは違いやや大きく、それなりの力を持っているようであった。

「……何か来たな」
「そうね」
「あなた達もチルノちゃんをいじめに来たの!?」

 顔を見合わせる二人に、睨みつけるような視線を送りながらその妖精はまくし立てる。
 何やらあったようで、気が立っている様である。
 それを聞いて、霊夢が鬱陶しそうに彼女を見やった。

「はあ? 知らないわよ、そんな奴。邪魔するなら帰りなさいよ」
「許さない! あなた達もチルノちゃんと同じ目に遭わせてあげるわ!!」

 霊夢が帰るように言ったにもかかわらず、その妖精は怒鳴り散らすように食って掛かる。
 そんな彼女の様子に、銀月が大きくため息をついた。

「……話聞いてないな」
「まあ、所詮は妖精だし仕方ないんじゃない? そんなことより、仕掛けてくるわよ」

 霊夢がそう言うと同時に、今までの妖精達とは比べ物にならない密度の弾幕が放たれる。
 それを受けて、二人は素早くその場から飛びのいた。

「おっと、普通の妖精より格段に強いな」
「でも、当たるほどではないわね」

 相手の攻撃を易々と躱していく二人。
 弾丸が服を掠めるようなことは何度かあったが、それでも安心してみていられる動きであった。

「やあっ!」

 突如として、妖精は二人の目の前から姿を消した。

「あ、消えた」

 跡形も無くなった相手の姿に、銀月はそう呟く。
 その直後、霊夢の勘が強い警鐘を鳴らした。

「後ろね!」
「おっと!?」

 飛びのく霊夢の言葉に、銀月は振り向くことも無く素早く移動する。
 すると、銀月の居たところを緑色の弾丸が風を切って飛んで行った。
 銀月が相手の方を向くと、また目の前で妖精は掻き消えた。

「それっ!」

 妖精は再び現れると、銀月に死角から弾幕を浴びせに掛かる。

「ちっ、俺狙いか!」

 背後を警戒していた銀月は素早く体を捻ると、振り向きざまに弾丸を放つ。
 しかし相手は再び消え去り、銀の弾丸は虚空を切るにとどまった。
 そして、再び銀月の死角から弾丸が浴びせられる。

「頑張れ~」

 そんな銀月と妖精の戦いを、霊夢は離れたところでのんきに眺めているのだった。
 勝負を丸投げした霊夢に、銀月は弾丸を避けながら叫ぶ。

「って霊夢、なに傍観に回ってるのさ!?」
「体力の温存よ。第一、あんたはそいつに落とされるほど軟じゃないでしょ?」

 弾幕を避け続ける銀月に、霊夢は楽観的にそう声を掛ける。
 その最中、妖精は再び銀月の死角を突くべく姿を消す。
 銀月は大きなため息をついた。

「……まあ、この程度で落とされてちゃ、銀の霊峰の名折れだしな!」

 妖精が姿を現すと同時に、銀月は全力で急加速を行って上に飛び上がり、妖精の頭上を飛び越えるような軌道を描いた。

「えいっ!」

 妖精は相手の移動した位置を予測し、素早く後ろを振り返って弾幕を放つ。
 しかし、そこに居るはずの標的は存在しなかった。

「えっ?」

 突如として標的を見失い、妖精は間の抜けた声を上げる。
 キョロキョロと辺りを見回すが、白い服の人間の姿は見当たらない。

「悪いけど、少し寝ててもらうよ」

 そんな妖精の背後から、涼やかな少年の声が聞こえる。
 その直後、背中に激しい衝撃が走った。

「きゃうっ!?」

 妖精は力なく湖へと落ちて行く。
 その一連の動作を見て、霊夢は楽しそうに笑みを浮かべた。

「さすが銀月、安定の変態機動ね」

 霊夢は銀月の動きをそう評価する。
 実際に銀月が行った動きは、最初の急加速で相手の頭上を飛び越えるものと思わせ、相手の頭上を取った瞬間直角に機動を曲げて振り向いた相手の背後を取ると言うものであった。
 この動きは将志も得意としているものであるが、本来ならば初動の勢いを一気にゼロにしなければならないため、身体にかかる負荷は相当なものである。
 故に、霊夢はこの動きを変態機動と称したのだった。
 しかし、それを聞いて銀月は不服そうな表情を浮かべた。

「瞬間移動できる君に言われたくはないな。それに、父さんはもっと速く動けるぞ?」
「労力からすれば銀月の方がきついわよ。それにあんた人間、お父さんは神様。お分かり?」

 銀月の抗議に、霊夢は若干呆れ顔でそう答える。

「……納得いかない……」

 反論したいが全て事実なので、銀月は納得行かないと言う表情で黙り込むしかなかった。
 その横で、霊夢がぶるりと肩を震わせた。

「それはそうと、少し冷えてきたわね?」
「そうだな、暑い夏にはちょうど良い」
「こらぁ! あんた達!!」

 銀月が的外れなことを言った瞬間、再び二人に声が掛かる。
 それを聞いて、二人揃ってため息をついた。

「……また何か来たな」
「ああもう、めんどくさいわね。銀月、宜しく」
「……やれやれ、分かったよ」

 心底面倒くさそうに霊夢がそう言うと、銀月は肩をすくめて苦笑した。
 そして銀月は、声のした方を振り返った。

「さて、何の用かな?」
「そこのあんた!! よくもあたいの親友をいじめたなぁ!」

 銀月を指差しながらそう言って居るのは、水色の髪に青い服を着た小さな妖精だった。
 その背中にはまるで氷のような羽が生えており、冷たい空気が漂っていた。
 発言の内容からどうやら先程の妖精が言っていたチルノと言うのは彼女のことの様であり、気温が下がったのもこの妖精の影響の様である。
 そんなチルノの言葉に、銀月は苦笑いを浮かべる。

「……襲われたのは俺達のほうなんだけどな……」
「うるさい! 最強の座を賭けて、あたいと勝負しろ!」
「友達の仇討ちじゃないのか!?」
「それもある! 喰らえーっ!!」

 チルノはそう言うと、ポケットから一枚のカードを取り出した。



 凍符「パーフェクトフリーズ」



 そのスペルが発動した瞬間、色とりどりの弾丸が辺りを埋め尽くした。

「いきなりスペルカードか……」

 銀月はそう言いながらも弾幕を躱していく。
 弾幕の密度にムラがあるため、銀月は薄いところに向かって避けていく。

「やっ!」

 チルノが気合とともにそう言った瞬間、弾幕の動きがピタリと止まった。
 まるで空間が凍りついたかのようなその光景に、銀月は興味深そうに頷いた。

「……固まった? へぇ、なかなか面白いな」
「いっけえ!!」

 動きを止めた銀月に向かって、チルノは密度の高い弾幕を直線状に放った。
 銀月は素早くそれに反応し、固まっている弾幕の間をすり抜けながらそれを躱す。

「正確な狙いだな。それに妖精とは思えない力量だ」

 銀月は再び動き出した弾幕を避けながら、チルノに素直にそう感想を述べる。
 それを聞いて、チルノは得意げに胸を張った。

「へへん、褒めても何もでないよ! それとも、もう降参!?」
「まさか。この程度じゃ、俺は落ちないよ」

 チルノの言葉に銀月は不敵に笑う。
 それを見て、チルノは一転して面白く無さそうに頬を膨らませた。

「むっ、それじゃあこれはどうだ!」

 チルノはそう言うと、再びポケットからスペルカードを取り出した。



 雪符「ダイアモンドブリザード」



 発動した瞬間、チルノの周りから四方八方に青白い弾幕が展開される。
 その名の通り吹雪のように迫ってくるそれを、銀月はジッと見定める。

「……ああ、そういう弾幕か」

 銀月はそう言って頷くと、すいすいと相手の弾幕を掻い潜り始めた。
 その様子は、まるでこのスペルがどのようなものであるのかを知り尽くしているように見えた。

「むきーっ! 何で当たんないのよ!?」
「生憎と、この手の弾幕は嫌と言うほど経験してるからね。けど、悪くは無いよ」

 癇癪を起こしたように叫ぶチルノに、銀月はそう言って微笑む。
 と言うのも、銀月が普段相手をしている者が似たようなスペルを所持していて、しかも多用してくるために十分な経験があるからなのであった。
 一しきり避けると、銀月はフッと一息ついた。

「さて、悪いけど急いでるからね。そろそろ終わりにさせてもらうよ」



 白符「名も無き舞台俳優」



 銀月はスペルカードを取り出し、発動させる。
 すると銀月の足元に弾丸の舞台が作られ、そこから周りに弾が飛び出していく。

「ふん、こんなの当たんないよ!」

 チルノはその銀色の雨を丁寧に避けていく。
 銀月はそんなチルノの声を聞いて、頷いた。

「ああ、これを当てる必要はないさ。そこだ!」

 銀月はタイミングを見計らい、チルノの周りに弾幕が密集している時を狙って札を投げた。
 札は速く精確にチルノに向かって飛んでいく。

「えっ、あうっ!」

 チルノはその札を避けようとしたが、避けようとした方向に弾丸があって一瞬怯む。
 その一瞬の迷いのせいで、チルノは額に銀月の札を受けることになった。

「筋はいいけど、経験不足だな。まあ、経験に関しては俺もそんなに人のことは言えないけどね」

 落ちて行くチルノに、銀月は呟くようにそう言った。






「あ~悔しい! また負けたぁ~!」

 しばらくして、チルノはそう言って床を叩いた。
 なお、床となっているのは自身の体温で出来た湖の流氷である。
 そんなチルノに、同じく銀月に落とされた妖精が声を掛ける。

「チルノちゃん、大丈夫?」
「うん、あたいは大丈夫。そっちは?」
「私も大丈夫だよ」

 二人はそう言ってお互いの無事を確認しあう。
 そんな二人の元に、銀月がふわりと降り立つ。

「二人とも、怪我は無いか?」
「あ、さっきの人間! あのくらいなんとも無いわよ」
「……まあ、そういう風にしたんだけどな……」

 またしても得意げに胸を張るチルノに、銀月は苦笑する。
 実は、銀月は二人から話を聞くために気絶させないように手加減をしていたのだった。
 そんな銀月に、妖精が声をかけた。

「それで、何か用ですか?」
「一つ訊きたい事があってね。そのスペルカード、いつ、誰からもらった?」
「えーっと、昨日何か槍持った妖怪だか神様にもらった」

 投げかけられた質問に、チルノは素直に答える。
 それを聞いて、銀月は考え込む仕草でうなずいた。

「成程ね。それと、さっきここを誰か通った?」
「あなた達の前に、人間が二人通りましたよ。一人は箒に跨ってましたけど……」
「……一人はたぶん魔理沙か……となると、もう一人はギルバートかな……分かった、ありがとう」

 銀月は二人に礼を言うと、飛び立とうとする。
 すると、後ろからチルノが声をかけた。

「また今度勝負してよね。今度はあたいが勝つんだから!」

 チルノは銀月に力強くそう言った。
 それを聞いて銀月は少し考えた後、ぽんと手を叩いた。

「……そうだ。本気で最強を目指すんなら、銀の霊峰で開かれてる大会に出てみなよ。俺もそこに居るからさ」
「うん、わかった! 見ててよ、あたいが最強だって思い知らせてあげるんだから!」

 誘いを受けて、チルノは張り切ってそう答えた。
 銀月はそれを見て笑みを浮かべる。

「それじゃあ、待ってるよ……っと、自己紹介してなかったな。俺は銀月って言うんだ。君達は?」
「あたいはチルノだよ」
「私には名前がありません。ですので、大妖精と呼んでくれれば……」
「チルノに大妖精だな。うん、覚えた。それじゃ、銀の霊峰で会おう!」

 銀月はそう言うと、今度こそ空へと飛んで行った。
 銀月が霊夢の元へ向かうと、霊夢は自分の肩を抱いて震えていた。
 どうやら、寒さが相当堪えた様である。

「……遅いわよ銀月、いつまで待たせるのよ。お陰ですっかり体が冷えちゃったわよ」
「あはは、ごめんごめん。何なら、チルノ達と一勝負してきたら? 動けば身体も暖まるし」
「嫌よ、めんどさい。ここから移動したほうが早いわ。さあ、早く行くわよ」
「はいはい。えっと……こっちだね」

 二人は軽くやり取りを交わすと、再び将志の力をたどり始めた。



[29218] 紅魔郷:銀の月、首をかしげる
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 21:07
 チルノ達と別れると、霊夢と銀月は再び異変を解決するために飛び始めた。
 どんどん苛烈になっていく妖精達の攻撃を掻い潜り、二人は紅い霧の出所に向かって飛んでいく。
 すると、目の前に大きな西洋風の館が見えてきた。
 紅魔館と呼ばれるそれは、その名の通り全体が血に塗られたように紅く染められていた。

「こんなところにあんな豪邸なんてあったんだな」 
「そうね……それにしても、随分と紅い館ね」
「……そういえば、父さんが前に紅魔館がどうとか言っていたけど、あれがそうかな?」
「それで、私にはあそこからこの紅い霧が出ている様に感じるんだけど?」
「その通り、俺もあの館の中から父さんの力を感じる。たぶん、あの館の中に今回の異変の元凶と父さんが居るよ」

 二人は目の前に現れた紅い館を見るなりそう言って話し合う。
 その話の通り紅い霧は紅魔館の周囲が最も濃くなっており、発生源がそこであろうことが推測された。
 それを裏付ける銀月の発言を聞いて、霊夢は頷いた。

「じゃあ、さっさと行って終わらせましょ。早く帰って銀月のお茶が飲みたいわ」
「え、俺たぶん早く帰らないとルーミア姉さんに追いかけ回されると思うんだけど……」

 霊夢の発言を聞いて、銀月は引きつった表情で返す。
 それに対して、霊夢は小さく鼻を鳴らした。

「知ったこっちゃ無いわよ、そんなこと。私にとっては美味しいお茶を飲むほうがよっぽど大事なんだから」
「……ただでさえもう怒られる事が確定してるってのに……」

 傍若無人な霊夢の発言に、銀月は頭を抱えてそう言った。
 すると、霊夢はにっこりと微笑んだ。

「だったら同じことじゃない。それならついでに夜食でも作ってもらおうかしら?」
「ううっ、ちょっとは遠慮するとかないのかい、霊夢……」
「銀月のご飯が美味しいのが悪いのよ」
「俺のせいなの!?」
「そうよ。ああ、無理に改善はしなくていいわ。むしろそのままで居てくれた方が私が助かるから」

 ニコニコと笑いながら霊夢は自分本位の発言を繰り返す。
 それを聞いて、銀月は唖然とした。

「うわぁ……欲まみれの発言……」
「自分に素直だっていいじゃない。人間だもの」
「俺もその人間なんですけど!?」
「あんたは半分人外に足突っ込んでるからノーカンよ」
「くう、どいつもこいつも人を人外呼ばわりして……」

 言いたい放題の霊夢に、銀月はがっくりと肩を落とした。
 そうこうしている間に、紅に染まった館がどんどん近づいてきていた。
 それを見て、二人は頭を切り替える。

「それはそうと、もうすぐ着くわよ」
「ああ、そうだな」

 二人は周囲を警戒しながら紅魔館に近づいていく。
 すると、銀月が首をかしげた。

「……変だな?」
「変って、なにがおかしいのよ?」
「いや、だってこんなに大きな屋敷だろ? 幾らなんでも警備が手薄すぎる。普通なら門番の一人でも居そうなものなんだけどな?」
「まあいいじゃない。居ないならさっさと進ませてもらいましょ」
「……そうさせてもらおうか」

 二人はそう言いながら、悠々と中へと入っていった。






 霊夢達が紅魔館へ楽々と侵入したちょうどその頃、霧の湖の上を飛び回る影が二つあった。
 そのうちの一つは群青の狼のものであり、湖面に触れそうな高さを高速で飛んでいる。
 そして、同じように飛んでいるもう一つの影に向かって飛び掛っていく。

「だりゃあ!」
「はあっ!」

 二つの影はぶつかり合い、再び離れていく。
 ギルバートは一度上昇し、相手の方へと向き直る。
 すると、相手はゆっくりと目の前に降りてきた。

「……見た目どおり、やっぱ強いな」

 ギルバートは目の前の緑色の中華服を来た赤髪の女性にそう声をかけた。
 彼女の名前は紅 美鈴。紅魔館の門番である。
 すると、美鈴は笑顔でそれに答えた。

「あはは、それは弱かったら門番なんて任せられませんよ……弾幕ごっこは苦手ですけど」
「だな。弾幕ごっこじゃたぶん俺でも勝てるだろうさ」

 肩を落とす美鈴にギルバートはそう言って返す。
 事実、先程美鈴はギルバートと一緒にやってきた魔理沙に弾幕ごっこで敗北しており、進入を許している。
 ギルバートは何を思ったのかその場に残り、スペルカードルールを用いた殴り合いで改めて美鈴に勝負を仕掛けたのだった。
 そんなギルバートに、美鈴は首をかしげた。

「あれ、じゃあ何でスペルカードルールで殴り合いなんてこと言い出したんですか? この異変を止めるためにここに来たんですよね?」
「そこのところは別に良いんだ。弾幕ごっこなら魔理沙でも十分良いところまで行ってるからな。あんたに弾幕ごっこをさせておいて、自分が本気で掛かるようなご主人様じゃないだろ?」

 美鈴の問いかけに、ギルバートはそう問い返す。
 その発言に美鈴は頷く。

「まあ、お嬢様ならそうでしょうね。でも、この戦い方を知ったらそっちに移りそうな気がします。で、あなたは何で?」
「一つはあんたは絶対に強いと思ったから。身のこなしとか、そういうのが修行を積んだ武道家のものだったからな」
「はあ……で、一つはってことは他にも理由があるんですか?」
「ああ。もう一つは、魔理沙にやられたあんたがとても悔しそうだったからだ。だから、あんたの得意分野での本気が見たくなったんだよ」

 ギルバートは首を傾げる美鈴にそう言って答える。
 すると、美鈴は嬉しそうに微笑んだ。

「ふふっ……優しいですね。私はそういうの好きですよ」

 美鈴がそう言うと、ギルバートはその言葉を鼻で笑った。

「はっ、そんなんじゃねえよ。俺はただあんたの本気を見て、それを越えたかっただけだ」
「あはは、そういうことにしといてあげますよ、優しい人狼さん♪」

 美鈴はそう言ってギルバートに笑い掛けた。
 それに対して、ギルバートはばつが悪そうに顔を背けた。

「ちっ、勝手に言ってろ!」

 ギルバートは吐き捨てるようにそう言うと、相手に向かって躍りかかって行った。
 その動作を見て、美鈴は身構える。

「でやぁ!」

 ギルバートは相手の懐に飛び込み、持ち前の頑丈さを生かしたインファイトで勝負を仕掛けていく。
 攻撃を急所からずらして受けながら、果敢に相手に攻め込む。

「せいっ!」

 一方、美鈴は冷静に相手の攻撃を捌きながら隙を窺い、反撃をする。
 相手の激しい攻撃を一つ一つ丁寧に躱し、確実にダメージを与えていく。
 しばらくすると、二人は申し合わせたかのように大きく間合いを取った。
 反撃を受けていたにも関わらずギルバートには大きなダメージは無く、対する美鈴も捌き損ねた攻撃は無い。
 結果として、双方共に決定打となるような一撃は決まらなかったのである。

「あなたもなかなか強いですね……うかうかしてると足元を掬われちゃいそうです」
「涼しい顔してよく言うぜ、全く……これでも俺は逸材って言われてる魔狼なのによ」
「それは積んだ経験の差ですね。幾ら逸材とは言っても、積み重ねた修行や経験の差はそう簡単には覆せませんよ?」
「……ああそうかい」

 余裕を残した表情で話す美鈴に、ギルバートは苦い表情でそう返す。
 美鈴の言葉を聞いて、ギルバートは自分と同い年であるにもかかわらず自分の何倍も修行と経験を積んでいる人間を思い浮かべた。
 その瞬間、ギルバートの闘志に火がついた。
 ギルバートは大きく息を吐き出し、青い丸薬を飲み込んだ。

「決めた。俺もうここで全力を使い切ってでもあんたを倒してやる。その後倒れようが何しようが知ったことか」

 ギルバートは身体に金色の魔力を集めながら、呟くようにそう言った。
 それを聞いて、美鈴は眼を白黒させた。

「あ、あれ? 異変の解決は?」
「そんなもん、本来俺の仕事じゃねえよ。俺達は勝手に出しゃばってるだけだからな。俺達が黙ってても博麗の巫女が出てくんだろうさ。そんなことより、あんたに正々堂々戦って勝つことのほうが大事だね」

 ギルバートは美鈴に向かって力強くそう言い切った。
 美鈴はそれを聞くと眼を閉じ、大きく深呼吸をした。

「……分かりました。ならばこの紅 美鈴、誠心誠意、全力で迎え撃ちましょう。その前に、あなたの名前を聞いても良いですか?」
「ああ。ギルバート・ヴォルフガングだ」
「ありがとうございます……では行きますよ、ギルバートさん!」
「ああ!」

 そう言い合うと、今度は美鈴のほうからギルバートへ攻め込んでいく。
 ギルバートはそれを待ちうけ、迎撃の姿勢をとった。

「おらぁ!」

 その美鈴に向かって、ギルバートは右手をまっすぐに突き出した。
 それは予備動作が無く、更に先程とは比べ物にならないくらい速かった。

「甘いですよ!」
「なっ!?」

 しかし反撃として繰り出された爪を、美鈴は身体を開きながら左手でしっかりと掴む。
 腕が伸びきった状態のギルバートは対処できない。

「はっ、せいやっ!」

 そこに接近した勢いを乗せて鳩尾に肘撃ちをかけ、裏拳で追撃をかけて弾き飛ばした。
 ギルバートはそれをまともに受け、後ろに下がる。

「ぐはっ! ……まだまだ!」

 ギルバートはそれを耐え切ると、スペルカードを発動させた。



 裂符「ゴールデンクロー」



 ギルバートの爪が金色に光り、長く伸びる。
 それは熱を帯びて光る刃のようにも見えた。

「おおっと!?」

 美鈴はそれを見るなり相手から距離をとった。

「はああああああ!」

 ギルバートは距離を詰めながら黄金の爪で攻撃を仕掛けていく。
 腕が振るわれるたびに風を切り裂く音が聞こえ、その威力を窺わせる。
 美鈴はそれに触れることなく、後ろに下がりながらその攻撃を避けていく。

「突っ込むばかりじゃ、私には勝てませんよ!」

 突如として、美鈴はそう言いながら一瞬の隙を突き、ギルバートの懐に飛び込んだ。



 彩符「彩光風鈴」



 美鈴は懐に飛び込むとスペルカードを発動させた。
 それを見て、ギルバートの表情が凍りついた。

「しまっ……ぐああああっ!」

 鮮やかな虹色の気を纏いながら回転する美鈴の攻撃を受けるギルバート。
 それと同時に、ギルバートに蓄えられた黄金の魔力がどんどん霧散していく。
 攻撃が終わると、ギルバートは外へと弾き飛ばされた。

「うぐっ……まだいける!!」

 ギルバートは攻撃された箇所を軽く押さえながら、空中で体勢を立て直す。
 そして、一度霧散してしまった魔力を再び集め始めた。
 その様子を見て、美鈴は小さく息を吐いた。

「さすがは人狼……聞きしに勝る頑丈さですね。では、これならどうです!」



 撃符「大鵬拳」



 美鈴は立ち直る直前のギルバートに素早く接近し、スペルカードで追撃を仕掛ける。

「ぐふっ……」

 ギルバートは対処しきれず、鳩尾に強烈な拳の一撃を受けて真上に吹き飛ばされる。
 彼は金色の光を跡に残しながら、空高く打ち上げられていく。
 そしてしばらくすると、湖に落ちて沈んでいった。

「……落ちましたか? 結構全力で打ち込んだんですが……」

 そう言いながら、美鈴は警戒しつつギルバートが落ちたところへと近づいていく。



 嵐符「ライジングストリーム」



 突如として、湖の中から金色の魔力の奔流が竜巻のように空に向かって上がって行った。

「きゃああ!?」

 美鈴はそれに巻き込まれ、空高く打ち上げられる。
 それを追いかけるように、群青の弾丸が空に向かって飛んでいく。

「まだだ……まだ勝負は着いちゃいない!」

 ギルバートは叫ぶようにそう言いながら、スペルカードを取り出した。



 獣弾「ウルフバレット」



 発動した瞬間、ギルバートが纏った金色の魔力が大きく膨れ上がった。
 そして相手をめがけて一直線に飛んでいく。

「くっ……どんだけタフなんですか、あなたは!?」

 美鈴は空中で姿勢を正し、それを躱す。
 金色の弾丸は美鈴の横を通り過ぎると、素早く方向転換して襲い掛かる。

「でやああああああああ!」

 避けても避けても襲い掛かってくる黄金の狼。
 振り向く間も無く後ろまで通り抜けてしまうために追撃できず、美鈴は防戦を強いられる。
 そんな状況下で、美鈴は大きく息を吐き出した。

「こうなったら……!」

 美鈴はそう言うと、スペルカードを発動させた。



 華符「彩光蓮華掌」



 美鈴は自分に突っ込んでくるギルバートを真正面に捉え、構えを取った。
 美鈴の周囲に張り詰めた空気が立ち込める。
 そこに、捨て身の覚悟を纏った黄金の弾丸が飛んできた。

「はっ!」

 美鈴はすれ違いざまにギルバートに対して掌打を叩き込んだ。
 すれ違った状態でお互いに残心を取る。

「があっ……」

 するとギルバートの身体から虹色の気があふれ出した。
 それはどんどん膨らんで鮮やかな色彩を放つ。
 そして、最後には大爆発を起こした。

「ぐあああああああああ!」

 ギルバートは再び湖へと落ちて行く。

「はあ……はあ……こ、これだけ打ち込めば流石に……」

 美鈴はその様子を肩で息をしながら油断なく見届ける。

「…………」

 しばらくすると、金髪の人間の姿となったギルバートが浮かんできた。
 どうやらダメージが大きいらしく、そのまま動こうとしない。

「はああああああ……疲れました……うっ……」

 そんなギルバートを見て、美鈴は大きくため息をついた。
 それと同時に、右のわき腹を抑える。
 最後の一撃を放った際に掠めていたのだ。

「あはは……あれ、まともに受けてたら危なかったですね……」

 美鈴は冷や汗を掻きながらそう言って笑う。
 ふと湖に眼を向けると、ギルバートがフラフラと上がって来るのが見えた。 

「ああ畜生……負けちまったか……」

 ギルバートは頭と腹を抑えながらそう呟く。
 まだダメージが残っているらしく、その顔は歪んでいる。
 そんなギルバートを見て、美鈴は眼を見開いた。

「うわっ、あれを受けてもう立ち上がるんですか!?」
「安心しろ、もう戦うだけの力は残ってねえよ。文字通り、全力を出し切った。まあ、動く分にはあんまり問題は無いけどな」

 驚く美鈴に対して気だるそうにギルバートは言葉を返す。
 その言葉の通り戦う力は残ってない様である。
 それでも凄まじい回復力を見せる人狼に、美鈴は感嘆の息をつく。

「化け物みたいな回復力ですね……」
「当たり前だ。人狼舐めんな。仮にも吸血鬼と対を成す存在なんだからな。と言うか、化け物はお互い様だ。能力を使って身体能力を上げたのに、あっさりついてきやがって……」
「それは、ギルバートさんの癖が分かってましたからね。それさえ分かってしまえば力に差があっても私なら何とかなっちゃうんです」

 ギルバートの質問に、美鈴はそう言って答える。
 するとギルバートは少し驚いたような視線を美鈴に向けた。

「……たった数分で俺の癖を掴んだのか?」
「はい。これが経験の差ですよ。戦いの中でいかに相手の癖を掴み、心を読むかと言うのは大事なことです」

 美鈴はそう言って微笑む。
 それを聞いて、ギルバートは面白く無さそうな表情を浮かべた。

「ちっ……それで、私ならってどういうことだ? あんたなら勝てる理由って何だ?」
「私の能力は『気を使う程度の能力』です。相手の中の気を乱してやれば、その力を発揮できなくなりますからね」

 美鈴は自分の能力と、何をしたかを簡潔に教えた。
 するとギルバートは深々とため息をついた。

「……道理で触られるたびに力が抜けていくわけだ……やれやれ、それに気づけなかった時点で俺の完敗だな」

 二人は話をしながら紅魔館の門へ向かっていく。
 ふと、美鈴は気になったことが出来て質問をした。

「一つ訊きますけど、ギルバートさんは何歳なんですか?」
「ん? 十五歳だが、それがどうかしたか?」

 与えられた質問にギルバートは素直に答える。
 すると美鈴は乾いた笑みを浮かべた。

「あはは……これで十五歳ですか……先を考えると恐ろしいですね……」
「……もっと恐ろしい奴も居るけどな」
「え、何か言いましたか?」
「いや、何でもない。他愛も無い独り言だ」

 そう言って話している間に、紅魔館の門の前についた。
 その瞬間、ギルバートは体力の限界が着たように座り込んだ。
 そんなギルバートに美鈴は話しかける。

「それで、これからどうするんですか?」
「負けた奴がこの門をくぐる訳にも行かないだろ。あいつが帰ってくるのをここで大人しく待っているさ。あんたの方こそどうするんだ? 中で相当激しくやり合ってるみたいだけど?」

 周囲の音に耳を傾けると、館の中からなにやら大きな物音が聞こえている。
 どうやら中で誰かが大いに暴れている様である。
 それを心配するギルバートに、美鈴は微笑みかけた。

「大丈夫ですよ。あの魔法使い一人に簡単にやられるほど中の人は弱くないです。それに、博麗の巫女さんも来るんですよね? だったらここで迎撃しないといけませんから」
「そうかい。それじゃ、そこの壁少し借りるぜ」
「はい、どうぞ。……よいしょっと」

 ギルバートが這いずる様に動いて塀に寄りかかると、その隣に美鈴が座り込んだ。
 それを見て、ギルバートは首をかしげた。

「おい、何であんたまで座ってるんだ?」
「あはは……実は私も結構疲れちゃいまして……誰か来るまで少し休みたいなぁ、なんて……」

 美鈴はそう言って照れくさそうに笑う。
 それをみて、ギルバートは頷いた。

「そうかい。休むのはいいけど、うっかり寝ると怒られるぜ?」
「大丈夫ですよ。そんなへまはしません。それより、肩借りて良いですか? お互いに寄りかかったほうが楽ですし」

 そう言いながら、美鈴はギルバートに近寄る。
 美鈴の座る位置はお互いの肩が触れ合うほどに近づいており、寄りかかる気満々である。
 それに対して、ギルバートは大きくため息をついた。

「……好きにしろ。それから、あんたにゃ悪いが少し寝るぜ」
「はい。もし私が寝ちゃったら起こしてくださいね~」
「……それじゃあ俺が眠れねえだろ……」

 二人はそう言い合いながら、寄り添って休み始めた。
 そしてしばらくすると、規則正しい寝息が二つ聞こえ出した。



[29218] 紅魔郷:銀の月、周囲を見回す
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 21:33
 銀月達が館の中に入ると、中は豪華絢爛な造りのホールになっていた。
 天井からはいくつものシャンデリアが吊るされており、周囲を照らし出していた。
 全体的に紅いそのフロアには、見るからに高価な絵画や彫刻などが飾られている。
 そんなホールを見て、二人は違和感を感じた。

「……何だかやけに広いわね」
「それによく見ると窓が無いね、この館」

 二人はそう言いながら辺りを見回す。
 二人が感じた違和感は、外からの見た目と中身の空間の広さがあっていないと言うものであった。
 また、窓が無いにもかかわらず中の空気は悪いものではなく、むしろ清々しさを覚えるほど新鮮な空気であった。
 そんな館の中を見て、銀月はふっと一息ついた。

「快適だけど、窓が無いんじゃ昼でも蝋燭に火をつけないと真っ暗だな。蝋燭代が幾らになるのやら……」
「ここに住んでる奴はよっぽど太陽が嫌いなのかしら?」
「案外、ここに住んでるのは吸血鬼だったりして」

 軽口を叩きながら館内を歩いて回る。
 館内は異常なほど静かで人気がまるで無い。
 そんな様子に、銀月は首をかしげた。

「……どうしたのよ、首を傾げたりして?」
「う~ん、やっぱり誰も居ないな。この規模の館で門番や使用人が居ないって言うのは考えづらいし……と言うことはやっぱり先に誰か入り込んだのかな?」
「どうでもいいわ、そんなこと。それよりもさっさとはた迷惑なことしてくれた奴をとっちめに行きましょう」
「そうだな。父さんについても話を聞かないといけないしね」

 二人はそう言い合うと、無人の館内を歩いていった。




 一方その頃、館の地下ではモノトーンの服を着た魔法使いがうろついていた。
 周囲には見上げるような高さの本棚がずらりと並んでいて、その一つ一つにぎっしりと本が詰まっていた。

「なんか凄い数の本が並んでるな……図書館か?」

 魔理沙は辺りを見回しながら先に進んでいく。
 その行く手にはメイド服を着た妖精が立ちふさがり、激しい攻撃を仕掛けてくる。

「甘いぜ! そんなものじゃ私は落ちないぜ!」

 魔理沙はそれをすいすいと避けながら、レーザーで相手を次々と撃ち落していく。
 すると、目の前にいきなり魔法陣が現れて弾幕を放った。
 不意打ち気味のその攻撃を、魔理沙は間一髪で躱す。

「おっと、魔法陣か。てことはここの持ち主は魔法が得意なのか?」

 魔理沙はメイド妖精や魔法陣の攻撃を落ち着いて躱していく。
 しばらく進んでいくと、妖精とは違う少女が目の前に現れた。
 少女は紅く長い髪をしていて、背中と頭からこうもりのような翼が生えていた。
 魔理沙はその姿から、ここで働いている小悪魔だろうと言う予測をつけた。

「え、あなた誰ですか!?」
「通りすがりの魔法使いだぜ」

 自分の姿を見て驚く小悪魔に、魔理沙はそう言って答えを返す。
 すると小悪魔は慌てた様子で魔理沙に食って掛かる。

「その通りすがりの魔法使いさんが何でこんなところに居るんですかぁ!?」
「ん~何となく面白そうだから?」
「ダメですよぉ! 出て行ってください!」
「おっと、そいつは聞けないな。私の行動を決められるのは私だけだぜ!」

 腕をバタバタと振り回しながら抗議してくる小悪魔。
 それを魔理沙は聞く耳を持とうとしない。
 そんな魔理沙を見て、小悪魔は涙眼で頬を膨らませた。

「言うことを聞いてくれないと、痛いですよぉ!」

 無理矢理居座ろうとする魔理沙に、小悪魔は弾幕を放つ。
 青白く大きな弾幕を放射状に放ちながら、青く小さな弾丸をランダムに放ってくる。

「それくらいじゃ私は止められないぜ!」

 魔理沙はその弾幕を余裕の表情で避けていく。
 そしてその余裕で持って小悪魔をレーザーで撃ち落した。

「こあぁぁ!?」
「ふん、出直してきな!」
「あう~……ごめんなさい、パチュリー様ぁ……」

 小悪魔はそう言うと、よろよろと飛び去っていった。
 魔理沙はそれを見届けると、再びメイド妖精や魔法陣の攻撃を躱しながら先へ進んでいく。
 しばらく行くと出尽くしたのか相手の攻撃が止み、再び静かになった。

「それにしても、ギル遅いなぁ……ギルならあんな奴すぐに片付けられそうなのにな」

 魔理沙は退屈そうにあくびをしながらそういう。
 何かないか辺りを見回すと、ずらっと並んだ本が眼に入った。

「まあいいや、ギルが来るまでここの本でも読んで待ってよう」

 魔理沙はそう言うと、近くにあった本を眺める。
 しばらく眺めているうちに、魔理沙の表情がつまらなさそうなものから段々と明るいものに変わっていった。

「うわ、凄いな……よく見てみりゃこいつらみんな魔道書じゃないか……しかも見たことが無い奴ばかり……」

 魔理沙は一冊の本を手にとって中を見る。
 その中身は今まで見たことがないような内容で、魔理沙の知的好奇心を刺激するものであった。
 魔理沙は本を閉じると、キョロキョロと辺りを見回した。

「……ちょっとぐらい持ってってもばれないよな?」
「持ってかないでー」

 魔理沙が本を持っていこうとすると、どこからともなく少女の声が聞こえてきた。
 その声に、魔理沙は顔を上げる。

「ん? 誰だ?」

 魔理沙の前に現れたのは紫色の髪にリボンを付け、手に本を持っている少女だった。
 その少女ことパチュリーは魔理沙の前に通路を塞ぐように立つと、抗議の視線を送った。

「ここの本を勝手に持っていかれたら困るわ」
「あ、そうか? んじゃ、こいつら借りてくぜ!」
「持ち出しを許可した覚えはないわよ」
「いいじゃないか、盗むわけじゃないんだし」

 魔理沙はそう言いながら笑って手を振る。
 それを見て、パチュリーは魔理沙にジト眼を送る。

「良くないわよ。そもそも貴女が本を返す保証が無いわ」
「ちゃんと返すって。期限は……そうだな、私が死んだらってことでどうだ?」

 魔理沙は少し考えるそぶりを見せてからそう言った。
 それを聞いて、パチュリーは頭を抱えてため息をついた。

「……話にならないわ。つまりあなたは泥棒ネズミと変わらないのね」
「だから泥棒じゃないって」
「ええっと……泥棒ネズミをやっつける方法は……」

 パチュリーはそう言いながら手にした本をめくる。

「遅いぜ!」

 そんなパチュリーに先手を打つべく、魔理沙はスペルカードを発動させた。



 魔符「スターダストレヴァリエ」



 魔理沙は星屑を撒き散らしながら相手に突っ込んでいく。
 一方のパチュリーは風に乗って宙を舞い、魔理沙と星屑を躱していく。
 魔理沙は何度も突っ込んでくるが、パチュリーは冷静にそれを捌いていく。

「いっくぞー!」
「……あ」

 しかし何度目かの魔理沙の攻撃になると、パチュリーは苦い表情を浮かべた。
 パチュリーの真後ろにあったのは本棚。
 このまま魔理沙が突っ込んでくれば、並んでいる本はただでは済まないであろう。

「いやっほう!」
「くっ!」

 パチュリーは突っ込んでくる魔理沙に対して手を突き出し、白く輝く障壁を作り出した。
 そこに、魔理沙が凄まじい勢いで突っ込んできた。
 ぶつかり合った瞬間、二人の間に激しく火花が散る。

「はっ、こんなもので私を止められると思うなよ!」
「やれるものなら、やってみなさい……!」

 押し返そうとするパチュリーの障壁に対して、それを突き破ろうとする魔理沙。
 やがて、障壁に沈み込むようにゆっくりと魔理沙が前進を始めた。
 少しずつ近づいていく二人の距離。

「うわっ!?」

 しかし、あと少しで届くと言うところで魔理沙は後ろに弾き飛ばされた。
 それを確認すると、パチュリーは大きくため息をついた。

「ふぅ……危ないわね、ぶつかったら大変じゃない」

 パチュリーはホッとした様子で魔理沙に話しかける。
 それを聞いて、態勢を立て直してから魔理沙は答えた。

「スペルカードルールなら大怪我はしないぜ?」
「誰も貴女の心配なんてしていないわ。本棚に当たったら崩れてくるじゃない。直接ぶつかった時のための術式は組んでないんだから」

 魔理沙の言葉に、パチュリーはそう言って返す。
 それを聞いて、魔理沙は納得したように頷いた。

「ああ、後片付けの心配か」
「まあ、片付けるのは小悪魔だけど」
「人任せなのかよ……」

 パチュリーの一言で、魔理沙の肩からガクッと力が抜ける。
 その一方で、パチュリーはポケットからスペルカードを取り出した。

「でも、貴女を捕まえるほうが手っ取り早いわね」

 パチュリーはそう言うと、スペルカードを発動させた。



 木符「グリーンストーム」



 そのスペルが発動した瞬間、魔理沙の周囲に大量の緑色の弾丸が現れた。
 弾丸は木の葉が舞うように飛び、魔理沙に襲い掛かっていく。

「よっ、はっ、ほっと!」

 魔理沙はそれを難なく避け、反撃を加えていく。
 パチュリーはその反撃を避けながら、眉をひそめた。

「むっ、当たらないわね……」
「こんな温い弾幕に当たるか! ギルの弾幕の方がきついぜ!」

 そう言いながら魔理沙は的確にパチュリーに狙いを定めて攻撃を仕掛けていく。
 しばらくすると、スペルカードの効果が切れて緑の嵐は収まった。
 それと同時に、パチュリーは小さくため息をついた。

「ギルって言うのが誰か知らないけど、私の魔法だってこれで終わりと言うわけじゃないわ」

 パチュリーはそう言うと、二枚目のスペルカードを掲げて発動させた。



 金&水符「マーキュリポイズン」



 今度は青と黄色の弾幕が円を描くように回転しながら迫ってくる。
 その二色の弾丸は交差するように魔理沙に飛んでいき、行動を制限する。

「っとと、連続でスペルカード使うのかよ……」

 魔理沙は連続でスペルカードを使われて一瞬焦ったが、素早く体勢を立て直して躱していく。
 かなり避けづらい位置に弾が飛んでくるため、魔理沙は集中してそれを避ける。

「むきゅん、むきゅん……くっ、こんな時に……」

 その一方で、パチュリーは急に咳き込み始めた。
 その体調の変化に、パチュリーは歯噛みする。

「はっはぁ! まだまだぁ!」

 そんな中、魔理沙はパチュリーのスペルを突破した。
 それを見て、パチュリーは必死で咳を抑えて相手を見返した。

「むきゅ……ちょこまかと、うっとおしいわね。それなら力押し、で行かせてもらうわ、むきゅん」

 パチュリーは苦しそうに胸を押さえながらそう言うと、少し焦るように三枚目のスペルカードを発動させた。



 火&土符「ラーヴァクロムレク」



 次の瞬間、大量の炎の玉が放射状にばら撒かれた。
 炎の弾丸はかなりの大きさがあり、その間隔は狭い。
 さらにその隙間を埋めるように黄色い弾丸が飛んでくる。
 パチュリーの言うとおり、まさに力押しといえるスペルであった。

「うわっと!? ふう、一瞬ヒヤッとしたぜ……」

 その弾幕を魔理沙はギリギリの位置で避けていく。
 炎がすぐ近くを通り抜け、箒の先端を焦がしていく。
 魔理沙の額には玉のような汗が浮かび、顎の先から滴り落ちていた。

「ひゅー……ひゅー……こ、これなら、どうかしら?」

 パチュリーは必死に息を整えながら魔理沙に話しかける。
 呼吸が上手く出来ず、大きな呼吸音が聞こえている。
 それに気付かず、魔理沙は笑みを浮かべた。

「……ちっちっちっ、これで力押しなんて片腹痛いぜ。力押しって言うのはな、こうやるんだよ!」

 魔理沙はそう言うと、スペルカードと何やら道具を取り出した。



 恋符「マスタースパーク」



 スペルを宣言すると、魔理沙は手にした道具をパチュリーに向けた。
 その道具は小さな八角形の道具であり、強い魔力が感じられる道具「ミニ八卦炉」であった。
 魔理沙の魔力がそのミニ八卦炉に集められ、強い光を発し始める。

「いっけえー!」

 次の瞬間、極太のレーザーがパチュリーに向けて発射された。
 レーザーは炎を巻き込み、弾丸を掻き消していく。

「むきゅん、むきゅん、しまった、身動きが……」

 パチュリーは咳き込み、身動きが取れない。
 そんな彼女を、レーザーは容赦無く飲み込んでいった。

「きゃっ……」

 パチュリーは吹き飛ばされ、地面に転がった。
 スペルカードルールなので外傷は無いが、それでもかなりの衝撃を受けてその場に倒れている。
 そんな彼女に魔理沙は近づいていく。

「なかなかに良かったけど、私の敵じゃなかった……?」
「むきゅん、むきゅん、むきゅん……」

 パチュリーは激しく咳き込み、その場で悶え苦しむ。
 ここに来て、魔理沙は初めてパチュリーの容態に気がついた。
 魔理沙の顔から一気に血の気が引き、慌ててパチュリーに駆け寄った。

「お、おい、大丈夫か!? おい、誰か居ないのか!?」

 魔理沙は救援を求めて大声で叫んだ。
 すると、先程の小悪魔がふらふらと飛んできた。

「あう……どうしたんで……あ、パチュリー様! こあぁ、大変、急いでお薬持ってこないと!!」

 小悪魔はパチュリーを見るなり大急ぎで薬を取りに行こうとする。
 そんな彼女に、魔理沙は声をかけた。

「なあ、こいつは何の病気なんだ!?」
「パチュリー様は喘息持ちなんです!」

「喘息か! じゃあ、まずは頭に紙袋をかぶせて……」

 魔理沙はそう言うと、大きく「罪」と書かれた紙袋をパチュリーの頭に被せた。
 その様子を見て、小悪魔は派手にずっこけた。

「それは過呼吸の応急処置ですよぅ! まずは椅子に座らせて背中をさすってあげてください!」
「あ、ああ!」

 魔理沙はパチュリーを抱きかかえると、椅子に座らせて背中をさすった。
 すると少し落ち着いたのか段々と咳は収まっていき、代わりに苦しそうな呼吸音が聞こえてきた。

「ひゅー……ひゅー……ひゅー……むきゅん、ひゅー……」
「だ、大丈夫か?」
「ひゅー……ひゅー……」

 魔理沙の問いに、パチュリーは力なく頷いた。
 それを見て、魔理沙は少し安心して笑みを浮かべた。

「そうか、答えられるだけの余裕はあるんだな。ちょっと待ってろ!」

 魔理沙はそう言うと一目散に飛び出していった。
 向かう先は先程薬を取りに行った小悪魔のところだった。

「ない、ない、どこにしまったんだっけ~!?」

 小悪魔は必死に喘息の薬を探している様で、辺りを引っ掻き回している。
 そんな彼女に、魔理沙は声をかけた。

「おい、喘息について書かれた本はどこにあるか知らないか!?」
「え、えっと確か……あの辺りにあったと思います!」
「分かった!」

 小悪魔が指を指した方向に向かって、魔理沙は全力で飛んでいく。
 しばらくすると、喘息について書かれた本があると思われる一角にたどり着いた。
 その一角は医術について書かれた本がならんでいた。
 魔理沙はその中から、目的の本を探し出すことにした。

「これじゃない、これでもない……これか?」

 魔理沙は沢山の本の中から、呼吸器系統の疾患について書かれた本を抜き出して目次を見た。
 そこには、喘息についての知識もしっかりと載っていた。

「っと……喘息の発作を止めるには……あった! って、治喘(じぜん)と咳喘点(かくぜんてん)ってつぼを強くつねって暖めるのか……よし!」

 魔理沙は本に栞代わりの自分のスペルカードを挟んで閉じると、それを持ってパチュリーの元へと急いだ。

「おーい、今よく効くつぼを見つけたからやってやるぜ!」
「……もう治ってるわよ。薬を使ったから」

 魔理沙がパチュリーの元につくと、そこには症状が完全に治まったパチュリーが居た。
 その前には吸入器がついたフラスコがおいてあり、中には気化性の薬品が入っていた。

「ありゃ、ちょっと遅かったか」
「全く、普段からすぐに取り出せる場所に補充しておきなさいと言ってたのに……時間掛かりすぎよ」
「こあぁ……ごめんなさい~」

 ジト眼を向けるパチュリーに、小悪魔はしゅんとうなだれる。
 そんなパチュリーに魔理沙は話しかけた。

「にしても、調子が悪いんなら最初から言ってくれよ。そうすれば手加減できたのにさ」
「言う必要もないと思っていたのよ。まあ、どうやら私が見くびっていたようだけど」
「余裕と慢心は違うって奴か。銀月の言うとおりだったな」

 憮然とした表情で話すパチュリーに、魔理沙は銀月の言葉を思い出した。
 すると、突如としてパチュリーは魔理沙に礼をした。

「……一応礼を言っておくわ。ありがとう」
「礼なら要らないぜ。その代わり、本は借りていくぜ」
「それとこれとは話は別よ」

 笑顔で答えを返す魔理沙に、パチュリーは白い眼を向ける。
 それを見て、魔理沙は苦笑いを浮かべた。

「ああそうかい。……それにしても、ギル遅いなぁ……何やってんだ?」
「……侵入者は貴女だけじゃないのね。それで、連れが来ない貴女はどうするつもり?」
「そうだな……しばらくここで本でも読みながら待たせてもらうぜ」
「帰るって言う選択肢はないのね」
「ああ、ないな」

 パチュリーの質問に魔理沙はきっぱりと答える。
 するとパチュリーは大きくため息をついた。

「はあ……勝手にしなさい。この中で読むのなら構わないわ」
「サンキュ! さてと、どの本にしようかな?」

 魔理沙は笑顔でそう返すと、友人を待つ間に読む本を探し始めた。

 ……その友人が敵と寄り添うようにして門の外で眠りこけているとは、魔理沙には知る由もなかった。



[29218] 紅魔郷:銀の月、引き受ける
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 21:38
 広い館の中を、霊夢と銀月は慌しく飛んでいく。
 その二人に向かって、大勢のメイド妖精達が群がって弾幕を浴びせていく。

「急に色々と出てきたわね!
「う~ん、と言うことは先に侵入していた誰かが捕まったか何かしたかな?」

 霊夢は突然増え始めた敵をうっとおしそうに見やる。
 その横で、銀月は暢気にそう言いながら併走する。
 二人は目の前に現れた妖精達を確実に撃墜していく。

「ああもう、どうせならそのまま逃げ切ってくれれば楽だったのに!」
「楽してばっかりもいられないってことだな。まあ、元凶にたどり着くまでの準備運動としてみれば悪くはないんじゃないかな?」

 とっ捕まってであろう先行者に苛立ちを隠さない霊夢を、銀月はそう言って宥める。
 そんな二人に、メイド妖精達は容赦なく弾幕を浴びせ続けた。

「おっと!」

 突如として、銀月は横にものすごい勢いで逸れていく。
 そしてとある位置に立つと、飛んでくる弾丸を手にした札で打ち払った。
 銀月の後ろには、見るからに高そうな壺があった。

「ちょっ、何やってんのよ銀月!?」

 銀月の突然の奇行に、霊夢が思わずそう叫ぶ。
 それに対して、銀月は能天気な笑みを浮かべた。

「いやぁ、高そうな壺だったから割りたくなかったんだ。結構綺麗だし」
「そんなもの守る余裕があるんなら私を守りなさいよ!?」
「え~、だって霊夢はそういうことするとすぐサボるじゃないか。それに力量を鑑みても全く心配はないと思うよ?」

 霊夢の主張に、銀月はそう言って口を尖らせた。
 そんな態度が気に障ったのか、霊夢は銀月を激しく睨んだ。

「ええい、私はあんたにとって骨董品以下か! 喰らえ!」

 突如として、霊夢の霊弾が銀月に向けて発射される。
 銀月は慌ててその場から飛びのいた。

「おっと!? ちょっと霊夢、いきなり何するのさ!?」
「うるさい、黙って落ちろ!」
「幾らなんでも理不尽すぎるだろう!? わ~っ!?!?」

 理不尽な霊夢の暴力から、銀月は必死の形相で逃げ回る。
 その銀月が相手のメイド妖精達の中を駆け回るため、霊夢の弾丸は須らく妖精達を直撃した。
 そんな中、撃ち落された妖精がふらふらと壁に掛かった絵画へと突っ込んでいく。

「あっ、いけない!」

 それを見て、銀月は素早くその妖精をキャッチした。
 妖精は銀月の腕の中で眼を回している。
 それを見て、霊夢は頬を膨らませた。

「あ~っ! またそんなもの守って……」
「そうは言っても、こいつら壊したら誰が弁償すると思ってるのさ!?」
「知ったこっちゃないわよ。壊れるような場所に物を飾っておくのが悪い!」

 霊夢はそう言うと、再び銀月に向けて攻撃を仕掛ける。
 銀月は妖精を素早く床に寝かせると、急いでその場から離脱する。
 銀月が立っていた場所は、霊夢の攻撃によって穴が開いていた。

「くぅ~っ……あ~あ、これじゃ後片付けが大変なことになりそうだ……」
「そう思うんなら、大人しくしててくださる?」

 銀月が壁の穴を見てそう呟くと、横から霊夢のものとは違う少女の声が聞こえてきた。

「っと、誰かな?」

 銀月はその方向に眼を向けた。

「この館のメイド、十六夜 咲夜よ。貴方達、お嬢様に呼ばれてきたのかしら?」

 そう話すのは、メイド服に身を包んだ銀色の髪の少女であった。
 そのメイド、咲夜の言葉を聞いて、霊夢は頷いた。

「ええ、そうよ。だからさっさと通してちょうだい」
「(うわぁ……いきなり嘘八百ならべて……)」

 平然と言い放つ霊夢の言葉に、銀月が呆れ顔を浮かべる。
 一方の咲夜も、返ってきた霊夢の言葉に頭を抱えてため息をついた。

「……はぁ……そんな訳ないじゃない。それなら私が知らないはずはないわ。つまり、用があるのは貴方達の方。何の用かしら?」
「この紅い霧、貴方達が出してるんでしょ? さっさと止めてくれるかしら? はっきり言って迷惑なんだけど?」

 咲夜の問いかけに、霊夢が用件を簡潔に話す。
 すると、咲夜は首を横に振った。

「それはお嬢様に言って欲しいわね。私が出しているわけじゃないし」
「それじゃさっさと会わせなさいよ。直談判するから」
「ここに殴りこんできて暴れるような人を、お嬢様に会わせるわけないでしょ?」

 霊夢の物言いを、咲夜ははっきりと拒絶した。
 その横で、少し考え事をしていた銀月が口を開く。

「……一つ訊くけど、何でこの紅い霧を辺りに広げているのかな?」
「お嬢様は吸血鬼。日光が届かなくなればどこに行くにも不自由はしないわ」

 咲夜の言葉を聞くと、銀月は再び俯いて考え込む。
 そして、ため息と共に首を横に振った。

「……成程ね。これじゃ、とてもじゃないけど代案は出せそうにないね……」

 銀月はそう言うと、霊夢に向き直った。
 その手にはいつの間にか札が握られていて、臨戦態勢に入っているようであった。

「霊夢、俺が彼女を足止めするから、先に言ってここのご主人様を探してくれる? そのほうが早いと思うんだけど」
「……そうね。それじゃあ、先に行くわ」

 銀月の提案を聞いて、霊夢は先に行こうとする。

「させないわ」

 すると、突然目の前に咲夜が現れた。
 全くの予備動作もなく現れた咲夜に、霊夢は息を呑んだ。

「っ!? いつの間に!?」
「私は時間を止めてでも貴方達を足止めすることが出来る。そう簡単にお嬢様に会えると思わないことね」
「へえ……それは手強そうだ」

 咲夜が霊夢に警告した瞬間、頭上から涼やかな少年の声が降ってくる。

「っ!?」

 咲夜は危険を感じて咄嗟にしゃがみこむ。
 すると、その首があった場所を銀月の手刀が通り過ぎていった。
 もし銀月が声をかけなければ、その手は咲夜の首筋に刺さり、意識を刈り取っていたことであろう。

「ありがと、銀月。それじゃ、任せたわよ」

 霊夢はそんな銀月のフォローに笑顔で礼を言うと、再び先へと進んでいく。

「くっ、行かせないっ!?」
「……あんまり俺を甘く見ないでくれるかな? 霊夢と二対一なら、君が霊夢に気を取られている間に気絶させるぐらい簡単だ。さっきだって、やろうと思えば君を倒せた」

 後を追おうとする咲夜の首に札を突きつけ、銀月は動きをけん制する。
 その視線にいつもの暖かさは無く、冷たく鋭い光を放っていた。
 咲夜は霊夢を追うことを諦め、目の前の障害に眼を向けることにした。

「……なら、何で貴方は彼女を先に行かせたのかしら?」
「ああ、それは俺が君に用があるからさ」
「そう。で、何の用かしら?」
「単刀直入に訊くよ……槍ヶ岳 将志はどこだ? ここに居るのは分かっているんだ。教えてもらおうか?」

 銀月の声色が少し低くなる。
 声に威圧感を加え、相手に発言を促そうとする。
 そんな銀月に、咲夜は涼しい表情で言葉を返す。

「あら、貴方彼の関係者かしら?」
「……彼は俺の父親でね。昨日から行方不明なんだ。そしてその力はこの館の中から漏れていた。さあ、どこにいる?」
「知っているけど、教えられないわ。お嬢様の命令で話しちゃいけないことになっているのよ。特に、銀の霊峰の関係者にはね」

 咲夜は銀月にそう答えを返す。
 すると、銀月はしばらく咲夜を睨んでから、首に当てていた札を引っ込めた。

「……そうか。なら、勝手に探させてもらうよ」
「待ちなさい。お嬢様に会わせる訳にも行かないけど、貴方のお父さんを渡すわけにも行かないわ」

 立ち去ろうとする銀月に、咲夜はそう声をかける。
 それを聞いて、銀月はゆっくりと咲夜のほうを向いた。

「……それ……本気で言ってる?」

 俯いた銀月の表情は窺えないが、その声には先程とは違う、寒気が走るような強烈な殺気が含まれていた。
 あまりの雰囲気の変化に、咲夜は一瞬飲まれそうになる。

「……ええ、本気よ」
「そうかい……」

 銀月はそう言うと、顔を上げた。
 その表情は無表情であり、眼には冷たい殺気が湛えられていた。
 それを見て、咲夜は思わず身構える。

「……っ」
「……父さんがこんな戯事に自分から関与しているなんてありえない。つまり、君達は父さんを何らかの形で利用しているという訳だ……許されると思うな、貴様ら」

 銀月はそう言うと、苛烈な弾幕を展開した。
 周囲にばら撒かれる大量の銀の弾丸に、相手をめがけて精確に飛んでいく緑色の弾が混ざって飛んでいく。
 咲夜は手馴れた様子でその弾幕を潜り抜けていく。

「相手を殺しそうな眼をしていたと言うのに、仕掛けるのは弾幕ごっこなのね?」
「そりゃ、殺してしまったらそれまでだからね。殺意の無い相手に殺意を向けるほど不公平な話はない。俺が殺意を明確に向けるのは、相手が殺意を持っていたときだけさ……もっとも、家族を手に掛けた奴はその限りじゃないけどね」

 怒りを抑えるような声色で銀月は呟く。
 そんな銀月の言葉を聞いて、咲夜はホッと一息ついた。

「それは助かるわ。お嬢様から弾幕ごっこで迎撃するように言われてたから」

 咲夜はそう言いながら投げナイフで反撃を始める。
 そのナイフを避けながら、銀月は鋭い眼つきで相手を睨みつける。

「……けど、ただで済むと思うな」

 銀月はそう言うと、懐からスペルカードを取り出した。



 白符「名も無き舞台俳優」



 銀月の足元に銀色の舞台が出来上がる。
 やがてその舞台は崩れていき、大量の弾丸がばら撒かれる。

「流石に銀の霊峰の一員、やるわね。けど、それじゃ私は倒せないわ」

 咲夜はその激しい弾丸の雨を丁寧に潜り抜けながら反撃を加えていく。
 その表情からは余裕が窺え、被弾しそうな様子は無い。

「……言ってろ!」

 銀月はそれを忌々しそうに見つめながら叫ぶ。
 どうやら父親を利用されたという事実は相当頭にきているらしく、かなり熱くなっている様子である。
 そのせいか、周りが見えていないようでいくつかギリギリのところを通過していったナイフが見受けられる。

「それにしても、なかなか当たらないわね。なら、これはどうかしら?」

 咲夜はなかなか落ちない銀月の様子を見て、スペルカードを発動させた。



 幻幽「ジャック・ザ・ルドビレ」



 咲夜は銀月に向かって霊弾をばら撒いた。
 銀月はそれに反応して避けようとする。
 すると、突如として目の前に大量のナイフが現れた。

「ナイフが増えた!?」

 何の予兆もなしに現れた大量のナイフに、銀月は驚きの声を上げる。
 そんな銀月に対して、ナイフの群れは一斉に襲い掛かっていった。

「くっ……」

 銀月は反撃の手を止め、そのナイフの中を潜り抜けていく。
 その動きは危なっかしく、途中で何本か白い袴を掠めていった。

「あらあら、手も足も出ないのかしら?」
「っ……舐めるなぁ!」

 銀月は咲夜の挑発を受けて、二枚目のスペルカードを取り出した。



 好役「派手好きな陰陽師」



 銀月はスペルを発動させると、咲夜の周りに札をばら撒いた。
 札は咲夜を取り囲むように宙に浮かぶ。

「これは……」

 咲夜はその札を見て、嫌な予感を覚える。
 次の瞬間、札は激しい銀色の光と爆音を発して爆発した。

「……なかなかに危ないスペルね。けど、私の能力の前には通用しないわ」

 しかし咲夜は能力を発動させ、爆風が自分に届く前に離脱していた。
 そこに、銀月が再び札を投げつける。

「そこだ!」

 それは、咲夜が連続で時を止められないということを見越して投げられたものであった。
 しかし、咲夜はそれが爆発する前に相手の攻撃が届かないところまで移動していた。

「甘いわ。どういうものか分かってしまえば避けるのは簡単よ。さあ、次は私の番ね」



 メイド秘技「殺人ドール」



 咲夜がスペルカードを発動させた瞬間、夥しい数のナイフが目の前を埋め尽くした。

「くそっ!」

 銀月はそれを見て、苛立たしげにそう呟いて後ろに下がる。
 再び攻撃の手を止め、避ける事にひたすら集中する。
 その様子は、先程の寒気が走るような物言いからすれば滑稽なものだった。
 それを見て、咲夜は嘲笑を浮かべた。

「もう諦めたら? 貴方の腕じゃ私には勝てなさそうよ?」
「そんなこと……やってみないと分からないだろ!」

 咲夜の嘲りを聞いて、銀月はそう吠える。
 しかし銀月には反撃する余裕は見られず、口先だけの反論となった。
 咲夜はその惨めな様子をジッと眺める。

「……それにしても、見た目の割りに粘るわね……」

 咲夜は銀月の様子を見てそう呟いた。
 銀月の避け方は大変不恰好である。
 現に、その白い袴と胴衣にはナイフが何本も掠めていてボロボロになっている。
 しかし、それでも決定打になるような一撃を受けていないのだ。
 その状況を見て、咲夜は思案する。

「それなら……」

 咲夜はそう言うと、スペルカードを取り出した。



 傷符「インスクライブレッドソウル」



 咲夜は一気に接近し、投げナイフを避けて体勢が崩れた銀月に引導を渡しに行く。
 そして、神速の斬撃が大量に銀月に浴びせられた。

「……ふっ」

 それを見て、銀月は小さく笑った。
 銀月はまるで幻影であったかのように、素早くその斬撃をすり抜けていく。

「なっ!?」

 突如として自分が想定していた速度を遥かに上回る動きをした銀月に、咲夜は不意を打たれる。
 そして、その後ろでスペルカードの使用が宣言された。



 名役「円卓の騎士」



 その瞬間、咲夜の周りを取り囲むように十二個の白銀の玉が現れた。
 円卓の騎士の名の通り、その玉は気高い輝きを放っている。
 円卓の外側には激しい弾幕が繰り広げられており、回避する余地はない。

「言ったはずだ、俺を舐めるなと」

 先程までとは打って変わって、銀月は酷く冷静な声で咲夜にそう言い放つ。
 その瞬間、咲夜に周囲から十二本の槍が突き立てられた。

「しまっ……」

 攻撃を放って動けない咲夜は、その槍を身体に受けて下に落ちていった。

「っと」

 銀月はそれを空中で素早く抱きとめ、ゆっくりと地面に降ろして壁にもたれさせた。
 するとまだ意識はあったのか、咲夜が銀月を見返した。

「……貴方、あんなに速く動けたのね? 今までのは演技だったのかしら?」
「ああ、そうだ。君に感づかれないようにするのが大変だったけどね。時を止めるなんて反則技、使い手を騙す以外にどう返せって言うのさ? もっとも、こんな非常時でもなければ、正々堂々君に勝負を挑めたんだけどね。今回ばかりはどうしても君に勝たなきゃいけなかったから」

 疲れた表情の咲夜の視線に、銀月はばつが悪そうに答える。
 本来、銀月は父親同様に真っ向勝負を好むのだ。
 しかし、今回は自分の感情よりも将志を助けることのほうが重要と考えたので、どんな方法を使ってでも勝つと言う方針に変えたのだ。
 よく見てみると、銀月は服こそ破れてはいるがその下の肌には傷一つなく、その態度も随分と落ち着いたものだ。
 そんな銀月を見て、咲夜は大きくため息をついた。

「はあ……すっかり騙された上に、相手はかすり傷どころか息が上がってすらない……完敗ね」
「仮にも銀の霊峰で修行を積んだり、霊夢の相手をしたりしてたからね。君よりも無茶苦茶な弾幕を受けてきたつもりさ」

 落ち込む咲夜に、銀月はそう言ってフォローを入れる。
 咲夜はそれに対して再び小さくため息をつくと、銀月を見やった。

「それで、これからどうするのかしら?」
「まずは父さんを捜すかな。君のご主人様に話をするのはそれからでも良いや」

 咲夜が問いかけると、銀月は少し考える仕草をしてそう答える。
 それを聞いて、てっきり霊夢の後を追いかけるものだと思っていた咲夜は意外そうな表情を浮かべた。

「あら、あの巫女を追いかけるんじゃないのね……でも、お嬢様は強いわよ? あの巫女一人で勝てるとでも思ってるのかしら?」

 咲夜がそう問いかけると、銀月は笑って肩をすくめた。

「さあ? 勝負は時の運とも言うし、そんなのは知らないよ。でもまあ、賭けるとするなら俺は霊夢に賭けるかな」
「その根拠は?」
「別に。何となく、霊夢が負けるイメージが浮かばないから。それだけさ」

 銀月は微笑を浮かべてそう答える。
 その表情からは、霊夢が勝つことを本気で信じきっている様子が窺えた。

「それじゃあ、私はお嬢様に賭けさせてもらうわ。貴方がそう言う様に、私もお嬢様が負けるなんて考えられないもの」

 そんな銀月に対抗するように、咲夜も負けじと自らのご主人様に賭ける。
 それを聞いて、銀月は楽しそうに笑った。

「……そう。それじゃ、俺は失礼するよ。君には悪いけど、父さんを捜さないとね。……今度戦うときは、正々堂々真正面から挑ませてもらうよ」

 銀月はそう言うと、咲夜を残してその場から立ち去っていった。
 咲夜はその後姿を見送ると、天井を見上げて大きく息を吐いた。

「はあ……ごめんなさい、お嬢様。少し休ませてもらいます……」

 咲夜はそう言うと、壁に寄りかかったまま眼を閉じた。



[29218] 紅魔郷:銀の月、鉄槌を下す
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 21:47
 紅魔館の広い通路を、白装束の少年が通る。
 その袴と胴衣は先程の戦いで激しく擦り切れていて、激戦をくぐってきたことを窺わせる。

「ここじゃないな……いったいどこに居るんだろう?」

 銀月は自分の父親の気配をたどりながら廊下を進む。
 途中侵入者を排除すべくメイド妖精達が攻撃を仕掛けてくるので、それに対して応戦する。

「おっと、悪いけどこの先に通してもらうよ」

 銀月は妖精を撃ち落しながら先へ進んで行く。
 将志の気配が強くなると部屋を一つ一つ確認していくが、捜し人の姿は見つからない。

「う~ん、こっちの方だと思うんだけどな……それにしても、どうやって父さんを抱きこんだんだろう?」

 銀月は将志を捜しながら考え事をする。
 実際問題、将志を利用しようとしても本来非常に困難である。
 何しろそのパワーとスピードから、取り押さえるのが非常に難しいのだ。
 物理的な衝撃には弱いが、魔法や呪術による干渉には強い抵抗があり、拘束するのは一筋縄ではいかない。
 協力を仰ごうにも、多忙な将志が今回のような異変に労力を割くとは考えにくい。
 銀月にはどうやって自分の父親を利用できるようにしたのかがさっぱりわからないのだった。

「あれ、何だ今の?」

 そんな中、銀月の眼にちょっと変わった光景が映った。
 こんな非常事態だというのに、二人のメイド妖精がバケツを持って飛んでいるのだ。
 銀月は首をかしげた。

「何であんなことしてんだろ……?」

 疑問に思った銀月は、後をつけてみる事にした。
 忍者の様に天井に張り付いて気配を殺し、見つからないように追跡する。
 すると、妖精達はとある部屋へと入っていった。
 そして、しばらくすると妖精達は空のバケツを持って部屋から出てきた。
 それを確認すると、銀月はそのドアの前に立った。

「ここだな……失礼します……」

 銀月はそっとドアを開いて中を覗いた。

「……」

 銀月はその中を見て、言葉を失った。
 そっとドアを閉め、眼をよくマッサージする。
 そして、もう一度ドアを開き、中を確認する。

「…………」

 銀月はしばらく眺めると、無言でそっとドアを閉めた。
 どうやら見なかったことにする気のようである。

「さてと……お嬢様のところに行くとしますか♪」

 銀月はにっこり笑ってそう言い放つ。
 しかし見る人が見れば、それは誰かを殺ス笑みだったと言ったことだろう。

「……ん?」

 そんな銀月がふと足元を見ると、一枚の紙切れが落ちていた。
 それは最近幻想郷に広がりだした、銀月にとってもなじみの深いものだった。

「……スペルカード? 誰のだ、これ?」

 銀月は疑問に思いながらもそのカードを拾い上げて自分の収納札にしまうと、その場を立ち去った。





 紅魔館の広い廊下を一人の巫女が行く。
 その巫女こと霊夢は、己が直感を頼りにこの異変の首謀者のところへと向かう。
 彼女の直感は上を目指しており、着々と先へ進んでいく。

「それにしても、銀月は邪魔になるかと思ったけど、意外とチームプレーも上手かったわね……今度から手伝ってもらおうかしら?」

 次から次へと現れるメイド妖精達を裁きながら、霊夢はそう呟く。
 実際、霊夢の体感として銀月の動きが霊夢の行動を妨害するようなことはほとんど無かった。
 それどころか霊夢が取りこぼしそうな敵は率先して倒してくれるため、霊夢はかなりの力を温存することが出来た。
 現在はウォーミングアップも終わって仕上がりは上々といったところである。

「ふう……流石に一人だと二人より大変ね」

 霊夢は妖精達の群れを切り抜けて、紅魔館の屋上にやってきた。
 霊夢が空を見ると、まず血の様に紅く染まった月が眼に入った。
 その鮮やかに紅く輝く月は、周囲を紅く染め上げている。
 周囲は不気味なほどに静かで、風の音すら聞こえない。
 霊夢の勘はこの場所だといっており、軽く深呼吸をする。

「で、そろそろ出てきたらどう?」
「ええ、良いわよ」

 霊夢が声をかけると、頭上から声がした。
 すると真紅の月を背景に、一人の小さな少女が降りてきた。
 背中には蝙蝠の様な翼が生えており、頭には変わった帽子を被っていた。

「あんたがこの紅い霧の犯人ね?」
「ええ、そうよ。確かにこの紅い霧は私が起こしたものよ」

 霊夢の問いかけに、レミリアは謳うようにそう答える。
 それを聞いて、霊夢はレミリアを迷惑そうに睨む。

「さっさと止めてくれる? とっても迷惑なんだけど」
「嫌よ」
「それじゃあ力尽くでも止めさせるわ」
「やれるものならやってみなさい。言っておくけど……」

 そう言った瞬間、レミリアの身体から凄まじい力があふれ出した。
 その重圧感に、霊夢は思わず息を呑む。

「……っ」
「今の私は今までで一番調子が良いわ。それでも私と踊るというの?」

 レミリアはそう言って霊夢に微笑みかける。
 その表情には自分の力に対する絶対的な自信が表れていた。
 そのレミリアの紅い瞳を、霊夢はしっかりと見つめ返す。

「やってやろうじゃない。あんたを倒して、さっさと帰って銀月にお茶を淹れて貰うわ」
「そう……こんなに月も紅いから、本気で殺すわ」

 レミリアは楽しそうな笑みを浮かべてそう言った。
 それを聞いて、霊夢は小さくため息をつく。

「こんなに月も紅いのに――――」

「楽しい夜になりそうね」
「永い夜になりそうね」

 二人の言葉が交錯した瞬間、お互いに弾幕を展開した。
 レミリアは紅く大きな弾と青い弾丸を放って弾幕を展開する。
 霊夢はそれを潜り抜けながらレミリアに向かって攻撃を仕掛ける。

「さて……いったいお前はどれだけ楽しませてくれるかしら、巫女さん?」

 レミリアは霊夢の攻撃をすいすいと潜り抜けて攻撃を仕掛ける。
 その顔には不敵な笑みが浮かんでおり、戦いというよりもじゃれているような表情である。

「楽しむ間も無く終わらせてあげるわよ」

 霊夢はそのレミリアの攻撃を縫うように避けていく。
 そしてレミリアを狙い撃とうとするが、レミリアはぶれて見えるほどの速度でそれを回避していく。
 どうやら、絶好調と言うのは嘘ではないらしい。

「さあ、いつまで逃げていられるかしら?」

 レミリアはニヤリと笑ってそう言うと、一枚目の札を切った。



 神罰「幼きデーモンロード」



 レミリアがスペルを宣言した瞬間、紅い光の玉が現れてそこからレーザーが放たれる。

「おっと」

 霊夢はそれを見てその線が少ない方へと移動した。
 するとレーザーは強く、太くなり、霊夢の動きを制限する。
 霊夢は感覚的に次に本命の攻撃が来ることを予知した。

「まずは小手調べよ! 避けてみせろ!」

 そこに向かって、レミリアは大小の弾丸をばら撒く。
 先のレーザーによって行動が制限されているため、かなり避けづらい。

「この程度、どうって事ないわ!」

 しかし霊夢はそれをものともせずに避けていく。
 しばらくするとレーザーが消え、場がリセットされる。
 そしてすぐに再び紅い光球が現れ、レーザーを放つ。

「お返しよ!」

 霊夢はその攻撃を次々と躱していき、レミリアへの反撃を試みる。
 貫通力の高い針のような弾丸が、レミリアに向かって真っ直ぐ飛んでいく。

「無駄無駄無駄ぁ、そんな攻撃なんて届かないわよ」

 それをレミリアはそう言いながら僅かに身体を横にずらして易々と避ける。
 その瞬間、スペルの制限時間がきて解除された。

「避け切ったか。そう来なくっちゃ面白くないわ」

 レミリアはそう言うと、ショットガンのように紅い弾丸をばら撒いた。
 高速で先頭を飛ぶ大きな弾丸に続いて、小さな弾丸が無数に散らばる。

「当たらないわよ、こんなもの」

 霊夢は素早く動いてその射線上から離れ、レミリアに針の弾幕で攻撃を仕掛ける。
 それをレミリアは涼しい顔で避けていった。

「なかなかやるわね。でも、まだまだ序の口よ。次はこれよ!」

 レミリアはそう言うと、二枚目のスペルカードを取り出した。



 獄符「千本の針の山」



 レミリアがスペルを使用すると、大量の紅く小さな弾丸がレミリアの周りを飛び始めた。
 そしてその弾丸は次々と折り重なるようにして霊夢に向かって飛んできた。
 速度の遅い弾丸に混じってやや速い弾丸が飛んでくる。
 一つ一つは脅威ではないのだが、数がものすごく多いために慎重な回避が求められるスペルである。

「このくらいならまだまだ平気ね」

 霊夢はそう言いながら勘を頼りに弾幕を潜り抜けていく。
 その様子は先程よりも余裕があり、悠々とした動きをしている。
 当然、その分余裕を持って霊夢は反撃を仕掛けた。
 今度は拡散型の札型の弾幕で、広い範囲を覆い尽くす。

「おっと、これも避けるか」

 レミリアは霊夢の反撃を難なく躱し、やや感心したそぶりを見せる。
 まだかなりの余裕があるらしく、優雅な動きで弾幕の間隙をすり抜けていく。
 その間にスペルカードの制限時間が過ぎ、弾幕は消えうせた。
 それを受けて、レミリアは自分を中心に渦を描くように弾幕を展開する。

「さっきのよりも楽だったわね」

 そんなレミリアに、霊夢は挑発するようにそう言った。
 それを聞いて、レミリアは鼻で笑った。

「ふん……言ったはずよ、まだまだ序の口だって。このくらいでいい気になってもらっては困るわ」

 レミリアはそう言うと即座にスペルカードを取り出した。



 神術「吸血鬼幻想」



 今度はレミリアを中心として放射状に大きな弾丸が飛んでいく。
 霊夢はそれを避けるが、その弾丸の軌道上に紅く輝く小さな弾丸が残っていることに気がついた。
 それに重ねるように、レミリアは更に大きな弾丸を撃ち続ける。

「さあ、避けられるものなら避けてみろ!」

 レミリアがそう言った瞬間、最初に撃った弾丸の軌道が動き始めた。
 その紅い弾丸は、まるで群れを成す蝙蝠が飛んでいくかの様に宙を舞う。
 その編隊飛行は後から放たれた弾丸の軌道と折り重なり、複雑な弾幕を形成した。

「っ、めんどくさい弾幕ね!」

 霊夢はその弾幕をぶつくさ言いながらも躱していく。
 何度か巫女服を掠めたが、どの弾丸も霊夢を傷つけるまでは至らない。
 しかし、先程よりも避けづらい弾幕であることは明白であった。

「そらそらぁ! 逃げ回ってばかりじゃ私は倒せないわよ!」

 そんな霊夢に、レミリアは次々と弾丸を放っていく。
 その表情は楽しそうな笑顔であり、完全に遊んでいるようにも見えた。

「……むかつくわね、その顔!」

 霊夢はそう言うと、スペルカードを取り出した。



 霊符「夢想封印」



 霊夢がスペルを発動させると、霊夢の周囲に七色の玉が現れる。
 七色の玉は現れるなり、レミリアに向かって一直線に飛んでいく。
 レミリアはそれを避けようとするが、それにあわせて七色の玉の軌道も曲がる。

「なっ……」

 突然の変化に対応できず、レミリアは直撃を受ける。
 その瞬間、レミリアのスペルは破られ弾幕が消えうせた。

「……つぅ……追尾型か……やってくれるわね!」

 レミリアは直撃を受けてよろけたものの、すぐに体勢を立て直した。
 直前で身体を丸めることで身を守ったのか、スカートの膝から下がボロボロに擦り切れていた。

「まだ終わっちゃいないわよ!」

 霊夢はそのレミリアに続けざまに七色の玉で攻撃を仕掛ける。

「二度も同じ手が通用すると思うなぁ!」

 しかしレミリアはその玉の特性を理解するや否や、急加速して追撃を振り切る。
 その速度はレミリア自身が紅い弾丸に見えるほど速かった。

「この……いい加減落ちなさいよ!」

 霊夢は一気に畳み掛けるべく、七色の玉を連射する。
 何発も放たれる追尾弾はレミリアを次々と揺さぶった。
 その結果、レミリアは右へ左へと激しい運動を強いられることになった。

「くっ、調子に乗るなぁ!」

 霊夢が追撃を仕掛ける中、レミリアは反撃のためにスペルカードを発動させた。



 紅符「スカーレットマイスタ」



 レミリアは先程のショットガンのような弾幕を、自分の周囲を一周するように放った。
 速度の速い先頭の弾丸の後ろを、大量の遅い弾丸がついて行く。
 その物量は津波のようであり、目の前を真っ赤に染め上げていた。

「っ……また力に物を言わせて!」

 霊夢はそう叫びながらその弾幕を躱す。
 紅の奔流の中を掻い潜り、レミリアに広範囲弾で反撃する。
 かなりきわどい避け方をしているため、弾丸が掠めて巫女服の裂け目から素肌が見えていた。
 その白い肌には赤く腫れている部分があり、浅くではあるが被弾していたことが分かる。

「落ちるのは、お前の方よ!」

 レミリアは霊夢に対して激しく攻め込んでいく。
 次から次へと弾幕を展開し、霊夢に攻撃の暇を与えない。
 レミリアの弾幕は霊夢の袴を裂き、肩を掠め、髪をなびかせる。

「落とせるものなら……落として見せなさいよ!」

 霊夢は自分の直感を信じながら、怒涛の勢いで押し寄せる弾幕を避け続けていく。
 そして、スペルの制限時間が過ぎ去った。
 弾幕は消え、二人はお互いに向かい合う。

「これも避け切ったか……次は……あ?」

 ポケットに手を突っ込んだレミリアは突如として素っ頓狂な声を上げて凍りついた。
 しばしの間、止まる時。
 しばらくしてから、霊夢が何か思いついたように手を叩いた。

「……ひょっとして、スペルカード使い切った?」
「あ、あら? 後一枚あったはずなのに、どこ行っちゃったのかしら?」

 レミリアはポケットの中や服の中、果ては帽子の中などを必死で探す。
 しかし、幾ら探しても探し物は見つからない。
 そんなレミリアを見て、霊夢はにっこり微笑んだ。

「じゅ~う、きゅ~う、は~ち、な~な……」
「ちょ、ちょっと待って! 今探すから!」

 カウントダウンを始めた霊夢に、レミリアは慌てて待ったをかける。
 しかし、非情にも霊夢はカウントをし続ける。

「さ~ん、に~、い~ち、ぜろ! はい、時間切れ。私の勝ちね♪」

 カウントダウンを終えると、霊夢は満面の笑みを浮かべて勝利を宣言した。
 そんな霊夢に、レミリアは猛抗議を始めた。

「ちょっと、待ってって言ったじゃない!」
「だって無いものは無いんだから仕方ないじゃない。私が先に五枚目を使っていたならまだしも、私はまだ一枚しか使ってないもの。現状ならどう考えても私の勝ちよ」

 スペルカードルールでは、撃墜されるのと同様に先にスペルカードを使い切っても負けというルールがある。
 このため、この様な事態になった場合は先に使い切ってしまったレミリアの負けとなるのだ。
 もし、霊夢が五枚目を使った後にこの様な事態になったのであれば、話は違ったのかもしれない。

「こ、こうなったら……」

 レミリアは真紅の槍を取り出し、霊夢を睨む。
 それを見て、霊夢は呆れ顔を浮かべた。

「これから普通に戦おうって言うの? 大人気ないわね、あんたに誇りって言うものがあるんなら潔く負けを認めなさいよ」
「……ぐ、ぐぬぬ……」

 霊夢の言葉を聞いて、レミリアは悔しそうに顔を歪める。
 そしてしばらくすると、苛立たしげに床を蹴りつけた。

「ああもう、分かったわよ! 負けを認めればいいんでしょ、認めれば!」
「そうそう、それで良いのよ。じゃ、この紅い霧を止めてちょうだい」
「……分かってるわよ。ほら」

 ふくれっ面のレミリアが少し念じると、周囲を覆っていた紅い霧が瞬く間に晴れていった。
 それを見て、霊夢は笑顔で頷いた。

「うん、これで今回の異変は終わりね。さてと、銀月を回収して帰りましょ」
「……良いわ。どうせまたやれば「チェストおおおおおおお!!」あいったああああああ!?」

 レミリアが何か言おうとした時、少年の叫び声と共に全体重と落下時の重力加速をフルに使った脳天唐竹割が突き刺さった。
 鈍い音が周囲に響き渡り、レミリアは頭を抑えてしゃがみこんだ。

「ちょっと銀月、今まで何してたのよ?」

 突然の闖入者に、霊夢はそう問いかける。
 すると、銀月は霊夢に向き直って答えを返した。

「話は後でするよ。その前に、そこのお嬢様に聞きたい事があってね」

 銀月はそう言うとレミリアに眼を向ける。
 するとレミリアは、頭にでっかいタンコブを作って眼に涙を溜めて銀月を睨みつけていた。

「お前……いきなりあんなことしてただで済むと……」
「悪いね。でも、せめて一発殴らないと気がすまなかったんだ。それと、これに見覚えは?」

 銀月がそう言って手首を返すと、そこには一枚のカードがあった。
 先程廊下で拾ったあのカードである。

「それは私のスペルカード……あっ」

 レミリアがスペルカードを取り戻そうと手を伸ばすと、銀月は再び手首を返す。
 すると、手に握られていたはずのスペルカードは跡形もなくなっていた。
 呆然とするレミリアに、銀月は話を続ける。

「返して欲しければ、槍ヶ岳 将志について説明してもらおうか? 何であんなことになっているんだ?」
「……銀月のお父さんがどうかしたの?」
「え、こいつ将志の息子なの!?」

 横から聞こえてきた霊夢の言葉に、レミリアは眼を見開いて銀月を見つめた。
 その様子を見て、銀月は頭を抱えてため息をついた。

「話を逸らすな……ついて来てくれ。見れば分かる」

 銀月はすたすたと紅魔館の廊下を歩く。
 その後ろを霊夢とレミリアがついてくる。
 レミリアは苦い表情を浮かべており、この先に行くのを嫌がっている様でもある。

「この部屋の中にいるの?」
「ああ。開けてみてくれ」
「うん」

 霊夢はそう言うと、部屋のドアを開けた。
 部屋の中はバスルームの様であった。



 ちょろろろろろろろろ……かっこーん。



 聞こえてくる水の音。鳴り響く竹の音。
 水瓶に開けられた穴から樋を伝い、水が斜めに切られた竹の筒に流れ込む。
 溜まってくると重みで竹が倒れて水をこぼし、返ってくる竹が石にぶつかって風流な音を立てる。
 それは紛う事なき鹿威しの姿であった。
 唯一違う点を上げるとするならば、竹とぶつかり合う石の部分が銀髪の青年の額になっているところであろう。



 ちょろろろろろろろろ……かっこーん。



 将志の額に竹がぶつかり、雅な音を立てる。
 その頭に衝撃が加わることによって、彼の目覚めは大いに妨げられているようだ。
 随分とシュールな光景ではあるが、将志の頭に衝撃を加え続ける装置としては理に適っている……と思いたい。

「……何これ?」

 そのあまりに異様な光景に、霊夢は唖然とした表情を浮かべる。
 場末のコントでもこんな光景は見られないだろうから、当然の反応である。

「さて、この状況をどう説明つけてもらおうか? こんなことをして何がしたかったんだ?」

 銀月はなんとも微妙な表情を浮かべながらレミリアに問いかける。
 なお、銀月の心境を表現するならば、「銀ちゃん情けなくて涙出てくらぁ!」と言った所であろう。

「……ちょっとした出来心?」

 レミリアは眼を泳がせながら質問に答える。
 それを聞いて、銀月は盛大にため息をついた。

「あのねえ……一歩間違えたら銀の霊峰の全員を敵に回すところだぞ? そこのところ分かってる?」
「ふん、それぐらい返り討ちにしてやるわよ。将志が居なけりゃ怖いのはあのピエロぐらいよ」
「あ、あれと同レベルなのがあと二人は居るから。それ以外にも千年超えた亡霊やら妖怪やらが居るからね、あそこ」
「……大丈夫よ。私は紅魔館のみんなを信じてる。例え銀の霊峰が来ようとも全員返り討ちにして、私の傘下にしてくれるわ!!」

 尊大な態度で話すレミリアに、銀月が補足情報を加える。
 すると、レミリアは力強くそう言い切った。
 しかしその顔色は蒼く、やせ我慢をしていることが良く分かった。

「……銀月。話も良いけど、まずはお父さん起こしなさいよ」
「……そうだな」

 霊夢に促されて、銀月はとりあえず健やかに気絶しているダメ親父に水を被せることにした。



[29218] 銀の月、人を集める
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 21:52
「……む……俺は、いったい……」

 頭に水を被せられ、将志は眼を覚ます。
 辺りを見回すと、真っ赤な壁のバスルームと自分の息子の顔が眼に入った。

「眼は覚めた、父さん?」
「……銀月? はて、見たところここは紅魔館のようだが、何故ここにいる?」
「父さんの帰りが遅いから探しに来たんだよ。そしたらここに着いたってわけさ」

 銀月の言葉を聞いて、将志は一つ頷いた。

「……そうか。それで、後ろに居るのは誰だ?」
「博麗霊夢よ。銀月のお父さん」

 将志が後ろの人物に声をかけると、霊夢は簡単に自己紹介をした。
 それを聞いて、将志は眉をひそめた。

「……博麗の巫女だと? ということは、異変が起きたのだな?」
「そうよ。ここの吸血鬼が幻想郷中に紅い霧を広げてくれたのよ」

 霊夢は隣に居るレミリアを見やりながらそう話す。
 それを受けて、将志の視線がレミリアの方へと向いた。

「……レミリア、お前そんなことをしたのか?」
「ええ、そうよ。この程度のことじゃ銀の霊峰は動かないでしょう?」
「……確かにその程度のことでは動いてはいけないだろうし、俺も動かす気はないな」

 レミリアの物言いに、将志はそう言って言葉を返す。
 それを聞いて、霊夢が首をかしげた。

「動いちゃいけないって、どういうことよ?」
「霊夢、銀の霊峰は幻想郷の存続の危機や、大量殺戮が起きるような事態でないと動いちゃいけないことになってるんだ。だから今回みたいに幻想郷が大騒ぎするぐらいの事態じゃ組織立っては動けないんだ」
「何でよ? どうせなら騒ぎが起きないようにすれば面倒がなくていいのに」
「それは妖怪を抑え付けないためだよ。幻想郷のバランスを崩さないためには、妖怪が強くなくてはならない。けど、抑えつけてたら妖怪は何も出来ずにどんどん弱体化してしまう。だから、中で起きる騒動もある程度は黙認しなきゃならないんだ」

 妖怪とは、本来人間を襲ったり驚かせたり化かしたりするものが大多数である。
 しかし、博麗大結界によって幻想郷内において自由に人間を襲うことが出来なくなってしまった。
 これによって妖怪達はやる気を失い、無気力になってどんどん弱体化してしまったのだ。
 一部、組織内で競わせて力を持ち続けた銀の霊峰の妖怪等の様な例外も居るが、全体で見ればその弱体化は幻想郷の存在意義を揺るがしかねないものになり始めていた。
 そこで妖怪達が動きやすいように、治安維持軍である銀の霊峰は幻想郷が崩壊しかねないような事態にならない限り動いてはいけないという決まりが紫との間になされていたのだ。

「……話を戻そうか。今までの話を要約すると、銀月は俺の帰りが遅いから様子を見に来た。博麗の巫女はレミリアが異変を起こしたから解決をしに来た。これで良いのだな?」
「ええ、そうよ」
「……それで、銀月と巫女が一緒に居るということは……さては銀月、お前異変に首を突っ込んだな?」
「う……で、でも、どうしても放って置けなくて……」

 将志の視線に、銀月は怒られることを察知して肩をすくめる。
 そんな銀月に、将志は大きくため息をついた。

「……まあ良い。俺の手落ちもあったことだ、今回だけは不問にしておこう。ところで、愛梨達はどうしているのだ?」
「愛梨姉さん達なら、今頃魔法の森辺りを捜してるんじゃないかな? ルーミア姉さんは留守番をしているよ」

 将志の言葉を聞いて、銀月はホッと胸を撫で下ろしながら質問に答える。
 その回答に、将志が怪訝な表情を浮かべた。

「……何故魔法の森を捜しているのだ?」
「どうせ魔法の森でキノコを拾い食いして中毒を起こしてるんじゃないかって言ってたぞ?」
「……将志、貴方そんなことをしてるの?」

 銀月は将志の質問にそう答える。
 すると、レミリアが呆れ顔で将志を見た。

「……ところで、何故俺は浴室に居るのだ?」

 レミリアの質問に答えず、将志は逃げるように再び銀月に質問をした。
 その態度は、何よりも雄弁にレミリアの質問に答えていた。
 唖然としているレミリアを尻目に、銀月が将志の質問に答える。

「それは俺もまだ聞いていないんだ。だから、いったん関係者を全員集めて説明してもらおうと思うんだ。父さんも含めてね」
「……成程。確かに事の次第を説明する必要があるな。ではレミリア、関係者全員を集めてくれ」
「はあ……分かったわよ。それじゃ、みんなを集めるわよ」

 レミリアが額に手を当ててそう言うと、一行は関係者に声をかけることにした。
 まずは、銀月の案内で中央のホールへと向かう。
 そこでは、壁に寄りかかって休んでいるメイドの姿があった。

「咲夜、起きなさい。終わったわよ」
「ん……お嬢様……申し訳ございません……」

 レミリアが声をかけると、咲夜は眼を覚ますなり謝罪の言葉を口にした。
 それを聞いて、レミリアは微笑みながら咲夜を抱きしめた。

「気にしなくて良いわ。もう過ぎてしまったことだし、これからの事を考えましょう。みんなを集めるから手伝ってくれる?」
「かしこまりました……ですがまだ少々ダメージが残っておりまして、足元がおぼつかないのでお役に立てるかどうか……」
「そう……それなら無理しないで、そこで休んでなさい。後でまた呼びに来るわ」

 レミリアはそう言うと次を呼びに歩いていき、将志がそれに続く。
 そんな中、銀月は咲夜のところに残っていた。

「……ごめん、やりすぎたみたいだね……」
「気にしないで。もし、私が貴方でお嬢様が貴方のお父さんだったら、もっとひどいことをしていたと思うから」

 心底申し訳なさそうに話す銀月に、眼を瞑ったまま咲夜が答えを返す。
 そこに、先に進んでいた霊夢が戻ってきた。

「銀月、あんたそんな強烈なの食らわせたの?」
「絶対に勝たなきゃいけなかったから、かなりきついのを……正直、あの戦いは忘れ去りたいよ……男らしくないもの」

 霊夢の問いかけに、銀月は両手で顔を覆いながらそう答えた。
 その様子から、銀月があの戦いをかなり後悔していることが分かった。
 そう話している間に、図書館へとたどり着いた。

「パチェ、居るかしら?」
「ここに居るわよ、レミィ。どうやら終わったみたいね」

 レミリアが声をかけると、本を読んでいたパチュリーが顔を上げてそう言った。
 その横で、人間の魔法使いも読んでいた本から眼を移した。

「ありゃ、霊夢……と銀月!? 何でお前達が一緒に居るんだ?」
「やっぱり居たのか、魔理沙。途中でチルノから話を聞いてたから、まさかとは思ったけどね」

 魔理沙は霊夢と一緒に居る銀月を見て驚いた声を上げて近くに駆け寄る。
 異変があると動き出す霊夢はともかく、何の関係も無いと思われる銀月が動いているとは思っていなかったのだ。
 それに対して、銀月は軽く手を上げて答えを返した。
 そんな銀月の袖を、霊夢が引っ張った。

「……ちょっと銀月。あんた魔理沙と知り合いだったの?」
「ああ、人里に通ってた時に知り合った。そういう霊夢こそ、魔理沙と知り合いだったんだな?」

 霊夢の質問に銀月はそう言って頷く。
 すると、霊夢は大きくため息をつきながら銀月の質問に答えた。

「知り合いも何も、異変が起きるたびに毎回ちょっかいをかけて来るのよ」
「よく言うぜ。霊夢だって面白そうだからって異変に首突っ込んでたこともあっただろ?」
「私は良いのよ。それが仕事なんだから」
「で、霊夢は銀月とどういう関係なんだ?」
「持ちつ持たれつの関係よ」
「絶対嘘だ……俺、霊夢からお返ししてもらったことないぞ?」

 霊夢の言葉に、銀月が白い眼差しを送りながら言葉を継ぐ。
 それに対して、霊夢は銀月に食って掛かった。

「何言ってるのよ、味見役とか色々引き受けてあげてるじゃない」
「それは君の方が得じゃないか。俺は朝昼晩三食分料理を作ってお茶汲みして、台所や居間の掃除までしてるんだけど?」
「霊夢……お前酷いな……」

 銀月の口から語られる二人の関係に、魔理沙が白い眼差しを霊夢に送る。
 霊夢はそれを見て、一歩後ずさった。

「な、何よ、良いじゃないの! お互いに納得してるんだから!」
「本当か、銀月?」
「……もう何年も続いてる関係だからね……習慣になってしまったよ」

 必死に自己弁護する霊夢の言葉を受けて魔理沙が銀月に確認すると、銀月は苦笑いを浮かべてため息をつきながらそう答えた。
 それを聞いて、魔理沙は哀れむような視線を銀月に向ける。

「なんて悲しい奴だ……お前、早く縁切らないと一生たかられるんじゃないのか?」
「……黙秘させてもらうよ」

 魔理沙の言葉に、銀月はそう言って力なく首を横に振った。

 そんな三人の会話を、横で聞いていた人物が居た。

「ねえ将志、お前の息子軽く調教されかかってない?」

 レミリアは銀月を見ながらそう口にする。
 すると、将志は腕を組んで唸りだした。

「……執事の研修に出したのは失敗だったか?」
「あら、執事の心得があるのかしら?」
「……人狼の長のところの執事長に免許皆伝を受けたらしいぞ?」

 レミリアの質問に将志はそう言って答える。
 それを聞いて、レミリアは興味深そうな視線を銀月に送った。

「へぇ……それじゃ、うちで雇おうかしら? ちょうど使える執事がもう一人欲しかったのよ」
「……お前にはやらん」
「ちぇ、残念」

 将志の言葉を聞いて、レミリアは残念そうにそう呟いた。

 将志とレミリアが話をする一方で、魔理沙がふと思い出したように話を切り出した。

「そういや、結局ギルの奴来なかったな……何やってんだろ?」
「あ、やっぱりギルバートも来てたんだ。で、どうしたのさ?」
「なんか門番と勝負してくるって言ってたぜ。それで、私は先に行ったのさ」

 魔理沙は少し不満げな表情で銀月に説明する。
 それを聞いて、銀月は少し考え込むと突然ニヤリと笑った。

「……ははあ。さてはその門番に負けたな?」
「え、そんな馬鹿な!? 私が楽に勝てた相手だぜ!?」

 銀月の言葉に、魔理沙は声を張り上げてその可能性を否定する。
 それに対して、銀月は薄く笑みを浮かべたまま話を続ける。

「一つ確認するけど、君はその門番に弾幕ごっこで勝ったんだよね?」
「ああ、そうだぜ」
「たぶん、その門番の本分は近接格闘じゃないのかな? 大方負けて悔しそうな門番に殴り合いで勝負を仕掛けて、苦戦して負けたってところだと思うけど? 今頃門の横で塀に寄りかかって寝てるんじゃないかな?」

 銀月はギルバートが今どんな状況なのか想像しながらそう言った。
 それを聞いて、魔理沙は首をかしげた。

「何でそう思うんだ?」
「だって、ギルバートだし。あいつなら大体そうするよ」

 魔理沙の問いかけに、銀月は自身を持ってそう答えた。
 その一方で、パチュリーがレミリアに近寄って話を始めた。

「レミィ、話はどこでするの?」
「そうね……この図書館を使わせてもらって良いかしら、パチェ?」
「良いわよ。そのほうが移動の手間も省けるしね」
「ありがとう。それじゃあ、美鈴を呼んでくるわね」

 レミリアはそう言うと部屋を出て行こうとし、パチュリーは再び本を読み始める。
 ちょうどその時、図書館のドアが開いて人が入ってきた。

「お嬢様」
「あら、咲夜。もう大丈夫なのかしら?」

 レミリアは声をかけてきた咲夜に言葉を返す。

「はい、十分に休みましたので。何か仕事はございますか?」

 すると咲夜はそう答えて主人に指示を仰いだ。
 咲夜の足取りはしっかりしていて、もう動き回っても大丈夫そうである。
 それを確認すると、レミリアは一つ頷いて指示を出した。

「それじゃあ、美鈴を呼んできてくれるかしら?」
「かしこまりました」

 咲夜はレミリアに頭を下げると、図書館から出て行こうとする。

「あ、待ってくれ! 私も行く!」
「俺もついて行くよ」

 咲夜の後に続いて魔理沙と銀月が図書館を出る。
 道中ではメイド妖精達が後片付けに追われており、かなり騒がしい状態であった。
 メイド妖精は仕事をしているのはずなのだが、バケツをひっくり返したりボーっとしていたりで作業は一行に進まない。

「……これ、いつになったら作業が終わるんだろうか……」
「……徹夜で作業することになりそうね」

 銀月の呟きに咲夜が憂鬱な表情でそう答える。
 それを聞いて、魔理沙が横から口を挟んだ。

「手伝ってやれよ、銀月。お前、執事の経験あるんだろ?」
「そうなの? そういうことなら是非とも手伝ってもらいたいんだけど」

 魔理沙と咲夜は揃って銀月の方を見る。
 それを見て、銀月はしばらく悩んでから大きくため息をついた。

「……はぁ……君には負い目があるからね、今回は手伝うよ……」

 そう話している間に門の前にやってきた。

「す~……す~……」
「ZZZ……ZZZ……」

 門の脇では金髪の少年と赤髪の女性が寄り添うようにして気持ち良さそうに寝息を立てていた。
 肩を寄せ合いお互いの頭を預けるその姿は、まるで仲の良い恋人同士のようにも見える。
 それを見て、銀月は笑みを浮かべた。

「お、やっぱり寝てたか。隣に居るのは門番かな? 随分と仲良く……っ!?」

 銀月はふと背筋に薄ら寒いものを感じて後ろを見て、思わず後ずさった。
 そこには、怒りのオーラを纏った大魔神が二人立っていた。

「この非常事態に……」
「あれだけ待ったのに……」

 二人はそれぞれの得物を大きく振りかぶった。

「何寝てるのよ、貴女は!!」
「何寝てんだよ、お前は!!」

「いったあああああああい!?」
「ぐああああああああああ!?」

 そう叫ぶと同時に、美鈴の額にナイフが投げられギルバートの眉間に箒が振り下ろされた。
 美鈴の額には角が生え、ギルバートの眉間が真っ赤に腫れる。
 銀月は殴られた箇所をさするギルバートに声をかけることにした。

「やあ、兄弟。派手にやられたみたいだな?」
「いてて……って銀月か? お前なんでここに居るんだ?」
「おい、ギル!! 私を待たせておいて何でこんなところで寝てんだよ!?」

 銀月が質問に答える前に、猛烈な剣幕で魔理沙がギルバートに掴みかかる。
 それに対して、ギルバートはため息交じりに答えた。

「何でって、勝負に負けたのに中に入るわけには行かないだろ」
「なっ、私が勝てたのに何でギルが……」
「そりゃ、俺が挑んだのは弾幕ごっこじゃなくて殴り合いだったからな。あの門番、弾幕勝負と殴り合いじゃ全然違ったぞ」

 驚く魔理沙にギルバートは咲夜に追いかけられている美鈴を見やりながらそう言った。
 それを聞いて、魔理沙は呆然とした。

「マジかよ……」
「ね、言ったとおりだろ? ギルバートならそうするって」
「……何だ、兄弟にはお見通しだったってか? まあ、分からなくもねえけど」

 魔理沙の肩を叩きながら銀月が話せば、ギルバートが苦笑いを浮かべてそう返す。
 そんな二人に、魔理沙は言葉を失う。

「こ、これが男の友情って奴か?」

「さあ、どうだろうね?」
「さあ、どうだか」

 魔理沙の言葉に、銀月とギルバートは薄く笑みを浮かべてそう言って返した。

 一方、その隣では美鈴が壁際に追い詰められて咲夜の折檻を受けていた。
 壁や地面に退路を塞ぐようにナイフが刺さっており、美鈴が逃げる余地はなかった。

「ねえ、美鈴。貴女門番よね? それなのに何で寝てるのかしら? おまけに男の子を引っ掛けて仲良く添い寝とか、貴女仕事舐めてるの?」
「ふぇ~ん、そんなつもりじゃ……ひぃ!」

 ナイフを美鈴の恐怖を煽る様に当たるギリギリのところに投げながら、咲夜は話しかける。
 美鈴が答えようとすると、咲夜はそれを遮るようにナイフを投げる。

「じゃあ、何で侵入者が三人も居たのかしら? それも、ほぼ無傷の人が二人も」
「そ、それは……」
「それは俺と相打ちになったからだ」

 美鈴がしどろもどろになっていると、横から声が聞こえてきた。

「え?」
「どういうこと?」

 その声を聞いて、美鈴と咲夜はその声の主であるギルバートの方を向いた。
 すると、ギルバートは事情を説明し始めた。

「お互いに最後の一撃を喰らって伸びてたんだよ。それで、俺が先に眼を覚ましたからここまで連れてきて肩を貸したんだ。そのまま寝ちまったけどな」
「美鈴、それ本当?」
「え、あ、はい……」

 咲夜の問いかけに、美鈴はやや困惑気味に頷いた。
 咲夜はしばらく美鈴の事を見た後、ナイフを回収した。

「……そう。お嬢様が呼んでるわ、早く図書館に来なさい」
「あ、はい、分かりました」

 美鈴が返事をすると、咲夜は紅魔館の中へと戻っていく。

「さて、俺達も行こう」
「ああ、そうすっか」

 ギルバートと銀月はそう言い合うと、咲夜に続いて中に入ろうとする。
 そんなギルバートに、美鈴は声を掛けた。

「あの、ギルバートさん」
「ん、何だ?」
「庇ってくれてありがとうございます。お陰で助かっちゃいました♪」

 美鈴はそう言いながら笑顔を見せる。
 それに対して、ギルバートは小さく息を吐いた。

「そう思うんなら、今度また相手してくれ。次は俺が勝つからな」
「良いですよ。でも、そう簡単に負けたりはしませんよ?」

 仏頂面で話すギルバートに、美鈴は楽しそうに笑いながら答えを返す。
 そこに、魔理沙が割り込んできた。

「……随分仲良くなったな、ギル?」
「まあ、悪い奴じゃなさそうだしな。拳で語ってみれば大体は分かるもんだ」
「ふ~ん……そんなもんか?」
「そんなもんだ」

 魔理沙に対して、ギルバートはそう言って微笑を浮かべる。
 そんなギルバートを、銀月が感心したように見やる。

「にしても、手が早いな。いきなり女の人とあんなに仲良くなるなんて……」
「……お前にだけは言われたくねえよ」

 銀月の言葉に、ギルバートは額に手を当ててそうぼやいた。



「あ、どこ行ってたのよ! ちょっと銀月、お茶を淹れてちょうだい!」

 一行が図書館に戻ると、霊夢がいきなりそう言って詰め寄ってきた。

「……はあ?」

 あまりに突拍子もない一言に銀月がぽかーんとした表情を浮かべる。

「喉が渇いちゃったのよ。だからお茶ちょうだい」

 それにもかかわらず、霊夢は銀月に要求を突きつけた。
 霊夢の発言を聞いて、銀月は頭を抱える。

「あのねえ……ここ、人の家。俺達他所の子。そこのところは……」
「知ったこっちゃないわよ」
「デスヨネー」

 銀月の抗議を一言で斬り捨てる霊夢。
 それを聞いて、銀月はがっくりと肩を落とした。

「お茶だったら私が淹れてくるけど?」
「ダメよ、私は銀月が私好みに淹れたお茶が飲みたいのよ。そういう訳だから宜しくー」

 咲夜が提案するも、霊夢は飽くまで銀月が淹れる茶を所望する。
 それを受けて、銀月は大きくため息をついた。

「はあ……しょうがないなぁ……ちょっと台所借りるけど、いいかな?」
「私も行くわよ。どうせなら、全員分用意した方がいいでしょ」
「それもそうか。それじゃ、みんなに何が飲みたいか訊いてくるよ」

 銀月は咲夜と話をすると、全員に何が言いかを訊いて回り始めた。

 そんな銀月を見て、レミリアが楽しそうな笑みを浮かべて将志に話しかけた。

「ねえ、これはお前の息子が調教されてるのか、あの巫女が餌付けされてるのかどっちだと思う?」
「……銀月……お前、それで良いのか……」

 レミリアの発言に、将志は額に手を当てながら天を仰ぐ。
 自分の息子の現状は、思ったよりも酷かったようである。
 その一方で、レミリアは面白そうに銀月を見続ける。

「それにしても、まるで巫女の専属執事みたいね。執事服とか着せたら良く似合いそうだわ」
「……どうしてこうなった」

 将志はそう言うと、大きくため息をつきながら力なく首を横に振った。



 しばらくして、銀月と咲夜が全員分の飲み物を用意して戻ってきた。

「お飲み物をお持ちしました」

 二人は手分けして飲み物を配っていく。

「はい、どうぞ」
「ありがと……ふ~っ、これこれ。仕事上がりのこの一杯が最高なのよね~♪」

 霊夢は銀月から自分のお茶を受け取ると、至福の表情でそれを飲み始めた。

「そりゃどうも」

 それを見て、銀月は笑みを浮かべた。

「霊夢、発言が親父くさいぜ?」
「ふっ、そんなことはこの一杯の前では些細なことよ」

 魔理沙の発言もどこ吹く風とばかりに、霊夢は銀月のお茶を楽しむ。
 その横で、ギルバートが銀月の淹れたお茶を飲んで苦い表情を浮かべていた。

「しっかし……相変わらずこの関連じゃ銀月に勝てねえな……」
「お? ギルのより美味いのか、銀月のお茶は?」
「お茶に限らず料理関係は銀月のほうが完全に上だよ。何せ、父親が料理の神だからな」
「そっか。でも、ギルもそのままにしておくつもりはないんだろ?」
「当然だ。銀月に負けるのだけは御免だからな」

 魔理沙の言葉に、ギルバートはそう言って笑う。

「俺だって、君に負けるのは嫌だね」

 その横から、銀月もそう言って不敵に笑った。

「…………」
「…………」

 無言で見つめあう二人。
 その間には、どこか張り詰めた空気が漂い始めている。

「表出ようか」
「表出ろ」

 二人はそう言いながら立ち上がると、図書館の出口に向かって歩き始めた。
 そんな二人に、将志が後ろから声を掛けた。

「……お前達。張り合うのも良いが、集まった目的を忘れていないだろうな?」

 その言葉を聞いて、二人は立ち止まった。

「っと、そうだったね、父さん。それじゃ、みんな集まったことだし、説明してもらえるかな? まず、父さんに何があったのさ?」
「……そうだな。まず、俺が覚えている限りのことを話すとしよう」

 そう言うと、将志の口から事の真相が語られ始めた。



[29218] 銀の槍、真相を語る
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 21:57
「……なかなかやるが、それでも俺のほうが上のようだな、レミリア?」

 事は紅い霧の異変の前日の宵の口。
 将志はスペルカードルールの説明をするため、紅魔館を訪れていた。
 そして、たった今その当主たる幼い外見の吸血鬼をスペルカードルールで破ったところであった。

「ぐっ……お前、手を抜いていたわね?」
「……手加減と言って欲しいものだがな……このスペルカードルールの弾幕ごっこに関してはお前は初心者であろう?」

 身体を起こして恨めしげにこちらを睨むレミリアに、将志は飄々とした口調で言葉を返す。
 それに対して、レミリアは苛立たしげに息を吐いた。

「それでも、手加減されるのは気に食わないわよ。第一、お前の能力はこのルールじゃ反則じゃない」

 将志の能力の一つ、『悪意を感じ取る程度の能力』はレミリアの言うとおり弾幕ごっこにおいては反則的な能力である。
 何故なら、この能力は相手がどのような攻撃をしてくるかがあらかじめ分かってしまうのだ。
 つまり、スペルと言うパターン化された攻撃を相手にしたとき、最初からどう避ければ良いのか分かってしまうのだった。
 そのレミリアの主張を聞いて、将志は額を押さえてため息をついた。

「……それに関しては俺は謝るしかないな。何しろ、分かってしまうのだからな。だが、スペルカードを使い切ってしまえば負けというルールもあることだ。俺に勝つことが不可能と言うわけでもあるまい?」
「……そうね。お前に勝てないわけじゃないわ。逆に言えば、私達が人間に負ける可能性すらあるのよね?」

 例えどんなに頑丈でも、どんなに避けるのが上手くても、スペルカードを使い切ってしまえば負けと言うルール。
 このルールは種族間の格差を減らし、どんなに弱い人間でも神や妖怪相手に勝つことが出来るようにするために考えられたルールである。
 つまり、極論を言ってしまえばただ避け続けるだけで相手に勝ててしまうのだ。
 将志はレミリアの言葉に頷いた。

「……その通りだ。相手を倒しきれなくとも、相手の攻撃を避け切ることさえ出来れば勝てるのだからな。この方が戦略を考えることが出来るし、何よりもスリルがあるだろう? 余興としては十分に面白いと思うが?」
「まあ、確かにそうね。これなら相手を殺すこともないし、気軽に暴れることが出来そうね。それに、このスペルカードを集めるって言うのも面白いわね」
「……そのスペルカードは本人にしか作れないからな。その相手のスペルを完璧な形で破った証になる」
「つまり、このスペルカードがあるって事は、私がお前のスペルを完全に破ったことになるのね?」

 そう話すレミリアの手の中には、夜空を翔る流星の絵が描かれたカードが握られていた。
 それは将志のスペルを完全に破った証であった。

「……ああ。まあ、お前ならその程度は避けきれるとは思っていたがな」
「当然よ。私を誰だと思っているのかしら?」

 将志の言葉にレミリアはそう言って笑う。
 それに対して、将志も満足そうに笑い返した。

「……というわけで、これがスペルカードルールによる決闘なのだが……感触としてはどうだ?」
「悪くは無いわね。何よりも、負けても確実に生き残れるというのが気に入ったわ。これなら私の従者が負けても失わずに済むわ」
「……ふむ、気に入ったのならば何よりだ。だが、問題はこれを広めなければならないのだ。お前個人が気に入ったとしても、幻想郷中に広めなければ意味が無いからな」
「そんなの、あんた達が行脚して広めれば良いじゃない。その方が確実じゃないの?」
「……それでは駄目なのだ。それをやってしまうと俺達が、銀の霊峰がルールを押し付けるような形になってしまうからな。飽くまで自主的にスペルカードルールを利用するようにならないと、妖怪達の間にフラストレーションが溜まってしまうのだ」

 首を傾げるレミリアに、将志はそう説明する。
 それを聞いて、レミリアは頷いた。

「成程、退屈しのぎでストレスが溜まるんじゃ誰もやりたいとは思わないわね。それで、何か策はあるのかしら?」
「……あることはある。それについて腰を据えて話をしたいのだが、構わないか?」
「あら、私にそれを話すの?」
「……ああ。俺の知り合いでは、頼めそうなのがお前ぐらいだからな。それで、良いか?」

 将志がそう言うと、レミリアは微笑んだ。
 将志の物言いがプライドの高い彼女のお気に召したようである。

「銀の霊峰に貸しを作れるのなら喜んでやるわ。それじゃあ立ち話もなんだし、座れる場所に行くわよ」
「……ああ」

 二人はそう言うと、レミリアの先導によって地下の図書館へとやってきた。
 その中央では一人の少女が本を読んでおり、近くの本棚では司書と見られる小悪魔が本の整理をしていた。

「パチェ、居るかしら?」

 レミリアは図書館に入るとすぐに中に居る人物に声を掛けた。
 すると本を読んでいた少女こと、パチュリーは顔を上げてレミリアのところへやってきた。

「あら、何か用かしら、レミィ?」
「将志と話をするから、机借りても良いかしら?」

 レミリアはパチュリーに用件を簡潔に述べる。
 すると、パチュリーはレミリアの隣に立っている銀髪の男を見やった。

「将志……ああ、銀の霊峰の首領ね。別にいいわよ。それで、私は出て行ったほうが良いかしら?」

 パチュリーが問いかけると、将志は首を横に振った。

「……いや、別に聞かれてもかまわない話だ。むしろ聞いてくれた方がレミリアも説明が楽になるだろう」
「そう。それなら、いっそのこと咲夜や美鈴も呼ぶ?」
「……その方が説明が早く済むというのならば、そうしてくれ。恐らく紅魔館に居る全員に関わる事だからな」
「分かったわ。こあ、居る?」

 パチュリーは図書館の中に向かってそう声を掛ける。
 すると本の整理をしていた小悪魔がパチュリーの元へとやってきた。

「何ですか、パチュリー様?」
「咲夜と美鈴にレミィが呼んでいると伝えてちょうだい。話があるわ」
「分かりました。それじゃあ伝えてきます」

 小悪魔はそう言うと図書館の外へと出て行った。
 しばらくすると、一人のメイドと中華風の服をきた女性が小悪魔に連れられてやってきた。

「お呼びでしょうか、お嬢様?」
「お話って何ですか?」

 二人が口々にレミリアに話しかけると、レミリアは首を横に振った。

「話があるのは私じゃないわ。それで、みんなを集めて何の話をするつもりかしら、将志?」
「……簡潔に話せば、スペルカードルールを広める手伝いをして欲しいのだ」
「スペルカードルール? 何ですか、それは?」
「……それはだな……」

 将志はその場の者にスペルカードルールの説明を始めた。
 しばらくして、全員一応の理解を得たことを確認して将志は説明を終えた。

「……つまり、新しい決闘方式ということですか」
「本気を出して戦ってやられてもこちらの損害はゼロ。要するに、暴れたい人がお手軽に暴れられるということね」
「……そういうことだ」

 内容を確認する二人に、将志は頷く。
 その横から、レミリアが声を掛ける。

「それで、私達は何をすれば良いのかしら?」
「……実はな……レミリア達、紅魔館に異変を起こしてもらいたいのだ」

 将志がそう言った瞬間、将志を除いた全員が首をかしげた。
 幻想郷の治安を維持する銀の霊峰の首領が、まさか異変を起こす依頼をするとは思っていなかったからである。

「異変を? それどういうことかしら?」
「……今まで起きていた異変は、その解決の際に大勢の怪我人が出てしまうものだった。レミリア、お前がやってきた時もそうだったのは覚えているな?」
「ええ……ピエロに撃ち落されて怪我をした者もいたし、将志にやっつけられた者もいたわ。別件では翠眼の悪魔にこっぴどくやられて死傷者が出たって話も聞いたわ」

 事実、レミリアが率いていた妖怪達は将志や愛梨によって壊滅的な被害を被っていた。
 叩き落された妖怪達は生傷だらけで、怪我が癒えるまでかなりの時間が掛かっていた。
 そうでなくても妖怪達の喧嘩で負傷、酷い場合には死者が出る時もあるのだった。
 レミリアの話を聞いて、将志は僅かに眉をひそめる。

「……翠眼の悪魔に関しては気になるところではあるが、その話は置いておこう。本来そういう事態にならないようにするための抑止力として、銀の霊峰は存在するのだ。しかし、力で抑え付けてしまうと必ず不具合が出てくる。現に力で抑えつけた結果、妖怪達が無気力になり、どんどん弱体化していくことになってしまった」
「成程ね。そうなると人間達が妖怪を駆逐し始めて、幻想が消え失せることになりかねないわね。それで、それとスペルカードルールがどう関係するのかしら?」
「……そもそも、銀の霊峰の役割というのは死者や負傷者を最小限に抑えるというものだ。だがスペルカードルールで戦えば、出動の前提となる死傷者が出て来ない。つまり、俺達が出動する理由が無くなると言う訳だ。これならば、妖怪達も俺達のことを恐れずに思う存分暴れられるだろう?」

 将志は銀の霊峰の、つまり自分の立場を告げると同時に、スペルカードルールの有用性を説明した。
 それを聞いて、パチュリーが頷いた。

「確かにそうね。で、それと私達が異変を起こすことに何の関係があるのかしら?」
「……主な目的は三つだ。一つ目は、スペルカードルールの存在を知ってもらうこと。二つ目はその性質を示すこと。三つ目は、スペルカードルールを用いた異変において、銀の霊峰は介入しないと言う事の証明の為だ」
「銀の霊峰が自分で異変を起こさないのは、三つ目の目的が理由って訳ね」

 将志の言葉に、パチュリーが横から口を挟む。
 それを聞いて、将志は頷いた。

「……そういうことだ。妖怪の賢者や銀の霊峰だから許される、等と取られてしまっては意味が無い。人狼の里も考えたが、そこでは組織の規模が大きすぎる。だからこう言ってしまうと言い方が悪いが、それなりの規模の組織の者に異変を頼もうと思ったわけだ。紅魔館には、力さえあれば誰でも気軽に異変を起こすことが出来る事を証明して欲しいのだ」
「あら、つまりそれは私達の力を認めてるって考えて良いわけ?」

 将志の言葉に、レミリアはそう問い返す。
 それに対して、将志は深く頷いた。

「……そういうことだ。と言うわけで、一つ派手な異変を起こして欲しい。幻想郷に紅魔館の力を示すような異変をな」

 将志がそう言うと、レミリアはその言葉をじっくりと吟味するように考えた。
 そしてしばらくすると、愉快そうに笑った。

「ふふっ、面白いじゃない。そういうことなら、幻想郷に私達の名を知らしめるような異変を起こしてあげるわ」
「……とは言うものの、やり過ぎては駄目だぞ? 幻想郷がひっくり返るような異変を起こしてしまうと、これも銀の霊峰が出動する事態になってしまうからな」
「分かってるわよ。そこまでのことはしないわよ」

 将志の言葉に、レミリアは自信たっぷりの表情で笑うのであった。


  *  *  *  *  *



「……と言うのが、俺が覚えている話だ」

 将志はそう言うと、話を止めた。
 将志の周りには紅い霧の異変に関わった者が並んでおり、将志の話を聞いていた。
 しばらくすると、白装束の少年が口を開いた。

「えっと、ここまでの父さんの話を要約すると、父さんはスペルカードルールを広めるためにレミリアさんに異変を依頼しに行ったって事?」
「……そういうことになる。こうするのが一番手っ取り早いと思ったからな。あとはこの異変の顛末を伝えることで、スペルカードルールの性質を周囲に広めていくと言うわけだ」

 銀月の質問に将志は淡々と答える。
 その回答を聞いて、隣に座っていた巫女が銀月のわき腹を肘で突く。

「ちょっと銀月。あんたのお父さんグルだったじゃない。あんた知ってたの?」
「知るわけないじゃないか。知ってたらもっと俺は落ち着いていたし、父さんの力を感じても動かなかったよ」

 霊夢の物言いに、銀月はそう言って肩をすくめる。
 それを聞いて、将志が首をかしげた。

「……一つ訊きたいのだが、俺の力を感じたとはどういうことだ、銀月? 俺はこの異変には全く介入しないつもりだったのだが?」
「紅い霧の中に、父さんの力を少しだけど感じたんだよ。それと訊きたい事といえば、何で父さんがあんなことになっていたのかも説明してもらいたいね、レミリアさん?」
「……あんなこととは?」

 将志は銀月に事の詳細を尋ねる。
 すると、銀月は微妙な表情を浮かべて将志から眼を逸らした。
 その横では、同じくその光景を見ていた霊夢が苦笑いを浮かべていた。

「……父さんは知らなくて良い事だよ。て言うか、知ろうとしないほうが良いと思うよ」
「……???」

 銀月の言葉に、将志はキョトンとした表情を浮かべた。
 鹿威しに頭を殴られ続けていたなどとは、銀月には情けなくて言えなかった。

「……まあ良い……さて、どうして銀月がここに来る事態になったのか、そして俺の身に何が起きたのか説明してもらおうか、レミリア?」
「うっ……分かったわよ……」



  *  *  *  *  *



「あっ!?」

 重ねられた大量の本を持って宙に浮かぶ小悪魔の手から、本が零れ落ちる。

「……がっ!?」

 その本は吸い込まれるように将志の頭を直撃した。
 将志は椅子から崩れ落ち、動かなくなった。

「……はい?」

 その様子を見て、咲夜が思わず間抜けな声を上げる。
 レミリアは倒れている将志に声を掛けることにした。

「ちょっと将志、馬鹿なことしてないでさっさと起きなさいよ」

 レミリアが声を掛けるが、将志は起きる様子が無い。
 疑問に思ったパチュリーが、将志に近寄って意識の確認を行った。
 よく見てみれば、将志の瞳孔が開いていた。

「……レミィ。彼、完全に気絶してるわよ?」
「え~……こんな薄い本が頭に当たっただけで……」

 パチュリーの言葉を聞いて、美鈴は唖然とした表情で本を拾い上げる。
 その本は僅か数ページ程しかない薄い本で、中身は漫画のようであった。
 気絶した将志を見て、レミリアはがっくりと肩を落とした。

「こ、こいつこんなに貧弱だったの? こんなのに負けてたなんて……」
「そんなことよりもお嬢様、彼をどうします?」
「そうね……そうだ。パチェ、こいつから力を抽出することって出来る?」

 レミリアは少し悪い笑みを浮かべてパチュリーにそう尋ねた。
 パチュリーはしばらく考えたあと、静かに頷いた。

「出来ないことはないわ。精霊から力を取り出すことの応用で行けるはずよ」
「試しにやってみてくれる?」
「ええ、良いわよ」

 パチュリーはそう言うと、将志に手をかざして呪文を唱えた。
 すると、パチュリーは手に電流が流れるような感覚を覚えて手を引っ込めた。

「……っ、物理耐性は貧弱なくせに、魔法に対する耐性は高いみたいね……」
「駄目かしら?」
「難しいわね。彼の身体に流れる力は守護の力。この力そのものに干渉するのは並大抵のことじゃないわ」
「血は抜けないのかしら?」

 何とかして将志の力を利用したいレミリアは、パチュリーにそう問いかける。
 しかしパチュリーは首を横に振った。

「分からないわ。生きている以上出来るかも知れないけれど、彼の力がどの程度含まれているかが分からないわ。もしかしたら力が強大すぎて暴走するかもしれないわ」
「何とかして利用できないかしら?」
「ちょっと待ってレミィ」

 パチュリーはそう言うと、再び将志に手をかざし、詠唱を始める。
 唱えているのは先程の力を受け取る呪文ではなく、無理矢理に奪い取る呪文。

「うっ……」

 詠唱が終わると、先程よりも強い痛みがパチュリーの手に走る。
 しばらくそれに耐えていると、将志の体から銀色の光の粒が靄の様にこぼれだしてきた。
 それはパチュリーが空けた穴から勢い良く吹き出しており、まるで口の開いた風船から吹き出す空気の様であった。
 それを見て、パチュリーは手を離す。
 額には玉の様な汗が浮かんでおり、かなりの負担が掛かっていたことが分かった。

「くっ……少しだけだけど、彼の力が流れだしてきたわ」
「……本当ね。でも、何かおかしくないかしら?」
「……そうね。何ていうか、本来外に出てくるものを無理やり中に閉じ込めているような感じがするわ」

 将志の身体から出てきた光は、パチュリーが手を離した瞬間からゆっくりとと元の場所へと吸い込まれるように移動していた。
 通常であれば、体内で生成されるこのような力は外に流れ出していくため、大変不可解な現象であった。
 レミリアはこぼれ出る銀色の光に軽く手を触れた。
 すると、レミリアは全身を電流が走るような感覚を覚えた後、体の中から燃え滾るような熱さを感じるようになった。

「っ!? 何、この濃縮された力!?」

 自分の身体の突然の変化にレミリアは眼を見開いて驚いた。
 ただ少し触れただけと言うのに、自身の力が大きく膨れ上がっていることに気がつく。
 突然の大きな力に身体の制御が追いついていないのか、レミリアの体からは紅い魔力の光が溢れだしていた。

「レミィの力が全盛期のものに戻ってる? おかしい、そんな濃密な力になるのは……とにかく、サンプリングはしておきましょう。彼なら……黒水晶ね」

 パチュリーはそう言いながら、黒水晶を銀色の光に晒す。
 すると銀色の光は黒水晶に吸い込まれていった。
 力を吸い取った黒水晶の中では、まるで銀河のように銀の光が渦を巻いていた。

「ふ、ふふふ……気分が良いわ。全盛期の私に戻ったのなら、思う存分暴れてやれるわ」
「むきゅ……閉じたわね……外側からの刺激で一時的に漏れただけなのかしら? いずれにしても、少し研究しないといけないわね。こんな濃縮された神の力なんて、滅多に手に入らないもの」

 回復した自分の力を確かめて笑うレミリアの隣で、将志の力を観察していたパチュリーはそう呟く。
 将志の身体を覆っていた銀色の光は全て吸い込まれていた。

「パチェ、こいつ何とかして捕まえておけない? この力は惜しいわ」
「精神干渉や、魔法による束縛は無理ね。縄で縛っても、恐らく抜けられるでしょうね……」
「じゃあどうするのよ?」
「物理的な衝撃に弱いのだから、それを与え続ける方法が良いと思うわ。えぇーと……楽して自動的に頭を殴り続ける方法は……」



  *  *  *  *  *



「それで、あの状態になったって事ね」
「父さんの力を感じたのは、レミリアさんが父さんの力に触れたからなのか」
「……そして、俺の力を利用しようとして手段を講じたわけか……」

 レミリアの白状した内容を聞いて、将志は深々とため息をついた。

「……銀月に感謝するのだな。見つけたのが六花やアグナであったら、紅魔館そのものが無くなっていた可能性があったぞ?」
「あ~……あの二人ならやりそうだな……特にアグナ姉さんとか、全部灰にしそうだ」

 将志の発言に、銀月がそう言って言葉を継ぐ。
 それを聞いて、レミリアの顔が若干蒼くなる。

「……ねえ、さっきから色々聞いてるけど銀の霊峰にはそんな物騒な奴しか居ないの?」
「……いや、そこまで物騒な連中ではないぞ?」
「そうそう、ちょっと加減が効かなくなる事があるだけだ」
「十分物騒じゃないか」
「シッ! 魔理沙、銀の霊峰の連中を一般の者と比べちゃいけません!」

 二人の弁明に口を挟んだ魔理沙を、ギルバートがそう言って注意する。
 それを聞いて、銀月はゆっくりと椅子から立ち上がった。

「……よし、表に出ようか、兄弟」
「……上等だ、行こうぜ兄弟」

 銀月に同調するようにギルバートも席を立つ。

「……そうか、ならば俺が全力で相手してやろう。二人とも、死ぬ覚悟は出来ているか?」

 するとそれに続いて将志が席を立って銀の槍を手にした。

「申し訳ございませんでしたぁ!!」
「申し訳ございませんでしたぁ!!」

 その瞬間、二人は即座に並んでローリング土下座をした。

「あはは……人狼のギルバートさんでも死ぬ目に遭うんですか……」
「……この様子を見るだに物騒ね」

 必死に平謝りする二人の様子を見て、美鈴は乾いて笑みを浮かべパチュリーは小さくため息をついた。

「それにしても、今回の異変は銀月のお父さんの力が使われてたのよね? それじゃあ、もうこんな異変は起こせないわけね?」
「勘違いしてもらっては困るわよ? 今回のレミィはあくまで将志の力に触れて全盛期の力を取り戻しただけ。つまり、やろうと思えばまた今回みたいな異変も起こせるわ」
「ついでに言えば、あれからずっと調子が良いのよ。まるで体の中から力が溢れてくるみたいよ」
「……その様子を見るに、今すぐにでももう一度異変を起こせそうだな」

 霊夢の質問にパチュリーが答えると、レミリアが紅い光をまとって力の一端を見せながら今の自分の状態を説明する。
 それを見て、将志は冷静にそう告げた。

「勘弁してよ……」
「俺としても、今回みたいな異変は遠慮して欲しいね」

 げんなりとした表情の霊夢に合わせるように、ギルバートが口を挟む。
 それを聞いて、魔理沙が首をかしげた。

「そういやギル、お前は何で異変を解決したかったんだ?」
「あの紅い霧のせいで農作物に日が当たらないんだよ。あんなのが何日も続いたら農業が壊滅する」

 レミリアが作り出した紅い霧は太陽を遮るためのものである。
 つまり、それによって幻想郷が覆われてしまえば作物が育たなくなってしまう。
 ギルバートは事態を重く見て、調査に乗り出したのだった。
 それを聞いて、将志が唸った。

「……それは拙いな。そんなことになったら、幻想郷の生活が滅茶苦茶になるところだったな」
「ギルバートさん。そんな大事なことを知っていて、それでも私にあんなことをしたんですか?」

 美鈴は大事な任務を帯びながら自分との勝負を優先したギルバートに質問をする。
 それに対して、ギルバートは頷いた。

「ああ。あの時も言ったが、別に解決するのが俺である必要は無かったからな。だから、あんたと戦うことに重きを置いた。それだけだ」
「それで誰も解決できなかったらどうするつもりだったんですか?」
「決まってるだろ。あんたを倒して、解決するまで何度でも挑む。それだけだ」

 ギルバートは美鈴の眼を見てはっきりとそう言った。
 それを聞いて、美鈴は少し困った表情を浮かべた。

「ギルバートさん……私としては嬉しかったですけど、生活が掛かってるんなら無理しなくても……」
「良いんだよ。今回の場合、魔理沙だって居ただろ? 仲間を信頼できなくてどうしろって言うんだよ?」

 申し訳なさそうな表情を浮かべる美鈴に、ギルバートは笑ってそう語る。

「そういうギルは、私の信頼とは裏腹に負けて寝てたけどな」
「うぐはっ!?」
「あ、死んだ」

 魔理沙の鋭くえぐる一言を受けて、ギルバートは崩れ落ちた。
 その様子を見て、銀月は苦笑いを浮かべた。

「……まあ、今回のような事態になった場合、俺の周りの連中も黙ってはいなかっただろう。結果としては当初の目的を達成出来たのだから言うことはない。あとは紅魔館の面々に少々ペナルティを与えないとな」
「ちょっと、そんなこと聞いてないわよ!?」

 突然のペナルティ宣告に、レミリアが勢いよく立ち上がった。

「……当たり前だ、今初めて口にしたからな。それに、被害は軽微とはいえ周囲に迷惑を掛けたのだ。こちらとしても、形だけでも何か罰則を与えなければならん」

 喰らいついてくるレミリアに対して、将志はしれっとした態度で言葉を返す。
 それを聞くと、レミリアは多少落ち着いたようで席に戻った。

「……形だけね……それで、罰ってどうするつもり?」
「……なに、精々が宴会場を提供するくらいで良いだろう。それくらい軽いものでないと異変を起こそうなどとは思わんだろうし、騒ぐ口実を与えることも出来る。要するに、娯楽は娯楽で済ませようと言うことだ」

 将志はあらかじめ考えていた罰をレミリアに告げる。
 それを聞いて、咲夜が頭を抱えてため息をついた。

「はぁ……片付けの後は宴会の準備か……仕事が終わらないわ」

 咲夜は疲れた表情で小さくそう呟く。
 そんな彼女に、霊夢が話しかけた。

「ねえ、貴女咲夜って言ったわよね?」
「ええ、そういう貴女は霊夢だったわね。どうかしたの?」
「宴会のときは銀月を貸してあげるから、好きに使って」
「ちょっ!? ちょっと待った霊夢、なにそんなこと勝手に決めてるのさ!?」

 突然の霊夢の言葉に、銀月は思わずそう叫んだ。
 しかし、二人がそれに反応することは無かった。

「良いの? そういうことなら遠慮なく使わせてもらうけど」
「お~い! 無視か~い! 俺はいつから霊夢の所有物になったのさ~!?」
「良いのよ、料理人が多いほうが料理も早く出来るでしょ? 銀月の料理は美味しいし、戦力になるわよ」
「俺の人権どこに行った!?」
「そうね。他所の執事長から免許皆伝を受けてるって話だし、期待は出来そうね。それじゃあ、遠慮なく借りていくわ」

 銀月の発言を悉く無視して話を進める二人。
 それに対して、銀月は諦めずに主張を続ける。

「俺の意見を聞いてくれ!!」

「却下よ」
「却下ね」

 しかし、銀月の主張はたった一言でばっさりと斬り捨てられた。

「……酷い虐めを見た」
「……まあ頑張れ、兄弟」

 がっくりとうなだれる銀月の肩を、ギルバートは優しく叩いた。
 その様子を、レミリアが面白そうに眺めていた。

「あれは尻に敷かれるタイプね。お前の息子、銀月って言ったわね? 見ていて飽きないわ」
「……はあ……見ていて涙が出そうだ、全く……」

 将志は自分の息子の扱いに額に手を当ててため息をつく。

「ところで良いのかしら? なにやら勝手に銀月がうちのメイドの手伝いをすることになってるみたいだけど?」
「……その程度のことで親が口出しすることはあるまい。もっとも、危害を加えるようであれば話は別だがな」

 将志はしょうがないと言わんばかりに、ため息混じりにそう言った。
 それを聞いてレミリアは嬉しそうに笑い掛けた。

「そう。なら、ありがたく借りておくわ」
「……必ず返せ」
「あら、どうしようかしら? 有能だったら思わず引き抜いてしまうかもしれないわよ?」

 将志の言葉に、レミリアは悪戯っぽい笑みを浮かべて答えを返す。

「……返せと言っている」

 すると、やたらと力の入った声で身を乗り出しながら将志はそう言ってきた。
 そんな将志に、レミリアは苦笑いを浮かべた。

「はあ……あんた、見かけによらず親馬鹿ね。分かってるわよ」
「……それならば良い」
「はいはい。それで、全員説明はこれで良いかしら? 後片付けと準備に取り掛かりたいのだけど」

 レミリアは全体にそう問いかける。
 誰一人異論は無い様で、全員が沈黙を持って答える。
 それを見て、レミリアは頷いた。

「よし、それじゃあ咲夜。早速作業に移ってちょうだい」
「かしこまりました。それじゃ、銀月。約束どおり手伝い頼むわよ」
「ん、分かった」

 咲夜の言葉を受けて銀月も行動を始めようとする。
 そんな銀月に後ろから声が掛かった。

「その前に銀月、ちょっとお夜食もらえる? お腹空いちゃった」

 霊夢の言葉を聞いて、銀月は頭を抱えた。

「霊夢……流石に人様の家の台所使って料理をするのは……」
「あら、それなら私ももらおうかしら?」

 銀月が霊夢に返事をしようとすると、再び後ろから声が掛かる。
 想定外の一言に、銀月は思わず振り返る。

「さ、咲夜さん?」
「お嬢様に不味いものを食べさせるわけには行かないもの。手伝いをするんだからどれくらいの腕前か見ておかないといけないじゃない」

 咲夜は銀月に理由を説明する。
 それを聞くと、銀月は頭を掻いた後で深々とため息をついた。

「……ったく、しょうがないな……咲夜さん、食材を見るからついてきてくれるかい?」
「ええ、分かったわ」

 そう言うと、銀月は咲夜と連れ立って厨房へと向かった。
 その一部始終を見て、魔理沙が霊夢に話しかけた。

「なあ、霊夢。幾らなんでも酷くないか?」
「え、そう? 私こういうときは大体作ってもらってたんだけど……」
「こういう時って?」
「異変を解決した時とか……仕事が終わって帰ってきたら、いつも銀月がご飯作って待っててくれるのよ」

 銀月は異変が起きたり、霊夢の仕事が長引きそうなときは博麗神社で留守番をし、料理を作って霊夢の帰りを待っていた。
 異変の後の料理には必ずと言って良いほど霊夢の好物が入っているため、霊夢は毎回それをささやかな楽しみにしていたのだった。
 それを聞いて、魔理沙とギルバートは顔を見合わせた。

「銀月……すっかり霊夢の通い夫になってるぜ……」
「だな……執事や夫というよりは、嫁って言った方がしっくり来るな。男だけど」
「そうだな……理想のお嫁さんって感じだぜ」

 二人はそう言い合うと、小さくため息をついた。
 そんな二人の会話を聞いて、霊夢が口を挟む。

「言っとくけど、渡さないわよ。あんな優秀な食事係、手放してたまるもんですか」
「……ほほう? いつの間に銀月はお前のものになったのだ?」
「え……」

 突如として横から掛かった声に、三人はそちらを向く。
 するとそこには、強烈な威圧感を放つ父親の姿があった。
 思わず冷や汗をかく霊夢を、将志はジロリと見やった。

「……そもそも、銀月が何故お前の食事を作っているのかが分からないのだが……聞かせてもらえるか?」
「あ、その……」

 あまりの威圧感に、霊夢は思わず言いよどむ。
 その煮え切らない霊夢の態度に、将志の威圧感はますます膨れ上がった。

「……どうした、言えない様な理由なのか?」
「……そんな威圧感出してたら答えにくいだろ、父さん」

 そんな将志の後ろから厨房から戻ってきた銀月が、呆れたような声を掛ける。
 将志は威圧感を引っ込め、銀月の方を向いた。

「……銀月、お前は何故博麗の巫女の食事を作っているのだ?」
「それは霊夢に料理の味見係を頼んでるからだよ。家族以外に味見をしてくれる人ってあんまり居ないから、俺の料理の修業に付き合ってもらってるんだよ」
「……では、夜食の件に関しては?」
「そりゃあ、働いて帰ってきたときに温かいご飯が待っていたら嬉しいだろ。だから、一仕事を終えた霊夢に対する労いの意を込めて作らせてもらってるよ。料理には気遣いが重要だって教えたのは父さんだろ?」

 銀月は将志に霊夢に食事を作っている理由を告げる。
 それを聞いて、将志は小さく頷いた。

「……成程、納得した。そういうことなら良いだろう。お前が良いと思う範囲で励むが良い」
「ああ、そうさせてもらうよ」

 将志の言葉に銀月は頷いて返す。
 そのやり取りを聞いて、霊夢は嬉しそうに笑った。

「よし、これでお父さんの公認になったわね♪」
「……ただし、お前にくれてやった訳ではないからな。そこのところを間違えるな」

 そんな霊夢に、将志は戒めるようにそう言った。
 それを聞いて、銀月がため息をつく。

「はあ……何言ってるのさ、父さん。それじゃあ霊夢が娘をくださいって言いに来た男みたいじゃないか」

「(そういう風に聞こえるけどな……)」
「(そういう風に聞こえるぜ……)」

 銀月の言葉に、ギルバートと魔理沙は心中でそう語った。

「で、お夜食作りに行ったんじゃなかったの?」
「そうだけど、ちょっと確認をね。今ある材料だと、すぐ出来るのがグラタンになるんだけど大丈夫かなって思ってね」
「ああ、それで良いわよ。それじゃ、宜しく頼むわね」
「了解。それじゃ、作ってくるよ」

 銀月は霊夢に確認を取ると、再び厨房に戻っていった。
 その後姿を見送りながら、魔理沙が口を開いた。

「意外だぜ……銀月って和食を作りそうなイメージだったんだけどな?」
「基本的に何でも作れるわよ、銀月は。修行の一環と称して洋食のフルコースが出てきたり、和風の会席料理を作ったりもしてたわ」
「ふ~ん……てことは、霊夢の食生活って随分と贅沢なんだな?」
「流石にそんなのは毎日食べたりしないわよ。でも、銀月のお陰で食生活が充実してるのは事実ね」

 霊夢は銀月が作る料理の味を思い出し、にこやかに笑いながらそう言った。
 それを見て、魔理沙は羨ましそうに霊夢を見てため息をついた。

「いいなあ、楽できて。そういや、ギルも料理できるんだよな? 何が作れるんだ?」
「俺も執事の修行をしてたからな、和洋中大体のものは作れるようにはなってるぜ。まあ、銀月みたいに毎日作ってるわけじゃねえからそこそこの味だけどな」
「へぇ~……私は基本的に和食しか作らないからな。洋食とかってあまり食べないんだよな」

 魔理沙はそう言いながらギルバートを見やる。
 それを見て、ギルバートは魔理沙にジト眼を向けた。

「……おい、その視線は暗に俺に洋食を作れって言ってるのか?」
「別に~? 私は何にも言ってないぜ」

 ギルバートの追及に、魔理沙はそう言って笑みを浮かべた。
 そうやってしばらく話していると、銀月が料理を持ってきた。

「お待たせ、霊夢。夜食できたぞ」

 銀月はそう言うと、霊夢の前にグラタンをおいた。
 グラタンは湯気を立てており、美味そうな匂いを辺りに振りまいている。

「ありがと。それじゃ、いただきます」

 霊夢はそれを受け取ると、食べ始めた。
 その一方で、銀月は咲夜の前にもグラタンを置いた。

「咲夜さんもどうぞ」
「ええ、それじゃあいただくわ」

 咲夜はそう言うとグラタンを食べ始めた。
 グラタンは熱く、猫舌の咲夜は顔をしかめる。

「はい、これどうぞ」

 そんな咲夜に、銀月は即座に水を手渡した。

「ありがとう」

 咲夜はそれを受け取ると、少し飲んで熱くなった口を冷やす。
 そうして一息つくと、咲夜は料理の感想を述べた。

「……想像していたよりも美味しいわね……」
「そりゃあ、トップレベルの料理人に教わってるもの。初対面の相手の想像は超えるような料理を出せないとね」

 咲夜の感想を聞いて、銀月は誇らしげにそう答えた。
 銀月にとって、将志と言う料理の神に料理を教わることは誇りになっているようであった。
 そんな銀月に、咲夜は頷いた。

「そう。これなら問題は無いわね。それに執事として修行を積んだのも嘘じゃなさそうだし、しばらく手伝ってもらうわよ」
「仰せのままに、メイド長」

 咲夜の言葉に、銀月は恭しく礼をした。

「銀月、お茶ちょうだい」
「そう言うと思って用意はしてあるよ。すぐに持ってくるから待って」

 銀月は笑みを浮かべてそう言うと、霊夢のお茶を淹れに厨房へ向かって行った。
 その様子をレミリアは感心した表情で見ていた。

「……よく訓練された執事ね」
「……少々訓練されすぎの様な気もするがな。では、そろそろ俺は帰るとしよう」
「そう。宴会の日程が決まったら連絡するわ」
「……了解した」

 将志はそう言うと席を立ち、図書館から出て行く。

「ギル、私達もそろそろ帰ろうぜ」
「そうだな。用も済んだことだし、もう帰るか」

 将志に続いて魔理沙とギルバートが席を立つ。
 すると、美鈴がギルバートに声を掛けた。

「また来てくださいね、ギルバートさん」
「ああ。十分に修行を積んでからまた挑戦しに来るよ」
「おい、ギル! 早く帰ろうぜ!」

 美鈴と話すギルバートに、魔理沙が図書館の入り口から急かすように大声で話しかける。

「分かってるからそう急かすな! じゃ、またな!」
「はい! ではまた!」

 軽く手を振って帰って行くギルバートに、美鈴は華やかな笑顔でそう言って手を振りかえした。




「……あ、本持ってかれた……」

 しばらくして、パチュリーが思い出したようにそう呟いた。



[29218] 銀の月、宴会を手伝う
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 22:00
 宵の口の紅魔館の中庭。
 そこには沢山の机が立ち、その上には大量の料理や酒が並べられている。
 紅霧異変の関係者やそれに近しい人物が集まる宴会が開かれているのだ。

「久しぶりだね、レミリアちゃん♪ 喜嶋 愛梨だけど、覚えてたかな♪」
「私達は初めましてですわね。銀の霊峰の槍ヶ岳 六花と言いますわ」
「俺はアグナだ。姉ちゃん達と一緒で銀の霊峰に住んでんだ」

 銀の霊峰から来た三人は今回の主催者であるレミリアにそれぞれ挨拶をする。
 ただし、その立ち位置はレミリアを取り囲むような形である。
 その状況に、レミリアの表情が引きつる。

「あ、あのね。何で私を取り囲んでるのかしら?」
「またまたぁ♪ 分かってるくせに♪」

 冷や汗を流すレミリアのわき腹を、まるで旧友であるかのような親しさで持って愛梨が肘で突く。
 そんな愛梨の態度に、レミリアの表情が蒼くなる。
 思い当たる点があるが故に、その恐怖も大きいようだ。

「お兄様がお世話になったようですので、そのお礼がしたいんですのよ」
「俺達が心を込めて礼をしてやるぜ!!」

 アグナがそう言った瞬間、取り囲んでいた三人の眼が光った。
 その眼つきは、獲物に狙いをつけた狩人の様な眼であった。

「ひっ……」
「うふふ……逃がしませんわよ」

 空を飛んで逃げようとするレミリアの足を、六花が素早く掴んで引き摺り下ろす。
 そこに、アグナがレミリアの肩に手を回した。

「なあ、吸血鬼の姉ちゃん……お礼は素直に受け取るもんだぜ? それから逃げちゃあいけねえよ」
「ね♪ だから、向こうでちょっとお話しよっか♪」

 六花とアグナがレミリアの両脇を固めて中庭から出て行く。

「あいむしんかーとぅーとぅーとぅーとぅとぅー♪」

 その横を、愛梨が歌を口ずさみながらスキップでついて行く。

「いぃぃぃぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 しばらくすると、絹を裂くような悲鳴が紅魔館全域に響き渡った。
 それを聞いて、銀髪のメイドが蒼い顔で黒髪白装束の少年に話しかける。

「あの……銀月? お嬢様、死なないわよね?」
「大丈夫だよ。姉さん達、そういう加減は分かってるから」

「ぎゃあああああああああ!! 痛い、痛いよぉ!!」

 銀月が答えた瞬間、耳を劈くような叫び声が響く。
 すると咲夜の額に大量の冷や汗が浮かんできた。

「ほ、本当に?」
「ああ、それは保障するよ。今まで姉さん達はこういうことで死者を出したことは無いから」
「ふぇぇ……やめてよぉ……もうしないからぁ……」

 次に聞こえてきたのはレミリアの震える声での懇願。
 どうやらかなり酷い目に遭っているようで、嗚咽が混じっている。

「ダ~メ☆ まだまだお礼し足りないんですのよ?」
「確か、痛いところは暖めてやると治まることがあるんだよな? それ、やってやるよ!!」
「やあああああああああああああ!!!」

 再び聞こえてくるレミリアの悲痛な泣き声。

「……でも、あれはトラウマになりそうだね」

 その一連のやり取りを聞いて、銀月の顔も蒼くなった。
 どうやら自分が知っているものよりもかなり激しいことになっているようである。
 そんな銀月に、咲夜は慌てて声をかける。

「ちょ、ちょっと銀月!! 止めてきなさいよ!! あれじゃあお嬢様が!!」
「そうだね、そろそろやり過ぎかな。それじゃあ止めてくるよ」

 銀月はそう言うと、レミリアを折檻している面々を止めに行くことにした。




「ひっく……ひっく……」

 銀月の必死の仲裁によって、レミリアに加えられていた制裁は止められた。
 レミリアはしばらく頭を抱えてしゃがみこんでいたが、銀月が止めたことを確認すると彼の陰に隠れた。
 余程ひどいことをされたのか、レミリアは銀月の腰に頭をうずめて震えている。

「姉さん達……レミリアさんに何したのさ?」
「それは、将志くんに関することのけじめをつけただけだよ♪」
「お兄様の力を乱用するような事態があってはいけませんわ。ですので、少しばかり痛い目に遭ってもらったんですの」
「それこそトラウマになりそうなくらいの事をしねえとまたやりかねねえから、しっかりやらせてもらったぜ」
「うー……ひっく……うー……」

 銀月の質問にそれぞれ答える執行人と、未だに抱き付いて震えるレミリア。
 レミリアは銀月の腰にしっかり抱きついており、離れそうもない。
 その返答を聞いて、銀月は頭を抱えた。

「後でケアする人のことも考えてよ……レミリアさん、幼児退行してるじゃないか」
「銀月、これでも有情なんですのよ? 本来であれば、お兄様を拉致するなんて銀の霊峰に宣戦布告することに等しいんですのよ?」
「そう言った点ではレミリアちゃんは少し向こう見ずだったかな♪ まあ、余程の事がないと出動しないから情報を持ってなかったのかもしれないけどね♪」 
「うー……うー……」

 銀月が話をしていると、レミリアが少し落ち着いたらしく顔を出した。
 眼に涙を溜めて、銀月の身体越しに折檻を加えた三人組を睨んでいた。

「よしよし、もう大丈夫だから咲夜さんのところに行こうね」
「うー……」

 銀月が頭を撫でると、レミリアはチラリと銀月を見た後で咲夜の元へと駆けていった。
 それを見送ると、銀月は三人に向き直る。

「ところで、父さんは?」
「お兄様なら向こうで槍を振ってますわよ」
「涼姉さんは?」
「涼ちゃんならまだ帰ってきてないよ♪」
「あ~……まだ帰ってきてないのか……もう一週間も経つけど、そろそろ戻ってきても良い筈なんだけどなあ?」

 涼の消息を聞いて、銀月はそう言って首をかしげる。
 涼は地底にスペルカードルールを広めに行ったきり、未だに帰ってきてないのだった。
 そんな銀月に、アグナが声をかける。

「銀月、槍の姉ちゃんに限ってはそうはいかねえぞ」
「なんでさ?」
「涼は地底の鬼達のお気に入りなんですのよ。だから、帰ってくるにはまだまだ掛かるかもしれませんわ」

 六花は銀月に涼が帰って来れない理由を述べる。
 かつて鬼が地底に潜る際、わざわざさらって連れて行かれるほど気に入られている涼である、そう簡単に帰ってこられるはずがない。
 それを聞いて、銀月は残念そうに首を横に振った。

「そっか……それじゃあ、ここには来れないね……それじゃあルーミア姉さんは?」
「ルーミアなら湖で氷の妖精に絡まれてたぜ。妖精にしちゃ随分と「お姉さまああああああああ!!」……来やがったよ……」

 アグナが話していると、聞きなれたソプラノボイスが聞こえてきた。
 それを聞いて、アグナは大きくため息をついた。

「お姉さm「はあああああ!!」わぎゃん!!」

 空から一直線に飛んでくるルーミアに、アグナは頭突きをかました。
 その瞬間辺りに鈍い音が鳴り響き、二人はその場に頭を押さえて転がった。

「あったあ~……ルーミアの石頭ぁ……」
「お、お姉さまも十分に固いわ……」
「姉さん達、大丈夫? 凄い音が聞こえたけど」
「俺は大丈夫だ……いって~……」

 銀月が声をかけると、アグナはゆっくりと立ちあがった。
 その一方で、ルーミアは未だに起き上がってこない。

「私はちょっと駄目かも……銀月、ちょっとこっち来て」
「ん? なに?」
「耳貸して」
「うん」

 ルーミアに言われるがまま、銀月は口元に耳を置く。
 すると、ルーミアは銀月の頭を抱え込んで耳に食いついた。

「うひゃあっ!?」

 突然耳に伝わる、ねっとりとした生暖かい感触に、銀月は思わず上ずった声を上げた。
 ルーミアはそれを気にせず、口に含んだ耳をしゃぶり回す。

「ちゅうちゅう……ん~、おいちい♪」
「ちょ、やめて、くすぐったい!!」
「ん~、今度は奥の方を……」
「あ、あう……」

 銀月の耳の穴を舌で突きまわすルーミア。
 その一方で、銀月には背筋にざわざわとした感覚が走り、身体の力が抜けていく。
 やがて、銀月はルーミアの為すがままになっていった。

「何やってんだテメエはよ!!」
「あふんっ!?」

 そこに、アグナがルーミアの側頭部に痛烈な飛び膝蹴りをぶちかました。
 それを受けて、ルーミアは地面を激しく転がった。

「銀月さん、ちょっといいですか?」

 開放された銀月に、中華服を着た女性が話しかけた。
 その声に銀月はハンカチで耳を拭きながら振り向いた。

「あれ、どうしたんです? 美鈴さん」
「ちょっと訊きたい事があるんですが、ギルバートさんと銀月さんって兄弟なんですか?」

 美鈴は眼を合わせず、どこか遠慮がちに銀月にそう問いかける。
 銀月は質問の意味が分からずキョトンとした表情を浮かべたが、しばらくして頷いて答えた。

「え……ああ、そういうことか。確かに俺はギルバートのことを兄弟って呼ぶこともあるけど、本当の兄弟じゃないよ」
「でも、それほど仲が良いってことですよね?」
「さあ、どうだろうね? ギルバートは人間嫌いだからなぁ。それで、本題は何かな? ちなみに、ギルバートがここに来るかどうかなら間違いなく来るよ」

 銀月は薄く笑みを浮かべながら美鈴にそう言った。
 すると、美鈴は罰の悪そうな表情を浮かべた。
 どうやら、本当に訊きたかった事はこれの様である。

「そ、そうですか……でも、何でそう言い切れるんです?」
「ギルバートは割と騒ぐの好きだし、第一魔理沙が放って置かないよ。恐らく、魔理沙と一緒に来るんじゃないか?」

 銀月はギルバートの行動を予測して、そう答える。
 すると美鈴は嬉しそうに笑った。

「それじゃあ、私は準備運動したほうが良さそうですね」
「いや、戦わないよ、ギルバートは。こういう宴会は純粋に楽しむタイプだし、相手が怪我するようなことはしないさ。例外はあるけど」
「例外ですか?」
「誰かが暴れればそれを抑えに行くよ。それに、もし自分が戦いたくなったらまず俺のところに来るだろうさ」
「あはは、確かにギルバートさんならそうしそうですね」

 銀月の言葉に、美鈴はそう言って笑う。
 ギルバートと銀月の関係は、この前のことで大体分かっているからである。

「それはそうと、兄弟が気になるんなら声をかけてみれば? あいつは人間以外には紳士だから」
「そうします。ところで、銀月さんはどうやって仲良くなったんですか? 銀月さん、人間ですよね?」

 美鈴は素朴な疑問を銀月にぶつけた。
 すると銀月は頬を掻いた。

「どうって言われても……俺はあいつとは殺し合いから始まったからなぁ……」
「え……それで、どうなったんですか?」
「俺がギルバートを地獄の断頭台でノックアウトして終わり。あの時はちょっとやりすぎたかもしれないけどね」

 銀月は当時を思い出して苦笑した。
 その言葉を聞いて、美鈴は呆然とした。

「あ、あの……ギルバートさんに殴り合いで勝ったんですか? 確認しますけど、銀月さん、人間ですよね?」
「……みんなそれ聞くけど、俺は正真正銘の人間だよ」

 美鈴の言葉に、銀月は憮然とした表情で答えた。
 するとそこに、ジーンズに黒いジャケット姿の金髪の少年がやってきた。

「よお、兄弟。来たぜ。美鈴もこんばんはだ」

 ギルバートはやってくるなり二人に挨拶をする。
 それに対して、銀月は片手を挙げて答えた。

「やあ兄弟。魔理沙は一緒じゃないのか?」
「魔理沙なら一直線に図書館に行ったよ。酒が入る前に下見だってさ」

 銀月の問いかけにギルバートはそう答える。
 そんなギルバートに、美鈴が声をかけた。

「あの、ギルバートさん? 銀月さんに負けたことあるって本当ですか?」
「ん? ああ、あるぜ。と言うか、忌々しいことに俺は銀月に負け越してるぜ」

 ギルバートはやや自嘲気味に笑いながらそう話した。
 それを聞いて、美鈴は笑いだした。

「ま、またまたぁ~……それ、人間の状態だったから負けたんですよね?」
「いや、俺が魔狼に化けた上で、銀月に純粋な殴り合いで負けた」
「え……あの状態のギルバートさんに、銀月さんは勝つんですか?」
「言っておくが、兄弟の身体能力は人間やめてるぜ。霊力で強化してるって言うけど、それにしたって異常なレベルだぞ」

 唖然としている美鈴に、ギルバートは銀月の現状を話す。
 それを聞いて、美鈴は額に手を当てた。

「……あの、具体的にはどんな感じですか?」
「こいつ、壁を走るわ天井に立つわで忍者みたいなことを平然とするんだよ。おまけに空を飛べばブーストするわ残像は残すわもう滅茶苦茶だ。これで目指すところが役者だって言うんだから訳が分からねえよ」
「む、だってどんな役が必要になるか分からないじゃないか。だから何でも出来るように日々鍛えてるんじゃないか」

 ギルバートの物言いに銀月は不服そうにそう答えた。
 一方で、美鈴は銀月の人間とは思えない身体能力を聞いて愕然としていた。
 それはそうである。ギルバートの話から想像できる銀月の動きは、普通人間では不可能な動きなのだから。

「あ、あの……忍者よりも先に覚えるものがあると思うんですけど……」
「何があるって言うんですか、美鈴さん?」
「え、声が変わった?」

 突然声が変わった銀月に、美鈴は呆気に取られる。
 その反応を見て、ギルバートがくすりと笑った。

「こいつの特技の一つ、声帯模写だ。どうやってるかは知らないが、銀月は自由自在に声を変えることができるんだ」
「まあ、どうやってるかは私も何となくしか分からないけどね」
「これは咲夜さんの声ですか……喋り方までそっくり、というかそのままですね……」

 再び変わった銀月の声に、美鈴は感心したように唸る。
 銀月の演技力は、何も知らずに声だけ聞くと本人の声にしか聞こえないほど高い。

「銀月~! 料理が足りないわよ! 持って来てちょうだい!」

 そこに、銀月を呼ぶ声が聞こえてきた。
 呼んでいるのは紅白の巫女。
 その声を聞いて、銀月はそちらを向いた。

「分かった! 用意するから待ってて! んじゃ、俺は行くよ」
「おう、頑張って来い」

 ギルバートは霊夢のところへと向かう銀月に軽く手を振った。
 その肩を、美鈴が叩いた。

「ギルバートさん、私達も一緒に料理食べませんか? お話してみたいですし」
「そうだな。魔理沙も戻ってこねえし、付き合うよ」

 ギルバートは美鈴の提案を快諾し、二人で食事をとることにした。
 一方で、銀月は霊夢に料理の注文を聞きに行く。

「で、霊夢。何の料理が足りないんだ?」
「肉」

 霊夢の女子としてはあんまりな回答に、銀月はがっくりと肩を落とした。
 銀月は気を取り直して聞くことにした。

「肉って……もうちょっと具体的なものは無いのかい?」
「銀月が食べたいわ」
「黙れ」
「ぎゃふっ!?」

 いつの間にか銀月の背後に立っていたルーミアが高々と宙を舞う。
 アグナのジャンピングアッパーがきまったのだ。

「悪い、邪魔したな」

 アグナはそう言うと、ルーミアの襟首を掴んで引きずっていった。
 その様子を、霊夢は白い眼で見つめていた。
 有体に言ってしまえば、養豚場の豚を見るような眼といったところである。

「ねえ、銀月。あの妖怪、退治してきても良い?」

 霊夢は御幣を手に取り、立ちあがろうとする。殺る気満々と言ったところである。
 そんな霊夢を見て、銀月は額を押さえてため息をついた。

「……ルーミア姉さんのはただの冗談だから。それはそうと、何かある?」
「そうね……このミートパイが美味しかったから、これくれる?」
「了解。じゃ、すぐに作ってくるよ」

 霊夢の注文を聞いて、銀月は厨房へ向かおうとする。 
 すると、上から誰かが近づいてくる気配を感じた。

「あ、銀月だ!」
「ん、この声はチルノか?」

 上から聞こえてくる少し幼い声に、銀月はそちらを向く。
 そこには青い髪の氷精と、緑の髪の大妖精が居た。

「銀月さん、こんばんは」
「大妖精もいるのか……って、チルノは何でボロボロなんだ?」

 チルノの身体には擦り傷や痣が見受けられる。
 どうやら、どこかで暴れてきたようである。
 それについて、大妖精が説明をする。

「それが、さっき闇の妖怪に弾幕ごっこでやられちゃったんです……」
「ああ、そういえばさっきルーミア姉さんが氷の妖精に絡まれてたって話があったな。チルノ、大丈夫か?」
「へーきよ!! 今度はあたいが勝ってやるんだから!!」

 銀月が声をかけると、チルノは元気な声でそう返した。
 それを聞いて銀月は笑みを浮かべた。

「ルーミア姉さんも弱くは無いからな。頑張ってね」
「うん、あたい頑張る!!」
「話は聞かせてもらったぜ!!」

 チルノが気合を入れた瞬間、彼女よりも更に幼い声が辺りに響いた。

「え?」
「誰?」

 三人がその声のほうを向くと、そこには燃えるような紅い髪を持つ幼い外見の少女が立っていた。
 どうやらルーミアを捨てて戻ってきたらしい。

「チルノって言ったな? 同じ妖精の誼だ、お前達はこれからこのアグナ様がみっちり鍛え上げてやる。いいな?」
「ねえ、あんた強いの?」
「ちょっと、チルノちゃん!?」

 アグナの発言を聞いてチルノが問いかけ、大妖精は慌ててその発言を諌める。
 そんな二人に、アグナはニヤリと笑った。

「強いか、だって? ……おもしれえ、試してみっか?」

 そう言った瞬間、アグナの足元から紅蓮の炎が噴出し始めた。
 周囲の気温が一気に上がり、チルノは焼け付くような熱さを覚えた。

「アグナ姉さん、ストップ!! ここで暴れたら火事になるって!!」

 そんなアグナを、銀月は慌てて止める。
 その言葉を聞いて、アグナは炎を止めた。

「おっと、悪いな。で、お前らから見てどうだ?」

 アグナはそう言って二人のほうを見る。

「ふ、ふん! なかなかやるじゃない! それで、あたいを鍛えるの?」

 すると、チルノは冷や汗を掻きながらも強気の発言を返した。
 それを聞いて、アグナは満足そうに頷いた。
 この程度で怯むようでは、上を目指すのは厳しいからである。

「おう、そうだ。二人とも妖精の限界に挑戦させてやる。いいな?」
「え、私も?」

 自分に話が来ることを予想していなかったのか、大妖精が呆気に取られた声を上げる。
 アグナはそれを聞いて頷いた。

「そうだ。なに、悪い話じゃねえと思うぜ? 少なくとも退屈はさせねえよ」
「それをやったら、あたい達さいきょーになれる?」
「なれるかどうかじゃねえ。なるんだよ、最強に。最強の座を、自分の手で掴み取って見やがれ!!」

 最強になれるかどうかを聞いたチルノに、アグナは力強くそう言って返した。
 それを聞いて、チルノは少し考えた。

「……わかった。あたい、やるよ!! 大ちゃんもやるよね!?」
「え、えっと……チルノちゃんがやるんなら……」
「うっし! ならばこの宴会の後、銀の霊峰へ来い!!」

 二人の言葉を聞いて、アグナは楽しそうに笑った。
 すると、チルノが何か思い出したように声を上げた。

「あ……ねえ、他の友達も連れてきて良い?」
「ダチか? 構わねえよ、一緒に連れて来い。強くなりたいって言うんなら鍛えてやるよ」

 アグナはチルノの質問に笑顔で答えた。
 そんなアグナに、銀月が話しかけた。

「アグナ姉さん、そんなことして大丈夫なの?」
「……ルーミアを止める奴が俺だけじゃつれぇんだよ……お前も被害にあってるから分かんだろ……」

 銀月の質問にアグナが疲れた表情でそう話す。
 どうやらルーミアにはかなり手を焼いているようであった。
 そんなアグナに、自身も被害者である銀月は納得したように頷いた。

「ああ……そういうことか……でも、それなら門番達に増援を頼めば良いんじゃない?」
「ばっか、あいつ等は下の連中の教導もしてんだろうが。自由に動ける奴が居ないと厳しいんだよ」
「分かった。父さんには俺からも話をしておくよ」
「おう、助かるぜ」

 銀月はアグナの返答を受け取ると、厨房に向かった。
 その途中、咲夜に声をかけることにした。

「咲夜さん、厨房に行くからここは任せるよ」
「……ちょっと今は厳しいわ」
「うー……咲夜ぁ……」

 咲夜の膝の上では、レミリアが眠っていた。
 頬に涙の筋があるところから、泣き疲れて眠ったものと思われた。

「ありゃ、確かにこれは……まあいいか、いざとなったらギルバートが動くさ。それじゃ、行ってくる」
「頼んだわよ」

 銀月は咲夜と別れ、紅魔館の内部へと足を踏み入れた。
 するとそこでは、モノトーンの服を着た魔法使いがうろうろしていた。
 しばらく眺めていると、彼女は辺りを見回しながら同じ場所を回っているようであった。

「……君は何をやってるんだ、魔理沙?」

 銀月は近くに寄ってその不審な動きをしている魔法使いに話しかけた。
 すると、魔理沙は銀月のほうに向き直った。

「うん? ちょっと、中の散歩をしてるんだけど?」
「それにしては、さっきから同じところをうろうろしてるみたいだけど?」
「あ~……それはだな……ところで、パチュリーを見なかったか?」

 魔理沙は答えづらそうに言いよどんだ後、話題を差し替えることにした。

「パチュリーさん? そういえば見てないな……図書館にはいないのか?」

 すると銀月はキョトンとした表情を浮かべてそう言った。
 どうやら興味はそちらに移ったようである。

「さっき見てきたけど居なかったぜ」
「あ、銀月さ~ん!」

 二人が話していると、横から赤毛の少女が飛んできた。
 図書館で司書をしている小悪魔である。

「あれ、こあ? どうかしたのかい?」
「パチュリー様見ませんでしたか?」

 小悪魔はふとした疑問をぶつけるかのように銀月に質問をした。
 それを聞いて、銀月は首をかしげた。

「え、こあも見てないの? いったいどこに居るんだろう?」
「あ、もしかしたら厨房に居るかもしれませんねぇ……」

 ふと思い出したように小悪魔はそう呟く。
 それを聞いて、銀月は首をかしげた。

「それは何でさ?」
「パチュリー様って、自分で紅茶を淹れる事があるんです。今日みたいに皆さん忙しい時は、大体自分で淹れてますよ?」

 小悪魔の説明を聞くと、銀月は考え込んだ。
 すると何か思いついたようで、小悪魔のほうを向いた。

「それじゃあ、厨房に行こう。どうせ料理が足りなくて作りに行くところだったしね。それからこあ、君に頼みがあるんだ」
「え、何ですか?」
「大至急薬の準備」





「ひゅー……ひゅー……むきゅん」

 銀月と魔理沙が急いで厨房に向かうと、そこでは床に倒れて苦しそうに息をするパチュリーがいた。
 気管から漏れる音によって、喘息の発作であることが分かる。
 それを見て、魔理沙は急いでパチュリーの元へ駆け寄った。

「なあ!? おいパチュリー大丈夫か!?」
「やっぱり発作を起こしてたか。魔理沙、手伝ってくれるか?」
「あ、ああ!! で、何をすればいいんだ!?」
「お湯を沸かしてタオルに染み込ませてくれ。それから水をグラス一杯頼む」
「OK、分かった!」

 魔理沙はそう言うとすぐに仕事に掛かった。
 銀月はパチュリーを椅子に座らせ、パチュリーが楽な姿勢を取らせる。

「銀月さん、お薬持って来ました!」

 しばらくすると、小悪魔が薬の入った吸入器付きのフラスコを持って厨房にやってきた。

「よし、それじゃあ早速吸入を始めてくれ」
「はい!」

 小悪魔はパチュリーの口元に吸入器を当てた。
 するとフラスコの中から薬品が気化し、パチュリーの気管へと入っていく。
 しばらくするとパチュリーの発作は完全に治まった。

「はぁ……ようやく落ち着いたわ……」
「大丈夫ですか、パチュリー様?」

 発作が治まって大きく息をするパチュリーに小悪魔が話しかける。
 するとパチュリーはそれに頷いた。

「ええ……それにしても、気づくのが遅いわよ……もう少し気を配って欲しいわ」
「あう……ごめんなさい……」

 パチュリーに指摘されて、小悪魔はシュンとした表情を浮かべる。
 そんな彼女を尻目に、パチュリーは銀月に話しかけた。

「それで、こあが薬を持ってきたのは銀月の指示? よく私が発作を起こしてるって分かったわね?」
「紅茶を淹れるのに掛かる時間ってお湯を沸かすところからはじめても精々が十五分程度だろ? パチュリーさんは図書館からあまり動かないから、行方不明になるのはおかしいと思ってね。だから、厨房で発作を起こしてるかもしれないと思ったんだ」
「紅茶の淹れ方を知っていて、住人の行動を把握しているから分かったと言うのね?」
「執事をするに当たって、一番重要なのは人を見ることだからね。幾ら仕事の腕がよくても、主人の望むことが分からなければ話にならないから。まあ、今回はこあが主人の行動を把握してたから出来た話さ」

 銀月はパチュリーに事の次第を説明した。
 それを聞いて、パチュリーは小さく息を吐いた。

「成程ね……こあ、貴女もこう出来るようになって欲しいわ」
「ど、努力します……」

 パチュリーの視線を受けて、小悪魔は少し小さくなりながらそう答えた。
 その横で、銀月が腕まくりをして襷を掛けた。

「さてと……急いでミートパイを作らないと霊夢に怒られるな。さて、始めるか」

 銀月がそう言うと、魔理沙が大きくため息をついた。

「銀月……お前また霊夢に使われてるのかよ……」
「まあ、今日は宴会だしね。料理が無くなったら追加が必要だろ。ついでだから魔理沙も何かいるか?」
「あ~……それじゃあ何か適当に作ってくれ」
「OK、任された」

 銀月はそう言うと作業に取り掛かる。
 パイ生地はあらかじめ多めに作ってあるので、魔法式の冷蔵庫から取り出して型に敷いて具材を入れて焼くだけである。

「ところで、ギルは今何やってんだ?」
「ギルバートなら、今頃美鈴さんと話をしてると思うよ。美鈴さん、ギルバートのこと結構気にかけてたし」

 銀月はギルバートが今何をしているかを簡潔に述べた。
 それを聞いて、魔理沙は再び大きくため息をついた。

「はあ……ギルって人間を相手にしたときと妖怪を相手にしたときで温度差がありすぎるぜ、全く……」
「それに関しては同意だね。まあ、人狼としては仕方ないのかもしれないけどね」

 ギルバートと美鈴はまだ二回しか会っていないが、既に普通に喋っている。
 ところが人間を相手にしたとき、ギルバートは関わろうとしない。
 現に、ギルバートは未だに霊夢とは話をしていない。
 銀月に用があるときは決まって霊夢が近くにいないときに話しかけているのだ。
 銀月も今の関係になるまでには何度ぶつかり合ったか分からないし、魔理沙も多少強引なところが無ければ今の様な関係にはならなかっただろう。

「さてと、後は待つだけだな。今のうちにパチュリーさんの紅茶を淹れよう」

 銀月は料理を石釜の中に入れるとそう呟いた。
 それを聞いて、パチュリーが顔を上げた。

「あら、良いの? 忙しいんじゃないかと思ったのだけど」
「この待ち時間の間は手持ち無沙汰だからね。それに今日一日は俺もここの使用人さ。遠慮は要らないよ」
「そう。それじゃあお願いするわ。図書館まで持って来てちょうだい」
「かしこまりました」

 銀月が恭しく礼をすると、パチュリーは図書館へと戻っていった。
 お湯が沸いているのを確認し、あらかじめ暖めておいたポットの中に茶葉と湯を入れる。

「なあ、私の料理は何にしたんだ?」
「魔理沙はキノコが好きだから、キノコのクリームスープのパイ包みだな」
「お、良いねえ。早く出来ないかな?」

 魔理沙がそう言うと、銀月は釜の中を覗き込んだ。
 釜の中ではパイ生地が膨らみ始めているところだった。

「ん~……もうちょっとかな? 出来る前にパチュリーさんのところに紅茶を持っていくか」

 銀月はそう言うと紅茶を別のポットに移し変えると、ティーカップとソーサーをトレーに乗せて図書館に向かった。
 戻ってくると、ちょうどパイが焼けた頃合となっていた。

「……よし、出来たよ」

 銀月はそう言うと、ミトンをつけた手で魔理沙の料理が入った器を取り出して皿のうえに置いて提供した。
 目の前に置かれた料理を見て、魔理沙は嬉しそうに笑った。

「お、出来たのか。それじゃあ早速いただくぜ!」
「召し上がれ。それじゃ、俺は料理を運んでくるよ」

 銀月は出来上がったいくつかのミートパイをキャスター付きのラックに乗せると、パーティー会場に向かった。
 中庭に着くと、料理が無くなっている所に新しい料理を並べていく。
 そして最後に霊夢のところにミートパイを持ってきた。

「お待たせ、霊夢。注文のミートパイだ」
「ああ、ありがと」

 銀月は霊夢が料理を受け取ると、空の皿を下げようとする。
 しかし、その手を霊夢が制止した。

「ちょっと待ちなさい」
「ん? どうかしたのかい?」
「ここに座りなさい」

 霊夢はそういうと、自分の隣に空いている席を指差した。

「はあ……」

 銀月は言われるがままにその席に座る。
 何か言いつけるのならば立たせたままにするので、銀月には何の用なのか分からない。

「はいこれ」

 霊夢は銀月にグラスを差し出した。
 中に入っているのは透き通った赤い液体。
 香りを嗅いで見ると果実香と共に酒精の匂いが漂ってくる。
 まごう事なきロゼワインであった。

「これって……酒、だよね?」
「そうよ。飲みなさいよ」
「まあ、もらうけど」

 銀月はそう言うとそのワインを飲んだ。
 仕事があるのでそんなに時間を取るわけにも行かず、早めに飲み干す。

「はい」

 すると飲み干した瞬間に、霊夢は次のグラスを差し出した。

「え」

 それを見て、銀月は一瞬呆気に取られる。

「グラス、空よね?」
「まあ、そりゃそうだけど……」
「だから、これ」

 仕事を気にして銀月は及び腰になる。 
 そんな銀月の態度を気にせず、霊夢は笑顔でグラスを手渡す。

「はいはい」

 銀月は一つ息を吐いて、それを受け取った。
 そして先程と同じように飲み干す。

「はい次」

 するとすかさず霊夢は次の一杯を差し出してくる。
 流石にこれ以上飲んで仕事に障るといけないので、銀月は霊夢に話をすることにした。

「……あの、霊夢さん?」
「何よ?」
「俺、今は手伝いをしてるんだけど……」
「そんなのどうだって良いじゃない。それよりも私が日頃のお返しをしてあげるんだから、大人しく受けなさい」

 銀月の主張を霊夢は笑って一蹴した。
 それを聞いて、銀月は霊夢をジッと観察した。
 何故なら、普段霊夢は日頃のお返しなどとは縁遠い性格をしているからである。
 よく見ると霊夢の頬は赤く、傍らには何本かのボトルが転がっていた。

「……酔ってる?」
「酔ってないわよ」

 酔っているかという問いかけに即答する霊夢。
 それを聞いて銀月は首を横に振った。

「……水持って来るね」
「逃がさないわよ」

 霊夢は席を立とうとする銀月の袖を掴んで無理矢理座らせる。
 その言葉に、銀月は一瞬冷や汗を掻く。
 性質の悪い絡み酒に引っかかったかもしれないからだ。

「うっ……で、でもこれ以上飲むとあれだし、大体手伝いをしろって言ったのは霊夢じゃないか」
「ああ、それならもう良いのよ。単に私が銀月のお料理食べたかっただけだから」

 霊夢はそう言いながら、銀月が逃げられないように膝の上に移動する。
 それを受けて、銀月は乾いた笑みを浮かべた。

「ははは……そりゃどうも……」
「それよりも飲みなさいよ。次注いであげるから」
「はあ……分かったよ。その代わり、ゆっくり飲ませてもらうよ」

 霊夢の行為にため息をつきながら、銀月はそう答える。
 すると、霊夢の表情が憮然としたものに変わった。

「何でよ。私がお酌した酒は不味いって言うの?」
「逆だよ。霊夢がお酌をしたからこそ、ゆっくり味わって飲みたいんだ。良いだろ? あと、顔が近い」

 銀月はずいっと詰め寄ってくる霊夢から顔を引きながらそう答える。
 それを聞くと、霊夢は不承不承ながらも少しは機嫌を良くした様だった。

「むぅ……分かったわよ。それなら納得してあげるわ。その代わり、私が退屈にならないように相手をしてよ」
「はいはい、分かってるよ。だから膝の上から退いてくれるかい?」
「却下よ。あんた仕事が出来るとすぐにどっか行くじゃない。それじゃあ私が退屈だもの」
「……やれやれ、信用無いな」

 銀月はそう言いながら苦笑いを浮かべる。
 だったら他の人と喋れば良いとも思ったが、こういう場合そんなことを言うと大体拗ねるので言わない。
 なので、銀月は素直に霊夢の言うことを聞くことにした。

「あらあら……銀月とあの巫女、随分と仲が良いですわね?」

 そんな銀月と霊夢を見て、六花が将志にそう話しかけた。
 その一方で、将志は苦い表情を浮かべていた。
 どうやら将志は今の銀月の状況を良く思っていないようだ。

「……仲が良いのは良い事だがな……銀月にはもう少ししっかりして欲しいものだ」
「それにしても、こういう宴席でお兄様が腕を振るわないというのも珍しいですわね? どうかしたんですの?」
「……せっかく銀月が腕を振るうのだ。ならば、俺が横から手出しすることもあるまい」

 将志はそう言いながら、じっとグラスに入った赤ワインを見つめる。
 将志は先程からずっとこの行為を繰り返しており、なにやら考え事をしているようであった。

「……お兄様。どうかしたんですの? 最近ずっと考え事をしているようですけど……」
「……今回、俺はただ落ちてくるだけの本を避け切れず、付け込む隙を与えてしまう結果になった。もしこれで相手がレミリアではなく幻想郷に悪意を持つ者だったとしたらどうなっていたか? 未熟も甚だしい。俺は自らの能力に溺れ、修行を怠っていたようだ」

 将志は苛立たしげにそう呟く。
 自分の不甲斐なさがどうしても許せないと言った状態であった。
 そんな将志の様子に、六花が心配そうに顔を覗き込む。

「お兄様?」
「……修行のやり直しだ。済まないが、しばらく仕事の一部を引き受けてもらうことになるが構わないか?」
「それは別に構いませんけど……あんまり無茶はしないでくださいまし」

 六花はそう言うと席を立った。
 どうやら飲み物を取りに行った様である。
 将志は一人残って、ワインを飲み干す。
 それはせり上がってきた苛立ちを飲み込むための行為であった。

「にゃぁ~……」

 そんな将志のところに、愛梨が千鳥足でやってきた。
 顔は左頬の赤い涙のペイントが目立たないほど真っ赤であり、瑠璃色の眼の焦点は合っていない。

「んしょ……」

 将志のところにやってくると、愛梨は膝の上に跨って向き合うように座った。
 そんな愛梨に、将志はため息をつく。

「……愛梨、また随分と飲んだな……」
「えへへ~♪ ちゅ~……」

 愛梨は将志に抱きつくと、おもむろに唇に吸い付いた。
 将志はそれをゆっくりと引き離す。

「……相当酔ってるな……愛梨、いささか飲みすぎではないか?」
「う~ん……そーかなー? ちゅっ♪」

 愛梨は引き離されても再び将志にキスしてくる。
 そんなに酒に強いわけではない愛梨のこの状況に、将志は見覚えがあった。

「……俺が記憶している限りでは、それ以上飲んだ後は翌日二日酔いになっているのだがな?」
「そーなのかー♪ にゃはは♪ ルーミアちゃんのマネだよ~♪」

 愛梨は手を横にピンと伸ばし、おどけた口調でそう言った。
 それを聴いた瞬間、将志は頭を抱えた。

「……これは本格的に明日がきついな……」
「むぅ……将志くんが笑ってくれない……」

 頭を抱える将志を見て、愛梨が頬を膨らませる。
 そして近くにあったワインのボトルを手に取ると、それを口にくわえて一気に傾けた。

「……おい、それ以上飲むとむぐっ!?」

 将志が止めようとすると、愛梨は突然将志の唇に口をつけた。
 それと同時に、将志の口の中にはワインの味と香りが広がった。
 愛梨は口に含んだワインを将志に口移しで飲ませたのだ。

「……ど~お~? 酔ったぁ~?」

 愛梨はそう言うとこてんと首をかしげながらそう問いかける。 
 将志は口の中に残っているワインを飲むと、小さく息を吐いた。

「……愛梨、分かったからとりあえず酒瓶を置け」
「まだダメかぁ~……んむっ」

 将志が笑わないと見るや、愛梨は再びワインを口に含む。
 ボトルから直接飲ませるほうが早いが、酔っ払っている愛梨にそんなことは考え付かない。

「……だから少しは落ち着けんぐっ」

 将志は愛梨を制止するが、愛梨は聞かずに口移しを行う。
 その後、愛梨の暴走はしばらく続いた。

「……あれれ~? もーからっぽだぁ~?」

 愛梨は自分が持っているワインボトルを逆さにして中を覗き込む。
 ボトルの中にはもう一滴もワインは残っていなかった。

「……お、落ち着いたか?」

 将志は愛梨の様子をジッと窺う。
 愛梨は将志にもたれかかる様に抱きついており、将志は動くことが出来ない。

「将志くぅん……」

 愛梨はトロンとした眼で見つめながら、甘い声で将志に話しかけた。

「……何だ?」
「だいしゅき~♪」

 愛梨はそう言いながら将志の顔に頬ずりする。

「……ああ、俺も好きだぞ」

 将志はそう言って、愛梨の頭を撫でる。
 一連の愛梨の行動で、すっかり毒気を抜かれた将志は笑みを浮かべる。

「ずっといっしょ~♪」
「……ああ、そうだな」

 将志はくすぐったそうに笑いながら、幸せそうに頬ずりをし続ける愛梨の頭を撫でるのだった。



[29218] 銀の槍、己を見直す
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 22:04
 夏の暑い日ざしが降り注ぐ中、永遠亭の庭には不自然な光景が広がっていた。
 まだ夏だと言うのに、庭に植えられた大きな柿の樹には熟れた果実がたわわに実っているのだ。
 その樹の下に、小豆色の胴衣と紺色の袴を着けた銀髪の青年が銀の槍を持って座っていた。

「……せっ!」

 将志は座したまま眼を閉じ、肘打ちで樹を揺らす。
 妖怪の強烈な力で揺らされた樹は、つけた果実を地面に落とし始めた。

「……はあっ」

 将志は眼を閉じたまま、落ちてくる柿の実に槍を放つ。
 放たれた突きは目標を捉えたり捉えなかったりで、安定していない。

「……ぐっ!?」

 そんな中、柿の実の一つが将志の頭を直撃した。
 衝撃を受け、将志は地に伏せる。

「あ、また倒れた」

 その様子を永遠亭の住人が眺めていた。
 輝夜は地面に倒れた将志を見て、暢気な声でそう呟く。
 その横では、永琳が少し痛ましいものを見る眼で将志を見ていた。

「将志……そんなに自分を追い込まなくても……」
「くっ……そういう訳にはいかん。次もまたあのような失態を犯して、主を傷つけでもしたら俺は死んでも死に切れん」

 将志は兎に水を掛けられて眼を覚ますと、そう言いながら柿の樹に注射器を刺す。
 薬剤が注入されると、柿の樹には再びたわわに実がなった。

「だからって、またこんな自分を痛めつけるようなことを……」

 永琳は心配そうにそういう。
 修行自体はそれほど厳しいものには見えないが、将志はこの時点で既に四十八時間ぶっ続けで修行に励んでいるのだ。
 そんな永琳の言葉に、将志は首を横に振った。

「……修行というものは大体が厳しいものだ。この程度の修行など、温い部類に入るだろう。それよりも、俺は一刻も早く自らの弱点を克服しなければならないのだ」
「やめなさい。いくらあなたが妖怪だからといって、疲れを知らないわけではないでしょう? 私達の身に何かあったとき、あなたが疲れのせいで失態を起こしたらどうするつもりかしら?」
「……くっ……確かにその通りだ」

 永琳の言葉を聞いて、将志は苦々しい表情でそう呟いた。
 その様子を見て、永琳は深々とため息をついた。

「はあ……将志も銀月のことをとやかく言えないわね。あなたも十分無茶をしているわよ」
「……返す言葉もないな。だが、一刻も早く危険の芽を摘まなければならんのも事実。難しいものだ」
「ねえ、そういえば将志って『悪意を感じ取る程度の能力』を手に入れるのにどれくらい時間をかけたの?」

 永琳と将志が話をしている間に、輝夜がそう言って割ってはいる。
 それを受けて、将志は顎に手を当てて考え込んだ。

「……大昔のことで良くは覚えていないが……ただひたすらに修行を積んで何十年か、何百年か……」
「それじゃあ、また何百年も掛けて修行するつもりなの?」
「……いや、これは感覚的なものなのだが……その時よりは早く糸口が見つかりそうだ。何しろ、掴むべきものは分かっているのだからな」
「掴むべきものって何よ?」
「……動くものには全て気配がある。それは空気の流れや音、温度等、様々な感覚で知ることが出来る。つまり、それを全て感じ取ることが出来れば対応することも出来るだろう」

 将志は輝夜に自分の考えを説明する。
 すると、輝夜は呆れ果てたと言った表情を浮かべた。

「また滅茶苦茶なことを……」
「姫様、こいつは罠に残された悪意を感じとる化け物よ。むしろそれが出来るのに今まで気配を感じられなかった事の方が不思議よ」
「……そう言われてみれば、確かにそうね」

 誰か居るという程度の気配を感じることならば、誰でも経験したことがあるかもしれない。
 しかし、仕掛けられた罠に籠もった思念を読み取ることは、どう考えても気配を読むより難しい。
 てゐの意見を聞いて、輝夜は納得したように頷いた。
 その横で、鈴仙が口を開いた。

「それにしても、将志さんって本当に努力の人だったんですね……」
「将志は結構完璧主義だからね。初めの頃なんて、自分の出せる最高のお茶が出せなかったからって捨てようとするほどだったわよ」
「自分に厳しい人なんですね……」

 将志のエピソードを聴いて、鈴仙は興味深そうに将志を見やる。
 それを受けて、将志は小さくため息をついた。

「……それは主のためと言うのもあったからな。やはり主には自分の出せる最高のものを出したいものだ」
「そう思ってくれるのは嬉しいけど、私はあなたの弱いところも見ていたいものなのよ?」
「……そこは男としての意地だ、察してくれ……」

 永琳の言葉に、将志は呟くようにそう言った。
 それを聞いて、永琳は笑みを浮かべながら将志に抱きついた。

「ふふふ……そういうところは可愛いわね」
「……やめてくれ、そう言われるのは慣れていないのだ……」

 将志はそう言いながら、永琳から眼を逸らす。
 顔には赤みが差しており、気恥ずかしそうな表情を浮かべていた。
 そんな将志を見て、永琳はその頬を愛しげに撫でる。

「……やっぱり、可愛いわ」
「……くっ……」

 永琳の言動に、将志は完全に沈黙した。
 永琳は将志に抱きついたまま、照れる将志を笑顔で見つめている。

「銀月ーーーー!! ちょっとこーーーーーい!!」
「このバカップルの片割れ引き取れーーーーー!!」

 二人の世界を構築する将志と永琳に、輝夜とてゐが空に向けて大声で叫んだ。
 甘ったるい空気に耐えられず、もうやってられないと言った表情である。
 そんな二人を見て、鈴仙が乾いた笑みを浮かべた。

「あはははは……銀月くんのコーヒー飲みたいな……」
「はいどうぞ」
「きゃあ!?」

 突如として後ろから掛けられた涼やかな少年の声に、鈴仙は驚き飛びのいた。
 その声のほうを振り返ると、そこにはコーヒーを持った白装束の少年が立っていた。

「おや、驚かせてしまったかな?」
「ぎ、銀月くん、何でここに居るの!?」
「何でも何も、父さんの様子を見に来たんだけど?」
「それじゃ、このコーヒーは?」
「毎度毎度来るたびに淹れてるから、どうせどこかでいるだろうと思って淹れておいたんだ」
「そ、そうなんだ……」

 鈴仙の問いかけに、銀月は答えていく。
 すると、銀月のことに気がついて輝夜とてゐがやってきた。

「あ、銀月。私にもコーヒーちょうだい。ブラックで」
「私ももらうわよ。当然ブラックでね」
「はいはい」

 銀月は輝夜とてゐの注文を受けてコーヒーを取りにいく。

「はいどうぞ」
「「ごくごくごく……ぷは~っ!!」」

 コーヒーを差し出すと、輝夜とてゐはそれを腰に手を当てて豪快に飲み干した。
 どうやら将志と永琳の醸し出す甘ったるい空気に耐え切れなかったようである。
 その様子を、銀月は唖然とした表情で見つめる。

「……えっと……お替り、いる?」
「いただくわ」
「私ももらうわ」

 二人の注文を受けて、銀月はコーヒーを再び取りにいく。
 銀月が再びコーヒーを持っていくと、今度は落ち着いて飲み始めた。

「そういえば銀月、あんたこの前の異変の解決に関わったんだって?」

 コーヒーを飲みながら、輝夜が銀月に問いかける。
 それを聞いて、銀月が答えた。

「ん~まあ成り行きでね。で、どこまで聞いてるのさ?」
「将志の口から大体聞いてるわよ。博麗の巫女と一緒に異変を解決したってこと」
「俺がしたのは道中の手伝いだけさ。最後は全部霊夢がやったよ」
「霊夢って、博麗の巫女さんのこと?」

 霊夢の名前を聞いて、今度は鈴仙が質問をする。
 銀月はそれを聞いてキョトンとした表情を浮かべる。

「ん、そうだけど……って、そうか。よく考えたら霊夢の名前を出すのは初めてだったね」
「どんな関係なの?」
「どんな関係って……試食係と料理人?」

 投げかけられる質問に、銀月はおどけた様子でそう答える。
 それを聞いて、質問の主である鈴仙は首を傾げた。

「あれ? 一緒に異変を解決するくらいなのに、そんな関係なの?」

 そう話す鈴仙の表情は、どこか拍子抜けしたと言った表情であった。
 そんな鈴仙を見て、銀月は笑い声を上げた。

「ははは、冗談だよ。そんな関係でもあるけど、れっきとした友人だよ。付き合った時間は一番長いんじゃないかな?」
「……それにしても、あの付き合い方はどうかとも思うがな」

 銀月が話していると、その後ろからやや低めのテノールの声が聞こえてきた。
 その声に反応して、銀月は振り返った。

「あ、父さん」
「あの付き合い方って、なんですか?」
「……はっきり言って、見た目は友人関係と言うよりは主従関係だ。それも、かなり一方的なものだ」
「酷いんですか?」
「……割とな。この間の宴会の時など、いつの間にか手伝いをさせられていたな」

 鈴仙の質問に将志は額を手で押さえながら答えていく。
 その様子から、銀月の今の状況をよく思っていないことが良く分かった。
 それを受けて、鈴仙も心配そうな視線を銀月に送った。

「え~……駄目だよ、銀月くん。嫌なときは嫌って言わないと……」
「それが別にそうでもないからなぁ……むしろやる事が無い方が落ち着かないって言うか……」

 鈴仙の言葉に、銀月はそう言いながら頬を掻いた。
 その言葉に、将志は深々とため息をついた。

「……ワーカーホリックか……」
「そうね。将志と同じ病気ね」

 将志の呟きに、永琳がその隣でそう返した。
 それを聞いて、将志は心外そうに永琳を見た。

「……そうか? 俺はそんなことは無いと思うのだが……」
「ワーカーホリックの患者は大体そういうものよ。自分がそうだと思っていないから、余計に悪化していくのよ」
「……とは言え、俺は一時期に比べればだいぶ改善したと思うのだが……」
「まだまだ、私からすれば働きすぎよ。もう少しこまめにここに来るくらいの時間があって良いと思うわ」

 永琳はそう言いながら将志に少しずつ寄っていく。
 その言葉を聞いて、将志は小さくため息をついた。

「……そこまで来ると、もはや主が俺に会いたいだけだと疑いたくなるぞ?」
「仕方ないわ。だって私はそう言っているんだもの」

 永琳はそう言うと、将志の胸にしなだれかかった。

「……やれやれ。他ならぬ主のためなら、もう少し努力をしてみようか」

 それに対して、将志は微笑を浮かべながら永琳を抱きしめるのだった。

「銀月、あんたの父さん何とかしてよ」
「隙あらば惚気るから、私達の胃がストレスで大変なのよ」
「流石に私もここまで来るとちょっと……」

 再び二人の世界に突入した将志と永琳に、輝夜とてゐと鈴仙の三人はうんざりした表情で銀月に詰め寄った。

「ここで俺に言われても困るんだけど……」

 そんな三人に、銀月は乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
 要するに、全員が匙を投げたのである。
 その現状を受けて、鈴仙がため息をついた。

「まあ、あの二人は放っておきましょう。それよりも銀月くん、そのままいくと気がついたら大変なことになってるかも知れないよ。何とかしないと……」
「……鈴仙、あんたやけに銀月に構うじゃない。どうかしたの?」

 銀月に説教をする鈴仙に、てゐが横からにやにやと笑いながらそう話しかけた。

「え?」

 その言葉に、鈴仙はキョトンとした表情を浮かべた。
 そんな鈴仙を尻目に、輝夜もにやにやと笑いながらてゐに話しかけた。

「てゐ。もうすぐ逆光源氏計画が成功するって時に、横から掠め取ろうとする泥棒猫が出てきたらどうする?」
「あ~、そういうこと。焦っちゃダメよ、鈴仙。そこは手堅くいって……」

 輝夜の言葉を聞いて、てゐはわざとらしく大げさに納得した仕草をして鈴仙にアドバイスを始めた。
 もちろん、二人ともにやけた表情のままである。
 そんな二人の反応に、鈴仙の顔が爆発したかのように一気に赤くなった。

「な、何言ってるのよ、てゐ! 姫様も、そういうわけじゃありませんから!!」
「え……そうなのかい?」

 鈴仙が必死になって否定すると、横から悲しげな声が聞こえてきた。

「え?」

 それを聞いて、鈴仙はその方向を見る。
 するとそこには、悲しげに俯く銀月の姿があった。

「……酷いや……俺の……僕の心に入り込んでおいて……」

 銀月は泣き出しそうなのをこらえる声でそう言った。
 俯いた彼の表情は見えないが、涙の雫を白い袴に零している。

「あ、え、銀月くん?」

 その銀月の反応に、鈴仙はあたふたとし始める。
 頭の中は真っ白になり、どうすれば良いのか分からなくなる。
 そんな中、銀月は涙を袖で拭い顔を上げた。

「この際だから言うよ……鈴仙さん、ううん、鈴仙……僕は、君が好きだ……」

 銀月は茶色い瞳で鈴仙の赤い瞳を見つめながら、真剣な表情でそう言った。
 その言葉は、胸に深く突き刺さるような、強い感情が込められた言葉であった。
 銀月は鈴仙にゆっくりと顔を近づけていく。

「あ……」

 鈴仙はとっさに眼を閉じた。
 鈴仙の鼓動は激しくなり、胸を強く叩いている。
 段々と近づいていく両者の唇。

「えいっ」

 それが触れ合う瞬間、銀月は鈴仙の口に角砂糖を押し込んだ。

「……あれ?」

 口の中にざらりとした感触と共に甘みが広がった瞬間、鈴仙は呆然とした表情でそう呟いた。

「あはは、びっくりした? ちょっと演技してみたんだけど」
「え……え?」

 目の前にいるのは、先程の真剣な表情とは打って変わって悪戯が成功した子供の様な笑顔を浮かべる銀月。
 そのあまりの変化に、鈴仙は思わず辺りを見回した。
 すると、輝夜とてゐもぽかーんと口を開けたまま固まっているのが見えた。

「……ちょっと銀月。びっくりしたのはこっちよ。一瞬本気で成功してたのかと思ったわよ」
「ホントよ。いきなり心臓に悪いわ」

 我に返った輝夜とてゐは、銀月に抗議の視線を送る。
 それに対して、銀月は楽しそうに笑った。

「そう思わせられたのなら俺の勝ちだよ。俺の演技を見抜けなかったってことなんだから」
「あんた、将来役者になりなさい。受けるだろうから」
「それはどうも」

 騙されて面白くなさそうなてゐの皮肉に、銀月は嬉しそうにそう言って返した。
 銀月は実際に役者になるつもりなのだから、全く皮肉になっていない。
 そうとは知らず、てゐは悔しげに小さく鼻を鳴らした。

「それにしても……キスされそうになったのに抵抗しなかったわね、あんた」
「そうよね~……案外本当にまんざらでもなかったりして」

 二人は話の矛先を変え、再びにやけた表情で鈴仙を見やった。
 その瞬間、鈴仙はビクッと肩を震わせた。

「え、あ、その……これはですね?」

 鈴仙はしどろもどろになりながら、助けを求めるように銀月を見た。
 すると銀月はにっこり笑って、

「ふふふ……可愛かったよ、鈴仙さんのキス顔」

 と、のたまった。

「は、はうう~……」

 それを聞いて、鈴仙は顔から火を噴いて小さくなった。
 そんな鈴仙を見て、将志が銀月に声を掛けた。

「……銀月、少々悪ふざけが過ぎるのではないか?」
「そうかな? 俺、確かに演技はしたけど、嘘は一つも言っていないよ。俺の心の中に鈴仙さんがいるのは確かだし、鈴仙さんのことは好きだよ」

 将志の質問に、銀月はそう言って答える。
 その言葉に嘘は無い様で、将志の眼をしっかりと見て答えていた。
 それを聞いて、鈴仙が顔を上げた。

「ほ、本当に?」
「ああ。本当だよ」
「そ、そうなんだ……」

 銀月の回答を聞いて、鈴仙は照れくさそうに笑いながらそう呟いた。
 そんな鈴仙の肩を、永琳がにこやかな笑みを浮かべて叩いた。

「良かったわね、うどんげ。可能性はあるわよ?」
「イナバ、医務室なら空いてるわよ」
「二人っきりにしてあげるから、一気に畳み掛けちゃいなさいよ」

 女性陣は笑みを浮かべて鈴仙に口々にそう言った。
 どうやら、からかいの矛先が完全に鈴仙に向いているようである。

「うう……みんなして酷い……」

 そんな周囲の反応に、鈴仙はしゃがみこんで床にのの字を書き始めた。

「あ、いじけた」
「ほら銀月、慰めてあげなさいよ」
「からかってごめんね、鈴仙さん。お詫びに何か一つ、言うことを聞くよ。何かして欲しいことはあるかな?」

 銀月がそう言って声をかけると、鈴仙は動きを止めてしばらく考える仕草をした。
 そして、俯いたまま願いを口にした。

「……それじゃあ、キスしてください」
「「「「……え?」」」」

 鈴仙の願いを聞いて、一同は間の抜けた声を上げる。
 彼らにとって、この鈴仙の願いは完全に想定外であったようだ。
 一方、銀月は少し考える動作をした。

「……うん、わかった」
「「「「……ええっ!?」」」」

 鈴仙の願いに頷いた銀月に、一同は驚きの声を上げる。
 そして彼らが立ち直る前に、銀月は鈴仙を抱き寄せた。

「……っ!?」

 鈴仙が一瞬驚きの表情を浮かべると同時に、銀月の唇が触れる。
 唇が離れると、銀月は鈴仙に微笑みかけた。

「……これで良いかな?」
「あ……」

 銀月が問いかけるも、鈴仙は放心状態で動かない。

「「「「……」」」」

 銀月が周りを見回すと、見ていた観衆も完全に固まっていた。
 それを見て、銀月はポリポリと頭を掻いた。

「う~ん、ちょっとやりすぎたかな? みんな固まっちゃってるや。鈴仙さん、大丈夫?」

 銀月は鈴仙にそう話しかけながら肩を叩く。
 すると、鈴仙の顔が一瞬で朱に染まった。

「は、はわわわわ、い、今、銀月くん私にキスを……」
「うん、したよ。口のすぐ横辺りに。安心して、唇には触れてないから」

 慌てふためく鈴仙に、銀月は笑顔でそう語りかける。
 それを聞いて、鈴仙は両手で顔を覆った。

「はうう……そうじゃないよ……私は銀月くんをびっくりさせるつもりだったのに……これじゃ逆だよ~……」
「『唇にキスして』って言われたら困っただろうね。でも、キスするだけなら手の甲でも頬でも良いだろ?」

 銀月はしたり顔で鈴仙にそう言い放つ。
 そんな銀月に、輝夜が質問をぶつける。

「……ちょっと銀月、あんた随分手馴れてるわね。何でそんなに慣れてるわけ?」
「知り合いにちょっとした課題を出されててね。それをこなしているうちに自然と」

 知り合いのちょっとした課題とは、もちろん紫の男性に対する苦手意識を克服する手伝いのことである。
 日頃からそれをしている銀月にとって、この程度のことならば楽なものなのであった。

「つまり、その歳にして百戦錬磨ってこと……銀月……恐ろしい子!!」

 それを知って、てゐが驚きの声を上げた。



 夜も更けて全員が寝静まった頃、永遠亭の庭では槍が風を切る音が響いていた。
 青白い月に照らされ、槍が銀の軌跡を夜の闇に描いていく。

「…………」

 将志は無心で槍を振るい、流れるような動作で舞い踊る。
 長い年月をかけて洗練されたその舞は、月明かりを受けてより一層幻想的に映る。

「……ふっ」

 将志は最後に残心を取ると、槍を収めた。
 ふと縁側を見てみると、そこには己が主の姿があった。
 どうやら、ずっと将志の鍛錬の様子を見ていたようである。

「お疲れ様。また修行をしてたのね」
「……ああ。あの修行ばかりをして、基本を忘れてはいけないからな。その確認をしていたのだ」

 将志はそう言いながら永琳の隣に腰を下ろす。
 すると永琳は将志との間にあった僅かな隙間を詰めて密着した。

「それにしても、久しぶりにあなたがこんなに修行するのを見たわ」
「……そうだな……主の前でこんなに修行をするのは何時ぶりか……」

 将志がそう呟くと、永琳はため息をついた。
 そして将志の頬を両手で掴み、自分の方に向けた。

「……あなた、いつも忘れるわね。私から呼んであげないと分からないかしら、鏡月?」
「……む、すまない。いつもの癖でな……これでいいか、××」

 不機嫌そうな顔で自分の本来の名前を呼ぶ永琳に、将志は永琳の本名を呼ぶことで返した。
 すると、永琳は満足そうに笑って頷いた。

「宜しい。それで、修行の成果は出そうかしら?」
「……大体は掴めた。だが、どうにも何かが足らん気がしてならん。一体何が足りないのやら……」

 将志はそう言いながら考え込む。
 修行の成果は着実に出始めている。しかし、自分が望むような完璧な形にはまだ何かが足りない。
 将志のその考えを聞いて、永琳は頷いた。

「そう……そういう時の鏡月の勘はすごいものね。それなら、確かに何かが足りないんでしょうね」
「……だが、その何かが分からないのではな……」
「焦っちゃだめよ。もう少し落ち着いて周りを見なさい。そうすれば、意外なところからアプローチ出来ることがあるわよ?」

 思い悩む将志に、永琳はそう言った。
 それを聞いて、将志は再び考え込んだ。

「……ふむ、それも一理あるな。となると、俺はどこに手がかりを見つければいいのか……」
「そう考えるからいけないのよ。そうじゃなくて、何気なく周りを見回して、これは使えそうだなって思ったら試してみるくらいの気持ちでいた方が案外上手くいくものよ」
「……そういうものか?」
「そういうものよ」

 将志の問いかけに、永琳はそう答える。
 それを聞くと、将志は深々とため息をついた。

「……全く、我ながら難儀な身体を持ったものだ。これほどの身体能力を与えるのであれば、もう少し身体を頑強にしても良かっただろうに」
「本当にね。お陰であなたが捕らえられる事態になってしまったものね……」

 永琳はそう言うと将志の膝に乗り、首に抱きついた。
 突然の行為に、将志は困惑する。

「……××?」
「……これほど悔しい思いをしたのは初めてよ。大切な人が危機に陥っていたのに、私はそれに気付けもしなかった。後で知って、事後報告を受けるだけだった……」

 永琳は抱きしめる力を強め、震える声で将志にそう言った。
 その声色には将志の危機に何も出来なかった悔しさと、どうすることも出来ないもどかしさが滲んでいた。

「……しかし、それは××の立場や状況からでは仕方が無いのでは……」
「仕方が無いで済ませられるわけ無いじゃない!! 何も出来ないであなたを失ったら、私はどうすれば良いのよ!! 悔やんだってあなたは帰ってこないし、後を追うことも出来ないのよ!?」

 将志の言葉に、永琳は激情に駆られるままそう叫んだ。
 将志の首筋に、熱い雫が落ちる。永琳の声には嗚咽が混じっていて、泣きじゃくりながら捲くし立てる。
 その言葉は、将志の胸に深々と突き刺さった。

「……すまない……」

 将志は絞り出すような声で、永琳にそう言った。
 許しを請う将志の言葉を聞いて、永琳は涙を拭った。

「っ……ごめんなさい、少し熱くなりすぎたわ……しばらくこうさせてちょうだい」

 永琳は将志を抱きしめたまま、軽く深呼吸をしながらそう言った。
 それに対して、将志はそっと抱き返しながら答える。

「……××が望むだけそうすれば良いさ」
「ありがとう……」

 そうして、二人はしばらく抱き合ったままで時間を過ごした。
 月は天蓋の頂上に昇り、夜風が二人を優しく撫ぜる。
 そうしているうちに永琳の呼吸が落ち着いたものになり、将志を抱く腕も力強いものから優しいものへと変わっていった。

「……落ち着いたか?」
「ええ……でも、もう少し……」

 永琳はそう言うと、再び将志を抱く腕に力を込める。
 それは、将志から離れたくないと言う意思の現れであった。
 それを受けて、将志は苦笑いを浮かべながら優しく頭を撫でた。

「……あまり遅くなると明日に響くぞ?」
「響いても構わないわ。それよりも、私はあなたとこうしていたい」
「……そうは言うが……夏とは言え、夜風に当たると冷えるぞ? 不老不死とはいえ、夏風邪を引かん訳ではあるまい」
「風邪を引いたら、鏡月が看病してくれるでしょう?」

 永琳はそう言うと、将志の顔を覗き込んだ。
 一方の将志は何とか説得の言葉を探そうとするが、やがて苦笑と共に首を横に振った。

「……否定出来る要素が皆無だな……」
「だったら風邪を引いても構わないわ。むしろ風邪を引きたいくらいね」
「……こちらとしては心配を掛けさせるのは勘弁して欲しいが……」
「それでも、あなたと過ごす時間には代えられないわ。鏡月には悪いけどね」

 頭を掻きながら話す将志に、永琳はそう言いながら笑いかける。
 それを聞いて、将志は額に手を当てた。

「……存外に我侭だな、××は」
「あら、こんなこと言うのはあなただけよ? あなたが私を我侭にさせてるのだから」
「……やれやれ、喜んでいいのやら悪いのやrんっ」

 唐突に、永琳が困ったように笑う将志の唇を奪う。
 永琳は吸い付くように将志の唇を味わい、唇を離す。

「ちゅ……ねえ、鏡月……私の我侭、聞いてくれる?」

 永琳は甘えるような上目遣いの視線で将志を見ながらそう問いかける。
 それに対して、将志は小さくため息をついた。

「……俺で出来ることであれば応えよう」
「あなたの腕の中で眠りたいのよ」
「……それは構わんが……突然どうした?」
「私ね、凄く羨ましく思ってる相手がいるのよ」

 永琳がそう言うと、将志は軽く首を傾げた。
 そしてしばらくして、思い当たることがあったのか軽く頷いた。

「……成程、アグナのことか」
「ええ……鏡月と蕩けるようなキスをして、寝るときになればあなたの腕の中で眠る。あの子に出来て、私が出来ないなんて不公平よ」
「……それはそうだが……見つかると面倒ではないのか?」
「それならそれで構わないわ。見つかったらいっそ見せ付けてやるわよ」

 永琳はそう言うと、将志を抱く腕に力を込める。
 どうやら、首を縦に振るまで離れるつもりは無いらしい。
 それを理解した将志は、ため息と共に笑みを浮かべた。

「……分かった。ならばその願いを聞こう」
「決まりね。それじゃあ、早速寝室に行きましょう」
「……む、俺はもうしばらく修行をしてから……」
「駄目よ。鏡月は一度修行を始めたらなかなか帰ってこないもの。それに、日中に散々修行をしたじゃない。今日はもう休まないと駄目ね」

 永琳はそう言いながら、槍を手に取ろうとする将志の手を握る。
 将志はその手を軽く握ったり放したりすると、力なく首を横に振った。

「……やれやれ、銀月もこんな気持ちなのだろうな……」
「似たもの親子ね。二人揃って修行中毒になってるし」
「……流石にああまで酷くはないとは思うがな」
「ふふっ、それはどうかしらね?」

 頭を掻く将志に、永琳はそう言って笑う。
 将志は楽しそうに笑う永琳を抱き上げると、彼女の部屋へと向かった。
 部屋に着くと、将志は永琳を降ろした。

「……さて、俺はどうすれば良い……っ!?」

 そう言った瞬間、将志は慌てて後ろを向いた。

「ふふっ、どうしたのかしら?」

 そんな将志を見て、永琳は楽しそうに笑みを浮かべる。

「……どうしたもこうしたも、目の前でいきなり着替え始めるのはいかがなものかと思うが?」

 将志は永琳に背を向けたまま、ため息をつきながらそう言った。
 それを聞いて、永琳は服を脱ぎながら話を続ける。

「あら、別に鏡月になら見られても構わないわよ? 私だって、あなたの裸を何度も見てるじゃない」
「……あれは診察だろう。それに男は別に見られようともそこまで気にすることはないが、女子はそうも行くまい」

 布が擦れる音が聞こえてくる中、二人は話を続ける。
 背を向けたままの将志に、永琳は生暖かい視線を送り続けている。

「……それだけかしら?」
「……他に何があると言いたいのだ?」
「いいえ? 鏡月のことだから気恥ずかしくて見られないとかそんなことだろうとは思ってないわよ?」

 永琳は楽しそうな声で将志にそう言った。
 将志はその言葉に、頭を抱えて深々とため息をついた。

「……分かっているなら早くしてくれ」
「もう終わってるわよ」
「……そうか……っ!?」

 将志は振り向いて、即座に180度方向転換をした。

「お、終わっていないではないか……」
「うふふ、引っかかったわね」

 焦りが滲み出る将志の言葉に、永琳が笑みを浮かべてそう応える。
 永琳の服装は下着姿であり、とても扇情的な姿であった。
 将志は再び大きくため息をついて永琳に話をする。

「……悪ふざけをしていないで早くしてくれ」
「私の下着の色は何だったかしら?」
「知るかっ!!」

 悪戯っぽく笑いながら背中にしなだれかかってくる永琳に、将志は思わずそう叫んだ。
 将志の顔は真っ赤であり、声にも全く余裕が無い。
 そんな将志に永琳はくすくすと笑う。

「くすくす、幾らなんでも初心すぎないかしら? 私も男性経験は鏡月だけだけど、流石にそこまでは無いわよ?」
「……頼むから早く服を着てくれ」
「はいはい」

 永琳がそう言うと、再び布が擦れる音が聞こえてくる。
 しばらくすると、その音が止んだ。

「はい、今度こそ終わったわよ」
「……本当だな?」

 将志は振り返ることなく、念を押すようにそう問いかける。
 そんな将志の様子に、永琳は苦笑した。

「そんなに疑心暗鬼にならなくても良いじゃないの。私が信用できないのかしら?」
「……む」

 将志はそう言うと、恐る恐ると言った様子でゆっくり振り返った。
 そしてネグリジェ姿の永琳を見て、将志はホッと胸を撫で下ろした。

「……今度は本当に終わっているようだな。それで、俺はどうすれば良い?」
「先に寝てちょうだい。私はその後で入るから」
「……了解した」

 永琳に促されて、将志は寝台に横になる。
 それに続いて永琳が布団の中に入る。
 寝台は一人用なので、かなり詰めて入らなければ二人一緒には眠れない。
 よって、永琳と将志の体は密着した状態で眠ることになるのだった。

「それじゃ、身体ごとこっちを向いてくれるかしら?」
「……ああ」

 将志はそう言うと身体を横向きし、永琳と向かいあう形を取る。
 右腕で永琳の身体を軽く抱くと、将志は永琳に話しかけた。

「……さて、具合はどうだ?」
「とても暖かいわ……それに、何だか安心するわ」

 永琳は若干夢見心地で将志にそう答える。
 どうやら将志の添い寝はお眼鏡に適ったようである。
 それを聞いて、将志は安心したように息を吐いた。

「……そうか、それは良かった」
「……いよいよ持ってアグナが羨ましいわ。アグナは毎日これをしているんでしょう?」
「……まあ、そうだな。大体は俺のところに来るな」
「そう……なら、こっちにいる間は私がこうさせてもらうわ」
「……好きにするといい」
「そうさせてもらうわ……んちゅ……」

 永琳はおもむろに将志の唇に吸い付く。
 将志は抵抗せず、永琳のしたいようにさせる。
 しばらくすると永琳は将志から唇を離し、首に手を回した。

「……今度はどうしたのだ?」
「前に言ったはずよ、私はあなたに関することの全てで一番になりたいって。キスの回数は大きく遅れを取っているのだから、それを取り戻さないとね。それに……んっ」

 永琳はそう言うと再び将志の唇に口をつける。
 今度は唇を押し付けながら舌で将志の唇をなぞっていく。
 それはまるで将志の唇をじっくりを味わっているかの様であった。
 しばらくして永琳は口を離すと、将志に微笑みかけた。

「……こんなに美味しそうなものが目の前にあるのに、放っておくわけないでしょう?」

 熱に浮かされたような眼で永琳は将志を見やる。
 その眼を見て、将志は薄く笑みを浮かべた。

「……その言い方では、俺が食われてしまいそうだな」
「そうね……でも、食べてしまいたい……ちゅっ……」

 永琳はそう言うと、将志を押し倒すようにして上に乗って唇を奪った。
 将志は再び永琳のしたいようにさせる。

「んちゅ……ちゅ……んむっ……」

 永琳は一心不乱に将志の唇を求める。
 それはアグナのように快楽をむさぼるものではなく、ただひたすらに将志とのふれあいを求める優しいものであった。

「……やれやれ、これではお互いに眠れそうに無いな」

 しばらくすると、将志はそう言って永琳の唇に人差し指をつけて止めた。
 すると、永琳は不満そうな表情を浮かべた。

「む……なんで止めるのよ……」
「……そう焦ることもあるまい。俺が添い寝するのはこれっきりと言うわけでもないのだからな」
「そうね……それじゃあ、もう一つお願いして良いかしら?」

 永琳は将志の頬を撫でながらそう問いかける。

「……何だ?」

 それに対して、将志は永琳の顔に掛かった髪を掻き分けながら聞き入れる。

「寝るときは、私を抱きしめたままでお願いね」
「……言われなくとも、そうさせてもらうよ」

 将志は微笑を浮かべてそう言うと、永琳を抱きしめる腕に優しく力を込めた。



[29218] 銀の月、遊ばれる
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 22:08
 夏も終わりに近づき秋の足音が聞こえてくる頃、真っ赤な洋館の前に降り立つ影があった。
 その人影は真っ白な衣装に身を包んでいて、ゆったりと門番の前に着地した。

「こんにちは、美鈴さん」

 銀月は紅魔館の門番に笑顔で挨拶した。
 すると、立ったまま鼻提灯を膨らませていた門番は眼を覚ました。

「ふぇ、ね、寝てないですよ、咲夜さん!」
「……おかしいな。俺、咲夜さんの声で喋った覚えはないんだけど……」

 慌てふためく美鈴に、銀月はそう呟いた。
 すると頭が覚醒してきたのか、銀月の姿を見た美鈴は首を傾げた。

「あれ、銀月さん? 今日はどうしたんですか?」
「いや、ちょっとギルバートと勝負しようと思ったんだけど、見当たらなくってね」
「それで、ここに探しに来たと言うことですか」
「まあ、そういうこと。それで、見てないかい?」

 一つ頷いてから、銀月は美鈴に問いかける。
 すると、美鈴は首を横に振った。

「残念ながら、私は見てませんよ」
「そっか……う~ん、どこにいるんだろ?」

 美鈴の返答に銀月は考え込む。
 そんな銀月を見て、美鈴は疑問に思ったことをぶつけてみることにした。

「そう言えば、銀月さんって将志さんの息子さんですよね? 槍は使わないんですか?」
「ん? 使うけど、どうかしたの?」
「いえ、ここに来るまでに妖怪に会うかもしれないのに、槍を持っている様子が無いのでちょっと」

 銀月は弾幕も張れるが、時たまそれでは間に合わないような妖怪がいる事もある。
 妖力や霊力を使った攻撃が効かない様な妖怪がいるのだ。
 だと言うのに、銀月は見た目にはそれに対処するための武器を持っていないのだった。
 どうやらそこが美鈴は疑問に思ったようである。
 それを聞いて、銀月は頷いた。

「ああ、それはしまってるからだよ。ほら」

 銀月はそう言うと、札を上に一枚投げた。
 すると、その中から鋼の槍と、青白く光る銀の槍、そして黒鉄色の槍の三本が地面に突き刺さった。
 それを見て、美鈴は眼を丸くした。

「え、三本も持ってるんですか?」
「ああ。一つは普段使ってる鋼の槍、残りの二つが少し特殊な槍さ。今練習してるのがこの槍の扱いさ」

 銀月はそう言うと、地面から青い槍を引き抜いた。
 美鈴は銀月の手の中にあるその槍を見つめる。

「その青白い槍ですか?」
「持ってみれば分かるよ。この槍がどんなものか」

 銀月はそう言うと美鈴に青い槍を手渡した。
 美鈴はその槍を持って軽く振ると、こてんと首を傾げた。

「あれ、軽い? 銀月さん、これ素材は何ですか?」
「ミスリル銀だってさ。ちなみにそこのレンガくらいだったら一振りで両断できるくらい切れ味良いからね、それ。こんな感じで」

 銀月は美鈴から槍を返してもらうと、近くにあった岩に軽く突き込んだ。
 すると、バターにナイフを刺すかのように穂先が沈み込んでいく。
 それを見て、美鈴は驚きと共に頷いた。

「へぇ……それで、練習ってどうするんですか?」
「これを普段どおり振る練習。無駄な力が入っていないか、これで確認できるんだ。こんな感じでね」

 銀月はそう言うとミスリル銀の軽い槍を振るい始めた。
 余計な力を抜き、無駄なく振るう。
 その様子は初めて手にした当初に比べて格段に進歩したものであった。
 銀月の演武が終わると、美鈴は感心した様子を見せた。

「結構修行を積んでるみたいですね。良い動きですよ」
「まだまだだよ。父さんにはまだ遠く及ばない。この程度で満足していたら、成長なんて出来ないよ」
「あはは、ギルバートさんの言うとおり修行が大好きなんですね。ところで、こっちの槍は何ですか?」

 美鈴はそう言うと黒い槍に手を付けた。
 引き抜こうとするが、黒い槍はビクともしない。
 美鈴がしばらく顔を真っ赤にしながら頑張ると、何とか持ち上げることが出来た。
 しかし、それが精一杯で振り回すことは出来そうになかった。

「って、重たっ!? 何なんですか、これ!?」
「それね、神珍鉄の槍なんだってさ」

 驚きの声を上げる美鈴に銀月は笑みを浮かべてそう答える。
 それを聞いて、美鈴の眼が光った。

「え、神珍鉄って、あの神珍鉄ですか!?」
「うん。だから、伸びろって念じれば伸びるよ」
「へえ……それじゃちょっと失礼して……延びろ如意棒!!」

 美鈴が黒い槍を地面に突き刺してそう叫ぶと、槍はあっという間に空高く伸びていった。
 それを見て、美鈴は楽しそうに笑った。

「あ、本当に伸びました! これ、一度やってみたかったんですよね♪」
「うん、それは良いけど、倒れる前に戻してね、大惨事になるから」
「あ、そうでした。縮め!」

 美鈴がそう言うと、槍は再び元の長さに戻る。

「で、最後の一つが普段使っている鋼の槍さ。よっと」

 銀月はそう言うと、自分の前に刺さっていた槍を手にとって振るい始めた。
 先程のミスリル銀の槍のときと同じく、無駄のない動きで槍を振るう。
 槍が風を切る音がリズミカルに辺りに響く。
 その全てが終わると、銀月は残心を取って槍を納めた。

「とまあ、こんな感じで普段修行をしてるよ」

 銀月はそう言うと石突を地面についた。
 そんな彼から槍を受け取ると、美鈴は唖然とした表情を浮かべた。

「あの、銀月さん この槍、人間には重いんじゃないんですか?」
「ん~、確かに普通の槍よりは重いかもね。でも、毎日使ってるから慣れたよ」

 銀月はそう言いながら鋼の槍を受け取り、三本の槍を元の札にしまった。
 するとそこに銀髪のメイドが通りがかった。

「あ、銀月。ちょうど良いところに来たわね」

 咲夜は銀月の姿を見るとそちらに寄って来た。
 声を掛けられて、銀月はその方を向いた。

「ん? 咲夜さん、どうかしたのかい?」
「少し手伝って欲しいことがあるのよ」
「手伝い?」
「あれよ」

 そう言って咲夜が指を指した方向には、大穴が開いた紅魔館の外壁があった。
 銀月はその穴を見て、乾いた笑みを浮かべた。

「……魔理沙かな?」
「ええ、その通りよ。またパチュリー様のところから本を持ち出したみたいよ」

 咲夜はそう言いながら大きくため息をつく。
 どうやら毎回こういう事態になっているらしい。
 そんな咲夜の様子に、銀月もつられてため息をついた。

「……あいつ、いつから泥棒になったんだ?」
「本人曰く、「死ぬまで借りるだけ」だそうよ」
「……パチュリーさんに謝っておくか」

 銀月はそう言うと、仕事に取り掛かった。






「……さてと、仕事はこんなところか……結局勝負どころじゃ無くなっちゃったなぁ……気がついたらもう夜になってるし……」

 瓦礫を片付けて応急処置を施すと、銀月は空を眺めた。
 空には月が昇り始めており、辺りを穏やかに照らし出している。
 それを見て、銀月は大きく伸びをした。

「ん~……そろそろ吸血鬼も起きる頃か……帰る前にレミリアさんに挨拶してこようかな」

 銀月はそう言うと紅魔館の中に入っていく。
 紅魔館の廊下には沢山の燭台が並べられていて、蝋燭の火が周囲をぼんやりと照らし出している。
 その廊下を銀月は歩いていく。
 九月になったというのに残暑は厳しく、仕事が終わってすぐと言うこともあってか銀月の額には汗が浮かんでいた。

「それにしても、まだ残暑が厳しいな……もうすぐ涼しくなっても良い頃なのに……あ」

 銀月が汗を拭こうと懐からハンカチを取り出すと、一緒に真鍮のサイコロが勢いよく飛び出してきた。
 サイコロは転がり、地下へと繋がる階段へと落ちて行く。

「いけない、取りに行かないと」

 銀月は転がったサイコロを追いかけて階段を下りていく。
 サイコロは止まらず、とうとう終点に着くまで止まらなかった。
 銀月はやっとのことで追いつくと、サイコロを拾い上げた。

「はあ、結局一番下まで転がっていったな……さて、早く戻らないと……」
「誰か居るの?」
「うん?」

 銀月が戻ろうとすると、後ろから声が聞こえてきた。
 よく見ると背後には扉があり、声はその中から聞こえてくるようであった。

「霊夢でもない、魔理沙でもない。貴方はだあれ?」
「う~ん……ちょっと手伝いに来た客人、かな?」
「へ~、お客さんなんだ。入ってきてよ、ちょっと退屈だったんだ」

 少女の声は何処となく嬉しそうにそう話す。
 どうやら普段は来客が少ないようである。
 そんな彼女の声を聞いて、銀月は首をかしげる。

「良いのかい?」
「良いの良いの、どうせこの部屋には私しかいないから」
「そう……それじゃ、少しお邪魔しようかな」

 聞こえてくる少女の声に促され、銀月は部屋の中に入る。
 するとそこには、細い枝に色とりどりの宝石を吊り下げたような翼を持つ少女が待っていた。

「いらっしゃい、お客さん」
「はい、いらっしゃいました……む、そういえば君に会うのは初めてだね」
「そうだね。私はフランドール・スカーレット。フランって呼んでね。あなたはだあれ?」

 無邪気な声でフランドールは銀月に自己紹介をする。
 それを聞いて、銀月は少し考えるそぶりを見せた。

「スカーレット……レミリアさんのご家族か。俺の名前は銀月って言うんだ。どうぞ宜しく」

 銀月が自己紹介をすると、フランドールは首を傾げた。
 どうやら何か思い当たる節があるようである。

「銀月? あ、ひょっとしてお姉様が話してくれたあの人間かな?」
「お姉様って……レミリアさん、俺のこと何か言ってたのかい?」
「よく働くから、何とかして執事に出来ないかって言ってたよ?」

 楽しそうに話すフランドールの言葉を聞いて、銀月は笑みを浮かべた。

「あはは、そっか。そんなこと言ってたのか。褒められて悪い気はしないな」
「それから、霊夢に頭が上がらないって話も聞いたよ」
「……別にそんな訳じゃないんだけどね」

 突如として銀月の声が少女の声に変わる。
 それを聞いて、フランドールは首を傾げた。

「あれ、声変わった?」
「うん、君の声の真似。退屈だって言ってたから少し面白くしてみようかなって思って」

 元の涼やかな少年の声で、銀月はフランドールにそう語りかける。
 すると、フランドールは楽しそうにはしゃぎ出した。

「すご~い! ねえねえ、他の人のも出来る?」
「ええ、出来るわ。私が望めば、思ったとおりの声が出るわよ」

 銀月の口からは自信に溢れた少女の声が聞こえてきた。
 その声はフランドールにとって聞き慣れたものであった。

「あ、お姉様の声だ! 他には他には!?」
「ちょっと、そんなにせっつかないでよ。ころころ変えるのは結構難しいんだから」

 次に銀月が発したのは不機嫌そうな、気だるげな少女の声。
 その声にもフランドールは聞き覚えがあった。

「今度は霊夢だね!」
「……とまあ、こんな感じで色々できるよ」

 元の声に戻って銀月がそう話す。
 すると、フランドールは期待に満ちた眼で銀月の袖を引っ張り始めた。

「ねえねえ、他には何か出来るの!?」
「そうだね……手品は咲夜さんが出来るって話だし、そうなると簡単な曲芸かな? こんなの」

 銀月はそういうと札から三本の大振りのナイフを取り出してジャグリングを始めた。
 ナイフは銀月の手の上で意思を持っているかのように踊る。

「わぁ……♪」

 フランドールは目の前で始まった曲芸に釘付けになった。
 一つ一つのナイフの動きを楽しそうに眼で追っている。

「……よっと」

 銀月はナイフを宙に高く投げると、りんごを一つ取り出した。
 そして、落ちてくるナイフの下にりんごを持っていく。
 すると、ナイフは全て銀月の持つりんごに刺さった。

「はい、まずはこれが小手調べ。どうかな、他にも見てみるかい?」

 銀月はそう言って笑いかける。
 その表情は楽しそうな笑顔で、披露している本人も楽しんでいることが分かる。

「うん!! もっと見たい!!」

 それに対して、フランドールも無邪気な笑顔でそう答える。
 目の前で行われる銀月の演技が気に入ったらしく、次をせっつく。

「ふふふ、了解! それじゃ、どんどん行くよ!!」

 銀月はそう言うと、次から次へと技を繰り出していく。
 それはジャグリングの技であったり、マジックであったり、様々な演目であった。
 一方、観客であるフランドールは銀月が技を見せるたびに無邪気な笑顔を浮かべてはしゃぐ。
 その度に、喜んでもらえていることが嬉しくて銀月は笑うのであった。
 しばらくして、銀月が最後のトランプマジックを成功させると、深々と礼をした。

「はい、お粗末さまでした。どうだったかな?」
「面白かった!!」

 銀月の問いかけに、フランドールは満足そうな表情でそう言った。
 それを聞いて、銀月の顔にも笑みが浮かぶ。

「そう、それは良かった。ところでフラン、一つ質問があるんだけど良いかな?」
「良いよ。で、質問ってなあに?」
「君は霊夢や魔理沙の名前を出したけど、会った事あるのかい?」
「うん。二人ともたまに来ては遊んでくれるのよ。弾幕ごっこでね」
「そうだったのか……二人とも何も言ってなかったからちっとも知らなかったよ」

 銀月はそう言って被りを振るう。
 そんな銀月に、フランドールは首を傾げた。

「銀月は二人と知り合いなの?」
「ああ。二人とも俺の友達だよ。結構長い付き合いになるかな?」
「そうなんだ。二人とはよく遊ぶの?」
「う~ん……確かによくつるんでるね。それを遊ぶって言うんならよく遊んでるんだろうさ」
「そっか……」

 フランドールはそう言うと、何か考え始めた。
 それを見て、銀月はフランドールに礼をした。

「さてと、これ以上遅くなるといけないから俺は帰るよ。それじゃあね」

 銀月はそう言って踵を返す。
 すると、一発の弾丸が後ろから飛び出して銀月の頬をかすめ、出入り口付近の壁を粉砕した。
 突然の事態に、銀月はゆっくりとフランドールに向き直った。

「……何のつもりかな?」
「まだ帰っちゃダメよ。銀月にはもっと遊んでもらうんだから」

 フランドールは不満そうな表情を浮かべて銀月にそう言った。
 それを聞いて、銀月は頬を掻いた。

「えっと……もう夜遅いんだけど……」
「ええ。私達にはちょうど良い時間帯ね」
「人間は飯食って寝る時間帯なんだけど」
「いいじゃん、少しくらい遅れたって。もっと遊ぼうよ」
「はあ……しょうがないな……弾幕ごっこでっ!?」

 銀月は咄嗟にしゃがみこんだ。
 すると、首があったところを風切り音と共に何かが通り抜けていった。
 それを確認すると、銀月は素早く後ろに跳んで間合いを取った。

「あはは、避けた避けた♪」

 自分の攻撃を避けた銀月にフランドールは無邪気に笑ってはしゃぐ。
 フランドールの手には真っ赤に燃える剣が握られており、先ほどはそれを振るったらしかった。
 そんなフランドールを、銀月は視線に警戒心を乗せて見据えた。

「……危ないな。俺を殺す気かい?」
「聞いてるんだ。銀の霊峰の人達って、すっごく強いんでしょ? だったら、吸血鬼の私が本気で暴れてもついてこれるよね?」
「それにしたって、弾幕ごっこで遊べば良いだろ。その方がお互いに怪我も無くて良いと思うけどな?」
「弾幕ごっこは霊夢や魔理沙が遊んでくれるから良いよ。銀月とはスペルカード無しで遊びたいわ」

 フランドールはそう言って笑いながら銀月を見つめる。
 その視線は新しい玩具を与えられた子供の様な視線で、銀月を逃がす気は毛頭無さそうであった。
 そんなフランドールに、銀月は小さくため息をついた。

「……全く……吸血鬼と死ぬかもしれない勝負なんて、何か賭けてもらわないと割に合わないな」
「それじゃ、コイン一個賭けてあげる」

 銀月の言葉に、フランドールはそう言って笑う。
 それを聞いて、銀月はため息と共に首を横に振った。

「……そいつは、高い掛け金だな」
「えー、魔理沙は安いって言ってたよ?」
「コインって言うのはカジノ風に言えばチップだ。そして、戦いではよく命をチップに例えるものさ。後にも先にも手に入らないものを賭けるのは、高いレートだろ?」

 銀月は油断なく相手を見つめながらそう言った。
 それはフランドールに思いとどまってもらおうと思って語った方便であった。
 するとフランドールはその言葉を吟味するように頷き、楽しそうに笑みを浮かべた。

「そうなんだ……それじゃあ、負けたら本当にコンティニュー出来ないね」
「そうだね。だから、俺はそんな賭けなんてしたくないんだけど?」
「ダメよ。私はもうベットしたわ。ダウンするのなら、それに見合った報酬をあなたは払うべきよ」

 フランドールは銀月をジッと見つめながらそう言った。
 その視線は銀月の足や手に向けられており、僅かの動きも見逃さない構えであった。
 つまり、逃げようとした瞬間にフランドールは襲い掛かってくる。
 それを理解して、銀月は俯いた。

「……つまり、俺の命は君の手の中」
「そういうこと♪ さあ、銀月はどうする? ベットする? それともダウンする?」

 フランドールは無邪気に笑いながら銀月に剣を向ける。
 紅い瞳は爛々と輝いており、今このときを楽しんでいるようであった。

「はあ……」

 銀月は深くため息をつくと、おもむろにフランドールに向けて霊力弾を放った。

「おっと」

 フランドールはそれを易々と避け、前を見る。
 すると、そこには札を手に握った銀月が立っていた。

「……生憎と、俺はみすみす殺されてやるほど人間が出来ていないもんでね。やるって言うんなら相手になる」
「あはは♪ そう来なくっちゃ♪」

 銀月の言葉を聞いて、フランドールは嬉しそうに笑った。

「それじゃ、始めよっ!?」

 フランドールが開始を宣言しようとした瞬間、銀月は手にした札でフランドールの首を切り裂きにいった。
 人間の眼には留まらぬ速さのそれを、フランドールは後ろに仰け反ることで回避する。

「……外したか」

 銀月はそう呟くと、素早く間合いを取る。
 その一方で、フランドールはくすくす笑って銀月を見つめた。

「もう、せっかちは嫌われるわよ?」
「俺は弱い人間なんでね!」

 銀月はそう言いながらフランドールに攻め込んでいく。
 壁や天井、そして自分が作り出した足場を蹴って部屋の中を縦横無尽に駆け回る。
 それはまるで漫画の中で忍者がやるような奇怪な動きであった。

「あはは、よく言うよ、霊夢も魔理沙もそんな動きなんてしなかったよ!!」

 フランドールは笑いながらそれを追いかける。
 彼女が振るう炎の剣は振るった先にあるものを切り裂き、燃やし尽くしていく。

「そらっ!」

 銀月は相手の死角をついては手にした札で反撃を加えていく。
 彼の霊力によって強化された札は鋭利な刃の切れ味を持ってフランドールに襲い掛かる。

「甘いよ!」

 フランドールはその一撃を剣で薙ぎ払う。
 すると切り結んだ銀月の札は炎に焼かれて燃え始めた。
 強化されても所詮は紙。火には耐え切れないようであった。

「ちっ、札じゃ無理か。なら!」

 銀月は素早く収納札を取り出すと、その中から鋼の槍を取り出した。
 その光景は手品のように一瞬の出来事であった。

「でやあっ!」

 銀月は鋼の槍を上から振り下ろす。
 その攻撃をフランドールは受け止め、鍔迫り合いの状態になった。
 炎の剣の熱に巻かれ、鋼の槍が熱を持ち始める。

「うふふ……すごいなぁ、今どこから槍を出したの?」
「くっ……自分で考えてみろ……っ!」

 額に玉の様な汗を浮かべて必死に力を込める銀月に対して、余裕の笑みを浮かべるフランドール。
 この表情からも、人間と吸血鬼の地力の差は歴然としたものがあった。

「そおれ!」
「ふっ!」

 フランドールが思いっきり突き放すと、銀月はわざと後ろに跳びながら体勢を立て直す。
 体勢を立て直す間に銀月が放つ銀と緑の弾幕をフランドールは回避していく。

「楽しいなぁ♪ ねえ銀月、もっと頑張ってよ」
「言われなくとも!」

 銀月はそう言うと大きく距離をとり、軽く眼を閉じた。
 すると銀色の光がどこからともなく集まってきて、銀月の体の中へと入っていく。

「あ、何か集まってきた……何かな、何かな♪」

 フランドールは期待に満ち溢れた目で銀月に起きている現象を見つめる。
 その直後、銀月は眼を開いた。
 銀月の周りには、身体に入りきれなかった光の粒が取り巻いている。

「……本気でいくぞ、フラン。どうなっても恨むなよ!」
「あれ?」

 銀月がそう言った瞬間、フランドールの目の前から消え失せた。
 突如としていなくなった遊び相手に、フランドールはキョロキョロと辺りを見回す。

「それっ!」
「きゃあ!?」

 突如として、踵の辺りから掬い上げるように銀月の槍が振るわれる。
 銀月はフランドールが知覚出来ない速さで死角に入り込んで攻撃を行ったのだ。
 フランドールはその一撃で宙に浮き、無防備な姿勢になる。

「そらっ!」
「ぎゃうっ!?」

 無防備なフランドールに、銀月は上から鋼の槍を思い切り叩き付けた。
 フランドールは勢いよく床に落ち、何回かバウンドする。
 それが終わると、フランドールは打たれた箇所を押さえながら涙眼で立ち上がった。

「いったあ……お返し!」
「当たるか!」

 フランドールが放った弾丸を、銀月は残像を残しながら躱す。
 将志の力を借りて強化された身体能力は、吸血鬼の身体能力に追随するほど高くなっていた。
 フランドールを撹乱しながら、銀月は攻め込み続ける。

「あはははは! 強い強い! それじゃあ、私もちょっと本気出しちゃうよ!!」

 フランドールが突然そう言って笑い出すと、その身体を魔力が覆った。
 そして次の瞬間、フランドールは四人に増えていた。

「なっ!?」
「さあて銀月、いつまで逃げられるかな♪」

 驚きの声を上げる銀月に、フランドールは楽しそうに笑う。
 その眼は玩具を与えられた子供のものから、獲物を前に舌なめずりするハンターの者に変わっていた。

「ちっ!」

 銀月は素早く部屋中を駆け回りながら槍でそれぞれに攻撃を仕掛けていく。
 銀月が槍を振るうたびに四人のフランドールは剣で受け、金属音を部屋の中に響かせた。
 その音を聞いて、銀月の顔に焦燥が浮かぶ。

「この手ごたえ、全員本物か!」
「そうだよ! ほらほら、頑張って逃げないと捕まえちゃうよ!?」

 銀月は逃げ回りながら糸口を探し出す。
 四人の眼があっては、その全ての死角をつくのは非常に難しい。
 つまり、今まで通用していた奇襲戦法が通用しないのだ。

「このっ!」

 銀月は追いすがる四人のフランドールの一人に対して攻撃を仕掛ける。
 するとフランドールは剣を捨て、銀月の手首を捕まえた。
 その瞬間、銀月の顔が一気に蒼く染まった。

「しまっ……」
「うふふふふふ、つーかまーえた♪」

 フランドールはそう言うと、空いた手の爪で銀月の胸を深々と袈裟懸けに切り裂いた。
 胴衣の白い布が千切れ飛び、銀月の胸に三本の深く紅い溝が引かれる。

「ぐああああああああ!」

 胸を裂かれた銀月は叫び声を上げてその場にうつぶせに倒れこんだ。
 そして、そのまま動かなくなった。

「あれ~……もう終わり? 人間って脆いのね」

 フランドールはキョトンとした表情でそう言いながら銀月の頬を突く。

 石造りの床を、銀月から流れ出した鮮やかな紅い液体が染め上げていた。



[29218] 銀の月、暴れまわる
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 22:16
 夜のバルコニーで、レミリアは月を見ていた。
 今宵の月は銀色の月で、暗黒の夜天に映える見事なものであった。
 しばらく眺めていると、ノックの音が聞こえてきた。

「失礼します。お茶をお持ちしました」
「入っていいわよ」

 レミリアが声を掛けると、メイドが紅茶のポットとティーカップの乗ったトレーを運んできた。
 咲夜は手際よく紅茶を注ぎ、レミリアの前に邪魔にならないように置く。

「仕事はもう良いのかしら、咲夜?」
「はい。銀月がちょうど居たので手伝ってもらい、そのお陰で時を止めるまでもなく早く終わりました」

 レミリアの質問に、咲夜はそう言って微笑んだ。
 それを聞くと、レミリアは思わずため息をついた。

「本当に何でも出来るのね、あいつは。うちの執事になってくれれば、咲夜にも楽をさせられるのに」
「確かに、居れば助かる存在ではありますね。銀月は」

 レミリアの言葉に、咲夜はそう言って頷く。
 するとレミリアは微笑を浮かべた。

「……銀月、か。ねえ咲夜、あいつに銀月って名前が付いてるって面白いと思わない?」
「面白い、ですか?」

 レミリアの言うことの意味が分からず、咲夜は首をかしげる。
 するとレミリアは楽しそうに笑いながら話を続けた。

「ええ。銀って聖なるものとしてよく扱われるでしょう? つまり、銀には魔除けの力があるのよ。で、月って言うのは女性の象徴。神話なんかでも、月を司るのは大体が女神よ。だって言うのに、その名前が付いている本人は銀という字とは真逆の妖怪達と共に暮らし、月と言う字に反して男。こう考えると面白いでしょう?」
「確かに、そう考えると面白いかもしれませんね」
「それに、銀月って言う名前自体も奇妙よ。さっきも言った通り、銀には魔除けの力があるわ。だと言うのに、その後ろについている月って狂気の象徴よ? こんなねじれきった名前なんてそうそうお目にかかれないわ」
「そういえばそうですね」

 咲夜はレミリアの言葉にそう言って笑い返す。
 レミリアはそれに満足そうに頷くと、再び月を眺めた。

「名は体を表す。とすれば、銀月はいったいどんな狂気を孕んでるんでしょうね?」

 レミリアは月に向かってそう問いかける。
 銀色の月は、ただ優しく周囲を照らし出していた。





 部屋に充満する血の匂い。
 床には色鮮やかな紅い液体が流れ出し、冷たい石造りの床を染めている。
 その液体は白装束の少年から流れ出しており、その服を紅く染め上げている。
 少年は床に倒れ臥したまま動く気配がない。

「う~ん、どうしようかな? まだ脈はあるみたいだけど……」

 少年が地面に倒れ臥す原因となった少女、フランドールは銀月の首に手をあて、脈を取る。
 銀月の心臓は弱々しくも鼓動を続けている。
 しかし、このまま放置してしまえば出血多量で失血死してしまうのは間違いない。
 そんな中、フランドールは銀月の身体を起こして、傷口に手を当てる。
 そこから滴り落ちる血液がその手を濡らし、白い手を紅く染める。
 フランドールは自分の手に付いた血をペロリと舐め取った。
 すると、フランドールは驚いた表情を浮かべた。

「うわっ、凄く美味しい!! そうだ、吸血鬼にしちゃえばまた遊んでくれるかなぁ?」

 フランドールはそう言いながら床に伏したままの銀月を見る。
 しばらく考えると、彼女は笑顔で頷いた。

「うん、人間だとあっという間に死んじゃうもの。でも、吸血鬼にしちゃえばずっと遊んでもらえるよね!」

 いかにも名案を思いついたと言わんばかりにフランドールはそう言うと、銀月に近寄った。

「それじゃ、死んじゃう前にいただきま~す!」

 フランドールは銀月に噛み付こうとした。

「きゃああ!?」

 しかし次の瞬間、ものすごい力で彼女は弾き飛ばされてしまった。
 腹を強打し、咳き込みながらフランドールは立ち上がる。

「けほっ、いったぁ……」

 フランドールは状況を確認した。
 自分を弾き飛ばす要素など、ここには一つしかない。
 フランドールは、目の前に転がる少年を見やった。
 すると、少年はゆっくりと立ちあがろうとしていた。

「…………」

 銀月は俯いたまま、少しずつ立ちあがっていく。
 胸から滴り落ちる血は段々と量を少なくしていき、やがて完全に止まった。
 そしてフランドールの見ている前で、胸の傷が見る見るうちに塞がっていった。

「あはは、な~んだ、まだ全然平気だったんだね、銀月♪」

 立ち上がった銀月を見て、フランドールはそう言って笑う。
 それは本当に嬉しそうなもので、遊ぶのが楽しくてしょうがないと言った感じのものであった。

「…………」

 フランドールの問いに銀月は答えない。
 銀月は俯いたまま、手にした槍をゆっくりとフランドールに向けた。

「むぅ……答えてくれない……ま、いいか。遊んでから答えてもらおっと♪」

 フランドールはそう言うと再び四人に分裂して、炎の剣を手に取った。
 そのまま泰然と構え、銀月の動きを待つ。

「……」

 すると、銀月は凄まじい速度で周囲を飛び回り始めた。
 その速度は先程の身体強化と同じくらいのもの。
 しかし、将志の力を借りている証の銀の光の粒は見当たらない。
 どうやら純粋に自分の力だけでこの速度を出しているようであった。

「また追っかけっこ? いいよ、また捕まえてあげる!!」

 フランドールはそう言うと銀月を追いかけ始めた。
 素早く動き回る血染めの白衣に、四人の吸血鬼が襲い掛かる。
 すると銀月は手にした鋼の槍を札にしまい、青白い槍を取り出した。

「…………」
「うわわっ!?」

 無言のまま銀月は連続突きを放つ。
 その攻撃は嵐のようで、四人のフランドールを纏めて攻撃した。
 フランドール達はその攻撃を捌いていく。
 槍自体が軽いので、打撃としてみた時の威力はさほど大きくはないため、弾かれる事なく捌き切る事が出来た。

「今度はこっちから行くよ! えいっ!!」

 攻撃を捌ききると、今度はフランドール達が一斉に剣を上から振り下ろした。
 四本の炎の剣が銀月に牙を向く。

「…………」

 銀月は槍を横に持ち、柄の部分でそれを受けた。
 ミスリル銀製の槍は断たれることなく、銀月は剣撃を受け止めることに成功した。
 それと同時に、炎の剣の熱風が銀月の髪を撫ぜた。

「わぁ……」

 その瞬間、フランドールは言葉を失った。


 そこにあったのは、強い光を湛えたエメラルドの様な、美しい翠色の眼だった。


「きれー……」

 フランドールの口からため息の様な惚けた声が漏れ出した。
 彼女は魅入られたかのように、宝石のように輝く銀月の眼を見つめる。

「…………」
「きゃあっ!?」

 銀月はそんなフランドールに向かって蹴りを放ち、鍔迫り合いの状態から離脱する。
 そして、再び部屋中を駆け回り始めた。

「…………」

 暗い室内の闇の中で、銀月は走り回る。
 その翠色に光る双眸が尾を引き、一対の翠の流星となって部屋中を駆け巡った。

「……あははははは!! 凄い凄い!! あんな綺麗なの初めて見たよ!!」

 フランドールは我に返ると、興奮した様子でそう叫んだ。
 紅い瞳を爛々と輝かせ、部屋を翔る翠の流れ星を眼で追う。

「…………」

 銀月はそんなフランドールに一直線に飛びかかった。
 その手に握られているのはいつの間にか黒い槍に変わっていた。
 大きく頭上に振りかぶったそれを、銀月は勢いよく振り下ろす。

「……っ!?」

 フランドールはその攻撃に寒気を覚えて咄嗟に横に飛んだ。
 その直後、黒い槍が唸りをあげ、空気を震わせながらフランドールが居た場所を通り過ぎる。
 そしてその槍が床に触れた瞬間、周囲を激しく揺さぶりながら石の床が砕け散った。

「…………」

 外したと見るや、銀月は黒い槍を鋼の槍に持ち替えてフランドールに迫る。
 軽いミスリル銀の槍とは違い、重い攻撃が次々と繰り出される。

「あうっ!!」

 その攻撃はフランドールの身体に突き刺さっていく。
 片や数百年も地下に閉じこもっていた者、片や血反吐を吐くような修行を何年も続けていた者。
 身体能力にほとんど差がない今、その技量の差が現れ始めていた。

「あはは、やっぱり強いね、銀月は!!」

 それにもかかわらず、フランドールは楽しそうに笑う。
 攻撃を受けた箇所の傷が、まるでコマ送りのように塞がっていく。
 吸血鬼の再生能力のお陰で、銀月の攻撃を受けても致命傷にはなりえないのだ。

「それっ!!」
「やあっ!!」

「…………」

 その上、今のフランドールは四人も居る。
 数の利は技量の差を埋め、現在戦いは膠着状態に陥っていた。

「フラン!! 何が起きているの!?」
「妹様、ご無事ですか!?」

 そこに新たな人影、レミリアと咲夜が現れた。
 どうやら先程の神珍鉄の槍が起こした地鳴りを聞いて飛んできたようであった。
 新たな客をフランドールは笑顔で迎え入れた。

「あ、お姉様。それに咲夜も。うふふ、お姉様達も銀月と遊びに来たの?」
「銀月……?」
「お、お嬢様、あれを!!」

 慌てた声の咲夜に促されて、レミリアはその方角を見た。

「…………」

 そこには、自分達を見つめる翠色に光る眼があった。
 暗い部屋に煌々と輝くそれを見た瞬間、レミリアは息を呑んだ。

「っ……輝く翠色の眼……悪魔の、翠眼!!」
「…………」

 レミリアがそう言った瞬間、銀月の回りに銀色の光の粒が集まり始めた。
 その光は濁流となって銀月の身体に流れ込んでいく。
 それを見て、レミリアは危機感を孕んだ声で叫んだ。

「咲夜! 銀月を止めるわよ! このままじゃ紅魔館が危ないわ!!」
「かしこまりました!」

 咲夜はそう言うと即座にナイフを銀月に向かって投げつけた。
 しかし銀の光の奔流に触れた瞬間、そのナイフは弾き飛ばされた。

「弾かれた!?」
「駄目、止められない!」

 レミリアがそう言うと同時に、光の奔流は収まった。
 そして、そこには身体から銀色の光を発する銀月の姿があった。
 先ほどは身体の周囲を光の粒が飛び交っていたが、今度は体の中から発光している。
 つまり、それだけ将志の力を多く取り込んでいるということである。

「…………」

 銀月はもう何も語らないし、もう何も聞こえない。
 ただ仮面のように無表情で相手を見定め、槍を向ける。
 もはや銀月は暴走と言っても過言ではない状態にまできていた。

「……咲夜、フラン。心してかかりなさい。目の前に居るのは戦神の力の一端。うかうかしてると殺されるわよ」

 レミリアはそう言うと、真紅の槍を取り出して身構えた。
 咲夜もナイフを構えて銀月の動きを見据えている。

「わぁ~……強そうだね」

 そんな中、フランドールは楽しそうに笑みを浮かべた。
 その表情はプレゼントの箱を開けるときの様な表情であった。

「……フラン、これはもう遊びじゃないわ。本気で掛かりなさい。じゃないと……」
「…………」

 レミリアがフランドールに注意を促している最中、銀月の姿が消える。

「きゃっ!?」

 突如としてフランドールが突き飛ばされた。
 するとその場所を、風のように銀月が通り過ぎていった。
 もしフランドールが突き飛ばされていなかったら、その身体を槍が貫いていたことであろう。

「大丈夫ですか、妹様?」

 咲夜がフランドールの無事を確認する。
 どうやらフランドールを突き飛ばしたのは彼女の様であった。

「はああっ!」
「…………」

 その一方で、レミリアが銀月に向かって攻撃を仕掛けていた。
 真紅の槍を次から次へと繰り出し、銀月へと襲い掛かる。
 銀月はその攻撃を的確に捌きながらレミリアへと反撃していく。

「お嬢様、援護します!!」

 そこに咲夜が援護射撃を銀月に掛ける。
 銀のナイフは精確に銀月に向かって飛んでいく。

「…………」

 すると銀月は鋼の槍を片手に持ちかえ、空いた手にミスリル銀の青い槍を手に取った。
 銀月は片手でレミリアと戦いながら、銀のナイフを器用に叩き落していく。
 その動きは円を描き、独楽のように舞い踊るような動きであった。

「やああっ!」

 更にそこに四人のフランドールが襲い掛かる。
 フランドール達は銀月を取り囲むように動き、次々に攻撃を仕掛けていく。

「…………」

 銀月はその攻撃を最小限の動きで躱していく。
 フランドールは力は強いが、戦いに関しては素人である。
 訓練を積んだ者を何人も同時に相手にしたことのある銀月にとってこれくらいのことは造作もない。

「そこだ!!」
「……っ」

 しかしそれはレミリアの様な熟練者を含めない話である。
 レミリアの繰り出した槍は銀月の脇腹を深々と貫いた。
 槍を引き抜くとそこからは血が流れ出し、白い衣服を赤く染める。

「なあっ!?」

 しかし、その直後にレミリアは眼を見開いた。
 何故なら、銀月に空いた穴が見る見るうちに塞がっていったからである。
 その様子に、レミリアは歯噛みした。

「くっ……こいつ本当に人間!?」
「お嬢様、妹様!! 下がってください!!」

 咲夜がそう叫ぶと同時に、レミリアとフランドールは一斉に下がった。

 そして次の瞬間、地面に大量の銀のナイフが散らばった。
 連続した金属音が部屋の中に鳴り響く。

「あ……嘘……」

 その様子に、咲夜は愕然とした。
 そんな咲夜にレミリアが銀月と切り結びながら声を掛けた。

「咲夜!! しっかりしなさい、何があったの!?」
「お、お嬢様……今、銀月は私の世界の中で、速度を落としながらですが動きました……」

 自分の能力を破られて呆然とする咲夜。
 それを聞いて、レミリアの顔が驚愕に染まった。

「何ですって!? ……そうか、銀月の能力か!! ええい、厄介な能力ね、本当に!!」
「…………」

 レミリアが叫んだその時、銀月はいつの間にか持ち替えた黒い槍を振りかぶっていた。

「お姉様、危ない!!」
「分かってるわよ!!」

 フランドールが叫ぶと同時にレミリアは飛びのき、そこに黒い槍が振り下ろされる。
 重く響く風切り音と共に振り下ろされたそれは、再び盛大に床を砕いた。

「…………」

 銀月は自分の周囲に誰も居なくなると、辺りに大量の札をばら撒いた。
 銀の光を纏ったその札は、空中に留まって光り続ける。

「わぁ、何かいっぱい出てきた!!」
「フラン、仕掛けるわよ!! これが発動する前に銀月を止めるわ!!」
「援護します、お嬢様!!」

 咲夜が投げナイフで宙に浮かぶ札を叩き落して道を作り、レミリアがそこを進む。
 その一方で、フランドールが炎の剣で札を焼きながら銀月に攻め込んでいく。

「…………」

 近づいてくる相手に、銀月は黒い槍を振るった。
 とんでもない質量も持つそれは、喰らえば幾ら吸血鬼と言えどもしばらく戦闘不能になってしまいそうな破壊力がある。

「そんなもの、当たるかぁ!」
「おおっと!!」

 その攻撃を、全員軌道を変えることで躱した。
 黒い槍が近くを通り過ぎると空気の振動が肌で感じられ、その威力を窺わせる。

「はあああ!!」
「やあああ!!」

 二人は銀月の攻撃を避けると、気合と共に自分の武器に魔力を通す。
 レミリアの槍は真紅の光を放ち、フランドールの剣が激しく燃え上がる。

「……っっ」

 そして懐に入り込み、銀月の身体を次々に攻撃した。
 深々と刺さった四本の炎の剣と、一本の真紅の槍。
 銀月は剣の炎に焼かれながら、それを無感情のまま見つめる。

「お嬢様、危ない!!」
「え……?」

 そこに異変に気がついた咲夜が叫び声をあげた。
 レミリアが周囲を見回すと、先程ばら撒かれた札の残りが取り囲んでいた。
 それを確認すると同時に、銀月は手を上に上げた。

「しまっ……」
「あっ……」
「…………」

 銀月が手を振ると、その札は一斉にレミリアとフランドールに殺到し、爆発を起こした。
 轟音が叫び声をかき消し、銀の閃光が辺りを真昼の空のように照らす。
 レミリアとフランドールは吹き飛ばされ、床に転がった。
 それを見て、咲夜はレミリアに駆け寄った。

「お嬢様!」
「……大丈夫よ。何とか直撃だけは避けたから……フランは?」
「私も大丈夫よ。それにしても、銀月強いね。あれだけ串刺しになってもピンピンしてるよ」

 フランドールが指差す方向には、自分に刺さった剣と槍を黙々と抜いている銀月の姿があった。
 衣服は血まみれの上に焼け焦げてボロボロであるが、その下の肌は何事もなかったかのようにかすり傷一つない。
 その翠色の双眸は絶えることなく光り輝き、衰えを見せない。
 それを見てレミリアは俯き、唇を噛んだ。

「……覚悟を決めないといけないわね」
「お嬢様?」
「フラン。銀月に貴女の能力を使いなさい」
「え?」

 レミリアが話しかけた瞬間、フランドールは首をかしげた。
 それを見て、レミリアは首を横に振る。

「可哀想だけど、仕方がないわ。何とか正気に戻したかったけど、もう私達じゃ無理よ。死にたくなければ、殺すしかないわ」
「銀月、壊しちゃうの?」

 フランドールは悲しそうな表情でレミリアを見る。
 レミリアは苦悶の表情を浮かべながら頷いた。

「……ええ。もう、そうするしかないわ」
「……もったいないなぁ」

 フランドールはそう言って銀月を見た。

「…………」

 銀月は自分の身体から一本ずつゆっくり剣を抜いていく。
 その度に床に落ちた剣が音を響かせていた。

「急ぎなさい。このままじゃ、私も咲夜も、フランだって危ないのよ!」
「……うん、分かった」

 フランドールは銀月を見据えて立った。
 銀月は自分の身体に刺さった最後の真紅の槍を床に捨てると、フランドールのほうを見た。

「きゅっとして」
「…………」

 フランドールの手の中に、目が作られる。
 銀月は槍を構え、攻撃を仕掛ける用意をした。

「ドカーン!!」
「っっっ!?」

 フランドールが眼を握りつぶすと、何かが破裂する音が聞こえた。
 銀月の手から黒い神珍鉄の槍が床に落ち、重々しい音を立てる。
 それと同時に銀月は膝を折り、纏った光を霧散させながらゆっくりと倒れこんだ。

「……かはっ……」

 最後に口から血を吐き出すと、銀月は動かなくなった。



[29218] 銀の月、倒れる
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 22:24
 蝋燭の光に照らされた、薄暗い地下室。
 飾られていた調度品は壊れ、床は所々砕け、血が流れ出した跡が見受けられる。
 その戦いの爪痕が生々しく残る部屋に四つの人影があった。
 そして、そのうちの倒れている黒髪の少年を、他の三人がジッと見つめていた。

「……銀月が壊れちゃった」

 宝石が吊り下げられた枝の様な翼を持つ少女が、倒れている少年を見て呆然とそう呟く。
 その隣で、こうもりの様な翼を持つ青い髪の少女が銀の髪のメイドに声を掛けた。

「……咲夜、皆を私の部屋に集めて頂戴」
「……かしこまりました」

 咲夜はそう言うと地下室から出て行く。
 それを確認すると、レミリアは銀月の身体を抱え上げた。
 銀月の白い胴衣は焼け焦げて穴だらけであり、白い袴は乾き始めた血で赤黒く固まっていた。
 レミリアは力なくぐったりとしている銀月を見てため息をつくと、部屋の外に向かいながらフランドールに声を掛けた。

「フラン、私の部屋に来なさい」
「え、でも……」

 レミリアの言葉にフランドールは困惑する。
 普段部屋の外に出てはいけないと言われているからである。
 そんなフランドールに、レミリアは振り向くことなく話を続ける。

「……今はここに閉じこもっていられる状況じゃないのよ。この後どうするか、ちゃんと話をしないといけないわ」
「うん……」

 フランドールはレミリアに返事をすると、後について行った。



 ところ変わってレミリアの部屋。
 赤い壁の広い部屋には全員で掛けられるような机と人数分の椅子があり、高い天井には部屋を明るく照らすシャンデリアが吊るされている。
 その部屋の一角にあるキングサイズの天蓋付きのベッドに銀月を寝かせると、レミリアとフランドールは机の椅子に腰掛けて使用人達の到着を待った。
 しばらくして、部屋にノックの音が響いた。

「入りなさい」
「失礼します」

 レミリアが声をかけると、咲夜に続いて本を持った紫色の髪の少女と中華風の服を着た赤髪の女性が入ってきた。

「レミィ、凄い物音だったけど片は付いたの?」

 パチュリーはレミリアにそう問いかける。
 それを聞いて、レミリアは額に手を当てて陰鬱なため息をついた。

「……ええ、付いたわよ。ああいう形でね」

 レミリアはそう言うとベッドに横たわっている銀月を指差した。
 それを見た瞬間、パチュリーと美鈴は驚きに眼を見開いた。

「え……銀月さん?」
「……レミィ。銀月が服だけボロボロになってそこで寝ている訳を話してくれるのよね?」

 呆気に取られる美鈴と、やや剣呑な表情で問いただしてくるパチュリー。
 パチュリーは銀の霊峰の情報を調べているため、事の重大さが分かっているようであった。
 そんな彼女に対して、レミリアは重々しく頷いた。

「ええ。そのつもりよ。まず何があったかを話すわ」

 レミリアはそう言うと自分が知っている事の概略を話した。
 それを聞いて、パチュリーは懐疑的な眼差しをレミリアに向け、美鈴は唖然とした表情を浮かべていた。 

「成程ね。暴走状態になった銀月を止めるためにフランの能力を使った……そう言いたいのね」
「お嬢様、私は銀月さんは暴走するような人には見えませんでしたが……彼が暴走した原因は何ですか?」
「それはフランが知っているはずよ。フラン、何があったのかしら?」

 レミリアはそう言ってフランドールに話を促す。
 するとフランドールは俯いたまま、親に怒られている子供の様に話し始めた。

「私は銀月と遊んでたのよ。それで引っ掻いたらそのまま倒れて、動かなくなったわ。それで近づいてみたら突き飛ばされて、銀月の眼が綺麗な翠色になっていたのよ」
「翠色の眼ですって?」

 翠色の眼の話を聞いてパチュリーが眉を吊り上げる。
 それに対して、レミリアは肯定の意を見せた。

「ええ。一時期辺りを騒がせていた翠眼の悪魔。その正体が銀月が暴走した姿だったのよ」
「翠眼の悪魔……右腕が異様に長かったり、猫の様な獣に見えたりするんだったかしら?」
「それじゃあ、銀月さんは人間じゃないんですか?」

 パチュリーがあげた翠眼の悪魔の特徴を聞いて、美鈴がそう問いかける。
 それを聞いてレミリアは首を横に振った。

「いいえ、銀月自身は間違いなく人間よ。右手が長く見えたって言うのは槍を持っていたから。猫の様な獣って言うのはその動きがそう見えたからだと思うわ。目撃者はきっと殺されかけて錯乱していたから、この人間の姿がもっとおぞましい何かに見えたのでしょうね。でもまあ、悪魔みたいな強さだったのは認めるわ」
「しかしお嬢様、銀月の先程の戦いを見ているととても人間とは思えません。吸血鬼顔負けの再生能力に、あの身体能力。おまけに私の時を止めた世界で動いて居たんですよ?」

 咲夜は少し蒼い顔でレミリアにそう話しかける。
 どうやら先程の戦いの光景がまだ頭に残っているらしい。
 レミリアはそんな咲夜に話を続けた。

「その正体は銀月の能力にあるわ。ただの人間が私達吸血鬼を超えるような身体能力を得て、咲夜の能力を打ち破る、そして銀月が暴走状態になるような能力がね」
「……見たんですね。銀月の能力を」

 咲夜は真剣な表情でレミリアを見つめる。
 そこには自分の能力を破ったものの正体を知りたいという想いが籠もっていた。
 咲夜の問いに、レミリアは一つ頷いた。

「ええ。銀月の能力、それは『限界を超える程度の能力』よ」
「限界を超える程度の能力?」
「そう。恐らく、銀月はその能力で人間としての限界を超えていたんでしょうね。身体能力も然り、治癒能力も然りよ」
「それでは、私の能力を破ったのは?」
「それは咲夜の能力の限界を超えたのよ。つまり、咲夜の能力で時を止められない存在に無理矢理なったって訳。だから、咲夜の時を止めた世界の中でも動けたのよ。はっきり言ってただの人間が持つには強すぎる能力だけど、逆に銀月が人間で良かったとも思うわ。もし吸血鬼や身体能力の高い妖怪がこの能力だったらどうなっていたことか……」

 レミリアは咲夜に銀月の能力の正体と推測される事態を述べていく。
 それを聞いて隣でパチュリーが興味深そうに頷き、そしてため息をついた。

「そう。ということはどういう方法でも彼を捕らえる事は出来ない訳ね。どうやってもその方法の限界を超えて破ってしまうのだから。それ故、殺すくらいしか止める方法がなかったのね」
「そうなるわね。一撃で殺してしまえば、治癒能力が発揮されることはない。だから、私はフランの力を頼ったのよ」

 たとえロープで縛ったとしても、ロープの耐久力の限界を超えられて千切られてしまう。
 たとえ魔法で拘束したとしても、その魔法の能力の限界を超えて解かれてしまう。
 たとえ四肢を切断したとしても、人間の治癒力の限界を超えて再生してしまう。
 だから、一撃で殺すことによって止めるしかなかった。
 パチュリーの言葉に、レミリアはそう言って頷いた。 

「それは分かりました。それじゃあ、何で銀月さんは自分の能力で暴走を始めたんですか? 話を聞く限りじゃ、暴走を起こしそうな能力には見えませんけど……」

 レミリアに対して、美鈴が疑問をぶつける。
 ここまでの話では、何がどうなって銀月が暴走に至ったかが分からないからである。
 それを聞くと、レミリアは考えるそぶりを見せた。
 そして頭の中で推論を組み上げ、言葉に纏めていく。

「……これは推測なんだけれどね……銀月にはとても強い、狂気とも取れる程の生存願望があったんじゃないかしら? そしてフランに殺されかけたとき、きっと死にたくないって今まで以上に強く願ったでしょうね。そしてその願いは能力を覚醒させ、本能を呼び起こした。それも、理性など吹き飛んでしまうような強い生存本能を」
「銀月の能力が、本能に理性と知性の限界を超えさせたって言う訳?」
「ええ、そうよ。そして銀月は自身が生き延びるために、目の前に居る敵を殺すことにした。それを邪魔する私達も敵と見なして一緒にね」

 銀月の能力はその生き延びたいと言う強烈な願望に応えた。
 その結果、生き延びるために不要なものを全て斬り捨てて、生きるために最適な行動を取るべく動き出した。
 それがレミリアの出した結論であった。

「お嬢様、それでは何故銀月さんは今まで暴走することが無かったんですか? 銀月さん、妖怪と命がけで戦ったことがあるって言う話も聞きましたよ?」
「それは銀月の性格に拠るものが大きいんじゃないかしら? 銀月と話したのなら分かると思うけど、彼はとても冷静で理知的な性格で激しい感情なんて滅多に出さないわ。それに、本人は親のために飛び出したって割には私にしたことは一発殴っただけ。銀の霊峰の他の連中は人にトラウマを植え付けるようなことをしたって言うのにね。こんなドライな性格だから、ただ戦うだけじゃ暴走するような事態にならなかったんだと思うわ。それに銀月本人も銀の霊峰で門番になれるレベルの強者。そこらの妖怪に殺されかけるようなこともなかったのでしょうね」
「つまり、暴走するための条件が揃わなかったってことね。成程、考えてみれば翠眼の悪魔の目撃者は必ず人食い妖怪の死骸を見ている。そして今回はフランの攻撃で瀕死の重傷を負っていた。銀月は本当に生命の危機に陥らないと暴走することは無いと考えて良さそうね」

 今までの話をまとめて、パチュリーはそう結論付けた。
 それを聞いて、レミリアは首を横に振った。

「今となってはもう過去のことよ。それよりも、これからの事を考えましょう……銀の霊峰が黙っているはずないもの」
「……ねえ、お姉様。銀月、どうするの?」
「……まずは誠意を見せましょう。銀月の暴走に関して将志達が何も知らなかったとは考えられないもの。銀月の死体を持って銀の霊峰に行くわよ」
「……その必要はない……」
「え?」
「なっ!?」

 突如聞こえてきたか細い声に、全員騒然となる。
 その声の方向を見てみると、倒れていた銀月がゆっくりと身体を起こすところであった。

「……俺はまだ生きてるぞ……」

 銀月は身体を起こすと、手を付いて体を支えた。
 その手には上手く力が入らないのか、震えが見られる。
 美しい翠色だった眼は、元の茶色い瞳に戻っていた。

「お、お前は不死身か!?」

 そんな銀月に対してレミリアがそう叫んだ。
 フランドールの能力によって心臓を潰されたはずの人間が生きていたのだから、驚かないはずが無い。
 そんなレミリアの発言に、銀月はゆっくりと首を横に振った。

「いいや、不死身な訳ないだろう……何の対策もしてなかったら、俺は死んでただろうさ……」
「でも、私は銀月に能力を使ったんだよ!? 心臓を潰したんだよ!? なのに何で!?」
「……そのからくりはこれさ……」

 パニック状態になっているフランドールの前に、銀月は着ていた服の無事だった部分から何かをはがして膝の上に散らした。
 するとパチュリーが近寄ってその紙切れを確認した。
 紙切れは千切れたような跡があり、赤黒い文字で模様が書かれていた。

「千切れた札? 血文字で何か書いてあるわね」
「……身代わりの札さ……これを持っていれば、死ぬような眼にあっても一度だけ身代わりになってくれる……こいつは俺の代わりに死んだ札なのさ」

 どうやらフランドールの能力の効果を、心臓の変わりにこの札が受けたようであった。
 銀月はそう言ってふらつく頭を押さえる。
 眼の焦点があっておらず、意識が朦朧とした状態であることが見て取れた。

「その割には随分ふらふらですよ? 本当に無事なんですか?」
「……これは札の効果さ……生き返ってしばらくの間は前後不覚の状態になるようにしていたんだ……」

 美鈴の疑問に消え入りそうな声で答える銀月。
 それを聞いて、パチュリーから疑問の声が上がる。

「分からないわね。何故そんなことをしたの?」
「俺がいつ暴走するか分からないのは知っていた……もし、暴走すれば俺は父さん達によって殺されることになっていたのさ。だから、俺はこの札を作った。意識を取り戻した時に暴走が治まっている事を祈ってね。だけど、意識を取り戻したときにまだ暴走したままかもしれない。その時のために、俺はこの時間を作ったのさ……」

 銀月は今の状態のことを全員に説明する。
 それを聞いて、レミリアは小さくため息をついた。

「そう……やっぱり銀の霊峰はお前が暴走するかもしれないことは知っていたのね?」
「ああ……全員知っているよ……」
「それで、この札を作り続ける限り貴方は死なない訳だけど、ただで済むわけないわよね?」

 パチュリーは札の残骸を弄りながら銀月に問いかける。
 身代わりの札の詳細が気になって仕方がない様子であった。
 その問いかけに、銀月はガクッと力を抜くようにして頷いた。

「もちろん……その札を作るのに、俺は自分の命を一年縮めなければならないのさ」
「あら、それだけで良いのかしら?」
「……簡単に言ってくれる……削るのは寿命じゃない、天命だ……人間はほんの些細なことで死ぬ。それは何十年先かも知れないし、明日死ぬかもしれない。それから一年減らすんだ。もし俺が事故で一年後に死ぬと決められていたとしたら、俺は作り終えたその瞬間に死ぬし、明日この札をどこかに忘れて死ぬかもしれない。決して安い札ではないさ」

 生物は生きていれば、いずれ確実に死を迎える。
 銀月の話す寿命とは、病気もせず事故にも遭わず、長生きするための最大限の努力をした上で迎える死までの時間のことである。
 一方、彼の話す天命とは事故や病気など、様々な要因で迎える死までの時間のことである。
 例えば、何事も無く生きれば百歳まで生きられる人間が何らかの要因で三十歳で死んだとき、その寿命は百歳、天命は三十歳ということである。
 つまり銀月は、生きていられる年数を一年削って自分に保険を掛けていたのである。

「一つ訊くけど、今までそれを何枚作って、何枚使った?」
「……二枚作って二枚使った。一枚は今使った奴。もう一枚は札が本当に効くか確かめるために知り合いの不老不死者に使ってもらったよ」

 身代わりの札が本当に効果があるか実証するために、銀月はあらかじめ妹紅に頼んで札のテストをしていた。
 つまりそれは銀月は札が本当に効くか確かめるためだけに、自分の持ち時間の一年を捨てたということである。
 それを聞いて、レミリアは呆れ顔を浮かべた。

「そうまでして生きていたいの、貴方は?」
「ああ、生きていたいね。死ぬのは怖いからな」
「そう。それで、その札はまだ持っているのかしら?」

 銀月の言葉に頷いてパチュリーが問いかける。
 それに対して、銀月は首を横に振った。

「いや……流石にもう打ち止めだよ。今殺されたら俺は本当に死ぬ……正直な話、俺は今すぐにでもここから逃げ出したい気分だよ」
「そういう訳には行かないわ。生きている以上、お前とはじっくりと話をしなければいけないわ」

 レミリアはそう言いながら、銀月とドアの間に立った。
 それを見て、銀月は頭を抱えてため息をついた。

「話か……俺は何を話せばいいんだ? それとも君達の話を聞けばいいのかい?」
「フラン、貴女は銀月に言うことがあるでしょう?」

 レミリアはフランドールに声を掛けた。
 するとフランドールは銀月の前にやってきた。

「……あの、銀月……」
「謝罪の言葉なら聞きたくないな」
「え……?」

 突然言葉を遮られ、フランドールは呆然とする。
 そんな彼女に、銀月は冷たい視線を送る。

「謝って済む問題でもない。過程や結果がどうあれ君は俺を傷つけ、殺しかけたんだ。それを許すわけには行かないし、許す気もない」
「う……」

 感情の篭らない機械的な銀月の言葉に、フランドールは言葉を詰まらせる。
 一方、銀月の言葉を聞いてレミリアが不機嫌そうに息を吐いた。

「ふ~ん……それじゃあ、お前が暴走してフランはおろか、止めに入った私や咲夜を殺そうとしたことについてはどうするつもり? 正当防衛が成立するのはフランに対しての攻撃だけよ? 謝って許されないのなら、お前はどう償うつもり?」
「それは……」

 レミリアの言葉に、今度は銀月が言いよどむ。
 そんな彼に対してレミリアは飛び掛った。

「ぐあっ……」
「……ふざけるなよ。確かにお前は殺されかけたかもしれない。だけど、私だって家族を殺されかけて頭にきてるのよ。お前に被害者面は絶対にさせないわ」

 銀月の首をベッドに押さえつけながら、レミリアは吐き捨てるようにそう言った。
 その様子を、全員緊張した面持ちで眺めている。
 そんな彼女達の様子に気が付いたのか、レミリアは銀月の首を押さえたまま声を掛けた。

「……咲夜、美鈴、パチェ。私の部屋から離れなさい。ここから先は、少し荒っぽい対話になるから」
「……かしこまりました」
「では、門番に戻りますね……」
「……くれぐれも早まったことはするんじゃないわよ、レミィ」

 レミリアにそれぞれ声を掛けながら、全員部屋から出て行く。
 レミリアは全員が出て行ったことを確認すると、下に居る銀月に眼を落とした。

「……それで、使用人や客人を遠ざけて俺に何をするつもりだい?」
「言ったでしょう、少し荒っぽい対話をするって」

 わざと軽薄な言葉を使って緊張を和らげようとする銀月に、レミリアは微笑と共にフランドールを見た。
 銀月はその視線をたどると、状況を理解して乾いた笑みを浮かべた。

「……成程ね。フランを残したのはそのためか。まだ俺の命は君達に握られているわけだ」
「そういうことよ。心臓を破壊されれば、暴走する隙を与えずにお前を殺すことが出来る。ここから逃げられると思わないことね」

 つまり、逃げようとすればお前を殺す、そうレミリアは言っているのだ。
 そのレミリアの言葉を聞いて、銀月は大きなため息をついた。

「……命を天秤にかけるのが好きな姉妹だね、君達は。それで、俺に何の話がしたいのさ?」
「話は簡単よ。貴方、フランの付き人になりなさい」
「……何だって?」

 突然のレミリアの言葉に、銀月は耳を疑った。
 すると、レミリアは呆れ顔で首を横に振った。

「分からないかしら? ここで執事をして、フランの世話をしなさいって言っているのよ」
「それで、俺が頷くと思っているのかい? わざわざ命の危険に晒されに行く様な事を誰がしたがるうっ……」
「拒否権があると思うな。お前の命は私達が握っているのだからね」

 拒絶の意思を示す銀月を、レミリアは首を絞めることで黙らせる。
 そうして拒否権が無いことをはっきり示すと、レミリアは首を絞める手を緩めた。 

「けほっ……本気かい? こういう言い方はあまりしたくないけど、実際問題として暴走もしていない俺を殺せば父さん達が黙っていないと思うけど?」
「ええ、本気よ。嘘やハッタリでも何でもない、断って逃げ出すようなら本気でお前を殺す」

 レミリアはそう言いながら、鮮血の様な紅い瞳で銀月の眼を覗き込んだ。
 それを見て、銀月は息を呑んだ。

「……どうやら本気みたいだね。それじゃあ、どうしてそうまでして俺をフランの付き人にしたいんだ?」
「フランがお前を壊すことに躊躇したからよ。狂気に狂って物を与えては壊してばかりいたフランが、お前を壊す時になって壊したくないという意思を見せた……私はフランにもっといろんなことを知って欲しいのよ。そのための教育係に、お前が欲しい」

 レミリアはそう言いながら、空いている右手で銀月の頬を撫でた。
 銀月はその手の動きを受けて、背中にゾクリとした感覚を覚えた。

「……正気じゃないな……それだけのことのために、ここまでするのかい?」
「……お前は家族の本質が分かっているようで分かっていないわね。お前が父親を救うために暴走の危険を省みずに飛び出したように、私はフランのために全てを賭けることが出来る。皆には悪いけど、フランの為なら咲夜も美鈴もパチェも皆巻き添えにして地獄に落ちてやるわ。これが狂っているって言うのなら、私は喜んで狂ってやるわよ」

 銀月の問いかけに、レミリアは躊躇うことなくそう言い切った。
 その眼差しには異様な気迫があり、本気であることを示していた。

「お姉様……」

 そんなレミリアの気迫に、フランドールも飲み込まれていた。
 そしてレミリアは右手で銀月の頬を掴んで固定し、銀月に問いかけた。

「……選べ、銀月。承諾して生き延びるか、断って私達の命を背負って死ぬか。今、この場で決めなさい」

 レミリアはそう言って自分の持っているもの全てを天秤に賭け、銀月の答えを待った。
 銀月はしばらく考えていたが、やがて力なく息を吐き出した。

「……はあ……こんな理不尽な二択があるか……君達と一緒に心中するなんて真っ平御免だ。そんなことをするくらいなら、飲んでやるよ。だが、無条件で飲む気もないけどね」
「でしょうね。もっとも、お前の出した条件に合わせて私も条件を出させてもらうけど」
「……俺が出す条件は、住む場所はここにしないこと。次に、毎日来られるわけではないことを承諾すること。銀の霊峰から要請があった場合はそちらを優先させてもらう。そして、フランが外に出られるのは俺がいるときだけにすること。この三つだ」
「成程ね。それじゃあ、こちらからも条件を出すわ。休む際は前日までに申し出ること。サボりは許さないわ。それから、私やフランが呼びつけたら銀の霊峰の出動要請がない限り来ること。お前の命は私が握っていること、忘れないことね」
「……ならば、貴様の命も俺達が握っていることを忘れないことだ」
「っ!?」
「え?」

 突然聞こえてきた男の声に、全員一斉にその方を見る。
 すると部屋の入り口には銀の髪に小豆色の胴衣と紺色の袴を着けた青年が立っていた。

「……父さん、どうしてここに?」
「……戯け者。お前が引き出した力、出所はどこだと思っている。あんな異常な引き出し方をすれば、嫌でも気付く」

 将志は先程銀月が暴走して力を引き出した際、その異様な力の流れを察知して銀月を探し回っていたのだった。
 そして、今ようやく見つけ出したところであった。

「ここに来るまでの門番やメイドはどうしたの?」
「……眠ってもらった。心配せずとも、殺しはしていない……もっとも、ここで銀月が殺されていたら冷静でいられたかどうかは分からんがな」

 レミリアの質問に将志は無表情で答える。
 その手には銀の槍が握られており、そのけら首に埋め込まれた『檻中の夜天』と呼ばれる真球の黒耀石の中では銀色の光の粒が荒々しく渦を巻いていた。
 そこから感じられる力に、レミリアは内心冷や汗を掻く。

「そこは銀月の生への執着に感謝しないといけないわね。銀月が用意周到じゃなかったら、今頃殺されてるわ」
「……さて、御託はここまでだ。何があったか、洗いざらい話してもらおうか。隠し事は許さん」

 将志が睨むような眼つきでそう言うと、レミリアは事の次第を話し始めた。
 すると将志は状況を把握していくうちに顔を険しくしていき、腕を組んで考え始めた。

「……成程……お前の妹の攻撃を受けて銀月の『限界を超える程度の能力』が暴走し、それをまた妹の能力を使って銀月を殺害することで止めた。しかし、実は銀月は身代わりの札のお陰で生き延びていた。これが事件の全容か」
「ええ、簡単に纏めてしまえばそういうことよ」
「……『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』か……そのような危険な能力を持つ者がいたとはな」

 将志はそう言いながらフランドールを見やる。
 それを見て、レミリアは将志の前にフランドールを庇うようにして立った。

「……フランをどうするつもり?」
「……この時点を持って銀の霊峰の管理下におく。流石に全てのものに対して脅威となりえる能力を持つ人物を、野放しにしておくわけにはいかん」
「フランを連れて行く気かしら?」
「……いや、下手に連れ出すよりもここに住んでいた方が精神も安定するだろう。だが、こちらもフランドールの力を利用させてもらうぞ」

 将志はそう言うと、レミリアの肩越しにフランドールを見やった。
 するとフランドールは将志の黒耀の瞳を警戒するように見返した。

「……私をどうするつもりなの?」
「……フランドール・スカーレット。お前には俺が身動きが出来ない場合の銀月の監視を申し付けることになる」
「なっ!? 父さん、それはどういうことだ!?」

 将志の言葉を聞いた瞬間、銀月は彼に対してそう叫んだ。
 自分の命を奪いかけた人物に自分を監視させるのだから、この反応は当然であろう。
 しかし、それに対して将志は困ったような表情で首を横に振った。

「……お前は自分の異常性が良く分かっていないようだな。はっきり言うが、話を聞く限り暴走したお前を止めるには、一撃で心臓を破壊するか全てを纏めて吹き飛ばすくらいしかない。そんなことが出来るのは俺と封印を解いたアグナ、そしてそこのフランドールくらいのものだ。アグナの封印を解く事はそう簡単には出来んから、必然的にフランドールを頼ることになるだろう?」

 異常な身体能力と再生能力、更に修行によって得た技量を持つ暴走した銀月は、生半可な人材や手段では止められない。
 フランドールは銀月を停止させることが出来る、数少ない人材の一人として見られたのだった。
 そんな父の言葉を聞いて、銀月は歯を食いしばりながら、苛立たしげに将志に問いかける。

「……それで良いのかよ、父さん。俺はフランに殺されかけたんだぞ?」
「……もちろんそれで良い訳はない。銀月にはこれから常に身代わりの札を持ってもらう。ただし、それを作る際に俺の力を混ぜて作れ。そうすればお前の身に何かあったとき、俺は気付くことが出来るからな。発動したときは、双方共に理由を聞くことになる」
「つまり、暴走すれば容赦なく俺を殺すということか……」

 将志の決定に、銀月はそう言って力なく肩を落とした。
 身代わりの札を持つように指示した、と言うことはいつ殺されても良い様にしておけということである。
 そう言わざるを得ない状況に、将志はため息をついた。

「……仕方があるまい。今のところそうする以外にお前を止める術が無いのだからな。第一、お前は暴走していた時の意識が無いのだろう?」

 将志は確かめるように銀月に問いかける。
 すると銀月は叫びたくなるのを堪えるように歯を食いしばった。

「ぐっ……確かに、俺は気がついたらこのベッドの上にいた……」
「……明日からは紫のところでしばらく検証を行うぞ。能力の正体が発覚したことだ。暴走の原因如何によっては色々と考えなければならんからな」
「それで、フランを管理下に置くって言っていたけど、具体的にはどうするつもり?」
「……そこは銀月との緩い相互監視の形を取ることになる。あまりきつくすると双方の負担になるだろうからな」

 割り込んできたレミリアに、将志はそう言って答えた。
『限界を超える程度の能力』がいつどんな理由で暴走するか分からない銀月と、『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』という危険な能力を持つフランドール。
 この二人を共に行動させることでお互いに監視をさせる、それが将志の決定だった。
 その決定を聞いて、レミリアは意外そうな表情を浮かべた。

「……私が言うのもなんだけど、随分と寛大ね。こっちはフランを殺されるかもしれないと戦々恐々だったのに」
「……もし、他の場所で銀月が暴走していたら、俺はこの手で銀月を殺さなければならなかっただろう。正直、そんなことをするのは俺には耐え切れん。その点で言えば、俺は銀月を止めてくれたことに関しては感謝すらしている。そういうことだ」

 将志は苦しげな声でレミリアにそう返し、それを聞いて銀月は俯いた。
 愛する子を殺さなければならない親の心情は、銀月には耐え切れそうも無かったからだ。

「……銀月。お前はもう少し自分のことを考えるべきだ。次にまたこのようなことが起きた時、お前を殺すのは俺かもしれないのだからな……頼むから、俺にお前を殺させないでくれ」

 将志は銀月に背を向けたまま、震えた声でそう言って去っていった。
 その声を聞いて、銀月は眼を覆った。
『限界を超える程度の能力』で再現した将志の心境は、胸が張り裂けそうになるものだった。

「……俺って親不孝ものだなぁ……」 

 銀月は思わずそう呟いた。
 親をあんな気持ちにさせた自分が情けなくて、悔しかった。
 仰向けに寝転がり、眼を腕で覆う。
 その横から熱い雫が一筋流れ落ち、頬を伝っていた。

「何泣いてるのよ」
「……泣いてなんてないさ」

 レミリアが話しかけると、銀月はそのままの体制で答えを返して起き上がった。
 それを見て、レミリアは小さく笑った。

「あら、存外に立ち直りが早いのね」
「……気にしていても仕方が無いからね。次があるなら次は気を付ければ良いだけの話さ」

 銀月はそう言って自らの頬を強く張る。
 二度とこんな過ちを繰り返さないと言う意思を込めたものであった。

「それにしても……俺ってそんな監視が付けられるほど異常かなぁ……?」

 銀月はレミリアに対してそう呟くと、深々とため息をついた。
 それを見て、レミリアは呆れ顔で更に大きなため息をついた。

「アンタねえ……吸血鬼二人を圧倒した上に時を止められた空間でも動いた挙句、全身ハリネズミにされても生きていた人間が普通だと思うかしら?」
「いや、でも心臓を潰されたら死ぬんだからまだ……」
「黙らっしゃい。とにかく、私はお前を人間だとは認めないわ。翠眼の悪魔の異名の通り、悪魔だって言われた方がまだしっくり来るわよ」

 銀月の言葉をレミリアはそう言って全否定する。
 その言葉を受けて、銀月はフランドールに縋るような眼を向けた。

「……ごめん銀月、私も人間はあんなのじゃないと思う」

 しかし、銀月の願いも空しくフランドールはそう言って首を横に振った。

「酷いなあ……」

 銀月はがっくりとうなだれ、シーツの上にのの字を書く。

「それでお話を纏めると、銀月は私と一緒にいてくれるってこと?」
「……ああ、そうだよ。正直不本意だけどね」

 フランドールの言葉に、銀月は跳ね除けるようにそう返した。
 それを聞いて、フランドールの表情が曇る。

「う……そんな風に言わなくても……」
「悪いけど、一度だけ恨み言に付き合ってくれ。自分を殺しかけた相手にそう簡単に心を開くほど、俺は人間が出来ていない」
「……わ、私、人間が簡単に死ぬなんて知らなくて……」
「だからって、理由も無く簡単に傷をつけて良い理由にはならない。まして、ただの娯楽で殺されるなんて反吐が出る。そんなことをする奴は死ねばいいと何度思ったことか」

 泣きそうな表情を浮かべるフランドールに、銀月は容赦なく恨みつらみをぶちまける。
 怒鳴るでもなく、泣くでもなく、全ての感情を取り払った言葉。
 お前には心の一端も掴ませないと言わんばかりのその言葉は鋭利な刃物のように鋭く、フランドールの心に突き刺さる。

「銀月……お前……!」

 そんな銀月の言葉に、レミリアが銀月に跳びかかった。
 再び銀月は首を掴まれてベッドに押し倒される。
 しかし、銀月はそんなレミリアを冷ややかな眼で見つめ返した。

「……レミリアさん。貴女だってそうでしょう? もし、悪ふざけの感覚で流水を掛けられたり銀をぶつけられたら、貴女は黙っていられますか? 俺は無理だ。相手は殺す気で来てるんだから、俺は相手を殺す」
「ぐっ……」

 銀月の言葉に、レミリアは何も言い返せなかった。
 銀月はレミリアの手を自分の首から外すと、起き上がってフランドールを見つめた。

「……私は、ただ銀月と遊びたかっただけなのに……」

 フランドールは俯いたままそう呟く。
 そんな彼女に、銀月は感情の籠もらない言葉を返した。

「なら、もっといろいろ知ることだ。世の中、知らなかったでは済まされないことがある。少なくとも今のフランとは遊べないし、遊ぶ気も無い」
「お前、まさか父親の言いつけや私との契約を破るつもり?」

 レミリアはそう言って銀月を睨んだ。
 それに対して、銀月は小さくため息をついた。

「……俺は約束を破る気は無い。父さんの言ったとおりフランの監視はするし、レミリアさんの約束どおり付き人だってしよう……だけどフラン、俺の君に対する感情はどう頑張ってもマイナスだ。それだけは覚えておいてくれ」
「うん……」

 フランドールは銀月の言葉に短く返事をすると、そのまま黙り込んでしまった。
 レミリアも何も言い返せず、ただ心配そうにフランドールを見つめている。
 そんな中、銀月は大きく深呼吸をした。 

「ところで、俺が着れる服は無いかな? 胴衣も袴もボロボロでもう使い物にならないんだけど」
「……待ちなさい。それならどこかに……」

 レミリアはそう言うと部屋のクローゼットの中を漁り始めた。

「……ああ、あったあった。これを着なさい」

 しばらくすると、レミリアは一着の服を取り出した。
 銀月はそれを手渡されると、手にとって広げてみた。
 するとそれは血潮のように赤い執事服だった。

「……これは、執事服? 赤いけど」
「そうよ。着てみなさい」

 銀月は言われるがままにそれを着ることにした。
 白いワイシャツを着てやや落ち着いた赤色のスラックスを穿き、黒いネクタイを締めてスラックスとお揃いの色の上着を羽織る。
 最後に黒い靴下を履いて黒い革靴を履く。
 そして、最後に銀月は一言呟いた。

「……何でピッタリなのさ」

 銀月が着た執事服は丈の長さ、腰周り、肩幅に至るまで全ての寸法が銀月に合わせてあった。
 それを身に付けた銀月の呟きを聞いて、レミリアは面白そうに笑った。

「それは元々お前に着せるために仕立てたからよ」
「ちょっと待った。俺は寸法を取られた覚えはないんだけど?」
「そりゃそうよ。咲夜が時を止めて計ったのだから」

 どうやら、いつの間にか銀月は採寸されていたようである。
 暴走状態に無ければ咲夜の能力は破れないので、しっかり止められていたのだった。
 銀月は訳が分からず、呆れ顔で首をかしげる。

「で、何でこれを作ったんだ?」
「似合いそうだったから。本当はこの前の宴会で着せるつもりだったんだけどね。タイミングを逃したのよ。うん、予想通り良く似合ってるわ」

 レミリアはそう言って満足そうに頷いた。
 それに対して、銀月は大きなため息をついた。
 この赤い執事服を作った理由があまりにくだらなくて、脱力する。

「……まあいいか。これで裸で帰らなくても済むわけだし」

 細かいことを気にしてもしょうがない。銀月はそう思うことで気を持ち直した。
 そんな銀月の前に、レミリアは正面を向いて立った。 

「銀月」
「はい……っ」

 銀月が意識を向けた瞬間、レミリアは銀月の喉元に真紅の槍を突きつけた。
 銀月は立ったまま、その状況を受け入れる。

「その服に袖を通すからにはお前は紅魔館の一員。その命、私が預からせてもらうわ。これから先、お前は勝手に死ぬことは許されない。この言葉、胸に深く刻みつけておきなさい」

 レミリアは厳かな口調で銀月に向かってそう言い放つ。
 それは紅魔館の当主としての、執事に対する最初の命令であった。

「……かしこまりました、レミリア様」

 銀月はそう言うと執事としてのスイッチが入ったようで、胸に手を当てて恭しく礼をした。
 その銀月の言葉に、レミリアは興味深そうな表情を浮かべた。

「……銀月は咲夜や美鈴みたいにお嬢様とは呼ばないのね?」
「私のお嬢様はフランドール様ですので。それと、次に来られるのは私の能力の検証が終わってからになりますのでご了承ください。では、失礼致します」
「ええ、次からは頼むわよ」

 レミリアがそう言うと銀月は再び礼をして部屋から出て行こうとする。
 しかし、ドアに手を掛ける直前にレミリアに向き直った。

「ああ、それからレミリア様……そこで落ち込んでおられるお嬢様のフォローをお願い致します。では」

 銀月は事務的な口調でそう言って礼をすると、今度こそ部屋から出て行った。
 それを確認すると、レミリアは部屋の中央で俯いている妹を見た。

「フラン……」

 レミリアは立ち尽くしているフランドールをそっと抱きしめた。
 すると、フランドールは落ち込んだ声で話を始めた。

「お姉様……どうしよう。私、銀月に嫌われちゃった……」
「まあ、仕方が無いわよ。フランは人間が死にやすいってこと知らなかった訳だし……」
「でも、銀月はそれじゃあ済まないって言ってたよ……私、嫌われたまま一緒に居るなんて我慢出来ないよ……」

 レミリアが慰めるも、フランドールは泣きながらそう訴える。
 今までずっと閉じこもっていて、人と接することが無かった彼女は今まで誰かに嫌われた経験など無い。
 その上、最初の出会いがとても楽しいものであったためにフランドールは銀月にかなり好感を持っていた。
 そのため、今回のことで銀月にマイナスの感情を持たれた事はかなりのショックになっていたようであった。
 そんなフランドールに、レミリアは困った表情を浮かべた。

「……参ったわね……時間が解決してくれると良いのだけど……」

 レミリアがそう呟いた瞬間、ノックの音が響いた。
 レミリアは一瞬どうしようか迷ったが、急ぎの用事である可能性があるので中に入れることにした。

「入りなさい」
「失礼します。お嬢様、妹様にお話があるんですけど良いですか?」

 中に入ってきたのは美鈴だった。何やらフランドールに話があるようである。
 そんな美鈴に、レミリアはため息をついた。

「後にしなさい、美鈴。フランが落ち着いたら話をさせてあげるわ」
「あはは……それが、落ち着かせるためのお話なんですけど……」

 美鈴は暢気に笑いながらレミリアにそう話す。 
 するとレミリアは、美鈴の方を向いて首をかしげた。

「……どういうことかしら?」
「まあ、ちょっと話をさせてください」

 そんな美鈴の言葉を聞いて、レミリアは少し考えて結論を出した。

「分かったわ。そういう事なら話してみなさい」
「ありがとうございます」

 美鈴はそう言うと、声を押し殺して泣いているフランドールの元へと向かった。
 フランドールは美鈴が近づくと、ゆっくりと顔を上げた。

「妹様、少しお話良いですか?」
「……何?」
「銀月さんとの仲なんですけど、そんなに心配することは無いですよ」
「……何でそんなことが言えるの?」
「それがですね、銀月さんのお友達にギルバートさんって居るんです。この人、今は銀月さんと兄弟って呼び合うくらい仲のいい人なんです」
「……それが、どうしたの?」
「実はですね……ギルバートさん、人狼なんですけど本当は大の人間嫌いで、最初は銀月さんを殺そうとしたらしいんですよ」
「……え?」

 美鈴の話を聞いて、悲しげだったフランドールの表情が変わった。
 銀月の親友が元は自分を殺しに来た人狼だと言う話への興味のほうが先に出て、美鈴の顔をジッと見つめて先を促す。
 そんなフランドールに美鈴は話を続ける。

「最初のうちはそれは酷かったみたいですよ? 会うたびに殺し合いみたいな大喧嘩をして、周りに迷惑を掛けていたみたいですから。でも、今はもう親友とも言える仲なんです」
「それじゃあ……」
「はい。そこまで気にすることは無いと思いますよ。最初は嫌われても、段々仲良くなっていけばいいんですよ」
「……そっか」

 美鈴が話し終えると、フランドールの表情には安堵の表情が窺えるようになった。
 まだ改善の余地はある。フランドールは今の話をそう理解した様であった。
 それを見て、美鈴は笑みを浮かべて一つ息をつく。

「……落ち着いたみたいですね。それじゃあ、私は門番に戻りますね」
「待ちなさい。美鈴、貴女何故そんな話をしようと思ったの?」

 部屋を出て行こうとする美鈴に、レミリアが声を掛ける。
 すると、美鈴は関節が錆付いたロボットの様な仕草で振り返った。

「え……あ、その、それはですね?」
「……銀月の差し金ね?」
「うっ、その……」
「答えなさい」

 しどろもどろになっている美鈴に、レミリアは威圧感を出して一気に畳み掛ける。
 それを受けて逃げられないと悟った美鈴は、肩を落としながらため息をついた。

「……はい。確かに銀月さんに話をするように言われました……黙っておくように言われてたんですけどね」
「それで、他に何か言ってなかったかしら?」
「主人の機嫌を直すのも従者の務めですから……って言ってましたよ。案外素直じゃないですね、銀月さん」

 美鈴はそう言って苦笑いを浮かべた。
 それを聞いて、レミリアは額に手を当ててため息をついた。

「……本当、よく出来た執事だこと。というか、実は殺されかけたことを全然気にしてないんじゃ……」
「かも知れませんね……て言うか、本当に銀月さんここで執事をするんですか?」
「そうよ。それも、銀の霊峰の長である父親の半ば公認の形でね。思わぬところで有能な執事が手に入ったわ」

 レミリアはそう言うと嬉しそうに笑った。
 それにつられて美鈴も笑い出す。

「あはは、きっと咲夜さんやパチュリー様も喜びますよ。二人とも結構銀月さんのことは気に入ってるみたいですし」
「特に咲夜はそうでしょうね。仕事の負担が一気に減るものね」
「そうですね。私としては、門番の負担も軽減して欲しいなー、なんて……」
「……そこは自分で何とかしなさい。でないと、また咲夜のナイフが額に刺さるわよ」

 一気にジト目に変わるレミリア。
 それを見て、美鈴は乾いた笑みを浮かべて固まった。

「あ、やっぱり……で、では、私は門番に戻りますね」
「ええ。ありがとう、美鈴」
「いえいえ、銀月さんの言うとおり、主人の機嫌を直すのも従者の務めですので。じゃあ、失礼します」

 美鈴はそう言うとレミリアの部屋を辞した。
 それを見届けると、レミリアは大きく伸びをした。

「さてと……これから銀月を迎える準備をしなければいけないわね。フラン、ちょっと良いかしら?」

 レミリアはそう言ってフランドールを手招きする。
 するとフランドールはレミリアのところへと歩いてきた。

「なあに、お姉様?」
「フランにはこれから覚えてもらうことがあるわ。外に出ることになるのだから、しっかりと覚えて私達の顔に泥を塗ることがないようにしなさい」

 レミリアがそう告げると、フランドールはにこやかに笑った。

「うん、私頑張るよ! それからお姉様、一つお願い事があるんだけど良い?」
「何かしら?」
「えっとね……」



[29218] 外伝if:清涼感のある香り
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 22:32
注意

 この話は本編に関係のない外伝です。
 閲覧の際には以下のことにお気を付けください。


 ・ヤンデレ注意


 以上の点が苦手、またはご了承しかねるという方はブラウザバックを推奨いたします。

 では、本文をお楽しみください。

















「はー……お茶が美味しい。なんだかんだで師匠もこういうの上手いのよね」

 永遠亭の縁側に座って、ウサ耳の少女がお茶を飲んでいる。
 彼女の師匠が淹れたお茶は赤みがかった茶色で、とても良い香りを放っていた。
 そのお茶を飲んで、そのウサ耳少女こと鈴仙はホッと一息つく。

「うーん……私もこういうの練習したほうがいいのかな?」

 鈴仙はそう言って考え込む。
 彼女の周りでは師匠である永琳の他に、将志と銀月と言う料理上手な男達が居るのだ。
 彼らに比べると、自分の料理の腕は非常に心許無い。
 鈴仙としては、女としてそれはどうよ? と思わなくもないのであった。

「うどんげ、ちょっとこの薬作ってくれないかしら?」

 そんな鈴仙に、紺と赤の二色に分けられた服の大人びた女性が声を掛けた。彼女の師匠、永琳である。
 永琳は鈴仙に声を掛けながら、手に持っていた紙を手渡した。
 鈴仙はその紙に眼を通すと、首をかしげた。

「あれ、これ新しいレシピですよね? 新薬ですか?」
「ええ、そうよ。この近くでこれの群生地があって、効果を試してみようと思ってね」

 永琳はそう言うと一枚の草の葉を取り出した。
 その丸みを帯びた幅の広い草の色は赤く、鼻を近づけてみると清涼感のある心地良い香りが漂ってきた。

「何なんですか、この葉っぱ? 結構良い匂いがしますけど」
「分からないわ。私も初めて見たもの。でも、香りが良いって事は何か効果がありそうだとは思わない?」
「確かに……薬用成分は何かありそうですね」
「でしょう? だからまずは精神安定効果を期待してこの薬を作ろうと思うのよ」

 永琳は新しい薬の効果を想像して微笑む。
 それを聞いて、鈴仙は首をかしげた。

「あれ? でも、何で私に頼むんですか? 新薬なら、師匠が自分で作った方が確実じゃないですか?」
「ああ、私は今別の薬を作ってるのよ。期限が切れた薬があるんだけど、そっちのほうが調合が難しいのよ。それに原料が新鮮なうちに薬を作ってしまいたいからうどんげにお願いしようと思っているのだけれど、駄目かしら?」
「いいえ、任せてもらえるんなら頑張って作りますよ。それじゃあ、早速取り掛かりますね」

 鈴仙は永琳に新薬の調合を任された事に喜びを感じながら、作業に取り掛かった。
 先程の赤い草の葉をすりつぶし、先に粉末にしておいた他の材料と混ぜ合わせる。

「えっと、これとこれをこの割合で調合して……これで完成で良いのかな?」

 作業を進めていくうちに出来た丸薬を見て、鈴仙は永琳からもらったレシピを確認しながらそう呟いた。
 そして手順に間違いがないことを確認すると、薬包紙に丸薬を包んで永琳のところへ持っていった。

「師匠。出来たんですけど、これで良いですか?」
「どれどれ……うん、これなら大丈夫そうね。ありがとう、今度銀月にうどんげに何かご褒美あげるように頼んでおくわ」

 鈴仙が作った丸薬を見て、永琳は満足そうにそう言って頷いた。
 それを聴いた瞬間、鈴仙の顔が一瞬で真っ赤に染まった。

「な、なんで銀月くんの名前が出てくるんですか!?」
「あら、あんな優良物件そうそうお目にかかれないわよ? 将志が言うには、友達の一人暮らしの女の子のところに甲斐甲斐しく料理を作りに行ってあげてるって話よ?」
「え、うそぉ!? ……って、師匠。その友達の名前、霊夢って言ってませんでしたか?」

 鈴仙は一瞬驚いた後、心当たりがあったのでそれを永琳に告げる。
 すると、永琳は少し考えてから頷いた。

「ああ、確かにそういう名前だったわね。でも、何で分かったのかしら?」
「銀月くんをこき使っている人が居るって言うのを聞いてましたから……銀月くん、過労で倒れたりしなきゃ良いんだけど……」

 銀月の体の心配をする鈴仙。
 そんな鈴仙を見て、永琳は苦笑いを浮かべた。

「流石にそこまで心配することはないと思うわよ? 無理だと思ったら将志が止めに入ると思うし」
「う~ん、それもそうか……」
「でも、うかうかしてると取られちゃうわよ? 銀月くんが放っておけない駄目な子が好きだったりしたら取り戻すのが大変よ?」

 二人は話していると、突如としてノックの音が響いた。
 木製の引き戸が開くと、そこには銀髪の青年が立っていた。

「……主。食事の仕度が出来たぞ。仕事は終わっているか?」
「ええ、今ちょうど終わったところよ。それじゃあ、お昼にしましょう」

 将志の言葉に頷くと、二人は片づけをして昼食を取りに行った。
 将志が用意した昼食は本日も細かいところまで工夫がされた、とても洗練された料理であった。
 全員箸が凄い勢いで進み、あっという間に食事が終わった。

「ご馳走様。今日も美味しかったわよ」
「……お粗末様、だな」

 全員が食事を終えたことを確認すると、将志は食器を下げ始める。
 そんな将志に、永琳が声を掛けた。

「それから将志、少し水を持って来てくれるかしら?」
「……了解した」

 将志は台所に向かうと、茶碗に水瓶から水を汲んだ。

「……持ってきたぞ」
「ありがとう」

 永琳はそれを受け取ると、ポケットから薬包紙を取り出した。
 薬包紙の中には、先程鈴仙が作った丸薬が入っていた。
 将志はそれを見ると、永琳に詰め寄った。

「……待て、その薬包紙は何だ?」
「ああこれ? さっき作った新しい薬草を使った新薬よ。これからこれを飲んで臨床試験をしようと……」

 永琳がそこまで行った瞬間、将志はその手から薬包紙を取り上げて中の丸薬を口に含んだ。
 そして、茶碗の中の水で胃の中に流し込んでしまった。

「あっ……」

 突然の将志の行動に、永琳は唖然とする。
 そんな彼女に、将志は平然と声を掛けた。

「……それならば、何も主がすることはない。まずは俺が使って効果を見てやる。だから主はもう少し身体を大事にしてくれ」
「……私はもう不老不死だし、死ぬことは無いのだけれど……」
「……だからこそだ。もしこの薬のせいで主が永遠に障害が付きまとうことになったらどうする? ……俺は主のそんな姿は見たくない」

 将志は永琳の眼を見つめてそう言った。
 その言葉を聞いて、永琳は嬉しい気持ちと心配な気持ちが入り混じった複雑な表情を浮かべた。

「……その言葉、そっくりそのままあなたに返すわ。気持ちは嬉しいけど、もうこんな無茶はしないで」

 永琳はそう言いながら将志を優しく抱きしめた。

「……ああ、分かった」

 それに対して、将志も柔らかく抱きしめて返す。
 その様子は、まるで愛し合う恋人のようであった。

「……抱き合っちゃってまあ……」
「……ちょっとは人目をはばかってほしいものね……」
「あはは……確かにね」

 そんな二人を見て、輝夜にてゐ、そして鈴仙が口々にそう話す。
 毎度毎度繰り広げられる二人の世界に、全員辟易しているようである。
 そんな中、黒髪の青年がトレーを持ってやってきた。

「本当に父さんと永琳さん仲が良いなぁ……はい。コーヒー入ったよ」

 銀月はそう言って笑いながら、コーヒーが入ったカップを載せたトレーを机に置く。

「もらうわよ」
「いただくわ」
「いただきます」

 すると、三人はそのコーヒーカップに口を付け、一気に傾けた。
 コーヒーが一気に口の中に流れ込み、独特の苦味が広がっていく。

「はー……」
「ふー……」
「ほー……」

 それを飲み干して喉を潤すと、三人はスッキリした顔で揃って一息つく。
 その表情は、まるで大きな仕事を一つやり遂げたときの様な清々しい表情であった。

「……そろそろコーヒー仕入れに行かなきゃか……みんな飲みすぎだよ……」

 その様子を見て、銀月は乾いた笑みを浮かべるのだった。
 その一方で、永琳は抱き合ったまま将志と話を続ける。

「それで、薬の効き目はどう?」
「……そうだな……今はまだ飲んですぐだから分からないが……どこと無く気分がスッキリしているな。主、あの薬はそういう薬なのか?」
「ええ、その通りよ。それにしても、ものすごい即効性ね。まだ服用してから十分も経っていないのに……」
「……胃の中から清涼感のある香りが漂って来ているからな。この香りによるものが大きいのだろう」
「そう……これからしばらくあなたの経過観察をするけど、構わないかしら?」
「……ああ、問題は無い。既に最低限の鍛錬は終えているし、仕事は愛梨達に取り上げられてしまった。たまには静かに過ごすのもいいだろう」
「それなら、のんびりお茶でもしながら話をしましょう?」
「……ああ、いいとも」

 二人はそう言い合うとお茶を用意し、縁側に座って話を始めた。
 話は弾み、天高く上っていた太陽が沈んで夜の帳が降りるまで続いていた。
 それを見て、将志は立ち上がった。

「……さて、そろそろ夕食の準備を……っ!?」

 その瞬間、将志はその場に胸を押さえて倒れこんだ。

「将志?」

 突然のことに呆然とする永琳。

「っは……っ……」

 将志は苦しそうに呼吸をし、自分の肩を抱くようにして丸くなっていた。
 その異変に気がついて、銀月が奥からすっ飛んできた。

「父さん!? どうしたのさ!?」
「うどんげ!! 何か適当な紙袋を持ってきなさい!! 早く!!」
「は、はい!!」

 銀月が様子を見ている間に、永琳は将志の過呼吸の症状を見るや否や鈴仙に向かって檄を飛ばす。
 すると鈴仙は大急ぎで紙袋を持って来て永琳に手渡した。

「将志、この中でゆっくりと息をしなさい。紙袋が膨らんだりしぼんだりする様にね」
「くっ……あ……」

 将志は永琳の言うとおりにしようとするが、上手く行かない。
 それどころか将志の体は震え始め、全身から大量の汗が噴出し始めていた。

「永琳、治まってないわよ!?」

 そんな将志の様子に、輝夜が慌てた声を上げる。
 その横で、永琳は冷静に将志の症状から病気を割り出そうとしていた。

「……過呼吸、身体の振るえ、そしてこの大量の発汗……将志、動悸や胸部の不快感、不安感みたいなものは感じる?」
「……っ」

 永琳の問いに、将志はかろうじて頷く。
 呼吸は浅く早く、見るからに息苦しそうである。
 永琳は将志の答えを聞いて考えた。

「症状があるのね……これはパニック障害の疑いがあるわね」
「パニック障害? 何、それ?」
「何らかの要因で脳の働きがおかしくなって、強烈な不安感や今将志が感じている症状を起こす病気よ。発作が始まるとこういう風に立っていられなくなるほど強い症状が出るわ」

 永琳は輝夜に将志の症状から想定される病名を挙げ、その説明をしていく。
 そんな永琳に、苦しむ親を見て錯乱気味の銀月が叫ぶ。

「それで、俺達はどうすればいいんですか!?」
「落ち着きなさい、銀月。もしこれがパニック障害の発作だったとすれば十分ほどで治まるはずよ。それとこれは精神に深く関わる病気だから、不安感を取り除いてあげるのが一番大事よ。だから……」
「……っ」

 永琳は将志を安心させるように、その頭を胸に抱いた。
 すると将志は自分を襲っている強い不安感を表すように永琳に抱きついた。

「大丈夫よ。傍に居るから安心しなさい。あなたが気が済むまでこうしてあげるわ」
「……っ……」

 永琳は将志の頭を撫で、とにかく安心させるように心がけた。
 将志はそれを受けながら、永琳に抱き付いて震え続ける。
 しばらく続けていると、永琳の顔が曇ってきた。

「……おかしいわ、治る気配が無い……」
「もう、あれから二十分以上経っているのに……」

 銀月はそう言いながら時計を見る。
 将志が症状を訴えてからもう既にかなりの時間が経過しており、永琳が提示した十分を遥かに越えていた。
 それを受けて、鈴仙が自分の考えを永琳に話した。

「師匠、これはもうあの薬が原因だったと見るしか……」
「確かに原因はそれだろうけど、今探しているのは解決策よ。症状は明らかに精神疾患だから……将志、今からあなたを助けるための薬を作るわ。それまで待っててくれるかしら?」
「……くっ……」

 永琳の言葉に、将志は苦しそうに頷いて手を離す。
 永琳は立ち上がると、鈴仙に声を掛けた。

「うどんげ、銀月と一緒に将志の様子を見ていてちょうだい。私は薬を作ってくるわ」
「分かりました!!」

 そう言うと永琳は走って薬の調合に向かった。
 将志は薬が出来るまでの間、自分の肩を抱いて震えていた。
 流れ出る汗は小豆色の胴衣を濡らし、まるで水を被ったかのような状態になった。
 そんな中、永琳が駆け足で戻ってきた。

「将志の様子はどう!?」
「永琳さん、父さんの様子は一向に良くなってません。むしろ悪化しているような……」
「……っ……っ……」

 銀月は永琳に現状を報告する。
 見てみれば、将志の身体の震えは大きくなっており、息をするのもやっとと言う状態に陥っているようであった。

「分かったわ。将志、この薬を飲みなさい」
「……っ……」

 永琳が薬を差し出すと、将志はそれを分捕るように掴んで口の中に押し込んだ。
 薬を飲んでしばらくすると、将志の症状はまるで嘘だったかのように消え去っていた。

「……落ち着いた?」
「……ああ……だが主、この薬は……」

 その薬を飲んで、将志は既視感を覚えた。
 何故なら、今感じているのは胃から上ってくる清涼感のある香りだったからである。
 将志の呟きに、永琳は頷いた。

「……ええ、さっきの薬に手を加えたものよ」
「師匠!? それ、どういうことですか!? それじゃあまたさっきみたいなことが起きても……」

 驚きの表情を浮かべて、鈴仙は永琳に詰め寄った。
 将志の症状の一番の原因であろうあの薬を再び投与したのだから当然の反応であろう。
 永琳はそんな鈴仙に説明を始めた。

「うどんげ、さっき私はパニック障害の疑いがあるって言ったわよね?」
「え、あ、はい……確かにそう言いましたけど……」
「実はこれとよく似た症状を引き起こす病気があるのよ。何だと思う?」
「えっと……分かりません……」

 鈴仙は永琳の問いに言いづらそうにそう答えた。
 それを聞いて、永琳は苦笑いを浮かべた。

「まあ、そうでしょうね。一般的にはその病気はここまでの重篤な症状は見られないもの。答えはさっきの将志の行動を思い出せばすぐに分かるはずよ」

 鈴仙は先程までの将志の様子を思い浮かべた。
 そしてしばらく考えて、鈴仙はとある病名に思い至った。

「……まさか、依存症ですか?」

 鈴仙が思い至ったのは、将志が永琳の手から薬を奪い取るような形で取った行動。
 この行動は、依存物質を求める患者の衝動性として見られることがあるのだ。
 そこから、アルコールやニコチンなどで多く見られる依存症を疑ったのであった。

「ええ。将志のさっきの症状は、恐らくあの薬の成分が切れたことによる禁断症状。あの薬には、たぶん脳内の機能の一つを麻痺させる効果があるのだと思うわ」
「その脳内の機能って何ですか?」
「詳しく説明すると長くなるから噛み砕いて話すけど、人間には不安感を感じるための物質であるノルアドレナリンと、精神安定物質であるセロトニンと呼ばれる脳内物質があるのよ。あの薬はこのうちのセロトニンの分泌に関わる部分に作用しているんだと思うわ。それが原因で、パニック障害の様な症状を引き起こした」
「でも師匠、それなら何であの薬を投与したら症状が治まったんですか? それだと少し説明が付かないと思うんですけど……」
「恐らく、セロトニンを合成するために必要な成分としてあの薬の成分が必須になってしまったのだと思うわ。その結果があの重篤な禁断症状。状態としては、インスリンの外部摂取が必須となってしまう糖尿病の様なものね」
「『あらゆるものを貫く程度の能力』で何とかならないんですか?」
「……それは、出来ないわけじゃないと思うわ。確かに、将志の能力で自己暗示を掛ければ症状は抑えられるとは思う。でも、それをやると将志はずっと能力を使い続けなきゃいけなくなる。休むことすら儘ならず、永遠に、燃え尽きるまで能力を発動させなければならない。こんなの、たぶん死ぬよりつらいと思うわよ?」

 永琳は鈴仙に推察されることを話した。
 その口から放たれる言葉は、将志の身体に起こっていることの重大さをまざまざと見せ付けるものであった。
 それを聞いて、銀月が重々しく口を開く。

「それじゃあ……」
「……ええ。将志はもう、この薬なしでは生きられない。死ぬことは無いかもしれないけど、日常生活を行うためにはこの薬を飲み続けなくてはならないわ」

 その言葉を聞いて、将志は呆然とした表情を浮かべた。
 考えることがありすぎて、何から考えれば良いのか分からなくなってしまったのだ。

「……主……」
「安心しなさい。幸いにして、私はこの薬の材料の群生地を見つけているわ。だから薬の心配は要らないわよ。それに、私がしっかりあなたを支えてあげるから大丈夫よ」

 呆けた状態の将志を、永琳は少し強めに抱きしめた。
 将志は力なく、それをただただ受け入れる。

「……すまない……」
「……謝るのはこっちのほうよ……私の薬のせいで、あなたに重篤な障害をきたしてしまったのだから……」

 謝る将志に、永琳はそう言って返す。
 その声は震えており、まるで泣きそうなのをこらえているようであった。
 その声を聞いて、将志は我に返って永琳を抱き返した。

「……主、今の食生活が成立するために、何人の人間が毒等で犠牲になったと思っている? 医学もそうだ。医学の発展の影には、数々の失敗があったことだろう。物事の発展には、必ずといって良いほど痛みを生じる。今回の俺は運が無かっただけだ。主に落ち度は全く無いと断言してやる」
「……でも……」
「……間違えたのならば、繰り返さなければ良い。第一、薬を飲んだのは俺自身の意思だ。だから、そう自分を責めないでくれ」
「……ごめんなさい……」
「……気にするなというのは無理な話かもしれないが……少なくとも、俺はこうなったのが主ではなくてホッとしている。俺はあの行動を後悔などしていない」

 将志は優しく声を掛けながら、宥めるように永琳の背中をさする。
 その言葉には迷いがなく、後悔の念は微塵も感じられなかった。

「っ……ばか……ばかぁ……」

 そんな将志の声を聞いて、永琳はそっと涙をこぼした。

 それからしばらくの間、永琳は実験室にこもって将志に飲ませる薬の研究を始めた。
 その間、鈴仙は永琳の言いつけで将志の病状の経過観察を行い記録していく。
 それには銀月も付き合い、身体を動かして以上がないかどうかを調べていた。
 そこに、永琳が暗い表情で現れた。

「将志……悪い知らせがあるわ……」
「……主?」
「さっきマウスを使って実験をしていたのだけれど……あの薬は、作ってから五分以上経過すると効力を失うわ」

 永琳は自分の作った薬の効力について説明した。
 すると、将志は小さくため息をついた。

「……つまり……俺はこの永遠亭から出られなくなった、そういうことだな?」
「……ええ。薬の効力は精々六時間程度……仕事はギリギリ出来るけれど、住居はどうしてもこちらに移さなければならないわ」

 将志の言葉に、永琳はそう言って頷いた。
 それを聞いて、将志は空を見上げた。空は一面の星空で、その中心に金色の月が浮かんでいる。
 将志は眼を瞑ると、大きく息を吐いた。

「……いや……十全の状況でなければ、万が一ということもある……俺ももう、潮時なのだろうな」
「将志?」
「……俺はもう引退することにしよう。この身体では、銀の霊峰の首領を務めることなど出来ん」

 将志は永琳に対してそう宣言した。
 その表情は、どこか憑き物が落ちたように穏やかな表情であった。

「父さん……」

 そんな将志に、銀月が少し寂しげな表情を見せる。
 将志はそれを見て、銀月の頭を撫でた。

「……しょぼくれた顔をするんじゃない、銀月。俺としては、主の従者に専念できるのだから本望さ。まあ、銀の霊峰の連中には悪いがな」

 将志はそう言って笑う。
 その表情には、銀の霊峰の首領と言う立場に対する未練は欠片も感じられなかった。
 そんな将志を見て、銀月はぎこちなく微笑んだ。

「……そっか。それじゃあ、父さんの事は俺がみんなに伝えておくよ」
「……ああ。任せたぞ、銀月」

 将志がそう言うと、銀月は将志に背を向けて飛んでいった。
 その成長してきたはずの背中は、まるで銀の霊峰にやってきた当初の時のように小さく見えた。

 こうして、槍ヶ岳 将志は幻想郷の表舞台から姿を消したのだった。



 将志が永遠亭に住居を移してから一月が経ったころ、鈴仙は永琳に薬の調合を頼まれて仕事部屋に居た。
 台所では将志が昼食の準備を始めており、鈴仙は早く終わらせるために準備を急ぐ。

「えっと、頭痛薬の作り方は……あっ!?」

 調合のレシピが書かれた本を探していると、鈴仙は机に重ねてあった本に服を引っ掛けてしまった。
 本は床の上に落ちて散乱した。

「いけないいけない、早く片付けないと……?」

 鈴仙は落ちた本を片付けようとした。しかし、ふと落ちた一冊の古びた表紙の本に眼を向けた。
 その本には研究日誌と言う題が付けられていて、その下に研究者である永琳の名前が書かれていた。

「師匠の研究日誌か……何か参考になるかなぁ?」

 鈴仙は気になって、その研究日誌の中を覗いてみた。
 中には様々な薬の調合法の実験結果が示されており、それに対する考察が書かれていた。
 その中の一ページに、鈴仙は眼を止めた。

「……これは……あの薬の調合方?」

 そこに書かれていたのは、将志が引退することになった原因となった薬の調合方であった。
 そこには原料となったあの赤い草の葉の絵や、その薬を服用した結果が記されていた。
 服用した結果は、将志の身に現れた症状と完全に一致していた。

「え……えっ……!?」

 そして、そのページの上部を見て鈴仙は混乱することになった。
 何故なら……

「これ……日付が五十年前……」

 鈴仙は背中に冷たいものを感じながらページをめくる。
 すると更に様々なデータが書き記してあり、様々な検証が行われたことが分かった。
 それも、明らかに人体実験を行ったと見られるような記述まであったのだ。
 あまりの事態に、鈴仙は凍りついた。

「まさか……師匠は全てを知ってて将志さんに薬を……」
「あら、随分と懐かしいものを見てるわね、うどんげ?」
「……ひっ!?」

 後ろから掛けられた声に、鈴仙は振り向いた。
 すると、そこには笑みを湛えた永琳の姿があった。

「うふふ……見られたのなら仕方がないわ。うどんげ、私についてきなさい」

 永琳はそう言うと鈴仙に外に出るように促した。
 その彼女からえもいわれぬ冷たさを感じて、鈴仙は思わず後ろに後ずさる。

「わ、私に何をする気ですか?」
「いいえ、何もしないわ。全てを教えてあげようと思っているだけよ。良いからこっちにいらっしゃいな」

 永琳は何もせず、ただ笑顔で鈴仙に声を掛ける。
 その笑顔からは、彼女が何を考えているのかは把握できなかった。

「……分かりました」

 鈴仙は、意を決して頷いた。



 永琳について行くと、見覚えのない場所に出てきた。
 竹林の中にある、不自然に開けた空間。それは明らかに人の手が入ったものであった。
 その片隅に、竹で作られた小屋が数件建てられていた。

「ここは……?」
「私の秘密の研究室よ。ここは将志も知らないわ」

 永琳は更に奥へと進んでいく。
 すると、そこには一面にあの赤い草が生えていた。
 よく見てみると草の生え方は一定になっており、人工的に栽培されたものであることが見て取れる。

「……この草は……」
「ええ。あの薬草よ。あれはここから持ってきたものよ。結構生命力が強くて、雪が降ろうが何しようが枯れなかったわよ」

 永琳はそこで立ち止まると、くるりと振り返って鈴仙を見た。
 その行動に思わず身構える鈴仙を見て、永琳は愉快そうに笑った。

「やあねえ、うどんげ。何もしないって言ってるじゃないの。ほらほら、訊きたい事があるんじゃないのかしら?」

 永琳は楽しそうに鈴仙にそう言った。その様子は、手品の種明かしをしたくてたまらない手品師の様であった。
 そんな永琳に、鈴仙は深呼吸をして質問を始めた。

「師匠、貴女は全てを知っていて将志さんにあの薬を飲ませたんですか?」
「ええ、そうよ。効果の分からない新薬を自分の身体で臨床試験を行う、何て言ったら将志は必ず私から取り上げると思っていたからね。一芝居打たせてもらったわ。もう、全てが怖いくらい上手く行ってくれたわよ」
「それじゃあ、私に薬を作らせたのは?」
「それは将志の『悪意を感じ取る程度の能力』を回避するためよ。あの能力は厄介よ。たぶんあの薬を私が作っていたら、将志は捨てていたでしょうね……感謝するわ。あなたがしっかり育ってくれたから、あれを実行することが出来たわ」

 永琳は心の底から感謝しているように微笑みながらそう言った。
 それを聞いて、鈴仙は悔しげに俯いた。

「つまり、私は片棒を担がされた訳ですか……」
「そういうことになるわね。第一、おかしいとは思わなかったのかしら? 作った新薬をいきなり自分の身体で試すなんて言う無謀なことをするはずがないでしょう? 注意力散漫よ、うどんげ」

 鈴仙の質問に次々と答えていく永琳。
 その表情は晴れやかな笑顔でで、種明かしが楽しくて仕方がないといった様子であった。
 鈴仙は拳を固く握り締めた。

「……何でこんなこと……将志さん、あんなに師匠の事を慕っていたのに!!」
「黙りなさい! あなたに私の何が分かるって言うの? ずっと、ずっと将志だけが私の心の支えだった!! 私が月に行って離れ離れになっても、私は将志のことをずっと想っていた!! 今だって将志のことをずっと考えているのよ!! 朝も昼も夜も、一年間三百六十五日将志のことを想わない日は一日たりともなかったわ!! でも、その将志とは週に一度逢えるか逢えないか……私が将志を想うことしか出来ない間、将志は仕事で色々な人と触れ合うわ……それは愛梨だったり、藍だったり、とても魅力的な人が沢山……優しい将志のことよ、きっとその人達の事を真面目に考えて、誠心誠意その人に向き合うわ。そして、そんな将志に惹かれてどんどん人や妖怪が集まってくる……将志は私を置いていく様なことはしないって言ってくれたけど、もう耐えられない。私はもう自分ではどうしようもなくなるくらい、将志が欲しかった……」

 永琳は愛しげな視線を宙に漂わせながらそう言いつつ、何かを抱きしめるような動作をした。
 それはあたかもそこに意中の相手が居るかのような動作であった。
 永琳の表情がそれだけでどんどんと幸せに満ち溢れたものに変わっていく。彼女は、自分の記憶に刻み込まれた将志との抱擁の感触を思い出して悦に浸っているのだ。
 その行為には永琳が心の中に飼っていた狂気と言う名の悪魔が姿を見せていた。

「だからって、将志さんの人生を狂わせる様なことをするなんて間違ってます!!」

 その狂態を見て鈴仙は思わず怯むが、何とか持ち直して永琳に訴えかける。
 しかし、永琳から返ってきたのは嘲笑であった。

「……あなたに分かるはずがないわね。想いを伝えても届かない。それでも優しく尽くしてくれる彼。その度に私はじれったくて、もどかしくて、とても苦しかった……だって、その優しさは私以外の誰かにも向けられているのだもの。私は将志を独り占めしてしまいたい。誰にも彼を渡したくない。一日中でも触れ合っていたい。燃えるように愛し合いたい。将志と出来る色んなことをしてみたい。将志と一緒に居られるのなら、悪魔に魂を売り渡してやってもいい……こんなに相手のことしか考えられなくなるような恋、あなたはしたことが無いでしょう、うどんげ? 私はもう何も要らない。私は、私の全てを失っても将志の全てが欲しいのよ……」

 永琳は幻の思い人を抱きしめながら、切ない声でそう訴えた。
 その息は荒く、眼からは理性の光が完全に抜け落ちている。彼女から感じ取れるのは、理性を焼き尽くし精神を狂わせるほどに激しく燃え上がる、将志への灼熱の恋心だけであった。
 そんな永琳に、鈴仙は力なく肩を落とす。

「……狂ってる……師匠、あなたは……っ!?」

 永琳に語りかけようとした刹那、鈴仙は身体に違和感を覚えた。
 心臓を握りつぶされるような圧迫感。まるで空気が無くなったかのような息苦しさ。そして迫り来る強烈な孤独感。
 倒れこむ鈴仙を見て、永琳は微笑んだ。

「ねえ、うどんげ。あなた少しも疑問に思わなかったのかしら? 私が何故、あんな自分が不利になりそうな証拠を、すぐにでも見られてしまいそうな場所に置いていたのか。ねえ、分かるかしら?」
「……く……あぁ……」

 鈴仙は自身を襲っている異変に喘ぎながら、精一杯何故こうなったのかを考える。
 ……目の前の彼女はいったいいつ私に薬を飲ませたのか……
 そして彼女が淹れてくれていたお茶の色が、ちょうど目の前に生えている赤い草から抽出したら出そうな色であったことに気付く。

「あのノートに書かれたことの意味が分かるのは私とあなただけ。つまり、あなたにさえ見つからなければ問題は無いってことよね? けど、私はそんなに隠し事が得意ってわけじゃないのよ。それよりは、いっそ打ち明けて協力者にしてしまったほうがボロも出ないし、確実だとは思わないかしら?」

 永琳は顔に笑みを貼り付けたまま、悶え苦しむ鈴仙の頬を撫でる。
 依然として永琳の眼は狂気に染まっており、その視線はどこか上の空であった。

「……ぁ……ぎぃ……」

 鈴仙は今自分が感じている苦痛から逃れるために、永琳が育てていた赤い薬草を齧り始めた。
 しかし清涼感のある香りが口腔内に広がるばかりで、症状は一向に改善されない。
 そうやって足掻く鈴仙を見て、永琳は微笑ましいものを見るような表情を浮かべた。

「ふふふ、無駄よ。その草を食べたところで、あなたの症状は治まらないわ。あなたに飲ませた薬は少し特殊なもので、症状を抑えるにはあなたには教えていない調合法で作った薬が必要よ。ねえ、うどんげ。私の言うことを聞いてくれるだけで全て丸く収まるのよ? 協力、してくれるわよね?」
「……っ……ぃ……」

 永琳の言葉を鈴仙はのた打ち回りながら聞く。
 激しい禁断症状による苦しさと、永琳の行為を否定したい気持ち。
 その思いが鈴仙の心の中で激しくせめぎ合う。
 その葛藤のあまりの苦しさに死を考えたとき、永琳はくすくすと笑った。

「言っておくけど、その症状じゃ死ねないわよ? たぶん、死ぬより悲惨な状態がずっと続くんじゃないかしら? ねえ、楽になりましょう、うどんげ? もう誰にばらしても元には戻れないのよ? なら、みんなが平和に過ごせたほうがいいでしょう?」
「……、……」

 そして鈴仙は、決断をした。




「……主、今までどこに行っていたのだ?」

 永遠亭では、姿の見えなくなっていた己が主を探す将志の姿があった。
 将志の問いに、永琳は素直に答えることにした。

「薬の材料の群生地を見てきたのよ。万が一、そこが枯れるような事態になったら困るから、しっかり研究しておかないとね」
「……そうか。世話を掛けるな」

 永琳の回答に、将志は申し訳なさそうにそう言った。
 そんな将志の腕に、永琳は自分の腕を絡めた。

「良いのよ。あなたの為だもの、これぐらいのことなら軽いわ」
「……そう言ってもらえると助かる」

 なんて事のない様にそう言う永琳に、ホッとした表情を浮かべる将志。
 愛する想い人に触れて、笑いあう日常。
 それを認識した永琳の顔から笑顔がこぼれる。

「……ふふっ……」
「……? いきなり笑ってどうかしたのか?」
「いいえ……不謹慎な様だけど、ずっとあなたと一緒に居られるのが嬉しくて……」

 永琳は幸せそうな表情で将志にそう語りかける。
 それを聞いて、将志も嬉しそうに笑った。

「……ははっ、それじゃあそのうち飽きられないように努力しなければな」
「もう、そんなことしなくて良いわよ。私があなたに飽きることなんて絶対にないのだから」
「……それはどうも」

 まるで夫婦の様に身を寄せ合う二人。
 その周りには、近寄りがたいほどの幸せそうな空気が漂っていた。
 それを見て、輝夜とてゐが盛大にため息をつく。

「あ~あ、また始まったわ……これからも毎日これを見るのかと思うと……」
「やってらんないわね……そう思わない、鈴仙?」
「え、あ、はい……」

 鈴仙はてゐに話題を振られるが、そう言ったきり俯いてしまう。
 その顔は青白く、つらそうな表情を浮かべている。
 そんな鈴仙に、輝夜は首をかしげた。

「……やけに顔色悪いじゃない。イナバ、どうかしたの?」
「え、あ、あはは……ちょっと風邪引いたかも知れないかな……」

 鈴仙はそう言ってその場を取り繕う。
 すると、てゐが鈴仙にジト眼を向けた。

「ちょっと、気をつけなさいよ。兎達にうつって大流行でもしたら大変よ? 今日はもうさっさと休みなさい」
「……うん、そうするよ……」

 鈴仙はそう言うと、重い足取りで部屋へと戻っていった。

 結論から言うと、彼女は永琳に屈してしまったのだ。
 本来臆病な性格である彼女は、永琳に逆らうと一生あの症状に苦しむという恐怖に耐え切れなかったのだ。
 この先鈴仙がどのような気持ちで生きていくかは、我々には計り知れないであろう。

「将志」
「……ん? どうした、主?」











「これからはずっと一緒よ。もう何があっても離さないわ」




[29218] 銀の槍、検証する
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 22:56
「う……ん……?」

 紅魔館での騒動の翌日の早朝、銀月は自室で眼を覚ました。
 すると、体の上に何か柔らかいものが乗っている感覚があった。
 銀月は異様に膨らんでいる布団をめくってみた。

「すー……すー……」

 するとそこには、銀月にしがみついて寝ているルーミアの姿があった。
 ルーミアは安らかな寝息を立てており、起きる気配がない。

「……なんでルーミア姉さんが俺の上で寝てるのさ……」

 銀月はそう言ってため息をつく。が、その表情はすぐに苦笑いへと変わっていった。

「……まあ心配掛けたし、仕方ないか。それよりも、どうやって起こさないように抜け出そう……」
「うへへ、お姉さまぁ……」

 静かに考える銀月の上で、ルーミアが口からよだれを垂らしながらそう言って笑う。
 清々しい朝の雰囲気を木っ端微塵にされた銀月は、額を押さえながらため息をついた。

「……よく考えたら朝弱いルーミア姉さんのことだから、起きてもどうせ寝るか。それじゃ失礼して……」

 銀月はそう言うと、ルーミアの肩を掴んで持ち上げようとする。

「いただきま~す……がぶっ」
「いぎゃああああああああああ!?」

 すると、ルーミアはその左腕に思いっきり噛み付いた。
 その痛さに、銀月は大きな叫び声をあげた。

「どうした、銀月!?」
「もしゃもしゃ……」
「あだだだだだだだだだ!! ちょっとルーミア姉さん、起きてってば!!」

 叫び声を聞いて将志が飛んでくると、布団の上でルーミアに噛まれている銀月が必死で彼女を起こそうとしていた。
 しかし銀月の呼びかけにルーミアが応える気配はない。

「……ふんっ!!」
「わきゃん!?」

 そこで将志はルーミアの頭に拳骨を振りぬいた。
 ガツンと言う音と共に短い悲鳴が上がり、ルーミアは飛び起きた。

「いった~ぁ……何よぉ……いきなり……」

 ルーミアは頭をさすりながら辺りを見回す。
 そして、目の前に立っている将志を見て首をかしげた。

「あれ、お兄さま? おかしい、私は昨日確かに銀月の部屋に行ったと思ったんだけど……」
「……俺の部屋であってるよ、姉さん」

 ルーミアの下で銀月が呆れ顔でそう言った。
 ルーミアが上から退くと、銀月はゆっくりと身体を起こした。

「……それでルーミア、お前は銀月の部屋で何をしていたのだ?」
「昨日の一件で心配になったから、ちょっと添い寝をしてあげようと思って」
「……まあ、心配なのは分かるがな……寝ぼけて噛み付いていては世話ないぞ?」
「仕方ないじゃない。銀月って、とても美味しそうなんですもの。見た目といい、匂いといい、人食いの妖怪ならまず放っておかないと思うわよ? ……最近は男の子としても美味しくなってきてると思うけど」

 ルーミアはそう言うと、舌なめずりをしながら銀月を見る。
 その視線を受けて、銀月は背筋に冷たいものを感じてぶるりと震えた。
 一方、将志はルーミアの言葉に首をかしげていた。

「……そうなのか? 俺は人など食わんから良く分からんが……」
「まあ、お兄さまはそんなことしなくてももっと美味しいもの作れるから関係ないんじゃない?」
「……それはそうだがな……それは銀月による犠牲者が出ることに繋がりかねんからな……」

 将志は若干深刻な表情でそう呟く。
 それを聞いて、銀月が怪訝な表情で将志を見た。

「父さん、それってどういうことだ?」
「……詳しいことは紫の前で説明する。今言えるのは、銀月がそうなっていることに大体の仮説が立てられているとだけ言っておこう」
「分かった。それじゃあ、ちょっと出かけてくるよ」

 銀月はそう言うと身支度をして部屋を出ようとする。
 そんな銀月に、将志は小さくため息をついて声を掛けた。

「……あの巫女のところか?」
「ああ、そうだよ」
「……ふむ、では行ってくるが良い」
「ん、それじゃ行ってきます」

 銀月はそう言うと博麗神社へと向かって行った。





 銀月は全速力で空を飛んで博麗神社へ向かう。
 これは銀月の日課の一つとなっている鍛錬であり、空を飛ぶ練習と移動スピードの上昇を狙ってのものであった。
 銀月にとって、全てのことが鍛錬に繋がるようである。
 そうやって博麗神社へ近づいていくと、早朝の境内に二つの人影を確認することが出来た。

「……あれ? 誰か居る? 霊夢が起きるのはもう少し後のはずなのに……」

 銀月はスピードを落としながら接近していく。
 よく見てみると、境内にいたのは白いドレスに道士服の様な紫色の垂を付け日傘を差した女性と、金の毛並みの九本の尻尾を持つ女性であった。
 
「……あれは……紫さんと藍さん? どうしたんだろう?」

 銀月は疑問に思いながらも二人のところへと降りる。
 すると降り立つ気配に反応して、二人は銀月に手を振った。

「ああ、待ってたわよ銀月。本当に貴方は早起きなのね」
「おはよう銀月。昨日は大変だったらしいな?」
「おはようございます、紫さん、藍さん。二人ともどうかしたのかい?」

 銀月は二人に挨拶をするとそう質問をした。
 すると、二人はキョトンとした表情を浮かべた。

「どうかしたのかって……貴方の能力を検証するために来たのよ」
「……あれ、マヨヒガでやるんじゃないのかい?」
「それでも良かったんだが、今回は少し事情があってな……説明しなければならない相手がもう一人居るんだ」

 藍の言葉を受けて、銀月は少し考える動作をする。
 すぐに思いつき、その名前を挙げた。

「もしかして、霊夢のことか?」
「本当なら説明する必要なんて無いのだけどね……霊夢は貴方が居ないと生活できそうにないもの。なら、銀月のことを良く知ってもらわないと危ないでしょう?」

 紫は若干呆れ顔で銀月にそう話す。
 それを聞いて、銀月は乾いた笑みを浮かべて頬をかいた。

「……やっぱり、俺って危険人物扱い?」
「それは当然だろう。将志からの報告を聞いた時は耳を疑ったぞ? あのプライドの高い吸血鬼に悪魔と言わせる戦闘力を持って暴走する奴なんて、災害の様なものだろう?」
「とほほ……悪魔の次は災害ですか……」

 藍からノータイムで帰ってきた容赦の無い一言に、銀月はがっくりと肩を落とす。
 その横で、紫は二人を見てくすくすと笑った。

「まあその話はさておき、早く朝ごはんの準備をしないと霊夢の機嫌を損ねるわよ?」
「ああ、そうだな。でも、その前にいつものをしないと」

 銀月がそう言うと、紫は思い出したかのように頷いた。

「そうだったわね。それじゃ、始めましょう」
「はい。それじゃ、失礼して……」

 銀月はそう言うと、紫の肩を抱いて頬にそっと触れるようなキスをした。
 それに対して、紫も同じように銀月にキスを返す。
 それが終わると、銀月は紫の肩を抱いたまま話しかけた。

「……気分はどう?」
「……だいぶ慣れてきたとは思うけど、まだ少しドキドキするわね」

 銀月の問いかけに、紫は少し紅潮した顔で笑みを浮かべながら答える。
 それを聞いて、銀月は頬をかいた。

「う~ん……こっちからは小さいときからずっとやっていると思うんだけど、まだドキドキするんだ……」
「そういう銀月はどうなのかしら?」
「俺かい? そりゃあいきなりキスされたら驚くかもしれないけど、紫さんのなら素直に受け止められるよ。何と言うか、落ち着く感じがするんだ」
「はあ……何だか不公平な気がするわ……」

 さらりと帰ってきた質問の答えに、紫はため息をついて不満げに頬を膨らませた。

「ふふふ、こっちはおかげさまで鍛えられてるからね」
「ふ~んだ、どうせ私は異性が苦手ですよ~だ」

 そんな紫に銀月は笑って言い返し、紫は更に拗ねたようにそう言って顔を背けた。
 その光景を見て、紫の従者たる藍は思案する。

「ふむ……銀月は完全に慣れているな。紫様は段々と男らしくなっていく銀月に少し戸惑っているといったところか……そろそろ次の段階に進めるか?」

 藍は仲の良い二人を見て状況を分析し、新たな計画を練る。
 銀月との特訓において、紫はある程度はであれば口説き文句などにも耐えられ、キス程度であるならば触れ合えるようになった。
 しかし、藍の目指す目標は紫の異性に対する苦手意識を取り払うことである。出来ることならば、恋人の一人や二人くらい作れるようになるのが理想である。
 藍の目指すゴールはまだまだ遠い様であった。

「さてと、早く食事の準備をしないと。紫さん達はどうする?」

 藍が考え事をしている中、銀月が紫達に声を掛けた。
 それを聞いて紫は不機嫌そうな表情から余裕のある笑顔へと変わった。

「あら、良いのかしら?」
「大丈夫。材料は昨日買い足したばかりだし、料理も簡単なものにするつもりで居るからね。で、どうする?」
「それじゃあ、もらいましょう。藍もそれで良いかしら?」
「ええ、良いですよ。それでは、中で待たせてもらうとしましょう」
「ん、それじゃあ今日の朝ごはんは四人分だな。すぐ作るから待ってて」

 銀月はそう言うと、台所まで走っていった。




 後から起きてきた霊夢を交えて食事をした後、紫は霊夢に銀月に行う検証の説明をした。
 霊夢は黙々とそれを聞き、眉をひそめる。

「……それで、ここで銀月の能力の検証をするって訳?」
「銀月の能力を知っていたほうが色々やりやすいでしょう? 今後のためにも、覚えておいて損は無いわよ」
「銀月の能力ねぇ……人間をやめる程度の能力とか?」

 霊夢はそう言って銀月を眺める。
 その表情はにやけており、明らかにからかっている。

「霊夢……君は俺をどういう眼で見てるのさ……」

 そんな霊夢に、銀月はそう言ってため息をついた。
 その時、廊下を歩いてくる音が聞こえてきた。

「……待たせたな」
「おはよう、将志。徹夜明けで疲れていないか?」

 将志が部屋に入ってくると、藍が立ち上がって将志の近くに寄って挨拶をする。
 体調を心配する藍の言葉に、将志は首を横に振った。

「……俺とて元は夜の住人だ。それに、仮眠なら少々取っているからさしたる問題にはならん」
「とは言っても、私はお前が心配だ。何しろ、これから行う検証は危険を伴うのだからな」

 藍はそう言いながら将志の手を握る。
 そんな藍の様子に、将志は困ったような笑みを浮かべた。

「……心配のしすぎだ。何かあってもお前達を守って生き延びるくらいならやって見せるさ」
「……分かった。それなら私はお前の言葉を信じるとするよ」

 藍は将志の胸元に額をあて、安心した声でそう言った。
 その様子を、霊夢が興味深そうに眺めていた。

「紫、銀月のお父さんとあんたの式が凄く仲良さそうに見えるんだけど?」
「そりゃあ藍も女の子ですもの。でも、藍が言うにはライバルは多いらしいわよ?」
「……そういえば俺の父さんは将志だけど、母さんってまだ居ないんだよな……」

 紫の言葉を聞いて、銀月はしみじみとそう呟いた。
 それを聞いて、紫は笑みを消して真剣な表情で銀月を見た。

「銀月。そういうことはむやみに言うものじゃないわ。将志が大変な目に遭うから」
「あ、ああ……」

 紫の真剣さに気圧されながら、銀月は頷いた。
 その銀月に、霊夢が話しかけた。

「それよりも銀月、あんたの能力って何よ?」
「『限界を超える程度の能力』だってさ。これで人間の限界を超えて色々出来るみたいだ」
「ふ~ん、つまり人間をやめる程度の能力ってことよね?」
「何でそうなるのさ……」

 霊夢の発言に一気に脱力して机に伏す銀月。
 そんな銀月に、将志が声を掛けた。

「……あながち間違いでもないぞ、銀月」
「父さん?」
「……詳しい話は後でしてやる。その前にお前は身代わりの札を作れ」
「ああ、わかった」

 銀月は将志にそう言うと札作りの準備をしにいく。
 その一方で、霊夢と紫が将志の言葉に首をかしげていた。

「身代わりの札? 何それ? 紙の式神みたいな奴?」
「将志、身代わりの札なんて何に使うのかしら?」 
「……銀月は今回、その札のお陰で死なずに済んだのだ」

 紫の言葉に、将志は重々しくそう答えた。
 それを聞いて、霊夢の眼がスッと鋭く細められた。

「ちょっと、さっきから何か物騒な話になってるじゃない。なに、銀月が死ぬような目にでも遭ったってこと?」
「……その説明も後でしてやる。それよりも今は銀月の札作りを見に行くぞ」

 将志に促されて一行は銀月の姿を探す。
 すると銀月は机の上に敷いた紙に何やら筆を滑らせていた。見てみると、それは何かの陣のようであった。
 銀月はその中心に札になるであろう長方形の半紙を置くと、将志達の方を向いた。

「それじゃあ今から札を作るけど、何があっても止めたりしないで欲しい。止められると完成しないから」

 銀月はそう言うと、白紙の札に右手を置いた。
 それを見て、見守る四人は黙り込む。

「$∝#%¥?∇@*;+……」

 銀月の口から聞いたことも無いような言語が発せられる。
 その瞬間、銀月の身体に異変が起きた。札に当てた手から深い裂傷が出来、銀月の腕を登りはじめたのだ。
 傷口からは血が流れ出し、銀月の肌を伝って札へと流れ込んでいく。
 周囲にはむせ返るほどの血の匂いが広がり、観察者の鼻を突く。

「∬∇∀§Å≡∫∃&$*……」

 銀月は額に油汗をかき、険しい表情で呪文を唱え続ける。
 傷は胸を這い上がり首へ、そして顔へと登っていく。
 銀月の白い服には血が染み出し、腕や背中、そして袴までもが真っ赤に染まっていた。どうやら全身から出血しているようであった。
 そして、その全身から流れ出した夥しい量の血液は次々と札に吸い込まれていく。
 その流れていく血の中に、銀色の光の粒が混ざっていた。

「あ……」

 自分の想像を遥かに越える壮絶な光景に、霊夢は鳥肌が立つと共に言葉を失った。
 身代わりの札と聞いて何かの役に立てばいい位の気持ちで見ていたが、そんな安易な考えなど消え去ってしまっていた。

「これは……」
「私が知っている身代わりの札ではないな……」

 その横で、紫と藍も厳しい眼つきでその様子を眺める。
 二人から見て、今の銀月の様子に何か不穏なものを感じ取ったからである。

「……っ……?Å∬@*∃#∀……」

 銀月は蒼い顔で、全身を走る激痛に耐えながら札に力を込め続ける。
 服を真っ赤に染めていたはずの血も札の中に吸い込まれていき、元の白い色を取り戻していた。
 その服から滴り落ちる血が無くなり最後の一滴が札に消えると、銀月はその場に崩れ落ちた。
 体中に広がっていたはずの裂傷は、跡形も無く消え去っていた。

「はぁ……はぁ……っ……終わったよ……」

 銀月は荒い息を吐き、倒れたままそう言った。銀月の顔からは血の気が失せており、蒼白い顔になっている。
 そんな銀月に霊夢が同じくらい蒼い顔で声を掛ける。

「銀月……あんた、大丈夫なの?」
「……大丈夫。少し疲れただけだから……」

 その横で、紫は銀月が作った身代わりの札を手にとって眺めた。
 それはとても複雑な模様が描かれていて、触るとまるで生きているかのように暖かかった。

「銀月。この札の作り方、どこで覚えたのかしら? 少なくとも、私も藍もこんな術式は見た事が無いのだけれど?」
「……人狼の里の書庫にあったものを、自分なりに改変したものだよ」

 銀月は以前人狼の里で執事の研修を受けた時に、知識の偏りを指摘されたことがあった。
 そこで書庫の本を借りて勉強していた時に、この札の大本となった術式があったのだ。
 そして、銀月は独学でこの身代わりの札を習得したのであった。
 それを聞いて、紫は札を睨むように眼を細めた。

「そう……私には、この札がなにかおぞましいものに見えるわ」
「……でも、これから俺はそれに頼らざるを得ないときがあるかもしれない。だから、仕方の無いことさ」
「それはともかく、この様子では銀月の能力の検証は難しそうだな……紫様、どうしますか?」

 藍は床に倒れている銀月の様子を見て、紫にそう尋ねた。
 すると、将志が口を開いた。

「……では、体力が回復するまで俺が一つ話をするとしよう」
「……話?」
「……ああ。お前に関する、翠眼の悪魔に関する話だ」

 将志がそう言うと、紫と藍、そして銀月の興味がそちらに向く。
 そんな中、霊夢だけ訳が分からず首をかしげた。

「翠眼の悪魔? 何それ?」
「霊夢が巫女になる前に、一時期妖怪達の間で大勢の犠牲者を出し、恐れられた謎の妖怪……その正体が銀月だったって話よ」
「翠眼の悪魔……レミリアさんも俺のことをそう呼んでいたような……」

 霊夢の質問に紫が答え、銀月がレミリアの言葉を思い出して呟く。
 将志は銀月の顔を見ながら話し始める。

「……調べてみたのだが、翠眼の悪魔が目撃されたのは三ヶ月と言う非常に短い期間、それもごく僅かの目撃例しかない。共通して見られたのはその眼が心を奪われるような美しい翠玉の瞳。その美しさから『悪魔の翠眼』は宝石と呼ばれるほどだ」
「で、それがどうして銀月に繋がるの?」
「……まず、レミリアが実際に目撃したというのが一つ。そしてもう一つは、その最後に目撃された日付が問題だった」
「……父さん、それって……」
「……そうだ。吸血鬼異変、俺がお前を拾ったあの日が、翠眼の悪魔が最後に目撃された日だ。そしてその時の目撃情報が、異様に長い右腕を持つ人型の獣だ。槍を持ったお前の姿がそういう風に見えたのだろう。状況的に見て、お前が翠眼の悪魔であることは疑いようが無い。俺もまさか翠眼の悪魔が人間であったとは思わなかったぞ」

 将志が記憶喪失の子供を拾った夜。その日、銀月となる少年は将志の槍を握って多くの死傷者を出していた。
 つまり、銀月は将志と出会う直前まで翠眼の悪魔として戦っていた可能性があるのだ。

「ちょっと待ちなさいよ。私が巫女になる前って言ったら、銀月は大体五歳くらいよ?」
「……全ては銀月の『限界を超える程度の能力』で説明できる。銀月には俺に拾われる以前の記憶が無い。と言うことは、銀月は三ヶ月間は常に暴走状態であったと考えられる。聞いた話では、昨日相手にした吸血鬼は二人ではなく、実質五人を相手にして圧倒していたようだ。それならば、当時の銀月が人食い妖怪の一人や二人殺害できても不思議ではあるまい?」
「じゃあ、銀月の異常な身体能力も能力のせいって訳ね?」

 霊夢は将志の説明を聞いて、そのように考えた。
 しかし、その回答に将志は眼を閉じ、小さく首を横に振った。

「……最初は俺もそう思っていた。だが、調べていくうちに段々とそれは違うと思えるようになってきたのだ」
「違う? それはどういうことかしら、将志?」

 将志の言葉に紫が怪訝な表情を浮かべる。
 それに対して、将志は淡々と話を続けた。

「……実は、翠眼の悪魔によって殺された人食い妖怪の中には共通点を持つ者があってな……その共通点と言うのが、腹を食い破られていたと言うものだ」
「腹を食い破られて……おいおい、それじゃあまさか銀月は……」
「……ルーミアの話によると、人食い妖怪からみて銀月は見た目、匂い、味の全てにおいて極上のものらしい。更に、悪魔の翠眼は見るものを引き付ける様な魔力を持っている。こう考えると、何か見えてこないか?」

 将志はそう言って全員に語りかける。
 すると、しばらくの沈黙の後で紫が口を開いた。

「……悪魔の翠眼に魅入られて近づき、人食い妖怪は美味しそうな銀月の姿を見て、食欲をそそられる匂いを嗅ぎ、食べようとする……そして、翠眼の悪魔は逆にその妖怪を狩り、はらわたを喰らい尽くす……こう言いたい訳ね?」
「……そうだ。銀月は妖怪の肉、特に心臓を食らっている可能性が非常に高い。つまり銀月の人間としては異常な身体能力は、それまでに喰らった妖怪の肉によって得られた可能性が高いのだ」

 つまり、銀月が美味そうに見えるのは妖怪を引きつける為の餌。
 それに釣られてやってきた人食い妖怪は、銀月に返り討ちにされて捕食された。
 そして、妖怪の肉を食べることで身体に変化をもたらし、人間としては異常な身体能力を持つに至ったというのだ。

「ちょっと待ってくれよ父さん。俺は身体に霊力を通して身体を強化しているんだぞ? それに、俺は人間と変わらないじゃないか」
「確かに銀月はいつも本気を出す時は霊力を全身に巡らせてるわね」

 将志の推論に対して銀月は反論する。
 それを聞いて、将志は小さくため息をついた。

「……まあ、これは推論に過ぎんから何とでも言える。が、俺としてはどうしても確認しておきたいことがあるのだ」
「確認したいこと?」
「……銀月。今からお前に妖力を流す。加減はするが、気をしっかりと持っておけ。博麗の巫女、お前は万が一の時のために祓う準備をしておけ」
「え、ちょっと本気?」

 突然の将志の言葉に、霊夢は困惑した表情を見せる。
 そんな霊夢の肩を、銀月は安心させるように叩いた。

「……大丈夫だよ、霊夢。父さんは何か根拠があってやってるんだろうから」
「……行くぞ」

 そう言うと、将志は銀月に力を送り始めた。
 将志から流れる鋭く光る銀色の光に霊夢が触れると、ゾクリとした寒気が背中に走りそれが妖力であると分かる。

「……あれ? 父さん、これ本当に妖力? 何だか暖まるだけなんだけど」

 しかし銀月は特に反応を見せず、逆に心地良さすら感じていた。

「え……嘘でしょ?」
「これは……」

 その様子を見て霊夢達は息を呑んだ。
 しばらくして、将志は妖力を止めて小さく息を吐いた。

「……やはりか……」
「え、何?」
「……率直に言おう。お前は確かに人間だ。体から発するのは霊力であるし、それは間違いない。ただし、一歩間違えれば妖怪と化す状態だ。その証拠として、妖力を流しても何の変化も無い。通常、人間であれば直接妖力を取り込むと狂うところだぞ」

 将志は出した結論を真っ直ぐに銀月にぶつけた。
 すると銀月はキョトンとした表情で首をかしげた。

「俺が、妖怪になる?」
「……ああ。そもそも妖怪とは思考から生まれるものだ。こうなったのはこんな妖怪が居るからだ。そういう思考から妖怪は生まれてくる。さて、そんな思考が一つの対象、人間に注がれて妖怪になるものも居る。有名なところで言えば、崇徳天皇が大天狗になり、菅原道真が祟り神と化したりするものだ。そして銀月、一歩間違えればそれと同じことがお前に起きる。お前の場合、妖怪を狩って喰らう翠眼の悪魔に成り果てるだろう」
「ち、ちょっと待ってくれ!! 翠眼の悪魔ってもう随分前の話じゃないか。それに目撃者が少ないのなら、そんなに知られていないはず……」

 将志の発言に銀月が大慌てでそれを否定しようとする。
 しかし、その反論は紫によって否定された。

「残念ながらそれは無いわ。妖怪の間で、悪さをすると翠眼の悪魔が出るぞ、何て言って子供を躾けたりしていたのを見たことがあるわよ。何しろ、妖怪達を震撼させた未解決事件よ? 翠眼の悪魔の知名度はかなり高いんじゃないかしら?」

 妖怪が腹を食い破られて絶命するということが連続して起きた事件。
 その犯人である翠眼の悪魔がどうなってるかは、長いこと謎であった。
 これは例えるのであれば、連続猟奇殺人犯が未だに逮捕されずに姿を消しているという状況に似ていた。
 事件の衝撃性や犯人の特徴、そしてその結末などを考えると、妖怪達が忘れ去っているとは到底思えないのであった。

「おめでとう銀月、人間を卒業する日は近いわね」

 霊夢はそう言って銀月を見る。
 銀月はそれを聞いて、慌てだした。

「ちょ、なんて事言うんだ霊夢!! 父さん、それ何とかして回避できない?」
「……出来るぞ。単純な話、お前が暴走して妖怪を食わなければ良いだけの話だ。もしくはお前が翠眼の悪魔であることを公言して、翠眼の悪魔が人間であることを知らしめる方法がある。さて、どちらを選ぶ?」
「妖怪なんて食べないから前者で」

 将志の問いかけに銀月は即答する。
 そんな銀月を見て、藍が何かに気がついたようであった。

「将志、話している間に銀月もう回復していないか?」

 見れば先程の儀式で血の気が無くなっていた顔は血色が良くなっており、呼吸などに乱れはない。
 どこから見ても、普段と全く変わりない銀月の姿がそこにあった。

「そういえば……さっきまで死にかけだったのに、もうそんなに元気なの? ねえ銀月、私あんたを人間ってどうしても思いたくないんだけど……」
「……思いたくなくても、俺は人間だよ……崖っぷちだけど」

 そう言いながら銀月は深々とため息をつく。
 まさか本当に人外になりかかっているとは思いもしなかったからである。

「これも銀月の能力の影響でしょうね。『限界を超える程度の能力』で回復力の限界を超えたということね」
「……銀月、今お前はそういうことを意識してやったか?」
「いや、全く考えてなかった。気がついたら体が軽いぐらいの気持ちだったし」

 将志の問いかけに銀月は首を振ってそう答えた。
 将志はそれを聞くと、槍を取り出した。

「……そうか。では、外に出るとしよう。能力の検証を始めるぞ」

 将志がそう言うと、一行は神社の境内へと出てきた。
 外に出ると、将志は銀月に近づいていく。

「今度はお前の手に傷を付ける。それがどれくらいで治るかやってみよう。レミリアの話では一瞬で傷が塞がったらしいが……」
「分かった、やってみよう」

 銀月はそう言うと将志の槍の穂先を手に当てた。

「……っ!!」

 銀月の手に引かれる赤い線。そこからは赤い液体がだらだらと流れ出していた。
 それを見て、将志が呆れ顔を浮かべた。

「……戯け、深く切りすぎだ。あの治癒能力が暴走時のみだったらどうする?」
「あ……」

 将志の言葉に銀月は呆気に取られた表情を浮かべた。
 血は依然として流れ出しており、床に血が滴り落ちる。
 その様子からは、治る気配は一向に感じられなかった。

「ちょっと銀月、治らないじゃない。その傷で料理できるの?」
「あ、あはははは……」
「だが、これなら実験も出来るだろう? 銀月、自分の治癒力の限界を超えて見せろ」
「あ、はい。っと、こんな感じか……?」

 藍に言われて銀月は手に意識を送る。
 すると、段々と出血が少なくなり傷口が塞がっていった。

「……む」
「治っていくわね」
「しかし、将志が言うほど一瞬って訳ではないな」
「でも、治るだけ御の字じゃない? 人間的じゃないけど」

 銀月の治っていく傷を見て、それぞれ反応を返す。
 一方、当の銀月はと言えば顔を真っ赤にしており、かなり力を込めているようであった。
 そして傷口が塞がると、水の中から顔を出した時のように息を吐いた。

「……っはあ!! ……つ、疲れる……俺、本当にこんなの戦闘中に一瞬でやったのか?」
「……ふむ……と言うことは、暴走時においては更に能力を引き出していたことになるな」
「それとここまでで分かったことと言えば、普段無意識で発動している部分と意識的に動かす部分があるということね」
「……それから、死に瀕した時になると暴走するということか……流石にこの辺りの事は実験するわけにはいかんな……」

 将志達は銀月の能力について議論する。
 そんな中、銀月は境内をうろついて適当な大きさの岩の前に立った。

「ん~……こんな感じかな?」
「……どうした、銀月?」
「ちょっと見ててな……はあっ!!」

 銀月はそう言うと、目の前の岩に掌打を打ち込んだ。
 すると、岩はバラバラに砕け散った。

「……岩が砕けたな、素手で」

 将志はそれを興味深そうに眺める。

「ねえ、やっぱり銀月もう妖怪になってるんじゃない? 人間ってもっとか弱い生物だと思うんだけど?」
「霊夢。それでも銀月は人間なのよ。食虫植物みたいに妖怪を食べたりするけど」
「いやいやいや、人間としてそれはおかしいと思うわ」
「さっきから聞こえてるぞ、二人とも!!」

 自分に眼をちらちらとやりながら失礼な話をする霊夢と紫に銀月はそう叫んだ。
 それを尻目に、将志が銀月に話しかける。

「……それで、今どうやって岩を砕いた?」
「岩の限界を超えてみようと思ったら出来た」
「……ふむ、少し待っていろ」

 将志は少し考えてそう言うと、どこへともなく飛んで行く。
 そして、すぐに戻ってきた。

「……失礼するぞ」

 将志は槍や手足に岩を突き刺して運んできていた。どうやら岩を使って実験を行おうとしているようであった。
 将志がそれを境内に落とすと、霊夢が非難の声を上げた。

「ちょ、あんたうちの境内にこんなに大量に岩持って来てどうするのよ!?」
「……なに、後片付けならば後でする。少し実験をするだけだ」

 将志は霊夢にそう答えると、銀月の方を向いた。

「……銀月、今から俺が指示するとおりに動け。良いな?」
「ああ、分かった」
「……では、まずは目の前の岩を素手で砕いてみろ。無論、お前の能力を使ってだ」
「……はあ!!」

 銀月は目の前に置かれた岩に掌打を打ち込む。
 すると、先程と同じように岩はバラバラに砕け散った。
 将志はそれを見て、小さく頷いた。

「……ふむ、では次は抜き手で岩を貫いてみろ」
「……やあっ!!」

 将志の指示に従い、銀月は目の前の新しい岩に抜き手を入れる。
 すると、銀月の手が貫通する前に岩はバラバラに砕け散ってしまった。
 それを見て、将志は考察する。

「……砕けたか……と言うことは、限界を超えるだけでどのように壊れるか等は操作できないというところか……よし、次は木の枝で岩を砕いてみろ」
「せいっ!!」

 銀月は近くに落ちていた木の枝を拾って、それで岩を殴りつけた。
 木の枝は岩にぶつかった拍子にあっさりと折れ、岩には傷一つ付かなかった。

「……木の枝が折れたか……と言うことは、岩の限界を超える力を出せても、道具を介すると効力は発揮されないということか?」
「待った父さん。もう一度やるよ……でやあっ!!」

 銀月はもう一度木の枝を拾い、再び枝を殴りつけた。
 今度は当初の目標通り岩が砕け、銀月が手にした木の枝は全くの無事であった。
 それを見て、将志は首をかしげた。

「……今度は岩が砕けたか……銀月、何をした?」
「はあ……はあっ……木の枝に込められる限界を超えた霊力を送り込んで強化して、それで岩の限界を超えたのさ……ただ、これをやると普段の何倍も疲れる……」

 銀月は息を荒げて将志の質問に答える。
 どうやら二つ以上の限界を一度に超えると負担が大きくなるようであった。

「……では、今度はお前の鋼の槍で岩を砕いてみろ。槍には能力を使わずにな」
「ちょっと待って……ふぅ……はあっ!!」

 息を整え、鋼の槍を取り出してそれを岩に打ちつける。
 すると、素手でやったときと同じように岩が砕け散った。

「……ふむ、これだと岩が砕けるのか。つまり、道具が優秀であれば負担は少なくなるということか」
「ついでに言うと、これだと素手の時よりも負担は少ないな。道具があると楽になることもあるみたいだ」

 銀月はそう言って手応えを将志に伝える。
 どうやら銀月の能力には本人の力だけではなく、手にした道具等の影響も受けるであろうことが分かった。

「……なるほど……では次だ。博麗の巫女に岩を砕かせてみろ」
「え、私もやるの?」
「……ああ。まあ、怪我をしないようにそこの鋼の槍を使うといい」
「分かったわ……って重っ!? 銀月、あんたよくこんなの振り回せるわね?」

 霊夢は銀月の鋼の槍を持つと、その重さに驚いた。
 普段軽々と銀月が振り回していたため、もう少し軽いものだと思っていたのだ。

「そりゃあ、毎日鍛錬してたからな」

 驚く霊夢を見て、銀月は笑みを浮かべる。
 霊夢が槍を持ち上げようと頑張っている間に、銀月は岩の横に移動して手を当てた。

「ん……しょっ!!」

 霊夢は鋼の槍を持ち上げ、岩に向けて振り下ろした。
 固い金属音が聞こえ、鋼の槍が弾かれた。

「……砕けないわね」

 霊夢はいまだ健在の岩を見て、そう呟く。
 爽快に砕けるのを期待していたのか、どことなくつまらなさそうであった。

「……銀月、今のはどうした?」
「それが、何とか岩に干渉しようとしたんだけど、どうにも出来なくてね……霊夢の力で岩が砕けるようにするって言うことは出来ないみたいだ」

 銀月は岩から手を離し、そう言って肩をすくめる。
 その言葉を聞いて、将志は少し考えて頷いた。

「……成程。では、巫女の方に干渉してみてはどうだ?」
「分かった。それじゃあ霊夢、手を貸して」
「良いわよ。はい」

 銀月は霊夢の手を握ると、能力を発動させる。
 すると、霊夢はパチパチと眼を瞬かせた。

「……あら? 軽い?」

 霊夢は不思議そうな顔でそう呟く。何故なら先程両手で一生懸命持ち上げなければならなかった鋼の槍が、片手で楽々と持ち上げられるようになっているからである。

「やあっ!!」

 霊夢は片手で槍を振りかぶり、岩に叩き付けた。
 すると先程は全くの無傷であった岩が、気持ちの良い手ごたえと共に砕け散った。

「……何これ気持ちいい」

 その爽快感に、霊夢の表情がウットリとしたものに変わる。
 視線は隣にある岩に移り、もっとやりたそうに眼を輝かせている。

「……ふぅ……成功だな」
「あ、あら、何だか急に重く……」

 しかし大きなため息と共に銀月が手を離すと、鋼の槍はその重さを取り戻した。
 その様子を見て、将志は銀月に話しかけた。

「……今のは何をした?」
「ふぅ……霊夢の腕力の限界を超えさせて、岩の耐久力の限界を超えるようにしたんだ。ついでに筋肉痛を避けるために治癒力の限界も超えさせたよ……かなり疲れたけどね」

 銀月はハンカチで汗を拭い、深呼吸をして将志に答える。
 すると、気になることがあったのか今度は藍が声を掛けてきた。

「銀月、もう一度霊夢に触れて能力を使ってみてくれないか?」
「はい。んじゃ失礼して」

 銀月は頷くと、再び霊夢の手を握って能力を発動させた。

「あ、また軽くなったわ」

 霊夢はそう言うと、楽しそうに片手で槍を振り回す。 
 そこに続けて、藍から指示が入る。

「それで、霊夢が振り下ろす瞬間に能力を使ったまま手を離してみてくれ」
「了解。それじゃ、宜しく霊夢」
「ええ、良いわよ」

 霊夢は上機嫌で頷くと、岩に向かって槍を振り上げた。

「それっ!!」
「今だ」

 霊夢が槍を振り下ろし始めると、銀月は手を離した。
 そして次の瞬間、鈍い金属音が鳴り響くと共に何かが宙を舞った。

「あっ!?」
「えっ、ぐあああっ!?」

 その何かはくるくると回転しながら落ちてきて、銀月の胸に突き刺さった。
 銀月はそれを受けてその場に崩れ落ちる。
 銀月に刺さったのは折れた鋼の槍の穂先であった。その重たい刃は銀月の胸を深々と貫いていた。

「おい、銀月!? 大丈夫か!?」
「…………」

 将志が声を掛けると、銀月はゆらりと立ち上がった。
 顔は伏せたまま、無言。その様子は異様なほどに静かであった。

「……ぎ、銀月?」

 霊夢は銀月に近づこうとする。

「霊夢、下がりなさい!!」

 それを、不穏な気配を感じた紫が叫ぶようにそう言って下がらせた。
 様子のおかしい銀月に、全員が身構える。
 そして銀月は、ゆっくりと顔を上げた。

「…………」

 するとそこには、心を奪われてしまいそうになるほど美しい翠玉の瞳があった。
 その眼が放つ異常な魅力に、全員息を呑んだ。

「……これが、悪魔の翠眼……」

 紫の口から緊張した声が発せられる。
 その視線は銀月の美しい悪魔の瞳に惹きつけられており、他の者も同様であった。
 まるで心を雁字搦めに捉えられるような、眼が離せなくなるような、神々しいまでに妖しい魅力が感じられた。
 そんな一行を尻目に、銀月は胸に刺さった槍の穂先を引き抜き地面に落とす。
 すると銀月の胸の傷はあっという間に塞がっていき、跡形も無くなった。
 そして傷が癒えると、翠色の眼は段々と元の茶色い瞳に戻っていった。

「……ぅ……うん? あれ、俺どうなってた?」

 銀月はそう言って辺りを見回す。
 そんな銀月に霊夢が近づいていく。

「……元に戻った? 銀月、大丈夫なの?」
「うん? ああ、どういう訳だか全然平気だけど?」

 霊夢の言葉に、銀月はそう答えて首をかしげた。
 そんな銀月に紫が話しかける。

「銀月。今、貴方は折れた槍の刃が胸に深く刺さったのよ。それから貴方の眼が翠色に光って、傷口があっという間に塞がったわ」
「……と言うことは、暴走状態だったってことか?」
「そういうことになるな。私はお前が暴れだすのではないかとヒヤヒヤしたぞ?」

 キョトンとした表情の銀月に、藍がそう声を掛ける。
 ふと銀月が足元に眼を落とすと、先程引き抜いた槍の穂先があった。
 それを拾い上げて、銀月はため息をついた。

「あ~あ、けら首からポッキリいってるよ……また打ち直して貰わないと……」
「……それは後でどうとでもなるだろう。今わかったことは、お前が手を触れていないと限界を超えられないこと、非生物には直接限界を超えさせることは出来ないこと、そして瀕死になっても確実に暴走するわけでは無いと言うことだ」
「それにしても、暴れだした原因っていったい何なのでしょうね?」
「……レミリアが、紅魔館の当主が言うには、銀月には狂うほどの生存願望があるらしい。それが原因で暴走したのではないかと言っていたが……」

 将志はレミリアが推測した銀月の暴走の原因を話した。
 すると、しばらく考え込んでいた藍が何か思いついたように顔を上げた。

「……そうか……将志、こうは考えられないか? 銀月が暴走するのは瀕死の状態。この仮定が正しいとすれば、銀月はその問題を解決するために行動する。暴れだしたのは、自分に危害を加える相手を排除するため。今回はただの事故だったから暴走状態にはなったが暴れることはなかった……そう考えられないか?」
「成程ね……その考えなら確かに今の現象も話が通るわね……けど、だからと言ってこれで決め付けるのは危険よ。銀月の匙加減一つで暴走するかもしれないのだしね」

 紫は藍の推測を認めた上で、明確な原因が分からないことに注意を促す。
 それを聞いて、藍は頷いた。

「それもそうですね……それと、どの範囲まで効果を及ぼすことが出来るのか……銀月、少し頼んで良いか?」
「はい? 頼みごとって?」
「それはだな……」

 藍は銀月の耳元に口を持っていき、要件を告げる。
 すると銀月は思いっきり噴出した。

「ぶっ!? 藍さん、何考えてるんですか!?」
「いや、だってこれが出来るかどうか検証したら何か分かるかもしれないだろう?」
「それでも無理だって!! いや、出来るかもしれないけど絶対やりたくない!!」

 凄まじい剣幕で藍の頼みごとを拒絶する銀月。
 そのあまりにも異常な嫌がり方に、紫は首をかしげた。

「……銀月、藍はいったい何を頼んだの?」
「……父さんに聞かれると面倒なことになるから向こうで話すよ。藍さんも来てくれ」
「ええ、良いわよ」
「ふむ、良いだろう」

 小声で話す銀月に賛同して、三人で将志から離れる。
 そして周りに誰も居ないところまで来ると、話を再開した。

「それで、藍は何て?」
「……父さんの性欲が理性の限界を突破できるかどうか試してくれって……」

 紫の質問に、銀月は凄く言いづらそうに答える。
 すると、紫の顔は一瞬で真っ赤に染まった。

「なっ!? ちょ、ちょっと藍!? 貴女何てことを頼んでるのよ!?」
「別に良いじゃないですか。私だって好きな男と結ばれたいって言う願望があるんですから。まあ、今回はあわよくばってところですけど」

 藍はしれっとした態度でそう答える。
 そんな藍に、銀月が更に反論を重ねる。

「でも藍さん、これ実行したって俺が父さんに触れていないと出来ないんですよ? それじゃあ、その、色々と……」

 銀月の声は段々と小さくなっていく。その顔は赤い。
 藍がしたいことをしている横で、銀月はその相手をしている将志に触れていないといけない……要するに、どうしても要らない情報が目や耳から入ってきてしまうのである。
 銀月の訴えを聞いて、藍は納得したように頷いた。

「そんなことを気にしてるのか……成程、確かに銀月を私達に巻き込むのはつらいものがあるか」
「そ、そうよ、幾ら貴女でも、第三者が居るところじゃ……」

 紫は藍に諦めるように促す。
 しかし、次の藍の言葉はあまりにもぶっ飛んだものだった。

「なら、銀月も紫様と一緒に混じってしまえば良い」
「はあ!?」
「なあ!?」

 藍の突然のトンデモ発言に、二人はあんぐりと口をあけて固まった。
 しばらくして、頭から煙が出そうなほど顔を赤く染めた紫が混乱した様子で喋り始めた。

「ら、ららららら、らん? あ、あなたなにをかんがえてるの?」
「要するに、銀月は私と将志を見てしまうのが問題なのでしょう? なら、いっそのこと銀月に相手を与えてこちらが気にならないようにしてしまえば良いでしょう? 相手が紫様なのは、紫様も行き着くところまで行ってしまえば後は平気になるかなと思いまして」
「そそそそそそれって私が銀月と……」
「まあそうですね。お二人でそういうことをすることになりますね」

 藍は飛びっきりの笑顔でそう言った。
 その一言に、紫は口をパクパクとさせるだけで何も言えない。
 その横から復活した銀月が抗議を始めた。

「まあそうですね、じゃあないでしょう!? 俺達を巻き込まないでくださいよ!!」
「おや? お前は紫様が相手では不満か?」

 猛抗議をする銀月に、藍は涼しげな笑みを浮かべてそう言った。
 その言葉に、銀月は思わず怯んだ。

「そ、そういう訳じゃ……」
「っっっっ!? ……きゅうううう~~~~~……」

 突如として、紫の頭がオーバーヒートを起こして煙を上げる。
 そのまま紫は真っ赤な顔でのぼせ上がり、目を回して崩れ落ちてしまった。

「ゆ、紫さあああん!?」
「む……まだ早かったか……」

 突然の紫の挙動に銀月は驚き、藍は冷静に判断を下す。
 そんな藍に、とうとう銀月はキレた。

「まだ早かったか、でもないでしょうが!! どうするんですか、こんなことになって!?」
「何を言っているんだ? 紫様にトドメを刺したのはお前だぞ?」

 紫を指して怒鳴り散らす銀月に、藍はにっこり笑ってそう答えた。
 そんな藍の態度に銀月は動揺する。

「な、なぬ!?」
「『紫様が相手では不満か?』と言う質問に、『そ、そういう訳じゃ……』と口ごもりながら答える。誰がどう聞いたって、紫様とそういうことをしたいと言っている様に聞こえると思うぞ? そしてお前との情事を想像した紫様は……」

 藍は紫が倒れた経緯を楽しげに説明する。
 それを聞いて、銀月は己が発言を思い返した。

「……っっっ!? くああああああああ!?!?!?!?」

 銀月は髪を振り乱して大声で叫びながらしゃがみこみ、地面に思い切り頭を打ち付けた。
 すると重たい音と振動と共に銀月の頭が地面に埋まり、そのまま動かなくなった。

「おや、少しからかい過ぎたか。ふふふ、二人とも初心だなぁ」

 地面に伸びた二人を見て、藍はそう言って笑う。
 そこに、銀月の叫び声を聞きつけた将志と霊夢が駆けつけた。

「……おい、藍。これはいったいどういう事だ?」
「紫と銀月がなんでここで倒れてるわけ?」

 将志と霊夢は疑念の眼を藍に向けた。
 すると、藍は苦笑いをして答えた。

「二人の沽券に関わるから黙秘させてもらうよ。さて、これでは検証が出来ないな。どうする?」
「……どうするも何も、銀月と紫が起きるまでどうしようもあるまい」
「それじゃあ、起きるまでお茶でも飲んで待ちましょ」
「そうだな。それじゃあ私は紫様を運ぶから、将志は銀月を運んでやってくれ」
「……了解した」

 三人はそう言い合うと、伸びている二人を回収して博麗神社に戻った。






 その日の夜、将志は紫の家に足を運んでいた。
 その理由は、今日の検証で思うところがあったからである。
 そう言うわけで、紫に話をすることにしたのであった。

「……邪魔するぞ」
「ああ、待っていたぞ、将志。さ、上がってくれ」
「……ああ」

 藍に中へと通され、応接間へと向かう。
 そこでは紫が今日の検証の結果を見て考え込んでいた。

「……待たせたな」
「いらっしゃい。さて、早速だけど話を始めましょう?」
「……そうしてくれ。恐らく、俺が気になっていることはお前も気になっているはずだからな」

 紫の言葉に将志は少し厳しい表情で返す。
 それを聞いて、紫は薄く笑みを浮かべる。

「それじゃあ、貴方が気になっていることから言ってちょうだい」
「……俺が気になったのは、銀月の記憶と妖怪化だ」

 将志がそう話すと、紫は扇子で口元を覆ったまま頷いた。

「……続けてちょうだい」
「……まず、銀月は今回暴走した。しかし、途中の記憶は飛んでいても過去の記憶が消えることはなかった。つまり、銀月の記憶喪失の要因が別にあると言うことになる」

 将志の言葉を聞いて、紫は頷いた。
 紅魔館の一件で銀月は酷い暴走を起こしたが、それ以前の記憶はしっかり残っていた。
 しかし、銀月は将志に会う以前の記憶が無いのだ。この事象に関する説明がこれでは付かない。

「そうね……確かにそれでは一番最初の記憶喪失の説明が付かないわね……それで、もう一つは?」
「……銀月の妖怪化だが……そもそも、何故銀月は最初に妖怪を食べようと思ったのだろうか? 森の中にはキノコや木の実など、他に食べられそうなものがあっただろうに」
「確かにそうよね……けど、最初に妖怪に襲われて返り討ちにしたのをたまたま口にしたのかもしれないわよ?」
「……だとしても、それから先が都合良く行き過ぎていないか? 妖怪を喰らったからといって、妖怪を狩るように体が変化していくというのもおかしな話だ。それも、わずか三ヶ月の間にと言うのも余計に怪しい」

 紫の反論に将志は自分の意見を返す。
 すると、紫はその言葉を待っていたかのように胡散臭い笑みを浮かべた。

「そうね……まるで『誰かにそうなるようにさせられたみたいに』そうなっているわよね?」

 紫は言葉の一部分を強調するようにそう言った。
 それを聞いて、将志は怪訝な表情を浮かべて首をわずかにかしげた。

「……どういうことだ?」
「将志、もっとおかしなことに気づかないかしら? 銀月はここに来たときの記憶が無いのよね?」
「……ああ、そうだが?」
「おかしいとは思わないかしら? 銀月は将志に会う前の記憶が無いのでしょう? つまり、幻想郷に来たときには既に暴走状態だった、もしくは幻想郷に来て暴走を始めるまでの記憶が何らかの要因で消えたか消されたかしたかってことにならない? それに、妖怪を倒した後の記憶が無いのも不自然よ。今回みたいに生命の危機が過ぎ去った後に暴走が止まるというならば、妖怪を狩った時点で止まっていないといけない。つまり、その先の記憶は残るはずなのよ」

 仮に、幻想郷に入って妖怪に襲われたことが原因で暴走を始めたのだとしたら、それまでの記憶が残っていないとおかしいのだ。
 更に将志と会うまでの記憶が無いことから、銀月は常に暴走状態であったか、将志に出会う直前で記憶を失ったかのどちらかの可能性が高い。
 しかし、今回の検証の様子を見る限りでは銀月は命の危機を脱すると暴走は止まり、意識を取り戻している。
 一方、将志と出会う直前では完全に記憶を失うような外的要素は見当たらない。
 暴走し続けていた反動で記憶を失ったと考えるにしても、その直前まで暴走していなかったとすればその時間は紅魔館でレミリア達と銀月が戦っていた時間よりも将志とレミリアが戦っていた時間のほうが短い。
 いずれにしても、現在の状態の銀月を見る限りでは銀月の記憶喪失の説明がどうしても付かないのだ。
 それを聞いて、将志の表情が厳しく変わる。

「……銀月が何者かにああなるように仕組まれたと?」
「可能性はゼロではないと思うわよ? いえ、むしろその可能性が濃厚でしょうね。全ての事象が偶然にしては出来すぎているもの」

 説明の出来ない記憶喪失。人食い妖怪を誘い込む様に変化していく体質。そして人間にしては強大な力と暴走。
 その全てが上手く行き過ぎており、偶然と呼ぶにはあまりに不自然なことが多すぎる。
 その点から、紫は銀月が何者かの干渉を受けているのではないかと言う仮説を立てたのだ。
 それを聞いて、将志は首をかしげた。

「……しかし、だとすれば誰が? そんなことをして得をする者が居るのか?」
「そこまでは分からないわ。何しろ、得をする者なんてそこらじゅうに居るもの。人間からしてみれば妖怪を減らせるし、一部の妖怪からしてみればスリルのある良い遊び相手になるでしょうからね。ただ、とても力の強い誰かと言うことは確定ね」
「……犯人と目的は不明か……」

 将志はそう言って考え込む。
 それと同時に、パチッと紫が扇子をたたむ音が聞こえた。

「それよりも、もっと分からないことがあるのだけど良いかしら?」

 紫はそう言いながら将志の顔を覗き込んだ。
 それを受けて、将志は顔を上げる。

「……なんだ?」
「貴方と銀月、何でそこまで魂の形が似ているのかしら? 普通、このレベルまで近しい魂は双子とかそう言うものでしか起こらない。けど、貴方達は兄弟どころか種族すら違う。これはいったいどういうことかしら?」
「……そう言えば、それもまた不明だな……」

 紫の質問に将志は再び眉をひそめて考え込む。
 そんな将志を見て、紫は小さくため息をついた。

「まあ、これ以上はここで考えても恐らく答えは出ないわ。この先は色々と調査が必要ね」

 紫はそう言ってこの場の話し合いの切り上げを宣言した。
 それに対して、将志は頷いた。

「……そうだな。こちらでも銀月の観察を続けていこう。何か異常があればまた相談に来る」
「ええ。それじゃあ、任せたわよ」

 紫がそう言うと、二人は応接間から出て行った。



[29218] 銀の月、迎えに行く
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 23:04
 数々の和書や洋書、巻物が壁際の棚や引き出しに保管されている書斎の机の前に、銀髪の青年が座っている。
 その青年こと槍ヶ岳 将志の手には端を紐で止めてある記録帳があり、彼はそれを開いて中を見ている。
 記録帳の中身は今までに起きた事件やその下手人となった者が書かれており、そのページには翠眼の悪魔に関する事件が記録されていた。

「…………」

 将志は無言でその内容を眺める。その視線には感情が無く、それで居てどこか寂しげな眼つきをしている。
 翠眼の悪魔が現れた日付は大体一週間おきであった。これはちょうど人間が水以外何も口にせずに居た場合に生き残れる限界の目安となる間隔であった。
 つまり翠眼の悪魔が人間である銀月だったとすれば、激しい飢餓状態であったことが想像されるのだ。
 その結果、その状態を脱するために銀月の『限界を超える程度の能力』が暴走したのは想像に難くない。

「……銀月、か……」

 将志は眼を閉じ、銀月と初めて出会った夜を思い出す。
 地面に倒れた沢山の妖怪達の中で、身の丈に合わない長い槍を持って佇んでいた小さな少年。
 声を掛けた時に荒い息ながらどこと無く安堵した表情を見せた。
 その時にどこか心を惹きつけられる様な、懐かしささえ感じるような感覚を覚えたことを、将志は鮮明に覚えていた。

「……確か銀月も俺を見たときに安心感を覚えたと言っていたな……」

 将志は銀月の言葉を思い出して再び考える。
 もし銀月があの夜に暴走していたとしたら、現場の状況から考えれば自己防衛のためであったはずである。
 だとするならば、槍を持ってそこに立っていた自分は襲ってくるか否かは置いておくにしても警戒されるはずである。
 しかし実際には銀月は自分の姿を見て安心し、暴走が収まった。
 つまり、自分には銀月を安心させられるだけの何かがある、もしくはあったということになる。

「失礼するよ、父さん」

 しばらく考えていると、書斎の扉が開いて白装束を身に纏った黒髪の少年が入ってきた。
 将志はその声に思考を中断し、顔を上げた。

「……銀月か」
「ああ、そうだよ。話って何だい?」

 銀月は将志に向かってそう問いかける。
 その顔を、将志はジッと眺めていた。

「……どうしたのさ、俺の顔をジロジロ見て」
「……いや、ちょうどお前を拾ったときのことを思い出していてな。当時を少々懐かしんでいたのだ」

 怪訝な顔の銀月の問いかけに将志はそう言って答えた。
 すると銀月は笑みを浮かべて言葉を返す。

「へえ、珍しいな。父さんが感傷に浸るなんてさ」
「……戯け、俺も昔を懐かしむことくらいある。特にこの十年は特に密度が濃かったから、なおのことだ」
「ふ~ん……」

 銀月はそう言いながら将志の手元を覗き込む。
 記録帳のページは未だに翠眼の悪魔事件の項を開かれており、銀月はそれを眺めた。
 そしてその内容に、銀月は眉をしかめた。

「……うっわ~……俺、こんなことしてたのか……」
「……目撃証言しか情報がないから確実とは言えんがな。暴走状態のお前はこれほどまでに危険なのだ」

 将志の言葉を聞いて、銀月は眼を閉じて大きく深呼吸をした。

「……分かった。肝に銘じておくよ。それで、話って何さ?」
「……銀月。お前の能力は『限界を超える程度の能力』だ。そしてそれは自分の限界を超えるだけでなく、他人に限界を超えさせることが出来る。しかし、相手に限界を超えさせるためには相手に触れ続ける必要がある上に、能力の作用にはある程度の制限がある。また、銀月がある一定の状況に置かれたときには暴走状態になり、意識を失う代わりに普段よりも強大な力を発揮する。これがお前の能力について分かった大まかな部分だ」

 銀月の能力について、分かっていることを将志は述べる。
 先日の検証により、銀月の能力についての知見が大方まとめられた。
 その結果、『限界を超える程度の能力』自体にはそれなりの制限があることが分かったのであった。
 それを聞いて銀月は頷いた。

「そうだな。それで、それがどうかしたのか?」
「……そして、紫や藍と協議した結果なのだが……銀月。この度お前は厳重管理下から外される事になった」

 将志は銀月の眼を見て、はっきりとそう言った。つまり、銀月をこの先自由にすると言うことであった。
 それを聞いて、銀月はキョトンとした表情を浮かべた。

「え、良いのか? だって、俺はいつ暴走するか分からないんだぞ?」
「……俺達はお前が暴走する要因を生命の危機と考えた。今のお前ならばそうそう死に瀕することもあるまい、と言うのが我々の見解だ。そもそも、暴走の危険など誰もが持っているものだ。ただの人間すらも恐怖や怒り、狂気等で狂い暴走する。その上暴走時の危険度で言うならば俺や六花、フランドール等の方が余程危険だ。無論銀の霊峰の管理化には居てもらうが、自由にする分にはなんら問題はない」

 将志は銀月に簡単な説明をする。
 そもそも、『限界を超える程度の能力』よりも厄介な能力は幾らでもある。
 単純な殺傷能力で言ってしまえば『あらゆるものを貫く程度の能力』や『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』等の方が余程高いし、『狂気を操る程度の能力』等も使い道によっては大変な脅威となりうる。
 さらに銀月が暴走しやすいかといえば、けしてそのようなことはない。
 過酷な修行を日々続けていた銀月は普段から生傷が絶えなかった上、精神的な苦痛に関しても驚くほどの我慢強さを見せている。
 つまり、余程危険な目に遭わなければ銀月が暴走するようなことはないと言えるのだった。

「そうか……それじゃあ、俺はもう自由なんだな」
「……ああ。俺にはもう、お前をここに縛り付ける理由がない。この後のことは、自分で決めろ」

 将志はしみじみとした口調で銀月にそう告げた。その表情は、無表情ながらやはりどこか寂しげであった。
 その言葉を聞いて、銀月は俯いた。

「……困ったな。いざ自由と言われると何をすれば良いのか分からないや」
「……まあ、じっくり考えるといい。幸いにしてその時間はたっぷりあるのだからな。と、その前にお前に頼みたいことがある」
「頼みたいこと?」
「……ああ。今のお前にしか頼めないのでな。それでその内容なのだが……」




「そんなこんなで穴倉の中、ね……」

 現在、銀月は地底の旧都へと向かっていた。
 地底特有のじめじめした空気ではあるが、どういうわけだか風が通っているのでそこまで不快ではない。
 更に光を放つ苔が辺りを照らしているため、地下に居るとは思えないほど明るかった。

「はあ……自由になって最初の仕事が涼姉さんの迎えって……」

 銀月は若干呆れ顔でそう呟いた。
 涼が地底にスペルカードルールを広めに行って、早数ヶ月。その間、涼からの連絡は一度もない。
 そして様子を見に行こうにも、将志以下銀の霊峰の面々は皆妖怪であり、誰一人として地底に行くことは出来ないのである。
 そこで、この度晴れて自由の身となった銀月に白羽の矢が立ったのであった。

「おや、人間とはまた珍しいね」
「はい?」

 突如として横から声を掛けられる。
 銀月がその方を向くと、全体的に茶色い服を着た女性が近づいてきた。そのスカートには何やら黄色いリボンの様なものが巻かれ下が閉じられている。

「それで、地底に何の用だい? 遊びに来たんならちょうど良いよ、今は鬼達が大人しいから」
「は、はあ……あの、旧都ってどこにあるか分かりますか?」
「旧都ならこの先を真っ直ぐだよ。それで、旧都に何をしに行くんだい?」
「少し親からの言いつけでお迎えに来たんですよ。黒装束で赤い胸当てをした亡霊をご存知ありませんか?」

 銀月は目の前の女性にそう問いかける。
 すると女性は驚いた表情を浮かべた後、苦い表情を浮かべた。

「あー……知ってるけど、あれに首を突っ込むのはおすすめしないね。何しろ、鬼が大人しいのはあの亡霊がやってきたからだし」
「はあ……姉さん達の言うとおりだったか……ありがとうございます。それでは私は行きますので」

 銀月は女性に会釈をすると、旧都への道を急ごうとする。
 すると、女性は回りこんで声を掛けた。

「ちょっと待ちなよ!! あんた、人間でしょ? 鬼に遊ばれるのがオチだって」
「……と、言われましても……うん? う……」

 突如として、銀月は体が熱くなるのを感じた。意識が朦朧とし、背中に強烈な寒気を感じる。
 銀月は眼を閉じ、能力を発動させた。病気であろうと辺りをつけて、免疫力の限界を超えさせる。
 すると次第に銀月の体調は良くなっていき、元の状態に戻った。

「……ありゃ? 変だね、失敗するはずないのに……」

 そんな銀月を見て、女性は首をかしげた。
 どうやら、先程の不調は彼女の仕業のようであった。

「……いったい何のつもりです?」
「いんにゃ、ちっとばかりあんたに病を患わせて見たんだけど……一つ聞くけど、あんた人間だよね?」
「……ええ、正真正銘の人間ですよ。それで、こちらの質問に答えていただけますか?」

 女性の質問に、銀月は憮然とした表情で答えた。
 どうやら、この手の質問にはもううんざりしているようであった。
 そして返された質問に、女性は苦笑いを浮かべて答える。

「う~ん、どうせ鬼に遊ばれるんだし、それなら私も少し遊ぼうと思ってね。他意はないよ」
「……ただの遊びで病気にさせられては困ります。では、私は先を急ぎますので」

 銀月はそう言うと、旧都に向かって飛んでいった。その後姿を女性は見送る。

「あ~あ、行っちゃった……」
「ヤマメちゃん、どうしたの?」

 ヤマメと呼ばれた女性の隣に、桶の中に入った緑色の髪の少女がやってきた。
 その少女に、ヤマメは振り返った。

「ああ、キスメか。いや、さっき変な奴がここを通って行ったのさ。大丈夫なんかねぇ? あの人間もどき……」
「……人間もどき?」
「そうそう。それがねぇ……」

 ヤマメはキスメに先程の出来事を話すことにした。
 ……そうして出てきた結論は、さっきの奴は人間の姿をした美味そうな何かであるというものであった。





「私は土蜘蛛に襲われても健康体なあんたが妬ましい、鬼を相手にするって言うのに全く動じないあんたが妬ましい」

 その頃、銀月は旧都の入り口で絡まれていた。
 緑色の瞳のとがった耳の少女は、旧都に入ろうとする銀月にずいっと詰め寄る。

「……あの、何事です?」
「その冷静なところも妬ましいわ……」

 詰め寄る彼女から銀月は逃げようとするが、壁際に追い詰められて逃げ場を失い、そんな銀月に少女は更に詰め寄る。
 額がぶつかりそうなほどに近づき、唇に吐息が掛かる。

「ち、ちょ、顔近いですって!!」
「そうやって照れる純粋なところも妬ましいわぁ……」
「……どないせいっちゅーねん……」

 銀月はそう言いながら顔を背ける。
 頬には嫉妬心をむき出しにした少女の吐息が掛かり、彼女の鼻はもう少しで銀月の頬に付くところまで近づいていた。

「あの、私に何の用です?」
「貴方、本気で鬼のところに行くつもり?」
「ええ、そのつもりですよ」
「悪いことは言わないわ、早く帰りなさいな。娯楽に飢えた鬼達が何をしてくるか分からないから」
「おっと、面白い奴と話してるじゃないか、パルスィ?」

 少女が銀月に忠告をしていると、その後ろから人影が現れた。
 その人物は額に一本の赤い角が生えており、それには星が描かれていた。

「……何の用かしら、勇儀?」
「宴会が始まるから呼びに来たんだけど……まさか人間が居るたぁねえ……」

 パルスィが質問をすると、勇儀は興味深そうな眼で銀月を見やった。
 銀月はその視線を受けて、背筋を伸ばす。

「失礼ですが、鬼の方ですか?」
「ああ、そうさね。で、鬼に何の用だい?」
「迫水 涼という亡霊に心当たりがありませんか?」

 勇儀の質問に、銀月は用件を述べる。
 すると、勇儀の眼が光った。

「へえ……あんた涼の知り合いかい?」
「ええ、そうですよ」

 銀月が返答すると、勇儀は楽しそうな笑みを浮かべて銀月の肩に腕を回した。

「よし、あんたも宴会に来い!! 私は星熊 勇儀だ、あんたの名前は?」
「申し遅れました、私は銀月と言います。以後お見知りおきを」
「おいおい、違うだろう? これから無礼講の宴会だって言うのにそんな固くなってどうするのさ」

 恭しく挨拶をする銀月に勇儀はそう言って窘める。
 それを聞いて、銀月は笑い返した。

「おや、それは失礼。じゃあ、普段どおりに行かせてもらうよ」
「それでいい。さあ、さっさと行くよ!!」

 勇儀はそう言うと、銀月とパルスィを担ぎ上げた。

「うわっ!?」
「ちょっと勇儀! 私は行くなんて一言も言ってないわよ!」
「はっはっは、聞こえんなぁ~!」

 パルスィの苦情に耳を貸すことなく、勇儀は豪快に笑いながら宴会場となる居酒屋へと向かっていく。

「……ああ、またあいつ捕まったのか……」
「その隣は人間? ……まあ、生きては帰れないでしょうね……」

 道行く妖怪たちが勇儀に担がれている二人を見て手を合わせる光景を見て、銀月は内心えらいことになったと思い始めた。
 そうこうしている間に、居酒屋に着いた。

「よーう! 客を二人連れてきたぞー!!」

 勇儀は声を張り上げて中で宴会をしている面々に声を掛けた。
 すると、その中から二本の角を生やした小さな鬼がやってきた。

「あ、来た来た、って人間!? へえ、こんなところに来る奴もいるんだねぇ~」
「ああ、萃香。涼の知り合いだってさ」

 勇儀は目の前の鬼、萃香に対して銀月の説明をする。
 それを聞いて、彼女は疑りの眼差しを銀月に向けた。

「本当か~? 涼! 何かあんたの知り合いを名乗る奴が来たんだけど~!!」

 萃香は店の中に向けて声を掛ける。
 すると、眼に涙を浮かべて酒を飲んでいた黒い戦装束の女性が顔を上げた。

「ううっ……どちら様で……て、銀月殿!? 何でここに居るんでござるか!?」

 涼は驚きの表情と共に立ち上がり、銀月のところへとやってきた。
 それに対して、銀月は涼に要件を告げることにした。

「涼姉さんの帰りが遅いから、迎えに来たんだよ。うわっ!?」
「よ……良かったでござる!! 拙者、見捨てられたわけじゃなかったんでござるな!!」

 銀月が用件を言うなり、涼は銀月に飛びついて眼に涙を浮かべながら興奮気味にそう言った。
 そのあまりの勢いに、銀月は思わず怯む。

「そ、そりゃあ家族だし、みんなが見捨てるわけないじゃないか」
「良かったでござる!! 拙者、帰って良いんでござるな!! お~いおいおい!!」

 涼は銀月に抱きついたまま、大声で泣き出した。酒が入っているせいか、周囲に憚ることなく感激の涙を流す。

「……大げさだよ、姉さん……」

 涼の様子に、銀月は思わず苦笑いを浮かべた。
 そんな銀月を、鬼達は興味深そうに眺めていた。

「なあ、涼さんのお迎えってことは、あの人間は銀の霊峰から来たってことだよな?」
「そうだよなぁ……見たところ、鬼達の集団のど真ん中に居るってのに全く動じてねえしよ……」

 鬼達の視線はどんどんと銀月に集まっていく。
 その視線を受けて、銀月は頬をかいた。

「……ん~……何か俺に注目が集まってるけど……」
「そりゃあねえ……」
「あんたが銀の霊峰の一員となったら……ねえ?」

 そう言いながら萃香と勇儀は銀月の肩に腕を回す。

 相手確保。

 二人の眼は、突然沸いて出た新しい相手にギラギラと光っていた。

「涼~、銀月ってどんぐらい強いの?」
「銀月殿でござるか? 一言で言うと、ただの人間と思っていると怪我をするでござる。銀の霊峰の門番を任せられるくらいの実力はあるでござるよ」

 萃香の問いに、涼は正直に答える。
 すると萃香と勇儀はにんまりと笑った。

「へえ……それは良いことを聞いたねぇ……」
「そうだねえ……銀月のちょっとイイとこ見てみたいねえ?」

 二人はそう言って、銀月を挟んで笑いあう。
 一方、間に挟まれた銀月は不穏な空気に冷や汗を流す。

「……あの、お二人さん?」
「銀月と、この人間と戦いたい奴は手を上げな!」
「あ、俺やる!」
「俺も俺も!」
「銀の霊峰の奴ならやる!」

 勇儀が声を掛けると、鬼達はこぞって手を上げた。
 全員銀の霊峰の一員、それも涼の保障付きが相手と言うことで闘争心が沸いているようである。
 そんな鬼達を見て、銀月は涼にジト眼を向けた。

「……涼姉さん。何か大変なことになったんだけど?」
「銀月殿。命が惜しくば、鬼の前で嘘を吐くことだけはしてはいけないでござる。それは覚えておいて欲しいでござるよ」
「……ああ、仕方のないことだったのか」

 銀月はその瞬間、ため息と共に肩を落とした。
 そんな銀月に、パルスィが近づいてきた。

「だから言ったでしょう? 早く帰りなさいって」
「そういうわけにも行かないでしょう。まあ、何とかなるさ」
「……そんな前向きな貴方が妬ましいわ」
「後ろを向くと疲れるだけさ」

 小さく呟くようなパルスィの言葉に、銀月はそう言って苦笑いを浮かべる。
 そして腕を振るって札を取り出すと、両手の人差し指と中指の間にそれぞれ挟んだ。

「それで、戦い方はどうするんだ? ……まあ、大体分かるけどさ」
「ほうほう、それじゃあ何だと思う?」

 銀月の呟きに萃香が楽しそうに問いかける。
 それを聞いて、銀月はため息をついた。

「普通ならスペルカードルールでも満足するんだろうけど……たぶん、皆さんそれじゃあ物足りないでしょう?」
「おお、勇者だねあんた。いい度胸だ、気に入った! それじゃあ対戦相手はあんたが決めな!!」

 銀月の言葉に、勇儀が磊落に笑って背中を叩きながらそう言った。
 その瞬間、鬼達は訴えかけるような視線を一斉に銀月に向けた。
 銀月はそれを見て、小さくため息をついた。

「えっと、今ここに居る人数は……それならこれで決めるか」

 銀月はそう言うと、普段マジックで使っているトランプを取り出した。
 それを銀月は鮮やかな手つきでシャッフルしていく。

「何をするの、銀月?」
「勝負は時の運。みんなには少し運試しをしてもらうのさ」

 銀月は萃香にそう言うと、トランプを上から順番に配っていく。
 鬼達はそれを受け取ると、自分の柄を確認した。
 その間に銀月はもう一つのトランプを取り出し、シャッフルする。

「さてと、涼姉さん?」
「ん? 何でござるか?」
「この中から一枚カードを引いて俺に渡してくれる?」
「分かったでござる」

 涼はそう言うと、銀月に差し出されたトランプの束から適当に一枚引き、そのトランプを銀月に渡した。
 銀月はそれを見て、笑みを浮かべた。

「凄いなあ、涼姉さん。ドラマティックなカードを引いてくるね」
「……何でござるか?」

 意味ありげな銀月の言葉に、涼は怪訝な表情を浮かべる。
 それと同時に、鬼達の間にも緊張が走る。
 そして、銀月は手にしたカードを高く掲げた。

「スペードのA。このカードを持っている人が相手です」
「あ、私だね!!」
「く~っ、柄違いか!!」

 銀月がトランプの柄と数字を公表すると、萃香が勢いよく手を上げた。その手にはスペードのAのカードが握られていた。
 一方、ハートのAを引いた勇儀や他の鬼達は残念そうに席に着いた。

「銀月殿……ついてないでござるなぁ……」
「……生きて帰れるのかしら、彼は……」

 対戦相手を見て、涼とパルスィはよりにもよって四天王を引き当てた銀月に同情の視線を送った。
 その一方で、銀月は対戦相手を見て苦笑いを浮かべた。

「あいたたた……いきなり四天王と当たるなんてなぁ……」
「あれ、私が鬼の四天王だって話はしたっけ? たしか、自己紹介すらしてなかったと思うんだけど?」
「涼姉さんから話は聞いてたからね。それに、勇儀さんは君の事を萃香って呼んでいたから」
「へえ、涼が私の話をねえ……どんな話をしていたか後で聞かせてくれる?」
「うん、いいよ」

 銀月と萃香は話をしながら、周囲に被害の出ない場所へと移動する。
 その後ろを、勇儀や涼を始めとした観客達がついて行く。
 更にそれを見て興味を持った野次馬達が後に続く。
 いつしか二人の後ろには観客達の長蛇の列が出来上がっていた。
 それにも拘らず、二人は平然とした様子で町外れにある広場へと入っていった。
 広場の中央に立つと、萃香は銀月に向き直った。

「ところで……あんたは銀の霊峰の何者かな?」
「おっと、確かにそっちが何も知らないんじゃ不公平だね。俺の名前は銀月。銀の霊峰の首領、槍ヶ岳 将志の息子さ」

 銀月は萃香に対して自分の肩書きを述べる。
 それを聞いて、萃香の口元が愉快そうに吊り上った。

「そっかぁ~……あの将志の息子かぁ~……それならなおのこと期待できるかな?」
「あんまり過度な期待をしないでくれると助かるな。俺は神様でも妖怪でもなく、人間なんだから」
「それは無理だね。だって、鬼退治は人間の仕事だもの。人間だからこそ期待させてもらうよ」

 目の前に佇む人間に、萃香は期待の眼差しを銀月に送る。その視線は、まるでプレゼントの箱を開けるときの様なものであった。
 その視線を受けて、銀月は大きく深呼吸をした。

「はあ……それじゃあ、先に質問させてもらうよ。もし、この場で俺が誰かの力を自分の身体に引き出すことが出来たとしたら、それは一対一で戦ったことになるのかな?」
「何言ってるの? それが出来るとしたら、銀月が修行を積んだからでしょ? ならばそれはあんたの力だ。それを反則だって言う奴はただの臆病者だよ」

 銀月の問いかけに、萃香は若干呆れ顔でそう答えた。
 すると銀月は一つ頷いて眼を閉じた。

「そうか……なら、遠慮なくやらせてもらうよ」

 そう言った瞬間、銀月に向かって銀色の光の粒が流れ込んでくる。
 その光は広場全体を覆い尽くしながら集まっていき、銀月の体の中へと入り込む。
 その光景に観客達は騒然となった。

「いいねいいね、いきなり見せてくれるじゃない。わくわくしてきたよ」

 一方で、萃香は力が膨れ上がっていく銀月を見て楽しそうに笑みを浮かべる。
 銀月は力が溜まり体の回りを光の粒が飛び交いだすと、大きく息を吐いた。

「……鬼の四天王を相手に出し惜しみをして勝てると思うほど自惚れてはないからね。最初から全開で行かせてもらう。父さんの名前を出した以上、負けるわけには行かない」
「そう来なくっちゃ。あはは、あんたみたいに真っ直ぐ向かってくる人間は久々だよ。今の人間も捨てたもんじゃないのかな?」

 萃香はそう言って笑う。それは、つかの間とは言えかつて鬼と人間が理想的な関係であった時に戻れたことの嬉しさから出たものであった。
 そんな萃香に、銀月もにこやかに笑い返した。

「だと良いけどね。さて、ギャラリーも退屈するだろうし、そろそろ始めようか」
「そうだね……じゃあ、行くよ。古の鬼の力、萃める力――――――その前に、人間の可能性を示して見せろ!!」



[29218] 銀の月、脱出する
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 23:14
「てやっ!」
「うわわっ!?」

 試合開始と同時に、銀月はいきなり萃香の上に移動して首を狙う。
 萃香はそれを慌ててしゃがみこんで回避した。

「ああもう……せっかく不意を打っても避けられちゃあなぁ……」

 銀月は素早く距離を取ってそう呟く。
 その速さはとてもただの人間が出せるものではなかった。

「びっくりした……人間だと思って油断してたよ。こりゃちょっと本気出さないと危ないかな?」

 萃香はその速度に呆然とした表情でそう声を漏らした。
 人間が出せるはずのない速度に、少々驚いているようであった。
 驚いたのは萃香だけではない。周囲の観客達も、目の前の人間の取った行動にどよめいていた。

「……あれ、本当に人間?」
「信じられないのは分かるでござるが、そうでござるよ。銀月殿は身体能力の強化は大得意でござるからなぁ。それにしても、以前より速度が増している気がするでござるなぁ……」

 パルスィの質問に、涼はそう言って答える。
 その横で、勇儀が銀月を見て面白そうに笑った。

「へぇ……涼の言うとおり、ただの人間じゃなさそうだねえ。これは面白くなってきた! 萃香ぁ~! 早く代わっとくれよ!!」
「冗談じゃないよ! せっかくこんな面白そうなのが相手なのに勿体無い!!」

 勇儀の野次に萃香は銀月の攻撃を捌きながら答える。
 銀月は手にした札で息もつかせないような連続攻撃を萃香に見舞う。
 札は銀月の霊力によって銀色に鋭く光り、萃香の髪に触れると音も無く切れた。
 萃香はその攻撃を余裕を持って捌いていった。

「人間にしちゃやるね。けど、それじゃ私には勝てない!」
「ちっ……」

 萃香は銀月の攻撃の間を縫って銀月の腹に拳を突き出す。
 銀月はそれに素早く反応して後ろに飛びのく。それと同時に、手にした札を萃香に投げつけた。
 札は萃香の足元に突き刺さり、その追撃を一瞬止めた。

「それなら……」

 その間に銀月は四つの札を周囲に浮かべた。札は銀色の光を纏い、宙に静止する。

「そりゃ!」
「ふっ!」

 そこに攻め込んでくる萃香の攻撃を銀月は右前に跳んで回避する。
 そして手にした札から鋼の槍を取り出し、左手で一気に突き込んだ。

「よっと!」

 萃香は背後から繰り出される槍を容易く掴んだ。
 すると銀月はそれを見越していたのか、右手を高く上げた。
 その手には、いつの間にか黒い槍が握られていた。

「やばっ!」
「でやあああああああ!」

 気合と共に銀月は黒い槍を振り下ろし、それと同時に萃香は危険を感じて鋼の槍から手を離して横に跳ぶ。
 唸りを上げる黒い槍が地面に叩きつけられると、地響きとともに激しい土煙が上がった。

「はあ……これで終わってくれれば楽だったんだけどなぁ……」

 銀月は神珍鉄の黒い槍を少し重そうに持ち上げると、札に戻した。
 萃香はそれを見て、大きく息を吐いた。

「本当にびっくりさせてくれるね、あんたは。次は何を見せてくれるの?」
「言ったら面白くないでしょう? 見てからのお楽しみだ!」

 銀月はそう言うと今度は両手の甲に札を貼り付けた。その瞬間、銀月の拳が銀色の光を帯び始める。
 そして、一息で萃香に向かって跳んで殴りつける。

「そこだぁ!」
「ぐっ!!」

 萃香は一直線に飛んでくる銀月に拳を突き出した。
 その拳は脇腹を捉えたが、銀月は跳んできた勢いのまま萃香の肩に右の拳を当てる。
 すると銀月の拳の札が凄まじい銀色の閃光と共に爆発し、両者を吹き飛ばした。

「きゃあっ!?」
「ぐっ……」

 吹き飛ばされると、萃香は素早く体勢を立て直した。
 爆発が起きた左の肩には火傷の跡があり、ダメージが無いわけではない。
 一方の銀月は、打たれた腹を押さえながらゆっくりと立ち上がる。
 こちらはカウンターを決められているので、かなりのダメージがあったようである。

「いったぁ……霊力で防御してなかったら危なかったな……」
「あいたた……普通、鬼の拳を受けたら人間無事じゃすまないんだけどなぁ?」

 萃香は爆発を受けた肩を軽くさすりながら銀月に話しかける。
 元来、強大な鬼の力はその腕力だけでも人間を用意に死に至らしめることが出来るものである。
 しかし、銀月は霊力で防御したとは言え、即座に立ち上がってきたのだ。
 その光景は、萃香の闘争心を更に刺激するものであった。
 銀月はそれを聞いて、光の消えた右手を振った。

「まあ、ちょっと痛いかな。けど、来るって分かっていれば防ぎようはあるさ。今のは避けないことで当てられる一撃だったから、かなり分の悪い賭けだったけどね」
「あはは、考え方が人間的じゃないね。人間って痛いのは嫌いなもんなんだけどなぁ?」
「でも、痛みの先に望むものがあれば喜んでそれを受けるのも人間だよ。それよりも、直撃を受けてその程度か……やっぱり鬼は強いな……」
「当たり前よ。強いから鬼なんだからさ!」

 そう言って不敵に笑うと、今度は萃香が銀月に攻め込む。下から滑り込むように銀月の脚を狙う。
 すると銀月は上に跳んで攻撃を躱し、下にいる萃香に未だに銀色に光る左拳を繰り出した。

「はあっ!」
「おっと」

 萃香は横に転がることでその攻撃を避ける。
 地面に拳が突き刺さると、再び眩しい閃光と轟音と共に爆発が起きた。

「やああああ!」

 その閃光の中から間髪入れずに銀月が鋼の槍で攻撃を仕掛けた。
 重量の乗った重い攻撃が萃香に迫る。

「そりゃあ!」

 萃香はその攻撃を拳で撃ち落した。
 銀月は衝撃に身体を持っていかれ、背面を見せる。

「そこだ!」
「うわわっ!?」

 そこに、銀色の光の玉が四つ飛びかかってきた。それは先程銀月が宙に浮かべていた札であった。
 それを察知して、萃香は攻撃を中止して回避する。

「行けっ!」

 銀月は回避した萃香に更に札を投げつけた。

「ああもう、めんどくさいなぁ!」

 萃香はそう言うと腰につけた瓢箪の酒を口に含み、炎を噴出した。
 その炎は銀月の札を焼き尽くし、更に銀月に迫る。

「っとお!」

 銀月は迫り来る炎を後ろに下がって躱すと、再び四枚の札を宙に浮かべた。
 速度を上げるために槍を札にしまい、戦場を駆け回る。
 その速度は慣れていないものであれば眼で追えない速度まで上げられており、相手を撹乱しようとする。
 しかし、その中心に立っている萃香は楽しげに笑った。

「おお、速い速い。けどねぇ……」

 そう言うと、萃香は素早くそこに手を伸ばした。
 次の瞬間、その手には白装束の少年の脚が握られていた。

「くっ!?」
「速さだけで勝てると思うな。そらっ!」
「ぐあっ!!」

 萃香は銀月を思い切り放り投げた。
 銀月は勢いよく鬼達の人垣に突っ込み、地面に落ちて土煙を上げながら転がる。

「くっ……まだまだぁ!」

 銀月は素早く立ち上がって萃香の前に戻ってきた。
 手には鋼の槍が握られており、萃香に向かって構える。
 頭を打ち付けたのか額からは血が流れており、銀月の顔を濡らしていた。

「いいねえ、その根性! じゃあ次は……」
「そこまででござるよ、萃香殿」

 萃香が次を仕掛けようとしたところに、涼が割って入った。
 赤い柄の十字槍の切っ先を銀月に向け、石突を萃香に向けている。
 そんな涼に、萃香は不満の声を上げた。

「ちょっと、涼! これから面白いところなんだから邪魔しないでよ!!」
「駄目でござる。これ以上萃香殿が本気を出したら、銀月殿は死んでしまうでござるよ。あれでも人間なのでござるからな」

 涼は興奮状態の萃香をそう言って諌める。
 萃香は本気を出しつつあるが、未だに手の内を見せていない。
 それを知っている涼は、銀月が取り返しのつかない怪我をする恐れがあると感じて止めたのであった。

「……姉さん、止めないでくれ。俺はまだ戦える」
「銀月殿。もうやめておくでござる。銀月殿は拙者の様な亡霊とは違って人間なのでござる。間違って死ぬようなことがあれば、どうしようもないでござるよ」
「……くっ……」

 銀月は涼の言葉を聞いて、悔しげに俯いた。
 銀月も相手が手の内を見せていないのは分かっている。つまり、この時点で涼が止めるという事は自分では勝てないということを示していることになる。
 父親の名前を出しておきながら負けた。そのことが悔しくて仕様が無いのだ。
 そんな銀月の肩を、涼が軽く叩いた。

「銀月殿。悔しければ強くなれば良いんでござる。強くなって、それから本気の萃香殿と勝負をしても遅くは無いでござろう?」
「ええ、その通りですよ」

 突然聞こえてきた声に、全員そちらの方を向く。
 するとそこには、白と緑を基調とした服を身にまとった女性が立っていた。

「初めまして、銀月さん。鬼の頭領をさせていただいている鬼子母神、薬叉 伊里耶と申します。どうぞ宜しくお願いします」
「……銀月です」

 恭しく挨拶をする伊里耶に、銀月は頭を下げる。
 しかしその声は沈んでおり、先程の悔しさがにじみ出ていた。
 そんな銀月に、伊里耶は微笑み掛けた。

「さて、銀月さん。先程の戦い、しっかり拝見させていただきました。はっきり言って貴方には驚かされました。貴方はきっと厳しい修行で身体能力を鍛え上げ、技も磨いてきたのでしょう。貴方は人間でありながら、その身体に宿した力はそれから大きく逸脱したものでした。きっと私の子供達を相手にしても互角以上に戦えるでしょう」
「……ありがとうございます」
「ですが、それだけに貴方には荒削りな部分が目立ちました。恐らく、まだ萃香と同じくらいの相手との経験が足りていないのでしょう。発展途上、今の貴方はこのように感じました」
「……はい」

 伊里耶の言葉に、銀月は肩を落したまま答える。
 伊里耶の言うとおり、銀月は戦闘経験を積んではいるが、まだ本気を出した門番達やその上の者と戦った経験は少なかった。
 自分の経験不足に落ち込む銀月の姿を見て、伊里耶は笑ってその肩を抱き寄せた。

「ふふふ、落ち込むことはありませんよ。人間が正々堂々と戦って萃香に傷を負わせるなんて何年ぶりか分からないんですから。それはそうと涼さんと銀月さん、少しお話があるんですけど良いですか?」
「……はい、何でしょう?」
「このスペルカードルールってこういう戦闘に使えると思うんですけど、どうでしょうか?」

 伊里耶は銀月と涼に向けてそう尋ねた。
 それを聞いて、尋ねられた二人はキョトンとした表情を浮かべた。

「……そういえば……」
「……原理から言えば、使えそうでござるなぁ……」

 この二人、「スペルカードルール=弾幕ごっこ」だと思い込んでいたようである。
 だから萃香達に教えた際も、そのように教えていた。
 しかし、実際はスペルカードルールとは誰も怪我をすることの無い結界を事前に張って行う決闘のことである。
 そのカードの収集のしやすさから弾幕ごっこが主流なのは確かではあるが、このような殴り合いの決闘が出来ないわけではないのであった。
 萃香は伊里耶の発言の真意が分からず、質問をすることにした。

「母さん、それがどうかしたの?」
「いえ、それが本当なら人間に本気を出しても相手が死んだり怪我したりしないので、遠慮する必要がなくなるってことですよ」

 それを聴いた瞬間、萃香と勇儀の眼が光った。
 そしてその手は、銀月の肩をポンと掴む。

「そうと分かれば第二回戦と行こうか、銀月!!」
「その次は私な! 怪我も無いんなら、連続でいけるだろ!!」

 二人の鬼の眼は期待に輝いており、銀月を見つめる。
 どのくらい輝いているかといえば、見てるほうが眩しく見えるくらいの輝きであった。

「……今度は負けない!!」

 銀月はそれに力強く答えて死地へと再び赴く。
 こうして、銀月は再び萃香と勝負することになった。











「死ーん……」
「銀月殿……生きてるでござるか~?」

 数時間後、元の酒場にくたびれ果てた姿の銀月が横たわっていた。
 あの後、銀月は萃香や勇儀に能力などをフルに使われて揉みに揉まれた後、我慢できなくなった鬼達を片っ端から相手にしていったのであった。
 その結果、銀月は指一本動かすことが出来なくなるほど疲れ果て、涼によって酒場に運ばれることになったのだった。
 まさに『銀月は力尽きました』と言う状態である。

「いや~、銀月は凄いね! 人間なのに私達についてこられるなんてさ!!」
「おまけに戦っている間にどんどん強くなるし、これから先が楽しみだねぇ!」

 萃香と勇儀はご満悦の様子で酒を飲む。
 倒れても倒れても闘争心むき出しで立ち上がってくる銀月は、鬼達にとって好印象のようであった。
 また、銀月は通常では考えられない速度で相手に対応していくため、再戦を望む声も数多くあったのだ。

「あんたは頑張ったと思うわよ。まあ、それが良かったかどうかはさて置いてね」
「……どういう意味です、パルスィさん?」
「……そのうち分かると思うわよ」

 銀月の枕元に座っているパルスィが意味深な言葉を投げかける。
 銀月が気だるげにパルスィに視線を合わせると、その視線はどこか哀れむようなものであった。

「おーい、銀月! そんなところで寝てないでこっち来い!!」
「無茶でござるよ、勇儀殿! 人間があれだけ連戦すれば疲れ果てて当然でござる!!」
「……いや、もう大丈夫。疲れならもう取れたよ」

 銀月は涼の言葉に反してゆっくりと起き上がる。
 自身の能力で回復力の限界を超えさせたために、体力はほぼ回復していた。
 そんな銀月を見て、銀月の能力の正体を知らない涼は頭を抱えた。

「銀月殿……お主はまた無茶を……」
「ああ、そうか。涼姉さんはまだ俺の能力を教えてなかったね。能力のお陰でもう回復したよ」
「っ!? 分かったんでござるか!?」

 銀月がそう言うと、涼は驚いたように顔を上げた。
 その反応の大きさに、銀月は思わず笑い出した。

「あはは、大げさだよ姉さん。まあ、詳しいことは帰ってから話すよ。じゃないと……」
「銀月! 呼ばれたんならさっさと来い!! 駆け足だ!!」

 涼と銀月が話していると、再び勇儀から声が掛かる。
 その声を聞いて、銀月は苦笑した。

「ね。……はいよ! 十秒でそっちに行く! とうっ!!」

 銀月はそう言うと、机を飛び越え天井を蹴って鬼達の机に向かった。
 忍者もかくやと言った芸当に、鬼達は大いに盛り上がった。

「よーし、そんなに元気ならまずは飲んでもらうよ! ささっ、ぐぐーっといっちゃって!!」
「はいはい」

 萃香に杯を渡され、銀月は一気にそれを飲み干す。
 その景気の良い飲みっぷりを見て、鬼達は囃し立てた。

「おお、良い飲みっぷり! じゃあもう一杯行ってみようか!!」
「はい、それじゃあいただきます」

 銀月は鬼に合わせて次々に酒を飲んでいき、鬼達はその様子に湧き上がる。もうすっかり鬼達のお気に入りと化してしまったようである。
 そうして鬼達を盛り上げる銀月を、パルスィが冷ややかな眼で見つめていた。

「……馬鹿ね、倒れていたほうが楽なのに。あの無鉄砲さが妬ましいわ」
「鬼の相手は人間にはきついでござるからなぁ……銀月殿、死ななければ良いんでござるが……」
「こら、そこの二人組み! そんなところでちびちび飲んでないでこっちに来な!!」

 隅でゆっくり飲んでいる涼とパルスィにも、勇儀から声が掛かる。
 その声を聞いて、二人は大きくため息をついた。

「……またか……あの傍若無人さが妬ましい……」
「お互い苦労するでござるなぁ……」

 二人はお互いに大きくため息を吐くと、鬼達の歓声が上がる机へと向かって行った。







「うきゅー……もう飲めないでござるぅ……」
「……また二日酔い確定か……もうイヤぁ……」

 鬼達と飲み始めてからしばらくすると、机に伏した屍が二つ出来上がった。
 その間にも、鬼達は店中の酒を飲み尽さんばかりの勢いで酒を飲み続けていた。

「涼姉さん、パルスィさん、大丈夫?」

 そんな酔いつぶれた二人に、銀月が水を差し出しながらそう言った。
 銀月は二人とは対照的で、未だほろ酔いの状態であった。
 どうやら、肝機能が限界を突破して働いているようであった。

「な、何で銀月殿は平気なんでござるかぁ……?」
「あ~……ちょっと能力で反則技を使ってるからね……うわあっ!?」
「うう……妬ましい……妬ましいわぁ……そうやって能力で楽できる貴方が妬ましいわぁ……」

 パルスィは銀月に這い寄り、恨みがましい眼で銀月の眼を覗き込んだ。
 ずいずいと迫ってくる彼女に、銀月は思わず眼を逸らした。

「ちょおっ!? そんなこと言われても困るって!!」
「ううっ……」

 銀月が下がると、パルスィは蒼い顔をして言いよどむ。
 それを見て、銀月は即座にパルスィの口を押さえた。

「これは拙い……パルスィさん、少し我慢してね」

 銀月はパルスィを姫抱きにすると、揺らさないようにしながら厠へと向かって行った。
 厠の前に着くと、銀月はパルスィを降ろした。

「……っ!!」

 するとパルスィは大急ぎで中へと駆け込んでいった。
 そんな彼女を見て、銀月はホッと一息つく。

「間に合って良かったぁ……後はパルスィさんが無事だと良いんだけど……」
「彼女なら大丈夫ですよ。走る元気があるなら心配は要りません」

 その後ろから、優しい声が投げかけられる。
 銀月がその声に振り返ると、いつの間にかそこには伊里耶が立っていた。

「あれ、伊里耶さん? さっきまで見ませんでしたけど、どこに居たんです?」
「そろそろ店の営業時間が終わりなので、迎えに来たんですよ。あの子達、こうなると時間のことなんて忘れてしまいますから」
「そうですか……もうそんな時間ですか。では、私も涼姉さんを連れて帰ろうと思います」
「そうですか……う~ん……」

 そこで伊里耶は銀月の身体をジッと見回した。
 その視線は舐めるようで、銀月は若干の危機感を感じた。

「あ、あの……どうかしましたか?」
「あとちょっと、ですね……」
「な、何がですか?」
「いいえ、何でもありませんよ。それよりも、将志さんに宜しく言っておいてください」

 伊里耶は何事もなかったかのようにそう言うと、銀月にそう話した。
 それを聞いて、銀月は怪訝な表情をしながらも頷いた。

「分かりました。父にはそのように伝えておきます。では」

 そういうと、銀月は涼を回収すべく酒場に戻っていった。

「……もっとも、あの子達から逃げられればのお話ですけど」

 伊里耶の呟きは、銀月に届くことはなかった。

「……悪趣味ね、鬼神」

 が、その呟きを聞いてパルスィが厠から出てきた。
 体調は幾分かマシになったらしく、先程よりは楽そうである。
 そんなパルスィに、伊里耶は微笑みながら答えた。

「悪趣味でもいいんですよ。涼さんも子供達と戦ってずっと強くなっていますし、銀月さんもきっと強くなれますよ」
「……そうじゃないわよ。貴方、銀月をどうするつもりだったのよ?」

 伊里耶の言葉に、パルスィは首を小さく横に振ってそう尋ねた。
 すると、伊里耶は浮かべた笑みを深くした。

「何もしないですよ? まあ、もう少し時間が経っていたらつまみ食いをしたかもしれませんが」
「……それが悪趣味だって言ってるのよ」

 伊里耶の発言に、呆れ顔で呟くパルスィであった。






 酒場に戻ると、銀月は相変わらず机に突っ伏している涼に小さく声を掛けた。

「それじゃあ、お店の営業時間の終わりも近いし、そろそろ帰るよ」
「……銀月殿、帰る時はばれない様に外に出るでござる。でないと……」
「ばれると、どうなるって言うのかな?」

 涼が銀月に忠告をしていると、後ろから萃香が話しかけてきた。
 その表情は眩しいくらいの笑顔であった。

「あ……」
「みんなぁー! 涼達が帰るってさ!!」
「よーし、野郎共! 絶対に逃がすんじゃないよ! 二人とも強敵だ、気を引き締めて掛かりな!!」

 萃香と勇儀の号令によって、あっという間に取り囲まれる銀月と涼。
 その様子を見て、涼はがっくりと肩を落す。

「ああ……またこうなったでござる……」
「……なるほどね、これで道を塞がれて帰れなかったと言うわけか……」

 銀月はそう言うと、冷静に周囲を見回す。
 周囲は完全に鬼達に囲まれていて、少しでも動こうものなら一斉に踊りかかってくるのは眼に見えていた。

「ちなみに涼姉さん、勝利条件と敗北条件について教えてもらえる?」
「……逃げ切れたら我々の勝ち、捕まったら向こうの勝ちでござるが……」
「OK、それなら何とかなりそうだ」

 銀月はそう言うと、眼を閉じて将志の力を身体に呼び込む。
 限界を超える程度の能力も使える範囲で使い、身体能力を上げる。

「えっと、まずはお店の人の迷惑にならないように外に出ませんか? それからでも遅くはないと思うのですが」
「おっと、それもそうだねぇ。親父、また来るよ!!」

 そう言って鬼達は外へと出る。銀月と涼も鬼に囲まれたまま一緒に外に出た。
 そしてその瞬間、涼は赤い漆塗りの柄の十字槍を構え、銀月は自分の周りに四枚の札を浮かべた。

「それで、どうするんでござるか?」
「う~ん、どうしようかなぁ……」

 銀月はそう言いながらナイフを三本取り出すと、それで眼を瞑ったままジャグリングを始めた。
 突然の銀月の奇行に、鬼達の眼は釘付けになる。

「あはは、器用だね。でも、その様子じゃ打つ手は無しかな?」
「ちょっと待って、今考えてるんだからさ!!」

 銀月がそう言った瞬間、銀月の回りに浮かべていた札が強烈な音と光と共に爆発した。

「うわっ!?」
「ひゃあ!?」

 鬼達はそのあまりの眩しさと甲高い音に悶える。
 その眼は眩んでおり、耳は耳鳴りを起こして使い物にならない。
 そこに、限界を超える程度の能力で即座に視覚と聴覚を回復させた銀月が涼に声を掛けた。

「さあ姉さん! 今のうちに逃げよう!!」
「眼がぁ~!! 眼がぁ~!!」

 銀月が手を差し出そうとすると、涼が眼を押さえて転げまわっているのが見えた。
 それを見て、銀月は即座に涼の槍を札にしまい、涼を抱えあげた。

「それっ!!」

 そして、銀月は地上へと向かって飛び出して行った。
 鬼達が気がついた頃には、もう銀月達の姿はどこにもなかった。






 銀月達は地底から脱出すると、真っ直ぐに家路に着いた。
 夜はどっぷりと更けており、頭上には下弦の半月が高く昇っていた。
 あと数時間もすれば夜明けとなる中、二人は銀の霊峰の社へと帰りついた。

「……ふっ!!」

 その境内では、銀髪の青年が槍を振るっていた。
 彼は銀月達が近づくのを察知すると、鍛錬を切り上げて迎え入れた。

「ただいま、父さん」
「ただいま帰ったでござる、お師さん……」
「……遅かったな、二人とも。さては、鬼と一戦交えたあとに宴会にでも付き合わされたか?」

 疲労困憊といった様子の二人に、将志は笑顔で声を掛ける。
 そのまるで見てきたような言い草に、銀月の視線が若干冷ややかなものに変わった。

「……父さん、さては最初っからこうなる事が分かって地底に行かせたな?」
「……鬼の性格上、そうなることは見えていたからな。だが、そう悪いものでもなかっただろう?」
「まあ、悪い人じゃなかったのは認めるよ。それに俺としても再戦したいしね」

 銀月はそう言って微笑み、将志の言葉を肯定する。
 それに対して、将志も苦笑いを浮かべた。

「……だが、気をつけろ。鬼はその強さゆえに傲慢なところがあるからな。娯楽に飢えた鬼は手に余るだろう?」
「それは確かに……でも、涼姉さんなら逃げようと思えば逃げられた気もするんだけどなぁ?」

 銀月はそう言って首をかしげた。
 実際、素の足の速さであれば涼は銀月よりもずっと早く走れるのだ。鬼も速いものは速いかもしれないが、それでも不意を打って逃げるくらいは出来そうなものである。
 その疑問に、将志はため息と共に答えた。

「……仕方があるまい。涼のことだ、どうせ帰すまいと道を塞ぐ鬼達を片っ端から相手にして、疲弊したところを四天王辺りにとっ捕まっていたのだろう?」
「うぐっ……」

 陥っていた事態をずばりと言い当てられ、涼は思わず口をつぐんだ。
 その様子を見て、将志は額に手を当てて首を横に振った。

「……涼。お前は門番としては優秀だが、自分一人となると途端に融通が利かなくなるな。三十六計に逃げるに如かず。銀月のように逃げる手法を考えておいた方が良いぞ?」
「……心得たでござる」
「……さて、涼には後で成果を報告してもらうとしよう。次は銀月、お前に関する話だ」

 将志はそう言うと銀月に向き直った。
 突然話を振られて、銀月も居住まいを正す。

「俺に関する話?」
「……ああ。単刀直入に問おう。お前はここを出るつもりでいるな?」
「……うん。俺、ここを出るよ」

 将志の問いに、銀月は意を決したように頷いた。



[29218] 銀の月、離れる
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 23:32
 書斎にて、銀髪の青年と黒髪の少年が向かい合う。
 人払いは済ませており、部屋には二人以外の姿は見当たらない。
 そんな中、銀髪の青年、将志が口を開いた。

「……さて、ここを出て行こうと思った理由を聞こうか」
「簡単なことさ。俺は自分がどこまでやれるか試したい。それだけのことさ」

 黒髪の少年、銀月は将志の問いに簡潔に答えた。その表情に迷いは無く、意志は固いようであった。
 その様子に、将志は一つ頷いて質問を続ける。

「……それで、ここを出てどこに行くつもりだ?」
「そうだな……当座の貯金は溜まっているし、人里で借家暮らしかな?」

 銀月は将志の質問にそう答える。
 今まで大会の賞金などをコツコツ溜めて積み上げた貯金はかなりの額があり、贅沢をしなければ三、四年は過ごせそうな額になっていた。
 それを聞いて、将志は小さくため息をついた。

「……そこで弁当屋を開いて商売をしながら暮らすつもりか?」
「ははっ、正解だよ。まあ俺自身は紅魔館に行かなきゃいけないから、委託販売ってことになるんだけどね。でも、弁当屋をやるなんてピンポイントで当てられるなんて思わなかったな。何で分かったのさ?」

 将志の言葉に、銀月はそう言って笑う。
 そんな銀月に、将志は笑い返した。

「……お前がすぐに出来そうな商売がそれ位だからだ。お前が得意な料理は冷めても美味いものが多いからな。俺がお前の立場ならそうすると思ったまでだ」
「それって、商売が出来るくらいには俺の料理は美味いってことで良いのかな?」
「……一般の感覚ではあれでも十分なのだろうが、俺の教えを受けた者としてはギリギリ及第点と言ったところだ」
「ギリギリか……それじゃあちょっと拙いな……」

 将志の評価を聞いて、銀月は少々苦い顔を浮かべる。
 将志の教えを受けた者として、自信を持ってそれを誇れるようにしたい。そんな気持ちが銀月の中にあった。
 そのためには、将志が自信を持って送り出せるほどの評価が欲しいのだ。
 銀月の様子を見て、将志は小さく息を吐いた。

「……どの道、全ての準備が整うまで時間が掛かるだろう。弁当を売るのであれば、入れ物の調達や安定した材料の確保、更に委託をするのであればその委託先との交渉もせねばならん。それまでの間、俺が集中的に指導してやる。俺の技、しっかりと盗んでいけ」
「ああ、宜しく頼むよ」

 将志の申し出に、銀月はしっかり頷いた。
 そんな銀月に、将志はふと思い出したように質問をした。

「……ところで、愛梨から聞いたのだがお前は役者を目指すのではなかったのか? 役者と弁当屋では、仕事に随分と差があるのだが」
「そこは愛梨姉さんと一緒だよ。演劇や曲芸は誰もが楽しめないといけない。そう思うのなら、役者の仕事でお金なんてもらえないよ」

 お金が無いから、見たくても見れない。そんな人が出るのはおかしい。笑顔は出来る限り皆平等に与えられるべきだ。
 これは笑顔をもたらす妖怪である愛梨の考えであり、銀月もその影響を強く受けていた。
 その銀月の発言に、将志は薄く笑みを浮かべた。

「……そういうことか。確かに、愛梨もそういう事を言いそうだな」
「まあ、弁当屋だって演じようと思えば役になるし、演じる役なんてそこらじゅうに転がっているからその辺りの事は気にしないで」
「……そうか。さて、力試しをすると言ったが……お前はどこを目指すつもりだ?」
「いつか言ったとおりさ。俺は家族としてだけでここに居る。そうじゃなくて、正々堂々、ここに来られるだけの力を付けて帰って来たい」

 本来、銀の霊峰の社に暮らすためには、銀の霊峰の門番達に勝利しなければならない。
 銀月が今までここに住んでいたのは、その能力が未知数で危険である可能性があったからである。
 が、その理由が無くなり自由になった今、銀月は自分の力で銀の霊峰の社を目指す決意をしたのだった。

「……成程。つまり、自分の力で再びここへ戻ってくる。そう言いたい訳だな?」
「そうさ。詰まらない意地かも知れないけど、そうじゃないと俺は父さん達と同じ場所に立てない気がするんだ。だから俺は槍ヶ岳 将志の息子としてじゃなく、銀月としてここに戻って来たい」
「……そうか……」

 銀月の決意を聞いて、将志は小さく頷き背を向けて天を仰いだ。

「……それならば俺にお前を止められる理由は無い。前にも話したとおり、お前は完全にとはいかんが自由なのだ。あとはお前の好きなようにやっていくが良い」

 その声はとても感慨深げな声で、それで居て少し寂しそうな声であった。
 それを聞いて、銀月は眼を伏せた。

「……ありがとう、父さん」
「……なに、どうせただで自由にさせてやれる訳ではない。お前には少なくとも週に一度はここに来てもらわなければならんのだからな」
「フランの経過観察の報告と、俺自身の経過報告か……厳重管理下じゃなくなっただけで、要観察者であることには変わらないんだったね、俺は」

 銀月は顔を上げて、苦笑気味にそう言って笑った。
 それを聞いて、将志も苦笑いを浮かべて銀月に向き直った。

「……まあ、何だ。お前がここを出て行ったからといって、家族の縁が切れるわけでもない。つらくなったら、いつでも相談に来るが良い」
「覚えておくよ」
「……さて、そうと決まれば明日から忙しくなるぞ。特にお前はやることが沢山あるのだからな」
「そうだね。姉さん達にも報告しないといけないし、色々と手配もしないといけないからね」
「……そうだ。だから今日はもう休め。幾らお前が超人的な回復力を持っているとは言え、休憩は必要だろう?」
「ん……それじゃあ眠らせてもらうよ。おやすみ、父さん」
「……ああ、おやすみ」

 銀月はそう言うと、自分の部屋へと戻っていった。






 翌日、銀月は自分の考えを周囲に話した。

「そっか……銀月くん、出て行っちゃうんだ……」

 銀月の話を聞いて、愛梨が瑠璃色の瞳に寂しさを浮かべてそう言った。
 その隣で、六花が戸惑いを隠すように長い銀色の髪を弄っている。

「これまた随分と急な話ですわね……いつから決めてたんですの?」
「出て行くと決めたのはもう随分と前だよ。お金は小遣いや大会の賞金なんかでそれなりに溜まってるし、能力が分かって自由になれたらそうするって決めてたんだ」
「そんで、能力が分かって自由になったから出て行くってのか?」

 くるぶしまで伸びた燃えるような赤い髪を三つ編みにした小さな少女が問いかける。
 それに対して銀月は頷いた。

「そういうことになるね。まあ、目指すところはここに戻ってくることだし、週に一度は帰ってくることになるからそこまで家を出たって言う感じはしないんだけどね」
「大違い!! そんなことしたら私が寝込みを襲え「何考えてんだテメェはよ!!」ふぎゃん!!」

 ルーミアの頬にアグナのばくだんぱんちが突き刺さり、壁際までぶっ飛ばされる。
 その容赦の無い一撃をみて、銀月は苦笑いを浮かべた。

「あはは……そう言えば、最近ルーミア姉さんよく俺の布団に潜り込んでるよね……どうかしたの?」

 このところ、銀月が眼を覚ますと腹の上にルーミアが寝ていることが多くあった。
 大体は銀月の胸に顔をうずめるようにして寝ていることが多く、何でそうなっているのか銀月の気になるところであった。

「ん~……ド直球に言うと、銀月の匂い嗅いでると落ち着くのよね。何ていうか、ほんのり甘くていい匂いがするわ。それに大きさも私にはちょうど良いし、寝心地としては最高よ」

 その件について尋ねられると、ルーミアは床に伏せたままうっとりとした表情でそう答えた。どうやら銀月から発せられる匂いを思い出しているようであった。
 そんなルーミアに、銀月は頬をかいた。

「それじゃあまるで抱き枕みたいだな。ルーミア姉さん、枕が替わって寝付けないなんてことは無いよね?」
「う~ん、分かんない。ひょっとしたらダメかも」
「ダメかもって……そんなことじゃ銀月と離れられねえじゃねえか。どうすんだよ?」
「う~……お姉さまの抱き枕か銀月の敷布団か……頭の痛い選択肢ね……」

 呆れ顔で問いかけるアグナに、ルーミアは本気で考え込む。
 それを見て、アグナは額に手を当ててため息をついた。

「お前なぁ……俺は抱き枕じゃねえっての」
「あら、お姉さまの抱き心地は最高なのよ? このスベスベの肌が気持ちいいのよね~」
「あぅ、こ、こらっ! 抱きつくな頬ずりすんな服の中に手入れんな!! うぅ!!」

 べったりくっついて行われる過剰なスキンシップを受けて、アグナは真っ赤な顔でルーミアを引き剥がしに掛かる。
 そんな二人を尻目に、愛梨が銀月に質問を続けた。

「ねえ、銀月くん。お弁当屋さんを開くって言うけど、それって大丈夫なのかな? お金儲けって、結構難しいと思うんだけどなぁ?」
「その辺りの事は心配してないかな? 調べてみたけど、人里って食堂はあっても弁当を売っている場所って全然無いんだ。だから、弁当売り自体には需要はあると思うよ。後は味で勝負さ」
「元手は足りるんですの? 銀月一人の資本では、そんなに多くは作れないと思うのですけど?」
「最初から多くを売ろうなんて思ってないよ。最初は少なめに作って、赤字覚悟で売らないとね。そうして評判が上がったら、段々作る量を増やせばいいのさ」

 質問に対して朗々と答えていく銀月。
 その様子から、銀月の中でかなり明確なビジョンがあるようであった。

「かぷり」
「のわわわわわぁ~!?」

 そんな中、唐突にルーミアが銀月の首筋に甘噛みした。
 その瞬間、銀月はぞわぞわとした感覚に襲われて思わず仰け反る。

「あ、銀月って首弱いのね。そ~れ、ぺろぺろ」
「はうぅぅぅぅ、ね、姉さん、やめ、ひぃう!?」

 首筋を舐められて、銀月はその場で悶える。
 その様子を見て、ルーミアは妖しい笑みを浮かべた。

「うふふ、可愛い声♪ ぞくぞくしちゃう……よ~し、今度は「寝てろぉ!!」ぎゃふん!!」

 調子に乗り始めたルーミアを、アグナがまっはきっくで沈める。
 ルーミアが床に倒れ伏したのを確認すると、今度は涼が質問を始めた。 

「……話は盛大に逸れたでござるが、準備にどれくらい掛かるんでござるか?」
「はぁ……そうだね……色々と準備すると大体一週間くらいかな? 委託販売をしようにも商品を売り込まなきゃならないから、少なくともお弁当の材料と入れ物が確保できてからだね」
「……ところで、新しい住所は決まったのか?」
「今日は入れ物の発注と交渉で使っちゃったから、まだそれは決まってないよ。明日もう一度人里に行って、空き家が無いか調べてみる」
「……そうか。では、そろそろ夕食の用意だな。銀月、来るが良い」
「うん、宜しく頼むよ、父さん」

 銀月はそう言うと、将志と共に厨房へと入っていった。
 そして、将志による調理指導を受けるのだった。





 翌日、銀月は人里に足を運んでいた。
 その目的は、一人暮らしの際に借りる物件を探すことである。

「……う~ん……ここは安いけど、台所が狭いなぁ……やっぱり長屋じゃあ台所の広さは期待できないかぁ……かと言って、台所がしっかりしている家は家賃が高いし……予算がなぁ……」

 弁当屋を開くという都合上、どうしても広い台所が必要である。
 そのため、家賃が安価な集合住宅である長屋ではその広さが足りず、どうしても高額な一軒家になってしまうのだ。
 その現状に、銀月はため息をついた。

「まあ、台所がしっかりしていないと仕事にならないから、多少の予算オーバーは眼を瞑ろう。となると、次はどこにするかなぁ? ……実際に使ってみないことには台所の使い勝手は分かんないし……」
「あら、銀月じゃない。そんなに悩んでどうしたの?」

 銀月が悩んでいると、彼にとって非常に聞きなれた声が聞こえてきた。
 その声に顔を上げると、幼馴染の巫女が立っていた。

「いや、ちょっとね。それよりも、霊夢が人里に居るなんて珍しいな。そっちこそどうかしたのかい?」
「私は特に用はないんだけど……強いて言うなら、人里に居ると何か良い事が起きそうって思っただけよ」

 銀月の質問に霊夢がそう答える。
 それを聞いて、銀月は興味深げに頷いた。

「へえ……勘の良い霊夢がそこまで言い切るんなら、本当にいい事が起きるんだろうね」
「分からないわよ。漠然と良い事がありそうってだけで何がおきるか分からないんだから。それで、銀月は何しに来たの?」
「それがね、銀の霊峰から出て暮らしてみようと思ってね、新しい家を探しているんだけど「良い事見っけ♪」……あれ?」

 銀月が人里に来た理由を話すと、おもむろに霊夢は銀月の腰に後ろから抱き付いて空を飛び始めた。
 訳が分からず、銀月は眼を白黒させている。

「ちょっとー、霊夢ー? 僕をどこに連れて行くのさー?」
「♪~」

 霊夢は上機嫌で銀月を運んでいく。
 しばらく飛んでいくと、見慣れた神社が現れた。
 霊夢はその神社の一室に銀月を運び込んだ。

「はい、今日からここがあんたの部屋よ。ここの勝手は分かるでしょ?」

 霊夢は状況を理解できていない銀月にいきなりそう言い放った。
 それを聞いて、銀月はこめかみを押さえて俯いた。

「……ちょっと待った。霊夢、君は俺に博麗神社に住めって言ってる訳?」
「何か問題があるかしら? 私は銀月の暖かいご飯が食べられるし、銀月は住む家が手に入る。何かあったらお互いに助け合えるし、良い事ずくめじゃない」

 銀月の質問に対して、霊夢は平然とそう言い切った。
 そんな霊夢に、銀月は頭を抱える。

「……あのねえ、一つ屋根の下に男と女が一緒に住むことに抵抗は無いわけ?」
「無いわよ。私と銀月の仲じゃない。今更一緒に住む事になったって変わらないわよ」
「それはそうだけどさ……」
「何よ、それとも私に何かするつもりなの? 何かしたら、一生私のために働いてもらうわよ?」
「いや、する気はないけどさ」
「なら良いじゃない。何もする気が無いんならここに住んでも問題は無いわ」
「いや、だからさ、俺が訳の分からん妖怪に操られて霊夢を襲う可能性も無くはないんですよ?」
「その時は私があんたを操った奴を叩きのめしてやるわ。て言うか、あんたに手を出すような命知らずは勝手に死ぬと思うわよ?」

 銀月の言い分を次々に跳ね除けて、ぐいぐい押してくる霊夢。
 かなり強引な彼女の対応に、銀月は困惑した。

「ああもう、霊夢の危機管理はどうなっているのさ……」
「……ねえ、そんなに私と住むのが嫌な訳?」

 抵抗を続ける銀月に、霊夢は不満げな表情で問いかける。
 その質問に、銀月は即座に首を横に振った。

「そんなことは無いよ。むしろ申し出自体は願っても無いことさ。けど、俺としては俺と言う爆発物と一緒に独り身の女の子を住まわせることに思うところがあるわけですよ」
「大丈夫よ。私はあんたをそれなりに信頼しているつもりよ。そもそも、あんたの言う理由なんて私にはどうでも良い事よ」

 霊夢は銀月の眼をしっかりと見据えてそう言い切った。
 その様子からは、銀月に対する確かな信頼が現れていた。
 それを受けて、とうとう銀月は折れた。

「……はあ、分かったよ。それじゃあここに住む事にするよ」
「納得してもらえて嬉しいわ。じゃあ銀月、早速だけどお茶ちょうだい」
「はいはい」

 銀月は苦笑交じりにそう言うと、お茶の準備を始めた。






「と言うわけで、引越し先は博麗神社に決まりました」
「……よりにもよってそこか……まあ、安全といえば安全だが……」

 引越し先を話すが否や、将志は盛大にため息をついた。
 やはり銀月が良いように使われていることが気に食わないようである。

「きゃはは……霊夢ちゃん、随分と強引だね……」
「と言うか、話を聞いてると銀月がその巫女の胃袋を完全掌握してませんこと?」
「それ以前に、霊夢は自活能力が低すぎるんだよ……紫さんに、俺が居ないと生活できそうに無いって言われるくらいだし……」

 銀月はそう言って苦笑いを浮かべた。
 その横で、アグナが額に手を当てて呆れ顔を浮かべていた。

「何でお前が巫女の生命線になってんだよ……その時点でもうおかしいじゃねえか」
「だって、霊夢の食生活はあんまりだったもの。生煮えの米に野菜の生齧りなんて余程野菜が新鮮じゃないと美味しくないし、第一栄養バランスが悪いもの。……努力をしない霊夢も霊夢だけど」

 銀月はそう言ってため息をつく。
 彼としては霊夢には自分が居なくても平気なようになって欲しいのだが、肝心の本人がやる気ゼロなのでどうしようもないのだ。

「いずれにしても、銀月が博麗の巫女の胃袋を握っているのは間違いありませんわ。この前の宴会でも、銀月の料理が食べたいがために手伝わせたのでしょう?」
「……そういえば、そんなこと言ってたね」

 呆れ口調の六花の言葉に、銀月はそう言って頬をかく。
 口元が緩んでいるところから、自分の料理を求められて満更でもない様である事が見受けられる。

「何と言うか、銀月殿がよく出来た嫁に見えて来たでござるなぁ……」
「嫁って……俺、男なんだけど……」

 涼の口からこぼれ出た言葉に、銀月が抗議の視線を送る。

「……やっていることが通い妻と変わらんのでは、言われても仕方が無いと思うが」
「うぐっ、父さんまで……」

 しかし、その直後の将志の言葉によって銀月は凹むことになった。
 そんな銀月に、六花が額に手をあて深刻な表情で話しかけた。

「ダメな女に振り回されるタイプですわね。気をつけたほうが良いですわよ、気を許しすぎると何を言われるか分かったもんじゃありませんもの」
「……流石にそこまで酷いことは言われないと思うけどなぁ」
「いいえ、分かりませんわよ? 例えば、人肌恋しいから抱いて欲しい、何て言われて流されるままそれに従ったら、責任とって嫁にしろって言われる可能性もありましてよ」

 六花は銀月にそう言って忠告する。
 それは明らかに六花が日頃読んでいる本の内容に毒されたものであった。
 それを聞いて、愛梨が乾いた笑みを浮かべた。

「きゃはは……六花ちゃん、流石にそれはそういう本の読みすぎかなぁ~……」
「と・に・か・く!! 男だから大丈夫と言う甘い考えは捨て去るべきですわ。女は男が思うよりもずっと怖い生き物ですわよ?」

 銀月に対して熱弁をふるう六花。
 そのあまりの熱気に、周囲は苦笑いを浮かべた。

「う~ん……六花ちゃんの言うことが全部じゃないとは思うけど、幻想郷じゃ女の子ばかり強いのもあるしね……強い男の子はよく狙われるのも事実だから、一応気をつけておいたほうが良いかな? ね、将志くん?」
「……確かに、妻帯者であるアルバートや、かなり高齢であるバーンズも実力者やその親族から求愛を受けることがあるからな……お前やギルバートの様な奴に声が掛かることもあるのではないか?」

 将志は銀月に幻想郷の女性の現状を説明した。
 すると、それを聞いたアグナが嫌そうな表情を浮かべた。

「うっへえ、もはや見境無しじゃねえか……そりゃあれか、政略結婚って奴か?」
「……それもない事はないだろうが、この幻想郷でそれをやる意味は薄いぞ? 強い子孫を得るために強い相手を探す、それが大体の理由だ」
「……それって、兄ちゃんが一番標的になりやすいじゃねえか」
「……いや、それがどういうわけだか俺にはそういうことは無いのだ。まあ、それはそれで楽でいいのだがな」

 将志は知らない。将志が首領会議に出席するたび、隣で愛梨が無言のプレッシャーを笑顔で放って他を寄せ付けないようにしていることを。
 ちなみに、ジニの場合は後ろでジッと泣きそうな眼を向けて来るため、アルバートの方がどんどん罪悪感に苛まれる結果になっているのであった。

「話が逸れましたけど銀月、旧知の仲だからといってゆめゆめ油断することのないようにしてくださいまし」

 六花は銀月の眼を覗き込み、真剣な表情で忠告をする。

「……一応気をつけておくよ」

 それを、銀月は苦笑交じりに受け止めた。

「何だったら、襲われる前に私が襲って「寝言は寝て言えぇ!!」げふぅっ!!」

 平常運転のルーミアに、これまた平常運転のアグナのためぱんちが炸裂する。
 ルーミアは壁まで飛ばされ、叩きつけられて伸びた。

「あはは……ルーミア姉さんも懲りないなぁ……」

 そんなルーミアを見て、銀月は乾いた笑みを浮かべるのだった。






 それからしばらくの間、銀月は将志から料理の指導を受けながら様々な準備をした。
 そして今、銀月は将志に自分の作った弁当の審査を頼んでいるのだった。

「……ふむ……」

 将志は弁当をじっと見据えた後、箸をつけた。
 弁当の内容は冷めても美味しく食べられ、なおかつ栄養のバランスが取れた内容になっていた。

「……どうかな?」

 銀月は将志に評価を求める。
 すると、将志は一つ頷いて答えた。

「……味に関して言えばこのレベルならば問題は無いだろう。これならば売り物として十分通用するはずだ。強いて言うならば、見た目がもう少し食欲をそそるような盛り付けに出来れば言うことはない」
「うん、それじゃあもう少し工夫してみるよ」

 銀月はそう言うと、見栄えよく見せるための手法を考え始めた。
 そんな中、将志は一つため息をついた。

「……しかし、お前も随分と上達したものだな。一番最初に教えたのは芋の煮付けだったか?」

 将志は感慨深げにそう呟いた。
 すると銀月は顔を上げ、当時を懐かしむような表情を浮かべた。

「そうそう。あの時の味は今でも覚えてるよ。初めて作った料理の味だもの」
「……今にして思えばどうだ?」

 将志が問いかけると、銀月は視線を上に向けて思い出す仕草をした。
 そして、懐かしそうに笑って答えた。

「美味しかったけど……ちょっと甘かったかな?」
「……だが、初めて作ったにしては中々だったぞ? 最初のうちは加減が分からず、塩辛くなったりすることが多いからな。よくもまああの塩加減を作れたものだ」
「あれ、父さんが煮物を作る時に入れてた醤油の量を何となく真似したんだ」
「……成程、最初の最初で分量を盗んでいたわけだ。それならばあの味も納得と言うものだ」

 将志は納得したようにそう言って頷き、笑った。
 そして、大きくため息をついた。

「……思えば、お前がここに来てから早十年か……光陰矢のごとしとはよく言ったものだ。銀月、お前は銀の霊峰の門は潜らないのか?」
「家族としては潜るけど、組織としてなら入るつもりはないさ」

 将志の質問に、銀月ははっきりとそう答えた。
 それを聞いて、将志は笑みと共に質問を重ねた。

「……ほう? それは何故だ?」
「組織の一員としての体は邪魔になることがあるから。俺は大切な人達のために、いつでも駆けつけられる状態で居たい」

 銀月は自分の考えをしっかりと述べる。それは、自分を育ててくれた家族のことを一番に考えた結果のものであった。
 それを聞いて、将志は愉快そうに笑い出した。

「……ははは、お前は本当に俺に似ているな。成程、確かに俺がお前の立場でもそうするだろうな」
「……やっぱり、永琳さんが気になる?」

 将志に対して、銀月はそう話しかけた。
 銀月にとって家族が大切であるように、将志にとって一番大事なものがあることを知っていたからだ。
 それを聞いて、将志は大きく頷いた。

「……当然だ。俺は銀の霊峰の首領である前に、建御守人と言う守り神である前に、八意 永琳の従者なのだからな。本来ならば銀の霊峰の仕事など一切を他に任せて、ただ主のためだけに働きたいところだ」
「でも、父さんは今や幻想郷の重鎮。あまり自由には動けないんだよね」
「……ああ。立場とは面倒なものだ。正直、自由なお前が羨ましい」

 将志はとてももどかしそうに、呟くようにそう言った。
 将志にとって、未だに最優先事項は永琳のことなのだ。そんな彼にとって、銀の霊峰の仕事は必要なことではあるが、大きな枷にもなっていた。
 そんな将志に、銀月は真正面から向き合った。

「だから、自由な俺は父さんを支えたい。動けない父さんの代わりに、俺が父さんの手足となって手助けをしたいんだ」
「……そうか。その気持ち、ありがたく受け取っておこう」

 銀月の言葉を聞いて、将志は嬉しそうにそう言って微笑んだ。
 そして棚から二つの黒い漆塗りの杯を取り出した。

「……銀月。酒でも飲まないか?」
「父さん?」
「……なに、明日はお前の門出だ。たまには親子二人で杯を交わすのも悪くは無いだろう?」
「そういうことなら、付き合うよ」

 二人は笑いあうと、酒を持って夜空の見える場所へと移動した。
 そして、心ゆくまで二人だけの酒盛りを楽しんだ。





 翌日、銀月は全ての準備を終えて銀の霊峰の社の門の前に立っていた。
 その後ろには、見送りに来た面々が並んでいた。

「身体には気をつけるのよ。寂しくなったらすぐに帰ってきてね。そしたら私がじっくりねっとり味わって「こういうときぐらい自重しろテメェ!!」きゃいん!!」
「あはは、大げさだよルーミア姉さん。週に一度は帰って来るんだし、住んでる場所だって近いんだしさ」

 普段と変わらないやり取りをするルーミアとアグナ。
 その言葉に、銀月は笑みを浮かべる。

「銀月殿、あまり無茶をしてはいけないでござる。何事も程ほどにしておくんでござるよ」
「……涼姉さん、善処するとしか言えないな、それは……」

 涼の忠告に対しては、乾いた笑みで応対する。
 どうやら、無茶をしないことに関して保障はしかねるようだ。

「銀月、戻ってきたらまた遊ぼうぜ!!」
「ああ、楽しみにしておくよ、アグナ姉さん」

 アグナとはそう言って笑いながら拳を突き合わせる。
 アグナは特に何も心配していないようで、銀月が戻ってくることを疑っていないようだ。

「決して巫女に隙を見せるんじゃありませんわよ。男が狼なら、女は蜘蛛。どこに巣を張っているか分かりませんわ」
「あ~、うん、一応気をつけるだけ気をつけておくよ、六花姉さん」

 六花の助言には困ったような笑みを浮かべる。
 アグナとは対照的に、六花は銀月が無事に戻ってくるか心配なようである。

「僕からは特に言うことはないかな♪ 銀月くん、頑張ってね♪」
「うん、まあやれることは頑張るよ、愛梨姉さん」

 楽観的な愛梨の言葉には、軽く頷いて答える。
 愛梨は愛梨で特に心配するわけでもなく、なるようになると考えているようだ。

「……再び共に暮らせる日を楽しみにしておく。しっかりと修練に励め」
「ああ、必ず帰ってくるよ、父さん」

 将志の言葉には、しっかりと頷いて答える。
 返す言葉は力強く、並々ならぬ決意が感じられた。

「では、今までお世話になりました!!」

 最後にそう言うと、銀月は銀の霊峰の社から飛び立っていった。



[29218] 銀の槍、散歩をする
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/07 23:48
 銀月を中心とした一連の騒動が幕を閉じ、銀の霊峰は再び平穏を取り戻した。
 幸いにして銀月が翠眼の悪魔であったという事実は噂にこそなったものの、一部の者を除いて信憑性のない話として処理されたのであった。
 その報告書を書斎で読みながら、銀の髪の槍妖怪は安堵の息を吐いた。

「……もう少し情報が漏洩するものかと思っていたが……銀月が能力を制御できているお陰で更なる騒ぎにならずに済んだか……」

 将志はそう言いながら報告書をまとめる。
 銀の霊峰においても、銀月が翠眼の悪魔であることは機密事項であり、将志をはじめごく一部の者にしか伝えられていない。
 何故ならば、翠眼の悪魔の被害者の中には銀の霊峰の妖怪も居たからである。

「……まあ、知られたところでうちの連中は悪い感情は持たんとは思うが……いずれにせよ銀月が大変なことになるか……」

 血の気の多い霊峰の妖怪達のことである、翠眼の悪魔に挑もうとするものが出ないとも限らないのだ。
 しかし、翠眼の悪魔とは銀月の暴走時の姿なので、そう簡単に戦わせるわけにはいかない。
 万が一ばれてしまった場合のことを考えると、将志の頭は痛くなるばかりであった。

「……いかんな、少し気分転換でもするか」

 将志はそう言って、傍らに立て掛けていた銀の槍を手に取って立ち上がった。
 外に出ると空は青く澄み渡り、眺めていると吸い込まれるような感覚を覚えた。
 そんな将志の銀色の髪を涼やかな風が撫ぜ、暑い夏の終わりを告げる。

「……もうすぐ、秋か……」

 将志は感慨深げにそう呟く。
 この夏は紅霧異変や銀月をめぐる騒動など密度の濃い夏だったために、それが終わってどことなく空虚さを感じていた。
 将志は振るうつもりだった槍を納め近くの岩に腰掛け、幾分か柔らかになった日差しを受けながらぼんやりと空を眺める。
 すると、空を飛んでくる人影が見えてきた。

「……久しぶり……」

 赤い服に紅葉の髪飾りをつけた人影は、将志のところへまっすぐ降りて声をかける。
 それを見て、将志は立ち上がって迎え入れた。

「……静葉か。確かに久しぶりだな」
「……もう、大丈夫……?」
「……ああ。一連の騒動に大体片が付いたからな。もう休息を取っても問題はない」

 将志はこれまでの騒動を思い出して小さくため息をつく。
 何しろ、自分の家族に関する深刻な問題だったのだ。
 その騒動が一息ついて、少し安心した表情を見せる。
 それを見て、静葉はホッとした様子で微笑んだ。

「……そう……お疲れ様……」
「……なに、いつかの大結界の騒動の時に比べれば遥かに楽だ。それはさて置きせっかく来たのだ、茶の一杯でも出そう」
「……ありがとう……」
「……ふむ、では中に入るとしよう」

 二人は連れ立って社の中へ入り、いつも話をしている縁側へと向かう。
 将志は茶を取りに台所に向かったが、しばらくして無手で縁側へと戻ってきた。

「……すまないが、茶請けになるものが何もない。今から作るから時間が掛かるが、構わないか?」
「……それなら要らない……」

 将志の言葉に、静葉は静かに首を横に振る。
 それを見て、将志は首をかしげた。

「……良いのか?」
「……それよりも隣に居て欲しい……」
「……了解した。なら、茶だけでも持ってこよう」

 静葉の言葉に微笑とともに頷くと、将志は茶を汲みにいく。
 その間、静葉はのんびりと石造りの社の境内を眺めながら将志を待つ。
 しばらくすると、将志が盆に湯飲みを載せて戻ってきた。

「……茶が入ったぞ」
「……いただきます……」

 静葉は将志から茶を受け取ると、それに口をつける。
 その隣に将志は腰を下ろし、自分の分を手に取った。
 二人して静かにぼんやりと空を眺める。そして吹き抜ける風に秋の足音を感じながら、将志はポツリと呟いた。

「……もうすぐ秋だな」
「……うん……もうすぐ私達の季節……」
「……今年もじっくり拝見させてもらうよ」
「……二人一緒……」

 静葉はそう言いながら将志に寄り添う。
 肩が触れ合い、将志の肩には静葉の頭が遠慮がちに乗せられる。
 そんな静葉に、将志は微笑んだ。

「……そうだな、弁当でも持って一緒に回るとしよう……?」

 突如として、将志は視線を感じて辺りを見回す。
 視線に悪意は感じられないが、自分達がじっと見つめられている気配がしたのだ。

「……どうしたの……?」

 そんな将志の様子に静葉は頭を起こした。
 すると将志は、小さく息を吐いて首を横に振った。

「……いや、何でもない。さて、これからどうする?」
「……もうしばらくこうして居たい……」

 静葉はそう言うと再び将志の肩に頭を預ける。

「……そうか」

 それを将志は静かに受け入れるのであった。


 * * * * *


 将志と静葉が縁側でのんびりしているのを覗いている影が一つ。

「……姉さんが時々居なくなるから気になってきてみれば……逢引なんてしてたのね……」

 その人影は縁側の女神と同じ黄金色の髪に、葡萄の飾りが付いた赤い帽子をかぶっている。
 彼女は双眼鏡を覗き込み、縁側の様子を伺っていた。

「しかも、相手はあの建御守人? 姉さんったらあんな倍率の高い相手を良く捕まえられたわね……」
「いや、あの様子では恐らく将志は友人としてしか見ていないだろうな……」
「そうだね♪ でも、将志くんがああまでくつろいでるのは珍しいね♪」
「きゃあああ!? な、何よあんた達!?」

 突然後ろから声をかけられて、双眼鏡を覗き込んでいた彼女は驚いて飛び上がった。
 振り返ると、青い道士服をきた黄金色の九尾の女性と、白いブラウスに赤い蝶ネクタイをつけてオレンジ色のジャケットとトランプの柄の入った黄色いスカートを着た鶯色の髪の少女が立っていた。

「失礼、私の名前は八雲 藍と言う。何者かと言うならお前の姉の競争相手だ」
「僕は喜嶋 愛梨だよ♪ 立場としては藍ちゃんと同じかな♪ 君は静葉ちゃんの妹なのかな?」

 愛梨は瑠璃色の瞳で目の前の彼女ににこやかにそう問いかける。
 それを受けて、彼女は動揺を隠せないまま答えた。

「え、ええ、私の名前は秋 穣子よ。あそこで座っている秋 静葉の妹よ」
「ところで、お前は将志のことをどう思っているんだ?」

 今度は穣子の眼をじっと見つめながら藍が問いかける。
 その視線は言動のすべてを見逃すまいとする、鋭い視線であった。
 穣子はその視線から放たれるプレッシャーを受けて萎縮する。

「ま、将志って誰よ?」
「今、君のお姉さんの隣に居る神様のことだよ♪ で、どうなのかな?」
「わ、私は姉さんが何をしているのか気になって居ただけよ!! 建御守人がここに居ることだって初めて知ったんだから!!」

 強烈な威圧感に、穣子は大慌てで弁明する。
 その発言を聞いて、藍は眼を光らせた。

「……ほう、つまりお前は現状では傍観者の立場を取るわけだ……」
「そ、それはあんた達も一緒でしょ!?」
「それが違うんだな~♪ 僕達は傍観者じゃなくて、観察者さ♪」

 愛梨は手にした黒いステッキで、頭にかぶった赤いリボンつきのシルクハットを軽く叩く。
 楽しげにそう言う愛梨に、穣子は訳が分からず首をかしげた。

「どういうことよ?」
「あの男、槍ヶ岳 将志は恋愛がどういうものだか分からないらしくてな……それで、どういった相手が将志の琴線に触れるのかを探っているのだ」
「ちなみに静葉ちゃんも協力者だよ♪ 僕達が見ているかもしれないことはちゃんと伝えてあるんだ♪」

 二人の説明を聞いて、穣子は唖然とした表情を浮かべた。

「つまり何? みんなして寄って集ってあの男を落そうとしている訳?」
「そういうことになるな。まあ、残念ながら未だに効果は出ていないがね」
「それはそうと、ここからもう少し離れないと見つかっちゃうよ♪ 早く離れよう♪」

 愛梨達はそう言うと、将志が気づけないような位置まで下がって観察を続けることにした。

 
 * * * * *


 茶を飲み終わり、将志と静葉は寄り添ったまま穏やかに時間を過ごしていた。
 すると、将志がふと思いついたように口を開いた。

「……さて、しばらく何もすることがないのだが……久しぶりに散歩にでも行くか?」
「……(こくこく)」
「……ふむ、では少し待ってくれ。すぐに支度をしてくる」
「……(こくん)」

 将志は静葉が頷くのを確認すると盆を持って立ち上がり、外出の準備をしに行った。


 * * * * *


「どうやら移動するみたいだね♪」

 三人で双眼鏡を覗き込んで状況を確認していると、愛梨が将志の様子を見てそういった。
 なお、音声は藍が放った式神によって拾われ、三人のすぐそばにある札から出力されている。

「ねえ、将志って姉さんにいかがわしいことしたりしてないわよね?」
「もし将志が手を出したというのなら、是非ともどうやったのか聞きたいところだ」
「キャハハ☆ 将志くんはすっごく紳士だもんね♪」
「第一、私が風呂場に入り込んだら即座に眼を逸らして退散しようとするからな……将志が自分から性的な行為を仕掛けたことなど一度たりともないぞ?」

 腕を組んでどうすれば良いのやらと呟きながら藍はそう話す。
 そんな藍の様子を見て、愛梨はジト眼を向けた。

「……藍ちゃん、またやったの?」
「ああ。逃げようとしたところを捕まえて色々とな。やったらやったですぐにのぼせ上がってしまうのだが、それがまたグッと来るんだ」

 グッと握りこぶしを作って、イイ笑顔で藍はそう言った。
 そんな藍に若干引きながら、愛梨は乾いた笑みを浮かべた。

「きゃはは……それで良く将志くんに警戒されないね……流石に将志くんも過激なことは嫌がると思うんだけどなぁ?」
「そこはあれだ。将来自分が意中の相手と結ばれるという時に相手の裸を見ただけでのぼせ上がっては話にならないから特訓する、という名目で納得してもらった。生真面目な将志はそれをまともに受け取って、顔を真っ赤にして頷いてくれたぞ。その時はもう辛抱たまらず抱きしめてしまったよ」

 藍はその時の将志の様子を思い出しながら、うっとりとした表情でそう話した。
 藍も藍なら、将志も将志である。

「ど、どうしよっかな~……ぼ、僕もやってみようかな? あ、でも……うう~っ……」

 その横で、愛梨は顔を耳まで真っ赤にしながら同じ行為に及ぶべきか否かを考えていた。
 欲望と羞恥の間で心が揺れ、頭を抱えて唸る。

「マテやあんたら。さっきから聞いてりゃ、男の風呂場に突撃するとか何を言ってるのよ? あんた達、女の慎みとか恥じらいというものは無い訳?」

 そんな二人に、穣子は額を手で押さえながらそう問いかけた。

「甘い!! そんなことを考えていては、意中の相手と恋仲にはなれない!!」
「な!?」

 すると、藍がびしっという効果音が聞こえそうな動きで穣子を指差した。
 そのあまりの勢いに、穣子は思わず怯んだ。

「慎み深く相手を待ち、男に引っ張られながら恋に落ちていく……ああ、悪くは無い。それも一つの恋の形だし、何より女冥利に尽きるというものだ。だが、そう言う輩に私は言いたい……現実を見ろ、と」
「げ、現実?」
「私達はもはや幻想の中でしか生きられない。つまり、幻想郷の中でしか相手を見つけられないということだ。だが最近の人口の調査を妖怪・人間・神と分け隔てなく行ったところ、男女比が二:三となった。これがいったい何を意味しているのか……分かるな?」

 藍は重々しい口調で穣子にそう問いかける。
 それに対して、穣子は少し考えてから口を開いた。

「……要するに、もたもたしていると行き遅れるって言いたいの?」
「そうだ。特に、自分が惚れる様な男は自分以外の誰かが絶対に惚れているはずだ。そんな中で、相手が自分を選んでくれるまでひたすらに待つのか? そんなことは私には出来ない。私は自分で動いて、相手を振り向かせて見せる。女が待つ時代は、とっくの昔に終わりを告げているのだ」

 幻想郷では女性の方が男性よりも大幅に人口が多いのだ。
 そんな中でただ待っているだけでは良い相手は皆取られてしまう、それが藍の主張であった。
 それを聞いて、穣子は黙り込んでしまった。
 その横で、将志達の様子を見ていた愛梨が藍に声をかけた。

「藍ちゃん、将志くん準備が終わったみたいだよ♪」
「よし、では将志達が出発したら我々もついて行こう」
「式神は使えないのかな?」
「使えないことは無いが、それだと私しか現状を把握出来ないぞ。全員で見るなら妖術で気配を消すのが一番簡単だ」

 愛梨と藍は真剣な表情で方法などを即座に打ち合わせていく。
 そんな二人を見て、穣子はボソッと呟いた。

「……必死ね」
「当たり前だろう? もう千年以上想い続けている相手だから……いや、違うな。本気で恋をすれば、誰だって必死になるさ。それこそ、者によっては禁忌や犯罪に走るほどな」

 そんな彼女に、藍はそういって笑うのだった。


 * * * * *


 準備を終え、将志が再び静葉の待つ縁側に戻ってくる。
 すると静葉は立ち上がってそれを出迎えた。

「……待たせたな。では、出かけるとしよう」
「……(わくわく)」

 将志が履物を履き終えると、二人で並んで空を飛び始める。
 晴れ渡った空の真ん中に、二つの人影がふわりと浮かぶ。

「……さて、どこに行きたい?」
「……移動しながら決める……」
「……そうだな。散歩など、本来そんなものだな」

 行き先を話し合い、二人は頷きあう。
 すると静葉が将志の方へと寄ってきた。

「……将志……」
「……ああ、これだろう?」

 将志はそう言って微笑みながら静葉に右手を差し出す。
 すると静葉は嬉しそうにその手に指を絡めた。

「……将志、知ってる……?」
「……? 何をだ?」
「……この手のつなぎ方……恋人つなぎって言うの……」

 静葉は顔を少し赤らめながら、照れた様子でそう言った。
 それを聞いて、将志は興味深そうに頷いた。

「……いや、初めて聞いたな……なるほど、つまりこうしていると俺と静葉は恋人同士に見えるというわけだ」
「……私とじゃ、嫌……?」

 静葉は将志の言葉に不安そうにそう言って返した。
 それに対して、将志はその不安を払拭するかのように笑みを浮かべた。

「……そんなことは無い。静葉の様な可愛らしい女性が恋人であるのならば文句など出ようはずが無い。喜んでつながせてもらうよ」
「……うん……」

 嫌味の無い自然な将志の言葉に、静葉は頬を染めて嬉しそうに笑うのだった。


 * * * * *


「……また随分と直球な口説き文句を吐いたな……」
「きゃはは……将志くん、そう言うところは天然だもんね……」

 将志の静葉に対する言葉を聴いて、藍と愛梨は若干呆れ顔でそう呟いた。
 現在、観察者達は将志達の遥か後方をゆっくりとついてきているのだった。

「しかし、今の静葉の発言はずるいな。今の言葉では、将志に自分が恋人だと言わせたことになるからな」
「キャハハ☆ 静葉ちゃんの技ありだね♪」
「……あんなに楽しそうな姉さん、初めて見た……」

 穣子は双眼鏡で将志と話す静葉の様子を眺めながらそう呟いた。
 双眼鏡越しに見る姉の顔ははにかんだ笑顔で、楽しそうに将志と話をしている。

「穣子ちゃん?」
「姉さんはいつも大人しくて、あまり主張したがらないんだけど……姉さん、ああいうことも言えるのね……」
「恋は人を変えるものさ。お前の姉さんもそうなのだろうさ」

 心底意外と言った様子の穣子に、藍がそう言って声をかける。
 すると穣子は深いため息をついた。

「……なんか羨ましいわ……」
「そう思うのなら、お前も誰かに恋をしてみれば良い。なに、数が少ないとは言え、選択の余地があるほどには男は居るんだ。自分が気に入るような相手が探せば見つかるんじゃないか?」
「……考えておくわ」
「動くのなら早めにな? 何でもそうだが、好機って言うものは待ってはくれないからな」

 藍は穣子にそう言って釘を刺すと、将志の観察に戻った。


 * * * * *


 将志と静葉は山に降り立ち、獣道を歩いていた。
 上を見上げると、まだ夏の色を残した木々が空を覆っていた。

「……紅葉の時期はまだ先か……この辺りは楓や紅葉が多いから楽しみなのだが……」
「……大丈夫……この辺りはきっと綺麗になる……」

 独り言のような将志の言葉に、静葉は静かに言葉を返す。
 それを聞いて、将志は小さく微笑んだ。

「……そうか……では、今から期待して待つとしよう」
「……お弁当……」
「……そうだな……それを見るにはそれに相応しい弁当が要るな。考えてくるとしよう」
「……(わくわく)」

 二人はそう言うと、静かに手を繋いで寄り添って歩く。
 二人の間には、心地の良い沈黙が流れていた。


 * * * * *


「……姉さん、少し押しが弱いんじゃ……」

 二人の間を支配する長い沈黙に、心配になった穣子がそう呟いた。
 それに対して、藍は双眼鏡をのぞきながら別の見解を示した。

「いや、この方針もありだな。強く押しすぎず、相手のペースに合わせて話す手法か……」
「何だか、将志くんも普段より落ち着いてるね♪」

 愛梨は将志の浮かべる穏やかな表情を見て、楽しそうにそう言う。
 しかしその横で、藍は残念そうに首を横に振った。

「だが、この手法は私達には使えないな」
「そうだね……僕も藍ちゃんも、どちらかといえばおしゃべりだもんね♪」
「それって、姉さんに彼を譲るってこと?」

 二人の話を聞いて、穣子がにやけた笑みを浮かべてそう言った。
 すると、二人はそれを聞いて一笑に付した。

「冗談。譲るわけがない。自分のペースで話す場合でも、話題で相手の気を引ければ全く問題はない」
「そうそう♪ 静葉ちゃんが落ち着ける場所を作るんなら、僕達は楽しめる場所を作れば良いのさ♪」
「……あんた達、なかなかに手強そうね……」

 三人はそう言い合うと、また双眼鏡を覗き込んで将志達の観察に戻った。


 * * * * *


「……将志……」
「……む? どうした?」

 突如としてかけられた声に、将志は静葉のほうを向いた。

「……呼んでみただけ……」

 すると静葉は幸せそうな表情でそう言うと、将志の腕を抱くようにして距離をつめる。

「……そうか……」

 それに対して、将志は穏やかな笑みを浮かべて静葉の頭を撫でるのであった。


 * * * * *


「……良い雰囲気ね」
「……ああ。良い雰囲気だな」
「……うん、いい雰囲気だね♪」

 幸せそうな二人を見て、三人の観察者はそう呟く。
 穣子はホッとした表情を浮かべている一方、藍と愛梨は真剣な表情で二人の様子を見ている。
 それに気が付いた穣子は、二人に話しかけた。

「……やけに真剣じゃない。やっぱり取られるのは嫌なのかしら?」
「いや、そうじゃないんだ。将志と良い雰囲気になるのは私達なら簡単なことなんだ。難しいのはここから先だ」
「ここから先?」
「ああ。将志はここから先には自分からは進まない。つまり、将志をその気にさせるのが難しいんだ」
「実はね、僕から抱きしめたりキスしたりしたことはあっても、将志くんからしてもらったことは全然無いんだ……」

 愛梨達はやや暗い声でそう話す。
 それを聞いて、穣子は再び将志のことを観察してみた。
 将志は寄り添ってくる静葉のことを、ただ優しく受け入れていた。

「……確かに、雰囲気的にはそこまで女誑しという風には見えないわね」
「私達が協力している最大の理由がここだ。どうすれば将志の心を動かせるのか。どうすれば恋をし、それを理解させることが出来るのか。この命題を解決するために私達はこうして研究をしているんだ」
「……愛想が尽きたりはしないの?」
「全然!! 将志くんはね、僕達の良いところも悪いところも全部受け入れてくれるんだ♪ 僕達が本音でぶつかっていけば、将志くんはちゃんと本音で返してくれるよ♪」
「それに、釣った魚に餌をやらないかといえばそうでもない。将志は親しくなった相手のことは常に気を配り、真剣に私達のことを考えてくれる。だから将志に愛想が尽きることは無いんだ。少なくとも私はね」

 穣子の問いに愛梨と藍は力強くそう言って返した。
 それを聞いて、穣子は考え込む。

「ふ~ん……それじゃあ、姉さんのことも真面目に考えてくれてるのかしら……」

 穣子はそう言いながら、双眼鏡を将志たちに向けた。


 * * * * *


「……ねえ、将志……」
「……どうした?」
「……恋って何だと思う……?」

 静葉の質問に、将志はその場で立ち止まった。
 眼を閉じて天を仰ぎ、しばらくそのまま考える。
 そして、力なく首を横に振った。

「……分からない。どんな状態になるかは聞いたことがあるが、実際になったことが無いからな……」
「……私は確かめたい……」

 静葉は何かを決心したようにそう言うと、将志から体を離して正面に回りこんだ。
 そして、正面に立つとじっと将志の黒耀の瞳を覗き込んだ。

「……静葉?」
「……口付けが欲しい……」

 静葉は頬を染め、静かにそう呟いた。
 その表情は期待と不安が入り混じった、とても複雑な表情をしていた。
 だが、それが彼女が精一杯勇気を振り絞って出した言葉だということは良く分かった。

「……ふむ……」

 将志は眼を閉じて小さく息を吐くと、静葉に顔を近づけていく。

「……っ……」

 静葉は眼を閉じ、将志の行為を受け入れようとする。
 その直後、将志の唇が静葉に触れた。


 * * * * *


「ねえ、あの男姉さんにキスしたわよね!?」

 穣子は将志を指して興奮気味に残る二人に問いかけた。

「唇ではなく、口元か……ということは、私達はまだ追いつかれただけということか……」
「そうだね……という事は、静葉ちゃんは親友かぁ……」

 しかし、それを見ていた二人の表情は晴れないものであった。
 そんな二人の様子に、穣子は首をかしげた。

「……どういうことよ?」
「さっき将志が言っていただろう? 将志は恋を知らないのだ。将志は恋を知るまで絶対に唇にキスをしない。つまり、今の将志のキスは友好の証だ」
「何よそれ!? ちょっと、あの男どうなってるのよ!?」

 将志の思考を聞いて、穣子は声を荒げる。
 その反応に、愛梨と藍は乾いた笑みを浮かべた。

「きゃはは……それがちょっと色々あってね……あれが普通になっちゃったんだ♪」
「何しろ、日常的にキスを受けていたからな……将志にとって、キスとは身近なものなんだ。まあ、その中でも唇へのキスは特別なものになっているみたいだがな。将志が唇にキスをしたその時は、その相手こそが将志が自信を持って一番だと言える相手ということになるのだ」
「どんな日常よ、それ……」

 将志の日常の様子を聞いて、穣子はげんなりとした表情を浮かべた。
 その横で、愛梨が上着のポケットから懐中時計を取り出して時間を見た。

「あ、藍ちゃん。そろそろ将志くんの休憩時間が終わっちゃうよ」
「そうか、という事は逢引はここまでか……よし、撤収しよう」

 藍達はそう言うと、速やかに撤収していった。

「……競争相手は強敵ぞろいみたいね。頑張ってね、姉さん」

 穣子は届くはずの無い声で静葉にそう言うと、二人に続いてその場を立ち去って行った。

 * * * * *


「……どうして……?」

 将志のキスを受けて、静葉は呆然とした様子で将志に問いかける。
 望んでいた口付けではなく、口元へのキス。
 少し悲しげな瞳を向けてくる静葉に、将志は申し訳なさそうに頭を下げた。

「……すまない。だが、俺は中途半端な気持ちではしたくは無い。それは相手にとって失礼に当たるからだ。俺は恋が何であるか知って、その気持ちをしっかり伝えてから口付けをしたい」
「……そう……」

 つらそうな表情で話す将志に、静葉は小さく返事をした。
 二人の間に沈黙が訪れる。それは先程までの居心地の良いものではなく、どこか気まずい沈黙であった。
 そんな中、将志はふと思いついたように懐中時計を見て口を開いた。

「……静葉。すまないが、そろそろ仕事に戻らねばならん。続きはまた今度で良いか?」
「……うん……今度は、ゆっくり……」
「……ああ、そうだな。今度は休みの日にでもゆっくりと回るとしよう」

 将志はそう言うと、静葉に背を向けて飛び立とうとする。

「……将志……」

 そんな将志に静葉は声をかけた。
 その声に、将志は今一度静葉に向き直る。

「……どうかしたか?」
「……私は待ってる……貴方が誰かに恋をするその時まで……」

 静葉は将志の眼をしっかり見据えてそう言った。
 その言葉には、いつまでも待ち続けるという決意と覚悟が現れていた。
 将志は眼を閉じ、しばらく黙ってその言葉を刻み込む。

「……分かった。心に刻んでおこう。では、な」

 将志はそう言って今度こそ飛び去っていった。
 秋口の涼やかな風が木々を揺らす中、静葉は黙ってそれを見送る。

「……どうか……彼が恋に悩むことが無くなります様に……」

 静葉は将志が飛んでいった方向に向かって静かにそう呟くと、ゆっくりと家路に着いた。
 彼女が去った後には、風で木々がこすれる音だけが残された。




[29218] 銀の月、初出勤
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/08 00:03
「はぁ~……今日からここでも仕事か……」

 全てが紅い館を見上げながら、門の前で白装束の少年がそう呟く。
 視線を降ろしていくと、目の前には暢気に鼻提灯などを膨らましている門番が眼に入った。

「……寝てるし……」

 銀月は収納札から爪楊枝を取り出して、美鈴の鼻を突いた。
 すると鼻提灯が破裂すると同時に美鈴はびくりと身体を震わせて眼を覚ました。

「ふぇ!? な、なんでふか!?」
「……美鈴さん。今の俺じゃなかったら額にナイフ刺さってるぞ……」

 銀月は若干呆れ顔で美鈴に話しかける。
 すると美鈴は何事も無かったかのように銀月に話しかけた。

「あ、銀月さん。検証は終わったんですか?」
「終わったよ。能力の制御もある程度できているし、特に問題は無し、だってさ」
「あ、そうでした。お嬢様が銀月さんが来たら最初に自分のところに来るように言ってましたよ」
「了解。それじゃあ、通してくれるかな?」
「はい、どうぞ」

 美鈴はそう言うと、銀月を門の中に通すのだった。



 紅魔館に入ると、銀月は真っ直ぐにレミリアの部屋へと向かう。
 ドアを四回ノックし、部屋の主の返事を待つ。

「入りなさい」
「失礼いたします。銀月が参りました」

 銀月はドアを開けると、部屋の中に入る。
 するとレミリアが紅茶を飲みながらそれを迎え入れた。

「やっと来たわね。能力の検証にしては随分と長く掛かったじゃない」
「父から用事を承ったりしたものですから。その他にも私用がありました故に、長く掛かり申し訳ございません」
「ふ~ん。まあ良いわ、とにかくお前には今日からここで働いてもらうわよ」
「かしこまりました。では、失礼しまして……」

 銀月はそう言うと、収納札を取り出して中から黒く大きな布を取り出した。
 それを見て、レミリアは怪訝な表情を浮かべた。

「……何をするつもりかしら?」
「ちょっとした余興ですよ。それに、この格好で仕事をする訳にも行きませんからね。それっ」

 銀月はそう言って自信に満ちた笑みを浮かべると、手にした布を一瞬身体を隠すように動かした。
 そして黒い布が翻されると、中からいつもの白装束から真っ赤な執事服に着替えた銀月が立っていた。
 それを見て、レミリアは面白そうに微笑を浮かべた。

「へえ……銀月も手品が出来るのね」
「最高のエンターテイナーの弟子でもありましたから。曲芸師や道化師の真似事もある程度であれば出来ますよ」

 銀月は涼しい表情で応える。
 それを聞いて、レミリアは感嘆のため息をついた。

「本当に多芸ね……銀月、お前の本職はいったい何かしら?」
「私の本職ですか? 目指すところで言えば、役者でございます」

 銀月は自分がなりたいものを素直に告白した。
 すると、レミリアは意外そうな表情を銀月に向けた。

「役者? その割には、戦闘員だの執事だのと随分外れてるじゃない」
「お言葉ですが、役を深く演じるに当たってはその役のことを深く理解することが重要なのです。ですので、演技をするに当たって様々な事を経験することはとても重要なのです」
「成程ね……それなら、ここでは紅魔館の忠実な執事を演じてもらうわ。精々私やフランに忠義を尽くしなさい」
「かしこまりました」

 レミリアの言葉に銀月は恭しく頷く。
 そんな銀月を見て、レミリアは何かを思い出したように頷いて声をかけた。

「ああ、そうそう。仕事に入る前に咲夜に案内してもらいなさい。仕事の割り当てとかは私が指示するよりも現場の声を聞いたほうが早いでしょうから」
「そのようにさせて頂きます。ところで、一つお伺いして宜しいでしょうか?」
「何かしら?」
「私はフランドールお嬢様の付き人となるのですが、私に何かご要望などはありますか?」

 銀月がそう言うと、レミリアは深く考える動作をした。
 それからしばらくして、ゆっくりと口を開いた。

「特にはないけど……そうね、フランが一人前の吸血鬼と自信を持って言える様にして欲しいわ。まあ、お前の思うように動いてくれて構わないわよ」
「かしこまりました。何か指示がお有でしたら遠慮なく申し付けくださいませ」

 銀月が礼をするのを確認すると、レミリアは手元にあったベルを鳴らした。
 ベルは高く透き通った不思議な音色を奏で、その音は辺りに響き渡った。
 その直後、部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。

「入りなさい」

 レミリアが応えると、ドアが開いてメイド服を着た銀髪の女性が中に入ってきた。
 女性は部屋に入ると、主に向かって一礼した。

「失礼いたします。お呼びでしょうか、お嬢様?」
「ええ。ここに居る新しい執事に色々と案内してあげなさい。それから、これから仕事に関しては銀月と相談しながら決めてもらって構わないわ。立場としては咲夜の方が上だから、自由に使ってやってちょうだい」

 レミリアは咲夜にそう言って指示を出す。
 それを受けて、咲夜は礼と共に返事をした。

「かしこまりました。じゃあ銀月、行くわよ」
「宜しくお願いします、メイド長」

 咲夜の呼びかけに銀月は礼をもって応え、その後ろについて行く。

「「失礼いたしました」」

 そして二人は部屋の入り口の前に立つと揃って礼をし、部屋を辞した。
 部屋を出ると、咲夜の先導によって銀月は案内を受ける。

「それにしても……本当にここの執事になったのね」
「ええ。もっとも、ここに至るまでには様々な経緯があったわけですが」

 咲夜はそう言いながら、真っ赤な執事服に身を包んだ銀月を見やった。
 執事服の寸法は完璧であり、生地などもただ宴会で着せるためだけに作られた物とはとても思えないほど上質なものである。
 咲夜はそれが単なる自らが仕えるお嬢様の意地なのか、最初から銀月をここに仕えさせる気だったのかのどちらなのか考えようとした。
 が、そんなことはどうでも良いことだと思い思考を切った。

「……どういう経緯があったかは知らないけど、私は貴方を歓迎するわ。これから宜しくね、銀月」
「はい、こちらこそ宜しくお願いします、咲夜さん」

 挨拶をする咲夜に、銀月は恭しく礼をする。
 それを見て、咲夜は苦笑いを浮かべた。

「そんなにかしこまることは無いわよ。同僚なんだし、もう少し気楽でいいわ」
「同僚と言えど、上司です。目上の者は敬うべきだと思いますが……」
「私の居心地が悪いのよ。二人の時は普段と同じ話し方で頼むわ」
「……上司の君がそう言うんなら、そうさせてもらうよ」

 二人は話をしながら廊下を歩く。
 そして地下室の階段の隣にある部屋の前に立ち止まると、咲夜は鍵を取り出して部屋のドアを開けた。
 その部屋は中で槍を振り回しても平気なほど広い部屋で、中にはキングサイズのベッドに肘掛に彫刻が施されたソファー等、数々の調度品が並べられていた。
 銀月は何か特別な部屋なのだろうかと思いながら辺りを見回した。

「ここが銀月の部屋よ。私物とかはこの部屋に置いておくと良いし、泊まる時はこの部屋を使ってもらえれば良いわ」

 そんな銀月に、咲夜は対してあっさりとそう言った。
 その自身に対する破格の待遇を聞いて、銀月は眼を丸くした。

「え、良いのかい? 随分と広い部屋だけど……」
「良いのよ。これはお嬢様の指示なのだから、私達がどうこう言えるものでもないわ。それに、私もこれと同じくらいの部屋を使わせてもらってるし」
「……そういうことでしたら、ありがたく使わせて頂きます」

 思わず敬語になり、深々と頭を下げる銀月。
 その様子からかなり動揺していることが見て取れた。
 そんな銀月に思わずにやけながら、咲夜は話を続けた。

「それで仕事についてだけど、銀月には主に料理や掃除を任せることになると思うわ」
「それで良いのかい? 突然料理の味が変わってしまっては、何かしら不都合があるんじゃないかと思うんだけど」
「大丈夫よ。吸血鬼の主食は血よ? 貴方が作る料理を食べるのはお嬢様やフランドール様には娯楽みたいなものなんだから、そんなに気を使う必要はないわ」
「じゃあ、してはいけない事なんかはある?」
「分かっているでしょうけど、洗濯だけは必ず私がやるわ。あと、お嬢様の部屋の掃除も私の仕事だからしなくていいわ」
「了解。やっぱり、普通はそうなんだよね……」

 銀月は意味ありげにそう呟くと、黙り込んでしまった。
 その様子を見て、咲夜はキョトンとした表情で首を傾げた。

「どうかしたの?」
「うちってさ……何でか知らないけど、洗濯は父さんの仕事なんだよね……」
「え……? ちょっと、それ誰も文句言わないの?」

 銀月の言葉に、信じられないといった表情で咲夜はそう言った。
 それを聞いて、銀月は興奮した様子で咲夜に詰め寄った。

「そうだよね? 普通、女の人は男に下着とか洗われたくないよね!? あの霊夢ですら洗濯だけは自分でやるし……でも、うちじゃあ誰も文句言わないんだよ……ねえ、咲夜さん……これを変に思う俺は変なのかなぁ?」

 不安げな瞳で、縋るような上目遣いでそう問いかけてくる銀月。
 その銀月の両肩に、咲夜は優しく手を置いて微笑みかけた。

「……安心して。貴方は間違いなく正常よ。私が保証してあげるわ」
「そっか……良かった……」

 銀月はそう言って安堵の表情を浮かべた。同時に漏れ出したため息は大きなものであり、心底安心したようであった。力が抜けて、頭が下がる。
 すると咲夜は、おもむろに銀月の頭を撫でだした。

「……あの、咲夜さん? 何してるんです?」
「いえ、ちょうど良い位置に頭があったから何となくよ」

 間の抜けた声で問いかけてくる銀月に、咲夜は頭を撫でながらそう答える。

「……銀月。貴方撫で心地が良いわね」
「……そんなこと言われたのは初めてだよ」

 静かに流れる時間。その間、咲夜は銀月の頭を黙々と撫で続ける。

「あの~……いつまで撫でてるんです?」
「あら、ごめんなさい。あんまり撫で心地が良いものだからつい……」

 困ったように話しかける銀月に、咲夜はハッとした表情でそう答えて手を離した。
 そして、それを誤魔化すように次の用件を口にした。

「ああそうだ、妖精メイドについてだけど、サボっていたりしたら容赦しなくていいから」
「つまり、注意をすれば良いんだね? 了解したよ」
「ちなみにサボり魔筆頭は美鈴だから、その辺りのことも頭に入れておいて」
「……美鈴さん……門番がそれで良いんですか……」

 咲夜が告げる紅魔館の使用人の実体に、銀月は顔に手を当ててため息をついた。
 そして一しきりため息をつくと、気になったことを咲夜に質問した。

「ところで、しっかり働いているメイド妖精にご褒美を与えることはしても良いのかい?」
「それは構わないと思うけど……あまりやりすぎてもダメよ?」
「わかってるよ。それで、何か他に言うことはある?」
「今のところは特にないわ」
「OK、わかった。それじゃ、お嬢様のところへ挨拶に行ってくるよ」

 銀月はそう言うと部屋から出て行こうとする。
 すると咲夜はキョトンとした表情で銀月に問いかけた。

「あら? お嬢様なら一番最初に挨拶したんじゃないの?」
「いや、俺のお嬢様はレミリア様ではなく、フランドールお嬢様だよ。では、失礼いたします」

 そういうと、銀月は部屋を出て隣にある地下室への階段を下り始めた。
 長い螺旋階段を下り、現れた重厚な扉をノックする。

「誰?」

 すると中から幼さを残した少女の声が聞こえてきた。
 その声に対して、銀月は事務的な口調で声をかけた。

「本日より貴女様の付き人をさせていただく、銀月と申す者です。宜しければ、中に入らせていただけますか?」
「……うん、いいよ」
「失礼いたします」

 中からの声に答えて銀月は扉を開けて中に入る。
 部屋の中は薄暗く、蝋燭の火によってぼんやりと照らし出されている。
 そんな中で、枝に色とりどりの宝石を吊り下げた様な翼を持った小さな少女が異様に緊張した面持ちで立っていた。

「銀月……」
「如何いたしましたか?」
「あ、あの、これ、受け取って!」

 フランドールはそう言うと小さな木箱を取り出した。
 その木箱は手のひらに乗るような大きさの桐の箱であった。
 唐突に差し出されて、銀月はキョトンとした表情で首を傾げた。

「はい?」
「えっと、どうしても渡したいものなの! お願いだから受け取って!」

 フランドールは必死な表情で銀月に木箱を差し出す。どうやら何が何でも渡したいもののようであるが、何かにおびえているようにも見える。
 そんな彼女の真意は分からなかったが、銀月は頷いた。

「かしこまりました。では、受け取らせていただきます」

 銀月はフランドールから木箱を受け取ると、ジャケットの内ポケットにしまおうとした。
 すると、そんな銀月にフランドールが緊張した様子で声をかけた。

「……ねえ、開けてみて」
「? かしこまりました……」

 銀月は怪訝な表情で木箱の蓋を開けた。
 すると、中には白い絹の布に包まれたものが出てきた。
 そしてその布を避けて中身を取り出すと、そこには銀色のカードの束があった。
 その中から一番上の一枚をめくって見ると、そこには愚者の絵が描かれていた。

「これは……タロットカードですか?」
「うん……銀月なら、これを使いこなせると思って……」

 カードを確認しながら質問をする銀月に、フランドールは固い声で答えを返す。
 そのタロットカードは大アルカナ、コート、小アルカナのカードが揃っており、触ると金属質なひんやりとした感触が伝わってきた。

「……このカードは銀で出来ていますね?」
「……うん、そうだよ……」

 先程の愚者のカードを握った銀月の言葉に、フランドールは震える声で返事をした。
 その表情は若干蒼ざめており、明らかにおびえたものになっていた。
 そんなフランドールに、銀月は眼を伏せて小さく息を吐いた。

「……お嬢様」
「……っ!!」

 次の瞬間暗い部屋を一条の銀の光が鋭く走り、銀月は手にした銀のタロットをフランドールの首に突きつけていた。
 フランドールは銀月のその行動に思わず身をすくめる。しかし、すぐに眼を開いて銀月の眼を見つめ返した。
 その先には、無表情で冷たい眼をした銀月の顔があった。

「幾らなんでも軽率すぎます。前にも話したとおり、私が貴女に持っている感情はマイナスです。それに、私がただの札で相手を殺しうることもご存知のはず。私がこのカードで貴女の首を狙うとは考えなかったのですか?」
「……私は銀月と対等な立場で話がしたい。あの時みたいに私達吸血鬼が力を振りかざして、貴方がそれに従うのは嫌。私が銀月の命を握っているのなら、銀月も私の命を握ってよ」
「……たったそれだけのために、お嬢様は私に命を預けられるのですか?」
「うん……だって、従者を信用できないならご主人様になんてなれないもの」

 咎める様な銀月の言葉に、フランドールはその眼をしっかりと見つめながら言葉を返した。
 その声色は恐怖を感じて震えながらも、確かな意志が感じられる力強い声であった。
 それを聞いて、銀月は突きつけた銀のタロットを納めた。

「……分かりました。そういうことであれば、この銀のタロットはありがたく受け取らせていただきます。……貴女の覚悟、確かに受け取らせていただきました」
「うん。ありがとう」
「ですが、もうこんな無茶はしないでください。私の主になるのであれば、命を大切になさってください」

 銀月は懇願するような眼でフランドールにそう語りかけた。
 その視線には好意的なものはあまり含まれて居ないものの、強い尊敬の念が込められていた。

「そうするわ。だって、本当はすっごく怖かったもの」
「そうですか……では、私に何なりと罰を与えてください」

 銀月は突然フランドールに跪き、深く頭を垂れた。
 そんな銀月に、フランドールは眼を白黒させた。

「え、何で?」
「幾らお嬢様を諌めるためとは言え、私は自らの主を脅すようなことをしたのです。それに、私には身代わりの札があります。そして、恥ずかしながら私にはそれを手放す勇気がありません……私は自らの命惜しさに、命を賭けて対等に立とうとしたお嬢様の気持ちに応える事が出来ないのです。主の覚悟を無碍にする従者など、罰を受けるのが当然だとは思いませんか? どうか、私めに罰をお与えください」

 そう話す銀月の声は苦しげで、絞り出すような声であった。
 何故ならフランドールの覚悟は、自らの命に執着する銀月には絶対に出来ないものであったからである。
 そして、それに応えられない自分を銀月は深く恥じ入っているようであった。

「それって、私のいう事を何でも聞くって事?」
「そう取っていただいても構いません。今のお嬢様であれば、私の命を取るようなことはしないと信じておりますので」

 頭を下げたまま、銀月はそう話す。
 それを聞いて、フランドールは小さく深呼吸をした

「……それじゃあ、しばらく私のことを抱きしめてくれる? 本当のことを言うとね、まだ怖くて震えそうなの」

 おずおずとした口調でフランドールは銀月に語りかける。
 それを聞いて、銀月は静かに顔を上げた。

「……それは、私で宜しいのですか? 私自身がその恐怖の原因であるのですが……」
「さっきも言ったでしょ……従者を信じられないと主にはなれないって」

 怪訝な表情を浮かべる銀月の頬を包み込むように小さな手を添えて、フランドールは優しい声でそう言った。
 それを聞いて、銀月は再び頭を下げた。

「かしこまりました。それでは、失礼いたします」

 銀月はそう言うと、フランドールの小さな身体をそっと抱きしめた。
 フランドールはそれを黙って受け入れ、銀月の暖かさに心地よさそうに眼を細める。

「……何だか、銀月って甘くていい匂いがするね」
「報告によると、翠眼の悪魔はその美しい瞳と甘い匂いで妖怪を誘い、自らの餌食にしたと聞きます。私は見た目よりも危険ですよ?」

 フランドールの言葉に、銀月はわずかに意地の悪い口調でそう警告した。
 それを聞いて、フランドールは不機嫌そうに頬を膨らませた。

「むぅ……そんな意地悪なこと言わないでよ……」
「それは失礼いたしました」

 拗ねたような声のフランドールに、銀月は少しも悪びれない平坦な声で答えを返した。
 再び訪れる静寂。その心地良い沈黙の中、フランドールが思いついたように声をかけた。

「ねえ、銀月って魔法使えるよね? ちょっと見てみたいな」
「魔法、と言うよりは陰陽道なのですが……それでも宜しければ」
「あんまり変わらない気もするけどなぁ? じゃあ、それでお願い」
「かしこまりました。それでは、少々お待ちください。準備いたしますので」

 銀月はそう言うとタロットカードの一枚を手に取り、おもむろに自分の手のひらに滑らせた。 
 傷口からは血が溢れ出し、手のひらに溜まっていく。
 銀月はその手をタロットカードの束に被せた。

「…………」

 銀月は聞こえないような小さな声で何かを唱える。
 すると銀月の血がどんどんタロットカードの束を包み込んでいき、全体が真っ赤に染まった。
 そしてしばらくすると血は段々とカードに吸い込まれていき、元の銀色の束に戻った。

「……終わりましたね」

 銀月はそう言うとタロットカードの束から手を離す。
 すると、銀一色だったカードの背に真っ赤な三日月のマークが浮かび上がっていた。
 確認してみると、全てのタロットに赤い三日月が描かれていた。

「何をしたの、銀月?」
「タロットに私の血を馴染ませて、私が持ち主であると言うことを刻み込んだのです。それを証拠に……」

 銀月はそう言うと、タロットカードを辺りに撒いた。
 七十八枚のタロットカードは部屋中に散らばり、バラバラになった。

「ふっ……」

 そして銀月が軽く念じると、全てのカードが銀月の意思に応えて宙に浮かび上がった。

「うわぁ、これ全部銀月の思い通りに動かせるの?」
「流石にこれ全部を自分の思い通りに動かすのは頭が追いつきません。自由に動かせるのはごく少数です。ですが、単純な動きや決められた形に動かしたりすることなら出来ますよ。こんな感じで」

 銀月はそう言うと、宙に浮かんだカードを動かして並び替える。
 そして、そのカードを光らせてカード同士を銀色の光の線で繋いでいった。

「これなあに?」
「これはオリオン座ですよ……って、そうでした。そういえばお嬢様は外に出られたことがないので、本物をご覧になったことが無いのでしたね。少々お待ちください」

 銀月はそう言うと、収納札から大量の札を取り出した。
 そしてそれを、宙に向かって振りまいた。

「はぁぁぁぁ……」

 銀月は眼を閉じて、深く念じた。
 すると大量の札は次々と宙に浮かび銀色の光を放ち始め、周囲の札と線で繋がっていく。

「わぁ……」

 しばらくすると、薄暗い地下室の天井に満天の星々が広がった。星々は線でつながれ、星座を形作っている。プラネタリウムの完成である。
 フランドールはその銀瑠璃の星々を見て感嘆の声を上げた。

「ふぅ……こんなところですか……」

 銀月は出来上がったプラネタリウムを見て、大きく息を吐き出した。
 大量の札を一気に動かして力を消耗しているため、銀月は激しい疲労感に襲われる。
 それをこらえて、銀月はフランドールに話しかけた。

「いかがですか、お嬢様? 簡易的に夜空の星々を再現して見たのですが……」
「綺麗だね……ねえ、夜空ってこんなに綺麗なの?」
「本物はもっと綺麗だと思いますよ? 星の数もこんなものではありませんし、運が良ければ流れ星なども見ることが出来ますよ」

 銀月がそう言うと、フランドールは少し考えて質問をした。

「流れ星かぁ……ねえ、緑色の流れ星って見られるの?」
「緑色の流れ星ですか? ……申し訳ありませんが、私はその様なものは見た事も聞いた事もありませんね。それがどうかしたのですか?」
「私は見た事あるんだけどね、すっごく綺麗だったのよ。あれよりも綺麗なものなんて無いって思うくらい綺麗だったわ」

 フランドールは若干熱のこもった視線で銀月の眼を見ながらそう話した。
 彼女の手は固く握り締められており、力の入れすぎで震えていた。
 それは、前に見た翠の流れ星を見たいという気持ちを押し留めているためのものであった。
 どうやらフランドールは悪魔の翠眼に魅せられてしまっている様であった。
 そんな彼女の様子に気付かずに、銀月は答えを返す。

「そうですか……それは一度見てみたいものですね」
「うん、いつか見られると良いね」

 銀月の言葉にフランドールはそう言って頷く。

「……お嬢様、申し訳ございませんが椅子に腰掛ける許可をください。この数の札に力を使い続けるのは少々疲れますので……」
「うん、いいよ」
「では失礼します」

 銀月は許可を得ると近くにあったロッキングチェアに腰をかけた。
 すると、その後を追うようにしてフランドールが銀月の膝の上に座った。

「お嬢様?」
「……これから宜しくね、銀月」

 フランドールは銀月に寄りかかりながら、柔らかな笑みを浮かべてそう言った。

「……はい。宜しくお願いします、お嬢様」

 それに対して、銀月は静かに答えを返した。
 それからしばらくの間、フランドールは銀月の膝の上で説明を受けながら天体観測を楽しんだ。
 そして部屋の柱時計が六回鐘を鳴らすと、銀月はフランドールに声を掛けた。

「さて、お嬢様。私は食事の用意があるのですが、宜しいでしょうか?」
「うん、いいよ。晩ごはん、楽しみに待ってるからね」

 フランドールはそう言うと銀月の膝の上から立ち上がる。
 銀月もそれに続けて立ち上がり、両手を広げる。
 すると仮初めの夜空を飾っていた星達が次々と銀月の手のひらに集まってきた。
 そして手のひらに集まった札をしまって銀のタロットを懐にしまうと、フランドールに向けて礼をした。

「かしこまりました。お嬢様のために、腕によりをかけて作らせていただきます。では、失礼いたします」

 銀月はそう言ってフランドールの部屋を辞した。



 長い螺旋階段を登って元の廊下に出ると、何やら激しい物音が聞こえてきた。
 それはまるで廊下で何かが暴れまわっているような音であった。

「……何の音だ……っ!?」

 首をかしげる銀月の前を何かがすっ飛んでいく。
 それが何かを確認する前に、横から声を掛けられた。

「あ、見つけた!!」

 その銀月にとって良く聞きなれた声の持ち主は、銀月を見つけて笑顔で軽やかな足取りで銀月に近寄ってくる。
 その人物を見て、銀月は額に手を当ててため息をついた。

「……霊夢さん? あの、こんなところで何をしてるのですか?」
「あんたの帰りが遅いから迎えに来たのよ」
「お迎えですか? それには少々早い気もしますが……」
「ちょっと銀月、私に対して敬語使うのやめなさいよ。調子が狂うわ」

 霊夢は銀月の執事服の袖を掴んで引っ張る。どうやら一刻も早く銀月を連れて帰りたいようである。
 そんな霊夢に、銀月は頭を抱える。

「……あのね、まだ俺仕事中なんだけど……」
「え~……私、お腹空いたんだけど……」

 霊夢は心底残念そうな表情でそう言いながら、銀月の袖をくいくいと引く。
 その訴えかけるような視線を受けて、銀月は再び大きくため息をついた。

「はあ……しょうがないなぁ……今から軽く食べられるもの作ってあげるから、休憩時間まで待っててよ」
「休憩って何時から何時までよ?」
「お嬢様達が食事を終わってからだから……大体七時半から九時半くらいかな?」
「それじゃあ、ご飯食べられるの遅くなるじゃない」

 霊夢は銀月の袖を引っ張りながら不満げな表情を浮かべる。
 それに対して銀月は苦笑する。

「大丈夫だよ、なるべく早く食べられるように下ごしらえはしてきたからさ」
「そう。それじゃあ、台所に行きましょ」
「その前にちょっと待って。少しやることがあるからさ」
「そう。じゃあ、少しずつ歩いてるわよ」

 霊夢はそう言うと廊下を歩いていった。
 銀月はそれを見送ると、先程物が飛んでいった方向へと駆け足で向かった。
 するとそこには、蝙蝠の翼を背中に持つ小さな少女が倒れていた。

「……ご無事ですか、レミリア様?」
「うー……何なのよ、あの巫女は……」

 レミリアは眼に涙を浮かべてそう言いながら、ゆっくりと身体を起こす。
 派手にやられたのか、衣服にもかなりのダメージがあり、かなりボロボロの状態であった。
 そんなレミリアに、銀月は首を横に振った。

「彼女は自分の欲望に忠実ですからね……空腹に耐え切れなくなってここに来たのでしょう」
「ちょっと、精神修行が足りないんじゃないの!? 巫女ならそういう修行もするんでしょう!?」

 レミリアは癇癪を起こして地団駄を踏みながら銀月に訴えた。
 しかしそれに対して銀月は再び首を横に振った。

「していないと思いますよ。霊夢は修行は無駄だと思っている様ですし、昔から何かに努力することなんてほとんどありませんでしたから」
「……そういえば、まだお前と霊夢の関係を聞いてなかったわね。銀月を迎えに来たって言ってたけど、いったいどういう関係なの?」

 レミリアはふと冷静になって銀月にそう問いかけた。自分がやられる原因となったので、その眼はじとっとしたものである。
 そんなレミリアに、銀月は少し考えて答えた。

「そうですね……幼馴染と言う言葉が一番合うでしょうか。昔からよく霊夢には食事を作っていましたし」
「待って、幼馴染で昔から食事を作っていたですって?」
「はい。霊夢には料理の味見役を頼んでいましたから。空腹を覚える時間帯になったら、大体何か作っていましたね」

 銀月はレミリアに霊夢との関係を簡潔に説明する。
 それを聞くと、レミリアは俯いてわなわなと震え始めた。

「……成程……つまり、お前が悪いのね」
「……はい?」
「お前が甘やかすから霊夢がああなったって言ってるのよ!!」

 首をかしげる銀月に、レミリアの怒りが大爆発した。
 流石にああまで理不尽な理由でやっつけられて腹に据えかねていたようである。
 そんなレミリアに、銀月は罰が悪そうに答えを返す。

「……だって、放って置けませんでしたし……」
「だってもくそも無いわよ! お前がもう少しきちんと管理をしておけばこんなことには……」
「ちょっと、いつまで待たせるのよ銀月。何か作ってくれるんじゃなかったの?」

 レミリアが銀月を叱り付けているところに、霊夢が割り込んでくる。
 袖を引っ張られて、銀月はまたため息をつく。

「分かったからちょっと待ってってば。雇い主と話すほうが優先されるんだからもう少し待って」
「別にクビになる訳じゃないんだから良いでしょ? それよりもお腹減ったわ」
「ちょっと! 私とうちの執事が喋ってるんだから口出ししないでちょうだい!」

 傍若無人な巫女に対して、レミリアは苛立った様子で怒鳴り散らす。
 しかし霊夢はそれに怯むことなく言葉を返した。

「ここの執事の前に家の食事係よ。だから私と話をしても問題ないわ。第一、私は銀月のお父さんに公認を受けているのよ?」
「……こっちだって将志公認で執事をやってもらってるわよ。それに、重要度としてはこっちの方が高いわ。さあ、大人しく家にお帰り!」

 レミリアは深呼吸し、自分を落ち着かせてから霊夢にそう言い放った。
 それを聞いて、霊夢はむっとした表情を浮かべた。

「何よ、それじゃあ私が餓死しても良いって言うの?」
「大げさなことを言うんじゃないわよ。人間一週間は何も食べなくても生きられるって聞いたわよ?」
「……喧嘩売ってるの? それは私に一週間何も食べるなって言ってる訳?」
「そんなこと言ってないでしょう。あんたいちいち大げさに取りすぎよ」

 互いに睨み合いながら口論を続ける二人。
 そんな彼女達の間に、銀月は額に手を当てながら割り込んだ。

「……二人とも、ストップ。霊夢、ここで口論しても俺の仕事が遅くなって休憩時間が減るだけだからやめたほうが良いぞ?」
「……それもそうね」
「レミリア様、食事の時間が差し迫っておりますので、そちらの作業に移らせて頂きたいのですが宜しいですか?」
「……仕方ないわね。お前には後でじっくりと話をさせてもらうわ」

 銀月の仲裁で、二人は不承不承ながらもお互いの矛を収めた。
 それを見て、銀月は一つ頷いた。

「それでは、これより調理に取り掛からせていただきます」
「ええ。期待して待っているわ」

 レミリアの返答に一礼すると、銀月は調理場に向けて歩き出す。
 その横を霊夢がピッタリとついて行く。

「あ、霊夢。都合上洋食になるけど構わないかい?」
「別に良いわよ」

 途中銀月が思い出したかのように質問をすると、霊夢は笑顔でそれに答える。

「……だから、何でそこで甘やかすのよ……」

 そしてその様子を見て、レミリアはがっくりと肩を落すのであった。



[29218] 銀の月、挑戦する
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/08 00:12
「……」

 ある朝、霊夢は台所に着いた瞬間絶句して立ち尽くした。

「ふんふふんふんふ~ん♪」

 台所から聞こえてくる、楽しそうな鼻歌。
 しかし、その声は涼やかな少年の声ではなく、透き通った少女の声である。
 その声の主に眼を向けると、そこには肩まで伸びた赤毛を緑色のリボンでサイドポニーに結わえた少女が立っていた。

「あ、霊夢ちゃん、おはよう! 朝ごはん出来てるから、一緒に食べよ♪」

 少女はにこやかに笑いながら霊夢にそう声をかける。
 彼女は掛けていたフリル付きのピンクのエプロンを取って、霊夢が普段座っている場所の対面に座った。

「……あんた、誰?」

 訳が分からず、霊夢は呆然とした表情でそう問いかける。
 すると少女は人懐っこい笑みを浮かべた。

「にゃはは、それは後で話すよ。それよりも、ご飯冷めちゃうから早く食べよ♪」
「質問に答えるのが先よ。あんたはどこの誰? それから銀月はどこ?」
「まま、いいからいいから♪ それも朝ごはんの後に全部話してあげるよ」

 憮然とした表情の霊夢に、少女は全く動じずに笑みを崩さない。
 霊夢はしばらく少女を眺めていたが、そのうち食卓に着いた。

「ちゃんと説明してもらうわよ」
「うん、分かってるよ。じゃあ、いただきます!」

 底抜けに明るい少女が号令を掛けると、二人は食事を始めた。
 霊夢は味噌汁に手を伸ばし、口をつける。

「……なるほど、そう言うことね」
「ほえ? どうかしたの、霊夢ちゃん?」

 何かを悟ったような霊夢のつぶやきに、少女はこてんと首をかしげる。
 それを見て、霊夢は盛大にため息をついた。

「どうかしたの、じゃないわよ。あんた何をやってるのよ、銀月?」
「ほえほえ?」

 霊夢は呆れ顔で目の前の赤毛の少女を眺める。
 少女は眼をぱちくりと瞬かせ、霊夢を見つめ返していた。

「とぼけても無駄よ。お味噌汁の味が普段と一緒。これを作れるのは銀月しかいないわ。さあ、観念して白状しなさい」
「……にゃはは、話す前にばれちゃったか……」

 霊夢の指摘に、少女はそう言って苦笑いを浮かべた。
 つまり、少女は銀月の変装だったのだ。
 現在の銀月の服装は、白いブラウスに黄緑色の長袖のカーディガンにラピスラズリのタイ、フリルの着いたひざ上位の長さの水色のスカートに黒いサイハイソックスといった格好である。
 そんな出で立ちの銀月に、霊夢は首をかしげた。

「何たってそんな格好をしてるのよ?」
「それがね、ちょっとした挑戦状みたいなものが届いてね……だから、私はそれに受けてたつことにしたの」
「挑戦状?」
「そ。愛梨お姉ちゃんから私宛の小包の中にね、衣装が入ってたの。お姉ちゃんは私が役者さんになりたいって知ってたから、きっと練習の機会をくれたんだわ♪」

 銀月は楽しそうに笑いながらそう話す。それはまるではしゃいでいる様であり、普段の冷静な銀月とはどこか違う。
 その様子に、霊夢は疲れた表情でため息をついた。

「……どうでも良いけど、私と話すときくらい普通にしててくれる? 正体を知っているとすごく違和感があるわ……」
「え~? でも、この格好で普段の話し方じゃもっと違和感あると思うよ~?」
「……なら、せめて別の服に着替えてきなさいよ。男物もあるんでしょ?」
「ん~ん。無かったよ?」

 霊夢の問いに銀月はのんきな声でそう言って首を横に振る。
 すると霊夢はがっくりと肩を落とした。

「……何でよ」
「分かんない……お姉ちゃんの趣味かなぁ?」
「それで、今日一日それで過ごす気?」
「えっと、もう一つ衣装があったから、そっちも今日着ちゃおうって思ってるの」
「…………」

 銀月が答えていると、霊夢が自分の顔をじっと眺めている事に気がついた。
 どことなくじとっとした視線を受けて、銀月は言葉を詰まらせた。

「ほ、ほえ? 霊夢ちゃん、私の顔に何かついてる?」
「……何気に可愛いのがあれよね……」

 霊夢はそう言いながら銀月の顔を眺める。
 元より中性的で整った顔立ちの銀月である。このような女装をしてもあまり違和感がない。
 更に銀月は自分の手で可愛らしい女性のように見える様に手を加えているため、なおの事そう感じるのであった。
 何やら複雑な表情を浮かべる霊夢に、銀月は困ったような笑みを浮かべた。

「にゃはは……それは女の子っぽく見えるお化粧してるからね……」
「どこで覚えたのよ、そんなこと……」
「愛梨お姉ちゃんが教えてくれたの。私なら男の子も女の子もどっちも行けるんじゃないかって言ってたからね」

 呆れ顔の霊夢に銀月は笑顔を崩さずそう言って答える。
 それを聞いて一つため息をつくと、霊夢は銀月に質問を重ねた。

「ところで、あんたの受け取った挑戦状はどうすればあんたの勝ちになるわけ?」
「一日その人物になりきれれば私の勝ちかな? 役者さんの修行にはちょうど良いと思うの」
「じゃあ、今どんなキャラなのよ?」
「明るくて人懐っこい女の子よ。でも、ただの女の子じゃないよ」

 霊夢の質問に、銀月は服装から想像した役を演じながら、明るく楽しげに答えていく。
 それはまるで最初からそう言うキャラクターであったかのようで、言われなければ元が別人だとは分かりそうになかった。
 そんな中、神社の境内に降り立つ人影が現れた。

「よお、霊夢! 遊びに来たぜ!」

 箒に乗って舞い降りた金色の髪の少女は霊夢にそう言って話しかけた。
 そんな彼女に、霊夢は面倒くさそうな表情を浮かべた。

「こんな朝っぱらから何しようってのよ。こっちは今少しややこしいことになってるのに……」
「ややこしいことって何だ?」
「あれよ、あれ」
「あれ?」

 霊夢が指した方向を、魔理沙は怪訝な表情で見た。

「おはよ~、魔理沙ちゃん! こんな早くにどうしたの?」

 すると、人懐っこい笑みを浮かべた元気な少女が挨拶をしてきた。
 その見覚えのない容姿に、魔理沙は思わず呆然と立ち尽くした。

「……いや、誰だよお前……」
「にゃはは、魔理沙ちゃんの友達だよ?」
「な、何言ってんだよ、私はお前のことなんて知らないぜ?」
「むぐぅ……魔理沙ちゃんが冷たい……」

 混乱している魔理沙の言葉に、銀月は不満げに頬をぷくっと膨らませた。
 そんな銀月に、霊夢が呆れ顔で声をかけた。

「馬鹿な事言ってないでさっさと……」
「ダメだよ♪ そう言う話は私が満足してからね♪」

 霊夢の言葉に、銀月はそう言って笑いながら唇に人差し指を当てた。
 そんな銀月に魔理沙は苛立たしげにがしがしと頭をかいた。

「だぁ~! 満足とかじゃなくて、お前は誰なんだよ!?」
「……さっきから騒がしいが、どうしたんだよ、魔理沙?」

 魔理沙が叫ぶと同時に、その隣に金色の髪にジーンズと白いシャツに黒いジャケットと言った出で立ちの少年が降り立った。
 すると銀月はその少年に満面の笑みを浮かべて挨拶をした。

「あ、ギル君、おはよ~! やっぱり魔理沙ちゃんと一緒に来てたんだね!」
「あぁ? 誰だ、テメ……」

 ギルバートはそこまで言うと、目の前の赤毛の少女を呆然と眺めた。
 そして一気に近づいてその肩を抱き、一団から少し離れた。

「どうしたの?」
「……どうしたの、じゃねえだろおい。何やってんだよ、銀月……」

 ギルバートは呆れ顔で、相手にしか聞こえない声で銀月にそう話しかける。
 すると銀月は困ったような表情で可愛らしく舌を出した。

「あれ、もう分かっちゃった?」
「当たり前だ、人狼の嗅覚舐めんな。匂いを嗅げば一発で分かる」

 ギルバートのその言葉を聴いて、銀月は両手で胸を押さえるようにして後ろに引いた。

「……女の子の匂いを嗅ぐなんて、やだ、エッチ……あいたぁ!?」
「何ふざけた事抜かしてんだ、こら! それ以前にお前は男だろ!」

 恥らうような銀月の言葉に、ギルバートはそう言いながら頭に拳を振り下ろした。
 すると今度は、銀月は凍りついた表情で先程よりも強く引いた。

「……まさか、そっちの趣味?」
「……死にたいか?」

 ギルバートはそう言いながら握りこぶしに黄金の魔力を溜める。
 それを見て、銀月は乾いた笑みを浮かべた。

「にゃはは……ごめんね、ちょっとふざけすぎちゃった。それで、今日はどうしたの?」
「その前に、お前がどうした。何なんだよ、その格好は?」
「まあ、ちょっとした事情があるんだよ。霊夢にはもう話したけどね」
「……それで、魔理沙にはまだ黙ってるつもりか?」
「……そうさせるつもりでこうしたくせに……」
「流石だ、兄弟。よく分かってるな」

 銀月とギルバートはそう言って、肩を抱き合ったままにやりと笑う。
 そんな二人に、後ろから待ちくたびれたような少し苛立った声が聞こえてきた。

「おい、いつまで話してんだよ、ギル!」
「おっと、悪いな。ちっとこいつと二人で話がしたかったからな」

 ギルバートはそう言いながら、自分より少し背の低い銀月の頭に手を置いた。
 それを見て、魔理沙は怪訝な表情を浮かべた。

「何だよ、ギルの知り合いか?」
「まあ、そんなところだ。な、アーシェ?」
「そうだね、ギル君♪」

 とっさにギルバートがつけた名前にも銀月は即座に対応する。
 それを見て、魔理沙は首をかしげた。

「それで私の友達ねぇ……アーシェなんて奴いたっけかなぁ?」
「いたよ~……随分昔に会ったじゃない」

 困り顔の魔理沙に、銀月は拗ねた様な表情を見せた。
 どうやら、魔理沙は目の前の少女の正体に気がついていない様子である。

「そうだっけ? まあいいや、忘れてたらまた仲良くなれば良いんだよな!」
「うん、そうだね♪」

 開き直る魔理沙に、銀月は再び人懐っこい笑みを浮かべた。

「それで、アーシェは何でここに居るんだ?」
「霊夢ちゃんと一緒に住んでるんだよ」
「マジでか? おい霊夢、本当か?」
「ええ、本当よ。つい最近引っ越してきたばかりだけどね」

 魔理沙の質問に霊夢は頷く。中身は銀月なので、特に嘘は言っていない。
 それを聞いて魔理沙は羨ましそうにアーシェこと銀月を見た。

「へぇ……良いなあ、ここ執事付きだろ? 銀月って奴」
「あ、銀月君と知り合いなの? 私ね、いつも銀月君と一緒にご飯作ってるんだ♪」

 銀月はあたかも自分が銀月とは別人物であるようにそう言った。
 それを聞いて、魔理沙は霊夢にジト眼を送った。

「おい霊夢。お前も少しは見習ったらどうだ? 銀月に任せっぱなしじゃなくてさ」
「大きなお世話よ。出来る人がやった方が効率が良いじゃない」
「にゃはは……教えてあげたくても、本人にやる気が無いんじゃあねえ……」

 霊夢の発言に、銀月は困ったような笑みを浮かべて頬をかいた。
 するとその発言に合わせるように、魔理沙がため息をついた。

「というか、銀月も銀月だぜ。ちっとばかし霊夢を甘やかし過ぎんだよな。あいつもの凄い世話好きだしな」
「良いじゃない、本人が満足してるんだから。私も満足してるんだし、変える必要なんて無いわ」
「にしたって、紅魔館に行ってまでそれをやるのはやりすぎだろ。この前パチュリーがその事でレミリアに愚痴られたってぼやいてたぜ?」
「まーまー、落ち着いてよ二人とも。そう言ったことは銀月君に直接言わなきゃ、ね?」

 白熱し始める議論に、銀月はそう言いながら割って入った。

「ぶっ、お前がそれを言うのか?」

 すると、耐え切れなくなったギルバートが軽く噴出した。
 それを聞いて、魔理沙が怪訝な表情でそちらを見る。

「……ん? どういう事だ、ギル?」
「にゃはは……ギル君、もういいの?」
「ん? 何の事だよ、アーシェ?」

 二人で目配せをしながら笑う銀月とギルバートに、魔理沙は首をかしげる。
 そして、ギルバートは魔理沙にネタ晴らしをする事にした。

「魔理沙、そいつ銀月だぞ」
「……は?」

 魔理沙はキョトンとした表情で銀月を見た。

「にゃはは、銀月だよー♪」

 銀月はそう言いながら、底抜けに明るい笑顔で魔理沙に手を振る。
 それを見て、魔理沙の表情が信じられないと言ったものに変わった。

「……おいおい、銀月がこんなに可愛い女の子に化けてるって言うのか?」
「ああ。証拠を見せてやれよ、銀月」
「いいよ♪ ……これでどうかな、魔理沙?」

 銀月の声が透き通った少女の声から、普段の涼やかな少年の声へと変わる。
 それを聞いて、魔理沙は眼を見開いて驚いた。

「うわっ、マジで銀月だ……お前なんでそんな格好をしてんだよ?」
「それはね……」

 銀月は自分が何故この格好をしているかを説明した。
 それを聞くと、魔理沙とギルバートは一応は納得したようである。

「役者になるための演技の練習ね……はっきり言って、私をあれだけ見事に騙せたんだから要らないんじゃないのか?」
「そんな事ないよ。霊夢ちゃんにはお味噌汁たった一口でばれちゃったし、ギル君には匂いで一発だったもん」

 銀月は少し悔しそうにそう呟く。
 それを聞いて、ギルバートはやりづらそうに顔をゆがめた。

「どうでもいいけどよ、お前いつまでその格好で女口調なんだよ。さっさと戻せ」
「もう、さっきも説明したじゃないの。愛梨お姉ちゃんの挑戦状は一日役を演じきることなんだよ? だから今戻しちゃダメなんだよ」
「……ああ、そうですかい」

 ギルバートはそう言うと、大きくため息をつきながら顔を背けた。

「それよりもさ、あがってお茶飲んでいってよ。今から私が淹れてあげるからさ♪」
「そうか、そんじゃありがたく頂くぜ」
「……やっぱ調子狂うな……」

 明るい少女の声で可愛らしく紡がれる銀月の言葉に、ギルバートは思わずそう呟いた。
 すると、銀月はにやにやと笑いながらギルバートにからかうような声をかけた。

「あれあれ、いつも話してる男の子がこんな女の子になっちゃって困ってるのかにゃ~?」
「当たり前だろうが。行きつけの店が休業日だったのと同じくらい困るな」
「にゃはは、でも今日一日は我慢してね。それじゃあ、お茶準備してくるから待っててね」

 銀月はそう言うと、ぱたぱたと駆け足で台所へと向かっていった。
 その後姿を、魔理沙がじっと眺めていた。

「……何ていうか、本当に銀月可愛くなってるぜ……役者ってあんなに変われるもんなんだな」
「……だが男だ。俺は同じ男としてあれは認めねえ」

 魔理沙の言葉に、ギルバートは憮然とした表情でそう返す。
 それを聞いて、魔理沙は首をかしげた。

「何でだよ。女の私から見たって可愛い部類に入ると思うぜ?」
「あのなあ……男が男を可愛いと言うとか、想像してみてどうだよ?」
「……ああ~……そう言うことか……」

 魔理沙は少し考えて、危険な思考に行きかけて即座に考えるのをやめた。
 それから、ギルバートの事をじっと眺める。
 その視線に、ギルバートは嫌な予感を感じて冷や汗を流す。

「……おい、何で俺の顔をじっと見てんだよ」
「いや~、ギルもやったらどうなるんだろうな、とか思ってないぜ」
「……俺は絶対やらねえからな……」

 魔理沙の発言に、ギルバートは額に手を当てて天を仰ぎながらそう言う。

「ちぇっ、つまらないぜ」

 そんなギルバートに、魔理沙は心底詰まらなさそうにそう呟いた。



「お茶入ったよ♪ はいっ、どうぞ♪」
「ありがとう」
「お、サンキュ」
「……どうも」

 しばらくして、四人は全員縁側に座ってお茶を飲む事にした。
 霊夢、魔理沙、銀月、ギルバートの順に座っているところから、ギルバートがまだ霊夢に仲間意識を持っていない事が分かる。

「ねえ、銀月……本気で今日一日その格好で過ごすの?」
「ううん、衣装はもう一着あるからそれも着るよ」
「もう一着の衣装? どんな奴だ?」
「それは見てのお楽しみだよ♪」

 霊夢と魔理沙の質問に、銀月は楽しそうに答えた。
 役に没頭しているようで、とても自然に会話をしている。

「ところで銀月、さっきお前ここに住んでるって言ってたけど、あれは演技か?」
「違うよ? 私が今ここに住んでいるのは本当の事だよ」

 ギルバートの質問に銀月が答えると、魔理沙は霊夢の方に手を回してジト眼を向けた。

「……おい、霊夢。お前どうやって銀月を拉致したんだ? んで、どんな弱みを握ってるんだ?」
「どういう意味よ」
「そのまんまの意味だぜ」
「で、実際のところは?」
「食費が増えるけど家賃が無いからね。台所も広いし、物件としては優良だもん」

 ギルバートの質問に、銀月はそう言って答えた。
 すると、それを聞いた霊夢の眉が吊り上った。

「『物件としては』ねえ……まるでそれ以外の条件が拙いみたいな言い方じゃない」
「現に拙いじゃないか」
「お黙り」

 横から茶化してくる魔理沙を、霊夢はその一言で黙らせる。
 そんな二人を余所に、再びギルバートが疑問を投げかける。

「ところでよ、何で銀の霊峰から出ようと思ったんだ? あそこ修行の環境としては最高じゃねえか」
「それはね、私の意地なの。あのお社はね、本当はお父さんが認めた人しか住めないことになってるの。だから、私はちゃんと自分の力でお父さんに認められてから、あのお社に戻りたいなって思うの」

 銀月はギルバートに対してはっきりとそう言いきった。
 それを聞いて、霊夢が何かを考える動作を始めた。

「ふ~ん……そういうこと……」
「霊夢、銀月の修行を妨害して帰れないようにしようとか考えるなよ?」
「そんなことしないわよ。というか魔理沙、さっきからどんな目で私の事見てるのよ」
「いや、だってなあ?」

 魔理沙はそう言いながらギルバートに対して眼を配った。
 それに対して、ギルバートは額に手を当ててため息をついた。

「……俺を見るな、俺を。しかし、そういうことか……よし。銀月、勝負しようぜ」
「勝負?」
「どっちが先にお前の親父さんに認められるか勝負だ。こうすりゃ、お互いに張り合いが出るだろうよ」

 ギルバートはそう言って銀月に笑いかける。
 すると銀月もそれに嬉しそうに笑い返した。

「うん、そうだね♪ そうだ、せっかくだし、ここで一勝負しようよ」
「ああ、良いぜ。けど、そんな格好で戦えるのか?」
「大丈夫だよ、ちゃんと動きやすい服装に着替えるから。それっ!」

 銀月はそう言うと、突然体からまばゆい光を放った。

「おわっ!?」
「きゃっ!?」
「うわっ!?」

 それを見て、ギルバート達は思わず眼を覆った。
 そして光が収まって、目の前を見ると、


「心の闇は夜の闇……その闇照らすは月明かり……闇に迷うその心、私の月が照らしましょう……魔法少女シルバームーン、ただいま参上!!」


 などとノリノリで叫んでポーズを決める銀月の姿があった。

「「「……はあぁ?」」」

 三人は思わず間の抜けた声を上げる。
 銀月の格好は白と青を基調としたフリフリのコスチュームに変わっており、手には三日月の飾りが付いた長い杖が握られていた。髪の色も先程の赤髪から青みを帯びた銀髪に変わっている。
 それを見て、ギルバートは愕然とした表情で銀月に話しかけた。

「……おい、銀月。お前幾らなんでもそれは……」
「甘い甘い、砂糖より甘いよ! 役者が演技を恥ずかしがってちゃお話にならないの!!」
「そう言う問題じゃねえよ! 何なんだそのキャラはよ!?」

 あまりにあんまりな銀月に、ギルバートは思わずそう叫んだ。
 すると、銀月は不敵に笑って答えた。

「通りすがりの正義の魔法少女よ! さあ、世の中にはびこる悪の手先よ、月の光に懺悔なさい!!」

 銀月はそう言うと、手にした杖をギルバートにビシッと向けた。

「誰が悪の手先だ、誰が!? おわっ!?」

 ギルバートが銀月に抗議しようとすると、突如として銀の弾丸が襲い掛かってきた。
 ギルバートは即座に体を横に倒して避け、素早く立ち上がって境内へと出てきた。

「とぼけても無駄よ! さあ、正体を現しなさい、蒼魔狼ギルティヴォルフ!!」
「だあああああああ! ツッコミが追いつかねえええええええ!!」

 超ハイテンションで台詞を言う銀月に、ギルバートは頭を抱えて叫んだ。
 そんなギルバートを余所に、銀月は銀色の光の玉を作り出して宙に浮かべた。

「行って、ルナビット!」
「ちくしょう、やらなきゃやられるのかよ!」

 銀月が光の玉を飛ばすと同時にギルバートが魔狼に化け、戦闘が始まった。

 そんな二人の戦闘を、霊夢と魔理沙は縁側に座ったまま眺めていた。

「……霊夢、銀月の奴止められるか?」
「あんた、あの空間に巻き込まれて耐えられる自信ある?」

 霊夢がそう言うと、魔理沙は銀月達を見た。

「くっ、負けられない……私が負けたら、ギル君が!」
「その本人を悪の手先呼ばわりしておいて何言ってやがんだバカヤロー!」
「待っててギル君、今助けてあげるから!」
「だああああ! 助けるのかぶっ倒すのかどっちなんだよ、もう!」

 訳の分からない台詞を叫びながら戦う銀月に対して、ギルバートが喉が切れそうなほどに叫びながらツッコミを入れる。
 その間にも戦いは苛烈さを増しており、どんどん派手な戦いになっていた。

「……あー……うん、やっぱ巻き込まれたくないよな……うん」

 そんな混沌とした戦いを前に、魔理沙はそう言って乾いた笑みを浮かべて視線を切った。

「……お茶がおいしいわ……」
「……お、この羊羹美味いな。どこで売ってんだ?」
「あ、それ銀月の手作りなのよ」
「へぇ、本当に料理上手だな、あいつ……」

 霊夢と魔理沙は、目の前の現実から逃げるように話をするのであった。





「捕まえて! フェンリルリボン!!」

 銀月がそう言うと光のリボンが宙に現れ、ギルバートの体を一気に縛り上げて空中に縫い付けた。

「しまった!?」

 ギルバートは抜け出そうともがくが、抜け出せない。
 そんな彼に向けて、銀月は手にした長い杖を向けた。

「とっておきを見せてあげる……シルバームーン・エクスプロージョン!!」

 銀月がそう叫ぶと同時に、構えた杖の先から巨大な銀の光の玉が打ち出された。
 光の玉は空に居るギルバートに吸い込まれるように向かっていく。

「ぎゃあああああああああ!?」

 ギルバートがそれを避けきれずにぶつかると、光の玉はすさまじい大爆発を起こした。
 その光は、まるで空に巨大な銀の月が現れたかのような光であった。

「夜空に銀の月が輝く限り、悪が栄えることはない!!」

 そして銀月はその光を背景に背負いながら、びしっとポーズを決めて決め台詞を言い放った。

「な、納得いかねえ……こんなふざけた勝負に負けるって……」

 その一方では、ボロボロになったギルバートがこの理不尽な結末を嘆いていた。
 そんなギルバートに、再び光を放って元に戻りながら銀月が近づく。

「ふう……終わったよ、ギル君」
「……テメェ、俺に何か言う事は?」
「付き合ってくれてありがと♪」

 恨みがましい眼で見つめてくるギルバートに、銀月は可愛らしい笑みを浮かべて礼を言った。
 それを受けて、ギルバートは憮然とした表情でそっぽを向いた。

「……お前、男に戻ったら殴る」
「ふ~ん……そっか♪」

 ギルバートの反応を見て、銀月は彼がどんな心境なのか理解して楽しそうに笑った。
 要するに、見た目が可愛らしい少女の姿なので男としては殴ったりする事に非常に抵抗感を覚えるのであった。
 その表情から自分が手玉に取られているのを理解して、とうとうギルバートは爆発した。

「ああああああ! ちっきしょお、やりづれえ! やっぱお前さっさと戻れ! 今すぐ着替えろ! ぶん殴る!!」
「うわっと、だからそういう訳には行かないんだってば!!」

 掴み掛かってくるギルバートを躱しながら、銀月はそう言った。
 しかし、ギルバートはくるりと反転して再びつかみかかる。

「いいや、もう我慢できねえ! 着替えろ! 今すぐ着替えろ!」
「わわわわわ、乱暴しちゃダメだよ~!」

 こうして、銀月とギルバートの盛大な追いかけっこが始まるのであった。 




 そして翌朝。

「……はあぁぁぁぁ……」

 銀月はちゃぶ台に突っ伏して重いため息を吐く。
 その姿を見て、霊夢は首をかしげた。

「どうしたのよ。挑戦には成功したって言うのに何でそんな凹んでるのよ?」
「……魔法少女って……シルバームーンって……」

 銀月の口から呪詛のようにそんな言葉が流れてくる。
 それを聞いて、霊夢は呆れた表情で銀月を見た。

「……あんたひょっとして、自分でやっておいて今更後悔してるわけ?」
「……俺だって……やりたくない役ぐらいある……いや、やれって言われたらやるけどさ……」
「……やらなくて良いわ」
「……うん……」

 銀月が立ち直るまで、あと二時間。







 一方その頃、銀の霊峰。

「え? 中身が違った?」
「ああ。宴会芸用に見繕った服ではなく、別の服が入っていたぞ?」

 愛梨の言葉に、天魔がそう言って答えた。
 それを聞いて、愛梨は苦い表情を浮かべて頭をかいた。

「あっちゃ~……んじゃ銀月くんのところに送っちゃったかなぁ?」
「……ああ、だからあのような事になっていたのか」
「あのような事って?」
「こういう事だ」

 天魔はそう言うと、愛梨に一枚の紙を差し出した。
 なにやら色々とかかれているそれは、新聞のようである。 

「……あ、あはははは……」

 それを見て、愛梨は乾いた笑みを浮かべた。



 その新聞記事には、『博麗神社に魔法少女あらわる!?』と言う見出しが載っていた。



[29218] 銀の月、迎え撃つ
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/08 00:24
 穏やかな光の降り注ぐ、朝の草原。
 人狼の里から少し離れたところにあるその草原に、二つの人影があった。
 一つは白装束の黒髪の少年。もう一つはジーンズに黒いジャケット姿の金髪の少年であった。

「やあ、ギルバート。こんなところに呼び出して何の用だ?」
「いや、ふと思ったんだがな……お前があの巫女のところに引っ越したってことは、お前の能力が分かったってことだよな?」

 ギルバートは確認するように銀月に問いかける。
 すると銀月は、ふと思い出したような表情で頷いた。

「ああ、そうか。君は俺が銀の霊峰に住んでいた理由を知ってるんだったね。で、それがどうかしたのかい?」
「どうしたもなにも、俺はまだお前の能力を聞いてないぜ? 教えてくれたって良いんじゃないか?」
「ちなみに、何だと思う?」
「そうだな……『人間をやめる程度の能力』か?」

 ギルバートはからかうような笑みを浮かべてそう言った。
 すると、銀月がふてくされたような表情で眼を細めた。

「……君、それ本気で言ってる?」
「割と本気だぜ? 一時的に人間をやめて能力を引き上げてるってところか?」

 にやけた笑みを崩さずにギルバートはそう話す。
 それを聞いて、銀月はため息と共に首を大きく横に振った。

「……全く、君と言い霊夢と言い、俺を人間とは認めたくない人が多いな。正解は『限界を超える程度の能力』だよ」
「成程な。それで人間の身体能力の限界を超えてたって訳だな。これまた怖い能力を手に入れたもんだ」

 ギルバートは銀月の能力を聞いて、その規格外ぶりにそう呟いた。
 銀月は自分の能力の恐ろしさを知っているために頷いた。

「そうだな……それで、これが分かったらどうするつもりなんだ?」
「どうするって、分かってて言ってるだろ、兄弟?」

 銀月の問いに、ニヤリと笑ってギルバートはそう返した。

「これから全力で俺と勝負したい……まあ、そんなとこだろう、兄弟?」

 そのギルバートに対して、銀月は不敵な笑みを浮かべてそう返した。
 それを聞いて、ギルバートは笑みを深くした。

「へへっ、よく分かってるじゃねえか。お前の能力が分かった以上、俺も自分の能力を遠慮なく使えるって訳だ」
「そう言えば、君の能力の正体を聞いてなかったね。いったい何なんだい?」
「俺の能力は『あらゆるものを溜める程度の能力』だ。この能力を使えば、どんなものでも、どこにでも、幾らでも溜め込むことが出来る」

 銀月はその能力を聞いて少し考えた。
 そしてしばらくしてその使い道を見出したのか、羨ましそうな表情で頷いた。

「……それはまた随分と便利な能力だね。成程ね、つまり君は対等に戦うために能力を使っていなかったって訳だ」
「ま、そう言うこったな。お前に勝つのは、対等な条件でないと意味がねえからな」

 ギルバートはそう言って笑みを浮かべる。
 それに対して、銀月も楽しそうに笑い返す。

「ふふっ、全くもって君らしいな。んじゃ、そろそろ始めようか?」
「ああ。ま、まずはウォーミングアップと行こうぜ!」
「おおっと!?」

 突如として弾丸の様に突っ込んできたギルバートを、銀月はすれすれで避けた。
 それと同時に、銀月の額から冷や汗が流れた。
 何故なら、今のギルバートの攻撃には予備動作が存在しなかったからだ。

「流石だな、兄弟。今のに反応しきったか」
「やっぱり良いなぁ、その能力。予備動作なしで即トップスピードなんて、避けづらさ満点じゃないか」

 ギルバートに対して、銀月はその能力の使い方を察知してそう言った。
 ギルバートは前に進む力を溜め込み、それを爆発させる事で一気に前に飛び出して行ったのである。
 その結果、普段よりもはるかに速く反応しづらい攻撃を行う事が出来たのだ。
 銀月が避けられたのは、将志や六花などとの特訓の賜物であった。
 その銀月の言葉に、ギルバートは楽しそうに笑った。 

「それを躱しきっておいて言われてもな!」

 ギルバートは今度は銀月の懐に入り込んで連続攻撃を見舞った。
 銀月はその次々に繰り出される攻撃を手や脚で受け流すようにして捌いていく。

「このっ!」
「おっと!」

 銀月が喉を狙って抜き手を放つと、ギルバートは後ろに飛んで素早く距離を取った。
 それを確認すると、銀月はギルバートと同じ高さまで浮上しながら両手を痛そうにひらひらと振った。

「いったぁ……力を溜められる分、前とは段違いのパワーになってるし……」
「そう言うお前も想像以上について来るな。速度も威力も能力を使うと段違いに上がるはずなんだが……」
「そりゃあ俺だって能力使ってるからな。この程度ではやられたりしないさ」
「上等。そう来ねえとな!」

 二人はそう言い合うと、再びお互いに接近していく。

 すると、突如として二人の間に巨大な雷が落ちてきた。

「っ!?」
「何だ!?」

 青天の霹靂を体験した二人はその場で素早く身構える。

「よう、テメェら。何やら面白えことしてんじゃねえか、ああ?」

 するとそこには、赤いシャツに青い特攻服を着た黒髪の男が浮かんでいた。
 肩には冷たい光を放つ日本刀が担がれており、赤いサングラス越しに自分を警戒する二人を眺めていた。

「見たところ人間のガキが二人……いやちげぇな、そっちの奴は魔法使いか何かか?」

 男はそう言いながらギルバートのほうを見る。
 それに対して、ギルバートが質問を返した。

「……おい、あんた何者だ?」
「あん? 名前を訊く時は自分から名乗るのが礼儀じゃねえのか?」
「……いきなり乱入しておいて礼儀も何も無いでしょう。割り込むからには、それなりの態度と言うものがあると思いますがね?」

 不遜な態度を取る男に、銀月が冷たい視線と声でそう言い放つ。
 それを聞いて、男は心底愉快そうに笑い出した。

「カッハッハ! 良い度胸じゃねえか、気に入ったぜ! 良いぜ、そう言うことなら俺から名乗ってやんよ。俺は雷獣、人間からは雷禍(らいか)って呼ばれている。苗字のほうはそうだな……轟(とどろき)とでもしておくか。で、テメェらは何者だ?」
「ギルバート・ヴォルフガング。人狼だ」
「こっちは銀月。一応人間だ」

 二人は雷禍と名乗る男に手短に最小限の自己紹介を済ませる。
 雷禍はそれを聞くと、小さく頷いた。

「おっしゃ、テメェらの名前は覚えたぜ。そんで、ものは相談だ。俺も混ぜてくんねえか?」
「そんなことをしてどうするつもりだ?」
「どうもしねえよ。ただ単に俺がテメェらとやりたいだけだ」
「テメェら、ね……その言い方だと、俺達を二人同時に相手にするって聞こえるけど?」
「あぁ? 言い方が悪かったか? なら言い直してやるよ。二人まとめて掛かって来いや」

 雷禍がそう言った瞬間、二人の視線が更に鋭く変化した。
 流石にこうまで言われて黙っていられる訳ではないようである。

「……言っておくが、俺も銀月も弱いわけじゃない。そこらの妖怪なら楽に勝てるぜ?」
「ハッ、テメェらみたいな高々十何年しか生きてねえガキ共が二人まとめて掛かったって俺は倒せねえよ。それと、俺をそこいらの妖怪と一緒にすんじゃねえ」

 ギルバートの言葉に雷禍はそう言って鼻で笑う。
 それに対して、銀月は彼を睨みながらギルバートに話しかけた。

「ギルバート、お望みどおりにしてやろう? その方が話も早いだろうしさ」
「話が分かるじゃねえか。ほんじゃ、さっさと始めようぜ」

 雷禍は楽しげに笑ってそう言う。
 そして、ふと何かを思い出したかのように口を開いた。

「あぁ……一つ言っておくが……手ぇ抜いたりしてっと死ぬからな?」

 雷禍がそう言った瞬間、息が詰まりそうになるほどの圧迫感を覚える。
 彼の体には先程まで隠していた大量の妖力が纏わりつき、強い妖怪である事をうかがわせた。

「……ギルバート。どうやら本気で行かないと拙そうだ」
「……だな」

 雷禍の様子を見て、銀月は札を取り出し霊力を込め、ギルバートは赤い丸薬を飲んで群青の魔狼に変身した。
 それを見ると、雷禍はふわりと中に浮かび上がった。

「行くぜうらぁ!」
「まずは俺が相手だ!」

 まずは雷禍とギルバートが激しくぶつかり合う。
 最初の一撃は推進力を溜めてからの突撃。金色のオーラを纏い、弾丸のように雷禍に迫っていく。
 それに対して、雷禍は真正面からそれにぶつかった。

「らぁ!」
「ぐっ……おらぁ!」

 体に攻撃を受けつつも、それを物ともせずにギルバートは攻撃を仕掛けていく。
 相手が仕掛けてくる攻撃を致命打にならない様に避けながら激しい連続攻撃を仕掛ける。

「でやあああああああ!」
「ハッ、刀何ざ怖くねえってか! ならこいつは、っ!?」

 雷禍がギルバートの攻撃を捌いていると、突然首筋に寒気が走った。
 即座に頭を下げて、ギルバートから距離を取る。
 すると、先程まで自分の首があったところを音も無く銀の刃が通り過ぎていった。
 それを受けて、雷禍は目線を上に向けた。

「油断なんねえなぁ、オイ。隙あらば首が飛ぶって奴かぁ!」
「っ!」

 雷禍は標的を銀月に変え、攻撃を仕掛けていく。
 その攻撃は刀で攻撃をしながらも蹴りを多用するものであった。
 どこかの流派の剣術と言うよりは、喧嘩殺法と言うべき戦い方である。

「うらうらぁ!」
「ふっ……」

 銀月はその攻撃を的確に捌いていく。
 しかし攻撃の手段が見出せないのか、自分からは仕掛けてこない。

「おらおら、どうしたぁ!? それがテメェの本気かぁ!?」
「はあっ!」
「うおわっ!?」

 突如として銀月が素早く後退したかと思うと、そこを黄金の極太レーザーが通り過ぎていった。
 雷禍は直前でその気配に気づき、すれすれでそれを躱した。

「ちっ……」
「おいおいおい、下手すりゃ味方ごと落ちるっつーのによぉ?」

 攻撃をはずして舌打ちをするギルバートに、雷禍は楽しそうにそう話しかけた。
 その言葉を、ギルバートは一笑に付す。

「違うな。銀月は今のに当たるような間抜けじゃねえよ。落ちるとすればお前だけだ」
「ハッ、本気で俺に当てられっと思ってんのか? 俺はっ!?」

 再び首筋に嫌な気配を感じて、雷禍は首を傾ける。
 するとその首筋を薄皮一枚削ぐ様にして銀の線が走る。

「……余所見をするとは余裕だね。さっき君が自分で言ったじゃないか、隙あらば首が飛ぶってね。正直、本気で狙ってたらもう終わってるよ?」

 銀月は気配も無く雷禍の前に現れると、冷たい視線をぶつけながらそう言った。

「テメェはテメェで面白えなぁ? さっきまで一対一で堂々と戦ってたかと思えば、今度は暗殺者みてえな動きをしやがる。おまけにテメェはそこの人狼とは眼が違ぇ。こいつぁ初っ端から当たりを引いたかぁ?」

 それに対して、雷禍は楽しそうに笑いながらそう答えた。
 どうやら銀月の攻撃が本気でない事を見抜き、最小限の動きで回避したようであった。
 雷禍の言葉を聴いて、銀月は問いかける。

「当たりねえ……いったい何が当たりなのさ?」
「決まってんだろ。強ぇ奴と戦いてえんだよ!」

 そう言うと、雷禍は再び銀月に踊りかかった。
 素早く突っ込んでくる相手を、銀月は冷静に見据えて札を構える。

「はあっ!」
「あめぇ!」

 今度はカウンターを狙って銀月は札を繰り出すが、雷禍はそれを潜り抜けて攻撃を仕掛ける。
 攻撃をはずした瞬間、銀月は刀による攻撃を札で受けながら後ろに下がる。

「せいっ!」
「おわっ!?」

 そして下がりながら、札から鋼の槍を呼び出して攻撃を仕掛けた。
 突如として現れた槍とリーチの変化に、雷禍は思わずのけぞる。

「はああああああ!」

 相手がのけぞったのを好機と見て、銀月は手にした槍で一気に攻め込み始めた。
 槍の長いリーチを生かした連続突きと相手を固定する銀の弾幕で、相手の攻撃の範囲外から次々と仕掛けていく。

「はっはあ!」

 雷禍はその攻撃を刀で凌いだり、拳で打ち落としたりしながら攻撃を返していく。
 しかし銀月が上手く間合いを取りながら攻めてくるため、決定打は与えられない。 

「……使うか」

 そんな中、ギルバートはズボンのポケットから青い飴玉のようなものを取り出し、それを飲み込んだ。
 すると、ギルバートを覆っていた金色のオーラが輝きを増し、青白い光の粒が舞い始めた。

「……行くぜ!」

 ギルバートは自分の体に力がみなぎっていくのを確認すると、銀月が引き付けている雷禍に向けて突っ込んでいった。

「うぉらあ!」
「うぉわ!?」

 黄金の流星による横からの攻撃を受けて、雷禍は避けきれずに弾き飛ばされる。
 雷禍は空中で受身を取り、自分を弾き飛ばした相手に眼を配る。
 そして、ニヤリと口元を吊り上げた。

「何だ、テメェ今まで本気出してなかったのか、ああ?」
「お前がどれくらいの虚言を吐いたか気になったからな。無駄な消耗は避けるに越した事はないだろ?」
「ハッ、抜かしやがれ!」

 再びぶつかり合うギルバートと雷禍。
 日本刀と黄金の爪が切り結ぶたびに火花を散らし、攻防の激しさを物語る。

「ヒャハッ!」
「でやあ!」

 ギルバートの戦い方を理解した雷禍は、相手の間合いの外で戦おうとする。
 しかしギルバートは少し間合いが切れると、素早く溜めていた推進力を使って間合いを詰めてくる。
 更に、先程から強化されたギルバートの力が雷禍の力を上回っているため、攻撃を受けるたびに雷禍は弾かれていく。
 結果として、ギルバートが雷禍を押し始めている形になり始めていた。

「おらっ!」
「うぐっ!?」

 防御を弾いたところに、ギルバートの膝蹴りが鳩尾に入る。
 雷禍はそれを受けて素早く後退し、間合いを切った。
 腹を押さえるその動作から、どうやらかなり効いた様である。

「……ハッ、やるじゃねえか!」
「そう言うお前は俺一人に気を取られていて平気か?」
「うぉっと!」

 ギルバートと話しているところに、突如として走る一閃。
 雷禍はそれを間一髪で躱し、その相手を見た。

「……悪いけど、今の君と俺達じゃ話にならないと思うよ」

 するとそこには鋼の槍を携え、銀色に光る札を周囲に浮かべた銀月が居た。
 銀月の体の回りにはたくさんの銀の光の粒が浮かんでいるところから、将志の力を引き出している事が分かる。
 その姿を見て、雷禍は笑みを浮かべた。

「テメェも今から本気出すってか? そんなら見せてみやがれ!」

 雷禍はそう言うと標的を銀月に変えて襲い掛かる。

「ふっ!」
「うっと!」

 銀月はけん制のために撒いていた札を雷禍に向かわせる。
 当然、雷禍はそれを避けようとする。

「そこだ!」
「ぐあっ!?」

 それによって生じた一瞬の隙を突いて、銀月は槍を突きこんだ。
 雷禍は肩口に槍を受け、後ろに押し込まれる。
 銀月が刺さらない様に槍に術を掛けていなかったら大穴が開いていたところである。
 雷禍は肩を押さえ、痛そうにその部分をさする。

「……君、言うほど大した事ないな。鬼の四天王を相手にしたほうがよっぽどきついよ?」

 銀月は相変わらず冷たい瞳で相手を見つめる。
 そこに感情は込められておらず、淡々と事実だけが語られていた。
 それを聞いて、雷禍は大声で笑い出した。

「く……くははははは! いや、お前らマジ良いわ! 何だテメェら、本当に十年そこらのガキか!?」
「ガキかどうかはさておき、実際俺らは十五年しか生きてねえよ」
「まあ、少々異常なのは認めるけどね」

 大笑いをする雷禍に、銀月とギルバートは若干呆れ顔でそう答える。
 その表情は面倒な事になったと言わんばかりのものであった。

「はぁ……気に入ったぜ。よし、良いかテメェら! 今から俺の本当の姿を見せてやる。テメェら、負けたら俺の舎弟になってもらうぜ!」
「「はあ?」」

 雷禍の唐突な言葉に、二人はあっけにとられる。
 それを見て、雷禍は苦笑いを浮かべた。

「おいおいおい! まさかテメェら、俺が本気を出してたとか思ってんじゃねえだろうなぁ?」
「いや、そっちじゃねえよ。負けたら舎弟ってのはどういうこったよ?」
「ああ? 敗者は勝者に従うつーのは当たり前のこったろうがよ?」
「やれやれ、俺も仕事とか抱えてるんだけどな? 第一、俺達を舎弟にしてどうするつもりなのさ?」
「さあな。どうすっかなんてのは後で考えりゃ良い。まずは面白え奴を舎弟にするっつーのが先だな」

 雷禍がそう言うと、銀月は大きくため息をついた。

「そう……でもまあ話は簡単だね、兄弟?」
「ああ……要は勝ちゃあ良いんだな」

 二人はそう言って笑いあう。
 それを聞いて、雷禍も楽しそうな笑みを浮かべた。

「よく分かってんじゃねえか。じゃあ行くぜえ、野郎共!」

 そう言うと同時に、雷禍の姿が変化を始めた。
 頭からは後ろに向けて二本の角が生え、顔の左半分に嵐をあらわした様な刺青が現れる。
 それと同時に、雷禍から発せられる妖力の強さが一気に跳ね上がった。
 その姿を見て、銀月は頷いた。

「……成程、それが君の本当の姿か」
「ついでに抑えていた妖力もこれで全開って所か。けど、雷獣ってハクビシンみたいな姿って聞いたんだが?」
「その辺は結構曖昧らしいよ。いろんな姿の雷獣が居るっていう話だし、こんな姿の奴が居てもおかしくないんじゃない?」
「ハッ、いつまでも冷静でいられると思うんじゃねえぞ!!」

 雷禍は不敵に笑ってそう言うと、手にした刀を振りかざした。 
 すると空が曇り、天候が荒れ始める。
 見上げてみれば、重い灰色の雲が空を覆い始め、大粒の雨とともに強い風が吹き始めた。
 雨風は瞬く間に強くなり、いつしか激しい落雷を伴う大嵐へと変わった。

「ちっ、これはあいつの能力か!」
「参ったな、これじゃあ紙の札が使えないな」

 銀月は現状を見て、散らしていた札を回収しながら歯噛みする。
 何故なら、銀月の主武装である収納札は紙である。
 これに霊力を通して強化する事で敵と切り結んだりするのだが、所詮は紙なのだ。
 その性質上、火に近づければ燃え、水を被ればふやけてしまう。
 水もある程度であれば大丈夫なのだが、このような大嵐では役に立つとは言いづらいのだ。

「そらそらそらぁ!」
「どわっ!?」

 そうしている間に、ギルバート目掛けて一直線に突っ込んでくる。
 その速度は、人間に擬態していたときとは比べ物にならないくらい速かった。

「……さっきとは段違いの速度だね。けど、速さなら負けない!」

 それを見て、銀月は即座に全速力で雷禍を追いかける。
 激しく飛び回る雷禍にぴったり並走し、攻撃を仕掛けようとする。

「おーおー、よくついてくるじゃねえか。けどなぁ、それだけじゃ俺にゃ勝てねえ!」

 雷禍はそう言うと、銀月の背後に素早く回りこんで攻撃を仕掛けた。
 銀月はそれに気がついて振り返るが、刀は受け止めたものの腹に蹴りを喰らった。

「ぐぅ!? まだだ!」
「飛べうらぁ!」
「ぐああっ!?」

 体勢を立て直そうとする銀月を、雷禍は思いっきり蹴り上げた。
 銀月はそれをまともに喰らい、打ち上げられる。

「こうなったら!」

 銀月は体勢を整えながらそう言うと、四枚のカードを取り出した。
 それはフランドールから譲り受けた、銀のタロットカードであった。
 銀月がそれに霊力をこめて投げると、光の玉が雷禍を追尾するように飛んでいった。

「チッ、追尾型かよ!」

 雷禍はそう言うと手にした刀を空にかざす。
 するとその刀に雷が落ち、強い雷光を放ち始めた。

「落ちやがれ!」

 雷禍は気合と共にそう叫んで刀を横に振るう。
 すると刀が纏った雷が刃となって飛び、追尾してくる銀のタロットを打ち落とした。

「あれは、雷切か!?」
「ああ? まあ、雷を切った刀をそう呼ぶっつーのなら、こいつは雷切っつーんだろうなぁ!」

 雷禍はそう言いながら、再び雷の刃をタロットを周囲にばら撒く銀月に飛ばす。
 それを避けきれないと察するや否や、銀月は素早く鋼の槍を構えて防御体勢をとった。

「うわあああ!?」

 銀月の体を強い電流が流れる。
 防御したことによって電流の大半が外に流れたが、全てを受け流す事は出来なかったようである。

「銀月!?」
「よそ見してる場合か、おらぁ!」
「くっ!」

 ようやく追いついてきたギルバートに、雷禍は雷撃を飛ばす。
 ギルバートはそれを避けながら、何とか近づこうとする。
 しかし次々と飛んでくるそれに、ギルバートは上手く近づく事が出来ない。

「あああああ!」

 ギルバートに攻撃を仕掛けている雷禍に、銀月が一直線に突っ込むように槍を放つ。
 その手にした黒い神珍鉄の槍の重量に自らの推進力を乗せ、猛スピードで攻撃を仕掛ける。

「おっと!」

 雷禍はそれを察し、流星の様に突っ込んでくる銀月を躱す。
 その瞬間、ギルバートの青い眼が光った。

「そこだぁ!」
「うおっ!?」

 ギルバートは溜めていた力を解放し、強烈なタックルを雷禍に仕掛ける。
 体勢が崩れていた雷禍はそれを避けきれず、腕で防御しながらわざと後ろへ後退する。

「……やっちまった……」

 その瞬間、雷禍は思わずそう漏らした。
 何故なら、飛ばされたその向こうは銀月の銀のタロットに囲まれた場所であったからだ。

「行け……っ!」

 銀月の号令と共に、七十八枚のタロットカードが光を纏い、一斉に雷禍に向かって飛んでいく。
 中に浮かべたタロットを一点に集めるという単純な動作なため、銀月の操作に狂いはない。
 タロットカードは雷禍に向かって殺到していった。

「ぐうううっ!」

 雷禍はそれを躱そうとするが、避け切れずに体の左側にタロットを数枚受ける。
 とっさに防御はしたようだが、ダメージはそれなりに通ったようだ。

「っぐ……いってえな、おい……っ!?」
「でりゃあ!」

 一瞬怯んだところに、その期を逃さずギルバートが金色の巨大な魔法弾で追撃をかける。
 雷禍はまた避けきれず、腕を交差させてそれを防御する。

「うぐっ……うっ!?」
「止めだ!!」
「喰らえ!!」

 そして弾かれて胴が上がったところに、銀月とギルバートが同時に蹴りを入れる。
 金と銀の二つの流星が、雷禍の腹に突き刺さる。

「ぐはあっ!!」

 雷禍はそれを受けて、地面に激しく叩きつけられた。
 その様子を、二人は油断なく観察する。
 すると、雷禍は愉快そうに笑い出した。

「く、くくく、カーハッハッハ!! やるじゃねえか! 二人掛りとは言え、高々十五年しか生きてねえ奴が俺に傷を負わせるなんてよお!」
「……やっぱ、防御されてたか」
「だろうね、腹を蹴ったにしては感触がおかしかったもの」

 高笑いと共にそう言って立ち上がる雷禍を見て、銀月とギルバートは苦い顔で首を横に振った。
 その二人を、雷禍は爛々と光る金色の眼で見ながら笑い続ける。

「カハッ、一万年以上生きてきたが、テメエらみたいな若造が俺に本気を出させるのは初めてだぜ……行くぜ、テメエら。この轟 雷禍、太古から恐れられている雷獣様の本気を見せてやるぜ!!」

 雷禍がそう言った瞬間、その周りに竜巻が四つ現れて雷禍の周りを回り始めた。
 それと同時に、地面に雷がひっきりなしに落ちるようになって三人のいる野原を駆け巡った。

「ぶっ飛びやがれ、テメエら!!」

 雷禍がそう叫んだ瞬間、四つの竜巻が銀月とギルバートをめがけて動き出した。

「纏まってると拙い、散らばるぞ!」
「ああ、分かってる!」

 銀月とギルバートは一網打尽になるのを避けるために散開する。

「そこだうらぁ!」

 そうして避けた先に、雷禍は雷の刃を飛ばす。
 先に狙われたのは銀月。雷禍はどちらかと言えば体力の無い方を狙って攻撃を仕掛けたのだった。

「くっ!」

 銀月は先程の経験から、無理やりに体勢を変えてでもその雷の刃を避ける。
 しかし、その先に雷禍が待ち受けていた。

「あっ!?」
「飛べうらぁ!」

 雷禍は飛んでくる銀月を思い切り蹴り飛ばした。
 銀月はそれを手にした槍で受けるが、思い切り後方に弾き飛ばされる。
 直後、銀月は後ろに吸い込まれる感覚を覚えた。
 その瞬間、銀月の顔からサッと血の気が引いた。

「しまっ……」

 強烈に吸い寄せられて、銀月は竜巻の中に飲み込まれていく。
 それを見て、ギルバートは焦る様な叫び声を上げた。

「銀月!」
「よそ見している場合か、テメエ!」
「っ、おあっ!?」

 銀月に気をとられたところに、雷禍の蹴りが腹に突き刺さる。
 ギルバートもまた弾き飛ばされ、竜巻の中へと吸い込まれていく。

「ハッ、まとめてぶっ飛びやがれぇ!」

 雷禍は楽しげにそう言うと、四つの竜巻を一つにまとめて超巨大な竜巻を作り出した。
 銀月達はその竜巻の中で、飛んでくる瓦礫を防御しながら何とか抜け出そうとする。

「さてと……そろそろ終いにするかぁ!」
「お待ちくださいまし!!」

 雷禍が銀月達に止めを刺そうとすると、横から大人びた女性の声が掛かった。
 それを聞いて、雷禍はその方を向いた。
 するとそこには、長い銀の髪に六輪の白い花が飾られたの髪飾りをつけた女性が、嵐の中で赤い蛇の目傘を差して立っていた。

「ああ? テメエ男の勝負に横槍を入れるつもりか?」
「そうじゃありませんわよ。勝負ならもう付いていますわ。無用な攻撃は止めてくださいまし」

 六花が客観的事実に基づいて判定を下す。
 しかし、雷禍はそれを一笑に付した。

「ハッ、分かってねえな。男ってのはな、意地があんだよ。たとえ勝てねえと分かっていても、せめて相手に一矢報いる。それが男ってもんだろ、なぁ?」
「ええ、分かっていますわ。ですけど、それを諌めるのが女の仕事ですの。ですので、大人しく矛を収めていただければありがたいですわ」
「うるせえよ。俺はなぁ、勝負を邪魔されるのが大嫌いなんだよ!! ごちゃごちゃ抜かしてると殺すぞ!!」

 あくまで戦いを止めようと話をする六花に、雷禍は苛立ちを募らせる。
 そんな彼の様子に、六花は優雅な動作で額に手を当ててため息をついた。

「……仕方ないですわね。どうぞ、やれるものならやってみてくださいまし。もっとも、頭に血が上った状態の貴方に出来るとは思えませんのですけどね」
「……良いぜ。ならお望みどおりそうしてやるよ!」

 雷禍は素早く動き回りながら六花の背後へと回り込んだ。
 六花はそれに対して何の反応も示さず、全く動かない。

「うらぁ!!」

 雷禍は六花に向かって刀を鋭く振り下ろした。
 するとその瞬間傘が宙を舞い、目の前の赤い和服の女は一瞬で消え去った。

「なっ!?」
「遅いですわ」
「ぐはっ!?」

 雷禍が驚いていると、逆に背中に強烈な衝撃が走った。
 振り向いてみれば、そこには泰然と佇み、宙を舞った蛇の目傘をキャッチする六花の姿があった。
 雷禍は唖然とした。何故なら背後を取ったと思っていたら、いつの間にか背後を取られていたのだから。

「な、何だと?」
「門番の最上級程度……なかなかにお強い様ですけど、私と同格以上の相手と戦った事はないみたいですわね。あの程度で驚いていては、私の相手は務まりませんわよ?」

 六花は白い肌に映える紅色の唇に指を当てながら、先程の雷禍の動きから実力を評価する。

「ちっ、舐めてんじゃねえぞ!」

 雷禍はそう言うと回り込まれないように竜巻を周りに置き、真正面から六花に挑みかかった。
 それに対して、六花は傘を持ったまま左手をすっと差し出した。

「はっ!」
「ぬあっ!?」

 六花は刀が横薙ぎ振られる前に素早く飛び込み、左手で相手の手を取って右手に持った傘の柄を腹に打ち込む。
 そして体がくの字に曲がったところを、上から肘打ちで追撃をかけて下に叩き落した。
 雷禍は地面に叩きつけられ、雷によって焼け焦げた草原を滑る。

「力はあるようですけど、それだけに技の拙さが惜しいですわ。刀は振り回すものではないんですのよ?」

 六花は涼しい顔でそう言いながら、軽やかに地面に降り立つ。
 それと同時に、雷禍は素早く立ち上がって刀を構えた。

「こ、この……見下してんじゃねえ!」

 そう叫ぶと、雷禍を目掛けて何本もの雷が落ちてきた。
 雷禍の周りには数多の青白い雷光が飛び交い、激しい帯電状態になった。
 その電気は段々と雷禍の持つ刀へと集まっていき、刀身から激しく火花が散り始めた。

「これでも、喰らいやがれぇ!!」

 雷禍はそう言うと、その刀を横に薙ぎ払った。
 すると極太の雷の刃が長く横に伸び、悠然と佇む六花に向けて飛んでいった。
 周囲を雷光で飲み込まんばかりのその一閃は、間違いなく雷禍の渾身の一撃であった。

「ふっ……」

 六花はそれを見ると、傘を空に放り投げて優雅な動作で腕をサッと上に振り上げた。
 手元で光る刃が、縦一文字に線を描く。

「なっ……」

 次の瞬間、雷の刃は激しく火花を散らしながら縦に真っ二つに裂け、嵐が止み、雲の切れ間から柔らかな日の光が差し込み始めた。
 煌めく鋼の刃は雷刃を斬り、嵐を引き起こす雲すらも切り裂いて見せたのだ。
 突然の出来事に驚き眼を見開いた雷禍の眼の前には、銀色に光る包丁を逆手に持って振りかざした赤い和服の女。
 彼女はその腕をゆっくりと下ろすと、最大の攻撃を防がれて呆然としている雷禍の前にゆっくりと近づく。

「刀で切れて包丁で切れない道理はありませんわ。まあ、雷を刃物で斬るなんてことをしようとする人は普通いませんのですけど」

 六花は歩くような速度で近づきながら、何て事の無い様に朗々とそう告げる。
 その言葉に、雷禍は気の抜けたような乾いた笑みを浮かべた。

「は、はは……」

 雷禍は動かなかった。動けなかった。
 雷禍は目の前にある事実に微動だに出来ず、ただ呆然と近づいてくる六花を見ていた。

「負けを認めてくださる? 今の貴方では、何度やっても同じ結果になると思いますわよ?」

 六花は喉元に包丁を突きつけ、黒耀の瞳で金の瞳を見つめて微笑みながらそう言った。

「……ああ、認めてやらぁ……俺の負けだ……」

 その瞬間、雷禍の体から全ての力が抜け落ち、座り込んだ。



[29218] 銀の槍、力を示す
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/08 00:36
「お~い、ギルバート。調子はどうだ?」
「どうだもくそもねえよ。風でぶっ飛ばされた以外は至って無事だ。そう言うお前も見た目ズタボロな割りにやけにピンピンしてるじゃねえか」
「俺も能力で一応治療は出来るからね。ひどい怪我だけ先に治したのさ」

 全てが終わり、銀月とギルバートは地面に降りて話をする。
 二人とも服はボロボロで、銀月に至っては傷だらけであった。
 辺りの草原は落雷で焼け焦げていたり、大雨でぬかるんでいたりと荒れている。
 そんな中、ギルバートは銀月の能力の使い方にため息をついて首を横に振った。

「……お前、やっぱ人間じゃねえな」
「……父さんからはギリギリ人間って言われてるよ?」
「『ギリギリ』が付く時点でアウトだろ……」

 苦し紛れの銀月の弁明に、ギルバートは呆れ果てた表情でそう言った。
 そんな二人の下に、赤い長襦袢に藤色の帯を巻いた銀髪の女性がやってきた。

「大した怪我が無い様で良かったですわ、二人とも」
「ありがとう、六花姉さん。おかげで大怪我しないで済んだよ」
「俺からも礼を言わせてもらうよ。で、いつから見てたんだ?」
「あの妖怪が嵐を起こすところからですわ。二人とも、なかなかに良い連携でしたわ」
「あはは……結局負けたけどね」

 連携を褒める六花に、銀月はそう言って苦笑いを浮かべた。
 その表情に悔いはなく、出せる全力をつぎ込んだことによる清々しさが表れていた。
 その表情を見て、六花も笑みを浮かべる。

「そこは二人ともまだまだ修行と経験が必要ですわね。何だかんだ言っても相手はかなり戦い慣れしているようでしたし」
「ところで銀月、お前途中からいきなり強くなりやがったけど、ありゃ何だ?」
「あれは父さんから力を引き出したんだよ。まあ、神降しの一種さ。そう言うギルバートこそ、突然魔力や力が跳ね上がったけど、あれは何?」
「ああ、あれか? あれは別のところに溜め込んで置いた魔力を取り込んで、一時的にブーストを掛けたんだ。こいつを飲み込んでな」

 ギルバートはそう言うと、ポケットから飴玉ほどの大きさの青い玉を取り出した。
 その中には黄金色の光が湛えられており、強い魔力を感じることが出来た。
 銀月は羨ましそうにそれを眺める。

「へぇ……つくづく便利な能力だな、君のは」
「お前の能力だって大概だろうが」

 物欲しげな銀月の表情に、ギルバートはそう言い返した。
 実際、銀月の技能はギルバートの能力に匹敵するので当然の反応である。

「それで、何で六花姉さんがここに?」
「つい先程、大きな妖力の塊が結界を超えたと言う報告があったんですの。私はその調査に来たんですのよ」
「で、その先にあれが居たと」

 ギルバートはそう言いながら六花の横に座り込んでいる青い特攻服の男を眺めた。
 すると、頭に角が生えたままの男が抗議の声を上げた。

「おいおいおい、あれ扱いたぁあんまりじゃねえか?」
「やかましい。大体一対一の勝負に最初に水を差したのはお前だろうが。何が勝負を邪魔されるのが嫌いだよ」
「ん~、遊べそうな奴が居たから衝動的にやっちまったぜ?」

 冷ややかな視線を送るギルバートに、雷禍はとぼけた表情でそう答えた。
 それを聞いて、銀月は額に手を当てた。

「……つまり、何にも考えてなかったんだな、君は」
「おう、そうとも言うな」

 呆れ顔の銀月に、雷禍は悪びれもせずに笑いながらそう言った。
 そんな雷禍に六花は大きくため息をついた。

「はぁ……考えも何も無しにあんな戦いをされても困りますわ。それの処理に追われるのは私達ですのよ?」
「…………」

 六花はそう言って雷禍に苦情を言う。
 そんな六花の顔を、雷禍は惚けたようにぼーっと眺めていた。
 その様子に、六花は首をかしげた。

「……どうかしましたの?」

 六花はキョトンとした表情で雷禍に話しかける。
 すると雷禍はハッとした表情を浮かべた後、罰が悪そうに首を振った。

「……あー、いや、何でもねえよ。それで、この後どうするつもりだ?」
「そういえば、自己紹介がまだでしたわね。私は銀の霊峰の槍ヶ岳 六花と言うものですわ。貴方のお名前を聞かせてくださる?」
「轟 雷禍だ。見ていたんなら分かんだろうが、雷獣だ」
「あら、見て分かるようなものでもなかったと思うのだけど?」
「ん?」

 雷禍が話していると、突如としてこの場に居ないはずの女性の声が聞こえてきた。
 その直後、空間が避けて中から白いドレスに紫色の垂をつけた金髪の女性が現れた。
 日傘を指したその女性を見て、六花は右手を上げて挨拶をした。

「あら、見てたんですの、紫?」
「ええ。私だって銀の霊峰の幹部が動くような出来事が起きれば動くわよ。それに、下手をすれば爆弾が爆発する可能性もあったし」
「あー……爆弾って俺の事か? 紫さん」
「正解。花丸をあげるわ」

 銀月の言葉に、紫は人差し指をくるくると回して花丸を描く。
 それを見て、銀月は若干不貞腐れたような表情を浮かべた。

「爆弾かぁ……分かっちゃいるけど、やっぱなぁ……」
「仕方ないわよ。銀月にもしものことがあったら、何をしでかすか分かったもんじゃないもの。それが分かっているんなら、もう少し大人しくして欲しいものね」
「でも、今回ばっかりは仕方ないでしょう?」
「どうだか? 将志から聞いたわよ、貴方地底で鬼と、それもよりにもよって萃香と一騎打ちをしたんですってね? おまけにスペルカードも無しに」
「あー……はい……」

 紫に指摘をされて、銀月はその場で縮こまる。
 その様子に、紫は腰に手を当てて戒めるような視線で銀月の眼を覗き込んだ。

「もう、本当に貴方は無茶ばかりするわね。自分が人間であるって言う自覚が足りないんじゃないかしら?」
「に、人間の自覚って……」

 紫の一言に、銀月はがっくりとうな垂れた。
 人間であろうとしているのに、その自覚が足りないと言われればそれはショックであろう。
 その様子に、隣から派手な笑い声が聞こえてきた。

「カッハッハ! 人間の自覚が足りねえって言われる人間初めて見たぜ!」
「ははははは! おい、言われてるぜ、人外さん?」
「ああもう、お前ら黙れ」

 腹を抱えて笑う雷禍とギルバートに、うんざりとした表情で吐き捨てるように銀月はそう言った。
 そんな銀月の様子に、六花が口を開いた。

「紫さん、仕方ないですわよ。銀月は妖怪の中で育っていますから、思考が人間とはずれていても不思議ではありませんわ」
「……六花姉さん、それフォローじゃなくてトドメ……」

 六花の心をえぐる一言に、とうとう銀月は地面に両手と両膝を付いた。
 そんな銀月を尻目に、六花は話を続ける。

「さてと、話が逸れましたわね。雷禍さん、貴方には説明しないといけない事が沢山ありますの」
「説明?」
「そう。この幻想郷の説明よ」

 そう言うと、紫は幻想郷の説明を始めた。
 内容は幻想郷のあり方やルール、そして各勢力の簡単な説明などであった。
 雷禍はその説明を聞き流すように聞いた。

「……お分かり頂けたかしら?」
「成程なぁ……要するに、ここには外で見かけなくなった連中が集まっているっつーこったな? そん代わり、こっから出るのは厳しいと」
「そう言うことになるわね」

 雷禍は自分が最低限必要だと思った部分だけ紫に告げ、紫はそれに頷く。
 それを見て、雷禍も頷き返した。

「OK、把握したぜ。まあ舎弟も出来たし、しばらくは退屈しそうもねえからいいか」
「げ、あれ本気だったのかよ……」
「当たり前だろうが。六花の姉御も俺の勝ちっつーのは認めたからな」

 嫌な表情を浮かべるギルバートに雷禍はそう言った。
 それを聞いて、六花は額に手を当てた状態で話を止めた。

「ちょっとお待ちくださいまし……姉御?」
「おう。あんだけ見事にやられたのは初めてだったからな。……正直、惚れたぜ」

 雷禍はど直球に六花にそう告げた。
 それを聴いた瞬間、六花の眼がスッと細められた。
 それと同時に、六花の表情が自信に溢れた、余裕のある笑みに変わる。

「……そうですの。で、貴方はどうしたいんですの?」
「そりゃあ、惚れた女はテメエのものにしてぇに決まってんだろ。けど、当然首を縦には振っちゃくれねえよなぁ?」
「当然ですわ。知り合ったばかりの相手にそう言われて首を縦に振るほど、私は安売りはしませんわよ」
「まあ、そうだろうな。ハッ、これから面白くなりそうだぜ」
「あら、貴方にとって恋は遊びなんですの?」

 不敵な笑みを浮かべる雷禍に、六花は試すような視線を投げかけながら微笑む。
 その一言で、雷禍の表情が一変した。

「おい……見くびってんじゃねえぞ! 本気に決まってんだろうが!! 遊ぶための女に惚れたりなんざしねえ!! 俺が惚れたって言うときはな、その女に命を賭けても良いと思ったときだけだ!!」

 凄まじい勢いで恫喝する雷禍。
 六花は眼を閉じ、その言葉を静かに聞き入れる。
 そして、しばらくしてから小さくため息をついた。 

「……それを聞いて安心しましたわ。貴方がこれから何をしてくれるのか楽しみですわ」
「ま、楽しみに待っていてくれや。色々と考えておくからよ」

 二人はそう言うと、小さく笑いあった。
 そんな六花に、紫が近づいてくる。

「……六花、貴女随分手馴れてるわね?」
「こういう手合いはそれなりに相手していますの。男所帯の宴会なんかで結構居るんですのよ」
「その割には少し穏やかではないようだけど?」

 紫は扇を口に当て、意味ありげな微笑を浮かべて六花を眺める。
 よく見ると、六花の額には薄っすらと汗が滲んでいるのであった。
 それを指摘されて、六花はゆっくりと深呼吸をした。

「……慣れているとはいえ、ここまで本気で告白されたのは久しぶりですわよ。酒の勢いとは訳が違いますわ。それに今しがた振ったというのに、あの表情。彼とは長い我慢比べになりそうですわ」
「我慢比べね……彼が折れるのと貴女が惚れるのと、どちらが先かしら?」
「分かりませんわよ、そんな事。ただ、彼はそう簡単に折れたりはしないと思いますわよ」

 六花は涼しい表情で紫にそう答える。
 それを聞いて、紫は興味深げな視線を六花に向けた。

「へえ、その根拠は?」
「彼、楽しそうですもの」

 六花はそう言うと、薄っすらと笑みを浮かべた。
 それはどことなく楽しげなものであった。



 その一方で、男達も集まって話をしていた。
 三人で円陣を組み、こそこそと話をしている。

「おい、銀月、ギルバート。姉御の好みって分かるか?」
「……あのさぁ。何で本人の目の前で俺達に訊くのさ?」

 雷禍の質問に銀月が呆れ果てた表情でそう返した。
 すると、雷禍は居心地の悪そうな表情を浮かべた。

「そりゃあ、あれだ。ちょっとした意地っつーかなんつーか……」
「あんだけ堂々と告白しといてここでへたれるなよ……」
「うるせぇ! リア充の空気漂わせてる奴らが口を出すんじゃねえ!」

 盛大にため息をつくギルバートに、雷禍はそう怒鳴り散らす。
 すると、銀月とギルバートは眼を見合わせた。

「……リア充?」
「……俺達がか?」
「テメエら以外に誰がいるっつーんだよ! 何だか知らねえが、テメエらからは女の気配がしやがんだよ!」

 根拠の無い事を叫ぶ雷禍。
 しかし、それに対して二人は少々考え込んだ。
 そして、再びお互いに眼を見合わせた。

「……心当たりあるだろ、色男」
「……お前だけには言われたくねえよ、色男」

 二人とも相手側に心当たりがあったようで、そう言い合う。

「…………」
「…………」

 無言で見つめあう二人。

「てやっ!」
「おらっ!」

 そしてしばらくすると、二人は同時に相手に向かって飛び蹴りを放った。
 お互いの蹴り足がまっすぐ伸び、空中で交差する。

「おー、漫画で見たな、この対決。北斗飛○拳と南斗獄○拳だったか」

 その様子を、雷禍は楽しそうに眺めるのだった。
 そしていつものように始まる乱闘。

「二人とも、そこまでですわ」
「全く、貴方達は眼を離すとすぐに喧嘩するわね」

 そこに、六花と紫が割って入った。
 六花がギルバートを押さえつけ、紫がスキマで銀月を逆さ吊りにする。

「あ、これはその場のノリって奴で……」
「言い訳しないの。本人にその気が無くても、周りから見れば立派な喧嘩よ」

 紫はそう言いながら銀月のわき腹を指で突きだした。
 すると銀月はそのくすぐったさにびくりと仰け反った。

「はうあっ!? ちょっと紫さん、やめ、うわあっ!?」
「あら、いい反応。貴方、わき腹弱いのね」

 銀月のわき腹を、紫は楽しそうに突きまわす。
 その度に、銀月はそれから逃れようと活きの良い魚の様に暴れまわった。
 そしてしばらく遊ばれた後、銀月は開放された。

「はあ……もう、いきなり何をおうわっ!?」

 今度は搦め手を取られてうつ伏せに押し倒された。
 そしてその上からわき腹をくすぐられる。

「おお、面白れえ。うりゃうりゃ」

 その下手人であるギルバートは、日ごろの恨みを晴らさんばかりに弄り倒す。
 銀月は逃れようともがくが、腕を完全に取られているため身動きが取れない。

「あうっ、うあっ、この、いい加減にしないと!」
「いてぇ!?」

 次の瞬間、ギルバートは横に弾き飛ばされた。
 銀月の札による一撃を横から加えられたのだ。
 そうして自由になると、銀月は素早く立ち上がった。

「全く……そういえば、何で六花姉さんが? 父さんはどうしたのさ?」
「お兄様なら、今人里の巡回に出てますわよ。だから私がお兄様の代理で来たんですの」
「へえ、姉御に兄貴が居んのか?」

 六花の話に興味を持ち、雷禍が話しかけてくる。
 それに対して、六花は頷いて答える。

「ええ、居ますわよ。銀の霊峰の首領を務めるお兄様ですわ」
「銀の霊峰っつーと、幻想郷の軍隊の頭ってか。姉御より強えのか?」
「強いなんてもんじゃないですわよ。私だって一回も勝ったことありませんわ」

 六花は自分の兄の強さを楽しそうに語る。
 すると、雷禍の眼が丸く見開かれた。

「姉御でも勝てねえのか? 俺をあっさり負かしたってのに?」
「そりゃあねえ。ただの付喪神が強さを認められて戦神にまでなった、って言う逸話付きだものねえ」
「……なりたくてなった訳ではないがな」

 紫が逸話を語っていると、銀の髪の青年がやってきた。
 手には黒い漆塗りの柄の槍が握られており、背中には赤い布に巻かれた長物が背負われていた。
 件の戦神になった付喪神である。

「あら、お兄様? 人里の警邏に出ていたのではありませんの?」
「……つい先程報告を受けてな。問題がないと判断してこちらに急行した。……もっとも、来る最中に別の用事が出来たがな」
「別の用事?」
「……ああ。銀月を捜して博麗の巫女が徘徊をしていた。それと、箒に乗った魔法使いがギルバートを捜していた。声をかける義理も無かった故素通りしたが、見つけたら伝えておこうと思ってな」
「その二人ならそこに居るわよ。ついでに貴方のお目当てもね」

 紫の一言を受けて、将志は雷禍のほうを向く。
 そして黒耀の瞳が彼を捉えると、小さく息を吐いた。

「……お前が新参者か」
「おう。テメエが槍ヶ岳 将志か?」
「……如何にも、俺が槍ヶ岳 将志だ。さて、俺の名前を出したという事は俺に何か用か?」
「ハッ、分かってやがるくせによく言うぜ。テメエの眼を見りゃ分かる」

 雷禍は不敵に笑いながら、将志の眼を見てそう言った。
 それを聞いて、将志も楽しそうな微笑を浮かべた。

「……ほう。成程、勘違いであったならば申し訳ないと思って尋ねさせてもらったが、余計な世話だったか」

 将志をそう言うと漆塗りの槍を地面に置き、背負った長物の布を取り払った。
 中からはけら首に銀の蔦に巻かれた真球の黒耀石を埋め込まれた、全身が銀色に輝く直槍が表れた。
 将志はそれを軽く振ると、目の前の挑戦者に笹葉型の穂先を向けた。

「……一撃。これがお前を仕留める為に必要なものだ」

 将志は雷禍の眼を見て、ただ一言そう言った。
 それを聞いて、雷禍は面白そうに笑った。

「言うじゃねえか……後で吠え面掻くんじゃねえぞ!」

 雷禍はそう言うと、刀を抜いて将志に向かっていった。
 相手をかく乱するように動き回りながら将志へと攻め込む。
 そして、将志に切りかかろうとした。

「うっ!?」

 しかし、その自分の真正面に添えられている槍から強烈な威圧感を感じて攻撃を取りやめた。
 雷禍は素早く間合いを取り直して、目の前の相手を見据える。

「……どうした? 俺はただ構えているだけだが?」

 動かない相手に、将志はニヤリと笑いながらそう言った。
 将志は雷禍を正面に据えてただ構えているだけであり、槍は微動だにしていない。
 しかし、雷禍は相手を睨む事しかしていない。

「……どうなってやがる……攻め込めねえだと?」

 雷禍は目の前の男に困惑していた。
 相手はただこちらに槍を向けているだけである。
 しかし、何処にどう攻め込んでも自分が返り討ちにあう未来しか見えないのだ。
 その呟きを聞いて、将志は不敵な笑みと共に口を開いた。

「……それが構えというものだ。構えの一つで場を制する事が出来る。今、この場においては俺は完全にお前の動きを支配しているというわけだ」
「んなら、俺はそれごとねじ切ってやるぜ!」

 雷禍はそう言うと、大きく後ろに跳んで間合いを取ろうとする。
 すると、それと全く同じ速度で将志は間合いを詰めてきた。

「なあっ!?」

 雷禍が驚きの声を上げた瞬間、将志は動きを止めた。
 両者共にその場で立ち止まる。
 将志の槍の切っ先は、雷禍の心臓の前でぴったり止められていた。

「……宣言どおり、一撃だ。これを通していれば、お前は落命していたであろう」

 将志はそう言うと、槍を収めた。
 もはや将志は雷禍を相手にしておらず、全てに決着がついているかのようである。
 そんな将志に、雷禍の口から思わず乾いた笑みが漏れる。
 何故なら、将志は自分と全く同じ速度とタイミングで動いてきたのだ。
 その行動から、雷禍は思いっきり手加減されていたことに気がついたのであった。
 その事実は雷禍の心中に大きな動揺をもたらした。

「……は、はは、いつでもやれたってか?」
「……俺がお前を本気で殺すつもりならば、最初の時点でお前は死んでいる。力が強い故にそれに驕り、技が未熟なままだ。それ故、力量の高い相手にはなす術も無くなるのだ」

 将志は雷禍の敗因を淡々と告げる。
 それを聞いて、雷禍はその場に座り込んだ。

「……化け物が」
「……お前が力でねじ伏せてきた相手も、お前のことをそう思ったことだろうな」

 雷禍の口からもれ出た言葉に、将志はそう言って答える。
 その横から、六花が将志に話しかけた。

「容赦ないですわね、お兄様。何もそこまでしなくとも良いでしょうに」
「……新参者、特にこういう力の強いものに力関係をはっきりと示しておくことは重要なことだ。そのためにも、相手の心を折るような戦い方をせねばならん。それだけのことだ」

 将志は六花に雷禍を叩きのめした理由を淡々と語った。
 するとそこに、新たにやってきた二つの人影が降り立った。
 一人はモノトーンの服装に黒いとんがり帽子を被り、箒を持った魔法使いの少女。
 もう一人は脇の開いた紅白の巫女服を着た黒髪の少女であった。

「お、何だか色々集まってんな。さっきの嵐はこの辺だったと思うんだが……」

 魔理沙は集まっている面々を見てそう話す。
 その横で、霊夢が見知った人影を見つけて話しかけた。

「あれ、紫? それに銀月のお父さん? 何であんた達がここに居るの?」
「……異変の解決なら終わっているぞ? 今回は外部からの侵攻だったが故、そちらではなく我々の管轄だからな」

 将志は霊夢に今回の出来事に関する説明を簡潔に行う。
 するとそこに霊夢達の到着に気がついた銀月とギルバートがやってきた。
 二人はそれぞれに話しかけた。

「あれ、霊夢? どうしてここに居るのさ?」
「いきなり局地的に嵐が起きれば異変を疑うわよ。たまたま外に出てたから、ついでに見ておこうと思ったのよ。そんなことよりここに居たのね、銀月。さあ、早く帰りましょ。あんたの淹れたお茶が飲みたいわ」

 霊夢はそう言うと銀月の手首を掴む。
 その言葉に、銀月は白い眼を霊夢に向けた。

「……まさか外に出た理由ってそれじゃないだろうね?」
「何だって良いじゃない、理由なんて。さあ、早く行きましょ」

 霊夢は笑顔でそう言いながら、銀月の手首をくいくいと軽く引っ張って帰宅を促す。
 それは銀月の質問に対する言外の回答であった。
 そんな霊夢に、銀月は苦笑いを浮かべてため息をついた。

「やれやれ、しょうがないな。まあ、俺も用件は済んだことだし帰るとするか」
「ああ、働いたら何か喉が乾いちゃったわ。ついでだから私も飲んでいこうかしら?」

 博麗神社に帰ろうとする銀月に、紫がそう告げる。
 それを聞いて銀月は考え出した。

「んじゃ、三人分か。えっと、今三人分あるお茶請けは……」
「帰ってから直接見れば良いじゃない。ほらほら、さっさと帰るわよ!」
「うわっ、引っ張るなって!」

 考え込む銀月を、霊夢が強引に手を引っ張って帰る。
 銀月は慌てて思考を中断してそれについて行き、紫もその後に続いて飛んでいった。

 一方、ギルバートは魔理沙に声をかけていた。

「で、何で魔理沙がここに居るんだ?」
「私は霊夢の付き添いだぜ。そんなことよりギル、新しい魔法の術式を組んでみたんだけど、一緒に見てくれるか?」

 魔理沙がそう言うと、ギルバートは額に手を当ててため息をついた。

「おい、お前の師匠はどうしたんだよ。そっちに見せるのが先だろうが」
「ん~、魅魔様よりもギルの方が話しやすいから先に見てもらおうと思ったんだ。お礼にお茶くらい出すから頼むぜ」

 呆れ顔のギルバートに、魔理沙はそう言って食い下がる。
 その様子を見て、ギルバートは苦い表情を浮かべた。

「……その様子じゃお前の家に行くのか。また散らかしたりしてねえよな? この前みたいに俺が入った瞬間雪崩とか勘弁だぞ?」
「お、おう、大丈夫だぜ」

 ギルバートの言葉に、魔理沙はしどろもどろになりながらそう答えた。
 その眼は泳いでおり、明らかに挙動不審である。
 そんな魔理沙を見て、ギルバートは力なく首を横に振った。

「……OK、わかった。今日もまた片づけからだな」
「あ、おい! 大丈夫だって言ってるだろ!」

 諦めたようなギルバートの言葉に、魔理沙が心外だと言った様子で抗議する。
 しかし、ギルバートはそれを一笑に付した。

「この場合のお前の大丈夫は1μたりとも当てにならねえよ。おら、さっさと行くぞ。片づけしてから魔法を見るんじゃ時間が掛かるからな」
「あ、待てよギル~!」

 魔法の森に向かって飛んでいくギルバートを、魔理沙は慌てて追いかけて行った。

 そんな一行を見送ると、六花が将志に声をかけた。

「お兄様、この後どうするんですの?」

 六花が声をかけると、将志は懐から懐中時計を取り出して時間を見た。
 すると、将志の表情が見る見るうちに蒼くなっていった。

「……しまった、藍に戦闘訓練をつける時間を過ぎてしまっている。急がねば……」
「ああ、その必要は無いよ将志」

 急ごうとする将志の隣に、唐突に黄金の九尾を持つ女性が現れた。
 どうやら妖術で姿を隠して近くで見ていたようであった。
 彼女は現れると、将志に正面からそっと抱きついた。

「……藍」

 将志は蒼い顔のまま藍が抱きつくのを受け入れる。
 自分に落ち度があるため、将志は文句の一つも言わない。

「いけないな……待っていたのに何の音沙汰もなし……そして捜しに来てみれば忘れていたとは……全く、涙が出てくるな。私はお前に忘れられるほど小さな存在なのか?」

 藍は妖艶な笑みを浮かべて、少し拗ねたような、それでいて色っぽい声色で将志の耳に囁く。
 そして、将志の耳を甘噛みした。

「ぐあっ!? うっ……?」

 将志の体がびくりと跳ねた瞬間、藍はその眼で将志の黒耀の瞳を覗き込んだ。
 すると将志の瞳が段々と虚ろなものになり、その場に立ち尽くした。
 心ここにあらずといった状態の将志と見て、藍は満足そうにその胸に頬を寄せた。

「……さて、少々お仕置きしないとな。ふふふ……この胸の寂しさ、しっかりと埋めさせてもらうぞ」
「……」

 妖しく笑う藍の言葉にも将志は答えない。
 そんな将志の様子を見て、六花が藍に問いかけた。

「……藍さん、貴方何をしたんですの?」
「心の空白を狙って妖術をかけたのさ。『あらゆるものを貫く程度の能力』も、貫く意思がなければ意味がないからな。驚いて出来た心の隙間を狙えばこの通りさ」
「恐ろしいことをしますわね……」

 藍の所業に六花は思わず後ずさる。
 それを見て、藍は苦笑いを浮かべた。

「ああ、流石にこのまま最後の一線を越えるなんていうことはしないぞ? 私はやはり反応が返ってくるほうが好みだから、ある程度満足したら妖術は解くさ」
「いえ、そう言う問題でも……」

 六花は論点のずれている藍に反論しようとするも、何だか無駄っぽい気がしてやめる。
 すると、藍が思い出したように頷いて口を開いた。 

「ああ、そうだ。橙が六花に会いたいと言っていたぞ。ちょうど今家に来ているんだが、来てもらえないか? 私は少々手が離せないのでね」
「……まあ、仕事自体は愛梨に任せてあるから大丈夫ですわよ。それじゃあ、行かせて頂きますわ」
「よし。では、先に行っているぞ」

 藍はそう言うと、将志に姫抱きにしてもらって空を飛ぶ。
 将志の体を操ってやりたい放題している藍に、六花は思わず苦笑した。

「了解ですわ。と言うわけで雷禍さん、私達はこれで失礼しますわ。私に用があるときは銀の霊峰まで来てくださいまし。では、ごきげんよう」

 六花は笑顔でそう言うと、藍が向かった方向へと飛んでいった。
 後には雷禍が一人で取り残された。
 そして彼は、握りこぶしを作りながら肩を震わせ、大きく息を吸い込んで力の限り叫んだ。





「……リア充共爆発しやがれええええええええ!!!!!!」





 彼の魂の大絶叫は、草原に空しく響き渡った。





[29218] 銀の槍、診療を受けさせる
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/08 00:47

 銀の霊峰の境内で、二つの影が激しくしのぎを削る。
 一つは銀の髪に小豆色の胴着に紺色の袴に銀の槍。
 もう一つは黒の髪に白い胴着袴に鋼の槍。
 二人は宙を舞いながら、手にしたそれぞれの槍でぶつかり合う。

「そらっ!」

 銀月は一気呵成に将志へと攻め込む。
 重たい鋼の槍をまるで木の棒切れを扱うかのごとく振るい、相手に攻撃の隙を与えまいとする。

「……ふっ」

 それに対して、将志はゆらゆらと揺れるような動作で躱してゆく。
 そして、突如として銀の槍を振るいながら大きく前に踏み込んだ。

「うわっ!?」

 鋼の槍を軽々と弾かれ、銀月はとっさに間合いを取ろうとする。
 しかし、将志はすでに前には居なかった。

「……まだまだ脇が甘いな」

 真横から聞こえてくる低目のテノールの声。
 銀月の顎の下には銀の槍の穂先が添えられている。

「……降参だよ、父さん」

 そんな様子を受けて、銀月は両手を上に上げた。
 この勝負、将志の勝ちである。
 するとそこに、黒い戦装束に臙脂色の胸当てをつけた少女がやってきた。

「二人ともお疲れ様でござるよ。銀月殿も順調に成長しているでござるな?」
「ありがとう、涼姉さん。けど、姉さんたちに追いつくにはまだまだだよ」

 声をかけてくる涼に、銀月は苦笑いを浮かべてそう返した。
 するとその横で難しい表情を浮かべた将志が口を開いた。

「……涼、気がついたのはそれだけか?」
「……これは言って良いんでござるか?」

 将志の質問に、涼は少し気まずそうな表情を浮かべた。
 どうやら銀月の動きに何か違和感を感じた様である。
 その様子に、将志は頷いた。

「……構わん。言ってしまえ」

 将志の言葉を聴いて、涼は頷き返した。
 そして、やや真剣な表情で銀月を見据えた。

「……銀月殿。拙者は今、順調に成長していると言ったでござるな?」
「ああ、そう言ったね」
「はっきり言うでござる。銀月殿、成長の仕方が少しおかしいでござる」
「……え?」

 涼の言っていることの意味が分からず、銀月は首をかしげた。
 そんな銀月に対して涼は説明を続ける。

「技の切れや体捌きが上手くなるのは分かるんでござる。けど、技の速さそのものがあっさり速くなるのはおかしいでござるよ」
「……そう?」
「……幾らお前が『限界を超える程度の能力』を持っているとは言え、身体能力の増加量が異常だ。正直、妖怪化が始まっていると言われても不思議ではないほどにな」

 首をかしげる銀月に、将志が自分の思うところを伝える。
 すると、銀月は途端に慌てた表情を浮かべ始めた。

「え、え、俺周りから妖怪に思われることはしていないぞ?」
「……もしかすると、どこかからお前が翠眼の悪魔であると言う情報が流れたのかもしれん。情報は存在する以上、完璧に守られると言うことは稀有だ。何かの拍子に広まったとしても全く不思議ではない」
「うげぇ……俺、知らないうちに人間やめてましたとか嫌だぞ……」

 将志の推論を聞いて、銀月は頭を抱えて苦い表情を浮かべた。
 そんな銀月を見て、将志は苦笑いを浮かべた。

「……心配せずともお前の体から出ているのは『まだ』霊力だ。だが、そうとなるとお前の体に何の異常が起きているのかが分からん。と言うわけで、今日は出かけるぞ」
「出かけるって……」
「……アグナ! 居るか!?」

 将志は境内に響くような声でアグナを呼んだ。
 すると、燃えるような紅い髪の小さな少女が将志の元へとやってきた。

「お、どうしたんだ兄ちゃん?」

 アグナは呼ばれて嬉しそうに笑いながら将志に近寄って来た。
 そんなアグナに微笑み返しながら、将志は要件を告げる。

「……銀月を医者に連れて行く。留守は任せた」
「何だ何だ、銀月病気なのか?」

 将志の告げた要件に、アグナの顔が少し真面目なものになる。
 そのアグナの質問に、将志は小さく首を横に振った。

「……そう言うわけではないが、少々気になることがあるのでな。念のため診察してもらうのだ」
「う~ん、俺の他には誰もいねえのか?」
「……愛梨も六花も今は出ているからな……下の面倒ならある程度であれば涼も見られると思うが」
「槍の姉ちゃんか……まあ、何とかなるか?」

 アグナは難しい表情で腕を組みながらそう話す。
 それを見て、将志は首をかしげた。

「……何か取り込み中なのか?」
「あ~……まあちっとな。今特訓中なんだ」
「……特訓?」
「ちょっとアグナ! あたいと大ちゃんとの勝負を投げて何やってるのさ!」
「チルノちゃん、アグナちゃんもお仕事があるんだからちょっと待とうよ……」

 将志が問い返すと同時に、聞き覚えの無い少女の声が横から飛んでくる。
 その方を見てみると、氷の翅をもった青い氷精と、緑色の髪の妖精が宙に浮かんでいた。

「ちょっと待ちな! 今兄ちゃんと話をしてんだからよ!!」

 アグナはその妖精達に対して大声で答えを返す。
 そんなアグナに、将志は質問を投げかけた。

「……あれは、妖精か?」
「おう、最近の妖精としちゃなかなかやるから、ちっと鍛えてみようと思ってな」
「……それで、強さのほどは?」
「そうだな……上手くすりゃ化ける。こいつらはそれくらいの強さだ。特にチルノ、あの氷精の方はすごいことになると思うぜ?」

 アグナは楽しそうにチルノ達の強さの見立てを告げる。
 それを聞いて、将志も楽しそうな笑みを浮かべた。

「……成程。それは楽しみだ。これで内政も出来れば文句はないが……」
「……兄ちゃん」

 将志の言葉に、アグナは目を伏せて力なく首を横に振った。

「……良く分かった」

 それを見て、将志も何とも言えない表情を浮かべて首を横に振るのだった。

「……それで、大丈夫そうか?」
「おう! まあ、何とかしてやるぜ!!」

 気を取り直して将志が尋ねると、アグナは元気良くそう答えた。
 それを聞いて、将志は微笑と共に頷いた。

「……恐らく、帰ってくるのは明日の朝になるだろう。帰ったら何か一品作ってやろう」
「おう……あのな、兄ちゃん。明日なんだけど……」

 アグナはそう言いながら頬を染め、熱の篭った視線で将志を眺める。
 その視線に、将志はアグナが何を言いたいのか正しく理解した。

「……了解した。なるだけ予定は空けておこう」
「ありがとな。それと……大好きだぜ、兄ちゃん」

 アグナはそう言いながら将志にぎゅっと抱きついた。
 将志はそんなアグナの頭を優しく撫でる。

「……どうしたのだ、いきなり?」
「へへっ、何となく言ってみたくなっただけだ。んじゃ、明日を楽しみにしてるぜ!!」

 アグナはそう言うと、チルノ達のところへと勢い良く飛び出していった。
 それを見送ると、銀月の方へと向き直った。

「……さてと、行くぞ銀月」
「うん、わかった」





 所変わって永遠亭。
 そこでは、将志が己が主である銀髪に紺と赤の服を着た女性に話をしていた。
 その話を聞いて、主こと永琳は納得したように頷いた。

「成程ね。銀月の体の成長が異常だから、念のため調べて欲しいって訳ね」
「……そう言うことだ。主、頼めるか?」
「任せておきなさい。それじゃ、待っているあいだ輝夜達の相手を頼むわね」
「……了解した」
「うどんげ、銀月の診察をするから手伝いなさい」
「あ、はいっ!!」

 話が終わると、永琳は鈴仙と銀月を連れて居間から退出する。
 それを見届けると、将志は畳の上に寝転がって頬を膨らませている少女に眼を向けた。

「……ところで、何故輝夜はそこで不貞腐れているのだ?」
「ああ、それの下手人ならあんたの妹よ」

 将志の質問にてゐがニヤニヤと笑いながら答えた。
 それを聞いて、将志は額に手を当ててため息をついた。

「……つまり、六花に手酷くやられてそうなったと」
「そういうこと。ホント、灰になったりおもちゃにされたり忙しい姫様だこと」
「うっさいわよ、てゐ! ……ああもう、何でいっつもこんな目に遭うのよ!?」

 輝夜はてゐの言葉に反応して起き上がり、近くにあった座布団を殴り始めた。
 そんな輝夜に将志が声をかける。

「……輝夜、気晴らしに運動でもするか?」
「……お願いするわ。いつまでもやられっぱなしは嫌だもの」

 輝夜が立ち上がるのを確認して、将志は庭へと出て行く。
 庭に出ると、将志は背負った槍を手に取り軽く準備運動をした。

「……先に言っておく。今日の俺は普通の人間程度の能力から始める。輝夜の行動によってこちらは段々本気を出していくから、そのつもりでな」
「分かったわ。あんたに本気を出させればいいのね」
「……そう言うことだ。では、始めるぞ」

 将志がそう言うと、二人は戦闘行為を開始した。
 将志は自分の力を最小限に抑え、迫り来る輝夜の弾幕を避けたり槍で弾いたりする。
 輝夜の攻撃は本気を出させようと躍起になっているためか、かなり苛烈である。
 それにより、次第に将志が弾く弾丸の数が増えてきた。

「……流石に普通の人間レベルでは無理か。では、並の妖怪退治屋くらいの力量で行くぞ」
「ええ、どんどん来なさい!」

 輝夜の力量にあわせて、将志は段々とレベルを上げていく。
 最初は避けるだけだったものも少しずつ反撃を織り交ぜるようになり、色鮮やかな弾幕に混ざって銀と黒の弾丸が見られるようになってきた。
 それに応じて、輝夜も飛んでくる弾丸を避けながら将志を攻め立てていく。

「……なかなかにやるな。では次だ」
「っ!?」

 将志が宣言した瞬間、輝夜を狙い済ましたかのように妖力の槍が飛んできた。
 突然の正確な一撃に、輝夜は肝を冷やした。

「……銀の霊峰門番、要するに銀月と同格の力量だ。ここからは今までのような力押しは通用せんぞ」

 そう宣言すると同時に、将志の攻撃は穏やかなものになった。
 しかし先程よりも数が少なくなった代わりに、輝夜が居る場所を正確に射抜いてくるようになったのである。
 避けたと思ったところに正確に飛んでくる第二射。これにより、輝夜は一気に劣勢に立たされた。

「このっ!」
「……おっと」

 必死に回避しながら弾幕を放つ輝夜。
 将志は冷静にその攻撃を躱していく。
 その動きは穏やかで、一切の無駄が無い。

「……そらっ」
「きゃあ!?」

 一瞬の隙を突いて将志は接近し、槍で輝夜の脚を払う。
 輝夜はバランスを崩し、墜落していく。
 それを将志は空中でしっかりと受け止めた。

「……相手の動きを見ようとするな。相手の心を読め。動きを見てから行動するのでは遅い。それから、間合いには常に気を配るべきだ。今の間合いは輝夜には些か近い様だからな」
「ちょっと、銀月ってこんなに強いの?」

 アドバイスをする将志に、輝夜は不満げな声を上げた。
 自分より遥かに年下のレベルで負けたのだから、それも当然であろう。
 それを聞いて、将志は何処と無く誇らしげに微笑んだ。

「……ふ、銀月が本気を出せばこれよりももっと強い。相手の動きを読む程度のことは当たり前にしてくるぞ。今の力は銀月の本気から二段階下だ」
「そ、そんなに?」
「……もっとも、銀月は遠距離戦よりも接近戦を好む。弾幕ごっこに限れば、地力で勝る輝夜の方が強いのではないか? 銀月個人の力はあの年齢の人間にしては確かに高いが、それでも輝夜の方が遥かに力は強いのだからな」

 将志は輝夜と銀月の戦力差を冷静に分析した。
 それを聞いて、輝夜は首をかしげた。

「ねえ、銀月「個人」のってどういう意味?」
「……それは、銀月は俺の力を借りられるからな。銀月が俺の力を借りれば、妹紅を相手に互角以上に戦うことが出来るであろう」
「……銀月に追い抜かれるって何か悔しいわ……」

 輝夜は憮然とした表情で悔しそうにそう呟いた。
 将志はそれに対して首をかしげた。

「……とは言うものの、輝夜も随分成長していると思うが? 恐らく、妹紅もお前相手に苦戦し始めていると思うのだが」
「そう言えば、前ほどあっさりとはやられなくなったわね。負けるときも、単なる避け損ねをもらってるくらいだし」
「……となれば、輝夜の課題は攻撃か。妹紅は長いこと俺を相手にしていたせいか、攻撃を躱す勘がずば抜けているからな……」
「それって、将志を相手にしていれば済む話じゃない。避けることに関しては将志はお化けなんてレベルじゃないんだしさ」
「……良いだろう。ならば本気でお前の攻撃を避け続けてやろう。さあ、掛かってくるが良い」

 そう言うと、再び戦闘訓練を開始する。
 将志は先程と同じように輝夜を狙い打つように槍を投げ続ける。
 対する輝夜は将志の攻撃を避けながら将志に全力で攻撃を仕掛ける。
 将志はその弾幕を先程とは違い受けることをせず大きく動きながら避けていく。
 それにより、輝夜も様々な方向から飛んでくる槍に揺さぶられることになった。

「はあ、はあ……ぜ、全然当たらないわね……」
「……はっきりと言おう。お前の攻撃は避けるのが簡単なのだ。弾丸が相手に密集する分、破壊力は高く力の効率も良い。だが、それゆえに読まれやすく避けることも容易い」

 揺さぶられ続けて息が上がる輝夜に、将志は評価を下していく。
 輝夜は息を整えながらそれを聞いていく。

「じゃあ、どうすれば避けにくくなるのよ?」
「……相手を良く見ろ。そして、その癖を掴み心を読め」

 その言葉を聴いて、輝夜は疲れた表情で肩を落とした。

「……言いたい事は分かったわ。ついでに言えば将志相手には役に立たないことも」
「……そうだな」

 相手の行動を先読みしても、『悪意を察知する程度の能力』で更にそれを先読みされてしまう。
 それを指摘されて、将志は気まずそうに眼を伏せた。
 そんな将志に近づく者が。

「お父さん、診察終わったよ」
「……む、終わったか銀月……?」

 声をかけられて返事をしたものの、違和感を感じて首をかしげる。
 何故なら、掛けられた声は大人しめの少女の声だったからである。

「うん、異常は特になかったよ」

 その声の方角を向いてみると、黒髪をショートカットにした少女が立っていた。
 服装はワイシャツにブレザー、それにスカートといった出で立ちであった。
 良く見てみれば、鈴仙と同じ服装である。

「……誰、この子?」

 輝夜は見覚えのない顔に怪訝な表情を浮かべる。
 その一方で、将志が呆れた表情でため息をついた。

「……銀月、何のつもりだ?」
「え、この子銀月なの!?」

 将志の言葉に輝夜が驚いた表情を浮かべる。
 何故なら、その少女の顔は中性的な銀月の顔よりも更に女顔であったからだ。
 将志はその気配から銀月であることを察して声をかけたのであった。
 それに対して、銀月と思われる少女は困った表情を浮かべた。

「それがね……診察を受けている間にてゐちゃんに服を全部持って行かれちゃったの……それで風邪引くといけないからって、服を探したんだけど……」
「大きさが合うのがうどんげの服しかなかったって訳よ」
「あはははは……まさかここまで似合うとは思いませんでしたけどね……」

 少女の声で話す銀月の後ろから、永琳と鈴仙がやってくる。
 その表情は二人とも苦笑いである。

「……収納札はどうした? あの中には服も入っているだろう?」
「それも全部てゐちゃんが持ってるよ……」
「……そうか……」

 困り顔の銀月に、将志は苦い表情を浮かべる。
 その一方で、銀月は鈴仙に話しかけた。

「でも、本当に良かったの? 男の子に自分の洋服貸すのって抵抗無い?」
「良いよ。洗えば良いんだし、風邪引かれるほうが困るよ」
「そっか。ありがとね」

 銀月はそう言って微笑んだ。
 その柔らかな笑みは、優しく可愛らしいものであった。

「それにしても、銀月くんって根っからの役者なのね。服着たら完全に女の子になってるし」
「どうせやるならって化粧までしたものね。化粧の仕方の良い勉強になったわ」

 永琳は可愛らしく化粧が施された銀月の顔を見てそう言った。
 それを聞いて、輝夜は呆れた表情を浮かべた。

「勉強って……えーりん、見せる相手なんて居ないじゃない……」
「居るわよ。素顔で接するのもいいけど、やっぱり好きな人には綺麗な自分と言うのも見て欲しいものでしょう? ねえ、将志?」
「(やば、地雷踏んだ)」

 少々熱の篭った視線を将志に向ける永琳を見て、輝夜は苦い表情を浮かべた。その横では、鈴仙が乾いた笑みを浮かべている。
 そして永琳の視線を受けて、将志は少し考えた後で納得したように頷いた。

「……成程、男が女の前で格好を付けるのと同じことか」
「その割には、将志はいつも自然体よね。私の前じゃあまり格好付けるようなことはしないし」

 永琳は少し不満げな表情で将志を見つめる。
 どうやら彼女としては将志が少し見栄を張ったりするところが見てみたい様である。
 それに対して、将志は平然と答えた。

「……当たり前だ。格好を付けると言うことは、それだけ本来の自分を隠してしまう。親しい相手にそのようなことをされては寂しいだろう?」
「そうね、そう言う考え方もあるわね。でも、あなたは意識しなくても十分格好付くじゃない。ねえ、銀の英雄さん?」

 永琳は少し意地の悪い笑みを浮かべて将志にそう言った。
 すると将志は照れくさそうに永琳から顔を背けた。

「……やめてくれ。正直、その呼び名だけはどうにも慣れそうにない」
「ふふ、ごめんなさい。私はあなたにもっと好かれたくて必死なのよ。だから、あなたみたいに自然に格好が付かない私は色々努力するのよ」
「……主が自然に格好付かないなどと言うことはないだろう。むしろ俺が釣り合うかどうか怪しいくらいだ。それに、俺は主に好意をもって接しているつもりだが……」
「足りないわよ、全然。前にも言ったでしょう、私はあなたの全てが欲しい。そのためには、あなたが私しか見えなくなるくらいのことをしないとね」

 永琳はそう言いながら将志に腕を絡ませる。
 そんな彼女の頬を、将志はそっと撫でた。

「……欲張りだな、主」
「あなたのことですもの」

 二人はそう言ってお互いに見つめあいながら笑った。
 二人の間に流れる空気は暖かく、それでいてとても甘いものであった。

「……銀月、コーヒーの用意」

 その様子に、疲れた表情で輝夜がそう口にした。
 更にその横で、鈴仙が乾いた笑みを浮かべている。

「……もう行ってますよ、姫様」
「……いつから?」
「……姫様が地雷を踏んだときからです」
「お待たせ。コーヒー淹れてきたよ」

 二人が話しているちょうどその時、銀月がお盆に三人分のコーヒーを持ってやってきた。
 それを受けて、輝夜はその場から逃げるように銀月のところへとやってきた。

「最高のタイミングで戻ってきたわね。さあ、早くちょうだい」
「そんなに焦らないの。急いで飲んだりすると胃に悪いから、ゆっくり、ね?」

 銀月は母親のような柔らかい笑みを浮かべて輝夜にコーヒーを渡す。
 渡し終えると、今度は鈴仙のところへとコーヒーを持っていった。

「はい、これ鈴仙さんの分ね」
「あ、ありがとう」

 銀月が鈴仙にコーヒーを差し出すと、鈴仙はどこか困惑した表情でそれを受け取る。
 それを見て、銀月は首をかしげた。

「……どうかしたの?」
「やっぱり、銀月くんが女の子にしか見えないよ……」
「そうね……元の体系は幾ら細いとは言っても男のはずよね。何でかしら?」

 鈴仙の呟きに、横から輝夜が疑問をぶつける。
 それに対して、銀月は首をかしげて考える動作をした。

「う~ん、所作の問題かなぁ? よく分かんないけど、女の子っぽい動作をするようにはしてるよ」
「……それで可愛いのが何か悔しいなぁ……」

 銀月の言葉に、鈴仙は微妙な表情を浮かべる。
 そんな鈴仙に、銀月はキョトンとした表情を浮かべた。

「……私は鈴仙さんも十二分に可愛いと思うけどなぁ?」
「はうっ!?」

 銀月の不意打ちの言葉を受けて、鈴仙の顔が一気に紅く染まった。
 その様子に気づかず、銀月は言葉を継ぐ。

「だって、眼はぱっちりしていて顔全体のバランスが整ってるし、何より動作が可愛いもの。私の主観だけど、きっとほとんどの人が可愛いって思うんじゃないかなぁ?」
「そ、そんなこと……」
「うん、そうやって照れたりするところが可愛いと思うよ」
「あうあう……」

 笑顔でさらりとそう言う銀月に、鈴仙は何も言えずに俯いてしまった。
 それを見て、輝夜は呆れ顔で銀月を見た。

「……銀月、あんた何さらっと口説いてるのよ」
「ほえ? 口説いてるって?」

 輝夜の言葉に、銀月は驚いたような表情で彼女を見た。

「くっ……将志といいこいつといい、何でこの親子は普通の言葉と口説き文句の区別も出来ないの?」

 そんな銀月の態度に、輝夜はそう言って頭を抱えるのだった。
 その横で、二人の世界から帰ってきた将志が銀月に話しかけた。

「……ところで銀月。てゐを捜さなくていいのか?」
「晩ご飯の前には出てくると思うし、良いんじゃないかな? それに、そのまま逃げるってことは絶対ないもん」
「……なるほど、確かに銀月の状況を楽しむことが目的なら、逃げてしまっては意味が……そこだ!」
「ぎゃふん!?」

 突如として将志は庭の木の陰に向かって槍を投げた。
 するとそこに隠れていた者に当たったらしく、声が聞こえてきた。
 将志は苦しげにうずくまるその者の後ろに素早く回り込んだ。

「……気配の消し方が不完全だ。それでは俺から隠れることなど出来ん」
「や、やばっ! うっ!?」
「……俺から逃げられると思うか?」

 逃げようとするてゐの行き先に素早く回りこむ将志。
 そして狼狽するてゐの肩を、後ろからがっしりと捕まえる影が一つ。

「うふふ、私も居るんだよ?」
「あ、ああ……」

 銀月はてゐの肩を掴み、耳元でそう囁いた。
 その表情は笑顔で、そこの知れない恐怖を感じられる笑みだった。
 その瞬間、てゐの顔からサッと血の気が引いた。

「……さて、人に迷惑をかけた戯け者には相応の罰が必要だな、銀月?」
「うん……そうだね♪」
「ひ、は、放せ!!」

 銀月は将志と笑顔で頷きあうと、てゐを抱えて裏へと歩いていく。
 てゐは抵抗するが、銀月はしっかりと捕まえていて逃げ出すことは叶わなかった。

「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ……」
「いやああああああああああああああああああああああああああ!!」

 しばらくして、少女のような銀月の笑い声とてゐの悲鳴が聞こえてきた。





 所変わって、永遠亭の奥まった場所にある縁側。
 立派な松が植えられている裏庭に面したそこは、永遠亭のウサギ達の声も届かない。
 そんな住人であっても滅多に近寄らないそこに、二つの人影が腰を下ろしていた。

「……さて、こうして俺だけにしか聞かせられないということは、銀月の体に何か異常があったのか?」

 将志は永琳に真剣な表情でそう尋ねた。
 それに対して、永琳は笑顔で答えを返した。

「特には異常は見られなかったわよ。むしろどうやったらあんなに健康で居られるのか気になるくらいよ」
「……健康すぎる、と言うことか?」
「と言うよりも、能力が優秀なんでしょうね。『限界を超える程度の能力』はどうやら銀月の意思とは関係なく体の再生機能を向上させるみたいね」
「……だが、それだけでは異常な身体能力の向上はどう説明をつければ良いのか分からんな」
「そうでもないわよ? 成長速度と成長力の限界を無意識に超えた、と仮定すれば異常な成長速度も納得できるわ。ついでに鍛えているのにあれだけ細いのも関係しているかも知れないわね。それから、『限界を超える程度の能力』自身が成長して更に能力が引き出せるようになったも考えられるわ」
「……成程。確かにそれなら説明が出来る。全く、便利な能力を手に入れたものだな、あいつは」

 二人は銀月の診断結果にそう言って話し合う。
 すると、永琳は呟くように疑問を呈した。

「ねえ、『限界を超える程度の能力』って何なのかしらね?」
「……質問の意味が良く分からんが……」
「あなたの『あらゆるものを貫く程度の能力』は分かりやすいわ。物理的に物を貫いたり、自分の信念を貫いてみたりね。でも、『限界を超える程度の能力』の使い道は広すぎるわ。物事には必ず限界がある。それは物理的なものであったり、精神的なものであったりするわ。それを崩してしまうような大きな力は、いったい何処から出てくるのでしょうね?」

 永琳は考える動作をしながらそう呟く。
 論理が様々なところに飛躍しているせいか、言っていることが良く分からなくなってしまっている。
 そんな永琳に将志は苦笑いを浮かべた。

「……すまないが、話の意味が繋がっていないぞ?」
「ごめんなさい、考え事をしているとどうにも言っていることが分からなくなるわね。でも、私が一番気になるのは『限界を超える程度の能力』の限界は何処なのかってことよ」
「……無いものの限界は超えられん、と言うくらいか?」
「それじゃあ、『限界を超える程度の能力』の限界を『限界を超える程度の能力』で超えたら?」
「……銀月が暴走をする図しか見えないのだが……」

 永琳の言葉に、将志は苦い表情でそう答えを返す。
 それに対して、永琳は真剣な表情で話を続ける。

「本当にそうかしら? 銀月が能力を使って意識を保つ可能性が無きにしも非ずよ? もしそうなったら、銀月は繰り返していくことで無限の力を取り出せることになるわね?」
「……成程、つまり銀月に聞かせられないのは封印関係の話が絡むからか」

 将志は大きくため息をついてそう言った。
 その表情は苦々しいもので、どこか苦しげであった。

「ええ……アグナが封印されるのに銀月が封印されていない……いえ、正確にはしたくても出来ないのでしょうね。だから、管理者も何も言えない」
「……そうだな。固有の能力で時を止められてもその中で動いたくらいだからな……『限界を超える程度の能力』自身を押さえ込むのは厳しいだろうな」

 永琳の言葉に、将志はどこか機械的に答えを返した。
 そんな将志の態度に、永琳は怪訝な表情を浮かべた。

「……鏡月? どうかしたのかしら?」

 永琳は将志の本来の名前を呼びながらそう尋ねた。
 すると将志は少々考えた後、大きく息を吐き出した。

「……実はな、今の銀月は暗示の塊なのだ」
「……どういうことかしら?」
「……銀月には一切伝えていないし、事実を知っているのは俺と紫だけなのだが、銀月にはそれに気づけないように何重にも暗示をかけられている。更に万が一気がついてしまった場合には、速やかに自害する様にも暗示が掛かっている」
「……何ですって……?」

 将志の話す想像以上に厳しい事実に、永琳は愕然とした表情を浮かべた。
 すると将志の表情が段々とつらそうに歪んで来た。

「……正直、つらい。誰よりも生き延びたいと思っている者が、何故これほどまでに死と隣りあわせで生きなければならんのか……それも、何かあれば幼い頃から見守っていた者や命を預けあった主、そして父と慕う俺に殺されなければならん……いったい、銀月が何をしたと言うのだ……」

 将志は俯き、震える声で自らの胸中を訴えた。
 その運命を呪う様な恨み言を聞いて、永琳は将志をそっと抱き寄せた。

「……よく話してくれたわね、鏡月」
「……××……俺はどうすれば、」

 将志はその先を口にすることが出来なかった。
 何故なら、その口を永琳の唇が優しく塞いでいるからである。
 永琳は将志が落ち着くのを確認すると唇を離し、頭を胸に掻き抱いた。

「……私はあなたの全てを受け止める。あなたの苦しみを全て理解出来ると言うほど自惚れては居ないけど、一緒に考えることは出来るわ。だから、一人で抱え込んではダメよ」
「……ありがとう」

 将志は眼を閉じ、落ち着いた表情で永琳に礼を言った。
 それを聞いて、永琳は慈母の様な微笑を浮かべた。

「どういたしまして。さてと、この話はここまでにしましょう? 今日はうどんげが銀月に料理を教えてもらう事になっているから、審査を宜しくね」
「……ほう、銀月が料理を教えるのか。自身の復習にもなるし、良い機会だな。しかし、何故銀月に頼んだのだ?」
「それが最初は鏡月に頼もうと思ったのだけど、うどんげったらすっかり萎縮しちゃってね。それで、まずは銀月に教えてもらうことにしたのよ」
「……××のことだ、どうせそれだけではないのだろう?」

 将志は笑みを浮かべて永琳にそう言った。
 それに対して、永琳も楽しそうな表情で頷いた。

「ご明察。輝夜とてゐのお節介もあるのよ。どうにもうどんげと銀月をくっつけたいみたいでね。二人とも躍起になっているわよ」
「……鈴仙が必死になるならば分かるが、何故輝夜とてゐが?」
「さあ……私にも良く分からないわ」

 将志の疑問に、二人仲良く首をかしげる。
 その原因が自分達にあるということなど思いもしないようである。
 しばらくして、将志は一息ついて口を開いた。

「……それはさておき、図らずも晩まで暇になってしまった訳だが、どうしたものかね?」
「うどんげと銀月は料理中。輝夜とてゐはその冷やかし。残っているのは私達だけよ?」

 永琳はそう言いながら将志のひざの上に移動し、将志の首に腕を回した。

「……どうしたい?」

 将志は永琳を抱き返しながらそう尋ねる。
 その表情は穏やかな笑顔で、相手を抱く腕も優しいものである。

「このままで居たいわ」

 永琳は将志の頭を抱きかかえ、その上に頬を寄せる。
 その表情は夢見心地の幸せそうなもので、声からも安らいだ様子が伺えた。

「……了解した」

 将志は短く返事をし、永琳に体を委ねるのであった。


 しばらくして、銀月が特濃深煎りコーヒーを淹れる羽目になったのは言うまでもない。




 * * * * *

 *ボツネタ*


 ある日の主従。

「良おお~~~~~~しッ! よしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしいつもありがとう将志!!」
「……あ、ああ……っ!?」

 突然異常なテンションで抱きついて頭を撫でてくる永琳に、将志は困惑する。
 それと同時に、異様な臭いと共に頭の中が真っ白になっていくのを感じた。

「ごほーびをあげるわ。日ごろのごほーびよ。二つでいいかしら?」
「……(ふるふる)」

 将志は無言で首を横に振り、指を三本立てる。
 それを見て、永琳は楽しそうな笑みを浮かべた。

「三個!? 甘いの三個欲しいのね?」
「……(こくり)」
「三個……このイヤしんぼさん♪」

 永琳はそう言うとポケットから包み紙にくるまれた角砂糖を三つ取り出した。
 包み紙を取り去ると、永琳はそれを右手に握った。
 将志はそれと同時に身構える。

「将志! 三個行くわよ!!」

 永琳はそう言うと大きくその手を振りかぶり、角砂糖を全力で放り投げた。

「……っ!」

 将志はその角砂糖のうち二つを口で瞬時に受け止める。
 しかし、そのうち一つは狙いを大きく外れている。

「あっ、ごめんなさい……」
「……っ!」

 すると将志は妖力の槍を手にしてそれを外れた角砂糖に投げた。
 それは角砂糖の真下に当たり、上に跳ね上げた。
 そして、将志はそれを空中で口にくわえて受け止めた。

「……(がりがり)」
「良おお~~~~~~しッ! よしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしすごいわ将志♪」

 永琳は将志の後ろから抱きつき、上機嫌で頭を撫で回す。
 その様子はまるで犬とその飼い主の様であった。





 その様子を、唖然とした表情で他の住人は見ていた。

「……イナバ、えーりん達に何があったの?」
「……それが、薬を作るときに事故があったみたいで……今は調合部屋付近は気化した薬のせいで通行止めになってるんです」
「……何だか狂気を感じるわね」
「……父さんは永琳さんについた薬を吸い込んでああなっちゃったのか……当分は近づけないな」

 四人はしばらくの間、狂ったようにはしゃぎまわる主従を呆然と眺めていた。

 その後、我に返った主従は二人して部屋に引きこもったとさ。



[29218] 銀の槍、緩めてやる
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/08 00:48
 雪が降りしきる境内。
 冬を迎えた幻想郷は一面が雪化粧に覆われ、銀の霊峰もその名の通り白銀に染まっている。

「……冬か……」

 そんな雪の積もった境内を見て、銀の髪の青年は誰に聞かせるでもなくそう呟く。
 境内を見下ろす場所にある、灰色の山の天然の修行場は三方向を岩盤に囲まれており、開いている一方向からは将志達が住む神社の境内が一望できる。
 積もった雪には将志がつけた無数の足跡が残っており、鍛錬の直後であることが窺える。
 そんな将志のところに、ふらふらと飛んでくる影があった。

「寒いわ、お兄さま……暖かい飲み物が欲しいわ……」

 金の髪に赤いリボンをつけたその人影は、肩を震わせながら将志の隣に降り立つ。
 その身に纏った闇色の服には大量の雪が付いており、少しでも暖を取ろうと将志に取り付いた。
 将志は髪の毛に付いた雪を払いながらルーミアに話しかけた。

「……ルーミア、何故そうまで雪まみれになっているのだ?」
「チルノ達と一緒に特訓していたのよ。そしたらこうなったのよ」

 ルーミアは少し悔しそうに将志にそう話す。
 どうやら冬になって力をつけたチルノに手酷くやられた様である。
 それを聞いて、将志は小さくため息をついた。

「……修行が足らんな。強制はせんが、今のままではチルノや大妖精にあっという間に置いて行かれるぞ?」
「私、チルノ達と一緒に特訓した後でお姉さまと特訓してるんだけどなぁ……それに最近どうにも体が重いし、体の中が熱くなるときもあるのよね……」

 ルーミアはそう言いながら自分の体を解す様に動かした。
 すると、将志はピクリと眉を動かした。

「……何だと? ……ふむ。ルーミア、済まないがアグナを呼んでくれないか?」
「お姉さまを?」
「……ああ。頼めるか? それから、お前も一緒に戻って来い」
「良いわよ。ちょっと待ってて」

 ルーミアはそう言うとアグナを呼びに粉雪が舞う空へと飛び出していく。
 それからしばらくすると、燃えるような紅い髪をくるぶしまで伸ばした小さな少女を連れて来た。
 オレンジ色の瞳のその少女は、降り立つなり元気良く将志に声をかけた。

「おう兄ちゃん!! 何か用か?」
「……ああ。ルーミアの封印に関してな」
「んあ? ルーミアの封印がどうかしたのか?」
「……ルーミアの封印は力の何割に施したものだ?」
「あ~……確か九割方封じたんだと思うぜ? あんときゃルーミアを極力無害にしなきゃいけなかったからな」

 将志の質問に、アグナは封印を施した当時を思い出しながらそう答えた。
 その言葉を聴いて、将志は腕を組んで唸りをあげた。

「……そんなに封じたのか……つまり、今のルーミアは一割の力しか出せていないと言うことか」
「そうなるな。逆に言えば、それくらいやらないと危ない奴だったんだよ、こいつは」

 アグナはそう言いながらルーミアを見やる。
 かつてアグナはルーミアと戦った際に、封印を解かざるを得ないと判断したことがあった。
 そして実際、そうしていなかったらアグナは吸収され、ルーミアは手がつけられないほどになっていたかもしれないのだ。
 その話を聞いて、将志は少し考え込んだ。

「……確か、ルーミアの一番危険な能力は吸収だったな?」
「そうだぜ。力に触れるとそれを吸収してどんどん強くなるから、並の連中じゃ手がつけられねえんだ。で、それがどうしたんだ?」
「……ルーミアの力の一部、解放してやってはどうだ?」

 将志はアグナにそう告げる。
 すると、アグナは怪訝な表情で将志を見返した。

「はあ? どういうこったよ?」
「……お前が施した封印が、ルーミアの体に害を及ぼしている。封印が強すぎて、体に溜まり過ぎた力が体を蝕んでいる様なのだ」
「なあ、それやって大丈夫なのか? ルーミアが力を抑え切れずに前みたいに暴れだす可能性だって……」

 アグナは将志にその危険性を指摘する。その表情は硬く、不安そうな表情であった。
 何故なら、体調に支障をきたすほど力を押さえ込まれた者の封印を解く事は例が無いのだ。
 しかしその言葉をさえぎるようにルーミアはアグナを後ろから抱きしめた。

「お姉さま。私はここが大好きよ。今更みんなを敵に回したくなんて無いわ。お姉さまに誓って、前みたいなことはしない。私の力ですもの、ちゃんと制御して見せるわ」

 ルーミアは微笑みながら、優しい口調でそう言った。
 アグナはそれを聞いて黙り込み、しばらく考え込んだ。
 そして、小さくため息をついて頷いた。

「……わかった。その言葉、信じるからな」
「わははー、お姉さま大好き!」
「どわっ!? こらぁ! ほっぺた舐め回すんじゃねえ!!」

 アグナの一言で、ルーミアは嬉しそうに笑いながらアグナの頬を舐めまわす。
 そんなルーミアを、アグナは鬱陶しそうに引き剥がそうとする。
 しかしながら、殴ったり蹴ったり投げたりしないところを見るに、二人の関係が良好であるところが見て取れた。
 そんな二人を見て、将志は苦笑いを浮かべながら話しかけた。

「……ではアグナ、封印を解いてやる。ルーミアの封印を緩めてやってくれ」
「おう、わかった」

 将志はアグナに近づくと、三つ編みにされた長い髪を留めている青いリボンに手を添えた。
 するとリボンはひとりでに解け、アグナの体を白い光が覆いつくした。
 そして光が収まると、そこには大きく成長したアグナの姿があった。

「……んじゃルーミア、いったん封印を解くぜ」
「ええ、お願いするわ」

 アグナは緊張した面持ちでルーミアの赤いリボンに手をかけた。
 リボンが解けていくと同時にそこから霧状の闇があふれ出し、ルーミアの体を覆い始める。
 そしてしばらくすると、霧が晴れて中から金の髪の女性が現れた。
 その姿は大人になったアグナよりも少し低いくらいの背丈で、周囲には霧のような闇が浮かんでいた。

「……解いたぜ」

 アグナはそう言うと同時に、足元から炎を呼び出した。
 周囲を赤い炎が取り巻き、不測の事態に備える。
 その熱は周囲に積もった雪をみるみるうちに溶かしていき、辺りに熱風が吹き始めた。
 臨戦態勢のアグナが見守る中、ルーミアはニヤリと笑みを浮かべた。

「ふふっ、この感覚久しぶりね……ってあれ、お姉さまやお兄さまの目線がいつもより低いわね?」

 ルーミアは目の前にいるアグナと将志を見て、首をかしげる。
 その視線に敵意は無く、疑問を感じられる程度には理性的であることも見て取れた。
 その様子にホッと胸を撫で下ろす二人を尻目に、ルーミアは自分の体を見下ろした。

「わっ、何これ!? 体が大きくなってる!?」
「お前もうそうなってるのか? 随分早いな」
「……封じられた部分が大きかった分、蓄えられていた力も大きかったのだろうな」

 自分の体をぐるぐると見回しながら驚くルーミアに、アグナと将志は冷静にそう呟く。
 そしてしばらくすると、ルーミアの視線はアグナに注がれた。
 その熱いまなざしを受けて、アグナは思わず体を引いた。

「……な、なんだよ?」
「これでお姉さまともお揃いかぁ……ちょっと見上げる感じのお姉さまは新鮮でいいわね。ちょうどお姉さまとお兄さまみたいな感じで」
「あー……そう言えば、今の俺と兄ちゃんの視線がルーミアと俺くらいの視線だなっと!?」

 アグナが話をしていると、ルーミアは急にアグナに真正面から抱きついてきた。
 アグナはとっさにそれを受け止め、思わず抱きしめた。

「腕の中で少し見上げるなんて、本当にお姉さまって感じで何か良いわ……」

 ルーミアは上目遣いでアグナの顔を見ながら、紅潮してうっとりとした顔でそう呟いた。
 それを見て、アグナは疲れた表情でルーミアの背中に回した腕を離した。

「あーあー、分かったから離れろ、鬱陶しい」
「強いて言うならここの大きさがお姉さまに到底及ばないのが悔しいわ……」

 ルーミアはそう言いながらアグナの胸を揉み始めた。
 手に収まりきらない大きさのそれは、ルーミアの手によってぐにぐにと形を変える。
 その瞬間、アグナは体をビクリと大きく震わせ、裏返った声を上げた。

「きゃうん!? て、てめ、何しやがんだ!!」

 アグナはルーミアを振り払い、真っ赤な顔で胸を隠しながら後ずさった。
 それを見て、ルーミアはくすくすと笑った。

「うふふ、真っ赤になっちゃって、お姉さま可愛い♪」
「う、うるせえ! それ以上何かしやがったら、テメエを灰にしてやっからな!!」

 アグナは若干涙眼になりながら、足元から激しく炎を吹き出し始めた。
 その表情は必死で、これ以上からかうと本気で周囲のものを燃やしてしまいそうであった。
 そんなアグナを見て、ルーミアはニヤニヤと笑い続けるのであった。

「それにしても……こうしてみるとお姉さま達の力の強さが良く分かるわ。封印を解いたのに、私はお姉さまの力に全然及ばないんですもの」

 ルーミアはそう言うと封印の解かれたアグナと、その横に佇む将志と自分を見比べた。
 目の前で強大な力を漂わせるアグナに、一切の力を遮断してなお得体の知れない威圧感を持つ将志。
 ルーミアは自分の力が決して弱くは無いことを知っているが、それでもなお目の前の二人に及ばないことを痛感していた。
 そんなルーミアに、冷静さを取り戻したアグナが深呼吸をしてから話しかけた。

「……それで俺に危機感を抱かせるんだから大した奴だよ、お前は。それにしても、あの時力の差がはっきりしてるのに、よく俺に挑んだな?」
「それは若気の至りよ。相手の攻撃を少しずつ吸収していけば何とかなると思っていたもの」
「運が無かったな。相手がお前の吸収能力の限界を超えられる俺じゃなかったら危なかっただろうな」
「……それなんだが、恐らく俺でも出来るぞ」

 アグナとルーミアの会話を聞いて、将志はふとそう呟いた。
 それを聞いて、二人はキョトンとした表情で将志を見た。

「え、お兄さまが?」
「……ああ。二通りやり方を見せてやろう。ルーミア、闇の玉を作ってみてくれ」
「ええ、良いわよ」

 ルーミアはそう言うと、空中に直径5mほどの球体の闇を作り出した。
 それは空中にぽっかりと穴が開いたようにも見え、何もかもが吸い込まれそうな雰囲気を醸し出していた。
 試しに将志が弾丸を一発撃ち込んでみると、銀の弾丸は闇の中で溶けて内包していた力がルーミアへと流れていくことが確認できた。
 それを前にして、将志は軽く身構えた。

「……まずは……ふっ」

 将志はそう言いながら妖力で編んだ銀の槍を闇の球体に向けて投げた。
 すると槍は闇に穴を開けて貫通し、その向こう側の岩盤に突き刺さった。
 それを見てルーミアは少し驚いた表情を浮かべ、アグナは納得した表情を浮かべた。

「……貫通した? 力の吸収は少し出来てるけど……」
「まあ、兄ちゃんの能力なら貫通できるよな。けど兄ちゃん、これだと闇にまぎれたルーミアに当てるのは難しいぜ? ルーミアの闇は気配もほとんど消しちまうからな」
「……全く問題は無い。……ここからが本番だ」

 将志はそう言うと銀の槍『鏡月』を腰溜めに構えた。
 『監中の夜天』と呼ばれる銀の蔦に巻かれた黒耀石の中では銀の光がまるで銀河のように渦巻き、槍そのものが銀色の光を湛え始める。

「……はああああ!」

 将志は気合と同時に槍を突き出した。
 すると強烈な銀の閃光が槍の先端から迸り、ルーミアの暗黒球を飲み込んで背後にあった岩盤を貫いた。
 暗黒球は消し飛んだ上に岩山には大きな穴が開いており、その断面はまるで磨かれた大理石のように光沢を放っていた。
 その様子を見て、アグナとルーミアは唖然とした表情を浮かべた。

「……何……これ……?」
「……兄ちゃん? 俺、この技初めて見るんだけどよ?」
「……当たり前だ、初めて使ったのだからな。しかし、この技は封印したほうが良さそうだな。威力が高すぎるし、何より理不尽だからな」

 将志はそう言いながら軽く槍を振るうと、穂先を収めていつもの通り背中に背負った。
 この技は直径が大きくて避けづらい上に将志の能力の特性上防御が出来ず、更にそれでいて一撃必殺の威力がある。
 それらのことを鑑みて、これを使ってしまっては勝負にならないと判断したのだった。

「お兄さま、これはいったいどうやったの?」
「……貫くと言う行為は、通常点に対して行われるものだ。しかし、その点も引き伸ばしていけば面になる。俺は目の前にあった面を、大きな一点と認識したに過ぎない」

 ルーミアの質問に、将志はそう答える。
 どんなに広い面も、更に大きなものの見方をすれば点になってしまう。
 例えるならば、アリの巣の入り口はアリにとっては自分の体がすっぽり入るほどの面がある穴だが、人間にとっては指の先すら入らない点である。
 将志は自分よりもずっと大きい何者かの視点を借り、自分より大きな暗黒球を点として捉え、それを点として貫く巨大な槍で貫いたのだった。
 その説明を聞いて、ルーミアの頬に冷や汗が流れた。

「へー、そーなのかー……お姉さまより先に当たってたら死んでたわね、これ……」
「……まあ、兄ちゃんが滅茶苦茶なのは今に始まったこっちゃねえけどよ……」

 ルーミアは自分が今生きていることに感謝し、アグナは小さくため息をついた。
 そんな二人に、将志はふと気がついたように声をかけた。

「……それはさておき、そろそろ封印に掛かってくれ。他の連中に見られると、本気のアグナやルーミアと戦いたいと言う輩が現れるかもしれないからな」
「おお、そうだな。んじゃルーミア、ちっと頭貸しな」
「ええ、良いわよ。ん~……」

 アグナの一言で、ルーミアは眼を閉じてアグナに顔を近づけた。
 それを見て、アグナは白い眼をルーミアに向ける。

「……おい、テメェ何のマネだ?」
「どうせ貸すならお姉さまと甘い一瞬を、と思って」

 ルーミアはそう言いながらアグナの唇に自分の唇を近づけていく。
 それを見て、アグナはニヤリと笑った。

「そーかそーか、それなら魂を焦がすほど熱い瞬間をくれてやろうか?」

 そう言った瞬間、アグナの右手が激しく燃え始めた。
 そこから発せられる熱を受けて、ルーミアは素早く体を離した。

「や、やだ……そんなに熱いと私燃えちゃう……」
「ああ、遠慮すんな。すぐに何も感じなくなるほど熱くなっからよ……」

 乾いた笑みを浮かべて後ずさるルーミアに、アグナは右手を構えながらじりじりと近づいていく。
 アグナの表情は笑顔であるが、その笑顔には近づき難い程の迫力があった。
 炎に巻かれた右手は赤熱し、冬であるというのに訓練場を真夏のような暑さに変えていた。

「た、助けてお兄さま!」

 ルーミアはそれに命の危険を感じて、慌てて将志の背後に隠れた。
 それを受けて、将志は呆れ顔で額に手を当て、俯いて盛大にため息をついた。

「……お前達、遊んでいないでさっさとしろ」
「「はい……」」

 威圧感溢れる将志の言葉に、二人はそろって頭を垂れた。
 それからアグナがルーミアの髪に手をかざすと、赤いリボンが現れてひとりでに結ばれ、ルーミアは力を封印された。
 それと同時にルーミアの体は闇に包まれ、それが晴れると普段と同じ大きさに戻っていた。
 そのルーミアを見て、アグナは将志に髪を三つ編みにしてもらいながら話しかけた。

「調子はどうだ、ルーミア? 封印したのは五割なんだけどよ?」
「ちょっと待ってね……」

 ルーミアがそう言うと、ルーミアの右手を霧のような闇が覆った。
 その闇は十字架の形を取りながら長く伸びていく。
 そしてしばらくすると、ルーミアの手には自らの背丈を優に越える、2m50cmほどの巨大な剣が握られていた。
 柄は朽ちかけた黄金の十字架のような形をしており、そこから伸びる黒い霧を纏った長大な刀身は全ての光を吸い込むような闇色の刃であった。
 その大剣を、ルーミアは軽々と振り回した。

「んー……剣が使えるようになったわね。後は前よりも体が軽いわ」

 ルーミアはそう言いながら体を動かす。
 その動きは封印を緩める以前よりも遥かに軽やかであり、とても重そうな黒い大剣を持っている様には感じられなかった。
 そんなルーミアに、将志が懸念事項となっていることを問いかけた。

「……吸収は出来るのか?」
「あ、それは無理。お姉さまそこの部分はしっかり封印しているわよ」
「あと、成長したときのための伸び代も作ってあるぜ。そいつを使い切ったら今度こそ頭打ちだけどな」

 アグナはルーミアの封印に関してそう告げる。
 それを聞くと、将志は楽しそうに口元を吊り上げた。

「……ほう。何処まで伸びるのか楽しみだな」
「……お、お手柔らかにお願いするわ……」

 将志はそう言いながらルーミアを見やる。
 黒耀の瞳には、ルーミアと戦うのが楽しみで仕方が無いといった様子が見て取れた。
 その眼を見て、ルーミアは背中に走る寒気を感じた。
 そんなルーミアに、封印が掛けられて元の小さな体に戻ったアグナが声をかけた。

「それで、最初は誰と戦うんだ? 選ばせてやるよ」
「決まってるわ。私はまず、姉の威厳を取り戻しに行くわ」

 ルーミアは楽しそうに笑いながらそう言った。
 それを聞いて、将志は面白そうにニヤリと笑った。

「……成程、では思う存分暴れて来い」
「うふふ、そう来なくっちゃ。ねえ、お兄さま。私が勝ったら好きにして良い?」

 ルーミアは口に人差し指を当て、熱の篭った視線を将志に向けた。
 それは許可が出ることを期待したもので、強い願望が滲み出ていた。
 その眼を見て、将志は苦笑いと共にため息をついた。

「……程々にしておけ」
「分かってるわよ。それじゃ、早速行ってくるわ」

 ルーミアはそう言うと、鼻歌を歌いながら飛び去っていった。
 それを見て、将志は懐から銀の懐中時計を取り出して中を見る。すると、時計は午後二時を指していた。
 本日の執務は既に終了しており、鍛錬も終わっている。夕食の準備にはまだまだ早すぎるし、食材も十分に揃っている。
 そこまで考えたとき、ふととあることに思い至ってぽんと手を叩いた。

「……さて、俺は少し出かけるとしよう」
「お? 何処に行くんだ?」
「……なに、ちょっとした買い物だ」

 将志はそう言うと、冬の空へと飛び立っていった。



[29218] 銀の槍、買い物をする
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/08 00:55
 いつも薄暗く、一般人では中に入ることはおろか近づくものすらいない魔法の森。
 その入り口に、香霖堂と呼ばれる一軒の小さな古道具屋がある。
 店主は人間と妖怪のどっちも来られるようにと思ってこの辺鄙な場所に店を構えたのだが、その当ては大きく外れてしまっている様である。
 将志はその人通りも妖怪も少ないその場所に立つ古道具屋の前に降り立つと、店の戸をあけて中に入った。

「……邪魔するぞ」

 将志が中に入ると、様々なものが並べられた店内を歩く。
 その品揃えは将志の眼から見ても珍妙で、様々な時代の品物が置かれている。
 その中には将志が気の遠くなるほど昔に見たようなものもあったりして、懐かしい気分にさせてくれることもある。
 そんなこんなで、将志はこの店を大いに気に入っているのである。

「おや、久々の顔が来たね。新しいのならそこにあるよ」

 しばらく将志が店内を歩いていると、奥のカウンターから声が聞こえてきた。
 将志がその方を見ると、そこには銀の髪に眼鏡をかけ、青と黒を基調とした着物の青年が居た。
 青年の名前は森近 霖之助。この香霖堂の店主である。
 カウンターの椅子に座って本を読んでいた彼は、とある一転を指差していた。
 それを見て、将志は面白そうに笑みを浮かべた。

「……ほう? 随分と用意が良いな、霖之助?」
「君は数少ない真っ当な買い物をしてくれる客だからね。それなりに優遇をしもするさ」

 霖之助はそう言うと憂鬱なため息をついた。
 この店、客は来なくても人は来るのだが、まともに買い物をする客はあまり居ない。
 それどころか勝手に店のものを持っていかれたりと、結構散々な目に遭っている。
 そんな憂き目にあっている中で、将志は貴重な「客」なのである。

 そうやって話していると、店の戸が開く音が聞こえてきた。
 その人物はまっすぐに将志達が居るカウンターへと歩いてきた。
 そして、将志の姿を見て意外そうな声を上げた。

「ん? 将志じゃないか。ここで会うとは奇遇だな」
「……慧音か。そちらも買い物か?」
「ああ。授業の教材になりそうなものを探しにな。それに、ここ以外ではなかなか白墨を置いていないんだ」

 新しい客である紺色の服に五重塔の一部の様な独特の形の帽子を被った女性は、そう言いながらカウンターの前に陣取る。
 それを聞いて、将志は納得したように頷いた。

「……成程な。確かに、ここにはそう言ったものがありそうだな」
「そう言う将志は何を探しに来たんだ?」
「……これだ」

 将志はそう言うと、先程霖之助が指差した方向にあったものを持ってきた。
 それは数冊の本であり、和書洋書入り混じって重ねられていた。
 慧音はそのうちの一冊を手に取り、中に眼を通した。
 すると中には沢山のレシピや調理の小技などが掲載されていた。
 それを見て、慧音は怪訝な表情で首をかしげた。

「料理の本? 何故料理の神でもあるお前が料理の本なんか欲しがるんだ?」
「……人間が進歩し続けるのであれば、神もまた進歩し続けなければならない。俺一人が積んだ経験より、数億人の人間が積んだ経験のほうが圧倒的に多いだろう? そこから学べることは俺にとっても少なくは無いからな」

 将志の料理は、一人の妖怪が数億年間かけて積んだ経験を元に作り出される料理である。
 その一方で、将志が手に持っている本の内容は精々数十年生きた一人の人間が書いた物に過ぎない。
 しかし、そこに書かれている知識は何人もの料理の先人達が積み上げてきた経験から生み出されたものであり、そこには何人の人間が何年かけて至ったのか分からないような知識が含まれている。
 将志の知識との一番大きな違いは、『将志でなければ出来ないと言うことが無い』と言うことである。
 それゆえに、将志はそれらの知識を習得することを怠らず、常に勉強を続けてきたのだ。
 そんな将志の料理に対する姿勢が意外だったのか、慧音は笑みを浮かべた。

「ふふっ、勤勉な神もいたものだな。うちの問題児達にも少しは見習って欲しいものだ」
「……だが、言うことを聞かない子供を何とかするのも教員の腕の見せ所と言う奴だろう?」

 慧音の言葉に将志はそう問い返した。
 すると、慧音は途端に渋い表情で将志を見やった。

「……言うことを聞かない子供で思い出したが、お前の息子はどうにかならないのか? もうそろそろ大人として子供達に手本を見せないといけないのに、未だにギルバートとくだらない競争ばかりしているんだが」
「……一度本気で灸を据える必要がありそうだな……」

 将志は眼を覆い、呆れ口調でそう呟いた。
 ……余談だが、この時白装束の人間と青い毛並みの魔狼となる少年の背中に寒気が走ったことを追記しておく。
 その話に興味を持ったのか、霖之助が横から口を挟んだ。

「そう言えば、この間銀月が額に大きなこぶを作ってきたのは慧音の仕業かい?」
「ああ。どちらが早く買い物を済ませられるかで勝負し始めて、屋根を走るわ人ごみを走り回るわで周囲に散々迷惑を掛けてくれたからな」
「……銀月もここに来るのか?」
「ああ。紅魔館の備品を買出しに来たり、買い物ついでに博麗神社のお使いに来たりね。彼、霊夢が溜めていたツケを聞いて頭を下げてくれた上に、少しずつ払うことを約束してくれたよ」

 霖之助は銀月の来店状況と、店での様子を語った。
 それを聞いて、将志は頭を抱えてため息をついた。

「……あいつ……本当にそれで良いのか……」
「……僕としては助かるから良いんだけど、少々お人好しが過ぎるかもね」
「……是非とも釘を刺しておいてやってくれ」

 少し心配そうな霖之助の言葉に、将志は疲れた声でそう告げる。
 そしてしばらくすると、将志は一つ咳払いをして話題を帰ることにした。

「……さて、霖之助。今回の本はこれで全部か?」
「そうだね。今回集めてきた本はそれが全部だよ」
「ほう? お前が個人のために物を集めてくるなんて珍しいな?」

 二人のやり取りを聞いて、慧音は興味深そうにそう話す。
 それを聞いて、霖之助は呆れたような表情を慧音に向けた。

「あのねぇ……僕だって一応商売をしているんだぞ? 確実に売れると分かっているものを置いてないでどうするんだい?」
「……その割には商売っ気の欠片も無いがな」
「しょうがないね。大々的に宣伝したところで場所が場所だし、そこのところはもう諦めているよ。それに、あまり賑やかなのが大勢で来られても捌ききれない」

 将志の指摘に霖之助は諦めた表情でそう呟いた。
 それを聞いて、今度は慧音が呆れた表情でため息をついた。

「はあ……やっぱりお前は商売人には不向きだよ、霖之助」
「君はいつもその言葉を言うね。まあ君に限ったことじゃないけど、君は特にそう言うことが多い。なら、僕にはどんな仕事が向いているって言うんだい?」
「……そう言われると返答に困るな……」

 むっとした表情の霖之助に尋ねられて、慧音は口ごもった。
 その横で、将志は苦笑いを浮かべながらストーブの上にやかんを置いた。

「……まあ、何だかんだ言っても霖之助がここ以外で働くのは想像出来んな。それにその収集癖から思わぬ掘り出し物が手に入ることもあるのだし、意外と悪くは無いのではないか?」
「確かに、そう言われればそうだな」
「……だが、商才に関しては疑問が残るし、営業努力に関しては不足と言わざるを得ないが」

 納得したように頷く慧音に、将志は自分の思うところをニヤリと笑いながらそう話した。
 それを聞いて、霖之助は白い眼で将志を見やった。

「……君は僕を褒めるのか貶すのかどっちなんだい?」
「……さあ? どちらだろうな?」

 霖之助の問いに、将志は涼しい顔でお茶を濁した。
 その返答に、霖之助は憮然とした表情で視線を本に戻す。
 本は何かの説明書の様で、簡易的な図と共に説明書きが書かれていた。
 そんな霖之助の前に、慧音が何やら手に持ってやってきた。

「ところで霖之助。何やら色々と物が増えているが、これは何だ? とら○だがーXって書いてあるが」

 慧音はカウンターの上にそのものを置いた。
 軽い樹脂製の流線型の体に、四つのゴム製のタイヤ。
 裏返してみればそこにはON/OFFのスイッチが付いており、何らかの機械であることが分かる。
 そして、それは外の世界で見る人が見れば懐かしいと思える代物であった。

「それか。それはミニ四駆って言って外の世界の自走する玩具のようだ。ただ、部品が足りないみたいでちっとも走らないけどね」

 霖之助はそう言いながらミニ四駆を弄る。
 ボディーを外して中を見てみると中身は空で、モーターも電池も無いのでは、走りようも無い。
 その霖之助の言葉に、慧音は少し考えて質問を重ねる。

「ミニってことは大きいものもあるのか?」
「あるんだろうね。でも、自走する玩具を大きくしてどうするつもりなんだろうか?」
「……人形と似たようなものなのではないのか? 元はもっと別の用途で使われているものと言うことも十分に考えられると思うのだが」

 霖之助の疑問に、将志はそう言って意見を述べる。
 それを聞いて、慧音と霖之助は感心したように頷いた。

「ああ、そうか。ミニって付くからには元の四駆の方が先か。だとすれば、どのような用途で使うものなんだろう?」
「馬と似たような使い方が出来そうな気もするね。つまり、これに馬車を引かせているわけだ」
「と言うことは、外には馬が居ないのか? それに馬の代わりをするこれはどうやって走るんだ?」
「恐らく居ないんだろうね。それにどうやって走るかだけど、この玩具の構造からして誰かが中に乗り込んで動かすって言う線は無さそうだ。と言うことは、この空いている部分のどこかに動力となる物が入るに違いない。それが何なのかは分からないけどね」
「………………」

 どんどん白熱していく議論を、将志は茶の用意をしながら楽しそうに見つめる。
 将志は遠い昔、まだ永琳と共に過ごしていたときの知識から目の前の物が何であるのか、そして霖之助達の疑問の答えも大体分かっている。
 しかし、将志はその答えを彼らに告げることは決してない。
 何故なら、将志は彼らが分からないことを必死に考え、その答えを出す過程を見るのが好きだからである。
 その結果、将志の常識とは違った様々な答えが生まれ、それを聞くのが将志の楽しみでもあるのだ。
 これも、将志が香霖堂を懇意にしている理由の一つであった。
 そのじっと見つめる視線に気づき、霖之助は将志の方を向いた。

「どうしたんだい、さっきから黙り込んで?」
「……いや、何と言うか二人が随分話し慣れているように見えたのでな」

 将志は茶を配りながら、とっさに思いついた言い訳をした。
 どうやらそれは効果があったようで、霖之助は合点がいったように頷いて答えた。

「ああ、そういうこと。それは、慧音とはもう長い付き合いだからね」
「そうだな……お互い半妖同士と言うこともあってそれなりに話はしていたし、もう百年以上の付き合いになるな」
「……成程な」

 慧音の答えに将志は納得した。
 二人は霖之助が人里に現れて以来の友人であり、その時から結構親しい仲であったようである。
 茶が全員にいきわたり、三人揃ってそれを飲んで一息つく。

「それにしても、将志の淹れるお茶はやっぱり美味しいな。霖之助の淹れるお茶よりもな」

 慧音はふぅ、と息を吐き出して茶の感想を述べる。
 すると、横から少し拗ねたような声が聞こえてきた。

「それは認めるけど、君は僕が淹れるお茶じゃ不満なのかい?」
「そうは言っていないぞ。ただ、霖之助が淹れるお茶が今よりも美味しくなったらもっと来る機会が増えるかもしれないぞ?」
「それは良いね。落ち着ける話し相手が来る機会が増えるのは大歓迎だ」

『落ち着ける話し相手』の部分をやや強調しながら霖之助はそう言った。
 霊夢や魔理沙など常連となっている者は数あれど、落ち着いていて満足に話が出来る相手かと問われればさもありなん。
 霖之助にとって、慧音は落ち着いて話が出来、なおかつ古い付き合いなので気兼ねの無く接することが出来る貴重な相手の一人なのだ。
 その二人の話を聞いて、将志は少し考えて頷いた。

「……ふむ、では淹れ方を教えてやろうか? この様子では手本にはなれそうだからな」
「ぜひともそうしてやってくれ」

 将志の申し出に、慧音が笑みを浮かべて即答した。
 それを聞いて、霖之助は呆れ顔でため息をつく。

「何で君が答えるのさ。まあ、時間が出来たら頼むよ」
「……そうだな。慧音を茶の飲みすぎで苦しませたくはないからな」
「……やっぱり理屈だけ教えてもらえればいいかな」

 意地の悪い笑みを浮かべる将志に、霖之助は苦い表情でそう言った。
 霖之助の頭の中では、鬼軍曹と化した将志が茶で腹が膨れ上がっている自分に檄を飛ばしてお茶を淹れさせている場面が浮かんでいた。
 そんな霖之助を見て、将志は思わず笑い出した。

「……ははは、冗談だ。無理して飲んだところで味が分からなくなるだけだ。茶の味を良くしようとして茶を嫌いになってしまっては本末転倒だからな。俺が教えるのはちょっとしたコツだけで、それも毎日少しずつ上達していくようにすれば良い。そんなに急に上手くなる必要は無いのだろう?」
「それを聞いて安心したよ。幾らなんでも、ひっくり返るほどお茶を飲みたくはないからね」

 霖之助は心底ホッとした表情を浮かべてそう言った。
 その横で何か思い出したのか、慧音がポンと手を叩いて将志に話しかけた。

「そうだ、ところで将志、最近人里で弁当を売り出し始めているんだが、あれはお前のか?」
「……いや、あの弁当は銀月のものだ。しかし、何故俺が作ったものだと思ったのだ?」
「いや、前に私が食べたお前の料理に味がそっくりだったからな。そうか、あれはお前の息子のか」

 慧音は将志の答えに頷くと、その場で考える動作をした。
 それを聞いて、霖之助が話に興味を示した。

「へぇ、将志の料理に味が似てるってことはその弁当は美味しいのかい?」
「ああ。忙しくて用意が出来なかった時に買ってみたんだが、想像以上に美味しかったぞ。冷めたものでもあのような味が出せるのかと感心したぞ」
「……その手の料理はあいつの得意分野だからな」

 慧音の評価を聞いて、将志は何処と無く誇らしげにそう言った。 
 その横で、霖之助は少し考えて口を開いた。

「なら、その弁当をうちでも置いてみようかな?」
「客足が少ないのに置いても腐るだけだぞ? それかここに来る輩が無銭飲食して終わるんじゃないか?」
「残念だけど、返す言葉もないよ……」

 慧音の意見に、霖之助は苦々しい表情を浮かべて沈黙した。
 ここに来る客の性格を考えると、弁当を置くことで利益を得るどころか弁当代の分だけ赤字になることが容易に想像できたのだ。
 肩を落とす霖之助を見て、将志は苦笑いを浮かべた。

「……まあ、食うだけなら銀月に頼めば早朝に宅配を頼むことも出来る。頼んでみるのも良いのではないか?」
「……考えてみるよ」

 霖之助は大きくため息をつきながらそう答えた。
 そのため息には様々な憂鬱な事態に対する諦観が含まれていた。
 そんな霖之助を尻目に将志が時計を見ると、短針は五の位置を指していた。
 将志はそれを確認すると、茶を飲み干して立ち上がった。

「……さて、俺はそろそろ帰るとしよう。邪魔したな」

 将志はそう言うと、銀月が自分のために調整した収納札を本の束に押し当てる。
 すると本の束は札の中に次々と吸い込まれていき、最後には札だけが残った。
 その横で、霖之助は興味深そうに収納札を眺めていた。

「いつも思うんだけど、その札便利だね」
「……ああ。銀月がくれたものでな、かなり重宝しているよ」
「おや、それは君が作ったものじゃないのかい?」
「……いや、作ったのは銀月だぞ。ある程度の能力があれば誰にでも扱える代物で、銀月が陰陽道を研究している間に作り出した代物だ」
「ふむ、それなら僕も一つ作ってもらおうかな。そろそろ置き場がなくて困り始めてたしね」

 将志の話を聞いて、霖之助は一つ頷いてそう話した。
 その一方で、慧音はため息をついて首を横に振った。

「やれやれ……問題さえ起こさなければ、努力家で才気溢れる若者なのだがな……」
「……苦労をかけるな」
「まあ、最近は商売も始めて人里に貢献し始めているから、そこまで文句は言わないさ。現行犯のときは容赦しないがな」

 慧音は苦笑いと共にそう言って、握りこぶしで反対側の手のひらをパシンと叩いた。
 ……つまり、それはこれからもその現行犯が起きることを確信しているのだった。
 それを聞いて、将志も苦笑いを浮かべた。

「……そうしてもらえると助かる……と、そう言えば代金を払っていなかったな」

 将志はそう言うと、本の代金と木彫りの槍のお守りをカウンターに置いた。
 お守りには将志の家内安全の加護が込められており、家一件分であるならば十分な力が篭っていた。
 霖之助は渡された金の勘定を済ませると、将志に向かって礼をした。

「毎度どうも。それじゃ、次回のご来店をお待ちしております」
「……ああ。次も頼んだぞ」

 将志はそう言うと、店の戸を開けて家路へとついた。
 後に残されたのは霖之助と慧音、そして三つの空の茶碗。
 冬の空には夜の帳が降り始めており、外では雪がしんしんと降り続いていた。
 そんな外の様子を見て、霖之助は慧音に話しかけた。

「さて、慧音はどうする? 随分暗くなったけど、君ももう帰るのかい?」
「いや、私はもう一杯お茶を飲んでから帰ることにするよ」

 霖之助の問いに、慧音は微笑と共にそう答えた。
 それを聞いて、霖之助は怪訝な表情を浮かべた。

「……僕のお茶は将志の淹れるお茶より劣るんじゃなかったのかい?」
「それとこれとは話が違う。それにさっきも言ったように、私は霖之助が淹れるお茶には満足しているし、どちらかと言えば好みだ。だから気にすることは無いぞ?」

 慧音は霖之助の眼をしっかり見据えて、楽しそうにそう話した。
 それは将志と話をしていたときとも違う、更に砕けた親しみのある言葉であった。
 そんな慧音の言葉に、霖之助はフッと小さく息を吐いた。

「分かったよ。それじゃ、準備するから待ってて欲しい」

 霖之助はそう言うと、茶の準備をしに奥へと引っ込んだ。

 ――――さて、どんな話をしようか。

 そんなことを考えながら、霖之助は急須を洗うのであった。



 その後慧音はすっかり話し込んでしまい、五杯目の茶を飲み終えて見た時計の針が十一時を指したのを確認して大慌てで家にすっ飛んで帰る羽目になったのだった。




[29218] 銀の月、教育する
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/08 01:07
「たのもー!!」

 博麗神社の境内に、闇色の服の少女の叫び声が鳴り響く。
 その声を聞いて、境内の掃除をしていた巫女が怪訝な表情で顔を上げた。

「……何の用?」

 霊夢はルーミアを警戒しながら声をかける。
 そんな霊夢に、ルーミアは首を横に振った。

「私が用なのは貴女じゃないわ。銀月は何処?」
「銀月なら仕事よ。で、銀月に何の用なの?」
「姉の威厳を取り戻しに来たのよ」
「はあ?」
「銀月と戦って、勝ったら私が好きなようにするの。うふふふふ……どうしてくれようかな~?」

 ルーミアは銀月に勝った後のことを考えて、ニヤニヤと笑う。
 何を考えているのかは定かではないが、ろくでもないことを考えているのは確かなようである。
 そんなルーミアの考えを汲み取って、霊夢はすっと眼を細めた。

「……そう。そう言うこと」
「仕事ってことは、紅魔館に居るのね。それじゃ紅魔館に……うわっ!?」

 踵を返して紅魔館に向かおうとするルーミアの肩を霊力の篭った札が直撃し、バランスを崩してよろける。
 そしてそのルーミアの前に霊夢が立ちはだかった。

「あんなことを聞いて素直に行かせると思う訳? うちの食事係にこれ以上仕事を増やさないでくれる?」

 霊夢はルーミアを完全に敵とみなし、冷たい視線を向ける。
 元より銀月が紅魔館に行くことすら快く思っていなかった霊夢である。
 その上に銀の霊峰の用事であるならばともかく、ルーミア個人が訳の分からないことを言い出したのだから当然の結果である。
 そんな霊夢の主張を聞いて、ルーミアは笑みを浮かべた。

「あら、貴女の食事係である前に私の弟分よ? 銀月ならきっと家族を優先してくれると思うわ」
「……意地でも行かせないわ」

 霊夢は手にした御幣を握り締めて身構える。
 ルーミアの言うことを全く否定できないので、ここで食い止めるしかないのだ。
 戦闘態勢で睨みつけてくる霊夢に、ルーミアは不敵に笑って闇色の大剣を呼び出した。

「そう……うふふ、いいわ。銀月の前に、貴女と遊んであげるわ!」

 ルーミアがそう言った瞬間、激しい戦いが始まった。





「……何だか異様な寒気を感じましたが、気のせいでしょうか……」

 一方、紅魔館の図書館で作業していた赤い執事服の少年は嫌な予感を感じて体を震わせた。
 彼の手にはボタンを押した回数が記録されているカウンターと、本のリストがあった。
 今行っているのは本の整理整頓の様である。

「銀月さ~ん! 集計終わりましたよ~!」

 そんな銀月に、一緒に作業をしていた小悪魔が声をかけた。
 その声を聞いて、銀月はその方を向いた。

「終わりましたか。それで、何冊減っていますか?」
「一ヶ月前と比べて二十冊減ってます……」
「はあ……魔理沙さんの強盗被害が洒落になりませんね……金額に直せば幾らになるのやら……」

 小悪魔はそう言って暗い表情を浮かべ、銀月も深々とため息をついた。
 何故銀月が普段の業務外の図書館の仕事をしているのかと言うと、この魔理沙による本の持ち出しによる被害対策を練るためにパチュリーに呼び出されたためである。
 今回の本の整理は、その被害状況の確認のためのものであった。

「銀月、何とか取り戻せないかしら?」
「取り戻すこと自体は出来るでしょう。問題は如何にして再犯を防ぐかですね。一番手っ取り早いのは、パチュリー様が魔理沙さんに勝てれば良いのですが……」
「ええ……正直、魔理沙の能力を甘く見てたわ。彼女、弾幕はパワーと言うだけあって生半可な攻撃じゃ押し切られてしまうわ。それに彼女には戦闘指南役でも居るのか、どんどん力をつけていくし……」

 パチュリーはそう言うと苦い表情を浮かべる。
 実際問題、パチュリーは魔理沙との弾幕ごっこで負けが込み始めている。
 その理由として、パチュリーが喘息のせいで調子に波があることと、魔理沙がどんどん成長していることがあげられる。
 特に魔理沙の成長の度合いは著しく、回を重ねるごとに次々と強力になっているのだった。
 更に言えば、単純な魔法合戦ならまだパチュリーに分があるのだが、弾幕ごっことなると一気に差がなくなってしまうこともパチュリーが押されている原因であった。
 とどめにパチュリーの喘息の症状が最近悪化しており、思うように力が出せていないのも要因の一つである。
 パチュリーの言葉に、銀月は小さく息を吐いた。

「魔理沙さんにはギルバートさんが付いていますからね……よくお互いに弾幕ごっこで切磋琢磨しているのを見かけますよ?」
「そう……成長の影に努力有りってことね。ところで銀月、貴方は魔理沙を迎撃出来ないのかしら?」
「出来ない事はございませんが、私も咲夜さんと同様にお嬢様の付き人と言う役割がございます。更に申しますと、それは銀の霊峰の指示でもございます故、どうしてもそちらが優先されてしまうのです」

 そう言った瞬間、低く澄んだベルの音が聞こえてきた。
 紅魔館全体に響く魔法のベルの音は天井の上から響いており、不思議と耳に入ってくる音であった。
 その音を聞いて銀月は顔を引き締めた。

「……お話の途中ですが、レミリア様がお呼びのようですのでこれで失礼させて頂きます」
「ええ。ご苦労様」
「そのお言葉に感謝します。それでは失礼致しました」

 銀月はパチュリーに礼をすると、急いでレミリアの部屋へと向かう。
 自身の能力を使って人間とは思えない速度で、広い大理石の廊下を何人ものメイド妖精とすれ違いながら飛んでいく。
 そして目的地のドアの前に立つと、銀月は身だしなみを整えてからドアを四回ノックした。

「入って良いわよ」

 中から声が聞こえてきたことを確認してからドアを開ける。
 するとレミリアは椅子から立ち上がって銀月の到着を受け入れた。

「失礼致します。お待たせ致しました、レミリア様」

 銀月はレミリアの目の前まで近づくと、跪いた。
 そんな銀月に、レミリアは思わず苦笑いを浮かべた。

「そんなにかしこまる必要は無いわよ。この程度で目くじらを立てていたら、当主の器が知れるわ。それから、膝が汚れるから立ちなさい」

 銀月はそれを聞いて小さく礼をして立ち上がった。

「ありがとうございます。して、いかがなさいましたか?」
「今日はフランに少し勉強させて欲しいのよ。そのために、今日の食事当番からお前を外すわ」

 レミリアは銀月に優雅な表情で用件を話した。
 それを聞いて、銀月は少しだけ眉をしかめた。

「……申し訳ございませんが、お嬢様の教育と私の食事当番の関連が分からないのですが……」
「銀月。私達の種族は何だったかしら?」
「吸血鬼でございます」
「なら、分かるでしょう? フランの勉強と食事の関係が」

 レミリアは試すような口調でそう言うと、銀月を見つめる。
 銀月はその意味するところがすぐに分かったようで、小さく眼を伏せた。

「……そう言うことですか」
「そう。恐らくそれが終わったらお前は仕事どころじゃなくなるだろうから、この後の仕事は外してあるわ。だから、全力でフランに当たりなさい」
「かしこまりました」

 レミリアの指示を聞いて、銀月は胸に手を当てて恭しく礼をした。
 そんな銀月を見て、レミリアは不意にニヤリと口をゆがめた。

「それにしても……」
「っ!?」

 突如としてレミリアは銀月に飛び掛った。
 礼をしていて一瞬反応が遅れた銀月は避け損ねて押し倒される。
 銀月が頭を打たないようにかろうじて受身を取ると、レミリアはその両手を左手でまとめて掴んで銀月の胸に押し付け、顔を首筋に近づけた。

「ふふふ……お前は本当に美味しそうね。何、この甘い匂い? 私を誘ってるのかしら?」

 レミリアは銀月の耳元をくすぐるような声でささやく。
 それを聞いて、銀月は小さく息を吐いた。

「……父から聞いていれば、この匂いの正体が分かるのではないのですか?」
「……そうやって強がっても、お前が私に畏怖の念を持っているのは分かるわ。貴方は人間。捕食者たる吸血鬼が怖くて当然ですもの」

 努めて冷静に答えを返そうとする銀月に、レミリアは愉悦を孕んだ声で言葉を重ねる。
 指先で銀月の首筋を優しくなぞり、吐息が掛かる位置まで口を近づける。
 それを受けて銀月は眼を閉じ、大きく息を吐き出した。

「……今の私はフランドールお嬢様の従者です。何故お嬢様のお姉様を怖がる必要があるのでしょうか?」

 必要以上に無機質な声。
 一切の感情を殺したその声に、レミリアは愛おしそうに銀月の頬を撫でた。

「ふふっ、強情ね……一番はフランに譲るわ。さあ、行きなさい」

 レミリアはそう言うと、銀月の上から体を退けた。
 銀月はゆっくりと体を起こし、立ち上がって身だしなみを整えた。

「……失礼致しました」

 銀月は一礼してレミリアの部屋を出る。
 そして外に出ると大きなため息をつき、今更ながらにあふれ出てきた冷や汗を拭った。
 どうやら緊張感が解けたようである。

「……洗礼を受けたようね、銀月」

 そこに、銀の髪のメイド長が苦笑混じりに声をかけてきた。
 銀月は持っていたハンカチをしまい、その方を見た。

「咲夜さん、見たんですか?」
「ええ。物音が聞こえたから、時間を止めて覗かせてもらったわよ。私も最初の頃に同じことをされたわ。あの時のお嬢様は怖かったわね」
「そりゃ怖いはずだよ……殺す気は無くても、本気で襲うつもりで来てるんだもの」
「そうね。それで、実際に私は襲われちゃったし」

 咲夜はそう言いながら首筋をさする。
 それを見て、銀月は硬い表情を浮かべた。

「……血を吸われたのかい?」
「ええ。でもお嬢様は小食だから、せいぜい貧血になるだけで済むんだけど。貴方は吸われなかったの?」
「……一番はフランドールお嬢様に譲るってさ」
「つまり、妹様の後に召し上がるって訳ね」
「あ、やっぱりそうなる?」
「それ以外に聞こえる?」

 咲夜がそう言って首をかしげると、銀月はがっくりと肩を落とした。
 そしてしばらくすると、首を横に激しく振った。

「……いや、それよりも今日をどうするか……お嬢様に殺されないと良いけど……」
「妹様がどうかしたの?」

 突然頭を抱えて焦燥を含んだ声でぶつぶつと呟き始めた銀月に、咲夜は首をかしげた。
 そんな咲夜に、銀月は大きく三回深呼吸をして心を静めてから答えを返した。

「……今日は俺がお嬢様の食卓に並ぶんだってさ。それと、人間を捕まえる練習相手をしろと」
「まあ、貴方なら生きて帰れるわよ。根拠は無いけど私が保証するわ」

 咲夜はそう言いながら銀月の頭に手を置き、左右に動かした。
 銀月はしばらくそれを黙って受け入れると、再び大きく深呼吸をした。

「……分かった。その言葉、信じてみるよ」
「ええ。頑張ってね」

 咲夜がそう言うと、会話が途絶える。
 咲夜の手の下で髪の擦れる音だけが聞こえている。
 そしてしばらくして、銀月は困った表情で咲夜に話しかけた。

「……あの、いつまで撫でてるので?」
「あら、ごめんなさい」

 咲夜はふと我に返ると、銀月を撫でる手を退けた。




 地下へと伸びる螺旋階段の終点。
 たいまつの炎で薄暗く照らされたそこにある扉を銀月は四回ノックした。

「あ、早く入って!」
「失礼致します」

 急かすような幼い声に促され、銀月は中へ入る。
 すると宝石の下がった枝のような翼を持つ幼い外見の少女が銀月の元へと駆け寄ってきた。
 銀月は胸に手を当てて一礼し、手を体の横にぴったりつけて直立した。

「ねえ、さっきお姉様に呼ばれてたみたいだけど、何があったの?」
「今日の仕事内容について、少々お話を伺いました」
「銀月に直接頼んだってことは、私絡みだよね?」
「はい。ご察しの通り、お嬢様に関することでございます」
「やっぱり。で、何を言われたの?」
「お嬢様の教育に関することでございます」
「あ、お勉強の話なんだ。ねえねえ、今日は何を教えてくれるの?」

 ころころと楽しそうに表情が変わるフランドールに対し、視線を外さずに淡々と返答を続ける銀月。
 そしてフランドールの質問を聞くと、銀月は小さく息を整えて先を述べた。

「……先に申し上げます。本日、私は食事当番から外されております。加えて、今日は食堂に行かれてもお嬢様の分のお食事は用意されません」
「えーっ!? ねえ、それどういうこと!?」

 何処までも無機質な銀月の返答。
 それを聞いて、フランドールは不満そうな声を上げた。
 何も心当たりが無いのに突然自分の食事が無くなったとなれば当然の反応である。
 そんなフランドールに、なおも銀月は機械的に説明を続ける。

「レミリア様は私に、お嬢様を一人前の吸血鬼にするように命じられました。これから行うのは、そのために最も重要なものでございます」
「……ひょっとして」
「……はい。本日の夕食は私めでございます。これからお嬢様には、人間として逃げる私を追跡して捕らえ、吸血していただくことになります」

 自分も関わっているというのに、淡々と話す銀月。
 フランドールは興味深そうな眼でそれを聞く。

「そっか……ねえ、銀月の血って美味しいのかなぁ?」

 フランドールはそう言いながら銀月の首筋を眺める。
 本当は一度舐めた事があるので味が分かっているのだが、銀月に嫌われないためにもそれを知られたくないようである。

「さぁ……私は血の味の良し悪しなど分かりませんので……」
「それもそっか。うふふ……銀月と鬼ごっこかぁ……楽しみだなぁ~♪」

 フランドールはそう言って笑う。
 普段とは違う遊び相手と遊べることが楽しみな様で、とても嬉しそうである。
 その横で、銀月は左腕につけた自動巻きの腕時計に眼を落として時間を確認し、小さく深呼吸をした。

「……それでは日も十分に暮れたことですし、外に向かいましょう」
「は~い♪」

 二人は連れ立って紅魔館の外に向かって歩く。
 軽やかな足取りで歩くフランドールの後ろを、少し離れて銀月が追いかける。
 広い庭の広場に出ると、銀月はフランドールから距離を取ったまま口を開いた。

「では、私は走って逃げますので、お嬢様は追いかけてきてください」
「うん!」

 銀月の言葉に、フランドールは嬉しそうに頷く。
 どこかそわそわとしており、早く始めたいという気持ちが表れていた。
 それを見て、銀月は大きく深呼吸をした。

「……それでは、始めさせていただきます」

 銀月はそう言うと、フランドールに背を向けて走り始めた。
 その速さは、せいぜいが運動神経の良い人間のもの。
 そこには銀月の能力も、将志から借りられる力も存在しなかった。
 そして、それはあっさりとフランドールに先回りをされてしまった。

「ねえ、銀月……本気で逃げてくれないとつまんないよ」

 フランドールはつまらなさそうに口を尖らせてそう言った。
 彼女がしたかったのは銀月との本気の鬼ごっこだったため、今の動きは期待はずれのものであった。
 そんなフランドールに、銀月は忠告をする。

「お嬢様。私や咲夜さんのような能力を持つ人間など、滅多に居ないのです。実際の人間など、この程度のものなのです。ですから、我慢して追いかけてください」

 銀月はそう言うと、素早くバックステップを踏んでフランドールから離れようとする。

「そんなの簡単だよ。やあっ!」
「っ!」

 フランドールが銀月を捕まえようとした瞬間、銀月は体がぶれて見える程の速度でそれを回避した。
 その速度は、普通の人間が出せるようなものではなかった。
 銀月を捕まえ損ねたフランドールは、足で着地して地面を滑った。

「ちょっと銀月! いきなり本気出すなんてずるいよ!」

 フランドールは不満そうに頬を膨らませ、突然能力を使った銀月に抗議する。
 さっき言っていたことと違うことをしているのだから、フランドールの言っていることは正しく見える。
 それに対して、銀月は一礼して理由を説明した。

「申し訳ございません。ですが、今のに当たるわけには行かなかったのです。人間とは脆いもの。吸血鬼の力を受けてしまっては、容易にバラバラになってしまうのです。吸血鬼は血を吸うまで相手を殺してはなりません。ですので、お嬢様は私を殺さないように手加減しながら捕まえなければならないのです。今の速度で飛びつかれれば、普通の人間は唯では済まないでしょう。これ以降、私が能力を使った際は力が強すぎるものと思ってください」
「む~……手加減したんだけどなぁ」
「それでも強すぎるということです。では、続きと参りましょう」

 銀月はそう言うと、再び走って逃げ始めた。
 フランドールはそれを手加減を考えながら追いかける。

「このっ!!」
「まだ力が強すぎます」

 あるときは、捕まえようと伸ばした手を能力を使って避けられる。

「あ、あれ!?」
「今度は慎重になりすぎです。それでは人間にも避けきられてしまいますよ」

 あるときは、加減をして捕まえようとしたものの、フェイントを受けて逃げられる。

「とうっ!!」
「そんなに速度を出してしまっては人間は壊れてしまいます。もう少し抑えてください」

 あるときは、追い掛け回しているうちに力が入ってしまい、また注意を受ける。
 銀月はフランドールが仕掛けてくる攻撃を見て、その強さを見極めて能力のON/OFFを切り替える。
 力が入りすぎていれば能力を使って素早く脱出し、力が適正以下であれば動きに緩急をつけて巧みに躱していく。
 その結果、フランドールは銀月に全く触らせてもらえない状態が続くことになった。
 そしてしばらくして、フランドールは地面に大の字に倒れた。

「……はぁ、はぁ……あ~! 手加減するの疲れたぁ!」

 イライラとした大声でフランドールはそう叫んだ。
 もうすっかり拗ねてしまっており、すっかりやる気を無くしてしまっている様であった。
 そんなフランドールに、銀月は近づいて声をかけた。

「お嬢様、今日はここまでにしておきましょう。あまりやりすぎて練習が嫌になってはいけませんからね」
「む~……人間を捕まえるのって難しいんだね」

 銀月が近づくと、フランドールはむくりと体を起こした。
 その表情は難しい表情をしており、人間を捕まえることの難しさを痛感しているようであった。

「と言うよりも、今の私はかなり厳しく採点させていただいております。実際のところ、私は素の運動能力は一般の人間よりも高いと自負しておりますし、普通の人間なら昏倒する程度の攻撃も避けさせていただきました。つまり、私でなければ何人か捕獲に成功していた可能性があります」
「え、じゃあ何で捕まってくれなかったの?」
「それは、鍛えた人間であれば私と同等の運動能力を得ることも可能ですし、一般人が昏倒するような攻撃で死んでしまう人間も居るからです。一人前の吸血鬼になるには、これらの相手を全て捕まえられるようになっていて欲しいのです。ですから、今回私は逃げ切らせていただきました」

 銀月は眼を閉じ、逃げ切った理由を説明した。
 それを聞いて、フランドールは不服そうな表情を浮かべて唸った。

「う~……納得いかない……」
「ですが、これも一つの事実として認めていただかなければなりません」
「はあ……頑張るしかないんだね……」
「そう言うことです。さて、そろそろお部屋に戻りましょう。休める場所でお食事を取っていただいたほうが良いですからね」

 銀月は乱れた服装を整えながらフランドールにそう言った。
 ずれたジャケットの位置を揃え、袖の位置をきちんと合わせる。
 そんな銀月の言葉に、フランドールは首をかしげた。

「え、お部屋でお食事って……」
「どの道お嬢様の分のお食事は用意されておりません。ですので、演習の成否にかかわらずお食事は私の血液となります」
「そうなんだ……」

 フランドールはそう言うと、銀月をじっと眺めた。
 その表情は何か言いたそうであり、視線は銀月の眼と手元に注がれている。
 そんな主人の様子に、銀月はわずかに首をかしげた。

「いかが致しましたか?」
「……ううん、なんでもない。それじゃあ、戻ろう?」
「かしこまりました」

 銀月は胸に手を当てて礼をすると歩き出した。
 二人は揃ってフランドールの部屋へと戻っていく。
 部屋に戻ると、銀月は部屋に置かれているロッキングチェアの前に立った。

「それでは、失礼致します」

 銀月はそう言うと椅子に座り、着ていた赤いジャケットを脱ぎ、シャツのボタンを外して肌蹴させ、首筋をさらす。
 フランドールはその銀月の膝の上に向かい合うように座り、抱き合う格好になった。

「銀月、本当に良いの?」
「はい。貧血になる程度であれば、私の体には問題はございません。危なくなってまいりましたら肩を叩きますので、吸血を止めてください」
「うん。わかった」

 事務的な銀月の声に、フランドールはそう言って答えた。
 彼女は銀月の首筋に顔を持ってくると、まずはその匂いを存分に吸い込んだ。

「……やっぱり、銀月って甘くて美味しそうな匂いがする」
「レミリア様もそうおっしゃってましたね」
「あ~! お姉様、先に食べちゃったの!?」

 銀月の言葉を聴いて、フランドールは思わずそう叫んだ。
 耳元で大声を出されて、銀月は顔をしかめる。
 そしてしばらくしてから銀月はゆっくりと首を横に振った。

「いいえ、レミリア様は一番はお嬢様に譲るとおっしゃっていました」
「そっか……それじゃあ、私は銀月の初めての相手なんだね。私も初めてだけど」

 フランドールは銀月の首に抱きつき、少し明るい声でそう呟いた。
 そこには初めて人間から血を吸うことに対する緊張と、自分の執事の初めての相手が自分であるということに対する嬉しさが混ざっていた。

「はい」

 それに対して、銀月は短くそう答える。
 フランドールとは対照的にこちらは能面のような無表情で、何を考えているか分からない。

「それじゃあ、いただきます」
「っ……」

 フランドールはそう言うと銀月の首に自らの牙を突き立てた。
 皮膚が裂け、傷口から赤黒い液体が流れ出してくる。
 それが唇に触れ口の中にその味が広がると、フランドールは一瞬驚いた表情を浮かべた後で取り憑かれたように銀月の血をすすり始めた。

「はぁ……んっ……ちゅっ……」
「うっ……」

 一心不乱に血を吸いだそうとするフランドールに、顔をゆがめる銀月。
 吸血鬼の吸血行為は、吸われるものに強い快楽をもたらすものである。
 銀月はそれに意識を持っていかれないように耐えようと、歯を強く食いしばる。

「ちゅっ……ちゅっ……美味しいよ、銀月ぅ……ちゅ~……」

 フランドールは夢中になって銀月の血を吸い続ける。
 頬は赤く紅潮し、瞳は熱に浮かされており、その息遣いは荒い。
 彼女は銀月の血の味と、初めての吸血と言う行為に酔いしれていた。

「くっ……お嬢様……」

 銀月は貧血と快楽で朦朧とする意識の中で、フランドールの肩を叩いた。

「んっ……はぁ……んっ……」

 しかしフランドールはどんどん吸い続ける。
 吸血に酔っているフランドールは、肩を叩かれたくらいのことでは止まれなくなってしまっていたのだ。

「うぁ……くっ……!」

 銀月は飛びそうな意識を舌を噛んで無理やり引き戻し、フランドールの口が息継ぎで離れたところに手を差し込んだ。
 突然表れた障害物に、フランドールはぼんやりした頭で首をかしげた。

「んぁ……あれ……もうお終いなの?」
「……はい……これ以上は、倒れてしまいそうです」

 銀月は青白い顔でそう答えながら、ハンカチで首から流れ出す血を押さえる。
 その様子を見て、フランドールは銀月の膝の上から降りて手を差し出した。

「立てる?」
「はい……何とか……ですが、今はお嬢様のお役には立てそうもありません……」

 銀月はフランドールの手を借りて立ち上がると、手を離して立つ。
 しかし貧血のせいで視界が揺れており、立っているだけでもやっとの状態に陥っていた。
 状態がふらついている銀月を見て、フランドールは苦笑いを浮かべた。

「……まあ仕方ないよね。貧血になるほど吸っちゃったんだし……」
「……申し訳ございません。自室で休ませていただけますか……?」
「無理しないでここで休んでもいいのよ?」
「……使用人が主人の部屋を占拠するなどあってはならないことです。自室で休む許可をください」

 かなりふらふらの状態であるのもかかわらず、フランドールの申し出を断る銀月。
 その言い分を聞いて、フランドールは小さくため息をついた。

「……銀月も頑固者ね。いいよ、休んでも」
「……ありがとうございます」
「でも、部屋までは送らせてね。従者の管理が出来ないご主人様じゃダメでしょ?」
「……かしこまりました」

 銀月はそう言うと、壁伝いに歩き始める。
 フランドールはそれを支えるように横を歩き、二人はゆっくりと長い螺旋階段を上っていく。
 そして階段を上りきってすぐ横にある銀月の部屋に着くと、銀月は鍵を開けて中に入りベッドに腰を下ろした。

「……お送りいただきありがとうございます。何か御用があれば申し付けください」
「そんなことより、今は自分の体調管理が先よ。何かあって倒れたりしてご主人様の手を煩わせる気?」
「……お気遣い、感謝いたします」

 銀月はそう言うとベッドに横になった。
 しかし、フランドールはじっと銀月を見つめたまま動く気配が無い。
 それを不審に思い、銀月は声をかけた。

「……お嬢様? どうかなさいましたか?」
「ねえ、私も一緒に寝ても良い?」
「なっ……いけません、お嬢様。従者と主人であることは元より……」

 突然の申し立てを受けて、銀月は思わず眼を丸くした。
 フランドールはそれに構わず銀月が横たわるベッドに腰掛ける。

「私は銀月に命を預けてるのよ? 添い寝くらいなんてことないでしょ?」
「そう言う問題ではございません。信頼関係も重要ですが、品格と言うものも大切にしなくてはなりません。女性がみだりに男性と同衾するということは承諾いたしかねます」
「私は貴方が無理をしないように見張らなければならないわ。貴方はよく無理をすると貴方のお父様から聞いているし」
「ならば、横に座って監視をすれば済むことです」
「私は横になりたいの」
「ならば、私はソファーに移りましょう」
「ダメよ、貴方はちゃんとしたベッドで横になってしっかり休まなきゃ」
「ならば……」
「銀月。貴方はこのベッドで休み、私はその横で一緒に寝て貴方を監視する。これは決定事項で、貴方に拒否権はないわ」

 反論を続けようとする銀月に、フランドールは少し語気を強めてそう告げた。
 あまりに強引なその物言いに、銀月は訳が分からず問いかけた。

「……失礼ですが、お嬢様は何故そうまでなさるのですか?」
「だって、銀月はたぶん私を信用してくれてないもの」

 フランドールは少し寂しそうに銀月の問いに答える。
 それを聞いて、銀月はしばらく黙り込んだ。

「……何故そう思われるのですか?」
「ジャケットの内ポケットと袖口。自分で気づいてないのかもしれないけど、銀月はいつもそこを気にしてるわ。そこにあるんでしょ? 銀のタロット」
「……」

 フランドールの指摘に、銀月は沈黙した。
 礼をする際に胸に当てる手、ぴったりと体の横につける手。身だしなみを整える際に袖を直す手。
 それは確かに、銀月が銀のタロットの所在を確認するための行為であった。

「いつ襲われるか気にしてる人が私を信用してる訳ないよね? ねえ、そんなに私が怖い?」

 フランドールはそう言いながらベッドから立ち上がる。
 その問いかけに、銀月は小さく息を吐いて答えた。

「……別に怖いというわけではございません」
「そう……それっ!」 
「っ!?」

 突然飛び掛ってきたフランドールを、銀月は横に転がって避ける。
 フランドールの体はベッドに沈み、中のばねで数回弾む。
 そして、銀月の方を向いて悲しげな表情を浮かべた。

「……ねえ、何で貴方の手には銀のタロットが握られてるの?」
「…………」

 銀月は答えない。
 その手には、フランドールの言うとおりに銀のタロットが握られていた。

「突然飛び掛られて避けるのはまだ分かるわ。けど、貴方は私と殺しあうつもりでいたの? 家族や友達だって抱きつくことはあるんでしょう? ご主人様が従者に抱きつくことがあっても良いでしょ?」
「っ……」

 フランドールの問いかけに、銀月は気まずそうに眼をそらした。
 彼女の言葉に、銀月は一切反論できない。

「やっぱり、銀月は私を怖がってるよ。でも、仕方ないよね。だって、一度私に殺されてるんだもの」

 フランドールは自嘲気味にそう言って笑う。
 彼女の言うとおり、銀月はフランドールに一度殺されたという事実を知っている。
 そのせいで、銀月はフランドールに自分の死を重ねてしまうのだ。
 無機質で機械的な銀月の受け答えは、その恐怖を押し殺したためのものであった。
 それを指摘されて、銀月は苦い表情を浮かべた。

「……では、どうなさると言うのですか?」
「こうするの」
「うっ……?」

 フランドールの紅い瞳が眼をのぞきこんだ瞬間、銀月は強烈な眠気に襲われて意識を手放した。





「……うっ……うん……? 俺は確か……ん?」

 しばらくして、銀月は眼を覚ました。
 そしてすぐに、左腕に掛かる重みに気がついてそちらに眼を移す。

「すぅ……すぅ……」

 するとそこには、銀月の腕を枕にして気持ちよさそうに寝息を立てるフランドールの姿があった。
 自分に抱きつくような体勢で眠っている彼女を見て、銀月は困った表情を浮かべた。

「……お嬢様……幾らなんでも強引過ぎませんか? 行動の意図は何となく分かりますが……」

 銀月はそう言いながら隣で寝ている主人の行動の意図を考える。
 銀月が考える意図は、無防備になっている自分の隣で寝ることによって、自分が危害を加える存在ではないということを示そうとしたというものである。
 そのために催眠術まで使ったのは、そうでもしないと自分が拒み続けると思ったからであろう。
 そんな少し強引なフランドールの行動に呆れるやら感心するやらしながら、銀月は空いている右手で頬をかく。

「……困りましたね……起こすわけには参りませんし……」

 銀月はそう言いながら、隣で無防備な姿を晒しているフランドールを見る。
 生憎と自分はこの後の業務から外されており、フランドールもこの後の予定は無い。
 お互いに何の予定も無いのに、隣で気持ちよさそうに寝ている主人を起こすことは執事の立場としてためらわれた。

「んっ……」

 フランドールは銀月の服を軽く握っている。
 長い間閉じ込められていた彼女にとって、銀月は執事であると同時に最も身近で新しい、数少ない知り合いである。
 そのため友達付き合いの経験の乏しい彼女は、どう接するべきか分からないなりに銀月との関係を修復しようと努力しているのだ。
 一番最初の出会いが特に友好的なものであったため、なおさら諦められないのである。

「はぁ……仕方ありませんね。仕事もないことですし、寝るとしましょう」

 銀月は一人そうごちると、全身の力を抜いた。
 眼を閉じてまどろむ瞬間、ふと銀月はハッとした表情で眼を開いた。

「……はて、何か忘れているような……気のせいでしょうか」

 銀月はそう言いながら忘れている何かを思い出そうとする。
 そこに、部屋に置かれたアンティークの柱時計が鐘を鳴らす。
 そちらに眼をやると、時計の針は夜の十一時を指していた。

「……あ゛」

 それを見て、銀月は自分が忘れていたことを思い出した。


 慌てて起きた銀月が最初に見たものは、荒らされた館内とボロボロになって涙眼でいじけているレミリアの姿だった。
 恨めしげに睨み付ける彼女の話によれば、襲撃者は紅白の巫女と宵闇の妖怪のタッグだったそうな。





[29218] 番外編:銀槍版長靴を履いた猫
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/08 01:09
注意

 この話は本編のキャラクターを使った作者のやりたい放題の話です。
 以下の点にお気をつけください。

 ・著しいキャラ崩壊
 ・カオス空間
 ・超展開
 ・一部メタ発言

 なお、この話は本編とは一切関係ありません。
 以上の点をご了承しかねると言う方は、ブラウザバックを推奨いたします。

 では、お楽しみください。















「みんな~!! 今日は来てくれてありがと~♪ 今日は演劇『長靴を履いた猫』を披露するよ♪ それじゃあ劇の始まり始まり~♪」
「その前に、ちょっと待った」

 元気よく劇を始めようとする愛梨に、今回も監督を務める輝夜が声をかける。
 その声を聞いて、愛梨は輝夜に向き直った。

「どうしたのかな、輝夜ちゃん♪」
「今回の脚本はまともなんでしょうねぇ?」

 輝夜は苦い表情で愛梨にそう問いかける。
 前回の劇で監督を引き受けたときに舐めた辛酸がまだ響いているようである。
 それを見て、愛梨はにっこり笑って被ったシルクハットを黒いステッキで軽く叩いた。

「それは見てからのお楽しみだよ♪」
「先に答えなさい。今回の脚本家は誰?」
「今回は私だ」

 そう言って出てきたのは、青い垂の道士服を着た、九尾の金の尾を持つ女性であった。
 その姿に見覚えのある輝夜は、いぶかしげな表情で彼女を見た。

「……あんた、確か藍って言ったわね? 今回の台本のコンセプトは?」
「なに、橙が劇に興味を示していたからな。それに参加させてやろうと言う親心だ」
「……そう言うことならまだ信用できそうね。じゃあ、始めるわよ!!」

 輝夜がそう言うと、舞台の幕が上がった。


 * * * * *


『(ナレーター:愛梨)あるところに、粉引き職人の三人兄弟(長男:将志・次男:銀月・三男:ギルバート)が居ました。職人であった父が死に、三人には遺産が分け与えられることになって話し合うことになりました』

「兄さん、遺産の分配どうするのさ?」
「……困ったものだな。粉引き小屋は麦畑があって初めて機能するものだからセットで考えるより他無い。しかし、畑を分けてしまうと三人分の税を納めなければならなくなってしまうぞ。そんなことになっては三人揃って破産だ」
「つまり、粉引き小屋と麦畑は一纏め。すると残りはロバと金貨しかないわけだが……」
「ロバなしでどうやって粉引き小屋を動かすのさ。粉引き小屋の動力はロバに頼るしかないんだぞ?」
「だよなぁ……と言うことは、残るは金貨しかないわけだが……」
「……その金貨の量も高が知れる。最近粉引き小屋を改修したばかりなのだからな」

『決して裕福ではない三兄弟は頭を抱えてしまいました。何しろ、分配しようとしても出来るものがないのです』


 * * * * *


「カット」

 輝夜はそう言うと、頭を抱えてしまった。
 その横では、助監督の妹紅が苦笑いを浮かべている。

「……なあ、この話、こんな世知辛い始まり方だっけ?」
「遺産が粉引き小屋とロバと猫なんていう馬鹿な話は無いだろう? そもそも、粉引き小屋の労働力として貴重なロバを手放すこともおかしい。こういった場合は長男が全て相続して、次男三男はゼロから独立するべきだ」

 妹紅の問いかけに、藍はすっぱりとそう言い切った。
 それを聞いて、輝夜が少しあせりを覚える。

「ちょ、ちょっと藍、それは幾らなんでも厳しすぎるんじゃ……」
「何を言う。かつては一農民が三国の一角を担うほどの強国を築き上げたり、一百姓が日ノ本の国を統一することもあったんだぞ? 男ならこの程度の独り立ちが出来てもらわないと困る」
「な、何というスパルタ方式……」

 三国時代や戦国時代を実際に見てきた藍の言い分に、輝夜と妹紅は沈黙した。
 早くも不穏な空気を漂わせながら、舞台は再開される。


 * * * * *


『話し合いの結果、粉引き屋は長男が継ぐことになり、次男と三男は仕事を探しに街に行くことにしました』

「なあ、兄貴は何か仕事の当てあるのか?」
「俺はちょっと伝があってね。うちの粉を卸している会社から声が掛かってるんだ。君はどうするんだ?」
「俺は何も考えてねえな。まあ、今後の人生がどうなるか決まるわけだし、じっくり考えるさ」
「そっか。それじゃ、俺はこっちだから……」
「……ああ。元気でやれよ、兄貴」

『三男は次男と別れて道を歩きます。大通りの店を覗きながら、雇ってくれる店を探します』

「……そう上手くはいかないか……」

『でも、なかなか雇ってくれるところはありません。不況の波はかなり広がっているみたいです』

「暴れ馬だぁー!」

『そんな時、一頭の暴れ馬が前から走ってくるのが見えました。三男はそれを避けようと道の脇に行こうとしました』

「きゃあっ!?」

『すると、自分の後ろで一匹の猫(演者:橙)が転ぶのが見えました。そこはちょうど暴れ馬の通り道で、そのまま居れば轢かれてしまう位置でした』

「あぶねえ!」
「きゃっ!?」

『勇敢な三男は轢かれそうになった猫を抱えて道路脇に飛びました。間一髪、猫も三男も暴れ馬に轢かれることはありませんでした』

「怪我はないか?」
「う、うん、無いよ。お兄さんは?」
「俺は大丈夫だ。それじゃ、今度は転ぶなよ」
「あ、ちょっと待って!」

『立ち去ろうとする三男を、猫は引き止めます。それを聞いて、三男は立ち止まりました』

「どうした?」
「ねえ、私貴方の役に立てると思うんだ。お礼させてよ!」
「ははっ、そんなにかしこまる必要は無いぞ。それに、礼なんて「お嬢!」……ん?」

『三男と猫が話していると、刀を持った猫(演者:妖夢)がやってきました。その声を聞いて、猫は彼のほうを向きました』

「お嬢! お怪我はありませんか!」
「うん、大丈夫だよ、妖夢。それより、助けてくれたこの人にお礼がしたいんだ」
「はい、お嬢の頼みとあれば……そこのお方。お嬢を助けてくれてありがとうございました。どうかお礼をさせてください」
「いや、俺は礼が欲しくてやったわけじゃねえよ。だから気にしないように行ってくれ」
「そうは行きません。八雲組の組長の一人娘であるお嬢を助けた恩人に礼の一つもないのでは、八雲組の名折れです。意地でも受けて貰いますよ?」

『刀猫は、手にした日本刀をちらつかせながら三男にそう言って詰め寄りました』


 * * * * *


「カット!! カットカット!!」

 輝夜はそう言うと脚本を地面に叩き付け、脚本家である藍に詰め寄った。

「ねえ、八雲組って何? 長靴を履いた猫に何で任侠者が出てくるわけ?」
「い、いや、私じゃないぞ!?」

 詰め寄る輝夜に、藍はあせった表情でそれを否定する。
 その横で、妹紅は輝夜が投げ捨てた脚本を開いてみた。

「おい、これ途中で差し替えられてるぞ? 紙の質が変わってる」

 妹紅は脚本の中身を見て、そう指摘する。
 見てみると、紙の色と質感が途中から微妙に異なっていた。
 藍はそう言うことが出来る人物の心当たりがあった様で、その人物の方を向いた。

「……紫様?」
「……てへっ♪」
「てへっ、じゃないですよ! せっかく橙が楽しみにしていた舞台なのに!」
「まあまあ、橙も楽しそうだし良いじゃないの」
「それはそうですが……」

 笑って誤魔化す紫に、藍は白い眼を向けながらそう呟いた。
 その横で、将志が妖夢に話しかけていた。

「……妖夢。お前は自分の役に疑問を持たなかったのか?」
「え、お嬢に尽くす任侠の武士って格好良くないですか?」
「……いや、そう言う問題では……」

 物語よりも役のキャラ付けにしか眼が行っていない妖夢に、将志は沈黙するしかなかった。

 色々と問題を孕んだまま、舞台は再開される。


 * * * * *


『刀猫の真摯な頼み込みを聞いて、三男は猫のお嬢の御礼を受けることになりました』

「ところで、礼って何をしてくれるんだ?」
「その前に、お兄さんの名前は何て言うの? 私は橙」
「ギルバートだ。それで、お礼って何だ?」
「ギルバートを王子様にしてあげる」
「……はぁ?」

『三男は猫のお嬢の言葉を聴いて首を傾げました。そんな言葉が出るとは思ってもいなかったからです』

「いや、俺王子なんて柄じゃ……おわっ!?」
「……お嬢の申し出を断るんですか?」

『三男が断ろうとすると、刀猫は手にした日本刀をひたひたと三男の首筋につけました。三男は顔面蒼白です』

「わ、わかった、申し出は受ける。だが、本当にそんなことが出来るのぉ!?」
「……お兄さん。お嬢の言うことが信じられないんですか?」

『刀猫は三男の腰に手を回し、目の前に刀の切っ先を持ってきました。三男はもうたじたじです』


 * * * * *


「カーーーーーーーーット!!」

 輝夜はそう言うと、メガホンを宙に放り投げた。
 そしてそのまま、舞台の上の妖夢に詰め寄った。

「ちょっとそこのあんた!! 完璧にヤクザになってるじゃない!!」

 輝夜は妖夢の演技について、そうまくし立てる。
 すると妖夢はキョトンとした表情で首をかしげた。

「任侠ってそんなものじゃないんですか?」
「任侠って言葉が出てくる時点でおかしいわよ! 大体童話で恐喝なんてやってんじゃないわよ!」

 何がおかしいのか分かっていないそぶりを見せる妖夢に、輝夜はそう怒鳴りつけた。
 その横では、幽々子が妖夢の演技を見て微笑んでいた。

「なんか生き生きとしてるわね~、妖夢」
「本当にねぇ。幽々子、少しストレスを掛けすぎなんじゃないの?」
「そんなことないわよぉ。でも、新しいお手伝いさんが増えたら変わるかもよ?」

 紫の問いかけに、幽々子はそう答えて銀髪の青年に眼をやった。

「……そこで俺を見るな」

 将志はその視線に額に手を当ててため息をつくのだった。

 妖夢に対して輝夜が全力で匙をぶん投げると同時に、舞台は再開される。


 * * * * *


『三男達が話をしている頃、お城ではパーティーが行われていました。それはお姫様(演者:アリス)の誕生日を祝うために王様(演者:アルバート)が催したものでした』

「姫、お前も今年で齢十六になる。そろそろ結婚相手を探す時期ではないのか?」
「……そうね。でも、お父様のおめがねにかなう相手が居るのかしら?」
「……すまない。お前が王家の娘でなければ、自由にさせられたというのに……」
「気にしても始まらないわ。せっかくのパーティーなんだし、今日のところは楽しみましょう?」
「……そうだな。娘の誕生日に暗い顔をする父親が居てはいかんな……ん?」

『王様とお姫様が話していると、突然城の中に強い風が吹き始めました。会場に集まっていた人たちは突然の事態に慌てています』

「落ち着け皆の衆! 騒ぐでない!」
「そうだ。この程度で騒いで貰っては煩くて仕方が無い」
「っ、何者だ!」

『王様はそう言うと、声のした方向を向きました。するとそこには、大きな黒い羽を生やした魔王(演者:天魔)がいました』

「なに、私はこの近くに住む魔王だ。ご機嫌麗しゅう、国王陛下」
「……御託はいい。要件を話せ」
「用件は簡単だ。そこの姫を引き取りたい」
「馬鹿な! 貴様、何を言っているのかわかっておるのか!?」
「そう悪いようにはせん。王女など所詮は政略結婚の駒。ならば私が引き取ってそちらに援助をする形でも構わないのだろう? なに、お前が望む財も民も私は持っている。駒一つと交換するには申し分ないと思うがね?」
「……貴様……っ」
「おっと、私に喧嘩を売るのは良く考えてからにしたまえよ。私が何故魔王と呼ばれているか、その意味を良く考えるのだな。では、一ヶ月後に答えをもらおうか」

『魔王はそういうと、虚空に消えていきました。王様は彼女が立ち去ったあとを忌まわしげに見つめていました』


 * * * * *


「……カット」

 輝夜は脚本を握り締めてそう言うと、天魔のところへ向かった。

「……あんた、童話の意味分かってる?」
「その名の通り、児童が読む話だな」
「それが分かってるなら、何でお姫様が政略結婚の駒だなんていう子供の夢をぶっ壊すようなことを言うのよ!」
「現実を知らせるのも一興かと思ってな。それに何より悪役っぽくて良いだろう?」

 輝夜の指摘にも天魔は涼しい顔でそう返した。
 その返答を聞いて、妹紅は頷いた。

「確かに、これ以上なく悪役をやっているな」
「悪けりゃいいってもんでもないわよ!」

 妹紅の呟きに、輝夜はすかさずそう叫んだ。
 その一方で、舞台を見て面白くなさそうな表情を浮かべる者がいた。

「アリスがお姫様役か……」
「何よ、魔理沙。不満なの?」
「だって劇だぜ? さらわれたお姫様が魔王を倒すって言う話をやりたかったんだよ」

 霊夢の問いかけに、魔理沙はとても残念そうにそう呟いた。
 それを聞いて、霊夢は呆れ顔でため息をついた。

「どんな話よ……でもまあ、魔理沙はお姫様には向かないわね」
「む、酷いぜ霊夢。霊夢だってお姫様って柄じゃないじゃないか」
「私はいいのよ。お茶飲んでゆっくりできる役が貰えれば。この劇なら、銀月が勤める会社の社長の娘ね」
「……お前、ホントぶれないよな……」

 霊夢の発言に、今度は魔理沙が盛大に呆れ顔を浮かべるのだった。

 輝夜がひとしきり叫ぶと、舞台が再開された。


 * * * * *


『王様が魔王の登場に頭を抱えている頃、猫達と三男は今後どうするかを話し合っていました』

「それで、具体的にどうやって俺を王子にするんだ?」
「えっと……私がギルバートの飼い猫になって、王様に貢物を送ります。ギルバートはその間決して働いたりしちゃダメです」
「……あ~……その説明じゃ俺にはわからないぃ!?」
「分かってください。お嬢の説明なんですよ?」
「この……事あるたびに刀を振り回すのはやめろ!」
「これが私の仕事ですので」
「どんな仕事だよ!」

『刀を突きつけてくる刀猫に三男は抗議しますが、刀猫は涼しい顔です。そんな刀猫にお嬢はぷりぷりと怒りました』

「ちょっと妖夢! 話が進まないから少し静かにして!」
「……失礼しました」
「……それで、働くなってどういうことなんだ?」
「ギルバートにはカラバ公爵と言う人物に扮装してもらうよ。それで、しばらく身を隠して欲しいんだ」
「公爵って……俺、ほとんど無一文だぞ? ばれたりしたら俺処刑されるぞ?」
「大丈夫だよ、当てはあるから」

『計画の内容を聞いて、三男は冷や汗を流します。でも、猫のお嬢は自信満々です』

「妖夢、若人衆に連絡して情報を集めて。それから、人間にとって価値のありそうな奴を梱包して私のところへ持ってきて」
「承知しました」
「それじゃあギルバート。しばらくうちの組が用意した山小屋にでも入っててね」
「あ、ああ……」

『お嬢がそう言うと、三男は計画書に記されていた山小屋へと向かうことになりました。その姿を見て、刀猫は小さくため息をつきました』

「……お嬢。本当に良いのですか? 人間にそこまで加担する道理はないのですよ?」
「唯のお礼じゃないよ。ギルバートが王子様になったら、その飼い猫の私はどうなると思う?」
「……なるほど。流石はお嬢、全ては組のためと言うわけですね」
「でしょ? さあ、分かったなら早く始めよう?」
「承知しました」

『猫達はそう言い合うと、意気揚々と準備を始めました』


 * * * * *


「カットカットカット!!」

 輝夜はそう言ってメガホンを地面に叩き付けた。
 向かう先は橙のところであった。

「ねえ、どうして童話にそんな真っ黒な考え方が出てくるわけ? 三男と猫の友情物語は何処に行ったの?」
「え……だって台本にはこういう風に……」

 橙は困惑した表情で輝夜に自分の台本を差し出した。
 すると確かに台本には先程の台詞が書かれているのだった。

「だれだ! 橙にこんなことを言わせる奴は!!」
「私だ」

 藍の問いかけに、天魔がすっと手を上げた。
 それを受けて、藍は掴みかからんばかりに天魔に詰め寄った。

「お前かぁ! 何でお前は劇の空気をぶち壊すようなことを言わせるんだ!?」
「いつの時代も観客に求められるのはリアリズムだ。何の打算もない善意など毒に過ぎん」
「これ童話ぁ! あんた前回も似たようなことやったでしょうが! もう少し自重しなさい!」
「だが断る」

 喉が切れんばかりに叫ぶ輝夜の言葉を、天魔はたった一言で斬り捨てるのであった。

 早くも息切れを起こし始めた輝夜の指示で、舞台は再開される。


 * * * * *


『猫のお嬢は王様への献上品を探しに行きました。でも、なかなか納得のいくものが見つかりません』

「う~ん、なかなか人間の王様が喜びそうなものがないなぁ……」
「いっそ、美術館とかから持ち出してみますか?」
「泥棒はダメ。そんなことをするとすぐにばれちゃうから」
「あ、それなら動物の剥製を持っていきましょう。鹿の剥製なんか良さそうですよ」
「そうしようか。それじゃ、早速捕りにいかないとね」

『猫達は相談して、王様に献上する鹿の剥製を作るために鹿狩りに行きました』

「なんでしょう、あれは馬でしょうか? やけに青白いですが」
「わかんない。あ、こっち来る!」
「な!? この馬、頭に角が生えてます!」
「きゃあ!? なんで雷が落ちてくるの!?」
「お嬢、下がってください! 私が相手します!」
「私もこのライトボウガンで援護するよ!」
「くっ、堅い!? 太刀が弾かれる!」
「柔らかい部分があるはずだからそこを狙うよ!」
「そうですね、お嬢! 来なさいド○ケルビ! 妖怪が鍛えたこの楼観剣に、斬れぬものなど、あんまり無い!!」
「ひるんだ! 妖夢、行って!」
「やああああああ!!」

『猫達は頑張って鹿(?)を狩りました。雷を落とす鹿はとても強かったですが、何とかしとめることが出来ました』


 * * * * *


「Cut、CutCut!!」

 輝夜はそう言いながらメガホンを放り投げた。
 そして舞台の上に駆け寄ってきた。

「ちょっと、この劇はいつ童話からハンティングアクションに切り替わったわけ!?」
「と言われても、突然乱入してきたので対処しただけなんですが……」

 倒された鹿のようなものを指差しながらの輝夜の指摘に、妖夢は困った表情を浮かべた。
 すると、一同の視線は再び一人の人物に集まった。

「……紫様、素直に白状してください」
「……ちょっとモンハンにはまってて、つい……」
「うんうん、あれ楽しいもんね♪」

 乾いた笑みを浮かべる紫と、楽しそうに笑う愛梨。
 その様子を見て、六花が大きくため息をついた。

「……愛梨も共犯ですのね」
「ううん、ちがうよ♪ 僕がやったのはみんなを呼び出したところまでだよ♪」
「……みんな?」

 愛梨のその一言に、その場の全員が凍りついた。
 後日、様々な竜種が幻想郷に溢れ、ハンターと化した妖怪達が暴れまわったのは余談である。

 輝夜が胃薬を飲んできたところで、舞台は再開される。


 * * * * * 


『猫のお嬢は用意させていた長靴を履いて服装を整えると、剥製を持って王様のところへとやってきました』

「失礼します。カラバ公爵からの献上の品をお持ちしました」
「カラバ公爵? はて、聞いたことのない名前だが……」
「最近になって代替わりした方ですので、こちらに名前が届いていないのでしょう」
「なるほど……確かに受け取ったぞ。時に、貴殿の名前は何と言うのかな?」
「橙と申します」
「ふむ……分かった、その名を覚えておこう」
「ありがとうございます。では、これにて失礼致します」

『お嬢はそれから王様に何度も贈り物を贈りました。品物が偏らないように、剥製を売って作ったお金で高い美術品を贈ったりもしました。そんなことをしている間に、王様とお嬢はどんどん仲良くなっていきました。そんなある日、お嬢は刀猫と一緒に三男が閉じこもっている山小屋へと向かいました』

「ギルバート、そろそろ出番だよ」
「出番か……って、俺は何をすればいいんだ?」
「川で水浴びをしてて。その後はこっちに任してくれればいいよ」
「ああ、わかった、うぉわっ!?」
「……くれぐれも、余計なことをしないように」
「だから、事あるたびに刀を突きつけるんじゃねえ!!」

『三男はお嬢の指示通り、川に行って水浴びをすることにしました』

「……川に来て水浴びするのはいいものの、このあとどうするんだ……ん?」

『三男が水浴びをしていると、荷物がなくなっていることに気がつきました』

「やられた……まあ、大したもんは入ってないけど、服がないな……」

『三男が困っていると、そこに王様とお姫様が通りかかりました。その前に、猫のお嬢が飛び出してきました』

「王様、大変です! ご主人様が水浴びをしてる最中に、服を盗まれてしまいました!」
「なに? 何故こんなところで水浴びをしていたのだ?」
「ご主人様は自分の眼で民衆がどんな暮らしをしているかを調べるために、平民と同じことをすることがあるんです」
「……ふむ。分かった、ほかならぬ貴殿の頼みだ。助けてやるとしよう」

『王様はそう言うと、服を無くした三男を助けてやることにしました』

「ありがとうございます、国王陛下」
「ふむ、貴殿がカラバ公爵だな。橙から話を聞いている。……ふむ」

『王様は三男を見て、何やら考え事のようです』

「……ふん!」
「ふっ!」
「デッド○ーレイヴ!」
「レイジン○ストーム!」
「ちょ、お父様!?」
「ご主人様!?」

『突然激しい殴り合いを始めた王様と三男に、お姫様とお嬢はびっくりしました』


 * * * * *

「はいカーーーーット!」

 輝夜はイライラした表情で、脚本で肩を叩きながら舞台上で激しい戦闘を繰り広げる親子に声をかけた。

「あんたら……舞台の最中に何やっているわけ?」
「む? 護衛もつけずに一人で無防備な姿を晒すと言うことは、自身の腕に余程自信があると言うことであろう。俺は王としてそれを確かめただけだ」
「俺はただそれに反応しただけだぞ?」
「国王直々に殴りに行くのはおかしいでしょ!? それに家臣の猫がその場に居たでしょうが! それも護衛が出来そうな奴が!!」

 キョトンとした表情を浮かべるアルバートとギルバートに、輝夜は叫ぶように指摘する。
 それを聞いて、二人は何とも言えない気まずい表情を浮かべた。

「……まあ、その、なんだ……」
「……いつもの癖でついやっちまったぜ?」
「つい、じゃなーーーーーい!!」

 二人の言い訳に、輝夜は天に向かって思い切り吼えるのだった。

 肩で息をする輝夜の合図で、舞台は再開される。


 * * * * *


『互いの拳を認め合った王様と三男は意気投合し、三男はお城に招かれることになりました。三男はちょうどサイズが同じだった使用人の服を借りて、中庭に居ます』

「はぁ……まさか本当に公爵になっているとはな……」
「……全くだな」
「本当に驚きだね」

『すると、いつの間にか長男と次男が三男の隣に立っていました。三男は突然のお兄さんの登場に大いに驚きます』

「兄貴達!? 何でここに居るんだ!?」
「……なに、お前の飼い猫を名乗る猫からお前の現状を聞かされてな」
「少しばかり手伝ってやろうってことになっただけさ」
「……と言うわけで、俺達はしばらくの間お前の使用人と言うことになる」
「御用の際はお気軽にお申し付けください。では」

『お兄さん達はそう言って笑うと、三男から離れていきます。それと入れ替わりに、お姫様が三男に近づいてきました』

「さっきはごめんなさいね。お父様がいきなり殴りかかったりして」
「気にすることはありませんよ。ああ言うのは慣れていますから」
「慣れている?」
「ああっと……使用人からいざと言うときの備えということで、ちょっとした戦闘指南を受けていたのです」
「そう……それじゃあ……」
「……いかが致しましたか?」
「いいえ、何でもないわ。それより、少しお話をしましょう? 貴方とは話がしたいと思っていたのよ」

『お姫様は三男と話をして、楽しい時間を過ごしました。そしてそれ以来、三男はカラバ公爵としてお城に招かれるようになりました。そんなある日のこと、王様が領地の巡回に行くと言う話を猫のお嬢の部下が聞きつけました』

「お嬢、国王は魔王の領地を視察するようです。作戦実行のチャンスですよ」
「そうだね。それじゃあ宜しく頼んだよ、妖夢」
「はい。命に代えても成功させてきます」
「……そこまで言わなくても……」

『刀猫は部下(演者:雷禍)をつれて王様に先駆けて魔王の領地に行くと、そこの農家の人達(演者:人里の方々)を集めました』

「魔王様からの伝令です。これから某国の国王がここを通りますので、誰の土地かと聞かれたらカラバ公爵の土地だと言って下さい」
「言わなかったら、どうなるのかね?」
「……雷禍さん」
「おう」

『刀猫の部下が頷くと、晴れていた空が一気に雲に覆われ、強い雨と風が出て、雷が鳴り始めました。それを見て、部下はニヤリと笑いました』

「オラオラ、言うこときかねえと嵐でみんなぶっ飛んじまうぜ? 返事はどうしたぁ!?」
「は、はいぃぃぃ!!」

『刀猫の部下の力を前に、農家の人達は刀猫の言うことを聞くことを約束しました』


 * * * * *


「ちょっとカット」

 輝夜はそう言って舞台を一度止めた。
 そして、額に手を当ててうつむいた。

「……刀猫の部下のほうがよっぽど魔王らしい件について」
「まあ、見た目派手だし、魔法みたいなことしてるからな……」

 輝夜の発言に妹紅がそう言って同意する。
 それを聞いて、輝夜は小さくため息をついた。

「でも、彼の出番これで終わりなのよね」
「なぁ!? おい、俺の出番これだけかよ!?」
「うん、終わり。お疲れ様~」

 輝夜は雷禍に対してそう言って手をひらひらと振った。
 その行為に対して、雷禍は猛抗議を始めた。

「待てやぁ! 何だそのぞんざいな扱いは!? 嵐起こすぞテメェら!」
「……話が進まないから引っ込んでくださいまし」
「……へい」

 六花の手によって首に包丁が突きつけられると、雷禍は一瞬で大人しくなった。

 雷禍が体育座りをして自らの扱いについて考え始めた頃、舞台が再開される。


 * * * * *


『領地の視察に来た王様は農家の人達の話を聞いて、カラバ公爵の持つ広大な領地に感心しました。一方、三男はお姫様に呼ばれてお城に居ました』

「こんにちは、公爵様。呼びつけてごめんなさいね」
「いえ、特に気にすることはございませんよ。ところで、今日はどんなお話をしましょうか?」
「そんなに堅苦しい言葉遣いをする必要は無いわよ。ただの話し相手なんだから」

『お姫様は三男のことが気に入ったらしく、時間を見つけては呼び出すようになりました。そんなある日のこと、王様はそのカラバ公爵を城に呼びました』

「良くぞ来たな、カラバ公爵。この度は貴殿に話があって呼びつけた」
「話、ですか?」
「うむ。実は、貴殿に……」

『王様が話をしようとすると、突如として強い風が吹き荒れました。それが止むと、王様の前には気絶したお姫様を抱いた黒い翼の魔王が立っていました』

「返答の期限だ、国王陛下。姫君は頂いて行く」
「何!? 私は何も答えては居ないぞ!」
「お前は私の質問に沈黙を持って答えた。その沈黙、是と取らせてもらった。首を横に振らなかった自分を呪うがいい」

『魔王はそう言うと、お姫様と一緒にすうっと消えていきました。王様はそれを見て、がっくりと膝を突きました』

「……何と言うことだ……」
「……陛下。魔王の城は何処にあるかご存知ですか?」
「知っているが……貴殿はまさか……」
「ご主人様! 魔王を追いかけますよ!」
「ああ、わかった! ……そう言うわけですので、失礼します!」

『三男は猫やお兄さん達と一緒に魔王が飛んでいった先に向かいます。そして城に着くと、早速作戦会議を行いました』

「……ギルバート、お前は姫を助けに行け。残りの連中で魔王を片付けるぞ」
「ねえ、魔王とは先に私にお話させて?」
「良いけど、何か考えがあるのかいぃ!?」
「……あるに決まってるでしょう。お嬢が考え無しにそんなことを言うと思ってるんですか?」

『刀猫は次男の首に刀の刃を押し当てます。そう言って黙らされている間に、猫のお嬢は魔王のところへと向かいました』

「……何だお前は?」
「貴女が魔王ね?」
「そうだが、何か用か?」
「魔王がどんなものか見に来たのよ。お前が本当に魔王なら、私の挑戦を受けてみろ!」
「良いだろう。受けて立とうじゃないか」
「それじゃあ、虎に化けてみろ!」
「何だ、そんなことで良いのか? そらっ」

『魔王はそう言うと、いとも簡単に虎の姿になりました。それを見て、猫のお嬢は少し怖がりながら次の課題を言いました』

「どうだ?」
「……ふふん、今のはお前が化けられるか確かめただけだ! いくらお前でも龍には化けられないだろ!」
「その程度が出来ぬと思ったか? それっ」

『魔王はそう言うと、あっさり龍の姿になりました。大きな龍の姿に、猫のお嬢はかなり怖がりながらも次の課題を口にします』

「何か文句はあるか?」
「へ、へ~んだ、どうせでかいのしか化けられないんだろ! 悔しかったらネズミに化けてみろ!」
「断る」
「……え? 何でよ?」
「何で猫であるお前を前にして、その獲物であるネズミに化けねばならんのだ? 生憎とその手に乗るほど私は馬鹿ではない。早々に帰るが良い」


 * * * * *


「カット……カットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットォ!!」

 輝夜はそう叫びながら、電話帳を真っ二つに手で引き裂いた。
 そしてそれを放り投げると、天魔の元に走り襟首を掴んで詰め寄った。

「ねえ、あんたやる気あんの? あんたがネズミに化けないと話が続かないんだけど?」
「だからと言って、相手の口車に乗るような愚行を犯せと? 冗談ではない。私はそんなことはせん」
「だから! これは! 童話の! 劇だって! 言ってんでしょうが!!」

 輝夜は天魔をがくがくと揺さぶりながらそう怒鳴り散らす。
 それを聞いて、天魔は肩をすくめて深々とため息をついた。

「……やれやれ、相変わらず注文の多い監督だ……そんなに叫んでいてはそのうち喉が潰れるぞ?」
「その原因を作ってるのはあんた等でしょうがぁーーーーーーーーーー!!!!」

 天魔の指摘に、輝夜は天まで届かんばかりの咆哮をあげた。

 ボンベからの酸素吸入を行う輝夜の合図で、舞台は再開される。


 * * * * *


「……どうやら、話しても聞かん相手のようだな……」
「お嬢、ここは下がりましょう」

『途方にくれている猫のお嬢の前に、長男がやってきて魔王の前に立ちました。それと同時に、刀猫が猫のお嬢の手を引いて後ろに下がります』

「ほう? なら、貴様はどうするというのだ?」
「……知れたこと。口で言って聞かぬのなら、腕ずくで聞かせるまでのことだ」
「くくっ、面白い。やれるものならやって見せろ!」

『そ、そう言い合うと、長男と魔王は激しく戦い、うわぁ!?』


 * * * * *

「カット! ちょっと、誰かこの戦い止めて!」
「とは言ってもどうするんだよ!? 下手に手を出しても近づく前にやられるぞ!?」

 槍や弾丸が激しく飛び交う舞台から逃げながらの輝夜の言葉に、妹紅がそう答える。
 将志と天魔の激しい戦いは周囲にたくさんの流れ弾を生み出し、その戦いの余波は演劇を続行不可能なものにしていた。
 そんな二人を見て、銀月は額に手を当ててため息をついた。

「……はあ……咲夜さん、少し手伝ってくれる?」
「いいけど、何をすればいいの?」
「まずは時間を止めて。俺も能力使って中で動くから」
「ええ、分かったわ」

 咲夜はそう言うと、時間を止めた。
 周囲の景色が色を失い、セピア色に染まっていく。
 そんな中、一人色を失わなかった人物に対して咲夜は話しかけた。

「それで、どうするの?」
「父さんの頭を一発軽く叩けばいいよ。天魔様は俺に任せて」
「え、ええ」

 眼を翠色に光らせる銀月に頷くと、咲夜は将志の頭を軽く叩いた。

「やっ!」

 その一方で、銀月は天魔の頭を神珍鉄の黒い槍で叩いていた。
 鈍い音が当たりに響き渡り、かなりの衝撃が伝わっていることであろうことが分かる。

「もう大丈夫だよ。時間を元に戻して」
「了解」

 銀月の指示で咲夜は時間を再び動かす。

「がっ!?」
「うっ!?」

 すると、争っていた二人は地面に落ちて伸びてしまった。
 二人とも気絶しており、動く気配は無い。
 咲夜は二人の様子を恐る恐る確認する。

「……収まった?」
「よし、これで大丈夫だね。ありがとう、咲夜さん」
「どう致しまして」

 咲夜は礼を言う銀月の頭をそう言いながら撫でる。
 しばらくその状態が続いた後、銀月は口を開いた。

「……あの、劇に戻りたいんだけど」
「……あら、撫で心地が良いものだからつい」

 咲夜はそう言うと、ようやく撫でるのをやめた。

 輝夜が胃の辺りに重たいものを感じ始めるが、舞台は再開する。


 * * * * * 


『魔王と長男の激しい戦いは二人の相打ちで終わりました。長男はその場に倒れ、魔王は煙となって消えてしまいました。そこに、姫を連れた三男が戻ってきました』

「……これはいったい何が起きたんだ?」
「えっと、魔王と将志が相打ちになったの」
「……兄貴」
「お兄さん? あの使用人、貴方のお兄さんだったの?」
「……詳しいことは後で話します。とにかく、今は陛下の元へ帰りましょう」

『三男はお姫様を連れてお城に戻ろうとします。ところが、次男が付いてきません。そんな次男に、刀猫が声をかけます』

「何をしてるんですか? 早く戻りますよ?」
「……くくく、茶番だな。実に無意味な犠牲だ」
「……兄貴?」
「ははははははは! いや、面白い! 良くぞ我が影武者を倒してくれた! 最高の茶番だ! ははははははは!」

『次男は突然狂ったように笑い始めました。その言葉を聴いて、三男は次男の前に立ちました』

「……お前……まさか魔王か?」
「いかにも。今まで暇つぶしに人間の生活を送っていたがな。しかし、その果てにこのようなものが見られるとは思ってもいなかったぞ!!」
「……兄貴はどうした」
「お前の兄? ああ、この姿の本来の持ち主か。それなら食ったぞ? お前の兄はなかなかに美味であったな」
「……テメェ……」
「……さあ、今度はお前達の番だ。お前達はどんな味がするのかな?」

『次男はそう言うと眼を翠色に光らせました。それを見た瞬間、全員身構えます』


 * * * * *


「Cut, ……life led break down, beckon for the fiction! ……駄作!!!」


 輝夜は胃の辺りを押さえながらそう言うと、銀月の元へと駆け寄った。

「ねえ、あんた何のつもり? 魔王は倒れたのにそんなことしてどうするの?」
「えっと、ちょっと良いかな? 提案があるんだけど……」
「……何よ?」
「橙ちゃんに花を持たせてあげたいんだ。ほら、これ元々橙ちゃんのための劇だったし……」

 銀月はそう言って輝夜の表情を伺う。
 すると、輝夜はほろりと涙をこぼした。

「……あんたが初めてよ……そういうこと言うの……」
「それは良いとして、どうするんだ? そう都合よく行くのか?」
「そのために……レミリア様?」

 妹紅の質問に対して、銀月はそう言って小さな吸血鬼の方を見た。
 するとレミリアは、むすっとした表情で銀月を見返した。

「何よ、何か用?」
「お手数ですが、少し運命を操って頂きたいのですが……構いませんか?」
「……何で私がそんなことしなきゃなんないのよ」
「ここで寛大なところを示しておけば、後で良い事があるかもしれませんよ? 例えば、次の劇で良い役を貰えたりとか。それに、私も貴女様の言うことを一つ可能な限り聞きますよ?」
「……分かったわよ。その言葉、よく覚えておきなさいよ」

 レミリアは不機嫌さを隠そうともせずにそう言った。
 その様子を見て、妹紅はキョトンとした表情で首をかしげた。

「なあ、あいつ何であんな不機嫌なんだ?」
「劇で役を貰えなかったのが不満だったみたいです。まあ、次に期待させるとしましょう」

 そんな妹紅の質問に、銀月は苦笑しながらそう答えるのであった。

 輝夜が八意印の胃潰瘍の特効薬を飲んだあとで、舞台は再開される。


 * * * * *


『三男と猫達はを魔王となった次男相手に戦い始めました。しかし魔王の力は強く、三男は苦しい戦いを強いられます』

「ははは、どうした! その程度か!?」
「やあああああ!」
「遅い!」
「うわあっ!」

『刀猫は魔王に斬りかかりますが、魔王が振るう槍に弾き飛ばされてしまいました』

「妖夢!?」
「余所見をしてる場合か?」
「きゃあ!?」

『猫のお嬢も魔王に弾き飛ばされ、刀猫のところに転がります』

「はああああ!」
「ふっ、その剣では私には届かんぞ?」
「このぉ!」

『三男は剣を取って果敢に魔王に攻め込みます。でも、魔王は強くて、なかなか攻撃を当てることが出来ません。そんな中、猫のお嬢はゆっくりと立ち上がります』

「……ううっ……まだ……」

『猫のお嬢は横に落ちていた刀猫の刀を手に取りました。そしてそれを持って魔王に向かって走っていきました』

「わああああああ!」
「むっ?」
「そこだ!」

『魔王が猫のお嬢に気をとられたところを、三男は思いっきり剣を振るいます。すると槍は弾き飛ばされ、魔王は体勢を崩しました』

「しまった!」
「えーーーーーーい!」
「ぎゃああああああああ!」

『そして、その魔王の胸を猫のお嬢の刀が深々と貫きました。それを受けて、魔王はその場に膝をつきます』

「……くっ……見事……ふふっ、良いだろう……私の全て、持って行くがいい……がはっ……」

『魔王はそう言うと地面に倒れ、強い光と一緒に消えてなくなりました。三男はそれを確認すると、避難していたお姫様のところへ向かいます』

「……お怪我はございませんか、姫様?」
「え、ええ……それよりも、お兄さんは……」
「……もう、良いんです」
「……そんな……」

『悲しそうな表情の三男に、お姫様は何て声をかけたら良いのか分かりません。そんな時、後ろでドアが開く音が聞こえました』

「あ、あれ、ギルバート? 何でここに居るんだ? て言うか、ここ何処だ?」

『扉を開けてでてきたのは、死んだはずの次男でした。その姿を見て、三男は思わず身構えます』

「魔王!? まだ生きていたのか!?」
「魔王? 何で俺が魔王になるのさ? というか本当にここ何処? 気がついたらここに居て訳が分からないんだけど……」
「……本当に兄貴なのか?」
「え? それ以外の誰に見えるんだい?」

『三男の質問に、次男はキョトンとした表情でそう答えます。それを聞いて、三男はホッとした表情を浮かべました』

「……何だ……生きてたのか……心配させやがって」
「えっと……なんだか分からないけど、ごめん」
「……っ……俺は……」
「うおわっ!? 何だ、そっちも生きてたのか!?」
「……勝手に殺すな」

『次男と話している脇で、長男もむくりと起き上がります。それを見て、三男は驚くと同時に嬉しそうに笑いました』

「っと、橙、妖夢、無事か?」
「う、うん。私は大丈夫」
「……はい。私も何とか無事です」

『三男の問いかけに、猫のお嬢と刀猫は答えます。その横で、お姫様は困り顔です』

「えっと……全員無事ってことで良いのかしら?」
「はい。では、お城に戻りましょう!」

『こうして一行はお姫様を取り戻し、ついでに魔王の城と土地と財産を手に入れてお城に戻ります。そして帰ってきたお姫様を見て、王様は立ち上がって喜びました』

「おお! 良くぞ帰ってきてくれた! 怪我は無いか?」
「ええ、彼らのおかげで無事よ」
「そうか……公爵殿。貴殿等の働きによって姫が無事に帰ってきた。礼を言うぞ」
「……いえ、当然のことをしたまでです」
「……ところで一つ提案なのだが、公爵殿……娘の婿になってはくれぬか?」

『国王の突然の提案に、三男とお姫様は目をぱちくりとさせました』

「お父様?」
「私を婿にですか?」
「そうだ。二人とも、不満か?」
「いいえ、私は不満なんか無いわよ」
「……こちらも不満などございません」
「よし! では、早速婚礼の準備に取り掛かろう! さあ、これから忙しくなるぞ!」

『それから、あっという間に準備が進み、二人は結婚式の日を迎えました。三男は白いスーツを着て、お姫様は綺麗なウェディングドレスを着ています』

「それにしても、本当に王子様になるなんてな……」
「えっと……緊張してる?」
「当たり前だ。こちとら一月半前は文無しの平民だったんだぞ?」
「そ、そうだったわね……で、でも、これからは一国の王子としてちゃんとしてもらうわよ!」
「……それはいいけどな、そっちが俺より緊張してどうするんだよ……」
「う、うるさい! さあ、さっさと終わらせるわよ!」
「はいはい。それじゃあ、行きますか!」

『こうして二人は結婚し、三男は王子様になって幸せに暮らしました。そして、三男を陰で支えてきた猫達はと言うと、』

「……平和ですね、お嬢」
「うん……他のみんなは?」
「縄張りの警備に向かってますよ」
「……今日は何しようかなぁ」
「久しぶりにネズミでも捕まえますか?」
「……そうだね」

『……貴族の生活を心行くまで楽しんだのでした。めでたしめでたし♪』


 * * * * *


「はい、これでお話は終わりだよ♪ みんな、聞いてくれてありがとー♪」

 愛梨はそう言って劇の終わりを宣言する。
 その瞬間、輝夜はその場に崩れ落ちた。

「……な、何とか無事に終わったわね……」
「……声が掠れているぞ、輝夜」
「……もう舞台監督なんてしたくないわ……大声出すのいやぁ……」

 妹紅の言葉に、輝夜は泣きそうな声でそう返した。
 そんな二人のところに、銀月がお茶を運んできた。

「あはは……二人とも、お疲れ様。お茶どうぞ」
「……もらうわ」
「お、悪いな銀月。それにしても、お前あんな悪役も出来るんだな」
「そりゃあ、役者志望だもの。あれくらい出来ないとね」

 妹紅の言葉に、銀月は笑みを浮かべてそう答えた。
 そんな銀月の服の袖を、霊夢が引っ張った。

「銀月、私にもお茶ちょうだい」
「そう言うと思って持ってきてあるよ」

 銀月はそう言うと霊夢にお茶を渡すのだった。
 
 その横では、妖夢が幽々子と話をしていた。

「お疲れさま、妖夢。なかなか良かったわよ」
「ありがとうございます、幽々子様。私も結構楽しめました」
「それは良かったわ。それじゃ、次やるとしたらどんな役がやりたい?」
「あ、私殺陣がやりたいです。悪人達をばっさばっさと斬り捨てる役がいいです」

 妖夢は眼を輝かせて幽々子にそう言った。
 それを聞いて、幽々子は少し引きつった笑みを浮かべた。

「……えっと、ストレス溜まってる?」
「……? いいえ、そんなことはありませんよ?」
「そ、そう……」

 首をかしげる妖夢に、幽々子は乾いた笑みを浮かべるのだった。



「橙、劇をやってみてどうだった?」
「楽しかったよ、藍さま!」

 藍の問いかけに、橙は満足そうな表情でそう答えた。
 それを聞いて、藍も満足げに微笑む。

「そうか、それは良かった。見せ場があってよかったな」
「うん! でも、劇って台本通りに進まないものなんだね」
「……橙、それは違うぞ……」

 藍は橙の言葉にガクッと肩を落とした。
 それと同時に、何か思い出したように辺りを見回し、目的の人物に声をかけた。

「……ところで将志。ひとつ話があるのだが」
「……どうした?」
「……お前、あと少しで橙が楽しみにしていた劇そのものを潰しかねなかったって、分かってるな?」

 藍がにこやかな笑みを浮かべてそう問いかける。
 すると、将志の顔からサッと血の気が引いていった。

「…………それに関しては申し訳なく思っている」
「殊勝だな。でも、それじゃあダメだ。あとでちゃんとお仕置きしないとなぁ?」

 藍は妖艶な笑みを浮かべて将志の頬を撫でた。
 すると将志の背筋にぞくりとしたものが走った。

「っ……藍、それはお前がそうしたいだけでは……」
「だとしても、そうするだけの被害はあったんだ。絶対に受けて貰うからな、将志?」
「…………」

 藍の一言に、将志は完全に沈黙した。
 そんな二人に、橙が話しかけた。

「藍さま? どうかしたの?」
「ああ、私は少し彼と話があるからな。橙はその間六花のところにでも行っててくれるか?」
「うん、分かったよ、藍さま!」

 橙はそう言うと、元気良く赤い長襦袢の女性の元へと走って行った。
 それを見送ると、藍は将志に眼を向けた。

「それじゃあ行こうか、将志」
「……どうしてこうなった……」

 将志は藍に腕を取られ、ずるずると引きずられていくのだった。




「おい、魔理沙。何でそんなに不機嫌なんだ?」

 ギルバートは見るからに不機嫌そうに腕を組むモノトーンの服を着た金髪の少女に声をかける。
 すると、魔理沙は小さく鼻を鳴らしてそれに答えた。

「……お前、アリスと私じゃ全然態度違うんだな」
「そりゃそうだ。お前とアリスは違うからな。たぶん、お姫様がお前だったらああいう風にはならなかっただろうよ。そもそも助けに言ったかどうかも怪しいもんだ」
「はあ!? 何だよそれ!?」
「だってよ、お前の場合さらわれたって絶対自力で抜け出してくるだろうが。そんな奴をわざわざ助けに行くなんて無駄だ。第一、お前にああいう役は似合わないにも程がある」

 心外そうに声を上げる魔理沙に、ギルバートは理由を述べる。
 すると魔理沙は、悔しそうに地団太を踏んだ。

「く~っ! 言いたい放題言いやがって! 分かったよ! そうまで言うならやってやろうじゃないか! お~い! この劇お姫様を私に代えてもう一回やろうぜ!」
「おい、魔理沙落ち着け! 今日はもう無理だっての!」
「うるさい! こうなったら意地でもやってやるぜ! ギル、お前は三男固定だからな! お~い! みんな~!」

 魔理沙はそう言いながら人ごみの中へと走っていった。
 ギルバートはそれを止めようとするが、間に合わない。
 その結果、彼の手は行き場をなくしたように宙にとどまるのだった。

「あ、おい……行っちまったか……」
「苦労してるのね、貴方」

 そんなギルバートに声をかける人物がいた。
 それは、先程劇の中では夫婦の仲となった人物であった。

「ん、アリスか。まあ、いつものことだ。それよりも、今日はお疲れ」
「貴方ほど出番は無かったから、疲れては無いわよ。それに、お姫様役はそれなりに楽しかったしね」
「そうかい。で、ウェディングドレスを着た感想は?」

 ギルバートは何とはなしにアリスにそう尋ねる。
 するとアリスは、少し顔を赤くして言葉を返した。

「な、何でそれを聞くのよ?」
「そりゃあ、女の子なら誰だってあこがれるものじゃないのか? 劇とはいえ着る事になったんだから、何か感想はあるかなって思ってな」

 明らかに動揺しているアリスに、ギルバートは特に何とはなしにそう答えを返した。
 それを聞いて、アリスは肩透かしを食らったような表情を浮かべたあと、大きく咳払いをした。

「ま、まあ、悪くは無かったわ。ウェディングドレスを着た人形を作ってみるくらいは考えたわよ。そういう貴方はどうなのよ?」
「どうって……男は白いスーツなんて着ようと思えばいつでも着られるからな……流石に全身真っ白って言うのはほとんどねえけど」

 ギルバートは白いスーツの感想を簡単に述べる。
 それを聞いて、アリスはつまらなさそうにため息をついた。

「……はぁ……つまらないわね」
「そいつは悪いな。んじゃま、この後打ち上げをやるみたいだし、行こうぜ」
「そうね」

 二人はそう言い合うと、宴会の準備を始めている中へと入っていった。



[29218] 銀の月、見直す
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/08 01:37
 明け方の博麗神社。
 そのうちの一室に一人の子供っぽい顔の少年が眠っていた。
 その少年こと銀月の部屋には机と本棚、それと小さなタンスがあるだけである。
 もっとも、彼の私物は懐の収納札に大体しまってあるので、私物が無いわけではないのだが。

「……ん」

 銀月は短く唸り声を上げると瞼を開いた。
 今日も普段と同じ時間に眼を覚まし、軽く伸びをする。

「……ん?」

 そこで銀月は異変に気がついた。
 自分の腹の上に何かが乗っているのだ。
 その物体は柔らかい感触で、何やら温かみのあるものであった。

「……まさか」

 銀月はすぐにある可能性に思い至った。
 そしてそれを確認するために、銀月はそっと布団をめくった。

「うふふ……おはよう、銀月」

 するとそこには、金色の髪に赤いリボンをつけた妖怪の姉がいた。
 ルーミアは銀月と眼が合うと、にこやかに笑ってそう言った。

「ルーミア姉さん? いきなり忍び込んできてどうしたのさ?」
「それはねえ……それっ!」

 ルーミアはそう言うと、銀月の両手を左手で掴んで頭の上に押し付けた。
 突然の行動に、銀月は唖然とした表情を浮かべた。

「ね、姉さん?」
「ふふっ、今日は銀月を頂きに来たのよ」
「なっ……」

 眼を白黒させる銀月に、ルーミアは妖しい笑みを浮かべてそう言った。
 その獲物を前にした狩人のような眼に、銀月は背筋に冷たいものを感じた。
 それは目の前の獣の標的になったことに対して、体が発した大きな警鐘であった。
 一瞬明らかに怯えた様子を見せた銀月の首筋に、ルーミアは舌を這わせた。

「ひ、あ……」
「んっ……相変わらず美味しいわ。それにこの匂い。今すぐに食べてしまいたくなるわ……」
「ね、姉さ、んうぅ……」
「それに可愛い声に可愛い顔。うふふ、ぞくぞくしちゃう。銀月って首が弱いのかしら? ん……」

 執拗に首筋を舐め続けるルーミアに、銀月は体を捩じらせて逃げようとする。
 しかし、抜け出そうとしても両腕をしっかりと押さえられていて抜け出せない。
 ここに来て、銀月は自分を押さえつけるルーミアの力が強くなっていることに気がついた。
 それにより、銀月の顔には若干の焦りが見え始めた。
 その銀月の変化に、ルーミアは嬉しそうに笑みを浮かべた。

「うふふ、気がついてくれたみたいね」
「……姉さん、何でいきなりこんなに強く……」
「お兄さまがお姉さまに頼んで、私の封印を緩めてくれたの。これでまた攻守逆転ね、銀月♪」
「くっ……」

 楽しそうに笑うルーミアと、必死の形相の銀月。
 銀月はルーミアの拘束から抜け出そうとするが、ルーミアは銀月の体を上手く押さえ込んでいた。
 おまけに自分の体勢が全く力の入らないもののため、抜け出すことが出来ない。
 もがいている銀月を見て、ルーミアは舌なめずりをした。

「ほ~ら、頑張れ、頑張れ♪ 頑張らないと、私に食べられちゃうよ?」

 ルーミアはそう言いながら、空いている右手を布団の中へと伸ばす。
 そして寝巻きの浴衣を軽くはだけ、銀月の内腿をゆっくりと撫で始めた。

「あうっ、ね、姉さん!? 何処触ってるのさ!?」
「何処って、太腿じゃない。それそれ、早く止めないと変なところ触っちゃうよ?」

 顔を真っ赤にして抗議する銀月に、ルーミアはサラリと答える。
 そして嗜虐的な笑みを浮かべながら、右手を膝のほうから股関節に向けてゆっくりゆっくりと這わせ始めた。
 その手つきはとても淫猥なもので、そこから来る刺激に銀月は顔をゆがめる。

「うぅっ、姉さん、やめて……」

 身悶えながら潤んだ瞳で懇願する銀月。
 抜け出そうとする行為に集中出来ないのか、抵抗する力が先程よりも少し弱い。
 その銀月の行動はルーミアの嗜虐心をそそるものであり、ルーミアは背中にぞくりとした感覚を覚える。
 ルーミアの心の中には、銀月を滅茶苦茶にしてしまいたいという欲求が首をもたげ始めていた。

「ふふっ、嫌よ。やめて欲しかったら自分で止めなさい?」

 ルーミアはその欲求のままに、嗜虐的な笑みを深めた。
 そして右手を動かす速度を少し速め、首筋を舐めようとしたその時であった。

「……あんたら、何やってるの?」

 いつの間にか部屋の入り口に寝巻き姿の霊夢が立っていた。
 霊夢の手には御幣が握られており、戦闘準備は整っているようである。

「あら、霊夢。いつからそこに居たの?」
「ついさっきよ。銀月の変な声が聞こえたから起きちゃったのよ」
「そう。それは失敗したわね、今度銀月を襲うときは口を塞いでからにしようかしら?」

 霊夢の問いかけに、ルーミアは悪びれることなくそう答えた。
 その返答を聞いて、霊夢は手にした御幣を強く握り締めた。

「やっぱり、銀月の身内だからって甘い顔しちゃいけないわね。表に出なさい。と言うか、まずは銀月の上から退け」
「おお、怖い怖い。殴られるのは嫌だし、銀月の上からは退いてあげるわ」

 ルーミアは涼しい表情でそう言うと、銀月の上から退いた。
 銀月はそれと同時に素早く体を起こすと、乱れた服装を整える。

「……酷い目に遭った……」

 銀月は服装を直しながらそう呟く。
 その眼は未だに涙眼で、声は沈んでいた。

「あら、感覚的には結構良かったんじゃない? 喘いでもだえる銀月は可愛かったわよ?」
「……覚えてろぉ……」

 けらけらと笑うルーミアを、銀月は顔を真っ赤にしながら睨む。
 そしてひとしきり睨むと、銀月はぐすんと小さく鼻をすすってから着替え始めた。

「それにしても、銀月ってもの凄い早起きね。睡眠時間足りてるの?」
「足りてるよ。睡眠の質を限界を超えた良いものにすれば一時間でも気分爽快だよ」

 銀月はルーミアの質問に着替えながら答える。
 そして着替え終わると、銀月はまっすぐに台所へと向かった。
 そこには下ごしらえ済みの沢山の材料が置かれていて、すぐに料理が始められる状態になっていた。
 銀月は割烹着に袖を通すと、収納札から包丁や鍋を取り出した。

「さてと、仕事を始めますか」

 銀月はそう呟くと、料理を始めた。
 まず米を炊き、その間に弁当に入れるおかずを手際よく、何種類も作っていく。
 メインとなるのは唐揚げや魚の照り焼き、ハンバーグやエビフライ等様々な種類のおかずである。
 それらのものを特注の大きな鍋やフライパンで一気に仕上げていき、皿の上に並べて荒熱を取っていく。
 弁当を作るうえで、熱が残ったままでは品質の劣化に繋がってしまうからである。
 それが済んで米が炊き上がると、今度は中華鍋に油を引いてチャーハンを作り始める。
 強い火力で火を通していき、パラパラとしたチャーハンが出来上がっていく。
 そうして全ての料理が出来上がると、使い捨てに出来るような安い竹の弁当箱に見栄えよく詰めていく。
 こうして台所には、五種それぞれ二十個ずつの弁当が出来上がったのだった。

「よし、これで終わりっと」

 銀月は調理道具を片付けると、大量の弁当を収納札にしまっていく。
 収納札の中は銀月がどんなに激しく動いても振動が伝わらないので、岡持替わりには丁度良いのであった。
 それをしまい終わると、銀月の袖を霊夢が引っ張った。

「銀月、何か軽く食べられない? 台所の匂いでお腹が空いたんだけど」
「ん~、朝ごはんまで我慢できない? 帰ったらすぐ作るよ?」
「おむすびくらいで良いんだけど……」

 霊夢は袖を掴んだままそう言いながら、銀月の眼を見つめる。
 その眼からは、あからさまにおねだり光線が発せられていた。
 それを見て、銀月は小さくため息をついた。

「分かったよ。小さいおにぎりくらいで良いなら作るよ」
「ありがと。それからお茶もお願いね」
「はいはい」

 満足そうに笑う霊夢に、銀月は苦笑いを浮かべてやかんを火にかける。
 そして手を濡らして塩をつけ、釜に残った飯を俵型に握る。
 その横に立つ人物が一人。

「……弱い……弱すぎるわ……」

 銀月がその声に振り返ると、そこにはルーミアが立っていた。
 ルーミアは銀月をジト眼で見つめており、何処となく不機嫌そうである。

「どうしたのさ、姉さん?」
「銀月、やっぱり霊夢に甘すぎるんじゃない? それから、私にもおにぎりちょうだい」
「そうかなぁ……あ、おにぎりはちょっと待って。すぐに作るから」

 銀月はルーミアの主張をそう言って聞き流すと、ルーミアの分のおにぎりを作り始める。
 そして手早く完成させるとお茶を淹れ、霊夢が待つ居間へと運んだ。

「お待たせ。丁度良い具がなかったから、ただの塩おにぎりで我慢してくれるかい?」
「良いわよ。どうせあとでちゃんとした朝ごはんが食べられるんだから。ところで、帰ったらってことはどこか行くの?」
「うん。お店にお弁当を届けにね。でもすぐに帰ってくるよ」
「あ、そ。それじゃ、早く帰ってきてね」
「分かってるって。じゃあ、行ってくる」

 銀月はそう言うと人里に向かって飛び出していった。




「ところでルーミア姉さん、本当に何の用でここに来たのさ?」

 弁当を販売店に持って行き、神社に戻って朝食を食べながら銀月はルーミアに話しかけた。
 食卓には三人分の料理が並んでおり、霊夢とルーミアが一緒に食事をしている。
 もっとも、霊夢は食卓にルーミアがいることが気に食わないのかむすっとした表情を浮かべている。

「銀月って今日何か予定あるの?」
「いや、今日はレミリア様から休養を取るように言われているけど?」

 銀月はルーミアに今日の予定を話す。
 通常紅魔館に休暇など無いが、今回の場合は昨日のフランドールへの血液の提供を受けて、暴走の危険を鑑みて大事を取らせたのであった。
 ……実際のところは銀月は吸血されて二時間で完全回復しているので、完全に暇な時間が出来ただけなのだが。
 その銀月の予定を聞いて、ルーミアは嬉しそうに笑った。

「よ~し、それじゃあ銀月、久しぶりに勝負しましょ」
「……また唐突だね、姉さん……姉さんはいつも唐突に動いて困らせるんだから……」

 突然の申し出に、銀月は白い眼を向ける。
 それを見て、ルーミアは膨れっ面をした。

「何よ、銀月だって唐突に出て行った癖に」
「姉さんは常習犯でしょ。それで、勝負の形式は?」
「スペルカード二枚の何でもありの勝負。弾幕ごっこだけじゃつまんないでしょ?」
「了解。まあ、ご飯食べ終わってからね」

 ルーミアと銀月はそう言うと話を止めた。
 その銀月に、霊夢が近寄って耳打ちをする。

「銀月、ルーミアは前のときとは比べ物にならないくらい強くなってるわよ」
「分かってるよ。さっき押さえつけられた時の力が段違いに強かったし、よく考えたら昨日レミリア様が宵闇の妖怪の話をしてたからね」
「なら良いんだけど。いくら人間やめたあんたでも油断は出来ないと思うわ」
「……その油断の出来ない相手に弾幕ごっこで圧勝しておいて良く言うよ。それと、俺はれっきとした人間だし、人間をやめてもいない」

 霊夢の忠告に、銀月は憮然とした表情でそう答えた。




 食事が終わってお茶を飲み全員の腹が落ち着いた頃、銀月とルーミアは博麗神社の境内に立っていた。
 なお、霊夢には終わったあとの掃除をするという条件で取り付けてある。

「それで、ルーミア姉さん。どちらかが気絶するか負けを認めるかすれば決着で良いんだよね?」
「ええ、それくらいシンプルで良いわ。そうじゃないと、姉の威厳は示せないもの」
「姉の威厳って……そんなこと気にすることは無いのに……」
「私が気にするのよ。さあ、早く始めましょ」

 ルーミアがそう言った瞬間、銀月は手を軽く振って札を取り出す。
 それと同時に五寸程の長さの長方形の札に力が込められ、銀色の光を発し始める。

「そうだね。早く終わらせようか」
「そう来なくっちゃ。あ、そうそう……」

 ルーミアが笑顔でそう言うと、ルーミアの右腕を霧のような闇が覆い始める。
 その形は長く大きく、巨大な十字架の形に伸びていく。
 そしてルーミアが軽く腕を振るうと、霧の中から闇色の刀身の大剣が現れた。
 その剣を、ルーミアは銀月に差し向けた。

「……そう簡単にやられないでね。前の私と同じと思っていたら痛い目に遭うわよ?」

 そう話すルーミアの眼は自信に溢れており、その表情は不敵な笑みを浮かべている。
 彼女の周囲には先程は霧になっていた闇が、多数の剣へと変化していた。

「…………」

 それを見て、銀月は背筋に冷たいものを感じた。
 目の前にいる宵闇の妖怪は、明らかに以前とは違う。
 今のルーミアは上級の妖怪が持つ特有の押しつぶされそうな威圧感と、彼女の持つ深い闇のような底知れぬ恐怖を銀月に味わわせていた。
 それを悟られぬように銀月が小さく息を吐くと、ルーミアもまた小さく笑った。

「ふふっ……それじゃあ、行くわよ!」

 銀月が動き出すよりも先に、ルーミアが動き出す。
 その動きは素早く、一瞬で間合いを詰めて手にした大剣を振るう。

「……っ!」

 その暴風のような一太刀を、銀月は即座に霊力を力に変えて跳んで躱す。
 その後、銀と翠の霊力弾をルーミアに叩き込もうとする。

「あはっ、遅い遅い!」
「うわっ!?」

 しかしその前に、ルーミアは自身の周囲に浮かべていた闇色の剣を銀月に向かって飛ばしてくる。
 銀月は霊力弾に使おうとしていた霊力をとっさに球状の足場に変え、それを蹴ることで一気にその場から離脱する。
 闇色の剣が銀月の居たところを通り過ぎると同時に、銀月は地面に着地した。

「そーら、そこぉ!」

 するとルーミアは狙い済ましたかのように、銀月の着地点に向かって大剣を振りぬいた。
 足を刈るように迫る大剣は、着地直後で動けない銀月をしっかり捉えていた。

「くぅ!」

 銀月はその迫り来る斬撃を、とっさに着ている服を霊力で強化することで防いだ。
 しかしその強烈な衝撃は殺しきれず、銀月は大剣に弾き飛ばされてしまう。

「この!」
「おっと!」

 銀月は弾き飛ばされると同時に霊力弾を打ち込む。
 ルーミアがそれを避けるために飛びのくと、二人は距離を置いて対峙した。

「つぅ……本当に強いなあ……確か、ルーミア姉さんって妖怪の中じゃまだ若い方じゃなったっけ?」

 銀月は油断無く相手を見据えながら話しかける。
 先程大剣の一撃を受けた部分の服が斬られており、ルーミアの大剣の切れ味を物語っている。
 更に銀月の体感としてルーミアの力と速度は、力の半分を封印されてなお上位の天狗や一般の鬼や吸血鬼程度と言う非常に高いものに感じられたのだ。

「私もお姉さま達に会うまでは色々あったのよ。まあ、食べることに関しても貴方のお姉さんってことね」

 ルーミアは銀月にそう言って答えると、銀月は少し不機嫌そうな表情をする。
 幼い銀月が妖怪を狩って捕食していたように、ルーミアもかつて力を得るために周囲の人間や妖怪を次々と吸収していたのだ。
 その力は、半分封印されている現在においても非常に高いものになっていた。
 更に銀の霊峰における修行によって磨かれてきた技術が、その動きを更に洗練されたものにしていた。

「そんなことより、続きをしましょ? こんなに楽しい勝負は久しぶりだもの」
「そうだね。確かに楽しい勝負になりそうだ」

 二人はそう言うとお互いの得物を構える。
 するとルーミアは何かを思い出したように人差し指を立てた。

「あ、そうだ。言い忘れてたけど、私に勝ったら一つ言うことを聞いてあげるわ。その代わり、私が勝ったら銀月が大切にしてるものを一つもらうわ」
「え、そんなの初耳だぞ!?」
「だから言ってるじゃない、言い忘れてたって。それに、勝てばいいのよ勝てば」
「……これは……負けられない」

 銀月はそう呟くと、手にした札を強く握りなおした。
 そして懐からスペルカードを取り出した。


 好役「格好つけた陰陽師」


 銀月はスペルの発動を宣言すると、自分の周囲に銀色に光る札を四枚浮かべた。
 札の光は強くなり、銀色の光の球体を化す。

「行けっ!」

 銀月がそう言った瞬間、銀の球体はルーミアに向かって飛んでいく。

「わははー、甘い甘い!」

 ルーミアは時間差で跳んでくるその攻撃を、横に素早く飛んで回避する。
 しかし躱した瞬間、銀の球体は閃光と共に爆発を起こした。

「うわっ!?」

 ルーミアはその眩しさに思わず眼を覆う。
 するといつの間にかルーミアの背後には鋼の槍を持った銀月が居た。

「はっ!」
「ぎゃん!?」

 銀月が槍を薙ぎ払うように横に振るうと、ルーミアはそれを受けて飛ばされていった。
 それに対して、銀月は追撃のために更に札を四枚浮かべて銀の球体を作り出す。

「わはぁ、やるやるぅ! よ~し、今度は私の番ね!」

 ルーミアはそう言って笑うと、スペルカードを取り出した。


 堕符「アポスタシークロス」


 ルーミアはスペルの発動を宣言すると、左手で十字を切った。
 するとルーミアの目の前に大きな闇の十字架が現れた。

「ちっ!」

 銀月はそれを見て即座に銀の球体をルーミアに向けて放った。
 今度は四つの球体が一気にルーミアの元へと殺到していく。

「それっ!」

 一方のルーミアもその十字架を銀月に向けて放つ。
 銀の球体と暗黒の十字架が二人の中心でぶつかり合う。
 すると光と闇が打ち消しあい、音も無く消えてなくなった。

「くっ……」
「それっ、もう一丁!」

 銀月とルーミアは激しい撃ち合いになった。
 銀月が札を放てば、ルーミアはその大半を十字架で打ち消して避けながら接近し、黒い大剣で攻撃を仕掛けていく。
 ルーミアが攻撃を仕掛ければ、銀月はその攻撃を冷静に避けながら札を撒き、多角的に相手を攻め立てていく。
 しかし、しばらく続けていくうちに段々と銀月が押され始めてきた。

「くぅっ、最近少し仕事に時間を割きすぎたかな……」
「そう? 私は銀月のことだから十分すぎるほど修行してると思うけど? それに、私は銀月よりも百年は先輩なのよ?」
「それでも、追いつけなくは無い!」

 銀月はそう言うと鋼の槍で、迫り来るルーミアを振り払う。
 ルーミアはそれを後ろに下がって回避し、再び十字を切る。

「それもそっか。良く考えたら千年以上生きた妖怪が人間に倒される何てこともあるし、そもそも銀月は実際に試合でそういう妖怪に勝っているものね」

 涼しい顔でそう話すルーミア。
 積んだ修行の量、種族としての地力、その双方において勝っているルーミアは余裕の表情を浮かべている。
 しかし、その体には銀月の攻撃がかすった痕がいくつか見受けられた。
 銀月とて鬼の四天王に一目置かれる様な者であり、一般的な人類とは一線を画していることには変わりは無いのだ。
 そうこうしている間に両者のスペルカードがお互いにタイムアウトを迎えて破られる。

「……ルーミア姉さん、手加減してる?」
「そんなの銀月だって一緒じゃない。銀月が奥の手を使えば、今の私なんてあっという間よ?」
「そうは思えないけどね……」

 ルーミアの言葉に、銀月は怪訝な表情を浮かべる。
 それに対して、ルーミアは微笑を浮かべて話を続ける。

「本当よ。ただの人間が吸血鬼のエリートと戦えるくらいの強さを持てる。お兄さまの力はそれくらい強力なのよ?」
「父さんの力はそう簡単には使わない。まして、この程度の戦いになんか絶対に使わない」
「何で?」
「父さんの力は大切なものを守るための力だからだ」
「あれ、でもこの前鬼との勝負で使ったって言ってなかったっけ? それに私に負けたら大切なものを奪われるのよ?」
「鬼の時はは父さんの名前に泥を塗りたくなかったからだよ。あと、俺はルーミア姉さんのことは信じてるから」
「……そーなのかー」

 銀月の言葉に、ルーミアは不意を撃たれたようなぽかーんとした表情を浮かべてそう呟いた。
 それからしばらくして、ルーミアは気恥ずかしさから頬を少し赤く染めた。

「……よし、それじゃあ少し本気を出そう」

 ルーミアはそう言って自分の頬を叩いて気合を入れなおした。
 その様子を見て、銀月も力を練り直す。
 銀月は既に限界を超える程度の能力も使っており、個人の力としては正真正銘全力の状態である。
 対するルーミアも現状出せる力を全て出し切るべく、小さな剣に変えていた闇を霧状に戻した。
 そして二人はスペルカードを取り出し、スペルの発動を宣言した。


 傑物「剛力無双の豪傑」
 影符「ライブインシャドウ」


 先に動いたのはルーミア。彼女は手にした大剣に闇を纏わせ、横一文字に薙ぎ払う。
 銀月はルーミアの攻撃を躱して素早く接近し、手にした札を大きく振り上げ神珍鉄の黒い槍を取り出した。
 その人間が使うには重たすぎる槍を、銀月はルーミアに叩き付ける。
 ルーミアは空気を震わせながら迫り来るその攻撃を、正面からじっと見据える。
 攻撃後の隙を狙った、基本に忠実な一撃。
 その一撃を見て、ルーミアは優しく微笑んだ。

「ぎゃうっ!」

 次の瞬間、銀月は地面に転がっていた。
 重く黒い槍の地面を砕くような一撃は、ルーミアのわずかに左側に外れていた。
 銀月は訳が分からず、自分の足に眼をやった。
 するとそこには、ルーミアの影から剣を持った手が伸びている光景が見えていた。
 どうやらあの剣に足を払われて転倒したようである。
 そんな銀月の首に、ルーミア本人と影の両方の黒い大剣が突きつけられた。

「チェックメイト。私の勝ちね」
「……ああ、負けを認めるよ」

 銀月はため息をつきながら負けを認める。
 すると、ルーミアは剣を元の闇に霧散させた。

「はい、それじゃあ約束どおり銀月の大切にしているものをもらうわよ」
「ううっ……いったい何が欲しいって言うのさ……」
「そうね……銀月が欲しいって言ったらどうするかしら?」

 ルーミアは悪戯な笑みを浮かべて銀月にそう言った。
 その瞬間、銀月の眼は点になった。

「……え」

 銀月はしばらくの間、呆然とルーミアを見つめる。
 すると、そこに割り込むようにして霊夢がやってきた。

「ちょっと待ちなさい」
「何よ、私が勝ったんだから良いじゃないの」
「良くないわよ。銀月が欲しいって言ったら、銀月の全てが欲しいってことじゃない。一つになってないからダメよ」
「……うん、流石にそれは俺もどうしたら良いか分からないからちょっと……」

 睨むような目つきを送る霊夢に、苦笑いを浮かべる銀月。
 それを見て、ルーミアは小さく笑った。

「まあ、流石にそれは冗談よ。そこは霊夢の言う通りだし、第一不公平すぎるもの」
「それじゃあ何が欲しいのよ?」
「ねえ、銀月。懐の中のものを出してくれる?」

 霊夢が問いかけると、ルーミアは銀月にそう言った。
 その瞬間、銀月の顔が悲しげなものになった。

「え……まさか、あれなの?」

 銀月が思い浮かべたのは、いつも懐に入れている真鍮のサイコロ。
 それは初めて愛梨から手品を教わったときにもらった物で、お守り代わりにしている大切なものであった。
 泣きそうな表情を浮かべる銀月を見て、ルーミアは苦笑いを浮かべた。

「まあまあ、いいからいいから」
「とほほ……ちょっと待ってね……」

 銀月はそう言いながら懐に手を入れて中身を取り出し始めた。
 懐を覗き込む銀月に、ルーミアは声をかける。

「銀月」
「え、なに、んっ!?」

 銀月が顔をルーミアに向けた瞬間、唇に湿っぽくて柔らかな感触を覚えた。
 目の前には自分の名前を呼んだルーミアの顔があった。

「え?」

 霊夢はその突然の行動に唖然とした表情を浮かべた。
 一方、銀月は銀月で思考がパンクしているらしく呆然としていた。
 そんな中、ルーミアは銀月の唇からそっと自らのそれを離した。

「うふふ……確かに頂いたわよ。銀月のファーストキス♪」

 ルーミアはそう言って小悪魔のように悪戯な笑みを浮かべて可愛らしく舌を出した。
 その言葉を聞いて、銀月はふと我に返った。

「あ、う、何で?」
「銀月の驚く顔が見たかったからよ。銀月って滅多なことじゃ驚いてくれないもの」

 訳が分からないといった様子の銀月に、ルーミアは楽しそうにそう答える。
 それを聞いて、銀月は呆れ顔でため息をついた。

「……そんなことのために……一応取っておきたかったんだけどなぁ……」
「まあまあ、減るもんじゃないし良いじゃない。これで気にすることなく行けるわよ? あ、それとも、もう一回行っとく?」
「……もういいよ。ルーミア姉さんもそう安売りしないほうが良いと思うよ」

 はしゃぐ様なテンションで話すルーミアに、銀月は若干いじけ気味にそう言った。
 すると、ルーミアはふと思い出したように言葉を継いだ。

「あ、言っとくけど私も今のがファーストキスよ」
「え゛」

 ルーミアの言葉を聞いて、銀月はその場でびしっと固まった。
 その愕然とした表情を見て、ルーミアは笑みを深めた。

「わはは~、それじゃあ私はもう満足したから帰るわ。それじゃ、まったね~♪」

 ルーミアはそう言うと、固まっている銀月と霊夢を置いて上機嫌で飛び去っていった。
 それからしばらくして、銀月は大きく息を吐きながら肩を落とした。

「……はー……姉さん、いったい何がしたかったんだろう……」
「銀月、顔真っ赤よ」
「そりゃあねえ……あれ、本当に初めてだったからなぁ……」

 銀月は顔を赤く染めたまま肩をすくめる。
 銀月にとってファーストキスは特別なものだったらしく、ルーミアも初めてだったという事から残念そうでありながらも相手の好意について考えていた。結構夢見がちである。
 そんな銀月の様子を見て、霊夢は怪訝な表情を浮かべた。

「……取っておきたかったって割にはそんなに残念そうじゃないのね」
「まあ、持っていかれちゃったけど、嫌いな相手じゃないからね。更に言えば、ルーミア姉さんのことは好きだから、残念といえば残念だけど悪い気はしないさ」
「ふ~ん……そう」

 微笑を浮かべて質問に答える銀月に、霊夢は短くそう答えた。
 そしてもう興味を無くしたと言わんばかりに神社に向かって歩いていく。

「霊夢?」
「喉が渇いたわ。お茶を淹れてくれる?」
「ん。すぐに準備するから待ってて」

 銀月は霊夢の要望を聞いてそう言いながらその横を歩く。
 すると霊夢は薄く笑みを浮かべて口を開いた。

「それから、今日は修行禁止よ」
「ええ!? 何でさ!?」

 霊夢の一言に、銀月は大げさなまでに大きな声でそう問いかけた。
 その質問を霊夢は一笑に付す。

「当たり前でしょ。体を休めるために休みをもらってたのに、こんな馬鹿みたいに暴れてどうするのよ。休日らしく休むべきよ」
「……そんなに問題があるわけじゃないのに」
「問答無用よ。あんたの修行の管理についてはあんたのお父さんからも言われてるんだから」
「……父さん……俺ってそんなに信用無いのかい?」

 霊夢の発言に、銀月は肩を落としてホロリと涙をこぼした。
 そんな銀月の肩を霊夢は苦笑いを浮かべながら叩いた。

「まあいいじゃない。あんたもたまにはお茶でも飲んでゆっくりしてみたら? それから、たまには私の愚痴も聞きなさいよ」
「はあ……分かったよ。今日は大人しくしておくよ。それから、愚痴は程々で勘弁してくれ」

 二人はそう言いながら神社に入っていった。

 その日、銀月は一日中霊夢の話し相手をすることになるのだった。 







 一方その頃、銀の霊峰の社の一室。
 そこには金色の髪に赤いリボンをつけ、闇色の服を着た少女がいた。

「……どうしよう、ニヤニヤがとまらないわ……」

 ルーミアは寝台に横になり、枕を抱えて蹲っている。
 彼女は帰ってくるなり早足で自室に向かい、寝台に飛び込んだのであった。
 その顔は真っ赤であり、枕を抱く腕にはかなりの力が込められていた。
 そして頬が緩むのを実感しては、枕に顔をうずめる。

「思ったより柔っこいのね……」

 ふと、ルーミアはそう呟きながら唇を人差し指でなぞる。
 それからしばらくすると、自分がした行為を思い出してその場でゴロゴロと転がるように身悶えた。

「あ~う~! 思い出しただけでもうっ!!」

 ルーミアはそう叫びながら顔を揉みしだく。
 しかしそれでも自分のにやけ顔を止めることが出来ず、更に激しくその場を転がる。

「むぐぐ……こうなったら、お姉さまにアタックして更なる高みに上ってやるわ!」

 ルーミアはそう言いながら飛び起きると、部屋から飛び出していった。



 その後、ルーミアはアグナの手によって北斗七星の傍らに光り輝く星にされたのであった。





[29218] 銀の月、調査する
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/09/14 13:28
 冬の博麗神社の縁側で、紅白の巫女が何をするでもなくお茶をすすりながらボーっとしている。
 空は晴れ渡っており、寒い冬にささやかな暖かみを提供している。
 境内には雪が積もっており、参道の雪が取り払われている以外には銀月の修行によるたくさんの足跡が残されていた。

「暇だわ……」
「暇って言うんなら、魔理沙が来るのでも待ったら? それか香霖堂に奉公に行くとか」

 霊夢の呟きに、銀月は帳簿を眺めながらそう答えた。
 帳簿にはこれまでの弁当屋の収支が記されており、少しずつ黒字の額が増えていっていることがわかる。
 帳簿の記載に集中している銀月の投げやりな返事に、霊夢は不満げにため息をついた。

「魔理沙はギルバートのところにでも行ってるのかあまり来ないわよ。それに奉公なんてめんどくさいことしてる場合じゃないわ。私には妖怪退治って言う仕事があるんだから」
「だからって、目に付いた妖怪を片っ端から成敗しなくても……」
「何よ、あんた妖怪の肩を持つつもり?」
「……あのね、俺の育った環境を言ってみな?」

 銀月は帳簿を閉じて収納札にしまい込むと、そう言いながら霊夢の隣に立ち空の湯飲みを拾い上げた。
 その表情は苦々しいものであり、霊夢の発言に対する反感を滲ませていた。
 物心ついたときからずっと妖怪と共に生きてきた銀月からしてみれば、妖怪は恐怖の対象ではなくむしろ人間以上に好意的に見られる相手である。
 そんな彼が霊夢の発言に反感を覚えるのは当然のことであった。
 そのことを思い出して、霊夢は再びため息をついた。

「……そう言えば、あんたは妖怪に育てられたのよね」
「そういうこと。さてと、俺は少し人里に行ってくるかな」

 銀月はそう言いながら台所のある土間へ向かおうとする。
 すると霊夢は不満そうな表情で銀月の袴の裾を掴んだ。

「え~……私の暇つぶしの相手してくれてもいいじゃない……せっかくの休みなんだし……」
「そんなこと言われてもなぁ……俺だって紅魔館での仕事以外にも仕事があるし……」

 銀月は駄々をこねる子供をなだめる親のような困り顔でそう呟く。
 すると、霊夢は出かけようとする銀月を引き止めるように袴の裾をくいくいと引いた。

「いいじゃないの。仕事って言っても精々お弁当屋さんの状況確認でしょ? 心配しすぎよ。先週も行ったばかりじゃない」
「それでも行くんだ。まだ開業して少ししか時間が経ってないからね。売れ行きを調べて量を調節しないと」
「……もう、あんたのお父さんのご主人様への忠誠みたいなものがあんたにもあればいいのに……」

 霊夢は少し拗ねた表情でそう呟いた。
 霊夢は紫から将志の性格について大体聞いており、更に藍が将志の主に対する忠犬っぷりを少し羨ましそうに話すのを聞いていた。
 その上、霊夢にしてみればせっかく幼馴染兼腕の良い食事係を家に置くことが出来たのに、蓋を開けてみれば紅魔館での執事の仕事や弁当屋の仕事、更に銀の霊峰から回ってくる雑務に修行と、銀月は思いのほか多忙でなかなか自分に構ってくれないのである。
 当然、今の状況は霊夢にとって面白いものではない。
 そういう訳で、霊夢は主に何かあれば全てを捨ててそちらに向かうと豪語して止まない将志の忠誠心を銀月に求めるに至ったのである。

「……言っとくけどね、今の状態でそれを言うと俺はフランドールお嬢様にそれを捧げることになるんだけど?」

 そんな霊夢に銀月は呆れ顔でそう言って返した。
 将志の背中をよく見て育っているため、銀月も二君に仕えるなどと言う考えは持っていないのである。
 つまり、現時点で忠誠を誓うとなれば自分の主人であるフランドールとなるのだ。
 もっとも、銀月自身は彼女にトラウマがあるため、完全に受け入れられる状態ではないので暫定的なものであるのだが。
 そんな銀月の物言いに、霊夢は口を尖らせた。

「何でよ。いくら仕えてる相手だからってそういうことをする必要ないじゃない。銀月が私にそれを向けてくれるだけで十分じゃない」
「だったら、俺にそうしたいと思わせて欲しいな。案外やぶさかじゃないんだぞ、君に仕えるのは」
「それじゃ、何でそうしてくれないのよ?」
「それは内緒。それじゃ、行ってくるね」
「あ、こら待ちなさい!!」

 銀月は適当にはぐらかすと、引き止める霊夢を振り切って空へと飛び上がっていった。







「……まさか売り子を雇ってたとは思わなかったな……」

 人里にて、銀月はそう呟きながら店から出てきた。
 店に並べてある弁当の量を見て売れ行きを確認しようと思っていたのだが、一部を売り子に持たされていたために確認し切れなかったのだ。

「う~ん、と言うことは売り子を捜さなきゃいけないのか。よし」

 銀月はそう言うと、人里中を歩き回り始めた。
 しかし、小一時間歩いても弁当売りの姿は確認できなかった。
 そんな現状に対して、銀月は首をかしげた。

「……おっかしいなぁ……何処に居るんだろ……」
「んあ? そこに居るのは銀月か?」
「へ?」

 突如掛けられた青年の声に、銀月はその方を向いた。
 するとそこには青い特攻服を着て赤いサングラスをかけた黒髪の男が立っていた。
 腰のベルトには愛用の日本刀が挿してあり、首から何やら大きな籠を提げていた。
 銀月はその男の顔に見覚えがあった。

「……君は確か、この前戦った雷獣……」
「おいおいおい、間違っちゃねえが、俺にゃ轟 雷禍っつー名前があんだろうが。忘れたか、舎弟一号」

 雷禍は渋い表情で銀月にそう言った。
 それを聞いて、銀月もまた渋い表情を浮かべた。

「悪かったから舎弟一号はやめてくれ。で、雷禍はいったい何をしてるんだ?」
「何って見りゃわかんだろ。弁当売ってんだよ」

 雷禍はキョトンとした表情でそう言った。
 それを聞いて、銀月もまたキョトンとした表情を浮かべた。

「……君が?」
「おう。人里で暮らすんなら、先立つもんが必要だろ?」
「……君、人里に住んでるの?」
「おうともさ。少々古くせえ町並みだが、住めば都って奴よ」

 銀月の質問に雷禍は笑って答える。
 そんな雷禍に、銀月は質問を重ねる。

「でも、何でまた人里に?」
「だってよ、人間襲うよりもおこぼれに与って生きた方がよっぽど楽だぜ? それに人間の考えることは面白れえからな」
「よく反対されなかったね、君」
「んじゃ訊くけどよ、反対するとしてどうやって俺がここに住むのを阻止すんだ? 軟弱な人間どもに俺が止められっと思ってんのか?」

 実際問題、力の強い妖怪である雷禍を止められる者は人里には常在していない。
 つまり雷禍が強行すれば人里側は折れざるを得ないのである。
 しかし、銀月にはもう一つの疑問が残っていた。

「でも、慧音さんはどうだったのさ?」
「テメェ分かってて訊いてんだろ、ん?」
「もちろん。君が馬鹿じゃなければそれくらいの理由は言えるはずさ」

 銀月はあえて挑発するようにそう言った。
 それを受けて、雷禍の表情が少し引きつったものに変わる。

「ケッ、兄貴分を試すたぁ良い度胸じゃねえか、あぁ?」
「君は俺達のそういうところが気に入ったんじゃないのかい?」

 やや脅すような物言いの雷禍に、銀月は不敵な笑みを浮かべてそう言い返した。
 それに対して、雷禍はニヤリと笑い返した。

「はっ、違いねえ。で、答えだったな。答えは二つ、自分が半獣だってのと銀の霊峰の存在だな。この二つがあるから、特に反対は受けなかったぜ」
「まあ、そんなところだろうね。で、それを言い出すってことは君は銀の霊峰に楯突く気は無いと」
「そうは言ってねえよ。いつか銀の霊峰の連中を全員倒して自分の下に置いてやりてえ」
「……そんなこと言って、本当は六花姉さんを自分のものにしたいだけでしょう?」
「……ブチコロがされてえか、銀月?」

 ニヤニヤと笑う銀月に、雷禍は笑顔のまま額に青筋を浮かべて銀月の頭に手を置いた。
 その行為は銀月の言うことが図星であることを如実に表していた。
 段々と力が篭ってくるそれに対して、銀月はしゃがむことで手からすり抜けた。

「おっと、悪いね。そこまで怒るとは思わなかったよ。で、何で弁当売り?」
「そりゃおめえ、弁当をさっさと売り切っちまえば後は楽できっからな。幸いにして弁当は美味えし、売れるのも早えから楽な仕事だぜ」
「ふ~ん。で、どれが一番早く売れるんだい?」

 銀月はそう言いながら懐から手帳を取り出した。
 その眼はスッと細められ、若いながらも仕事人の表情へと変わっていく。
 そんな銀月に、雷禍は売れ行きを説明し始めた。

「売りに行く場所によるな。ガテン系の野郎共のところに行きゃ肉類が売れるし、糸を紡ぐ姉ちゃん達んとこに行きゃ魚の照り焼きがすぐに売れる。ただ俺から言わせてもらうと、女にはこの弁当のメニューはこってりしすぎだな。もうちっとあっさりしたメニューが受けるんじゃねえか?」
「成程ね。女の人はそういうことを気にするんだ」

 雷禍の言葉を銀月は手帳に書き込んでいく。
 それもただ書き込むだけではなく、その場で考え付いたことも少し書き込んでアイデアを膨らませていく。

「……て、よく考えたらテメェに言っても意味ねえな」
「いや、効果絶大さ。その弁当作ってるの、俺だもの」

 ふと思いついたような雷禍の呟きに、銀月は手帳をしまいながらそう答えた。
 その瞬間、雷禍の目が点になった。

「……マジ?」
「大マジ。嘘だと思うんなら店主に聞いてみてよ」

 眼を見開いて固まる雷禍に対して、悪戯が成功したような表情でそう言う銀月。
 外での生活が長かった雷禍にとって、銀月の年齢と言うのはちょうど中学三年生から高校一年生になっているのが常識であった。
 そんな年齢の少年が、周囲に認められるような品物を作り出すのは驚くに値するものであった。
 雷禍の口から感嘆の吐息がこぼれる。

「……ったく、テメェは何処のチート野郎だよ……」
「チート野郎って何さ……ん?」

 銀月はそう呟くと同時に、誰かが駆け寄ってくるのを察知した。
 その人影は近くに来ると、雷禍に話しかけた。

「お~い、雷禍! あんた何サボってるんだよ! 俺もう終ったぞ!」
「あぁ? 別にいいだろうがよ、まだ昼時には早えぜ? それに、ここに居わすのはこの弁当の料理人だぜ?」

 黒髪に黒縁眼鏡、白いワイシャツに紺色のチノパンと言った出で立ちの青年は雷禍とそう話し合う。
 年齢にして二十代半ばから後半で、成熟して知的な雰囲気の男であった。
 彼は雷禍の言葉に銀月のほうを見る。

「何だって? って、まさか俺より年下の……っ!?」

 青年はそう言い掛けて言葉を失った。
 体が震え冷や汗が流れ出し、顔面はどんどん蒼白になっていく。
 その表情は紛れもなく恐怖に染まっており、彼は後ずさるようにして座り込んでしまった。

「……あの、どうかしましたか?」

 突然の青年の変化に、銀月は首をかしげた。
 すると、青年は震える手でゆっくりと銀月を指差した。

「……ば、化け物……」
「え?」

 その言葉に、銀月は呆然とした表情を浮かべた。
 乱れる呼吸の中、やっとの思いで搾り出した、震えた声の一言。
 その一言には耐え難いような恐怖が滲み出していた。
 その様子を見て、雷禍は苦い表情で頬をかいた。

「あ~……さては視ちまったな? こいつのこと」
「雷禍、こいつはやばい。下手な妖怪よりもずっと危険だぜ……」
「OK、落ち着きな善治。何を見たかは知らねえが、銀月はそう簡単に暴れだしたりするような奴じゃねえ。第一、今のこいつになら俺は勝てる」

 おびえる青年を強引に立たせ、肩に手を置いて言い聞かせる雷禍。
 脚は相変わらず震えており、雷禍が手を離すと崩れ落ちてしまいそうである。
 青年は雷禍の言葉を聞いて、何度も深呼吸をしてから銀月のほうを見た。

「そ、そうなのか?」
「……ええ、事実ですよ。今の私では雷禍さんには勝てません」
「そ、そうか……」

 表情を失くした銀月の言葉を聞いて、青年は大きく息を吐いた。
 当面は安全であると言うことが分かって、かなり安堵しているようである。
 そんな青年の顔を、銀月は下から覗き込んだ。

「……ところで、お名前をお伺いしても宜しいですか?」
「うっ!? あ、ああ。俺の名前は遠江 善治とおとうみ よしはるだ」

 善治と名乗る青年は銀月の行為に大きく仰け反るが、何とか持ちこたえて答えを返した。
 そんな彼に対して、銀月は恭しく礼とした。

「始めまして、私は銀月と申します……雷禍、彼はいったい何者なんだい?」
「こいつか? そこらをうろうろしてたから拉致った。慧音曰く、外来人なんだとさ」

 雷禍は人里に居ついて間もないころ、少し散歩がてら人里の周囲を見て回っていたことがあった。
 そんな時、幻想郷に迷い込んで間もない善治を発見し、人里まで連れて来ていたのだった。
 もっとも、善治からしてみればいきなり訳の分からない所で訳の分からない男に誘拐されたようなものだったので大いに混乱していたのだが。
 その話を聞いて、銀月は大きくため息をついた。

「拉致したって……それじゃ、彼は何故俺を見るだけで怯え始めたんだい? 人間の枠を外れた行動は取っていないはずなんだけど」
「それはこいつの能力、『あらゆる生物の正体が分かる程度の能力』だ。これが厄介でな、その相手の人柄や肩書きはもちろん、過去の所業まで見えちまうって代物だ」

 善治の能力、『あらゆる生物の正体が分かる程度の能力』。
 この能力は目の前に居る生物の全てが分かる能力である。
 この能力の前では隠し事は全く通用せず、また本人が気がついていないことですら分かってしまう。
 善治はこの能力で銀月の過去と現在を知ったのであった。

「……成程ね。それなら納得だよ。俺の所業はたぶん一般人には受け入れられるもんじゃないだろうからね」

 雷禍の言葉を聞いて、銀月は自嘲気味にそう呟いた。
 銀月は過去に妖怪を狩り、それを食していた時期があった。
 銀月は過去に妖怪の群れに相対し、それを全滅させたことがあった。
 銀月は過去に暴走し、吸血鬼達をギリギリまで追い詰めたことがあった。
 妖怪達は人間の恐怖の対象であり、吸血鬼はその中でも上位の存在である。
 そんな連中を追い詰め、殺し、食するような者など、普通の人間にはとんでもない怪物にしか見えないであろう。
 それを理解しているが故の呟きであった。
 銀月の呟きを聞いて、雷禍は意外そうな表情を浮かべていた。

「おいおいおい、テメェそんな波乱万丈な人生送ってきたってのか?」
「……君さ、銀の霊峰に人間が居ることが異常っていう事実を認識してる?」
「ん? そういやそうだな。お前なんであの親父に拾われたんだ?」

 呆れ顔の銀月に指摘され、雷禍はキョトンとした表情を浮かべた。
 それを見て、銀月は額に手を当てながらため息をついた。

「……あとで彼に聞けばいいと思うよ。ただ、言いふらすのは勘弁して欲しいかな」
「OK、そういうことならそうするわ」

 善治を見ながらの銀月の言葉に、雷禍はそう言って頷いた。
 それを聞くと、銀月は善治に話しかけることにした。

「それで、貴方は……」
「……くっ、そんなに畏まる必要ない。何ていうか、あんたのその態度は寒気がする」

 あからさまに警戒し、距離を取りながら受け答えをする善治。
 自分よりも圧倒的に強い力を持つ銀月の敬語は、彼にとって慇懃なものにしか聞こえず、恐怖を煽るものでしかなかったのである。
 そんな心境を察して、銀月は一歩引いて頭を下げた。

「っと、それは失礼。それじゃ、善治と呼ばせて貰うけど構わないかい?」
「あ、ああ。一応確認するけど、あんた人間なんだよな? 妖怪に片足突っ込んでるけど」

 恐る恐る放たれたその言葉は、鋭いナイフとなって銀月の心に突き刺さった。
 人間であることを肯定されてはいるが、妖怪になりかかっていると言う現実を突きつけるような言葉。
 それは人間であろうとする銀月には、厳しい一言であった。
 その言葉に、銀月はがっくりと肩を落とした。

「……随分的確だね。的確すぎて涙が出てくるよ」
「……俺のこと食ったりしない?」
「……しないって」

 善治の問いかけに、沈んだ声で回答する銀月。
 すると、横から雷禍が唖然とした表情で銀月に声をかけてきた。

「……銀月。テメェ、カニバリズム的な趣味があんのか?」
「ないってば! ああもう、君達の頭の中じゃ俺はどんな化け物になってるのさ!?」

 雷禍の言葉に、ついに銀月の堪忍袋の緒が切れた。
 怒鳴り散らすような銀月の言葉に、雷禍と善治は目を見合わせた。

「だってなぁ……」
「テメェの所業を見て聞いて人間だと思う奴はそうそういねえだろうよ」

「早く人間になりたーーーーーーーーーーーい!!!!」

 雷禍の言葉を聞いて、銀月はあらん限りの声で空に向かって叫んだ。
 その様子を、善治は毒気を抜かれたような表情で眺めていた。
 どうやら銀月に対する恐怖が今のやり取りで若干薄れたようであった。

「……おわぁ、人間がこの台詞叫ぶの初めて聞いた」
「まあな……実際こいつは妖怪人間みてえなもんだからな」

 善治の呟きに、雷禍はそう言って同意した。
 それと同時に、銀月はしゃがみこんでメソメソと泣きながら地面にのの字を書き始めた。

「……ぐすん、どいつもこいつも俺のこと人外扱いしやがって……俺は人間なんだぞぉ……」
「あ、いじけた」
「ったく、面倒くせえ奴だなぁ、オイ。オラ、帰ってきやがれ」
「あうっ!?」

 いじける銀月の尻を、雷禍は思いっきり蹴り上げた。
 丸くなっていた銀月はボールの様に地面を転がり、べしゃっと仰向けに倒れこんだ。

「痛いなぁ……蹴り飛ばすことはないじゃないか」
「うっせえ。そんなちっせえことでうだうだ言うんじゃねえ」
「小さくないと思うけどな……善治はもし人間をやめるような事態になったらどうする? 困るでしょ?」

 銀月は起き上がり、服に付いた砂を払いながら善治に同意を求める。
 しかし、帰ってきたのは盛大な呆れ顔であった。

「どんな事態だよ……あんたならいざ知らず、俺がどうやって人間をやめるって言うんだ? 石仮面でもあるってのか?」
「どう考えたって人間やめるような事態になるのはテメェだけだっつーの。ま、吸血鬼にでも襲われりゃ話は別だがな」
「……世の中不公平だぁ……」

 冷たすぎる二人の反応に、銀月は再び泣きながら体育座りを決め込んだ。
 二人の言葉の刃は、見事に銀月のガラスの心を木っ端微塵に粉砕したのである。
 そんな銀月の肩を、雷禍がそっと叩く。

「ま、人間には強すぎる力を手にした代償だと思って諦めな」

 雷禍の言葉を聞いて、銀月の頭ががくっと前に落ちた。
 そしてひとしきり落ち込むと、銀月は顔を上げた。

「はぁ……ところで、善治はちゃんと生活できてるのかい? 君は雷禍みたいな力技は出来ないだろう?」
「俺は雷禍とルームシェアしてるから、一応暮らしには困ってないぞ」

 銀月の言葉に、善治はそう言って答えた。
 先程からの寸劇によって、最初に感じた恐怖はかなり薄れているようである。
 しかし二人の距離は依然として離れており、恐怖が消えていないことも見て取れた。
 そんな善治の言葉に、銀月はキョトンとした表情を浮かべた。

「え、何で雷禍と一緒に? 人間と雷獣じゃ色々と違うし、何より雷禍が怖くはないのかい?」
「……いきなり刀突きつけられて拉致られて、そのままだ。怖くないわけないだろ?」

 善治はそう言って雷禍にジト眼を送った。
 それを見て、銀月も同様に雷禍にジト眼を送る。

「……雷禍?」
「だってよ~、話合う奴全然居ないんだぜ? 外の漫画とかゲームの話しても誰もわかんねえし」

 雷禍は軽い口調で善治を拉致した理由を述べた。
 要するに、雷禍は話の合う相手が欲しかっただけである。
 それを聞いて、善治は更に白い目を雷禍に向けた。

「……おい、そんなことのために俺を拉致ったのか?」
「おう。ついでに家賃の折半で金も浮くし、一石二鳥って奴だ」

 責めるような善治の言葉にも、雷禍は悪びれることなく笑顔でそう答えた。
 そんな雷禍に、銀月は呆れ顔でため息をついた。

「君と言う奴は……それで、善治は外に帰るつもりはないのかい?」
「俺は……分からない」
「分からない?」
「ああ。そりゃ、俺にだって帰りたい気持ちが無いわけじゃない。でも、何と言うか……こっちに来てから気が軽いと言うか、何か体の調子が良いんだ。同居人は怖いけどな」

 善治は少し疲れ気味にそう話した。
 どうやら彼は幻想郷に来る前に何か色々とあったようである。

「つーか、帰りてえっつっても俺が帰さねえ」

 そんな善治の肩に雷禍がそう言って手を回す。
 人間である善治と違い幻想郷の外に出られない雷禍にとって、善治は外の話が分かる貴重な存在なのだ。
 そんな彼を、雷禍は痛く気に入っているようである。

「……本当に、君と言う奴は……」

 銀月はそんな雷禍を見て、小さくそう呟いた。

「引ったくりだー!」

 突如として、辺りに怒号が飛び交い始めた。
 三人はそれを聞いて顔を見合わせた。

「引ったくりだってよ」
「命知らずな奴が居たもんだなぁ、オイ」
「何のんきなこと言ってるのさ。俺は追うぞ」

 人事のようにそう話す善治と雷禍を他所に、銀月は飛び出していった。
 一回の跳躍で民家の屋根に上り、風のように屋根の上を走り出した。
 その様子を、二人はジッと見つめていた。

「……やっぱ、あいつのことを人間だと思いたくない」
「そいつぁ同感だな。んじゃま、俺達も追うぜ」
「ん? 何でだ?」
「こういう捕り物には野次馬が付きもんだ。そいつら狙って弁当売るぜ」

 善治の疑問に雷禍がそう言って笑う。
 それを聞いて、善治は小さくため息をついた。

「……俺もう売り切ってんだけど」
「うるせえ。オラ、とっとと行くぜ!」
「あ、こら!?」

 雷禍は肩に善治を担ぐと、銀月が走っていった方向へと急いだ。

 一方その頃、銀月は屋根の上を走って引ったくり犯を追跡していた。
 人通りの多い大通りを、犯人は人ごみを縫うように走り抜けていく。

「……結構素早いな……」

 銀月はそれを見て静かにそう呟いた。
 人ごみの中に居るため、一度捕まえることに失敗すると通行人が邪魔をして逃げられてしまう可能性があるのだ。
 銀月は少し考えて、収納札からに鋼の槍を取り出した。

「よし、これで……」

 銀月はそう言うと、屋根の上から大きくジャンプした。
 体を大きく弓なりに反らし、力を溜める。

「てやぁ!」

 そして、銀月は全身の力をフルに使って手にした槍を投擲した。
 重たい鋼の槍は鈍い風切り音と共に犯人をめがけて飛んで行き、その目の前の地面に突き刺さった。

「のわっ!?」

 目の前にいきなり降ってきた槍に、犯人は思わず腰を抜かす。
 銀月はそこを逃さず接近し、あっという間に組み伏せて搦め手を取り、首筋に手を当てた。

「そこまでだ。抵抗しなければ危害は加えない」
「ひぃ……」

 首筋に当たる冷たい金属の感触に、犯人は恐れおののいた。
 突然の大捕り物に周囲は騒然となり、あっという間に野次馬の人だかりが出来た。
 その中心に、空からふわりと弁当売りが降りてきた。

「お~お~、銀ちゃん過激~♪ 弁当いかがっすか~♪」
「その前に俺を降ろせ!」

 心底楽しそうに弁当を売り始める雷禍に、善治はそう言って抗議した。

「っと、悪い悪い」

 善治の抗議を受けて、雷禍は彼を肩から下ろして商売を再開した。
 その間に銀月は収納札から縄を取り出し、逃げられないように縛り上げる。
 すると、人垣が割れて袿袴姿のお姫様のような姿の人影が現れた。

「はいはい、御用ですよ。そこの人も、犯人を引き渡してね」

 一見警官には見えない警察官に、銀月は縛り上げた犯人を引き渡す。

「はい、ご協力感謝しますね。それじゃあ」

 警察官はそう言って軽く礼をすると、犯人を引きずって帰っていった。
 それを見届けると、銀月は大きく息を吐いた。

「さてと……これで良しと」
「おい、あんたいくらなんでもああまでしなくても……」
「最後の脅しかい? これで脅せるかい?」

 善治の声に、銀月は手にしたスプーンを見せながら、微笑を浮かべてそう言った。
 どうやら最後に犯人を脅すために使ったのはそのスプーンのようであった。
 しかしそれを聞いて、雷禍は手を横に振って否定した。

「いやいや銀ちゃん、そうじゃなくて」
「銀月うううううう!」

 突如として辺りに響く女性の声。
 その声のほうに眼をやると、風変わりな帽子を被った女性が走ってくるのが見えた。

「あ、慧音さん。こんにち」
「破ぁ!!」

 みっしん。

 慧音は走る勢いもそのままに、全体重を乗せて銀月の額に頭突きをかました。
 その瞬間、辺りに鈍い打撃音が鳴り響いた。
 その破壊力を端的に表すのであれば、「SMAAAAAAAAAAASH!!」と言ったところであろう。

「あ、すげえ音」

 そのあまりの光景に、雷禍は呆然とそう呟いた。
 銀月は音もなく崩れ落ち、ばったりと地面に倒れこむ。
 そしてしばらく遅れてから、強烈な痛みが頭に走り出した。

「うぎゃあああああ!!」
「天下の往来で槍を投げる奴があるか! ええい、そこに正座しろ! 今日と言う今日はお前に一般常識と言うものを叩き込んでやる!!」

 慧音は痛みに転げまわる銀月を無理やり正座させ、説教を始めた。
 説教の最中に銀月が余計なことを言うたびに頭突きの音があたりに響き、そのあまりの様子に再びギャラリーが集まる。

「弁当いかがっすか~♪」

 そんな中、雷禍は笑顔で野次馬たちに弁当を売るのであった。




「……えらい目に遭った……」

 小一時間説教を受けた後、銀月は額をさすりながらそう呟いた。
 それを聞いて、雷禍は呆れ顔で銀月に声をかけた。

「いやいや、町のど真ん中で槍ぶん投げりゃ当然だろうがよ……」
「……銀の霊峰の集落じゃ普通なんだけどなぁ……」

 雷禍の言葉に銀月は不満げにそう呟いた。
 すると善治の顔から血の気が引き、唖然とした表情になった。

「なんつー物騒な集落だ……と言うか、妖怪ってそんなのばっかか?」
「ナチュラルに妖怪扱いされた!? はあ……なんかもう良いや。今日はもう帰ろう……ぐすん」

 銀月は善治の言葉に酷くショックを受けた様子でそう言うと、しくしくと泣きながらフラフラと飛び去っていった。
 その様子を見て、雷禍は苦笑いを浮かべて頬をかいた。

「ちっとばかし虐め過ぎたか?」
「いや、けど言ってることは事実だろ。て言うか、ここは人間すらまともじゃないのが居るのかよ……」

 銀月の所業を思い出して、善治はうんざりした表情を浮かべた。
 まだ外の世界と幻想郷の違いに馴染めていない様である。

「……意外と辛辣だな、テメェは」
「あいつの所業を知ったらそんなこと言えなくなるぞ。あいつは……」
「待ちな、それ以上は家に帰ってからだ。ここじゃ誰に聞かれっか分かんねえからな」

 二人はそう話しながら、店へと戻っていった。






「ただいま……」
「あら、今日は早かったわね、銀月……って、どうしたの? そんなに落ち込んで」

 銀月の涼やかで中性的な声を聞いて霊夢は少し嬉しそうな表情を浮かべるが、トボトボと歩いてくる様子を見て怪訝な表情を浮かべる。
 銀月は縁側にたどり着くと、霊夢の隣に腰を下ろした。
 その姿は真っ白に燃え尽きたボクサーの様であり、見るからにしょんぼりとしていた。

「霊夢……人間になれる札ってないかなぁ……?」
「はあ? あんた何言ってんの?」
「俺、人間なのに……」

 銀月はメソメソと涙を流す。
 体が妖怪に近づいているがために、彼は人間であることに執着を持っている。
 それは自分が変わってしまうことに対する不安感と、人間から向けられる仲間意識を失うことに対する恐怖によるものである。
 それだけに、初めて会った人間に面と向かって化け物と言われたことは、かなり心に来るものがあったようである。
 そんな銀月に、霊夢は呆れた表情を浮かべた。

「何よ、またそんなことで落ち込んでるわけ? そんなの今更じゃない。気にするだけ無駄よ」
「無駄って……酷い……」

 霊夢の言葉を聞いて、余計に深く凹む銀月。
 銀月の精神は完全にネガティブな方向に傾いており、霊夢の言葉も逆効果になってしまったようである。
 その様子を見て、霊夢は苛立たしげに頭をかいた。

「ああもう、面倒くさいわね! あんたのお父さんや紫が人間だって認めてるんでしょ? だったら素直にそれを信じりゃ良いじゃない」
「……分かってはいるんだけどね……」
「じゃあ良いじゃない。そんなこと考えても時間の無駄よ。ほら、そんなことしてる暇があったらお茶を淹れてちょうだい」
「……はあ……分かったよ……」

 銀月は深く陰鬱なため息を吐くと、ゆっくりと立ち上がった。
 そんな銀月に霊夢は続けて声をかける。

「それから、今日は私に付き合いなさい。退屈でしょうがないわ」
「退屈なら「修行は却下よ」……くっ、なら岩砕きでどうだ!?」

 銀月は苦し紛れにそう提案する。
 それは自身の能力の制御の練習になるもので、かつて検証のときに行ったものであった。
 それを聞いた瞬間、霊夢の表情がパッと輝いた。

「それならやるわ! さあ、さっさと行くわよ銀月!」
「わ、ちょっと待って、引っ張るなって!」

 嬉しそうな表情で銀月の手をぐいぐいと引っ張っていく霊夢。
 そしてそのまま、銀月は霊夢に引っ張られるようにして空を飛ぶのであった。

 その日、幻想郷の一角では岩が砕ける音が日暮れまで鳴り響いていた。




[29218] 銀の槍、呼び出しを受ける
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/08 01:48
 雪の降る幻想郷の空を、銀髪の青年が飛んでいく。
 その青年こと将志の向かう先には銀の霊峰よりもなお高い山。
 将志は天魔に呼び出され、妖怪の山と呼ばれるその場所に向かっているのであった。

「……新種の妖怪とは……いったい何者なのだろうか……」

 将志はそう言いながら、妖怪の山を遥か下に見下ろす超高度から侵入する。
 何故なら、哨戒天狗に見つかりたくはないからである。
 その理由として、将志は人間のふりをして哨戒天狗を相手に遊ぶことがあり、自分の本来の身分が知られてしまうとそれが出来なくなってしまうからである。
 なお、天魔はその行為を哨戒天狗の修行になることを理由に容認している。
 いつもの通り視線が無いことを確認しながら天狗の里にある一番大きな屋敷の中庭に真上から侵入すると、将志はまっすぐに天魔の部屋へと向かう。
 しょっちゅう呼び出されていたために、勝手知ったる何とやらと言うものである。

「……邪魔するぞ天魔……」
「ちょ、やめてください天魔様!」
「ふふふ、良いではないか良いではないか……」

 将志が部屋のふすまを開けると、黒い翼を持つ妙齢の女性が少し若い容姿の烏天狗に覆いかぶさって服を脱がしに掛かっていた。
 その周りには酒瓶が転がっていて、天魔が酒に酔っていることが見て取れた。

「ああ、そこの人! ちょっと助けて」
「…………」

 将志は無言でふすまを閉じた。
 そしてしばらくの間、眼をマッサージする。
 仕事を依頼されて呼ばれているのだ、そう自分に言い聞かせ、煮えくり返るはらわたを治めようとする。

「……いかんいかん、少々疲れているようだ」

 将志はそう言って再びふすまを開いた。

「おや、遅かったじゃないかっと」

 次の瞬間、将志はノータイムで妖力の槍を天魔に投げつけていた。
 天魔はそれを体を仰け反らせることで回避する。

「ひっ!?」

 その突然の攻撃に、天魔の下に居た烏天狗は思わず眼を覆う。
 そんな哀れな烏天狗を他所に、将志は天魔に詰め寄った。

「……貴様、何のつもりだ?」
「何のつもり、とは?」
「……俺は仕事の依頼を請けてここに来ている訳なのだが……何故酒を飲んでいる?」

 将志は笑顔で額に青筋を浮かべながら天魔に詰め寄る。
 一方の天魔は涼しい顔で朱漆の杯から酒を飲んでいる。
 天魔の返答しだいでは、将志の怒りが爆発しかねない状況であった。

「ああ、それは依頼など建前だからだ。実際には仕事などない」
「……何だと? では、何故呼び出した?」
「いや、最近寒くなっただろう? だから鍋が食いたくなってな。良い素材が手に入ったから、どうせなら腕の良い料理人に作ってもらおうと思ってな」

 その天魔の言葉を聞いて、将志の眼がスッと細められた。
 その眼からは怒りが消え、強い興味が浮かび上がっていた。

「……ほう? それはこの俺のやり場のない怒りが消し飛ぶほど良い素材なのだろうな?」
「保障しよう。幻想郷の管理者に頼んで、名産地から取り寄せてきた食材を取り揃えてある。いや、便利な時代になったものだ」
「……ふむ、ならば検めさせてもらうぞ」

 将志はそう言うと台所へと向かった。
 その地下にある氷室を改装した食料庫を見てみると、見事なアンコウが鎮座していた。
 形が良く、眼は澄んでおり、とても鮮度が良いことが見て取れた。
 その他にも、旬の食材が氷室の中には並んでいた。
 それを見て、将志の眼が光った。

「……成程。言うだけの事はある」

 将志はそう呟くと、天魔の部屋に戻った。
 そこでは、相も変わらず酒を飲む天魔とその相手をする烏天狗と言う光景が広がっていた。

「どうだ? お前のお眼鏡に適うものだったか?」
「……貴様と言う奴は本当に仕事の邪魔になることばかりしてくれる。あんなものを用意されては、腕を振るわん訳には行くまい」

 ニヤニヤと笑う天魔の問いに、将志は困った表情でそう答えた。
 つまるところ、やはり将志も己の欲望に忠実な妖怪なのである。
 目の前にニンジンをぶら下げられて黙っていられるような性分ではなかったのである。

「あの、天魔様? この人誰ですか? どこかで見たことあるような気がするんですけど……」

 先程から天魔に振り回され続けている烏天狗が訳も分からずにそう尋ねる。
 すると天魔は意外そうな表情を浮かべて烏天狗を見た。

「ん? お前ほどの情報屋が知らないとは意外だな。建御守人こと槍ヶ岳 将志。銀の霊峰の首領だぞ?」

 天魔の言葉を聞いた瞬間、その烏天狗は眼をパチパチと瞬かせた。
 目の前にポンと現れたのが、それほどまでの大物だとはにわかには信じきれないようである。

「はい? そんなに偉い人だったんですか?」
「……一応肩書きとしてはそうなっているな。銀の霊峰首領、槍ヶ岳 将志。変わり者の槍妖怪だ」

 将志はそう言いながら質問をしてきた烏天狗を眺める。
 黒髪に白いシャツ、黒いスカートといった格好の彼女が何者なのかを考える。
 天魔がこの場に呼ぶような相手だ、相当な変わり者であろう。
 将志は目の前の彼女をその様に仮定した。

「清く正しい幻想郷のブン屋、射命丸 文です。宜しくお願いします」

 文はそう言うと、将志に深々と礼をした。
 その自己紹介を受けて、将志は怪訝な表情を浮かべた。

「……ブン屋? 天魔、お前は取材を受けるようなことをしたのか? 正直、それ以外に彼女がここに居る理由が思い当たらんのだが」
「いや、暇になったから呼びつけただけだ。よくあっちこっちに飛んでいくのを見かけるのでな、興味本位でとっ捕まえてみたらなかなかに面白い奴だったからな」

 将志の問いかけに、天魔は何気ない表情でそう答えた。
 それを聞いて、将志は苦々しい表情を浮かべてため息をついた。

「……お前はまたそんなことで人を巻き込んだのか……」

 事あるたびに色々と理由をつけては呼び出されている将志にとって、文の状況は人事ではない。
 事実、今回も将志は仕事の名目で呼び出されているのだから、迷惑どころの話ではない。
 そんな将志の心境を察して、文は苦笑いを浮かべた。

「あはははは……ところで、天魔様とはどんなご関係ですか?」
「む? 将来を誓い合った仲だが?」
「え?」

 天魔はサラリと涼しい表情で言葉を紡ぐ。
 すると文はそのあまりの内容にその場で固まった。
 自分の知らないところで、領主に実は婚約者が居ました、等という事態になれば特大のスクープになりかねないのだ。

「息を吐くように嘘を吐くな! 俺と天魔はただの腐れ縁だ」

 そこに将志が少し慌てた様子で、叫ぶように天魔の言葉を否定しに掛かった。
 それを聞いて、文は硬直した状態から現実に引き戻された。

「そうなんですか?」
「まあ、そうだな。だが千年来の付き合いだから、そう浅いものでもない。事実、将志は妖怪の山の事情もかなり深いところまで知っているぞ」
「……ことある度に呼び出されて書類整理を手伝わされれば、それはある程度は覚えるだろう」

 文の問いに天魔は素直に答え、それに対して将志が呆れたような表情でそう付け足す。
 実際問題、将志はここに来るたびに天魔の仕事の様子を気にしており、結果としてそれを手伝う羽目になっていた。
 それも最近では月に一度手伝わされているのだから、将志が呆れ果てるのも当然であろう。
 何が悲しくて他所の組織の事務処理をしなければならんのか、将志は常にそれを疑問に思っているのだった。
 そんな話を聞いて、文は首をかしげた。

「……ん~、おかしいですね……何でそんな人のことが今まで話題にならなかったんでしょう? そんなにしょっちゅう天魔様の家に出入りする人が居たら話題になりそうなものなんですけどねぇ?」

 首領の家に見知らぬ男が頻繁に出入りしている。
 そんな話が神経質な天狗達の間に少しでも広がれば、当然里全体で話題になるはずである。
 しかし、今までその様な事態に陥ったことは一度もなかった。
 文の疑問は当然のものである。
 それに対して、天魔が答えた。

「ああ、それは私が隠しているし、将志も目に付かないように気をつけているからな」
「何でそんなことを?」
「……それは俺が頼んでいるからだ。ここの問題に巻き込まれるのは御免被りたいからな」

 将志は相変わらずの呆れ顔で天魔を見ながらそう答える。
 もし、実際に将志と天魔の関係が大天狗達に知られれば、大騒ぎになることは目に見えている。
 更に将志は銀の霊峰と言う幻想郷の中の大組織の首領である。
 そんな人物が天魔の影についているとなれば、天狗達が何を仕出かすか分かったものではないのである。
 それを理解して、文は再び苦笑いを浮かべた。

「それはそうですよね。ここの大天狗様方は頭がお固いですからねえ」
「あの石頭共の言いたい事も分からなくも無いが、現状に即していないことを言うのは困り者だ。外部の責任者がある程度の事情を把握して居れば、いざと言うときに迅速な行動が期待できるだろう?」
「……もっともらしい事を言う。それを理由にして書類整理を手伝わせるのは如何なものかと思うがな?」

 困り顔の天魔に、白けた表情で将志はそう呟いた。
 それに対して、天魔は軽薄な笑みを浮かべて口を開いた。

「そう固いことを言うな。現状報告も出来て一石二鳥「……な訳があるか、この大戯け!」あぐっ!?」

 天魔の頭に向かって将志は拳を頭蓋を砕かんばかりの勢いで打ち下ろした。
 唸りを上げる拳が叩きつけられた瞬間、鈍い音を響かせて天魔の頭が床スレスレまで沈み込んだ。
 天魔は頭を抱え、殴られた場所を押さえてしばらく唸っていた。

「~~~~っ……おい貴様、今本気で殴っただろう!?」
「……痛くなければ懲りないだろう?」
「くっ、だからと言ってか弱い女に手を上げるとは、貴様それでも男か!?」
「……ふっ、安心しろ。俺が勝負以外で手を上げる女子は、後にも先にもお前だけだ」
「くそっ、酷い差別だ……私にももう少し優しくしてくれたって良いだろう?」
「……優しくして欲しければ、それ相応のことをすることだ」

 殴られた箇所を押さえて涙眼で抗議する天魔に、したり顔でそれを受け流す将志。
 その掛け合いは正しく旧来からの友人のやり取りそのものであった。
 そんなやり取りを見て、文は珍しいものを見るような表情を浮かべた。

「……二人とも、本当に仲が良いですね……」
「そうだろう? 何と言っても、私が一番信頼を置いている男だからな」
「……それを聞いたら、大天狗達が泣くぞ。それはともかく、確かに一定以上の友好関係にあることは認める」

 笑顔で将志の肩に手を置く天魔に、将志は複雑な表情を浮かべながらそう続ける。
 そんな将志を見ながら、文は顎に手を当てて首をかしげた。

「それにしても……貴方の顔、やっぱりどこかで見たことあるんですよね……」
「ん、何だ? 前世で恋人同士だったとか、そういう感じか? 何ということだ、お前がそんな電波娘だったとは……」
「ち、違いますよ!? 本当に前にどこかで有名になった顔なんですよ!」

 何かに絶望するような表情で発せられた天魔の言葉に、文は大慌てでそれを否定する。
 無論天魔の発言は冗談であるのだが、かといって見覚えがあるのも本当なので仕方が無い話ではあった。
 しばらく考えていると、文は一つの手がかりを思い出した。

「……あ、貴方ひょっとして、前に鑑 槍次って名乗ってませんでした?」
「……む、良く知っているな。確かに、俺は鑑 槍次という偽名を使っていたことがある」

 文の発言に、将志は少し驚いた表情を浮かべてそう答えた。
 実際には、将志は今も人間として潜り込む時は余程の相手でない限りは偽名である鑑 槍次の名前を使っているので、知られていても不思議ではない。
 しかし、顔を知られているとなれば余程印象に残ることをしていたのであろうが、将志は文のような烏天狗の前でその様なことをした覚えはなかったのだ。
 将志が疑問に思っていると、横から天魔が首をかしげながら口を開いた。

「鑑 槍次? はて、どこかで聞いた名だな。何処で聞いたのだったか……」
「『狐殺し』ですよ。白面金毛九尾の狐を退治したと言う噂が流れた人間ですよ」

 文の口から答えが発せられた瞬間、将志はすぐに納得した。
 白面金毛九尾の狐といえば、その時天下に名を轟かせた大妖怪である。
 それを退治した人間と言うことで名を知られていたのであれば、天狗達が偵察に来ていても不思議ではなかったであろう。
 それを聞かされて、天魔は納得したように頷いた。

「……ああ、あれか。何だ、あれを仕出かしたのはお前だったのか?」
「……立場上、人間の生活も出来なければならなかったからな。金を貯めるために口入れ屋で傭兵の仕事をしていた時の仕事だ」
「あの後大変だったんだぞ? 白面金毛九尾の狐を一人で倒すような人間が出てきた、と神経質な大天狗共が騒ぎ出してな。おかげで私はしばらくの間、その対策のために休日返上で働かされたのだぞ? どうしてくれる」

 天下に名を轟かせた妖怪を退治した人間が現れたと聞いて、当時の妖怪の山は大騒ぎになった。
 攻め込まれたときの対策やしばらくの人間に対する接触の自粛など、鑑 槍次という人間ただ一人のために山全体が動く羽目になったのだ。
 当然、その最高責任者である天魔も休み無しで対応に追われる羽目になったのであった。
 恨みがましい視線をくれながらそう言う天魔に、将志はため息交じりに言葉を返す。

「……そんなことは知らん。第一、俺はその狐を殺したわけではない。きちんと話をすれば分かる相手だったぞ?」
「お前のことだ、どうせ口説き落としたのだろう? この色男め、後ろから刺されてしまえ」
「……否定したいところだが……いや、結果だけ見れば変わらんか……」

 将志はそう言いながら大きくため息を吐いた。
 将志は口説いたつもりはなくても、実際の結果としてその九尾の狐こと八雲 藍は将志に惚れ込んでしまっているのだ。
 結果としては、口説き落としたのと全く違いはない。

「そう言えば、アルバートさんが言ってましたね。メイドに世話をさせるといつの間にか口説きに掛かっているから困るって」

 文は以前人狼の里に取材に行った際、アルバートと話をしていた。
 その時に、アルバートが頭を抱えながら将志とメイドの関係を述べていたのを覚えていたのだ。

「……別に口説いた覚えはないのだが……」
「貴方に覚えがなくても、周りにはそう認識されてるんです。どんなことを言ったんですか?」

 苦い表情を浮かべる将志に、文はそう言って質問を重ねる。
 将志としてはメイドに普通に話しかけているだけなのであるが、そこはこの男である。
 話す言葉の中にさりげなく六花仕込のリップサービスが混ざっていて、絶妙な口説き文句へと早変わりしていたのだ。
 そして無意識下で相手を口説きに掛かる将志は、その度にアルバートからの制裁パンチを避け続けることになるのであった。

「下手に口を開かせないほうがいいぞ。こいつが本気で口説きに掛かったら、どうなるか分かったものではないからな」
「……口説かれたことあるんですか、天魔様?」
「……将志、そろそろ腹が減った。鍋の準備を頼む」
「……了解した」

 文の疑問を無視して、天魔は将志に料理を作るように促した。
 それを受けて、将志は迅速に料理を作るべく動き出した。
 良く見てみれば、以前口説かれたときのことを思い出したのか、天魔の顔はほんのり赤く染まっていた。
 その様子に文は微笑ましいものを見るような表情で笑った。

「おやおや? 天魔様、顔真っ赤ですよ? これは是非ともお話を聞きたいものですね~?」
「黙れ」

 ニコニコと笑う文に、天魔は憮然とした表情で釘を刺すのだった。




 しばらくして、将志が料理と共に戻ってきた。
 彼の持つ盆の上には、土鍋の中でもくもくと湯気を立てるアンコウ鍋を始めとして、様々な料理が並んでいた。
 それらの料理は大皿の上に品良く盛り付けられており、見た目にも鮮やかであった。

「……待たせたな。余った食材で色々作っても見たから、それも食べると良い」
「おお、これはまた随分と豪勢な料理ですね」
「……元の材料が豪勢だからな。こんなもの、幻想郷の中では滅多に食えんぞ」
「そうなんですか?」
「ああ、そうだとも。幻想郷の管理者に頼んで外から取り寄せた一級品だ。それを一流の料理人に頼んで料理してもらったと言うわけだ」

 目の前の料理に関して、三人で話を続ける。
 すると、将志がふと思い返したように口を開いた。

「……しかし、アンコウを捌くなど久々だな。吊るす場所が無くて少々難儀したぞ」
「吊るし切りですか。アンコウだと知っていれば見に行ったんですけどねぇ……」

 アンコウの吊るし切りなど、外の世界でも滅多に見られるものではない。
 それが海のない幻想郷となれば、なおさら珍しいものであった。
 残念そうな表情を浮かべる文に対して、将志は申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「……む、それは悪いことをした。先に料理の内容を伝えておくべきだったな」
「いえいえ、確かに珍しいですけど記事に出来そうなことでもないので」
「それはそうと、早く食わんと無くなるぞ?」

 将志と文が話している横で、天魔はそう言って口を挟んだ。
 天魔の器にはアンコウの切り身が多量によそわれており、次から次へと料理を確保していた。
 その山盛りにされた料理を見て、文は不満の声を上げた。

「あ、天魔様取りすぎですよ!」
「……心配せんでも追加の具はあるぞ? アンコウ丸々一匹など、逆に食いきれるかどうかが心配になるくらいだ」
「だが待つ時間があると言うのは気に食わん。そういう訳だからどんどん食べさせてもらうぞ」

 そう言いながら、三人は自分の分を取り分けて食事を始める。
 料理を口に含むと下の上で具材が溶け、口内に旨みが広がる。
 その味に、将志は満足そうに頷いた。

「……ふむ、流石に名産地の食材を使うと美味いな。やはり幻想郷の中だけではこれ程のものは作れまい」
「ふぅ……酒によく合う鍋だ。おい、さっきから進んでないぞ。もっと飲め」
「飲んでますよ……天魔様のペースが速すぎるんです。それを言うなら将志さんの方が飲んでないですよ」

 天魔に酒を勧められながら、文はそう言って言葉を返す。
 天魔も文も料理が出る前からそれなりに飲んでいたため、少々酒が回り始めているようである。

「こいつには追加の分を作ってもらわなければならんからな。あまり飲ませすぎると勿体無いことになる」
「それもそうですね……そうだ、お酒が入る前に将志さんに取材しちゃいましょう。滅多に出来ませんし」
「……取材?」

 文の突然の発言に、将志は首をかしげた。
 取材を受けるようなことをした覚えは全くなかったからである。
 しかし、文にとってはそうではなかったようである。

「銀の霊峰って記者にとっては鬼門なんですよ。上の人達に取材をしようにも、門番の人達が通してくれませんし……」

 文は幻想郷中を飛び回って新聞のネタを探すブン屋である。
 当然、銀の霊峰にも取材に向かったことがある。
 しかし、銀の霊峰の最深部である社は将志の信頼の厚い門番が守っており、許可の無い者を通すことはない。
 そう言うわけで、銀の霊峰の首脳部の人間には全く取材が出来なかったのである。
 しかし、将志はその文の主張に首をかしげた。

「……それでも、俺は外への警邏で割と外に出ているはずなのだが……」
「取材は事前の下調べも重要なんです。それなのに、首領の顔も分からないのに取材が上手く行く訳無いじゃないですか。私、将志さんの顔を今日初めて知ったんですよ?」
「……はて、お前は先程俺の顔に見覚えがあると言っていなかったか?」
「それは『鑑 槍次』としての顔ですよ。『槍ヶ岳 将志』がまさか人間に化けているなんて、普通は思いつきませんよ」

 妖怪が人間に成りすましている例と言うのは、いくつか報告されている。
 例えば先程も話に上がった白面金毛九尾の狐などが正にそれである。
 しかし、それが一般的かと言われればそうではない。
 特に将志の場合、やろうと思えば一切の妖力を体の中に封じ込められるため、人間に紛れると全く分からなくなってしまうのである。
 それ故に、将志は今までその正体を知られることが滅多に無かったのである。
 その異端さを理解していない将志は、文の言葉を聞いて首をかしげた。

「……そう言うものなのか?」
「そう言うものです。と言うか、銀の霊峰の組織は不透明すぎるんですよ。住人に話を聞いて内情を調べようとしても情報が錯綜してますし、聞けば聞くほど訳が分からなくなってくるんですよ」
「……それは当然だ。わざとそうなるように情報を流しているのだからな」
「何でですか? そうまでして隠したいことがあるんですか?」
「……そうではない。恐らく、お前が取材をしたのは里の連中だろう? 里の連中にはそれをまとめる奴が居てな、そのまとめ役が自主的に動いてくれるような情報を流しているのだ」
「それ、詐欺みたいなものじゃないですか。あらかじめいいように解釈した情報を渡すってことですよね?」
「……確かにそうだが、実はそれの大本の情報はどうとでも解釈できるような文にしてあるのだ。例えるならば、『里の発展に貢献すれば支援をする』と言う情報があったとしよう。この場合、具体的に何をすれば里が発展するか等と言った情報が含まれていない。そこで、まとめ役連中にはその具体的な内容を織り交ぜて伝えるのだ。すると、それぞれのまとめ役に渡る情報は違ったものになるだろう?」

 将志は怪訝な表情を浮かべる文に、自らが治める組織の概要を説明した。
 つまり、大雑把なものを最初に決めておいて、末端に行くほどその情報が具体化されていくという仕組みである。
 これによれば、同じ『里への貢献』と言う事例に対して『里の美化』を言いつけられるものや『治安の改善』を指示されるものと、色々と末端で違いが現れる。
 こうしておけば、最初から具体的な方針を練るよりも融通が利き、末端の者が多少勝手をしても大本に反するものでなければ良いと言う状態になるのだ。
 その体制について、今度は天魔から疑問の声が上がった。

「一つ思ったのだが、その情報の違いを里の連中は疑問には思わないのか? それでは情報を流すたびに問い合わせに来る者がいると思うのだが」
「……それが無いのだ。気づくのは上層のほんの一握りの連中で、彼らは現状を理解している。しかし、ほとんどの連中は自分に与えられた情報に疑問を一切持たないのだ。もう少し考える力と習慣をつけて欲しいものだ……」

 将志はそう言って大きくため息を吐いた。
 実際に、銀の霊峰の者は一部を除いて頭を使うと言うことをしない。
 それ故に、上の者が一つ指示を出すと全く疑問を覚えることなくそれに従ってしまうのだ。
 将志はその現状を憂いており、少しでも疑問を持つことが出来る者が増えて欲しいと思っているのだった。

「成程……下手に頭が回るのも困り者だが、そこまで働いていないのも問題だな。深刻な文官不足じゃないのか?」
「……実際に足りん。実際のところ、門番の連中にまで書類仕事が回ってくるような現状だからな。そんなことでは本来の業務に支障が出てしまう。本音を言ってしまえば、銀月にも抜けて欲しくは無かったのだ」

 将志は憂鬱な表情でそう呟いた。
 実際のところ、門番は雇い主を守るために全力を尽くせなければならないものであり、書類仕事などで疲弊させると言うのは言語道断なのである。
 しかし文官が不足している現状では、門番となっているものでも有能であれば書類仕事を依頼せねば回らなくなってしまっているのだ。
 この現状は将志の大きな悩みの種となっており、頭の良い部類である銀月が抜けたことも大きな痛手となっているのだった。
 その将志の表情を見て、文は世知辛い表情を浮かべながらメモを取った。

「やっぱり上に立つ人は苦労してるんですねぇ……天魔様も苦労なさっているみたいですし……」
「そうだぞ。私も日々苦労してるんだぞ? 上に立つ人間はそれなりの悩みがあるのだ」

 文の呟きに、天魔は言い聞かせるようにそう言った。
 それに対して、将志は天魔に白い視線を送る。

「……それが分かっているなら俺に仕事を押し付けるのはやめてもらおうか。俺も組織の首領と言う立場なのだがな?」
「それはそれ、これはこれだ」
「……おのれ」

 しれっとした天魔の発言に、将志は歯軋りをしながら拳を握り締める。
 手にした箸から破滅を知らせる音色が漏れ出したところで、文が話題を提供する。

「ところで、お二方が知り合った時ってどんな感じだったんですか?」
「……あの時は鬼に案内されて妖怪の山に来てな、せっかくだから人間のふりをして殴り込みをかけたのだ」
「それが手に負えなくて、私が休日返上で呼び出されたわけだ。それで、戦闘になった」
「それで、どうだったんですか?」
「私は幻覚を使って仕掛けていったのだが、こいつと来たら力技で私の幻覚を破ってきおった。結果として、こいつが戦神と呼ばれる所以を思い知らされた訳だ」

 天魔は当時のことを懐かしそうにそう言った。
 当時は天魔の将志への印象は最悪であり、自分の休日を邪魔されたことに対する報復として戦闘を仕掛け、負けたのであった。
 その天魔の物言いに、将志はフッと小さく息を吐くように笑った。

「……では、その戦神に連勝していたお前は何なのだろうな?」
「はい? 天魔様、将志さんに勝ったんですか?」
「……俺が唯一負け越している相手が天魔なのだ。他の相手には余程の事が無ければ負けないと言う自信はあるのだがね」
「あ~……でも確かに、天魔様滅茶苦茶強いですからねぇ……」

 少し楽しそうに笑いながらそう告げる将志に、文は納得したような表情を浮かべる。
 文にしてみれば、天魔も自分には届かないほどの強さを持つ大妖怪なのである。
 そんな彼女が戦神を超えるような者であると言われても、素直に納得できるようなものであった。
 しかし、そんな文に対して天魔が口を挟む。

「お前、戦神も案外大した事無い等とは思ってないか? 馬鹿を言うな、私は少々裏技を使っているだけだ。こいつの戦績を聞いたら私なんて霞むぞ? 文、お前は鬼神を覚えているか?」
「あ、はい。天魔様が戦っても勝率が三割切るほど強かったんですよね?」
「ああ。で、この男はその鬼神に勝率八割を叩き出したのだぞ? 化け物としては明らかにそちらの方が格上だろう?」

 実際問題、天魔は将志の弱点をつく上手い方法を思いついただけに過ぎない。
 もし、天魔が将志と真正面からぶつかり合って戦えば、その勝率は二割に届けば良い方であろう。
 現在の神が存在する以前から存在し、その神に強さを認められて戦神となったのは伊達ではないのだ。
 それを聞いて、文の将志を見る眼が眼に見えて変わった。

「……そうなんですか?」
「……伊里耶との勝負か……とは言っても五戦四勝と言ったものであるから、もっと試合数を重ねていればどうなっていたかは分からんな」

 将志は少々残念そうな表情でそう語る。
 彼としては、もう少し伊里耶と戦ってみたかったようである。

「十分ですよ……私達が勝てない鬼達の首領を相手に勝率八割とか、むしろ何で負けたのかが知りたいですよ……」

 そんな将志に、文は呆れた表情を浮かべてそう言った。
 すると、将志は苦い表情を浮かべた。

「……あの時、伊里耶の着物が肌蹴なければ……」
「はい?」
「っ、何でもない……鍋の具を追加してくる」

 将志は酒を飲んでもいないのに頬を赤く染めてそう言うと、そそくさと鍋を持って台所へと消えていった。
 その後姿を、天魔がニヤニヤと笑いながら見送っていた。




 しばらくして、将志は鍋に具を追加して戻ってきた。
 鍋の中は再び沢山の具に埋め尽くされており、美味そうな匂いを漂わせていた。

「さて、これでお前にも心置きなく飲ませられるなぁ、将志くん?」

 すると天魔は、将志の後ろから覆いかぶさるようにして寄りかかった。
 その手には酒瓶が握られており、将志に飲ませる気満々であった。
 天魔の口元からは、大量の酒を飲んだと思われる特有の匂いが漂っていた。
 そんな天魔に、将志は鬱陶しそうな表情を向けた。

「……ええい、顔が近い。落ち着いて食えんだろうが」
「まあまあ、まずは飲もうか」
「……何がまあまあ、だ。飲むだけなら飲んでやるから離れろ」
「断る」

 将志の言葉にも全く堪えず、しなだれかかったまま杯に酒を注ぐ。
 自分の杯に並々と注がれた酒を見てため息を吐く将志に、文が苦笑いを浮かべながら口を挟んだ。

「天魔様、すっかり出来上がっちゃってますね……」
「……俺が席を立っている間にどれくらい飲んだ?」
「景気づけとか言って一升飲んでました」

 将志の質問に、文は簡潔にそう言って答えた。
 それを聞いて、将志は力なく首を横に振った。

「……やれやれ……そんな景気づけは要らんというのに……」
「それにしても、ここまで盛大に酔う天魔様は初めて見ますね」

 将志に思いっきりしなだれかかる天魔を見ながら、文はそう言った。
 それを聞いて、将志は意外そうな表情を浮かべた。

「……そうなのか? 俺は割と毎回見ているが……」
「普段天狗の間で飲むときは大体大人しく飲んでますからねぇ。と言っても、両脇を大天狗様達に固められてるんですけど」

 文の言うとおり、普段の天魔は両脇を大天狗に固められて静かに飲んでいることが多いのだ。
 天魔にしてみれば、大天狗と飲むのはつまらないことこの上ないのでそもそも付き合うつもりがない。
 それ故に、普段天狗達の間では大人しく飲んでいるのが当たり前なのだ。
 その一方で将志の記憶の中では、天魔は自分の気づかないうちに大酒をかっ喰らい、絡んでくる性質の悪い飲み方である。
 それ故に、将志にとって普段文の言うようなの見方をしていると言うのは心底意外なのであった。
 その認識の違いに驚いていると、天魔が将志の耳に息を吹きかけて不満を訴え始めた。

「くぁっ……!?」
「こら、主催を放っておく奴があるか。私にも構え」
「……くっ、分かったからしなだれかかるな。動きづらいだろうが」
「この状態で酒が飲めないわけじゃないだろう? ならば少しぐらい我慢しろ」
「……この酔っ払いが」

 将志はぐいぐいと体を押し付けてくる天魔にそう毒づいた。
 いつの間にか天魔の服装は小袖に袴と言う薄着になっており、将志の背中にはダイレクトにその体の感触が伝わってくる。
 将志が諦めを含んだ言葉を呟いた瞬間、突如として白い光が二人を包んだ。

「……っ」
「いい絵ですねぇ。これで記事を書くなら『天魔様熱愛発覚!? 相手は銀の霊峰の首領』っていう見出しになりそうですね」

 嬉しそうにそう言う文の手には、カメラが握られていた。
 どうやら先程の光はこのカメラのフラッシュのようである。
 そうやって嬉しそうな文に対して、若干額に汗を浮かべながら将志は話しかけた。

「……何を馬鹿なことを。第一、そんな記事を天魔が了承するわけないだろう」
「分かってますよ。記事にするのは冗談です。でも、それはそれとしてもう一枚……」

 文はそう言って再びカメラを構える。

「っ!?」
「ふにゃぁっ!?」

 すると次の瞬間、将志は文の視界から消え、天魔は頭から床へと突っ込むことになった。
 しばらくして、文は目の前で起きた異変に首をかしげた。

「……あれ?」
「あたたたた……おい将志、急にどうしたと言うのだ?」
「……いやなに、特に他意はないのだが……」

 ぶつけた額をさすりながら天魔が問いかけると、文の後ろからやや低めの青年の声が聞こえてきた。
 将志の額には冷や汗が浮かんでおり、なにやら異常があったことを示していた。
 そんな将志に対して、文が質問をした。

「他意がないならどうしたんです?」
「……まあ、なんだ……」

 文の質問に、眼を泳がせながら歯切れの悪い答えを返す将志。
 その様子は答えは用意できているのだが、明らかにそれが言いづらいといっているようなものであった。
 その様子を見て、天魔はニヤリと笑った。

「……ははぁ。文、せっかくだから将志の写真を撮ってやってはどうだ? なかなか無いぞ、こんな機会」
「そうですね。将志さん、少しお写真を……」

 文がそう言ってカメラを構えた瞬間、再び将志はその視界から消えうせた。
 再び起きた珍現象に、文は再び首をかしげた。

「……あれ?」
「くっくっく、やはりそうか。おい将志! たかが写真を撮られるくらいでどうしたんだ!?」
「……昔から写真だけは苦手なのだ。何が苦手なのかは自分でも分からんが、とにかく苦手なのだ」

 面白おかしく笑いながらの天魔の質問に、将志は部屋の入り口から顔だけ出しながらそう答えた。
 その様子から、本気で写真を撮られることに恐怖にも似た嫌悪感を持っていることが感じ取れた。
 そんな将志の言い分に、文は不満そうな表情を浮かべた。

「そんなこと言わないで写って下さいよ。将志さんの写真は滅多に無いんですから」
「……もう既に一枚撮っているだろう。それで辛抱しておけ」
「う~ん、そんなに抵抗されると逆に撮りたくなるんですよねぇ……どうしましょう、か!」

 文はそう言いながら、部屋の外に一息で飛び出してカメラを構えた。

「……ちぃ!」

 すると将志は、眼にも留まらぬ速さでジグザグに動きながら廊下の角へと消えていった。
 そのあまりの速度に、文はシャッターを押すまもなく立ち尽くすしかなかった。

「……すごい勢いですね……本当に写真を撮られるのが嫌なんですね……あうっ!?」

 突如として、文の頭に拳が打ち下ろされる。
 そしてその下手人である天魔はため息混じりに首を横に振った。

「やれやれ……面白いのは歓迎だが、家の中で暴れられるのは勘弁だ。お~い、将志! 写真はもう撮らせないから戻って来い!」

 天魔がそう言うと、将志は廊下の角から顔だけ出して様子を伺い始めた。

「……本当か?」
「ああ、確約しよう。この家にいる限り、お前の写真は撮らせん」
「……その言葉、偽りであったら酷いぞ?」
「おいおい、何処まで信用が無いんだ、私は?」
「……今までの行動を鑑みて、俺がお前を信用出来ると思うか?」
「くっ、毎度の事ながらこの手の質問には上手い反論が見つからん……」

 天魔の言葉にもかかわらず、将志は廊下の角に引っ込んだまま出てこようとしない。
 更に将志の言葉に天魔はろくに反論も出来ずに沈黙する。
 そんな中、頭をさすりながら文が立ち上がった。

「あいたたた……天魔様、全然信用ないんですね……大丈夫ですよ。残念ですけど、天魔様がそういうのであれば撮影を控えます」
「……分かった、そこまで言うのならば信じよう」

 文の言葉を聞いて、将志はようやく廊下の角から出てきた。
 その様子に、天魔は膝を抱えて床にのの字を書き始めた。

「……分かってはいたが、流石にここまで態度が違うと私も拗ねるぞ?」
「……勝手に拗ねていろ。散々俺を架空の用事で呼び出しているお前よりも、まだ初対面の相手のほうが信用できる」
「ふんだ、今日は枕を涙で濡らしながら眠ってやる……だが、その前に……」

 天魔はそう言うと、再び将志にしなだれかかった。
 その様子に、将志は嫌な予感を感じて顔をしかめた。

「……何のつもりだ?」
「せっかく貴様を呼んだのだ。どうせなら酔い潰れるところが見たいと思ってな」
「……貴様と言う奴は……」

 酒瓶を持ってそう言う天魔に、将志は頭を抱える。
 今までの経験から、天魔がこうなると大体ろくな事がないのは眼に見えているのだ。
 そんな二人の様子を見て、文は苦笑いを浮かべた。

「あはははは……頑張ってくださいね、将志さん」
「お前は何を言ってるんだ、文? お前も一緒に潰れていけ」
「あ、私ちょっと急用が……失礼します!」

 天魔の言葉を受けて、文は逃げようとして飛び去った。
 しかし、文は部屋の中をぐるぐると飛び回ったかと思うと、何もない空間をペタペタと触る奇行に走った。

「あ、あら? 出口が無い……」

 文は混乱した様子で目の前の空間に手を添え続ける。
 どうやら彼女の眼にはそこに壁があるらしく、そこが何もない空間だとは分かっていないようである。
 そんな文を見て、天魔は低い笑い声を上げた。

「くっくっく……お前の感覚は乗っ取らせてもらったぞ、文。これでお前は私を酔い潰すまでこの家から出ることが出来なくなった。観念して飲むのだな」

 つまり、文は今天魔の手によって幻覚を見せられているのだ。
 文が正確にわかるのはテーブルの位置と天魔と将志の位置だけ。
 視覚や方向感覚や平衡感覚、更には触覚まで狂わされている現状では、文に出口までたどり着くのは不可能と言わざるを得なかった。

「天魔様、それはアルコールハラスメントとパワーハラスメントに当たるのでは……」
「知らんなあ。なに、上手くやれば私を酔い潰す事くらい容易いものだぞ?」

 ニヤニヤ笑いながら天魔は文にそう話しかける。
 それを受けて、文は助けを求めるように将志に視線を向けた。

「……諦めろ。ハラスメントと言う概念は、それを抑えるものがあるから通じるのだ。この妖怪の山では、天魔を押さえるものが無い」
「ううう……分かりましたよ……お付き合いいたします……」

 将志の発言を受けて、文は眼に涙を浮かべながら自分の席に着く。
 彼女が二日酔いになることが決まった瞬間である。
 そんな彼女に謎の罪悪感を覚え、将志は確認するように背中にしなだれかかる天魔に話しかけた。

「……思ったのだが、俺達を酔い潰せるほど酒があるのか?」
「無ければそんなことは言わん。以前の貴様の飲み方からどれくらい飲むのかは分かっているし、文がどれくらい飲めば潰れるのかも把握している。だから私を含めた三人が潰れるだけの酒を用意するのもたやすいことだ」
「……そんなことをしている間に仕事を終らせれば、色々と文句を言われずに済むだろうに……」
「そんなことは知らん。そんなことより飲め貴様。今日は全員生きて帰れると思うな」

 呆れ顔の将志に対して、天魔はすっぱりとそう言い切った。
 こうして、地獄の酒飲みバトルロイヤルが始まった。





「きゅうぅぅぅぅぅ……」

 一時間少々経ったとき、そこに一つの死体が出来上がっていた。
 それを見て、天魔は小さく吐き捨てるように言葉を発した。

「なんだ、文はもう潰れたのか。弱いな」
「……お前が集中攻撃を掛けていたからではないのか? 先程から文にばかり酒を飲ませていただろう?」
「それは断り方が下手なだけだ。上手くすれば飲ませてくる相手を返り討ちにするような飲み方すら出来ると言うのに……」
「……まあ、薦められるままに飲むと言うのは潰されるパターンではあるな」

 事実、文は天魔や将志から勧められた酒を断ることなく飲み続けていた。
 相手に飲ませたり、別のものを飲んだりして時間を潰していたわけではないので、その分早く潰れてしまったのだ。
 文にとって天魔と将志は遥かに力の強い存在であるため、薦められても断りきれなかったのだ。
 そんな文の有様を見て、天魔は不満そうな表情を浮かべた。

「天狗と言うのはどいつもこいつもそうだ……強いものには遜るくせに、弱いものには不遜な態度をとる。情けないとは思わないか? 弱いものに圧力を掛けるのであれば、自分より上の者にも抗う位の気概を持って欲しいものだ」
「……しかし、その考え方は天狗の中では異端ではないのか?」
「ああ、それも理解はしている。だが、これが私の性分なのだから仕方が無い。もっとも、私が鬼神……伊里耶と戦えるほど強くなければ話は違ったのかもしれないがな」

 天魔は天狗の中でも飛び抜けて強い力を持っている。
 それ故に、上に抵抗するだけの力を持つことが出来たのだ。
 もし、天魔が普通の天狗と同じ程度の力しか持っていなかったら、また話は違っていたのかもしれない。
 それを理解しているが故に、天魔も自分の考えを他の天狗達に強要することが出来ないでいるのだ。
 その心境を理解し、将志は小さくため息を吐いた。

「……強い力を持ったゆえの異端か……俺には分からんな。元々組織に居た訳ではなく、今の組織も自然と集まって出来たものだ。言い方は悪いが、俺の組織は力こそが全てだ。不満があれば強くなればいい。お前の所と何が違うのだろうな?」
「天狗と言うのは他の妖怪に比べて頭が良い。これは事実だ。だから不満が出ても我慢することが出来る。つまりそれは保身に走ることが出来ると言うことだ。保身に走ることは楽なことだ。何も得られない代わりに、現状を崩すことも無い。だが、自分が変わらなくても世界は変わっていくものだ。変化を恐れすぎていると言うのが天狗の現状だ」

 頭が良いものは、目先の利益に対するリスクを考えることになる。
 そしてそれが自分の考える利益よりも大きいとき、その者は我慢と言うものを覚える。
 しかし現状に満足しているものにとって、その生活に変化をもたらすもののリスクはその利益よりも遥かに大きく見えてしまうのだ。
 つまり、現状に満足している者は変化を許容することが無い。
 そして個々の寿命が長い天狗にとって、それは周囲に置いて行かれる要因になってしまうのだ。
 それを理解しているが故に、天魔は保守的過ぎる現在の天狗達に頭を悩ませているのだ。
 それを聞いて、将志は難しい表情で頷いた。

「……成程、確かにそう聞かされると頭が良すぎるのも考え物だな。うちの所のような不満が少ないのもそれが理由か」
「そう言えば、お前の所の組織にはどんな問題が持ち上がってくるのだ?」
「……何処の世にもありがちな問題ばかりだ。給与の問題や生活環境の整備の問題など……だけならまだ良かった」
「と言うと?」
「……嫁の飯が不味いから料理を教えてやってくれだの、俺の方が強いから手合わせしろだの、欲望に忠実すぎるのだ。このようなものに全て対応して行くとしんどくて敵わん」

 将志はげっそりとした表情でそう呟いた。
 妖怪の山の天狗達とは違い、銀の霊峰の妖怪達は自分の欲求に非常に忠実なのである。
 それ故に、将志達銀の霊峰の重鎮達はその訴えが後々彼らの為になるのか考えなければならないのである。
 その量たるや、我慢できる天狗達の比ではないのである。
 そんな銀の霊峰の現状を聞いて、天魔は楽しそうに笑った。

「ふふっ、良いじゃないか。うちのところに来る良く分からない訴えなどよりも余程面白い。しかしそうか。それならば私の頼みくらい楽に聞けるだろう?」
「……たしか、天狗は我慢することが出来るのではなかったか?」
「さっき自分で言っていただろう、私は異端だと。だから私は自分の欲望の赴くままに動かせてもらうぞ」
「……ええい、貴様に自制と言う二文字は無いのか」
「普段自制しているのだ、酒を飲んでいるときくらい構わんだろう?」

 天魔は将志にそう言って微笑む。
 その微笑みは悪戯っぽいものであり、将志に何を言っても無駄だと思わせられるものであった。
 それを見て、将志は盛大にため息を吐いた。

「……はぁ……それで、お前は俺に何を望む?」
「それはな、こいつを使うのだ」

 そう言うと、天魔は戸棚から何やら赤い箱を取り出した。
 その箱には、白い文字でPO○KYと描かれていた。
 将志はそれを見て怪訝な表情を浮かべた。

「……何だそれは?」
「外の世界の菓子で、生地を細長く伸ばして焼いたものにチョコレートを絡めたものだ」

 天魔は将志に対して手にしたものの説明をする。
 それを聞いて、将志は何かをこらえるような表情を浮かべた。
 どうやら目の前にある目新しい菓子が気になるようである。

「……それで、それがどうしたと言うのだ?」
「それがな……外の世界ではこれを使った遊びがある様なのだ」
「……食品で遊ぶのは関心出来んが……どんな遊びだ?」
「これを二人で両端を咥えてな、お互いに手を使わずに食べ進めると言うものらしい。それを少しばかりやってみたくてな」

 天魔はニヤニヤと笑いながら将志にそう声をかけた。
 要するに、天魔は将志にポ○キーゲームを仕掛けているわけである。
 すると、将志は拍子抜けした表情でそれに答えた。

「……何だ、そんなことで良いのか? それくらいのことなら別に構わんぞ」
「……は?」

 将志の切り返しに、天魔は思わず固まった。
 まさか、こうもあっさり承諾されるとは思っていなかったのだ。
 そんな天魔の様子に、将志は首をかしげる。

「……早い話が口で相手とその菓子を食べあえば良いのだろう? 実に簡単なことではないか」
「ちょ、ちょっと待て。何でそんな簡単に言い切れるんだ?」

 天魔は慌てた様子で将志にそう問いかける。
 しかしそれに対して、将志は訳が分からないと言わんばかりの表情を浮かべる。

「……いや、事実そうであろう? 何もそう難しいことはない」
「そ、それはそうだが……」
「……? つべこべ言ってないでさっさとやるぞ。俺はさっさと終らせたいからな」

 顔を真っ赤にしてしどろもどろになっている天魔に、将志はそう言ってポッ○ーを咥える。
 そうやってどんどん退路を断っていく将志に、天魔は慌てふためいた。

「あ、あのな……こ、これはその……」

 天魔はわたわたとしながら考える。
 こいつとこれをするのは非常に気恥ずかしい。
 しかし何とかなかったことにしようと考えるも、それは自分が言いだしっぺであるし、度胸試しでもあるこれで引いて度胸がないと思われるのは遺憾である。
 そして何より、そう思われる相手が将志であることが気に食わない。
 そんな考えがぐるぐると天魔の頭の中をめぐる。

「……どうかしたのか?」

 考え込む天魔に、将志はそう言って更に首をかしげる。
 その将志の表情は普段どおりの仏頂面であり、緊張など欠片も感じられない。
 そんな将志の表情を見て、天魔はそれが段々と腹ただしくなってきた。

「ああくそ! 貴様、ゆっくり食えよ!」
「……あ、ああ」

 将志と天魔はお互いに棒状の菓子の端と端を咥える。
 将志の顔は普段と変わらぬ表情で、全くの平常心であることが見て取れた。
 一方、天魔は表情こそ平静を保っているが、顔は真っ赤に染まり呼吸に少し乱れが見られる。
 天魔は少し落ち着こうと目を閉じ、呼吸を整えようとする。
 しかし、そんなことはお構い無しに将志は食べ始めた。

「……!」

 何の前触れもなく食べ始めた将志に、天魔は目を見開く。
 天魔の言うとおり、将志は小刻みにゆっくりと菓子を食べている。
 つまり、その分だけゆっくりと将志の顔が迫ってくるのである。
 それと同時に、天魔の心拍数はどんどん上がっていき、頭に血が上ってくる。

「(……あんなこと言うのではなかった)」

 天魔は内心後悔した。
 ゆっくり食え等と言わなければ、もっとあっさりこの拷問のような時間を終えることが出来たのだから。
 今のこの状態は、天魔にとっては真綿で首を絞められるようなものであった。
 動きは完全に止まっており、ただ呆然と近づいてくる将志の顔を眺めることしか出来ない。

「…………?」

 その間にも、将志は黙々と菓子を食べ続ける。
 一向に食べ始めようとしない天魔に疑問を持ちながら、努めて冷静に口を進めていく。
 段々と近づいてくる赤く染まった天魔の顔も、ルールを守ることと比較すれば瑣末なことのようである。

「…………」

 そんな将志を見ているだけであった天魔だったが、その内表情が変わってきていた。
 淡々と菓子を食べ進める将志を見ながら、天魔は再び段々と腹が立ってきていたのだ。
 何故私だけがこんな思いをしなければならないのだ、そして何で貴様はそんな涼しい顔をしていられるのだ。
 同じことをしているのに全く動じない将志に、天魔は何かを決意したような眼を向けた。

「……っ!!

 突如として将志の肩を掴み、天魔は勢い良く菓子を食べ始めた。
 自分が将志に言ったことなど忘れ、がむしゃらに菓子を食べ進める。

「……っ!?」

 突然動き出した天魔に、将志は不意を打たれて一瞬動きが止まる。
 その一瞬の間に、天魔と将志の間の距離は一息でゼロになっていった。
 終わりが近づくと同時に、勢いよく天魔の頭が将志に迫る。

「んっ!」
「むぐっ!?」

 将志はぶつかりそうになる額を咄嗟に押さえ、その衝撃を和らげる。
 しかし天魔はの勢いは完全には止められず、ぶつけ合うような形で唇が重なった。
 将志が頭を軽く引かなければ、お互いの唇が切れるような事態になっていたのは間違いない。

「……くっ……終ったぞ」

 天魔は顔を耳まで赤く染め、息を荒くしながらそう言った。
 彼女の肩は大きく上下し、触れ合った唇に手をやって気にしているのが見えた。
 その様子を見て、将志はため息を吐いた。

「……ゆっくりと食べ進めるものではなかったのか?」
「黙れ! そもそも、何でお前はそんなに冷静で居られるのだ!?」
「……それは、俺は日頃からこれと似たようなことを請われているからな。まさか、お前にまで請われるとは思わなかったが」

 興奮した様子の天魔に、将志は涼しい表情でそう告げる。
 実際、将志は普段からアグナと似たような事をしているのだ。
 それもアグナは将志と触れ合う口実にしているのだから、その触れあい方はこれの比ではない。
 よって、将志にとってはこれくらいなんと言うことはないのである。

「くそっ、なんと言う失態だ……」

 その事実を聞いて、天魔は頭を抱えた。
 天魔は本来、将志の困った表情を見ようと思っただけなのである。
 ところが、蓋を開けてみればこのざまである。
 そんな天魔を見て、将志は呆れ顔を浮かべた。

「……後悔するくらいならばしなければ良かったのでは?」
「それでは私の度胸が無いみたいだろう!?」
「……度胸試しだったのか、これは?」
「そうだ! ああくそ、これでは私が馬鹿みたいではないか! おい貴様、どうしてくれる!!」
「……どうしてくれるもへったくれも、完全にお前の自爆ではないか」
「ええい、黙れ! そもそも、貴様がそんなに慣れているのが悪い!」

 天魔は何を言っても柳に風といった風な将志に、感情の赴くままに怒鳴りつけた。
 そんな天魔に、将志は小さくため息を吐いた。

「……やれやれ」
「ひゃうっ……」

 次の瞬間、将志は天魔を抱きしめた。
 天魔は何が起きたのか分からず、呆然とそれを受け入れていた。

「……少し落ち着け。具合の悪い奴も居るのだから、大声を出すと迷惑になる」
「っ、この、放せ!」

 天魔は暴れるが、腕ごとしっかりと抱え込まれていて殴る蹴るなどの行為は出来ない。
 そうやって抵抗しようとする天魔を、将志は強く抱きしめた。

「……断る。お前が観念しておとなしくなるまではこのままだ。少し深呼吸をしろ」
「くっ……」

 将志の言葉にしばらく天魔は抵抗していたが、次第に大人しくなっていった。
 抵抗しても無駄だということで、諦めたのであった。
 それを確認すると、将志は天魔に声をかけた。

「……落ち着いたか?」
「……ああ。一応はな」

 天魔がそう言うと、将志は天魔を抱きしめる腕を緩めた。
 しかし天魔はそれでも動くことなく、将志に抱かれたままであった。

「……それにしても、お前がそこまで取り乱すなど、いったい何があったのだ?」
「貴様と言う奴は……今の遊び、どういう間柄の者がするのか理解しているか?」

 首を傾げる将志に、天魔は恨めしげにそう声をかけた。
 すると将志は、しばらく考えた上で答えを返した。

「……家族や友人、もしくは恋人といったところか?」

 将志は至って真面目にそう答えた。

「……そうか、貴様が致命的にずれている事が良く分かった。本気で一度地獄に落ちろ、女の敵め」

 それを聞いて、天魔は呆れ果てた表情でため息を吐いた。
 当然ながら、家族や友人の間で○ッキーゲームなどやるものはそうは居ない。
 居るとするならば、恋人や恋人に近しい友人、もしくは夫婦くらいのものであろう。
 それを将志のように答えられては、ずれているとしか答えられないであろう。
 それにもかかわらず、将志は怪訝な表情を浮かべた。

「……おい、それはどういうことだ?」
「知るか、自分で考えろ」

 天魔は拗ねた表情で将志の胸に顔をうずめた。
 将志はしばらく考えていたが、結局意味が分からず天魔に答えを求めた。

「……分からん。天魔、どういうことか教えてくれ」
「ええい、前から気に食わなかったことを一つ言ってやる。伊里耶もそうだったが、お前は私のことを天魔と呼ぶな。私には烏丸 椿(からすま つばき)と言うれっきとした名前があるのだからな」

 将志の発言に、天魔こと椿は不満げにそう答えた。
 それを聞いて、将志は首をかしげた。

「……済まないが、俺はその名前は初めて聞くぞ?」
「そうだったか? あまりに親しくしていたから、てっきりもう教えていたものだと思っていたが」
「……初耳だ。しかし、だとするならば何故天魔と呼ばれているのだ?」
「天魔と言うのは役職のようなものだ。つまり私のことを天魔と呼ぶのは寺子屋の教員を先生と呼ぶのと変わらん。同格以上の友人がそうやって呼ぶのは、些か可笑しいとは思わないか?」

 椿はそう言って天魔と言う呼び名について説明する。
 それを聞いて、将志は納得したように頷いた。

「……成程。つまり、俺はこれからお前のことを椿と呼べばいいのか?」
「そうだな。ここでこうやって話す様な奴など、お前と文くらいのものだからな。周りの目が無い時はそれで頼む」
「……了解した。慣れるまでは時間が掛かるかも知れんが、覚えておこう」
「そうしてくれ」

 そう言い合いながら、二人はそう言って静かに過ごす。
 抱き合ったまま、何も言うことなく黙って酒を飲む。
 お互いに薄着であるため、相手の体温がほんのりと感じられ、穏やかな暖かみの中でゆったりと過ごす。

「……椿」

 突如として、将志は椿の名前を呼ぶ。

「ん? 何だ、突然名を呼んだりして?」

 それに対して、椿は穏やかな笑みを浮かべながらそれに答えた。
 その返答に、将志もまた穏やかな笑みを浮かべる。

「……いや、何となく呼んでみただけだ」
「……? どうしたと言うのだ? そんな……」

 恋人に話しかけるようなことを言って。
 そう言いかけて彼女は固まった。
 今現在、椿は将志に抱かれたままであり、双方共にとてもリラックスした状態で会話をしている。
 さて、これを周りから見ればどのように映るであろうか?
 少なくとも、雷禍あたりが見れば「リ  ア  充  爆  発  し  ろ!!」と血の涙を流して絶叫しかねない状況であろう。

「……椿?」

 突如として俯いた椿に、将志はそう言って首をかしげる。
 すると、椿は低い声で言葉を発した。

「……おい、今すぐに離れろ」
「……む? どうしたと……」

 将志はそう言いながら椿を良く観察した。
 すると耳が若干赤くなっており、肩が少し震えているのが分かった。

「……ああ、そういうことか」

 それを理解して、将志は椿を抱く腕の力を強くした。

「なあっ!? こら貴様、私は離れろといったはずだぞ!?」

 すると椿は驚き、顔を跳ね上げて将志に抗議の視線を送った。
 その視線は若干涙眼であり、顔は真っ赤に染まっていた。
 それに対して、将志は余裕たっぷりの笑みを浮かべた。

「……いやなに、顔を赤くして抗議をする椿が可愛らしくてな。つい、からかいたくなってしまったのだ」
「くっ、貴様は子供か!? それからそう簡単に可愛らしいとか言うんじゃない!」
「……事実だと思うが? 少なくとも、俺から見れば椿は可愛らしく見えるぞ?」
「く……ぅ……」

 将志の言葉に、椿は完全に沈黙する。
 気恥ずかしさから次の言葉が出てこず、将志の胸に顔をうずめる。
 そんな彼女の様子を見て、将志はやれやれといった様子で首を横に振った。

「……さては、お前はこの手の言葉を言われることに慣れていないな? そんなことでは先が思いやられるぞ?」
「う、うるさい! 私にそんなことを言うのは貴様だけだ!」
「……ふむ、それは周囲の見る目が無いな。お前のこのような姿、他のものが見ればどう思うかな?」
「なっ……」

 椿は思わずこの場に居る第三者を見やった。
 しかし、その第三者である文は未だに酔いつぶれて伸びていた。
 その他者の目に過敏に反応する椿を見て、将志は思わず声を上げて笑った。

「……はっはっは、そうまで気にすることはあるまいに。たまには愛嬌のある姿のひとつでも見せてやってはどうだ? ちょうど今のような奴をな」
「こ、この……っ!」
「うわっぷ!?」

 椿は突如として近くにあった酒瓶を将志の口に突っ込んだ。
 将志はその中身を飲み干すと、天魔を見返した。

「ぐっ、いきなり何を……」
「うるさい! 黙って酔い潰れて死ねぇ!!」

 椿は涙眼でそう叫ぶと、次の酒瓶を将志の口に突っ込もうとする。

「……この、黙って潰されてはやれん!」
「むぐぅ!?」

 それに対して、将志はカウンター気味に椿の口に酒瓶を突っ込んだ。
 椿は眼を白黒させながら、酒瓶の中の酒を飲み干していく。

「うぐっ……やってくれたな、将志!」
「……先に仕掛けたのは椿のほうだろうが!」

 そして、二人はお互いの名前を呼び合いながら酒を飲ませあうのであった。





 翌日、一人の烏天狗が目を覚ました。

「う~……あいたたた……あれ、ここは……」

 文は周囲を見渡し、自分が置かれている状況を確認する。
 見慣れぬ家であるが、その造りの形からかなりの豪邸であることを察知し、自分の置かれた状況を把握する。

「そうでした……昨日は天魔様に呼び出されて……潰されてしまったんですね、私……」

 文は痛む頭を押さえながら、ゆっくりと起き上がる。
 すると、周囲が異常に酒の匂いに満ちていることに気づいた。

「……それにしても、随分とお酒臭いですね……昨日どれだけ飲んだんでしょうか……?」

 立ち上がって辺りを見回してみると、ふと自分以外の気配に気がついてそちらを眺めた。

「……す~……」
「……ぐ~……」

 するとそこには、将志に覆いかぶさるように眠っている椿の姿があった。
 二人は唇が触れ合うような距離で眠っており、傍から見ればとても仲睦まじく見えた。

「……本当に何が起きたんでしょうかね、これは……」

 文は乾いた笑みと共に頬を描く。
 椿は何処となく幸せそうな表情で将志に抱きついており、将志はどこか誇らしげに椿を受け入れているように見えた。
 そんな二人を見て、文は迷わずカメラを構えた。

「とりあえず、写真でも撮りましょうか」

 文はそう呟くと、カメラのシャッターのスイッチを押した。
 現像されたその写真は、とても良い出来映えであった。



 後日、天狗の里にその写真が流出し、椿が将志と共に羅刹の如き表情で文を探し回ることになるのは余談である。



[29218] 銀の月、呼びかける
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/08 01:49
「さっむいわね……今年の冬はいつまで続くのかしら……」

 博麗神社の一室にて、霊夢は炬燵に足を突っ込んだままそう呟いた。
 炬燵の上には木の器に積まれたみかんが置かれており、霊夢はその中から一つ手にとって皮をむく。
 その身を一かけら口に放り込んで噛むと、口の中に甘みと程よい酸味が広がり、そのみかんが当たりであった事を感じさせる。
 それと同時に、霊夢の口はそのみかんに合う飲み物を求め始めた。
 霊夢は辺りをしばらく見回すと、炬燵の上にべたっと延びた。

「あー……炬燵から出たくないわ……」

 霊夢は憂鬱な声でそう呟くと、炬燵から出てきた。
 こういう時にお茶を淹れてくれる銀月は、今日は紅魔館に行っていて不在である。
 よって、霊夢は自分の手でお茶を淹れなければならないのだ。
 かまどに火を起こし、やかんに水を入れて火に掛け、五月の日付けを移しているカレンダーの隣にある棚から急須と湯飲みを取り出す。
 そこまでやって、霊夢は何か引っかかるものを感じた。

「……あれ、今何か違和感が……」
「ようやく気がついたかい、霊夢?」

 首をかしげる霊夢の後ろから、涼やかな少年の声が聞こえてきた。
 それを聞いて、霊夢は少し嬉しそうな笑みを浮かべてその声の主に振り返った。

「あ、銀月。今日はもう上がりなの? ちょうど良いわ、お茶淹れてちょうだい」
「……あのねぇ……もう五月だぞ? 明らかに異変でしょ、この寒さは」

 霊夢の言葉に、銀月は呆れた表情で頭を抱えた。
 銀月の言葉や棚の横のカレンダーが示すように、もう五月……一般的には春を迎え、初夏に差し掛かろうとする時期である。
 しかし外に広がる景色は一面の銀世界の冬景色である。
 これはもう、誰がどう考えても異変以外の何者でもないのであった。
 銀月の物言いに、霊夢はだるそうに憂鬱なため息を吐いた。

「やっぱりそうよね……ところで、一つ質問があるんだけど良いかしら?」
「ん、なに?」
「何であんた執事姿なの?」

 霊夢はそう言いながら目の前に立つ銀月を眺めた。
 その服装はいつもの白い胴衣袴ではなく、血のように赤い執事服に黒いネクタイといった出で立ちであった。
 その服装は、銀月は今も仕事中であることを端的に示していた。
 霊夢の言葉を聞いて、銀月は苦々しい表情を浮かべた。

「……レミリア様が長すぎる冬に飽きて、霊夢が動かないなら変わりに咲夜さんと一緒に解決しろって言われたんだよ。だから今の俺は紅魔館の執事の仕事でここに居るんだ」
「それじゃあ、何で真っ先にここに来たの?」
「もし、俺と咲夜さんが何の手がかりもなく解決に向かったとして、恐らく何日か掛かるだろうね。その間、俺は君に食事も何も作ってやれないことになる」
「さあ、さっさと解決に行くわよ!」

 銀月の言葉を聞いて、霊夢はそう言いながら外に出ようとする。
 何しろ日々の食事を銀月に完全に依存している霊夢にとって、銀月の存在は生命線と言っても過言ではないのだ。
 その銀月が何日も不在となる事態は、霊夢にとって正に死活問題であるのだ。
 そうとあっては、霊夢もやる気にならざるを得ないのであった。

「あ、その前にお茶飲んでいかない? せっかく淹れたんだし」

 そんな霊夢に、銀月は先程までの苦々しい表情とは打って変わって穏やかな表情で話しかけた。
 その手に握られた盆には、爽やかな香りを立てる緑茶が入った湯のみが三つ並んでいた。

「それならもらっておくわ」

 それを見て、霊夢は素直に頷いた。
 ちょうどお茶が欲しかったところなので、まずはその欲求に従うことにしたのだ。
 二人が台所から居間に戻ってくると、そこにはメイド服に赤いマフラーを巻いた少女が炬燵に入っていた。

「お邪魔してるわよ」

 咲夜は霊夢に気がつくと、その方を向いてそう言った。
 咲夜の前には皮をむかれたみかんが置かれていて、目の前の山から一つ取ったらしいことがわかった。
 それを見て、霊夢は憮然とした表情を浮かべた。

「あんた人のみかんをなに勝手に食べてるのよ」
「買ってきたのもお金を出したのも俺だけどね」
「お黙り」

 文句を言うなり即座に口を挟んできた銀月に、霊夢は少々棘のある口調で釘を刺した。
 要するに、霊夢の発言の意味に従えばみかんは銀月のものになり、それを食べていた霊夢自身も無断で食べていることになるのである。
 流石にそれでは言った本人の立つ瀬がない。
 恨みがましい視線を送ってくる霊夢を無視して、銀月は咲夜の前に湯飲みを置いた。

「はい、お茶どうぞ。緑茶だけどね」
「ありがとう。それにしても、こっちでも普段通りなの?」
「と言うと?」
「仕事の話よ。炊事洗濯掃除とこなしているのかしら?」

 話をしながら銀月は炬燵の中に入り、霊夢もそれに続く。
 咲夜の隣に銀月が座り、銀月の反対側の隣に霊夢が入る。
 銀月は自分の分のお茶を一口飲むと、咲夜の質問に答えた。

「確かにそれは俺の仕事だけど、掃除は毎日はやっていないね。紅魔館ほど広いわけじゃないからその必要はないし。あと仕事といえば弁当屋の仕事くらいかな?」
「お弁当屋さん?」
「あれ、言ってなかったっけ? 自分の生活費を稼ぐために弁当屋を開業してるんだ。といっても、紅魔館じゃあんまり関係ないけどね」

 銀月はそう言って博麗神社での自分の仕事を簡潔に説明した。
 なお、その生活費の一部は霊夢の手に渡っており、博麗神社の貴重な収入源になっている。
 ……とは言うものの、結局生活費の管理を霊夢の分まで銀月が行っているため、大して意味は無かったりする。
 そんな銀月の仕事内容を聞いて、咲夜は銀月の頭を撫で始めた。

「本当に働き者ね、銀月は」
「そうかな? 俺としては、やりたいことをやってるだけなんだけど」
「やっていることは仕事なのだから、働き者で間違いないわ。それよりも、働きすぎで倒れないようにね」
「うん、わかってるよ」

 咲夜の話を聞きながら、銀月は頭を撫でるその手を甘んじて受け入れる。
 銀月としては褒められて悪い気はしない上に、最近段々と撫でられるのが心地良くなってきた部分があるので止めようともしない。
 そんな二人に、横から霊夢が口を挟んだ。

「そんなこと言うなら銀月を返してよ。そうすれば一気に仕事が減るじゃない」
「それを言うならお嬢様に言ってくれる? 私がどうこう言えることじゃないし。けど、お嬢様が数少ない有能な部下を手放すとは思えないけど」

 咲夜は霊夢にそう言って答えた。
 実際紅魔館のレミリアの下には沢山の部下が居るのだが、その大半を占めるメイド妖精は自分の周囲のことで手一杯であり、役に立つかといえば大いに疑問点が残る。
 と言うわけで、レミリアの部下で優秀といえるのは咲夜と(寝ていなければ)美鈴、そして銀月くらいしか居ないのだ。
 要するに、紅魔館は規模の割に深刻な人材不足なのである。

「……それはそうと、いつまで撫でてるのよ」
「あら、銀月の撫で心地が良いものだからつい」

 咲夜はそう言いながらも、銀月の頭を撫でるのをやめない。
 一方の銀月は気持ちよくなってきて、トロンとした目つきになっていた。
 そんな銀月を見ながら、霊夢は首をかしげた。

「そうなの?」
「銀月の髪ってすごく丁寧に手入れされてて、触るととても気持ち良いのよ。あまり目立たないけど、下手をすれば女の子よりも綺麗な髪をしているわよ」

 咲夜は優しく、時折髪を梳くように手を動かして銀月の頭を撫で続ける。
 銀月の髪は見た目にも滑らかなつやがあり、綺麗な黒髪になっていた。
 霊夢は銀月の頭に手を伸ばし、咲夜の手の当たっていない部分に触れてみた。
 すると見た目どおりの滑らかさとしっとりとした潤いが感じられ、心地よい肌触りを得ることが出来た。

「うわ、すごいさらさらじゃない。て言うか本当に気持ちいいわね」
「でしょう? 男の子は滅多に見ないけど、たぶん銀月ほど撫で心地の良い子は居ないと思うわよ」
「……まあ、男で椿油を使って髪を整えている人はあんまり居ないんじゃないかな」

 銀月は二人に撫でられながら、まったりとした表情でそう答えた。
 それは見るからに気持ちよさそうな表情で、例えるのならば顎の下をくすぐられている猫のような表情であった。
 そんな銀月の言葉に、霊夢は思い出した様に言葉を返した。

「そう言えばお風呂場に椿油が置いてあったけど、やっぱりあれ銀月のだったのね」
「そうさ。と言うか、今まで何だと思ってたのさ?」
「銀月の心遣いだと思ってありがたく使わせてもらってたわ」
「……道理で減るのが早かったわけだよ。別にいいけどさ」

 傍若無人な霊夢の態度に、銀月は思わずため息を吐く。
 しかしとても緩んだ表情をしているため、撫でられるのが気持ちよくてため息を吐いたようにしか見えない。
 それでも今までの文脈からそのため息の意味を察して、咲夜は苦笑いを浮かべた。

「なんと言うか……銀月の精神年齢が高い理由が良く分かる気がするわ」
「ちょっと、それどういう意味よ」
「お~い、霊夢! いるか?」

 霊夢が咲夜の言葉にむっとした表情を浮かべたその時、外から元気の良い少女の声が聞こえてきた。
 その声を聞いて、銀月は応対するために立ち上がった。
 ……その表情に後ろ髪を引かれるようなものが少々見受けられる。

「この声は魔理沙だね。ちょっと待って、出てくるから」
「いいわよ。どうせだし、もう外に出ましょ? どうせこのあとのことを言ったら魔理沙もついてくるんでしょうし」
「そう言うことなら私も出るわ」

 銀月に続いて、霊夢と咲夜も立ち上がった。
 二人とも外に出る用意は万端であり、そのまま異変の解決に乗り出すつもりのようである。
 それを見て、銀月は頷いた。

「そう。それじゃ、全員で出ようか」

 銀月はそう言うと、二人と一緒に外に出た。
 するとそこには、モノトーンの服装に赤いマフラーを巻いた普通の魔法使いが立っていた。
 銀月は彼女に対して軽く手を上げて挨拶をした。

「やあ、魔理沙。今日はどうしたんだい?」
「ありゃ、銀月? 今日は仕事だったはずだよな?」

 銀月の姿を見て、魔理沙は首をかしげた。
 それもそのはず、魔理沙はギルバートと共に銀月から仕事の予定を事あるごとに聞いているため、銀月の予定もしっかりと把握しているのだ。
 それ故に、銀月が今の時間に博麗神社に居るということが不思議だったのだ。
 そんな魔理沙に、銀月は笑顔で頷いた。

「ああ、そうさ。だから今この格好なのさ」

 銀月はそう言いながら自分が着ている真っ赤な執事服を指し示した。
 それに対して、魔理沙はもう一つの疑問をぶつけることにした。

「んじゃ、何でここに居るんだ?」
「今日はその仕事の関係でここに居るんだよ。霊夢や咲夜さんと一緒に異変を解決しに行くのさ」
「そう言うこと。それで、魔理沙は何をしにきたの?」

 銀月の後ろから、霊夢がそう言いながら顔を出した。
 すると、魔理沙は苦い表情を浮かべた。

「いや、世間話をかねて遊びに来たんだけど……こういうことならギルも呼んでくれば良かったな」

 魔理沙は銀月の予定を知っていたため、博麗神社には霊夢しかいないと思っていた。
 そのため、必要以上の人間との接触を嫌うギルバートを呼んでいなかったのだ。
 しかし、それを聞いた銀月から思いもよらぬ言葉が聞こえてきた。

「ギルバート? ああ、あいつなら今すぐにでも呼べるぞ?」
「ん? どうやって呼ぶんだ?」

 魔理沙は銀月の言葉に怪訝な表情を浮かべる。
 幻想郷に携帯電話のような便利なものは無い上に、その代替品も出回っていない。
 狼煙のようなものを使ったとしても、事前に何の合図か理解していなければならないので全く使い物にならない。
 魔理沙にはどうやってギルバートと連絡を取るのか全く分からなかった。

「そうだな……それじゃあ、まずは全員俺から離れて耳を塞いでいて欲しい。すごい大声を出すからね」
「ああ、分かった」

 銀月の言葉に頷くと、魔理沙は霊夢や咲夜と共に銀月から離れた。
 そして三人が大幅に離れたところで、銀月は頷いた。

「うん、そこまで離れれば大丈夫かな。それじゃあ耳塞いで!」

 銀月は三人に聞こえるようにそう叫ぶと、大きく息を吸い込んだ。

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!」

 次の瞬間、銀月の口から地面を震わせるような大きな声が飛び出した。

「ひゃっ!?」
「うわっ!?」
「きゃっ!?」

 その声は大気を激しく震わせ、耳を塞ぎ損ねた三人は思わず耳を塞いでその場にしゃがみこんだ。
 大きすぎる銀月の遠吠えは耳ではなく骨に響き、一瞬目の前が真っ暗になるほどであった。
 その声はしばらくの間残響として響き、その後周囲は静寂に包まれた。

「…………」

 銀月は眼を閉じ、辺りの音に耳を澄ませた。

「オオオオオオオオオオオオオオオン……」

 するとしばらくして、遠くからやや高めの遠吠えが返ってきた。
 銀月はそれを聞いて、少し考えてから頷いた。

「お待たせ。ギルバート、すぐに来るってさ」

 銀月はそう言いながら三人のところへと戻ってきた。
 どうやら先程の遠吠えはギルバートのもので、無事に連絡がついたようである。
 そんな銀月に咲夜が頭を押さえながら話しかけた。

「銀月、今のは?」
「人狼の遠吠え。執事の修行をしたのが人狼の里だったし、便利そうだったからついでに覚えたのさ。人狼にしか通じないけどね」

 銀月は咲夜の質問にあっさりとそう答えた。
 それを聞いて、三人は唖然とした表情を浮かべた。
 色々と言いたい事が多すぎて何を言えばいいのか分からなくなったが、霊夢がその気持ちをまとめて言葉に表した。

「……何度も繰り返してきた質問だけど、あんた本当に人間?」
「……何度も言うけど、ちゃんと能力持ちの人間だよ」
「お嬢様は銀月のことを人間とは認めていないけどね。私も銀月を人間だと思うなって言われてるし」

 咲夜の口から強烈な追い討ちが放たれる。
 事実、レミリアは以前銀月が暴走したときの一件のせいで、銀月のことを人間だと本気で考えていない。
 レミリアに紅魔館の住人及び部下の種族と数を聞くと、吸血鬼二名に人間一名に魔法使い一名に妖怪二名に小悪魔一名、それから妖精大勢と、銀月は見事に妖怪扱いされているのであった。

「……ぐすん、みんな酷いや……」

 その非情な現実を知らされて、銀月はその場にしゃがみこんだ。
 すっかりいじけてしまっていて、地面にのの字を書いている。
 やはり銀月にとって、この手の話題は心に負う傷が大きいもののようである。

「あー……まあ、元気だしな? 私みたいな魔法使いだって普通の人間とは違うんだからさ、それと似たようなもんだって」

 いじける銀月を見かねて、魔理沙がそう言ってフォローする。
 すると銀月は少し顔を上げて、泣きそうな表情で魔理沙を見た。

「……そう言ってくれるのは君だけだよ、魔理沙……」
「けど、半分くらい妖怪化してるんだけどね」
「霊夢うううううう! 君には血も涙もないのかい!?」

 情け容赦なくとどめを刺しに来る霊夢に、銀月はそう飛び上がって叫んだ。
 霊夢はと言えば、魔理沙を見て少々気まずい表情を浮かべていた。
 暴走した銀月を見たことがあると将志から聞かされている咲夜はともかく、魔理沙は銀月が妖怪になりかかっていることを知らないはずなのである。
 口を滑らせた、それが霊夢の心境であった。

「ねえ、一つ思ったんだけど……何でそこまで人間に執着するの?」
「はい?」
「だって、別に妖怪になったからって生活に影響が出るわけじゃないじゃない。貴方のお父さんも妖怪だけど、人里の中を平然と歩いてるわよ?」

 唐突な質問に呆けた表情を浮かべる銀月に、咲夜は思ったことを率直に告げた。
 確かに、幻想郷で暮らすに際して人間である必要性は薄い。
 何しろ、人里の中ですら妖怪を見かけることがあるのだ。
 それどころか、人里に暮らしている妖怪すらいる状況である。
 よって、妖怪に変わったとしてもそれほど大きなリスクはないのだ。

「……そりゃ、普通ならそうだろうさ。けど、俺が妖怪化したら間違いなくあれになるんだぞ?」

 しかし、銀月の場合状況は変わってくる。
 銀月の場合、妖怪に化けた場合には妖怪を食らう妖怪、悪名高き翠眼の悪魔になる可能性が極めて高いのだ。

「……ああ、そう言うこと。確かにあれはね……」
「……ええ、私もあれはちょっと思い出したくないわ」

 暴走時の姿を思い出して、嫌な表情を浮かべる霊夢と咲夜。
 美しく輝く翠色の眼と言う視覚に残る特徴を持っており、威圧感もあるため強烈な印象が残っているようである。
 特に咲夜に至ってはその力をその身をもって思い知っているため、若干蒼褪めた表情をしていた。

「だろう? そんなことになったら人間どころか、妖怪にすら怖がられるぞ」

 それを確認して、銀月はそう言った。
 人間に対してはこの威圧感のせいで、妖怪に対しては妖怪を食うという行為のせいで恐れられてしまう。
 つまり妖怪に落ちた場合、銀月は孤独になってしまう可能性があるのだ。

「なあ、何のことだ? 銀月が妖怪になるってどういうこった?」
「……まあ、色々あるのさ。これまた一筋縄では行かない様な事情なんだけどね」

 銀月達の話について来れず首をかしげる魔理沙に対して、銀月は小さく笑って誤魔化した。
 それを見て、魔理沙は少し淋しそうに笑った。

「……そっか。なら深くは聞かないで置くぜ。それにしても、ギルの奴何処に居るんだろうな?」
「人狼の里に居たみたいだから、まっすぐに向かったとしても結構かかるよ。人狼の里って幻想郷の北西部にあるわけだし」
「そんなことまで分かるのか? あの遠吠えで?」
「ああ。微妙に音程を変えたりすれば、今どこで何をしているのかとか、今後の予定とかも結構細かく伝えられるよ」

 人狼の遠吠えは単純な様でいて、複雑に暗号化された信号を遠くに送る繊細な技術である。
 人間の耳にはただの遠吠えに聞こえても、人狼にのみ聞こえる音域の音で詳細な内容を送ることが出来るのだ。
 当然ながら、本来人間に扱えるような技術ではない。

「随分器用なんだな。私にはただ吠えている様にしか聞こえなかったぜ」
「まあそうだろうね。俺も理解するまでは苦労したもの」

 唖然としたような感心したようなといった表情で答える魔理沙に、銀月はそう言って笑う。
 その一方で、やはり理解できないといった表情を咲夜が浮かべている。

「……と言うか、何で理解できたの?」
「ちょっと能力を使いまして、自分の能力の限界を超えてみました」

 咲夜の質問に、銀月は少し得意げにそう答えた。
 要するに、銀月は聴力、発声、理解力などの能力の限界を超えて人狼並みの能力を得ていたのだ。

「……便利な能力ですこと」

 銀月の能力の使い方を聞いて、咲夜はやや呆れ気味にそうもらした。

「おっし、到着だ!」

 そう話していると、猛烈な勢いで境内を滑っていく影が一つ。
 その人影は、金髪で黒いジャケットにジーンズと言う姿であった。
 その人物に銀月は右手を軽く上げて挨拶した。

「やあ兄弟。随分と早い到着じゃないか。人狼の里に居たんじゃなかったのかい?」
「ああ。お前が急いで来いとか言ったおかげで、能力使って全速力の三倍の速度でかっ飛んで来る羽目になったぜ」

 ギルバートは荒い息を整えながら銀月にそう答えた。
 ギルバートの能力は『あらゆるものを貯める程度の能力』である。
 その能力を使って体に力を溜め込み、強力な力を発揮することが出来るのだ。
 ただし、その分の疲れは相応に来るようである。
 その能力の使い方に、銀月は感心して頷く。

「本当に便利な能力だな。と言うか、そんなことも出来るのか」
「便利って言うんならお前の能力のほうが便利だろうが。何処の世界に狼の言葉を理解してしゃべる人間が居るんだよ?」
「ここに居るじゃないか」
「黙れ人外」

 必死に人間アピールをする銀月を一言で黙らせるギルバート。
 心に楔を打ち込まれ、銀月はその場に沈む。
 ギルバートはそれを一瞥すると、若干表情の消えた顔で魔理沙のほうを見た。

「……で、人間が一人増えているみたいだが、何の用だ?」
「今から異変を解決しに行くんだ。ギルも一緒に来いよ」
「はぁ……まあ良いけどな……」

 魔理沙の誘いに、ためらいがちにそう言いながらギルバートは霊夢と咲夜を見る。
 かなり改善されたとはいえ、人間嫌いのギルバートにとってやはり慣れない人間である霊夢や咲夜と一緒と言うのはまだ抵抗があるのだろう。
 そんなギルバートの様子に、魔理沙が呆れ顔を浮かべた。

「なんだよ、霊夢達と一緒なのが嫌なのか?」
「いや、そこまでじゃないが……やっぱ、どうも人間が好きになれないな」
「お前いい加減に慣れろよ。何年私達と付き合ってるんだよ」
「まあ、そうなんだが……」

 呆れ口調の魔理沙の言葉に煮え切らない言葉を返すギルバート。
 そんなギルバートの様子に、霊夢が疑問を持って口を挟んだ。

「人間嫌いねぇ……それじゃあ、魔理沙はどうして大丈夫なのよ?」
「……魔理沙に関しちゃもう早い段階で諦めたからな。ま、付き合って見りゃ悪い奴じゃなかったから良いけどな」

 霊夢の問いかけに、ギルバートは眼をそらしながらもしっかりと答える。
 一応ギルバートも慣れる努力はしているようである。

「……ちょっと、霊夢。今の質問に何で俺が入っていないのさ?」
「何言ってやがる、テメェは論外だ。初めて会って負けてから、俺はお前を一般的な人間の範疇から外してるんだよ」

 その横から銀月が霊夢の質問に対して不満を持って横槍を入れるも、ギルバートによって即座に辛辣な切り返しを受ける。
 それを聞いて、霊夢は心底納得したような表情で頷いた。

「あ、やっぱり人狼から見ても銀月は人の枠から外れるのね」
「……まあな。むしろいつまで人間の皮を被っているのか聞きたいくらいだ」

 霊夢の言葉に、ギルバートは一瞬人間嫌いを忘れて思わず軽口を叩いた。
 その瞬間、銀月の堪忍袋の緒が音を立てて切れた。

「よし兄弟、裏に行こうか」
「良いぜ。今日と言う今日は決着をつけてやる」

 二人はそう言うなり空に飛び上がり、激しい殴り合いを始めた。
 スピードと手数で攻める銀月に対して、力で押してくるギルバート。
 二人の戦いは限界を超えた人間の力と溜め込まれた人狼の力で、段々とエスカレートしていった。


 霊符「夢想封印 集」
 恋符「マスタースパーク」
 幻符「殺人ドール」


 そんな無駄にレベルの高い喧嘩に、残された三人は全力で攻撃を叩き込むことにした。

「ひでぶ!!」
「あべし!!」

 三人の攻撃をまともに喰らい、喧嘩していた二人はきりもみ回転しながら地面に落下した。
 雪の上に倒れて伸びている銀月達に、霊夢達は呆れ顔で近づいてきた。

「全く……あんたらこんなときに何をやってるのよ」
「異変の解決に行く前にここで喧嘩してどうすんだよ!」
「前もそうだったけど、貴方達二人は揃うとすぐに喧嘩になるわね。どうしてかしら?」

 三者三様の言葉を投げかける霊夢達。
 それを聞いて、銀月とギルバートは気まずそうに顔を見合わせた。

「何でと言われても……」
「こいつと一緒に居ると何でかこうなるんだよな……」
「と言うか、喧嘩を止めるのにスペルカード三連発って……」
「どう考えてもやりすぎだろ……」

 二人は先程自分達をフルボッコにした三人に抗議の視線を送る。

「あんたら人外、私達人間よ」
「お前達の喧嘩はこれくらいやらないと止められないんだぜ?」
「それに人狼と銀月なら別にこのくらいやっても平気でしょう?」

 しかしその抗議は取り付く島もなく退けられてしまった。

「ねえ、俺って人狼と同レベルの扱いなの? ちょっとどうなってるの?」

 更に三人の言葉を聞いて、ごく自然に人外扱いされた銀月は周囲にそう訴えた。

「……諦めろ、それがお前の認識だ」

 その銀月に、ギルバートは言葉のナイフで銀月のガラスのハートに非情なる一撃を笑顔で加えるのだった。

「ちくしょー、みんな俺をいじめて楽しいか、こんちくしょー」

 結果、哀れ銀月の心は粉々に砕け散ってしまった。
 膝を抱えて座り込み、涙で自分の両膝を静かに濡らしていく。
 そんな銀月に、咲夜がゆっくりと近づいていった。

「銀月。裏を返せば貴方にはそれほどのことが出来るという期待が掛かっているのよ。誰も貴方を貶しているわけではないわよ」

 咲夜は銀月に優しく声をかけ、そっと頭を撫で始める。
 すると銀月はしばらく黙って撫でられていたが、その内落ち着いたのかゆっくりと顔を上げた。

「……本当に?」
「そうよ。だから落ち込んだりしないの」
「……うん」

 咲夜は宥める様に銀月の頭を撫で、銀月は膝を抱えたまま咲夜の手を静かに受け入れる。
 その様子を、他の三人がジッと眺めていた。

「なあ、なんだかあの二人姉弟みたいに見えないか?」

 魔理沙は咲夜と銀月を見てそう感想を漏らす。
 銀月を撫でる咲夜の様子は、正にいじけている弟を元気付けようとする姉のような姿であった。
 それを聞いて、霊夢は素直に頷いた。

「そうね。どこぞの姉を名乗る妖怪よりもよっぽど姉弟らしいわね」
「……そんなこと言ってるとルーミアさん殴りこんできそうだな」

 霊夢の発言に、ギルバートはそう言って苦笑いを浮かべた。
 普段銀月の姉を公言して止まない宵闇の妖怪が霊夢の発言聞いたら、きっと黙っては居ないだろう。
 そんなことを考えながらしばらく二人の様子を眺めているが、一向に終る気配がない。
 咲夜はただひたすらに銀月の頭を撫で、銀月はそれを黙って受け続けている。

「それはそうと、いつまで続けてるんだ、あれ?」
「止めないといつまでも続きそうだな」
「……止めてくるわ」

 霊夢が止めに入って、ようやく咲夜は撫でることをやめるのであった。




「さてと、そろそろ行くとしましょうか」

 ようやく全員が纏まったところで、霊夢が周りにそう声をかける。

「そうだね。もう出るって言ってから随分時間経ってるし」
「早く終らせないとお嬢様に迷惑が掛かるものね」

 すると銀月が腕時計を確認しながらそう言い、咲夜も時間を気にしながらそう口にした。 

「まあ、さっさと終らせるに限るな。いい加減雪景色も飽きたことだしな」
「そうだな。んじゃ、行くぜ!」

 ギルバートに同意した魔理沙の言葉を皮切りにして、一向はとりあえず出発することにしたのだった。



[29218] 妖々夢:銀の月、数を競う
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/08 01:49
 異変の解決の乗り出した一行は、雪景色の幻想郷の空を飛んでいく。
 その寒々とした空に、異変を感じ取って暴れだした妖精達が多く屯している。
 妖精達は興奮状態であり、他の者の姿を認めると一斉に襲い掛かってくるので危険である。

「……退屈だぜ」

 しかし、一行の一員である魔法使いの少女は退屈そうである。
 魔理沙の周りには暴れる妖精はおろか、弾丸の一つも飛んできていない。
 彼女は欠伸をかみ殺しながら、進行方向を眺めた。

「はああああああああ!!」
「でやあああああああ!!」

 そこには、激しく動き回る二人の少年の姿があった。
 片方は黒髪に赤い執事服姿、もう片方は金髪に黒いジャケットとジーンズ姿である。
 その二人、銀月とギルバートは襲い掛かってくる妖精達を目に付いた者から手当たりしだいに撃ち落していた。

「元気ね、あの二人」
「そうね。おかげで楽でいいわ」

 その様子を見て、咲夜と霊夢がそう呟いた。
 咲夜はあとで息切れしないかどうかを心配しながら冷静に観察し、霊夢は極めて楽観的に眺めている。
 その二人の横から、魔理沙の大きなため息が聞こえてきた。

「でも、これじゃあ私達がついてきた意味がほとんど無いじゃないか。せっかく新しい魔法の実験が出来ると思ったのにな……」
「そんなことを言うのなら混ざってくれば? 私は止めないわよ?」
「あんな殺気立ったところに割り込んだらうっかり撃墜されかねないぜ。見ろよ、あの二人を」

 魔理沙はそう言いながら前を飛んでいる男二人を指差した。

「あ、それ俺が狙ってたのに!」

 銀月は銀と翠の弾幕で妖精達を撃ち落していく。
 自分の射線から外れたところに敵が出てくると、、自分の周りに浮かべている銀のタロットで追尾して撃ち落している。
 その戦い方は素早い動きで相手を翻弄して戦う、戦闘機のような戦い方であった。

「うるせえ、こういったのは早いもん勝ちだろうが!」

 一方のギルバートは金と青の弾幕を広い範囲に展開して妖精達を撃ち落す。
 銀月が射線を調節して制圧していくのに対し、こちらは弾幕と巨大な衝撃波を用いて面で制圧していく。
 その戦い方は相手を圧倒する物量で戦う、戦艦のような戦い方であった。

 どちらの攻撃もかなり苛烈で、うっかり近づくと巻き込まれかねない状況であった。
 そんな二人の様子を見て、咲夜は乾いた笑みを浮かべた。

「どっちが多く妖精を倒せるか勝負しているしね……あれ、途中で止めても絶対に止まらないと思うわよ。銀月って意外と頑固だし」
「それに関しては同感ね。うちに居ても仕事か修行しかしてないし、私の言うこともあまり聞いてくれないのよね……少しは休めって言うのに」
「それじゃあ、せめて家の中ぐらい仕事を代わってやれよ。霊夢が家事を少しでも受け持てば銀月が休めるじゃないか」

 霊夢の物言いに魔理沙は少し責める様にそう言った。
 魔理沙は霊夢が銀月に家事を全て任せている現状を、かなり憂慮しているようである。
 しかし、霊夢はそれに対して首を横に振った。

「ダメ、そんなことしても修行量が増えるだけよ。それなら家事をしていたほうがずっと疲れないわ。銀月ってば、よっぽど強く釘を刺さないと仕事か修行しかしないんだから」
「そうね。こっちでも仕事の休み時間は修行してるかメイド妖精達にお菓子を作っているかで、ちっとも休んでくれないもの。おかげでメイド妖精には懐かれてるけど」

 ため息交じりの霊夢の言葉に咲夜は共感する。
 銀月は家では家事に弁当屋の仕事に修行、紅魔館では通常業務に同僚へのサービスに修行と、忙しい日々を送っている。
 しかもその間に休憩を取っている様子は見られない。
 そこで霊夢も咲夜も休憩を取るように促すのだが、銀月は一向に休もうとしないのである。
 もっとも、銀月は自分の能力のおかげで普段の仕事疲れ程度であれば一分程度で全快してしまうので、その必要は無いと考えているようであるが。

「……でもそんなこと言って、銀月に家事を全部してもらえてラッキーとか思ってないか?」
「あーあー、きこえない」

 魔理沙の追及に、霊夢はそう言いながら耳を塞いだ。
 やはり何だかんだ言っても、霊夢が日々の生活を銀月にかなり依存しているのは否めないのである。
 すると、ふと思いついたように霊夢が話を切り返した。

「そう言えば、あんたとギルバートはどんな関係なのよ? 二人でつるんでるのを良く見かけるけど?」
「ギルか? まあ、色々だぜ」
「色々って何よ?」
「一緒に魔法を研究したり、遊んだりしてるぜ。ひっくるめて言えば仲間だな」

 魔理沙とギルバートは一緒に居ることが比較的多い。
 人里では魔理沙がギルバートを引き回しているのがよく見受けられ、魔理沙の家に二人でいることも多い。
 逆に人狼の里にギルバートが魔理沙を招待したり、城の図書館で研究をすることもある。
 そんなこんなで、魔理沙とギルバートの仲が良いのは周知の事実なのである。

「仲間ねえ。そんなこと言って色々とこき使ってるんじゃないの?」
「お前と一緒にされちゃ困るぜ。食事は一緒に作ってるし、魔法の材料だって集めるときは一緒だぜ。まあ、掃除だけはあいつが手伝わせてくれないけどな……」
「ぐぬぬ……」

 ささやかな反撃をあっさりと躱され、霊夢は悔しげに魔理沙を睨む。
 実際には魔理沙が率先して動くのをギルバートがアドバイザーとして、もしくはその逆の立場で支えあっているのだ。
 霊夢と銀月の関係に比べれば、間違いなく良好な関係であると言えるだろう。
 そんな霊夢と魔理沙の話を聞いて、咲夜が口を挟んだ。

「ねえ、貴女ギルバートと一緒に住んでいるの?」
「はぁ? 何でそうなるんだ?」
「だって、一緒に料理を作るってことはかなり長い時間一緒に居るんでしょ? だから同居してるのかなって」
「まあ遅くなったときは泊めたりしてるけど、一緒に住んでるわけじゃないぜ。あいつも何だかんだでお偉いさんのお坊ちゃまだし、色々と忙しいみたいだからな」
「忙しいねえ……その割には、よくうちに来て美鈴と手合わせするのを見るわよ? 三日前も銀月が美鈴とギルバートが門の横で仲良く寄り添って寝ていたのを見たって言ってたし」

 咲夜は口元に人差し指を当てて思い出すような仕草をしながらそう言った。
 紅霧異変の後、ギルバートは頻繁に紅魔館を訪れ、美鈴に手合わせを申し込んでいた。
 今のところ経験豊富な美鈴がギルバートを押さえ込んでいるようで、大概ボロボロになったギルバートが疲れ果てて門の壁に寄りかかるのだ。
 そしてサボり癖のある美鈴がその横に座ってお互いに寄りかかっている間に眠ってしまい、美鈴は咲夜や銀月に怒られることになるのであった。
 それを聞いて、魔理沙は唖然とした表情を浮かべた。

「はぁ!? 何だ、外せない用事ってそれのことかよ!? てっきりもっと大事なことかと思ってたのに!」
「何かする予定だったの?」
「あ、いや、ただ一緒に遊ぼうかなって思っただけなんだけどな?」

 咲夜の問いかけに、魔理沙は少し居心地が悪そうにそう答えた。
 それを聞いて、霊夢がニヤリと笑った。

「や~い、ふられんぼ」
「しょっちゅう銀月にふられまくってる霊夢には言われたくないぜ」

 霊夢の冷やかしに、魔理沙は不機嫌そうに答えるのだった。



 女子三人が平和に話している一方、前方では未だに銀月とギルバートが妖精の撃墜数を競っていた。
 金銀青翠の弾幕が入り混じり、周囲の妖精達を一方的に蹂躙していく。
 そのあまりの入り乱れぶりは、もはや争っている二人がきちんと撃墜数を数えられているかどうかすらも怪しいものだった。

「こらテメェ、俺の邪魔するんじゃねえ! 撃ち落されたいのか!?」

 突然前にやってきた銀月に、ギルバートはそう怒鳴った。
 ギルバートの放つ弾幕に銀月が突っ込んできたのだ。

「狙っても無いのに君の弾幕に当たるほど俺は鈍くないさ。そんなことより良いのかい? 俺のことを気にしてると、君の分まで取ってしまうぞ?」

 そんなギルバートに対して、銀月はギルバートの弾幕をするすると掻い潜りながら獲物を横取りしていく。
 その声色には余裕すら感じられ、ギルバートを挑発するには十分な威力を持っていた。

「良い度胸だ……撃ち落されて泣いても知らねえぞ!」

 ギルバートはそう言うと弾幕を厚くし、衝撃波の数を増やした。
 その中には明らかに銀月を狙ったと思われるものもあった。

「うわっ!?」

 銀月は自分に向かって迫り来る巨大な金の衝撃波を紙一重で躱す。
 衝撃波は銀月の髪を掠め、遠くへと飛んでいった。
 それを確認すると、銀月はギルバートを睨んだ。

「おい、ギルバート! 今俺のことを狙っただろ!」
「ああ、すまないな。うっかり妖精と勘違いして撃っちまったぜ」
「……この……」

 怒鳴りつける銀月に、ギルバートはニヤニヤと笑いながらそう答えた。
 銀月はそれを見て、肩を震わせながら札を取り出した。
 するとその瞬間、銀月の目先を氷の弾丸が通り過ぎていった。

「……っ!?」
「見つけたよ、銀月!」

 横から少々幼い子供の声が聞こえてくる。
 銀月がその方を見ると、そこには水色の髪に青い服を着た小さな妖精がいた。
 その氷の翅をもつ妖精は、銀月のことをじっと見つめていた。
 それを見つめ返す銀月に、ギルバートが話しかけた。

「他の妖精よりは強そうだが、知り合いか?」
「ああ。どうやら俺に用があるみたいだ。他は任せるぞ、兄弟」
「ああ。行って来い、兄弟」

 銀月はギルバートとそう言い合うと氷の妖精、チルノの前にやってきた。
 チルノは腕組をしながら銀月が目の前に来るのを待つ。

「やあ、久しぶりだね、チルノ。俺に何か用かな?」
「ここであったが百年目、あたいと勝負しろ!」

 チルノは銀月を指差して力強く言い切った。
 それを聞いて、銀月は苦笑いを浮かべた。

「えっと……今じゃなきゃダメ?」
「ダメだよ。夏のあたいに勝ったからっていい気になってんでしょ! あたいは冬の方が強いんだから!」
「う~ん、今仕事中なんだけどな……」
「あ、そうだ。そういえば手紙を預かってたんだっけ。はいこれ」

 困った表情で頬をかく銀月に、チルノはポケットから折りたたんだ紙を取り出した。

「手紙? いったい誰が……」

 銀月はそれを受け取ると、開いて中を見た。
 紙はノートの切れ端のようで、そこには子供っぽい鉛筆書きの文字が書かれていた。

『銀月へ

    逃げたりしたら根性鍛え直しに行くから覚悟しな

                          アグナ』

 その短い手紙の内容に、銀月の顔はどんどん蒼褪めていく。
 何故なら、銀月の家族の一人であるアグナがこれを言っていることに問題があるからである。
 アグナはとても熱い性格であり、負けたりすることが大嫌いである。
 特に逃げるという行為は殊更嫌っており、余程の事が無ければ逃げることは許さないのだ。
 そしてあまりにも根性が曲がっていたり足りない等と判断されると、アグナはそれを自ら叩き直しに来るのだ。
 銀月は一度アグナの逆鱗に触れた妖怪がそれを受けるのを見たが、そのあまりの苛烈さに直視できなかったのを思い出した。

「あれ? 顔真っ青だけど大丈夫?」
「……ごめん、チルノ。どうやら俺は君と戦わなきゃいけないみたいだ」

 心配そうに顔を覗き込むチルノに、銀月は力の篭った視線を向ける。
 それを見て、チルノは満足そうに頷いた。

「そうこなくっちゃ! 銀月倒して最強になってやるんだから!」
「悪いけど、ここで負けてあげるわけには行かない!」

 そう言うと同時に、チルノと銀月は激しい弾幕合戦になった。
 チルノは青白い氷の弾丸を放ち、銀月は銀と翠の弾丸を浴びせる。
 その弾幕を縫うように飛びながら、二人は攻撃のチャンスをうかがう。

「まずはこっちから行くよ!」

 チルノはそう言うと、スペルカードを取り出した。


 氷晶「フローズンクリスタル」


 チルノがスペルを宣言すると、チルノの周りから再び青白い氷の弾丸が飛び出し、銀月の周囲に散弾のように飛んでいった。
 その密度は以前のものよりも薄くなっており、銀月はそれを見て首をかしげた。

「……随分とまばらな弾幕だな……と言うことは二段目が来るっ!?」

 銀月は冷静に分析をしていたが、突然表情が驚いたものに変わった。
 銀月は自分の頬に手をやる。
 すると、そこは氷が触れた後のように冷たかった。
 頬を掠めた弾丸を知覚出来なかった。
 その事実は、銀月の頭を軽く混乱させていく。

「……何だ? 今、被弾しかけたのか?」

 銀月は眼を見開いたままチルノを見やる。
 すると、チルノは銀月の顔を見て得意げに胸を張った。

「どうだ! これがアグナとの特訓の成果だ!」

 チルノはそう言いながらも次々と弾幕を展開していく。
 再び青白い弾幕が銀月をめがけて飛んでくる。
 銀月はその弾幕をじっと見つめ、攻撃の正体を見破ろうとする。

「……っ!?」

 銀月はとあるものに気がつき、素早く身を躱す。
 すると、目の前を色の無い何かが通り過ぎていった。
 それを見て、銀月の額に軽く冷や汗が浮かんできた。

「……透明度の高い、見えづらい氷の弾丸か……なかなかに厄介だな」

 銀月は透明な弾丸の正体に気づき、そう口にした。
 眼に見えないチルノの弾丸は、普段の氷を恐ろしく透明度の高いものにしたものであった。
 チルノはアグナとの厳しい特訓によって、力の制御を巧みなものにしていたのだ。
 そしてその結果、見えづらく避けにくい透明な弾丸を撃つことを覚えたのであった。
 銀月は青白い弾幕の中を、水晶の様な見えない弾丸に気をつけながらすり抜けていく。
 気を抜くと見過ごした透明な弾丸を受けてしまうため、銀月は攻撃を中止して細心の注意を払う。

「そらそら! 避けてばかりじゃあたいには勝てないよ!」

 チルノは避けることに専念している銀月を挑発する。
 銀月はそれを聞きながらも、段々と冷静さを取り戻していった。

「ああ、その通りだ。けど、君は随分と強くなったらしい。おかげで少し混乱したよ」
「ふふん、そうでしょ! 降参する?」
「いいや。そんなことしたらアグナ姉さんに怒られる。それにね」

 銀月はそう言うと、スペルカードを取り出した。


 魔術師「マジシャンズタロット」


 銀月がスペルを発動させると、銀のタロットが銀月の周りを取り囲んだ。
 それを見てチルノが身構えると同時に、銀月は強い意志を持った眼をチルノに向けた。

「執事たるもの、常に主君を背負うものと知れ。この執事服を着ている以上、みっともない真似は出来ないのさ!」

 そう言うと、銀月はチルノに攻撃を仕掛けていった。



「お、銀月がスペルカードを使ったな。それなりに強いのが出てきたみたいだぜ」

 スペルカードを使う銀月の様子を見て、魔理沙が興味深そうにその様子を見ていた。
 その横で、霊夢と咲夜が首をかしげている。

「あれ、銀月ってあんなスペルカード持ってたっけ? いつもはもっと違うやつだった気がするんだけど?」
「そう言えばそうね。たしか前に見たときはもっと和風な名前だったし……」
「そうなのか? じゃあ、後で銀月に聞いてみようぜ」

 魔理沙がそう言うと、二人は頷いた。
 そして再び前を見る。

「おらおらおらおら!!」

 ギルバートは、前方からやってくる妖精達を一人も漏らさんと言わんばかりに弾幕を敷く。
 弾丸の嵐は妖精達を確実に捕らえ、纏まっている妖精達は巨大な衝撃波でまとめて一回休みにさせられていく。
 妖精達は、ギルバートと言う壁にぶつかって誰一人としてその向こう側に行けなかった。

「これならどうだぁ!」
「おっと、まだまだ!」

 銀月はチルノの攻撃を避けながら、発動させたスペルで攻撃していく。
 銀のタロットがチルノに向かって飛んでいくと、タロットはその数を増やしながら緩やかに追尾していく。
 これによって、チルノは追いかけてくる銀のタロットを振り切るために動き回らなければならなくなった。
 それに負けじとチルノも青白い弾丸と透明な弾丸を複雑に組み合わせて攻撃を仕掛けていく。
 二人の戦いは激しさを増していく一方であり、第三者が入り込む余地は無い。

 そう言うわけで、相も変わらず女子三人は暇なのであった。

「……それにしても、本当にやることがないな」
「楽できるのは良いけど、体が冷えるのは問題ね」
「そのためには、まずは黒幕を探さないといけないわね」

 三人がそう話していると、何処からとも無く人影がやってきた。

「くろまく~」

 その気の抜ける声と同時にやってきた人影は、白い髪に白い帽子、青と白を基調とした服の女性であった。
 冬の妖怪、レティ・ホワイトロックっである。
 その人影を見て、三人は一斉に構えた。

「出たな黒幕」
「それでは早速」
「さっさと退治されなさい」
「ちょ、ちょっと待って! 私は黒幕だけど、悪くない黒幕よ!!」

 早速退治しようとする三人に、黒幕を名乗ったレティは慌ててそう言った。
 それに対して、霊夢が冷たい眼を向ける。

「あんた冬の妖怪でしょ? あんたが居なくなってくれれば少しは春が近づくんじゃないの?」
「それは少し乱暴すぎるわよ。私は冬の寒さが好きなだけ。自然に逆らって寒くするのは趣味じゃないわ」

 霊夢の言葉に弁明するレティ。
 すると今度は魔理沙が怪訝な表情を浮かべる。

「そうなのか? けど、お前が居るといつもより余計に寒くなる気がするんだけどな?」
「私は寒いところが好きなの。だから自分の周りを寒くするのは当然じゃないの」
「つまり、やっぱり貴女が黒幕ってことでいいのね」

 咲夜はそう言いながらナイフを取り出す。
 それを見て、レティは再び慌てだした。

「だからちょっと待ってよ! 私は寒い冬をもっと寒くしてるだけで、春が来ないようにしてるわけじゃないんだってば!」

 レティは必死に弁明をする。
 軽くちょっかいを出すだけのつもりだったのに、気がつけば何か物騒な方向に話が転がってしまってかなり涙眼になっている。
 そんなレティの必死さが伝わったのか、三人は少し考え出した。

「そうね、それが本当なら貴女を退治しても春は来ないわよね」

 咲夜はレティの言葉を聞いて、そう解釈する。

「って言うか、第一本当にこの異変の黒幕なら自分から出てこない気がするぜ……」

 魔理沙はレティが目の前に現れたという事象から、そう判断する。

「まあ、二人が言うことも一理あるわね。あんたを退治しても春が戻るって言う確証は無いわけだし」

 霊夢は魔理沙と咲夜の言い分を聞いて、そう口にした。
 三人の言葉を聞いて、レティはホッと胸を撫で下ろした。
 が、何故か自分が取り囲まれていることに気がついて顔を引きつらせた。

「あ、あの……どうしたの?」

 レティは恐る恐る三人に声をかけた。
 すると、三人は軽く目配せをすると口を開いた。

「だって、貴女の言うことが本当かどうかは分からないし……」

 咲夜はそう言いながら、再びナイフを構える。

「自分からのこのこ出てくるような馬鹿な黒幕が居るかも知れないしな」

 魔理沙はそう言いながら、ミニ八卦炉を取り出した。

「確証は無いけど、あんたを退治すれば春が戻るかもしれないじゃない。それに何より……」

 霊夢は札を取り出しながらそう言う。
 そして、三人揃って口を開いた。

「貴女を退治すれば少しは暖かくなるかもしれないわ」
「お前を退治すれば少しは暖かくなるかもしれないぜ」
「あんたを退治すれば少しは暖かくなるかもしれないじゃない」

「いやああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 その後、レティが壮絶ないじめを受けたのは言うまでもない。





 レティが散々な目に遭っている頃。

「っと、ここら辺の妖精はこれで仕舞いか? 案外楽だったな」

 ギルバートは辺りを見回すと、大きく伸びをしながらそう言った。
 大暴れしてすっきりしたのか、その表情はとてもすっきりしたものである。

「きゃっ!?」
「そこまでだ。少しでも抵抗すると君は一回休みになるぞ」

 氷の剣を握っているチルノの首に、銀月は銀のタロットを突きつける。
 二人の周りには銀のタロットが多数浮かんでおり、チルノは完全に銀月の手中に落ちているようであった。
 自分の置かれている状況を理解して、チルノは悔しげな表情を浮かべた。

「うぐぐぐぐ……あーもう! また負けた!」
「悪いね。けど、随分と強くなったな。何度か危なかったよ」
「でも銀月には負けたし、ルーミアにも勝てなくなった! 何で勝てないのよ!!」
「そりゃあ、俺もアグナ姉さんや父さん達に何年も鍛えられたからなぁ。と言うか、今のルーミア姉さんに勝てたらすごいって。俺でも勝てないし」

 癇癪を起こすチルノに、銀月はそう語る。
 ルーミアの封印が緩められて以来、チルノも銀月もルーミアに勝てなくなってしまっている。
 その事実を知って、チルノは意外そうに首をかしげた。

「え、そうなの?」
「そうさ。元々ルーミア姉さんはすごく強い妖怪だったって話だし」
「……あんな馬鹿っぽいのに?」

 チルノは信じられないといった表情で銀月にそう問いかけた。
 それを聞いて銀月は少し固まった後、苦笑いでそれに答えた。
 ぶっちゃけたところ、フォローする言葉が見つからなかったのだ。

「あはははは……そうだ、どっちが先にルーミア姉さんに勝てるようになるか勝負しよう。ルーミア姉さんに先に三回勝った方が勝ち。どうかな?」
「いいわよ、やってやろうじゃない! よーし、今度こそあたいが最強だってこと証明してやるんだから!」
「そうだね。俺も負けないように修行しないと」
「あたいも負けないよ! アグナに修行つけてもらってくる!」

 チルノは銀月の言葉に意気込むと、銀の霊峰に向かって一直線に帰っていった。

「ああ、頑張ってな」

 銀月はその後姿に、笑顔で声をかけるのだった。




「向こうも終わったみたいだな」

 男二人を見て、魔理沙が少しすっきりした表情でそう言った。
 ちなみにその犠牲となったレティは、地面に積もった雪の中に埋もれている。

「そうね。あれだけ暴れまわって体力持つのかしら?」

 男二人を見ながら、咲夜が先のことを考えてそう疑問を投げかけた。
 まだ出発してから一時間も経っていないのだから、心配にもなるだろう。

「銀月なら大丈夫よ。無駄に体力があるんだもの」
「ギルもあの様子じゃ当分は平気だと思うぜ?」

 しかし心配する咲夜とは対照的に、霊夢と魔理沙は楽観的な答えを返した。
 それを聞いて、咲夜は首をかしげた。

「……男の子ってそんなに元気なものなの?」

「だって、銀月だし」
「だって、ギルだぜ」

 咲夜の問いかけに、霊夢と魔理沙はそれぞれ断言するようにそう言った。
 そこにはそれなりに長い間付き合ってきて生まれた、ある種の信頼の様なものが存在した。

「何でこれで納得できるのかしら……」

 二人の言葉を聞いて、納得できてしまった咲夜は乾いた笑みを浮かべながらそう言うのだった。
 ちょうどその時、ギルバートが銀月に話しかけていた。

「勝負は俺の勝ちだな! お前があの氷の妖精に手間取ってる間にしこたま稼いだからな!」
「何を言ってるのさ! チルノはどう見たってそこいらの妖精二~三百人分はあるぞ! 勝負は俺の勝ちさ!」
「うるせえ、元々数で勝負してんだ、数で言うんならどう見たって俺の勝ちじゃねえか!」
「君ねえ、恥ずかしくないのか!? ただの妖精とチルノ、力の差が歴然なのは君にも分かるでしょ!? それにああいうボスキャラは得点が高いんだから、点数で見れば俺の勝ちだ!」

 相手に負けたくないと言う一心で、激しく言い合う銀月とギルバート。
 お互いに一歩も引かず、話は平行線をたどる。
 しばらくすると、お互いに急に静かになった。

「ちっ、意地でも負けを認めねえか……」
「君こそ負けを認めたらどうだい?」

 無言でお互いに相手を見つめ続ける二人。
 そしてしばらくすると、お互いにニヤリと笑った。

「……良いぜ、こうなったら直接対決だ!」
「ああ、やってやろうじゃないか!」

 二人はそう言い合うと、激しい戦闘を始めた。
 先程まで妖精に向けられていたものが、今度は仲間であるはずの相手に向かって飛んでいく。
 しかもヒト一人分と言う狭い範囲に集中しているため、先程とは比べ物にならないほど激しく弾幕が降り注ぐ。
 その上、先ほど妖精達には使っていなかった近接格闘まで用いているのだからもう滅茶苦茶である。
 結果として、先程競争していたとき以上の大喧嘩が始まったのであった。

「……また始まったよ……」
「……ちょっと元気すぎるわね」
「……さっさと止めるわよ」

 女子三人はため息をつきながらそう言うと、スペルカードを取り出した。


 霊符「夢想封印 散」
 恋符「マスタースパーク」
 幻符「殺人ドール」


「あわびゅ!!」
「ちにゃ!!」

 女子達の怒りの一撃を受けて、雪原に二体のスケキヨが誕生した。



[29218] 妖々夢:銀の月、誤解を受ける
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/08 01:50
 冬の妖怪を酷い目に遭わせた一行は、更に先へと進んでいく。
 妖精達は先程まで馬鹿二人が暴れまわったせいか、数えるほどしか出てきていない。

「何ていうか、物足りないな。あいつら派手に暴れすぎだぜ」

 箒に乗ったモノトーンの服の少女が、飛んでくる妖精を軽くあしらいながら退屈そうにそう呟く。
 その少女こと魔理沙の視線の先には、大人しくさせられている男二人の姿があった。
 二人とも雪まみれで、少ししょげた様子で後をついてきていた。

「まあ、否定はしないわ。やることがないと体も冷えるし……」

 魔理沙の呟きに答えたのは、銀髪のメイド。
 咲夜は少しでも体を温めようと目に付いた敵にナイフを投げているが、いかんせん数が少なすぎて効果が薄い。
 なお、その後ろで雪によって体が冷え切って震えている男二人のことは全く気にも留めていない。

「さっきの妖怪を相手にしても準備運動にすらならなかったものね。おまけに春も戻ってこないし、嫌になるわね」

 だるそうに言葉を継ぐのは、紅白の巫女。
 霊夢もまた退屈そうに散発的に現れる妖精達を相手にして、ため息をついている。
 なお、男二人はその後ろから肩身が狭そうに付いて来ているのであった。

「あの~……皆さん?」

 そんな中、血のように赤い執事服を着た黒髪の少年が口を開いた。
 その銀月の言葉に、全員揃ってその方を向く。

「何よ銀月、言いたいことでもあるわけ?」
「あのですね、何で私達はこんなことになってるんでしょうか?」
「そりゃ、お前達が暴走したからに決まってるぜ」

 トーンの低いドスの聞いた霊夢の問いかけに、銀月は少し遠慮がちにそう問いかける。
 すると、魔理沙が冷ややかな視線を送りながらそれに答えた。
 それを聞いて、黒いジャケットを着た金髪の少年が仕方なさげにため息をついた。

「……まあ、俺達が暴走したのは悪いと思ってる。だけどな、俺達が言いたいのはそう言うことじゃない」
「じゃあ、どういうこと?」

 ギルバートの言葉に咲夜が首をかしげる。
 その咲夜の反応を見て、銀月とギルバートは目を見合わせてため息をつき、揃って口を開く。

「何で俺の首に首輪がついてるのさ?」
「何で俺の首に首輪がついてるんだ?」

 そう話す銀月とギルバートの首には、それぞれ赤と青の首輪がついていた。
 更にその首輪は紐に繋がれており、その紐の先はそれぞれ霊夢と魔理沙に握られていた。
 とどめに首輪の金具の部分には小さな錠前がかかっており、自分の手では開けられないようになっていた。
 男二人をまるで飼い犬のように扱っているその様子は、見る人が見ればかなり妖しい光景に見えるものであった。

「だって、ほっといたらあんた達また暴れるじゃない。出発前とついさっき、一時間も経ってないのにもう二回も喧嘩したのを忘れたとは言わせないわよ?」

 しかしそんなことは気にも留めず、霊夢はばっさりとそう言って斬って捨てた。
 些細なことで争いになり周囲に二度も迷惑をかけたことは、男二人にとっては言い逃れの出来ない事実である。
 だが、それでもギルバートは食い下がるべく口を開いた。

「だからって、この仕打ちはあんまりだろ!? 俺たちゃ犬か!?」
「勝手に暴れださないだけ犬の方がまだマシだと思うぜ?」
「うぐはっ!?」

 魔理沙からの強烈なカウンターを受け、ギルバートがその場に沈む。
 人狼と言う種族の関係でただでさえ犬呼ばわりされかねないギルバートにとって、その言葉は一撃必殺の威力を持つものであった。
 犬呼ばわりされることを嫌う人狼が犬以下と言われたのだから、心に受けた傷は計り知れない。

「犬以下って……酷い……」
「そう思うんなら、せめて犬並みになって見なさいよ。ただ喧嘩しなければいいだけじゃない」

 あまりの言い草に肩を落とす銀月に、霊夢がそう言葉を投げかける。
 それに対して、銀月は抗議の視線を送る。

「……だからって、やっぱりこれはあんまりだと思うけどね……」
「そうは言っても、毎回スペルカードを使われるよりはマシでしょう? それに、正直今の貴方には信用がないわ。いつでも止められるようにこうされても仕方が無いと思うわよ?」

 首輪についた真鍮の錠前をいじりながらの銀月の言葉に、今度は咲夜が冷静にそう答える。
 すると再び銀月は力なく肩を落とした。
 咲夜の言い分に反論することが出来なかったのである。
 しばらくして、銀月は何かを諦めた表情で顔を上げた。

「……ところで、何処から首輪なんて出てきたのさ……紐は俺の収納札にあった奴だと思うけど、首輪なんて持ってなかったはずだぞ?」
「あ、それは私が持ってたのよ」

 銀月が質問をすると、咲夜から答えが返ってきた。
 それを受けて、銀月はじとっとした眼で咲夜を見た。

「……なんで首輪なんて持ってたのさ?」
「お嬢様の指示よ。あんまり言うことを聞かない様だったら、これを使って自分の立場を思い出させなさいって」

 銀月の質問に対して、咲夜はそう説明した。
 咲夜の直接の主であり、銀月の主であるフランドールの姉であるレミリアは非常にプライドが高い。
 それ故に理由もなく自分の命令に背くようなことに関しては厳しく対応し、逆らう気が無くなる様に仕向けるのだ。
 銀月の首についている首輪も、その罰則の一環の様である。
 それを聞いて、銀月は苦い表情を浮かべた。

「それじゃあ、何で二つ持ってたのさ?」
「ああ、一つは美鈴のよ。使ったところで意味が無いから、まず使われることはないでしょうけど」

 咲夜はそう言って大きくため息をついた。
 何故なら、美鈴の場合はそれを使ったところですることが変わらないからである。
 どうやら美鈴の睡魔は吸血鬼などよりも余程強力なものらしい。
 そんな現状を知って、自らも美鈴の勤務態度に頭を悩ませている銀月も大きくため息をついた。

「……それはそうと、これを自分で外したらどうなるのさ?」
「お嬢様が直々に罰を与えに来るわよ。それに鍵はお嬢様しか持っていないから、勝手に外すとすぐにばれるわ。壊すなんて以ての外よ」

 咲夜は銀月の質問に淡々と答える。
 それを聞いて、銀月は背筋にぞくりと冷たい感覚を覚えた。
 絶対にろくな事にならない、銀月の勘はそう告げていた。

「……ちょっと待った。と言うことは、紅魔館に帰るまで首輪をつけっぱなしにしないといけないのかい?」
「そう言うことになるわね。ああそうそう、ピッキングとかしてもダメよ。私が報告すればすぐにばれるから」
「うぐっ……」

 咲夜に指摘されて、銀月は言葉を詰まらせた。
 銀月の手には細い針金が握られており、今まさにピッキングをするところであった。

「な、何でそんなに厳しいのさ?」
「だって、お嬢様が首輪をつけた銀月を見てみたいって言ってたし」

 厳しい仕置きに銀月が思わず問いかけると、咲夜は少々苦笑いを浮かべてそう答えた。
 要するに銀月が首輪をつけることになったのは、自尊心を満たしたいレミリアの趣味のせいであった。
 それを知って、銀月は唖然とした表情を浮かべた後で全ての力が抜けたようにがくりと頭を垂れた。

「イマニミテロヨ……」

 あまりにも理不尽な己の状況に、銀月は涙を流しながらレミリアへの復讐を誓うのであった。
 そんな銀月にギルバートが近づいて話しかけてきた。

「おい、銀月。俺の首輪外してくれ。お前ならこの鍵外せるだろ?」
「ハッ、やだね。同じ罪で同じ刑を受けてるのに、何で君だけ解放されるのさ。君も同じ辱めを受けるがいいさ」

 ギルバートの頼みを銀月は小馬鹿にするように笑いながら即座にそう言って答えた。
 その瞬間、ギルバートの表情が一気に憤怒に染まった。

「っ! このわぐっ!?」
「ぐぎゅ!?」

 ギルバートが銀月に掴みかかろうとした時、お互いの首輪の紐が勢いよく引かれる。
 その結果、二人は絞首刑が執行されたように首吊り状態になりながら後ろへ後退することになった。

「こら、お前ら喧嘩するんじゃないぜ!」
「ホントに少しでも眼を離すと喧嘩するわね! ちょっとは静かに出来ないの!?」

 そんな二人を魔理沙と霊夢が叱り付ける。
 首輪の紐を引っ張りながら叱るその様子は、散歩中に暴れまわる飼い犬を叱る飼い主そのまんまであった。

「げほっ……ま、魔理沙……少しは加減しろよ……」
「ごほっ、な、何で俺まで……」

 首輪を引かれた二人は咳き込みながらそうぼやく。
 その首に残った赤い帯が、首輪を引く力の強さを物語っていた。

「二人とも自業自得ね。と言うか銀月、いつもの理知的で冷静な貴方は何処に行ったのかしら?」

 咲夜はそう言いながら、銀月の茶色い瞳を見つめながら正面から近づいていく。
 それを受けて、銀月はばつが悪そうに眼を逸らした。

「え、ええっと……いつもの癖で……あっ」
「眼を逸らさないでしっかり言いなさい。理由は分かってるんでしょう?」

 咲夜は両手で銀月の頬を掴み、逸らされた視線を自分に向けさせる。
 眼をしっかり覗き込もうとしているせいかその顔の距離は近く、お互いの吐息が肌にかかるくらいの距離。
 銀月は逃げられず、ただ成すがままに咲夜に眼を合わせる。
 そして咲夜のまっすぐな視線に応えるように、銀月は素直に理由を口にした。

「……昔からギルバートとはこういう関係で、いつも気がつくと争いになるんだ。本気で気兼ねなく当たれる友人だからね」
「それって、私や霊夢には気兼ねするってこと?」

 咲夜は銀月の頬を掴む手の片方を擦るように動かしながら、優しく諭すような声で問いかける。
 すると銀月は咲夜に頬を掴まれたまま、ゆっくりと首を横に振った。

「そうじゃないさ。けど、男が女の子と遠慮なく殴り合うってどう思う? 俺は嫌だ」

 銀月は咲夜の眼をまっすぐ見つめたまま、呟くような声でそう言った。
 咲夜はそれを聞くと少し眼を閉じて考え、一つ頷いた。

「そう……そういうこと。そうよね、貴方の立場だと対等になれるのがギルバートくらいだものね。でも、もう少し時と場合を考えて欲しいわ」
「うん、これからは気をつけるよ」

 少し言い聞かせるような咲夜の言葉に、銀月は軽く微笑みながら頷いた。
 咲夜はそれに微笑み返すと、思いついたように口を開いた。

「それから、これからはもう少し他の人にも遠慮しないようにしたほうがいいと思うわ。たぶん貴方は本気で満足のいくまでぶつかれるのがギルバートだけになっているからそうなるのよ。だから私達にももっと遠慮しないでぶつかってきなさい」
「……努力してみるよ」

 銀月は続いた言葉に、今度は自信無さそうな苦笑いと共にそう返した。
 それを見て、咲夜も苦笑いを返す。

「まあ、無理しないでね」

 咲夜はそう言うと、銀月の頭をそっと撫でる。
 一度、二度と、咲夜の手のひらにさらさらとした心地良い感触が伝わってくる。
 また指を立てて梳いてみると、しっとりとして滑らかな指通りであった。
 一方の銀月は気持ち良さそうに眼を細め、咲夜の手を受け入れる。
 頭に感じられる適度な重みとゆっくりとした優しい動きは、銀月に心の温まる安らぎをもたらすものであった。
 彼の穏やかな表情は自らが享受している安らぎを撫でている咲夜に伝え、その彼女にも安らかな微笑みを浮かべさせる。
 その光景は横から見ている者にも心の安寧を与えるような、とても絵になるものであった。

「いつまでそうしてるのよ!」
「ぐえっ!?」
「あ」

 しかし、先を急いでいる巫女にとってはそうではなかったようである。
 霊夢は銀月の首輪についている紐を肩に担ぐように力の限り引っ張り、銀月と咲夜を引き離した。
 激しく咳き込む銀月に、所在なさげに右手を宙に彷徨わせる咲夜。
 二人はどこか残念そうにお互いを眺めていた。

「……なあギル。銀月の奴、何だか調教されかかってないか?」
「……あいつ、そんなに頭撫でられるのが好きなのか……?」

 そんな銀月と咲夜の様子を、魔理沙とギルバートが呆然とした様子で眺めていた。
 何故なら今まで滅多に見ることが出来なかった、銀月の緩みきった表情が見られたからである。
 その表情は銀月が至福の一時を過ごしている時にしか見られないものであり、それは頭を撫でられている時を至福と感じているということの証明であった。
 ギルバートが銀月の嗜好について考えていると、魔理沙がおもむろにギルバートの頭を撫で始めた。

「……何のつもりだ?」
「いや、お前も銀月みたいに緩い表情にならないかって思ってな」

 魔理沙はギルバートの頭をわしゃわしゃと撫でる。
 その金色の髪は滅茶苦茶に乱れ、ぼさぼさになってしまった。
 両手で手荒に撫でられて、ギルバートは憮然とした表情でため息をついた。

「……なる訳ねえだろ」
「ちぇ、つまんないぜ」

 魔理沙は心底つまらなさそうにそう言うと、撫でるのをやめた。

「それはそうと、ここ何処よ?」

 辺りを見回しながら、霊夢はそう呟く。
 話に気をとられていて、いつの間にか雪原から森の中に迷い込んでいたのだった。
 周囲の景色を見て、魔理沙は困ったように頭をかいた。

「ありゃ、流石に少し適当に進みすぎたか? こんなところに来ても何も無さそうだぜ」
「それ以前に、私達は何処を目指しているのかしら? 当てもなく飛び出したけど……」
「そこの男二人が妖精の多い方に勝手に突撃掛けたせいで、よく分かんない所に来ちゃったのよ」

 咲夜の質問に、霊夢が銀月とギルバートをジト眼で見やりながら答えた。
 手に握った銀月の首輪の紐を軽く引き、銀月に軽く抗議する。
 それを受けて、銀月は困った表情を浮かべた。

「う……まだそれを言うのかい……」
「ん? おい、向こうに何か家があるぞ」

 ふと、ギルバートからそんな声が上がる。
 その視線の先には、森の中に隠れるようにひっそりと佇む立派な日本家屋があった。
 それを見て、魔理沙は首をかしげた。

「あれ、こんなところに家なんてあったっけ?」
「ん~、少なくとも俺はここら辺に住んでる人や妖怪が居るなんて聞いたことはないけどな?」
「あ、誰か来るわね」

 魔理沙の疑問に銀月も首をひねっていると、咲夜が近づいてくる人影に気がついた。

「ここに迷い込んだら……なにこの大人数!?」

 やってきた人影は赤い服に緑色の風変わりな帽子、そして黒い猫耳と二本の尻尾と言った姿の小さな少女であった。
 少女はいきなり目の前に現れた五人組に驚いている。
 どうやら、ここは本来もっと少人数で迷い込むべき場所でだったようである。
 そんな驚いている彼女に、魔理沙が声をかけた。

「なにって、大勢で迷っただけだぜ」
「それで、ここは何なの?」
「ここは迷い家よ。こんな集団迷子なんて滅多に来ないけど」

 咲夜の問いかけに、少女は何とか落ち着きをを取り戻して答えを返す。
 すると、銀月が彼女に声をかけた。

「誰かと思えば橙じゃないか。久しぶり」
「あ、銀月! どうしたの、その格好?」
「ああ、今紅魔館で働いてるからこの格好なんだ。悪いね、突然大人数で来ちゃって」
「ううん、大丈夫だよ」

 橙と銀月は仲良さそうに会話をする。
 そこに、ギルバートが横から銀月に話しかけた。

「何だ銀月、知り合いか?」
「ああ。俺がこっちに来てからすぐに出会った友人さ」

 ギルバートの質問に銀月はそう答えた。
 事実、橙は六花と遊ぶために銀の霊峰に来ることがあったので、銀月とも付き合いがあった。
 もっとも、最近は銀月が博麗神社に引っ越したために会うことがなくなっていたが。

「ねえ銀月、何で銀月は首輪をしてるの?」
「え、あ~……それはね……」

 橙の質問に、銀月は歯切れの悪い答えを返す。
 すると橙は、ハッとした表情を浮かべた。

「あ、分かった! 悪い巫女に捕まってペット扱いされてるんだ!」

「はい?」
「なっ!?」
「ぶっ!?」

 橙の発言に、銀月は呆気に取られ霊夢は唖然とした表情を浮かべ魔理沙は思わず噴出した。
 そんな三人の反応に構わず、橙は次の言葉を口にする。

「それから反抗しないのをいいことに仕事を押し付けられたり色々されてるんでしょ!」
「うん、そこは大体あってるぜ」
「お黙り!!」

 橙の言葉に腹を抱えて笑いを堪えながら同意した魔理沙を、霊夢は一喝した。
 その一方で、銀月は乾いた笑みを浮かべながら橙に話しかけた。

「……あの、橙。それ、どうしてそう思うんだい?」
「だって、六花はそう言ってたよ?」
「……六花姉さん……姉さんの頭の中では俺はどんな目に遭ってるのさ……」

 違うの? と言わんばかりにキョトンとした表情で首をかしげる橙の言葉に、銀月は頭を抱えた。
 相変わらず六花の霊夢に対する心象は良くないらしく、橙に対しても色々と愚痴を言っているようである。

「銀月……一度あんたのお姉さんと話をしなきゃいけないと思うんだけど、どう思う?」

 頭を抱える銀月の肩に、霊夢は軽く手を置いた。
 その表情は怖いくらいの笑顔であり、銀月がそれを見て寒気を覚えるほどであった。

「あ、巫女だ!」
「おおっと」

 銀月の横に出てきた霊夢を見て、橙は銀月と霊夢の間に割って入り銀月を後ろに押しやった。
 銀月はそれによろけながら後ろに下がっていく。

「下がって銀月! 私が助けてあげる!」

 橙は銀月の眼を見つめながらそう言った。
 その言葉と視線には、友達を何が何でも助けるという強い意志が込められていた。

「……え?」

 一方の銀月はキョトンとした表情を橙に返した。
 何しろ全くの事実無根のことが原因であり、その上この急展開に頭がついていけないのだ。
 今の銀月の状態を一言で表すのならばこう言うであろう、「訳が分からないよ」と。

「やい、性悪巫女! これ以上銀月をいじめたりなんてさせないよ!」
「いや、あの、橙さん?」
「あんたみたいな腐れ外道、私がやっつけてやる!」 

 自分をかばうように手を広げながら霊夢に啖呵を切る橙に、銀月は慌てて声をかける。
 しかし橙は銀月の言葉が全く聞こえていないようである。

「ぷくく……言われたい放題だな、霊夢?」

 魔理沙は口を押さえて笑いながら霊夢の肩を叩く。
 それに対して霊夢は俯き肩を震わせながら堪えていたが、しばらくすると勢いよく顔を跳ね上げて叫んだ。

「あ~もう! さっきから黙って聞いてりゃ言いたい放題言ってくれて! これ以上黙って聞いてると思ったら大間違いよ!」
「あんたなんかには負けないよ!」
「あのー! もしもーし!!」

 そう言い合うと、霊夢と橙は弾幕合戦を始めた。
 色鮮やかな弾丸が宙を舞い、相手に向かって飛び始める。
 その横で必死に訴えかける銀月の声は届きそうになかった。

「おー、始まったな。さて、どっちが勝つかな?」

 その様子を暢気に眺めながら魔理沙はそう言った。
 その表情は楽しそうであり、観戦する気満々であった。
 そんな魔理沙を銀月は白い眼で見つめる。

「……魔理沙、何であそこで霊夢を煽るのさ」
「だってその方が面白そうじゃないか」
「俺達が喧嘩した時は問答無用でマスタースパーク撃ったのに?」
「お前達のは仲間割れだぜ。仲間割れは止めないと拙いだろ?」
「……そーですか」

 銀月は魔理沙の言葉に少し不貞腐れた様子でぞんざいに返事をした。
 そしていまいち納得のいかない表情でため息をつくと、空で戦う二人に眼を向けた。
 橙はくるくると回りながらあっちこっちに動き回り、霊夢の攻撃を避けながら弾幕を展開していく。
 一方の霊夢は攻撃をすいすいと避けながら飛び回る橙を追いかける。
 勝負は追いかけっこのような状態になり、弾丸を周囲にばら撒きながら次々に移動していく。

「それにしても、橙って言ったか? あいつ随分と動き回るな……」
「そうだね。橙らしいといえばらしいね」

 その様子を見ながら、銀月と魔理沙は話を続ける。

「いっくぞーーー!」

 そんな中、橙は動き回りながらスペルカードを取り出した。


 童符「護法天童乱舞」


 橙がスペルの使用を宣言すると、橙は先程までとは比べ物にならない速度で飛びながら弾幕を展開し始めた。
 辺りを所狭しと飛び回り、素早く方向転換をしてはまた飛んでいく。

「おわっ!?」
「うわっ!?」

 いきなり突っ込んできた橙を銀月と魔理沙はとっさに避ける。
 自ら砲弾のように飛んでいく橙を躱し、その後に残される弾幕を潜り抜けていく。
 どうやら橙はあまり周囲が見えていないようである。

「いくらなんでも飛び回りすぎだろ、これ!」
「出来れば外野にも気を配って欲しいものね」

 離れて見ていたギルバートと咲夜のところにも橙は飛んでいく。
 橙はいろいろな方向に飛び回るため、後に残される弾幕は様々な角度から複雑に絡んで飛んできていた。
 それらのものを観客達は冷静に避けていた。

「ええい、ちょろちょろと!」
「へーんだ! 追いつけるもんなら追いついてみろ!」

 あちらこちらに飛び回る橙に、霊夢は少々苛立ちながら弾丸を浴びせようとする。
 橙はそれから逃げながら反撃を続けている。
 その勝負は千日手の様相を呈し始めていた。

「なあ、この勝負どう見る、銀月?」

 その状況を見て、ギルバートが銀月に話しかけた。
 すると銀月は闘う二人の様子を見ながら、少し考えて答えた。

「ん~、橙には申し訳ないけど、これなら霊夢が勝つだろうね」
「その心は?」
「だって、霊夢避けるのに苦労してないもの。恐らく、橙が止まったらそこで終わるよ」

 銀月はギルバートに対してそう断言して、二人の勝負を見続けた。

「このっ、あったれー!」
「当たれと言われて当たる人が居るわけないでしょ!」

 橙の激しい攻撃を易々と避けていく霊夢。
 全く当たらない自分の攻撃に、橙は段々あせり始めていた。
 それ故に広い範囲で逃げ回っていた状態から、相手への攻撃を優先した接近戦へと自分でも気づかぬうちに移行していた。
 そしてそれは、霊夢にとってはまたとない攻撃の機会であった。

「これならどう!?」
「わっ!?」

 接近してきたところに、霊夢は誘導性のある弾丸を発射した。
 突如として放たれたそれを橙は避けきれず、驚いてその場に立ち止まってしまう。
 それを見た瞬間、霊夢の眼が鋭く光った。

「そこぉ!」
「きゃう!?」

 機会を逃さず、霊夢は針のような弾丸を一斉に橙に向けて発射した。
 橙は全身にそれを受け、地面へと落ちていく。

「よっと!」

 その墜落する橙を横から掻っ攫うように、銀月が受け止めた。
 銀月はそっと地面に降りると、橙の体を軽くゆすった。

「大丈夫かい、橙?」
「いったぁ~……ごめんね、負けちゃった……」

 橙は頭を擦りながら、尻尾を抱えて申し訳無さそうに銀月にそう言った。
 それに対して、銀月は苦笑いを浮かべた。

「気にしなくていいよ。て言うか、その前に俺の話を聞いてくれ」

 銀月はそう言うと、自分の現状を簡単に説明した。
 すると橙は、少し複雑な表情を浮かべて俯いた。

「……そうだったんだ……それじゃ、いじめられてるわけじゃないんだね?」
「ああ、そうさ。だからそこまで心配は要らないよ」
「全く、失礼な。いくらなんでも人をペット扱いするような荒んだ性格はしてないわよ」

 霊夢が不機嫌な表情で橙にそう言い放つ。
 すると橙はしゅんとした表情で頭を下げた。

「ごめんなさい……でも、その首輪はいくらなんでも酷いと思うよ?」
「ああ、うん、これに関しては全面的に俺が悪いから気にしないで」

 橙の言葉に、銀月は苦笑いをしながらそう答えた。
 その返答に、橙は首をかしげる。

「そうなの? 本当にいじめられてたりしない?」
「大丈夫だって。もし本当にいじめられてたら霊夢と一緒には居ないよ。六花姉さんが大げさなだけさ」

 心配そうな視線を送ってくる橙に、銀月はそう言って答える。
 こう何度も確認される辺り、橙の霊夢に対する信頼度が知れるものである。
 その言葉を聞いて、橙は銀月の頬に手を伸ばした。

「そっか……でも、困ったときはちゃんと私や藍さまにも頼ってね」

 橙はそう言いながら銀月の頬を撫でる。
 橙にとって、小さい頃から紫や藍と共に成長を見てきた銀月は弟分に当たるのだ。
 それは銀月が成長して身長を抜かれた今でも変わることは無い。
 その心遣いに、銀月は嬉しそうに微笑んだ。

「そうさせてもらうよ。そうだ、せっかくだから台所借りていいかな? 少し休憩していきたいんだけど」
「うん、いいよ。それじゃ、上がって!」

 橙は銀月の腕からするりと抜けると、家の中へと入っていった。
 すると先程までの会話を聞いていた咲夜が銀月に話しかけた。

「ちょっと銀月、そんな時間あるの? 早く解決して戻らないとお嬢様が機嫌を悪くするわよ?」
「そう言われれば確かにそうだけど、それ以前に少し情報を整理したほうがいいんじゃないかな? 何しろ目的地が何処なのかもはっきりしていないわけだし、闇雲に動いても疲れるだけだからさ」

 銀月は休憩の意図をそう説明した。
 現時点では今回の異変の犯人の見当が全くついていないのだ。
 そこで銀月は今ある情報を確認すると共に、今後どうするかを相談しようと言うのだ。
 銀月の言葉に、咲夜は納得したように頷いた。

「……それもそうね。体も冷えてることだし、温かいお茶でもご馳走になろうかしら」
「そうだな。俺も雪まみれでさっきまでの運動がパーになったし」
「私は特に異論は無いぜ」
「私も。そんな訳だから銀月、お茶宜しくー」
「うん、それじゃあ準備してくる」

 銀月は全員の同意が得られたことを確認すると、台所へと入っていった。



[29218] 妖々夢:銀の月、煽る
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/08 01:51
 迷い家の居間の炬燵にて、一行は銀月が淹れたお茶を飲みながら話し合いをしていた。
 とは言うものの、誰が犯人なのかは分からず、話し合いは難航していた。
 そんな中、ギルバートがふと思い出した様に口を開いた。

「なあ、さっきから気になってるんだが、こんなもん拾ってるんだが、どう思う?」

 ギルバートはそう言いながら、黒いジャケットのポケットから小さな白い麻袋を取り出した。
 麻袋は膨らんでおり、中を見てみるとそこには桜の花びらがぎっしり詰まっていた。
 それを見て、魔理沙が首をかしげた。

「桜の花びら? そんなものあったのか?」
「あ~、そう言えば妖精達が持ってたな。俺も持ってるぞ」

 そう言うと、銀月は鮮血のような色の執事服のポケットから絹で出来た小さな袋を取り出した。
 その中にはやはり桜の花びらが詰められていて、春の匂いを感じることが出来た。
 二人の持つ桜の花びらに、今度は咲夜の頭の中に疑問符が浮かぶ。

「どういうこと? この雪の中、桜が咲いてる場所があるって事?」
「いや、単純にそう言う意味だけじゃ無さそうだぞ。この花びらを持ってみれば分かるんじゃないかい?」

 銀月がそう言うと、魔理沙と咲夜は桜の花びらを手に取った。
 すると桜の花びらのやわらかな感触や甘い香りと共に、触れた部分が芯から温まるような暖かさを感じることが出来た。

「ん? この花びらやけに暖かいな? それに体が温まっていくような感じがするぜ」
「本当ね。てことは、これを集めていけば春になるのかしら?」

 桜の花びらを袋に戻しながら、咲夜がそう尋ねる。
 それに対して、銀月は頷いた。

「可能性はあると思うよ? 桜なんて分かりやすい春のものだしね」
「ということは、今回の異変の犯人はこれを集めて自分のものにしてるからまだ冬だってことか?」
「これが春のかけらであるっていう仮定が正しいとすれば可能性はあるだろうね。案外これを持っていると相手のほうから来たりするかもよ?」

 魔理沙の推論を銀月が肯定する。
 もしこの桜の花びらが春のかけらだとすれば、長く続く冬は犯人が目的は分からないが春を幻想郷中から集めていることが原因であると考えられる。
 そして春のかけらが手元にあるということは、それを求めて犯人が動き回っている可能性があるのだ。
 その意見を聞くと、ギルバートはポンと手をたたいた。

「それじゃ、当面はそれを集めるってことでいいな?」
「良いと思うわ。あと、向かう方向は風上に向かえば良いと思うのだけど、どう?」
「良いんじゃないかな? 妖精達がどこかで拾ったのだとしたら、それは風上のほうから降ってきてるのかもしれない。もしかしたら、その方角に春を溜め込んでいる場所があるかもね」

 咲夜の言葉に銀月は頷きながら意見を返した。
 それを聞くと、ギルバートはすっと立ち上がった。

「よし、これで今後の方針は決まったな。それじゃ早速……」
「銀月、お茶おかわり」
「はいはい」

 ギルバートが行動を起こそうとすると、今まで黙ってお茶を飲んでいた霊夢が銀月におかわりを頼み、銀月はお茶を淹れに行く。
 その会話には緊張感など欠片も無く、空気は緩みきっていた。
 そんな二人を見て、ギルバートは全身の力が抜けてその場に崩れ落ちた。

「お前ら……やる気あるのか?」

 ギルバートのその言葉は、誰の耳にも届くことは無かった。
 結局全員仲良くお茶をおかわりし、飲み終わるまで動くことは無かった。



 橙に挨拶をして迷い家から出た一行は、襲ってくる妖精を倒しながら先へと進む。
 途中妖精達が落としていく桜の花びらを回収することも忘れない。

「さてと、風上は……こっちだな」

 魔理沙は風を読みながら先頭を進む。
 その隣にはギルバートがぴったりと着いており、前方を担当する魔理沙と側面と後方を担当するギルバートと言うように役割分担がされていた。

「それにしても、こうしてみても一面雪景色ね。何処から桜の花びらなんて降ってくるのかしら?」

 咲夜は周囲を見回してそう呟く。
 咲夜の言うとおり辺りは一面の銀世界であり、桜が咲いている気配は全く感じられない。

「行けば分かるんじゃない? これだけ雪景色なら、桜の木を見つけるのだってきっと楽よ」
「……夜になっちゃってほとんど見えないけどね」

 楽観的に話す霊夢に、銀月が横から口を挟んだ。
 周囲には雪が降っており、雪明りが辺りをぼんやりと照らし出している。
 その明かりは雪を銀色に輝かせはするものの、木々は暗いままでどの木がどんな木なのかまでは判別できそうも無かった。
 そんな周囲の状況に、ギルバートが小さくため息をついた。

「ま、そこんところは仕方ないだろ。とにかく風上に向かって進むしかない」
「お嬢様、大丈夫かしら……お腹空かせてないと良いんだけど」

 手元の懐中時計を見ながら咲夜がそう口にする。
 異変の解決に乗り出したのは昼前であり、通常であれば夕食の用意をしなければいけない時刻であった。
 そんな咲夜に、銀月は笑顔で声をかけた。

「ああ、それなら大丈夫さ。保存の利く食事を三日分は残して美鈴さんやこあに任せてきたから。全部暖めるだけで食べられる奴をね」

 出発前、銀月はレミリアから指示を受けると同時に保存が利き手軽に食べられる料理を作って備えていた。
 それを同僚である美鈴やパチュリーの使い魔である小悪魔に残して行き、紅魔館の住人が飢えないようにしていたのだ。
 弁当屋・銀月の本領発揮である。

「流石ね、銀月。今度その料理の作り方教えてくれる?」
「うん、いいよ」

 咲夜の手がすっと伸びてくる。
 それを受けて、銀月は咲夜が触りやすいように頭を軽く下げた。

「ふっ!」
「ぐえぁ!?」
「あ」

 それを見て、霊夢は手にした紐を必殺仕事人のごとく肩に掛けて背負い込むように力の限り引っ張った。
 するとその紐は括りつけられている赤い首輪を勢いよく引っ張り、銀月の首を強く締め上げた。
 その結果、銀月は引っ張られて後ろに下がり、咲夜の手は空を切るのであった。

「げほっ、な、何するのさ!?」
「あんたら一度頭撫で始めると止まらないでしょうが。少しは時と場合を考えなさいよ」

 激しく咳き込む銀月は霊夢に抗議の視線を送る。
 それに対して、霊夢は銀月を近くに手繰り寄せながら言い返すのであった。
 そんな霊夢に対し、銀月は更に白い視線を送る。

「……それは分かるけど、君はいつまでその紐を握ってるんだい?」
「握ってないととっさの時に止められないじゃない。首が絞まればいくらなんでも止まるでしょ?」

 霊夢は手繰り寄せた銀月の首輪を掴んでにこやかに笑いながら眼を覗き込み、銀月の頬を人差し指でつついた。
 その様子は明らかにこの現状を楽しんでいるように見えた。
 銀月は霊夢の態度を見て、頭痛を堪えるように額を押さえた。

「言いたい事は分かるけど、ちょっと乱暴すぎないかい? それにこうされてるととっさの時に困るだろう?」
「大丈夫よ、銀月。あんたならきっと出来るわよ」
「……そんな無茶な……」

 笑顔で頬を軽く叩きながらの霊夢の言葉に、銀月はげんなりとした表情を浮かべた。
 一方、そんな銀月の様子を見て自分のことが気が気ではない者が約一名。

「魔理沙、お前は俺のこと放してくれるよな?」

 ギルバートは懇願するような視線で魔理沙を見つめる。
 彼の首には青い首輪がつけられており、その紐は魔理沙によって握られている。
 そんな彼の懇願もむなしく、魔理沙は首を横に振った。

「却下だぜ。ギルは暴れるときは暴れるからな」

 魔理沙はそう言いながらギルバートの首輪の紐を強く握る。
 その発言を受けて、ギルバートは口惜しそうに肩を震わせた。

「くっ……俺は犬じゃねえってのに……」
「別に犬扱いはしてないぜ? と言うか、そんなことしたら流石に拙いだろ……」

 地の底から響くようなギルバートの言葉に、魔理沙が苦笑いを浮かべた。
 流石に魔理沙には人を犬扱いするようなアブノーマルな趣味は無いようである。

「ところで魔理沙。お前随分と紐を短く持っているけど、どういうつもりだ?」
「こうしておけば、いざと言うときギルを使って防壁が作れるだろ?」
「……なあ、守ってやるから一発殴らせてもらっていいか?」

 ギルバートは笑顔でそう言いながら、振りかぶった握りこぶしに金色の魔力を集め始めた。
 能力を使って溜め込まれたそれは強い光を放ち、受けるとただでは済まない事が一目で分かる。
 それを見て、魔理沙は大慌てで弁明を始めた。

「ちょ、冗談、冗談だって! ギルと中途半端に離れたところに居るとこっちが撃ち落されかねないから近くに居てもらってるだけだぜ!」
「……本当だろうな?」
「あ、ああ、嘘じゃないぜ!」

 わたわたと手を動かしながら必死で弁明をする魔理沙を、ギルバートはじっと見つめる。
 魔理沙の表情は乾いた笑みが張り付いていて、顔色が段々と蒼白くなり始めていた。
 ギルバートはそんな彼女をしばらく眺めると、溜めていた魔力を霧散させて握りこぶしを解いた。

「……一応信じてやる」
「あら、随分とにぎやかじゃない」

 ギルバートの言葉に魔理沙がホッとしたところで、横から声をかけてくる人影が現れた。

「その声、アリスか?」

 ギルバートがその声に反応して声をかける。
 するとその先には、金の髪に赤いヘアバンドをした、水色の服を着た少女が立っていた。
 アリスはギルバートに軽く手を振ると、微笑を浮かべて挨拶をした。

「こんばんは、ギルバート。こんな夜に会うなんて奇遇ね」
「確かにな。この間貸した本は参考になったか?」
「それが最後まで読んでみたけど、私が知りたかったこととは少しずれてるのよね」
「そうかい。どうする? またうちの本を見に来るか?」
「そうね、お願いするわ。出来れば貴方やジニさんの意見も聞きたいし」
「了解。母さんの予定が分かり次第連絡を入れるよ」

 アリスとギルバートは二人で親しげに話しながら予定を組んでいく。
 お互いにリラックスした表情であり、遠慮も緊張も見られなかった。
 二人は以前スペルカードルールの説明のときに知り合い、話の中でアリスがギルバートの家の図書館に興味を持ったのが交流のきっかけであった。
 それ以来アリスがギルバートの家の図書館を利用するようになり、二人で魔法の研究をしたりお茶を飲んだりしていたのであった。
 なお、この関係はギルバートの家族も知るところであり、アリスはそれなりに気に入られているようである。

「……おい、ギル」

 そんな二人に魔理沙がギルバートに話しかけることで横槍を入れる。

「ん? 何だ?」

 ギルバートはその横槍に反応して、魔理沙のほうを向く。
 するとそこには、面白くなさそうにギルバートのことを見つめる魔理沙の姿があった。
 魔理沙は腕を組み、じとっとした眼をギルバートに向けていた。

「……お前、アリスと知り合いだったのか?」
「ああ。ちょっとした縁で知り合った。そう言うお前も知り合いみたいだな?」
「まあ、ちょっとした縁でな。で、どういうことだ?」
「どういうことって、何がだ?」
「お前アリスにはお前の家の本見せるくせに、私は家に連れて行ってもくれないじゃないか! 酷い差別だぜ!」

 魔理沙は激しい剣幕でそう言ってギルバートに詰め寄った。
 実は、魔理沙は今まで一度もギルバートの家である人狼の里の古城に連れて行ってもらったことが無いのだ。
 そしていつ連れて行ってもらえるのかと期待していたところに、アリスがギルバートに招待されていたことを知ったのだ。
 魔理沙の受けたショックはかなり大きなものであった。

 しかし、そんな魔理沙の猛抗議はギルバートにため息で返された。

「……あのなあ。自分の胸に手を当てて、今までの所業を思い出してみろ。心当たりがあるだろ?」
「いいや、思い当たらないぜ」
「紅魔館、図書館、パチュリー、本、強盗! こんなことをする奴に本を見せるなんて危なくて出来るわけねえだろ! お前が何か仕出かすたびに俺が美鈴や銀月から何とかしてくれって頼まれる俺の身にもなってみろ!」

 魔理沙の物言いに、今度はギルバートがそう言ってまくし立てた。
 ギルバートはよく腕試しに美鈴と勝負をするのだが、自身が魔理沙ととても親しいことが良く知られているため、魔理沙の代わりに注意を受けるという構図が出来上がってしまっているのだ。
 おかげでギルバートは紅魔館とはほとんど関係が無いのに、紅魔館の図書館の問題に頭を悩ませる羽目になったのであった。
 なお、彼は何度も説得を試みたものの、その効果は全くと言っていいほど出ていない。
 そんなギルバートの主張を聞いて、魔理沙はいかにも心外であるという表情を浮かべた。

「強盗とは失礼な。私はただ本を借りただけだぜ」
「お前は本の貸し借りにマスタースパークを撃つのか? 随分斬新な借り方だな?」
「褒めても何もでないぜ」
「褒めてねえよ!」

 魔理沙のあんまりな言い分に、ギルバートは怒りをぶつける。
 そんな様子を眺めながら、アリスがギルバートに声をかけた。

「ギルバート、貴方魔理沙と仲良いのかしら?」
「……まあ、人間相手にしては悪くねえな」

 アリスの質問にギルバートは眼をそらしながら、少し言いづらそうに答える。
 どうやら人間に対する嫌悪と魔理沙個人に対する好意の間でせめぎ合いになっているようである。
 そんな彼の様子を見て、今度はアリスがとても言いづらそうに口を開いた。

「そう……その、あんまり人の人付き合いに口は出したくないけど、その首輪は二人の趣味?」
「んな訳ねえだろ!!」
「そんな訳ないぜ!!」

 アリスからかけられた嫌疑を、ギルバートと魔理沙は揃って力の限り全力で否定した。
 やはり二人ともその様な誤解を受けるのは何としても避けたいようである。
 その様子を見て、アリスはホッと胸を撫で下ろした。

「それは良かったわ。私も知り合いがそんな逸脱した趣味を持っているなんて思いたくないもの」
「ああ、ご理解いただけて何よりだ」
「全く、冗談にしても性質が悪すぎるぜ……」

 アリスの言葉にギルバートと魔理沙も疲れたようなため息を吐き出した。
 そんな二人に対して、アリスは質問を重ねる。

「それで、何で首輪がついてるのよ?」
「それはだな……」

 ギルバートが説明をしようとすると、背後から視線が突き刺さるのを感じた。
 そして振り返ってみると、銀月が意味ありげな眼でギルバートのことを眺めていた。

「……何だよ銀月。人のことをジロジロ見て」
「……女誑し」

 銀月はギルバートの問いに、ニヤリと笑いながらそう呟いた。
 それを聴いた瞬間、ギルバートの頭の中で何かが音を立てて切れた。

「あ゛? テメェ今何つった?」
「魔理沙に美鈴さんにアリスさん、その他人狼の女の子達……女友達の多いことで。その内何人が君の毒牙にかかったことか……」

 わざとらしく大振りな身振り手振りをしながら、銀月は少し楽しそうにそう言った。
 事実ギルバートは見た目も良く、一部を除いた相手にはとても優しいので、相手に色々と勘違いさせることが多かったりする。
 そして銀月はそれを近くで目の当たりにしていたため、ここぞとばかりに煽ったのであった。

「テメェがそれを言うな! 巫女にメイドに妖精、挙句の果てには幻想郷の管理者にまで手を伸ばしてる節操無しに言われる筋合いはねえよ!」

 しかしギルバートも黙っては居らず、銀月に反論する。
 銀月の場合、霊夢はもうほとんど餌付けされたようなものであり、紅魔館のメイド妖精もお菓子などでかなり懐いている。
 そうでなくとも銀月は隙あらば相手を褒める……と言うよりも聞き様によっては口説き文句にしかならないことを自然と口にするのだ。
 ギルバートにしてみれば、銀月の方こそとんでもない女誑しに見えるのであった。

「俺は別に誑し込んではないし、君が誑しである事実は変わりない!」
「うるせえ、テメェがそう言うなら俺も誑しイ゛ェアアアアア!?」
「ウボァー」

 お互いに反論を続けていると、二人の首輪が一気に後ろに引かれた。
 二人の首は一気に絞まり、お互いに引き離される。

「もう! また喧嘩する!」
「お前ら少しは学習しろ!」

 そんな二人に制裁を加えた霊夢と魔理沙が叱りつける。
 二人とももううんざりといった表情をしており、紐を引く力も強かった。
 その一連の光景を見て、アリスは呆れた表情でため息をついた。

「……首輪がついた理由は分かったわ。でもギルバート、貴方そんなキャラだっけ? もっとクールなキャラだと思ってたんだけど?」
「そうか? 案外こんなもんだと思うぜ?」

 アリスの言葉に、魔理沙が首をかしげてそう口にする。
 しかし、アリスはその言葉を首を横に振って否定した。

「全然違うわ。私の知ってるギルバートはとても真摯で、いつも礼儀を忘れないジェントルマンよ。あんな乱暴なことは言わないし、話していてリラックスできるもの」

 アリスはギルバートの普段の自分に対する態度を素直に話した。
 その瞬間、魔理沙は一瞬呆けた表情を浮かべた後で俯いた。

「……へ~……そうか、ギルってアリスにはそんな態度を取るのか……」

 低く、恨み言を言うような声でそう言いながら、魔理沙はギルバートのほうを見た。
 その視線は冷たく、静かな怒りが込められていた。
 それを受けて、ギルバートは一歩後ずさった。

「な、何だよ?」
「別に……少し世の中の不平等さを嘆いただけだぜ」

 魔理沙はそう言うと、拗ねたようにそっぽを向いた。

「何なんだよ、いったい……」

 ギルバートはため息をつきながら首を横に振る。
 感情の浮き沈みの激しい魔理沙についていけなくなったのであった。
 ギルバートは一つ深呼吸をすると、気を取り直してアリスに質問をすることにした。

「それはそうと、アリスに訊きたいことがあるんだけど良いか?」
「何かしら?」
「桜の花びらを集めてるんだけど、見てないか?」
「あら、貴方達も春度を集めているの?」

 ギルバートの質問に、アリスはそう問い返す。
 それを聞いて、ギルバートは何かに気がついたように小さく頷いた。

「貴方達も、と言うことはそっちも集めているのか?」
「ええ。これを集めれば暖かくなるでしょう?」
「それじゃあ、それが何処からやってくるか知らないか? 恐らくそこに今回の異変の犯人がいると思うんだが」
「大体の心当たりはあるわよ?」

 アリスは薄く笑みを浮かべながらギルバートの青い眼を見る。
 その視線を受けて、ギルバートは困った表情でため息をついた。

「……ただじゃ教えないって顔をしてるな。で、どうする気なんだ?」
「貴方達の春、私にくれないかしら? そうしたら教えてあげるわ」

 アリスはギルバートにそう提案する。
 ギルバートは口元に手を当て、しばらく考える動作をした。

「成程な……こっちは大元が分かるし、そっちは必要な分が集まると言うわけだ」
「そう言うこと。どうする?」
「そうだな、俺は別に構わないぞ」
「ちょっと待った!」

 ギルバートが交渉に応じようとすると、魔理沙が横から待ったを掛けた。
 それを聞いて、ギルバートは魔理沙のほうへと向き直った。

「どうした、魔理沙?」
「ギル、少しおかしいとは思わないか? 何でアリスは心当たりがあるんだ?」
「まあ、そう言われてしまうと何も言えないな……」

 魔理沙の指摘に、ギルバートは再び困惑した表情を見せる。
 現時点の情報では、アリスが犯人ではないという確証が何処にもないのだ。
 更に春度を集めているという事実は、アリスが犯人である可能性を高めていた。
 現在の状況を鑑みれば、取引に応じることはかなりのリスクを伴うものであった。

「言っておくけど、この異変に私は関係ないわよ?」
「悪いけど、それを鵜呑みにするわけにはいかないぜ。犯人は大体そう言うんだよ」

 怪訝な表情を浮かべる魔理沙に対して、アリスは簡単に弁明をする。
 しかしその言葉は効果が無く、魔理沙の警戒を解くには至らなかった。
 そんな魔理沙の態度を見て、アリスはため息をついた。

「……まあ、そうよね。私が貴女の立場だったとしてもそれを考えたでしょうし。こっちに信用が無いんじゃ交渉にならないわね」
「それじゃあ、どうするつもりだ? 素直に教えてくれるのか?」

 アリスの言葉にギルバートが再び質問を投げかける。
 するとアリスは人差し指を口に当てるような動作をして考えた。

「教えても良いけど……教えないわ」
「ほう、そりゃ何でだ?」
「謂れもない罪を被せられて傷心したから、と言うのはどうかしら?」

 アリスはそう言いながらギルバートに意地の悪い笑みを向ける。
 そこには自分に疑いを向けた友人を困らせてやろうと言う、ちょっとした悪戯心が込められていた。
 それを受けて、ギルバートは苦笑いを浮かべて肩をすくめた。

「それじゃ、どうすれば良い?」
「私を信用して、春度をくれれば話してあげるわ」
「ああもう、それじゃあ話にならないぜ」

 お互いの腹を探り合うような二人の会話に、少しいらだちながら魔理沙が割り込んだ。
 アリスは視線を魔理沙に向けると、試すような口調で声をかけた。

「それじゃあ、貴女はどうすればいいと思う?」
「簡単だぜ。喋らないなら、無理やり喋らせてやるぜ!」
「ふ~ん、良いわよ。やれるものならやってみなさいな」

 アリスはそう言うと、自分の周りに人形を呼び出した。
 対する魔理沙は貫通能力の高いレーザーをアリスに向かって撃ち込んだ。
 それをアリスは高度を上げることで回避する。

「それじゃ、今度はこっちから行くわよ」

 アリスは自分で放つ弾丸と人形から放つ弾丸の二種類を織り交ぜた弾幕を展開する。
 速度の違う二種類の弾幕は相手の動きを制限し、動けなくなったところに襲い掛かってくる。
 魔理沙はその弾幕の間を小刻みに動きながら躱していく。

「そんなんじゃ私は落ちないぜ!」
「これは軽い準備運動よ。次に行くわ!」


 蒼符「博愛のオルレアン人形」


 アリスがスペルを宣言すると、人形達がアリスの周りをくるくると回り始めた。
 そしてくるくると回りながら、赤い弾幕を一度に大量に放ってきた。
 その弾幕は赤から緑に色を変え、折り重なるような複雑な軌道を描いて魔理沙に迫っていく。
 それはまさに一人の隊長の指示で手足のように動く軍隊そのものであった。

 魔理沙はその弾幕の中をすり抜けていく。
 途中危ない部分もあり、いくつかの弾丸が魔理沙の体を掠めていった。

「こう来なくっちゃな!」

 しかしそれでも魔理沙は笑っていた。
 その様子はこの状況を楽しんでいるようであり、本気でぶつかれることを喜んでいる様でもあった。
 魔理沙は迫り来る弾丸を次々と避けながら、レーザーでアリスを狙い撃つ。

「まだまだだぜ!」
「おっと!」

 動きを正確に捉えてきた魔理沙の一撃に、アリスはスペルを放棄して回避する。
 魔理沙のレーザーはあと少しで直撃といったところを、アリスの髪を掠めて飛んでいった。

「やるじゃない。前よりも強くなってるわね」

 アリスは冷静に体勢を立て直しながら魔理沙に話しかける。
 それに対して、魔理沙は不敵に笑いながら答えた。

「当たり前だ。三日会わざれば刮目して見よ、だぜ」
「それは男の子の話でしょ?」
「女だって同じだぜ!」

 魔理沙はそう言うと、アリスの周りを旋回するように高速で飛び始めた。
 その動きは先程までの相手の攻撃を丁寧に捌いていた守りの姿勢とは違い、相手をかく乱しながら戦う攻めの姿勢に変化していた。
 魔理沙はアリスの前後左右上下を風のように飛び回る。

「……っ、速い」

 アリスは弾幕を敷きながら魔理沙の動きを追うが、相手の速度が速い上に複雑な軌道を描いているために追いきれない。
 その結果、アリスは全方位からの攻撃から身を守るために弾幕を展開しなければならなくなったのであった。
 そしてそれによって弾幕の密度は薄くなり、制圧力を欠いていく。

「甘い甘い! 今度はこっちから行くぜ!」

 魔理沙はそう言いながら、先程より薄くなった弾幕の間を縫うように素早くすり抜けながらレーザーで攻撃を仕掛けていく。
 激しく動き回りながら放たれるそれは、アリスの意識を大きく揺さぶりながら攻め立てていく。
 更にレーザーと言う高速で飛んでいく弾丸のため、相手の動きを捉えられないと避ける事が非常に難しいのだ。
 それは少しずつ確実にアリスを追い詰めていくものであった。

「追いつけないなら……」

 アリスは現状を思わしくないものと判断し、手札を切ることにした。


 雅符「春の京人形」


 アリスがスペルの使用を宣言すると、人形達が再びアリスの周りに集まってきた。
 そして周囲をぐるぐると回りながら弾幕を作り出す。

「……なっ!」

 しかし、アリスは次の瞬間に驚愕した。
 いつの間にか魔理沙が人形達の中に飛び込んできていたのだ。
 魔理沙はニヤリと笑いながら、スペルカードを取り出してミニ八卦炉をアリスに向けていた。

「チェックメイトだぜ、アリス」


 恋符「マスタースパーク」


 直後、夜の闇を明るく照らし出す極太のレーザーがアリスを飲み込んでいた。

「よっと」

 吹き飛ばされたアリスを、ギルバートが追いかけて受け止める。
 アリスはボロボロになっており、衝撃で意識が混濁しているのか眼の焦点が合っていなかった。

「おい、大丈夫か?」
「う……いたた……ん、ギルバート?」
「よし、大した怪我は無いみたいだな」

 ギルバートが声をかけると、アリスの意識は回復してきたらしく頭を押さえて体を起こした。
 それを見て、ギルバートは小さく息をついて頷いた。
 アリスは姫抱きにされている自分の現状を知ると、少し呆然とした後でギルバートの顔を見た。

「……受け止めてくれたのかしら?」

 アリスは少し考えるような仕草をしてからそう尋ねる。
 流石に姫抱きにされて気恥ずかしいものがあるのか、その顔はほんのり赤く染まっている。
 そんなアリスを見て、ギルバートは微笑んだ。

「まあ、そんなところだ。立てるか?」
「ええ、大丈夫よ」

 ギルバートはアリスの言葉を聞くと、地面に優しく下ろした。
 そしてアリスが自分の乱れた服装を直していると、魔理沙が降りてきた。

「へへん、私の勝ちだぜ!」
「ああ、魔理沙の勝ちだな。それじゃあ勝負は勝負だし、話してもらうぞ」

 楽しそうにそう宣言する魔理沙に、ギルバートがそう重ねる。
 それを聞いて、アリスは深々とため息をついた。

「はぁ~……仕方ないわね。このまま風上に向かっていけば、その目的の場所があるわよ。もっとも、雲の上だからそのまま飛んでも見つからないけどね」
「嘘じゃないよな?」
「嘘じゃないわよ。大体、私が犯人だとして何処に溜め込んでおくのよ? そもそも溜め込んだりしたらその周りだけ春になってバレバレよ?」

 怪訝な表情を浮かべる魔理沙に、アリスは呆れ顔でそう告げる。
 それを聞いて、ギルバートは納得したように頷いた。

「そっか。サンキュ、教えてくれて」
「よし、それじゃあ早く行こうぜ。とっとと長い冬とはおさらばしたいぜ」
「ああ、そうだな。それじゃあ他の奴らにも伝えて、出発するか」

 魔理沙とギルバートはそう言うと、離れて待機していた他の三人のところへと向かおうとする。
 するとギルバートがふと思いついたように立ち止まった。

「っと、そうだ」

 ギルバートはそう言うと、黒いジャケットのポケットから小さな白い麻袋を取り出してアリスに軽く放り投げた。
 アリスはとっさにそれを受け取ると、中身を確認した。
 その中には桜の花びら、春のかけらがぎっしり詰まっていた。
 
「え、これ……」
「ちょっとした迷惑料だ。それだけあれば、一人分は何とかなるだろ? じゃ、またな!」

 困惑するアリスに、ギルバートは笑顔でそれだけ言うと飛び去っていった。
 一人取り残されたアリスはしばらくの間手のひらの上の麻袋を眺めていた。
 そして小さくため息をつくと、穏やかに微笑んだ。

「……怒るかもしれないけど、やっぱり貴方は女誑しの才能がありそうね、ギルバート?」

 アリスはその人狼が飛び去っていった夜空に向かってそう呟くと、彼らとは別の方角へと飛び立っていった。



[29218] 妖々夢:銀の月、踊らされる
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/08 08:35
 異変を解決しに向かう一行は、アリスの言うとおり風上に向かいながら高度を上げていく。
 襲い掛かってくる妖精達を倒しながら進んでいくと、段々と暖かくなっていくのを感じる。

「……段々暑くなってきたな」

 ギルバートは分厚く黒いジャケットを見やりながらそう呟く。
 その冬物のジャケットの下は汗ばんでおり、かなりの暑さを感じていることが分かる。

「やっぱり、アリスの言うことは正しかったみたいだね。春度を持っている妖精も多いみたいだし」

 銀月はそう言いながら落ちてくる花びらを集めていく。
 花びらは前方からどんどん落ちてきて、行く先に春があふれていることが良く分かる。

「それにしても、陽の気が集まっているから妖精がいっぱい居るわね」

 霊夢が次から次へと出てくる妖精達を撃ち落しながらそう呟く。
 目の前に現れる妖精の数は未だに冬の寒さの地上に比べて格段に多く、一行の行く手を阻んでいた。
 そんな中、一人の妖精が一行を見つけると近寄ってきた。

「――――!!!!」

 その全身白い服装の妖精は何やら身振り手振りで伝えようとしている。
 何やら言いたいことがあるのだろうが、興奮しすぎで伝えたいことが言葉にならないようである。
 その様子を、一行は首をかしげながら見つめる。

「なあ、あいつは何がしたいんだ?」
「さあ……ひょっとして、春告精かしら?」
「たぶんそうだろうね。他の妖精に比べて随分と力も強そうだし。恐らく、春が来たのを伝えたいんじゃないかな?」

 咲夜の言葉に、銀月が横から答える。
 目の前の妖精は他の妖精と比べて強い力が感じられていた。
 そのことから、この時期に強い力を持つ春告精だと判断したのであった。
 一行はその春告精の前を通り過ぎようとする。

「――――!!!!」

 すると春告精は突然弾幕を放ってきた。
 興奮が抑えきれず、目の前の人間に弾幕をもって春を伝えようとする。
 赤と青の華やかな弾幕が一行を飲み込むべく飛んでいく。

「どわっ!? 何だ何だ!?」
「いきなり攻撃するなんて、危ないだろ!」

 春告精の近くを通っていたギルバートと魔理沙は、急加速をすることでその弾幕を潜り抜ける。
 突然の攻撃に少々驚いているのか、反撃までは出来なかった。
 その攻撃してきた春告精を霊夢が睨んだ。

「私達に攻撃を仕掛けるなんて良い度胸じゃない!」

 霊夢はそう言うと、春告精に向けて攻撃を仕掛けようとする。
 しかしそれを銀月が割り込んで止める。

「ちょっと待った。攻撃は後にしてくれる?」
「何でよ? ここで落とさないといつまでもついてくるわよ、あれ」
「まあまあ、相手がやりたいことは分かってるんだし、俺の方法を試してからでも遅くはないと思うよ?」

 少し苛立ち気味の霊夢に、銀月は自身ありげに片目をつぶってそう言った。
 そんな銀月の様子に、霊夢は大きくため息をついた。

「分かったわよ。だったら好きにしなさい」
「ああ、そうするよ」

 銀月はそう言うと、弾幕を潜り抜けながら春告精のところまで向かった。
 ジグザグに飛んで相手をかく乱しながら近づく銀月に、春告精は春を伝えようと弾幕を放つ。

「よっと!」
「きゃあ!?」

 しかし一瞬の隙を突いて銀月は春告精に急接近し、一気に抱きついて捕まえた。
 驚いた春告精は銀月の腕の中で思わずすくみ上がる。
 突然のことで頭がついていかず、じたばたと手を動かす。

「落ち着いて、妖精さん。別に襲い掛かったりはしないから」

 銀月は春告精をしっかりと抱きしめ、穏やかな口調で声をかける。
 それは子供を優しく諭す親のような、恋人に話しかけるような甘い声色で、聞く者を安心させるような声であった。
 同時に抱きしめたまま頭を撫でて指で髪を梳き、何とか落ち着かせようとする。

「はう……」

 すると春告精はじたばたするのをやめ、次第に大人しくなっていった。
 抱きしめられている今の状況を理解したのか、その顔は少々赤い。
 暴れることをやめた春告精に、銀月は抱きつく力を緩めた。

「うん、良い子だ。あのさ、あれじゃあ言いたい事は分からないよ。もっと落ち着いて、言葉にして伝えないと」
「言葉……」
「そうさ。さあ、まずは深呼吸をして、俺に言いたい事を伝えてごらん?」

 春告精はしばらくの間キョトンとした表情で銀月の顔を見つめていた。
 そして大きく深呼吸をし、伝えたいことを言葉にした。

「春ですよぉー!!」

 銀月に向かって春が来たことを告げる春告精。
 それを聞いて、銀月は微笑んだ。

「そう、それで良いんだ。さあ、幻想郷に春が来たことを伝えにいきなよ」

 銀月はそう言いながら春告精を解放する。
 すると春告精はしばらく銀月を眺めた後、背を向けて飛んでいった。

「春ですよぉー!!」

 春告精の声があたりに響き渡る。
 その声を聞きながら、銀月はホッとした表情で頷いた。

「……うん、これならもう大丈夫そうだな」
「流石ね、銀月。うちのメイド妖精を手懐けているだけあるわ」

 そんな銀月に横から咲夜が感心した様子で声をかける。
 それを聞いて、銀月はそのほうへと振り返った。

「教え方次第で妖精だってちゃんと仕事は出来るようになるのさ。まあ、あのメイド妖精達はちょっと苦労するけどね」

 銀月はそう言って困ったような笑みを浮かべた。
 実際、紅魔館のメイド妖精達は銀月が来るようになってから少しずつ仕事をするようになった。
 しかしその水面下では、仕事のノルマを達成したものに対してお菓子を作ってご褒美をあげたりしている銀月の並々ならぬ苦労があるのであった。
 もちろんこんなことは咲夜一人のときでは仕事量の関係で出来るはずもないので、妖精達の統括と言う点においても銀月は役目を果たしているのだ。
 なお、その副産物として優しい上司として認識されて懐かれ、銀月が姿を見せるたびにメイド妖精が近寄ってくるようになってもいる。

「それをちゃんとまとめられてるんだから良いじゃない。これだって才能だと思うわよ?」
「そうかな?」
「そうよ。これからも頑張ってちょうだい」

 咲夜はそう言いながら銀月の頭にさりげなく手を伸ばす。
 もうすっかり日頃の癖になってしまっているようである。

「待って」

 しかしその咲夜の手を、銀月は手で止めた。
 そんな銀月に咲夜は首をかしげた。

「どうしたの?」
「今それをやったら霊夢に怒られる」

 銀月は苦笑いを浮かべながら、自分の赤い首輪に繋がった紐を弾いた。

「…………」

 その紐の先は霊夢にしっかりと握られている。
 彼女は睨むように銀月を見つめていて、いつでも紐を引けるような体勢を整えていた。

「……そうね」

 そんな霊夢を見て、咲夜は少し残念そうに手を下ろした。
 右手に左手を重ね、撫でようとするのを自制する。
 そんな咲夜に、銀月は少し言いづらそうに話しかけた。

「だから……後で……いいかな?」

 銀月は照れくさそうに俯きながら、何とか相手の眼を見てもじもじとしながらそう言った。
 その結果、銀月は顔を赤らめて狙いすましたような上目遣いと言う表情を浮かべることになった。
 それを見て、咲夜は穏やかな笑みを浮かべた。

「ええ、いいわよ」

 咲夜はその表情の通り落ち着いた声でそう言った。
 しかしその左手は自分の右手を強く握り締めており、撫でたくなるのを必死に堪えていることが分かる。
 この辺りはどこぞの巫女と違って自分の衝動を抑えられるようである。

 そんな二人を、他の三人が遠巻きに眺めていた。

「ちょっと奥様、銀月ってば完全に落ちてますわよ!?」
「ああ、もうデレデレだな。まさに調教済みって奴だぜ」

 銀月の様子をギルバートが面白おかしくふざけながら話すと、魔理沙もニヤニヤと笑いながらそれに返す。
 つまり、銀月のこの表情はこういう事を言いたくなるほど珍しい表情なのである。
 それを見て、霊夢は呆れた表情を浮かべた。

「頭を撫でられる事がそこまで良いのかしら……」

 霊夢はそう言いながらも、頬を赤く染めた銀月の顔を眺めている。
 やはり霊夢にとっても珍しいらしく、興味はあるようであった。

「それで、これは何だ?」

 ふと我に返って、魔理沙が目の前にあるものを指差した。
 するとそこには、何やら門の様なものがあった。
 それを見て、霊夢が口を開いた。

「何って、結界ね」
「そんなこたぁ分かる。何でこんなところに結界があるのかって話だ」
「……というか、この中に春が溜め込まれてるんじゃないか? 状況的に考えて」

 魔理沙の問いかけにギルバートがそう答える。
 地上よりも暖かい雲の上、先程の春告精、そして門の向こう側から流れてくる桜の花びら。
 それらの状況が、目の前の門の先に春が溜め込まれていることを示していた。

「まあ、ここは暖かいしね」
「暖かいと幸せになれるねー」
「けどまあ、そんなことはどうでもいいけどね」

 突如横から聞こえてきた声に眼をやると、そこには三つの人影があった。
 三人とも先端に飾りが付いたとがった帽子を被り、ブラウスに襟とフリルのついたベスト、膝上くらいの長さのスカート穿いている。
 一人はヴァイオリンを目の前に浮かべた黒を基調とした服を来た金髪の少女で、帽子に赤い三日月を模した飾りが付いている彼女が長女であるルナサ。
 一人はトランペットを目の前に浮かべた白を基調とした服を着た銀髪の少女で、帽子に青い太陽を模した飾りが付いている彼女が次女であるメルラン。
 一人はキーボードを目の前に浮かべた赤を基調とした服を着た淡い赤銅色の髪の少女で、帽子に緑色の流れ星を模した飾りが付いている彼女が三女であるリリカ。
 幻想郷で名の知れた音楽隊、プリズムリバー三姉妹である。

「ん? プリズムリバー三姉妹じゃないか。どうしてここに?」

 その三人の姿を見て、ギルバートが声をかけた。
 それを聞いて、ルナサが挨拶をした。

「ああ、貴方は人狼の里の長の息子だったね。確か、ギルバートであってたかしら?」
「ああ、あってるぞ。久しぶりだな」

 ルナサの問いかけに、ギルバートは右手を上げながら答える。
 そんなギルバートに、魔理沙が声をかけた。

「何だギル、知り合いか?」
「ああ、この間うちで開いたパーティーで呼んだ音楽隊だ」

 以前、ヴォルフガング家ではジニの誕生日にパーティーを開いており、そのときにプリズムリバー三姉妹を呼んでいたのだ。
 そのときに、ギルバートはヴォルフガング家のホストとして彼女達に応対をしたのであった。
 その彼女達に、咲夜が質問をする。

「その音楽隊が何でここに?」
「今日はお花見をするから、そのために呼ばれたのよ」
「お花見ねえ……さっさと終わらせて私もお花見したいわ。銀月の料理を持って」

 メルランの言葉に反応し、霊夢はそう呟いた。
 視線は銀月に向けられており、かなりの期待が込められていた。

「……終わったらね」

 その霊夢の視線を受けて、銀月は苦笑いと共にそう呟くのだった。
 そんな中、リリカがギルバートに話しかけた。

「まあ、お花見までは少し時間があるし、ここらでリハーサルがてら演奏を聴いてみない?」
「ああ、そうね。今日はゲストも呼んでいる訳だし、一度合わせておいた方が良いかもしれないわね」

 リリカの提案に、ルナサがそう言って賛同した。
 それを聞いてギルバートが怪訝な表情を浮かべた。

「ゲスト? そんなの居るのか?」
「ええ。そろそろ来る頃なんだけど……」
「ごめーん! 待ったかな?」

 メルランが何か言いかけたその時、少し高めの明るい少女の声が聞こえてきた。
 そうして現れたのは、赤いリボンつきのシルクハットを被り、オレンジ色のジャケットとトランプの柄が入った黄色いスカートを穿いたうぐいす色の髪の少女であった。
 黒いステッキを持って黄色とオレンジの二色に塗られたボールに乗った彼女は、左眼の下に赤い涙の模様が、右眼の下には青い三日月が描かれていた。
 そんな彼女の姿を見て、銀月が首をかしげた。

「愛梨姉さん? 何でここに?」
「今日の僕はプリズムリバー演奏隊のゲストさ♪ 一緒に演奏したり、踊ったりするんだ♪」
「愛梨! これから一曲練習しようと思うんだけど、どうかな!?」

 楽しそうにくるくると回る愛梨に、メルランが少々興奮した様子で愛梨に話しかける。
 躁の気があるメルランと、常に相手を笑顔にさせて回る愛梨は何かと波長が合うようである。
 そんなメルランの反応に、ルナサがため息混じりに口を開いた。

「メルラン、少し落ち着いて。そんな大声出さなくても聞こえるって」
「キャハハ☆ 気にしない気にしない♪ 元気があるならそれも良いさ♪」
「そうそう。そのまま張り切って観客をああしてこうすれば問題ないね」

 ルナサの言葉に愛梨は太陽のような笑みを浮かべてそう言い、リリカは観客たる一行を眺めながら何やら不穏な言葉を発した。
 ルナサはそれを聞いて小さくため息をつくと、銀月を見やった。

「ところで愛梨、そこの彼とは知り合い?」
「そうだよ♪ 銀月くんとは家族みたいな関係だよ♪ ね、銀月くん♪」
「そうだね。相変わらず元気そうで安心したよ。でも、何でゲストに呼ばれることになったのさ?」

 銀月は愛梨にプリズムリバー三姉妹にゲストとして呼ばれた理由を尋ねた。
 すると愛梨はキョトンとした表情を浮かべて首をかしげた。

「あれれ、銀月くん知らないのかな? 僕、人里や人狼の里の広場で時々ショーを開いてるんだよ♪ 演奏隊のみんなにはたまに手伝ってもらうんだ♪」
「そうだったんだ。姉さんのことだから、きっと人気なんだろうね」
「いつも沢山の笑顔をもらってるよ♪」

 愛梨はニコニコと笑いながら銀月にそう言った。
 その様子から、愛梨の芸は観客に広く受け入れられているということが知れた。

「愛梨! そろそろ演奏を始めようと思うんだけど、いい!?」

 そんな愛梨に、興奮冷めやらぬメルランが声をかける。
 どうやら彼女は早く演奏を始めたくてたまらないようである。
 それを見て、愛梨は手にしたステッキをくるくる回しながら笑った。

「キャハハ☆ いつでも良いよ♪ 僕はどうすれば良いかな?」
「何でも良いよ。お客さんが退屈しなきゃね」
「おっけ♪ それじゃあ僕はみんなに合わせるよ♪」

 リリカの言葉にそう言って、愛梨は手にしたステッキで被っているシルクハットを軽く叩く。
 そして乗っていたボールから飛び降りると、シルクハットを取って深々と礼をした。

「これより始まりますは、魂の宴。踊りは貴方を笑顔にさせ、折り重なる深い音色は心を癒すことでしょう。皆様、拍手の用意をお忘れなく。それでは開演といきましょう!!」

 愛梨がそう言うと、一斉に弾丸が飛び交い始めた。
 それを見て、一行は飛んでくる弾丸を避け始めた。

「まとめて私達を相手にする気かしら?」
「うん♪ だって、みんな仲間はずれは嫌でしょ? こういうのはみんなで楽しまなくちゃね♪」

 咲夜の問いかけにさも当然といった様子でそう答える愛梨。
 愛梨はそう言いながら霊夢達五人に的確に弾幕をばら撒く。

「はっ、私達をまとめて相手にするなんて随分な自信だな!」
「それで良いなら受けて立つわ」

 魔理沙と霊夢はそう言いながら愛梨に攻撃を仕掛ける。
 その二人の弾幕を、愛梨はボールの上に乗りながら踊るようなステップで回避していく。
 その避け方は見た目にも華麗で、サーカスの演技を見ているような避け方であった。

「うんうん、そう来なくっちゃ♪ でもでも、それじゃあ気をつけないと後でちょっと危ないかもね♪」

 愛梨は意味ありげに笑いながら霊夢達にそう話しかける。
 それを見て、銀月が霊夢達に声をかけた。

「気をつけて! 愛梨姉さんは対多人数が一番得意なんだ! 同士討ちとかしないように注意して!」

 銀月の声が聞こえたのか、五人はお互いの射線が重ならないような位置に陣取って愛梨に攻撃を続ける。
 しかし愛梨はその五人からの攻撃を鮮やかにすり抜けていく。

「キャハハ☆ 僕と遊ぶのも良いけど、今日の主役は演奏隊だよ♪ そろそろ音楽も聴いてよ♪」

 愛梨は笑いながらそう言うと、ボールの上から空高くジャンプした。
 そしてしばらくすると、ルナサの隣に降りてきた。

「最初はみんなにリラックスして欲しいな♪ それじゃあルナサちゃん、頼むよ♪」
「まずは私の曲よ。落ち着いた心で聴いて欲しいわ」


 舞曲「愛と死のロンド」


 ルナサがスペルカードを宣言すると、美しいヴァイオリンの音色と共に周囲に♪マークが浮かび上がってくる。
 そしてしばらくするとその♪マークが弾丸に変わり、五人をめがけて飛んでいく。

「たーららーららーらーららーらーららーらーららーらららー♪」

 さらにその間を、愛梨がくるくると踊りながら花が開くように弾丸を振りまいていく。
 ルナサが奏でるどこかもの悲しい雰囲気の曲に合わせて、憂いを帯びた表情で優雅にかつ静かに舞う。
 その踊りは弾幕を避けながらでも決して崩れることがなく、見るものを惹きつける動きであった。

「ちっ、どうせ踊りを見るならゆっくり見せて欲しいぜ!」
「同感だ! 弾幕を避けながら見るもんじゃねえな!」

 魔理沙とギルバートはそう言いながら飛んでくる弾丸を避ける。
 ルナサの赤い弾幕と愛梨の瑠璃色の弾幕が複雑に絡み合い、止まってしまうと被弾してしまいそうになる。
 とてもゆっくりと踊りを見たりできる状況ではなかった。

「たららららーららー♪」
「くっ、全然当たらないわね……」
「流石は愛梨姉さんだね……ずっと父さんと一緒に修行してただけあるや!」

 どんなに狙って撃っても易々と潜り抜けていく愛梨に、霊夢と銀月は苦い表情を浮かべる。
 しかも愛梨の動きには全く乱れがなく、かなり動きに余裕があるようであった。
 そんな愛梨を見て、ルナサが感嘆のため息をついた。

「やるわね、愛梨……アップテンポだけじゃなくて、こういう曲も踊れるのね」
「そう言えば、君達の前で僕がこういう曲を踊るのは初めてだったかな?」
「ええ。とても綺麗よ」
「君の演奏が上手いからだよ♪」

 ルナサと愛梨はお互いに演技をしながらそう話す。
 そう話している間に曲が終わり、同時にスペルカードの効果も切れた。

「スペルが切れたか……次は何だ?」

 ギルバートは次のスペルを警戒して身構える。
 すると司会進行役を務める愛梨が再び高くジャンプし、メルランの隣に降り立った。

「今度はみんなにも一緒に踊ってもらうよ♪ 次はメルちゃん、ごー♪」
「さあみんな! 私の演奏を聴いてハッピーになってね!!」


 騒曲「ソードダンスカプリッチオ」


 メルランがスペルを宣言すると、トランペットの音がけたたましくなり始めた。
 曲調はとても明るい曲で、眼が回りそうなほど速いテンポであった。
 それと同時に凄まじい勢いで青い弾幕が放たれ、辺りに散らばっていく。

「それそれそれ~!」

 その曲に合わせて、愛梨はぐるぐると回るように踊る。
 その動きはまるで両手に剣を持っているような動きで、見るものを奮い立たせるような踊りであった。
 そんな踊りの中で、愛梨は五人を狙って密度の高い弾幕を放った。
 その弾幕は面で迫る圧迫感のある弾幕で、逃げ道が一見するととても分かりづらいものであった。

「また一気にきついのが来たわね。避けられないわけじゃないけど」

 飛んでくる弾幕を見て、咲夜が避けながらそう呟く。
 それを聞くと同時に、銀月が苦笑いを浮かべた。

「あはははは……一緒に踊るってそう言うことか……」
「どういうことかしら?」
「俺達には分からないさ! それよりもきちんと避けないと!」

 咲夜からの質問に、銀月はそう答えながら避け続ける。
 相変わらず愛梨への攻撃は全て躱されており、打開策が見えてこない。
 その場でくるくる回っているように見えるが、少しずつ軸をずらしながら微妙な角度で全て回避しているのだ。

「すごいすごい! みんな踊ってるよ!!」

 一方、メルランは目の前の光景に大喜びしていた。
 何故なら、自分や愛梨の弾幕を避ける五人が全員同じ動きをしていたからであった。
 二人の弾幕が一定の規則で並ぶようになっており、最も避けやすいやり方を選ぶと全員同じ動きをするように誘導されているのであった。
 その動きはまるでラインダンスをしているようであり、見ていて見事なものであった。

「キャハハ☆ どうかな、メルちゃん♪」
「うん、面白いよ! どんどん踊ってもらっちゃおう!!」
「そうだね♪ 演奏頑張って♪」

 楽しげに笑いながら話をする愛梨とメルラン。
 お互いに趣味が合うのか、はたまた曲のせいかは分からないが、二人ともやたらとはしゃいでいる。
 二人は弾幕を張り合いながら、目の前の五人をマリオネットのように操っていく。

 そんな中、反撃の一手を探す者が約一名。

「この……やられっぱなしだと思うなよ!」

 ギルバートはそう言うと、スペルカードを取り出した。


 魔弾「トワイライトブレイク」


 ギルバートはスペルを宣言すると、右腕に魔力を溜め込み始めた。
 その手には黄金の光の玉が形成され、どんどん巨大化していく。

「行け!」

 そしてその腕を右ストレートを打つ要領で突き出すと、巨大な黄金の光球が相手に向かって飛んでいった。
 その光の球は黄昏時の黄金に輝く太陽のような光を放ち、弾幕をかき消しながら相手に向かっていく。

「ひゃあ」
「うわっと!?」

 それを見て、愛梨とメルランは急いで回避した。
 二人とも攻撃を一度中止し、ギリギリのところで逃れることが出来た。
 しかしその瞬間音楽が止まり、スペルが切れてしまった。

「キャハハ☆ やるね、ギル君♪ そう言う思いっきりの良さはいいと思うよ♪」

 味方のスペルを破られたというのに、愛梨はなおも楽しそうに笑う。
 愛梨は心の底からこの勝負を楽しんでおり、未だに余裕の色が見えるのであった。
 それを見て、魔理沙が面白くなさそうな表情を浮かべた。

「ちぇっ、まだまだ余裕そうだな」
「ああ、ダメダメ♪ そんな顔しないで、もっと笑って♪」
「うわっ!?」

 いつの間にそこに来たのか、魔法でも使ったかのように目の前に現れた愛梨に、魔理沙は驚いて体勢を崩す。

「魔理沙!」
「ひゃう」

 そこにギルバートが弾速の早い黄金の弾丸で愛梨を即座に狙い打つ。
 愛梨は横からの強襲に少し驚いた表情を浮かべた後、三度空高く跳躍した。

「サンキュ、ギル。助かったぜ」
「油断しすぎだぜ、魔理沙……とはいっても、ありゃ厳しいか」

 ギルバートはそう言いながら魔理沙をかばう様に前に立つと、愛梨を追撃するために弾幕を展開した。
 その金と群青の弾幕を潜り抜けながら、愛梨はリリカの隣に降り立った。

「次の曲は全力全開♪ いっくよ~、リリカちゃん♪」
「OK! 思いっきりやっちゃって、愛梨!」


 組曲「道化師のギャロップ」


 リリカがスペルの使用を宣言すると、キーボードから軽快な音楽が聞こえてきた。
 駆け出したくなるような軽快なリズムの曲で、そのリズムに乗せて赤と青の弾幕を展開している。

「よ~し、それじゃあ張り切っちゃうよ♪」

 愛梨はそう言うと、乗っているボールを転がして全速力で走り始めた。
 リリカの赤と青の弾幕が降り注ぐ中、愛梨は緑と黄色の弾幕を張りながら舞台を駆け回る。
 その四色の極彩色の弾丸は立体的に交差するように飛び交い、挑戦者に襲い掛かる。

「そらそらそら! どんどんいくよ!」

 リリカは威勢よくそう言いながら次々と弾幕を張っていく。
 愛梨の援護もあってか、かなり強気になっているようである。

「うわっ!?」

 しかし、そんなリリカに銀のナイフが襲い掛かった。
 突然自分に向かって飛んできた攻撃に、リリカは慌てて避ける。

「いつまでもやられてばかりじゃないわよ」

 そのナイフを投げた本人であるメイドは、リリカにそう言い放った。
 それから一呼吸もおかずに、今度は銀のタロットカードが飛んでくる。

「きゃあ!?」
「……今更気づくのもあれだけどさ、愛梨姉さんに当たらないなら君達に当てればいいんだよね」

 銀月はそう言いながらリリカにめがけて弾幕を放つ。
 気がつけば、リリカは五人からの総攻撃を受ける事態になってしまっていた。

「や、ちょっと待って! こんなの無理だってば!」

 リリカは総攻撃を受けながら必死で逃げ回る。
 金銀藍翠の弾丸に、銀のナイフとタロットカード、レーザーに札などが嵐のように襲い掛かってくる。
 かろうじてスペルは維持しているが、このままでは破られるのは時間の問題であろう。

「やっほー♪」
「おっと!」
「ちっ!」

 しかしその攻撃をカットするように愛梨が五人の間を駆け抜けた。
 霊夢達はちょうど一列になっており、そこを狙って一気に攻撃を仕掛けていく。
 横からの強襲に、五人は攻撃を中断して回避に当たった。

「キャハハ☆ 演奏はしっかり聴いて欲しいな♪」
「助かったよ、愛梨……もうだめかと思った……」
「厳しいかもしれないけど、後ちょっとだから頑張ってね♪」

 冷や汗をかくリリカに愛梨はそう言いながら、リリカに攻撃を加えようとする一行を揺さぶるように辺りを飛び回る。
 霊夢達はリリカに攻撃を仕掛けるも、愛梨に邪魔されてなかなか攻撃が通らない。
 そうしているうちにリリカの演奏が終了し、スペルも終了を迎えた。

 すると今度は三姉妹揃って中央にやってきて、愛梨はその横に立った。

「最後はみんなの大合奏!! 最後まで楽しんでね♪」

 愛梨は飛びっきりの笑顔で観客にアナウンスする。
 するとその愛梨を取り囲むように三姉妹が移動した。

「ゲストもちゃんと参加してね」
「そうそう!! 今は愛梨も団員なんだからさ!!」
「あんたの音色、ちゃんと聞かせてよ!」
「キャハハ☆ 了解だよ♪」

 三人がそう言うと愛梨はステッキを持った手を前にかざした。
 そして手首をくるりと一回転させると、手にした黒いステッキがいつの間にか銀色のフルートへと変わっていた。
 それを確認すると三姉妹は頷きあい、スペルカードを取り出した。


 大合葬「霊車コンチェルトグロッソ快」


 スペルが発動すると、三姉妹は愛梨の周りをぐるぐると回りながら演奏し、弾幕を展開する。
 爽やかな音色と共に桜色と黄色の弾丸が螺旋を描くように飛んで行き、霊夢達に向かっていく。

「さてと、僕も負けてられないな♪」

 その周りの合奏に愛梨がフルートの音色を加えていく。
 するとその透き通った音色に呼び出されたかのように、背後に見事な虹が現れた。
 その虹から七色の弾丸が放たれ、向かい合う両者の間で交差し、弧を描くようにして霊夢達のところへ向かっていく。
 そしてその弾幕は、霊夢達の後ろで大きな虹を描き出す。

「だから音楽なら弾幕抜きで聴かせてくれよ!」
「本当だよ! おかげで落ち着いて聴けやしない!」

 そんな苛烈な攻撃を受けながら、ギルバートと銀月が口々に文句を言う。
 音楽が素晴らしいだけに落ち着いて聴けないことに不満を感じているようである。

 しかし、ここに来て不満がピークに達した者が約一名。

「もう良いわ……さっさと終わりにしてあげるわ!!」

 霊夢は肩を震わせながらそう叫ぶ。
 さして興味の無い音楽に付き合わされて、おまけにかなりいい様にあしらわれていたのだ。
 そのおかげで霊夢の怒りは今にも爆発しそうな状態なのであった。
 霊夢はその怒りに任せて、スペルカードを取り出した。


 霊符「夢想封印 集」


 スペルが発動すると、虹色に輝く巨大な追尾弾が愛梨達をめがけて飛んでいく。

「うわっ!?」
「ひゃっ!?」
「あうっ!?」

 演奏していた三姉妹はその攻撃の直撃を食らって、演奏を中断してしまう。

「うきゃあ」

 そして流石に愛梨も避け切れなかったのか、その攻撃を受けて演奏を途切れさせてしまった。
 スペルカードは、これで破れてしまったのだ。

「よし、これで勝負は私達の勝ちね」
「うん、そうだね♪ すっかりやられちゃったよ♪」

 勝ち誇る霊夢に、愛梨が笑みを浮かべながらそう答えた。
 負けたというのに、どこか清々しい笑みであった。
 そんな愛梨に、銀月がため息混じりに声をかけた。

「そんなこと言うけど愛梨姉さん、最後まで本気出してなかったでしょ?」
「うん♪ 僕はゲストだからね、メインの曲より目立っちゃいけないでしょ♪」
「いや、充分目立ってたから。弾幕ごっこを混ぜると愛梨姉さんの独壇場になっちゃうって」
「ありゃりゃ、それは失敗だね♪」

 銀月の指摘に、愛梨は苦笑いを浮かべて頬をかいた。
 愛梨としては充分に自重したつもりなのだが、結果として弾幕ごっこでは三姉妹よりも目立っていたのだから言われても仕方のないことである。
 そんな二人の会話を聞いて、ギルバートが呆れ顔を浮かべた。

「あれで本気じゃないのか……やっぱり銀の霊峰の上の奴らは化け物ぞろいだな」
「それはそうと、この門の先にはどうやって行くんだ?」
「ああ、これならこの上を飛び越えていけば抜けられるわよ」
「……それはそれで結界としてはどうなのかしら……」

 魔理沙の質問に対するメルランの答えに、咲夜が乾いた笑みを浮かべる。
 境界を隔てるための結界なのに簡単に越えられてしまうのだから、その意味を問わねばならないだろう。

「あんた達はこの先に行くの?」
「ええ、そのつもりよ」
「姉さん達はどうするのさ?」

 リリカの質問に霊夢が答え、銀月が愛梨に問いかける。
 すると愛梨は少し考えてから答えを出した。

「僕達は時間もあるし、ちょっと打ち合わせがてらに休んでから行くよ♪」
「そうかい。今度はゆっくり演奏を聞かせてくれよ?」
「ええ、是非ともそうして欲しいわ」

 ルナサがギルバートの言葉に答えを返すと、一行は結界を超えて中に入っていった。
 その一行を見送った後、メルランが疑問に思ったことを口にした。

「……ところで、男二人は何で首輪がついていたのかな?」
「きゃはは……まさか、そう言う趣味じゃないよね……?」
「何かあぶない感じがするね」
「人の趣味って分からないものね」

 後日、要らぬ誤解を受けた二人が愛梨と三姉妹に必死に説明をする羽目になるのだが、それは余談である。



[29218] 妖々夢:銀の月、一騎打ちをする
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/08 08:47
 結界を超えて、一行は先へと進んでいく。
 その先にあったのは、長い石段。
 前方からは桜の花びらが舞い落ちてきていて、目的地がこの先にあるということを確信させる。

「……なあ、霊夢」
「何よ?」
「あいつらは何をやってるんだ?」

 魔理沙はそう言いながら、自分の真下を見やる。

「はああああああああ!!」
「うおおおおおおおお!!」

 するとそこには、凄まじい勢いで階段を駆け上がっている男二人の姿があった。
 二人は自分の足で走っているというのに、空を飛んでいる霊夢達を追い抜きそうな速さで階段を上っていく。
 そんな二人を見て、霊夢は大きなため息をついた。

「……修行だそうよ。あの修行馬鹿、階段見た瞬間眼の色変えて走り出すんだもの」
「それにつられてギルも走ってるって訳か。本当に元気な奴らだぜ」

 二人とも呆れ顔で激走している男共を眺める。
 銀月とギルバートは一心不乱に階段を走り続ける。
 激走とも言えるそれを見て、隣で見ている咲夜が乾いた笑みを浮かべた。

「あれでばてたりしないって言うのが凄いわよね……」
「と言うか、銀月は人間で、ギルも人狼だけどあの状態だと人間と変わんないんだよな……」
「……時々人間とは何かを考えたくなるわ」

 女三人は男二人の体力を目の当たりにして、揃ってため息をついた。
 彼女達は男二人の行動についていけないようである。
 そしてふと咲夜が小さく息を吐いて辺りを見回した。

「それにしても、不気味なほど誰もいないわね……」
「それに何だか空気がピリピリしてるぜ」

 咲夜の言うとおり周りにはあれほど集まっていた妖精は全くおらず、魔理沙の言うとおりどこか張り詰めた空気が漂っていた。

「止まりなさい」

 そんな彼女たちの前に、そう言って立ちはだかるものが約一名。

「死者達の住まう白玉楼に生きた人間が来るとは……」

 白い髪に二本の日本刀を携えたその少女は、目の前の人間達を見てそう呟く。
 白玉楼の庭師、魂魄妖夢である。
 彼女を目の前にして、一行は立ち止まった。

「っと、どうやら門番のご登場の様だぜ」

 魔理沙は妖夢を見て、軽い口調でそう呟いた。
 それに対して、妖夢は睨むような視線を投げかけてくる。

「貴方達は入り口の結界が何であるのか分からなかったのですか? ここはかつて生きていた人間の住まう場所。呼ばれてもいない生きた人間が来るべきところではないんですよ?」
「そうは言っても、私達はこの先に用があるのよ。貴方達が奪った春、返してもらうわよ」
「そう言うわけには行きません。この程度の春ではまだ足りないんです。西行妖を満開にさせるためにはもっと春が必要なんです」

 咲夜の言葉に、妖夢はそう言って首を横に振る。
 その言葉を聞いて、階段から空へ戻ってきたギルバートが首をかしげた。

「西行妖? その言い方からすると、桜か何かか?」
「ええ。あの妖怪桜を満開にさせるためには普通の春では足りないんです。だから、貴方達が持っているなけなしの春を頂きます」

 妖夢はそう言いながら手にした長い刀、楼観剣を一行に向ける。
 それに対して、霊夢が不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「そう簡単に渡すわけないでしょ。あんたらが春を集めてくれたせいで下は寒くてしょうがないのよ。西行妖だか何だか知らないけど、春が必要なのは誰も一緒よ。独り占めはさせないわ」
「そんなことは百も承知です。だから、私は無理やりにでももらっていきます」

 妖夢はそう言って一行を睨む。その眼には、何が何でも目的を達成するという意思が見て取れた。
 それに対して、銀月は冷たい視線を向けながら小さくため息をつく。

「……冷静な判断とは言えないな。君は俺達五人を相手にしなければならない。見たところ、君の力じゃそれは厳しそうだけど?」
「……ええ、それも承知の上です。それでも、私はやらなければなりません。貴方も従者なら分かるでしょう?」

 銀月の言葉に、妖夢は苦い表情を浮かべてそう言った。
 その力強い口調は、不退転の構えであることを物語っていた。

「はぁ……少々気張りすぎでござるよ、妖夢殿」

 そんな中、妖夢の後ろからため息交じりの声が聞こえてきた。
 そこに居たのは、頭に鉢金を巻いて黒い戦装束に臙脂の胸当て、そして手には赤い柄の十字槍を握った少女であった。
 その姿を見て、銀月は首をかしげた。

「涼姉さん? 何でこんなところに?」
「拙者はただ花見に招待されて来ただけでござるよ。今回の異変には何の関係もないでござる」
「それじゃあ、何でここに出てきたのさ?」
「何やら騒がしかったので覗いてみたのでござるよ。まあ、こんな大人数で異変の解決に来るとは思わなかったでござるがな」

 涼は涼しい表情で銀月にそう告げる。
 どうやら本当にこの場にいるのは偶然のようであった。
 異変には気づいているようではあるが、特に解決に手を貸したりはしないつもりのようである。

「それで、どうするつもり? 関係ないんなら帰って欲しいんだけど」

 霊夢は涼を見ながら面倒くさそうにそう言い放つ。
 それを聞いて、涼は周囲を見回してため息をついた。

「それでも良いんでござるが、この数で押す構図はどうにも気に食わないんでござるよ」
「気に食わないって、どうするつもりなんだ?」

 涼の物言いに、魔理沙が首をかしげる。
 すると、涼は息を大きく吸い込んだ。

『動くな!!』

 涼が叫んだ瞬間、何かが固まるような音が聞こえた。
 それからしばらくして、一行はその場に起きた異変に気がついた。

「っ!?」
「か、体が動かない!?」
「どうなってるんだ!?」

 霊夢達は自分の体を動かそうとするも、微動だに出来ない。
 まるで自分の間接と言う間接が石膏か何かで固められたような感覚を覚えていた。
 困惑する一行に、涼は小さく息を吐いた。

「ちょっと拙者の能力で止まってもらったんでござるよ。最近変化したんでござるが、ちゃんと効くようでござるな」
「……何のつもりなのさ、姉さん」

 状況の説明をする涼に、銀月がそう問いかける。
 その視線は鋭いものであり、理由次第では敵とみなすと言う意思を見せている。
 そんな彼に対して、涼は小さく笑いかけた。

「拙者の能力は知っているでござろう、銀月殿? あれが少し変わって『一騎討ちをさせる程度の能力』になったんでござるよ」
「つまり、俺達に一騎討ちをしろってことか……」
「そう言うことでござる。最初くらいは正々堂々、一対一で勝負してやって欲しいでござるよ」

 大きくため息をつく銀月に、涼は清々しい笑みを浮かべてそう告げた。
 その彼女に、妖夢が怪訝な表情で涼に話しかけた。

「……涼さん、何でこんなことをしたんですか?」
「なあに、ちょっとばかりの老婆心と言うものでござる。今の妖夢殿は少々危うすぎるでござるからな」

 涼は微笑を浮かべながらそう話した。
 それを聞いて、妖夢は首をかしげた。

「危うい?」
「門番の先人としての忠告でござる。門番は常に背水の陣で戦うべからず。間違っても相討ち覚悟などしてはならんでござる」
「正確には、私は門番では無いんですけど……」
「そんなに変わらないでござるよ。一番の目的は何か、それだけを考えれば良いのでござる。門番の仕事は門を守ることではないのでござるからな」

 涼はそう言って、門番のあり方を説く。
 それを聞いて、妖夢の表情に疑問の色が浮かぶ。

「……どういうことですか?」
「話せば長くなるでござる。知りたければ後で教えるから、早く仕事を終わらせるが良いでござるよ」
「でも、良いんですか? 銀の霊峰は異変には特別な理由無しに関与しないんじゃ……」
「はて、拙者は銀の霊峰の一員として呼ばれた覚えはかけらも無いんでござるが?」

 妖夢の言葉に、涼はそう言っておどけたように笑った。
 それに対して妖夢は深く頭を下げた。

「……感謝します。それで、私はどうすればいいんです?」
「戦いたい相手を指定してもらえば、拙者はその者の拘束を解くでござる。妖夢殿は、誰との仕合をお望みかな?」

 涼がそう尋ねると、妖夢は固まっている五人を見渡した。
 そして、その内の一人に刀の切っ先を向けた。

「……銀月さんで、お願いします」
「……承知した」

 妖夢の言葉を聞くと、涼は銀月のほうを見て軽く念じた。
 すると、何かがはじけるような音が聞こえてきた。

「ん?」

 突然動くようになった体を銀月は不思議そうに動かす。 

「銀月殿、ご指名でござるぞ」

 そんな銀月に対して、涼はそう言って後ろに下がった。
 それを聞いて、銀月は小さくため息をついた。

「そうかい。それじゃ、ちょっと話をさせてもらってもいいかな? えっと……」
「申し遅れました、私は白玉楼に仕えさせていただいている魂魄 妖夢と申します。お話はかねがね伺っていますよ、槍ヶ岳 銀月さん」

 妖夢はそう言って銀月に話しかける。
 それに対して、銀月はゆっくりと首を振った。

「悪いけど、俺は槍ヶ岳の姓を名乗ってはいないんだ。銀月と呼んで貰えればそれでいいよ」
「何故です? 槍ヶ岳 将志さんの息子さんだと聞いていましたけど、違うんですか?」

 銀月の物言いに妖夢は不思議そうにそう尋ねた。
 それに対して、銀月は苦笑いを浮かべた。

「いいや、あってるよ。拾われた身だけど、俺は確かに槍ヶ岳 将志の息子さ。槍ヶ岳の姓を名乗らないのはただの意地さ。まあ、そんなことはどうでもいい。妖夢さんは何で俺を相手に指定したのかな?」
「私、貴方に興味があるんです」

 向けられた質問に、妖夢は相手の眼をしっかり見てそう言った。
 それを聞いて、銀月は意外そうな表情を浮かべた。
 初対面の相手に興味があるなどと言われるとは思っていなかったのだ。

「それはまた何で?」
「貴方は人間でありながら、将志さんの息子も同然に育てられました。将志さんは私達に貴方のことをよく話してくれました。貴方が修行熱心なこと、趣味にも一生懸命なこと、そして時々困ったことを仕出かすこととか、色々です」

 妖夢のその言葉を聞いて、銀月はがっくりと肩を落とした。
 自分のあずかり知らぬところで、親の口から自分のことを勝手に喋られているのだから当然の反応である。
 そして、額に手を当てて天を仰いでため息をついた。

「……父さん、何処まで話してるんだか……それで、それを聞いてどう思ったのさ?」
「私が持った印象はこうです。貴方と将志さんは良く似ている。その行動、思想、そう言うものがきっと将志さんと近い、けれども何かが違う人と言う印象を受けました」

 妖夢は銀月に対してそう評価を下す。
 それを聞いて、銀月は小さく頷いた。
 彼にしてみれば、魂のレベルで似ている二人なのである。行動や思考が似ているのはある意味当然のことである。
 そう納得して、銀月は妖夢に眼を向けた。

「……それで、結局何がしたいんだい?」
「私は貴方のことが知りたい。ただそれだけです」

 妖夢は見定めるような目で銀月を見ながらそう言った。
 それを受けて、銀月は困ったような笑みを浮かべてため息をついた。

「成程、単純に俺に興味があるだけか。どうやら父さんが話す俺はよっぽど魅力的みたいだな」
「私の師匠は言っていました。相手のことは斬ってみれば分かると。だから、私は貴方を斬って確かめます」

 妖夢はそう言うと、銀月に向かって手にした楼観剣を構えた。
 それを受けて、銀月は乾いた笑みを浮かべた。

「ははは……随分と物騒なことを言うね、君のお師匠様は。でもまあ、君はどの道俺と戦って春を集めないといけないんだろう?」
「……ええ。それでは始めるとしましょうか」
「ああ、ちょっと待ってくれ。少しやることがあるんでね」

 銀月はそう言うと、収納札から黒い布を取り出して自分の体を覆った。
 そしてその布が翻った瞬間、銀月の服装は真っ赤な執事服から真っ白な胴衣と袴に変わっていた。

「着替え、ですか」
「君が興味を持っているのは父さんの息子としての俺だろう? それなら、こっちの服装の方が素の自分で居られるのさ」

 妖夢が呟いた言葉に、銀月は鋼の槍を取り出して戦闘準備を整えながらそう言った。
 この着替えは紅魔館の執事としての自分よりも、銀月としての自分を出そうという気持ちの切り替えのためのものであった。

「そうですか。では、貴方のこと、試させてもらいます」

 その様子を見て、妖夢は油断なく銀月を見定めながらそう言った。
 それに対して、銀月も手にした槍を妖夢に向けて構える。

「言っておくけど、俺も一応銀の霊峰の門番だ。銀の霊峰の面目のためにも簡単に斬られてやるわけにはいかない。だから本気で行くよ」

 銀月は眼を閉じて、心を静めながらそう言った。
 未知の相手を前にして、自らの平常心を崩さないようにするための行為である。
 それを見て、妖夢は小さく深呼吸をして頷いた。

「受けて立ちます。妖怪が鍛えた楼観剣に、斬れぬものなど、あんまりない!」
「なら、その限界を超えてみせる!」

 そう言い合いながら、二人はお互いに突っ込んでいった。
 最初の一撃は小細工なしのぶつかり合い。
 まっすぐに突き出される銀月の槍に、袈裟斬りに振り下ろされる妖夢の刀。

「「……っ」」

 その瞬間、両者共に息を呑んだ。
 銀月の槍は妖夢の水月に刺さる寸前で止められており、妖夢の刀は銀月の肩口で寸止めされている。
 そのタイミングはほぼ同時であり、仮にお互いに振りぬいていれば間違いなく相打ちになっていたであろう状態であった。

「……技の速さは私の勝ちですね」
「……ああ、そうだね」

 妖夢はそう言って小さく微笑み、銀月は苦い表情を浮かべる。
 何故なら、最速で相手に届く突きの動作と、弧を描いて迫る袈裟斬りが同じ速度であったのだ。
 つまり、振るわれる速度は銀月の槍よりも妖夢の刀のほうが速いのだ。
 もし先程お互いに突きを放っていれば、妖夢の方が勝っていたことであろう。

「何故、寸止めしたんですか?」
「……最初の一太刀はそっちが寸止めをすると思っていたからさ。君の動き、思いっきり振りぬくようなものじゃなかったしね」
「そんなに分かるほど手心を加えたつもりはないんですけどね」
「でも分かるんだよ。俺の眼には君が手加減しようとしたのが良く見えたのさ。だから、俺はまっすぐ君に突き込んだのさ」

 怪訝な表情の妖夢に、銀月はそう言い返した。
 実際、銀月の眼には妖夢の動きが全て見えていた。
 人間の観察眼の限界を超えたそれは、妖夢が本気で振りぬくことは無いという確信を銀月に与えたのだ。
 その銀月の茶色い瞳を、妖夢はしっかりと見据えた。

「……嘘は言ってないんですね」
「ああ。嘘をついてもしょうがないだろう?」

 銀月は冷静に相手を見据えながらそう言い放つ。
 それを見て、妖夢は内心歯噛みした。
 その発言から、銀月は自分の動きから何をするかを読み取る力があることが分かったのだ。
 つまり、些細な動きを感知され、その行動の先を読まれてしまうのだ。

「そう言う君は、何で寸止めしたのさ?」
「将志さんから聞いた貴方の性格から考えて、最初の一撃は寸止めしてくると思ったんですよ。貴方は自分の強さに自信があって、更に女の人を傷つけることを嫌いますから」
「……なるほどね」

 妖夢の言葉を聞いて、銀月は頷いた。
 確かに妖夢が本気であったとして、妖夢が自分より振り遅れたときは寸止めをするつもりであった。
 つまり、初太刀で妖夢がどのレベルの相手なのかを正確に測ろうとしたのだ。
 そんな銀月に妖夢は小さくため息をつく。

「本気を出すと言ったのに甘いですね。そんなことでは私に斬られますよ?」
「……返す言葉も無いよ。どうやら俺は自分でも気づかないうちに慢心してたみたいだ。ふっ!」
「んっ!」

 銀月はそう言うと、槍を振るいながら素早く妖夢から距離を取る。
 それに対して、妖夢はその一撃を刀の鎬で上手く受け流して後ろに下がり、銀月に向けて刀を向ける。
 自らに刀を向ける妖夢に、銀月は槍を構える。
 そして眼を閉じ、小さく深呼吸をした。

「……ごめんよ、あんなことして。これじゃあ不満だろう?」
「ええ。今のでは貴方が少々女の人に優しすぎる事しか分かりませんから。今度はがっかりさせないでくださいね?」
「ああ、分かってるよ!」

 銀月はそう言うと妖夢との間合いを素早く詰めた。
 そしてその勢いのまま妖夢に槍を突きだした。

「はあっ!」
「っと!」

 妖夢はその攻撃を横にステップを踏むことで躱す。
 そしてそのまま銀月の裏に回りこみ、楼観剣を振るおうとする。

「そりゃっ!」
「くっ!?」

 しかし銀月はそこから素早く手首を返し、頭の上で槍を回転させるように振るった。
 全方位に振るわれるそれに、妖夢は後退を余儀なくされる。
 そこに向かって間合いを詰め、銀月は上から叩きつけるように槍を振り下ろした。

「そらぁ!」
「甘いです!」

 しかし妖夢はその動きに合わせるように刀を滑らせて横に捌き、返す刀で下から銀月に斬り上げた。

「ちぃ!」

 それを銀月は槍の重量と勢いを利用して前に回転しながら避ける。
 銀月の眼と鼻の先を鋭く光る刃が音も無く、そして素早く通り過ぎていった。
 そのまま沈み込むように下に移動し、間合いを取りながら妖夢の正面に戻ってくる。

「……やるね。間合いではこっちが勝っているはずなのにな」
「槍相手は慣れていますから。将志さんや涼さんに稽古をつけてもらっているのは貴方だけではないんですよ?」

 銀月の呟きに妖夢はそう答えた。
 白玉楼には以前からの縁で将志や涼が良く出入りしている。
 その際に、妖夢は稽古をつけてもらっていたのだ。
 それを聞いて銀月は小さくため息をついた。

「……成程ね。つまりこちらの手の内は大体ばれているわけだ」

 銀月はそう言うと、鋼の槍を右手に持ち替えて左手に収納札から蒼白い槍を取り出した。
 その槍を見て、妖夢は身構える。

「二本目の槍……?」
「……流石にこの型は見たことが無いみたいだね。父さんも涼姉さんも使わないし」
「そうですね。槍二本を同時に扱う型は初めて見ました。貴方の我流ですか?」
「基本はそうだね。けどまあ、父さんの監修も入ってるから完全に我流って訳でもないかな」

 銀月は片手で軽々とそれぞれの槍を慣らすように振り回す。
 その淀みなく自然な動きから、銀月が普段から片手で槍を扱う修練を積んでいることが分かる。
 それを見て、妖夢は小さく息を吐いて呼吸を整えた。

「……その歳で複数の型を持つなんて、貴方はどれほどの修行を積んできたんですか?」
「……さあね、修行を積んだ時間なんて数えてないよ」

 妖夢の質問に銀月はそう言って答える。
 そして、その二つの槍を妖夢に向けて構えた。

「……行くよ」
「……ええ!」

 二人はそう言い合うと、お互いに勢い良く接近していく。
 そして、中央で激しくぶつかり合った。

「はあっ!」

 銀月は左手に持った軽いミスリル銀の槍で相手をかき乱しながら、右手の鋼の槍で攻撃していく。
 連続攻撃の間に差し込まれる重い一撃は、相手の防御を突き崩そうとして迫ってくる。

「やっ!」

 一方の妖夢は手にした楼観剣を巧みに操って銀月に攻め込んでいく。
 流水のように滑らかな太刀筋は銀月の攻撃を受け流し、その間に攻撃を挟んでいく。

「そらっ!」

 その妖夢の攻撃に対して銀月は左手の槍を器用に使って躱し、右手の槍で攻撃する。
 舞い踊るように動きながら、妖夢が避けづらい部分から次々と攻め込んでいく。
 軽やかな音と共に蒼白い線が風を切り、煌めく銀の線が空気を振るわせる。

「ふっ!」

 すると妖夢はそれに上手く合わせて動き、銀月の攻撃を捌く。
 そして、相手がもう片方の槍で攻めてくる前にこちらから素早く仕掛けていく。
 白く光る刃が鋭い音を立てて振るわれ、宙に幾重にも太刀筋を刻む。

 二本の槍を操って手数で攻める銀月と、両手で一本の刀を操って速度で攻める妖夢。
 その両者の刃がぶつかる度に甲高い音が響き、連続するその音がその激しいせめぎ合いを周囲に伝えた。

(……攻め切れないな)

 そんな中、銀月はこの状況下で考える。
 自分の攻撃を、妖夢は軸をずらして避けながらこちらに飛び込んでくることで自分が攻勢に出ようとしている。
 つまり、槍の間合いではなく刀の間合いに持っていこうとしているのだ。
 それに対して、銀月は踏み込んでくる妖夢と自分の間合いで戦うために引きながら戦っている。
 この状態では、銀月の攻撃の勢いは殺がれる上に妖夢の攻撃の勢いが増してしまう。
 このままでは自分がどんどん不利になっていく、銀月はそう考えた。

「はあああ!」

 銀月の攻撃を捌きながら、妖夢は果敢に銀月に攻め込んでいく。
 彼女も現在の状況が自分に有利に働いていることは分かっている。
 だからこそ、このまま一気に畳み掛けてしまおうと激しく攻め立てているのだ。
 今のところ銀月はそれを捌ききっているが、このままでは攻めきられるのも時間の問題である。

(……そろそろか)

 そんな妖夢を見て、銀月は一気に妖夢に踏み込んだ。
 槍の間合いを捨て、刀の間合いの更に奥へと踏み込んでいく。
 それと同時に右手の鋼の槍を札に戻し、霊力を通して強固な武器へと変貌したそれを妖夢に繰り出した。

「ふっ!」
「……そこです!」
「なっ!?」

 しかし銀月の札が届く寸前、妖夢はそれを待っていたかのように体を後ろに引いた。
 妖夢の鼻先を、銀色に光る札が音もなく通り過ぎていく。
 そして妖夢は即座に楼観剣を左手に持ち替え、右手で短い白楼剣を驚愕に眼を見開く銀月に向けて素早く抜き放った。

「くぅっ!?」

 銀月は体をひねり、肩越しに蒼白い槍でその一閃を受け止めた。
 無理な体勢で受け止めたせいで、銀月の体が悲鳴を上げる。
 そして苦痛に顔を歪めながら体を反転させ、右手の札を妖夢に投げつけた。

「おっと!」

 その一撃を妖夢は楼観剣で受け、後ろに後退する。
 両者は間合いを取ると、お互いに大きく息をついた。

「いたた……これはやられたな……」

 銀月は先程の行動で痛めた左肩と背中を気にしながら苦い表情を浮かべる。
 銀月としては槍をメインにして戦い、その間合いになれたところで札でしとめる算段だったのだ。
 しかし、妖夢はそれを狙って待っていたのだ。
 その結果不意を打つつもりが逆に不意を打たれる形になり、ダメージを追うことになってしまった。

「……しとめられませんでしたか」

 一方、妖夢も苦い表情を浮かべていた。
 将志から聞いた話で、銀月が札を使った超接近戦をこなせるのを知っていた。
 だからこそ銀月の槍から札への素早い切り替えにも対応でき、絶好の機会を得ることが出来たのだ。
 しかし、銀月は強引ではあるが防ぎきったのだ。
 防御の硬い銀月が見せた隙を捉えられなかったのは、妖夢にとって手痛いことであった。

「……危ないな。君、俺が札に持ち替えるのを狙ってたな?」
「ええ。結局防ぎきられてしまいましたが」

 二人はそう言うと、静かに相手の動きを伺う。
 すると、妖夢が口を開いた。

「それにしても、随分と泥臭い戦い方をしますね。将志さんは凄く洗練されているのに……」

 妖夢はそう言って銀月に疑問をぶつける。
 将志に教えを受けているのだから、銀月の戦い方も洗練されたものだと思っていたのだ。
 それを聞いて、銀月は天を仰いだ。

「父さんが洗練されている……まあ、父さんはそうだろうね。けどね、俺が父さんから一番に教わったのは泥臭さだよ」
「そうなんですか?」
「何かを守るため……例えば、自分の命だったり家族だったり……それを守るために、洗練されたものである必要はない。それよりは多少泥臭くっても大切なものを守れるようになれ。これが父さんに教わったことだ」

 銀月は言葉をかみ締めるようにしてそう言った。
 将志や銀月にとって、戦うことは目的ではなく手段である。
 よって、彼らにとって戦いの内容と言うのはそこまで重要ではなく、その目的を果たすことが出来ればそれで良いのだ。
 それを聞いて、妖夢は小さく頷いた。

「そうですか……でも、その割には正々堂々と戦いますね?」
「そりゃあ、卑怯な手段を使う必要がないからさ。それに、正々堂々戦った方が気持ち良いだろう?」

 首をかしげる妖夢に、銀月はそう言って返す。
 その表情は薄く笑みを浮かべており、何処となく楽しげであった。
 そんな銀月を見て、妖夢も笑い返した。

「ふふっ……貴方のことは大体わかりました。変な人ですね」
「……まあ、普通じゃないのは自覚してるよ」

 妖夢の言葉に、銀月の表情が苦笑いに変わる。
 それに対して、妖夢は笑顔のまま首を横に振った。

「でも、嫌いじゃないです」
「ああ、それは良かった」

 二人はそう言い合うと、お互いの眼を見つめる。
 そして、手にした武器を相手に向けた。

「それじゃあ、正々堂々戦おうか!」
「望むところです!」

 そう言い合うと、再び激しい戦いが始まった。
 銀月は二本の槍と札を駆使して、間合いを遠くに取ったり懐に飛び込んだりして相手をかく乱し、槍による重い一撃と札による素早い連続攻撃で攻め込んでいく。
 一方で妖夢は楼観剣と白楼剣を手に持ち、銀月の急激な間合いの変化に対応し、自分の間合いを掴んでは攻め込んでいく。
 銀月が人間離れした観察眼で妖夢の動きを予測して動くと、妖夢はそれを上回る速度で行動に移す。
 お互いに切り結ぶたびに速度を増していき、どんどん手数が増えていく。
 二人の間では銀色に光る刃が次々と翻り、ぶつかり合っては音を奏でていく。
 両者共に一歩も引かず、ひたすらにせめぎ合う。

「せやっ!」

 そんな中、銀月は鋼の槍を両手で持って突き出した。
 戦いの最中、無心で繰り出したそれは妖夢に向かってまっすぐ伸びていく。

「ふっ!」

 妖夢はそれを払いのけるべく、白楼剣を横に動かす。

「えっ!?」

 しかし鋼の槍を払いのけるはずだったそれは、あろう事か槍をすり抜けてしまった。
 軌道の変わらない槍は、そのまま妖夢に突き刺さった。

「がふっ!?」

 槍の一撃を受けて、妖夢はその場に膝を突き、苦しそうに蹲った。
 槍には刺さらないように術が掛けてあったが、それでもかなりの衝撃を受けたようである。

「……何だ、今の……?」

 そんな妖夢を、銀月は唖然とした様子で眺めていた。
 目の前で起きた現象を自分が起こしたであろう事は理解していた。
 しかし、その技は涼はおろか、将志からも教わった覚えのないものであった。
 銀月は全く知らないはずのその技を、体が勝手に動いて繰り出したように感じたのだ。

「……勝負あり、でござるな」

 そんな中、勝負の行方を見守っていた涼が横から声をかけた。
 それと同時に、辺りからいっせいに何かがはじける音が聞こえてきた。

「お、動ける?」
「ようやく終わったのね……」
「う~ん、体が固まっちゃったわ……」
「ずっと同じ体勢ってきついぜ……」

 涼の能力から開放されて、捕まっていた四人が口々にそう言った。

「っと、みんな開放されたみたいだな」

 そんな四人に気がつき、銀月は立ち直ってそちらに向かった。
 その一方で、ゆっくりと体を起こしている妖夢のところに涼が向かっていた。

「うう……」
「残念だったでござるな。でも良い勝負だったでござるよ」
「……負けたら意味が無いじゃないですか。春度は手に入りませんでしたし、このままでは中に入られて……」

 妖夢は暗い表情でそう呟く。
 しかし、それに対して涼はため息でもって返した。

「全く問題ないではござらぬか。重要なのはまだ妖夢殿が動けるということでござるよ」
「涼さん?」

 涼の言葉に妖夢は首をかしげる。
 そんな彼女の肩をつかむと、涼は真剣な表情で妖夢の眼を覗き込んだ。

「妖夢殿。門番にとって一番大事なことは門の中に敵を入れないことではなく、たとえどんなことがあっても生き延びて主人を守ることでござるよ。門を守るのは、その手段の一つに過ぎないのでござる。さあ、何をすれば良いか分かるでござるな?」
「……はい」

 妖夢はそう言うと、門をくぐって白玉楼の敷地内に入っていった。
 それを見て、涼は一つため息をついた。

「……気の毒でござるが妖夢殿、お主はまだまだ未熟でござるな」

 涼はそう呟くと、銀の霊峰へと帰っていった。




 しばらくして動けなかった四人が体勢を立て直すと、一行は白玉楼の敷地へと入っていった。
 敷地内は沢山の桜が咲いていて、すっかり春の様相を呈していた。

「やっぱりここに春が集められているようね」

 周囲の桜を眺めながら、咲夜はそう言った。
 それに対して、銀月は頷いた。

「そうだね。じゃないとここだけ春になっている理由が付かない」
「なら、話は早いわね。早く首謀者を探し出してとっちめましょ」

 銀月の言葉を聞いて、霊夢は少し気合を入れてそう言った。
 どうやらさっさと終わらせて花見がしたいようである。

「にしても、その首謀者は何処にいるんだ? こうも広いと探すのが大変だぜ」

 広い敷地内を見回しながら、魔理沙はそう呟く。
 すると、ギルバートが何かを見つけたようで声を上げた。

「おい、あそこに誰かいるぜ」

 ギルバートの声を聞いて、一行はそちらに向かうことにした。
 そこには三つの人影があり、一つは地面に倒れ付しているようであった。
 その異様な光景に、一行の間に緊張が走った。

「……なあ、あれどうなってるんだ?」
「さあ……なんだろうな?」

 魔理沙とギルバートはそう言って顔を見合わせる。
 するとその横で銀月が口を開いた。

「……行ってみよう。とにもかくにも近くまで行って様子を見ないと」
「そうね。ひょっとしたらあそこに首謀者がいるかもしれないしね」

 銀月と咲夜の意見を全員受け入れて、一行はそちらに近づくことにした。
 段々と近くなっていく人影。

「「「「「え……?」」」」」

 それが誰か分かったとき、全員固まった。
 見ると、地面に倒れているのは先程銀月と戦いを繰り広げていた少女。気を失っているようで、動く気配が無い。
 もう一つは、桜の花模様の入った水色の服を着ている桃色の髪の少女。
 彼女は正座しており、目の前の三つ目の人影をじっと眺めている。

 そして、三つ目の人影は桃色の髪の少女に銀色の槍を向けた、小豆色の胴衣と紺色の袴を着た銀髪の青年であった。
 その人影を見て、銀月は呆然とした。

「……父さん?」

 銀月の声から気の抜けた声が漏れ出す。

「……遅かったじゃないか……」

 それを聞いて、将志は一行に向かってニヤリと笑みを浮かべた。



 * * * * *

あとがき
 まず、にじファン閉鎖に伴い、ブログの立ち上げ作業及びそれに向けて本作品の全話改訂により、更新が大幅に遅れたことをお詫びいたします。

 立ち上げたブログについてですが、本作の他にも読者参加型の問題や意味が分かると怖い話なども掲載しております。
 興味のある方は、「夢追い浪人の途中下車」で検索して、お気軽にお立ち寄りください。


 ……と言うわけで、今回は銀月VS妖夢でした。
 立会人に涼を立たせて一騎打ちをさせるのは最初から決まっていました。
 後はどういう展開にするかで少し迷いましたね。

 ……何と言うかこの二人、「強敵」と書いて「友」と呼ぶ関係になりそうだ……

 ついでに、伏線も一個ぶっこんでおきました。
 読めば分かりますが、銀月に関する伏線ですね。

 さて、最後に将志が出てきてどうなるか。
 それは次回をお待ちください。


 それから、改訂情報です。
 これまで改訂してきて、新しく書き足した部分があるので、そこの報告です。

 銀の槍、旅に出る……将志が復活した頃の永琳の話を追加。具体的には将志復活の理由。
 銀の槍、本気を出す……将志と永琳の夜の会話を追加。
 銀の槍、検証する……将志と紫による銀月の考察の追加。

 この他にも全体的に改訂しており、特に序盤などは前と比べると少し話が変わっております。
 お時間とご興味のある方は、一度読み直してみると面白いかもしれません。

 では、また次回に会いましょう。



[29218] 妖々夢:銀の槍、戯れる
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/09 13:18

 霊夢達が白玉楼の中に入ると、そこでは銀髪の青年が桃色の髪の少女に銀の槍を突きつけていた。
 足元に先程銀月が戦っていた白い髪の半人半霊の少女が倒れているため、彼が異変に加担しているわけではないことは大体分かる。
 しかし、何故彼がここにいるかが一行には良く分からなかった。

「……父さん? 何でここにいるのさ?」

 銀月は目の前にいる青年、将志にそう声をかけた。
 すると将志は薄く笑みを浮かべたまま小さくため息をついた。

「……なに、少々腰の重い巫女に代わって異変の解決に来たまでのことだ」
「あら、異変の解決には銀の霊峰は手を出さないんじゃなかったの?」

 将志の言葉に、槍を突きつけられていた少女、西行寺 幽々子がそう問い返した。
 それを聞いて将志は首を横に振った。

「……そう、基本的には俺達は異変に手を貸すことも、解決に回ることもない。俺も最初は傍観に徹するつもりであった」
「それじゃあ、何で今になって動き出したのかしら?」
「……一番の大きな理由は、このままでは幻想郷に食糧問題を招きかねないからだ」

 幽々子の質問に将志は簡潔にそう答える。
 冬が長く続くということは、その分他の季節が短くなるということである。
 特に、農作物が育つために重要な季節である春が短くなってしまうことは、農業に重大な打撃を与えることになってしまいかねないのだ。
 そうなってしまえば、幻想郷内で食料が不足してしまう事態になりかねないのだ。
 そこで、事態を重く見た将志はこの異変への介入を決定したのであった。
 それを聞いて、魔理沙が納得して頷いた。

「……なるほどな。それこそ幻想郷に飢饉をもたらすかもしれなかったわけか」
「……そう言うことだ。そうとあっては、もはや娯楽の範疇を超えている。だからこそ、この長い冬を終わらせるために俺が出向いたわけだ」
「はぁ……つまり、時間切れってことね」

 将志の言葉に、幽々子はそう言ってため息をつきながら地面に倒れ伏している妖夢を眺めた。
 妖夢は先程将志によって無力化されており、しばらくは起き上がって来そうもない。
 そんな彼女をジト眼で見つめる幽々子に、将志は小さくため息をついた。

「……まあ、そう言うことだ。それにどの道いくらなけなしの春を集めたところで、この西行妖が満開になるには遠い。それこそ、幻想郷中から集めねばならんだろう」
「どうしても、無理かしら?」

 幽々子は将志を見つめながらそう尋ねた。
 それを聞いて、将志は首をかしげた。

「……一つ訊くが、何故そうまでしてこの妖怪桜を満開にしようとするのだ?」
「この西行妖の下にね、誰かいるのよ。それで、この桜が満開になればその人が復活するの。誰だか気にならない?」

 幽々子は自分の後ろにある大きな桜の木を見ながらそう話す。
 その桜の木は八分咲きになっており、妖しく美しく、そして儚げに咲き誇っていた。

「……成程。そう言うことか……」

 幽々子の言葉を聞いて将志はそう呟いた。
 幽々子の眼を見る限り、今回の異変は完全に興味本位のものであり、何かの必要性に追われたものではないことが分かる。
 それを察して、将志はゆっくりと首を横に振った。

「……残念だが、それをさせるわけにはいかん」
「……それはどうして?」
「……俺の口から言えることは一つ。俺は友の頼みを聞いただけだ」

 幽々子の質問に将志は短くそう答えた。
 将志は紫に幽々子が西行妖の下に封印されている自らの体の封印を解かないように頼まれていた。
 将志が今回動いたのは、その頼みを聞いて動いたという側面もあるのだ。
 その将志の言葉を聞いて、幽々子はすっと眼を細めた。

「それは、紫かしら?」
「……そこから先のことは俺には言えん」
「そう……」

 口をつぐむ将志を見て、幽々子は将志に依頼したのが紫であることを確信した。
 そして、自分がしようとした事の重大性も同時に理解した。
 そんな幽々子に、将志はため息混じりにけら首に黒耀石が埋め込まれた銀の槍を突きつけた。

「……さて、そろそろ春を返してもらおうか。これ以上はもう待てないのでな」
「仕方ないわねえ……」

 幽々子がそう呟いた瞬間、西行妖から桜の花びらがはらはらと散り始めた。
 その様子は、まさに桜吹雪。
 まるで命の儚さを伝えるかのように、西行妖は静かに花を散らしていく。

「桜が……」

 霊夢達はその様子をジッと見つめる。
 その桜色の嵐の美しさに心を奪われているようで、瞬きすらしていない。
 そして全ての花が散ると、幽々子は大きくため息をついた。

「はぁ……これで春は返したわよ」
「……ああ。幻想郷の春、たしかに返してもらったぞ」

 幽々子の言葉に、将志はそう言って頷いた。
 その直後、霊夢ががっくりと肩を落とした。

「あ~あ、結局私達無駄足じゃない。どうしてくれるのよ、銀月」
「そんなこと言われてもなぁ……大体、もっと早く動いてれば無駄足にならずに済んだんじゃ……」

 理不尽な霊夢の言葉に、銀月は困った表情を浮かべる。
 それを聞いて、将志は少し考える仕草をした。

「……ふむ、たしかにここまで来ておいてこれでは、いささか不完全燃焼であろうな」
「将志さん? どうするつもりなんです?」
「……俺が相手になろう。五人まとめて掛かってくるが良い」

 咲夜の問いかけに、将志はそう言って槍を霊夢達に向ける。
 それを聞いて、魔理沙が首をかしげた。

「五人まとめてって……大丈夫なのか?」
「……なに、先程の愛梨との戦いを見させてもらったのだが、あの程度では俺は捉えられんよ。それに銀の霊峰などという戦闘集団の長が、高々若輩の人妖五人にやられたとあっては笑い種になってしまうな」
「なっ、やってみなきゃ……」

 魔理沙の言葉に将志はそう言って不敵に笑った。
 その将志の言葉に魔理沙は言い返そうとするが、それをギルバートが制した。

「魔理沙、今までの相手と銀月の親父さんを一緒にするな。妖怪百人が全力で掛かったってさっきの愛梨さんの時の俺達みたいに手玉に取られるんだぞ? 俺達五人程度なら、本気で遊ばれて終わりだ」
「……そう言うことだ。そうだな、あえて言うならば、遊んでやるから全力で掛かって来い、と言う奴だ」

 将志はそう言って槍を軽く振るう。
 そうやって準備運動を行う将志に、銀月は問いかけた。

「……一つ聞くけど、何でいきなりこんなことをするんだい?」
「……そうだな……強いて言うならば、お前達の強さの確認だ。それに、親が子の友人のことを知ろうとしても何の不思議もあるまい?」
「成程ね……それじゃあお手柔らかに頼むよ、父さん」
「……ああ。手加減はする」

 銀月と将志はそう言って頷きあうと、小さく息を吐いた。

「……さあ、来るが良い……この戦神の前に、力を示してみろ!」

 将志がそう言った瞬間、銀の弾丸が当たり一面にばら撒かれ始めた。
 まずは基本的な放射状の弾幕で、中に相手を狙い打つ黒耀石のような黒い弾丸を混ぜて撃つ。
 一方、霊夢達はその攻撃を小さく動いてすり抜けながら将志に向かって集中砲火を掛けた。

「……ふっ」

 しかし、将志はその攻撃を難なく躱していく。

「ちっ、全然当たらないぜ!」
「将志さん、全然動いてないのに……」

 そんな将志を見て、魔理沙と咲夜は思わずそう漏らした。
 小さな動きでスレスレで躱していくその光景は、まるで自分の弾丸が相手の体をすり抜けているようにも見えた。
 その光景に少し面食らいながらも、全員将志の攻撃を避けつつ反撃をする。

「……ふむ、やはりこの程度は躱せるか」

 そんな様子を見て、将志は小さく頷いた。
 そして、懐からスペルカードを取り出した。

「……ではまずはこれだ」


 星符「星屑の幻燈」


 将志がスペルを宣言した瞬間、霊夢達の頭上を沢山の銀の槍が駆け巡った。
 空に銀色に輝く軌跡が残され、それは段々と崩れていく。
 そして、銀の光の粒が星屑のように霊夢達の頭上に降り注いだ。

「……まずは一つ目だ。この程度で終わってくれるなよ?」

 将志はそう言いながら前後左右上下と、あらゆる方向から揺さぶりをかけていく。
 手加減をしているとは言っても、並大抵の相手とは比べ物にならないくらい圧迫感がある弾幕を展開している。
 その弾幕を一行は躱していく。ありとあらゆる方向に細かく動きながら、将志に対して反撃する。

「……狙いが甘いな」

 その五人分の攻撃を将志は易々と避けていた。
 必要最小限の動きで迫ってくる弾幕をすり抜け、余裕の表情で霊夢達に攻撃し続ける。

「流石は父さんだな……この五人でもこれか!」
「銀月が可愛く見えてくるわね、ホントに!!」

 銀月と霊夢は将志の攻撃を躱しながらそう叫んだ。
 実際、攻撃がほとんど当たらないのは愛梨の時とそう変わりはない。
 しかし、将志は愛梨と違ってその場からほぼ動いていないのだ。

「くっ……父さん、完全に遊んでるな……」

 それを見て、銀月はそう言って歯噛みした。
 何故なら、将志の売りはその機動力なのである。
 将志が最も得意とする戦い方は、素早く動いて相手を翻弄しながら追い詰めていくやり方である。
 しかし、現時点では将志はほぼ動いておらず、その機動力を活用しているとは到底言えない。
 そのことから、銀月は将志がかなり遊んでいることが分かったのであった。
 それを知ってか知らずか、将志は笑みを浮かべた。

「……どうした? そのような温い攻撃では俺を捉えられんぞ?」
「なら!!」


 幻符「殺人ドール」


 咲夜がスペルを発動させた瞬間、沢山のナイフが将志をめがけて飛んでいく。
 その速度は通常の弾幕とは比較にならないほど速い。

「……成程、これは当たれば痛そうだ」

 しかし将志はそれを素早く動いて回避する。
 自身の能力による先読みと残像が残るほどの速度での移動により、咲夜の攻撃が追いつけない。
 将志は激しい攻撃を仕掛ける咲夜を翻弄しながら攻撃を返していく。

「くっ、これも避けられるの!?」
「……むしろこれで驚かれるのが心外なのだがな。これでお前の攻撃に当たっていては、お前の主の立場がなくなるのだぞ? だが、よくもこんなにも沢山のナイフをここまで正確に一度に操れるものだ。普通ならこうは行くまい」

 苦い表情を浮かべる咲夜に将志はやや感心してそう言い放つ。
 そうしている間に、将志のスペルカードの効果が切れた。
 降り注ぐ星屑は儚い光を残して消え去り、将志が放った弾丸だけが残った。

「……次行くぞ」


 流符「白銀流星群」


 将志がスペルカードを取り出すと、その後ろからまるで軍隊のように整列した妖力の槍が現れた。
 それと同時に、将志は槍を手にしていない左手を上に向けた。

「……行け」

 将志がそう言って手を振り下ろすと、槍の群れが一斉に霊夢達に向けて飛んでいった。
 夜空を翔ける流星のように飛んでいくその槍は、船が起こす波の様に弾幕を残していく。
 沢山の流星によって起こされたそれは絶妙に重なり合い、複雑な弾幕を形成した。

「ちっ、やりづらいな!」
「下がれ、ギル! まとめて吹っ飛ばしてやるぜ!」


 恋符「マスタースパーク」


 魔理沙はスペルの使用を宣言してミニ八卦炉を構えると、魔力をそれに集めた。
 そして将志の位置を確認すると、その方向に向ける。

「いっけぇーーーーーー!!」

 魔理沙の掛け声と共に極太のレーザーが発射される。
 レーザーは流星を飲み込み、一直線に将志に向かっていく。

「……当たらなければどうと言うことはない」

 将志はそれを冷静に横に避けていく。
 レーザーは将志のすぐ横を通り過ぎていき、空高く伸びていく。

「まだまだぁーーーーーーーー!!!」
「……っ!」

 しかし魔理沙はそれで終わらなかった。
 巨大なレーザーを維持したまま、将志の方へと手を動かしていく。
 その動きを察知して、将志は急いで更なる回避行動を取った。
 将志が素早くジグザグに動いて逃げれば、魔理沙はそれを薙ぎ払うようにレーザーを動かす。
 将志は反撃もするが、その反撃は尽く魔理沙の攻撃にかき消されていった。
 そしてしばらくして、レーザーは収束していった。

「はぁ……はぁ……」

 魔理沙は行きも絶え絶えに前方を見つめる。
 するとそこには、先程と変わらぬ姿の将志が立っていた。

「……凄まじいものだな。お前のような人間が、あのような魔法をああまで操って見せるとはな。正直、肝を冷やしたぞ?」
「はぁ……よく言うぜ、涼しい顔しやがって……」

 魔理沙は息を整えながら、楽しそうに笑う将志にそう言い放った。
 いつの間にか将志の攻撃は止んでおり、あたりは静けさを取り戻していた。
 将志は小さく息を吐くと、天を仰いだ。

「……成程、お前達は思っていた以上に個々の力も強いらしい。てっきり銀月やギルバートの力頼りなのかとも思っていたが、それは間違いだったな」

 将志はそう言うと、霊夢達に眼を向けた。
 その黒耀石のような瞳には強い光が湛えられており、先程よりも生き生きとしていた。

「……ギアを上げていくぞ。何処までついてこれるか、勝負だ」

 将志はそう言うと、三枚目のスペルカードを取り出した。


 跳符「星間八艘跳び」


 スペルの発動と同時に、辺りに沢山の銀色の光の玉が現れる。
 周囲を埋め尽くすかのように現れたそれを見て、銀月は息を呑んだ。

「……はは……父さん、火がついたな……」
「え、何それどゆこと?」
「これが出たって事は、父さんが本領発揮するってことさ」

 銀月の呟きに霊夢が反応し、更にそれに銀月が答えを返す。
 その間に、将志は動き出した。

「……疾」

 将志は宙に浮かんだ銀の足場を次々に蹴って周囲を飛び回る。
 その速度は相対する五人が眼で追えないような速度で、彼らの眼には突然消えうせたように映った。

「消えた?」
「魔理沙、後ろだ!」
「うわっ!?」

 ギルバートの声にとっさに身をかがめると、その上を銀の弾丸が唸りを上げて通り過ぎていく。
 それは将志が高速移動をしながら打ち込んだものであった。

「みんな気をつけて! 何処から攻撃が来るか分からないぞ!」

 この攻撃の内容を知っている銀月が周囲にそう呼びかける。
 その言葉通り、彼らの周りではあちらこちらから弾丸が飛んできており、いつどの方向からやられてもおかしくない状態であった。

「……そろそろ落としに行くか」

 将志はそう言うと、移動速度を上げた。
 めまぐるしく景色が動き出すなか、標的を逃さずに視界に捉える。
 まず最初に狙うのは、時を止めるメイド。時を止めてこちらにナイフを投げつけてくる咲夜に、将志はゼロ距離で弾丸を発射した。

「あうっ!?」

 時を止めた上での弾幕を掻い潜られて反応できず、咲夜はその場に沈んだ。
 味方の一人が崩れ、相手方に軽く動揺が走る。

「うわぁ!?」

 次に狙われたのは、先程の攻撃で疲弊していた魔法使い。
 目の前の弾丸に気を取られたところを、真横から弾丸を撃ち込んで落とす。

「ぐあっ!?」
「あうっ!?」

 続いて狙うのは息子と人狼。
 警戒しているところの虚を突き、妖力の槍で一息でしとめて行く。

「銀月!?」

 自分の背中を守っていた者が倒れて、霊夢が声を上げる。
 そんな霊夢に、将志は真上から襲い掛かった。

「……っ!?」
「……む?」

 霊夢は真上から嫌な予感を感じてとっさに前方に移動した。
 すると、霊夢がそれまで居たところに将志の妖力の槍が突き刺さった。

「……ほう、避けたか」

 将志はそう言いながら次々に霊夢に仕掛けていく。
 ありとあらゆる方向から攻撃して、揺さぶっていく。
 その攻撃は嵐のようであり、霊夢に一息もつかせぬ勢いであった。

「くっ、このぉ……っ!」

 霊夢はそれを自分の勘を頼りに次々と避けていく。
 激しく動き回って攻撃する将志と、将志の攻撃を避け続ける霊夢。
 もし一歩読み違えれば、霊夢も一撃で銀月達の後を追うことになるだろう。

「……そこね!」

 霊夢は自分の感覚を信じ、誰もいない空間に攻撃を仕掛けた。
  
「……っ!?」

 すると、ちょうどそこに将志がやってきていた。
 霊夢の無心の攻撃は将志の能力でも捉えることが難しく、直前でのギリギリで気づくのがやっとであった。
 将志は即座に足場を作り出し、素早くその攻撃を避ける。
 霊夢の投げた針は将志の髪をかすめ、その一部をはらりと散らした。
 その瞬間、将志はフッと笑った。

「……ふっ……見事!」

 将志がそう言った瞬間、銀の球体が一斉に弾けて光の粒となって消えていった。
 どうやらスペルカードの効果が切れたようであった。
 霊夢はその様子を呆然と眺める。

「……え?」
「……レミリアに勝利したのは伊達では無いな。この勝負、お前達の勝ちだ。なかなかに楽しめたぞ」

 将志はにこやかに笑いながら霊夢にそう話しかけた。
 負けたというのにとても満足そうで、負けたことに対する悔しさは無いようであった。
 それに対して、霊夢は訳が分からないといった様子で首をかしげた。

「あ、あれ?」
「……何を不思議がっている。スペルカードを使い切った時点で俺の負けだろう。今回は三枚しか使う予定は無かったのだから、お前の勝ちであっているだろう?」

 将志はやや呆れながらも、少し楽しそうに霊夢にそう言った。
 このような真正面からの勝負で負けることなどほとんど無いため、負けることが新鮮なのだ。

「えっと、銀月のお父さん? これで終わりで良いのよね?」
「……ああ、そうだ」

 霊夢の質問に、将志はそう言って答えた。

「つ、つかれたぁ~……」

 その瞬間、霊夢は体から全身の力が抜けてへたり込んだ。
 ずっと気を張り続け、避けることに集中していたのだから無理も無い話であった。
 そんな中、地面に倒れ伏していた男二人が立ち上がってきた。

「……やい、父さんやい……」
「……少し物申したいことがあるんだが、良いか?」

 二人はなにやら恨めしげな眼で将志を見つめている。
 それを見て、将志は首をかしげた。

「……どうかしたのか?」
「あのねぇ……霊夢達と俺達で全然攻撃の密度とか違った気がするんだけど?」
「そうそう、俺達にはスペルを使う暇さえくれないほど封殺してたよな?」

 実は先程の戦いにおいて、銀月とギルバートは将志に徹底的にマークされていたのだ。
 霊夢達女性陣と比べてはるかに苛烈な攻撃に晒されて、全く反撃できなかったのだ。
 その件に関して、将志は一つ頷いて口を開いた。

「……あの三人の力量を測るのに、お前達が介入してきたら邪魔になるだろう?」

 その言葉に、銀月とギルバートは沈黙するしかなかった。
 すると、将志がとあることに気づいて二人に質問した。

「……ところで、お前達の首についているそれは何だ?」

 将志の視線の先には、銀月の首の赤い首輪と、ギルバートの首の青い首輪があった。
 それを指摘されて、二人は苦い表情を浮かべた。

「あ~……これは何て言うか……」
「ちょっとした事情があってだな……」

 乾いた笑みを浮かべる二人。
 そんな二人を見て、将志は納得したようにポンと手を叩いた。

「……そうか、趣味か」

「んな訳無いだろう!!」
「んな訳ねえだろう!!」

 将志の暴言に、銀月とギルバートは揃って力強く否定した。

「何で俺達が好き好んで首輪なんてつけると思うのさ!? いくらなんでもおかしいでしょう!?」
「俺達は喧嘩できねえようにってことで首輪を無理矢理つけられたんだよ!!」
「父さんだって、つけろって言われたら嫌でしょう!?」

 二人は激しい剣幕で将志にそうまくし立てた。
 すると、将志は複雑な表情で俯いて口を開いた。

「……あ、主が望むのならば……その……」

「いや、そこは断ってよ!?」
「いや、そこは断れよ!?」

 将志のトンデモ発言に再び盛大にツッコミを入れる二人。
 槍ヶ岳 将志、主を大事にしすぎるがためにたまに考えが大変なことになる男であった。
 そんな彼を尻目に、二人揃って大きくため息をついた。

「……はあ……それよりも、咲夜さんが無事かどうか確かめないと……」
「……そうだな。俺も魔理沙の無事を確認しに行かないと……」

 二人はそう言うと、それぞれの様子を見に行った。
 すると、二人と入れ替わるようにして将志に話しかける者が一名。

「将志、ちょっと話があるんだけど良いかしら?」
「……幽々子か。どうした?」
「あの銀月って子、何者なの? 貴方と魂がそっくりなのだけど……」

 幽々子はその眼に強い興味の色を乗せて将志に問いかける。
 それを聞いて、将志は小さくため息をついて答えた。

「……魂が似通っている理由は知らんが、銀月は俺の息子だ」
「……私、それ初耳なんだけど?」
「……言っていなかったからな」

 幽々子の質問に将志はしれっとした態度で答えた。
 すると、幽々子の視線がジトッとしたものに変わる。

「……なんで黙ってたの?」
「……お前が俺と初めて会ったときにしたことを思い出してみろ」
「あら、何したんだったかしら?」
「……これだからお前は……」

 答えをはぐらかす幽々子に、将志は大きくため息をついた。
 そんな将志に、幽々子は話の転換をすることにした。

「さてと、これから話すこともあるでしょうし、まずは妖夢を起こして中に入りましょう」
「……そうだな」

 そうして、一行は白玉楼の中へと入ることになるのであった。




 * * * * *

あとがき

 銀の霊峰出動。
 春が来ないというのは、口で言うよりもずっと大変な異変だと思います。
 本文に書いてあるようなことが予想できたので、将志の動く口実にさせてもらいました。
 紫の頼みもあったので、元より将志の出動は確実でしたが……

 将志VS主人公ズ+α。
 正確さがウリの咲夜、破壊力の魔理沙、直感の霊夢といった感じでそれぞれの長所をあらわした……つもり。
 弾幕ごっこにおいては霊夢達は将志と充分渡り合うことが出来ます。
 ……ただし、将志が全スペル耐久スペルとなることは間違いないですが。
 それにしても……難しいなぁ……やっぱりこういう描写って言うのは。

 あと、将志を久々にボケさせられた気がする。
 基本的に永琳の言うことは何でも聞いてしまいます。

 ゆゆ様の出番はこの次で。
 弾幕で暴れなかった分、言葉で暴れてもらいましょう。

 では、また次回に。



[29218] 銀の槍、感づかれる
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/23 07:30
「……ねえ、父さん」

 白玉楼にて、銀髪の青年と黒髪の少年が話をしている。
 将志は至って通常通りだが、銀月の方は何やらげんなりした微妙な表情をしている。
 その銀月の問いかけに、将志は作業を続けながら耳を貸す。

「……何だ?」
「……これ、何人前?」
「……全部で八人前のはずだが?」

 二人は作業を続けながら話をする。
 将志の手元では巨大な寸胴鍋いっぱいに筑前煮が煮込まれている。
 一方、銀月の目の前ではブリの照り焼きが焼かれており、横にある大皿には山盛りの照り焼きが盛られていた。
 背後にある六畳分はあろうかという大きな机の上には、山盛りの料理が所狭しと置かれている。
 誰がどう見ても、通常の八人前の量ではなかった。

「……誰がこんなに食べるのさ?」
「……幽々子だ」
「うわぁ……一月の食費っていくらなんだろ……」
「……さてな。俺とてここの食費を考えるのは怖いから、考えないようにしている」

 目の前の大量の料理を見て、二人の顔が青くなる。
 将志は銀の霊峰という組織の長として、銀月も博麗神社の家計を支えるものとして、この暴食とも言える女主人の食事量に経済的な面で恐怖しているのだ。
 そこに、台所の戸が開いて人が入ってきた。

「あ、やっぱりここだったんですね、将志様」

 入ってきたのは腰に長短二本の刀を差した銀髪の少女。
 その声を聞いて、将志は作業をしながら答えを返した。

「……妖夢か。先ほどはすまなかったな。怪我は無いか?」
「ええ、ありません……貴方が敵になることがどれほど怖いかが良く分かりました」

 将志の問いに妖夢は少し苦い表情でそう返した。
 妖夢は先程幽々子に槍を向けていた将志に斬りかかったのだが、あっさり躱されて一瞬で意識を刈り取られたのだった。
 結果として、妖夢は主人を守ることが出来なかったのだ。
 それを悔やんでいる妖夢に、将志は小さくため息をついて声をかけた。

「……妖夢。お前も幽々子の部下であるなら覚えておけ。主の言うことが絶対ではない。その行動で何が起き、どのような影響があるかを予測して、どうすれば確実に主を守れるか。それをよく考えるのだな」
「はい……」

 妖夢はそう言って頷くと、将志の隣に立つ白装束の少年に眼を向けた。

「あの、将志さん? 銀月さんのお料理の腕前ってどうなんですか?」
「……近頃、人里で弁当を売り出しているものが居るだろう?」
「ええ、居ますね。巷で美味しいって評判で、あっという間に売切れてしまうお弁当ですよね?」
「……あれを一人で作っているのがそこの銀月だ」
「そうなんですか……」
「まだ父さんの腕には全然追いつけないけどね」 

 感心した様子の妖夢に、銀月は苦笑交じりにそう言って返す。
 それに対して、妖夢は首を横に振った。

「そうやって開業して評判になるほどの腕があるのなら充分ですよ。正直、うちのお手伝いさんに欲しいくらいです」
「残念だけど、銀月はうちの執事だから無理よ」

 妖夢の言葉に、横から少女の声が差し込まれる。
 その方を見ると、メイド服を来た少女が立っていた。

「あ、咲夜さん。どうかしたのかい?」
「待っているのが性に合わないから、手伝いに来たのよ」
「そっか。それじゃあ、この照り焼きを少し見ててくれないかな? そろそろ霊夢がお茶を欲しがり出す頃合だからね」
「ええ、良いわよ」

 銀月と咲夜はそう言葉を交わして場所を入れ替える。
 銀月がお茶を淹れるためにお湯を沸かし始めると、妖夢が再び話しかけてきた。

「あの、銀月さん? 貴方お弁当屋さんですよね?」
「うん? そうだけど?」
「じゃあ、執事をしてるってどういうことですか?」
「ああ、俺は弁当屋と紅魔館の執事を掛け持ちしてるんだ。朝早くに弁当を作って、午前中に家事を終わらせて修行して、昼から夜にかけて執事をして、帰ってから翌朝の仕込みをするっていう感じだよ。ほら、最初に俺真っ赤な執事服着てただろ?」

 怪訝な表情を浮かべる妖夢に、銀月はそう言って答えた。
 それを聞いて、妖夢は銀月が最初に来ていた紅魔館の執事服を思い出して頷いた。

「そう言えばそうでしたね。大変ですね……疲れたりはしないんですか?」
「まあ、休みが少しあるから大丈夫だよ。それにこれくらいで音を上げるような柔な体はしていないからね」

 銀月はお茶の準備をしながら妖夢の質問に答えていく。
 それに対して、妖夢も湯飲みの用意をしながら銀月に質問を重ねた。

「ところで、何で執事をしてるんです? 紅魔館って、吸血鬼の館ですよね?」
「あ~……ちょっと俺が起こした事件があってね。それがきっかけで働くことになったんだ」
「事件ですか?」
「そう。詳しい内容は言えないけどね。っと、それじゃあお茶を運んでくるよ」

 銀月はそう言うと、盆に茶の入った湯飲みを乗せて台所を出て行った。
 すると妖夢は、銀月に代わって台所に入った咲夜に話しかけた。

「えっと、咲夜さん、ですよね?」
「なにかしら?」
「銀月さんって、執事してる時ってどんな感じなんです?」

 妖夢がそう尋ねると、咲夜は紅魔館での銀月の様子を思い出して答えた。

「そうね……一言で言うなら、真面目で優秀な執事よ」
「やっぱりお料理関係ですか?」
「料理もだけど、全体的に気が利くのよ。ちょうど居て欲しい時にそこに居るって感じね。部下の妖精の扱いも上手いし、こちらとしては助かってるわ」

 咲夜は銀月の勤務態度をそう話す。
 実際、咲夜が手伝って欲しいときには銀月は何故か数人の妖精を引き連れてそこに居るのだ。
 種を明かしてしまうと、銀月は咲夜の行動の優先順位を把握して行動を予測し、妖精達を食べ物で釣っているだけなのだが。
 それを聞いて妖夢は首をかしげた。

「欠点とかって無いんですか?」
「欠点ねぇ……少し部下に甘いのと、働きすぎるのが欠点かしら」
「働きすぎ、ですか?」
「ええ。だって、銀月が紅魔館に居る間に休んだところを見た者が居ないんですもの。私みたいに時を止めて休める訳でもないし、そこは少し心配ね」

 咲夜は少し困った表情で妖夢にそう話す。彼女は銀月が『限界を超える程度の能力』を使って少しの休憩で体力回復が出来るのを知ってはいるが、それがどれほどの効果があるのか分からないので心配になるのだった。
 実は銀月も咲夜が『時間を操る程度の能力』で時を止めて休憩しているのを知っているが、いつ休憩しているかが分からないので心配しているのは余談である。

「……随分と銀月のことを気にするな、妖夢? 何かあったのか?」

 二人が話していると、そこに将志が横から話しかけてきた。
 すると妖夢は、それに対して少し困惑した様子でそちらを向いた。

「あ、いえ、少し気になったもので、大した意味は無いんですけど……」
「……そんなに気になるか?」
「はい。何て言うか、銀月さんって欠点って言う欠点がない人ですね」
「そうでもないと思うけどね、俺は」

 将志と妖夢が話をしていると、横から銀月が口を挟んできた。
 どうやらお茶を配り終わったようである。
 そんな銀月に妖夢は声を掛けた。

「そうですか?」
「ああ。でないと、こんなものを付けられる事態になんてなったりしないよ」

 銀月は苦笑しながら、自分の首に付いている紐付きの赤い首輪を指で弾いた。
 それを見て、妖夢は首をかしげた。

「そう言えば、何で首輪なんて付いてるんです?」
「あー……ちょっとギルバートとの勝負に熱くなりすぎてね……それを諌められたのさ」
「そうなんですか?」
「ええ。普段は冷静なのに彼と一緒にいると何故か周りが見えなくなるのよね」

 確認するように問いかける妖夢に、咲夜はそう言って頷く。
 その返答を聞いて妖夢は不思議そうな表情を浮かべた。

「そうですか……勝負の時もずっと冷静だったので、少し意外です」
「本当にね。ギルバートの前だけではまるで子供みたいになるのよ」
「……否定できないのがつらいな」

 妖夢と咲夜の言葉に、銀月は少し苦い表情を浮かべた。
 そこに将志が横から話しかけてきた。

「……銀月。こちらももう仕上がるから、そろそろ料理を向こうに運べ」
「了解だよ、父さん」
「私も手伝うわよ」
「あ、私もお手伝いします」

 四人は大量の料理を他の四人が待つ部屋へと運んでいく。
 するとそこでは、霊夢達がお茶を飲んで待っていた。

「みんなお待たせ、料理が出来たよ」

 銀月達は次から次へと机の上に料理を並べていく。
 そのあまりの量に、幽々子を除いた三人は絶句してその場に固まった。

「……おい銀月。この量は何だ?」
「……父さん曰く、幽々子さんはこれぐらい食べるんだってさ」
「良くこんなに食べられるわね……」
「私は絶対に食べきれないな……」
「食費が怖いわね……」

 銀月達は揃って顔を蒼くしながら幽々子を見る。
 あの細い体のどこにこんな大量の料理が入るのか、それ以前に彼女は亡霊じゃなかったのか等という考えが頭の中をめぐる。
 そんな中、幽々子はその視線を気にせずににっこり笑って箸を取った。

「さあ、みんな揃ったことだしご飯にしましょう? 私もうお腹が好いて我慢できないわ」

 幽々子はそう言うと皿の上から手元にある小皿に次々と料理を取っていく。
 彼女の前には料理が取り分けられた小皿の群れが出来上がり、もの凄い量になっていた。
 そんな中、ふと幽々子は料理を取る箸の動きを止めた。

「あら? この料理、いつもと何か違うわね?」

 幽々子は大皿に盛られた料理を見ながら首をかしげる。
 その料理は味付けした鶏胸肉で大葉を包んだ料理で、何故か冷やしてあるのであった。
 そんな幽々子に将志が話しかけた。

「……その料理を作ったのは銀月だぞ? 弁当屋をしているからその手の料理は専門だ。味のほうは保障しよう」
「そう……じゃあ、いただきます」

 幽々子はそう言うと、銀月の作った料理に手を伸ばす。
 しかし、その料理がやけに減っているのに気づいて再び首をかしげた。

「あら……?」

 幽々子はそう言って料理を取りながら、その料理が減った原因を探し始めた。
 すると、霊夢の目の前にある皿にその料理が小山を作っていたのを発見した。

「……霊夢、そんなに焦って取らなくても料理はそうそう減らないって」
「良いじゃないの、私の好きなものを自由に取ったって」

 その横で銀月がその様子に呆れ顔を浮かべていた。
 それに対して、霊夢は美味しそうに料理を食べながら答える。
 それを聞いて、銀月はため息をついた。

「……だからって、そんなまとめて取らなくっても……」
「私の好物ばかり作っておいて何言ってるのよ。みんなで食べるんなら、先に無くなっちゃうかもしれないじゃない」
「これだけ量があればそう簡単には無くならないって。と言うか、良く俺が作った料理が分かったね?」
「そりゃあ、銀月の料理ですもの。毎日食べていれば分かるわ」

 霊夢はそう言いながら、料理を取っていく。
 彼女は正確に銀月が作った料理を選び抜いており、皿の大半を銀月の料理が占めていた。
 その様子を、幽々子はジッと眺めていた。

「ねえ、将志。銀月とあの子ってどんな関係なの?」
「……本人曰く、幼馴染兼味見役だそうだ。銀月と来たら、すっかり食事係になってしまっているな……」

 どうしてこうなったと言わんばかりに将志は頭を振った。
 それを聞いて、幽々子は少し考え込んだ。

「……と言うことは、もし私が彼女の立場だったら銀月は私のために料理を作るようになっていたかもしれないのね……」

 そう言いながら幽々子は鶏胸肉の大葉巻きを口に運ぶ。
 口の中では鶏肉とそれに絡められた甘辛いたれと大葉が絶妙な調和を生み出し、口の中に広がる。
 将志の料理を時々口にして舌が肥えている幽々子からしてみても、将志が味の保障をしたことに納得がいく味であった。
 それを飲み込むと、幽々子は恨めしげに将志を見やった。

「何で私に紹介してくれなかったのよぉ……」
「……初対面の相手を殺害しようとする者に、銀月を会わせられる訳がないだろう」

 幽々子に対して呆れ顔で将志はそう返す。
 現に、将志は初めて白玉楼を訪れた際に幽々子に殺害されそうになったことがあるのだ。
 親の心理として、そう言うところに行かせる訳にはいかないと思うのは当然のことである。

「……それはさておき、幽々子には今回の異変に関していろいろと話をしておきたいのだが、構わないか?」
「ええ、良いわよ。そのためのこの席ですもの」
「……正直なところ、今回の異変については少々重く見ざるを得ない。本来春になるべき時期に冬の寒さが伸びてしまっているせいで、農作物に影響が出始めている。これから農耕の神達に事情を説明して色々とやらねばならないことが出て来たからな」

 将志は深刻な声色で幽々子にそう告げる。
 それからは今回の異変の影響が既に出始めていることが伺えた。

「それで、私達は何をすればいいのかしら?」
「……今回の異変の関係者には、その神達の指示に従って農作物が正常に育つことが出来るようにしてもらう。そうでなければ、今年の冬を乗り切るのが非常に難しくなってしまうからな」
「そうねえ……まあ、仕方の無いことね」
「……それとは別に通常の異変の処置も取らせてもらうぞ。要するに宴会場の手配と言うわけだ」
「はいはい。そちらも任されたわよ」

 幽々子は将志の裁定を聞いて食事を続けながら返事をする。
 そんな幽々子に、将志は小さくため息をついた。

「……それにしても、相変わらず良く食べるな。いや、作った側としてはありがたいことなのだが」
「それは将志の料理が美味しいからよ。それに銀月の料理も美味しいし、ご飯が進むわ」

 幽々子は次から次へと料理を取りながら話をする。
 先程まで目の前に大量にあったはずの料理はいつの間にか消えており、空の小皿が鎮座していた。

「時に質問なんだけど、いいかしら?」
「……なんだ?」
「銀月はお弁当屋さんをしているのよね?」
「……そうだが?」
「じゃあ、何で紅魔館のメイドと仲が良いのかしら?」
「……む?」

 幽々子の質問に将志は銀月のいる方を向く。

「……やっぱり気持ち良いわね……」
「……はふ~……」

 するとそこには、微笑を浮かべて頭を撫でる咲夜と、頭を撫でられてとろけきった表情を浮かべている銀月が居た。
 銀月は見るからに気持ち良さそうに眼を細めていて、咲夜の手を完全に受け入れている。
 その様子はまるで顎の下をくすぐられて喉を鳴らす猫のようであった。
 それを見て、将志は唖然とした表情を浮かべた。

「……銀月……お前、それで良いのか……」
「で、何であんなに仲が良いのかしら? お弁当屋さんと紅魔館のメイドの接点が見当たらないのだけど」

 がっくりと肩を落とす将志に幽々子は質問を重ねる。
 それに対して、将志は深くため息をついて答える。

「……銀月は紅魔館で執事をしているのだ。その関係でメイドとも話をするのだろう」
「執事?」
「……ああ。そこの当主の妹の監視をさせながら、執事として働かせているのだ」

 将志は幽々子に銀月が働いている事情を話す。
 しかし、銀月が翠眼の悪魔であると言う事実は伏せた。何故なら銀月が翠眼の悪魔であると言うことは事件の当事者、つまり目撃者と一部の関係者だけの秘密であるからであった。
 それは不用意に情報を拡散して銀月に悪影響を及ぼすのを防ぐためである。
 そんな将志の言葉に、小さく幽々子は首をかしげた。

「あら、その妹には何か監視をしなければならない要素があるのかしら?」
「……大いにある。まず、能力が『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』と言う危険な能力を持っていることが一つ。それと精神的に幼く、ものをあまり知らないことがもう一つだ」

 将志は幽々子の質問にそう言って答える。
 それを聞いて、幽々子はスッと眼を細めた。

「……それはおかしいわね」

 鋭い眼で将志を見ながら、やや低い声で幽々子はそう言い放った。
 それに対して将志は小さく息を吐いた。

「……おかしい、とは?」
「ありえないのよ。だって将志、貴方は銀月を『死を操る程度の能力』を持つ私のところには行かせたくないって言ってたわよね? だと言うのに、それと同じくらい危険で、おまけに精神も未熟な相手のところには銀月を執事に出しているわ。これがおかしくないはず無いでしょう?」
「……銀月はその当主の妹と知り合いでな。その縁で執事をすることになったのだ」
「だから、それこそおかしいのよ。たったそれだけのために貴方が銀月をそんな危険な相手のところに行かせるとは思えない。大体、紅魔館ならば貴方の方が余程顔が利くはずよ。何でわざわざ銀月にさせるのかしら?」

 将志の説明に、幽々子は扇子を開いて口元を隠しながらそう言って更に切り込む。
 幽々子は将志のどんな些細な反応も見逃さないように、しっかりと観察をする。
 そんな彼女に対して、将志は眉一つ動かさずに答えた。

「……以前の紅霧異変の解決に銀月が関わっていてな。その当主の妹に銀月が気に入られたのだよ。気に入った相手と一緒にいることは彼女の精神の安定にも繋がる。そう判断して俺は銀月に任せたのだ」
「本当にそうかしら? 私としてはそれだけではない気がするわ。精神の安定にしたって、銀の霊峰を探せばもう一人くらい懐いてくれるかもしれないじゃない。そうね……どちらかと言えば、問題があるのは銀月の方ね。そうでないと、わざわざ銀月を指定する理由がないわ」

 幽々子は将志の言葉から推理して、自分の考えを口にする。
 それに対して、将志は全くの無反応を貫いて幽々子に付け入る隙を見せまいとする。
 その将志の態度に、幽々子は再び質問を重ねることにした。

「将志、もう一度訊くわよ。銀月は何者なのかしら?」
「……俺の息子で、人間だ」
「彼の能力は?」
「『限界を超える程度の能力』だ」
「何故拾ったのかしら?」
「……妖怪に襲われていてな、そこを助けたまでのことだ」

 将志は嘘をつかず、事実をぼやかして答える。何故なら嘘をつくと自分でも気がつかない癖が出るかもしれないからである。
 そんな彼の言葉に、幽々子は一言一句漏らすまいと耳を傾ける。
 そして幽々子は少し考えてからもう一つ質問をした。

「……いつ拾ったのかしら?」
「……何故、そんなことを訊く?」

 幽々子の質問に、将志はそう尋ねる。
 それに対して、幽々子は小さく息を吐いた。

「いいから答えてちょうだい」
「……十年近く前だ」

 そこまで聞くと、幽々子は眼を閉じて考え出した。
 将志の言葉をつなぎ合わせて、そこから推測される事実を導き出す。
 そしてしばらくすると、手にした扇子をパチッと閉じた。

「……将志、やはり銀月はただの人間ではないわね?」
「……何故そう思う?」
「簡単よ。貴方は人間の子供が妖怪に襲われていても絶対に助けないからよ」
「…………」

 幽々子の言葉に、将志は眼を閉じた。
 そう、将志は立場上絶対に妖怪に襲われている人間の子供を助けることが出来ないのだ。
 人間と妖怪、その双方を平等に扱わなければならない神。それが妖怪から神になった将志の立場である。
 黙したままの将志に、幽々子は話を続ける。

「そんな貴方が人間の子供を拾うと言うことは、その子供は人里なんかで拾われたわけでもなく、外で一人ただ迷っていたわけでもない。彼は将志が監視をしていなければならない存在だった。違うかしら?」
「……成程、確かにそうだ。銀月が普通の人間とは違うと言うことは認めよう。そうでなければ、俺はあいつを拾うことはなかった」
「更に言えば、紅魔館の当主の妹と言うことは吸血鬼よね? その監視を任せられるのほどの実力を持っていて、吸血鬼を相手にせざるを得なくて、十年くらい前に拾われた者……こんなことになるの、私には一つだけしか心当たりが無いのだけれど?」

 幽々子はそう言って将志に問いかける。その眼は自分の答えに確信を持ったものであり、鋭く将志を射抜いていた。
 将志はそれを見て、小さくため息をついた。

「……その件についてこの先話すことは少々待って欲しい。これを話すのであれば、紫とも相談せねばならんからな」

 将志は諦めたようなため息をついて、苦い表情で首を横に振った。
 自分の迂闊な発言から銀月の秘密を知られてしまったの事を悔やんでいるようであった。
 そんな将志に、幽々子は話しかけた。

「ところで将志、ものは相談なのだけど」
「……何だ?」
「たまにで良いから、銀月をここに連れて来てくれるかしら?」

 幽々子の言葉を聞いて、将志は怪訝な表情を浮かべた。
 将志からすれば、幽々子は今の問答で銀月がただの人間ではないこと、そして翠眼の悪魔であると言う事実に感づかれたかもしれないのだ。
 相手が何を望んでいるか分からない以上、将志にとっては警戒しなければならないのだ。

「……何をするつもりだ?」
「銀月には妖夢の相手をしてもらおうと思うのよ。あの子、どうやら銀月と色々と話をしたいみたいだから」

 少々の睨みを利かせて警戒心を見せる将志に、幽々子は苦笑いをしながらそう言った。
 それを聞いて、将志は警戒心を若干解いた。

「……そう言えば、以前話をした時も会いたがっていたな」
「ちょっと、妖夢には銀月の話をしていたの?」
「……ああ。幽々子には話さないように強く念を押してな」

 幽々子の質問に将志は何てことの無いようにそう言った。
 すると幽々子はよよよと泣きまねをしながら将志に訴え始めた。

「……本当に酷いわぁ……そんなに私に会わせたくなかったの?」
「……ああ、その通りだ」
「ぶーぶー」

 将志がニヤリと笑いながら質問に答えると、幽々子は膨れっ面をして抗議した。
 将志はそんな幽々子を無視して、銀月のいる方を見た。

「……ふにゃぁ……」
「ふふふ……本当に気持ち良さそうね」

 そこには咲夜に撫でられて気持ち良さそうに伸びている銀月の姿があった。
 銀月の頭は咲夜の膝の上にあり、時々起き上がろうと動くも力が入らずにその場に伸びる。
 咲夜は咲夜で銀月の触り心地の良い滑らかな髪を撫でるのが気持ちよくて、やめようとする気配が見られない。

「本当に気持ち良さそうですね……と言うか、銀月さん凄く綺麗な髪ですね……」

 そんな二人を見て、妖夢が興味津々と言った様子で銀月を眺めている。
 その視線の先には銀月の黒くつややかな髪。咲夜が銀月の頭を撫でるたびに、その髪がさらさらと流れていく。
 妖夢の視線に気がついて、咲夜は声を掛けた。

「何だったら、貴女も触ってみる?」
「え、良いんですか?」
「良いわよ。どうせ銀月はこの様子じゃ逃げたりはしないし、そもそも受け答えと行動が一致しないわ。乱暴しなければ問題ないわよ」
「えっとそれじゃあ失礼して……」

 妖夢はそう言って銀月の髪を触る。傷みのない見た目にも綺麗な髪は、妖夢の手に心地の良い感触を残していく。

「…………」

 妖夢は銀月の頭をしばらく無言で撫でつづける。その後、その手で自分の髪を撫でてみた。

「……私の髪よりも髪質が良いなんて……」

 妖夢はそう言うと、打ちひしがれたような表情で自分の髪と銀月の髪を交互に撫ではじめた。
 やはり一人の女として、男に髪で負けるのは流石にショックだったようである。

「……ん?」
「「あ」」

 そんな中、首についていた首輪の紐がくいくいと引かれて、銀月は現実に引き戻されて体を起こし、咲夜と妖夢の手はやり場をなくしてしまった。
 銀月が首輪の紐を引かれた方向を見ると、そこには銀月が作った料理を食べている霊夢が座っていた。
 その霊夢を見て、銀月は納得した表情を浮かべた。

「……ああ、ごめんごめん。そろそろお茶が欲しい頃だね。すぐに全員分持ってくるよ」
「察しが良いわね。頼んだわよ、銀月」

 霊夢は銀月の言葉に笑顔で答える。それを受け取ると、銀月は起き上がってお茶の準備をしに行った。

「……銀月……どうしてこうなった……」
「良いじゃないの、本人が満足してるんなら」

 そんな銀月を見て将志は頭を抱えてため息をつき、幽々子は横から口を出す。
 それを受けて、将志は幽々子にもう一度話を始めた。

「……で、銀月を呼ぶ目的は何だ? とても妖夢に関係することだけとは思えないのだが?」
「それは内緒よ。でも、真面目な話だってことは保障するわ」
「……お前が一番真面目なのは食に関することだと思うが?」

 思わせぶりな幽々子の発言に、将志はため息混じりにそう言った。
 すると、幽々子の眼がジト眼に変わった。

「……どういうことよ」
「……日頃の自らの言動を思い出してみるが良い」 
「……ぶ~」

 すっぱりと言い切る将志に、幽々子は再び膨れっ面を浮かべた。
 それを見ながら、将志は小さく息を吐いて口を開いた。

「……いずれにせよ、銀月単独でここに来させるという事は絶対にさせん。俺が同伴することが銀月がここに来る条件だ」
「ああ、それくらいなら構わないわよ。それじゃあ、今度から連れて来てね」
「……了解した」

 将志は小さくため息をついてそう頷くと、空の大皿を持って立ち上がった。
 それを見て、幽々子は首をかしげた。

「あら、どうしたのかしら?」
「……そろそろデザートがいるだろう?」

 将志がそう言うと、幽々子は嬉しそうに笑顔を浮かべた。

「ええ、それじゃあお願いするわ」
「……ふむ」

 幽々子の返答を聞くと、将志はデザートを取りにいった。

 その後いつの間にか全て空になっていた大皿を見て、異変を解決しに来たメンバーが唖然としていたのは言うまでもない。


*  *  *  *  *  *

 と言うわけで、幽々子様は本当に頭の良いお方。と言う話でした。
 何だかんだ言っても、幽々子は切れ者だと思うんですよね。
 ぼんやりと何も考えていないようなふりをして、実は既に分かっているから考えずにいるだけ、と言うのが私の幽々子のイメージですね。
 と言うわけで、将志の言葉の中から銀月の正体を見破ってもらいました。

 それから、銀月のキャラがどんどん大変なことになっていってる気がする……


 では、ご意見ご感想お待ちしております。



[29218] 銀の月、受難
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/08/29 01:22

 春雪異変の後、宴会の準備が行われている。
 場所は霊夢の希望によって博麗神社で行うことになった。
 しかしそんな中、博麗神社で準備をする霊夢と銀月は浮かない表情をしていた。

「……ねえ、銀月。最近やけに幽霊の数が増えたと思わない?」
「そうだね……たしかに最近幻想郷のどこに行っても幽霊を見るようになったね」

 霊夢の問いかけに、銀月は商売道具である様々な種類の包丁を研ぎながら答えた。
 その銀月を見て、霊夢は首をかしげた。

「……あんた、首輪まだつけっぱなしなの?」

 今の銀月の格好は、白い胴衣袴と言った姿で、首には錠前の付いた赤い首輪が付いていた。
 霊夢の問いかけを聞いて、銀月は陰鬱なため息をついた。

「……お嬢様のお姉様がね、こうのたまったんですよ。『あんたそれずっとつけてなさい』ってね」

 銀月はわなわなと肩を震わせながらそう呟いた。どうやら余程腹の立つことがあったようである。
 そんな銀月に、霊夢が怪訝な表情を浮かべた。銀月が態度に表れるほど腹を立てることは珍しいからである。

「いったい何があったの?」
「……それはね」

 銀月はそう言うと、その時の詳しい状況を語り始めた。



 * * * * *



 紅魔館のとある一室の前の廊下。
 そこには、銀髪のメイドと鮮血のように赤い執事服を着た黒髪の少年がいた。

「……咲夜さん。本当に行かなきゃダメなのかな?」
「ええ。お嬢様の要望ですもの。主人の要望に応えるのは従者の勤めでしょう?」

 どんよりとした表情で問いかける銀月に、咲夜はきっぱりと言いきった。
 それを聞いて、銀月は大きくため息をついた。

「……分かっちゃいるけどね。全く、気が重いよ……」
「まあ、早く済ませてきなさいな。お嬢様だってきっと悪いようにはしないわよ」
「……行ってくるよ」

 銀月はそう言うと、ドアを四回ノックした。

「入ってきなさい」

 すると、中から当主である吸血鬼の少女の声が聞こえてきた。
 その声を聞くと、銀月は小さく息を吐いて扉を開けた。

「失礼致します」

 銀月は中に入ると恭しく礼をした。
 そんな銀月に、紅茶を飲んでいたレミリアは顔を上げた。

「あら、銀月。いったい何の……」

 レミリアは銀月の首に付いた赤い首輪を見つけると、まるで獲物を見つけて喜ぶ狩人の様な笑みを浮かべた。

「あらあら、貴方とても良い格好をしてるじゃない……」

 レミリアはそう言いながら銀月に近寄り、首輪に付いたリードを握った。
 銀月はひたすら無表情で、レミリアの行為を受けながらも口を開いた。

「レミリア様、この首輪の鍵をいただけないでしょうか?」
「ああ、鍵ね……それが、どこに置いたか忘れちゃったのよ。ごめんなさいね」

 レミリアは悪びれた様子も無く、意地の悪い笑みを浮かべたままそう言った。
 それを聞いて、銀月は眼を閉じた。

「でしたら、私の手で開錠しても宜しいでしょうか?」
「却下よ。規則は規則。私の持っている鍵以外での開錠は認めないわ。破ったりしたら酷いわよ?」
「では、この部屋を捜索する許可をくださいますか?」
「それも却下。この部屋を探して良いのは私と咲夜だけよ。お前にこの部屋を荒らされるのは御免だわ」

 レミリアはそう言いながら首輪のを引いて、銀月の顔を自分の顔の前に持ってくる。
 銀月は背の低いレミリアに引っ張られて前屈みの格好になった。
 銀月は小さく息を吐くと、眼を開いて目の前にあるレミリアの赤い瞳を見つめ返した。

「……それでは、私はどのようにすれば宜しいのでしょうか? 申し訳ございませんが、私にはレミリア様の真意が掴みかねます」

 銀月は感情の篭らない、抑揚のない声でそう告げた。
 するとレミリアは、楽しそうに笑みを深めた。

「ふ~ん……そう。残念ね、貴方なら分かると思ってたんだけど……これは少しお仕置きが必要かしら?」
「っ!?」

 レミリアは銀月の首輪のを両手で掴み、一本背負いの要領で銀月を投げた。
 銀月は投げられると同時に受身を取り、頭を打たないようにする。
 それと同時に、レミリアは銀月の肩を踏みつけて起き上がれないようにしながら、首輪のリードを強く引っ張った。

「ふふふ……無様ね、銀月。少し良い服を着せられた奴隷みたいね」

 レミリアは銀月の右肩を踏みつけたまま、仰向けに倒れている銀月の顔を覗き込んだ。
 その顔は愉悦に浸っている表情で、明らかにこの状況を楽しんでいた。
 それに対して、銀月はあくまで無表情を決め込みながら口を開いた。

「……何をなさるのです?」
「そう言えば、一つ聞き忘れたことがあったわ。お前は何で咲夜に首輪をつけられたのかしら?」
「……ギルバートとの勝負に熱くなりすぎ、それを諌められたからです」

 レミリアの質問に、銀月は無感情を貫きながら答える。
 それを聞いて、レミリアは少し考える仕草をしてニヤリと笑った。

「成程ねぇ……つまり、お前は紅魔館の執事と言う立場でありながら、周りに不要な迷惑を掛ける様なことをした訳だ」
「……申し訳ございません」

 レミリアは無表情で受け答えを続ける銀月を見て、思案する。
 そしてしばらくすると、何かを思いついたような表情を浮かべた。

「まあ良いわ。さあ、これを使いなさい」

 レミリアはそう言うと、銀月の胸元に何かを落とした。
 銀月がそれを見ると、それは小さな鍵であった。

「これは……」
「首輪の鍵よ。ほら、使いなさいよ」
「かしこまりました」

 銀月はそう言うと自分の首輪に付いた錠前に鍵を差込み、開けようとする。
 しかし、途中で引っかかって開く気配が無い。
 それを受けて、銀月はキョトンとした表情を浮かべた。

「……ん?」

 何が起きているのか分からない様子で鍵を確かめる銀月。
 それを見て、レミリアはくすくすと笑い始めた。

「ふふふ……何やってるの、お馬鹿さん? それはギルバートに付いている首輪の鍵よ?」
「なっ……」

 ここに来て、銀月の表情に変化が現れた。
 銀月が絶対に負けたくない相手であるギルバート。その彼だけ許されるという事態が、銀月の琴線に触れたようであった。
 レミリアは銀月とギルバートの性格から、ギルバートにも首輪が付いているのではないかと当たりをつけたのであった。
 愕然としている銀月に、レミリアは追撃の言葉を掛ける。

「何を驚いているのかしら? 彼は外部の者、お前はこの紅魔館の従者よ。他所の奴がどうなろうが知ったこっちゃ無いけど、身内はきちんと躾けないとダメでしょう?」
「ぐっ……」

 にこやかに笑いながら話しかけてくるレミリアを、銀月は恨めしげな視線で見つめ返す。
 その視線は先程までとは違い、反論できないことに少し悔しげなものが押さえきれずに出ていた。

「っ……」

 それを見て、レミリアの背筋にゾクリとした感覚が走った。
 それと同時に、彼女の心の中をとあるものが占拠し始めた。

 それは支配欲。

 目の前にいるのは、自分がどう頑張っても倒せないでいた戦神の息子で、一時期周囲を恐怖に陥れていた翠眼の悪魔。
 そんな彼が自分の思いのままに従うことしか出来ないという事実は、レミリアの心に優越感と共に大きな愉悦をもたらしていた。
 しかし普段銀月は感情を隠しているために反応が薄く、少し退屈なものであった。
 その最中、突如として銀月の感情が表に出てきたのだ。銀月が思わず見せたそれに、彼女は銀月が自分の手の中に少しずつ落ちていっているような気がしたのだ。
 レミリアは、もっとその感覚を味わいたくなった。

「うふふふふ……やっとお前のポーカーフェイスを崩すことが出来たわ。そんなにギルバートだけ解放されるのが気に食わないのかしら?」
「……かしこまりました。彼に鍵を渡してきます」

 銀月は無表情に戻ってそう口にすると、体を起こそうとする。
 しかし、レミリアは体を起こす手を脚で払い、再び銀月を床に押さえつけた。

「まだよ、銀月。私の用はまだ済んではいないわ」

 レミリアはそう言って、首輪のリードを引っ張りながら銀月の腹に跨った。
 その行為に、銀月の眉がピクリと動いた。

「……何をなさるおつもりですか?」
「フランはもう口をつけたのよね? なら、次は私の番よ」
「ひうっ!?」

 レミリアはそう言うと銀月に覆いかぶさり、首輪を下にずらして首筋をぺろりと舐めた。
 それを受けて、裏返った声と共に銀月の体がビクンと跳ね上がった。
 銀月のその反応に、レミリアは妖しく嗜虐的な笑みを浮かべた。

「あら、お前ひょっとして首が弱いのかしら? へぇ……面白いじゃないの。食事の前に少し遊ばせてもらうわよ……ん……」

 レミリアはそう言うと、銀月の首筋に自分の小さな舌を這わせ始めた。
 左手で首輪についたリードを引き、右手は銀月の首を抱えて逃げられないようにしている。
 ゆっくり、じっくり、ねっとりと、焦らすような動きで舐め上げていく。

「くぅ……」

 首にぬめりとした舌が動くたびに全身に電流を流されたかのような感覚が走り、体はそれに対して反応を示そうとする。
 銀月は眼を硬く閉じ、ひたすらに歯を食いしばり、相手の思惑通りにならないようにそれに耐える。

「ふふふ、耐えるわね。そらそら、声を上げて鳴いてみなさい!」
「っ……っ……」

 しかしレミリアからしてみればその表情こそ嗜虐心をそそるものであり、更にエスカレートしていく。
 速度を上げ、広い範囲を徹底的に舐め回し始める。銀月の首筋は唾液でもうべとべとになっており、銀色の糸がレミリアの口に向かって引かれていた。
 もっとこの従者を自分の思い通りに動かしたい、そんな気持ちがレミリアの心を支配していた。

「っ!」
「おっと」

 そんな中、銀月はとうとう耐え切れなくなって首とレミリアの口の間に手を差し込んだ。
 それを受けてレミリアは銀月の首筋から口を離し、手に持ったリードを引っ張り銀月の体を起き上がらせた。

「はぁー……はぁー……」

 歯を食いしばり声を上げないように息を止めていた銀月は、まるで水の中から顔を出したかの様に荒く息をした。
 目じりには小さな涙の粒があり、肩で息をしているところから、かなりギリギリの状態であったことが見て取れた。
 疲れた様子の彼は、レミリアが引っ張る首輪に体を預けてぐったりした様子であった。
 そんな銀月を見て、レミリアは背筋を走るぞくぞくした快感に酔いしれる。
 そして彼女は銀月の顎の先を手で掴み、その顔を覗き込んで妖艶に笑った。

「くすくす……こうなってみると、翠眼の悪魔も可愛いものね。ぞくぞくするわ」
「っ……レミリア様、後の仕事がつかえておりますので、そろそろ……」

 何とか息を整えて事務的な話に持っていこうとする銀月。その表情は元の無表情に戻りかかっており、レミリアとの話を切り上げるべく淡々と話をする。
 そんな銀月の必死な態度に、レミリアは思わず苦笑いを浮かべた。

「仕方ないわね。それじゃあ、頂くわよ」
「あうっ……」

 レミリアはそう言うと、銀月の首に噛み付いた。
 銀月の首からはだくだくと血が流れ出し、口の中へと入っていく。
 その瞬間、レミリアはその味と香りに驚いて口を離した。

「っ……これはいけないわね……危険な味だわ……」

 そう呟くと、レミリアは再び銀月の首に口をつけた。
 レミリアの口の中では銀月の血がまるで極上のワインのように香り、気を抜いてしまうとその味に酔ってしまいそうになる。

「ちゅ……癖になりそうね……ちゅっ」

 レミリアは一口一口をしっかり味わうように、口の中で血を転がす。
 銀月の血の味に酔っているのか、その表情はどこか浮ついていて呼吸も荒くなり始めていた。

「ぐっ……うぅ……」

 その一方で、銀月は吸血されることで全身に走る快楽に耐えるべく懸命に歯を食いしばっていた。
 段々と失われていく血液のせいで意識にもやが掛かっていく。
 すると、突如レミリアは再び銀月の首から口を離した。

「あっ……」
「ご馳走様。まるで麻薬のような、抜け出せなくなってしまいそうになる味だったわ」

 レミリアはそう言いながら手で口元を拭った。
 着ていたドレスは飲みきれなかった血で真っ赤に染まっており、こぼれた血の量の多さを物語っていた。
 銀月の意識は貧血でどんどんと遠くなり、その場から動けなくなった。

「あら、少しやりすぎてしまったかしら。咲夜、居るんでしょ?」
「ここに」

 レミリアが名前を呼ぶと、咲夜が突然その前に現れた。
 それを確認すると、レミリアは咲夜に指示を出した。

「銀月を部屋に運んでやってちょうだい。この様子じゃ、しばらく動けないだろうし」
「……お言葉ですがお嬢様、いくらなんでも少々やりすぎではないでしょうか? これでは銀月の心が離れてしまうかもしれませんよ?」

 咲夜は少しとがめる様な口調でレミリアにそう告げた。どうやら所々で見ていたようである。
 するとレミリアは罰が悪そうな表情を浮かべて咲夜に弁明した。

「う……それが、この銀月を見てると無性に悪戯したくなって……何て言うか、銀月って普段子犬みたいな感じじゃない? あれがここだとちょっと生意気になるもんだから、もの凄くいじめたくなって……」
「子犬のようだと言うのは同意しますが、生意気ではなくて生真面目なんです。あと、お嬢様の銀月への対応が銀月を事務的な対応しかしないようにした原因だと思いますよ?」
「う~、銀月があんなにいじめてオーラ出してるのが悪いのよ!!」

 咲夜の追及に、レミリアはそう言って銀月を指差した。完全なる責任転嫁である。
 そんな彼女を見て、咲夜は小さくため息をついた。

「……とにかく、せめてリードだけでも取らせて上げてください。あれがあると仕事のときに危険ですので」
「……ええ、それくらいなら良いわ。さあ、早く連れて行きなさい」
「かしこまりました」

 咲夜はそう言うと妖精達を呼び寄せて、銀月を部屋へと運んでいった。


 * * * * *


「……ぐすっ」

 そこまで話して、銀月は悔しげに鼻をすすった。
 その一方で、霊夢は御幣を握り締めて立ち上がった。

「よし、あの吸血鬼ぶっ飛ばしてくるわ」
「……待って。お姉様には俺が直接復讐するよ。ああまでやられて、俺が黙っていると思っていたら大間違いだからな……」

 銀月は暗い笑みを浮かべてそう言った。
 その声色は、深い怨嗟の念が込められた怖気すら感じられる声であった。
 それを聞いて、霊夢は思わず背筋を震わせた。

「そ、そう? それじゃあ、そうするわね……」

 霊夢はそう言うと、机に置かれていた銀月が淹れたお茶を口にする。
 そして一息つくと、銀月に本題を切りだすことにした。

「それはそうと、冥界と顕界の境がおかしくなってるのが幽霊が増えた原因なのよ。だから紫に頼まなきゃいけないんだけど……」
「成程ね。それで紫さんのところに今から行こうって訳だ」

 銀月は状況を理解してそう頷いた。

「……銀月、居るか?」

 そのとき、男の声が博麗神社の中に響いた。
 その声を聞いて、銀月は首をかしげた。

「あれ、この声は父さん? どうしたんだろう?」

 銀月と霊夢は二人揃って声のした方向へと向かう。
 するとそこには銀色の槍を背負った銀の髪の男が立っていた。

「……ふむ、居たか」
「銀月のお父さん? 銀月に何か用?」
「……ああ。藍が呼んでいるのでな。迎えに来たというわけだ」

 将志はここに来た理由を霊夢に説明した。
 それを聞いて、銀月は首をかしげた。

「藍さんが? わざわざ俺を指定して何の用なんだろう?」
「……さてな。藍にも聞いてみたが、答えてはくれなくてな。とにかくお前に用があるらしいのだ」
「もう一つ質問。何で藍さん本人が来ないで父さんが迎えに来たのさ?」
「……最近の幽霊の件で紫を訪ねて迷い家に居たのだ。藍が来るよりも、俺の方が脚は速いだろう?」

 将志は銀月の質問に答えていく。
 その質問の答えを聞いて、銀月は少し困った表情を浮かべた。

「う~ん、困ったな。まだ霊夢の今日の夕食作ってないんだけど……」
「……それならば、霊夢も一緒に連れてくれば良い。さあ、早く支度をするが良い。少々急ぎの用らしいからな」

 将志の言葉に、銀月と霊夢は軽く身支度をして藍の待つ迷い家に向かうことにした。
 迷い家に着くと、そこでは金色の九尾を持つ女性が外に立って到着を待っていた。

「やあ、久しぶりだな、銀月……って、その首輪はどうした?」
「……ちょっとした失敗がありまして……」

 キョトンとした表情の藍に、銀月は苦い表情で言葉を濁した。
 その横で、霊夢が藍に対して話しかけた。

「で、銀月に用って何よ?」
「ああ、そうだった。ちょっと銀月、こっちに来てもらえるか?」
「え、はい……」

 藍の指示に従い、銀月は藍のすぐ目の前にやってきた。
 銀月が訳が分からないでいると、藍は銀月に微笑みかけた。

「それじゃあ、銀月。少しお話をしようか」
「……?」

 藍が異様に優しい口調で銀月に話しかけると、銀月は何か小さな違和感を覚えた。
 その様子を横から見ていた将志は、銀月に起きた小さな異変に気がついた。

「……む? 銀月の気配が変わった?」
「え……?」

 将志の呟きに、霊夢がキョトンとした表情を浮かべて聞き返した。

「銀月、返事はくれないのか?」

 そんな中、藍は再び銀月に話しかけた。
 その口調はやはり優しく、母親が子供に話しかけるようなものであった。

「あ、ごめんなさい! 何のお話をするの?」
「……ん?」
「はい?」

 すると、銀月の口から飛び出したのは普段の銀月からは想像もつかないほど幼い口調の言葉であった。
 それを聞いて、将志と霊夢は唖然とした表情を浮かべた。
 その横で藍は銀月と話を続ける。

「銀月は何のお話がしたい?」
「僕がしたいお話? う~ん……修行のお話かなぁ?」

 銀月は子供っぽい仕草で口に手を当て、そう口にした。
 その姿はまるで精神だけ幼い子供に戻ってしまったかのようであった。
 そんな銀月を見て、将志と霊夢はジトッとした眼で藍を見つめた。

「ちょっと藍。あんた銀月に何をしたのよ?」
「なあに、少し精神だけ十歳くらい若返ってもらっただけだ」
「……そうすることの意図が全く読めんのだが?」
「それもすぐに分かる。まあ、少し待ってくれ」

 藍はそう言うと、再び銀月に向き直った。
 銀月は自分に起きていることが理解できていないようで、三人の会話にただ首をかしげていた。
 そんな銀月の眼を藍は覗き込んだ。

「さあ、銀月。私の眼をよく見てくれ」
「うん……」

 銀月は藍の眼をジッと見つめる。すると、銀月のまぶたが段々と下がってきた。
 銀月は眠そうに眼を擦りながら、藍の眼を見続ける。

「眠いか?」
「ん……うん……」
「それじゃあ、こっちにおいで」
「うん……」

 藍は銀月の手を引きながら家の中へと入っていく。
 その途中、ふと藍は事の次第を見守っていた将志と霊夢の方を向いた。

「ああ、そうだ。二人は居間で待っていてくれるか? ことが終わったら私も行くから」

 藍はそう言うと、再び銀月の手を引き始めた。銀月は藍に手を引かれながら、フラフラとその後ろをついて行く。
 その様子を、将志と霊夢は困惑した様子で見ていた。

「……いったい何なのよ……」
「……まあ、藍のことだ。銀月を酷い目に遭わせる様な事はすまい。俺達は大人しく居間で待っているとしよう」

 将志はため息混じりにそう言うと、霊夢と一緒に居間へと向かった。
 居間でしばらく待っていると、藍がやってきた。

「すまない、待たせたな」
「……銀月はどうした?」
「銀月には仕事まで眠ってもらっているよ。さて、私達は食事の用意をするとしよう」
「……? そうか」

 将志はそう言うと、霊夢の顔をジッと見つめだした。
 突然見つめられて、霊夢は思わずたじろいだ。

「な、何よ……」
「……成程な」

 将志は納得したような表情でそう言うと、台所へと入っていった。

「……何だったのかしら?」

 そんな将志を見て、霊夢は訳が分からず呆然とした表情を浮かべるのであった。





 一方その頃、銀月はと言うと。

「う……ん……」

 銀月は何やら暖かいものを感じながら目を覚ました。
 その感触から、布団の中に居ることが理解できた。

「……寝ちゃってたのか……」

 銀月は小さくそう呟きながら、ゆっくりと体を起こそうとする。
 しかしそのとき、銀月の体の上に何かが置かれていることに気がついた。

「……?」

 銀月は寝ぼけた頭で自分の右肩辺りに置かれているものに手をやった。
 それは何やら滑らかな手触りがするもので、確かな温かみが感じられるものであった。
 その手触りに覚えがある銀月は、段々と何かがおかしい事に気づき始めた。

「…………あれ?」

 寝ぼけてぼやけていた視界が段々とクリアになる。
 すると、銀月の目の前には金髪の女性の顔が現れた。

「あ……え……?」

 銀月は訳が分からずその場に固まる。目の前に居るのは八雲 紫、しかもどういう訳だか同衾している状態である。
 そして何故こうなっているのかを考え始めたとき、藍に話しかけられてからの記憶が無いことに気がついた。

「……まさか、藍さんこのために……」
「……ん……」
「……っ!?」

 銀月は藍の真意に気づくと同時に、強く抱き寄せられた。
 紫の体の柔らかい感触と共に、髪から漂ってくるほんのり甘い匂いが銀月の鼻に入ってくる。

「(……これ、下手をすれば死ぬな)」

 銀月は身動き一つせず、ただ紫に抱きしめられたまま考える。
 もし紫が眼を覚まして、一緒に自分が寝ている事実に混乱を招いた場合に何が起きるか分からない。
 パニックになって暴れられて本気で攻撃などされようものなら、命の保障は無いのだ。

「……すぅ……」

 一方、紫は銀月の焦りなど露知らず、抱きしめた銀月の首筋に顔をうずめていた。
 人食い妖怪でもある紫にとって、銀月の匂いは甘く心地の良い匂いなのでいくらでも嗅ぎたくなるのだ。
 その表情はリラックスしたもので、どこと無く幸せそうなものであった。

「……はぅっ……」

 首筋に当たる吐息がくすぐったくて、銀月は思わず声を上げそうになる。それを何とか耐えながら、何とか脱出の糸口を探す。
 しかし、紫にしっかりと抱きしめられていたために身動き一つ取れない。その力は銀月が抜け出すのにかなりの労力を要するレベルであった。
 実際に抜け出そうとすれば、ほぼ間違いなく紫を起こしてしまうであろうことがはっきりと分かった。

「……どうしよう」

 銀月は途方にくれた様子でそう呟きながら、紫の肩をそっと抱きしめた。安心させて起こさないことで、考える時間を作るための作戦であった。
 そうしてまで必死になって考えるが、紫を起こさずにこの場を乗り切る方法が思いつかない。
 途方にくれていたそんな中、銀月は紫のとある変化に気がついた。紫の首筋に汗がにじんでいることに気がついたのだ。
 それを見て、銀月の顔から血の気がサッと引いた。

「……紫さん?」
「……え、えっと、こ、これはどうなってるのかしら?」

 銀月が問いかけると、困惑した声と共に抱きしめる力が強くなった。
 どうやらかなり混乱しているようであり、どうすれば良いのか分からなくなっている様子であった。
 銀月はそれを聞いて、紫が暴れなかったことに安堵すると同時に小さくため息をついた。

「……ごめん、どうやら俺が藍さんに罠に嵌められたみたいだ。俺も気がついたら紫さんの布団にいたし……」
「ら、藍は何を考えてるのよ……」

 紫は耳まで真っ赤に染めながら藍への苦情を銀月に告げ、それと同時に銀月の頭を抱き寄せた。
 そんな紫の行動に、銀月は呆気に取られた表情を浮かべた。

「あの、どうしたんです?」
「ご、ごめんなさい、今ちょっと貴方の顔を見てられないのよ……し、しばらくこうさせてちょうだい」

 紫は銀月にしっかり抱きつき、顔を見せないようにした。
 藍による男性に対する苦手意識を克服する特訓で銀月と抱き合うのは慣れていたつもりであったが、布団の中と言う状況ではまた事情が違うようであった。
 その一方で、銀月は紫の肩を抱く腕の力を少し強めた。

「……良いよ。紫さんが落ち着くまでこうしてるさ」

 銀月は紫が落ち着けるように、その長い髪を手で優しく梳きながらそう囁いた。
 銀月は困惑する紫を見てかえって冷静になっているようで、柔らかな笑みすら浮かべていた。
 そんな彼の様子に、紫は少し悔しそうに頬を膨らませた。

「……何で貴方はそんなに余裕があるのよ……」
「俺だってこの状況は慣れてないけど、慌ててる紫さんを見てたらしっかりしなきゃと思ってね。かえって冷静になれたよ」
「むぅ……本当にいつもいつもずるいわね……」

 紫はそう言いながら、抗議するように銀月を軽く締め上げるように力を込めた。自分だけあたふたしていたのが不満なようである。
 銀月はそんな紫の態度に、思わず苦笑いを浮かべた。

「……どうやら落ち着いたみたいだね。じゃあ、そろそろ居間に行くかい?」
「……ごめんなさい、もう少し待ってちょうだい」

 銀月の言葉に、紫はばつが悪そうな声色でそう言った。紫のプライドが、銀月に赤くなった自分の顔を見せることを許さなかったのだ。
 そんな紫の心情を汲み取ったのか、銀月は微笑んだ。

「了解したよ。それじゃあもうしばらく……」

 そこまで言うと、銀月の表情が凍りついた。
 紫を抱きしめている銀月は、背後からの強烈な気配に冷や汗を流す。

「ふ~ん……仕事ってそう言うことだったのね……」

 上から冷たい声が降り注ぐ。その声の主である紅白の巫女は、能面のような表情で銀月を睨んでいた。
 その威圧感に、銀月は振り向くことが出来ずにそのまま応対した。

「あ、いや、霊夢? その、これはね?」
「分かってるわ。あんたは何も悪くない。悪いのはあの狐よ。私がおなか空いたり喉が渇いたりしても、あんたが動けなかったのはぜ~んぶあの狐のせい。ええ、分かってますとも」

 絶対零度の声で霊夢は銀月にそう言った。
 普段空腹や喉の渇きを覚えたときは銀月が即座に対応していたため、それがなくなったことで霊夢はとても不機嫌になっているのだった。
 そんな一見許すかのような彼女の言葉に、銀月は不穏なものを感じた。

「えっと、それじゃあどうするの?」

 銀月は恐る恐ると言った様子で霊夢に問いかけた。
 しばし無言。
 そして霊夢は、大きく息を吸い込んだ。

「……とりあえず、一発殴らせなさい!!」
「はうあっ!?」

 銀月の頭に、霊夢の拳が勢い良く振り下ろされた。





「……ぐすん」

 食事時、銀月は頭に大きなたんこぶを作って食卓に座っていた。
 その様子に、ただ一人事情を知らない将志が首をかしげた。

「……銀月はいったい何があったのだ?」
「それが、ちょっとね……」

 将志の問いかけに、紫は乾いた笑みを浮かべながら言葉を濁した。
 その顔はほんのり赤く染まっており、先ほどのことを思い出しているようであった。
 その横で、霊夢が黙々と食事を続けていた。

「……この料理美味しいけど……銀月よりも少し上ってくらいで、そんなに驚くほど美味しいって訳でもないわね」
「……それだけ普段の食事が上等だということだ。銀月に感謝しておけ」

 霊夢の呟きに、将志は憮然とした様子でそう答えた。
 そんな将志を見て、藍が意外そうな表情を浮かべた。

「おや? 銀月を褒めた割には晴れない表情だな? どうかしたのか?」
「……今日の料理は霊夢の舌に合わせて作ったのだが……作りこめば作りこむほど銀月の味に似ていくのでな。銀月も上達はしているのだが、それ以上に霊夢の口に合うように味付けが変わっているようなのだ。いや、どちらかと言えば霊夢の舌が銀月の料理に合わされてきたと言ったほうが正しいか」

 将志は苦い表情で藍に事情を説明する。
 それを聞いて、藍は少し考えて言葉を返した。

「……それはつまり、霊夢が銀月に完全に餌付けされている、と言うことか」
「……噛み砕いて言えばそう言うことだ。白玉楼で食事をした時、俺の料理よりも銀月の料理を多く食べていたので気になって調べたのだが……結果はごらんの有様だ」

 将志はそう言うと、頭を抱えてため息をついた。
 霊夢が銀月に依存している現状は、将志にとって憂慮べき事態であった。
 何故なら銀月の霊夢に対する対応を鑑みるに、銀月が霊夢に対してかなり甘いということが見て取れたからである。
 そんな将志を見て、紫が苦笑いを浮かべた。

「そうねえ。霊夢ったら日々の生活を完全に銀月に依存しているものね。銀月に何かあったときが心配だわ」
「うっさいわねぇ。銀月はそう簡単に居なくなったりしないわよ。第一、怪我をしたってすぐに直っちゃうじゃない」
「どこからその自信が出てくるのかしら……」

 うんざりした様子の霊夢に、紫はそう言ってため息をついた。
 そんな中、今の今までへこんでいた銀月が口を開いた。

「ところで、話の本題はどうしたのさ? 父さんも冥界と顕界の境の件でここに来たんだろう?」
「……ああ。幽霊が最近増えてきたのでな。その境界に関することを訪ねに来たのだ」

 銀月と将志の言葉を聞くと、紫は小さく頷いた。

「ああ、それくらいなら特に問題は無いわよ。幽霊が増えてきたからといって、別段気にするようなことは無いはずよ」
「問題ないって……」
「それよりも、博麗の結界の北東部が少し綻んでいるわ。そっちの方は直していかないといけないわ」
「それは大変ね。早いとこ直さないと」
「まあ、私がさっきくしゃみした拍子にうっかり穴開けちゃったんだけど」
「……何をやっているのだ、紫……」

 紫の言葉を聞いて、将志は呆れたようにため息をついた。
 その横から、銀月が藍に向かって話しかけた。

「ところで、藍さん……起きたらいきなり紫さんの布団の中ってどういうことなのさ……」
「そうねぇ……流石に今回のこれは少しやりすぎね」

 銀月と紫はそう言いながら藍にジト眼を向ける。
 お互いにパニックに陥りかけたので、かなり藍の行為に反感を持っているであろう事が分かる。
 そんな二人を見て、将志も藍に対して白い眼を向けた。

「……藍、お前そんなことをしたのか?」
「ああ、紫様のために少しな」
「藍、貴女それを口実に私と銀月で遊んでいないかしら?」
「いえいえ、そんな滅相もないですよ」

 藍は反省をするそぶりすら見せずに二人の質問にそう返した。
 それに対して、霊夢が疑問の声を上げた。

「ねえ、何でその相手が銀月なのよ? 別に男に慣れさせるだけなら、銀月にこだわる必要は無いんじゃないの?」
「それがそうも行かなくてな……紫様が一番慣れている男が銀月だから、まずは銀月で慣れさせようと言うわけなんだ。他の男では、まだまだこうは行かないよ」

 霊夢の質問に、藍はそう言って肩をすくめた。
 実際、つい最近も男に声を掛けられてどうしようもなくなったことがあるため、まだまだ課題は山積みなのであった。
 そんな紫の現状を聞いて、将志は小さく頷いた。

「……そう言えば、紫はその手のことに関しては筋金入りだからな……」
「おや、お前がそれを言うのか?」

 藍はそう言って小さく笑うと、将志の手を取って自分の胸に押し当てた。
 突然のその行為に、将志の眼がぎょっと見開かれる。

「なっ……」
「ふふふ……相変わらず触れられるのはある程度慣れていても、自分からこうして触れるのは慣れていないようだな」
「くっ……何がしたいのだ、藍……」

 ニヤニヤと笑う藍に対して、将志はそう問いかける。その表情は困惑したものであり、顔が若干赤く染まっていた。
 そんな将志を見て、藍はにやついた笑みを深めた。

「お前のこれも充分筋金入りだと思うぞ? 私との付き合いももう千年を超えるというのに、こういうことに関しては未だに初心な子供のような反応を見せるのだからな」
「……っ、大きなお世話だっ」

 将志はそう言うと、藍の手から自分の手を引き抜いてそっぽを向いてしまった。
 それを見て、藍は苦笑いを浮かべた。

「ふふふ、そう拗ねるな。お前が拗ねても可愛いだけだぞ?」
「……拗ねてなどいない」

 藍が話しかけるが、将志はそっぽを向いたまま黙々と料理を食べている。
 傍目から見ると、どう見ても将志は拗ねているのであった。
 そんな将志を見て、銀月は苦笑いを浮かべた。

「あはは、藍さんの前じゃ父さんも形無しだね。反応が子供みたい」
「……よし銀月、表に出ようか」

 将志はそう言うと銀月の襟首を掴んで外へと歩き出した。
 それを受けて、銀月の顔から血の気が一気に引いて大量の冷や汗があふれ出した。

「あ、いや、待って、やっぱり今のは……」
「……口は災いの元だ。その身をもって思い知れ」

 将志は銀月を引きずりながら外へと出て行った。


 そして一分後、外から大きな悲鳴が上がった。

*  *  *  *  *
あとがき

 と言うわけで、銀月の悲惨な日々でした。
 おぜうさまにはいじめられ、藍しゃまには利用され、将志には折檻されると言う散々な眼に。
 その結果、銀月の固定装備に赤い首輪が……どうしてこうなった。
 う~ん、おぜうが何だかドSになったな……自分の中では、強く出られる相手には強く出て、自分より強い相手にはやせ我慢するイメージなんですよね、おぜうさまは。

 そして霊夢が完全に銀月に餌付けされていることが発覚。
 ……ダメだこの巫女、早く何とかしないと。そりゃこんだけ依存してりゃヤンデレ希望とか言われるわな。

 ……にしても、銀月のキャラって本当にどこに向かっていくのだろう? 今回はいじめてオーラがついたし。
 そのうち銀月に付いたキャラを全部書き並べてみようかしら。


 では、ご意見ご感想お待ちしております。



[29218] 銀の月、宴会の準備をする
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/09/07 20:41
 宵の口の博麗神社の境内。
 そこには、宴会の用意が着々と進められていた。
 周辺に生えている桜の花は、春度が満ちている今になって見事に満開になっていた。
 その中央には、今回異変を起こした白玉楼の面々から提供された食材が文字通り山と積まれており、傷まないように氷の精が冷気をかけて冷やしていた。
 そんな彼女に、白装束の黒髪の少年が話しかけた。

「お疲れ様、チルノ。麦茶飲むかい?」
「あ、銀月! 飲む~!」

 チルノはお盆に麦茶を載せた銀月に向き直ってそちらにやってきた。
 お盆の上にはコップが二つ並んでいて、銀月はそれを渡す二人目の姿を捜した。

「あれ? チルノ、大妖精はどうしたの?」
「大ちゃん? 大ちゃんならまだアグナと特訓してるんじゃないかなぁ?」
「そうなんだ。じゃあ、ひょっとして君の特訓を邪魔しちゃったかな?」

 銀月はそう言いながら縁側に座っているチルノの横にお盆を置く。
 すると、チルノは銀月の問いかけに対して首を横に振った。

「ん~ん、アグナはこれが修行だって言ってたよ? 弱く長く、他の事をしながら力の放出を維持する訓練なんだって」
「成程ね。と言うことは、何か他にやることが必要かな?」
「ん~、何かやることあるの?」

 チルノの問いかけに対して、銀月は何かやることが無いか考え込んだ。
 そしてしばらくすると、銀月は苦笑いを浮かべた。

「……良く考えたら、今の時点じゃすることが無いな」
「え~」

 銀月の言葉にチルノはつまらなさそうにそう言った。
 負けず嫌いの彼女は、少しでも多く修行を積んで早く銀月やルーミアに勝てるようになりたいのだ。
 そんな彼女の前に、突然瞬間移動のように緑色の髪の妖精が現れた。

「遅れてごめん、チルノちゃん!」
「あ、大ちゃん。修行はもう終わったの?」
「うん。アグナちゃんとルーミアちゃんも一緒にこっちに来てるよ」

 大妖精がそう話していると、空の彼方から何かがすっ飛んできた。

「ぎゃん!!」

 砲弾のように飛んできたそれは地面に衝突すると、短く悲鳴を上げながら地面を何度か跳ねる。そしてしばらく転がると、地面に伸びた。
 それを見て、銀月が苦笑いを浮かべた。

「あはは……これまたダイナミックな登場だね、ルーミア姉さん?」
「うきゅ~……」

 銀月は地面に伸びている闇色の服の少女にそう声をかけた。
 ルーミアは眼を回しており、当分起き上がれそうに無いようである。

「ったく、空飛んでる最中だろうがお構い無しなんだからよ……」

 銀月がルーミアに声をかけていると、その後ろから幼い少女の声が聞こえてきた。
 銀月が後ろを振り返ると、そこにはくるぶしまで伸ばした燃えるような赤い髪を三つ編みにして青いリボンで結んだ小さな少女がいた。
 彼女の着ている真っ赤なワンピースは、どういうわけだか乱れていた。

「……成程、何があったか把握したよ、アグナ姉さん」

 そんなアグナを見て、銀月は呆れたため息をつきながら頷いた。
 どうやらアグナはこちらにやってきている最中、ルーミアから執拗なボディタッチを受けていたようであった。
 銀月の声を聞いて、アグナはそちらに向き直った。

「よお、銀月! 元気にしてたか!?」
「ああ、元気だったさ。アグナ姉さんは変わりないみたいだね」
「おう、あったりめえよ!!」

 アグナは威勢のいい声で銀月にそう話す。
 すると、アグナは銀月の首に付いた赤い首輪に気がついた。

「んあ? おい銀月、何だその首輪は?」
「……ああ、これね……一種の誓いみたいなものだよ」

 銀月は苦笑いを浮かべてそう話した。
 それを聞いて、アグナの表情が段々と怒りの表情に変わっていった。

「……テメェ、まさか……」
「勘違いしないでくれるかな、姉さん。別に俺は隷属を誓ったわけじゃない。そうだね、誓いと言うよりは戒めだね。ふふふ……絶対に復讐してやる……」

 感情が昂って足元から炎が上がり始めたアグナに、銀月は低い声でそう言って笑った。
 その言葉には、まるで底なし沼のように深く暗い感情が見え隠れしていた。
 そんな銀月を見て、アグナは一変して困惑した表情を見せた。

「お、おう……ま、まあ、頑張れ、な?」
「ふふふ……ありがとう」
「うっ……」

 銀月はアグナにそう言って穏やかに微笑む。
 しかし、アグナにはそれがにっこり笑って相手を殺す犯罪者のような、とても恐ろしい笑みに見えたのだった。
 その底知れない恐怖は、アグナだけでなく近くにいたチルノや大妖精にも伝播した。

「チ、チルノちゃん……」
「ぎ、銀月? その、相手が誰だか知らないけど、手加減はしてね?」
「うん、分かってるよ」
「ち、ちっとも信用できねえ……」

 笑みを深めて答える銀月に、アグナは冷や汗を流すのであった。
 そうやって話している中、降り立つ集団が一つ。

「……む、この様子では少し早すぎたか?」
「キャハハ☆ いいじゃん、将志くん♪ お祭り前を楽しむのも一興だよ♪」
「前向きですこと……でも、静かに桜を見るのなら今のうちですわね」
「うむ、冥界の桜も見事でござったが、ここの桜もまた見事でござるな」

 まだ人がまばらな会場を見回す将志と愛梨に、早速花見を始める六花と涼。
 そんな中、銀の霊峰の四人は銀月の姿に気がついて向かってきた。

「あ、いたいた♪ 銀月くん、やっほ♪」
「こんばんは、愛梨姉さん。今日はみんな揃ってるんだね」
「うん♪」

 左眼の下に赤い涙、右眼の下に青い三日月のペイントをした少女はは銀月に明るい笑顔で笑顔でそう返す。
 その横から、銀の髪に桔梗の花が描かれた赤い長襦袢を着た女性が銀月に話しかけた。

「銀月も元気そうで何よりですわ。特に変わりはありませんこと?」
「……特に無いけど、六花姉さんには一つ訊きたい事があるんだ」
「あら、何ですの?」
「六花姉さん、橙に何を吹き込んだのさ? 何かこの前会ったら俺がペット扱いされてるとか凄いこと言われたんだけど?」

 銀月は六花に少し白い眼を向けてそう尋ねた。
 すると六花の眼が途端に泳ぎ始めた。

「あ、その、銀月が心配でつい……おほほほほ……」

 六花はしどろもどろになりながらそう答え、乾いた笑みを浮かべた。
 どうやらあることないこと吹き込んだと言う自覚はあるようであった。
 そんな六花の言葉に、将志が口を開いた。

「……六花、心配な気持ちも分かるが、あまりに過保護すぎても問題だぞ?」

「(将志くんがそれを言っちゃうんだ……)」
「(お兄様がそれを言いますの……)」
「(お師さんがそれを言うんでござるか……)」

 将志の言葉に、六花達は内心呆れ顔でそう思った。
 何故なら、将志は何か機会があるたびに博麗神社や紅魔館を遠くから眺め、銀月に異変が無いか確認をしていたのだ。
 過保護の度合いで言うならば、間違いなく将志のほうがレベルは上である。

「あはははは……あ、そうだ。俺ちょっと台所に行ってくるね。じゃあ、後で」

 銀月はそう言うと、博麗神社の台所へと向かっていった。
 その背中を、将志は複雑な表情で見送った。

「どうかしたんでござるか、お師さん?」
「……恐らく、これは霊夢に茶を淹れに行ったな」
「むぅ?」

 ため息混じりの将志の言葉に、涼は怪訝な表情を浮かべるのであった。

「あ、六花~!」

 ふと、横から六花に声が掛かる。
 六花がそのほうを振り返ってみると、そこには二本の猫の尻尾を生やした少女が走ってきていた。
 その彼女を、六花は柔らかく受け止める。

「あらあら。橙、飛びついたりすると危ないですわよ?」
「だって久しぶりだったんだもん。最近忙しいの?」
「ええ。今回の異変で少しやることがあったんですの」

 橙の質問に、六花は簡単に事情を告げた。
 橙の尻尾はまっすぐに伸びており、六花に会えたことを喜んでいることが分かる。

「そうなんだ。ね、時間まで遊ぼ?」
「ふふっ、良いですわよ」

 六花はそう言うと、橙と連れ立って歩いていった。
 橙に引っ張られるようにして歩く六花のその様子を見て、将志は小さく頷いた。

「……ふむ、橙がここに来たという事は……いるのだろう、藍、紫?」
「ええ、いるわよ」

 どこからとも無く女性の声が聞こえると共に、将志の目の前の空間が唐突に裂け、中から紫色のドレスを着た女性と青い道士服を着た金色の九尾を持つ女性が現れた。
 その彼女達に向かって、将志は小さく手を上げて答えた。

「……随分と早いな。いつもであれば、紫は起きて半刻も経っていないのではないか?」
「橙が早く六花に会いたいといっていてな。紫様に無理を言って早く出たんだ」
「そうそう。おかげで少し寝不足よ。この埋め合わせは美味しい料理とお酒でしてもらわないとね」

 紫は少し眠そうな表情で将志にそう呟いた。
 それを聞いて、将志は小さく微笑んだ。

「……ふっ、料理に関しては保障してやろう。何しろ、食材は山ほどあるんだからな」

 将志はそう言いながらチルノが冷気を送っている食材の山を指差した。
 それを見て、紫と藍は唖然とした表情を浮かべた。

「……これ、今日来る客全員合わせても食べ切れるのか?」
「……藍、残念だけど食べきれるからこれだけ用意されているのよ」

 藍の呟きに、紫が若干呆れ顔でそう返した。
 それを聞いて、藍の眼が驚きに見開かれた。

「えっ……紫様、誰がそんなに食べるのですか?」
「私よ~」

 藍の声が上がると同時に、空から能天気な声と共に桜模様が入った青い服の女性と、二本の刀を差した緑色の服の少女が下りてきた。
 二人は会場に下り立つと、周囲を見回した。

「あら、お料理ってまだ出来ていないの?」
「……料理は宴会中に俺が作る。なに、時間の掛かる料理の仕込みは全て銀月が終わらせている。料理はすぐに食えるぞ」
「今すぐ食べられるものは無いかしら?」

 幽々子は辺りを見回しながらそう答える。その眼は鋭く光っており、どんな料理も見逃さない構えであった。
 そんな幽々子を見て、将志は呆れ果てた表情を浮かべた。

「……そんなに腹が減っているのか?」
「ええ、とっても」

 幽々子はそう言いながらも周囲への注意を怠らない。
 そんな幽々子に、紫はため息をついた。

「……相変わらずね、幽々子。私幽々子がお腹を空かせていないところを見たことが無いのだけれど?」
「仕方ないじゃない。紫はいつも食事前に来るんですもの。今だって普段なら食事時よ? お腹が空いて当然じゃない」
「そんなことだろうと思って、幽々子さんのために先に作っておいた分があるよ。はいこれ」

 幽々子と紫が話をしていると、先程台所にはいっていた銀月が直径二尺程の大皿を持って戻ってきていた。
 大皿の上にはちらし寿司が綺麗に盛り付けられており、酢飯の匂いを漂わせていた。
 その匂いを感じ取った瞬間、幽々子の眼が光り輝いた。

「あら、気が利くじゃない。それじゃあ、頂きます」

 幽々子は銀月からそれを受け取ると、早速食べ始めた。
 その様子を見て、妖夢が感心した表情で頷いていた。

「随分と準備が良いんですね。私、しばらくの間どうやって幽々子様を宥めようか考えていたんですけど……」
「この前のあの食事量を見れば、幽々子さんがお腹を空かせてくるのは分かることだからね。あらかじめ作らせてもらったよ」
「そうなんですか……んしょ」
「ん」

 妖夢はそう言うと、銀月の頭に手を伸ばした。それに対して、銀月は反射的に頭を下げる。
 すると妖夢は差し出された頭を撫で始め、銀月はそれを受け入れた。
 ……どうやら銀月は相手が頭を撫でようとすると頭を下げるのが癖になってしまったようである。
 妖夢の手によって、銀月の髪がさらさらと揺れ踊る。

「……えっと、どうしたんだい?」

 銀月は困ったような笑みを浮かべて妖夢にそう話しかけた。
 それを聞いて、妖夢はキョトンとした表情を浮かべた。

「あれ? おかしいですね……」

 妖夢はそう言いながら銀月の頭を撫で続ける。銀月の滑らかな髪が、妖夢の手に心地よい感触を与える。
 しかし何か納得がいかないのか、妖夢の表情は不満げなものになっていった。
 そんな妖夢に、銀月は段々と困惑した表情を浮かべだした。

「あ、あの、本当にどうしたんだい? 俺、何か悪いことした?」
「え? あ、いや、何でもないです」
「……?」

 妖夢はそう言うと、少し慌てた様子で銀月を撫でる手を引っ込めた。
 結局、銀月は彼女が何をしたかったのかが分からずに首をかしげるのであった。

「よう、銀月。まだ始まってないみたいだな?」

 そんな銀月のすぐ隣に、金髪の少年が下りてきた。彼はジーンズに黒い春物のジャケット姿であった。
 以前その首についていた青い首輪は既に取り外されている。
 銀月はその声にその方を振り返った。

「やあ、ギルバート。そうさ、もう少し揃ってから始めようと思ってね」
「そりゃまた何でだ? 見たところ、料理もまだ作っていないみたいだが?」
「あ、そうか。君はまだ知らないんだったね。今日は父さんが料理をするから、料理は少し待ってもらってるのさ」
「お前の親父さんが? にしたって、親父さんまだ何も作業してないじゃねえか。どうなってんだ?」
「それはまだ内緒。すぐに分かるさ」

 怪訝な表情を浮かべるギルバートに、銀月はそう言って笑った。
 その横から、妖夢がギルバートに声を掛けた。

「あ、ギルバートさん。お久しぶりです」
「ん? ああ、妖夢か。久しぶりだな」
「この前はありがとうございました。まさか貴方があんなことをするとは思ってませんでした」
「お、おお。そうか」

 妖夢はギルバートに好意的に話しかける。
 その様子は、命を助けられた人が恩人に話しかける様子に似ていた。

 何故妖夢がギルバートにここまで好意的なのか?
 それは異変解決の当日、将志が食事の後にデザートを持ってきたときまでさかのぼる。



 * * * * *



 銀月と咲夜と妖夢が机の上の空になった大皿を片付け終わると、将志は机の上に札を一枚取り出した。

「……さて、恒例の行事と行こうか」

 将志はそう言うと、机の上の収納札から八つの一口サイズの饅頭が乗った皿を取り出した。
 そして皿の中央には、まるで宝玉のように飾られている翡翠色の玉。
 それを見た瞬間、銀月と幽々子と妖夢の表情が変わった。

「げ、父さんこれは……」
「……もう勘弁してぇ……」
「あ、またこれやるんですね!」

 血の気が引いて蒼い顔になっている銀月と、涙眼で訴える幽々子。それとは正反対に、楽しそうな表情を浮かべる妖夢。

「……ああ、そうだ。ちょっとした運試しだ」

 その三者三様の反応を見て、将志は笑顔で頷いた。
 そんな将志を見て、魔理沙が銀月に問いかけた。

「なあ、銀月。これから何が始まるんだ?」
「……これは一種のロシアンルーレットだよ。この饅頭のうち、七つはとても美味しい饅頭だ。だけど残りの一つは想像を絶する不味さの饅頭なんだ。その口から魂が抜け出すほどの不味さから、「地獄饅頭」って呼ばれるものさ」

 銀月の説明を聞いた瞬間、それを知らなかった者たちの顔も一斉に蒼くなった。

「げ、マジかよ……見た目じゃ全然わかんねえぞ……」
「まあ、食べた後の救済措置はあるんだ……あの真ん中の翡翠色の飴玉を食べれば、父さんの料理の中で最高の味を体験できるのさ……その地獄の中に蜘蛛の糸を垂らすようなそれは「救済飴」って言うんだけどね……」
「つまり、それを食べれば問題はないわけね」

 ギルバートの呟きに銀月が答え、霊夢がそれを聞いてホッとした表情を浮かべた。
 しかし、それを見て将志はくすくすと笑い出した。

「……言い忘れていたが、今回その地獄饅頭は二つ入っている。良く考えて選ぶのだな」

 そう口にした瞬間、今度は一人残らず、妖夢すらも顔が蒼くなった。
 何故なら、皿の上に置かれた救済飴の数はたった一つ。つまり、地獄饅頭を食べてその救済飴が取れなかったものは、何の救いもなく地獄を見続けることになるからである。

「……じ、冗談だよね、父さん?」
「……冗談は好かん」

 震える声で問いかける銀月に、将志はとてもイイ笑顔でそう返した。
 そんな将志に、幽々子が少し泣きそうになりながら詰め寄った。

「ちょっと、貴方正気なの!? そんなことしたら当たる確立が二倍になるじゃない!!」
「……ああ。俺も当たる確立が二倍になるのだから、問題はないだろう?」

 必死の訴えをあっさりと受け流す将志。
 幽々子のそのあまりの剣幕に、食べたことのない者も地獄饅頭の味の凄惨さが伝わってきた。

「ちょっと銀月! あんたのお父さん止めなさいよ!」
「止めるったってどうするのさ! 父さんを力ずくで抑えるなんて出来ないぞ、俺!」

 襟を掴んで揺さぶる霊夢に、銀月はそうやって言い返す。
 そんな中、饅頭に手を伸ばす者が約一名。

「……私はこれを選びます。もし地獄饅頭に当たっても、他の人よりも早く飴を取ればいいんですから」

 そう言って饅頭を手に取ったのは妖夢。覚悟を決めた眼で饅頭を掴んで、自分の前の更に置いた。
 それを見て、将志は感心したように頷いた。

「……いい度胸だ、妖夢。ほら、さっさと選ばないとどんどん選択の余地がなくなってしまうぞ?」

 将志はそう言いながら自分の分の饅頭を取った。
 それを皮切りに、他の者も饅頭に手を伸ばした。
 そうして全員に饅頭が行き渡ると、将志は小さく息を吐いた。

「……では、みんな一斉に一口で饅頭を食べるとしよう。三、二、一!」

 将志の号令で、全員一斉に饅頭を口に含んだ。
 しばし、無言で饅頭を咀嚼する。

「あ、俺は平気みたいだ」

 まず最初に口を開いたのは銀月。彼はどうやら普通の饅頭だったようである。

「お、これ甘くて美味しいな」

 次は魔理沙。彼女が引いたのは将志特製の甘い汁が出る饅頭のようであった。

「……美味しかったわ」

 今度は咲夜。ホッとした表情で脇に置かれていたお茶を飲んだ。

「……た、助かったみたいね……」

 霊夢は顔から吹き出る冷や汗を拭いながら、そう呟いた。

「……良かったぁ……私も違ったわぁ……」

 幽々子は眼に涙を浮かべて感動すら覚えた様子でそう語った。
 この饅頭には苦い思い出があるため、思いもひとしおなのだ。
 その隣で、将志が饅頭を飲み込んだ。

「……と言う事はだ」

 将志がそう言うと未だに声を上げていない二人、ギルバートと妖夢に全員の視線が向かった。
 よく見ると二人の顔は土気色になっており、非常に苦しそうな表情を浮かべていた。

「っっっっっっ~~~~~~~~~~~~~~~!!」

 ギルバートは妖夢に先んじて救済飴に手を伸ばす。
 能力を使った、予備動作もない最速の動きであった。

「っ!?」

 そのギルバートの反応速度に、妖夢は驚くと共に絶望感を覚えた。
 どうしても間に合わない。妖夢の心に暗い影が落ちる。

「っっっ!!」
「んんっ!?」

 しかし、ギルバートの反応は全員が想像したものとは違っていた。
 ギルバートは妖夢が苦しんでいるのを見るや否や、妖夢の口の中に救済飴を押し込んだのだ。

「……みょふ~……」

 この世のものとは思えないほどの爽やかな味が口の中に広がり、妖夢は思わず幸せそうな表情を浮かべる。

「ぐっ……ぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」

 この世のものとは思えないほどの不味さが口の中に広がり、ギルバートは口を押さえて凄まじい形相でそれに耐えていた。
 彼の体は震えており、額には多量の脂汗が浮かんでいる。

「ぅ……」

 そしてしばらくすると、ギルバートはその場に座したまま、真っ白に燃え尽きて動かなくなった。
 口からは魂が抜け出し掛かっており、かなり重篤な容態のようである。
 そんなギルバートに、魔理沙が激しく動揺した様子で声を掛けた。

「……おい……ギル? 嘘だろ? なあ、起きろよ」
「…………」

 ギルバートはピクリとも動かない。魔理沙は彼の体を揺するが、やはり反応はない。
 そして魔理沙が手を止めた瞬間、ギルバートはその場に崩れ落ちた。

「お、おい、冗談だろ? じょ、冗談だと言ってくれよ、ギル!! おいってば!!」

 魔理沙は涙眼になりながら、必死でギルバートに声を掛ける。
 その様子を、周囲は悲痛な表情で見守るのだった。



 * * * * *



「……あの時は酷い目に遭ったぜ……」
「あはははは……あの時父さんが救済飴の二つ目を隠し持ってなかったらどうなっていたやら……」

 ギルバートは当時の様子を思い出して苦い表情を浮かべた。饅頭一つで死線を見たのだから、当然のことであろう。
 それに対して、銀月も乾いた笑みを浮かべて答えを返す。銀月とて地獄饅頭の被害にあったことがあるため、ギルバートの災難を他人事として笑えないのだ。

「ところで、魔理沙はどうしたのさ?」
「あ~っと……それはだな……」

 銀月の質問にギルバートは苦笑いを浮かべた。
 すると、そんなギルバートの横に金色の髪の少女がやってきた。

「ここに居たのねギルバート。捜したわよ」
「ああ、アリスか。捜したって、俺に何か用か?」
「何か用かって、貴方が私を誘ったんでしょう? エスコート、頼むわよ」
「了解、任されましたっと」

 アリスの言葉に、ギルバートは笑みを浮かべて胸に手を当てて恭しく礼をした。
 その様子は仲の良い友人、もしくは恋人の様にも見えた。
 それを見て、銀月はニヤニヤと笑う。

「おやおや、仲が宜しいこと。青春ですな~」
「……おい、銀月。何が言いたい?」
「べっつに~? モテない男の僻みですよ~?」

 軽く睨みを利かせるギルバートに、銀月は軽い口調でそう言って話を途切れさせた。

「それは後でたっぷり弄くるとして、魔理沙はどうしたのさ? てっきり一緒に来るもんだと思ってたけど?」
「後でも弄るな。魔理沙なら…………ちょっと待ってろ」

 ギルバートは上を向いて呆れ顔でため息をつくと、空へと飛び上がった。
 その視線の先には箒に乗って黒い帽子を被った金髪の少女。
 彼女は読んでいる本に気をとられており、博麗神社の上を通過しかけていた。

「おい、わき見運転は危ないからやめろって言ってんだろ!」
「あうっ!?」

 そんな彼女の頭を、ギルバートは軽くはたいた。
 魔理沙はそれに驚いて本を落としかけるが、かろうじてそれは抑えた。
 そして彼女は、少し不満げな表情でギルバートを見た。

「何だよ、ギル?」
「何だよ、じゃねえよ。お前宴会場通り越してるぞ?」
「え?」

 魔理沙はキョトンとした表情で周囲を見回した。見てみると、宴会場となっている博麗神社は彼女の下後方に見えていた。
 それを見て、魔理沙は頭をかいた。

「ありゃ、本当だ」
「……お前なあ、本を読むのなら帰ってからでも出来るだろうが。ほら、さっさと行くぜ」
「あ、ああ」

 ギルバートと魔理沙は連れ立って博麗神社の境内へと降りていく。
 その様子を、銀月達は苦笑いを浮かべてみていた。

「やあ、魔理沙。ここを通り過ぎるなんて、どうかしたのかい?」
「よぉ、銀月。いやな、ちっとギルから借りたこの本を読んでたんだ」

 魔理沙はそう言うと、手にした青い背表紙の本を周囲に見せた。
 それを見て、妖夢は首をかしげた。

「この本がどうかしたんですか? 読めないんですけど……」
「これは魔道書だね。俺が読めるってことはそこまでレベルの高いものじゃあないな」

 銀月は妖夢に魔理沙が持っている本について簡単に説明をした。
 魔道書は読もうとするものの技量がその本に相応しいくらいに高くなければ読めないようになっている。
 そのため、全く魔法を知らない妖夢は文字を読むことが出来なかったのだ。
 魔理沙の持つ青い本を見て、アリスは首をかしげた。

「『魔力変換の効率化と応用』? そんな本、あの図書館にあったかしら?」
「ああ、こいつは俺の部屋の本だ。小さい頃から何度も繰り返し読み続けた本でね。母さんはもう使わないし、俺もその本の内容は把握しているから、こいつなら貸してやっても良いと思ってな」
「ふ~ん……そう」

 アリスはそう言うと、魔理沙が熱心に読んでいる本を横から覗き込んだ。
 すると、アリスの瞳に強い興味の色が現れ始めた。

「へぇ……これ、こういう使い方があるのね……初めて知ったわ」
「ん? どうかしたのか?」
「これ、なかなか良い本じゃない。ギルバート、この本を次は私に貸してくれる?」
「別に構わないけど……アリスはこの辺りの基本は全部押さえてるんじゃないのか?」
「魔界の魔法とこっちで発展してきた魔法が完全に同じな訳ないじゃない。元が違えば基本も違うわよ」
「成程な。そう言うことなら納得だ」

 アリスの言い分に、ギルバートは納得して頷いた。
 その一方で、アリスは何かを思いついた表情でギルバートに声をかけた。

「ねえ、ギルバート。今度貴方の部屋の中の本を見せてもらっても構わないかしら?」
「ん? そりゃまた何でだ?」
「少しこっちの世界の魔法に興味が出てきたのよ。だから、たぶん基本的な魔法の本が揃っている貴方の部屋に行ってみたいと思うのよ」
「あ、私も行きたいぜ!」

 アリスの要望に、魔理沙も便乗して行こうと手を上げる。
 どうやら二人ともギルバートの部屋へ行く気満々のようである。
 そんな二人を見て、ギルバートは眼を泳がせて乾いた笑みを浮かべた。

「……あ~……俺の部屋の中に入るのは……」
「む、何だよ、入られたら拙いことでもあるのかよ?」
「ん~、いや、拙い事はないけどな? 何かこう、気分的にだな」

 ギルバートは眼を合わせずにそう言いながら頬をかいた。
 その様子を見て、アリスは意地の悪い笑みを浮かべた。

「ふ~ん? もしかして、見つけられたくないものがあるのかしら? 成程ねえ……ま、ギルバートも男の子ってことね」
「……ああ、そう言うことか。そう言うことならたしかに中に入れたくないよな」

 ニヤニヤと笑いながらアリスはそう言って、魔理沙もアリスの言いたいことに気がついてニヤリと笑ってギルバートを見る。
 するとギルバートは二人の言わんとしていることに気がつき、大慌てで反論を始めた。

「ちょ、おい!? 何を想像してんだよ二人とも!!」
「別に良いじゃないの。むしろそう言うことに興味ないって言う方が私は不健全だと思うわよ?」
「違うっての! そう言う意味でダメって訳じゃねえんだって!」
「じゃあ、どういう意味なんだ?」
「お前らが自分の部屋に俺を入れたくないのと同じ理由だ!」
「あら、私は別に貴方を部屋に入れない理由は無いんだけど?」
「ギル、散々私の家の中を片付け回っておいてそれは無いぜ」
「ぐっ……お前ら~……」

 ギルバートは恨めしげにニヤニヤと笑う二人を眺めた。
 特に魔理沙の発言は、ギルバート自身も認めるところである故に全く反論が出来ない。

「まあまあ、要は自分だけの空間に踏み込まれたくないってことさ。別に本を借りるだけならギルバートに持ってきてもらえば良いわけだし」

 そんな三人の会話に、銀月がそう言って割り込んだ。
 それを聞いて、アリスと魔理沙は小さくため息をついた。

「それもそうね。それじゃあギルバート、今度どんな本があるか見せてくれない?」
「……了解だ」
「ちぇっ、ギルの部屋を色々探してみたかったんだけどな~」
「……ぶっ飛ばすぞ、魔理沙」
「うわっ!? ぼ、暴力反対だぜ! 冗談だって!」

 右手の握りこぶしに金色の魔力を溜め始めたギルバートに、魔理沙は大慌てでそう言った。
 そんな三人の様子を見て、銀月は笑みを浮かべた。

「ふふふ、楽しそうだな」
「銀月」

 そんな銀月に後ろから声を掛ける人物が。
 その声に銀月が振り返ると、そこには紅白の衣装を着た巫女が立っていた。

「あ、霊夢。もう始めるかい?」
「もう良いでしょ、これだけ揃っていれば。後は飲んでるうちに揃うわよ」
「そうだね。それじゃあ、父さんに言って初めるよ」

 銀月はそう言うと、将志のところへと向かっていった。

「……何で宴会を始めるのに、お父さんに言わなきゃいけないのかしら?」

 そんな銀月の言動に、何も知らない霊夢は首をかしげるのであった。


 * * * * *

あとがき

 長くなりすぎたのでここで一度ストップ。宴会前の様子でした。
 まだ来ていない面々は後で来ます。

 銀月の頭を撫でるのはどうやら妖夢もお気に入りの様子。しかし、何かが違うようである。
 というか、なんか銀月の頭を撫でようとすると、撫でやすいように頭を下げるように調教されてるし。
 ……だからお前はいったいどこに向かっているのだ。

 ギルバートはギルバートでレディーファーストが徹底されていますなぁ。おかげで死に掛けたけど。
 なんだかギルバートは女子の前で体を張ることが多いですなぁ。美鈴のときとか今回の妖夢とか。

 次回は宴会本番です。

 それでは、ご意見ご感想お待ちしております。
 感想は作者の活力、どんなことでも良いので書き込んでいただければ嬉しいです。



[29218] 銀の月、宴会を楽しむ
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:398d58fa
Date: 2012/09/11 03:31

「……はっ!」

 将志の手の内で、料理が宙を舞う。
 何種類もの料理を同時に、それも見るものを楽しませるような作り方を観客達は楽しそうにと、あるいは呆然と眺めていた。
 初めて見る者にとって、将志のこのパフォーマンスは想像も出来ないものであったのだ。

「……ふっ!」

 将志は最後に気合と共に鍋の中の料理を次々と空高く放り投げた。
 観客は一斉にその宙に放り投げられた料理の行き先を眼で追っている。

「……五品完成だ。まずはじっくり味わうと良い」

 将志がそう言った瞬間、会場に並べられた皿の上に極めて正確に料理が落ちてきた。
 付け合せの野菜も計算されて盛り付けられており、周囲に飛び散らないようになっていた。
 初めて見たその光景に、霊夢達は呆然としたまま目の前に落ちてきた料理を眺めていた。

「……何これ?」
「流石は父さんだな、的確に料理を投げているね」

 霊夢の呟きに、銀月は感心して頷きながらそう答えた。
 それを聞いて、ギルバートは渋い表情で銀月に話しかけた。

「そう言う問題じゃねえよ。お前の親父さんはいつどこでこんな芸当を覚えたんだよ?」
「何でも、大昔に愛梨姉さんに仕込まれて、旅芸人として各地を回ってたときに披露して回ってたみたいだよ」

 将志達が銀の霊峰に居を構える前、旅芸人の体を取って実際に芸を披露していた。
 その時に、将志も手持ちの食材を使ってこの芸を披露していたのだ。
 そんな銀月の説明に、妖夢は少し困惑した表情で頬をかいた。

「えっと、これも料理の神様だからってことでしょうか?」
「……これなら芸の神様でも違和感がない気がするぜ」

 魔理沙は次々と料理を作り上げる将志を見ながらそう呟いた。
 将志は時折料理を一口分弾いて、観客に味見をさせながら料理を作り上げていく。
 その芸当は、普通に料理をしている者には真似出来ないものであった。

「……そらっ」

 再び大きく鍋を振り上げて料理を飛ばす将志。
 観客達は再びその向かう先を眼で追った。

「……え?」

 しかし、その行く先をいち早く見たアリスは眼を疑った。

「やっぱり六花のお兄ちゃんの料理は美味しいね」
「当たり前ですわよ。お兄様は料理の神様ですもの」

 その先に居たのは美味しそうに料理を食べている橙と六花。
 二人とも料理が自分めがけて降ってきているとは夢にも思わず、楽しそうに談笑していた。
 誰もがその後の惨事を予期したその時、その料理は二人に当たる直前で音も無く消えうせた。
 そして、橙と六花の後ろに白装束の青年が降り立った。

「え?」
「何ですの?」

 突然後ろに現れた気配に、橙と六花は呆気に取られた表情で首をかしげた。
 銀月は後ろの二人の無事を確認すると、小さく息を吐いた。

「……ふう。父さん! いきなり始めるなんて聞いてないぞ!」

 銀月はそう言って将志に抗議した。
 銀月の手には先ほど宙を舞っていた料理が乗った皿が握られていて、どうやら料理を皿を使って受け止めたようであった。
 以前より将志と共に特訓をしていた一つの成果であった。
 その銀月の抗議を聴いて、将志はニヤリと笑った。

「……ふっ、その方がスリルがあって良いだろう? ……次行くぞ」

 将志はそう言うと、次々に皿のないところに料理を投げていく。
 それを見て、銀月は札から数枚の大皿を取り出した。

「ああもう、いきなりこんな大量に投げないでくれよ!!」

 銀月は文句を良いながら、将志が投げた料理を少しもこぼさずに受け止めていく。
 その受け止める体制もさまざまで、背中越しに受け止めたり、地面スレスレで受け止めたりと多彩なバリエーションがあった。

「凄いな。将志のこれも久しぶりに見るが、まさか銀月までこれに加わってくるとはな」
「それは銀月も曲芸師の端くれですもの。いつかやるとは思っていたわ。けど、思ったよりも早かったわね」

 料理で曲芸を見せる二人を見て、藍と紫は感心した様子でそう呟いた。
 そんな中、その二人の眼前に将志が料理を放り投げる。

「よっと!!」

 銀月はその手前に滑り込むようにして料理をキャッチする。
 ソースの跳ねもほとんど無く、その全てが綺麗に皿の上に乗っている。
 その皿を、銀月は紫に手渡した。

「はい、どうぞ」
「ありがとう、銀月。いつの間にこんな芸を覚えたのかしら?」
「この芸の練習自体はもう随分前からやっていたよ。最近になってようやく実践レベルになったって所さ」

 紫の言葉に、銀月はそう言って笑った。
 その表情は自信に溢れていて、絶対に落とさないという気概が見て取れた。

「……ふっ」

 将志は再び皿のないところへと料理を放り投げる。
 その先には、一心不乱に料理を食べている幽々子の姿があった。
 銀月はそれを見て、素早く幽々子の方へと移動する。しかし幽々子の周囲には空の皿が散乱しており、足場がない。

「やあっ!」

 そこで、銀月は宙返りをするように跳んだ。
 空中で逆立ち状態になり飛んでくる料理を受け取って、それをこぼさないように着地する。
 その間、銀月が手にした皿は常に上を向いており、銀月の技術の高さが伺えた。

「……あれ?」

 しかし、次の瞬間銀月は首をかしげることになった。
 皿の上にあるはずの料理が、ほとんど無くなっていたのだ。
 皿の上には山盛りになっているはずの竜田揚げが、たった一つしか残っていない。
 その皿を見て銀月が唖然としていると、幽々子は咀嚼していたものを飲み込んで口を開いた。

「……あらあら、一個食べ残しちゃったわね」
「……はい?」

 幽々子の言葉に、銀月は愕然とした表情でそのほうを振り返った。
 良く見ると、幽々子の口元には竜田揚げの衣の欠片がわずかに付いており、彼女が竜田揚げを食べていたことが分かった。
 ……つまり、銀月が料理を受け取った刹那、幽々子はその竜田揚げを眼にも留まらぬ速さで食べていたのだ。
 最後の一個を箸で取る幽々子に、銀月は思わず手にした空の皿を取り落とした。

「あの、幽々子さん? あの量の竜田揚げ、もう食べたんですか?」
「ええ。とっても美味しかったわよ」
「……貴女の胃袋はどうなってるんですか?」
「美味しいものならいくらでも入るわよ~」

 幽々子はホクホク顔で銀月にそう話した。
 その常軌を逸した受け答えに、銀月はがっくりと肩を落とした。

「あはは……こりゃ本当にあの量の食材が無くなりそうだね……」
「……はっ」

 銀月が乾いた笑みを浮かべていると、再び将志が料理を投げた。
 今度はいつもよりも高々と放り投げられており、着地地点が神社の外にまで出てしまいそうであった。
 それを見つけると、銀月は飛び上がった。

「おおっと!」
「きゃあ!?」

 銀月が空中で料理をキャッチすると、その後ろから少女の悲鳴が聞こえてきた。
 それを聞いて、銀月は笑みを浮かべた。

「おや、お怪我はありませんか、レミリア様?」
「い、いきなり何よ!?」

 礼をする銀月に、レミリアは少しパニックになりながら銀月に声をかけた。
 それを聞いて、銀月は浮かべた笑みを深くした。

「いえ、父が作った料理を私が皿で受け止める芸をしていたものですから。投げる場所に関しては父に一任しておりますので、抗議は父にお願いします」
「で、それは?」
「餃子ですよ、レミリア様。お一ついかがです?」

 銀月はそう言いながら、餃子の乗った皿とフォークをレミリアに差し出した。
 餃子の表面はパリッと焼きあがっていて、とても香ばしい匂いが漂ってきている。
 それを受けて、レミリアは銀月が差し出したフォークを手に取った。

「ええ、それじゃあ頂くわ」
「……あ、いけません、お嬢様!」

 餃子に手を伸ばしたレミリアを咲夜は止めようとするが、間に合わない。
 レミリアは餃子を口にすると、ゆっくりと咀嚼した。
 ニコニコと笑う銀月と、蒼い顔の咲夜。

「……これ、美味しいわね」

 そんな中、レミリアは餃子を飲み込むとそう口にした。
 それを見て、咲夜は呆気に取られた表情を浮かべた。

「……あら?」
「ふふふ、いくらなんでもレミリア様にニンニク入りの餃子は勧めないって。ちゃんとニンニク抜きの餃子にしてあるよ。びっくりしたかな、咲夜さん?」

 銀月は咲夜に笑いながらそう説明をした。
 それを聞いて、咲夜は安心して大きくため息をついた。

「……全く、心臓に悪いわね……してやられたわ」
「え、これ本当はニンニク入りなの!?」

 餃子が本来ニンニク入りであったことを知らなかったレミリアは、驚いてそう口にした。
 それを聞いて、銀月は深い笑みを浮かべた。

「ええ、本来餃子は風味付けのためにニンニクを入れるんですが、吸血鬼に出す料理に関してはニンニクを抜いてあるんです。ですから、ここでは安心してお召し上がりください」

 銀月はそう言ってレミリアに深々と礼をした。
 そんな銀月を見て、レミリアは困惑した表情を浮かべた。

「え、えっと銀月? その、何か良いことでもあったのかしら?」
「いいえ、特には何もございませんよ? では、宴会をお楽しみください」

 銀月はにこやかにそう言うと、再び宴会の会場の中へと戻っていった。
 するとレミリアは、少し憔悴した様子で咲夜に話しかけた。

「さ、咲夜? 銀月、どうしちゃったのかしら?」
「どういうことですか?」
「だって、銀月って普段私の前じゃもの凄く無愛想で無表情なのよ? それがあんなにニコニコと……」

 レミリアは困惑している理由を咲夜にそう話した。
 普段、銀月はレミリアに接する時は常に無表情で、事務的なことしか話さないのである。
 そんな彼が突然自分に向けたことのないような笑顔で接し始めたのだ。
 怖がられる覚えさえあれど、ああいう態度を取られる覚えがないので、レミリアは困惑しているのだ。
 そんなレミリアに、咲夜は首をかしげた。

「……? 傾向としてはいい傾向だと思いますが?」
「逆に怖いわよ! 絶対何か企んでるに決まってるわ! それに、吸血鬼は常に恐れられてなきゃいけないのよ! あんな表情を浮かべられてたまるもんですか!」

 咲夜の言葉に、レミリアはそう言って反発した。
 レミリアはあくまで銀月より上に立っていたいようであり、その彼ににこやかに笑われるのは気に食わないようである。
 そんなレミリアに、咲夜は苦笑いを浮かべた。

「まあ銀月のことですから、例え仕返しだとしてもそんなに酷いことはしないと思いますよ。それよりもせっかくの宴会ですし、楽しみましょう」
「そ、そうね……あまり気にしすぎても仕方ないわね」

 レミリアはそう自分に言い聞かせると、近くにある料理に手をつけた。
 将志の手によって作られたそれは、レミリアの舌に芳醇な香りと肉の旨みを伝える。
 それを飲み込むと、レミリアは小さくため息をついた。

「美味しいわね、これ。ワインが欲しくなるわ」
「そう言うと思って、銀月に手配してありますよ、お嬢様」

 咲夜はそう言うとレミリアの横にワイングラスを置き、そこに赤ワインを注ぐ。
 レミリアはそれを口にすると、小さく息をついた。

「ふ~ん、良いワインね。料理人はワインの感覚も確かなのね」
「そういえばお嬢様、何故妹様を連れてこなかったのですか? 銀月を呼び出せば妹様も宴会に参加できたはずなのですが……」

 咲夜はふとした疑問をレミリアにぶつけて見た。
 すると、レミリアの顔が曇った。

「……それは今の銀月を見れば分かるわよ」
「銀月ですか?」
「見てみなさい」

 レミリアの指示を受けて、咲夜は銀月のいる方を見た。

「銀月! 飲み比べで勝負だ!」
「ふふっ、良いよ、チルノ。君に俺を超えられるかな?」
「チ、チルノちゃん、無理はしないでね!」

 銀月はチルノを相手に飲み比べを始めていた。
 その様子はとても楽しそうで、銀月の顔には先程レミリアに見せていたものとも違う、自然な笑みが浮かんでいた。
 それを見て、レミリアは陰鬱なため息をついた。

「……あんな笑顔、銀月は私やフランの前じゃ絶対に見せないわ。もしフランがあれを見たら、銀月が自分に心を閉ざしていることを痛感することになるでしょうね」
「……そうですね」

 レミリアの言葉に、咲夜は暗い表情で口をつぐんだ。
 銀月が従事しているフランドールは、いつか銀月が自分に心を開いてくれると信じて、必死に銀月に接しているのだ。
 しかし、銀月は未だにフランドールに笑顔を見せたことはない。
 その心中には、フランドールに一度殺されたという事実がトラウマとして根深く残っているのだ。

「フランは銀月のことを必ず話題に出すくらい気に入ってる。けど、銀月はフランにあの笑顔を見せることは無い。フランの心はとても弱いわ。その事実を知れば、潰れてしまうかもしれない。そうなったら、一番危険なのは銀月よ」
「どういうことですか?」
「思い通りにならなければ壊してしまえ。フランならたぶんそう考えるわ。それが体なのか心なのかは知らないけれど、銀月は無事では済まないでしょうね」

 レミリアは悲痛な表情で銀月を眺めた。
 このまま銀月がフランドールに心を開かなければ、いつかフランドールの心が耐え切れなくなる。
 そして彼女の心が限界を迎えたとき、フランドールが銀月を壊してしまう可能性があるというのだ。
 それを聞いて、咲夜は小さく息を呑んだ。

「……何とか出来ませんか?」
「……無理よ。私は運命を操ることは出来ても、他人の心を操ることは出来ない。ましてや、トラウマを癒すなんて完全に門外漢よ。とても歯がゆいことだけど、銀月がフランに心を開くのを待つしかないわ」

 レミリアはそう言うと、手にしたワイングラスを一気に傾けた。
 そして中のワインを飲み干すと、レミリアは大きく息をついた。

「……まあ、今ここで気にしても仕方が無いわ。今はとりあえずこの宴会を楽しみましょ」
「そうですね」

 レミリアはそう言うと、再び銀月のいる方向を見た。

「うっへっへっへ……相変わらず美味しそうね、銀月ぅ……」
「ル、ルーミア姉さん……い、いきなり何するのさ……」

 レミリアが銀月を見つけると、銀月は会場の隅の陰になっているところでルーミアに押し倒されていた。
 銀月の腕はまとめて頭の上の地面に押し付けられており、抵抗が出来ない状態にさせられている。
 それを見て、レミリアはニヤリと笑った。

「ふふふ……面白そうなことしてるじゃない。咲夜、私も少し混ざってくるわ。貴女も自由に楽しみなさい」
「……かしこまりました」

 咲夜が苦笑いを浮かべてそう言うと、レミリアは銀月のところへと向かっていった。

「ふあぁっ……く、くすぐったいよ……」
「うふふ、相変わらず首が弱いのね……可愛いわ♪」

 ルーミアは銀月の首筋を舐めてその反応を楽しんでいるようであった。
 そんな彼女にレミリアは声をかけた。

「楽しそうねぇ、貴女。うちの執事に何をしているのかしら?」
「レミリア様……?」
「……何よ、銀月はその前に私の弟分よ。邪魔をするの?」

 横から声を掛けられて、ルーミアは敵を見るような目つきでレミリアを睨んだ。
 そんなルーミアにレミリアはニヤリと笑みを浮かべて近づいていく。
 そして、右側から銀月の左腕を地面に押さえつけるように握った。

「……っ!?」
「……邪魔なんてしないわよ。その代わり、私も混ぜなさい」

 レミリアがそう言った瞬間、銀月の表情が一気に硬くなった。
 それを見て、ルーミアは楽しそうに笑みを浮かべた。

「あれあれ~? どうしたの、銀月? 何でそんなに硬くなってるのかしら?」
「ふふふ……こいつは私の前ではいつもそうよ。私の思うようにならないように、表情を消してるのよ。強情なのよ、銀月は」
「くっ……」

 嗜虐的な笑みを浮かべるレミリアに、銀月は小さく身じろぎをした。
 しかしルーミア一人でも逃げ切れないというのに、レミリアにも押さえられていては銀月は全く動けない。
 それを確認すると、レミリアはルーミアの方を向いた。

「で、混ぜてもらえるかしら?」
「ええ、良いわよ。無防備な銀月を弄るのも良いけど、こんな強情な銀月を責めるのも面白そうだしね」

 レミリアとルーミアはそう言って笑いあうと、銀月を見やった。

「……っ……」

 見ると、銀月は奥歯をかみ締めて何とか無表情を保っている様子であった。
 どうやらこれから二人が自分にすることを考えて少々身構えているようであるが、内心いっぱいいっぱいなのがかすかに分かる。
 それを見て、二人は背中に小さくゾクリとした感覚を感じた。

「うふふふ……銀月、怖いのね……そんなに怖がることないのに……」
「ねえ、貴女銀月のこの顔を見ると無性にいじめたくならない?」
「そりゃあ、こんな強がってる表情見せられるとね。その強がりがいつまで続くか試してみたくなるわ」
「そうよねぇ……私はこの方がいじめ甲斐があって良いと思うわ」

 硬い表情を浮かべる銀月の目の前で、二人は楽しそうに談笑する。
 その間にも、時折獲物を見つけて舌なめずりをする狩人のような眼で銀月を眺め、少しずつ精神的に追い詰めていく。
 銀月はその間にも腕を少しずつ動かし、何とか脱出できないかどうか考えていた。
 そんな銀月の頬を、レミリアがそっと撫でた。

「ふふふ……必死ね、銀月。そんなに私達にこうされるのが嫌なのかしら?」
「……っ」
「残念ね。これは私達なりの愛情表現なのに……悲しいからこんなことしちゃうわ」
「ひあっ……」

 不意にルーミアが首筋を舐めると、一瞬気が抜けていたのか銀月の口から小さく声が漏れる。
 銀月は慌ててその声を噛み殺すが、その声を二人が聞き逃すはずもない。
 見ると、二人は銀月を見てくすくす笑っていた。

「弱いわね、銀月。強がる割には堪え性がないのね。……そうねえ、せっかくの機会だし、普段弄らないところを弄ってみようか」
「っっっ!?」

 レミリアが懐に手を突っ込もうとした瞬間、銀月はそれに抵抗しようとして体を動かす。
 しかし、手は完全に押さえ込まれており、脚は腰を押さえられているのでバタバタと動かすだけである。
 そんな彼を他所に、レミリアは銀月の懐に手を差し込んで中をまさぐり始めた。

「……うぅ……」
「ふ~ん、細い見た目の割には引き締まった体をしてるのね、貴方。流石はしょっちゅう修行しているだけあるわ」
「でしょ? 足回りも凄いわよ、何しろあの銀の霊峰を駆け回ってたものだから」
「……っ!?」

 ルーミアは白い袴の横から手を突っ込み、銀月の内腿を軽く撫でた。
 ぞわぞわとした感触が全身を駆け巡り、銀月はそれに耐えるために歯を食いしばって眼をギュッと閉じた。
 それを見て、レミリアは少し考える仕草をした。

「そうねえ……この感触だと、お前が弱そうなところは……ここかしら?」
「うきゃふ!?」

 レミリアが脇腹をつついた瞬間、銀月の体が強く跳ねると同時に裏返った声が漏れた。
 それを聞いて、レミリアは少し悦の入った表情を浮かべた。

「ふふふ……脇腹も弱いのね。弱点だらけじゃない、お前。いじめ甲斐があるわ」
「あふっ、くうっ、んんっ!?」

 レミリアが脇腹をつつきまわし、銀月がそのくすぐったさに悶えていると、ルーミアが自分の唇で銀月の口を塞いだ。
 それと同時に銀月の眼が驚愕に見開かれ、呆然とした様子でルーミアを見ていた。

「うふふ……セカンドキスももらったわよ、銀月♪」
「ね、姉さん……な、何で?」
「そりゃあ、欲しかったからに決まってるじゃない。それに、あんな声出してると気づかれちゃうでしょ?」

 ルーミアは少し頬を染め、嬉しそうに笑いながらそう話した。
 その横で、レミリアはニヤニヤ笑いながら銀月を眺めていた。

「おやおや、大胆ですこと。それにしても、大の男がキスされただけで呆けていてどうするのよ。ほらほら、ちゃんと眼を覚ましなさい」
「っく……!」

 レミリアに首筋を舐められて、銀月は再び歯を食いしばってその感触に耐え始める。
 散々弄られたせいか、目じりには小さな涙の粒が見えており、顔は真っ赤になっていた。
 そんな銀月を見て、ルーミアは上気した顔で微笑んだ。

「ああ……可愛いなぁ、もう! それじゃあ、次は……」
「……そこでいったい何をしてるんでござるか?」

 銀月をもてあそぶ二人の背後から掛かる冷たい声。
 その声を聞いて、二人は固まった。

『動くな』

 涼が冷酷な声色でそう告げると、ルーミアとレミリアはその場から動けなくなった。
 涼の『一騎打ちをさせる程度の能力』によってその場に縫い付けられたのだ。

「あ、あう……」
「くっ、どうなってるのよ、これ!?」

 ルーミアとレミリアは突然固まってしまった自分の関節に大いに慌てている。
 頑張って動かそうとするが、体は全く言うことを聞かないのだ。
 それを確認すると、涼は銀月に微笑んだ。

「さあ、銀月殿。少し拙者と一勝負するでござる」
「え、でも俺この状態じゃ全然動けないんだけど?」

 ルーミアとレミリアにしっかり押さえ込まれてしまっている銀月は、自分に槍を向ける涼にそう言った。
 それを聞いて、涼は浮かべた笑みを深くした。

「ああ、心配ないでござるよ。拙者の能力で止められている者はそこらの置物と変わらないでござる。それに一騎打ちの相手に銀月殿を指名している以上、その上の置物は何をどうしようと一騎打ちが終わるまでは動けないでござるよ」
「……じゃあ、どうするんだい?」
「くくく……つまり、銀月が動けるようになるためにそこの二人に何が起きても仕方が無いことでござるな?」

 涼はそう言うと、冷たい瞳で構えた槍を二人に向けた。
 その気配を察知して、ルーミアとレミリアの顔からサッと血の気が引いた。

「ね、ねえ、涼? 貴女から凄く冷たい感覚が漂っているのだけど、気のせいかしら?」
「良い勘をしてるでござるなぁ、ルーミア殿。それでもう少し先の見通しが利けば文句はないのでござるが……」
「……銀の霊峰には乱暴者しかいないのかしら?」
「レミリア殿でござったか……そんなものは人それぞれでござるよ。ただ、この状況に限定するならば、拙者でなくても乱暴ものになるであろうな」

 少々上ずった声を上げる二人に、やや軽薄な声で涼は話を続けていく。
 そして話が終わると、涼は大きくため息をついた。

「……二人とも、少々おイタが過ぎるでござる。覚悟は宜しいかな?」

 涼は絶対零度の低い声でそう言うと、低く腰を落として槍を構えた。
 それと同時に、涼から心臓が止まりそうになるほどの怒気と殺気が発せられる。

「ひっ……」
「ひっ……」

 二人は小さく悲鳴を上げると同時に、頭の中が真っ白になった。



「「きゅう……」」

 数秒後、頭に七段重ねのたんこぶをこさえたルーミアとレミリアが横たわっていた。
 銀月は自分の上に伸びる二人を押しのけて立ち上がる。

「……全く、酷い目に遭った」

 銀月は服装を直しながらそう呟いた。
 目じりには先程の涙の跡があり、顔は真っ赤になっている。
 そんな銀月を見て、涼は苦笑いを浮かべた。

「何で銀月殿はあんなに襲われるんでござろうか……」
「それは俺が知りたいよ……ぐすっ」
「とにかく、向こうで妖夢殿が呼んでいたでござるよ。飲んで騒いで、ここで起きたことは忘れると良いでござる」
「……うん」

 銀月は鼻をすすりながら頷くと、妖夢達が談笑しているところへと向かっていった。
 そこでは、妖夢と霊夢と咲夜が酒を片手に話をしているところであった。
 妖夢は銀月を見つけると、彼に向かって手を振った。

「あ、銀月さん……って、何で涙眼になってるんですか?」
「……聞かないで……」

 キョトンとした表情で首をかしげる妖夢に、銀月は煤けた表情でそう答えた。
 そんな銀月を見て、霊夢が怪訝な表情を浮かべる。

「何よ、何があったのか言ってみなさいよ」
「あ、ううん、もう終わったことだから特に気にすることはないんだ。ところでギルバートとかはどうしてるんだい?」
「ああ、彼らなら向こうに居るわよ」

 咲夜はそう言うと、とある方向に眼をやった。
 そこでは、魔理沙とアリスがギルバートの持ってきた青い背表紙の本を見ながら何かしていた。
 良く見てみると、空中に魔法陣を描いているようであった。

「魔理沙、そこ少し違うんじゃない? こうだと思うけど……」

 アリスはそう言いながら空中に描かれた魔法陣に手を加える。
 それを見て、魔理沙は本と実際に描いている魔法陣を見比べる。

「あ、本当だ。えっと、こうやってこうやって……こうか!」

 魔理沙はそう言いながら魔法陣に最後の仕上げをしていく。
 すると、魔法陣から強い光が現れ始めた。
 しかしその直後、青い弾丸のようなものが飛んで来て魔法陣を掻き消した。

「あーっ!?」
「馬鹿! こんなところで発動させる奴があるか! アリスも何で止めないんだよ!?」

 思わず叫び声を上げる魔理沙に、飲み物を持ってきたギルバートがそう言って割り込んできた。
 どうやら先程の青い弾丸は彼が撃ち出したものの様である。
 少々怒鳴り気味に問い詰めるギルバートに、アリスは涼しい顔で答えを返す。

「いえ、この本の内容に興味があったものだから、つい……ほら、実際に見てみると何か掴めるかもしれないじゃない?」
「だから、今やることじゃないだろうが!」
「そんなことよりギルバート、貴方今どうやってあの魔法を打ち消したのかしら? 凄く気になるんだけれど?」

 ギルバートの主張をさらりと受け流し、アリスはギルバートに質問する。
 そんな自分の言うことなどどこ吹く風と言った様子の彼女に、ギルバートは大きくため息をついた。

「はぁ……その本のこの術式の次のページを読んでみろ。この術式は少し乱されるだけで簡単に掻き消えるように出来てるって書いてあるはずだから」

 ギルバートがそう言うと、魔理沙は手にした本のページをめくって書かれていることを読んだ。
 するとそこには、ギルバートが話したとおりのこととその使い道が書かれていた。

「お、本当だ。へえ、これを使って時限装置みたいなものも作れるんだな」
「……おい、今やろうとか考えるなよ?」
「「えー」」
「えー、じゃねえよ!」

 不平を言う魔法使い二人に、ギルバートはそう言って叫ぶのであった。
 そんな二人を見て、銀月は苦笑いを浮かべた。

「あはは、随分と振り回されてるな。まあ、魔理沙に振り回されるのはいつものことか」
「それよりも銀月さん、ここに座ってください」

 妖夢は銀月にそう言って絨毯の敷かれた地面を指差す。
 そこはちょうど妖夢達三人が円陣を組んでいるところの真ん中であり、そこに座ると囲まれることになる場所であった。
 銀月は妖夢が何をしたいのか分からず、首をかしげた。

「あの、妖夢さん? いったいどうしたんです?」
「いいから座ってください」
「はあ……」

 妖夢に促されるまま、銀月は指定された場所に座った。
 銀月が周囲を見回すと、霊夢、妖夢、咲夜の三人が取り囲んでおり、彼女達は中心に座った銀月のことをジッと見つめていた。
 その距離は近く、正座した彼女達の膝が銀月に触れるくらい近かった。
 そんな中、霊夢が銀月に杯を差し出した。

「はいこれ」
「あ、ありがとう」

 銀月は霊夢から杯を受け取ると、中に入っていた酒を飲み干した。
 すると、横からすかさず霊夢が酒瓶を差し込んで酒を注ぐ。

「はいどうぞ」
「ん、どうも」

 銀月は今度はゆっくりと酒を飲み進める。
 周りを見ると、やはり三人は銀月のことをジッと眺めている。
 そのあまりにも異様な様子に、銀月は少しばかり動揺し始めた。

「ね、ねえ、本当にどうしたのさ?」
「……銀月さん、ちょっと良いですか?」
「う、うん」
「では失礼します」

 銀月が困惑気味に頷くと、妖夢は銀月の頭に手を伸ばして撫で始めた。
 銀月の髪は妖夢の手によってサラサラと動き、その髪質の良さが見て分かるほどのものであった。
 妖夢はしばらくの間、黙って銀月の髪を撫で続ける。
 そんな妖夢に、銀月は困った表情を浮かべた。

「あ、あの、本当にどうしたの? さっきも俺の頭を撫でて難しい表情を浮かべてたけど……」
「おかしいですね……いったい何が違うんでしょうか?」

 妖夢はそう言うと、銀月の頭から手を離した。
 その表情はなにやら納得いかない様子で、口元に手を当ててうなっていた。
 銀月がそんな彼女にキョトンとした表情を浮かべていると、今度は後ろから声が掛かった。

「さ、今度は私の番よ」

 咲夜はそう言うと銀月の頭に手を伸ばし、優しく撫で始めた。

「……はうぅ……」

 その瞬間、銀月の口から何やら気の抜けた声が漏れ出した。
 銀月の手からは杯が滑り落ち、体全体からだらりと力が抜けていく。

「ふふっ……本当に何度撫でても気持ち良いわ……」

 咲夜は自分の手のひらに伝わる心地よい感触に、少しうっとりした表情で微笑んだ。

「……うにぃ~……」

 一方、銀月も余程気持ち良いのか、気持ち良さそうに眼を細めている。
 途中、何とかだらしないところを見せないように抵抗しようとするが、その力はか弱く咲夜の手に届く前に再び地面に落ちる。
 どうやら気持ちが良すぎて、力が殆ど入らないようである。

「それっ」
「うみゅっ」

 咲夜が銀月の首についている赤い首輪を自分の方へ軽く引くと、銀月は咲夜の膝の上にぽすんと軽く倒れこんだ。
 そんな銀月を見て、咲夜は浮かべた笑みを深めた。

「とても気持ち良さそうね、銀月……何だか可愛く見えるわ」
「……ふみゃぁ……」

 銀月は見るからに上機嫌なとろけた表情で咲夜の手を受け入れる。
 もう完全に咲夜の成すがままになっており、まるでくっついて甘える猫のようになっていた。
 ふと喉が渇いて、咲夜は撫でる手を止めてコップに注がれたお茶を飲む。
 すると、咲夜は下から送られてくる視線に気がついた。

「……あら?」
「(じっ……)」

 見てみると、銀月は頬を少し赤く染め、少し潤んだ子犬のような瞳で咲夜の顔をじっと眺めていた。
「何でやめるの?」と言わんばかりのその表情を見て、咲夜は再び銀月の頭を撫で始めた。

「あらあら、そんなに気に入ったの? ふふふ、気に入ってもらえて嬉しいわ」
「……ん……」

 咲夜が撫で始めると、銀月は再び安心したように頬を緩めた。
 それを見て、妖夢が不満げな表情を浮かべた。

「……むぅ、何で咲夜さんのときだけ……撫で方の問題でしょうか……」
「……むにゅ」

 妖夢はそう言いながらとろけた表情の銀月の頬をつつく。
 どうやら妖夢は銀月のこの表情が見たくて頭を撫でていた様である。
 現在の妖夢の心境は、友人に懐いている猫が自分に懐いてくれない時のものに良く似ていた。
 そんな妖夢に、霊夢は呆れたような視線を向けた。

「……あんた、こんな銀月が見たかったわけ?」
「ええ。だって、とても気持ち良さそうですし。見てるこっちまで気持ちよくなってきます」
「むに~……」

 妖夢は霊夢の質問に答えながら銀月の頬をぷにぷにとつついていた。
 銀月は妖夢のそれにも抵抗する力はないらしく、これまた成すがままになっている。
 見た目を気にする銀月はどうやら肌の手入れも欠かしていないらしく、しっとりとした肌触りと適度な弾力を妖夢の指に伝える。
 そんな中、妖夢がふとした疑問を呟いた。

「そう言えば、銀月さんって随分と髪やお肌のお手入れを細かくしているみたいですけど、どうしてですか?」
「確かに、男の子でこんなに丁寧に手入れするなんて珍しいわよね。何か理由があるのかしら?」
「ああ、銀月は元々役者志望なのよ。一度練習で女の子に変装した事があったんだけど、見ただけじゃちっとも分からなかったわ」
「味噌汁一口でばれたけどね~」

 咲夜の手に撫でられながら、銀月は間延びした声でそう答えた。
 それを聞いて、咲夜は興味深げな視線を銀月に送った。

「そう……本当に頑張り屋なのね」

 咲夜はそう言いながら、優しく銀月の髪を梳くように撫でる。
 その表情は何やら思案顔で、どこか上の空であった。

「そんなに見事な変装なら、一度見てみたいですね。銀月さんの女装って凄く似合いそうですし」

 その一方で、妖夢は銀月の頬を相変わらずぷにぷにとつつきながらそう話した。
 こちらは単純に興味があるだけのようである。
 そんな二人に、霊夢は小さくため息をついた。

「もの好きねぇ、二人とも」
「妖夢~、そっちにお料理余ってないかしら~?」
「咲夜ぁ~! ちょっと助けなさい!」

 霊夢がそう呟いた瞬間、妖夢と咲夜にそれぞれの主人から呼び出しが掛かった。
 幽々子は自分の周りに大皿をいくつも重ねており、レミリアはルーミアと共に涼の手によって木に逆さ吊りにされていた。
 それを見て、従者二人は大きくため息をついた。

「幽々子様……どれだけ食べれば気が済むんですか……」
「お嬢様も程々にしないから……」

 妖夢は近くにあったげそ天の皿を持って席を立ち、咲夜はロープを切るためのナイフを取り出しながら立ち上がった。
 それと同時に、頭を撫でられなくなった銀月は小さく首を横に振ると、むくりと起き上がった。

「ん~……さてと、充分休んだことだし、少しやることないか見て回ろうかな?」
「そんなの今わざわざ探すことじゃないでしょうが。そんなことより私の相手しなさいよ」

 霊夢は立ち上がろうとする銀月の手首を掴み、無理やり自分の横に座らせて膝の上に座る。
 そんな突拍子もない霊夢の行為に、銀月は苦笑いを浮かべた。

「そりゃそうだね。霊夢がそう言うんならそうさせてもらうよ」
「そうしなさい。大体あんたは普段から働きすぎなのよ。おまけに仕事が終わったかと思えば修行とか言って飛び回って……」

 霊夢は銀月の膝の上で、逃げられない彼に対して愚痴を言い始めた。
 その愚痴を、銀月は霊夢に酒を注がれながら聞き流すのであった。


 その一方で、愚痴を言う者がもう一名。

「うう……なんで将志くんは分かってくれないんだろう……」
「まあ、気持ちは分かるがな……焦ってはダメだぞ」

 愛梨は泣きそうになりながら藍にそう質問する。
 愛梨は相当酔っているようであり、左眼の下の赤い涙のペイントが見えなくなるほど顔が赤くなっていた。
 一方の藍は愛梨に合わせて飲んでいたが、まだまだ平静を保っているようである。

「う~、それに最近は主様だけじゃなくて銀月くんにもずっと構ってるし、お仕事の時間も会わないからあんまりお話も合わないし……ちっくしょー!!」

 愛梨はそう言うと手にした杯を思いっきりあおった。その飲み方はまさに自棄飲みといったものであった。
 それを見て、藍は少し慌てた表情を浮かべた。

「あ、おいおい、そんな飲み方をすると胃を壊すぞ?」
「……うきゅ~……」

 大して酒に強くない愛梨は、眼を回して藍の胸へと倒れこんだ。
 藍はその体をしっかりと抱きとめる。
 すると、藍は何か硬いものが当たるのを感じた。

「ん?」

 藍はそう呟くと、硬いものが当たっている場所を眺めた。
 見ると当たっているものは愛梨のオレンジ色のジャケットの内ポケットに入っているようであった。
 藍は愛梨の体を少し起こすと、硬い何かが入っているジャケットの内ポケットを覗き込んだ
 見ると、何かがその中で光っていた。

「何だ、いったい?」

 藍は愛梨のジャケットの内ポケットに手を差し込み、それを取り出した。
 すると、そこには銀の蔦が黒耀石の中に閉じ込められているブローチがあった。
 藍はそれを見て意外そうな表情を浮かべた。

「ほう、愛梨はこんなものも持っていたのか。せっかくならつければ……」
「……っ!!」

 藍が話していると、愛梨は突然飛び起きて藍の手からブローチを奪い取り、元の場所にしまった。
 普段の愛梨らしからぬその乱暴な行為に、藍は眼を白黒させた。

「あ、愛梨、いったい何を……」
「『君は何も見なかった』。そうだよね、藍ちゃん?」

 困惑した藍の頬を両手で掴み、眼を覗き込みながら愛梨は感情の篭らない平坦な声でそう語りかけた。
 愛梨の瑠璃色の眼は青い光を放っており、それが映りこんだ藍の眼は段々と虚ろなものになっていった。

「……あ……」

 藍は愛梨の言葉に虚ろな表情で頷いた。
 それを確認すると、愛梨は眼から放っていた光を消してにっこり微笑んだ。

「うん、なら良いよ♪」
「……ん? 私はいったい……」

 愛梨が声をかけると同時に、藍はハッとした表情を浮かべた。
 何が起こったのか理解できず、周囲をキョロキョロと見回していた。

「キャハハ☆ 藍ちゃんちょっとボーっとしてたよ♪ 疲れてるんじゃないかな?」
「そうなのか? ……む、最近まで紫様が冬眠していて休めなかったから、疲れが溜まっているのか?」

 藍はそう言いながらこめかみを押さえる。
 そんな藍に、愛梨は酒の瓶を取り出した。

「そうだと思うよ♪ だから、今日ぐらいみんな忘れて飲んじゃえ♪」
「……ああ、そうだな」

 藍は自分の感じる違和感に疑問を覚えながらも、愛梨の注いだ酒を飲む。
 結局、彼女はその正体に気づくことはなかった。


 * * * * *

あとがき

 色々と詰め込んだ回でした。

 まず一つ目、おぜう様の憂鬱。
 フランちゃんに心を開かない銀月がおぜう様は心配な様子。

 二つ目、もはや周囲のおもちゃと化している感のある銀月。
 ……だからお前は(ry

 三つ目、ギルバートの魔法の本で意気投合するアリスと魔理沙。
 蒐集癖のある二人は、自分の持っていない人のものの前では似たもの同士のようです。

 四つ目、愛梨のブローチ。
 まあ、見て分かるとおりの伏線です。
 さて、いったい何の伏線でしょう?


 次回からは新章に移ります。
 次からは、段々とこの「銀の槍のつらぬく道」自体のお話も進んでいきます。

 では、ご意見ご感想をお待ちしております。
 少しでも感想が欲しい今日この頃。



[29218] 番外編:外来人、心境を語る
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:7f42dfbb
Date: 2012/09/15 04:39
「あ~……暇だ……」

 人里の路地を、一人の男が歩く。
 その男は赤いサングラスをしており、赤いシャツに青い特攻服を着て、腰には白鞘の日本刀を差していた。

「なあ、雷禍」

 そんな彼に、白い髪に赤いリボンをつけた少女が声を掛ける。
 雷禍と呼ばれた男は、声を掛けられてその方を向いた。

「ん、誰かと思えば妹紅じゃねえか。俺に何の用だ?」
「慧音を見なかったか? さっき家を見に行ったけど、居ないんだ」

 妹紅は雷禍にそう言って話しかける。
 それを聞いて、雷禍は深刻な表情を浮かべ、重々しい口調で口を開いた。

「……慧音か。あいつなら一人のきしとして竜王に戦いを挑んでるぜ」

 雷禍がそう言った瞬間、妹紅は眼を見開いて驚きの表情を浮かべた。

「は!? 慧音が騎士ってどういうことだ!? それに竜王って誰だよ!?」
「まあ、竜王は竜王だ。んでもって、俺の見立てからすりゃ慧音は負けるな、ありゃ」

 掴み掛からんまでの勢いでまくし立てる妹紅に、雷禍はそう言って答える。

「……おい、今すぐその場所に案内しろ」

 すると、妹紅は雷禍の襟首を掴み、相手を威圧するような低い声でそう言った。
 それを聞いて、雷禍は小さくため息をついた。

「行ったところで手助けなんざ出来ねえぞ?」
「良いからとっとと連れて行け!」
「へいへいっと」

 雷禍は妹紅を慧音が戦っている場所まで案内する。
 彼の歩く速度は至って普通で、急ごうと言う気が感じられない。
 そんな彼に、妹紅は苛立った様子で怒鳴りつけた。

「おい、急げよ! 慧音が危ないんだろ!?」
「ちっ……わ~ったよ! 急ぎゃ良いんだろ、急ぎゃ!」

 雷禍はそう言うとふわりと宙に浮かび、空を飛ぶ。
 妹紅もそれに続いて空を飛び、雷禍の後についていく。

「ここだぜ」

 そうして雷禍が降り立ったのは、一軒の長屋の前であった。
 それを見て、妹紅は怪訝な表情を浮かべた。

「……おい、ここはあんたの家じゃなかったか?」
「そうだぜ? この中で慧音と竜王が戦ってるぜ」
「っ!? しまった、これは田楽刺し!?」

 雷禍と妹紅が話していると、中から焦った様な慧音の声が聞こえてきた。

「っ!? 慧音!!」

 それを聞いて、妹紅は慌てて家の戸を開け放った。

「金将取りの王手。この先はこちらの必勝手だ」
「くっ……これで詰みか……」

 すると、中では藍染の着流しを着た黒縁眼鏡の男と慧音が将棋盤を囲んでいた。
 笑みを浮かべる善治と、悔しそうな表情を浮かべる慧音。どうやら勝敗が決したようである。
 そんな彼らを見て、妹紅はキョトンとした表情で雷禍に目をやった。

「……おい、雷禍。確か、慧音は騎士として竜王に挑んだんじゃなかったのか?」
「んあ? たしかに慧音は棋士・・としてうちの竜王に勝負を仕掛けたぜ?」

 雷禍は笑いをこらえながら、妹紅の質問に答える。
 それを聞くと、妹紅は家の中に入り、善治に声をかける。

「……何でお前が竜王なんだ?」
「俺が竜王? ……ああ、竜王ってのは外の世界での棋士の称号だ。それ以外の何でもない」
「……じゃあ、田楽刺しってのは?」
「田楽刺しって言うのは、香車を使って角や飛車等の駒を二枚同時に狙う手だ。実際にやられると、場合によってはどうしようもなくなる。ほら、ちょうどこんな形だ」

 善治の説明を聞いて、妹紅は盤の上を見た。
 見てみると、善治の香車の先には慧音の金将と玉将が一列に並んでおり、金将が無くなると善治の持ち駒の銀将で詰む形になっていた。
 一連の話を聞いた後、妹紅ははらわたが煮えくり返るのを抑えながら雷禍に向き直った。

「おい……雷禍、お前知っててわざとああいう言い方したな?」
「おう! 笑かせてもらったぜ!」
「このやろう! 一発殴らせろ!」
「かっはっは! やれるもんならやって見やがれ!」

 雷禍は笑いながら外に出て、妹紅の攻撃から逃げ回る。
 それを見て、善治は大きくため息をついた。

「雷禍のやつ、何かまたアホなことしたな……」
「ふふふっ、妹紅も妹紅でいつも騙されているのだから、少しは学習すればいいのだけどな」

 善治の一言に、慧音はそう言って苦笑いを浮かべた。
 どうやら妹紅は常日頃から雷禍にこうやってからかわれているようである。
 そして、慧音は将棋盤を見ると小さく一息ついた。

「しかし……本当に強いな、善治。将棋も碁も隙が無くて、なかなか勝てそうに無い。見た目若いのにどうしてそんなに強いんだ?」
「小さい頃から近所の爺様達に教え込まれてね。負けるのが悔しいからテレビや本でプロの対局を学んだんだよ」
「つーか、こいつはこういう卓上遊戯に関しちゃ頭おかしいんじゃねえかってくれぇ強いぜ? テメエの外での本業は何だったんだ?」

 二人が話していると、突如横から雷禍が口を挟む。
 それに対して、善治は肩をすくめて小さくため息をついた。

「何って、しがない窓際サラリーマンだ。で、妹紅はどうしたんだ?」
「はぁ……はぁ……くっそ、相変わらずすばしっこい奴め……」

 妹紅は息を切らせながら部屋に上がり、壁にもたれるようにして座り込んだ。
 ふと彼女が横を見ると、何やら取っ手の付いた平たい箱が目に入った。

「お、何だこりゃ?」

 妹紅はその箱を手に取ると、ふたを開けた。
 すると中には様々な模様や漢字が描かれた、白くて四角いものがあった。

「そりゃ麻雀の牌だな。お、そうだ。せっかく頭数揃ってんだし、麻雀しようぜ!」

 それを見て、雷禍はそう言って部屋の真ん中のちゃぶ台の天板をひっくり返した。
 すると下には緑色の布が張られていて、そのまま麻雀卓に使えるようになっていた。
 それを見て、慧音は少し考える仕草をした。

「麻雀か……これなら運の要素も絡んでくるから、善治にも勝てるかもしれないな。妹紅はやったことあるのか?」
「あ~、私は麻雀の役とか知らんぞ?」
「そうか、ちょっと待っててくれ。確か初心者向けの本があったはずだ……ほら」
「ん、ありがとう」

 善治はそういうと、自分の鞄から麻雀の本を持ってきた。
 妹紅はそれを受け取ると、パラパラとページをめくって中を流し読みする。

「ふ~ん、とりあえず三つ揃えれば何とかなるんだな」
「まあ、基本はそうだ。まあ、後は実際にやって覚えた方が早いな。それじゃあ始めるとしよう」

 慧音がそう言うと、四人は卓の上に牌を散らして山を作った。
 そしてサイコロを振って親を決める。サイコロの目は、雷禍が親であることを示していた。

「まずは俺が親か。そんじゃ、もう一度振るぜ」

 雷禍はそういうと、もう一度サイコロを振る。
 サイコロの出目は七で、対面の慧音の山から自分の牌を取っていく。
 そして全員が取り終わると、雷禍から対局が始まる。

「ほれ」
「ロン」

 雷禍が南を捨てると、善治はそう言って自分の手牌を倒した。
 その手牌は、東三枚・南一枚・西三枚・北三枚・九索三枚であった。
 善治は雷禍が捨てた南を自分の手牌に加える。

「……は?」
「人和、小四喜、四暗刻単騎……四倍役満だな。十四万四千点の支払いだから、一発飛びだな」

 唖然とする雷禍に、善治はそう言ってにやりと笑った。

「何だこの手は……こんな手がありえるのか?」
「お~、もう揃ったのか。それにしても、そんなに点数高いんだな、それ」

 その一方で、慧音は善治の手を見て呆然としていて、妹紅は訳が分からず暢気な声を上げていた。
 そんな中、雷禍は善治に食いついた。

「おい、テメエ! サマしやがったな!?」
「ああ、チョイとばかり燕返しをさせてもらった」
「燕返し? 何だそりゃ?」
「こういうことだ」

 善治はそういうと、自分の手牌を目の前の山に積み、素早く下の牌と入れ替える。
 すると、当然善治の手牌は元のものとはまったく違うものになっていた。
 本来、自分の前の山にあらかじめ役が完成した並びを作って置き、引いてきた牌と用意していた牌を入れ替える、速さと正確さが求められる高度なイカサマである。
 それを見て、慧音は呆れるのを通り越して感心した表情を浮かべていた。

「全然気づかなかった……善治、お前はいつの間にそんなことを?」
「あんたらが理牌(役が分かりやすいように牌を並び替えること)している間に。これを出来るようになるまでどれだけ苦労したか」

 慧音の質問に、善治は苦笑しながらそう言って答える。
 その横で、雷禍が文句を言い始めた。

「無効だ無効! サマ使いやがって、テメエと言う奴は……」
「だが、雷禍も人の事言えないだろ? みんな、これを見てくれよ」

 そう言うと、善治は雷禍の前にある山の牌を次々と一つ飛ばしに表にしていった。
 すると、それを見ていた慧音の眼の色が変わった。

「白、發、中ばかり……このまま引けば大三元じゃないか。まさか!?」
「そう言うこと。雷禍は積み込みをやってたんだ。立派なイカサマだな。と言うわけで、イカサマをした奴にちょっとお仕置きをした訳だ」

 積み込みとは自分が上がれるように山に牌を積むことで、これもイカサマの一つである。
 したり顔の善治にそれを指摘されて、雷禍は大きくため息をついた。

「……いつ気づいたんだ、あ?」
「最初の散らしの時。わざわざ眼に見えるような形で牌を確認するもんだから、積み込みをする気なのがすぐに分かったぞ。やるんなら盲牌(指先でその牌が何であるかを見ずにして知ること)しないとな」
「……テメエはサマなんていつ覚えたんだ?」
「漫画で読んで、細かいやり方調べて、そこから先はひたすら練習。親父相手にばれないようになるのに結構時間掛かったがね。そう言うわけで、俺が居る限りはイカサマが出来ると思うなよ、雷禍?」
「ちっ……」

 雷禍はそういうと、苦い表情を浮かべて牌を散らし始めた。


 それから、しばらくの間麻雀をしていた四人であったが……

「えっと、カン。それからリーチ!」

 本を見ながら、妹紅は一筒を暗カンをした後にリーチを宣言して千点棒を卓に置く。
 そして自分の番が回ってくると、妹紅は引いてきた牌を見て笑った。

「ツモ! で……慧音、これ役なんだ?」
「リーチ、一発だな。ドラは?」

 慧音は妹紅の手を見て、そう言いながら善治に声をかける。
 善治は裏ドラを確認すると、その場で固まった。

「……十二翻だ」

 善治はそういうと、手にしたドラ表示牌を慧音に見せた。
 妹紅がカンをしたことで増えた表示牌が九筒、二枚の裏ドラの表示は両方とも九筒であった。

「……マジかよ……俺、数え役満親っ被りじゃねえか……」

 それを見て、雷禍はそう言いながらがっくりと床に手を着いた。


 また、とある対局の時。

「あ、それポン!」

 妹紅は緑色で發と書かれた牌をそう言って手に入れ、三索を切る。

「(索子が随分切れているな……發をポンするってことは役牌のみか? だが萬子が一枚も切られてないという事は、可能性としては混一色、対々和、チャンタ辺りもありえるか)」

 それを見て、善治は妹紅の捨てた牌を見ながら考える。
 初心者がやりやすい役を考えて、本を読みながら対局する妹紅の手牌を推理する。

「ほれ」

 そう考えている間に、雷禍が五索を捨てる。
 善治は自分の牌を引いてくると、場全体を見て再び考え出した。

「(……妹紅に対する安牌は無し……雷禍は筒子が怪しい……だとすれば、慧音が前に切っているこれだな)」

 善治はそう考えて、手牌から八索を切った。

「お、それ当たりだ!」
「うっ、読み違えたか」

 妹紅が嬉しそうに宣言すると、善治は苦い表情を浮かべた。
 妹紅が手牌を公開すると、そこに並んでいた牌は二索・四索・六索・發が三枚ずつ、そして八索が二枚であった。
 それを見て、雷禍の表情が青くなった。

「……うわ、こいつぁやべえ……あぶねえところだった……」

 雷禍の手牌の中には、一つだけ浮いている八索があった。
 もし、雷禍が先にそちらを捨てていたら、雷禍がその直撃を受けているところであった。
 その横で、妹紅は本を見ながら役を数えていた。

「えっと……役牌、混一色、対々和、三暗刻だな。跳ね満で……」
「違うぞ、妹紅……これは緑一色で役満だぞ?」
「……しかも親か。一撃で箱だぞ、こんなの……」

 善治は大きくため息をつきながら、そう言って点箱を空にした。

 その後も、妹紅は凄まじいまでの豪運を見せて経験者達を圧倒したのであった。



「へへへ、麻雀って面白いな! またやろうな!」

 対局終了後、妹紅は楽しそうに三人にそういった。
 総合成績一位、全員を最低一回ずつ箱割れさせた上、最後は三人まとめて箱割れさせての大勝であった。

「……いくらビギナーズラックつっても、こいつぁ酷ぇ……」
「……リーチのみの安手に振り込んで逃げようとしたら、裏ドラ赤ドラ乗って倍満だもんな……」
「……私、清老頭の四暗刻で天和なんて初めて見たぞ……」

 一方、妹紅の豪運に振り回された経験者組は疲れた表情で口々にそう言うのであった。

「ところでよ、ここの冬はいつもこんなになげえのか? もう五月だっつーのに未だにくそ寒いんだけどよ?」

 そんな中、ふと雷禍が外を見てつぶやいた。外は未だに雪が降り続いており、春の兆しは全く感じられなかった。
 雷禍の質問を聞くと、慧音はため息をつきながら首を横に振った。

「そんな訳無いだろう。こんな時期まで銀世界になることなんて、本来ならばありえない。これは明らかに異変だな」
「異変か……本当に外の常識が通用しない世界だな、ここは」

 慧音の言葉を聞いて、善治はそう言いながら人数分の緑茶を淹れる。
 その一言を聞いて、妹紅が首をかしげた。

「と言うと、どういうことだ?」
「季節を狂わせるような奴は居ないし、妖怪なんて存在しない。人間も生身で空を飛ぶことは無いし、道具無しじゃ弾丸を撃つことすら出来ない。そんな外の世界の一般人の俺からすれば、言い方は悪いがあんたら含めて化け物だらけだ」

 善治はそう言いながら盆に茶の入った湯のみを載せて運ぶ。
 すると雷禍はそんな善治の言葉に小さくため息をついた。

「ま、そうだわな。妖怪や神が全部科学にすげ変わっちまってるのが外の世界だしな。俺みてえな妖怪は、とっくのとうに本の中だけの存在になっちまってるし、生身の人間が空を飛ぶ何ざ夢物語だ」
「そう言えば、雷禍もつい最近まで外の世界に居たんだったな。やけに人間の事情に詳しいみたいだが、何やってたんだ?」
「安アパートを借りて、昼は古本屋で漫画を漁って、夜はコンビニで深夜バイト。期限切れのコンビニ弁当が俺の主食だったな。フ○ミチキともなるとご馳走だな」

 慧音に訊かれて、雷禍は幻想郷に来る前の生活を端的に語った。
 そのあまりに人間じみた生活に、善治は呆れ顔を浮かべた。

「……おい、あんた本当に妖怪か? いくらなんでも人間の生活に馴染みすぎだろ。と言うか、ファミチ○がご馳走とかどんな貧乏生活だ……」
「だってよ、人間の漫画面白えじゃねえかよ。それを手に入れるためには金が要るだろ。なら、バイトでもして稼がねえとな?」
「一つ気になるんだけど、その漫画とやらは何だ?」
「昔で言う絵巻物みたいな奴だ。試しに読んでみっか?」

 首をかしげる妹紅に、雷禍はそう言って笑う。
 それを聞いて、善治は首をかしげた。

「雷禍、この家に漫画なんて置いてあったか? 漫画どころか本棚すらないぞ、ここ?」
「あ? お前知らねえのか? ちっと待ってろ」

 雷禍はそう言うと、脚立を持ってきて天井板の一部をおもむろにはがした。
 そしてその穴に手を突っ込むと、中から数冊の単行本が出てきた。

「ほらよ。こいつが漫画だ」
「へぇ、何ていうか変わった本だな。外の世界じゃこんなのが流行ってんだな」

 妹紅は渡された漫画を受け取ると、早速読み始めた。
 その一方で、善治は雷禍が持っていた別の漫画に目をつけた。

「お、これ北斗○拳じゃないか。俺にも読ませてくれよ。あと、ト○イガンはあるか?」
「おう、良いぜ。ト○イガンなら全巻揃ってるぜ。後で持ってきてやるよ」

 善治も雷禍から漫画を受け取ると、その場で読み始めた。
 慧音はその様子をじっと眺めていたが、床に置かれた漫画の一つを見ると興味を示した。

「ん、三国志? こんなものまで漫画になっているのか?」
「おう。まあ、そっちは三国志演義が元だけどな。そう言う歴史物の漫画も割と多いぜ? 子供向けの教材に使われてることもあるしな」
「漫画を教材に……そういうものもあるのか……」

 慧音は三国志の漫画を読みながら、何かを考える仕草をした。
 どうやら漫画を何とかして教育に使えないかどうかを考えているようである。

「お、これ何だか真似できそうだな。邪○炎殺黒龍波か……あ、でもこの威力は流石に出せないな……けど、アグナあたりは出来そうだな……」

 そんな中、妹紅が漫画を読みながらそう呟いた。
 それを聞いて、善治は頭を抱えてため息をついた。

「……それが本当に出来そうなんだからあれだな……子供が物真似をするのとは訳が違うし」
「何だ、怖いのか、善治?」
「怖いに決まってるだろ。外の世界じゃ素手で相手を殺せる奴なんて滅多に居ないし、そう言った奴は見た目で分かる。だが、この幻想郷は違う。あんたらみたいな女の子が、素手でも簡単に危害を加えることが出来る。前に会った弁当屋に至ってはもう見れたもんじゃなかった。正直に言うとな、俺はいつ何かの弾みで殺されるかをずっと考えてるんだ。今の俺にとって、幻想郷に安全地帯はないんだ」

 雷禍の質問に、善治は少し蒼い顔でそう答えた。
 外の世界では、素手で人が人を殺すことは容易ではない。ものすごい力が必要になるか、高い技量が必要になるかのどちらかである。
 しかし、幻想郷の妖怪や力のある者はそうではない。妹紅のように魔法や法術等を使うものも居れば、吸血鬼や鬼のように純粋に身体能力が高いものも居る。
 善治からしてみれば、幻想郷は住人が常に武装しているように感じられる場所なのである。
 それを聞いて、妹紅が呆れ顔を浮かべた。

「それじゃあ、何でお前はここに居るんだよ。さっさと帰れば良いんじゃないか?」
「それはな、向こうに帰ると今度は居場所がないからだ」

 妹紅の言葉に、善治は憂鬱な表情で答えを返した。
 それに対して、妹紅は首をかしげる。

「居場所がない? どういうことだ?」
「岩笠、木花咲耶姫」
「……っ! お前、何でその名前を……」

 善治が呟いた名前に、妹紅の顔が険しいものに変わった。
 その二つの名は、妹紅にとっては非常に忘れがたく、苦すぎる経験を思い出す名前であったからである。
 妹紅の反応を見て、善治は自虐的な笑みを浮かべた。

「嫌なものだろ、自分の過去をこうやって明け透けに見られるのは。今の俺は知りもしない他人がどういう経緯をたどってどんな奴になっているのかが分かってしまうんだ。こんな面倒な能力を持って外に出てみろ。嘘つきだらけの人間社会じゃあっという間に人間不信だし、口を滑らせて相手の過去を掘り返せば即座に社会から排斥されるだろうさ」

 善治は『あらゆる生物の正体が分かる程度の能力』を持っている。
 その能力によって、相手が何者で、どんなことを経験し、どんな性格なのかが良く分かるのだ。
 つまり相手が嘘をついても過去を見ることでそれが嘘だと言うことがだいたい分かる上に、その相手がもっとも嫌がることや弱点まで分かってしまうのだ。
 そんな彼を近くに置いておこうとする者が、果たして何人居るのだろうか?
 その話を聞いて、慧音は考え込んだ。

「……成程。確かにそんな者を身近に置こうとする者は少ないだろうな。しかし、それはこの幻想郷でも同じことじゃないのか?」
「ところが、違うんだよ。人間は嘘をつくが、妖怪はほとんど嘘をつかない。人間よりはまだ信じられるさ。それに、ここには確実に居場所がある。これが外の世界との大きな違いさ」

 善治はそう言って静かに笑った。
 外に出てからの居場所は保障されていないが、今は確かにこの場に居場所がある。
 それが善治をこの場所につなぎ止めているのであった。
 それを聞いて、妹紅は小さくため息をついた。

「居場所か……そういえば雷禍、お前は善治の能力を知ってるんだよな? お前は平気なのか?」
「はっ、テメエの過去が何だって言うんだよ。そいつをひっくるめてこその轟 雷禍だ。俺はテメエの過去に隠すことも恥じることもねえんだよ」

 雷禍は妹紅の質問に、自信にあふれた表情でそう答えた。
 知られて困る過去などない。自分には弱点や汚点などは何一つない。何故なら、今の自分を形作っているのは己が進んできた過去だからである。
 力が強く、自らに強い自信を持っている雷禍にとって、善治の能力など取るに足らないものなのだ。
 だから、雷禍は善治に対して嫌悪感を抱くことはないし、居場所を提供することが出来るのだ。
 そんな彼を見て、善治は苦笑いを浮かべた。

「……星の数ほど女に振られてるのにな」

 善治がそう言うと、雷禍は言葉を詰まらせた。

「うぐっ……ま、まあ、それも今となってはいい経験だ」
「……生まれてから六歳までは寝小b」
「おいこらテメエ! どこまで口に出すつもりだぁ!?」

 善治の暴露に、雷禍は顔を真っ赤にして彼の襟首を掴んだ。
 いくら己の過去に恥じることはないといっても、流石に最低限の羞恥心は持っているようである。
 それを聞いて、妹紅が唖然とした表情を浮かべた。

「げ、そんなことまで見えるのか!?」
「流石にここまでは見ようと思わなければ見えないぞ?」
「うわっ、こっち見んな!!」

 善治が目を向けると、妹紅は大慌てでその視線から逃げ出した。
 家の外まで飛び出し、善治の視線から完全に逃げたのだ。

「お、おい妹紅。何もそこまですることはないだろう?」

 妹紅の行為をたしなめるように、慧音はそういった。
 しかし、そんな彼女に雷禍が白い視線を向けた。

「……そう言いながら、テメエは何で水瓶の裏に隠れてんだ、あ?」
「あ、いや、その……他意はないんだが……」

 雷禍の言葉に、慧音はしどろもどろになる。



「春ですよぉ~!!」



 そんな中、人里中に春告精の声が響き渡った。
 その瞬間、積もっていた雪が一気に溶け出し、暖かな太陽の光が降り注いだ。
 突然の変化に、四人は揃って外に出る。
 肌に伝わる空気の感触も、刺すような冷たさから柔らかな暖かさに変わっていた。

「……お~お~、一気に春の陽気になりやがったな」
「どうやら、今回の異変も解決したみたいだな」
「これで少しはうちの屋台の客足も伸びるかな?」

 空を見上げながら、雷禍は陽気にそう呟き、慧音はホッとした表情を浮かべ、妹紅は笑みを浮かべる。。

「……全く、本当に幻想郷じゃ常識が通用しないな……」

 その横で、善治はこの超常現象に肩をすくめてため息をつくのであった。

「そうだ、せっかくだから今日は飲もうか! 春になったことだしな!」

 そんな中、妹紅がそう言いながら手をたたいた。

「お、いいじゃねえか! うっし、そうと決まればさっさと行こうぜ!」

 それに対して、雷禍がそう言いながら走り出し、妹紅もそれに続いていく。

「待て、二人とも! まだ正午を回ったばかりだぞ! こんな早くから飲むつもりか!?」
「雷禍ぁ! あんたまだ今月分の家賃払ってねえだろうが! せめてそれを払ってからにしろ!」

 そんな二人を、慧音と善治は追いかけるのであった。



 ちなみに、居酒屋の営業時間は酉の刻(午後六時)からであったことを追記しておく。

* * * * *

あとがき

 視点を変えて、本作の中で数少ない戦闘能力を持たない外来人、遠江 善治さんにスポットを当ててみました。
 彼は本来なら、さっさと元の世界に帰る側の人だったのですが、能力が発動してしまって帰るに帰れなくなってしまった人でした。
 この人の能力、実はさとりの能力と同じくらいみんなに嫌われる能力です。それを非力な人間が持ったから、さあ大変。
 もしその能力が広く知れ渡ってしまうと、人間からは村八分に合い、妖怪には殺されかねません。
 特にぬえなんかにとっては、天敵とも言える能力です。

 そんな彼に居場所を作っているのが、精神的は最強クラスに図太い雷禍さん。
 彼にとって過去を知られることはどうでもよく、単純に幻想郷内で外の話が出来るから気に入っているのです。
 要するに、私達が乳児に殴られても痛くないように、強者は弱者の武器が全く気にならないのです。
 そんな訳で、雷禍が居場所を作って善治が話題を提供するという、一種の相利共生がこの場では成立しています。

 あと、この話を見て分かったかも知れませんが、善治さんはこの手のボードゲームやカードゲームの腕前はチートクラスです。
 いわゆる、仕事をそこそこにしながら趣味に走ってた人です。正直、この人が福本漫画に出ていても不思議ではない。
 麻雀で妹紅に負けたのは、妹紅が初心者だからです。初心者って、本当によく分からない手であがってきたりするんですよね……つまり、麻雀のセオリーが通用しないんです。

 それにしても……コンビニでバイトする妖怪の話ってどっかであったような、なかったような……
 まあ、あろうがなかろうが妖怪のイメージは木っ端微塵なわけですが。



[29218] 銀の月、調べられる
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:7f42dfbb
Date: 2012/09/22 04:21
 紅魔館全体に低く透き通ったベルの音が鳴り響く。
 その音色は、ついこの間新しく入ってきた執事を呼び出すベルの音であった。
 足元から響くそれを聞いて、呼び出された当人である赤い執事服の少年は首をかしげた。

「あれ、足元からってことはパチュリー様か。何の用だろう?」

 銀月は疑問に思いながらも、妖精達のために焼いていたクッキーを戸棚にしまうと、地下にある図書館へと急いだ。
 図書館では、パチュリーが何やら机の上をにらんで待っており、小悪魔がカップに紅茶を注いでいた。

「お呼びでしょうか、パチュリー様?」
「本題に入る前に、一ついいかしら? 最近何か良いことでもあったのかしら?」
「いいえ、最近特にこれといった事はございませんが……いかがなさいましたか?」

 パチュリーの突然の問いかけに、銀月は首をかしげる。
 そんな銀月に、パチュリーは小さくため息をついた。

「貴方、最近レミィの前でずっと笑っているみたいじゃない。それでレミィが貴方が何か企んでるんじゃないかって疑ってるのよ」
「おや、私は何も企んでなどございませんよ?」

 パチュリーの言葉を聞いて、銀月はにっこりと微笑んだ。
 その表情は、何をしたわけでもないのに楽しそうな表情であった。
 それを見て、パチュリーは納得してうなずいた。

「……ああ、そういうこと。やるのは良いけど、やり過ぎないようにして欲しいわ。愚痴を聞かされるのは私なのだからね」

 パチュリーはそう言いながら、小さくため息をついた。
 そんなパチュリーを見て、銀月は悪戯をしている子供のように笑った。

「ふふっ、かしこまりました。ところで、いかがな御用でございますか?」
「銀月、貴方今からここで身代わりの札を作りなさい」
「身代わりの札ですか?」
「ええ。どうにもこれから良くない気配がするのよ。けど、それが何なのかが分からない。これがどういうことだか分かるかしら?」

 机の上に並べられた、千切れた札を見やりながらパチュリーはそう問いかける。
 その札は以前銀月がフランドールの能力によって殺されたときに、身代わりになって散ったものであった。
 それを見て、銀月は少し考えてから口を開いた。

「……陰陽道の札ですから、パチュリー様でも理解できないだけでは?」
「そんなことがある訳ないじゃない。貴方はこの術式の大本を人狼の里の書庫で見つけたって聞いたわ。と言うことは、貴方がどう改変したのか知らないけれど、この札は少なくとも陰陽道ではなくこちら側の魔法よ。だと言うのに、魔法を少しかじっただけの貴方が分かって、百年魔法使いをやってきた私が分からないと言うのはいくらなんでもおかしいわ」

 パチュリーは銀月の疑問にそう言って答えを返した。
 魔導書やそれに準ずるものは、本人の熟練度によって理解できるものが違うのだ。
 つまり、魔法に関してはパチュリーの方が銀月よりも遥かに難しいものが読め、逆に陰陽道の書物は修行を積んでいる銀月の方がずっと理解できるのだ。
 今回の場合、パチュリーは銀月が参考にした本は自分寄りの魔法の本であろうと推察し、銀月が理解できて自分が理解できない事態に疑問を持ったのであった。

「それで、私に実演して見せろと?」
「そういうこと。貴方のお父さんには事情を説明して、許可ももらってあるわ。だから一度私の前で実演してくれないかしら?」

 パチュリーの言葉を聴くと、銀月は少し考え込んだ。
 何しろ自分の天命、人生の内の一年を消費する術なのだ。そう簡単に作れるものではない。
 しかし父親である将志も賛同していると言う事実から、自分にとってもかなり重要なことであることが予想できた。

「……かしこまりました。それでは、そのように致します。ですが、何が起きても決して止めないようにお願いします」
「分かってるわよ。さあ、初めてちょうだい」

 銀月はそう言うと、一枚の紙に魔法陣を描き出した。
 その様子を、パチュリーは強い興味とともにジッと見ている。自分が理解できない術式がどの様にして作られるのかが気になっているのだ。
 そうして描かれた魔法陣の中心に札となる和紙を置くと、銀月はその上に手を置いて大きく深呼吸をした。

「$∝#%¥?∇@*;+……」

 銀月の口から、聞いたことの無いような言語が流れ出す。
 その瞬間に銀月の手のひらが裂け、傷口が腕を這い上がっていく。
 体に起きた異常は強い痛みを訴え、銀月の額に脂汗が浮かび始める。

「∬∇∀§Å≡∫∃&$*……」

 銀月はそれに構わず詠唱を続ける。
 傷は胸を這い上がり、首を裂いて顔まで上ってきていた。
 傷口からは血がだらだらと流れ出し、白いワイシャツを赤く染め上げる。血の様に赤いズボンも濡れた様な色に変わっているところから、足からもかなりの量の出欠をしていることが分かった。
 しかし奇妙なことに、その大量に流れているはずの血は床や机に落ちることは無い。

「…………」

 パチュリーはそんな銀月の壮絶な様子を、眉一つ動かさず、目をそらさずに真剣な表情で見続ける。
 彼女は目の前に起きていることに対して、おぞましさよりも興味の方が勝っているようでもあった。

「……?Å∬@*∃#∀……」

 銀月は顔を蒼くし、眩暈をこらえながら詠唱を続けていく。
 すると今度は体の末端のほうから傷が塞がっていき、段々と血を吸い込んでいる札の方へと戻っていく。
 服に吸い込まれている血も全て札のほうに流れていき、赤く染まっていたワイシャツは元の白い色を取り戻していく。
 そして全ての血を札が吸い込み傷が塞がると、銀月はばったりとその場に倒れこんだ。

「……っ、終わりました……」

 荒い息を吐きながら、かすれた声で銀月はそう宣言した。
 パチュリーは硬い表情で銀月を見やると、机の上にある札を手に取った。
 血文字で複雑な文字と記号が描かれたそれは、パチュリーが先ほどまで弄ってた破れた札と一致していた。

「……お疲れ様。無理しないでそのまま休んでなさい。こあ、出てきなさい」
「あ……は、はい!」

 パチュリーが声をかけると、蒼い顔をした小悪魔が本棚の影から飛び出してきた。
 どうやら銀月の札作りの様子を見ていたようである。
 そんな小悪魔に、パチュリーは小さくため息をつく。

「見てたなら分かるでしょうけど、あの状態じゃ銀月でも回復までそれなりに時間が掛かるわ。私は少し調べものがあるから、しばらく銀月の様子をみてあげなさい」
「あ、はい!」

 小悪魔はそう言うと、銀月のために水を汲みに行った。

「……ぐっ、大丈夫ですよ……この程度なら、まだ……」

 その一方で、銀月は何とか立ち上がろうとする。
 その顔は蒼く、眩暈を起こしているのか上体がふらついている。
 そんな彼を見て、パチュリーはため息をつく。

「そんな真っ青な顔で言われても説得力は皆無よ。大人しくしていないと、強制的に眠らせるわよ」
「うっ……」

 パチュリーに指先を向けられると、銀月は大人しくその場に座り込むのだった。



 しばらくして、パチュリーが再び銀月の元へとやってきた。
 どうやら調べものは終わったようである。

「……こあ、銀月の様子はどう?」
「あ、銀月さんならあっちに居ますよ」
「…………」

 銀月は近くにあった魔導書を黙々と読んでいた。
 呼んでいる本は魔法の基本から少し発展したレベルの本であり、初級者向けのものであった。

「銀月、貴方は人狼の里の魔女と面識があったわね?」

 そんな銀月に、パチュリーは話しかけた。
 すると銀月は顔を上げ、スッと立ち上がった。もう体調に問題はなさそうである。

「はい。ございます」
「人狼の城に行くわよ。大体の見当は付いたけど、実物を見ないとまだはっきりしないわ。こあ、留守番は頼んだわよ」
「あ、はい」
「では、お嬢様に許可を頂いて参ります」

 銀月はそう言うと、主であるフランドールに外出許可を貰いに行った。



「あら、銀月君。どうかしたの? その格好だと、お仕事?」

 幻想郷の高原に広がる人狼の里の奥にそびえる古城の大図書館で、二人は薄紫色のアラビアンドレスを着てベールをまとった褐色の肌の黒髪の女性と出会った。
 その腰には黄金のランプが下がっており、彼女がランプの魔人であったことを示している。
 その彼女の問いかけに、銀月は礼をして答えた。

「はい。私が仕えるお嬢様のお姉様のご友人の方が、こちらの書庫の本を拝見したいと言うことでこちらに参りました」
「そう。はじめまして、ジニ・ヴォルフガング、この図書館を管理している者よ」
「パチュリー・ノーレッジ。本を見る前に、一つ質問いいかしら?」
「ええ。何かしら?」
「この札について何か知ってるかしら? 銀月が作ったものなのだけど」

 パチュリーはそう言うと、先ほど銀月が作った身代わりの札をジニに見せた。
 ジニはそれを受け取ると、その暖かさと籠められている魔力に驚いた。

「っ……いえ、知らないわ。けど、本当にこれを銀月君が作ったの?」
「ええ。私の目の前で作ったものだから間違いないわ。銀月はここにあった本を参考にして作ったって言ってるのだけど……」
「……そうね。この術式自体には見覚えはないけれど、近い術式を書いた本ならあるかもしれないわ。それと、事と次第によっては銀月君自身を調べないといけないわね」

 パチュリーの言葉を聞いて、ジニは少し考えてからそう言った。
 それに対して、銀月は首をかしげた。

「私を、ですか?」
「銀月君。君が作った札は、本来の君のレベルじゃ到底作れないものよ。君が本当にこの札を作ったのなら、私は少なくとも貴方の魔法の適正を調べないといけないわ」
「それに関しては私も同意よ。とにかく、まずは貴方が参考にした本を持ってきてくれるかしら?」
「かしこまりました」

 そう言うと、銀月は自分が参考にした本を探し始めた。
 しかし一向に見つかる様子が無く、銀月は頭をかきながら首をかしげた。

「あれ、おかしいな……確かこの辺りにあったはずなんだけどな?」
「どうかしたの?」
「それが、参考にした本がどこにも見当たらないんです。白いミンクの装丁だったので、よく覚えているのですが……」

 銀月は自分が参考にした本の特徴を端的に述べた。
 それを聞いて、ジニは怪訝な表情を浮かべた。

「白いミンクの装丁の本? そんな本はここにはないはずよ?」
「え……?」

 ジニの一言を聞いて、銀月の眼が点になった。
 どうやらジニの口からそんな言葉が出てくるとは思っていなかった様である。
 すると、しばらく考え込んでいたパチュリーが銀月に声をかけた。

「……銀月。その本の写しを持っていないかしら? 貴方のことだから、おそらく持っていると思うのだけれど」
「あ、はい。少々お待ちください」

 銀月は収納札を取り出して、その中から本の写しを取り出した。
 その様子を見た瞬間、パチュリーとジニの表情が少し驚いたものに変わった。
 それを察知して、銀月は首をかしげた。

「……どうかしましたか?」
「……ずいぶんと便利な札ね、それ」
「ええ。陰陽道を勉強したときに、一緒に覚えたんですよ」
「銀月君、その札の術式を陰陽道で説明できる?」
「あ、はい……えっと……」

 ジニに言われて、銀月は二人に札の説明をしようとする。
 しかし、銀月は少し考えるとキョトンとした表情を浮かべた。

「……あれ? そういえば、これ五行のどれに入るんだ? それによく見てみれば九字護身法にもなってないし、八卦をあらわすにしてもなんか変だ……何だろう、これ?」

 銀月は自分が手にしている収納札を眺めながら、その術式についての説明を考えている。
 その札に書かれている陣は八芒星を描いており、とても五行や九字護身法には見えず、その上に八卦を表す文字も入っていない。
 そんな彼を見て、ジニは納得して頷いた。

「説明できないのね? ……やっぱりそうか」
「どういうことです?」
「銀月、貴方が今まで陰陽道だと思っていたのがこちら側の魔法である可能性が高くなってきたわ。貴方のその札、魔法でなら説明がつくのよ。でも、それは後で良いわ。それよりも貴方が書いた本の写しを見てみましょう」

 パチュリーに促されて、銀月は机の上に本の写しを置いた。
 どうやら丸々一冊全て書き写していたようで、かなりの厚みがあった。
 パチュリーとジニはそれに目を通すが、文字の持つ魔力によって解読できない。

「……銀月君。君、本当にこれが読めるの?」
「はい。例えば、これの発音は∬∇∀§Åですね」

 銀月はいともたやすく書かれている文字を読み上げた。その発音は何やらぼやけたようなもので、何を言っているのか正確に掴むことが出来ない。
 それを聞いて、二人は考え込んだ。

「……聴いたことのない言語ね。ジニ、貴女は今の言語に心当たりは?」
「無いわ。古代言語はそれなりに網羅しているつもりでいるけど、こんな言語は見たことも聞いたこともない。恐らく、言葉自体が魔力を持っていて、私達が理解できないようになっているのかもしれないわね」

 パチュリーとジニは見たことのない言語に首をかしげながら、銀月の写しを読み進める。
 すると、魔法陣の描かれているページに差し掛かった。ページをめくると、次々と魔法陣が現れる。
 それを見ると、二人の眼の色が一気に変わった。

「銀月! ちょっと服を脱ぎなさい!」
「はい?」
「確認したいことがあるの! とにかく、服を脱いで!」
「は、はい……」

 銀月は二人にうなずくと、服を脱ぎ始めた。
 上着を脱ぎ、タイを取り、ワイシャツのボタンをはずしていく。

「っ! 銀月、ストップ」

 そしてワイシャツを脱いだとき、二人は銀月の背中を凝視した。
 銀月の背中には、まるで鳥の翼のような小さな黒い痣が出来ていた。

「どうかしたんですか?」
「この痣は、間違いないわね」
「ええ、銀月君は何かと繋がってるわ。いえ、この様子だと一方的に何かを植えつけられたような感じね」
「そうね……何かこう、それと一緒に外から別の力を押し込まれている感じね。辿れるかしら?」
「……おそらく無理ね。糸が細すぎるわ」

 二人の魔女は険しい表情で銀月の背中の痣を眺め、指で触れながら何かを確かめている。
 銀月は二人が何をしているか分からず、二人に声をかけた。

「あの、いったい何が起きてるんですか?」
「銀月。あの本の写しに描かれていた魔法陣は、術式としては契約の魔法陣に近いのよ。それも、貴方が使えるのが不思議なくらい高度なものね。そして、貴方の背中には何かと契約した証があるのよ」
「その他の魔法陣も殆どが契約に関するものだったわ。もっとも、君が誰とどんな契約をしているのかまでは分からないけどね」

 銀月の背中を眺めながら、真剣な声色で二人はそう答えた。
 魔法に深く関わっている二人は、写しに描かれている魔法陣が契約に用いるものの基本構造を共通して持っていることに気が付いたのだ。
 そして自分が知らないほど高度な魔法陣で結ばれた契約となると、相手がそれだけ強大な者の可能性が高いのだ。
 二人の言葉を聞くと、銀月は少し考えてから疑問を口にした。

「……しかし、ならば何故私までその契約した相手を知らないのでしょうか? 私は確かにその本の中の魔法陣を使いましたが、契約した相手を見ていないのですよ?」
「恐らく、貴方からの一方的な契約だけで良いように魔法陣が組んであるのよ。だから、対価が気を失うほどの大量の血液と一年分の人生なんて言う重たいものになっているんでしょうね。もっとも、効果と比べるとまだまだ安いものだけれどね」
「そういえば銀月君、この札の効果は何?」
「私が死んでしまうような事件や事故にあった場合、私の代わりに死ぬことになる札です」

 ジニの質問に、銀月は簡潔にそう説明した。
 その効果を聞いて、ジニは唖然とした。何故なら、そのような効果を得るために払った対価が安すぎる上に、どのようにしてその様なことを可能にするかが分からないからである。
 つまり、銀月は気づかないうちに更に大きな対価を払わされている可能性があるのだ。

「そんなものが……パチュリー、貴女は何で銀月君がこの札を作るのを止めなかったの?」
「理由は言えないけど、銀月には必要な保険なのよ。だから銀の霊峰の首領も幻想郷の管理者も、その札の所持を認めているのよ」

 パチュリーはジニの質問に素直に答えた。
 それを聞いて、ジニはその残酷な理由を察して目を伏せた。

「……つまり、銀月君が死ぬかもしれない……いえ、殺されるかもしれないって事ね?」
「……端的に言えばそういうことよ。これ以上のことは幻想郷の管理者や銀月の父親に聞くべきよ」
「……分かったわ」

 パチュリーの言葉に、ジニは小さくそう答えた。
 そんな中、脱いだ服を着直した銀月が二人に声をかけた。

「それで、この後どうするんです?」
「銀月の魔法の適性を調べるわ。とは言っても、貴方の戦い方や今の魔法の札から大体の想像は付くのだけれどね」
「はあ……」
「とにかく銀月君。少し疲れるかもしれないけど、ここにある本を読んで、魔法をどんどん使ってみて」
「かしこまりました」

 ジニが軽く指を振ると、本棚から数冊の本がひとりでに動き出して銀月の目の前に積まれた。
 銀月はその本を読み、基本的な魔法をいくつか試していく。
 魔法に関してはまだ初級者の銀月は、そのうちのいくつかを不発に終わらせることもあったが、中には本人も魔女二人も驚くほどの効果を上げたものもあった。
 そして全ての魔法を試し終わると、パチュリーはそれらの結果をまとめて判断を下した。

「……銀月、貴方の魔法の基本属性は土。陰陽道では金行にあたる部分ね。そして貴方の適正分野は召喚術。召喚と送還、それから契約が貴方が得意とする分野ね」
「まあ、それに関しては疑いようも無いわね。そもそも、日常生活で平然と、それも無詠唱で使えるほどお手軽な魔法を開発しているくらいだしね」

 ジニはそう言いながら、銀月が常日頃使っている収納札を見やった。
 銀月の収納札はとても複雑な術式を精密に組まれており、ちょっとやそっと勉強した程度では組めそうに無いほどのものである。

「召喚術ですか?」
「ええ、そうよ。君の収納札もそれの応用で、触れているものを別の空間に送還しておいて、必要なときにそれを召喚するという感じになっているのよ。君の適性なら、いろいろと使役できるようになるはずよ。まあ契約は気をつけないと、力の強い相手には逆に使役されてしまうかもしれないんだけどね」
「……レミリア様に知られたら大変なことになりそうだ……絶対に契約させて逆にこき使うだろうなぁ……」

 銀月はそう言うと、憂鬱なため息をついた。
 レミリアの性格上、銀月との契約をした上で主権を乗っ取り、銀月を自分の都合の良いように扱うのが眼に見えているのだ。

「……確かにレミィならやりそうね。レミィの前では貴方の魔法については言及しないほうが良さそうね」

 そんな銀月の一言に、パチュリーは苦笑いを浮かべた。
 彼女もまた、レミリアが銀月をこき使うのが容易に想像できたのであった。

「それはそうと、契約が出来るなら何故私は父の力しか借りられないのでしょうか? 他の神の力を借りることが出来てもおかしくないと思うのですが……」
「それは当然よ。貴方には神を受け入れる器が無いのだもの」

 銀月の疑問に、パチュリーはそう答えた。
 それを聞いて、銀月は意味が分からず首をかしげた。

「……どういうことですか?」
「銀月、契約と憑依は全く別のものよ。契約は、基本的には相手の体で相手の意思をもって相手の力を利用するのよ。けど、巫女が行う憑依はそうじゃないわ。あれは巫女の体の中に神の力と意思を取り込んで、それで力を使うのよ。だからその神の意思と力を受け入れられる器が無いと神は降ろせないわ」
「それでは、私が父の力を借りられるのは?」
「それは貴方と神である父親の魂が非常によく似ているから。この場合は何もしなくても二人の間にパスが繋がりやすいし、普通のものよりも特に強い繋がりが出来るのよ。例えば、双子の兄弟がテレパシーで繋がったりするようなものね。これは契約とも憑依とも違って、感応という形になるわね。たぶん、あの巫女が貴方の父親を降ろすよりも貴方が父親の力を使ったほうが強い力が出るんじゃないかしら? そういった点では、貴方が銀の霊峰の神主になるというのは理に適っているわね」

 パチュリーは銀月が将志の力を直接借りることが出来る理由を、魔法的観点から説明した。
 それを聞くと、銀月は少し嬉しそうにうなずいた。どうやら父親と強い繋がりがあることが確認できたのが嬉しいようである。

「そういうことですか。それで、これからどうするんですか?」
「私とジニでこの身代わりの札を調べるわ。この札の本質はあの本に並んでいる魔法の系統から言って、十中八九契約よ。その相手が誰だか分からないのは貴方としても私達としても良いことではないわ。それから、貴方には魔法を覚えてもらう。これは絶対よ。貴方のことだから使うことは無いでしょうけど、それでも覚えてもらうわ」

 パチュリーは身代わりの札を睨みながら、強い口調で銀月にそういった。
 その口調には、何が何でも銀月に魔法を教え込むと言う意思が籠められていた。
 それを受けて、銀月はキョトンとした表情を浮かべた。

「私に魔法を、ですか?」
「貴方の召喚術の才能は、はっきり言って物凄いものよ。原因は恐らく背中の痣なんでしょうけど、誰が何のために貴方にこんなことをしたのかも分からない。これは凄く危険な状態よ。貴方が訳もわからず使った魔法で、とんでもないものを呼び出すのかもしれないのだから」
「だから銀月君には、それこそ禁呪クラスの召喚魔法も覚えてもらうことになるわ」

 その一方で、真剣な表情を崩さずにジニは話を続けた。
 禁呪と言う言葉を聞いて、銀月は呆然とした表情を浮かべた。

「禁呪って……そんなことをして宜しいのですか?」
「むしろ覚えてもらわないと困るわよ。それを知るということは、止める事も還すことも出来ると言うことなのだから。知らずに発動されるよりもよっぽど良いわ」

 銀月の言葉に、パチュリーは若干呆れ顔でそう答えた。
 召喚と送還は二つで一つ、表裏一体の魔法である。つまり、召喚術が存在する以上は送還術も存在する。
 と言うことは、何か危険な存在が呼び出されたりした場合、召喚術を覚えていれば送還することも出来るのだ。
 二人の魔女の狙いは、銀月の才能を利用してそのような存在が呼び出されるのを阻止、もしくは送り返すことが出来るようにすることであった。
 それを確認すると、ジニは小さく頷いた。

「最大の懸念事項は誰が銀月君と契約をしたのかだけど、こちらは今の状態ではどうしようもないわね……」
「それはこちらで経過を見るわ。もしかしたら、銀月の契約主が何か尻尾を見せるかもしれないしね。それに、銀月は幻想郷の管理者のお気に入りでもあるわ。向こうの方でも調べてくれるでしょうね」

 パチュリーはジニに銀月と一方的に契約した相手についての対応を説明した。
 それを聞くと、ジニはしばらく考えた後で難しい表情をしながら頷いた。

「……そう。こっちもギルに何か変わったことがあったら報告するように言っておくわね」
「ええ。それじゃあ、また来るわ。行くわよ、銀月」
「はい。ではジニさん、今日はこれで失礼します」
「またいつでもいらっしゃい、銀月君」

 銀月はジニに向かって礼をすると、パチュリーについて帰っていった。
 それを見届けると、ジニは図書館の中へと戻っていく。

「さてと……調べよう、ギルのお友達に取り付いた奴を。誰だか知らないけど、せっかく手に入れた平穏に横槍を入れて、ただで済むと思わないことね」

 そう口にするジニの眼は、強い意思が籠められていた。

  *  *  *  *  *

 あとがき

 という訳で、まずは銀月には何かがついているというお話でした。
 紅魔館の魔女のパチュリーと人狼の里の魔人のジニが結託して、銀月を調べると同時に災害防止のために魔法を叩き込むことになりました。
 アリマリギルが院生の集まりであるとすれば、パチェジニ銀は熟練研究員と被検体ですね。
 ……ここでも銀月はこんな役かよ。

 さて、いったい誰が銀月と繋がってるのでしょう?


 それから、今回より新章です。
 主軸となるのは萃夢想。それから、この『銀の槍のつらぬく道』オリジナルの話も少し織り交ぜながら進めて生きたいと思います。

 では、ご意見ご感想お待ちしております。



[29218] 銀の槍、授業参観をする
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:7f42dfbb
Date: 2012/09/28 06:13

 銀の霊峰の書斎にて、銀の髪の青年が手元の紙を睨みながら唸っている。
 その紙の内容は、魔術的観点において観測された銀月のことについてのレポートであった。
 将志はパチュリーとジニの両方から届いたレポートをそれぞれ見比べる。
 一緒に検査をしていたため結果自体は同じであるが、考察はそれぞれ別のものが書かれている。
 その二つの考察をあわせて考えると、将志は小さくため息をついた。

「……銀月に一方的に接触し、契約をした者か……」

 将志は自分の息子に接触した人物について考える。
 魔術的な契約であるところから、この幻想郷では候補者はかなり絞られるはずである。
 しかしそれを出来そうで、更にそれをして得をする人物となると、将志は一切心当たりが無かった。
 そんな中、将志の目の前の空間が裂けて、紫色の垂の付いた白いドレスの女性が現れた。
 それを受けて、将志はその人物に向かって顔を上げた。

「……紫か」
「ええ、そうよ。報告書は読んだかしら?」

 紫は現れるなり、将志に問いかけた。
 彼女も二人から報告書を受け取っており、その内容を把握しているのだ。
 その彼女の問いかけに、将志は小さくうなずいた。

「……ああ。生憎と専門的な内容も分からんし、銀月に接触した人物の心当たりも無いがな」
「そう……私も心当たりは無かったわ。そういう訳で、行くわよ」
「……どこへだ?」
「餅は餅屋。実際に患者を診ている専門家のところよ」

 紫は将志に行く先を短く告げる。
 それを聞くと、将志は納得した表情を浮かべた。

「……少し待つが良い。愛梨! 居るか!?」
「キャハハ☆ ここに居るよ♪」

 将志が声をかけると、オレンジ色のジャケットとトランプの柄の入った黄色いスカートを穿いたピエロの少女が手品のように何も無い空中からふわりと現れた。
 そんな彼女に、将志は小さくうなずいて声をかけた。

「……少し紅魔館に行ってくる。しばらくの間任せたぞ」
「おっけ♪ 任されたよ♪」

 愛梨が手にした黒いステッキで頭のシルクハットを軽くたたきながら笑顔でそう言うと、将志は紫に連れられてスキマの中へと入っていく。
 その先は赤い絨毯が敷かれた大きな図書館で、大きな本棚がたくさん並んでいた。

「こあぁ!? い、いきなりなんですか!?」

 突然目の前に現れた二人に、小悪魔は驚いてしりもちを付く。
 本を運んでいる最中だったのか、あたりには本が散乱していた。
 それを見て、紫はくすくすと笑った。

「あら、ごめんあそばせ。驚かせてしまったかしら?」
「……よく言う。確実に狙っていただろう」

 紫の発言に、将志はそう言って呆れ顔を浮かべた。
 悪戯好きな紫は将志の背後にも突然現れて驚かせようとすることもあるので、狙っていたのが分かっていたのだ。
 小悪魔は立ち上がると、将志の顔を見て挨拶をした。

「あ、将志さん。今日はどうしたんですか?」
「……報告書の件で訊きたい事があってな。パチュリーは居るか?」
「パチュリー様なら、今資料集めをしてますよ」

 小悪魔は散らばっている本を拾いながら将志の質問に答える。
 それを聞いて、将志は怪訝な表情を浮かべた。

「……資料だと? 何についての資料だ?」
「銀月さんの魔法の勉強に使う資料です。この後、銀月さんに魔法を教えることになってるんです」

 小悪魔はそう笑顔で答える。
 銀月は召喚術に大きな適正があり、パチュリーはその適正から教えておくべき魔法を選びに行っている。
 小悪魔としては一緒に働く仲間が増えて自分の負担が軽くなる可能性があるので、喜んで協力しているのだ。
 それを聞いて、紫は笑みを浮かべてうなずいた。

「それはちょうどいい時に来たわね。私達も見学させてもらっていいかしら?」
「えっと、それはパチュリー様に直接聞いてもらわないと何とも……」

 小悪魔がそう言いかけると、図書館のドアが開く音が聞こえてきた。
 将志達がそちらを見やると、パチュリーが数冊の本を持って立っているのが見えた。
 パチュリーは図書館の中に入ってくると、小悪魔に話しかけた。

「こあ、銀月見なかった?」
「え、銀月さんですか? 私は見てませんけど……どうかしたんですか?」
「それが今はまだ勤務時間のはずなのに、メイド妖精達の誰も銀月の姿を見ていないのよ。出勤してきたのは見ている人が居るのだけど、それから先が分からなくなっているわ」

 パチュリーは先程まで銀月を捜しに行っていたのだが、メイド妖精の誰に聞いても銀月の居場所が分からなかったのだ。
 それを聞いて、将志は首をかしげた。

「……どういうことだ? 銀月の気配なら確かにこの紅魔館からするのだが……」

 将志と銀月はお互いの魂の形が似ているために、近くに居るとお互いの力が流れて来やすい。
 つまり相手が近くに居れば、それだけで流れてくる力によって近くに居ることが分かるのだ。

「そうなの? おかしい、それじゃあ銀月はいったいどこに消えたのかしら?」
「失礼いたします」

 パチュリーが銀月の居そうな場所を考えていると、物静かな少女の声が聞こえてきた。
 そのほうに目を向けると、一人のメイドの姿があった。

「む、何の用かしら……」

 パチュリーはその見覚えの無いメイドにそう言いかけて、口をつぐんだ。
 メイドは黒髪で茶色の瞳をしており、首には赤い首輪をしていた。
 その首輪を見て、パチュリーは持っていた本を思わず取り落とした。

「……あ、あなたひょっとして銀月?」
「はい。パチュリー様が私をお捜しになっておられたと聞きましたので、こちらに参りました」

 唖然とした様子のパチュリーの表情に、銀月らしきメイドはそう答えた。
 そんな銀月の様子に、将志は呆れ顔でため息をついた。

「……何をやっているのだ、銀月?」
「咲夜さんが私の執事服を洗濯した後に、もう一つの執事服にほつれを見つけたようで……仕方が無いので、メイド服で代用することになったのです」

 銀月は苦笑いを浮かべながらそう言って話した。
 銀月が紅魔館で着ている赤い執事服は基本的に持ち出し禁止であり、全て銀月の部屋のクローゼットに収納してある。
 持ち出し禁止の理由は、全ての執事服の管理を紅魔館で行うことによって確実に指定された生地と糸で修繕することが出来、更にその代金が経費で落ちるためである。
 そして銀月の場合、力仕事や調理にメイド妖精の管理、更には咲夜のサポートなどで自身の服の洗濯に当てる時間が無いため、洗濯を担当している咲夜が代わりに洗濯しているのだ。
 そういうわけで、いつもの執事服が無く、かと言って私服で働くわけにも行かない銀月はメイド服を着る羽目になったのであった。
 そんな銀月を見て、紫は面白そうに笑った。

「あら、結構可愛いじゃない。似合ってるわよ、銀月」
「あはは……ありがとうございます……」

 銀月は乾いた笑みを浮かべてそう言うと、がくりと肩を落とした。
 化粧と芝居で女性にも化けられるはずの銀月のその様子に、将志は首をかしげる。

「……何を落ち込んでいるのだ? 普段ならば変装が上手くいったと喜ぶところではないのか?」

 将志がそう言うと、銀月はそれに対して力なく横に首を振った。

「あのですね……今、私すっぴんなのです。お化粧していないのです」
「……それは何故だ?」
「……ここ、鏡がありません。吸血鬼の館ですので。それに、私は手鏡を持っていなくて……」
「……納得した。それは済まなかった」

 銀月が口にした理由を聞いて、将志は苦々しい表情を浮かべた。
 銀月とて一人の男なのである。何もしていないのに女装が似合っていて可愛いなどと言われては、心情的に悲しいものがあるのだった。
 それでも銀月が一人のメイドを演じているのは、一種の意地のようなものであった。
 自分の格好をもう一度確認して、銀月は大きくため息をついた。

「それで、パチュリー様。私への御用とは?」
「この前言ったとおり、これから貴方には魔法を覚えてもらうわ。見てると基本の基本はもう出来てるみたいだから、召喚術の基本から始めるわよ」
「その前に、ちょっと待ってちょうだい。ここの当主や銀月の主人にも見せなきゃダメよ」

 パチュリーが用件を言うと、紫が隣から口を挟んだ。
 それを聞いて、パチュリーはしばらく考えた後で納得してうなずいた。

「……ああ。そうね、レミィとフランは少なくとも主人の責任として知っておくべきね。銀月、二人を呼んできなさい」
「……かしこまりました」

 パチュリーがそう言うと、銀月は少し苦い表情を浮かべながら二人を呼びにいった。
 そんな銀月を、小悪魔が何やらボーっとした、少々熱っぽい表情で眺めていた。

「こあ? どうしたの、銀月のほうをジッと見て?」
「うぇ!? あ、いえ、その……銀月さん、女装すると随分化けるんだなぁって……」

 パチュリーが声をかけると、小悪魔はハッとした表情を浮かべた後で少し戸惑ったようにそう答えた。
 それを聞いて、パチュリーは少し考えた後でうなずいた。

「ああ、そうか。よく考えたらこあの趣味って」
「わわわわわ! 言わないでください!!」

 パチュリーが何かを口にしようとすると、小悪魔は顔を真っ赤に染めて大慌てで話を止めようとした。
 そんな彼女の様子を見て、紫は意地の悪い笑みを浮かべた。

「あら、その子の趣味がどうかしたのかしら?」
「こあの趣味はとても小悪魔らしいってことよ」
「具体的には?」
「それは、大きい声じゃ言えないけど……」

 紫の言動に乗って、パチュリーは涼しい表情で紫に小悪魔の趣味をばらそうとする。
 すると小悪魔は、再びわたわたとし始めた。

「わー! わー! 言っちゃダメですよぉ~!!」
「ちょっと貴女は黙っててね♪」
「きゃあああああああぁ!?」

 騒ぎ立てる小悪魔を、紫は足元にスキマを開いてその中に落とし込む。
 そして、パチュリーの口元に耳を持ってきた。

「で、詳しいところは?」
「それは……」

 パチュリーは紫に小悪魔の趣味を小さく耳打ちした。
 それを聞いて、紫は目を白黒させた。

「え、どういうことかしら?」
「だから……」

 パチュリーは再び紫に小悪魔の趣味を耳打ちした。
 今度はもう少し詳しく、具体的に話をする。

「っっっっ!? きゅううううう~……」

 すると紫の顔が火が噴出したように赤くなり、目を回してその場に倒れてしまった。
 どうやら、小悪魔の趣味はかなり過激な趣味だったようである。
 それを見て、パチュリーは意外そうに倒れている紫を見やった。

「あら、意外と初心なのね。てっきりこの辺りのことについても平気なものだと思っていたのだけれど」
「…………」

 パチュリーが紫の醜態について口にした横で、将志は苦々しい表情を浮かべていた。
 それに気づくと、パチュリーは将志の方を見て首をかしげた。

「……? 将志、どうかしたのかしら?」
「……いや、紫の反応で少なくともその手の話だと言うことが分かったからな」

 そう話す将志の顔はほんのり赤く染まっており、どこと無く恥ずかしそうな表情であった。
 それを見て、パチュリーはにやりと笑った。

「ふ~ん……貴方も随分と初心ね。少し考えた程度で顔を赤くするなんてね」
「……やかましい」

 少しからかうようなパチュリーの言葉に、将志はそう言って彼女に背を向けた。



 しばらくすると、相変わらずメイド服を着た銀月がレミリアとフランドールを連れてやってきた。

「失礼します……レミリア様とフランドール様をお連れしました」

 二人を連れてきた銀月は、少し疲れた表情を浮かべていた。
 どうやらそれぞれに色々と言われた様である。

「パチェ、こいつが魔法を使えるって本当?」
「ええ。銀月は一方的に何かを植えつけられていて、それが魔力の源になっているわ。特に召喚術に関しては、磨いていけば相当なところまで行くかもしれないわ」
「へー、それじゃあ銀月も魔法使いになるんだね♪」

 レミリアの質問にパチュリーが答えると、フランドールが嬉しそうに銀月に話しかけた。
 それを受けて、銀月は能面のような表情を浮かべた。

「はい。魔法が使えるという点では魔法使いと言えるでしょう」
「そっか。どんな魔法が使えるのかな~?」
「っ……」

 起伏の無い銀月の返答とそれに対するフランドールの言葉を聞いて、レミリアがつらそうな表情を浮かべる。
 レミリアは銀月が未だにフランドールに心を開いていないこと、そしてフランドールの声がどこと無く寂しさをにじませている事が分かっているのだ。
 そんなレミリアに小さくため息をつきながら、パチュリーは銀月に声をかけた。

「銀月、召喚と送還を繰り返していくわよ。まずはノームから。これなら貴方の属性にもあってるから簡単なはずよ」
「かしこまりました」

 銀月はそう言うと、すばやく床に魔法陣を描きだした。そしてそれが終わると即座に詠唱に入る。
 すると魔法陣が光を放ち、膝下くらいの大きさの小人が現れた。

「……これが魔法か」
「成程ね、式神見たいなものなのね」

 将志と紫は銀月が召喚した小人を見て、それぞれに感想を口にする。

「……いかがですか?」

 銀月はパチュリーに魔法の成否を問う。
 それに対して、パチュリーはため息混じりにうなずいた。

「まあ、貴方ならこれくらいは完璧にこなせるでしょう。さあ、次は送還よ」
「はい」

 銀月はそう言うと、描かれている魔法陣をそのまま用いて送還の呪文を唱えた。
 すると、小人は光となって魔法陣の中へと消えていった。
 パチュリーはそれを見て本のページをめくる。

「次はホビットよ」
「かしこまりました」

 銀月は再び魔法陣を床に描き、召喚を始める。
 そして先程よりは少し大きな小人が出てくると、すぐに送り返した。

「次は属性を変えていくわよ。次、マーメイド」
「かしこまりました」

 それから先、銀月はパチュリーが指定したものを次々と呼び出しては送還していく。
 ジンのような精霊やサラマンダーなどの魔獣、またはゴーレムのような人形等が現れては還っていく。

「へぇ、なかなかやるじゃない。それでこそ私の従者よ」
「お姉さま、銀月は私の従者よ?」
「紅魔館の一員には変わりないわよ」

 満足げに笑うレミリアと、レミリアの発言に頬を膨らませるフランドール。
 二人とも目の前で行われているショーを楽しんでいるように見える。
 しばらく眺めていると、今度はパチュリーが困った表情を浮かべた。

「む……思った以上に出来たわね……これ以上は少し厳しいのだけれど……」

 パチュリーは本を見ながらそう呟いた。
 当初の予定の魔法陣を全て成功させてしまったために、先が続かないのだ。

「何か出来そうなものはございますか?」

 そんな中、銀月は黒い瞳でパチュリーを見ながら次のお題を聞いた。
 それに対して、パチュリーは小さく息をついた。

「そうね……ならば試しにこれを行ってみましょうか。ワイバーン」

 パチュリーはじっくり考えた後に、次の標的を決定した。
 それを聞いて、レミリアの口が愉快そうに吊り上った。

「最下級とはいっても龍種か。面白いじゃない。さあ、銀月。これを成功させて見なさい」
「かしこまりました」

 銀月はそう言うと、魔法陣を描き始めた。相手が大きいためか魔法陣も大きく、そこから感じられる力も大きい。
 そして呪文を唱え始めると、魔法陣全体が白く輝きだした。
 魔法陣の中央に大きな光の塊が現れ、その成功を予感させる。

「……!? パチュリー! この魔法を止めろ!」
「え?」

 しかし突如として、将志がとても張り詰めた声でそう叫んだ。
 名前を呼ばれたパチュリーは訳が分からず、将志の視線の先を見つめた。

「――――――」

 するとそこには、魔法陣に集中している銀月の姿があった。
 そしてよく見ると、彼の眼はぼんやりと翠色の光を放ち始めていた。
 それを見て、パチュリーは思わず息を呑んだ。

「っ!」

 パチュリーは素早く銀月の魔法陣を打ち消す呪文を唱えた。
 すると一定の形を保っていた光がはじけて消える。

「……え?」

 銀月は突然の妨害にキョトンとした表情を浮かべていた。
 そして彼が周囲を見渡すと、全員が睨むような表情で自分を見ているのが確認できた。

「……いかがいたしましたか?」
「銀月……貴方自分で気づいていないのかしら?」

 紫はいつに無く真剣で、焦りを含んだ声で銀月にそう言った。
 それを聞いて、銀月は首をかしげた。

「はい?」
「銀月。今、貴方の眼は翠色に光ってるんだよ?」
「え……」

 銀月は驚いた表情を浮かべてフランドールを見た。
 彼女の赤い瞳には、ぼんやりと光る自分の瞳が映っていた。
 それを見て、銀月は愕然とした。

「え……なん……で……?」
「……パチェ、いったん中止よ。このままじゃ銀月が大変なことになる可能性があるわ」
「……分かってるわ」

 緊張感のこもった声でレミリアがそう言うと、パチュリーはそう言ってうなずいた。
 実際に銀月が大暴れしていたのを見ているレミリアの判断の方が正しいと感じたからである。
 その間に、紫は銀月の体に流れる力を確認し、口元に扇子を当てて目を鋭く細めた。

「……妖力が増している……つまり、召喚術を使うと銀月は妖怪に近づくと言うことかしら?」
「……可能性としては無くはないな……まさか、狙いはこれか?」

 将志はそう言うと、紫のほうを見た。
 紫は思案顔であり、あらゆる可能性を考慮しているようにも見える。

「……質問なのだけど、貴女はこの魔法の授業を続けるべきだと思うかしら?」

 紫はパチュリーにそう言って試すように問いかける。
 するとパチュリーは考えるまでも無く口を開いた。

「ええ、絶対に続けるべきだと思うわ。例えその結果悪魔に近づくことになってもね」
「パチェ!? そんなことして銀月が暴走したりしたらどうするつもり!?」

 パチュリーがそう口にした瞬間、レミリアがそう言って反論した。
 それを聞いて、パチュリーは小さくため息をついた。

「仕方が無いのよ。もし銀月と契約を一方的に結んだ相手の狙いが、銀月の体を使って何かとんでもないものを呼び出すことだったらどうするつもり? 私も人狼の里の魔女も召喚術は専門外、召喚術に特化していると言っても過言ではない銀月が呼び出したものを、私達が送還できる可能性は低いわ。銀月には悪いけど、保険としてこの魔法は必要なのよ」
「私の能力で契約を壊しちゃ駄目なの?」

 パチュリーの説明を聞いて、フランドールはそう提案した。
 それに対して、パチュリーはしばらく考えてから首を横に振った。

「……やめた方が良いでしょうね。この契約が銀月の体にどのように作用しているか分からない以上、下手に壊すと銀月本人を殺しかねないわ」

 パチュリーは、銀月の心臓にまで契約の効果が達している可能性を考えたのだ。
 仮にそうであるとするならば、契約が切れた瞬間に銀月の心臓が止まる恐れがある。
 銀月は『限界を超える程度の能力』で治癒能力を限界以上に発揮することは出来るが、即死の場合は全く対処できない。
 身代わりの札も、契約の効果によって心臓が動くようになっていた場合は生き返ってすぐに死ぬことになってしまうのだ。
 そうでなくても、契約が切れると同時にどんなことが起こるかが分からないため、迂闊なことが出来ないのだ。

「それじゃあ、呼び出されたのを壊すのは?」
「絶対に駄目よ。召喚術で呼び出せるものの中には壊れることで周りに影響を与えるものもあるわ。壊した瞬間に大爆発を起こしたり毒ガスを撒き散らされたりしたら堪ったもんじゃないわよ」

 フランドールの質問に、パチュリーは今度は素早く強い口調でそう言って釘を刺した。
 召喚術で呼び出せるものは、生物や物質も関係なく幅広い種類がある。
 その中には、ヒュドラのように血に猛毒を持つものも居れば、核弾頭のように壊れることで周囲に甚大な被害をもたらすものもあるのだ。
 そう考えると、召喚されたものを壊して止めると言う事は非常に危険な行為であることが推察され、そのリスクを考えると元の魔法陣から送還した方がずっと安全で確実であることが言えるのだ。 
 パチュリーはそこまで言うと、小さくため息をついた。

「いずれにしても、銀月と契約している相手の狙いが分からないことには魔法を教えることをやめることは出来ないわ。物事は常に最悪の事態を想定して動くべきよ」
「そうね。私としても銀月が最高でどんなものを呼び出せるのかは気になるところね。もしかしたら役に立つかもしれないし」

 パチュリーの意見に、紫も賛同する。
 銀月が最大でどんなものを呼び出せるかによって、送還までにどのようにして呼び出されたものを抑えられるかが分かるからである。
 そのついでに、何か役に立つものがいる、もしくはあれば使役しようと考えているようである。

「……酷いものですね。人の体を勝手にこんな風にするなんて……」

 銀月は感情の消えた表情でそう話す。
 その表情は呆然としているようだが、手は血がにじみそうなほどに握り締められていた。
 そんな銀月を見て、フランドールが何かに気づいた。

「あれ、銀月の眼って黒かったっけ? たしか茶色だった気がするんだけどなぁ?」

 フランドールの視線の先には、闇のように黒く染まった銀月の瞳があった。
 そこには先程までの翠色の光は見受けられない。
 それを見て、レミリアは考えるしぐさをした。

「光は収まっているみたいね。しばらく魔法を使わなければ元の色に戻るのかしら?」

 レミリアはそう言いながら銀月の瞳を覗き込む。
 すると、銀月の眼の黒い色が段々と薄れ始めていて、その下から元の茶色い瞳が顔をのぞかせ始めていた。
 それを見て、将志はうなずいた。

「……どうやらそのようだな。つまり、銀月の眼が黒く変化したら危険信号というわけだ」
「でも、進んだ妖怪化は元には戻らないようね。と言うことは、人間で居たければ極力使うのは避けたほうが良いということね」

 紫は銀月の体の様子を確認しながらそう言った。
 魔法の練習をする前と比べると、明らかに体から放たれる妖力の割合が大きくなっていたのだ。
 それを聞くと、将志は小さくうなった。

「……では、この収納札も拙いのではないか?」
「あ、それは大丈夫です。それは全部の術式が札に組み込まれていますし、外を漂っている力を使うので使うのに必要な力はほとんどありません。五千回ぐらい使って、やっと最初のノームの召喚に使うくらいの魔力量ですよ」

 銀月の収納札は、使用する際に周囲に漂っている力を使用する。
 これは、人間や妖怪などが自然に発している霊力や妖力、魔法などを使用した際に後に残る力の残滓などを使うのだ。
 元より使う力も微弱であり、力を集めるための術式は札に組み込んであって術式を組むために使う力が不要なため、術者の負担はほとんど無いのだ。
 パチュリーはその札を手にとって持っている本を出し入れすると、感嘆のため息をついた。

「本当に、つくづく優秀な札ね。この術式を組むのに何年掛かったのかしら?」
「えっと……半年くらいでしょうか?」
「半年か……努力すれば作れない期間ではないけど、貴方の歳でそれが作れているのだからやはり才能はあるのね。それが使えないなんて、本当にもったいないわ。全力で研究すれば、どこまで伸びるか見てみたいものね」

 パチュリーは銀月の答えを聞いて、苦い表情を浮かべてそう呟いた。
 実際、新しい術式を作り上げるには、失敗を繰り返して術式を組みなおしてというトライ&エラーで組み上げていく。
 早ければ一月でも出来るのだが、それは長い時を生き、豊富な知識を蓄えた魔法使いの場合であり、駆け出しの者では同じものを組むのに何年も掛かる事もあるのだ。
 ところが、銀月はかなり高度な術式の札をかなり若い年齢で組み上げているのだ。
 パチュリーとしては、銀月がその才能を思う存分に発揮出来ないことが実用的にも彼女の興味的にももったいなく感じるのだ。

「いずれにしても、現時点じゃ手がかりが無さ過ぎるわ。分かっていることは見事にマイナス要素しかないし、解決の糸口はほぼゼロね」
「相手が尻尾を出すのを待つしかないわね。せめて相手の目的が分かれば良いのだけど、それすらも分からないんじゃ仕方ないわ」

 苦々しい表情のパチュリーの言葉に、紫はそう言ってため息をついた。
 現時点では犯人の特定に繋がる糸口が見つからないのである。
 その状況に、将志は小さく息を吐いた。

「……焦っても仕方があるまい。下手に動いて相手の思惑通りに運ぶのは愚の骨頂だ。しばらくは静観と行こう」
「……そうね。私達でしっかり観察しておくわ。フランも何かあったら私に教えなさい」
「うん。分かったよ、お姉さま」

 レミリアの言葉に、フランドールは少し緊張した様子でうなずいた。
 自分の従者に深く関わる事象のため、少し緊張しているようである。
 今後の方針が決まったところで、将志は大きくため息をついた。

「……ところで、お前はいつまでメイド服を着ているのだ?」
「……今日一日はこれですよ」

 将志の問いかけに、銀月は苦々しい表情でそう答える。
 すると、レミリアは意地の悪い笑顔を銀月に向けた。

「あら、これからずっとメイド服でもいいのよ? むしろそうしてもらおうかしら。その方が統一感があっていいし、見た目もなかなかに良いもの」
「む~、ダメよお姉さま。たしかにメイド服の銀月は可愛いけど、やっぱりいつもの執事姿の方が私はいいと思うわ」

 レミリアの提案に、フランドールが横から不満げな声を上げた。
 フランドールはいつもの執事服の銀月のほうが気に入っているようであった。
 それを聞いて、銀月は内心ホッとしながらレミリアに声をかけた。

「……そういえば、レミリア様。一つお伺いしたいことが」
「何かしら?」
「何故このメイド服は私にぴったりのサイズなのでしょうか?」

 銀月が着ているメイド服は肩幅から丈、スカートの長さまでが完璧に銀月の体に合っているのであった。
 過去にいつの間にかぴったりの執事服を作られていた過去がある銀月は、レミリアの指示であることを疑ったのであった。

「それは採寸したからじゃない? 私は知らないわよ」

 しかしレミリアは不思議そうな表情で銀月にそう言い切った。
 その表情からは嘘である気配は無く、本当に知らないであろうことが読み取れた。
 それを見て、銀月はキョトンとした表情で首をかしげた。

「……あれ、レミリア様の指示では無いのですか?」
「私はそんな指示をした覚えは無いわよ」

 レミリアは改めて銀月に自分の指示ではないことを伝える。
 すると銀月はしばらく考えた後、とある可能性に気が付いてがっくりと肩を落とした。

「……咲夜さん……まさか、最初からこのつもりで……」

 銀月がたどり着いた可能性とは、咲夜が仕掛け人であることである。
 彼女であれば時を止めて採寸をすることは容易であるし、メイド服を着ざるを得ない状況に細工をすることも可能である。
 つまり、今回銀月がメイド服を着る羽目になったのは咲夜の策略である可能性が濃厚なのだった。
 それにうなだれている銀月を見て、紫はくすくすと笑った。

「ふふふ、色々な人に気に入られて大変ね。私も何か貴方に着せてみようかしら?」
「……お手柔らかにお願いします」

 紫の発言に、銀月は苦い表情でそう言った。
 彼の頭には、かつて自分が演じた魔法少女のことがよぎっているのであった。

「……さてと、そろそろ帰るとしよう。銀月、何か異常を感じたら俺のところへ来い」
「霊夢にも気をつけるように言わないとね。こちらでも何か分かったら連絡するから、焦らないようにね」
「かしこまりました」

 将志と紫に銀月が返事をすると、二人はスキマを使って元の場所へと帰っていった。
 その直後、図書館のドアが開いて銀の髪のメイドが入ってきた。

「失礼します。銀月を見ませんでしたか?」
「……私ならここに居ますよ」

 咲夜の問いかけに、銀月はじとっとした表情でそう声を上げる。
 すると咲夜は、銀月を見て少し驚いた表情を浮かべた。

「あら、可愛いじゃない。あのときの話は本当だったのね」
「咲夜さん……ひょっとして、謀りましたか?」
「ええ。この前の話が本当なのか気になったから、少し試しにね。想像以上に似合ってて驚いたわ」

 銀月の質問に咲夜は隠すことなくそう答えた。
 この前の宴会で、霊夢が銀月の女装姿について話していたのが気になっていたようである。
 それを聞いて、銀月は気の抜けた表情を浮かべた。

「……そうですか。ところで、何の用なの?」
「メイド妖精達が貴方を探し回っていて仕事にならないのよ。貴方の口から説明してくれるかしら?」
「了解です。メイド妖精達に説明すればいいのね」

 銀月は咲夜に大人しい少女の声で返事をした。
 それを聞いて、咲夜は首をかしげた。

「……貴方、本当に銀月? 何か証明できるものはある?」
「そうですね……これで信用してもらえるかな?」

 少女の声から、普段の涼やかな少年の声へと銀月の声が切り替わる。
 それを聞いて、咲夜は感心してうなずいた。

「凄いわね……これじゃあメイド妖精達も分からないはずよ」
「まあ、私の能力を使っているから……」

 二人はそう言いながら図書館から出て行った。

「ねえ、お姉さま。銀月に着せてみたい服があるんだけどいいかな?」
「いいわよ。私も着せてみたい服があるから、一緒に作らせるわ」

 その一方で、レミリアとフランドールは服のカタログを持って話を始めた。
 どうやら今日の一件で銀月に色々な衣装を着せてどんな反応をするか気になったようである。
 当分の間、銀月は着せ替え人形になりそうな雰囲気であった。





「あ、こあが帰ってきてない」

 そんな中、パチュリーはスキマに送られた小悪魔が帰ってきていないことに気が付くのだった。
 彼女が帰ってきたのは、二日後のことであった。

  *  *  *  *  *

 あとがき


 銀月、前回で強化フラグが立ったと思いきや、即効で使用禁止になりました。しかも、悪魔化進行のおまけつき。

 そう簡単に強化する訳ないじゃないですか。他人の力で楽をしようなどと言う甘いことはさせません。
 と言うわけで、銀月の魔法は使用自粛になりました。

 銀月の契約主が何者か、そしてその目的に関しては手がかりが無いので、将志達はしばらく様子見をします。
 何も分からないので、迂闊なことは何も出来ないと言う奴です。

 それから、銀月の弄りやすいこと。今回は咲夜さんに弄られてもらいました。
 弟を女装させて遊ぶ姉のようなものですね。
 ……まあ、そのせいでこあの趣味が紫にばれてしまったわけですが。
 ちなみに大体想像は付くと思いますが、こあの趣味は女装した男の子を○○することです。
 ……こあの趣味は案外ハードです。ゆかりんも倒れます。


 それから、一つ重要な連絡事項。
 新居への移転に伴い、私はしばらくネットが使えません。
 ネット回線の工事ができるのが十月十三日だそうですので、それまでの間更新できない可能性が非常に高いです。
 ご迷惑をおかけいたしますが、ご理解のほどを宜しくお願いします。


 では、ご意見ご感想をお待ちしております。



[29218] 銀の槍、反転する
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:7f42dfbb
Date: 2012/11/12 03:41
 注意書き。

 今回、以下の要素が含まれて降ります。

・一部キャラの性別反転

 以上のことが苦手な方はブラウザバックでお戻りください。















 とある朝、将志は普段よりもぼんやりした頭で眼を覚ました。
 普段は寝起きもすっきりしたものなのだが、何故か今日はそうはならない。

「んにゅ……にーちゃん……」

 隣では、いつもの様にアグナが自分の体に抱きついて寝ている。
 将志が起こさないように手を引き抜こうとすると、アグナはすぐさまそれに反応を示した。

「ん……おあよ~、にーちゃん……」

 アグナは寝ぼけ眼をこすりながら体を起こす。
 それを見て、将志は小さく笑みを浮かべた。

「……ああ、おはようアグナ……?」

 将志はそう言った瞬間、異変に気が付いて首をかしげた。
 どうにも自分の声がおかしいような気がしたのだ。

「……あれ?」

 一方、アグナもその異変に気が付いて首をかしげた。

 しばらくして、将志は自分の身に起きた出来事に気づくのであった。




 時を同じくして、博麗神社。今日も銀月は朝早くに眼を覚ましていた。
 しかし彼も頭がまだ眠っているようで、うつらうつらとしている。

「……?」

 銀月は立ち上がると、何やら体に違和感を覚えた。
 どうにも普段とは全く違う感覚がするのだ。

「……ん?」

 下を見た瞬間、銀月は違和感の正体に気が付いた。
 しばし硬直。

「……まずは、お仕事しなきゃ」

 そして、何事も無かったかのように仕事を始めるのであった。





 それから数刻後、人里の外れにとある一団が集まっていた。

「……さて、話を始めようか。念のために名を名乗っておこう。俺は槍ヶ岳 将志だ」

 そう口にしたのは、銀の髪を後ろで結わえて蒔絵の櫛を刺し、黒地に白百合の花が描かれた着物を着た女性。
 人形のように整った顔立ちからは怜悧な雰囲気を漂わせており、背中にはけら首に銀の蔦に巻かれた黒耀石が埋め込まれた銀の槍を背負っていた。

「あはははは……どうしてこうなったんだろうね……あ、俺は銀月だよ」

 そう言って乾いた笑みを浮かべるのは、艶やかで美しい黒い髪で赤い首輪をつけ、白いワンピースとつばの広い帽子をかぶった少女。
 顔立ちはやや童顔で、穏やかな雰囲気の少女であった。

「笑っている場合じゃねえだろ……これ、明らかに異変だぜ? ちなみに俺はギルバートだ」

 次に口を開いたのは、金髪のショートヘアーでピンク色のキャミソールにデニムのジャケットとホットパンツを身につけた少女。
 全体的に動きやすい服装であり、活動的な雰囲気である。

「それはそうであろうが、まずは被害状況を確認せねばな。私はアルバートだ」

 冷静にそう話すのは、金のティアラをつけてその長い巻き髪と同じ銀色のスパンコールの豪奢なドレスを身にまとった女性。
 威風堂々とした態度で、その場に居るだけで風格が漂っていた。

「今この場に集まっておられるのは五名、これだけでは異変と思われない可能性がございますな。申し送れました、私めはバーンズ・ムーンレイズでございます」

 恭しく自己紹介をしたのは、丈の長い深い紫色のメイド服を着て銀縁のモノクルを着けた茶色い髪の女性。
 一歩引いた態度で、主君よりも目立たない様に佇んでいた。
 
 それぞれが自分の名前を名乗ると、将志の名を名乗った女性がため息をついた。

「……全く、朝起きたら性別が変わっていたなどとは悪い冗談だ。アグナはよく分かっていなかったようだがな」

 そう、彼女達は朝起きたら何故か性別が男性から女性に変わっており、一部は明らかに元の年齢より若返っていたのだ。
 そして異変を察知した将志達は、お互いに連絡を取り合って集まっていたのだ。
 なお、アグナは将志が女性になっていることが理解できていないようであった。

「本当にね。おかげでお弁当を届けに行ったお店の人からも変な顔をされたよ。霊夢には書置きだけして出てきたから会ってないけど」
「……お前、結構余裕あるんだな。バーンズでさえ取り乱したって言うのに。母さんに至っては俺達を見た瞬間にぶっ倒れたぞ?」

 苦笑いを浮かべる銀月に、ギルバートが微妙な表情でそう呟いた。
 自分の身に大変なことが起きているのに、普段どおりに業務を行っていた銀月に若干呆れているようであった。
 なお、ジニは現在ベッドの上で眼を回しているようである。
 そんな中、新たな人影がその場所に下りてきた。

「君達かい? この手紙を置いていったのは」

 そう口にしたのは、黒と青の着物に黒縁の眼鏡を掛け、銀の髪を銀縁の青いリボンで結わえた女性であった。
 腰にはかばんが付いており、その中から小銭の音が聞こえていた。
 手にした紙には、自分の身に異変が起きた際には人里の外れに来るようにと言う旨が書かれている。
 そんな彼女を見て、銀月が頬をかいた。

「あ~、君はひょっとして霖之助さんかな?」
「……正解だよ。どうしてこういうことになったのやら……」

 霖之助らしき女性はそう言って頭を抱えてため息をついた。
 どうやら彼の身にも異変が起きていたようである。

「それで、君達も全員元は男でいいのかな?」
「ああ。ここに居る者は皆今朝起きたら性別が変わっていた者達だ」
「それで、これからどのようにするかを話し合うところでございます」

 霖之助の問いかけに、アルバートがそう答えてバーンズが言葉を続ける。
 それを聞いて、霖之助は首をかしげた。

「どうするかって、こんなことが出来る犯人は決まってるんじゃないのかい?」
「言いたいことは分かるけどね。それではこの現状に説明が付かないんだ」
「どういうことだい?」
「仮に霖之助さんの想像通りの犯人だとすると、どうやって俺達の年齢や服装まで変えたのかが分からないのさ」

 霖之助の質問に、銀月はそう言って首を横に振った。
 それを聞くと、霖之助は納得してうなずいた。

「そういうことか……たしかにそれは分からないね」
「幾らなんでも、寝ている間に着せ替えをされれば流石にこの中の一人くらいは気づくはずだろうしな。いったい誰がこんなことをしたのか……」

 ギルバートが考え事をしていると、再び空から人影が降りてきた。
 一人がもう一人を担ぐ格好になっており、二人で来ているようである。

「おい、テメエらか? この手紙置いていった奴はよ?」

 霖之助が持っていたものと同じ内容の手紙を持っているのは、胸にさらしを巻いて青い特攻服を着て赤いサングラスを掛け、腰に白鞘の日本刀を挿した黒髪の少女。
 目つきが鋭く、勝気な印象である。

「……間違いないぞ、雷禍。こいつら全員、本来は男だ」

 その少女の肩に担がれていたのは、グレーの女性用のタイトなスーツに身を包んだ銀縁眼鏡の女性。
 こちらは平凡な顔立ちで、落ち着いた雰囲気である。
 そんな彼女達を見て、再び銀月が苦笑いを浮かべた。

「ああ、雷禍と善治か。君達も被害にあったんだな」
「よう、首輪付き。そん通りだ……ったく、なんたって俺が女になっちまってんだよ、ったく……」
「いまさら驚くようなことでもないだろ。いつもの非常識が別の方向に行っただけだろ?」

 いらだった様子で頭をかく雷禍に、善治は冷やかな態度でそう話した。
 それを聞いて、雷禍はジトッとした眼で善治の方を見やった。

「……テメエは何でそんなに冷静なんだ、あぁ?」
「……あんたら、俺にとってはどいつもこいつも日常的に非常識の塊だって分かってるか?」
「……そういやそうだな」

 善治の言葉に雷禍はうなずかざるを得なかった。
 もともと外の世界に居た善治にとって、幻想郷は魑魅魍魎が跋扈し超常現象が日常的に起こる魔境なのである。
 そんな中では、自分の性別が変わってしまう事象も数多の超常現象の一つに落ち着いてしまうのだ。
 要するに、善治の感覚が麻痺しているのである。

「将志たま~!」
「……む?」

 そんな中、幼く舌足らずな声が遠くから聞こえてきた。
 将志がその方を見ると、銀色の髪で緑色で膝上くらいの丈の着物を身にまとった二歳くらいの小さな幼子が飛んできていた。
 背中には小刀が背負われており、将志はそれを見て絶句した。

「……まさか、お前は……」
「はい。魂魄 妖忌でし。舌が上手く回らないので、言葉遣いには勘弁して欲しいでし」

 妖忌は精一杯言葉を紡ごうとするが、言うとおり舌が上手く回らず幼い口調になってしまう。
 そんな妖忌を見て、将志は頭を抱えた。

「……何と言うことだ……」
「魂魄ってことは、妖夢さんのご家族かな? よく父さんだって分かったね?」
「こんな体になっても、気配で将志たまが分かるんでし。威圧感があるのに気配が薄いでしから」

 妖忌は銀月に目の前の女性が将志だと分かった理由を簡潔に述べた。
 どうやら幼い体になっても、研ぎ澄まされた感覚は変わらないようである。

「おい、善治。そういやテメエの能力で誰にこんなことされたか分からねえのか?」
「……駄目だ。誰が俺達をこんな姿にしたのかだけがぼやけていて見えない。誰かが邪魔をしているみたいだ」

 雷禍の問いかけに、善治はそう言って首を横に振った。
 それを聞いて、霖之助が首をかしげた。

「む、君は何か能力を持っているのかい? えっと……」
「遠江 善治だ。俺の能力は『生物の正体が分かる程度の能力』で、相手が何者で過去に何があったかが分かる能力だ。香霖堂の半妖の店主、森近 霖之助さん」
「成程ね。僕の『未知のアイテムの名称と用途が分かる程度の能力』の生物版みたいなものか」
「まあ、そうだろうな。もっとも、相手が今何を考えていて何をしようとしているかは分からないけどな」
「そういう不完全なところまでもよく似ているよ」

 霖之助と善治はそう言うと、本題をそっちのけで話をし始めた。
 お互いに波長が合う部分があるのであろうか、かなり和気藹々とした雰囲気であった。
 そんな二人を放っておいて、話を続ける。

「銀月、お前が弁当を卸している店の店員に男は居たか?」
「はい。店主さんはちゃんと男でしたよ。いつもどおりです」

 アルバートの質問に、銀月は素直にそう答える。
 それを聞いて、バーンズが少し考えて口を開いた。

「つまり、ここに居る者だけがこうなっている訳ですな。皆様、お知り合いにこのようなことが出来そうな方にお心当たりは?」

 バーンズがそう問いかけると、全員顔を見合わせた。

「そりゃあねぇ……まず間違いなくあの人だと思うけどね、僕は」
「まあ、こんな訳の分からねえことしそうなのは奴ぐれぇだろうよ」

 霖之助はそう言いながらため息をつき、雷禍は不機嫌そうにそう口にした。
 そして、全員一斉にその名前を口にした。

「「「「「「「「「八雲 紫」」」」」」」」」

 全員一斉に揃ったそれを聞いて、銀月が頬をかいた。

「あー……やっぱり、みんな最初に思いつくのは紫さんなんだね」
「しかし、紫様が犯人であるならば服装に説明が付かないのではございませんでしたか?」
「……それなのだが……実は俺に一つだけ心当たりがある。俺達の誰にも気づかせずに全員の服装を変えられる人物にな」

 バーンズの指摘に対して、将志がそう言って手を上げる。
 それを聞いて、アルバートが将志に眼を向けた。

「む? 誰なのだ、将志?」
「……喜嶋 愛梨。俺の一番の相棒だ」





「あら、もう感づかれちゃったわよ、愛梨」

 とある薄暗い部屋の一室で、紫色のドレスを着た金髪の女性が目の前に浮いているモニターを眺めていた。
 モニターには話し合いを続けている将志達の様子が映し出されていた。
 そのモニターは、紫の隣で一緒に眺めているピエロの少女の力で作られたものであった。

「一番の相棒かぁ……えへへ……そう思ってくれてるんだぁ……」

 愛梨は頬をうっすら赤く染め、嬉しそうににやけた頬に手を当てている。
 そんな幸せそうな彼女に、紫の式である九尾を持つ女性がため息をつく。

「全く、羨ましい限りだ。だが、一番肝心な部分は譲らないからな」
「望むところだよ、藍ちゃん♪」

 藍と愛梨はそう言って笑いあう。
 そんな二人を見て、紫は苦笑いを浮かべながら手をたたいた。

「二人とも、まずは目の前のことに集中してちょうだいな。愛梨、貴女の存在がばれたわよ?」
「う~ん、やっぱり将志くんを巻き込むとばれるのが早いね♪ お互いにどんなことが出来るか知り尽くしてるからね♪」
「しかし、私達が見つからなければ問題は無いでしょう。いずれは知られることですし、問題はありません」

 三人はそう言いながら、目の前に移るモニターを見続ける。
 そんな中、愛梨はふとした疑問を紫にぶつけてみた。

「でもゆかりん、何で突然こんなことをしたのかな?」

 今回の事件について、愛梨がそう尋ねる。
 どうやら今回の主犯は紫のようであり、愛梨や藍はその協力者となっているようである。
 愛梨の質問に対して、紫は意味ありげに微笑んだ。

「いやね、ちょっと善治の困った顔を見たかったのよ」
「善治? えっと、この外来人だよね? でも、何で?」

 突然挙げられた名前に、愛梨は訳が分からず首をかしげた。
 紫が何故善治を名指しにしたのかも分からない上に、そもそも善治と紫の接点が見当たらないのだ。
 すると、紫は浮かべた笑みを消して俯いた。

「……将棋で負けたのよ」
「え、将棋?」
「ええ。実は……」

 紫はそう言うと、事の次第を話し始めた。




「こんにちは。遠江 善治という人間は居るかしら?」

 ある日、紫は人里にある長屋の一室を訪れていた。理由は、最近流れ着いた外来人に会うためであった。
 紫が長屋の中に入り込むと、そこには青い着流しを着て眼鏡を掛けた青年が本を読んでいた。

「遠江 善治は俺のことだが……妖怪の賢者にして幻想郷の管理者が何の様だ?」

 善治は自身の能力で紫の正体を知ると、怪訝な表情で彼女を見やった。
 すると彼女は胡散臭い笑みを浮かべて口を開いた。

「貴方と将棋を指しに来たのよ」

 それを聴いた瞬間、善治は訳が分からず呆けた表情を浮かべた。

「……はあ?」
「天狗を相手に連戦連勝している貴方の腕前が気になってね。どれほどの強さか確かめに来たのよ」

 紫は善治に訪問の理由をそう告げた。
 善治は普段人里の住人と碁を打ったり将棋を指したりしているのだが、あまりの強さに相手が居なくなってしまったのだ。
 そんな彼のことを風の噂で聞いたのか、暇をもてあました天狗達が善治に勝負を挑むようになったのだ。
 しかし、そんな天狗達すらも善治はことごとく打ち負かし、凄まじい強さの人間が居ると評判になったのであった。
 それに興味を持った紫は、直接会って対局しようと思ったのであった。
 それを聞いて、善治は小さくため息をついた。

「……またこの手の手合いか。勝負してもいいが……がっかりさせてくれるなよ?」
「ええ、それに関しては保障するわ。むしろ、貴方が私に期待外れと思わせる事を心配したらどうかしら?」

 二人はそう言いあうと、対局を開始した。
 しばらくの間二人は黙々と指していたが、段々と長考の時間がお互いに増え始めていた。

「……噂どおり強いわね。人間では久々に歯ごたえのある相手だわ」
「そちらこそ、こちらの用意している二手三手先まで読んでるな。こちらもやりがいがあると言うもんだ」

 対局をしながら、二人は互いの強さを認め合う。
 戦況は一進一退で、お互いに決定的な一手を見出せない状況が続いていた。
 しかし、そんな状況で紫は自信に満ちた笑みを浮かべた。
 そして善治の手が駒の上を通って隠れた瞬間、善治の陣に置かれていた飛車にスキマを使って手を伸ばした。
 善治は自分の手の影から伸びる紫の手が見えず、易々と駒を渡してしまった。

「でも、これで終わりよ」

 紫はそう言うと、善治の陣から取った駒を将棋盤に指した。
 それは善治にとって致命的な一手で、投了せざるを得ない急所であった。
 それを見て、善治は大きくため息をついた。

「ああ……迂闊だったな。たしかにそれで終わりだ」
「ええ。これで貴方の連勝記録もストップよ」

 俯く善治に、紫は薄く笑みを浮かべてそう言った。
 すると、善治の肩が小刻みに震え始めた。

「ククク、本当に迂闊だ…………それで俺の勝ちなんだからな」
「え?」
「よく見てみろよ。二歩だぜ、賢者さんよ」

 静かに笑う善治にそう言われて、紫は将棋盤の上を見た。
 すると、最後に指した駒が歩兵になっており、その後方にもう一つ歩兵がある二歩の状態になっていた。
 これによって、紫は反則負けを喫することになっていたのであった。
 それを見て、紫の眼が驚愕に見開かれた。

「あら、本当……え? 今、確かに飛車を……」
「あんたの探している駒はこれか?」

 善治はそう言うと、自分の持ち駒置き場を指差した。
 するとそこには飛車があった。場には紫の飛車が存在するため、それはたしかに紫が掠め取ったはずの飛車であった。

「あ、あら? どうしてそこにあるのかしら?」
「あんたが過去にこの手のイカサマを使うことがあったのは能力で分かったからな。だから、あんたがこのイカサマを使うような状態まで誘導させてもらったんだ。で、あんたが実行するタイミングで飛車を歩にすり替えたのさ。こうやってな」

 善治はそう言うと、飛車の上に手をかざした。そしてその手が取り払われると、飛車は歩兵に様変わりしていた。
 善治は手をかざしたその瞬間、駒をすり替えていたのであった。
 その技を見て、紫は口元に扇子を当てて悔しげに口を一文字に結んだ。

「……あの時ね。油断したわ」
「勝利が目の前にあるときこそ、油断や隙が生じる。それが必勝手ならなおさらだ。だからこそ俺はそこにつけ込む。次からは気をつけるんだな。まあ、楽しかったよ」

 善治は紫にそう言うと、再び本を読み始めるのであった。




「……それで私に向かって「それから……妖怪の賢者だろうと誰であろうと、イカサマで俺に勝てると思うなよ」って言ったのよ! きーっ、思い出しただけで腹が立つわ!」

 紫は事の次第を説明し終えると、悔しげにそう言うのであった。
 それを聞いて、愛梨は乾いた笑みを浮かべた。

「きゃはは……それは先にイカサマしたゆかりんが悪いと思うな~♪」

 愛梨の言うとおり、紫はイカサマをしたがために善治の策にはまって負けたのである。
 もし紫がイカサマをしなければ、善治の方が負けていた可能性があるのであった。
 つまり、紫の敗北は完全なる自業自得であり、これはただの八つ当たりに過ぎないのである。

「……おまけにその外来人が一番冷静ですね、皮肉なことに」
「……ぐぬぬ……」

 藍の指摘に、紫は苛立ちを隠すことなくモニターの中の善治をにらみつけた。
 そんな紫に一つため息をつくと、藍は再び紫に質問をした。

「それで、あの外来人が本来の標的であることは分かりました。将志や銀月、それから人狼の里の面々は愛梨の興味だと言うことも分かる。しかし、香霖堂の店主と白玉楼の元庭師、それからあの雷獣は何故標的になったんです?」
「ああ、彼らはついでよ。私が気になったから一緒に弄ったわけ。それから、年齢と服装を弄ったのは愛梨よ」
「うん♪ みんな可愛くなったね♪」
「確かに。将志は女になると六花によく似た美人になるんだな。面白い」
「さあ、彼らの反応を見ましょう。こんな光景、滅多に見られないわよ」

 三人は話を切ると、再びモニターを注視した。





「それにしても、君達は女になるとそんな感じになるんだな」

 霖之助は辺りを見回してそう呟く。
 その眼は興味の眼であり、この現象をとりあえずは受け入れることにしたようである。
 普段より周囲に振り回され続けている彼は、このあたりの切り替えも早いようだ。
 そんな彼の言葉に、同じく余裕のある銀月がうなずいた。

「本当にね。父さんは六花姉さんにそっくりだし」
「……兄妹だからな」

 将志は銀月の言葉にそう言ってうなずいた。
 女になった将志の顔立ちは六花とよく似ており、違いといえば眼つきがやや鋭いくらいのものである。
 しかし纏う雰囲気は違っており、どこか柔らかさのある六花に対し、将志は鋭く冷たい雰囲気を漂わせていた。
 そんな将志を見て、雷禍は首を横に振った。

「けどよぉ、ある一点だけは確実に違うぜ?」
「ある一点?」

 雷禍の呟きに、ギルバートが首をかしげる。
 それを聞いて雷禍は大きくうなずいた。

「ああ……姉御に比べて、将志は胸が薄い!!」

 雷禍がそう力強く断言すると、一行は将志を見やった。
 確かに、六花は和服の上からでもよく分かるほど胸が大きいのに対し、将志は和服向けのスレンダーな体系をしているのであった。
 その違いに、アルバートがうなずいた。

「……確かに、兄妹でも体形的にはかなり差があるな。ついでに、息子ともな」
「ちなみに、妖忌は年齢的に省くとして、アルバート、ギルバート、銀月、雷禍、バーンズ、俺、霖之助、将志の順で、九十五、九十一、九十、八十五、八十三、八十、七十七、七十三だな。何がとは言わないが」

 アルバートの言葉の後で、善治がぽつりとそう呟いた。
 それを聞いて、妖忌が白い視線を善治に向けた。

「……善治たん、貴方はいつも女子をそんな眼で見てるんでしか?」
「っ!? 違う、誤解だ!! 能力を使って解決策を探そうとしたら見えちまっただけだ!!」

 妖忌の一言に、善治は自分の発言を思い返して大慌てでそうまくし立てた。

「ま~たまたぁ、善治ちゃんったらむっつりなんだから~……男ならもっとオープンに行こうぜ?」
「黙れこの馬鹿!」
「おおっと」

 ニヤニヤ笑って肩を叩く雷禍に善治は殴りかかり、雷禍はそれを易々と躱していく。
 しばらくすると、善治の体力が持たなくなってその場にへたり込んだ。
 それを確認すると、雷禍は銀月とギルバートに眼を向けた。

「しっかしまあ、テメエらマジで胸でけえな。それ肩こるって本当か?」
「まあ、確かに少し重くはあるかな。演技のときに参考になりそうだよ」
「正直、こんな鬱陶しいものつけてよく我慢できると思うぜ」

 銀月は軽く体を動かしながら答え、ギルバートはうんざりした表情で胸を持ち上げながらそう言った。
 二人とも男の時には無かったものが気になって仕方が無い様子であった。

「ま、男には元々ねえもんだし、確かに俺もちっときついしな」

 雷禍はそう言いながら、ギルバートの背中を手のひらで軽く叩いた。
 すると突然ギルバートは胸を下から抱え込むように押さえた。

「なっ!? おいテメエ、何しやがった!?」
「ん~? 何って、単にブラのホックを外しただけだぜ?」

 雷禍はニヤニヤ笑いながらギルバートの問いかけに答える。
 雷禍は背中を叩くと同時に、ギルバートが着けていたブラジャーのホックを器用に外していたのであった。
 それを見て、善治が深々とため息をついた。

「おい雷禍。何であんたはそんな無駄に洗練された無駄な技術を持ってるんだ?」
「そりゃオメェ、男のロマンを追及したからに決まってんだろうがよ」
「ああくそ、押さえてねえと揺れて気持ち悪い!!」

 ギルバートが動くたびにピンク色のキャミソールの下で二つの山が跳ね回る。
 それが嫌なようで、ギルバートは何とかして外されたホックを直そうとするが、慣れない作業に苦戦してなかなか直らない。

「さて、次は銀月の番だな……そこを動くんじゃねえぞ!」
「それで大人しくするわけないでしょう!」

 再び悪戯を仕掛けようとする雷禍に、銀月はそう言うと逃げ始めた。




「……ギリッ……」

 そんな彼女達の様子を、愛梨はモニターの前で強く奥歯をかみ締めながら眺めていた。
 彼女はステッキを両手で横に持ち、へし折らんばかりに力を籠めている。
 それを見て、藍がギョッとした表情を浮かべた。

「あ、愛梨!? ステッキから破滅の音が聞こえているぞ!?」
「……きゃはははは……そっか……銀月くんもギルくんも敵かぁ……八十以上はみんな敵だなぁ……」

 愛梨は低い声で、昏く笑う。
 その眼は虚ろで笑っておらず、見るものに強い恐怖心を植えつけるような表情を浮かべていた。

「お、落ち着きなさい!! 貴女今ピエロがしちゃいけない顔してるわよ!!」
「その笑い方じゃホラーだ!! 子供が見たら泣くぞ!!」

 必死になだめる紫と藍。その顔は蒼く、かなりの恐怖感を覚えているようである。
 そんな彼女達の胸元に、愛梨は眼を向ける。そこには女性特有のふくよかな凹凸が存在した。
 それを確認すると、自分の胸元をぺたぺたと触る。

「持つ者に持たざる者の気持ちは分からないんだ、ちっくしょー!!」

 そして現実を直視すると、愛梨は涙眼になりながらそう叫ぶのであった。




「お、そうだ。こうすりゃいいじゃねえか!」

 逃げる銀月を追いかけていた雷禍はそう言うと、右手で空に向かって円を描いた。
 すると穏やかな晴天だった空が荒れ始め、強い風と雨が降り始めた。
 豪雨と突風によって、あたりは瞬く間に水浸しになる。
 突然の雷禍の暴挙に、善治が風に飛ばされないように地面に伏せながら叫び声を上げた。

「雷禍ぁ!! あんたいきなり嵐を起こして何考えてんだ!?」
「ん? いやぁ、ちっとばかし眼の保養をしようと思ってな」
「眼の保養? どういうことだい?」

 雷禍の一言で、霖之助は首をかしげた。
 すると、バーンズが何かに気づいて慌てた声をあげた。

「……っ!? 銀月さん、お召し物が!」
「え……きゃあ!?」

 銀月が自分の服に眼を落とすと、純白のワンピースが雨にぬれたことで透け、その中が丸見えになってしまっていた。
 おまけに服が体にぴったりと張り付き、綺麗にくびれた色香のあるボディーラインがはっきりと見えてしまっていた。
 慌ててそれを隠す銀月を見て、雷禍はニヤニヤと笑っていた。

「黒のレースか……また随分とエロいもん着けてんなぁ? つーか、体つきとか声とか仕草とか全体的にエロいな、銀月?」
「ていうか、きゃあってお前……」
「う、うるさいなぁ! いつもの癖で演技しちゃったんだよ!」

 信じられないものを見るような眼を向けるギルバートに、銀月は顔を真っ赤にしてそう抗議した。
 しかし抗議が必死すぎて、素であの悲鳴を上げたというのがかえってよく分かるようになってしまっているのであった。
 おまけにごく自然に胸と股上の部分を隠しており、どう見ても最初から女性だった様にしか見えない。

「……俺にはごく自然に口から飛び出したようにしか聞こえなかったぞ……」
「と、父さんまで……」

 父親にまでとどめを刺され、がっくりと地面に膝を付く銀月。
 誰も異論を唱えないことが更に追い討ちをかけ、銀月は雨で濡れた地面に涙のしずくを落とすのであった。

「皆様、まずは濡れた体をお拭きになってください。体調を崩されてしまっては大変ですぞ」

 雨に濡れた一同を見て、バーンズが全員にタオルを配って回る。
 そのタオルを受け取ると、全員濡れた体を拭き始めた。

「足を踏ん張り、腰を張れい!」
「いってぇ!?」

 そんな中、雷禍は手にした濡れタオルを鞭のようにしならせて善治の背中を引っぱたいた。 
 その痛みに、善治は思わず大きな叫び声を上げた。

「雷禍、いきなり何しやがる!」
「ふはははは! 未熟、未熟、未熟千万!」

 善治は報復すべくタオルを振り回すが、雷禍はそれを易々と回避していく。

「上手く拭けないでし……」
「……拭いてやるからこっちへ来い」
「あ、ありがとうございましゅ……」

 若返りすぎて体が思うように動かせない妖忌の前にしゃがんで、将志はその体を拭いてやる。
 その姿は二人の髪の色や服装もあいまって、親子のように見える。

「おい、銀月。お前よりもあっちの方が親子っぽいぜ」
「確かにね。けど、俺だって拾われたんだもの。似てなくても仕方ないさ」

 ギルバートの指摘に、銀月は苦笑いを浮かべながらそう答えた。
 魂はそっくりでも、見た目にはかなり差がある二人である。傍目から見れば、親子には見えないのだ。

「それでも、僕は銀月は将志の子だと思うよ。二人とも律儀で世話好きだしね。店に来るたびにお茶を淹れてくれるところとかは完全に親子だよ」

 そんな銀月に、霖之助がそう声をかけた。
 将志と銀月は香霖堂に来ると、必ず台所に入ってお茶を淹れたり軽食を作ったりしているのであった。
 この二人、見た目はそれほど似ていなくても内面は完全に親子であった。
 それを聞いて、銀月は嬉しそうに笑った。

「そうなんだ。父さんも俺と同じ事するんだね」
「……けど、君は少し世話を焼きすぎじゃないかい? わざわざ君が霊夢のツケを払う必要もないだろうに」

 霖之助は渋い表情で銀月にそう苦言を呈する。
 実は銀月は香霖堂に来るたびに、霊夢が店から持ってきた品物の代金を代理で払ってきていたのであった。
 霖之助の苦言を聞いて、銀月は再び苦笑いを浮かべた。

「霊夢は放っておいても絶対にお金を払わないと思うよ。霖之助さんこそ、このままツケを認めていたら首が回らなくなるよ?」
「……君は霊夢に甘すぎるよ、本当に。助かるけどね」

 銀月の言葉を聞いて、霖之助は力なく首を横に振った。
 
「この、いい加減に喰らえ!」
「おおっと!」

 その横で、走り回っていた善治が雷禍に向けてタオルを振りぬいた。
 雷禍はそのタオルをしゃがむことで回避する。

「はあっ!?」

 すると、タオルは霖之助と話していた銀月の背中を直撃した。
 銀月は背中を押さえて、その場にうずくまった。
 そんな彼女に、善治は駆け寄った。

「っと、悪い、大丈夫か?」
「ううっ、大丈夫だよ。痛いけど、そんなに大事にはなってないから……」

 銀月はうずくまったまま、少し荒い息でそう答えた。
 それを見て、雷禍が首をかしげた。

「じゃあ、何でうずくまってんだよ?」
「っ、それが何だかよく分かんないけど、叩かれたときにおへその下がキュッとなって……」

 銀月がそういた瞬間、雷禍と善治の時は凍りついた。

「「……なん……だと……?」」

 二人は揃って呆然とした表情を浮かべ、若干引き気味に揃って声を上げた。
 銀月には少々アブノーマルなところがあるのかもしれない、そう思った二人は珍獣を見るような眼で彼女を見やった。

「銀月……テメエ、タオルで打たれて反応するたぁ、とんだドMだな。その首輪もお前の趣味なんだろ?」
「ち、ちがっ……」

 銀月は雷禍の言葉に抗議するために、立ち上がろうとする。

「…………」
「きゃあぅ!?」

 その時、立ち上がろうとしている銀月に、ギルバートが無言で手にした濡れタオルを振り下ろした。
 その一撃を受けて、銀月は再びその場にうずくまる。

「…………」
「いたっ! あっ! あうんっ!」

 ギルバートは黙々と銀月に向かって鞭のように濡れタオルを振り下ろす。
 それが背中に叩きつけられる度に音が鳴り響き、銀月は短く叫び声を上げる。
 ギルバートの口元は僅かに吊り上っており、薄く笑みを浮かべていた。

「やめな、ギルバート。いったいどうしたっつーんだ?」

 そんな彼女の手を、雷禍が掴んで止めた。
 それと同時に、ギルバートはハッとした表情を浮かべた。

「いや……あの銀月を見てると無性に叩きたくなってな……何というか、あの声とか表情とか見てると背中がぞくぞくしてな……」

 それを聞いた瞬間、再び雷禍と善治の時が凍りついた。

「「な、なんだってーーー!?」」

 今度は二人とも、驚愕の表情とともにそう叫んだ。
 一気に後ずさり、まるで犯罪者を見る主婦のような眼でギルバートを見ている。

「なんてこった……ドMの次はドSかよ……おお、やだやだ! テメエら、俺にそんな趣味はねえぞ!」
「ち、違う!! 誤解だ、俺はそんなつもりは!!」
「そんだけやっておいて誤解もへったくれもねえだろうが!!」

 ギルバートは必死で雷禍に詰め寄って訴えるが、雷禍はその分だけ後ずさって逃げていく。
 雷禍は完全にギルバートに引いており、聞く耳を持とうとしない。

「はぁ……はあぁ……んっ、あぁ……」

 一方で、銀月は未だに地面にうずくまっていた。
 雨に濡れた白いワンピース越しに透けて見える背中は、濡れタオルで叩かれたことによってその部分が赤く腫れている。
 その口からこぼれる吐息は荒く、漏れ出す声はどことなく色香を感じさせるものであった。
 それを聞いて、善治と霖之助は複雑な表情を浮かべた。

「……銀月の声がやたらと甘くて色っぽいんだが」
「……本当に男だったのか疑問に思えてくるよ」
「……俺も、女の方が自然だって気がしてきたよ」

 二人はそう言いながら、目の前にうずくまって立てなくなっている黒髪の少女を眺めるのであった。



「何だか、知ってはいけないことを知ってしまった気分ね……」
「あの二人、なかなかに濃い趣味をしているな……」
「きゃはは……な、なんて言うか、ね?」

 一方、モニターの向こうでも想定外の出来事に困惑していた。
 三人とも乾いた笑みを浮かべており、お互いに顔を見合わせた。

「……忘れましょう。この先普通に接していけるように」
「……そうですね」
「……うん、それが良いね♪」

 三人はそう言うと深くうなずきあった。

「……で、ここで何をしているの?」
「「「え?」」」 

 突如後ろから掛けられた声に、三人は後ろを振り向いた。

「あんたら、うちの蔵の中で何をしているのよ?」

 そこには、御幣を持った紅白の巫女が立っていた。
 そう、三人が集まっていたのは博麗神社の蔵だったのだ。
 それを見て、紫はにっこり笑って挨拶をした。

「あら、おはようございます。ちょっと使わせてもらっていたわよ」
「……銀月になんて事してくれてるのよ。おかげで銀月にお茶淹れてもらえなかったじゃない」

 にこやかに笑う紫に対して、低い声で言葉を返す霊夢。
 彼女の表情は能面のようなものであり、明らかに不機嫌な表情をしていた。

「……待ち合わせ場所に来ないと思っていたら、本当にギルまで弄られてたのか」

 その後ろから、モノトーンの服を着た魔法使いが顔を出した。
 魔理沙はギルバートと遊ぶために待ち合わせをしていたのだが、いつまでも来ないので捜していたのだ。
 二人は予定を狂わせた面々に、身構えることで攻撃の意思を見せる。
 彼女達を見て、藍は小さくため息をついた。

「……ここまでか。紫様、撤退しましょう」
「そうね。それでは、御機嫌よう」

 紫はそう言うと、スキマをくぐって三人で逃げようとする。
 しかしそれに入る前にスキマに銀色の線が走り、虚空に千切れて消えてしまった。
 それを見て、紫はキョトンとした表情を浮かべた。

「……あら?」
「……逃がしませんわ。少し悪ふざけが過ぎましてよ、三人とも?」

 そう話すアルトの女性の声の方に眼をやると、桔梗の花が描かれた赤い着物を着た銀色の髪の女性が、手に包丁を持って立っていた。
 六花の能力によって、スキマは切り刻まれていたのであった。

「……俺は悲しいぜ、姉ちゃん達……せっかく兄ちゃんと遊べると思ってたのによ」

 その反対側から、幼い少女の声とともに燃えるような紅い髪の小さな少女が現れた。
 アグナの周囲には炎が渦巻いており、攻撃準備が整っている。
 六花とアグナの姿を見て、愛梨は冷や汗を流した。

「え、えっと……なんでここが分かったのかな♪」
「俺達が兄ちゃんを捜していたら、霊夢からここの事を聞いたんだよ」
「全く、愛梨まで加わって何をしているかと思えば……お兄様や銀月達を女にしていたんですってね?」
「幾らなんでもこんなところから妖力を感じたら誰だって不審に思うわよ。覗いてみたら、あんた達が銀月達で遊んでいるのが分かったって訳」
「おかげで私達の予定は全部パーだぜ。どうしてくれるんだ?」

 六花とアグナ、霊夢と魔理沙はそう言いながらジリジリと今回の騒動の犯人達に近づいていく。
 四方を取り囲むように迫ってくる四人を見て、犯人三人はだらだらと冷や汗を流す。

「さあ、貴女達の罪を数えてくださいまし」
「さあ、テメエらの罪を数えやがれ」
「さあ、あんた達の罪を数えなさい」
「さあ、お前達の罪を数えろ」

 次の瞬間、犯人の粛清が始まった。




「……どうやら収まったようだな」

 銀髪の青年が、自らの体を見てそう呟く。
 服装は小豆色の胴衣と紺色の袴に戻っていた。

「そうだね。誰かが止めてくれたみたいだ」

 黒髪白装束の少年が、背中をさすりながらそう言葉を返す。

「ったく、人騒がせなもんだ」

 黒いジャケットにジーンズ姿の金髪の少年が、そう言いながらため息をつく。

「早くジニのところに行って安心させてやらねばな」

 グレーのスーツに身を包んだ壮年の男が、衣服を直しながらそう口にする。

「そうですね。奥方様もお待ちしていらっしゃることでしょう」

 深い紫色の執事服を来た老紳士が、主人の服装をチェックしている。

「さてと、帰ったら準備しないとな」

 青と黒の着物を着て眼鏡をかけた銀髪の青年が、雨に濡れた髪を拭きながらそう言った。

「かっはっは、なかなかに楽しかったな」

 赤いシャツに青い特攻服を着て赤いサングラスをかけた男がそう言って笑う。

「……あんただけだろうよ、愉快だったのは」

 青いズボンに白いワイシャツ姿の青年が、隣で笑う男をジト眼で眺める。

「やれやれ、ようやく元通りじゃな」

 白と緑の羽織袴に刀を二本挿し、立派な髭を生やしたた老人が、そう言ってため息をついた。

 全員元に戻っており、異変が解決したことを示していた。

「時にそこの方、少しいいかの?」

 妖忌はそう言って、バーンズに声をかけた。
 タオルを回収していたバーンズは、妖忌の元へとやってきた。

「はい、いかがいたしましたか? 妖忌様」
「貴殿のその身のこなし、何か武術をこなして居る者と見受けられるのじゃが、どうじゃろうか?」

 妖忌がそう言うと、バーンズは穏やかに微笑んだ。

「はい、私めも剣術を少々嗜んでおります」
「ほう、西洋剣術とは気になるのう。して、得物は持っておるかの?」
「ございます。こちらです」

 バーンズはそう言うと、銀月の作った収納札から一本の剣を取り出した。
 それはフェンシングに使うような細長いサーベルであった。よく見てみるとそれはとても使い込まれていて、グリップの部分が何度も革を貼りなおしてあるのが見て取れた。
 それを見て、妖忌は楽しげに笑った。

「やはり相当に鍛錬を積んでおるようじゃのう。ふむ、どうじゃ、今度儂と手合わせをしてくれんかの?」
「手合わせ、でございますか?」
「左様、見たところ貴殿も儂も似たような歳じゃろう。一つ他流試合をしてみたくてのう」

 妖忌の申し出を聞くと、バーンズは少し考えた後に笑顔でうなずいた。

「……かしこまりました。私めもこのような他流試合には興味がございます故、喜んでお受け致しましょう」
「バーンズ、そろそろ戻るぞ。ジニを早く安心させてやりたいからな」

 妖忌と話すバーンズの後ろで、アルバートが懐中時計を見ながらそう口にした。
 かなり焦れている様子で、一刻も早く帰りたいようである。
 そんな主人の姿に、バーンズは深々と礼をした。

「かしこまりました。……では、妖忌様。詳しい日程を調整いたしますので、お時間がございましたら人狼の里へお越しください」
「うむ。では将志様に話があるゆえ、それを終わらせ次第そちらに向かうとしようかの」
「かしこまりました。それではお待ちしております」

 バーンズはそう言うと、アルバートと共に人狼の里へと帰っていった。
 それを見送る妖忌に、将志が話しかける。

「……久しぶりだな、妖忌。調子はどうだ?」
「再び剣を握れるようになってから生活に張りが出てきました。貴方様からもらったこの楼鳴剣と銀楼剣も良い剣で、感謝をしても仕切れないくらいですぞ」

 そう言うと、妖忌は腰に挿した二本の刀を指差した。
 その二振りは将志が刀を妖夢に譲った妖忌のために送ったもので、長いものを楼鳴剣、短いほうを天楼剣と言った。
 それは銀の霊峰の刀匠がそれぞれ楼観剣と白楼剣を真似て作らせたもので、元となった剣に勝るとも劣らない刀に仕上がっているのであった。
 その妖忌の剣に対する評価を聞いて、将志は笑みを浮かべた。

「……そう言ってもらえればこちらも送った甲斐がある。大事が無いならそれで良い。バーンズに用があるのだろう。早く行ってやれ」
「そのようにさせていただきます。では、また」

 妖忌は将志にそう言って礼をすると、バーンズの後を追って飛んでいった。

 その一方で、善治に霖之助が話しかけていた。

「善治、君は外来人だったね?」
「ああ。そうだが?」
「うちの店には外の世界から流れ着いた物品が並んでるんだけど、使い方が分からないものが多いんだ。分かる範囲でいいから、教えてくれないかい?」
「別にいいぞ。ただ、俺一人じゃあんたの店に行けないぞ。あんたの店に行くまでに、妖怪に襲われちまうからな」
「そうか……それは残念だな。店を空けるわけには行かないから、こっちから迎えにいけないんだ」

 霖之助は善治の返答を聞いて、残念そうにそう話した。
 それに対して、善治は何かを思いついたように手を叩いた。

「ああ、雷禍と一緒に行けばいいか。雷禍なら俺が知っている奴より旧式の奴も分かるし、役に立つと思うぞ?」
「あ? 俺の名前を出してどうしたっつーんだ?」

 善治の口から出た自分の名前に、雷禍がその方へとやってきた。
 それを聞いて善治は雷禍のほうを向いた。

「香霖堂の品物の使い方を教えて欲しいんだとさ。雷禍、一緒に行ってみるか?」
「あ~……そうだな、暇なときに行ってみっか」

 善治の提案に、雷禍は少し考えてそう言った。
 それを聞いて、霖之助は軽く頭を下げた。

「ありがとう。店までの道は分かるかい?」
「能力使えば店への道のりはたどれる。場所は覚えたから大丈夫だ」
「そうかい。それじゃあ、暇なときにでも顔を出してくれ。待ってるよ」

 霖之助はそう言うと、香霖堂のあるほうへと飛んでいった。
 それを見送ると、善治は大きく伸びをした。

「さてと、俺達も午後からバイトだな」
「だな。早く昼飯食って準備すっぜ。食い扶持は幾らあっても多すぎることはねえからよ」

 雷禍達はそう言いながら人里へと入っていく。
 その後ろで、ギルバートが銀月に話しかけていた。

「銀月、お前この後予定あるか?」
「俺かい? そうだね、今日は休みだったから特に予定は無いけど?」
「実は、今日魔理沙と約束をしてたんだが、この有様だろ? 多分もう待ち合わせ場所にはいないだろうから、魔理沙を捜して欲しいんだが……」
「そういう事か。別にいいよ。それじゃあ、早く行こうか」

 二人は軽くそう言いあうと、魔理沙を捜しに飛んでいった。
 ……先ほどのことはなかったことになっているようであり、ギクシャクした様子はなかった。

「……さてと、早く戻らなければアグナを待たせてしまうな。戻るとしよう」

 そして最後に、将志が銀の霊峰に向かって飛び立っていった。

  *  *  *  *  *


あとがき

 以前ご意見をいただいた、男達を全員女にするというお話でした。
 ……雷禍さん、今回大暴れですね、変な方向に。

 けど、一番ぶっ壊れたのは銀月とギルバート……何でか知らんがこうなった。
 でもまあ、こいつらは今更という感じなので、今更属性が増えようが大したこっちゃないです。

 また、原因を作った善治さん。
 書いていくうちにこの人のキャラがどんどん福本漫画のキャラになって行っている気がする。

 あとは、今後のつながりを少し作ってみました。
 ……強い爺同士の戦いって、好きなんです。


 では、また会いましょ~



[29218] 番外:演劇・銀槍版三匹のこぶた
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:7f42dfbb
Date: 2012/10/18 21:31
注意

 この話は本編のキャラクターを使った作者のやりたい放題の話です。
 以下の点にお気をつけください。

 ・著しいキャラ崩壊
 ・カオス空間
 ・超展開
 ・一部メタ発言

 なお、この話は本編とは一切関係ありません。
 以上の点をご了承しかねると言う方は、ブラウザバックを推奨いたします。

 では、お楽しみください。
















「キ、キキ、キキキキキキ! ツマラナイツマラナイ、人間ナンテツマラナイ! 自滅シロ自滅シロ、ツマラナイナラ自滅シロ!!」
「ちょっ、姫様!? いきなりどうしたんですか!?」

 突然狂ったように叫びだした輝夜に、鈴仙は驚いてそう声をかけた。
 その瞬間、輝夜はその場に崩れ落ちた。

「もういや……また演劇監督なんて……」

 輝夜はめそめそと泣きながら鈴仙にそう訴える。
 それを聞いて、鈴仙は苦笑いを浮かべた。以前演劇をしたとき、全員があまりにもフリーダム過ぎたためである。

「あー……あれ、またやるんですね……それで、今回の演目は?」
「『三匹のこぶた』だとさ。それから、今日から演出家が入るらしいぞ」

 鈴仙の言葉に、横から助監督を務める妹紅が声をかけた。
 すると輝夜はその言葉に首をかしげた。

「演出家?」
「ああ、私の知り合いの外来人だ」

 妹紅はそう言うと、隣に立っている眼鏡をかけたワイシャツ姿の男に眼を向けた。

「遠江 善治だ。何でか知らないが、演出家をすることになった」
「喜べ、輝夜。こいつはな、“ツッコミ”属性だ」

 それを聞いた瞬間、輝夜の表情が歓喜に変わった。

「きたぁ~!! きたきたきた、きたぁ~!!」

 小躍りしながら新しいツッコミ役の登場を喜ぶ輝夜。
 そんな彼女を見て、善治は微妙な表情を浮かべた。

「……なあ、この人どうしたんだ?」
「……察してやってくれ」
「……ああ、そういうことか……」

 妹紅がそう言って肩を叩くと、善治はこれからどんなことが起こるのかを大体察して、疲れた表情を浮かべた。
 するとそこに、演劇の主催者である愛梨がやってきた。

「キャハハ☆ 今回は同じ話を人を代えて何度もやるよ♪」

 愛梨の説明によると、今回の話は分かりやすく省略した話で進めていくため、短い話を配役を代えて何度も行うようであった。
 それを聞いて、演出家である善治が質問をする。

「それで、最初の配役は?」
「台本にはナレーターと狼の配役しか書いてないですね。こぶたの方は後で分かるみたいです」
「狼役の人は誰がこぶた役をしているか知らないよ♪」

 善治の質問に鈴仙が答え、それに対して愛梨が情報を追加する。
 それを聞いて、善治の眉がピクリと動いた。

「ちょっと待て。何だそのバラエティ番組のロケみたいな内容は?」
「いつものノリだ、諦めろ」

 善治の言葉に、妹紅が何かを諦めた表情でそう声をかけるのであった。

「ああ……いいわ……私が言わなくても誰かが言ってくれるって……」

 今回の企画に対する善治の反応に、輝夜は眼から滝のように涙を流してそう呟いた。
 自分が言わなくても人が言ってくれる、自分の喉が擦り切れないで済むことに感動を思えているようであった。
 そんな輝夜を尻目に、六花が脚本を持っている鈴仙に声をかけた。

「それでは、最初の狼の配役は誰ですの?」
「最初は霊夢さんってなっていますね」
「……それ、ミスキャストじゃない? 絶対にやる気がないと思うわよ?」

 鈴仙の言葉を聞いて、輝夜がそう言って微妙な表情を浮かべる。
 そこに、愛梨がにっこり笑って口を挟む。

「キャハハ☆ 配役は絶対だよ♪ それじゃあ、始まり始まり~♪」

 かくして、第一幕が開演される。


 * * * * *


『(ナレーター:愛梨)あるところに三匹のこぶたがいました。みんなはお母さんに言われて家を建てて独立しました。一番上はわらの家、真ん中は木の家、一番下はレンガの家を建てました。そんな三匹の家に、忍び寄る影が一つありました。それは、こぶたを食べようとする狼(演者:霊夢)でした』

「……なんで私が狼役なのよ」

『狼はぶつぶつ文句を言いながら、わらの家に向かいます』

「ドアを開けて入れなさい」
「嫌です! ドアを開けたら食べるつもりでしょう!」
「まあ、どうでもいいけど。それ!」
「きゃあ!?」

『狼はそう言うと、わらの家を一息で壊してしまいました。一番上(演者:妖夢)は尻尾を巻いて逃げていきました』

「一人目は妖夢? 二番目は誰かしら?」

『狼はやる気なく逃げていくこぶたを追っていきます。すると今度は木でできた家が見えてきました。中に逃げ込んだこぶたをみて、狼は声をかけます』

「ドアを開けて入れなさい」
「お断りします。ドアを開けたら食べるつもりでしょう?」
「その声、咲夜ね。でも、容赦しないわよ!」
「……あら」

『狼はそう言うと、木の家を一息で壊してしまいました。真ん中(演者:咲夜)も一番目と一緒に逃げて行きました』

「……妖夢と咲夜……ということは、最後は鈴仙ね。五ボス的な意味で」

『狼はメタなことをぶつぶつ言いながら、逃げていくこぶたを追いかけます。すると、レンガの家が見えてきました』

「ドアを開けて入れなさい!」

『狼はレンガの家に向かってそう叫びました。しかし、中から返事が返ってきません』

「……おかしいわね、確かにこの中に入っていったと思うのだけど……」

『不審に思った狼は、扉を開けてみることにしました』

「あら? 開いてるわね」

『すると、ドアはいとも簡単に開きました。狼は家の中に入ります』

「お帰りなさい、霊夢。お夕飯できてるし、お風呂も沸いてるよ。あ、それとも先にお茶を飲む?」

『すると中では、一番下のこぶた(演者:銀月)が晩ごはんを作って待っていました。一番上と真ん中は、机の上にお皿を並べて準備をしていました』

「それじゃあ、お茶を頼むわ」
「はいはい」

『狼が笑顔でお茶を頼むと、一番下はお茶を淹れ始めました。そして、みんな仲良く晩ごはんを食べましたとさ。めでたしめでたし♪』


  *  *  *  *  *


「「ちょっとマテや」」

 演劇が終わると、輝夜と善治は銀月のところへと向かった。

「あんた、三匹のこぶたの話を知ってるわよね? 何でほのぼの家族物語になってるの?」
「え、こんな話じゃないの?」

 輝夜の質問に銀月はキョトンとした表情でそう答えた。
 どうやら本気で三匹のこぶたの話を知らないようである。
 それを聞いて、善治は唖然とした表情を浮かべた。

「は? あんた三匹のこぶたの話を知らないのか? 誰もが一回は絵本で読んだりする話だぞ?」
「うん。だって、銀の霊峰にはそんな絵本なかったし……はぅ」

 銀月がそう言って答えていると、咲夜が銀月の頭を撫で始めた。
 それと同時に銀月の体から力が抜け、その場にへたり込む。
 咲夜はそんな銀月の頭を胸元に抱え込んだ。

「優しいわね、銀月……三匹のこぶたを、自分を食べに来た狼を食事に招待する話だと思うなんて……きっと、銀月は敵にも優しいんでしょうね」
「……みゃう……」

 咲夜は座り込んで、胸元に抱え込んだ銀月の頭を優しく撫でる。
 銀月はまさに骨抜きになっており、自らの体を完全に咲夜に預けている。

「それにしても、銀月さんって本当に理想のお嫁さんですね。男の子だけど」
「そうね。まさに大和撫子って感じね。男の子だけど」
「うに~……」

 咲夜に撫でられて緩んだ表情を見せる銀月のやわらかい頬を、妖夢が手でむにむにと弄る。
 銀月はそれに抵抗する気もないらしく、なすがままになっている。
 銀月を弄る二人の会話を聞いて、霊夢が銀月の袖を掴んだ。

「あげないわよ。銀月はうちの食事係なんだから。紅魔館には貸しているだけよ」
「にゃうっ!?」
「「あ」」

 霊夢はそう言いながら銀月の袖をぐいっと引っ張る。
 すると銀月は霊夢の膝の上へと倒れこんで眼を白黒させ、咲夜と妖夢は銀月を弄っていた右手のやり場をなくしたのだった。
 そんな霊夢の背後から、近づく影が一つ。

「……それ以前に、俺の息子だろう?」
「あ、はい……」

 異様な威圧感を放つ将志に、霊夢はうなずかざるを得ないのであった。
 そんな彼女達を尻目に、輝夜が次の配役を確認する。

「で、次の狼役は?」
「次はギルバートさんですね」
「俺が狼か。まあ、精一杯やらせてもらうさ」

 鈴仙が脚本を確認してそう言うと、ギルバートは意気揚々と舞台の上へ上がっていく。
 前回主役をほぼ問題なく演じたこともあってか、この舞台に関してかなり楽観的な考えを持っているようである。
 それを聞いて、善治は小さくうなった。

「本職の狼か。けど、こぶたは本職というわけには行かないからな。いったいどうなるのやら」

 善治はそう言いながら舞台に上ったギルバートを眺める。
 先程の一件があるため、この先舞台がどうなるかが読めないでいるのだ。
 そして全員がスタンバイすると、第二幕が始まった。


 *  *  *  *  *


『あるところに三匹のこぶたがいました。みんなはお母さんに言われて家を建てて独立しました。一番上はわらの家、真ん中は木の家、一番下はレンガの家を建てました。そんな三匹の家に、忍び寄る影が一つありました。それは、こぶたを食べようとする狼(演者:ギルバート)でした』

「ドアを開けろ、入れてくれ!」
「ああ、いいぜ。鍵は開いているから入ってきな」

『狼が声をかけると、中からそんな声が聞こえてきました。狼は勢い良くドアを開けます』

「なっ!?」
「残念だったな。ぶっ飛べ狼!」
「ぐああああああっ!!」

『次の瞬間、待ち構えていた一番上(演者:魔理沙)の魔法で狼は吹き飛ばされてしまいました』


 *  *  *  *  *


「「カットカット!!」」

 輝夜と善治は同時にそう叫ぶと、ギルバートにゼロ距離マスタースパークを放った魔理沙の下へと走っていった。

「ちょっとあんた、何やってるのよ!?」
「あんたが逃げないと話が続かないだろうが!!」

 輝夜と善治は怒鳴り散らすように魔理沙にそうまくし立てた。
 しかし、魔理沙はそんな二人の言い分を気にする様子もなく、陽気に笑って答えた。

「良いじゃないか、いつもこんなノリなんだし。さあ、続きをやろうぜ!」
「続きをやろうにも、狼役がぶっ飛ばされて行方不明だぞ」

 妹紅は舞台袖に空いた大穴を眺めながら魔理沙にそう言葉を返した。
 現在、将志や銀月をはじめとした捜索隊がギルバートを捜しに行っているのであった。
 それを見て、魔理沙は困った表情で頭をかいた。

「ありゃりゃ、ちょっとやりすぎたかな?」
「やりすぎもへったくれもないわよ!」
「そもそも、こぶたが狼に反撃するんじゃない!」

 魔理沙のつぶやきに、ツッコミ役二人はそういうのであった。

 しばらくして捜索隊がボロ切れのようになったギルバートを連れて戻ってくると、舞台が再開される。


 *  *  *  *  *


「……にゃろう、今に見てろよ……」

『狼は松葉杖をつきながら逃げた一番上を追いかけます。すると今度は木でできた家が見えてきました。中に逃げ込んだこぶたをみて、狼は声をかけます』

「ドアを開けろ、入れてくれ!」
「ええ、いいわよ。鍵は開いているから入ってきて」

『狼が声をかけると、中からそんな声が聞こえてきました』

「今度は騙されねえぞ!」

『狼は勢い良くドアを開けると、一気に中に飛び込みました』

「ん?」

『狼が家の中に入ると、ひとりでに家のドアが閉まりました。狼は突然の事態に慌ててドアを開けようとしますが、びくともしません』

「ど、どうなって……」
「ふふふ……いらっしゃい、狼さん。貴方もお人形にしてあげるわ」
「うっ……」

『隠れていた真ん中のこぶた(演者:アリス)に注射を打たれて、狼はその場に倒れてしまいました』


 *  *  *  *  *


「「カット、カットカット!!」」

 輝夜と善治は脚本を投げ捨てると、大急ぎでギルバートの下へと駆け寄った。

「おい、瞳孔が開いてるぞ! メディーーーック!」
「ここにいるわよ」

 ギルバートの容態を確認すると、善治は大きな声で叫んだ。
 すると、永琳が医療セットを持ってギルバートの元へと走ってきた。
 永琳はギルバートをなるべく動かさないようにして、容態を調べる。

「……この症状、神経毒ね。注射器一本分も注入されたら、人間なら死ぬところよ。血清はあるから、安心しなさい」

 永琳はそう言うと、ギルバートの体に血清を注入した。
 すると段々とギルバートの症状が治まってきて、息も戻ってきた。
 それを確認すると、輝夜は脚本を握り締めながらアリスを問い詰めた。

「……あんた、何やってんの?」
「何って、前に習って狼に逆襲しただけよ?」
「習うなぁ! 話どおりに進めなさいよ!」

 アリスの物言いに、輝夜は手にした脚本を床にたたきつけた。

「というか神経毒をあれだけ集めるなんて、本気でギルバートを殺すつもりだったのか?」

 その隣で、善治がにらむような目つきでアリスを見ていた。
 どうやら本気で怒っているようであり、その手は強く握り締められていた。
 それを見て、アリスは首を横に振った。

「そんな訳ないじゃない。ちゃんとギルバートが死なないように計算はしてあるわ。それに血清があるのも確認したわよ」
「……それ、どうやって計算したのかしら?」

 永琳はアリスが使った注射器を手にとって、アリスにそう問いかけた。

「人狼の薬殺刑の資料で致死量が分かっているから、そこから計算したのよ」

 アリスはそう言うと、資料を取り出して永琳に手渡した。
 それを見て、永琳は注射器の容量と資料に書かれている値を見比べてうなずいた。

「……成程ね、確かにこれくらいじゃ死にはしないわ。症状は強く出るけどね」
「だからって、それを平然とやれるあんたが怖いわ……」

 永琳の言葉を聞いて、輝夜は恐ろしいものを見るような眼でアリスを見るのだった。

 ギルバートが意識を取り戻すと、再び演劇の幕が上がった。


 *  *  *  *  *


「ちっきしょう……こうなったら絶対に食ってやる……」

『狼はしびれる体を引きずりながら、這うようにして二匹のこぶたが逃げていった方向へと向かいます。するとその先には、レンガの家がありました』

「ドアを開けろ、入れやがれ!」

『狼はそう言いながらレンガの家のドアを蹴り飛ばします。しかし、扉はびくともしません』

「こうなりゃ、煙突からでも入り込んでやる!」

『狼はそう言うと、煙突から勢い良く飛び込みました。すると下には鍋があり、狼はその中に落ちました』

「ん? 熱くない? というか、何だこりゃ?」
「今よ、こあ」
「ごめんなさい!」
「ぐあっ!?」

『狼が中に入っていた紫色の液体に気をとられていると、上から重たい鍋の蓋で閉じ込められてしまいました。頭を打った狼は、気を失ってしまいます』

「エコエコアザラク……ふふふ、魔の狼の肉なんて滅多に手に入らないものね……どんな薬が出来るかしら?」

『こうして狼は一番下(演者:パチュリー)に退治され、こぶた達は幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし♪』


 * * * * *


「「メディーーーーーック!!」」

 輝夜と善治はそう叫びながら、大慌てでギルバートのところに駆け寄った。
 そして大急ぎでギルバートを救出すると、パチュリーの元へと詰め寄った。

「ちょっと、そこのあんた! 何やってんのよ!?」
「何って、私は原作どおりに狼を退治しただけよ。途中がないけど」
「……確かに、原作ではこぶたが狼を食べてしまう話になっているな」
「リアルにやる話じゃないだろうが! あと少しで再起不能になるところだぞ!?」

 三匹のこぶたの話を思い返してうなずく将志に、善治は横からそう口を挟んだ。
 ギルバートはコールタールのようにねばねばした紫色の液体に閉じ込められており、幸いにして息はあるようだが、ピクリとも動く様子がない。

「それで、この謎の液体は何かしら?」
「どうせだから、彼から薬を作ろうと思ったのよ。本当は毛を数本で足りるのだけど、配役的に全身を煮込めるから大量に作ろうと思ったのよ。人狼と魔人の混血なんて彼ぐらいのものだしね」

 パチュリーはそう言いながら、ギルバートを覆っている紫色の液体を掬い取っては瓶に詰めていく。
 その液体を見て、永琳がギルバートに処置を施しながらパチュリーに声をかけた。

「これ、何の薬かしら?」
「少なくとも、貴女が作るような医療用ではないわ。端的に言えば、これは彼の魔力や性質を閉じ込めるための薬ね。銀月によれば、ギルバートは『あらゆるものを溜める程度の能力』だそうだから、その能力が一時的に使えるようになるでしょうね」
「そう……つまり銀月の毛髪を使えば、一時的に自分の限界を超えられるようになるわけね」
「そういうこと……なのだけど、残念ながらこれは動物の毛しか使えないわ。人間や妖怪の毛は無理なのよ。彼は狼の因子があったから出来ただけよ」
「成程ね……動物の毛か」

 永琳はそう言うと、少し考え込んだ。

「……っっっ!?」
「どうかしたのかしら、藍?」
「い、いえ、今何か寒気が……」

 その一方で、藍は自らを襲う悪寒に危機感を感じるのであった。

「で、次の配役は?」
「次の狼は将志だな」

 輝夜の一言を受けて、妹紅が配役を確認する。
 それを聞いて、将志は顔を上げた。

「……俺か?」
「ええ、そうなっていますね」
「……そうか。では、精々上手く演じて見せよう」

 将志はそう言うと、舞台に上がっていく。

「……彼は戦闘能力は高いし、危機察知に適した能力もある。これならまだ安心か?」

 そんな将志を見ながら、善治はそうつぶやくのであった。
 そしてギルバートの無事が確認されると、第三幕が始まった。


 *  *  *  *  *


『あるところに三匹のこぶたがいました。みんなはお母さんに言われて家を建てて独立しました。一番上はわらの家、真ん中は木の家、一番下はレンガの家を建てました。そんな三匹の家に、忍び寄る影が一つありました。それは、こぶたを食べようとする狼(演者:将志)でした』

「…………」

『狼は音もなくわらの家に忍びより、小さくドアを叩きました』

「……ドアを開けろ」

『狼はそう言いますが、中からの返事がありません。何度も声を掛けましたが、それでも返事はありませんでした』

「……?」

『不審に思った狼は、ためしにドアを開けてみることにしました。すると、ドアは鍵が掛かってなくて、いとも簡単に開きました。』

「す~……す~……」

『狼がドアを開けると、中で一番上のこぶた(演者:美鈴)が立ったまま眠りこけていました』


 *  *  *  *  *


「「先生方、お願いします」」

 輝夜と善治がそう言うと、舞台の上で眠っている美鈴に向かって何かが音もなく飛んでいった。
 そして、それは美鈴の額に見事に突き刺さった。

「いったあああああああああい!?」

 突然の痛みに、美鈴はそう叫んで飛び上がった。
 彼女の額には、銀のナイフと銀のタロットが突き刺さっていた。

「全く、こんなところでまで何で眠れるのかしら?」
「舞台に上がってから三分も経ってないのに……」

 舞台上での美鈴の失態に、咲夜と銀月が揃ってため息をついた。
 二人とも呆れ顔で、二投目の準備を整えていた。
 そんな二人を見て、美鈴は眼から涙を流す。

「ふぇぇぇぇん……最近、銀月さんも容赦ないです……」
「あれだけ居眠りされてたら、職務怠慢で解雇されていてもおかしくないもの。むしろその程度で済むことに感謝して欲しいよ」
「えーん、最初の頃の優しかった銀月さん、カムバーック……」

 冷たく突き放すような銀月の言葉に、美鈴はそう言って膝を抱えていじけてしまった。

「……まあ、その、何だ。これに関してはフォローできないが、次から気をつけろよ?」

 そんな美鈴に、ギルバートは何とか慰めようと声をかける。

「……優しくしてくれるのは貴方だけですよ、ギルバートさん……」

 すると美鈴はそう言ってほろりと涙をこぼすのであった。

 美鈴が立ち直ると、舞台は再開された。


 *  *  *  *  *


「…………」

『狼は一番上のこぶたを追いかけていき、音もなく木の家に忍びよって小さくドアを叩きました』

「……ドアを開けろ」
「……分かった……」

『狼が声をかけると、中から声が聞こえてドアが開きました』

「……いらっしゃい……」
「……邪魔するぞ」

『すると、真ん中のこぶた(演者:静葉)が出てきて狼を招き入れました。二人はソファーに座って、のんびりとすごします』


 *  *  *  *  *


「「カーット!! カットカットカットォ!!」」

 輝夜と善治は脚本を握りつぶしながらソファーでくつろぐ二人組みに近寄っていった。

「あんたら、俺の名前を言ってみろ……じゃなかった、自分の役柄を言ってみろ」
「……狼だな」
「……真ん中のこぶた……」
「じゃあ、狼なら狼らしくこぶたを襲えよ! あんたも、何でこぶたが狼を招き入れてくつろいでんだよ!?」
「……無理だ……静葉に手を上げるなど俺には出来ん!」
「……拒絶したくない……」

 善治に問い詰められて、将志は力強く断言し、静葉は泣きそうな顔で将志に抱きついた。
 その様子を見て、輝夜は盛大にため息をついた。

「……良く分かったわ、これは盛大なミスキャストね」
「でもでも、お話は続くよ♪ さあ、続きを始めよう♪」

 愛梨が陽気にそう言うと、舞台が再開される。


 *  *  *  *  *


「……最後は誰だろうか」

『狼は小さく何か呟きながら、前に見えるレンガの家へと歩いていきます。そして家の前に着くと、軽くドアを叩きました』

「……ドアを開けろ」

『狼がそう言うと、音もなくゆっくりとドアが開きました』

「……(にっこり)」
「なっ……」

『そうして、一番下のこぶた(演者:伊里耶)は狼を家の中に強引に引きずり込みました……ってちょっと待ったぁ!』


 *  *  *  *  *


 愛梨達の目の前で、レンガの家のドアが閉められる。
 それを見て、永琳と愛梨と藍と静葉は大急ぎでレンガの家のドアを開け放った。

「ちょっと、伊里耶ちゃん!? 将志くんをどうするつもり!?」
「原作の最後と同じように食べるんですよ。まあ、私は性的な意味でですが」

 愛梨の問いかけに、伊里耶はにこやかに笑いながらそう答えた。
 伊里耶は将志を押し倒した格好になっており、その手は将志の服に掛かっていた。
 それを見て、永琳は将志の上から伊里耶の手を払いのけた。

「……私の将志に何をするのかしら?」
「あらあら、貴女も将志さん狙いなんですね。何だったら、一緒に混ざりましょう? 皆さんもいかがですか?」

 威圧をしてくる永琳の言葉をさらりと聞き流し、伊里耶は四人に誘いをかけた。
 それを聞いて、藍は鼻で笑った。

「中々に魅力的な提案だが、断らせてもらう。弄ることまでなら遊びですむが、相手の望まぬ本番行為などこちらから願い下げだ」
「……私もそういうのは嫌……」
「言うまでもないわ」
「ぁ、ぅ……ぼ、僕も嫌……かな……」

 藍に続くようにして、全員拒絶の意を示す。
 ただ、愛梨は将志との行為を想像してしまったのか、耳まで真っ赤に染まってしまっている。
 そんな愛梨を見て、伊里耶は彼女に詰め寄った。

「ふふふ、愛梨さん。貴女は興味あるみたいですね。興味があるならそれに従いましょう?」
「ひゃう!?」

 伊里耶は愛梨に近づき、愛梨の胸を軽く揉んだ。
 その感触に、愛梨は思わず上ずった声を上げた。

「さあ、素直になりましょう?」
「ひゃぅ……んっ……あぁ……」

 伊里耶は優しく微笑みながら愛梨の服に手を突っ込んで体をまさぐる。
 愛梨は伊里耶の力が強くて逃げられず、初めのうちは抵抗していたが段々とその力を弱めていく。
 その吐息には段々と熱が篭りだし、切ない表情を浮かべ始めていた。
 弱い刺激をじわじわと与えられているため、愛梨は時折もどかしそうに体を動かしている。

「……させないぞ、鬼神」
「あら?」

 しかしそんな伊里耶の行為を藍が中断させ、それと同時に永琳が愛梨を奪還し、静葉が速やかに避難させる。
 そんな三人のチームプレーを見て、伊里耶は楽しそうに笑った。

「そうまでして望まぬ行為をさせたくないんですね。ふふふ……本当に愛されてるんですね、将志さんは。いいでしょう、今回は諦めてあげますよ」
「出来ればこの先も諦めていて欲しいのだけど?」
「そればっかりは約束できませんよ。私から見ても、将志さんは魅力的ですから」

 永琳の言葉に、伊里耶は涼しい表情でそう言って笑うのであった。
 両者のにらみ合いは続き、緊張状態が続く。

「……舞台の上が修羅場で怖い件について」
「……少なくとも、俺たちがどうにかできる面子じゃないな」

 そんな舞台の上を見て、輝夜と善治は隅っこで小さくなりながらそう呟いた。
 人間である善治はもとより、輝夜や妹紅でさえ永琳や伊里耶一人に敵う力は持っていないのだ。
 その状況に、妹紅が苛立たしげに口を開いた。

「というか、渦中の将志は何をやっているんだ? あいつが一言言えば一発じゃないか」
「……父さんなら、押し倒されたショックで気を失ってると思うよ」

 銀月はそう言うと、ベッドの上に寝ている将志を見やった。
 将志はベッドの上にぐったりと横たわっており、ピクリとも動かない。どうやら完全に気を失っているようである。
 そんな将志に、善治は唖然とした表情を浮かべた。

「そんな虚弱体質でよく今まで生きてこられたな……」
「そこが父さんの一番異常なところさ。とにかく、父さんが起きて愛梨姉さんが立ち直るまでは何も出来ないと思うよ」

 善治の言葉に、銀月はそう言って首を横に振った。
 
「ところで、次の狼役は誰?」
「次は雷禍の出番みたいだな」
「お、俺の番か。うっしゃ、嵐で全部ぶっ飛ばしてやるぜ!」

 雷禍はそう言うと、準備体操をして出番を待つ。
 狼という主役をすることに張り切っているようである。

「……まあ、絶対に碌な目に遭わんとおもうがな」

 そんな彼を見て、善治は深々とため息をついた。

 将志が目を覚まして仲裁に入り、愛梨が立ち直ると第四幕が始まった。


  *  *  *  *  *


『あるところに三匹のこぶたがいました。みんなはお母さんに言われて家を建てて独立しました。一番上はわらの家、真ん中は木の家、一番下はレンガの家を建てました。そんな三匹の家に、忍び寄る影が一つありました。それは、こぶたを食べようとする狼(演者:雷禍)でした』

「おら、ドアを開けやがれ!」
「嫌よ! 貴方私を食べるつもりでしょう!」
「そうかよ、そんじゃ一息でぶっ飛ばしてやらぁ!」
「きゃああああああ!?」

『狼はそう言うと、嵐を起こしてわらの家を吹き飛ばしてしまいました。一番上のこぶた(演者:鈴仙)は尻尾を巻いて逃げていきます』

「一番最初が鈴仙っつーことは……永遠亭の連中か?」

『狼が一番上のこぶたを追いかけていくと、今度は木の家が見えてきました』

「おらぁ! ドアを開けやがれ!」
「嫌よ! 貴方私を食べるつもりでしょ!」
「ふん、ならぶっ飛ばしてやらぁ!」
「うわぁ!?」

『狼はそう言うと、嵐を起こして木の家を吹き飛ばしてしまいました。真ん中のこぶた(演者:フランドール)は尻尾を巻いて逃げていきます』

「二番目が吸血鬼の妹? ……繋がりが全然ねえな。最後は誰だ?」

『狼が追いかけていくと、レンガの家が見えてきました。狼は玄関のドアに手を掛けます』

「ん? 開いてやがるな」

『狼が家の中に入ると、中は真っ暗で、何も見えません』

「……明かりは、こいつか」

『狼は手探りでスイッチを探し、部屋の明かりをつけました』




 ♪BGM ゴッドフ○ーザー 愛のテーマ




『すると中では、沢山の黒服の男たちが狼にトミーガンを向けて立っていました。一番奥には、高そうな革張の椅子に座った一番下のこぶた(演者:アルバート)が座っていました』

「……は……?」
「Do it.(やれ)」
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」

『一番下がそう言って指を鳴らすと、哀れな狼は蜂の巣になってしまいましたとさ。めでたしめでたし♪』


 *  *  *  *  *


「「な……何じゃこりゃああああああああ!!!!」」

 輝夜と善治はその結末にしばらくの間唖然とした後、状況を理解すると大声でそう叫んだ。
 そして脚本を投げ捨てると、まっすぐにアルバートのところに向かった。

「ちょっとあんた!! これはいったいどうなってるのよ!!」
「例え演劇における仮初のものとはいえ、家族に襲い掛かったのだ。ならば、それ相応の報いを受けなければならないだろう」
「それじゃあ何なんだよ、この黒服共は!?」
「彼らも私の家族であり、男は皆が真の男だ。真の男は家族を大切にする。だからこそ、家族を守るためにここにいるのだ」
「それは家族って書いてファミリーって読む奴だろうが!! というか、誰がどう見てもこぶたの三男坊じゃなくて、どっかのマフィアのドンにしか見えねえよ!!」
「三男であろうとなんであろうと、家族を守ることには全力を尽くす。それが真の男というものだろう?」

 善治の怒鳴り散らすような抗議にも、アルバートは泰然とした態度で堂々と豪華な椅子に座って受け答えをする。
 その有様はまさしく一組織の絶対的な力を持つ主といったものであった。

「まさか、舞台で実銃を撃つことになるとは思いませんでした……」
「ね~♪ あ~、面白かった♪」

 苦笑いを浮かべる鈴仙に、楽しそうに笑うフランドール。
 実はこの二人、先程黒服たちに混じって狼にトミーガンを撃っていたのであった。
 二人とも反応は違えど、ストレス解消になったのかすっきりした表情を浮かべていた。

「……それで、次の狼は誰だ?」
「次はレミリアだな」

 将志が配役を確認すると、妹紅が脚本の配役を読み上げる。

「ふふふ、やっと私の出番ね。最後にやられるのは癪だけど、吸血鬼にはふさわしい役ね」

 レミリアは楽しそうにそう言うと、舞台の上へと上っていった。

「……何だろう、そこはかとなく嫌な予感しかしないな……」

 自信満々に舞台に立つレミリアを見て、善治はそう言ってため息をつくのだった。

「……なぁ……誰も俺の心配はしてくれねえのかよぉ……」

 蜂の巣にされた雷禍を誰も気にかけることなく、第五幕が始まった。


 *  *  *  *  *


『あるところに三匹のこぶたがいました。みんなはお母さんに言われて家を建てて独立しました。一番上はわらの家、真ん中は木の家、一番下はレンガの家を建てました。そんな三匹の家に、忍び寄る影が一つありました。それは、こぶたを食べようとするモケーレムベンベ(演者:レミリア)でした』

「も、もけ!? ちょっと、モケーレムベンベって何よ!? 狼じゃないの!?」

『モケーレムベンベはそんなつまらないことを言いながらわらの家に向かいます』

「あんた私に何か恨みでもあるの!?」

『……さっさとして』

「あ、はい……」

『モケーレムベンベはいそいそとわらの家へと向かいます』

「ドアを開けて入れなさい!」
「嫌よ! あんた私を食べるつもりでしょ!」
「そう……なら、この家を壊すまでよ!」

『モケーレムベンベはあっという間にわらの家を壊してしまいました。一番上のこぶた(演者:てゐ)は尻尾を巻いて逃げていきました』

「一人目が永遠亭の兎ね……てっきり罠でも仕掛けてあるのかと思ったけど、そうでもないのね」

『モケーレムベンベが一番上のこぶたを追いかけていくと、今度は木の家が見えてきました』

「ドアを開けて入れなさい!」
「断る。ドアを開けたら食べるつもりだろう?」
「あら、なら家を壊してでも頂くわ!」

『モケーレムベンベはそう言うと、あっという間に木の家を壊してしまいました。真ん中のこぶた(演者:慧音)は尻尾を巻いて逃げていきます』

「ふふふ、何だか楽しくなってきたわ」

『モケーレムベンベは意気揚々と逃げる子豚を追いかけます。すると、今度はレンガの家が見えてきました。その入り口は、少しだけ空いています』

「あらあら、鍵をかけてない何て無用心ね」

『モケーレムベンベはそう言って笑うと、勢い良く家の中へ飛び込みました』

「ぎゃおー! たーべちゃーうぞー!」



 ♪BGM ゴジ○のテーマ




「ギャオオオオオオオオオン!」

『モケーレムベンベがドアを開けると、そこには某怪獣王が待ち構えていました』

「な、何よこれ!?」
「ギャオオオオオオオオオオオオン!」
「いやああああああああああ!!」

『某怪獣王のスパイラル放射火炎によって、モケーレムベンベは消し炭になってしまいましたとさ。めでたしめでたし♪』


 *  *  *  *  *  


「「いい加減にしろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」」

 輝夜と善治は二人揃って喉が切れんばかりに叫ぶと、辺りをじろじろと見回した。

「誰よ、あんなもの用意したのは! というか、あれ何なのよ!?」

 輝夜は目の前にいる怪獣王を指差して周囲に怒鳴り散らす。
 すると善治は怪獣王を見て、一気にその元へと駆け寄った。

「あんたらそんなもの着て何やってんだぁ!!」
「いてぇ!?」
「うわぁ!?」

 善治がハリセンで怪獣王を引っぱたくと、中から二人分の声が聞こえてきた。
 よく見ると背中にはファスナーが付いていて、それが着ぐるみらしいことが分かった。
 そして中を開けてみると、燃えるような紅い髪の小さな少女を肩車している白装束の少年が出てきた。
 どうやら鳴き声を銀月が、放射火炎をアグナが担当していたようであった。

「銀月……あんたそんなもの着て何やってるわけ?」
「いや、その……こういうのも演劇の練習になるかなぁ、と思って……」

 襟首を掴んでにらみつける輝夜の質問に、銀月は眼を泳がせながらそう答えた。

「まあ、大目に見てやってはくれないか? 銀月は自分の将来の夢を叶えるための勉強をしているのだし」

 そんな銀月と輝夜の間に、慧音がそう言いながら割り込んできた。
 それを聞いて、輝夜は不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「……分かったわよ。正直、他の連中の理由に比べたら何倍もマシだもの。戻るわよ、善治」
「はいよ」

 輝夜はそう言うと、善治と一緒に監督席へと戻っていった。
 それを見送ると、銀月は慧音に頭を下げた。

「ありがとうございます。かばってもらえるとは思いませんでした」
「夢を叶えようとしている子供の手助けをするのが教員の仕事だ。特に気にすることはないよ」

 銀月の言葉に、慧音はそう言うと静かに舞台袖に降りて行った。
 それを見届けると、アグナが銀月のところへとやってきた。

「よお、さっきの奴どうだった!?」
「最高だよ、アグナ姉さん。あれならきっと観客も驚いてくれるよ」
「へへっ、まあ俺に掛かればこんなもんよ!」

 銀月の評価を聞いて、アグナは得意げにそういうのであった。

「それで、次は誰が狼なの?」
「……紫だな。そして、次が最後のようだ」

 輝夜の質問に、将志が脚本を読みながら答える。

「あら、私がトリなのね。それじゃあ、早く始めましょう」

 紫はそう言うと、スキマを使って一瞬で舞台に上がった。
 そして、最終幕が始まった。


 *  *  *  *  *


『あるところに三匹のこぶたがいました。みんなはお母さんに言われて家を建てて独立しました。一番上はわらの家、真ん中は木の家、一番下はレンガの家を建てました。そんな三匹の家に、忍び寄る影が一つありました。それは、こぶたを食べようとする狼(演者:紫)でした』

「ドアを開けて入れてちょうだいな」
「嫌です。ドアを開けたら私を食べてしまうのでしょう?」
「その言葉は正しくないわね。だって、開けなくても食べられるもの」
「うわっ!?」

『狼はそう言うと、墓石を落としてわらの家を壊してしまいました。一番上のこぶた(演者:藍)は尻尾を巻いて逃げていきました』

「一人目は藍ね……次は橙かしら?」

『狼は胡散臭い笑みを浮かべながら逃げるこぶたを追いかけます。すると、今度は木の家が見えてきました』

「ドアを開けて入れてちょうだいな」
「嫌だ。ドアを開けたら私を食べるんだろう?」
「当たり。でもはずれよ」
「わわわっ!?」

『狼はそう言うと、電車を突っ込ませて木の家を壊してしまいました。真ん中のこぶた(演者:妹紅)は尻尾を巻いて逃げていきます』

「二人目は蓬莱人? どんな組み合わせかしら?」

『狼が追いかけていくと、レンガの家が見えてきました。狼は玄関のドアに手を掛けます。ドアは鍵が掛かっていないようで簡単に開きました』

「待ってたぜ、狼さん」

『すると、中では麻雀卓に座った一番下のこぶた(演者:善治)が待っていました。彼の隣には一番上と真ん中のこぶたが座っています』

「これは……麻雀かしら?」
「ああ……だが、払うのは点棒じゃない。負けた分は血で払ってもらう。覚悟はいいな?」
「……貴方、正気? 狂っているとしか思えないわ」
「ククク……狂って結構……! 狂気の沙汰ほど面白い……! さあ、命を懸けた麻雀を始めようか……!」

『一番下のこぶたはそう言うと、麻雀牌を手に取りました。そして、ここから長い長い戦いが始まるのでした』


 *  *  *  *  *


「開幕直後より鮮血乱舞、烏合迎合の果てに名優の奮戦は荼毘に付す! 鼠よ廻せ、秒針を逆しまに感情を逆しまに世界を逆しまに! 廻せ廻せ廻せ廻せ廻せ廻せ廻せぇぇ!」

 輝夜は狂ったようにそう叫ぶと、麻雀卓に座っている善治の胸倉を掴んだ。

「善治ぅ!! あんたは、あんただけは信じてたのに!!」
「い、いや、さっき突然脚本を渡されて、そのとおりに演じたんだが……」

 がくがくと揺さぶる輝夜に、善治は手に持っていた脚本を輝夜に見せた。
 そこには、確かに善治があのような演技をするように書かれていた。
 それを見て、輝夜はとあることに気がついた。

「……そういえば、今回の脚本家を聞いていなかったわね。今日は誰かしら?」
「私達だ」
「私達ですわ」

 輝夜の質問に、妹紅と六花がそう名乗りをあげた。
 その表情はしてやったりといったもので、ニヤニヤと輝夜の事を見ていた。
 それを見て、輝夜は何をされたのかを悟った。

「あんたら……最初からこれが狙いだったわね!!」
「ああ。上げて落とすのは基本だろ?」
「最後の貴女の発狂っぷり、中々に面白かったですわよ」
「こ、の……ぶっ飛ばしてやるわ!!」

 輝夜は震える声でそう言うと、妹紅と六花に向かって駆け出した。

「うわっ、輝夜が怒った!」
「逃げますわよ、妹紅さん!」

 それに対して、二人は面白おかしく笑いながら逃げるのであった。

「キャハハ☆ 今回の舞台も成功だね♪ 何事も無くて良かった♪」

 追いかけっこをする三人を見て、愛梨は楽しそうに笑みを浮かべた。
 そんな愛梨に、藍が小さくため息をついた。

「何事も無いことはないだろう……あと少しでお前は鬼神に……」
「あわわわわ!? そ、それを言っちゃダメだよぉ~!!」

 藍の指摘に、愛梨は顔から火が出して大慌てをした。
 どうやら余程恥ずかしかったらしく、わたわたと手足を動かしている。
 そんな愛梨に、疲れた表情の善治が話しかけた。

「……で、これのどこが成功なんだ?」
「ふぇ!? ああっと、話がちゃんと終われば成功だよ♪」

 善治の質問に、愛梨はそう言って答える。

「……帰ったら胃薬だな」

 その返答に、善治は帰ってから一番にすることを決めるのだった。



  *  *  *  *  *


あとがき

 はい、今回もめいっぱい遊ばせてもらいました。
 今回の一番の被害者は誰なんでしょうね~?

 ぶっちゃけ、我ながらカオス過ぎて何から書きゃいいのか分からんのです。
 という訳で、今回はここまでです。

 ちなみに、アルバートの真の男のくだりは、ゴッドファーザーのドン・ヴィト・コルレオーネの「家族を大切にしない奴は男ではない」というお言葉が元になったものです。
 初めて映画で見たときに、この言葉が異様に心に残っていたのを覚えています。

 また次回でお会いしましょう。
 ご意見ご感想お待ちしております。



[29218] 銀の槍、報告する
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:7f42dfbb
Date: 2012/10/29 07:14

 銀月に対する調査が中断した後、将志と銀月は永遠亭に向かっていた。
 銀月も永遠亭に出入りする以上、永遠亭の者にも現状を伝えなければならないからである。

「……という訳だ。だから、銀月の様子には常に気を配っておいて欲しい」

 将志は一同に銀月の現状を詳細に告げる。
 それを聞いて、輝夜が困惑した表情で声を上げた。

「……あの、将志? 翠眼の悪魔って何?」
「……む?」

 輝夜の質問に、将志は首をかしげる。どうやら何か肝心なことが抜けているようである。
 そんな将志に、永琳が声をかけた。

「将志。私達は翠眼の悪魔の正体はおろか、その言葉自体、今初めて聞いたのよ?」
「私達が聞いたのは、銀月が自分の能力で暴走することがあるかもしれないってことだけよ?」
「……そうだったか?」

 永琳とてゐの言葉に、将志はキョトンとした表情でそう言った。
 事実、将志は銀月を拾った顛末と能力に関することは話していたが、翠眼の悪魔や妖怪化に関する話は全くしていないのであった。
 将志から得られた新たな情報に、鈴仙が疑問を呈する。

「それで、銀月君が翠眼の悪魔ってどういうことなんですか?」
「……実はだな……」

 将志は翠眼の悪魔に関することの仔細を全員に話した。
 特に、妖怪を喰らう事や本人の妖怪化に関する部分を強調して話しており、事の重大さを表していた。
 それを聞いて、一同は呆然とした表情を浮かべた。

「そんなことが……」
「……ああ。もちろん、俺がその現場を見ていたわけではないが、証拠が揃いすぎている上、俺自身もあの夜に妖怪達の死骸の中にたたずむ銀月を見ているからな」
「将志さん、その証拠って何ですか?」
「……銀月の眼は、特定の条件が揃うと翠玉の様に光るのだ。それも、見るものを惹きつけるような、美しく魅力的な輝きを放つ。これが、翠眼の悪魔の名の由来であり最大の特徴なのだ。更にその他の状況証拠も、銀月が翠眼の悪魔であれば全て説明がついてしまうのだ」

 将志は重々しい口調でそう話す。将志本人は銀月が実際に暴走しかけたところを見たことがあるため、事の重大さを承知しているからである。
 それに対して、事の重大さがよく分かっていないてゐは興味深げな表情を浮かべた。

「へえ……銀月の正体はともかく、その眼は見てみたくもあるわね。で、特定の条件って何?」
「……それは銀月が瀕死の重傷を負ったときだ。そうそう簡単に見せられるものではない。更に、銀月の体は何もしなくても日々妖怪に近づいている。一つのきっかけで、即座に妖怪に堕ちる可能性もありえるのだ」
「あの銀月君が……何とかならないんですか?」
「……現状ではどうしようもないのだよ。そもそも、銀月の背後に誰かが居ることが分かったのですら最近になってやっとなのだ。それも、ほぼ偶然に近い形でだ。相手の狙いや正体などは全く分からない。この状態では、不用意なことは出来ないのだ」

 将志はそう言いながら、憂鬱なため息をついた。
 それを聞いて、永琳は考え込む。

「成程ね……私達では魔法に関する知識がないから何も出来ないけど、様子を見るくらいなら出来るわね」
「……今日はそれを頼みに来たのだが……良いだろうか?」
「当然よ。他ならぬ貴方の頼みですもの」
「そうですよ。それに、銀月君はもう他人ではありませんし」
「そうね……銀月がいないと私ら糖死するし」
「……あれ、そう考えるとこれってかなり深刻な問題?」

 将志の頼みを聞いて、全員快くそれを引き受けた。
 特に輝夜とてゐは銀月の居ない生活に危機感を持っているようで、かなり深刻な表情を浮かべていた。
 その中で、永琳がふとした疑問を将志にぶつけた。

「ところで、当の銀月は何をしているのかしら?」
「……銀月なら庭で槍を振るっている。銀月のことだ、この話を目の前でしたら遠慮してここに来れなくなるだろうからな」
「それじゃあ、ここには何で連れて来たのよ?」
「……一種の気晴らしだ。銀月にとって、ここは銀の霊峰と並んで日頃の仕事を忘れられる場所だ。休日しか来ていないという意味では、銀の霊峰よりもくつろげる場所かもしれない。だから連れて来たのだ」

 輝夜の質問に、将志はそう言って答える。
 銀月にとって、永遠亭は外の世界から隔離された、仕事や人の世話を考えなくてすむ空間である。
 例えるのならば、仕事に疲れた社会人が別荘で過ごすようなものなのだ。
 将志は自分の身に起きていることの重大さに悩んでいる銀月を見て、すこしリフレッシュさせてやろうと思って連れて来たのだ。

「……でも、銀月君修行してますよ?」
「……それはもうあいつの性分なのだから仕方がない」

 苦笑いを浮かべる鈴仙に、将志はそう言って苦笑いを返した。
 その言葉に、輝夜は思いついたように声を上げた。

「それにしても、銀月もあんたもそうだけど、やけに軽々と槍を振り回すわよね。そんなに軽いの、それ?」
「……そうだな。試しに持ってみるか?」

 将志はそう言うと、自分が背負っている銀の蔦に巻かれた黒耀石が埋め込まれた銀の槍を輝夜に差し出した。
 輝夜が受け取ると、想像以上の重さに思わず前のめりになった。

「うわっ、重っ!? 将志、あんたこんなものを棒切れみたいに振り回してるわけ?」

 輝夜は手にした槍を見ながらそう口にする。
 全身が特殊な金属で出来たその槍は、輝夜が全力で踏ん張らなければならない重さであった。
 そんな彼女の言葉に、将志は微笑を浮かべた。

「……そうなるな。ついでだ、銀月の槍も持ってみると良い。銀月!」
「どうかしたのかい、父さん?」

 将志が呼ぶと、銀月は将志のところへとやってきた。
 その手には青白く光る槍が握られていることから、修行中であったことが分かる。
 そんな銀月に、将志は話しかけた。

「輝夜にお前の槍を持たせてやってくれ」
「ああ、了解だよ。はい、これ」

 銀月はそう言うと、手にした槍を輝夜に差し出した。
 ポトリと手に落とされたそれは、羽毛のような軽さを輝夜に伝えた。
 それを受けて、輝夜はキョトンとした表情を浮かべた。

「え、軽い? ていうか、何これ?」
「……ミスリル銀の槍だな。気をつけろ。その槍は軽いが、そこらの岩くらいなら豆腐に楊枝を立てるくらい簡単に徹すぞ」

 興味深げに青白い槍を軽く振るう輝夜に、将志はそう言って注意を呼びかける。
 その横で、銀月は収納札から自分が普段使っている銀色の槍を取り出した。

「で、こっちが小さい頃から使っている槍。ちょうど俺が初めてここに来た時に使い始めたものさ」

 銀月は輝夜から青白い槍を受け取りながら、手にした銀色の槍を片手で手渡す。

「へえ、これがねえ……って重い!! 重すぎるわ!!」

 軽いものと高をくくっていた輝夜は、総鋼作りの槍の重量に面を喰らう。
 その様子を見て、鈴仙が銀月の鋼の槍に手を伸ばす。
 すると銀月のような線の細い人間が振るうものとは思えない重量が伝わってきた。
 それを受けて、鈴仙は唖然とした。

「銀月君……本当にこれをあの時から使ってたの?」
「ああ。もっとも、使い始めたその日に父さんに没収されたけどね」
「……成長期の子供が持つと悪影響が出るからな。しばらくの間預からせてもらったのだ」

 苦笑いを浮かべる銀月に、呆れ顔を浮かべる将志。
 その様子は、当時の銀月が余程の無茶をしていたであろうことがよく分かる。
 それを見て、永琳は納得してうなずいた。

「当然ね。体が出来上がっていないのに無理をしたら、骨格が歪んだりして大変なことになるわ」
「それで、これが最後の一本。はい、父さん」
「……ああ。輝夜、しっかり受け取れ」

 銀月は収納札から将志の手の上に黒い槍を呼び出し、将志はそれを輝夜に差し出した。

「え、きゃあ!?」
「……おっと」

 あまりの重さに、輝夜はそれを持ちきれずに落とし、将志は輝夜が怪我をしないようにとっさに掴む。
 そして呆然とする輝夜を見て、将志と銀月は笑い出した。

「……ははは、まあ、こうなるだろうな」
「ふふふ、そうだね。俺だって普通は持てないもの」
「な、何なの、この槍は!?」
「神珍鉄っていうとても重たい金属で出来た槍だよ。本当は錘に使うためのものなんだけどね」
「……こいつの一番の特徴は使用者が念じれば形が自由自在に変形するところだ。西遊記に出てくる如意棒と同じものだ」
「ついでに言うと、本当はこれ室内で使っちゃいけないんだ。出した瞬間、重すぎて床が抜けるからね。永琳さんの術式が無かったら出さなかったよ」

 将志と銀月は一同に黒い神珍鉄の槍の説明をする。
 すると、説明を聞いた輝夜が怪訝な表情を浮かべた。

「ミスリル銀もそうだけど、それって結構なお宝じゃないの? いったいどこで手に入れたのよ?」
「……うちの集落の鍛冶場に使い道がなくて死蔵されていたものだ。それを俺が買い取って、銀月に与えたのだ」
「それで、おいくら?」
「……貴族が数年間豪遊できる額はしたな」

 将志は銀月に買い与えた槍の金額を思い出しながらそう答えた。
 それを聞いて、銀月の眼が驚愕に見開かれた。

「うぇ!? そんな大金を払ったの、父さん?」
「そんな大金とは言うが、千年以上貯めて来たは良いものの使い道がなかった金だぞ? 俺の手元で腐っているよりも、地域に貢献できるほうが遥かに良い。現に、その二本の槍を作らせたおかげで鍛冶師に余裕が出来、雇用の増大と技術の発展に繋がったのだからな」
「でも将志、貴方一時期自由に使えるお金が無くなって困ったって言ってなかったかしら?」

 話に水を差す永琳の一言を聞いて、将志はガクッと肩を落とした。
 どうやら知られたくないことを言われたようである。

「……何も、今それを言うことは無いだろう、主……」
「ふふふ……ごめんなさい、貴方の困った顔が見たかったのよ」

 恨めしげな表情で見つめる将志に、永琳は悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべてそう言った。
 それを聞いて、将志は大きくため息をついた。

「……そんなものを見て何になるのやら」
「私の心の糧になるわよ?」
「……それは重畳だが、俺としては複雑な心境になるな」
「好きな相手には意地悪したくなるものよ。貴方はそうならないのかしら?」
「……俺としては、困り顔よりも笑顔で居て欲しいからな。笑顔の主が、一番好きだ」

 永琳の問いかけに、将志はそう言いながら静かに首を横に振った。

「……そんな貴方が好きよ、将志」

 それを聞いて、永琳は嬉しそうに頬を染めて腕を絡めるのであった。

「(また始まりおったわ……)」
「(また始まりましたね……)」
「(また始まったわね……)」
「(また始まったよ……)」

 そんな二人の作り出す甘ったるい世界を見て、残された四人は盛大にため息をついた。
 毎度毎度来るたびにこの光景を見せられるのだから、堪ったものではない。
 そんな中、てゐがふと銀月に話しかけた。

「ところで銀月、将志はお師匠様とあんな感じだけど、あんたには意中の相手っていないの?」
「あ、それ気になるわね」
「それ、私も気になります」

 てゐの言葉に、輝夜と鈴仙も興味を示して銀月のほうを見る。
 それを受けて、銀月はキョトンとした表情を浮かべた。

「え? どうしたのさ、いきなり?」
「将志の話だと、あんた巫女の家に住んで吸血鬼の館で働いてここに来てるわけでしょ? どこも女所帯みたいだし、誰か一人くらい好きな人が居るんじゃないの?」
「好きな人って言えば、大体の人は好きだけど?」

 銀月は至って普通にそう答える。
 それに対して、三人はため息をつく。

「いや、そういう意味じゃなくてね……」
「想い人は居ないのかって話よ」
「ああ、そういうこと。それは内緒さ」

 銀月はそう言いながら、楽しそうに意味ありげな笑みを浮かべた。
 それを見て、三人は悔しそうに歯噛みした。

「くっ……読めない……」
「自然体過ぎて、相手が居ないようにも見えるし、笑ってはぐらかしているようにも見えるわ……」
「感情の波にも全く変化が無い……これじゃあ分かんないよ……」

 肩を落とす鈴仙の言葉を聞いて、輝夜とてゐは面白いものを見つけたといわんばかりににやりと笑った。

「……鈴仙、あんたそこまで気になるの?」
「へっ?」
「だって、能力を使ってまで銀月に想い人が居ないかどうか確かめたかったんでしょ? 銀月のこと、かなり気になってるんじゃないのかしら?」
「え……ああっ!? そ、そういう訳じゃなくて!!」

 二人の言わんとしていることを理解して、鈴仙は顔を真っ赤にしながら慌てて否定する。
 そんな彼女を見て、銀月は思わず笑い出した。

「あはは、そんなに気になるんだ。でも、教えないよ」
「何でよ。教えられない理由でもあるの?」
「ああ、あるよ」
「じゃあ、何で?」

 首をかしげる輝夜とてゐ。そんな二人に、銀月は涼しい顔で片眼を瞑った。

「その方が格好いいから、とか?」
「もういいわ……」

 そう言っておどける銀月に、輝夜は疲れた表情を浮かべた。
 その一方で、鈴仙が銀月に質問をする。

「それにしても、銀月君って演技上手いよね。練習してるの?」
「してるよ。大体は着る服に合わせてキャラクターを作ってる。まあ、異変の時は例外だけどね」
「ああ、それでこの前私が服を貸したときにあんな感じになったんだね」
「あの時はあんまり自然すぎて誰だか分からなかったわよ。なんて言うか、所作が女だったもの」
「ああまで近づけるのは苦労したよ。手の位置とか足の運び方、指先の動きとか何人も観察して研究したもの」
「そう言えば、その格好でも女の子の演技できそうね?」
「やって見せようか?」

 銀月はそう言うと、眼を閉じて小さく息を吐く。
 それから、手の位置やつま先の向き、胸の張り方などを微妙に調整していく。

「えっと……これだけじゃあんまり変わらないけど……」

 少女の声で、銀月はそう呟く。
 外見には一切手を加えていないが、話す時の仕草は女性のものとであり、普段の銀月とは明らかな差異が見られた。
 そんな彼を見て、三人は興味深そうにうなずいた。

「……確かにあんまり変わらないけど……何か雰囲気が違うわね」
「本当にね。この動きを遠目から見たら女に見えるかも」
「こうしてみると、銀月さんって結構男らしい動きをしてたんですね」
「見た目がそこまで男らしい男って訳じゃないからね。せめて所作は男らしくないと」

 三人の評価を聞いて、銀月はそう言って苦笑いを浮かべながら元の男のしぐさに戻した。
 その言葉を聞いて、輝夜は小さくため息をついた。

「でも、所作以前に日々の生活が主婦、と言うか完璧に嫁なのよね……将志から聞く限り」
「普通女が男の胃袋を掴むのに、銀月が巫女の胃袋を完膚なきまでにがっちり掴んでるものね」
「銀月君の料理美味しいもんね……女としては負けた気分になるよ」
「勝ち負けは関係ない気がするけどなぁ。要は、自然体の自分が相手に好かれればそれでいいと思うよ。第一、俺は鈴仙さんに勝ったなんて思ったこと無いもの」
「え、そうなんですか?」
「ああ。だって、守ってあげたくなる魅力って言うのは俺には無いから」
「あうっ……」

 ごく自然に銀月の口から出た言葉に、鈴仙は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
 それを見て、輝夜がジト眼で銀月を見やる。

「……相変わらず、あんたも息を吐くように口説き文句吐くわね」
「え、今の口説き文句だった?」
「あんたの言葉、要約すると『あなたは魅力的で守ってあげたくなる』って言っているのと同じことよ?」

 輝夜はよく分かっていない様子の銀月に、自分が何を言ったのかを説明した。
 それを聞いて、銀月は納得してうなずいた。

「ああ……まあいいか、否定する要素はないし」
「そういう問題じゃない!!」

 ずれた発言をする銀月に輝夜がそう叫んだ瞬間、銀月が以前持ち込んだ、部屋に置かれた柱時計がレトロな鐘の音を五回鳴らす。
 それを聞いて、銀月は大きく伸びをした。

「さてと、そろそろ晩御飯の準備をしないと。父さん、今日はどっちが作る?」
「……すまないが頼めるか、銀月?」

 銀月が将志に声をかけると、将志はどうやら永琳と大事な話をしているようで手が離せないようである。
 それを見て、銀月は大きくうなずいた。

「了解っと。で、鈴仙さん、今日はどうする?」
「あ……それじゃあ、お願いします」

 銀月と鈴仙はそう言いあうと、二人で台所へと入っていく。
 どうやら今日も銀月は鈴仙に料理を教えるようであった。

 銀月たちが夕食の用意をしている頃、将志と永琳は永遠亭の奥の縁側に座って話をしていた。
 二人は肩を寄せ合い腕を絡めており、仲睦ましい様子である。

「それにしても、銀月も大変ね。まさか都市伝説級の悪魔の正体だったなんて知らなかったわ」
「……全くだ。おまけに勝手に体を弄られたうえに、暴走の危険があるのだから困ったものだ」

 銀月の現状に、将志はそう言って大きなため息をつく。
 そんな将志のどこか緊張感に欠ける発言に、永琳は肩に預けていた頭を上げた。

「鏡月? 貴方、ひょっとして銀月のことをあまり危険視していないのかしら?」
「……銀月が危険か否かを問われれば、答えは否だ。何故なら、俺は銀月が悪魔に変わっても自我を失うことは無いと考えているからな」
「その根拠は何かしら?」
「……仮に銀月が悪魔になるにしたがって自我を失っていくのであれば、この間の魔法の試験の時にもっと大きな事件が起きるのが普通だ。だが、眼が微弱ながら翠色の輝きを宿していても銀月の意識ははっきりしていた。つまり、銀月が翠眼の悪魔になると必ずしも暴走するとは限らんのだ」

 将志は銀月が自我を失わないと思う根拠を永琳に告げる。
 しかし、それを聞いて永琳は難しい表情を浮かべた。

「……鏡月には悪いけど、希望的観測としか言えないわね。銀月が完全に妖怪に堕ちたとき、銀月の自我があるかどうかは分からないわよ?」
「……ああ、それも理解している。だが、銀月がそうなることは無いと考えている」
「どういうことかしら?」
「……銀月なら……自分がもう戻れないと悟れば、周囲の者を傷つけることを嫌い、自ら全てを捨てる道を選ぶだろうからだ」
「っ……」

 暗く平坦な声で紡がれた将志の言葉に、永琳は思わず息を呑んだ。
 家族や友人を非常に大事にする銀月が、もし自我を失い暴れだすような状況になったらどうするか。
 それは、魂が似通い思考が似ている将志にとって、十分に思いつくことであった。

「……俺が本当に不安なのはそこだ。自分の置かれた境遇に押し潰されてしまわないか。何があろうとも、自分を受け入れられるかどうか。こればかりは、俺がいくら手を尽くしてもどうにもならんからな」

 将志はそう言うと、陰鬱なため息をついた。
 自分がいくら手を尽くしても、現状では銀月の妖怪化を止めることが出来ていないのだ。
 更に精神的な面では銀月の全てを支えきれないので、途方にくれているのであった。

「そんなこと無いわよ、鏡月」

 そんな将志に、永琳は彼の腕を抱く力をそっと強めながら優しく声をかけた。
 その声に、将志は永琳の方を見やった。

「……××?」
「貴方、忘れたのかしら? 輝夜に怒られて家出したときのこと」

 永琳がそう言うと、将志はそっと眼を閉じて当時のことを思い出した。
 自らが貫くと決めた誓いにひたすらに縋っていた時代、将志は誓いに縋るあまりに自らの心を殺して仮面の心を作り上げ、ただひたすらに永琳を守ると決めていた。
 しかし、その仮面の心は輝夜の言葉によって叩き壊され、将志はがらんどうの心で家を飛び出したのだ。

「……忘れるはずが無い。俺はあの時、ようやく誓いを守るためだけの機械から一人の妖怪になって、××と向き合うことが出来たのだからな」
「その時、今にも消え去ってしまいそうな貴方を助けてくれた人が居るでしょう? だから、今度は貴方の番。銀月がどうしようも無くなったときには、今度は鏡月が助けてあげなさい」

 がらんどうの将志を救ったのは、かつて自分のことを怨敵とみなしていた妹紅であった。
 彼女は心が壊れた空虚な将志がどうしても許せず、荒療治を行ったのであった。
 将志はそれを思い出して、眼を開いた。

「……そうだな。今度は俺の番だ。何が何でも銀月を救い出してやる。子供を守れずして、何が親か」

 そう話す将志の言葉には、自らに発破をかける強い意志が籠められていた。
 そんな将志を見て、永琳は面白くなさそうな表情を浮かべた。

「……妬けるわね、本当に」
「……む?」
「気づいてないのかしら? 貴方、銀月が来てから私にずっと銀月の話ばかりしてるのよ? 私よりも銀月の方が大事なのかしら?」

 永琳は予てより不満に思っていたことを将志にぶつけた。
 将志が銀月を引き取って以来、彼は事あるたびに銀月のことを永琳に相談していた。
 その一方で、将志は自分のことや主である永琳の話題がめっきり少なくなっていたのであった。
 それを聞いて、将志はハッとした表情を浮かべた。

「……そんなことは無い」
「じゃあ、態度で示してちょうだい」
「……了解した」

 将志はそう言うと永琳をそっと抱きしめ、永琳は将志を抱き返す。
 しばらくの間、お互いの体温を感じあう二人。
 そしてしばらくすると、永琳は将志の腕の中で微笑みながら首をかしげた。

「……これだけかしら?」
「……自分の気持ちもよく分からんのに、これより先のことは出来ん」

 永琳の問いに、将志は苦い表情を浮かべてそう答えた。
 それを聞いて、永琳は苦笑いを浮かべた。

「真面目すぎよ。貴方はもう少し自分の気持ちを気楽に考えたらどうかしら?」
「……すまないが、こればかりは性分でな。自分の一番の相手を示すことに妥協はしたくは無いのだ」

 将志は苦い表情を浮かべたまま、はっきりとそう言い切った。
 それに対して、永琳は少し悲しそうな表情を浮かべた。 

「……まだ、自信が持てないのかしら?」
「……ああ。あの日以来、俺は××をただ主として妄信し、誓いを守るだけではなくなった。しかし、心境的には以前と変わらないのだ。××が俺にとって大切な存在であることは変わりないのだからな」
「それじゃあ駄目なのかしら?」
「……駄目と言うよりも、怖いのだ。以前の俺の様に、この気持ちが自分の使命感から生まれているのではないかと思うと、怖くてその気持ちを素直に受け入れることが出来ん」

 将志は淡々と、呟くようにそう話す。
 しかししばらくすると、その表情にどんどん苦悩が現れ始め、彼は頭痛をこらえるように自らの頭を抱えた。

「……××が大切なのは間違いない。××を確かに好いている。だが、どうしても今の俺は受け入れられんのだ。もしこれが以前と変わらないのであれば、俺は××だけでなく、周りの者まで傷つけてしまうのだからな……」

 そう話す将志の声は切羽詰って震えており、余裕がまるで無い。
 かつての自分が大きなトラウマとなっているようで、自分の気持ちがはっきりと分からず、それに自信が持てないのだ。
 そんな彼を見て、永琳は将志を抱きしめる力を強めた。

「……もどかしいわ。まるで欲しいものにあとちょっとで手が届くのに、その間にガラスの壁があるような気分よ」
「……そうは言われてもな……今の俺ではどうしたものか……っ!?」

 将志が永琳の言葉に答えた瞬間、彼はそっと押し倒されていた。
 その上に永琳は覆いかぶさり、将志の眼を覗き込んで微笑んだ。

「いっそ、私と貴方の間のガラスを叩き割ってみようかしら?」
「……何をするつもりだ?」
「貴方の心を阻んでいるのは理性よ。だから、貴方が私を滅茶苦茶にしたくなるくらい、好きって思わせるのよ」
「……それで、どうするのだ?」
「さあ、それは分からないわ。だから、貴方に色々と試そうと思うわ」

 永琳はそう言うと、色香を含んだ表情で将志に微笑んだ。
 その表情は横から黄昏色の光に照らされており、とても美しく見えた。
 それに対して、将志は余裕の笑みで微笑み返した。

「……では、まずは何を試す?」
「まずは、精一杯私から想いを伝えるわ」

 そう言うと、永琳は将志の唇にそっと口づけをした。
 それはとても優しく、その行為以上の想いが篭ったものであった。
 夕暮れ時の涼しげな風が二人の頬を撫ぜる。
 しばらくしていた後、永琳が唇を離すと、将志はそっと微笑んだ。

「……ここまではいつも通りだな。それから?」
「そうね……思い付かないわ」
「……おいおい……」
「仕方ないじゃない。私は貴方のことでいっぱいいっぱいだもの。方法にまで頭が回るほどの余裕が無いのよ。考えるなら、一人で考えないと」

 苦笑いを浮かべる将志に、永琳は熱を帯びた眼でそう訴える。
 その表情は少し苦しそうで、とても幸せそうだった。

「師匠~、晩御飯できました……よ……?」
「父さんも早く……」

 そこに、夕食の支度を終えた鈴仙と銀月がやってきた。
 二人は押し倒されている将志とその上に覆いかぶさっている永琳を見て、一瞬思考が停止する。
 そんな二人に、永琳は意味ありげな笑みを浮かべた。

「あら、もうそんな時間なの、うどんげ? もうちょっとゆっくりでも良かったのに」
「え、あ!?」
「ああ、そうだ。どうせなら見ていくかしら? 貴女も恋人が出来たらするんだろうし」

 困惑する鈴仙に、永琳はそう言って微笑んだ。どうやら将志と触れ合ったことで少しスイッチが入っているようである。
 突然の誘いに、鈴仙の顔が一気に紅に染まった。

「い、いえ、私に恋人なんて……」
「あら、銀月でも駄目なのかしら? 贅沢ねぇ、あれだけ気配りが出来て尽くしてくれる人もいないというのに」
「そっか……俺じゃ駄目なのか……それは、残念だな……」

 からかうような永琳の言葉に、心底残念そうに銀月は首を横に振った。
 それに対して、鈴仙は大慌てでそれを否定した。

「あ、いえ、そういう訳じゃ!」
「それじゃあ、俺としてみる?」
「……へ?」

 銀月の一言に鈴仙は虚を突かれた様で、呆けた表情を浮かべる。
 そんな鈴仙に、銀月は言葉を継ぐ。

「俺は別に構わないよ? ファーストキスは奪われちゃったし、もうそこまで気を揉む必要も無いしね」
「え、ええ!? いったい誰にとられ……って、そうじゃなくて!!」

 鈴仙は酷く驚いた表情で銀月に問い詰めようとしたが、何とか踏みとどまって本来の用件を思い出した。
 そんな鈴仙の様子に、銀月と永琳はくすくす笑って声をかけた。

「あはは、慌てすぎだよ、鈴仙さん」
「ふふふ、分かってるわよ。それじゃあ、料理が冷めないうちに行きましょうか」
「もう……それはそうと銀月君、あとでファーストキスについて聞かせてもらうからね」

 鈴仙はそう言うと、永琳と共に食事が用意されている居間へと向かう。
 その後を追って銀月が居間へ向かおうとすると、後ろから声が掛かった。

「……銀月。ファーストキスの相手は誰だ?」
「え?」
「……相手は誰だと訊いている」

 そう問いかける将志の口調は有無を言わせない口調で、かなりの威圧感を漂わせていた。
 それを受けて、銀月は面食らった表情で後ずさった。

「あ、ルーミア姉さんだけど……」
「……後でじっくり話を聞かねばなるまいな……」

 そう口にする将志の表情は、とても険しかった。

 後日、銀の霊峰にて宵闇の妖怪が槍妖怪と炎妖精の手によって厳しい取調べを受け、十字槍の門番の証言によって火刑に処されたのは別の話。


 *  *  *  *  *

 あとがき

 久々に本編での永遠亭のメンバーの登場。正直、超難産でした。
 ……だって、変化が付けにくいんですもの。
 何度シミュレートしてみても、将志と永琳が速攻でくっついて、輝夜達が呆れ果てる図が真っ先に浮かぶんですよね……
 書いた後に、永琳に仕事させれば将志と輝夜達の絡みが増えるんじゃないかとも思ったけど、銀月に関する報告がメインなのだからそうも行かないし。
 だから、どうしても出番が少なくなっちゃうんですよね……

 ……まあ、永遠亭メンバーは番外編で大暴れする傾向があるんですけどね。特に輝夜。

 いっそのこと、将志や銀月以外の連中が主役の話を増やそうかなぁ……善治さんみたいに。
 六花やギルバート、霊夢や妖忌辺りで書いてみようかな……

 では、ご意見ご感想お待ちしております。



[29218] 魔の狼、研究する
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:7f42dfbb
Date: 2012/11/12 03:42

 幻想郷北西部の高原に位置する西洋風の集落、人狼の里。
 その奥の丘には、長い歴史を感じさせる古びた立派な城がそびえ立っている。
 その城の前に、三つの人影が立っていた。

「おー、ここがギルの家か……本当にお坊ちゃまだったんだな、お前は」
「ええ。私も初めはまさかこんな立派なお城がギルバートの家だなんて思わなかったわ」

 白黒の魔法使いと七色の人形使いは、目の前の城を見上げながらそう話す。
 城の四隅にはそれぞれ塔が建っており、中央には里のシンボルにもなっている黄金に輝く巨大な鐘が据えられた、最も高い塔が建っていた。
 その堂々たる古城の住人である金髪の少年は、二人の言葉に小さく笑みを浮かべた。

「親父は一応領主だからな。こういう見てくれで威厳を保つことも重要なんだよ。威厳の無い領主を信頼する奴はいないからな」

 三人が大きな石造りの門の前に来ると、濃紫色の執事服に銀縁のモノクルをつけた老紳士が通用門から出てきた。
 年老いた執事は、自らが仕える主人の息子を見て深々と礼をした。

「お帰りなさいませ、ギルバート様」
「ああ。俺への来客はあったか、バーンズ?」
「いえ、本日は特にそのような方は現れませんでした」
「そうか。それならいい」

 バーンズの言葉を聞いて、ギルバートはそう言って頷く。
 それを受け取ると、バーンズは二人の客人に眼を向けた。

「いらっしゃいませアリス様。それから、貴女とはお初にお目にかかりますな。私めはこのゴルドベル城で執事を勤めさせていただいております、バーンズ・ムーンレイズと申します。失礼ですが、お名前をお聞かせ願えますか?」
「霧雨 魔理沙だぜ。ギルとは幼馴染だ」

 魔理沙はバーンズに簡単な自己紹介をした。
 すると、バーンズは静かに微笑みながら恭しく礼をした。

「そうでしたか。人狼の里へようこそいらっしゃいました。いやはや、人間のお客様とは珍しいですな」
「バーンズ、銀月も一応人間だぞ?」

 苦笑交じりにギルバートがそう言うと、バーンズはしばらく眼を瞬かせた後、ハッとした表情で苦笑いを浮かべた。

「……おお、失念しておりました。銀月様はどうにも人間という感じがしませんので……」

 そのバーンズの言葉を聞いて、魔理沙も苦笑いを浮かべる。

「あ~……ここでもあいつは人間扱いされないのな」
「いえ、そういう訳ではございませんが……彼と話していると、何故か妖怪と話しているのと同じ感覚を覚えるものですから」
「ああ、それ分かるぜ。まあ、あいつは妖怪の中で育っているからな。そうなるのも仕方が無いんじゃないか?」

 バーンズの言葉に、ギルバートはそう言って答える。
 そして、ふとした疑問をバーンズに投げかけた。

「ところで、これからどこかに出かけるのか?」
「はい。これから少々他流試合に参ります」
「他流試合?」
「魂魄 妖忌様から誘われまして……将志様の立会いの下で試合をすることになったのです」

 ギルバートの言葉に、バーンズはそう言って楽しそうに笑う。
 どうやらその他流試合が余程楽しみのようである。
 そんな彼の様子に、アリスが首をかしげた。

「あら、バーンズさんって何か心得があるのかしら?」
「嗜む程度ではございますが、剣を握ることがございます」
「よく言うぜ、バーンズ。うちに来る前は騎士団で団長をしてたって親父から聞いたぞ?」
「ほっほっほ。そういう時代もありましたな」

 ため息混じりのギルバートの言葉に、バーンズはそう言って朗らかに笑って肯定する。
 そんな彼に、魔理沙が怪訝な表情を浮かべた。

「本当か?」
「こいつを見りゃ分かるさ。ほいっ」

 ギルバートはそう言うと、ポケットから林檎を取り出してバーンズに放り投げた。

「……っ」

 次の瞬間、バーンズの眼が鋭く光ると同時に、手が素早く動く。
 バーンズの手の先では銀色の光が煌めく線を残し、風を切る音が聞こえている。
 そして銀月からもらった収納札から皿を取り出し、飛んできた林檎を受け止めた。
 すると、皿の上で林檎が八等分に分かれた。芯もしっかりと取り除かれており、そのまま食べられる状態である。

「失礼いたしました。宜しければお召し上がりくださいませ」

 バーンズはそう言いながら切り分けられた林檎を一同に差し出した。
 後ろに回された右手に細長いサーベルが握られていることから、彼がそのサーベルで林檎を切ったことが推察された。
 それをみて、魔理沙とアリスは唖然とした表情を浮かべた。

「すっげー……こんな器用なことが出来るもんなんだな……」
「いえいえ、将志様なら槍で料理を作れてしまいますので、あそこまでは……」
「もうなんでもありね、銀月のお父さんは……」

 バーンズの口から漏れた言葉に、アリスは乾いた笑みを浮かべた。
 そこまで話すと、バーンズは一行に深々とお辞儀をした。

「では、先方を待たせるわけには参りませんので、これで失礼いたします」
「ああ。しっかり勝って来いよ」
「承知いたしました」

 ギルバートの声に応えると、バーンズは対戦相手の待つ戦場へと向かっていった。
 それを見送ると、ギルバートは魔理沙達のほうを見た。

「それじゃ、中に入るぜ。勝手に動き回るなよ、魔理沙」
「そんなことしないぜ」

 ギルバートに続いて、一行は門の中へと入っていく。
 中に入るとそこは白いタイルが通路に敷き詰められた巨大な庭園になっており、中央の噴水を取り巻くように様々な花が植えられていた。
 その庭園の中では、庭師として働いているメイドや執事が大勢いて、その他にも散歩に来たと思われる者も何人かいた。
 その庭を見て、魔理沙は驚きの声を上げた。

「うわっ、これまた随分と広い庭だな。紅魔館より広いぜ」
「ただの園芸のための庭じゃないからな。さっきも言ったが、威厳を示すための庭なんだ。人狼の里は住人もそれなりに多いから、その分強い威厳が必要なんだよ。だから、この庭は普段から一般に開放されているんだ」
「それでここの門はいつも開いているのね。ところで、薬の材料は裏庭かしら? ジニは確か薬作りもしていたと思うのだけど」
「ああ。正確には裏庭の隔離部分だな。紅魔館もそうだが、ああいう植物は隔離しておかないと危険だから厳重に囲ってあるはずだぞ?」
「にしても、庭師が多いぜ。やっぱり、これだけ広いと手入れも大変なんだな」
「それでも、美鈴みたいに一人で全部をカバーしているよりはよっぽど楽だと思うぜ。それに大きな声じゃ言えないが、俺はここよりも紅魔館の庭の方が庭師の気持ちが篭っているから気に入っているよ」

 一行はそう話しながら、扉の前に立っている執事に一礼をして城内へと入っていく。
 広い石造りのエントランスには大きなシャンデリアがつるされており、壁際には沢山の騎士甲冑が飾られていた。
 その甲冑は古びたものであり、ところどころに傷が入っていた。

「何度見ても、今にも動き出しそうな甲冑ね」
「ああ、そいつは実際に使われていた奴だよ。何でも、バーンズが昔率いていた騎士団の連中が使っていたものだそうだ」
「何でわざわざそんなもんを飾ってるんだ? どうせなら新しくて綺麗な奴を飾れば良いのに」
「親父が自分が手に掛けた相手のことを忘れないようにするためだ。この甲冑の主達は、親父に殺されてるんだよ。だから、この城には傷だらけの甲冑がいくつも置いてあるし、その手入れは親父とバーンズが自分でやっているんだ」

 かつて、アルバートが数少ない人狼の集団を率い始めた頃、バーンズが騎士団を引き連れて人狼を討伐しに来たことがあった。
 その時に、アルバートは仲間を守るために前線に立ち、その騎士団を壊滅させたことがあったのだ。
 そのことを忘れまいとして、アルバートはその騎士団の甲冑を飾っているのであった。
 それを聞いて、魔理沙は乾いた笑みを浮かべた。

「……本当に動くんじゃないか、これ?」
「さあな。少なくとも、俺は動いたところを見たことが無い。それよりも、さっさと図書館に行くぞ」

 金の刺繍で縁取られた紫色の絨毯が敷かれた廊下を歩いて、図書館へと向かう。
 図書館は日当たりは悪いが風通しのいいところに作られており、日焼けと湿気を防げるような場所に作られていた。
 扉の横には小さな本棚があり、難しい本がたくさん並んでいる。
 その扉を開けると中には背の高い本棚が並んでいて、様々な魔導書が置かれていた。

「おー、これまた随分とたくさん本があるな」
「そりゃ、母さんが昔から集めていたからな。といっても、あんまり古いのは大体が写本だがな」
「え? それはどういうことだ?」
「その写本の大部分は、元々石版に描かれていた奴だ。そんなものを図書館に置いていたら、場所がいくらあっても足りないさ」
「けど、パピルスに書かれた原本はここの書庫にあるのよね。珍しい魔法がいっぱい載っていたわよ」
「へぇ、それは見てみたいな」
「駄目だ。あれは母さんが居ないと見せられない。理解できないのに触ったら危険な奴がたくさんあるからな」

 ジニが集めている魔導書の中には、触れるだけで発動するようなものもある。
 つまり、知識も無いのに触ってしまった場合に対処が出来ずに大事故に繋がる可能性があるのだ。
 それ故に、管理者であるジニの同伴が必要なのである。
 それを説明するギルバートの言葉に、アリスは小さくうなずいた。

「その道の専門家にしか読めない本がいっぱいだものね……ジニも完全には分からない本があるみたいだし」
「そういや、この間母さんがあの棚から本を持ち出してたな……たしか、召喚術の本だったような」

 ギルバートは数日前のジニの行動を思い出してそう呟いた。
 それを聞いて、アリスが怪訝な表情を浮かべた。

「召喚術? ジニの専門じゃないわね。彼女は呪術と錬金術が専門だし……いったい誰かしら?」
「となると、パチュリーか? あ、でもあいつは占星術が専門だったな……」
「俺は身体強化が主。アリスはオールラウンダーだし、魔理沙は……何て言えばいいんだ、あれは?」
「魔理沙の場合、魔力をそのままぶつけるのが専門ってことかしら?」

 それぞれの得意とする分野を並べ立てて、ジニが持ち出した本を誰が使うのかを考える三人。
 そんな中のアリスの言葉に、魔理沙は面白くなさそうな表情を浮かべた。

「むっ、私だって日々研究はしてるんだぜ? ギルだって知ってるだろ?」
「まあ、魔法薬学の基礎研究にはなってるよな、あれ」

 魔理沙は普段、魔法の森の中のキノコなどを採ってきては分析を行い、薬の試作品を作ったりしている。
 それを手伝っていて知っているギルバートは、魔理沙の言葉にうなずいた。
 すると、ふと魔理沙は何かを思い出して苦笑いを浮かべた。

「……そういやこの間、魔法の森で銀月の親父さんが食べかけのカエンタケ持って倒れてたな」
「何やってんだ、あの親父……」

 魔理沙の話に、ギルバートは呆けた表情を浮かべた。
 カエンタケとは致死性の高い強力な毒をもつキノコであり、見た目にも色鮮やかで明らかに食用に出来るとは思えないキノコである。
 更に人間なら触れるだけでも毒の症状が現れるため、人里でも毒キノコとして名の知れたキノコなのである。
 そんなキノコを食べるという将志の奇行に、アリスは唖然とした表情を浮かべた。

「何でそんなことするのよ……カエンタケなんて、人間の間でも有名な毒キノコじゃない……」
「それが後で聞いてみたらな、「……食ったら美味いかもしれないじゃないか」って返ってきたぜ」
「……もはやただのアホじゃねえか……」

 将志の返答に、三人はあきれ果てることしか出来なかった。
 そんな話をしながら図書館の中へと進んでいくと、空中に何やら本が数冊浮かんでいるのが見えた。
 それに気が付いた魔理沙は、ギルバートに話しかけた。

「ん? なあギル、あそこで空を飛んでる本は一体何だ?」
「っ!? 伏せろ、魔理沙!」
「へ? うわっ!?」

 ギルバートが叫んだ瞬間、宙に浮かんでいた本が勢いよく三人に向かって突っ込んできた。
 魔理沙は飛んできた本をしゃがむことで避けると、眼を白黒させながら本を見やった。

「な、何だあの本!?」
「ここの警備用の魔導書だ! 母さん、警備掛けてたのか!」

 ギルバートがそう言っている間に、本棚から次々と本が出てきて侵入者に襲い掛かる準備を行っている。
 それを見て、魔理沙とアリスの頬に冷や汗が伝う。

「何かいっぱい出てきたぜ……」
「ギルバート、どうするのよ!?」
「こいつらが出ているときは特定の魔法しか使えない! 二人とも出口まで走るぞ!」

 ギルバートの言葉と共に、三人は一斉に図書館の出口へと走り出した。
 その後ろから、大量の本が風を切るような速度で追いかけてきており、両者の距離は段々と縮まり始めていた。
 それを見て、魔理沙が叫んだ。

「おい、これじゃあ追いつかれるぜ!」
「そんなこと言ったって、私これ以上速く走れないわよ!」
「ちっ、二人とも、ちょっと触るぞ!」
「うわっ!?」
「きゃあ!?」

 ギルバートはおもむろに二人を肩に担いで走り出した。
 能力を使って走るギルバートは弾丸のような速度で、襲い掛かってくる本をどんどん引き離していく。
 そして図書館の出口に滑り込むと、素早く扉を閉めた。
 すると、内側から本が扉に当たる音が聞こえてくる。
 それを聞きながら、ギルバートは大きくため息をついた。

「ふう……危ないところだった。うっかりしてたぜ、警備を確認していなかった」
「で、図書館に入れないけど、どうするのかしら?」
「ちょっと待ってろ。今警備を解除するからな」
「どうやるんだ?」

 魔理沙は眼をキラキラと輝かせながら、ギルバートを見やる。
 そんな魔理沙を見て、ギルバートは頭を抱えた。

「……お前には絶対教えない。アリス、こいつの耳をふさいで後ろを向かせてくれ」
「ええ、良いわよ」
「あ、おい!!」

 アリスは魔理沙の耳をふさいで、後ろを向かせる。
 するとギルバートは扉の横の本棚に近寄り、中の本を動かし始めた。
 整然と順番どおりに並んでいる本を、決められた順番に並べていく。
 そして最後の本にはさまれている栞を決められたページにはさむと、ギルバートは確認してうなずいた。

「よし、警備解除できたぜ。もう手を離してもいいぞ」
「了解よ」

 アリスはそう言うと、魔理沙の耳から手を離した。
 すると魔理沙は不満げな表情でギルバートを見やった。

「ちぇ、どうやってるのか見たかったのにな」
「誰が前科持ちに解除方法を教えるかっての。さあ、とっとと入るぜ」

 ギルバートに促され、三人は再び図書館の中に入っていく。
 今度は空中に浮いている本はなく、全ての本が本棚に戻っているようであった。

「お、さっきの本が無くなってるな」
「あの本もこれでちゃんと読めるぞ。その手のことが書いてある本だからな」
「でも、今回はそれが目的じゃないでしょ?」
「今日は何をするんだっけ?」
「今日は母さんから課題をもらってるんだよ。こいつの分析だ」

 ギルバートはそう言うと、ポケットから一枚の紙を取り出した。
 その紙には複雑な模様が描かれており、どこか異様な雰囲気を漂わせている。
 そんな紙を見て、魔理沙が首をかしげた。

「ん? これ、どっかで見たような……」
「こいつは母さんが作った、銀月の収納札のコピー品だ」

 ギルバートがそう話す中、アリスは収納札を手にとって見る。
 そしてしばらく眺めながら手元のペンと出し入れした後、難しい表情を浮かべた。

「……見たことの無い形ね。いくつかの魔法陣が重なってるみたいね」
「あーっと……これ、召喚の魔法陣か?」
「何でそう思うんだ?」
「いや、何となくそんな感じがしたんだぜ。というか、こいつはどうやって物をしまってるんだ?」
「“収納”するからには、どこか別の空間に送ってるのよね。それなら、基本は召喚と送還じゃないかしら?」
「そうか? 俺はてっきり空間形成と転移だと思ってたけどな」

 アリスの考察に、ギルバートがそう言って異論を唱える。
 それに対して、アリスは首を横に振った。

「空間形成はありえるけど、転移ならしまうことは出来ても取り出すことが出来ないわよ。だから、やっぱり基本は召喚術だと思うわ」
「けど、召喚術って一つの物体に付き一つの魔法陣が必要だろ? この収納札、一つの魔法陣で何でもしまえるぞ?」
「それなのよね……ただの召喚術じゃ、それが説明できないのよね」

 アリスとギルバートはそう言って考え込む。
 その横から、魔理沙がふと思いついたように口を開いた。

「これ、大元は銀月の札なんだよな? 案外、限界を超える術式があったりして」

 魔理沙がそう口にした瞬間、アリスはハッとした表情を浮かべた。

「……それ、確かにありそうね。問題は、そんなものがあるのか分からないところだけど」
「それじゃ、それが探す本の第一候補だな。次は何だ?」

 それから三人は、札に書かれている魔法陣についての考察を色々と考えた。
 途中で様々なものを出したりしまったりしながら意見を出し合い、それをまとめていく。
 そして数時間がたったころ、ギルバートが大きくため息をついた。

「……召喚、魔力吸収、空間形成と連結、限定解除二種、詠唱省略……たった一枚の札に、魔法陣てんこ盛りだな」
「そんだけ重なってりゃ、何だか分からなくもなるぜ」
「魔法陣の種類を調べるだけで一日使いそうね……重ね方とか、そこまでは行けそうにないわ」
「銀月が昔から使っていた札なんだけどな。あいつ、よくもまあこんな複雑な陣を思いついたもんだ」

 ギルバートはそう言いながら手にした札を眺める。
 その札に描かれた魔法陣がどのような相互作用をしているのかは分からない。
 それを見ながら、アリスは深く考え込んだ。

「……一つ思うのだけど、銀月って何者? ただ戦神に拾われた人間ってだけじゃなさそうだけど」
「そういや、銀月のこと全然知らないな。あいつ、自分のことはちっとも話さないし」
「俺が知ってるのは、銀の霊峰があいつを引き取ったことには理由があるってことだけだな。まあ、昔から人間離れした強さだったから、野放しにしてたら周りが危ないってのもあったのかもしれないけど」
「そうだよな……私が初めてギルと会った日も、銀月ととんでもない喧嘩してたもんな」

 ギルバートと魔理沙は銀月と初めて会った日のことを思い出した。
 ギルバートは人狼としての本気を出した上で負けており、魔理沙は銀月の異常な身体能力を目の当たりにしているのだ。
 また、アリスはギルバートの身体能力を知っていて、それに対抗できるほどの能力を持っているということで銀月の異常性を理解している。
 そんな中、アリスはふとした疑問を二人にぶつけた。

「そもそも、彼って本当に人間なの? 銀の霊峰に拾われたのだから、普通じゃないのは分かる。でも、あまりにも常軌を逸しているわ。実は人間に見えるだけで別物だったりはしないのかしら?」
「でも、あいつがメインで使ってるのは霊力だぜ? それなら人間じゃないのか?」
「それも含めて見せ掛けじゃないかってことよ。妖力や魔力が一見霊力に見えるように偽装されていないかって事」
「けど、そんなことして何になるんだ? 人間として暮らしたかったって言うんなら、そもそも銀の霊峰に拾われた時点で人里に行きたいって思うはずだろ? 俺はあいつが親父さんにそういうことを言ったところを見たことがないぜ?」
「それもそうね……それでも、やっぱり私は銀月が人間だと思えない。人間としては、あまりに上手く出来すぎている気がするのよ」

 ギルバートの意見を聞いて、アリスはそれに頷きながらも銀月に対する評価を述べる。
 すると、それを聞いてギルバートと魔理沙は納得したように頷いた。

「上手く出来すぎてるねえ……まあ、確かにあいつを指すにはぴったりの言葉かもしれないな」
「それに関しては俺も同意だ。それはさておき、そろそろ休憩にするか」

 ギルバートがそう言うと、三人は二階のテラスへと移動する。
 テラスからは広い庭園が一望でき、その向こう側には人狼の里自体が高台にあることもあって素晴らしい景色が広がっていた。

「おー、こりゃいい景色だぜ」
「今日の風は暖かくて気持ち良いわね」
「だな。ついこの間まで真冬の寒さだったからな……ちっと待ってろ、お茶とって来る」
「ん? 執事に任せれば良いんじゃないのか?」
「自分の個人的な客人だからな。公に招いた客ならともかく、自分の客人は自分でもてなすことにしてるんだよ」

 ギルバートはそう言うと、紅茶を淹れるためにキッチンに向かった。
 そしてしばらくすると、トレーにティーセットとスコーンを乗せて戻ってきた。

「はいよ、ミントティーとスコーンだ。クロテッドクリームとジャムは自由に使ってくれ」
「ありがとう」
「で、魔理沙はどこに行ったんだ?」

 ギルバートはそう言いながらあたりを見回す。
 先程まで魔理沙が座っていたはずの場所には誰も居らず、周囲にもモノトーンの服の女性は見当たらない。
 そんな彼女を捜すギルバートに、アリスは話しかけた。

「魔理沙ならお花を摘みに行くって行ってたわよ?」
「……ちょっと待っててくれ、アリス。何やら嫌な予感がする」

 ギルバートは苦い表情を浮かべてそう言うと、建物の中へと入っていった。



 一方その頃、魔理沙は広い城の中を歩いていた。
 彼女は周囲を見回していて、何かを探しているようであった。 

「っと……ギルの部屋はどこだ?」

 彼女の目的はギルバートの部屋。
 どうやらこの前の宴会でギルバートの自室にある本が気になるようであった。

「あいつの立場からすると、たぶん奥のほうだよな……」

 魔理沙はそう言いながら、長い廊下をどんどん奥のほうへと進んでいく。
 しかし一向にギルバートの部屋が見つかる様子はなく、メイドや執事に怪訝な表情をされるだけであった。
 そんな中、魔理沙はふと思いついたように手を叩いた。

「あ、そうだ。私は今ちゃんと招待されてきてるんだから、訊けるんだっけ。なあ、ちょっと良いか?」
「はい、何でしょうか?」
「ギルの部屋ってどこだったっけ? トイレに行っている間に迷っちゃったんだ」
「ああ、それならこの奥の階段から三階に上がって、右に曲がって左手の奥から三番目の部屋です。案内いたしますか?」
「いんにゃ、大丈夫だ。サンキュ」
「どういたしまして」

 魔理沙はメイドからギルバートの部屋の位置を聞きだすと、まっすぐ彼の部屋へと向かった。
 ギルバートの部屋は三階の南向きの部屋の一室で、扉には満月を模した木彫りの彫刻が掛けられていた。
 魔理沙がその扉を開けると、中は少し広い書斎のようになっており、中心の机には実験台になりそうな机が置かれていた。
 そして部屋の奥の窓際には、普段から使われていると思われるベッドが置いてあった。
 それを見て、魔理沙はここがギルバートの部屋であると確信した。

「お、ここだな。随分といい部屋もらってるじゃないか、あいつ」

 魔理沙はそう言うと、一直線に本棚へと向かう。
 そこには図書館のものよりも少し易しい内容の魔導書や、趣味の本や小説などが置かれていた。

「お~、これまた面白そうな本が揃ってるぜ。魔導書に教科書……これは釣りの本か……へえ、あいつ恋愛小説も読むんだな。意外だぜ」

 魔理沙は興味津々と行った様子で本棚を漁る。
 最初のうちは魔導書を漁っていた魔理沙だったが、次第にギルバートの趣味の方が気になりだし、そちらの方を漁り始める。
 そしてそのうち、魔理沙は本棚から外れて机に眼を向けた。

「……日記とかないかな?」
「おい……そこで何をしている?」

 魔理沙が机の引き出しに手を掛けたその時、後ろから少年の声が聞こえてきた。
 それを聞いて、魔理沙は慌てて後ろを振り返った。

「げ、ギル」
「……」

 すたすたと無言で歩いて近づいてくるギルバートに、魔理沙は後ずさる。
 魔理沙はどんどん壁際に追いやられていき、ギルバートが段々近くなる。

「…………」
「うわぁ!?」

 そして次の瞬間、魔理沙はベッドの上に押し倒されていた。
 その上にはギルバートが覆いかぶさっていて、彼女の両手を耳の横に押さえつけていた。

「……よく聞け、魔理沙。俺は人間が嫌いだ。それでもお前と付き合っているのは、友人として好意があるからだ。それがなけりゃ、俺はお前をここで喰い殺していてもおかしくないって分かってるのか?」
「お、おお……」
「だったら、勝手な行動をするんじゃない。俺だって、友人を手に掛けたくはないんだからな」

 しどろもどろになっている魔理沙に、ギルバートは少し真剣な表情でそう言い放つ。
 しかししばらくすると、ギルバートは小さくため息をついて首を軽く横に振った。

「……といっても、お前はたぶん聞かないよな?」

 ギルバートはそう言うと、顔をゆっくりと魔理沙に近づけ始めた。

「……ギル?」

 魔理沙がそう問いかけるも、ギルバートはそれに答えることなく顔を近づけていく。

「……んっ」
「きゃふぅ!?」

 そして、ギルバートは魔理沙の首筋を怪我をしない程度の力で甘噛みした。
 そこから伝わってくる感覚に、魔理沙の背筋にぞくりとしたものが走り、上ずった声を上げた。

「な、何するんだよ!?」
「……黙れ。人の言うことを聞かない奴はこうだ」
「ふあぁう……」

 ギルバートは自分の牙で軽くつつくくらいの力で魔理沙の首をかみ続ける。
 彼の吐息と牙で与えられる刺激に魔理沙は身をよじるが、両手をしっかり押さえつけられているために抵抗できない。

「ひぅ……あぁ……」

 魔理沙の顔は今まで受けたことのない感覚と恥ずかしさで上気したものに変わっていき、抵抗する気力すらなくなっていった。
 そして魔理沙の体から力が抜け出したことを感じると、ギルバートは口を離した。

「今はこの程度で済ませてやる。今度俺の部屋に勝手に入ったりしたら、もっと酷いことしてやるからな」
「うう~……」

 憮然とした表情でギルバートは魔理沙に話しかける。
 しかし、当の魔理沙は耳まで真っ赤になっており、顔を手で覆っていて明らかに様子がおかしい。
 そんな彼女に、ギルバートは首をかしげた。

「……? 何赤くなってるんだよ、魔理沙?」
「お、お前、自分で今何をしたか思い出してみろ!」

 ギルバートの言葉を聞いて、魔理沙は勢いよく起き上がってギルバートに詰め寄った。
 その顔は真っ赤で、少し涙ぐんでいる。

「ん?」

 そんな魔理沙の言葉に、ギルバートはふと自分のした行為を思い返してみた。
 本来ならば、ギルバートは相手の息の根を止める喉元に噛み付くところだったのだ。
 それを今はまだ最初の警告ということで、首筋に変更したのである。
 しかし、よく考えるとその行為は相手に性的な刺激を与える行為でもある。
 それに気が付いたギルバートは、思わず呆けた表情を浮かべた。

「……あ」
「あ、じゃない! どうしてくれるんだよ! 私こんな赤い顔でアリスの前に出なきゃいけないんだぞ!」

 呆けているギルバートに、魔理沙はそう言ってまくし立てる。

「っ、知るかそんなこと! 大体、お前が勝手に俺の部屋に入るのが悪いんだろうが!」
「そ、それとこれとは別問題なんだぜ!」

 それを聞いて、ギルバートも頬を赤く染めながら叫ぶように反論する。 
 すると正論を言われた魔理沙はそれから逃げるように言葉を返した。
 その発言に、ギルバートはガシガシと頭をかきむしった。

「ええい! とにかく、今度勝手にうろうろしたら今のよりも凄いことしてやるから覚えとけ!」
「な!? おいギル、お前本気か!?」
「ああ、これが一番効くって言うんならやってやるよ!」

 ギルバートは真っ赤な表情で魔理沙を指差しながらそう叫んだ。
 つまり、命を狙う方向ではなく、そういう方向で攻めるつもりのようである。

「なっ、なあっ……」

 そのギルバートの宣言に、ただでさえ赤くなっていた魔理沙の顔が更に赤くなり、頭から湯気が立ち上り始めた。
 どうやら何をされるのか想像してしまったようで、体をもじもじと動かしながら縮こまっている。
 そんな魔理沙の手を掴んで、ギルバートはアリスが待つテラスへと歩き始める。

「ほら、とっととアリスのところへ戻るぞ!」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
「いいや、待たない! これ以上アリスを待たせるわけには行かないだろ!」

 二人は道中で言い合いながらテラスへと戻っていく。
 二人とも顔は真っ赤で、もはや周りを気にしている余裕など全くなかった。
 テラスに着くと、アリスが収納札を眺めながら紅茶を飲んで待っていた。

「あら、お帰り……って、どうしたの? 二人とも顔が真っ赤よ?」
「……何でもねえよ」
「な、何でもないぜ……」

 アリスの問いかけに揃って答える二人。
 そんな二人を見て、アリスは意地の悪い笑みを浮かべた。

「……もしかして、ギルバートが魔理沙を襲いでもしたかしら?」
「んな訳ねえだろ!!」
「……ぁぅ……」

 思いっきり否定するギルバートと、俯いて帽子で顔を隠す魔理沙。
 その反応を見て、アリスの表情が冷ややかなものに様変わりした。

「ふ~ん……この反応を見るとおおむね図星って所かしら? 見損なったわ、ギルバート」
「違うっつってんだろ!! 大体魔理沙が俺の部屋に入らなきゃ……」
「へぇ……勝手に部屋の中に入ったから、襲い掛かったのね。たったそれだけで襲い掛かるなんて最低」
「だから、ちょっと待てよ!!」

 冷たく言い放つアリスに、ギルバートは必死で弁明する。
 しかし、冷静さを欠いたギルバートは混乱し、何を言えばいいのか分からなくなってしまっていた。
 そんなギルバートを見て、アリスは腹を抱えて笑い出した。

「……ぷっ、あははははは!! 必死すぎよ、ギルバート。分かってるわよ。普通本気で襲い掛かられたら、真っ赤な顔なんてしていられないもの。でも、それなら何があったのかしら? ねえ、ギルバート?」
「……絶対に言わねえ」

 にやにやと笑うアリスに、ギルバートは憮然とした表情で短くそう言い放った。
 それを聞いて、アリスは大きく頷いた。

「ふむふむ、つまりここでは言えないような事をしたわけね」
「……もう好きにしろ」

 ギルバートは吐き捨てるようにそう言うと、アリスに背を向けて黙り込むのであった。



 それから休憩が終わった後、三人は再び図書館で勉強をした。
 収納札についての議論を交わし、ある程度まとめたところで夕暮れを告げる鐘が鳴り、客人達は帰り支度をして城から出る。

「今日はありがとう。今度はここに銀月を呼びたいわね」
「そうだな。あの札の解説を聞くんなら、大本を作った本人に聞くのが一番だもんな。けど、もうしばらくは俺達だけで調べてみようぜ」

 アリスの言葉に、ギルバートはそう言って返す。
 アリスはそれを受け取ると、自分の隣を見てため息をついた。

「……けど、ギルバート。本当に魔理沙に何をしたの? あの後から完全に使い物にならなかったじゃない」
「……ぁぅぁぅ……」

 アリスの隣では、顔を真っ赤にした魔理沙が立ち尽くしていた。
 彼女は休憩の後からずっと思考がパンクしており、議論に全く参加できなかったのだ。
 そんな魔理沙を見て、ギルバートは少し頬を染めながら苦い表情を浮かべた。

「……黙秘権を行使させてもらう」
「そう……まあ良いわ、それならこっちであることないこと考えるから」
「考えるな!」

 アリスの言葉に、ギルバートは身を乗り出してそう叫んだ。
 そんな彼の様子に、アリスは楽しそうに笑った。

「ふふふ……それじゃあ、また今度ね。ほら、帰るわよ、魔理沙」
「お、おお、そ、それじゃあ、またな、ギル」
「あ、ああ、また今度な、魔理沙」

 魔理沙はギルバートとぎこちなく挨拶を交わすと、空へと飛び上がっていった。
 それを見送ると、ギルバートは大きくため息をついた。

「……ああくそ。銀月じゃあるまいに、何てことしてんだ、俺は……」

 ギルバートはそう言いながら、城の中へ戻っていくのであった。


 *  *  *  *  *

あとがき

 という訳で、ギルバートの日常的なものを書いてみました。
 とは言うものの、実際にはギルバートの周りの人物の過去を少し掘り下げる形になりましたね。

 バーンズが元騎士団の団長だったり、それを壊滅させたのがアルバートだったり、銀月がやっぱり滅茶苦茶だったり……とにかく、人狼の里の連中の過去を掘り下げると軽く一章くらい書けるくらいの文章量になりますね。
 ちなみに、雷禍の過去でも二、三話書けます。
 ……我ながら表に出てこない設定をぎっしり作ったものだ。

 それから、ギルバートと銀月の女性に対するスタンスは、まあこんな感じ。
 銀月はほぼ受け手で、ギルバートは受け取ったらそれを返そうとする感じです。
 まあ、とどのつまりはゆうかりんに引っ叩かれるか、てんこをひっぱたくかの違いですが。

 最後に、将志が毒キノコを躊躇なく食べるのは仕様です。
 死んでも直りません。


 では、ご感想お待ちしております。



[29218] 銀の槍、立会人となる
Name: F1チェイサー◆5beb2184 ID:7f42dfbb
Date: 2012/11/24 19:54

 とある平原にて、緑と白の羽織袴を着た一人の老人が静かに佇んでいた。
 彼の腰には長い刀と短い刀が刺さっており、それぞれ楼鳴剣と銀楼剣と銘打たれている。

「お待たせいたしました、妖忌様」

 そんな彼の元に、濃紫色の執事服を着た老紳士がやってきた。
 その彼の腰には、使い込まれた細長いサーベルが下げられていた。
 その執事を見て、妖忌は笑みを浮かべて手を上げた。

「なに、気にすることはない。儂と違って、お前さんにはまだ仕事があるんじゃからな。それに、立会人もまだ来ておらん」
「そう仰るということは、貴方は引退なさったのですか?」
「ああ、儂もとある方の従者をしていた。お前さんと一緒じゃよ」

 妖忌はバーンズの質問にそう言って答える。
 すると、バーンズはにこやかに微笑みながら頷いた。

「左様でしたか。いやはや、貴方とは何かと共通点が多いですな、妖忌様」
「そうじゃな。それ故に、儂はお前さんだけには負けたくないんじゃ」
「ほっほっほ、それはお互い様でしょう。私も、貴方には負けたくありません」

 二人はそう言って笑いあう。
 しかし、そう話す二人の間には少しずつピリピリとした空気が漂い始めていた。
 どうやら二人とも、早く手合わせがしたくて仕方がないようである。

「……そうじゃ。一つ、将志様が来るまで何か演武でも競ってみんか?」
「演武、でございますか?」
「そうじゃ。例えば、こういうことじゃ!」

 妖忌はそう言うと、音も無く腰に刺した楼鳴剣を振りぬいた。
 すると、傍らにおいてあった岩が真っ二つに斬られた。
 鏡のように磨かれたその断面から、楼鳴剣の切れ味と妖忌の腕前を知ることが出来る。
 それを見て、バーンズの眼が鋭く光った。

「……成程、そういうことでございますか。では、私めも僭越ながら……」

 バーンズはそう言うと、ポケットからコインを五枚取り出し、宙に放り投げた。

「ふっ!」

 そして、眼にも留まらぬ速さで手に持った細長い剣を繰り出す。
 それと同時に、金属が触れ合う甲高い音が聞こえてきた。

「……いかがですかな?」

 バーンズはそう言いながら、手にした剣を顔の前に掲げる。
 その剣には先程投げた五枚のコインが串刺しになっており、彼の高い技量を窺い知ることが出来た。
 それを見て、妖忌は楼鳴剣を納めながら楽しげに笑った。

「ふっ、やるのう。やはり、お前さんは儂が見込んだとおりの腕じゃったよ」
「貴方こそ、かなりのお手前ですぞ。いやはや、これは試合が楽しみと言うものですな」

 二人がそう言って話していると、空から五つの人影が降りてきた。

「……待たせたな。立会人を迎えに行っていたら遅くなった」

 そのうちの一人、小豆色の胴着に紺色の袴を着た銀髪の青年が二人にそう言った。
 その青年こと将志が連れてきた立会人を見て、二人は少し驚いた表情を浮かべた。

「幽々子様に妖夢?」
「久しぶりねぇ、妖忌。元気にしてたかしら?」
「師匠の本気が見られると聞いて、駆けつけました。今日は見学させてもらいます」
「アルバート様、ジニ様、予定では今日は抜けられない仕事があったのではございませんか?」
「ああ、あったとも。久々に騎士団団長の剣が見られるのならば、見逃すわけには行くまい?」
「応援するから頑張ってね、バーンズ」

 立会人として呼ばれた四人は、自分と関係のあるほうに声をかける。
 そんな彼らに、妖忌とバーンズの表情が引き締まった。

「ふむ……こうこられてはみっともない所は見せられんのう」
「いやはや……これは是が非でも恥ずかしくない戦いをしなければなりませんな」

 二人の老兵はそう言って小さくため息をついた。
 そして、二人同時に顔を上げてお互いに向き合った。

「我が名は魂魄 妖忌。お前さんに勝負を申し込ませてもらうぞ、バーンズ」
「私めはバーンズ・ムーンレイズ。その勝負受けましょう、妖忌様……いえ、妖忌」

 そう言いあうと同時に、妖忌は楼鳴剣の鯉口を切り、バーンズは手にしたサーベルを顔の前に掲げた。
 ただそれだけの行為でスイッチが切り替わり、両名から凪のように静かな、それでいて熱い闘争心が流れ始める。
 そんな二人の気迫を感じた将志は、両名が向き合う戦場に近づいていく。

「……両名共に準備が整ったようだな。では……始め!!」
「「っ!」」

 将志が号令を掛けた瞬間、二人は弾かれたように走り出した。

「ふっ!」

 先手を取ったのは妖忌。
 相手よりも長いリーチを生かして、相手の間合いの外から居合いの技で斬り込んでいく。
 その太刀筋に乱れは無く、当たれば間違いなく両断されてしまうような一太刀である。

「はっ!」

 一方で、バーンズはその一太刀を恐れずに突っ込んでいく。
 こちらは相手よりも得物が軽いことを十分に生かし、相手の剣が届く前に最速の突きを放つ。
 その突きは風切りの音が聞こえないほどブレが無く、何でも突き通してしまいそうな洗練されたものであった。

「くっ!」
「ちっ!」

 そんなそれぞれの攻撃を、妖忌は体の軸をずらすことで躱し、バーンズは前に飛び込むことで回避した。

「そりゃっ!」

 妖忌は振り向きざまに刀を横に振るう。
 するとその斬撃が空気の刃となり、唸りを上げてバーンズに襲い掛かった。

「てりゃっ!」

 一方のバーンズは振り向くと同時に飛び込んできたそれに対して、眼に見えないほど素早く連続で突きを放った。
 すると飛んできた空気の刃が切り刻まれ、ちぎれて消えた。
 そして息を吐く間もなく妖忌に向かって斬り込んでいき、妖忌はそれを鎬で軸をずらしながら受け止める。
 激突の瞬間に火花が散り、両者は鍔迫り合いの状態になった。

「その細い剣で、凄い度胸じゃのう。儂の一振りで叩き折られてしまいそうなものじゃが」
「そちらこそ、そんな軽く短い両手剣でよくそこまでの威圧感が出せるものですな」

 二人はお互いの得物について、そう言及する。
 妖忌からしてみれば、バーンズが片手で扱っているサーベルは細すぎて、簡単に折れてしまいそうに見える。
 バーンズからしてみれば、妖忌が両手で扱っている刀は軽い上に短く、彼が知っている両手剣よりも楽に攻め込めそうに見える。
 しかし、実際はそう簡単にはいかなさそうだと言うことを、二人はこのたった数合の斬りあいで悟ったのであった。

(さて、どうしたものかのう?)
(はて、どうしましょうかな?)

 二人は相手を油断無く見つめながら、相手にどう対処するかを考える。
 妖忌にとって脅威となるのは、バーンズの速度。
 軽やかに動き、短い動作で連続して片手突きを放ってくる相手の攻め方は、自分が斬り込む速度よりも明らかに速い。
 つまり、自分の攻撃が届く前に相手の攻撃が届いてしまう可能性があるのだ。
 一方、バーンズにとって脅威となるのは、妖忌の技。
 妖忌の言うとおり、自分の扱っている軽く細いサーベルは、妖忌の攻撃を下手に受けると折れてしまう可能性があった。
 更に、自らの太刀筋が体を開けば避けられる点であるのに対し、相手はかなり避けづらい線の攻撃。
 と言うことは、攻撃範囲と言う点において、バーンズは妖忌に大きく劣っているのだ。

「せやっ!」

 そんな中、先に動いたのはバーンズだった。バーンズは相手を押し切って、素早く相手に突きこむ。
 その一撃を、妖忌はとっさに刀で受けようとした。

「むっ!?」

 しかし、その途中で妖忌は危機感を感じ、体制を崩しながら大きく後ろに下がった。
 そんな彼の眼前を、鋭く光る切っ先が通り過ぎていく。
 妖忌は後ろに倒れこみながら地面に手をついて足を振り上げ、バック転をしながら刀を逆袈裟に斬りあげた。

「なんの!」
「まだまだぁ!」

 妖忌の返し技に、バーンズは追撃の手を止めて後ろに引く。
 そんな彼に対して、妖忌は八相の構えから一息で斬りかかる。
 その攻撃を、バーンズは受け流そうと身構えた。

「うっ!?」

 しかし、バーンズはその攻撃に寒気を覚えて、大きく距離をとった。
 その彼の首があった場所を、横一文字に銀色の線が走る。
 そして両者は間合いを取ると、小さく息を吐いた。

「器用なものじゃのう。その剣では、突きをそこまで曲げることが出来るんじゃな」

 妖忌はバーンズのサーベルを見ながらそう口にする。
 バーンズが先ほど放った突きは、妖忌の刀に当たる寸前で軌道を変え、横から妖忌の心臓を狙いに来ていたのだ。

「器用なのはお互い様です。まさか斬撃の最中に太刀筋を変えてくるとは思いませんでした」

 バーンズは妖忌の持つ刀を見ながらそう話す。
 妖忌は袈裟斬りの斜めの太刀筋から手首を返し、受け流そうとする相手の剣を折るべく真横に振りぬく軌道に変えたのであった。
 二人の技は長年にわたるたゆまぬ研鑽が可能にしたものであり、並大抵の努力ではたどり着けないレベルのものであった。
 二人はお互いの技を称え合うと、笑みを浮かべた。

「さて、準備体操はこれくらいで良いかのう?」
「ええ、お互いに体も暖まったことでしょうな」

 二人はそう言うと、静かに息を吐く。

「……では、本気で行くかのう」

 妖忌がそういった瞬間、妖忌の体が青いオーラを放ち始めた。
 その光は川の流れを思わせるような、穏やかでありながらどこか冷たい鋭さを持ったものであった。

「……ええ、望むところですぞ」

 バーンズがそういった瞬間、その体を赤いオーラが覆い尽くした。
 その光は燃え盛る炎を思わせるような、触れるものを壊してしまいそうな激しさを持ったものであった。
 二人の間に広がっていた闘志はもはや燃え滾っており、見るものを圧倒するような迫力があった。
 その中で、二人は相手を見据えて不敵に笑う。

「「……いざ!!」」

 二人はそう言うと、その場から掻き消える様な速度で動き出した。

「ぜやぁ!」
「なんの!」

 妖忌が刀を振るうと バーンズはその一撃をぶれて見えるほどの速度で回避する。
 妖忌の斬撃は刃となって飛んでいき、青白い太刀筋と共に地面が切り裂かれる。

「そりゃあ!」
「まだまだ!」

 バーンズが連続突きを繰り出すと、妖忌ゆらりと揺れるような素早い動きで躱す。
 バーンズの刺突は赤い弾丸のような衝撃波を生み、妖忌の背後にあった岩が蜂の巣になって砕け散る。

「でやああああああ!!」
「ぜやああああああ!!」

 凄まじい気迫と共に、二人の老兵が恐ろしいほどの速度でお互いに突っ込んでいく。
 そしてぶつかった瞬間、激しい音と共に大気を震わせるような衝撃があたりに走った。
 年老いたはずの二人は今や激しく闘志を燃やす修羅へと変貌しており、間に割ってはいる余地は見受けられなかった。

「あんなに激しい妖忌なんて初めて見るわね……」
「……レベルが高すぎて参考になりません……」

 今まで見たことのない妖忌の戦う姿に、幽々子と妖夢はそう口にした。
 その表情は少し呆けたものであり、戦いに心を奪われているようである。

「ふっ、昔を思い出すな。ああまで熱くなったバーンズを見るのは久しぶりだ」
「本当にね。貴方との一騎打ちの時以来かしら、アル?」

 一方のアルバートとジニは激しく戦うバーンズを見て、昔を懐かしむようにそう呟いた。
 そんな二人に、将志が話しかける。

「……しかし、バーンズは強いな。あれでまだ人狼への変身を残しているのだから恐れ入る」
「バーンズはもう人狼にはなれんよ。強く封じられているのだ」

 将志の言葉に、アルバートはそう言って答えた。
 それを聞いて、将志は怪訝な表情を浮かべた。

「……どういうことだ?」
「人狼は年老いると、理性が保てなくなるのだ。そして、仲間であるはずの人狼にまで襲い掛かるようになってしまうのだ。故に、人狼はある一定の年齢に達したら封印を施されるのだ。人間の状態では、普段どおりの生活が出来るからな」
「……つまり、今のバーンズは人間とほぼ変わらんと言うことか」
「見かけ上はな。しかし、人狼の生命力はそのままであるから、人間よりはずっと長く生きられるぞ」

 アルバートは将志にそう言って、年老いた人狼について説明をした。
 その言葉を聞いて、ジニは小さくため息を吐いた。

「でも、この二人の闘いを見る限り、二人とも人間を超越した何かの戦いになってるわね」

 ジニはそう言いながら、激しく戦う二人のほうを見た。

「そりゃああああ!!」

 妖忌は楼鳴剣と銀楼剣で十字に青白い斬撃を飛ばすと、それを上回る速度で走り出した。
 そして、斬撃が地面を切り裂きながら届くと同時にバーンズに斬りかかる。

「でりゃああああ!!」

 一方のバーンズは、腕が何本にも分かれて見えるほどの速度で突きを繰り出した。
 それは相手の斬撃をかき消すのには十分であり、そのまま妖忌へと鋭く突きを放つ。

「ぐっ!」
「ぬっ!」

 両者は火花を散らすほど激しくぶつかり合うと、即座に離れて再び仕切りなおす。
 その戦いぶりは人間が到底たどり着けないレベルのものになっていた。

「しっ!」
「ふっ!」

 二刀を駆使して舞い踊るように戦う妖忌と、一本のサーベルでひたすらに速さを追求するバーンズ。
 そのぶつかり合いは、二人の今までの人生の大半を費やしたもののぶつかり合いであった。
 それ故に、二人はお互いに絶対に負けられないのだ。
 何故ならば、ここで相手に負けると言うことは、自分の人生が相手よりも劣っていると言うことのように感じられるからである。

「ぬおおおおおおおおおお!!」
「でやあああああああああ!!」

 その死闘の余波で、地は裂かれ、岩は砕け、草木は薙ぎ払われる。
 二人にはもう周囲に気を配る余裕は残されておらず、相手のことしか見えていない。

「危ない!」
「きゃっ!?」

 突如として、アルバートがジニを抱えて横に飛ぶ。
 するとそこをバーンズが放った赤い衝撃波が飛んでいった。

「な、なんなのよぉ……」
「むう……バーンズめ、少々熱くなりすぎだな」

 眼に涙をためて泣きそうになっているジニを抱きながら、アルバートはそう呟いた。
 その横で、将志が妖忌の放つ青い斬撃を切り払う。

「……全く、まさか妖忌とバーンズがここまで熱くなる性質だとは思わなかったな」
「ここはもう危険だ。ジニ、ここを離れるぞ」
「ひっく……うん……」
「……幽々子、妖夢。いったん退くぞ。ここに居ては巻き込まれる」
「そうね。行くわよ、妖夢」
「は、はい!」

 将志とアルバートに守られながら、観戦していた面々は安全なところまで避難する。
 二人の激戦は遠くから見るとあちらこちらに青と赤の閃光が飛び交っており、とても近づけそうにない。
 そんな二人の闘いを見て、妖夢が静かに口を開いた。

「将志様……師匠って、あんなに強かったんですね……」
「……仮にも、俺の指導を受けた者だからな。だが、やはり悟りを開いてから剣の冴えが増している。やはり、引退はまだ早かったか?」
「いずれにしても、ここからじゃよく見えないわよ。決着がつくまで、離れてみていましょう」

 幽々子がそう口にすると、一行は離れて待つことにした。
 一方、二人の修羅の戦いは相も変わらず続いていた。
 流水のように相手の攻撃を受け流しながら刀を振るう妖忌に、炎のような激しさで攻め込んでいくバーンズ。
 そんな中、バーンズの眼が光った。

「そこだぁ!」
「ぬぅ!?」

 バーンズの突きは、妖忌の持つ銀楼剣の鍔を鋭く正確に捉える。
 妖忌はその衝撃を逃がしきれず、短刀を後方へと弾き飛ばされた。

「甘いわぁ!」
「ぐっ!?」

 一方の妖忌も、バーンズの持つサーベルの根元を狙って残された楼鳴剣を振るう。
 避けきれないと悟ったバーンズは刀身を守るために鍔で受け、剣を手放した。

「くっ、まだ!」
「しまった!?」

 無手になったバーンズは、楼鳴剣を持つ妖忌の手を強く蹴り上げた。
 楼鳴剣は高々と宙を舞い、地面に落ちて突き刺さった。
 それを受けて、妖忌は肩を振るわせ始めた。

「おのれ……よくも儂の、将志様から頂いた刀を蹴りおったな!」
「ぐぅ!!」

 妖忌は激昂し、そう言ってバーンズに殴りかかった。
 剣士にとって、刀と言うものは自分の分身のようなものである。
 さらに、妖忌の楼鳴剣は自分が師と仰ぐ戦神からもらった、大変に思い入れのある刀である。
 それを足蹴にされたのでは、怒り出すのも無理はないだろう。

「抜けぬけと……貴様も私の剣を何度も折りに来ただろうが!」
「がっ!!」

 一方、バーンズもいつもの礼儀正しい口調を投げ捨てて妖忌に蹴りを入れる。
 騎士であるバーンズにとっても、剣は自分の相棒と言えるものなのだ。
 それを折ろうとしてきた妖忌がそんなことを言うのだから、バーンズが頭に来るのも仕方がないことである。
 両者の戦いは剣技による戦いから、感情に身を任せた、子供の喧嘩の様な殴り合いへと発展していった。
 違いがあるとすれば、喧嘩をしているのは老人であり、なおかつ二人の戦闘能力が非常に高いということである。

「どりゃあ!」
「ぐはっ!」

 妖忌は相手の攻撃を受け流しながら、そうして作り出した隙に反撃を叩き込んでいく。
 その技は正確で、確実にバーンズにダメージを与えていく。

「せいやぁ!」
「あぐっ!」

 バーンズは素早い動きと動作の先読みで妖忌の死角に入り、攻撃を加えていく。
 反撃を返されはするものの、そのスピードで繰り出される攻撃は妖忌の体力をどんどん奪い去っていく。
 ここでも二人の実力は拮抗しており、そう簡単には勝負は付きそうもなかった。

「喰らえ、このロートルジジイ!」
「貴様もジジイだろうが、この耄碌ジジイ!」

 妖忌とバーンズはお互いに罵り合いながら派手に喧嘩を続ける。
 二人とも相手を殴ることしか考えていないために乱打戦になり、どんどん青あざが増えていく。

「……アルバート。バーンズは元々あのような性格だったのか?」
「……いや、そんなはずはないのだが……相手の侍こそああなのか、幽々子嬢?」
「……少なくとも、妖忌があんな暴言を吐いたところは見たことないわよ」
「ししょー……私の中のイメージが木っ端微塵ですよぉ……」
「ひっく……ぐずっ……」

 そんな二人の様子を、観客は唖然とした様子で眺めていた。
 妖忌もバーンズも、普段は礼儀正しく穏やかな性格である。
 その二人がまるで人が変わってしまったかのように喧嘩して罵り合っていることが信じられないのだ。
 特に、妖夢にとって妖忌は将志と共にずっと背中を追いかけ続けている相手であるため、なおのことショックが大きいようである。
 なお、ジニは恐怖から立ち直れておらず、アルバートにしがみついている。

「……同属嫌悪だろうか? 妖忌もバーンズも共に従者で剣士であるし……」
「私達に言われても分からないわよ。けど、ちょうどいいんじゃないかしら? 二人にはちょうどいいガス抜きになりそうだし」
「……成程、銀月とギルバートの関係の様なものか」
「……あの二人ほど、微笑ましい仲にはなりそうもないがな」

 将志達はそう言って頷きあうと、二人の従者の方を見やった。

「この……いい加減に倒れんか!!」
「それは……こっちの台詞だ!!」

 二人はそう言いながら殴りあう。
 二人ともかなりのダメージを負っていて足元がおぼついておらず、相手を殴る腕も先程までの元気さはなくなっている。

「ぐあっ!?」
「がふっ!?」

 そして、それぞれの顎に相手の右ストレートが炸裂した。
 お互いにカウンターが決まる形となり、お互いにそれが決定打となって地面に崩れ落ちる。
 それを見て、将志は小さくため息を吐いた。

「……相打ちだな」
「そのようだな」

 将志とアルバートはそう言いながら、それぞれ妖忌とバーンズを肩に担いだ。
 その二人のあとに、女性三人が付いてくる。

「それじゃあ、私達はこれで失礼するわ。帰るわよ、妖夢」
「え、あ、はい!」

 幽々子が声をかけると、妖夢は少し送れて返事をした。
 どうやら未だに先程までの妖忌の姿を認めたくないようである。
 そんな妖夢の横に、妖忌を担いだ将志が立つ。

「……アルバート、バーンズが起きたら伝えておいてくれ。勝負は引き分けで終わったと」
「了解だ。ジニ、私達も帰るぞ」
「……うん……」

 アルバートは方にバーンズを担いだ状態で、自分の着ているグレーのスーツの裾を握っているジニに声をかけ、空へと飛び立った。
 それを確認すると、将志は幽々子達の後を追って白玉楼へと飛び立っていった。


 そして後日。

「ぜやああああ!!」

 迷いの竹林の一角で、妖忌は刀を振るう。
 その度に近くに生えている竹が切り倒され、次々と広場が大きくなっていく。

「今に見ておれよ、バーンズ……今度あったときは、格の違いを見せ付けてやるわい!」

 妖忌はそう気合を入れると、近くに生えていた竹を一瞬で細切れにした。


 一方、人狼の里の近くの草原では。

「でやああああ!!」

 バーンズは掛け声と共に素早くサーベルを振るう。
 その度に風切り音が聞こえ、近くの草木を薙ぎ倒していく。

「首を洗っておけよ、妖忌……次の勝負、貴様に引導を渡してくれる!」

 バーンズはそう誓うと、近くにあった岩を粉々に砕いた。



 それからと言うものの、二人は事あるたびに決闘をするようになるのであった。
 
  *  *  *  *  *

 ジジイ共大暴走するの巻。
 いやあ、東方不敗とかマスター・ヨーダとかの影響で、この手の爺さん=滅茶苦茶強い、という構図が出来上がっているので、一回書いてみたかったんですよね。
 でもって、自分のプライドとか信念とかもあるものだから、一旦それが傷つけられると途端にぶちキレる。
 その結果、今回のようなことに。

 妖忌とバーンズの関係は、初期の銀月とギルバートの関係によく似ていますね。
 ただ、彼らがあの二人ほど仲良くなることはないでしょうが。

 なお、最後の殴り合いは書いていてMGS4の最後の戦いを思い出しました。


 では、ご意見ご感想お待ちしております。


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
4.6040990352631