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[28977] ルーチェ隊長はトラブルと出会ったようです【転生者はトラブルと出会ったようです 三次創作】
Name: 槍◆bb75c6ca ID:0df82b4f
Date: 2012/10/15 00:05
 本作はとらハSS投稿掲示板で連載されておられる、さざみー様製作『転生者はトラブルと出会ったようです』の三次創作SSになります。

 このSSは『転生者はトラブルと出会ったようです』を読んだ作者こと槍が、その完成度、キャラクターの素晴らしさに感銘を受けすぎて『三次書きたい!』と思いつめ、無謀にも許可をとりにいったところなんと承認いただけたことで書き連ねましたものであります。

 それゆえ、いくつかの注意点があります。
 ・このSSは転生トラブル本編と一切関係がありません。
 ・続きものではなく、それぞれの転生トラブルキャラクターにスポットを当てた短編集になっております。
 ・槍の作ったオリジナルキャラクターがでます。
 ・作者が作者なので、内容はかなり壊れギャグや変なシリアス、奇妙なバトルとなっております。
 ・何人かがキャラ崩壊の恐れがあります。
 ・他人が書いた転生トラブルなんて読みたくない、認めない。壊れギャグなんてまじ簡便、といった読者様も当然いらっしゃると思いますので、上記の注意点に1つでも嫌悪感を感じたらご注意願います。

 全5話全五章ほどになりますが、どうかお付き合いのほどをよろしくお願いします。
 さざみー様に、全身全霊の感謝を。本当にありがとうございます!



[28977] 『ルーチェ隊長は恋愛でトラブったようです』
Name: 槍◆bb75c6ca ID:0df82b4f
Date: 2012/07/01 00:47

 まったく困った。本当に困った。
 すっかりと自分に馴染んだ3097隊のデスクの上に、べたぁと蕩けたマシュマロのように彼女は上半身を沈めている。その手には、情報化した現代には珍しい“手紙”を握って。

「どうしましょうか……これ……」

 ちらり、と顔をずらして手紙を見つめる。その手紙はとても可愛らしい絵柄の便箋。
 女の子がいかにも好きそうな、という感じで。そこに書かれた文字もまた、丸く優しいタッチなものだから、この手紙の送り主は“女性”だというのは安易に想像出来るだろう。

「……本当に、どうしよう……」

 くるくると手紙を手の中で器用に回す。



 困っていた。それはもう盛大に彼女は困っていた。
 『親愛なるルーチェ・パインダ様へ』、との一文で始まる“ラブレター”に、困り果てていた。



   『ルーチェ隊長は恋愛でトラブったようです』



 ルーチェ・パインダ、12歳。性別は女性、むしろ女性でなければなんだというのか。
 街中で歩いていればその姿を見たものは男女問わず振り返ると言っても過言ではない美貌。
 年齢相応の幼い外見を残しながら、しかし大人の女性特有の雰囲気を併せ持つその顔は高価な芸術品すら価値を無くす。
 その腰まで(なび)く美しい黒髪は天然産の黒真珠が足を生やして逃げ出し、健康的な身体に反するかのような白き肌は白米が嫉妬を始めて黒く染まるだろう。

 触れればか弱い花の如く折れてしまいそうな華奢な体。しかしその外見に反して体は鍛え上げられていているという奇跡。
 胸を見れば自己を主張しつつも御しとやかな二つの胸腔が膨らんでおり、その絶景の価値はどんな広大な“自然”が相手だろうと敵うまい。
 あと6年経ったら押し倒したいぐらいの美少女、というか今すぐにでも押し倒してしまいたいと犯罪の意識すら生み出すこと間違いなし。

 そんなルーチェではあるが、彼女は誰にも話せない秘密があった。それは“男だった前世”を持っているということ。
 何の因果か彼女は一度“死んで”、目を覚ませばこの体の持ち主としてミッドチルダと呼ばれる“異世界”のスラム街に居たのだ。
 いや、異世界というには若干の語弊がある。なぜならその世界は、前世で見ていた“アニメの中にある世界”なのだから。
 その後、何だかんだで沢山のことがあって、大変なことや悲しいことも多かったけれど、それでも愛する家族を得て、幸せに、とはいかないかもしれないが悪くない人生を送っているのが彼女の現状である。



 ――話は変わるが、彼女は“ストロベリー”が嫌いである。
 ストロベリーといっても飲み物ではなく、ストロベリーのような“恋愛”が嫌いなのだ。
 彼女は美しい女性であり、はっきり言えばモテる。それはもうモテる。彼女の所属する組織『時空管理局』にはファンクラブまであるのだから。

 彼女が選ぼうと思えば相手などよりどりみどりである――“男”ならば。
 先も話したが、ルーチェは前世で男だった記憶を持っている。それが問題だった。

 見た目は麗しい少女であったとしても、中身は男の記憶と感情を持っている彼女が“男相手”に恋愛を出来るだろうか?
 ――そう、出来ないのである。ルーチェはその記憶を持つが故に“男相手”に“恋愛”が出来ないのだ。

 それだというのに彼女の“女”の部分は、ふと見せる男の仕草に心臓を高鳴らせることがあり、その度に吐き気を感じながら自己嫌悪に陥った。
 だったら“女相手”に恋愛をすればいいだけの話かもしれない。だが、世の中そんな百合百合した都合のいい相手など居ないのである。
 もしかすればいるかもしれないが、彼女は今までそんな存在に出会ったことがない。というよりも、女を好きになろうとすれば今度はルーチェの“女”の部分が反応して拒絶反応を起こしてしまうという負のスパイラル。

 そんなこんなで、彼女はしたくても恋愛が出来なかった。
 重要であるからしてもう一度いわせてもらうが、“したくても出来ない”のだ。故に、彼女はストロベリーで甘ったるい青春まっしぐらな恋愛が嫌いである。大っ嫌いだ。

 街中で仲睦まじそうに手を繋ぐカップルが居れば心中で恨み事を呟き続けることなど日常茶飯事。
 部下が合コンやデートに行こうと休暇を求めようなら急ぎでない仕事をどっさりと与える。
 さらにその部下のデート現場に出くわしてしまえばもう大変。内心ぶち切れ状態で邪魔しにかかるという徹底ぶり。

 しかしながら、彼女が色恋沙汰を邪魔すると何故か以前よりカップルの仲が良くなってしまうという愛のキューピッド現象に悩まされるのだが。



 と、ここまで説明して、話を彼女の現状に戻すとしよう。
 ことの始まりは自身が隊長を勤めるミッドチルダ首都航空3097隊の部署に出勤して、いつものデスクに座った瞬間だ。
 机の上に見慣れない封筒が置かれていた。送り主の名前は載っていない、彼女の宛名だけが書かれた封筒である。

 怪しく感じつつも封を開けて中を除いてみると、可愛らしい一枚の便箋が入っていた。
 その便箋の内容を読んで、驚いた。心臓が飛び出るかと思うほどに。彼女は自身でも不測の事態に対面した折り、否応もなく狼狽してしまうという性分があったが、そうでなくとも誰でも驚くだろう。

 なぜなら、それはラブレターだったのだから。しかも“同性”からの恋文である。内容は以下の通りだ。

 『貴女を一目見た瞬間に、貴女以外のことを考えられなくなりました。
  人をこれほど好きになることなど初めてで、しかもそれが同性だというから自分でも驚いています。
  想いは募り、ついには仕事が手につかなくなるほど、貴女が愛しい。
  今夜、貴女に直接会って話したいことがあります――時間はいつでもいい、クラナガンの景色を一望できる○○公園で待っています。
  貴女が多忙な身であることは十分に承知しています。そして、こんな手紙を出す私を気持ち悪いとお思いかもしれません。
  それでも、来ていただけると、話を聞いていただけるとを信じて、私はいつまでも待っています――。

                                    ネオン・クライスより』

 どこをどう読んでもラブレター。縦読みも斜め読みもない、完全なる恋文。
 ルーチェを愛していると、そしてその想いを伝えたいと、ずっと待っていると。
 なんと甘酸っぱい内容なのだろうか。これほどベタなラブレターなど漫画の中にしか存在しないと思っていたが、まさか自分が受け取ることになろうとは。
 人生何が起こるかわからないものだなぁ、と転生などというとんでも現象の経験を棚に上げて彼女は隊長室の天井を見上げた。

「……罠、でしょうか?」

 ふと、ある可能性が脳を過ぎる。これが罠だとしたらどうだろう。
 常日頃、真面目に隊長業を勤めているつもりではあるが、こと恋愛が関係すれば仕事を押し付けてでも邪魔をしている彼女である。
 そんな彼女を、部下――あるいはそれに準じる誰かが仕返しをしようとしているのでは。意気揚々と現場に向かったら『やーい引っかかったー、ルーチェ隊長のおばかさん』と書かれたプラカードを持った部下がいたとしたら彼女の秘められた真の能力を開放し目に映るすべてのものを破壊しかねない――。

 とそこまで考えて、頭を振った。彼女の魔導士としての力を知っている部下からすればそれがいかなる自殺行為だというのは考えつくことだろう。さらに言ってしまえば、何だかんだで信頼している部下達に、そんな酷いことをするものなどいない、と信じたいのだ。
 本当にそんなことをされればいかな彼女であろうと実家に帰って引きこもる自信がある。

「行くべきか……行かないべきか……」

 もしも行ったとしたらどうなるのだろう、と彼女は真剣に考える。本当にネオン・クライスという女性が待っていたとして。
 その女性が自分を愛していると告白したとする。そして告白されたら、自分はどうする? 男も愛せない、女も愛せないこんな自分が見も知りもしない相手に“はい”といえるか?

 しかし、行かなかったとしたら、彼女は手紙の文面通り待ち続けるかもしれない。
 日が暮れても、夜が明けても、ずっとずっと待ち続けるかもしれない。こんな自分を信じ続けて。

「……私が夜勤や急な任務が入ったらってことを考えてないですよね」

 幸いにも、本日は急ぐ仕事もなければ大変な仕事もない。というか、珍しく定時で帰れる日が今日だ。
 帰れるといっても、彼女には“上”から与えられた秘密裏の仕事があるけれど。
 これをネオンという女性は知っていて机に手紙をおいたのだろうか。だとすればなかなか用意周到である。

 ……というか、本当にネオン・クライスとは誰なのだろうか、とルーチェは頭を捻る。
 文面からして女性のようではあるが、ネオン・クライスなんて名前は聞いたことがない。一目惚れというからにはお互いに面識がないことになるのだから当然だが。

 何を始めるにしても、まず情報が足りない。公園で待っているといっても公園には沢山の人で賑わっているかもしれないのだ。
 その中の人々に1人づつ『私に手紙をくれたネオン・クライスさんですか?』と聞くわけにもいかない。せめて髪型や身長くらいは――。

 そう考え続けていると、不意にドアからノックの音がした。二度三度叩かれて、その後に『隊長、いますか?』と声が上がる。

「――っ!? え、ええ!」

 咄嗟にラブレターをデスクの中に仕舞いこみ、そう答えると『失礼します』との掛け声と共に、1人の青年が入室する。

「先日の事件の報告書が出来上がったので持って来ました」

「ご苦労様です、ティーダ准空尉。では確認させてもらいます」

 報告書らしきディスクを片手にやって来たのはティーダ・ランスターだった。
 オレンジ色の短髪が目を引く好青年といったところだろうか。ルーチェは提出されたディスクをパソコンに読み込ませ、その中の報告書を眺める。そして不備がないことを確認しコンソールを操作し始めた。

「問題はないようですから、このまま受理します」

「ありがとうございます。ではこれから市内の見回りがあるので、失礼しますね」

「はい――あっ、ちょっといいですか」

「ん? なんでしょう」

 部屋を出ようとしていた足を止め、ティーダは振り向く。

「たいしたことではないのですが……貴方はネオン・クライスという人物を知っていますか?」

 手紙の送り主、ネオン・クライス。ルーチェはその名前を知らなかったが、顔の広いティーダなら何か知っているかもしれないと思って駄目元でそう尋ねてみる。
 するとその予想は的中したようで、しばらく考え込んでいたティーダは『おお』と思い出したように語り始めた。

「ネオン・クライス――首都防衛隊の救護班の一員ですよ」

「防衛隊の救護班」

 優秀な魔導士は海に大量に引き抜かれてるとはいえ、守りの要である首都防衛隊に配属されているとなると、ネオン・クライスはなかなか優秀な人物のようだ。
 ルーチェはさらにこの機会を逃すものかと彼女についての情報を収集する。

「年齢や容姿はわかりますか?」

「一度書類を届けに本部にいった時に会話したことがあるだけなんで、詳しい年齢とかは知らないですけど20歳前後ってところじゃないですか。
 容姿、といわれると……眼鏡をかけた美人ですね。まあ顔よりもまず赤毛のロングストレートが目立ってるんで、まずはそこが目がいっちゃうんですけど」

「20歳前後で眼鏡に赤髪のロングストレート……ふむふむ」

 それらの情報があれば間違えることはないだろう。
 ミッドは人種の幅が大きい為に様々な髪色や肌色が存在するが、20歳くらいの赤髪でロングストレートと解りやすいポイントがあれば公園で待っているという彼女を見つけるのは容易だ。

「彼女がどうかしたんですか?」

 さきほどからオウム返しを繰り返すルーチェを不振に思ったのか、ティーダはそう聞き返した。
 ぎくっ、とルーチェは身体を震わせつつ、当たり障りのない回答を迅速に考える。
 ラブレターを貰いました、などと馬鹿正直に答えればなにを言われるかわかったものじゃない。

「……いえ、近々――知り合うことになるかもしれないので」



 その後、ルーチェは隊員や知人にネオン・クライスのことを聞いて回って、それなりに彼女の人柄が掴め始めていた。
 曰く、彼女は魔導師としての才能はあまりないのだが、首都防衛隊の救護班に配属されたのは“優秀な医者”としての技量を評価されたらしい。

 とある有名な医学校を主席で卒業、その後は管理局に医師として入隊。
 容姿はティーダが美人というようにモデル顔負けに整っており、人柄も良好で男女問わず人気があるようだ。
 エリートを鼻にかけることもなく、悪い噂は一切聞かないどころか好評価がほとんど。それらを聞いて、医者は医者でもどこぞの変態医者とは180度違うのだなとルーチェは思った。

 ふと時計をみれば、時刻はすでに18時を回っている。隊員は夜勤のものを残しほとんど帰宅。
 ルーチェもまた仕事を終え、あとは帰るだけだ。時計を呆けるように眺め、長針がカチッと音を上げると、彼女は決意したように立ち上がる。

「――行きますか」

 壁にかけた管理局の上着を取り、彼女は隊長室を出る。
 ルーチェの向かう先は愛する家族がいる自宅ではなく、手紙をくれた“彼女”の元へ。



 ■■■



 手紙にクラナガンの景色を一望出来ると書かれていたように、確かにその高台に位置する公園から見下ろす光景は壮観だった。
 すでに日は沈みかけ、暗闇に溶け込もうとする街中に溢れる無数の光。自分達が守らなければならない、大切なもの。

 すでに公園に人気はなく、風に揺られるブランコの音がするだけだ。そんな公園のベンチの上に、1人の女性が座っていた。
 流れるような赤い髪を靡かせ、知性的に思わせる眼鏡が非常に似合っている。

 だが、服装は少し変。いや、ここが“研究室”や“医療室”というなどこもおかしくはないのだが、“白衣”だ。
 まるで生まれたときから着ていたというように似合っている彼女の白衣姿ではあるけれど、この公園にはあまりにも異質。
 どこかの病院から抜け出したのか? とでも思わざるを得ない。

 そして、そんな彼女に近づく人影があった。その人影はゆったりとした面持ちで彼女に近づき、少しだけ上ずった声で――。

「お待たせ、しました」

 そう言った。勢いよく顔をあげる白衣の彼女は、その声の持ち主を認識したと同時に朱色に頬を染め上げる。

「ネオン・クライスさん――でしょうか?」

「はっ、はい! ルーチェ隊長……! まさか本当に来ていただけるなんてっ!」

 咄嗟に立ち上がり敬礼するネオン。現在はプライベートであり、本来なら敬礼はやらなくていい。
 だが彼女はそれすらもわからないほどに緊張しているのか、とても忙しない。大の大人が年下の子供に向かってあたふたと慌てる様子に可笑しくなって、思わず「ふふっ」と微笑みを零すルーチェ。

「あうぅ……」

 それがよっぽど恥ずかしかったのか、さきほどよりも彼女の綺麗な赤髪よりも、彼女の顔は真っ赤に熟す。
 これではどちらが子供でどちらが大人かわかったものではないが、ルーチェにとっては可愛い人だな、とプラス評価だった。

「――それで、お話とは……」

「……そ、その……手紙を拝見していただけたのなら……御察しのことと思いますが……」

 まるで恋する乙女のような表情で、ちらちらとルーチェの顔を見るネオン。

(――ああ、やっぱり)

 ここに来て、ルーチェは確信する。やはり彼女は今日この場所で私に告白するつもりなのだ、と。
 万が一にも世間話がしたいだけではないかということもあったかもしれないが、この反応をみるに可能性は零だろう。
 ルーチェは恋愛が嫌いで恋愛が出来ないといっても朴念仁ではない。ここまであらかさまな反応をされれば想像はつく。というかこれで何もわからなかったそれはもう病気だ。

 ごくっ、とネオンの固唾を呑む音が聞こえた。小さく身体も震えている。

「わ、私……ネオン・クライスは……あ、貴女のことが……好きです!」

 きっとその一言に、ネオンは全身全霊の勇気を振り絞ったのだろう。
 日が暮れた2人きりのこの空間に響いたその言葉は、ミッドの夜景が祝福するように光を洩らすその世界で轟いたその言葉は――確かに“愛の告白”だった。

「――――」

 その告白に対する“答え”は、ここに来る前に用意している。
 ルーチェがここに来たのは、おそらく自分に告白をする為に呼んだ彼女の告白を――“断る”為なのだから。

 彼女自身、好きと言われるのは嬉しいし、ありがたいとも思う。
 しかし――やっぱりというべきか、こうして彼女を見ても“恋愛感情”が浮かばない。
 彼女は世間一般に見ても可愛いのだろう。主観的に見てもそうだ、これほどの美人はそうはいない。好意に価するとはこのことか。

 それでも――ルーチェは“駄目”だった。付き合う付き合わない以前の問題で――目の前の美人と幸せな関係を築く“未来”すら想像が出来ない。

 あるいは、深愛なる友人としてなら共に過ごせる未来もあるだろう。

 あるいは、深愛なる同僚としてなら共に過ごせる未来もあるだろう。

 けれど――親愛なる恋人として共に過ごす未来は、見出せない。

 男としてこの体があったなら、全力で彼女を愛せたかもしれないというのに。女としてこの体がある限り、全力で彼女を愛せない。

 だから、ルーチェは断ろうと思った。彼女の思いを断ち切り、踏みにじり――自分への想いなど一時の過ちと、忘れて欲しいが為に。
 ああ、なんという甘酸っぱいストロベリーなのだろうか、とルーチェは心の中で小粒の涙を零す。

「ですから――――私と、私と!」

 その先は言わなくとも、ルーチェは十二分に承知している。
 だから、タイミングを合わせる。間を取るでもなく、彼女の台詞を遮るのでもなく、理想的なタイミングで――用意していた断りの台詞を告げる為に。

 ネオンの顔はすでに熟した林檎やトマトなど比べようもないほど。体の震えは頂点に達し、おそらくは緊張も同じだろう。
 それでも、彼女は決心を決めて、ルーチェの瞳を真っ直ぐに向けて――その言葉を、言い放った。






「解剖を前提にお付き合いしてください!」






 そのありきたりで、けれども永遠に廃れないであろう王道の告白を聞いて、ルーチェは答えた。

「ごめんなさい、私はまだ幼く貴女の気持ちに答えるこ――――え?」

 聞き間違えた? とルーチェは一瞬思った。うん、おかしい。“前提にお付き合いしてください”というのは普通の告白だった。
 しかし、“前提にお付き合いしてください”の前に彼女は――解剖、解剖といったか?

 聞き間違いではない、彼女は確かにそういった。普通そこは“結婚”ではないのだろうか。
 いや、女同士で結婚というのも元々おかしいのだけれど、しかしここミッドチルダにおいては同性カップルは実のところ珍しくなかったりするのだけれど。

 だとすれば――言い間違い? いや、もはや言い間違いにおいて他にないだろう。甚だ“結婚”と“解剖”をどう言い間違えるのか疑問だがこの際おいておくべきだ。

「あ、あの……」

 思わず言葉に詰まるルーチェ。そんな彼女の様子に何かを察したのか、ネオンは「す、すみません!」と両手をあたふたと振り始めた。

「さ、さっきのは……実は、嘘というか、ジョークというか……」

 ――わぉ、Nice joke。

 思わずアメリカンテイストな口調で心中に呟くルーチェ。いや、どこらへんがナイスなジョークだったのかはさておき、どうやら先ほどのは彼女なりの医者ジョークだったらしい。
 こんなシリアスな場面で、もっとも大事な場面で、そんなジョークを口にする彼女に若干引きながらも、ルーチェはなんとか彼女と向き合い続けた。

「こ、今度こそ……私の本当の気持ちを……いいますね……」

 ごくり、とネオンの、あるいはルーチェの、もしかすれば2人の固唾を呑む音が聞こえて――再びネオンは大声でその本心を解き放つ。






「お付き合いを建前に解剖させてください!」





 ――わぉ、Nice boat。



 ■■■



 ネオン・クライスは、物心ついた時から“自分は変わっている”と理解していた。
 どう変わっているかといえば――人間の“外面”には一切興味を持つことがなく、“内面”にしか興味を示せないことだ。

 “人間は生まれたときから服を着ていない”という言葉がある。しかし彼女はそれを聞く度にこう思うのだ。

『変なの。人間は“皮膚”という“服”を着て生まれてくるのに』

 たとえば美麗なアイドルがいたとして、誰かが『あの人は綺麗な顔をしてるよね』と言った。
 けれどネオンは顔の綺麗さなどどうでもいい。彼女にとって人間の“良し悪し”とは“内面”なのだ。
 “いかに綺麗な内臓”をしているかが、ネオンにとっての“美しさ”のただ1つの基準において他ならない。

『あのアイドルはどんな内臓をしているのだろうか。綺麗な内臓だったらファンになってもいいかな、でも食生活とか悪そうだし、色が駄目そうだ』

 人間は顔より性格、内面が大事。ネオンはその言葉のまんまを地でいく少女だった。
 むろん、ネオンはそんなことでしか人間を判断できない自分は頭がおかしいとも理解していたし、気持ち悪いとも思っていた。

 思ってはいたが、そんな自分を変えることは出来なかったし、変えようともしなかった。
 別に内臓が好きというどうしようもない性分があったとしても誰にも迷惑をかけることもないのだから、と。

 そんな彼女に“医者”という職業はまさに天職だった。何せ合法的に人間の“中”が見れるのだ。
 しかも手術が成功すれば感謝もされるしお金も貰える。ああ、なんというすばらしい職業なのだろうか、医者とは。

 時空管理局に入ったのも、テロリストや犯罪者との戦いで外科手術が必要なくらいの負傷をする局員が多いだろう、と思ってのこと。
 むろん多少なりとも平和を愛する心もあるし正義を守る意思もある。現状に満足していた、たとえこのまま人間の内臓しか愛せず、孤独のまま死んでいくのも悪くないと思っていたくらいだ。



 しかし――彼女は見てしまった。出会ってしまった。奇跡というほかないほどに美しい“内面”を持つ人物に。



 時空管理局員には年に一度、精密検査を受ける義務がある。ルーチェも類に漏れず、数ヶ月前に検査を受けた。
 そのカルテや資料を、ネオンは目にした。そして彼女は一瞬にして、恋に落ちることとなる。

 最初は、そのレントゲンの、あるいはX線の、もしくは発達したミッドの科学力で映し出されたカラー写真を見るだけでよかった。
 それだけで彼女の心は満たされた。けれど、一日、一週間、一ヶ月と立つうちに、どうしても我慢が出来なくなったのだ。

『見たい――見てみたい。実際に、この手で! ルーチェ隊長の“中”が見てみたい! むしろ……欲しい!』

 もはや完全に思考が殺人鬼、あるいはサイコ野郎のそれである。
 しかし彼女は止まれない。もうどうにも止まれない。早速ルーチェにこの想いを伝えるべく手紙を書いて――今に至るわけだった。






「そんなわけで解剖させてください!」

「どんなわけでそうなるんですか!? というかさっきのジョークって“解剖を前提にお付き合いしてください”の“前提にお付き合いしてください”の部分がジョークだったんですか!? そこは一番ジョークにしたら駄目な部分ですよ!?」

「す、すいません。本音をいきなり言ったら引かれるかと……」

「いきなりいわれないでもドン引きですよ!?」

 じりじりと迫るネオン。じりじりと離れるルーチェ。
 さきほどのストロベリー空間はどこえやら、2人の間に流れるのはもはや濃厚たる禍々しさと恐怖だけ。

「ルーチェ隊長は初めてですよね、こういうこと……優しく、優しくします!」

「おおよそ大抵の人が初めてですよこんな経験!? そんな優しさいりません!」

「体重が少し軽くなるだけですから!」

「少しじゃないですよね!? 絶対少しの域じゃないですよねそれ!? 死にますから! 内臓取られたら死にますから!」

「私をなんだと思ってるんですか! 内臓の1つや2つなくなったところで死なないように施術できるすべは述べ642通りはあります!」

「別のことに活かしてくださいよそれ!? じ、自分の職業を大声でいってみなさい! この行為がその職業に対してどれだけ冒涜的な所業なのかわかります!」

「内臓を眺めたり切ったりする仕事です!」

「誰かこいつから医師免許を剥奪しろ!」

「ほら! あれですよ! 私に内臓を提供していただければ宴会とかで“内臓が無いぞう”って普段なら軽く流されるギャグもリアリティが出て笑えます!」

「少なくともそんなリアリティのあるギャグで笑いがとれる仲間を持った覚えはありません!」

「あ、ひょっとして手術痕が残ることを心配しているんですか? 大丈夫です!
 自慢じゃありませんが私の手術の腕は、かの“オルブライト一族”に引けを取らないという評価を貰っているんですよ! 手術痕なんて顕微鏡で眺めてもわからないように出来る自信があります!」

「くそっ、この世界の医者は変態しかいないんですか!? いや、あっちは人を傷つけないだけ全然いい!」

「私だってルーチェ隊長を傷つけようなんて思ってません! このオペをするには不衛生な状況下において血の一滴も出さず内臓を抜き取ることができますから!」

「なんですかその卓越した殺人能力は!?」

「オヤジはもっとうまく盗むんですけど!」

「貴女の実家は伝説の暗殺一家なんですか!?」

「えへへ、るーちぇたいちょー、るーちぇたいちょー」

「いきなり舌足らずな甘声をだすなああああぁ!」

「るーちぇたいちょー☆」

「語尾に記号をつけるな!」

「ルーチェ隊長! 貴女の全てを愛してます!」

 ネオンが腕を勢いよく下げる。白衣の袖から金属音の響きと共に彼女の指の間に出現したのは無数の“手術道具”。

 メス。

 剪刀。

 鑷子。

 鉗子。

 針。

 持針器。

 鉤。

 開創器。

 注射器。

 ぞっと一気に顔を青ざめるルーチェは愛機であるアームドデバイス・ロードスターを展開し地面を蹴る。
 逃げろ。逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ。
 頭の中に緊急サイレンを響かせながら、ルーチェは心の底から叫んだ。叫ばずにはいられなかった。



「助けて次元世界のお巡りさあああああああああぁん!」



 彼女達のキャッキャウフフな命賭けの“おっかけっこ”は――翌日の日が昇るまで続くこととなる。



 ■■■



 後日談として、その後の詳細をここに語ろう。
 簡単に言えば、ルーチェ・パインダは内臓を盗られることもなく、無事である。

 数時間にも及ぶデッドチェイスを目撃した市民から管理局へと連絡が入り、十数名の駆けつけた局員によってネオンは取り押さえられ、現在は留置所で頭を冷やしているらしい。
 留置所に入れられたくらいで頭が冷えるかは疑問であるが、後日傷害未遂などの罪状で裁判が開かれるようなのでそこで彼女にはどうにか更正して欲しい、といまだに恐怖を忘れられないルーチェは心の底からそう思った。

 ルーチェほどの人物が念話も戦うことも忘れて逃げに没頭したほどなのだ。その恐怖たるや筆舌にしがたいほどだろう。
 現在も部隊の隊長室にてぶるぶると震えている。しかし――どうやらその震えは恐怖だけではないようだ。



『あ、ヴァンくんほっぺにクリームついてるよ? ……えいっ』

『うわっ!? ちょ、なのは!』



 ごぎゃ、と特注の合金製マグカップが捻り曲がった。
 大の男でも潰すのが大変そうな、というか屈強なボディビルダーが挑戦したところで形すら変えることのない強度を誇ったマグカップが、なんとも無残な姿に。

「ふ、ふふっ。こっちは……こっちはストロベリーな恋愛どころかホラー映画よりも酷い恐怖体験をしていたというのに……!」

 彼女の“眼”に映るのは、地球の高町邸で部下が可愛い少女といちゃつき合う姿だ。

「絶対、絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対! 破局させてやるんだからー!」

 げーはっはっはっは、っとどす黒い奇妙な笑い声が隊長室に木霊する。






「また隊長が壊れてるよ」

「今回はそっとしておいてやろうぜ」

「ああ、そうだな。大変だったもんな、隊長……」

 それを聞いた隊員達は精一杯の生暖かい目で、隊長室のドアを見守っていた。
 時空管理局ミッドチルダ本局首都航空3097隊は、1人を除き今日も平和なのだった。



[28977] 『ヴァンは同人誌でトラブったようです』
Name: 槍◆bb75c6ca ID:0df82b4f
Date: 2012/07/01 00:47

 なぜだろう。ここ数週間、見知らぬ誰かに何度も見られている。
 ミッドチルダの首都、クラナガンの街中で時空管理局の制服に身を包む少年は、ふとそんな違和感を感じて辺りを見回した。

 すると数十メートルほど離れた場所で、何人かの女子高生らしき集団が彼に向かってわいわい騒ぎながら指をさしているではないか。
 しばらくして女子高生達は彼が自分達に視線を向けていることに気づいたようで、慌てながら頭を下げて逃げ出すように人込みの中へと紛れていった。

「……なんだったんだ?」

 他人に指を指されるのはいい気がしない。別に笑われているようにも馬鹿にされているようでもない様だが……。
 その視線は妙な気味の悪さを感じるのだ。言葉に当てはめるならば、“むずかゆい”とでもいうべきか。

「なんだ、ヴァン。また見られてたのか? 最近多いよな」

 その少年に話しかけたのは、同じ制服に身を包むオレンジ色の髪の毛が目につく青年だった。

「ええ……もしかしてティーダさんも?」

「ああ。最初は管理局の制服を着てるからかと思ったんだが……どうも違うみたいだ。
 前に後輩と見回りしてた時にもあったんだが、明らかに見られてたのは俺だけだった」

「……俺達、なにかしましたっけ?」

「……してないだろ?」

 2人して首を捻るが、一向に心当たりすら思い浮かばない。彼らはいたって普通の管理局員。
 ティーダは綺麗に整った甘いマスクを持ち武装員としての実力も評価されていて、ヴァンはPT事件や闇の書事件の功労者として一部では有名ではあるものの、一般の知名度は皆無に等しい。

 たとえばこれが地上の守護神レジアス・ゲイズや空のアイドル、ルーチェ・パインダなら話が違うのだろう。
 しかし、現に見られているのは市内のパトロールに勤しむただの局員2人組というのが謎なのである。

「まあ考えてても埒があかないし、見回りを続けましょう」

「そうだな」

 実際に世間から注目を集める“何か”をやってしまったとなれば上からの注意や指示があるはずだ。
 そう思って、彼らはその疑問を先送りすることに決めた。今は平穏な時を過ごす市民の平和を見守るのが先決なのだから。



 やはりチラチラと視線を感じながらも彼らが歩き続けていると、突如として悲鳴に近い叫び声が耳に届いた。
 何事かと2人が駆け足で声の方向に向かうと、目に入ったのは二組の女性達が取っ組み合いの言い争いをしている場面だ。

「この分からず屋!」

「何も理解してないのは貴女の方じゃない!」

「この根暗女!」

「言ったわね引きこもり!」

 ぎゃーぎゃーとヒステリックに叫びながらお互いの髪を引っ張り合う女性達という光景に、若干表情を引きずらせながらも、ヴァンとティーダは身を挺して二組の間に割って入る。

「何してんだ! 落ち着け!」

「こんなところで喧嘩なんて止めてください!」

 それでも女性達の喧騒は納まらない。むしろ“邪魔しないでよ!”と更にヒートアップさえしそうなほどだ。
 これはまずい――この争いを止めるにはもはやデバイスを展開して空に向け威嚇射撃でもするしかないんじゃないだろうかとすらヴァンは思えてきた。

 そんな中、二組の女性陣の中でも一番酷い争いを繰り広げているそれぞれのリーダー各らしき女性。
 青髪の女性と黄色髪の女性が、悲痛な表情で、悲惨すら思わせる声で……その言葉を口にした。






「最高のカップリングはヴァン×プレラっていってるじゃない!」

「違うわ! 究極のカップリングはヴァン×ユーノよ!」






「――はい?」

 その呆けたような呟きは、一体誰のものだったのだろう。



   『ヴァンは同人誌でトラブったようです』



 ヴァン・ツチダ、9歳。性別は男性。男性ではあるのだが、凛々しいとも美しいとも取れる中性的な顔つきは判断に迷うところだろう。
 オールバックの髪色はさながら北極の奥地のまた奥地でしか見る事の出来ない銀世界の幻想を映し出す銀髪。
 片や深淵のように黒く、片や紅蓮のように赤いオッドアイは、見つめられただけで心を鷲づかみされてしまうような魔力が秘められている。

 “時空管理局の最終兵器”と称されるに相応しい彼の魔力総量はゆうにSSSランクを軽く超え、彼の為だけに“SSSSランク”の発行すら検討されているとか。
 さらに森羅万象をも操ると言われるレアスキルを持っているが、あまりの危険性に各次元世界の有人達が使用許可を承認しなければ使えないのが珠に傷。
 管理局のトップとも深い繋がりがあり、アルカンシェルなど一個の魔力弾さ、と軽く言ってしまえるスペシャルな魔法と大貴族の屋敷にも生息していないだろうメイドオブメイドさんなロストロギアさえ色あせる融合デバイスも所有している。

 そんな完璧超人にも思える彼ではあるが、彼の過去を悲劇のオペラにすれば一兆人の人間が押し寄せ感涙を流すという不幸な――。
 否、もはやここでは語るまい。彼は過去をすでに清算したのだ。今の彼にあるのは悲惨な過去ではなく輝かしい未来。
 “トリッパー”と呼ばれる素性を隠し、今日も彼は次元世界に迷える子羊を救うべく、その絶対たる原作知識を生かし駆け巡る……。



 というのは真っ赤な嘘で、ほんの少しだけそういった存在に憧れたり憧れなかったりする平々凡々な容姿をしているのが彼、ヴァン・ツチダだ。
 普通の黒髪と普通の黒目。顔は悪くない、といっても良くもなくあくまで平均的な日本人顔といったところだろうか。
 初期の魔導師ランクは空戦C-評価、レアスキルなどは一切ない。職業は時空管理局に勤めている次元世界のお巡りさん。

 9歳にしては驚きに価する言葉使いや落ち着きを伴っているが、なんのことはない。
 実をいえば彼は“前世の記憶”があり、その分を合算すれば横に居るティーダよりも歳をとっているからというだけである。

 彼は“転生者”あるいは“トリッパー”と呼ばれる存在だった。
 彼は一度“死んで”、前世に“見ていた”この世界の住人となったのだ。
 いや、そもそも彼には前世の自分が死んだのか死んでないのかすら曖昧なのだが、ここにいる以上は死んだのだろうと判断を下している。

 そんなこんなでこの世界に転生した彼にはいろいろあって、世話になった本来なら“助からない”人達を助けようとその小さい体で奮闘を重ねた。

 ある時は次元嵐に巻き込まれ、ある時はSランク魔導師と戦い、ある時はロストロギアと呼ばれるものにも立ち向かった。
 彼自身はただの空戦C-の魔導師だ。相手のほとんどが魔力ランクA以上を超える強者の“物語”に参戦するには力不足だったのかもしれない。

 圧倒的な力の前に傷つき、絶対的な力の前に何度膝を屈したかわからない。
 それでも、仲間の為に、友達の為に、恩人の為に、失った者の為に――ヴァン・ツチダとして、時空管理局員として、次元世界の平和を守るお巡りさんとして、何度でも立ち上がった。

 弱くても、魔力ランクが低くても、凄いレアスキルがなくても、殺す覚悟なんてなくたって。
 平和を守れるのだと、誰かを救えるのだと、証明し続けた。

 “原作”という道筋を乖離し続けるこの世界で、泣きながら、意地を張りながら、魂を燃やしながら走り続けるのが――ヴァン・ツチダという男なのである。



「生ヴァン! 生ヴァンだわ!」

「本物よ! 本物だ! やばい、鼻血でそう!」

「って!? こっちはティーダさん!? きゃあああああぁ凄い!」

「写メ! 写メ撮っていいですか!? 出来れば、出来ればお2人には親密に肩を組んでもらって!」



(なんだこれ……なんだこれ!?)

 そんな男が、引いていた。どうしようもなく、引いていた。見ればティーダもひくひくと頬を引きつらせてのドン引きである。
 先ほど、最高のカップリングがどうとか究極のカップリングがどうとかを言い放ち、それを聞いてぽかんと口を開けていたヴァンに気づいた一人の女性がぼそっと呟いたのだ。

『この人、ヴァン・ツチダじゃね?』

 その瞬間、事前に打ち合わせでもしてたのかというほどに華麗なシンクロで女性達はピタリと喧嘩を止めて――。
 鼓膜が裂けそうな爆音の黄色い悲鳴と同時に、このざまである。ヴァンはわけがわからなかった。自分を見て馬鹿騒ぎを始める彼女達の行動が。

 いきなり握手を求めてくる意味がわからない。いきなり写メを撮り始める意味がわからない。ティーダと肩を組めと言われる意味がわからない。ティーダと手を繋げと言われる意味がわからない。さっきから聞こえてくる『ヴァン×ティーダは航空隊のクロスミラージュ』ってなんなんだ!? っと。

 つーかさっきまで喧嘩してたのにその一体感はなんなんだよ!? っとツッコミたかった。

 というか、もう帰りたかった。



 ■■■



「――同人誌?」

「はい! これです!」

 と、ヴァンはリーダー各と思わしき青髪の女性から、鞄の中に入っていた一冊の薄い本を渡される。
 その表紙に書かれているのは紛れもなくヴァンと、ちょっとした“痛い”病を患ってしまっている顔見知り、“プレラ・アルファーノ”の姿――多少、いやかなり少女漫画のように美化されてはいるが。ちなみにタイトルは『構ってくれないと逮捕しちゃうぞ☆』である。

 なんだかとっても嫌な予感がしたのは気のせいなのだろうか。

「……もう一度確認したいんですけど、“これ”のせいでミッド中の女子を中心とした人達が“俺達”を知っている、と?」

「その通りです! もうブームもブーム、大ブームなんですよ! “管理局本”って私達は呼んでるんですけど!」

 ……冗談だろ? そうヴァンは神にも祈る思いで目の前の“管理局本”を見つめる。
 曰く――数週間前にこの本、数々の“時空管理局員”が実名プラスそのまんまの容姿で描かれた“管理局本”という同人誌が何故か“スパムメール”に付属され、ミッドチルダ中を駆け巡ったらしい。

 それはさながら速効性のウイルスのように人々の脳内を“感染”させ、ブームとして女子を中心に人気が急上昇。
 もはや“オタク向け”の本屋には置いてない店がないくらいの人気なのだそうだ。

「俺達時空管理局の同人誌ねぇ。ブームになるほど面白いのか?」

 ティーダはそんなに流行るほど面白い内容について考える。
 時空管理局員の同人誌なのだから、次元を股に掛けた冒険活劇物、あるいは人情物だろうか。
 しかも管理局員としては平凡な位置にいる自分達がその同人誌の中では人気とくれば、気にならないほうがおかしいだろう。

「面白いです! もう胸がどきどきしますねぇ!」

 そう答えたのはもう1人のリーダー各らしい黄色髪の女性。
 手を胸に置き、目をキラキラさせるその様はまるで乙女を絵に描いたようだ。
 
「へぇ……で、さっきの喧嘩の原因はこの本だってのはわかったけど、その理由はなんなんだ?」

 原因を理解したティーダだが、こんどは先の喧嘩の理由について問いただす。
 すると思い出したように黄色髪の女性がジド目で青髪の女性を見つめながら指を指し。

「だってあいつがヴァン×プレラが最高のジャンルとかいい張るんですよ!」

 そう叫んだ。それに対して青髪の女性もまた怒り顔で反論を重ねる。

「その通りじゃない! 何度も戦って、共に認め合めあっていくライバル同士こそ至福! ヴァン×プレラ至上主義たる私達“ヴァンプレスト”にとっては、いえ、次元世界にとってもそれこそ真理!」

 ヴァン×プレラって、ヴァンプレストってなんなんだ!? とティーダは心の中で思った。

「はっ! これだからミーハーは困るのよ。お互いに知らない世界で助け合って、迫り来る難事件に手を取り合って立ち向かうヴァン×ユーノこそが至極というのに……。
 そう、それはさながら運命という名の引力に惹かれあうように出来たカップリングこそ“ヴァンユーインリョク”! それを無視して次元世界の真理とは愚の骨頂!」

 ヴァン×ユーノって、ヴァンユーインリョクってなんなんだ!? とヴァンは心の中で思った。
 ティーダは彼女達の言葉がまるで理解できず、同人誌の内容がまったくわからなかったが、ヴァンは転生者である故にその言葉の端々から“臭い”を感じて、もう一度思った。こいつら、腐ってやがる――と。

 ヴァンの手にある同人誌から発せられる黒々としたオーラがヴァンには見える。
 これは魔導書だ。しかもネクロノミコンとかセラエノ断章とか、そんなちゃちなもんじゃ、断じない。もっと恐ろしいものの片鱗がここにある――。

 ……少し、少しだけ覗いてみようか? っとヴァンは震える手で同人誌の1ページ目に手をかける。
 ひょっとしたら自分が思っているものとは全然違い、ヴァン×プレラやヴァン×ユーノというのも、“前世の世界”にあった腐臭漂う概念とは全く違う言葉なのかもしれない。

 その可能性に賭けて――ヴァンは魔女の釜の底を覗く。

 数ページほどぱらぱらと流し読み。そしてそれを静かに閉じ、青髪の女性に押し付ける。
 ヴァンは何か悟りを切り開いた仙人のような表情で、そそくさとその人込みを離れて――。

「うぼぉぇ」

 吐いた。

「ヴァンが吐いたー!?」

 そう叫んだティーダは「おい、大丈夫か!?」と声をかけながら駆け寄りヴァンの背中を撫でる。
 その光景に「キマシタワー!」と声を張り上げパシャパシャと写真を撮る女性達。

 涙を流しながら嘔吐を繰り返す少年と、それを介抱する青年と、その光景を写真に収める女性達という光景は、他の通行人を戸惑わさせるに十分な非常にシュールなものだった。



 ■■■



 その後日、ヴァンやティーダが所属するミッドチルダ首都航空隊・3097隊のオンボロな隊舎の中心で、隊員達が緊迫した雰囲気をあらわに目の前の“本”を見つめていた。

「――これが件の、同人誌ですか」

 そう呟いたのは、3097隊の隊長であるルーチェ・パインダだ。
 その声は、“迦陵頻伽”と呼ばれる比類なき美しい鳴き声をあげるという伝説の鳥でさえもきっと黙り込んで聞き入るほどの美声。
 100万ドルの夜景、否。100億ドルの夜景だろうとその美貌の前には無造作に散りばめられた電球が光るだけの景色と風化する。
 その腰まで靡(なび)く美しい黒髪は10カラットの純正ブラックダイヤがそのあまりの差に己を恥じて自ら砕け、健康的な身体に反するかのような白き肌はエベレストの山頂に集まる未開拓の白雪が嫉妬を始めて色無き水へと解けるだろう。

 その身体は触れることを許されぬ繊細な究極の飴細工のようで、されどその外見に反して柔らかなる黄金が日本刀の如く鍛え上げられているという奇跡。
 胸に膨らむ二つの胸腔はもはや芸術の域であり、それを美術館に飾るとすれば向こう千年は予約で埋まる。
 あと6年経ったら押し倒したいぐらいの美少女、というか今すぐにでも押し倒して軟禁したいと犯罪の意識すら生み出すこと間違いなし。

 そんな彼女の言葉に、3097隊の分隊長であるタタ一等空尉が答える。

「はい。時空管理局の局員を実名と実姿そのままに無断で書かれた本ですね。内容は……まあ、なんといいますか……」

 思わず言葉に詰まるタタ。当然だ、その余りにもぶっ飛んだ内容を隊長とはいえ若干12歳の彼女に伝えるには相応の勇気がいることだろう。
 というか、自分すら一冊読んだだけで今夜にでも悪夢を見そうだとも思っているのだから。

「大体は察しています。しかし、本当に大量ですね」

 その言葉通り、隊員達の前の普段ブリーフィングなどで使われるほどの巨大な机の上でさえ、同人誌によって占領されてしまった。

「これでもほんの一部だってんですから、一体どれほどの量が市内に流出されているのか見当もつきませんよ」

「……あの、ルーチェ隊長。質問いいでしょうか?」

 1人の隊員が手を上げる。それに対してルーチェはなんでしょうか? と発言の許可を促した。

「これが人権侵害や名誉棄損に当たるのはわかるんですが――“管理局総出”で対処に当たるのって、大げさすぎやしませんか? 内容も内容ですけど、それでもたかが同人誌でしょ?」

 現在、管理局はこの同人誌に対して、この同人誌を発行している“トリップ屋”に対して上から下へてんてこ舞いだった。
 同人誌の発禁を定め、さらには全区域に出回った本の回収騒ぎ。しかもそれを陸や空の局員を総動員しての“上”からの命令。
 彼の疑問通り余りにも大げさだし、そもそも被害にあっているのは管理局員とはいえ、彼らの仕事の本分からは外れている。

「その“内容”が問題なのですよ」

「と、いうと?」

「この本の中には――明らかに“一般人には知りえない情報”が平然と書かれています」

 たとえばそれは第97管理外世界で起きたPT事件と呼ばれるものや闇の書事件と呼ばれるものだった。
 この二つは別に秘匿されているわけでもない。特に後者はここミッドチルダでも有名であり、一般人でもその二つの事件の名前を聞いたことがあるという人も少なくはないだろう。
 しかしそれでも――“精細な情報”が一般人に知らされることは、まずない。
 
 だというのに、この本には唯の局員に過ぎないヴァン・ツチダや指名手配されているプレラ・アルファーノが事件の最中に交わした“会話”すら、まるで直接その事件を見ていたかのように“書かれて”いた。
 しかもさらに恐ろしいのは、その知りえない情報はこの2人だけに収まらないということだ。

 あるいは高町なのは、あるいはフェイト・テスタロッサ、あるいは八神はやて。
 あるいはユーノ・スクライア、あるいはクロノ・ハラオウン、あるいはギル・グレアム。
 あるいはレジアス・ゲイズ、あるいはゼスト・グランガイツ、あるいは名も無き管理局員。

 現段階では“知るはずのない情報”だけではあるが、これほどまでに内部事情に詳しいものがいればいずれは“知れたらまずい情報”が書かれた本が流出しかねない。
 それを危惧しての“上”からの対応であり、さらにその“上”のとある“三つの頭脳”もまたこれを発行しているのは“トリッパー”ではないのかという目星をつけているのは極秘だが。

 それらの説明を受けて、質問を尋ねた隊員は納得したようなしないような微妙な表情で引き下がった。

「――しかし、ヴァン曹長には悪いですけど、私の同人誌は少ないんですね。良かった」

 隊舎の片隅で真っ白な灰と化しているヴァンを横目に、ルーチェは自身が書かれた同人誌がほとんどないことに喜んだ。
 同人誌の種類としては、ヴァンを中心としたいわゆる“BL”関連が6割、高町なのはを中心としたいわゆる“百合”関連が3割で、残り一割はその他だ。

 しかし一割といってもそもそも分母が大きい為に一概に少ないとはいえないのだが。
 中にはレイジングハート×バルディッシュ、スターライトブレイカー×フォースセイバーなるあまりにも上級者向けすぎる内容のものまである始末。果たして誰が得をするのだろうか。

「でも、隊長の同人誌って数は少ないですけどもの凄い売れ行きらしいですよ?」

「それは聞きたくありませんでした」

「ネットでも同人誌を無断アップロードしてるサイトがあるんですが、隊長の同人誌のダウンロード数、尋常じゃありませんでした」

「それは本当に聞きたくありませんでした!」

「えーと……」

 ごそごそと1人の隊員が同人誌の山を手探りで探して、一冊の同人誌をルーチェの前に差し出す。

「これがそうです」

「……『ルーチェ隊長とフルーチェ食べたい』……」

 本のタイトルを読み上げるルーチェの表情は若干歪み、怒っていいのか笑っていいのかそれとも泣いていいのかわからない、といった様子だった。
 というかこれを差し出されてどうしろと。読めと? とも思ったが、彼女は怖いもの見たさで本を受け取った。

 勇気をだしてその本を捲り……少しばかり熟読して、静かに閉じ――。



 瞬間、隊舎が倒壊しかねないほどの魔力が雄叫びを上げた。

「ふふっ……あは、あははははははははははははは」

 壊れたように目を虚ろにし、可愛らしい口から漏れるのは乾いた笑い。その光景に隊員達の悲鳴が木霊する。

「ルーチェ隊長がキレたー!?」

「う、嘘だろ!? いつもの笑い方じゃないなんて!」

「おいやべえぞ!? 取り押さえろ!」

「これは無理だ!? 誰か! 増援、増援を呼んで来い!」

「首都防衛隊呼べ! ゼスト隊長、いやこうなったら最悪ネオン・クライスでもいい!」

「駄目だ! あの人は刑務所!」

 果たして本の内容はいかなるものだったのだろうか。ルーチェを取り巻く怒りのオーラから察するにとてつもないものだったのだろう。
 このままでは本編でも詳しく描写されていない彼女の真の能力が開放され辺り一面は地獄と化してしまう。頑張れ3097隊の諸君。君達と隊舎の運命はその手に掛かっている。

 時空管理局ミッドチルダ本局首都航空3097隊は、今日はどうやら平和ではないらしい。



 ■■■



 それから数日後。首都の管理局が所有する広い広いとある会場に、無数の局員達が列を組んでいた。
 その一切乱れのない規律の取れた隊列は一種の美しさすら存在する。

 その隊列を前に、1人の男が悠然と立っていた。彼の名はレジアス・ゲイズ。
 “地上の守護神”とも呼ばれる事実上の地上本部トップ。その鋭い眼差しから放たれる威圧感は、睨まれただけで体の奥底から振るえが起きそうだ。
 そんな彼が、隊列を描く局員達に向かって声を張り上げる。凛々しい声が大気を震わすその様はまさに歴戦の兵において他ならない。

「件の類を見ない“テロ行為”は、現在もここミッドチルダを中心に広がり続けている。諸君らの中にも被害を受けた覚えがあることだろう――貴様はどうだ?」

 レジアスが最前列の局員に目線を向けると、その局員は俊敏な動きで敬礼をして。

「自分はっ! 普通に接してるだけなのに同人誌のせいでホモ扱いされました!」

 と、悲痛な表情を作りながら叫んだ。レジアスもその進言に心を痛ませながら、その横の女性局員に目線をずらす。

「私も同じく! ノーマル、私はノーマルなのに! なんで後輩の頭を撫でただけで『あ、私レズじゃないで……』って軽蔑した目を向けられなきゃならないんですか!?」

 その声はきっと心の底から叫ばれたものだったのだろう。涙を堪えるその姿はあまりにも不憫だ。

「俺は友達だと思ってた奴がガチでした! この本さえなければ、ずっと友達でいられたのに……!」

 その衝撃の内容を告げる彼は、震えながら一粒の涙を流す。おそらくは例の同人誌をみた彼が『これは酷いな。お前ホモ扱いされてるぜこの本で』とでも口走ってしまったのだろうか。
 『な、なんでバレてんだよ!?』と素晴らしくも悲しい友の返事を聞いてしまったのだろうか。ああ、なんという無常か。なんという悲劇だろうか。
 その慟哭を聞いたレジアス含める局員は全員が全員、心の中で同じ事を思い描いたに違いない。『それは逆にラッキーだったんじゃ……』と。

 ごほん、と咳払いをしてレジアスは息を整え、一気に捲くし立てた。

「再三に渡る警告を奴等は無下にし、未だに不愉快極まる『同人誌』の販売及び流出を止めようとはしない! これは我々に対しての“侮辱”であり我々に対しての“反逆”だ!」

 腕を振り上げるレジアス。それに伴い局員達の間に充満する熱気が膨れ上がる。
 あるいはそれは憤怒で、あるいはそれは悲嘆で、あるいはそれはきっと哀愁だった。

「諸君らはそれを容認できるか!?」

 同人誌に本人そのままで描かれるだけならばまだよかった。
 しかし、それが百合だのBLだのとわけのわからない誰かの性癖のはけ口にされていいのか? 否、許せるはずがない。

「諸君らはそれを黙認できるか!?」

 ほんの一部の極地でやっているだけならばまだよかった。
 しかし、それが国を超えて次元を超えて広がって、何も知らない人々に事実無根の勘違いをされていいのか? 否、許せるはずがない。

「警告はした! しかし奴等は反省の色を見せるどころか耳を貸そうともしない!」

 実在の人物を対象にした同人誌の販売禁止令と製作禁止令、さらに回収すらも政府を通じて下されたのにも関わらず――。
 “奴等”は一向に止める気配を見せないどころかさらに増加させている始末。

「悪意の産物を生み出す者共の横っ面を殴りつけてやれ!」

 人権侵害や名誉棄損、罪状などいくらでもある。そして、そんな言葉で、そんな法律でカバーできる範囲を“これ”はきっと超えていた。

「正義の名の元にこの世に蔓延る同人誌を叩き潰せ! 時空管理局総員――出撃!」

 ここに、管理局VS同人誌といった異色の戦いの火蓋が幕をあける。






「しかし、いくらなんでも対応が派手すぎでしょう。地上の戦力をこんな作戦に三割あてるなど……」

 本部から指揮を執るために移動する道中、レジアスにそう問いかけたのはそれなりに歳を食った初老の男で、階級は佐官といったところか。
 地上の事実上のトップ、レジアスに対してそれだけの口が聞けるのはこの男もまたある程度の権力を持つのだろう。
 だが、そんな彼に対してレジアスはまるで相手にもしていないように冷ややかだ。

「私情でも、入っているのですかな? 話によるとレジアス少将の“本”もかなり描かれているとか――っ!?」

 言葉に詰まった佐官。と、同時にその体の奥底から湧き上がる恐怖で身が縮む。
 彼の目線の先――それは“殺意”とも形容できる“視線”を放つレジアスの姿。

 体の振るえが大きく、そして息苦しさすら感じ始めた佐官。
 そんな彼にゆっくりレジアスは近づき始める。一歩ずつ歩を進むと同時に、佐官の額から脂汗が大量に吹き出す。
 距離が縮まり、レジアスは叩くように佐官の肩の上に手を置くと――悪魔すら全力疾走で逃げ出すであろう満面の笑みを浮かべて、小さく呟いた。



「君は、娘から親友と俺の濡れ場が書かれた本を見せられて『お父様は受けなのですか』といわれた父親の気持ちがわかるか?」



 ■■■



 そこはクラナガンの片隅でほそぼそと営業をしているとある“本屋”だった。
 しかし、その中にあるラインナップは少し特殊で、一般向けの本は少なくかなり“奇妙”な本が列を占めている。

 アニメソングらしきBGMを聞きながら、店員はカウンターでその“奇妙”な本を熟読中。
 傍らには缶コーヒーも常備され、完全にくつろぎ状態だ。仕事はいいのかと問いかけたいが、現在この店にお客はいないので別にいいのかもしれない。

「――いいわー、やっぱり管理局物はトリップ屋が一番よねぇ……なの×はや、もっと増えないかしら」

 そんなことを呟きながら、おもむろに缶コーヒーを口に含んで――“ごふっ!?”っと噴出した。
 なぜなら彼女の視界に映ったのは、“ドアや窓ガラスを吹き飛ばして次々と店内に入ってくるバリアジャケットとデバイスを身に着けたフル装備の管理局員”という異常ならざる光景だったのだから。



「“とらのなか”突入! 出入り口制圧! クリア!」

「“百合ん百合んの咲く花壇”コーナー制圧! クリア!」

「“こんなに可愛い子が女の子のはずがない”コーナー制圧! クリア!」

「“俺はノンケだって食っちまうコーナー”制圧! クリア!」



 まるで映画さながらの光景に、両手を天高く突き上げた店員は頭にハテナマークを無数に浮かべて混乱する。
 ついでに次々と同人誌を漁るフル装備の魔導師というシュールな絵面が混乱に拍車をかけていた。

 そんな店員に、1人の局員が礼状を片手に詰め寄って語りかける。

「数度の警告にも関わらず“管理局物”の販売を続けるミッドチルダ全店に対しての強制介入が現時刻より発動されました。
 貴女方には黙秘する権利と弁護士を呼ぶ権利はありません。行政に従い同人誌の販売と入荷を取りやめ我々に大人しく――協力してください」






 その日、ミッドチルダに響いたのは管理局員の魂の叫びだった。
 各地で連隊を組んだ局員が正しき怒りを胸に秘め、次々と同人ショップに介入する。

「アネメイト制圧!」

「メロンボックス制圧!」

「まんがだらけ制圧!」

「ゲーマース制圧!」

「ブラックキャンバス制圧!」



「「「回収完了!」」」



 作戦開始から実に数時間。これほどの一体感がある作戦がいままで存在しただろうか。
 着々と成果を挙げ続け、本部に届く同人誌の山、山、山。

 目的はほぼ達成されたといっても過言ではないだろう。
 されど、いくら出版店を潰したところで同人誌を描き続ける“大元”を解決しなければ所詮はイタチごっこだ。
 この“同人誌掃討作戦”においての最終目的はいまだ影すら見せない同人サークル“トリップ屋”を潰すことにあるのだから。
 一体彼らの本拠地はどこにあるのか? それを見つける為に――局員達は奔走を続ける。



 ■■■



 とある街外れの一帯に、開発計画が中止され、中途半端に作られ破棄された高層ビル群が存在する。
 電気や水道が通っているかもわからないそんなビルの一室に、“彼ら”はいた。

「クロユー班遅れてんぞ! 締め切りまで時間がねぇのに!」

「原稿用紙が切れた! 誰か買って来て!」

「眠い、死ぬほど眠い……」

「寝るな! 寝たら殺す! まだ5ページ真っ白だぞ!」

「無理いいいいいいいいいぃ! もう、もうイラスト集とかでいいじゃないですか! それかネーム状態で入稿させて!」

「んな読者を馬鹿にしたようなこと出来るか! 死ぬ気であげろ! 絶対落とさんぞ!」

「デバイス×デバイスって誰が得するんだ! 擬人化させるならまだしも元のまんまってどうやってストーリー作れと!」

「てめぇAI萌え舐めてんのかぁ!?」

「マルチタスクの使いすぎで脳が焼き焦げる!」

「もっと熱くなれよ!」

「ぎゃあああああぁ!? 原稿にインクこぼしたー!?」

「ホワイトでなんとかしろおおおおおおぉ!」

 そこはまさに鉄火場。火種を少しでもいれようものなら即大爆発に繋がるだろう。
 50人近いその大所帯はまさにカオスの権化。机の上は煙草やらコーヒーの缶やら資料が散乱し、床はゴミで歩くスペースすら存在しない。

 全員が目を血ばらせ、その下にくっきりとしたクマを作り、はぁはぁと息を荒げる様はもはや何かに取り付かれているとしか思えない。
 客観的にみれば相当に“やばい”宗教かあるいはカルト教団か。

「――親愛なる諸君、一旦手を止めて、俺の話を聞け」

 ふと、その言葉を発したのは奥の一番大きいデスクに座る一人の青年だった。
 「リーダー!?」「部長、どうされたんですか!?」「マスターが何か仰るぞ!」とサークル内の人間が慌てていることから察すると、どうやら彼がこのサークル『トリップ屋』のトップのようだ。

「連日の徹夜進行によって、我々は限界の淵に立たされている――あるものは睡眠時間1時間という者、あるものは三徹という者もいるだろう」

 徐に立ち上がり、青年は後ろで手を組んで天を仰ぐ。その目に浮かぶクマはまるでメイクのように濃い。

「内容が思い浮かばない者がいる。構図が思い浮かばない者がいる。終わりが思い浮かばない者がいる。きっと思い描いたBLたるBLが描けずに落ち込む者がいれば、きっと思い描いた百合たる百合が描けずに落ち込む者がいる。
 もっと頑張れるという意識の底で、もう限界だと感じているのか? まだやれるという意識の底で、もう駄目だと感じているのか? そこには時間という壁があって、体力という壁があって、妄想という壁があって、きっと二次元という壁があるのだろうな」

 その紡ぐように告げられる言葉の一言一言を、その場のすべての人々が静かに聴いた。

「我々はきっと狂っているのだろう。我々はきっと壊れているのだろう。当然だ。狂ってなければ、壊れてなければこの様にはなっていない。睡眠を削り、食事を削り、生活を削り、命すら削り取るなど正気の沙汰じゃない。たかが同人誌にそこまで注ぎ込むことなどきっと誰からの理解もされない。
 しかし――それでいい。例え命を削ることになっても、例え破綻することになっても、例え誰かからの理解を得られずとも。我々は“トリップ屋”という名の同人サークルだ。そしてトリップ屋は、そんなことに命をかける馬鹿野郎共が集まった奇跡の集団だ!」

 拳を握り締める青年に答えるように、次々とサークルメンツが立ち上がり雄叫びを上げる。

「諸君、聖女たる諸君らはなんだ!?」

「「「淑女! 淑女! 無垢なる淑女! 思いのままに腐るべくして腐る者!」」」

「諸君、聖男たる諸君らはなんだ!?」

「「「紳士! 紳士! 純粋なる紳士! 心のままに腐るべくして腐る者!」」」

「諸君、我々はなんだ!?」

「「「トリップ屋! トリップ屋! 豪華絢爛たる覇道を往く者共!」」」

「性別さえ超えた愛こそが真理! 理性さえも超えた愛こそが摂理! 本能さえも超えた愛こそがすべて! 我々こそが超越者だ! 真の愛を求めるロマンチストだ!」

「「「万歳! 万歳! 我々のリーダー、ベクトラ・オペル!」」」

「“おう”よ! “ならば”よ! 我々の天運尽きるまで――描け! 心のままに望みのままに! 一心不乱に同人を! 同人たる同人を! 責務を果たせ! 巨大サークルとしての義務を成せ!」

「「「我々の導き手、ベクトラ・オペル! 盟主! 名君! 統領!」」」

 あるものはその言葉に感銘を受け、ペンを握った。あるものはその目に涙を溜め、ペンを握った。
 もはや彼らに迷いはない。限界すら吹っ切れた。もはや体が意識を介さず停止するまで立ち止まることはないだろう。
 そんなサークルメンツの様子を満足そうに見回して――ベクトラ・オペルと呼ばれた青年もまた、ペンを握り、原稿用紙に己が妄想という魂を書き込み始めた。



 ■■■



 もちろん、彼はレアスキルを持っている。名前はまだつけてない。

 ベクトラ・オペルはいわゆる“転生者”だった。前世では売れない同人作家で、巨大トラックに轢かれたと思ったらミッドチルダの一般家庭の1人息子として二度目の人生を体験することとなったのだ。
 “時空管理局”や“魔導師”や“魔法”といった言葉から、彼はこの世界が前世ではアニメだった“リリカルなのは”の世界だということを知って、死ぬほど喜んだ。

 なにせ、彼はリリカルなのはの同人誌をメインに書いていたくらいなのだから。
 そんなこともあって、前世で読んでいた二次創作のように“原作”に介入しようか? とも思ったが、やっぱり止めた。
 彼はリンカーコアを持っていても、魔導師として才能がなかった。いや、才能がないというより攻撃魔法や防御魔法が一切使えないのだ。

 親がリンカーコアもない普通の人間の為なのか、あるいはリンカーコアの異常なのか、よくわからなかったが、その変わりに一つだけ屈強な魔導師でさえ持っていない“レアスキル”と呼ばれる稀少技能を彼は使うことが出来た。
 その能力は――指定した空間座標の景色をテレビのように頭の中で“見る”ことが出来るというものだ。

 座標さえ特定できれば複数だろうが別次元の向こうだろうが“見る”ことの出来る彼は、介入は諦めて大人しく文字通り“見る”ことにした。
 高町なのはの活躍を、フェイト・テスタロッサの愛らしさを、八神はやての優しさを。

 この世界の住人になって初めて同じ世界の“住人”である彼女達を黙って覗き見るのは盗撮のようで気が引けたが、見るのはあくまで原作部分の掛け合いや触れ合いだけ。
 それ以外のプライパシーは絶対に覗かない、人として。そんな制約を自らに課し、彼は“原作”が始まるまでまだかまだかと前世と同じく同人誌を書きながら待ち続けた。

 そうして始まった原作は――彼の知っている“原作”とまったく違うものだった。
 ヴァン・ツチダって誰? プレラ・アルファーノって誰? イオタ・オルブライトって誰なんだ!?

 彼はここで初めて気づく。『転生者って俺だけじゃないじゃん!?』っとその重大なことに。
 そのことに、彼は激しく戸惑った。何せいままで転生者は自分だけだと思っていたのだから。
 そしてよくよく考えれば思い当たる節があったのにまったく気づかなかった自分の観察眼の疎さに絶望。

 自分のものではないことはわかっているが、それでも見ず知らずの他人に土足で自分の家を荒らされたような気分に落ち込んだベクトラはペンを折った。
 自分の書きたいリリカルなのははここにはないのだと思い込んで、塞ぎきった。

『――まあ、暇だから“見て”みるか……』

 せっかく海鳴の空間座標を調べだしたのだし、そもそもこの為だけに日常で使うことを封じたレアスキルだ。ここで使わなければもったいない。
 こうしてベクトラは“見た”。ヴァン・ツチダ達“異物”が入った“物語”を。

 最初は、ヴァンの弱さに共感を得ていた。前世でみた二次創作では転生者は基本的に強く、無双すら出来るのが大半。
 しかしヴァンは弱い。なのは達に比べれてめちゃくちゃ弱い。そりゃ攻撃魔法も防御魔法も使えない自分よりはきっと強いのだろうが。

 始めはそんな気持ちで“見て”いたベクトラは――いわゆる“無印”が終わる頃には、すっかりヴァンのファンになっていた。
 弱くても、必死に頑張り続けるヴァン・ツチダはまるで何かの物語の主人公のようで、震えるほどに格好よくて、その姿にベクトラはすっかり惚れてしまったのだ。

 惚れたといっても、別段恋愛感情というわけではない。なにせベクトラは前世でも今世でも男である。いうなれば、“男気に惚れる男”というやつだ。
 べクトラがふと気づけばヴァンを主役にした同人誌が何十冊と出来上がっている。折ったはずのペンがいつの間にか新品に代わっている。

 いや、それだけではない。あまりのヴァンの格好好さに『管理局ってみんなこうなのか?』と疑問に思ったべクトラが原作シーンを覗く以外は使わないという誓いをあっさり覆して他の局員達を覗き見し始めたところそれが実に大当たり。
 無論、管理局員といえども全員が格好良いわけではなかった。吐き気のするような駄目人間もいれば、なんでこんな奴が偉そうにしていられるのだと思わずにいられないような人間もいる。

 されど、“原作”には出てこなかった無名の局員の中には、大勢の“ヒーロー”がいた。
 無償の愛を持って犯罪者に全力で接する者がいれば、仲間の為に市民の為に命を賭ける者がいる。
 こんな人達に、俺達市民は守られていたんだなと感謝や尊敬の念が心の底から浮かぶ。

『――これは、世に広めるべきじゃないだろうか。管理局員の格好好さを、美しさを』

 べクトラは、いつしかそう思うようになっていた。しかしながら、べクトラは前世も今世も男であるといっても、前世で“描いていた”ものは“百合”や“BL”と呼ばれる“同性愛”をメインにしたジャンルだ。
 というか、それ以外に“描けない”し“描こう”とも思わない。なぜならBLや百合が大好きで愛しているから。
 そんな彼が描くものだから、当然ヴァンを主役にすると出来上がるものはBL同人。なのはを主役にすれば出来上がるものは百合同人。

 そして、広めるにしてもミッドチルダは同人誌の人気がない、というより“同人”自体の人気がない。
 漫画などのコンテンツはあるものの、“地球”と比べてその規模は大分小さめだからだ。だが、これを――この“思い”を誰かに伝えたい。ヴァンのような管理局の格好好さを。なのはのような原作キャラクター達の愛らしさを。

 自分が描けるのはBLか百合のみ、それでいい。いや、“それだから”こそいいんじゃないか。
 やってみせよう。規模が小さいというなら広めるまで。民衆の興味がないというならそれを革命するまで。
 この目で、このレアスキルで“見た”自分だからこそ、彼らの素晴らしさを伝えられる。他の誰が出来る、こんなことを。

 可能な者が存在するとすれば己のみ。ベクトラ・オペルはその瞬間理解した。自分がこの世界に転生した意味を。
 自分は――時空管理局の素晴らしさを世に広める為に生まれ直したのだ。BLと百合を持ってして。

 その日から、ベクトラ・オペルは同人サークル“トリップ屋”を立ち上げ動き出す。
 同人即売会を開き、同士を集め、ひたすらに同人誌を描き続ける。最初は驚くほどに売れなかったが、それでもいつかわかってくれるのだと信じて己の道を突き進んだ。

 そして気がつけば――サークル人員は50人を超え、扱うジャンルは100種を超える大規模サークルと変貌し、ミッドチルダに時空管理局同人誌ブームすら巻き起こすほどとなっていた。
 サークルメンバーに自分のような転生者はいないようで、それを少し寂しくも思ったが転生者じゃなくともBLや百合の素晴らしさをわかってくれる人がこんなにいるということには感動した。

 この結果に満足はしているが、べクトラは不本意なことが1つある。
 ブームを起こした切っ掛けが、サークルの1人がパソコンをウイルス感染させ、保存していた同人誌のデータがネット上にばら撒かれたという事だ。

 流行らせるのは自力で成し遂げたかったというのが本音だった。
 たしかにそれからは飛ぶ鳥を落とす勢いで売れて、お金に苦労しなくなったのはいい事だと思っている。
 しかし、自分は金の為に書いているのではなく“読んでもらう為に”描いている。それを良しとすべきかしないべきかは実に悩むところなのだろう。



 以上が、べクトラ・オペルという人間だ。
 べクトラは自分が正しいことをしていて、皆が喜んでいてくれると思っている。
 だが、彼が不幸だったのは――前世で“あたりまえ”だった常識が、この世界でも“あたりまえ”にはならないのだということに、気づかなかったことだろう。

 この世界では時空管理局員やなのは達はアニメのキャラクターとは違って、“肖像権”があることにまったく気づいていなかった。
 ついでにいえば――人里はなれたこの“ビル”に籠もりすぎて、最近はレアスキルもまったく使わなかったものだから管理局の“警告”をサークルメンバー全員が誰一人として“知らなかった”ことも、その1つだ。






 べクトラは自分の分の同人誌を書き上げて、一息吐く為にコーヒーを持って屋上に向かっていた。
 屋上といっても本来は1つのフロアになるはずだった出来かけの階層なのだが、そこから空を見上げると夜空は綺麗で、落ち着けるのだ。

 睡眠不足でふらふらと危なげな足取りで階段を上り、屋上にたどり着いた彼が見たものは――。



 このビルを取り囲むように空に舞う数隻の“ヘリ”や“航空艦”から降りてくるおびただしい数の“管理局員”。



 頭をぽりぽりと掻いて、コーヒーを一口飲みながらベクトラは最後に一言だけ、ぼそっと呟いた。

「こんなに買いに来られても、まだ新刊できてねぇぞ」



 ■■■



 後日談として、その後の詳細をここに語ろう。
 簡単に言えば、べクトラ・オペルは人権侵害や名誉棄損、脱税(申請忘れてた)などその他数々の罪で逮捕された。

 同人ショップなどの“協力”により居場所が判明され、述べ50人以上にも及ぶトリップ屋の人員はその数倍の局員達により一斉検挙。
 罪に問われたのは代表であるベクトラのみで、あとのサークルメンバーは数時間ほどこってりとしぼられて終わったらしい。
 連日、彼の留置所には面会を求めるサークルメンバーやファンで溢れかえっているらしく、彼のカリスマぶりには手を焼いたとか。

 ちなみに、損害賠償として“数億”クラスの借金を抱えたベクトラに、司法取引という名目で“最高評議会”に纏わる何者かが接触して色々とあったらしいが、すべては秘密裏の出来事である。
 ついでに、彼のレアスキルが『無限追跡(ストーキング・アイ)』という名称で管理局のデータバンクに登録されたのは、当然だったのかもしれない。

 ヴァンはデカデカと新聞の一面を飾ったその記事を読んで、今までも様々なトラブルや困難に巻き込まれたが、今回が一番精神的にきつかったなぁとため息をついた。






 そんな、ヴァンが哀愁を漂わせている同時刻のとある場所。

「フェイトちゃん、その薄い本なに?」

「いまミッドチルダで流行ってる本なんだって。さっき届いたんだ」

「へー……一緒に読ませて貰っていいかな?」

「うん、もちろんだよなのは」

 ――どうやらヴァンのトラブルは、もう少しだけ続くようだ。



[28977] 『クラウスは以心伝心でトラブったようです』 ※シリアス、本編のネタバレ注意
Name: 槍◆bb75c6ca ID:0df82b4f
Date: 2012/07/03 22:43
 とある施設の共同食堂に、栗色の髪を持った1人の少年がいた。
 何かを考え込んでいるような、あるいは何かに悩んでいるようなその様子や雰囲気は、およそ10歳の少年が醸し出せる風貌ではない。

 彼の手に握られているのは1つの封筒。けれど封は切られていないようで、まだ中身は検めていない様子だった。
 宛名には少年の名が書かれていた。筆跡は幼い子供が書いたと思われ、お世辞にも綺麗な字とは言いがたい。
 しかし――必死で頑張って、真心を籠めて書いたのだな、と感じとれるその文字の温かさは決して汚いとは思えない。

「……パル、ロッサ……みんな……」
 
 少年は小さく呟く。感動に震えるように、後悔に苛まれるように。
 その心中には複雑な感情が織り交じって絡み合う。彼の眼から涙は流れてはいないけれど、しかしきっと心の中ではおそらく……。

 ――そんな時だった。『いただきます』と少年の“頭の中に”声が聞こえたのは。

「――ん?」

 “念話”と呼ばれる魔法がある。魔法の力を持つ魔導師なら誰でも使える一種のテレパシーのようなものだ。
 その声の感覚は念話にとても似ていた。不思議に思って少年は共同食堂を見渡すが、その場にいるのは彼と少し離れた場所に座った1人の赤髪の女性のみ。

 今は食事の時間にしてはかなり早いので空いているのは当然だが、これほど少ないのも珍しい。
 この場には少年と食事の前で手を合わせて合掌する1人の女性しかいない。それに念話の内容も含めると、必然的に彼女が少年に対して念話を送ったことになるのだが、どうにも腑に落ちなかった。

 そんな食事に対する感謝を彼女は彼に伝える必要があったのか、ということもある。
 だが何よりも不思議なのは、たとえ彼女がどんな優秀な魔導師であったとしても現状で彼女が魔法を使えるはずがないということだ。なぜならここは“収監者”の魔法使用を一切禁ずる“海上隔離施設”なのだから。

 海上隔離施設――ミッドチルダ海上に設置された巨大な施設であり、犯罪を犯したの魔導師達の収監所。
 簡単にいえば“刑務所”なのだが、この場所は監獄というより“少年院”と呼んだ方が適切だろう。
 収監されるのは大体が“更正の余地あり”と判断された若年者だ。それぞれに適切な教育を施し、彼らの社会復帰を目指すことがこの施設の目的かつ理念。

 そんな場所だからこそ、収監者は魔法や能力を封印した上で生活をすることになる。
 しかし、彼女は平然と念話という魔法を使っているのだ。それが不思議、というよりはありえない。
 施設の指定された服装をしていることから彼女は少年と同じく収監者なのだろうし、魔法の使用を許された看守や職員という例外には見えなかった。

『それにしても、ここの食事は美味しいですね。正直、食生活は捕まる前よりグレードが上がった気がします。ここでの生活は規則正しくて有意義で、なんというかまぁ……私のような罪人には過ぎた待遇ですよ、本当に』

 彼女の独り言――否、独り念話は続く。

『生活といえば、愛しの彼女は今頃どうなされているのでしょうか……私のことなど忘れて、日常を謳歌されていればいいのですが。あの時の私はどうかしていました。彼女の気持ちも考えず自身の欲望のままに行動するなど、人として失格です……』

 どうやら彼女には意中の女性がいるようだ。女性同士でも愛の花は咲くらしい。
 彼女が収監された理由はあまり考えたくはないが、しかしながらこの状況は――。

(ひょっとして、彼女は念話を発信していることに気づいてないのか?)

 魔法が使える理由は一先ず置いておいて、少年はそんな推測にたどり着く。
 彼女は少年に視線を向けないし、むしろその存在に気づいているのかすら怪しい。
 だとすれば本意ではないにしろ彼女のプライパシーを侵害してしまうことになる。

『はぁ……気が滅入って来ました……こんな時は彼女の写真でも眺めたいものですが、医師免許と一緒に没収されちゃいましたし……』

 まるでラジオ放送のように垂れ流しになっているとはいえ、少年はこのまま他人の思考を聞き入る趣味はない。
 それに彼女とて思考を聞かれたいなんて特殊すぎる趣味もないだろう。

(……とりあえず、念話が作動していることを教えてあげるべきかな)

 静かに立ち上がり、彼女の元へ行こうとして――。

『うう……見たい、無いとわかると物凄く見たくなるものですよねこういうのって……見たい、見たい見たい見たい見たい! ああ! ルーチェ隊長の麗しくも美しく至福にして至高の“内臓”を見たいー! 出来れば直に!』



 少年――クラウス・エステータは、全力で逃げ出した。
 



   『クラウスは以心伝心でトラブったようです』




 クラウス・エステータ、10歳。性別は男性。
 『聖王』を主神とする巨大宗教組織“聖王教会”に所属する騎士であり、魔導師ランクは近代ベルカ式陸戦AAA。
 柔らかな栗色の髪を持ち、表情の作りは整っていて生真面目そうでもあり優しそうでもある柔和な雰囲気を持っている。
 身長は歳相応であるものの、その肉体は若干10歳にして“騎士”という名誉ある称号に相応しく鍛えられていた。

 さらには“希少能力”と呼ばれるレアスキルの中でも更に珍しい『未来察知』を持っている。
 限定的かつ精密性に欠け、“視える”範囲にも限りがあるけれど、“数秒先の未来”を覗くその力は十二分の価値を持つ。

 愛用するデバイスはアームドデバイス『コルセスカ』。なんとこのコルセスカ、素晴らしいことに槍型である。
 もう一度言うが、槍型である。再三に渡り伝えると、槍型であり、驚くなかれ槍型だ。その洗練されたフォルムの美しさといったら、数あるアームドデバイスの中でも群を抜くといっても過言ではないのではないだろうか。

 今でこそ聖王教会の騎士として活躍する彼ではあるが、その過去を語れば凄惨なものである。
 彼は“転生者”だ。トラックに轢かれて目が覚めたら――といったどこかで聞いたことのあるような不思議体験から第二の人生は開始されたが、生まれ変わった“先”が大変だった。

 大規模な戦争が続き、食べ物にも飲み水にすら困る硝煙の匂いが渦巻いた世界、それがクラウスの生まれ故郷。
 流れ弾で頭を撃ち抜かれて死ねるのは幸福だ。衛生を気にしてはいられない状況下での感染病や疫病、果ては強盗や殺人、etc。
 “生きることがそれだけで命を賭けた戦い”などと、平穏な世界に生きる人々には理解しかねるだろう。
 そんな世界で、新たな親の顔も知ることの出来なかった子供が出来ることといえば、同じ境遇の子供達と集まって片隅でガタガタと震えることだけ。

 微塵の希望すらない世界が、世界といえるのか。それは地獄と呼ぶのではないか。
 何が正しくて、何が間違っていて、何が正義で、何が悪かなど彼らにとって関係ない。
 彼らが望むのは空襲に怯えることのない夜と、一枚のパン、そして綺麗な水。

 しかしそんな地獄も、クラウスが5歳の時に終わりを告げる。“時空管理局”の仲介によって。
 彼ら孤児達は管理局の手引きによって聖王教会の孤児院に引き取られた。何度望んだがわからない飢えと死のない平穏がそこにあった。
 魔導師として適性のあったクラウスはその能力と人格を認められ、中央の学園に特待生として入学する。
 ヴェロッサ・アコースやカリム・グラシア、シャッハ・ヌエラとの出会い。仲間達の“期待”や“希望”、そして故郷に戦争の犠牲となった仲間達の分まで頑張り続け、齢10歳にして騎士の称号を掴み取った。

 されど、幸せな時間は永遠には続かない。1つの戦争が終わろうとも、また始まりの撃鉄が鳴り響くように。
 時空管理局が一枚岩でないように、聖王教会もまた同じ。強硬派や穏健派といった派閥の政権戦争にクラウスは飲み込まれた。
 クラウスは仲間達の明日を守るため、友と呼べる者と袂を分ち、茨の道とわかりつつもその道を歩んだ。

 犯罪に手を染め、罪のないものを傷つけ、破滅を呼び込んで。

 すべてが終わり自身も逮捕されて、彼が手に入れたものなど皆無に等しい。
 何度も後悔した。何度も心で涙した。振り返れない道を選んだのだから、仕方ないのだと無理やり思い込んで。
 だけど、歩くのを止めるわけにはいかなかった。彼が犯罪の道を選ばざる終えなかった要因の1つである聖王教会に所属する強硬派のソナタ枢密卿による“工作”が無くなったといえど、未だ抱える問題は多いのだ。

 自身もまた、犯罪者の汚名を被ったままでは彼の仲間達が住む孤児院に迷惑がかかる。
 戦い続けなければならない。自身の消えない罪を、せめて軽くする為に。
 “闇の書事件”は終わりを告げても、彼の戦いは――まだ終わってはいないのだから。

 事件が終結した後、彼は裁判をかけられた。
 逮捕後の管理局への積極的な協力や情状酌量の余地を認められ、彼は牢獄ではなく海上隔離施設への移送が決定。
 期間としては十数ヶ月、本人の態度次第では更に短くなるという。無論、更正プログラムの終了後は管理局、そして聖王教会から何かしらのアクションがあるのだろうが、当人にしたところで破格ともいえる処置だった。

 そんなわけで現在のクラウスはこの場所で大人しく、それこそ模範的ともいえる態度で刑期を勤しんでいたのだが――。



「はぁ……はぁ……し、しまった。思わず逃げちゃった……」

 大量の汗を流し、息を切らせながら壁に寄りかかるクラウス。
 逃げたことを失態だと呟いているが、さきほどの狂気にも似た“感情”にあと数秒長く触れていれば発狂しかねなかっただろう。
 実に怖気走るような“愛”だった、実に狂気走るような“恋”だった。あの人はこの場所じゃなくて軌道拘置所とかに居たほうがいいんじゃないかとさえ思えるほどだ。更正プログラムってどうなってるんだ、まったく更正出来てなかったぞ……と考えて。

「――感情?」

 その言葉に、引っかかる。念話という魔法は発信者の“感情”まで伝えることはない。
 あくまで頭の中に“言葉”を思い浮かべて、それを発信するだけだ。無論、ニュアンスなどは伝わるだろう、それでもクラウスが恐怖するような“感情”や“意思”までは“受信しない”――いや、字面だけでも十二分におぞましいものではあったが。

 ともすれば、あれは念話ではなく言葉に出来ない意思すら伝達が可能な上位互換の魔法だ。
 そういう魔法もあるのか、と言ってしまえばそれまでだが、先も記述した通りここの収監者は魔法が使えない。
 仮に使えたとしても彼女自身、その魔法を使って他者に思考を伝心させているようにもみえなかった。

(どうする……)

 いまさら戻るのも、気が引ける。正直なところあの感情には二度と触れたくないクラウスである。
 関わり合うことは避けたいが、かといって放っておくのも可哀想だ。看守や職員に報告しておくか……。

『はああああぁ、まずいよなぁ。さすがに“0”が九個付く借金なんて笑いも起きねぇよ……』

 ――またか。そう思いながら聞こえて来た声と同じように溜息を吐く。
 彼女の時のように近くにいるのか、と探してみると少し離れた自販機の横に備え付けられているテーブルに、青髪の青年が頭を抱えながら、まるでこの世の終わりかと言わんばかりなオーラをかもし出していた。

『どう返済しよう……サークルは潰されちゃったし、もう本は売っちゃ駄目だし……』

 事業で失敗でもしたのだろうか、どうやら彼にはかなりの借金があるようだ。
 そしてこの施設にいることを考えるに罪状は察して然るべきだろう。

 しかしながら、この“声”もまた先ほどの彼女のように声だけではなく“感情”も伝わってくる。
 心底から溢れ出てる絶望感、どんよりと濁った湖のような、ほの暗いもの――例によって、彼もクラウスに対して念話に似た“それ”を使っているようには思えない。一体、この施設で何が起きているというのか。

『そりゃ、俺が悪いよ。悪かったと正直に思ってる。前の世界のノリで、こっちの世界の人の迷惑とか全然考えてなかったんだからさ。
 けど仕方ないじゃねーか……描きたかったんだもん、描きたかったんだよぉ……それで普通に働いても生涯返しきれない借金って、罪と罰の比率がおかしいだ――おお!?』

(っ!?)

 急に大声が頭の中に響いたものだから、びくっとクラウスは身体を振るわせ驚く。

『借金を背負った受けと、それを肩代わりにする代わりに無茶な要求をする攻めってシチュエーション……いいな、次の新刊に描こ――ってアホか俺は!? だからもう薄い本は作れねーんだよ畜生!』

 そんなことを考えている青年に、先の彼女とは別ベクトルの恐ろしいものを感じつつ。

(……今度は、ちゃんと教えておこう)

 そう思えるクラウスは、かなりお人よしの部類に入るかもしれない。
 今度こそはと早足で迅速に青年に詰め寄る。その間にも、青年の思考は伝わって――。

『――けどまあ、妄想するくらいなら構わないよな……ふむ……ヴェロッサとクラウス、なんて良さ気じゃねぇか』

 ヴェロッサとクラウス、なんて良さ気じゃねぇか。

 ヴェロッサとクラウス、なんて良さ気じゃねぇか

 ヴェロッサとクラウス、なんて良さ気じゃねぇか。

「はっ?」

 クラウスの足が止まると共に漏れた肉声。

「あぁ?」

 呆けた声をテーブルに座る青年も気づいたようだ。
 まるでチンピラのような声をあげてクラウスの方に顔が向く。そして両者共々、石のように固まった。



 ■■■



 感染する、感染する、感染する、感染する、感染する、感染する、感染する、感染する、感染する、感染する。
 感染する、感染する、感染する、感染する、感染する、感染する、感染する、感染する、感染する、感染する。
 感染する、感染する、感染する、感染する、感染する、感染する、感染する、感染する、感染する、感染する。

 意識は感染する。

 思考は感染する。

 感情は感染する。

 感染する、感染する、感染する、感染する、感染する、感染する、感染する、感染する、感染する、感染する。

 そして世界は――完成する。




 とあるノートに記載されたその文章を見て、時空管理局の制服に身を包む少年は表情を曇らせていた。
 そんな彼の後ろから、ひょこっと顔を出してノートを覗き見たもう1人の少年はその内容に顔をしかめながら管理局の少年に問いかける。

「うわっ、なんだそれ。黒歴史ノート?」

「艦で大人してろと警告したはずだが、プジョー」

「そうは言ってもなアスカ。デバイスの部品を買いに出るくらいいいだろう」

「君は犯罪者としての自覚がないのか!?」

「やれやれ、密入国したくらいで大げさな……」

「密入国は大ごとだ! 地球に続いて二度目だぞ!? 何回管理局の世話になれば気が済むんだ!」

「そんなことより目的の部品が手に入ったんだ。どうだ、お前のデバイスも改造してやろうか? 目算では出力が17%上がるぞ」

「む……それはいいな……」

「その分精密精が35%くらい下がるけど」

「三割下がるの!? デメリットがでか過ぎて釣り合ってないじゃないか!」

「臭さは89%増しだ」

「どんな魔改造をしたら臭さなんてステータスが付くんだよ!? 嫌だろ臭いデバイスなんて生理的に!」

「お前、臭いを舐めんなよ。臭さはこの世でもっとも防ぎにくい攻撃の上位に位置するんだぞ?」

「知るか! 僕のデバイスは君の姉さんが組んでくれたので十分に足りてる!」

 管理局員の少年はアスカ・イース、役所は執務官補佐。
 アスカにアイアンクローを決められてタップを繰り返しているのがプジョー・カブリオレ、デバイスマイスターだ。2人の関係は簡略すると、幼馴染という腐れ縁である。



 バインドで簀巻きにされたプジョーをしり目に、アスカはさらに捜査を続けていた。
 現在、彼らが居るのはある管理世界の一軒家。古風な造りだが所々傷んでいて、あと5年も持たないだろうと思えるほどに寂れている。
 かといって住人が居ないわけでもない。不動産の名義上では『ティキ・ニキ・ラグレイト』という男性が住んでいることになっているのだが――。

「約2週間前から、行方不明か……」

 一週間前、この世界の警察に彼の捜索届けが提出された。届けを出したのは彼の友人であるという。
 ティキと一週間近く連絡が取れなくなったのを心配して、友人が彼の家を訪ねると鍵がかかっていなかった。
 不振に思った彼が家に入れば、家具以外のほとんどが消えているのを見て呆然としたらしい。音沙汰がなくなる前は普段と変わらず、悩みを抱えている様子も無かったことから何らかの事件に巻き込まれた可能性があるのでは――という判断からだ。

 しかし、警察はすぐに動かなかった。否――動けなかった。
 なぜならその捜索届けが出されるほんの数時間前まで、この地域で大規模な怪奇事件が発生していたから。

 ――何百人という人間を襲った『思考が他人に伝わる』という奇怪な現象。
 集団催眠だとか、不味い電波が降り注いだとか、そんなふざけたものでは決してない。
 “思考感染”。事件の通り名がそれだ。新型ウイルスや悪質な魔法とも言われているが、正式な原因は不明。

 けれど調べている内に被害者達にはとある共通点が“2つ”あることを発見される。
 1つは、全員が魔法の源である“リンカーコア”を有していたということ。そしてもう1つが――事前に『ティキ・ニキ・ラグレイト』と思わしき人物と会ったということだ。

 捜索届けもなにも、そのことが判明してから最重要参考人として警察は彼の行方を追っていたのだ。
 けれど依然として影すら発見出来きず、もしも別世界に逃亡されたのならば探しきれないとして、その世界の政府から直々に管理局に解決依頼が舞いこみアスカが所属する巡航L級12番艦のチームが派遣され――今に至る。

「目ぼしいものは机の二重底に隠してあったこのノートくらいだったが、十分な収穫だね。ティキ・ニキ・ラグレイトは間違いなく“何か”をしていた――いや、しようとしているということだ」

 アスカは発見されたノートを厳重に保管しながら、プジョーに向かって話しかける。
 暇だったのか、それとも大人しくするのが苦手な性分なのか、簀巻きのままゴロゴロと転がるプジョーは動きを止めて、仰向けのまま言葉を返した。

「そのノートが本人のものだったら、だろ。例え本人の家から見つかったって筆跡鑑定が済まなきゃまだわかんないじゃん」

「それはそうだけど、十中八九一致すると思う」

「まあ、状況が状況だしその可能性の方が高いだろうな」

「思考感染事件は彼が起こした何らかの実験だったのかもしれない。“世界は完成する”か……君はどういう意味だと思う?」

 プジョー・カブリオレは一見すると不真面目で何も考えていないように思えるが、それは大きな間違いだ。
 確かに彼の行動は真面目とはいい難い。しかし真剣に物事を考えて生きている。だからといって許されることではないが、密入国などの犯罪も大真面目に考えての結果。

 大抵の人間には理解されないけれど、彼の“直観力”や“発想”といった右脳の働きはずば抜けているものがある。
 “デバイスマイスター”という職業に相応しい能力を、プジョーは兼ね備えているのだ。だからこそ、アスカはプジョーに尋ねた。
 何年とご近所付き合いしてきた仲だからこそ、彼の考えは時として真実を射抜くとわかっているから。

「……世界の完成ねぇ。方法はわかんないけど、個人の思考を他人に伝達することが出来るってんならそのまんまの意味だろ」

「というと?」

 首を傾げるアスカ。そんな彼に向かって、プジョーは不真面目な表情でけらけらと笑いながら――。

「“全ての人間に隠し事がなくなれば世界が平和になる”――ってガキの頃思ったことねぇ?」

 そう言った。



 ■■■



 場面は変わり、ここは隔離施設の通路。
 そこで2人の男が全力で走っていた。1人は少年クラウスと、1人は目の下に酷い隈を浮かばせる不健康そうな青年だ。
 しかしその青年、とても足が速い。大人と子供とはいえ、クラウスは鍛え上げられた騎士だ。トップクラスのアスリートとはいいすぎかもしれないが、それに近い速力はある。そんな彼の全力疾走から逃げられるほどに、青年はさらに速かった。火事場のクソ力とはこういうことをいうのかもしれない。

『何でクラウスさんがこんなところにいるんだよおおおぉ! 留置所にいるんじゃねぇのかよ!? 嘘っ、ここに移送されて来たのか!?』

「止まれ! 頼むから止まってくれ! 君はなんで僕のことを知ってるんだ!? というか僕とヴェロッサの名前で何しようとしてたこらぁ!?」

 少しばかりキャラが崩れるほどに必死で叫ぶクラウス。対して無言で必死に逃げる青年――だが青年の“思考”は何故か念話のようにダダ漏れなのでとてもやかましい。

『しかもなんか追っかけてくるしー! まずいまずいまずいクラウスさんまさか俺のこと、というかあの事件知ってる!?』

「あの事件!? 僕の名前を使ってなにかやったのか!?」

『え、ちょ、今の声に出してたか俺!? や、やばい、あのことがばれてるなら、いかなクラウスさんだとしてもボッコボコに……!』

 青年はそうそう考えて、さらに速度を上げた。一方、クラウスは少しだけ速度を落とす。
 なぜなら通路の先は行き止まりで、外の光景が見える窓ガラスが一つあるだけだから。
 追い詰めた、とクラウスは思った。けれどクラウスの脳内に彼の思考が伝わったその瞬間、思わず絶句してしまう。

「お、おい!? なに考えてっ!?」

『もうどうにでも――!!』

 速度を上げたのは勢いをつける為。両手を顔の前に構え、足に全力を込めながら――。

「ここは――!」

 クラウスは暴走する彼を止めようと手を伸ばすが、あと少しというところで届かない。
 彼は地面を蹴り上げて全身を跳躍させると――。

「施設の“4階”だぞ!?」

 “窓ガラスに突っ込んだ”。

「なれやあああああああああああああああぁ!」

 甲高いガラスの割れる音。粉々の破片は空中で太陽光を反射させ、それは綺麗なものだった。
 それから数秒、窓の手すりからクラウスは身を乗り出して下を覗き見る。

 風に攫われる木の葉のように舞う彼の身体。
 ここから地面までは約15メートルはあるだろうか。

「ばっ――馬鹿かー!?」

 クラウスの叫びももっともだ。下は固いコンクリート、少なくとも怪我ではすまないだろう。
 下手をすれば軽く死ねる、というよりこれでは完全に飛び降り自殺に他ならない。

 されど、運のいいことに彼の落下地点にはクッションになりそうなものが一つ。
 本土から物資を輸送してきたのか、大型の包装木箱が丁度置かれていて、その上に彼は落ちた――交通事故のような音を上げて。
 コンクリートに直接落ちるよりはマシだったのかもしれないが、それでも衝撃は著しいものがあっただろう。

 口を金魚のようにパクパクと動かしながら、クラウスは一瞬だけ放心状態に陥った。
 しかしそれも一瞬、彼の安否を確かめに行く為に最短ルートを思い描きながらすぐさま走り出す。

「くそっ!? なんてことをしたんだ彼は!? 生きてるんだろうな――!」

 これは誰の責任になるのだろうだとか、面倒くさいことをだとか。
 そのような感情を一切考えず見ず知らずの青年の安否だけを心配できるクラウスの人柄や性格は温かくも泣かせるものがあるだろう。

 けれども無常。この施設を脅かす“異常事態”は、彼の速く助けに行きたいという一心を妨害する。
 それは、彼が階段を下り施設の外へと繋がるラウジンに出た瞬間だった。クラウスは思わず立ち止まり、声すらも失って愕然と――。



『わけがわかんねぇ! なんなんだこれは!?』

「どうなってんだよ! この声止めてくれよ!」

「お前がそんなことを考えてる奴だったなんて幻滅だぜ!」

『ふざけるな! 俺はそんなこと思ってない!』

『なんなんだよこれ! なんで考えることが伝わっちまうんだよ!?』

「このクソ野郎が! お前となんて絶交だ! 二度と俺に近づくな!」

『それはこっちの台詞だゲス野郎! てめぇを良い奴だなんて思った僕が馬鹿だった!』

「落ち着いて! 皆さん落ち着いてください!」

『くっそ! 本土から応援を要請しろ! もうこの施設の局員だけじゃ対応しきれない!』

『その口と声を閉じろ犯罪者共がぁ!』



 蔓延する悲鳴。交錯する思考。敷き詰める人波に溢れる憤怒と悲哀。
 施設の出口を塞ぐ収容者と所員達が織り成す――阿鼻叫喚の地獄絵図。






 その光景を、巨大なモニターの設置された一室で椅子に座りながら楽しそうに眺めている人物が1人居た。
 しかし、それは“なんだろうか”。人間、人間ではあるのだが、見た目から判断しようにも、なんというか“曖昧”なのだ。
 逞しい男性のようにも思えるし、麗しい女性のようにも思える。愛くるしい子供かと思えば、熟成した大人にも思えた。

 まるで万華鏡を通して見ているような不可思議な感覚。
 顔をみればそれでも性別くらいは判断できそうなものだが、生憎とその表情は“仮面”によって覆われている。

「随分と楽しそうですね、盟主」

 その背後から現れたのは、聖王教会の正装に身を包む女性だった。
 年齢は二十歳そこそこといったところで、麗しい美貌に目を奪われる。
 だがどこかその美しさには影があり、背筋に冷たい物を感じることだろう。

「中々の見世物だからさ、シスター」

 盟主と呼ばれた人物はシスターに振り向くこともなく、モニターに目をやりながら呟く。

「――“喧嘩”というのはね、“真実”から起きることはそんなにないのだよ。大抵が勘違いだとか、すれ違いだとか、事故だとか、そいうことが発端なんだ。故にこそ喧嘩は解決が存在するし仲直りが存在する、実にくだらないサイクルでね」

 だから喧嘩なんてくだらない。勘違いから起きた喧嘩に何の意味があるというのか。
 だから喧嘩なんて意味がない。すれ違いから起きた喧嘩に何の因果があるというのか。
 だから喧嘩なんて終りがない。事故から起きた喧嘩に何の限りがあるというのか。
 忌々しそうに、さもつまらなそうに盟主は答える。

「真実を内包しない喧嘩など結局のところ“争い”などではなく唯のじゃれ合い。“行き着くところまでいかない”、しかしながらこの世に蔓延するのは大抵が“それ”でな」

 盟主はワザとらしく肩を竦める。残念なことだと嘯いて。
 そんな盟主に、ならばこれは違うのですか? とシスターは尋ねた。

「違う、全く違う。ドラえもんと21エモンくらい違う。これは真実から発展する“争い”だ。勘違いだのすれ違いだの事故だのそんな不純物は一切ない。本心と本心から始まる“戦争”といっても過言ではなく――いやはや、拾い物にしては、彼の能力は楽しませてくれる」

 心底楽しそうに盟主は笑った。聞くものを凍りつかせそうな、残酷な声で。

「それはそうと、その拾い物はどこへ消えたのでしょうか? モニターには映っていませんね」

「資料室だろうね。彼は“革命家”とはいえ酔狂だけでこんなことはしないよ。この混乱に乗じて目的の物を探しているのだろうさ」

「ああ、例の。しかし本当にあるのですかそんな物が」

「さぁ、私でさえ話でしか聞いたことがないからね。まあ、見つかるとしても手がかりだけだろう。彼の“理想”にはまだまだ時間が必要だということだ。しかし、もっと楽しいものはもうすぐだよ」

 その言葉に、シスターが反応した。

「もっと楽しいもの……? それは初耳ですね」

「そりゃそうだろう。言ってないからな」

 そこでようやく、盟主は椅子を回転させシスターの方へ振り向く。
 親指と人差し指を擦り合わせ、パチンと心地よい音を響かせながら盟主は目を向ける。

「実はね、私は“VS物”が好きなんだ。ゴジラVSガメラ、ウルトラマンVS仮面ライダー。スーパーマンVSバットマン。本来なら関わるはずもない物語同士が交じり合って、命を削りあう様は実に妄想を掻き立てられるじゃないか。
 自分が中心の世界ではすまし顔をした正義の味方が、無知を免罪符に英雄と言う名のエゴをむき出しで力をぶつける様など心が躍るよ。どちらが強くて、どちらが上か――もっとも、大抵の場合は最終的に決着がつかなかったりするのがそういうシリーズのお約束だ。でも、今回は違う。絶対に“決着はつく”、だからこそ楽しみなのさ」

「――彼が、誰かと戦うということですか?」

 その通り、と盟主は呟くと仮面の一部がきらりと光ったような気がした。

「どうだろうシスター、久々に賭けないか?」

 その言葉に、シスターは深く溜息を吐く。
 盟主が賭け事を持ち出す時は、決まって“結果”がわかっている時に限ることを嫌というほど知っているから。
 だから盟主との賭け事には勝った試しがないし、そんな賭けが楽しいわけがない。

「……はぁ。で、その賭けの内容はなんですの?」

「“思考感染”VS“未来察知”――どちらが勝つか、さ。無論私は、思考感染の勝利にベットさせてもらう」



 ■■■



 たとえば、現行犯の傷害事件であろうとも、その横で現行犯の殺人事件が起きた場合どちらに意識が向くだろうか。
 逃げた傷害犯と殺人犯――どちらを追うだろうか。事件である以上、どちらを追うという質問に正解はない。どちらも追わなければいけないのだから。

 されどどちらが“重大か”といわれれば、それは殺人事件の方に天秤は偏るだろう。
 怪我と死では、どうしても重さが違う。犯人にしたところで“危険性”だって桁違いだ。
 片方は怪我をさせたるだけで留められる意識を持っている。されどもう片方は殺せてしまっている。
 それが故意であろうとなかろうと、そんな人物を野放しに出来るはずがない。一刻も早く捕まえなければ。

 物事には優先順位がついてしまう。それは手が回らないからだ。
 対応が遅いだとか、そういうことは人手不足から起こる弊害に他ならず――。



「人が4階から外に落ちたんです! 速く医者と人を!」

 人波に揉まれながらも、クラウスはそれを掻き分けて前方の出口にバリケード張っている所員の元にたどり着きそう伝える。

「なんだって!? おい、落下事故だ! 医療班呼べ、俺もそこに――!」

「馬鹿言うな! この状況だぞ、ここから離れられるわけないだろう! 誰か手は空いてないのか!」

「全フロアでこの異常事態が起きてるんだ! 騒動による怪我人だって増えてる、医療班も人手もねぇよ!」

 所員は「くそっ」と自分自身に悪態をつく。現状では人命が関わっていそうなことすら優先することが難しいのかと。

「……わかった、連絡を感謝する! 君はこの“現象”に巻き込まれていないな? だったらその人のことは我々に任せて君は避難所へ――」

 所員が言葉を言い終える前に、クラウスの身は宙を舞っていた。
 とても10歳の子供とは思えぬ跳躍力を持ってして所員達の頭上を越え、外へと続く扉を開く。

「おっ、おい!?」

「安否を確認したらすぐ戻ります! 罰則だったらその後で!」

 クラウスの容姿は子供。だからこそ所員はそんなクラウスに対して“あやす”ように落下した人物を任せろと言ったのだ。
 なによりも彼の不安を拭うために。その優しさには頭の下がるクラウスであったが、所員の会話からあの青年の救護が出来ないことなど容易く察することが出来た。

 だったら、彼らが対応出来ないのなら自分が行く。あの青年が落ちたのは自分にも責任があるのだからと。
 ひょっとすれば刑期が延びるような罰則があるかもしれないが、人命がかかっているのだ。気にしてはいられない。



 建物の外に出た。顔を撫でる潮風、そして視界に映る大海原。
 だがそんな景色を堪能している暇はない。クラウスは全力で青年が落ちた先へと向かう。

 ――少しだけ説明を加えておくと、別段建物の外に出たからといって脱走には当たらない。なぜならこの建物が立っている土地もまたミッドチルダ海上に浮かぶ“施設”そのものなのだから。
 いうなれば海上隔離施設とは巨大な“艦”だ。人工的に作られた島といっても過言ではない。脱走に当たるのはその陸地部分から出た先――つまりは海に出てからが脱走として扱われる。

 数分ほど走って、ようやくクラウスの前に目的の場所が現れる。滑走路の敷かれた飛行場の近くに数個の大型木箱。
 輸送ヘリも止まっているところを見ると、輸送中にあの“現象”に巻き込まれてなし崩し的に放置されているのだろうか。

 その中の1つ、あの青年が落ちた木箱が目に入る。呻き声も『思考』も聞こえない。
 クラウスはすぐさまに木箱に身を乗り上げ、中を覗くと――。

 大量の『ミッドの美味しい水』とラベルの貼られたペットボトル。
 そして……巨大なタンコブを作り気絶しているあの青年だった。呼吸と脈を確認する――双方とも正常だ。コブ以外の目だった外傷もない。

「……はぁー……よかった……」

 うな垂れるようにクラウスは地面に手をついた。なんという強運、なんという都合の良い偶然。
 彼が落ちた木箱の中には本土から運ばれて来たらしい飲料水の山、それがクッションとなって大した怪我もなく無事とは――奇跡という他ないだろう。こんなこと、もう二度とあるものじゃない。

「よかった、無事で。本当に――よかっ――」

 クラウスが、二度目の安堵に胸を撫で下ろしたその瞬間だった。
 空を裂く風切り音が耳を撫でたかと思うと――刹那に聞こえるのは衝突音。

「っ!」

 驚いて、その音の場所を見た。すぐ横だ、おそらく音源は木箱の辺りに――。

「――コル、セスカ?」

 二度目の、驚きだった。なぜなら、木箱に“刺さっていた”のは自身の愛機だったから。
 ここに収容される前に、自身と同じくしてどこかへ収容されたはずのアームドデバイス『コルセスカ』の姿がそこにある。



「それが、貴様の得物だな?」



 静かな声だった。落ち着いていて、けれど凜と耳に残る。

「――――」

 クラウスは答えない。その変わり、見定めるようにその声の主を眺める。
 腰元にも届く白髪のような髪。日本刀のように鋭い眼差し、長身で逞しい体躯は一種の美麗なモデルを思わせた。
 その両腕には“籠手”――いや、“ガントレット”と言った方がしっくりとくる装備を身に付けている。
 ――誰だ? あのガントレットはデバイスか……そう思う前に、目の前の男の手に引き摺られていた“人間”がクラウスの近くへと放られた。

「なっ!?」

 咄嗟にクラウスはその人物を受け止める。ガントレットの男に見覚えはないが、放られた人物に見覚えはあった。
 名前は覚えていないが、確かこの施設の所長に位置する人間だ。それが、切り傷や打撲の痕を残して呻き声を上げている。

「う……あっ……」

「大丈夫ですか!?」

 頬を叩いて意識を確かめる。意識はあるようだが、息は荒く目線がブレていた。

『だ、大丈夫だ……す、すまない……』

 聞こえたのは“声”ではなく“思考”――掛け声に応対できるだけの意識は残っているようだ。

(この人も“思考”が……)

 しかし重症には違いない、早急に治療を受けねば取り返しのつかないことになりそうだが――。

「急所は突いてはない、が――出血は多い。少なくともこのまま放置すれば間違いなく死ぬだろうな」

 ガントレットの男は、拳を構えて冷酷にそう告げた。
 それを受けて、クラウスもまた低く冷たい声で問いかける。

「だったら、その構えを解いてそこをどいてくれないか」

「用が終われば、すぐにでも去る。その用事も、お前次第では簡単に終わるぞ――」

 その言葉から一呼吸置いて、ガントレットの男は更に目線を鋭く、深く、抉るように見開いて――。



「私の名はティキ・ニキ・ラグレイト。貴様には縁もゆかりも恨みもないが、“スポンサー”の要望だ――私と戦え、クラウス・エステータ」



 ティキ・ニキ・ラグレイトとクラウス・エステータ。本来ならば出会うことも戦うことも必要のなかった2人がここに集う。
 “さぁ、楽しい見世物が始まるぞ”、と――誰かの声が、聞こえた気がした。



 ■■■



 ――それは違う世界の遠い昔話。

 とある世界に1人の少年が公園の砂場で遊んでいた。見てくれは普通の、それこそどこにでもいそうな子供だ。
 けれど、その子供は普通の人間に備わっていなければならない――とても、とても大切なものが欠けていた。

「お前、俺に断りもなくなにこの公園で遊んでんだよ」

 少年に話しかけたのは、ガキ大将という言葉が良く似合う、幼い年齢にしてはとても大きな体を持つ子供だった。
 世界は自分が中心に回っているのだと疑わない生意気な性格の、これまたどこにでもいそうな子供。

「――――」

 少年は答えなかった。
 何も言わない少年に、ガキ大将は腹を立てる。自分が無視されていると思ったからだ。
 こんな“弱っちそうな”奴に無視されていては、自分の“こけん”に関わると、良くも理解していない言葉を反復し――。

「なんとかいえよ!」

 脅すように声を荒げる。自分が強気な態度でいれば大人以外の誰しもが自分のいうことを聞いた。
 だから、こいつもきっと自分のいうことを聞くはずだ。子供特有の考えだ、そして子供の世界ではそれがまかり通る。

 それでも、少年は答えない。

「……このっ!」

 カッとなって、ガキ大将は少年の肩を押した。バランスを崩して少年は砂場に倒れこむ。
 しかしすぐに起き上がり、背中と尻についた砂を払う。やはり、呻き声の1つもあげずに。

 ――目の前のこいつは、どれだけ俺を無視すれば気が済むんだ?

 ガキ大将の握りこまれた拳が少年の顔に入った。鼻血を流しながら再び砂場に倒れこむ。
 それだけじゃ終わらない。馬乗りになって、何度もガキ大将は少年を殴る。
 けれども、それでも――少年は声をあげない。何もいわない。だが、“反撃”はした。

 少年の拳がガキ大将の顔にめり込む。めり込んだとは言っても微々たるものだ。
 喧嘩なんてしたこともないような、力の籠もらないパンチ。ガキ大将を怯えさせるどころか、怒りを増長させただけ。
 結局、その一方的な殴り合いは子供を迎えに公園にやってきた大人に止められるまで、続くこととなる。



 後日、ガキ大将は頭にコブ、顔に青あざを作って、両親と共に少年の実家へとやって来ていた。
 表札に掘られた、少年の親の名前。その間に挟まれるように■■■■■という少年の本名があった。といってもそれは漢字で綴られており読めなかったので親に読んで貰ったのだけれど。

 インターホンが押され、しばらくすると扉が開かれる。中から現れたのは少年とその母親。
 ガキ大将の両親は瞬時にガキ大将の頭を押さえて何度も何度も謝りながら頭を下げる。

 『なんで俺が謝らなければならないんだ』と、ガキ大将は内心で悪態をついていた。
 彼からしてみれば悪いのはあの少年だ。自分を無視して、何も言わないくせして殴り返して来た。
 押さえられた頭に力を込めてガキ大将は目線を少年に向ける。大仰に絆創膏や包帯の巻かれた顔を見ると、自己中心的なガキ大将とは言えさすがに『やりすぎたか』と罪悪感が浮かんできた。

 ガキ大将は暴力的ではあっても、彼にとって暴力とは自身を認めさせる“装置”だ。
 これを使えば誰もが自分の思い通りになる、アラジンが持っていた魔法のランプにも似た便利なシステム。

 別に殴ることが好きじゃない。思い通りになることが好きなのだ。
 だから純粋に――傷だらけの少年を見て、ガキ大将は自然と心の底から。

「……ごめん、なさい……」

 そう思ったから、そう言った。

「――――」

 少年は案の定、答えない。
 こっちは謝ってるのに、これでも無視か! とガキ大将は憤怒する。けれどもう一度喧嘩を始める気にはならない。
 この場で手をだせばどうなるか、それをわかるくらいの学習能力は持っている。もうこいつとは絶対に係わり合いにならないでおこう、今度見かけても無視してやるんだからな。

 そう心で決めかけたガキ大将に向かって、無口な少年の親は切なげな表情を浮かべた。
 ガキ大将が何も言わない少年に対し内心で憤懣していることに気がついたのだろう。少年の親は少しだけ躊躇いがちに言葉を詰まらせてながらも――。

「ごめんなさいね……この子――1年前にちょっとした事故で……声が出せなくなってるの」

 そう、言い放つ。その言葉は、ガキ大将が僅かな年数とはいえ少しづつ積み重ねてきた“価値観”が全て崩壊するような、彼にとってそれほどに衝撃的なことだった。



 この両者の邂逅こそが、後に少年の“二度”の生涯を苦しめることになるなど――この時はまだ、誰も知らない。



 ■■■



「そこの餓鬼の魔力封印を解除しろ」

 ティキがそう告げた相手は、クラウスではなく血を流し地に臥せる所長。
 重症であるとはいえ意識は残っているし、所長クラスともなれば収容者に掛けられた封印魔法も解除することが可能だろう。

『ぐっ……なんだ、なんなんだこの男は……一体、何が目的で……』

「私の目的など知って、この状況下で意味があるのか?」

『……やはり、私の思考が――っ!』

 言葉に出していないのにも関わらず、脳内の言葉をティキはさも普通の会話をするように吐き出す。
 “先ほど”もそうだった。所長室で施設に起きた異常事態の対応に追われている最中、いきなり目の前の男は進入し暴行を加えてきた。
 曲りなりにも彼は魔導師達が収容されるこの施設の所長だ。仮に数人の高ランク魔導師を同時に相手しても鎮圧出来る実力を有している。

 というのに、所長は“手も足も出なかった”――否、まるで全てが“手の平で踊らされているように”攻撃が通じなかった。
 自身の思考を、戦術を、丸裸にされたような違和感。種を明かせば単純明快、文字通り思考を聞かれていたとは誰が考えつくか。

『君にも、聞こえているのか?』

 所長はクラウスに目線を向けてそう念じる。クラウスは静かに首を盾に振った。

「三度目はない――解除しろ、殺すぞ」

 背筋をうっすらと撫でたのはほの暗い殺意か。されどその意思を感じても、いや感じたからこそ横の少年の封印解除など出来ない。
 ティキと名乗る青年は危険だ、危険すぎる。理由はわからないが、少年との戦いを所望していることを考えるに封印を解除すれば一目散に襲い掛かってくるだろう。

「なっ……ごほ、ごほっ!」

 喉が潰されている、声が出せない。変わりに赤い血が滴り落ちていく。
 どうも内臓のいくつかがイカれているらしい。だが、思考を伝えることは出来るのならば――答えは言える。

『……舐めるな……お前がこの少年に何をしたいのかは知らないが、そんな脅しに乗るものか……!』

 ここに収容されているからには目の前の優しげな少年ですらまた、何かしらの犯罪者。
 されど、だからといってこのまま自分の変わりに戦わせるのも、危険な目にあわせる必要もない。
 彼は、ここにいる者達は“更正”出来ると、人生をやり直せるのだと判断された者の集まりだ。難しいことではあるが、過去の罪を清算し“やり直すことの出来る”権利がある。だというのに、その施設の所長である自身が収容者の1人も守れずにどうする。

 はいそうですか、と――屈してどうする。

 所長の身体は至るところから激痛が走りとても戦える状態ではない。
 増援を呼ぼうと先ほどから念話を発しているが妨害されているのか通じなかった。
 だったら、自分がここで時間を稼ぎ、少年を逃がしつつも助けを呼んできてもらうことが現状でもっとも効率的な策――。

「――貴様、何か勘違いしてないか?」

『……なに?』

「私が殺すと言ったのは――そこの餓鬼にだ。そいつと戦うのが目的ではあるが、別段このままでもいいんだよ。ただ本気を出して貰わないと要望と多少異なるというだけの話でな」

『……っ!?』

「貴様のその状態で、優先的に餓鬼を狙う私から守り続けられるというのなら――やってみろ。先も言ったがはずだが、三度目はない」

 ティキは右腕を前に翳すと、ガントレットに覆われた手の平に青白い魔力が集約を始めた。
 魔力弾だ。それも――非殺傷設定など当然加味していない凶刃の魔弾。その狙う先は無論、クラウス。

「……解除を頼めますか? 奴は私と戦うことを望んでいます。無礼を承知でいいますが、今の貴方じゃ時間稼ぎにもなりません」

 クラウスがそう静かに告げた。一人称を“僕”ではなく“私”と変更したのは意識を切り替えた証だろう。
 犯罪者として罪を償う少年はそこから失せ、覚悟を決めた戦士が一人在るだけだ。都合よくもクラウスの愛機は敵であるはずの奴が運んできてくれた。こと戦闘に関しては強靭という自負が少年にはある。そしてその尊大にも、或いは生意気とも取れるような所長への物言いは――。

「私は無力なまま殺されたくない。そして――本気で私を守ってくれようとする貴方を置いて、“逃げたくない”んです」

 ただ、そういうことだった。
 自身の命に変えてもこんな自分を守ろうと思ってくれた“思考”は、クラウスにも十分に伝わっているのだから。
 きっと所長は良い人なのだろう。自分の立場を誇りに思い、全うに真っ直ぐ己の信じる道を歩く大人なのだろう。そんな立派な男を見捨てることなど、クラウスはしたくない。

『だ、が……』

 所長の頭の中には二つの考えがある。
 1つは先の、例えクラウスという少年が如何な実力を持っていようとも戦いに巻き込むわけにはいかないということ。

 そしてもう1つは、“本当に解除してもいいのか”という疑惑。
 事態を多方面から客観的に観測することが彼らのような“上に立つもの”には求められる。

 最悪の事態から最善の事態、複数の可能性を考慮でき、そこから最善手を打てるからこそ所長という地位に彼は納まった。
 だからこそ、どうしても考えてしまう。“或いは、この状況はこの少年の封印を解除させる罠”ではないのか。敵対を煽っていながらその実、実はガントレットの男はこの青年の仲間で、脱走を手助けしに来たのでは。

 元より状況が奇妙だ。なぜ“こんな場所で、こんな所で奴はこの少年と死闘を望む”。
 本気の戦いを所望ならこのような状況下で戦わなくても手立てはいくらでもある。否応にも、そんな考えがちらつく。勿論、この思考も目の前の少年に伝わっているだろう。

「私が奴の仲間ではない、という証明は……今は戦うこと以外で立証できません」

 クラウスは、真剣な面持ちでそう答える。他に答えようがない。
 自身もこの“事態”に感染して思考が伝達するようになっていれば話は別だろうが。
 信じてもらうことは難しいのだ。言葉で幾ら語ろうとも信用も信頼も生まれない。

「――頭の固いことだ。いや、寧ろ柔かいことだと褒めるべきか」

 もはや我慢の限界だと言わんばかりに、ティキの作り出した魔法弾が唸りをあげる。
 その光景に焦りを感じるクラウスと所長。もう一刻の猶予もない。

「ならばそのまま――脳漿散らせ!」

 轟と音をあげて青白い魔法弾は螺旋を描き、疾風の如く空を切った。
 目標に着弾した魔法弾は噴煙が吹き荒れるほどの爆発を起こす。2人を包み込む粉塵――風が吹き、視界がはれたその中から現れたのは真円形の魔法陣。

 プロテクションと呼ばれる防御障壁。それを形成したのは最後の力を振り絞った所長だ。
 その右手には半壊した所長のデバイスが握られている。それと同時に、左手から放たれた光の術式がクラウスを包んでいた。

『……すまないっ……』

 苦渋の決断だった。このままでは2人とも危険で、他に方法はなかったとしても。
 最悪の可能性に目を瞑り、結局は自身の力不足で守るべきものを巻き込んだ事実はその心を抉る。されどその“思い”は、傍に佇む“騎士”に痛いほど伝わっている。

「――ありがとうう」

 たった一言、礼を述べる、他の言葉はいらない。
 猶予のない極限の状態での選択ではあったが、それでも最後には自分を頼ってくれた。ならばその恩には――行動で返すのみ。

 封じられていたクラウスの魔力が雄叫びを上げる。
 贖罪に行事する日々でもイメージトレーニングは欠かさなかった、ブランクなどあるものか。

「そう、それでいい」

 ティキの口端がゆっくりと吊り上った。
 木箱に突き刺さる相棒を引き抜き、クラウスは瞬時に騎士甲冑を構成し駆ける。その速度は弓より射られた矢のようだ。

(一瞬で、終わらせる!)

 時間をかけている暇はない。所長は重症の身体に負担がかかるのを承知の上で魔力を消費した。
 出血も酷くなっている、一刻も速くこんなくだらない戦いは終わらせて医者に見せねばならない。
 ならば出し惜しみは無用。初っ端から全力を叩き込む。ティキ・ニキ・ラグレイトと名乗った彼が言うように、縁もゆかりも恨みもないが“殺す気”でそちらが来るというならそれ相応の対応をしよう。

 数秒先の未来を観測するクラウスの稀少能力『未来察知』による“先読み”からアームドデバイス・コルセスカによる一閃。
 この戦術を鍛え上げてから、仕留めきれなかった相手は両手で数えるほどしかない。命を賭けた戦闘回数の少なさ、というのもあるが、それを抜かしても一対一なら純粋に隙がなく効果的で、強力。

 しかし弱点がないわけでもない。いや、クラウスからしてみれば未来察知という能力は難点だらけだ。
 未来察知の使用継続時間は約1分弱と短い。それを過ぎれば少しの間は使用が出来なくなる上、集中力の低下を招く。
 更に未来が視えるのは視覚内限定であり、精密に視ようものなら無限に存在する“可能性”を見てしまう為に、精度を落とさなければ情報処理をしきれず脳が焼ける。

 細かいものをあげればキリがない。それでも、今はこの能力に頼らざる終えなかった。
 これこそが自身の持てる最大の力なのだから。さらにいってしまえば目の前の敵には“思考を伝染させる”何かしらの能力があるとみていいだろう。この施設で猛威を振うそれの原因はきっとこいつだ。

 思考を読まれるなど、未来を見ることに勝るとも劣らない厄介さだ。
 戦闘においてのアドバンテージは計り知れないだろう。故に、決着は短期決戦が望ましい。自分が敵の術中に嵌る前に、一撃での粉砕が求められる。

 現在、ティキとの距離は目測で4メートルほど。
 この間合い、白兵戦での中距離戦闘こそ槍兵の独擅場。未来察知を発動し数秒後の未来を視ながら、クラウスは槍に力を込める。

 “地面に向かって魔力弾を放つ”。

 それが未来察知により得た未来の光景だった。

(煙に紛れて攻撃する気か!)

 クラウスは瞬時にティキの目論見を看破する。
 ならば、あえてその戦術に乗ってやろうとあえて無造作に突っ込んだ。

「はぁっ!」

 未来察知に間違いはない。ティキは地面に向かい魔力弾を放つ。
 先と同じくして土煙が辺り一体に蔓延する。クラウスは構わずその煙の中に飛び込んだ。

 “右斜め上から奴のガントレットが自分を狙って飛び出してくる”。

 予測通りだ。敵は自分が“作戦に嵌った”と税に入っていることだろう。
 それがすでに破綻した戦略だとも知らずに。

「そこっ!」

 未来を知るという究極の先読みから繰り出されたクラウスの、空を切り裂くカウンター。だが――“手応えがない”。

「え――!?」

 ただコルセスカは空を縫っただけだった。
 そこにあったのは、クラウスに向けて、“放り投げられた”ガントレットのみ。

(さっき見た光景は、これだったのか――!)

 なぜもっと深く視なかった、自分自身でそう後悔するも、もう遅い。

 “左側から頭部に向けて攻撃がく”。

 頭部に走る衝撃。そしてバランスを崩しての派手な横転――だがその横転はクラウス自ら行ったことだった。
 殴られる寸前に見えた未来に、寸でのところで対応できた。迫る拳に合わせて逆方向に身を投げることで少しでもダメージを受け流したのだ。

 それが功を成して、決定打にはいたっていない。軋むような頭痛と視界が僅かに揺れるが言ってしまえばそれだけ。
 いくらでも仕切り直しは出来る。しかし――クラウスは思う。今のティキの戦い方は間違いなく未来察知の能力を知っているとしか思えない戦略だったと。

(くっ、奴は僕のことを知っていて戦おうとしていたんだから、この能力が暴かれていることくらい考えつくだろう! 馬鹿か僕は!)

 不甲斐ない自分に激怒する。ここに来て、“実戦”の少なさが表に出た。
 クラウスは聖王教会に鍛え上げられた騎士であり、基礎能力は高い。だがそれを培ったのはあくまで膨大な“訓練”だ。
 “自身の能力を知られていること前提”で戦った実戦などほとんどない。能力を知っている相手との戦いなど、大抵が顔馴染み同士で。

(“彼”に負けてから、何も成長しちゃいない……!)

 地面で回転しそのまま反動で体勢を立て直す。奴はどこにいった、攻撃を受ける未来は視えないが――。
 そう考えた瞬間、所長から雄叫びにも似た“思考”が伝わってきた。

『少年! 気をつけろ! 君はもう――!』

 クラウスは背後を振り向く、所長は一体何を自分に伝える気だ?
 ――しかしその答えは、出なかった。

「黙れ」

 いつのまにか、所長の背後に移動していたティキが右腕に残されたガントレットを真っ直ぐに、全体重を乗せ振り下ろしていた。
 “ぐちゃり”、と聞くに堪えないグロテスクな音が風に流れて聞こえてくる。所長の“思考”が、聞こえない……もう何も、聞こえてこない。

(え……?)

 その現実に思考が停止する。

 されど――それもまた一瞬だ。次の刹那にはその現実を、理解出来てしまった。

 所長が、殺された。

 “こんな簡単にもあっさりと、自分を助けようとしてくれた人が殺された”。

「きっ――貴様ああああああああああああああああぁ!」

 クラウスの思考を荒れ狂わせるには十二分の光景。
 自身との戦いを望んでいたはずなのに、なぜ真っ先に所長を殺す必要があった? そんな問答をする前にクラウスは咆哮を上げながら動きだす。

 “奴は動かない”。

 まだ限界時間を超えていない未来察知が未来の情景を伝える。
 関係あるか、いや、動かないというなら寧ろ好都合。それに例え奴が何をしようとも――その身体を一切の容赦なく貫くのみ。
 このとき、もはやクラウスに冷静さなど欠片も無い。“守れなかった”という冷たい現実が、クラウスの脳内に怒りという名のアドレナリンを大量分泌させていた。

「未来が視える、なるほど、素晴らしい能力じゃないか。だが――」

 “奴は動かない”。

 “奴は動かない”。

 “奴は動かない”。

 “■■■■■■”。

「私も()えているぞ”、クラウス・エステータ」

 “奴の右拳が自分の顔を貫く”。

 確定されていたはずの未来は、たった一瞬で――改竄された。
 その未来をクラウスが知ったのはすでにティキに向けて一閃を放っていた後。
 まるで児戯を相手にするように軽々とティキはその一閃を避けると同時に、クラウスの勢いをも乗算したカウンターがクラウスの顔面に叩き込こまれる。

 クラウスの頭が鮮血を噴出しながら跳ね上がった。
 容赦無く放たれた鋼鉄の鎧を纏う拳の一撃はクラウスの頭蓋を軽く粉砕する威力を秘めている。
 されど――先ほど自ら攻撃方向のベクトルに合わせて転んだように、このカウンターもまた合わせて頭を振る。
 拳は直撃ではなく皮一枚を裂いただけ。まともに直撃すれば脳漿をぶちまけていたかもしれないことを考えるに価千金の行動、未来を視ていたからこそ出来た対応だといえる。

 “左腕に■る鳩尾に向か■ての追撃”。

 軽減したとはいえそれでも多大なダメージはある。未来察知の映像にもノイズが走るほどに。
 だが精細でなくとも大体は理解出来た。ティキは真っ直ぐに伸びた右腕を速攻で下段に戻し、その反動を利用して流れるような左拳の連撃を自身の鳩尾に打ち込もうとしているということを。

(――がっ……よ、避けて迎撃、を……)

 思考が安定しない。脳漿の荒波に揺らされて頭痛が酷い。
 咄嗟に、クラウスは舌の尖端を力いっぱいに噛んだ。脳天に響く激痛と口に広がる鉄の味。
 即興の“気付け”には存分に効果。痛みによって奪われた思考は痛みによって取り戻す。

「づぁっ!」

 未来察知の映像と同じ行動を再現するティキ。
 彼の背後へ振り戻る血に染まった右拳。同時にカタパルトから放たれたパトリオットのように空を奔る左拳。

「こっ、のおおおおぉ!」

 ティキの拳の軌道はアッパーのそれに近いもの。鳩尾を狙うには最適だろう。
 それを避け、今度こそ反撃の一撃を――。



 “左腕に■る鳩尾に向か■ての追撃”。

 “■■■■■■■■■■■■■■■”。

 “顎に向かって振り上げられる左拳”。



「――ぐっ!?」

 またしても、未来が変貌した。
 鳩尾に来るのを前提とした行動は、クラウスの顎を無防備に晒してしまっている。
 クラウスの鳩尾を狙っていたはずの拳は軌道を変え、クラウスの顎をぶち抜いた。

 今度は、完璧なまでの直撃だ。先程のガントレットを囮に使い捨てた方の裸拳であった為、致命的な損傷ではない。
 それでもティキの全体重を乗せた渾身の左アッパーだ。数センチほどクラウスの身体を“浮かせる”威力は備わっている。

(――“あの時か”)

 暗転する視界。転覆する思考。
 ただぼんやりと、受身を取ることすら考えれずに――。

(あの時、所長が僕に伝えようとしていたのは……僕の思考が“伝心するようになった”ということ……)

 もはや、そうとしか考えられない。
 未来をこうも簡単に変革させることが出来るのは同じ未来を視る者だけだ。
 予測する未来を元に行動したクラウスの“思考”でも読んでいなければ、こんなことは不可能なのだから。

 どさっ、とクラウスは背中から地面に叩きつけられて――目の前が、真っ暗になった。



 “未来を知る”という先読みのカウンターが究極ならば。
 “思考を知る”という先読みのカウンターは――最強だ。



 ■■■



 モニターに映し出されるのはクラウスが一方的に圧倒される光景だった。
 全ての攻撃を避わされ、全ての攻撃を受け、まま成らぬとばかりに地面に倒れ――ティキの鋭い双眸と哀れみを浮かべた嘲笑が小さな騎士を見下す。

「圧倒的ですね。まあ、相手が盟主のお気に入りとはいえ“ヴァン・ツチダ”に負けるような男ですから、仕方のないことかもしれませんが」

 賭けの負けを確信しながら、といっても元々“勝つ”という望みなど微塵も浮かべていなかったのだが。
 ……ともかくシスターはすでにこの時点で勝敗の有無に興味は失せていた。されど、“何故、拾い物のティキ・ニキ・ラグレイトとクラウス・エステータを戦わせる必要があったのか”という理については、幾分かの興味はある。

「これ、なんの意味があったんですか? 力量を測るにしても力量さがあり過ぎて参考になりませんし。所長という重要人物が攫われたというのにあの場所に“誰もこない”ということは、拾い物の他に何人か手駒を送り込んで妨害させているということでしょう」

 ティキの戦闘能力を確かめたいのなら、彼自身にあの施設に用があったとしても一々そこの収容者と戦わせる必要はない。
 盟主の手ごろな駒の誰かと戦わせれば済む事だ。さらに、まともに戦うためには封印を外さなければならないクラウスという条件を考えれば余りにも対する労力と釣り合いが取れない。

 しかし、盟主は遊びが好きで戯れが好きでおふざけが大好きだが、そのどれをとっても意味のないことなどしたことがない。
 無駄ではあっても、無意味じゃない。それは似たようでまるっきり別の意味合いだ。例えば、何気ない日常でふと息を思いっきり吸い込んで長らく呼吸を止めることは、はっきり言って無駄なこと。

 けれど、それは“呼吸をしている”ことには間違いないのだ。
 息を止めることが無駄であってもその前後には呼吸という生活においてなくてはならない運動を行っている。
 盟主の遊びは、戯れは、おふざけはつまりそういうこと。体温調節や陰部の保護を目的とした“衣服”を豪勢に飾りつけることが意味を成すように――この戦いもまた“意味”はあるのだろう。

「“彼の能力で互いが互いの醜く薄汚い本心を曝け出される犯罪者達の阿鼻叫喚たる無様さを見たかった。”
 “友を切り捨ててまで選んだ道が意味のないものであったことに絶望する少年をさらに地獄の底辺に突き落としたかった。”
 “アニメのような頭脳戦飛び交う能力バトルをテレビの前で心躍らせる少年のように鑑賞したかった”」

 はっはっはっ、と盟主は笑いながら嘯く。

「意味なんてそれこそ無限にあるのだよシスター、私にとってはな。まぁ、君が納得する理由としては――そう、能力の再確認という所か」

「思考感染の能力を?」

「“両方さ”。この前、闇の書事件を振り返ってみたのだが、どうにもヴァン・ツチダと戦ったクラウス・エステータの持つ“未来察知”という能力に違和感を拭えなくてな。それで彼のことを“少し”調べてみたんだが面白いことがわかったよ」

「面白いこと……まさか彼もまた“同胞”だとでも?」

「鋭いな、その可能性が高いと私は見ている。まぁ、今は同胞であろうがなかろうが関係はない。
 私が注目しているのは彼の能力だ。未来察知、その名の通り未来視に類する能力ではあるが――彼は、能力の使い方を“間違えている”気がする」

 振り回されている、と言い換えても言いがな。そう盟主は付け加えて。

「それを確かめたくて、思考感染をぶつけて見たのだが……」

 モニターに目を移す。圧倒され、蹂躙され、足蹴にされるクラウスを見て――溜息。

「これじゃ、約束の“10分”すら持たない。期待外れ、というより期待のし過ぎか。残念だシスター、君が賭けた大穴は来なさそうだよ」

「そもそも賭ける対象の選択権が私になかったわけですが」

「残り物には福があるという言葉は愚か者の戯言だったという訳だ」

 ――しかしこうなっては、無垢な少年が屈強な大人に嬲られることしか楽しみがなくなるぞ。
 万象上手くいってしまう賭け事も存外つまらぬものだ。一波乱くらいは起きて欲しいが。そう思って、再びモニターに目を移す。

 血を流しながら、それでもコルセスカを杖代わりにして立ち上がろうとするクラウス。
 そしてそれを一概の容赦もせず叩きのめすティキ。殺意の籠もった拳が子供の身体にめり込む様は心踊るものがあるけれど――。

「それが援助の条件だとしても――何が彼をそこまで突き動かすのか」

 本当、天才だの凡人だの常人だの狂人だの革命家だの転生者だのと、世の中には色々な奴がいるな――という盟主の呟きは、虚空に消えた。



 ■■■



 ――それは違う世界の少し遠い昔話。

 数え年にして15歳。声の無い少年は気弱そうな印象を残してはいるが、順風な成長を遂げていた。
 けれどその気弱そうな印象が問題なのかそれともそういう星の下に生まれたのかは定かではないが、またまた絡まれている。
 今度は1人ではなく複数人。所謂、不良やヤンキーと呼ばれる彼らに包囲され、体を震わして怯えながら縮こまっていた。

「なぁ僕ー。ちょっとお兄さん達に金貸してくれねー? 大丈夫大丈夫、今度会ったとき返すからさー」

 もはやそんな常套句を使う不良など息絶えたかに思えた近代、彼らは絶滅していなかったらしい。
 声が出ないほどに震えてるな、このガキちょれぇや。そう確信してニヤニヤといやらしい微笑みを浮かべる不良の1人は、何回か殴れば財布置いて逃げるだろと握り拳を振り上げて――。

「俺のダチに何してんだクソ共がぁ!」

 突如飛来した学生服に身を包む少年のドロップキックによって蹴り飛ばされた。
 バランスを失って衝撃のままに不良の身体が向かう先はコンクリートで作られた塀。
 ゴッ、と鈍い音を鳴り響かせ、そのまま不良はズルズルと崩れ落ちる。

「な、なんだてめぇ!?」

「おまわりさーん! こっちでーす!」

 学生服の少年が大声を上げた。
 不良連中は警察という単語に反応してこりゃやべぇと気絶した1人を担いで一目散に逃げ出した。

「……ま、サツなんて呼んでねぇけどな」

 こんなのに騙されるなんてどこまで古典的な不良なんだよあいつらは。
 そう思って小さく笑いながら彼は声の無い少年に近づいていく。

「大丈夫か? ■■■。ここら辺は不良が多いから近づくなっていったろ」

 ■■■と呼ばれた少年は学生服の少年を見るやいなや安堵の表情。
 そしてポケットから携帯電話を取り出してぽちぽちと操作し、携帯電話の液晶画面を見せた。

【大将がこの近くに居るって聞いたから探してた】

 液晶の中には声の無い■■■の心情が綴られている。
 声が無い少年が得た意思疎通の方法。それは『文字』。一般人に浸透していない手話などよりも簡単でわかりやすい発想である。

「……まあ、俺は携帯もってねーから一旦外に出ちまえば連絡つかなくなるけどさぁ。だからって危ないとこに近づくなよ、お前ただでさえなまっちょろいのに。家にでも言付けしてくれりゃ明日にでも会えたろ」

 この馬鹿。そんなことを言いながら大将と呼ばれる少年は■■■を小突いた。
 てへへ、と人懐っこい小動物を思わせるような笑みを■■■は浮かべる。

「で、なんの用があって俺を探してたんだ?」

 再び■■■が携帯を操作する。

【ポップン、新曲が入った。一緒にやりに行こう】

「お、マジで? いいじゃん行こうぜ――つーかこんだけの為か!?」

【うん】

「……お前なぁ」

 ■■■はまた笑った。
 大将も、それは苦笑に近かったけれど確かに笑う。



 あの日、公園で喧嘩を繰り広げていた2人の少年は、数年の時を経て親友と呼べる間柄になっていた。
 ガキ大将だった少年はそのまま大きくなったという感じで、けれども自分本位だった性格は消えている。
 大人になっていくその精神に根付くのは徹底した『弱いもの虐めの否定』。弱者を助け強者を倒す、そんな“正義のヒーロー”染みた主義と思想を持って生き抜く彼は“大将”という“あだ名”の通り大勢の人間に頼られるまとめ役となっていた。

 ヒーローなんていないのだと、きっと誰もが一度は思う絶望がある。
 ヒーローにはなれないのだと、きっと誰もが一度は思う失望がある。

 けれど大将は違っていた。万人の求めるヒーロー像とはかけ離れているのかもしれないけれど。
 万人が求める正しき行動とはいえないかもしれないけれど、それでも彼は■■■と出会ってからそれを続けたのだ。

 ■■■のような弱者を助け、自身のような強者を倒す。

 あの日の邂逅は、大将がそのような思考に変貌するほどの衝撃を与えられた。
 誰しもが会話出来るのが当たり前だと思っていた少年が出会った“言葉を話せない少年”。
 会話が出来ない、話が出来ない、したくてもままならない――それは果たしてどれほど辛いことなのか、生まれて始めて考えさせられた。

 大将は一度試してみた。言葉を話せないとはどれほど不便かを体験する為に“一切合切喋らない”という方法で。
 その結果――わずか3日で“死にたくなった”。挨拶を返さない者に挨拶をする者が現れるわけもなく、話題を振りかけても話題を振ってこない者に話しかけるものなどいない。

 たった三日で、大将は“ひとり”になった。その結果に大将は恐怖に身を包まれてガタガタと震える夜を過ごす。
 “ひとり”になったことが怖いのではない。大将自身は話せるのだ、言葉が出せるのだ。『昨日まで喋らない罰ゲームをやってました』なんて嘯けばまた普段の皆と会話が出来る日々が戻ってくるだろう。

 怖かったのは、本当に怖かったのは――“言葉を話せなければ人は一瞬で孤独になってしまうという事実”。
 “あいつはこれを事故が起きたその日から味わい続けて来たという事実”。

 あいつは、■■■はあの公園で俺に殴られていた時、どんなことを思っていたのだろう。
 あいつは、■■■はあの公園でたった一人、どんなことを思って遊んでいたのだろう。

 時が立ち、親友として毎日一緒に遊ぶ仲になった今もそれだけは怖くて聞けなかった。
 それを考えれば不思議と涙が止まらなくなるくらいだ。自分が何気に生きてきた毎日は、自分が楽しければ全てよしと思ってきた毎日は、あいつにとってそれは――。

 きっと地獄の底と同意義だったのだから。

 それを知った翌日から大将は少年の元へ毎日遊びに行った。
 時間が無くて挨拶をかけるだけの時もあったし、そもそも少年が怯えて逃げるので会えない日もあった。
 それでも大将は続けた。毎日毎日ただ“会って話しかける”、それだけを続ける為に――。

 それから何年の月日が過ぎただろうか。
 少年に会うという日課にすらなってしまった行事を行う為に彼の家を尋ねると、■■■がいままで見たこともない笑みを浮かべているではないか。

 彼が手にしているのは、当時では最新の携帯電話だった。小型で、持ちやすく、液晶は綺麗。
 それを見せびらかすものだから『なるほど、携帯を買って貰ったのが嬉しいんだな』と思った大将は『よかったな!』、『すげぇ最新じゃん!』、『小学生で持ってるのお前だけだぜ!』と自分のことのように喜んでみせた。無論それは嘘偽りのない“思いやりの心”を持てるようになった大将の本心だ。

 けれど少しだけ不思議に、というよりは不自然に思った。“言葉を話せないこいつが、携帯電話を買ってもらって喜ぶのか?”
 ――すると■■■は慣れない手つきで携帯電話を操作し、そっとその画面を対象に見せる。



『おはよござます たいしよ』



 ――ああ、“そういうこと”。だから、こいつは、“こんなにも嬉しそうにしていたのか”。
 その意味を理解して、大将は泣き崩れた。打ち損じてる部分もあるし、そもそも変換出来てない文字がある。
 けれど、その文章の意味は理解出来る。こいつが何を言いたいのか、何を“言えたのか”、言葉じゃなくとも伝わってくる。
 携帯電話を買ってもらえたのが“一番”嬉しかったんじゃない、嬉しかったのは、嬉しかったのは。



 何よりも一番嬉しかったのは、こんな俺とこうやって“会話”出来ることだったのか――。



「う、ううぅ――か、紙で、ひっく、よかったじゃねぇかよ……メモ帳とかでも、ぅ、さぁ……!」

 大粒の涙を流しながら、とびっきりの笑顔で笑う大将を見て■■■はどうしたらいいのかわからない様子で慌てて携帯電話を操作する。

『どしたの おなかいだの』

『だいじよぶ おかさんよふ』

「――大丈夫、大丈夫だから……!」

 その日以来、大将は決意した。■■■のような物言えぬ弱きものを助けようと。
 その日以来、大将は決意した。自身のようなそれを理解しえぬ強きものを倒そうと。

 言葉など話せなくても、通じ合えるのだから。
 きっと言葉などなくとも、人は誰とだってわかりあえるのだから。



「んじゃ、駅前のゲーセン行こうぜ」

『うん、行こ』










 ――そう、思っていた。あの日が来るまでは、そうなのだと信じていた。













          『嫌い』









『だいっ嫌い』    
                『信じてたのに』

   『嫌い』    『会いたくない』

     『信じてたかったのに』     『近づかないで』

  『なんで教えてくれなかったの』         『嫌い』

      『嫌い』
                   『嫌い』
       『嫌い』
          『ふざけないでよ』   

     『嫌い』       『放っておいて』         

『いらいらするから』

        『嫌い』    『嫌い』 『嫌い』      『嫌い』

    『嫌い』 『嫌い』  『嫌い』  『嫌い』  『嫌い』

    『嫌い』     『嫌い』    『嫌い』     『嫌い』

       『嫌い』  『嫌い』  『嫌い』

    『嫌い』    『嫌い』  『嫌い』     『嫌い』

      『嫌い』   『嫌い』  『嫌い』   『嫌い』

『すごく嫌い』

     『嫌い』  『嫌い』  『嫌い』 『嫌い』

     『嫌い』  『嫌い』 『嫌い』  『嫌い』



『きらい』

『だから』




『よく考えて、死んじゃえ』




 ■■■



“脳天に向かっての右ストレート”
“■■■■■■■■■■■■■■”
“右頬に向かっての左ストレート”

 ティキの右腕が直前で止めると同時に返す左の拳が飛んでくる。跳ね上がるクラウスの頭蓋、弾け飛ぶ血飛沫。
 そして――“起き上がってくる地面”にクラウスは押しつぶされた。

 ぼんやりとした視界。霞のかかる思考。脳内はまるでアナログテレビの砂嵐。
 だから、地面が起き上がったという奇怪な現象は、ただ単に自分から地面に向かって倒れただけの取るに足らない錯覚だと理解するのに十数秒の時間が必要だった。

「……ぅっ……ぁ……」

 頭の中に灼熱のマグマが流れている。それが神経の一本一本を丁寧に焼き尽くしていくのだから堪らない。
 熱い、痛い、熱い、痛い、痛い、痛い、痛い――それに息苦しい。息が出来ない、息が詰まっている。新鮮な空気が欲しい。
 フルマラソンを走りきり体力を使い果たした状況の息苦しさなどではなく、水の中に引きづり込まれたような感覚が収まらなくて。

「……“ごぼっ”……」

 ――なんだ、息苦しいのは当然じゃないか。“地上で溺れる”など珍しい体験、やりたくたってやれはしない。
 口の内にこんなにも自身の“血”が溜まっていれば、息が詰まるのも道理といえよう。

 他人事のようにクラウスは自身の状況を観測する。諦めたわけではない、敗北を受け入れたのではない。
 “混濁した思考がまともなことを考えさせてくれないから”そんなことを思っているだけだ。

「弱い」

 地に伏せるクラウスの髪を掴んでティキは無理やりクラウスを立ち上がらせようとする。
 けれど、もはや足腰に脳髄から神経伝達が行き渡らないのか、ぶらんと重力に身を任せたままだった。

「まさか、それが全力じゃないだろう。クラウス・エステータ、お前にはもっと特別な才能があると聞いているんだがな」

 彼は、ティキ・ニキ・ラグレイトは“一体誰の刺客だ”。
 意識の混濁が収まり始めたクラウスはただそれを考える。自身の存在が邪魔になった聖王教会の誰かか。
 それともまったく違う誰かか――否、それ以前に“自分を始末しに来たならなぜ殺さない”。止めを刺すには絶好の機会だというのにまるで、“自分の回復を待っている”かのような――。

「もっと本気を出せ。先は貴様を殺しても構わんといったが、あれは嘘だ。“このまま死んだら非常に困る”」

(……なんだ、こいつは一体、何を求めている……?)

「“何を求めている”、ふん。そんなことを考える暇があれば、私をどう倒すか考えた方が有意義だぞ」

 思考が伝わってしまうこの状況においては全てがガラス越しのかくれんぼ。
 言葉を発すまでもなく、クラウスの思考は決壊したダムのように駄々漏れだ。

「どうすればお前は本気を出してくれる? もし今のが全力であるというのなら――どうすれば“成長”してくれる?」

 ティキはクラウスを地面に投げ捨て、同じく先の戦闘で未来察知の陽動の為に投げ捨てたガントレットを拾いに向かう。
 背後を向いて歩いていくその状況はクラウスにとってチャンスだ。射撃魔法は苦手だが、卑怯だろうとなんだろうとこのまま後ろから狙い打って――そう考えるも、クラウスはそれが無意味だと悟った。

(思考が伝わっている……となればこの考えも伝わっているはずだ。不意打ちは不可能――)

 どうすればいい、一体どうすれば目の前の奴を倒せる。

(無意識で繰り出した攻撃ならば或いは通じるかもしれない。けど、無意識下の戦闘なんて芸当、僕には出来ない)

 他にもいくつかの対策は思いつく。しかしそのどれもが前もって訓練するか用意が必要なことばかりだ。
 現状では突破口がない、ともすれば向かえる結果は“敗北”、そして“死”――ふざけるな、と思った。何もわからないまま、何も成さないまま、こんなところで殺されて堪るか。

 “こんな、理不尽なことで”――。

「こんな理不尽なことで、か。はっ、世の中は理不尽なことばかりじゃないかクラウス・エステータ」

 ガントレットを拾い左腕に嵌めて、振り向きざまに思考を読み取ったティキが声をかける。

「理不尽に人は蹂躙され、虐げられ、そして殺される。そんなことはな、あの“戦争”を、あの“世界”で生まれた貴様なら――“私達”なら、とっくの昔に体験していて、とっくの昔に理解しているはずだろう」

 少しだけ、クラウスの鼓動が跳ね上がった。
 戦争、世界。その言葉に含まれたニュアンスは、ティキの言いたいことを感づかせ――。

「……お前は、まさか」

 クラウスのか細い声があがる。体の“中身”が傷ついている為か、声がしゃがれていて聞き取りづらい。
 けれどそんなことはどうでもいい。目の前の男は、自分の命を狙う刺客は。

「そう、同郷だよ。私と貴様の生まれた世界は同じ場所だ」

(…………)

「少し昔話でもしようか。覚えているか? “神王”という名の独裁者を」

 ――当然、クラウスは覚えていた。その忌々しい名前を。
 忘れるわけがない。その者こそ、クラウスの“二つ目”の故郷を戦乱という地獄に変えた元凶なのだから。

「古代ベルカ諸王の末裔などと嘯いて、私達の世界を支配し、挙句には養豚場扱い。奴に擦り寄る特権階級だけが贅沢な生き方を出来て、民衆は家畜以下の日々を強要される。
 力ある者だけ守る都合の良い法律、殺人や暴行が行なわれても見て見ぬ振りをする国家権力。酷い有様だ。強者は生きろ、弱者は死ねと言わんばかりで本当に反吐が出るし虫唾が走る」

 苦虫を噛み潰したような表情でそう語るティキの内心は、それほどの怒りで溢れているのだろう。
 殺されかけているにも関わらず――そのことだけに関して、クラウスは彼に対して奇妙な親近感を抱いた。

「だが、そんな独裁者も民衆の中から現れた“英雄”によって敗した。英雄は虐げられ続けた弱者達で解放軍を結成。それを率いて自らの命と引き換えに神王軍を打倒。良い話だ、まるでおとぎ話の物語のような――しかし」

 “世の中”というのは、めでたしめでたしで終わる絵本とは違った――とティキは続ける。

「偉大な“リーダー”を失った解放軍はあろうことか“新たな秩序を作るのは俺達だ”と内部で意見を違わせ分裂。
 よりにもよって“虐げられていた民衆同士”で戦争を始めやがった。こんな皮肉があるか? 平和を掴み取ろうとした者達の手に握られたのは、冷たい拳銃だったんだよ」

 平和が欲しかったはずなのに。
 平穏が欲しかったはずなのに。
 平等が欲しかったはずなのに。

 神王と英雄の、強者達と弱者達の戦争が終わって訪れたのは幸せな世界などではなく――弱者同士の終わらない戦争だった。
 それが、クラウスの世界のあらまし。戦争によって狂ってしまった世界の末路。

「だからこそ、もう一度言おう――世の中は理不尽なことばかりじゃないか」

 そんな世界で生まれ、幼少の日々を過ごしたクラウスだ。
 わかってる。どれほど世の中には理不尽なことが溢れていて、どれほど理不尽なことが蔓延っているか。
 弱者は――弱者はいつだって、強大な“力”の前にはひれ伏すしかない。たとえそれが覆ったとしても、“弱者”は“強者”に成り代わって再び別の“弱者”を虐げる。



『降伏するんだ、ツチダ空曹。これ以上の出血は危険だ。実力差がありすぎる事ぐらいわかっただろう、君に勝ち目は無い』

『やだね、俺はなのはを連れて帰る』

『そんな事が出来ると思っているのか! 実力差が分からないわけじゃないだろう。いや、そもそもこの命令は……』

『上から来ているって? 聖王教会のお偉いさん……しかも、トップクラスの誰かだろう』

『知って……』

『貴方が口を滑らした事から推測したんだけど、当たってたみたいですね』

『そうだ、君の言う通りだ。仮にここを切り抜けても、次はもっと悪辣な手で彼女を捕らえに来るかもしれない。君だって分かってるだろう、聖王教会という組織の力を!』

『知ってるよ。でもさ、それが何?』

『何じゃない! 大きな力には結局勝てないって分からないのか!』




 それはいつか、クラウスが戦った勇敢な管理局の少年と交わした会話だった。
 心のどこかで、きっと心の奥底で思っていた固定概念。それが絶対だと、それが当たり前なのだと。

「人はいつだって理不尽を強要されるし理不尽を強要する。その定理は壊れない、人が人で或る限り。今まさに理不尽を強要される貴様とて、理不尽を強要させたことがあるはずだ。例えそれが本意でなかったとしても」

(……ロッサ……高町なのは……)

 いたいけな少女と親友の顔が思い浮かぶ。
 確かにクラウスは理不尽を強いた。管理局に勤めようとした親友には、どうしようのない理由があったといっても一方的に“友達を止める”と縁を切ったし、高町なのはにはどうしようのない理由があったといっても誘拐しその身柄を明け渡そうとした。

 それは一体どれほど理不尽なものだったのだろう。どれほど悲しくて、どれほど辛くて、どれほど酷くて。
 “しなければならない理由があった”なんて“してもいい理由にならない”。そんなものは、決して免罪符になんて成り得ない。

「……まぁ、だからといって理不尽を受容しろと言っているわけじゃない。寧ろ逆だ。理不尽という存在はこの世から絶対的に淘汰されなければならない存在だと思っている。
 私がこんなことを話したのは、ただ思い出に浸りたかったわけではないぞ。私の“目的”を理解して貰う為には――分かりやすい実体験だからこそ話した」

(目的……?)

「貴様は先程、“何を求めている”と考えていたな。それに対して私は知っても無意味だと返したが、撤回しよう――。
 私の目的を知った方が貴様はもっと“危機感”を覚えるかも知れない。殺意は多少なりとも感じ取れたが、まだ“要素”が足りない……私を“殺す気で倒そう”という本気さが、まだ足りない」

 少しの間だけ、ティキは目を閉じた。瞑想のように口を閉じ微妙だにせず――。
 それはたった一瞬の沈黙だった。再び彼は鋭い目を見開く。その瞳に宿るのは、ほの暗い闇そのもの。

「――全人類の“思考感染”による革命。それこそが私の目的だ。貴様もここに来るまで体験しただろう? というより、今まさに貴様の思考が私に漏れているのも、同じ事柄。
 “他人に自分の思考が伝わる”ように出来る私のレアスキル。それを全ての人間に使えば――言葉でなく“本心”で他人に接するようになり……」

 言葉の端々から感じるのは確かな“狂気”。

(……こ、こいつは……)

 それが絶対なのだと信じている“狂信”。

「“きっと、全次元世界が平和になるんだよ”」

(一体、何を言っている?)

 道中に、そして現状で起こっている不可思議な現象はそのレアスキルが原因か。
 なるほど、想像通りといえばそうで、それに関しては納得だが――目の前の男が何を言っているのか、クラウスは理解出来ない。

 そのレアスキルを全人類に使用して他人に思考の全てを伝わるようにする? 
 そうすれば――全次元世界が平和になる? まるで意味がわからない。過程と結果の因果関係を無視しすぎだ。
 子供の方がもっとまともな物の考え方をするだろう。ティキのレアスキルによって施設内に蔓延したあの悲惨な“惨状”を見て、何をどうすれば平和になるなどと――。

「あれは平和に続く為に必要不可欠な“準備段階”だ。皆々、自分達の身に起こった変革に混乱しているだけに過ぎない。
 変革も革命も、誰もが最初は戸惑うものなのだ――昔、人は微生物だった。微生物は長い時間をかけて脳を巨大化させ手を作り脚を生やして進化したのが今の人間だろう?
 “思考を他人に伝える”という機能は、いずれ人間が進化の過程で手に入れるはずの能力で、きっと手に入れなければならない能力だ」

 人には呼吸という能力が必要なように、鼓動という能力が必要なように。
 ――私はただ、いづれどんな人間も呼吸や鼓動と同じくして持つようになる“進化”を早めているだけに過ぎない。そんなティキの呟きを、クラウスは愕然と聞くしかなかった。

「考えても見ろ、本心が他人に伝わることがどれほど素晴らしいことなのか。
 意思を共通させる手段として“話し合い”というものがあるな? 誰も彼もが言う、話し合いは大事だと。
 しかし私に言わせれば話し合いとは“化かし合い”と同意義だ。“言葉”は常に正しくはない、いくらでも虚実が混ざる――それでは駄目だ」

 確実に本心だと、誠実に本音だと確信するには“言葉”など不十分で――不透明。
 どれだけ親身に語ろうと、どれだけ必死に叫ぼうと。心の底からそれを信じることを誰が出来よう。

「完全に正しく、真なる手段でなければ人は解り合えない。勘違いして、どうしてもすれ違う。
 その延長線の上にあるのが、あの時の“戦争”だ。悠久に生み出され続ける地獄――そんな悲劇の螺旋を終わらせるには、もはや“本心”を包み隠さず“伝心”させることしかないじゃないか。
 他人の本心さえわかれば、自分の本心さえ伝われば……痛みも、悲しみも、喜びも、幸せも。何もかもを共感出来れば後に訪れるのはきっと“真実”だけがある平和の理想郷」

「…………」

 クラウスは答えなかった。あまりの滅茶苦茶な極論にどう反論していいのか、どうすればいいのか。
 唯一理解し得たのは、目の前の男が世界を変革しようとするその危険思想を持ち、そしてそれを実行出来るだけの能力を宿した“狂人”であるということだけだった。

「さて、どうだクラウス・エステータ。少しは覚えて貰えたか“危機感”って奴を。
 私を今この場で倒せなければ、近々に私の理想は実現することとなる。そうなれば、貴様が“否定”する私の革命で――貴様の“大切な人”が傷つくかもしれないな」

 “大切な人”。投げかけられたその言葉に、クラウスの心臓が小さく高鳴った。
 同時に連想してしまう。1人は、何を投げ捨てでも守りたかった愛しい仲間。片や、その為に突き放した唯一無二の友。

「ふん――“パル”に、“ヴェロッサ”ね……」

 しまった、とクラウスが思った時にはもう遅い。すでに“思考”は電波している。
 嫌な汗が溢れてくる、鼓動が煩い。殴られ、蹴られ、蹂躙されていた先ほどよりも遥かに気持ち悪い焦燥感が体中に満ちていく。
 考えるな、考えるな、考えるな、考えるな――目の前の狂人に、決して悟られては……。

「無駄だ。“連想”とは思考の条件反射。言葉は制御出来ても思考とは本能に従う構成で作られている。特殊な訓練もせず――連想から逃げられる人間はいない。“こんな風にな”」

 ティキは地べたに這い蹲るクラウスに再び近づいて、その耳元に口を運ばせ――言葉を紡ぐ。

「“面会”、“再開”、“後悔”――」

 その言葉の一つ一つは、大した意味を持たないありふれた単語なのだろう。
 しかし、クラウスにとっては、どれもこれも“連想”を余儀なくされる“回避不能”の言霊だ。

(やめろ。やめろやめろやめろ――!)

 脳内をその言葉で埋め尽くす。覗くな、人の心を。聞くな、僕の思考を――。
 そう思い続けることで連想を隠そうと、クラウスは地面に頭を擦りながらも必死で抵抗した。
 それでも、連想したのがたった一瞬であろうが“思考感染”の前には効力を持たぬ無駄な足掻き過ぎない。
 ほとんどの単語にそれぞれの連想をしてしまったクラウスの“逆鱗”であろう1つの思考を、ティキは聞く。

「“なるほどな”」

 ティキの足がクラウスを体を真横に蹴り上げた。
 その衝撃で体が二転、三転と転がって仰向けになる彼の体を即座に踏みつけ、何かを探すように騎士甲冑の下を弄る。

「や、やめろっ――!」

 金切り声をあげクラウスは抵抗を試みるが、ダメージを受けすぎた体はいうことを聞かず。
 また、いくら鍛え上げられた騎士といえども大人と子供の力の差は覆すことが困難だった。

「これか」

 その言葉と共にクラウスの懐から取り出されたのは一枚の“手紙”。
 親愛なる友から渡された、守るべき者から届いたそれを――奪われた。

「返せっ……!」

 自身を踏み下すティキの足を、目の色を変えてクラウスは掴んだ。腕力の全てをその手に集中させたその力は万力にも等しいだろう。
 軋む骨の悲鳴が上がり、潰れかけた肉の悲鳴が唸る。このままいけばティキの足を無残な姿に変えることが出来るであろう圧力を加えられても尚、彼の表情に焦りが生まれることはない。

 寧ろ――彼はここで始めて、暗く凍てついた表情を崩して見せた。
 風すら流れそうな穏やかな“笑顔”。そんな顔でクラウスを眺めながら彼は――。



「断る」



 手紙を握り潰す。音を上げて形を歪ませる手紙だったものは、まるで1つの肉塊にも見えた。それを、紙くずのように投げ捨てれば――。



 天を裂く様な怒号たる雄叫びが轟く。




 その、あるいは悲鳴とも取れるソプラノの絶叫音楽に鼓膜を震わせながら――。

(ああそうだ。もっと怒れ、もっと吼えろ。クラウス・エステータ)

 ティキ・ニキ・ラグレイトはその表情をさらに破顔させた。

(殺す気で来い。四肢を斬り捨て、腹を引き裂き、臓を引きずり出し、頭蓋を砕く殺意を抱け。全力で来い。今の今までが全力だというのなら――自身すら知りえないその“先”を総動させろ)

 冷たい、血を通わせないガントレットが熱くなっていくのがわかる。

(私はただ、その上を超えていくだけだ。それでようやく、スポンサーからの“依頼”は達成される――!)



 画して、初戦は襲撃者の圧倒に終わる。
 けれどもこれは殺意渦巻く次の戦いの序奏に過ぎない。

 未来を視る者、クラウス・エステータ。
 思考を知る者、ティキ・ニキ・ラグレイト。

 “転生”という不可思議な経験を得て、同じ故郷に生まれ、似通った能力を持つ二人が織り成すのは。

 仮面で全てを覆い隠す暗雲の存在が、思わず陶酔の吐息を漏らすほどの――“殺し合い”だった。



 ■■■



 ――それは違う世界のほんの少しだけ遠い昔話。

 その日――言葉の話せない少年と出会った公園のベンチにぼんやりと腰掛けていた。
 大将の手には携帯電話が1つ。それは■■■の始めて彼が両親から買って貰った機種から数えて三台目のものだ。
 その携帯電話の液晶画面に大将は目向ける――並々と映し出されているのは怨み言の数々。キーを操作し画面をスクロールさせても中々最後までたどり着かないほどに。

「……死んじゃえ、かー」

 『よく考えて死んじゃえ』。巻末に記されたとても素っ気無く、けれども重みのある一文。
 それをしばし眺めて、乾いた声で彼は一頻りに苦笑しながら――。

「――ふっざけんじゃねええええええええええええええええぇ!」

 携帯電話を突如として脳髄の中で渦巻いた怒りのままに地面に叩き付けた。
 地面に直撃した携帯電話は無数の破片へと砕け散り宙に弾け飛ぶ。

「俺があいつになにしたっていうんだよ!?」

 それでも怒りは収まらないらしい。立ち上がって、力任せに公園のベンチを蹴り上げる。
 木で作られていたベンチは瞬く間に叩き折られた。叩き折ったベンチだったものをもう一度壊した。
 木造とはいえそれでも人が座ることを前提に作られたベンチの強度は高い。蹴った大将の足の皮膚が切れて鮮血が流れる。
 それでも構わない。そんな程度の痛み、大将の心中に渦巻く得体のしれない“恐怖”に比べれば微塵だった。

「はぁ――はぁ――なんで俺があいつに嫌われてんだよ」

 肩を、体を上下させて発散しつくした息を必死に整える。
 全く“嫌われる意味がわからない”。先日まで何事もなく普通の日々を過ごしていただけなのに、今日になっていきなり睨まれながら呪怨が書かれた“この携帯電話を投げつけられた”。

 自分を見つめる■■■の眼は、今まで見たことも無い憎悪に彩られていて。
 或いは、本気で殺意すら抱いていたのかもしれないと思えるほどに。

「どうなってんだ……なんでこうなった……」

 嫌われることの、恨まれることの心当たりは何一つ無い。
 それでも、こうなってしまったからにはきっと何か原因があったのだろう。

「――誤解だ。勘違いで、すれ違ってるって奴だ……今まで仲良く出来てたじゃねぇか、大丈夫……誤解さえ解ければ、またいつも通りだ……」

 ふらつく足取りで、血を点々と地面に落としながらも大将は■■■の家を目指した。
 『弱者を助け、強者を倒す』。大将の心の根に疼くその概念を齎したのは■■■という言葉を持たない少年なのだ。
 彼が居たからこそ、彼が傍に居るからこそ大将はそんな壮大な理想を背負って生きていける。

 ――そこに、正義感なんてものは存在しない。あるのはただ“意味”。
 彼の中身のない人生を彩る“存在意義”。生きていく“価値”といってもいい。

 そんな彼だからこそ、気づけなかった。
 ■■■を“追い詰めた”のは、何よりも大将のそんな“生き様”だったのだと。



「――え?」



 大将が彼の家を訪ねて目にしたのは、救急車やパトカーといったさながらテレビドラマのような光景だった。
 それを見た瞬間、大将の中にある何かがざわめきたって、居ても立ってもいたれなくなった彼は家を囲っていた警察の静止を振り切り中に突入。

 しかし警察の対応は早い。身体が出来上がる前の少年を即座に取り押さえることなど容易いものだ。
 けれど取り押さえられる間際、彼はしっかり見た。生気を無くした血濡れの■■■が――担架で丁寧に運ばれている有様を。



「――うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁ!?」






 ■■■が死んだ。死因は自室で手首を掻っ切ったことによる出血死。言うまでもなく自殺だった。
 リストカットという自殺方法はよく聞くが、実をいうとそれの死亡率は低い。

 なぜなら大抵の人間は躊躇って深く“切れない”からだ。もしくは、深く切ったつもりでも切れていないから。
 手首の出血は初期は派手だが、人間の体というのは壊れやすいようで酷く丈夫に出来ている。動脈にすら届かない切り口など致死量に至る出血をする前に傷口が凝固してしまう。

 故にリストカットは自殺に向かない方法と専門家からは認識されているし、寧ろリストカットは“心の病”を知らせる救難信号とされている場合が多い。
 それこそ本気で死ぬ気があるのなら血の凝固を防ぐために風呂の中でやるか、首を吊るか高所から飛び降りるか、『混ぜるな危険』の科学薬品を密室で使用するのだから。

 けれど■■■はリストカットで死んだ。発見が遅れ、判明した頃にはすでに事切れていた。
 後から警察に聞いた話では、一切の迷いなく刃物を手首の動脈に真っ直ぐ突き立てような切り口らしい。
 勇気がある、なんて問題じゃない。そんなことが出来るなんて、尋常ならざる“絶望”を抱いていなければ不可能だ。

 ――そんなに、死にたい事があったのか?

 大将は自然とそう呟いて、■■■が死んだということを聞かされてからあてもなく夜の街を彷徨った。
 死んだ、死んだ、死んだ――死ぬってなんだっけ? そりゃ、もう会えなくなるってことか?
 他愛の無い馬鹿な話も出来ず、一緒にゲーセンだって行けなくて、そもそもあいつの笑い顔すら見れなくて。

 漫画やテレビの中に満ち溢れた概念、人が必ずたどり着くもの。まあそもそも身近な人間が死ぬということは始めてではない。
 そりゃ、わかってる。死ぬのがどういうものなのか。満ち溢れすぎて逆に馴染みがなさすぎるけれど。
 死ぬことがどんなことなんて、わかってる。わかってるけれど――。

「……こっちに死ねっていっといて、勝手に自分が死んでんじゃねーよ」
 
 もう何がなんだか。笑うしかないのに笑えるわけがない。
 これが、恨まれる前の何気ない日常で、■■■が事故死したというなら――納得は出来ずとも理解は出来よう。
 事故死の原因を叩き潰して、悲観に暮れ、素直に涙を流して無様晒して喚き散らしただろう。

 なのに、自殺って。

「――――」

 悲しいはずなのに涙が出ない。といより――それほど“悲しい”という感慨すら思い浮かんでない。
 身勝手に大将を恨んで死んだ■■■に対して怒ることもなく、哀愁すら感じない。胸にただ穴が空いている。塞ぎきれない大穴が。

(結局、俺はあいつのことを理解出来ていたつもりで、何一つ“わかっちゃいなかった”ってことか? 俺の何を恨んでいたかも知らず、自殺の原因すら一概も浮かばずに)

 “お前に俺の何がわかるっていうんだよ”。よく聞く台詞だ、余りにも使い古されて、もはや飽和している事柄ではあるけれど。
 それでも、それは真理かも知れなかった。主観は総じて客観に及ばず、含みもしない。自身の感性が他人の感性と果てなく違うように。
 話せなくとも、“会話”は出来ていたのに。それでも、なに1つとして解り合えないものなのか。

「いや――違う」

 会話とは、所詮“外面”で行われる意思疎通。
 会話では、所詮“内面”の真なる心情は伝わらない。

 言葉は時として嘘がつけるから。言葉は時として足りないから。
 本当に人が分かり合うには、もはや本心をテレパシーか何かで直接伝心するしかない。
 もしもそんな能力があれば――超能力だろうと、魔法だろうと、そんな“奇跡”があったなら。

「あいつは、俺の傍から居なくなることなんてなかった」

 皆、そうなればいいのに。
 誰かを傷つけたら、傷つけれられた被害者は痛いという感情を抱くだろう。
 その痛みを知れたのなら、きっと加害者もそれ以上痛めつけられまい。被害者とて、加害者の心情が知れたのなら、きっと自身が攻撃されている理由を察することが出来るはずだ。

 その連鎖の延長線上に――平和があるんじゃないか。
 あの公園で大将と■■■が双方が双方の“思い”を知らぬが為に無意味に争いに発展することもなく。
 恨みを書かれた携帯電話を投げつけられたあの時、■■■の心情を事細かにわかることが出来たのなら、あの場で大将は自殺を止めれていたはずだ。

「くれよ……くれよ」

 大将は心の底から渇望する。そんな奇想天外の能力を。
 “誰しも彼しも、本心で話し合うことが出来る能力を”。

「悪魔でも、神様でもいい――俺に、俺に、俺に、俺に」



 あいつを救うことが出来た力をくれ。



 色を変える信号は、自らの存在意義を果たしただけだ。
 街灯の光は小さくて、太陽のように全てを照らす力はない。
 だから、暗闇を切り裂きながら迫り来る鋼鉄の箱を駆る者に悪意なんて存在せず。



 何よりも、赤信号で横断歩道を渡った彼が悪かった。



「――ぁ」



 結局、声を出せない者がいるように、眼の見えない者がいるように、耳の聞こえない者がいるように。
 人に平等な物など“死”しかあり得ない。眼前に迫る凶悪な鉄の箱は、少年の無垢な体躯を凄惨に屠る。
 自身の肉という肉が潰れる音を聞き及ぶ前に――彼は意識を手放した。








「――なんだってんだよ……これは、これは――!?」

 次に眼を覚ましたとき、少年の目の前に広がっていたのは天使たちが舞う天国などではなく。
 爆撃が建築物を破壊し、銃声が起きれば人の頭が弾け飛び、泣き喚く子供達が無残に戦車に潰される――地獄だった。



 ■■■



 怒気の込められた槍の一閃がティキの額を貫こうと宙を走る。
 だがティキは頭を数センチ横に振る事で、当たれば岩をも貫くであろう一撃を回避した。
 死線が頭を掠めたというのに、一歩間違えれば致命的な損傷を追うかもしれないという恐怖が微塵も無いのか、ティキは表情すら変えることがない。

「はあああぁっ!」

 雄叫びを上げる少年はコルセスカを引き戻し、振りの大きい長打の一撃から威力は小さくともとにかく“当てる”為に短打の連続突きに切り替える。
 無数の突きによる弾幕。何十にも分裂して見える穂先がティキの体躯を狙う。未来察知が視せる未来は成す術なく無数の孔を体に開けるティキの姿。

「――っ!」

 しかし、その未来を変貌させるが思考感染。
 無数に見える槍の連撃も所詮は順序ある連打に過ぎない。クラウスから齎される思考を読み取り、まずは肩を狙う初撃を鋭いステップで避わす。

 続いての二撃目は脅威の切れ味を持つ真剣であろうと防ぐ強度を誇る右手のガントレットで弾いた。
 三撃目も同様に左のガントレットで弾くが、その弾き方は先とは違い全力を込めて弾き飛ばすようにだ。
 大きく弾かれたコルセスカ、重心をずらされたクラウス。その隙を逃すまいとティキは彼の懐にその身を投げ込んだ。

 ――けれど、それをクラウスは未来察知により“知っていた”。

 自身との距離を高速で縮める彼を待ち構えるのはクラウスの容赦無い上段蹴り。
 彼の脚に装された騎士甲冑の脚甲は、人体を破壊するに余る威力を宿し、ティキに合わばカウンターという形で振り上げられた。

 ――されど、それもティキは思考感染により“知っている”。
 
 振り上げられた脚に目掛けてティキは同じく上段蹴りを放ち相殺。
 全力でぶつかり合う蹴りと蹴り。威力は体格で勝るティキに軍配がある。
 大きく弾かれたクラウスの脚、ティキは瞬時に競り勝ち空中に残る脚を踵落としの要領でクラウスの脳天に叩き込む。

「っ――!?」

 咄嗟に、少年は身を後ろに引きそれを避ける。
 受身を取りながら地面を転がり、その反動を利用してすぐさまに起き上がった彼の額を見れば、滴るのは真っ赤な血。
 頭部を掠ったティキの蹴りはクラウスの額の肉を削いでいた。痛ましいほどの出血ではあるが頭蓋の出血は浅くとも派手だ。
 その傷自体のダメージはそれほどではないが……しかし彼に積み重なったダメージはもはや軽視出来るものではない。

 彼の騎士甲冑を剥ぎ取れば、その下から現れるのは無数の打撲痕と切り傷だろう。
 潰された血管は内出血で青く染まり、隔離施設指定の服は元が何色だったのかさえわからない。
 クラウス自身、頭ではすでにに理解している。未来察知の連続使用により焼き焦げた頭脳でも、わかっている。“もう戦える状態じゃない”なんてことは。

(……だから、どうした)

 それでも――クラウスは構わなかった。
 その身の魔力が枯渇しようが、脳が焼き爛れ廃人になろうが、四肢を潰されひき肉にされようとも、どれほどの実力差があろうとも。
 目の前のティキ・ニキ・ラグレイトという存在だけは許しておけない。愛しい仲間が丹精込めて書いてくれた手紙を、一方的に突き放しても尚、見捨てようともしてくれない親友が持ってきてくれた手紙を――その汚い手で踏みにじったこいつだけは。

「そんなに、手紙のことが気に障ったか」

 仕切り直しか、ティキは後ろに下がったクラウスを追撃しなかった。
 もとより両者共々、生粋のカウンター使い。迎え撃つが領分なのだ。

「くだらないな。その手紙の内容を読んでもいないのに、“読む勇気すらない”くせに、その為に身を粉にするとは」

「黙れ……!」

「ふん。その手紙の内容、一体何が書かれているんだろうな。“辛かったら帰って来い”だとか“罪なんて私達は気にしない”だとかか?」

「黙れと、言ったぁ!」

 軋む体躯の悲鳴を無視してクラウスは突貫する。
 敵の急所を狙うコルセスカの一閃は、紛れもなく濃厚な殺意が込められていた。

「だがなクラウス。それは果たして“真実の言葉”か?」

 急所に向かう穂先を、ガントレットが弾く。
 だがそれは未来察知を使わなくても想定内の範囲だ。再び縦横無尽の高速連突がティキを狙い行く。

「どんなに綺麗な言葉が書かれようとも、どんなに真摯に語り合おうとも、それは“本心”なのかわからない」

 突き、弾き、突き、弾き、突き、弾き、突き、弾き、突き、弾き、突き、弾き、突き、弾き、突き、弾き――。
 クラウスの怒りを乗せた無数の突きは、それでもティキに届かない。雨霰の連撃は、対して雨霰の拳撃によって防がれる。

「相手を気遣う言葉は優しくあっても“本当”じゃないかも知れない。相手を思いやった文字は温かくとも“真実”じゃないかも知れない――!」

 戦闘が始まって終始静かだったティキの口調が、ここに来て荒々しく猛り始めた。

「誰かを汚く罵倒する言葉にだって“理由”があるはずだ! 相手を呪う文字だって、おぞましくても“何か”があったはずだ! でも隠された思いなんて、隠した心なんて、“相手は”わかるわけがない!」

 されどその言葉はクラウスを責め立てるというより、どこか、違う誰かのことを言っているような――。

「結局――何が“悪かったのか最後まで”気づくことはなく! 結局! “死んでからだって”後悔に苛まれる!」

 誰のことを言っているのか。何のことを言っているのか。
 憎悪に塗りつぶされる思考のわずかな隙間で、クラウスは微かにそんなことを思った。

「手紙なんて必要ない! 言葉だって、文字だって必要ない! 本当に必要なのは――紛うこと無き“本心”だ!
 誰もが本心で、“思い”だけで語り合うことが出来たなら! 間違いなんて起こらない! 起こるはずがない! きっと“あいつら”が死ぬ事だって防げた!」

 槍の連撃を弾いて防御するだけだったティキが、攻めに転じる。
 一閃の弾幕を打ち払いながらも、彼はその中を果敢に進む。

「人は――伝えるべきなんだよ! 善意であれば真のものを! 悪意であっても真のものを! 本物の思いを! 思ったことを!
 誰かの顔を伺いながら生きなければならない世界など! 心を磨り潰して我慢しなければいけない世界など! “あいつら”が生きられなかった世界など――そんなものは俺の“力”で滅ぼしてやる!」

 ティキのガントレットに魔力が籠もる。大気が渦を描いて集約する様は一個の嵐にも似通っていた。
 それを見て――絶対的な己の“死”を直感しても。クラウスは攻撃を止めない、諦めない。

 “せめて一矢報いる”のではなく――自分の世界(なかま)を守るためにも、こいつだけはここで倒さなければならないと確信したから。
 おそらくは、最後の一回になるであろう未来察知を発動させる。何度も捻じ伏せられた能力――けれど。

(もう少しで……もう少しで……!)

 何かが見える。

 何かに届く。

 それは、或いはティキ・ニキ・ラグレイトが言っていた“先”という奴だったのかもしれない。
 幾度となく打ち伏せられ、叩き潰されても尚その能力に今の今まで身を任せていたのは――今までに無かった“感覚”をクラウスが掴み始めていたからに他ならない。

 それを掴みさえすれば、この世界に“災厄”を振りまこうとする眼前の敵を、きっと。

 ――コルセスカを握る手に力と魔力を宿す。これから放つのは自身の持てる最高の技にして、最高の師と呼べる人から授かったもの。

「――来い。これで最後にしてやる」

 互いの動きが、手を少し伸ばせば簡単に届く位置で計ったようにぴたりと止まった。
 未来察知と思考感染――出会うことを仕組まれ、戦うことを余儀なくされた両者が今、決着を付けようとしているのだ。

 クラウスが放つは“烈風一迅”。

 ティキが放つは“名も無き正拳”。

 未来察知が映し出す未来は果たして勝利か、敗北か。






 ――時間にしてジャスト3秒の静止。

 両者の魔力は咆哮を叫び唸り狂い、眼前の敵目掛け――持てる最大の一撃を解き放った。






 交錯した光と光、そして両者の体躯。

 槍を突き出した体制のままでクラウスが、拳を突き出した体制のままでティキが。

 ただ、どちらか1人が己が勝利を佇ずみ謳う。
 
「――完了」

 わき腹から夥しい血飛沫を流し、ティキ・ニキ・ラグレイトはそう告げる。
 同時に、地面に伏したのはクラウス・エステータ。彼が倒れた場所は、一切の余す所なく血で染まっていた。

 ――そんな光景を、もはや嘲笑も何もかもが無くなった顔でティキが見つめる。残っているのは、酷く虚しそうな無表情。
 勝利の余韻も、承った依頼の達成感も、何も無い。烈風一迅によって抉られたわき腹の痛みだけが実感できる唯一の現実だった。

「……見ているんだろう“盟主”、依頼は終わったぞ。ここから脱出する、人を寄越せ」

 彼はクラウスの烈風一迅により切り裂かれ、血が止まらないわき腹を押さえて。
 虚空を見つめ、そんなことを呟けば――まるで空が呼応したかのように彼に向けて念話が飛んでくる。

『――あ、あー。テストテスト。聞こえてますー? ティキさーん?』

 低く、そして若い声だった。どこかふざけているような、砕けた口調。

「誰だ貴様」

『OK、OK。聞こえてますねー。ん、自分ですか? 初めましてー、自分は盟主の部下で、この戦いに邪魔が入んないように縁の下で舞台を支えてた力持ちですよー。
 本当、大変だったんですからこっちは。ティキさん、いきなりここの所長攫っちゃいますし。自分がどんだけ結界だのジャミングだの頑張ったんだかわかります? 今月の給料に色付けて貰わなきゃやってられませんってねー』

「“タナトス”が月給制だったとは知らなかったよ……それは盟主に言ってくれ。いいから迎えに来い」

『それなんですがねー。まだティキさんを返すわけにはいかないんですよ』

「――裏切る気か?」

『いえいえ、滅相もない。自分も、盟主も、立派に依頼遂行に励んでくれている新しいお仲間にそんな酷いことしませんて。ただねー“依頼が終わってもいないのに”帰ろうってのが、まずいんすよー』

「……?」

『ティキさん、依頼内容覚えてますかー? クラウス・エステータを10分間ほど煽って“本気”にさせて、それを“殺す”って話でしたよね』

「……その通りだ。だからこそ、今まさに私はクラウス・エステータを本気にさせて、確実に“殺した”は――」






 “逃がさ■い……”。






「――な、に?」

 ゆっくりと、ティキは後ろを振り返った。
 脳内に響いた思考は、今まさに完全なまでに“殺した”と確信した男の――。



“絶対に■がさ■い……”



 幽鬼のように、クラウス・エステータが立ち上がっている。
 思考はノイズ交じりで、おそらくはまともな意識すらないはずなのに。

 それでも、真っ直ぐにティキ・ニキ・ラグレイトを睨みつけながら――立っている。
 完全な、一撃が入ったはずだった。クラウスが未来察知の導きにより動いたその“思考”を読み取り、放った完璧なカウンターが……。

 鮮血の流れるわき腹が、滲むように熱い。

(なぜ私が、斬られている?)

 ――そう、そもそも“完璧な”カウンターであったのなら、“ティキが傷ついている”こと自体がおかしかった。
 ティキが行ったカウンターはクラウスが放った全ての力を“利用し乗算する”カウンターである。ティキが傷ついた時点でその分の威力が落ちる。
 思考感染は“嘘偽りの効かない”完全なる能力。それにかかれば、そんな神技のようなカウンターさえ容易に可能とする。だからこそティキは今までクラウスを圧倒していたのだ。

(……思考を、読み違えた? この私が?)

 そうとしか考えようがない。でなければ、クラウス・エステータがああして生きているわけが――。

『理解出来ましたー? 舐めちゃいけませんて。頭を潰して心臓抉って、それくらいしてようやく“殺せた”って思えるくらいには頑丈なんですよ、人間は。盟主の依頼はまだ終わってません。手心真心加える間もなくちゃっちゃとやっちゃってください』

「……了解した」

 納得出来ないものがあるが、それでも目の前の少年はすでに死に体だ。
 生きていること自体が偶然、立っていられることが奇跡。そんな少年を再び“殺す”ことなど、赤子の手を捻るように容易いだろう。

 生きているにしたって、そのまま寝ていれば或いはどこかで見ているタナトスの一員も“見逃した”かもしれないのに――馬鹿な奴だ、とティキは呟き拳を握り締めて彼の元に歩み寄る。
 微かに思考は聞こえているが、ノイズ交じりでよくわからない。そんな思考能力では、指を動かすことすら至難の技だ。“無意識”とは良く聞く言葉だが、あれは単に脳の記憶野に記憶が残っていないだけで、思考はちゃんと行われている。
 故に――まともな思考がクラウスから聞こえてこないということは、それほどに彼の脳内は“悲惨”な状況だということ。

「もういいだろう、クラウス・エステータ」

 慈しみすら混じった言葉がティキから漏れる。
 両者の距離は、先と同じくして近接したというのに、まるで反応出来ないクラウスを見ればそんな感傷が思い浮かぶのも仕方なかったのかもしれない。



 “■■■■……”



 クラウスの血に染まっていない所など一切無い右腕が、徐々に上がっていく。
 立っていることが奇跡なら、その上で未だ戦闘態勢を取ろうとするその姿は奇跡さえ超えた域の出来事。

「――まだ、諦めないとは」

 驚愕を受ける。その精神力の強さは、今までティキが出会った全ての者達を遥かに超えているようにも思えた。
 この小さな体のどこに、これほどの意思が宿るのか。

「……」

 ティキが拳を振り上げる。先と同等の魔力がガントレットに包まれた拳を凶器に変える。
 彼は思う。一切の痛みを感じることもなくその頭を砕くだくことがその幼身で戦い抜いたクラウスに対しての敬意になろう、と。
 じゃあな。ティキはそう小さく呟き、ただまっすぐに拳を振りぬいて――。



「ごっ!?」



 “完全なカウンターでクラウスに殴り返された”。



 ■■■



 ――それはこの世界の昔話。



 自身の身に起こった“転生”と呼ばれる出来事。
 そんな神様の気まぐれとしか思えない超常現象を経験し、もう一度違う人生とはいえ生きながらえることが出来ても、別段彼は喜んでも居なかった。

「…………」

 転生した先の世界が死に満ち溢れる地獄と同義の世界ということもあったし、何よりもこの世界には■■■が居ない。
 ――いや、ひょっとすれば■■■もまた自殺した後に自身と同じくしてこの世界にやって来ているという可能性も零ではないかもしれないが、そんな万にも億にも満たないであろう不確かな可能性を追い求める気力などもはや無かった。

 もうどうでもいい。何もかもが、どうでもいい。

「兄ちゃん……怖いよぉ……」

 この世界の彼を兄と呼びながら、その身を爆撃の恐怖に震わし怯える年端もいかない少年は彼の“弟”。
 ルゥカ・ニカ・ラグレイト――ティキの中に居るのが彼の肉親ではなく、別の世界からやって来た別人だと、そんなことを知ることもない少年をティキは優しく抱きしめる。

「そうだな、俺も怖いよ」

 抱きとめてそう呟けば、ルゥカの怯えが少し消えた気がした。ルゥカは甘えるように彼の体の中で蹲る。
 ルゥカのそんな様子にどこか安堵を覚えながら、ティキは自身で呟いたはずの言葉を頭の中で反芻させていた。

 ――俺も怖い? ああ、怖いなんてどの口が言っているのか。
 生きたくも死にたくもない俺が、恐怖を感じるわけもない。早く頭上に爆撃が降ってくればいいのにとさえ思っている腐った人間が――“まともな振り”なんてしてんじゃねぇよ。

 ティキ・ニキ・ラグレイトという者の人生を“奪っておいて”。
 ルゥカ・ニカ・ラグレイトという者の家族を“奪っておいて”。

 ■■■すらいないこの世界で、■■■すら守れなかったお前が。

 こんなところでなにやってんだ?

 ――茶番だと理解しながらも、そんな自問自答を自身に問いかけて。
 ティキは揺れる防空壕の中で弟の温かい体温を感じ、ただ静かに外の爆撃が終わるのを待っていた。



 この世界は終わらない戦争をやっている。

 神王という独裁者を倒すために、世界が1つとなって集結した解放軍。
 彼らは解放軍を率いた1人の英雄の命と引き換えに神王を打倒し、支配から開放されたのだ。

 ――支配から開放されたのだから、もはや彼らに抑制という鎖はない。
 “次は自分達の番だ”と、政権や利権、権力を握る為に動き始めたのは自然の流れかもしれなかった。
 或いは、誰もに好かれ、誰もがついて行きたいと思うほどの求心力を持った英雄が死ななければこんなことにはならなかったのだろうか。いや、もしものことを言うなら、そもそも神王が良き統治者であればよかったのだ。

 何にかが、一歩間違えたから――何かが、果てしなく狂っていく。
 まるで人生を決める大切なターニングポイントで、どうしようもなく間違ってしまったような――この世界は、そんな歪みで形作られている。

 強大な解放軍が分裂し、世界を2つに分けて戦う泥沼は激化した。
 核や、それに通じる大量虐殺兵器の使用は禁止されてはいる。だからこそ戦争は長引くほかない。
 勝敗はつかず――もとより勝ち負けを決める方法など相手を根絶やしにするしかないのか。

 戦争も末期の段階だ。弾薬は撃ち尽くし、食料すら禄に無い。
 あとは共倒れて根絶するか、それとも考えることすら否定していた和平の道か。 
 そんな時勢の中で、大将と呼ばれた少年がティキと呼ばれるようになって数年後――それは訪れた。



「……にい、ちゃ……」

「うあああぁ!? ル、ルゥカ……う、うううう……」

 口から血を流し、ぽっかりと胸に孔を空けたルゥカの小さな体。
 ティキはどうしたらいいのか全くわからず、脇目も振らず狼狽するしかなかった。
 素人目で見ても、もう助からないと断言できてしまうような傷。震える両手でルゥカの体に触れれば、あんなに温かかった体温が徐々に冷たくなっている。

「こほっ、こほっ……にぃ――ちゃん」

「だ、大丈夫だ、あ、安心しろ、ルゥカ。い、いま、兄ちゃんが助けてやるから……!」

 避難所へ向かう、道中の悲劇。味方と言える兵士が撃ったのか、それとも敵が撃ったのかすらわからない流れ弾がルゥカを貫いた。
 この世界で過ごせば、流れ弾で人が死ぬことなど何度も目にするし経験せざるを得ない。けれど、だからといってそれが慣れるわけでもないのだ。

 しかも、それが。この世界に来てティキが唯一心を開けた“家族”なら尚の事。

「……ぁ……ぅ……」

「ルゥカ、ルゥカ! しっかりしろ!」

 もはや喋ることすら出来ないのだろう。言葉を発せようにも逆流した血液が口内に溜まって呼吸すら困難だ。
 それでも、それでもルゥカは何かを伝えるように必死に口を動かしている。

「なんだ、なんだ? 何が言いたいんだ……ルゥカ? は、ははは、わかんねぇ、全然、わかんねぇよ……」

 涙の雫を落としながらティキは“笑って”そう告げる。
 せめて、少しでもルゥカが安心出来るように。それはいつかルゥカが彼に言っていたことだった。

『兄ちゃんはあまり笑わないけど、兄ちゃんの笑顔は優しい感じがして好きだよ』

 ティキ自身そうは思えないが、それでもルゥカがそういうのならそうなのかも知れないと。
 それは、心にもない子供のお世辞なのかも知れなかったが――■■■のことを経て“言葉も文字もなにも信じられなくなった”ティキではあるけれど、今だけはその言葉が本心であったと信じて必死に笑顔を作る。
 しかし徐々に小さくなっていく命の鼓動を感じてしまえば、無理に繕った笑顔も剥がれるというものだ。

 ――“また、何も理解できず見てることしか出来ないのか”。

 自身の無力が恨めかしい。なぜこうして倒れているのが逆ではない。
 なぜ無数の輝かしい未来があるはずだったルゥカが死なければならない、なぜ弱気を助け強気を挫くという夢すら捨て摩耗しきった男が生きている。

 本当に、なぜ俺は生きている? あの時――車に轢かれて死んでいれば、それで終わりだったじゃないか。
 死ねば何も考えることも無く、こうしてティキ・ニキ・ラグレイトの人生を奪うことも無く、ルゥカ・ニカ・ラグレイトの無残な最期を見ることも無かった。

 何で俺は、そうまでして生き延びねばならなかった。

「ぃ……」

「……ルゥカ!」

 ルゥカの小さな手がティキの頬に向かって伸びている。
 その手を掴み、慈しみの限り握り締めれば――何かが、ティキの頭の中に響いていた。

“やっぱり、兄ちゃんの笑顔は――大好きだよ”

「……これは……?」

 頭の中に響くのは決して声ではない。似てはいるが、非なるもの。
 ――それが果たしてなんなのか。ティキには辛うじてだが理解出来た気がした。
 この声は、ルゥカの“思考”なのだ。紛れもない“本心”が、偽りの無い“思い”が――ティキの“魔力”を通じてその身に届いている。

 その思考の中には、沢山の感情があった。
 焼けるような痛みを訴える感情があれば、死に直面した只ならぬ恐怖の感情。
 愛する肉親が傍に居てくれる安堵の感情があれば、その肉親を残して死ぬことに対する無念の感情。

 限りない思い。果てしない感情――ティキが望んで已まなかった“他者の本心”。
 今この瞬間、愛する者の死に際を経てティキ・ニキ・ラグレイトが内に秘めていた“レアスキル”と呼ばれる能力が開眼したのだ。

“……兄ちゃん、大好きな兄ちゃん”

「な、なんだ……なんだ? ルゥカ……」

 大好きだといった、ティキの笑顔に負けないくらいの、飛びっきりの笑顔をルゥカは最後に浮かべて。

“僕の分まで、いっぱい、生きて、ね――次、があった、ら……また、兄ちゃんの……弟がいいなぁ……”

 そんな、思考を残し――ルゥカ・ニカ・ラグレイトは静かに息を引き取った。
 ありきたりな台詞といってしまえば、月並みの言葉といってしまえば、陳腐な思いといってしまえばそれまでだ。最後の最後までティキの“弟”でしかないない人生を送ったルゥカという人間の時世の句など、そんなもの。

 でも、それがどんな宝石や美術品よりも綺麗なものだとティキは思えた。
 純粋無垢の汚れなき本心とは、こんなにも綺麗で儚いものなのだと。

「……ああ、次も俺達はきっと兄弟だ。今度は、本物の“ティキ”と、“■■■”も一緒に……皆で……ゲーセンでも行って……」

 体に力が入らない。気を抜けば奥底を支える芯すら折れてしまいそうだ。
 それでも、必死に歯を食いしばってティキは耐えた。耐えれば耐えるほど、心の内にルゥカを失った悲しみと憎悪が満ちてくる。■■■を失った時の虚しさと怒りが湧き起こる。

 ――この世は理不尽と不理解に満ちている。

 他人の気持ちがわからないから簡単に銃を向けて引き金を絞ることができ、それが理不尽となって世界を覆う。
 この世はまさにそれの輪廻、それの連鎖。終わらない螺旋。

 ――それほど遠くない場所で銃声と悲鳴が聞こえる。戦禍の大乱は未だ近く。

「――やる……」

 誓うが如く呟いてティキは立ち上がった。
 つい先ほどまで、魔法という奇跡がその身に宿っていることなど露も知らなかった男に、復讐を遂げよと囁くような魔力の胎動が満ちている。

「壊してやる……」

 純黒の髪が怒髪天を衝くかのようにささくれ立つ。
 そこに、もはやルゥカの大好きな兄は居ない――悪鬼、そう形容するしかない形相の鬼が佇んでいるだけだ。



 その日、ティキとルゥカの街で戦闘を繰り広げていた2つの一個小隊が壊滅した。



 ――それとは余り関係のない大局の中で、“英雄”と共に戦乱を駆け神王を打倒した仲間の最後の1人が死亡。

 それを機に、度重なる疲弊により戦争継続は不可能と判断した両軍が極秘裏に接触。

 時空管理局という第三者を仲介に挟む事により、この世界の戦争は終わることになる。

 ルゥカ・ニカ・ラグレイトが死亡した、わずか一週間後のことだった。



 それから長い年月が立ち、一時の平和を得たその世界で、表では弟を失った戦争の犠牲者として悲観に暮れる兄を装いながら。
 ティキは理不尽を敷く次元世界全ての根底を破壊する為に己のレアスキルの研究を続けた。“To have tacit understanding(以心伝心)”、頭文字を取って、“THTU”と名付けたその能力で何が出来るか、どこまで出来るのか。

 そうしてわかったことは3つ。
 1つは、THTUは“魔力を発生させたティキの体に触れただけで”発動するという凄まじい強制力を持つこと。
 1つは、ただし発動するのはリンカーコアを持つ“魔法資質”がある者だけだということ。
 1つは、思考を他者に伝えるのは継続時間と効果範囲があること。

「世界を感染させ嘘偽りのない世界を創るには……資質を持たない人間にも効き、かつ永続的に能力が持続しなければならない、か」

 訓練を重ねれば能力の継続時間と効果範囲は少しずつ伸びたが、それが永続的となれば訓練だけではどうしようもない。
 さらにリンカーコア、つまり“魔力”を持たない人間には、まったくの無力とくれば――。

「レアスキルを別次元まで進化させなければならない……だが、私だけの力では……」

 一人称を私と定めたのは内面の変化の証か――研究に行き詰まり、ティキは顔を洗おうと洗面台に近づいた。
 鏡に映るティキは酷い顔をしている。体は鍛えてはいるから外見だけなら健康だろう。しかし不摂生が祟り肌は荒れているし髪も伸ばしっぱなしでぼさぼさだ。思えば以前は黒かった髪が、度重なる絶望のせいか色素が死んで真っ白になっていた。

「すまないな……ティキ、お前の体をこんなにまでしてしまって……ルゥカが見たら、もう兄と呼んでくれそうに――」

 そこで、ふと思いつく。
 このレアスキルを研究で使ったとき、常人とは違う思考を持つ者たちがいたことを。
 ――この世界に“転生者”と呼ばれる存在が多く居ることをそれで知ったが、その者達は総じて高い魔力か特殊なレアスキルを有していたのだ。

 だったら、或いは存在するのではないか。レアスキルを進化させる“レアスキルを持つ者”が。
 
「……そうだ、どこかで聞いたことがある。そんな能力の存在を……どこだ、どこで聞いた……?」

 思い出そうと、脳内の記憶を片っ端から漁る。
 表側のティキとして、誰かと他愛ない会話をしていた時のはず――。

『“能力強化”ってレアスキルがあるらしいぜ。んで、その能力を危惧した政府はそいつをミッドの隔離施設に――』

 きっとそれは、都市伝説などそういう類の与太話だったのだろう。
 しかしティキはそれに縋るしかない。世界を改革するには、もはやTHTUを進化させるほかないのだから。

「忍び込んで収容者の履歴を見れば……いや、無謀すぎる。たとえTHTUがあっても……」

 そうティキが考え込んでいると家の呼び鈴がなった。
 間の悪い。訝しげに思いながらも玄関に向かって扉を開ければ――そこに居たのは1人の少女、いや少年だろうか。どっちともつかない、なんとも“曖昧な”人物が尋ねてきた。

「やあ、ティキ・ニキ・ラグレイト。始めましてかな」

「――始めまして。君は、誰かな」

「誰? うーん、誰……フィアッセ……晶、蓮飛、那美、久遠……まあ、取り合えずは不破ナノハ、もしくは盟主と呼んでくれ」

 そんなふざけるような様子の子供にティキはイラつきを感じるが、ここで怒鳴り追い返すのは“表側は善人の常人”で通しているティキがすることではない。
 とにかく、ここは事を荒立たせることもない、簡潔に用件だけ聞きいて追い返せばいいと話を続ける。

「そうか。で、そのナノハちゃんは私に何か用かな?」

「そう、そうだとも。私の名前など意味が無い。意味があるのはこの用事だけさ――ティキ、我々と一緒に来ないか?」

「……は?」

「君が世界を変えたいと思っていることは知っている。それを手助けしてやろうというのだよ」
 
 瞬間、ティキの手が盟主と名乗る得体の知れない子供の頭を掴もうと動いた。
 が、見えない何かに押されたようにティキの体が吹き飛ばされる。

「がはっ!」

 ティキの体が背後の壁にめり込む。その衝撃で体の骨が何本かイカれたようだ。
 指すら動かさなかった盟主の見えざる攻撃――或いは防御がそれほどに強力だった。

「ははっ、すまない。反射的に防いでしまった。思ってみれば、君の能力――私は思考感染と呼ぶことにしているが、それを受けても何の問題もなかったな」

 と口では謝ってはいるが誠意は皆無であろう盟主は悠々とティキの傍に近づいていく。

「さぁ、魔力を込めて私に“触れたまえ”。それで君の能力は発動するのだろう? 遠慮はいらない、存分に知るといい――私の本心を」

 無防備に、盟主は両手を広げて立ち尽くして見せた。
 ――目の前の存在は、一体何だ? なぜ私の能力を知っている、なぜ私の目的を知っている。
 それ以上に……何だ、こいつの“眼”は。全てを呪い、恨み、囀るかのような双眸は。

 先ほどまでは感じなかったが、今はこうして相対しただけで、背筋に氷のナイフを突き立てたられたような焦燥が沸き立つ。
 何度も絶望し、何度も世界そのものを呪ったティキでさえ至ることの無かった深淵の奥深くに――こいつは居る。

 こいつの本心を知れ……? 無茶をいうな、とティキは思った。
 目の前の存在は決して合間見えることが出来ないものだとわかる。
 こんな、こんな暗黒の結晶の本心など知ってしまったら――心が持たない、持つわけがない。

 理解する前に、狂ってしまう。

「……ぐっ……ううぅ……」

「なんだ、触れてくれないのか。残念だよ“お兄ちゃん”。まあ、それはさて置き、お聞かせ願えるか? 付いてくるのか、来ないのか」

 悪意をかき集めたような邪悪な微笑みを浮かべて盟主は手を差し出した。
 付いてくるか来ないか。そんなもの端から決まっている。何も知らないガキでもあるまい、誰が首を縦に振るものか。

 ――しかし。

「……3つ、聞かせろ」

「何かな?」

「どうして私の能力と目的がわかった」

「君が能力の研究に使った人間の中に私のシンパが居てね。駄目だよ? 実験に使ったモルモットはちゃんと始末しなければ。
 目的に関しては……そうだな、君のような“転生者”がレアスキルを得るのは法則があってね。その法則に乗っ取って君の過去を調べ少しばかり推測を加えれば、案外簡単にわかるものなのだよ」

「……2つ目。能力強化というレアスキルを知ってるか」

「――ああ、レアスキルを進化させるレアスキルって奴かい? 話は聞いたことがあるが、目にしたことは無いね」

「最後だ……お前に付いていけば――俺の望みが、世界を変えることが、“本当に”叶うのか?」

「それは君次第だ。けれど幾つか私に協力してくれれば、全力を持って私は君に助力しよう」

 ――だが、ティキは“待っていた”のかも知れない。
 こんな瞬間を、心のどこかで。得体の知れない悪魔染みた力を持つ存在が、魂を対価に甘い囁きを問いかけてくるその時を。
 もはや研究も手詰まり、能力強化という実態の無い幻影を探す為なら。この理不尽に満ち溢れた世界が、■■■とルゥカが死ぬこともなかった世界に改革出来るなら。

 奈落の底から差し出された手すら受け取ろう。

「――ようこそ、タナトスへ。では早速だが、君の能力でこの辺り一帯の魔力を持つ全ての人々に思考感染を使ってもらえないかな?
 もう故郷なんて必要ないだろう。立つ鳥跡を濁さずとはいうが、君は人間だ。最後の最後に一艘の地獄を創って、光りある表側の道から決別しようじゃないか」

 後に思考感染と呼ばれる事件がこの後日に巻き起こり、この世界からティキは姿を消すこととなる。




「クラウス・エステータ?」

「ああ、これから君は能力強化の足跡を探しに海上隔離施設を襲撃するんだろう? それとは別にやってもらいたいことがあるんだ。なに、簡単な事さ。少しばかり他愛の無い子供を嗾けて欲しい」

 盟主がどこからか取り出したデータディスクを閲覧すれば、クラウスという少年騎士の詳細がこと細かに書かれていた。
 その中には、彼が持つレアスキルの対策や戦法が乗っているのだから頼みごとの内容など自然と知れる――ティキは表情を歪ませ盟主を睨んだ。

「殺せというのか。こいつを」

「その通り。オーダーは1つ――彼の魔力封印を解き放ち、“10分”。10分ほど彼を身体的に、精神的に叩き潰して“本気”にさせろ。そして“殺せ”。それが助力の条件だ」

「……それに何の意味がある? 私はお前のヒットマンになったつもりは無い」

「なら、タナトスの力を借りずに施設に忍び込んで見るかい? 収容者の履歴がある資料室までは入り込めても、脱出できるとは思えないがね。だからこそ君は私に付いて来たはずだ」

「――ちっ、いいだろう。クラウス・エステータをお前の望み通り殺してやろうじゃないか。
 こいつを本気にさせて、その上で殴り潰して蹂躙してやるよ……まぁ、本気になったクラウスが私の手に負えない逸材なら――その時は私の代わりにクラウスがタナトスの新しい仲間というわけだ」

 その言葉を聞いて――盟主は笑った。
 目論見を看破されたから笑っているのか、それともそれが全く違う見当違いだったから笑っているのか。
 それをティキは知る良しもないが、かといってわかりたくも無い。狂人の考えなど。

「……ふん」

 成しえなければならない理想に比べれば、他者を殺すことに躊躇などなく、禁忌すら感じない。
 その点、すでにティキも盟主と同じくして狂っているのだろう。度合いは違えど、似た様な方向を歩んでいる。

 それに――クラウス・エステータが如何な力を持とうが、如何な素質を秘めようが、ティキは何一つとして負ける気はない。
 盟主から思考感染と呼ばれたティキのレアスキル『THTU』は接近戦において無敵の力を誇るのだから。

 相手がどう動くか、何を考えているのか。
 それらを知って先読みすれば、相手がたとえミッドの首都防衛隊の隊長であるゼスト・グランガイツであろうとも、闇の書を守護する烈火の将シグナムであろうとも打倒できる。

 本心は、嘘をつけないから。

(……待っていろ、クラウス・エステータ。今お前の未来を奪いにいく)

 こうして、ティキ・ニキ・ラグレイトとクラウス・エステータは出会う。
 何も知らない同じ戦争の犠牲者である同郷の少年を潰す為に――確約された勝利を引っさげて。






 だが、ティキは知ることとなる。

 思考感染から生み出される“他人の思考を知る”という情報収集からのカウンターは確かに最強であろう。

 されど、未来察知から生み出される“未来を知る”という先読みのカウンターは――究極であるということを。



 ■■■



「こんな、馬鹿な――!?」

「づっ、あああああああぁ!」

 咆哮と同時に怒涛の猛攻をクラウスが仕掛ける。
 決死と振るわれ続ける槍の連撃。先までは揚々と捌き、容易く防げたはずの一閃が――。

「避けきれない――だと!?」

 ティキの肩を、腕を、腹を、頬を、頭を、腰を、足を――突く。
 とは言ってもその全てが掠り傷。届いた攻撃のどれもが致命傷には程遠い。
 だが、これほどまでにクラウスの攻撃がティキに対して通じているのが始めてならば――洗練された槍術が見る影も無くなった、ただ力任せに振るわれるだけの槍の一閃を“恐ろしい”とティキが感じたのも始めてだった。

 ほんの少しの距離を取り、血に濡れたコルセスカを後ろに構えて力を溜めこみ、クラウスはティノの体躯を狙う。
 だが――それを放つタイミングも、どこに穂先が向かうかすらも知ることが出来るティキには通じない。

 未来を見通す必中の一閃が奔る。

“ただ全力■奴の胸元を”

 そんな思考を聞き、ティキは瞬時に戦略を立てる。胸元に迫るであろう穂先を回避し、そして突っ込んできたその体躯にカウンターを叩き込む。
 何度も繰り返したことだ。それでクラウスは今度こそ立ち上がることの出来ないダメージを受けるだろう。

(今度こそ――沈め!)

 そしてこの瞬間、“変貌した未来”を咄嗟に垣間見ることがクラウスには不可能。
 タイムラグという致命的欠陥。それが未来察知という能力の限界。だからこそ今まででクラウスは全ての攻撃が通じず叩き伏せられていたのだ。

“――目標を肩■に変更”

「ぐっ!?」

 しかし現状は違う。クラウスは見えていた。変貌した未来を瞬時に見定めていた。
 ティキの胸元に向かった穂先は、筋力によって無理やり方向を修正し肩先に向かう。
 胸元に向かうと確信し行動していたティキにもはや完全な回避は不能。カウンターは狙えないこともないが、かといってことのままでは肩に致命的な傷を負う。良くて相打ち、悪くてティキのみに致命傷。なら、無理やりにでも体勢を崩して避わすしかない。

 肩の肉を微かに抉られる。本来ならば二度と腕が上がらなくなるほどの傷を負ってしまうところだったが、辛うじて避けれた。
 ――その安堵も束の間、すぐに追撃が迫りくる。

「おおおおおおおおおおおおぉ!」

「餓鬼がぁ……!」

 槍と拳が鬩ぎ合い火花を散らす。

 ――驚くべきことに、今の攻防に使われた時間は僅か“1秒”を切っている。
 秒にも満たない刹那の中で、こんな未来と思考の凌ぎ合いが幾度も続いていた。
 もはやティキは驚愕を通り越して脅威を感じずにはいられない。クラウス・エステータの力に。

(これが、本当に、先ほどまで取るに足らなかった未来察知だというのか――!?)

 確かに、相対するティキからしてみればクラウスの変わり様は急成長といって他ならないだろう。
 ティキ自身、盟主から未来察知は伸び白のある能力かも知れないとは聞いていた。故に幾許かの成長は想定していたし、それを踏まえても自身の敗北は無いものと考えていた。

 ――しかし違う、それは明らかに今までの未来察知とは違っていた。
 けれどこれこそが、この姿こそが本来の“未来察知”なのだ。今までクラウスは未来察知の使い方を誤っていただけに過ぎない。
 クラウスはこの能力を発動する際、未来を“連続”して見ていた。それはあたかもテレビに映し出された“映像”のように、全ての情景を。本来なら“1フレーム”でしか見れないものを、繋げて“60フレーム”で見ていたから、未来察知の持続時間も縮まれば変貌した未来を咄嗟に捕らえれることもなく細部も見えない。

 “未来が見えるなら全部見なきゃいけない。見えない自分は未熟だ”と思い込んだその生真面目さ故の過ちだった。
 1コマずつ進む漫画をわざわざ切り取り揃え、わざわざパラパラ漫画で読むような作業を経ていた未来察知は確かに取るに足らない能力だったかもしれない。

 だが彼の能力は“未来察知”であり、“未来視”ではない。
 己の元に迫る未来の危機だけを瞬時に察知すること、それが未来察知の真の能力なのだ。

 完膚なきまでに叩き伏せられて、朦朧とする意識を超えて辿りついた真の境地。
 変貌した未来に即座に対応できるようになったクラウスに、もはや先読みに関して劣る箇所は無くなった。
 思考感染にもはや優位性はなく、現状は身体能力だけが優劣を決めるといっていい。

(くっ、レアスキルが多少強くなったといっても、未だ優位なのは私のはずだ――!)

 攻撃を何とか弾きながら、ティキはクラウスの体を凝視する。
 コルセスカの柄に伝う血は、決してティキのものだけではない。体中に傷を持つクラウスが槍を振るえば、その度に当人の血飛沫が辺りに降り注ぐ。

 酷い出血量だ。このまま動き続ければ確実に死に至るだろう。
 幾度となく殺す気で放たれたティキの攻撃を受け続けていればそうなったのは自然の理といえる。

 今こうしてクラウスが攻勢を続けれられること自体が出来の悪い悪夢なのだ。
 思考にノイズが奔るほど脳内そのものがグチャグチャなはずなのに、真っ直ぐティキを狙えていることが如何な奇跡か。

(所詮は――燃え尽きる前の蝋燭に過ぎない!)

 ティキが突貫した。それを向かえ打つクラウス。
 地面を穿つほどに自重をかけて踏み込んだ。腋を締め、ただ真っ直ぐに正拳を繰り出す。ほんの僅か遅れて、避ける動作を交えたクラウスが槍を突き出した。

 空を切り裂く一閃と一閃。
 クラウスは正拳を避け、ティキは片腹を突かれた。この攻防のポイントを取ったのはクラウスだ。
 しかし、槍の切っ先が腹部に刺さったままティキは尚も体躯を押し進める。
 
「うがあああああああああぁ!」

 ブチブチと槍が腹部を突き抜ける感触に意識が飛びそうなほどの痛みと吐き気に耐えながら突き進み、薙ぐように腕を振った。
 その後の結果をクラウスはわかっては言っても、槍がティキの体の中で固定されている為に軽々と引き抜くことは出来ない。
 故に避わすことは出来ず、今度はクラウスの脇腹に渾身の拳が突き刺さる。その小さい体の肉は潰れ、肋骨は折れて内臓を傷つけられたことだろう。同時にその衝撃でティキの片腹を抉って飛び出た槍がその威力を物語っている。

(ごはっ、がっ――だ、だが……これでっ……!)

 意識の飛びそうな激痛の中でティキは思う。
 これで、貴様は動くことすら儘成るまい。死に体は死に体らしく地を這え。
 致命傷に限りなく近い重症と引き換えに、致命傷を叩き込んだティキは口端を吊り上げて――絶句した。

「……づぅ、ぅぅぅぅ!」

 地を這うどころか、止まるどころか――目の前の少年は、金切り声を上げて耐えていた。
 ――耐えて、尚も眼前に向かって槍を振り上げ、弧を描いて力の限り叩き伏せる。斧の如く脳天に迫るコルセスカを、ティキは右手のガントレットで受け止める。

 コルセスカの外装が、ガントレットの装甲が――音を立てて粉砕した。
 何度も突き、幾度も弾いた相互の強度に限界が来たのだろう。それでも、2人の眼前に飛び散るデバイス達は、まるで主に尽くして壊れることが喜びだとでも言わぬばかりに誇らしく壊れていく。

 散りゆく愛機を見定めながら、まるで大切な友達が傷ついたかのような悲痛の表情をクラウスは浮かべて――。
 すぐに鬼気とした顔を作る。聞こえた気がしたから。決して物言わぬ無機物の塊であるコルセスカに、他ならぬ相棒に『行け』と言われた気がしたから――それに答える為にも、ひたすらに目の前の敵を討つ。

 構わず振るう、厭わず突く。
 振るえばコルセスカの外装は次々と剥がれ落ち、突けばその鋼の体に無数の皹が入る。
 パートナーであるコルセスカの装甲が悲鳴を上げるように、同じくしてクラウス自身の体も悲鳴を通りこして絶叫を上げていた。

 ティキの目算は外れてはいない。軽く小突かれただけでクラウスの体は倒れそうなほどに消耗している。
 ティキの優勢は揺るがない。わき腹を抉られたといっても、総合的には未だにクラウスの受けたダメージの方が遥かに大きい。

 ――それでもクラウスは進む。それでもクラウスは攻撃を続ける。
 体の中の全ての血液が流れようとも、骨の全てに皹が入り折れ尽くそうとも、体が動く限り、意識が続く限り。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉ!」

 無限の未来を見定めて、無数の未来を選択し、無尽の未来を引き寄せる。
 無限の勝敗を見定めて、無数の戦術を選択し、無尽の勝利を引き寄せる。

 ありとあらゆる可能性という未来。その中にはきっとあるはずだ。
 限りなく零に近くとも、それが万に一、億に一、兆に一にしか満たない可能性であったとしても。
 クラウス・エステータがティキ・ニキ・ラグレイトに“勝つ”という可能性が、きっとある。

(だから――進み続けろ!)

 ――かつてクラウスの前には、明確な力量差がありながら、明確な戦力差がありながら、それでも諦めずに向かってきた敵がいた。
 無謀としか思えない無茶な行動を、それでも信念の為に貫き、力だけではなく知略をも駆使し、彼に勝利した管理局員がいた。
 始めは罵りもしたが、全力を尽くす彼の姿をその目に映したクラウスは、心の奥底で密かに思ったのだ。

(“彼”のように……!)

 1人では止まれなかった自分を止めてくれた――彼のように。

(“ヴァン・ツチダ”のように!)

 “戦ってみたいと”。


 
 もはや何度目かもわからない、槍と拳が交錯する。
 その光景に舌打ちし、恐怖を思い浮かべていたのはティキだった。

(この……化物がっ!)

 ティキは心中でそう叫ぶ。限界を超えているはずなのに、それでも迫り来る目の前の少年に対して。
 あと一撃、あと一撃――そう思って、そう信じて拳を繰り出し続けても、目の前の少年は倒れない、倒せない。

 ……それどころか。

(死に体の餓鬼相手に、私が後退するなどっ……!)

 迫り来る槍の連撃に、堪らず足を後ろに進めずにはいられない自分が信じられないし、許せない。
 頬を掠めるコルセスカの穂先に心臓を高鳴らせ、それに一々冷や汗を流す自分が不甲斐ない。
 相手の思考はいまだ垂れ流しだ。どう動き、どう迫るかをわかっていながら――“それがどう変わって自分に迫るのか”。片腕の粉砕したガントレットのように、次は自分が壊されるのではないかと怯えている自身を殺したいほど恥じている。

「そこまで私を、否定するのか――! そこまで理想の世界を否定するのか!」

 知らず、ティキはクラウスに向かってそう問いた。
 当然、その為に自身が殺されることなど誰もが御免こうむることだろうというのはわかっている。
 けれども、クラウスの心中から聞こえてくる思考は死にたくないからという感情ではなく明確な“否定”そのものだった。そんな世界は違う、そんな世界は間違っているという確かな否定。

(確かに、お前のいう理想の世界は綺麗だ。けれど、誰もが本心で接すれば争いが無くなるなんてわけがない――!)

 聞こえていたのか、それとも感じただけなのか。薄れゆく意識の中で、加速していく思考の中で、クラウスの明確な思考が告げる。

(誰もが、真摯に相手を思えるわけじゃない。誰だってつまらないことで癇癪を起こすし、その度に怒ったり、悲しんだりするんだ!)

 クラウスは過去の記憶を思い出す。昔のクラウスとヴェロッサは、とても仲のいい親友同士だった。
 だからといって、喧嘩をしたことがなかったわけじゃない。二度目の人生を経験し、そこそこに成熟した精神を持つクラウスさえ些細なことで怒り狂ったことがある。

 酷く言い争ったし、暴力すら使ってしまったことがあった。
 もうこのまま友達にすら戻れないのではないか、という心配すら浮かぶほどの。

「……だったら、それは相手の思考を知れば、それで解決する話ではないか!?
 相手が何に対して憤慨しているのかを知れば、貴様らは喧嘩など、争いなどせずに済んだはずだ! 無駄に傷つくこともなかったはずだ! それで、なぜ――」

(相手の感情を互いに知って――それで“仲直りの仕方”もわかるのか?)

「――なっ」

 がつん、とティキは硬い鋼鉄で頭を殴られた気がした。
 相手の怒りの根源を知れば、当然、解決方法だって知りえるに決まっている――そう言い返したいのに、言い返せない。

(相手が何を思っているか、それがわからないから人は相手を“思いやれる”んだ!)

 わからないから、手探りで。必死に考えて、解決方法を見出す。
 それが遥か彼方から続いてきた“仲直り”の仕方。それなのに――“最初から相手の気持ちの全てを知ってしまっていたら”思いやるという感情は育たない。

 ――それが絶対に、というわけではないだろう。あくまで一例に過ぎない理だ。
 でも。それでも、その言葉がティキに重く伸しかかった。“思いやれたか?” 初めから相手が何を思って何を感じていたか、本心そのものを全てわかってしまっていたら――あそこまで、あの弱者を守ろうという理念が出来上がるほどまで思いやれていただろうか。

「…………違う」

 他人の感性を少しでも感じ取れ考えることが出来る大人なら、相手の本心を知っても思いやれることは可能だろう。
 相手の考えを吟味し、正しい方向に持っていくことは可能だろう。でも、“子供”だったらそうは行くだろうか。
 “思いやり”や“優しさ”が育つ前の子供が、他人の本心を前にして――本当に平和な世界が出来上がるのか?

「違う! 違う違う違う違う! そんなことはない! 子供だって、何も考えずに生きてるわけじゃない! 子供だって! 子供なりの価値観でちゃんと考えて――!」

 そもそも大人といえども、他人を思いやれる人間が何人いるのだ?
 本心を伝えられたって、“それを受け入れることが出来る度量”を持つ大人が、この世に何人いる?

「う、うううううぅ……!」

 この世が悪人ばかりじゃないのは知っている。でも、この世が善人ばかりじゃないのだって知っている。
 知らないわけじゃない。知らないはずがない。他人の思いを誰よりも知ることが出来るティキ・ニキ・ラグレイトは“そんな当たり前のことを知らないわけがない”。

 本心で触れ合えば誰もが理解し合え、世の中が平和になると言ったのはティキ自身。
 それにも関わらず“盟主”という存在の思考を垣間見ることもなく拒絶したのは“誰だ”。
 その行為は――何よりも自分自身で理想を否定しているのも同意義ではないのか。

「違、う……“私は”……“俺は”……!」

 明らかに狼狽えるティキに、クラウスは攻めの一手を繰り返しながら――。

(ティキ・ニキ・ラグレイト! お前は、お前は……!)



 “都合の悪いことに目を瞑ってそうなって欲しいと誤魔化しているだけだ!”



 ティキを支える理想の土台、信念という一本の強大な大黒柱をへし折らんが為に――核心に触れた。



 ざくっ、と――クラウスのコルセスカがティキを貫く。その光景に驚き目を見開いたのは、なぜかクラウスだ。
 彼が貫いたのは、ティキがわざとコルセスカの前に付き出した右拳。ガントレットの装甲すらも貫通し掌に大穴を開けながらも、コルセスカの突きをティキが止めたと言ってもいい。

「――悪いのか。全ての世界が、隠し事も、争い事も、勘違いも、すれ違いも無くなって欲しいと願うことが……例え誤魔化しながらでも! 思ってしまっては悪いのか!」

 肩を震わせ、ティキの凄惨な慟哭が反響する。
 核心を突かれても、否定されても、例え自ら“その通りだ”と過ちを僅かに思ってしまっても、認められない。
 何十年と、ただ“この世が平和でありますように”と思い続けて、その為に荊棘の道を歩んで来たのだ。
 ここで認めてしまうわけには、決していかない。そんな彼を見て、クラウスは心の中でそっと想う。ただ、あるがままに。クラウスという少年の考えを。

(……悪くなんか無い。お前の願い事は、お前の思いは、きっとこの世界で一番綺麗だろう)

 それは、確かだ。そして――ただ“それだけ”なのだと、クラウスは断言する。
 争いに対して武力で解決することが、後々に多数の異根を残すように。ティキの方法では――ティキの望む世界にはならない。

 ――赤い膿血が刃から柄に、そしてクラウスの手元まで滴っている。
 手に大穴が開いているのだ、普通に考えればもうティキの右手は動かすこともままならず使い物にならないだろう。
 なのに、凄まじい力で“刃を固定されて動かせない”。筋肉が硬直しているのではない、彼は自らの意思で、自らの力で動かせる筈のない右手で、刃を押さえ込んでいるのだ。

 同時に、彼の狼狽が嘘のように消え、先まで殺意に溢れた鋭い凄惨な目付きは、酷く濁っていた。
 それを見てクラウスは感じる――ティキは捨てるつもりなのだ、と。己が手を、体を、命を。クラウス・エステータを“殺す”為だけに、文字通り捨て身で勝利を得る為に。

 防御不要の不退転。肉を斬らせて骨をも斬らせ、己が命を落とそうとも、確実に相手の命を断つに。
 ――それを感じ、クラウスもまた覚悟を決めた。“誤魔化している”とクラウスはティキに告げたが、クラウスもまた重症を誤魔化しながら立っている。

 脳内麻薬で痛みが消えたその体を闘志のみで奮い立たせての酷使。
 クラウス本人すら不思議なものだった。なにせ自分の体だというのに、まるで別の誰かの死体を動かしている不思議な感覚で戦っているのだから。

(次に瞼を閉じれば、もう二度と目覚めることは無いかもしれない……)

 その身体に刻まれた傷の数々。死ぬかもれない重症、いつ事切れるかもわからない致命傷。
 これが、クラウス・エステータにとって最後の戦いになるかもしれない――。

(――ふふっ、それもいい)

 知らず、クラウスの表情には笑みが浮かんでいた。
 こんな状況だというのに、何故か嬉しいと思う自分がいることに、クラウスはここに来て初めて気づいた。なぜだろうか、と思いふければ答えは単純明快。

 ――守れるから。

 間接的にであろうと、目の前の強大な敵を倒せれば。
 故郷に残して来た仲間や、孤児院の家族たち。そして未だにクラウスを“友達”と読んでくれる唯一無二の友達を――守れる。

(それほど、嬉しいことはない――!)

 目の前の、世界の改革を志しそれの実行をも可能とする力を持つ男をクラウスは見据えた。
 ティキもまた、クラウスを濁り淀んだ瞳で睨みつける。その時、ティキは笑顔を浮かべるクラウスに何を思ったのか。守ると誓い、守れることに喜びを見出すことの出来る少年に、何を思ったのか。

「――これで最後だ、殺してやるよ。クラウス・エステータ」

「――やれるものなら。ティキ・ニキ・ラグレイト」



 最後に冗句を交わし合って。



“コルセスカごと力任せに引き抜く”



 未来察知は発動し。



“力の鬩ぎ合いでは不利、コルセスカを一旦放り出して無手で対応する”



 思考感染が発動し。



“遠心力でコルセスカを振り払い左の正拳突き”

“突きを跳ね除け足払い、相手が態勢を崩したらコルセスカを拾いに向かう”

“足払いを避けて追撃し――”

“追撃をステップで避わし様に――”




 未来を見る者と読心を聞く者の、無限に続く先読み合いが始まった。



“弾いて右を――”    “躱しながら――”

“蹴り――”  “突く――”  “一歩――”

“防ぐ――”  “殴――”   “払う――”




 加速する両者の思考。オーバーフローを起こし焼け付く両者の回路。
 しかし止まらない。止まれるわけがない、この読み合いを制した方が勝者となるのだから。



“はじく――”  “うける――”  “ きる――”  “さける――”

    “ふせぐ――”  “あるく――”    “なぐる――”

“よける――”   “ふる――”   “さけ――”  “とめ――”




 加速する、加速する、加速する、加速する加速する加速する加速する加速する加速する。
 目の前が白く色褪せていく。それでもクラウスは未来察知の導きのままに、ティキは思考感染の囁きに従い――相手の先へ、相手の前へ、相手の上へと突き進む。


“つ――”  “か――”  “そ――”  “な――”  “や――”  “ぁ――”  “い――”  “か――”  “ら――”

  “あ――”  “な――”  “ほ――”  “ま――”  “ふ――”  “さ――”  “と――”  “は――”

“し――”  “よ――”  “あ――”  “そ――”  “さ――”  “か――”  “う――”  “ら――”  “こ――”




 攻撃しているのか、攻撃されているのか。当たっているのか、当たっていないのか。



“と”  “う”  “が”  “じ”  “き”  “ヨ”  “し”  “が”  “い”  “あ”  “さ”

 “け”  “き”  “う”  “よ”  “タ”  “し”  “う”  “ま”  “と”  “さ”  “よ”

“る”  “ち”  “ぇ”  “た”  “い”  “ち”  “よ”  “だ”  “い”  “す”  “き”

 “じ”  “ま”  “ん”  “の”  “よ”  “め”  “げ”  “は”  “は”  “は”  “は”



 効いているのか、効いていないのか。もう2人にはそれすらわかっていなかった。ただ目の前に弾ける火花を追い続ける。



“■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■”

 “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■”

“■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■”

 “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■”

“■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■”

 “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■”

“■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■”

 “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■” “■”




 その光景を目撃すれば、きっと誰もが己が目を疑うだろう。
 無数に繰り出される連撃に対して、防御を捨て更なる連撃を突き入れる2つの人影が織り成す死闘の激しさに。
 魔力の奔流が熱気を発生させ、拳と槍の鍔競り合いにより火花舞い散るその光景はさながら局地的な大嵐だった。

 超高速の槍術と拳技による縦横乱舞。彼らの踏みしめた大地が堪らず弾け飛び粉塵が吹き荒れる。
 重症を顧みず、残る力の限り荒ぶる両者の身体から流れた鮮血が、荒れたあばた模様の地面を染め上げる。

 しかし、真に驚愕すべきはそれらではない。

 ――“当たらない”のだ。

 もはや常人では知覚することすら困難であろう攻勢だというのに、2人はこの最後の戦いにおいて“受けた傷がない”。
 拳と槍こそ重なり合って衝突するものの、両者の身体に触れる攻撃は未だ皆無。防御など完全に捨てているのにも関わらず。相手の動きを読み合い、読み尽くすという戦いの終着点がこの光景だというのか。




“ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”

 “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”

“ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”




 それでも、終わりは来る。無限に続く輪廻のようであろうとも、それが命を削る戦いである以上――終わりはそこに、やって来る。




 “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”

“ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “ ”  “―”  “ ”  “――”  “ ”  “――――”  “――――、”




 


 ブチッ、と何かが切れるような感覚が頭の中に響いた。






(――――ああ、そうか)



 途端、青天井に上がり続けていた思考速度が戻ってくる。



 “ティキ”は何が起きたのかを理解した。感覚的な話ではあるが、“自分の頭の中のヒューズが弾けた”のだと。
 脳の処理能力が現界を超えた。耐え切れず、自らの脳は意思に反して意識を遮断しようと持ちかける。

 先ほどまで無地のキャンパスのように真っ白だった視界は鮮明に景色を取り戻していく。
 目の前には、クラウスが振るうコルセスカ。眼前に向かい大気を切り裂いて伸びてくる。ティキにはもう、それを避ける力が残っていない。



(俺はこいつに……)



 ならば、必然。



(負けたんだ)



 闇に沈む意識の中で、ティキは最後の光景になるであろうその景色を眼に焼き付ける。
 その剛健なる槍で穿つのだと、己を見定めるクラウスの両眼が、やけに印象に残る――なんて、なんて綺麗な眼をしているのか。
 
 誰かを守ると、親愛なる他人の為に戦う男だけが放つであろう力強い眼光。
 その輝かしい眼を、どこかで見たことがあった。それはどこだったか。この世界で目撃したものではないだろう。きっと、もっと果てしなく遠い場所で、果てしなく遠い過去に――。



『お前が声を出せない、話が出来ないってんならさ』



 どこにでもいる、少しだけわがままで、ガキ大将のつもりでイキがっていた少年の姿が脳裏に浮かぶ。
 欠けがえのない友達の為を守ろうと、同じ境遇の人たちを助けたいという夢に向かってひた走り続けていた彼。



『俺が、お前の変わりに声を出すよ。お前が声に出したいことがあったらさ、文字を書いて俺に教えてくれ』



 そんな似合わないセリフを、友達に面と向かって照れくさそうに呟いて。
 馬鹿なりに、足りない頭で一生懸命に考えた思いを伝える少年の姿。



『お前は、俺が守ってやるから!』



 ――ああ、そうか。クラウスとよく似た眼をしていたのは、その少年だったんだ。
 誰かを守りたいって、誰かを助けたいって。必死になって頑張っていた小さな子供。

 けど、果たしてそれは誰だったか。少なくとも、私ではないのだろう。
 世界を変えようと、悪魔の誘いにすら自ら手を取ったくだらない男が。目的の為に何の罪もなく、何の関係もない目の前の気高いクラウスという少年すら殺そうとしてしまえる腐った男が。



『さあ“■■■(シズク)”! 今日も沢山、遊ぼうぜ!』



 あの少年の成れの果てであっては、堪ったものじゃない。




 “頭蓋を貫く”



 そんなクラウスの思考を最後に聞き――ティキは己の死を実感しながら、静かに目を閉じた。



 ■■■



「ゲームセット、勝者クラウス・エステータ。ご視聴の皆様は、両者の健闘を称えまして惜しみない拍手をお送りください――ってとこですかねー」

 先の激闘が嘘のような静けさを保つそこに、突如空間が歪んだかと思えば奇妙な独り言を呟く1人の少女が姿を現した。
 容姿は十代前半と言った所だろうか。天然パーマがかかったセミロングの髪を揺らし、地に伏せる2人の元へ駆け寄っていく。

「負けちゃいましたねー、ティキさん。もう使いものにはならないでしょうが、お望み通り回収くらいはしてあげますよー」

 そうボヤキながら彼女は倒れこむティキの肩に手を回す。
 体格差に戸惑っているのか、それとも単純に力がないのか、危なげな手つきでよっこいしょ、とわざとらしく掛け声を上げてなんとか彼を担ぎ上げた。

 そして彼女が虚空を見定めると、ミッド式の魔法陣が浮かび上がっていく。
 ふんふんふーん、と鼻歌交じりで彼女は魔法を構成する。おそらくは転送魔法の一種だろうか。そんな、どこかご機嫌に見える彼女に向かって――。

(……ま……て……)

 と、心の声をかける存在がいた。

「……まだ意識があったんですか、クラウスさん? もう驚きを通り越して呆れますよー、どれだけタフなんですか貴方は」

 ここに来て。前のめりに倒れこんでも未だ気を失わなかったクラウスは賞賛にも値するタフネスぶりだろう。
 しかし虫の息には違いなかった。もはや指一本動かすこともできず、視覚はぼやけ、現れた彼女の顔すら見えていない。
 彼もまた思考回路は焼き千切れる寸前。“まて”と考えれたこと自体が不思議なものだった。それでも、クラウスはまだ意識を手放すわけにはいかないのだ。気を抜いて、無様に寝てはいられない理由がある。

「まっ、起きてるなら丁度いいですねー、1つ聞かせてくださいよ。貴方はなぜ“ティキさんを殺さなかったんですか?”」

 ――ティキ・ニキ・ラグレイトは、まだ生きているのだから。

「最後、簡単に殺せたじゃないですか。というか、そもそも貴方はティキさんのぶっ殺してやると考えていたわけでしょう? なのに、なんでデバイスを突き入れずにギリギリで止めたんですか?」

 そう――クラウスは“頭蓋を貫く”と明確に思考していた。
 だからこそティキは、貫かれる前にその思考を読み取って、己はここで死ぬのだと早とちりし、“死んだ”と実感して意識を失ったのだ。
 無論、頭の思考回路が焼き切れた時点でティキが意識を失うのは、死を実感しなくとも確定していたのだが。

(…………ま…………て……)

「あ、ひょっとしてもう自分の声――聞こえてません? 思考感染してますもんねー、隠し事なんて不可能ですからねー。もう意識を保つことだけで限界ですか。
 勿体無い。貴方とは少しだけでもお喋りしてみたかったんです。昔、自分はちょっとした事故で失語症になってましてねー、治った今は他人とお喋りするのが何よりの楽しみなのですが。いやー、残念残念。ここで会話出来なきゃもう――」

 “一生機会は訪れない”のに、と彼女は呟いた。

「貴方、全身打撲に裂傷、挫滅傷、杙創、内出血、外傷骨折、複合骨折――おや、開放骨折もしてますね。壮大に吐血していたところを見ると内臓破裂もあるでしょうか? もしくは折れた骨が内蔵を傷つけた臓器損傷?
 後、何度も頭蓋を殴られていましたよね。セカンド・インパクト・シンドロームを発症している可能性も十分にあります。そして何より凄いのはその出血量ですよ。人間は3分の1程度の血を流しただけで正命の危険が訪れます。
 ――自分は“人間は思う以上に頑丈である”という持論を持っていますがね。クラウスさん、これはさすがにこう思わずにはいられません」

 彼女はと唇を釣り上げて、花が咲き誇りそうなくらい満面の笑顔を浮かべ。

「貴方、なんでまだ生きてるんですか?」

 そう吐き捨てる。

「ふふっ。といっても自分は貴方が気に入りましたので、まだ死なないで欲しいのですがねー。この世界にはオルブライト一族という医神アスクレピオスも驚く伝説の医療一族がいるらしいですよ。
 そんな彼らが担当医になればまだ助かる見込みはあるかもしれません、“間に合えば”ですけど。現実は厳しいですからねー。この施設の近くにオルブライト一族がたまたま来ていた、なんて都合のいい事そうそう起こりません。自分にも覚えがありますよー」

 遠い過去に思い馳せるように、彼女は空を見上げた。
 
「これも昔の話ですが、自分にはとびっきりに格好良いヒーローがいつも側にいてくれました。彼はいつも自分のことを想ってくれていて、いつも弱かった自分を守ってくれました。
 自分はそのヒーローが大好きだったんです。一生、彼の側で生きていたいとさえ思いました。ですが、ある日気づいてしまったんですよ。“彼は自分だけのヒーローではなかった”ことにね。
 彼は弱き者を助け、強き者を挫く、まさにヒーローその者の体現者でした。とどのつまり、彼にとって自分は守るべき対象の“一人”に過ぎないということです。
 だとすれば――いずれ、彼は自分なんかよりさらに弱い者が見つけてしまい、その弱い者を守りにいくことになったでしょう。大好きな自分のヒーローを“取られてしまう”。そんな悲しいことってありますか?
 だから、私は考えました。彼が“自分だけを一生守り続けてくれる”方法を。そして、考えつきました――ああ、彼にずっと自分だけのことを考えてくれるような“枷”をつければいいのだと。
 そう枷、一生消えない罪の十字架ともいいましょうか……自分は、とあるメールに悪意と拒絶をありったけに書き込んで彼に送ったのですよ。
 きっと彼は驚いたでしょうね。何せ何年も大切にしてきた庇護対象である自分から嫌われる理由が何一つとして“心当たり”がないのですから。
 そんなメールを送れば、きっと彼は一目散に自分の元へ駆けつけてくれることでしょう。わけのわからない誤解なのだと、意味がわからない勘違いなのだと――必死になって、自分のことだけを想って、迎えに来てくれることでしょう。
 そして――もしも、彼が駆けつけてくれた場所で、“私が自殺しようとしている光景”を見たらどう思うでしょうか? 普通だったら、ありもしない遺恨で自殺しようとする人間なんて縁を切ろうとするのが当然でしょう。
 ですが彼は“ヒーロー”なんです。“理由は何にせよ自殺まで考えてしまう友達を放ってはいけない”と、“ここまで追い詰めてしまったのは俺なのだと”、きっとそう思い込んで“自分だけを永遠に見守り続けてくれる”はず――!」

 たった一人で彼女は喋り続ける。その場に耳を貸している者など一人もいないということを理解していながら。
 ゾクゾクと身体を震わせ、恍惚に満ちた表情で語るその様子は、偏執的な狂気を惜しげも無く滲ませている。

「えへへ。ま、それは結局上手くいかなかったんですけど。彼がやって来る時間を見計らって、とりあえず自殺を実行してみたものの失敗して本当に“死んじゃった”んですよねー。
 死ぬ寸前で彼に助けて貰う予定だったんですが、いつまで立っても駆けつけてくれなかったんですもん。彼に送った文章に対してショックを思いのほか受けてたんですかねー。
 大馬鹿もいいとこですよ。というか阿呆ですね自分、完全に――そんなわけで人生とはそんな都合よくいかないという自分の経験談の1つでしたー。
 まぁ、ティキさんと同様、あの戦争でトチ狂った世界に生まれた貴方なら、その世界から脱出できても結局幸せにはなれなかったあなたら、“都合のいい人生なんて無い”のだと、十二分にわかっているのでしょうが」

 そう喋り終えると同時に、魔法陣が完成する。どうやら無駄話を続けながらも術式の構成は行なっていたらしい。
 彼女はティキを引きずりながら陣の中へ入り込むと、倒れこむクラウスを見下しながら、手を左右へ振った。

「それではさようならクラウスさん――ああ、申し遅れました。私の名前はカルニヴィア・オデッセイ。“都合がよろしければ、また会いましょう”。今度は貴方の言葉を交えてお喋りがしたいものですね」

 ああ。話し込んでたら、会いたくなって来ちゃったなー、今はどこで何をされているんでしょうかねー。愛しの“大将”は――そう言い残し、彼女たちは姿を消した。






 取り残されたクラウスは、もはや考えることすらままならなかった。
 最後に何を言われていたのかすらも聞き取れなかったし、そもそも僕は何をしていたんだっけ、と記憶すら混濁している。

(…………て、が……み……手紙……パルが……ロッサが……う、う……所、長だ……所長を助け、ないと……手紙……所長……)

 孤児院の大切な仲間から、そして大切な友達から届けられた手紙。
 自身の身を気遣ってくれて、命を賭けて助けようとしてくれた所長。
 かろうじてその2つを思い出したクラウスは、辺りを見渡しどうにか探そうと試みるが――何も見えない。目の前が真っ暗だ。

(……もう……なにも、見え……)

 リズムを刻む心臓の鼓動が、徐々に小さくなって、血の気が薄く冷たく引いていくのがわかる。

(僕は……ここで……こんな、ところで……)

 最後に、聞こえないはずの耳で何かが水辺へ落ちるかのような水音を聞いて――。

(死ぬ……の、か……)

 クラウスは、瞼を静かに閉じた。



 ■■■



 海上隔離施設襲撃事件と名付けられた出来事から、数日後――。
 とある高層ビルの一室で、盟主とシスターは同じ席で食事を取っていた。

「ティキ・ニキ・ラグレイトの失敗は、クラウス・エステータに負けたことなんかじゃない」

 高級そうなワイングラスに注がれた、これまた高級感溢れるワインの匂いを楽しむ盟主の姿はあまリにも絵になりすぎていた。
 一方でナイフとフォークを見事な手つきで料理を味わうシスターもまた、絵になっている。さながらトップクラスの役者をキャスティングした映画のワンセットのような光景で、見る者がいれば卒倒していたかもしれないが、今日は2人の貸切のようである。

「というと?」

「無論、一番の失敗は私の手を取ったことだが――強いて言うなら“全ての人間を救おう”と考えたことだ。仮に彼が“手の届く一部の者だけ”を思考感染で救おうとしていたならば、彼は神様になれた。
 彼だけではなく、いくらでもいるんだよ。他人の考えがわかれば真の平和が訪れる、なんて愚かな考えを持つ輩はね」

「そんなものでしょうか」

「そんなものなのだよ。ある意味で共産主義に近いところがあるからね、ティキの理想は。新興宗教として興していればどれほどの規模になったか検討もつかない。ちなみに二番目は“自分の思考を他人に伝達出来なかった”ということか」

「ああ、それはわかりますよ。思考という情報公開で平和を実現しようとする男が、自らの思考を閉ざしているのでは説得力が無さすぎる。上に立つものは、まず己から行動しなければ下は付いて来ませんし」

「それで面白いのが、彼が理想の平和と同等に望んていた者が側にいるにも関わらず――」

 盟主はさも楽しげに嘲笑し、掌のグラスの中で揺れる血のように赤いワインを見つめた。

「ティキとカルニヴィア、互いが互いを求める相思相愛っぷりで、奇跡のようにすれ違っているのだからこれが笑わずにいられるか?」

「意地の悪い。教えて差し上げればいいものを」

「他人の恋路に口を挟むものではないからな。それに教えたところでもう無駄だろう? ティキの再起は不可能、まったく彼も運悪くヤブ医者にあたってしまったものだ。まぁ、彼のレアスキルには使い道があるから保存はしてるがな」

「元々拾い物でしたし、どうでもいいですけどね」

 くだらない玩具が壊れただけだと、シスターは興味を示さない。
 そんなことに興味はないが、しかしティキとカルニヴィアの“過去”をどうやって知ったのかは気になる。
 よもや前世の知り合いだったというわけでもあるまい。何かの能力を使って調べたのだろうけれど、どうせ聞いてもはぐらかされるので彼女は聞かなかった。

「それはそうと、盟主は結局クラウス・エステータを仲間に加える気だったんですか?」

「始めは、ティキに勝つようならそのつもりもあったんだが――あれはいらん。あれは“正しいと思える道”を歩かなければ本気になれない属性の愚者だ。強制的に引き込んでも、こちらにいる限りヴァン・ツチダにすら何回やろうと勝てはしない、な」

 そんな応えに応じながら、ふと、思い立ったように盟主は目線をシスターに移し、“そういえば賭けの払いがまだだったな”と伝えた。

「賭けで負けたのは初めてだ、実に気分がいい。やはり不確定要素の集合が現実という実像を作る以上、偶にくらいは外れてくれなくてはつまらん。何をして欲しい? なんでもいいぞ。死ねでも許可するが」

「……こんなくだらないことでスペアを消費しようとしないでください。そうですね……」

 シスターは何がいいかとしばらく考えこんで、“では――”と切り出す。

「あと数週間で“あの子達”の命日なんですよ。よければ、一緒に冥福を祈ってもらえますか?」

「――おいおい。それこそ、こんな“くだらないこと”で願うことではないだろう……まぁいいさ。なんでもいいと言った以上な。なら祈ろうではないか」

 ついでに、二度と祈りも出来ない貴様の代わりに祈ってやるよティキ。そしてありがたく思うといいクラウス。
 お前達の故郷の戦争で犠牲となった者共の冥福を、私が祈ってやろうというのだから。

 一口のワインをあおり、盟主は静かに目を閉じた。ただ、死者たちの冥福を祈るために。



 ■■■



 後日談として、その後の詳細をここに語ろう。
 簡単にいえば、クラウス・エステータと海上隔離施設の所長は――。

「あの時はもう駄目かと思ったよ。二度とあんな目に合うのはゴメンだな、そう思うだろうクラウスくんも」

「……けど僕たち、よく生きてましたね。いや、とても嬉しいのですが……」

 2人並んで施設の病室のベッドの上で元気に過ごしていた。といっても、クラウスは5日ほど目が冷めなかったのだが。

「ああ、私はあの侵入者に頭蓋を砕かれてほぼ死んでいたような状態だったらしいし、君も全身余すとこなく重症だったからなぁ。実際、この施設の担当医達も『これはもう私達の仕事じゃなくて葬儀屋の仕事だよ』とお手上げ状態だったらしいからね、はっはっは!」

「なんでそんな悲惨なことを笑って話せるんですか貴方は……」

 キャラが変わってないかこの人、とクラウスはげんなりとしながらそう思った。

「いやぁ、私達は本当に運がよかったよ。何せ、医学界では伝説とまで謳われる医療集団オルブライト一族――に“匹敵すると言われている”医師が施設の収監者にいて、とある交換条件と引き換えに手術を請け負ってくれたんだから。
 『“死亡寸前程度”の怪我なら全治一週間で退院出来るようにするのが私の“元”仕事ですから』と言っていた彼女は麗しかった……あれで性格がまともなら今頃花束を片手に婚約を求めているね。性格が……まともなら……なぁ……。
 ……まぁいっか。この施設に蔓延した思考感染も一日立って全員治ったのだし。あれが永続していたら考えるだけでも恐ろしい」

「あはは……それは、なんて運のいい……」

 もしくは――なんて都合のいい、と。どこかで聞いたような気のする言葉を思い出す。それを言っていたのは誰だったか。
 ふとクラウスは自分の腕を目の前に上げて、じっと見つめる――驚くことに、1つとして傷がない。手には青あざや切り傷が幾つもあったはずなのに。

 伝説とまで言われる医療一族に匹敵するというだけで、死にかけていた人間の負傷をここまで綺麗さっぱり治してしまえるのだろうか。
 きっと服を脱いで鏡にその身を映してもあの戦いで刻まれた傷跡の数々は全て消えているのだろう。まるでティキ・ニキ・ラグレイトとの戦いが、幻だったとでも言わぬばかりに。

(――それでも、僅かに残っているんだ。彼と戦った記憶の残滓は)

 脳のダメージによる、一部の記憶欠損。命を落としかねなかった重症と引き換えに、クラウスはティキとの激戦の記憶を失っていた。
 ティキと戦い、ティキの目的を聞き、互いに大技を繰り出したところまでははっきりしている。されどその後に彼をどうやって撃退したのかが朧げにしか思い出せないのだ。クラウスは『戦いを一部始終を目撃していた』という男性の証言を纏めたレポートを目にしていたが、やはり要領を得ない。

 そもそも、男性が目撃したのは本当に真実なのだろうか。レポートに書かれている内容をみれば白昼夢でもみていたのではと疑ってしまう。
 男性の目撃談から察する戦いのレベルは、はっきり言って異常。クラウス自身も『自分にこんな技量で戦うのはまだ無理だ』と思っているほどなのだから。
 されどその男性が嘘をつく理由などないし、何よりクラウスは自分を助け“大切なもの”を取り戻してくれた彼を、疑いたくはない。

 クラウスのベッドの枕元には、グシャグシャにされた折り目も皺もない、ヴェロッサから届けられた当時のままの“手紙”だった。
 この手紙を拾ってくれた彼が言うには、戦場に展開されていた協力な隠蔽性能を持つ結界が解除された瞬間、強い潮風が吹いてティキに投げ捨てられていた手紙が海に落ちそうになったらしい。
 海に落ちたら二度と見つからない――と彼は『エアポートの近くに重症の怪我人がいます! 死にかけてるんです! 助けてください! お願いします!』と大きく“心の中で”叫んで、咄嗟に手紙を追いかけて手紙を掴めたのはいいものの勢い余って海に落ちたのだとか。

 彼は思考感染の能力を受けて、思考が伝達するようになっていたことを利用し手紙を追うことと助けを求めることを両立させたのだ。
 彼の思考を聞きすぐに所員が駆けつけて、その負傷に絶望的なものを感じながらも適切な処置を施すという行動がなければ、クラウスと所長の執刀を担当した例の医者は『如何な私でも難しかったでしょうね』と断言した程だ。

 2つの意味で、僕は彼に救われたのだなとクラウスは感謝してもしきれなかった。
 ――実はその彼が、最初にクラウスと追いかけっこを熱演していた謎の男性だったというのは微妙なところだが。

 海に落ちた際、手紙は海水まみれになってしまったが、そこは魔法の国ミッドチルダ。
 特殊な魔法で手紙を元の状態に再生することは容易だったらしい。だからこそ大切な手紙は綺麗なままでクラウスの枕元にあるのだ。

「そうだ、クラウスくん。君のデバイスのことなんだが」

「っ! コルセスカは、僕のデバイスは直るでしょうか?」

 さながら大事な友達でも心配しているかのような、切実な不安の表情を作るクラウスに所長は微笑みながら言葉を返す。

「問題ないよ。重要なパーツは破損を避けていたからね。ただここの設備じゃアームドデバイスの修復は難しいんだ。そこでなんだが、ここは一つ私に預けてみてくれないか? 知り合いに信頼しているデバイスマイスターがいるんだが、彼女の腕ならきっと完全に元通りにしてくれるさ」

「っ! 是非お願いします!」

「ああ、任せてくれ。早速デバイスマイスター……カブリオレさんというんだが、連絡を入れておくよ。君は私の命の恩人だからね、このくらいはさせて貰わなければ気が済まない」

「……恩人?」

「ん? その通りだろう。君がいなければ私はおそらく死んでいた。君は私の恩人で、ヒーローだ」

「――僕は、ヒーローなんかじゃありません」

 表情に暗い影が差し、クラウスは震えながら俯いた。
 恩人なんて、ヒーローなんて呼ばれるほど大層なことを成してはいないから。

「なぜ、そう思うんだい?」

「僕は、最後に“手を止めました”」

 それは、唯一はっきりと覚えている唯一の部分。
 どうやってそこまで辿り着いたのかは朧げだが、“彼に止めを刺せた”――その光景だけは覚えている。

「彼の存在は次元世界規模に匹敵する危険と知りながら……最後の最後で“保身”に走ったんです」

 殺すと、その頭蓋を貫いてやると混じりけのない殺意を浮かべた瞬間――クラウスの脳内に浮かび上がった景色があった。
 笑顔で『クラウス』と自身の名を呼んでくれる、仲間たちの姿が。“待ってくれている仲間を放って、また罪を重ねる気か?” そう思って――クラウスは槍を止め、未来察知を解除してしまった。

「馬鹿ですよね……“殺さなくても捕まえればいい”なんて甘い考え方をしたから、僕は彼を逃してしまったんです。限界を超えていることなどわかっていたのに、その状態で気を抜いてしまえばもう指一本動かなくなることくらい……わかるものだろう……!」

 俯くクラウスの瞳から――小さな雫が落ちていた。
 無念だった。殺さずに捕まえるつもりで、結局取り逃がしてしまったのだからなんて無様だろうか。
 仲間達の安全の為にも、友達の未来の為にも、してはならないミスをしてしまったのだからもはや償いようがない。

「僕が罪を重ねることなんかより、彼を捕まえることの方が重要だったのに! そもそも、僕がここにいなければ、彼がここを襲撃することも!」

「クラウスくん、それは違う」

 クラウスの悔しさが滲み出る慟哭を、所長が制す。

「何がですかっ……」

「ティキ・ニキ・ラグレイトの目的は、君だけじゃなかったんだ」

「……え?」

「彼は――まず始めに私がいた“所長室”を襲撃した。所長室のコンピューターからは施設のデータバンクに直接介入出来るからね。彼は思考感染で私に起動パスワードを割らせた後、過去の収容者達のデータを盗みだし――そしてその後、私を引きずって君の元へ向かったんだ」

「……収容者のデータを……?」

「そう……だからクラウスくん、例え君がここにいなくとも、ティキはここを襲撃したんだよ。逆に言えばね――君の魔法封印を解除する為に生かしておく必要がなかったら、私はパスワードを知られた時点で確実に殺されていたんだ」

「それ、は」

「これでも、君は僕の命の恩人じゃないのかな?」

「…………」

 ぐずぐずと鼻を鳴らしながら、クラウスは涙を拭う。
 それを見て所長は笑顔を浮かべ、病室の窓から外を見る。雲一つ無い蒼空、地平線の向こうまで広がる海が太陽を反射させて煌めいている。

「ティキを取り逃がしたのは、何よりも私の責任だよ。だから私は、おそらく辞職を免れない。これほどの不祥事だ、誰かが責任を取らなければね」

 所長は静かに告げる。それに対してなんと言っていいのかわからないクラウスは、沈黙せざるを得なかった。
 クラウスの所属する聖王教会でもそうだ。挽回出来ない失態は、誰かに押し付け首を切らなければならない。社会という枠組みで過ごす以上、避けては通れないシステム。

「この仕事に未練がない、といえば嘘だ。私は、暗い顔でこの施設に入って来た子が笑顔で旅立っていくことが何よりも誇りだったから。時々ね、社会復帰した子達からその後の状況を書いた手紙が届くんだけど、これがまた嬉しくてね。大変だけど、頑張ってるよって……」

「……僕が、彼を捕まえていれば、貴方が首になることも……」

「――ふむ、君の悪癖を1つ発見したよ。君は何もかも背負い過ぎだ。生真面目過ぎる……それは良い所でもあるけれどね――それに例え君がティキを捕まえていてもどの道、私は辞めることにしていたさ。“守るべき者を自らの代わりに戦わせた”など――それこそティキの所業よりも罪は深く重い。
 というかね、辞めるといっても所長職から降りるといった方が正しいんだよ。これからもこの仕事には違う形で付き合っていくさ」

 はっはっは。再び所長は楽しそうに笑った。

「クラウスくん、都合が悪いことなんて、不幸なことなんて誰にだって訪れるものなんだ。取り返しがつかない後悔に苛まれることもあるだろう。だけどね、重要なのはそれと如何に向き合うことだと私は思う。
 ――都合が悪い? それがどうした! 都合なんて自分自身の力で良くしてやる! 不幸? それがどうした! 不幸が振りかかるというならその不幸すら楽しんでやる! 後悔? それがどうした! 後悔したら死ぬほど落ち込んでから立ち直ってやる!」

 所長は拳を振り上げ咆哮する。所長が自分自身でそう鼓舞する姿に、クラウスの胸奥から熱を帯びた何かを感じていた。
 その考えは、その生き方は、きっときっと、とてもとても。

「こう考えて、私は生きようと日々思っているんだ。こう考えると、人生が楽しいからね。クラウスくん、君がこれからどう生きるか、それは君が決めることだけど――こんな生き方をしている男がいることを、良ければ心の片隅に置いてくれると嬉しい」

 そう言い終えてから、所長はベッドから降りてクラウスに前に立ち、ぴんっとまっすぐに背筋を伸ばして――。

「私を助けてくれて、本当にありがとう」

 綺麗な動作で敬礼をして、頭を下げた。

「……頭を、頭を上げてください」

 その言葉を聞いて、頭を上げた所長は見た。先よりもさらに大粒の涙を流すクラウスの姿を。
 しかしそれは悲しみの涙などではなく、おそらくは嬉し泣きに近い涙なのだろう。

 だって、それは少しだけぎこちないものではあったけれど。

 クラウスは、確かに微笑んでいたのだから。



 ■■■



「いやああああああああああぁほおおおおおおおおおおおおおおおぉ! 手術の交換条件でルーチェ隊長の写真が戻って来ましたよー! たった2人の患者を内蔵眺めながら切り貼りしただけでこの報酬! これだから医者は辞められません!」

「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ! 救助活動をやったご褒美にペンと紙ゲットオオオオォ! 書ける、書けるぞおおおおおおおぉ! どんどん妄想もといアイデアが溢れでてくるぜー! ありがとうクラウスさーん! 新刊はあなたが表紙でーす!」

 隔離施設の一日単位で誰も使用しない古びた倉庫の中に2人の男女が狂喜乱舞していた。
 女性の方は実に生生しく肉肉しい写真を胸にあてながら汚れることも厭わず地面でゴロゴロと転がり、男性の方は目で追うのがやっとの速度でペンを走らせていた。

 おそらくこの2人にとって理想の世界とは今この瞬間なのだろう。ペンと紙、そして想い人の写真があれば、それで天国なのだろう。
 都合が悪い人生だとか、取り返しのつかない後悔だとか、きっと生涯無縁に違いない。ちなみにこの数日後、所長が辞任前に「ベクトラくんとネオンさん、プログラム最初からやり直しな」と伝える最後の仕事があったのだとか。














 ■■■



 自分が失語症になった時のことは、正直あまり覚えていません。
 車との衝突事故だと親からは聞かされていましたが、それを聞いてもやはり要領を得なかった。

 車を運転していたドライバーを恨む気持ちはありません。だって事故なのですから。
 それに話を聞くかぎり、どうやら大方の原因は自分にあるようでしたので。死んでないだけ儲けものというものですね。

 ふふっ、いやいや、寧ろ恨むどころか――感謝をしたいくらいです。
 だって、自分が事故で失語症にならなければ……自分の大好きな自慢の友達に出会うことはなかったでしょうから。

 言葉を話せないから、友達なんて出来なかった。友達なんて作れなかった。
 だから仕方なく、自分は一人ぼっちで公園に遊びに行ったあの運命の日。大将はそれは我が物顔で自分に突っかかって来たよね。

 いや、いきなり殴られた時は痛かったなぁ。
 今となってはいい思い出ですけど、あの頃の自分はそれはもう内心怒り狂ってましたからねぇ。こっちとしては意味もなく殴られたわけで。

 今だから正直に言っちゃいますけど、大将が自分の家に謝りに来た時ね、実は殺そうと思ってたんですよ、大将を。
 ポケットに忍ばせてたカッターナイフで、さくっとやってやろうかと。もうあの頃は一杯一杯でしたから。
 意味もなく喋れなくなって、意味もなく一人孤独になって、皆が皆、自分を可哀相な子供だと哀れむ眼で見下して、潰れそうでした。

 だから、そんな思いを全て血が出るまで自分を殴ってくれやがった男の子にぶつけてやろうって、思ってたんですよ。
 これで終わりでいいやって。気が晴れるならそれでいいやって。どうせ喋れない自分にろくな未来なんて無いからって。
 結局出来なかったんですけど。そんなことを出来るほど大胆じゃないですから。チキンなんです、基本的に。

 まあやらなくて結果的に大セーフだったんですよね。
 まさかあの時は、その男の子が僕の中でこれほど大切な存在になるなんて思っても見なかったですから。

 あの日から、大将はこんな自分に一生懸命構ってくれました。
 自分が無視したって、居留守を使ったって、毎日毎日欠かさず会いに来てくれました。

 そうしている内に自分の中から大将への憎しみがなくなって、変わりに嬉しさが溢れていって。
 いつの日か、大将に会うのが何よりの楽しみになっていた自分の感情に気づいた時は、なんか笑ってしまいましたね。

 初めて携帯電話を買って貰って、これで大将と文字でだけど話せるなとウキウキしながら見せた時の大将の表情は、こうして生まれ変わった今でも忘れません。
 あんなに素敵な笑顔、地獄の底でだって思い出せます。あの笑顔を思い出すだけで、幸せになれます。えへへ。

 ――それから何年かたって、大将もいつか自分の側からいなくなっちゃうのかなとふと気づいてしまった、あの日。
 僕だけのヒーローじゃなくなっちゃうのかなと、思ってしまったあの日。

 自分は大将にとても酷いことをしました。意味もない罵詈雑言を書き連ねた文章を怒り狂った演技をしながら投げつけて。
 けど仕方なかったんです。大将のいない人生なんて、ヒーローが守ってくれない人生なんて、自分に意味なんてないんですから。

 ずっと一緒にいて欲しくて自殺の真似事をして大将を自室で待っていたのに。
 来てくれなかったんですよねー。リアリティが必要だろうと思い深く切りすぎたリストカットがマジで致命傷になろうとは、なんとも愚かしい。

 ……大将は、今どうなされているのでしょうかね。
 自分のような弱者を守る格好良いヒーローを、今も続けているのでしょうか。

 大将に守られる弱者が恨めしい反面、やはり大将はそんなヒーローが似合っているという思いもあって、複雑です。
 けど、あんなことがあったのだから大将はきっと自分のことを覚えていてくれるでしょう。ずっと自分のことを忘れないでいてくれることでしょう。

 そうだったら、嬉しいな……一応、あの事実無根の罵詈雑言には『仕掛け』があったのですが。
 大将、そんなに頭が回る方じゃないので気づかなかった可能性の方が高いんですよねぇ。だから、ショックを受けすぎていて、すぐに自分の元へ駆けつけてくれなかった、と。

 改行していない文章の一文字目を縦読みしていただけると、自分の本当の気持ちが現れる。
 結構、というかかなり無理やりな文章なので気づいて欲しかったなぁ。

 しかし、自分が大将に構って欲しくて自殺したってことを気づいたら、大将は自分のことをどう思うでしょうかね。
 ……嫌われたくない。いや、こんなことを仕出かした自分にそんなことを思う資格なんてきっとないのでしょうが。

 それでも、大好きだから。それでも、大好きだったから。
 自分のことを、好きでいて欲しかった。

 自分が死というものを実感したあと、自分は生まれ変わりという奇跡を経験しました。
 生まれ変わった世界は、そりゃ悲惨なものでしたが、自分はそれでも自分なりに頑張って生きてます。

 ひょっとしたら、また大将に会えるんじゃないかって希望にすがってね。



 愛しい大将。貴方は今、どこで何をしているんでしょうか。



 性別すら変わってしまいましたが、自分は、ここにいます。



 もし縁があったのなら、また会って、今度は自分の『声』で、お喋りしましょうね。














          『嫌い』

いっ嫌い』    
                『信じてたのに』

   『嫌い』    『会いたくない』

     『信じてたかったのに』     『近づかないで』

  『なんで教えてくれなかったの』         『嫌い』

      『嫌い』
                   『嫌い』
       『嫌い』
          『ふざけないでよ』   

     『嫌い』       『放っておいて』         

らいらするから』

        『嫌い』    『嫌い』 『嫌い』      『嫌い』

    『嫌い』 『嫌い』  『嫌い』  『嫌い』  『嫌い』

    『嫌い』     『嫌い』    『嫌い』     『嫌い』

       『嫌い』  『嫌い』  『嫌い』

    『嫌い』    『嫌い』  『嫌い』     『嫌い』

      『嫌い』   『嫌い』  『嫌い』   『嫌い』

ごく嫌い』

     『嫌い』  『嫌い』  『嫌い』 『嫌い』

     『嫌い』  『嫌い』 『嫌い』  『嫌い』



らい』

から』




く考えて、死んじゃえ』









 大好きだよ、大将。



[28977] 『プレラは別次元世界でトラブったようです』その①【長すぎるので分割更新】
Name: 槍◆bb75c6ca ID:4b16d5e7
Date: 2012/10/15 00:04

 燦々と太陽の輝きが差し込む平凡な一室。
 その部屋のベッドの上に、シーツをかぶった何かがもぞもぞと動いている。

「……なにか、凄い夢を見た気がするな」

 そう呟いてシーツを取っ払い起き上がったのは、少し長めの金髪と鼻梁が整う美顔を持つ少年だった。
 寝ぼけ眼を擦り、小さく欠伸をしながら「んんっ」と背伸び。漫然とぼやけていた意識が少しずつ覚醒する。

「――む」

 清明に透き通ってきた意識が、微かな違和感を少年に訴えかけた。
 いつも自身の横でぐーすか寝ているはずの“彼女”がいないのだ。

「アギト」

 彼女の名を呼んでみても、やはり返事は返ってこなかった。
 常日頃から起床するのは決まって少年の方が早く、彼女の方が先に起きることなどかなり珍しい。
 今日はひょっとすれば槍でも降るんじゃ。そんな冗談が頭に過ぎって――2つ目の違和感に遭遇する。

「この部屋、こんな内装だったか?」

 少年が昨夜泊まったのは、とある管理外世界のボロボロな安宿だったはずだ。
 アギトはそれに対して文句を垂れていたが、少年は雨風が凌げればそれでいいと気にもしなかった。

 しかし今はどうだろう。壁紙は綺麗だしフローリング仕様の床はワックスでピカピカ。
 というか、泊まった宿屋にはベッドと小さなテーブル以外の物が存在していなかったはず。
 なのに今の部屋にはどういうわけか少年が好むような生活臭溢れる小道具や家具が内装されている。
 一夜にして宿屋が変貌するとはどういう状況だ。よもや寝ている間に突貫工事が行われたわけでもあるまいし。

(……もしや、私は何者かに攫われた?)

 静かに状況を把握する。少年は所謂“次元犯罪者”と呼ばれる札付きである。
 時空管理局に敵対する組織に身を置いたこともあった、片っ端から魔導師に喧嘩を売ったこともあった。
 積もりに積もった罪も恨みも山の如しだ。敵など腐るほどにいるだろう。そう考えれば“攫われた”という状況も否定出来ない可能性の一つ。

「しかし、身動きは取れる」

 だというなら、鎖にでもバインドでも封印魔法の1つや2つで束縛されてしかるべき。
 けれどそんなものはこの身に一切かけられてはいない。敢えて言うなら服装がナイスデザインの寝間着に変わっているくらいか。

「この服と部屋のセンスは中々だが……増々わけがわからないな」

 判断材料が少なすぎる。現状で状況把握は不可能。
 ならばと、少年はベッドから飛び降りて足音を立てずに動き出す。
 気配を限界まで殺し、その一つ一つの動作が洗練された暗殺者にも匹敵するであろう慎重さで部屋のドアに手を掛ける。

 感覚を研ぎ澄ませながら、ドアを静かに開いた。どうやら向こうはリビング。
 その奥には少し狭いキッチンが存在し、違う部屋に続くであろうドアが2つ、更には玄関がある――宿屋というより、これではマンションなどといった住宅に近い間取りだ。

(ふむ、2LDKといったところか)

 いい部屋だ。少年はそんなどうにも役に立たない情報を得て更に散策を続けようとリビングに侵入する。
 忍び足で部屋の中心部分に差し掛かった、そんな折――ドアの1つが、ガチャリと音を立てた。

「――っ!」

 瞬間、少年は身を翻し疾風のように疾走する。
 秒にも満たぬ刹那にて今にも開かれようとするドアと少年の距離が縮まる。
 コンマ秒の一間、そして完全なる開扉。そのドンピシャのタイミングで少年はドアを開けた人物を引きずり倒し組み伏せた。

「ふぎゃ!?」

「答えろ! 貴様は何者だ! ここはどこだ! 何が目的だ!」

「ちょ! 先輩、何するんですか!? 痛い、痛いって!」

「……え?」

 思わず、関節を決め込み組み倒した人物から発せられたその声に、少年は戸惑ってしまう。
 なぜならとても聞き慣れた声だったからだ。何度も言葉を交わし合い、何度も怒声を浴びせ合ったその声を持つ人物を、少年はよく知っている。

 けれど、“奴”が私のことを、“先輩”などと呼ぶわけがない。

 そんなことは、今まで過ごしてきた世界が滅びてもありえない異常現象なのだから。
 恐る恐る、少年は痛みを涙目で訴える人物の顔を、覗き見る。

 その顔は、その人物はやはり――。

「う”ぁ……!」

 少年が目を盛大に見開く。
 思わず彼の名前を言おうとしたけれど、声にならない声が口から漏れただけだった。
 それほどの驚きで、それほどの衝撃だったから。自身の目の前で、世界が滅びてもありえないような異常現象が――。

「もー! また寝ボケてるんですか? 勘弁してくださいよ“プレラ先輩”」

 “起きていた”。

 自分を先輩と読んだ人物、それは少年が生涯のライバルと決めていた強き者――。

「ヴァン・ツチダアアアアアァ!?」

 “頑張って考えた格好良い私”というキャラの装いを粉微塵に崩壊させて、“先輩”こと“プレラ・アルファーノ”の絶叫は天高く轟いた。



   『プレラは別次元世界でトラブったようです』



 プレラ・アルファーノ、15歳。性別は男性。
 現在は傭兵業を営む渡りの魔導師であり、魔導師ランクはミッドチルダ近代ベルカ複合式空戦AAAと推定されている。
 黄金を連想させるその髪色はとてもきらびやか。鼻梁が美しく並ぶその顔作りはどこぞの映画俳優にも引けを取らない。
 鍛え込まれた肉体は強靭。豪胆さと涼しさを併せ持ったその雰囲気は強者の余裕を感じずにはいられない――表面上は、だが。

 そう、表面上は。プレラという人物はある意味、一種の仮面で本性を覆い隠している節がある。
 格好良い私、強い自分、憧れの僕――理想の自分を現界させる過乗な演技。格好悪い私、弱い自分、軽蔑の僕――理想とかけ離れた自分を覆い隠す二面性。

 ほぼ全ての人間には他人に対する“違う自分”を持っているという論理がある。
 それは他人に良く見られたいが為のものであったり、それは他人に触れられたくないものがある為であったりと理由は様々。
 本性とは違う自分。本心とは違う自分。多種多様の“他人に対する自分”という仮面(ペルソナ)。プレラ・アルファーノは、その仮面が他人より遙かに大きい。

 内面と外面が、かけ離れ過ぎていた。
 そうしなければとても支えきれない“本当の自分”が存在していたから。



 ――プレラ・アルファーノという人物を語る前に、少し昔話をしよう。
 魔法なんて存在しないとある世界。そこにいたのは何の変哲もない1人の少年だ。
 いや、変哲もないというのは語弊があるだろうか。少年は――ただ少しだけ他人より身体が弱くて、ただ少しだけ他人より泣き虫で、ただ少しだけ他人より“弱かった”のだから。

 彼には出来のいい兄がいる。少年とは真逆で、勉学は秀逸で運動も卓越。
 誰にでも平等でありながら優しく、正義感すら心得た優秀すぎる人間。
 人として完璧に近いものを兼ね備えた兄。そんな彼に1つ足りないものがあったとしたら、弟に対しての“配慮”だったのかも知れない。

 兄に悪意はない。誰にでも平等に優しくあるが故に――否、血を分けた唯一の弟だからこそ。
 “特別扱い”して、弱い彼を甘やかすなんてことをしなかっただけなのだ。

 そんな不公平のアンバランスな兄弟だったから、彼らの両親の目は常に兄へ向けられる。
 口を開けば兄を褒め称える言葉の数々。対して弟には、決まってこんなことしか言わなかった。



『どうしてお兄ちゃんみたいに出来ないの?』



 両親に悪意はない。“出来の悪い駄目な弟”と差別意識があったわけでもない。
 ただ純粋に優秀な兄のようになって欲しいという、勝手だとしても親として当然のことを思ったまでだ。

 だけど、そんなことを利発の満たない子供が理解できるわけがないだろう。
 ――家に自分の居場所がない。スポットライトが照らす光の中に父と母、その間に優秀な兄が挟まれているという光景をただ遠目に、ぽつんと物陰で小さく蹲って見ていることしか少年には出来なかった。

 ならせめて、違う舞台くらいには居場所があれば救いはあったのだろうが。
 家族環境は子供の精神構成に大きく影響する。歪んだ家庭で形作られた、ジメジメとした薄暗い少年の精神は“イジメ”の的には丁度いい。

 ノートを破られた、内履きを隠された、机に心ない文字を書かれたなんて――。
 “暴力”よりは遙かにマシだったと、エスカレートしていくイジメに対して少年は切に思う。
 目に見える生傷が日に日に増えていく少年に、教師が気づいた時にはもう遅い。一度根付いた“こいつはイジメていい”という認識は大岩のように強固で崩せない。

 少年に対するイジメが少数、もしくは個人的な物だったのならまだなんとかすることも出来ただろうが、もはやそのイジメはクラス全体の“集団意識”にまで発展している。
 “みんなやってるから、じぶんもやっていい”なんて考えは、子供が持つ特有の価値観なのだから。それから逃れる術があるとするなら、よもや学校を去る以外にないだろう。

 イジメの事実を知った教師は『なんとかしてみせる』と少年を励ますものの、結局は口だけだった。
 変わらない地獄のような日常、変えられない煉獄のような日々。磨り減り続ける少年の精神は、例えるなら燃え尽き落ちようとする寸前の線香花火。

 けれどある日、イジメられているという事態を少年の両親が知ることになる。
 両親は酷く驚いて、とても悲しんで、少年に対し必死にそのことを問いかけた。

 ――ひょっとしたら、この地獄が変わるのか。
 ――もしかすれば、この煉獄から助かるのか。

 少年はそんな淡い想いを、ちっとも自分を見てくれなかった両親に抱いた。
 それは地獄の底に齎された救いの蜘蛛の糸。拙く、脆く、儚くあれど少年にとっては唯一の確かな希望。



『――いい加減にしろ!』



 でもやっぱり、蜘蛛の糸なんて容易く切れるものなのだ。
 我が子がいじめの被害にあっているなんて事実を受け止めきれない両親は、こんなにも親が心配しているというのに、恐怖に怯え“親にすらどう接していいのかもわからず”心を閉ざす少年につい苛立って――。



『抵抗しないお前が悪い!』



 思わずキツイ言葉を浴びせてしまう。
 結局、皮肉にも両親のその言葉が致命傷だった。



 居場所なんてどこにもなくて、必要とすらされなかった少年。

 あるいは少年がもう少し優秀だったのなら。

 あるいは少年がもう少し強かったのなら。

 もう少し、もう少し、もう少し、もう少し、もう少しだけ何かが違っていれば。

 もう少しくらい、人並みの人生を歩めたのかな?

 最後にそんなことを考えて、少年は孤独にひっそりと――この世を去る。



 果てさて、そんな少年を哀れに思った神のご慈悲か、それともそんな少年を愉悦に思った悪魔の悪戯か。
 彼に用意されていたのは、二度目の人生という奇跡。しかもなんという大盤振る舞いだ、“プレラ・アルファーノ”という新たな器は――“少しを卓越した優秀さ”と、“少しを超越した強さ”という最後の最後で望んだ物を秘めていた。



 けれど懇願したその強さこそが、渇望したその優秀さこそが、その二つなんて比べ物にならないほどの本当の望みだった“居場所”をぶち壊すことになろうなど――少年はその時、知る由もない。



 プレラが生まれ変わって、何の因果か前世の記憶を思いだした時。
 それこそ当初は己が身に神の加護でも降りたのか、と人生をやり直せるチャンスに感動したものだ。
 しかし二度目の“家庭”を現認すれば、己に“暖かい家族”とやらはよほど縁がないのだろうと、家族に対する憧れを喪失するのは簡単だった。

 この世界の父親は確かに真人間で立派な大人だ。仕事も世界の平和を守るという自慢に値する職業に就いている。
 しかし、彼はその仕事に熱を注ぎすぎた。否、全身全霊をかけねばならない理由があったのだ。結果、彼は家庭を省みることもなく、家に帰省することすら年に一、二回あれば珍しいという――人としては良かれでも、親としては最低の人物になってしまった。

 この世界の母親はそんな父親に愛想を尽かし、自ら腹を痛め生んだ子供ですら金で雇った家政婦に任せっきりで、遊び歩いて家によりつかなくなる。
 元々彼らは良家の出、そして2人の結婚も政略の意味合いしか持っていない。或いは父親がもっと母に接してやれば夫婦間もこれほどまでに冷めなかったかも知れないが、もう遅い。

 この世界にも兄がいた。だけどその姿を見たことは一度もない。
 兄が『ジュリア・アルファーノ』という男性にはあまりつけないだろうな、という名前だというのは知っているけれど。
 兄に対して知っていることなど本当にそれくらい。誰も自分を愛してくれない――そんな家庭に絶望したのか、プレラが物心ついた時にはすでにジュリアは家を出ていった後だった。

 だから食事などはいつも1人。前世では、時偶くらい家族で卓を囲ったりもしたけれど、今世では一度もないというのだから笑えない。
 仕事と割りきって、感情のない機械のように業務をこなす家政婦の作った料理はきっと美味しいのだろう。アルファーノ家は裕福だ、料理に使われている食材も高級なものばかり。

 だというのに、まるで水のような味気なさを感じる理由は何なのか。

 たった一人っきりの食卓を幾度も繰り返し、プレラは再び孤独に幼少時代を過ごした。
 それから少しだけ年月を重ねて、父親も所属している『時空管理局』に入る為にプレラは士官学校へ入学することになる。
 プレラに内包された強力な魔法適性。さらに本人の努力があったにせよ、主席入学はそれでも出来すぎた結果だとプレラは他人ごとのように思った。

 ――ここでもやはり孤独なのだろうか。
 “友達”の作り方を、二度の人生を廻ってもわからなかったプレラの不安。

 だけど、そんなものは杞憂だった。
 “ある”なんて思っても見なかったこんな場所で――強さなんかよりも、優秀さなんかよりも、本当に欲しかった“居場所”がようやくみつかったのだから

『プレラ~! ノート貸して~、今の講義がわからなかったの』

 ほんわかとした雰囲気で、愛らしさと優しさを併せ持つ少女、ポーラ。

『ああ、この愚姉、ずっと寝ていたんだ。プレラ、ノートを貸す必要なんて無いぞ』

 明晰怜悧とした雰囲気で、それでも暖かい表情を浮かべる少年、ザート。

 年上で双子の彼らは、何故かプレラに構ってくれて、良くしてくれた。
 二度の人生で、心の底から“友達”と呼べる人達。暖かくて、優しくて、思いやってくれる大切な仲間。

 彼らと共にいることの安堵が、どれほど素晴らしいものだったか。
 彼女らと共に過ごす日々が、どれほど筆舌に尽くしがたいものだったか。
 プレラが持って生まれたこの力は、きっとこの得難い友達を守る為に在るのだと確信すらしていた。



 だが。



『ったく、あのガキと犯罪者ども、馬鹿みたいに騒ぎやがって……』

『まったくよ、少し可愛いからっていい気になって』

『むかつくな』



 根底渦巻く嫉妬という悪意が、彼らに狙いを定めていた。
 士官学校に入学してくるのは親が局員という二世三世の、所謂エリート系が多い。
 その中で、若干10歳の少年が自分達の技能を軽々と上回り主席で入学してはどう思うか。

 そんな彼が、犯罪者の経歴を持つ双子と仲睦まじく過ごしていれば、その目にはどう映るか。
 将来を約束された自分達に与するならまだ許せても、そんな下賤の者共と過ごすことは許せない。
 同期のトップであるということは自分達の代表だということ。その代表があの様では、自分達の顔が立たない――。



『なあ、確か次は戦技実習だったよな……。アイツのデバイスを……』

『そりゃいい』

『図に乗っていたみたいだから、お灸をすえてやりましょう』



 非殺傷設定という、魔法の危険性を無くすシステムに慣れきった少年達が思いついてしまった、最悪の悪戯。
 将来はSランクを超えるであろう魔法の資質を持つプレラが、それを外して魔法を使えばどうなるか――。



『あ、あああああああああああああ……』



 地に伏せるは最愛の友達。
 手にしたデバイスから放った、安全なはずの魔法弾が彼らを穿った。
 決して助かることはないのだと確信できる大きすぎる傷跡。されど、そんな重症を負った最中でも、ポーラとザートは――。

『怪我は無いか、プレラ……』

『よかった……プレラは、無事で……』

 事切れる寸前まで、我が身を顧みずプレラの心配をしてくれた。
 その壮絶過ぎる事故で唯一救いがあったのなら、それは2人が決して自分達を傷つけたことが故意では無いと信じて疑わなかったことだろう。

 こうして、プレラは求め続けてきた居場所を失った。自ら望んだ力で、大切な居場所をぶち壊した。
 後悔や無念、絶望。そういった負の感情にプレラが耐え切れなくなった時、せめて一時は信じた神に懺悔を仰ごうと、とある教会の扉を叩く。

 それが、地獄の底を突き抜けた、深淵の入り口だとも知らずに。



 それからプレラは数々の戦いに身を投じる事となる。
 教会で出会った、師匠と呼べる人物から受けた投薬により、友達を奪った原因の一端でもある非殺傷設定への憎み、それを使う時空管理局への恨みを増長され。
 こうすれば強くなれると言われた修練方法は高ランク魔導師には運が良ければ勝てるし、低ランク魔導師には運が悪ければ負けるというバランスの悪い力の付け方を学ばされ。
 リリカルなのはというこの世界の、完全なハッピーエンドでは終わらない『物語』を変えたいという思いにつけこまれ、散々利用され騙され続けた。

 自ら終焉に向かうプレラ・アルファーノ、それが唯一無二の正しいことであると信じて疑わない彼の未来はきっと絶望しかなかった。
 されど、そんな彼を変えた1人の男がいた。Cランク程度の低魔力しか持たない雑魚。始めはなのは達に付け入る卑怯者と思った管理局員。

 ヴァン・ツチダという強敵(ライバル)の存在。
 幾度と無く戦って、幾度となく負けた。実力はこちらの方が明らかに上なのに、何度潰しても、何度倒しても、それでもヴァンは立ち上がって、己の持てる限りを尽くしプレラを打倒した。

 ――ヴァン・ツチダに勝ちたい。ヴァン・ツチダに負けたくない。

 いつしかプレラは彼に対してそんな感情を思い抱いていた。
 その思いがあったからこそ、プレラは目を背けていた真実と向き合えた。
 信じていた師匠の元から離反し、盟主と尊敬した男と袂を分かち、自らの力で強くなろうと努力する。

 そうして、長い月日の末、プレラはヴァン・ツチダに勝利した。
 しかも高町なのは、フェイト・テスタロッサという主役を同時に相手して、だ。
 非殺傷設定を外して戦い、人間を楽に“殺せて”しまえる魔法での勝負。それでも、3人に後遺症が残るような怪我は一切与えず、完全な魔法の制御を有して勝利した。

「あはははははははははははははははははははははははははっ!」

 強くなった。これほどまでに自分は強くなった。
 非殺傷設定を外した全力の戦闘で、致命的な傷を負わせないことすら可能とするなど、高位の魔導師ですら困難だろう。

 非殺傷設定というシステムがあろうと不幸な事故は起きる。
 逆に言えば、殺傷設定であろうと誰をも殺さない事は可能なのだ。

 大切な友を殺したのはあくまで己の未熟であり、愚かさが原因。
 プレラがもっと魔法に精通し魔法の制御を可能としていたのなら、愛する友達をその手にかけることもなかった。
 非殺傷設定に対する嫌悪は、時空管理局に対する憎しみは、全てが自身の未熟さを棚に上げての責任転嫁。

 自分自身の弱さから目を逸らし、自分の為だけに力を振るい、世界を救うなどと妄言を吐き、その実は自分の罪より逃げ回っていただけのちっぽけな奴。



 それがプレラ・アルファーノという男。



 だが、そんな弱き自分を覆い隠す仮面(ペルソナ)は砕けた。
 ほんの少しの“格好つけ”は止めないものの、それでも等身大のまま、プレラは新たな道を歩いて進む。真っ直ぐに、一歩づつ。

 これはそんな少年が、ヴァン・ツチダに勝利し、己の弱さを自覚した後――とある世界に住む知人を頼りに旅を続ける内に迷い込んでしまった物語(よりみち)だ。



 ■■■



 コンコンコンと、金槌がリズムに合わせて振り下ろされる。
 天を仰げば雲一つない青の空。春先だというのに今は暑いくらいで、額から流れる汗が止まらない。
 そんな時空管理局首都航空隊の3097航空隊のオンボロ隊舎――の屋根に、工具を携えた彼らはいた。

「――ってな感じで、先輩に今朝襲い掛かられまして」

「あはは、相変わらずだなプレラ先輩は」

 関節技を決められた部分を擦りながらため息をつくヴァン。
 どうやら“この世界”のプレラがヴァンに襲いかかったのは二度や三度ではないらしい。そうでなければ、ヴァンのボヤキに受け答えたティーダはこれほどあっけからんと笑わないだろう。

 ちなみに、2人の話題となっている当の本人はと言えば――。

(な、なぜ私はヴァン・ツチダやティーダ・ランスターと一緒になって管理局の校舎の屋根を直しているんだ……?)

 現状に理解が追いつかず、適当に穴の開いた屋根の一部を板と釘で修理しつつ。
 暑いからという理由だけでは到底流せないであろう量の冷や汗を、2人の横で滝のように流していた。

「しかもその後も大変だったんですよ。“なぜ貴様がこんなところにいる!? 私を捕まえに来たのか!?”って大騒ぎで、結局一時間かけてなだめて引きずって来ましたからね」

「ああ、それで今日は遅刻したのか。しかし今日の先輩の寝ボケっぷりはいつもと桁が違うな」

 どうやら、“この世界の”プレラは寝ボケ癖が酷いらしく、そんな奇行すら寝ボケていたで納得されている。
 以前の私は普段どのような態度で生活を送っていたのかと危ぶみながらも、プレラは今朝の出来事を思い出していた。
 
 ヴァンの話の通り、混乱の極まったプレラは暴れたのである。それはもう盛大に。
 その有様たるやデパートなどで地面に転がり両手足をバタバタさせて喚く子供のようだった。
 しかし仕方がないといえば仕方がない。“朝起きたら全く知らない場所にいて、そこにいた宿敵のライバルが自分を先輩と呼んで敬語使ってた”なんて超常現象に、誰が瞬時に対応出来るというのだろうか。

 多少落ち着いたところで、ヴァンからなんとか現状の情報を聞き出せば更なる混乱に拍車がかかる事態が待っていた。
 ――プレラ・アルファーノはヴァンと同じ部隊に所属する時空管理局員である、と告げられたのだ。ちなみに階級は准尉らしい。
 始めはヴァンが騙そうとしているのではと疑ったが、よくよく考えてみればこのような嘘をヴァンがつくメリットも無ければ理由もない。
 しかもその様子があまりにも真剣で、最終的には「だあああぁ! もう遅刻しますから! というかすでに遅刻だよ!」と若干キレ気味な剣幕に押され、なし崩し的に流されて今に至る――というわけだ。

(……それにしても、この私が管理局員か)

 つい先日まで札付きの犯罪者として管理局と戦い続けてきた己が、今度は人員として管理局に属すことになろうとは。
 恨みに恨み、憎みに憎んだ悪の大組織――と、タナトスに身を置いていた頃はそう思っていたものの、幾度と戦っている内にそれが歪んだ認識だったと改めた。それでも「よし、やっぱ管理局に就職しよう」なんて思わない。

(確かに、管理局で働く。私にはそういう未来も……)

 ……無くは、なかったのだろう。
 あの“出来事”がなければ、現状のようにヴァン・ツチダの先輩として、ヴァン・ツチダと同じチームで平和を守るという未来も――無くは、なかったかもしれない。

(――ふっ、所詮は出来の悪い夢か。夢ならばとっとと覚めて欲しいものだな)

 けれどそれはもう過ぎた話。すでに終わった過去。自分で切り捨てた、違う可能性の中にしかない未来。
 プレラはそう心の中で呟いて、ニヒルに笑ってみせた。

「って、先輩。笑ってないで手を動かしてくださいよ。全然進んでないじゃないですか」

「1人だけサボるのはずるいぞ、プレラセ・ン・パ・イ」

「む? ……そうだな。了解した」

 この全ては夢なのだ。くだらない、夢。そうでなければこんな現実はありえない。
 だったらまあ、目が覚めるまでは適当に――流されてみるのも悪くない。2人のそんな催促に頷き、なれない金槌を持ち上げてプレラは勢い良く振り下ろし――さもお決まりのように、自分の指を打ち据えた。






「手、大丈夫ですか?」

「問題ない。伊達に鍛えてはいないからな」

 ジンジンと鈍い痛みが奔る、包帯を巻かれた手を振り上げてプレラはそう言う。
 夢の中ですらライバルに弱いところを見せたくない少年心溢れる健気な強がりだった。

「夢のくせに痛覚があるとは……」

「夢? なんの話だ?」

「こちらの話だ……それとヴァン、敬語は止めろ。先輩もいらん、呼び捨てでいい。ティーダもな」

「え!? ……いや、でも階級とかありますし……」

「ならば命令だ」

「……わかったよ、プレラ」

「また急だな?」

「気分だ」

「気分ねぇ……あ、ヴァン。ついでに俺にも敬語はいいんぜ?」

「……それは考えて起きます」

 ヴァンに敬語で話しかけれれると背筋に悪寒が奔る、とは言えないのでそう誤魔化す。
 確かにライバルから敬語というのもある種の新鮮味や優越感があったが、それ以上に違和感が酷いのである。
 この世界に置ける以前の自分はこの拭いがたい違和感が平気だったのか? 自分に対してヴァン・ツチダやティーダ・ランスターが敬語で話すのは似合わないだろう――まあティーダは敬語を使ってないが。

「……ところでヴァン。あれはなんだ?」

 と、プレラはヴァンとティーダ、3人して軽く目を背けていた、目の前で繰り広げられる逃亡劇を問いただす。

「俺に聞かけれてもな……」

 屋根を直して手を治療したその後……つまり現状を説明すると、彼らの元に急遽出動要請が駆け込んだのだ。
 早急に駆けつけてその事件を目撃すればどうやらとんだ大外れを引いてしまったらしいとプレラは手を額に押し付けて内心でため息。

(何をやっているんだ、イオタ・オルブライト……)
 
 大量の警備隊をハーメルンの笛吹きのように引き連れた男。しかも見覚えがある人物がだ。
 両手一杯に女物の下着を抱えて疾走しているのを見ればため息の1つ付きたくなるのも当然だろう。

(奴の変態性は時の庭園にいた頃に嫌というほどに見たが、夢の中でも私の手を煩わせる気かあの馬鹿は)

 夢とはいえ管理局員としての初任務がよもや下着ドロの逮捕とは。なんともやるせない話だった。

「あー、あいつ魔導師だ」

「ほんとだ」

(……ん? いま、まるでイオタが魔導師であることを始めて知ったような口ぶりをしたんだ? お前たちは確か知り合いだったと記憶しているが……この夢の中では、初対面という“設定”なのか?)

 そんな違和感に頭を傾げるプレラをしり目に、ヴァンとイオタは戦闘態勢に入っていた。

「まぁ、魔導師でも性犯罪に走る奴もいるだろうな」

「激しく低レベルですけどね。行きますか、ティーダさん、プレラ」

「だな、プレラとヴァンは足止め。俺が援護する」

「いつものフォーメーションですね。了解」

(……まずは、奴にお急を添えてからでいいか。しかし……先ほどセットアップしてから思っていたが)

 ――プレラは己の手の中に聳えるデバイスをまじまじ眺める。
 それは剣でありながら銃であり、銃でありながら剣である白銀の銃剣。

(なぜ私のデバイスがシルバーブラッドに戻っている? 思い入れがあるといえば、あるのだが)

 とはいえ、あまり思い出したくもない過去の象徴とも言える以前の愛機の姿がそこにあった。



 ■■■



「離せ! 離せー! わ、私が何をしたというのだ!? 私はただ、ベランダという檻の中で洗濯バサミという鎖から囚われの姫もといパンツを救出しただけだ! それが何故このような扱いを受けねばならない!? 我々はどうしても引き裂かれる運命だとでもいうのか!? くそぅ! なんだこのロミオとジュリエット状態! 確かに私はロミオのように世紀の美少年ではあるが!」

「変態一名、確保と」

 一瞬だった。それはもう一瞬の圧倒劇だった。
 清流を悠々と泳ぐ小魚が急降下して来た大鷲に捉えられるが如くである。
 一応、とあるビルの屋上まで必死にイオタは逃げたのだが、そこに飛行魔法で先回りしたヴァンが足止め中、背後から強襲したプレラが一撃の元叩き伏せたのだ。峰打ちだが。
 尚、その一撃はかなり強めに放たれたもので並の成人男性なら一瞬で昏睡してもおかしくないものだった。崩れ落ちた後にすぐさまタンコブをさすりながら「いきなりなにをするだー! 許さん!」と怒鳴ってきたあたり相当のタフネスぶりである。

「けど自首の勧告も施さないのにいきなり斬りつけるのはどうかと」

 せっせとバインドでイオタを縛り上げるヴァンがプレラに向かってそう問う。
 その問いに対し、キリッと表情を整えたプレラは悠々と答えた。

「……ふっ。お前のその甘さが、いつか命取りにならなければいいがな」

 今日も絶好調だなープレラ先輩は、と口に出さないものの内心でため息をヴァンが吐いた瞬間だ。
 待っていたぜ、この瞬間を! とでも言わぬばかりに彼は動いた。

「――今だ! ふはは! 甘い! チョコレートより甘いぞ諸君ら!」

「あ、しまっ……!」

 どうやったかは不明だが、マジシャンがやるような縄抜けのようにスルっとバインドを解いたイオタ。
 2人の会話の隙を見事に盗み脱兎の如く走りながら、彼は魔法陣を形成する。

(あれは、転移の魔法陣! 馬鹿め、この私から逃れられるとでも思っているのかイオタ!)

 火事場の馬鹿力とでも言おうか、イオタの逃げ足は相当のものだが騎士たるプレラが追いつけない程ではない。
 ヴァンにしても高速移動の魔法があるのだ。転移を完了する前にもう一撃叩きこんでくれる――だがその目論見は、ティーダの悲鳴に近い叫び声によって頓挫する。

「ヴァン、プレラ! 逃げろ!」

 その言葉と、魔力反応を背後に感じたのはまったく同時であり、ヴァンとイオタが飛び退いたのもまた同時だった。
 風を切り裂き、孤を描きながらビルの屋上に着弾したのは一発の魔法弾。イオタが引き連れてきた警備隊の誤射だろうか、危うく味方にやられるとこだったとヴァンは「あ、あぶねえぇ」と心臓を跳ね上がらせ、プレラはその魔法弾が巻き起こした『現象』に心臓を高鳴らせる。

「――馬鹿な! この反応はまさか、次元震……!?」

 かつて、幾度か体験したことのある危険にプレラは何よりも早く察知する。
 度重なる修羅場をくぐり抜けた感覚が、間違いなくこれは次元震が起こる前兆であると、警告を発しているのだ。

「ノゥ! ヘルプミー! おまわりさーん、たすけてー!」

 イオタの悲鳴、デバイスの警告音が合唱のように鳴り響く。

「さっきの魔法弾、次元反応弾かっ!!」

「反応弾!?」

 ティーダの解析と次元震の反応に驚愕するヴァン。
 プレラは冷や汗を流しながらどうするべきか試行錯誤する最中、尚も2人の会話は進む。

「知っているんですか?」

「ああ、お前の年齢なら知らないのか。10年位前に禁呪指定喰らった魔法だよ。ごく稀にだが転移魔法と反応して次元震を引き起こすって、ニュースになったんだ!」

「そ、そんなヤバイ魔法が! って、次元震なおも増大中!?」

「くそっ! ヴァン、下の連中を避難させるぞ!!」

(とはいっても――次元震が完全に発動すればこんな街の1つや2つ軽く吹き飛ぶ。避難なんて間に合うわけがない……!)

「プレラ、実はこんなこともあろうかとこっそり封印魔法を覚えてたなんてオチは?」

「……あったらもう使っている」

「……だよね」

 タナトスから離反し、補助技も学ぶようになったプレラではあるがそのほとんどは幻影など戦闘を補助する技ばかり。
 もう封印魔法なんて使わないだろうと思っていたことも合い間ってその分野に関しては素人同然だ。膨大な魔力があろうと、専門系の技は余程の才能を持たなければ成功率など皆無に等しい。

「なら俺が行く、2人はフォローお願いします」

 ヴァンの提案に驚いたのは、ティーダだけではなく彼を熟知しているプレラも同じだった。
見れば、ヴァンのデバイス『P1S』が見慣れない封印形態に変動している。

「……お前、封印魔法なんて持っていたのか?」

「ああ、削除しないで入れておいたんだ」

 一度も封印魔法を使用している場面を見たことがなかったプレラである、驚くのは当然だ
 だが、用意周到なヴァンならそれもありえないことではないなと、改めてプレラはヴァンを評価した。

(ふっ、さすが我がライバルだ……が、ヴァンの魔力量を考えれば成功する確率は五分にも満たない……危険な賭けだぞ、これは)

「俺が次元震を封印します」

「無茶だっ! まて、それなら俺がやる!」

「いや、魔力量を考えれば私の方がいい」

 慌てるように止めるティーダに、それを遮るプレラ。
 だがヴァンは静かに頭を横に振った。

「それこそ無茶ですよティーダさん。いかな才能があろうと、慣れない他人のデバイスで封印なんてプレラでも出来ない。まして、すでに次元震は始まっているのに」

「そ、それは……、お前が無理に命を掛けなくても」

「おじさんが言っていたけど、俺達管理局職員は命を掛けて地上の平和を守らなきゃいけないって。時間も無いみたいですし、俺が行きます」

 その言葉に迷いはなかった。その仕草に戸惑いはなかった。
 死地へ向かうに等しい選択をしているのにも関わらず、貧乏くじを引いているにも関わらず。
 それでいいのだ、と身を顧みない勇者のような姿勢――少なくとも、プレラにはそう見えた。

(ヴァン・ツチダ……貴様は、やはり……)

 知らずプレラは必死に拳を握りしめ、嫉妬でもない、哀れみでもない、複雑な思いが交差した眼差しでヴァンを見つめる。
 その目を見たヴァンは、困ったように笑っていた。

「ヴァン……すまない」

「気にしないでくださいよ。あ、それよりも無事に帰って来たら妹さんを俺の嫁にくださいね」

「それは断る、ティアナは誰にもやらん!」

「それは残念。だったらプレラのプレミア限定品ジャンバーでいいや」

 そんな軽口の応酬の後、2人はお互い顔を見合わせニヤリと笑みを交わし、「後は頼んだ」と言わぬばかりの表情でヴァンはプレラに微笑み――デバイスを掲げ、詠唱を呟く。

「閃光のごとく駆けよ」

『Flash Move』

 瞬時に加速したヴァンは高速の弾丸となって次元震の中心へ向かっていく。
 次元震の放つエネルギーの波紋は、さながらコンクリートのセメントの中を泳いでいるかのような圧力だった。
 それだけじゃない、見えない手がヴァンの体を引き千切ろうと力任せに引っ張っているような痛みすらあった。光を遮断するのか、辺りは真夜中のように暗く視界が悪い。それでも、進まなければ――。

 ゴッ、と――いきなりだった。何かに殴られたような衝撃に、ヴァンは屋上を二、三回転ほど屋上を跳ね、なんとか柵に掴まり停止する。

「ぶ、物理的な衝撃を伴う次元嵐……?」

 口の中でやけに鉄っぽい血の味がして、足も捻っているのだろうか痛みというストライキでヴァンを引き止めた。
 額の痛みに濡れた感覚がするのは、おそらく出血を伴ったからだろう。なんにせよ気絶しないでよかったとヴァンは周囲を確認すれば――。

「ヘルプ、ヘルプミー! ああ、世界は私のような天災を見捨てようとするのか、そうか、これが世界の選択か! 私という特異点を修正力という名の運命が粛清しようというのだな! おのれ世界め! 許さん、絶対に許さんぞ虫けらども! じわじわと嬲り殺しに――ああ、嘘嘘! 嘘です! 謝る、謝るからどうかお助けを! 私が死んだら全米が泣くぞ!? それでもいいのか! オリコンチャート1位を3週くらい続けて独占してしまうぞおおおおおおぉ!
 ああ、こうなるならなのはたんとユーノたんとフェイトたんとはやてたんとヴィータたんとアリサたんとすずかたんとキャロたんとエリオたんとルーテシアたんとチンクたんにルーチェ隊長クンカクンカ! クンカクンカ! モフモフモフ! ハァハァハァハァ! しておけばよかったぁぁぁぁぁぁぁl!」

「……見つけた、あれが次元震の中心か」

 ヴァンは放置を決め込んだ。そして見つけた黒い球体状の何か。
 ――次元震の中心へ向かって、一歩、また一歩と進んでいく。まるで亀のような速度だった。
 しかしそれ以上の速度をだせば安定とふんばりを失い吹き飛ばされかねない。

「ふぅ、ふぅ――――っ!?」

 思わず、絶句した。なぜならヴァンの目の前には、次元震の圧力に耐え切れずにその身を崩壊させたコンクリートの一部が向かっていたから。
 大きさは子供一人分くらいはあるか。普通だったら簡単に回避、または破壊も可能なれどこの状況でそんなことをしている余裕はない。

 ここであのコンクリートに当たって気絶でもすれば確実に迎える結末は無駄死だ。
 いや、自分が死ぬだけならまだいい。それなら数名の人が泣いてくれるだけですむ。
 だがここで次元震を止めなければ無数の人々が犠牲になってしまうのだ。ヴァンはどうにか気絶と吹き飛ばされることだけは避けようと、両腕で頭を覆って――。

「やはり、お前ばかりにいい格好をされるのは許せん」

 コンクリートを真っ二つに叩き斬った、プレラの声を聞いた。
 覆った腕を開けば、ヴァンの前にはシルバーブラッドを携え、広域方のプロテクションでヴァンごと包み込んだプレラが居た。そういえば、あれほど荒れ狂ってこの身を傷つけていた衝撃が消えている。

「プ、プレラ!? なんで……」

「よく考えたらな、お前の魔力が足りないというなら私の魔力を分け与えればいいだけだ。それだけで成功率は跳ね上がる。魔法の使用事態は手助けしてやれんが、お前を次元震の衝撃くらいからなら守ってやれるしな」

「そういうことじゃない! 俺が失敗したら2人共死ぬんだぞ!?」

「ならば尚更だ。このまま一人だけ先にくたばって“勝ち逃げ”することだけは絶対に許さん」

「勝ち逃げって……」

「ふっ、まあそう悲観的になるな」

 血まみれで、ボロボロで……何度も何度も見慣れた姿を晒すヴァンに、プレラは手を伸ばし。

「お前は、失敗などしない。保証してやろう、他の誰でもない――この私がな」

 ただクールに笑ってみせた。
 ぽかんと一瞬だけ呆けたヴァンも、すぐに気を取り直す。

「……まったくもう、プレラ“先輩”は、本当に格好つけなんだから」

 ヴァンは先輩の部分を皮肉のように強調して、差し出されたプレラの手を取った。
 その手を支えに痛む体に鞭をいれて立ち上がり、ゆっくりと進む。
 そしてついぞ辿り着いた中心部。ヴァンは封印術式を展開し、吼えるように叫ぶ。

「封印!」

 ただの一瞬で魔力がごっそりと持っていかれるのが傍で見てもわかる。
 故に、プレラはその一瞬でヴァンに魔力を供給する。そのやり方はかなり強引で、荒々しいものだった。
 けれどありがたい。足りない魔力が満ちていく。プレラの力強い魔力がその身を燃え上がらせる――それから少しの間を置いて、周囲に光が戻ってきた。封印が成功したのだ。

「封印、完了……」

「ふっ、よくやった。さすが我がライ」

 安堵の溜息をつくヴァンを労ろうとプレラが声をかけたその刹那、ティーダの声が耳に届いた。

「ヴァン! プレラ! 気をつけろ!」

「えっ!?」

「なに!?」

 2人は封印したはずの場所を見る。
 そこには小さな黒い点が今だ健在していたのだ。

「し、しまった!!」

 その悲鳴はヴァンの物だったのか、それともプレラか。
 どちらにせよ、轟音をあげて炸裂した黒い点はビルの屋上を根こそぎ抉り、2人を飲み込んだという結果は、変わらなかった。



 ■■■



 果たしてこれは夢なのか?
 誰がどう考えたって、夢に決まっている。
 朝起きたらいきなり違う世界にいましたなんて、どんなファンタジー小説の始まりだというのか。

 けれども、プレラはそれを否定出来ない。
 否、彼だけではなく――それを否定出来ないのは“転生者”と呼ばれる存在全ての人々だろう。

 彼らは皆、経験しているのだ。

 起きたら違う世界に居た、死んだら違う人間になっていた、ふとしたら違う人生を歩んでいた。
 そんな出鱈目な超常現象を、経験している。

(……金槌で手を打って、痛みを感じたときから――わざと考えないようにしていただけだ)

 わざと、夢だ夢だと……覚めない夢だと、思い込もうとしていただけ。
 これが現実ではないと、認めたくなかっただけ。

(……なぜ、私は認めたくないのだろう)

 わからない、わからないことだらけだ。
 ヴァンの決死の覚悟を見た時、この世界がどうしても夢だと思えなくなってしまった。
 だから、もしかすればヴァン・ツチダはあそこで次元震に巻き込まれ、消えてしまうと思ったから、ティーダの抑制を振りきってあの衝撃が舞う渦へ飛び込んだ。

 勝ち逃げだけはされたくなかったから。
 ヴァン・ツチダに負けたくなかったから。

(もしもこれが、本当に現実だったとしたら)



 私は、元の世界に帰れるのだろうか?



(……まったく、珍しい夢だから、流されてみようと思ったのが運の尽きか……)

 まあ――なんにせよ。

「風は空に、星は天に、そして不屈の心はこの胸に。この手に魔法を。レイジングハート、セットアップ!」

 その呪文と共に、魔法の光に包まれる幼き少女。
 横には、ヴァン・ツチダと共にプレラと闘いぬいた一匹の獣。

 間違いなく、それは高町なのはとユーノ・スクライア。

(過去じゃねーか、ここ)



 プレラの“寄り道”は、まだまだ始まったばかりのようである。



[28977] 『プレラは別次元世界でトラブったようです』その②
Name: 槍◆bb75c6ca ID:4b16d5e7
Date: 2012/10/24 00:37
 ――君は、人生をやり直したいと思うかい?

 世の中にありふれた、もはや陳腐と呼んだところで過言ではないそんな質問。
 それをプレラに対して尋ねたのは、以外にも“盟主”と呼び仰ぐ人物からだった。

 タナトスに在籍していた当時の話だ。
 盟主は椅子に座りながら、手元で弄んでいた知恵の輪らしきものを止めて、ふと思い出したように側に待機していたプレラにそう聞いた。

「……」

 そのようなことを、よもやこの御方から尋ねられるとは。
 思いもよらなかったプレラが面食らって、暫し硬直してしまうのも仕方なしか。されど尊信する御方の手前、いつまでも無様に黙っているわけにはいかないと彼は真剣にその質問の答えを思案する。

 人生をやり直したいか、やり直したくないか。
 ――プレラにとっては考えるまでもない。何度も何度も幾度と幾度と、思ってきたことだ。出来ることなら――そんなことが、プレラ・アルファーノとして“もう一度”出来るのなら。

「…………やり直したい、かと」

「だろうね」

 あっけからんと盟主はそう言って、知恵の輪を再開し始めた。
 ……え、終わり? もはや自分に一切の興味が無さそうにしている盟主にプレラは再び面食らう。今の質問はいったい何だったのだろう。

「知恵の輪というのは、簡単な物を除けば解答までの手順は大抵が1通りしかない」

「……」

 話が先の質問に続いているのかいないのか。
 とりあえず再び口を開いた盟主の言葉をプレラはただ押し黙って拝聴する。

「その1通りの手順を見つける為に、1つの行程を紐解いて、次の行程へと赴く。間違えてはやり直し、間違えてはやり直し、ただひたすらに」

 カチャ、カチャ、カチャ――ガチャ、と複雑に絡み合っていた知恵の輪が綺麗に分離した。
 すると今度は一度も引っかかることのないまま手早く初期状態に戻して、興味が失せたのかぽいっと地面に投げ捨てる。

「――お見事」

 そんなプレラの世辞に、煽てた所で新型のアームドデバイスしか出ないがなと呟いて盟主は彼に顔を向けた。
 仮面越しなのにも関わらず、滲み溢れるその圧迫感に思わずごくりとプレラの喉が鳴る。

「人生をやり直したいと思うのは、知恵の輪で言えば解答の手順を間違えて手詰まっているからだ。しかし人生はやり直せない。手順を誤って間違えたままの、いつまでも解き明かせない知恵の輪を懐にしまい込みただ苛立ちを募らせる。それも――“何個”と。今の君のようにな」

「…………」

「失敗の数だけ、間違いの数だけ人は二度と解けない知恵の輪を増やし続けて、どれほど重荷になろうが持ち続けていく。それを解決する方法は二通りだ――わかるか?」

「……何らかの方法でやり直せないという定義を覆すか――“捨てるか”でしょうか」

「御名答。意外と頭が柔らかいじゃないか」

「光栄です」

「だが完全にやり直すというのは今だ机上の空論である時間魔法を駆使して、失敗した過去に“飛ぶ”くらいの方法しかない。だから現実として取れる方法は捨てることのみだ。忘れることで、飽きることで、見ぬふりをすることで――やっと人は知恵の輪から開放される――果てさて、プレラ」

 ――君はこれから後、やり直したくともやり直せない知恵の輪を、いったいどうするのだろうね。
 そう言って、盟主は小さく笑った。プレラは黙ったままだった。



 一度は主と仰ぎ、一度は敵と刃を向けた存在との会話をプレラは静かに思い出す。

(解けない知恵の輪、か……あの頃は、いつだって人生をやり直したいと思っていたっけ)

 一度目だって、二度目だって。人生の程をやり直せたらどれだけいいか。
 あの時の失敗を、あの時の間違いをなかったことにできたらどれだけ楽になれるのだろう。
 手順を間違えたままの知恵の輪。それを解き明かした先に何があったのかと空想する日々は酷く虚しいものだったけど、思い続けずにはいられなかった。

(それでも今は、そうも思わなくなったんだがな)

 数々の人々と出会い、そして激戦の繰り返しを経て過去を変えたいと慮ることは極端に減った。
 自分で選んだ選択なのだから、自分で歩んだ道のりなのだからと納得して。いかに思い念じたところで過ぎた過去は取り返しがつかないと――それは盟主の言う解けない知恵の輪を、プレラが捨てたということなのだろうか?

(っと、思い出に浸っている場合ではないな。まずは“あれ”を倒す方が先か。まったく――)

 ここが夢にせよ現実にせよ――“高町なのはが始めて魔法に出会った場面”に介入する妄想がよもや叶うとは思わなかったよ! プレラはデバイスを掲げ疾走しながら心中そう叫ぶ。
 向かった先には、セットアップを行ったはいいが……いや、セットアップが出来てしまったからこそ更に混乱を引き起こしあたふたと慌てているなのはと、プロテクションで黒い化物を押さえ込んでいるヴァンがいた。どちらかといえば抑えこまれているといった方が正しいのかもしれないが。

「――っ!? 起きたのかプレラ!」

 疾走し自分の方へ向かってくるプレラにヴァンは気づいた。
 今の今まで浮かべていた苦悶の表情が、瞬時に希望に満ち溢れた笑顔へ変わる。

「何を遊んでいるヴァン! その程度の相手、お前なら造作もあるまい!」

「いや無茶いうな!?」

 確かに高町なのはに匹敵する魔力を持つプレラから見ればこの化物も軽く片付けることが出来る相手なのだろうが。
 昔からこの人はなんでか俺のことを過剰評価するんだよなぁとヴァンが思った矢先、プレラのデバイスからカートリッジを排莢され、魔力が瞬間的に跳ね上がる。

 シルバーブラッドの切先に魔法の輝きが集結し、只ならぬ破壊力を宿したそれをプレラは化物に対し下段から天へ向けるように振り上げた。
 その光景は、あたかも巨大な竜の牙が獲物を喰らい、蹂躙するかのよう。故にその技の名は――。

「天剣龍牙!」

 ――と、呼ぶことにしようとプレラが日々思いついたことを書き綴っているノートの一文に記されているのはここだけの話である。
 それを受けた化物は四散……否、もはや爆散したと言った方が分かりやすいくらいに粉々となってリンカーコアを露出させる。まさに秒殺だった。

 しかし、この化物は打撃耐性を持っている為に瞬時に回復するはずなのだ――が、いくら待ってもその前兆がない。
 プレラの技の破壊力があまりに高かった為、再生に手間取っているのだろうか? だとしたら、しばらくは大丈夫だな、とヴァンは体の力を抜いた。

「ふぅー……助かったよプレラ――えっと、そこの方」

「へっ!? わ、私ですか……?」

 そうため息を吐いて地面にへたり込んだヴァンはプレラへ感謝を述べると同時に、今だ何が起きているのか理解しきれていない少女、高町なのはへ向かって呼びかける。

「申し訳ないんですが、封印を頼んでよろしいでしょうか? 自分は魔力が切れちゃって、もう1人は封印魔法……苦手なんですよ」

 本当に申し訳ないと心苦しさに溢れる様子で、困ったように苦笑しながらヴァンは言って。
 むっ? 待てヴァン、苦手なのではないぞ、興味が無くて練習しなかっただけだぞ? 練習すれば出来るようになるからな? ホントだぞ――とプレラは何故か張り合っていた。



 ■■■



「本当に助かりました。自分は時空管理局ミッドチルダ本局首都航空隊3097隊所属、ヴァン・ツチダ空曹です」

「私も同じく。名はプレラ・アルファーノ……准尉だ」

「え、えっと、私立聖祥大学付属小学校3年生、高町なのはです、えっと、その、はい」

「ええええ、ぼ、僕ですか。え、えっと、スクライア一族のユーノ・スクライアです」

「あ、いや、そんな畏まって名乗っていただかなくても……」

 なのはが余裕を持って軽々封印を終えたあと、そんなこんなで4人は向い合って自己紹介。
 その後はそれぞれの事情の説明など情報交換。魔法や次元世界、管理局といった単語にいちいち驚きの声を上げるなのはに、本当にこんな妄想をよくしたものだとプレラは小さく洩らして内心苦笑する。

 しかし、話の流れがどんどんおかしくなっていくのはプレラにとって完全に予想外だった。
 ユーノがこちらへ協力を要請し、ヴァンとプレラがそれを承諾した後――。

「あ、あの、それじゃあ、私も協力する」

 というなのはの提案に対して。

「いえ、それには及びません」

「……ええ、ユーノさんの言う通りです」

 と、ユーノとヴァンが断ったのだ。

(……な、何ぃ!?)

 その驚愕を表情に出さなかったのは、常にクールに振舞えた方が格好良いなと考えていたプレラの鍛錬の賜物だろう。
 プレラを蚊帳の外にして、3人の会話は進んでいく。

「で、でも、でも、プレラさん以外は怪我をしているし……」

「いえ、怪我はもう大した事はありません。それに、これは本来なら僕達の世界の問題です」

「それを言ったら此処はなのはの世界だよ」

「はい、だからこそ、これ以上なのはさんを巻き込めないんです」

「そんな、私は全然平気だよ」

「すいません。でも、さっきだって危うくなのはさんに怪我をさせるところでした。ヴァンさんやプレラさんがいなければどうなっていたか……助けてくれてありがとうございます。なのはさん、巻き込んでしまって申し訳ありませんでした」

「ユーノくん……けど、さっきは封印魔法が出来ないってヴァンくんが」

「その件を含めて、自分からももう一度お礼を言います。本当にありがとうございました。けど、幸いにもプレラは管理局でも有数の才能を持つ魔導師なんですよ。封印魔法だって少し学べば必ず出来るようになりますし、自分も魔力が回復すれば可能です。だから安心して後は自分達に任せてください」

「ヴァンくん……」

 待て、待て待て待て。なんだこの流れは。
 嫌な汗が額に垂れるのをプレラは感じ、ヴァンにだけ聞こえるよう念話を発動させる。

『待てヴァン、何を考えている? このままでは高町なのはが魔法に関わらなくなるぞ!?』

『けど管理外世界の一般人を巻き込むわけにはいかないだろう? そういう規則だってあるし』

『そ、それはそうだが……え、そうなのか? な、ならフェイトはどうする!? フェイト・テスタロッサは高町なのはがいなければ救われることは……』

『……なんでそこでフェイトが出てくるんだ?』

『……何を言っている。少し後でフェイトはジュエルシードを回収しにこの世界にやって来るだろう』

『え?』

『え?』

 何故か頭に疑問符を浮かべて話の通じないヴァンに、プレラもまた頭に疑問符が浮かんでしまう。
 ヴァンがなのはに協力を求めないのは何となく分かる。何度も命を賭けて戦い合った仲だ、こいつがこういう性格なのは理解できる。
 だがこいつはトリッパーで原作だって知っているはず。現にフェイトのことだって知っているのだ。何故彼女がこの世界に来ることへ疑問を持つ?

「そうだよね、ごめんね。3人はお仕事なのに我侭言って」

「いえ、僕の方こそ巻き込んでしまって申し訳ありませんでした」

「あ、これ返すね」

「あ、いえ、これはっ! 貴女に差し上げます」

「ううん、これは皆さんに必要でしょう。じゃあね、さようなら」

 ヴァンと話し込んでいる内に、なのはが納得して帰ろうとしていることに気づいた頃にはもう手遅れ。

(ま、待ってくれ高町なの――)

 呼び止めようと差し伸べかけたプレラの手が止まる。なのはの目元に浮かんだ一滴の雫を見てしまったのだ。
 どうしようもない罪悪感が、心の中に大量に溢れかえってしまって何も出来なくて。

(私がいたから、こうなったのか?)

 ズキズキと痛む胸を抑えて、プレラはただ静かに寂しそうな高町なのはの背中を見送った。



 ■■■



「はああああああああああああああああああああああああああああああああぁ!? フェイトは医者を目指して今は医師養成学校に入学している!? というかそもそもアリシアが生きていて、アリシアがフェイトを産んでるだと!?」

「な、なんでそんなに驚くんだ?」

「ば、馬鹿な……なんだそれは」

 そしてなんなんだ、この世界は。
 ヴァンが言うにはプレシアがアリシアを失う切欠となる事故は起きず、そのまま成長したアリシアが結婚して9年前にフェイトを出産したという。なるほど、通りで先ほどヴァンが首を傾げたわけだ。

(そんな事情があれば、フェイトはおろかプレシアがこの世界に来るわけがない……)

 歴史が根底から変わってしまってる。
 どのようなバタフライ・エフェクトが発生したらそんなことになるんだ? 
 誰か別のトリッパーが何とかしたというのか? なのはの涙を見て思い浮かんだ罪悪感の比ではない痛みがプレラの頭を襲う。

 確かに、幾つもの選択肢によって無数に分岐する“パラレルワールド”と呼ばれる世界には……。
 そのような世界だって存在するのだろう。アリシアは死なず、プレシアは狂わず、フェイトが傷つかなくても良い世界。言うなればそれは――。

(……“こんなはずだった世界”)

 いつだったか、それはプレラが思ったことのある空想の世界だった。
 優しさに溢れた世界なら、フェイトは憂いた表情をしなくても済むだろうと。けれどそんなものはやっぱり空想の世界で、妄想の産物だ。どんなに願ったところで世界は変わることもなく、厳しくて優しくないことばかりだった。

「というかそもそもこの話はプレラから聞いたんだぞ? ほらかなり前、休暇を取って見に行ったってさ。この世界のフェイトは幸せそうで良かったって、あんな嬉しそうに言ってたじゃないか」

「……そ、そう……だった、な……」

 その歳で記憶障害はやばいって――とジョークを飛ばすヴァン。
 一方のプレラは心在らずといった様子で、1つの言葉が頭を反芻していた。
 “フェイトは幸せそうで良かった”というその言葉が、グルグルと脳内を回って反響する。

(フェイトは今――“幸せ”なのか)

 プレラにとって、フェイトはある意味で特別な存在だ。
 それは“好き”だとか、そういった恋愛感情ではない。ただフェイトの“境遇”が自分と似ているから、どうしても助けたかった。救ってやりたかった。

 家族がいるのに、仲良く出来ない境遇が……家族に疎まれる環境がどうしても自分と重なってしまって。
 前の世界でプレラがフェイト側に回ったのは、単にシスターや盟主の命令だけではない。家族という問題を抱えたフェイトだからこそ、プレラは彼女を助けたかった。フェイトが助かることで、喜ぶことで……過去の自分を。

 家族とすれ違ったままの“自分”を――間接的でも助けたかったのかもしれない。

「ふー。いいお湯だった」

 そんな言葉と共に2人の元へ体を濡らして戻ってきたのは、個室に備え付けれられている風呂で汚れを落としたユーノだ。
 今はフェレットモードではなく人間形体。さしもフェレットが1人で人間用の風呂に入るのは無理があるからだろう。

「お、戻って来た。なら次は俺が浸からせて貰おうかな……いいか? プレラ」

「あ、ああ。構わんぞ。先に入るがいい」

 ちなみに、彼らが今居る場所は海鳴市の、予約をしなくても簡単に取れてしまうようなとある安ホテルである。

「しかし、プレラが幻術とこの世界の通貨を持っててホント助かったよ」

「危うくサバイバル生活だったからね」

「備えあれば憂いなしとはこのことだな」

 原作に介入する気が満々だった過去の自分に感謝しなければ、とプレラは思う。
 なのはと別れ、さてこの後はどうするべきかと話し合って考える内にぶち当たった1つの疑問。

 お金とか、どうするの? ということである。
 当初、その問題に対してユーノはドヤァという擬音が似合いそうな表情で「任せてください」と言いながらキャッシュカードを取り出していたが、国境どころか次元が違う世界でそんなものが使えるわけがない。
 ヴァンも同じくだ。そもそもヴァンは原作に介入するという意思が微塵もなかったのでミッドの通貨しか所持していなかった。このままでは芸人がテレビ番組でもやるような過酷に満ちたサバイバル生活まっしぐら。

 プレラは傭兵もどきをやっていた時代にサバイバル生活は経験しているし出来ないこともない。
 が、かといって意気揚々とやりたいとも思わないので何とかならないかとダメ元でシルバーブラッドの擬似収納空間を覗いてみると、なんと日本円が存在しているではないか。

 札束で。

 いったいどこで手に入れたのだろう。
 別段、管理外世界の通貨も合法で管理世界の通貨と交換してくれる場所はあるので持っていることは不思議ではないにせよ、多すぎである。給料何ヶ月分だ。

 けれどそのお陰で食べ物を得る為には狩猟をしなければ、というサバイバルは回避する手筈となった。
 しかし最低限文化的の生活の三原則。衣食住――お金があれば食べ物はどうとでもなる。問題は服と住処だ。
 服は子供でも買えないこともないだろうが、ホテルなどをチェックインする為にはどう考えても大人の存在が居る。
 ヴァンとユーノは精神構造は大人じみていようが9歳という年齢通りの見た目だし、プレラも年齢の割りには若干大人びて見えるがそれでも未成年の域を出ていない。

 ここでも活躍したのはプレラである。シルバーブラッドの中に1つだけ幻術魔法がインストールされていたのだ。
 それは見た目を大人に変えるというもので、戦闘においての実用性は皆無だが簡単な構成で幻術が不得手な魔導師でも使える簡略魔法。
 とどのつまりは、こういった“子供では出来ないことをやる”為だけに存在する魔法である。他は戦闘魔法のオンパレードなのに、ホントに介入する気満々だったんだなぁとプレラは己のことながら少し呆れた。
 そうして年齢はクリアしたものの、泊まろうとするのが人種がバラバラで2人の子供連れという外国人、という要素が足を引っ張ってチェックイン時にかなり怪しまれたのだが。

 それもなんとか突破でき――ようやく現状に至るのだった。



 ■■■



「封印を完全に習得するまでもう少しといったところだな。ちょっと休憩するぞ」

 そう言いながら周囲に浮かべた魔法陣を消して、プレラはシルバーブラッドを待機状態に戻した。
 その光景にヴァンとユーノはスゲーとプレラの才能を嫉妬するのを通り越してただ賞賛する。

「魔力量が足りないのもあるけど、封印魔法は俺にとっちゃかなり高度な技術なのに。凄いな」

「ふっ、そう褒めてくれるな――世の中には、魔法に目覚めて数分で封印魔法が使えるようになる女の子だっているのだから……」

「……そうだな」

 少し落ち込むプレラとヴァンだった。
 3人が入浴を済ませた後、再び行われた対策会議にて、ジュエルシードとの戦闘にまず必要なのは封印魔法と判断。
 ユーノを中心にレイジングハートの封印魔法をミッドとベルカの複合式使いであるプレラ向けに少しだけ改造してシルバーブラッドにインストール。その後直ぐ様プレラは魔法の訓練を始めたのだが、魔導師ランク総合AAA評価は伊達ではない。あと数時間でマスターしてしまうだろう。

 しかし、ユーノ・スクライアが私とは違うベクトルで並ならぬ才能を有しているのは知っていたが『なるほどなるほど、なるほどー』とシルバーブラッドの複合式をちょっと眺めただけで術式の改造が出来てしまうとは、実に末恐ろしいな――とプレラとヴァンが思ったことは内緒だ。

(……フェイトのことや元の世界へ帰ることは後回しにするとしてだ……後でユーノに私とヴァンの術式の改造も頼んでみるか。技の構成が簡単な分、貧弱すぎる。それにバリアジャケットも変えなければ)

 プレラは自身のバリアジャケットをちらりと眺めた。
 ノースリーブかつ何やら抽象的な装飾がゴチャゴチャとしている薄い腰布。バリアジャケットというのはイメージ的には服のように考えて貰っても構わないが、本来は体全体を包み込んでいるフィールド魔法である。
 故に、肌が露出していようとも薄いフィールドは張られていて、ちゃんと攻撃を防いでくれるのだ。ただ、やはりむき出しになっている部分と服でしっかり守られている部分では防御力が大幅に変わってくる。

(これでは下半身しかロクに守れん。格好良いことは格好良いが、実戦向けではない。過度な装飾だって無意味にリソースを食うだけだしな……)

 と、以前のこの時代のプレラなら決して考えなかったであろうことを思慮しながら、部屋に備え付けられている冷蔵庫を開ける。見事にミネラルウォーターしか入っていない。
 コーヒーすら入っていないのか、習得するまで徹夜を敢行しようというのに……安ホテル故に仕方も無いだろうが、もう少しサービスしてもバチは当たらぬまいよ、としばし憤怒するプレラであった。

「ヴァン、ユーノ。飲み物を買いに行くが何か飲むか? 奢ってやろう」

「あ、それだったら僕が買いに」

「いや、だったら皆で買いに行こうぜ……てかプレラ、幻術使わなくてもいいのか?」

「バレないだろうさ。監視カメラだって見当たらんし、無駄な魔力を消費したくはないのでな」

 というわけで、全員で廊下にあった自販機の前に移動。
 それなりに飲み物の品揃えはよかったが、値段が130円な辺りさすが安ホテルである。

「さて。何にしようか……」

「ヴァン、リンゴジュースってある?」

「なっ○ゃんのならあるな。俺は……これで」

 リンゴジュースのボタンを押し、次に自分の分とヴァンがボタンを押したのは、かなり甘めのコーヒー牛乳だった。
 それを見たプレラが突然に何故か勝ち誇ったように高笑いを始めて、ユーノとヴァンはびくっと肩を震わせる。3人の側に人影がなかったのは実に運が良かったのだろう。自販機の前で高笑いをする子供なんて恐怖以外の何もないのだから。

「ハーハッハッハ! なんだ、ヴァンはコーヒー牛乳かぁ? どうやら私はお前を過大評価していたようだな! 男ならばブラック以外にありえん!」

「いや、だって糖分欲しいし。ブラックは苦いだけだと思うけどなぁ」

「甘い、お前はそのコーヒー牛乳よりも遙かに甘いぞヴァン。大体、コーヒーに砂糖や牛乳といった不純物を入れてしまってはコーヒー豆独自の味わいが薄れてしまうではないか。糖分が欲しい? 馬鹿め! コーヒー豆そのものにはちゃんとした甘みがあるのだ! それを感じ取れんとは、ヴァンもまだまだオ・コ・チ・ャ・マだな! フハハハハハ!」

 言いたい放題だった。

「けど缶コーヒーだよ?」

「ふっ、まあ? 世の中には缶コーヒーなんて飲めるかと嘲笑うニワカコーヒー通な輩もいるが、日本の缶コーヒー製造技術を舐めてはいけないな。大量生産品のインスタントとはいえ、メーカーにもよるがそこに妥協は存在しない。偽物が本物に敵わない道理がないのと同じだ」

 プレラはボタンを押しながら長々とコーヒーを語る。
 さながらブラックコーヒーの味がわかる私カッコイイとでもいう有様だが、きっとそうではなく、純粋にコーヒーが好きなのだろう。そうだと思おう。
 パキン、とプルタブを開け鼻孔を近づけるプレラ。ほう、これは荒挽きだな。ふっ、悪くない香りだ。

「ゴクっ、ゴクっ、ゴクっ」

 そんなことを呟きながらグイッと缶コーヒーを呷って……。

「――ブフォァ!?」

 むせた。

 吹いた。

 そしてヴァンの顔面にブチ撒けられたの三連コンボ発動だった。

「熱っうううぅ!?」

 ホットでなければヴァンも苦しむことはなかったろうに。
 そんな惨事を見かねて、ユーノはおどおどとどうしていいか分からずに、とりあえず2人の安否を確かめる。

「うわぁ!? ヴァンさん!? プレラさん!? だ、大丈夫ですか!?」

「何すんだプレラァァ! マジで熱かったぞ!?」

「ごほっ、ごほっ! ……ナニコレニッガ……ごほ!」

「今、苦いって言いませんでした!?」

「飲めないなら無理して飲むなよ、プレラ……」

「ち、違う! たまたまだ! たまたま肺に入りそうになっただけだ! ……な、なんだその哀れみ眼は!? ち、違うぞ! 私は飲めるからな! 私はブラックが大好きなんだからな! 本当なんだからなぁ!?」



 プレラのキャラ作りはどこえやら。そんな3人のやり取りは、夜が開けるまで続いたとか。



 ■■■



「ほう、ここが海鳴か……」

 一方、真夜中の海鳴市を徘徊する1つの人影があった。
 黒い帽子付きのロングコート。おそらく成人男性程度の身長を持つが……性別は彼、或いは彼女だろうか?
 帽子を深くかぶっている為に、表情の判断がつかず性別の判断が出来ないのだ。声は、そう高くもなく、低くもない実に中性的な声質。

「ジュエルシード、そして“貴様”がここに来ていることはわかっているぞ……くくくっ、ミッドから離れれば逃げ遂せるとでも思っていたか……」

 黒いロングコートの男は笑う。ただただ、小さく小さく。

「貴様の躰は、“我々”があの大いなる力を得る為の器として使わせて貰うぞ。覚悟するがいい……」

 さながら哀れな獲物を前にした狩人の如く――。

「“ヴァン・ツチダ”――!」

 ――笑う。


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