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[27086] 魔女狩り探偵ほむら (魔法少女まどか☆マギカ) III. 箱の魔女 【問題編】
Name: ほむクルス◆0adc3949 ID:2c03faf7
Date: 2011/04/23 17:50
「わたしはまた……あなたを救うことができなかった!」

 ほむらの頬を幾筋もの涙が伝う。
 ぽたぽたと落ちる雫は蒼白なまどかの顔を悲しく濡らした。

「ほむらちゃん……泣かないで」

 泣き崩れるほむらの顔を霞む瞳で見つめて、それでもまどかはほほ笑んだ。

「わたしはもう、ダメだけど。ほむらちゃんはまだ生きてるから……だから、きっと大丈夫。今度こそ……今度こそ、わたしを……みんなを救って」

「無理よ……わたしにはもう……あなたを失うことに耐えられない……」

「そんなこと……いわないで。ね?」

 まどかのふるえる手のひらが、そっとほむらの頬をなでる。

「ほむらちゃんのチカラは……きっと、みんなを……幸せにできるから。わたしなんかより……ずっと、ずっと……」

「わたしは! わたしはまどかさえ、幸せになってくれれば、他になにもいらないのに……」

「ダメだよ、ほむらちゃん。みんなの幸せが……わたしの幸せだから……だから、わたしだけを救おうなんて……そんなこと、思わないで」

 ぐずる子供をあやすように。
 聞き分けのない生徒に言い聞かせるように。
 まどかは途切れがちな言葉を紡ぐ。
 その言はひどくか弱くて、にも関わらず頑固で、一途で、最後までほむらの気持ちを欠片ほども斟酌してはくれなかった。
 ただ、みんなのために。まどかの好きだった、この世界のために。
 ほむらがあれほど望んだ、まどか自身の幸せは、そこにはなかった。

「まどかの……ばか……」

 ほむらは呟く。
 そして――リセット。

 ほむらはまた、あの日にもどる――



―目 次―

I. 薔薇園の魔女

 登場人物

  暁美ほむら :魔法少女。時間を止めることができる。
  鹿目まどか :ほむらのすべて。
  有村さん  :薔薇園の管理者。
  有村(妹) :神隠しにあった少女。
  女生徒   :名も知らぬ少女。
  キュウベェ :白い悪魔。



II. 鳥かごの魔女

 登場人物

  暁美ほむら :魔法少女。時間を止めることができる。
  鹿目まどか :ほむらのすべて。
  アスカ   :家出少女。
  キョウコ  :街に生きる少女
  キュウベェ :白い悪魔。



III. 箱の魔女

 登場人物

  暁美ほむら :魔法少女。時間を止めることができる。
  鹿目まどか :ほむらのすべて。
  巴マミ   :魔法少女。くるくる巻き髪。
  井佐美エリカ:入院少女。
  キュウベェ :白い悪魔。








[27086] I. 薔薇園の魔女 【完結】
Name: ほむクルス◆0adc3949 ID:2c03faf7
Date: 2011/04/12 16:43

(1)プロローグ

 薔薇の園と称されるその学園は、ほむらの通う中学からは電車でひと駅程離れたところにあった。
 近辺でも有名なお嬢様学校で、多くの男子学生たちのあこがれの的になっていると聞く。
 だが、それ以上にこの学園を高名にせしめているのが、あだ名の由来とされる薔薇の庭園。決して大庭園というわけではないけれど、学園の規模に比すれば分不相応に大きく、そして立派だった。春にもなれば、色とりどりの薔薇の花が咲き乱れ、高い塀の外にまで匂い立つよう。厳格で、ともすれば陰鬱になりがちな学園における楽園の様相を呈していた。
 まるで専属の庭師によって造園されたようなその庭園は、実は代々の在校生有志によって世話されたものだった。毎年なぜかひとり、ふたり、ガーデニング好きの学生が現れて、それらの人間が先達のノウハウを学びながら、薔薇を世話していく。そんな伝統が綿々と続いていくことで、この薔薇園は維持運営されていた。

「きれいなものでしょう?」

 見知らぬ女生徒が話しかけてくる。

「うちの学校の名物だからね。あなたの学校でも、これほど立派な庭はなかったんじゃない?」

「そうですね」

 誇らしげな仕草のその女生徒に、ほむらは生真面目に頷いた。

「とても綺麗です。学生だけで世話してるなんて信じられないくらい」

「ま、代々、うちの学校にはマニアックな程に造園が好きって奴が入ってくるから」

 くすくすと笑って。

「でもね、転校生。あの薔薇たちがあんなにきれいなのは……それだけが理由じゃないの」

「綺麗な理由?」

「そう。艶やかで、華やかで、ぞっとする程見る人を惹きつけて止まない、その理由――」

 歌うように、囃すように。
 彼女はそっとほむらの耳元に唇を寄せて囁いた。

「あの庭園には、死体が埋まっているの」


(2)決 意

 ほむらは今、転校生として薔薇の園に訪れていた。
 盗んだ制服に身を包み、素知らぬ顔で廊下を闊歩する。
 誰のクラスにも属していないけれど、きっと誰かのクラスには属している。
 そう思わせる術を、ほむらは自然と身に付けていた。何度となく「転校生」を繰り返した彼女にとって、転校生のふりをするくらいのことは、まさに朝飯前なのである。

「薔薇園の魔女……」

 ほむらはそっと口に出して呟いてみる。
 繰り返す戦いにおいて高い頻度で現れる魔女の一匹を、彼女はそう呼んでいた。
 蝶を思わせる体躯に、庭師を模る使い魔たち。
 見る者を恐怖させずにはいられない異形の魔女。
 しかしほむらは、それがほむらと同じ魔法少女のなれの果てであることを知っていた。
 知っていながらも今までは、見て見ぬふりをして過ごしてきたのである。
 どうせ魔女となった存在は、けっして元に戻すことはできないのだから。
 こんな悪夢のような時間を過ごさなければならないならば、いっそ滅してあげることの方こそ救いなのではないのだろうか?
 そう言い聞かせて、言い聞かせて、ほむらは幾多の魔女を狩ってきた。
 でも――
 幾多の非情な救いをもたらしてきた彼女は、結局、一番救いたい少女にもまた、まったく同じ手のさしのべ方しかできなかったのである。

『わたしだけを救おうなんて……そんなこと、思わないで』

 まどかの最期の言葉の意味はそういうことだったのだろう。
 そこらの魔法少女ひとりも救ったことのないほむらに、飛び抜けた才を持つ魔法少女であるまどかを救えるはずはないのだ。
 面接試験の前に模擬面接をするように。
 本番の試合の前に準備運動をするように。
 まどかを救うその前に、少女を救う練習をしなければならない。
 そして魔法少女を救うためには――「少女」を「魔法少女」にさせてはならない。しかし「少女」を「魔法少女」に変えてしまう仲介役たるキュウベェを滅することは、過去の経験より不可能に近いことが分かっている。
 だからほむらは、「魔法少女」になるための原動力である少女の「願い」を消してしおうと考えた。
 例えば、巴マミ。
 もしも彼女が巻き込まれた交通事故を未然に防ぐことができたなら。
 そうすれば彼女の「生きたい」という思いが生まれることはなく、巴マミが魔法少女になることはなかったはずである。
 もちろん、ほむらが戻ることのできる時間以前に、すでに契約を済ませてしまっている計算になる巴マミの交通事故を止めることはできない。
 だけど、他の魔法少女たち。ほむらが今まで倒してきた魔女たちが魔女になるその前。
 そのさらに前がワルプルギスの夜よりひと月以内であるならば。
 ほむらは、少女の魔法少女化を止めることができるかもしれない。

「まどか……今度こそ、あなたを守ってみせる!」

 ほむらは決意も新たに、面前に広がる薔薇庭園をにらみつけた。


(3)捜 索

 薔薇園の魔女。
 「あれ」が魔法少女のなれの果てであるならば、その元となった少女はきっと薔薇園に深い関わりがあったに違いない。
 そう思い近辺の中学を調べた矢先に引っかかったのが、この学園だった。
 いち女子中学校であるにも関わらず、隣町にまで噂される薔薇の庭園。
 どうせなんの手がかりもないのなら、と、ほむらは学園に潜入してみることにした。
 転校生のふりをして、あたりの見学をするようにふらりふらりと歩きまわり、時には女生徒達の会話に耳を傾ける。
 そんな密偵まがいの行為をしていた時に、気付いたことがあった。
 それは――

「きれいなもんでしょ?」

 窓から見える薔薇園に目を向けていると、必ずと言ってよい程、女生徒が話しかけてくる。
 ほむらのように立ち止って薔薇園に見惚れるような生徒は、すでにこの学園には居ないのだろう。
 学園に長く居るものにとって、薔薇園は日常であり、生活の一部であり、そして誇りであるようだった。
 だから、ほむらのようなよそ者が来ると、まるで自分の手柄のように薔薇園を誉めそやし、そして胸を張る。

「ええ。とても綺麗ですね」

 ほむらはにっこりとほほ笑んで、話を合わせる。

「あんなすごい庭園、誰がお世話をしているのですか? 確か、この学園の学生さんの有志がお世話をしてるって聞きましたけど」

「3年の有村さんよ。ほら、あそこでお水やってる」

 その女生徒が指差した先には、ひとりの少女がぽつんと佇んでいた。
 緑がかったセミロングの髪を陽のひかりにきらめかせている。後ろ姿しか見えないけれど、線の細い、可憐な雰囲気を身にまとった少女だった。
 手には大きな銀色の如雨露を持っており、薔薇の様子を確認しながら、時折それを傾けていた。

「今は彼女がひとりで世話してんの。すごいよねー」

「……ひとり、ですか? この薔薇園を?」

 女生徒の言葉に、ほむらは思わず眉をひそめた。
 決して大きいわけではないけれど、「庭園」と呼ぶだけの広さを有するこの薔薇園を、少女ひとりで世話しきれるとは思えない。

「ま、ちょっと前までは、もうひとり、ふたり居たんだけどねー」

 彼女は困ったような笑みを浮かべて。

「ひとりは行方不明になっちゃって、他の子たちも気味が悪いからって辞めちゃったみたい」

「……行方不明?」

「そ。聞いたことない? 薔薇の園の神隠し」

 この薔薇園にはひとつの伝説がある。
 いわく、「庭園の下に死体が埋まっている」。
 数年に一度、薔薇園の管理を任された少女のひとりが、薔薇のために命をささげられる。その少女は「神隠し」として存在を消され、生きたまま庭園に埋められるという。
 そうして埋められた少女の生き血を養分に、薔薇たちはより美しく、見事に咲き誇る……。

「……おかしな言い伝えですね」

 ほむらは無表情にそう評した。

「この広さの庭園に、ひと一人で養分が賄えるとは思えません。それに、人間の身体を養分にするよりも、ちゃんとそれ専用の肥料を用いた方がずっと効率も効き目も良いのではないでしょうか?」

「……あんた、おもしろいね」

 女学生は毒気を抜かれたような顔をする。

「ま、とにかく、先日行方不明になった奴がいてさ。そいつは薔薇園の人身御供になったんじゃないかって。そんな話になってさ、みんな気味悪がって薔薇園の世話を辞めちゃったんだよ」

「でも、人身御供は数年に一度、なんですよね? ひとりが捧げられたのなら、後の人たちは数年間は大丈夫なんじゃないでしょうか?」

「まあ、そうなんだけどな。そこはほら、あんたもさっき言ったみたいに、この広い庭園じゃ、ヒト一人じゃ足りないーなんて話になって、次の生贄にされたら嫌じゃんさ」

「それはまあ……そうですね」

 ほむらはこっくりと頷いた。
 それを満足げに見つめた女生徒は、「お、そろそろ次の授業がはじまるぞ」と呟いて、じゃあね、とばかりに手を振って教室へと歩を進める。
 その後ろ姿にほむらは問いかけた。

「あの――神隠しにあった女生徒は……」

「ああ、有村さんの妹さん。可哀想だよね。姉の代わりに、薔薇の生贄なんてさ」



(4)有村さん

「とても綺麗な薔薇園ですね」

「ありがとう」

 ほむらの言葉に、有村はほほ笑んだ。
 手には追肥と移植ゴテ。庭仕事に長く従事していることを示す焼けた肌にも関わらず、後ろ姿からも滲んでいた儚げな線の細さは、近くではさらに際立って見えた。

「あなた、転校生?」

「……わかりますか?」

「ええ。この時期になると、この薔薇を褒めてくれるひとも少なくなるから。みんな外から来たお客さんや、父兄ばかり。生徒にとっては、この美しい景色も、当たり前になってしまうんでしょね」

「でも、その「当たり前」を維持するのは……大変なんじゃないですか?」

 ほむらの言葉に、有村は少し首をかしげて。

「どうでしょう? 「当たり前」が「当たり前」である以上、「当たり前」を維持することもまた「当たり前」。大変だ、とか思ったことはないかも」

 そういって、有村は笑った。やはり、寂しげで儚げな笑み。
 本当は、それほど簡単なことではないのだろう。
 この薔薇園は、それほどまでに「当たり前」からは逸脱して美しい。
 しかも、今は。

「薔薇のお世話をしていたひとがひとり、居なくなったと聞きました。それにあわせて、他の人たちも。今、この庭園を維持しているのはあなただけ。それでも大変ではないのですか?」

「好きだから」

 有村はそっと、一輪の薔薇のつぼみに手を伸ばす。

「私は薔薇が好き。一年生の時からずっとこの庭園で薔薇と過ごしてきたの。春も夏も秋も冬も。花が咲く日も、咲かないときも。それはそれでやるべきことがあって。この子たちはとっても手間がかかる私の子供……ううん、私のご主人さまかもしれないわね」

「だから……辛くはない、と?」

「そうよ」

「……伝説のように、あなた自身が神隠しに会うかもしれなくても、ですか?」

「そうよ」

 有村は、はっきりと頷いた。

「あの神隠しの伝説が本当ならば……そうやってこの薔薇の美しさが維持できるなら、私はこの身を捧げたって構わないって、そう思っているもの。でもね――」

「ひとの生き血なんかじゃ、薔薇は綺麗になりません」

「そういうこと。だから私は、せっせと水をやり、肥料をあげてるってわけ」

 ふうっと困ったようなため息をついて。

「それがみんなには分からないのよ。やれ神隠しだ、やれ伝説だって。薔薇の美しさを維持してきたのは伝説ではなく、伝統よ。先達の知恵と努力だけが薔薇をより美しく輝かせるの」

「わかります」

「ありがと。そういってもらえると助かるわ。みんなもはやくその辺を分かってくれて、薔薇園に戻ってきてくれると良いのだけれど」

「……有村さんは、変わっていますね」

 ほむらは無表情のまま、そう評す。失礼かも、とは思ったけれど、これは彼女の本心からの言葉だった。

「みんなから言われるわ。お前は、薔薇に取りつかれてるって」

「そうですか」

 やっぱり表情のない貌のまま、ほむらは相槌を打つ。
 そして、何気ない口調で問いかけた。

「では、今もしなにかひとつ、なんでも願いがかなうなら。あなたはやはり、「薔薇たちの美しさ」を願うのですか?」

「なんでも願いがかなうなら?」

 有村は一瞬きょとんとした顔をして、それからふふっと寂しげにほほ笑んだ。

「そうね。私は――行方不明になった妹の居場所が知りたいわ」


(5)警察署

 薔薇園の神隠し。
 この学園では、誰もがその伝説を信じて疑っていないようだった。
 密やかに、そして公然と噂される怪談として、ほむらは何度もその話を吹き込まれた。
 おかしな話である。
 有村の妹が行方不明になった。
 彼女は薔薇園の生贄になった。
 これらが両方とも真ならば、今すぐにでも薔薇園を掘り返してみれば良いのだ。
 有村の妹が薔薇園のどこかに埋められているのなら、そうすることでしか彼女を見つけることは出来ないだろう。

「いや、実際、警察とかが入って、掘り返したりしたみたいよ? ひどい勢いでその辺中掘り起こしたもんだから、あとで有村さん、元に戻すの大変だったんだって」

 女生徒はあっけからんとそう言った。

「……それで、見つかったんですか?」

「うんにゃ、見つかってないし。警察のひとたちが、『確かにここに居る筈なんだ』なんて言いながら一生懸命探して。それでも見つからなかったって」

「そうですか……」

 表面上は頷きながら、心の中で首をかしげる。
 薔薇園の神隠しのお話は、所詮は女学生の与太話。
 警察が参考にはしても、根拠もなく真に受けるはずはない。
 にも関わらず、大規模に庭園を捜査したということは、そこになにか根拠になるべきものがあったのだろうか?
 そう問いかけてみたが、女生徒はさあ?と首をひねっただけで、実情を知る様子ではなかった。
 仕方なくほむらは学校を抜け出すと、近くの警察に向かった。
 今までにも何度か銃器を調達したことのある、付近で一番大きな警察署。
 ほむらの住む街を含むいくつかの市町村を束ねるこの場所ならば、有村の妹に関する資料も見つかるかもしれない。
 時を止め、スタスタと資料室へと向かう。
 見上げるほどの書類の山の中、ほむらは適当にあたりをつけて、資料を探った。
 正直、資料室担当の事務員に聞くことができたなら、と思いたくなる程、膨大な作業だった。しかし、事務員は微動だにすることなく固まっている。ほむっとひとつため息を付き、ほむらは書類のページをめくる作業に没頭した。
 そして数時間後。
 彼女が知り得た情報は、次の二点だった。
 ひとつ。
 あの薔薇園の中から、有村の妹のものと思われる髪や血肉のようなものが見つかっている、ということ。
 ひとつ。
 あの庭園のどこにも、有村の妹はいなかった、ということ。
 「髪や血肉」というのは、資料を見ても良く分からなかった。
 なんでも、薔薇園の中の広範囲にわたり、有村の妹のものと思われる髪の毛や、DNAレベルの欠片が見つかっている、ということらしい。
 もちろん、有村の妹もまた造園に携わる学生のひとりだったわけで、その過程において落ちた髪の毛やそれらに類するものが見つかっただけ、ということなのかも知れない。
 しかし庭園の捜査は、それらの発見を根拠に執拗に行われ、それでも結局なにも見つからなかった、ということが記されていた。

「どういうことなのかしら?」

 ほむぅ、とほむらは首をかしげる。
 庭園の魔女の元となる魔法少女は、きっとこの件に関わりを持っている。
 ほむらはそれを直観として確信していた。
 女学生の噂話。
 有村の薔薇に対する献身。
 警察の資料。
 それらの、なにかチグハグな印象の奥に、あの魔女の結界にも似たどろどろとした、不快な空気をほむらは強く感じていた。

「やっぱり、庭園を掘り返すしかないのかしら?」

 その作業の苦労を思い、ほむらは深くため息をついた。


(6)薔薇園

 作業を開始して30分。
 はやくもほむらは心が折れそうだった。
 元々、それほど丈夫な身体をしているわけではない。
 いくら魔法少女経験者であっても、慣れない畑仕事は苦痛以外のなにものでもなかった。
 ただひたすらにスコップを地面に突き立てる。
 足でぐぐっと押しこみ、テコの原理で土を持ちあげる。
 そんな反復作業も、もう限界だった。

「まどか……やっぱり私は……あなたを守れそうにない……」

 がっくりと項垂れたほむらに有村が声をかける。

「暁美さん。あまり張り切って作業をしても疲れるでしょう? そろそろ一旦お休みしたら?」

「そう……させていただきまふ」

 へろへろの身体に鞭を打ち、どうにか水場へと足を運ぶ。
 公然と庭園を掘り返すのは難しかったので、有村の手伝いと称して薔薇園の追肥係を買って出たのが先程のこと。
 水遣りや剪定ではなく追肥やりなどという重労働をあえて申し出たほむらに対し、有村はなぜか一切の異を唱えなかった。
 もしかしたら、ほむらの意図を読み取った上で泳がされているのかもしれない。
 そうは思ったけれど、ほむらにとってデメリットがあるわけではないので、そのまま泳ぐにまかせることにした。

 有村が魔法少女候補……庭園の魔女なのだろうか?

 寂しげな笑みを浮かべる少女。希薄な雰囲気を漂わせながら、その実頑なな心を持って薔薇園の世話を続ける女学生。
 彼女の意思の強さならば、魔法少女になるにふさわしいかもしれない。
 だが、彼女の望みはなんだろうか?
 神隠しにあった妹を見つけること?
 ならば、その神隠しはなんだというのだろうか?

「分からない……」

 もう何度も繰り返した思考を振り切り、ほむらは蛇口からあふれる流水に手を伸ばした。
 ひんやりとした水の圧力が、スコップを握りすぎて熱を持った手のひらを気持ちよく冷やしていく。
 重労働にカラカラに乾いた喉は、一刻でも早く水分を受け入れんとしている。
 冷たく澄んだその水は、見るからにとてもおいしそうで。
 ほむらは両の手を器のようにして水をすくい、そっと唇を寄せた。
 そして――

「ひっ」

 すくった水に浮かぶあるものに気がついて、ほむらは小さく悲鳴を上げた。
 思わず払いのけるようにふるった手に絡みつくのは、数本の長い髪の毛。
 有村と同じ緑がかった美しい黒髪だった。


(7)庭園の魔女

「キミは何者なんだい?」

 大きな満月の下、ほむらは学園の屋上に居た。
 学園内の水道をまかなう大きな貯水タンクの上には、見慣れた白い化け物がちょこんと座っている。

「キュウベェ……やっぱり。あなたなのね?」

 この世界に来てからも、まどかにまとわりつくこの悪魔を何度か殺した。
 けれど、あの街からこれほど離れた場所でキュウベェを見るのは初めてのことだった。

「この場所は誰にも探知されない。誰にも気付かれない。誰も気にしない。そういう願いだったはずなんだけどね」

「……魔法少女はもう、生まれてしまったのね?」

「そりゃぁそうさ。こんな小さな学園内で起きた殺人事件が『神隠し』なんて伝説で誤魔化されて、死体がいつまでも見つからない。そんな奇跡、魔法少女じゃなければ起こすことはできないよ」

「そんなものは――奇跡じゃない!」

「いいや、奇跡だよ。そうじゃなきゃ、気付かれないはずがないじゃないか。貯水タンクの中の死体にも、その貯水タンクから供給される水に含まれる人間の『成分』も」

 ぞろりとはみ出してきた黒い髪。わずかに腐臭を発する濁った水。
 これらは学園内のあらゆる蛇口から漏れ出ていた。
 しかし、この学園内の生徒は誰一人として、それに気がつかない。
 ジャージャーと水を流し、手を洗い、時には口に含んでいた。
 有村などは、妹が浸かっていた水を汲みとり、薔薇園にせっせと撒いていたのだ。
 それはひどく残酷で、悪夢のような出来事だった。

「……そんな願いが……そんな思いが、あなたのいうエントロピーを凌駕したの?」

「うん。ちゃんと魔法少女になってくれたよ。でも、魔法少女としては欠陥でね。願いどおり、事件は絶対に発覚しないって、そう言ったんだけど、信じてくれなくて。どんなにソウルジェムを清浄化しても、すぐにまた濁っちゃうんだ。良く分からないよね。せっかく奇跡の力で綺麗さっぱり切り捨てたはずの絶望に、いつまでも囚われて。勝手に負の感情を増大させていくんだ」

 本当に、人間って不思議だよね

 キュウベェはそういって、ふりふりと長い尻尾を振る。
 ほむらはその白いふわふわを銃で撃ちぬいてやりたくなった。

「で、君は何者なんだい?」

「あなたの因果の向こう側にいるものよ」

 そういってキュウベェを撃ち殺す。何度も、何度も。その身体が肉片に変わるまで、トリガーを引き続けた。

「やっぱり……奇跡なんて……起きないのね」

 うつろな瞳でほむらを見つめていたのは、あの女生徒だった。
 ほむらが廊下を歩いていると、なぜかいつも声をかけてきた少女。
 どこをうろついていてもなぜか付いてきて、「きれいでしょ?」と、その注意を薔薇園に向けさせようとする。
 そして、聞きもしないのに、延々と薔薇園にまつわる噂話を話し続けるのだ。
 少し頭のおかしな子なのかしら、と思っていたが、彼女が魔法少女だったらしい。

「……不安だったのね? 私が……あなたが願いを願った時からズレて現れた転校生だったから。学園の異常に気付いてしまうんじゃないかって」

「キュウベェは気付くはずはないっていったのよ! 魔法少女が起こした奇跡は絶対だって! 有村さんだって、絶対見つかるはずはないっていったのに! みんなみんな、薔薇園に注目して、薔薇園だけにこだわるようになって、それで、貯水タンクには誰も目を向けないって! 絶対、絶対、絶対にっっ!!」

 名も知らぬ女学生は地団太を踏んで、絶対、絶対、と連呼する。
 彼女を包む負の感情が、オーラとなってほむらの目にも見えるようだった。
 ほむらはそれを無視して、貯水タンクの蓋をあける。
 吐き気を催す臭気が漏れだした。
 とてもじゃないが、中を確認する勇気は出ない。

「見るなぁ!!!」

 女学生が、人知を超えた跳躍をもってほむらに迫った。
 手には巨大なハサミ状のものを持っている。
 なぜ彼女が「薔薇園の魔女」となったのか、ほむらは理解したような気がした。

「結局、あなたは有村さんの妹さんが……庭園に眠っていると。あなたに殺されて貯水タンクなんかにいるはずはないって……そう自分を騙してくれることを願ったのね」

 真実をみたくないから。
 だから美しいものを隠れ蓑にして自分を隠し、騙して。
 いつまでも隠れていられるように美しいものを美しいままに。
 そして、秘密は秘密のままに。
 彼女は自らが薔薇園となって他人の目をそらすことを望んだ……

「そんな思いでは……魔法少女ではいられないわ」

 止まった時の中。
 迫りくる女生徒のソウルジェムはすでに真っ黒に濁り切って、所々、ヒビさえも入っていた。

「まどか……ごめんなさい」

 黒いソウルジェムをほむらは撃ち抜いた。


(8)エピローグ

 魔法少女の奇跡は続く。
 例えその元となる少女が死んだとしても、一度起きた奇跡はいつまでも閉ざされた因果の中で効力を発揮し続けていた。

「……いくら庭園を掘り返しても……妹さんは、見つかりませんよ?」

 追肥の袋を片手に、もう一方にはシャベルを握った有村に、ほむらは声をかける。

「……やっぱり、ダメなの……かしら?」

 あの儚げで線の細い身体を竦めて、有村は悲しげにつぶやいた。

「警察はね……この庭園に妹は居ないって。そういったんだけど。それでも私は……あの子がこの庭園のどこかにいるんじゃないかって。どうしてもそう思えるのよ」

 それは錯覚です

 そう伝えたかったけれど、奇跡の因果に囚われた彼女を説得することは、とてもできそうになかった。
 今、例え貯水タンクの死体を見せたとしても、きっと彼女はそれをそれとして認識できない。
 あの白い怪物のもたらす奇跡は、そういったグロテスクで救いようのないものだから。

「ごめんなさい」

 ほむらの声は小さく震えていた。

「どうしてあなたが謝るの?」

 きょとんとした顔の有村に、それでもほむらはただただ謝るだけだった。
 ごめんなさい。ごめんなさい、と。
 それは、救うことのできなかった魔法少女に、因果に囚われた女学生達に、そして、また叶えることのできなかったまどかの思いへの謝罪の言葉だった。





 薔薇園の魔女【完】





[27086] II. 鳥かごの魔女 【完結】
Name: ほむクルス◆0adc3949 ID:2c03faf7
Date: 2011/04/23 02:05
(1)プロローグ

 四方を囲まれた温かな部屋の中。
 少女は今日も静かに身をすくめていた。
 ひんぱんに顔を出すオトコたちは、彼女になにを語りかけるでもなく。
 ただ濁った臭い液体を少女に振りかけていった。
 べたべたとしたそれは、すでに彼女の身体に染みついて。
 過度に摂取されたアルコールとともに、少女のなにかを狂わせる。
 ああ、それでも。
 彼女は独りまどろみの中、夢をみる。


(2)アスカ

 わたしはそのとき、ひどく酔っ払っていた。
 中学生の歳なのに、アル中ばりにぐいぐいと酒を飲む。
 そんなわたしの姿が、お客さんには面白いらしい。
 今日もまた、お仕事の前に、たくさんのお酒を飲まされた。
 けっして嫌いなわけじゃないからって断らないわたしも悪いんだけど。
 女の子がアルコールにおぼれるのがそんなにこっけいなのかしら?
 わたしは足元をふらつかせながら、ふうらり、ふうらりと裏道を歩いた。
 どこに行くあてがあるわけじゃない。
 一休みしたら、適当なオトコのところにでも転がりこむつもりだった。
 お仕事の後だし、お金もある。
 きっと邪険には扱われないことだろう。

「それにしても、むっかつくなぁ!」

 先程の客のへんたいじみた行為を思い出し、わたしは思わず吠えた。
 そして、目の端に入った空き缶を蹴っ飛ばす。
 おもいっきりねらいをさだめたはずなのに。
 ふらつく足ではうまく蹴ることができなかった。
 空き缶はつま先のはしっこをわずかにカスり、カラカラとかわいた音をたてて転がっていった。
 まるで空き缶にまでバカにされているような気分になって、ひどく落ち込んだ。
 上を見上げると、どこまでも暗い闇が続いていた。
 そりゃそうだ。
 ここはビルとビルの狭間の裏通り。
 星を求めて見上げたところで、どこまでもコンクリートの壁があるだけだ。
 それはまるでわたしを囲うオリのようで。
 わたしはそれ以上、星をさがす勇気が持てなかった。
 うつむき、しゃがみ、うずくまる。
 そうやってひざを抱えていると、じぶんがほんとうに世界でひとりっきりな気分。
 この通りさえ抜け出れば、そこには雑踏とネオンの喧騒があるっていうのに。
 そこになじんでしまうことがどうしてもできなくて、今日もみじめにひとりぼっち。
 わたしの名まえはアスカ。
 自由を夢見たバカでおろかでかわいそうな小鳥。


(3)キョウコ

 アスカという名前は、もちろん偽名だ。
 小学生の頃に古本屋で読んだ少女まんがの主人公にあやかって、街をでるときに考えた。
 あの強くてかっこいい少女のように、わたしも自由で、すばらしい人生を送るんだって。
 そういう思いをこめたつもりだった。
 もちろん、たんなる名前負け。
 わたしは、少女まんがの主人公、アスカのとりまきほどにも強くはなかった。
 夢見て羽ばたいた翼は、たったの1日ももたなかった。
 家出の初日にわるいオトコにつかまって、2日めにはウリをさせられてた。

「わたしって、ほんとうにばか」

 ズキズキと痛むあたまを抱えながら、わたしはむなしくひとりごつ。

「大丈夫かい?」

 と、そんなわたしに声をかける人がいた。
 うつむけていた顔をあげると、そこには見たことのある、赤髪の少女が立っていた。
 彼女の名まえはキョウコ。
 わたしと同じく、このしみったれな裏街を住みかにしている女の子だ。
 見た感じ、世代もわたしとおんなじくらい。
 ちょっと目つきは悪いけれど、すっきりと精悍な顔立ちをしている。
 いまでこそダサいフリースなんかを着ているけれど、着飾ればきっとそこらの街のアイドルにだってなれる素材だ。
 もったいない、とも思うし、それで良いんだ、とも思う。

「食うかい?」

 キョウコはそういって、手にした袋からリンゴをひとつ取り出した。
 黙ってうなづくと、ぽいっと投げてよこしてくれる。
 暗がりにも真っ赤に映える、おいしそうなリンゴだった。
 彼女は見た感じ、ウリをやっている感じはしない。
 だったら、このリンゴ、どうやって手に入れたんだろうって思うけれど。
 きっとそれは言わない約束なんだろう。
 彼女は、アスカだ。
 もちろんわたしなんかじゃなくて、少女まんがの主人公の方。
 ひとりぽっちでも戦って、戦って、勝ち抜くだけの力のある人。
 力強く羽ばたいて、自由に空を飛べる大きな鳥だ。
 他人に飼いならされたり、へつらうような、そんな彼女は想像つかない。
 じつは、さっきは「見たことのある」なんて言い方をしたけれど。
 ほんとうは、そんな程度の思い入れなんかじゃない。
 正直にいって、わたしは彼女にあこがれにも似た思いを持っていた。


(4)出会い

 彼女との出会いは、わたしがここに居付いて3カ月ほど経った頃。
 やっとすべての希望をあきらめた頃のことだった。
 その日もわたしはひどく酔っぱらっていた。
 まだ慣れていなかったへんたい的な客のプレイの後遺症もあって、ひどい頭痛と吐き気になやまされて、路地裏をのたうちまわっていた。
 そんなときやっぱり「大丈夫かい?」って声をかけてくれたのがキョウコだった。

 だいじょうぶじゃない

 そんな感じの返事をしたように記憶している。
 結局、意識を失ったわたしを、彼女は自分のヤサまで連れて帰ってくれたのだった。
 それは、ひどくうらびれた教会だった。
 もう何十年もだれも使ってなかったような、そんなガランとした感じ。
 感想をそのまま告げたところ、キョウコはさみしげにほほ笑んで、

「これでもちょっと前までは、たくさんの信者がいたんだぜ」

 と言った。

「お父さんも、お母さんも、妹もいてさ。ここらで一番の教会だったよ」

 そういうキョウコのことばは、まったく誇らしげな様子がなかった。
 聞いたところ、結局教会の運営はうまくいかず、キョウコを残して家族みんな心中してしまった、とのことだった。

「だから、今はひとりで生きてるんだ。いろいろと大変なこともあるけどさ、困った時はおたがい様さ」

 そう話すキョウコの姿はとても悲しげで、でもそんな悲しい思い出を胸にかかえたままひょうひょうと生きていられる彼女がひどくまぶしくもあった。

「わたしたちは、おんなじだね」

 そんなことを言ったけれど、そんな言葉、言ったわたし自身だってまったく信じちゃいなかった。
 結局、その日は彼女とあまり話すこともなく分かれた。
 当時、わたしはどん底で、とてもキョウコのような自立した、カッコいい、似て非なる同類を見ていられなかったのだ。
 でもその後、あの時のことを思い返すたびに、わたしは後悔の念にさいなまれた。
 だってあのときは、あのとき以上のどん底がずぅっと続くなんてこと、知らなかったから。
 あのとき彼女ともっとちゃんと話していれば、今のわたしはもうちょっと変われていたかも、なんてことを考えたりもしちゃったのだ。


(5)お星様

 しゃりしゃりとリンゴをかじる。
 歯ぐきから血が出た。

「……ちゃんと野菜、取ってるのかい?」

 キョウコはうずくまったわたしの目の高さまで身をかがめ、じっとわたしの全身をみまわした。

「なんか、前にあったときよりも不健康そうだぞ」

 そりゃあ、そうだよ。
 今じゃ、わたしの身体の半分はアルコールで、もう半分は、オトコのあれで出来てるからね。
 けらけらと笑ったけれど、キョウコはにこりともしてくれなかった。

「しかたないじゃん。わたし、あなたとちがって、ものをぬすんだりできないし。酒飲んで、オトコあさって。そうしないと生きていけないんだもん」

「そんな生活、楽しいかい?」

 楽しいわけ、ないじゃない。

 そう答えたかったけど、なぜか言葉がでなかった。
 結局あいまいにほほ笑んで、わたしはまた、うつむいた。
 キョウコもまた黙ってわたしの隣に座る。
 わたしたちは、ならんで暗い闇を見上げた。

「ほし、見えないね」

「まあ、曇りだしな」

 キョウコの言葉は夢がない。

「わたしの住んでたところってさ、結構空がきれいでさ。星なんて数え切れないくらいみえたんだよ」

「へぇ。ここだって都会とは言い難いけど、星はあんまりみえないなぁ」

「……ここの空もさ、わたしの住んでたとこの空とつなかってるのかな?」

「そりゃあ、そうだろ」

 キョウコは軽くそういったけれど、わたしにはそんなこと、とても信じられなかった。
 だって、あの頃はあんなに見えたお星様が、ここに来てから一度だって見えたことがない。
 いつみても、いつ見上げても。
 見えるのは、まっくらな闇とコンクリートの壁ばかり。
 そりゃぁ、そうだよね。
 わたしの頭の上には空がないんだから。
 鳥かごに囚われた小鳥の上にあるのは、せまいかごの天井にきまってる。

「もういちど、あの星空を見たかったなぁ」

 そう呟くと、キョウコは空を見上げたまま、

「だったら、帰れば良い」

 と言った。

「あんたにゃ、帰れる場所がある。ここでの生活が辛いなら、無理せず親元に帰るってのも良いと思うよ」

 キョウコの言葉は、わたしをひどく傷つけた。


(6)理 由

 わたしが家出をした理由は、今思うととてもちっぽけで、バカバカしいくらいに小さなことだった。
 たしか、学校の成績のことで両親から責められた、とか、ちょっとお小遣いの無駄遣いをたしなめられたとか、そんな感じ。
 当時のわたしは、なにをやるにもまわりからあーしろ、こーしろ言われるのがひどくきゅうくつで、不当に鳥かごに閉じ込められてるんだ、なんてことを考えていた。
 このままじゃ、わたしはダメになっちゃうって。
 当時は、ほんとうに真剣にそう思ったのだ。
 今ではちゃんちゃらおかしいけどね。
 空を飛ぶちからもない小鳥の羽を守るための保護と、束縛するだけの監禁の区別もつかないほど頭の弱かったわたしは、こっそりと、だまって親の庇護から抜け出して、結局自分の非力さ、愚かさを思い知らされただけだった。
 そんなんだから、今の生活はかなしいだけ、つらいだけ。
 もしも変えることができるなら。
 もしも帰ることができるなら。
 そう思ったこともある。
 だけど。

「帰れるわけないじゃん」

 わたしはふるえる声を押しかくし、なるべく険のある声で答えた。

「わたし、だまって出て来ちゃったんだよ? それにもう、10カ月も経っちゃった。パパやママだって、もうわたしのことなんかおぼえてないよ」

「そんなのわかんないだろ? 黙って出てきたってんだったら余計にさ」

「わかるよ。パパもママも、わたしがいなくなって清々してる。だって、わたしバカだったし、言うこと聞かなかったし、ガッコの成績だって悪かったし……」

「でも、いなくなって良かったって思われるほど、ダメだったわけじゃないだろ?」

「……そんなのわかんないよ」

 わたしはなんだか悲しくなった。

「それにね、わたし、こんなじゃない?」

 キョウコにもみえるように両手を広げてみる。
 不健康にふとった身体。
 ちょっと前まで中学生やってたとは思えない、けばい化粧と派手な服。
 しょっちゅうお酒を飲むせいで、ほっぺたはいつでもまっかっか。
 みるからに、ふしだらで、いやらしい売女だった。

「パパやママだって、こまっちゃうよ。こんなむすめが帰ってきたって」

「そうでもないさ」

 キョウコはあくまでも、気負いのない言葉でそういった。

「そりゃ、取り返しのつかないところもあるかもしれないけど、そこは人それぞれだろ。今までの行いを水に流してくれる親だっているかもしれない」

「許してくれないかもしれないじゃない」

「そんときゃ、それだよ。『いらない』って言われたんだったら、こっちからも三行半叩きつけてさ、一発二発殴ってからここに帰ってきたら良い」

 キョウコはこぶしを固めてそんなことを言った。

「どうせ、あんた、親をぶん殴ったことなんてないだろ? 子供をいらない、なんてことをいう親がいたら、そりゃ、ぶん殴ってやるべきなんだよ。勝手に産んどいていらない、なんて道理はないだろ? そういった道理を通してくりゃぁさ、少なくとも今よりかは、ここの生活も楽になるんじゃねぇの?」

「あはは、キョウコは過激だねぇ」

 わたしがそういうと、キョウコはちょっと嬉しそうだった。

「あたしにモノを教えてくれたのは、お父さんだからな。ここらでも結構有名な説法家だったんだぜ」

「それで、人をみたらぶん殴れって?」

「まあ、そんな感じ。あんまりにも偏った教えだったもんだから、教会から異端あつかいされちゃったけどな」

 そういって、キョウコは笑った。
 わたしもつられて笑いそうになって、でもどうしても笑えなかった。
 代わりになぜかぽろぽろと、涙がいくつも流れ出た。

「そうやって、パパやママに会えたら、どんなに良いだろうね」

「……だから会ってくればいいじゃないか」

「ダメだよ」

 わたしはふるふると首を振った。

「わたしはね、たんなるバカでおろかな小鳥じゃないの。つかまって、飼われてるみじめな小鳥。死ぬまで歌って、踊ってないといけないの」

「……どういうことだ?」

「わたしね、家出した日に、オトコに言い寄られてさ――」

 そのオトコは、ヤクザまがいの売春あっせん業者の末端だった。
 あっという間に、元居た住所から両親の名まえ、中学の名まえまで押さえられた。
 逃げ出したりしたら、地元にまで追いかける。
 そう言われてしまっては、わたしはもう、どうすることもできなかった。

「だからね、わたしは帰ることはできないの。パパにもママにも、もうこれ以上、迷惑はかけたくない……」

 わたしはさめざめと泣いた。
 ここへ来てからひと月ばかり、毎日泣いていたあの頃のようにただひたすらに、えんえんと。
 キョウコはその間、ずっとわたしの隣に座って、わたしが泣きやむのを待っていてくれた。

「よくわかった」

 わたしの涙が枯れた頃、キョウコはそういって立ち上がった。
 わたしを振り返って、にやりと笑う。

「あたしが、あんたを助けてやるよ」


(7)奇 跡

 キョウコの言葉は、その場限りの単なる気休めなんかじゃなかった。
 次の日には、わたしを捕らえていたオトコのヤサに乗り込んで、問答無用でぶん殴った。
 オトコのバックにいた本職のヤクザ連中がやってきても、そいつらもまとめてぶん殴った。
 その剣幕があまりにも凄かったから思わず止めに入ったわたしもまた、ぶん殴られた。
 そして、その日の夕方には、わたしをさんざん苦しめたオトコたちが、わたしの前に並んで土下座をしていた。

「これがアスカの学生証と、ハメ撮りのネガです。はい。もちろん、他の情報や、客との関係も清算してます。はい、もう二度とこんなことはありませんから!!」

 あれほど恐ろしかった連中が、ぺこぺこと頭を下げる。
 父親ゆずりのキョウコの説法っていうのは、本当にすごい。
 でも、残念ながら、教会から異端扱いされたっていうのも分かる気がした。

「で、どうするんだい?」

 すべてが終わってから。
 キョウコはやっぱりひょうひょうとそんなことを聞いてきた。

「一度、家に帰ってみる」

 わたしは胸をはって、そう答えた。
 キョウコの説法は、ちょっとだけ、わたしにも勇気をくれた。
 もしもパパやママに拒絶されたなら、そのときはぶん殴って、今度こそちゃんと別れを言ってから出てこよう。
 そう開き直れるくらいには、わたしも彼女の教えを理解できたらしい。

「そっか」

 キョウコは自分のことのようにうれしそうにわらってくれた。

「やっぱ、ひとりはさみしいからな」

 頑張ってきなよって、そういって、彼女は独り、路地裏から消えた。
 わたしは、彼女が消えた先にむかって、いつまでもいつまでも頭を下げ続けた。
 わたしの影がながーく伸びて、あたりが暗くなるまでずっと、ずっと。
 ぽろぽろとこぼれる涙がいつまでも止まらなくって、顔を上げることができなかったんだ。

「……これじゃ、ダメだよね」

 ようやっと、わたしは前を見た。
 今までと同じ、コンクリートの壁がえんえんと続いている。
 だけどその先に、ほそい光の線がみえていた。
 この路地をあるききれば。
 あの頃のようなまひるの太陽の下はあるけなくても、もうすこしは明るくて、もっとさみしくない世界がわたしを待ってるんだって。
 そう思うことが、今ならできた。
 それは、奇跡のような、魔法のような出来事で。
 奇跡だって、魔法だってあるんだよって、そう、キョウコが教えてくれたような気がした。

 わたしはゆっくりと足をふみだした。
 あと数歩、あと10メートルほどもすすめば、わたしはこの路地裏から抜け出せる。
 そうすれば、きっとわたしは生まれ変われる。
 一度は失敗しちゃったけど、きっとまだ、手遅れなんかじゃない。
 だって、奇跡だって、魔法だって、あるんだから。
 何度だって、何回だってわたしはやり直せる!
 今なら、こんなわたしにもあの頃の星空がみえるかもしれない。
 そう思って見上げた視界のすみに、小さな白い物体がみえた気がした。
 なんだろう?って思って、あらためて見直すと、それは小さなぬいぐるみのようだった。
 かわいらしいのに、なぜかひどく不吉なものに見えた。

「あなたは……なに?」

 わたしの声に反応したのか、その奇妙なぬいぐるみは、ぴょんっと目の前に飛び降りてきた。
 なんか怖い。

「どいてよ。わたし、これから行かないといけないところがあるの」

 わたしはなぜか、ひどく切実な気持ちでうったえた。
 ぬいぐるみの向こう側にはひかりがあった。
 でも、さっきまではあんなに近くに見えたその世界が、いまでは昨日までとおんなじくらいとおく、はるかな地平にかすんでしか見えなかった。

 そんなはずはない

 わたしは、キョウコに力をもらったんだから。
 奇跡も魔法もあるんだって、そう教えてもらったんだから。
 だから――

「どいてよっっ!!」

「それが、君の願いかい?」

 その白いあくまは、ふさふさのしっぽをふりながら、そういった。


(8)契 約

「合格だよ。君の願いは、エントロピーを凌駕した。おめでとう、おめでとう」

 ぬいぐるみはそういってぴょんぴょんとわたしのまわりをとびはねる。
 なにがなんだかわからない。
 ただ、ひどく不安で、不安定で、どうしようもなくおそろしかった。

「なにを……言っているの?」

「なにって、あれさ。今、新しい魔法少女が生まれたんだ。僕もたくさんの魔法少女と契約したことがあるけれど、こんなことははじめてさ。すごい才能だよ!」

 すごい、すごい、ととびはねる。

「なにを言ってるのって、聞いてるの! なによ、魔法少女って? なによ、契約って?」

 わたしはけっとばそうと足をふりあげたけど、あっさりとかわされた。

「乱暴だなぁ」

 ぬいぐるみはあきれたように首をふり。

「僕の名まえはキュウベェ。少女と契約して、奇跡を与える存在さ」

「奇跡?」

「そうさ。その代わり、魔法少女として、魔女と戦ってもらうけどね」

 キュウベェと名乗るそのぬいぐるみの言っていることは、まったく意味が分からなかった。

「少女とけいやくって……あなた、わたしとけいやくしたいの?」

 だとしたら、来るのがちょっとばっかり、遅いんじゃないだろうか?
 昨日までのわたしならたくさんの願いがあったけど、今のわたしは、ただ、路地の向こうまで行ければそれでよいのだ。
 そのくらい、このよくわからない生物のお世話になるまでもない。
 キョウコにもらった奇跡と魔法だけで、きっとわたしは歩いていける。

「わたし……あなたなんかに奇跡をもらう必要ないわ」

 そういったけれど。
 キュウベェはふりふりと大きなしっぽをふりながら。

「契約はもう、成立したよ。僕は君の望みの通り、君をずうっと閉じ込める。君が望む鳥かごの中に」

 だから、君は魔法少女になるんだ

 キュウベェのセリフと同時に、わたしのからだが燃えるように熱くなる。
 にえたぎったお酒をどくどくと注がれるような、そんなひどい痛みがお腹をおそった。

「なに? なんなの?」

 身体の変化に、わたしはただただ恐怖する。
 わたしの中に、なにかが生まれている――
 その感触が、わたしをさらなる混乱に陥れた。

「いやっ! いやっ!!」

 どんなにわたしが拒絶をしても、身体をおそう変化の波はとまらなかった。
 止めてと懇願しても、ごめんなさいってあやまっても。
 キュウベェはただ、感心したようにわたしをみるだけだった。

 ううんちがう。

 そいつは、わたしのことなんか、みていなかった。

「おめでとう、あたらしい魔法少女。名もなき小さな女の子」

 ぱたぱたと耳をふりながら。

「これは、初めてのケースだよ。人間の世界での定義に照らすと、この世に生命をまだ受けるその前に。母体に囚われたその状態で、エントロピーを凌駕するだけの自我と願いをもつなんて」

 え?

 キュウベエの言葉にわたしは、頭が真っ白になる。

 ……なんて……いったの?

「一応、母体であるところの君にもおめでとう、って言っておくよ」

 わたしの問いかけるような視線に気がついたのか、そいつははじめてわたしを見た。

「……母体、ってなに?」

「君のことだよ。気付いてなかったのかい? 君は、君の子宮の中に、まどかほどじゃないけれど、成長すればきっと、まどかに迫るほどの才能をもった少女を宿していたんだよ」

 残念なことに、生まれる前に契約しちゃったけどね

 そいつは、無表情のまま、それでもひどく残念そうに見えるしぐさで首をふった。

「子宮って……あかちゃん? わたしの中に?」

 わたしは、ただただこんらんした。
 確かに、家出をしてから、一度も生理にならなかった。
 でもそれは、仕事の前に飲まされるピルのせいだとばっかり思っていた。
 お腹だって、ちょっとは太ったように思えたけれど、妊娠しているなんて考えもしなかった。

「人間には時々居るらしいね。妊娠しても、お腹があんまり大きくならない個体が。不思議だよね、個体によって、その所作が異なるなんてさ」

 白いぬいぐるみが勝手なことを言っている。
 でも、わたしは、それどころじゃなかった。

「わたしのお腹の中に赤ちゃん? いつ、どこで、だれの? やだ! そんなのいらない!!」

 わたしは狂わんばかりに叫んだ。
 だって、わたしはこれから家にかえるんだ。
 こんなくさった生活を抜け出して、もう一度、もう一度あの頃の世界にかえるんだ。
 それなのに、お腹の中に赤ちゃんなんかいたら――

「いらないっ! いらないっ! いらないっ!!」

 わたしはドンドンとお腹を叩いた。
 もう一度だけ、キョウコの奇跡を起こせるように。
 キョウコの魔法が、このお腹の中の子供を殺してくれることを願って。
 でも――

「君の願いは、エントロピーを凌駕しないよ」

 キュウベェはつまらなそうに呟いた。

「エントロピーを凌駕した奇跡はひとつ。いつまでもお母さんのお腹の中にいられますようにっていう少女の願い。それだけさ」

 いつまでも。
 ワタシのおなカのなかニ?
 子宮に感じる他人の重みに、わたしは絶望した。


(9)鳥かごの魔女

「遅かったね、暁美ほむら」

 わずかに欠けた月の下、ほむらはキュウベェと対峙していた。
 路地裏の、饐えた様な臭いが充満した、とても不衛生な場所だった。
 そこにはキュウベェと、そしてひとりの虚ろな目をした少女が居た。

「その子が……新しい魔法少女なの?」

 眉をひそめたほむらの問いかけに、キュウベェはふるふるとしっぽを振った。

「違うよ。魔法少女は、彼女のお腹の中さ」

「お腹の……ってまさか! ありえないわ!」

「暁美ほむら。君も常識にとらわれてるね。どうして、お腹の中の赤ちゃんじゃ、契約できないって思うんだい? 僕らには言葉は必要ないんだよ。ただ、才能と、適正、そしてエントロピーを凌駕するだけの強い思いがあれば、年齢なんて関係ないんだ」

「でも! でも、魔女狩りはどうするの? お腹の中の赤ちゃんに、グリフシードを手に入れるすべはない!」

「そりゃ、そうだろうね。でも、それは仕方ないよ。彼女の願いは、『いつまでもお母さんのお腹の中にいられますように』っていうものだったから。外に出てこれない以上、グリフシードは集められないし、早晩、魔女になっちゃうだろうね」

 キュウベェはやっぱり淡々とそう言った。
 いつも通りの無慈悲な所作に、ほむらの血液が沸騰する。

「きゅぅぅぅべぇぇぇぇ!!!」

 ほむらの我慢は限界だった。
 魔法少女の候補者を見つけることができなくて、結局、キュウベェの後を追いかけるという後手に回ったのが運のつきだった。
 こと魔法少女との契約、という点では、一個にして多、多数にしてひとつの存在たるキュウベェを出し抜くことなどできなかった。
 散々、追いかけっこをさせられた上でのこの結末に、ほむらは自らの感情を制御できなくなっていた。
 真っ赤に焼けた頭の中で、ただ、今までの魔法少女たちが受けてきた苦痛、屈辱、恐怖を思いながらトリガーを引いた。
 何度も、何度も。
 白いその物体が、肉片になってもまだ、ほむらは引き金を引き続けた。

「あははははぁぁぁぁぁ」

 傍らの少女が、奇妙な声で笑っていた。
 焦点の合わない瞳で宙をみつめ、いらない、いらない、あかちゃんなんていらない、と呪詛のように呟いている。
 ひどい絶望と負の感情。
 少女のつぶやき毎に、彼女のお腹のあたりが黒く、まがまがしいオーラで覆われていった。

「まさか……母親の負の感情に、お腹の中の赤ちゃんが反応してる!?」

 ほむらは呆けた少女に駆け寄ろうとして、しかし足が前には出なかった。
 彼女に手を差し伸べてどうなるといのだろうか?
 魔法少女はお腹の中だ。
 外へ出てきてもらうこともできないし、そのソウルジェムを浄化することもできはしない。
 結局、お腹の中の魔法少女が魔女と化し、少女の身体を突き破るまで。
 ほむらには、どうすることもできなかった。

「……たすけて……」

 それは、少女の言葉か、ほむらの言葉か。
 路地裏の風に流されて消えていくことが定めの小さく空しい願いだった。


(10)エピローグ

 キョウコは、今日もひとり、路地裏を歩いていた。
 ここ最近、アスカと名乗った少女の姿は見ていない。
 きっと、あいつはあいつで、自分の世界に帰っていったのだろう。

「よかったな」

 ビルの隙間から見える空を見上げて、キョウコはひとり呟いた。
 正直、ちょっとうらやましくもあった。
 けれど、キョウコは自分の生き方をもう否定しないことに決めていた。
 だから自身の境遇とは切り離し、純粋にアスカの将来を祝福してあげることができるつもりだった。

「ひとりじゃ、寂しいもんな」

 例え彼女が帰った先で、誰からも受け入れてもらえなかったとしても。
 キョウコだけは、彼女の幸せを願っている。
 だから、あの星空にあこがれた少女が、今はもっと広くて、明るい場所で。
 おんなじ空を見上げていることを、キョウコは強く、強く願った。






鳥かごの魔女【完】










[27086] III. 箱の魔女(その1)
Name: ほむクルス◆0adc3949 ID:2c03faf7
Date: 2011/04/23 03:35
(1)プロローグ

 まとわりつくような不快な空気が充満したその空間で、暁美ほむらは信じられない光景を目撃した。
 隔絶された異界の中心に位置する一匹の化け物。魔女と呼ばれるそれは、歪んだ体躯をイビツに軋ませながらもがき、苦しんでいる。幾匹もの魔女を打倒してきたほむらには、見慣れたまではいわないけれど、すでになじみの光景。
 だが、その周囲にあって、魔女に苦しみを与えている2人の存在が、ほむらの基準からすると異様、異質なものだった。
 ひとりが白いリボン状のもので魔女を拘束し、もうひとりが鋭利な得物で敵を切り裂く。魔女もその使い魔も、その見事な連携の前には為すすべもなかった。
 あっと言う間にすべてが拘束され、切り裂かれ、貫かれた。
 彼らがほむらと同じ魔法少女であったならば、ほむらはその流れるような連携を純粋に賞賛していただろう。
 しかし、彼らの容姿は、「魔法少女」というにはあまりにもトウが立ちすぎていた。しかも、ひとりは少女どころか、そもそも性別が女に見えない。魔女を圧倒するそのペアは、ふたりそろって少なく見積もっても30代後半、ほむらの両親とそう年が変わらぬようにみえた。
 魔法少女だけが戦うことを許された異空間。そんな魔女の結界の中、中年の夫婦然とした二人組が自由自在に飛び回っていたのである。
 何度となく魔女との闘争を繰り返してきたほむらではあったが、少女ではない存在が魔女を倒すのをみたのは初めてだった。
 ほむらが呆然と見つめる中、その二人組はただ粛々と魔女を打倒し、こぼれ落ちたグリフシードを回収する。
 きらきらと崩れていく結界の欠片の向こうで、男がひょいっと箱のようなものを持ち上げた。荒い籐で作られた一抱えほどの大きさのバスケットケースだった。
 ほむらに気づいていたのか、いないのか。
 彼女を振り返ることもなく、ふたりは夜の闇へと消えていった。
  

(2)奇跡の少女

 奇跡の少女。
 巴マミはかつてそう呼ばれていたことがある。
 100名を超える死傷者を出したXX山麓で起きた多重玉突き事故。
 「峠の惨劇」と呼称されるその大事故において、ほぼ中心に位置しながら傷一つ負うことなく生き残った少女の生還劇は、その事実だけで世間の耳目を集めるに十分だった。
 かてて加えて、その生還者が見目麗しい中学生の少女であり、また、同時に惨劇に巻き込まれた両親はそろって死んでしまった、という悲劇が華を添えた。
 押し寄せる報道機関、セラピスト、怪しげな宗教団体。
 結果、少女は出自を隠す隠遁生活を余儀なくさせられることとなった。
 今、彼女がひとり暮らしをしているのは、決して孤児となった彼女を引き取った親族が、彼女を冷遇したからではない。
 侵害される人権の保護のため、彼女の心優しき保護者たちはあえて彼女を身元から遠ざけるという選択をした。
 そして、巴マミもまた、感謝の念をもって孤独な一人暮らしを受け入れた。
 それは、奇跡の生還の代償として生じた義務を遂行するにあたり、一人暮らしという環境が好都合であったことも無関係とは言えなかった。
 しかし、その感謝のありようの主なところは、親の愛情をいっぱいに受けて育った巴マミが、彼女を保護してくれている親類の思いを曲げることなく真摯に感じ取り、感謝し、享受したことにあった。
 巴マミは、ひどく不幸な少女ではあったけれど、その清廉な心のありようはまっすぐに、いかな惨劇、苦役をもってしても決して曲がることはなかったのである。

 今日もマミは起床するとまず仏壇に手を合わせた。あの惨劇の日以来、欠かすことのない日課のひとつだった。
 両親の冥福と、今、こうして生きていることへの感謝の言葉を小さく呟く。
 独り残されたことを寂しく感じないことはなかったけれど、命をまっとうしていることへの喜びがそれに勝った。
 彼女は、あの事故の最中、契約の定めにより命を長らえた。
 その救いをもたらしたのはキュウベェと名乗る小動物であったけれど、マミは、彼女の両親が彼女を助けるために、いまわの際にその生物を寄越したのだと信じていた。
 愛されることしか知らなかった幸福な少女は、両親の死という現実を前にしても、その愛を疑わず、愛されていたということをただただ実感することができたのである。

 ひととおり祈りの言葉を捧げ終えると、てきぱきと朝食の準備を進める。その合間にゴミをより分け、朝刊に目を通し、広告のチェックを行う。あまり来ることはないが、郵便物もいくつかあった。
 保護者となっている親族のもとから、より分けられたいくつかの書類、頼りが時々届く。
 マミが手に取った一葉のハガキもそのひとつだった。
 「巴マミ様」と記されたそれには、彼女との面会を求める文章が書かれていた。通常であれば親族の元でより分けられ、捨てられるたぐいのものであったが、その差出人・内容を鑑み、マミの手元まで届けられることになったのだろう。
 差出人の名前は「井佐美エリカ」。
 マミと同じくあの事故に巻き込まれ、生き残った少女のひとりだった。


(3)病 院

 ほむらは数日前に退院したばかりの病院に戻ってきていた。
 三つ編みに縁の太いめがねを付けた野暮ったい少女の容姿をしていた。
 繰り返す一ヶ月の中で、ある時を境に捨てたかつての自分。無力で、運命になすすべもなく翻弄される愚かな自身の象徴であるその姿をあえて再びさらしたのは、病院に来るにあたり、関係者に覚えのある姿形の方がいろいろと都合がよいだろうと考えてのことだった。

「……」

 容姿に似合わぬ落ち着いた仕草であたりを見回すが、彼女が探す姿は当たり前ながらそこにはなかった。
 ほむらがまどかの警護を中断してまでこの病院に来た理由は、昨日みかけた奇妙な2人組をどこかで見たことがあるように思えたからだった。繰り返す一ヶ月のせいでおぼろげにしか記憶に残ってはいないけれど、それは本来であればあまり遠くもない過去のはずだった。
 ここ最近、ずっと入院していたほむらが見覚えがあるとしたら、それは病院の内部での出来事であろう。
 そう解釈したほむらは、こうして病院に来てみたのだった。
 もちろん、そう都合よくあの2人組に出会えるわけもない。
そうは覚悟していたが、まさか予想だにしない人物と出会うことになるとは、それこそ想定の外だった。

「巴マミ……」

 特徴ある巻き髪と、すらりと伸びた背筋。そしてそれによりさらに強調される大きな胸は、確認するまでもなく彼女のよく知る魔法少女のそれだった。

「あら?」

 あちらも気づいたらしい。

「あなた確か……」

「暁美ほむら、よ」

「そうだったわね。先日会ったときとは様子がだいぶん違うから、人違いかと思っちゃった」

 マミはにこにこと邪気のない笑みを浮かべている。
 そういえば、今のほむらは入院中の三つ編みにめがね。
 ぼうっとせず、即座に顔を逸らしていれば、気付かれなかったのかもしれない。

「暁美さん。あなた、なにをしているの?」

 探る、というよりも純粋に興味からの問いかけ。
 ほむらは小さくため息をつくと、ウソをついた。

「私は、つい最近までこの病院に入院していたの。今日は退院後の最終検査とご挨拶よ」

「まあっ、最近までこの病院に?」

 マミは大げさに驚いて。

「それは、退院おめでとう、というべきかしら?」

「結構よ」

「……キュウベェとの契約は関係あるのかしら?」

「まったく、完全に無関係よ」

 切って捨てるような物言いに、マミは小さくため息をつく。

「暁美さんは、どうしてそう、つっけんどんなのかしら?」

「この性格は生まれつきよ」

 またひとつウソをついた。
 魔法少女のカラクリを知るほむらからすると、この純粋で愚かな先輩の相手をするのは非常に面倒くさい。口を開けば、ウソと反論、糾弾の言葉が出てしまいそうになる。
 ほむらは、むーっと不満げなマミからさっさと逃げ出したい気分になった。
 だがその前に、ひとつだけきいておかなければならないことがある。
 昨夜の正体不明な2人組のことを思い出しながら。

「巴マミ。あなたの身体のどこかが悪い、という話は聞いたことがないわ。あなた一体、なにをしにこの病院に?」

「あら? わたしのこと、気にかけてくれるの?」

 生来の構ってちゃんなのだろう。
 ほむらが自分のことを聞いてくれたことがひどくうれしかったらしい。
 沈んでいた表情がぱっと華やぎ、ニコニコと笑みを浮かべた。

「私はね、昔の馴染みっていうか、縁のあった人を訪ねに来たの」

「昔の馴染み?」

「そう。とは言っても、面識はなかったんだけどね」

「?」

 クエスチョンマークを浮かべるほむらを楽しげに見つめて、マミはゆっくりと口を開いた。


(4)悲劇の少女

 井佐美エリカは、マミとは対局に位置する悲劇の少女だった。
 年の頃はマミと大きく変わらない中学2年生。
 彼女もまた、両親とドライブに出かけた帰りに「峠の惨劇」に巻き込まれた。それほど危険な位置にいたわけではなかったが、ちょうど寝入っていたこともあり、逃げ遅れ、大けがを負うこととなった。両親はなんとか無事だったものの、彼女は未だに入院を続けているという。

「私も事故に巻き込まれた口だから。あの時の被害者の名前とか状況とかは自然と耳に入ってきてたの。井佐美さんは、一時期生命も危ぶまれたらしいのよ」

 マミは悲しげに、頬に手を当てた。

「彼女に魔法少女の奇跡があったら、そんな境遇も跳ね返せたかもしれないのにね」

「……」

 ほむらは無言だった。
 マミも特に同意を求めたわけではなかったらしい。
 悲しげな表情を崩すことなく、話を続ける。

「先日彼女からハガキを受け取ったの。『会ってくれませんか』って。で、特に断る理由もないから、今日、彼女が入院しているこの病院に来たってわけ」

 まさか暁美さんと会うとは思わなかったけど、とマミは再び微笑んだ。

「……どうして、その『井佐美エリカ』はあなたに会いたいなどと言ったのかしら?」

 個人的な邂逅だ。そのまま流してしまってもよかったけれど、なんとなく気になって問いかける。
 ほむらの言葉に、マミもまた小さく首を傾げた。

「どうして、と言われても困るのよね。私も不思議に思って彼女に聞いたのだけど、よく分からなくて。『体調が良くなったから、奇跡の少女に会ってみたくなった』って言っていたわ」

「奇跡の少女?」

「古い呼び名よ。私が昔、そう呼ばれたことがあるの。絶体絶命の状況から無傷で助かったから」

 マミの言葉に、ほむらは小さく頷いた。
 確か、巴マミがキュウベェと交わした契約は「自身の生命の危機からの脱出」だったはず。
 魔法少女を代償として叶えられる願いは、まさに奇跡。
 マミが契約したことでもたらされた奇跡は、さぞかし世間を騒がせたことだろう。

「あの時は大変だったわ。いろんな人が『奇跡だ』『いや、イリュージョンだ』って騒ぎ立てて。まあ、ちょっと隠れたら、すぐに騒がれなくなったけどね」

「それで、あなたと会って『井佐美エリカ』はなんと?」

「ああ、あなたが巴マミさんなのねって。なんか感慨深げに呟いてたわ。それで、二言、三言、お話して分かれたの」

「……それだけ?」

「そう、それだけ。あっという間にご両親が入ってきて、『もうそろそろ……』なんていうのよ」

 拍子抜け、といった体のほむらに、マミもまた同意の表情を示す。

「なにをしたかったのかしら?」

「それは私が聞きたいわ」

 心底不思議そうに、マミは首を傾げた。
 せっかくかつての同胞に呼び出され会いに来たというのに、特に先方に目的はなく、ただ顔を見せただけで追い返される。
 それは理不尽といっても良い扱いだった。

「井佐美さん、ベッドに身体を横たえたままでね。『体調がよくなった』って言っても、まだ身体が直ったって感じじゃなかったの」

「あなた、まさか、キュウベェのことを話したんじゃないでしょうね?」

「あら、いけなかったかしら? 『あなたはどうして無事だったの?』って問いかけられたら、キュウベェとの契約のこと、話さないわけにはいかないじゃない」

 無邪気な笑みにちょっとした悪意を込めて。
 マミは澄まし顔でうそぶいた。
 ほむらがキュウベェに好意を持っていないことを見越しての、ちょっとした意地悪のつもりだろう。

「『あの事故のとき、私は奇跡をもたらす生物と出会ったの』って。それで、『魔法少女になる代わりに、命を助けてもらったのよ』って伝えたわ。彼女、ぽかんとして、それからおかしげに笑ってたわ」

 くすくすとマミも笑う。
 普通の人が聞いたところで戯れ言にしか聞こえない真実。
 しかし、マミの口からこぼれた『井佐美エリカ』の様子に、ほむらはなんとなく嫌な響きを感じ取っていた。
 
 なぜ、『井佐美エリカ』は、この悪質にすら聞こえる戯れ言を、怒りもせずに笑ったのだろう?


(5)井佐美エリカ

 井佐美の部屋は、病院の奥まったところ。超長期の入院患者が収まっているスペースにあった。
 そこは長期の入院をしていたほむらの部屋のあった場所よりもさらに奥の「楽園」と呼ばれる一角だった。

 そこに入ったものは二度と出てくることはかなわない。

 楽園などとよく言ったものだ。
 一時期、そちらに回されるのではないかと恐れたこともあるほむらからしたら、そのネーミングは冗談にしても悪質にすぎるように感じられた。
 コツコツと足音を響かせながら、長い廊下を進む。外来の人間が歩くには不自然なほど、静かで誰もいない廊下だった。
 途中用件を問う警備員の姿があったが、それは時間を止めることでスルーする。部屋の前の名札をいくつかのぞき込み、ようやく目的のそれを発見した。

「井佐美エリカ」

 巴マミの話の後、どうしても彼女のことが気になった。
 もしも彼女がすでにキュウベェと出会っており、あの白い悪魔から巴マミのことを聞いたのだとしたら。
 それはひどくありそうな話だった。
 今日のマミとの面会により、キュウベェとの契約が後押しされるようなことがあってはならない。ほむらは、キュウベェと契約する前に井佐美に会い、その思いを覆させなければならなかった。
 ひどくお節介な話ではあるけれど、大切な友達との約束である以上、首を突っ込まないわけにはいかないのだ。
 彼女の親友はびっくりするほどのお節介で、世界中の不幸をなくしたいなどと夢見るようなお人好しだったから。
 彼女の願いの一端を肩代わりすることを誓ったほむらとしては、それは避けることのできない義務であり誓約だった。

 部屋の扉に鍵はかかっていなかった。
 日当たりの良いその病室は、真っ白な壁とシーツとカーテンにすっぽりと覆われていた。そして窓際にはデスクトップの箱型パソコンが一台。
 それ以外にはなにもない。
 テレビも花もタンスも絵画も。
 場違いなパソコンを除き、目を楽しませるようなものはなにも見ることができなかった。
 不純物のない白い部屋は、一個のおもちゃ箱を想起させた。
 ミニチュアの箱の中に作られた小さな隔絶された白い世界。
 その中心にぽつんとベッドがひとつ置かれており、真っ白なシーツの先から小さな頭がちょこんと飛び出している。
 長い黒髪を赤いリボンでツインテールにまとめている。細めの顔立ちに、大きく見開かれた目が特徴的だった。
 少女はまっすぐに天井を見つめたまま、口を開いた。

「誰?」

 と。
 気配を消して入ったつもりだったが、狭い部屋の中の出来事だ。あっさりと気取られたらしい。

「巴マミの知り合いよ」

 ほむらの言葉に、少女は、へぇ、と感嘆の声を上げた。

「あなた、本当にマミさんの知り合いなの? あの巴マミさん?」

 相変わらず天井を見つめたまま、少女はなにがおかしいのかクスクスと笑った。

「じゃあ、あなたも魔法少女なんだ」

「……そうよ」

「あはっ、ステキ!」

 再び少女は笑った。今度は、クスクスではなくケラケラと。
 その笑い声を聞きながら、ほむらは『話が違う』と思っていた。
 巴マミの話を聞く限りでは、大人しげな普通の少女を連想していた。しかし、本人を目の前にして、天井の一点をみつめたままゲラゲラと笑う彼女を見て、ほむらは考えを改める。
 この少女は普通ではない、と。
 むしろ、僅かばかりでも言葉を交わしたはずの巴マミが、なにも感じなかったことの方が、ほむらとしては不思議だった。

「ねえ、あなた。魔法少女のあなた。お名前はなんていうの?」

「暁美ほむら」

「そう。ほむらちゃんって呼んでも良い?」

「ダメ」

 にべもないほむらの言葉に、それでも少女はケタケタと笑う。

「あなた、とても面白いわ。特にマミさんのお友達って辺りが。あなた、マミさんのこと、嫌いでしょ?」

「……彼女とは、知り合いではあるけれど、お友達ではないわ」

「そう? そうよね」

 ひとり納得したように頷いて。

「わたしね、ここんとこ、ずぅっとこの部屋にひとりで寝てるの。朝も、昼も、夜も。そうするとね、だんだんとお部屋が小さく小さくなってって、このお部屋がわたしになるの。ねぇ、ワカル? その感じ」

「……分からないでもないわ」

 けっして話を合わせたわけではなかった。
 ほむらもまた、長い間、病室でひとり寝て過ごしたことがある。天井のシミが人の顔となって迫ってくる幻覚を見たり、四方の壁が我身に迫ってくる感覚も経験がないわけではない。

「でも、あれはあくまでも気の迷いよ」

「そうかしら?」

 それほど不満げでもなく。

「でも、わたしはこのお部屋の中のことなら、なんでも分かるの。誰が来て、誰が出てって。入ってきた人がなにを考えていて、出て行く人がなにを思ったか。まあ、大体の人の頭にあるのは、くっだらない同情と好奇心、それから嘲笑かしら。ほんっとわかり易いの。でも、あなたは違うのね」

 少女はそういって、ニタリと笑う。

「入ってきたときのあなたにあったのは、決意と迷い。どちらかというと決意の方が強かったかな。でも、今のあなたにあるのは、警戒と敵意。ピーピーって警戒音が聞こえてきそう。どうしてかしら?」

「……貴女は、なに?」

 隠すことのない敵意を向けて、ほむらは問いかける。
 少女はやっぱり天井を向いたまま、クスクスと笑った。

「わたしの名前は、井佐美エリカ。不幸で可哀想な入院少女」

「……そう」

 ほむらはまともに議論することを諦めた。まどかならば、この壊れた少女すらも救おうと望むかもしれないけれど、ほむらは彼女ほど心の広さに余裕があるわけではなかった。

「一応、あなたに警告しておくわ。もしも貴女の前に、奇跡を餌に契約を迫る白い生き物が現れたとしても騙されてはダメ。あれの言いなりになったら、きっと後悔することになる」

 ほむらの言葉を、井佐美はきょとんとした顔で聞いていた。そして『後悔することになる』という言葉にニタリと笑う。

「あなたは後悔したの?」

「……答える必要はないわ」

「そうかしら? とても重要なことのように聞こえるけれど」

 だって、と井佐美は続けた。

「だって、巴マミはその奇跡をもたらす生物に会って契約を交わしたけれど、まったく後悔している風ではなかったわ。わたしは、どちらを信じたらよいのかしら?」

「……好きな方を信じたら良いわ。私は、貴女にそこまで強要するつもりはない」

「冷たいのね」

 オドケた調子で少女は拗ねる。

「あなたはわたしのこと、嫌いかも知れないけれど、わたしはあなたのこと、好きよ? 特に、あの巴マミのことが嫌いなとことか――」

 とってもステキ。

 井佐美は歌うように言葉を重ねる。

「わたし、巴マミのことが大っきらい。奇跡のおかげで無事だったってバッカみたい。あの事故でどれくらいの人が死んだか分かってるのかしら? あのヒト、自分の両親まで死んでるのにさ、それを助けようともせずに、自分だけ助かって。それで奇跡だって、喜んでるの。可笑しくない? だって、奇跡も魔法もあるんだったら、どうして、両親の無事を祈らなかったの? まわりの人たちの安全は? 自分ひとりだけ助かっちゃったってことは、酷い独りよがりの自分勝手だってこと、独白してるようなもんじゃない。とってもじゃないけれど、わたしだったら、生きていらんないわ。自己嫌悪で死んじゃうね」

 ああ、ひどい、ひどい、と少女は歌う。

「きっと、マミさんの頭はお花畑なのよ。お気楽で、極楽で、ほんっとバカみたい」

「その点については、同意するわ」

 ほむらは大きく頷いた。どの世界の巴マミも、キュウベェとの契約を後悔している風も、疑問に思う様子もなかった。それどころか、隙を見せればまどかを契約の道へと誘おうとする。マルチ商法に騙されて、知らずの内にヤクザの片棒を担がされている善良なる主婦Aさん、みたいな感じだ。
 その善良すぎる態度はいつもほむらをイライラさせる。
 でも――

「でも、彼女は良い人よ。私や貴女と違って歪んでいないだけ。無知を笑うのは良いけれど、その在りようを否定することは出来ないし、してはいけないのよ」

「くっだらない」

 ほむらの言葉を、井佐美は一笑にふした。

「なに? あなたも正義の魔法少女なの? がっかりだわ」

 少女は、はじめてほむらに顔を向けた。
 まっすぐに彼女を見つめる瞳はひどく大きくて、見覚えのあるイヤラしい輝きを放っていた。
 絶望の中、魔法少女が魔女へと変貌を遂げるその瞬間に宿す、あの黒く濁ったソウルジェムのような鈍い輝き。

「わたし、巴マミを殺すわ。だって、彼女のこと、キライだもの」

 井佐美はきっぱりと言い切った。その言葉があまりにも唐突で、ほむらは一瞬、理解が追いつかなかった。

 巴マミを殺す?

 ぽかんと口を開け、かたまったままのほむらに軽蔑の視線を向けて。

「あなたももう帰って。つまらないから」

 少女がそう言った途端、閉めていた病室の扉が開いた。
 姿を見せたのは、ふたりの中年の男女。マミが会ったという井佐美の両親だろう。

「もうそろそろ……」

 ふたりは無表情のままそう言った。聞き覚えのあるマミのセリフのそのままに。
 だが、それ以上に、ほむらは彼らの容姿に見覚えがあった。
 かつてほむらが入院していた病室の前を通り、その奥の『楽園』へと向かった疲れた様相の中年夫婦。
 そして、昨夜の街角で見かけた、あの魔女狩りをする中年の二人組。
 その男女が今、ほむらの目の前に立っていた。


(6)契 約

 もう決まりだった。
 井佐美エリカは、魔法少女だ。
 またしてもほむらはキュウベェの契約から少女を守るに至らなかった。彼女の手はあの化け物に比べてあまりにも小さくて、短かった。
 普段であれば、後はもう、魔法少女のなすがままに。少女が魔女になるならば、それを止める手立てはないし、魔女が被害をそこらじゅうにばらまく前に、短いその手で止めを刺してやるくらいしか出来ることはないはずだった。
 しかし、今回は普段でも普通でもなかった。
 魔法少女は、魔法少女のまま狂い、おかしな理論で持って知り合いの命を狙うというのだ。
 正確には、魔法少女はすでにゾンビのようなものだから、命を狙う、という言葉はおかしいのかも知れない。
 けれど、ほむらは自分の知り合い ― 巴マミが狙われるのを黙って見過ごせる程、他人に無関心ではいられなかった。

「巴マミが死ねば……まどかが悲しむから」

 ほむらは独りそう呟いた。心の在りように驚くほどの矛盾を抱え込んだ少女は、そうやってまたウソをつく。

「…………」

 ほむらは、眼下に広がる街並みを見下ろした。冷たい風が重い三つ編みをゆらゆらと弄った。
 かつてよく見下ろした病院の屋上からの景色。彼女が住む街を俯瞰することのできるこの場所を、かつての彼女は好んでいた。
 少女が憧憬の眼差しで見つめた憧れの街は、今の彼女には魑魅魍魎の跋扈する魔窟にしか思えなかった。
 こうしてほむらの見つめる先で、今日もあの白い悪魔が獲物を求めて蠢いているのだろう。

「……ダメね」

 ほむらは小さく首を振り、今だけキュウベェのことを頭から追い出した。
 今考えるべきは、井佐美エリカのこと。
 彼女は明らかに「壊れている」し、その彼女が宣言した以上、彼女は巴マミを狙う。
 もしもそれを阻止しようとするならば、まず彼女の能力について知らなければならない。
 そう理屈では分かっているけれど、彼女の能力については皆目見当がつかなかった。

 彼女の両脇を固める中年の男女。
 あれは明らかに、魔法少女と同等の力を有するなにかだった。
 男がメスを握り、女が包帯を巻く。きっと彼らは医療関係に従事しているのだろう。もしくは、長く病院のお世話になっている井佐美本人の意思が彼らの道具に影響したのか。どちらにしても、彼らの表層的な能力は、『よく切れる刃物』と『拘束する包帯』。巴マミのリボンや、美樹さやかの刀のようなものだった。
 だが、ほむらの疑問の本質はそこにはない。
 彼らが異質なのは、魔法少女ではありえないはずの彼らが、魔法少女と同等の力を有していること。
 魔女の結界の中に入り、魔女を打倒する力と技。
 それが井佐美から与えられたのだとしたらひどく厄介なことになる。
 今回表面に出てきているのは、あの中年の男女のみ。だが、もしも更に多くの傀儡を用意することができるようならば、井佐美との戦闘は最悪、未知の能力を有する複数の魔法少女モドキとの対決を意味することになるからだ。
 流石のほむらも、相手の数すら分からない状況での戦闘は避けたかった。
 彼女の『時間を止める』という能力は、正対した敵に対してはほぼ無敵を誇るが、予期せぬ伏兵には意外と弱い。
 過去に何度か巴マミに拘束されるという苦杯を喫したのは、その全てが意表を突かれたことにあった。

「そもそもどうすれば、魔法少女ではない人間にそういった力を与えることができるのかしら?」

 ほむぅと悩みながら空に目をやると、上弦の月が東の空に見えた。
 魔法少女の能力はその願いに大きく左右されるという。
 例えばほむらの時間を止める能力。これは、過去に戻ってまどかとの出会いをやり直したい、という彼女の願いの一端を切り取ったような能力だ。
 他にも美樹さやかの能力が、癒しの願いから派生して優れた回復能力として発現する、などの例があった。

「でも、両親を戦わせるような願いって……なに?」

 ほむらは思わず首を傾げた。
 井佐美は巴マミも巻き込まれたあの大事故の被害者だという。そして、巴マミとは異なり、大けがをして、いつ退院できるかも分からない状況にあると聞く。
 だったら、キュウベェと契約を交わすにしても、まず自分の心身の改善を求めるのが普通なのではないだろうか?
 だが現状は、彼女は未だにベッドに縛られたまま、回復している様子は見られない。身体の回復を偽装して入院を続ける理由があるのだとしても、あの病室に引きこもる姿はあまりに異常に思えた。
 とても、現状の回復を願った末の行動とは思えない。
 だとすると、彼女の願いは別のところにあったのだろうか?
 例えば、両親を自由に扱うことを可能にするような願い。
 怪我により両親からの愛情が受けられなくなった少女が、その愛を取り戻すことを求めた、とか。

「……でも、その結果、両親が魔法少女の代わりに戦えるようになるって……」

 そんなことがあり得るのだろうか?
 彼らは単なる傀儡として魔女と戦っていたのではなく、魔法少女と同等の、一般人に比して飛躍的に向上した身体能力と特殊能力を有していた。

「それに……」

 もしも少女がなにかを願ったならば。そしてその結果、魔法少女になったならば。

「実は、身体の怪我なんて魔法で治せちゃうのよね」

 これはほむらが実践済みの事実である。
 先にも述べた通り、ほむらの願いは彼女の虚弱な体質を改善する方向には一切向いてはいなかった。しかし、魔法少女となったその結果、心臓の病も、視力でさえも、魔法の力であっさりと修復することが出来たのである。
 井佐美の例で言えば、もしも彼女が「両親の愛情」を求め魔法少女となったならば、その副次的な効果として、自身の怪我の回復が得られるのだ。
 ソウルジェムにその魂の在りどころを移された魔法少女にとって、もはや肉体は単なる戦闘のための取り換えの効く道具に過ぎなかった。
 それは、自身の怪我や病を嘆きその回復を願って魔法少女になった少女が居たならば『お気の毒さま』としか言いようがないような盲点だった。
 だが、見たところ井佐美は未だにベッドに縛られているようであり、そのことに倦み疲れている様子が見られた。
 望めば身体を自由に治せる魔法少女であるはずなのに、である。

「……まったく、わけがわからないわ」

 ほむらはほむぅとお手上げのため息をついた。
 それでも夜はやってくる。
 魔女が蠢き、そしてそれを狩る魔法少女たちの時間が始まる――






(7)対 決 に続く……







―あとがき―

 まどか☆マギカ、完結記念です。まだ観てませんが。
 箱の魔女。あと少しで完結するのですが、なんか長くなっちゃったのでふたつに。
 魔法少女のケガと回復は独自の解釈ですので、誤りがあるようでしたらご指摘お願いします。

 エリカさんの願いと、その能力はなんなのか?
 ぜひ推理をお聞かせいただけますと幸いです。上手い解釈がありましたら、私のよりも優先的に採用します。
 続きは、まどか☆マギカを12話まで観終わってから。
 では。



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